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96回国会衆議院1982/05/14

社会労働委員会高齢者に関する基本問題小委員会 第4号

発言数
29
登壇者
10
会派数
5
開催日
1982/05/14

会議録

竹内黎一自由民主党

○竹内小委員長 これより社会労働委員会高齢者に関する基本問題小委員会を開会いたします。  本日は、高齢者に関する基本問題、特に老人介護問題について調査を進めます。  本問題につきまして、参考人として、全国社会福祉協議会老人福祉施設協議会制度政策委員会委員長小国英夫君、東京都中野区老人福祉課保健指導主査金井竹子君、医療法人財団健和会柳原病院内科医師増子忠道君の、以上三名の方々に御出席を願っております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多忙中のところ本小委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。  本小委員会におきましては、高齢者に関する基本問題、特に本日は老人介護問題について調査することになっております。参考人各位には、それぞれのお立場から、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  議事の順序は、まず参考人各位からお一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  それでは、まず小国参考人にお願いいたします。

小国英夫全国社会福祉協議会老人福祉施設協議会制度政策委員会委員長・特別養護老人ホーム健光園施設長

○小国参考人 ただいま御紹介をいただきました小国でございます。  私は、老人ホームの仕事をさせていただいておりますので、そういった立場から、いま委員長さんのおっしゃいました老人介護の問題につきまして日ごろ感じておることを申し上げたいと思っております。  介護、われわれ通常ケアというような言い方をしておるわけでございますが、そのケアというものを生活援助活動全体の中でどのように位置づけるべきかという、そういうことが一つ問題になるのではなかろうかと思っております。  と申しますのは、老人介護とかあるいはケアというものは、それ自身大変大きな意義を持っているわけでございますけれども、ただ単にそれが単独で展開されているだけでは十分な効果を上げ得ないわけでございまして、他の関連する諸活動との密接な連携の上で初めてそのケアないしは介護というものも大きな意義を持ち、かつ効果を上げるものだ、かように思うわけでございます。  大変お見苦しい図で申しわけないのですが、ちょっと図を持ってまいりましたのですが、私どもの考え方といたしまして、生活を援助する諸活動を四つの要素に分けて考えてみました。そして一番小さな輪、これが治療あるいは保護、管理というものでございます。そして、その次の輪がケア、介護、世話と言われるようなもの、あるいはまたリハビリテーションなどでございます。そしてさらに、それよりももう少し大きな輪として考えられるものが予防活動でございます。そして一番ベーシックなと申しましょうか、基本的な活動領域を開発的あるいは創造的な活動というふうに呼ぶことができるのではなかろうかというように思っておるわけでございます。  従来の医療活動あるいはまた福祉活動と申しますのは、多くがこの一番小さな輪である治療とか保護、あるいはまた、いま話題になっておりますケアとかリハビリテーションを中心に展開されてきたわけでございますが、私が申し上げたいと思っておりますことは、先ほど申しましたように、これらの活動を真に効果あらしめるためには、予防活動あるいはまた創造的あるいは開発的な活動といったものに十分支えられていなければいけないのではないか。どんどん高齢化する中で、寝たきり老人もあるいはまた最近話題になっておりますぼけ老人あるいはその他アルコール中毒等のお年寄りもどんどんふえている。さらに一人暮らし老人とか高齢者世帯というものもどんどんふえていくというふうに言われる中で、福祉活動なり医療活動というものが治療あるいはケアという領域を中、心に展開しておりますと、そこである程度の効果が上がりましても、その効果を蓄積していく基盤というものが不十分だと、結局はこの中で、病気にたとえれば、一たん治療してよくなってもまた再発するというようなことが繰り返されていくのではなかろうか、かように思うわけでございます。  したがいまして、特に私たち福祉の分野に携わる者といたしましては、ケアとかあるいは治療にも十分な関、心と努力を払いながらも、むしろ今後は超高齢化社会に向けて新しい生活の仕組みを創造していく、あるいは開発していくための援助、あるいはまたもろもろの生活困難というものを事前に予防していくような幅広い予防活動といったようなところに、むしろより多くの力点を置いていく必要があるのではなかろうか、かように思っているわけでございます。そういうふうな形で私たちはケアなり介護という活動を今後は位置づけていかなければならないんだというように思っております。  それから最近は、老人福祉施設もただ単に収容施設であってはいけない、生活の場にならなければならない、あるいはまた地域福祉にも大いに関心を持ち、それらの拠点として一定の役割りを果たさなければならないということがしきりに言われておるわけでございますが、これにつきましてもいろいろな問題が考えられます。  一つは、お配りした幾つかの資料の中に「あすのために」という本が入っておりますが、もしよろしければそれの二百三十ページをごらんいただければと思いますけれども、老人ホームというものが持っております一つの社会集団としての基本的な構造というものがあろうかと思います。それはここに挙げておりますような五つの社会集団的な特徴というふうなものがあるわけでございますが、こういう五つの老人ホームの持つ基本的な構造が、老人ホームにおけるケア活動といったものをいろいろな角度から規制すると言いましょうか、それに大きな影響を与えているわけでございます。  老人ホームというものが生活施設になっていかなければならない、あるいはまた地域ケアの拠点にもなっていかなければならないといったようなことが言われる中では、ここに掲げておりますような老人ホームの五つの特徴と申しましょうか、具体的に申しますと、制度的かつ管理的な集団であるという点、あるいはまた、きわめて多くの機能を持っているけれども必ずしもそれがうまく統合されていないというような現状、また、急速に職場としての近代化が進んできたために生活集団との間に一定の矛盾が発生しつつあるというような状況、さらには、専門分化が進む中で、施設というものを構成するメンバーが特定されてきつつあるというようなこと、そして重度化する対象者のために施設というものが高度な完結性を求められ、その結果として施設が昔とは違った意味でいわば閉鎖性を持つに至っているという、そういったような五つの今日の老人ホームの特徴というものがあろうかと思いますが、やはりこういう集団的な特性というものを乗り越えていく方向でケア活動といったものを位置づけていかなければいけないのだというように思っております。  また地域ケアというようなことを考えていきます場合も、ただ単に専門的なスタッフを地域社会に派遣をして寝たきりのお年寄りやぼけのお年寄りを御援助申し上げる、あるいは家族の皆さんのお手伝いをするという形だけでは、老人ホームが持っておりますような構造的な諸問題というものを地域社会の中にもそのまま持ち込んでしまうという結果にもなりかねないと思っております。そういったような意味から、地域ケアを展開していく上でも、今日の近隣関係あるいは家族関係が持っております基本的な弱さと申しましょうか、そういった構造そのものを強めていくような諸活動とともにケアというものが提供され、展開されていかなければ、その効果を蓄積していくことができないのではないか、かように思っておるわけでございます。  老人ホームは、この十年間ほどの間に措置費等のかなりの改善をしていただきました関係で、そのスタッフも相当強化されてきてはおるわけでございますが、しかし法律上、医療との関係がまだまだ明確になっていないという点がございまして、老人ホームは社会福祉施設であり、そこを利用する者は濃厚な医療を必要とする者ではないんだという法律上の規定から、施設の機能の中に十分な医療が組み込まれていない、そういう状況がございます。  しかし現実に老人ホームを利用なさっているお年寄りの皆さんは、特別養護老人ホームの場合はもちろんでございますけれども、軽費老人ホームあるいは養護老人ホームの場合も、大変病弱なお年寄りあるいは寝たきりのお年寄り、ぼけのお年寄り等々がふえております。しかしいま申しますように、施設の医療的な水準はおしなべてまだまだきわめて不十分でございますので、結局外部の医療機関にその多くを依存しなければならない。しかし施設の中で全く医療を行わないわけにはまいりませんので、結局は二重に医療行為が展開されるというような面もございまして、私どもはそういった点十分よくわかりませんが、経済的にもかなりのロスにつながっていくのではなかろうか。  そういう意味では、やはり老人ホームの利用老人の実態というものを十分御承知いただきまして、その人々にふさわしい医療水準というものが老人ホームに確保されることを私たちとしては強く望むわけでございますが、そういう医療とそれからケアというものが、先ほど申し上げましたような各種の予防活動やあるいは新しい生活の仕組みを生み出していくような創造的、開発的な活動と相まって進められてこそ、初めて真の福祉施設たり得るだろうというように思っております。  いずれにいたしましても、従来の社会福祉というものは、問題が起こった後に、いわば事後的あるいはまた問題の発生した部分に対して対応するということが中心でございましたけれども、広く地域福祉、地域社会の福祉的な活性化を図っていくというそういう活動と従来の活動とを結びつけていくような、そういう方向への志向が大変大切になっていくのではなかろうか、かように思っております。  大変不十分な発言に終わりましたけれども、また後で補足させていただく機会がございましたら、よろしくお願いを申し上げたいと思います。  以上です。

