文教委員会 第2号
- 発言数
- 205 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1980/10/17
会議録
○三ツ林委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。湯山勇君。
○湯山委員 私は、きょうは実は嶋崎委員が最初の質問をするということでしたが、御都合で交代いたしました。それで、私からお尋ねいたしたいことは、一つは教科書無償について、第二は愛国心の問題について、第三は憲法と教育との関係について、第四は教育委員会の問題、できればこの四点についてお尋ねいたしたいと思います。 教科書無償の問題については、長谷川委員から本会議におきましても質問をいたしましたし、また一昨日は三塚委員から御質問がございました。この質問に対して総理の答弁は、概括すれば財政上の事情もあり検討するというような御答弁でございましたが、昨日の御答弁も、おしまいがちょっとはっきりしていなかったように思いますので、この際明確にしていただきたいと思います。 それで鈴木総理から、本会議あるいは予算の総括質問におきまして、憲法についていろいろな御発言がございました。その中で、憲法の理念は堅持するとか、あるいはこれを遵守するとか、あるいは擁護するとか、いろいろな表現がございましたが、その中の一つに、私は、たまたまテレビでその場面を見ておりまして、これはやや具体的だなと思ってメモした点がございます。それは参議院での質問に答えて鈴木総理は、憲法を擁護するということは、これに基づく法令、つまり憲法に基づく法令、諸規定を守っていくこと、これに反するものは、これを排除するということだという御答弁がございましたが、同席しておられた文部大臣は、この御答弁をお聞きになられて御記憶がおありになるかどうか、まず承りたいと思います。
○田中(龍)国務大臣 その席におりました。憲法の条章に準拠いたしまして、この問題を解決していかなければならぬと思います。
○湯山委員 憲法に基づく法令、諸規定という解釈には、いろいろな段階があると思います。どの法令もどの規定もみんな憲法に基づくものだという見方もありますけれども、狭義にとりまして、直接憲法につながっているような法令、規定に基づくものは守っていくということが憲法を遵守することだということは明確でございます。 そこで、教科書無償について、昨日三塚委員から——この法令は昭和三十七年に提案されましたが、その提案理由の中で、これはお見えになっておられる長谷川先生が政務次官のときでございましたが、昭和三十七年二月二十八日衆議院の文教委員会におきまして提案説明がございました。その中で「そこで、このたび政府は、義務教育諸学校の教科書は無償とするとの方針を確立し、これを宣明することによって、日本国憲法第二十六条に掲げる義務教育無償の理想に向かって具体的に一歩を進めようとするものであります。」と説明しておる。このことは大臣は御記憶ないと思いますけれども、局長はよくわかっておると思いますが、いかがです。
○三角政府委員 昭和三十七年の義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律案の提案理由で、ただいま湯山委員が引用されましたような趣旨が述べられております。ただ、これは憲法二十六条に掲げる理想に向かってこういうことをやるという趣旨でございまして、その二十六条との直接のつながりまで言及しているものではないというふうに思っております。
○湯山委員 あなたは、とんでもないことをおっしゃいますね。憲法全体がわが国の理想を示したものです。だから、もちろん憲法二十六条の無償というのは、原則であるし、理想である。試みに、この前文部大臣が、ゼロリストには義務教育費国庫負担法、これさえ手をつけようというようなことが書かれてあると一笑に付せられたようですが、あれはどうなんですか。憲法と直接つながりがあるのかないのか。
○三角政府委員 私がただいま申し上げましたのは、憲法の「義務教育は、これを無償とする。」という規定につきまして、これは湯山委員ももう御存じのことだというふうに私は思いますが、昭和三十九年に最高裁判所の判決があるわけでございまして、ここで「無償とする。」という規定は、授業料について述べられておるということで、授業料のほかに教科書その他教育に必要なもろもろの費用まで無償としなければならないことを定めたと解することはできないということでございます。したがいまして、私は、二十六条に直接に基づいたということではないというふうに申し上げたのでございます。 ただ、提案理由で申し述べておりますように、それから、かねがね私ども文部省側からも教科書の問題について当委員会でも御説明申し上げておりますように、この義務教育教科書の無償給与制度は、憲法二十六条の義務教育無償の精神をより広く実現するための施策である、こういうふうに申し上げておるわけでございます。
○湯山委員 それは聞きおきます。 義務教育費国庫負担法はどうですか。私が聞いたのは、そちらを聞いたのです。
○三角政府委員 義務教育費国庫負担法におきましても、広く憲法の全体の精神に基づいて立法をされ、義務教育について国と設置者それぞれが共同して責任を持つという考え方のもとで制定をされ、それに基づいて内容の充実も図ってきておる、こういうことでございます。
○湯山委員 あなたは、法律を読んでないから、そういうことをおっしゃるので、第一条を読んでください。「義務教育無償の原則に則り、」とあるでしょう。どうですか。
○三角政府委員 御指摘の文言はあるわけでございます。ただ、これが直接に……
○湯山委員 よけいなことはいいです。その義務教育無償の原則というのはどこにあるのですか。憲法二十六条じゃないですか。ほかにあれば示してもらいたい。
○三角政府委員 憲法二十六条に示されております。
○湯山委員 そうでしょう。これで明確なように、義務教育無償の法律もそうだし、教科書無償もそうなんです。それはわれわれが言っているのじゃなくて、提案された長谷川さんがそこにおられますが、政府が言ったことですよ。それを、最高裁がどう言ったからといって、いまあなたが否定するあれはありません。したがって、文部大臣、いま御確認願いましたように、これは憲法に基づくことは間違いありません。憲法に基づく法令、諸規定であることは間違いないのであって、そうであればこそ、これは遵守する、それを守っていくことが憲法を遵守することだと総理は答弁しておられるのです。そうすると、本会議で検討すると言ったのは、実はいまのような関係を御存じなかったわけです。あの総理の答弁の原稿は文部省が書いたのですか、どうです、局長。
○三角政府委員 これはほかの答弁とも同じことでございますが、総理の答弁につきましては、文部省もその作成に関与はいたしております。ただ最終的には……
○湯山委員 いいです。ですから、それは文部省が認識不足なんです。これだけ重要な、しかも憲法に基づく法令と言えば、こういう憲法の条文を挙げて提案説明をしたり、条文の中に無償原則をうたったりした法律はほかにありますか、局長。ないでしょう。
○三角政府委員 仰せのようなことであろうと思います。
○湯山委員 だから、文部省関係の法令では、これらが一番憲法に基づく法令であり、これに基づく規定です。これを検討するなどというのはとんでもない間違いで、もしそういうことになれば、総理は前後ふぞろい、矛盾なんです。口では守りますと言いながら、事実それを無視する、これに反するものを排除するということをしないのだから。ここを踏まえて文部大臣は、それはそのとおりだ、それを体して今後当たっていくというくらいの御答弁がないと何のことかわからない。こういうことをしたら総理を間違わせますよ。そこで大臣、いかがでしょう。
○田中(龍)国務大臣 私は、総理の御答弁は実にりっぱに答弁されたと思います。と申しますことは、憲法の無償の精神をより広く実現するという意味におきまして、今後もわれわれは継続してまいります。
○湯山委員 教科書の問題もゼロリストに書いてある。義務教育費負担法の問題さえ、これだけ減るなんて書いてある。大臣の御答弁は、これを歯牙にもかけないというふうにとれた御答弁でした。だから私は、その御答弁をどうこう言うのじゃありません。いまの点は、どうせ今後検討されるはずですけれども、総理の国会で約束したことが守られるように、大臣もひとつ全力を尽くしていただきたいということを強く要望いたしますが、いかがでしょう。
○田中(龍)国務大臣 当然でございます。
