予算委員会公聴会 第2号
- 発言数
- 103 件
- 登壇者
- 17 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1982/02/13
会議録
○栗原委員長 これより会議を開きます。 昭和五十七年度一般会計予算、昭和五十七年度特別会計予算、昭和五十七年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。 この際、御出席の公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。 公述人各位には、大変御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。昭和五十七年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。 次に、御意見を承る順序といたしましては、まず大川公述人、次に高橋公述人、続いて春山公述人の順序で、お一人約二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えを願いたいと存じます。 それでは、まず大川公述人にお願いをいたします。
○大川公述人 ただいま御紹介いただきました大川でございます。 本日、このように非常に権威のある席にお招きいただいて、私の日ごろ考えておりますことを申し述べる機会を得たことを大変光栄に存じております。 最初に、私が政府予算というものに対して、どういう基本的立場をとっておるかというようなところから申し上げさしていただきます。 私は、政府予算全体についてやはり経済的に考えてみたい、そういう基本的な立場をとっております。 経済的と申しますのは、申すまでもございませんが、一定の資金なり資源を政府が使う、そういう場合に、得られる便益なり効用と、そのような資金なり資源を獲得するに要する費用あるいは犠牲といったものを、お互いに比較しながら最終的な決定を図る、効用と費用との間になるべく大きな余剰の効用が得られるように決定していく、こういうのが要するに経済的ということの簡単な意味でございますが、企業とか家計におきましては、このような経済性原理というのが非常に明瞭に貫徹するわけでございますが、政府予算については、この辺の関係が必ずしも貫徹しにくい要素があるわけであります。 すなわち、論者によりますと、政府の場合には、企業とか家計に当てはまるような経済性原理というのは妥当しないのだ、政府というのは、そういう経済性原理を超越した存在であるというような見解もないことはないわけであります。 〔委員長退席、小宮山委員長代理着席〕 政府というのは、言うまでもなく、民間企業のように利潤を獲得することを目的としているのではない、そういう意味においては、まさに経済件原理の外にあるかもしれません。それは私も否定するわけではありませんが、私がここで言う経済的というのは、政府も、国民経済の中で利用可能な有限な資源を使っているという、そういう責任を持つ行為者でありますから、その限りにおいては、企業、家計と同様に、その有限な資源の使い方を最も効率的にしていく、そのような責任を負うべきであると思います。政府がそのような経済的行動原理の支配外にある、政府は一つのそういう特権を持つのだというような主張は、民主的国家である限り許すべきことではないと思います。逆に言えば、民主的国家であるほど、そのような政府予算についての経済性を徹底的に追求すべきである、そういう立場をとっております。 このような立場から、最近政府予算について幾つかのトピックなり議論があるわけでございますが、その中で三つ、四つのトピックをつかまえて、私のコメントをつけ加えさしていただきたいと思います。あるいは通説と、かなり違ったような意見になろうかと思いますが、その点はお許しいただきたいと思います。 まず第一点は、減税ということがよく言われておるわけでありますが、その減税の根拠というものを考えてみたいと思います。 もちろん、これはわが国においてのみならず、アメリカのレーガン政権のもとにおいても所得税減税というようなことが声高に叫ばれているわけでございますが、レーガン政権が言っておる減税の根拠と、いまわが国において主張されている減税の根拠では、かなり違った点があるように思います。 レーガン政権で言っておる所得税減税というような場合は、それによって労働意欲を刺激する、それで労働の生産性を高める、それによって、さらにアメリカの海外競争力を高めるというような、かなり長期的な観点から所得税減税というものが主張されておるようでありますが、それに対して、最近新聞紙上なんかでうかがわれるわが国における減税の根拠には、かなり大きな割合が、減税によって民間消費を刺激するというような、いわば有効需要効果といいますが、そのような短期的な効果を期待した上での減税の主張である、そのようなふうに考えられます。 この点、私は、減税とかあるいは増税という場合、いまの場合には主として減税でありますが、そういう減税というものを、景気刺激効果といいますか、景気対策という面だけから考えてよろしいのかどうか、その点について若干の疑問を感じております。減税を要求する場合には、もっと深い根拠なり動機が必要なのではなかろうか、そのように思っております。 もし有効需要を国民経済全体として高めるための一つの手段として減税という手段を考えるならば、当然その減税の結果、政府の予算の赤字を拡大する方向に進むことが論理的に整合性を持つことになると思います。そのような一時的な政府予算の赤字は、いずれ景気が回復すれば租税の自然増収が期待されて、最初に出した赤字が相殺されるであろうという反論もまたあるわけでありますが、そのような景気回復によって、租税の自然増収によって再び予算が均衡するというまでには、かなりな時間を要することでございまして、数年度にわたって初めてそのような効果が起こる場合もあり得ますが、一度はずみのついたインフレ化現象が、果たして、そのような租税の自然増収だけを期待した上で再び均衡予算が実現されるかということに対しては、必ずしも保証はないように思います。 それは景気対策面だけから減税を考えることに対する疑問の消極的な面でありますが、もっと積極的には、減税を要求するということは、国民から税金を徴収する場合の社会的費用あるいは社会的犠牲を高く評価するということが、その減税要求の底にあるはずのものであります。したがって、従前よりも税金を徴収する場合の社会的費用を高く評価するということであれば、当然支出を削減するということと結びつかないと筋が通らないと思います。財政再建というようなことが叫ばれておる前提には、すでに現在、非効率的な政府支出が存在しているという前提認識があるわけでございますが、そういう場合に減税要求をする、すなわち租税の社会的費用をいままでよりも高く評価するということになれば、非効率的な支出の幅がさらに拡大する、こういう反面の犠牲が発生するわけであります。 したがって、結論的に申しますれば、もし景気対策として減税を主張するとすれば、それは非効率的な支出の範囲を拡大するという他方における大きな犠牲を伴うということを十分考慮すべきであろうと思います。ここには、景気対策として租税を使うのと、その租税によって国民経済資源の効率的な利用を図るという観点からの衝突が起こるわけであります。そのような衝突の犠牲というものを十分考慮した上での減税要求というものになるべきだ。もし、そのような考慮なしの、景気対策だけからの減税要求に対しては、いまのような意味で私は若干疑問を持っておるということであります。 それから、減税に対して第二の問題でありますが、増税というものをもし考えた場合に、増税のマイナス面が主張されることが多いわけでありますが、増税すなわちすべて悪だというふうに割り切れるものかどうか。増税にはそれなりにまた効用といったものも考えられるのではないか。こんなことを言うと、ずいぶん変なことを言うように思われる心配もあるわけでありますが、増税はすべて、いかなる選択、判断も超越した悪なのかどうかという点でございます。増税が国民に対して負担をかけるというマイナス面があることは当然でありますが、そのようなマイナス面だけで増税を否認する、これは少し早急な嫌いがある。 しからば、増税の効用といった場合、一体どんなことがあるのかということになるわけでありますが、増税の効用を二つの局面に分けてみれば、まず第一は、いままで公債発行収入で賄っていたその収入を租税収入に振りかえるという効用であります。 国民に負担感を与えないようにするためには、公債発行の方がむしろいいではないかという議論もありますけれども、私は、現在の財政再建下では、そのような公債発行収入をむしろベターとするような考えはとりません。やはりそのような公債発行収入を継続的に続けていくことがインフレのおそれを持つとすれば、増税によるマイナス面の効果は、インフレによるマイナス面との比較の上で考えて、もしインフレによるマイナス面よりも増税によるマイナス面の方が小さければ、それは増税の効用ということになるわけですが、インフレが生じた場合の非常な負担の逆進性あるいはいろいろな国民経済の秩序破壊性といったことを考えると、その限りにおいては、公債発行収入を租税収入に振りかえることに、ある意味での効用があるのではないか、そういうふうに思います。 それからもう一つ、さらに積極的には、増税は政府支出の増加を保障するという効用があるわけであります。 増税そのものは確かに負担でありますが、それによって保障される政府支出、その政府支出が自動的な増加であるか、政策的な増加によるものかの違いはありますけれども、いずれにしても政府支出を保障するという効果が増税によって出てくる、そのような政府支出を保障する積極的な効果ともあわせ比較する、こういう判断の立場が必要であろうかと思います。 それから第三番目は、国防もまた経済問題であるということであります。 これもかなりとっぴな発言のように聞こえますが、戦前のわが国、あるいはこれは世界的に共通することでありますが、軍事費とか国防費というのは絶対至上的なものである、一般の国民の批判の余地を認めないような領域の問題として扱われていたようにも思います。国民は絶対至上的な国防費などの決定に対して、租税を払う面で服従しなければならない、そういうようなものが戦前なんかで行われていた国防費に対する考え方ではないか。現代的な言葉で言えば、国防費は聖域中の聖域であったように思いますが、このような国防費を国家主義的に、あるいは強制的に、あるいはまた言葉をかえて言えば政治的に決めるような考え方に対して、国防費の場合でも、もう少し下からの声を反映するような民主主義的に、それから国民の理解を求めるようなという意味で理解的にといいますか、それから経済的に決定する、そのような考え方をもう少し生かすべきではないか。 そのためには、国防の効用と非効用に関する情報なり知識をもっと国民に提示して、国民がその賛否を判断しやすいように努力すべきではないか。国防費は絶対に必要なのだという意見が一方にあり、国防費は絶対に不必要なのだ、こういう意見がまた他方にある、その間で何か力と力で対決する、こういうやり方に対して、もう少し共通認識をお互いに持った上で国防費の大きさを決めていく、こういうような考え方に持っていくべきではなかろうか。 これは何も国防費に限ったわけではございませんで、このような経済問題として政府支出を考えるということは、国防費のみならず、すべての経費に共通することであろうと思います。いかなる経費であっても、聖域論とかあるいは権利論といったものの庇護のもとで自己を主張すべきではないと思います。資源を利用するからには、民間でそれを使う機会を失わしめるという費用を伴うわけでありますから、いかなる経費も、そういう費用を認識した上で、それを上回る社会的効用があるのだということを証明する義務があろうかと思います。これが、国防もまた経済問題なりという意味であります。 最後に、第四番目として、増税なき財政再建ということが言われておるわけでありますが、増税なきという場合、租税の増収がないということではないわけでありまして、増税なき財政再建という場合でも、租税の自然増収の可能性を内蔵しているというふうに考える。その租税の自然増収の可能性を内蔵している限りにおいては、支出の方の自然的増加もある程度承認し得る可能性が含まれているわけであります。したがって、ここでは、増税なき財政再建という場合でも、一方、支出側における義務的経費なんかの自動的増加があるわけで、それに対して租税の自然増収が他方に対置される。そのような支出の自動的増加を仮にAとし、租税の自動的増加をBとすれば、そのAとBとの大小関係が問題になろうかと思います。 いま当面、増税なき財政再建で特に問題になっておるのは、支出の自動的増加に対して税収の自動的増加が下回るという可能性が、最も緊張するといいますか、問題になりやすい点であり、租税の自然的増加が支出の自然的増加を上回る状態であれば、増税なき財政再建は比較的容易にできるわけでありますが、支出の自然的増加の方が税収の自然的増加を上回る、こういう状況のもとで増税なき財政再建を考えるということになると、もし増税なき財政再建で自然増収の範囲内での処置ということになれば、これは義務的経費といえどもかなりその中に切り込んでいきませんと、この増税なき財政再建の目標は達成されないというふうに思います。 そのような義務的経費をも切り込んでいく、そのマイナスと、税金を払う立場の納税者の負担とを対置させる、その間の比較をやる、こういう非常にぎりぎりなところでの選択なり判断が必要になってくる。そういう非常に緊迫した状況の中で判断をするためには、最初に申しましたように、やはり経済的な観点を導入して予算を考えるべきであるという最初の発言に戻るわけであります。 以上、不十分でありますが、最初の公述を終わらしていただきます。(拍手)
○小宮山委員長代理 どうもありがとうございました。 次に、高橋公述人にお願いをいたします。
○高橋公述人 おはようございます。高橋です。私は、働く者の立場から率直に意見を述べさせていただきたいと思うわけであります。 五十七年度予算案につきましては、所得減税を見送りされまして、福祉予算の後退など、国民生活に苦しみと不安を増大させるものであり、われわれが政府に要求してきました政策、制度にはほとんどこたえられておらないわけでありまして、きわめて遺憾なものだと思っておるわけであります。 今日、わが国の経済はきわめて緩やかな回復基調にあるとはいえ、産業、地域、規模別間における格差が拡大しており、依然として不況感が払拭されない厳しい状況にあるわけであります。さらに、内需不振、通商摩擦、財政再建などの問題、そして石油化学、アルミ、紙パなどを初めとする素材産業の構造的な不況、中小企業等の不振など、緊急に対応しなければならない課題が実は山積しておるわけであります。 政府は、五十七年度の経済政策について、内需中心の実質成長率五・二%と設定し、それぞれの寄与度を内需四・一、外需一・一と、従来の外需依存から内需中心へと計画が変更されているわけであります。われわれは、拡大均衡の積極政策によって景気の回復と安定成長軌道への定着を図り、生活と雇用の安定を図るべきと考えているわけであります。 問題は、政府がいかなる具体的な政策手段をとるかということですが、いまだその具体的な対応策が明確になっていないことに大きな不安を持つわけであります。 われわれは、第一に、所得税と地方税を合わせ一兆円以上の減税を実現し、実質可処分所得を増大させ、個人消費を伸ばすなど、内需拡大への政策転換を図るべきと考えているわけであります。 今日までの景気低迷は、勤労者の公費負担、すなわち所得税、地方税、社会保険料の増大により実質所得がふえないことにあるわけです。所得税の課税最低限度額は昭和五十二年の税制改正以来据え置かれ、実質大幅増税が強いられ、税の社会的不公平が拡大しておるわけであります。勤労者にとっては、税負担、公費負担等についてはすでに限界に達している感があるわけです。 第二は、不公正税制の改革の断行であります。 俗にトーゴーサンピンと言われるように、所得税の不公平は拡大しており、納税意欲というものは減退しているわけであります。勤労者の所得税は一〇〇%所得から控除されますが、ほかは自己申告制となっており、不公平を助長させているわけです。課税捕捉率の改善を初め、税務執行上の改革などにより、不公正税制の是正の断行を求める一般勤労者の願望にこたえるべきと考えておるわけであります。 さらに、利子配当所得に対する優遇措置や社会保険診療報酬に対する特例措置等を廃止すべき段階ではないかと思うわけであります。 第三は、行財政改革の断行であります。 行財政改革については、鈴木総理大臣も政治生命をかけて断行すると決意表明されたことに、一般国民は大きな期待を持っているわけであります。しかしながら、五十六年度に約一兆四千億の増税をしながら、予算の税収不足を赤字国債の増発で急遽賄う一方、五十七年度予算案においても五十六年度に続いて増税が行われているわけです。 国民の強い要求は、時代の変化に対応して、増税なき財政再建、これは第二次臨調でも理念として打ち上げているわけでありますが、簡素で効率的な行政への追求、国民から信頼される行政改革の断行でなければならないと考えているわけであります。 行政改革は、中央、地方を通じ、自治、分権、参加を原則として自己改革を図り、行財政改革の断行によって今日の政治不信を払拭し、国民の信頼を回復することが真の民主政治の道であると信ずるものであります。 行政改革はまず隗より始めよと故大平総理も言われましたように、立法府である国会から自主的に改革を断行し、国民に範を示すべきと考える一人であります。 第四は、住宅土地対策の強化であります。 内需拡大の一つの大きな柱として住宅建設を挙げていますが、五十五年度から住宅建設戸数は激減しております。五十六年度は百二十万戸を割り、百十万戸ぐらいではないかという予想もできるわけでありますけれども、住宅関連産業の製材、製板、合板そして建築業等は倒産など、深刻な状況にあるわけであります。 このように近年の住宅建設が激減したのは、住宅の取得能力が低下した、要するに所得が低下したからであります。しかしながら、質、量的に高度な住宅建設という潜在的な需要は依然として旺盛であるわけです。したがって、公営、公団住宅の建設目標を増加させ、また、公庫貸付限度額の引き上げと低金利、返済期間の延長など、また、土地税制の強化等によって土地価格の抑制と宅地供給の促進を図るべきと考えているわけであります。 第五は、高齢化社会を迎えて、総合的雇用対策の強化の問題であります。 高齢化社会の到来、エレクトロニクス、ロボットなどを中心とした第三次産業革命とも言われる急速な枝術革新の進展、通商摩擦などによる雇用環境は依然として厳しいものがあります。 五十六年の完全失業者は百二十六万人、失業率二・二六%、有効求人倍率〇・六七と前年より悪化しており、さらに五十七年度を予想しますと、さらに失業者が増大する情勢にあるわけです。特に中高年齢者の失業問題は深刻であり、その対策は緊急な課題であると思うわけであります。したがって、当面は六十歳定年制、労働時間の短縮、週休二日制、さらには同盟が主張している、経済、金融財政、産業政策と雇用政策を有機的に結合させる総合的雇用対策基本構想の実現に向けて、労働関係法の改正に向け検討すべき段階に来ていると思うわけであります。 第六は、構造不況産業と中小企業対策の強化であります。 一般的に中小企業は不振であります。また、中小企業に働く労働者の賃金は低く、規模別賃金格差は拡大する一方であります。そしてまた、中小企業の設備投資もここ数年低迷を続けておるわけであります。内需拡大を図ることは中小企業の振興対策でもあるわけです。したがって、この中小企業の不振について金融、税制面からの諸施策を推進すべきではないかと思うわけであります。今日の自然増収もふえないという点については、中小企業のベースアップ等が四・四%、きわめて低いわけであります。そういう点から、税収の予想より低いという点が現実の問題になったと思うわけであります。 日本の産業構造というのは外需依存型の産業構造であるわけであります。内需依存へ転換するための政策誘導ということも必要な段階に来ていると思うわけであります。 最後に、社会保障の充実について述べたいと思うわけであります。 それぞれ共済年金や厚生年金も二十数年でパンクするという実情にあるわけです。そういう公正化を図るためには、年金制度について基礎年金を確立する以外にないのではないかと思うわけであります。したがいまして、各種年金間の不均衡の是正なり、老齢、障害福祉年金の改善、医療保険における保険外負担の解消、高額療養費自己負担限度額の抑制など、医療制度全般の適正化を図るべきと考えておるわけであります。 以上、私の意見を述べて、終わらせていただきます。(拍手)
○小宮山委員長代理 どうもありがとうございました。 次に、春山公述人にお願いいたします。
○春山公述人 私は、全国で二十の産業別労働組合中央組織と約三百の地方地域統一労組懇、約百五十万人労働者の経済、政治、社会的な要求課題の実現を目指す運動を進めている立場を代表して、政府予算案に対する意見を述べさせていただきたいと思います。 また一方、これは、軍事費を削って暮らしと福祉、教育の充実を求める二百数十万の労働者、民主諸団体と私どもが共同しており、この一年有余の間に延べ千五百六十万人分の対政府要求、国会請願署名を集約しており、また現に、さまざまな活動を広げているところでありますので、その延べ千五百万人を超える労働者、国民の切実な願いを背景に、同じように意見を述べさせていただきたいと思います。 まず第一には、当面、一兆円以上の勤労所得税減税を早期に実施すべきであると思います。 一九七八年以降、四年連続して物価調整減税を実施せず、さらに今後も減税を行わないとしますと、たとえば、一九七七年当時年収二百五十万円の労働者階層の所得税負担は、今日四・九六倍にもなるという試算があります。 所得税は累進課税ですから、物価上昇を追いかけて毎年の賃上げが行われましても、その名目所得の引き上げに伴って税率がはね上がり、そのため、物価調整減税の見送りは、実質賃金の低下と実質増税として、労働者の生活を脅かしております。 名目所得の引き上げに伴って、このほかにも住民税、社会・労働保険料なども引き上げられています。たとえば、四人世帯、年収一時金込み四百万円としますと、平均月給二十四万円の労働者世帯で、ことし仮に昨年並みの賃上げがあったといたしましても、その物価上昇分でふえる名目賃金三十二万円に対して、所得税、住民税が約五万一千円、社会・労働保険料で二万円、合計七万一千円が増加徴収されることになります。その分が実質的に賃金に食い込み、可処分所得の減少となり、それが約四千万人と言われる労働者全体にわたるのです。しかも、それに加えて第二次臨時行政調査会答申に沿った教育費、福祉や医療費など、もろもろの負担がふえているとするならば、労働者生活は大きな困難を加えることになります。 この一月、私どもが集約した十一万人のアンケート結果では、その八〇%以上が生活の苦しさを訴え、理由として食、住、医療、教育費負担増を挙げております。これは、一般の新聞二紙が最近の世論調査結果を載せておりますが、対前年比で生活に余裕ができたというのは七%前後にすぎない、あるいは八〇%前後の人が物価上昇感を表明しているということと共通であります。 経済企画庁の新経済社会七カ年計画の見直し作業の中でも、対国民所得比の租税負担率は、一九七八年度の一九・九%が、一九八〇年度には二三・四%、八二年度では二・六%弱となり、当初の一般消費税八〇年度導入の前提での一九八五年度予測値二六・五%を八三年度には超える引き上げになります。 一兆円以上の減税実施は、労働者生活の赤字の減少、購買力の増加の面だけではなくて、消費需要を喚起し、消費の冷え込みを回復させる上で積極的な国民的な意義を持ちますし、それは国民的な課題でもあります。 この減税と大幅な賃上げで景気にてこ入れをすることは、労働者、中小商工業者を初め広範な産業活動に活力を吹き込むだけではなく、そのはね返りで、国や自治体の財政事情にも一定の影響をつくり出すでしょう。一兆円以上の減税の財源は、この後申し述べる大企業優遇税制の是正その他、不公平税制の是正などで十分あります。早期の実現を強く望みます。 なお、大企業本位の政治、経済、財政の仕組みとその運用の中でつくり出された財政赤字を、労働者、国民の犠牲と負担で解消しようとする増税は筋違いであります。いかなる形にしろ増税には反対をいたします。 第二に、五十七年度政府予算案は、国民生活関連予算は圧縮をしていますが、それで浮かせた財源はもっぱら軍備拡大に回し、軍事費を七・七五%と異常に突出増額させています。この軍事費については、装備調達費分一兆円以上を削減すべきです。 政府予算案全体の伸びは二十六年ぶりの低い六・二%増ですが、ここから、どうしても支払わなければならない国債費あるいは法律で決まっている地方交付税交付金を差し引きますと、実際に使える一般歳出予算分はわずか一・八%増ですから、物価上昇を考慮に入れれば、むしろ大幅なマイナス予算です。 その一・八%、約五千七百億円の中で、軍事費が三分の一近く、千八百六十一億円もふえて、七・八%増ですから、まさに大増額です。防衛庁策定の五三中業の六、七割が実現し、P3C対潜哨戒機、F15戦闘機も後年度負担を含めて防衛庁要求どおりであり、しかもミサイル、弾薬など継戦能力のアップ分は、海上自衛隊五二%、航空自衛隊四四%など、異常な伸びとなっています。既存分を加えての後年度負担は一兆七千五百億円もあります。こうした予算の先取り、軍事費の先取りは、七六年閣議決定のGNP比一%以内という国民への約束を破るだけでなく、国民の生活と平和への重大な脅威ともなると思います。 