文教委員会 第3号
- 発言数
- 264 件
- 登壇者
- 18 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1980/10/22
会議録
○三ツ林委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山原健二郎君。
○山原委員 いままで文部大臣に就任をされた歴代の文部大臣は、就任と同時に記者会見をいたしまして、いろいろ抱負を述べられるわけです。たとえば最近では、砂田、内藤、谷垣というような文部大臣が就任をされまして、教育勅語の礼賛といいますか、そういう発言がありまして、それについて、この委員会で大臣の所信表明に対しての質疑が行われ、また、教育勅語論争というのもずいぶんこの委員会でやられてまいりました。しかし、教育勅語に関してその全体を復活するとかいう考えではなくて、その中にある徳目は変わらないものだというような発言もあったりしまして、意見の違いはありますけれども、とにかく各大臣とも、憲法と教育基本法については、これをしっかりと守って文教行政をやっていくということではほぼ一致をした考え方に立ってやってまいりました。ところが、田中文部大臣になられまして、今度の記者会見の御発言というのは、いままでになかった発言だと私は思っております。 というのは、総理が出されました安全保障に関連した発言として奥野法務大臣、そして引き続いて田中文部大臣の御発言が記者会見で発表されている。言うならば、安全保障と言えば、国防に関する問題その他が入るわけですから、単に教育勅語がよいとか悪いとかいうことではなくて、いわば国防に関する文部大臣の発言が出てまいりまして、そして教科書についても批判するという事態が起こっているわけですね。これはいままでにないことなんです。 まず最初に、田中文部大臣に、七月二十二日に行われました閣議後の記者会見の真偽について伺っておきたいのであります。
○田中(龍)国務大臣 ただいまの冒頭の御質問でございますが、私は、安全保障問題等を申したつもりは実はないのであります。文教政策の根本は、何といいましても、日本の教育行政全般を貫く問題といたしまして、私になりましてから、新しい問題といたしましては、いわゆる終身教育と申しますか、ライフサイクルといったような問題を当面の大きな教育の方針と考えておりまするし、同時にまた、いままでの関係の大臣のおっしゃった発言と異なるものがあるとするならば、今日の日本の置かれておりますいろいろな客観情勢から、資源の乏しい日本といたしましては、科学技術の振興という問題を特に強調いたしたと存じておるのでございます。しかしながら、われわれが今日の教育行政という中に、やはり物の観点の経済からなお一層心の問題を重視しなければならないということは私、申したと存じておるのでございますが、何か先生のあれと違うようでございましたら、御指摘いただきたいと思います。
○山原委員 当時の新聞を見ますと、こういうふうに出ているのです。 各紙を持っておりますが、一つだけ読み上げますと、鈴木首相が二十一日に、総合的な安全保障体制を確立するために、現在の国防会議の改組拡充を含め「総合安全保障会議(仮称)の設置を検討する意向を明らかにしたことをうけ、二十二日の閣議でこれを支持する意見が相次ぐとともに、総合安保体制の一環として学校教育での国防教育を重視してとりくむべきだとする意見が出されました。」、「このなかで鈴木提案に賛意を表した奥野法相は「日本を守るということは、戦後のわが国に欠けている学校教育上の盲点でもあり、教育の観点からも安全保障を総合的観点からとりあげるべきだ」と発言。」、その後「記者会見でも「国の安全についてはみんなが考える時期にきている。教科書は大変問題がある」」という発言をされております。「また教育行政を担当する田中文相も記者会見で「(祖国という問題を)今後の文部行政の対象としてまじめに考えていかねばならないと思う」とのべ、文部省として学校教育への国防教育の導入を真剣に検討する構えを表明しました。」、大体各紙ともこういう受け取り方をしておるわけでございます。 これは前後の経過から申しまして、このような受け取り方をするのがむしろ当然なようにも思われますけれども、この点が、いま大臣がおっしゃったこととは少し質を変えた問題として、もう一度確認をいたしたいのでございますが、この真偽のほどをお伺いしたいのであります。
○田中(龍)国務大臣 ただいまお話になりました大部分は、奥野君の新聞の記事をお読みになったように存じ上げます。また、教育を担当する私の談におきましては、むしろ田中もそういうふうな気持ちを持っているだろうという内容にしたためてあると存じますが、私自身もちろん国家を愛するということは当然なことでありまして、さらに生涯教育ということを強調する面におきまして愛ということを強調いたしたことは当然でございます。そうして家庭教育から学校教育、さらに社会教育を貫く一つの中に、やはり心の問題、愛情の問題というものが基本になり、家庭におきまする子供に対する愛情、また子供の母に対する愛情、そういうことがさらに青少年の教育にもつながりますし、それからまた、生涯教育といたしましては、老人ホーム等の場合の生きがいの問題、そういうふうな問題とも連なってまいります。 要は、本当に子供を愛し、また家庭を愛し、郷土を愛し、さらにまた当然、われわれ国民の、民族の国を愛するということに一連の問題が哲学的に出てくるのでございます。それを申しただけでございまして、特に国防の問題を申した記憶はございません。
○山原委員 国を愛するということについては、だれしも反対する者はおりませんし、そのためには、やはりわが国の風土あるいはわが国の持つ文化の伝統あるいは自然あるいは歴史、地理、そういったものが正確に教えられて、その中から真に国に対する愛情とか郷土に対する愛情とかいうものが出てくるわけでして、そういう点で、問題はそれがどういうふうにつながっていくかということに対する危惧の念があるわけですが、そうしますと、いま文部大臣の御発言によりますと、七月二十二日の閣議並びにその後の記者会見における御発言というのは、文部大臣として国防教育を行うという意味ではないとはっきりと否定をされるというふうに受け取ってよろしいですか。
○田中(龍)国務大臣 さようでございます。国防教育といったようなことは、私は決して申した覚えはございません。
○山原委員 いま国際的な趨勢としまして、教育の問題では、たとえば日本の憲法にしましても、御承知のように「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」ということ、それから御承知のように、ユネスコのいわゆる軍縮教育世界会議における勧告、もちろんお読みになっておると思いますが、この中でも、平和を望むなら戦争に備えよから平和を望むなら平和に備えよへ移るために軍縮、平和教育が必要であると情勢分析をいたしておるわけであります。さらに学校教育での勧告の中には、軍拡競争以外の解決方法を見出すように市民に促すこと、さらに軍縮、平和のための授業は対立する民族的独自性よりもその補完性、世界についての国際的な見方の探求の発展を目指す総合文化的な課程であるべきであるなどとうたわれております。 実は、ここに塩崎先生と小杉先生がいらっしゃいますが、一緒に東ドイツにおける列国議会同盟の会議に出席しましたが、各国の発言を聞いておりますと、やはり一番多く出る言葉は、軍縮と平和という言葉であったように私は思っております。もちろん、アフガニスタン問題とかイラン問題につきましては、意見の違いは出てきたと思うのです。中には、広島の原爆の百万倍の原水爆が貯蔵されておる今日、軍備の拡張は何を意味するか、民族、国家あるいは人類まで生存することができないぐらいの事態が起こっておるときに、軍縮以外に道はないではないか、平和以外に道はないではないかというような発言もありました。 それで私は、世界の潮流として教育の問題は平和の教育あるいは軍縮、平和の立場、こういう方向に向かっておると思っております。また、日本国憲法もそのことを志向しておると思うわけですが、そういう認識、これは私の認識でありますけれども、これについてどうお考えになるか、伺っておきたいのです。
○田中(龍)国務大臣 私は、御意見のとおりわれわれの願望といたしまして、あくまでも平和をこいねがってやまないものでございます。
○山原委員 私は、国際的にそれが主たる潮流であると考えておりまして、その点では文部大臣のお気持ちと一緒でございます。 ところで、今度の国会で一番問題となりました憲法論議でございますけれども、これは全く教育問題と一つになってこの奥野発言というのが出てきておりまして、その意味でこの問題はどうしても解明しておく必要があると思うのです。奥野さんの発言は「日本を守るということは、戦後のわが国に欠けている学校教育上の盲点でもあり、教育の観点からも安全保障を総合的観点から取り上げるべきだ」と発言をいたしまして、記者会見で「教科書は大変問題がある」と教科書批判をいたしておるのでございますが、もう一度お伺いしますけれども、これと文部大臣の発言はつながった形で出てきておりますので、これは奥野さんの発言であって、そして文部大臣の見解とは違うのだということを確認してよろしいでしょうか。
○田中(龍)国務大臣 ただいまお読みになりました新聞の記事に関する限りは、私の発言というものは、奥野君の発言とは関係がございません。しかし、国を愛するということにつきましては、これはやはり教育の重大な基礎でございまして、このことについては当然であろうと考えます。
○山原委員 奥野さんの発言とは違うというお考えですが、奥野さんの場合は教科書に大変問題がある、こう言っておりますが、この点については文部大臣はどうお考えになっておりますか。
○田中(龍)国務大臣 御指摘の点は、教科書に国を愛するという言葉がないではないかということであろうとそんたくいたしますが、その点でございますか。
○山原委員 もう一度申し上げますと、奥野さんは、「国を守るということは、戦後のわが国に欠けている学校教育上の盲点でもあり、」とこう申しておりまして、そして、これを受けて記者会見で「教科書は(国の安全保障の観点から)大変問題がある」と教科書に対する批判をされております。この点について文部大臣の御見解はどうですかと、こういう意味です。
○田中(龍)国務大臣 国を愛するという問題につきましては、指導要領にはちゃんと出ておるわけでありますが、小中学校、高等学校等の教科書の中に、具体的に国を愛するという言葉がないということが論議をされた一つの点であろうかと存じます。しかしながら、指導要領におきまして、根本的に教育の基本を指示しましたところに国を愛するということが出ておって、あとはその具体的な展開でございますので、その点はそれでよいのではないか。ただ、いまの教科書が完璧なものであるかという点になりますと、これはいろいろと議論の存するところがありはしないか。人間のつくったものでございますから、なかなか人、人の見解の相違ということもございましょうし、現在の教科書がこれでもって十全であるということは申し切れないと思います。
○山原委員 指導要領の中では「日本人としての自覚をもって国を愛し、国家の発展に尽くすとともに、人類の福祉に寄与する人間」をつくるという目標がありますからね。その点は文部大臣のおっしゃるとおりでございますが、教科書はもちろん万全であるわけではありません。しかし、そのことに関して——いまおっしゃるのは、奥野さんとの違いというのがちょっとわかりません。奥野さんは国を守るとまで踏み込んでいる、そこと文部大臣は国を愛するというところとは違うのだというふうにも私は考えますけれども、とにかくこの問題について、文部大臣が主導的に教科書を変えるという意思は持っていないというふうに判断をしてよろしいですね。
○田中(龍)国務大臣 これは先生最もよく御承知のとおり、教科書が決定いたしますまでには審議会その他の十分な段階を経て教科書になっております。また、一遍決めました教科書は三年間——これをすぐ変える、文部大臣がこう言ったから変わるというものでもございません。しかしながら、世の中の移り変わり、客観情勢、特にいろいろと変転きわまりない今日の世界情勢下におきましては、実際に教育の現場の諸先生方によりまして、時、所に応じた説明その他の論旨の展開、これはまた当然あり得ることだろうと存じます。
○山原委員 この間の自民党の三塚さんの質問と関連しまして、こういうことが出てきているんですね。指導要領には国に対する愛情の問題が書かれているけれども教科書にはない、そこで、指導上の問題として何らかの検討をする、これは三角初中局長も言われたのではないかと思いますが、この点は確認しておきたいと思うのですが、どういう意味ですか。
○三角政府委員 せんだっての御質疑、それから、それに対する御答弁に関しまして、ただいま御指摘のような指導上の問題というような事柄が出た、それは記憶いたしておりますが、この間の御議論の中で、やはり教科書は必ずしも同一ではない、当然のことでございます。何種類かの教科書がありまして、それぞれの著作者がそれなりのお考えで内容の盛り込み方、あるいは取り上げ方の程度と申しますか、若干ずつ相違があるわけでございます。その相違に即して、教師が必ずしも十分でないと思う場合には、教科書は一つの主たる教材ではございますが、教材でございますので、その教材を用いながら個々の教員が指導計画を立て、授業なり学習なりを展開するわけでございますから、必ずしも教科書だけにとらわれてその範囲を一歩も出ないということではなく、教師の個々の工夫と努力によって教育の内容を充実していただく、こういう趣旨の指導上の配慮ということを申されたというふうに私は考えておる次第でございます。
○山原委員 指導要領というものを、この点に関して変えるという意思は持っていないと思いますが、それはどうなんですか、先に伺います。
○三角政府委員 ただいまの指導要領は、小学校につきましては御承知のように本年四月から、中学校につきましては明年の四月から実施されるものでございます。これは昭和四十八年から満三年余りをかけまして教育課程審議会において非常に丹念な御検討、御審議を尽くしていただいて、その御答申のもとに作成し実施に入ったものでございまして、これについて直ちにいまこれを改正するという、そういう時期的な段階でもございませんし、そういうことをする筋合いの問題にはなっておらないというふうに思っております。
○山原委員 その点は文部大臣も同じお考えだと思いますが、どうでしょうか。
○田中(龍)国務大臣 同じでございます。
○山原委員 そこで指導要領は、いまおっしゃったように改定されたばかりでございますし、また指導要領に基づいて教科書の問題、教科書には愛国という言葉がないという指摘がありましたが、私は、必ずしもないと思っておりません。 そこで、その点について指導、これは新聞によりますと、補足指導というような書き方をしておりますが、これは大臣と初中局長の御答弁を聞いてそう書いたと思うのですが、もともと教科書というのは、御承知のように検定制度に対する裁判も行われているぐらい厳密なものですね。そして文部省が、こう書きなさいとか、愛国という言葉を書いておるからとか、書いておったら削らぬだろうというような答弁をしておられた。そこ自体も教科書の問題から見るならばおかしいのですけれども、それはともかくとして、教科書を取り扱う場合の教師に対して何らかの指導をするということをおっしゃっておられるわけですが、これはどういう意味ですか。何か別に文部省でお考えになって、愛国の問題についてはこういうふうに指導しなさいよというふうなことにするのか、あるいはその中身は何なのか、そういう御検討はなされての御答弁であったのでしょうか、伺います。
○三角政府委員 先ほども申し上げたわけでございますけれども、学校教育の展開につきましては、いろいろな研究をしたり、あるいは研修をしたり、あるいは成果の発表をしたりする場もございますし、それとは別に、また教育行政の観点からの担当者同士の連絡協議の場もあるわけでございます。教育上必要な事柄が生じますれば、そういったいろいろな機会や場面をとらえまして、お互いに必要な事柄について相談をし、あるいは検討をし、そしてまた、必要に応じまして一つのまとまった考え方をこさえ上げていくという仕組みがあるわけでございます。 したがいまして、先ほど来御議論の国を愛する問題あるいは国を守るといったような問題につきまして、そういう場で研究をし、あるいは協議をするということが、状況によりましては可能でございますし、そういう機会を活用していくということができるわけでございます。
○山原委員 教科書を教師が教える場合に、学習指導要領というものがその教える規範になることは間違いないと思います。それで教えているわけですね。それにさらにつけ加えて、まさにいまおっしゃったことは、補助的な指導をすることができるということなんです。しかもそれは、いまのお言葉を聞いておりますと、たとえば教科書以外にといえば、副読本あるいはまた全国の教育委員長会議、教育長会議あるいは指導主事会議等においてできる、こうなってきますと、これはまさに行政指導でそんなことができるのかという問題になってくるわけですね。 しかも、そういうことになれば、愛国という問題について、また文部省が一定の見解を持たなければ指導することもできないでしょう。そこらの疑問が出てくるわけですよ。指導要領があり、教科書がある、それに基づいて教師は教育をしていく、しかも、憲法と教育基本法という平和主義的な理念があるわけですから、それに基づいて教育をしていく、この現在の情勢を改めて、何らかの補完的な指導を与えていく、まさに行政指導ですね。こうなってくると、それは指導する側の愛国に対する理念その他が明確にならなければできないはずです。そういうことまでお考えになっているのですか。
○三角政府委員 ただいま御指摘があったわけでございますが、私どもの基本は、教育基本法、学校教育法に基づきますところの学習指導要領でございますが、学習指導要領には、一つの教育活動の基準を示しておりますので、比較的簡明に記してございます。しかし、やはりそれがわれわれの学校教育展開並びにそのことに対する指導の基本でございます。 ただ、基準でございますから、これにどのように肉づけをし、そして具体的にどのように教育活動を展開するかということは、かなり弾力性がございまして、そこがやはり各学校におきます教師が工夫をし、そして中身についてりっぱな教育を展開してもらうということを期待しておるわけでございますので、基本は学習指導要領でございます。教科書もその学習指導要領に即してこさえられておりますけれども、必ずしも御指摘のように副読本を使うとかなんとかいうことは申し上げておりません。個々の教員が指導要領の基準を守っていただきながら、内容の充実したよい授業を展開していただくということを願っておるわけでございます。
○山原委員 それは大変なことなんですよ。いま焦点となっている愛国の問題について、国を愛するということは、指導要領にあるが教科書にない、だから文部省としては、何らかの会議その他を通じて補足的な指導をするということになるわけですからね。 そうしますと、それについての指導理念がまた出てこなくちゃならぬ。これは何かそういう研究をされておるのですか。そうでなければ、たとえば文部大臣あるいは初中局長が、全国教育長会議あるいは教育委員長会議を招集して、その中で、このことについてはこういうふうに教えなさいよなんていう補完的な指導をするということになりますと、これは大論議の問題、課題になるわけでして、だから、そこらの答弁の仕方が非常に問題なんです。 もう一回聞きますが、どういう意味なんですか。国を愛するということをどういうふうに教えろとかそういうことを、指導要領にはこう書いてあるのだからこういうふうにやりなさいよというふうにやるという意思がなければ、そんな答えは出てこないと思うんですよ。その点はどうなんですか。
○三角政府委員 私どもは、山原委員のいまおっしゃいましたようなところとは全然考えは異なっておりまして、やはり指導理念というものは、教育基本法なり学校教育法の示す各学校の教育の目標、内容、それから学習指導要領でございます。 ただ、個々の学校におきます具体の教育活動というのは、学習指導要領オンリー、あるいは教科書の外に一歩も出られないというものではないわけでございますから、それは個々の先生方の御努力によりまして、いま申しましたような、教育基本法から学習指導要領に至り、かつ教科書にもあらわされている内容を先生の手でより具体的に展開していただくということでございます。 ただ、教科書自体も、この間の御議論にありましたように、個々の事柄の取り上げ方につきましては、個々の事柄によりましてウェートの置き方に若干の差があることは、これはそれぞれ自主的に著作者がお書きになる著作物でございますから、あるわけでございます。そういうものと先生方は対面をし、そういうものを活用しながら授業を展開していくわけでございますから、そこで先生方が、いかにその授業を充実させていくかということを考えていただくわけでございますが、そのときにやはり、山原委員もおっしゃいましたように、指導要領に示された基本に常に立ち返りながら、その内容を具体化と申しますか、具現していただくということを期待しておる、そういうことでございます。
○山原委員 だから、それだけでいいのじゃないですか、文部省はいままで指導要領を法的拘束力があるとまで言ってきたわけですからね。そして指導要領に基づいて教科書を教えるというのはあたりまえのことで、たとえばその際に、先生方がいろいろな工夫をこらして、指導要領の示す方向に対して、もっと豊かに子供たちに教えていくとかいう努力はいまもなされているわけですね。それでいいのじゃないですか。そのほかに、このいま問題になっておる国を愛するという問題については、あなたがおっしゃるように、何かの会議を開いて、そういうふうに指導するということになれば、それはやはりそこに問題が出てくるわけでしょう。だから、どういうことを指導するのかということを聞きたくなるわけですね。 教科書にはいろいろ書き方の違いはある、それには濃淡があるというふうにおっしゃったけれども、何が濃淡なのか私はわかりませんが、しかし、指導要領に基づいて教科書を持って先生方が教える場合に、さまざまな工夫もこらされるし、指導要領に示されている路線に従って豊かに教育をしていくという、そこへまた国を愛するという問題については別途の指導をしていくということになりますと、これが問題なんです。それをやろうとしておられるからこういう御発言になっているのではないのですか。どうですか。 いま三角初中局長がおっしゃっているようなことだったら、それでいいわけです。あたりまえのことです、それでやっているのですから。そのほかに何か補助的な指導をしなければならぬということになると、その中身は何なのか、どういう方法でやるのかと聞きたくなるのはあたりまえのことじゃないですか。
○三角政府委員 おっしゃいます別途の指導ということではございませんで、充実した指導をやっていただきたいということでございます。
○山原委員 それはいままでもやっているのじゃないですか。そのために指導要領をつくっているわけです。指導要領をつくっておいて、その上に別にこの問題は重点的にやれとかいうようなことはおかしいんですよ。大体、この前からの答弁が、本当におかしいなと思いながら私は聞いています。また各種の新聞の論調を見ましても、指導要領の上に何があるのだ、国を愛する問題についてもこういうふうに書かれている、その上に文部省何があるのだという社説まで出ている新聞もあるわけでございまして、そこのところがわからぬ。 それで、もう一つ伺っておきますが、これは毎日新聞でございますけれども、八月二十一日の記事です。これは御承知、だろうと思いますが、「「国を守る気概」教育」というのを文部省は近く部内研究に着手というのがございます。これはどうなんですか。こういう部内研究に着手するなんというのは、意図があるのか全くないのか、その点を伺っておきたいのです。
○三角政府委員 国を守る気概ということは、非常に大事な意義のあることだと思いますが、そういったことについて、ただいま特段の検討ということはいたしてございません。
○山原委員 いま検討しておるというのじゃなくて、「部内研究に着手」という記事が出ておりますが、これを否定されるわけですね。
○三角政府委員 これについては、特に部内研究に着手ということはございません。ただ、文部省でございますから、教育内容の改善については、常時研究、検討を部内で進めておりますが、こういったことについて、特別の部内研究あるいは検討ということはございません。
○山原委員 国を守る気概教育というものについて、部内研究をこれから研究していくという、着手という意味ですが、いまやっておるというものじゃありませんからね、そういう意思はないと受け取ってよろしいのですね。
○三角政府委員 ごく一般的に申しますと、先ほど来の御議論にあるわけでございますが、国を愛するという問題でございますとか、国を守る、これは若干抽象的な感じになる場合もありますが、そういう心情や意識を持つということは、国民として非常に大事なことでございます。 したがいまして、これは申すまでもないことでございますが、児童生徒の心身の発達段階に応じまして、先ほど山原委員も御指摘になりましたが、わが国土に対する認識でございますとか、わが国の歴史に対する正しい理解を深めることとか、先人が築き上げられましたわが国の特色のあるすぐれた文化について学ぶとか、あるいは私どもがそれによって育て上げられてきました国語というものについて勉強するとか、そういったことで国民としての自覚を深める、そして自国を愛する態度を育成すること、それからもちろん、憲法の基本や国際交流、国際理解、国際政治などの学習の中で平和の重要性を認識させること、そういったことすべてを通じまして、日本の安全の問題とか自衛の問題についてもあわせて考えていく、こういうことでございますから、そういったことについて、総合的にいろいろな角度から、文部省には教科の検討の担当官もおるわけでございますから、どういうところに問題があるか、あるいは将来の指導なり教育課程の改善に備えて常時研究を積んでいくことはございますけれども、いかにもただいまおっしゃっておりますようなテーマについて、特別に部内で研究をするとか近い将来にそういうものに着手するとか、そういう運びにはなっておりませんので、その点ははっきり申し上げておきます。
