文教委員会 第14号
- 発言数
- 161 件
- 登壇者
- 17 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1981/05/08
会議録
○三ツ林委員長 これより会議を開きます。 森喜朗君外四名提出、私立学校法及び国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山原健二郎君。
○山原委員 今日、大学問題は、さまざまな課題を抱えておると思います。一つは、受験地獄の問題があるわけでして、その原因をいろいろ考えてみますと、とにかく国民の大学教育を受ける権利または希望に対して、これに対応するだけの政府の政策といいますか、そこにも大きな欠陥があると思うのです。 たとえば大学の整備等につきまして、総合的、計画的にやっていくとか、あるいは大学の設置あるいは既設の大学の充実、特に学部・学科の増設あるいは整備、そういったことがうまくできていない。ことに地方大学の充実が立ちおくれておりまして、地方大学においては、きわめて少ない学部・学科でやられておるというような状態も続いております。 そういう中で、結局、大学教育が大きな部分を私学に依存をせざるを得ないという状態、しかも、その私学に対する助成の問題につきましても、伸び率は決して順調な伸びではなくて、特に最近は、財政問題を契機にして補助金の打ち切りその他が出てくるというようなことから、いわゆる受験地獄というのはますます深刻化しておる、こういう状態にあるわけです。 その辺を本当にお互いに話し合って、今後における大学の発展計画、そういうことを論じ合うということが私は非常に必要であると思うのです。 そういうことが、この委員会においても十分論議をされていない段階で、今回、私学に対しては新増設、生徒増の抑制、学部・学科の新設は、特別に必要と認めるものを除いてはやらないということを五年間やってきたわけですが、その上にさらに三年間、合計すれば八年間抑制をする。それから、それだけでなくて、今度は国立大学についても三年間にわたって抑制をする、こういう法律が出てきたわけですね。だから、それが問題の解決になるかどうかということを考えてみる必要があると思うのです。 そういう意味で、最初に文部省に伺いたいわけでございますが、まず第一番目に受験地獄の解消の問題について、総理府の統計を見ますと、十八歳人口の増加をどういうふうに文部省はつかんでおるかわかりませんが、その点をお伺いするわけですが、六十年の場合はひのえうま問題がありまして、そのほかは六十七年まで十八歳人口はふえ続けていくわけです。ことし五十六年が百六十一万人、六十七年になりますと二百六万人になる、こういう計数が出ております。 そこで、進学率をどう見込むかということが問題になるわけでございますけれども、現在の進学率三七・数%を維持する、あるいはこれをさらに伸ばしていくということを考えますと、大学は一体どれだけつくらなければならないのかということが当然論議される必要があると思います。現在、入学できない学生数が二十五万七千人となっておりますから、五十八年は三十二万一千名という数字が出てまいります。これは単純計算ですから、これだけで見てもいけないと思いますけれども、いまの進学率でいくと、いまよりも七万人多くあぶれが出てくるということになってまいります。 そういう入試地獄、この問題をどう解決していくかということについて文部省はどういうふうな判断をされておるか。この抑制、制限法が成立をした場合に、このことをどう解決をしていこうとされておるか、その点について最初に文部省の方にお伺いをしておきます。
○宮地政府委員 御指摘のような十八歳人口の動向というのは、ただいまのところ、大体百五十万人台で推移をしておるわけでございますが、今後増加をいたしまして、六十六年、七年のころがピークになりまして、二百万人台を超えるというような状況にございます。 文部省の高等教育の計画的整備ということにつきましては、五十一年以来、前期の計画期間ということで対応し、五十六年以降、後期の計画ということで五十六年から六十一年度までにつきましては、基本的な姿勢といたしましては、量的な拡大は抑制をしながら質的充実を図るということで、高等教育の弾力化でございますとかいろいろな施策を進めるというのを基本的な考え方にいたしておるわけでございます。 御指摘の受験戦争の激化といいますか、そういうことについてどう考えているのかというお尋ねでございますけれども、それぞれ能力、適性に応じまして教育の機会を保障するということで、ただいま申しましたような十八歳人口の動向でございますとか進学の希望等に対応してどう考えていくのかという問題でございますが、一つには、受験戦争と言われておりますものの激化というのが、量的な規模だけから出てくるというよりも、むしろ志望者が特定大学に集中するというようなことによる面が大きいのではないかと考えられるわけでございます。 そういう点では、大学の学生定員の適切な数を確保するということももとよりでございますけれども、同時に、学歴偏重の社会的風潮を是正しますとか、あるいはそれぞれの大学が特色を持った整備充実を図っていくというようなことで、それぞれの大学が特色を持ちながら発展をしていくというようなことから、全体的にはいわば特定の有名大学に志願者が集中するということから出てくる受験競争、そういうような面が是正されていくことが大事ではないか、かように考えております。もちろん後期の計画におきましても、そういう十八歳人口に対応する非常に抑制した形での規模の拡大ということも、ある程度目途としては持っておるわけでございまして、そういう全体的な事柄を勘案いたしながら、御指摘のようないわゆる受験戦争というようなものについて是正されていく方向に努力をしてまいる必要がある、かように考えております。
○山原委員 抑制法と呼ぶのか制限法と呼びますのか、いろいろ使い方はあると思いますが、この法律が成立をした場合、いわゆる自民党の議員立法が成立をした場合の関係、そのことを聞いているわけで、たとえば、いまおっしゃった学歴社会をなくするとか、あるいは特定の大学に受験生が集中しないようにするとかいうことにつきましては、これはたとえば学校教育法の五十二条によって、大学は学問、学術の中心というこの法律で決められた大学の任務があるわけですから、その任務に基づいて既設の大学に対する充実、先ほど言いましたように、特に地方大学等における学部・学科の増設、充実等によって解決をされていかなければならない、それほどほかに方法はないと思うんですね。 そういう点から見まして、先ほど申し上げました十八歳人口と進学率との関係から見ますと、むしろこの法律は逆の作用をする。そうではなくて、五十二条に決められた学術の中心としての大学の充実をしていく、学部・学科の必要なものは増設をしていくという立場でなければ、この受験問題の解消にはならぬと思いますから、その意味で、この法律はむしろ逆の作用をするのではないか。いままでの文部省の考え方から言いましても、抑制的意味は持っているかもしれません、しかし、後期大学計画を文部省は立ててこられたわけですから、その点から見ても、むしろ逆の作用をするのではないかということを私は申し上げているのですが、その点はどうなんですか。
○宮地政府委員 先ほども申し上げましたように、後期の計画の期間、これは五十六年度から六十一年度までの間を高等教育の計画的整備では考えておるわけでございますけれども、基本的には、従来、前期の計画の際に申しておりましたように、量的拡充よりは質的水準の向上に重点を置いた施策を進めてきておるわけでございます。もちろん、その間におきましても、たとえば放送大学の創設を図りますとかあるいは専修学校の拡充等、多様な高等教育機関の整備をあわせて促進するということでも対応をしてきておるわけでございます。 先ほどお答えいたしましたように、後期計画についても、なお計画の途中におきまして随時見直しということも必要になるかと考えられるわけでございますけれども、五十六年度から六十一年度間におきましても、ただいま私どもとして考えております計画の見込みでも、後期の間に国公・私立を合わせまして、見込みといたしましては、上限の見込みでございますが、三万四千人程度の定員増ということを考えて後期の計画というものは対応いたしておるわけでございます。もちろん、この法案が成立をいたしますれば、それらの計画について、さらに慎重に特別の必要性というものについてそれぞれ審議会の御判断を仰ぐということになるわけでございますけれども、私ども従来から持ち合わせております計画にいたしましても、基本的な路線といたしましては、質的な向上を図り、量的には拡大を抑制しながら、しかし、その中で必要なものは考えていくという対応をしてまいってきておるわけでございまして、より一層慎重に対応することは必要であろうかと思いますけれども、基本的な考え方としては変わることはない、かように考えております。
○山原委員 基本的な考え方は変わることはないとおっしゃっても、この法律そのものが、いままでは私学を五年間やって三年間延長する、それから国立大学を入れる、大学院まで入れるというわけですから、それは提案者の提案をした趣旨とそれから文部省が余り変わりはないのだと言うこととは食い違いがあるのじゃないかと思います。その点ははっきりさせておかないと、いや、こんな法律ができたって、少しは慎重にやることになるのだけれども、いままでの文部省の考えてきておったこととはそう大した違いはないのだ、こういう受け取り方でよろしいのかということになってくるわけですね。そこらはどうなんですか。文部省の見解がそれであればそれでよろしいのですが、提案者はそれで納得するかどうか私にはわかりませんけれども、提案者の方はどんなお考えですか。
○西岡議員 お答えをいたします。 先ほど山原委員御指摘のございましたように、わが国の高等教育については、高等教育のあり方と同時に、少なくとも私どもが今回の法改正を提案いたしました趣旨は、それぞれの学問分野について地方の大学を充実しなければいけないということに一つの主眼を置いているわけでございます。その場合に、御指摘の今回特に国立大学もその対象に加えたということにつきましては、高等教育についての将来のあり方、大学地図というようなものを想定いたします場合には、国立・私立を通じた大学全体を対象とした大学政策というものが当然あってしかるべきである、このように考えているわけでございます。 そこで、これまで五年間抑制の措置をとってまいりましたのも、先般の委員会で嶋崎委員、また有島委員の御質問にお答えをいたしましたように、抑制をするということが必ずしも主たる目的ではなくて、少なくともその間に高等教育の基本的なあり方、また国公・私立のそれぞれの役割り、これからの分担というようなものについて明確な考え方をこの際確立すべきではないだろうか、そして山原委員御指摘の地方の大学を充実していくということについては、どういう地域にどういう学問の分野が不足しているかということについて、少なくとも誘導措置をとれるような下敷きになる計画というものが確立されていなければならないのではないだろうかという発想のもとに五年間の抑制ということを考えたわけでございますが、率直に申しまして、まだ十分な計画がいまのところ立案されていないという認識に基づいているわけでございます。 ただいま委員の皆様方のお手元に二つの資料を差し上げたわけでございますが、これは自民党の文教といたしまして独自に作成をいたしました資料でございます。これが山原委員のお手元に多分あると思います大学設置審議会の大学設置計画分科会が五十四年十二月十四日に出しておられます「高等教育の計画的整備について」と若干異なっておりますのは、ブロックの分け方について若干の手直しをいたしております。この表を詳しく御説明いたしますのは、また別の質疑応答の中でさせていただきたいと思いますけれども、明らかにそれぞれの学問分野が偏在をしておりますし、また高等教育機関の入学定員の規模というものについても地域的な偏在が存在をしている、こうしたことを是正していくためにはどういう方向でこれからの高等教育を整備していくかというかなり細かい計画がまず打ち立てられなければならないのではないだろうか、それをこの際、この三年以内に立案をすべきではないかということが、今回のこの法案を提案いたしました主たる趣旨であるということを御理解いただきたいと思います。
○山原委員 いまいただいたこの資料ですね、これはまた見せていただきまして、これからの日本の大学、公・私立を含めてどうするかという問題については当然論議をしなければならぬことですね、ですから、その点はそれで結構だと思います。 西岡さんのお考えについては後でお尋ねをしたいと思っておりますが、その前に、このことをちょっとおきまして、文部省との関係でもうちょっと文部省に質問してから、後で御質問したいと思います。 先ほど宮地大学局長のお話で、各種学校あるいは放送大学が出てくるわけですね、それから量だけでなくて、やっぱり質の問題だという言葉も出てくるわけですが、たとえば放送大学というのは、御承知のようにそれなりの目的があるわけです。まだ、これは国会で成立をしておりません。現在、参議院で審議の最中でございますが、放送大学の目的というのは、生涯教育の問題あるいは社会人あるいは家庭婦人に対して開かれた大学という任務、そして教養を高めていくというそういう目的を放送大学は持っておるわけでして、これが大学の質を高めるものかというと、質が低いとかいうような意味ではありませんけれども、やっぱり目的が違うんですね。それは五十二条で言う学問、学術の中心という大学の観念からしますとちょっとずれておる。各種学校にしてもそうだと思うのです。質的に高めていくというならば、これらを例として持ってくることは、ちょっと不十分な理論構成ではないかと思います。 それからもう一つは、放送大学が現在仮につくられるとしても、それは東京タワーを中心とした一部の地域にしかすぎないわけでして、むしろ、いま西岡さんから出されましたこの資料を見ましても、学問、学術に対する要求の最も高い、しかも、そういうものの不足しておる地域における放送大学というののいつできるかわからないというようなものを、この法案と関連して持ってくるということは非常識だと私は思います。各種学校にしてもそうなんですが、そうすれば放送大学の持つ目的も変わってくるということすら感ぜざるを得ないわけですね。 それからもう一つは、共通一次テストという問題をわれわれはお互いに考えてきまして、長い間論議をして、これが行われて、すでに三年目を迎えるはずでございますが、この共通一次テストというものは、高等学校における教科をきちんと学生諸君が勉強しておるかどうか、あるいはどの程度まで到達をしておるかということをテストし、難問奇問をなくして入試地獄を解消する一環として、これは政府の提出によって出てきたものなんですね。 ところが、私がどうしてもまだ納得しないのは、先ほど言いました十八歳人口、まさに大学を受ける人口がこれから急増しようとするときに、私学も国立学校も学部・学科の増設はしないんだよ、抑制するんだよということが果たして適切なことなのかどうか。いま西岡さんから、それだけではなくて、この間に大学のあり方についての基本的な問題あるいは大学地図の問題などが出てきましたから、それはそれで後で質問をいたしますけれども、現在、入試地獄の解消を願っている親たち、あるいは教師たち、学生たちのことを考えますと、これは何と考えても、いまからピークに向かって——六十年はひのえうまで特別としましても、十八歳人口がぐっと伸びようとするときです。まさに、その期間に三年間にわたってストップをするということは、国民的感情から言っても納得できないと思うのです。 しかも、それがぴたっと急増するときに入るわけでしょう、三年が経過してあわてて大学を、学部・学科の増設をしようとしても、それはなかなか簡単にいくわけじゃありませんし、そういうことを考えますと、これはまず第一番に社会的に重大な問題だ、それを含んでおる、それを覚悟してあえて自民党が提出をしてきた、その裏には何かあるということを考えざるを得ないわけですが、それは後に回しまして、文部省として、この法律が通ったときに、この国民の要望、希望に対してこたえることができるのか、社会的不安を解消することができるのかという点については明確な態度をとっておかなければならぬと思います。あいまいな態度ではなくて、これをどうするのか。 しかも、進学率だってもう固定したものではないわけですから、ますます進学希望者がふえるかもしれません、それはわかりませんけれども。その点について対応できるだけの体制と考え方を、文部省は確固たるものを持っておく必要があると思いますが、この点について伺っておきます。
○宮地政府委員 この法案の提案のねらいと申しますか、それについては先ほど提案者の方から御説明があったとおりであろうかと思います。 そこで、私、先ほど申し上げましたのは、量的な拡大は基本的に抑制をしながら質的な向上を図っていくという考え方は、前期の計画、後期の計画いずれにつきましても、そういう対応をしてきておるわけでございまして、もちろん十八歳人口の動向ということも念頭に置いて私ども後期の計画というものを策定しているわけでございます。 多少、先ほどの答弁であるいは言葉不足であった点について補わさしていただきますと、後期の計画でも申しておりますように、高等教育の多様化を図っていく、高等教育に対する国民全体の要求と申しますか、そういうものが非常に多様化してきているのではないか、そういう意味で、たとえば専修学校というようなものについて見ましても、近年、専修学校への進学率はこのところ、たとえば五十一年度の二・八%から五十五年度八・八%というような数字になって非常に高まってきておる。これは御指摘のように大学教育の質的な充実といいますか、そちらの面というよりも、むしろ高等教育に対する国民の要望というものが、単に大学志向ということだけではなくて、非常に多様化してきているのではないか、そういうあらわれではないかと考えております。 そしてまた、もちろんまだ国会で御審議をいただいている段階でございますけれども、御提案を申し上げております放送大学等にいたしましても、そういう多様化した国民の要望を受けとめる一つの形として新しいものを御提案申し上げておるという意味で御説明をしたわけでございまして、そのことと即質的な充実ということと私、結びつけて説明したつもりではないつもりでございます。 そういう考え方で後期の計画というものを考えておるわけでございまして、もちろん国民全体の今後の高等教育、これは大学に限らず、高等教育レベルと申しますか、そういうものに対する国民全体の要望を受けとめてどう対応していくか、大変基本的に大事な点だと思いますし、私ども従来から計画的整備で対応をしてきておるわけでございます。 六十二年以降の問題については、御指摘のような今後の進学率がどういう動向になるか、そういうようなことも踏まえながら、私どもも、六十二年以降の問題について早急に取り組まなければならない時期に来ておると、かように心得ております。 なお、先ほど御提案者の方からお話もございましたように、その際、国公・私立の大学のあり方、たとえば地域配置の問題でございますとか専門分野別の規模の問題とか、そういうことをもちろん念頭に置いて考えていかなければならない課題であると、かようには考えております。 従来作成しております高等教育の計画的整備を、今後の六十二年以降の計画においてどう考えていくか、その際に御提案になっております趣旨等も踏まえまして私どもも対応をしていかなければならない課題だ、かように考えております。 もちろん入試地獄の解消といいますか、そう言われておりますものの解消については、共通一次を初めとして取り組んできてもおるわけでございますが、そういうものについても、社会全体の要求というものをよく見きわめまして施策の上で十分な対応は考えていかなければならないと考えております。 したがって、この法案によって抑制が図られて、それが、すなわち直ちにむしろ入試地獄に拍車をかけるものではないかというような御指摘でございますけれども、私どもとしては、必ずしもそうは受けとめていないわけでございまして、そういう全体的な施策について十分配慮をしながら今後の計画的な整備について取り組まなければならないと、かように心得ているわけでございます。
○山原委員 私の方は、十八歳人口と進学率の単純計算でやって質問をしておりますから、多様化の問題その他出されてきますと、これは文部省だってわからぬところもあると思いますね。しかし、この法律案そのものが国民に与える影響というのは、相当な社会問題を呼び起こすであろうと私は思っているわけです。また、この法律が成立した暁に——実際私学につきましては五年間やってみたわけでしょう、今度国立を入れましたけれども。私学の場合だって量より質だということで同じような説明が五年前になされまして、そして私学助成法が成立をしたわけです。 あのときは、調べてみますと、この委員会では六時間程度しか審議しておりません。実際にその朝提案がされて、その夕刻に採決される、夜の十一時ごろでしたか採決されるという、いわゆる強行採決とまで呼べるのかどうかわかりませんけれども、本当に審議しないで、そのときの説明もいまおっしゃったとおりなんですよ。 ところが、五年間経過してみると、じゃ質はどうなのか、確かに施設整備には私学助成が行われて、この間説明がありましたように多少は変わってはおると思います。しかし、学部・学科が要求に基づいて新増設をされるということが質の向上に一番大事なものだと思っていますが、その点では抑制されたことは間違いありませんし、それから同時に、私学の学費はどんどん上がっていくわけですね。 現在どうかというと、あっさり言えば、貧乏人は大学へ行けない状態にまで来たわけです。だから質、量の問題から言いましても、じゃ質が上がったかというと、そうでもなくて、貧しい家庭の者はもう進学できない。だから、多様化の方向に進まざるを得ないということも出てきたわけですね。 むしろ最近出ておる医科・歯科系の裏口入学の問題なんかを見ますと、金がある者は行ける。質の問題よりもそういうところまでこの五年間にかなり急速にいびつな形になってきたということの反省は、一体だれがしておるのか、どういうふうに反省しておるのか、これは私、提案者と文部省の方に聞いておきたいのです。
○西岡議員 お答えをいたします。 山原委員御指摘のように、この五年間に、五年前に法案を提案いたしましたときの趣旨が十二分にその目的を達成されていないということは率直に認めざるを得ないと思います。しかし、この間すでに御承知のように、私学のいわゆる水増し入学と言われておりますものが相当改善をされてきている。ひどい学校になりますと、入学定員の数倍というような極端な学校もあったわけでございますけれども、平均で大体一・七八から九倍、これが一・四二倍というところまで、まだ十分でございませんけれども改善されてきたという面で、私学助成というものが一つの役割りを果たしてきたということは言えるのではないかと思います。 もう一つ御指摘の医師の養成の問題につきましては、これは率直に申し上げまして、若干対応がおくれたわけでございますけれども、遅まきながら、大変お金のかかる医師の養成という問題については、国立大学が責任を持って養成に当たるべきであるという考え方に基づいて、すでに御承知のように国立の医科大学の整備を進めてきているわけでございまして、そういう意味での対応は今日まで行ってきている、このように御理解をいただきたいと思うわけでございます。
○山原委員 文部省の方に、現在予算措置をしている乳酪直計画がありますね、資料もいただいておりますが、たくさんあります。これは、この法案が通った場合にどういうふうになるかということを伺っておきます。 たとえば福島大学、群馬大学、山梨大学、鳥取大学等の人文社会系学部の構想とか、三重大学の問題、筑波大学の障害者短大、金沢、千葉等たくさんあるわけですが、これらはどうなるのですか。
○宮地政府委員 御指摘の国立の大学の学部の増設の問題については、各地からいろいろと御要望もいただいているわけでございますが、先ほど来御説明を申し上げております高等教育の計画的整備という観点から、地域の収容力格差でございますとか、専門分野構成というものを勘案して、地方における国立大学を中心にした整備充実を図るという考え方で、また特に国立大学の学部の構成というものが理工系に比較的傾いておりますので、特に人文系分野の拡充にも配慮をして、私どもといたしましては、現在の行財政事情というものも十分勘案しながら従来とも検討をしてまいってきておるわけでございます。 そういう考え方で、各大学の検討状況というものを十分踏まえながら、必要なものについては、それぞれ準備経費あるいは調査経費というものを措置して今日まできておるわけでございます。 御指摘のように創設準備経費等を措置しているものは、身体障害者高等教育機関でございますとか、あるいは医療技術短期大学部については長崎でございますとか、三重大学人文学部等があるわけでございます。 こういう目下創設準備等を行っているものについては、私ども現在の大変厳しい行財政事情をも十分考えながら、文部省としては必要があると判断をいたしまして準備、調査を進めてきたわけでございます。 今後の取り扱いについてのお尋ねでございますが、この御提案の法案の趣旨も十分踏まえながら、具体的には大学設置審議会の意見も聞いて慎重に対処してまいることが必要であろうかと思っております。しかしながら、すでに準備なり調査に着手しているものについては、ただいま御説明を申しましたような大学の収容力の地域間の格差でございますとか専門分野構成とか、そういう諸般の判断を十分加え、かつ現在の非常に厳しい状況下において、私どもとしては、必要なものと判断をして進めてまいっておるわけでございまして、今後、設置審議会の意見を聞いて進めていく必要があるわけでございますけれども、基本的には、そういう諸手続を経て、さらに慎重に対処していく、こういうことになろうかと思います。
○山原委員 いまのお話では、創設準備のものについては必要と認めてやってきて、現在予算措置もしているわけですね。 これはもう少し詰めたいわけですが、現在、設置計画のある大学の計画等につきましては、これは資料を提出していただきたいと思います。よろしいですか。——では次に、現在、各大学におきまして自主的に検討している大学改革構想があるわけですが、それは具体的にどうなるのか。これも抑制の対象になるのか。いまのお話では、予算措置をして創設準備に入っておるものについても、この法案の趣旨を踏まえてということになってきますし、そして大学設置審の審議を経てと、こうなりますと、現在改革をやっておるものについても、これは後で資料をいただきますけれども、この法律が成立した暁にはまた抑制をされる可能性を持っておる、そういうふうな御答弁であったように思います。まして自主的に各大学において改革構想を持っておられることについては、これはかなりあいまいの状態のような御答弁とうかがい取れるわけですが、そういうことなんですか。
○宮地政府委員 それぞれ各大学でもいろいろな検討が、大学において自主的に行われていることはあるわけでございます。学内の検討を経、さらに全国の国立大学の状況を私どもで取りまとめをしまして、具体的な予算要求というものは、それぞれそういう過程を経て行われるわけでございまして、御指摘のような個々の大学の学内で行われているものが、実際の予算要求の形についてあらわれてくるということになりますと、なかなかそう簡単に出てくるというものでもないし、それは十分慎重な検討がなされることが必要であろうかと思います。この法案によりまして、そういう大学の自主的な検討というものが阻害されるということはないと私どもは考えております。実際の予算要求までには、もちろん、それがまとまりまして、予算要求として出るまでにはやはり相当の年月を要するのが、これは法案の有無にかかわらず、従来ともそういう態様であるということが言えるかと思います。
○山原委員 次に「特に必要があると認める場合を除き、」のこの「特に必要と認める」という基準は、この法律ができましたときに文部省はどういうふうに考えているのですか。
○宮地政府委員 御指摘の「特に必要があると認める場合」の基準についてのお尋ねでございますが、私立学校法附則第十三項の「特別に必要と認める場合」の審査につきましては、これまでも大学設置審議会及び私立大学審議会が定めております「私立大学の拡充に関する特別の必要性の基準」というものによって行われてきたわけでございます。この基準は、私立学校法の附則十三項の趣旨と高等教育の計画的整備についての設置審議会の大学設置計画分科会の報告の趣旨を勘案いたしまして決定されたわけでございます。 この特別の必要性の基準としましては、大都市におきます設置等は原則として認めないこととし、その他の区域についても、特別の人材供給の必要性でございますとかあるいは地域配置の必要性、勤労青少年の教育機会の確保等、計画的整備の観点から必要性の強いものに限って設置等を認めるということを骨子としておるわけでございます。 この法案が成立いたしますと、私立大学にかかわります特別の必要性の審査基準については、私どもとしては、原則的には従前と変更はないものと考えられておりますけれども、なお大学設置審議会及び私立大学審議会に御審議をお願いして、後期計画の見直し等を行いながら、変更をする必要があるかどうかを含めまして御検討をお願いするということになろうかと思います。 なお、国立大学及び大学院につきましては、このたび新たに追加されたものでございますので、新たな特別の必要性の審査基準が必要でございまして、もちろん関係審議会に十分御検討をお願いして成案を得たい、かように考えております。
○山原委員 この法律の一番重要なところは「特に必要があると認める場合を除き、」というところだろうと思います。私学の場合については、いわゆる五年間の経験があるわけですね。いま局長のおっしゃった基準ですけれども、これも読ませていただきましたが、この基準につきましても疑問が幾つかあるのです。だれが特に必要と認めるか。大学設置審議会が決めて、そして、それについて文部大臣が特に必要と認めるということになりますと、一つは、大学設置審議会の権限に対する文部省の抑制措置が動くわけですね、それが決められるわけです。 しかも、この一つ一つの条項を見ましても、たとえば看護婦さんの問題、あるいは「特別の社会的要請又は教育研究上の特別の要請にこたえて新しい分野を開拓するもの」、あるいはそのほかいろいろなことが出ているが、その中でまた「特に必要と認められるもの」というような条文になっておりまして、基準としては存在しておっても、かなり恣意的なものが動く可能性があると私は見ています。 だから、この五年間に私立大学から申請のあったものと、そして認可したもの、これを資料として提出をしていただきたいと思いますが、その点はよろしいですか。
○宮地政府委員 資料の提出につきましては、そのように取り計らわせていただきます。