○湯山委員 非常に明快な御答弁で安心いたしました。三塚さん、これでいいですね。——次は愛国心の問題ですが、これは私、はなはだ不満です。新聞等でもごらんになりましたように、この点は三塚質問と私とは大分観点が違いますけれども、教科書に記述が少ないから教師の指導面で検討するということが大きく出ております。あの答弁は、局長はあれでいいと思っていらっしゃいますか。訂正する意思はありませんか。まず、それから聞きます。
○三角政府委員 学習指導要領の、特に先日の御指摘に係るところの中学校の社会科の公民的分野であったかと思いますが、これの目標には自国を愛するということをはっきりと掲げておるわけでございまして、教科書の記述は、やはり全体として国を愛する心情を培うというものになっていなければならないと思うわけでございます。したがいまして、私どもとしては、今後とも、教科書の記述がより適切にこの目標に沿っていくものになるように努めたいと思っておりますので、私といたしましては、先日の御答弁についてただいまどうこうということはないと思っております。
○湯山委員 大変頼りない答弁ですが、つまり、学習指導要領には愛国心を養うということは書いてある、これは間違いありません。しかし、教科書には愛国心という言葉がない、そうすると、これは愛国心がそれでは養えないのではないか、こういうことでしょう。 そこでいま、教科書に入れいと言うこともできないというようなことを答弁されるから、大臣は仕方なくそれをお受けになって、三年ごとにしか改定できないので、何とか事務当局と相談して補っていくという御答弁になりましたが、局長は学習指導要領をお読みになりましたか、まず聞きます。全部を……。
○三角政府委員 読んでおりますが、その一切をつまびらかには、暗唱できるほどに読んでおるということではないと思いますが……。
○湯山委員 ですから間違うのです。あなたは、中学じゃなくていいですから、小学校持っていますか。出してください。何にも中学の社会の公民的分野の目標だけじゃないのです。小学校からちゃんとあるんですよ。——まず最初から見てください。部分じゃなくて全体の教科の目標を。まず国語、この国語はどうすると書いてありますか。
○三角政府委員 小学校学習指導要領、昭和五十二年七月文部省刊行になるものでございますが、これの三ページの冒頭に、第二章各教科、第一節国語、第一目標といたしまして「国語を正確に理解し表現する能力を養うとともに、国語に対する関心を深め、言語感覚を養い、国語を尊重する態度を育てる。」、このように記述しております。
○湯山委員 そこで、国語の教科書に国語を尊重せよというような言葉がありますか。そうじゃなくて、りっぱな文章を読むし、自分で字を書いて語って、そういう中から自然に国語を尊重するという態度が養われるのじゃないですか。教科書に国語を尊重するという言葉がないからといってそれができないという感覚ですか、あなたは。——待ってください、次にいきます。 社会、目標の第一段目の一行目の中ごろから言うてください。これは小学校の社会の目標ですよ、公民だけじゃなくて。
○三角政府委員 社会は、ただいまの章の第二節になってございまして、二十五ページ冒頭、第一目標とございます。読み上げます。「社会生活についての基礎的理解を図り、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て、」……
○湯山委員 もういいです、結構です。時間が来るから大事なところだけ……。 ですから局長、聞いておってくださいよ、こういうふうにこれは小学校からですよ、中学校の公民だけじゃないのです。国土に対する愛情を育てとちゃんとあるのです。そこだけではなくて全部の教科書にこれ要りますよね。 次の教科、次は理科です。
○三角政府委員 理科は第四節となっておりまして、五十一ページでございます。第一目標「観察、実験などを通して、自然を調べる能力と態度を育てるとともに自然の事物・現象についての理解を図り、自然を愛する豊かな心情を培う。」、こうあります。
○湯山委員 その次、音楽です。
○三角政府委員 六十五ページに、第五節音楽という節になっておりますが、第一目標「表現及び鑑賞の活動を通して、音楽性を培うとともに、音楽を愛好する心情を育て、豊かな情操を養う。」と記述されてございます。
○湯山委員 もうそこらあたりでいいです。音楽の教科書に音楽を愛好せよなんという言葉がありますか、ないと音楽を愛する心情を養えないのですか。音楽は、いい音楽を聞き歌い、そうすることによって音楽を愛する豊かな情操が養われるので、それが教科書に書いてないからといって養えないというような感覚だと読んでない証拠です。皆あるんですよ。自然を愛する、理科の教科書のどこに自然を愛するなんて書いてあるのですか。書かなければ自然を愛する心情は養えないのですか。これは社会も同じです。それをうっかり、あなたは三塚さんについつられて、そうかなと思ったりして言ってしまった。これは奥野さんも同じです。あの奥野さんの言ったことは文部省から出ているそうです。だれですか、そういうつまらぬことを言ったのは。だれが言ったことですか。
○三角政府委員 確かにただいま私、湯山委員の求めによりまして朗読いたしましたとおりに、各教科に目標というものが冒頭に掲げられておりますが、その目標ということば抽象的に述べておるわけでございまして、その目標に基づいた内容というのがありましくそして、その内容に基づいて教科書というものが編集されるということでございます。したがいまして、その目標を達成いたしますために、湯山委員がただいま御指摘のように、何もたとえば音楽を愛せよという、いわば一つのお説教的な文句があればそれで足りるというものではもちろんございませんで、音楽についていろいろ具体的に学習を重ねていくということを通して音楽を愛し、豊かな情操を養うということであろうかと思います。しかし、一つの学習の態度として、まあ音楽が適当かどうかわかりませんけれども、国語を尊重するなら国語を尊重するという精神もやはり必要である、そういうことも直接にそういうことを説明する記述が教科書にあってもまたしかるべきであるという場合があろうかと存じます。 そういう意味で、私どもといたしましては、その教科ごとの目標に沿って教科書でどのように記述するかということは、やはり直接にその事柄を説明する記述を設けることもあり得る、しかし、いろいろな場所で目標にかなうことをいろいろな事項と関連させながら間接的にあるいは具体的に理解を進めていくということも必要でございます。いろいろな方法をかみ合せて、全体として国語の学習がしっかりいくように、あるいは音楽の学習が学習指導要領にのっとってきちんと行われるように、そういうことを期待しておるということでございます。
○湯山委員 大分よくなりました。(笑声)やはり学習しないといかぬわけです。(「小学校と中学と違うよ」と呼ぶ者あり)いや、中学も同じです。たとえば奥野さんが言われたことも三塚さんが言われたことも、わからぬことはないのです。これば政治家の把握で、第一、三塚博なんという名前を、とにかくべたべたポスターを張りめぐらして三塚博をよろしくお願いします、文部大臣は田中龍夫をお願いします、またその上に、たすきをかけてやるでしょう。私ももちろんやります。これは名前のためにやるのですから、実際はたすきをがけると恥ずかしい気持ちしながらでもやはりやります。こういう感覚の政治家は、愛国心と言葉がなかったら、これは愛国心が養えないとつい間違う。これは奥野さんもそう、三塚さんもそう、こういうことなんです。 しかし、いまの局長の答弁であれば、教科書にないからといってそれでできないということじゃありませんとちゃんと答弁できなければならぬ。あなたはまだ局長就任日が浅いから、まあ読んでなかったと言うから、正直で人柄を買って余り言いませんけれども、大臣はおわかりいただけると私は思うのです。それはなぜかといいますと、この間、わずかの時間をいただいて大臣に母親と女教師の代表にお会いしていただきましたが、そのときに大臣が、教育というのは押しつけではなくて、ドイツ語を引かれてエルチーフング、引き出す、これが教育だという意味のお話をなさりて、私は非常に感銘いたしました。というのは、いまのように愛国心、愛国心と幾らべたべた書いたって、選挙のポスターみたいにやったって、それで愛国心はできるものじゃない。そうではなくて、わが国土がどんなにしてできたのか、どんな国土なのか、歴史がどうなのか、どう生きておるのか、みんなわれわれ国民ですから、それが本当に養えるような教科書で、あれば、愛国心なんてここから向こうはなくてもいいわけです。古い教科書で、木口小平はラッパを口に当てたまま死んだというようなことだって、愛国心なんて一言もないですよ。ラッパを口に当てて死んだという事実ですね。 教科書課長、見えておりますか。おったら手を挙げてください。——いま言ったことわかりますね。