○山原委員 着手する意思はないということで、その点はお聞きしておきますけれども、これはかなり詳しいんですね。しかも、単なる無責任な記事ではなくて、記者の方の署名もある解説もなされておるわけでございます。そうするならば、文部省としては、これに対して一定の見解を示す必要があると思うのです、そういう意図は持っていないのだと。しかも、この中身を見てみますと、たとえば「「国を守る気概」教育を実現する具体的方法として同省は1小中高校の学習指導要領を一部手直しして「国を守る」という言葉を盛り込み、教科書執筆者を誘導する2副読本を使う3全国教育委員長、教育長会議や教委指導主事を対象とする会議、各都道府県などの教委主催の研修、講習会などあらゆる機会をとらえて事実上の「国を守る気概」教育を進め、」、こういうふうに書かれているのでございます。 それで初中局長は、着手する意思はないと否定をされましたけれども、この一つ一つを見ていきますと、先ほどの御答弁の中に出てきましたもので少し憶測される内容があるのです。たとえば教科書以外のものという御発言がありましたから、それは副読本の問題になりかねませんし、特に三番目に出ております教育長会議とか各都道府県主催の研修、講習会などあらゆる機会をとらえて国防に関する教育を進めるというふうに具体的に書かれている、それがあなたの御答弁の補完的な指導をするという問題とダブる面が出てきているんですね。否定するならきっぱりと否定しておいた方がいいと思うのです。これははっきりすべき問題だと思います。その点いかがですか。
○三角政府委員 まあ御質問でございますから、ちょっと申し上げますが、教科書執筆者を誘導するというようなことはちょっとあり得ないことでございますし、副読本を使わなければならないとかなんとかいうことは、先ほどは私は、むしろ、必ずしもそういうことを申し上げておるのではないということで申し上げております。 第三点のこういったことは、国を守る気概教育ということはどうかと思いますが、こういった場面をとらえていろいろな事柄について御協議を進めていくことは大切なことでございます。ですから、方法論としてそういうものに似ておるじゃないかということがあれば、それはあるかもしれません。でございますが、先ほど来、学習指導要領の問題につきましても、それから、こういった事柄についての研究についても、私、発言をさせていただきましたが、申し上げたとおりのことでございます。 余りこういうことは申し上げたくもないような気もいたしますが、御質問でございますから、あえて申し上げますと、特定の新聞が何かお書きになることは、それは新聞の御自由でございますが、私どもは、その一々すべてについて責任を持つということもまたいたしかねることも実態でございますので、もしいま御発言のような御疑問があるのであれば、当該新聞にもお聞きいただければと思う次第でございます。
○山原委員 指導要領を教科書に基づいてやる、それを研究するということはあたりまえのことなんで、それ以上には出ないということで理解してよろしいのですね、いまの御答弁によりますと。
○三角政府委員 国を愛するという事柄につきましては、指導要領の特に社会科あるいは道徳等の中でその基準が示されておりますので、その基準にのっとりまして各学校の現場で充実した授業なり学習活動が展開されることを私どもは大いに期待しておる、そういうことでございます。
○山原委員 ところで今度は、奥野さんの法務委員会における発言の問題ですが、これと関連してまいりますので、伺っておきたいのです。 奥野さんが八月二十七日の法務委員会でこう言っております。教科書の問題について「これは閣議で総合安全保障ということに関連して発言が起こったときに私が申し上げたわけでございました。日本は戦争に負けて占領軍の政策のもとに置かれてきた。また左翼の方の強い影響も受けてきた。そういうこともあって国とか国を愛するとかいうことがタブー視されてきたきらいがあって、教科書の面においても必要以上にそういうことを欠いているのですよ、幾ら防衛力を強化しても肝心の国民が国を愛する、国を守るという気持ちがなかったら何にも役に立たないのですよ、だからやはりひとつ見直そうじゃありませんかということを申し上げたわけでございました。」、そこからです。これが奥野さんの改憲論の基礎になっているわけですね。「そうしたら、その後に文部省の事務次官が私を訪ねてこられまして、法務大臣の言われるように教科書の中には国を守るということはどこにもありません、こうおっしゃるのです。それはいろいろせんさくしてみると、憲法の前文に「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」こう書かれているのですよと言うのです。自分で自分の国を守ろうというようなことは憲法にも出てないのですよ、「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」これから始まっているものですから、どこにも国を守るというような言葉は出てこないのですよ、こうおっしゃっていまして、やはり反省しなければならないところがいろいろあるように思いますとおっしゃっておりました。」、だから、今度この国会で冒頭から最大の問題になりました奥野発言をめぐるいわゆる憲法問題というのは、この教育問題から出発しているのです。しかも、その教育問題の基礎になっておるのが、議事録にちゃんと出ておりますように、文部事務次官の何といいますか、援助的な発言、ここから出ているのです。 この点について伺いたいのでございますが、この真相はどうなのでしょうか、御報告をいただきたいのです。
○三角政府委員 これは奥野大臣の御発言でございますし、私も、この御発言の中にあります一々の経緯のその場その場に一緒におったわけでもございませんし、真相というようなことを申されましても、十分にお答えをいたしかねる気がいたしますが、述べられております範囲では、やはりいろいろな立場、立場がございますから、憲法につきましても、その解釈なりあるいは読み方なりも必ずしも同一でないということもまあ事実でございます。したがいまして、そういった前文の規定からして、立場によりましては、国を守るというようなことよりはむしろいわゆる「諸國民の公正と信義に信頼して」国を守るというようなことは考えないという立場も出得るということであろうかと存じまして、そういった話がその御発言の中に出ているというふうに理解しております。
○山原委員 これは文部事務次官ですからね。しかも、この間まで初中局長をされておった諸澤さん以外にはないわけでございます。しかも、これは文部省のトップですからね。その発言が今度の奥野さんの改憲発言の基礎になっている。しかも議事録にちゃんと残っている。しかも奥野さんは、この発言だけでなくて、最近でも憲法前文との整合性を論じて、憲法前文を変えなければならぬという批判的な立場をとっておられるわけで、これは初中局長の三角さんの問題じゃありません、これだけ重要な発言がなされておることに対して、文部大臣としては、まさに一番大事な文部行政の中枢におる人のことでございますから、当然、この真相はどうなのだということを調査されまして、経過については御承知だと思いますし、また、諸澤事務次官の考え方はこうだというふうに把握をされておると思いますが、この点について大臣から御報告をいただきたいのであります。
○三角政府委員 ただいま御引用の文面に関する限り、私は、諸澤事務次官がそういう解説を奥野大臣に申し上げるということはあり得ることだと思っております。と申しますのは、事実教科書の記述において、国を守るということについて直接これを端的に記述している教科書はないわけでございます。それはやはり現在の憲法が「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」としているたてまえとなっておるということでございますので、したがって、どちらかと申しますと、教科書の記述に当たっても、こういった考えに立ちまして、平和主義というものを取り上げまして、国を守るということを端的に教え、あるいは国を守るということについてのいろいろなことについて記述をするということよりも、世界の平和をいかに維持していくかというのに重点が置かれているというのが実態でございますので、そういう実態について文部省という教育ないしは教科書を担当しておる部局が、そういう解説を申し上げるということはあり得ることでございます。しかし、それをどのようにまた参考とされるかは、解説をお聞きになります立場におられます方の御見解であるというふうに考える次第でございます。
○山原委員 いまの三角さんの答弁は、ごまかしがあるんですよ。それは確かにそうです、憲法の前文にこう書いてございますから、だから、教科書にこういうように出てこないのですよ、奥野さんが幾らそう書け書けと言っても、これとの整合性において書けないのですよというサゼスチョンといいますかそれをされる、そこまではいいんですよ。ところが、そうじゃないのです。「やはり反省しなければならないところがいろいろあるように思いますとおっしゃっておりました。」、だから、そういう憲法を反省しなければならぬと言っているんですね。 だから、この真相はきちんと調査をして、諸澤事務次官がいかなる考えでこういうふうな発言をしておるか、文部省がつかまなかったら大ごとです。文部省がその点をはっきりさせなかったら、文部大臣も同じ考えだ、憲法前文が問題になって反省しなければならぬのですよということになるわけです。 だから、これは文部大臣、当然お調べになっておると思いますが、どういう意図でこういう——これは単なる憲法の解釈と整合性を言っているだけじゃなくて、反省をしなければならぬという、奥野さんに対するいわば改憲の、憲法前文を変えなければだめだというたきつけ役をしているんですよ。だから、私は取り上げているのです。この点について大臣の見解を伺います。
○田中(龍)国務大臣 私は、そういう考えを持っていないのです。それで、文教の責任者は、今日ただいま私でございます。奥野さんがまあ個人的にどうおっしゃった、こうおっしゃったというそれは奥野君のお話でございましょうが、文教をお預かりいたしておりまする私は、さっきからたびたび申し上げるように、さような見解をとっておりません。もちろん、先生もおっしゃるとおり、国を愛するというのはあたりまえなことだ、国を愛することはいいことだ、これは先生もおっしゃっておるのであります。愛国という言葉が何かこう、お話のような筋になると、国を愛するということが大変悪いことだというような感じにとられますが、そんなことは先生もよう思っていらっしゃらないだろうと思うのです。この問題は、文教の責任者であります私が申し上げること、どうぞこれをもって文部省の見解である、さようにお心得いただきとうございます。
○山原委員 大臣のきっぱりしたお気持ちよくわかります。であれば、現在の諸澤事務次官、これは文部省の一番大事な構成メンバー、いわばナンバーツーですね、政務次官もおいでになりますけれども、それとの意見の食い違いが出てきたとなりますと、委員長、事務次官もここへお呼びいただいて、この点を明らかにしておいた方がいいと思います。諸澤事務次官のお考え、諸澤さんがそういう気持ちで言ったのでないとすれば、奥野さんは、ずいぶん諸澤さんを利用して改憲の発言基礎を築いているわけです。憲法の前文と教科書の整合性がないからだめなんだ、諸澤さんはそれを反省しなければならぬと言っている、だから私の発言になったのだと、こういう言い方で、今度の憲法論議の出発点がここなんです。だから、この点は明確にしておく必要があると思いますので、きょうは無理かもしれませんが、この点は諸澤事務次官の見解を明らかにしまして、そして文部省としての統一した見解を少なくとも一致させたいと思いますので、委員長におかれまして、この点についての御配慮をお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。
○三ツ林委員長 いまの申し出の件は、理事会で御相談いたしたいと思います。
○山原委員 そこで、いま大臣がおっしゃったように、国を愛するとか、あるいは本当に外敵が来て国を守るというようなことになってくる場合の気持ちというのは、みんなそれほど違った考えを持っていないと思います。でも、愛国とかいうような、そんな言葉が教科書にずらずら書かれても、愛国心が生まれるというものでもないと思うのです。そのことは大臣もいまおっしゃったとおりです。 これはある新聞への投書ですけれども、戦車に乗せたからといっても愛国心が生まれるものでもないという母親の記事も出ております。自由新報を見ますと、これは自民党の機関紙だろうと思いますが、たとえば教科書の中にある木下順二さんの「夕鶴」を批判しております。どういう批判の仕方かというと「夕鶴」は資本主義社会に対する批判を書いておる。「夕鶴」というのは、戦後本当に日本の国民に親しまれてきた民話を中心とした芸術的な作品であり、文部省の推薦でもありました。そういうものまで否定するような考え方が出てくるということになりますと、文学作品とかというもの、たとえば漱石の「坊ちゃん」、これは校長さんをタヌキと呼んで教頭を赤シャツと呼んだ。これはいわば自分の上司に対する一種の反逆みたいなかっこうになってくる。これだってけしからぬということになりかねないような風潮。あるいはまた歴史を教える場合に、日本の明治以後の歴史の中で一番大事な歴史の一つは、自由民権運動だと思います。第一、議会開設初期の衆議院議長は片岡健吉ですからね。自由民権運動の闘士です。歴史を教える場合に、あのときの藩閥政府に対して、しかも藩閥政府が天皇を使って統治しておるときに、これに対して反抗する、それで官憲につかまる。片岡健吉自身が石川島の監獄にほうり込まれておったのです。そして議会開設運動が起こって議会が開設されて、初期の衆議院議長に彼はなるわけです。 歴史はそういうものなんです。郷土の歴史を教える場合に、郷土の歴史を掘り起こしてみたら、そこでこういう陶器が長い長い伝統の中で生まれたとか、こういう歴史が郷土にあるとか、その中には百姪一揆だってあったでしょう、そういう事実が本当に正しく教えられて、初めて郷土に対する愛情も生まれてくる、あるいは国に対する愛情も生まれてくるというものだと思います。 これはいま田中文部大臣がおっしゃったとおりです。児童の心身の成長の過程に応じて、国の風土、自然、文化あるいは芸術、伝統的産物あるいは歴史、地理を教える中で国を愛するという気持ちが起こってくる。それがまさにこの指導要領あるいは教科書に基づいて先生方が教えていることだと思うのです。それよりほかにまだ愛国心があるのだということになってくると、何だこれはということが問題になってくるわけですね。 いままでのいろいろな論調から見ますと、何か別の愛国心というものがあるのだ、それを想像してみると、私がいま言ったような、また文部大臣がいまおっしゃったようなものではなくて、何か国家権力に対して忠誠を尽くすとかいうようなものが頭の中にあるのではないかという感じすらするわけでございます。私は、愛国心とは何かという問題も、ここまで問題がさましたら、当然、この委員会で論じ合っていいと思いますが、きょうは時間がありませんから申し上げません。 これは一つの例でございますけれども、たとえば最近暴走族の問題が出ておりまして、非行の問題、暴走族の問題、これは当然、この委員会でも論議されなければならぬ問題だと思いますが、最近、暴走族が非常に右翼勢力に接近をして、右翼団体に組織されておるということをずっと聞いてきましたが、事実そういうことがございまして、先日、十月十六日に東京都内の暴走族六百人が摘発されております。その中に、今回逮捕された中には、行動右翼団体の国防青年隊総本部に加入、学生局幹事などの名刺を持った者がおる、こういうことが出ております。 こういう風潮があるとすれば大変なことで、大変恐縮ですが、ここへ私は暴走族の着ておる服を持ってまいりました。彼らは愛国とかなんとかいうことを考えておるかもしれませんが、これが上着なんです。こちらに日の丸の旗をつけております。そして胸には特攻隊、神国日本、こういうものをつけて、最近では、東京都内の暴走族を見ますと、番長学校というのがありまして、幾つかの学校のグループを統括していく、そして右翼勢力がそれを吸収していく、こういう状態が出ているのです。これは警察の発表です。最近、そういう傾向が出ておるというのが幾つかの新聞に出ておるわけであります。彼らもこういうものを、愛国とかあるいは国防とかいうようなことを標榜しているわけですね。 私は、この子供たちがどこへも自分の怒りをぶつける先もなくて暴走族のグループに入っていく、そしてせめてスピードを速めて自分のうっぷんを晴らしていく、あるいは警察と衝突してけんかをする、こういうところへいく気持ちもわからぬではありませんが、こういう事態にまでいま発展しつつあることを考えますと、これはもとへ戻りますけれども、七月二十二日の閣議で奥野さんや田中文相の発言されたことに対して、ある新聞に、本当にこういう指導要領に書かれておる以外に一体何があるのだということが書かれておるわけでございますが、そういう意味で、単なる徳目として教科書の中に愛国という言葉がないから何だかんだというものではなくて、本当にいま文部大臣がおっしゃったような気持ちで真に国を愛する気持ちを育てていくという教育、それはいまの憲法と教育基本法、そして指導要領と教科書に基づいて創意的に先生方が教育していくこと以外にないと私は思っておるわけでございますが、この点についてもう一度大臣の見解を伺いたいと思います。
○三ツ林委員長 ちょっと山原委員に申し上げます。 物品の提示は、あらかじめ委員長の許可を得るようにお願いをいたします。念のため申し上げます。
○山原委員 これは済みません。大した物品でないと思ったものですから出してきただけですが、えらい恐縮です。
○田中(龍)国務大臣 いろいろと御議論があるようでありますけれども、事文部省に関する問題につきましては、責任者でありまする私の発言が公権的な発言である、かようにお心得願います。
○山原委員 次に、教育基本法の問題についてでありますが、今度岐阜県で県議会が教育基本法の改正の決議をいたしまして、これを国へも要請するということが出ております。 この改正論議のありました団体の幹部には、藤井丙午さんなどという、国会議員でもあり、また財界の政治部長だと言われた人も入っておるわけでございますが、こういう決議が各県議会でできるとすると、これは大変なことですけれども、その提案理由の中に「現行の教育基本法には、伝統の尊重、愛国心育成などの理念が欠けている。」、「憲法に基づいて天皇のことを子どもに教えようとすれば、どうしても速めんと続く皇室の歴史と伝統を学ぶしかない。」という理由で提案をされまして、賛否両論があり、教育基本法の改正が議決をされるという事態が起こっております。 いままで自主憲法制定とかあるいは靖国問題とかスパイ防止法とかいうのが地方議会で議決をされておる例は御承知だと思いますが、教育基本法に対してこういう考え方で改正を要求する決議というのは、私の知る限りでは岐阜県が最初ではないかと思います。 いままでも憲法と教育基本法の立場に立って文部行政を行っていくと歴代の大臣はおっしゃっておりますが、これについて文部大臣は、こういう決議をどう御判断されますか。また基本的に憲法、基本法についてどういうお立場をとられるか、改めて伺いたいのであります。
○鈴木(勲)政府委員 考え方は大臣から申し上げると思いますが、ただいま山原先生のお話の岐阜県議会におきます教育基本法の改正決議につきましては、まだ文部大臣あてに到達しておりませんけれども、大体お話のようなものが決議をされたことは承知をいたしております。その中に、伝統の尊重とか愛国心の育成のような理念が欠けているという文言のあることも承知をしているわけでございます。 ただいまのところでは、岐阜県議会だけでございまして、私どもとしては、その決議の文章の参りますことを待っておるわけでございますけれども、現在のところはそれだけでございますし、一つの地方議会における御意見として受け取らしていただきたいというふうに考えているところでございます。
○山原委員 教育基本法につきまして、大臣のお考えをお伺いしたい。
○田中(龍)国務大臣 これからいろいろと議論が出ることもあり得ると存じますが、文部省の系統の行政を担当いたしておりまする理事者側にそういうふうな議論があれば別でございますが、行政の系統でない議会その他一般大衆、いろいろなところでいろいろな議論が出たといたしましても、そういうところが民主政治でありまして、そういう点は行政の関係とはいささか違うのではないか。行政の府といたしましては、行政の系統に従いまして、政府の方針についてそれを遵奉しなければいけません。しかしながら、一般大衆あるいは立法その他の個所におきましていろいろな議論が出ることにつきましては、それを取り締まるとか統制するとかいうことは、いまの段階では考えておりません。
○山原委員 この岐阜に象徴的にあらわれておりますために、最初のことでもありますし、申し上げたわけでございますが、これは単に岐阜県というある地方の県で起こったというよりも、むしろこの中心には神社本庁とかあるいは藤井丙午さんとかいうような人たち、また生長の家その他も入っておりますが、この中にある、愛国とか国を守るとかいう理念がない、それを教えるためには、やはり天皇さんを教えなければならぬ、ここへつながってくるわけですね。だから、国家を教えるということになりますと、国家とは一体何ぞや、私はいろいろ考えてきました。では、いまの教科書では国家を教えられていないかというと、ちゃんと教科書の中にも書かれております。国家の仕組みも書かれております。第一、憲法は日本の国家というものがどういう組織であるということ、また国権の最高機関としての国会を位置づけて、議会制民主主義の問題その他が書かれているわけで、国というものは、ちゃんと憲法を教えるならば、きちんと子供たちに教えられるわけなんです。ところが、それを教えているにもかかわらず、いや、国家は教えられていないと言う。その国家というものは、やはりこういう思想性の中からあらわれているのではなかろうかということに対する危惧の念を持っております。 いま大臣は、地方議会でどういう決議があろうとも、文部省としては、憲法、基本法を守っていくという考えには間違いないのだとおっしゃいますから、これ以上申し上げません。 もう一つの問題は、教育長の任命に当たっての面接問題でございます。この間初中局長は、そういう面接は制度化していないという御発言があったように思います。しかし、内藤さんが大臣のときに、面接をして特に文部省の言うことを聞く人でなければ困るという発言をしているわけでございますけれども、これはもうやめるわけですね。湯山先生に対する御答弁の中では、そういうことをしませんと言っておりましたが、そういうふうに理解してよろしいですか。
○三角政府委員 これは教育長の任命についての承認制度というものが基本にあるわけでございます心教育長は、その仕事の中身あるいは仕事の非常な重要性ということにかんがみまして、やはりその仕事なり重要性にふさわしい適材を得るということが、教育行政の充実のために非常に必要なことでございます。そのために文部大臣が県の教育長を承認するということになっておりますが、その承認に当たりまして、書面による調査のほかに必要に応じまして、教育長の候補者と、面接と言うとちょっとあれですが、何と申しますか面談をするというような機会をつくることは、その状況によりまして非常に有益なことであると考えておるのでございます。 この取り扱いは、ただいま申し上げましたように、法律で定められております承認制度の一つの運用の問題でございますので、必要な場合には、そういった手順を踏んでやることが適切であると私どもは考えております。
○山原委員 昨年の八月から今日まで十六名の教育長全員にいわば面接、面談といいますか——これは諸澤さんのときの考え方とは違いましたね。諸澤さんの場合は、人物を総合的に見ていきたい、その結果を大臣に報告して判断を求める、その間どれくらいの時間が要るのだと言ったら、一時間ぐらい会う、その中で懇談をしておるうちに人物の評価をするというような答弁だったんですよ。だから、一時間の間に風体を見たり、あるいはどういう人物か見たりして判断をする、こういう言い方でしたから、三角局長になってからは、それとは変わったと理解してよろしいでしょうか。 大体教育長の選任というのは、御承知のように教育委員会が合議で決めて、しかも県議会に知事がこれを提案して、県議会が認める、この教育長の選任については、地方ではいろいろな形でいろいろな制度のもとをくぐり抜けてきているわけですね。それを全員を呼んでやるというのは、いわゆる任命権に対する承認権の乱用じゃないかということに対して、諸灘さんはそういうふうに答えておりましたが、それとはもう違うのですね。
○三角政府委員 端的にお答え申し上げたいと存じますが、別に局長が変わっても、この制度の運用についての姿勢は同じでやっておると思っております。 ちなみに、前局長の時代からのことになりますが、五十三年度は承認件数十三件に対しまして面談をいたしたのが八件、五十四年度は承認件数が十五件ございましたが、そのうち面談をいたしましたのが十一件、本年度に入りましてからは承認件数八件に対しまして四件ということで、これはそのときの状況なり候補者のこれまでの御経歴なり、いろいろ総合的な観点から必要に応じてやっていくということでございます。 そもそもこの制度の趣旨は、国、都道府県、市町村の三者が、教育というものは全国的な機会均等というようなことが非常に重要でございますので、そういう行政を充実して実施する、それで教育水準の維持向上を図っていくということが目的でございますので、そういう承認制度がありまして、その承認制度に基づきまして、大臣を補佐し、大臣の的確な御判断の材料を相調えるということが、場合によってこの制度の運用上有益であるという場合には、そういう面談をするということでございます。 そして一時間というのは、別に一時間必要とかなんとかではございません。それはそのときの状況でございまして、そんなに時間がかからないケースも多うございますし、あるいはいろいろと話がはずめば、一時間ぐらい御面談をするということもあり得ることでございます。 なお、教育長は教育委員会が任命をするのでございまして、地方議会がこれに対して承認をするとか同意をするとかいうことにはなってございません。