私たちは、アメリカの核戦略体制に組み込まれた日米安保条約を軸とする政府の軍備拡大、軍事大国化の政策路線、そのもとでの予算案に強く反対をいたします。そして、真の恒久平和の確立を望み、安保条約廃棄、非核三原則の法制化、核兵器全面禁止の実現とともに、当面、その軍事予算の一兆円以上の削減を強く求めるものであります。 アメリカの強力な核の傘に組み込まれたもとでのわが国の軍備増強は、安保条約に基づくわが国への核配備と、日本を核戦場にする危険と深く結びついており、しかも、昭和六十年までの五年間で二十兆円にも達する日本国民の血税を大きく注ぎ込みながら、日本国民の意思とはかかわりのないところで、戦争の危険な口火にレーガン政権が火をつけないという保障が全くない現在、一日も早く、国会が私たちの願いにこたえることを望むものであります。 地球の上の平和の確立を願う国連加盟国の三分の二を超える国々が追求をしている、軍事ブロックや軍事同盟を解消して非同盟中立政策による国際連帯の力に基づくことこそ、日本と日本国民の平和と安全を確立することに寄与する道であります。年間一兆円を超える軍需産業大企業向けの装備調達予算の削減を強く求めることは、私たちが集約した一千万を超える労働者、国民の意思であるだけでなく、一般新聞の世論調査でも「防衛費抑制を七割が支持」と言われているように、広範な人々の強い願いであります。 第三に、昭和五十七年度政府予算案の大企業優遇税制と大企業向け予算支出、並びに大企業の不正不当な利益抱え込みなどについて、全面的な見直しと早期の改善、是正措置などを強く求めるものであります。 大企業は、公正取引委員会の調査結果でも、一九七九年現在で、全法人百三十万企業の総資産及び年間総利益額のそれぞれのほぼ四分の一を、わずか〇・〇一三%の百七十七大企業で占めていると言われます。 また、最近の国税庁調査結果で、大企業上位五十社の申告所得総額は、一九八〇年に対前年比で一五二%も増加をし、また別の政府統計では、資本金十億円以上の大企業では、そこの全労働者の賃金総額約十六兆円に対して、内部留保分だけでも約三十兆円に達するという強蓄積の実情があると言われます。 また、国税庁の別の最近の調査では、資本金一億円以上の大企業一万八千五百社の二三%に当たる四千二百社で、その四社に一社、合計一千十四社で、三百二十四億円に上る使途不明金が明らかになり、「腐敗、汚職など会社犯罪の温床となるもの」と新聞でも報道されております。 建設省の調査では、大手、中堅の特定建設業者三千八百四十九社の九四%に当たる三千六百七社が、建設業法違反や下請代金支払遅延防止法などに違反して、中小零細下請業者に損失を与えています。 また、国際障害者年である昨年、労働省調査では、千人以上規模大企業千八百三十四社について法定身体障害者雇用率をチェックした結果、八割の企業が法定雇用率に達していないと言われています。中高年法に基づく高齢者雇用率の未達成企業も、大企業ほど多いと言われています。 その大企業に対する優遇税制は抜本的に手直しをするべきであります。本年度予算案の中で、貸し倒れ引当金や価格変動準備金などについて、一部若干の手直しはありましたけれども、まだまだ大きな優遇措置があります。大企業の退職手当引当金など現行六種類の引当金や、各種の準備金、受取配当益金、株式発行差金益金、有価証券譲渡益、省エネ設備投資などについての特権的な減免税制度は、巨額の利益の隠しどころとされています。これは速やかに改めるべきであります。また法人税率についても、応能負担の原則に基づいて累進税率を適用するよう改正することを求めるものであります。 そのように大企業優遇税制を抜本的に改めるとともに、大企業優遇の予算支出についても、これを大幅に縮小すべきであります。 すなわち、経済協力費の大企業本位の運用を改善し、八千億円もの大企業向けエネルギー対策費支出を改め、そのほか、産業投資特別会計、補助金、利子補給などの大企業への支出の縮減を求めます。 公共事業につきましては、元請大企業が国や自治体から請け負った場合、まず頭から、本店経費と称して請負金額の二〇%を差し引いて本店に送っている例、建設業法違反の一括下請を数次にわたって繰り返して、実際施工の地元企業では元請負額の六割で施工していた例などがあります。談合などとともに、不正不当な大企業の利権に手をかすことのないよう、民主的な予算の内容とその執行が確保されることを求めるものであります。 第四に、第二次臨時行政調査会答申の内容が政府予算案に大きく取り入れられていますが、これに反対をいたします。 総合安全保障体制のための行財政構造の転換を目指して、財政赤字を口実にしながら、軍事費、エネルギー対策費、経済協力費を大幅に増額をし、その一方で、国民生活関連予算が大幅に切り下げられています。 若干具体的に申し上げます。 一つには、社会保険料、教育費、福祉費、公共料金の引き上げや老人医療有料化、年金の国庫負担率の削減などを、受益者負担とか自助活動の拡大などという名目で実施することはやめるべきであります。 たとえば、わが国の年金制度について申し上げるならば、事業主の負担割合が低く、被保険者の負担割合が高く、しかも積立分は財政投融資に回され、企業利益の増加に利用されています。医療、公的扶助、年金などの社会保障財源に占める事業主負担割合は、国際的に見てもかなり低いものになっています。改めるべきであります。 二つには、臨調答申による中小企業への経営圧迫や農業つぶしに加え、公共事業費の補助金の削減や地域特例カット、国鉄合理化、ローカル線廃止などによって、地域経済の荒廃を促進することはすべきではありません。 三つには、行政の合理化、公務員人件費削減により、国民生活にマイナスの影響が出ることは改めるべきであります。たとえば河川の管理、職業紹介、労働災害対策、気象予報、航空管制、教育、医療など国民生活に直結する部門で、機構の統廃合や人減らし、サービスの低下を進め、一方では、自衛隊の増員や特権的な官僚優遇の非民主的な人事管理や、高級官僚の特殊法人への天下りなどを放置しています。全体の奉仕者としての性格をゆがめる政策はとるべきではありません。 本来、国民の立場に立った民主的かつ公正、効率的な行政を推進すべき憲法理念の実現の視点を欠き、軍事費、大企業優先のさまざまな仕組みの優遇を図る財界主導の臨調路線の予算案への反映には、強く反対をするものであります。 第五に、労働者は、経済面では直接の生産と流通の担い手であり、わが国経済の成長の水準に見合って、適切な生活改善が図られなければなりません。それなのに現状は、物価を考慮に入れた実質的な賃金水準で見ますと、先進、中進工業国の中でも十数位という低い賃金水準であることは、政府統計、日経連労働経済委員会資料あるいは国際的なイギリス、スイス、アメリカなどの海外調査機関資料をもってしても明らかであります。一切の賃金抑制政策はとるべきではありません。 しかも加えて、労働者の労働条件にかかわる制度などの現状、あるいは労働者にかかわる予算の状況を見ましても、労働条件の改善について積極的な内容が必ずしも十分とは言えません。 たとえば、西欧諸国対比で二百時間から四百時間も長い年間の実労働時間、年休消化率の異常な低さ、先進国中、類のない官公労働者のストライキ権の全面一律禁止制度、社会保障給付の国民所得対比での低さ、また、最近のメカトロニクスによる合理化、人減らし、中高年齢層急増のもとでの中高年失業者の就職難など、労働者をめぐる環境条件は制度、政策面でも大きな問題となっております。なお、このメカトロニクスに伴う合理化、人減らしは、急激な高齢者増加のもとで、今後五年あるいは十年たった場合、わが国の失業者の状況がまさに緊急な、しかも異常な状態になることを予測させるものがあり、緊急の課題であろうと思います。 また、業種によっては、企業の六割から九割が下請系列化させられている現在の日本において、その中小企業の親企業、背景資本の使用者責任の拡大の問題も制度的に取り上げるべき問題であります。単なる使用従属関係だけではなくて、支配従属関係のもとで、労働者の雇用、労働災害あるいは職業病対策や団体交渉、下請事業との関連でのこれらの問題の解決についても大きな問題がありますし、予算案の審議を通じて、その面での改善を図られることを強く求めるものであります。 以上申し述べて、意見の表明といたします。ありがとうございました。(拍手)
○小宮山委員長代理 どうもありがとうございました。 —————————————
○小宮山委員長代理 これより各公述人に対する質疑を行います。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。船田元君。
○船田委員 ただいま、お三人の公述人の方からそれぞれ大変有意義なお話をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。 特に大川先生からは、政府予算につきまして、特に減税の問題、それとうらはらの増税の問題、防衛予算、そういったものについて御専門の財政学的な見地からお話をいただいたわけでございます。 先生の御主張によりますと、国の予算というものが政治的な要因で決定される以上に、何かそこに経済的な要因といいますか、経済的な効率性、こういったことからも考えるべきである。たとえば、ある項目の支出を行うに当たっては、その支出をしたことによって得られる効用とか便益、それだけを考えるのじゃなくて、そのほかに、その支出をしたためにほかの支出が削られるというような、そういう費用といいますか、犠牲というものもあわせ総合的に判断していかなければいけない、こういうお話を伺ったと私は受け取っておるわけでございます。 そこで、いま私どもが進めております財政再建あるいは行政改革、こういう考え方を見てみると、確かに、かつての高度経済成長時代には潤沢な財源といいますか、そういったものに支えられていて、歳出という蛇口をずっと緩めっばなしにしていたわけでございます。しかし、石油ショック後の安定成長下においては当然財源的にも制限がございます。しかし、もっと根本的には、歳出のすべてについて、もう一度その見直しをしてみる、あるいはまた、その公的支出が本当に国民にとって必要なものであるかどうか、こういうような問いを、その中で大分発しているのじゃないかなというふうに私は考えているわけでございます。 特に、今回の予算編成の段階においても、たとえばゼロシーリングとか、あるいは臨調の第一次答申、さらには補助金の一律カットというようないろいろな過程を経て編成をされたわけでございますが、こういった一連の予算を編成する、あるいは予算を決定する手法の中では、一部分ではありますけれども、予算の効率性ということを何とか考えてみようじゃないかというふうに努力しているように私には考えられるわけでございますが、先生のそういう問題に対する評価は一体どのようなものでしょうか。
○大川公述人 ただいま私のさきに述べたことをおまとめいただきましたが、私は、経済的効率性をも考えるというのではなくて、むしろそれを基本に考えるべきだというようなあれで、しかし私も、政府予算の決定がそのような経済的な効率性についての考慮だけで決まるんだ、いわゆるコンピューターで計算するように答えがすぐ出てくるんだ、すばっと割り切れるんだということまでは申してはおりません。 それはなぜならば、政府支出による便益とか効用といっても、民間企業が投資をして利潤を上げたかどうか、そういうふうなものとはかなり違って、そう明確にはとらえにくいという性質のものでありますから、そのような幾らか不明瞭性を残している限りにおいては、効用と費用を比較するといっても、その中に政治的な考慮といいますか、政治的な判断が入ってくる余地が十分にある。 むしろ私の言いますのは、最初から政治的な判断ということではなくて、その政治的な判断を下す基礎に、経済的効率性への考慮といったものを踏まえた上で政治的な判断を下していただきたい。そうすることによって、ある政治的な判断、政治的な選択を行ったときには、ある面のものを捨てた犠牲の上に、政治的判断によってあるプラスの面を追求しているんだ、こういう意味で非常に政治的な責任の所在が明確になる。 そのような形で持っていっていただきたいためには、まず当初の段階では経済的な分析というものを踏まえていただきたいということでありまして、経済的な考慮ということで政府予算がたちどころにコンピューターで決まる、このような国会が不要になるなんということを申したのではなくて、むしろ逆に、こういう国会などにおける政治的な判断の必要性があればあるほど、経済的な分析を踏まえていただきたい、そういう意味でございます。 それで、後半のところで、最近、日本政府の予算編成におきましてもゼロシーリングというような考え方を導入する。これは財源の窮迫性があるがゆえに、そのようなところから出発しておるということを、どういうふうに評価するかということでございますが、そのようなゼロシーリング的な考え方を導入するということは、私の申しておるような経済的分析を取り入れる一応の基礎にはなる。支出を増加させるかどうかの判断を決める場合に、かなり厳密な分析を踏まえた上でないと、ゼロシーリングを超えるためには、よほどの根拠づけが必要になる。そういう意味では、低成長下の自然増収の停滞ということがきっかけにはなったと思いますが、私の考えているような経済的効率性を導入するという点においては評価したいと思います。 ただ私は、ゼロシーリング的な考え方ですべて満足されるというわけではございません。ゼロシーリングという言葉がどこから出てきたか、あるいはゼロベースバジェッティングという、アメリカ連邦政府あるいは州政府でやっております、そのようなゼロベースバジェッティングあたりから出てきた言葉かと思いますが、ゼロベースバジェッティングというのは、ゼロから出発する、すべての経費をいわゆるゼロから全部見直すということが一つの重要な要素でありますけれども、ゼロベースバジェッティングの本当のねらいは、政府予算の決定の中に経済的な考慮、コストとベネフィットを相互比較する、そういう手法の導入にむしろ重点があるんだということを考えますと、ゼロシーリングだけですべて満足ということにはいかないように私自身は考えております。
○船田委員 それともう一つ続けて大川先生に御質問いたします。 これは余りこれまでにも議論されていなかったような気がしますが、一国の経済全体に占める国の支出、国家財政の割合、言いかえれば政府の財政規模というのは一体どの程度までにしたらいいのだろうかという議論があると思います。日本の場合、GNPに占める公的支出の割合、この場合には国家財政と地方財政、二つ合わせたものだと考えますけれども、昭和五十六年度で大体三二・四%、それから昭和五十七年度の見込では三一・六%、大体三割が公的部門である、そして残り七割が民間の部門である、こういうふうに言うことができると思います。 これはたとえば、かつて最小の経費で最大の利益をもたらして、最もよく安全を保障してくれそうな政府が一番いいんだ、こういう安価な政府という主張をされたイギリスのJ・ペインという人がいますが、その人の頭の中では多分、正確ではありませんが、一〇%程度の公的部門というのを考えていたんじゃないか。それから現在の欧米の主要国では大体公的な部門が五〇%近くになろうとしている。特にスウェーデンなどはもっと多い、六〇%、七〇%近くにいっているかもしれません。 こういう公的な部門の割合が一体どの程度であればよいのか。これはもちろん国民の負担の限界も考えなければいけないし、それから経済的な効果、それから民間の部門が公的な部門に押されて活力がなくなるんじゃないか、そういう民間部門への影響などを十分に勘案しつつ、結局は政府が自由に選択する性質のものであろうと思いますが、現在の日本の経済全体に占める公的部門が三〇%であるというこの数字について、何か先生の御見解があれば伺いたいと思います。
○大川公述人 政府の財政規模をどういうふうに決めるか、国民経済における割合をどの程度が適当と思うかという御質問でございますが、何%ぐらいがいいという早急な結論は出てこないということは、先ほどの私の基本的な立場からおわかりいただけると思います。かつてコーリン・クラークという有名な経済学者は、政府支出の国民経済に占める割合が二五%を超えるとインフレの可能性があるというようなことを、ある一つの標準数字として述べたことはありますが、そのようなGNPの何%が適切な政府支出の規模であるかは、いま先生がおっしゃいましたように、政府にどれだけの仕事、機能を期待するのか、その国民の判断にもよりますし、それから政府支出をどういう方法でファイナンス、財源を調達するのか、それにも依存する問題でございますもので、それらの前提条件を踏まえた上で、この辺が適当であろうというふうな結論になると思います。 したがって、具体的に申しますれば、御引用になりました安上がりの政府なんという時代のときには、国民の政府に期待する機能というのは、夜警国家といいますか、国防と治安の維持、あと少少の公共土木事業をやっていればいいんだというような国家観といいますか、国家に対する期待があったわけですが、現在の政府に対する国民の期待は、その程度ではおさまらないといいますか、政府の役割りには、そのような資源を効率的に使うという機能のほかに、所得分配機能というものを政府に期待しておる、こういう面が新しくつけ加わってきておる。所得分配機能なんということを一切無視していいんだということには現在いかないと思いますが、政府に対するそのような機能がつけ加わってきた段階においては、その辺の新しい機能を遂行するためにどれだけの費用を適当とするかというようなことをもあわせ考えた上で最終的には出てくる。 スカンジナビア諸国、スウェーデンやなんかは、所得分配機能を非常に重視するというところで、一般の先進諸国以上の租税負担率をとっております。しかし、これはまたかなり問題点もあるやに聞いておりますが、そのようなある程度試行錯誤的なものを交えながら適当な水準を考えていく。そのためにはいろいろ判断すべき材料を出し合って考えるようにすべきだということになって、はっきりとした、何%がいいかということは、ちょっと私、そう大胆には割り切れないということでお許しいただきたいと思います。
○船田委員 もう時間がありませんけれども、最後に一つだけ御質問いたします。 先ほど大川先生は、防衛費の問題について、その中にも経済的な効率性というものも、そういう要素も含めていいんじゃないかというお考えをおっしゃったわけですけれども、今回の予算でも、福祉の問題と防衛費の問題と二つが比較されて、そして福祉の伸びよりも防衛費の伸びの方が大きいということで、福祉切り捨てではないかという議論がしょっちゅう出ているわけでございます。しかし、私の考えでは決してそうではない。むしろ社会福祉については、天井が抑えられているから、よけいに何か同じ限られた予算の中で十分に効率的な配分をしようというふうに考えていると私は思うわけでございます。 いまの大川先生の経済的な効率性というお話をこの福祉の問題に当てはめてみると、社会福祉の予算をただ伸ばせば、それだけでいいんだということじゃなくて、やはり政府の予算、限られた予算の中では、確かに政府の社会福祉の支出をした場合の効用と、それと同時に、その支出をした場合に削られる、あるいは減らされる、そういう費用というもの、あるいは犠牲というもの、それと一緒に勘案しなければいけないということも、やはり同じ社会福祉の予算の中でも、それを考えていかなければいけないと思うわけですが、今回の社会福祉全般について先生のお考えがあれば、お尋ねしたいと思います。
○大川公述人 政府予算の性格なり、政府予算によって政府がどういう政策を遂行しようとしているのか、そういうものを判断する場合に、とりあえず、われわれは政府予算を目的別に分類した上で、その伸び率をまず見るということを通常やっておるわけであります。しかし、これはほかにとるべき材料がない場合には、そのような伸び率の比較で、確かに伸び率がほかの経費に対して高ければ、ある程度の重点をその伸び率の高い支出に政府が置いておるということが間接的には推測されますけれども、この伸び率比較というのは、私は、やむを得ざる、他に材料がないがゆえの非常にラフな測定、判断の材料であり、もっと経費の中身に入った、先ほど申し上げたような意味での中身に入った判断の材料を踏まえた上で議論をする、さらに余地があるのではないかというふうに思っております。もちろん、今年度の予算で防衛費が他の経費に比べて伸び率が高いということ、これは先ほど言った第一次的な判断材料にはなりますけれども、それだけで、すべてそういう伸び率の高いものはいけないのだというふうに即断はできないようには思いますけれども、それは先ほど述べたような意味での、防衛費も聖域でないというところで、もう少し中身に入った議論が必要であろうというふうに思っております。
○船田委員 どうもありがとうございました。
○小宮山委員長代理 次に、草川昭三君。
○草川委員 草川でございます。お三名の公述人の先生方に大変貴重な御意見を拝聴させていただきまして、厚くお礼を申し上げます。 まず、大川先生にお伺いしたいわけでございますが、先生の方から、政府といえども経済性の追求ということが大変大切だというお話、貴重な御意見だと思うわけでございますが、私ども、財政というのは一般会計あるいは特別会計あるいは財投、そしてまた地方自治体、トータルで判断をしていかなければいけない、こう思うわけでございますけれども、今度の予算を見ますと、昨年の予算にも引き続くわけでございますけれども、本来、一般会計で負担をしなければいけないものの財投肩がわりというものが非常に目につくわけであります。住宅金融公庫のいわゆる逆ざやの一般会計からの利子補給の繰り延べ、これが去年に続いてことしも行われております。さらにまた、昨年の年末でございますか、秋の行革国会でも出ております厚生年金の一般会計からの負担分の繰り延べ、その他さまざまなものをトータルをいたしますと、約六千億を超える財投による肩がわりが行われておるのではないか。これは本予算委員会でも議論になっておるところでございます。 ところが、御存じのとおりに財投というのは有償資金でございますし、安全かつ有利に運用しなければいけないという一定の目的があるわけでございますが、これが安易に肩がわりをされるということがだんだん拡大をしていく傾向にあると思うわけでありまして、零細な郵便貯金あるいは簡易保険あるいはまた年金財政を、国を信用して私どもは資金運用を任せるわけでございますけれども、このような非常に危険な方法というものを、財政学を担当なさっておみえになります大川先生の方から、ひとつ御意見を賜れれば幸いだ、こう思います。
○大川公述人 一般会計から財投への肩がわりに対してどういうふうに考えるかということであります。いま先生の御質問の最後に、それは危険なことだというような御質問でございますが、その危険ということがどういう点を指しているのか、ちょっとわかりかねたのでございますけれども、私は細かな点まではつまびらかにしませんが、私の概括的な意見を言わせていただければ、単純な財源不足、一般会計の財源が不足ということで、とりあえず財投の方へ押し出していく、もしそういう単純な理由であれば反省する必要があろうかと思います。単なるお金の量的なところで、金がなければとりあえず一般会計から財投に回していこうということであれば、私は必ずしも賛成しません。 しかし、もしその財投への切りかえが、財投はおっしゃいましたように有償資金である。したがいまして、ある政府のプログラムの費用を賄うために、税金というような無償といいますか、国民が義務的に支払うような財源で賄うのがベターか、あるいは、そういう有償の一応元利の返済を伴うような形で賄う方がベターなのか、その判断がそこに一枚加われば、財投に振りかえることすべてがいけないというわけにも考えません。 国民の全体に広く分散して利益を与えるような支出は一般会計で処理する。したがって、その財源は租税で賄うというのが原則でありますが、他方において、政府の活動によってかなり個別的な利益を与える、たとえば住宅とか何かは個別的な色彩が非常に強いわけでありますが、そのような個別的な利益性の強いものすべてを一般会計で賄うのが適当かどうか。すなわち、租税という国民全体の負担によって、個別的な利益性の強い住宅対策費に充てることが果たして公平なのかどうか。その辺の点も考慮して、もちろん、この場合には単なる資金の効率性以外に、政府が所得分配というものにどれだけの比重を置くか。かつ住宅対策費というものがどれだけ所得分配効果をねらってやっているのかどうかの議論も入ってきますけれども、基本的には、ただいま申しましたように、一般会計で処理すべきもの、財投で処理すべきものという区分けの上で判断することが必要であろうか、そういうふうに思います。
○草川委員 また大川先生にもう一つお伺いしたいわけでございますけれども、先ほど公債発行より増税の方がベターではないかというような御趣旨の御発言がございましたが、先生の場合、増税の原資というようなものは、これからいろいろと税制調査会等でも御議論があるわけでございますけれども、現在どのような原資というものをお考えになっておられるのでしょうか、お伺いします。