○山原委員 国立大学の場合はどうされるのでしょうか。これは一つは、提案者の意図もあると思うのです。この法律を提案された自由民主党として「特に必要と認めるもの」ということについては、当然何らかの腹づもりがおありだと思います。それと文部省の私学の五年間の経験の上に立った国立大学三年間の新たな問題としての基準が策定をされると思いますが、これはこの法案の成立前に聞いておく必要があると私は思うのです。どういうことをお考えになっておるか。 この法律が通ってしまって「特に必要と認める」という基準が、またしても全く思いと違うものになってきますと、これは大変なことですね。将来において検討すべきものではなくて「特に必要と認めるもの」とは一体何なのかということは、当然、議員として伺っておく必要があると思いますが、その点は文部省は提案者の皆さんと合い議をされて腹づもりを持っておられるのか、あるいはすでに合い議がなされておるのか、あるいは文部省として提案者の趣旨はこういうものだろう、法案の趣旨はこういうものだろうということで憶測をして基準をつくるというお考えなのか、この基準は大変重要なものですから、この辺はっきりとさせておきたいと思いますが、まず文部省の方の見解を伺います。
○宮地政府委員 御指摘のように、私立大学に関する特別の必要性につきましては、先ほど御説明しましたようなもので基準が定められておるわけでございます。国立学校設置法の附則改正がなされました場合には、国立大学についての判断の基準というものを、これも大学設置審議会で御検討願うということになろうかと思うわけでございますけれども、私どもといたしましては、基本的な考え方としては、わが国の高等教育及び学術研究の上で国立大学の果たす役割りというものを十分留意しながら、教育・研究上の意義やあるいは地域的な条件というものを判断しながら、それぞれ既設の大学におきます特色ある発展を図るというようなこと、それと高等教育の地域間格差でございますとか専門分野構成というものを勘案して地方の国立大学の整備充実を図るというような事柄などが基本的なことになるのではないか。従来、高等教育の計画的整備でもそういう点は志向してきておるわけでございまして、そういう点が骨子になろうか、かように考えております。 なお、御提案者とはそのことについて事前に御相談を申し上げたという点はございません。
○山原委員 提案者の御意見がありましたら……。
○森(喜)議員 お答えいたします。 山原先生の御指摘の点、特に試験地獄という問題から想定をいたしまして御心配な点というのは大変よくわかるのです。 いま御質問の「特に必要と認めるもの」とは何か、党としては、提案者としての自民党は何を考えているのか、こういう考えを問いただしておきたいということなんですが、先ほど西岡議員からも御説明申し上げましたように、私どもは、学問の研究や日本の将来にとってこのような分野が必要だというようなことについては、これは自由民主党の政策ももちろんございますけれども、大学の認可権といいますのは文部大臣にあるわけでありますから、文部省そしてまた高等教育懇談会あるいは大学問題懇談会でしょうか、正式の名前はちょっとうっかりいたしましたが、こういったところが中心となって検討を進めていただくことがやはり大事だと考えております。もちろん、党としての政策などは、文部省等に対しましても進言もしていきたいと考えております。 しかし、この法律を出しました大きな一つの趣旨は、いま山原先生が御心配の受験生がこのままどんどんふえてきて、そして大学の門が狭くなる、これは社会問題だ、だからといって、この大学がどんどんふえていくことが本当に正しいのだろうか。 山原先生、これは私の私見ですよ。確かに大事なことだけれども、それによって学部や学科や新しい大学をどんどんつくっていく、これが本当に正しい政治なんだろうかなということに私は疑問を持つのです。お考え方ですから、違いがあるかもしれませんけれども……。 そしてもう一つは、五年前に私学助成法をつくって国で助成をするようになりました。まだまだこれからわれわれは努力をしてまいりたいと思いますが、私立大学がどんどんそういうニーズに応じてできていく、そして、それに国が助成をしていく、この最後の帳じりのところを一体どうするのだろうか。確かに十八歳人口はふえてまいりますが、ある時期に来れば、また、これはダウンしてまいります。そのときに大学の経営というのは一体どうなるのだろうか。 それから、これは大学関係者におしかりをいただくかもしれませんが、私大の場合、考えてまいりますと、公共性の非常に高い教育事業であることは間違いがない。お金もうけのためにやっているという言葉はよろしくないのですけれども、やはり事業であることには間違いがない。 こう考えますと、十八歳人口がふえるから、では、こんな学部をつくろう、こんな学科をつくっておこう、こういう定員増をしておこうということだけで、これからの大学というものが果たして本当に日本国のためになるのだろうか。まして血税を注ぎ込むということになれば、これは当然、国民の税金ですから、それに対する担保というのはしいておかなければならぬのじゃないだろうか。 こういう考え方から、量的に無制限につくり上げられていくことよりも、やはり抑制をしていくという基本的な方針がなければならない、私どもは、このように考えているわけであります。 そして私大にだけこれを押しつけておいて、国立は、あとはいいのだよということであってもいけません。したがって、この間のときにも私はどなたの先生かの御質問に対してお答え申し上げたのですが、できれば一年か二年でもいいと思うのです。こんなものは長くない方がいいとは考えておりますが、まあ三年ぐらいの間にこうした方向づけを、先ほど西岡議員が答えられましたような問題で検討を進めてみたい、こういうことであります。 もう一つは、やはり何と言いましても、地方の大学というものを充実さしていかなければならぬ、こういうことが、先ほどの西岡議員からの資料にも入っているわけでありまして、こうしたことも、誘導措置ができ得ればやっていきたいという考え方です。 これは山原先生なんかもお耳に達していると思いますが、何となく高度経済成長というのが安定成長の方向へ行って、工場誘致しようとしておった自治体等が、土地が余っておるから、そこに大学を持ってこいという実に安易な形で地方の県や市町村が大学誘致、大学誘致と言って呼びかけていく、あるいはわれわれに陳情などをしてこられる。だからといって、すぐそこへ大学を持っていくことがこれまた正しいことなのだろうか、こういうようなこともあわせ考えて、あくまでも日本の将来の高等教育計画というものを、この際思い切って、できれば早い方がいいのですけれども、三年ぐらいかけてじっくりとひとつ誘導政策をつくってみたい、こういう考え方がこのねらいでございまして、あくまでもこの大学——特にどんなものがいいのだろうということについては、われわれはわれわれの考え方もありますが、やはり文部大臣中心に文部省が真剣にこれを考えていってもらいたいというのが私たちの希望でもあるわけでございます。
○山原委員 文部省の答弁の方は、これは当然、いままでもやってこなければならぬことを申しておるように思うのです。そして必要だから大学設置審を通して、しかも国会の審議、いわゆる大学設置法が出てきて毎年審議をするわけですね。その中でもむしろ、いま森先生のおっしゃった発言ですが、これは企業主義的な無計画な私学の増設、それについては私どもも賛成しているわけではありません。そこのところは一致するわけですが、でも、私学に対する助成あるいは私学経営の安定、それからさらに、私学の持っている独自の伝統あるいは個性というものをきちんと伸ばしていくということは、これは法律がなくてもできると私は思うのです。 それから、国立の場合については、むしろいままで自民党の方がやってきたことは——たとえば地方大学の充実の問題などにつきましても、われわれも各党とも、その点については主張してきてここで論を張ってきたわけですね。それに対して自民党の方では、むしろこの委員会でも、各党の一致しない、たとえば筑波大学であるとか、その後における、この間も賛否に分かれました鳴門教育大学あるいは新構想大学、そういったものが出てくるわけですね。しかも、その地域的な問題についても、恐らくいろいろな陳情もあったりして、地方自治体が財政の苦しい中で大学が来れば少しは栄えるのではなかろうかということで陳情合戦をする、その気持ちもわかるのです、わかるけれども、同時に、国会で審議をして決定していくという民主的なルールが確立されているわけですね、ところが、この法律によりますと、これは国会の審議権の、一つは大きな制約だと思います。その点が一つ、われわれとしては問題を感ずるわけです。そこに必要であるかないか、あるいはどうしてもそこにこの学部・学科が必要かどうかということは、文部省からの提案に基づいてこの国会で決定していくという、国権の最高機関としての任務があるわけですね。ところが、そうでなくて、もう法律によって、一切つくらないのだ、学部・学科の新設は許さないのだということになってまいりますと、一つは国会の審議権に対する制約であるということ、これは指摘せざるを得ません。これは意見としてきょうは申し上げておきます。これはまた反論がありましたら、次の機会にでも反論をしていただきたいと思います。 それからもう一つは、大学設置審議会は性格が変わってくるのじゃないかというふうに思うのです。私学の場合でしたら、大学審議会の意見を聞かなければならぬとなっておりますが、国立の場合でしたら、国会の審議というものがありますから、大学設置審議会というのは、これは行政上の専門家の意見を聞くものとして法定されていないとたしか思います。そうすると、今度は義務規定になるわけでございまして、大学設置審議会というものは、国立の場合においても「意見を聴いて」というふうに法律条項として出てくるわけですね。そうしますと、大学設置審議会というのは、大学設置法に基づいてつくられておるものでございますが、それと性格の違いが出てくるのではないかということを私は感じておるのですが、私の見解が誤りでしょうか。これは文部省に法制的に答えていただきたいのです。
○宮地政府委員 大学設置審議会についてのお尋ねでございますが、学校教育法六十条の規定によりまして「大学の設置の認可に関しては、監督庁は、大学設置審議会に諮問しなければならない。」ということが一番根っこにある規定でございます。そして認可ということで言えば、私立大学の認可ということになるわけでございますが、今回の国立学校設置法の規定で「大学設置審議会の意見を聴いて」ということになるわけでございますので、その意味では、国立学校の扱いに関して、従来からの扱いで申しますと、国立学校の学部ないし大学の新設等につきましても、事実上意見を伺うという形で設置審議会の意見を伺っておったわけでございますが、その点が法律の規定に基づいて設置審議会の意見を聞くという形になるわけでございます。その点は御指摘のように、新たに今回の規定によって、そういう法律上「意見を聴いて」という形がとられることになるということでは従来と異なることになるわけでございます。 なお、いまも御説明しましたように、従来とも国立大学の場合につきましては、意見は伺って処理をしてきたというのが従来の経緯でございます。
○山原委員 大学設置審議会の問題については、いままで文部省の見解は、これは第八十七国会におきまして松前さんという議員に対して当時の佐野大学局長が答弁しておりますが、これは法制上の問題じゃなくて、行政的にやるのだということを言っておられる。これが文部省のいままでの見解で、いま宮地局長がおっしゃったとおりです。だから、今度の規定によって大学設置審議会が法律上義務づけられたという点では、私はちょっと疑問を感じております。 これはまた日を改めて申し上げたいと思っておりますが、二つ性格があるんですね。大学設置審議会の意見を聞いてやってきておったわけですが、大学設置審議会がオーケーを与えて、そして文部大臣が認可するということだったのですけれども、この法律では、その大学設置審議会が、一つは、文部大臣が「特に必要があると認める」ということが入って、大学設置審議会の権限に対する制約がここで出てきます。もう一つは、法制上は大学設置審議会は、いままで国立については行政上の機関であったものが、法律的に義務機関となる、こういう制約を持ってくるわけですね。これは少し検討していただきたいと思います。 次に、最初の問題に返りますが、先ほど西岡先生からお話のありました五十四年十二月に出されました「高等教育の計画的整備について」、これによりますと、文部省もこの方向で進めてこられておることは、先ほどからの御答弁のとおりでございますが、国公立の後期計画においては「年平均二千三百人、期間中合計一万四千人程度の規模の範囲内で整備を進めることが妥当である。」ということが、これには出ておりまして、文部省もその方向でやってきたわけです。 ところが、この提出された法律によりますと、この文部省の計画自体が否定されることになるのではないかという疑問でございます。これは先ほどからの説明では、何となく矛盾するものではないという言い方もしておりますし、その辺が少し不明確ですが、文部省の立てておられる後期計画が、この法律によって否定されることになるのではないかと思いますが、文部省は、それはどうお考えになっているのですか。
○宮地政府委員 御指摘のように、後期の計画期間の整備ということにつきましても「前期計画と同規模の年平均二千三百人程度の規模の範囲内で整備を進めることが妥当である。」ということが指摘をされているわけでございます。この点は、前期の計画は実績が出ておるわけでございまして、前期の計画については、やはり計画の数値を下回った数値で実績というものが出されております。 具体的には、たとえば国立大学の場合の学生の増募の規模というようなものなども、本年度、五十六年度につきましても、やはり二千人程度の規模が、相当下回った千百人余りの規模になっておりまして、これは個々の大学から出てきます計画というものを十分精査して、実際に予算で計上された形でいきますと必ずしも計画どおりの数字にはなっていないわけでございます。後期の計画についての目標というものも、一応いま申しましたようなその範囲内で措置をするものという考え方でございますし、なお、実際の措置といたしましては、後期の計画の期間内においても適宜あるいは計画の見直しということも必要になってくるのではないかということも言われているわけでございます。 私どもとしては、従来とも文部省の対応というのは、基本的には、前期計画、後期計画を通じまして、いずれにいたしましても、量的な拡大は抑制をしながら質の充実を図っていくという基本路線で進めてまいってきておるものでございます。 国立学校については、確かに先生御指摘のように、学部ないし大学の設置というようなことについては、もちろん国立学校設置法改正という形で国会の御審議もいただいて、そのつど御審議を経て実施をしてきておるわけでございまして、そういう意味で、この国立学校設置法の附則にこういう規定を書くことについてのいろいろ御議論はあろうかと思いますけれども、私どもとしては、考え方の基本的なものとしては、従来実施してきておることと今回御提案になっております事柄とで非常に大きく路線の変更をしなければならないというような対応というものは必ずしもないのではないか、かように考えております。
○山原委員 それじゃ、この法律がこんなふうに出されなくてもいいのじゃないですか。いままでの路線を、それは多少は、財政上の問題なんかないと私たちは思っていませんから、多少の変更があったり、いろいろさじかげんが出てきたりすることはあったとしても——それならこんな法律は何で文部省は抵抗しなかったのですか、こんな法律がなくても、私の方でちゃんとやっておりますよということで。 これは文部大臣どうなんですか。その辺がどうしてもわからない。いまの局長のおっしゃられることだったら大したことないわけでしょう。 それと、これは西岡さんにやはりお伺いしておかなければなりませんけれども、西岡先生の場合は、かなりいまの宮地局長の答弁には反論があるのでしょう。発表されておるものを見ますと、文部省の後期計画は計画の部類に入っていない、計画じゃないのだということをずばり言っておられますから、全然違うわけですよ、文部省の受け取りと。そこらがはっきりしないと、法律に賛成する、反対する、各党ともいまいろいろ態度を決める真っ最中だと思いますけれども、そこらは、いまのところ私どもには本当に不明なのです。これは西岡先生はどうお考えになっておるか、簡単におっしゃってください。
○西岡議員 お答えいたします。 先ほど大学局長から御答弁がありましたのは、これまでのこの時点における文部省の御方針をお述べになったわけでございまして、私どもは、各党の皆様方の御賛同を得てこの法改正が成立をいたしますれば、当然、これからの高等教育についての後期の計画に大幅な変更が起こらなければならない、行われなければならない、このように考えております。
○山原委員 こういう違いが出てくるわけですね。だから、しばしば提案された自民党の皆さんも、前の審議のときにもそういう御発言もありますし、お考えになっていることはわからぬわけではありませんけれども、しかし、こうやって質問をしておりますと、文部省の受け取り方と法案を提出された自民党のお考えとかなり違いまして、しかも、いま西岡さんがおっしゃったように重大な変更がなされるという、事実、いままで自民党の皆さんもその点では偽りない御発言をしておられるわけで、たとえば西岡先生の発言、ブロックごとの全国的配置や学問分野別の適正な配置、あるいは大学の適正規模などを入れた計画をつくるべきだということを前からもおっしゃっているし、今度の四月三日の「内外教育」にもそういう御意見を発表されております。 それからさらに、いままでの質問に対する答弁の中でも、整備計画をつくることが政策的中身として含まれているという、そのことなんですね、その重大な変更という問題と関連をしているわけでございますから、その点がやはりこの法律の重要な環だと思っています。自民党として出されたこの法律の一番の中心は、やはり政策的中身、こういうものですね。だから、その点を私ども伺っておかないと、いままではある程度、五年前に審議をしましたときに聞きました、たとえば大学の配置、大学マップの問題なども聞いておるわけでございますけれども、しかし事ここに至って、大学の今後の計画の基本的、政策的中身というものが、この法律が出た後に引き続いて出てくる可能性があるわけでしょう、しかも一方では、大学問題小委員会を自民党はつくられて、七月にはその成案も出ようという状態ですから、新聞情報では、この法律が成立した暁に、今度は文部省のいままで考えておった後期計画とは全く異質と言えるような重大な変更の行われるものが、これに付随して政策的に出てくるということになりますと、この法律の審議に当たって、そこのところは完全なまとまったものではないかもしれないとしても、少なくともこの委員会では、その中身について相当審議をしておく必要があると私は思っておるわけでございます。それがまだ何かわからない、先ほどおっしゃったように、まだ決まったものではないということでございますけれども、しかし、この法律を通してその後でまだ何か決まったものではないが、重大な変更がこの後にくっついてくる、この法律の裏にはその重大な変更があるということを考えますと、単にこの法律の文言だけを切り離して採決をすべきものではないというふうに考えるわけです。この点ははっきりさせておく必要があるのではないかと思いますが、その点どうですか。
○西岡議員 お答えいたします。 山原委員の御指摘はごもっともでございますが、実は自民党といたしましては、ただいま森文教部会長を中心といたしまして、当然、これからの高等教育のあり方についての検討を進めているところでございます。しかし、この問題は非常に多岐にわたっている問題でございますし、山原委員も当然御承知のように、現在のわが国の大学教育には教養部のあり方について一体このままでいいのだろうかという問題であるとか、大学院のあり方についてもこれを充実する政策が必要なのではないだろうか、こうした大学のあり方そのものについての基本的な政策というものが、やはりここで根本的に再検討されなければいけないのではないか、こういう問題意識を持っておるわけでございまして、こうした問題まで踏み込んでまいりますと、これは自民党だけでこの問題をこの法案の裏の問題として進めるという、そう簡単なものではないわけでございまして、一つの政策がまとまれば、場合によっては法の改正等も伴うような形で国会での御審議をいただくというような手順が当然考えられるわけでございまして、少なくともこの三年の間に高等教育についての基本的な政策をこの際はつくらなければいけないのではないか。それがないままにいたずらに、あえて申しますと、大学入学の学生数を幾らにするという数の問題だけで大学の設置を考えてはいけないのではないか。先ほど申し上げましたように、この三年間、全国的な配置、専門分野等の配置というものは当然念頭に入れながら、必要なものは最小限度認めていくにしても、できるだけ早い機会に、三年とは言わず、できることならば一日も早く、そういう基本的な政策をつくる間の期間として、この三年間という形で提案をさせていただいているわけでございまして、特にこの法案が成立をした、直ちに自民党の政策がこれに伴ってひとり歩きをするというほど簡単なものではない、このように御認識をいただきたいと思います。
○山原委員 お考えになっておることは、かなり重大な問題でして、これは本当に大激論になる、一つ一つが大変な事態を構想されているわけでして、むしろ文部省は、率直に言いまして、これにどう対応するのか。西岡先生、谷川先生、森先生おられるわけですから、そのお考え、あるいは自民党としてのお考えがあることは、ちっとも——それはどの党だってそれなりの検討をやるわけですから、それは結構なことなのでございますけれども、しかし、そういう背景を持ちながら、この法律によって公立はどうなるかわかりませんが、少なくとも国立・私立の大学院を含めての三年間の学部・学科の増設のストップということの背景には、自由民主党としてそういう問題を持っておられる、自由民主党の提案のこの法律の中には、そういうものが内包されておるということを考えますと、これはむしろ五年前に西岡先生が自由民主党におられてこの主張をされて、それから新自由クラブに行かれて、それから、また復帰になってこの問題が出てくるわけで、それはそれで結構なんですけれども、政治的遍歴というのはだれでもあるだろうと思いますので、それはいいとしても、西岡理論というのがぐっと前面にいま出てきた感じを受けておりますが、それはここで言うのは失礼だから……。 しかし、その背景には、いままでの方々における発言の中からそのことを感じ取られます、そうしますと、むしろ文部省とは一体何なのかということが——文部省は少なくとも、大学設置審議会の練り上げた案に基づいて前期計画、後期計画を立ててこられたわけですが、それはもう計画の部類に入らないのだということをおっしゃって、おれたちはこういう考え方を持っているのだ、そして、この法律を出されたということになりますと、むしろこれは文部省に対する一種の否定的な、少なくとも大学政策においては、文部省の考え方を否定し、むしろ自由民主党主導型の大学政策をずばり持ち込んでくるというふうに感じざるを得ないのです。 それから、もう一つ気になることがあるのですけれども、これは西岡先生の前からの——これはこの次にやりましょうかね、時間がもう余りありませんから。前のときにも主張されているのですけれども、たとえば「高等教育機関をこのまま量的に、言葉は悪うございますが、野方図に拡大させていっていいのか。ここではしばらく足踏みをして、その間五年の間わが国の高等教育のあり方について考えてみるべきではないだろうかというのがこの発想の基本にあるということをぜひ御理解をいただきたいと思うわけでございます。」、これは前の議事録です。それから「量的拡大も図り質的充実も図るということは言うべくしてなかなかできない。しかも教育というものが、単に経済的な条件さえ満たされればそれで条件が整えられるというものでは決してなくて、人材が必要であるということを考えますと、もうこれ以上量的拡大をいまこの時点で図ることは、わが国の知的水準というものを衰弱させていくのではないだろうか。憲法二十六条に国民は、ひとしくその能力に応じて教育を受ける権利を有するとあるわけでございます。「その能力に応じて」ということを考えた場合に、高等教育機関の教育にたえ得る能力を持っているかどうかというところをやはり考えなければいけないのではないだろうか。」というふうにおっしゃっておられるんですね。 これは持論としてはわかりますけれども、一種のエリート主義でもあるのじゃないか。たとえば、能力とは何ぞやという問題にもなってまいりますし、日本国民のたとえば進学十八歳年齢の中で何%程度が大学教育にたえ得る能力があるとかないとかいう判定も、その背景にあるのではなかろうかというふうな感じも持ちます。これは一度論議をしてみる必要のある御意見ではなかろうかと思っています。 とにかく、そのようなことを考えながら、私のきょうの質問で、一つは、特に必要と認めるという場合の基準、これは少なくとも私学については五年間の経験でこの基準というのが出ておりますけれども、これが正当であるかどうかは別にしまして、国立大学についてはまだないということなんです。これがこの審議を非常にしにくくしていると思います。 それからもう一つは、いま西岡先生が御説明になりました重大な変更、しかも大学政策全般にわたっての変更を森部会長を中心にしてお考えになっておる、それを法律化していくということをおっしゃったわけですから、これは文部省、法律案を作成して国会へ提出をして、しかも大学設置法に基づいて法律を提出をしてきた文部省としての日本の教育の最高行政機関としての任務は、まさにその面では否定された形になっておるととらざるを得ないのでありますけれども、その点について、西岡さん、手を挙げておられるから、それじゃ一言伺っておきましょうか。
○西岡議員 お答えいたします。 ただいま山原委員の御指摘は大変な誤解でございまして、私どもは、あくまでも自民党の高等教育政策を具体的な形で法律化するということであれば、こういうような法律を出しませんで、生で自民党の高等教育についての考え方を法体系化した政策というものを具体的に出す用意がすでにあるわけでございます。しかし、高等教育のあり方については、当然文部省が責任を持ってこれを進めるべきでありますし、その検討の期間としてこれまでの五年間では十分なものができていなかった、また時代の大きな変化というようなものに対応するために、特に大学院のあり方を中心とした大学教育、高等教育のこれからの対応というものが非常に問われているわけでありまして、そうしたことについて文部省がこの三年間に、遅くとも三年の間にそうした基本的な問題に手をつけてもらいたいということを、この法律の中に願いを込めて自民党の提案として出しているわけでございまして、山原委員御指摘の点は、これはいささか誤解されている面があるのではないか、このようにつけ加えさせていただきたいと思います。自民党としての考え方を取りまとめていくということは当然でございますけれども、進めていくのは文部省であって、文部省がこれまで進めてきた高等教育についての計画が必ずしもこの時代に対応して十分なものであるとは自民党文教部会としては考えていないということを申し上げたにすぎないわけでございまして、十分御理解をいただきたいと思います。
○山原委員 時間がありませんから、これでおきますけれども、最後に、文部大臣どういうお気持ちでお聞きになっておるかわかりませんが、きょうお座りになっておるのは、日本国文部大臣でお座りになっておるわけでございます。 いま西岡さんの御答弁がありましたけれども、それなら、文部省の後期計画の済む六十一年から自民党としてはこう考えるということが出ればまだましなんですよ。ところが、文部省が持っておられる、天下に公表されている、大学教育の後期計画が、五十六年から六十一年までですかね、まだ動いている段階で、これが完全に否定されている、この計画と全く違った重大な変更が出てくるでしょうとおっしゃっているわけですからね。1 そうしますと、むしろ文部省としては、本当に重大な岐路に差しかかったような感じもするわけですが、どんなお考えなのか、同じ自民党だから同じ気持ちだというようなことでなくて、文部行政の今日までのあり方から見まして、いわば異例の、国立大学まで含めたこういう抑制法案というものがどうなのかということについて見解を一言伺って、私の質問を終わります。
○田中(龍)国務大臣 文教政策をお預かりいたしております者といたしまして、これまで大学設置に対する非常にたくさんの御要望も出ており、これに対しましての文部省内におきまする設置審議会その他の機構もございますが、同時に、今日、諸般の問題をごらんになりまして、そうしてわれわれ行政府の者といたしましての今後のあり方等につきまして、立法府としての御見解を党としてお述べになっておられるわけでありまして、それにつきましては、十分に御審議を賜りますように改めてお願いをいたす次第でございます。
○山原委員 終わります。
○三ツ林委員長 小杉隆君。
○小杉委員 すでにこの問題については各党から質問がありましたし、また時間の制約もありますから、なるべく簡潔に質問をしたいと思います。 いまのいろいろ質疑を聞いておりまして、考え方としては、大学教育が量から質へ転換すべきだというような考え方とか大学院の充実とか教養学部のあり方とか、いろいろ論議をされている内容については「私も同感する部分が多いわけです。やはり教育の問題というのは、国民の多数の合意の上になされていくものでなければいけないと思うのです。不幸なことに、戦後の教育をめぐる政争というかイデオロギーの対立というのが、私は、ある面では日本の教育の一つの発展を妨げてきたと思うわけです。 そこで、いままで主任手当の問題とかいろいろ対立があったわけですけれども、やはり国民の多数の合意の上に立ってこれからの教育を進めていくというふうに考えますと、今回なぜ自民党単独で提案をしたのか、やはり各党あるいは文部省等にももう少し打診をし、十分に意見を徴して、たとえば賛同できる会派があれば共同提案というような形もあったのではないか、それをあえて自民党提案でこうした法律案を出した趣旨、それをまず聞かしていただきたいと思うのです。