○山原委員 時間がありませんが、こんなことはやめていいのじゃないかと思いますね。本当に教育行政の自主的な発展のためにも、それは承認の制度はあったとしても文部省がそれにいろいろする、ちょっとこそくですね。用事があるときに教育長が来られて、それに対して文部省が話をする、これは前にもやっておったわけですから、そういうことならわかりますけれども、あらかじめ任命の先に人物考査をやるというようなことは、私は、少しこそくなやり方だと思いますので、そのことだけ申し上げておきます。 それから、もう一つ最後に、最近、自衛隊との関係で自衛隊への生徒の勧誘問題なども相当激化しておりまして、これは北海道新聞ですが、ずいぶんだびたび記事が出ております。これは異常なエスカレートぶりだというようなことが書かれておりまして、私は、生徒だけかと思っておりましたら、この七月に高等学校の先生方二十九名が自衛隊機で千歳空港から入間の航空自衛隊の基地まで飛びまして、そして防衛大学で研修をするという事態も起こっております。これも宿泊費全部自衛隊の出費でございまして、旅費全部自衛隊がお金を出しておるようです。学校の扱いとしては、研修または出張ということになっておりますが、これは聞きますと、ことし初めてのものではなくて、数年前から大体六月下旬、七月上旬に向けて行われておりまして、年々エスカレートしておるということが出ております。昨年は全国で三百人、ことしの六月には公立の高校の先生が二十七名、私立の高等学校の先生が三名、中学校の先生が十名というふうに参加をしておりまして、北海道新聞の八月十三日付を見ますと、ある先生は「ひと昔前までなら考えられないことが、半ば公然と行われてきた。この先、どうなっていくかと思うと、どうしようもない気持ちになる」というふうに話したと書いております。 それから、自衛隊の勧誘の実態でございますけれども、親との接触で見込みがあるとされた生徒へは、多い者では十数回以上にわたって毎日毎夜の異常なほどの勧誘、説得が繰り返されておるという報告も得ております。毎日毎日来るのでいやになって家にいられない、断ってもしつこく来るので落ちついて勉強もできないなどという状態もあるようでございまして、これは統計も出ているわけでございますが、こんなことに対して、文部省は何ら要請もしないでほっておくのでしょうか。こういう異常なあり方については、やはり一定の指導といいますか、そういうものがあってしかるべきだと思いますし、また生徒の就職問題については、ちゃんとした労働省通達あるいは文部省からの各省庁に対する要請もあるわけですから、それに基づいて学校教育に支障のないような指導をすべきだ、要請もすべきだと思いますが、この点伺いたいのです。
○三角政府委員 文部省におきましては、従来から労働省との連携のもとに、高等学校の新規の卒業者の就職が適切に行われますように、求人申し込みの受理の期日でございますとか選考開始の期日等につきまして、学校や採用する企業側に対しまして共同で指導を行ってきておるわけでございます。 御指摘の自衛隊員の募集につきましては、これは自衛隊法に基づきまして防衛庁が直接隊員の募集を行えることになっておるのでございますが、防衛庁におきましても、新規の卒業者につきましては募集の時期などについて労働文部両省の企業等に対する指導方針に協力していただいてきているところでございます。 ただ、御指摘のような個別訪問等の行われた事例があるということは、私どもの方も間接に聞き及んでおりますが、文部省としては、やはりこの問題につきましては、教育的観点からも、学校を通して所定の時期に求人活動を行うことが適当であると考えておりまして、防衛庁の方にもそのように要請をしておるわけでございます。 ただ、昨日も参議院で御議論がございましたけれども、たくさんある学校の中には、学校を通して求人活動をするという点についての協力が十分でない事例もあるようでございます。防衛庁の方は私ども両省の要請に従来も協力していただいておりますので、そういった原則でやっていただくということが第一でございますけれども、求人活動が円滑に行われますように学校側の協力ということもやってもらわなければならないのではないかと思っておる次第でございます。
○山原委員 先生方の研修についてはどういうふうになっていますか。
○三角政府委員 これはただいま聞きましたので、私ども実態をよく承知しておりませんけれども、自衛隊法によります隊員募集の方法としていろいろなやり方が認められておるのであろうと思います。それから、学校側におきましても、生徒の進路あるいは就職の活動を展開する上において、いろいろな職場についての情報でございますとか知識、理解を深めるということもまた必要であろうと存じますので、そういった意味合いにおいて、学校が自分の判断でそういうところへ参加するということはあり得ることであろうというふうに考える次第でございます。
○山原委員 公務の出張で出ます場合には、やはり経費は公務出張として出るのじゃないでしょうか。青山会館へ二晩も泊まっているわけですが、そういう旅費も宿泊費も自衛隊に出させて行くということは、いままではちょっと考えられませんけれども、それらも自衛隊法によって合法的だ。あるいは六月の下旬、七月の上旬といえば、学期末で教育の一番忙しいときですが、大体そういうときに行われているのですが、それらも好ましいことですか。
○三角政府委員 これは学校長なり当該所轄の教育委員会の判断もあろうかと存じますが、ただ、いまの経費の問題につきましては、やはり公務員には公務員の公務出張に関する条例なり規則なりがあるわけでございます。その中で通常は、本来その機関なりあるいは学校なりの業務で出張いたします場合には、当該の公共団体の予算に基づく旅費ということが原則でございますが、いろいろな場合に、出張で旅費は第三者が負担することは制度上もあり得ることでございます。
○山原委員 もうこれでおきます。 非常にエスカレートしているこの事態、そういう点考えましたら、教育行政の立場から正常なことをやるくらいの努力はぜひしてもらいたいということを要請しまして、私の質問を終わります。
○三ツ林委員長 午後一時に再開することとし、 この際、暫時休憩いたします。 午後零時五分休憩 ————◇————— 午後一時八分開議
○三ツ林委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。小杉隆君。
○小杉委員 それでは、新自由クラブを代表して、数点の問題についてお伺いしたいと思います。 まず第一は、最近、非常に問題になっております学校内暴力あるいは家庭内暴力を中心とした少年の非行の問題を取り上げたいと思います。 昨年からことしにかけていろいろ新聞、テレビ等で学校内暴力とか家庭内暴力のニュースが報道をされておりますが、私は、ことしになってから新聞紙上でにぎわった問題のその見出しだけをちょっと並べてみたいと思います。 「放火、暴行、破壊 校内暴力やまず 生徒18人を書類送致」、「暴力団なみ女子中学生」、「少年非行 粗暴・凶悪に 中学生暴力増加の一途」、「校内暴力も集団化 先生を殴る中学生」、「女高生集団リンチ「お前、目立ちすぎる」」、「女子小学生がリンチ 刃物持ち出し集団で」、「校内暴力あるPTAの決議「親こそ努力せねば……」毎晩学区内パトロール」、「校内暴力110番 中3の5人を現行犯逮捕 職員室で先生にケガ 常習反抗お手上げ」、「どうする校内暴力ついに校内で逮捕者 警察ざたは氷山の一角」、「なぜ荒れる中学生単純な動機で反発教師受難も日常化」、「昔のうらみ 先生殴る 母校中学で元番長」、「先生に殴られ反抗 強いおとなへの不信感」、「中一の子の自殺原因 同級生に脅され、殴られ金策に困って」、「金属バットで先生襲う 体育祭で生徒10人 鉢巻注意に反発」、「家庭内暴力の3大原因 過剰期待、父の無力、母の溺愛 高一が最も多い 忍耐力なくわがまま……」、「ふえる女生徒の暴力事件 特有のしっと、残忍さ むずかしい学校の対応」、「番長グループ一掃頼む中学、警察に出動要請 校内暴力先生骨折 指導に限界と」、これだけでもまだ一部でございまして、まだまだたくさんありますが、時間がなくなりますから、この辺にとどめておきますが、こうした校内暴力事件あるいは家庭内暴力という問題が非常に頻発をいたしまして、新聞の社説などでも「校内暴力事件と学校の責任」とか「中学生の校内暴力をどうする」といったテーマでしばしば紙面をにぎわしているわけでございます。 私もずっと調べてみますと、少年非行というのは、戦後昭和二十六年と三十九年、そして今日とほぼ三つの山があるように思います。その中でも特に最近は、学校内暴力、家庭内暴力あるいは暴走族の凶暴化とか低年齢化というような傾向が見られるわけですが、ここで警察庁に数字の面で特にここ一、二年の少年非行の実態というものを、主だったもので結構ですから指摘をしていただいて、その特徴点をあわせて挙げていただきたいと思います。
○古山説明員 少年非行の実態でございますけれども、昭和四十八年以来ほぼ毎年増加に次ぐ増加を続けておりまして、ただいま先生お話のように、昭和二十六年、三十九年に次いで戦後第三のピークを形成しつつあるわけでございます。 昨年の刑法犯少年は十四万三千人余りでございまして、過去十年間の最高となっております。また、成人を含めました全刑法犯検挙人員中に占める少年の割合も三九%を占めるに至っているわけでございます。また、ことしに入りまして、さらに増加の傾向は著しくなってまいりまして、ことし上半期の刑法犯少年は七万六千人余りでございまして、昨年同期に比べますと、一万三千六百人、二一・七%の大幅な増加となっているわけでございます。 最近の少年非行の特徴的な傾向といたしましては、いまもお話ございましたように、低年齢化の傾向が進みまして、中学生による非行の増加が特に目立っております。それから家庭環境といたしましては、両親が健在で、しかも、経済的にも中流のごく普通の家庭の少年による非行が多いという点が最近の特徴でございます。 それから、非行の内容でございますけれども、万引き、自転車、オートバイ等のいわゆる遊び型非行が大変多いわけでございます。それと並行いたしまして、先生に対する暴力事件等のいわゆる校内暴力事件、あるいは暴走族少年による凶悪粗暴事件などの凶悪粗暴犯が大変ふえている、そういう傾向が認められまして、したがいまして、量的にも質的にも大変憂慮される状況にあるというふうに考えるわけでございます。
○小杉委員 刑法犯の全体の傾向をいま御指摘いただいたのですが、それでは少年の犯罪、触法少年の補導状況というようなものとか、それから特に校内暴力の具体的な数字とか、その点に少ししぼっていただいて、家庭内暴力というのは、警察庁では把握してなければ総理府の方からひとつお答えをいただきたいと思います。
○古山説明員 十四歳未満の触法少年でございますけれども、まず、ことしの上半期における触法少年の数でございますが、ことしは二万三千七百六人でございます。昨年の六カ月間で一万八千四百十四人ということで二八・七%という大幅な増加でございまして、十四歳以上の刑法犯少年の増加率よりもさらに高い数字が出ているということでございます。 それから、昨年までの傾向でございますけれども、昨年も一昨年と比較いたしまして申し上げますと、一昨年の触法少年が四万九百十八人、昨年が四万一千六百八十一人ということで、やはり増加の傾向がございますが、触法少年の場合はことしに入ってから特に増加が著しくなったという傾向にございます。そういうことで最近、特に低年齢化の傾向が進んでいるというふうに言えるわけでございます。 それから、その次に校内暴力の状況でございますけれども、昭和五十二年から五十四年までのまず三年間の推移を申し上げますと、件数では五十二年が千八百七十三件、五十三年が千二百九十二件、五十四年が千二百八件、件数では昨年までは若干減少の傾向が認められます。ただ、補導人員及び被害者数は、ほぼ横ばいの状況でございまして、五十二年の補導人員が六千三百四十三人、五十三年が六千七百六十三人、五十四年は六千七百十九人ということで五十二年かち五十三年にかけて増加し、そのままの状況が昨年も引き続いているという状況でございます。それから、被害者数でございますが、五十二年が三千六百四十八人、五十三年が二千八百八十二人、五十四年が三千百七十四人ということで、一たん減少してまた昨年ちょっとふえたということでございます。全体的に見ますと、ほぼ横ばいの状況であったわけでございますけれども、ことしに入りましてから、その様子が変わってまいりまして、ことしの上半期の発生件数は六百五件でございまして、昨年に比べまして六十二件、一一・四%の増加でございます。それから、補導人員は四千二百三十八人で、昨年に比べまして千四百五十三人、三四・二%の増加となっているわけでございます。被害者数につきましては二千二百二十四人で、昨年に比べて九百八十八人、八〇%増と大幅な増加で、ことしに入ってからは非常に増加の傾向が著しいという状況でございます。 それから、特に校内暴力のうちでも学校の先生に対する暴力事件の状況を見ますと、五十二年から五十四年の状況を見ますと、五十四年は前年よりも相当大幅な増加、件数にいたしまして二一%、補導人員で五四%、被害教師で三三・九%と大幅な増加でございますが、ことしの上半期は、さらにその傾向が著しくなりまして、発生件数ではことしの上半期は百四十件で、昨年に比べて四十六件、四八・九%の増加、補導人員では二百九十五人で六十八人、二九・九%の増加、被害教師では百七十二人で四十二人、三二・三%の増加ということでございます。したがいまして、校内暴力全体を見ますと、ことしから増加傾向が著しいと言えるわけでございますが、そのうち学校の先生に対する暴力事件だけを見ますと、昨年から増加傾向が続いているということが言えるわけでございます。 なお、家庭内暴力については、私ども把握いたしておりません。
○佐藤説明員 家庭内暴力の実態及びその特徴について、簡単に御説明申し上げたいと思います。家庭内暴力事件というのは、もとより家庭内の出来事でございますので、直接に補導関係者の目に触れることがございませんものですから、その実態を把握することは非常に困難でございます。しかしながら、このたび総理府の青少年対策本部が家庭内暴力に関する研究調査会というものに委託いたしました調査の結果を見ますと、昭和五十三年一月から昭和五十四年八月までに全国の少年補導センターで受理いたしました家庭内暴力の相談事例が千五十一件に上っていることが明らかでございます。 この千五十一件の内訳を見ますと、年齢別では十五歳と十六歳、すなわち、中学三年生及び高校一年生が全体の四割を占めて最も多くなっております。そのほか、暴力の対象が大部分は母親でございまして、また、その暴力の対象が単なる単純な家族に対する暴行といういわゆる家庭内暴力のほかに、登校拒否とかあるいは万引き、金銭の持ち出し、その他の非行を伴うものがかなり多く、この相談事例の中の八割は、このような非常に多様な暴力ないし非行の混合であるものが占めているということになっております。 その特徴でございますが、先ほど先生も御指摘になられましたとおりでございまして、家庭内で暴力をふるう少年の性格、特徴というものは、非常にわがままで耐性がない、がまんができないというような性格の者が多い。もちろん、これは一般論でございますが、多いわけでございます。また両親の養育タイプがへ母親では溺愛、かわいがり過ぎる、盲目的な愛情あるいは余り干渉し過ぎる、あるいは自分の養育態度等に不安である、自信がないというようなものが非常に多く、また父親の養育タイプでは、子供に対して非常に拒絶的な態度をとる、あるいは余りにも期待をする期待過剰、または厳格過ぎるというようなものが、それぞれ上位を占めているわけでございます。 このようなことから御想像いただけますように、家庭暴力の背景としては、母親の子供への過度の愛着、父親の無力、家庭内における父親の影の薄さ、両親の子供に対する期待過剰、特にこれはいろいろな意味での子供に対する期待過剰が子供に対して非常な負担を及ぼしているように思われるわけでございます。そして家庭内暴力事件の少年の家族構成を見ますと、父母のいずれかを欠く、あるいは父母両方ともいない——これはその他の親族に対する暴行ということになるわけでございますが、いずれにしても、そのような欠損家庭が約二割ございまして、これは一般の家庭と比べるとかなり高くなっております。また、その生活程度は中が約八割となっております。
○小杉委員 警察庁並びに総理府からのいまの御返事で明らかなように、最近特に少年の犯罪、少年の非行というものが顕著にあらわれてきて、特に学校内では教師に対する暴力が大幅にふえている、それから家庭内では特に母親に対する暴力がふえているということが明らかにされました。 昔から学校内暴力というのはあったわけですね。子供同士、血気盛んなけんかとか、それから学校同士の集団的な対決ということは、私自身も子供のときに体験しております。また、学校の先生に対しても、特に悪質というか、特に問題のある先生に対しては、たとえば卒業のときに一部暴力事件が起こったこともありますが、今日これほど学校の教師に対する暴力事件というのが頻発しているのは、ちょっと異常だと思うのです。家庭内でも特に母親が非常に被害を受けている。たとえば一つの会社で社長が社員から殴られるというようなことになれば、それはもうその会社が崩壊寸前、つぶれる以外にないという状況なんですけれども、こういう事態に対して、文部大臣、まず率直な御感想を聞かせていただきたいと思うのです。
○田中(龍)国務大臣 先般来閣議におきまして、総理府の方から暴力青少年の問題が説明されました。私どもも当然、これは教育内容の問題でございますので、重大な関心を持っておりまして、また、その方策というものにつきまして、いま真剣に取り組まなければならないと考えております。ただ、このようになります最大の原因が一体どこにあるのだろうか、いろいろございますが、私の感知するところによれば、やはり小さい時分からの母親並びに家庭生活、それから保育、幼児教育、こういう問題に胚胎しているのではないであろうか、ことにその中におきまして、愛情というものが非常に断絶してドライになっておる社会構造、こういうものに対しましては、文部省におきましても、ママさん教育でありますとか、あるいは乳幼児、嬰児に対しまする指導等、特に関心を持って行うようにいろいろと申しておる次第でございます。
○小杉委員 いま文部大臣からお答えがあったように、家庭というもののあり方、これは確かに問題があると思うのです。戦後特に父親としての一つの権威というものが喪失している。やはり家庭内における父親と母親との役割りというのはあると思うのですが、そういう点で初等中等教育局長、家庭内で父親というのは子供に対してどういう役割りを果たさなければいけないのか、また母親としての役割りはどんなものがあるのか、率直にお答えをいただきたいと思うのです。
○三角政府委員 なかなか、わが身に振り返って考えますと、むずかしい御質問であると思います。 ごく一般的に申し上げざるを得ないのでございますが、このごろは婦人も男性も異ならないように振る舞った方がいい、そういう御見解もありますけれども、やはり家庭の中では、仰せになりますように、その家庭を構成しておるそれぞれの人柄なり何なりから、おのずから役割りの分担が出てこようかと思います。ただ、どうも父親はとかく職場ないしはそれに関連するいろいろなつき合い等で家庭におる時間が非常に少のうございます。これは一般的な傾向かと存じます。私ども公務員の場合も、帰宅する時刻が、特に国会開会中などは大変遅くなるのが現実でございます。国会の審議は非常に重要でございますから、おのずからそうならざるを得ないわけでございます。でございますので、どうも父親は子供と接触する時間が非常に制約がございます。しかし、やはり休日等において、通常平均年齢の若い父親の場合には、できるだけ子供と一緒にスポーツを見に行くとかあるいは一緒にスポーツをやるとか、工作をするとか、一緒になって行動をしてやるということで、その間に特にああせい、こうせいと言わないまでも、親として、あるいは年長の一人の先輩としていろいろな振る舞い方なり何なりを、きわめて限られた時間にそういうことで示すことによって、おのずからなる父親としての一つの権威というものが生まれてくるように行動しなければならないのではないかと思うのでございます。とかく母親は長時間子供と接触しておりますから、細かい点については母親がしつけをしたり、注意をしたり、あるいは勉強を手伝ったりということがあろうかと思います。ですから、母親は大変細かい日常の部面についての世話をしたり、あるいは注意を与えたりする。そういたしますと、父親はどうしてもここのところで自分が出番だという場合に、父親として、人間としての行動の基本から考えて問題がある、あるいは自分の子供としてそういうような考え方あるいは振る舞い方をするのは好ましくないと思ったときに必要な指導と申しますか、しつけを子供に対して与えるというようなことで、究極、事柄は同じでございますけれども、接触の仕方が異なりますので、いま申し上げましたようなことで、細々としたことは母親に、それからここ一番というところは父親が出ていく。出ていったときに、幾ら機会が少ないと申しましても、休日等の機会をとらえて子供と親しんでおくということがございませんと、ただいざという機会に出ていっただけでは、親の言うことを、権威を感じて受け入れないということにもなりましょうから、そういうふうに努めるべきであろうかと考えるのでございますけれども、なかなかしかし、現実はそのように展開することは容易でない場合が多いかと存じます。
○小杉委員 いま局長から父親の接触時間が少ないということでしたけれども、確かに戦後の経済成長の中で、猛烈社員という言葉が生まれたように、一般に父親というのは非常に忙し過ぎる。もちろん初中局長以下お役所の人たちも、こうやって国会審議の際は、ほとんど徹夜というような状況の中で、家庭を顧みる暇がないということは確かにそうだと思うのです。それから、一般に会社に勤めている人でも、せっかくの休みをゴルフで、おつき合いで接触の度合いが少ないということで、そうした戦後の日本の特に父親の忙しさということはよく理解できるのですが、私は、そうした物理的な時間の制約という問題ばかりではないと思うのです。 先ほど総理府からの答弁にもありましたように、特に父親の拒否とか拒絶とかという、余りにも忙し過ぎて、本当に子供と一言二言交わすことすらもしないし、また、しても何か常に突き放したようなということで、父親としての自覚とか心構えというものが欠けているのじゃないかと思うのです。これは自戒も含めて言っているわけですが、それじゃどうしたらいいのか。父親は全然悩んでいないのかと言えば、そうじゃないのです。私も高校生、中学生、小学生と四人の子供を持って、毎日家内と一緒に子供のことについて、ときにはけんかをしたり、ときにはいろいろ相談したりということで非常に悩んでいるのです。世の父親、母親というのは、暗中模索といいますか試行錯誤で、非常に悩んでいるところがあると思うのです。 ところが、たとえばそうした父親教育とか母親教育、そういう面について文部省はどういう指導をされているのか。私は、学校教育の問題は後から触れますけれども、まず文部大臣が指摘された、一番最初の人間が生まれて育つその家庭の中の問題をいま取り上げているわけですけれども、そういう父親、母親、いま手探りでどのようにしてやっていったらいいのか悩んでいる父母に対して、文部省としてどのような対策を講じておられるのかお答えいただきたい。
○高石政府委員 いま御指摘のありましたように、子供を育てていく上での父親なり母親の役割りは非常にむずかしい問題があるわけであります。 そこで、まず母親を中心といたしましては、乳幼児学級といって子供が生まれた段階にどういうふうな教育をしていったらいいかという学級講座を開設し、また小学生に上がる段階では、家庭教育学級ということで父親、母親を対象とする学級講座を開設し、成人になりますと、成人大学講座ないしは成人講座、婦人学級というような形で、もちろん子供の教育だけの内容ではございませんけれども、それぞれの段階における悩みを解決していくための学級講座を開設しているわけであります。父親につきましては、そういう点ではそういう学級を開設しても、参加してもらえるチャンスが非常に少ないというところが、現代の社会における悩みであるわけでございます。 そういうことで、明年度、あすの親のための学級というようなことで、子供を持つ前に父親なり母親になる人たちが家庭をつくる基盤ないしは子供へのしつけ、そういう問題にしっかりとした考え方を持ってもらう学級講座を考えていきたいということを思っておるわけでございます。
○小杉委員 「生徒指導の手びき」、これは一九六五年、昭和四十年ですかのときの本なんですが、この「生徒指導の手びき」というのが隠れたベストセラー、非行対策の参考書のベストセラーだと言われておりまして、すでに十三版、二十三万部が発行されているということですが、私も調べたところ、文部省は毎年毎年こういう生活指導とか教科別のいろいろな指導の手引きを出しておりますけれども、こういうふうに隠れたベストセラーとして学校の先生の間でもてはやされているようなものを、もっと家庭にも、子供の教育に悩んでいるお父さんお母さんにも——これは内容を読みますと非常によくできているんですね。これは文部省の英知を結集してつくられた傑作だと私は思うのですが、こういうものを、学校の先生にはもちろん必要ですけれども、家庭のお父さん、お母さんにも、教科書の無償配付も必要ですけれども、むしろ家庭にもこういう「生徒指導の手びき」のようなものをなるべく配付するということを考えられたらどうかと思うのですが、この辺はだれに答えてもらうか、文部大臣か、初中局長ひとつお答え願いたいと思うのです。
○三角政府委員 文部省で昭和四十年に刊行いたしました「生徒指導の手びき」につきまして、高い御評価を賜りまして恐縮に存じます。この冊子は、当時から生徒指導ということは非常に重要になってまいりまして、しかも、当時の時点でのわが国の学校教育で機能の重要性が意識はされながらも、どちらかといえば弱い部面でございましたので、現場の方々や校長先生あるいは大学の研究者、その他学識経験の方々の御協力を得まして編さんし、発行したものでございます。 それで、この本でございますが、文部省としては、学校教育の場におきまして、生徒指導というのは、生徒の一人一人の個性の伸長を図りながら、いわゆる社会的資質と申しますか、そういうものが高められてまいることが必要であるということで、三十九年度以降、生徒に対する指導のあり方や、それから学校教師がどういうふうにこれに取り組んでいくべきかについて、このような資料をまとめまして、その後も一種のシリーズとして中学校向けが十五種類、高等学校向けが八種類というようなことで今日に及んでいる次第でございます。 これは、やはりねらいが学校の先生を対象にしてつくったものでございます。ですから、こういったことで先生方にもひとつ御理解をいただきまして、そして学校の場合には父親の参観日とか、それから母親が学校に行っていろいろ学校と協力していろいろなことをやる、そういう場面とか、PTAもございますので、そういった場面で先生を通して活用していただくということが一つ考えられるかと思いますが、確かに直接父兄向けではございませんけれども、御利用いただくということがあれば、それはそれで非常に有意義かと存じます。 ただ現在は、御承知のように、これを一般向けに配付するというわけにまいらないものでございますから、これを印刷局の方で発行していただきまして、定価四百円ということで官庁刊行物の置いてあるところに行けば手に入れることができる、こういうことでやらしていただいておる次第でございます。
○小杉委員 家庭教育の重要さをここでずっとやっていきますと時間が足りなくなりますから、そろそろ本題の学校教育の方に入ってみたいと思います。 総理府の方が退席される前にちょっと聞いておきたいのですけれども、やはり子供のこうした非行とか暴力をなくしていくためには、社会、学校、家庭三位一体の対策が必要だと思うのです。いま総理府では、いろいろ審議会をつくったり、あるいは各都府県なり市町村で青少年問題協議会あるいは健全育成審議会というようなものを設けてやっておられるようですけれども、私も、地方自治体の議員を四期十四年間やった経験から言うと、十分に機能していないというか、ちょっと形骸化しているというような印象を、率直のところ受けているわけですけれども、総理府としてもう少し生きたというか、そうした一つの対策が施せないものか、その点ひとつお答えいただきたい。
