文教委員会 第7号
- 発言数
- 241 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1982/04/07
会議録
○青木委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中西績介君。
○中西(績)委員 さきの当委員会におきまして、同僚の佐藤委員の方から平和教育について質問がなされました。その中で、特にまた理解を深めるためにと思いまして、二、三の点につきまして質問を申し上げたいと存じます。 そこで、先般も、大臣御存じのとおり、平和教育の持つ意味というものを考えるときに、佐藤委員の方からも指摘されましたように、まず第一に、戦争の持つ非人間性あるいは残虐性、これを子供に知らせ、戦争への怒りと、平和をいかに守り、生命の尊厳さをいかに理解させるかということが大変重要ではないだろうか。さらにまた戦争の原因追求、そしてさらに戦争を起こす力が何であったのか、その本質を科学的に認識させることが大変重要ではないか。加えまして、戦争をどう防止し、平和を創出するためにはいかにすればよいかということをやはり教育の中で徹底させることが大変重要ではないだろうかということの指摘に対しまして、大臣はお認めになったと思うのですけれども、この点はそれでよろしいですか。
○小川国務大臣 仰せのとおりだと考えております。
○中西(績)委員 そこで私は、こうした平和問題に大変深いかかわりを持って勧告などをいたしておりますユネスコの問題について、一、二最初にお聞かせを願いたいと思うわけであります。 ユネスコの場合には、文部省の中に学術国際局ユネスコ国際部というものを設定までいたしましてユネスコ問題に対応しようといたしています。このユネスコ関係をなぜ文部省のこうした中に入れたのか、また位置づけをしたのか、この点についてお聞かせください。
○松浦(泰)政府委員 ユネスコ国内委員会につきましては、何年でございましたか、はっきり覚えておりませんが、以前は独立の行政委員会的な機関として活動しておったわけでございますが、先生御存じのとおり、複数の委員で構成されておりまして、また実際の国内に対する活動といたしましては、一般行政事務的に対応する面が非常に多いわけでございます。そういうことから、これを文部省の附属の機関として位置づけるということになりまして、その事務面を担当し、また、ユネスコ国内委員会の企画、調査等の結果に基づく実際の行政事務活動は文部行政の中でこれを処理するということで機構改革が行われまして、ユネスコ国際部の中でこれを担当しておる次第であります。そのようなことで、学術国際局長でございます私もユネスコ国内委員会の事務総長という肩書きをいただきまして、国内委員会の事務面を補助するということを担当しておるわけでございます。そのようなことから、ユネスコ国内委員会としましては、ユネスコ総会に対する文部大臣からの諮問事項の審議、答申、あるいはその他一般的にユネスコ活動に関してどのようなことを行うべきかということの調査研究、それに基づく建議というようなことをやっておる次第でございます。
○中西(績)委員 そうしますと、ユネスコ全般にかかわる事務的なもの、あるいは行政処理等も含めてやっておるということですね。 そうしますと、ユネスコ活動に関する法律というのがございますが、二十七年の六月二十一日に公布されておりますけれども、これを見ますと、一番最初に書かれておりますように、「日本国民は、国際連合教育科学文化機関が世界平和の確立と人類の福祉の増進に貢献しつつあることの意義を高く評価し、この機関に加盟することによって得た日本の国際的地位にかんがみ、政府及び国民の活動によりその事業に積極的に協力することを決意し、教育、科学及び文化を通じて、国際連合憲章、国際連合教育科学文化機関憲章及び世界人権宣言の精神の実現を図るため、ここにこの法律を制定する。」とあるわけですね。こうなってまいりますと、いまこの趣旨に沿って文部省におきましては、すべてのそうした行政的なものあるいはユネスコに対応するための事務処理、こうしたものをやるということになるわけですね。このことは、そう理解してよろしいですね。
○松浦(泰)政府委員 そのとおりに考えております。
○中西(績)委員 そうなってまいりますと、一九七四年十一月の「国際理解、国際協力及び国際平和のための教育並びに人権及び基本的自由についての教育に関する勧告」、これがなされておりますが、このことは御存じでしょうか。
○松浦(泰)政府委員 承知いたしております。
○中西(績)委員 そうしますと、その内容でありますけれども、特に私が申し上げたいと思いますのは、この勧告の中に、いろいろずっとございますけれども、「正義、自由、人権及び平和の促進のためすべての者の教育を確保することを目的とした活動を加盟国において奨励し及び支持することがユネスコに課せられた責務であることを再確認し、」そしていろいろ意見はあるけれども、こうした勧告をしたのだということが出ていますね。その中で「正義、自由、人権及び平和の促進のためすべての者の教育を確保すること」、こうしたことを目的とするユネスコというものの位置づけというのは、この法律に掲げられておる一番最初の総則みたいなものに対しましてもまさに適合するものと私は思います。そうした意味でこの内容を十分知った上で私は次に指摘をしたいと思いますのは、一九七八年に明らかになっておりますけれども、国連軍縮特別総会における最終文書の中にこういう文章が入っています。一〇七項のところに、「総会は軍縮教育に関する世界大会の開催を計画しているユネスコの発意を歓迎し、この関連において、ユネスコに対し、就中、教員用手引、教材、読本及び視聴覚資料の準備を通じ、軍縮教育を明確な一研究分野として発展させるための計画を促進するよう要請する。加盟国は、そのような資料の教育機関の教科課程への組み入れを奨励するよう全ゆる可能な措置をとるべきである。」、こう記述されています。それを受けてユネスコ主催の一九八〇年軍縮教育世界会議が持たれた、こう私たちは理解をいたすのでありますけれども、この点はどうお考えでしょう。
○松浦(泰)政府委員 先生御指摘のとおりと考えております。
○中西(績)委員 先般の同僚の質問の中でお答えがありましたのは、このときの軍縮教育世界会議は個人参加であったということが明らかにされました。そのことのよしあしは別にいたしまして、日本からは何名、そしてだれが参加したかおわかりですか。
○松浦(泰)政府委員 日本からは参加者十名というふうに承知いたしておりますが、氏名については長崎県の教員組合の部長の山川さん、広島平和教育研究所事務局長の石田明さん、それから東京都の関係では都教組の教育研究会議平和教育専門委員会委員長の根岸さん、その他の方合わせて十名と聞いております。
○中西(績)委員 これは個人参加であるから文部省とは何もかかわりがないとお考えですか、それとも参加することを知った上でこのことを承知しておるのか、どちらでしょう。
○松浦(泰)政府委員 先生のお話のとおり個人的な参加の会議でございまして、そこで軍縮教育の原則とか基本的な考え方をユネスコの事務局長に対し要請したと聞いておる次第でございますが、その報道されております資料とかユネスコ事務局長に対する要請の内容等を見ますと、平和教育の一環としていろいろ指摘されておることはそれぞれ教育上尊重していくべき大切なことだと考える次第でございます。
○中西(績)委員 いまお答えいただきましたように、たとえ個人であっても、いままでのかかわりからいたしますと、最終報告がユネスコ事務局長に要請するという形態をとっておる、したがってこの中身については大変重要なものである、その内容については御存じだということをいま申されましたのでお聞きいたします。 最終文書をお持ちだと思いますが、何と申しましても、先ほど私の方から申し上げましたこの会議がなぜ招集されたか、何が前提になっておったかということ、このことが大変重要ではないかと思っております。しかも、その内容が大変重要であるということの御認識でありますだけに、そこに至る過程が大変重要だろうと思うのです。そこでその内容として教育と軍縮の問題について指摘されております。この点、御存じでしょうか。
○松浦(泰)政府委員 承知いたしております。
○中西(績)委員 「教育と軍縮との関係」から言いますと、「平和教育の本質的要素である軍縮教育は、軍縮にかんする教育と軍縮のための教育の両方を含む。」、こうした指摘をしながら「兵器の生産と取得のもとに横たわる諸要因、軍拡競争の社会的・政治的・経済的・文化的影響、核兵器の存在とその使用の可能性が人類の生存に対してもっている重大な危険を自覚すること」が明らかにされるべきであるという内容になっていまして、その後に「軍縮の定義」だとか「情報の役割」だとか「研究と政策決定」だとかいろいろなものが明らかにされてくるわけであります。 もう一つ私がお聞きしたいと思いますのは「教育学的目標」と、その次のところにあるわけでありますけれども、この点についても御存じだと思いますが、よろしいですか。
○松浦(泰)政府委員 全体を詳細に読んでおりませんのでどの部分か、ちょっと私としてはわからないのでございますが……。
○中西(績)委員 「教育学的目標」という中に「軍縮教育を、軍縮の精神での教育と考えるにせよ、あるいは既存の学科へ関連教材を組み入れるものと考えるにせよ、さらに明確な学習分野の発展として考えるにせよ、軍縮教育はもっとも想像的な教育方法を実施すべきであり、特に、それぞれの特定の文化的・社会的状況ならびに教育水準に合致した、参加の学習の方法を適用すべきである。」、こういうように記されておるわけであります。私は、この中身が、具体化する場合に大変重要なものを持っておると思うのです。 したがって、こうした内容を申し上げた上でこの附属文書の方に移らせていただきますけれども、附属文書の中にまたいろいろなことがずっとございますが、この中で「教育課程および教材」というところがございます。そこに「軍縮教育は、国連憲章ならびに国際人権諸宣言の諸原則を守るための平和教育の不可欠の一部であること。」、一番最初にこのように記述されておりますけれども、その点は御存じですか。
○松浦(泰)政府委員 承知いたしております。
○中西(績)委員 次に、この「教育課程および教材」の中でもう少し大事なところがございますので指摘をしておきたいと思いますけれども、「ユネスコは、平和、軍縮、人権の問題に関して現行の教科書を改訂するよう働きかけるべきである。」、こういうことが一つ出ています。その後に「大量破壊の兵器、とくに核兵器の発達とそれがもたらす被害についての科学的な研究成果をふくむものでなくてはならない。」というようなこと、あるいは「生徒・学生に戦争や暴力にたいする鋭い認識をもたせるものでなくてはならない。」、こういうようなことが「教科書を改訂するよう働きかけるべきである。」、そうした内容になって出ています。それともう一つ大事なことは、「平和と軍縮に関する標準的教科書の作成。」という、こういう中身がございまして、「それは世界中の平和教育のすべての教育計画のモデルの役割をするものである。」と記し、教員養成まで含めていろいろずっと出ておるということですね。こうした点あたり私は大変重要だと思います。この点もいま、先ほどのところを御存じですから、私はもうお聞きはいたしませんけれども、こうした中身があるということをぜひ知っておいていただきたいと思うのです。 そこで、「教育方法」の問題についてまた次に記されております。「教育方法」というのは、「軍縮教育における教授方法は、」云々ということからずっと始まりますし、その内容がずっと記されておるわけでありますが、この点もおわかりいただけますか。
○松浦(泰)政府委員 はい、そのとおりに考えております。
○中西(績)委員 その最後になりますけれども、「教員および教育者の教育」というところがございます。そこには「教員および教育者の教育は、学際的であり、また、軍縮教育の現状と未来の必要に応ずるものでなければならない。」、そして「教育コース」云々ということでその次にずっと示されておりますが、その最後に「教員および教育者は、その仕事をおこなうにあたって生ずる一切のいやがらせや処分から法的に保護されるものでなくてはならない。」、こう記されていますね。この点もおわかりでしょうか。
○松浦(泰)政府委員 その点につきましても、教育者はその良心に従いまして、また教科書等にももちろん重要な教材としてかんがみなければならぬわけでございますが、最もそういう面での教育効果が上がるように本人が努力し、またそれを国としても擁護してあげるということが大切であろうと思います。ただ、そのために特別に法律がつくられておるということはないように考えておる次第でございます。
○中西(績)委員 法律がつくられておるとかなんとかいうことでなくとも、そうした教育方法なりあるいはこの「教員および教育者の教育」、その中身にありますそうしたあらゆるいやがらせなどがありましても、それを十分国なりあるいは行政が保護する立場にむしろ立つべきではないか、私はそう思います。大臣、いま一連の私が申し上げましたこの内容については当然過ぎる中身であろうと思いますので、この点についての御所見と、最後に、あらゆるいやがらせなどに対しましても国なりあるいは行政なりがそうしたものを保護するという立場に立つべきではないか、私はこう思っておりますけれども、その二つの点について御所見をいただきたいと思います。
○小川国務大臣 ちょっと恐縮ですが、お言葉の後の半分、聞き取れませんでした。第二の点は……。
○中西(績)委員 第二の点は、いま私がずっと申し上げました中身の中に、「教員および教育者は、その仕事をおこなうにあたって生ずる一切のいやがらせや処分から法的に保護されるものでなくてはならない。」、こうあります。したがって、そうしたいやがらせに対して保護さるべきではないか、こう私は考えるわけでありますけれども、この点はどうなんでしょう。
○小川国務大臣 ただいま仰せのことに対しましては、基本的にはそのとおりだと存じております。
○中西(績)委員 そこで、私は、文部省がそうしたユネスコ問題に対する考え方は明確に出されましたので、今度はその中における具体的な問題等につきまして指摘をしてまいりたいと思っています。 特に私が申し上げたいと思いますのは、先般同僚の佐藤委員の方から指摘がございましたけれども、一九八一年八月六日の広島あるいは九日の長崎、こうしたところで、投下されたちょうどその日に当たりますので平和教育というものが実施されております。それに対するいろいろな指摘がこの前ございましたけれども、大臣は、長崎市長の人類の未来に生きる道を生徒に教えてほしいという、こうしたアピールなどに対しましても当然過ぎる中身であるしこの点については理解をいただきましたけれども、ただ問題は、こうした具体的な教育実践を行う場合にいろいろ出てぐる問題であります。先般の委員会で指摘されましたのは、たとえば長崎における地教委のあり方についていろいろ指摘がございました。南高来郡の例だとかあるいは島原の例だとか、いろいろなものが出されたわけであります。この点については、まだ実態調査などがされておらないので即答できずに調査をするということでありましたけれども、その後調査はなされたでしょうか。
○三角政府委員 調査と申しますか、状況について長崎県教育委員会の方から報告をもらってあります。おっしゃいましたのは、長崎県における昨年八月九日の原爆の日、これの児童生徒の夏季休業中ではございますけれどもその特定の日に登校する、こういうことに関する問題でありますが、県の教育委員会の報告では、県内の小中学校では例年原爆の日を登校日としている学校も相当数あるわけでございますが、昨年八月九日がたまたま日曜日に当たっていたために、前日の八日の土曜日あるいは翌日でありますところの十日の月曜日を登校日とした学校がかなりあった、こういう話でございます。しかし、前回の委員会で佐藤委員が御指摘になりました若干の学校では、一部の教師が校長の指示に反しまして、生徒に対して九日にも登校するような指導をいたしましたために生徒の一部が登校してきた、こういうことでありまして、それに対しましては校長の方針で生徒に対しまして、きょうは登校日ではないということを話をして帰宅をさせたということなどがあった、こういうふうに聞いておるのでございます。 これに対する私どもの考え方でございますが、やはり学校の管理運営といいますか、経営の責任者といたしまして校長がとりましたこのような措置は適切なものであったというふうに考えるのでございます。以上でございます。 なお、ちょっとつけ加えますと、五十五年度で原爆の日の登校を学校教育活動として長崎県で実施したものは小学校で二百九十七、中学校で百五十七、小中合計で四百五十四、全体学校数が六百七でございます。それから、昨年度の場合はいま申し上げましたような形でいろいろおやりになったわけですが、小学校で二百八十、中学校で百四十、合計四百二十、学校合計数が六百八校、そういう結果になっておるという報告を受けております。
○中西(績)委員 私は先ほどずっと長時間使いまして、ユネスコと文部省との関係、そしてこうした軍縮教育なり平和教育の問題をどう受けとめるかという問題から文部省の御確認をいただいたわけでありますけれども、その中で、いま出ておりますように、昨年の場合には六百七校中四百五十四校が実施されておるようでありますが、たまたま昨年八月九日が日曜日だということでもって、いま言われた管理運営面で適切でない、こういうことを言われたわけでありますけれども、ただその場合に私聞き落としたと思うのですけれども、八月八日に登校されたところはおわかりでしょうか。
○三角政府委員 小中合計で申し上げますと、八月八日に実施をしたものが三百八校でございまして、九日に実施をしたところが六十校、ついでに申し上げますと、十日の月曜日に実施したところが五十二校、こういう内訳の数字を聞いております。
○中西(績)委員 いま数字をずっと見ますと、八月八日に三百八校実施をし九日に六十校、十日に五十二校、そうしますと、このことは通常日でありますと校長が認め、県教委あるいは地教委がそれを認めてやっておるというように理解をしてよろしいですか。
○三角政府委員 私どもそのように理解しております。学校教育活動として実施をしたというふうな報告でございます。
○中西(績)委員 そういたしますと、九日に実施をした六十校というのは、そうした学校行事でなくて実施をしたということですか。
○三角政府委員 これはその点の考え方は学校によっていろいろ細かいニュアンスの差はあると思いますけれども、総括的にとらえているとらえ方としては、土曜日にやったところも日曜日にやったところも同じような形であったというふうに理解しております。
○中西(績)委員 そういたしますと、アンバランスになっておるということですね。先ほど言われましたように、八月九日長崎に原爆が投下された日、この日に登校しようとした際に地教委はそれを認めなかった。その結果、この前指摘がありましたように、校門に鎖あるいはかぎをかけて入ろうとしても入れなかったというようなことが生じたわけでありますけれども、これは各地教委ごとの間におけるアンバラが出た、こういうように理解をしてよろしいのですか。
○三角政府委員 先ほど御説明申し上げたつもりでございますが、土曜日ないしは月曜日にやるということに決めて実施をしたことに加えて、日曜日にも登校をしてきなさいという指導を学校としてではなくて個々の教員がしたために子供の一部が登校してきた、こういうことがあった、こういうふうな報告でございます。
○中西(績)委員 私はこのことをもうここで論議しましても、文部省が直接そのことを指導したというわけじゃありませんし、私がそのことをまた直接その日に体験をしたということではありませんからやりませんけれども、私はここに一つの問題があるのではないかと思っています。いま言われましたように、先ほどから私がるる申し上げました点につきましてはお認めになっておられますけれども、やはり何としてもこの前から問題になっております日本の憲法前文の問題、書きかえろ、こういうことを先般指摘をいたしたところ、それはもうごく一部のことであって、幾つかの指摘する事項の中の一部であると言うけれども、その一部が一番大事なところなんですから指摘をしておるわけなんでありますけれども、実際に書きかえが行われておらなくてもそうしたことを指摘をしたということが私たちには聞こえてきておりますし、直接その本人の記述した部分があるわけですね。私はそれを見て慄然とするものがあるわけなんです。ですから、この点は御存じですかどうですか。
○三角政府委員 私どもは憲法前文を教科書に載せることは好ましくないとかそういう立場や態度は全然とっておりませんで、現に教科書には載っておるのでございます。ただし、その指摘をしたこと自体が慄然とするという、何と申しますか、ある種の非常に極端な御判断がお入りになっているような気がいたしますけれども、私ども教科書の検定の場合の執筆者側とのいろいろ意見交換の際に申し上げるとすれば、それは憲法なら憲法の記述について全体の文脈の上で扱う場所が適切であるかどうかとか、あるいは全体の本の構成の上でたとえばほかにも出ておる場合にどちらに載せる方が適切であるかとか、そういう考え方の突き合わせというのはあると思いますけれども、憲法の前文だからといって、それを載せないというような意見を申し上げることはないのでございます。
○中西(績)委員 私がこれを出しましたのは、「書くなと言われた点で驚いたのは、何といっても、憲法の前文を削除したらどうかと言われたときであった。これには最後まで抵抗して原稿のまま残すことができたが」と、こういう文章表現があるわけですね。だから、これは執筆者がそう言われたわけです。執筆者というのは、文部省に呼び出されて、そこでもって調査官なり何なりからそうした、修正ですか、あるいは改善ですか、あるいはそうした指摘ですか、受けるわけでしょうから、こうしたことがなかったとは言われないのじゃないでしょうか。本人がそう言っているわけですから。