○大川公述人 増税の定義にもよるでしょうけれども、これまでにお話があったように、特に所得税なんかの自然増収というものがあって、他方において物価調整減税というものをほとんどやらないできておる。これも考えようによっては実質的な増税というものになろうかと思います。税率こそ、あるいは租税制度こそ改正はありませんけれども、確かに実質的な増税の中に含めてもよろしいかと思いますが、そのような自然増収だけでは足りないという判断で、新しく租税制度の改正というものを伴ってやるという、これはもう形式的にも実質的にも増税になるわけですが、その増税の原資というものをどういうふうに考えるかということでございます。 これは先ほど来言いましたように、増税をすべきかどうかということは、税負担の社会的評価をどういうふうに踏まえるかということによるわけでございますが、一つは、現在の租税制度の枠内で、他の租税収入を新たな租税収入の方に振りかえるというやり方、これは差し引きすると量的には増収にはならないかもしれませんが、そのような振りかえという場合が考えられます。それからもう一つは、現在の租税制度の上に新しい増税措置をつけ加えるということが本当の意味での増税かもしれませんが、その場合の、そこに踏み切るかどうかを最終的に判断するために、先ほど来言ったような経済的な比較といったものを踏まえるべきであって、そこの判断いかんで、増税の原資が出てくるか、あるいはその経済比較の点では歳出をうんと切り詰めて、むしろ減税の方に充てるべきかという判断になろうかと思います。理屈から言えば、租税の社会的費用というものに対する考え方を、ある程度費用負担感を低下させるという判断、それを踏まえれば増税の原資はおのずから出てくるということになりますですね。
○草川委員 それから大変恐縮ですが、もう一点、先生にお伺いしたいわけです。 国防費の問題でございますけれども、国民の理解を求めるということを前提に、国防もまた経済問題だというふうな御趣旨の御発言があったわけですが、世界の軍事費が年間五千億ドルとも六千億ドルとも言われておるわけでございまして、軍事支出というものの純経済的な考え方というのはずいぶん議論になっておるわけでございます。経済成長を、軍事費というものはおくらせるのではないだろうか、こういう意見もあるわけでありますし、さらに防衛産業は経済にとってプラスになるのかならないのか、これは技術波及効果ということを考えると、いろいろな意見がまた出てくるわけですが、いわゆる財政学の立場から見た先生の御意見を賜りたいと思います。
○大川公述人 必ずしも財政学の立場でなくて、私の個人的見解になると思いますが、防衛費の経済的効果といっても、いろいろな側面からとらえられるわけでございまして、いま先生が最初におっしゃったように、防衛費が増大することによって経済成長をおくらせるではないか、こういうような御意見があるのは、経費というもの、政府経費がどの程度、生産力増強効果を持つかどうかという点からの判断になろうかと思います。 これは、資本主義が初期の段階の、いわゆる安上がりの政府論とかなんとかが盛んに言われたころの考え方は、まさに政府経費というのは典型的に非生産的なものだ、そういう認識があって、したがって、なるべく生産力効果の高いものに政府支出を回すというのが資本主義的な安上がりの政府観でありますけれども、そのような生産力効果といいますか、そういう点から見れば、防衛費というのはかなり消費的な効果だろうと思います。だからといって、すべてむだだというわけではありませんが、国民経済の生産能力を高めるという点においては、原則的には消費的な効果だろうと思います。防衛支出によって技術革新が進むという波及効果は確かにございますけれども、一応膨大な経費の直接的な効果は消費的な効果で、したがって少なくとも、もしほかにもっと生産力を伸ばすべき金の使い方、資源の使い方があるとすれば、その限りにおいて防衛費の膨張は生産力効果を妨げるということが言い得ると思います。ただし、それだけですべて悪いということではないということは先ほど申したとおり。 それからもう一つ、防衛費についてよく主張される場合には、防衛費を増加すれば景気をよくする効果があるではないか、こういう景気刺激的な効果から防衛費を見る考え方がありますけれども、これも、そういう防衛費の問題を単純な景気刺激的効果だけで見るのは、私としては望ましくないと思っております。
○草川委員 以上で終わります。どうもありがとうございました。
○小宮山委員長代理 次に、岡田正勝君。
○岡田(正)委員 まず冒頭に大川先生にお尋ねをしたいと思うのでありますが、いま国民の中、なかんずくサラリーマンの諸君にとりましては、一兆円減税というのは大変な課題でございます。それをめぐっていろいろな論議が交わされておるのでありますが、先ほど来先生のお話を聞いておりますと、先生の御意見は、簡単に言いますと、いま言われておる減税は単に景気刺激、しかも短期的なものを求めてやっておられる、これははなはだ疑問である。アメリカの減税とはちょっと様子が違う。アメリカの減税というのは、長期的に生産性を向上していく作用を果たすための減税である、大分意味が違う、こういうような御意見がございましたが、その意見は私の聞き違いではございませんか。もう一度お願いいたします。
○大川公述人 現在の減税論が景気刺激的な短期的な効果をねらっておるという、これがすべて減税論の根拠であるというふうには考えておりません。減税論の根拠には、まだほかにもありますけれども、新聞なんかで見た限りでは、こういう意見がかなりはでに扱われているというだけに、そこの点をつかまえて御批判申し上げたということで、減税論の根拠はまだほかにもあるという余地は十分認めております。
○岡田(正)委員 そこで、重ねてお尋ねをするのでありますが、アメリカのレーガンさんが打ち出しました減税というのは、御存じのとおり二五%減税しようということでございますが、この意味の中には、そんな減税をやったらインフレになりはせぬかというような意見も一部ございましたね。しかしながら、物価の値上がりと賃金の上昇、こういうものがアンバランスになっておる。したがって、労働者の生活は困窮をきわめる。したがって、物価調整減税という性格を持たしてやるのであるから、インフレになることはあり得ないという学者の有力な意見もあるわけであります。ヨーロッパにおきましては、物価が上がったら上がっただけ調整減税をするということを、きちょうめんにやっておる国も三つほどございますね。その点につきまして物価調整減税の必要ありと認めるかどうか、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○大川公述人 確かに、現在のわが国のような累進性の高い所得税構造のもとにおいて、おくればせながら賃金が名目的には上昇している。そうしますと、所得の増加率以上に租税収入の増加率は高くなる。それだけ個人的に見ると所得税負担が実質的には重くなる、そういう事実があるということは私も否定いたしません。むしろ先ほどの質問に対するお答えのように、これも一種の実質的な増税であろうかと思います。 ただ、実質的な増税だからすべて悪いというふうに割り切れないところが私にはある。やはりその実質的な増税負担を耐えることによってその結果何が保障されたのか、もちろん、増税負担を耐える階層と、それをもとにして、政府支出が保障されたことによって何か便益を得る人との間のやりとり関係の問題はありますけれども、そういう意味で、物価調整減税の必要性はあるとしても、それですべて答えが出るということにも私の考え方ではならないわけで、いろいろの比較考量で、やるべきであるかどうかということは判断されるということです。
○岡田(正)委員 高橋さんに、ちょっといまのに関連をしてお尋ねをするのでありますが、五十三年以来、五十三年、四年、五年、六年、それからことしも、合計いたしましてまるまる五年間課税最低限というのが据え置きになっておりますから、ベアがありますと、累進税率ですから、だんだん所得税が上がっていくという仕掛けになっておりますね。 一つの例を挙げてみまするならば、日本で標準世帯とはすなわち四人世帯、夫婦と子供二人を四人世帯と言っておりますが、その標準世帯におきまして、年収三百万円の家庭における所得税は六万二百円。ところが、これが八%のベースアップに成功したといたしますると八万二千八百円に所得税ははね上がるのであります。そのはね上がり率は、ベアが八%に対しまして三七・五%というはね上がりをするのでありますから恐るべきことでございまして、啄木じゃありませんけれども、まさに働けど働けどという感じが、サラリーマンの人はしているのではないかと思うのであります。 そこで、いまの課税最低限の見直しの問題を含めて、いわゆる不公平税制の是正も一緒にして減税の問題をお取り上げになっておると思いますが、高橋さんは、その点について非常に御造詣が深いと聞いておりますので、お考えをちょっと聞かしていただきたいと思います。
○高橋公述人 いま、サラリーマンが給与明細書をもらうと目がどこにいくかというと、手取りは変わらないわけでありますから、実は所得税とか住民税、さらに社会保険料がこんなに高いのか、こういう実情なわけであります。したがって、課税最低限度は四人の標準家族で二百一万五千円、累進ですから当然それは高くなる。そこで課税最低限度額を引き上げるなり、給与所得控除を上げるなり、さらには基礎控除なり扶養控除というものも考えておりますし、さらに地方住民税、これも生活保護世帯の四人家族とほとんど同じぐらいの百五十三万くらいじゃないかと思いますけれども、その点から考えると、これも百七十三万ぐらいに引き上げるべきだろう。 財源の問題なんですけれども、財源がない、ないと言いますけれども、一般会計の二%ぐらいですよ。歳出カットすれば、そのぐらいは容易に出るのではないか。そうして景気をよくして自然増収をふやすべきではないか、こういう考え方です。また、公社なり特殊法人を見ますと、たとえば専売では剰余金が六千億ぐらいあるわけです。さらに、日銀の積立金の中にもかなりある。さらにまた、利子配当の優遇措置を廃止するとか、社会保険診療報酬の特例措置を廃止すると大体三千億、それで一兆円ぐらいになるわけです。そういうように、日本の景気をよくすることによって自然増収を高める、それで本当に税収の適正化が図られるのではないか、私たちはそのように考えておるわけであります。サラリーマンの方々から意見があるわけですけれども、減税についてはすベての人が望んでいるわけです。国民的合意になっているわけでありますから、財源の問題で国会でもいろいろ論議されておりますけれども、ちょっと知恵を働かせればそれは可能だというふうに考えているわけです。
○岡田(正)委員 ありがとうございました。 いま高橋さんがおっしゃいましたように財源の問題というのは、私ども野党の立場にありますので予算を組んでいない、それを審査する野党の方から、これがある、これがあると言うのは政府に対してまことに僭越きわまることでございますが、しかし、もしわれわれに政権を任していただくならば、これとこれと、ここに財源がある、私どもははっきりしたものを持って一兆円減税の要求をしておるような次第であります。御期待にこたえるよう一生懸命がんばってみたいと思います。 さて、次の問題でありますが、行財政改革の断行をやらなければだめだ、これでは国民がもたないということをおっしゃいました。五十七年度末におきます国債の残高というのは九十三兆円に達しようかというものでありまして、これは、赤ちゃんを一人と勘定いたしましても一人当たり八十五万円、四人家族の標準世帯で言えば三百二十万という大金でございます。片や勤労者の皆さん方の家庭ではどのくらいの金を持っているかなという調査があります。これは定期預金におきまして二百三十三万円、そして当座預金、普通預金におきまして四十三万円、合わせて二百七十六万円。ところが御多分に漏れず住宅ローンあるいは車のローンというような借金がありますから、これをおしなべて平均をいたしますと百五十一万円。そうすると、二百七十六万円の使えるお金から百五十一万円を引き去りますと、実際に残りますサラリーマンの家庭における一世帯当たりの貯金というのは、有効な金が百二十五万円しか残ってない、こういう状態でありまして、その百二十五万円しか金を持っておらぬ者が、三百二十万円の借金を自分が知らないうちにしているわけであります。しかも、そのツケは国民に的確に回ってくるわけでありまして、やりきれない、これじゃかなわぬ。だから行政改革をやってむだを省いて、そしてより高度な福祉国家を建設してくれということが行財政改革の本旨であろうと私は思うのであります。 そこで、この行財政改革の中で何が目玉だと思っていらっしゃるか、ありましたならば二、三点、ひとつ参考のためにお聞かせいただきたいと思います。
○高橋公述人 この行財政改革の目玉というのは何かというと、私も第四部会に入っているわけですけれども、国鉄も一つの目玉になるだろうし、さらに農業保護の問題、さらには医療費の問題等が大体目玉じゃないのか。 国鉄を見ましても、六十年までに三十五万人体制整備計画があるわけですけれども、初年度からつまずいておるわけであります。この三月で一兆二千億ぐらいの赤字、さらに政府の助成七千三百億を含めますと約二兆円ぐらいになるわけです。だから、公共性、公共性といいましても、その時代とともに公共性の評価が異なるわけです。そこには効率性の追求がなければならないわけであります。そういう点で、国鉄の赤字をどう解消するかというのが、いま臨調の課題ではないのか。 さらに農政関係。食管を含めまして、農業の生産高というのは大体十兆五千億ですね。それに補助金を含めた関連予算というのは三兆円もついておるわけですね。これにも問題があるのではないか。私は農民代表の方々とも話をしておるわけでありますが、やはり農民の方々も自主努力が足りなかった。いままでの保護政策というのは抑制されてきて、いま危機感を持っているわけでありますから、自主的な努力をやっていかなければならない。こういう点で規模拡大なり基盤整備なり、そうして生産性を上げることによってそれらの解消をしていくということが一つの大きな政策課題だろうと思う。 もう一つは医療費ですけれども、これも十三兆九千億、十四兆近くなるわけですね。その公費負担が大体四兆を超えているわけです。この辺も、先ほど申し上げましたように医療制度全般の適正化を図ることが必要ではないか。 そのほかにもいろいろ特殊法人の——特殊法人と言えば、これは一般会計なり特別会計なり、さらには財投から投入されるわけでありますけれども、その効率化を図っていかなければいけないわけであります。その効率化というのは、民間企業のようなメジャーがありません。したがって、その設立目的をどう達成するか、その達成度をもってはからなければならないのではないか。 したがって、臨調はいま官民すべてのシステムを総見直しして、真の国民サイドに立った行財政改革ということをやらなければ、二度とできないのではないか。行政改革というのは、私もいろいろ入って考えてみますと、二十一世紀に向けてこの機を逃してはどうにもならない。ですから、もし行財政改革をやらないとするならば、日本は後進国病に入るのではないかという感じさえしているわけであります。したがって、国民の負担を少なくして簡素で効率的な行政というものを、ぜひとも官民そろってメスを入れていかなければならないのではないかというふうに考えておるわけです。
○岡田(正)委員 時間が来たようでありますので、最後に一つだけお尋ねをしたいと思います。 高橋さんが述べられた重要な五つの問題の中の三つ目の住宅の問題でありますが、御存じのように住宅が景気に波及効果が非常に大きいという理由は、自動車を一台こしらえるのには五万点の部品が集まれば自動車は動きます。ところが、人間が住めるような住宅をこしらえるためには五十万点の部品が集まらないと住宅になりません。欠陥住宅であります。ですから波及効果が大きい、こういうわけでありますが、国民総生産の中におきましても、住宅は十五兆五千億円を占めるようなウエートを置いております。何といっても大きいのは消費支出でありますが、消費支出の百四十七・六兆円、企業設備の三十九・四兆円の次には住宅の十五・五兆円でございます。この三つを合わせて二百二・五兆円となって、国民総生産の七九%を占めるというような状態でありますから、住宅の問題に力を入れてくれということをおっしゃるのは当然のことでありますが、住宅の問題で私どもが非常に疑問に思っておりますのは、土地が高い高いということの理由の中に、地主からじかに買う土地代が高いという意味以外に、これをデベロッパーが買って造成をして宅地に切り売りをする。そのときは土地が本当に手に入るときでございますが、そのときの土地代が高い。これを安くする方法はないかということの中に、いま行革の目玉の中に一つ上げていただきたかったのでございますが、許認可の簡素化、これが実際に行われましたならば、宅地の提供が現在価格の平均三五%ダウンするということがはっきりと計算の上でも出ておるのでありまして、そういう許認可事務のことにつきまして、高橋さんの方ではどう考えていらっしゃるか、最後にお伺いいたします。
○高橋公述人 許認可の問題については中間答申されたわけでありますけれども、一万件許認可関係の項目があるわけですが、二十四件しか出されなかったわけであります。私も許認可の見直しについては不十分だと思っています。したがって臨調の中でも、その辺については、さらに基本答申が七月ころ予定していますし、最終答申は来年の三月でありますから、それまでに総見直しをする必要があるのではないかと考えております。 特に、住宅を内需拡大の大きな柱にしていることは明らかなのですけれども、昨年の十二月に九万戸ちょっとしか建ってないわけであります。第四次住宅建設計画七百七十万戸ということは、一年に百五十万戸建設しなければならないわけでありますから、これが実は激減しているわけです。住宅が激減したというのは、潜在需要が旺盛であるわけですけれども、やはり土地の問題ですね。許認可の問題にも関連するわけであります。それ以前に土地税制、本当に土地の流動化、宅地供給できるような土地税制に対して、大蔵省の幹部の方もおられるようでありますけれども、特別土地保有税を緩和してみたり、譲渡税を緩和してみたり逆な土地税制をやっているのではないか。サラリーマンもどうしても住宅は欲しいのだということなのですけれども、やはり都市再開発ですね。これに対して利子補給をやるとか、諸外国からウサギ小屋とか言われないように経済の柱として内需拡大のために住宅建設をやるならば、税制上や許認可の問題はすべて総合的にやらなければ、住宅建設は政府の予定どおり、計画どおり進まない、私はそこに大きな不満があるわけですね。そういう点でぜひとも税制上を含めて許認可の問題についても臨調で再検討して総合的な住宅政策というものを確立していくべきだ、そのように考えているわけです。
○岡田(正)委員 ありがとうございました。
○小宮山委員長代理 次に、金子満広君。
○金子(満)委員 公述人のお三方の貴重な御意見ありがとうございました。時間の制約がございますから、お三方全員からお聞きすることができないのは残念でありますが、まず最初に、高橋公述人にお願いしたいと思うのです。 高橋公述人の所属する同盟は、この一月の大会で防衛力の整備ということをうたい上げました。戦後の労働運動の中では珍しい初めてのことだと私も思いますが、その中で「防衛力の整備について1あくまで平和憲法のもと、専守防御の枠内で2シビリアンコントロール体制を充実するとともに3国民生活の安定とのバランスを保つ、ことを基本に国民合意を形成しなければならない。」このようにうたっているわけです。そこで、いまこの予算委員会それ自身がそうですけれども、来年度の予算問題をめぐって防衛費——正確には私どもは軍事費だと思いますが、突出をめぐっての問題あるいは日米間における武器の共同研究開発の問題あるいは武器生産、武器輸出の問題、こういう点がかなり大きな議論になっているわけですね。 そこで、端的にお伺いしたいのですが、昨日のこの公聴会で総評の富塚事務局長が、防衛費の削減の問題については、突出部分を削減するという点では労働四団体は一致しているという意味のことを言われました。そうすると、突出部分というのはどのくらいの金額なのか、これはいろいろの算出の仕方があるわけですね。その点を金額でどのように考えているか、これが一つの問題。一 それからもう一つは、武器の日米共同研究開発について、これは実際やるのは労働者や技術者がやるわけですから、武器の日米共同研究開発についての是非の問題。 それから、武器の生産は現に行われているわけですけれども、この輸出の問題について結論的なことをお聞かせ願えれば幸いだと思います。
○高橋公述人 富塚事務局長がどう言われたかわかりませんけれども、突出の部分については千七百億かそのぐらいだと思いますけれども、労働四団体で突出の部分をどうこうというのは確認してないんですよ。防衛費であってもむだがあれば、それはカットすべきだ、こういうことでは一致はしているんです。要するに聖域とは見ないで、むだがあるところはカットをしようじゃないかということなんです。 同盟が軍事力の整備問題について運動方針に出したじゃないか。これはいままでの考え方、口頭で文章にはしていなかったんですけれども、みな組合員からどうなんだということに答えて文章化したということなんです。平和憲法を守り、非核三原則を守り、そして西側の一国として、自由陣営の一国として国民の合意のもとに整備しよう、こういう立場であるわけです。 武器の輸出の問題。武器という定義なんですね、これがあいまいなんですよ。たとえばドックも、四、五年前ですかウラジオストックに乾ドック、ドライドック、フローティングドックを輸出した。これは武器ではないかどうか。ドックについても、軍艦をつくるとか、また商船もつくれるわけですね。何でもつくれるわけですよ、汎用なんですから。その辺がどうなるか。武器とは殺傷するものだ。竹やりだって、じゃあ武器なのか。この辺が武器という定義があいまいだったら日本は輸出できないですね。鉄板もじゃあどうなんだ。その辺が非常にむずかしいと私は思うのです。ですから武器輸出禁止、それはすべての国がやればいいんですけれども、メイド・イン・ジャパンは行かないけれども、メイド・イン・USAは行ったり、メイド・イン・ソ連が行ったりしちゃうわけですから、その辺の均衡の問題ではないか。すべての国がそういうことをやらないように、全面軍縮に向けての一つの手段として、そういうことを国連中心にやるべきではないか。 それから武器の共同開発の問題、これは日米安全保障の枠内ですから、アメリカの兵器も日本が使っている。日本の自衛隊がこれを使っている。その辺が非常に政治的な判断。私は共同開発やれとは言いません。しかしながら、国会で十分論議して意思統一すべきではないのかというふうに考えております。
○金子(満)委員 お考えはわかりました。 そうすると富塚さんとの関連ですが、防衛費、軍事費についてはむだがあればということで、むだがあるという結論はもちろんまだ出てないわけですね。——はい、わかりました。 それでは春山公述人に伺いたいと思うのです。 先ほど軍事費の大幅削減というお話を伺いました。それがまた国民の多数の声でもあるということも伺いました。その点、私も疑問はないのですけれども、軍事費が異常に突出をした、逆に福祉や教育や暮らしが圧迫されている、これが今度の予算についての一つの特徴だ、そういう指摘もあるわけですね。 私は、予算それ自体は、わが国の今後の方向をどちらに持っていくか。つまり予算の内容というのは、ある面が突出してある面がへこんだ。だから、こちらは足し算でこちらは引き算だというものでなくて、減らされたところはなぜ減らされたか、ふえたところはなぜふえたかというその背景、説明、そういうものがないと何か算術計算で予算が終わるような気がするのです。これは大変なことだと思うのですね。ですから、わが国とわが国民をどちらの方向に導くかということが予算であり、それがまた裏づけを持って出てきている、こういうことだと思うのですね。 そういう点で、いま高橋公述人にもお伺いしたのですが、まず軍事費を削れということになりますと、どこを削るかということもあるのですが、その一つの関連で武器の生産、輸出、こういうものについて労働組合の立場から端的に結論だけお伺いしたいと思うのです。
○春山公述人 昭和五十七年度の政府予算案全体を通じまして、それは大平首相のときから言われておりました政治、経済、外交、軍事、農業、教育等々にわたる総合安保体制を目指す、そのための予算というふうに私ども考えておりますし、そういう中で軍拡、総合安保体制のための行財政改革の構造変化を含む、そういう性格の予算だと思っています。 その中で武器、兵器の問題ですけれども、私どもが持っている資料ですと、たとえば自衛隊装備年鑑には四十八の大企業が顔を出しておりまして、そのうちの十社ぐらいを見ますと、年間売上高の一〇%が武器、兵器の製造あるいは修理などとなっています。 〔小宮山委員長代理退席、委員長着席〕 そういうふうに、実際にわが国の中で軍事費をふやしながら軍需産業と結びついて、しかも軍需産業と結びつく大企業が、わが国の行財政構造の変革にもさまざまな審議会その他を通じて深く携わっているということについて、大変問題視をしているところであります。
○金子(満)委員 結局、予算全体の性格、それからもちろん武器の生産、輸出、こういう点については否定的な立場、これははっきりわかるわけです。 そこで、もう一つは先ほどの春山公述人のお話の中で、軍事費を削って暮らしと福祉、教育の充実をということを言われたわけですけれども、そうしますと、削るのはいいのですけれども、同時に、教育とか福祉とか国民生活に密着したそういうものについての財源をどこから持ってくるか。要求ばかりするじゃないか、しかし金がないんだ、財政危機だ、こう言われるわけですけれども、財源の問題を労働組合あるいはまたいろいろな運動をしている中でどのようにお考えか、その点も聞かせてもらいたいと思うのです。