竹内黎一自由民主党

○竹内小委員長 ありがとうございました。  次に、金井参考人にお願いいたします。

金井竹子東京都中野区老人福祉課保健指導主査

○金井参考人 私は、東京の中野区で訪問看護をやっております保健婦でございます。  私は資料に沿って説明をさせていただきたいと思います。それから説明の間に、私のやっている仕事の写真集を回しますので、ちょっとごらんくださいませ。  まず、こういう資料を回しておきましたので、この資料で入っていきたいと思いますが、この資料は四つの柱でまとめておきました。一つは中野区の老人福祉の行政のあらましと、それから私が毎日訪問している老人の対象者はどういう人なのかということと、それから介護者の状況と、訪問看護、私たちがやっておりますその訪問看護はどういうことだろうかということ、そういう柱で資料をまとめまして、その後に私の考えをちょっと述べさせていただきたいと思います。  一ページをごらんください。私のところは昭和五十三年七月から、福祉部の老人福祉課の訪問看護係というところで、福祉部サイドで訪問看護が始まりました。  二ページをごらんください。二ページは、中野区の人口を挙げておりますけれども、中野区の人口はだんだん、五十七年を見ていただくとわかると思いますが、減ってきているんです。減ってきていますけれども、その反対に老人の人口はふえている状態です。ですから、それに伴って寝たきり老人の数もふえて、いま人口が約三十三万ですけれども、寝たきりの方は千五十一人いらっしゃる状態です。  三ページをごらんください。三ページは、中野区でやっている老人福祉施策をみんな挙げておきましたけれども、たくさんございます。この中の一つとして、私たちの訪問看護をやっている状態です。  四ページをごらんくださいませ。四ページは、訪問看護対象者とその派遣回数ということで挙げておりますが、昭和五十三年に始めましたときには本当に少なくて、一番最初の申し込みは五十五人だったんです。それが五十六年の三月末現在で百二十六人になっております。これは一カ月です。寝たきり老人の一七%を訪問している状況です。  こういう訪問をしているのはどういう職員がやっているかといいますと、うちの場合は私がスーパーバイザーとなっておりまして、そのほかに常勤の看護職が三名と、あとは週三日だけ出てくる非常勤の看護婦さんと、それから週一日だけ出てくる理学療法士という、そういう非常勤と常勤とを一つのメンバーにして訪問看護をやっている状態です。  その横が福祉の予算のことですけれども、これは予算は人件費が入ったり入らなかったりで、なかなかはっきりあらわせないのですけれども、うちの予算の中では一応五・六%を占めておるということを示しております。  では、訪問看護というのはどういうふうにやるかというと、私の場合は六十五歳以上の寝たきりを抱えた家族が、うちへ訪問看護をしてくださいと申請をしてくる制度でございます。申請をして、訪問看護が適当だという方には、主治医の方から看護婦にどういう訪問看護をした方がいいというような指示書をいただいております。そういう訪問をやっております。  それから五ページは、寝たきりのお年寄りの体の状況をまとめたものですけれども、うちで訪問看護を希望している方で、一番多いのが八十から八十九歳なんです。これが四三%を占めていまして、七十から七十九歳が三八%と次になっております。ですから、ずいぶんお年寄りの方が多いというわけです。  それから訪問看護を受けるまでの寝たきりの期間という次の表はこのようになっておりまして、ここは後でまた説明させていただきます。  それから次の六ページは、じゃ寝たきりになったのはどういう病気だろうかということで、お年寄りを見ますと、やっぱり脳卒中が四八%で、次が事故が一〇%、転んで寝たきりになったとかそういう方が多いのです。  いま病気を挙げましたけれども、そういう何らかの病気を持っている方は、うちの場合、訪問看護の対象者の三四%いらっしゃる。脳卒中の患者さんでも、ぼけがひどいというような方が三四%いらっしゃる。それから在宅で管から栄養を入れていらっしゃる方もいらっしゃいますし、それからお年寄りで人工肛門というのをつけていらっしゃる方がいらっしゃる。それから尿が出るように管を入れる、バルーンカテーテルといいますけれども、そういうのを入れていらっしゃる方もいらっしゃいます。それから心臓の動きがよくできるようにといって、ペースメーカーというのですけれども、マッチの箱のようなものを入れていらっしゃる方、そういう医療の後療法の必要な方も約二十二人いらっしゃいます。  それから体の日常生活については、何ができるとか何ができないとか全部挙げておりますが、大体三三%ぐらいは食事もそれから排せつも、それから着物を着るということもそれから歩行もできない、みんなお手伝いしてもらわなければいけない方がいらっしゃいます。  七ページに入りますと、床ずれはどのくらい訪問看護を希望なさったときにあるかといいますと、大体二五%で、四分の一の方に床ずれがございました。そして麻痺がある方、体に麻痺があるといいますけれども、ああいう方が四四%で、それから関節が曲がっていたりとか拘縮したりという方が四三%。  それからそういう寝たきりのお年寄りの方は、じゃ医療状況はどうなっているかといいますと、九四%の方は主治医がいらっしゃいまして、そのうちの八一%は往診を受けておりました。中野区の場合は、全国と比べておりませんけれども、ずいぶん恵まれた状態にいらっしゃるようでございます。  それから九ページからは、家族と介護者の状況を挙げておきましたが、この中で、そういう寝たきり老人を抱えていらっしゃる、同居の世帯人数は、二人という方が四一%、その次三人ということで一九%という、家族の人数が少ない世帯でした。  それから介護者はどうかといいますと、八三%は女性です。男の方でも一七%ございました。続き柄で一番多いのが奥さんだの配偶者です。奥さんの場合もありますし、それから御主人の場合もございます。その次がお嫁さんという形になっております。  こういう配偶者は、じゃ体にどこか調子が悪いところはないかといいましたら、大体六一%は何か病気だとか疲れているとか腰が痛いとかそういう訴えがございました。  こういうことから、私の中野区におきましては、寝たきり老人を、老人というか六十五歳のお年寄りが看病しているという、若い人が看病しているというのじゃなくて、お年寄りがお年寄りを看病しているような状態でございました。  次の隣の表は収入のことを書いておきましたけれども、年金だとかそういう生活です。  それから住居について見ますと、八〇%は自分の家を持っている。それから寝たきりのおじいちゃんとかおばあちゃんだけの専用室を持っている方が九〇%もあったということで、都会の場合は、やっぱり自分の家があって、ちゃんと部屋がないと、在宅でということはちょっとむずかしいようなことを感じました。  十ページから私の訪問看護の状況を説明してございます。  一番最初の表は、訪問対象者に対して五十六年七月に、いままで介護者が困ったことはどういうことなのか、それから訪問看護が入ってからまだ困っていることはどういうことがありますかということを聞きましたら、訪問看護が入るまではどんなことが一番介護者が困っているかというと、体の疲れだとか、それからその次に精神的な疲れと挙げております。三番目に介護方法がわからない。それから家事に支障がある。そういうことが出ておりました。  そういう困っていることに対して訪問看護が入ってどういうふうに変わったかといいますと、身体的疲労とか精神的疲労についてはもうずいぶん改善されまして、一番変わったのは、この表のとおりに、介護方法がわからないということはもうほんのちょっとになって、ここが訪問看護が入ったことで一番改善されたんじゃないだろうかと思います。  それから、じゃ今度は、介護方法について何を看護婦に要望なさいますかということを訪問に行って一緒に話し合いながら介護者に聞いてみましたら、生活・食事の指導、それから清拭、体をふくこととか洗髪、そういうことを教えてもらいたいとか、入浴の仕方とか、床ずれの治し方はどうしたらいいだろうかとか、体の動かし方、リハビリテーションの方法とか、そういう御希望がございました。  それに対して実際に看護婦はどういうことを行っているかといいますと、観察といいまして、訪問に行きましてその人の身体状況はどうだろうか、それから生活・食事指導、それから清拭とか、そういう希望に対してやっております。  こういう介護のほかに看護婦がやっていることは、家族の健康観察とか相談、精神的な支え、ここを大きくしております。それから家族間の調節、福祉サービスの情報の提供。ですから、介護という狭い意味じゃなくて、そのほかに精神的なことだとか介護者の家族間の調整だとか、そういうことがずいぶん大きく占めております。  ここで生活だとか食事の指導と書いておりますけれども、これは寝たきり老人は毎日食べて、そしてスムーズに排せつができる、便が出る、それがうまくいかないことが一番の悩みなんです。それから、お年寄り御本人もそうですし、介護者も毎日それが気になっていること、それはどんなことかといいますと、お医者さんに相談して治療するほどでもない便秘だとか、関節が痛いだとか、食事がとれないとか、そういうことに対して看護婦が指導しているのを、生活とか食事の指導、排せつの指導というふうに挙げておきました。  次の表は、じゃ訪問看護婦が入って介護者が一番よかった、治ったと思うのはどうですかと聞いてみました。目に見えてすっと治ったと思うものは、動けるようになったということが一番多かったです。それから褥瘡が直ったとか、精神的な支えとなっている、リハビリに本人が励むようになったとか、頭がはっきりしたとか、言葉が話せるようになったとか、数は少ないですけれども九十四人中にこういうことがございました。  それから十一ページは、じゃ機能訓練に関する効果はどうだろうかということであらわしてみました。  うちの場合は、理学療法というかリハビリをやる場合には、本人、家族の希望の方とか、看護婦が訪問いたしましてこれは必要だなと思うような方を対象にしております。この表をごらんください。最初は起きられなかった、座位時間と書いておきましたが、少しも頭が上がらないように起きられなかった方が、表の横の方に行って、座位がずいぶん長い時間になっている。それからベッドでも寝返りができるようになったとか、歩行とかいうことができたことをこの表で示しております。  私は、いままで訪問看護がこのような効果があったということをちょっと言いましたけれども、一般に福祉サイドで老人に取り組むときには長期の寝たきり老人を対象にする傾向があると思います。私は、訪問看護の効果というのは、寝たきりになって早く私たちが訪問すれば、早ければ早いほど効果が上がると思います。  それはなぜかといいますと、寝たきりになった当時といいますか、病気になって倒れてすぐというのは、お年寄りも身体的にも精神的にも大変不安定です。それから流動的です。まだ手が固まっていない、動けばいつでも治れる、そういうふうに流動的ですし、介護者もどうしていいだろうか、こういう病人を抱えて暮らしていけるだろうか、こういう不安が大変多いので、こういうときに私たちの訪問看護が入って一生懸命やりますと、寝たきり状態の改善だとか、まず家族の不安を解消することができると思います。それから福祉施策の有効な活用ができます。  私の感想ですけれども、余り長く十年も寝ていらっしゃる方になりますと、それなりの生活が家族の老人もできていらっしゃいまして、私の方で言う訪問看護の効果というのはなかなか上がりにくい状態です。私のところの中野区の訪問看護も、最初は十年ぐらい寝ている方を対象にしておりましたけれども、それが自然自然と早い時期に取り組む姿勢が出てまいりました。  それは五ページの表で私は寝たきりになった時期を表に書いておきましたけれども、この表で三カ年を見てみますと、申請が三カ月とか寝たきりになって六カ月とかいう大変早い時期に出るようになったことと、準寝たきりというか、べったり寝たきりじゃなくてちょっと動かせば動けるような状態、そういう方がこれ以上寝たきりになると困るからというので早目に申請が出るようになりました。  これはどうしてこうなったのかなと考えてみましたら、やはり住民からの口コミによるPR、普及というのが一番多かったような気がします。それから住民も、訪問看護ができますと訪問看護とホームヘルパーの使い分けが三年間でずいぶん上手になってきて、申し込みが早い時期になってきたようです。それから私たちも、初めて訪問看護をやっていたのがだんだんうまくなりまして、先生とか医療機関との連携というのが上手になってまいりました。  最後に、私、寝たきり老人訪問看護の機能はどんなことだろうかと私なりに考えておりますが、それは、いままでの医療は入院して病気を治すということに比重をかけておりましたけれども、老人にとっては、むしろ病気を抱えながらいま生活している場で安楽に日常生活が送れるようにすることを主眼にした方がいいんじゃないだろうかと思っております。  それから、このような老人を支えるのは何といっても家族の役割りが大きいので、私は、寝たきり老人の訪問だといっても、その老人だけにやるのではなくて家族を含めての指導、援助というのが必要じゃないか、そういうことでやっております。また、訪問看護を行うときに、そこの家の問題を私たち保健婦、看護婦が中心になって解決するのじゃなくて、やはり家族や老人が自分のことは自分でみずから問題解決する、私たちというのは側面から援助するという姿勢が大きいんじゃないだろうかと思っております。  このように訪問看護をやっておりますと、私は一にも二にも看護職の資質の問題が重要だと思います。いろいろ問題がございますけれども、やはりそこの資質の問題が一番に挙げられます。これはなぜかといいますと、物を与えるサービスじゃなくて訪問看護というのは人的サービスなんです。それで、この資質の問題ですけれども、看護婦自身、私たち自身の努力も必要ですけれども、行政においては、研修だとか処遇問題だとかスーパーバイザーの設置だとか、そういうことを行政の責任において取り組む必要があるのじゃないだろうかと考えております。  以上でございます。