○三角政府委員 教科書はたくさんありまして、そして、それぞれがいろいろな組み立て方で中身をつくり上げておりますので、一つ一つについての内容と申しますか、若干ずつの特色があるというのは、検定教科書の当然あるべき形でございますが、まあいろいろごらんいただければと思いますけれども、私どもは憲法前文を書いてはならないなどということは考えてもおりませんし、そういう検定もしておりませんし、それは教科書をごらんいただければわかるのじゃないか、こういうふうに思うのでございます。
○中西(績)委員 「これには最後まで抵抗して原稿のまま残すことができたが」ということなんですね。指摘をされたことは事実なんでしょう。本人がそう言っているわけですから。だから、そこに問題があるのではないでしょうか、私はこう言っているわけです。たくさんあるから、こういうことを言われますけれども、そうしますと、そうしたことは全然やっていないということを言われるのですか。この本人がそうしたうそをここに記述してあるという御指摘でしょうか。
○三角政府委員 私はいま御引用のものについてしさいに見ておりませんので、どこまで立ち入って申し上げられるかでございますけれども、うそか本当かというのはちょっと申し上げにくいと思いますが、少なくとも不十分じゃないかという気がいたします。あるところだけの、国会の論議なら論議でも、ある三十秒なら三十秒のところのやりとりだけを取り上げて、それを拡大鏡で拡大するということになりますと、国会全体の論議が必ずしも正確に世の中に示されないというようなのに似たようなことがあるのじゃないかと思います。憲法前文について、もしそれに類するようなやりとりがありましたとすれば、それは、ほかで出ておるから重複になるとか、あるいはその個所の文脈の上で果たしてすらっとして適当な記述になるかどうかというような点での意見のやりとりはあり得ると思いますけれども、憲法の前文だからそれは落とせ、そういう検定方針をとっておりませんし、そういうやりとりはないはずでございます。
○中西(績)委員 私は、どういうやりとりがあったかは、それは知りません。しかし、指摘しておることは事実なんでありまして、何回も言いますが、「憲法の前文を削除したらどうかと言われたときであった。これには最後まで抵抗して原稿のまま残すことができた」、こうなっているわけですね。ですから、言ったことは事実なんじゃないでしょうか。もし、文部省としてはそうした方針がない中でそうしたことを言ったということになれば、その内容をつまびらかにすることができますか。
○三角政府委員 方針がございませんし、検定の実際の実務も、私が御説明申し上げましたようなことを基本にしてやっておりますので、そういう、ただいま委員がおっしゃっているような角度での指導と申しますか、そういうことはしておらないのでございます。これは私から申し上げられると思っております。
○中西(績)委員 そうしますと、そうした憲法前文を削除したらどうかなどということが出るような指導はしておらない、こう確認してよろしいですか。
○三角政府委員 憲法の前文は大いに書いていただいてよろしいのでございます。ただ、それにふさわしい場所で、ふさわしい取り上げ方で書いていただきたい、そういうことはあると思います。
○中西(績)委員 私は大変これにこだわりますが、最後まで絶対に譲れる中身じゃありませんから。それでは、いま局長が言われるように、それが内容的に、掲載される前文が、ふさわしくないところにこれがあったから削れ、こういうように言ったということで理解してよろしいですか。
○三角政府委員 なるべく御理解いただけるようなという気持ちで、いろいろ私も用語を選んでおるつもりでございますけれども、先ほども申し上げましたように、やはり全体の取り扱い方で、全体の文脈の上で適切であるかどうか、それから場所が一体適切であるかどうか、そういうことはいろいろ考えていただくということはございますけれども、憲法の前文を取り上げることがよくないとかけしからないとか、そういう検定の態度は、私ども全然思いも及ばないことでございます。
○中西(績)委員 では、文部省の指導の方針というのは、憲法前文が、文脈上おかしいあるいはそういうところに特別掲載されることはおかしいという場合には削除せよということはあっても、憲法前文を削るなどという一般的なそうした指導はなされておらない、こういうように理解してよろしいですね。
○三角政府委員 教科の性格にもよりますけれども、当然憲法に触れるという場合に、その触れる場所なりが適切であるということは必要であると思いますし、そうして私どもは、憲法前文が触れてはならないということは言っておりません。
○中西(績)委員 先ほどの、文脈上、これがあるいは場所それから教科の性格上、触れるに適切でない、こうなってまいりますと、結局、一連の文章ございますけれども、その場合に、文章の中にそれが入っておることが大変おかしいという場合ですね、文脈上ということは。そのように理解してよろしいですか。
○三角政府委員 現代社会とか公民でございますと、当然憲法に触れると思いますから、そこの全体の教科書の構成の中でどこが一番適切かということは考えなければいけないと思いますし、それから、一度一番適切な場所で触れておるのに、また取ってつけたように別のところで出てくる、そのためにほかの全体の構成なり内容の組み立てからいって重複になる、まあいろいろなケースが考えられますけれども、ただ文章だけの問題じゃない、こういうふうに思うのでございます。
○中西(績)委員 私は、全部広げるとまたいろいろ答弁が異なってまいりますから、一つずついま確認していこうと思っているのです。 文脈の中と言うからいまお聞きしたのですけれども、これが載せられることについては何も問題でないと言っているわけです。ただその場合に、文脈上、文章上おかしい、こうした場合に、それは削除せよということはあり得る、それからさらに重複して変な場所にそれが出てきておるからおかしいという場合には、それは削れという場合もあるだろう、それから、教科の性格上、構成の中でそれに触れるにふさわしくないという場合、これが適切でないということで削除ということもあるだろう、こういうことをいま言われましたね、大体整理がついてきたようでありますけれども。そうしますと、私がいま申し上げたことで理解をしてよろしいですか。いま局長が言われたのは大体そういうことだと私は理解しますけれども。
○三角政府委員 要するに中学校三年とか高等学校一年の生徒たちに対する主たる教材としての教科書のできばえの問題でいろいろ意見を申し上げますが、憲法前文がどうのこうのという問題ではないと思っております。
○中西(績)委員 できばえですか。憲法前文についていろいろ問題があるということではない、ですから、出てくる場所だとか文章表現上だとか、それにふつり合いなものの場合にはそれが指摘されるということですね。ところが、おもしろいことに——おもしろいと言ったら語弊がありますけれども、「これには最後まで抵抗して原稿のまま残すことができた」と、こうなっているのですね。こういうことになりますと、いま言われたようなことではなかったのではないか、残すことができたのですから。私が指摘しておるのはそこなんですよ。文章上あなたが指摘されたようなことであるならば私もうなずけると思います。いま、この前文についてどうこうだという指摘じゃない、文章についてですね。ところが、問題は、出てくるところあるいは全体の構成の中で重複したりいろいろなことがあったのでは困るから、こういう指摘なんですね。ところが、憲法の前文を削除したらどうかと言われて驚いたけれども、「最後まで抵抗して原稿のまま残すことができた」と、こうなっているわけですね。ということになると、いま指摘のあったようなこととは違うのにそういう指摘があったのではないか。私はそのことが大変重要だろう、こう考えているからこれを例に挙げたわけなんです。これは何千とある修正の中の一局部だとは言われますけれども、一番大事なところですから、この点を私は取り上げていまやっておるわけですが、この点、どうでしょう。
○三角政府委員 私、いま問題にしておられます特定の教科書について、そうすべてのページにわたってつまびらかではございませんので、立ち入って申し上げかねる面がございますけれども、先ほどもちょっと申し上げましたが、およそ教科書には憲法前文はみんな出ておりますので、わかりませんけれども、いまの御発言を聞きながらの私の感じでは恐らくよほど記述の仕方が上手でなかったのじゃないか、こんな気もいたします。
○中西(績)委員 上手下手を私は論議しているのではなくて、そういう答弁をいただこうとは私は思っておりませんでした。それでは、あなたが言われるのは、最後まで抵抗して原稿のまま残すことができたのは、下手だったからそこを削除せよ、こういうことを言われたということですか。
○三角政府委員 その教科書は二十数冊あるうちの一冊だろうと思いますけれども、私は検定のスタートから最後までを立ち会ったり、つまびらかにしておりません。けれども、先ほど来申し上げておりますが、そういう抵抗というのはどういうことかもわかりませんけれども、もしそういうプロセスがあったといたしますれば、先ほど来申し上げておりますが、教科書としてのその教材の扱い方について重複が果たしてなかったかどうか、あるいは全体の流れの上で取ってつけたような不自然さがなかったかどうか、そういったことはあり得るのじゃないかと思います。先ほど来何遍も申し上げておりますが、憲法前文を絶対入れてはいけないとかそういうことはないわけでございますから、適切な入れ方をしていただくことは大いに結構なわけでございます。
○中西(績)委員 私が触れるのは、いま文部省としてはそうした態度であるということはわかりました。そのことは了承します。ただ、その際に今度は、調査官が憲法の前文を削除したらどうかなどということを言うこと自体が大変問題。こうありますように、原稿のまま残すことができたということを言いましたところ、あなたは上手でなかったという言い方をしたのでありますけれども、それじゃ憲法の前文に上手な言い方というのがあるのでしょうか。
○三角政府委員 憲法に対する指導なり教育なりを行います場合にそのことをどういうふうに取り上げるか、それから前後の関係なり、あるいは一年間なら一年間の学習のどの段階でどういうふうに教材として子供に提示するかがあるわけなんで、上手とか下手とかというのは何もそういう部分的に申し上げたのではございません。教科書全体の組み立て方なり記述の仕方なり全体の中での扱いと申しますか、そういうことがあろうかと思うのでございます。ですから、先ほど来申し上げておりますように、憲法前文を載せていただくことは非常に好ましいことでございますから、ちゃんとした形で載せていただきたい。どこか余り関係もないようなところでぽこつと載せてもおかしいわけでございます、これは仮定の問題でございますけれども。それから、ただ資料として欄外みたいなところに書く、こういう場合もあろうかと思います。いろんな扱いがございますので、その際には、せっかく現代社会として日本国の成り立ちというものを教えます場合には、できるだけ適切な形で教材として生かしていくという配慮は必要だろう、こういうふうに思います。
○中西(績)委員 私は一番気になりますのは、執筆者本人が大変長い時間文部省に呼ばれていろいろ指摘をされた。「よく書けている、りっぱな教科書ですと褒められたにもかかわらず、延べ十数時間を要した。これは私たちの教科書だけではなかったようである。」こういう書き方になっていますね。そうした中で、教育内容への干渉が、こうした中身というのが強められていくのじゃないかということを大変危惧をして書かれています。その中に、いま申し上げましたように憲法の前文を削除したらどうか、こういうことでありますから、結局全体の組み立て方、扱い方が上手でなかった、下手だというそうしたもの、あるいは文脈上その場所ではおかしいとかあるいは重複しておるとかあるいは構成の中で不自然さがあるとか、こういういろんな指摘があるならば、私はそこは何も抵抗する必要はないし、そのことをあれする必要ないと思うのだけれども、この十数時間にわたる話の中で指摘されたり、それに対する答弁の中でこうしたものが出てきて、しかも憲法の前文を削除したらどうかというこの言葉が、文部省はそうした意思はないけれども、しかし調査官の中にあるとするとこれは大変逸脱をした行為である、私はこう断ぜざるを得ないわけです。ですから、そうした問題等について、調査官は文部省の役人ですから文部省はぜひ調査をしていただいて、本当にそれがなかったかどうか、この点を後日明らかにしていただくことを私は要求します。委員長、その点ぜひひとつさしてください。
○三角政府委員 先ほど来申し上げておりますが、ただいま先ほどから問題にしておりますものについて申し上げますと、当該の検定と申しますか検定意見は、憲法前文の削除を求めたというものではございません。文脈が混乱をしておりますので修正を求めて、そしてその点については是正をされましたので、結果として現在の原稿本のようになった、こういうことが事実でございます。 先ほどうそかどうかというふうにお尋ねがありまして、それを本当だとかうそだとか申しますことは、私どもとしてははばかるわけでございますけれども、先ほど来御引用のような言い方をされるということは、むしろ私どもの検定の姿勢を非常にゆがめて世の中に伝える結果になりますので、あえて勘ぐって申しますと、非常に意図的な書き方をされて、検定の実態をゆがめて伝えられるという結果を及ぼすことになるのじゃないかというふうな気がいたしまして、私どもとしてははなはだ残念でございます。調査官は先ほど来申し上げた方針でやっておりますので、改めてこれについて調査をするには及びません、こういうふうに思っております。
○中西(績)委員 いずれにしましても、世の中に出ているこうした文章ですから、その点を調査する必要がないということで、これを断る必要がなぜあるのでしょうか。
○三角政府委員 先ほど申し上げましたように、そのときの検定意見並びにそれに対する発行者、著者側とのやりとりは、憲法前文の削除を求めたものではございません。当該個所の文脈が混乱をしておりますので、それについて修正を求め、そして著者の側でも、その点については修正といいますか是正をされたので、結果として現在の形の本になっておる、それが事実でございますので、調査の余地はないわけでございます。 そうした事柄に対しまして、先ほど来おっしゃっておりますような記述を世に出されるということは自由でございますけれども、私どもの検定の基本的な方針なり態度なりは、先ほど来繰り返し中西委員に申し上げておるとおりでございますので、この検定の文部省の方針なり何なりをおよそゆがめて世の中に伝えるという結果をもたらすのではないか、むしろそういう気がするくらいなのでございまして、調査官云々の点は、これはそういうふうなばらばらなことはやっておりませんので、調査には及ばない、こういうふうに思っておるのでございます。
○中西(績)委員 私は、事実をもう一回調べろ、こう言っておるわけですから、この点を何も調べる必要がないなどということ自体がおかしいのであって、だからこの点を、委員長、こうした文章が出回って、それがゆがめて伝えるから混乱を云々だとか、こういうことを言っておりますけれども、こうしたものがある以上、やはり調べておかないと、一番やってはならないと言っている文部省なんです、その文部省が、そうしたことが果たしてあるのかどうかをもう一度調べ直して確認をする必要があると私は思いますよ。そうした意味で私は言っているわけですから、この点はもう一度調べ直して、そして自後これを報告をいただきたい。このことを委員長から文部省にぜひ伝えていただきたいと思います。
○三角政府委員 本日、中西委員が提起されましたその憲法前文の問題というのは、私どももきょう初めて聞いた話ではございませんで、いろいろいままで一部漏らされたような形の情報といいますか、そういう形で部分的に組合関係等の出版物にも出されまして、そしてこの点が新聞にも取り上げられたかどうかはちょっと記憶にございませんけれども、現代社会の検定の結果としてかなりその点が指摘されておりますので、私どもとしては当然その時点で聞いておりまして、そうして先ほど来御答弁申し上げたような形であったということを確認しておりますので、私どもとしてはこれは改めて、もう調べてありますから、もう一度調べるという必要はない、こう思っておるのでございまして、その結果は先ほど来お答え申し上げたとおりでございます。
○中西(績)委員 いまいろいろ言われました、先ほど教科の性格がどうだこうだとか、長いことずっと言われましたけれども、それがわかっておるなら、いま指摘のある問題については、前文の削除を求めたものではなくて、文脈が混乱し、修正したので残しましたと最初から出れば、こんなに長い時間をかける必要もないわけですね、わかっておるのだったら。だから、大変おかしいわけですよ。全体のあれからいたしますと、いままで約一時間を超える、この部分に入りましてから約三十分近くになっているのです。この時間かけましたのは、結局いま一番最後に言われたこと、調べてちゃんとわかっておる、これだけであったわけです。では、なぜそれが出てこなかったのか、私は大変不信の念を抱きますね。 そこで大臣、こうした点あたりがもし誤りであり、またゆがめて伝えられておるということをいま文部省は言っておるわけでありますから、むしろ、この点についてはっきりする必要があるのじゃないでしょうか。だから、この点はあるならあるで、そうしたことが出されておるなら、この点は文部省としては文部行政をするに当たって、あるいは検定をするに当たっていろいろ問題がある、したがってこの点については何々と、むしろあなた方は、これほど重要な問題でありますだけに——私は重要だと思っておりますが、声明を出すぐらいのことがあってしかるべきなのに、いま問いただしていって一番最後にこういうことを言うということは私はどうしても腑に落ちないのですが、この点はどうなんですか、大体文部省の態度というのは。これからどのようにして処理をするおつもりですか、大臣からお聞かせいただきたい。
○小川国務大臣 教科書の検定は、申請された図書につきましてそれが真に教科用として適切であるかどうかを中正な立場で判断いたしておりますことは、申し上げるまでもございません。 先ほど来の御意見でございますが、憲法の前文をそれが憲法の前文であるがゆえに削除を求めるというようなことは、起こり得ざることだと私は考えております。先ほど来初中局長から、特定の事柄について削除を求めるのにはいろいろなケースがあるということを、一般的な問題としてお耳に入れた。お尋ねのポイントと申しますか、憲法の前文の点につきましては、この点については従来調査をしておるところで、いま初めて承る問題でないと、こう前置きをいたしまして事実をお耳に入れたわけでございますから、これ以上、改めて調査をいたすつもりはございません。(発言する者あり)
○中西(績)委員 私、いまあなたに答弁を願ったのはそういうことでなくて、起こり得ざる事柄だということはわかりました、それから、憲法前文を削除せよなどということは絶対に言い得ないということもわかりました。文部省はいまそう言っておりますからね。ところが、具体的な事実として十数時間の時間を要した中でそうしたものが出ておりますということで、私はさっきからこれにずっと三十分間、いろいろ聞いていったわけですね。ところが一番最後に出てきたのは、それは調べる必要も何もない、具体的事実なんじゃということで、前文の削除云々から始まって簡単にそれは片づけられたわけです。前からそれはわかっておったことである、こう言うのですね。 いま文部省が言うように、すべてこうしたことは起こり得ざる事柄であり、文部省としてはそういうことは絶対にあり得ないということであるなら、こうした文章がちゃんと出回っておるわけですから、これだけではありませんよ、ほかにたくさん出回っています、ですから、そうした点に対して一つずつ、そうしたことはあり得ないのだということを指摘をし、そしてこの点はこうだから、文脈が乱れておったから指摘をしたのですとかいうように、どうして明らかにできないのですか。それほど自信と確信をお持ちなら、そうしたことについて皆さん方が黙っておるということはおかしいのじゃないでしょうか。だから大臣、私がお聞きするのは、そうした点で、こうした文章が出ておることに対して今後どのように処置をされますか。
○三角政府委員 教科書というものは、できるだけその内容がそれぞれの児童生徒の発達段階に応じまして適切でありかつ中性でなければならないということで検定基準に基づきまして検定をする、執筆者の側におかれましても学習指導要領の内容に準拠していい教科書の原稿を書いていただかなければならない、こういうものなわけでございます。十数時間というような時間を使っていろいろな個所について意見を取り交わすこともそのための一つの作業でございます。そうしてでき上がりました教科書は、現在の制度にのっとりましてそれぞれの教育委員会で検討して選んでいただく、そういうことでございますので、教科書の生い立ちと申しますか、成り立ちについていま御引用のいろいろなものも含めて情報が出るということは、それがたとえ執筆者の側からであれいかがか、言ってみれば一種の宣伝行為にならないとも限らない場合がございます。私どもは、検定した側でございますからできるだけ、そういうことについては言いたい場合がありましても抑制をし、節度を保った形で対処したい、こう思っているのでございます。
○中西(績)委員 「宣伝行為」なんという言葉は取り消させてください。なぜなら、いま言うように、その中身について適切に文書発表するなりして明確にこの世の中に明らかにするならいいですけれども、節度を持って云々だとか、がまんするようなことを言って、一方では「宣伝行為」だなどというこうした言葉を吐くことは大変な問題だと私は思います。委員長、その点注意してください。