○森(喜)議員 小杉先生の御指摘のとおりでありますが、たしか前のこの委員会でも、なぜいまごろになって急にというような、たしかそんな御質問もあったように記憶をいたしておりますが、御承知のように私学法ができまして、この条項が、附則がそのときにつけ加えられたわけでありますが、ちょうどこの三月の末日でこれの期限が切れました。したがいまして、それまでの間にいろいろな意見のやりとりがわが党の中にもございました。それから文部省ともいろいろ協議もいたしました。しかし、この法律が五年間ございましても、やはり必要と認める大学というものはある程度認可もされていったわけであります。しかし、やはり五年間この法律があったことによって、無原則に大学が、雨後のタケノコという言葉はよくないのかもしれませんが、ぽんぽんとできていくことだけはある程度抑えることができた、そういう意味では私は意義があったと考えているのです。 したがいまして、これからこうした姿勢を文部省がとっていけるかどうかという観点でも、文部省はずいぶん法制局とも検討をしていたようであります。あるいは省令でやっていきますとか告示でやっていきますとか、いろいろなことを検討したようでありますが、やはりこれは法律で引き続きおさめていかないと、いままでのような考え方は通せませんというような御意見もございました。 正直言えよということをさっき山原先生からもちょっとございましたけれども、正直申し上げて、こんな法律で抑えられることは決して本意ではないだろうと私どもも承知をいたしております。しかし、先ほどからいろいろと、また先般の委員会でも申し上げましたように、いま大変大事なときであろうというふうに考えまして、もちろん小杉先生おっしゃるように、各党の皆さんにももう少し御相談をでき得る期間があればよかったのでありますけれども、党と文部省との協議も時間がだんだんたってまいりまして、五十年につくりましたのが、自民党が提案しました私学法でございまして、当時小杉さんが新自由クラブでいらっしゃればきっと賛成をしてくださっただろう、こう思うのですが、その当時は、たしかまだそういう時期ではなかったと思っております。 したがいまして、私どもでつくった法律、私どもで制限をいたしました責任上、あとおおむね三年間ぐらい、幸い財政再建が五十九年を一つの目途として与党・政府は考えておりますので、この期間中引き続きこの法律を単純に延ばしていただきたい、そして、その間においていろいろと議論が先ほどから出ておりましたようなことごとを勉強してまいりたい、こういうことでございます。 確かに御相談をさしていただいて、共同提案あるいは御賛同をいただきながらという、あるいはでき得れば各党の御意見をいただいて委員長からお諮りをいただいて、そうした議論のやりとりがあってということが最も望ましいことは間違いなかったと思いますけれども、いろいろと国会の日程あるいは今日までの協議をしておりました時間的な経過、そんなことから私どもが引き続き責任を持ってこれを延ばす方向でぜひ皆様の御理解を得たい、こんなことで提案をさしていただいたわけでございます。 どうぞひとつ御理解をいただきたいということをお願い申し上げておきます。
○小杉委員 前の法律の成立の経過とか自民党が単独で提案をしたとかあるいは時間的な制約があったとか、そういう理由もわかりますけれども、やはりすでに五年たっておりますし、先ほど申し上げたような教育のあり方ということから考えると、自民党が昨年の選挙で絶対多数をとったと言っても、やはり教育という分野を考えると、できるだけ広く合意を求めるという姿勢を私は持ってもらいたいということを申し上げて、次の質問に移りたいと思うのです。 いま、この法律があったために五年間大学の抑制に非常に役立ったという御説明がありましたが、文部省に伺うのですが、具体的にこの五年間「高等教育の計画的整備について」というここで見込んだ数と、それから現実に今日の大学の設置状況と比較して、いわゆる計画と実際の姿というのはどうなっているのか、その対比をひとつお答えいただきたいと思うのです。
○宮地政府委員 御指摘の前期の計画の見込み、前期は五十一年度から五十五年度までの見込みでございますが、国立が一万人、公立が千五百人、私立が一万七千五百人、計二万九千人という計画の見込みがあったわけでございます。これは定員でございますけれども、それに対しまして前期の実績で申し上げますと、国立が八千八百八十五人、公立が九百七十七人、私立が一万三千四百三十人ということで、全体で二万三千二百九十二人という数字になっております。
○小杉委員 いま局長が答弁された数字をパーセンテージにいたしますと、総計で二万九千人が二万三千二百九十二人ということになると八〇・三%ですね。要するにこの計画で見込んだ数よりも二割よけいに削減をされてきた、抑制が効いたということですね、そうしますと、仮に今度の法律が通った場合に、いわゆるこの計画の後期を見ますと、五十六年度から六十一年度までに国立・公立・私立合わせて三万四千人ふえるだろうと見込んでおりますけれども、この前期の実績から考えますと、この見込みというのは、非常に過大な見込みではないかというふうに思うわけです。いまの段階で、この計画の中に示されている後期の三万四千人というのは相当大幅に落ち込むのではないかというふうに思うのですが、その点はいかがでしょうか。
○宮地政府委員 前期の実績は、先生御指摘のとおりでございます。 そこで、後期の計画の数字は御指摘のように全体で国公・私立合わせて三万四千人という見込みの数字を掲げておるわけでございますが、先ほどもちょっと申し上げましたように、定員で全体で後期の計画としてそういう見込みをいたしておりますけれども、これはいわば計画の上限の数値という形で考えておりまして、私ども、むしろその規模の範囲内で整備が進められるというぐあいに考えているわけでございます。 したがって、その意味では、あるいは御指摘のように、この数字の中でどこでおさまるかということでございますけれども、私どもとしては、高等教育の計画的整備ということで後期の計画の中ではその点はいわば上限というような考え方で押さえている数字でございます。 先ほども御答弁申し上げた点でございますけれども、後期の計画の途中の段階においても、流動的な諸情勢に応じまして適切な見直しというものも必要になってくるのではないかということは、計画の策定に当たっても考えられてきたことでございます。 したがって、この数字が相当下回るのではないかという御指摘でございますが、実際の流れとしては恐らくそういう方向をたどるのではないかと思いますけれども、私どもとしては、もう少し見定めながら、この後期の計画を手直しするかどうか、その辺も含めましてなお慎重に検討させていただきたい、かように考えております。
○小杉委員 最近五年間の動きをいろいろなデータで調べてみますと、何もこんな制限法案をつくらなくても、もう自然の流れでこれは抑制が効いてきているというふうに考えられないかということなんですね。 先ほど局長からも数字の説明がありましたし、また提案者の方からもありましたように、私学についても、かつては一・八倍ぐらいの定員超過があったのが一・四倍におさまった、当初この計画の中では大体一・五ぐらいにできればいいと考えていたのが、それよりもさらに落ち込んでいるわけですね。 これの最初の案をつくったのが、ちょうど石油ショックの直後ですね、ですから、いままで大学に進む人たちの予測というのは、高等教育懇談会ですか、そういうところでいろいろやりましたけれども、かつては大学の進学率が七〇%ぐらいまでいってしまうのではないかという予測もあって、何かいままでの見込みがいつも過大に過大にやられてきたわけですけれども、最近たとえば経済的な要因、つまり高度成長がストップして低成長になってきて、なかなか娘さんを四年制までやれないから二年制にしようとか、あるいはせっかく大学を出たって最近は公務員の初級の方へ大学卒がみんな殺到しているとか、あるいは地方公共団体の清掃作業員の中にも大学卒がどんどん応募しているというようなことで、結局、経済的なそうした要因と、それから大学を出たって一つもメリットといいますか、大学四年出ただけの待遇を社会的に受けていないというような国民の意識の変化が最近顕著に出てきていると思うんですね。 ですから、この法律をあえてつくらなくても、いまのこうした経済的要因と国民意識の変化からして、自然に淘汰されていって、だんだん減少していく傾向がこのまま続くのではないかというふうに私は考えるのですけれども、この点に関してはどうお考えでしょうか。
○森(喜)議員 社会全体の流れを考えてみますと、やはり確かに小杉先生おっしゃるような考え方もあると思うのです。しかし、先ほど申し上げましたように、私学の場合きわめて公共性の高い教育的事業であるという私大、これは大学のみならずすべて含めてでありますが、大学に限って申し上げれば、私大経営というふうに考えてまいりますと、大学の経営者という立場から考えますと、自分たちの新しい学科、新しい学部をつくろうという意向はかなりあるようでございます。また、この五年の制限法が切れたら私どもはこういう学科をつくりたい、こういう学部をつくりたい、こういう希望を私どもかなり聞いております。 それからもう一つは、先ほど申し上げましたように、高度経済成長の中で産業の誘致、企業の誘致を考えておりましたような自治体が、急遽、こうした経済情勢になって、この土地を何に転化させるか、できるできないは別としまして、恐らく全国お調べいただいても、最近の公共企業体といいますか自治体の政策の柱の中に、必ず大学誘致というのが大きく掲げられているわけですね。私ども与党でございますから、ずいぶんそういう要望が来るわけです。これはやはり財政的な負担がございますから、国公立でできるものではございません。しかし、また私学なんかと組んで私学をどんどん誘導していくというようなことがあっても、やはり私どもは非常に危険性を感じます。 先ほどこれは山原先生の御質問の中で私、ちょっとお答えをしたかったのでありますが、現実に大学の入学試験地獄といいましょうか、あるいは競争といったものを一体どこで線を引くことが正しいのだろうか。たしか先般、和田先生の御質問があったときも、こんなやりとりを若干した記憶がございますが、いまちょっとこの場で山原先生の御質問を聞きながら調べてみたのですが、高等学校の卒業生が大体百五十万くらい、その中で高等教育に行きたいというのは大体六十三万でしたか、そういう数字ですね、それに浪人生が十九万、まあ二十万プラスいたしまして、大学の定員が国公・私立合わせまして約四十五万ということでございますから、浪人の十九万を入れても二倍なんですね。二倍という数字になれば、これは果たして入学試験地獄という表現になるのだろうか。少なくとも高等教育に進むのには二倍くらいの競争には勝ってもらわなければならぬというふうに、考え方の違いはありますけれども、みんな入れてやればいいじゃないかということになれば別でございますが、私はそんな感じを持ちます。 これは間違いのない数字か、ちょっとはっきり私も記憶しておりませんが、たしか慶応大学クラスでも、ことし合格された方で実際には合格をされて慶応大学に残られるのは全体の四割しかないというんですね。あとの六割はどこかへ逃げてしまっているわけでしょう。早稲田というと最近評判よろしくないのですが、早稲田、慶応クラスでも、実際には合格して半分くらい外へ逃げているという現実を考えますと、やはりこのあたりで大学の試験制度というものを、単に試験地獄ということだけで議論をするのは非常に危険だというふうに、これは先生のいまの御質問じゃございませんが、さっき山原先生の御質問を承りながら、そんな感じを持っているのです。 ですから、そんなことも含めまして、大学政策というものは根底から一遍考えてみる大事な時期だと私は思う。そういう意味で、この三年間にいろいろな角度から検討してみることは大変大事なことではないだろうか、そういう意味で、しばらくの間これはひとつ抑えていただきたい、正直言ってこういう願いがあるという法律でございまして、なくてもいいじゃないかというような意見もございますけれども、しかし、そういう意味では大変な機能を果たしたことは間違いがない。 これは後で文部当局にお聞きをいただいてもよろしいのですが、ある程度の整備をされて条件を満たした資料を提出されたら、資料というのですか要望、認可願を出せば、これを全部備えられたら、文部省は自動的に全部認可せざるを得ないのです、きちんとそろえてきたら。 小杉先生は、社会の空気はそういう傾向にないじゃないか、こういうふうにおっしゃるけれども、大学を設置し、大学を経営していこうとする人たちはそこまで考えていない。ほかはそうかもしれぬが、おれの大学はいい大学だ、私の大学にはこういう学部・学科をどんどん総合的につくっていって、私の大学はいい大学だから多くの学生たちがわれわれのところに来てくれるだろうという、また、これだけのプライドと見識を大学経営者は持ってもらわぬといかぬだろうと思いますよ、しかし、みんながそんな考え方をしていったら、これはふくれ上がってくるし、そして条件が、土地の問題、建物の問題、あるいは財産の問題、あるいは教授の問題、これが私大審あるいは設置審がいいだろうということになれば、全部自動的に認めざるを得ないということを考えますと、これは私、この間の委員会でも申し上げました宣言法、抑止をしていく、制限をしていくことは当分やっていただきたいのだという希望、願いが宣言法という中でやはり働いてくるだろう、私は、このように考えて、延長をさしていただきたいというのが率直なところでございます。
○小杉委員 同じ質問を文部当局にもしたいわけですが、確かに私は、この法律が果たした抑制効果というのは否定はしません。否定はしませんが、しかし、それと同じか、あるいはそれ以上に、やはり経済的な要因とか国民の意識の変化というものが、この五年間の流れの中で出てきているのではないかというふうに思うのです。 特に、ことしあたりは大分景気が回復して就職の状況も大分よくなうてきていますけれども、女性の場合は、四年制の大学を出ましても、なかなか就職ができないという現実もありますし、また最近、特に女の人の場合は専修学校とか専門学校とか短大という方向へ移ってきているという傾向もありますし、そういったようないろいろな現象を考えてみますと、この五年間の流れについて文部省はどういう分析をされているのか。この間からも同じ趣旨の質問があったと思いますけれども、もう少し分析の具体的な中身をひとつお知らせいただきたいと思うのです。
○宮地政府委員 基本的には、先生御指摘のとおりであろうかと思います。 確かにもちろん、国民全体の意識の変化でございますとかあるいは経済の安定成長への流れでございますとか、いろいろな要因がそこには重なり合っていることであるかと思います。そして、先ほども御答弁申し上げたわけでございますが、専修学校制度の創設、そういうものに伴う進学者の流れの変化というようなものも出てまいってきております。全体的に言って、附則十三項の制定、それが特にわが国の大学、短大において比重を持っております私学に対して設置抑制の効果があったということは、もちろん私どもも、その意味を十分認めるものでございまして、その点、どういう要因によって今日の結果に至ったかということについて、そこを明快に御説明するだけの材料を持ち合わせていないわけでございますけれども、そういういろいろな社会全体の要因がそこに複雑に働いてきておるということは言えることかと思います。 したがって、今日までの流れということでは、私どもも、先生御指摘のように受けとめているわけでございまして、今後の動きにつきましても、全体の進学率の動向というものがどう動いていくか、そして、また一時、四十七年当時でございますか、中教審では相当高い大学進学率を予想したけれども、実際の数値は、確かに御指摘のように相当低い数字で動いてきておりまして、今日三七、八%というところで横ばいということで動いてきております。諸外国の例でございますとかそういうことも参考にはなろうかと思いますけれども、いろいろそれぞれ国情も異なり、高等教育進学についての社会的な要請もそれぞれ異なるわけでございまして、進学率の設定についても、なかなか目標値を定めて考えられるものではないのではないかというぐあいに考えております。 したがって私どもとしては、基本的な路線としては、やはり量的な拡大は抑制をしながら質の向上を図っていくということで従来からも進めてきておるし、これからも進めてまいりたい、かように考えております。
○小杉委員 大学紛争が終わって、第三の教育改革という当時の中教審の見通しは、先ほど私が指摘したように七〇%……(発言する者あり)四七ですか、非常に高い見通しを持っていたわけですね。それから、この大学設置審議会の前の高等教育懇談会ですか、これでも相当高い数値を見込んでいて、そして今度のこの大学設置審議会の見通しも、先ほど申し上げたように、見通しよりも大体八〇%ぐらいに下がってきている。どうもいままでの文部当局の見通しというのは、少し甘過ぎるのじゃないか。先ほど私が指摘したような国民の考え方の変化とかあるいは高度成長から安定成長へ移行したためのそういった経済的な要因というようなものとか、もっと的確に分析をして予測をするような姿勢が必要じゃないかと思うんですね。 たとえば学校へ入学した人たちの意識調査をするとか親御さんの調査をするとか、何かそういう方法でもう少し的確な見通しとか分析ができないものだろうかと思うのですが、その点に関してお答えください。
○宮地政府委員 確かに文教政策全体を進めていくに際しまして、社会全体のニーズと申しますか、そういうものを極力把握しながら全体の計画を進めていかなければならないという基本的なことについては、もちろん先生御指摘のようなことでございまして、私どもも、できる限りそういう客観的な基礎的な数字に立って計画を進めていかなければならないことである、かように基本的には考えております。 ただ、たとえば具体的な進学率というようなもの一つをとりましても、それでは、どういう数値が適正であるかということになりますと、それを私どもの方で明確に示すことは困難なことがございますし、そういう点では、従来の傾向を追いながら、文部省の計画が少し甘いのではないかという御指摘がございましたので、そういう点については、実施の姿を見た上で、私どもとしても、計画の見直しというようなことについては考えていかなければならないことだ、かように考えております。 ただ、進学率一つをとりましても、たとえば都道府県別に大学、短大の進学率を考えてみますと、たとえば東京でございますと五〇%を超えているというような数字に対して、二〇%前後の府県もあるということで、地域的に大変ばらつきがございます。 したがって、平均的な数値で申せば、先ほど申したようなことになるわけでございますけれども、そういう地域的な高等教育への進学の機会のばらつきというようなものに対してどういう政策をとっていくかとか、考えるべき要素はいろいろあるわけでございまして、私どもとしては、そういうもので織り込めるものは極力織り込みながら全体の高等教育の計画的整備を図っていく必要があろうか、かように考えております。
○小杉委員 この「高等教育の計画的整備について」でもくろんだ、たとえば大学の地方分散とかあるいは高等教育の柔軟化と流動化ですか、それから大学、短大の規模設定というような諸点が、この五年間でどうなったかということを伺いたいわけです。 確かに大学、短大の量の抑制という目的はある程度果たし得たと思うんですね。しかし、そのほかの高等教育の柔軟化とか流動化、たとえば単位の互換とかそういう面がどの程度進んだのか、その点をひとつお知らせいただきたいのど、それから大学の地方分散といいますか適正配置という点でございますが、たとえば私が調べたところでは、五十一年からずっと国立大学の設置の状況を見ますと、大体において医学部の関係とかあるいは技術、科学の関係とか、あるいは教育学部ですか、こういったところが主体であって、これは要するに医学部のない県をなくそうとか、あるいはもう少し教員養成を積極的にやろうとかいう目的で設置されたものであって、たとえば専門分野別あるいは地域別の配置を考えてこれを設置してきたのじゃないと思うんですね、この数年間の国立大学の設置状況を見ますと。 それから、私が私立大学の最近五年間の認可をしてきた状況を資料で求めたのですが、大変木で鼻をくくったような資料で、私は詳細にと言ったのが、学校数とか学級数だけなんですね。やはりこういう資料を要求したときは、もう少し親切な資料を出してもらいたいと思うのです。私立学校法附則十三項施行後における設置の認可状況を、たとえば地域別にあるいは専門分野別にどうなったかというのを資料で求めたわけですけれども、単なる量の回答にとどまっているわけです。こういった点も、もう少しひとつ明らかにしていただきたいと思います。 したがって、いま申し上げた大学の流動化という問題と、それから、いわゆる地域的なあるいは専門分野別の配置というものが、この五年間どういう推移をたどってきているのか、お答えをいただきたいと思います。
○宮地政府委員 資料の対応につきまして十分でなかった点は大変申しわけないと存じます。十分御説明をいたすようにいたしたいと思います。 大学の地方分散の実績がどうかということでございますが、前期の計画期間中におきます入学定員の増加数を、大都市、これは東京二十三区と政令指定都市でございますが、それとその他の地域との割合で見ますと、大都市が一六・一%、その他の地域が八三・九%ということになっております。したがって……
○小杉委員 それは私立ですか。
○宮地政府委員 これは大学全体でございます。したがって、昭和五十年度におきまして、大都市が五八・一%、その他が四一%でありましたものが、昭和五十五年度においては、大都市が五二・七%に減少し、逆にその他の地域が四七・三%に増加してきておりまして、そういう意味では、大都市集中がかなりの程度是正されてきているという点は具体的に言えるのではないか、かように考えます。 それから、高等教育の柔軟化とか流動化ということについては、具体的にどうかというお尋ねでございますが、大学設置基準を弾力化いたしまして、具体的には、たとえば大講座制の導入などが実施されておりますほか、大学院につきましても、独立研究科や後期三年のみの博士課程というものがつくられ、さらに高度の専門的職業人養成ということでの修士課程の設置など、大学院制度についても弾力化が図られてきておるところでございます。さらに、そのほか、たとえば高等専門学校卒業者を対象とする技術科学大学の設置が図られておりますとか、あるいは大学におきます履修形態の弾力化の一環としていわゆる昼夜開講制というような試みが幾つかの大学でも着手されてきております。そのほか、開かれた大学ということでの大学の公開講座も逐年増加してきておりますし、学部なりあるいは大学院の修士でもそうでございますが、社会人を正規の学生として受け入れるための積極的な試みも幾つかの大学で進められてきておるわけでございます。 そういう意味で、大学の弾力化といいますかそういうことは、大学の対応というのはどうしても必ずしも社会の要請に対して十分ではない面もございますが、徐々にではございますが、そういう点が次第に浸透して対応が見られてきておるということは言えるのではないか、かように考えております。そのほか、高等教育の構造の柔軟化とか流動化ということについては、ほかにもいろいろと施策としても積極的な努力を進めてきておるところでございます。 一応私どもとしては、そういう意味で前期の計画におきまして、いろいろ提案されておりました事柄はそれなりに効果を上げてきておるというぐあいには考えておりますが、さらに、それらの施策の積極的な推進ということでは今後も努力をしてまいる、かような考え方でございます。
○小杉委員 一部分そうした前進は見られたとは言っても、まだまだ単位の互換制度とかいわゆる本当の流動化というのが行われていないというふうに私は考えますので、なお一層の努力を要望したいと思うのです。 私は、先ほどから申し上げているように、量的な制約を法律という形で歯どめをかけなくとも自然現象として抑制されていくのじゃないかという考え方を持っているわけですけれども、そうであれば、いま提案をしている一つの根底にある考え方が量的な拡大よりも質的な改善ということにあるのならば、むしろ今回の提案は、量の抑制だけではなくて質の改善についても何らかの提案があってしかるべきだったと思うのですが、質の改善について何ら触れていないのはどういうわけなのか、その点明らかにしていただきたいと思うのです。
○西岡議員 お答えいたします。 今回のこの改正は、三年間に限ってというふうにいたしているわけでございますが、五年前の私学振興助成法制定の際に、五年間に限って抑制ということを原則にするということを定めました際に、質の充実を図るということを前提として、また高等教育のあり方について根本的な検討をすべきであるということを法の基本的な精神として掲げたわけでございまして、その精神をこのまま受け継いでいる、このように御理解をいただきたいと思うわけでございます。 これまでも各委員からの御質問にお答えをいたしてまいりましたように、これは単に抑制をするということが目的ではなくて、少なくとも、先ほどからるる申し上げたように、地方の高等教育機関の充実、各専門分野別の少なくともブロック単位での適正な配置、そうした基本的な計画を立てた上で高等教育の整備を図るべきであって、そうしたもう少し詳細な計画を打ち立てる期間として三年間を定めたい、こういうふうに考えたわけでございます。 それから、先ほど再三小杉委員から、この法律をつくらなくても自然に抑制されるのではないかという御指摘があっているわけでございますが、これは現に大学に入学したいと考えている学生の数という問題とは別に、非常に高等教育機関を設置したい、また既設の高等教育機関が自己拡大をしていきたいという願望と具体的な計画があるということとは別個の問題である。その際に、現にある大学の充実が図られないまま、そういう量的な拡大が高等教育機関について図られるのはいかがなものであろうか、こういうふうに考えているわけでございます。また、人口動態の変化ということを考えますと、再三各委員から御指摘がございましたように、昭和六十一年度から十八歳年齢の人口が非常に増加をしていくというようなことに対応するためにも、高等教育のあり方についてよほどしっかりした計画を立てて、これに対応しなければ、いまから十数年前のベビーブームのときに、高等教育についての政策が全くなきに等しい状況の中で、私立大学の水ぶくれ状況というものが実態としては過去の教訓としてあったわけでございまして、そうしたことも踏まえながら、そういう過ちを犯してはいけない、こういう趣旨で今回のこの三年間の原則抑制という方針を打ち出したわけでございまして、その法改正の意図というものについて十分な御理解をいただきたい、このように考えるわけでございます。
○小杉委員 私学については、確かにこの法律の果たした機能は大きいと思うんですね。 ここで文部省に伺いたいのですが、私学の定員の超過率というのが、先ほど申し上げたように一・四くらいに減ってきた、しかしながら、一方において欠員の状況はだんだんふえていく一方で、五十五年度などは一万六百十二人になっているわけですね。こういう現象に対して文部省はどう考え、どう対応しておられるのでしょうか。
○宮地政府委員 私学の定員超過率は、順次減ってきておりますけれども、一・四二倍というような状況にあるわけでございまして、片一方、欠員の状況も一万人というような数字が挙がっておるわけでございます。それについての文部省の対応はどうかというような御質問かと思いますが、いわゆる私学の定員超過の水増し入学という問題については、順次改善をされてきておりまして、現在、一・七九倍のものが一・四二倍まできたというのが現状でございます。そうして御指摘のとおり、五十五年度で一万六百人余りの入学定員の欠員が生じているところがあるわけでございますが、これはやはり短大の方が数字としては大きい数字になっておりますし、特に地方の短大等において実際学生が集まらないという状況のあるものがあるわけでございます。 それともう一つは、内容的な点で申しますと、これは四年制の学部の場合でございますけれども、夜間の学部について、定員だけのものが集まっていないというのが、四年制の場合には特に夜間の学部のものが多いわけでございます。こういう場合、私どもとしては、たとえば短大等について言いますと、ほかの学科なり、そういうようなものに改組なり転換をするというようなことを具体的に指導もしてきておりまして、そういう実例も幾つかあるわけでございますが、そういうたとえば入学定員の現実には欠員状況が長く続いているものについて、社会的な要請の強いものに転換をさせていくというような形で指導はいたしてきておりますし、今後も指導するつもりでございます。 そういうような定員の欠員状況についても、確かに御指摘のような状況があることも事実でございまして、そういう社会的な要請に応ずるような対応というものは具体的に考えていかなければならぬ課題と、かように考えております。
○小杉委員 私は、学生の方でも選別が始まったと思うのです。何でもかんでも大学さえつくれば入った時代ではなくて、もう大学離れとか、あるいはいいところとか志望の多い、ニーズの多い大学には殺到をするけれども、そうでないところはどんどん志願者が減っていくという、そういう選別傾向はこれからますます強まっていくと思うんですね。そういうときに、こうした社会的なニーズに合わない定員の大学というのは、むしろ抑えるのじゃなくて削っていくというふうな姿勢が、これから必要じゃないかというふうに考えるのです。これは私の私見ですから、ひとつ参考にしていただきたいと思うのです。 それから、この問題で基本的な問題について私は触れたいと思うのですが、これから日本の社会も高齢化社会に向かっていくわけですね、そうしますと、たとえば年金一つを取り上げても、いま七人の生産年齢の人たちが一人のお年寄りを支えている、年金受給者を支えているという時代から、もうすぐ四人で一人のお年寄りを支えなければいけないというふうになりますと、生産人口が非常に減っていくときに、大学の教育にふさわしくない人までが進学をする、先ほどエリート教育に対する批判がありましたけれども、私は、社会全体の一つの流れから言っても、いままでのような何でも大学さえ出ればいいのだという、学歴社会というようなことであっては日本の国自体がもたなくなるのじゃないか。本当に大学教育にたえ得る、あるいはふさわしい人が進学をしていって、そういう人は高等教育を受けるより、むしろ手に職をつけて、専門の知識や技能を生かして一刻も早く社会で働くということが必要になってくるのじゃないだろうかというふうに私は思うのです。 一方において、いまいろいろ貿易摩擦を起こしております自動車産業とかあるいはカラーテレビとか電子製品とか製鉄業とか、こういった工業生産の水準が上がってきて日本の経済成長を飛躍的に押し上げたのは日本の高い教育水準にあったという議論もありますけれども、しかし、諸外国と比較をしてみますと、日本の大学進学率というのは非常に高いわけですね。アメリカは表面的には日本よりも進学率が高いわけですけれども、たとえば十八歳、十九歳の部分をとってみますと、日本の方がはるかに高いわけです。ヨーロッパの諸国に至っては日本の半分ぐらいの進学率でしかないというようなことを考えますと、果たしてこれからの日本の大学への進学率というのはどのくらいになっていくのだろうか。また高齢化社会に向けて日本のいわゆる財政力、経済力から言ってもどの程度が適当と考えるのか。ただ増員すればいいのだということではなくて、これは先ほど提案者の方から根本的な検討をこの間にやるのだ、その中の検討材料に入るのかもしれませんが、しかし、いろいろな検討事項の中でこういう将来の大学の全体の一つの規模といいますか、量的な範囲というかそういう面がやはり基本になると思うのですが、この点についてはどうお考えになっているか、見解をお聞きしたいと思うのです。