○春山公述人 私ども労働組合の立場でございますので、全国のいろいろな産業にわたって私どもの組合員、労働者が働いております。そういうところを通じて見ますと、政府の予算案の仕組みやあるいはその執行に当たりましても大変な問題がしばしば指摘をされているところでございます。 たとえば公共事業費につきましては、これは税金からストレートに流れている一般会計の、ことし六兆円を超える予算があると思います。これに特別会計から七兆円ないし八兆円、地方財政からは十四兆円を超える金が出ていると思います。ところが、これらの運用につきまして、先ほども部分的に触れたところでございますけれども、実際の生活関連公共事業に回るものよりも大企業本位の産業投資の部分に回る部分が多いというだけではなくて、実際に元請の中での大企業が相当部分を、建設業法で禁止されている一括下請禁止条項にもとる形で、私どもの言葉で申し上げればピンはねをして、その上で予算の執行を一次、二次、三次というふうに一括下請の下の方でさせるという、これは事実上国民の税金を食い物にするやり方だと思うのですが、そのようなことが生きております。たとえば一つの例でございますけれども、いま申し上げたような公共事業費の執行をめぐっても、抜本的な仕組みの改善ということを通じて、それらの財源はできると思います。 また、先ほど公述の中で申し述べましたように、現在の大企業の隠し利益に対する優遇税制というものなどは、目に余るのではないかと思っております。これは先日、大蔵大臣がこの予算委員会でも触れたそうでございますけれども、たとえば退職手当の引当金につきまして、年間四〇%の労働者がやめた場合に幾らの退職金がかかるのかという前提で、毎年その引当金を積み上げていく、それに対する課税優遇制度がある。実際に毎年毎年四〇%の労働者がやめるなどということはあり得ないわけでございまして、そういうものを通じても、そこに隠し利益あるいは税金の面での特別な優遇措置があると思います。したがって、先ほど公述の中で申し上げました幾つかの引当金や準備金や、その他国税庁の税務統計を見ましても、相当の額で内部留保がされている。その内部留保に直接メスを当てることによって、現在の税制のもとでも、私どもの計算では一兆円どころではなくて、その数倍を上回るような規模で財源を出すことが現実に可能だと思っております。 また、軍事費につきましても、先ほど申し上げたようなことでございまして、これは単年度では確かに二兆五千億何がしかもしれませんけれども、昭和六十年までの新経済社会七カ年計画での国民総所得の伸びなり、そのもとでのGNPの〇・九三%という現在の水準なりというものを見ただけでも、私どもの計算では、ここ数年の間に二十兆円を超える防衛費が税金から回されることになると思います。一機百三億円とか百八億円とか言われますようなF15を大量につくるということよりは、それに見合ったような暮らしと福祉、教育の充実が十分できますし、いま申し上げたような幾つかの点にかかわって、わが国の予算制度と財政制度の全面的な見直しのもとで暮らしと福祉、教育の充実を大きく進めることができるであろうというふうに考えているところでございます。
○金子(満)委員 その次に、もう一つ伺いたいのですが、減税の問題はおっしゃるとおりで理解できます。そこで、余りお触れにならなかったのですが、公共料金の問題についての考え方を承っておきたいと思うのです。 公共料金は、言うまでもないことですが、人が生活する上で欠くことのできない対象になるものを指すわけですけれども、節約できるものと絶対節約できないものがあると思うのですね。その節約できないものの一つに通勤や通学に使う国鉄があると思うのです。 国鉄の運賃の値上げがまたやられる。これで五年連続になるわけですね。最近は運賃値上げがいとも簡単に、文字どおりいとも簡単だと思うのです、これは運輸大臣がオーケーすれば上がっちゃいますから。かつては国会の審議がありました。ですから法定制というものがあったのが外れて、今度は私の表現によれば国鉄運賃値上げ自由化法になってしまったために、どんどん上げられるのですが、私は、この制度はよくないと思うのですよ。やはり国鉄の運賃は、それを上げること自体が諸物価に影響してくることはもう当然のことなんで、法定制に戻すべきだと思いますが、時間がないので結論だけお聞かせ願いたいと思います。
○春山公述人 国鉄は全国に駅を持っております。また、電力にしても水道にしても、全国でそれが使われております。その全国的な網の中で、公共料金の柱である国鉄運賃が法定制から除外をされたということは、事実上私どもにとって値上げの上限がなくなったというふうにも強く感じるところでございます。国鉄運賃については、それを法定制に引き戻す、立ち戻るというふうなことで、公共料金の値上げ全体についてはぜひ抑制を図っていただきたいというふうに考えているところでございます。
○金子(満)委員 最後に伺いたいのですが、賃金の問題です。賃上げの問題について伺いたいと思うのです。 細かい点は別として、消費不況だ、冷え込んでいる。どのようにこれを直して景気を浮揚していくかという点は、だれしも考えることでありますが、私どもは、一つは、確かに公共投資の流れを国民生活密着の事業に回す、これはそのとおりですが、もう一つ、直接購買力を高めるという点から言えば、減税、賃上げ、年金の増額というものが考えられます、これはもう北海道から沖縄まで全部影響するわけですから。 そういう中で、特に賃金労働者の賃金をどう上げるかということで、一つは物価上昇に見合った賃上げ、これはあたりまえだと思うのです。それから、これまでの赤字の穴埋めをも含めて賃上げをする、これも当然だと思う。これは足し算、引き算の問題です。しかし同時に、この賃金を上げるということ、賃上げをするということの持っている景気刺激、購買力を高める、そして活力を底から持ち上げてくる、こういうことも当然考えられるべきだし、考えなければならぬだろうと思うのですね。 ですから、賃上げは労働組合だけのものというのではなくて、私は、別な表現をかりれば、商店や中小企業の皆さんにとっては、労働者の賃上げというのは、あれは福の神を呼ぶようなものだ、こういうように考えるのですね。ですから、賃上げというものの持っている意味ですね、この点を労働組合として春山公述人がどう考えているか。そしてまた、この春、どのくらいの賃上げが必要と考えているか。その点を最後にお聞かせ願いたいと思うのです。
○春山公述人 先ほども公述の中で述べさせていただきましたけれども、私どもは、大衆増税はすべきではない、一兆円以上の減税を行うべきだ、同時に、この春大幅な賃上げを行うべきだというふうに考えております。 その中身でございますけれども、たとえば最近経済企画庁が発表した資料あるいは国民経済研究協会という民間調査機関が発表した資料、ほぼ内容は共通でございますけれども、わが国の一九八〇年度におけるGNP一人当たりの額は大体約八千九百九十ドル、ところがアメリカにおけるGNPの一人当たりの額が一万五百ドル、その比は六対七でございます。ところが、GNPの一人当たり額が六対七でありながら、これは日経連その他労働省の資料などにも似たようなものがございますけれども、実際の賃金での購買力を見ますと、日本を一〇〇とした場合、アメリカの製造業は三〇八でございます。アメリカの全産業では二八〇でございます。これは一九七九年の資料でございます。そうすると、GNP一人当たりの額では六対七でありながら、賃金での購買力では六対十八、アメリカの三分の一に近い、いわば猛烈に低いという状況がございます。これでわが国の経済が、たとえばGNP総体で、あるいは技術革新でどうこうといいましても、消費不況にならないことがおかしいと思っております。 そういう中で、私どもは、たとえばこの春闘の中で平均的にどのくらいの賃上げをやるかということで議論をいたしまして、三万円基準という考え方を出しました。この三万円基準という考え方を具体的なお金の回りにしてみますと、仮に中小労働者、中小企業の労働者二千万人が一カ月三万円で年間十七カ月、合計しますと約十兆円の額がそこには出てまいりますけれども、十兆円というのは、一遍にここに十兆円積まなければいけないものではございませんで、一年間に分けて、しかも世の中を賃金が回るという性格を持っております。それは、結局労働者の賃上げ分が地域の商店街に落ちる、第三次産業に落ちる、それは第二次産業に金が回っていく、さらには第一次産業にも回っていくというふうに、賃上げ分が世の中をぐるぐる回ることによって消費購買力というものを次から次へとっくり出し、全体の景気の浮揚のてこになる。言ってみれば、その消費購買力をつくる賃上げというものは、国民的な意味で積極的な意義を持っておるし、それが現在の消費不況から脱却する上で、最終需要の六割以上を占めるという消費需要の拡大と相伴って大変大きな積極的な意義を持つものだと思っております。 賃金理論は別にいたしまして、私どもの考えている当面の中身でございます。 以上でございます。
○金子(満)委員 ありがとうございました。
○栗原委員長 以上で各公述人に対する質疑は終了いたしました。 公述人各位には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。 午後一時三十分より再開することとし、休憩いたします。 午後零時六分休憩 ————◇————— 午後一時三十分開議
○栗原委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 この際、御出席の公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。 公述人各位には、大変御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。昭和五十七年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。 次に、御意見を承る順序といたしましては、まず村上公述人、次に今堀公述人、続いて金森公述人の順序で、お一人約二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えを願いたいと存じます。 それでは、まず村上公述人にお願いをいたします。
○村上公述人 村上でございます。 昭和五十七年度の予算のうち、社会保障に関する問題について意見を申し上げます。 新年度の予算編成のうちで、特に金額も大きく、将来に対する影響の大きいものは厚生年金等の国庫負担金繰り入れの減額であります。五十七年から五十九年までの三年間、通常の国庫負担額の四分の一を減額し、この分は六十年以降に利息をつけて返済するという措置であります。 減額分が予定どおりに返済されれば問題はありません。しかし、実際に返済が可能かどうか。厚生省の試算では、厚生年金への国庫負担は、五十七年度に比べて六十年度には一・七倍になります。五十七年度の四分の一を削って、これを六十年度に上乗せすると二倍半になります。現在でさえ負担が苦しくて一部を減額しているものを、二倍以上にふえた時期に支払うことが可能かどうか。しかも、六十年以降も国庫負担の額は五年ごとに倍増していきます。 もし計画どおりの国庫負担が維持できなくなったら、それは政府の責任なのか。私はそうとばかりは思いません。国庫負担は税金、つまり国民の金です。国民に負担する意思があれば履行できるし、負担する気持ちがなければ、政府が何と言おうと実行できません。それが小さな金目の金額なら政府の責任とも言えます。しかし、年金の負担はそれほどの小さな金額ではありません。 それでは、どの程度の金額になるものか。いま、厚生年金の加入者が勤続三十五年で退職したとします。平均月収を二十万円とすると、年金月額は約十六万八千円になります。そのほかに、大抵の家庭では妻が国民年金に加入しています。これも加えると、年金収入は現在でも約二十万円、将来は二十万円を超えます。 仮に、ごく簡単に年金額が夫婦で二十万円、一人で十万円とします。年金の支給は、厚生年金では女性は五十五歳で男性は六十歳、国民年金では六十五歳とまちまちですが、単純に六十歳としてみます。昭和八十五年から九十年になると、六十歳以上の人口は三千五百万人になります。一人月に十万円、年に百二十万円を三千五百万人が受け取るとすると、その総額は四十二兆円になります。そのほかに障害年金とか遺族年金など、六十歳以下でも年金を受け取る人がいますから、これを加えるとさらに何兆円か多くなります。 厚生省の試算では、将来の年金給付額は厚生年金が三十一兆円、国民年金が六・五兆円で、これに共済年金を加えると約四十五兆円になります。これに対して現在徴収している保険料は、全部の制度を合わせて八・四兆円です。もし仮に、いまのままの保険料の負担でいくとすると、四十五兆円の年金支払いと八・四兆円の保険料との差額の三十六・六兆円が不足します。この三十六・六兆円という額は、五十七年度予算で予定している国の税収総額とちょうど同じ金額になります。つまり日本の年金制度は、あるいは国の税収の全部をつぎ込まなければ支払えないほどの大きさの規模に向かって進行しているわけであります。これはまことに異常な状態であります。政府の責任というより、国民全体に課せられた深刻な課題であります。 年金制度の財政に苦慮しているのは日本だけではありません。アメリカでは、数年前から年金財政の危機がマスコミに大きく取り上げられ、中年以下の世代では、将来の年金は当てにできないという不信感が強まっています。アメリカでは、いまは三人の勤労者の拠出で一人の年金受給者を支えているけれども、将来は二人で一人を支えることになる。いまの掛金率は給料の約一三%だけれども、将来はこれが三〇%にもなる。これはとうてい支払える金額ではないと考えています。 日本ではどうか。厚生年金では、いまは十二人で一人だけれども、将来は三人で一人になると言われていますが、これは本来の老齢年金だけの数字です。このほかに遺族年金、障害年金、通算老齢年金があり、全部を加えると、少なくとも一・五人で一人になります。日本はアメリカより寿命が長く、支給年齢は五歳も十歳も早いのですから、アメリカよりずっと厳しい状態になるのは当然です。 〔委員長退席、小宮山委員長代理着席〕 アメリカでは、財政危機が来るといっても、二十一世紀に入って以後です。これに備えるために、給付の合理化や支給年齢の六十五歳から六十八歳への引き上げが検討されています。日本ではどうか。日本の年金財政危機は、もう目の前に来ていると言っても過言ではありません。 国鉄共済は、もうあと二、三年で年金が支払えなくなります。その次に困難が来るのは国民年金です。国民年金は一律定額の保険料ですが、各国の歴史を見ても、掛金が一律定額の年金制度が財政的に無理なことは明らかであります。国民年金は、サラリーマン以外の全国民に年金制度を適用し、国民皆年金を達成するために実施された壮大な企てでありました。現在の加入者は二千八百万人。この中には、所得の高い人もいますが、ごく所得の低い人や所得のない人も含まれています。この人たち全体に一律の掛金を求めるとすれば、掛金はごく低い水準にとどめざるを得ません。掛金を高くすれば、負担についていけない人が脱落します。現に国民年金では、負担ができずに免除の適用を受けている人が一一・八%になっています。国民年金では、毎年大幅な保険料の引き上げをしないと年金は支払えませんが、今後、保険料が上がるたびに脱落する者がふえていきます。二割も三割もの人が脱落すれば、社会保険としての体制をなさないし、それに、脱落して保険料が入ってこなければ、財政は一層苦しくなります。結局は、ある金額以上になれば保険料の引き上げはできなくなります。そこで、別の新しい財源がなければ、引き続いて年金を支払うことはできません。その時期は、五年ないし十年後には来るものと思います。 厚生年金は、国民年金に比べればまだ余裕があるように思われていました。しかし、状況が変わってきました。国庫負担の問題です。もし今後とも国民が増税に応じられないとすると、急激にふえる国庫負担は賄えなくなります。国庫負担がないからといって、年金制度が成り立たないわけではありません。アメリカのように、国庫負担を入れるのは不健全で、労使の拠出だけ、つまり自己責任で行うのが妥当な方法と考えている国もあります。そこで、もし厚生年金を国庫負担なしにしてみたとします。労使の拠出する保険料だけで年間の給付が支払えるのは、仮に厚生省の試算どおりに保険料の引き上げが行われたとしても、昭和六十一年までです。それ以後は、まず積立金の利息で補います。数年後には、それでも足りなくなって、積立金そのものに手をつけます。ところが、積立金は財政投融資の資金として物に投資されています。道路や港湾や住宅になっています。財政が苦しいからといって、道路や港湾を金にかえて年金を支払うわけにはいきません。厚生年金の財政も、一般に思われているよりさらに厳しい状態にあると言わざるを得ません。 なぜ、これほどに多くの金がかかるのか。理由は、それだけ多額の年金が支払われるからです。生涯をサラリーマンで送り、これから退職していく人たちは三十五年勤続が普通です。この場合の厚生年金の額は、給料が二十万円の人で十六万八千円になります。妻の国民年金を加えると、いまでも約二十万円になります。将来、妻の国民年金の加入期間が延びると、二十二万円にも二十三万円にもなります。いまの勤労者の平均月収は二十万円から二十五万円です。仮に二十万円の月収として、税金と社会保険料で約一五%差し引かれていますから、手取りは十七万円です。現役の勤労者が妻や子供を抱えて十七万円で、その人たちの負担する保険料や税金で年金の支払いを受けている老人世帯が二十万円というのは、バランスを失った数字ではないでしょうか。いまや日本の公的年金は、アメリカよりも何割も高くなっています。かつては、年金でナショナルミニマムを保障すべきだというのが国民の声でした。いまや、ナショナルミニマムなど言う人はいなくなりました。その水準はとうに超えてしまったからです。 これに対して保険料の負担はどうか。いまの厚生年金の保険料は給料の約一〇%ですが、この計算でいくと、生涯の掛金が四年間年金をもらうと元が取れます。六十歳の男子は十八年半生きて、その後妻が遺族年金を何年か受け取りますから、平均して支給期間は二十年を超えます。つまり、いまの掛金は必要な費用の五分の一にしか当たらないし、将来の成熟した状態では、掛金を五倍、つまり給料の五〇%に引き上げないと年金は支払えなくなります。 低負担高福祉という言葉があります。給付は豊かに、負担はなるべく低くしたいと思う気持ちです。しかし、年金制度には妙案はありません。年金制度は所得の振りかえの仕組みです。年金制度自身は何も新しい富は生み出しません。老齢世代が受け取るだけの額の負担を勤労世代がしなければ年金は支払えません。 いまのままの状態で進むとどうなるか。年金の支払いは着実にふえ続けます。といって、給料の四〇%も五〇%もの負担はとても不可能です。その結果、ある時期には、必要な費用は徴収できないのに年金を支払わなければならない事態が生じます。これが健康保険のような短期の保険であれば、壁に行き当たった時点で対応することも可能です。しかし、年金制度は長期の保険です。掛金をして権利を取得する期間と年金をもらう期間は別々です。三十年間掛金を納めて年金の権利を取得した人に、過去にさかのぼって約束を取り消すことはできません。 もし金のないのに年金を支払ったらどうなるか。それは裏づけのない金の乱発です。結果は言うまでもなくインフレです。インフレで物価が二倍になったら、年金は実質的に二分の一に切り下げられます。しかし、そこで終わりにはなりません。年金は法律に基づいてスライドし、二倍になります。その結果は、もうとめどもないインフレです。国の財政も国民の生活も完全に破壊されてしまいます。このような事態は絶対に招いてはならないことです。 従来の年金制度の感覚では、年金額が大きいほど福祉は豊かになるという発想でした。しかし、年金制度は振りかえの仕組みですから、年金が大きくなるほど勤労世代の負担はふえ、手取りの収入は少なくなります。いつの時代にも、国民総生産、つまり物やサービスを生み出すのは勤労世代です。そして、勤労世代が生み出した物やサービスの一部を老齢の世代に配分するのが年金制度の仕組みですから、一方が大きければ他方は小さくなることは避けられません。 従来の社会では、老齢者の扶養は家族制度の中で行われてきました。親子が一つの財布を分け合い、一つのかまの飯を分け合うのが老人扶養の姿でした。もし、せがれが稼いできた金のほんの少ししか親に分けてやらなければ、それは福祉ではありません。また、親が息子の稼ぎの大部分を取り上げて、息子が苦しい生活をしているのも福祉ではありません。本当の親子なら、分配の方法にはおのずからルールがあるはずです。つまり、本当の福祉は、年金の大きいことでもなければ、負担の小さいことでもありません。年金制度を通じて、振りかえの行われた後の勤労世代と老齢世代の実収入、つまり手取り収入が、両方の世代の家族構成や生計費のニーズの違いを考慮して、妥当なバランスを保っていることです。福祉とはバランス、これ以外にはありません。これからの年金制度を、給付の面でも負担の面でも、そのようなバランスのとれたものにしていくことが絶対に必要であります。 いま当面している国鉄共済の財政問題は、他の共済年金と一元化する以外に方法はないと考えます。国民年金については、まず可能な限りの負担の努力をすることが第一であります。そして次の段階としては、別途の新しい財源、私の個人的な考えでは新しい目的税しかないと思っております。もし、この種の税を国民全体の負担で行うとすれば、それを国民年金だけに振り向けるのは公平ではありませんから、全部の公的年金に公平に配分し、すべての年金制度に共通する基礎的な部分の費用に充てるのが妥当であると思います。 厚生年金や共済年金につきましては、給付水準を改めるといっても、ある時期に急激な改革をすることはできませんから、バランスのとれた将来の姿を想定し、それに向かって計画的に改革を進めていくことになります。長期の経過期間が必要なことを考えると、改革には早急に着手しなければならないと思います。 これまでも、年金制度の改革についてはさまざまの意見が述べられております。今後年金制度の改革を考える場合には、三つの条件が必要であると思います。 第一は、費用の負担の裏づけがあり、長期にわたって収支のバランスする計画の立てられているととです。年金制度は所得の振りかえなのですから、一方だけ、たとえば給付だけを示しても案にはなりません。 第二は、一部分または一制度だけの改革でなく、年金制度の全体について整合性のある体系になっていることです。現在では、たとえば夫が厚生年金で妻が国民年金というように、一つの世帯の中に複数の年金制度が入り組んで適用されています。制度の側よりむしろ世帯の側から見た年金体系の見直しが必要で、特に女性の年金の位置づけを明確にし、現在のさまざまな不合理や不公平を是正することが重要です。 第三は、現状からの移行の方策が具体的に示され、実効性のある内容になっていることです。年金制度はそれぞれが長い歴史を持っています。これまでの経緯を一挙に覆すような改革は受け入れられません。何年か前までは、年金に対する国民の関心は、どこまで年金がふえるかでした。いまの関心は違います。いまのままの年金が将来ももらえるのだろうかの不安が強くなっています。サラリーマンの妻の中には、せっかく加入した国民年金を、先行きが不安だからといってやめてしまう者も出ていると聞いています。国の制度だから間違いないといっても答えにはなりません。いまの年金制度はどう見ても収支の合わない姿になっているからです。本当に安心できる状態にするには、長期にわたって収支のバランスするような姿に戻すことです。 昭和五十七年度予算は、増税なき財政再建という苦しい状況のもとで組み立てられました。ゼロシーリングという要請から、厚生年金等の国庫負担の一部を減額する措置がとられています。これは現在の特殊な状況下でやむを得ぬことと考え、昭和五十七年度予算には賛成を申し上げます。そして、このことは、今後の年金問題の緊急度を一層早め、その対応へのより早い着手を政府に求めたものと考えます。 高齢化社会というと暗いイメージが強くなります。確かに人口の高齢化は、国民にそれだけの負担を負わせることになります。いま日本の人口は、毎年一%ずつふえています。子供が多く生まれるからではありません。寿命が延びて老人の数がふえているからです。老人は働かないで扶養を受ける世代ですから、老人のために人口が一%ふえ、国の総生産が同じなら、平均して国民は毎年一%ずつ生活水準を切り下げなければなりません。老人は扶養されるだけでなく、医療や介護などの費用もかかりますから、一%でなく二%の負担増かもしれません。しかし一方では、低成長とはいっても年に三%とか四%の実質成長があります。老人扶養の負担増を差し引いても、まだ何%かは国民全体の生活水準は引き上げが可能なはずです。適正な分配のルールさえできていれば、年金制度は十分に安心して維持していかれるはずです。 年金制度は、いまの若い勤労者も含めて、全国民の生涯の生活設計の土台になるものです。有利なようでも不確かなものでなく、つつましくても確実なものでなければなりません。このような方向に向かって、政府におかれましても、また国会におかれましても、格段のお骨折りをいただけるようお願い申し上げる次第であります。どうもありがとうございました。(拍手)
○小宮山委員長代理 ありがとうございました。 次に、今堀公述人にお願いいたします。