○三角政府委員 私の用いました言葉について御不快のようでございますので、それは取り消しても差し支えないと思っておりますけれども……(「取り消したことにならぬじゃないか」と呼ぶ者あり)要するに検定というのは、修正意見と改善意見があることは皆様御存じのとおりでございますけれども、そういう制度でございまして、そして言ってみれば納得ずくで作業を進めていく、こういうことでございますから、言ってみますれば発行者、著者側と文部省との間の間柄というのはそういう一つの合意に基づく結果でございます。ですから、合意があったわけでございますから、私どもはその合意の過程について物を言うことについてはなるべく紳士的でありたい、こう思っておるわけでございます。著者の側にもそういう態度があってもいいのじゃないかと思いますけれども、これはぎりぎり言いますれば表現なり言論なりの自由、こういうことでございましょうから、それは私どもとしてはいたし方のないことだ、こういうふうに思っておるのでございます。
○青木委員長 ちょっと速記をとめてください。 〔速記中止〕
○青木委員長 速記を始めてください。 三角局長。
○三角政府委員 私自身としては著者がそういう一種のお立場に立ってのPRをなさった、こういう認識だったものですから先ほどああいうふうに申し上げましたが、教科書の宣伝という言い方は取り消しいたします。
○中西(績)委員 教科書の宣伝並びに本人の宣伝、「宣伝行為」という言葉の中にはすべてが含まれているわけですからそのことを取り消し、問題は——その後にまたそれに付随するようなことを平気でどんどん言ったわけですよ。この点は言葉を注意してもらわないと、いま文部行政の開き直れば何でもできるというようなやり方はやめてもらわなくてはいかぬと思いますが、この点よろしいですか、大臣。私はさっき大臣に答弁を求めたところが、局長が立って答弁をした結果がこうなのですよ。大臣から一言言ってください。
○小川国務大臣 私が個々の検定の内容を詳細に知悉しておるわけではございませんので、担当者から答弁を申し上げさせたわけでございます。私自身の考えておりますことは、先ほどお耳に入れたとおりでございます。
○中西(績)委員 先ほどお耳に入れたと言うのですけれども、私が聞いたのは起こり得ざる事柄であり云々という答弁がありまして、その後にこうした問題について最後になって文脈が混乱してそれを修正したから出てきたなどということを言っているわけです。だから、この点で何も局長が答えるような内容じゃなかったわけですよ。それをちゃんと大臣に答弁していただければこうした問題は起こらなかった。それなのに局長が答弁をして、いま言うような言葉を使い、最後にはまたそれに付随するようなこと、上回るようなことを平気で言っているわけですから、こうしたことはこれから一切やらないようにしてほしいという要求です。それに対する答弁はどうですか、大臣。
○小川国務大臣 御質疑の趣旨が少々私にはわかりにくいのでございますが、私が仮に答弁をいたしましても大筋において局長の答弁と変わらなかったと存じます。 ただ私は、繰り返しになりますが、一々細かい検定の内容を知っておるわけではございませんから、これは担当者からお耳に入れた方がより御質疑に対して懇切な答弁になる、かように考えておったわけでございます。
○中西(績)委員 それでは宣伝行為ということも含めてですか。
○小川国務大臣 宣伝云々という言葉は適切でなかったということで、現に局長が取り消しておるわけでございます。私はこの宣伝という言葉を用いたことについて局長を支持しておるわけでも何でもございません。
○中西(績)委員 では、支持をしておらないということは、こうした言葉を使うことが不適切だということをお認めになっているわけですね。
○小川国務大臣 仰せのとおりでございます。
○中西(績)委員 時間がなくなりましたけれども、そこで私は、先ほどからの続きになりますけれども、やはりどうしても納得がいかないのは、最後に、ああいう前文の削除を求めたものでなく、文脈が混乱し修正したものであって残したということですね。片や抵抗して残った、こういうことになっているわけですよ。ここの違いがあるだけに、私はもう一度この点については調査をすべきだと思います。そうしないと、いま言われるように、十分調べたということを言っておるだけに、そこに大変な違いがありますね。抵抗したから残ったということと、文脈に混乱があって修正した、だから残ったのだというこの言い方、ここにはうんと違いがあるわけですから、この点はちゃんと調査をして、後日報告をしてください。
○三角政府委員 私どもとしては、もう理解は持っておりますが、お求めでありますれば、同一のことにつきましてもう一度記憶を新たにするなりして確認をしてみたい。その上でお求めがあれば、当委員会でお話し申し上げます。
○中西(績)委員 調査をし、そして当委員会に必要であればなどという、必要だから言っておるのだから、——もう構成か一々全部そういう言葉になっておるわけですよ。だからさっき言うような、人のことには文脈がどうだとか、場所がどうだとか、構成の中で不自然さがあるとかなんとか言うくせに、自分の答弁というのは全部そういう形になっているわけでしょう、委員長。このことをお認めになるでしょう。この点はやはりこれから気をつけて答弁するように、委員長から一言言ってくださいよ。
○三角政府委員 もう一度改めて御説明申し上げることはいたしたいと思います。
○中西(績)委員 じゃ当委員会にそうした資料なりを提出をしていただくように委員長の方から最終的な確認をしていただきたいと思います。よろしいですか、委員長。
○青木委員長 中西君のお申し出については、そのとおりでございます。
○中西(績)委員 そこで、国内におけるこうしたいろいろな教科書問題、いま大変な問題になっておりますけれども、私ここで、西ドイツのいろいろな例を見ましたので、一つだけ指摘をしておきたいと思うのですけれども、この平和教育という部分から、大臣、私はぜひお聞きいただきたいと思いますのは、西ドイツの場合には全く日本の場合とは逆であります。この前の佐藤委員の質問の中で、原爆の問題あるいはそうした憲法の問題、すべての問題について、戦後の教科書の中で全く変わりなく、そうした平和教育なりは、教科書の内容等については出されておる、あるいは記述をされておるということが、この前、大臣の答弁の中にありました。 そうしたことを考えますと、これはひとつお願いですけれども、戦後の教科書内容の改訂の時期ごと、大きな区切りがありますから、その時期に、たとえば原爆なら原爆の問題が大体こう時期時期にどう表現されておるのか、そうしたものを、抽象的でなくて具体的にお並べになっていただくとよくわかると思うのです。あるいは憲法問題につきましても、たとえば憲法は三本の柱から成っておる、そのことが戦後の一番最初のころには、御存じのように、いま幻の文部省著作教科書などと言われる「あたらしい憲法のはなし」の中あたりではきわめて明快にそういうものが示されておるわけですね。こうしたことを考えますと、本当に平和主義なり民主主義なり主権在民主義、そうしたものがちゃんと教科書の中に記述されておるのかどうか、そして一定のスペースをとってちゃんとそれが載せられておるかということ等を含めて、一度具体的にこの資料作成を文部省の方でぜひしていただきたいと私は思うのです。そうしたものを具体的に私たちにお示しいただいて、大臣のこの前の答弁にありましたように、より具体的にこうなっていますということをぜひ資料として御提示いただければと思うのです。これはすぐにはできないと思いますから、時間がかかってでも、いまこうなっておるのだというようなことについて、ぜひこれはお願いを申し上げておきます。 そこで、なぜ私はそうしたことを言うかというと、日本とは全く逆に西ドイツの場合にはどうなっているかというと、直接の戦争体験を持たぬ戦後世代が人口の過半数を超えたいま、むしろ反戦平和の教育に一層の力を入れているということを私は聞いています。特にその熱意は社会科や国語、こうした教科書の内容に明白になっておる、こういうように言われております。 その内容等について、いまここで詳しくは申し述べることはできませんけれども、一つは、日本で言う現代社会に相当する歴史の教科書なんかを見てみますと、まず第一に、国家目的遂行の手段としての戦争を明らかに否定するというようなことが、もう次々に出てくるわけなんですね。そして第一次世界大戦から二次、そうした時期におけるいろいろな多くの生物化学兵器まで含めてもう全部が記述をされていくという状況になっております。そして、しかも日本でも問題になりますファシズムの体制、ナチスの暗黒時代をもう赤裸々に書いている。しかもこの現代史の中身でありますけれども、大体その四分の一がナチスの台頭とその過程、その独裁の分析、これが大体八十六ページぐらいに上ると言われております。 そういうぐあいにずっとこれを見てまいりますと、本当にいま、私が一番最初に大臣に確認をいたしましたように、戦争の持つ非人間性あるいは残虐性、こうした事実をいかに子供に知らせ、そして生命の尊厳さをいかに知らせるかということをやはり中心にしてやっておると言われております。 こうしたことを私考えてまいりますと、本当に日本の教育がいま私たちがこうして指摘をしなくていいように、そうした内容等についてぜひ再検討していただく、そうした中でこれらの問題についてぜひ具体的に全部羅列をしていただいて、その機会機会がございますから、節目節目がありますから、そうしたものを全部開いてもらって、憲法がどういうようなことになっていったのか、記述する中身が、量がどういうふうになったかということをやはり見ておく必要があるのではないでしょうか。 なぜ私がこのことを申し上げるかというと、先般から特に大臣がこうした憲法の問題あるいは教育基本法、そうした基本的なものが本当に大事だということをお認めになっていただいておるということを基調にいたしましてずっと答弁がされておりますだけに、そうした点をぜひ内容的に明らかにしていただく、この点はどうでしょう。
○小川国務大臣 御趣旨は十分理解いたしますので、すぐにとはまいらないかもしれませんが、調査をいたします。
○中西(績)委員 ぜひこのことも私たちに、調査するだけでなしに、お示しをいただくようにお願いを申し上げてよろしいでしょうか。
○小川国務大臣 結構でございます。
○中西(績)委員 時間がございませんのでほかの質問ができなくなってまいりましたけれども、私は、一つだけ、これは後日のためもございますのでお聞きしておきますけれども、研修問題についてお聞きしようと思っておりました。 研修問題について、大臣の所信表明の中で「教員がその資質能力を高め確固たる使命感を持って職責を遂行するよう現職教育の充実にも意を用いてまいる」云々という言葉があります。この点で、現職教育の充実の中で、これは古くなりますけれども、いまから三、四年前くらいに、「教員研修の充実について」「教員研修一般については教員の自主的な意欲を重んじ上意下達に陥らぬように留意する」とありまして、一から八まで、こうした文章があります。この点につきましてはいまなお変わっておらないかどうかということについてお聞かせください。
○小川国務大臣 変わっておりません。
○中西(績)委員 そこで私がお尋ねをいたしたいと思いますのは、予算の中で「教員研修の充実等」というのが私たちに示されておる資料の中の四ページにございます。そこで私がお聞きしたいと思いますのは、たとえば文部省が主催しておる研修講座というのはこの中のどの項目に当たるのでしょうか。四ページの一番上の方に「充実等」で五十七年度は二十億四千百万円の予算がついていまして、「教員研修事業費補助等」とありますが、そのほかに、文部省が補助でなくて主催する場合にはどこに入るのですか。
○三角政府委員 文部省の主催と申しますか、直接実施しておりますものは、大体県にやってもらいましてそれに文部省が補助をするあるいは共催をするというのが多いわけでございますが、この資料の中では、次のページにいきまして「中学校生徒指導推進会議」のうちの「全国」というようなものは文部省で主催いたします。
○中西(績)委員 もう一度言っていただけますか。
○三角政府委員 六ページの方に若干出ておりますが、1の(1)の説明で「全国・都道府県」とありますが、その「全国」というようなものは文部省で主催いたします。それから「カウンセリング技術指導講座の拡充」、これらは文部省でいたしておるものでございます。その次の「生徒指導講座」、これも同じ形でございます。それから、この表示では必ずしもはっきりいたしませんが、校長とかあるいは教頭とかの研修を筑波でやっておりますが、そういったものは文部省で主催してやっておるものでございます。
○中西(績)委員 私たちに示された文部省の五十七年度予算、この中には、いま言うようにわからないようなものがあるわけですよ。だから私たちに予算審議しろとかなんとかいったって、予算審議なんてできっこないですよ。この点は、文部省がわれわれに対して大変怠っておることではないでしょうか。そうお考えになりませんか、委員長。——もう時間が参りましたからこのことだけは私は要請をいたします。 文部省が主催をするそうした研修講座なりあるいは講習会、何でも結構です、そうしたものは何があるか、全部一覧表を御提出ください。そしてその費用はどのようにしてどこから出しておるのか、全部一覧表をいただいて、その後でまた続いて質問をさせていただくようにしたいと思いますので、委員長からそのことをはっきり文部省に申し添えていただけますか。
○三角政府委員 ただいま御指摘の校長等中央研修会、これは五十七年度予算は千五百五十九万一千円でございます。それから中堅教員研修会、これは二千百八十万五千円でございまして、この資料は会計課でまとめて毎年お配りしているものでございますが、いま申し上げましたような研修会は標準予算の中に入っておりますので、この体裁の予算書には載ってこない、標準予算という形で、もう定着した形でなっておるわけでございます。 ただいま御要請のありました文部省主催事業の一覧というようなものはお届けいたします。
○中西(績)委員 終わりますが、とにかく大臣の所信表明の中には現職教員のそうしたものもちゃんと出てきているのに、今度われわれが求めた場合に、予算を見てもどこにも載ってない、こういうことではいけないと私は思いますね。ですから、標準予算であろうとなかろうと、少なくとも私たちが審議ができるような資料は御提出をいただくように委員長の方から文部省に対してぜひ要請をしていただいて、その予算書についての提出も求めていただきたい。
○青木委員長 中西君の御要請による資料は提出できますでしょうか。
○三角政府委員 この資料のほかに大蔵省でもつくっておりますし、国会の方には予算全体の資料がいろいろ出ているのじゃないかと思いますが、私、必ずしも予算プロパーの所管ではございませんので、会計課にも聞きまして対処したいと思います。この形でやる方がわかりいいということでつくっておる、そういう部面もありますので、国の予算全体ですともうこんなものになります、文部省の部分も相当多いわけでございます。そういう点で、ちょっと官房の方とも協議をさせていただきたいと思います。
○中西(績)委員 時間が参りまして大変恐縮ですけれども、私たちがこうしてこの場で審議する場合には、いまさっき言うように、標準予算の中に載せられておるということであるならばそうしたものを後日明らかにしていただいて、その中からこれだけ何がしの費用を使ってこうした文部省主催の講習会をしていますということがわかるような資料提出をひとつお願い申し上げます。 以上で終わります。
○青木委員長 中西君の御要望につきましては、理事会でその取り扱いを協議いたします。 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時十分休憩 ————◇————— 午後一時三分開議
○青木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。有島重武君。
○有島委員 きょうは大臣に対して一般質問の機会を得さしていただいてありがたく思っております。 それに入ります前に、先日法案の審議のときに高等教育の問題全般にわたって触れたのでございますが、その際に、一番最後でやや時間切れでもってペンディングになったような問題がございますので、最初にそれを聞いておきたい。 高等教育の問題で、放送大学の母体である学園だけはもうできたということは一つあります。あるいは共通一次試験が第四年目を経て定着してきたというふうに私は感じております。そういった問題がありますけれども、この二つのことについても、私どもは、大学も含む高等教育全般的な弾力性というか、あるいはもっと効率的な運用というか、そういうことを前提としてならばよろしいでしょうということでもって参ったという経過がございます。そこで、一つは単位の互換というもの、これはこの前さらに広げていく方に努力していただくということをお約束いただいた。それから、単位の累積加算によって、余り年限の制限によらないで、社会人もまた入学もできるしリカレントもできるということを第二番目に言ったわけであります。それから第三番目の問題が、いろいろと弾力的な扱いで、大学や短大、専門学校、あるいはもっと広げたところにもいろいろな単位の互換というような形が生まれてくるであろう、その中軸となって放送大学というものが機能するであろう、これが新しい時代の対応であろうということの中でもって、そういうふうになればなるほど今度は大学を卒業する資格の中に、やはり大学を出たからには、一つの大学の中での教授との間に人間的な学問的な一つの交流の場をつくるべきじゃなかろうか、そのことをむしろ大学が卒業の資格の中にしっかりと位置づけるべきではないか。あるいは学生の側から申しますと、大学側はそうした形の上でも、ゼミのような形になるでありましょう、これも、ある単位、この前にも八単位ないし十二単位程度のことはどうかと言ったわけでございますけれども、これを大学側が学生に保障するというような両面からのことでございますけれども、そうしたことが非常に今後も重要になるのではないかというようなことでもってこの前終わったわけです。 それで、大臣はそれに対して、その心持ちはよくわかったというようなことですけれども、わかったからどうしていただけたか。これは大学設置審議会をいま進めておられるということが大臣の所信表明の中にもございましたから、ここに一つ審議会の課題としてこれを提示してさせるようにしていただきたい、そういうふうにお願いしたわけです。大臣からのその後のことについてお答えをいただきたい。お願いいたします。
○宮地政府委員 特に御指摘の点は、少人数教育を実施すべきではないか、それが教官と学生との交流を非常に深めるゆえんであるから、それを特に卒業要件として規定することはどうかという御趣旨のお尋ねかと思います。 一般論で申し上げました点は、前回も御答弁申し上げたとおりてございますが、問題は——実情その他はすでにさきに御答弁申し上げたとおりでございますが、一つは、大学設置基準の改正等をして単位数を決めて少人数教育をすることを規定することについてのお尋ねでございますけれども、その点も前回御答弁申し上げましたが、施設設備等の条件のこともございまして、直ちに省令に規定するということは困難ではないかというぐあいに申し上げたわけでございます。設置基準の改正の可否について関係者の意見を聞く必要もございますし、事柄として、少人数教育の実施については、各大学に対してそういうことを具体的にいろんな機会に指導することは積極的にやってまいらなければならぬことかと思いますけれども、いま申し上げましたように、省令の改正ということについては、直ちに着手するということはなかなかむずかしゅうございます。大学設置審議会の中に基準分科会というようなものもございまして、具体的にそういうところで、いろいろ基準の問題について、ほかにもいろいろ議論がある点はございますが、今後の課題とさせていただきたいというぐあいに申し上げたわけでございます。したがいまして、直ちに設置審議会の基準分科会等に諮るというところまでにはまだまいってないというのが現状でございます。
○有島委員 施設設備が間に合わないであろうということですか。具体的にはどういうことですか。
○宮地政府委員 たとえば現状で申し上げますと、外国語教育とか保健体育の科目で申しますと、五十人以下のクラスでやっておりますものはほぼ半数近い数がございますが、一般教育科目で申し上げますと、五十人以下のクラスでやっている比率というのが二十数%ぐらいでございます。したがって、これをクラス編制を五十人以下の小さいクラスでやるとすれば、やはりそれに必要な施設の整備でございますとか、そういう事柄が関連して出てまいる事柄でございます。もちろん大学が積極的に、ゼミでございますとか演習、そういう方法で少人数の交流を深める教育をやること自身は非常に望ましいことだと思いますが、規定化すること自身については、いろいろとやはりそういう点も踏まえまして関係者の検討を要する課題ではないか、かように考えております。
○有島委員 その点はここではこれ以上深く言わないけれども、施設設備の問題はそれほど大きな問題ではないわけです。八人か十人の部屋をつくるということでございますから。前段に言われていました四十人、五十人教室の話とは全く違う話でございますし、施設設備の問題もあると固執されれば、それじゃこれはどうだ、これはどうだと言わなければならなくなってしまうけれども、今度は関係者の意見ということもおありになろうかと思う。これもきのうきょう申し出したことじゃございませんで、共通一次のセンターをつくるかどうかというような問題のときにも申し上げてあった。五年前でございますね。それから放送大学の問題が出たときにもずっと一貫してこのことを言い続けているようなことなんでございますけれども、検討するみたいな話だけれども、あとどのくらい検討なさったら答えが出てくるのかしら。