○阿部説明員 先生御指摘の点でございますけれども、青少年関係についてのいろいろな団体というのが各種ございまして、国のレベル、各都道府県のレベル、それから市町村のレベルとそれぞれの段階に分かれまして、国のレベルであれば国民会議、県のレベルですと県民会議、市町村の段階ですと市町村民会議といったような形で、青少年団体なりあるいは青少年育成団体といったような人たちを中心としたいろいろな会議あるいは協議団体といったようなものもございます。一方で、先ほど先生御指摘いただきました中央青少年問題協議会といったようなものもございます。これもやはり各都道府県レベル、市町村レベル、それから国のレベルでは青少年問題審議会という形で設定されてございます。 この協議会あるいは審議会の方につきましては、法律に基づくいわゆる審議機関ということでございまして、その審議される内容というのが、国のレベルでの青少年問題あるいは各地方公共団体レベルでの青少年問題についての基本的な問題についての審議、調査等がなされる機関でございます。したがいまして、この審議会なり協議会の活動といいますのは、かなり長期展望に立ちました基本構想といったようなものについての審議が行われるわけでございますので、慎重に行われているといったような実態がございます。 これにつきましても、私どもの方といたしましては、協議会を構成するメンバーの方々と青少年問題につきまして日常いろいろと緊密な連絡あるいは情報交換ということをやっておりますので、そういったルートを通じまして、中央青少年問題協議会が活発に活動されますように私どもの方としても努力してまいりたいと存じます。 それから、民間の団体を統合いたしました国民会議なり県民会議あるいは市町村民会議ということでございますが、こちらの方につきましても、これは中央事業で、あるいは地方事業という形で青少年健全育成関係のいろいろな事業をお願いいたしておりますので、そういった事業を通じまして、青少年関係の事業が活発に行われますように努力をしてまいりたいと存じます。 以上でございます。
○小杉委員 それでは、学校教育の問題に移りたいと思うのです。 私も、この質問に当たって、いろいろ現場の学校に行って調査もし、また校長先生のお話も聞いたり、あるいは各区の教育委員会の指導主事の方々にもお会いをして実態を調査いたしました。それから子供たちのいろいろな声も聞いてみました。ここに一部「教師に暴力をふるった生徒の声」というのが座談会形式で載っておりますので、その中からちょっと抜粋して申し上げたいと思います。 まず「殴ったあとの自分の気持ちは」という問いかけに対して「いいもんじゃないよ。その時はいいと思ってやったことなんだよな。でもあとから思えばな。」というようなことで、やはり少年たちも罪悪感というものを持っております。それから「校舎を汚しても、先生がそれをみじめに掃除するだけで何にもやらない。でもわかっていても、そいつが逃げちゃえば、あ逃げちゃったって自分でやる。最後までとっつかまえに行こうとしない。それだけの元気がない。」というふうに述べております、ここには何をしても注意しない教師というような姿があらわれております。 それから「先生の前で堂々とマンガ読んでても、先生はちらっと見て、注意するだけで、取り上げようとしても、その生徒が逃げちゃって、結局はあきらめちゃうって感じ。それであと、その人が持ってる時取り上げないで、机の中に入れとくと勝手に持ってっちゃうんだよな。面と向かって、かせっていって取るんならわかるけど、人のいない間にとり上げて職員室にあるなんて、そんな馬鹿げた話ないよな。泥棒と同じだよ。」というような会話の中から、見て見ぬふりをする先生という姿が浮き彫りにされております。 さらに、こんなことも言っております。「この前、数学の時なんかよくわかって、あ、おもしろいなって思うときあるんだけど。ある先生はね、僕たち後ろのほうで授業受けるでしょ。あれわかんないな。もう一回いってくれないかなっていうと、「あんた何よ聞いてないで」ってどなられて。何いってんだよ先生、俺は聞いてるつもりだけどわかんないんだっていったら、「聞いてないくせにしようがないからもう一度いってあげる」って。例題とか俺が試しをやってるうちにパッパッ進めちゃって。」さらに「授業の進め方が速すぎるんだ。頭のいい奴に合わせてね、頭のいい奴が納得すればどんどん先に進んじゃう。それでわかんないっていうと、「聞いてないのがいけない」っていわれる。頭にくるんだよな。」「授業のやり方もへたくそっていうか。」というふうなところに、落ちこぼれたぼくたちにおかまいなく受験勉強を進めていく先生という姿があらわれております。 私がいろいろ現場を調べてみますと、そうした授業の進め方とか、あるいは生徒の指導について校内で非常に熱心に議論をしたり、あるいは共通の認識を持っている学校では、そういった少年の暴力とか特に教師に対する暴力というのは絶無なんですね。特に、同じ学校の中で本当に厳し過ぎる先生は、もうどんなささいなこともびしびし怒るし、それから甘い先生は、いまここに読み上げたように何をやっても知らぬ顔をしている。生徒のやっていることに全然無関心というような状況の中で、その学校の中の教育の指導方針というか、そうしたものがもうまちまち、ばらばらなんですね。ですから、そういう先生方で、やはりきちっと怒るべきときは怒るということであれば、厳しい先生に対しては暴力というのは起こってないのです。そういう何というのか、けじめのない先生、生徒に対してそういう点のない先生が殴られているというようなことで、そういった点で学校の指導のあり方について問題がありはしないかと思うのですが、見解をひとつ伺いたいと思うのです。
○三角政府委員 特に子供の指導で、非行防止ということになりますと、これは一種の消極的な面かと存じますが、当然それを含めまして、子供たちを、先ほど申しましたような一種の社会的な存在としてりっぱな者に指導していくという部面で一番大事なのは、やはり教師と生徒との間柄と申しますか、人間関係というものを非常に緊密に、円滑なものに持っていく必要がございますし、そのこととしてまた生徒相互間でも一つのクラスならクラス、学校なら学校としての好ましい間柄をつくっていくということが必要でございますから、そういう意味合いで、ただいま御指摘になりましたような投げやりなやり方というのがありますとすれば、それは本当の意味で申すと、やはり子供をばかにしたと申しますか、子供に対してよくないやり方であるというふうに考えざるを得ません。 特にいま、けじめということをおっしゃいましたが、指導の方法として私どもが理解しておりますのは、事柄によりましては、叱責をし、指示をし、命令をし、あるいはしかるということがございましょうし、事柄とその展開のぐあいによりましては、子供とじっくり相談をして、そうして指導をするというやり方もあると思いますが、いずれにいたしましても、そういったようなやり方を活用いたしまして、子供との間に密接な関係をつくっていただくということが基本ではなかろうかというふうに考えます。
○小杉委員 それから、学校内暴力で、特に中学生の暴力がふえているわけですけれども、学年別にいうとどの辺が多いという現象なんでしょうか。
○三角政府委員 先ほど警察庁の方の資料を私どもちょうだいいたしておるわけでございますが、学年別の数字というのをいただいておりませんので調べておりません。ただ傾向としては、やはり中学では三年生あたりが多いというふうに理解をしております。
○小杉委員 私が学校現場を調べましたら、やはり中学校三年の二学期からが登校拒否とか授業拒否あるいは学校の暴力、先生に対する暴力がふえているということです。一体これはどういう理由なんだろうかというと、高校入試に対する不安が非常に強い。できるお子さんも、自分の希望する学校へ入れるだろうかという不安ももちろんありますけれども、特に成績の悪い人たちが本当に高校へ入れるのだろうかという不安というものが非常に大きくて、それが一つのそうした非行の原因になっているということなんですね。 文部大臣に伺いたいのですが、大体いまの学校の教育というのが受験優先路線というかテスト主義といいますか、テスト路線というところへ突っ走ってしまっている。子供は、たとえば勉強はできなくても、運動で一生懸命やって得意になって生きがいを感じている人もいれば、あるいは多少勉強ができなくても、他人のためにいろいろ世話活動をやって生きがいを感じている人もいるということなんですが、いまの学校においても家庭においても、常に受験路線、テスト路線という中で、成績が悪ければもう人間としての価値そのものも否定されかねないというような風潮があると思うのです。そういった学校教育という問題についてどうお考えでしょうか。
○田中(龍)国務大臣 もちろん、あなたの御質問自体が、そのようなことがあってはならないということが前提だろうと思いますが、文部省といたしましては、ゆとりのある教育と申しますか、本当に人間形成の一番大事な年代を受験勉強で終始してしまう、しかも、そういう点ではあらゆるものが犠牲にされておるというような点は、教育効果の上から申しましても改めなければならない段階であろうと存じますが、社会の優劣ということを考えますと、優勝劣敗で、受からなかった者よりも受かった者の方がどうしても優先するという点が教育上非常に悩みの多い当面の問題である、かように考えます。
○小杉委員 次の問題は、いわゆる学校教育の指導のあり方ということですけれども、先日来この文教委員会では愛国心という問題が盛んに論議されております。けさの新聞の投書などを見ましても、一足飛びに愛国心というものを植えつけるということより前に、もっと家庭においても、あるいは社会においても学校においても、守るべき規律とかけじめとかそういうものがやはり前提でなければいけないと思うのです。いまの家庭にしても学校にしても、人間としての最小限度の、たとえば親に対する気持ちとかきょうだいに対する愛情とか、あるいは社会における隣人愛とかいうものが欠けているという段階で、一足飛びに愛国心に結びつけていくというのは、どうも最近の憲法論争と絡んで非常に危険な徴候のように私は思うのですけれども、中学校の指導要領を見ておりますと、特に道徳という欄に、祖国に対する愛情よりもむしろその前に、順番としては家庭とか学校とかという自分の所属している集団の中での自覚というものを促しているわけですが、そういう教育は具体的にされているのかどうかお答えをいただきたい。
○三角政府委員 いま御指摘になりました指導要領の道徳、これは教育課程の中におきますところの道徳の領域におきまして、学校でどのように道徳の時間を実施していただくかにつきましての基準を示したものでございまして、私どもは、この基準に即して各学校の方で適切な道徳教育を実施していただいておると理解しております。 また、こういった内容は、単に道徳の時間だけでございませんで、それこそ国語でございますとか社会でございますとか、状況によりましては体育なり音楽、理科、そういった中で自然に対する愛でございますとか、あるいは一つのチームとしてお互いに協力してあることをなし遂げるとか、そういった教育をいま具体的に実施していただいておると理解しております。
○小杉委員 文部大臣に伺いますが、先日の当委員会での質疑に対して、愛国心とか国防に関して教科書の中に入ってはいないけれども、指導面で十分配慮していくという答弁がありましたけれども、いま申し上げたように、まだまだ学校の中で生徒が教師を殴るとか家庭の中で子供が母親に食ってかかって、母親が言うことを聞いてくれなければ暴力で殴りつける、こういうような状況の中で一足飛びに愛国心とか国防意識とかと言うのは、ちょっと飛躍し過ぎるような気がするのです。やはりもっと家庭の中における規律とかしつけとかけじめとか、学校の中のそういったきちんとした秩序というものを生徒に植えつけるのが先決であって、子供のそういった学校内暴力、家庭内暴力が横行する中で愛国心とか国防意識と言うのはちょっと飛躍し過ぎる。もちろんそのことも大切ですけれども、もっと基本的な基礎的な教育が徹底して行われなければならないと思うわけですが、その点いかがでしょう。
○田中(龍)国務大臣 全くそのとおりと存じます。 それで、私も新聞等にはどう出ておったか存じませんけれども、いま私が一番強調いたしましたのは、愛情という、愛という問題がすべての根底になければならないということ、そしてまた家庭内におきましても、親子の愛あるいは夫婦の愛、そういうふうなところから本当に温かい心の通ったものがなければならないのだということを強調したのであります。それがひいては社会に対し、あるいはまた国家に対する愛にまでも止揚されていくのだろうと思うのであります。 しかし、いま先生のおっしゃった、けじめという問題とか規律という問題についてですが、戦後秩序というものに対して否定的な風潮が非常に多くなっておる。そのことは何かと言いますと、家庭内におきましての親と子の間の秩序とかあるいは夫婦間の秩序とかいうものですが、それを否定するところにまた、親は親としてしつけをするという問題にも、当然憶病にもなり自信を失う結果にもなると思います。そういう点は学校の先生それ自体も、やはり青少年教育において、秩序という問題に対して非常に意識を持って教育をしなければならない、かように考えます。
○小杉委員 こうした意識を子供に植えつけるには、単に道徳の時間だけではなくて、学校教育全体の中で教科の指導にしてもクラブ活動にしても、そういうものを植えつけていくことが必要だと思うのです。学習指導要領の中には「家庭や地域社会の一員としての自覚をもち、協力し合って共同生活の充実を図る。」ということをうたっております。「家族や日常接する人々、更には先人たちに支えられている自己の立場を自覚し、尊敬と感謝の気持ちを深めるとともに、明るい家庭の建設や郷土の発展に尽くすように努める。」という点を強調しておりますし、また「自己の属する様々な集団の意義を理解し、協力し合って集団生活の向上を図る。」、そして「規則を尊重し、進んで自己の役割を果たすとともに、和を重んじ、利己心や狭い仲間意識を克服して集団生活の向上に貢献するように努める。」というふうに大変いいことが書いてあるわけです。こういうことを身近な学校とか家庭の中あるいは社会生活の中で培っていくことによって、自然に愛国心というものは芽生えていくと思うのです。ですから私は、そういう基本的な基礎的な部分の教育に文部省はもっと力を入れるべきだと思うし、そのための方法論をもっときめ細かにやっていただきたいと思うのです。 もう一度先ほどの「生徒指導の手びき」ですが、これは単に道徳の先生とか生活指導の先生あるいは担任の先生だけが読むものではなくて、全教師にこれを読んでもらいたい。また、これは十五年間全然改定してないようですが、やはり最近の傾向に合わせて多少改定をしていただくことと、それから、いま世のお父さん、お母さんというのは、子供の教育をどうやったらいいのか、戦後の教育というのは、戦前と全然違って価値観も変わってきたので、試行錯誤で手探りで模索しているわけです。ですから、熱心な人は、みんなそれぞれ本屋さんへ行って本を買って読んでおりますけれども、もう少し統一的と言ってはなんですが、基礎的なこういった手引き、これは教師向けに作成したと思うので、こういうものでなくて結構ですが、やはり文部省として世のお父さん、お母さん方にそういった面での一つの手引書というか指導書というかそういうものをもっと配付して、世論を喚起するということが心要だと思うのですが、それらを含めて文部大臣いかがでしょうか。実務的なところは先に初中局長から答えてもらって……。
○三角政府委員 小杉委員のただいまの御指摘の御趣旨と申しますか、お気持ちと申しますか、御主張のよって来るところはよくわかるつもりでございます。私どもは、文部省でございますので、直接には教師向けの資料でございますとか、あるいは社会教育の分野になりますと、青少年団体とか、あるいは社会教育上の青少年教育、婦人教育等の指導者、そういった方々向けのいわば資料と申しますか、そういうものを編さんしてまいっておりまして、国民各界各層の個々の国民向けの資料をどういった場面で作成することが適当であるかということについては、状況によりましてかなり慎重に考えなければならない場合もあろうかと存じます。 と申しますのは、文部省としてつくります場合には、内容的にも一面的にならないとか、いろいろな面で編さんの場合の制約というものが状況によってはかなりあるわけでございます。ただ、小杉委員おっしゃいます趣旨はよくわかりますので、私どもとしては、よく研究をさせていただきたいなという気持ちでございます。
○小杉委員 文部大臣に答えていただく前にさらに申し上げたいのですが、確かに学校教育の場だけがすべてではないという御趣旨はよくわかるのです。しかし、両親が一番接触する度合いが多いのはやはり学校であります。十五年間にわたってこれだけベストセラーを続けているというのは、こういうものを求めている社会的な要求があるということを物語っているわけで、私は、やはり教師にも、また家庭の両親にも、特にこういったようなものでもっと積極的に文部省が父親としてこうしてほしいとか母親にこうしてほしいというのをその都度、PTAでやっているところもありますけれども、やはり冒頭申し上げたように、お父さんというのは皆忙しくて、なかなか学校の参観にも来られない、六年間のうちに一体何回来たかというとほとんど数えるほどしかない、そういうお父さん方に教育についての啓蒙をしていくためには、やはり学校からこういうような文書を、文部省あたりがもっと率先してアピールしていくべきじゃないかというふうに考えるのですが、これは予算問題も絡みますし、実務的にはいろいろな問題があると思いますけれども、そういう方向をやはり学校の方が積極的に両親に呼びかけていく。学校教育では限界があるところを家庭教育で補ってもらうという姿勢をもっと強烈に打ち出すべきじゃないでしょうか。両親はいま非常に教育について迷っているし、私たちがどこへ行っても口に出るのは子供の教育の問題です。
○三角政府委員 文部省が書くとなりますと、かなり慎重な吟味が必要でございますので、先ほど小杉委員御指摘いただきましたように、この「生徒指導の手びき」というものにつきましても、恐らくかなり丹念な作業を経て作成したものであるというふうに私は考えております。 それで、ただいまの御指摘でございますが、先ほど社会教育局長から御説明がございましたように、あすの親のための学級というようなものを来年度予算に要求もしておりますので、それらとの関連におきまして、直接父親なりあるいは母親なりに参考となるような資料を、文部省として何かまとめることがどうかということにつきましては、ひとつ部内で検討させていただきたいと思います。 なお、本書の改訂の問題につきましては、実はこういった生徒指導の問題につきまして先ほどもちょっと御説明申し上げましたが、ずっと毎年いろいろな角度からの別の新しい資料もつくっておりまして、いろいろなものが積み上げられてきております。しかし御指摘のように、これはかなり版も重ねまして、三十数万部出ておるということでもございますので、これを現在の時点で内容の改訂みたいなことにつきましてもあわせて検討いたしたいと存じます。
○小杉委員 文部大臣、一言……。
○田中(龍)国務大臣 ただいま申し上げましたように、われわれが教育の中で一番基礎的になります幼児教育から少年教育、こういう問題につきまして、いまのお話のような手引きでもできれば何よりもいいと思いますが、お話のけじめ、あるいは秩序、そういうふうなものに対しまする教育のあり方、せっかくの御意見に対しまして、われわれといたしましても、十分に反省もし、また考えてまいりたい、かように考えております。
○小杉委員 それから、いろいろ現場の先生方の意見を聞いてみますと、いまの子供たちは学校へ行くと授業で詰め込まれ、家へ帰ると今度は団地の狭いところへぎゅう詰めにされて、そして塾へ行って夜遅く帰ってきて、遅い食事をとってそれからまた勉強して寝る。結局、活動の場というかエネルギーを発散する場が非常に限られている。外へ出ていけば交通の錯綜で遊ぶところもないということで、やはり私は、ここで社会体育、スポーツ施設というものの価値というものをぜひ申し上げたいと思うのです。 そこで、名古屋オリンピックが先般閣議で決定されたそうですけれども、この名古屋オリンピックは、愛知県知事と名古屋市長がモナコへ行って、一応立候補宣言をしてということで、一九八八年に実施されることに決まったそうであります。しかも二兆四千億円というような規模を相当圧縮してやるのだというようなことが出てきておりますが、私は、ただ単に一部の限られた人たちだけのオリンピックであってはいけないと思うのです。こうしたオリンピックを招くその一つの土壌といいましょうか、国民各界各層に対してスポーツに親しみ、体力を増強させる一つのきっかけをつくらなければいけないと思うのですが、先般体育の日の前に文部省が発表された「体力・運動能力白書」というのがありますが、これの概要とその分析をひとつお聞かせいただきたいと思うのです。
○柳川(覺)政府委員 文部省では三十九年から毎年、いわゆるスポーツテストによりまして体力、運動能力の動向を調査いたしております。その五十四年度の結果を、さきに体育の日にちなみまして公表させていただきましたが、概要は、児童生徒について申しますと、身長、体重は年々依然として向上しております。十六歳の高校生について見ますと、過去三十年間に身長は十センチ近く伸びておるというようなことで、体位、体格の向上ということは、それ自体大変望ましいと見られております。 それから身長、体重の向上につれまして総合的な体力、運動能力はやはり高まってきております。ただ、その伸び方が四十六、七年当たりから少し停滞傾向にある。部分的には体力づくり推進校等の施策が進んでおりまして、かなり総合的な体力、運動能力の増高を来しておるところがございますが、全体的に平行状態ということは、やや衰えの危険があるということが言われておりますし、また体力、運動能力の内容につきまして、特に背筋力あるいは立位体前屈等のいわゆるパワーの問題と体のやわらかさ、この辺にむしろ衰えが出てきておるということでございまして、総じて先生御指摘のとおり、子供たちの体力のもう一つの伸び悩みの問題、むしろ部分的な衰え傾向に憂いがあるという問題。それから成人の方々は、スポーツに取り組む面がきわめて急激な高まりを示してきております。総理府の世論調査でも、過去一年間に何らかの形でスポーツに取り組んだという方が六七%になっております。−それらの結果、特に三十代の女性あるいはことしは三十代の父親につきましても、テストの結果はかなりの良好な傾向が出てきておりますが、平均寿命が伸びる、あるいは余暇の増大あるいは一般的に運動不足、この間における体育、スポーツに対する国民の関心、また実践が高まってきている、これにどうこたえていくかということが、ただいま私どもの体育、スポーツ行政の大きな課題であろうというふうに承知しておるところでございます。
○小杉委員 文部大臣に伺いますが、先ほど私申し上げたように、オリンピックというのは、ただすぐれた選手、エリートだけの競技であってはならない。これを名古屋へ誘致することによって、国民の体力あるいはスポーツというものはもっと発展して、国民全体にプラスになるように持っていかなくちゃいけないと思うのですが、名古屋オリンピックに対する基本的な考え方、そうした考え方についてどう思われるか。
○田中(龍)国務大臣 御承知のとおりに、大変に財政的には苦しい現状でございますけれども、やはり八年後の先でございますが、今日立候補だけはきちんとしておきませんといけないということで、あのような措置をとったわけでございます。しかしながら、先生御指摘のとおりに、国民精神あるいは国民体力、そういう問題からいたしますれば、私は、オリンピックの誘致というものはまことにいいことだ、ただし客観的な財政負担といったようなものに対しましては、極力簡素、強力なものにいたしまして、同時にまた、若人に対しまして夢を与える、またスポーツの振興を図るということからその推進をしてまいりたい、こう考えております。
○小杉委員 西ドイツのゴールデンプランというのがあります。私も西ドイツへ行っていつも経験をすることですが、ホテルのそばには必ずどこにもプールがあったり体育館がある。手近なところに体育施設、スポーツ施設が非常に完備しているように思うのですが、日本のそうした体育、スポーツ施設の現状というのはどうなっているのか、調べたことがあられるかどうか、あるいはまた諸外国と比較してどうなのか、その点もし調査が行われていれば聞かしていただきたい。
○柳川(覺)政府委員 わが国の体育、スポーツ施設の設置状態につきましては、最近では四十四年と五十年に全国悉皆調査を行っております。また五十五年現在で調査をいたしておりまして、いま、その調査結果を集計中でございまして、近々、この辺がまとまり次第、現状につきましての御報告ができるのではないかと思っておりますが、四十四年と五十年の調査の結果を比較いたしますと、わが国の学校体育施設あるいは職場スポーツ施設を含めました全体の体育、スポーツ施設の総数は、四十四年には約十五万でございましたが、五十年調査の結果は十九万カ所に増大いたしております。このうち特に公共のスポーツ施設、先生御指摘のような都道府県あるいは市町村がつくります社会体育あるいはスポーツのための施設、これが約一万カ所から二万カ所にと、この六年間に一万カ所の倍増をいたしておるということでございます。 なお、本年の調査の結果、まだ全体集計中でございますが、この公共スポーツ施設だけを抽出いたしまして調べてみましたところ、五十年かち五十五年にかけましての六年間に一万カ所さらにふえまして、一・五倍の傾向にあるということでございます。 御指摘のドイツのゴールデンプランにつきましては、一九六一年から西ドイツでは保養、遊技及びスポーツ施設の建設基準というものを、ドイツ・オリンピック協会が発表いたしまして、これを市町村あるいは州が受け入れて、体育施設の整備を進めてきておるところでございます。必ずしも正確な比較ではございませんが、わが国の体育施設と西ドイツの体育施設との運動広場、プール、体育館につきましての数を申し上げますと、日本の数字は一九七五年のものでございますが、西ドイツは一九七二年、ほぼゴールデンプランの計画が半ば進んだというときの状態でございますが、運動広場が日本では七万一千八十カ所、千五百七十六人に一施設という状態でございます。西ドイツでは二万八千七百四十四カ所、二千百五十七人に一施設。プールにつきましては、日本が二万三千八百二十一カ所、四千七百二人に一施設、西ドイツでは五千七十七カ所、一万二千二百十二人に対して一施設。体育館につきましては、日本が三万三千二百六カ所、三千三百七十三人当たり一施設、西ドイツが一万九千九百八十カ所、三千百三人に対して一施設という状態でございます。もちろん、日本のこの体育施設の六七%が学校施設でございまして、学校施設を含めての数字でございますが、西ドイツが人口六千二百万、わが国が一億一千万という状態でございますので、その面も見ましても、数において必ずしもわが国の体育施設は劣っていないということが言われると思います。 ただ、たとえばプールにつきまして、西ドイツのプールは屋外プールと室内プールがちょうど半々くらいございます。また、そのプール、体育館には、それぞれ数人の指導者が配置されて、常時国民の各層にわたってのスポーツ指導に当たっておられる。わが国は学校体育施設中心に整備しておりますので、この面でなお内容的、質的には必ずしもすぐれておると言い切れない状態であろうかというふうに感じておる次第でございます。