竹内黎一自由民主党

○竹内小委員長 ありがとうございます。  次に、増子参考人、お願いいたします。

増子忠道医療法人財団健和会柳原病院内科医師

○増子参考人 御紹介にあずかりました増子です。東京の足立区にある柳原病院というところに勤めておりまして、内科の医者をやっております。特に老人の問題、いま金井先生の方からもありましたが、寝たきり老人の医療と看護の問題についてお話をさせていただきたいと思います。  参考資料が、こういう資料とそれから「地域看護の展望」という資料とそのほかのプリントがあるかと思いますが、それを随時ごらんいただきながらお話をしたいと思います。  いままでいろいろな形で述べられておるように、われわれのところでも老人問題、医療の中では老人の問題が非常に比重としては重いわけですから、その問題に取り組んできました。特に老人医療費が無料になって以来、いわゆる外来における老人の比率が多くなりましたし、入院においてもかなりの比率になってきました。  その中でわれわれが日常的に考えて非常に困ったことだというふうに思っていた問題は何かといいますと、外来に通院することができるお年寄りは何とか医療の対象になる、あるいはまた入院を要する老人の場合ももちろん入院医療という形でできる。しかし、入院するほど悪くはないが、しかも入院も余り望んでいないけれども、施設にも入れない。しかし、かといって外来にも通院してこれない。言ってみれば外来の医療と入院の医療とのはざまにあるそういうお年寄りもかなりの数に上るということに、日常の医療の中で大分気がついてきたわけであります。しかもそういうところで、たとえばよく新聞をにぎわしている話がありますが、いま金井先生の話にもあったように、寝たきり老人を大体は奥さん、おばあさんが看病して、そして疲れ切って無理心中をしたとか、あるいは看病のために婚期を逸してしまった娘さんの話等々、いろいろな話が出てきておるわけであります。こういったところが実は大分われわれの病院の患者さんの中にも起こってきておりまして、この問題を何とかしなければいけないということで、この問題について取り組みを考えていたわけであります。  もう一つ、医療機関から見ますと、寝たきり老人といった問題がかなり大きな比重を占めるように思います。われわれの病院は単なる民間病院でありますので、特に大きなベッド数を持っているわけでもありません。八十七床ですから小さい病院です。一たん病院に入院した患者さん、これはいろいろな病気で入院した患者さんなんですが、そういう人たちがもとどおりになって、前と同じように元気に歩いて帰れるとか、そういうふうな場合には余り問題は起こらないわけです。もちろん入院中の付き添い料の問題だとか差額ベッドの問題であるとか、あるいは三カ月も半年も長く入院しておりますと家族の中でお年寄りが占めるポジションがなくなってしまうというふうなことの問題などもありますけれども、しかしいずれにしても、よくなれば大分問題が違うわけですね。ところが、たとえば脳卒中の後遺症の場合であるとかあるいは手術した後の経過がなかなか思わしくない等々のような場合は、家族がその後はやはり常時介護しなければいけないというふうな状況で退院の問題が起こってくる場合が大変深刻なわけです。  われわれとしては当然病院としてやれることはやったのだからそろそろ退院してはどうかというふうな話を持っていっても、家族の方はとてもこのような状態ではうちでは見られない、うちではいろいろな人たちが働いている、子供の問題もあるというふうなことで、結局退院をなかなか受け入れないという状況が起こってくるわけであります。その理由としては、もちろん家屋の狭さや介護する人手がない、経済的な理由あるいは退院後の医療上の不安などということが挙げられておりますが、特にその辺の問題について、われわれもいろいろ家庭訪問したり何かする中で、確かに家族が言うのは単に言いわけだけではない大変大きな問題があるんだというふうなことがわかってきております。  寝たきり老人の場合でも、症状が安定している場合には特別養護老人ホームとかそういうことが対象になるかと思いますが、東京だけの特殊事情かもわかりませんが、特別養護老人ホームというのは区部にはほとんどない。足立区にも一個、東部ブロックでは二つぐらいしかないというふうなことで、あとは三多摩とか千葉、埼玉の、しかも遠いへんぴな田舎の方に行かなければないというふうなことになっております。  そこで老人病院ということになりますと、これは京都の十全会であるとか三郷中央病院の最近の例でも明らかなように、医療の質としても問題があるし、しかも月最低四万円以上もかかってしまうというふうな状況、中身を聞いてみますと、十二人の寝たきり老人に一人の付き添いがつくというふうな状況もあるようであります。こういうところにそういう老人たちが送られることはやはりまずいのではないか。しかも、そんな病院がどんどん、いまラッシュだそうでありますが、そういうことになりますと、われわれとしてはそういったところに喜んでお年寄りを送るというわけにはいかない。  さて、そうなってきますと、在宅でこのお年寄りが何とかならないだろうかということが医療機関の側からも非常に大きな問題として出てくるわけであります。もともと医療的には積極的には入院している意味がほとんどない。しかし家族やあるいは在宅に帰っていく、そういう条件がないというのは、医療から見れば積極的な意味がないわけですから、医療費という点で見ればむだではないかという点もあるかと思います。  そこで、在宅での医療を積極的に可能にする条件は何か。実際にここに、在宅にいる人たちが何で問題になっているか、どういう条件が必要かということを調査したわけであります。東京東部地域ねたきり老人実態調査の運動というものがその中で行われました。その内容がこれに書いてあります。ちょっとごらんいただきたいと思います。その中で幾つかの点が明らかになりました。内容は、いま金井先生のお話と幾つかダブる点がありますが、この十八ページのところをごらんいただければと思います。  一つは、地域の中に身近にたくさん埋もれている寝たきり老人がいるということです。登録されている、いわゆる老人福祉手当をもらっている老人と、われわれが実際一軒一軒訪ねていって発見した寝たきり老人には大変な差がある、この図の丸と丸の差ですね。そういうことがわかりました。しかも、寝たきり老人はかなり長期にそのままであるというふうにわれわれは理解しておりましたが、大体七、八人に一人ずつ一年間に死亡するということもわかりました。それから、介護する人々が大変疲れておって教育も十分受けられていないということもわかりました。これは二十四ページの方に書いておりますが、介護の教育を受けているというふうに答えた人が半数に満たないというところであります。  それから、われわれの調査で明らかにしたもう一つの内容は、もしリハビリとか訪問看護とかいうことがあった場合にこういった状況を改善することができないだろうかということでいろいろ検討して、改善が期待できるというふうにわれわれが判断することができたものが三分の一に上っているということであります。  さらに、在宅を支える福祉制度の内容についてはたくさんの制度があります。二十九ページから三十ページにあります。これは区によっても大分違いますが、しかしその中でも、ごらんになっておわかりになるように、利用状況と利用の必要性というものを比べますと、全くと言っていいぐらい福祉施策が利用できていないし、しかもその施策自身も十分ではない、そういうことがわかったわけであります。  しかも、先ほどの話にあったように、寝込み始めの適切な医療が寝たきりを予防する上では非常に決定的なわけですが、そういう点から見ますと、地域医療の体制とか、家族とかそういう者の教育、そういったことは非常に大事なわけですが、なかなかそれがされていない。寝たきり老人には、たとえば警察の方や消防署の方や医療機関や福祉事務所がそれぞれ訪ねていったり、地域の老人クラブの方が訪ねていくことがあっても、それがお互いに協力し合ってその人たちの改善のために取り組むという形にはならないというふうなことで、これではまずいのではないかということで、開業の先生たちや、あるいは病院に働く看護婦さんたち、保健所、福祉事務所の人たちがお互いに協力し合ってこの調査を成功させた。そして、その中でお互いの信頼と相互理解を深めることができ、その後、全区的にこういった方向での協力関係を打ち立てることができたということがあると思います。  足立区の医師会もこの運動に共鳴し、そしてみずからの問題として医師会独自の調査活動も行い、そして、そういったことを通して足立区では、医師会主導型ではありますけれども、訪問看護制度が確立しました。われわれの病院では、その訪問看護制度の内容を十分に評価する面がいろいろありますが、われわれのやっている中身で補充しながら、この訪問看護制度を積極的に活用してきました。その結果、幾つかの成果を上げることができました。それは「地域看護の展望」という本が手元にいっていると思いますが、その中に、その経過とか成果については書いてありますので、もし時間等々がありましたらば、ぜひお読みをいただきたいと思います。  最初のうちは、定期的な往診を要する患者さんに看護婦がついていくというところからありましたが、そのうちに脳卒中後遺症の在宅のリハビリの指導であるとか、褥瘡の治療であるとか、それから徐々に変化してきておりまして、在宅のまま死を迎えたいというがんの末期の患者さんのケアであるとか、あるいはわれわれが長期間何も変化がないと思っているような人たちが突然在宅のまま調子が悪くなってくる、そして発熱したり動かなくなったりする、そういったものに対して適時手を打つというふうなことにだんだん対象を広げるようになっております。柳原病院における「訪問看護」というふうなパンフレットが行っていると思いますが、その中ではそういった内容がつぶさに書かれております。  そして、われわれが訪問看護というものを最初に始めたころは、そういう定期的な往診をするところに看護婦がついて回るという形から出発しましたが、徐々にいろいろなふうに病気の対象が変わっていくと同時に、福祉制度の活用といったところも最初のうちは大変多くやるようになりました。看護婦さんなのかケースワーカーなのかわからないとつぶやきが出るくらい福祉制度の活用、たとえば車いすの必要な人に申請するとか、ギャジベッドの導入、これは絶対ギャジベッドの方がいいとか、あるいは巡回入浴が必要だというふうな活用を進めるという形のものが最初ありました。しかし、そのうち徐々に看護内容の充実へと展開し、いまでは大変大きな成果を上げるようになってきております。  たとえば褥瘡を持つ患者が、訪問看護を始める前、二年前で申しますと全体の二七%に褥瘡があった、それが訪問看護して二年後になりますと八%の比率へ大幅に下がっておる。しかも大きさも、悪性度といいますか、かなり症状の重い褥瘡はほとんど消えてなくなって、小さい褥瘡が単に残っている程度に改善するという形で、大きな効果を上げることができております。リハビリについても、先ほどもありましたが、ほとんど体動ができない人たちが体動ができるようになる、あるいはほとんど寝たばかりが座位ができるようになる、さらにはまた立位なりいざりなりができるようになるという形の改善が目に見えるように出てくるようになりました。外出可能になった例もありますし、意欲を取り戻したり、明るさを取り戻したりするような患者さんは数え上げれば切りがありません。  そうした点の中で症例が二つここに出してありますが、長くなりますからポイントだけ言いますと、左の方の〇塚〇ンさんという方は、気管切開をするとか、そういう意味では普通の場合であれば病院に置かなければいけないと判断されます。たとえば気管カニューレ、マーゲンチューブ、要するに胃に管を入れて栄養をとる、それから膀胱には留置カテーテルを入れるという状態で入院中の治療をしておりましたが、いろいろな話し合いをした中で、結局、訪問看護と家族の教育ということによってこの患者さんは退院することができ、しかも退院してからむしろ自分のことについてよくわかり、反応がよくなってきた。たばことか、おはようとか、あるいはビールをくれなどということも言えるようになるというような、目に見える驚くべき改善をするようになった一例があります。  さらに、右の方の症例では、これはお年寄り二人暮らしで片一方が完全に寝たきりの状態であったわけですが、それに家事援助者制度という福祉制度を活用することによって、お互いに障害を持ちながらも、その中で看護婦さんの訪問看護と在宅医療のサービスによって、十分なとは言えないかもしれませんが、医療が提供され、床ずれが改善するとか、座位ができるようになったとか、そしてまた本人の笑顔も多くなったとか、誕生パーティーをみんなでやったときにはビールも少し飲んで浪花節を歌うというような驚くべき効果を上げる条件もこの中でつくり出すことができたということであります。  そういう私たちのつたない経験でありますけれども、この中でわれわれが考えてぜひ御検討いただきたいと思うことは、幾つかありますが次の点であります。  一つは、寝たきり老人はいま日本で五十万人とも六十万人とも言われております。これが二十年後には八十万なり百万なりに増加するだろうと予測されております。こうしたお年寄りをすべて病院とか施設に収容しようとすること自体が不可能であるばかりではなくて、医療的に見ても多分医療費のむだ遣いにもなるだろうし、しかもお年寄りはむしろ家庭で十分な医療を受けたい、家族に守られて生活したい、家族にいろいろ教育してもらえば、家族も何とかがんばりたいという部分もあるわけでありまして、そういう人たちにとっても歓迎されないことになってはつまらないのではないか。  したがって、在宅のまま医療を受けることができるかどうか、そういう医療のシステムを一日も早く確立することがいま非常に大切になっているのではないかと思います。先進諸国の中でも、特に日本だけが在宅医療あるいは訪問看護制度が国の制度として確立していないというところから考えてみますと、日本での制度の確立が急がれると思います。さらに、訪問看護が一般的にいろいろ言われておりますが、こういう目で見ますと、在宅医療の中での位置づけという点が大変重要なのではないかと思っております。  医師の往診、訪問看護、リハビリあるいはケースワーカーの努力といったものが、チーム医療といいますか、そういうものが十分有効に結合することによって、予期せぬほどの効果を得ることができるということがわれわれの経験から言えると思いますし、すでに全国二百カ所以上のところで訪問看護が実験的にいろいろな苦労の中で行われておりますが、そこで行われている成果も同じようなことを証明していると思います。  さらに、われわれの経験から見ますと、訪問看護や在宅医療が十分機能するためには、実際には家庭的な介護する人たちあるいは介護条件といいますか、そういうものの整備が大変重要である。ホームヘルパーであるとか家事援助者制度であるとかそういったいわゆるマンパワーといいましょうか、そういったところでのバックアップがなければ、家族がただいたずらに犠牲を負って、とてもじゃないけれども疲弊して、疲れ切ってしまうというふうなこともありますし、結果としては訪問看護の効果も上がらないということにもなってきておるように思います。  さらに、寝たきりの老人の予防の問題でございますけれども、当然予防が望ましいとわれわれも思っております。しかし実際、この予防というのも一般的に健康診断をやるとかあるいは何か注射をして予防をするというわけにもいきませんので、成人病、老人病の日常的な管理が重要でありますし、特に成人病の糖尿病であるとか高血圧であるとか、ありふれた病気をきちっと治療して生活環境を整えるということが、寝たきり予防には決定的であります。  しかも、こういった点から考えますと、老人医療の有料化によって受診が抑制されるというようなことは、われわれの目から見ますと、寝たきりの予防にも逆行すると思います。寝込み始めの医療の重要性、リハビリ医療の重要性については、金井さんもおっしゃっておりましたが、われわれも全く同じような意見で、そういったところでの医療の対応の仕方、在宅リハビリの有効性といったことを強調しておきたいと思います。  ただ問題は、もう一つわれわれが誤ってはいけない点は、在宅医療というのが入院医療あるいは施設福祉に全面的に取ってかわるものではあり得ないということです。入院の適用外の寝たきり老人にとっては意味がある、場合によっては入院がまたすぐ必要な場合もある、したがって、入院と在宅というものは生きた連携を持っていなければならないということであります。  さらにまた、特別養護老人ホームとか老人ホームとかいろいろありますが、まだ日本には厳密な意味では存在しないナーシングホームといったものも、地域に密着した形で存在することができるとすれば、どんどんこれから必要になってくるのではないか。こういった入院といわゆる施設と在宅というものが三つの機能をそれぞれ有効に分担するということによって、初めてお年寄りにとって最もいい効果の上がるような在宅の医療と福祉の内容がつくられると思っております。  総医療費抑制の問題であるとか医療費のむだ遣いがいま論議されている中で、ともすれば安上がり医療として訪問看護が論議されがちであります。しかしながら、本当にむだな医療費をなくするという点では、いたずらに入院させておくということをお年寄りも望み、家族も望むというふうなもの、そういった問題の解決を手助けする意味では、在宅医療の意義は非常に大きいと思いますが、しかしもう一つの側面で強調しておかなければならないのは、在宅福祉、家庭的な意味でのさまざまな欠陥をバックアップする施策なしには、その在宅医療、訪問看護の効果も十分な効果を上げ得ないし、結果としてはまたそのこともむだな出費にもなりかねないという側面を持つのではないかという点であります。

竹内黎一自由民主党

○竹内小委員長 ありがとうございました。  以上で参考人各位からの意見聴取は終わりました。     —————————————

竹内黎一自由民主党

○竹内小委員長 引き続き参考人に対する質疑を行います。  質疑を希望される方は、その都度挙手をして、小委員長の許可を得ていただくようお願いいたします。  なお、念のため参考人各位に申し上げますが、御発言の際は、その都度小委員長の許可を得て御発言くださるようお願い申し上げます。  また、参考人から小委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、さよう御了承願います。  質疑のある方は挙手をしてください。