○宮地政府委員 大学設置審議会の基準分科会に、大学設置基準そのものの見直しについては、先生御指摘の点も含めましてほかにもいろいろと指摘をされている点もございます。それらの検討課題については、私どもも順次弾力化を図り単位の互換を進めるというようなことで、着実に施策そのものは進めてまいってきておるつもりでございます。 少人数教育の問題についても、かねて先生から御指摘のあったことは私ども十分承知しておりまして、御指摘に基づいて具体的な調査等も着手をし、現在少人数教育の実態等についても把握に努めてきておるわけでございます。そういう資料を整え、その上で、やはりそのことが教員の基本的な基準をどうするかという問題にもかかわってくる問題でございますので、事柄としては相当大きな課題になるかと思います、したがって、ここで、いつごろまでにどうというところまで明確に申し上げることは大変むずかしゅうございますが、私どもとしては、ほかの問題と合わせまして、御指摘のあった点は常々十分意識している点でございますので、今後関係者の御意見を聞く機会を通じまして、事柄の処理としては前向きの方向で積極的に努力をしたい、かように考えております。
○有島委員 小川文部大臣の所信表明について、ここで「変化する社会環境の中で生涯にわたってその個性、能力を伸ばし、」云々ということと、「進展する国際社会の中で」云々、こういう文脈があるわけでございます。 私は衆議院六期でございますけれども、大臣は十二期かと思います。それから明治のお生まれでいらっしゃる、人生の大先輩でいらっしゃる小川大臣が「変化する社会環境」ということをあえておっしゃった。これは大変含蓄のあることじゃないかというふうに思います。代々の大臣の所信表明の中でこういうような表現というのは、僕は初めて会ったものですから、そういうように思いますので、これは大臣がどんなふうにお考えになっていらっしゃるのか、そういったものを承りたい。
○小川国務大臣 私は格別非常に変わった独自の構想を打ち上げたというようなわけではございませんので、きわめて常識的なことを申し上げたつもりでございます。 たとえば産業構造の変化、これが着々進行いたしておるわけでございまして、第三次産業のウエートというものがますます高まってきている、こういうことは当然児童生徒の進路の決定ということに影響してまいるでございましょうし、それに対応した教育内容が必要になってくる、かようなこともございましょう。あるいはまた核家族化の進行、子供の数がますます少なくなってくるということもきわめて顕著な事実として出てきておるわけでございますが、そういうところから、ややもすれば家庭の教育機能が低下をしてきている、このようなこともあるかと存じます。あるいはまた国際関係、一層緊密の度を加えておる今日でございますし、今後ますます緊密なものになっていくに違いないということは的確に予想されることと思っております。そういう状況下で、国際情勢について正しい認識を持つ、同時にまた国際感覚を身につけた国民を育てるということも今後ますます重要な教育の課題になってくるに違いない。この種のことを一言で、社会の変化に対応して云々と申し上げたわけでございます。それ以外に格別の意味を、いま含蓄という言葉でございましたが、特にあるわけじゃございません。
○有島委員 十年、二十年前にはちょっと想像できなかったような変化というふうにおとらえになっているのか。こうしたことは、大臣の長い御経験の中で三十年前にすでにこうなると思っておった、こういうようなことでございましょうか。
○小川国務大臣 仰せのとおりでございます。 テレビジョンというものが出てくる、一体そんなことができるのかと考えておったわけでございますが、今日このように普及をいたしておる、全く予期せざる事態が出てきておる、こう考えております。
○有島委員 教育の問題は大体三十年で効果が出てくるというようなことが言われております。変化する社会環境といまおっしゃった。これから先どんなふうに変化していくかということもあるし、いまの状況を大体予測してというわけにもいかなかったと思うのです。そうすると、二十年前に打っていた手とずれが出てくるというようなことがある。これは手直しでどうにかいく部分と構造的に変えなければならぬということがあるのじゃなかろうかと思うのです。手直しの部分、これはお役所の方に、文部省内には優秀なベテランの方がたくさんいらっしゃるわけですから、現在の法体系、機構の中でいろいろと工夫をなされることはあるかと思うのです。けれども、どうしてもそれでは限度があるのじゃなかろうか。私たちがこうやってお話をし合う、議会でこうして議論をしていくそのゆえんはまさにそっちの方にあるのではないかと思うわけです。 話は戻りますけれども、先ほどの血の通う少人数教育というか、まだ名前がないので本当に困っているわけですけれども、ゼミ形式を位置づけるというようなことについても、大学局としてはいまのお答えでいいと思うのです。僕は十年以上も同じようなことを言っているわけだけれども、いまの体系の中ではあれ以上のことは答えられないわけです。あの程度のことはいままでも答えているわけなのです。こういった情報化、コンピューターの導入あるいはテレビが普及した、こういうようなことがあります。ロボットも出てくる、あるいはマイコンというのが出てきたというので僕たちはおっかなびっくり見たのですけれども、このごろの子供たちはマイコンで遊んでいるわけです。電気の計算機というようなものは、ピーピー音がしながら、便利なものができたなと思っているうちにあっと言う間に世界じゅうどこの国へ行ってもあれで、子供たちはあれを持って学校に行くということになってしまっているわけです。こういうふうな思いがけない急激な変化の中で人間を失わない、——機械的な操作あるいは施設設備のようなことはいまの豊かな中でどうにかなるのです。ここにも出ておりますけれども、個性を伸ばすというわけですね。個性、能力あるいは他人を思いやる心の温かさとか、社会的な連帯意識、こういうようなことですね。大学に限ってこういったことをどう実現していくのだ。いろいろなことがありますでしょうけれども、結局教育は人と人が一番基本になるのではないでしょうか。 こんなことは昔ならば法律や省令や設置基準なんかで云々すべき話ではないかもしれないのです。けれども、思いがけない事態になっている。だから、本気で促進しなければならないと私は思うのです。局長さん方の御努力もこれでりっぱだと思うから、大臣、一声号令をかけていただきたいのですけれども、いかがですか。
○小川国務大臣 大学教育におきましても、教師と学生が絶えず緊密な接触を保つ、心の触れ合いを維持するということ、仰せのように非常に大事なことと心得ております。そのことの意義を決して軽視いたしておるつもりはございませんので、私としてはできるだけそのことが可能なような環境をつくることに努力をしてまいりたいと思っております。現に、局長が申し上げましたように、保健体育あるいは外国語学等の教科におきましては、半分以上が五十人以下の学生の数で教育が行われているというような、まことに好もしい事例もあることでございますが、こういう財政の状況下で少人数の教育を徹底して行うということになりますと施設設備の面ということもちょっと軽視できない問題だと考えますので、いま直ちに少人数の教育を全面的に普及させるというわけにはなかなかまいりかねると考えております。そのことの意義については十分理解をいたしておるつもりでございますから、あとう限りの努力をいたすつもりでございます。
○有島委員 施設設備、これは割り算でいまの学生さんを割ってそれだけの部屋をつくれ、十人なら十人の部屋をつくれというような話ではないことはおわかりだと思いますけれども、これはやろうと思って工夫すればできることなのだ、これは研究をしていただきたいのです。どうしてもやっていこうと腹を決めれば、割り算の問題ではない、それから教員の数によるわけでもないのです。語学については四十人だ、五十人だ、こういうような話になりやすいのだけれども、趣旨はわかると大臣が言ってくださるから、それを本当に推進させる方向でがんばっていただきたい。それで、いままでもいろいろ検討して十年ぐらいデータをとったからかなりデータが集まったのじゃないかと思うから今度御報告いただこうと思いますけれども、本気でそれを推進していただきたい。もう一遍お願いします。
○小川国務大臣 現状のもとでも改善工夫を重ねることによりまして趣旨の実現を図ることは必ずしも不可能ではないと考えておりますから、十分御発言の趣旨を体しまして研究をいたします。
○有島委員 お願いします。 それで、変化する社会の中で、ずいぶん生々しいお話だけれども、十年前、二十年前の大学の授業料はどうであったか、現在はどうであるかというようなこと、大臣御存じか、いまは東京大学が十七万円ぐらいになっておるのか、これはいかがでしょう、局長。
○宮地政府委員 国立大学の授業料についてのお尋ねでございますが、五十七年度におきましては年額二十一万六千円ということにさせていただいております。ちょうど御指摘でございますので、十年前と申しますか、昭和四十七年の国立大学の授業料が三万六千円でございますので、比率で申せば六倍ということに相なっております。
○有島委員 私立大学の方はわかりますか。
○宮地政府委員 私立大学については平均でとったものでございますが、昭和四十七年では十万五千円弱でございまして、五十七年は同じく平均でございますが四十万七千円余りでございますので、ほぼ四倍になっているということが言えるかと思います。
○有島委員 いろいろな物価の値上がりということはありますが、十年間に六倍の値上がり、これは意外な感じがなさるのじゃないかと思いますけれども、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 御案内のとおり、昭和四十年代の前半は大学紛争その他大変厳しい当時でございまして、実は昭和三十八年当時の国立大学の授業料が一万二千円でございまして、昭和四十七年三万六千円に引き上げられるまでその間ほぼ十年は国立大学についての授業料の引き上げは全然行われておりませんでした。その後、四十七年にただいま申しましたとおり三万六千円に引き上げられたわけでございまして、特に五十年代に入りましてからは、五十一年、五十三年、五十五年、五十七年というように、授業料が引き上げられるか、あるいは、授業料が引き上げられない年は入学金が引き上げられるというようなことが行われました。これは全般的な状況を見て引き上げということを行ってまいったわけでございますが、国立大学の授業料については、この十年間で見れば六倍というのは、やはり相当引き上げの幅としては大きいものではないか、かように考えております。
○有島委員 授業料のほかに入学金というのがございまして、特にまた私立の場合、私立の高校に行く、私立の大学に行く入学金、これもまたばかにならぬ。大体いま高校で五十万、大学でもって百万ということになってきたわけですね。それでそのためにローンというものができており、これについてこの間こういった手紙をもらったのです。 あるお子さんが推薦入学で十二月に入学が決定した。その発表日から一週間以内に学費納入ということになった。この場合、これは大変細かい話なので、きょうは郵政省と大蔵省来ていらっしゃいますか。——進学資金貸付制度というものがございまして、これは都市銀行から信用組合までの各金融機関、それから政府関係のいろいろな金庫、公庫あるいは郵便局で進学ローンを扱うようになっている。これは民間金融はいいらしいのだけれども、私立に入ったときに、大蔵省関係、郵政省関係が一月四日受け付けであるので、これを十二月一日からにしてくれないか、そうでないと、せっかくの制度があっても借りられない、こういうような話があったのです。これはどうにかなりますか。一カ月早めてくださいというのです。
○日向説明員 いま委員御指摘になりましたように、大蔵省が所管しております国民金融公庫におきまして進学貸付制度というのを行っております。これは、その受け付け期間が、四月の入学者につきましては一月から四月、それ以外の月の入学者につきましては五月から十二月ということで現在運用しているわけでございます。したがいまして、いま委員御指摘になりましたように、十二月に入学が決定いたしまして入学金等の資金を賄うために貸し付けをしていただきたいという人の場合には、現行制度では国民公庫の四月貸し付けは受けられないということになるわけでございます。 ただ、これはこの貸付制度が発足いたしました五十三年度におきまして、私、当時のいきさつを振り返ってみますと、四月入学者の資金需要の大部分が一月から四月に集中しているということ、それから国民公庫、これは小口の事業資金を貸すことを一番大きな事業目的としているわけでございますけれども、この事業資金の貸し付けが年末に御案内のように集中してまいります。他方、年を越しまして一月から三月にかけましては比較的少なくなるといったことで、この国民公庫の方の事務負担の平準化ないしは事務の効率化といったような観点から現在のような制度になっているというふうに承知しているわけでございます。 しかしながら、この進学貸付制度は、比較的手軽な手続で小口資金を借りられるという社会的な意義が非常に高うございます。また、発足後三年目にいたしまして、すでに七万七千五十四件、金額にいたしまして三百三十三億円という実績を有するに至っております。これはかなり利用者の利便に供しているということの証明であろうかと思うのでございます。そしてまた、いま委員御指摘になりましたような十二月における推薦入学者の数も、私どもが国民公庫から聞いたところによりますと、最近におきましてふえてまいっておるといったような事情があるようでございます。こういった三点にいま思いをいたしましたときに、私どもといたしましては、委員御指摘の趣旨につきましても今後十分に検討してまいりたいというふうに考えているところでございます。 ただ、これに関連いたしまして、進学積立郵便貯金の預金者に対する貸し付けというものがございまして、これとの調整を図るためにこの貸し付けの所管の郵政省と協議する必要があるということについて、ぜひ御理解をいただきたいと思います。
○荒瀬説明員 郵便局の方の進学積立郵便貯金の預金者に対する進学ローンについてでございますけれども、これは先生御指摘のとおり、十二月中に資金の貸し出しができるようにしたらどうかということにつきましては、従来から大蔵省とお話し合いはさせていただいておりますけれども、進学積立郵便貯金の場合は、国民金融公庫の一般の進学ローンと違いまして、預金を積み立てた方に対しまして郵便局で手続をしまして、国民金融公庫と書類のやりとりを郵便でやっていますので、そのやりとりに必要な期間としましては約三週間かかりますので、受け付けの時期だけそろえた場合には当方は三週間くらい資金の交付を受ける時期がずれてまいりますので、そういった点でむしろ受け付けの時期よりも資金の交付の時期をそろえるという、均衡をとる必要があるといった問題がございますので、その点をいま調整をさせていただいておりまして、そういった点、郵貯の方と国民金融公庫、一般の方との均衡に配意しまして、先生御指摘の御趣旨を踏まえて努力をしてまいりたいというふうに考えております。
○有島委員 大蔵省の方、では十分可能性もあるわけですね。
○日向説明員 十分可能性があるというふうに考えております。いま郵政省と協議しておりますから、協議が調い次第対外的な発表ができる段階に至ると思います。
○有島委員 それではお願いします。 それで、日本育英会というものがあるわけでございますけれども、日本育英会はこれは授業料でございますから、いまの話は入学金も含んでいる話ですから、片一方は金融の問題であるし、こっちは育英資金の問題ですから、違うといえば違うのですね。だけれども、この日本育英会をつくった昭和十八年、このころは現在のような状況というのはだれも考えていなかっただろうと思いますね、この制度は。それから多少中でもっていろいろ手直しがあったにしろ、こうした点につきましても、これは少し検討し直してもよろしいのじゃないだろうかというふうに私は考えるのですけれども、大臣、いかがでしょうか。
○小川国務大臣 育英資金につきましては絶えず改善を図って今日に至っておるわけでございまして、御高承のとおり五十七年度予算におきましてもある程度の手直しを行っております。
○有島委員 私は大変りっぱなことであろうと思います。言い方によっては、これはまだ私学に非常に薄くてけしからぬという言い方もしなければならぬけれども、とにかくこちらはこちらなりに努力をしていらっしゃることはわかります。 ただ、いまもお聞きのとおり新しい制度が金融側では四年前ですか、始まっているわけです。それはずいぶん商売になるからやっているということですよね。これも変化する社会環境の一つですね。こういう中でもって親は非常に苦労しているわけです。生徒さんも学生さんも何というか、国公立に入れるのは親孝行でもって、私立に行くというのは大変気がひけるという思いでもってやっているわけですよね。これも十年前にはこんなに深刻化はしてなかったと思いますね。となりますと、文部省でやっていらっしゃるお仕事の中で類似してもう一工夫何かやっていく、いままでの手直しだけではなしに、何か一つ踏み出すようなことを内々検討し出してはどうかというようなことを言い出せるのは大臣しかいないわけじゃないですか、そういった意味でもっていかがでしょうかと申し上げているわけです。
○宮地政府委員 御指摘の育英奨学事業についての話でございますが、育英奨学事業そのものにつきましても、ただいますでに五十六年度から懇談会を設けまして基本的な検討をお願いしているところでございます。 なお、育英奨学事業の中で、たとえば私立大学の奨学事業援助ということを、これは日本育英会の事業ではございませんけれども、私学振興財団から融資をいたしまして、私立大学が奨学事業をローン制度で実施する事柄について援助をするという仕組みは、四十八年であったかと思いますけれども、そういう制度を創設いたしまして、今日では全体の融資計画枠としては三十五億円を予定するというようなことで、新しい試みといいますか、従来の育英会だけではなくてそういう積極的な、私立大学が奨学事業をする際に援助をするような仕組みという事柄も制度面で打ち出すというような工夫も今日までいたしてきているわけでございます。 御指摘のような育英奨学事業全体の抜本的な検討は、ただいま調査会を設けまして御検討をお願いしているところでございます。
○有島委員 大臣、この点もお願いします。よろしいですね。
○小川国務大臣 御期待の方向でこれからも改善工夫の努力をするつもりでございます。
○有島委員 今度は子供の健康の問題でございますけれども、自然環境というものが次々に失われていく。さっきも大臣、核家族というようなことを言われたけれども、都市化ということでございますね。遊び場がないといいますか、一生懸命大人がつくった遊び場というのは子供が余り喜ばないというようなこともあるし、それから、自然の中にいるはずの田舎の子供たちまでも、文部省の基準のせいですか、何かコンクリートで囲まれたようなところでもって鉄棒か何かにぶら下がらないといけないみたいに思っておる、テニスをしなきゃいかぬように思っておるというような、これは何か少し変則的なことがあろうかと思いますけれども……。 体育局長さんにお聞きしたいのだけれども、体格はずいぶんよくなった、けれども体力が弱くなったということが指摘されていると私は思っておるわけなんだけれども、この点はどんなふうに把握されていらっしゃいますか。
○高石政府委員 毎年学校の保健統計調査をやっておりますが、その結果によりますと、昭和四十七年から五十六年までの十年間で子供たちの身長、体重、胸囲、こういうものを見てみますといずれも増加をしております。これは男女とも同じような傾向を示しているわけであります。 そこで、そうした見かけの面では毎年毎年かなり向上しているという数字が出るけれども、子供たちの体力——体力もどういう評価をするかによっていろいろ学者の中にも見方があるようで分かれますけれども、一般的に最近の子供たちは背筋力七日筋力というのは力いっぱい物を引っ張る力、それから持続力、そういう点について毎年低下の傾向を示しているというようなことが言われているわけであります。ですから、同じ体力の中でも、垂直跳びであるとか反復横跳びであるとか握力であるとかそういうようなものは増加しておりますけれども、いま申し上げた背筋力であるとか、それから前かがみをする屈伸力、屈伸の度合い、そういうようなものは落ちているということが言われるわけです。これをかいつまんで言いますと、力を出す面、それから持続的に運動を展開するような面、そういうものが最近の子供たちには劣っている、こういうふうに言われているわけでございます。
○有島委員 大臣、細かいことはもっと体育局長から聞けばたくさん出てくるのだろうと思うのですけれども、いまのお話を聞いた範囲でも、片っ方にはもう非常に豊かな社会環境がある、それでわれわれも便利なものがいいのだ、余り筋肉を動かさないでやるのがいいのだというような方法で来たわけでございますけれども、そのうらはらのようにいまこういった現象が起こっておる。鍛練してといいますか訓練としてといいますか、多少無理をさせることによってその機能をよくするというようなところがいまの現代環境の中でどうしても抜けてくるのでしょうね。見ておりましても、十年前にはあんなところちゃんと歩いていたはずなのになと思うようなところを子供が二丁場でもバスに乗っかっていく、塾に行くのにかばんを提げて行きますね、というようなことはちょっと考えられなかったみたいなものです。そういうようなことが起こっているわけです。 それで、虫歯と近視眼のことについて、これも私は前に問題にいたしたことがあって、虫歯の方はどうですか、減ってきたのですか。歯ブラシをよくしたら、ローリングにしたら減るのだというような話を聞いたけれども、近視眼の方は、これも減ったのかどうか、どうですか。
