内閣委員会恩給等に関する小委員会 第2号
- 発言数
- 13 件
- 登壇者
- 7 名
- 会派数
- 1
- 開催日
- 1981/11/26
会議録
○愛野小委員長 これより会議を開きます。 恩給等に関する件について調査を進めます。 この際、本件について政府より説明を求めます。 本日は、説明者として島村総理府恩給局長、海老原内閣総理大臣官房管理室長、石川内閣官房内閣審議室長、池田外務省アジア局中国課長、沖運輸省鉄道監督局国有鉄道部財政課共済管理室長、廣瀬総理府人事局次長に出席をいただいております。 この際、本件について政府より説明を求めます。島村総理府恩給局長。
○島村政府委員 恩給局所管の事項につきましては三件ございまして、一件は、戦後のソ連の強制抑留につきまして、抑留加算をふやしてくれという件でございます。 それから二点は、中国で湘桂作戦というのがございまして、それについて戦地の加算を認めろ、こういう要望でございます。いま申しました湘桂作戦が八の番号でございます。 それから、その次に九の番号がございまして、九が上海の工部局の職員に対して恩給についてのことを考えろ、こういう三点でございます。 一番最初申し上げました戦後ソ連の抑留の加算の問題については、一でございます。 最初に、戦後のソ連の抑留者の加算の問題について御説明を申し上げたいと思いますが、ソ連の抑留者の実態についてまず御説明申し上げますと、ソ連に抑留されました総数約五十七万五千人、そのうち帰還した者四十七万三千人、死亡推定者が五万五千人、それから病弱等のためにソ連に参りました後にすぐ満州等に送り返された者、これが四万七千名、現在なおソ連に残留している者が九十二名でございまして、総数約五十七万五千名ということでございます。そして、この帰還した四十七万という方について見ますと、昭和二十一年までに帰還した者が約五千名、それから二十二年に帰還した者が二十万名、二十三年に十七万名、二十四年に八万名で、二十五年以降は非常に少数の帰還者ということでございます。 そこで、私ども恩給法の方で加算年について一体基本的にどう考えているかということでございますが、加算につきましては、基本的な考えといたしまして、一つは、地域に関する加算、それからもう一つは、職務に関する加算というこの二つの種類がございます。地域に関します加算については、これは不健康地あるいは辺陣地ということで、いままで戦争中につきましては三分の一カ月から三分の二カ月の加算を認めておるわけでございます。それからもう一つ、職務についての加算でございますけれども、これは戦闘地域における戦争行為というものに対する加算が一番多うございまして、大体三カ月というのが上限でございます。それから擾乱地につきまして二カ月、それから戦争が一段落した後で、要するに戦地外戦務というのですか、そういうところは大体一カ月、あるいは外国鎮戌というようなものが一カ月ということでございまして、大体一カ月から三カ月の加算が認められておるということでございます。 それで、ソ連の抑留加算につきましては、昭和四十年から一カ月の加算を認めておるのでございますが、この認めました根拠は、どちらかと言えば職務加算ではなくして地域加算であるというふうに私どもは考えておるのでございまして、辺陬の地にあって非常に不健康なところにおられたということから、いままで三分の二カ月まで認めておりましたものを、特に一カ月認めておるわけでございますが、ソ連の地域につきましては、職務が日本政府の公務ではないということ、それから二番目には、私どもといたしましても職務の内容がはっきり確定できないという問題がございます。したがって、職務ということで加算を加えるのではなくして、そういう地域的な加算を認めていきたい。そういたしますと、いわゆる辺陬地あるいは不健康地というものを基準にして考えまして、いままでの三分の二カ月が最高でございましたのを、さらにつけ加えて一カ月、そういうふうな措置をしておるということでございます。 それからもう一つ、仮にこの加算を一カ月からさらに二カ月、三カ月にふやしましても、問題は昭和二十一年、二十二年に帰った人が非常に多いわけでございます。これらの方につきましては、仮に加算をつけましても恩給年限に達しないという問題が出まして、それも非常に不公平な感じを免れないというのが私どもの感じでございます。 もう一つは、シベリアに抑留された方々が軍人だけではなくして、民間の方あるいは軍属の方も相当抑留されているというようなことで、私どもといたしましては、現在の抑留加算一カ月というものをさらにふやしていくということにつきましては、必ずしも適当ではないというふうに実は判断をいたしておるのでございます。 それから二番目に、中国の湘桂作戦の問題でございます。 