田口一男日本社会党

○田口小委員 本日は大変御苦労さまでございました。  ちょっとこれはどなたからお答えをいただくか、中身が愚痴っぽくなると思いますので、どなたからというふうに特定しがたいのですが、ざっくばらんに申し上げて、在宅の寝たきり老人を持った家族の方で見た場合に、三月、半年ぐらいならばがまんができるのですね。ところが、一年、長い場合には二年、三年くらいになってくる。そうすると、看護疲れといいますか、嫌気が差して、何とかならぬか。私どもこういう関係で、地元でそういう方とお会いをして一番頼まれるのは、どこか収容先がないだろうかということです。  ところが、収容先といっても限度がありますから、公立の養護老人ホーム、特養、そういうところは数が知れておる。篤志家がそういう施設を建てようとしますと、最近どういうものか、変な意味の住民パワーがありまして、公害たれ流しだから反対だというのですね。そういう施設を建ててもらっては困る。それで、せっかく土地を確保いたしましても、なかなかそういうものが建てられない。したがって、人里離れたところに、山の中に施設を建てる。そうなりますと、そこはバスも通わぬへんぴなところですから、その家族も初めのうちは毎日曜、少なくとも月に二回か三回は見舞いといいますか、訪ねておるのですけれども、そんな山の中、そうそう行けません。結局、一カ月に一回、二カ月に一回、さっき言われたように棄老というのですか、ほったらかしになってしまう。  ですから、施設へ預けてくれという要望が強い一面、施設をつくる方では適当なところに施設を建てようと思っても非常に苦労をする、さっき申し上げたように。苦労があるということは、施設が少なくなる。結局、家族が介護疲れで、まあ極端なことを言うと、早いところくたばってしまわぬかという気持ち、これは無理がないと思うのですね。そこで安楽死とかなんとかという話も出てくるのです。  ですから、福祉と医療の結合というお話があったのですが、私はそういったことは一応理屈ではわかるのですけれども、預けっ放しということになる傾向が多いのです、いままでの例では。したがいまして、福祉と医療の結合というのは私どもよく口にするのですけれども、できたものを見ると預けっ放しを促進する結果になりはしないか。  そこで、これは金井さん、大変御苦労になっておるのですけれども、訪問看護をやられた場合、割り切って物を言うことはちょっとむずかしいと思うのですが、寝たきり老人というよりも介護をする家族の方が苦労が多いのじゃないか。そういったことから、御経験から、二年、三年たった場合にやはり施設へということが訪問された中で出てきておりはしないか。そういう御経験があればずばりお答えをいただきたいものだと思う。  私ども、それで施設をつくれば万全だという考え方は持っていないのですけれども、やはり施設で預かっていただきたいという要望がいまのところ強い。そうなると、訪問看護だけでうまくいくものかどうかという疑問が正直なところあるわけです。  ちょっと質問がぼやけてしまいましたけれども、そういう愚痴っぽい話がよく聞かれるものですから、これらの点に対して制度的にどんなものだろうかと私自身も思い悩んでおるわけです。そういう点、どうでしょうか。

川本敏美日本社会党

○川本小委員 関連して。  先ほど金井さんのお話だったですかね、在宅の老人の中には、ぼけ老人といいますか、老人性痴呆の患者が三四%もいるのだそうであります。小国参考人からもお話がありましたが、特養とか養護老人ホームとかにも、現在ほかの病気の方と混在して老人性痴呆の患者が入れられている。  この間も私は石川県の七尾市立の城山園という特養を視察に行ってきたのですけれども、そこへ行ったときにも、一人か二人のぼけ老人のために宿直の看護婦さんも寮母さんももう振り回されて、とてもじゃないが仮眠できるような状態にはない。そして、ほかの患者さんにも大変な状態。  こういうことで、これは大変な事態だと思ったのですが、それが今度在宅でいると、訪問看護が行くのは、言うたら悪いですけれども、まあ一週間に一回とか二回とか、それも一時間とか二時間とかいう短時間であって、あとは全部家族に任されるわけです。指導はできるけれども、常時、見張りと言うたらおかしいですけれども、その病人を見ておるのは家庭の人だ。だからこれは大変なことじゃないかと私たちは思うし、これからの高齢化社会の中で、特に老人性痴呆の問題をどうするのかということは、最近、家族の会等も結成されたようですが、大変な問題だと思うのですが、そういう点について、御経験を踏まえてひとつ小国参考人や金井参考人の方からお話を聞かしていただければと思うのですけれども。

金子みつ日本社会党

○金子(み)小委員 いままでのお二人の方の質問と関連があることなんですけれども、お三人の方の御意見を聞かせていただければと思いますことは、原則としてお年寄りの世話は家庭でするというのはだれでもが考えることなんでして、特別養護老人ホームができたり、あるいは老人病院ができたりするのは、その都度必要があってできたことだとは思いますけれども、さっきからのお話もありますように、何か特養にお年寄りを入れてしまうような傾向がないでもないという問題が残っているわけですね。  それとの関連なんですが、そういう考え方ではなくて、とことん家庭でケアをするのですけれども、最終的にもうどうにもならない、追い詰められた状態になることがあるわけですね。そういう場合にはやはり施設があった方がいいというふうに私は考えざるを得ないと思うのですけれども、その場合の施設が、外国で言っているようなホスピスとの関係とどうなるかということを聞かせていただきたいのです。

金井竹子東京都中野区老人福祉課保健指導主査

○金井参考人 一番最初の、どうしても見切れなくてどこか病院に入れたいという患者さんがいるかといいますと、確かに、もうこれではギブアップだという方がいらっしゃいます。それは、余り長いからというのじゃなくて、私のこれは本当の経験ですけれども、三年か四年目ぐらいに皆さん疲れが出ていらっしゃるようです。一番最初は張り切って何とか自分の家でやるのだと言ってやられて、それから親類とか家族もいろいろ手伝うのですけれども、二、三年になるとちょっと遠のくし、それから十年ぐらいになりますと、もう皆さんそれなりに、お年寄りが少し汚れていらっしゃっても、本人もそれで満足、家族もこれで大丈夫というふうになって落ちつくのですけれども、やはり二、三年ごろが何とかどこかへ移したいとか入院させたいとか、もうこれ以上もたないとか腰が痛くなったとかいう方がいらっしゃいます。  じゃ、施設へ入れた方がいいのかどうかというときに、私のところではたまたまこれがいいことに、疲れたときに一週間だけお預りするというショートステイというのがあるのです。一週間だけお預かりします、その間、介護者はゆっくりしてくださいという施設がございますので、まずお疲れになったときはそこへ入れてもらう。そこへ入れてみますと、半分ぐらいの方はやはりさびしいとおっしゃるのです。もうだめだと思ったけれども、預けてみたら、年寄りがいて、その寝たきりの方がいらっしゃったから私は生きがいがあったんだなんという方もいらっしゃいますし、そして半分の方は、一週間預けて老人と離れてみたら私はもうすっきりして体の調子もよくなった、だからどこか施設へ入れたいという方がいらっしゃいます。  だから、施設へ入りたいといった方を即施設を紹介するのじゃなくて、ちょうどたまたま私のところはそれがございますので、そこで試してやっておりますが、そういうことで、病院ができた方がいいのか悪いのかといいますと、それは本当にどうしようもない場合は必要じゃないかと思います。それも余りぎりぎりまで家族の責任だと追い込む必要もないのじゃないかと思うのです。ちょっとお答えになるかどうかわかりませんが、そういうことがございました。  それから、私のところで在宅でやっている人を訪問しているのですけれども、家族は大体二〇%ぐらい入院させたいと言います。もう見切れないと言います。それから、寝ている年寄りで入院したいという方は六%ぐらいしかいらっしゃらないです。だから、そこがむずかしいのですね。  一週間預かりだって、家族が疲れたから入れと言うけれども、年寄りは離されるといやだと言って、一週間預かり入れるのにも、年寄りと家族との間の話し合いというのは大体二週間ぐらい続くのです。そして、納得してお年寄りがそういうお預かりとか施設へいらっしゃった場合は本当に気持ちよく元気で続けられますけれども、家族が一方的にもう見切れないから入ってこいということで入れますと、すぐその日の夜ぐらいからお年寄りは熱が出たりとかうわ言を言ったりとか、ちょっと想像もできないようなことが出てきてお預かりできないからというふうになってしまいますので、即施設と言わないで、中間のものが要るのじゃないだろうかなと思っております。  それから次のぼけ老人ですけれども、私はぼけ老人は一番悩んでいるところなんです、どうしていいのかなって。私がこの間まで訪問した家というのは、岡山から孫のところへといっておばあさんが、娘といっても六十幾つですけれども、二人で東京へ出ていらっしゃったら、いままで元気でいらっしゃった方が東京のアパートで暮らしたということでぼけが出てきた。ぼけといいますか何といいますか急に変わりまして、どこから力が出るのかわかりませんが、窓から飛びおりたりとか、それが済みますとうんちを丸めて冷蔵庫の中に入れて、みんなでごはんを食べようとするその茶わんの中へ入れたり、どこでいつされたかわからないというし、そういう方もいらっしゃいます。  それからもう一人は、行きましたらこの方はもう人間だろうかと思うような感じで、家の中の座敷牢の中に、すてきな家だったのですけれども、奥まった部屋に、下は全部裸で、足のつめが真っ黒くなって指が折れたようになってどうしたんだろうと思ったら、おしっこをたれ流しで、冬ですと暖房を入れるのも危ないからということで、こういうところが腐ってしまっているような、そういう方もいらっしゃいます。  でも、そういうお年寄りも、家族がどうしようもないと思って座敷牢に入れたような状態でいますけれども、私が訪問に行きましていろいろやっていますと、どうも耳が聞こえないけれども一生懸命何か——人間じゃない、おサルさんみたいな、動物みたいな感じだったのですけれども、わかるかなと思って紙にお元気ですかなんて書きましたら、私がちょっと間違った字を書きましたら、それは違うなんて言われました。  ですからぼけ老人というのは、そういう状態だから、だめだから施設に入れろというのじゃなくて、そういうふうにあっと思うようなことがございます。  そして、ああこの方は耳も聞こえないんだなということで、手紙で書き取ってこうやってお話ししましたら、水を飲んでますかと言ったら、水飲みをどこからか持ってきて見せてくださいますし、それから私と話していたら、女性の方でしたけれども、急いで後ろを向いて天花粉で顔をこうやってお化粧する。だから、まだ人間としてのところが十分残っていらっしゃる。私がそういうふうに接している場面を家族の方が見て、ああ、まだお母さんはこんなにいいところ、人間らしいところがあったのか、本当に悪いことをした、もう何にもわからないからといってテレビから何から全部片づけて、危なくないようにただこの部屋に入れていたけれどもということで、家族が私の話している態度を見てびっくりして、手紙で書き置きしたりいろいろしたりして少しずつ変わっていった例もございます。  それから、外へ飛び出てしようがない方がいらっしゃったのです。その方の場合は、どこに力があるのか窓から飛びおりたり、家族が一生懸命引きとめますので、手はいつも青あざができているわけなんです。そして、とめるとまた扉で手を挾んだりとかありますので、傷だらけの方だったんです。その方を施設に入れようかということをそこの介護者と一緒に話したんですけれども、いや、これはいま始まったんじゃなくて何年と見ているから、いまさら施設に入れるのもかわいそうだ、じゃ、うちで見ようかということになりまして、その方のところへ家事援助のヘルパーさんに入ってもらったのです。  ヘルパーさんが行ったときに、介護者が後ろをついて歩きますので、その間に洗濯とか家事をしてもらう。また介護者がついて歩くとき大変だから車いすに乗せていこうというので、うちから車いすを入れてやる。それから、収入がないのに一生懸命がまんしていらっしゃったので、うちの方からの福祉の手当てとか、そういう福祉等の活用で何とか在宅でもった方もございます。  けれども、どうしても在宅でだめで施設に入れた方がいいということで入れた方は、裸で外へ出て歩かれる方で、家族もついて回れないという。大きい声を出すぐらいは、家族の方もこういうことだと近所へ行ってあれしてもらいますけれども、裸の方だけは施設に入ってもらったということがございます。  それから終末のことですけれども、私も訪問をやっていますと、大体一年で対象者の半分の方は亡くなります。二年目でまたその半分の方は亡くなります。それもみんな在宅で亡くなる方が多いわけです。そうしますと、私たち介護婦、看護婦が行って何をする、これをするという仕事はそういう亡くなられるときにはなくて、これは日本人のくせなんでしょうか、亡くなるとなると、あの親類は呼ばないとかこの親類は呼ばないとか、特に介護者が二人で、年寄りが年寄りを見ているようなときは、あの親類は冷たかったとか、何かそういういやな、介護以外の人間関係の問題がたくさん出てきて、寝ている老人よりもそっちの方で介護者がおたおたしてしまうのですね。だから、そっちの方のお手伝いをするというようなところが多くて、体の方は先生の方からいろいろ見てもらうということが多くなっております。  お答えになるかどうかわかりませんけれども、そういう現状でございます。