○今堀公述人 今堀でございます。 まず、私のような者を公述人にお選びいただきましたことにつきまして、栗原委員長初め委員の皆様にお礼を申し上げます。 私は歴史学をいささか勉強してきた者でございますので、そういう観点から、現在の日本の防衛という問題を中心にして、考えるところを少し述べさせていただきたいと思う次第でございます。 御承知のとおり、昭和二十年の七月にポツダム宣言が出まして、日本では本土決戦ということを強く言っておりました。ところが、八月六日に広島に原爆が落ちまして、当時大本営では、恐らく原爆はこの戦争には間に合わないのじゃないかという考え方で、トルーマン大統領の演説が六日の晩にあったのでございますけれども、半信半疑で、すぐ大本営から、有末中将を団長にするところの調査団を広島に派遣したわけでございます。そして、これには仁科芳雄博士なども同行されまして、詳細に調べました結果、原爆の被害というものはまことに恐るべきものであるということが明らかになったわけでございます。そのことが八日の夜、東京に、大本営の方に伝わりまして、九日に大本営の宮中での会議がございまして、そして九日の午後の十一時五十分にポツダム宣言の受諾ということが決まった次第でございます。 つまり、日本における当時としては最高の英知を集めておった戦争指導部が、日本という国では、残念ながら原爆戦争はできないのだという結論に達したわけでございます。たとえば、ここに部隊を集めておりましても、そこに一発どかんと落ちたら何万の部隊もそこで全滅するわけでございますから、そういう戦争はとうてい継続はできないということで戦争を中止したということは、歴史的な事実で明らかでございます。したがって、終戦の御詔勅におかれましても「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ」ということを仰せられているわけでございます。つまり、原爆戦争というものは、続ければ日本民族が全滅し、さらに世界の文明がなくなるということを仰せられておるわけでございます。 こういうふうな状況というものは、しからばそれから三十数年たった今日、状態は変わったでしょうか。むしろ、この状態というものは、はるかに悪くなったと言わなければならないというふうに私は考えるわけでございます。終戦当時、何発の原爆があったかわかりませんけれども、仮に十発あったといたしまして、今日では百万発という原爆があると言われております。しかも、その原爆に対して、アメリカあたりですと、アンチミサイルの網をずっと張りまして、水爆、原爆がアメリカ国内に入るのを防ぎとめるあらゆる策がございますけれども、日本にはそういうものはございません。ございませんというよりも、日本のような狭い国土では、実は、そういう計画を立てることさえ不可能であるというのが現実であって、もしも原爆戦争をやれば、日本国民というものは全滅し、さらに世界の文明の破壊にもならざるを得ない。こういうふうな状態というものは、少しも変わっていないのではないかというふうに基本的には考えられるわけでございます。 これは防衛庁などにもいろいろお考えはございましょうけれども、歴史の教えるところからいいますと、日本のような国土が狭く、しかも非常に海岸線が長く、裏から表まですぐ抜けるような国では、原爆に対して抵抗のしようがない。ソ連とかアメリカとかいうふうな国土が広くて、別な基地からまた撃ち返せるような国なら別でございますけれども、作戦の立てようがないというのが現実ではないでしょうか。したがって、原爆戦争を回避するということ以外に日本の安全保障を図る道があるならば、私としては教えていただきたいと思うのでございますけれども、そういうことはとうてい考えられない。これは日本の地理的な条件がしからしめているところの事情であって、昭和二十年も今日も変わらない、こういうふうに考えざるを得ないと私は思っておるわけでございます。 無論、中には、原爆というものは使われないのではないか、最終的に原爆戦争にならないで済むのではないかという楽観的な見方もございます。しかし、歴史の教えるところによりますと、人類というものは、最も進んだ科学技術というものを必ず兵器に集中いたしております。これは古い時代の石器時代から青銅器時代、鉄器時代、そうして今日に至るまで変わっておりません。現在でも、科学技術の最も進んだところに原爆及びその運搬手段があることは御承知のとおりでございます。そして、その最も進んだ科学技術のためにつくられた兵器というものは必ず使用されているというのが、これが人類の歴史でございます。りっぱな武器をつくって使われないということは一度もないわけでございまして、必ず使われておる。 たとえば、広島の原爆にいたしましても、あの段階でアメリカとしては必ずしも落とす必要はなかった。しかし、アメリカ国民としていいますと、二十億ドルの開発費を使った原爆を落とさないわけにいかないということで使用されたことは御承知のとおりでございまして、最も進んだ科学兵器というものは必ず使用されるというのが歴史の一つの教訓でございます。言いかえますと、今日もしも戦争が起これば必ず核戦争になる、これは避けられない一つの法則であると言わなければならない、これがまず一つの前提でございます。 無論、昨年来ヨーロッパあたりで反核運動が起こっておりますので、そういう連想から、多分限定核戦争はヨーロッパでやってくれるんじゃないかというような楽観的な見方が、また国内にございますけれども、これも歴史的事実に反します。昭和二十年以来今日まで、第二次世界戦争が終わりましてから今日まで幾多の戦争がございました。しかし、この幾多の戦争は例外なくアジアとアフリカで起こっておるのでございまして、ヨーロッパとアメリカでは一度も起こっておりません。しかも、その主な戦争はアジアで起こっているわけでございます。御承知のとおり朝鮮戦争、あとベトナム戦争もそうですし、現在のアフガン戦争もそうです。 このアジアに戦争を起こしやすい原因というのはたくさんあるわけでございまして、これはもう申し上げるまでもございませんけれども、仮に第三次世界戦争の大きな火ぶたが切られるということになれば、これは必ずアジアで起こされる。限定核戦争が行われるとすれば、決してヨーロッパではございません。必ずアジアで起こされるということ、これが戦後の三十何年の歴史事実において明らかなことであって、そういうふうな核戦争の危険というものがあるにもかかわらず、つまり、このアジアは飢餓とか、それから経済混乱、政情不安定、革命、貧困、こういうような戦争を引き起こすところのあらゆる条件があるわけでございますから、ここで必ず戦争が起こり、それから核戦争に発展する危険はきわめて高いわけでございまして、そういった核戦争の危険というものが今日世界を取り巻き、日本を取り巻いておるというのが現実ではないかと私は考えるわけでございます。 そういたしますと、核戦争をいかにしてなくなしていくかということが、われわれの課題になってくるわけでございます。したがって、日本の防衛の目的もここにしぼられるわけでございます。しぼられると言うとちょっと語弊がございますが、その辺を除いては議論はできないという意味でございます。そういうことでございますけれども、この戦後の核の問題について常に言われてきた基本的な考え方というものは、核抑止という理論でございます。こちらが持っていれば相手はそれを心配して使わないだろうという理論でございます。この核抑止理論というのが実は今日日本でも非常に有力な意見でございまして、アメリカの核の傘に入っておれば大丈夫だという考え方がその基本でございます。 しかし、考えてみればおわかりいただけると思うのでございますが、この核抑止理論というものが人類に対してどういうふうな結果をつくり出したかといいますと、先ほど申しましたように、戦争直後に、いまそこまであったかどうかわかりませんが、仮に十発あったといたしまして、それがいまや百万発にまでふえているというのが、これが実は核抑止理論の結果でございます。これは議論ではございません。事実といたしまして十発が百万発にふえております。もうすでにオーバーキルであるということが言われてから十年でございます。その当時には十万発だったわけです。十万発が百万発までふえているわけです。いまからますますふえまして、やがて一千万発になるのは時間の問題でございましょう。何となれば、ことしだけでも軍事予算が全世界で五千億ドル使われているということでございます。二十億ドルでさえ原爆を落とさないわけにいかないといったそういう状況が、毎年五千億ドルを使って原爆を落とさないというわけにいかないということになるのは明瞭でございまして、そういった点で言いますと、核抑止理論に立つ限りにおいては必ず戦争になるということにならざるを得ないと私は考えるわけでございます。そうしますと、核廃絶ということにはっきりと踏み切らなければならない。核制限ではこれはどうにもならない、核廃絶まで行かなければ人類というものは助かりようがないというのが結論であろうかと思います。 無論、この核廃絶ということにつきましては、いろいろな方がそういうふうなことをおっしゃっていらしゃいますけれども、なかなかそれが実現できないというのがいままでの経過でございます。 〔小宮山委員長代理退席、越智(通)委員長代理着席〕 しかし、少しお考えいただくと、こういうことになるのではないかと私は思っておるわけでございます。いままで軍縮交渉というものは繰り返し行われ、現在もジュネーブで行われておりますけれども、イソップ物語の例を引きますと、ネズミが猫の首に鈴をつけるというのは非常に便利だが、実は猫の首には鈴がつけられない。いまその猫が、つまりアメリカとソ連ですけれども、猫がお互いに自分の立場を有利にするための交渉を幾ら続けましても、これは決して核廃絶にはつながらないわけでございまして、そういった交渉を何年やりましても、これは地球の破滅まで進むしかないというのが事実だと思われます。問題はむしろ逆でございまして、すべてのネズミが団結して、核を使わせない、猫にかみつかせないような体制をつくるという以外には方法がないというふうに私は考えるわけでございます。 そういう点で申しますと、鈴木総理も言っておられるわけでございますけれども、国際関係をよくしていく、つまり戦争にならない世界、戦争を不必要とする世界、こういうものをつくっていくということに対して日本が積極的な貢献をしていくと同時に、軍縮そのものについても日本から新しい案をつくっていく。これは先日、朝日新聞も書いておりましたけれども、アメリカやソ連の軍縮案をいつまで追っておっても仕方がないわけでございまして、日本から現実可能な軍縮提案を出していくということがいまや必要な段階になってきているのではないかというふうに思われるわけでございます。 昨年の九月十四日にワルトハイム事務総長が出された報告の中にもいろいろな提案がございます。まず大きな提案が二つでございまして、この核廃絶の問題が一つでございます。その核廃絶のうらはらといたしまして、先ほどの発展途上国の問題があるわけでございますが、現在のままでいきますと、いまから十年後には約八億の人間が飢餓線上に彷徨するという危険性がきわめて高いということで、第三次の国連開発十年計画を立てておりまして、これは食糧、エネルギー、原料、財政、貿易などでございますけれども、そういう問題を解決するために総合的な発展途上国の改善計画を立てておりまして、そのためには年間二百五十億ドルが要るんだということを言っておられるわけでございますが、そういった発展途上国への協力といいますか、発展途上国を大いに激励いたしまして、この問題と実は軍縮の問題とは一体不可欠の問題であって、軍備に金が回れば途上国への援助はできない、途上国への援助ができなければ世界は破滅する、こういう論理で途上国の方々を軍縮の方面に結集していくということが、やはり一番基本的な問題ではないかと考えられるわけでございます。 無論、このほかいろいろな技術的な問題が考えられるわけでございまして、たとえば非核地帯の設定というふうなこともあるわけでございますが、日本一国でも非核宣言をいたしまして、そうして核保有国に対して、核を持たない日本に対する核攻撃は一切やらせないという条約を取りつけるというような努力だって、これはできるわけでございます。これは日本だけでなくて他の国々と一緒にやっていけば、さらに効果的でございますし、そういったような点での努力というものも多多あろうかと思います。 さらに、国際法などにいたしましても、現在の国際法といいますのは、御承知のとおり戦争が起こったときにできるだけ人々が迷惑をしないような、つまり戦争を前提にした条約でございますけれども、広島の実情で申しますと、広島に原爆が落ちた後で、当時の国際赤十字からジュノー博士という方が十五トンの医療品を持ってこられたわけでございます。その十五トンの医療品は、無論広島の市民からいえば非常に感謝にたえないわけでございますが、原爆症という現実からいいますと、要するにこれはやけどの薬であったり、あるいはけがの消毒剤であったりするわけでございまして、原爆そのものの治療には全く役に立たなかったという現実があるわけでございます。したがって、もしも戦争が起こったならばその被害を最小限に食いとめるような、そういう国際法の段階ではないわけでございまして、どうしても人道に基づいて一切の戦争というものをなくすような、そういう国際法をつくっていくというようなことも必要であろうかと思います。 そのほか、実際の核廃絶のための努力というものはいろいろな方法があるわけでございますが、そういったような点で見在の今年度御計画になった五十七年度の財政及び予算の説明書などを拝見いたしておりますと、たとえば防衛庁に関して申しますと、質の高い防衛力の着実な整備に努力するということ、特に正面装備の更新近代化を図るということで、二兆円余でございますから、ドルに直しますと百十二億ドルでございますが、それだけの予算を要求しておられるわけでございますけれども、私この是非、善悪ということではなくて、その前に、この核廃絶の問題というものを抜きにして、ただ質の高い防衛力の着実な整備に努力するだけで日本の安全が図れるものかどうかということについて、お教えをいただきたいわけです。 また、経済協力にいたしましても、大体一〇・八%増でございまして、約二十億ドル出していただいております。しかしながら、この二十億ドルの内容というものは、国際協力事業団への交付金と発展途上国への無償資金協力というふうな形でございまして、発展途上国全体の問題を解決するには大きな距離があると言わなければならないと私は考えるわけでございます。 そういった点で、いま世界全体の平和のために、核廃絶のために、日本としては国際的な努力というものが一段と必要であり、そうして軍縮総会その他も含めまして、ここで新しい努力をしない以上は、終戦直後のように日本の民族としての滅亡、世界の文明の消滅ということになりかねないという状態にあるということを、歴史学者として一言申させていただいた次第でございます。 どうも失礼いたしました。(拍手)
○越智(通)委員長代理 ありがとうございました。 次に、金森公述人にお願いいたします。
○金森公述人 日本経済研究センターの金森であります。 昭和五十七年度の予算につきまして、特に景気及び経済成長という観点から、私の意見を申し述べさせていただきます。 政府は、昭和五十七年度の経済成長率を実質五・二%と、比較的高く見通しております。民間の現在の見通しの平均は、私の計算によりますと三・九%でありますから、かなり高いわけでありますが、これは非常に妥当なことであるというように私は考えるわけです。最近、成長率が低くても、ほかの国と比べればまずまずいい成績にあるから、これでいいではないかという答えもございますけれども、やはり成長率が低いということは、いろいろな問題を発生するというように私は思うわけです。 特に四つの点が重要でありまして、第一番目に、国民の実質所得を高めるということができません。昨年は家計の実質消費がずっと前年を下回るという異常な状況ができたわけでありますが、これも基本的には成長率が低い、物やサービスが十分に生産されてないということに基づくわけであります。 それから第二番目に、十分な雇用機会が生まれてまいりません。いま世界では非常に多くの失業者がありまして、大変な問題になっているわけですね。幸い日本はこのような失業問題はない。これは大変ありがたいことでありますけれども、しかし、日本では非常に人はよく働く、生産性の上昇も高いわけでありますから、二%や三%の成長であれば、人を雇わなくても十分にやっていける、それだけ雇用機会が生まれてこないという問題がございます。昨年十二月の統計を見ますと、男子の雇用者というものは前年に比べましてゼロなんですね。人間は年々ふえておりますから、こういう状況が起きますと日本でも雇用問題が起きるのではないか。完全雇用というのは私は現在の経済政策の最も重要なことだと思いますので、この点に十分考慮を払っていただきたいというように考えるわけです。 それから第三番目に、世界経済が全体として停滞をしておりますので、日本が高い成長をして輸入をふやす、これは国際的に見ましても非常に望ましいことでありまして、これは外国からも大変望まれているということではないかと思うわけです。 それから最後に、政府が低い見通しを出しますと、企業は、それではそう設備をふやす必要もないよということから設備投資を行わない。その結果、所得、消費がふえない。低成長の悪循環というものが発生する心配があるわけであります。 こういうことから見まして、政府が高い成長率を出したということは私は賛成なのでありますが、これが客観的に日本の経済に成長の条件というものがなければ、これは見通しをつけましても、ただ鉛筆で書き込んだというだけのことでありますけれども、私は、日本の経済の潜在成長力というものはかなり高いのではないかと前から考えておりまして、五%以上は十分に成長できると思っております。 石油危機以前は、日本の成長率は約一〇%でありました。そうして第一次石油危機以後は、昭和四十九年度それから五十年度は低成長でありましたけれども、五十一年度から五十四年度までは五%を超える回復をしているわけです。そうして五十五年度、五十六年度、これは三ないし四%と下がりましたために、潜在成長力は下がったという見方も生まれてきているわけでありますけれども、私は、これは昭和五十四年度に起きました第二次石油危機の後遺症のためであるというように考えております。確かに、第二次石油危機というものはいろいろな混乱を与えたわけであります。しかし、五十七年度はこの石油危機後の第三年目に当たって回復期に入ると思います。 第一次石油危機当時のことを私、記憶しているわけでございますが、当時大蔵大臣でありました福田赳夫氏、日本の経済は全治三年の傷を受けた、うまいことを言われたわけでございますけれども、私、いまから考えてみますと、これは大変名言だったというように思うわけです。確かに、日本の経済は四十九年、五十年と二年間停滞いたしましたが、三年目には回復をしてまいりました。今回も、三年目に当たります昭和五十七年度は、かなり経済の力は盛り返してくると思うわけであります。まず、石油不足という不安は当面解消して、原油価格は弱含みになっております。それから、物価は非常に安定をしまして、最近では、前年同月比の上昇率を見ますと、卸売物価は一%台、消費者物価は三%台と、非常に安定をしております。それから、昭和五十五年の初めから急増いたしました過剰在庫の整理も進んで、経済は正常の姿を取り戻しております。したがって、日本の経済は本来持っている力を発揮すべき時期に入っているというように思うわけです。 では、本来持っている力というものはどれぐらいであるかということでありますが、この潜在成長力を測定するということは非常に困難なことでありますけれども、私は、これはかなり高いと見るべきだろうと思うわけです。第一番目に、日本の貯蓄率は世界で最も高いわけでございますが、これが依然として非常に高いわけです。これが資本の蓄積力として大きな力を発揮しております。それから第二番目に、生産設備に現在非常に余力がございます。それから第三番目に、防衛負担が低い。これはやはり経済の生産力に回せるそれだけの資源があるということを意味するわけです。それから第四番目に、日本の労働力が非常に優秀である。それから第五番目に、幸いにも労使関係が世界の先進国の中で最も安定しているということが挙げられます。それから第六番目に、エレクトロニクスを中心としまして技術革新が非常に盛んでありました。こうした新しい技術につきましては、生産につきましても、あるいはそれを実際に産業に適用するという点につきましても、私は日本が一番すぐれている、こういうように考えるわけであります。したがって、先進国が現在成長率がゼロ成長、あるいはせいぜい二%程度の成長であるから、日本は低い成長でもやむを得ないんだという考え方に対しては賛成ができないわけであります。 次に、しかし、それではどうして現在は景気がよくならないかということにつきまして、私の考えを申し上げたいと思います。 それは、潜在的な力を発揮するだけの需要が日本に十分にないというためではないかと思うわけです。需要が十分にないために、せっかく日本が持っております労働力や設備が活動できない。そうしたことがまた需要の拡大を妨げるという悪循環になっているように思うわけです。さらにまた、ごく最近の情勢を見ますと、五十六年度の日本の景気を支えました輸出の増勢が鈍っているということが注意を引きます。下期になると、世界の景気も回復しまして、輸出がまた伸びるという可能性もあるかと思いますけれども、どうかしますと、この上期中に、これまでの成長のエンジンでありました輸出が停滞をする、一方、内需の方は拡大をしないで、日本の経済の成長のエンジンというものが冷え切ってしまう、こういう危険があるわけだと思います。したがって、政府が高い見通しを設定したということは、私は非常に妥当なことであると考えますけれども、その見通しを実現するためには、需要の拡大を図るような政策の裏づけが必要である、こういうように考えるわけであります。 昭和五十七年度の予算を拝見しますと、住宅投資につきましてはかなりそれを促進するような措置がとられておりまして、それは非常に結構なことでありますけれども、個人消費や公共投資に対しましては、かえって抑制的な効果を持っているように考えられるわけです。 まず、個人消費でありますが、政府は実質三・九%の増加というものを予想しております。政府の見通しを拝見しますと、雇用者所得が名目八・六%、消費者物価の上昇率は四・七%であります。ですから、差し引きしますと実質雇用者所得は三・九%の増加になるわけです。したがって、消費の方も三・九%としていることは、一応つじつまが合うように考えられます。 しかし、五十七年度は、現在の政府の説明では減税が実施されておりませんので、消費のもととなる税引き後の所得、すなわち可処分所得の伸び率は雇用者所得の増加よりもかなり低くなってしまうと思います。現在の税制のもとで家計の所得が一%上がった場合の所得税の増加率、すなわち税金の所得弾性値ですね、これはいろいろな計算もございますが、私たちでは二・四と推定をしております。その結果、雇用者所得が仮に八・六%増加いたしましても、税引き後の所得の増加率は一%強低くなる、七・五%程度にとどまるのではないかと思います。その結果、実質消費支出も政府見通しよりも一%程度低くなる恐れがある、こういうふうに考えるわけであります。 もちろん、消費というのは、雇用者所得だけじゃなしに、中小企業の企業主の所得あるいは農家の所得、こういうことにも左右されますし、また、消費性向の影響ということを受けるわけでありますから、そう簡単に雇用者の所得と消費とを結びつけることは言えません。また、政府は消費者物価の上昇率について比較的高く見ておりますが、これがもっと安定すれば、実質消費の伸びが高くなるという可能性もあるわけであります。いろいろな不確定要因がありますけれども、しかし、消費に対しましては税引き後の所得の影響ということは最も重要でありまして、実質的な増税によって税引き後の所得の増加率が低くなるというようなことでは、私は政府見通しの達成は困難ではないかと考えるわけです。可処分所得を引き上げるために春闘の賃上げ率を高くすべきであるという意見も一部にございます。しかし、賃金上昇率を労働生産性上昇率よりも上げてみましても、それは物価を高めるだけでありまして、実質可処分所得を高めるということにはならないと思います。したがって、実質可処分所得を引き上げ、消費をふやすためには、賃上げを引き上げるのではなくて、所得税の減税によるのが最も妥当でありまして、私は一兆円程度の所得減税が望ましいと考えております。所得税はまた、過去四年間減税をしない結果、勤労者にとって特に負担が重くなっており、租税負担の公平という点から見ましても、減税が望ましいと考えるわけです。 次に、公共投資につきまして意見を申し上げたいと思います。 政府の一般会計予算では、公共事業関係費の伸び率はゼロになっています。国全体の実質の公共事業費、地方財政、財政投融資等を含めまして実際の公共事業費がどうなるかということにつきましては、私がいただいております資料では余り明らかになっておらないようでありますが、昭和五十七年度の経済見通しを見ますと、政府支出は前年比〇・一%の減少になっております。 政府の固定資本形成は昭和五十四年度以降ほとんど増加をしておりません。このこともまた需要不足をつくり出す重要な原因になっております。長期的な観点から言えば、日本では社会資本が不足しており、これを充実するということが重要であるということは言うまでもないと思います。そして現在のように供給力が過剰となって、景気が停滞しているときこそ、社会資本を充実するチャンスであると考えるわけです。 公共投資は五十七年度の上期中に繰り上げて実行して、景気の回復を促進すべきであろうというように考えるわけです。万一、繰り上げて実施しましても、なおこの下期に景気が低迷を続けているという場合には、私は、建設公債の発行によりまして、こういう公共事業の規模を拡大するということも望ましいと考えております。 景気対策というのは、もとより財政だけによるべきではなくて、財政、金融一体となって実行すべきものでありまして、私は、現在の金利は日本経済の状況から見て高過ぎる、これが下がるということは望ましいと思いますが、アメリカの高金利や為替レートの不安定のために、金利の引き下げには実際上限界があるように思われます。したがって、金利引き下げ可能になるようにアメリカに交渉するというようなことは非常に重要であると考えますが、財政の役割りに期待するというところが大変大きいと思います。 第一次石油危機後、日本が二年間の低成長から離脱をいたしまして、三年目からは五%成長になったわけでありますけれども、この当時を考えてまいりますと、やはり福田内閣のもとで積極的な公共投資を実施をいたしました、また、戻し税が行われるということで、かなり財政政策が私は効果を上げているというように考えるわけです。 最後に、行政改革と財政政策の関連につきまして、私の考えを述べさしていただきたいと思います。 行政改革を遂行して政府支出のむだを省くということはきわめて重要なことであります。政府が行政改革に対して正面から取り組んでいるということに対しましては、深く敬意を表する次第です。それによりまして財源の余裕をつくって、減税や必要な社会資本の充実を行うということが最も望ましいことであります。しかし、行政改革と一般会計の不均衡の是正ということは、同一のことではないと思います。行政改革によって行政のむだを省くということは、財政が黒字であろうと赤字であろうと関係なく必要なことであります。 他方、財政のバランスについては、それをどのようなテンポで実施すべきかは、景気情勢全般を考慮して決定すべきことだと思います。財政バランスを早く実現するために景気停滞期にも実質増税を行う、あるいは公共投資を実質的に減らすというようなことは不適当ではないかというように思うわけです。また、そういうことをすれば、景気の回復がおくれ、税収が予定どおりにふえず、財政バランスの達成ということもできないと思います。したがって、景気停滞期には、国債減額のスピードを緩めても、減税を行うということが必要な場合もあると考えるわけです。また、国民の貯蓄率が高い場合には、建設国債の発行によって政府がその貯蓄を吸収して、公共投資に振り向けるということは、私は妥当な政策ではないかと思うわけです。財政政策が一般会計のバランスの達成ということだけでなしに、景気の情勢や国民の貯蓄率など国民経済全体を考慮して実行されるということが必要であると思います。 私は、以上のような減税や公共投資等に関する積極的な対策によりまして、政府の五十七年度の経済見通し五・二%成長が達成されるということを望むものでございます。 ありがとうございました。(拍手)