中国の湘桂作戦と申しますのは、ちょっと遠くて図をごらんいただけないかもわかわませんが、この地域について、昭和十九年の六月ぐらいから暮れにかけまして作戦をやったものでございまして、その理由は、ここに桂林というところがございます、それからこの辺に柳州というところがございまして、ここにB17が昭和十九年ぐらいに配置されまして、これが台湾あるいは北九州を爆撃したという事実がございます。そこで、中国大陸から台湾及び本土に対してB17が爆撃するのを防ぐために、この飛行場を撃破しようということで、十九年の六月ぐらいから湘桂作戦というものが行動をされております。もっともその前に、十九年の四月ぐらいから京漢作戦というのがございまして、飛行場を撃破すると同時に、将来ここに北京から南寧に至ります縦貫鉄道をつくって、そして中国の経済と申しますか、そういうものを基本的に立て直していこうという基本的な構想が一つございまして、その上にさらに、その爆撃を防ぐ意味で、桂林とか柳州なんかの飛行場を撃破しようということで、実はこの作戦が始まったわけでございます。 それで、中国全土につきましては、大東亜戦争が始まりました前後から戦地加算として二カ月の加算が認められておるのでございます。それを、この湘桂作戦というのは米空軍の爆撃のもとに非常に熾烈な戦いをやったということで、中国における普通の作戦とは違うではないかということで、戦地加算として三カ月を認めてくれ、こういう要望でございます。 そういう状況でございますが、いま申しましたように、昭和十九年から一号作戦ということで、連続して京漢作戦、湘桂作戦、粤漢作戦というふうにいろいろございまして、その中の湘桂作戦だけを取り出して戦地加算を三カ月認めるわけにはいかないのではないかというふうに実はわれわれは考えておるわけでございます。また、京漢作戦、湘桂作戦というのは、一号作戦ということで一つの連続した作戦になっておるわけでございますが、それ以外にも中国においていろいろの作戦が行われております。確かに湘桂作戦というのは、その中でも規模において大きいわけでございますけれども、それ以外の戦闘がなかったとは必ずしも言えない。いろいろの作戦があったわけでございまして、私どもも、この湘桂作戦だけを取り上げて戦地加算を認めるということについてはどうであろうかというふうに実は考えております。 もう一つは、こういう戦闘行為がありましたときに、たとえば昭和十九年ですと、陸軍省が当恩給局に対しまして、この地については戦地加算を何ぼにしてくれ、こういう要望が実は毎回来ておるわけでございますが、この湘桂作戦におきましては、昭和十九年に陸軍省から恩給局に対してそういう申し入れがないのでございます。そういうことで、私どもも、陸軍省からそういう申し入れがなかったという事実は、陸軍省自体においても、それほどのものであるというふうには認めていなかったのではないかということと、私どもが後で調べたものにおきましても、湘桂作戦以外の作戦がいろいろあるということで、これを私どもも現段階において三カ月加算、戦務地の甲の加算を認めるのは適当ではないというふうに実は判断をいたしております。 それから三番目に、上海工部局の警察官に関する請願でございます。 この趣旨がちょっとよくわからないのでございますけれども、上海の共同租界というものがずっと戦前からございます。大正五年から日本の警察官が上海に参りまして、工部局警察官としていろいろその地域の治安に当たっておったわけでございますが、大東亜戦争前までは共同租界として日本とイギリスとアメリカの三国共同管理のもとに、この工部局警察というものが実は動いておったわけでございます。ところが昭和十六年十二月八日に大東亜戦争が勃発いたしますと同時に、この共同租界を全部日本軍に吸収をいたしました。しかし、その後新しい中国政府ができましたので、昭和十八年の八月一日にこの共同租界を中国政府、南京政府に返還をいたしておるのでございます。十六年の十二月八日から十八年の八月一日まで、この期間が実は問題でございまして、この期間はその当時の日本軍の管轄下にあった。要するに、工部局の警察官がその部分について恩給を積み立てておった、こういうことであります。これを何とか処理をしてくれ、こういう請願のようでございます。 この工部局の警察官につきましては、恩給局におきましてはすでに外国政府の通算を認めておりまして、日本の警察官から工部局の警察官になった人、あるいは工部局の警察官からさらに日本の公務員になった人というものにつきましては、実は恩給の通算を認めておるわけでございまして、この一年八カ月分だけについての恩給というのはございませんので、私どもとしては、その通算を認めておる限度において、恩給法としては必要な措置をとっておるのではないかというふうに考えておるわけでございまして、むしろ請願の趣旨は、後段の恩給の積立金になったものについての処理というものが中心ではないかというふうに考えられます。この件については、恩給局以外のこと、権限の外というふうに実は考えておるわけでございます。 大体三件簡単に御説明しますと、以上のとおりであります。