○小杉委員 いま国際比較をしてもらったのですけれども、確かに数的には日本は遜色ないのですが、いまちらっと言われたように、内容面でちょっと問題があると思うのです。西ドイツの場合は学校の施設が何%くらい占めているのですか。日本は体育施設のほとんど六十数%が学校の体育館だとかプールだと思うのですが、社会体育施設、いわゆる学校以外の施設から比較した場合はどうなんでしょうか。
○柳川(覺)政府委員 この数字の中で、たとえば大学等の体育施設がどのようになっているか明確でございません。ただ、ヨーロッパでは必ずしも学校体育を小学校、中学校で行っていないという体制がございます。わが国は明治以来、学校教育の中に学校体育ということを大変重視してきたという特性がございます。その面でドイツ等では体育はむしろ家庭、地域で行う。また学校の周辺に体育施設ができまして、その体育施設を一般の人が使うと同時に、学校の子供たちもそこで指導を受けるというような体制をとっております。この面は日本は学校体育を重視し、いま中学校、高等学校で先生十人に一人は体育の先生が配置されておるというような学校体育の整備体制がございますから、それらを総合しての比較の問題であろうか、そういうふうに考えます。
○小杉委員 いまお答えのように、学校体育に大変重点が置かれていて、いわゆる社会人の体育施設というのは非常に乏しいと思うのです。先ほどの答弁によっても、最近、いわゆる学校を卒業してから後の壮年の運動志向熱というものが非常にふえてきているわけですが、なかなか利用する場所がない、指導者もいないというような状況の中で、私は、オリンピックも結構ですけれども、オリンピックをきっかけとして、もっと社会体育施設、スポーツ施設をどんどん増設すべきだと思うのです。確かに数的にある程度充足されてきています。さっき西ドイツの場合、学校体育施設と社会体育施設との比率がわからないという答弁ですから、これ以上申し上げられないのですけれども、いわゆる利用の形態、そういった点で調査をされたことがあるでしょうか。と言いますのは、たとえば西ドイツなんかに行きますと、朝六時半からやっているわけですよ。ですから、みんな朝から行列をしてプールで泳いで、それから出勤する。夜も大体十時半ごろまで開いておりますから、仕事が終わってからも十分そういった施設を利用できる。ところが日本の場合は、たとえば東京体育館などに行きますと、夜九時までということになっておりますが、実際に利用するには夜七時までに入場しないとだめだ。そうすると日本の一般の会社では、会社が終わってから七時までに駆けつけるには相当無理しないと利用できないわけです。財政難の中でせっかく高いお金を出してつくった施設ですから、利用時間とか活用の仕方なども一工夫あるべきではないかと思いますが、その点調査をされたり何かしたことがあるでしょうか。
○柳川(覺)政府委員 五十四年の調査結果でございますが、東京の体育館の開館の時間は、一日当たり平均開館しておる時間が九時間以上十二時間未満の体育館が最も多うございまして、全体の四二%、次いで十二時間以上十五時間未満のものが二三%というような割合になっておりまして、体育館を朝開く時間は大体七時あるいは八時というのが多いようでございます。また閉館時間は五時ないし六時、最近九時に閉館するところもかなりふえてきておるというような状態でございます。 先生御指摘のように、いま体育館をつくりますと、必ず室内照明を持つというのが通例でございますので、最近の体育館では、夜間の開放等がほとんど行われているというように承知いたしておる次第でございます。
○小杉委員 文部大臣、先ほどの答弁ではまだ不十分だったのですけれども、オリンピックのために準備をするのは結構ですが、やはりもっと一般国民の底辺の、たとえば社会人が手近に利用できる施設を、せっかく毎年国体も開いているわけですから、オリンピックとか国体とかというものと連動させて、できるだけ施設を充足していくということと、それからもう一つ、利用時間が実際には必ずしも勤労者のための利用時間になっていないわけですね。みんな早く終わってしまったり遅く始まったりということで、そういう点で乏しい施設を活用するという方策について、文部省はもっと都道府県、また、いろいろな民間のスポーツ団体とも協力して、できるだけ国民各層にスポーツをする機会を持つように働きかけていくべきだと思うのです。
○田中(龍)国務大臣 体育局の方にもよく督励いたしまして、お話のとおりにいたしたい、かように考えております。
○小杉委員 時間がもうなくなってまいりましたので、最後に一言だけ申し上げたいと思うのです。 先ほど来学校暴力、家庭内暴力というものを取り上げてきましたけれども、いろいろ考えてみますと、その原因はたくさんございます。確かに現象だけとらえて、そこの部分だけを解決していけば、こうした問題が全部解決がつくのではなくて、もっと根本的なところに一つの問題点もあろうかと思うのです。 最近年少者、特に中学生に学校内暴力、家庭内暴力がふえている。それも特に中学校三年生の二学期以降にふえているということは、いまの受験体制とかテスト路線というような問題が相当大きいと思うのです。そこで私どもは、こういう思春期の精神的に一番不安定な時期に、わずか三年で受験受験ということで追いまくられていく、その中で余裕を失って精神的にもおかしくなっていくという点があると思うのでございます。 去る昭和四十六年六月十一日の中央教育審議会の答申、いわゆる第三の教育改革というものが出されまして、この中には、今後十年間に先導的、試行ですか、いわゆるテストケースをつくって、こういう教育制度の改革、たとえば三年間をもっと長くするとかそういう試みをやるようにということが書かれておるわけですけれども、ことしでもう十年目を迎えているわけですが、こうした教育制度の改革について文部省は果たしてどういう努力をされてきたのか。
○三角政府委員 御指摘になりました答申の趣旨にもかんがみまして、私どもといたしましては、小学校、中学校、高等学校、これらをつなげた十二年間を通じまして、できるだけ調和がとれ、かつ統一のある教育が実施されることが重要であると考えておりまして、今回の教育課程の基準の改定に当たりましても、この点を一つの基本方針としておるところでございます。 また、答申の趣旨にもかんがみまして、従来から幼稚園と特に小学校の教育の連携でございますとか、いまの御指摘に係る中学校と高等学校の教育の連携が要請されていることにかんがみまして、そのための望ましい教育課程のあり方などについて、これは研究開発課題などを定めまして、国立大学の教育学部の付属学校も含めた研究開発学校の指定を行うというようなことなどをいたしまして、研究開発を進めてまいっております。 現在の課題として類型別にいたしますと五種類くらいありまして、かなりの学校の数でやっていただいておりますが、詳細は時間の関係もございますので、もし必要があれば資料としてお手元に差し上げたらどうかというふうに思います。 なお、こういったことを積み上げて、その上でどうかということでございますが、学校制度そのものということになりますと、これは日本という国全体あるいは国民の将来に非常に深くかかわる重要な問題でございますので、これにつきましては、なお今後とも、十分慎重に検討をしてまいる必要があるし、そういった態度で臨んでいく必要があると思っております。
○小杉委員 時間がなくなりましたからもう終わりますが、ことしの一月の新聞報道によりますと「英才教育、体系作り」、「「六・三・三・四制」見直し」ということで当時の谷垣文部大臣が事務当局に指示したということでありますけれども、こうしたことが事実行われているのかどうか。 それから、最後に申し上げたいのは、教育制度の改革は重大なこと、だということはよくわかります。しかし、すでに十年たって都合のいいところだけ、たとえばゆとりある教育ということで指導要領の改定などは確かに行われましたけれども、私たちが手本にしたアメリカですら、もうすでに六・三・三・四制でなくなって、州によっては八・二制とかいろいろ制度を変えているわけです。 ですから、文部省も固定的に考えないで、せっかくこれだけの答申が出て十年もたっているわけだから、たとえば国立大学の付属中学校、高等学校のところで先導的試行といいますか、そういったものをやっておくべきだったと思うのですけれども、その点は私は非常に不可解に思うのですが、前半のところをぜひお答えいただきたいと思います。
○三角政府委員 お答え申し上げます。 国立大学は、御指摘のような先導的、試行的なことがわりとやりいい状況にございますので、先ほど御説明申し上げました研究開発学校三十一校のうち付属学校は五校でございますが、そのほかにすでに七校で終了したわけですが、そういう研究開発はいま取り組んでいただいておりまして、今後ともそういった役割りは、付属学校としても積極的に引き受けていただきたいと思っておりまして、それは大学局の方からもそういう指導をしていただくことにいたしております。 なお、制度の問題につきましては、先ほど申し上げたようなことで、十年とおっしゃいますけれども、やはりもうちょっと長い目で検討をし対応をさせていただきたいと思っておる次第でございます。 それから、英才教育についての御発言でございますが、私どもとしては、やはり学校教育は児童生徒の能力、適性等に応じまして、それらを一層伸ばしていくということでございます。このたびの学習指導要領の改定に当たりましても、その趣旨を踏まえて改善を行ったところでございまして、学校の教育課程の編成に当たりましては、個人の能力、適性等に応じて学習の進度のおくれがちな児童生徒のみならず、英才とは申しませんが、学習の進度の速い児童生徒に対しても、必要に応じて適切な配慮がなされるというのは当然のことでございまして、そういうふうに充実した指導をしていただくということでございますが、ただ、いわゆる英才教育というものについて私どもがいま特段の取り組みをしているということは事実ではございません。
○小杉委員 まだほかにありますけれども、時間が来ましたので、この辺で終わります。ありがとうございました。
○三ツ林委員長 長谷川正三君。 〔委員長退席、中村(喜)委員長代理着席〕
○長谷川(正)委員 先般、本委員会におきまして、田中文部大臣から所信の表明がございました。きょうはその点につきまして、当面する諸問題のうち時間の許す範囲で数点お尋ねをいたしたいと思います。 先般のお話の中で文部大臣は、第一は学校教育の改善充実について、第二は学術の振興と教育、学術、文化の国際交流の推進について、第三に社会教育、体育、スポーツ及び文化の振興について、この三点を中心にお話がございまして、これは現下の教育の、あるいは日本の文化振興の上にすべて及んでいるお話でありますから、お聞きしたいことは数限りなくあるわけでありますが、きょうはそのうちから特に五点ほどにしぼりましてお尋ねをし、また私の意見も若干申し上げまして、ある意味では文部当局を激励し応援する意味で、ある意味では慎重に御再考を促すような面もございますから、そういう点について申し上げますので、よろしくひとつ明快な、また率直な御答弁をお願いしたいと思います。 私は、きょうは一つは、第五次の学級編制及び教職員定数改善計画についての問題、第二に、主任手当の問題と教育諸条件整備や、ただいま申し上げた定数改善との関連について伺いたいと思います。第三に、現職教員の研修について、特に今度の予算編成等でも大変力をお入れになっていますが、これについてお尋ねをしたいと思います。四番目には、障害児教育についてお尋ねをしたり、この点では特に御再考、御検討をお願いしたいと思う点がございます。五番目に、私学助成関係の問題等についてお伺いしたい。大体この五点についてきょうは伺いたいと思います。時間が限られておりますので、答弁もひとつ簡潔にぜひお願いしたいと思います。 第一に、第五次学級編制及び教職員定数改善計画についてでありますが、文部省は第九十一国会において可決され、本年五月二十二日から公布されました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律に従って、第五次教職員定数改善十二カ年計画を策定して、一九八〇年から一九九一年までの十二カ年計画で四十人学級を実現しようとなさっておるわけでありますが、この計画の実施に当たって、十二年間に見込まれる教職員定数増はどのようにおとらえでしょうか。
○三角政府委員 これは小中高等学校、特殊教育諸学校合わせまして、所要人員の合計は八万一千六百七十四人という計画にいたしてございます。
○長谷川(正)委員 もう一回念を押しますが、それは小中高まで含めてですね。
○三角政府委員 小中と特殊教育諸学校でございます。
○長谷川(正)委員 いま高等学校というのをおっしゃったと思うのですが……。
○三角政府委員 高等学校とは申し上げませんでした。
○長谷川(正)委員 障害児教育を含むという意味ですね。
○三角政府委員 さようでございます。
○長谷川(正)委員 それによりまして、第一年度、一九八〇年度における単年度定数増は何人ですか。
○三角政府委員 二千七百五十六人でございます。
○長谷川(正)委員 先ほど八万一千六百七十四ということをおっしゃいましたが、これは自然増等全部含めての数でしょう。それにならって私お聞きしていますから、第一年度、自然増、改善増含めて何人おふやしになるという計画ですか。
○三角政府委員 五十五年度におきまして、教職員のいわゆる自然増に対応する必要部分が九千七十人、それから学級改善や教職員配置率改善に必要な人員が二千七百五十六人というふうになっております。
○長谷川(正)委員 その改善増のうち、特に四十名学級にするための増員分は何人ですか。
○三角政府委員 五百六人でございます。
○長谷川(正)委員 それから第二年度、つまり、ことしこれから審議する来年度予算に盛られておる増は、さっき申し上げたような順序でお答えいただきたいと思いますが、どうなっていますか。
○三角政府委員 自然増が九千五百八十一人でございまして、それから四十人学級の実施に必要な所要人員が五百六十七人でございまして、それから要求といたしまして、そのほかのいわゆる教職員配置率の改善部分が今年度措置した人員と同じ数でございますが、二千二百五十人ということになってございます。
○長谷川(正)委員 二千二百五十人とおっしゃいましたが、四十人学級への五百六十七人を含めまして改善増は幾らですか。
○三角政府委員 二千八百十七人でございます。
○長谷川(正)委員 私の伺ったそういう順序でお答えをいただきたかったわけです。それで念のためにただしましたが、この十二カ年計画の初年度と第二年度についての計画はいま伺ったわけでありますが、この四十人学級の実現への国民の要求というものはきわめて強いものがあるわけでありまして、この早期実現が望まれているわけであります。文部省の初中局の財務課で御発表になったものにも、この計画について、一学級編制の標準の改善の中で「欧米諸国においても学級編制の基準は四十名以下となっており、わが国においても一人一人の児童生徒に行き届いた教育を行うための環境を整えるため四十人学級の実現は多年の懸案となっていたものである。」というふうに指摘されています。にもかかわらず、学級編制の改善について、この四十名学級のためには第一年次がわずか五百六人、第二年次で五百六十七人。しかも、それは過疎先行方式による児童生徒減の市町村を対象にしている、こういうふうになっていると思うのですが、四十名学級という打ち出しは、そこまでまず一歩踏み出したことは評価いたしますけれども、実際はほうっておいても四十名以下になってしまうようなところを主として指定しながら、それに関連して若干ふやすという程度のように受け取れるわけですね。この点私は、この問題の本質から言うと逆なんであって、過密のところを一日も早く四十名に下げて、そして行き届いた教育に——ほっておいても一学級の児童数がどんどん減っていくようなところを指定して四十名学級にしましたと言っているのでは、責任逃れではないかと思うが、これは財政上の今日の厳しい情勢から大蔵省等の圧力でやむを得ず屈してそういう姿勢になったのではないかと心配するのですが、局長並びに大臣いかがですか。
○三角政府委員 今回の計画は、国として大変に厳しい財政状況のもとで、政府として予算編成に当たりまして真剣に取り組みまして、ただいま実施に踏み切りましたような計画を決めたわけでございます。これは御指摘もございましたわけですが、小学校の児童数が全国的には五十六年に増加のピークに達します。それから五十七年度から減少に転ずることになるわけでございますが、過密地域におきましては、おおむね五十七年度がピークとなりまして五十八年度以降減少していくということになっておるわけでございます。それから、四十一人を超える学級数の約半数が、御指摘のいわゆる過密九都府県に集中しておるわけでございます。これらの地域については児童が増加するわけでございまして、先ほど数字でも申し上げましたように、約三十万人の児童生徒増加に対応して小中学校の教員数として九千五百八十」人の手当てを明年度は見込まなければならない。今年度は九千人程度だったわけでございますが、こういった時期に学級編制の改善を過密地域について行いますことは、自然増によります施設増設の上に、さらに学級編制の改善によりまして、そのために施設をまたふやしていかなければならないという負担も加わることになりまして、現在、国、それから国のみならず地方におきましても、非常に財政状況が厳しいぐあいでございますので、その実施が現実問題としては困難なわけでございます。 こういった事情にかんがみまして、いわゆる過密地域については、できるだけ円滑に学級編制の引き下げを行うために、なるべくでございましたら児童生徒の減少時期に合わせて行っていくことが一番妥当な改善方策であるというふうに考えたわけでございます。
○田中(龍)国務大臣 先生よく御承知のとおりでございまして、本件に関しましては、学級編制定数改善の問題さらに過密過疎の問題等諸般の事情をよく御研究いただきまして、三党の決議もございまして、その線に沿うていたしておる次第でございます。
○長谷川(正)委員 いま大臣お答えの三党の決議というのは、附帯決議のことですか。
○田中(龍)国務大臣 私の答え方が少しはっきりいたしませんが、御案内のとおりに三カ年の据え置きという問題もあります。そういうことを踏まえまして、三年後の問題といたしましていろいろ御決議を賜ったことは御案内のとおりでございます。
○長谷川(正)委員 三カ年据え置きということは、またちょっとおかしいので、そうでなくて、とりあえず三年いまの計画で実施してみて、十二年というのは長過ぎるという声が圧倒的でありましたから、短縮の方向を言葉の上では出しておらないかもしれませんけれども、含みとしてはこれをできるだけ縮めるという方向で三年後には検討しよう、こういうことですね。ひとつ大臣もそのように御確認をいただきたいと思います。
○田中(龍)国務大臣 そのとおりでございます。
○長谷川(正)委員 そこで、初年度の五百六人と二年度の五百六十七人という数字が一応上がっているのですが、その積算の基礎は、各県の市町村の児童生徒の実態を正確に把握されてこれになっているのですか。どういう配置になっていますか。
○三角政府委員 これは先ほどもちょっと申し上げましたし、それから前の国会で法案御審議の際に該当の市町村に関する資料もお出ししておったかと思うのでございますが、個々の学校につきまして昭和五十三年五月一日現在で学級編制及び教職員配置等の悉皆調査をいたしまして、これを電算機に入れまして、その際数項目についての実態を出したわけでございますが、児童生徒数が減少する市町村等の実態についても、関連資料としてそこから出してきたものでございます。
○長谷川(正)委員 児童生徒数の増減の実態の調査とあわせて施設設備、それから空き教室、現在の四十五名でいった場合には、どのくらいできるのか、四十名にしたときには、それでも足りなくなるのかというような具体的な数字を、全国的にきちっと試算してありますか。
○三角政府委員 四十人学級の実施に伴いまして、増加が必要な教員数とあわせて増加所要教室数というものも出したのでございます。
○長谷川(正)委員 それはわれわれにも御提示いただいておりますか。
○三角政府委員 私がただいま申し上げましたのは、十二年計画でいたしました場合に、五十八年から六十六年までに八千三百六十教室が要る、これを九年計画にした場合にはどうなるか、それから五十五年度から全市町村で小中学校について実施した場合にはどうなるかという数字でございまして、これは当時お出ししたものでございます。
○長谷川(正)委員 それは本当にわれわれにいただいておりますか。何か説明をよくいただいた記憶がないので質問したのですが、改めてまた後で資料をもう一遍いただきたいと思います。 ただ、いまの第一年度、第二年度、まだまだふえてしまって四十五でもおさまらないところがたくさんあるので、そのための増員が九千名以上もあるのだから、とにかくそっちはそれが精いっぱいなんで、確かに過密のところこそ少なくしてほしいというのはわかるけれども、余り予算を使わなくてもわりあい楽に四十名学級に切りかえていける、施設設備も大体間に合っていくところから手をつけるというのは、それなりに行政の進め方としてわからないわけではありませんが、ただ、一年度、二年度のようなスピードで一体——十二年の計画、九年の計画というのを一応立ててみたと言っておられますが、即時にいった場合も立てておりますね。いろいろあるのですが、このピッチで一体何年で達成できるのか。第三年次以降の、現在の十二年計画の場合の内容というのはできていますか。
○三角政府委員 私どもとしましては、見込み数を出してございまして、小学校におきましては、児童生徒数が減少する市町村で校舎の新増築を必要としない、教室の新増築を必要としないところについて、これを五十五年度から六十年までに完成する、その他の市町村については五十八年度に取りかかりまして、六年間かけて六十三年度に完成いたしたい。中学校につきましては、生徒の減少市町村につきまして六十一年から六十三年までにやりまして、そしてその他の市町村については、いまのところ六十四年から六十六年といった時点に合わせて行いたい。でございますから、小中の全体は十二年間で四十人学級に持っていくことができると考えております。
○長谷川(正)委員 その明細な資料をもう一度ぜひいただきたいと思います。それを検討しまして、いかにしたらこれを短縮できるかという方途をわれわれもさらに検討して、必要に応じては御提案も申し上げたいと思いますから、ひとつよろしくお願いいたします。 これに関連して高等学校のことをさっき三角局長がちょっと口を滑らせたけれども、そうじゃないと否定されたのだが……(三角政府委員「言うておりません」と呼ぶ)そうですか。それは議事録を見ると高等学校と言ったのですよ、あなたは。おや、これはいいことを言ったなと思ったのですが、まあそれはそうじゃないということだから改めて申し上げますが、高等学校も今日進学率が九四・二%まで達したという実情でありますから、これを準義務化として将来考えていく考えが大臣におありかどうか、特にこの際お聞きいたします。
○田中(龍)国務大臣 御案内のとおりに高等学校の場合におきましては、義務化ということは、実際におきまして、総量からしますと九十何%になりますけれども、内容的にはいろいろな銘柄があるわけでございまして、一律にはでき得ない、かように存じております。
○長谷川(正)委員 大臣、銘柄というお言葉をお使いになったのだけれども、何だか品物みたいで、教育の議論としては適切を欠くのじゃないかと思うので、お取り消しになった方がいいんじゃないかと思いますがね。
○田中(龍)国務大臣 それは訂正しておきます。
○長谷川(正)委員 私も義務制と言ってないのです。そう言うとそういうお答えしかないと思うから、準義務化の考えはないか、こう申し上げているので、この点ひとつ国民の気持ちもよく考えて、もう一遍腹に力を入れた御答弁をいただきたいと思います。
○田中(龍)国務大臣 この点におきましては、高校の三割が私立学校の生徒でありましたり、あるいは私立学校への依存度が非常に高いというような現状でございまして、現段階で都道府県あるいは市町村に高等学校の設置義務を課する、いわゆる準義務化を行うことは教育上も財政上もいろいろと問題が多いと思います。
○長谷川(正)委員 また大変なお荷物をしょい込むことになりそうだというような、そういう危惧をお持ちで恐る恐る御答弁なすっているような気がいたしますので、それをもう一歩進めて、これは当然準義務化に持っていくように、財政上の困難がいろいろあろうとも、民主政治の一番根本、国民のすべてが願っているのは何といっても子供の健やかな成長ということなんですから、そしてまた日本の社会があの敗戦のどん底から立ち上がってわずか三十数年でともかく経済がここまで伸びた基礎も、何といってもこれは教育の普及ということが絶対の基礎条件であることは、これはどこと比べましても間違いない、どなたも否定できないところなんでありますから、これはぜひひとつ、せっかく文部大臣になられた機会に、大臣のいままでの御経歴や政府部内あるいは与党部内での大臣のお力ある地位から考えて、この点についてはふんどしを締めてもう一息がんばってみよう、こういう御決意を承れないでしょうか。
○田中(龍)国務大臣 貴重な御意見といたしまして拝聴いたしております。
○長谷川(正)委員 ありがとうございました。大変心強い感じがいたしました。 三角さん、わきで余りこそこそ言わないで……。激励する意味ならいいんですよ。思い切ってやってくださいという御助言なら結構だが、どうもそうでなさそうでは困るから申し上げました。 そこで、高校の第四次の定数改善計画では高校の四十人学級ということはとうとう実現してない、踏み切っておりません。現在の状況で据え置くということは、高校教育における緊急性から考えても、私は非常に問題があると思うのです。 私は、たしか内藤文部大臣だったか、義務制と同じように高校も四十名学級を何とか実現したいと言ったのだか、するとはっきり約束したのだか、そんなような記憶があるのですが、これは文部省どうですか。私も、いま確かな資料を持って言っているのじゃないのですけれども、何か記憶があるものですから……。
