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96回国会衆議院1982/07/14

法務委員会 第23号

発言数
87
登壇者
9
会派数
5
開催日
1982/07/14

会議録

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 これより会議を開きます。  裁判所の司法行政、法務行政及び検察行政に関する件、特にIBM問題について調査を進めます。  本日は、参考人として九州大学名誉教授、弁護士井上正治君及び中央大学法学部教授渥美東洋君の御両名に御出席いただいております。  両参考人には、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。両参考人には、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願いいたします。  次に、議事の順序について申し上げます。  御意見の開陳は、井上参考人、渥美参考人の順序でお一人二十分程度に取りまとめてお述べいただき、次に委員からの質疑に対しお答えいただきたいと存じます。  それでは、まず井上参考人にお願いいたします。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 それでは、しばらく意見を述べさせていただきます。  当法務委員会から送られてまいりました参考資料によりますと、すでに七月七日に、当委員会におきましてアメリカ司法制度に関します詳細な検討がなされているかに考えましたので、あるいはその中で、おとり捜査であるとか、小陪審制度であるとか、いろいろ問題は尽くされているのではないかと考えます。御質問に何ほどか研究してきました私の知見を御披露することにして、全体的に本件について私が問題として考えるところを御披露いたしまして、御参考に供させていただければ光栄と存じます。  何しろ日米間の問題は、言うまでもなくきわめて緊密な国際関係にありますので、どうしてもそれを前提にして考えることにならざるを得ません。  言うまでもありませんが、刑事裁判権あるいは刑罰権というのは国家主権の重大な発現態様でありますから、今回のように被疑者が日本にいるというような場合には、日米間の主権が著しく緊張関係を来しますゆえに、なかなか考えることもむずかしいのでありますが、そうした中においても刑法の国際化という現状があることをまず指摘しておかなくてはなりません。  後ほどの私の考えを披露する上に重要な資料となりますので引用しておきますと、一九七二年五月十五日にシュトラスブルクで締結されました刑事訴追の移管に関するヨーロッパ条約がその一例であります。この刑事訴追の移管に関するヨーロッパ条約六条には、批准してないところもありますから具体的な例にならないかもしれませんが、たとえばフランスでフランス刑法に違反した者がドイツに逃亡しましたとき、単に逃亡犯罪人として引き渡しを求めるということではなくて、それがドイツ人であれ、ドイツに対しドイツの法律で刑事訴追を求めるということがヨーロッパ条約で認められたのであります。とりわけその八条には、今回のIBM事件のように被疑者がアメリカ合衆国での公判に出頭を確保することがむずかしいという場合には、ヨーロッパ条約に準じて言うならば、日本で刑事訴追をするというふうな規定さえあるのであります。そういう解釈になるのであります。これが刑事裁判権でさえ国際化の方向にあるということを一つの問題として指摘しておきたいと思います。  言うまでもありませんが、逃亡犯罪人引渡法第二条第九号ないし日米犯罪人引渡し条約、昭和五十五年、第五条には、自国民は引き渡さないことを原則とする自国民不引き渡しの条項が掲げられております。しかし、刑事裁判権でさえ、右のヨーロッパ条約に見られますように、国際化の方向にあるということは、重要な立法、条約技術だと言わざるを得ません。  次に、どうしても指摘しておかなくてはならないことは、わが国のごとき大陸法系の裁判制度と違いまして、アメリカは陪審制度を採用していることであります。小陪審のことをいまから申し上げるわけであります。  アメリカの裁判制度に見られますもろもろの特徴は、この陪審制度をバックボーンにして成立していると言って言い過ぎではありません。直接主義の問題にしろ、あるいは当事者主義の問題にしろ、わが国のような大陸法系の裁判制度に親しんだ者には、そこに本質的に違うものがあることを認めなくてはなりません。大陸法系の裁判制度の特徴は、裁判官という専門家が証拠を分析をしつつ心証をつくっていくのでありまして、ウィグマーが言うところのチャートメソッドの絶えざる繰り返し、すなわち分析によって心証がつくられるのでありますが、陪審裁判は、陪審員という十二人の観客が静かに見守る前で展開される一場のドラマであります。  芝居はもちろんその日のうちに終わります。観客に最もよく理解させよく印象づけるために、検察官も弁護人も文字どおり舞台の主役としてみずから芝居を演じ、観客の心理を先取りしてこれを引き回し、あるいは有罪あるいは無罪に持っていくのであります。裁判官はドラマの進行をつかさどる演出家、言ってみれば黒子の域を出ないのでありまして、むやみに観客の前に出てはまいりません。  そういう歴史的背景は典型的民衆裁判に根差しておるのでありまして、だからこそわが国のように相互立証方式はとらずに、各当事者が一括立証の方法をとって、そして裁判の運命を決しようとします。そこには分析があるのではなく、直観が結論をつくるのであります。現実の日米貿易摩擦の厳しい現状の中で、十二人の陪審員は嫌というほどこの現実を教えられ、自分が見聞きしてきたことは否めない事実であります。  そこで案じますことは、日本の対応がもししくじれば、どのような好演技を弁護士が演じようが、本件の結論は目に見えているというよりも、さらに大きく輪をかけて、これから裁判を受ける在米の人たちに不利な結論をもたらすことになります。これも注意しておかなくてはならないところであります。  いま手元に送られてきました資料は、日立製作所関係の公訴事実にすぎませんが、これを見ますと、一九八〇年六月から八二年六月二十二日の間に贓物移送のコンスピラシー、共謀があったと起訴されているのであります。コンスピラシーという犯罪がどういうものであるかということは、すでに諸先生方の十分理解されておるところでありましょうが、ごく最近のアメリカの判例では、一九四六年のピンカートン事件でダグラス裁判官がつくりました法廷意見が判例として承認されております。本件について言えば、別に贓物収受、運搬の事実があっても、それとは別にコンスピラシーが成立するということを法廷意見は認めたのであります。コンスピラシーというものの本質は、合意という心理の合致にすぎませんがために、その成立の範囲はあいまいとなりまして、それゆえに、謀議の成立には明らかな行為が要るとか表現行為が要るとか言われているのであります。  この起訴状を見ますと、二年間の謀議の過程において表現行為として認められるものは、ギャレットソン及びキャラハン、あるいはその一人に対し手紙を送ったり、電話をしたり、コピーを受け取ったり、トム・吉田を通じて三万ドルの銀行小切手を渡したりしたということになっております。  そこで、ここまで読みまして疑問に思うのは、なぜ贓物収受、運搬自体がこの明白な行為として掲げられていないかということであります。贓物の収受、運搬がもしあれば、謀議をなしたすべての者は正犯、プリンシパルとして責任を問われるのですが、この点ではわが国の通謀共同正犯と異なりませんが、しかし、アメリカでは、それと同時に別に謀議罪が成立するとされるところに特色があります。もっとも、御承知のように、模範刑法典では両罪による処罰を許さないという方向にあるとされています。  このコンスピラシーの明白な行為の中に登場してくるギャレットソン、キャラハンは、現在はIBMの職員ですが、しかし、もともとはFBIの職員であったところに、この事件が捜査官のわなによったものではないかと指摘されたのであります。  最近のある新聞では、この点、わなの問題について、わが国に参りました三人の捜査官が、あれはわなではなくて、アンダーカバー・オペレーションズであると言ったと指摘されております。このアンダーカバー・オペレーションあるいはアンダーカバー・エージェントのことはブラックの法律辞典にも出てまいりますし、その他ジェームズ・ジョージの書物の中にも、アンダーカバー・エージェントとして指摘されております。ブラックの法律辞典ではどういうことを言っているかというと、証拠を収集するために警察官がその身分を明かさなくして接触をすること、こういうふうに指摘しております。ジェームズ・ジョージの一九七六年のクリミナル・プラシージャー・ソースブック・ボリューム・ナンバーワンの二百六十一ページにも、アンダーカバー・エージェントはわなとは違うと指摘しつつ、贓物罪について適用されることを具体的に掲げております。  そういうところがあるがゆえに、わなとは違うということを強く言うところであろうと推測されます。とりわけ、われわれのごとき感覚と違うのは、アメリカでは予備審問、保釈、捜査における弁護人の立ち合い権、大陪審等々のもろもろの制約のもとで強制的取り調べ権がきわめて制限されているということから、捜査技術としてどうしても認めざるを得なかった方向にあるのではないかと考えざるを得ません。  このわなの理論に関しますアメリカの判例は、古くは有名な一九三二年のソレルス事件、五八年のシャーマン事件及び七三年のラッセル事件等々に見られるのでありまして、その言わんとするところは一つであります。すでに犯意があり、わながその犯罪の実行のための機会または便宜を提供したにすぎない場合は、被告人はわなの抗弁をもって無罪を獲得することはできない。軽率な潔白者と軽率な犯罪者とは全く違う。潔白であったが軽率にひっかかったのだ、すでに犯意を持っておった者がわなにうっかりひっかかってしまった場合とは違うということであります。詳しいことはいろいろありましょうし、またわが国でも、わなに関しては相当な研究発表がなされておりまして、文献をひもとくだけでも十五ぐらいの論文が出ておりますので、もし御必要があれば御参考に供していただきたいと思うのであります。  本件の公訴事実を見てみますと、すでに早く謀議があり、その謀議が生きていることを証する段階で、謀議があってその謀議が活動しているということを明らかにする段階で、ギャレットソンやキャラハンというFBIの職員がかかわってきたことになるのでありますが、本当に謀議があったかどうかということは重要な問題になりますし、そこで考えなくてはならないのは、次の事実であります。  ある新聞が伝えるところによりますと、問題のアディロンダック・ハードウエア・デザインワークブックは、超大型最新鋭機三〇八一K型の手引書であった。もちろん複写を禁ずるとか機密のマークがついていた。しかし、公表されているものと錯誤したかどうかが重要な決め手となります。その錯誤の抗弁が成立するためには、この手引書を手に入れるためにどれほどの費用が払われたか。週刊朝日は五十万ドルと記していたようでありますが、六月二十六日の日立の記者会見では、これに六十万ドルが払われたと発表したように記憶しております。これほどの高額の費用がわずか数冊の手引書に支払われたというところが重要であります。  そこで、最後に次のことを申し添えておきます。  こういう公訴事実を見て根本的な疑問は、なぜ本件において謀議罪だけが問題になって贓物収受、運搬が掲げられていないかということであります。もしこれを逆に言えば、贓物収受、運搬が掲げられているならば、わが国の刑法第三条第十六号によりまして、日本人が外国で贓物収受等の犯罪を犯した場合には日本の裁判所で処罰することができるという原則になっておりますから、当然日本の裁判に服することになります。もし日本で裁判することになると、逃亡犯罪人引渡法二条七号あるいは日米間犯罪人引渡し条約第四条第二号により引き渡す必要がなくなります。アメリカではそういう手順をおそれてか、あえて贓物収受ないし運搬の罪を公訴事実に掲げなかったのではなかろうかと考えるのであります。現にアメリカの新聞を見ますと、この事件は経済欄で扱われておるのでありますが、できるだけ事を小さくするというところに一種の検察官の技術があったのではないかというふうに私は案じます。  そうではあれ、これは私の結論として、私見であります。本件については単なる謀議罪のほか贓物収受、運搬の実体犯が成立する疑いがないわけではありませんから、日本の司法当局はむしろこれを積極的に捜査する必要があるのではないかと思います。そして、アメリカから本件に関する捜査資料を逆に国際捜査共助のシステムによって入手することを求めて、そしてこのような国際的事件の場合は、最初のヨーロッパ条約にも触れましたように、できるだけ速やかに、一般の場合とは違って仮に捜査が十分でなくても裁判所の裁判を請求して、そして有罪は有罪、無罪は無罪と結論をなすことが、日米間の深いかかわり合いに誠意を持ってこたえることではないかと感じるのであります。  単に被疑者の引き渡しには応じられないという抵抗で、もし政府から何らかのことがあれば応じてもいいというがごとき、敷衍しておきますと、直接であれ間接であれ、自国民を保護しなければならない日本政府は、日本にいる被疑者を法律や条約にない限り引き渡すべきではないのでありまして、そうなると、ただただ解決は、日本の司法当局がむしろ誠意を持って積極的に犯罪の成否を一日も早く決めて、決着をつけることが重要であると考えるのであります。  以上が私の意見であります。(拍手)