○高石政府委員 これも五十六年度の調査でございますが、虫歯を持っている子供たちの被患率は小中高等学校九〇%を超えております。これは五十四年をピークにしてここ一、二年虫歯は低下傾向を示しているということでございます。したがいまして、虫歯につきましてはその予防、注意をしていってその低下傾向をずっと続けていくというようなことが今後きわめて重要な課題であると思っております。 それから近視でございますが、近視も視力一・〇未満の者は小学校で一九・一%、中学校で三六・九%、高等学校で五五・三%ということで、これも戦後ずっと上昇を示してまいっておりましたが、五十五年度と五十六年度を比較いたしますと、今年度はやや低下現象を示しているということでございます。したがいまして、この近視の問題につきましても、この低下傾向が持続するような形の保健指導ということを徹底していくことが必要であろうと思っております。
○有島委員 これまでの二十年の歴史、三十年の歴史の中で、戦後は特殊事情だったというのかもしれないけれども、多分二〇%を切っていたと思うのですね、虫歯なんかは。それでお砂糖の摂取量と関係があるのじゃないかなんということも私はしきりと心配したわけだけれども、九〇%のところで頭打ちになったというわけでございます。それで徐々に減らそう、こういうことでございます。これは食品との関係がずいぶんあるのじゃなかろうかということがいま言われているらしいですね。昔、歯が生えてくるころにコンブをかませたり、何かかじるのを親が平気で、かつおぶしなんか昔ございまして、そんなものをかましたり何かしていたということがある。いまは全くそういうことがないし、それからこれも余り繊維があるようなものでない食品が一般化しているということもあるのですか、これはやはり家庭教育というところにいくのか学校給食というところにいくのか、いろいろなことがあろうかと思うのです。ただこれは歯ブラシがよくなった、歯ブラシを回しながら磨くからそれでよくなったという話だけではちょっと情けないように思います。こういった点も、むしろ鍛えて丈夫にしていくのだという方向が、いろんな学説があって、すぐにどれにというわけにいかないかもしれないけれども、御研究をいただきたい。 それから近視の方につきましては、これはちょっとした訓練でもって近視というものが治る可能性があるというようなことが言われていまして、私も実際にそういう学説なんか知らなかったのですけれども、学生のときにずっとめがねをかけておりましたけれども、いまは全然かけない。というのは老眼になったわけではなくて、電話帳だって辞書だってこのまま読みますけれども、そういうのは例外で体質でしょうなんて言う人もいるかもしれないが、必ずしもそうでもないらしい。 それで私、去年ですか、質問主意書をお出ししたことがあったわけです。学校保健法に基づく学校医制度において近視の予防対策をどのようにとらえるか、その具体的な内容を示されたいということと、視力回復の対策につき何か措置を講じているかどうかというようなことでもって質問をしたわけなんですよ。これはその後どういうふうになっているか、ちょっと経過を承りたい。
○高石政府委員 この答弁書にも述べておりますように、昭和五十六年度末までにその研究成果をまとめたいということで、財団法人日本学校保健会に調査研究を委嘱してその内容をまとめているわけであります。近くその冊子がまとまってまいります。現在原稿ができ上がってゲラ刷りの段階に来ておりまして、その中で学校生活と視力、目の仕組みと働き、目とめがね、視力の健康指導と管理というような点について、それぞれの専門家の方々の意見を集約したものをまとめたわけであります。そのまとまった冊子を各学校に配付したいということで、そういう方向でいま作業を進めているところでございます。
○有島委員 その作業は何かめどがあるのですか。
○高石政府委員 近いうちに冊子としてまとまって配れる状態になります。
○有島委員 大臣、これは個々のいろんな技術的な問題というのは、素人だからぼくはよくわからない。ただ教育、教育行政というのと教育というのと違うわけですけれども、行政を通じていろいろ指導をなさる教育の中においても、いまの、目で言えば近視眼がふえた、それじゃめがねをかけましょう、めがねをかけるということは、やや弱りかかっているものを追認してしまうといいますか、カバーしてしまうわけですね。ちょっと弱い、弱いから、では運動場を囲いましょうとか、何かいままではなるべく便利主義の方といいますか、そっちの方向に来て、人間力そのものをもっと開発していくのだということがちょっと軍国主義的、スパルタ主義的なものであって好ましくないというような方向で来たようなふうにも見えるかと思うのですね。この辺は大臣の長い御経験の中でいろいろなことをお感じになっているのじゃないかと私は思うのだけれども、いま一つの転換期に来ているのじゃなかろうかと思うのですけれども、どうでしょうか、その大きな方向性として。
○小川国務大臣 ただいま歯の保健指導、目の保健指導等について御質疑がございました。現状に対応するいろいろな努力をやっておりますことについては、ただいまお耳に入れたとおりでございます。しかし、根本はやはり児童、生徒の体力の向上を一層図るように努力いたしまして、忍耐力あるいは困難に耐える克己心を養う、このことは非常に大事だと心得ておりますので、その方向での指導ということに一層徹底を期してまいりたいと考えております。
○有島委員 何かその心がけでもって——その心がけはずっと二十年、五十年、百年変わりないと思うのです。ただ、それの持っていき方の上で、やや抵抗力を増すといいますか、そういう方向が一つ考えられていいのじゃないだろうか、科学的というと何か便利主義の方向といいますか、ちょっとまずいところを何か物でカバーしていくということに流れやすいことであったのじゃなかろうかと思いますね。 それからもう一つは、体力という点について、これは体育局は本当に御苦労していらっしゃる、これはいいでしょう。それから体格と体力とあるけれども、健康というのはまた体力とはちょっとずれたところに、別なところにあるように思います。参議院の私らの同僚の高木健太郎先生なんかはそういうことをしきりにおっしゃって、私はここではその議論は展開いたしませんけれども、やはり健康、体力というものについての配慮、するのだけれどもその配慮の仕方をやはり少し新しくまた御工夫をいただきたい、こういうことなんだけれども、おわかりいただけるでしょうか。
○小川国務大臣 仰せの御趣旨はよくわかります。健康でありましてもウドの大木のようなものではしようがございませんから、そういう意味で本当の体力を培っていくということは非常に大事なことだと思います。
○有島委員 それから、これも十年、二十年前には余り考えられなかったことではないだろうか、戦後に一遍ピークが出たのですけれども、少年非行の問題ですね。これが年少化しておるというようなことが言われておるわけです。校内暴力、家庭内暴力、こういったことについてはこの間も同僚の鍛治清さんからいろいろな提言があったように思いますけれども、それから特に教師の自殺ということが最近出てまいりました。こうしたことについて大臣はどんなふうに認識をなさるというか、どんなふうに考えていらっしゃるか。いかがですか。
○小川国務大臣 校内暴力の問題は、生徒の指導を専門の仕事としております教育の現場で起こっておる問題でございますから、そういうことが出てまいりました際の、とりわけ校長の肩にかかってくる重圧あるいは心の苦しみというものは察するに余りあるところだと存じます。昨年来、校長の自殺ということが何度も出てきておりまして、これについては私もまことに心を痛めておるわけでございますが、それぞれの事例につきまして原因も異なり、背景も異なっております。最近の流山の事件にいたしましても、これは放火という大変な非行を犯した生徒に対する処分の問題をめぐって教職員の間に意見の対立があったという実情のようでございまして、そのようなことも確かに校長を自殺に追い込んだ一つの誘因に違いないと存じておりますが、何分日がまだ浅いことでございまして、文部省といたしましてもあとう限り実情の把握に努めておるわけでございますが、まだなかなか全貌を的確に把握するという段階まで立ち至っておらないわけでございます。いまの事件で断定的な評価を下すということにはよほど慎重でなければならないと存じますが、この件に限らず、いろいろな事例につきまして十分実態を調査いたしまして、今後この種のことにどのように対応していくべきかということの参考にすることが貴重な生命をみずから断たれた方々の霊を慰めるゆえんである、こう考えております。
○有島委員 教員の自殺というのは五十三年が八十三人、五十四年が八十六人、五十五年が百十七人、こういうことだそうですね。三日に一人ぐらいはお亡くなりになっている、こういうような事態になってきておるのですね。ほかの人方の場合と教員の方の影響力といいますか、何か質的にちょっと違ってくるのじゃなかろうか、私は非常に恐ろしいことだと思うわけですね。それと、いま大臣の仰せになった、亡くなった方に対して御冥福を祈るゆえんである、それは私も同感な点がございます。本当にそうだと思います。しかし、これは個人個人の特殊事情の問題ですか、あるいは構造的な問題ですか。構造的な問題ということになりますと予備軍がまだいるということですよね。いま流山のことをおっしゃったけれども、これはこうだったからこうだったという個別的な問題としていいのか。これは構造的な問題として潜在的に、そういったようなことにはならないけれども、なる寸前のところで歯を食いしばっていらっしゃる、あるいは教育どころじゃないような危険な状況の中にいらっしゃる方がかなりあるのではないかというふうにごらんになるか、その辺はどうですか。
○小川国務大臣 個々の事例につきまして見ますれば、それぞれ原因も背景も異なっておるわけでございますが、きわめて一般的には、一つは家庭あるいは地域社会あるいは学校、それぞれの教育機能が低下しておる、学校におきましては、青少年の非行、校内暴力等に対しましては、校長を中心として一致した体制で取り組んでいかなければならないにもかかわらず、そういう体制が十分整っておらないと見なければならない学校もあると存じまするし、あるいは個々の生徒に対する配慮においてまだ十分でないという学校もある、こういうことが絡み合って出てきている問題でございまして、個別的な問題であるのかあるいは構造的というお言葉でございましたが、構造的な問題であるのかとお尋ねがございますれば、これは明らかに構造的な問題として、地域社会、学校、家庭、緊密に連携をとって対処していくべき問題だ、こう考えております。
○有島委員 これは、変化する社会環境ということから始まったわけだけれども、こういうものの中で、何か対応し切れないところがあるというようなことがある。これは十分考えなければならない。 体育局長、またもう一遍お願いだけれども、発達課題というような、子供の発達に応じての教育課題というようなことが言われておる。これは体の問題それから情操の問題それからいわゆる知育といいますか、普通言われておる教育、国・社・理・数というようなものの配分ということがあると思うのだけれども、大体文部省なんかでは子供たちの発達段階を幾つぐらいに分けてやっていらっしゃるのか、この辺はどうなんでしょう。初中局長ですか、体育局長ですか、どちらでも結構でございますけれども、お願いします。——社会局長さんですか。
○別府政府委員 先生いま発達課題というお言葉をお使いになったわけでございますが、最近でございますと、昨年の五月に社会教育審議会から青少年と徳性についての御答申をいただいておりますが、その中で、青少年が乳児期から幼児期、さらに少年期から青年期というものを経て大人になるその過程において、それぞれの時期に、適切にこなしていかなければならない発達上の課題があるということが指摘をされ、この発達上の課題のことを発達課題と言っておるわけでございます。その場合の分け方といたしましては、先ほども申し上げましたように、乳児期、幼児期、少年期、青年期といったような分け方をしておるわけでございます。
○有島委員 いま中学の問題を先に聞きましょう。 中学生段階の発達課題と言われているものは、どういうことになりますか。中学生と高校生との違いといいますか、あるいは小学生と中学生と高校生。中学生を中心として、それぞれどういった特徴があり、教育的な配慮としてはどういったことが課題とされるべきなのか。
○三角政府委員 いま発達段階の区切りのおおよそのあり方というか、見方というものを御答弁申し上げたわけですが、これは、そのときのいろいろな問題の取り組みあるいは学者の考え方によって若干ずれがある場合があります。 いま御質問の中学校と高等学校でございますが、小学校の高学年から中学校の低学年ぐらいをとらえますと、知的な発達の面では、それ以前とは違いまして抽象的な思考ができるようになる、それから、やはり幼児のときに言語能力が非常に飛躍的に発達するわけでございますけれども、小学校の高学年から中学校の低学年の時期に言語能力が再び急上昇する、こういう時期である、それが一つの特質というふうに言われております。それから同じく、その面では教科による興味の分化がややあらわれてくる、これは十三、四歳、まあ文科系、理科系といいますか、そういった、若干教科による興味の分化があらわれ始める、こういうことでございます。それから情緒でございますとかあるいは社会的な感覚、そういった面では、その時期には自我意識が発達するということ、逆に情緒的不安というものが出てまいります。それから道徳観といいましょうか、そういうものが小学校の低学年、中学年でございますとやや他律的で、親から言われてそれに従う、こういうことでございますが、だんだん道徳的な観念が自律的あるいは動機論的なもの、これに転換してまいる一つの過渡期であると言われております。それから対人関係としては、幾分閉鎖的、そして仲間を限って離合集散する、こういうような傾向が出てくると言われております。 それから体の面でございますが、これは言うまでもなく身長、体重がこの時期に非常に急上昇する、それから、いわゆる第二次性徴があらわれてまいりまして性的な発達も非常に早く進む、それから体の比率と申しますか全体のプロポーションがほぼ成人と同じような割合になってくる、それから運動機能がやや停滞的になりますが、運動の巧みさといいますか、そういう巧緻性というような言葉が使われますが、それが増してまいる、それから運動機能の発達にこの時期からだんだんと男女差というものがおのずから出てくる、こう言われておるわけでございます。 さらに、御質問の高校の段階になりますが、これは状況によりましては、中学校の高学年も含めて高校という時期としてとらえておりますが、抽象的、論理的思考が飛躍的に進む、それから、先ほど申し上げました教科的な興味の分化というものがさらに進みますと同時に知的な興味の世界の広がりが非常に大きくなってまいる、それから人生観、世界観と申しますような一つの内面的な成熟と申しますか、そちらへの深まりが出てくる、それから進路についての自主的決定がだんだんにできるようになってくる、こういうことがございます。これが知的な面でございます。 次に、情緒的な面では、さらに自我意識というものが発達しまして自律的な価値観、道徳観というものの形成が進められなければならない、それから自己という観念を確立する時期でございますが、これもやはり中学校の段階と同じでございますが、それと並行して情緒的不安というものが依然として残っておる、それから対人関係は、むしろこの時期に入りますと自分の仲間というものを探しまして、その者たちと協力し、共鳴をするという、そういう段階になると言われております。それから同時に、両親への情緒的な依存関係というものからだんだんに脱却してくる、こういう時期であると言われております。 身体的な面では、身体発育が、身長、体重等の伸びは中学校時期に比べますとやや度合いが低くなりまして、なお若干伸びていくといいますか漸増傾向というぐあいになります。やがて人によりましては完成してそこでとまる、こういう時期でございます。運動機能そのものはこの段階では成人と同じになると言われております。 私どもはそういう成長段階に応じて子供たちのその適切な成長が阻まれることのないように、むしろそれを助長していくということが必要でございますし、それから情緒不安定とか第二次性徴があらわれるとかいう点につきましても、そのようなことからいろいろな問題を持つようになりました子供については、子供の個性に応じて学校で適切に対応して受けとめていってやる、こういうことが必要であると思うのでございます。 それで学校での基本的な対応としては、今回の学習指導要領の改訂に当たりましても、全体の生涯教育の必要性というものについての認識をまず基礎におきまして、そしてそれぞれ小中学校の学校段階ごとに重点をどこに置くか、こういうふうに考えたわけでございまして、小学校ではまず児童の学習意欲の芽を伸ばすということが主眼として置かれなければならない、そうしまして、具体的な学習としましては、できるだけ具体的な事物に即した学習というものを展開いたしまして基礎的な知識、技能を修得させるようにする、こういうことにしたわけでございます。 中学校におきましては、小学校に引き続いての義務教育の最終段階でございますので、そういった位置づけからどうしても必要な基礎的知識、技能をできるだけ確実に身につけさせるように配慮をする、そうして先ほども申しました分化がだんだん始まりますので、各人の個性、能力の分化に配慮した教育を行うということで、若干選択制というものを考えたりその他の配慮をしているわけでございます。 次の高等学校になりますと、生徒の能力、適性が一層分化いたしますので、生徒が自分自身の個性、能力を生かしながら、社会での自己の生き方というものを学んでいけるように改善をしたというようなことで、委員すでに御案内のように、勤労体験学習とかその他いろいろなことを配慮して盛り込んであるわけでございます。
○有島委員 大変詳しくいろいろ御説明いただいたわけですけれども、そちらで考えていらっしゃることを一覧表みたいにしていただけますか。いま最初に発達ということについて、これは児童心理学の方からの報告ということもあるのでしょう、それに応じた課題というものはどういうものなのかということについて、いまあらあらあったように思うのですけれども、それはまたそれでもって下さい。 それで大臣、ここでもって発達段階に応じるべくやったことがどうも裏目に出るというか、現場において十分それができておらぬというか、たとえば中学でも進路指導というものがございますね。進路指導というのは、いまの局長からの御説明によれば、だんだん文科系、理科系というように自覚ができてくるから、その方向にうまく指導していけばいいというように、聞けば大変聞こえはいいのだけれども、実態は大臣もこのごろ御承知であろうと思うのだけれども、点数、偏差値というものによっての振り分けということでもって終始しているのが実態だというふうに言われておる。これは御承知でしょうね。 いわゆる進路指導というもののむごさ、厳しさというのですか。だから大部分の中学生の方々が口々に、先生との親しみというよりも、先生はいつも何を言っているかというと、おまえはその点ではあそこには入れないよとか、もう少しがんばればあそこに入れるよとか、いまどの中学生の方に聞いても、そういうお話を聞きますね。そこには確たる、子供のときのどうして、どうして、なぜと聞くのと、中学校になってからどうしてなんだと聞くのは種類が違うのだということを言われましたね、やはり生意気盛りにならなければならないのでしょうね、理屈っぽいというところもあってもいいわけですね、それに対応していくだけの教育的な配慮が、ではなされているか。それは現場ではできない、そういうような状況があるわけです。これも構造的な問題です。これは大きな問題です。 それから、きょうは時間がなくなったからあれですけれども、さっきも初中局長さんからのお話で、小学校低学年と、小学校高学年と中学校というふうにくくられましたね。これは昔はいまの六・三・三という、これでもって大体おさまるように二十年前はなっていたのじゃないですかね。最近に至りましてどうも小学校の五年生、六年生というのが、女の子にしても初潮が一般的になっておる。それだから中学生並みに体の面でも情緒の面でも扱ってくる。それから教え方の面でも、一人の先生が全教科をやるのではなしに、だんだんに専門の先生がやってくるような方向に、いまなりつつありますね。そうなりますと、いまの六・三・三制の区切りということの意味が失われてきているのじゃないのかというように私は思っているわけです。六・三・三にどうしても固執しなければならぬという理由がありますか。それともそろそろこの辺でもって実態に合わせていかなければならないのか。こういったことはすでに十年前ぐらいから言われているわけでありまして、昭和四十六年の中教審の答申の中にもその方向が言われている。実はその前からそういう傾向はあった、御承知のとおりだと思います。この方向は大体定着していくと思わなければならない。これが一つの問題です。 それから高校の新しい学習指導要領のもとに新しい教育内容になった、ゆとりができる教育である、これは結構ですけれども、これも少し議論をしておきたかったのだけれども、結論だけ言います。高校の発達状況、またそれに応じた課題配慮ということから申しましても、今度の指導要領のつくり方といいますか精神から言いましても、高校の教科書に関しては国による検定というものは不必要ではないか、これは外した方がいいのじゃないだろうかということを提言したいわけなんです。これはひとつ、いまの中教審でもって総合的にいま審議をしていらっしゃるところだと思うのですけれども、それの一つの課題に加えてもらいたいのですよ。高校の教科書、もう少し遠慮した言い方をすれば高校の二年と三年の教科書、これについては検定から外すという方向を、せっかちにとは言いませんけれども、そうしたことをひとつ検討課題の一つに加えてもらえないだろうか。お願いします。