○愛野小委員長 次に、海老原内閣総理大臣官房管理室長。
○海老原政府委員 請願の二番の関係と七番の関係について御説明申し上げます。 請願の二番は、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律の一部改正に関する請願でございまして、その要旨は、戦後ソ連に抑留されて労働に従事して帰ってきた、この労苦に対する補償というものを引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律に盛り込んでいただきたいという趣旨のものでございます。 現在、ソ連引揚者、ソ連抑留者に対してのこの交付金は、本来外地に居住しておりまして、そのままソ連に抑留されたという方にはもちろん支給されておりますけれども、内地に居住の方がたまたま事情があってソ連に抑留されたという場合には支給されていない、そこを改正してくれという趣旨でございます。 これに対しまして、私、御説明することは、まず引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律の趣旨でございますけれども、この法律は、在外財産審議会の昭和四十一年十一月三十日の答申に基づいてつくられたものでございます。この答申におきまして、いろいろと当審議会で検討いたしましたけれども、結局、こういった国外に居住した方々は、当時の国策に沿って海外の第一線で働いて生活を営んでいたところを、日本国の降伏によって突如として住みなれた社会から遮断されて、生きること自体がきわめて危険なあるいは不安な状態の中に投げ出され、しかも居住すること自体が許されないで、いやおうなしに退去しなければならないというような事態になった、こういったことに着目いたしまして、居住すること自体によって長い間に培われた人間関係あるいは生活利益、誇り、安らぎなど、人間としての生活の最も基本となる支えまで根こそぎ失うに至った、答申の中にこう述べているわけでございます。 このような長い間培われてきた人間関係、生活利益など、人間としての生活の最も基本となる支えまで含めたあらゆる生活基盤を失った、こういった特殊な事情に着目いたしましてこの法律がつくられたものでございまして、これに該当するような方々に対しては、特別な政策措置として一定の特別交付金を支給しようというものでございます。したがいまして、抑留にかかる労苦に対する補償をこの法律を改正して実施するというのは、この法律の趣旨にかんがみまして、当を得ないものではないかと考えておるわけでございます。 それから第二点、請願の七の関係でございますけれども、これは台湾残置私有財産補償に関する請願でございます。 先ほど申しました在外財産問題に関する審議会の答申でございますけれども、答申の趣旨をかいつまんで申しますと、在外財産の喪失について国に法律的な補償の義務はないということをまず申しております。しかし、政策的な配慮に基づく特別措置として、この政策的な配慮というのは、先ほど二に関連してるる述べました引揚者の特殊事情でございます。こういったことに基づく特別措置といたしまして、引揚者に特別交付金を支給することによって在外財産問題に終止符を打つことが適切である、こういう答申になっております。 政府といたしましては、昭和四十二年にこの問題の最終的な解決を図る旨を閣議決定いたしまして、先ほどから申し上げております引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律をつくって措置してまいったところでございます。 なお、この答申の中で申しております在外財産の喪失について国に法律上の補償義務はないというこの見解は、最高裁判所の判例でも支持されているところでございます。最高裁判所の判例で四十三年の十一月二十七日のものがございますけれども、その要旨を申し上げますと、わが国は、敗戦に伴ってポツダム宣言を受諾し、GHQの支配のもとに置かれた。平和条約の締結によって、この状態から脱却して、主権の回復を図るということになったのであるけれども、この条約は、当時まだGHQの完全な支配下にあって、わが国の主権が回復されるかどうかがまさに同条約の成否にかかっていたという特殊異例の状態のもとに締結されたものであって、この条約の内容についても、日本国政府は連合国政府と実質的に対等の立場で自由に折衝したとか、そういったことではない。