○三角政府委員 長谷川委員のおっしゃいました御記憶の点、私は、ちょっとそういう記憶がないのでございます。と申しますのは、これは長谷川委員も特に御承知おきのことでございますが、高校生がいま非常に増加の時期でございまして、特に先ほど来話題になっておりますように、やはり都府県においてその現象が著しい。これは、ただいまの見込みの上では、六十四年までその上昇が続きまして、六十四年を過ぎますと、その後約十年間にまた今日ぐらいの状況に戻って下がってくる、こういう見込みになっておりますことから、この時期に高校について学級編制の改善をやるということは、これまた人員の手当ての上からも、それから施設の面からも事実上はなはだ困難なことであると言わざるを得ないのでございます。特に予算面においてしかりでございますが、予算面のみならず、やはり教員の採用をいたしましたり、それから今度は高校生が急減いたしますから、その場合に、その方々の処遇なり措置をどうするかということもあわせて考えざるを得ない問題でありますので、現在、ただいま高等学校につきまして学級編制に手をつけるということは、ちょっと考えられないというふうに私どもは思っておる次第でございます。
○長谷川(正)委員 お役人のお考えになる、堅実というか石橋をたたいて渡るというか、そういうお気持ちから非常に慎重な御発言を局長はなすっているのだと思いますが、しかし教育の問題は、もう一次元高めて国政の中に位置づけていいのではないか。少なくともその衝に当たっておる文部大臣初め文部省の方は、同じ政府官僚機構の中でも大蔵省あたりとは一番華々しく戦闘を開始して迫るくらいの気魄を持っていただきたいと思うのです。 特にこれは私の善意の解釈でこういうふうに受け取ったのか、たしか内藤文部大臣だったような気がするのですけれども、できるなら高校も義務制と一緒にするくらいに、完結時はひとつ四十名学級に持っていきたいものだ、そのくらいのことは思っていますということをおっしゃったのは、あれは個人的だったのかもしらぬけれども、あるいは文部省へ行って大臣室で聞いたのかもしれないのですが、やはり歴代大臣の中には腹の底にはそういう気持ちがあって、ただ公式の席では、軽々に言って、それがまた言質になっていろいろいじめられては困るというようなこともあるかもしれない。高校についても、準義務制化ということと同時に、いま一番当面の行き届いた教育という面で、むしろ思春期の感じやすいときほど、教師が生徒の一人一人に感情の起伏からいろいろな成長の度合いも見きわめながら指導できるという体制は、何といっても四十名学級の実現ということが一番大事な前提になってくるわけですから、高校についても、将来また減るときも来るのだから、いまそんなことは考えられないのだ——それじゃ減るときが来たらやりますか。そういう点について、減るときが来たらなどという言い方は実はつけたくないのだけれども、とにかく将来でき得る機会を見て義務制同様に高校も四十名学級の方向へ努力をいたしますというくらいのことはおっしゃってもいいのじゃないかと思いますが、大臣いかがですか。
○三角政府委員 高校の問題でございますが、これは長谷川委員に私から申し上げるまでもないのでございますが、高校段階で就職する人もおれば、専修学校へ行く人もおるし、それから私立学校があるということは、先ほど大臣から申し上げました。したがいまして、高校は選抜制でやっておりますので、学校によりましては、定員割れになっておるところもありますけれども、大体は四十五人なら四十五人までは選抜をして入れるということでございますので、小学校や中学校の義務教育のように四十一人になったらそれを二つに割るということではなくて、やはりそれぞれの学校が入学定員というのを決めて実施をするということでございますから、いわゆる学級編制を実施するにつきましても、ちょっと……(「質問と違うよ」と呼ぶ者あり)いや、お答えしているつもりでございますが、やはり事柄の取り組みとその方法論の立て方が必ずしも同一ではないということを申し上げたいのでございます。 こういう状況でございますので、先ほど御説明申し上げましたように、これは高等学校については将来の問題とせざるを得ないということでございまして、ただいまの御質問でございますが、将来の時点では、私ども文部省としては、どういうスタッフがその時点で担当するかは別といたしまして、取り組むべき検討課題になるであろうというふうに思います。 ただ、学級編制の方は、はなはだ無理でございますからそういうことでございますが、そのほかの、いわゆる習熟度別授業に伴う教員定数の増とか職業関係専門教員あるいは実習助手定数の増とかいった事柄につきまして、これは高等学校の問題でございますから、交付税措置の問題として自治省で措置していただくことでございますが、私ども自治省の方に昨年要請をいたしまして、本年度からこの小中学校の定数改善の期間中に高等学校としては約一万人の定数増を行う、やはり地方財政も厳しいときでありますが、あえてそういうことをいたしたわけでございます。ただ、学級編制の改善につきましては、これは先の問題になろうかというふうに考えております。
○長谷川(正)委員 御答弁の中でだんだん前向きになってきて、とにかく検討課題である、できれば望ましいという意味の御答弁だったと受け取りまして、ひとつその線を今後一層強めていただきたい。強く要望しておきます。 ただ、いまの一万人増というのは、もちろん公立の高校のことですね。
○三角政府委員 さようでございます。
○木島委員 ちょっと関連して。この委員会で小委員会をつくって定数問題に関して決議をしましたね。それは四十九年の附帯決議の線ということなんです。その中には四十名学級を含んでいるのです。いまの長谷川さんの質問は、四十人学級にするかしないか、考えるか考えないかという質問ですね。何とか考えるとか、ぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ言っていたけれども、議会の決議はそうなんですよ。附帯決議があり、そして小委員会をつくって、その小委員会の結論は四十人なんです。それを前提にして考えなければだめですよ。満場一致の決議なんだから。それが入っているのだから。やはりそこは今回入らなかったけれども、先ほどたとえば長谷川さんが数が少なくなったら考えるか、これは小中の場合でも十二年計画でそれがあるわけですよね。生徒児童の少なくなることも勘案して十二年にしたわけでしょう。そういうことも含めれば、先ほどの長谷川さんのことだって入ってくるんですよ。その点を明確にしてください。
○三角政府委員 附帯決議は、それをさかのぼっていきますと、そのまた前の附帯決議になるということは、よく承知しておりまして、その趣旨は私ども十分わきまえながら、もろもろの事柄につきまして研究をし、検討をするということになると思っております。
○長谷川(正)委員 木島委員の質問によって、いま私が要望したことについてのお答えが一層明瞭になったと思います。どうぞひとつ、これをしっかり確認して進んでいただきたいと思います。 そこで、減る問題と関連して、八二年にはいわゆるひのえうまの中卒者の出る年で、高校進学数が激減すると思いますが、そのときの対策を考えておいでですか。この際に安易に学級数の削減をもしいたしますと、また後で問題を起こしますが、これは慎重に対処しなければならぬと思いますが、これについてはどうお考えですか。
○三角政府委員 昭和五十七年のいわゆるひのえうまということで起こります現象でございますが、高等学校の生徒数が減少をいたします。これに伴って教職員定数の減ということがあるわけでございますが、これにつきましては、現在、各都道府県の実情を調査しておるところでございます。この調査結果を踏まえまして、必要な措置について十分に検討したいと考えております。
○長谷川(正)委員 そうすると、削減することもあり得るという意味ですか。——それともう一つ、重ねて今度は聞きますが、その際に、じゃ学級規模を少しでも縮める、そういうお考えはありませんか。
○三角政府委員 これはグラフでもすぐ見られるわけでございますが、一年限りの非常に特異な現象でございますので、また、その後もとへ戻ってふえるわけでございます。それでまたどんどんふえていきますので、その間どういうふうなつなぎ方をするかということにつきましては、第一義的には、それぞれの設置者である都道府県がかなり慎重に考えていろいろな対策なり案をつくるだろうと思いますので、私どもは、それを十分に聞きました上で、そして国として何かどうしても必要なことがあれば、それについて検討したいというふうに思っているものでございます。
○長谷川(正)委員 それでは次に進みますが、さっきもお話のように、高校の場合は、たとえばいまの定数法の改善等に伴う措置につきましては、これは交付税で措置するわけですが、その際に来年度からは生徒数から学級数に算定基礎を変えていくお考えはありますか。
○三角政府委員 公立学校の教職員定数の算定基礎を、生徒数から学級数に変えるという御指摘の事柄につきましては、都道府県の予算編成時期までに関係省庁の間で実は結論が出ていなかったものでございますから、昭和五十五年度においては、従来どおり生徒数を基礎とする定数の上に改善増定数を積み上げる、こういう方式をとったために特別の財政措置をとらなかったものでございますが、五十六年度以降は、学級数を基礎とした教職員定数によりまして、先ほども申し上げましたような定数改善を行っていくように関係省と協議いたしたいと思っております。
○長谷川(正)委員 そうすると、生徒数から学級数に切りかえるという方針でございますね。
○三角政府委員 さようでございます。
○長谷川(正)委員 それではさらに、人口急増地域における高校の新増設の場合の国庫補助制度を来年度からまた延長をしなければならないと思うのですが、これは何年延長をお考えですか。
○吉田(壽)政府委員 お答えいたします。 ただいま概算要求をいたしておりますけれども、引き続き五カ年間の継続延長したいということで予算折衝をしているところでございます。
○長谷川(正)委員 わかりました。五年の延長を考えているということですね。その際、用地の取得費を補助対象にするなど、制度をもう少し充実させるという方針はいかがお考えですか。
○吉田(壽)政府委員 お答えいたします。 御案内のように、学校用地につきましては、建物と異なりまして非償却の資産でございますので、その取得費につきましては、一般的には地方債で措置されてきているところでございまして、高等学校の用地につきましても、全く同様の扱いをしてきたわけでございます。今後の高校生の急増に伴いまして、高校の建設が一層必要となってまいりますので、そういうことを十分頭に置きまして、高校用地取得に係る起債枠の確保、その他地方財政措置の拡充につきましては、関係省に要請をいたしてきているところでありますけれども、さらにその努力を続けてまいりたいと存じます。 なお、国庫補助につきましては、御案内のことでございますが、義務教育施設におきましても、児童生徒急増市町村の公立小中学校の用地取得費に対してだけは、例外的に行われている実情でございますので、現在の時点で高校の用地費に対する国庫補助というものは考えておりません。 以上でございます。
○長谷川(正)委員 現在の段階でのお考えはわかりました。その他の方法では極力努力するという点はぜひそうしていただきたいのですが、人口急増地域におきます、義務制の児童生徒急増地域におきます校地取得の補助でも、私ども盛んに主張した当初のころは、さっきちょっとお言葉に出ましたけれども、これは償却をしない財産である、だから、そういうものには補助はできないのだ、こういう理論は大蔵省がさんざん突っ張ったところなんです。それをようやくみんなの力で突破して、そして義務制の人口急増地域に対する用地取得も、まだ十分じゃありませんけれども、ともかく一部国が負担する、補助を直接するというところへこぎつけたわけです。もし先ほど来の話のように、高校を義務制とは言わないけれども準義務制的な位置づけをしていくならば、特に今日用地の取得がいかに困難であるかということは御承知のとおり、地価の高騰については、また別な意味からいろいろわれわれも批判がありますけれども、とにかく現状はそうなんですから、これの用地取得に対しても、やはり補助対象ともするという検討は、少なくとも文部省あたりからは、そういう主張を打ち出しておいてもらって、まあ一年度すぐは通らないかもしれないけれども、大蔵省の圧力でつぶされるかもしらぬけれども、これはやはり与野党一致して教育のためにがんばっていけば、いずれそういうことも実現するのじゃないかというふうに私、過去の経験から思いますので、ぜひ断念をせずに、その面でもひとつ努力をするよう、これは特に大臣に強くそういうことを要請したいと思いますが、いかがですか。
○田中(龍)国務大臣 ただいま御説明がありましたように、経理上の問題はあるようでございますが、御意見のほど承っておきます。
○長谷川(正)委員 それでは、次に進みます。 ちょうど高校の問題が出たので、最後に二つほどお伺いしたいのは、一つは、これは当面の緊急事態なんですが、冷害の対策として授業料の減免とか奨学金を特別に出すとかそういう要望も、いま冷害地からは、教育費の問題についても非常に困窮して困っているということから出ておりますが、これについて何か御検討なさっていますか。
○三角政府委員 東北の今回の冷害につきましては、地元の方からもいろいろと私どもの方にも陳情、要望がまいっております。 御指摘の公立高等学校の授業料等につきましては、これは各都道府県におきまして条例や規則で定められておりまして、それによって天災その他の災害により学費の支弁が困難なものにつきましては、減額または免除をすることができるということになっておりまして、そして、この減免措置分につきましては、地方交付税で一定限度の財源措置が講じられておるわけでございます。 それから、日本育英会の奨学金につきましては、これは風水害等の災害を受けたもので緊急に奨学金の貸与の必要が生じた場合には、奨学金貸与の出願ができるということになってございまして、これは各都道府県においては従来からこれらの措置によって対処してきておるところでありまして、これは前例もあることでございますので、そういった前例にのっとりまして、しかるべく措置をしてまいりたいと思っております。
○長谷川(正)委員 重ねて念を押しますが、ことしの夏の冷害につきましてもそういう措置はとれる、こういうことですね。
○三角政府委員 近くには昭和五十一年度の例もございますので、それを十分に参考にし、それに即して適切な措置をとってまいりたいと考えております。
○長谷川(正)委員 もう一つだけ高校に関してですが、これは定時制の高校についてです。これは言うならば、恵まれない青少年が働きながら学ぶというので、高校の進学率、特に昼間の高校への進学率が高まるにつれて定時制の方は数がだんだん少なくなっているという事実はあると思いますが、しかし、現在あるところというのは、確かにその生徒数は減っても、それをもしなくしてしまえばへその子供たちは学ぶ機会を失ってしまうというようなことですから、この統廃合については、よほど慎重にやってもらわなければいけないと思いますし、特に地域との合意を得るような努力はしていただかなければならない。むしろそれを鉄則としていただきたいくらいであります。 きのう、きょうの新聞にも、東京都でも、いままで定時制の学級を多少減らすということの例はありましたが、学校そのものをなくしてしまうということはなかったのですけれども、ことしの計画で十校程度統廃合するというようなこともちらっと新聞で見受けまして、これはやはり全国的に当然起こってくる、東京でこういうことを言い出すようでは相当起こってくるのではないかということを憂うるものですから、特に念を押して、この定時制の統廃合は地域の合意を得て慎重にやる、簡単に、ただ児童生徒が減ったからすぐつぶしてしまう、その子供たちの学ぶ道というものが保障されないまま統廃合してしまうというようなことは絶対しない、このことをひとつはっきりさせておいていただきたいと思いますが、いかがでしょう。
○三角政府委員 これは公立の定時制高校の問題でございますから、やはり都道府県の教育委員会がどういうふうに現実の状況に対処していくかという問題でございます。私、まだ詳しく全体の状況を聞いてはおらないわけでございますが、しかし、傾向といたしましては、やはり定時制に通う生徒の数が減っておる、それから状況によりますと、本来全日制に通いたい者が定時制に何らかの理由で通っているという、そういう事例もあるようでございます。 私どもは、ただ基本としては、御承知おきいただいておりますように、定時制や通信教育に学ぶ勤労青少年の教育は非常に大事にしなければいけないということで、いろいろな意味の予算的な手当もしておりますので、それを基本に持っておりますが、しかし、各都道府県におきまして、生徒数の減等に対処しまして、その都道府県内の全体の高校教育の水準を上げますために、いろいろな意味での改善と申しますか、状況を改めていくということはあり得ることでございます。 ただその際に、いろいろな意味で摩擦や衝突が生じませんように、各都道府県において十分な配慮をしてもらうということは必要であろうと思います。
○長谷川(正)委員 ぜひ、その線に沿って御指導いただきたいと思います。 次に、時間がありませんので少し急ぎまして、非常にいま教育界の大きな問題、現場の大きな問題になっている主任手当の問題についてお尋ねをいたします。 主任手当の財源は、初年度、一九七六年度は国の支出四十億、したがって、これは地方の支出を含めますと八十億ということになろうかと思うのですが、だんだん主任の数がふえるということで本年度はさらにふえておると思いますが、本年度の主任手当に充てたお金は国費としてはお幾らですか。
○三角政府委員 総額で約四十七億円弱でございます。
○長谷川(正)委員 ちょっと失礼しました。きょうは自治省の方に来ていただいているので、さっき高校の問題で交付税の問題が出たのですが、せっかく来ていただいているので、自治省側からの御答弁をこの際いただいておきたいと思います。
○能勢説明員 私の方のお尋ねのポイントは、普通交付税の算定に当たって測定単位に用いております高等学校費の教職員数についてのお話かと思います。この点につきましては、いまの地方交付税法上、公立高等学校の設置、適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律、いわゆる標準法でございますが、この標準法の規定により算定された教職員数ということになってございます。そういう教職員数をもとにいたしまして、教職員に係る給与費なり人頭旅費というのが普通交付税の基準財政需要額に算入してまいっておるわけでございますが、ただいまの説明でおわかりのように、標準法の規定により算定ということでございますので、今年度すでにそういうふうな標準法の改正に従って算定してまいる態勢ができておりますので、今後そういった算定内容になってまいるわけでございます。
○長谷川(正)委員 ありがとうございました。 それでは、また主任手当の問題に移ります。 ことしの予算では約四十七億、当然、これは地方でもその額だけは出すということになりますね。
○三角政府委員 そのとおりでございます。
○長谷川(正)委員 すでに実施されてから五カ年ですか、二百億を超えていると思うのですが、この主任手当については、現場の教職員に不必要だという意見が非常に根強くあることは御承知のとおりであります。日教組もこれに対して、政府が強行されておるものですから、これについて拠出運動等が大きく前進していろいろな形をとっていますが、その実態はある程度おつかみですか。
○三角政府委員 私どもとしては、日教組などが主任制度化阻止闘争という名前で、その一環といたしまして主任手当の一部を拠出して、たとえば教育諸条件の整備に充当するという、いわゆる主任手当拠出闘争を行っておって、たとえば交通遺児奨学金等の資金に使うというようなことを進めておられるということは聞き及んでおりますが、その詳細のことにつきましては、私どもの方に明確な御報告などもございませんので、新聞で拝見する程度でございます。
○長谷川(正)委員 文部省としては、そういうお答えになるのだろうと思いますが、日教組と文部省は敵、味方というわけではないので、立場が違っていろいろ要求をぶつけ合うということはあるでしょうけれども、そういう実態については、できるだけ正確に把握されて、この扱いについて最高判断を誤らないようにしていただきたいと思うので、あえて伺うわけであります。 大臣もお帰りですから、いま主任手当の問題について、日教組に組織された多くの先生方がこれは要らない、主任になっていろいろ皆さんの協力を願ってお互いに助け合って学校運営をやっている、それに特定な主任というものに手当が来ることによって学校運営等が非常にうまくいかなくなる、そういうものは要らない、そうでなくても、いまの定数の問題にしても教育諸条件の整備にしても、まだまだ至らないところがたくさんあるわけですから、少しでもそういうお金があるならそっちに回していただいて結構だ、こういう一にも二にも金、金という世の中に、まことに何ともいえない清らかな風が吹いてくるような話なんです。 〔中村(喜)委員長代理退席、委員長着席〕 ところが、強引にメンツにかけているのか、これによって教育の支配、統制を進めようとするのか、その真意はどこにあるのか存じませんけれども、これをそのまま推し進めておりますね。相当の県で主任手当は来てしまいますから、それではそのお金はそっくり出して、別の活動に使ってほしいということで、いろいろな創意工夫がなされた使い方がされているのが現実なんです。たとえば高校進学予定者または在学者に、奨学金の一部として、これは返さないでいいお金ですよと言ってあげている県もある。あるいは交通遺児や母子家庭の児童生徒への援助あるいは社会福祉施設への援助をして大変感謝されているという例もある。あるいはまた図書や教材、教具あるいはスクールバスなど小中校の特に養護学校への条件整備にこのお金を使っていただいて、非常に感謝されたり喜ばれたりしている、こういう例もあります。あるいは音楽会や文化事業の助成あるいは講演会、こういうようなところに使ってほしいということで、社会教育的な面あるいは文化的な面で一つ成果を上げている県もある。あるいは教育研究活動への助成というようなことや、そのために教育研究所を創設する費用にするというようなこと、あるいは県民大学というようなことを行って、県民からの非常に大きな反響を呼び、また高く評価をされている、こういういろんな例が出てきているのです。しかし、これは考えてみれば、ずいぶん回り道なんで、そうであれば、それほど根強いものがあるなら、単に教育の統制上、上からの統制を強化するために主任制というのを確立するのだ、そのためには金も出すのだというようなお考えではないと思うのです。あるいは本心はそうかもしれないけれども、恐らくそうだとは言えないだろうと思うのですが、もしそうでなく、いろいろな学校の運営上に少しのプラスになるつもりでお出しになっているなら、それがそうでないと言っているのですから、この辺でいままでの行きがかりはともかく、もう一遍じっくり考え直して、そしてもっと緊急な教育諸条件の整備、たとえば四十名学級にする地域をもうちょっとふやすとか、あるいは施設設備がまだない、特別教室もない、あるいは図書館もないというような非常に不十分なところにもう少しお金を回してあげるとか、もうそろそろ行きがかりを捨てて、率直に事実を見ながら、考え直していい時期ではないか。 私は、別にきょうはむきになって教育の国家統制はけしからぬという、青筋立った言い方でなくて、冷静に、本当に日本の教育を考え、そして学校というのは、波風が余り立たずに、教育上の議論は職員同士で大いに火花を散らしてもいいのですけれども、夜を徹して議論するくらいのこともたまにはあってもいいのですが、しかし、教育そのものでない、副次的なことに非常に時間が食われたり、校長と職員の間に険悪な空気が流れたり、絶えずにらみ合っていたり、また、そのために貴重な時間をそういうための議論に使っていたり、こういう教育の現場は見ていられない。やはり余り無理なことはこの辺で考え直していいのじゃないか。 私は、初めて国会に議員に選ばれまして、出てきて文教委員会でお世話になりました、比較的早いころだと思ったのですが、学力テストという問題がありまして、これは文部省が勤務評定に続いて、また学力テストを全国一斉にやりました。これは大変な衝撃を与えまして、全国各地でいろいろな問題がありました。たしかあれは三年ほどやりましたけれども、ちょうど私が当選して文教委員会に出てきて、そういう実情を訴えて、何とか考え直したらどうかという時期が、文部省内でも再検討をする機運がようやく生まれたのか、亡くなった、愛媛から出ていた当時の政務次官が私の質問に答弁して、何とか再検討いたしますと言ってくだすった。そうしたら、その翌年からそれはとりやめになった。そして大変教育の世界が平静に戻った、こういう過去の事実もありますので、この辺で主任制問題について、もう一遍考えて、そして少しでも、国の財政の厳しい時期ですから、これを大蔵省に吸い上げられたのじゃ意味がないので、教育の施設改善や定数改善の方向に振り向けていく、そういうお考えをぜひ持っていただきたいと思いますが、大臣並びに局長いかがですか。
○三角政府委員 長谷川委員の御意見をただいま十分に承らせていただいたわけでございますが、この際あえて私どもの立場から率直に申し上げさせていただきたいと存じますが、これはお言葉にもございますように、拠出闘争という姿で一つの運動としての取り組みが行われておるわけでございますが、申し上げるまでもなく、この主任手当というのは、法律に基づきまして支給されるものでございまして、主任の職責というものにかんがみまして、給与上においてその職責に即応した措置をとる、こういうことで定められておるものでございます。 こういった給与の一部を組織的、継続的に拠出するということは、これは私どもが進めてまいりました教員の処遇改善のための第三次給与改善の趣旨に反するものであるというふうに私どもとしては考えざるを得ないのでございます。 したがいまして、ただいま実施しております主任の制度並びに主任手当というものを廃止するという考えは持っていないというふうに申し上げたいと存じます。
○長谷川(正)委員 局長答弁はそこまででしょう。これから先はもっと高い政治的判断だと思います。ひとつ文部大臣の御所見を伺います。
○田中(龍)国務大臣 御案内のとおり大阪、京都、沖繩以外にはこれを出しておるわけでございますが、これにつきましては、ただいま局長からお答えをいたしましたように、職責にかんがみまして、給与上においてこれを評価するものでございまして、ただいまは廃止をいたすという考えはございません。