○越智(通)委員長代理 どうもありがとうございました。
○越智(通)委員長代理 これより各公述人に対する質疑を行います。質疑の申し出がありますので、順次これを許します。浜田卓二郎君。
○浜田委員 私は、年金問題を中心にして御意見を述べていただきました村上公述人に幾つか御質問を申し上げたいと思います。 村上先生は、現行の厚生年金を初めとする年金制度は、将来にわたってこのままでは維持できないのではないか、そういう趣旨の御意見を述べておられました。実は私もこの点については全く同感でありまして、五十七年度の予算案では、モデル年金では、厚生年金が月額十五万円の大台を突破しております。そして、現行では保険料率というのは標準報酬の一〇・六%でありますけれども、昭和八十五年にはこれは三〇・六%に達するという推計が厚生省から出されているわけであります。しかも、人口の推計統計が昨年の末に新しくなりましたけれども、これはそれ以前の推計に基づく数字でありまして、事態は、私はより深刻になるだろうと見ざるを得ないと思うわけであります。 そして、やはり適正な保険料を中心とする国民負担があり、そして適正な給付水準があるということでなければ年金制度というのは成り立たない、これは先生のお説のとおりだと思いますので、現行どおりではやっていけない。ところが、私どもが福祉社会という場合に一番肝心なことは、人々が生涯にわたって、みずからの生活設計をなし得るという前提だろうと思うわけであります。したがって、いま一生懸命保険料を積み立てていっている。しかし、これからどうも将来は危ないのじゃないかということになりますと、これはもう生涯設計が可能ではないということでありまして、福祉社会というわけにはまいらなくなってきている。したがって、われわれが現在急がなければならないことは、適正な国民負担で適正な給付が、しかも将来にわたって確実になし得るという新しい年金の体系を確立することだ、私どもはそう考えているわけであります。先生のお説の中にも、三点にわたりまして、そういう趣旨からの御発言がございました。 そこで、具体的に何をすればいいか。私どもが一般的に議論しておりますのは、給付年齢を引き上げなければいけないのじゃないか。あるいは現行の給付水準というものはナショナルミニマムを超えている、先生のお説でありますけれども、それでは一体どの程度の給付水準にしていったらいいか。そうすればわれわれが将来にわたって確信が持てる年金の体系ができるのか。そういった具体的な点が私は現在緊急に問われていると考えているものでありますが、この点につきまして先生のもうちょっと具体的な御意見をちょうだいしたいと思います。
○村上公述人 ただいまの御質問にお答えいたします。 年金制度が大変厳しくて将来大変なことになるというふうな、あるいは深刻過ぎるようなお聞き取りをされた方もあるかと思うのですけれども、見方によりましては私はきわめて楽観的でございます。つまり、戦争で国土が焼かれるとか、あるいは疫病とか飢餓、これは大変なことでございます。ですけれども、年々国の中で普通に生産が行われているのだったら、別にだれも餓死することもないし、何とかお互いにやっていかれる。そして、見方によってはどうにかなるということで、きわめて楽観的に考えてよろしいと思うのです。 ただ、いまのままでいきますと、先ほども触れたのですけれども、収入がなくて年金を払わなければならないというふうな時期になったら、これは恐らく、ある期間非常な泥沼のような状態になるだろうと思うのです。それは絶対避けねばいけないし、そうなったら国民生活もきわめて不安定だし、あるいは国際的にも非常に惨めな経済状態になるだろうと思います。 そこで、どうしたらいいだろうかということなのですが、余り科学的な言い方じゃございませんけれども、年金制度というのは、外国の本を見ましても、昔家族制度でやっていたことを社会全体でやることだというふうに言われております。ですから家族制度がずっとあって、親子が一つのものを分ける状態であるならば何も心配ない。ただ、年金制度になりますと他人ですから、片っ方は出すのがいやで、片っ方はたくさんよこせということで、いろいろなあつれきが起こるのだろうと思います。 そこで、私考えますことは、一つはいまの年金の給付体系、もう一つは年金の水準だと思うのです。まず給付体系が、これは世上ずいぶん議論されておりますけれども、たとえば厚生年金、共済年金、あれは世帯単位で、国民年金は個人単位だとかというふうなことが言われて、どっちにしようかというふうな御意見がございます。しかし、これは現実にはもう日本の女性、奥さんの八割以上が何かの年金に入っております。つまり女性のほとんどが個人の年金を持っているわけですね。そうなると、私は、将来の方向としては個人がみんな年金の権利を持つという形、これは日本だけではございません。アメリカ、ヨーロッパでも女性の社会的な地位が変わったということから非常に苦慮しておりまして、方向としてはそっちではなかろうかと思います。 そういうふうな形で、一人一人がみんな年金の権利を持つ、その年金は厚生年金か国民年金かわかりませんが。としますと、一軒の世帯でいったら、その合計したものが収入になるわけですね。年金の水準はどのくらいだろうか。これは厚生省がよく現役の標準的な勤労者の六〇%と言っております。私は、あれはまあいい数字じゃないかと思うのです。つまり働いている方はいろいろお金がかかるし、お年寄りは多少、働いている人より少ないのはやむを得ない。それから汗を流して働いて負担している方の方が、どっちかと言えばやや暮らし向きがいいぐらいでも妥当じゃないか。その分は現役のうちに働いて努力するということだ思うのです。ただ六〇%というのは、これから二つの面で修正する必要があると思います。一つは、手取り所得に対する六割という考え方です。これは数年前からアメリカ、ヨーロッパ、みんなどの国でも言い出したのです。以前は負担がそう多くなかったから、税引き前の給科の何%と言ってもそう問題はなかったのですけれども、いま非常に手取りが減ってきました。税金、保険科ですね。いま六〇%と言っても手取りに対するともう七〇%になっていると思います。今後負担がふえますと、七〇が八〇、九〇となりまして逆転してくるわけですから、これは困りますので、手取りに対して六割くらいという割合にする。 それから、一人一人がみんな年金を持ちますと、標準的な家庭なら奥さんが国民年金に入って、御主人が厚生年金ということになりましょうから、両方足したものが六割ということは、国のみんなが生み出した総生産を、現役の世帯はたとえば一軒当たり一〇〇もらうなら、こっちは六〇というふうなバランスで常に分け合えるようなルールにしていけば、これはもう完全に安定するのじゃないか、そんな方向に向かって少しずつ手直しができたらと思うわけでございます。
○浜田委員 別の観点からお伺いいたしますが、わが国は非常に貯蓄率が高いということが特徴的に言われております。これは日本経済のパフォーマンスの大変いい結果をもたらしている。それとともに、別の見方をすれば、国民の自助努力というものが非常に意欲が高く行われているということにもなろうかと思うのです。 ところが、先ほどの質問の続きになりますけれども、公的保険がこのまま単純延長されていけば、標準報酬の三割を超えるという保険料まで到達することもそう遠い将来ではない。昭和八十何年なんていいますとずっと先だなんて思いますけれども、これは現実に私どもが老いるころの話でございまして、現実に私どもの時代の話だ、そういう気持ちでございますが、そうなると、貯蓄率も勢い低下していかざるを得ないだろうと思うのです。ですから、そういう方向でいいのか。あるいは、こういう自助努力というものを保持しながら公的年金との組み合わせというものをもっと別の形で考えていってもいいのではないか。そういうふうに私どもは日本型の福祉社会という将来展望を漠然と考えるわけでありますけれども、そういう点から先生の御意見をお伺いしたいと思います。
○村上公述人 私は、二十年ほど前から年金のことを勉強しておりますものですから、特に外国の事情を絶えず見て参考にしてまいりました。私の感じでは、欧米は年金制度の先進国だと思います。先進国というのは、すぐれているとか、そういう意味ではありませんで、日本より早くに家族制度が崩れて年金社会になってしまった。それから年金制度の歴史が長くて現に成熟している。それから人口の高齢化も日本より早く進んでおります。ということは、日本が多分これから遭遇するようなことをすでに実験しているのではないかと思いまして、外国の事情を見るということは非常に貴重な参考だと私は思っております。 いま御質問のありました件、別の角度から申し上げてみたいのですけれども、いま日本の経済は比較的順調であるということ、これは先ほど金森さんからもお話がございました。そして、それを支えているのが貯蓄率であるという御意見もございました。逆に、いまこの問題で一番苦慮しているのがアメリカだと思うのですけれども、アメリカは経済をよみがえらせようと一生懸命にやっているわけですね。その中で最近、年金問題が非常にクローズアップされております。つまり、いまの経済の弱体化を招いたのは年金制度であるという意見、これは大統領の諮問委員会もそういう意見を出しておりますし、最近の経済開発委員会という、これは民間の団体でございますけれども、そこからも出しております。 どういうことかといいますと、アメリカの公的年金は、以前は低かったのですが、大変高くなりました。特にニクソンのときに、選挙のときにずいぶん上げてしまったものですから、大変高くなったわけですね。それで勤労者は余り貯蓄をしない。そのために資本が蓄積できない。したがって鉄鋼も自動車も十分な設備がよくできないうちに日本がどっと入ってきて凋落してしまった。だから、これはフェルドスタインという学者の意見でございますけれども、もし公的年金がそういう状態でなかったら、いまのアメリカ人の所得は一件当たり三千五百ドルですか、たくさんになっていただろうという意見を言っております。特に、公的年金が賦課方式です。成熟いたしますと、どの国でも賦課方式になります。賦課方式というのは貯蓄のない制度ですけれども、個人から見ますと貯蓄なんですね。若いときに出して老後にもらう。ですからこれを擬似貯蓄、貯蓄のようだけれども実体のない貯蓄だと言っているわけですね。本人は貯蓄したつもりなんだけれども、国民経済としては何にも貯蓄がない。そこで、いまアメリカの政府も、あるいは各団体も言っておりますことは経済再建をしなければいけない。それでレーガンになりましてから早速に経済再建の税制改正をいたしまして、個人貯蓄を急速に伸ばそうとしてやっております。ただ、アメリカ人に聞きますと、これをやってもアメリカ人は余り貯蓄しないのじゃないかということを言っておりますから、結果はわかりませんが、しかしそういう努力をしているわけですね。 そういう面から見ますと、日本はそんなに急速に貯蓄が落ちると思わないです。私の感じでは、日本の貯蓄率が高いというのは、いわゆる一億総中産階級といいますか、みんなが努力するという社会、向こうは階層社会といってはいけませんが、低所得者は全然貯蓄しない。社会保障だけで十分足りている、社会保障だけで所得の一〇〇%くらいいっておりますから、もう貯蓄しないし、そういう国でございます。しかし、そうはいっても、これから十年、二十年たちますと、いま御質問の中で御指摘のあったようなことが、あるいは起こるかもしれないし、まあそういうことにはならないように備えなければいけないと思います。
○浜田委員 質問時間がきわめて短いわけですから、最後に簡単にお聞かせいただきたいのですが、高齢化社会が到来するということはよく言われるわけですけれども、その事態の深刻さというのはまだ十分に認識がされてないのじゃないかという気がするわけです。昨年の暮れに厚生省の発表した推計統計では、昭和八十五年を越えて九十年に近くなるころには六十五歳以上の人口比率が二割を超える。これはかって人類が経験をしたことのない超高齢化社会でございますね。それに問題は、六十五歳以上がふえるということは、たとえば七十五歳以上をとっても、要するに高齢者の数が圧倒的にふえていく。ですから家庭の姿として、たとえば九十歳のおばあちゃんが生きておられて、それで息子夫婦が六十歳ぐらいになっていて、そして子供が一人で三十歳ぐらいになっている、そういう家庭像というのがそう珍しくない一般的な姿として出てくるであろう。そういうときに、いまの、たとえば六十歳定年なり六十歳年金支給開始なり、そういった年金だけに限らず、もろもろの社会制度というのを単純に延長していったならば、高齢化社会というのは無事に処していけない時代であると考えるわけです。 いま先生、年金について中心に御意見をいただいたわけでありますけれども、最後に簡単に、高齢化社会に処していくために、年金を中心にして諸制度について感想で結構でございますから、注意すべき問題点について先生のお考えを承りたいと思います。
○村上公述人 私、年金が専門でございますので、それ以外のことは余り深く申し上げられないのですけれども、年金に関係しまして、やはり周辺の問題幾つかございます。特に、いまアメリカその他、各国ともに非常に年金問題で苦慮しておりますが、その解決策として、ここしばらく就労の延長ということが非常に言われ出しました。以前は、公的努力と私的貯蓄とか、そういうことを言っていたのですけれども、それにもう一本、柱ですね。特に強く言っているのが、お年寄りといいますか、従来引退していた人にもっと働いていただく。ということは、昔に比べて健康状態ははるかによくなっているはずです。そして少ない負担でいい給付をしようと思えば、掛ける人を多くして、もらう人を少なくするしか道がないわけでございますね。ヨーロッパは御案内のように、いま早期引退とか、あるいは若年者の失業を救済するために高齢者に無理に年金をやって追い出しているというふうな状況がございますけれども、それではとても賄えない。先ほど六十五歳支給の問題ございました。私は、年金財政のためにやるということじゃなくて、これからの世の中は六十五ぐらいまでは現役で、そこから後は好きなら引退するというふうな社会に変えていく。そうすれば自然に年金も六十五になっていく、そういうふうな社会にぜひしたいと思うわけでございます。
○浜田委員 どうもありがとうございました。
○越智(通)委員長代理 次に、大原亨君。
○大原(亨)委員 きょうは、公述人の皆さんには御出席をいただき、非常に有益な御所見をいただきましてありがとうございました。私の持ち時間の範囲内で御三方に順次御質問をいたしたいと思います。 第一は、村上公述人でありますが、先生は非常に保険数理に詳しい方で、最近は非常にショッキングな警告を出されております。四点ほど御質問いたしまして、関連したことがございますので一括御答弁いただきたいと思いますが、いま民間では、年金に関係いたしまして三十万円年金というようなことも言われております。これは厚生年金あるいは共済年金等含めての話でありますが、第一は企業年金についての位置づけであります。 いまもお話しのように、高齢化社会で非常にショッキングな話がございまして、国鉄共済を初めといたしまして年金がばたばた行き詰まる。せっかく掛金を掛けてももらえないぞ。たとえば国民年金にいたしましても、五十六年度の保険料は四千五百円でございますが、これが一年に三百五十円ほど上げることになっておりますが、御承知のように物価の上昇分は上に上げますから、そういたしますと七百二十円上げることになりまして、五千二百二十円ということになります。この調子でずっとふえてまいりますと、被用者、労働者の奥さんが入っておりましても、同じ家計から出るのですから、負担の限界が来るというふうに言われておりまして、制度の欠陥が非常に出ておるわけですが、そういうことになりますと、逆に貯蓄とか企業年金に頼る。生命保険会社や証券会社や銀行や郵便局がやる企業年金、個人年金に頼るという傾向が最近はございます。これは私は間違いであって、やはり公的年金で、十分ではなくても安定した年金をつくることが必要だ。企業年金の限界でありますが、最近労働四団体、各方面の意見を聞いてみますと、たとえば同盟等は、企業年金は本体年金の一五%ぐらいにとどめておくべきだ、こういう議論があります。不安だ、不安だということで、掛金を掛けてもだめだったならば自分で貯蓄をしようか、あるいは個人年金、企業年金をやろうかということなんですが、これは申し上げたように危険な方向であって、これも程度を過ぎましたら格差を拡大いたします。何か活力をつけるかもしれませんが、レーガンのように福祉を切り下げまして非常に不安な状況にしておきまして一生懸命働かせる、こういう手でありますが、そういう方向にいく可能性があると思いますが、企業年金についての限界、こういう問題について、位置づけについて御意見を伺いたい。 それから基礎年金をつくらなければいかぬ、こういう話で、私も全く同感。これの財源についてはどのようにお考えであるかという点についての御所見をいただきたい。 第三点は、これは厚生年金でいいのですが保険料負担の限界、つまり健康保険や所得税、住民税合わせて負担するわけですから、非常に大きくなりますと可処分所得、手取りが減ってまいります。そこで保険料負担の限界、厚生年金についてお考えがあれば、ひとつお話をいただきたい。 それから第四は、出生率が非常に低下する。政府が一部修正いたしましたが、私はそれは誤りだと思う。合計特殊出生率は一・七四を割りましてずっと一・六の台ですが、これがこの二十年のうちに上に上がってくるという見通しは私はないと思うのです。これが年金制度にどういう影響を及ぼすかということについて、余り将来のことはともかくといたしまして、二、三十年後くらいを頭に置いた御意見をいただきたい。この四点であります。
○村上公述人 まず、いまお話ございました公的年金がだめだから私的年金に頼らなければならないとかいうふうな考え方は、これは私も大変な間違いだと思います。つまり、公的年金と私的年金というのは全然違うものだし、守備範囲が違うと思います。公的年金は、いわば土台といいますか生活の一番土台になる部分であり、それだけで豊かな生活は無理だとしても一応の生活は何とかやっていかれる。先ほど申し上げましたのは、いま勤労世代と場合によっては逆転しているようなことも起こり得るので、それは困るというふうに申し上げたわけでございます。 そして公的年金というのは、たとえば国民年金が好きだからといって二つも三つも入るわけではなくて、もうこれは一つですから、日本の国民だれもが一つは必ずそれを持って、それを土台にして、その上に自分がより豊かな老後を築きたいと思うならばその上乗せをしていく、それが場合によっては企業年金であり、あるいは個人年金を含めた個人の貯蓄であろうかと思います。この考え方は、私はどの国でも同じだと思うし、それから最近の欧米の状況を見ますと、確かにオイルショック以後公的年金は限界です。国によってはスライドを足踏みしたりしておるわけですが、そういうものの中で企業年金を一生懸命やろうという努力は各国共通なようでございます。 ただ、日本はかなり事情が違いまして、先ほど三十万円年金というお話がございましたが、日本の企業年金はまだ退職金との選択制が大変多うございまして、三十万円年金の例で申しますと、たとえば味の素なんという会社が新聞に出ましたけれども、あれは退職金を置いていったら年金になる、退職金を取ったらなくなる、そういう仕組みですね。そして企業によって非常に退職金の差がある、ということは企業年金の差も出てくるわけでございまして、ここら辺はそれぞれの企業の努力で、できるだけ底上げをしていくというふうな要請が必要だろうと思います。 それから保険料負担の限界ですけれども、私は、常識的には給料の二〇%ぐらいということが世間で言われているし、そう違っているとは思いません。ですけれども、その負担の限界というのは、その時代の人口構造によって著しく違うと思うのです。つまり、お年寄りがうんと少ないときとうんと多いときとでは、おのずから負担の高さも違ってくると思います。むしろ私は逆に年金制度その他の振りかえと言いますか、それをした後で実際に使える実所得が一定のバランスを保っている状態、つまり社会保険料や税金を払った後の勤労者の収入と、それからお年寄りの世帯収入とを比べて、たとえば十対六であるとかいうふうな水準、そうなるようなところにおのずから保険料が定まるようにしていけばよろしいのではないかというふうに考えております。 それから出生率の低下ですけれども、これは本当に大変むずかしい問題でございます。私も個人的には、いま先生のおっしゃるとおりでございまして、というのは、出生率の低下は日本だけではなくて世界じゅう同じ現象が起こっているわけですね。国によっては一・三とか一・四とか、しかも、われわれが先進国といったり福祉国家といった国ほど下がっているのが事実でございます。そして世間で言われているのは、あれが二・一に戻るということでございますが、これがいい悪いということは私、何とも言えません。見ましたらアメリカも同じことをやっておりますね。つまり出生率が下がるままで計算しますと、何十年かずっと先へ延ばしますと人口がなくなっちゃうのです。やはりどうもどの国も、政府というものは余りみんなが心配することはよくないのではないかと思いまして、通常高い出生率と低いのと中間と出して、中間が二・一に戻る、つまり単純再生産ですね、それがわかりいいということだと思うのです。 それで本当を言ってわからないのです。けれども、これから二十年ぐらい先を考えてみますと、二十年以内はまず影響はないと思います。というのは、これから生まれてくる子供が二十年たってやっと掛金をするわけですから、二十年間はもう生まれちゃった人間でやっていかなければならない。とすると、それは二十年以後、二十一世紀に入っての問題だと思います。そしてアメリカは大変それを心配しておりますが、日本の場合にはむしろ二十一世紀を迎えるまでに何か手を打たなければいけないのではないかというふうに思っております。
○大原(亨)委員 簡単でいいのですが、厚生年金の例をとりまして、保険料負担の限界ですね、千分の何十という、こういうものは大体どうお考えですか。
○村上公述人 大ざっぱに申しますと千分の二百といいますか、給料の二〇%ぐらいだと思います。ただ、そのほかにあと国庫負担がどの程度入るかというふうな問題もございますので、大体いまの国庫負担ぐらい、そしていまの人口予測でいったといたしまして、大体二〇%前後ぐらいが一応の常識的な限度ではないかというふうに思います。