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 ありがとうございました。  次に、渥美参考人にお願いいたします。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 渥美でございます。  今回の事件は、日米双方の手続の違いや実体法の解釈の違い等によりまして日常的に起こってくる問題ですが、両方で十分な理解がないために若干の混乱を生じているようでございます。  まず、皆さん御案内のように、わが国における国民が犯罪人としてアメリカ合衆国から引き渡しを求められる場合でありましても、両方の条約によりまして、自国民を引き渡す義務は、日本国とアメリカ合衆国との間の犯罪人引渡しに関する条約第五条に基づいてございません。ところが、もちろん両国政府の裁量によって引き渡しは可能でありますから、両国の国際関係が悪化するとか、あるいは非常に凶暴な犯罪が行われたような場合には裁量の範囲に入ってくるのだと思います。  ところで、日本国とアメリカ合衆国との間の犯罪人引渡しに関する条約によりまして、一定の付表に定められている犯罪と、それから付表に定められておりませんでも、日本国の法令及び合衆国の連邦法令によって死刑または無期もしくは長期一年を超える拘禁刑に処することとされているものについて逃亡犯罪人の引き渡しが行われることになっております。その付表の中には当然のことながら贓物罪の規定もございますし、それから経済犯則の付表46に関するものも当然入っております。  このように両国間でそれなりの周到な引き渡しに関する条約を締結したり、あるいは司法共助に関する条約を締結したり、さらに日本に捜査共助法が制定されるようになって国際的な関係をスムーズに進めるための努力がされていることは、先ほど井上参考人がおっしゃられたとおりであります。  先ほど井上参考人はストラスブールの条約をお引きになりましたが、これはヨーロッパ共同体内部における約束でありまして、御存じのように、ヨーロッパ共同体は風習、経済的な関係等々非常に密接な関連がございますので、他の世界の諸地域とは違って、相互の犯罪解明に関する協力をかなり強力に進めることができるような方向を歩んでおりますが、わが国やアメリカ合衆国のように、それぞれ違った圏内を形成するもので考え方が違ったりあるいは法制が違ったりする場合に、一体どのようにこれを処理していけばいいかについてはいろいろな問題が多く残されておりまして、今度問題になっておりますように捜査の仕方も違いますし、それから裁判の仕方も違います。証拠の採取の仕方も違いますので、したがって、ヨーロッパでとられているような一国で裁判手続が始まりますと、請求国の要請に従って被請求国が裁判を代理して最後まで進めるというようなことは、恐らく考えられないところでございます。ヨーロッパのような文化的背景や政治的背景が非常に共通しているような社会におけるのと、そうではない諸国における司法共助あるいは犯罪人引き渡しに関する問題との間には、若干の径庭がいかに国際化の時代を迎えたといっても生じてくるのだというふうに思います。  ところで、今回問題になっておりますのは、アメリカ合衆国で起訴されております事件が贓物運搬あるいは贓物故買のコンスピラシー、共謀罪であるという点でございます。わが国にはこういう犯罪類型はございません。アメリカにおいてはこういう犯罪類型がある。両国それぞれ違った内容のものだから引き渡す義務はないだろうというふうに相互主義の見地から言われるのでありますが、ただこの場合、アメリカ合衆国において連邦事件として、州際あるいは国際間の贓物の輸送あるいは故買だけが連邦犯罪になるわけですから、窃盗罪あるいは贓物の収受罪、贓物の故買罪というだけではまだ連邦犯罪になりませんので、したがって、連邦の管轄権のないものについて訴追はしないということだけになっているのかどうか、この点はよく調べてみる必要がございます。  起訴状には書かれておりませんが、カリフォルニアの中での刑法によりましてそれらの行為が処罰されていることは当然であり、その犯罪が成立した上で現在のことが問題になっているかどうかをよく検討する必要がございます。もしも贓物故買なり贓物運搬、窃盗という行為が成立している、窃盗行為がすでに成立しているということになりますと、後はわが国とほとんどその様相を変えないことになってくるからでございます。  さて、先ほど井上先生もおっしゃられましたように、コンスピラシーというのはアメリカにおける独特の犯罪類型でありまして、これは犯罪が始められたごく当初の段階におけるものであるという理解がございますから、そのために将来行われる行為が全部犯罪を成立させる要件を充足していることを認識の内容に、コンスピラシー成立の要件にしておりません。そのために、本当に贓物といいますか、物が盗まれた、盗まれたという概念は非常に広い概念ですけれども、その盗まれたことが現実になくても、盗まれただろうという、そういう認識、盗まれればそれを、物を受け取ろうという認識があって、しかもその共謀の意思の合致が、だれかそのうちの一人の人間の行為によって外にオバートされている、外に示されているという場合には、犯罪が成立するという構成の仕方になります。  その点、確かに日本との間に違いがあるわけですから、日本法では犯罪になりませんけれども、先ほど申しましたように、これが贓物収受、贓物故買あるいは窃盗、盗犯それ自体ということが問題になってくるとすれば、日本法とほとんど違わないわけですから、犯罪人引渡しに関する条約の関係を非常に厳格に解釈して、相互主義を非常に厳格に解釈したとしても、引き渡しの問題は起こってくる。ただ、日本人ですから、条約の第五条に基づいて問題が処理されるという関係になるようでございます。  さて、今回の場合に、アメリカ合衆国の連邦捜査局の係官が、いわゆる日本で言うわなをかけた捜査をやったのではないかということが当初から問題になっておりますが、アメリカ合衆国においてわなのような方法が使われるようになりました当初は、連邦犯罪を定めて、連邦の捜査機関が連邦の犯罪を捜査することを始めた郵政省、ザ・ポストオフィスに置かれたポスタルインスペクターズの活動にまでさかのぼることができまして、すでに十九世紀の七〇年代、八〇年代にこのような方法が使われた記録が残っております。  どういう場合に使われたかといいますと、これは郵便の行のうを積みました列車や駅馬車を強盗が襲って現金を強奪するという、非常に組織的でかつ計画的な犯罪を解明するために、紙幣に印をつけまして、それで逮捕するという方法をとったり、あるいは情報をアンダーカバー・エージェントが収集しまして、それに基づいておとりをかけて逮捕するというようなことに端を発しました。  アメリカ合衆国は、御存じのように十八世紀の後半に、政府の権限を非常に制限する、個人の基本権を大幅に尊重する合衆国憲法を制定いたしまして、その憲法に基づいた法運用が十分に行われるような状況はその後二、三十年ございましたけれども、それから後十九世紀に入りますと、アメリカのいろんな形での社会の発展のために非常に厄介な問題が多く起こってまいりました。特に政治家絡みの犯罪、それから組織的な犯罪、バイス、クライムがオーガナイズされてくるというようなことから、いま言ったような犯罪捜査の方法がとられるようにもなってまいりましたし、今回のような場合でも、盗んだ人間よりもそれを買う人間の大きな組織を壊滅することの必要性を彼らは非常に強く考えている、そういう伝統があるのでございます。  ところが、そのFBIの係官が、自分たちはエントラップをしていないというふうに言うのはそれなりの理由がありまして、それはもしもエントラップメントに当たれば、これらの被告人は無罪になるからであります。したがって、わなの方法をとっているわけではないのです。彼らは少なくともそう考えている。彼らはトリッキーな方法で捜査を行っている、欺罔的な方法や普通余り明確で正々堂々でない方法での捜査を行っていることを認めてはいるわけですが、しかし、それは法に許されない範囲に属するエントラップメントには当たらないというふうに考えているから、そう言っているんだと思います。  ところで、このわなに関しまして、先ほど井上先生おっしゃられましたように、三回にわたって判決があるのですが、一番最初のソレルス事件は禁酒法に関するものであります。第二番目のシャーマン事件はいわゆる麻薬に関するものでありまして、第三番目のラッセル事件はアンフェタミン、覚せい剤に関する事例であり、ともにこれは組織的な犯罪でありました。  しかも、これらの場合、先ほど井上先生おっしゃられましたように、判決の多数の考え方は、いわゆるサブジェクティブ・アプローチ、主観説という立場をとっております。しかし、シャーマン判決において四人の裁判官が補足意見をつけまして、そこではいわゆるオブジェクティブ・アプローチというものがとられたのであります。そこではむしろ捜査機関の違法な捜査活動というものに着目して、それを規律するという方向で問題を扱う道が展開されました。ラッセル事件でレェンキスト裁判官はもう一度はっきりと主観説に戻ったのですけれども、しかし、その主観説に戻る前の段階で、やはりこのような行為がアメリカ合衆国憲法第五修正の定める適正手続の要請に違反する場合は問題があるということを指摘しておりまして、必ずしも完全に主観説に戻ったとは言えないのであります。  ただ、この事件が扱われますカリフォルニアの地域とその上の第九巡回控訴裁判所におきましては、伝統的に完全な、アメリカ合衆国最高裁判所より完全なサブジェクティブ・アプローチをとっておりますけれども、しかし、多くのところではそういう立場をとりませんし、しかもいわゆるコメンテーターズと言われる物を書いている人々の圧倒的多数は客観説を支持しております。つまりこの問題を、アメリカ合衆国憲法の第五修正のデュー・プロセス・クローズか、あるいはアメリカ合衆国憲法の第四修正の捜索、押収に関する原則に照らして厳格に規律しようという方向があるわけでございます。  今回の事例がそれに当たるかどうか、主観説に当たるか、また客観説に当たるかどうかについては、これは非常に微妙な問題をはらんでいるようでございます。というのは、三つのわなについて、二つは無罪ですが、あとは有罪と下した判断は、ともに別のある行為が行われているプロバブルコーズ、相当理由が存在する事例に当たって、その行為をつかまえるために後から行われる行為にわなをかけたという事例でございます。したがって、今回の事例で、もしもそういう行為をつかまえたのではなくて、一番最初から計画的にわなにかけるという方法をとっていた場合、最初の着手をするときに、被告人が物を受け取るとか国外移送するというような、そういう行為をしていたということを示す相当な理由がなかった場合には、アメリカ合衆国最高裁判所でどのように判断されるかは予断を許すところではないのでございます。  さて、もう一つ問題がございますのは、法人処罰の問題です。しきりに問題が起こっておりますけれども、法人処罰はアメリカにおいて現在では判例上固められた確固たる原則でございまして、それは法人は擬制によってできているものであり、法人は自然人の手を通してしか行為のできないものであるから、したがって、自然人が行った行為について法人が責任を負うのは当然であるという考え方に結局帰着いたします。  もちろん、現在でもこれに対して罰金を科したりするようなことが当然企業の計算の中に入れられてくることによって、その犯罪抑止効というものがどの程度大きいかという観点からのいろいろな批判はありますけれども、アメリカ合衆国において自然人が行為を行って、それが会社が責任を負わなければならない、刑事責任についても責任を負わなければならないとするのは固まった判例であるというふうに考えていいわけでございましょう。  さらに、贓物収受に関する主観的要件ですが、日本の場合にもその点はどうなるのかよくわからないのですけれども、贓物を収受する際に贓物であることの認識が蓋然的であった場合、現実には窃取されなかった場合、この場合に贓物罪が成立するかしないかであります。アメリカにおいては、多くの裁判区においてはこの場合犯罪が成立するという考え方をとっております。これは不能犯というものについてのアメリカ独特のその地域における見解の発展と関連があるのです。  伝統的に言えば、イギリス、アメリカのコモンローによれば、法律上の不能と事実上の不能に分けまして、法律上の不能の場合には未遂犯ではなくて犯罪が成立しない。事実上の不能の場合にだけ犯罪が成立するし、未遂犯になるんだという考え方をとりますけれども、しかし、ジェローム・ホール先生が刑事法に関する一般原則という論文をお書きになりまして、その中で、これから問題になる都市化され工業化されてくる社会における組織犯罪の摘発を強調された中で、いま申し上げたような必ずしも物が盗まれたという事実は必要でなく、物が違法なセフトによって入手されたという蓋然的な認識があれば、それによって贓物故買は成立するという考え方がとられてくるようになりました。この立場は、現在アメリカの法律協会、ALIといいますアメリカン・ロー・インスティチュートのモデル・ピーナルコードでもとられている立場でございます。  ともかく今回の場合、この行為が犯罪になるか犯罪にならないか、非常に微妙な問題であると思いますし、それについては両国においてそれぞれ周到な措置がとられるべきだと思うし、日本が裁量によって自国民を渡す場合には、井上先生おっしゃられましたように、アメリカにおける犯罪が一体日本の何かのこの付表に掲げられているなりの犯罪に該当するのかどうかを十分調査をする必要が恐らくあるだろうと思います。そういう判断に基づいてから、あと引き渡しをするかどうかの折衝がなされていくのだろうと思うのでございます。  さてところで、アメリカにおきましては、公判が開始されるまでの間、いわゆる有罪答弁をするか、それからまたノウロウ・コンテンドリーという不抗争の答弁をするか、その点についての検察官との間の交渉の余地はまだ残っております。したがって、それまでの時間、余り性急に事を進めることも賢明じゃありませんで、その間、どういう解決になるかは別としまして、十分事実をわきまえながら、それぞれが証拠を十分持ち合いまして、それぞれの的確な判断によってこの問題を解決するという道を選ぶべきだろう。それによって不必要に両国の経済関係を混乱させる必要もありませんし、それからまた、不必要に犯罪にもならないようなものについて犯罪捜査に協力をするというような必要もないわけですから、今後まだ第一回公判期日が開かれるまで時間がございますので、十分それぞれの当事者なり当局が周到な準備をされ、心づもりをされることが恐らく大切なことだろうと私は思う次第でございます。  あとはまた、御質問ございましたら細かい点についてもお答えする用意をしております。(拍手)

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の意見の開陳は終わりました。     —————————————