○三角政府委員 高等学校の、先ほどの御議論で発達段階になりますと、私からも申し上げましたが、非常に分化の度合いが進みますし、能力、適性というものもきわめて多様になってまいりますので、そういう状況に照らし合わせますと、私どもとしては、高等学校の教育というのは、教科書と申しますのはいろいろな内容的にもあるいは内容の水準の上から申しましても多様なものがあった方がいいのではないか、そういうふうに思うのでございます。ですから、教科書の執筆者なり発行会社が特に創意工夫をその面で生かしていただきたい、こう思うのでございますが、やはり教科書の内容について、私どもが申しております指導要領の基準に即して、日本全体の高校教育の普及なり水準なりというものを考えまして、内容の正確性等も含めましたいまの検定というものはやはりこれは必要である、こういうふうに思うのでございまして、大いに著者が創意工夫を発揮して多様な教科書ができるということは、これは先生のお話の御趣旨からも出てくることであって、私どもも願っておるところでございます。
○有島委員 大臣、そういうわけでございますので、そういった方向をひとつ検討課題に加えてもらいたい。お願いします。どうですか。
○小川国務大臣 いま政府委員からお耳に入れましたように、高校段階になりますれば能力、適性等きわめて多様なものになりますから、教育の内容もこれに対応して多様なものでなければならない、したがって、教科書の著作者においてかような方向でいろいろ創意工夫をこらしてもらいたいと考えておるわけでございますが、やはり高校教育につきましても、教育の水準を全国的に同一に保たなければならないという要請は、これはなお存在しておるのじゃなかろうかと考えております。しかし、先生のお考え、一つの御見識でございましょうから、私どもといたしましても研究をさせていただくつもりでございます。教科書の問題につきましては、教科書の検定、採択あるいは給与等の問題を含めて中教審の御審議を煩わしておるわけでございますので、答申を得た上で、ひとつ慎重に考えてまいりたい、こう思います。
○有島委員 きょうのこちらの提案というか議論というか、伝えておいてもらいたい、こういう意味ですよ。もう時間がないから。
○小川国務大臣 よく承りました。そのようにいたします。
○有島委員 中教審に伝えていただけますね。 ありがとうございました。
○青木委員長 三浦隆君。
○三浦(隆)委員 前回の文教委員会で、学校医等に関する法律の問題のときに御質問させていただいたのですが、その続きとして、若干学校教育法二十六条の出席停止の問題について質問さしていただきたいと思います。 学校保健法の十二条及びこれに基づきます施行令五条、六条といったいわゆる出席停止の要件というのが、伝染病に限定されているわけです。これにシンナーや覚せい剤等薬物乱用の常習者を含めるようにしたらどうかという私の質問に対しては、学教法の二十六条というものによる規定を適用するというふうなお言葉があったわけです。実は私の質問の趣意は’青少年の非行あるいは犯罪などにかかわりやすいシンナーや覚せい剤等薬物乱用常習者に伴いがちな問題の解決を、教科学習のでき、ふできといった知育教育面からの対応や校内秩序の維持管理といった処罰取り締まり面からの対応ではなく、学校医等による医療治療面からの対応の重要性について訴えたかったわけです。現在結核患者が、学校医療の成果もあって、早期発見、そして治療により激減を見ているわけです。シンナーや覚せい剤等薬物乱用の常習者に伴いがちな不幸な事例も、学校医療の対応の次第いかんでは改善される点も多いことと思われます。そこで、今後の学校医療のあり方として、青少年非行などの解決の一助としてシンナーや覚せい剤等薬物乱用の事例に対しても適切な処置をとられるよう冒頭要望したいというふうに思います。 そこで、実は第一番目の質問は、学校教育法二十六条は、「市町村の教育委員会は、性行不良であって他の児童の教育に妨げがあると認める児童があるときは、その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる。」と書かれてあるわけです。ここで教育現場の責任者である校長はとしないで「教育委員会は、」と書かれた理由はどこにあるのでしょうか。
○高石政府委員 児童生徒の就学義務の関係で、子供たちに出席停止というのは就学の機会をある意味で権利を制限するということでございます。したがいまして、就学通知その他の事務を市町村の教育委員会で処理するというきわめてレベルの高い処分と考えて、その市町村の管理責任者である市町村の教育委員会がその出席停止を命ずるという行政上の権限を付与していると解釈いたします。
○三浦(隆)委員 このように義務教育というものを大変重く見まして、めったに出席停止などの処置をしてはならないということだろうと理解するわけです。 さて、次に、同じく二十六条ですが、「性行不良であって他の児童の教育に妨げがあると認める児童」と書いてあるのですが、これは、だれが、どのような客観的基準に基づいて行うものでしょうか。
○三角政府委員 これは条文の上から申しますと、市町村の教育委員会がその点につきましても判断をするということでございますけれども、これは児童の問題でございますから、当然学校、校長、これらの判断というものがその基礎にあって、市町村の教育委員会が判断をする、こういうことであると思います。
○三浦(隆)委員 主語が「教育委員会は、」とありまして、別段校長はと書いてあるわけではないわけであります。ですから、この場合に校長の報告が全く一〇〇%正確に反映されていればあるいは正確な情報と言えるのでしょうけれども、いささかでもそこの連絡に隔たりがありますとうまくいかないだろう、こう思うのですね。ですから、ここの場合の性行不良であって、あるいは他の児童の教育に妨げがあるといった場合に、何がゆえに性行不良なのか、何がゆえに他の児童の教育に妨げがあるのかといった判断の中に、たとえば子供の健康状況、極端に言えば、大変微妙でありますから、子供の親が離婚をしたりなんかするその妨げ、そうしたことの影響もあるかもしれませんが、ここではそうしたことではなくて、子供の心身の健康阻害ということが場合によっては大きく影響を及ぼすかもしれない。言うならシンナーなりあるいは覚せい剤の乱用ということがこうした結果を起こしているやもしれないわけであります。しかし、これに対しては校長はわからないわけです。先ほどのように学校医療の中で学校のお医者さんはいるけれども、その診療の科目の中には別段にシンナーだとかあるいは覚せい剤を乱用するというふうなものを見なければならないとは書いておらないからです。 先日の質問の後に、地元の医師会を訪ね、その専門のお医者さんにも尋ねたのですが、一人のお医者さんが大変多数の生徒児童をお扱いするときに、限られた時間の中では実はそれほど詳しくは正直見られないのだ、言うならば、条文に書いてあるこれだけは絶対やらなければならないということについてはやる、しかも、それですらも実は深くやっている暇がない。だから、いま言ったシンナーとかそうした覚せい剤の乱用、そうしたことに対する影響まではとても目が及ばない。また仮に及んだとしても、やらなくてもいいことをやったということでもって、医師へのかえって批判の声が出るのをおそれるという意見もあるわけです。少なくともそういう意味では、執務記録簿には書かれないわけであります。学校の先生いわゆる学校医が執務記録簿に書かれなければ、それを仮に校長先生に提出したところで、校長先生はその事実をわからないわけです。校長先生が事実をわからなければ教育委員会に全うな報告が行くとは私には思われないのですが、どうでしょう。
○三角政府委員 これは先ほど体育局長からお答えいたしましたように、出席停止というのはその本人の教育の機会をその期間とめるということであると同時に、この規定の趣旨はそのほかの児童生徒の義務教育を逆に保障することが必要である、そういう見地から設けられております規定でございますから、これの主語が御指摘のように教育委員会となっておるわけでございます。この教育委員会が適切にこの条文の運用をするということは、当然校長を初めとする学校当局からの申し出と申しますか、学校当局自身の判断というものをもとにやるということを先ほど申し上げました。ですから、ただいま御指摘の点は、この条項の運用の問題にかかわることであると思います。この運用は当然のことながら適切に行う必要があるのでございまして、シンナー、覚せい剤等につきましても、私どもとしては、この薬物乱用にかかわる指導で一番重要なことは、その者をできるだけ早期に発見するということであると思います。したがいまして、学校医もでございますけれども、学校では特に学級担任でございますとか、養護教諭でございますとか、むしろ先生たちが注意をしなければいけませんし、それから特に保護者と協力して早期発見をするという必要があると思うのでございます。発見のためにいろいろな手がかりは、子供の顔色だとかいろいろあるわけでございますけれども、いろいろな要素に注意をして発見をする、こういうことで、それによって学校と市町村の教育委員会が十分にじっくりと意思の疎通を図った上で判断する、そういたしましてこの条文の運用も十分な教育的な配慮の上でなされるということが必要である、こういうふうに思っております。
○三浦(隆)委員 大変親切な御答弁のようなんですが、結局何を言っているのかよくわからないのです。最初には他の児童の教育に妨げがあってはいけないといった管理的な面が述べられたような気がするのです。だけれども、もともと学校というのは知育というか、たとえば教科を教えるのだというのが一つある。もう一つには、それも心身の発達に伴いというか、健康という面があるわけであります。ここでは、この管理面というのを私は言おうとしたのではなくて、管理面の前にまずいわゆる教育があるでしょう。教育があるとすれば、それは知育といった教育のほかに、健康を維持するということも大きな一つの分野を占めるでしょうということなんですね。それにはいまのままのあり方ではとても納得のいく解答が出ない。言うならば無理なんですよ。校長自身のところにその児童の正確な健康状況の報告がやってこない。校長は知らないのですよ。場合によっては、受け持ちの先生だってどうかわからない。これは医師会に行ってお聞きいただきたいのですが、ここへ来る前に聞いてきまして、それ専門にしょっちゅう見ている専門家は、どういう人がシンナーの乱用なり覚せい剤を乱用した、あるいは麻酔剤、いわゆる麻薬を乱用したというのは一目わかると言うのです。しかも場合によると、その麻薬の種類は何だとまで、それ専門に携わっている医者にはわかると言うのです。だけれども、そうしたことが何にも記録簿に載ってこない。そうすれば、記録簿に載らないものは、校長をもって提出させられても、校長は知らないのですから、校長自身が知らないものを幾ら教育委員会に正確に伝えようといったってできないことじゃないかというのです。できなければできない、わかりにくいという答弁が出るならむしろ正確なんでしょう。できないのだけれども、何とかできるように努力していきたいとか、それだったらまだ誠実な答弁と言えると思うのですが、できっこないものが、持って回った言い方でいかにもできるというふうな発言というのはきわめておかしいと思うのです。 同時に、これは懲戒規定のところの、施行規則の方の十三条の方へ行きますと、性行不良でかつ改善の見込みのないときというふうになりますね。ここのところは性行不良であって、かつ改善の見込み云々とは書いてないのです。言うなら懲戒のときより軽いわけです。そうしたような状況を踏まえて校長が判断、それはできるわけです、同じ学校の子供たちを扱うわけですから。「教育委員会は、」とあるところにもう一度ひとつゆっくりお目を通していただきたいと思います。法解釈というのは拡張解釈もあるけれども、しかしある程度はちゃんと条理を通した解釈を行っていただきたいと思います。 では、次に進みまして、公立の小中学校では懲戒として停学あるいは退学の処分を行うことができますかどうか、お尋ねをしたいと思います。
○三角政府委員 いま御引用になりました「性行不良で改善の見込みがないと認められる者」云々の書いてあります学校教育法施行規則第十三条の規定、これのうち停学でございますとか、あるいは退学は公立の小中学に対しては行うことができない、こういうことでございます。
○三浦(隆)委員 としますと、この停学という言葉の中には出校停止、いわゆる出席停止も含んでいると思うのですが、いかがでしょうか。
○高石政府委員 出席停止という概念は、どちらかといいますと、本人を保護するというよりも他の第三者の児童生徒の保護という観点で、その原因になっている子供に出席の停止を命ずるという関係が基礎になっているわけでございます。停学ということ自体はむしろ本人の懲戒的な意味で与えられる罰であるということでございます。そこで、出席停止の学校保健の類型からいろいろ挙げてあります伝染病関係を種類を挙げて細かに規定をしておりますが、これは他の児童生徒への伝染の危険性のある期間を出席停止にするということで具体的な期間の基準を定めているわけであります。その間に当該子供の病気を治すということが裏の行為として行われるということでございまして、当該子供の病気が治る間出席停止にするとなっていないわけであります。
○三浦(隆)委員 出席停止ということは事実上出校できないということですね。出校停止と違いますか。
○高石政府委員 法律用語としては出席停止ですから学校に来れないということでございます。
○三浦(隆)委員 ということは出校停止と同じでしょう。学校に出て来れないということですから。
○高石政府委員 俗な言葉で言う出校停止と似ているわけでございます。
○三浦(隆)委員 私は文部省官房長の鈴木さんの見解を言っただけでありまして、私個人の考え方を言ったわけではないわけです。はっきりと停学にはそうしたものも含むと書いてあるので後ほどごらんいただきたいと思うのです。ですから、そうなると文部省の中も見解が分かれるのかどうか私にはわからないけれども、とにかく公立の小中学校ではできないという有力な解釈があるわけです。むしろ、それをできるという論拠はむずかしいような気がしますけれども、少なくとも法規上よくわからないのです。結局、長い期間学校に来ないということなのです。永久に来させないというのと一定の長い期間を来させないということにおいてもちろん何ら違いがあるわけではない。けれども、そういうことを義務教育ではしてはならないということではないのですか。公立の場合はいけない。それがどうしていいという解釈につながるのですか。
○三角政府委員 先ほどから委員がおっしゃっております停学というのは生徒に懲戒を加える、この懲戒のうちの態様として退学とか停学とかあるわけでございまして、これは高等学校についてはそういうことがあるわけでございます。公立の小中学校についてはこれを行うことはできない、こういうことになっておりますが、出席停止は懲戒ということのための出席停止ではございませんで、ただいま体育局長から説明がありましたように、他の児童に対するいろいろな影響等を考えて定められている一つの制度でございます。
○三浦(隆)委員 ですから、私が言うのは、義務教育というのはゆえなくして学校に来てはいけないとはできないのです。少年法なりに基づいて特別の理由があるとか伝染病の場合は除くとか、条文を広げていただければその参考条文のところにも明らかに書いてあるのでして、それ以外のことは書いてないのです。書いてないことで休ませるということについて果たしてどんなものかということをお尋ねしたわけです。もっとも、関連して少しおかしいかなと言えば、公立の小中学校でだめなのになぜ国立の小中学校なら許されるのかという論理はちょっとややこしいような気もしますけれども、これしもオーバーに言えば、国立の場合も私学の場合もそういう場合には公立で全部拾うからというふうな理解になるのかもしれませんけれども、それにしても私学と国公立というのは大体同じような類型があるとすれば、国立の附属小学校もいわゆる公立の小学校も中学校も同じに扱ってもよさそうに私自身は思います。しかし、現行法上はそうなっているわけですね。 さて、それじゃさらにもう一つ進みます。 条文によりますと「その保護者に対して、児童の出席停止を命ずることができる。」とあって名あて人は直接には児童とはなっていないわけです。この場合に、児童が出席を強行した場合にこれを拒否することができますか。
○高石政府委員 保護者が子弟に対して就学義務を負っているわけです。したがいまして、法制上、学校教育法では、その就学義務の履行を他の公益的な要素で一定期間とめるということでありますので、保護者に対しての出席停止ということになるわけです。したがいまして、出席停止をされた保護者は当然親の責任として子供を学校に出席させないという監護の義務がある、こういうふうに理解するわけであります。
○三浦(隆)委員 最高裁の学テ判決のところを読み直していただきたいと思うのですが、教育を受ける主体は子供なのです。親でもないし教員でもありませんで、子供にあるという有力な見解があるわけです。それから、親と子供というのははっきりと別人格なのです。いわゆる昔の感覚なら子供は親のものと言ってもいいかもしれませんが、現在では親と子は全く別の人格なのですね。そこで、仮に親が学校の言い分に従おうと思ってもその親の言うことを子供が聞かないといった場合に、無理やり親の言うとおりに従わせるということは現在の法規では考えられないのです。憲法二十六条の教育を受ける権利と学教法二十六条の規定と絡み合わせて、どちらが上位規範であるかと言えば憲法二十六条の方が上であろうというときに大きな問題であると思います。またさらに言えば、いま親の義務に触れたけれども、親の方は民法八百二十条に親権者としての監護、教育の権利義務という規定があって、ここには「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」、こうあるわけです。教育委員会が保護者に児童の出席停止を命ずるように言っても、今度は逆に保護者がこれに従わないときはどうなるか。教育委員会なり学校長が親に言っても、親自身が、私も子供に対する教育については深いかかわりを持っている、私の目から見たら大丈夫だと言って従わない場合もあり得る。親が子供に言って子供が親の言うことに従わないこともあるし、学校が親を通して子供に言えと言っても親が嫌がる場合もあり得るのですね。こうした場合にはどういうふうになるのですか。
○高石政府委員 学校教育法二十二条によりますと、明らかに保護者に対して、保護者は就学義務があるということを明文で規定しているわけです。したがいまして、その就学義務のかかわり合いによって出席停止の相手方ないしは就学猶予、免除の相手方は保護者ということで学校教育法の規定は整備されているわけです。したがいまして、そういう法体系のもとで学校教育法が整備されておるので、出席停止を命ずる相手方も保護者ということになっているわけです。法律上の手続によって保護者に一定の行為が課せられた場合に、それに従わないということは違法行為になるわけであります。違法行為になったものについては、従わないものの手続としてのあとう法定上の手続によって措置をされるということになるわけであります。
○三浦(隆)委員 仮に親に何々に従うようにと言いながら親が従わない、そうした場合に親がその義務違反ということで処分を受けるということは確かにあるかもしれません。しかし、先ほどのように親と子供は別人格なのです。親が命令に従わないということで親自身が処分を受けることが仮に何らかであったとして、しかしそれで子供を強制する力というものはあるのですか。
○高石政府委員 制度の立て方をそういうようにしているわけでございまして、子供は確かに教育を受ける基本的な権利があると思うのです。しかし、一定の社会的な秩序、規範の中で就学義務を課した以上、学校を設置しなければならないという設置義務を一方において市町村に課しておるわけです、したがいまして、その両方の絡みで法制ができ上がっているわけでございまして、他の児童生徒に悪い影響を与える、そして他の児童生徒の就学をする、教育を受ける権利が妨害されるということであれば、一人の子供に対してそういう出席停止の措置を講じながら他の児童全体の教育の機会を保障するというような仕組みでこの学校教育はでき上がっているわけであります。
○三浦(隆)委員 そうすると、教育の場にも行政強制みたいなのが出てきますか。子供が、どうしてもおれは出ていく、学校の門前で警察か何か呼んで絶対排除するといった場合に、その子供の体に手をかけることができますか、現行法上で。
○高石政府委員 そういう違法状態、トラブルの状態を予想して事細かに法律は規定しておりません。
○三浦(隆)委員 仮定の質問と言われると実はそれまでですけれども、しかしこれは、この法律をつくったときにある程度そういう論議もあったはずであります。すなわち名あて人を子供にしておりませんで、名あて人を親にしているということなんです。当然のごとく親と子供が別人格である。むしろ昔的な考え方ですと、子供は当然親に従うものといった感覚があったからそれほどの問題はなかったのです。ところが、新しい憲法下において新しい最高裁の判例などができ上がるに従って、だんだんと無理になってきたわけであります。 私が言うのは、時と状況の違いというものは、政治も変われば教育も変われば労使関係も変わってくる、そのときに法規が合わなければ法規は改正されなくてはならない。あるいはそうでないまでも法規の運営というものを時の状況に合わせて解釈、運営していく方が自然だということなんです。それを古いままで無理やり何でもかんでも押しつけようというところに、いろいろな何回もの答弁の中にしょせん無理が出てきているというふうに私は思います。むしろはっきりと、伝染病というものが個人がただ体を壊すだけじゃなくて社会に大きな迷惑をかけるのだということで、伝染病に限って出席の停止の措置をとった。この場合にシンナーとか覚せい剤等の乱用によって、常習によって、その本人だけでなくて大変大ぜいの人に迷惑をかけるということが、昔はいざ知らず、現在大変大きな注目を集めるようになってきた。だけれども、現在の法規はそれを予想しておらなかった。いまのお答えのとおりです。予想しておらなかった。だけれども、予想していなかったといっても、そういう事態が生じた以上はそれに相応するように対応していくことが教育の責任というか、教育に携わる当局者のあるべき姿だ、このように私は思います。お考えをいただければ幸いです。 そこで、質問を先にさせていただきまして、現在学校医によって執務記録簿というものが、施行規則の二十三条二項ですか、現在校長さんに提出されるようになっているわけです。さて、この執務記録簿というものは公開されるものですか、どうでしょうか。