○西岡議員 お答えをいたします。 小杉委員の御指摘の問題は、高等教育のあり方の根幹に触れるきわめて重大な問題であるというふうに思っております。こうした問題について、早急に文部省として基本的な文教政策、高等教育についての政策を確立してもらいたいというふうに私どもは考えているわけでございます。 ただいまの小杉委員の御質問に自民党の文教部会として考えている概略をお答えいたしますと、やはり多くの国民が広い意味での高等教育の機関に学ぶということについては、長期的に見ても、まさに日本のたった一つのエネルギーのもとでございますから、そうした勉学にかける情熱の中から国民の一人一人の個性、能力が引き出されていくという点においては、高等教育というものができるだけ多くの若者に門戸を開いていくことは望ましいことである、原則的にこのように考えております。 〔委員長退席、谷川委員長代理着席〕 その場合に、高等教育機関がいまのような形で対応できるだろうか。まあエリート教育というようなことについては、エリートという呼び方は余り私自身も語感として好まないわけでございますけれども、やはり真の高等教育、学問研究を引っ張っていく意味での、本当に学問の牽引力になるような研究者というものを養成していくという意味での高等教育機関と、一般的な教養、職業教育という意味での高等教育機関というような形で、高等教育の機関が多様な形で国民の要請にこたえ得る、そういう体制を整えていかなければいけないのではないだろうか、非常に大ざっぱなお答えでございますけれども、自民党文教部会としては検討を続けてまいりたい、このように考えているわけでございます。
○小杉委員 確かに学部とか短大の分野では、量の面で世界一のトップランナーの位置を占めておりますけれども、大学院の教育とか大学院の進学の状況を見ますと、まだまだ貧弱な状況でしかないということがわかるわけでございまして、やはりそういったものも含めて、日本の高等教育の水準を高めるという必要性はますます高まってくると思うのです。 そこで、私は具体的な問題に触れたいのですけれども、大学院の問題に関連しますが、去る五十二年に獣医師法が改正されて、獣医師の受験資格が六年間の大学教育を経た者でなければ受けられないということに変わってきたわけですね。獣医師というのは、数も非常に少ないし、お医者さんとか歯医者さんに比べて、まだまだ社会的に関心を持たれる度合いが少ないわけですけれども、最近のスモンとか水俣病とか数々の公害問題、これを発見したのは世界の獣医学者であったわけですね。そういうこれからの時代の要請にこたえるために、この獣医師の役割りというのは非常に大きいわけですけれども、現場ではもうすでに法律が施行されて、新しい考え方の学生さんがいま大学四年生になっている、来年の四月には大学院に進むという状況です。 こうした獣医師の、六年制に年限を延長したわけですけれども、いまの考え方は、大学四年の上に修士課程の大学院の二年間を積み重ねてやっていくという考え方のようですが、もう一方には、医学部や歯学部と同じように六年間を一貫教育として考えるべきだという二つの意見があるわけです。その辺の考え方を統一しないと、教育現場ではいろいろと混乱が生じていると聞いておりますけれども、文部省は、こうした実態をどのようにとらえ、また、どう対応しようとしているのか、お答えいただきたいと思うのです。
○宮地政府委員 獣医学教育の年限延長の問題についてのお尋ねでございますけれども、五十二年五月の獣医師法の一部改正によりまして、獣医師国家試験の受験資格が引き上げられて、従来大学の学部卒業者でございましたものが、大学院修士課程修了者ということで改められまして、国家試験の受験資格を通じて、いわゆる修士を積み上げるという形で獣医学教育の教育年限延長が実現を見たわけでございます。 この修士の積み上げ方式による教育年限の延長に対しましては、獣医学教育の関係者の間におきましては、学部と修士課程という区分をせずに、六年間を一貫して有機的に構成された教育課程を編成することが最も望ましい形ではないかということで、学校教育法を改正して、医学、歯学と同様に獣医学教育の学部六年制を実施されたいという強い要望があることも承っているところでございます。 そして、また同様の趣旨から獣医師法の一部改正の際の衆参両院の附帯決議においても、将来の獣医学教育のあり方について、そのような方式を実現するように引き続き検討すべきことが指摘もされているわけでございます。 文部省といたしましては、こういう関係者の要望をも踏まえまして、附帯決議の趣旨を尊重して対応してまいりたいということで考えておるわけでございますけれども、学校教育法の改正による学部六年制方式の実施ということについては、従来の検討において、その前提となります学部の適正規模の問題、それから将来の獣医師の需要予測数等との関連ということが基本的にあるわけでございまして、国立大学の獣医学の関係学科の統廃合という問題と獣医学部昇格という、現実問題として大変困難な課題も提起されているところでございます。 したがって、具体的な対応につきましては、御指摘のように、ただいまは修士の積み上げによる教育年限延長の実施が、言うなれば学年進行という形で進んでいる段階でもございますので、その実施の状況を見定めた上で、関係の審議会の意見も徴しながら、学識経験者の御協力も得て検討する必要がある、かように考えているわけでございます。 御趣旨の点は、問題点のある点は、私どもも十分意識をしている点でございますが、現実の処理としてなかなか困難なことがあるというのが率直な現状でございます。 〔谷川委員長代理退席、委員長着席〕
○小杉委員 いわゆる越智答申というのが出されて、いま局長が答弁されたように、学部の統廃合とかあるいは学科を学部に昇格させるというような趣旨の答申が出されましたけれども、現実には、この獣医学関係学部の国立について考えましても、十の学部を五つか六つに統廃合しようというもくろみだったのが、それぞれの大学にOBがいたり、あるいはそれぞれの地域のいろいろ代議士さんの圧力もあったりして、統廃合というのは絵にかいたもちに終わっているわけですね。それから、いまの学科を学部に昇格させると言っても、これからの行政改革という社会的というか政治的な状況の中で、これもまた不可能であるというふうに考えますと、一体これからどうしてこうした衆議院とか参議院の附帯決議にあるような六年間の一貫教育というようなことにこたえていくのか。 聞くところによると、文部省の中に調査会をつくって、いろいろ検討しているそうですけれども、その状況をひとつお知らせいただきたいと思うのです。
○宮地政府委員 御指摘のような点が具体的に問題点としてあるわけでございまして、獣医学の関係学科が、国立の場合、ほとんど農学系の学部の中の一学科ということで位置づけをされているわけでございます。そして従来の検討されました点が、一つは、四年制の学部の中で獣医学関係学科のみを六年とするという点は、制度的にもまた運営上も適当ではなくて、学部修業年限を延長する場合は獣医学部として独立させることが望ましいという点が第一点と、こういうような独立の学部として整備する場合には、入学定員を少なくとも六十人以上とすることが適当であるというような点が第二点として指摘をされているわけでございます。 そうしますと、国立大学に関しましては、国立九大学の獣医学科について、すべて入学定員の増を行って学部として独立させるというようなことはとても考えられない事柄でございますし、そういう意味で、私どもとしても、調査会をこれから具体的に発足をさせまして、ただいま申し上げましたような点が結論として従来いただいている点でございますから、まず、その結論をいただいている点についての見直しをした上で具体的な対応を、学部の修業年限を六年に延長する場合の獣医学の教育研究組織のあり方というような問題も含めまして従来の結論を見直して、今後の検討課題として取り組んでいかなければならない課題である、かように考えております。 それらの点について、私ども、調査会の発足を、学識経験者にお願いいたしまして、これから検討に取りかかりたい、かように考えている段階でございます。
○小杉委員 人事院の方来ていますね。——獣医師法の改正で、獣医師になるのには六年間の大学教育を義務づけられたわけです。ところが、いまのような情勢ですと、仮にいま全国で五千人ぐらいいるのでしょうか、特に食品衛生とか公衆衛生の面で、いろいろ地方自治体の保健所とかそういうところできわめて重要な仕事をしているわけですけれども、大学の修業年限を六年間と義務づけながら、実際に卒業してみますと、医師と同じような扱いを受けないわけですね。お医者さんですと、ちゃんと医療職という、六年間一貫教育を受けた後の待遇を受けているわけですけれども、獣医師さんの場合には、四年の大学卒、そして二年の修士課程を経たということですから、給与とか待遇面で大分格差が出てくると思うのですが、具体的に医療職の場合と一般の積み上げ方式ですか、その場合とでどれぐらいの格差が出るものか、そうして、こういうあり方に対して人事院としてどういうお考えか、お答えいただきたいのです。
○林説明員 お答え申し上げます。 まず、国家公務員の場合でございます。地方公務員の場合は、やや違うようでございますが、国家公務員の場合、獣医師の方、これは研究の関係とか教育の関係とかに従事される方は別でございますけれども、たとえば動物検疫といったような職務に当たっていただく方につきましては、他の俸給表の適用を受けない者ということで、いわゆる行政職の(一)表でございますが、これが適用される、こういうことになっております。 ただ、先生も御指摘のように、獣医師の仕事というのは非常に専門的で特殊性がございますから、そういう点を考えるということで配慮しておるわけでございますが、これはいわゆる上級職の採用試験の区分の対象にはなっておりません。なっておりませんけれども、上級職試験の合格者並みにこれは扱うということで初任給の決定をいたしておる、こういうことでございます。 それから、等級の格づけでございますけれども、これにつきましても、等級別の定数の管理を人事院の方でやっておりますけれども、これにつきましては、専門職員ということでそれなりに適切な配慮をしておるという現状でございます。 医療職との差でございますけれども、これはたとえば初任給で申し上げますと、医師の場合は、医大卒の場合は医療職の(一)の四等級の二号俸ということでございますので、これは現行で八万九千二百円というのが俸給になっております。これに対しまして修士を出られた獣医師の方、こういうことでございますと、これは行政職の(一)の七等級の三号俸、こういうことに相なりますので、初任給といたしましては十万六千九百円、こういう金額になっております。——失礼しました。医療職の(一)でございますが、十三万九千円でございます。
○小杉委員 大変数が少ないので、皆さんの関心が薄い分野だと思うのですけれども、いままでの食品公害とか薬害とか、そういう問題から考えますと、法律で六年間の義務づけをして専門知識をもっと身につけろということにしておいて、一方においては、こうやって待遇面で見ましても、大体三割ぐらい差があるわけですね。国会の附帯決議においても「六年制獣医師については、その処遇について十分配慮されるよう所要の措置を検討すること。」ということになっておるわけですから、人事院においても速やかに検討を進めるべきだと思いますけれども、これは文部省の六年制一貫教育との関連で、人事院単独で、たとえば獣医師を医師と同じような扱いにはできないのでしょうか。それは学校教育法の五十五条ですか、これを改正して、正規にお医者さんや歯医者さんと同じような、そういう位置づけにしないとできないものかどうか、あるいは現行の積み上げ方式でもそういう待遇面での格差は是正できるのかどうか、お答えいただきたい。
○林説明員 お答えいたします。 新制度によります獣医師の方は、昭和五十九年以降採用されることになるというふうに私ども承知しておりますけれども、こういうふうに制度が変わるということに伴いまして、獣医師の方の給与を今後どういうふうにするかということにつきましては、いま先生も御指摘になりました農林水産委員会におきます附帯決議もございますから、そういうものも頭に入れまして、慎重に検討いたしたい、かように考えております。
○小杉委員 大学局長に伺うのですけれども、先ほど、これから調査会をつくって検討するなんて言いますけれども、現実にもう学生が四年生になって卒業を間近に控えているわけですね。 それで、検討課題としていろいろ二つの面、すなわち学部として独立させるとかあるいは六十人にするとかいうことは、現実問題としてはこれはもう不可能ですよね。ですから、この越智答申というのが実質上もうできないということがわかっていて、これから調査会をつくって検討するというのは、ちょっと無責任じゃないかと思うのですけれども、医学や歯学教育と同じように、獣医学教育についても、学校教育法五十五条を改正して、六年の一貫教育という位置づけをはっきりとすべきだというような要望が強いわけですけれども、再度文部省の答弁を求めたいと思います。
○宮地政府委員 先ほども申し上げましたように、獣医師法の改正に伴います受験資格の改定による教育年限の延長の問題は、いわば現在学年進行中ということでございまして、具体的には、五十七年四月に大学院修士課程に進むことになるわけでございまして、修士を修了いたしまして、五十九年に新しい制度の問題が発足するわけでございます。 私どもとしては、言うなれば、現在は獣医師法の改正によります新しい仕組みがまだ完成年度に達していなくて学年進行中であるものだというぐあいに理解をしているわけでございます。 そして、先ほど申しました見直しということは、二点という点は、前にいただいておる結論が、先ほど申し上げたような二点について結論が出ておるものでございますから、その結論について、これは現実問題としての実施が困難な面ということも御指摘のようにあるわけでございます。そういうような点を調査会を設けて、それらの点について、従来いただいた結論についてやはり見直しをした上でないと、どういう対応をするかということは考えられないわけでございまして、そういう意味で、調査会で学識経験者の御意見を、従来の結論の見直しを図っていくというような点で必要なことだ、かように考えております。
○小杉委員 学年進行中でまだ余裕があるなんという答弁ですけれども、そう簡単に、法律改正だっていろいろあるわけで、いまやって来年からすぐ間に合わせるというわけにもいかないわけですから、この問題、真剣に結論を出して法改正の方へ進まれるように要望いたします。 時間が多少余っておりますけれども、私の質問はこれで終わります。ありがとうございました。
○三ツ林委員長 午後一時四十分に再開することとし、この際、暫時休憩いたします。 午後零時五十六分休憩 ————◇————— 午後一時四十三分開議
○谷川委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。 委員長所用のため、その指名により、委員長がお見えになるまで私が委員長の職務を行います。 この際、参考人として法政大学経済学部教授尾形憲君、日本私立大学連盟常務理事尾形典男君、国立大学協会会長代理香月秀雄君及び日本私立大学協会専務理事矢次保君の四名の方々に御出席を願っております。 委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。 御案内のとおり本委員会におきましては、目下、私立学校法及び国立学校設置法の一部を改正する法律案を審査いたしております。つきましては、日ごろわが国の高等教育の発展に御尽力されておられまする参考人各位の御意見を拝聴し、審査の参考にいたしたいと存じますので、参考人におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。 なお、議事の都合上、初めに参考人各位から御意見をそれぞれ十分程度お述べいただき、その後委員からの質疑に対しお答え願うことにいたしたいと存じます。 それでは、まず香月秀雄参考人にお願いいたします。
○香月参考人 ただいま御紹介のありました香月でございます。 時間の関係がございますので、要点だけを最初に述べさせていただきます。 昭和五十年に私立学校法の一部改正が行われまして、附則十三項が設けられました趣旨は、私学振興助成法の制定が行われるに当たりまして、この助成法を有効かつ適切に運用するためと私は理解しております。 私学に対する国の財政援助の法的保障というものを定めるに当たりまして、私立大学の量的拡大を極力抑制しまして、その質的内容の充実に国の財政援助が向けられるよう配慮され、私立大学の一方の意思によって国の財政負担が無制限に膨張することを避けようとされた点は、はなはだ適切な処置と考えております。 今回、この附則十三項の期間延長を図られたことは、当初に考えられた関連する二つの立法措置の意図する点がなお十分に図られていないとの認識の上に立たれたものと考えれば、やむを得ないものと思います。 しかし、私学助成法と一体として活用されるものとして設けられた私立学校法附則十三項の期間延長等の改正を国立学校設置法に及ぼし、その一部を改正し、同様な趣旨の国立大学の設置、学部・学科の増設、さらには大学院の設置に至るまで、並行した立法化を図られることは、はなはだ理解に苦しむところであり、はなはだ不自然の感を否めません。 本法律案の提案理由にも述べられておりますように、国立大学については、従来も教育研究上の要請あるいは人材の計画的養成等の社会的要請にこたえる観点から、設置等の必要性を十分に吟味した整備が図られてきたというふうに理由に述べておられます。しかも国立大学に関する事項は、政府予算案、国立学校設置法の改正として国会の議を経た後承認されるものでありまして、手続上は私立大学と同様な法的規制を必ずしも必要とするものとは思えません。しかし、国公・私立を通じる大学に関連する多くの困難な問題は、この改正案を提案された議員諸公の危惧される心情に通じるものがありまして、大学の抱えている懸案事項の解決の一助になるということであれば幸いと存じます。 特に、大学の質の低下がわが国の将来に及ぼす大きな影響を考えるとき、困難な国家財政下にあっても、国立・私立を問わず、その財政負担を国は避けるべきではないというふうに思います。 特に、わが国に残されるであろうただ一つのものとしての頭脳の育成ということは、大学の研究基盤になっている大学院の整備充実にかかっており、本法の制定、さらに運用に当たり、基礎科学の一朝にして成らざるということを深く認識され、慎重な配慮を強く望むものであります。終わり。(拍手)
○谷川委員長代理 次に、尾形典男参考人。
○尾形(典)参考人 先ほどの御紹介のとおり、私は、きょう私立大学連盟の常務理事としてお招きをいただきましたので、その立場から意見を申し上げたいと存じます。 基本的に申しまして、今回の法律改正の趣旨、これは二、三の疑問点が残るところはございますが、しかし、全般としてその趣旨は理解できるところでございます。ことに量的な拡大よりは質的な充実に重点を置くという施策、これが今後も進められる必要があるとお考えになった点については、私は賛成でございます。 新制大学の発足以前の大学学生の総数は十三万でございましたが、新制大学発足後十年にして四倍にふくれ上がり、さらに二十年後には十倍にふくれ上がる、これが日本の高度成長の基礎をつくることに大きく貢献したところであると私は考えます。今日においては、百七十七万の学生を抱えております。すなわち十三・五倍でございます。しかしながら、この急激な量的な拡大、これは必ずしも質的な充実を伴ったとは言いがたいものが多々ございますし、その問題の重大さというものは非常に大きいものと考えざるを得ません。 しかも、この質の充実という点については、問題点は大きく分けて二つあると存じます。従来のような姿での教育内容というようなものが、あるいは研究内容というものが、そのままの姿で今後いくといたしましても、教育・研究条件の整備と充実という点は依然として続けなければならない、これがわれわれの第一の使命であると存じます。 たとえば教員対学生比とかあるいは教育・研究条件の物的な条件の問題、これは非常に質的に私は弱いと存じます。一部の世の中で通用しております意見の中には、大学はピッカピカというような言葉もあるようでございますが、少なくともわれわれの目から、欧米各国における大学の教育・研究条件というものを考え、しかも日本の大学の教育・研究条件というものを考えてみますると、国立も含めましてこれが質が非常に低いということは、十分に認識してかからなければならぬところであると存じます。ことに教員の充実というようなことは、今後においても必要であろう、特に力を入れなければならぬところであると存じます。 第二に、いままでの大学教育、これは率直に申しまして、欧米各国でつくられた知識・技術というものを輸入して教育していく、研究もその線上にあるというような姿でございました。いわば輸入研究であり、輸入教育であったと存じます。 しかし今日、大学教育が心がけなければならぬものは、より創造的な研究であり、また教育においても、社会に出ていってからでも自分の頭で物を考え、自分の目で物を見、自分の行動によって対策を講じていき得るような創造的な人間、これを社会に送り出さなければならないという新しい課題が高等教育に課せられておると存じます。そのためには、研究条件の整備についての投資と申しますか、これを十分に、しかも諸外国、欧米各国を超えるとも劣らないような研究条件を整えなければならないという課題が一つございますし、教育の面においては、その教育内容、教育方法について、いま申しました創造的な人間をつくるような教育内容に変えていかなければなりません。 このような努力というものは、少なくとも私立大学連盟加盟の大学においては、ここ三、四年その面に非常に力を注いでおると確信いたすわけでございますが、そのためには、やはり物的、人的条件というものが整いませんと、そのような教育の内容、方法の改善というものもできないわけでございまして、そういう意味において、現在、ことに私立大学におきましては、質的改善ということこそ最も重大な課題でございます。 したがいまして、現在の設置審議会の持っております認可基準、審査基準、そこでは特別の必要を認められるものは、新増設、定員の増加その他が認められておるわけでございまして、そういう点から、もしこの設置審議会の基準というものが依然として続くといたしますれば、既存のものについての質的な、内容的な充実ということを図っていくこと、これができますし、また、それが最大の課題でなければならぬというふうに考える点から、基本的に法律改正の趣旨は理解できますし、したがって、一歩踏み越えて言いますならば、賛成と言っても差し支えないかと存じます。 先ほど二、三の疑問点は残るがと申しましたが、疑問点と申しますのは、この改正案の中で三年という期限が切られていること、これが何が根拠なのか、私は、少なくとも理解できないわけでございますが、続きまして、問題点として考えますことは、量的な規制というものを柱にして質的な充実を図っていくという方向、この点について疑問ないしは問題点があるというふうに存じます。 ことに、現在の審査内容に即して言いますと、量的規制、これが第一には、十八歳人口の動向とかあるいは進学志望率の動向とかいうような数量的な基準を一方の柱といたしまして、他方においては、ことに首都圏及び近畿圏における工業、工場等の制限区域あるいは政令指定都市そのほか三全総にかかわる、そのようないわば教育外的な要素によってこの量的規制の基準が決められているということは、私は、必ずしも妥当な方向ではないというふうに感じます。ことに、地域的な量的規制は、場合によっては質的に十分であり得ない大学でありながら新設されるというような危険性にもつながらざるを得ない点を持っておるというふうに私は認識いたしております。 したがいまして、この点との関係において言うならば、少なくともこの与えられた三年間の中において特別の必要性というこの認定の内容について、いま申し上げましたような数量的な観点からではなしに、より基本的に文化、教育政策的な観点から根本的な検討が必要であると存じますし、いわんや三年後、この時限立法の期限が切れる後においては、ことに、それに備えていまから文化、教育政策的な観点からの質的な審査基準というものが確立されていかなければならぬというふうに考えます。 第二の問題点として私が考えますものは「大学院の設置」という文言でございますが、これについては十分に理解できない点もございます。 大きく分けまして第二に、私立大学の立場から申し上げますと、量よりも質という観点には同調せざるを得ません。一つの理由は、特に必要性を認められた場合というものが除かれ、それについては依然として設置可能であるという点がございますし、第二には、先ほど申しましたように、私立大学は現在大学生の七七・六%を抱えておりますが、社会の需要に応じて量的な拡大に邁進した結果、どちらかというと質的な充実というものがまだまだ足りません。したがって、私立大学にとっては、三、四年前からわれわれが課題としておりますように、まさにいまこそ質的充実の時期である。そういう意味から、各私立大学は、それぞれがこの質的充実に向けて各大学の予算を考えていき、使うべきだというふうに考えます。 そのような立場からも、すなわち私立大学の立場からも、少なくとも私立大学連盟といたしましては、この法改正に対しまして基本的に了解できますし、これに全面的な反対というようなことは毛頭ございません。 以上をもって終わります。
○谷川委員長代理 次に、矢次保参考人。
○矢次参考人 私立大学協会の考え方も、この法律の基本の立場であります量の増大よりも教育と学術研究の質の画期的充実を期さねばならないということにつきましては、全く同じ立場をとるものであります。私立大学協会は、加盟大学約二百十大学でございますが、足並みをそろえて、この数年来、いかに大学の質の充実を実現するかということに衆知を集め、全力を傾注しておるのが実情でございます。 とは申しましても、五年前に制定されましたこの私学法附則第十三項につきましては、何と考えても私学に対する国の助成の問題を越えるもっと大きな根本的な問題を感ずるのでございます。 この立法が行われました当時の一番の問題点は、御記憶のとおり私立大学が次々に設置され、あるいは学部・学科が増設されることによって生ずるであろう国の財政支出の無限の膨張に歯どめをかける必要があるという政府、特に大蔵省側の強い要請があったということが主たる理由のように理解をいたしておるのであります。 しかし、このような法律を設けて歯どめをかけるという方法は、いかに考えても適切なものではないと考えられるのであります。大学設置基準及びその適用によって歯どめをかけるべきであって、あるいは予算の配分、助成金の配分の際に歯どめをかけるべきであって、立法によってこのような措置を講ずることは賢明ではないというふうに今日も考えておるのであります。 と申しますのは、法律制度論として二つの大きな問題に当面するのではないかという問題であります。 第一点は、民主政治、法治国家の基本の問題であります。今日のわれわれの民主的法治国家の基本の一つは、国民の権利を制限し、あるいは国民に義務を負荷するという場合には、国は立法機関において、あらかじめ法令をもってその条件を定めまして、その条件の範囲内において国民の権利を制限し、あるいは義務を負荷することになっておると思うのであります。決して政府が無制限に国民の権利を制限し、あるいは義務を負荷することはできない、これが民主政治の、法治国家の基本の一つであると考えられるのであります。 この条項は、御承知のとおり、文部大臣が特に必要と認める場合のほかは認可しない、こういうことであります。今日、長い間わが国におきましては、大学は国もつくれる、地方公共団体もつくれる、民間もつくれる、こういうふうに民間に権利が与えられておるのであります。ただし、国の定める一定の条件、すなわち大学設置基準を満たしていなければ文部大臣は認可をしないことになっておるのであります。その条件を満たしておるか否かは、国の機関であります大学設置審議会がその物差しを当てはめるのであります。審議会が条件を満たしておると判断したならば、文部大臣は、好むと好まざるとにかかわらず、これを大学として認可する、国民の権利をここに確立いたしておるのであります。 ところが、この条項を読みますと、どう解釈しても、文部大臣が特に必要と認めるもののほかは認可しない、条件にかなっておっても、文部大臣が特に必要と認めなければ認可をしないということに勢いなるのであります。 そういたしますと、先ほど申しました民主政治、法治国家の基本の条件の一つは一体どうなるのだろう。見ようによっては独裁政治を立法化したというような感じさえそこからは出てこないか。非常に根本的な大きな問題ではないかと考えるのであります。 第二点は、学問の自由の確立の問題であります。 大学は、最高の教育機関であると同時に、学術の研究機関であるわけであります。大学はへその学問研究の必要上いろいろな学部を設置し、学科を設置するのであります。これは国の定める条件を満たしておる場合には、これができることになっておるからこそ、わが国は民主国家である、法治国家であると言えるのではないかと思うのであります一条件を満たした学部あるいは学科をつくろうというときに、文部大臣がそのよしあしを判断するということが行われるのでは、これは行政官庁である文部省、国家権力あるいは政府権力の学問支配にならないであろうか、非常に根本的な問題にぶつからざるを得ないと思うのであります。もちろん、わが国の大学は、戦後先ほど来のお話のように、量的に非常に拡大をいたしてまいりました。今後の重点は、できた大学の教育と学術研究の質を、名実ともに大学たるものにするということが国を挙げての中心の課題であるのであります。しかし、学問は日進月歩であります。もし従来の大学にそれが欠けておるならば、新しく発達した学問研究、これを教授し、また研究する大学が生まれることを阻止してならないことは言うまでもございません。 あるいはまた社会の進展に伴って、あるいは産業分野の拡大に伴いまして、新産業の発達に伴いまして、新しい分野の技術者や経営マンを養成する大学の必要、社会の要請が生じたとき、従来の大学が十分にそれにアダプトしないならば、産業の必要上新しい大学は生まれざるを得ないのであります。これを阻止することがあってはならないことは言うまでもございません。 あるいはまた、すでにある同種の学部であっても、新しい理念のもとに、新しい教育・研究方針のもとに、新しい大学が従来の大学よりも、より以上の施設・設備、教員、組織等の条件を満たして生まれるときに、これを阻止することがあってはならないことは言うまでもないと思うのであります。 そういう観点に立ちまするときに、基本の立場でありますところの量の拡大よりも質の充実という目的を達し、かつ、財政の無限の支出に歯どめをかけるためには、このような立法の方法でなくて別の方法、すなわち大学設置基準を改める、厳重にする、また、その適用を厳正にする、さらにまた、毎年予算で決定されます私立大学に対する助成金の枠内において各大学への配分の際に適切に配分されるようにすることによって、財政の無限の膨張を避けることも十分にできるのではないかというふうに考えておるのであります。 どうかよろしくお願いいたします。