そういうことを局長に少し教育せぬとやかぬです。いいですか、両課長ともに。そうしないと、教科書は日本じゅうの子供が使っておるんですからね。いまのような言葉がないからというのでこの教科書はだめだということになったら大変だし、ないからそれではそれが行われていないというので、また役所を通じて何か研究をさすということだと、これまた大変間違ってきます。ですから、教育も真剣に考えてもらうし、教科書も真剣に考えてもらって、そういうことを言ったら、あなた方はなぜ局長あれは違いますとやらないか。 だから私は、親切におとといのを直さなくてもいいですかと初めに言ってあるんですよ。それはあなた方怠慢です。二人とも課長の怠慢。正しいことを言わないで、あなた方の教科書検定をやっておるその教科書の方の役人はどうしますか。せっかく有能な人を、勉強のできる人を文部省に引っ張ってきてやらせておいて、それでいて、せっかくああやってやってくれるなら愛国心も養える、自然愛好の心も養える、これなら音楽もできるようになっている、どんな教科書で出るかは、検定権は大臣にあるんですからね、それを、一生懸命やった人のを、あんなふうにこれが書いてないから、だめだというような答弁をしていいのかと言うのです。 これは実は、本来言えば局長の罷免要求ぐらい出そうかと私は思ったのですが、本当に人柄のいい人だし正直な人だから、これからひとつ気をつけてもらえればいいと思います。局長、その点ひとつ本当にまじめに考えてください。
○三角政府委員 いろいろと御注意、御指導をいだだきまして申しわけなく存じます。教科書担当課長はおりますが、非常に職務に精励してもらっておる次第でございます。ただ私、一昨年三塚委員の御質問にお答えいたしましたのは、若干ずれがあったという御指摘はそうかなとも感じますが、教科書によりまして愛国心に係る記述に濃淡があることは事実であろうということを申し上げた次第でございますので、そういう意味で一昨日の答弁、これはもう一遍速記録で調べ直す必要もあろうかと存じますが、ただいまの時点でこれを訂正したりする必要はないというふうに私自身は思っておる次第でございます。
○湯山委員 それじゃいけません。質問はそういうことじゃないのです。そうじゃなくて、教科書に愛国心という言葉がないという指摘だった。学習指導要領にはあるけれども教科書にないが、これはどうするかということで、あなたがそう答えたとしたら、答弁はすれ違っているのだ。質問に答えていないのです。そうですね。 ですから局長、聞いてなかったかわかっていなかったかで、そういうことだから、三塚委員がそう言われれば、いや教科書には書いてなくても記述によってちゃんとそうなっている、ちゃんとできておるのもあるし、あるいは足りないのもあって濃淡はあるけれども、そうだからといって決してこうじゃないとお答えしたのならば、それはおっしゃるとおりです。そうなっていないんですよ。わかりましたか。
○三角政府委員 ただいま湯山委員の御指摘のような意味で、若干私の言葉が足りなかったというとはあったかと思いますが、私が申し上げました限りにおいては、基本は訂正する必要がないのであろうというふうに思っております。
○湯山委員 言った言葉のその範囲においては訂正するところはありません。おっしゃるように足りないのです。しかし、これは大事な問題で、こんなふうに、新聞があなたの言った意味を正しく伝えておりません。それはやはり言葉が足りなかったからなんで、しかも、あなたがそういう御答弁をなさるから、大臣も三年後には——三年後にならないと中身を変えられないというのは、記述がないから三年たったら何とかしよう、それまでは何とかほかの方法でというように受け取られるようになっておるのは、いまの答弁がそうさせたのですから、これはこれ以上言いませんけれども、ひとつ反省をしていただく。課長の皆さんも、重要な問題ですから、もうちょっと真剣に局長を補佐してください。以上です。 次は、憲法と教育についてお尋ねいたしたいと思います。 なぜこれをお尋ねするかというと、いまはやりの憲法論議でお聞きするのではございません。私は、過去におきましても、憲法と教育の問題につきましては、三木内閣のときに三木総理にもただしました。それから当委員会におきましても、同じように憲法と教育の関係はお尋ねしてまいっております。それはなぜかといいますと、憲法と教育の関係というのは、他の国家機能と違って非常に密接な関係にある、これはもう申し上げるまでもなく御存じのとおりでございまして、教育の基本である教育基本法の前文にそのことがちゃんと明記されております。 これは読み上げるまでもないかと思いますけれども、この際申し上げますと「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」、こう明記してあります。つまり憲法に定められた理想の実現というのは、結局教育にまつべきものだ。つまり教育にはその責任があると言ってもいいかと思います。それから最後の節に「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」、これが教育基本法の前文です。 そう見てまいりますと、憲法を本当に守っていく国の機能というのはやはり教育だ、このことが常に教育に当たる者の中に生きて働いていないと教育基本法に違反することになる、その自覚を持っていなければならない、これが前提だ、私はこんなに考えます。 そこで、教育基本法ができたのは昭和二十二年、それから憲法が公布されたのが昭和二十一年であることは申し上げるまでもございません。 この観点から、私は大臣には、教育がエルチーフングとおっしゃったことにも敬意を表しますが、大臣の所信表明の冒頭に、こういうお言葉があります。「第九十三回国会におきまして、文教各般の問題を御審議いただくに当たり、日頃考えておりますことの一端を申し述べます。」、そして、その次の冒頭に「私は、文教の振興を図ることが国政の基本であると考えております。」と、こう打ち出しておられます。これは意識してお出しになったのかどうなのかは別といたしまして、非常に貴重な冒頭だと思います。というのは、教育基本法にも、憲法の理想の実現は教育にまつのだ、こうありますし、大臣もまた、文教、教育というものが国政の基本だ、こう最初に出していらっしゃる、これは本当に貴重なことだと思います。この大臣がこうおっしゃっておられることは、私は、教育基本法において、憲法の理想の実現は教育の力にまつべきものである、こう言ったのと相通ずるものだと理解しておりますが、大臣のお考はいかがでしょうか。
○田中(龍)国務大臣 御指摘のとおりでございます。
○湯山委員 非常に御明快で安心いたしました。 そこで、いま何かいろいろな論議の中で、政党によって憲法の解釈が百八十度違うとかいうようなことが云々されておったり、あるいは自衛隊の問題が云々されておったりいたしますが、それは後で触れることにいたしまして、昭和二十二年に教育基本法が出されて、そして結局、憲法の理想の実現というのは教育にまつべきものだということから、文部省を初め教育に携わる者、現場の先生方初め、この教育の理想実現のためにやはり教育は責任を持って全力を尽くすべきだという自覚をすることは当然だ、こう思いますが、初中局長どうお思いですか。
○三角政府委員 先生の御意見同感でございます。
○湯山委員 そこで一体、この教育基本法ができたころに、憲法の解釈に百八十度というような開きがあったかどうか、この点について局長はどうお考えですか。
○三角政府委員 私は、憲法の専門ではございませんが、当時は敗戦後間もない時期でございますから、百八十度といったような意見の違いと申しますか、開きと申しますか、そういったようなことは記憶にないと思っております。
○湯山委員 昨日、三塚さんから、自衛隊の意義とか、そういうものもちゃんとはっきりさせなければならないというような御指摘もありましたが、それは御答弁のなかったことですから、聞き流しておられたのだと思うのですが、二十三年当時の憲法の解釈では、自衛のためといえども軍隊は持ってはならないということであったと私は理解をしておりますが、これは大臣にお聞きする方がいいのでしょうか……。当時、吉田内閣のときに私もそれに触れてお聞きしたことがあるのですけれども、そのときには自衛のためにはそういうのを持つのではないかというのに対して、過去における多くの侵略戦争というものが自衛の名のもとに行われている、したがって自衛のためといえども再軍備はしないというのが、その当時の吉田総理の答弁でございました。そういう状態でしたから、最初の軍隊のようなものも、決していわゆる軍隊ではなくて、警察予備隊、日本に現存する警察の予備隊というスタートをしたこと、これも御存じのことだと存じます。 したがって初めは、日本の憲法について、その認識、理解に、国民の間で賛否があったとしても、そう百八十度の開きなんというものはなかったと私は考えておりますが、大臣はどのようにお考えでしょうか。