連合国政府の要求をむげに拒否することができるような立場にはなかったということでありまして、こういった敗戦国の立場上、平和条約の締結に当たって、やむを得ない場合には憲法の枠外で問題の解決を図ることも避けがたいところであった。その結果として、平和条約については、外務省から後ほど別の請願に関連して御説明があると思いますけれども、そういった平和条約の結果といたしまして、在外資産の喪失による損害ということが出てきたわけでございまして、これは敗戦という事実に基づいて生じた一種の戦争損害とみるほかはない。 それで、結論といたしまして、戦争中から戦後占領時代にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては、国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命、身体、財産の犠牲を耐え忍ぶべく余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり、やむを得ない犠牲なのであって、その補償のごときは、さきに説示したように、憲法二十九条三項の全く予想しないところで、同条項の適用の余地のない問題と言わなければならないという結論を最高裁判決では述べているわけでございます。 在外財産問題審議会の答申でも、同じような検討をいたしました結果、在外財産の喪失について国に法律的な補償義務はないということを申し述べているわけでございます。 では、法律的な補償義務はないけれども、政策的に在外財産の喪失について何らか見るべきではないかということもあわせて検討しているわけでございますが、在外財産の損害といいましても、その態様は、戦闘行為による損害とか、軍票の無効化その他敗戦により経済的価値そのものが消滅したことによる損害とか、そういったように、終戦前にあるいは終戦そのものにおいてすでになくなってしまっているという損害が一方にあります。また他方においては、財産としての実体がなお存しておって、それぞれの国あるいはその国民がそれに対して手を下して処分した財産があるというように、二種類あるわけでございますけれども、外国あるいは外国の国民が日本国民の財産から利益を上げ得たといたしましても、それが直ちに、国の負担において財産のもとの権利者である国民に何らかの措置を講ずべきであるという議論には結びつかないのではないか。その財産に対する処分がなかったとすれば、一体現在のわが国の国内事情や対外関係がどう変わっていたかということについて具体的な決め手はないということを申し述べまして、戦争とか敗戦とかいう異常な事態のもとで、国民各層が多かれ少なかれ各種の犠牲を強いられなければならなかったという現実、こういったことを考えますと、何らかの意味で、今日のわが国の再建、平和に役立ったということが言われ得るのは、在外財産だけでなく、そういった各種の犠牲についてもまた同様であるとの考え方があるからではないかということで、では、在外財産を喪失して引き揚げた方々の特異性というのはどこにあるか。そこで、先ほど二番の請願に関連して申し述べましたような、非常にお気の毒な事情が人間としての側面にあるのではないか、人的側面にあるのではないか、そういうことに着目して、特別交付金を支給しようということが審議会の答申の趣旨になったわけでございまして、それを受けて、政府といたしましては、四十二年に措置済みでございます。 私からの説明は以上でございます。
○愛野小委員長 次に、石川内閣官房内閣審議室長。
○石川(周)政府委員 ソ連抑留中の労働についての補償あるいは慰謝料を求めるという要望がいろいろ出されております。この問題について御説明申し上げます。 戦後ソ連には、いままで御説明がございましたように、約五十七万五千名の方々が抑留されたところでございまして、抑留された方々の御労苦ははかり知れないものがあったと存じております。政府といたしましては、ソ連に抑留された方々につきましては、抑留に起因して死亡した方や負傷した方について恩給法や戦傷病者戦没者遺族等援護法などによる援護等を行っており、またお話のございましたように、恩給法において抑留加算を措置するなどできる限りの措置が講じられてまいったところでございます。しかしながら、このソ連抑留中の労働についての補償あるいは慰謝料を求めるという御要望の問題につきましてはいろいろ問題がございます。 さきの大戦に関しまして、戦中から戦後にかけてすべての国民が、程度の差こそあれ、生命、身体、財産上の犠牲を余儀なくされたところでございまして、そのすべてを償うことは不可能でございます。政府といたしましては、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法、戦傷病者特別援護法、引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律等によりまして、特に一般の国民とは違って特別の措置を要する者について必要な援護等の措置を講じているところであります。これらの一連の措置をもって戦後処理に関する国の措置は終了したものと考えております。 このことは、これまで国会からお示しのあった本件に関する質問主意書が何回かございましたけれども、これに対しまして、閣議を経ましてお答えを申し上げているところであります。したがいまして、ソ連強制抑留者に関しまして新たな措置を講ずることは考えておらないところでございます。