○谷川委員長代理 次に、尾形憲参考人。
○尾形(憲)参考人 立教大学の尾形先生と紛らわしいのですが、法政大学の尾形でございます。教育の問題を経済学の角度から見る、そういう立場で研究をしておりますので、そういう観点から意見を申し述べさしていただきたいというふうに思います。 私、七年ほど前、石油ショックの次の年になりますけれども、これからの進学は恐らく低下するだろうというようなことをある雑誌に書きました。と申しますのは、日本の教育は、人間一人一人を大事にするという教育、一人一人の可能性を引き出す教育ではなくて、もっぱら経済のための教育である。これは十年ほど前に参りましたOECDの教育調査団が、経済という機関車に連結された列車であるというぐあいに日本の教育を言っております。もっぱら人間をふるい分ける、そういう手段として教育が各段階とも使われているということをずばり指摘しております。そういうもの石ある以上、低成長経済ということで経済が変わり始めた、そうなりますと、当然、それに乗っかってきた教育は変わらざるを得ない。具体的には、進学は低下するだろうというぐあいに考えました。 いい大学というのは一体何を言うかといいますと、教育・研究内容のいい大学ではありませんで、中央官庁あるいは大企業への就職率のいい大学、そういうところへの進学率のいい高校がいい高校、以下いい幼稚園にまで及ぶということになります。 その後の経緯を見ますと、御存じのように昭和五十一年春、戦後初めて四年制大学への進出者数が前年よりも三千数百人減りました。と同時に、それまで毎年二、三%ずつふえてきた高等教育の進学率が、〇・八%増ということで一挙に鈍化いたしました。その後は、十八歳人口の変遷に伴って、進学率もしくは進学者数が上がったり下がったりするという低迷状況になりました。五十四年には、進当者数が二万二千以上減るという大幅な減少があったために、進学率自体が一%も下がってしまうという、これまた未曽有の事態になりました。この年は、戦後一貫してふえてまいりました四年制大学の学生の総数が、戦後初めて一万六千の大幅な減少を来した年です。次の五十五年、昨年ですけれども、十八歳人口に見合う進学者増があったために進学率はもち合いになりましたけれども、進学志望率は四年連続ダウンという状況になりました。 私が重視しておりますのは、進学率は十八歳人口が分母でこれに左右されますから、上がったり下がったりするというのはあたりまえですけれども、高校在学中すでに一校も短大も大学も受験しない、進学志望しないという者の比率が上がってきた、これはやはり非常に重大なことではないかというぐあいに見ております。 この春については、昨年労働省で調査したところによりますと、やはり進学志望率が下がっております。そういう中で、たとえば私学の比重、これも戦後一貫して上がってきたのが、最近は低迷よりもむしろダウンという状況になっております。 中教審答申が昭和四十六年、短大、大学を含めて昭和五十五年の進学率を四七・二というぐあいに予想しましたが、これが高等教育懇談会の五十一年春の報告では、五十五年に高専を含めて四〇・三、高専を引きますと三九・八ぐらいになりましょうか、というような引き下げが行われる。 これが実際どうなったかということを申しますと、昨年の春は、短大、大学、それに高専を含めますと三七・九というような実績です。高等教育懇談会は、この五年間に三万一千五百の増員を見込んで四〇・三というぐあいに考えたわけなんですが、実績は、入学者数が八千人ほど逆に減りました。したがって、すでに四万という開きが予想よりも出ております。 こういうような状況は、特に細かく見ますと、現役、男子、それから大都市ではなはだしい。東京とか大阪というようなところでの進学率を見ますと、東京では五十年と五十五年を比較しますと、六一・五%だったのが五二・六%、実に九%もの低下という大変な低下を来しました。 そういうような流れがどう変わったのかというぐあいに申しますと、よく言われますような大学離れということで、専修学校や各種学校にどんどん流れているという状況になる。したがって、昨年の春の入学状況なんかを見ますと、いま言った専修学校等々へ流れる。他方、大学、特に私大の入学者数が減るということがありまして、高等教育懇談会が、この五年間に一%国公立・私立の入学者数の比率を是正しようというぐあいに考えておりましたのが、予想よりも倍上回って二%の是正ということが達成されてしまいました。 そういうような背景には、私が先ほど申しましたような低成長経済というものがあります。もうすでに大卒がブル−カラーあるいはグレーカラー化ということで、大卒の肩書きが物を言わない。そうしますと、おのずとこれが入り口にはね返ってくる。企業の方も終身雇用、年功序列が動揺してきたという状況がある。そういうわけで、学歴社会がいままでのとおりいくということはあり得ない。 外国の状況を見ますと、すでにアメリカ、西ドイツ等では、十八歳人口がどんどん下がっておりまして、毎年十も二十も大学がつぶれるという状況が出ております。これは決して人ごとではありませんで、わが国でも私立短大が毎年何校もつぶれるという状況があります。今後十一年間はまだ十八歳人口がふえ続けますけれども、昭和六十七年の二百六万をピークにして、その後十年間下がります。百三十万ぐらいまで下がるだろうという予想がありましたけれども、もっと下がるのではないか。最近の出生率を見ますと、ひのえうま並みの出生率という状況になっておりますから、もっと下がるのではないか。あるいはそれ以前に、すでに大学離れの傾向が十八歳人口の増加を上回る、そういう状況が恐らく今後出てくるのではないかというぐあいに私は見ております。 したがって、基本線としては、本法案で考えられております背景については、十分理解できますし、そのとおりだろうというぐあいに思います。 ただ、問題は質の問題です。量的な抑制はあっても、一体大学というものをどう考えるのか、そういう考え方が、実は中教審答申、高等教育懇談会の報告、あるいは一昨年の設置審議会の報告、そういうところでもすっぽり抜け落ちております。大学の質の問題、これはいままでほかの参考人もおっしゃいましたけれども、ただ単に教員一人当たりの学生数とかいう量的な問題ではありませんで、もっと深いかかわりを持っているというぐあいに思います。 ありていに申しますならば、いまの大方の大学はレジャーセンターになっているのではないかというぐあいに思います。教育・研究の場という名前を掲げながら、実はパスポート授与場になっている、全部が全部とは申しませんけれども。そういう状況をどう変えていくのか。特に日本の場合は——ヨーロッパですと専門型の学部ですし、アメリカの場合ですと人間づくり、リベラルアーツ型の大学ですが、日本の場合一体どっちなのか、非常に中途半端な存在です。 そういうような質の問題を深く問われたのが、実は十数年前の大学闘争だったわけですが、そのときの問題は、その後たな上げになってしまった、この問題が実は今後の中心的な問題なのではないか。 私たちは、全国で、国庫助成に関する全国私立大学教授会連合という組織をつくって国庫助成運動をやっておりますけれども、その場合に、国庫助成というのは、ただ単に金をよこせ、そういう運動ではない。大学の進学率が高まったとは言いながら、入れない人たちが過半数である、しかも今後もっとふえるだろう、そういう人たちからも取り上げた税金をわれわれによこせという論理、これは私学はもちろんのこと、国公立はまる抱えですからなおさらのこと、一体どういうぐあいに言えるのかということをきちっと踏まえないでは国庫助成運動は成り立たない。したがって、これからの大学のあり方、これを見据えて、これに接近する努力を重ねる、これを根底に据えての運動だろうというぐあいに考えております。 結論的に申しますと、先ほど触れましたように、本法律の改正が出てくる背景については全く賛同できますけれども、しかし問題は、こういうような法律という形でもって教育・研究を縛ることには賛成できません。本来、教育・研究というものは権力に対して独立であるべきである、自立であるべきである。そういうことで、すでに大学設置審議会があり、私学については私立大学審議会がある。そういうようなところで十分意を尽くし、議論されるわけですから、それ以上に法律でもってこれを縛るというのは穏当ではないのではないか。 以上のように考えます。
○谷川委員長代理 これにて参考人各位の御意見の開陳は終わりました。 —————————————
○谷川委員長代理 これより参考人に対する質疑に入ります。 なお、委員の皆様に申し上げます。参考人には尾形姓がお二人おられますので、参考人に答弁を求められる場合には、あらかじめどちらの参考人か御指定願います。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。木島喜兵衞君。
○木島委員 どうもいままで御教導ありがとうございました。 この法案の審議のためにおいでいただいたわけでありますから、したがって、もちろん討論ではございません、ただ、そういう意味では、ときに失礼なことを言う場合もあるかもしれませんけれども、できれば学生に教えるように教えていただければ大変ありがたいと思っております。 最初に、言わずもがなでありますけれども、この助成問題についての基本的な問題として、もう言わなくていいことでございますけれども、しかし、憲法八十九条は、公金を公の支配に属しない教育の事業に対して利用してはならないとある。この問題はもうすでに解決しておると思うのでありますけれども、すでに私立大学といえども、私立学校は学校教育法第一条の学校であり、そして教育基本法第六条による公の性質を有するものであるという、その六条を受けて私立学校法第一条は公共性をうたっておる。さらに私学法では第二章に法人の法的規制、あるいは三章において文部省、所管庁の監督等をうたっておるという意味において、この憲法に言う、学校法人の私学は公の支配に属するものである、よって助成は違憲ではないということはもはや定着していることでありますけれども、なお、その議論がないわけではありませんので、そのことについて、もうこれは余り時間をとる必要はないのでございまして、イエスかノーか、私学の先生方から一言ずつちょっとお願いできませんか。
○尾形(典)参考人 いまの御質問は、私立大学に対する国庫助成は憲法違反ではないかという趣旨の御質問だったろうと思いますが、私はそう考えません。(木島委員「私が聞いたのは逆なんです」と呼ぶ)違反じゃございませんと私は考えます。
○矢次参考人 私は、その問題につきましては、戦後私立学校法制定の際に委員会をつくりまして、百一回の委員会をやりまして、そしてあの私立学校法が制定されたのであります。御承知のように、その第五十九条に、国または地方公共団体は、教育の振興上必要があると認めるときは、私立の学校に対して補助、貸し付け、または他よりも有利な条件で国有財産を譲渡することができるという法律が制定されたわけであります。そして、そのような助成を受ける場合に、学校法人に多くの義務が課せられることになったのであります。 その後に各種の条項がございますが、このような法律制定過程に、一度も欠席せず委員会に出席をし、討論したものでございまするが、林修三当時の法制局長官の異なる意見等もございましたけれども、憲法を制定されました金森大臣、また総司令部の方も、完全に、特に金森先生などは、最初から私学に対する公費助成はできるのだ、あの憲法のままでできるのだという御見解を常に披瀝しておられまして、御自宅でも何度もお話し合いをしたのでありますが、すでにこの問題は終わっておるというふうに私どもは存じております。
○尾形(憲)参考人 先ほど紛らわしいと申されましたが、尾形憲の方でございますけれども、結論的に申しまして、私は、法律学者ではありませんけれども、憲法違反ではないというぐあいに思います。 一言つけ加えたいことは「公の支配」という場合に、国家権力の支配というぐあいには私は理解いたしません。むしろ公共性を持つ私学、そういうものとしては国民に直接責任を持つ、これが基本法十条の立場ですけれども、そういう観点で国民の直接の支配と申しますか、具体的に申しますと、たとえば最近医大の金権体質というようなことが問題になっておりますけれども、ああいうようなことが起こるのは、やはり国民に対して経理等をあからさまに全部公開をするということで直接責任を持つ姿勢を示すということがないから、ああいうことが起こるというぐあいに考えております。そういうような意味を含めて決して違憲ではないというぐあいに考えます。
○木島委員 したがって、憲法の言葉で言うならば、私立大学も公の支配に属する、すなわち教育は公の性質を持つものであり、公共性を有するものであるという前提でありますから、そういうことに限定するならば、この私立大学といえども、憲法二十六条の国民の教育権の保障、教育の機会均等の保障あるいは十四条の法のもとにおける平等ということを前提にするならば、国公・私立という区別は一体何であろうか。むしろ助成は同じように国の責任ではないか。国公・私立を何で区別するのか。設置者が違うだけである。一体何で区別されるのだろうか。 この点は、あの中でもって、ことに西岡さんは、国公・私立の役割り分担を新しく考えたいというお話がございましたが、それはそれなりにわからぬわけじゃないのでありますけれども、そういう観点に立つならば国公・私立とは一体何だろうか。たとえば建学の精神だとかあるいは自主性と言いますけれども、しかし、国公立がもっと特色を出さねばならないのじゃないのか。今日の格差というのは、東大への近似度によって格差がつけられている。むしろそこに教育の一つの問題があるのであって、特色を出さねばならない、伝統をつくらなければならない、横の格差をつけなければならない。とするならば、建学の精神も自主性も、国公・私立においてそう変わるわけがない、教育・研究というものを中心に考えるならば。 量のみで立ったって、いまお話がございますように、国立が二二・四%、私立が七七・六%ということでございます。一般的に学費は私立は三倍であり、教育条件は三分の一だとならば、九分の一ということになるわけです。一体そういう差というのは、量だけで言うならば、国立は低負担高サービス、私立は高負担低サービスということになりますね。しかし、公の性質を有するものであり、公共性であるならば、そういう意味では国公・私立というのは一体何なんだろうか。その基本的な疑問がまずわからないのでありまして、その辺を御教示いただければ結構でございます。
○谷川委員長代理 木島委員に申し上げますが、どの参考人にお尋ねになるか、あらかじめ御指定をいただきたいと思います。
○木島委員 この場合は、私もどうということを言えないので、これは私立の先生方でしょうかね、私大関係の方でどなたでも結構でございます。なるたけ簡単にお願いします。
○矢次参考人 矢次でございます。 おっしゃるとおり差別はない、そういう意味において、根本において差別はないと存じます。ただ設置者が違うだけである、こう考えております。 ただ、つけ加えますが、今日、高等教育費の国立大学と私立大学への支出の点につきましても、今日のように明治初期の延長をただそのままやっておることは根拠を失っておる、私は根本的にそう思っております。国立大学だけほとんど全額を国費で賄い、そして私立大学にはこのような状況というのは、明治の初期は、御承知のとおり、わが国の急速なる近代化と申しますか、国家建設のために国が大急ぎで国費を投じて人材を養成しなければならなかったというはっきりした国家的、社会的な根拠があったわけであります。しかし、時代は変わり情勢は変わり、先ほど来お話のように、わが国の高等教育と学術研究の大部分を私立大学が担当いたしておるのでありまして、そういう時代はとうに終わっておるのでありまして、その国家的、社会的根拠は完全にとうの昔に失われておるのでありまして、根拠なきことをただ漫然といつまでも続けておるところにわが国社会の高等教育における大きなひずみがあるというふうに考えておるのであります。
○木島委員 香月先生にちょっとお聞きしたいのですが、いま言いましたように、憲法に言う公の支配に属する、そして公の性質を持つという教育基本法の言葉、あるいは私学法第一条の中にも公共性という言葉がある、そういう限りにおいては、国公・私大学教育というものは、国公・私立で差がないのだろう、違うのは設置者だけだという感じを持つのですけれども、国立大学の立場ではその点はいかがでございましょうか。
○香月参考人 お答えします。 私も木島議員と同じような考え方でございます。特に区別はないと思います。
○木島委員 したがって、そういう意味では、差がないならば、さっきも申しましたように、国立は低負担高サービス、私立は高負担低サービス、これは法のもとにおけるところの平等という憲法第十四条との関係は一体どうなるのだろうかというまず基本的な疑問を持つのでありますが、いま国立も私立も大体見解は私と同じだというお言葉をいただきましたが、そうすると、一体この法律の二分の一以内の助成という意味はいかなる意味を持つのか。仮に、二分の一以内ということだから二分の一の最高までいったところで、二分の一に達したところで、あとは授業料でもって、学生の納付金ならば物価指数か人件費の上昇率によって授業料というものはスライドされねばならなくなってくる、これは一体どういうことになるのだろうか、もし全額であったならば、先ほどからお話のございますように、これは権力の介入のおそれがあるというならば、それは二分の一だって二分の一以内だって、あるいは一%だって、やはりその意味においては公権力の介入ということになるでしょう。それとこれとは別だろう。 一体、この法律におけるところの二分の一以内というこのことは、先ほどから私が御質問申し上げているところの趣旨を通してどのように御理解いただいておりますか。
○矢次参考人 私どもの考え方は、教育は本来純粋なる私的行為でありまして、一人の人間が生まれてそして死ぬるまでの間に、みずからを修行して、そして一個の自分自身になる、一個の人間になるという行為であるということを基本に据えておるのでありまして、わが国の歴史では、明治以後、何となく国が近代国家の国民をつくる、国の政策あるいは富国強兵政策、そういうものの道具視した面があったと思うのであります。あるいはまた戦後において、産業の発展のためのよき道具をつくるというようなゆがみが、わが国の百二十年の教育の歴史の中に非常に強くあることを遺憾に思っておるのでありますが、基本的に、みずから一個の人間になる営みである、こう考えております。 したがって、その経費は、基本的には自己負担すべきものであるという考え方が根底にあるわけでございます。しかし、その教育の結果が、社会の発展に寄与し、そうして究極において国家の発展に寄与するがゆえに、自己負担だけではとうてい賄えない部分について、できるだけ国もまた社会、産業界も、その経費の一部を分担すべきものである、こういう考え方でございます。 したがって、国立大学の学生についても、いまのような行き方はもう根拠はない、半分ぐらいは自己負担すべきである、こう思っておるのであります。 以上でございます。
○尾形(典)参考人 私は、公共性イコール公の支配に属するということは、そのまま御賛成申し上げるわけにはまいりません。設置者の違いだけで国公立と私立の違いがあるのだとも思いません。設置者の違いは確かにございますが、国立・公立、これをわれわれは税立大学と称しておりますが、これは国民一人一人の税金によって賄われているものでございます。したがって、社会的需要のあらゆる面にこたえていくという責任を国公立は持っておると私は存じます。 ただし、私学は、その公の社会の需要の中においても、うちの大学ではその点はできないけれども、この点の特色を持ってやるのだということが許されるものと考えております。そういう点において私学はまさに独自性を持っている。したがって、国立と同じような学科なり学部なりをすべての私立大学が持たなければならぬとは考えませんし、教育のみならず研究の面においても、自分の大学の建学の精神の中で、これこそ社会に奉仕することのできる最大のものであるというものを自主的に取り上げて、それに向かって研究し教育していくのが私立大学の特殊性であり、独自性であると考えております。 しかし、いまの参考人も申されましたように、研究と教育の結果は社会に還元されていくわけであります。その点において国の助成というものがあってしかるべきだというふうに存じます。
○尾形(憲)参考人 国公・私立によって基本的には差はないというぐあいに私は考えます。と申しますのは、たとえば国公立だから独自性とか特殊性がなくていいのかというぐあいに言いますと、決してそうではないと思います。 たとえば、これは小学校レベルの話になりますけれども、群馬県の島小学校とかそれから世田谷の代沢小学校、そういうところで金沢嘉市さんだとか、それから斎藤喜博さんが校長でりっぱな独自な教育をやったりなんかしました。それから、これはつぶされましたけれども、山梨の巨摩中学校もあります。三鷹の明星学園と同じような伸び伸びした教育を公立の学校がやっている例があります。 したがって、国公・私立については基本的には差はない。ただ、現実に日本の歴史を見ますと、言うならば私立が国公立の産業予備軍と申しましょうか、クッション的な役割りをいままで演じさせられてきたという歴史があります。学生数あるいは生徒数がふえる、そういう急増期にはわんさと詰め込ませられ、一たん潮が引きますと、そのしわ寄せが全部私立に参ります。あたかも中小企業と同じです。これは昭和四十年代のたとえば高校レベルなんかで非常に顕著だったのですが、最高二千八百の生徒数がおりました世田谷の青葉学園、ああいうところが二、三十人の生徒数になってとうとうつぶれてしまって、跡にマンションが建つという状況になった。あるいは美空ひばりなどが出ました精華学園、有名校ですが、ああいうところが二千二百名いた生徒数が十人になっちゃって、千葉に引っ越して東海大学の系列下でやっと生き延びたというような形で、今後恐らく、先ほど申しましたような状況、十八歳人口の減少が参りますと、そのしわ寄せが全部私立に来るだろう。そういう意味では、言うならば中小企業的存在である。レッセ・フェールという名のもとの実はいま言ったクッション的な存在であった。 しかし、それでいいのかどうなのか、本質的には、設置者の区分によって目的とする教育・研究が違うということは絶対ないのではないか。したがって本来、イギリスのUGCのように全体を含めた共通の高等教育計画があって、その中でおのおのいろいろな役割りを演じてもらう。ただ、この計画は、国がつくるのではありませんで、やはりUGCのような下からの主体的な大学人を主にする、そういうような団体がつくるということで考えるべきだろうと思います。 そういうような前提を付して、国公・私立について基本的には差はないというぐあいに考えます。
○木島委員 四人の先生方の意見が多少違うようであります。これには私も私なりの見解がございますが、しかし、ここは討論の場ではございませんので、また後で御教示を願い、また私からも提示をさせていただきます。 そこで、要するに学校教育法第五条の設置者負担主義というものの今日の教育法体系の中であるわけですから、したがって、これが是か非かという問題がそこから出てくる一つの問題であろうとも思っております。けれども、それは別としまして、そこで設置者負担主義でありますから、私大の場合には、国公・私立で言う私ですから、経営は私的所有的なもの、経営、財政の私的性格、そういうものと教育・研究の公共性、公の性質というものとの間における矛盾というものがあるだろう。たとえば最初お話ございましたように、私立医大の不正入学というようなものの一つは、財政ということも含め、あるいは理事会が教授会の議を経ないでやるというようなことは、経営の私的性格と教育・研究の社会的責務というものとの矛盾の極端な露呈ではないかという感じがするのです。 したがって、設置者負担主義ということの今日の法体系の中では、そういう経営の私的性格と教育・研究の社会的責務という間におけるところの矛盾というものをどう理解したらいいのかについて、私立の関係の先生方ばかりに言っては恐縮でございますけれども、香月先生、私立大学の助成法でございますから、先生には余りお願いしないで恐縮でございますけれども、私立関係のお三人の御意見をちょっとお聞きしたいと思います。
○尾形(典)参考人 私がいまの御質問の中で一つひっかかりますのは、財政的に私的所有だとおっしゃいますが、これは学校法人でございまして、やはりその意味においては、私的ではございますけれども、法人格を持ったものでございます。その点はちょっとひっかかりますが、私立大学といえども公共性の責任というものは当然自覚していなければならぬはずでございますし、大部分の大学においては、これを十分自覚した上で入学試験あるいはカリキュラムの編成あるいは予算の運用というものに邁進しておると存じますが、一部に理事会の経営主義と教学上の責任とが離れるような例があること、これは私立大学の一員としてまことに残念なことでございます。当然、公共に対する責任というものを持っております。したがって、経営主義が教学を離れて独走していくということは許されないものと考えます。
○尾形(憲)参考人 日本の場合、先ほど申しましたように、私学はいわば中小企業的な存在というぐあいに申しましたが、そういう形でいわば国公立の補完的な存在として扱われてきたという歴史があります。しかし現在は、もうそういうような時代ではありませんで、諸外国の例を見ましても、大体日本のように七割も八割も高等教育人口を私学にゆだねているという国はないわけですね。アメリカが戦後五割程度だったのが、最近は二割か三割程度になってしまっている。これでも比較的私学が多い方で、イギリスの場合、御存じのように私立とは言いながら、事実上公立的な存在になっている。それからヨーロッパでは、国公立が主体になっているということで、高等教育についてこれだけ国が無責任なところは世界じゅうありません。 そういうような形でいわば私的経営としてゆだねる、これを私は私事性というぐあいに申しておりますけれども、この私事性という傍ら、しかし公共性という二足のわらじという状況がいまでも続いております。 これは先ほど御質問のありました助成の問題についてもあらわれているわけでありまして、一方では、公共性をうたって二分の一の補助を目指してということを言いながら、他方では、依然として私学振興助成法では健全財政ということが強調されている。戦後の財団法人としての延長として学校法人を考える、そういうような自前でおやりなさいという思想が依然としてあるわけです。 したがって、発足自体がもうそういう形で助成法が始まり、それから、それ以前に四十五年からの経常費補助がそういう形で始まったわけでありますから、大学とは何なのか、その中で私学とは一体何なのかというような役割りがはっきりしないままで始まった、したがって、一たん財政難ということになりますと、たちまち補助の伸びがとまり、あるいはカットというふうな問題さえうわさされるようになった。これは初めから腰だめの限界というものが見えていたのじゃないかというぐあいに思います。
○木島委員 わかりました。 この今回の法律の三年間の新設の抑制というのは、量より質ということを提案理由に言っているのでありますけれども、その背景にある思想は、基本的には、先ほどちょっとお話ございました高等教育計画案をどうつくるか、すなわち大学マップをどうつくるかということが一つのあれであります。たとえば五年前の提案でも五年間と決めたのは、その間に大学マップをつくりたいのだということを提案者がはっきりと言っているわけでありますが、それができなかったわけであります。 そこで、そのことが、実は私がいままで質問をしてまいりましたような考えからすると、今日の教育法体系、あるいは本助成法のもとでもって、あるいは本法の運用でもって、元来必要であるべき大学マップというものができるのだろうかどうだろうかという疑問を持つのです。 第一に、大学の都市集中というのは、一定の必然性があるのじゃないか。逆に言うならば、さっきどなたかのお話にございましたが、たとえば大都市などは制限がありますよね、けれども、それを逆に言うならば、なぜマンモス大学が分割をして地方に行けないのか、そのことは、一定の必然性を持つ都市集中というものがあるからだろうと思うのです。同時に、地方私大を新しくつくる、つくらぬということと別にマップをつくった場合に、現在ある地方の私大というものをどう拡充するかということがまず必要だろうという感じがいたします。 その場合に、それでは実際本法でもってそのことが可能なんだろうか。全私大の平均学部数は二学部弱と聞いております。全国の私大の学部数を全国の大学数で割ると二学部弱だと聞いております。旧帝大系では十学部、地方国立大学が四学部強ということでありますから、しかも都市におけるいわゆる有名私立大学は学部が多いわけでありますから、全私大の平均が二学部弱だということは、地方の私立大学はほとんど単科大学と言えるのではないか、そういう状態の中でもってこれをどう育成していくかということが問題になってくるわけであります。 しかし、地方大学の場合は、たとえば人文社会科学系が全私学の五八%ですからね、そうすると、マップをつくる場合にこれを一体どうするか。これが本法で一体できるのだろうかどうか。そういう意味で、本法の三年延長というものの基礎の中に大学マップをつくる、全国的な計画をつくるのだということだけれども、この法律でもって三年間延長して、それは案はあるいはできるかもしれないけれども、この助成法で一体できるのだろうか。 だから私、そういう観点から先ほどから御質問申し上げているわけなんでありますけれども、その辺いかがでございましょうか、私立の大学の先生方お三人の意見をお聞かせいただければ大変幸せでございます。
○尾形(典)参考人 私は、先ほども最初の陳述の中で申し上げましたように、第一点は、地域的マップをつくるということはそう簡単なことではないと存じます。 第二点といたしまして、地方私大の拡充ということの必要性、これは私も趣旨としては賛成でございますけれども、地方私立大学というものはなかなか立ち行かないということも現実でございます。 したがいまして、本法律だけでそのような地方私立大学の拡充をということは無理でございまして、やはりそれについては国の特別な配慮がなければならぬというふうに考えますが、しかし他方、地方にある大学であるから、あるいは都市にある大学であるからというので助成の基準というものが果たして実現し得るかと申しますと、これもまた非常に困難な問題じゃないかというふうなのが私の実感でございます。