○田中(龍)国務大臣 御案内のとおり、終戦の直後の混沌とした状況の中でいろいろの議論がありましたことも事実でございます。また、その解釈におきましても、後世史家がその当時の状況はどうであったろうか、一番基本的には、三十年たちました今日、アメリカ政府の方で機密文書を全部公開いたしました、その中にもいろいろと論議されておることが載っておるとおりでございます。
○湯山委員 そこで、百八十度違うという違いができてきたのは、そんなに開きがなかったものが百八十度の開きができたわけですから、では当初から、現行憲法で軍備は認めるべきだという方が変わったのか、認めるべきでないという方が変わったのか、どちらが百八十度変わったのでしょう。これはどう御理解になっていらっしゃいますか。
○田中(龍)国務大臣 もちろん、昭和二十六年に朝鮮戦争が起こりまして客観情勢が非常に変化をいたしましたことも御案内のとおりであります。しかしながら、軍備というのではなくて、それは自衛権でございまして、その点はお間違いにならないように御発言をいただきとうございます。
○湯山委員 最初文部省が指導したのは「新しい憲法の話」というのを、文部省が教科書ではありませんけれども、出して、全国の学校で使わせました。それによれば、もう軍艦も飛行機も戦車も持たないのですということで「新しい憲法の話」というのを出したわけでした。そして平和な、文化的な、民主的な国をつくっていくのだ、それが国の理想だ、教育はそれを実現する最大の機能であるということで、全国の先生方はみんなそれへ向かって一生懸命取り組んでいった、文部省も当然そうでなければならないと思うのです。ところが途中で変わっていった。これは三木総理は、時代の情勢が変わったから解釈も変わっていったというようにお答えになっておりましたが、しかし問題は、憲法は変わってないんですね。もし憲法が変われば当然、その憲法と直接つながりを持っておる教育基本法も変わらなければならない、私はそう考えますが、その点はいかがですか。
○田中(龍)国務大臣 お話のとおりに憲法が変わりません。基本法だけ変わるわけでもございません。そういう点では一連のものだろうと存じます。
○湯山委員 そこで、憲法も変わらない、基本法も変わらないで、事実だけが変わっていったということなんですよ。そうすると、もし教育行政の責任者である文部省が、この基本法の精神を守って、憲法の理想を実現するのは教育だという自覚があれば、いまのような教育を一生懸命に進めている途中で、おっしゃったように朝鮮戦争ごろから少し変わりかけてきた、そのときに文部省はこの点について身を挺してでも、この憲法を変えられたら教育は大変だというので、そこでひとつしっかりした意思表示と行動を示すべきであった、それをしていなかったということは、基本法を忠実に守っていなかったのではないかというようなことを私は考えますけれども、その点はどうですか。
○三角政府委員 憲法に対する考え方の変遷というようなことで湯山委員から御質問が続けられておると存じますが、確かに制定当時は戦後間もない時期でございましたし、先ほど私が答弁したような感じを私自身持っておったわけでございます。ただ、憲法の解釈というのは、法律でございますから当時もいろいろな立場があったと思うのでございますが、それが今日のように顕在化をした状態ではなかったような記憶を持っているということでございます。当時は、先ほどからの御質疑にもございますが、連合軍の占領下にあったわけでございますし、そういうことで現実問題としても、日本という国自体が自衛のための戦力を持つというような客観情勢にもなかったということもあったかと存じます。ですから、変わった、変わらないということのとらまえ方が問題でございますので、変わった時点で文部省がそれに対応する行動をとる、とらないということではやはりないのであって、憲法に基づく教育基本法でございますので、憲法に対するいわば正しい考え方に基づいて教育基本法を、さらにその教育基本法の示すところを文部省としては忠実に行っていく、そういう順序立てになろうかというふうに思っております。
○湯山委員 正しい日本語で読めば、第九条は軍備は持てないということになっているのは御存じですね。
○三角政府委員 九条の解釈もいろいろあろうかと存じますが、九条は二項あるわけでございまして、読み上げるのもなにかと存じますが、第一項で「武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とございまして、主権国家でございますから、主権国家が侵略に対してみずから守るという基本的な主権に基づく権利と申しますか、そういうものは、またこの一項とは別の事柄というふうに解せられるという解釈があるわけでございます。したがいまして、第二項に、「前項の目的を達成するため」というような字句が挿入されておるというふうに私は理解しておる次第でございます。
○湯山委員 いまその論議をしようとは思わないのです。ただこの理想の実現は教育だというときに、しかも理想の一つが平和でしょう、その平和をどう守っていくかというのに、いまのような重要な二つの違った意見があるというのでは教育はどうなります。そういう教育はできますか。軍備は持たないという立場と、それから自衛のために持てる、だから、戦車も軍艦も持つのだという全然違ったものがあって、一体そういうことで教育が憲法の理想実現のためにやっていけますか、このことを聞きたいのです。
○三角政府委員 現在日本といたしましては、これまた国会の御決定、御意思、それに基づく法律によりまして自衛のためのいわば戦力と申しますか自衛隊というものを持っておりますから、教育の上ではそういう自衛隊の存在、それから自衛隊の役割り、その意義、そういうものは学校教育の場で学習をしてもらうということでございますが、ただ、ただいま御指摘のように、自衛隊に関してほかの異なる立場からの解釈、いわば憲法解釈と申しますか、それによる批判ないしは意見もあるということもあわせて教育の上で理解をさせるというようなことをやらざるを得ないという現実になっておるわけでございます。
○湯山委員 そういう現実は非常に教育では困りますね、どうでしょう。
○三角政府委員 教育というのは、できるだけ一方的な立場と申しますか見解に偏しないように、中正なあり方というのが一つの基準、指標になりますので、やはり現実の状況というものから離れるわけにはまいらないという要素が多分にあると思っております。
○湯山委員 繰り返し言いますけれども、現実じゃなくて基本法は憲法で定めた理想の実現ですよね。現実に妥協するのではなくて、この理想を実現するのが教育の使命である、こう言っておるのですから、現実に妥協したのじゃ教育は立っていかない場合がある、このことをひとつしっかり頭に入れておいていただかないと大変な間違いを起こす。基本法も変わっていない、憲法も変わっていないのに、現実が変わったからといってそれへ妥協していくということだと、一体理想はどこへ行くか。 前に調査官の方々においでいただいて、普通に日本語で読めばこれはどうとれるかと言ったら、やはり軍備を持てないととるのが普通でしょうという答弁でした。で、局長はいま局長の言われたような御答弁、大臣も似たような御答弁なさったのですけれども、やはりその中自体にそういう問題を含んでおるのです。これでは教育基本法が正しく守られていかない、教育に反映していかないということですから、簡単に百八十度違うから、それにどう対応するかというのではなくて、教育は教育で百年の大計ですから、しっかりしたものを持っておってもらって、身を挺してこの理想を守っていく。歴代の大臣の方々も、もしそうなるなら憲法を変えるか基本法を変えるか、それなくして勝手に変えられちゃ困るという対応が必要だ。この基本法の精神はぜひ堅持してもらいたいと私は考えますが、このことについて大臣のお考えを伺いたいと思うのです。
○田中(龍)国務大臣 ただいまの御質問は、一連の論理をおっしゃったわけでございます。私どもも、ぜひそうありたいと考えておるのでございますが、日本の置かれております厳しい国際情勢というものがいろいろと論議を生じておりますことも、御案内のとおりでございます。