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中川秀直君。

中川秀直自由民主党

○中川(秀)委員 大変短時間にもかかわらず、両参考人には貴重な御意見の御開陳をいただきまして、心から感謝を申し上げるところでございます。  まず、井上参考人に一つお伺いをしたいと存じますが、本委員会における参考人からの御意見を伺います目的も、私どもはやはり今回のIBMにかかわる事件の日米両国にまたがるいろんな反響、影響というものも十分考慮しつつ、だがしかし、日米間に法律その他の手続、制度が根本的に幾つか違う。またその発想も違う。その辺の一般的認識というものを深めて、行政あるいは今後のわれわれの法案審査にも生かしていきたい、こういう趣旨であるわけでありまして、ただいま井上先生のお話の中でもそのような御配慮が十分ある御意見が出たわけであります。  ただ、その中で最後の御結論にもございましたけれども、私、ちょっと頭がぼうっとしておりますから、もし間違っておりましたら御訂正もいただきたいのですが、先生の御意見の中に、日本の司法当局は今回の事件についても誠意を持って積極的に捜査すべきだ、国際的事件の場合は速やかに裁判を請求をして、有罪、無罪と結論を出すべきだ、その方がむしろ日米間のためになる、単に被疑者の引き渡しに応じられないと否定しているだけではなくて、もちろんこれは引き渡すべきではないけれども、もしこの刑事訴追の国際化というそういう方向の中でいわゆるわが国が裁判できる贓物犯とか、こういうような犯罪が立件される可能性があるならば捜査すべきではないか、こういう御意見のように伺ったのですが、その点についていま一度御確認をさせていただこうと存じます。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 ただいま先生が、私が申し上げようとしたことをまとめてお話しいただいたそのとおりのことを申し上げたつもりであります。  犯罪になるかならないかということは、わが国に資料があるわけではないでしょうから一概には言えないと思いますが、また、アメリカがすでにわが国に帰っている容疑者と言われる人たちから事情聴取をしているとも考えられないので、その点もかなりあいまいだろうと思うのですが、しかし、相当はっきり指摘してきている以上は、恐らくある程度の証拠は持っているんではないか。  いずれかの方法で解決しなければならないわけですから私が先ほど申し上げたようなことになるのですが、もちろん渥美参考人も言われたように、ヨーロッパ条約はヨーロッパ共同体に関することですが、それは刑事裁判の国際化という方向の一つの示唆であるという意味において、とりわけ日米間の緊密な関係のもとでは対応に誠意を持っていくべきではないか、解決方法としては刑法三条十六号を使ってわが国で処理するのが最も賢明な方法ではないかと私は考える次第でございます。

中川秀直自由民主党

○中川(秀)委員 引き続いて井上先生の御意見についてお尋ねをさせていただきたいと思いますが、いわゆる大陸法系裁判制度のわが国と陪審員制度を前提にした米国の裁判制度は本質的に違う。言って見れば、十二人の陪審員が目の前で行われるドラマを静かに眺めてその直観で結論が形成されるのだ、こういう話でありましたが、ちょっと気になりますのは、陪審員制における陪審員というものの選任の問題ですが、たとえば日本に偏見を有する人というのが陪審員になってきた場合は、私どもはその点を懸念するわけでありますけれども、どうやって排除したらいいのか。  まさに刑事訴追の国際化と言いますけれども、それぞれナショナリズムがあるわけであって、国際化は方向かもしれませんが、米国のような陪審員制度の場合に、日米貿易摩擦、経済関係の緊張、秋にはまた新しい交渉も控えているわけですが、そういうものの成り行きが裁判にも何らかの影響を与える、こういう御指摘があったような気がしますけれども、それは確かにそうではないかという心配を持つわけで、もし刑事訴追の国際化という方向であるならば、そういう被疑者の所属する国に対する偏見あるいは感情的な意見、こういうものは陪審員制度の中で陪審員から当然排除される手続がないとおかしいということになると思いますが、その辺はいかがでしょうか。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 まず、諸先生先刻御承知のように、アメリカの、民事もそうでございますが、とりわけ刑事裁判においては弁護士が果たす役割りは、わが国とは比較にならないほど大きゅうございます。私がアメリカに留学したのもずっと昔のことでございますが、当時教わった裁判官も、法科大学における勉強の一つは法廷でどのように説得力ある発言をするかということで、そのための訓練は徹底的にやってきたということを言っておりました。  陪審員を排除することも弁護士の重大な役割りの一つであり、陪審が成立するまでに相当な日月を要することになっております。十二人の陪審員に対しては、専制的忌避権、パーレンプトリー・チャレンジと言われて、まず七人は無条件で忌避できるのでありますから、十二人の顔色を見て、たとえば卑近な例を申し上げると、強姦罪のような事件の陪審では、女性が余り多いと有利にはならないというところで、女性はまず専制的に忌避してしまう、あるいは黒人と白人の犯罪なんかでは、白人が余り多いと有利にならないということで、同様の手続がとられる。その後は、一人一人陪審員に尋問しながら、きょう出てきたのが迷惑であるというがごとき、収入の面で大変損をしたというがごとき口吻を漏らすと、公正でないということで忌避されていくということで、陪審の成立になかなか時間がかかり、陪審の成立に弁護士は全力を挙げるわけでありますから、なるほど陪審制度というのは細かいところまで気を使っているということを私は理解している次第であります。

中川秀直自由民主党

○中川(秀)委員 短時間でありますので、問題点だけ先にさっとお伺いをしたいと思いますが、三番目に、先ほどから両参考人ともお触れになりましたエントラップメント、いわゆるわなでありますが、先般本件に関して来日したアメリカの検事が、アメリカにおいてのわな、エントラップメントといわゆるアンダーカバー・オペレーション、秘密捜査、こういうものを厳密に区別しておる、今回の捜査はその後者の秘密捜査である、こういうことを言っている。御指摘もありましたけれども、私も伺っておるわけですが、その違いということについて、先ほど井上先生は簡単に、警察官の身分を隠している捜査がアンダーカバー・エージェントだ、こういうような御発言だったように伺いますけれども、その違いというのは単にそれだけなのでしょうか。ちょっとその辺がわかりませんので、時間がありませんから簡単で結構ですが、要件がきちっと分けられているならば御教示いただきたい、このように思います。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 私が理解しますのは、中川先生、そういう内容であると考えております。もし御必要があれば、ブラックのロー・ディクショナリーを読んでもよろしいですが……。

中川秀直自由民主党

○中川(秀)委員 渥美参考人、その点についていかがでございますか。単に身分を隠すのが秘密捜査で、じゃ、エントラップメントの方は隠さないのかといったら、当然隠しているに違いないわけですが、単にそれだけの違いというのは、何か意味がわかるようでわからないわけです。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 失礼いたしました。  渥美参考人も述べていらっしゃったように、わなでないことが前提になって、しかもわなに類似しているところの特徴を取り上げて、いや、身分を隠して証拠収集をしているからわなと誤解されるのだが、自分の方は秘密捜査であって、わなではない。わなでないことを前提にして議論していると私は理解しております。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 アンダーカバー・エージェントの利用、ユース・オブ・アンダーカバー・エージェントというのは、厳格な意味での法律概念でございませんで、法律的に使いますけれども、それが法律に定められていて要件がどうなっているというものではありません。プレースメント・オブ・スパイ、スパイを中に入れるというような方法ももちろんあるわけで、その場合のスパイが政府の係官であれば、アンダーカバー・エージェントになります。それからスツールピジョンを用いる犯罪、これはおとりでありますが、そのおとりを用いる場合に、そのスツールピジョンにアンダーカバー・エージェントがなれば、それもアンダーカバー・エージェントの利用になります。さらにはインフォーマントの利用、情報屋の利用。その情報屋にも、お金を払って情報屋を利用したり、そうでなくて情報屋を利用したり、いろいろなことがございます。  そのほかに監視であるとかわなであるとか、いろいろなものが分けられるわけですが、すべてのこういう活動が合法とされるわけでもありませんし、それからまた、すべてのこれらの活動が違法とされるものでもございません。とりわけアメリカ合衆国が法執行をきちっとしようと当初に考えました一番初めのアメリカ合衆国最高裁判所の判例、これは一九三二年のソレルスの事件ですが、そこでエントラップメントの抗弁が認められて、こういうことをやった場合にはわなだから無罪になるよという判断をしたわけです。ですから、わなだけははっきりしておりますけれども、あと、それぞれのものがどういう内容のものであるかというのは、われわれがいろいろ分類するときに使う概念であるにとどまりまして、ぴしっとした法律上の定義がされ、要件が定められているものではもちろんございません。

中川秀直自由民主党

○中川(秀)委員 とすると、わなの抗弁というのが新聞でも報道されましたが、被疑者側、本件の場合は日本人ということになるわけですが、その被疑者側が当該犯罪を起こす事前の意図、目的を有していない、そのような行為をしたのはむしろ米側の捜査官あるいは代理者によって誘引された、あるいは説得された、そういう合理的な疑いがある。これさえ証明すれば、そのわなの抗弁が通るわけてすね。じゃ、その場合の——本件の場合もおとりがあるわけですが、おとりに対する教唆、従犯、こういう問題はどうなるのですか。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 その場合の政府の活動というのは、アメリカでは度を超えなければ合法であると考えられているわけですね。そこで、この問題を考えるときに、どういうふうに問題を律しようかという問題が起こりまして、行為者の方が故意がないから無罪になるという構成をとるか、それともそれらの者は——アメリカじゃこういうように言われるのです。その者が法の名に基づいて行動するという場合には、一般に刑事上の責任あるいは民事上の責任はないものと推定されるわけです。さらにまた、裁判所の許可を得たりあるいは陪審による許可を得たりする場合には、今度は政府の係官、政府の担当官はその行為から完全にイミューンされます。民事及び刑事の上で、刑事責任を免れるという考え方があるわけです。  ですから、今度の場合にだれかおとりを使って捜査をするということを捜査官が行いましても、それは最初から犯罪になるようなことを誘発しようとしているものではない、結果的には犯罪にならないわけですから、物を渡そうと思っているだけであって、とられようと思ったり、だまされて相手に盗まれたものだと思って渡せと言っているわけじゃないわけです。相手がそう思っているだけです。こっちはそう思っていません。そこで、この場合には犯罪成立の要件であるところのカルパビリティーがない、責任がない、こういうふうに考えるわけです。ところが、それはそう考えるわけですが、しかし、問題を考えるときに、被告人の側が有罪になるか無罪になるかの問題のほかに、係官の行為がおよそ正当であるかどうかという問題に関心を向けなければならぬという見方があるのです。ソレルス事件の場合も、政府は犯罪をつくることは許されないという言葉が書いてあります。それが発展しますといわゆる客観説というものになりまして、一定の要件があれば、政府の活動がおかしいから、したがって訴訟上無罪になる——われわれの考える無罪てはありませんが、そういう考え方で事を処理しようというように考えているわけです。

中川秀直自由民主党

○中川(秀)委員 最後にもう一点渥美参考人に伺いますが、先ほど井上参考人は、今度の事件における米側の起訴といいますか、その手続の中で、いわゆる贓物収受、運搬の行為、こういうものが訴因になっていないで、謀議が訴因になっておる。それはなぜかというと、もし行為を訴因とした場合には日本で裁判ができることになる。そこに検察官の一種の技術というものがあったのではないかという御意見があったのです。  そこで井上先生は、先ほど冒頭に触れましたように、日米関係のためにも、日本の司法当局が、そのような証拠なり事実があるならば誠意を持ち積極的に捜査すべし、こういう御意見であったわけですが、渥美参考人の場合はややその点について、これは欧州の条約のことについておっしゃったのだとは思いますけれども、若干御意見が違ったような気がいたします。先ほどの御意見と別に、本件の場合の米側の対応の中に謀議だけを取り上げているということからする井上先生の御意見に対してどのような御見解をお持ちか、最後にお伺いをしたいと思います。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 贓物罪になりまして、日本人がその行為を行えば日本刑法の適用があるので、日本で裁判ができるということになる。そのことをアメリカ人が知って、アメリカだけで裁判ができるような方法を考えたのかもしれません。この点、私はよくわかりません。  ところで、今度訴追された人には、贓物収受あるいは贓物故買、贓物運搬に直接かかわっている人と直接かかわっていない人がおります。しかも贓物故買の段階でこれを州外に移送するあるいは国外に移送するというような意図があった場合でなければいけないことになります。それらの行為を行った人は、日本人でないほかの人かもしれません。後からそれを受け取ったことになっているのかもしれません。そこで、それらの贓物収受、贓物故買、贓物運搬に関する訴追よりも、最初からコンスピラシーにかかわっていたから、コンスピラシーで訴追をするという方法をとったのかもしれません。連邦権限と州権限との関係について配慮をしたのかもしれません。それらの点については、私はいまでは憶測事ですので、直ちにお答えを申し上げるわけにはいかないのです。すべての材料が集まってまいりますれば、どういう考え方によっているかは、アメリカ側が説明しなくても、われわれの方は客観的資料があればわかると思います。いずれであるかは今後おいおい説明がされてわかっていくのではないかと思うのです。  もちろん、井上先生おっしゃられましたように、両方の国々において犯罪の解明について協力をして事を早く解決するのが望ましいことは間違いございません。果たして今度の場合日本で犯罪になる行為であるかどうかというのも、よく向こうの説明を受けて検討を加える必要があるのだろうと思うのです。その点は先ほど若干触れましたが、ヨーロッパのように完全に同じで全部引き受けてやりますよというのとは違っているのだと思うのです。やはりワンクッション置いて、十分な調査を行って、両方で犯罪になることがはっきりして、お互いに十分納得できるところで処理をするというぴしっとした手順を踏みながら、井上先生おっしゃるようになるべく早く解決をすべきことだと私は思っております。