小国英夫全国社会福祉協議会老人福祉施設協議会制度政策委員会委員長・特別養護老人ホーム健光園施設長

○小国参考人 まず最初の御質問でございますが、私どもの施設も、寝たきり老人の短期保護事業とか在宅の寝たきり老人に対する入浴サービス事業あるいは給食サービス事業等々を行っておるわけでございますが、そういう経験から申し上げますと、いま金井先生の方のお話にもありましたように、そういう援助を必要となさるお年寄りのかなりの部分がいわゆる高齢者世帯に属する方々、つまりお年寄り夫婦であるとか、あるいは孫のような方と一緒にお住まいになっているとか、そういったことで、家庭内での援助と申しましょうか、ケアと申しましょうか、それが大変むずかしい家族状況にある、そういった方が大変多いわけでございます。  したがって、先ほどもお話がございましたように、そういった方々の場合に、週に一遍とか十日に一遍程度の訪問がどれほどの効果を持つかという点では、大変疑問視される場合もあるわけでございますが、やはり最初の段階での援助、これがかなり徹底的に行われておりますと、大変効果が違うように思います。やはり初めてたとえば脳卒中等で倒れられた場合には、御当人はもちろん大変不安をお持ちになりますが、御家族もどうしていいかわからない。話には聞いていたけれども実際にそんなことは当たったことがない、そういうようなことで、もともとケアの能力が十分でないところにもってきて大変不安を覚えられる。そういう段階で、最初の三カ月間ぐらいの援助のいかんというものがその後の成り行きに大変影響するように思われるわけでございます。  それと、私どもの場合には、先ほど申しましたように、短期保護事業をあわせて行っておりますので、一定のインターバルと申しましょうか、間隔でもって短期保護事業を利用していただく、そういうことで、施設への長期利用をできるだけ避ける方向で努力をしておるわけでございます。  それでもしかし、いままでの例で申しますと、一週間なり十日なりの短期保護を三回か四回ぐらい利用なさいますと、大体の御家庭の方は、ひとつ長期の方にしてもらえないかというようなお話を持ち込んでこられます。それに対しまして私たちは、何と申しましょうか、教育的というと少しおこがましいのですけれども、われわれの施設も可能な限りの援助をいたしますので、何とか御家族なり近隣の皆さんの御援助の中でお年寄りが最後まで生活できるようにしていただきたいということで、できるだけきめの細かい相談に乗るように心がけておるわけでございます。  それからぼけのお年寄りの問題でございますが、もちろんこれには医学的なたくさんの原因があろうかと思いますけれども、ぼけとみなされている人が非常に多うございます。いまの金井先生一のお話の中にも、たとえば耳が御不自由である、ところがそのことがよく周囲の人たちに理解されていなかったために、こちらの言うことが理解できないのでぼけだというふうに思われてぼけ扱いされるというような、感覚器の障害を持った人たちがしばしばそういう目に遭うとか、あるいはちょっとした失敗を大変大げさに周囲の人に受けとめられて、その後ぼけ扱いされたために、御本人が大変孤立した状況の中で日々を送っておりますと、どんどんと精神活動が低下してまいりましてぼけ状態に陥っていくとか、あるいはまた、特にぼけの中でも、先ほどのお話にございますように大変はでな行動をなさるぼけの方、これが非常に問題になるわけでございます。  たとえば夜中に出歩くとか、あるいは先ほどもお話しございましたけれども、ふん尿等をもてあそぶ、弄ふんと申しますが、そういったようなこととか等々が大変問題になるわけでございますけれども、たとえばふん便をもてあそぶといいましても、これはもてあそんでいるのではなくて、大変不快であるがゆえにそれを除去しようとして、そのことがはた目にもてあそぶように見られる場合がございます。そして、便いじりまで始まったんだからこれは本格的なぼけだというようなことになるわけでございますが、それは排せつの介助が十分に行われていないがためにお年寄りをそのような状況に追い込んで、お年寄りがみずから何とかしようとする行動そのものまでがぼけのための行動だというふうに理解されてしまう、いよいよお年寄りは孤立するという悪循環があろうかと思います。  またその他、お年寄りはたくさんの合併症をお持ちでございます。痛みを伴う病気、熱を伴う病気、その他大変不快感を伴う病気をたくさんお持ちでございますが、増子先生おられますので、その方はまたお話があろうかと思いますけれども、そういう十分治療の可能な内科的、外科的な疾患等が見過ごされているために、それに対する反応までがぼけの反応であるかのように見られて、どんどんと悪化していくというようなことがたくさんございます。  そういう意味で、私たちは、私たち自身も大いに反省しておるわけでございますが、とにかく早い時期にぼけだという断定は絶対にしないで、他の角度からできるだけ見ていく、そういうことに心がけております。そういたしますと大変状態が変わっていく方が多いということでございまして、専門的な対応ということになりますと、いろいろむずかしい問題があろうかと思いますけれども、とにかく丁寧に応待をするというそのことが、多くのぼけの方にとりまして大変重要なことだと思います。  老人性痴呆というのは治らないというふうに言われておりますけれども、病気そのものは治らないのかもしれませんが、行動水準といいましょうか、その状況を改善することは、先ほど申しましたようなことで決して不可能ではない。そこに私たちも十分活動し得る分野があるというふうに思っておるわけでございます。  最後に、ホスピスの問題についてのお尋ねがございましたが、これは私の偏見かもわかりませんが、日本の場合に、ホスピスというとがんの末期の患者さんその他の、要するに末期の患者さんの死に場所であるかのような、そういう死に場所の代名詞のように受け取られる場合がよくあるわけでございますが、なるほど確かに末期の患者さんたちのおられるところでございますから、客観的には死に場所と言われても仕方がないかもしれませんが、ホスピスの基本的な思想なり考え方というのは、死にかけの人を集めてまとめて死なせるんだというような、もちろんそういう場所では決してございません。むしろ全くその逆で、そういう人生の最後の段階にあって多くの困難を抱えている方々が、ややもすれば社会的に孤立する。だれの援助もなく最後を送らなければならない。そういうことを避けるために、いわば交わりの生、交わりの死といったための努力を展開する場、それがホスピスだというふうに言われておるわけでございまして、決して単なる死に場所というものではない。  日本だけではないかもしれませんが、最近の状況を見ておりますと、子供が産まれる場合もほとんどが病院の産科で産まれる。そして人が死ぬ場合もほとんどが病院の病室で死んでいく。また最近ではICUとかCCUとか、そういったような機械がいっぱい並んでいるような特殊な病室で最後を迎えていく。誕生に際してもあるいはまた死に際しても、人と人との交わりがない状況の中でそういう人生の最も厳粛な事柄が進行していくことが多いわけでございますが、そういったことに対して、それではいけないんだという一つの運動と申しましょうか、考え方がホスピスを生んだんだというふうに思いますが、現実は必ずしもそうはなっていない。その辺にまだまだ問題があろうかと思います。

竹内黎一自由民主党

○竹内小委員長 増子参考人、何か御意見ございますか。

増子忠道医療法人財団健和会柳原病院内科医師

○増子参考人 われわれの経験で言われておる、お答えになるかもしれない点で言いますと、ぼけ老人の問題で言いますと、われわれの経験では、ぼけという症状のあるうちの七割から八割ぐらいはかなり解決するものであるというふうに考えております。先ほど小国先生の方からもお話がありましたが、本物の、本当の意味の老人性痴呆と言われる者はそんなに数が多いわけではないと思っております。  たとえば先ほどありましたふんをいじるという話の問題でも、その症状が二日、三日続いた後で、けろっと治った例がありました。それはいろいろ調べてみますと、結局肺炎の初期にありまして、そのいわゆる低酸素状態という脳の活動が鈍る状態のときにかなり激しい症状が起きた。このことを治療することによって効果が出てきて、二・三日目から完全に回復したというふうなことがありました。  そういうことにあらわれているように、お年寄りの体の環境はかなり外的な状況に左右されやすい状況にありますので、そういったことを十分よく見て、たとえば脱水一つとってもぼけの原因になりますし、発熱だけでもなりますし、場合によっては心筋梗塞とか胃潰瘍とか、そういった症状が始まったところにもぼけのような症状が生まれることがあります。ですから、そういう意味では、ぼけの症状が出たその最初のときに専門的な医者がきちっとした形の診断と治療といった体制をとることによって、まず相当のぼけというものが解決するというふうに考えております。  もちろんその中にも、本物のぼけといいますか、そういうことがありますが、それはむしろかなり長期にわたって徐々に徐々に進行するものが多いわけで、突然始まったぼけというものは必ず背後に何かがある。むしろ身体的な条件あるいは家族的、精神的な条件があるというふうに考えて対応し、その原因を取り除くという方がかなり効果があります。そのことをしないでいきますと、本物のぼけになってしまうということをわれわれは経験しております。  もう一つは、家族がお年寄りを見ていく場合に、追い詰められた状況になる場面が幾つかあります。  一つは、先ほど言ったような意味のぼけの症状があらわれて家族の言うことを全く無視し、あるいは危険な振る舞いをするというふうなことになってしまったために、どうにもならないということで泣きつく。夜間譫妄、特に夜間、一睡もしないで大声でわめく。家族はそれにおつき合いをしなきゃいけない。本人も三日三晩寝ないけれども家族も三日三晩寝ないというふうなことになってしまったときに、どうしようもないという形で来る場合があります。これは先ほど言ったようなことを十分検討した上で、適切な治療によって相当の部分防げる、治療できるというふうに考えております。  もう一つの場合は、いわゆる介護する側の問題がかなりの変化を来した場合です。一番多いのはやはり病気だと思います。介護する側がおばあちゃんであったりおじいちゃんであったりする場合は、特にそういうことが発生しやすいわけであります。さらに、嫁さんがもし介護している場合には、子供の学校の問題とかあるいは夫が病気になるとか、そういったことがいろいろありまして、家庭環境がかなり急変するというようなことでお年寄りを全然めんどう見れない。あるいは、お嫁さんが片っ方のお年寄りを見ていたが、片っ方のお年寄りは元気だった。しかしそのお年寄りも病気になった。二人とも寝たきりになってしまったような場合とか、家庭環境の変化が追い詰められたという場合にかなり起こってくるように思います。  そういうことを解決する上で、先ほどあったショートステイ、ショートステイホームという考え方とショートステイホスピタルという考え方があると思いますが、短期、間欠入院というような考え方もあると思いますが、とにかくそういう方法によって、相当程度、そういった追い詰められた状況を一時緩和することは可能だろうと思います。  ただ、先ほどの話の中にも、金井先生の方からもありましたが、お年寄りの場合は、自分がいる環境から変わった途端にいわゆる不適応症候群といいますか、適応できないことのために急激にぼけることがよく見受けられます。暴れてしまったり熱を出したり、あるいはひどい場合は拒食したりするというふうなことがありますので、そういう意味では納得をつけた上でなければそういったこともできないわけです。しかし、実際追い詰められた最も極端な場合は、介護者が倒れる場合であるとか、そんなこともあります。そういった点では施設あるいは病院のいわゆる入院、緊急避難的なものが制度的に保障してあるということが大変大事なんではないかと思っております。  家庭で介護することが疲れてしまって、三年、四年たった場合にそれで嫌気が差すというふうなことはどうかというお話ですが、これはわれわれの経験で言いますと、訪問看護制度であるとか福祉制度のバックアップがかなりしっかりしている場合には余りそういう状況を聞くことが少ないように思っております。  確かにわれわれが訪問看護とかそういったものをきちっとしないうちはそういう話が大分ありましたが、その後、われわれの努力もあるいは家族の理解もあるいは社会的な雰囲気も変わっていく中で、そういった意味で三年やったから疲れてしまったというふうな意味の年数でもって倒れるよりは、先ほど言ったような家庭状況の変化によって対応できなくなったという形のものが多いように思います。したがって、それがいわゆる短期的な形で解決つくか、あるいは長期的に解決しなければいけない問題か、その場合場合によって違いますが、そういった意味では単純に在宅医療や訪問看護だけでは解決できない場合もあるわけで、病院や施設が適宜近くにある必要があると考えております。  ホスピスの問題は、われわれの病院でもいろいろと検討し、あるいは家族からもそれとなく言われることもありますし、いろいろむずかしい問題で、われわれも十分解決し切れているわけではありませんが、ただ、痛みとか苦しみを何とかやわらげる、あるいは在宅で、たとえば痛みがあるがんの末期の患者さんに対して適当な手段でその痛みをとるというふうなことは必要なことだと考えておりますし、施設がそういうことにとって必要なのかどうかという結論はわれわれは持っておりませんが、入院患者さんの中でもそういったことについては一定の対応をしなければいけないというふうに考えております。ただ、そのことが一つの施設の中でまとめて行うことになるのかどうかということについては、われわれの経験がちょっと足りないので結論を出しかねているところであります。  もう一つ、これは質問されているというわけではありませんが、いわゆる特別養護老人ホームとかそういったものが、住民パワーで近所になかなかつくれないということについてですが、確かにそういうこともわれわれはかなり耳にするわけです。  一つの原因は、その特別養護老人ホームが地域に開かれていない現状があったり、あるいはそこに地域の人たちと全然関係のない遠くからいろいろな形で入ってくるというふうな、いまの非常に少ないがゆえの特殊な現状に対して相当地元の人たちが反感を持つということがあるように思います。したがって、逆に地域の人たちの、隣のおじいちゃん、おばあちゃんが入るような意味でその地域の中にそういったホームをつくるということが具体的に可能になるような状況になれば、そういった障害は多分乗り越えられるのではないか、そういったいわゆる地域密着型の特別養護老人ホームといいますか、あるいはナーシングホームといったようなものが今後の時代では非常に大切なことになっているのではないかというふうに思っております。