○矢次参考人 私は、いまの問題にされておること、すなわち大学の計画的配置、いわゆる大学マップと称せられるような考え方、それがわが国の現段階において必要であろうか、それは困難でもございましょうが、問題にならない問題ではないかというふうに私はかねてから考えております。 大学は、社会的必要があれば、今日の民力をもってすれば必ずそこに生まれるに違いない。最近の長い間の経過から見て、必要ならば生まれる、そんなに国が計画的に云々というふうなことは、わが国の現状では行き過ぎの考え方である、私はさように思っています。 ただ、おっしゃるように、その地域に行きたい大学の学部がない、そういう場合が全国的にあることは事実でありますが、さらばとて、あらゆる地域にあらゆる学部を網羅した大学を設置するなんというようなことは不可能なことである。でありまするから、地元にない場合は皆あるところへ行くわけであります。それを行きやすいように当面は何らかの方法を、特別のそういう育英資金の枠をつくるとか、考えてみたわけじゃありませんが、そういういろんな便宜を図ることによって具体的に解決しながら前進をしていく方がより適切ではなかろうか。そんな大学を国が高等教育で全国に、そういうことはどうかしているのじゃないかと私はかねてから思っております。
○尾形(憲)参考人 いまの御質問に三点ほどの角度からお答えしたいと思います。 一つは、地域マップということなんですが、これは数年前国土庁、文部省の方々なんか含めまして、私なんかも研究者ということで呼ばれまして、三年ほど高等教育等立地に関する委員会というのがありまして、そこでいろいろ議論したのですが、国土庁の方々の考え方というのは、大学分散というのを工場の分散と同じようにお考えなんですね。非常に極端に言いますと、東北の山の中でも建てれば学生は来るというみたいにお考えのようですが、なかなかもってそうはいかない。工場の場合は、商品をつくって、それを全国に売るということができるわけですけれども、大学の場合に、やはり地元に学生がいないと、これはどうにもならない。それから学者、先生も、やはり都市なんかですと、兼任とかいろいろな点で便利なものですから、どうしても都市に集中するということで、都市への集中の一定の必然性というのはあるわけで、それをいきなり分散させるというようなことは、これはなかなかできない相談だというような話が出たわけです。 しかし、そうかといって、いまある都市集中はそのままでいいということではもちろんないわけです。今後予想される高等教育人口の増大の状況から見ても、南関東それから近畿は、もう大変な状況になるということは設置審議会の報告でも出ているわけです。したがって、何かの形で分散を図るということは必要だろう。特に、地方私大の育成、これがやはり非常に大事なことじゃないか。現在、地方の私大は、私たち教授会連合の議論でもしょっちゅう出ますけれども、たとえば九州とか北海道とかそういうところでは、住民の所得が低いためになかなかもって授業料が上げられない、そうしますと先生の数もそろえられない。いまの配分基準から申しますと、やはり教員一人当たり学生数が大きな指標になりますから、どうしても配点で不利になる、補助金が少なくなるというような悪循環がある。したがって、非常に極端な言い方をしますと、もう都市にある私大に対する補助をやめちゃってもいいじゃないか。非常に極端な言い方ですが、地方にある私大、そういうところをむしろ重点的に育成をしていくということが必要だろう。ところが、現在ある地方大学についての対策は、設置審議会でも、それから高等教育懇談会でも、地方の国立大学については社会科学系、地方の私立大学は社会科学系が多いんですね、そういうところは一体どうなるのか。そういうところはつぶれるでしょうということがありながら、一方じゃ巨額の金を投じて国立大学がつくられる。さっき言ったように国公・私立を通しての全体的な計画というぐあいになっていない。 それから、もう一つ申し上げたいことは、いま言ったマップという中に、たとえば専門分野別の問題があります。この点について申しますと、日本の高等教育ほど非常にユニークと申しますか、いびつな構造をとっている国は、これも世界じゅうないですね。私が飯を食っております経済学なんかを含めて、経済とか社会とか法学部とか社会科学系が高等教育人口の半分というのは、世界じゅうありませんね、少なくとも先進諸国では。そういうようなぐあいになぜなったのか、これはやはり私学に高等教育の大半をゆだねる、そうしますと、でっかい教室とマイクがあれば一応授業の体をなす、そういうような部分が経営上の観点からふくれ上がる、これは大変あたりまえの話。私大の方はそういう状況があり、他方学歴要求、教育要求じゃなくて学歴要求ということで学生が押しかけますと、そういう私的な要求と私的なこれにこたえる供給、需要と供給がマッチしてそういうものがふくれ上がる、これは大変あたりまえな話。 そういう状況が現在あるわけで、これを前提として一体どういうぐあいに再配分できるのかということは非常にむずかしい問題じゃないか。中教審答申でも、新しくつくる大学もさることながら、既存の大学をどうするかということが大変な問題だ、年次計画をつくって、かなり強力に指導しなければならないというような大変強いことをおっしゃっていたわけですが、なかなかもって、大学の自治というような問題もあり、勝手につぶすとかそういうふうなわけにいかない。その辺が、いま言ったマップをつくるのにどうするのかという場合の恐らく最大の問題になるのではないかというぐあいに考えております。
○木島委員 ただいまそういう意味で、たとえば国の特別の配慮とか、あるいは都市ないし都市周辺の大学助成をやめて地方大学を優先する、そこで、そういうことを前提とするならば、今日のこの法の運用というのでありましょうか、簡単に言うと、一つは、量が多いほど助成の多いのが今日の運用だと言えると思うのであります。でありますから、マンモス大学ほど有名校であります、したがって、納付金であれ、授業料であれ高くてもいい、その上にさらに助成が多くなるわけでありますから、経営は健全でありますから、一定の教育・研究というものの条件は整備される。しかし、小規模大学あるいは地方私立大学は、いまお話のございましたように、学生も集まらないし、同時に、授業料も上げられないから、したがって、学生の納付金は少ない、したがって経営は悪い、経営が悪いから教育・研究の条件が低下をするという格差をより一層拡大しておる。そこに、いま尾形憲先生がおっしゃったような問題も出てくるし、入試の問題も出てくる。 大ざっぱに言って、大学を受験する高校からストレートの学生の数と、今日の全大学で入学せしめておる数は大体一致をしておるのでありますが、それに浪人を加えて一・三倍であります。一・三倍でありますけれども、格差があるから、平均三・五校ぐらい受けておる。でありますから、四・五倍以上の受験戦争になっておる。だから、そこに今日の教育を荒廃せしめるところのものの一つである格差があるわけであります。 ところが、今日量が多いほど助成が多いということは、一つには、そのことによって格差を増大せしめるとするならば、少し極論でありますが、ある意味では本法の運用が日本の教育を荒廃せしめている一面もあると言えないわけでもないのじゃないかとすら思うような運用ではないのだろうか。同時に、特別助成があります。しかし、この特別助成は総体として額は少ない、そして、その上に大学院のあるところに六割近くが使われておる。とすると、さっきから申しますように、マップをつくる場合の地方大学をどう育成するか、どう拡充するかということになると、これは今日の助成の運用なり、あるいは助成法をもとにしたのでは、このマップというものが——しかし、これを三年間この法律によって延ばしたところで、一体できるのだろうかという疑問を持つのでありますけれども、いかがでございましょうか。
○谷川委員長代理 木島委員、どなたに御質問なさいますか。
○木島委員 御意見のある方で結構です。
○尾形(典)参考人 いま助成金の配分と申しますか、それが中心的な問題として提起されたと思いますが、確かに現在の助成金にスケールメリットというものがあることは事実でございます。しかし、それをいかにして配分方法を決めるかということを、もらっています私立大学の一人として申し上げますと、この配分自体非常にむずかしい問題であるというふうに私は存じます。したがって、きょうここでこうすればこうなるだろうというようなお答えは私にはできません。ただし、われわれ連盟といたしましても、どのような配分が望ましいかという研究には、私立大学の一人としてわれわれ現在鋭意取り組んでおる段階でございます。そういう意見を文部省なり国会なりに申し上げる段階が来ることを私は望んでおります。
○尾形(憲)参考人 本法に関連して助成金の配分の問題なんですが、これについては日ごろ私の考えております私見を、先ほど非常に極端な形で、たとえば地方大学にというぐあいに申し上げたわけですが、現実にも先ほど触れましたような大学離れの傾向の中で一つ顕著になってまいりましたのは地元志向ですね。大学なり短大、あるいは就職でもそうですけれども、北海道あたりになりますと、ここ十年ほどで北海道内の高校出身で北海道内の大学へ進学するという者の比率が十数%も上がってきているということで、地元志向が非常に顕著になっております。そういう点では別に国土庁がどうこうするということをしなくとも、地方の大学を充実するというような方向あるいは拡充するというような方向でマップがおのずというぐあいにはまだいきませんけれども、つくられていくということが一つあるのではないか。 〔谷川委員長代理退席、委員長着席〕 そういうことを含めまして、むしろ日本の助成については——私は、教授会連合という組織でもって国庫助成運動をやっていながら、おまえレジャーセンターなんだ、どういうことなんだとよく言われたりしますけれども、日本みたいな大学の場合には、ある意味ではアメリカ流の助成方法でやったらどうだろう。つまりアメリカの場合には、基本的には機関助成はありません。学生への助成です。機関助成をするとするならば、身障者を受け入れているところ、夜間、通信教育、そういうような形のいわば開かれた大学に対して開放度に応じて傾斜配分をする、こういうことを基本にする。それから、たとえば学費の安い大学、いま申しました地方の大学というようなところにむしろ重点配分をする、これは部分的に特別補助で行われているわけでありますけれども、基本はむしろ——と言っても、いまある助成を全部カットしてそういう方向にということはできない相談ですが、考え方としては、むしろアメリカのように学生への直接助成、これを基本にする。これは私だけの考えでありませんで、最近いろいろな教育学会の方々の御意見をお伺いしたりなんかしますと、比較的そういう意見が強くなっております。学生にそういう形で助成して自由に選ばせる、その中で大学がお互いに競争し合うという方向をいやおうなしに、先ほど言いました状況では今後とらざるを得なくなってくるのではないかというぐあいに思います。
○木島委員 もう時間が来ましたから終わりますけれども、私は、マップをつくるという前提では、もう少し法律全体を検討し直していかないとなかなかできないだろうという感じがいたします。それを法律でもって一方を規制しながら、公権力でもってこういうマップをつくっていくとなると、国家権力の支配というもの、いわゆる教育基本法第十条の心配もまた出てくるわけでありますから、そういう意味で御意見は大変ありがたく感謝申し上げます。 最後に一つ、国立大学の場合、先ほども香月先生からも理解に苦しむというお話がございましたから、もう言うことはないのでありますけれども、いままで国立学校設置法でもって政府が出しておった、それを必要なものは今後認める、必要でないものは認めないとなると、いままで必要のないのを認めておったみたいになります。そういう経過もあるのでしょう。逆に言うならば、議院内閣制というものを考えれば、自民党内閣であって自民党からこの法律を出していることは、自民党の自民党政府への不信任案であり、文部大臣への不信任案である、もちろん、これは国立の規制の場合ですよ、という感じがするのでありますが、これはもう香月先生、御答弁は要りません。要りませんが、そんな感想を持ちながら、大変御無理なことを申しまして、どうもありがとうございました。
○三ツ林委員長 有島重武君。
○有島委員 公明党の有島でございます。 参考人の先生方には、大変きょうはまたお忙しいところ、ありがとうございます。 ただいま議題としております私立学校法及び国立学校設置法の一部を改正する法律、こういうことでありますけれども、高等学校、とりわけ大学・大学院につきまして量的に抑制をする、こういった消極的な表現になっておりますけれども、その気持ちとしては、質的な充実をやっていきたい、こういうことでございまして、私たちも、精力的にこれを審査しておる最中でございます。 私は、いままでもいろいろお話がございましたけれども、現状におきまして高等教育の質的な充実といいますか、向上といいますか、こういうことは確かに必須な問題ではなかろうかと存じますので、こういったような一部抑制をしていく、量的な拡大については抑制をしていくという方向、これは理解できるところですけれども、これが法律的な制限措置については疑問を持っておりまして、ほかにもっと適当な方法はないものか、あるはずである、一つの試案を持って各党の方々ともいまお話をし合っている、そういう状況であるわけです。私の立場もそんなふうなところでございます。 そこで、いままでのお話の中で、尾形典男先生は、全面的反対ではないというような表現をおとりになりましたが、これは必ずしも積極的賛成ではないというようなことなんでしょうか。それから矢次先生は、これは不適当であるというはっきりしたお話でございました。また法政大学の尾形憲先生は、これは適当ではないというようなお話であったと思います。 そこで、国大協を代表していらっしゃる香月先生に、もう一遍、この点を確認さしていただきたいのですけれども、国大協としては、こうした法的措置をとって向こう三年間量的な制限をしましょうということでございますけれども、これについて御賛成なのか、やはり相当厳しい条件をつけないとならぬのか、その辺のところをもう一遍確認さしていただきたい。
○香月参考人 先ほど申し上げましたけれども、表現が大変むずかしゅうございます。私立学校法の附則十三項の件につきましては、これについてのいろいろのお考えがあると思いますけれども、なお所期の目的が達成されていないという認識の上にこの立法化を延長しようということ、これはやむを得ないことだろうというふうに考えますが、これに付随して、私立大学も抑制をするのだから、同じような立法化でもって国立大学もという考え方ははなはだ不自然であるということを申し上げました。特に大学院の問題につきましては、大変問題が多いという旨を申し上げました。 以上でございます。
○有島委員 わかりました。はなはだ不自然であるというふうなお言い回し方、これは主にこうした制限の仕方の問題じゃないかというふうに私たち受け取っておりますので、これからの高等教育全般について質的な向上、この点ではもう諸先生方も各党も大体一致をしておるところであるというふうに私は認識しておるのでございますけれども、香月先生は国大協を、また尾形典男先生は私大連、それから矢次先生は私大協と、各一つ一つの大学ではなしに、その大学のグループを抱えて運営をなさっておる、大変むずかしい立場でもっていらっしゃると思いますけれども、現在の各大学を育成していくということと同時に、将来——将来と言いましても、私たち当面、二十年か三十年先には日本はどうなっているのだろうということを考えてかからないと、教育というのはやっていかれないのじゃないかと思いますけれども、これからの日本にとって大学は一体どうなっていかなければならぬのか、高等教育は一体どうなっていかなければならぬのか、こうした大きな問題をこんなところでもって短時間でもって御教示願うということは無理かもしれませんけれども、せっかくの機会でございますから、少しお考えを聞かしていただきたいと思います。 先ほど尾形典男先生の方からは、いままでの輸入的な学問のあり方をこれから創造的な学問のあり方にしていかなければならないというような方向性を言われました。それから法政大学の尾形先生は、人間のための教育じゃなくて経済のための教育であるというようなこと、OECDからも言われておる。しからば、ということになれば、それは人間のための教育に戻しましょうということかもしれませんけれども、学校教育というものは、歴史的に見ても、僧侶の学校だ、兵隊の学校だ、医者の学校だ、何か目的が非常にしっかりしたものの場合には、学校というのは能率を上げて、その目的も達成するし、その目的に従って人間を鍛えていくということも行われている、こういうことがあろうかと思うのです。 われわれが戦後非常にむずかしいと思うのは、いわゆる人間教育、人間教育みたいなことを言いながら、その実が何かおかしなところに行ってしまうというところに問題があるのじゃないかなというふうに思っていたものですから、尾形先生から補足がございましたら、この点も教えていただきたい。 そこで、四人の先生方から、大体質的充実とは言うけれども、一体どの点の方向に向かって、どういった時の流れに沿って、どういうような方向に向かっていくべきであるというようなことを御示唆いただければ幸いであると思います。
○香月参考人 有島委員からの御質問でございますが、大学の将来性という問題でございまして、大変むずかしいことでございますが、先ほど国公立・私立というものがそれぞれ役割り分担をできるのかというようなことで、どういうふうに違うのかというお話が木島委員からございました。これは理念的には大学というものは、国公・私立の別はございませんというお話をいたしました。ということになりますと、大学というのは何をするところか、これはしょっちゅう問題になります。大学というのはどういうものか、どうあるべきか、将来どうなるかということを毎日考えているところが大学であるというふうに私は承知をいたしております。 大変息の長い話で、われわれ生きている間にどうこうという目に見えるものはなかなか出てこないと思います。ただ、毎日息をしておりますし、生きているということは確かでございますので、あるいは成長し、あるいは老衰をしていくという大学があってもしかるべきかと思います。 ただ、余り大学というものに枠を設ける、特に先ほどちょっと話がありましたけれども、経済が大学というもののあり方、人間の教育というもののあり方を縛っていくといったようなことについては、私は肯定できません。特に大学というものは、教育と一緒に並んで研究というものを義務づけられております。この場合に、教育・研究というものが切って離せないものとして大学に付加されておりますので、このためには、やはり時間的にも、経済的にも、人的にも相当のゆとりが必要になってくるのではないか。 その点で、私学の助成法のことを、どういう配分方式とかいったことは私は存じませんが、しかし、これに対して国が財政の負担を当然考えるべきだというふうに考えますけれども、ただ、これをいつまでどの程度というようなことについては、それぞれの考え方がいろいろ錯綜すると思いますし、尾形先生もちょっとお話をされたように、現在検討している最中だということでございます。 大変小さいことに入ってまことに申しわけございませんが、国立大学は発言するところがなかなかございませんので、ちょっとお話をします。 実は私、がんの仕事を生涯の目標にして勉強してまいりました。がんというのを職業に結びつけてあるイギリス人が、開業している先生が見つけてから——見つけたのが二百年前です。約百五十年それからたって、その原因がわかってきた。とにかく毎日やっていること自体は大変とうといことだ。しかし、とにかくある現象を解明するのに百五十年もかかった。同じことをいまやると、きっと五十年ぐらいで済むかもしれません。しかし、学問のすそ野というのは開いてまいります。 そういうところを考えますと、いろいろな大学に課せられた任務というのは、相当時間的なゆとりというもの、それをぜひひとつ考えていただきたい。大学が将来どうなるか、それは教育・研究の日本の柱になる、世界の柱になるということについては間違いがございません。 以上。
○尾形(典)参考人 今後二十年、三十年先の教育についてどう考えるかという御質問でございますが、先ほど申し上げたことを繰り返すことになるかもしれませんが、基本は、創造的な教育・研究というものが今後の柱にならなければ日本の社会は世界の中で立ち行かなくなるというふうに私は考えます。 そういうことのためにも、第一に考えなければならぬことは、教育というものは、何と申しましても手づくりでございます。したがいまして、教育・研究者の養成ということには特段の配慮が払われなければならない。 いま私が特に心配しておりますのは、いまの大学院教育の中で研究者になり得る者としての資質がどうも低下しているように思われます。この点は、私は将来のために非常に憂慮するわけでございます。 これはどういうところに原因があるかと申しますと、いまの進学競争、これが非常に大きな原因になっており、しかも、あの現在まで大半のところにおいて行われております試験の方式、これに問題があるというふうに考えます。したがって、こういう点では相当思い切った改革がなされなければならぬと考えます。 それから第二に、高等教育と申しましても、専修学校から短大、四年制大学、大学院という段階がございますが、日本では、相変わらずエスカレーター主義の考え方が支配的でございまして、その四つの学校それぞれの役割り分担というようなことについての意識がむしろ希薄である。ある審議会の公文書の中にすら、四年制大学は短大ないし専修学校からの進学に一定の枠を設けるべきであるというような、そういうエスカレーター主義とも考えられるような意見すらも出てまいっておりますが、私は、こういう考え方はおかしいというふうに考えます。 従来の日本の教育は、先ほど申しましたように輸入主義でございました。したがって、たとえば大学院につきましても、修士課程と博士課程の役割り分担を、法の上では要請されておるはずでございますが、現実にはそのようになっていないというようなところ、こういうものを考え直していかなければなりませんし、先ほど出てまいりました人間のための教育というようなことを言う場合でも、果たしていまの一般教育、四年制大学におけるゼネラルエデュケーション、一般教育課程というようなものも、言葉だけでございまして、その四年の課程の中でその大学が一体専修学校的な直接の職業に役に立つ技術や知識を教えるのか、それとも、よりプロフェッショナルな専門職業人として生きていくような人間を教育するために教育をしているのか、あるいはゼネラルエデュケーション一本でいくのか、四年制課程だけでもそのような三つの考え方があると私は考えております。 それを一般教育課程、専門課程、さらに大学院の段階につなげて考えていかなければならぬ、そういう点では、現在の設置基準というものも基本的に見直されなければならぬものがあるというふうに考えます。 以上でございます。
○矢次参考人 先生の御質問には、いろいろな角度からの問題があるように思ったのでありますけれども、私どもがいま進めております点を簡単に申し上げたいと存じます。 私どもは、日本の私立大学の教育と研究の質の画期的充実を図るために数年来取り組んでおりますが、それをおおむね五つの角度から、あるいは五つの分野からこれを追求いたしておるのであります。 第一は、教育の中心でありますところの人間形成、この点、私どもは、教育とは基本的に人間形成そのものであるという考え方に立っておりまして、あわせて社会的、職業的知識技能を習得する、これがずっと後になって教育の中に何か混合されてきたというふうな考え方でありまして、本来は人間形成である、こういう考え方であります。 その人間形成でありますが、ごく簡単に申しますと、やはり人間にとって価値の本体を明確にする。私どもは、人間の生命の充実発展、これが人間にとっての価値の本体である、こう考えております。人間の尊厳もそこから初めて出てくる。この価値観を中心といたしますところの人間全体、人はいかにあるべきか、人間の精神内容の全体系にわたっての、偏らない、豊かな、質の高い人間形成をいかにして実現をしていくか、人文科学というものは、皆そのことをあらゆる角度から追求しておるものだ、こういう考え方であります。 とにかく、そういう意味における人間形成の確立、その場合に、先ほどもちょっとお話が先生からも出ましたが、専門のことをやっておればだんだんに人間形成もできる、よくそういう議論がある。一芸に秀ずる者はというお話ですね。これはお話でありまして、一芸に秀ずる者は、なんです。秀ずる者はめったにいないのであります。その秀でる長い期間におきましては穴蔵の中へ入ってしまうのでありまして、むしろかたわにならなければ一芸に秀でられない面があるのでありまして、そういう考え方は危険である、やはり人間としての全領域にわたって、初めからそれはそれとして、人間形成のために教育というものはやらねばならぬのだ、他方において専門の知識、技能を身につけることもやらねばならぬのだ、こういう考え方で私どもは人間形成を重要視している。 これは高等学校以下の教育と密接に関連いたしてまいりまして、そういう意味では、家庭教育、幼児教育あるいは幼稚園、小学校、中学校、高等学校の段階でその最も基本的なことをやらねばならぬというふうに思っておるのです。さらばと言って、大学ではそれをもう終えたものと考えて、専門の学問だけに集中するという考え方は間違いである。二十や三十、孔子でさえも大分年になってから迷わずという話があるわけであります。大学生ぐらいの年齢でわかるものではないのであります。大学もやはりそれが最高の教育機関である限りは、何といっても人間形成を行う、やらねばならぬ。それがどうもわが国の大学では、もう何か捨てられてしまっておるような感じがするのでありまして、これを取り戻したいというのであります。 それから第二は、何と申しましても、大学は何らかの分野における専門の知識・技能を修得する場であります。したがって、その専門とするところの分野における教育、専門教育の充実を、それぞれの大学がどのようにやったらいいであろうか、これを共同研究いたしておるのであります。 第三の分野は、学術研究であります。 大学がそれぞれの専門とするところの学問分野における研究機能をいかにして充実するかという、これに取っ組んでもらっておるのであります。 第四は、ただいままでの三つの分野を担当する者は、申すまでもなく教授、研究者であります、教員であり、教授でございます。 そこで、大学院の充実を中心といたしまして、教授、研究者の充実、質の高い教授、研究者をいかに多くの分野にわたって養成し、そして大学が確保するか、このことを行わなければ、すべては絵にかいたモチになるわけでありまして、個々の大学が大学院の充実、計画的な質の高い教授、研究者養成がどうしたらできるか、こういう角度からそれぞれ問題を進めておることを申し上げます。 以上でございます。