○湯山委員 この問題これで終わりたいと思いますが、御参考までに、私はこの間オーストリアに行ってきました。それは何を見たかったかというと、オーストリアは第二次大戦の後で永世中立の憲法を持ちました。しかし、徴兵制をとっております。十八歳から徴兵で八カ月か九カ月かの訓練をする。そこで、書物やそのほかで読んだことはいろいろなことがありますからわかるとして、現実に若い人たちがこれをどうとらえているかということが知りたくて、回っていっていろいろと聞いてみました。 一番初めに、行ったかと聞くと行った、五十歳くらいの人は、自分はもう年をとっておったから行かなかったと言うのですが、聞いた連中はみんな行ってきた、どうだったと言うと、大したことはないというようなことで非常に軽く見ています。あなたたちは戦争するのかと言ったら、戦争しない、中立で敵がないのだから戦争はしない、じゃあ何をするのかと言うと、オーストリアは方々強国に囲まれていて、北からも東西からも、もし事があったときに他国の軍隊の通路に当たる心配がある、入ってきたら困るから入らないように防ぐだけだ、だれからも共通にそういう答えがはね返ってまいりました。したがって、八、九カ月の訓練というものは、その程度の訓練であって、別にそのことについて悲壮感もなければ、それはいやだということもないし、また気張ったところもない。その点では非常に一致して統一しておるんですね。ところが日本の場合は、そういうことになってないわけで、その辺は、小さい国で二度の戦争でずいぶんひどい目に遭って、そういう反省からそうなっておるのですが、それなりに参考にすべき点ではないかというふうに私は感じました。 それを言いながら、この間大臣がお母さんや女の先生に言われたことをいま思い出したのですが、大臣は、いまいろいろ議論しておるのは生きた人がしておるのだ、殺された人は口もないから議論に参加してないのだ、戦争で亡くなった人へあるいは暴漢に刺された人、そういう死んだ人の意見というのを考えないといけないという意味のことをお母さんたちに言われて、これも非常にいいお言葉であるし、大事なことだと私は思ったのです。 そういうことを考えますと、私は結論的なことを申しませんでしたが、とにかく教育と憲法というのは、そういうふうに非常に深いつながりがあるし、憲法を実践するための最大の機能であるということを、教育行政に当たる大臣以下の皆さん、ぜひひとつ自覚してやっていただくようにお願いいたしたいと思います。 最後の問題が、教育委員会の問題です。これについては、いろいろな問題がありまして、以前にもお尋ねしたことがありますが、以前にお尋ねしたのは、市町村の教育委員会の問題ではなくて、都道府県の教育長が本来の教育公務員ではなくて、教育公務員としての資格のない人が教育長になったために教育公務員の身分になる、これは間違っているということで、これを是正するように要求をいたしました。ところが、その後何か新聞の伝えるところによると、教育長の面接をやるというようなことで、それはとんでもないことだということを申しましたら、必要なものについてはやるというように訂正がございましたが、そのことを局長は御存じでしょうか。
○三角政府委員 承っております。
○湯山委員 それじゃ、大臣もおかわりになりましたし、局長もかわられましたので、全部を面接するなんということはしない、必要な場合に必要な人に限ってやるのだという方針をとっていかれると理解してよろしいですね。
○三角政府委員 これは湯山委員も先刻御案内のとおりでございますが、教育長の承認という制度がございますので、その制度の運用の問題でございます。したがいまして、面接という言葉は私どもは使ってないのですけれども、必要な場合には候補者とだれかが事前にお会いする、いわば面談をするということを必要に応じてということにいたしている次第でございます。
○湯山委員 それはよくわかりました。 そこで今度は、県のではなくて市町村の教育委員会にも同様な問題がありますし、それだけではなくて市町村の教育委員会には非常に憂慮すべき問題がたくさんあるということから、市町村の教育委員会連合会長自身が五十五年、本年の四月に「市町村教育委員会の充実強化の方策について」という文書を出しまして、これは文部省にも提出したというように報道されておりますが、文部省もお受け取りになりましたでしょうか。
○三角政府委員 いただいております。
○湯山委員 その概要は、市町村教育委員会は十分機能を果たしておるという前提に立っておるのか、現状では果たしていないという認識に立っておるのか、どうお受け取りになりましたか。
○三角政府委員 これは全国市町村教育委員会連合会におきまして研究部会小委員会というのを設けまして、何人かの方々が非常にまじめに取り組んで、いろいろな問題について検討したということでございます。したがいまして、現在の状況がいわばあるべき姿に比べるといろいろ問題点を持っておるという非常にまじめな分析、御認識が出ておるというふうに理解しております。
○湯山委員 私も同様に受け取っております。特に「「住民の意志を反映させるため」という法律の趣旨に添って為されているかどうかという疑問から発している」というような指摘がございますね。内容にわたって見ますと、とにかく教育委員会はできたけれども、一年間に一回も委員会を開いていないというのが二百六十七の中に四あります。パーセンテージにすれば百分の一・五か百分の二ぐらいになりますか、とにかくせっかく教育委員会はできたが、一年じゅう一回も委員会を開いてないなどというのがあるということ自体が考えられることでしょうか。
○三角政府委員 全体で約三千五百近い委員会がありまして、そのうちの一部分についての御指摘でございますが、私どもの理解では、いわゆる定例会という形では開いておらないけれども、必要に応じてその都度委員が集まるという形では、いま御指摘の教育委員会でも委員会の会合はやっておるというふうに聞いております。
○湯山委員 私がいま申し上げておるのは、定例委員会ではなくて臨時のを合わせても、とにかく年間わずかに六回くらいしか開いていない、両方合わせてですね。だから、臨時でも月一回やっておるのならそれはいいですけれでも、とにかく六回、七回、八回、十回以下なんというのが相当数ありますね。こういう現象をどうお考えになりますか。
○三角政府委員 御指摘の臨時会も含めますと、六回、七回、八回というあたり、全体で十回未満というのが十五、六の教育委員会であるようでございますが、これはやはり当該教育委員会のいろいろな案件処理の状況と比べ合わせてみませんと、ちょっとこの数字だけで端的なコメントはしにくいと思うのでございます。
○湯山委員 地方教育行政の組織運営の責任の地位にある局長が、どうしてそういう御答弁をなされるのか。 それでは、一々お調べになりましたか。こんなのは正常じゃない、定例を一回も開いてないなんていうのは、これははなはだ不正常である。同じ町村の中にあって、とにかく十回以内なんていうのは不正常だというようなことについては早速に調べなければならない。それを調べもしないで——調べたのかもしれませんけれども、いまの御答弁のように調べてみないとわからないということじゃ、これはあなた、責任者ですからね。
○三角政府委員 問題があれば当然私どもとしては調べる必要があると思っておりますが、この数字から直ちに、具体的な問題というものも出てまいっておりませんので、特に個別について文部省の立場でどうこうということはいたしておりません。ただ、これは市町村の自治体の教育委員会の問題でございますので、直接には当該市町村に係る都道府県の教育委員会が、必要があれば適宜対応していただくということであろうかと思います。
○湯山委員 幾ら何でもちょっと無責任過ぎやしませんか。これは大臣には指導助言の権限がありますね、それから、都道府県の教育委員会にはこれまた指導助言の権能があります。ですから、いまのような人ごとのようなことじゃなくて——多いところはとにかく年間三十回以上も開いておるところがたくさんあるし、そういう中でとにかく定例一回も開かないなんて、よほど異常中の異常ですから、ほっておける問題じゃありません。どうなんですか。
○三角政府委員 教育委員会という一つの行政機関としての業務をきちんと処理していただく必要がありますし、その意味合いで教育委員会が十分に機能を発揮する必要があることは当然でございます。そういういま申しましたようなことにつきましては、都道府県の教育長協議会等を通しまして、あるいは文部省の主宰する教育長会議等で、市町村の教育委員会の機能あるいはその運営の充実強化については毎度お願いはしておるわけでございます。 御指摘の十回以下のような事例についてどういう状況かでございますが、御指摘でもありますので、連合会にもう一回連絡をとって、状況については、私ども連合会にも一遍聞いてみようかというふうに考える次第でございます。