中川秀直自由民主党

○中川(秀)委員 終わります。

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 稲葉誠一君。

稲葉誠一日本社会党

○稲葉委員 稲葉誠一ですけれども、フランクにお尋ねさせていただきたいと思います。  井上先生に最初にお尋ねいたしますが、お話をよく聞かせていただきました。実は私が疑問に思っておりましたのは、三百七十一条のコンスピラシーの適用、このときに括弧として二千三百十四条が引っ張ってあるわけですね。これはもちろん、あらゆる法令に違反の中の法令が二千三百十四条だ、こういう意味で引っ張ってあるのだと思ったのですが、いま先生がおっしゃったような形で日本でも適用があるというような考え方のためには、まずそれが贓物であるということが確定しなければなりません。ところが、これが日立が入手したものが贓物であるかないかというのは、中間的にいろいろな経過を経ておったりなんかしますから、贓物であるという認定がなかなかむずかしいのではないかと思うのです。それが第一です。  第二は、いわゆる贓物たるの情を知るということで、知情の点がなかなかむずかしくなってくるのではないか、こういうふうに思われますので、アメリカ側が三百七十一条で起訴したのが将来どういうふうに変わっているかよくわかりませんけれども、どうもそういう点から考えると、いま言った贓物であるかどうか、知情の点が非常にむずかしい、あるいはそれが無理だ。むずかしいだけではなくて、そうではないということの前提のもとにコンスピラシーで起訴したのではないか、こういうふうに思われるのです。だから、ちょっと先生のお考え方が、率直なお話を申し上げれば、法律と言えばちょっとオーバーではないかというような考え方をするのですが、そこの点は失礼ですけれども、いかがでしょうか。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 渥美参考人も言っておられたように、要するに資料が不十分ですから、どれくらい解明ができるかということは申し上げるまでもなく疑問が多々あるのでありまして、また、いま先生がおっしゃられたように、贓物罪の成立のためのいろいろな要件が果たして立証できるのかできないのかということも、私はそう簡単だとは思いません。しかし、われわれが知り得る範囲というのは、各新聞に発表されてきたインフォメーションを通じてしか理解できないのですが、そうした資料の中に、盗んできたものを受け取った、サファイから受け取ったのだ。サファイはカデットでしたか、それからイラン人のアヤジという女子学生を通じて入手してというようなことがあったような気がするのが一つです。それともう一つは、支払った金額ということに間違いがなければ、余りにも高額過ぎるのではないか、ことに三菱と比較したときに。事情がはっきりわからないものを公にして恐縮なのですが、日立製作所の方は少しく金額が高額過ぎるのじゃないかというようなところもあるものですから、先ほどのような意見を述べた次第であります。  それと同時に、私は結論として、日本で余り放置をしないで、日本の司法当局自身が何かの解決の意欲的行動があった方が望ましいと考えるものですから、あわせて言及した次第でした。

稲葉誠一日本社会党

○稲葉委員 それから、実はアメリカから三人の検事とその他の諸君が来たわけですが、どういう意図があって来たのか、私どもよくわからないのですが、二回会合をやりまして、一人帰って、まだ二人残っているようです。その内容についていろいろ聞いたわけですけれども、そういう中で、さっき出てまいりました秘密捜査の問題なんかが出てきたわけですね。  それはそれなのですが、そこで、これは法務当局に聞きましてもはっきりしたことは言わないのですが、なぜ言わないかというと、それはたとえばFBIですね。FBIの組織というのは一体どういうものであって、どういう活動をしているのかということを、委員会ではありませんけれども、たとえばFBIの職員録があるのかどうか、実は私は聞いたのです。初めあるような話をしておって、あるのもあるし、ないところもあるというような話も出てきたわけですね。どうも何をやっておるのかよくわからないのが第一ですね。これはお二人の先生方にお聞きしたいと思うのです。  それが一つと、率直な話、FBIとUSアトーニー、いま九十五ありますか、たとえばカリフォルニアの場合には三つあるわけですね。いま、これは北の方にかかっているわけですが、そのUSアトーニーというのが、私どもの聞く範囲だと、たとえば政党がかわりますと、大統領選挙が終わるとこれがぐるっとかわってしまう、こういうわけです。そうすると、このUSアトーニーの方へ報告をして、そこで指揮をして捜査をやるわけですか。その関係はきわめて政治的なにおいがあるのじゃないかということを感じるわけです。  それと、司法省とこのFBIとの関係は一体どうなんだろうか。たとえば司法省の場合は、それは実際は司法省長官が権限を持っているにしても、フーバーが長い間FBIの長官をやっていたときには、フーバーの事実上の独裁みたいな状況で、司法省長官は、形の上では別として、実際は力がなかったわけですね。  そういうふうに考えますと、FBIというのは一体何なんだろうかどうもよくわからぬ。何をやっていて、どのくらいの人数がいて——私どもは一万人ぐらいと聞いていたのですが、いろいろな人がいるわけですね。公認会計士もいるし、ローヤーもいるし、いろいろな方が入っているわけですが、何をやっているのか。それとUSアトーニーとの関係、それと司法省との関係、それが本件の捜査と一体どういうふうに結びついているのかどうもよくわからないものですから、そういう点についておわかりの範囲でお話し願えればと、こう思うのです。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 先生がおっしゃられるとおり、FBIというのはわからないのが実態なんじゃないでしょうか。それで、よく俗に言われているように、アメリカに長期滞在をすれば強盗よりもFBIの方が恐ろしい、私は非常に名言だと思っているのです。  それから、USアトーニーばかりでなくて、裁判官でさえ政権担当者がかわれば大きな異動があってやめなければいけなくなるというふうな、アメリカは相当政党支配が徹底しておりますので、そういうところがこの事件に対する日本の受け取り方が必ずしも冷静に受け取れないというところじゃないかと憶測するのであります。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 FBIは連邦の捜査機関であります。ディストリクト・アトーニーは検察官でありますから、訴追官であります。したがって、両者の間に違いははっきりあるわけです。捜査をやる機関と訴追をやる機関ですから、別々に二つあって何もおかしいことはないのです。  FBIは、アメリカはもともとリパブリカニズムの国でありますから——リパブリカニズムとは共和党という意味ではありません。国民の負託に基づいて国民の利益を守るために国民が素人として参加する政治というものを考える国でありますから、したがって、警察はもともと非中央集権化、ディーセントラライズされておりまして、セントラライズされることについて非常に大きな抵抗がございました。ところが、先ほど申し上げましたように、全国をまたにかける犯罪というものが相当多く見られるようになってまいりまして、それに対して統一的な警察組織をつくる必要が何回も言われてまいりました。  十九世紀の後半から二十世紀に入りまして、アメリカは科学的な捜査の方向へ向かって進むようになりますが、その科学的な捜査を行うに当たって参考になりましたのが、ヨーロッパ大陸の警察制度であります。ヨーロッパ大陸にはナショナルポリスというものがありまして、全国的、統一的な組織を持っていて、地方警察に対する訓練、教育等をするわけですが、それと同じような形式のものをアメリカでつくろうという努力を行うようになっていくわけでございます。これはFBIの歴史だけでなくて、ほかのいろいろな歴史にも関係がありますが、FBIだけに限定しますと、FBIはその後、こういうような状態のもとでも何とか科学的な捜査を行い、しかも全国的な統一性を持った活動を行うことができるようにというきっかけで、連邦犯罪に限って精鋭をよりすぐって始めたわけであります。  それまでのアメリカ合衆国憲法によってでき上がった連邦政府は一本来憲法に定められている範囲しか権限がないという考え方でしたから、先ほど申し上げたポストオフィスにポスタルインスペクターズが入るまでは、連邦犯罪があっても連邦犯罪を捜査する機関はなかったのです。したがって、私立探偵を頼んだりいろいろなことをやっていたわけです。それがなかなかうまくいかないということがあり、麻薬犯罪が起こり、それから、アメリカ合衆国憲法第十八修正によって禁酒法が制定されてからはその大きな問題があり、種々アンダーグラウンドの犯罪に対抗する必要が起こってまいりました。  そこで、大統領のクーリッジが、一九三〇年以前に犯罪の解明をするための方法を統一的に行おうという提案がありまして、エドガー・フーバーもクーリッジ大統領と一緒に非常に熱心であったのでございます。ところで、ちょうどそのときにリンドバーグの一九三二年の誘拐がございました。それからまた、一九三三年にカンザスシティーでの大量の殺人が行われました。一九三二年にフランクリン・D・ルーズベルトが大統領になります。そして、リベラルの中では例外的にこの統一的な警察組織をつくることに熱心であったフランクリン・ルーズベルトは、ついにこういう連邦の機関というものを設定する法律を通し、そして連邦犯罪について問題を解決するように権限を法律で定めて、FBIが捜査をするようにしていったわけであります。  ところで一九三四年に、FBIが、連邦が責任を持つ一連の法領域が定められまして、その中には、訴追を免れて州の国境を逃げてしまう者、それから全国的な組織を持っている銀行あるいは連邦によって保障を受けでいる銀行に関する犯罪、それからいわゆる州間の暴力団組織によるところの不法な利益を得る犯罪行為、これをラケティーアリングと申しますが、それに従事すること、それから州の境界を越えた贓物の運搬罪、それから連邦機関に対する公務執行妨害というものの捜査機関として、FBIを設けたのであります。  ところが、その後第二次世界大戦になりまして、大変な敵国に対する反対感情というものがわき、また、アメリカの中において不況のために種々のサボタージュのような活動が展開されました。労働組合の活動は本来アンタイアメリカンであるというふうにアメリカ人たちの多くが考えましたので、それらの暴動に対してどう対処するかについてだんだん権限が広げられてまいります。その結果ついに、いろいろなところから集まってくる十分根拠のない資料に基づいて、フーバーのところに集まってまいります資料で、人々の行動を監視し、その者のファイルをだれでも国会議員であれば見れるような状態になりまして、社会でまことにまともな行為をしている人々までおかしく糾弾されるというような風潮が起こってまいります。その傾向はとりわけ第二次世界大戦の終了後、マッカーシー旋風が巻き起こったときに顕著になったわけでございます。  さてそこで、こういうような権限を制限するための配慮というものが、アメリカにおいてはディーセントラライズしようとするので考えられてくるわけですが、下火になりましても、現在またオーガナイズ・クライム・アクト、組織犯罪法というのができまして、現在ではFBIが中心になって地方の警察をトレーニングする、資料を提供する、お互いに交流するというような権限が与えられて、アメリカが一つのユニホームな警察を本当に持ってしまうような状態に入ったわけであります。  そこから生じてくるいろいろな弊害を抑制するために、先生方よく御存じのフリーダム・オブ・インフォメーション・アクト、情報自由法というものができましたし、さらに一九七四年に、自分自身の犯罪に関する証拠というものがおかしく収集されていないか、評判の悪いことがおかしく根拠なくとられていないかどうかということを知って、間違った内容についてはそれを訂正することを求める権限までも保障した一九七四年のプライバシー・アクトが通ることになってきているわけでございます。  それと同時に、このFBIの活動が連邦犯罪全体について非常に広く及んでいき、いま言ったような行き過ぎが相当ございますので、そこでアメリカ合衆国最高裁判所を含めた司法当局は、それらの捜査活動の中で行き過ぎであるものについて歯どめをしていくという配慮をいろんな領域でたくさんやってきているわけであります。その一つが一九三二年のソレルス対合衆国事件で示されたわなの抗弁である。まだ幾らでもございますが、そういうものであると御理解をいただければよろしいと思うのです。  それから最後に、井上先生おっしゃいましたように、ディストリクト・アトーニー、検事正はポリティカル・アポインディーでありまして、したがって、大統領がかわれば、共和党から民主党にかわり、民主党から共和党にかわれば、全部かえられるというのが一般的でございます。

稲葉誠一日本社会党

○稲葉委員 お話、よくわかりました。  それで、たとえばシャーマン事件の中でウォーレン長官が言っているという言葉は非常にわかりいいと思うのです。罪を行っていないうっかり者とうっかり者の犯罪者、こう二つに分けるわけですね。これは非常にわかりいい言葉だ、私はこう思っておるのです。  そうすると、本件の場合に、一体これがどっちになっているかというところはあれですか。いやいや、具体的事実についてお聞きするわけじゃありませんけれども、どっちだということは、どういう点がポイントになって判断される、こういうふうに理解したら一番よろしいでしょうか。どうでしょうか、井上先生と渥美先生、そこのところは。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 なかなかむずかしいところですけれども、私は、入手するのにどれぐらいの金を払っただろうかということに非常にこだわるのです。アメリカ社会は経済社会ですから、わが国が考えるような経済的基準とは大分違うでしょうが、それでも一方は二万数千ドル、一方は六十万ドルと言われると、そこに問題を考えざるを得ないのでございまして、客観的証拠で決める以外に方法がありませんので、私は初めからどうもそこにこだわりを持ち続けているということを述べさせていただきます。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 確かに、うっかり者の無事とうっかり者の犯罪者という区別の言葉というのは、はっきりわかったようでありますけれども、しかし、なかなかまたよくわからないのでありまして、それを決めるのには、いまおっしゃられた金額の問題もありますでしょうし、それから先ほど申しましたように、前にそういう犯罪を行っているということを示す証拠があるという者と、今度が初めてだという場合とで相当違うと思うのです。恐らく今度の場合、それが一番大きな争点になると思うのです。しかも一番初めのものであるのについて、FBIはうその店をつくったので、自分の方から犯罪を仕掛けるというような行為をしたと認められる場合には、うっかり者のイノセント、無事がひっかかったというふうに見られる可能性もあるわけです。  それから、金額の問題ですが、金額の問題も井上先生おっしゃったように非常に重要な問題だと思います。  ところが、コンパティブルなコンピューターというのは、私は余りよく知らないのですが、大学の同僚にも聞いてみたのです。そうしますと、ソフトウエアがコンパティブルだということで、ハードウエアは全く違うものだそうです。最初何ビットでどうなるかというようなこととか、コンピューターの言葉として何の言葉を使うかというようなことは、一番最初に始めた人が選ぶそうでして、したがって、みんなが大量な金をつぎ込んでそのソフトウエアのもとの言葉に従った体系をつくっている。そうすると、それに合わないような、ソフトウエアが入らないような機械をつくるわけにいかないので、そこでみんなコンパティブルなものをつくるということになるようです。  そうすると、かなり大きな需要を持っているIBMがどういうような方向へ進んでいくかということについて、IBMが始めてIBMが基礎をつくっているわけですから、ほかのところは新しいものをつくって動けませんので、そこでその資料が非常に高価なものにつくというか、そういうものが入れば非常に便利だというようなことがあるとしますと、これはただ単に贓物だから高く買うということなのかどうなのかは、私はよくわかりません。その点は公判で十分検討されていくものだと思いますが、法外に高い値段のものを買うということであれば、もちろんうっかり者のイノセントではなくて、うっかり者のクリミナルだというふうになると客観的に考えていいと考えられるのは、井上先生と同じでございます。