○長谷川(正)委員 文部大臣、まだ御就任間もないので、一応慎重なお答えだと思いますが、私が申し上げた意味はぜひおくみ取りをいただけるものと思います。 私は、教育の現場の長い経験も持っており、また現在も、いろんな機会に現場の先生と話し合い、あるいは学校を訪ね、そしてつくづく、もっともっと教育がなだらかに、本当に円満に、しかも、はつらつと意欲的に創造的に進むために、障害になるようなものはなるべく除いてあげたいものだ、こういう気持ちから、特にこういう財政難のときに、お金を出して、それによって紛争を起こすのじゃなくて、いろいろ行きがかりもあり、たてまえもあるでしょう、けれども、やはり大きい立場から政策の高い次元での再検討ということをぜひ強く、これはもうこれ以上お答えは求めません、要望をいたしまして、この点については一応これで終わります。 時間がなくなってしまいましたが、私、最近、一応はいいことのように見えて、教育を案外にだめにしているのじゃないか、お金を使いながら逆にだめにするおそれが一歩誤まるとあるという問題をもう一つ申し上げておきたいのは、研修の問題であります。 教員の研修について大変力を入れるというのは、原則的にはこれはだれも反対をしないいいことのように見えるのでありますけれども、その実施の仕方によっては、これが決して本当の現場において、きょうあす育っている児童生徒の教育の上にプラスにならない面がしばしば出るわけでありますから、この点を特に取り上げて申し上げたいのです。 大変財政逼迫で文部予算もきわめて切り詰められた中で、研修についてはずいぶん大幅な増額の要求をされていますけれども、ひとつその数字をもう一遍挙げて、前年度比をはっきりとおっしゃっていただきたいと思います。
○三角政府委員 教員研修の充実ということでくくりますと、今年度予算十九億五千二百万円に対しまして、明年度要求額は二十八億三千三百万円でございます。増額要求額が八億八千一百万円でございまして、ただいまこれを割り算した比率の数字を持っておりませんが、十九億五千二百万円分の八億八千一百万円ですから、約四五%の増になろうかと思います。
○長谷川(正)委員 時間がありませんので、この点については、また一般質問等のお時間をいただいて、私は、もう少し詳しく実情を訴えながら御再考を願い、運用についてもお考え願いたいと思うのですが、一口に言いますと、研修というのは、教師が現場で子供をしっかり見詰め、生徒を見詰めている中から起こってくる問題を自主的に研究をし、さらに、それを深めるために少し勉強する期間を与えでほしい、あるいはそういう組織をつくらせてほしい、そこにまだ費用についてもめんどうを見てほしいというように、一番根本は自発性に立った研究でなければいけないということが一つです。 ところが、いまこうして予算化されても、実態は、その運用が上から下へ命令系統での押しつけ研究、割り当て研究になっている姿が非常に多いということ。それからもう一つは、研修には時間が要るわけでありますから、それに伴う教職員定数等が十分に確保されて——先生が研修するために、子供は自習でほっぽっておかれる、先生が研修の相談をするために学校の中にいながら、先生が五、六人集まってひそひそ話をしていて、子供たちは教室でがやがや騒いでいる、こういうことでは全く本末転倒になってしまうわけですね。そういう点をもうちょっと実態をつかみ、もうちょっとえぐって私は問題にしたいのでありますが、そういうことを一言だけ申し上げて、これはまた次の機会にもうちょっと深めた議論をさせていただき、御所見を伺いたいと思います。 最後に、もう二、三分しかありませんが、障害児教育について申し上げたいと思うのです。 これは先般私、鈴木総理に対する社会党を代表しての本会議での質問のときにも触れたのでありますが、特に福祉関係の方で不具廃疾というような言葉が、当事者にとっては非常に差別、べっ視を意味するように受け取られているので、これはひとつ障害者、障害児というような言葉に変える。これは言葉だけでお金がすぐかかるわけでもありませんから、そういう点からまず配慮をしてほしいということを申し上げたのです。 同時に、教育の世界では特殊教育という言葉を盛んに使っておるのでありますが、これも当事者から言いますと、特殊教育という言葉が非常に差別意識というふうに受け取られているのです。お使いになっている文部省の方や大臣は、別にそれをそういうふうにはお考えになっていないのかもしれないけれども、やはり特殊というと、特殊部落とか特殊何とかというて、差別意識、べっ視意識というような受け取り方が、特に当事者には非常に敏感にあるということですね。この事実をもっと知っていただきたいと思うのです。 この間の総理の御答弁も、こういう微妙なところを全く御理解ない、言葉はいろいろな習慣で使っているのだからどうでもいいじゃないか、それに多少でも予算をつければいいんでしょうと言わんばかりのあの御答弁だったのですが、財政措置、予算措置ももちろん大事でありますけれども、その根本のこういう名称の問題から——すでに現場ではかなりその点を意識して、慎重な用語が定着し始めているのです。不具廃疾の問題についても、すべて障害者とか障害児とかどこに障害のある方とかいう形がもうずっと定着してきている。同じように、教育の世界でも特殊教育という言い方から障害児教育、その方が抵抗が全然ない。そうであれば、こだわらずに率直にこの実情を調べて、たとえば国際障害者年とここまで障害者と言っていて、そのための特殊教育特別措置予算なんて、予算費目を見ましても、あるいは大臣の御所見のあれを見ましても、そういう言葉が無造作に使われている。決して悪意を持って使われているとは思いません、また、そこにべっ視を持って使われている意識はないと思うのですが、しかし、その側の方から見ますと、非常にこれは気になさっているわけです。この実情をわかっていただいて、必要なら御調査もいただいて、御意見もよく聞いていただいて、ひとつこの特殊教育という使い方の言葉を、法律初めその他いろいろな用語の中からなくしていって、障害児というふうに変えていっていただく必要があると思いますが、この点についてひとつ御要請をし、お考えを伺うことが一つ。 これも後ほどまた改めて取り上げますが、特に定数の改善整備の中で、障害児教育の問題については、多少定数の、たとえば寮母の問題について、寮母という名前についても、またこれは議論したいのですが、そういう予算が多少見てありますが、その他はこの十二カ年の予算の定数改善の中にもどうも全然顧みられていないのじゃないか、こういうふうにも思いますが、この点についてはぜひ御一考を煩わしたいと思います。 また、私学の助成問題も、先ほど申し上げたとおり、きょう取り上げたかったのですが、これは次回に回すといたしまして、いまの障害児教育問題の特殊教育という名称の問題と定数改善について、ごく一部に限られているのをもうちょっと全体に及ぼすお考えをぜひ持っていただきたいが、どうか。この二点についてお伺いいたします。
○三角政府委員 特殊教育という用語の問題でございますが、これは学校教育法などにおきまして、戦後三十年余にわたって使われてきているものであるわけでございます。私どもといたしましては、心身に障害を持つ児童生徒のために特別の手厚い教育を施す、そういう意味で理解しておりまして、用語の問題はもちろん御指摘のようにあるわけでございますが、用語の問題はさることながら、当面は私どもとしてはこの教育の一層の充実振興を図るということに力を尽くしてまいりたいと思っておりますし、あわせてこの教育に対します一般社会の正しい理解、認識を深めていく、特に明年はおっしゃいましたような国際障害者年ということでございますので、その年には一層、一般社会の正しい理解、認識ということに意を用いて概算要求もいたしておりますし、努力をしてまいる所存でございます。 それから第二点の、特殊教育諸学校の教職員定数の改善の問題でございますが、これは今回の十二年計画におきまして、総数で五千百二十四人というのを措置しておりまして、その内容は、従来一般の学級、一般については一学級八人というものを七人にするとか、重複障害の学級五人でやっておりましたものを一学級三人にするとか、それから舎監の定数、養護訓練に必要な定数あるいは寮母の定数といったような諸般の定数改善を、実は並行して中身に盛り込ませていただいておる次第でございます。
○長谷川(正)委員 終わります。 ————◇—————
○三ツ林委員長 次に、内閣提出、放送大学学園法案を議題といたします。 本案につきましては、去る十五日に提案理由の説明を聴取いたしております。 質疑の申し出がありますので、これを許します。三浦隆君。
○三浦(隆)委員 放送大学は、一つには、新しいテレビ利用の大学として、二つには、これまでの大学にはない新しさを求めたものとして、三番目には、老齢化社会、高学歴化社会にふさわしい大学となる可能性を持つものとして注目されています。しかし、新しいものには、古いものにはない長所とともに新しい短所もまた生まれる可能性があります。それゆえ、新しく生まれ出るものが祝福を受けられるように、予想されるマイナスは事前に可能な限り正すべきであるとまず思います。 そこで第一番目に、放送大学構想そのものについて御質問をさせていただきます。 一番目に、現在大学そのものをふやす必要があるのだろうかという点です。放送大学構想は、昭和四十四年三月、社会教育審議会答申以来現在まで十一年余り経過しています。また、教育放送の重視については、昭和三十九年の臨時放送関係法制調査会答申以来現在まで十六年余り経過しています。この十年ないし十五年の歳月の経過は教育の状況を変えています。そのころは大学数及び学生数も少なかったと思いますが、最近はかなりふえております。たとえば大学、短大学部数、四十五年には二千百二十六が、五十四年には二千四百で、二百七十四がふえております。学生数は、四十五年に百六十六万九千七百四十人が、五十四年には二百二十二万三百六十四人と、五十五万六百二十四人の増加でして、これには専修学校その他は含んでいないわけです。しかもまた、そのために私学の新設、増部は抑制されているように聞いているわけですが、こういう状況でも大学を必要とするというその理由をまずお聞きしたいと思います。
○宮地政府委員 ただいま、大学が四十年当時から比べて今日非常にふえているが、大学そのものをどうしてふやさなければならないのかというようなお尋ねで伺ったわけでございますが、御案内のとおり、科学技術の進展でございますとかあるいは社会経済の複雑化、高度化に伴いまして、高等教育に対する要請というものは大変多様化しつつございます。私どもとしては、それに対して適切に対応していく必要があろうかと思っております。 そこで、高等教育全体についてのお尋ねでございますが、高等教育の整備につきましては、昭和五十一年度以降五十五年度までを前期の計画期間とし、昭和五十六年度以降六十一年度までを後期の計画期間といたしまして、全体的には質的な充実に重点を置きながら計画的な整備を図っているというのが、文部省が現在とっております基本的な態度でございます。 そこで、大学教育を考える場合に、十八歳人口の動向が問題になるわけでございますが、今後における十八歳人口の増加傾向と申しますのは、戦後のベビーブームがございました、その第一次のベビーブームの後を受けまして、大体五十一年から五十五年度までは、十八歳人口としてはほぼ百五十万人台で推移をしているわけでございます。今日、大学、短期大学の進学率は、おおよそ三八%弱ぐらいのところでほぼ横ばいで推移をしているわけでございますが、五十六年度以降、その百五十万人台でございました十八歳人口は、これから百七十万人台に向かいまして、昭和六十五年ないし六年のころには二百万というところにまで達するわけでございます。そういうおよそ百五十万人台から二百万人台ということで、約五十万人の十八歳人口の増加が今後十年ぐらいのところで見込まれるというような事情もございます。さらに高等教育全体につきましては、地域間の不均衡を是正するということも、これから取り組まなければならぬ一つの基本的な課題でございます。また、専門分野構成につきましても、適正化を図っていくというようなことが課題としてございます。 私どもとしては、そういうような問題点を踏まえまして、昨年の十二月に大学設置審議会の大学設置計画分科会から報告をいただきまして、今後の後期の計画期間においても、国公私立の大学、短期大学を合わせまして約四万人程度の規模の拡充を考えておるわけでございます。もちろん前期の計画と同様に、基本的には質的な充実に重点を置きながら、そういう対応をしていく必要があろうか、かように考えております。
○三浦(隆)委員 単に学生増に対応するだけですと、東大など国立大学で二部を設置したらどうか、あるいは通信学部を設置したらどうか、あるいは現在あります私学の通信学部への国の補助金を増額したらどうかといった点でも切り抜けられるのじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 大学全体の充実については、従来私どもの取り組みといたしましては、国立大学についても地方の大学の充実ということで、たとえば五十五年度で申しますと、金沢、新潟、岡山というような地方大学において法文学部の改組というようなことで具体的に対応をいたしておるわけでございます。 また、夜間学部の充実というようなことについてどうかというお話でございますが、国立大学では、短期大学で二部を置いておりますが、昼夜開講制というようなことについても、具体的に取り組みをいたしておりまして、たとえば千葉大学の工学部について昼夜開講制に取り組むとか、福島大学についても、これは五十三年度からでございますが、そういう昼夜開講制というような事柄についても、国立大学についても取り組んでいるところでございます。
○三浦(隆)委員 地方にも、いわゆる僻地にも学校があった方が教育の機会均等によろしいということはかなり言われてきたところです。放送大学構想ができましたとき、放送大学準備調査会のメンバーでしたお茶の水女子大の学長の波多野先生の言葉によりますと、放送大学の目的の第一番目に「日本の津々浦々の地方にいる僻地の人で大学へ通うことのできない人に大学程度の勉強をしてもらって、それからできれば単位と学位をあげるようにしたい」ということが挙げられています。しかるに現在進められている放送大学は、この当初の構想と全く異なり、高等教育機関の集中し過ぎるくらい集中している東京近郊を中心に設立されようとしております。明らかに当初の意向と違っていますが、それはどう理解したらよろしいでしょうか。
○宮地政府委員 御指摘のとおり、放送大学についての取り組みについて、大学がすでに相当数存在しております東京周辺からふやすのはどういうわけかということにつきましては、すでに前国会等で国会でも御論議として取り上げられた点でございます。 具体的に、私ども一般の大学につきましては、先ほど申しました高等教育に関する計画的整備ということで取り上げておりますけれども、大都市地域における従来の一般の高等教育機関につきましては、基本的にはこれを抑制するという方針で臨んでいるわけでございます。 放送大学は、先生御案内のとおり、生涯教育機関として広く社会人や家庭婦人にも大学教育の機会を提供するという目的を持つ、わが国としては最初の試みのものでございます。そして全体的には、非常に大きなプロジェクトでございますが、ただいま申し上げましたように、新しい大学としてこれをこれから発足させていきたいということで、ただいまこの特殊法人の放送大学学園を設立することについて御審議をいただいているわけでございます。 もちろん、大学についての具体的な構想も私どもも関係者といろいろと相談を詰めておるわけでございますけれども、わが国最初の試みとしては、まず段階的にかつ慎重に拡充計画に取り組むという必要があろうかと思います。 そういうような意味から、送信所といたしまして東京タワーが利用できるということも念頭に置きまして、今後の拡充のための諸般の資料を得るというのに最も適切と考えられる関東地域を対象地域として発足させていただきたいということでお願いをしているわけでございます。 教育の機会均等という趣旨からいたしましても、放送大学の対象地域を早期に拡大しなければならないという事情があることも十分承知しておりまして、具体的には、まず放送大学の関東地域における実施状況あるいは今後の放送衛星の実用化の動向等、今後、諸般の事情をなお十分勘案しつつ、関係省庁と協議しながら、それらの計画について今後取り組みたい、かように考えている次第でございます。
○三浦(隆)委員 やはり当初の目的が僻地教育の振興ということにあるとするならば、第一番目に僻地から始まるべきであって、それからだんだんと都会地へと移るべきであったのではないかと思います。特に東京は大学が集中し過ぎておりまして、むしろ東京からというか都心から地方へ分散化させようというのがいまの流れであることを思えば、やはり私にはおかしいなという感じがいたします。しかし、時間の都合がありますので、先に進むことにいたします。 次は、放送大学学園という特殊法人をつくるということは、今国会でも一番問題となるであろう行革の流れにさお差すものではないかというふうな感じがいたします。特に大変な資金もかかることですけれども、それはまた次の問題にしまして、放送大学学園の特殊法人としての位置づけについて質問したいと思います。 放送大学学園の法的な位置づけは、税法上等の配慮からとは言いながら、たとえば地方税法第七十二条の四第三号等によりますと、およそ教育とはかかわりのないところに並列されているわけです。たとえば、その放送大学の前はオリンピック記念青少年総合センターであり、そのすぐ後はこどもの国協会です。行革でいずれも廃止の対象とされているものです。しかも、その後は日本中央競馬会が連なっているわけであります。御承知のように、中央競馬会は「競馬の健全な発展を図って馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため、競馬法により競馬を行う団体である」というふうに書いてありますけれども、それと同じところに新しい大学が位置づけられるということに私は大変おかしさを感ずるのですが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 ただいま先生から、放送大学学園法案の附則におきまして、所得税法等税法関係の改正をお願いしているわけでございますが、具体的に非課税の範囲に入れます法人の並べ方について御指摘があったわけでございますが、私ども放送大学学園にありましては、国税としては所得税、法人税、印紙税及び登録免許税、また地方税としては事業税について優遇措置を受けるということになっているわけでございます。そこで、これらの措置を行うために附則で改正をお願いしているわけでございます。 ただいま地方税のケースについて御指摘があったわけでございますが、地方税については立法技術上その並び方としては、担当省でございます自治省と協議をいたしたわけでございますが、地方税の場合には当該法人の事業の内容と申しますよりは、その事業の形態等によって配列をいたしております。したがいまして、国立競技場、国立教育会館、国立劇場及びこどもの国協会というような大規模施設を運用して、青少年の教育等に資するものと並べられた個所に、この放送大学学園を挿入するということになったわけでございまして、文部省所管のものを設立順に並べまして、その後に厚生省所管のこどもの国協会を置くという配列になっているわけでございます。 先ほど御指摘のございましたオリンピック記念青少年総合センターは、先般、行政改革に関連で法改正をお願いいたしまして国立の施設になりましたので、ただいま地方税法からはそれが抜けているわけでございます。
○三浦(隆)委員 ただいまのは一例でして、地方財政再建促進特別措置法、所得税法、法人税法、印紙税法、登録免許税法、すべて同じ扱いだと思います。これは単にいわゆる立法技術の問題ではないと私は思います。これだけたくさんの法を一つ一つ改めるならば、むしろ一項つくって教育とは別枠にした方がいい。いわゆる教育というものを、あってもなくてもいいような特殊団体なり中央競馬会のごとくおよそ教育となじみのないところに置こうとする感覚そのものに私はおかしさがあると考えるわけです。できるならば冒頭に掲げたいところですが、冒頭よりもむしろ別項、別号というかそれをつくるべきではないか。立法技術を越えてもやるべきじゃないかというように思いますが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 大変見識のある御意見を承らしていただいたわけでございますが、私どもそれぞれの所管しております、たとえば所得税でございましたら大蔵省というようなことで、所管省庁と法律改正について協議をいたしました際に、従来の規定の仕方というものも、やはり現に存在しております法律でございますので、その立法技術から申しますと、先ほど御説明したような全体の配列順序というものがあるわけでございまして、所得税の場合には、所得税法上の考え方で並べているというぐあいに関係の省庁からは伺っているわけでございます。 先生の教育の問題全体を重視すべきであるという御意見は、大変貴重な御意見だと承らしていただくわけでございますが、税法関係の改正については、ただいま御説明申したような事情でそういう配列順序になったということをひとつ御了解賜りたいと思います。
○三浦(隆)委員 次は、意見ですので大臣にお聞きしたいと思います。 放送大学は、安い授業料でテレビを見るだけで卒業できるのではないかと考えている人もいるわけです。この考えですと、放送大学学園は、商法第四条の商人のごとき性格を持つ大学へと転落する懸念があります。すなわち、商法第四条は「商人トハ自己ノ名ヲ以テ商行為ヲ為スヲ業トスル者」とありますが、放送大学学園は、大量の原材料品たる学生を安い入学料及び授業料で仕入れ、これに放送を通じて付加価値を与え卒業させることを業とする大学卒業証書を安売りするのに似るおそれがあります。この放送大学学園商人論について大臣の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
○田中(龍)国務大臣 これは御案内のとおりに大学でありまして、特にまた生涯教育といったような高い理想を持って行われます新しい構想でございます。ただいまお話しのようなものとは趣を異にいたす、かように考えております。
○三浦(隆)委員 まだ続けたいのですけれども、時間の都合がありますので、先へ進ましていただきます。 ただ希望としまして、いま言った商人ではなく正規の大学たるためには、放送大学というものが、最新の研究と教育の両機能を営む最高の施設を持ち、それが国民的な学問、文化の保存、発達に貢献することでなければならないと思います。したがって、この放送大学のように研究機能が軽視されるのはおかしいのじゃないか、教育はあっても研究機能が大変乏しくなるおそれがあるというのは、一考の余地があろうかと思っております。 次に、放送教育の限界について質問させていただきたいと思います。 まず一つは、大学における教員と学生の触れ合いないし学生同士の触れ合いについてでございます。 当然テレビを見て勉強していくわけで、普通の大学と違って学校に出かけていって、直接教員と顔を合わせない、あるいは学生と話し合う機会が少なくなるというのが限界として出てくると思うのです。 そこで初めに、田中耕太郎先生の「教育基本法の理論」という本によりますと「大学という学問的協同体は、教授であれ学生であれ、研究において協力し合い、研究の喜びによって結合するものでなければならない」とありますが、この田中説についてどう思いますか。
○宮地政府委員 教育の基本的な作用としては、御指摘のとおりであろうかと思います。
○三浦(隆)委員 もしそうとすれば、教員及び学生相互あるいは学生たちの間は、どのような場所でどのようにしてそれが具体的に可能になるのでしょうか。
○宮地政府委員 この放送大学におきましても、もちろん放送大学という以上は、放送による教育ということがなければ放送大学にならないのはもとよりでございますが、大学教育全体といたしましては、放送による教育とさらに実際にはスクーリングを重視するということで、スクーリングといたしましては、卒業の要件として現在、通信教育の場合でございますと三十単位以上に相当する授業を、面接授業によって修得するというたてまえになっておるわけでございます。放送大学における実際の学習指導の方法と申しますか、放送による授業を視聴するとともに、ただいま申しましたようなスクーリングを各都道府県に設けられます学習センターで面接指導をするということも大変重視している一つでございます。そういう点で教員、学生の触れ合いが十分実現される、かように考えております。 なお、実際に放送大学の具体的な教育課程と申しますか、履修方法というのは、これから大学が発足いたしまして、学長その他大学の関係者によって定められるわけでございますが、私ども現在まで検討いたしております構想で御説明申し上げますと、放送大学の学部学生の通常の大学の教室授業に相当する学習のウエートというのは、全体的に放送視聴が約三分の一、教科書等の学習が約三分の一、面接指導が約三分の一ということで想定をいたしております。 そこで、このような学習形態のあり方につきましては、既設の大学通信教育の実情でございますとか、あるいは現在放送大学を含む大学通信教育の基準に関しまして検討を進めております大学設置審議会の関係の特別委員会の審議の動向を踏まえて想定をいたしておるものでございます。放送教育ないし通信教育の持つこのような特性を生かしながら、また一面、欠点でございます点を面接指導によって補っていこうというぐあいに考えております。 そこで、具体的な教育指導の展開に当たりましては、なお種々工夫すべき点があろうかと思いますが、全体として大学教育としての実質を保持し得るものだ、かように考えている次第でございます。
○三浦(隆)委員 大学に限らず小学校、中学校、高校すべてでございますが、教育は教育機器の発達によって進歩したとともに、一方では教員との触れ合いが薄くなって大変マイナスも出ております。同じ言うせりふにしても、テープレコーダーでしゃべったのを聞くのと直接身近で聞くのとは大変な違いがある。いわゆる触れ合いの大切さというものが、今日の非行少年の解決、その他にも十分あることでして、それはいまの小学校だけでなく大学にも同じことが言えるだろう、こう私は考えております。これについてもまだ触れたいのですが、時間がありませんので先にいくことにいたします。 次に、放送という一方的な教育にならされると、教わっている学生は受動的な人間へと形成されてしまうのではないかという気もしますが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 放送による教育でございますと、受動的な、受けとめるだけの人間の形成化のおそれはないかという御質問でございますが、先ほど御説明いたしましたように、それらの点は学習センターにおける面接授業といいますか、そういうような点で私どもとしては十分カバーができるのではないか、かように考えております。