○湯山委員 ことしの四月に出てきてこれだけ問題になる、しかも、教育委員会というのは合議体ですから、会議を開かなければ何もできないことになっているはずです。それがいまのような状態だということになれば、これはいまから調べるのじゃなくして、すぐに四月から調べていなければならない。これは怠慢です、私をして言わしむれば。 それから、専従職員のないものが十三あるが、専従職員なしでいいのですか。
○三角政府委員 これまた当該市町村の規模でございますとか全体の運営等によっていろいろ事情があろうかと存じますが、専任の事務職員がいるということが望ましいと思っておりますが、ただ、状況によりまして、兼務で物事を処理いたしましたりする場合もある結果がここに出ているのであろうと思います。
○湯山委員 三人以下が四百四十一、こういうことで教育委員会は機能を果たせますか。
○三角政府委員 現実にはそういった状況でしのぎつつ機能を果たしてきてもらっておると思いますが、やはりそれが不十分な場合には、できるだけこれを充実していっていただきたいというのが、私どもの立場でございます。
○湯山委員 教育委員会に置かなければならない職種、教育長と指導主事というのが指定されていますね、その指導主事のない教育委員会が七〇%を超えている、これも御存じですか。
○三角政府委員 資料にそのように出ております。
○湯山委員 出ておるじゃなくて、これはそういう状態でいいのですか。
○三角政府委員 これまた現実のいろいろ困難な事情もありまして、事実こういう結果になっておるかと存じます。いわば指導主事は非常に専門性の強い仕事でございますので、なかなかこの人材を確保するのがむずかしい、したがいまして、反面、都道府県の側が都道府県の教育委員会に指導主事をできるだけ充実して配置する、状況によりましては、一種の地方出張所というようなものもつくって、市町村の教育委員会と連絡をとりながら指導面の機能を充実していくというようなことで、そういう一種の作用もありますために、なかなか市町村の方で指導主事を置くということに至らない、あるいはそれが補われておるという、そういう実際上の事情もあるかというふうに見ておるのでございます。
○湯山委員 置いてないところの個々には事情のあるのもあると思いますけれども、市町村ですから、市町村の七〇%と言えば——いま小さい村というのは、そんなにたくさんありますまい。町も合併して相当な機能が果たせるように規模は大きくなっております。市においてはましてやである。それでいて七〇%もが置いてないというのは、これはやはりいけない。 社会教育主事はいまのように派遣の制度がありますけれども、指導主事にはそんな制度はないはずです。だから、簡単にいまのようなことで現状を肯定するようなことを局長がなさると、ここから向こうよくならないのじゃないですか。
○三角政府委員 市町村にもいろいろな規模がございますし、それぞれの財政事情等もありましょうから、先ほど来の御答弁をいたしておりますが、指導主事というのは、これまた私から申し上げるまでもなく、いろいろ教科別に必要になってまいりますので、そういった面での現実の取り組みの困難さもあろうかと存じますが、これはやはりできますれば漸進的にでも市町村教育委員会の機能を充実させていくように、私どもからも要請はしてまいりたいと思っております。
○湯山委員 この方策についての要請ですか。——とにかくいまの状態では住民の意思を反映させるという法律の趣旨に沿えないという前提で、言葉はそういう言葉は使っていませんけれども、そういう前提でこれを訴えてきておる。こういう点を充実強化してもらいたいという訴えなのです。これは任命制の一つの大きな欠陥である。いま財政事情その他と言われましたけれども、これは交付税等で置けば、見られるはずなので、置いてないというのは怠慢です。つまり、法律の趣旨を体していない。そうでしょう。そういうことになりませんか。ちゃんと見られるのですよ。
○三角政府委員 御指摘の市町村教育委員会の組織でございますとかその運営については、やはり十分にこれが機能いたしますように充実強化を要請してまいっておりますが、それと並行しまして、市町村教育委員会の教育長その他の職員に対する研修会みたいなものも文部省あるいは都道府県でいたしております。特に職員の問題でございますが、この報告書にも掲げられておりますが、教育委員の報酬でございますとか教育長を初めとする職員の給与に係る交付税措置の改善等につきましても、年々所要の措置を講じてきたわけでございます。 ただ、これまた申すまでもなく、交付税というものは一般財源でございますので、それに見合って事柄が進むという場合が必ずしも常ではないわけでございますので、私どもとしては、市町村教育委員会に期待されている機能が十分に発揮できますように、なお今後とも指導助言を重ねてまいりたいと思っております。
○湯山委員 これは非常に重要な問題ですからね。教育委員会が今日住民と遊離しているという例で、つい先日、大阪の箕面市で教育委員会の会議録公開の訴えがあって、裁判で公開すべきだということで教育委員会側が負けた事実がありますが、御存じでしょうか。
○三角政府委員 承っております。
○湯山委員 このときに教育委員会は、裁判に備えて訴訟の準備書面というのをつくった、その準備書面には、教育委員は任命制であるから、市長に対しては責任を負うが、市民には責任を負わない、こういうことで書いてあった、これも御存じでしょうか。
○三角政府委員 間接的に聞いております。
○湯山委員 これは基本法第十条で、教育行政というものは、国民全体に対し直接責任を負って行われなければならないとちゃんとあります。それがいまのように、市長に対しては責任を負うけれども市民には責任を負わない、これは大きな間違いですね。 〔委員長退席、中村(喜)委員長代理着席〕
○三角政府委員 準備書面全体をよく読んでおりませんが、承ります範囲では、考え方としてはちょっと同意いたしかねます。
○湯山委員 同意いたしかねますくらいではなく、もうちょっとばりっと答弁してください。
○三角政府委員 そういう考え方は、ちょっとおかしいと思います。
○湯山委員 そういうことですからね。今日、具体的な例を挙げていけば、まだたくさんありますけれども、時間の関係で省きますが、実際に市町村教育委員会の連合会がこういうのを出したその気持ち、事実というものを考えてみると、今日の市町村教育委員会のあり方というのは、法律の趣旨と大分違ってきている、それを憂えている。そこで、そういう状態の教育委員会を住民のものにしていかなくてはならないという願いが起こってくるのは、ただ単に箕面市の例だけではなくて、全国の父兄の間にあると思うのです。そういうことの一つのあらわれが中野区の準公選であって、そういう意味での理解はできませんか。
○三角政府委員 任命制だから責任を負わないというのはおかしいと思うのでございます。公選制であろうと任命制であろうと、一つの行政機関でございますから、その文脈にはいろいろあるかもしれませんけれども、やはり責任を持ってその職責を遂行するということでございます。 〔中村(喜)委員長代理退席、委員長着席〕 したがいまして、現在の教育委員会制度でも、その運営に当たりましては、いろいろな広報活動、広聴活動を通じて地域住民の教育に対する要請を十分聞いて、それに耳を傾けるということ、あるいは教育委員会の活動の状況を広く知らせるというような努力を積極的に行って、地域に根差した教育委員会となるようにするのが望ましいわけでございまして、私どもは、そういう指導をこれまでもやってまいったわけでございます。
○湯山委員 だから、この市町村教育委員会連合会の文書といい、いまのようなことといい、実際に連合会の方が言っておるのも、そうなっておるとは言わないけれども、「はたして、「住民の意志を反映させるため」という法律の趣旨に添って為されているかどうかという疑問から発している」とありますね、あるでしょう、だから、実際に住民の意思の反映ができていないところが多い。そういう状態から、住民の意思が反映するような教育委員会になってもらいたいという住民の要求が出てくることは当然でしょう、その点に限って言えば。
○三角政府委員 先ほどからのこの報告書は、現在の市町村の教育委員会でいろいろと検討した結果でございますが、特に小規模の教育委員会のいわば行政能力に問題があるというような認識が出ておりますし、それから現在の教育委員会が合議制の運営において十分機能してない点の反省が述べられておるということであろうかと存じます。