竹内黎一自由民主党

○竹内小委員長 質疑のある方は。

浦井洋日本共産党

○浦井小委員 貴重な御意見をお伺いしているわけですが、特に金井参考人と増子参考人にお聞きしたいのです。  数年前から訪問看護というようなことがあちこちで試行錯誤的にあるいはボランティア的にやられていって、その蓄積されたものを全部トータルいたしますと膨大な量と質になるだろうと思うわけです。この辺でかなり大きな、県単位の自治体であるとかあるいは国としても、訪問看護をどう見、それをどういうふうに制度化していくかということがだんだん迫られてきておる段階だろうというふうに私は思うわけですが、ちょうど金井さんと増子さんのお話を聞いていて、その中の二つの傾向といいますか、福祉というところから入っていって保健所も含めました自治体がイニシアチブをとっていっておる形態、それから医師会も含めた医療機関なり地域の病院なりが医療というところから入っていった形態、こういうものが二大潮流みたいなかっこうであるのではないか、ややオーバーに言いますと。  それで、訪問看護の基地といいますかベースになるのは、一体そういう自治体なのか医療機関なのかということ。そう簡単に分けられないと思うのですが、その二つが渾然一体になって有機的な連携を保ちながらやるのがよいだろうと思うのですが、その辺の問題についてお二人の御意見を一つはお聞きしたいと思うわけです。  それから、現実にいろいろな実践をされておるところで、費用の問題が初めから終わりまでかかわってくるわけですね、費用をどこが持つかという問題。それで、医療機関の側から入っていったところでは診療報酬の中に点数化せよということがかなり要求として出ておりますし、自治体から入っていった場合には公費負担という形になるだろう。  それから、最近有料福祉というようなことが言われておりまして、私も詳しくは知らないのですが、関西の訪問看護協会というのがあって、そういうところでは技術を売るというのですか、技術で訪問看護をやる、そのかわりお金をもらうというような有料という動きも一部には出ておる。そういう問題について、お二人の参考人なりあるいは小国さんの方でも一度お答えいただければありがたいと思うのですが、そういう費用の問題についてどういうふうに考えておられるかということ。  それから、細かい問題ですが、看護協会などでも言われておりますが、いろいろな試行錯誤を重ねておられて、どう言いますか、訪問看護の対象は一体どの辺に設定すべきか。大体六十五歳以上の寝たきりというようなところが一つの目安になっておるのですが、むしろ看護協会の方針なんかを読ましていただきますと、いま実践をしておる実践者の方から具体的にこの基準の見直しを積極的に提言しなければいかぬというような御意見もあるようですが、その辺について何か御意見があればお聞きをしたいというふうに思います。  それから先ほど金井さんの方で、特別な心構えと技術が要るのでということで研修が必要だ、私もそう思うのですが、専門のお立場から一体どういう方法を考えておられるのかというようなことをお聞きしたいと思います。  最後に、小国さんの方に、いまいただいた本をちょっと読ましていただきますと、御経歴の中に京都の堀川病院にもおられたというようなお話で、堀川病院でもかなり訪問看護という点では長年のキャリアを持っておられるように思うのですが、そこで案外行政との関係がなしに病院独自でやっておられてそれなりの成果を生んでおられた。その辺の問題についてどうであるのか、経過とその功罪についてというような点についてお伺いできたらはなはだ幸いだというふうに思うのです。  以上であります。

金井竹子東京都中野区老人福祉課保健指導主査

○金井参考人 訪問看護を病院と行政でやっているけれどもどちらがいいだろうかという御意見だったのですが、私はいま訪問をやっておりまして、行政でやっているだけではカバーできない人がたくさんいらっしゃいます。やはり医療を受けなければいけない方は、行政でやっている場合は医療はやらないということになっておりますので、そういう方に対しては、はっきり言いますと手が抜けているような状態です。  ですから私は、先ほど言われましたように、やはり行政と病院と両方あった方がいいのじゃないかなと思っております。まだどっちといま決めてしまう時期じゃないのじゃないか。そのくらい老人のニードは多様で、ちょっと決められない状態だと思っております。  それから費用なんですけれども、有料がいいか無料がいいかということですね。私のところの福祉でやっていてお金を取っておるものは、貸しおむつだけはそこの家の収入によってお金を取っておりますが、あとは全部無料でやっておるのです。そして訪問看護をやっていて、やはり有料でもやってもらいたいという方が三〇%はいらっしゃいました。ですから、そういう点では有料でもいいのじゃないかなという気もするのですけれども、点数を一点幾らでどうこうというのは、ちょっと私まだ自分の仕事を整理してないもので、そこの基準していくのがよくわかりませんから、点数化のところになるとはっきり言えません。  それから次は研修でしたけれども、私たちが看護婦になりましたときには、はっきり言いましてお年寄りというのは病院内で見ましても少なかったのですね。地域でもお年寄りというのは少なかった。こんなにお年寄りを見てその看護をするというのはこのごろで、はっきり言いましていまになってあわてて勉強しているような状態ですので、そういう点でお年寄りの体がどうなっているのか。若い人とは違います、熱の出方一つでも違います。そういう体の特徴だとか、それから先ほどから言いますように、病院でしたらぽんと年寄りだけ家族から離れていますけれども、家庭の場合には、その年寄りがよくなるのも悪くなるのも家族次第というようなところが結構ございますので、そういう家族の方の指導をどうしたらいいだろうかという、家族をつかむといいますか、そういうような研修が必要じゃないだろうかと思っております。  それからもう一つ、年齢は六十五歳以上といま決まっておるけれどもどうかということですが、たまたま私は六十五歳以上をやっておりますけれども、どこまでおろした方がいいかというのがむずかしいのです。下の方の四十代とか五十代の方もいらしゃいますけれども、私はたまたま六十五歳以上の寝たきり老人をやっておりますから、その方々から希望はありますが、そういうのは保健所に回したりとかしていて、どこまでいいかということは、ちょっと体験しておりませんので言えません。

増子忠道医療法人財団健和会柳原病院内科医師

○増子参考人 最初に、自治体の方のイニシアチブである訪問看護制度と、医師会なり医療関係の側からのイニシアチブと、どちらの方がよりいいのかという御質問ですが、われわれの足立区の場合には医師会主導型で行っておる訪問看護制度でありますし、中野区の場合は行政側というか自治体側の方のイニシアチブということになっておると思います。全国的に見ればその二つが主流であると思いますし、われわれ十分よく知っているわけではありませんが、どちらもかなりの効果を上げているということが言えると思います。  ただ、そこで問題なのは、一つは住民運動とか自覚の問題、いわゆる住民の要求に基づいて出てきているような形で訪問看護制度がとられている場合は、どちらの場合でも利用率が非常に高く活用されているというふうに思いますが、単に自治体のいわゆる行政側からだけのものでありますと、そのうちだんだん下火になるというのが全国的にまたはっきりあるように思います。したがって、そういったことがまず一つの前提になるだろうと思います。  それからもう一つは、医療従事者側、医師会側のいわゆる協力というものがない訪問看護制度は、全国的に見ても、かなり前から試みられていた段階でも、大体衰退の方向に向かっているというふうに思います。  したがって必要なことは、どちらがイニシアチブをとるかということで言えば、やはり医療機関の側の外来と入院と施設というものと並び立つ意味での在宅医療としての位置づけがまず第一に必要であって、そこから自治体の保健所なり福祉事務所の役割り分担を明確にするという形で連携を保っていくということが必要かと思います。月二回の訪問時では実際とても対応できないケースの方が多いわけでありますので、そういった面でも医療の方からのアプローチというものを一つの柱にしながら自治体での連携をつくっていく、しかも住民に支えられた自覚が必要だというふうに思います。  費用の問題についてもそれとの関係がありますが、在宅医療の確立という点でいまの診療報酬体系全体がどうであるかという論議はわれわれにはまだなかなかわかりませんけれども、いまの体系を前提にすれば、診療報酬で何とかしてほしいというのは自然の成り行きだと思います。  ただ足立区の場合は、医師会主導型だと言っても必ずしも診療報酬の点数云々ではなくて、月二回までは申請して支払いがされるという形ですので、これがどういう方向がいいのかということについては研究が足りないと思います。ただ月二回に限られてしまうと、いわゆる在宅医療というような形で必要な医療や訪問看護がどうしても制限されてしまうということについては、何とかそれを解決するような形の報酬体系といいますか、費用問題というものが欲しいと思います。  有料福祉の問題については、われわれの足立区、しかも柳原地域というのが貧しいせいもあるかとは思いますが、お金を払えるような人たちは非常に少ないというふうなことがありますので、とてもそんなことは考えられない。むしろいわゆる福祉的なサービス、先ほど言った在宅の介護人のバックアップ体制あるいは家事援助員制度といったものを積極的につくり上げて保障するということがいま必要なわけで、有料でやるというふうなことになると多分効果はかなり薄い。金を出せる程度のところは介護力もあるというふうに思いますから、そういう意味では効果があると思いますが、全国民とかあるいは区民なり都民なりという地域のレベルで考えると、一部に限られてしまうという点で制度としては問題点があるのではないかと考えます。  訪問看護の対象の問題については、われわれが日常悩んでいることで言えば、六十五歳以上というふうに限られてしまうと、六十歳の脳卒中なり五十五歳以上の脳卒中が完全に対象から外れてしまう。しかも保険も一定期間で切れてしまう、有料になってしまうか、三割負担なり二割負担なりになってしまうというようなことで大変困難があるわけです。これはもう少し実情に合わせて、年で区切るよりはむしろ病気とか障害の程度によって区切るというふうに考えてみた方がより現実的ではないかと思っています。  特にリューマチとかあるいは難病の患者さんたちというのはむしろ若い患者さんが大変多いわけです。五十歳なり六十歳なりという方が多いわけで、そういう人たちに対しての訪問看護制度が足立区の場合でも制度化されていないということで大変難儀を感じておりますので、こういった点についてはむしろ病気というふうなことをもう一度洗い直して、どういうものが対象になるか、特にADLなりあるいは効果による問題もあるかと思いますが、そういったことで洗い直しが必要なのではないかというふうに思います。  ただ、われわれも日常的に忙しくやっている中でそういったことを理論化したり整理するという作業が立ちおくれているというふうに思いますし、先ほど述べたような在宅医療の方を柱にしてやるといった場合でも、全国各地でやられている訪問看護の成果を十分に吸収した上で一定の方向を打ち出すというところまではわれわれ自身の努力もまだ不足していると思いますので、全体で何かそういう方向で探れる場所があれば積極的に出ていって、いろいろな検討をした上で、この訪問看護の対象も含めて今後の方向の中で明確にしていきたいというふうに思います。