稲葉誠一日本社会党

○稲葉委員 どうもありがとうございました。

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 横山利秋君。

横山利秋日本社会党

○横山委員 私は、この機会に日本におけるおとり捜査の問題について両先生に伺いたいのです。  先般、集中審議で、一般的に国民が思っておることは、日本ではおとり捜査は禁止され、アメリカでは許されておる、これが一般的認識であったのですが、審議を進めていきますと、アメリカではおとり捜査で、条件が満たされる者は無罪になる、日本では必ずしもそうではないのである。  ここに最高裁昭和二十八年の有名な判決がございますが、「他人の誘惑により犯意を生じ又はこれを強化された者が犯罪を実行した場合に、わが刑事法上その誘惑者が場合によっては麻薬取締法五三条のごとき規定の有無にかかわらず教唆犯又は従犯として責を負うことのあるのは格別、」つまり、官憲が教唆犯ないしは従犯として責めを負わされる、つまり違法である。ところが、その後が「その他人である誘惑者が一私人でなく、捜査機関であるとの一事を以てその犯罪実行者の犯罪構成要件該当性又は責任性若しくは違法性を阻却し又は公訴提起の手続規定に違反し若しくは公訴権を消滅せしめるものとすることのできないこと多言を要しない。」つまり、お巡りさんは処分されるぞ、けれども、そういうおとり捜査をやられたからといって本人が無罪というわけではない、こういうふうに解釈をされるわけです。  その一事だけ日米の比較をしてみると、アメリカのわなの抗弁の方が進歩的ではないかという議論があるのではないか。これは国民の認識がずいぶん違うな。同時に、この最高裁の判旨を一体このまま素直に受け取っていいのだろうか。  この論文の最後に、「最後に、麻薬取締法五八条が「おとり捜査」までを許容したものと解すべきかを問題にしなければならない。さきの憲法理念からすれば消極的に解するのが妥当であろう。麻薬事犯捜査の特殊性から捜査の端緒を得るために他に方策がない場合に限って、捜査機関に許容されたもので、他人の犯意を誘発することまでも許容する趣旨ではない。」とこの人は言っているわけです。  上告の場合には、憲法十一条、十三条、三十一条の規定に違反するといって主張されておるのですが、この日本におけるおとり捜査、憲法上及び法律上の解釈はどう考えたらいいのであろうかという点について、先生方の御意見を伺いたい。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 実情はいま先生がおっしゃったところですが、私は、日本とアメリカとで刑事裁判制度の運用についてどういうふうに違った解釈をすべきかということが、いつも問題があると思うのです。それはおとり捜査のみならず、違法に証拠を収集してきた捜査官についても言えることでありますが、その捜査官をただ処罰しておけば足りるものなのかどうかということになると思うのです。  そういう問題の解釈は、不思議にイデオロギーが出ることになりますが、おとり捜査についてもいろいろな解釈が展開されていまして、たとえば小野清一郎先生の「警察研究」に書かれた判例批評を見ますと、両方処罰すべきだ、そうすれば解決するので、わなにかけられた者を無罪だとか公訴棄却とか免訴とかというのはおかしい、犯罪は犯罪だというふうな見解が出ております。  しかし、私は次のように考えるのです。日本の捜査官はアメリカの捜査官と違って非常に職務に熱心であって、熱心なことが人権を侵害することが多々あるのであります。その熱心な捜査官を処罰するということによってもたらされる一つの感情的な抵抗、第二は、そういう熱心な捜査官を処罰することで事態を民主的に解決していけるだろうかということを考えますときに、捜査官が熱心過ぎるほど熱心というのはわが国の特徴でありますから、むしろそういう考え方でなくて、アメリカで言えば少数意見に見られるように、おとりにかけたという事態を認定できたならば、捜査官を処罰するとかあるいはおとりにかけられた者が有罪になることに間違いはないと言う前に、そういう事件は公訴を維持できないとして形式的に訴訟を打ち切る制度の方が、日本の実情に合っているのではないかと私は思っております。  こういう問題は、何もわなとか違法収集証拠に限らないのであって、刑事裁判は、裁判所も検察官も弁護人も、そしてまた被告人も信義を尽くして進めるべきであるから、信義に背反するがごとき事態があったならば、それを明らかにする意味で、私は公訴の維持を否定するということが日本でとるべき方法ではないかと理解しております。

横山利秋日本社会党

○横山委員 渥美参考人にお伺いする前に、私も井上先生のお話と同感の意を表したいのでございますけれども、渥美さんにお伺いするときに、いまの井上さんの御意見は御同感であるとしたら、どういう条項、条文によって立論されるかもあわせてお伺いしたい。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 私も井上先生とその点は大体同じ考え方ですが、それは全国的組織的な警察を持っているところでは、警官一人を処罰するということをやっても、警察のビヘービアは変わらない、むしろその訴追を不可能にするという方法をとる方が警察の活動を変えるという考え方です。それはまさにアメリカで、かつてはディーセントラライズされた警察の活動が行われていたときには、おとりのわなの抗弁というものをアメリカは認めなかったわけです。ところが、漸次中央集権化される警察活動が認められ始めるということが確認されるときになって、アメリカははっきりとこのわなの抗弁を認めたわけです。  井上先生もちょっとお触れになりましたが、フランスから始まったアジャン・プロボカツールという、犯罪をするように中へ入って使嗾する機関というのがありますが、これについては従属性説という共犯の特別な理論があって、それによって犯罪の実行行為を成立せしめようということをしないんだから犯罪にならないという理屈をとりまして、警官は処罰しない、しかもこういう活動を認めるというようなことが行われたわけです。つまり、大陸法国における警察は全国統一的であり、しかも秘密警察的であったわけです。アメリカにおいてはそうではなかったわけです。それがだんだん似てきているときにどうするかという問題が、この問題に対処する基本的な心構えだろうと思うのです。そういう点で井上先生と同じでございます。  条項をどこに求めるかですが、アメリカでも、このわなの抗弁と同じで、これらの問題をどこに求めるかですが、日本の規定ですと、私でしたらば憲法三十五条で主張いたします。プライバシーの保障、犯罪を使嗾されるような外部から拘束を受けないということを考えます。もう少し緩やかに処理をしますと、憲法三十一条の適正手続条項で処理をするということだろうと思います。

横山利秋日本社会党

○横山委員 ありがとうございました。  私も素人でございますから、最初申しましたように当然日本ではおとり捜査は違法である、したがって、おとり捜査によって犯罪を犯したとしますとそれは無罪であると思っておりましたところ、この最高裁の判決がある。アメリカと比べて、一体この一点に関する限りどちらが進歩的かと、非常に疑問を抱いたところでございました。  第二番目の問題は、いろいろお話を伺って大体わかったのでございますが、整理をしていただいて両先生から伺いたいのでありますが、これからのアメリカにおける裁判、論争の争点は一体何と何であろうかということでございます。いままでお伺いした分では、わなである、ない、贓物の認識があった、ない、謀議の事実があった、ない、あるいは書類が全く秘密のものであるかないか、あるいは陪審員の選出、法人に責任がある、ない等々法律技術も含めましてどんなことがこれから法廷上で争われるであろうかということをちょっと整理をしていただいて、集約していただいて御説明を願いたいと思います。井上先生からお願いします。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 いま横山先生がおっしゃったことで、すべて問題点は尽きると私は考えます。  私は、この事件で一番問題になるのはわなの問題であろうし、わなを問題にすることがこの事件の処理に関する日米間の緊張関係を外へ訴えることができるので、陪審員に対する説得の効果もあるんではないか。アメリカの新聞が経済欄でしか扱ってないという事実の中に、私は非常に不気味なものを感じるのでありまして、その辺を超えて陪審員を説得する手段というものを一番考えていかなければならないのじゃないか、それはわなだと私は思っております。

横山利秋日本社会党

○横山委員 ちょっと済みません。ちょっと井上さんに。  最もその焦点がわなであるとすれば、私ども承知した事実関係から言うならば、先ほどからもお話しのように、私は先般の集中審議でも、主犯がない犯罪である、こう言っているわけです。キャラハンなり何なり関係者がどういう方法でそれを自分が渡したかということの追及が、事実関係が明らかにならなければなりませんが、わなであるかないかの論争は、またどんな点が問題になるでしょうか。どうぞどなたでも結構です。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 一体、最初に渡した情報は、重要な部分は欠落していたのか欠落していなかったのか、後から重要な部分をとることを求めるような形がとられたのかとられなかったのかというようなことも、一番最初のときの問題で重要だと思います。そこらあたりが本当一番最初に重要だと思うのです。  それについて恐らく公判に入るとすれば、被告人側は、IBMのそれについて情報を握っていると思われる人々をどんどん証人に召喚する、IBMがこの事件にどの程度のかかわり合いを持っていたかということを明らかにしていく、これが恐らく勝負の本当に天王山だというふうに思います。あとは、法人処罰の問題にしましても、それから謀議のときの贓物であるかどうかの認識の問題にしましても、これはもうほとんど決着のついていることですから、主張はしておいていいわけですけれども、余りアメリカでは大きな問題にはならないだろうと思います。  いま申し上げたような点に中心が置かれていくのだと思いますが、私が想像しますのには、先ほど申しましたように、まだ公判まで長い時間がございますので、何かの具体的な協議が双方の間でとられる余地の方が大きいのではないか、その際にいま申し上げたようなところが中心になって両方で取引が行われていくんじゃないかというふうに考えております。あと御指摘の点はそれぞれ法律的には皆重要な点でございますが、いまの点がとりわけ重要のように私は感じております。

横山利秋日本社会党

○横山委員 井上さん、冒頭、日本政府側のなすべきことがあるではないかという、非常にユニークな御意見もいただきました。学者であり弁護士である先生と違いまして、私ども政治家でございますから、政治家らしく先生の提起された問題を受け取って考えたんですけれども、たとえば日本政府が、贓物収受、運搬の罪があるとしたら、それであるとしたならば資料をよこせ、おれの方でやりたいからと言うてそれが断られたらどんなことになるだろうか。あるいはアメリカ側が、おれの方でやっている裁判をおまえの方でやると言うけれども、それは言うならば何とか無罪に持っていこうと思うつもりで言っているんではないか、日本へ持っていったら公正な裁判が行われるとは言いがたいというふうに思うのではないか。あるいは巷説言われるように、ロッキードでおまえの方にちょっと協力したから少しは協力せいやという雰囲気が政治的、外交的にはあるような雰囲気が若干あるわけでございます。  日本で調査をして日本政府としても公正な立場でやるから、むしろその方が日本政府としては誠意を見せることになるのではないかという説得力あるお話を承りましたが、政治的に見て、私ども政治家だものですから、こじれたらどうなるだろうかなという心配をするのですが、その点は井上先生、どうお考えでございましょうか。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 もちろん、私のような提案が一つの素案としてあるとすれば、いまから外交交渉で詰められていくわけですけれども、そこで第一に考えなければいけないのは、領事条約を見ても明らかなように、日本政府は日本国民を最大限に保護する責任があるのでありまして、外国で処罰を受けるかもしれない者を引き渡せと言われたときには、よほど前後の事情を考慮してからでないと引き渡すべきではありませんし、先ほども意見として述べさせていただきましたように、直接引き渡そうとすることに問題があるがゆえに、暗に圧力をかけて当事者に引き渡させるようなことにするのは、なおさら人権問題から考えて警戒をしなければならないと思うのであります。  また第二に、日米間の司法制度の違いがあるがゆえにアメリカが日本の司法制度を信頼しないということであるならば、それ自体、日米の緊密な国際関係というのはその点で破壊されるわけでありまして、私は、アメリカはそういうことはとうてい言えないだろうと思うのであります。そしてまた、自国民を自国の司法機関が処理しようとするだけの誠意を示したときに、いや、それでもアメリカの方へ渡せということに、どう申しますか、十分に処理し切らないというのは私にはちょっとわからないのでありますが、その努力を先生方にぜひお願いしたいのであります。

横山利秋日本社会党

○横山委員 ありがとうございました。  私の質問の仕方で誤解を与えたかもしれませんが、先般の集中質問の際に、私は最後に基本的な意見として、逃亡犯罪人の引渡し条約に該当しない、それから法律にも該当しない、それから身柄引き渡しには応じない、それから政府が九人の日本におる人たちに、おまえ自発的に行ったらどうだというようなことは言ってはならない等々、基本的な意見としては申し上げてあるわけでございます。いろんな条件がどう生まれるかという意味におきまして、失礼ながらお伺いした次第でございます。  ありがとうございました。

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 沖本泰幸君。

沖本泰幸公明党・国民会議

○沖本委員 専門的なお話はたくさんやりとりがありましたので、ばらばらになると思いますし、きわめて一般的なテレビや新聞を見ている立場でお伺いするわけですけれども、もう一度お伺いしたいわけです。  先ほど、いまのお話の中でたくさん出たわけですけれども、日本の司法当局者は積極的に調査する必要があるんだ、こういう御意見をお述べになり、それに関連したいろいろな話が出たわけですけれども、私たちの立場でそのお話を伺いながら、じゃ、日本の当局者はどのような形の積極的な働きなり何なりがあるんだろうかと、もう一度教えていただいたらありがたいと思うのです。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 教えていただくなんというようなことは本当に恐縮なんですが、私は、まずアメリカが日本の司法制度を信頼してほしい、ということは同時に日本がアメリカの司法制度を信頼していることでありますから、アメリカでこれこれの容疑があるというふうに公に発表しています以上は、関係者は日本にいるから問題になっているのですから、まず日本にいる関係者から事情を聞くということがあっていいんじゃなかろうかと思うのであります。もちろん司法当局だけが決断してどうこうという問題ではないでしょうが、しかし、そういうところから始まっていりて、その後はアメリカが持っている資料のどれぐらい提供できるのか、相互の共助によって解決していくという努力を踏まなければならないと思います。いまのところ何にもまだなされていない状況、これもやむを得ない実情であろうかと思うのでありますが……。