○湯山委員 そこで、局長は、就任初めてのお仕事じゃないのでしょうか、中野区の準公選の問題について、これはずいぶん苦労して、法律に触れないように努力して変えてきましたね。にもかかわらず、なお固執して、これはけしからぬというような文書をあなたは出したでしょう。こんな問題をほっておいて、これだけ力を入れてこんなに出す、しかも、これはいまのような教育委員会を住民のものにしていこうという願いから出ておる、しかも、いろいろ言われるからずいぶん直していって、まあ、これならというので区議会を全会一致通ったものへなおわけのわからないような文書を出している、これは私はよけいなことだと思う。初仕事か何か知りませんけれども、こういうことはやめて、本当に教育委員会が——いいですか、申し上げたいのは、法律論も何もそんなことではありません。そういうことを言うのではなくて、基本法にあるのですから、本当にいまの地教委が住民の意思にこたえているかどうか、この方が先でしょう。そこをひとつ本来の任務として大きくとらえて指導していく、そこへ全力を傾注していく。こんな文書を幾ら出したって何にもなるものじゃありません。何を言っておるのかちっともわからない。いろいろやっても、それは結局、法律違反だと言っておるだけで、ちっともそれに触れていない。こういう助言はだれがするのですか、こういうことを局長に助言するようなそういう文部省の体制から直していく。そうじゃなくて、いまのような連合会のこれについてどうこたえていくか、全国の問題です。こういうことが改まらなければ、あなたが幾ら言っても、準公選はふえるばかりだと思います。もう一遍、その辺検討してもらいたいと思うのですが、いかがでしょう。
○三角政府委員 湯山委員の御認識と私どもの考えとは一致しがたいものがあるのじゃないかと思うのでございますが、市町村教育委員会の連合会の一つの検討あるいはあるべき姿に対しての考え方というものと、それから、それを改善する手段として、それを準公選というようなものに結びつけるかどうかという点について、私どもは考えを異にせざるを得ないのでございます。 中野区の問題は、区議会の中でいろいろ検討、御苦心が重ねられて、当初の原案の修正が行われたようでございますが、しかしやはり現在、国会で決めていただきました地方教育行政制度の法令に照らしてみますと、教育委員の任命権者である地方公共団体の首長の権限に法律的な制約を加えるという点で明らかに違法な措置でございます。それから、これは私ども現在の制度の成立の由来に照らして実質的に物事を考えてみましても、教育の運営の中立性に影響を与えるおそれがきわめて大きいのではないかという判断に立っております。地方教育委員会の機能の発揮、運営、組織の充実ということは大変必要なことでございますし、そうして、そのことによりまして、住民が真に必要とする施策が円滑に実施されるように私どもも指導助言を続けてまいりたいと思うのでございますが、これを準公選というような形に結びつけることは、場合によりましては、かえって状況を悪くするというふうに考えざるを得ないのでございます。
○湯山委員 これには大変な独断と誤りがあるのです。(「明快だ」と呼ぶ者あり)何が明快だ、よけいなことを言うなよ、あなた。おそれがあるなんというのは、何も法律条項じゃありませんよね。中立を侵すおそれがあるなどというのでやるのは行き過ぎです、あるかどうかわからないんですからね。 それから、初めの案のときにいろいろ問題を指摘した、それはわかります。しかし、その指摘に従って直してきておるのですが、直してきたってだめだ、そういうことではなくて、あなたに指導の責任があるんですよ。そういう温かさちっともないじゃないですか。もしこれが違法だとすれば、それはあなたの責任ですよ。それをどう指導するか、では、どうやってその不満をなくしていくかというのは、教育委員会が住民にどう直結するかという具体的なものを示さなければ解決しない。それがなくて、ただこうやって、それはいかぬ、誤りだなんて、そんなこと明快でも何でもないのです。明快でないから、こういう問題どうもならないし、これを出したからといってどうなります、何にもならぬでしょう。一片の報告にしかすぎない。どうなります、これを出したことによってどう変わりますか、あそこの準公選変わらぬのでしょう。
○三角政府委員 これは湯山先生に申し上げる必要はないと思いますけれども、現在教育委員は、地方公共団体の長が当該議会の同意を得て任命するということになっておるわけでございます。それが基本でございますから、その基本に誤ったことはやるべきでないという指導をするのが、温かい指導ではないかというふうに考えておるわけでございます。 これをやったらどうなるかということでございますが、これは中野区の問題でございますので、できるだけ私どもの指導に合った状況の解決を図っていただきたい、これは願う立場でございます。
○湯山委員 権利を侵害される、されないというのは当人の問題で、これは、当の区長そのものが侵害されていないというのならよけいなことを言う必要もないわけで、それよりも、もっともっとやらなければならない点が多々ありますから、そのことをひとつぜひやっていただきたい。 きょうは私、局長には少しきついことを申し上げたようですが、それは局長の誠実な人柄を非常に信頼して申し上げたことを理解して、行政に反映していただけることを期待して申し上げたわけです。これは決してお上手でも何でもありません。 それから大臣が、いまのように結局、教育が国政の基本であるという御理解を持って、しかも、押しつけではなくて、やはり引き出していく、エルチーフングの教育でなければならないというようにおっしゃったこと等々、非常に御理解のある大臣だと思います。したがって、大臣を補佐する任務、ひとつ局長にもしっかりがんばってもらうし、また、課長の皆さんにもその他の皆さんにも、やはりもっと本当に教育というものを、わきまえていないとは思いませんけれども、遠慮なくそういう助言をして誤りのないようにぜひやってもらいたいということを強く要望いたしまして、時間が参りましたので質問を終わります。
○三ツ林委員長 有島重武君。
○有島委員 第九十三国会における文部大臣の所信表明に対しまして、いささか質問をさせていただきます。いろいろありまして、愛国心の問題を含んでの基本問題それから、財政再建といいますか行政改革にどのように貢献していくのか、その中で教科書無償制度をどのように存続させていくのかというような問題、それから青少年の非行の問題国際交流の問題、また日本語の問題、体育の問題などと多少羅列的になりますけれども、簡潔に議論を進めていきたいと思っておりますので、ひとつよろしくお願い申し上げます。 最初に所信表明を伺いましたので、後からこのプリントをもう一遍読み直してみたのですけれども、歴代の文部大臣のおっしゃっていることと余り大差がないような感じもいたすわけでございます。そこで、特に田中文部大臣としては、こうした点を本当は強調したかったのだというような点がございましたら、お教えいただきたいと思います。
○田中(龍)国務大臣 第一点の余りかわりばえがないじゃないかという御意見でございますが、それこそ文教政策というものは、文部大臣がかわったために変わるようなことではなりません。その点は先輩から今日まで、統一した所信表明といたしてございます。しかしながらその中で、時代の進展とともに意識の点ではいろいろと変化がございます。 一例を申すならば、生涯教育というふうな問題、いまや学校教育の重要性はもちろんでございますけれども、それだけではなく、やはり本当にわれわれが考えなければならないのは、この時代の進展とともに家庭を守ってまいり、また大事な子供の育児に専念しなければならないお母さんの母親教育というものが非常に重大であるということも考えなければなりませんし、また高齢化社会となりますと、それこそ老人ホームに入っているような方々が希望を失って非常に大量の自殺者を出すといったような社会問題に対しまして、深い反省を持つと同時に、その方々にも生きがいのある教育を受けさせなければならない社会教育の面の重要性をわれわれは痛感いたします。 さらにまた、文教政策の中におきまして、小学校、中学校、高等学校、大学という機構の問題だけではなく、資源のない日本の国民生活、これに対しまして、たとえば肥料のようなものが今日は農村において最も充足されたものになっておりますけれども、実は非常に不足しておった。これなども結局、空中窒素の固定という無から有をもたらしたということが農村の安定、向上の上に大きな基礎をなしておると同様に、エネルギーの問題が日本の国民生活に今日最大の問題になっておる。さらにまた、こういうふうな化石資源というものから脱却して、われわれは世界における日本の科学技術の先導的な役割りを果たしてまいります大学の研究という問題に対して、改めて深くこれを評価いたしまするとともに、今日、科学技術を中心にいたしまして日本は大いに世界に貢献しなければなりませんけれども、その科学技術研究の中において文部省の占めております研究機関に対する経費というものは実に五五%になりまして、科学技術庁という名称のものがございましても二五%程度である。われわれの所管いたしておりまする大学の研究というものが、日本の将来の最も重要な基本をなしておるということを、私は反省もし、再検討もし、そしてまた、これのさらに一層の進展、充実を図りますことが、私の所掌いたしております文教政策を通じましての国家に対しまする大きな貢献の一つでなければならぬ。こういうふうな科学技術に対しまする、なかんずく大学の所管しておりまする研究機関に対しまして、大いにこの点を留意いたすというようなことが、私が就任いたしましての所感でございます。