○愛野小委員長 次に、池田外務省アジア局中国課長。
○池田説明員 請願のうち該当する部分は二点ございます。請願の六と七でございまして、前者は、中国大陸におきます日本国民の持っておりました在外財産の補償問題ということでございます。そして後者は、台湾に残してきた日本人の財産の補償問題ということでございます。 すでに総理府等からも若干の説明がございましたので、外務省の観点から二、三補足させていただきたいと思います。 前者の、中国大陸におきます補償問題につきましては、サンフランシスコ平和条約第十四条の規定がございます。この十四条(a)の2の規定によりますと、各連合国はその管轄のもとにあるものを差し押さえ、留置し、清算することができるということを規定いたしておりまして、そういう意味におきまして、このサンフランシスコ平和条約の規定というものが非常に明確に、この中国大陸におきます日本人の財産の法的な問題についての規定を行っているわけでございます。そうしてこのサンフランシスコ平和条約には、中国は未加盟国でございましたけれども、その第二十一条によりますと、中国はその利益を受ける権利を有しているという規定がございます。したがいまして、わが国といたしましては、中国がこの第十四条の規定に従いまして日本国民の財産に関してすでにとった措置につきましては、異議を唱え得る立場にはないわけでございます。そういう意味から申しましても、法的に見まして、中国大陸との間における残置財産の補償問題はすでに終了したというように解することができるわけでございます。 それから、後者の台湾におきます日本国民の残置財産の問題でございますけれども、これにつきましては、サンフランシスコ平和条約の第四条(a)項の規定がございますけれども、この規定によりますと、朝鮮とか南樺太等の他の分離地域の場合と同様に、わが国と台湾の施政当局との間で将来特別取り決めによって法的な補償問題は処理されるべきであるという規定がございます。ただ、その後、日本と中国との間では、御案内のように一九七二年の九月に国交正常化ができまして、台湾との間では外交関係がないわけでございまして、そういう意味から申しまして、この特別取り決めを台湾の施政当局との間で締結するあるいはその話し合いを行うということは、現実には不可能なわけでございます。そういう意味で、折に触れまして、交流協会等を通じまして非公式に台湾側の意向を打診はいたしておりますけれども、現実の問題といたしましては、外交関係がないために、この問題についての話し合いを行うことはできないという状況になっております。 以上でございます。
○愛野小委員長 次に、沖運輸省鉄道監督局共済管理室長。
○沖説明員 十番目の外地派遣旧軍属の処遇改善に関する問題という点について御説明を申し上げます。 この問題は、昭和十六年当時国鉄職員としての身分、これは雇員という身分でございましたが、その身分を保有いたしましたまま旧陸海軍の部隊に配属されまして、南方諸地域でシンガポール作戦あるいは泰緬鉄道の建設等に従事したという方方からの処遇改善に関する要望についてのものでございます。 その具体的内容は、書いてございますように、旧軍人や任官者には外地戦時加算の取り扱いがなされているにもかかわらず、同じ職務に従事した雇員以下の者には、そのような加算の措置がなされていないというのは、きわめて不合理だという、ふうな観点から、第一番目に、これら雇員等の外地派遣期間について、旧軍人と同様の加算年に相当する処遇が得られるよう関係の法律を整備すること。第二番目には、関係法律の整備が著しく困難な場合は、旧日赤救護看護婦と同様の慰労金を給付する等、外地派遣期間に対して何らかの救済措置を講じてほしいというものでございます。 そこで、現在、この加算年の取り扱いが制度上どのようになっているかという点について御説明申し上げますと、お説のように、現行の公企体共済制度におきましては、いわゆる恩給公務員の期間というものにつきましては認められておるわけでございますが、雇員の期間については認められていないというふうになっておるのでございます。