○三浦(隆)委員 これにつきましても、たとえば大学紛争のときには、むしろ教員と学生が近過ぎてというか、そういうことでいろいろと問題が起きますし、中学生、高校生あたりでも、学校で生徒が逆に先生に乱暴をするというふうなことも一つには言われているのですけれども、しかし、それだけ単なる受動的ではなくて、一個の人間として積極的に発言、行動しようという人格がそれなりに生まれてくる可能性があるというふうに思うのです。それがテレビだけをほとんど見て、そしていわゆるスクーリングその他が薄くなればなるほどこうしたことが消えていく可能性があるというふうに思います。いわゆるこれまでの社会を守る人間はできても、新しく社会をよい意味で積極的に変革していく人間がこの教育からは生まれてこないのではないかという不安を感じますが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 先生御指摘の御意見は承ったわけでございますが、私どもといたしましては、放送を大学教育に使うというのは、これから取り組む全く新しい取り組みといいますか、そういう意味で教育の機能といいますか、それらの点については従来とも十分検討を続けてまいったわけでございます。 先ほど来御説明しておりますように、放送大学の全体の教育課程としては、これから大学自体がつくるわけでございますけれども、学習センターにおける面接授業というものを重視して、全体的に約三分の一くらいは面接授業を想定しているわけでございます。従来の通信教育と違います点は、学習センターを各都道府県に設け、かつ常時開設をしていくというようなことで、従来の通信教育でスクーリングの点が、通信教育を続けていく学生にとって相当いろんな面で、時間的な制約でございますとか、あるいは地域的な制約で非常に制約が多かった点を、なるたけそういう難点を解消するために学習センターの設置というものに相当力を入れて対応していく、かように考えているわけでございます。 これから新しくつくっていくわけでございますので、私どもとしては、そういう御指摘のような点、先生最初におっしゃいましたように、欠陥というものはなるたけ少なくするような大学につくっていくということはもちろん必要でございまして、御意見は十分踏まえて対応する必要がある、かように考えている次第でございます。
○三浦(隆)委員 昭和五十年の文部省の基本計画の前書きによりますと「学士号もそれに応じた幅の広いものとする」というふうにございますけれども、ここでは教養学士、だけになるように思います。これは放送利用の限界なんでしょうか。
○宮地政府委員 教養学士ということにしたのは、放送の限界であるかというお尋ねでございますが、この放送大学でお願いをしております電波でございますが、公共の電波を利用して全国規模で高等教育を実施するという大学であるわけでございますが、国民の多様な要請にできるだけ広くこたえられるようにする必要があるわけでございます。 そういうふうな観点から、文部省では放送大学に対する教育需要の予測調査を実施いたしまして、その結果、多くの人々が家庭や職場において、現実に直面するもろもろの課題に対して解決の手がかりを得られるような、たとえば健康と病気の問題でございますとか衣食住に関する生活科学でございますとか、あるいは政治経済社会などの諸分野等人文自然にわたる、そういう意味で大変広い教養の分野を求めているということが調査の結果明らかとなりましたので、そういう調査結果をも参考にいたしまして、多様な要請にこたえるために、総合的な学問領域を対象といたしまして、この学部を教養学部とするという考え方で教育課程を編成するという考え方に立っているわけでございます。 なお、放送大学の学部学科の増設の問題は、放送大学に割り当てられます電波のチャンネルが限られているということから来る制約もあるわけでございます。
○三浦(隆)委員 放送大学とありますが、将来大学院、短大、高校等の用意はあるのでしょうか。
○宮地政府委員 ただいま私どもが考えております放送大学といたしましては、学部段階についてのものということで考えておりまして、大学院についてどうするかということは、ただいまのところ考えておりません。
○三浦(隆)委員 高校、短大などについてはどうでしょうか。
○宮地政府委員 従来検討いたしております基本計画では、高校、短大を取り上げるということは、いまのところ考えておりません。
○三浦(隆)委員 これが現在の高校卒業生を対象とする大学に限定するならともかく、生涯教育として進めていこうともし考えるならば、明治・大正期におけるわが国の平均寿命は最高をとって四十五歳に至っておりません、これに対して現在七十五なり八十まで進もうという時代に入っていますから、御年配の方、お年寄り、家庭の主婦もまた大いに必要であろうと思います。しかし中学卒業、高校卒業というのは、戦後のことでして、御年配の皆さんにはそこに及んでいない方もたくさんあると思うのです。また四年は長過ぎると思っている方もいらっしゃるかもしれません。そうした方のためには四年よりも二年制というのを考えるのもいいのじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 御指摘のようなケースは、たとえば科目履修生でございますとか、あるいは専科履修生という形で十分受けとめられる、かように考えておるわけでございます。 なお、御指摘のたとえば高齢者でいわゆる高校卒でない方が入りたいという場合にも、具体的には私どもとしてはそれは受けとめるという考え方に立っているわけでございます。
○三浦(隆)委員 旧来の大学に入る入学資格よりも緩めるということは、それだけ質的に低い大学になる可能性を持つので、ここも問題かと思うのですが、先を急がせていただきます。 次は、財政の観点からの一つなんですが、この大学は、法第四条では全額政府出資の規定があったり、法第十七条では役職員の公務員取り扱いの規定があり、法第四十条では国立校並みのみなし規定があるわけです。政府が金を出し、役職員は公務員で、学校は国立校のみなしがあって、実態は国立大学なのになぜ国立大学と言わないのでしょうか。
○宮地政府委員 基本的には、ただいまお願いしております法案そのものが、放送大学学園法案ということで特殊法人の設置についての法案の御審議をお願いしているわけでございます。これは当文教委員会で五十三年当時放送教育に関する小委員会もつくられまして、それを受けて私どもも具体的な構想を検討してきておるわけでございますが、放送大学の設置形態といたしましては、国立大学とすること、あるいは私立大学とすることいずれにも困難な問題があるという結論がございまして、そのため特殊法人として設立することにいたしたものでございます。それはすでに小委員会の報告で十分触れられておりますので、私からここで繰り返し申し上げることは差し控えさせていただきたいと思っておりますが、そういう点では、基本的には放送法制との調整を図るということから、特殊法人立の放送大学というものを考えることになったものでございます。
○三浦(隆)委員 恐らくは国立大学と言ってはならない別な理由もあるように思うのですが、これはまた大学の管理、組織、権限のところで質問させていただきます。 次に、管理、運営、組織の問題に入りまして、一番目に、放送大学学園の人事においては、文部省の権限が大変強く出ているように思うのです。たとえば、放送法によりますと、主要な役割りを占める経営委員会及び理事会の人事、これには国会の同意が必要とされていますし、また事業計画、収支予算、資金計画にも国会の承認が必要とされているわけです。言うなら国会がかかわりを持っているわけです。これに対して放送大学学園では、国会による歯どめが何ら規定されてなく、一方的に文部大臣に権限が集中されていると思うのですが、それはなぜでしょうか。
○宮地政府委員 ただいま御指摘の点は、たとえば放送法十六条でございますと、国会の承認にかかわらしめることになる規定があるわけでございますが、NHKの経営委員を国会の同意にかかわらしめている趣旨というのは、NHKは受信料に基盤を持つ公共放送としての性格から見まして国会の承認を必要としているものと私どもは聞いているわけでございます。放送大学学園の役員人事につきましては、特殊法人の一般の例にならいまして文部大臣の任命によることといたしております。 そこで御指摘の点は、文部省の権限が強過ぎはしないかということでございますけれども、放送大学におきましては、文部大臣の任命にかかわるものといたしましては、理事長、監事、運営審議会の委員及び学長がございます。また理事は、文部大臣の認可を受けて理事長が任命することになっております。それで、これらのうち理事長、監事、運営審議会の委員及び理事の任命方法につきましては、先ほど御説明いたしましたように、他の特殊法人の例にならったものでございまして、特殊法人の運営のあり方としては、ごく一般的なものであろうかと思います。 なお、学長の任命方法につきましては、放送大学において学問の自由、大学の自治を保障するという見地から、学長が定める基準により評議会の議に基づきまして候補者が選考されるということになっております。その候補者について理事長が発令を申し出、文部大臣が任命するというような仕組みになっているわけでございます。この場合、候補者の選考につきまして評議会の議にかかわらしめましたのは、学長の人事について大学の自治を尊重しようとする趣旨によるものでございまして、放送大学の学長を文部大臣が任命することとしましたのは、学園内部における大学の位置づけ、むしろ大学そのものを重く見るという考え方でございまして、理事長と学長との相対的な関係等にも留意し、その地位の重要性を明らかにし、放送大学学園の内部における大学の自主性を確保する趣旨に出るものでございます。
○三浦(隆)委員 これについては、また後に触れさせていただきまして、放送法十六条が改正されまして、NHKの人事が放送大学のように文部大臣ではなくて郵政大臣一本にかかわらしめられるようになったらどうなるのでしょうか、郵政省にお伺いします。
○志村説明員 お答えいたします。 十六条がなくなったらという御質問でちょっとお答えしづらい問題でございますけれども、一応十六条の趣旨を御説明申し上げますと、NHKというのは受信料を基盤としている、つまり国民が直接に受信料というものによって維持、運営するものである、そういう事業であるという性格を持っているものだ、したがいまして、受信者たる国民の代表者がNHKを監督すべきである、こういう思想に基づきまして、このような条文になっておるものというふうに考えております。
○三浦(隆)委員 受信料だけという単に金銭的なものだけなんでしょうか。
○志村説明員 お答えいたします。 確かにNHKは報道、教育、娯楽、その他非常に一般的な放送を行う、そういうことから、その選任については、できるだけ民主的であらねばならないという思想もあろうかと考えております。
○三浦(隆)委員 各種の特殊団体もあるわけですが、そこに総理大臣を超えて国会の同意というふうなものをあえてNHKに求めたのには、それだけの理由がもっとあるのだろうと思います。放送法の中には放送法第一条、放送法第七条、放送法第十六条に「公共の福祉」という言葉が三つ出てまいります。普通の法律には公共の福祉が一つもないのも多いし、あっても大抵一つだろうと思います。三つも並ぶというのは、放送法だけと言ってもよかろうかと思うのです。その第一条、放送法の目的に、一号、二号、三号とありますが、基本的人権と言われる表現の自由、人権制約概念としての公共の福祉といったその考え方の中で、学説的には公共の福祉をもっても人権の制約は許されないというふうな説も一方にはあるわけです。にもかかわらず、そうした表現の自由の問題、あるいは放送におけるいろいろな問題があろうかと思うのですが、そうした意味において特に国会をかかわらしめる特別な理由があったのではないかと思うのです。 というのは、警察力、軍事力をもってもわれわれの心を変えることが可能かもしれませんが、物理的な暴力はわれわれに反発心を呼び起こします。しかし、学校教育であるとか放送利用というものは、少しずつ少しずつ長い年月をかけてやりますと、人間の思想洗脳という点では多大の力を発揮するおそれを持つものじゃないか。上手に使えば憲法の理念を実現するにふさわしいし、もし時の国家権力が悪意を持って乱用しますと、放送というのは大変な凶器に転落するおそれを持っているのじゃないかというふうに考えます。それを恐れたからこそ国会の同意が入っているのじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
○志村説明員 この法律の趣旨については、いろいろの御意見あるいはいろいろの見解があるわけでございますが、私ども立法当時に書かれました諸解説書を読みますと、先ほど申し上げましたような理由ということになってございます。
○三浦(隆)委員 解説書でなくて、あなたの御見解はどうでしょう。
○志村説明員 先生のおっしゃる趣旨もあろうかと思います。
○三浦(隆)委員 これについてももう少し触れたいのですが、時間の都合で先へ急ぎます。 次は、文部省への権力集中化というのは、戦前と戦後とを違えた基本的な考え方と若干違っているように思うのです。すなわち、戦前も帝国議会、内閣、大審院を頂点とするものがありましたが、これは三権分立とは一般には呼びませんで、天皇に対する機能的分立だと言われております。これが新しい今日の憲法下では国会、内閣、裁判所と文字どおり三権分立されているわけです。いわゆる権力の集中化を防ごうという考え方にあろうかと思うのです。こうしたときに、行政府に対してのこの大学の人事機構を踏まえて集中化というのは、その流れとは反するのではないかと考えますが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 先ほど来、放送大学の人事についての大学としての特性を十分留意した規定を設けてあるという点を御説明したわけでございますが、御案内のとおり、本部のほかに各地に学習センターを設置し、多数の専任、兼任の教員が配置されるというようなことがございまして、この放送大学には評議会を設けるということにいたしておるわけでございます。評議会を置いてございますけれども、この放送大学には一般の大学と同様に教授会が置かれるのは当然でございます。これらの機関を通じまして全学の教官の意向を反映した適切な大学運営が図られるというぐあいに考えておるものでございます。 特に学長、教授等の人事につきましては、国公立大学の教員にかかわる教育公務員特例法の例にならいまして、評議会の議に基づいて任命を行うことを法律上明確に規定しているわけでございます。議に基づきという規定そのものは、非常に拘束力の強い規定というぐあいに私どもは理解をいたしております。 また、設置者である特殊法人放送大学学園に対する国の関与の仕方につきましても、一般の特殊法人の例にならいまして、法人役員の任命等は文部大臣が行うわけでございますが、監督庁の命令権も財務、会計にかかわる事項に限定しているというようなことも配慮いたしておりまして、大学の自主性を尊重するということは基本的に配慮しておるわけでございます。 したがって、文部省に権限が集中しているのは、権力分立という考え方に反するのではないかという御指摘でございますけれども、大学というものを配慮した規定は、この法案の中に十分規定として置かれている、私どもはかように考えております。
○三浦(隆)委員 評議会の議に基づきというのと教授会の議に基づきというのは、大変基本的な差があると思うのです。これまでの国立学校設置法に基づく国立大学、そしてまた、その改正法に言う筑波大学、いずれも教育公務員特例法の枠から出ることができませんし、一般の私立大学も私立学校法の枠内、学校教育法の枠内からはみ出ることができません。それによりますと、教員の人事はすべて教授会の議に基づきというのであって、いわゆる評議会ではないわけであります。評議会と教授会のどちらの権限が強いかと言えば、通説は教授会を優先させているわけです。その点で今回、その教授会の議に基づきが完全に消えて、評議会の議に基づきとだけなった点がいささか大きなことわりだと思うし、また同時に、評議会のメンバーそのものが、文部大臣直結の理事長、学長あるいは副学長、教員でなければ評議会メンバーになれないという意味は、上から下への命令系統はあるけれども、下から上へと反映するものは何もないように思いますが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 評議会を置いている理由でございますけれども、放送大学におきましては、学校教育法五十九条の、重要事項を審議するために教授会が置かれるのは、先ほど申しましたとおり当然であるわけでございます。 ただ、放送大学の教員組織全体については、先ほども御説明をいたしましたように、専任の教員のほかに多数の客員教授の参加も予定しておりますし、また、本部の教員のほか各地に設置を予定しております学習センターにも専任教員を配置することを考えているわけでございます。したがって、通常の大学に例のないような複雑なものが予想されるわけでございまして、これらの教員全員が一堂にしばしば会して議するということは、実際問題として困難があろうかと思います。 そういうような観点からいたしまして、評議会を置いて具体的な人事の基準その他について評議会で審議をするという規定を設けておるわけでございまして、さらに各個別の教官等の意向を吸い上げる仕組みといたしましては、実際にこの大学が発足をいたしまして、それぞれ担当教科あるいは学習センターごとの教官の意向をどういう形でくみ上げていくかということは、当然に大学内部において適切な組織が考えられる、かように考えております。
○三浦(隆)委員 大学内部の適切な処置というのでは大変あいまいでありまして、条文の文章からいくと大変不安を感ずるわけです。たとえば一つに、放送大学の教授会は人事に関する事項を議論できるけれども、それは評議会のように法律上与えられた権限として教授会が人事権を持っているということではない、このように文部省は五十四年六月一日の文教委員会で答えているわけであります。教授会の人事権は法律上与えられる権限であって、法律がなければ認められないものなのでしょうか。
○宮地政府委員 あるいはちょっと先生のおっしゃっている意味を取り違えておるかもしれませんが、放送大学においても教授会は置かれるということになるわけでございますが、教授会と評議会との関係で申せば、法律上評議会の権限に属せられた事項については、評議会の議決が教授会の議決よりも優先するというぐあいに申し上げておるかと思います。
○三浦(隆)委員 教授会の人事権は、法律の規定にあるなしではなくて戦前からのある種の大学の慣行というものがあったと思うのです。少なくとも昭和二十一年十二月七日、当時の田中文部大臣のあいさつの中では、法制化以前に大学の自治を慣行として認めています。詳しくは読んでいる暇がございませんが、この一つの流れとして大正三年の京大の沢柳事件におきまして、内規として「総長(学長)、教授および助教授の任免、進退に関しては、予めこれを教授会に諮り、その多数の同意を得て、これを決する」と定められて、この趣旨が東京大学、東北大学、九州大学、各帝国大学に及んで大学の自治が確立したものであります。この大学の自治が崩れたのは、だんだん日本が軍国主義化されてくる、そして滝川事件において崩れたのでして、このとき文部省は、教授会の一致した反対の意思表示にもかかわらず、滝川教授を休職処分に付して、そのときの法学部の教員は、教授以下全員が辞表を総長に提出した、そうしたいきさつがあります。こうした反省を踏まえて田中文部大臣が慣行を、いわゆる不文法的なものを成文法化したのだろう、このように思うのです。ところが、これに対して文教委員会の議事録を読みますと、評議会の方を法律で認めているから、教授会は認めていないからというふうなことがある。そこがちょっとひっかかるように思うのですが、いかがでしょうか。
○宮地政府委員 先生御指摘の点でございますが、先ほど来御説明申し上げておりますように、これから創設をお願いしております放送大学というのは、いわば全く新しい組織としてこれからつくり上げていくものでございます。現在御審議をお願いしております法律の内容では、評議会というものを置いて、それを大学の実態から見れば、評議会の権限に属せしめるということによりまして大学の自治を確保していくというような考え方で考えておるわけでございます。 具体的に、学長とか教員等の大学の研究教育に携わる者の人事について大学の自主的判断にゆだねるということが基本的に確保されているということでは、この放送大学についても、従来の国立大学と同様の趣旨は確保されている、かように私どもは考えております。 戦前のケースについてお話がございましたが、私ども戦後の国立大学の運営におきましては、そういう大学の自治というものは、人事その他について十分確保されている、かように考えております。
○三浦(隆)委員 そうした戦前の流れをくみまして、戦後もたとえば昭和三十七年十月十五日の中教審答申におきましても「大学の管理運営について」といったその冒頭の中で、大学の管理運営と大学の自治に触れながら、大学の自治は、抽象的、観念的なものではなくて、教員人事というものを含むというふうに明確にあるわけです。それがこの法案には欠けているわけです。ですから、評議会と教授会の具体的な権限がもし競合した場合には、ここでの答えではなくて、法文の文章が後ほどは物を言うのじゃないかというふうに思いますが……。
○宮地政府委員 放送大学の仕組みは、先ほど来申し上げておりますように、全国に将来広げてまいりまして、学習センターをそれぞれ全国各地に設ける、その学習センターにも専任の教員を置くというような仕組みで、それを一つの大学として設置をするというような仕組みで考えているわけでございます。 したがって、そういう際の大学の自治の確保の仕方ということが御指摘の点であるわけでございますが、これまで学部の教授会が中心になって運営をしてきておりますのが、従来の一般の大学の形でございます。それは研究、教育に直接責任を負う教員及び教員の組織が教育、研究に関する大学の自主的決定の基盤というぐあいになっておるわけでございます。 私どもが現在御提案申し上げております法案におきましても、大学自身が決定をするという仕組みについては、評議会の規定を置くことによりまして確保されている、かように考えております。
○三浦(隆)委員 何か答えがちょっとあれなんですが、とにかく教授会の自治というのは、これまでの大学では大変強く重んじられております。少なくとも評議会の下に置かれるような感覚はなかった、こう考えております。一時、大学紛争のときに、東大パンフと言われる昭和四十年十一月に出された東京大学のものですが、その文書の中で「(大学における)最終的な意思決定は、大学が教員の組織を通じてその責任において行うものであり、それが大学の自治の本質なのである」と書いた文章を、東大確認書、正式には東京大学と七学部代表団との最終確認書において「大学の管理運営の改革について」の中で東大パンフは廃棄するというふうに言われました。しかし、いまやまた昔へ戻っております。そのくらいに教授会の自治というものは強いものでありまして、ここには、いわゆる教育に関する最終的な責任は、職員が負うのでもなければ学生が負うのでもなければ理事長が負うのでもない、教育の最終責任は教員が負うべきものなんだ、その教員から学部長なり学長が選ばれる、だから、その人事は教授会に任してほしい、いやしくも評議会なり理事長なり文部大臣が介入しては困るというのが伝統的概念であったかと思います。 時間なので、これもまた飛ばさせていただきまして、学生の自治の問題についてちょっと触れたいと思います。 放送大学では学生の自治というのをどのようにお考えでしょうか。
○宮地政府委員 大学における自治は、私どもは、大学における学問の自由を保障するために大学の自主性を尊重する制度と慣行である、かように考えております。具体的には、教員人事や教育、研究は、大学の教育、研究の主体である教授その他の研究者の自主的決定に基づいて行われるということを主眼としているものと考えております。 そこで、いわゆる学生の自治でございますが、私どもは、学生の自治は大学の自治に含まれるものではございませんけれども、学問研究とその成果の教授が自由に自主的に行われる大学において、そこで学ぶ学生については、できる限り自主的な態度を育成していくということが必要でございまして、自治活動を含めまして学生の自主的な活動は、それが学生の人間形成に資する健全な活動である限り、学園内において十分尊重されるべきものであろうかと考えております。
○三浦(隆)委員 通常の大学と違ってスクーリングだけくらいで顔を合わせたりするという点では、触れ合いが少ないかと思うのですが、しかし、たとえばたまたま来る学生であっても、学生同士のいわゆる学生自治会を認めてほしいというふうなものがあります。そうすると、学生自治会と対応する人たちは、具体的にだれが行い、あるいはまた、その中での学生自治会としての新聞の発行とか集会、演説、ビラの頒布、ポスターの掲示、立て看板、署名活動、そうしたような自由というのは、どの程度まで認められるものでしょうか。
○宮地政府委員 実際の大学の運営についての大変具体的な御質問でございますので、現在、私どもの考えている点を御説明申し上げまして、実際にはこれからできます放送大学自体が学生の実態を踏まえて適切な対応をするということを、私どもとしては期待するわけでございますが、放送大学におきましても、先ほど来御説明申し上げておりますように、学習センターにおいて学生が課外活動を通じて学生生活を充実していくということは、先ほど来先生御指摘のとおり大変重要なことであろうかと思っております。そういう問題につきましては、学生の意向を十分反映させる配慮も必要である、かように考えております。 具体的な対応としては、学習センターにおいて学生の要望なり希望というものを吸い上げる具体的な組織というものも考える必要があろうかと思います。また、学生自体の活動も必要なことであろうかと思います。しかしながら、最初に申しましたように、具体的な対応といたしましては、放送大学自体が適切に対応すべきもの、かように考えております。
○三浦(隆)委員 対応するのは教授会が対応するのでしょうか、評議会が対応するのでしょうか、理事会が対応するのでしょうか。
○宮地政府委員 具体的な対応の実態、それぞれケースによって違うわけでございますが、たとえば学習センターに来て学生がそれぞれ学習をする、具体的な活動としてはその場合のケースになると思いますが、学習センターにおいて具体的な対応をするのが、まず第一義的な対応であろうかと思います。
○三浦(隆)委員 現在、各大学でいわゆる過激派集団というのに手をやいておりまして、やっとの思いで学生を退学させた、そうしたら、その学生が新しい放送大学学園に陸続として入ってくるというふうになると、それなりの事態が新しく生まれてくるのじゃないかというふうな気もしますが、時間のようですので、これでやめることにいたします。 なお、質問事項といたしましては、まだいろいろと残っておりますけれども、ちょうど時間でございますので、この辺にとどめたいと思います。
○三ツ林委員長 次回は、明後二十四日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時七分散会