沖本泰幸公明党・国民会議

○沖本委員 アメリカの司法取引の制度が生まれたアメリカの社会的な基盤と、こういうものに対するアメリカ社会のいろいろな評価についてどうお考えなんでしょうか。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 日本では非常にバーゲンといいますかネゴシエーションズを裁判で行うことについてアメリカが特異であるかのごとくに言われて、日本とアメリカとの間の民族性の違いかのごとくに言われます。ある面ではそうかもしれませんが、私はある面では大変な誤解を生んでいるような気もするのです。  ただ、日本での法執行で、訴追のときに、先生方よく御案内ですが、お調べいただきますとわかりますように、年間三百万件ぐらい起こっております犯罪のうちの九十数%までは、日本でも公判請求されません。起訴される事件の大部分は略式請求で終わります。その略式請求の裁判は、アメリカの現在あります有罪の答弁よりはもっと憲法上疑義のある状態でおりるわけですが、そのときに弁護士のいない状態で被疑者との間のいわゆる取引は行われます。私自身修習生としてのわずかな経験しかございませんし、あと仄聞することしかありませんので、その点余りはっきり言えませんが、弁護士がいない状態で、正式裁判の請求の権限はあるけれども、おまえの事件は罰金で事を済ますから罰金で済ませなさいよというふうに働きかけながら処理をして、事件を落とすということは幾らでもあるわけです。  ただ、アメリカと決定的に違う点はありますけれども、それは、アメリカでは有罪認定でおりた判断、刑が、後の第二番目のもしもまた犯罪を反復して行った場合には、ハビチュアル・オフェンダーとして重たい刑に処せられる条件になるというようなことがありまして、いろいろアメリカでも疑問を持つ人々が多いのであります。  アメリカで有罪答弁の取引というものがかなり頻繁に行われるようになりましたのは、一九二〇年代の後半から三〇年からでございます。それまではそんなものはございませんし、アメリカでもそのときから刑事訴訟法の本質に違反するものであるという主張が多いですし、現在でもそうであります。現在でもアメリカ人の多くの人々はそう考えております。  しかし、大量な事件をどうやってこなしていくかという問題を抱えております。そのときにしかも、先ほども御質問ありましたように、ディストリクト・アトーニーは政治的にアポイントされるものであったり、あるいは州のアトーニーは選挙によって選ばれたりということになりますと、その人たちの政治的な生命にかかわり合いがありますから、したがって、パン全部が得られなければ、一片のパンでも得て有罪率を高めようというようなことも背景にございます。  被告人側としましても、陪審の判断を受けて自分の地位がどうなるかはわからないということですから、そこで不安な気持ちを持ちながら、なるべく軽い刑で処理をされて確定すればそれでいいと思って、それに応ずるということが起こるでしょう。したがって、仮定しますと、本当の有罪者にとってはこのような制度はかなりプラスになる場合もないわけではないのです。本当の無事の者が裁判に長く巻き込まれることを恐れて、結論がわからないためにこのようなものに入ってしまうことが多くの問題を残すだろう。誘引をしたり、何かにつれ問題が残るだろうと言われているわけです。  そこで、現在ではアメリカ合衆国の連邦刑事訴訟規則によりまして、その危険が発生することを少なくするような条項が一九七四年に改正されて入りました。そこでは犯罪の性質を十分説明すること、それに対して下される最高限の刑がどれであり、それからまた必ず法律上つくパロールというものがつく場合には、それがつくかどうかを説明すること、それから本当に任意で有罪の答弁を行ったかどうかを調べること、その有罪答弁を行った事実がある程度ちゃんと基礎があるということを明らかにすること、違法に収集された証拠等についての疑義がある場合には裁判官は有罪の答弁を受けないことというようないろいろな条件がつけ加わりまして、これらの事実を告知しないで行われた有罪答弁は無効であるというふうに考えるようになったのでございます。  アメリカの社会は、違った異質の人々が多く住んでおります。一つの考え方の基準が正しいというふうに考えられる社会ではありません。したがって、そこではみんなの間の調整を図るためにいろいろなものが考えられてまいりました。たくさんの犯罪が起こったときにそれをどう調整すればいいかについて、アメリカがたまたま昔あった制度をそこで活用してきたということでございます。アメリカ合衆国最高裁判所は繰り返し言っておりますが、別に司法の困難さというものを救うこれよりよい方法があるならば喜んでそれに移る、こう言っております。  いまこの有罪答弁制度の中にアメリカの刑事訴訟法の持っているいろいろな欠点が凝集している点については、アメリカ人たちは皆率直にそれを認めております。それをどう改善するかを彼らは現在模索中であります。日本においても、先ほど申しましたように、裁判を進めていく上で警察段階からいろいろな微罪処分で落としたり、種々の取引はないわけではございません。しかもアメリカの場合の有罪答弁は、必ず弁護人がいてやります。日本の現在の略式手続の場合には、弁護人がいない状態で行われます。  可否それぞれ国に違いがあるでしょうが、それぞれの立場の違いを考えてみますと、それほど日本とアメリカとが大きい違いを持っているのだろうか。あると思いますが、しかし、都市化され工業化された社会に共通の問題というものをわれわれは抱えているのじゃないか。それに目を向けるべきで、余り根拠のない事実に基づいて、アメリカと日本が文化的に違うと言って全く違ったお互いの非難をし合ったり、余り理解をよけいに多くし過ぎることも問題ではないかというふうに私は思っているのでございます。

沖本泰幸公明党・国民会議

○沖本委員 最近、たとえばロサンゼルスでおすし屋さんの職人がビザとの関係で逮捕されたり、いろいろな事件が続発しているわけですけれども、それは一つは、経済摩擦等における日本のいまの状態が、一部の人たち等に非常に反感を持たれてきておるというようないまの社会情勢があるような話も聞きます。そうすると、たくさん日本人がアメリカへ渡っているわけですけれども、いまおっしゃったようないろいろな制度の問題なり、われわれ日本人が持っている風俗、習慣との食い違いなりというものが、いまアメリカにおる日本人にどの程度わかっておるのでしょうか。今度の事件を絡めてわれわれはどういうふうにそれを考えたらいいのか、その辺をお教えいただきたいと思うのです。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 非常にむずかしい問題ですけれども、今度の事件を見ても、アメリカが日本に対して持っている厳しい状況というものが本当に理解できているのかどうか、私はかなり疑問に思わざるを得ないのです。裁判制度もかなり違っていると言われているのですが、だんだんと近づいてきているところは言うまでもなくありまして、いまも渥美さんがおっしゃるように、そんなに根本的な違いを強調することにも問題があると識者も指摘はしています。  しかし、陪審制をとっているという大きな訴訟制度のバックボーンというのは、日本とアメリカの司法制度を顕著に異なるものにしていると思うのです。そういう事態の中で本当にどういうふうに対処していけばいいかという問題になってくると、アメリカを離れて日本にいるわれわれにとって実情をのみ込むことはむずかしいのでありまして、そういう意味でアメリカの弁護士の取る報酬というのは莫大に高いし、それにどう対処していくかということは、一にかかって弁護士の力量にあると私は思っております。それだけの活動の余地があるところが、日本とアメリカの刑事裁判、刑事事件の取り扱いの根本的な違いとなってあらわれていると理解します。

沖本泰幸公明党・国民会議

○沖本委員 これもテレビを引用してお伺いするわけですけれども、たとえば劇映画の中でニューヨークの刑事がFBIの連中と盾突いて事件を即決に解決していくような場面とか、非常に反感を持っている場面とかいろいろあるわけです。アメリカのこういう警察機構とFBIの関係は、先ほど詳しくFBIの御説明がありましたけれども、おとり捜査の関係と絡んでしばしばそういう問題を見たり聞いたりするわけですが、どういう仕組みになっておるのでしょう。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 基本的に独立、協力関係であります。お互いに関係はないわけです。ただ、先ほど申しましたように、オーガナイズ・クライム・アクトというのができまして、それに関係する限り、FBIが全国の地域のローカルな警察についてまで教育を担当したり、資料の交換をしたり、そういうことをする中心たる機関になるように定められました。いろいろな教育のために人を送ったりすることもできるようになりましたが、それはそのオーガナイズ・クライム・アクトに定められている犯罪に限ってであります。地方の警察は地方の警察の管轄の中で行動し、FBIはFBIの管轄の中で行動し、両者はそれ以外のところではばらばらに行動するというのが原則でございます。

沖本泰幸公明党・国民会議

○沖本委員 ロッキードのときは刑事免責ということがあったわけですけれども、刑事免責というのはどういう場合に行われるものなんでしょうか。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 刑事免責はいろいろな場合にあらわれるのですが、先ほども申しましたが、令状を求めて行動をした警察官とか検察官の場合には、これは民事、刑事両方で免責になります。それから、免責をすることを条件にして重要な証人から証言をとるというようなことも、アメリカでは認められる場合があるのです。日本でも、ある一定の親族関係にある者とか、自分自身が刑事責任を問われる場合には免責になっておりますが、アメリカではいろいろな形の免責がございます。  まず、根本的な免責になりますのは、完全に免責になるというのは、アメリカは弾劾主義の国でありますから、したがって被告発者、告発を受けている人間は政府の側の告発に一切協力する義務がございません。したがって、この者は供述をする義務がありません。それから証拠を隠しても構いません。それらの行為を行うことによって刑事、民事の責任を問われない。これは根本的なイミューンであります。これはもう完全にそうでございます。それ以外、両者の間の力のバランスを考えていき、重大な犯罪の解明をしていくのにどうしても必要やむを得ないという場合には、先ほど申し上げましたようにイミュニティーを与えて供述をさせるということが行われます。  どうしてそういうことをする必要があるかといいますと、法廷へ来て反対尋問を相手にさせて、徹底的に証人に事実を聞くということが行われるからです。日本やヨーロッパのように、書類で供述がされた内容がそのまま法廷へ行って同意されるということになりますれば、それは反対尋問の問題も起こりません。そこで取引が行われて、反対尋問しないからそれは証拠にとってもらうということが行われれば証人は困りませんが、原則としてほとんど全部証言するわけですから、そこで徹底的に事実が解明されることで証人が窮地に陥ることもあるだろうというようなことを考えまして、種々の考慮をしながらそういうイミューンが、刑事免責が行われる場合がございます。  ところで、現在その免責は、自分が起こした社会的な行為について全部免責になるというのじゃなくて、そこでなされた証言を手がかりとして、その証言を使って事実を解明できる範囲までは刑事免責されるという、いわゆるユース・イミュニティーと申しまして、昔はトランズ・アクション・イミュニティーというのがとられたのですが、いまはその範囲を制限することで、不当に証人に立って自分自身が重要な問題について刑事責任を免れることがないようなバランスも配慮しております。日本の場合には、自己負罪拒否特権、黙秘権というものの保障はやはり免責としてございますけれども、そのほかの免責は、アメリカのようにはございません。

沖本泰幸公明党・国民会議

○沖本委員 終わります。

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 岡田正勝君。

岡田正勝民社党・国民連合

○岡田(正)委員 両先生にお伺いいたします。  大変的の外れたことを一番最初にお尋ねするようになるかと思いますが、先生方のお耳には、私もこれははっきりわからぬことでありますが、FBIの秘密捜査官がもうずいぶん前から日本に入って、日立や三菱と接触をしておったのではないかという疑いがありはしないかということは聞いていらっしゃいませんか。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 若干は聞いております。

岡田正勝民社党・国民連合

○岡田(正)委員 私も確証があるわけでございませんから、どうも余りはっきりはよう言わぬのでありますが、もしさようなことがあるとするならば、主権の侵害という問題が起きてくるのではないかと思いますが、いかがでありましょうか。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 その活動が一定の限度を超えれば、主権侵害になるのは当然だと思います。ただ、それぞれの大使館は、文化アタッシェと称しまして、文化担当官として各国それぞれ警察治安担当官あるいは情報収集担当官というものがどこの大使館にもございまして、その限度において、自国の利益を守るための情報収集活動は行っていいことに条約上もなっているはずでございますから、したがって、その限度の中において専門的能力のある人々がアメリカの利益を守るためにある一定の行為を行うことは、条約上の限度をわきまえれば恐らく直ちに主権侵害にはならないのではないか、その点私、国際法の専門家ではございませんのでよくわかりませんが、必ず違法になる、主権侵害になるというようなものではないように了解しております。