○大原(亨)委員 それでは次に、今堀先生にお願いをいたします。 非常に明快なお話をいただきましたが、お聞きしたい点は、第一は、ことしの六月に国連軍縮総会がございます。鈴木総理大臣も軍縮総会へ出る、こういうふうに言明しておられますから、出られるというふうに思います。鈴木さん、予算委員会でもときどき非常にいいことを言われまして、たとえば核は絶対悪である、こういうふうに言い切られたことがあります。核は絶対悪。しかし、その後の各論になりますと、これはまた全く支離滅裂の議論でございます。 それで、今度の国連軍縮総会は、日本にとりましても世界にとりましても、私は非常に重要な総会であるというふうに思いますが、そのときに当たりまして、日本は、アメリカに対しましてもソビエトに対しましてもちゃんと主体性のある安全保障や軍縮の政策を出す必要があるだろう。これは金森先生の分野ですが、経済的な背景のあることが必要ではないかと思うのです。たとえばレーガン大統領にいたしましても、二千億ドルも、それを超えて軍事予算を使いますと、そうするとインフレ、高金利というふうなものはやまらないのではないか。そういう点はやはり明確に言うような総理大臣が欲しいと私は思いますが、なかなかそういうことは国会でも議論になっておらないのであります。国際的にも南北問題があるし、国内にも、いまお話しのように日本にはたくさんの課題があるわけです。ですから日本の総理大臣として、はっきりした方針で、しかも科学性のある、総合性のある主張をいたしまして、そのことを明らかにすることによって貿易摩擦の問題やいろいろな問題について正しい国際世論をやるべきではないか。安倍通産大臣にいたしましても各大臣にいたしましても、相互主義はいけない、こういうことを言っております。日本とアメリカだけの関係で赤字、黒字を言うことはいけないということを最近言い出したわけで、これはいい傾向であるというふうに思いますが、それらを考えてみましてもそうですが、日本の軍縮に対する基本方針をやはり明確にすべきであるという点から考えて、先生といたしましては、日本の総理大臣やあるいは日本の政治がどのような方向に向かって努力をすべきであるかという点について、重点的にひとつお話をいただきたいというふうに思います。
○今堀公述人 国連総会が非常に重要な意味を持つということは、ただいま大原先生のおっしゃったことに私も全面的に同意でございます。これは新聞の伝えるところで、どこまで事実か知りませんけれども、鈴木総理大臣は世界に軍縮を訴えてくるというふうに言っておられるようでございますけれども、単純にそういうふうな形でお話しになった場合、外国は必ず日本は自分は軍事費を突出させながら軍事費を減らせと言うのか、そんな矛盾した話はどこにあるかということで反発を食らうことは明瞭でございまして、いまのお話のとおり、きわめて具体的な軍縮に関する方針というものを出さない以上は、鈴木さんは国連総会に行かれても、決して日本の名誉にならないというふうに私は思うわけでございます。 それで、まず軍縮そのものについて申しますと、具体的な軍縮案というのは、いろいろ実はいままで出ているわけでございますが、その一番基本的な考え方が間違っているというのが、先ほど申したいわゆる核をだんだんと制限していこうという発想でございます。これでは、いつまでやってもどうにもならないわけでございますので、核を廃絶する、これはたとえば十年後で結構でございます、十年後に核をなくなしていくためには、こういうふうな軍縮案ができるじゃないかという具体的な案を、ひとつ国内の専門家の力をおかりしまして、これはたくさんすぐれた案がございます、それをおかりして、そして核廃絶の具体案をお出しいただくということでなければならない。それであれば、鈴木総理大臣も非核三原則を言っておられるわけでございますからして、それならば決して御主張と矛盾するということにはならないというふうに考えるわけでございます。 さらに、それにどうしても附帯的に考えなければいけないのは非核地帯の設定という問題でございまして、非核地帯の設定ということが、中南米がああいったような状態で、できてきておるわけでございますけれども、東アジアの非核地帯をつくろうじゃないか。その中身は日本が中心になってひとつつくろうじゃないかということで、日本もその中に入った形で東アジアの非核地帯の設定というふうなことの具体案をお出しいただく。これは中南米の条約などもあるわけでございまして、そういう形で出すことはきわめて具体的に可能であろうかと私は思うわけでございます。 そういうふうなことも含めまして、先ほどの国際的な関係における日本の位置という問題について、ごく簡単に申させていただきたいと思うわけでございます。 いまから十年余り前でございますけれども、佐藤総理大臣の時代に、きょうの金森公述人などと御一緒に国際問題懇談会というのをやったことがございますが、そのときに実は日中の国交回復ということを非常に強く私たちが主張したわけでございます。このねらいは、もちろんソ連に対する牽制、それからもう一つは、アメリカと日本の関係のいわゆる占領時代からの脱却、総理大臣がいつも総理大臣になられるとアメリカのワシントンへ出かけていかれて御指導いただくというふうな、いわば参観交代的な日本の政治を打破するということが一番大きなねらいであったわけでございまして、事実、この日中の国交回復以来、日本の国際的地位が飛躍的に上がったということは、各国首脳がこの東京にたくさん訪れておられるということによっても明らかでございます。 その一番大きな意味は、いわゆる発展途上国のリーダーとしての日本の地位というものに対して、先進国が敬意を払わざるを得ない状況をつくるということ、そこに一番大きなねらいがあったわけでございまして、そのためには日中がけんかしておったのでは話になりませんので、仲よくしていただくということが一番大きなねらいで、そしてこういう形で日本とアメリカとの対等な関係というものがかなり改善されたということは言えるわけでございますけれども、現在でも、たとえば防衛費の問題にいたしましても、これは日本の内部的な問題もあるかもしれませんが、やはりアメリカの要請によって、こういった予算を組まざるを得ないということが現実であろうと私は思います。あるいはアメリカの貿易摩擦の問題でも、どんどん押されているというような状況でございます。 これは結局、国際社会における日本の発言力が弱いということに原因があるわけでございまして、そのためには先ほど申しました開発予算、これをぐっとふやしまして、開発において日本が貢献する。その貢献によって、いわば世界の新しいリーダーとしての日本というものを確立することによって、アメリカの、これはもちろんアメリカの主張も正しいことは率直に聞かなければいけませんけれども、曲がった主張というものは、つまり自己本位的な主張というものは断固はねつけるということでございます。そういうふうな体制をつくることによって、実はアメリカ自身の核政策というものの変更を迫るだけの、それだけの体制をつくっていくことが絶対に必要でございまして、いま申しました軍縮の具体策と同時に、その軍縮の具体策に対して世界の各国の支持が完全に取りつけられるような、そういうふうな予算編成ということをお願いしたいというふうに私としては思っておる次第でございます。ちょっと言葉は足りませんけれども……。
○大原(亨)委員 ありがとうございました。 それから金森先生にお願いいたします。 五・二%の成長は、民間や学者では、ほとんどできない、こういうふうに言われておりますが、それに対しまして政府は、河本経済企画庁長官は非常に微妙なところがあるんです。あの方は最近非常に微妙な発言をしておりますが、民間の成長率が出た後で政府は予算を編成した。したがって住宅その他新しい条件を加味していない、こういうことであります。そしてまた一兆円減税を、言うなれば内需拡大の突破口にするということも、否定するがごとく肯定するがごとく微妙な発言をしている。これは次の総理大臣ということもあるんだと思いますが、微妙であります。民間や専門機関は、成長率についてはほとんど修正をしておられません。見通しは現在変わっていない。政府だけが五・二%と言っておるということです。政府の五・二%の成長率についてのお話をいま聞いたわけですが、これを克服する道はある、こういうふうに言われた。結果はそうでありますが、これは全部そうなるかどうか、全然見通しがついておりません。 そこで、もう一度端的に、政府の見通しが五・二%というのは先生は高過ぎない、こういう議論でした。いつか論文を書いていらっしゃいました。しかし、これは幾つかの前提があるということですが、その前提がどうも危ないというふうに思われます。一つは行革にかかっておりますが、何兆円も浮くような行革をやる意思もなければ力もないというふうに私は思いますが、そういうことは別にいたしまして、五・二%が高過ぎるという問題について、もう一度簡単に御所見をお伺いさしていただきたいと思います。 それからもう一つ、余り議論にならないことですが、財政危機の原因についていろいろ言われるわけです。それは一つは、昭和四十七、八年ごろの田中・愛知財政——愛知大蔵大臣、亡くなられましたが、あのころトリレンマということを言ったことがあります、ドルショックのときに。これはインフレを抑える、それから福祉を切り上げて、ドルを減らすドル減らし、そういうニクソンショック、ドルショックのときに言われたトリレンマ。いまは新しいトリレンマでありますが、その昭和四十七、八年ごろのそういう財政金融政策というものが私は非常に大きな禍根を残しておるのじゃないかということを思うのです。あなたもそういうように思っていると思いますけれども、そのことと比較をいたしまして、財政危機を克服をしながら成長を遂げていく道について、簡単に御所見をお伺いさしていただきたいと思います。
○金森公述人 まず五・二%の成長でありますけれども、これは政府の住宅対策が出まして、民間の見通しは政府の住宅対策というのを大体織り込んでおりませんので少し低くなり過ぎたという点は事実であります。しかしそのほかに、五・二%達成するためには私は一兆円の減税、それから公共投資の繰り上げ執行というようなことが起きないとむずかしいのではないかというように考えます。そうしたことが行われませんと、私は、現在の経済成長は四%程度になるのではないかと考えております。 それから財政危機の原因でありますけれども、いまの赤字が非常に大きくなったという点につきまして、第一次石油危機以前に急激に社会保障をふやした。それから当時はやや経済過熱ぎみであるにかかわらず公共投資を拡大し過ぎた。減税も行ったということが一因になっていることは事実であるというように思います。 しかし、財政の赤字が悪いかどうかということは、私の考えでは財政だけを見ていたのでは妥当でないわけでありまして、やはり国全体が供給超過になっているか、あるいは国民の家計部門に貯蓄超過があるかどうかという、全体で見なければならないというのが私の考えであります。これはケインズ経済学の基本的な考えであります。 したがって、現在は財政は赤字でありますけれども、国全体といたしましては、国際収支が黒字になっているように貯蓄が超過であるわけですね。それから個人部門では、先ほどからいろいろ申されましたようにかなり大きな貯蓄がある。個人部門ではかなり貯蓄が超過をしているわけであります。ですから、その貯蓄の超過部分を財政が借りている、国債を発行しまして財政が借りているという面は、財政だけ見ますと赤字のようでありますけれども、国全体から見ればある程度妥当なことではないかと私は思うわけです。したがって、余り硬直的に、とにかく財政が赤字であるから困るということでなしに、経済全体の、景気の状況等に応じまして、なだらかに国債を減額していくということが望ましいのではないか一私はこういうように考えるわけです。
○大原(亨)委員 時間は残っておりますが譲ります。 終わります。
○越智(通)委員長代理 次に、竹本孫一君。
○竹本委員 公述人の皆さん、本日、大変御苦労さまでございます。時間の制約がありますので、私は、金森公述人を中心に二、三お伺いをしてみたいと思っております。 金森さんの積極的な経済論には、私は非常に共感を覚えているわけでございます。きょう、いろいろと先ほどのお話も承っておりまして、大変わが意を得たりという感じが多いのでございますが、お話のメモをとりましたので、その順に再確認をしていきたいと思います。 その前に私は、金森さんがスウィージー博士と議論をされたのを読んだことがありますが、きょうお述べになりました日本経済の貯蓄率、生産性あるいは労使関係、そういうような日本経済の強みというものも、その際十分に御指摘になっております。そうした中でスウィージーさんの方は、いささか自分の公式論と申しますか、マルクス・レーニン主義的な考え方でいろいろ述べておられて、しかも自分の描く社会像は資本主義か社会主義か第三の道かという質問に対しては余りはっきり述べられないで、いかなるシステムにも自分は不満を抱いていくであろう、またそうした批判的な要素が必要なんだというようなことを言って逃げておられた。 特に印象的であったのは、金森さんのいろいろ言われているところについて、彼は、それは日本の経済の発展の段階がマチュアー、成熟度が十分でないのだ、そのうちだんだん自分が指摘したような公式論のような姿になるであろう、こういうことを言っておったと思うのですが、金森さんに伺いたいことは、それは成熟度の問題と理解すべきであるか、あるいは日本の国民性といったような問題として、より本質的に考えるべきであるか、その点についてはどういうお考えか、伺ってみたい。
○金森公述人 大変むずかしい御質問でありまして、私もよくわかりませんが、日本の高度成長がある所得水準に達しますと、われわれが非常に貧乏だったときのような高さを持続をしないということは言えると私は思うわけです。昭和三十年代のように、とにかくたくさんの所得を得たい、こういう気持ちと比べてみますと、現在は、若い人はもう少しレジャーが欲しいというように変わっております。したがって、過去には一〇%成長でありましたけれども、これが今後も続くということは私はないだろうと思います。 しかし、その反面、日本の独特な性格ということも無視できないわけでありまして、たとえば労使関係が非常に良好である。現場の人も一生懸命生産性の向上のために励む。こういうようなことは、ほかの先進国に全然見られないことでありまして、これは単に成熟の度合いというよりも、やはり日本の社会に奥深く根差した面がかなりあると思うわけですね。 そして、では西欧の経済成長率というのはどれぐらいであったかと申しますと、石油危機以前、一九六〇年代は、西欧でも大体平均年五%の成長をしていたわけであります。したがいまして、今後の日本の経済の成長は、過去の一〇%成長というよりは落ちますけれども、しかし、そう早く五%を割り込むような低成長になるということは、日本の経済の特質からいってないのではないだろうか、私はこういうふうに考えておるわけです。
○竹本委員 次にお伺いをいたしたい点は、日本の経済財政政策の選択の幅というものが非常に狭められておる。そうした中で五・二%あるいは五・三%といったような成長というものは非常にむずかしくはないかということを私も心配をしているわけですが、その制約の条件の第一は油の問題である。後遺症の問題については、先ほど御説明がありましたとおりであると私も思っております。しかし、過去の後遺症の問題は一応別にしまして、これからもまた石油の値段がいつどうなるかという非常に不安定な要素がございます。 私はよく言うんでございますが、何しろ昭和四十五年に日本の石油は、輸入したものは大体三十億ドルにちょっと足らないぐらいですね、二十九億五千万ドル。そのときの鉄鋼の輸出はそれより五百万ドル多いのです。やはり約二十九億ドル。ところが、去年あたりまでの間に石油は、量は少し変わりましたけれどもおおむね変わらないのに、値段は六百億ドルで約二十倍というか、ふえた。その間に自動車と鉄鋼を考えてみますと、鉄鋼が輸出額が五倍になり、自動車は十五倍になりましたが、前には鉄鋼だけで五百万ドル多かったのに、いま二つ合わせて必要な石油代金の七割しかない。こういうことでございますから、後遺症は三年目で余りないと思いますけれども、大きな重圧がかかっておることは間違いないし、さらに、今後またOPECの出方次第では日本の経済に大きな圧力が加わってくる。これが一つ。 それからもう一つは、後でまたお伺いしたいと思うのですけれども、米国の高金利というものが日本の経済政策の自由というか、選択の幅を著しく制限しておる。 この二つの制約条件の中で、なお五・二%なりの成長あるいは金森先生は五・三ですか、とにかくそういうような成長をやり遂げるということは非常にむずかしいんだというふうに私は思いますが、どうでしょうかという点と、ついでに時間がありませんから、あわせて、その五・二なり五・三%の成長をやるという条件を考えました場合に、基本的な強みは、先ほど六項目指摘されまして私もそのとおりだと思いますが、いま現実の経済問題として楽観的に希望がつなげるのは、在庫調整が一通り済んだということが一番中心だと思うのですね。そのほかに、金森先生としては何に期待をしておられるかを伺いたい。
○金森公述人 第一点の油の問題でありますけれども、確かに油の価格が非常に高くなりました。したがって、これは経済学の言葉では交易条件が前に比べますと悪化をしている。同じ量の輸出をいたしましても、価格の上昇の結果わずかの輸入しかできない。それだけ日本の富は石油産出国に取られているわけですね。 しかし、交易条件の低下というものは、どんどん落ちるというときには日本の経済に対しまして非常に大きな重圧になりますけれども、これは一応安定をいたしますと、それほど大きな圧力にならないわけであります。現在、幸いなことに昨年の六月ごろまでに、第二次石油危機の間に交易条件が六〇%、約六割に落ちてしまったわけでありますけれども、昨年の後半からその石油の価格がストップいたしましたために、最近では多少プラスになっておる。ですから、この油の問題、価格の問題ということにつきましては、幸いにして現在かなり好転をしているというように思います。 ただ石油は、いつまた中東で戦争、動乱があって価格が上がらないという保証はありませんので、やはりエネルギー政策につきましては、もっと自給率を向上した安定的なエネルギーの供給基盤をつくるということが私は大変重要なことではないかというように考えております。 それから、第二のアメリカの金融の問題でありますけれども、アメリカの金利が異常に高い。いま一五・七五%という大変高いプライムレートが出ておりました。そのために、本来もっと低くてしかるべき日本の金利の引き下げというものができない、こういうような状況になっていることは事実であります。したがって、やはりアメリカの金利に対しましては日本のみならずヨーロッパ等でも大変不満が出ておりますので、この両方が一致をいたしまして、もう少しアメリカの金融政策が世界全体のことを考えて運営をしてもらうように要求するということが、非常に私は必要なことであると思います。 しかし、それと同時に金融政策が使えない場合に、私は財政政策をもう少し使ってよろしいのではないかというように思うわけでありまして、たとえばいまの減税一兆円、公共投資の拡大一兆円等が行われれば、それだけ有効需要がふえますから、私は政府の見通し程度は十分に達成をできるのではないか、こういうように考えるわけです。 それから現在、何に需要が期待できるかということでありますけれども、在庫調整以外には、住宅は政府の施策もございますし、五十五年、五十六年と二年間投資を見送っておりましたから、これが拡大をするという期待はできるのではないかと思います。 〔越智(通)委員長代理退席、委員長着席〕 それから、民間の設備投資でありますけれども、これも現在技術革新が非常に強いわけでありまして、特に電気機械、鉄鋼等は大幅な設備投資計画を持っております。問題は、中小企業の設備投資が低いということでありますので、これがやはり金利が下がるということによりまして、中小企業の設備投資が出てくるという可能性があるかと思います。 それから消費でありますけれども、消費が異常に低かったわけでありまして、昭和五十五年度は前年比わずか〇・三%の増加、五十六年度はわれわれの感じではわずか一・三%の増加ということでありました。これは当然日本であれば、実質三、四%ふえてしかるべきものでありますけれども、これも減税がなくても石油の価格が安定をいたしましたから、ことしは三%程度の増加というのは可能ではないだろうかというように私は思うわけであります。 ことしの春闘の賃上げ率、私は一応六・五%と想定をしております。したがって、仮に物価上昇率が三%にとどまるならば、実質所得が三%半ぐらいふえるわけでありますから、私は、ことしは所得の増加、個人消費の増加をする年になると思います。ただ、それでは政府が考えておりましたような水準に達しないわけですね。そのためには、やはり減税によりまして目減り分、実質増税による目減り分を調整してやることが必要ではないかということを申し上げたわけです。
○竹本委員 時間がありませんので、あと三つ、四つ、ポイントだけ申し上げますから、先生から結論だけ聞かしていただきたいと思います。 第一は、いまの一兆円減税の問題でございますが、私は、一兆円減税というものの景気浮揚の効果がどれだけあるか、確かに一つの問題点があると思いますけれども、それにもかかわらず一兆円減税というものがなければ五・二%なり三%の成長はできないということが一つ。さらに私は、これをやらなければ春闘に直接響いてくる。そして減税がなかったものを春闘で埋め合わせるということになれば、日本の経済の将来にとってはむしろマイナスが大きいというふうに考えるがどうでしょうかということが一つであります。 それから第二番目は、先ほどもお話がございましたが、公共投資をふやしていくということになれば、四条公債というものの発行は、九十三兆円云々という問題を一応離れて、私は、四条公債については、この段階になれば別途の配慮、考慮をすべきではないかと思いますが、いかがでございましょう。四条公債を出してでも積極的な公共投資を進めなければ成長がうまくいかないのではないかということであります。 その次は、行革についてはやはり思い切って、少し細かい議論はやめて、ちょうど先ほどのお話もありましたが、一番むずかしい核兵器についてもゼロオプションがあり、あるいはブレジネフは三分の一縮減を言っておるような世の中ですから、思い切って行革についても、補助金なら補助金を一割減らせというような大きな網を打たなければ行革は成功しないと思いますが、どうでしょうか。 それから最後に、これは私の考え方ですけれども、赤字国債の減額という措置は、これはやはり財政再建の一つのかなめですから絶対に守っていきたいと思いますが、いかがでしょう。 以上、時間がありませんので、簡単に結論だけ伺えば結構でございます。
○金森公述人 一兆円減税をやらないと、消費需要が不足をいたしまして五・二%の成長はなかなか困難ではないかと思います。 それから、減税のかわりに春闘の賃上げ率を高めるということは、物価を引き上げるという結果をもたらしまして非常にマイナスが大きい。やはり賃上げは生産性に見合ったものにして、そのかわり減税でやるということが私は望ましいのではないかと思います。 それから、公共投資を拡大するために建設国債を出すということは、私は、日本におきましては少しも差し支えないことではないかと思います。日本は非常に貯蓄率が高いわけでありますから、この貯蓄率を建設のために国債を出して吸い上げるということは、経済全体から見まして問題はないように思うわけです。それから、このような財源を生み出すために、行革はぜひ思い切って重点的にやっていただきたいというように考えております。 それから赤字国債につきましては、やはりこれをできるだけ早い機会になくしていくように努力をするということが望ましいと考えております。
○竹本委員 ありがとうございました。
○栗原委員長 次に、草川昭三君。
○草川委員 草川でございます。三人の先生方に大変貴重な御意見を賜りまして、厚くお礼を申し上げます。 まず最初に、私は村上先生に厚生年金のことについてお伺いをしたいと思うわけでございますけれども、先生の方も、この厚生年金の原資というものが財投、資金運用部の方に回っておるということを御指摘なすっておられるわけでございますが、これも五十七年度にはたしか四兆三千億円ぐらいの金額になりまして、国の運営にとっては無視できない非常に大きな原資になっておるわけであります。 私は、かねがねこの財投運営については非常に強い批判を持っておる立場からの質問になりますが、思い切って厚生年金は自主運営を堂々と早期に要求すべきではないだろうか。その方が私は、厚生年金の運営についても、それなりの給付改善なりあるいは将来の安定のためによくなるのではないだろうか、こういう意見を持っておるわけであります。そしてまた、各種の審議会等でも若干そのような御意見があるようにお伺いをするわけでございます。大蔵の方の壁も非常に厚いわけでございますが、先生の御見解をまず賜りたい、こう思います。
○村上公述人 ただいまの厚生年金の積立金の財投の問題でございます。この問題は従来からもしばしば指摘されておりますし、財投の場合ですと一定の利回りになりますから、これを別の、民間でもっと高い運用をしたらどうかという御意見であると解釈いたします。 厚生年金の積立金を財投に回すのが妥当かどうかということは、国全体の財政の問題でございますので、私十分なお答えはできませんけれども、年金制度の側から若干申し上げてみたいのです。 年金制度の財政方式は、厚生年金も国民年金も世間では修正積立方式と言われております。当初は積立方式という考え方であったけれども、だんだん崩れてきたという考え方であります。ただ、私が見ますと、もうほとんど賦課方式に近くなっているという感じがするわけなんです。 大ざっぱな計算ですけれども、いまの年金制度は、厚生年金の場合三百兆円ぐらい積立金があったら積立方式と言えるかと思います。そして、この場合ですと利息の高い低いは非常に効果があります。ところが、現在二十七兆円ぐらいですから、本来十分に持っていたい金の一割程度でございます。そうしますと、この利息が高い低いということはそれほど大きな影響はないのではないか。先の方を推計してみますと、収支が合わなくなる時期が一年か二年ずれる程度でございます。私、思いますのは、やはり年金の一番の宝というのは、積立金ではなくて、後の世代がいて、その世代がお金を払ってくれるということが一番の財産であろうかと思いますので、むしろその点をいつも考えているわけでございます。 十分なお答えになりませんけれども御容赦いただきたいと思います。