小国英夫全国社会福祉協議会老人福祉施設協議会制度政策委員会委員長・特別養護老人ホーム健光園施設長

○小国参考人 私には費用の問題等をお尋ねだったと思うわけでございますが、それを申し上げる前に、たとえば訪問看護の対象となる寝たきりのお年寄り等についてでございます。  一口に寝たきりと申し上げましても、私どもの承知している範囲では、運動機能が直接やられたために寝たきりになった方の場合、あるいはまた呼吸器系、循環器系等他の障害のために安静を求められて、その結果寝たきりにつながっていった場合、それからまた環境的あるいは心理的なファクターが多く作用してなっていった場合というように、私どもの経験では大ざっぱに言って大体三分の一ずつのような気がいたします。といたしますと、前二者はいろいろな意味で医療的な対応が当然必要でございますし、看護の面でも特に医学的な看護というふうなことになるでしょうけれども、残る三分の一の方々の場合にはかなりソシアルな対応というものが当然必要になってまいります。そういうものも全部ひっくるめて医療活動なりあるいは衛生行政の中でやっていくには少し問題があるのではなかろうかというふうにも思います。  また、いま増子先生のおっしゃったのは訪問看護の中のいわゆる継続看護の部類に入るのだろうと思いますが、そういう継続看護の場合ですと点数化ということも適当かと思いますけれども、訪問看護全体というふうに考えますと、継続看護もあれば看護力の提供もあれば看護指導もある、その他いろいろな要素がございますので、そういうことを考えるとやはり公的な費用と申しましょうか、そういったものでもって柱が立てられて、それにいろいろなバリエーションがつくというふうに考えるべきではなかろうかと思います。  それと、最近地域対策というのは医療の面でも福祉の面でも大変たくさんのメニューが出てまいりましたけれども、それをいろいろな窓口でばらばらにやっていくのは、これは制度を一覧表か何かにしたときには非常に豪華に見えますけれども、それを活用する国民の側にとっては大変問題が多いだろう。そういう意味ではすぐれたコーディネーティングボデーと申しましょうか、私はその辺を社会福祉協議会等に期待したいわけでございますけれども、なかなか実態はそうではございませんが、やはりそういうコーディネーティングボデーというものをコミュニティーの中につくっていく、コミュニティーセンターとかあるいはデーセンターというようなものがそういう役割りを果たしていく、そういう状況の中でそれぞれの活動がいろいろな角度からの検討に基づいてインテンシブに展開されていくということでなければいけないだろうと思っております。  それで、公費ということになるとまたそこに大変費用がかかるのではないかという懸念が当然出てくるわけでございますが、いま福祉関係の諸政策が必ずしも十分でないがために、その辺に振り向けられるべきニードというものがかなりの部分医療の側に振り向けられている。そのために国民医療費十三兆円とか、その中で六十五歳以上のお年寄りの医療費が私の聞いたところではたしか総額で四兆円ぐらいになっているということでありますが、その四兆円を一千百万人ほどの老齢人口で割り戻すと月三万円以上になる。ぴんぴんしゃんしゃんしたお年寄りも含めて平均月三万円の医療費がかかっているというのは一体どういうことだろうかと思うわけでございます。  これはやはりかかるべくしてかかったのではなくて、福祉の対策が不十分なために結局もう医療にしか振り向けられざるを得ない結果そうなったのだというふうに思いますので、ここで訪問看護等も福祉の中の柱に立てていったとしても、それにかかるコストというのは医療費が振りかえられることによって相当節減されるのではないかというように私は考えておるわけでございます。  それともう一つ、私がかつて堀川病院におったからということでのお尋ねがございましたが、かなり前のことでございますので、現状は、直接ではなくて聞いておる程度でございますが、最近、堀川病院のございます京都の西陣地域も大変高齢化してまいりましたのと、それとやはり若い人たちが周辺地域に——西陣地域というのは京都の比較的真ん中にございます。ところが、若い人たちがこの周辺地域に出ていく傾向がございまして、そのために、堀川病院の場合は継続看護を中心に展開しておるわけでございますが、やはり御家庭の看護力が低下するがための依存的な傾向が非常に強くなってきて、その継続看護という形での在宅ケアが非常にむずかしい状況になりつつあるのだ、そこで、やはり一軒一軒の家庭を単位にしているだけではどうしてもうまくいかないので、患者さん同士の会だとか家族の会だとかいろいろなそういう、親族とかそういう関係じゃなくて、地域単位の、近隣の御家族のそういう単位の組織をつくっていく、そういう形で家庭内の看護力の低下というものを補いながら援助していかなければならないということでございますが、やはり地域状況というものが大変悪くなっておることもございまして、病院への入院希望というふうなものが大変大きくなって困っているんだというようなことも聞いておるわけでございますが、直接担当しておるわけじゃございませんので、ひょっとして間違っているかもしれません。申しわけございません。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石小委員 たくさんのお話を聞かしていただきまして、一応これからの——従来は施設福祉、これからはやはり在宅福祉の強化といったような時代に入りつつあるのではなかろうかという気がする一方で、いまお話をお聞かせいただいて、特に増子先生ですか、医療が福祉を取り込んでいくような形にするのか、福祉の中へ医療が入って在宅のことを考えていくのかといったような一つのパターンが生まれつつあるのではなかろうか。  そういたしますと、従来の考え方から見ますと、お医者さんが家庭へ出かけて、外来にも行けない、それから入院もできないといったような患者さんについては往診ということがあったわけですね。だから、その往診で出かけておられるのか、あるいは福祉ということを考えますと、在宅で看護しておられる家族の方々のそういった指導も含めて、新しい医療のパターンといいますか、患者さんだけでなしに、そういったことまで手をつけていらっしゃるのかどうなのか。そして、それがいわゆる在宅福祉というのでなしに、在宅医療という一つの新しいパターンがつくられつつあるのかどうか。そして、それが制度の上にどのように組み込まれていたらいいのだろうか。そういったようなことを、先ほどから先生方のお話を聞きながら考えたわけですが、その一つの新しい在宅医療という線になるのか、あるいは金井先生おっしゃったように在宅福祉というのがあくまでも主題であって、そしてその中にはいわゆる老人の病人がいらっしゃる、あるいはぼけの方がいらっしゃる。そうすると、医療の手をかりた一つの在宅福祉、これを強化したらいいのか。それが今度制度の上にあらわれる場合に、どのように制度に組み込んだらいいだろうか。  もちろん私は、広い意味での在宅福祉の強化ということは当然考えなければならぬけれども、それには国なりあるいは地方公共団体なりがやはり、先ほどから出ておりましたように、費用の問題が出てくるだろう。この費用の面を、家族の介護人に対してしやすいような援助措置が一つ生まれなければならぬのではなかろうか。  いろいろ考えながらお聞きしたのですが、いまの、在宅医療なのか在宅福祉なのか、それを制度の上にどうあらわしたらいいのだろうか、そういう御意見を金井先生と増子先生にお聞かせいただきたいと思うわけであります。

増子忠道医療法人財団健和会柳原病院内科医師

○増子参考人 大変むずかしい御質問だと思います。  われわれ在宅医療ということをかなり強調している理由は、いままで特にこれほどお年寄りがふえていない段階では、往診といった場合でも、たとえば肺炎であるとか何か腹痛であるとかいうような形のものが主流であったわけですが、これだけお年寄りがふえ、そして在宅でいる患者さんのかなり多くの人たちがお年寄りになってきたという、そういう意味でのいわゆる疾病構造の変化といいますか、患者さんの層が変わってきたということに対応して、単に往診という形だけではなかなか済まなくなってきた現状を言葉で言いあらわすために、在宅医療という言葉をつくり出してきたというか、いろいろな形で使われていますので、われわれも利用させていただいているというふうに申し上げた方がよいかと思います。  したがって、いわゆる往診というものが、臨時往診というのが普通往診の場合の基本的な姿だとは思いますが、老人がふえる、在宅での老人がふえるに従って、この十五年以来から、多分きっとそのぐらいからだと思いますが、いわゆる定期往診といいますか、月に一回とか二回とかという形で患者さんの状態をチェックしながらするというふうな医療のあり方が出てきたわけであります。  われわれの病院も、そういう経過で、いわゆる定期往診という形がまず当初だったわけですが、そのときに、いま御質問のあったように家族の指導の問題、あるいは福祉サービスを、家族を含めたお年寄りの方に対して必要なものを提供することといったようなことが、この在宅の往診や医療をやっていく上で必須であるということが明確になってきた段階で、われわれは訪問看護というものを独立させた形で、医者の往診と合致した形で必要であるというように考えるようになったわけです。そこで、そういう概念を入れて在宅医療というものを考えてきたというふうに言ってよろしいのではないかと思います。  さらにそのほかに、当然この場合の在宅医療というのも、医療だけで独立して機能できるというふうなことでは決してなくて、むしろ、特に在宅のお年寄りということになりますと、福祉の制度の活用の問題やサービスの問題も非常に大切な問題になっております。  先ほど私の方からいろいろ強調した点は、在宅福祉があってこそ初めて在宅医療の機能が十分に果たせるのだということを強調したかったわけで、したがって、在宅医療と在宅福祉というものが、何か一方が一方に対して優位に立つとか立たないとかというよりは、むしろその前提条件として在宅福祉を充実しなればいけない。しかし、そのことを前提にした上で、やはりそこで行われるべきことは医療の流れとしてきちっと位置づけし直していくべきことではないかというふうに考えておるわけです。  たとえば往診の場合は往診料というのがあります。しかし、訪問看護の場合は訪問看護指導なり看護行為に対しての報酬体系といいますか、そういうことはありませんし、足立区の場合は、いろいろなことをやったとして、月二回まで一定の間、これは多分、東京都の場合どこの区でもやっているところは同じような形の報酬体系になっていると思いますが、そういうものが支払われるというような形になっております。  現在のところ、それで大きな不都合がきているということではありませんので、こういった在宅福祉を前提にした在宅医療のあり方というものをもう少し制度的に充実していくということで、新しい医療のあり方をつくり上げることができるのではないかとひそかには思っておりますが、ただ、訪問看護という制度がそういった中でも制度としては医療の制度の中でも認められていないということによって、在宅医療の何というか、片方の肺がないというふうな感じを受けております。  したがって、訪問看護制度がこの在宅医療の大きな一つの柱としてこれが点数制がいいのかどうかということについては、まだ十分検討してみなければいけないとは思いますが、ただ余り制限されてしまうと十分の展開ができないので、そこの制限がないような形での展開がないかということだけがまだ解決し切れないと思いますが、それを一応解決するとすれば、ただ点数制なのかあるいは件数払いなのか、それは方法としてはいろいろあるのじゃないかというふうに考えております。  費用の問題については、われわれの経験だけで言うのもちょっと不十分だとは思いますが、訪問看護というものが本当の意味で介護力のあるところに行われる場合には、先ほども言いましたように、費用の問題もあるいは介護力に対するバックアップといったようなものも余り問題にならないのかもわかりませんが、日本のいまの全体あるいはわれわれの地域の中で眺めてみましても、十分に介護力もあり経済力もあるというふうな家庭で、しかも寝たきり老人を抱えるというふうないわゆるそういう意味での条件が整ったところでの在宅老人というふうな数は、むしろかなり少ないというふうにわれわれは思います。  実際、パーセンテージを調べてみたこの前の調査で見ましても、かなり生活が苦しいというふうに訴えている家庭がかなり多いわけでありますから、そういった点で考えますと、この在宅医療の新しい展開を可能にする上でも、費用の問題についてはかなり公的な形で考える方法をとらなければ十分に普及しないのではないか。それが十分に普及しないと、結局施設福祉であるとかあるいはむだな入院が長引くというふうな形になって、結局は医療費を押し上げるという形になっていくだろうと思いますので、必要な費用として公的な費用をつぎ込みながら、在宅医療を確立するという方向によって、新しい展開が可能になるのではないかというふうにわれわれとしては考えております。

金井竹子東京都中野区老人福祉課保健指導主査

○金井参考人 なかなかむずかしい問題ですけれども、医療と福祉といった場合の、私は病院側の医療というのを経験したことがございませんけれども、役所ですので一応医療体系として保健所にいましたときといま私が福祉部の方にいますときと、そういうところで比べて、私、老人はどっちの方がいいだろうかとかどっちの方で扱った方がいいだろうかななんということを考えてみますと、私は保健所に長くいましたときには、老人の福祉施策との連携が、本当に同じ役所内ですけれども、できるようでうまくできなかった。それといま福祉関係におりまして、その連携というのも本当に有効にできるのですね。ですから、いま自分がそこにいるからかもしれませんが、福祉の中に私たちみたいな医療が入っていって、医療だ福祉だと分けないで一緒にやれるような何かがあったらいいのじゃないかと思いました。  そういう場合、役所の場合は、保健所とかいうそういう医療の立場の方には福祉というのはなかなか入りにくいのですけれども、役所の福祉という中に医療が入るというのはスムーズに入れますので、そういう意味で福祉の中に医療が入っていったというような気持ちでおります。そういうふうな体制ができたらうまくいくのじゃないかなと思っております。  それから、そういう医療が入ってきて、ではもう少し治療の必要な、お医者さんとの関係だとか主治医との関係はどうかといったときに、私はいま私のところの医師会とやっていて、福祉の分野におりますけれども、衛生の分野にいたときとちっとも不都合を感じておりませんし、全く同じようにできておりますので、よく医師会との関係とかいうのは衛生部の方がいいじゃないかとか衛生関係がいいと言いますけれども、そういうことはないのじゃないかと思いました。特に福祉の方に行きまして先生との連絡では、先生方も弱い福祉の分野というのは、私たちが先生へ情報を提供できますので、いままで以上に仲よくなれたと思っております。  そういうふうに私は位置づけておりますけれども、ようございますでしょうか。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石小委員 非常に参考になりました。私も福祉という広い意味の中に医療というものがお手伝いいただくというような形のものではなかろうかという感じもしておるわけです。  ところで、医療の方の一つの新しい行き方といいますか、そういった形があるということをいまお聞きしてわかったわけです。それでこういった一つのセクトにしていきますと、従来のいろいろな面の隘路が出てくる。そうするとやはり総合化といったような形のものを今後われわれは考えていかなければならぬ問題ではなかろうか。その総合化する場合に一つのはしりといいますか、考え方といいますか、それらのヒントに非常にいい参考の御意見を伺ったのですが、いま増子先生のお言葉の中にありましたいわゆる従来は往診をしたのだ。これは患者さんを対象にしてのいわゆる治療という面でおやりになられたわけです。それでいまは家庭内の看護体制といったようなものについていわゆる定期診断といいますか、定期往診といいますか、そういったような形のものがなされているというようなことをお聞きしたのです。  これはただではできぬと思うのですが、報酬の中に定期往診といったような形のものは特別にはないわけですけれども、それは往診という形で費用負担は願うというような形に現在の制度の中ではやっておられるのかどうかということ。  それから小国先生、いま二つの問題、医療と福祉の問題ですが、社会福祉協議会というのは、いわゆるボランティアを含め福祉活動といったような面での民間の一つの大きな運動体でもありますし、実施機関もありますが、そういう中でいまの在宅の高齢者に対する処遇というかケアというか、これはどう言ったらいいのでしょう、総合化するに当たって、医療とそういったケアの総合化という面でひとつ御意見がございましたら、経験を踏まえて開陳いただきたい、こう思うわけです。