○尾形(憲)参考人 二十年後、三十年後の大学ということなんですが、そういう大学の本来のあり方の問題と、それからもう一つ、私には現場で目の前に抱えている大学の現実があります、そして、そことの間に非常なギャップがありますので、その両方の問題について問題にしなければならないと思うのですが、本来、大学は教育と研究の場であるということで、ただ、その場合、昔の大学から見ますと、ずいぶん大学それ自身が変わってきております。 中世の大学の場合には医学部、神学部、法学部というような形で、直接人間にかかわる学問だけがユニバーシティーで行われるものであるということで、たとえば農学とか工学とかいうような物にかかわる学問、これは卑しい学問であって、インスティチュートでやるものである、ランクが一つ低いわけですね。 ところが、十九世紀後半のアメリカでは、むしろ土地付与大学、ランド・グラント・ユニバーシティー、そういうところでもってどんどんどんどん農学部、工学部をつくるということで、これを大学、ユニバーシティーの中に取り込んでまいりました。マサチューセッツ工科大学、ああいうものも、このころできました。 最近になりますと、れっきとした東京六大学の中の一つに、社会学部に観光学科というような学科があります。短大へまいりますとホテル観光学科あるいは缶詰製造学科というのがあります。アメリカみたいにレストラン学部まではまだありませんけれども。それから家政学部というようなところも、聞くところによりますと、あるのは日本とアメリカだけで、ヨーロッパにはない。そうなりますと、基礎的な学問だけをするのが大学だ、応用するのは大学じゃないのだというような区分が一体はっきり引けるのかどうなのか。二年と二年半と三年までは短大であって、四年になると突如として大学になる、一体何なのか。 そういうぐあいにして考えますと、ユニバーシティーという考え方をもうそろそろやめた方がいいのじゃないか。むしろハイヤーエデュケーション、さらに進んでポスト・セカンダリー・エデュケーション、中等後教育ということで、専門学校あるいは各種学校、短大、高専、大学、大学院、一切含めて年限の違いあるいは程度の違い、そういうものとして考えるというぐあいにして考えた方が、これからはむしろいいのではないかというぐあいに思います。 その場合、ただ、いま申しました専門の問題、高校以下と違うのは、やはりポスト・セカンダリー・エデュケーションでは専門があるからポストセカンダリーなのであって、高校までに基礎的な人間づくりは行うべきである。ただ、専門ばかにならないためには、その専門を軸としてその専門の位置づけをいろいろな隣接の学問等々から見直すものとしての一般教育、これが必要であるというぐあいに考えます。 これは二十年か三十年先の大学ということになりましょうけれども、ただ現実はどうか。現実は、私、ちょうどきょうの午前中授業がありまして、そこで学生たちに毎年教育経済論という授業でレポートを書かせるのです。いままで受けてきた教育を振り返ってというレポートです。そうしますと、大体いまの学生の圧倒的な状況、学生像が目の前にはっきり出てまいります。小学校が一番よかった。中・高・大と上に行くに従ってむだになる。高校時代はハイスクールというぐあいによく言いますけれども、灰色の灰で、そんなのはまだいい方で、地獄であり、戦場であり、悪夢だった、極端な表現は。そういうことで、結局のところ大学へ送り込まれる、いわば進学予備校。高校が非常によかったとたまたま言っているのがいますと、定時制とか職業高校とかいうことで大学受験から見放された部分、なるほどそういうところには非行とか暴走とかいろいろな問題があります。しかし、彼らの中には、そういう進学校の中にあるような差別意識と申しますか、成績が悪いと、おまえ就職するしかないな、そういうぐあいに言うような差別意識というのはなかった。人間と人間の温かい触れ合いがあったということを彼らは書いております。そういうもののいわば吹きだまりとしていまの大学があるということは紛れもない事実です。 そういうところで一体われわれは何をなすべきか。価値論から始まって諸階級論に終わる、あるいはケインズ経済学等々を教えるということを一生懸命やりましても、彼らは決して法政の経済学部に入りたいからと言って来ているわけじゃないんですね。高校の進路指導と称する実は輪切り、高校教師という名の、あえて申します手配師の手によって手配されてきている、これが圧倒的な部分です。そういう学生を相手にしてわれわれに一体何ができるのかということを考えますと、やはり学ぶ喜び、学ぶ感動、学ぶ驚き、これをまず引き出すということが、現在の、これは大学だけではありませんで、実は教育全体にわたることだと思いますが、一番基本的なことではないか。 私の授業の中で、たとえば夜間中学の映画をやります。三十八歳になる主婦が、義務教育も受けられなくて、やっと三十八歳になって夜間中学に行くようになった。夜間中学は文部省からも日教組からも見放された存在です。そういうところへ三十八歳になる大人が一生懸命来て「あいうえお」から始めて字を覚えよう、奪われた字と、それから計算を奪い返そうということで必死になって学んでいる、そういう人たちに来て話をしてもらいます。そうすると、いままでぬくぬくと大学まできた学生たちは愕然とします。そういうような形で、学ぶというのは一体何なのかという一つの問題意識、これをまず持たせるということが大前提ではなかろうか。それがあって初めて、じゃなぜそういう状況があるのかということを解き明かしていく、そういう段取りで考えなくてはならないのではないか。 これはもちろん大学でも、亡くなられた遠山啓先生がおっしゃられていた劇場型大学と教習所型大学でまるっきり様子は違います。しかし、先ほど申しましたように、日本の圧倒的な部分は大体劇場型大学、そこへ来る学生の意識は、意識調査やいろいろなもので見ますと、本当に学びたくて来たのは非常に少ない。ですから、そういう学生を相手にわれわれはいま言ったようなことをまずすべきではないか。 学問というのは本来おもしろいものです。これは子供であっても大人であってもおもしろいものです。それをおもしろくなくさせているのがいまの学校ではないか。これは遠山啓先生がずばり指摘しています。これが第二点。 第三点としましては、大学というのは決して建物でも制度でもないと思います。単位でも何でもないと思います。終戦後の大学を見ても、学びたい人間とこれにこたえる人間との出会いの場、あるいは場というのも正確じゃありません。集団、ウニベルジタス、もともと人間と人間との集団です。決して単位が欲しくてドーバー海峡を越えてパリ大学へ行ったわけじゃない。卒業免状を欲しくてボローニャに行ったわけじゃない。学びたくて行った。そういう人たちの出会いの場をもう一遍取り戻す。 そのためには、たとえば、自民党なんかでも四十九年の改革案で出されておりましたし、日教組でも問題になりました、社会党さんも実はお出しになった卒業制度の廃止、学士号の廃止、ああいう問題は、決して夢想としてではなくて本格的に考える必要があるのじゃないか。 そこで、先ほど触れましたような経済と教育とのつながり、これをやっぱりぶった切る。そこで初めて一人一人の人間を大事に教育することが可能になるのじゃないかというぐあいに思います。 それから、第四点としましては、いま言ったこととのつながりになりますけれども、最近、たとえば社会人入学とか成蹊大学が武蔵野市と連携してのシルバー大学へ老人には何か非常に話題を呼んでおりますけれども、もはやいま、これからのポスト・セカンダリー・エデュケーションは、ただ単に二十前後の若者だけに限られるそういうような場ではない。むしろ学びたい人間が学びたいときに学ぶ。ガルツングというノルウェーの学者が言っておりますけれども、いままでの人間のライフサイクルはC、E、W、Rだった。チャイルドフッド、エデュケーション、ワーク、リタイアメント、そういうライフサイクルだった。児童期から教育を受け、教育から労働、引退。しかし、なぜ児童が労働をしちやいけないのか。労働というのは非常に重要な教育の一つじゃないか。これは今度の指導要領の改定等々でも強調されております。それから、なぜ社会人が一般社会に出て、もう一遍、知的な喜びを取り戻すということで学校に戻る一定の期間があってはいけないのか。それから老人を隔離して生活を保障するだけが老人福祉じゃありません。スウェーデンのように、福祉と教育がみごとに一体になっている、ストックホルム大学あたりは六十五歳以上の年金受給者が二〇%くらいいる、そういう状況がある。そういうような、文字どおり学びたい人間が学びたいときに学ぶ、それがこれからのポスト・セカンダリー・エデュケーションあるいは大学ではなかろうかというぐあいに思います。 以上です。
○三ツ林委員長 ちょっと参考人に申し上げますが、委員の質疑の時間が三十分になっておりますので、答弁は簡潔にお願いいたします。 有島君。
○有島委員 大変ありがとうございました。今後の質的充実という問題でもっていまやっておりますから、参考にさせていただきたいと思います。自余の質問は、時間になりましたので、またいつかのチャンスにお願いします。ありがとうございました。
○三ツ林委員長 和田耕作君。
○和田(耕)委員 端的に御質問をしたいと思いますけれども、私は、先日来の早稲田大学の商学部のあの事件にかなり衝撃というのですか、やっぱりなという感じを持っておるのですけれども、こういう状態というのは、人によっては氷山の一角というふうに言う人がおるのですが、氷山の一角というふうに見ていいのかどうか、その点からひとつ先生方皆様に、簡単でよろしゅうございますから、お答えをいただきたい。
○香月参考人 氷山の一角かどうかわかりません。大学にはああいうことがあってはいけないというふうに思います。
○尾形(典)参考人 私は、いまの例は氷山の一角と見るべきか否かということについては自信がございません。しかし私、学長の一人として、ああいうことが絶対に起こり得ないようにということで種々の方策を講じておりますけれども、教育関係というものは、やはり信頼関係の上に立たなければならぬということが基本でございます。したがって、こういうことが起こる危険があるからこういう規制をしようというような方向で行くのではなしに、真の信頼関係が教員と職員の間に、そしてまた経営の責任を持つ学長、学部長との間に成立していくこと、これしか対処するべき方法はないというふうに考えます。
○矢次参考人 あのような問題は私にもよくわかりません。が、ただ、何となく、いかなる社会においてもよからぬ人間が陰で何か悪いことをすることがたくさんあるのでありますが、大学はもりともっと教員及び職員の自覚、そして人事管理というものを厳重にしなければならないのではないかというように感じます。 失言のようなことになりますが、国会議員でもいろいろありますし、また警察官においてさえ強姦とかなんとか殺人さえあるわけです。職員、教員の採用、そして自覚の確立、そして人事管理の厳正ということはなかなかむずかしい問題だけれども、大学はもっともっと厳重にやらなければならぬのではないか、こういうふうに考えております。
○尾形(憲)参考人 氷山の一角とおっしゃる意味は、氷山の海水の上に出ているのがごく一部分であって根が深いと、そういうような意味合いでおっしゃっておられるのかと思いますが、そういう意味合いでおっしゃられるのであれば、私は全くそのとおりだと思います。 それで、その根は何かと申しますと、先ほどから申し上げているように、経済に従属した教育であり、学歴社会だから、そういうことが起こるというぐあいに考えております。これは特に早稲田大学だから、あれだけ連日新聞が大きく取り上げるわけでありまして、地方の無名大学でああいうことが起これば、大体無名大学ですと入学希望者が定員を下回るということがずいぶんありますから、起こり得ないかもしれませんが、仮に起こっても、ああいうように新聞が大きく取り上げるということはないと思います。 ただ、それに加えて私がもう一つ申し上げたいのは、ああいう形で金を使って入学をする、それから金を使ったり方々に手を回して、本当は二十単位ぐらいしか取れないのが百二十何単位ということで、不正の卒業をする、これが不正と言われているわけですね。それじゃ、学びたくもないのに、一年間授業にもろくすっぽ出ないのに、一夜づけでベラ暗やって、あるいはカンニングペーパーが見つからなきゃこれ幸い、カンニングペーパーを机に置かなくたって、前の晩にカンニングペーパーの中身を頭の中にしまい込んで、次の日答案に再現をする。それで形だけ卒業をする。こちらは公正なんですね。そういうことでいいのかどうなのかということが実は根本的に問われないといけない。 もちろん、ああいう問題がいいということを私は申し上げているわけじゃありません。絶対悪い、ただ、その一方、私がいま後で申し上げたようなのは公正なんだということ自身を実は問い直すべき時期に来ているのではないかというぐあいに思います。 それからもう一つ、それに加えて申し上げたいのは、大学が入試を行う、あるいは卒業させるというような場合に、どういう人間を大学は欲しいのか、あるいは養成するのか、これは実は定かではありません。先ほど申し上げたように、これからの大学のあり方というものを考える場合に、一体大学というのは何をするところなのか。ただ単に選抜して送り出す、それだけだったら、これは下手な自動車学校の方がはるかにつけ加える教育をしているということになります。そういう大学は一体どういう人間を欲しいのかという、見識と申しましょうか、共通一次というようなああいう形で輪切りにして、序列をつけて送り込む、顔のないのっぺらぼうの人間、そこにあるのは量的な違いだけである、そういう中の一つとして大学があるということではうちはないのだという見識をはっきり入試の場合に示す。そのために、たとえば学科試験は一切やめて論文一本にした大学、これが私立大学の中にあります。宮城教育大のように非常にユニークな入試をやっているところもあります。そういうような入試のあり方なり教育の中身をこういう機会に問い直すべきじゃないかというぐあいに思います。
○和田(耕)委員 私立大学が戦前のように私的な要素というものが非常に強かった時代、私はそういう時代があったと思いますけれども、そういうときには、こういうふうに特別の入学制度といいますか、あるいは特別な運動選手はフリーでむしろ歓迎して入れるとか、そして、また特別の能力を持った人たちは特別な形で入れるというようなことは、これは決して非難されなかったし、そしてまた、それはそれなりの私学としての特徴のある教育の一つの雰囲気のもとでりっぱな教育が行われたこともあると思うのです。 ところが、先ほどから議論になっております戦後の私学の教育の内容が公共的な要素を非常に深めてきた。私学と国公立とどう違うのだという意見が出るほど私学の教育というものが公共的な性格を持ってきた。こういう事実が深まり、高まってくればくるほど、いままであった、あるいは当然だと思われておった普通の競争試験とは違った形で入学をさすということが、大変不公正な要素に変わってきている。その変わり方も、一遍に変わったわけじゃない。何十年もかけて徐々に変わってきている。そういう背景がありますから、私は、氷山の一角ということも、あり得ることだと思うし、むしろそれは本当じゃないかという感じを持っている。 早稲田大学と言えば慶応と並んで日本の私学の双壁に、これは昔からですが、いまもそういうふうに言われておる学校にあることは、他の私学にもそれらしいものがあるというふうに見られても仕方がない、また事実あるのじゃないかというふうに、私は個人的にはそういうふうに思う。 こういう私的なものから公的な教育の内容に変わっていく過程で、やはりここではっきりと私学に対する国の公的な補助という問題が一つの根拠を持ってくるわけですね。だから、いまから十年前にこの制度が始まり、あるいは五年前に制度が拡充されるという過程で、私学の公共的な役割りというものに見合って、それができるように、財政的な面から、おかしな、非公共的なものが出ないようにという配慮を込めての国の援助というところに私学援助の大義名分があると思うのです。 そういうふうな目から見て、私は、ある一定の時期に来て、この国の援助という線に沿った一つの政策効果というものが、あるいは私学における教育の水準なり質の問題が改善されておるかということを一つの目安にした、ある点検の時代は必要だと思いますね。これは公権力が介入するというよりは、そういう意味の点検の一つの時期として、いまの五年前の法律もある意味を持っておったし、今回の三年の期間もある意味を持っている、私はそう思うのです。 むしろ強調しなければいけないのは、そういう問題を真剣に考えなければならない文部省が果たしてそういうことを真剣に検討したかどうか、あるいはそういうことを私学自体の責任者、皆様がそういう問題を反省されたかどうか、私は、そういうところに問題があるのじゃないかと思うのです。いかがでしょう、その問題については。先生方皆様の簡単なコメントをいただきたいと思います。
○香月参考人 私学には戦前それぞれの特徴があって、それが生かされていた、それが公共性が深まるにつれてその特性が薄らいでいく、それでいいのかと。やはりこれは、私学のみならず国立大学についてもそれぞれの特性があったと思います。それがややもすると薄らいでいくという感じが深うございますが、一番大きい原因は、やはり量的の拡大というのが一番大きな原因ではないか。特徴を出すためには、学生はもちろんでございますけれども、教官にも職員にも、大学を構成している人間にきめの細かい互いの配慮というものがあってしかるべきだと思いますが、やはり量的な不均衡、学ぶ者あるいは教える者との間の不均衡というものがそういった特性をだんだん薄らげていっているのではないかというふうに思います。
○尾形(典)参考人 特別入学の問題、過去にはあったが、それがなくなってきたということとの関連において、公共性の問題をお取り上げになっておられるように存じますけれども、各大学それぞれが、やはり自己の大学の建学の精神なり、特殊性を私立大学においては生かそうということで、受験、試験制度その他もだんだんに工夫が加えられてきておるというふうに存じます。 和田先生の申されました特別入学ということが何を意味されるのか、私には詳細にはわからないわけでございますけれども、自己の大学の建学の精神の実現のためには、どのような学生が必要であり、どのような学生を入学させるか、また入ってきてからどのような教育をするかという点においては、各私学それぞれが鋭意努力しているし、その自覚がだんだん出てきているということは事実だろうと存じます。 さらに、自己点検という御指摘がございましたが、この自己点検ということは、たとえば国公・私立大学全部で組織されております大学基準協会あたりでも、来月にも自己点検の方法についての中間報告が出る段階にございますし、さらに連盟としてはたとえば私大財政白書を出す中で、それが自己点検の材料として生きているということもございますし、さらに教学白書とでもいうべきものを出すべく各大学にいまアンケート調査を実施中でございます。 こういう各大学のそれぞれの姿を各大学が相互に見合うことによって、それぞれの大学の自己点検も実現されていくのではないかというふうに考えます。 したがいまして、自己点検の必要性ありという認識は私大人としても十分持っておるつもりでございますし、それについての検討、研究というものはすでに開始されておると申し上げたいと思います。
○矢次参考人 先生最初に申されました、かつて私立大学が非常に脈々としてその特色を発揮しておった時代があるのではないか、私もまことにそのように思うのでありまして、どなたかも申されましたように、公共性、そして、その面からの文部行政指導、こういうもの——人のせいにしてはいけないのでありまするけれども、私学人が建学の精神、設置理念というものの自覚と自信、そして、それを実現するための熱情というものにだんだん欠けつつあるのではなかろうか。 その結果かどうかは知りませんけれども、その点については、先ほども申しましたように、私学の教育と研究の充実と特色化を実現する上で重要なポイントとして私どももこの問題をとらえておるのであります。 それから、先生二度も申されますので、あえて申し上げたいと存じますが、私どもは、あの種の事件は一般的なものではない、もちろん氷山の一角、そういうようなものでは断じてない、個々の大学をごらんいただければ、ほとんど全部必死で一生懸命その大学の教育と研究の充実のためにやっておると私どもは信じております。 先ほども申しましたように、人事管理、職員の採用、職員の自覚、そういうものについての欠如を感じさせられるのであります。でありますから、文部省その問題について何かと仰せられますと、非常に心配を抱くのでありまして、またここで文部省が国会の要請などによって、そしてあらぬ方向に私学の監督強化を図る、その結果はますます私学人の自主性と情熱を、角をためて牛を殺すような結果になりかねないことを、これは杞憂でありましょうけれども、感ずるので、どうぞひとつ、その際には御用心をいただきたいものであるというふうに存じます。
○尾形(憲)参考人 戦前と戦後とでは、私立大学の公共性への度合いが違ってきているというお話ですが、私はそうは考えません。独自性なり特殊性を通してやはり公共的な存在であるということは、戦前も戦後も基本的には変わりはないはずだというぐあいに考えます。 したがって、たとえば入試の方法等について非常に隠微な形で、金をもらって入学させるとかいうような形の特別入学とか補欠入学とか、そういう形はあってはならない。これは当然なんですが、ただ逆に言いますと、先ほど申し上げましたように、偏差値で切って、ペーパーテストオンリーで、記憶力と申しますか、そういうものだけでやっていくのが公正だというのはおかしいのではないか。共通一次でも、ここにいらっしゃる皆さんが自己採点なさったら何点ぐらいおとりになれるだろうか、一遍おやりになったらいいと思いますね。私、去年のを自己採点しましたところ、自慢じゃありませんけれども、六百点とれません。絶対に国公立は受かりません。自分の大学も、ときどきお互いに受験場に参りますと、いま法政大学の経済学部を受けたら受からぬなというような話が出ます。そういうペーパーテストで切ることが、公共性を持つ大学の入試のあり方として果たして適当なのか。 海の向こうのハーバード大学では、もちろん成績もあります。高校の内申書もあります。高校の自治会の委員長をやっていたというような活動も重視します。スポーツ、フットボールの選手だったというようなのを総合して採点をします。しかも上の方から機械的に切るということじゃなくて、一定程度まではそうしますけれども、あとは人種であるとか出身であるとか所得階層であるとか、いろいろなのをまぜこぜにしてとります。そういう方法が一つあるのではないかということと、いまの私立大学がどういうことをしているのかということを申しますと、たとえば先ほど触れました教授会連合という組織で私たち改革の問題を議論しておりますけれども、昨年出しました私立大学白書、これも決して、これだけ私立大学の財政が厳しいとか、教育・研究条件が悪いという泣き言白書というものとしてではなくて、国民に開かれた大学としてどれだけ一生懸命私学がやっているかという改革の実績を何とか集めようじゃないか、これは十分集めることはできませんでしたけれども、そういう方向で私たち努力しております。
○和田(耕)委員 よくわかりました。私は、日本の若者の圧倒的な多数を私学の皆さん方が引き受けて、そして、りっぱに教育をしているという事実を評価しないものではありません。大きな役割りを果たしておられると思います。 ただ、その中に、たとえば私学が専門的な教育、特に理工系、医学等の教育をする場合には、それなりにいろいろと問題が出てきている。一番典型的なものは医学の問題ですけれども、これは最近、文部省はそれらしい一つの手を打ったケースもあるのですが、こういう問題を今後どういうふうに処理していくのか、あるいはもうこれからは私立大学には医学部を設置しないようにしようという考え方も出ておるようであります。あるいは理工科の方についても、いまの入学等の問題も、お金がかかるという問題とも関連していろいろと問題があるとも思われます。これは悪い点ばかり申し上げておるわけではないのです。文科系の人に比べて大変多額な教育の費用がかかるというものと関連をして、今後、どのような形で私学がこの問題を背負っていくのかということがあると思います。 もう一つの問題は、一般の教養の問題でありますけれども、世間では私学の一般教養の問題はどのような意味を持っておるのか、つまり教養を持つという点では意味があるけれども、教育あるいは学問研究というような大学に与えられた面から見てどのような意味があるのかということが一つあると思います。 その問題と、この間衆議院を通りました放送大学の問題、いま参議院でいよいよ大詰めに来ておりますけれども、そういう問題との関連もあると思います。 こういうふうな問題を含めまして、今後の日本の高等教育の問題については、かなり冷静な、しかも前向きの検討を加える時期にいま来ているという感じがしてならないのであります。 そういうふうな意味でありますから、いまもどなたかおっしゃいましたように、文部省に強く介入をしろとか国家干渉しろとかいうことを私、申し上げておるわけではありません。そういうちっぽけな意味で申し上げるのではなくて、客観的にもあるいは内容的に見ても、今後の大きな転換点に来ていると私は思うのです。 そういう意味で、関係者がこの機会に真剣に検討をする必要があるということを申し上げたわけでありまして、必要以上にいまの裏口入学的なものが強調されたように思われるかもわかりませんけれども、私の言う趣旨は、そういう意味ではないことを最後に申し上げまして質問を終わります。ありがとうございました。
○三ツ林委員長 栗田翠君。
○栗田委員 私は、山原委員と時間を分けて伺わせていただきますので、前半、私学に関する問題で御質問いたします。 まず最初に、尾形典男先生に伺いますけれども、先ほどの冒頭の御陳述の中で、今度出された法案は基本的には了解できるというお話だったと思います。いままでですと、設置審を通れば大学がつくれたわけですが、これからもしあの法案が通りますと、法令によって抑制されることになりますが、法令によって大学の設置を抑制するという点についてどうお考えになりますでしょうか。
○尾形(典)参考人 いまの御質問の趣旨、私ちょっと理解できないのでございますが、いままでも附則十三項がございまして、特別の必要性の認定が大学設置審議会及び私立大学審議会に諮問されまして、それによって設置が適当であるかどうかという答申が出されて、文部大臣が認可をしておられるわけでございます。この法律が五年の期間を過ぎて、さらに三年延長されましても、その姿は変わらないものと私は考えておりますので、その前提に立つ限り、法令によって直接コントロールされるということではあり得ない。いままでと同じように文部大臣が大学設置審議会、私立大学審議会に諮問されました結果、特別の必要性の認められるものについては設置されていくということは変わらないものと考えております。
○栗田委員 大臣が認められるかどうかというそこを通過しなければならないわけでございますが、それでは、そのことに関連しまして、私大関係の御三方にまとめて伺いたいと思います。 過去五年間、量より質の充実ということで、いままでも大学の設置が私大の場合抑制されてきたわけでございますが、それとあわせて、私大へは助成がされておりますが、その結果、実績としては三一%の私学助成でございました。この五年間の過去の凍結、抑制の結果はどうだったとごらんになっていらっしゃるのか、その成果があったかなかったか、マイナスであったかプラスであったかということですが、それを御三方に伺いたいと思います。 それから、時間がございませんので、まとめて伺わせていただきますけれども、もう一点は、これから三年間の凍結の結果はどんなことがもたらされるだろうか、それをどうごらんになるだろうかということを御三方に伺いたいと思います。 特に、その背景としまして私として考えますことは、一つは、第二臨調などで私学助成の抑制ということがかなり問題になってきているという点がございます。それから、先日来のこの法案の審議の中で、提案者でいらっしゃる自由民主党の方の御答弁を伺いますと、高等教育の計画的整備、この後半期計画というのは、今後三年の凍結の中で見直されるものである、そのままそれが残されて認められていくものではないと考えると自民党はおっしゃっています。文部省とちょっと御意見が違うわけです。それから、この三年の凍結の中で大学政策の抜本的な見直しを考えていかなければならない、こういうことを含めて言っていらっしゃるわけですが、こういう三年間を背景としましての凍結、それがどういう結果をもたらすであろうか、この二つの点について御三方のお考えを伺いたいと思います。
○尾形(典)参考人 私は、きょう、いまの御質問に答えるべき資料を全部持ってきておるわけではございません。五十年以来どういう質的充実の効果が私立大学助成の中で出てきたかという御質問だろうと思いますが、それに対する資料を全部持ってきておるわけではございませんので、一例を挙げて申し上げます。 たとえば、教育研究経費等基本金組み入れ、これは図書費、設備、機械その他の費用、それから建物その他の費用が基本金組み入れになることは御承知のとおりでございますが、これは五十年以来一・八倍になっております。そして人件費の方は、五十年以来五十四年度までに一・六倍になっております。急激な膨張期に人件費がふえざるを得なかった、それからインフレーションの中で人件費がふえなければならなかったという背景がありながら、しかも教育研究経費基本金組み入れというような、直接予算の上から見ました場合に、教育・研究の質的充実に貢献する部分が人件費部分よりも多いということ、これは私学の全体の統計でございますが、一つの指標になるかというふうに存じます。 きょう持っております資料は、そのくらいしかございませんので、学生対教員比あるいは校地、校舎あるいは学生一人当たりの図書数、そういうものは顕著に改善されつつあるというのが、きょうは持っておりませんけれども、私は、数字的に申し上げることができると思います。 それから、第二の御質問でございますが、三年の間に見直すべきであるということについては、私、冒頭に申し上げましたように、三年後を待たずにわれわれはこの質的充実に、実際にいままでも取り組んでまいりましたし、また、そのより具体的な効果的方法というものを考えなければならぬ。これはただ単に、先ほど申し上げましたように、数量的な、あるいは地方分散というようなことではなくて、日本の高等教育のあり方、文化教育政策としてどうあるべきであり、その中で私学はいかなる役割りを担わなければならぬかという観点に立っての見直し作業というものをわれわれ進めておるつもりでございます。 したがいまして、われわれはわれわれとして独自の意見を御提出申し上げたい、それをもって文部省にも国会にも意見として申し上げたいと考えております。
○矢次参考人 この五年間にどういう効果があったかという御質問でありますが、それは抑制措置が効果があったかという意味なのか、助成の効果がどのようにあったかという意味なのか、そこのところがちょっとお言葉がはっきりしなかったように思うのでありますが、いま尾形参考人から申されましたような助成の効果という点でございましたら、大変な助成の効果があったというふうに思っております。 それは現に毎年毎年専任教員の数が非常に増大いたしております。これは人件費に対する助成の裏づけがあるからこそ——もちろん七割は自弁しなければなりませんけれども、それにしても、各大学の教員の充実に非常に役立ってきております。毎年ふえておる。それから施設・設備、教育研究用の諸種の機械器具、図書資料等の充実は顕著に行われておると思うであります。 大まかに申しまして、いまの御質問は、大蔵省の主計官からよく私ども非難されるのでありますけれども、実質的には十年間経常費補助を行っておるのでありますが、最初のかけ声は三年、そして間もなく五年以内に延ばされて、そして十年たって今日なお三〇%です。三年で五〇%にいくのだ、それが、いやそれは五年ぐらいかかる、そして、とうとう十年たってなお三〇%、こういうことなんですね。 それまでは私立大学は経営が成り立たなかったのです、御承知のように。いずれの大学も毎年毎年大赤字を重ねていったことは御承知のとおりであります。ここでは数字は申しません。今日だって、全私立でなお五千億ぐらい残っております。しかし、この経常費助成のおかげによって、各大学がとにかく現状維持は何とかできるように大体なってきた、これは大変なことなんであります。毎年大赤字を出さないで、現状維持が何とかできるようになってきた、教員の給与も正常化してきた、これは大変な効果であります。 三〇%しかなっていないのに、それだけの効果がある。それを大蔵省のように、教育と研究の質の充実に顕著にあらわれていないのではないかと言われても困るのでありまして、これから先、助成率を約束どおり五〇%に近づけることによって、いよいよこれからが教育と研究の質の充実に振り向けられるようになっていくのだということなんですね。いままでやるべきことをやらなかった、しかし、それだけでもとにかく現状維持はできるようになってきた。そこで、十年もやったのだから、質の充実にと、こう言うのはまだ早過ぎる。これから約束どおりもっと充実をするならば、私学は急速に、教育と研究の質の面において充実してみせる。みんなその気になっておるということをこの際特に申し上げたいと存じます。 今後三年間延長してどうか、また、いままでの五年間が、御質問の意味がどのような効果があったかというもう一つの意味でございましたら、この五年間、さしたる実害はなかったのではないか。御承知のように、いままで大学はたくさんあるけれども、新設の必要があると認められるものは、この五年間もちゃんと認可をされて生まれてきております。でありますから、さしたる実害はなかった。まあ社会的背景として、大学は大体に、量においては頭打ちのところに来ておるのではないかというような実情との関連におきまして、そういうふうに考えます。 したがいまして、これから先、延長を三年されて、わが国の学問研究の進歩の上にさしたる実害は生じないのではなかろうか。 ただ、先ほど冒頭に申しました私の意見は、立法論、法制論としてかっこう悪いじゃないかということを申し上げたわけでございます。