○草川委員 続きまして、今堀先生にお伺いをいたします。 先生は、歴史学の中から、核戦争をいかになくするか、非常に高邁な理念のお話を受けまして、私どもも感銘したわけでございますけれども、残念ながら、この核の問題につきましては、たとえば、先生触れられなかったのでございますが、発展途上国の中には核の保有化傾向を競い合うというような動きもあるわけでございますし、また別の立場ではございますけれども、高濃縮ウランを燃料とするところの原子炉の建設等を、あえて先進国がいろいろな配慮から認めるというような問題もあるわけでございます。これが一つ中東紛争に、中近東と言ってもよろしゅうございますけれども、非常に影響を及ぼすような場面もあるわけでございますが、先生の御見解を賜りたいと思います。
○今堀公述人 ただいまのお話のとおりでございまして、核拡散という問題がやはり非常に大きな戦後の課題でございまして、これをどうしてもとめなければならない。ただいまのお話のように、実は、現在のいわゆる発展途上国という国々の中には、ソ連あるいはアメリカのいわば第五列的な動きをしている国がずいぶんあるわけでございまして、そういう国々に対するえさとして、いまの核の問題もまた大きな誘い水になっているということは御指摘のとおりでございます。 それで、もともと核の不拡散条約そのものに、あるいは無理があるわけでございまして、日本もずいぶん長く署名をためらったわけでございますけれども、自分たち、つまり核先進国は、自分たちはどんどん核は広げるよ、おまえたちは持つなというふうな形では、実は発展途上国のそういうふうな欲求というものは抑え切れない。たとえば、いま一番大きな問題になりかけておりますのがインドとパキスタンでございますけれども、インドが持っておってパキスタンが持たないということはあり得ないわけでございますので、どうしてもこれはそういった方向にならざるを得ない。むしろ逆に、ここでインドまたはパキスタンが核を持てば、インド経済またはパキスタン経済が崩壊いたしますよ、それよりは日本としては、こういった形でインド経済、パキスタン経済の発展に対して全世界の力をかりて拡充しようじゃありませんか、そのためにはあなた方の核も抑制すべきだし、同時に、いわゆる先進国の、核保有国の核による専制体制とでも申しますか、米ソを柱にするところの核を持っている国がいわゆる一等国であって、ほかの国はそれに及ばない国であるというふうな、そういう体制をなくなさない以上は、やはり私は発展途上国のそういうふうな気持ちというものは避けられない。 実は、中国が核実験をしたときに、ちょうど私、香港におったのでございます。香港の実業家、これは実業家でございますからもちろん反共でございます。その実業家は一斉に拍手したわけです、中国の核実験に対しては。これは長く植民地にされた中国としては、その限りにおいてはやむを得ない気持ちでございます。しかし、そういう気持ちになること自身が間違いではないかということで、中国にも私は厳しく批判を続けているわけでございますけれども、そういった気持ちはやはりこの発展途上国すべてが大なり小なり持っているわけでございますので、世界全体の核をなくなすための計画というものを日本が大胆に出しまして、そうして、それに対するアメリカ、ソ連の合意を取りつけるためにはあなた方が協力しなければ結局だめなんだ、あなた方が協力すれば、あなた方に対する経済的なあるいは技術的なあるいは教育的な援助も幾らでもできるのだという形で、この国々をひとつ大きく発展させてあげる。そのためのてことして、核を持つか持たないかが分かれ目ですよということを十分説得するだけの可能性は、私は数字的にも十分挙げられるというふうに確信をいたしておるわけでございます。
○草川委員 それからもう一点、先生にお伺いをしたいわけでございます。 経済協力について先生御指摘になられまして、私も発展途上国への協力が少ないという点では同感であるわけでございます。 五十七年度のODAの予算の中でも二国間の贈与あるいは海外経済協力基金、こちらの方は五千億とか四千七百億という予算がついておるわけでございます。問題は、先生も多少御指摘になりましたが、国際協力事業団の方の予算の中身をずっと見てまいりますと、私どもも、諸外国に行きますと大きな病院をつくるよりも、実は診療所だとか保健所のようなものをたくさんつくることの方が生きたお金になるのではないか、現地で喜ばれるのではないか、こんなことを主張しておるわけでございますが、保健・医療協力事業費というものはわずか三十六億程度でございまして、そういう意味では一番大切なところに少なくて、いわゆるプラントなんかが多いわけでございまして、IJPCの問題なんというのは実に高度成長のおごり高ぶった、あるいは相手国もシャーのような王様時代の遺物だと思うわけでございますが、その点について、もし先生が具体的に何か、しかじかかくかくというようなお気づきの点がございましたら、お伺いしたいと思います。
○今堀公述人 御指摘のとおり、従来日本からいわゆる発展途上国へ出した援助なるものが、極端に言いますと、どぶに捨てたような形で浪費されているという事実もたくさんございまして、そのことが日本のためにも、またそういうふうな国々に、極端に言いますとこじき根性を起こさせるということですけれども、そういうふうなことになって非常に不幸な結果を招いているということも御指摘のとおりでございます。 それで私としましては、発展途上国への援助というものは、やはり総合的、全体的なものでございまして、たとえば農業をふやすために灌漑をつければいいというふうなことが、実はそうはいかないわけでございまして、これはいままで、中国に例をとりますと、中国の農地の中でかつて豊かな農地であったところが、六割以上、そういった自然条件によって荒廃に帰するわけでございます。そういうのはどこから来るかといいますと、ただ灌漑さえすればいいというふうな考え方でございますと、塩がわいてきましてだめになる、たとえばそういうことでございます。あるいはアルカリがわいてきてだめになるということでございまして、そういうふうな形で部分的に即効的なものを考えるということが根本的な間違いであると言わなければならないと私は考えるわけでございます。 ただいまの病院、診療所の問題もそうでございますし、それから大学と小学校の関係もそうでございますけれども、そういった点で相対的に、やはり先ほどちょっと御紹介いたしました国連によるところの十カ年計画、これはかなりよくできているというふうに私は思うわけでございまして、それで日本一国でやりますと、いわゆる日本の野心というようなものを疑う国もあります。先般も、東南アジアの国々が、日本の軍事費があれだけふえるのならば、なぜそれをわれわれの方の援助に回さないかということで、非常に厳しく批判をいたしておりましたけれども、しかし、その実は、東南アジアの国々の経済計画そのものがかなりずさんであるということもまた事実でございまして、これはやはり両方協力しながらやっていくというふうな形にしないと、向こうさんのおっしゃるところに——内政不干渉というのかもしれませんが、向こうさんのおっしゃるところへただ無条件にやっていくというのではなくて、国際的な協力のもとに、真に効果のある十年計画あるいは二十年計画を立てた、そういうところに十分な資金を注いでいただきたい。 基本的に申しますと、もしも軍事費がGNP一%であれば、発展途上国への援助が現在のように〇・三二%であるというのは、明らかにこれは均衡を失しているわけでございますけれども、その均衡を失している一つの原因は、やはり発展途上国への援助のやり方に問題がある。これについて、ひとつ皆で力を出し合い、知恵を出し合い、そして世界が協力して、こういう国々を幸せにするようなそういう具体的なプランを国連を中心にして、各国それぞれ分担しましてやったらどうだというふうに私は考えておる次第でございます。
○草川委員 以上で終わります。どうもありがとうございました。
○栗原委員長 次に、金子満広君。
○金子(満)委員 今堀先生にお伺いしたいと思います。 先ほど、核兵器と核戦争の問題、それからアジアの限定核戦争の問題、そして核兵器については制限でなくて廃絶でなければだめだと言われました。私も全く賛成であり、非常に注目して聞いておりましたが、そういう中で、現実の政治、そしてまた予算委員会でいろいろ議論されている事柄、こういうものの中から若干、先生の御意見を伺いたいと思うのです。 おっしゃられるように、確かに、この予算の政府側の説明のときには、防衛費については質の高い防衛力というのが言われました。その質の高いという質は、つまり核抜きでなくて核と結びついたところに質の高さが求められている、これは当然そういうことだと私も思うわけです。しかも、アメリカの核の傘ということ、それが言われるわけですから、アメリカの核戦略の中に組み込まれた日本のいわば防衛力、軍事力、これをどうつくり上げるか、発展させるかということになると思うのですね。 ことしはそういう意味で特に軍事費が異常に突出したと言われる中に、来年はこの突出がさらに大きくなるだろう、再来年はもっと大きくなるだろう。そういう意味で言えば、私はこの国会でも軍拡元年の予算だということを申し上げましたが、そういうような性質を持っている。そこで鈴木総理は、核問題については力の均衡が平和と安定を支えているんだという、これが現実だ。私は、均衡というのはあり得ない。つまり均衡とは競争である。そして常に自己を相手の上に置こう、第一人者たれ、われは。この競争の原理だと思うのですね。それが、今堀先生おっしゃるよううに十万が百万になる、さらに加速度的にこれは大きくなるという、こういう点だと思うのです。 そこで、軍縮という問題になるわけですけれども、先般つまり昨年の暮れの国連総会の問題、しばしば私も言及するのですけれども、核兵器の不使用、それから核戦争の防止の決議、その他幾つか関連の決議案があるのですが、これに日本政府が反対をしたという問題ですね。これは国際的に非常に大きな、悪い意味での影響力を広げていると私は思うのですね。広島、長崎を持っている日本の国の政府がなぜこれに反対するのか。本来ならば、人が何と言おうとみずからこれを提案すべき側ではないか。正常に物を考えれば、そういう意見が国際的に出てくるのは私は当然だと思うのですね。 この決議はたしか百二十一対十九であったと思いますけれども、その十九の中に日本があるだけでなくて、一つの変化が起こった。それはNATOの中に入っているギリシャでありますけれども、NATOからの脱退ということを主張して、あそこは新しい政権が生まれて、いままでアメリカと一緒になってこの種の決議に反対していたのが、今度棄権に回りました。そのかわりスペインが、NATOに加盟決定したために、いままでと態度を変えて、この決議に反対に回る。やはり軍事同盟というものの拘束力といいますか、しかも大国における拘束力というものが作用している。私は、六月の国連総会には、日本は本当に広島、長崎の声を正確に伝える、つまり、核兵器の使用は禁止する、そして核兵器は、先ほど先生がおっしゃったとおり、制限ではなくて廃絶をするという提案をみずから行うべきだ。それから同時に、これは予算は一銭もかからないのですから、日本の政府として、アメリカの日本にある核基地や核部隊の撤去を求めると同時に、極東に配備されているソ連のSS20も撤去を求める、こういうのをやるべきだと私は考えるのですが、その点、先生の御意見を承りたいと思うのです。
○今堀公述人 私は、実は国際関係ということを考えた場合に、日米の協力ということはやはり非常に大切なことであって、日米が本当にかたき同士になるというような形が太平洋戦争でございますから、そういうことは二度とあってはならないし、また核廃絶ということをやっていくためにも、率直にアメリカに対して物を言う必要があるというふうに私は考えております。これは、かつてベトナム戦争の当時に、私、実は国務省で話をしたことがあるのですけれども、即時に撤退することがアメリカの名誉になるし、また、そうなればアメリカの国際的な条件もうんとよくなるという話もしたわけでございますけれども、そのことは、そのときにはもちろん受け入れられなかったのでございますけれども、やはりその意見は私は正しかったと思っております。 それでアメリカに対して、いかにして核廃絶を了承してもらうかということが日本外交のやるべき事柄であって、そのためには当然ソ連の態度というものが問題になるわけでございます。また同時に、今度は逆に申しますと、ソ連にいかにして核廃絶を納得させるかということを考えませんと、たとえば北方領土問題などにいたしましても、いまのように核保有国がまかり通る状況では、絶対に北方領土問題なんかも解決できません。 そういう意味におきまして、それならば、どうしたならばアメリカ及びソ連に核を捨てさせるかということの具体的な方法ということが実は必要になってまいりまして、そのための具体案というもの、もちろん、いま金子委員がおっしゃいましたように、日本といたしましては今度どうしても——国連総会でも実は先ほどの核不使用条約に賛成したこともあるんですね。たった一回ですけれども賛成したということもあるのでございます。それで、そういうふうなことも含めまして、やはりこれは核廃絶の方向にぜひ鈴木総理大臣としては行っていただきたい。同時に、行っただけではこれは何にもならないのでございまして、そのための具体的な提案を出していただきたい。これはやはり自民党の方々、それから国会全体の御協力をひとついただきまして、国民的な世論としてやっていただくというようなことが必要ではないだろうか。あの総会に代表団にくっついて各党派から、あるいは各団体からたくさんいらっしゃいますけれども、ああいうばらばらな意見では、これはどうにもならないわけでございますので、NGOなどに出かける方も全部一致して、鈴木さんも全部一致して、核廃絶ということでの国民運動を起こす。その国民運動を背景にして、アメリカ、ソ連に対しても、そういう国々が十分納得できるような具体的な軍縮条約というものを、核廃絶を前提にした軍縮条約というものをいまから用意すべきである。それだけの用意は、たとえば日本の知恵を集めれば必ずできることを私、保証していいと思います。 そういうふうなことでやっていくべきものであって、やはりこの問題は、反米的でも反ソ的でも決してやってはならない。核廃絶ということについて国民全体が合意するような大きな運動になり、それを受けて鈴木さんが、それを受けるといいますか、それを代表して鈴木総理大臣が、ひとつぜひ核のない世界をつくる具体的な提案を今度の総会でやっていただきたい。 もちろん、国連総会というものは条約的な効果を持ちませんので、私は、国連総会が通ったからといって、もうそれでよかったとは毛頭思っておりません。次の打つべき手、次の打つべき手というものがやはりあるわけでございまして、十年計画ぐらいで、この核廃絶への具体案を国民の知恵をしぼってひとつ出そうじゃないか。そうでなければ、日本の独立、日本のたとえばアメリカとの関係におきましても、いまの貿易摩擦などでも押されている問題は、やはり核の傘の下に入っておるという関係でありながら、片方ではお世話になって片方ではごねるというふうにアメリカ側にとられたのでは、これはどうにもならない。あくまで、核の傘ではなくて、核のない世界をつくりまして、そして本当に日本が独立した状態、同時に、その独立した状態というのは、世界のすべての発展途上国の独立した状態、こういうものを保障する形で核のない世界をつくり、その核に使った金を全世界のおくれた国々のために有効に使う。もちろん日本国内におけるいろいろな谷間もございますから、そういうことにも有効に使わせていただくというふうな、核があるかないかという問題で判断すべき問題であって、決して反米とか反ソとかいう形で考えるべきではないというふうに私は考えておる次第でございます。
○金子(満)委員 時間がなくなりましたから、最後に一言なんですが、おっしゃるとおり、人類と核は同居できないという見地に私も立つべきだろうと思うんですね。そういう点から言えば、一番発言力を持っているのは唯一の被爆国である日本だということは当然だと思いますし、最初に先生がおっしゃられたように、猫の鈴の話ではありませんけれども、私は、団結したネズミというのは猫より強いのだという点で、もっと確信を持ってやるべきだ。国連で訴えるについても、やはりみずからなして人に言わないと、おまえのところはどんどん、どんどん軍事費を突出しておいて、それで国連へ来てきれいごとを言っているのではということになったのでは、これはおかしな話になってつじつまが合いませんので、そういう意味からも、来年度予算の中で軍事費の突出というのはやはり考えて、これは減らすべきであろう、こういう点も最後に先生に一言お言葉をいただければ、こういうことで私の質問は終わりたいと思いますが、どうですか。
○今堀公述人 ただいまのお言葉の中で、一つだけ私としては賛成でない面があるのです。 それは、鈴木総理大臣もよく言われるのですが、唯一の被爆国日本というのは、実はこれは正確ではない。どうしてかといいますと、ビキニで被爆したのは、実は日本人の第五福竜丸だけではなくて、マーシャルの方々がたくさん被爆しておられるわけです。そのマーシャルの方々が被爆しておることを忘れて、われわれだけがと、こういうふうに言うのは、やはり一つの思い上がりみたいな点がございまして、これは実験によるものではございますけれども、例のネバダの実験場におけるアメリカの兵士の被爆もございます。それから広島、長崎におきましても世界のいろいろな人人が被爆しているわけでございまして、やはり全世界がすでに被爆しているんだ。そうして、その被爆は実はそれだけにとどまらないで、地球全体を砂漠にしてしまう危険性がいま迫っているのだという形で、お互いに横につながった形で核の問題を考えていくというふうな形で、ぜひお願いしたいというふうに思う次第でございます。 そういうふうな意味におきまして、いまの軍事費の点につきましてはおっしゃるとおりでございまして、これだけの軍事費を使うのであれば、本当に日本の安全を考えるならば、これはやはり発展途上国への援助費その他にひとつ回していくということが必要ではないか。ただし、日本が適切な自衛を講ずるということには私は賛成でございます。しかしそのことは、いわゆる占領時代からずうっと続いてきた日本のいわゆる自衛体制というものに対する洗い直しというものを、もう一遍ここでやる必要がないだろうか。最初に私が、大本営が日本は核戦争をやらないのだという判断をしたというそのことをお話ししたのも、そういう気持ちがあったからでございまして、自衛隊が、いわゆる警察予備隊以来、アメリカ軍の下でその一環としてでなければ作動しないような形での軍隊形態というものに問題がある。これはやはりもう一度考え直してみまして、日本の本当の安全に役立つような、そういう通常兵器によるところの軍隊というものをもう一遍考え直してみる必要があるのではないかというふうに思っておりまして、それで現在の、ことしの軍事予算というものは、そういう点ではきわめていびつな拡大の仕方であるというふうに考えておる次第でございます。
○栗原委員長 次に、依田実君。
○依田委員 どうも皆さん方、長い間ありがとうございました。新自由クラブの依田でございます。私で最後、そしてまた、私の持ち時間は十分しかございませんので、金森先生にしぼらしていただいて、二、三お尋ねをさせていただきたい、こう思うわけであります。 まず第一に、先生の五%成長は達成できる、この理論的根拠を先ほどいろいろ伺わせていただきました。また、そのときはおっしゃらなかったのですが、先生の小冊子などを読ましていただくと、その基調に円高、これが条件に入れられておるのではないか、こう思うのであります。ところが、最近の為替レート、御承知のように非常に円安になっておるわけであります。そこで、この円安というのは一時的なものなのかどうか。アメリカの高金利はどうも続きそうな中で円安というものがいつまで続くのか。そしてまた、これが続くと五%経済成長というものにどういう影響を与えるのか。この辺をひとつお尋ねをさせていただきたいと思います。
○金森公述人 私、円はもう少し高くなるよということを一年ほど言い続けているわけですが、少しも高くならないで安くなるばかりで、私もほとほと困っておるわけであります。やはり私が予想した以上にアメリカの金利が高くなっているというのが基本的な原因だろうと思います。それからまた、そういうアメリカの金利が高くなるということで、ほかの人がドルを買うだろう、みんなお互いに人が行動をとるのを予想し合って、やや異常な円安状況が続いているのではないだろうか、私はこういうようにいま考えております。円が安いということは物価を高くする要因でありますし、それから輸入品の価格も上げるということで、やはり五%成長を達成するためにマイナスの影響を持っているのではないか、非常に困ったことだと私は思っております。 私は、予測といたしましては、いかにもいまのこの円レートというのは日本の実力に比べまして安過ぎる。日本の物価は安定しておりますから、そのうちにいま少しく妥当なレートになる、こういうふうに考えておるわけでありますけれども、なかなかこのレートは予想できませんので、アメリカの金利政策というものがもう少し妥当な線に落ちつくように、日本としてもいろいろな場所を通じて要求をしていったらいかがであろうか、こういうふうに思います。同時に、しかし円安であるから手がないよということでなしに、財政政策等日本ができる手段を通じまして、経済成長を達成するというような手段を講じていただきたいというように考えるわけです。
○依田委員 先生は、もちろん内需振興ということで幾つかの例を挙げられておるわけですが、しかし、それを完結させるためには、やはり一兆円の減税が必要だ、こういう議論でございます。われわれもその議論で国会審議に臨んでおるわけでありますが、その財源、われわれは行政機構改革をもう少し徹底的にやって財源を浮かせ、こういう議論でありますけれども、先生は、この財源をどこに求められるか。そしてまた、減税という議論の中で政府側の答弁、いまの日本の累進課税は年収約一千万円以上の人が非常に重い、こういうところを減税しなければいかぬ、こういう議論でありますけれども、そういうところの減税というものが内需に結びつくのかどうか。その辺について二つ、つまり、財源はどこか、そしてまた、いわゆる一千万円以上の人の減税を中心にやったらどうか、こういう意見についていかがでしょうか。
○金森公述人 財源といたしましては、もちろん行政改革を徹底することによりまして余裕を生み出すということが一番望ましいわけです。しかし、現実問題としてなかなかそれがいかない場合もあるかと思いますが、そのときは、私は国債減額のスピードをやはりおくらしてはどうか、こういうように考えております。必ずしも一定の目標時期までに国債を一定の率で減らさなければならないという理由は、経済学的にはないだろうと私は思うわけです。 それから減税をしましても、これが貯蓄に回って需要を拡大しないのではないかという意見もありますが、それにつきましては学者の間でもいろいろな見方がございます。しかし、現在の日本の消費性向というのは大体八〇%くらいであります。そして減税になりまして、これは所得が上がった分だよ、こっちは減税のために所得がふえた分だよというように、受け取った方で区別をするわけではございませんので、平均してみれば、私は、かなりの分がやはり消費増に向かうのではないだろうかというように考えております。ただ、一千万円以上、こういう高いところだけを集中的に減税をするということは、これはいささか妥当ではない、全体の税率のカーブをもうちょっと寝かすという形で行うべきじゃないかというように考えております。
○依田委員 時間が三分残りましたので、あと一つだけお尋ねをさせていただきます。 御承知のように、ここ数日来、アメリカにおいて、いろいろ日本の貿易に影響を与える法案が提出されてきておるわけでありまして、いわゆる日米経済摩擦、これがこれからまたいろいろ火を噴くわけでありますけれども、中に、端的に言ってやはり日本が一種目玉商品として牛肉あるいは柑橘類の自由化に踏み切ったらどうだ、こういう議論もあるわけでありますけれども、これはまた農民の方の利害が関係するといろいろ問題があるという意見もある。先生の御意見としては、この日米経済摩擦と、それに対抗する意味で、例の二つのものを象徴的に自由化する、こういう議論についてはいかがお考えでしょうか。
○金森公述人 貿易摩擦は非常に激しいわけでありますけれども、最近の重点が、日本の商品の輸出を制限するというよりも、日本に輸入の自由化を求めるという形になってまいりましたことは、私はむしろ非常に望ましいことであると思います。したがって、日本もできるだけ自由化を進める、総合的に輸入の自由化を拡大するということが必要であるというように思うわけです。 そして、いまの牛肉とオレンジというのは一つの象徴的な商品でありますけれども、これにつきましてやはり目立った形で自由化を進めるということは、私は非常に望ましいと思います。その場合に、たとえば牛肉につきましては、これは一時、経済学者が申しましたが、不足払い制度とか、ある程度はショックを緩和するいうような方策を同時に講じるということによりまして、これが可能になる道はあるのではないかというように私は考えております。
○依田委員 時間ですから終わります。どうも皆さんありがとうございました。
○栗原委員長 以上で各公述人に対する質疑は終了いたしました。 公述人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手) これにて公聴会は終了いたしました。 本日は、これにて散会いたします。 午後四時九分散会