増子忠道医療法人財団健和会柳原病院内科医師

○増子参考人 御質問の定期往診という形の支払い形式、どうなっているかということですが、これは従来のいわゆる往診診療としての点数でわれわれは請求し、その報酬を受けているという形であります。  ただ、足立区の場合の訪問看護制度というか、足立区の訪問看護事業というのが五十一年から行われて以来、医師が家族の指導も含めて看護の内容についてした場合について、訪問看護の支払いを請求することができるというふうな形になっております。ただ、この場合は、医者が行かなくても看護婦がそういう活動をした場合には、全く同じ値段で支払われるというふうな、そういう制度が足立区の中で、これは医師会が主導的につくった制度ですが、そういう形でできております。  ですから、定期往診といいますと、たとえば午前中で七、八人ぐらいの患者さんを次々に訪ねていって、家族の方とお話をしたりあるいはいろんな健康診断をしたりしてという形のものはやるわけですが、それをどこからどこまで診察で、どこは看護で、どこが福祉なのかというふうに言われますと、なかなか答え切れない。それがむしろ渾然一体となったような形のものが、ときには医者が中心になって往診するが、医者が行かないときにも看護婦が回っていろいろな指導をする。あるいは治療行為についても医者と相談しながらやっていく。そういった形式がわれわれいま行っている在宅医療の一つの形かというふうに思います。

小国英夫全国社会福祉協議会老人福祉施設協議会制度政策委員会委員長・特別養護老人ホーム健光園施設長

○小国参考人 いま社会福祉協議会についてのお尋ねがございましたけれども、社会福祉協議会の一つの問題というのは、いわゆる小地域社協というふうにわれわれ呼んでおりますが、小学校の通学区域とか中学校の通学区域とか、そういったようなコミュニティーと申しましょうか、そういう地域での社会福祉協議会の活動というものが必ずしもまだ十分成長していないというわけでございます。いまお尋ねのような活動というものは、もちろん全国的にあるいはまた県や政令都市のような大都市規模でも展開されなければなりませんけれども、やはり寝たきりのお年寄りにしろあるいは各種の障害を持った方々の生活圏というものは非常に狭いわけでございますし、またコミュニティーというとらえ方をする場合も、京都市とか大阪市とか、これじゃちょっと漠然としてしまいますので、やはり小地域の社会福祉協議会というものが育成されていかなければならない。いまちょっと仄聞いたしますと、市区町村社協というものの法制化というふうなことが少し俎上に上ってきつつあるように承っておりますけれども、そういう小地域の社会福祉協議会というものが一定の実体を持つようにならなければいけないというふうに思っております。  まことに恐縮なんですが、私どもの施設は京都市の右京区というところにございます。そこは約二十の小学校があるわけでございますが、そのうちの特に二つの小学校通学区域を中心に、数年前に地元の各種団体等の御協力を得まして嵯峨広沢老人福祉懇談会というのをつくっていただきました。これには、京都では町内会なんかを自治会というふうに呼んでおりますが、自治会連合会の方あるいは老人クラブの方とか婦人団体の方とか、あるいは行政側としましては福祉事務所の方、保健所の方、そういういろいろな方々にお入りいただきまして、そしてちょうどそこの地域には老人ホームが三カ所ございますので、その施設もみんな入りまして、そういう組織をつくっております。そこには、メンバーにはなっておりませんけれども、地区の医師会の先生方にも大変御協力をいただきまして、定期的に健康教室だとかそういったもの、健康相談とかに参加していただきまして、大変御協力をいただいておるわけでございます。  やはり小地域単位のそういった組織づくりと申しましょうか、そういうものが進んでいかないと、社協というものもまだまだ、ただ絵にかいた組織にすぎない面がございますので、これからはそういうきめの細かい組織活動が大変重要になってくるんではなかろうかというふうに思っております。  それと、つけ加えて申し上げたいと思いますが、たとえば日本の場合、特別養護老人ホームというような施設が老人福祉法という法律の中でつくられております。これは私の知る限り諸外国にも余り例がないわけで、大概外国の場合には、ナーシングホームその他の形で医療体系の中に位置づけられている。少なくとも先進諸国の中では日本だけがその種の施設を福祉体系の中に置いているというわけでございます。  これにももちろんいろいろ問題があろうかと思いますけれども、やはりこれは大変重要な意味を持つ一つの実験をやっていることになるんじゃないかというように思うわけでございまして、アメリカその他におけるナーシングホームが必ずしも成功しているとは思えない現実の中で、日本が福祉体系の中に特別養護老人ホーム等を位置づけてやっていることの意義を改めて考えながら、私たちも施設活動というものを進めていかなければいけないんじゃないかというように思うわけです。そういう積極的な展開をすることによって、諸先生等の御発言にもありましたような、在宅福祉があっての在宅医療という展開が意味を持つんじゃないかというように思っております。  私が最初にごらんに入れました図も、そういう意味でこの医療と福祉がケアとかキュアとか、そういう側からアプローチするのと、それから開発とか予防とか、そういうハビリテーションあるいはプレペンションという側からアプローチするのと、両方がやはり相まっていかなければ地域での福祉も医療もやはり成立しないというように思うわけでございます。

米沢隆民社党・国民連合

○米沢小委員 問題はちょっと観点が違うのですが、寝たきり老人ですね、特に植物性人間的な寝たきり老人の患者に対する医療のあり方ですが、十全病院とか三郷病院等々ではどうもそこらを濃厚診療の手段に使われておる。逆にまた、簡単にやりますと不親切だと患者の家族から怒られる。それに、これは医者の良心というか医者の哲学の範疇に入ると思いますが、こういう植物性人間に対する適正医療みたいなものについてどういうふうに考えておられるのか、増子参考人に聞かせてもらいたいと思います。  と同時に、安楽死というものですね。安楽死問題というものは、僕はいま皆さんの話を聞いていますと、ぎりぎりのところで考えていくとどうもそこらの問題にぶつかりそうな気がするのですよ、幾ら善意であったとしても。そういう意味でちょっと増子参考人に私見でも結構ですから、御意見を伺いたいと思います。

増子忠道医療法人財団健和会柳原病院内科医師

○増子参考人 大変むずかしい御質問で、私も医者になってまだそんなに長くたっておりませんし、かなり経験も不足しておりますので、こういったことに対してお答えできるような何もないと思うのですが、日ごろ考えていることをちょっとお話しさせていただくとすれば、植物人間、この定義も非常にいろいろあります。一般的に言いまして、たとえば意識のないという患者さん、お年寄りの場合もかなりそういうことがありますが、そういう人たちに対する医療をどうするのかということと、あるいはそれに近いレベルのたくさんの患者さんに対してどうするのかということと、似たような問題ですがちょっと違いがあるようには思います。  本当に意識も完全に失っているということになりますと、カレン裁判でもいろいろと問題になっているようなことも含めてまだ日本では十分論議がなされていないことだと思いますが、われわれ医療をやっていく立場からしますと、やはり意識がない患者さんに対しても必要な医療というものはあるのではないかと考えております。どの程度のことが必要なのかということは、その患者さんの症状によっても決まります。  たとえば意識がないだけで完全に心臓なり内臓なりというものが正常に動いている例もかなりあるわけであります。そういった場合には大体——これは東大病院で私が受け持った患者さんだったのですけれども、非常に進行性脳委縮のお年寄りで、そして心臓と内臓関係は完全にりっぱに生きているわけですが、呼吸ができない、食べられないということで、経管栄養なり人工呼吸器を使っていまずっと生き長らえているというようなことに出くわしたわけです。  これに対してどう考えたらいいのかということは、いまでも十分答えが出ているわけではありませんが、同じ病院の中でほかのところに入院していた同じような人たちが十人、二十人いる中で、その中に一人、二人が、これはほかの病気でそういう植物人間になった例ですけれども、意識が少しずつ回復してきたという例を聞いたわけです。  そんなこともありまして、やはりこちらの勝手な判断だけで人間の命について左右することはどうかということを思っていたわけです。濃厚診療にする必要は全くないと思いますし、それから、先ほどわれわれの例で述べましたが、たとえば〇塚〇ンさんという例は、気管カニューレも入れ、それから膀胱留置カテーテルも入れ、そしていわゆる胃のゾンデというものを入れてやっていくと、ある意味では植物的人間、そういうふうなことになるかと思います。しかし、やはりそこにはまだ人間としての感情が残っておりますし、われわれの治療や娘の働きかけによってかなり生き生きとした反応をする。われわれ自身が、むしろわれわれの行為が励まされるというふうな局面が日常の中ではあります。そんなこともありまして、意識が多少でも残っている場合については、在宅であるか、あるいは入院であるか、いろいろなことがあると思いますし、適切な医療というカバーもあるとは思いますが、やはり必要不可欠のレベルの医療というものはぜひとも提供すべきことになるのではないか。点滴をしたり、いろいろな抗生物質を使ったりというようなこととか、そんなもの。あるいは検査をぼんぼんするとかいうようなことは不必要だと思いますが、やはり脱水になれば点滴も必要でしょうし、感染症があればやはり抗生物質も必要だろうと思いますが、その程度のレベルで十分生き長らえる力を持っている場合にはそれで十分ではないか。いまでも退院してから一年とかそのぐらいたちますが、元気でやっておりますし、そういうふうにして、家族も含め、われわれも含め、その人たちと一緒に生きているという感情を持っております。  お答えに多分なっていないと思うのですが、考え方とかいうことではなかなか整理し切れないので、実例でお話をするしかないと思いまして。  それから安楽死の問題については、これも苦痛がかなりきつい場合の安楽死ということと、いわゆる存在している意味がないからというふうな意味での安楽死と、二種類に分かれていると思います。特に、いわゆるのたうち回って苦しい、こういう段階だからとにかく何とかしてくれという、意識を持ってそういうことを訴える場合の問題と、それからかなり意識がなくなりつつある、あるいはほとんどない状態で、しかも植物的な人間で、ただ生き長らえている段階での安楽死の問題というのにはかなりの大きな差があるように思います。  前者の場合については、はっきり言って、医療の対象としてやるべきことをやれば、相当の苦痛なり何なりはかなりやわらげることはいまの医療ではできますので、そこには何ら問題がない。つまり安楽死を認めるような一つの余地もないと思いますが、後の植物的な人間の場合の問題については、どこをどういうふうに考えるかによって、たとえば積極的な治療を行わなければすぐに寿命が縮まるという場合、その積極的な治療をしないということはイコール安楽死につながるということになるとすれば、これは毎日毎日われわれが日常の医療の中で当面しているジレンマであります。どこまでやったらいいのかということは必ずしも答えがないわけでありまして、たとえばカレンさんの場合についても、人工呼吸器をとめればもう死ぬというふうにみんな思って、それで大騒ぎしたわけでありますが、人工呼吸器を取り外してもその後もまだ何年も生きているというようなこともありまして、一般的な意味の安楽死の問題というのは、本当にどこで判断したらいいのかということはわからない。  われわれは医者として毎日の医療をやっていく上で、人間の命というのはわれわれが考えている以上に非常にむずかしい、予測しがたい内容を持っている、そういうことについてひとときも謙虚な気持ちを失ってはならないというふうに思いながら医療を進めているつもりですが、特にこういった場合についてわれわれの矛盾、悩みというのは非常に深いわけで、どこまでどういうふうにやるのかということは本当にケース・バイ・ケース、その家族あるいはその患者さんの体力、そういうものを総合しながら、本当に一人一人の医者の人生観なり世界観なり哲学なりが問われているようなことであります。  そういったことを何らかの形で明確にするような哲学なり考え方があろうかと思っていろいろ探してみても、実際はわれわれが毎日日常でやっているような個々のケースについてうまく説明できる、あるいは解決できるような、そういうものになかなかぶつからないということで、多分多くの、日本じゅうの医療関係者たちは毎日絶えずこういう症例にぶつかって悩んでいるんだろうと思います。  ただ、カレンさんの問題はわれわれにとって非常に反面教師でありますので、一人一人の心の中でそういったことを忘れないで、やはり生命の尊厳というものの不可思議さを十分に頭に置きながらやっていかなければいけない。それだけを考えております。

竹内黎一自由民主党

○竹内小委員長 これにて参考人に対する質疑は終わりました。  参考人各位には長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。本小委員会を代表し、厚く御礼を申し上げます。  なお、本日お手元に配付した資料は、先般各委員から御注文のあったうちの厚生省が準備できたものでございますが、本件に対する説明ないし質疑は次回以降に譲りたいと思います。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時三十五分散会

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