岡田正勝民社党・国民連合

○岡田(正)委員 これは両先生の御意見を伺いたいと思いますが、いままでにわかっております範囲で本件を考えてみます場合、日本国民としての国外犯として立件する余地があるだろうかどうだろうかということについて、お伺いしたいと思います。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 いま直ちに国外犯として、言いかえれば先ほどから申し上げている刑法三条の十六号でございますか、として立件できるかと言われると、ちょっとそれはまだむずかしいんじゃないかと思うのでありますが、何しろ資料は全く私たちにわからないわけですから。まあそれでも、どういう意味であれ捜査に着手することはできるんじゃないだろうか、先ほどから何度も繰り返し申しておりますように、そういうふうに理解しております。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 私、非常にむずかしい問題のように思うのです。日本で裁判を行うということを前提にして捜査をやるのだと思うのです。日本で裁判を予定しないで刑罰を科すということを予定しなければ、やはり捜査はなるべく差し控えるべきだというふうに思いますが、そういう点から考えますと、今度の場合、先ほど稲葉先生も御指摘になりましたように、アメリカの場合だと、コンスピラシーについては贓物が盗品であるという認識は不必要ですが、連邦法では種々の判例がありまして、やはり確定的に盗品であるということの認識を必要とするようですし、さらにまた、盗品であることが証明されなければならないということになるのですね。カリフォルニアではそうではないというような関係がありまして、それで、先ほど申し上げましたように微妙な関係ですが、管轄や犯罪成立について連邦犯罪として成り立つかどうかというようなことを考えながらあの起訴状ができ上がっているのだろう、それはよく見なければわからない、こういうように申し上げたのです。  そういう点で、日本へ入ってきましても、日本ではまだその点について細かく検討がされてはいないでしょうけれども、恐らく日本でも、本当に贓物でなければ贓物罪は成立しないという考え方をとるのだと思います。しかも、贓物の場合には未遂罪の処罰をしておりませんので。未遂罪の処罰があると、日本でも犯罪の成立の余地はあります。しかしそうでないので、犯罪の成立する余地はないのだろうと思うのです。そういう事実がわかってさましたら、やはり捜査は差し控えるべきだというふうに思います。  それから、将来、向こうで裁判がされるのがいいのか、こっちで裁判されるのがいいかについて、証拠がどちらにあってどうであるかということを考えなければならないのですが、その点について、日本で裁判しても十分証拠が集まって被告人側が十分に防御できるような状態があるということが保障され、しかも先ほど来委員の先生方がおっしゃっておられますように、特別に日本が寛大な処置をしたというような印象を与えることがないというようなことでけじめがつくならば、日本で裁判することも考えられると思うのですけれども、私は非常にむずかしいような感じを持つのでございます。

岡田正勝民社党・国民連合

○岡田(正)委員 本件におけるこの情報は、贓物と認定できるかどうか、現在わかっております範囲内でですね。何でそんなことを言うかといいますと、盗んだという人がだれなのか全然わかっていないというような段階において、さらに、日立や三菱の方では盗品だとは全然認識しないでというような場合のとき、アメリカの方ではいま訴訟をやっておるわけでありますけれども、贓品と果たして言えるのかどうか、その点はいかがでございましょうか、両先生からお聞きしたいのであります。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 カデットが盗んできたというのは、本件には関係ないのでしょうか。カデットが盗んで、イランの女子学生のアヤジに手渡して、アヤジがイランのサファイに渡した、こういうふうに新聞報道されている事件は、本件とは全く無関係なんでしょうか、これが一つなんです。  それと、まあ私たちの知識は新聞、テレビ、ラジオ、週刊誌の域を出ないものですから、ちょっと申しわけないのですけれども、よく、いろいろな報道を読んでいると、盗品であるということに錯誤があったと言っていること、盗品であることを知らなかったと言っていることも、私は少し苦しいような感じを受けるのです。たとえば、すでに四年前に公表されていたとか、あるいはすでに出荷されている、手引書はもう第三者に渡っていると信じていた、こういうふうな言い方で信じていたと言われると、それは考え違いであるかもしれないし、あるいは弁解であるかもしれないし、そこいらが、客観的事実がもっと明瞭になってくるとわかりいいのでしょうが、それにしても、入手する費用が少し高過ぎるのではないだろうかということを感じるのでございます。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 贓物罪が成立するのに、一つは贓物の知情という問題がありまして、それから今度はそれが本当に贓物であるかどうかという、二つの問題がございます。贓物の知情という、贓物であることを知っているという点ですと、これは日本でもアメリカでも変わりませんで、恐らくそれは贓物であろうというふうに考えればいいわけで、具体的にだれが盗んで、どこからどうやって盗まれたかというようなことをはっきり認識する必要はない、この点はアメリカも日本も変わりは全くありません。  ただ、そういうふうにこれは盗まれたものだろうと思っていた一ところが本当には盗まれていない、このときが一番問題なんです。そのときには錯誤が起こるのですが、その錯誤というのが、全部仕事を終えてしまった、自分の行為を終えてしまったけれども、その結果が犯罪にならない、こういう場合ですね。これは処罰する場合の未遂と、もう一つは不能犯の場合です。  英米では、昔からとられておりますのは、事実に関する不能と法律に関する不能を分けまして、事実に関する不能は未遂罪を構成するが、法律に関する不能は不能犯である、犯罪は成立しないという考え方があるのです。連邦はその立場をとる。たとえば、ポケットの中にあると思って盗みにいったら、ポケットにないという場合です。これは事実上の不能でありますから、したがって未遂罪が成立する。しかし、犯罪成立——今度の場合なんかそうですけれども、贓物であるかないかというのは、法律上贓物というのは盗まれたということが要件になるのだというふうに考えると法律上不能になる、こう考えるわけですね。それで、連邦の傾向はそういう傾向が強いようです。したがって、贓物罪は本当に盗むことの証明がない限りは、知情があっても贓物故買、贓物運搬というものにまで犯罪が至らないことになります。  ところが、コンスピラシーだけは別でして、犯罪が始まる段階ですから、したがって犯罪の具体的内容なんか知らなくていい、こう考えておりますので、独立犯罪としてコンスピラシーは有罪にされていいのだというのがアメリカの一般的な見解です。ただ、アメリカでも有力な反対意見はもちろんございます。コンスピラシーの場合の方が教唆とか幇助の場合よりも刑が重たいものですから、その場合には、日本にある議論と同じですが、犯罪それ自体がちゃんと成立するという場合でなければ、いわゆる実行行為というものが行われる場合でなければコンスピラシーは成立しないのだというふうに考える考え方があります。しかし、アメリカの場合には、先ほど横山先生は主犯がいないとおっしゃいましたが、本当に悪いやつは組織で後ろにいるのだというのがアメリカ人の基本的な考え方ですから、われわれと理論構成の出発点が違うというふうに考えられるのだと思うのです。  そのようにして二つの問題がございます。ところが、州によっては相当違いがありますのは、詐欺の場合が問題なんですが、詐欺犯が詐欺に来る。それをいままでに何回もやられたので知っている。で、わなをかける。渡す方は、本当にそれは取りに来たのだ、だまされたと思って渡すわけですが、全然だまされてないわけです。したがって、物を渡します。これが犯罪成立の要件を欠くわけですが、そのときに相手がつかまえて犯罪にならないと構成するのはおかしいという議論がかなり強く出てまいります。  犯罪というのは後ろにいる人間がおかしく使うところに問題があるのだから、したがって贓物罪の成立のためには現実に物が盗まれている、いわゆるセフトされているという必要はないのであって、認識がおよそ一般的に贓品であるという蓋然的な認識であればそれで足りるという考え方が強くなってまいりまして、先ほど申し上げましたアメリカン・ロー・インスティチュートのモデル・ピーナルコードではその立場を表にあらわしたのでございます。連邦ではトーマス事件等々不能についてやはり伝統的な、細かく説明しますといろいろな問題がありますが、一応は事実上の不能と法律上の不能に分けておりまして、法律上不能の場合には不能であるというふうに考えますので、贓物罪は成立しないということになるわけです。恐らくそのことを考えてコンスピラシーだけが起訴状に連邦犯罪として盛られているのだろう、私はそう了解しておるのです。

岡田正勝民社党・国民連合

○岡田(正)委員 ありがとうございました。  次に、いまのような経過をもちまして盗品故買だとかなんとかということを言わないで、これは共謀だということを表に一枚看板のように出してきているわけです。ところが、実際はいろいろと新聞等を見ておりますと、その情報を出してくれた一時なぞの情報提供者と言われておりました人たちが、キャラハンさんにしましてもギャレットソンさんにしましても、いずれもFBIの秘密捜査官であるというようなことから考えてみますと、それとタッチしているのは、皆秘密捜査官と対象者である日立、三菱しかいないわけですね。これはまことにおかしい話ではないかというふうに感じるのでありますが、そういう場合に共謀ということが言えるのでありましょうか。これもぜひ両先生からお伺いしたいのであります。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 当委員会から送付を受けた資料によりますと、先ほど私の意見陳述でも申し上げさせていただきましたが、確かにギャレットソンとキャラハンとのコミュニケーションがオーバーアクトとして示されているのですが、その前に一九八〇年六月から八二年六月二十二日までに謀議があった、こうはっきり指摘しておりますので、検察官としてはこの謀議を立証できると思っているのではないかと私は思うのです。  そこで問題を考えるのですが、その謀議を立証しようとすると、一体何がそこに行為として存在しているのか——陪審制てすから、いま渥美さんも御説明になったように、贓物罪の構成要件の解釈がいろいろに変化していくのもすべて陪審制を前提にする理論構成でありますから、たとえば敷衍して一つの例を申し上げると、マーダーに対するファーストデグリーかセカンドデグリーかを決めたり、あるいはマンスローターとマーダーの違いを認定するというのも、陪審員の認定にかなうようにするために、使った凶器が何であったか、あるいは刺した部位がどこであったかというような客観的事実だけで認定させようと努力しますから、謀議があったという事実についても、単に主観的な心理の合致だけでなくて、恐らく検察官としては何か客観的事実をはっきりつかんでいるのじゃないだろうか。それはわからないものですから何とも言えませんが、その客観的事実の中に何か贓物収受とか故買とかというような犯罪事実がありはしないだろうかということを私は考えたわけです。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 いま先生御指摘の点がわなに関係するわけです。ですから、わなが証明されれば無罪になりますし、わなが証明されなければコンスピラシーが成立することになります。コンスピラシーの成立の要件はいろいろありますが、複数の当事者が加わっているということで、その場合贓物を故買し運搬する、盗んでくるということについて、その係官、前歴にいろいろ問題のある方のようですけれども、その人と相談をするということをやれば、一応そこで謀議の要件は整っているということになるのだと思います。ただ、その謀議の仕方がどういう内容であったか、先ほど申し上げましたようにIBMの人との関係を証人を呼んで細かく調べていきまして、一番最初から、東京で接触をしたときから実はもうわなをかけていたというようなことになってきますと、事態は大きく変わってしまうことになるのだろうというふうに思っております。

岡田正勝民社党・国民連合

○岡田(正)委員 ありがとうございました。  井上先生が冒頭にお述べになりました問題の中で、他の委員も多少触れられましたが、日本といたしましては、本件については日米の関係も考えてむしろ積極的に捜査をすべきではないか、こういう御意見がありました。それはそれでよくわかるのでありますが、積極的に捜査をしようとする場合、どんな場合を想定していらっしゃいますか。いまは共謀罪だけしか表へ出ておりませんね。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 確かに共謀罪だけしか出ていないのですけれども、本当に贓物収受や運搬という事実は全くないのかどうか、これはちょっと理解できないところでありまして、あるいはひょっとしてあるのではなかろうかという気が私はするわけです。仮にそれがないにしても、これだけ日米間の問題が緊張関係にあるわけですから、わが国の司法当局としても一回事情聴取して、われわれ国民に納得させるだけの情報を人権を侵害しない程度に公表してくれることが望ましいのじゃないかと私は思うのです。それは司法当局が公表するということには限りませんけれども、まさに私たち教わったように、検察事務というのは治安問題ですから行政権に属しているわけで、いまこそそういう行政的な理解と力量で問題を前進的に解決する方向を選んでほしいと私は思っているわけです。

岡田正勝民社党・国民連合

○岡田(正)委員 それから、井上先生がおっしゃられました中で、その場合たとえ十分な捜査ができなかったということになりましても、早期に裁判をして有罪、無罪を早く決めてあげるべきだ、はっきりさせるべきだというような意味のことに、私の聞き違いかもわかりませんが、そういうふうに聞こえたのであります。ちょっと乱暴じゃないかなという感じがいたしますが、その点をもうちょっと詳しく。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 先生がおっしゃられるとおりで、私も無条件にそういうことを言っているわけじゃありませんが、二十分間の意見発表なものですから。もちろんそれには限度があります。しかしながら、一般の刑事事件でさえ、いまはむしろ捜査期間が短いということを前提にして、早く起訴をして決着をつける、無罪率がもっと高くてもいいのだ、それが新しい刑事裁判制度だということは有力な学説が鋭く説いているぐらいでありますから、完全な証拠が集まらない限り、有罪にできない限り起訴はできないということでは私はないと思いますが、そういう限度で御理解を願いたいと思うのであります。