○尾形(憲)参考人 補助の効果という点から申しますと、大変奇妙なことに、経常費補助が始まりましてから昭和四十九年に至るまでの間は、毎年平均五〇%程度の伸びを続けたわけですね。ところが、それにもかかわらず、その間私学の財政は悪化する一方だった。もちろん絶対額が小さい、これはあります。しかし、伸びが非常に大きかった。その時代にどんどん悪化していった。昭和五十年以後、この助成法が制定され、施行された以後、伸びが非常に小さくなりました。その時期に私学の財政が好転いたしました。それで今日に至っております。 そうしますと、補助の効果は一体どうなんだろう。結局、財政が好転した一番大きな原因は、何と言ったって学費の値上げです。学費値上げに乗っかって私学が財政を好転し、人件費も、最近よく問題になっておりますけれども、国公立を一定程度上回ることも実現できた。部分的にはかなり大幅に、銘柄大学では上回るというところも出てきたことは事実です。 ただ一方で、その問題だけ切り離して考えるわけにはまいりませんで、教員の一人当たり学生数——これは同じ専攻別でとってです、国公立・私立の専門別の違いがありますから。そういうこととか研究費とか授業の負担とか、総合的に考えてみると、それだけ切り離してというわけにまいりませんけれども、ともかく、いま言ったような給与なり、それから教員一人当たり学生数なり、校舎、校地、図書、これを学生一人当たりなりにとれば、かなり好転したということは事実であって、補助について一定の限界は、いま言ったようにありました、しかし、それがなかったら条件はもっと悪くなったということは間違いない。 ただ、私の申し上げたいのは、そういう教育・研究条件が国庫補助、経常費補助によって一定程度上がってきたということ、よくなったということはありますけれども、先ほどから私、申しておりますような資質的な中身、大学が大学でなくなっている、非大学化、空洞化、そういうものが果たしてどの程度改善されたか、これについては残念ながら自信がありません。ただ部分的には、先ほど申し上げました全国私立大学白書なんかで見ますと、各私立大学、一生懸命いろいろな形でもって、現在の大学のむしろ枠を超えるような、そういう方向で努力をしているということだけは言えると思います。 それから、抑制効果の方ですが、これは先ほど申し上げましたような状況が今後も低成長社会が続く限りは続くであろう、したがって、設置審が昭和六十一年度における進学率を三七%程度というぐあいに言っておりますけれども、大体私の見通しでは、すでに先ほど言ったように、昭和五十五年時点で四万の差が出ております。今後、四万ふやして三七——厳密に計算しますと三六・六くらいで、高専を除きますと三六ぐらいになります。六年間に八万、ということは毎年一万三千ずつふやす、これはできない相談だろうと思います。 したがって、恐らく今後進学率は、六十一年においては三〇を幾らも超えない、そういう状況になるのではないか。まして、国土庁なんかが申しますように、昭和六十一年に八十万の進学と言いますと、いまから二十万ですね、六年間で二十万ということは、毎年三万三千です。昭和四十年代のめちゃくちゃふえたあの時期に平均二万六千何がし、あれを上回るペースでいかないと国土庁の言うようになりません。そういうことは絶対不可能であろう。 したがって、いままでもそうですし、今後も立法化ということは、先ほど申しましたように、権力の強化というマイナス面こそあれ、そういうのはしなくたって、むしろいま言ったような状況になっていくのではないかというぐあいに思います。
○栗田委員 どうもありがとうございました。 それでは、山原委員とかわります。
○三ツ林委員長 山原健二郎君。
○山原委員 国大協の香月先生にお伺いをするのですが、国大協としましては、この法案が発表されましたら、それに直ちに、国大協としては珍しく敏速に要望書を出しておられるんですね。先ほどお話がありましたように、はなはだ不可解である、単に不可解ということではなくて、はなはだ不可解であるという、これは本当に最高の表現だろうと思いますが、国大協に対しまして、この法案ができるに当たりまして、今回、国立大学・大学院を含めるということについての何かお話があったのでしょうか、突然こういう法案が出たというふうに受けとめておられるのでしょうか、まずお伺いします。
○香月参考人 連絡はございました。しかし、その余裕は二、三日しかございませんでした。したがって、理事会は開いておりませんし、それから総会も開いておりません。
○山原委員 まあ経過としてわかりました。 次に、この法案が成立をしました場合に、現在各大学におきまして、創設準備をされ、また自主的に学部・学科の創設を初めとする改革が各大学で検討されておると思いますが、この法案が出ました場合には、それもかなりの影響を受けるかのごとき発言が、先ほどの私の質問に対して文部省からあったわけですが、こういうことになってくると、これは大変なことだろうと思いますが、その点についての何か御心配の点を持っておられるかどうか、伺いたいと思います。
○香月参考人 あの法案の文面で見る限りは、右にも左にもとれます。大変そっけない御返事で申しわけございませんけれども、心配をすれば切りがない。 それから、いままで、とおりにいくということも、現在までやはり国立大学の学部・学科、定員増、大学院にしましても、全部これは設置審の方にかかっておりまして、そういう手続上の問題から言えば違いがない。ただ、法律というのは、使う人によってもろ刃の剣になりますので、どういうようなお使い方をされるかということには、やはり危惧の念がございます。 以上です。
○山原委員 もう一つの問題は、文部省が大学設置審の計画に基づきまして、先ほどお話のありました後期整備計画というのを立てておられるのですが、これはきょうのこの法案の提出者の御発言によりますと、全く計画の名に値しないものだという観点から出ているんですね。だから、文部省がいままでやってきた後期計画というものを抜本的に見直すというのが、この法案の背景にあるわけです。 だから、先ほど出ました大学の配置、マップの問題とかいう問題、要するに現在、私学については五年間ストップしてきた、それに今度の三年間で合計八年ストップするわけですが、これに国立大学を加えまして、国立大学も三年これから学部・学科の増設はストップをしておいて、その三年の間に抜本的に大学政策を考えるのだ、こうおっしゃるわけですね。 ところが、いまここにお見えになっておる四名の先生方のお話を聞きましても、ずいぶん大学の今後の構想についての考え方の違いもあるように思われます。そういう質問でなかったから、正確な表現ではありませんけれども、とにかくずいぶん意見が違う。恐らくこの委員会におきましても、各党ともそれぞれ見解が違うわけでして、その中で、三年間で日本の大学の構想を抜本的に考えるなどということになってきますと、これはとてもじゃないが、大学人のコンセンサスを得ることも困難でしょうし、あるいは教育関係者の合意を得ることも困難でしょうし、そうなってくると、結局、政治権力を持っておる者が、ずばりこれに乗り出してくる可能性がないとは言えない。 十分時間をかけて慎重に今後の日本の大学のあり方について検討するというのならば、これはもちろん、先ほども香月先生ががんの問題でお話になったように、含蓄のあるお話でございましたけれども、長期にわたって検討しなければならぬものが、短期間に、しかも、このストップした期間に基本的な問題を考えるということになりますと、これは結局、文部省のいまの計画も御破算になってしまう、そうして新しく何かを出してくる。しかも、この法案の背景にあるものは私たちにはまだわからぬわけです。しかも、この法案についての採決は迫られるという、こういう問題がありますからね。 それから、もう一つの問題は、文部大臣が「特に必要と認める」ということです。いままでは大学設置審がオーケーを出せば文部大臣が認可してきた。今度は大学設置審というのが法律によって義務づけられてくる。その設置審が出してきたものに対して、特に必要であるかどうかというのを文部大臣が決めることができるという、こういう問題があるわけです。 同時に、その「特に必要な」というものを決める場合の判定の基準というのは何かというと、これもいまだにわからないという状態があるわけでございます。 こういう点から考えまして、かなり問題を含んでおるように思いますので、私どもも、文部省に対して資料も提出をしていただくし、それからまた、これからの審議の中で、一体何をお考えになっておるのかということは、提出者に対しても国会の責任において明らかにしていかなければならぬと思いますが、しかし、こういうものを含んでいま法律は成立をするかもしれない情勢を迎えているわけです。 これについて、四名の先生方にお聞きしたいのですが、もう時間がございませんので、特に、私学の方の先生方については栗田委員からいま質問をいたしましたので、国大協としての御見解があればお伺いをしておきたいと思います。
○香月参考人 冒頭に、国立大学にこの立法措置が講じられた場合ということにつきましては、大変簡単でございましたけれども、お話をいたしたつもりでおります。 ただ、いまももろ刃の剣なんということを申し上げましたけれども、たとえば、さっきお話のありました、地域別にマッピングができないかというような御質問がございまして、これも一つの全国的に見た国公・私立を通じての大学のあり方につながる大事な問題ですが、これは一概にそういうことは無理だと言うこともできないと思います。 たとえば、御存じのとおりに、医学の分野では、国策と称して大変強引に府県別に一つずつ医大を新設してまいりました。このときには、われわれは初めは大変反対をいたしましたが、国の方針というふうになればやむを得ぬだろうということで、協力をいたしました。そのとき一番困りましたのは、教官の確保でございます。 結局、大学のいろいろな将来計画を立てるときに、きょうのいろいろな御質問の中にございましたような細かいいろいろな点がございますけれども、大学は、学生を教育するところだということと一緒に研究を担っております。その研究は、学生が直接やるというよりは、これは教官に課せられた任務だという点から考えますと、教育・研究にたえ得る教官というものを確保する、それも専門分野別に各地域あるいはブロック単位ということについては一概に扱えない。大変がたがたいたしましたけれども、医学の分野というのが、あの構想が今度沖繩にできますと完成いたしますけれども、その間のいろいろな苦労というのは、文部省もわれわれも全部の方たちがきっと感じておられると思います。 とにかく、その後のいろいろな構想にこれが参考になれば、一つの非常に特殊な分野でもそういうようなマッピングを地域別にやっていくということについてはこういう苦労が伴う、それに対してまた別の専攻分野についてはこういう考え方もあるのではないかといったようなこと、いままでやられたことをいろいろ参考にして検討してみる必要はあるのではないか、これができる、できないということは、いまから申し上げることはできませんけれども、そういったようなことも考えてみるべきだというふうに思っております。 以上です。
○山原委員 どうもありがとうございました。 三人の先生には質問する時間がないものですから、お許しください。
○三ツ林委員長 小杉隆君。
○小杉委員 大分時間が経過してお疲れだと思いますし、また多角的な質問で、私の質問したいことも半分以上出尽くしておりますから、重複しない範囲でひとつ簡潔に質問をしたいと思います。 まず、尾形憲先生にお伺いしたいと思うのですが、大学離れという現象がどんどん進行するだろうということで、昭和六十一年度には三二%ぐらいになるだろうという推測をされました。 いままでの経過を見ますと、先ほど私も、午前中の質問で中教審が昭和四十六年ですか、石油ショックの前に予測した数字が昭和五十五年度四七・二%、それから懇談会では、これもやはり四〇%を超えるという見込みだったのが現実には三七%程度ということでございまして、いままでみんな予測が外れてきたわけですね。現にこの前期計画においても、ふえるであろうと見込まれた二万九千人の大体八〇%でとどまっているということなんですね。 そうしますと、昭和六十一年度からまた第二のベビーブームというのですか、非常に急激にふえるだろうということでいろいろ心配をされておりますけれども、先生の先ほど来のお話によりますと、そんなに心配要らないのではないかということのように思うのですが、その点がまずどうなるかという点。 それから、こうした大学離れの現象というのが一体何が原因で起こってきたのか。私は、石油ショックによって安定成長に移って、だんだん経済的に高度成長期のように各家庭とも余裕がなくなってきたということと、それから先生がさっき指摘されたように、大学を出ても清掃作業員になったり、あるいは四年制の大学を出ながら短期大学とか高校卒の公務員試験を受けるとか、いわゆるブルーカラーとかそういう扱いしか受けないというようなことで、国民の意識がだんだん変わってきたというようなことを私は考えておりますけれども、先生にもう少しその辺の分析を、予測で結構ですから、ひとつお答えいただきたいと思うのです。
○尾形(憲)参考人 ただいまの点に関しまして、私は、最近幾つか論文を書きまして、もし必要ならば、本日六部ずつ持ってきておりますので、後で各政党一部ずつ差し上げることができるかと思います。 おっしゃるような今後の見通し、これは当たるも八卦当たらぬも八卦でありまして、なかなか予測はつかないのですが、いままでの実績から見ますと、大体低成長が続く限りはこういう状況が続くのではないか。これは私が先ほど申しましたように、経済をやって、そういう立場から教育を見ておりますので、そこで、七年前に低成長になって、これは進学率が下がるというぐあいに申しました。しかし、あの当時、だれも本気にしませんでした。企画庁もそれから労働省も、四〇%、五〇%、六〇%まで進学率はいくだろう。マスコミもそうです。学界でもそうでした。ただ一人私に賛同してくださったのが永井道雄さんでした。文相のときに進学者数が下がるというふうにおっしゃって、だれも本気にしなかった。いつか座談会で会ったときに、この点だけは同じだなと言い合ったことがあります。 恐らく三年後のこの時限立法は、ひのえうまがちょうどその四年後ですから、その前の年で一遍下がる時期ですね。それから、ひのえうまになって下がって百五十六万になります。それが百八十六万、三十万上がりますが、その後上がり続けて二百六万までふえます。 しかし、私が考えるのに、どうもいままでの状況が続く、その背景には、やはり低成長という問題があるのではないか。これは先ほど触れましたような諸外国の七〇年以降の進学率の低迷、あるいはダウン、さらには進一著数の減の背後に共通のいま言った経済の変化があります。こういう問題が、低成長か安定成長か、言葉の使い方次第なのですが、少なくともいままでありましたような年々十数%を超える成長率が、今後また長い期間再現するということは、マルクス経済学、近代経済学を問わずほとんどないですね。全く皆無とは申しませんけれども、そういう状況が一方にある。 しかも雇用形態が変化し始めまして、三十五歳で定昇ストップとか選択的定年制とかいうことで、言うならば終身雇用自体にも穴があき始めた。紀元二〇〇〇年になりますと、二十五歳から四十四歳までの労働力人口よりも四十五歳から六十四歳までの労働力人口の方が多くなる。そういう時代がもう目の前に来ておりますから、終身雇用、年功序列、特に年功序列なんか吹っ飛ぶ。これは間違いない。そういう状況が目の前に来ている。しかも一方、大卒のブルーカラーあるいはグレーカラー化が進行しているという状況があります。 そういう状況の中で入口の方もやはりいやおうなしに考えざるを得なくなってきている。だから、一つには、一ころのようにふところが豊かではありません。子供を東京へ出して私学に高い授業料というぐあいになかなかいかなくなった。これは先ほど言いました地元志向という形になってあらわれてもおりますし、そういうのはミクロの問題です。 マクロの問題でも、これは国会の問題になりましょうけれども、国の財政の問題がありまして、そういままでどおりというわけにはいかなくなってきたというような問題がある。マクロの問題、ミクロの問題があり、そこに雇用形態の変化等があって、学歴社会がやはりいやおうなしに変わり始めてきたということではなかろうかというぐあいに考えております。
○小杉委員 先生の議論を聞いていますと、六十一年度から急激にふえていきますね、そういう場合にも大体そうしたいまのような働きが作用して、特に急増対策というのは考える必要がないというふうにお考えかどうか。
○尾形(憲)参考人 第一次ベビーブームの場合非常に問題になりましたのは、第一次ベビーブーム、戦後間もなく生まれた世代ですね、あの世代が一世代二百四十九万、ざっと二百五十万おりました。ついその二年前、敗戦の年に生まれた世代が百四十万ですから、倍ぐらいになったわけですね。かの堺屋太一さんの言う団塊の世代ですけれども、ということは、これはもう小・中学校増設、高校増設、大学については文部省が十万人急増ということで大わらわになったという時代でした。あの時代を結局のところ私学が引き受けるという形で乗り切ったわけですね。物すごいすし詰めをやり、高校なんかに至っては、一クラス百二十人なんて物すごいすし詰めをやって乗り切ったわけです。 しかし、そういう状態が今後再現するかというと、先ほど申しましたように、様子はもうがらっと変わってきている。しかも、その伸びが百四十万から二百五十万、そういう状況ではもうないんですね。 したがって、その点について、これはさっき申しましたように、当たるも八卦当たらぬも八卦でありますから、ちょっとわかりませんけれども、経済が教育を従属させている、そういうような状況が続く限りは、経済の低成長はいやおうなしに影響するということだけは間違いなく言えるのではなかろうか。 全然心配がないかどうか、これはちょっとわかりません。設置審の方でも、昭和六十一年には百八十六万になりますけれども、それから先については、また再検討する必要があるというふうに言っております。しかし、過去の実績を見ますと、高等教育懇談会の場合には、前期五カ年間については一応抑制、後期については抑制だけじゃなくて計画的——以前は拡充整備計画と言っておりましたね、あの拡充が一遍、自民党が四十九年お出しになったあれで消えました。しかし、この拡充の方向をやはり考えなければいけないというふうに一たん言っていたのが、設置審では消えていますね。 そういう状況を見ますと、全然心配がないかどうかと言われて心配ないと断言するわけにまいりませんけれども、大体いま言ったように私は考えております。
○小杉委員 次に、国大協の香月先生と私大連盟の尾形先生に伺うのですが、先ほど来量の拡大から質の改善というようなことで、創造的な人間をつくるとか、あるいは研究・教育条件を整備、拡充、充実するというようなことがございました。大学院の問題も出ましたが、国立大学の会長として、あるいは私大の会の責任者として、当面、質的な充実の方で具体的にどういうことから手をつけなければいけないか、そのプライオリティーといいましょうか、優先順位あるいは緊急度、そういったものをお答えいただければ幸いです。
○香月参考人 一言で質的の充実ということを申しますけれども、実際に中身は大変むずかしゅうございまして、大変いい御質問をされたと思います。これは先ほどの私の答弁の中でもって触れておりますけれども、教官と学生とのバランスということが一番問題になるかと思います。いい教官を大学が大学の中にいかに多く持っているかということが第一条件でございます。それによって、それの教育し得る、あるいは研究し得るフィールドというもの、あるいは範囲というものが決まってまいります。これが大学にとっては一番大事なことだ。もちろん設備だとか施設とかいうものも大事だとは思いますけれども、基本的には、教官の質を確保して、その質に余裕を持った人員を整備していくということが必要かと思います。
○尾形(典)参考人 香月先生は、私の立場とは違った立場に立っておられます。というのは、予算その他の心配はない立場から研究ということ、研究者の充実ということが第一優先順位であると申されましたが、われわれ自分で予算をつくる、国庫助成もいただいておりますけれども、そういう立場から見ました場合、各大学それぞれ実情が違うというふうに考えております。新設の大学、これはむしろ施設・設備は充実をしながら発足したという感じが強うございます。ところが古い大学、私の大学も古い方でございますが、これはその質的充実よりは量的拡大の方に走らざるを得なかった、したがって、ここのところ、まさに物的、人的、教育・研究条件の充実ということが最大の課題になっております。 ことに、古い大学はいい大学であるかどうかは別でございますが、われわれのプライドといたしましては、先ほど冒頭でも申し上げましたように、欧米のいまわれわれが輸入してまいりましたような知識・技術を生産した国々の私立大学の持っています教育・研究条件と比べてみますと、余りにも見すばらしい。私立の一流大学でもそうでございます。国立大学でもそうだと思います。したがって、私たちが一流であろうとする限りにおいては、研究・教育条件、それは人的条件もございますけれども、物的条件、これを整えなければならぬ。 たとえば、先ほど尾形憲参考人の申されましたように、教育の内容を工夫しようとしますと、直ちにそれが施設・設備の問題につながってまいります。それがなければ、教育の内容、方法の改善もできないというのが実情でございます。 ことに、都内にございます大学といたしましては、首都圏整備法その他でもって学生用の施設というものの増設を許されておりません。したがいまして、この点は非常にむずかしい問題が残っております。しかし、それにもかかわらず、それをやっていかなければ教育内容の改善ということにはつながりません。そういう意味で教育・研究条件、ことに私立大学は、国立に比較しまして研究よりは教育の方にむしろ力を入れているということが実情でございます。 その点から申しましても、学生に対するわれわれの責任を、その条件を整える中でやっていかなければならないということが至上命令だと私は考えております。
○小杉委員 矢次先生にお伺いします。 私学助成もいま大学だけで三千億を超えるという状況ですし、いま行政改革というのが国を挙げての一つの課題になっておりますが、中には私立大助成を行政改革の対象にすべきだというような機運もあります。そういうさなかに、私立医大のいろいろな問題、不正入学とか成績原簿の偽造とか、そういう問題が出てきているところから拍車がかかって、そういう私大助成に対する風当たりというのが最近とみに強くなってきているわけですね。 ですから、そういう点での私立大学側の対応といいましょうか、自省といったことも必要でしょうし、それから先ほども私、数字を挙げたわけですけれども、定員超過率というのが少なくなってきて一・四二ぐらいに減ってきている一方で、定員に満たない大学がかなりふえてきまして、一万人を超える定員の足りない現象が起こってきているわけですから、そういったような問題についても、私立大学としてどう対応していかれるのか、その点をひとつ。これは矢次先生だけじゃなくて、もしほかの私大の関係の方の御答弁もいただければ、それでも結構です。
○矢次参考人 せっかくの御質問でございますけれども、一体政府が行政改革に本気で取り組んでいるのかどうなのかということがよくわからないものですから、私も、まだどうなんだろうと思っておるので……(「本気で取り組んでおりますよ」と呼ぶ者あり)いま取り組んでおりますとおっしゃいましたけれども、一部では天の声であるというようなことが言われております。しかし、総理の演説や行管長官の演説などを見ますと、どうも——私どもは、行政改革というのは、肥大した行政を簡素化し、かつ、より能率化するということにあると思っておりますが、最高責任者の演説の中に行政改革の哲学がないところへ、後半になってくると、何か財政再建にすりかわっているような、どうもよくわからないなという感じがいたしておるのであります。 それは別として、私学に対する助成は、その種のものとは根本的に異なると私どもは信じておるのでありまして、この財政再建、冗費を省くということは、これは国の財政収入、金がないということからくるのでありましょうが、金はいずこの国でも、アメリカでもないわけであります。ない金をどのように支出するか、国が発展するように支出するか、その基準は日本の将来、この一九八〇年代のみならず、二十一世紀を目がけての日本の将来の発展に何が必要であり、何が重要度が少ないかということ、この基準が明確に打ち立てられているかいないか、私は、ここだと思っておるのであります。ところが、そこをいまだかつてうかがえないのであります。 そういう観点から物を見ていただくならば、まさに先ほどもどなたかからお話がありましたように、日本に残るものは、日本の頼みの綱は、人間の知識・技能、人間の能力であるということには疑いないと思うのであります。すべては人間がつくり、人間が発展させていくことは申し上げるまでもないことであります。 そういうふうに見てまいりますと、日本の高等教育、大学教育及び学術研究の今後における、いままでもそうでありますが、大きな絶対的なシェアを担当しなければならない私立大学、しかも今後、わが国の産業が国際社会の中で永遠に発展をして続けていくためには、これからこそ従来のような輸入知識、輸入技術でなくて、みずから開発創造していかなければ太刀打ちできない、質で勝負をする時代にいよいよ入ったのだ、こういうふうに見るべきであると思うのでありまするが、その中において私立大学が果たさなければならない歴史的役割りというものは、いままでとは変わったものがある、こういうふうに自覚をいたしておるのでありまして、もしこの私立大学に対する補助金を云々というようなことをお考えになる向きがあるとすれば、まことに短見、時代錯誤であると言わざるを得ないというふうに思っております。 いま私立大学を現状で見ましても、もし国がこれを設置経営するといたしますれば、四兆円近くも国費を支出しなければならないところに、おっしゃいましたように、たった三千億足らずで、大部分は民間の力でやっておるわけであります。そして国は十分の一にも満たないものを出しているだけ、だから、先ほどのような、わが国ほど高等教育について無責任な政府はないというお話も出ると思うのでありまして、それをさらに、ふところぐあいの都合でそれをしも切ろうというのは、私どもではとうてい考えられないことだと思っておるのであります。 いろいろ申したいことはございまするけれども、この辺でとどめておきたいと思います。
○尾形(憲)参考人 補助金の問題、実は私立だけの問題ではありませんで、国公立はまる抱えですから、なおさらだろうと思います。果たしていまの大学が、国公・私立を含めて本当に国民に開かれた大学であるのかどうなのか。入れない人たちが過半数、三分の二おります。そういう人たちを踏みつけてのし上がっていくステップというぐあいになっていないかどうか。もしそうであるならば、そういう人たちからも取り上げた税金を回す理由がどこにあるのかというかなり基本的な問題が、実は私学助成の問題だけではなくて問われるべきだろうというぐあいに思います。 そういう観点で、そういう人たちが、そういう金を回すならおれたちの税金を減らせというぐあいに言われるのならば、これはやむを得ないというぐあいに考えます。大蔵省がどう言う、そういうことではなくて、そういう入れない人たちの声を聞く、そういう方向で、いま言った助成だけではなくて、国公・私立全体を含めた大学にかける金、高等教育にかける金について考えるべきだろうというぐあいに思います。 それから、後の方の問題で、私は、それを過疎と過密の共存というぐあいに言うのですが、たとえば定員の二十二倍というような短大があったりしますと、他方では二学年百四十人にたった三人というそういう四国の短大があったりいたします。おっしゃるように一万人以上の定員未満がある。他方は一・四倍程度の超過があるという状況があります。しかし、これも先ほどちょっと地方大学の問題で触れましたように、いま申しました定員未満、これは大体地方の短大あるいは大学です。そういうところが息も絶え絶えになってつぶれそうになっている、あるいはつぶれていく。しかし他方、国立の大学が近所に建つという非常なアンバランス、これはやはり国公・私立全体を含めての高等教育計画ということを考えていかないと、いま言ったような状況が出てくるのではないか。 これはかつて、先ほど申しました昭和四十年代に東京で、一方ではつぶれる私立高校がありながら、他方公立は依然としてすし詰め、すし詰めとがらあきの共存、そういう状況が続いたわけです。 そういう観点で、国公・私立全体を含めて一元的に考えていく。これは、たとえば中教審答申なんかで申しておりますけれども、これは言葉ではなくて公共的な存在、そういう点では全く同一ですから、そういうことで考えていくということでなかろうかというぐあいに思います。
○小杉委員 もう時間が来たからやめますが、大体従来こういう国会なんかの議論でも、大学の中身の問題、質の問題というのは余り論じられないで、量の問題、文部省の資料なんかも大体全国的なそういう配置とか人員とか施設とか、そういう量的な問題にばかり集中していたと思うのです。それは、やはり大学の自治という壁があって、われわれが何か議論しようとすると、どうも大学の自治で大学の人たちから拒否されるというような懸念がわれわれにはあったわけです。ところが、大学紛争によって、やはり大学人の力だけで処理できなくなって、ああいう大学法というものを成立をさせて、そういう外部の力でおさまったという経緯があるわけなんですが、私は、もちろん学問の自由とか大学の自治というのは尊重されなければいけないと思うのですけれども、それが聖域であって、タブーであって、国会でも文部省でも余り中身の問題について触れちゃいかぬというようなそういう拒否的な態度というのは、やはり大学側も持つべきではないと思うのです。 私は、そういう意味で、きょうは質の問題がかなり出てきたということはいいことだと思いますし、これからも国会の論議の中で、あるいは文部省のいろいろな検討の中で、いままでの大学の中身の問題についてのいろいろな検討というような姿勢に対して、大学人の方でも、もう少し寛容的というか窓を開いて耳を傾けるというような姿勢を望みたいと思うのですが、そのことについてもし反論があれば反論を聞かしていただきたいし、そういう気持ちだということであればそれでも結構ですし、何か感想のある方だけで結構ですから、お話いただければと思います。
○香月参考人 国立大学に関する限りは、隠したりうそを言ったりしておりません。それはきっと恥部というのを、大学というのはどんなところでもいささかは持っているだろうと思います。その恥部も出せということは無残でありますし、それは賢明なる議員諸公は察知されるのが本当だと思います。 以上。
○小杉委員 それじゃ終わります。どうもありがとうございました。
○三ツ林委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。 参考人各位には長時間御出席いただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。 次回は、来る十三日午前九時四十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時二十一分散会