これは現在の公企体共済制度が恩給と旧共済組合の制度とを統合してつくられたものでございまして、これら両制度に基づく期待権を尊重するというような観点から、現在のような形になっておるところでございます。 したがいまして、雇員等の期間につきまして、加算年の制度を設けますことは、共済制度の根本に触れることになるほか、その社会保険的な性格や他制度との均衡というような面からも問題があるのではないかというふうに思っておるわけでございます。したがいまして、御要望のように措置することは適当ではないというふうに考えておるところでございます。 しかし、この問題につきましては、すでに昭和四十一年ごろにおきましても論議がございまして、その際、関係者間で種々の検討、協議がなされたわけでございます。その結果、昭和四十二年三月十日付の、これは国鉄の部内の通達でございますが、この部内通達をもちまして、昭和四十二年三月三十一日現在の在職者を対象といたしまして、その者が退職するときに、国鉄の給料表でございますが、二号俸または一号俸の昇給を行うという内部措置が講じられることになっておりまして、現在、この昇給措置によりまして増額されました退職年金、そのようなものが支給されている状況でございます。 したがいまして、第二番目の何らかの救済措置を講ずべしという点につきましても、すでに所定の改善措置がなされているというふうに考えておりまして、今後特段の措置を講ずることは考えておりません。 なお、旧日赤救護看護婦に対する慰労金の例が引かれておりますので、この点について若干触れさせていただきますと、私どもが聞いておりますところでは、この旧日赤救護看護婦の場合は、共済制度等による退職年金等の給付の算定期間となっていない戦地勤務期間が対象になっておるというふうに聞いておりまして、本件のように、年金給付の算定期間の対象とされている戦地勤務期間に対する割り増しを要望しているものとは基本的に異なっているのではないか、かように考えている次第でございます。 以上でございます。
○愛野小委員長 次に、廣瀬総理府人事局次長。
○廣瀬政府委員 旧国際電気通信株式会社の社員期間通算に関します問題につきまして御説明をさせていただきます。第十一番目、最後のものでございます。 本件は、旧国際電気通信株式会社の社員期間のある者につきまして、現在すでに現行退職手当法体系におきましては、国際電通は国の機関ではございませんが、その国際電通が国に引き継がれた二十二年五月二十五日に在職し、引き続き国家公務員になった者につきましては、その通算を政令でもって手当てしてまいってきております。今回のこの問題の要旨は、国際電通の社員で会社業務が引き継がれました、先ほど申し上げました二十二年五月二十五日の前、終戦から二十二年五月二十五日の間におきまして公務員となった者につきまして、同じく通算の措置を講ぜられたいということでございます。すでに恩給期間の通算の問題につきましては、五十五年十月から通算の特例措置が講ぜられておる。したがって、退職手当についても同様、期間の通算を認めることとされたいというものでございます。 これにつきましては、検討をいたしてみますと、まず基本的に退職手当と恩給の問題で違っておりますのは、退職手当の通算に必要な要件といたしまして、勤続期間が引き続くことが支給要件として必要でございます。勤続期間が切れた場合には、国際電気通信株式会社で退職とみなされて退職手当を支給することとされておるはずでございますし、そういった勤続期間の中断のある者を通算することは、まず困難であろうかと思われるわけでございます。 請願者二十四名のすべてにつきまして前歴を調べさせていただきましたが、その中でこういった公務員でずっと勤務を引き続いてまいってきておられます方は三名でございます。その三名の方々もすでに四十年、四十六年、五十四年においてそれぞれ退職済みの方々でございます。 次に、退職手当につきまして、過去に遡及をしてこういった手当てを行うかどうかという問題でございますが、これにつきましては、請願の中にも出ておりますが、政令でもって手当てするということになっておりますので、その遡及にはおのずから困難な点があるということを御理解をちょうだいいたしたいと思います。 しかも、二十二年五月から引き続き公務員として在職しております方々は、五十七年四月にはすべて三十五年の勤務をやられることになります。そういたしますと、退職手当は、現行法におきましては三十五年で頭打ちということになっておるわけでございます。 そういった実態にかんがみますと、本件につきまして、通算措置を講ずる実益はほとんどないというふうに考えられるわけでございます。 以上で御説明を終わらせていただきます。
○愛野小委員長 これにて政府からの説明は終わりました。 本日は、これにて散会いたします。 午前十一時四十分散会