岡田正勝民社党・国民連合

○岡田(正)委員 どうも大変ありがとうございました。両先生にお礼申し上げます。

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 安藤巖君。

安藤巖日本共産党

○安藤委員 先ほどから両先生にいろいろ詳しくお話をしていただきまして、ありがとうございます。  最初に、いろいろお聞きになりましたので、できるだけ重複を避けて井上先生にお尋ねしたいと思うのですが、先生が最初におっしゃった一九七二年五月でしたか、刑事訴追の移管に関するヨーロッパ条約、これは日本なら日本へ逃亡してきたという場合に、日本は批准しておりませんから別ですけれども、たとえの話です。これは犯罪人を訴追して裁判にかけるというのはできることになっているのか、しなければならないことになっているのかということと、不勉強でございますので、結局、そういうことをおっしゃった趣旨は、いまのこのIBMの事件でもそういうことを考えてみる余地が十分あるのではないかという御趣旨だと思うのですが、これは御承知のように、日米間の犯罪人引渡し条約、それ以外の逃亡犯罪人引渡法がありますね、それから国際的な捜査共助の問題で国内法もあるわけでございます。こういうような条約あるいは国内法があって、あえてそういうことをしなくてもいいのじゃないかなという気もせぬでもないのですが、やはりそういう条約なり国内法があっても、なおかつ今回の場合でもそういうことを考えてみるべき余地があるのではないか、こういうお考えかどうかということをお伺いしたいと思うのです。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 先生の最初の御質問は、締約国の一つは締約国の他に対して訴追を請求することができる。それから、締約国の請求された国はもちろん拒絶することができるという制度でありますから、いろいろな条件がついておりますので、請求されたらすべて訴追しなければいけないということではありません。最初に、その点をひとつ私の見解として申し述べさせていただきます。  その次は、ヨーロッパ条約があるからどうこうということを申し上げるつもりはなかったのであります。ヨーロッパではヨーロッパ共同体、法的共同体というふうな観念でとらえやすいものだからそういう統一条約ができてはいますけれども、それだけ親密な国柄においては、刑事訴追というまさに主権を代表するような事態においても国際化が進んでいる。日米の関係というのは、好むと好まざるとにかかわらず戦後のわが国の国際政治の基盤をなしていますので、いまここで不必要な緊張関係がいつまでも続くということが果たしてプラスなのかマイナスなのか、これはまさに政治的判断が必要なことであって、私のような法律家の一人が言うべきことではありませんけれども、しかし、ヨーロッパ条約のたてまえから見ても、引き渡しを拒絶するという姿勢だけでなくて、もう少し賢明な対処の仕方があるのではなかろうか。  私としては、第三番目に、わが国にいる容疑者と言われている人たちを引き渡すということでなくて、日本政府は自国民を守るという当然の権利と義務がありますから、違った解決の方法の一つとして先ほどのような意見を提起した次第であります。

安藤巖日本共産党

○安藤委員 きょうは井上先生から、結論的に私論ということでございましたが、先ほどからも話が出ておりますように、いまおっしゃったような御趣旨で、日本の国内で独自に捜査を開始して云々というお考えを披瀝していただきましたけれども、この前の当委員会におきます集中審議の場合でも法務省当局に対して、日本独自で捜査をするようなことはあり得るのか、考えられないのかということをお尋ねしたことがあるのです。そのことと関連して、先ほどからお話がありましたことでどうもよくわからぬことがあるものですから、二、三お尋ねしたいと思うのです。  アメリカの本件に対しての起訴事実の中で、贓物の移送の共謀ということで、日本の刑罰法規の犯罪類型に該当しないのが掲げられている。これは、日本の犯罪類型に該当する、たとえば贓物収受、運搬というようなことが掲げられていたら日本での裁判権が発動されるということがあって、結局、引き渡し要求がかっこうがつかなくなるというのを恐れてとおっしゃったかどうか、ちょっと記憶がありませんが、外したのではないかというような非常に洞察力のあるお話を伺ったのです。しかし、日米の犯罪人引渡し条約によりますと、その第三条で、御承知のように、日本の国内法で犯罪に該当するかどうか、該当しない場合は引き渡さないことができる、たしかそうですね、とあると、やはり日本の犯罪類型に該当しないのを掲げた方が、日本としては引き渡さないよということがかえって言いいいのじゃないかというように思えるのです。これまでも日本の法務省は三条の方を先に持ち出してきまして、私が、日米犯罪人引渡し条約の五条で自国民は引き渡す義務はない、だからこれ一本でいったらどうだと言いましたら、やはり三条の方をいろいろあれこれ言うておられたのですが、かえってそういうことになるのではないか、逆じゃないのかなあということを先ほど先生のお話を伺いながら思っておったのですが、その点はいかがでしょうか。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 確かに、アメリカではコンスピラシーが犯罪になっても日本では犯罪になっておりませんから、そのとおり、逃亡犯罪人引渡法に基づいても引き渡す義務はないわけですが、しかし、日米間の問題というのは、わが国の法律がどうなっておるかという一事だけで片づくかどうかということを私は案じるわけです。もっと高度の政治的な配慮というのがあって、結局、自国民を守らなければならない日本政府が自国民を守ることができずして、直接間接の圧力でアメリカへ渡さざるを得ないような羽目になるようであるならば、それこそ人権問題としては非常に恐ろしいのであって、それくらいならばもっとはっきり自信を持って回答できるように、わが国自身も事情を聴取していくというファーストステップが必要ではなかろうか。条文だけを盾にとって引き渡しをずっと拒絶して済むのかどうかという点に、安藤先生、私は疑問を感じるわけでございます。

安藤巖日本共産党

○安藤委員 そこで、そのことと関連しまして、今度アメリカの司法当局の人たちが三人日本にお見えになっていろいろ折衝しておられるようですが、これも私は新聞に発表された範囲でしか知識はありませんけれども、日本の犯罪類型に当てはまっていないというのであれば、犯罪類型に当てはまるように訴因の変更というのですか、そういうことを変更する用意があるというようなことも言っておられるように、私は新聞の報道では聞いておるのですが、そういうことになるとやはり情勢が変わってくるのかなという気がするのですが、では、引き渡しが求められるような前提といいますか条件づくりなのか、日本の犯罪類型に当てはまるということになってくれば、かえって先生がおっしゃったように、日本で独自に捜査して起訴して司法当局の判断にゆだねられるということにもなりかねないのじゃないかという気もしますし、それからさらに、捜査共助の関係からいいますと、捜査共助を求めることができるような前提をつくろうというようなことなのかなといろいろ考えをめぐらせておるのですけれども、この辺のところはどのようにお考えでしょうか。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 いまのお尋ね、ちょっとわかりかねたのですが、この辺のところはとおっしゃるのは、どのあたりの御質問になるのでしょうか。

安藤巖日本共産党

○安藤委員 訴因の変更をして日本の犯罪類型に当てはまるように変えようということも考えているのだ、だからそういうことになりますと、引き渡しを求める、これは日本の犯罪類型にも該当する、日米犯罪人引渡し条約の三条に該当するわけですね。だから引き渡しを求める前提としてそういうことを向こうが考えておるのだろうかということですね。しかし、そういうことになれば、先ほど来先生がおっしゃってみえておるように、日本の犯罪類型に該当するということになれば、日本で独自に捜査をして云々ということにもなって、かえって逆じゃないのかというような気もするのです。  それからもう一つは、捜査共助を求める場合でも、日本の国内で犯罪が行われた場合に、日本で刑事訴追をすることができるかどうかが一つ条件になっておりますね。だから、それに当てはまるということになるので捜査共助を求める前提をつくろう、あるいは条件をつくろう、こういうような考えなのだろうかと三つぐらい私、思ってみたのですが、これはむずかしい話ですけれども、そういうことを向こうが考えてのそういう訴因の変更ということになるのだろうか、だから、訴因が変更すればそういうふうに事態が発展していくのだろうかというふうに思って、考えあぐねておるものですからお尋ねしておるわけなんです。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 安藤先生、私の推測なんですが、アメリカ当局としては日本にいる容疑者をアメリカで引き取って事情聴取をしないと、いま問題にしているアメリカで起訴された人たちに対しての立証も相当困難ではないだろうかと私、思っているのです。ことに謀議というのは、起訴状に書かれておりますように特定の数名が謀議したわけですから、その中で非常に多くの数の者が欠けているということになると、果たしてどれだけ裁判で立証が可能か。だから、先生のおっしゃるように、犯罪事実を変えてでもとにかく引き渡してもらいたいというふうな、切迫した気持ちのあらわれがあるんじゃないかと私は思っております。

安藤巖日本共産党

○安藤委員 それから、両先生にお伺いしたいのですが、いままで判明した事実の範囲内で御判断をいただくよりしようがないと思うのですが、いろいろこれまでお話をお伺いしておって、多額の金を支払った問題とか、何か最初に共謀があったみたいな事実関係もありますし、特にアディロンダックのワークブックですか、あれはおとりの捜査に入る前にもう日立が手に入れていたというのがありますし、それにIBMの秘密だとかコピー禁止だとかいうのはちゃんと書いてあったのも知っておったはずだということが、いろいろFBIの捜査報告だとか起訴事実から見るとわかるのです。そういうようなことがあるのですが、わなの抗弁、おとり捜査の抗弁というのは、アメリカでこれから裁判が始まるわけですが、一番のポイントだというふうに先ほど先生おっしゃったのですが、わなの抗弁は通りそうに思っておられるか、あるいはこれはなかなかむずかしいなと感じておられるか、なかなかむずかしい質問ですが、いまの事実把握をしておられる範囲内で結構ですが、お伺いしたいと思うのです。  それから渥美先生には、やはり同じ内容のことなんですが、これは読売新聞だったと思うのですが、公判廷でおとり捜査の問題について汚いなどという言葉は使わぬ方がいいのだという新聞の報道ですが、これはうそか本当かわかりませんが、本当だとすれば、それはどういうような趣旨でおっしゃっておられるのだろうか、非常に気になるものですから、お伺いしたいと思います。

井上正治九州大学名誉教授・弁護士

○井上参考人 私は、連邦判例もあることですから、ことに日米関係のこういう重大な問題に関して、簡単に法廷における特別抗弁としてわなの抗弁が通るとは思いません。それくらいの用心はしているだろうと私は理解しているのですけれども、しかし、とにかく素人賠審員を相手にする刑事裁判ですから、わなというのはまさにアメリカ国民自身の切実な問題ですから、これが一番の効果的な闘いになるだろうということは、想像にかたくありません。

渥美東洋中央大学法学部教授

○渥美参考人 そう直ちにだめだとかだめでないとかということは、かなり微妙な事件だと思います。一番最初にワークブックが来たときに重要なところが抜けているというようなことから始まっているわけですから、その段階から触手が働いているというふうな証明がIBMの関係者を呼び出してやれば、これはわなの抗弁が成り立ち得る余地はあります。そこまで持っていけるかどうかが非常にむずかしいわけです。恐らく、証人を全部向こうへ持っていきたいということで向こうの方が来られていろいろされるのも、その間の公判までにどういう形で収拾するかについての一つのステップだと思います。冷静に計算されたステップなんで、こちらの弁護士さんたちは恐らく冷静に、私が弁護士であれば冷静に対応してこちらのステップを考えます。それだけのことだと私は思っているのです。  ただ、カリフォルニアは第九巡回控訴裁判所地区ですから、合衆国最高裁判所よりもっと強い主観説に立っています。つまり、もともと故意があるということであればわなの抗弁は成立しないという考え方ですから、ほかのところでやられるよりも有罪になる可能性は巡回控訴裁判所レベルまで強いだろうということは言えるのだと思うのです。  先生方御存じだろうと思うのですが、つい最近のローウイーク、アメリカの法律や判例についての週報がございますが、その中でいわゆるアブスキャンについて幾つか無罪判断が出たのです。第三控訴裁判所の場合には無罪判断をひっくり返して有罪にしましたが、またDCの連邦地方裁判所においてつい最近わなで無罪の判断がおりておりまして、そのときの基準はどちらかというと客観説の立場であります。  予断は許しませんのでわかりませんが、一番最初の段階からの関係、ワークブックの提供の点あたりからFBIの人とIBMがどう絡んでいたかというのがこの問題の成否を決めるのだと思うので、そう軽々しく成立しないとか成立するとか言えないように思うのです。相当むずかしいだろうというふうに考えております。  それから私、くだらぬことを申しまして、汚いということを言っているが、いけないと申しましたが、いろいろな内容がありまして、二つの側面から申し上げたのを簡単に新聞記者がお書きになったようです。  一つは、アメリカの社会にいてアメリカで行為をしている、アメリカの社会で、どういう連邦法があり、どういう州法があって、どういうふうな手続がされて自分たちの行為が扱われるのか、ということは、アメリカの中でアメリカの利益を受け、アメリカの法の保護を受けながら行動している者は当然にその前提で行動をすべきである、日本でやられた場合ならいざ知らず、アメリカで行われた場合に、アメリカで通常行われている方法について、しかもそれが合法であると考えられる場合、日本で行われる場合には許されないからアメリカでやるのは汚いというような評価というのが、果たしてできるのだろうかということをまず考えたのです。  刑事法というのは本来非常に土着性の強いものであります。国際性の道が開きますが、非常に土着性の強いものであります。それぞれの国の成り立ち、仕組み等々、それについての評価によって構造的に決められてくるものでして、したがって、日本がいまの状態でしたらそう簡単にドイツのものや外国のものを、かつては明治維新のときは輸入しましたけれども、いまならそう簡単に輸入できるものではないと思います。  そういう点で、アメリカで行動している人が、これも必ずしも正確ではないのですが、日本でやられた場合は許されないことだから汚いよというようなことを言うのは筋違いだろうということが一つ、それからもう一つは、汚いとかなんとかというのじゃなくて、アメリカの法理論上、いまだんだん、先ほども申しましたが、FBIの活動がいわゆるダーティーに、汚くなるというようなものを法的に制限してきているわけですね。その制限の方向に従って法廷で正々堂々と法律論を展開して、ユニフォーミティーというものを強めてくる、しかもそう根拠のない事実に基づいて行動する統一的な警察に対する危険というものを、日本人とアメリカ人と一緒に分け合いながら議論をするというようなやり方が望ましいのであって、アメリカのやり方は汚く日本のやり方はきれいだというような表現は、誤解を招くから一切行うべきではないというのが私の趣旨でありまして、したがってそれを端的に、汚いと言うべきではない、公判で汚いというようなそういう感情的な表現をすべきでないということを新聞に書かれたのは、私の言ったことをある程度正しく伝えているものだと思っております。

安藤巖日本共産党

○安藤委員 時間が来ましたので終わります。どうもありがとうございました。

羽田野忠文自由民主党

○羽田野委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  両参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。(拍手)  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時五十四分散会

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