○高石政府委員 この執務記録簿というのは、学校医が健康診断その他保健指導について学校に来ていろいろ勤務した執務の状況ということですから、いわば一般的な職員でいうと職員の執務記録というようなものであるわけです。したがいまして、すべての子供の一々の記録をここで載せるというような性格ではなくして、学校医として何時から何時まで働いて、そして今回の検査ではどういう事項の検査をしたというような、いわば執務全体がわかる内容をここで規定しているわけでございまして、一人一人の子供とはかかわり合いのないことであるわけであります。したがいまして、そういう校長と学校医との関係を明確にする内容で、第三者のことに触れるような記録でないわけでございますので、それを一般的に公開することはないわけであります。
○三浦(隆)委員 その子供の両親が、監護、教育の義務を負っているそうした親の方が、これはもちろんそんな法律なんか二の次に置きまして、わが子の健康には大変関心を持っているわけですね。学校の先生がちゃんと結核だとか心臓疾患だとかいろいろと定期的に診てくださっているわけですね。親が大変子供の病気のことを心配しまして、学校にその記録を見せてくださいと言ったときどうなりますか。
○高石政府委員 これは児童生徒の健康診断票というのがあるわけであります。だからそれに各個人の子供の記録が書かれるわけであります。したがいまして親が子供の健康状況がどうであるかを知りたいということで求めがあれば、それを見せることは何ら差し支えないわけであります。
○三浦(隆)委員 これも先ほどのとちょっと似ているのですが、そっくりそのまま転記される、逆に言えばコピーされるように正確なものか、途中で書いてあることが、あるところは書かれ、あるところは書かれないか、そうした問題の違い点ができると思うのですね。そしてこの場合に、もしそれが見せられないというのなら——私はでたらめに、人間個人の健康状況ですからむやみと第三者に見せていいとは言っておらぬのです。子供を持つ親が見せてほしいと言ったときに、いわゆる管理面を強調されようとするのか、いわゆるその子供の健康上の本当の親の気持ちを買っていただけるものか、その点がいまの質問のポイントであります。きょうの実は重大問題ではないので、一応この辺にとめたいと思います。 それからもう一つには、これと関連して、警察が何らかの事件で子供さんたち、児童生徒の人たちを補導しますね。その場合に、これは学校自体でよくあることなんですけれども、あるできる子供がにわかにがくんと成績が落ちてしまった、あるいは急に性格が悪くなった、おかしくなったといった場合に、家庭の両親のいさかいというか、離婚とかそうしたきわめて微妙なことが子供に及ぼす影響というものが間々あるわけであります。あるいはまた子供が病気になってしまったり、あるいは自分自身がある病気だと思い詰めてしまって悲観してしまったりする場合にも、そういうふうに成績ががたんと落ちたりあるいは性格が急に変わったりということは間々あることであります。そういうことを知らないで、ただ成績が悪くなった、ただいわゆる性格がおかしいじゃないか、曲がったじゃないかとどなればどなるほど、その子供はおかしくなるケースがあるのですね。 ただ、そうしたいろいろな原因の中に、いま言った健康の問題が仮に絡んでいるといった場合に、警察がその子供を補導してみた、そしてどうも見たところ、この子供はシンナーなり覚せい剤等の影響がありそうだ、そうすると、この子供はいつごろからそういうふうになったのだろうか、もちろん警察の取り調べでも聞くでしょうけれども、その警察の取り調べとは別に、学校におけるデータとして、正確な記録として、いつごろから子供はそういうものに手を染めたかというふうなことがわかった方がより適切な対応がなし得ると思うのです。こういう場合に私は、子供を持つ親に準じまして、むやみやたらといいというわけではありませんが、警察においてもそういうことが許されるのではないか。これはいわゆる治療ということですよ。秩序ということ、取り締まりという面ではありません。あくまでも治療という面で、そういう場合もあり得ると思うのです。 その次に進みまして、今度は職員の健康診断についてであります。これも法第八条あるいは施行規則の第三節、九条から十四条にかけて書かれておりますけれども、学校教育において教員が心身ともに健康であるか否かは大変大きなことである。例としては少ないですが、教員や校長先生がノイローゼによって自殺したという記事が伝えられることもあるわけです。こうしたことはその本人あるいは家族にとって不幸であるばかりでなく、これはそうしたノイローゼにかかっているような教員に教わったとするならば、教育を受ける主体である児童生徒にとってもきわめてゆゆしいことと言わなくてはならないと思います。 そこでお尋ねしたいのは、精神神経症等が健康診断で明瞭になった場合、学校医の執務記録簿の特記欄には正確にそういうことが記載されるものでしょうか。
○高石政府委員 職員に対する健康診断についても、その他の疾病及び異状ということで、全部の事項を掲げて様式に記入することはできませんので、一括してそういうようなことを記入できる欄を設けているわけでございます。したがいまして、精神異常というようなことが学校の定期の職員に対する健康診断でわかった場合にこの欄に記入するということはできるわけであります。
○三浦(隆)委員 もしそういうふうに記録があった場合には、それはどのように活用されますか。
○高石政府委員 そういう状態にある職員に対してはまず治療というかその病気を治すということを任命権者としては当然勧告をしていくということになるわけであります。
○三浦(隆)委員 ノイローゼでもって自殺に追いやられるような教員が時たま出るのですけれども、それは突発的にそうなるのですか、ずっとおかしかったからなっていくのですか。もしずっと継続しておかしければ、書いてあればいま言った治療なりが行き届いていて防げるかもしれませんね。どうですか。
○高石政府委員 職員の病気の状況というのはいろいろ複雑な絡み合いがあると思うのです。そこで、自殺をする職員は、家族ですらなかなか把握できないという、どちらかというと突発的な状態で起きるわけでございますから、通常の状態で校長だとか同僚がそれをチェックをする、あれは自殺しそうだというようなところのチェックは非常に困難であろうかと思うのです。
○三浦(隆)委員 それでは先の問題にテーマを変えさせていただきます。 次は、実は最近発売されております週刊新潮の四月八日号に「自分の学校の「校内暴力」を捏造報告した共産党教師」という項目がありますが、これに関連しまして若干の質問をさせていただきたいと思います。 その問題に入ります前に、実は日本教育研究会というところで出している「教育ニュース」というものがございまして、そこで五人の方で座談会をしているのです。その中の一節なんですが、私の持っておりますこの「教育ニュース」の七ページのところに、日教組の大会が横浜で行われたときの日教組の愼枝委員長の言葉が引用されております。この本によって御紹介をさせていただきますと、「学校に学ぶということは、社会にとってもプラスであると信じられてきた。今日学校で学んでも真の学力はさほど向上しないばかりか、健康を損ねたり、人格にゆがみを持たせたりしている。はては自殺にさえ追いやられている。まさに教育を受けることによって、人間らしい発達から遠ざけられるということこそ教育荒廃にほかならない。」こういう文章があるのです。これを見まして、学校に子供たちを義務教育だからといって上げることによって、知識、学力は向上しない、健康は損ねる、人格はゆがんでしまう、果ては自殺に追いやられるというのじゃ学校に入れる意味がなくなってしまうじゃないか、これじゃ教育が有害にすら思えてくるような気がするし、学校の存在意義を問いたいし、また、こうした場合の教員の資質なり力量、役割りというものを踏まえた、そうした新しい問題を私たちはもう一度検討しなければならないのではないかという気が実はいたしております。 週刊誌に載ります前に、ことしの一月三十日の読売新聞に広島で開かれました日教組の教研集会の模様が実は報じられまして、三つのコラムで出ているわけです。一つには「教科書で集中討議」、もう一つには「中学英語 週三休制に批判が続出」というのがあります。ここで取り上げたいのはそれではなくて、「教師めがけハサミ たばこは一箱 恐るべき小学生 教研集会、衝撃の実態報告」、これが一流の新聞かと思うばかり。大変すさまじい。それだけ新聞社としてもびっくりして取り上げられたのだろうというふうに思うのですが、これと同じことが週刊新潮の中に出てきているわけであります。 これによりますと、長岡京市及び周辺の乙訓地区の小学校の実態だということになっているのですけれども、引用が大変長くなってしまいますのでその一部を紹介させていただきますと、たとえば「乙訓地域(十八小学校)で、八〇年十月〜八一年九月の間、授業不成立、教師への集団反抗の激しい学級が二十近くにのぼっている。授業をする教師にはさみ、けしゴム、チョーク、おかずの入った給食の食器が飛び対教師暴力も発生している」、まず書き出しがそうありまして、次いで「万引きは小学校低学年が今や主流であり、クラス四十人中三十五人が経験する等、全ての子供の課題に広がっている。」クラス四十人中三十五人が万引きだ、これじゃ学校は万引きの予備校みたいになってしまうじゃないか。あるいは「シンナー、飲酒、家出、家庭内暴力が広がり、校内トイレの集団喫煙等、タバコは全小学校で起こっている。……深夜徘徊、無断外泊、悪質ないたずら、落書き、器物破壊、窃盗、横領、放火、車上ねらい、性非行につながる行為など、覚醒剤と暴走族以外は全てそろっている」「二年生が一年生の子供にナイフで切りかかってランドセルを切りさく、一年生の子供が注意した先生に金づちで殴りかかる等の残虐な行為が増加している」、とても小学校とは思えませんで、無法者地帯の状況にも私には思えてくるわけです。あるいは「オイチョ株をして二千円負け、それが返せずに利子をとられ、家の金を四万円持ち出す。六百円のミニゲームを貸りてこわし、弁償のために別の友達からお金を貸りて利子をとられ、万引きをして教室で品物を売り、四千円以上支払うなど「小学生のサラ金地獄」的な事件に見られる様に、金や物への執着ぶりは異常なものがある」、これではもう博徒、高利貸しの養成所みたいになってしまっている。 こういうふうな記事が載ったものですから、現地では大変な騒ぎになって、果たしてこれが本当であるのかどうかというふうになったところが、実は事実とは違っておった。結論的に言いますと、その発表者が適当なことを捏造して報告してしまったということで、謝罪報告文が出されて一応騒ぎはおさまったということになっておるわけです。 教研集会という中で事実を捏造して後で謝罪報告文を出すような組合教員がいるから教育のいろいろな問題が取りざたされてくるのじゃなかろうか、本当にけしからぬと私は思うのですね。 そこで、まず、こうした事実を文部省としてはどのように把握されていますか。この事実関係の問題からまずお伺いをしたい。
○三角政府委員 ただいまのレポートの件につきましては、京都府の教育委員会を通じまして、まだいま、事実関係等を照会中でございます。したがいまして、余り詳細なことは承知しておりません。 ただ、私どもは事実の詳しいことをよく聞いてから判断したいとは思っておりますけれども、いやしくも教育をつかさどる教師でございますから、正直であるということが前提基本条件でなければ子供に対する指導はできないのでございますから、仮にも事実を歪曲して、捏造して公表したとすれば、これは教師全体の信用を傷つけるきわめて遺憾な行為になるのではないか、こういうふうに思っておるのでございます。
○三浦(隆)委員 私もこの質問に先立ちまして、現地のここへ出てくる主要な方とはすべて、忙しくて直接お伺いできませんでしたが、関係者とは電話連絡でありますが、確認をさせていただきました。そこではいわゆる報告文というのがありまして、その中の文章を引用したのだから一応その文章の引用そのものは正確であるというふうに承っております。 そこで、子供を信頼し、子供の成長を願うべき立場にある小学校の先生がこのような事実を歪曲したレポートを公表したとすると、きわめて問題が大きいと思うのです。そこで大臣に、この件について御所見をお伺いしたい。
○小川国務大臣 まことに仰せのとおりでございまして、いやしくも教師たる者が事実をねじ曲げたことを公表するというようなことは、教師にあるまじき行為であると考えております。
○三浦(隆)委員 この週刊誌が出ました後で、きょう実は私が文教委員会で発言するということで関係の皆さんといろいろと電話でありますが連絡したところが、ここの週刊誌から、大分事態は解決の方向へと一応進んでいるようであります。 一つにはそれが、子供を預けているお母さん方がその問題の先生の授業は受けたくないという申し出があった。ところが、いまの法制度は、子供の方には教員を選択する自由とか権利というものがないわけですね。学校の決められたクラスにしか入れない。だけれども、お母さん、お父さんはどうしてもそういう先生に教わりたくないのだということだったのですが、それまではその先生はずっと先生であり得て、担任をかえるということはできなかった。私が、担任をかえるなりクラスをかえるなり配置転換をするなり、何らかの処置をとれませんかと言ったところ、校長さんはとれぬ、こういう答えがあったわけですね。ところが、その同じ日に、実はきょう担任をおろしましたという報告が来たわけです。大変早い即応だったと思うのですけれども、そのようにできるものなら私としては早くやってほしかったなというふうに思います。 それからもう一つ、この週刊誌の記事の中では、PTAの方だと思うのですが、このPTAの会長さんの言葉として、あれだけのことをした先生が何らペナルティーを科せられもしないでその後も教壇に立てるというのが不思議ですというせりふがあるのですけれども、きのう現在ではありますが、校長先生と問題の先生が教育長さんに呼ばれて訓告処分を受けられておったということになりました。日にちはいつですかと言ったら、三月三十一日付だということですが、これも最初の校長先生とのやりとりでは私は聞いておりませんでした。その後、教育長さんから、そうとりましたと言っておりますので、御確認をいただきたいと思います。 それからまた、この日教組の教研集会には、公務員ですから職務専念義務が課せられておるのですが、それを免除するといった教公特法の二十条の規定でやったと最初校長先生のお答えがあったのですが、後ほど校長先生あるいは教育長さんからもお電話がありまして、実はそれはミスであった、間違いだった、それは旧来、そういう教研集会のレポーターとして出席する場合には既得権としてそういうふうに認めておったのだけれども、いまは違って、私の思い間違いであって、現在は年休の処置で出ている、というふうになっているそうであります。 ということで、この三つの点、変わったように思うのですけれども、それぞれ大きな意味を持っておりますので、これについては順次質問をしていきたいと思いますが、もう一つ問題にしたいのは、教研集会の席上でうその、捏造の発言をするような先生、これは本当に先生としても珍しいのだと思うのですが、その方がまさにみずからを省みることもなく、むしろ公然として言っているせりふは、たとえば政府批判になりまして、「政府自民党は中道野党まで巻き込み「行革」の名の下に、軍備拡張、民主主義圧殺一国民生活破壊の路線をひた走ろうとしている。……独占資本は軍拡に活路を見い出し、反動勢力は憲法改悪、小選挙区制導入をねらっている。(京都では)あと三カ月後に迫った知事選をめざし林田府政は教育面でも、任命主任制強行……住民要求を敵視し教育の反動化路線を強行している。」というふうなことを発言したようなのでありますけれども、こうなると、教育についての研究と修養の場であるはずの本来の集会がきわめてイデオロギーに偏向した政治集会となってしまうのではないか、そんな気がするわけであります。あわせて、このような組合教員に子供たちが教わるから教育は荒廃するのではないでしょうか。先ほどの槙枝委員長とは別な角度から、こういう教員に教わってしまうから教育は荒廃するのではないか、少なくとも教育荒廃の責任の一端は私はここにあると思うのです。 そこで改めて、教員が研修に出席するということは本来どういう意義を持つものなのかということについて文部省にお尋ねをしたいと思います。
○三角政府委員 教育のために研究を深めるということでございますと、やはりそこには、テーマを選ぶにいたしましても内容を論ずるにいたしましても、教育というものを向上させていくという一つの純粋なものがなければならないのじゃないかと思います。仮にあらゆることを社会体制なり何なりにつなげていくとすれば、それは純粋な教育の集会というよりは、むしろ一種の社会運動なり政治運動の集会に近いものになるということも考えられます。それは仮にの話でございますけれども。私どもはやはり、教育のための研究なり研修なりの会合は教員の意欲でございますとか、あるいは資質、能力を高めるための研さんの場であるべきである、こういうふうに思っております。
○三浦(隆)委員 今度は、教研集会の持ち方ということで、授業とのかかわりなんですが、時間の都合で詳しくは言っておれませんけれども、ある新聞に、教研集会という名目で授業が中断されてしまった、そこで、そうした中に、それはおかしいと言ってある先生が筋を通して授業をされたというふうな記事が実はあるのですが、教研集会といえども授業を勝手に無視していいとは思えないのですね。ですからそこに、授業に差しさわりのない限りたとえば職務専念の義務を免除するとかそういう規定が生まれるのだろう、こう思うのです。ですから、今度は今回の報告で改まったからよかったのですが、教研集会のいわゆるレポーターだから必ず職務専念義務免除の手続がとられるということじゃなくて、やはり授業との兼ね合いでもって、いわゆる授業を大切にして、先ほど、義務教育ではめったやたらに出席停止はできないぐらいですから、授業というものは休まないで、きわめて大切に扱うものだと思いますので、そういう兼ね合いというものを考えて研修というものは持たなければいけないと思います。 そこで、研修に参加する教員についての服務上の取り扱いについては三つほどあるようで、一つは勤務そのものとして行う場合、二番目に勤務に有益なものと判断して職務専念義務の免除の便宜を与える場合、三番目に勤務時間外、年休を利用する場合と分かれるようでありますが、これについて少し詳しくお話を承りたいと思います。
○三角政府委員 教師が研修をいたします場合に、その時間をどういうぐあいにこさえていくかということのやり方としては、ただいま三浦委員がおっしゃいましたような、そのとおりの方法があるわけでございます。 ただいま問題にされております日教組の研究集会に教員が参加するということについてでございますが、これはその教員自身の自主的な活動であるわけでございますので、文部省といたしましては、これは年休によって処理されるべきものというふうに考えておりまして、従来から各教育委員会に対しましてその旨を指導してきておるところでございます。 それから、たとえ年休でございましても、当然のことでございますが、授業その他の学校の仕事に特段の支障が生ずる場合にはその日時を変更いたしたりあるいは調整するなどして適切に対処すべきである、こういうふうに考えておりまして、この点につきましてもこれまでずっと各教育委員会に対して指導してきておるところでございます。年休でやっていただく、こういうことでございます。
○三浦(隆)委員 授業との兼ね合いの中で、校長さんが今回は大丈夫だろうといったいわゆる人数なり日にちの配慮というものが必要だと思います。ただ旧来の組合としての既得権の主張がありますから、特にそういう力の強いところですと校長先生も本当に大変なことだろうとずいぶんお察しするところでありまして、筋を通してしっかりとやっていただきたい、このように思います。 そこで、次には問題を起こしました教員の行為とその処置についてお尋ねをしたいと思うのです。 学校教育法の二十八条の六号で「教諭は、児童の教育をつかさどる。」ということになっておりまして、教員は児童の教育をつかさどるものであり、言うなら教科書はなくても、あるいは悪い教科書であっても、すばらしい、りっぱな教員がいれば教育は成り立つという意味合いにおいて教員というのはきわめて重要な役割りを担っていますし、皆さんが誇りを持っていらっしゃると思うのです。そういう意味で、昭和五十一年の学テにおける最高裁判決でありますが、「子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。」と言っております。「その充足をはかりうる立場にある者」というのは、こうした中に教員というのは当然含まれて大きな地位、役割りを果たすと思うのです。また、「子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、」云々とあります。まさに子供と教員との相互信頼、人格との触れ合いというものがいかに大きいかということ。それだけに過てる教員がおりますと子供にとってはきわめて悲劇的な様相を展開してしまうだろうということなんです。それから同じように、「子どもはその成長の過程において他からの影響によって大きく左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施すかは、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすものである。」、このようにも述べております。その成長の過程において他からの影響を受けるとするならば、この尊敬する教員から受ける影響はきわめて大きいということを踏まえて、ですから、これほどの立場にあるからこそ教員というのは他の何びとよりも誇りある一つの生き方だと私は思いますし、それだけに慎重な行動というか生き方をしていただきたいと本当に思うわけであります。 それから、最近の新聞に載っていたのですが、日本PTA全国協議会で「人間性豊かな子供の育成を目指して」と題しまして、お父さん、お母さん、あるいは教員を対象として教育問題に関する意識調査の結果をおまとめになったようであります。それによりますと、親が期待します教員像は、やさしいが厳しい半面も失わず指導する先生、これが大変大きいパーセンテージ。それから、どんな子供にも目をかけ、不公平な扱いをしない先生。三番目に、サラリーマン教師と言われない使命感に燃えた先生。四番目に、子供の心をつかんで学習の効果を上げる先生とありまして、なるほどなるほどと思うのばかりであります。このような最高裁や親の考える教員像というものに対しまして、今回の教研集会におけるいわゆる捏造文書に基づく発言をされた、いわゆるうそ発言をした教員の場合というのは子供のための教員ではありませんで、子供を材料として自己の顕示欲だけを満足させたものだという点においてきわめて異例としか言いようがありません。一般的にはすぐれたりっぱな教員も多いのですが、このような教員が一人でもいるということによって教育全体に、少なくとも話題となった地域あるいは学校に大きなイメージを与えたと私は思います。 そこで文部省としては、教育への信頼というものを取り戻すように、現地の教育委員会等に対して、まず第一点、一月三十日以降新聞に載ってからどのような措置をとられてきたものか。それから第二点は、この週刊誌が出て反響を呼んでおりますが、その後どういうふうな処置をとられたでしょうかということについてお尋ねしたいと思います。
○三角政府委員 冒頭申し上げましたとおり、ただいま京都府の教育委員会を通じまして事実関係等を照会中でございますので、その詳細はその報告を受けてその上で確認をしたい、こういうふうに思っておるものでございます。
○三浦(隆)委員 とにかく、一月に述べてから四月までかかっておりまして、こういうものは手際をよくやっていただきたいと思うのです。子供にとってはもう一日一日が勉強にかかっていて、大変重大なものです。オーバーに言えば、一日のうちの何時間、何分か親が勉強しなさい、勉強しなさいと大変口酸っぱくやかましく言っているぐらいでありますから、それを二月も三月もほっぽらかされて、まだ調査中、まだ調査中、いつまで調査していれば済むのかというふうに私は思うし、なるべく急いで、はっきりとした処置をおとりいただきたい、このように思います。 それから二番目に、年休と例の職務専念義務の免除との違い、同じいわゆる出席のあり方でありますが、今回は年休扱いということでの出席のようでありますが、もしこれがそうではなくて、職務専念義務を免除するという意味合いの出席であったとしますと、これはなお問題がちょっと大きかったように思うのです。というのは、いわゆる私人ではなくて公務員としての教員の地位を利用している。職務の延長に近い研修に参加している、そこでのうその文書の作成と発表といった行為を行ったという点、これがまず第一点です。また、うその発表を真実の発表であるかのように他人に思わせた。他人はそれを発表されるまま信じてしまった。一方給与というものを取得して生活を続けてきたということの行為であります。言うなら、こうしたことは大変許しがたい行為だというふうに思うのですが、くどいようですが、どのようにお考えでしょうか。
○三角政府委員 私どももできるだけ事実の詳細を把握したいと思っておりますが、御質問でもございますので申し上げますと、現場では二月の初めからいろいろとこの市の教育委員会あるいは父兄の団体でありますところの育友会連絡協議会というような団体、それぞれいろいろ動きがございまして、市の教育委員会やあるいは府の教育局等が調査をしたり指導をしたり重ねてきておるようでございます。 それから、二月には三度ほど市の教育委員会では市の校長会を招集したりしてこの件についての対応は進められておる、こういうふうに承知をしておる次第でございます。 それから、ただいまの御指摘でございますが、いろいろとお述べになりましたようなことが事実でありますとすれば、やはり教員としては、子供を自分が一つの模範であるという立場で指導していく、そういう仕事でございますから、普通の人以上に生活規律なりあるいは道徳性なりの点において厳しくあらねばならない、こういうふうに思うのでございます。子供と教師の間の信頼関係が損なわれるようなことがありますれば、これは教育が成り立たなくなる、そういうことでございますので、御指摘のような事実の例ははなはだ遺憾なことであると思います。
○三浦(隆)委員 私もこの報告書を原文を読んだわけではないのですが、その引用の記事だということで確認をしているわけですね。 その後の質問ですが、当該教員に対する処置として、三月三十一日付だとたしか聞いたように思うのですが、校長とそれからこの関係の教員が教育長に呼ばれて訓告処分に付されたというのです。事実でなければ訓告処分に付すわけもないであろう、逆な意味で私はこう思います。そういう点で、臭い物にはふたをするということでなくて、一応おくればせであっても毅然とした態度を一つ示し得たということはよかった、このように思うのです。少なくとも子供を持つ親御さんたちをある程度納得させる役割りを果たしてくれるのじゃないか、こう思っているわけです。この場合に訓告処分の事実ということがあったかなかったか、文部省として確認されていますか。
○三角政府委員 その点につきましては私どもも聞いておりまして、長岡京市教育委員会は、御指摘の森教諭の行いました小学生の非行の実態に関するレポートについて本人の責任を問うということで、去る三月三十一日に文書訓告を行ったということは聞いております。
○三浦(隆)委員 地方公務員法の第三十三条、「信用失墜行為の禁止」というところなんですが、「職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。」というふうにあるのですが、今回こういう規定の適用というのは現地では検討されたのでしょうか。もし知っていましたらお尋ねをしたいと思います。
○三角政府委員 ただいま申し上げましたように、任命権者でありますところの長岡京市、職員の服務の監督権者であります長岡京市教育委員会がそのような措置をとったわけでございますが、どの条文をどのように適用し、実態をどのようにそれに当てはめて処分を行ったかというような細かい点については聞いておらないのでございます。
○三浦(隆)委員 それじゃ後ほど、地方公務員法三十三条との関係でもし検討されておったら、その間のいきさつの文書をぜひ拝見させていただきたい、このように思います。 それから、その次でありますが、きのう四月六日付で問題の先生が担任を外されたと私は聞いたのですが、文部省はその事実を確認されましたでしょうか。
○三角政府委員 そこまではまだ私ども府の方から報告をもらっておりません。
○三浦(隆)委員 それでは、私はこれはこの辺にしたいと思います。 私が聞いたところでは、昨日なんでありますけれども担任を外したというふうに承っております。むしろここで聞きたかったのはどういう理由、名目で外して——電話では短うございますから、ただ担任を外したというだけでそのほかのことについて聞いておりませんので、もしおわかりになれば聞きたかったなと思ったわけであります。もう一つには、旧来担任をずっと続けていたが、きのう現在になって外したという、移り変わる理由についてもお尋ねしたかったような気がしたわけであります。いずれにしましても、もし担任を外したということが事実であったとするなら、私はこれまた父兄方に対する一つのそれなりの答えにはなったのじゃないかと思います。 それからもう一つなんですが、この週刊誌の中で、いざこの先生が責められたら、実はこれは私個人がやったのではないのだというふうにして、ほかの先生方ともいわば共謀のような発言をしているところがあるのですね。とすると、これはまた一つの新しい問題になりまして、いま仮にお一人の方が訓告の処分を校長先生ともどもに受けられたとしても、大ぜいの皆さんが同じような役割りを担われて、たまたま代表として一人というのであれば、残った一緒に携わった人も同じような訓告処分を受けなければならないのだろう、こう思うわけであります。 ところが、何か報告するについては、われわれもいろいろな資料を読んだり、いろいろな人の意見をお伺いしたりすることがありますから、いろんな意見を聞きながら、恐らく最終的には御本人お一人で意見をまとめられたのじゃないか、だからこそそのお一人だけが処分の対象になったのではないかと思うのですが、それがいざとなって人様にも——最終的に本人だけてやったものが、仮にもしそうでないというならば、問題の先生が文章をまとめられましてから、そのかかわった先生方に全部それを一覧させまして、私はこのように文章をまとめました、よろしいでしょうかと御了解を得ていれば、これは本人だけじゃなくてみんなの共同というふうになるのですけれども、今回はそういうことではなかったようなんですね。にもかかわらず、ほかの先生も巻き込むような発言をされているということは責任転嫁というか、私にはきわめて無責任なような気がいたしますということですね。 そこで、次の質問に移らしていただきます。 教員に限りませんが、教員にも大変すぐれた人と余りすぐれていない人と仮にいたとしますと、だめな悪い教員とすぐれたよい教員というのが全く同じように教員として扱われるというのは真の平等ではなくて悪平等だ、こう思うのです。真の平等のためには、そういう意味では、どういう人がいいか悪いかという判断をしなければならない、そこに勤務評定というものの必要性があるのだろうという気が私はするのですが、さて、今回の事件を起こした教員というのは勤評ではどのように扱われたものか、それをお尋ねしたいと思います。
○三角政府委員 そのような細かいことまで一々ただいま承知しておりません。
○三浦(隆)委員 では、ここでは勤評というものが行われているのでしょうか。
○三角政府委員 いまちょっと聞きましたが、京都府では以前からのいきさつもございまして、勤務評定規則というものがございませんで、勤務評定を実施してないという状況でございます。
○三浦(隆)委員 いわゆる人事管理の適正を図るために、職員の勤務実績とそれに直接反映する職員の性格、能力、適性を公正に評価し記録するというのが仮に勤務評定だとするならば、ある地域でやられる、ある地域でやられないということがあって果たしてよいものかどうか。勤評がそこでは実施されてないというのが全国的にはどことどことどこがされてないのかお尋ねしたいと思います。
○三角政府委員 実施されておりませんのは現在北海道と京都と沖縄でございます。
○三浦(隆)委員 その全国三カ所を除くとみんな勤評が行われているというのです。ところが、行われてないところが三カ所あったというわけであります。そこの行われない地域の特殊性というか特色というか、行われなかった背景についてもう少しお尋ねしたいと思います。
○三角政府委員 この勤評が実施になりました三十年代の当時におきましてこれに対する反対活動が非常に強かった地域があるわけでございまして、そういったところでございます。 なお沖縄は、その以後において御承知のように本土復帰になりまして、本土の制度が適用になったわけですが、いまだ実施の段階に入っていない、こういうことでございます。
○三浦(隆)委員 問題の教員は訓告処分に付されたというのですけれども、実際に勤評が実施されてないという地域では記載のしようがないわけですね。仮に、その先生がどこかほかの地域に移ってもわからないわけです。そういう点では、記載される地域と記載されない地域では不公平な取り扱いを受けるようになってしまうと思うのですね。 勤評をするようにといった法規定というふうなものがあるわけですけれども、その法というのは任意法ですか、強行法ですか、お尋ねをしたいと思います。
○三角政府委員 これは法律的に申しますと強行法の概念に入ると考えております。したがいまして、私どもはこれが正常に実施されるように指導を重ねてまいったわけでございます。
○三浦(隆)委員 たとえば地方教育行政の組織及び運営に関する法律の四十六条のところを見ますと、「県費負担教職員の勤務成績の評定は、地方公務員法第四十条第一項の規定にかかわらず、都道府県委員会の計画の下に、市町村委員会が行うものとする。」とありますね。ここで「行うものとする。」とはどういう意味なのか、あるいはさらに、「都道府県委員会の計画の下に、市町村委員会が行うものとする。」というのはどういうものなのかという解釈については、すでに文部省が何回となく答えを出しているわけですね。言うならば、任意法どころか完全な強行法であって、そうしなければならないとお答えになっておるわけですよ。ところが現実には行ってないわけです。言うならば、これが一年、二年行わない、間に合わないというならいざ知らず、勤評というのは方々でやられてから何年たっているのですか。そうした、文部省が、やったところはそのまま、やらないところはやらないからしようがないという姿勢で果たしていいものなのかどうか。その三つの地区なら三つの地区に限りまして、文部省としての今後の実施への見通しについて明確に答弁をお尋ねしたい。
○三角政府委員 仰せのとおりにこういう規定が設けられておりまして、大部分のところはやっているわけでございます。したがいまして、私ども、やっておらない道府県があっても仕方がないとは思っておりません。これはどうしても実施をすべきものでございますので、該当の道府県の教育委員会に対しまして、これまでもやってまいりましたけれども、今後ともさらに指導を重ねてまいりたいと思っております。 ただ、これまでのいろいろないきさつがあったことでございますので、見通しというものを必ずしも短い期間に明確に申し上げられないのは大変残念に思いますけれども、しかし、これが実施について一層督励をし、指導してまいりたいと思っております。
○三浦(隆)委員 抽象的でなくて、もう少し期間というものを明確に考えられないですか。
○三角政府委員 これはいろいろな意味でこういった対立関係が非常に激しい状況から今日のような状況にまで推移していることでございますので、当然努力を重ねなければならない事柄でございますけれども、教育委員会の方がそれは怠慢であってはならない、鋭意努力すべきことでございますけれども、従来からのいろいろないきさつ等もあることでございますので、これを一挙動で実現に持っていくということも、なかなか現実問題としては困難があろうかと思います。三浦委員の御質問のお気持ちというか趣旨は重々よくわかるのでございますけれども、ですからその線で指導、督励をしてまいりたいと思いますけれども、いまここでその日時について申し上げられないというのが実情でございます。
○三浦(隆)委員 別に一月、二月でしてほしいと言ったわけではないのであって、このまま何年も何年も経過しておったわけですから、黙っておればこれからまた何年も何年も過ぎてしまうでしょうということなんです。 そこで、そういうふうに私が質問していると、次に、文部省には責任はあるけれども権限はないとか、よく出てくる言葉でありますね。そうして、いわゆる権限強化ということを余り行き過ぎると、戦前に戻りかねない心配も一方ではあるわけであります。 実際には、いわゆる地方教育行政の組織法の四十八条では「文部大臣又は都道府県委員会の指導、助言及び援助」の権があります。あるいは同五十二条では「文部大臣又は都道府県委員会の措置要求」権というのがございます。あるいは同五十三条では文部大臣の調査権というのがございます。私が言いたいのは、法がないのではなくて、現行法としてたとえば大臣には調査権がある。あるいは大臣には措置要求権があるといった場合、これを行使されて正確に事実を調査された上でこれこれしかじかをしなさいと措置要求をするわけです。それに従わなかった場合に、従わないなりのまた対応の仕方が出てくるのじゃないですか。いままで一度もはっきりとそういうふうに言わなかったからとか——言うなら法は不備なのではないのであって、調査権を行使すれば正確な事実の実態がわかってくる。わかった上でこれこれこういうふうにしたらいいのじゃないかどうかといった指導、助言もできる。その上で相手が納得できなければ措置要求でもっとはっきりしたこともできるわけです。逆に言って、その法の命令に従わないときには、また別の措置もとれるじゃないかと私は言いたいのです。これを何年にもわたってしてこなかったところが、私はおかしいのじゃないのか、お尋ねしたいということなのであります。それについていかがでしょうか。
○三角政府委員 ただいま御指摘のような、文部大臣と教育委員会との間の指導なり要求なりあるいは調査なりという規定があることは、私どもも十分わきまえておるつもりでございます。 ただ、このような規定をどのように私どもは実際の業務の中で生かしていくかということにつきましては、それぞれの教育委員会の姿勢なりあるいは置かれております客観状況なり総合的に考えました上で適切な措置をし、またこのような規定を活用したいと思っておりますので、これまでそれを使わなかったではないかというお話でございますが、ある特定の条文をストレートにかざしまして事柄をやっていい場合もありますれば、そのような条文を背景にしながら実際的な指導をするということがいい場合もありまして、その辺のところは私どもは状況に応じまして考えてまいりたい、こう思っておるのでございます。
○三浦(隆)委員 時間ですので先に飛ばさせていただきますと、週刊誌の記事の中に、本論とは外れるのですが、もう一つ問題があります。 すなわち、この学校の先生方による「赤旗」の購読勧誘の問題であります。記事によりますと、このPTAの元会長さんの言葉の引用でありますが、「五十五年度の先生と父兄の懇談会の席で、あるお母さんが“赤旗の勧誘にくるのはやめて欲しい”と発言され」云々ということで、そのことをこのPTAの広報の雑誌に、文書に載せて配ろうとした。そうしたら、この問題の先生を中心にして先生方がそれはやめてほしいと来られて、結局職員会議で勧誘自粛の申し合わせをするということと引きかえにして文書に書くことはやめた、削除に応じたというふうな文章があるのです。 こうした新聞の勧誘事件というのは、この同じ週刊誌によりましても、実は五十五年の五月二十二日号、五十六年の十一月十九日号とこれまで二度ほど載っておりまして、今度で三回目であります。よく言う「仏の顔も三度まで」というのがありますけれども、こういうことが果たして許され得るものかどうか。教育公務員特例法の二十一条の三あるいは人事院規則のいわゆる一四−七といいましょうか、いろいろとこれに関する規定がございます。そうしたこと等を勘案しまして、ひとつはっきりとした処置をおとりいただきたいと思うのです。 まず、この事実関係の確認、ここの週刊誌に載ったことが正しいか正しくないかということにつきましては、このPTAの役員の方から言うと、そこには校長先生が出席されておったのだからということでありますし、教育長さんの話によっても、前校長は出席しておったということであります。ただ、言葉が違うのは、現在の校長か、前の校長かわかりませんけれども、いずれそれらしき人がそうした会合にはいたわけであって、そこでそういう赤旗勧誘の問題が口に出されて、それは困るということから、これをPTAのいわゆる広報誌に載せる、それが逆にまた、載せられては困るということで削除したというふうにつながっているようであるわけです。 そういう意味で、こういうことに関して、実はこれも確認をしていただきたいのですが、その問題に関して、昨年の十二月、日づけは正確にわからないのですが、訓告の処分をとられたというふうに伺っているのです。文部省は確認されたのでしょうか。
○三角政府委員 三浦委員、いろいろ直接お聞きになったり、お調べになったりしておられるようでございますが、私ども、この点についてはまだ確認しておりません。何せ週刊誌の記事でもございますので、より詳細は府の教育委員会の方を通じて報告をもらいまして、確認をしてみたい、こう思っております。 ただ、一般論で申し上げますと、特定の政党の機関紙の勧誘等を学校の教員が児童の父母に対して行うようなことは、教育公務員としての政治的中立性の要請に照らしましてきわめて不適切である、人事院規則等に照らしましても違法な行為に該当するのではないかというふうに思います。
○三浦(隆)委員 週刊誌の記事だからというのですが、確かに、数多い週刊誌の中には、でたらめのこともあるかもしれない。けれども、本当に正確に伝えているかもしれないのであって、われわれとしては、自分たちの教育にかかわる重大な場合には、単に週刊誌だから、あるいは新聞だからといった、いわゆる一笑に付す態度ではなくて、本当に真実の記事であるかどうかということを、誠実に調べていく必要があるのだろう。新聞の記事としては、極端に言うと、大きく載った、小さく載ったではなくて、小さい記事の中だってあるいは真実があるかもしれないので、いま言った赤旗の記事が、一度ならず二度、三度までも載っていて、これまでの態度が、週刊誌だからという姿勢かどうか知らぬけれども、小ばかにしたような態度をとっているから、繰り返し同じことが行われてくるのじゃないかということです。 今回のことも、はっきりとした事実であるかどうかを、私とはまた別個なルートで御確認をいただきたいと思うし、もしそれがやってはいけない行為であったとするならば、やはりそれなりの処置もとられなければおかしい。でないと、一応お母さん方に謝っても、よく言う「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」というやつも、ないではないのじゃないかという気もいたすわけであります。 ということで、時間が来たようでございますので、私の質問を終わります。
○青木委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時四分散会