○有島委員 大臣が御就任になって私たちが一番最初に印象深いことであったのは、靖国神社にいらっしゃったという行動でございました。 承っておきたいのですけれども、個人の資格でいらっしゃったのだというお話でございましたが、去年の八月十五日あるいはその前の年、その前の年、その前の年の八月十五日に、田中さんとしては靖国神社に御参拝なさっておったのですか。
○田中(龍)国務大臣 御案内のとおり、私の宿舎は九段の宿舎でございまして、毎日出勤の折り靖国神社にお参りしております。格別なことはございません。
○有島委員 そこで承りたいのは、日々お参りしていらっしゃるその感じと、御就任になって八月十五日にいらっしゃったときの感じとは、御自分の方はそうかもしれないけれども、受け取る方が、神社側としても大分違ったのじゃないかと思うのです。国民としての受け取り方は、私の資格である、公の資格である、こういうことは非常に紛らわしいのでして、文部大臣が他の閣僚とともに参拝した、これはかつて騒がれました靖国神社法案は成立はしておりませんけれども、あたかもそれが成立しているがごとき観を呈するというような中で行われておったという印象が大変深かった。このことをひとつお心得いただきたいわけなのです。 ですから、それは田中文部大臣の御自分のおつもり、心がけとは別に、国民が受けております印象というものは、かなり右寄りといいますか、国家主義基調、軍国主義基調といいますか、そのような一つの傾向の中に行われた文部大臣の行動であったと受け取られておる面が非常に多いということ、これはひとつお考えおきいただきたいわけです。 そして、そうした傾向の中で今度は愛国心という問題これは大切な問題でございますから、いま論議されておる。ですから、この経過の中で論ぜられる愛国心というものに対して、国民は相当疑義を持つといいますか、恐れを持っているのじゃないか。そういう中で、これは非常に慎重に扱っていかなければならない問題であると私は思うわけです。 そこで、戦前愛国心という言葉が使われて、多くは政府が学校教育によって一つの軍国主義的な風潮を国民の中に鼓吹する、その手段として使われてきた。こうした苦い思い出がわれわれには非常にあるわけであります。だから、うっかり口に愛国心ということを出すだけでも、これは相当右寄りであるというような感じが国民のどこかにあるわけです。でもいまは、そんなことを払拭して 一歩進まなければならない、そういうように私たちは思います。だけれども、それにつけても、これは非常に慎重に進んでいかないといけない。せっかく愛国心という問題を議論していく上にも相当慎重にしていかなければならない。ですから、大臣のいろいろな行動にも相当気を使ってくださらなければならないのではないかと私は思うわけです。 そこで大臣、愛国心という言葉は、いつごろから日本の中で使われ出したか御承知でしょうか。
○田中(龍)国務大臣 いろいろと御注意ありがとうございます。私どもの行動の中で誤解を招くようなことがあってはならないことは当然でございますので、貴重な御注意といたしましてありがたく承っておきます。 愛国心という言葉がいつから使われたか、私、不敏にして心得ませんけれども、洋の東西を問わず、体制のいかんを問わず、自分の祖国を愛するということは、余りにも当然過ぎるほど当然でございまして、愛国心ということに特に意識をお持ちになる方もあるかもしれませんが、かえってその方がおかしいのではないかと思うのでありまして、あたりまえなことをいたしておるにすぎないと思うのでございまして、空気の中ににおいを感ずる、これはにおいがあれば別でありますが、空気自体のようなものだろう、人の心の本然のものであり、これは当然過ぎるほど当然であろう、かように考えます。いつから愛国心という言葉が出たかということの原点は、どうも私、残念ながら存じません。
○有島委員 これは余り古いことじゃございませんで、明治以来のことでございます。翻訳の言葉ですね。それから、それがいろいろな意味でもって使われてきたかもしれませんけれども、やはり多く国体護持、国を守るというような意味に非常に局限されて、単なる国土をなつかしみ守っていくということから、日本の国は万世一糸の天皇の統治のもとにある国である、この国体を護持していかなければいけないのだとか、あるいはしたがって、その国を守っていくことが忠君愛国であるという狭い意味に非常に局限されて使われ出したというのは、明治二十年から三十年。愛国心なんというのは、それじゃ昔の辞書に出ているかといえば、出てないわけですね。そういうような言葉自体に一つの歴史を持っている言葉だ。これはやはりひとつ取り扱っていく上でもって心得ておいた方がよろしいのじゃないかと思うのです。 そして、いま言ったように、当然だれでも持っている感情なんだ、空気のようなものなんだ、だからということでございますけれども、いきなりそういけば大変結構でございますけれども……。 それから、それ以前に、言葉はなくてもそういったものがあったという場合に、日本なら日本人として日本そのものにどのような実感の仕方をしておったのか。いわゆる鎖国の時代もある、あるいは封建主義でもって各地域のいわゆる藩、大小の藩の中に閉じこもっておったというようなときですね。それから、よく言われることでございますけれども、いまもってナショナリズムといいますか、国境までの内側の愛国心と国境を越えた国際的な愛国心、そういうようなこともあろうかと思いますね。 ですから、愛国心について、やはりここでもって論議されて、それが教科書にあるとかないとかいう話の次元ではなくして、もう少し深めて広めて、正しくこれを扱っていかなければならない問題であろうと私は思うわけです。それで、少ない時間でございますけれども、あえて取り上げたわけです。 そして私も、教科書に出ている出ていないというようなこの前の御議論というのは、これはやや的外れといいますか、そういった言い方だけでもって申しますと、あたかも愛国心ということを口にし、印刷にすれば、それでもって事が終わっていくというようなことは重々考えていないにしても、いま教育の中で、正しい答案さえ書ければ、それでもって事が済むというような風潮が非常に憂うべきこととしてあるわけですね。 ですから、これは極端なことでございますけれども、農業学校の先生に伺ったのですけれども、学生さんに鶏の絵を書かしたらば、足を四本かいたという話ですね。これはじかに聞いたお話ですよ。このくらい何か観念的になっておるというか、観念そのものも不正確であるというようなことが行われておる。その中でもって結構学校教育は量の上では非常に盛んになっておるというような時代でございますね。 そういう中でいま愛国心ということを考えた場合に、それじゃわれわれが、われわれも含めて青少年が、日本の国のことについて本気でもってそれを考える場面、あるいはそれを本当に話し合っていく場面、時間、契機というものがあるのだろうかということですね。それがさらに、ただ受動的に知識として入っていくということを超えて、今度は自分たちの表現として何か出てくる、こういうような時間、場面、ゆとりといいますか、こういったものをつくっていくということがより実質的なことになるのじゃないだろうかと私は思いますし、それから、この間の御議論を伺っていて、やや形式的な話に入っていってしまって、それでもって愛国心ということになりますと非常に困るというように私は思ったわけです。 そこで、一つの提案があるわけなんですけれども、ここにこういうのがある。これは後で差し上げますから御検討いただきたいのです。「薄らぐ自国意識 積極的見直し必要 百年かけ国歌つくろう 長期展望で愛国心の育成を」というような見出しなんですけれども、これは百年かけてじゃなくて、実際は六十年かけて大いに国歌をつくるといいますか、国民愛唱歌を募集していく、その募集をして、選定をしていく主体が限られていると非常に問題になるから、幾つかの複数の選定主体でもってやっていったらばどうか、しかも、それを長い時間をかけてやっていけば、それを選定していく人たち自体が、また子孫からいろいろと批判も受けるようなことになる、それで応募した人も、あるいはそれを選定する人も、選定された結果をまたいろいろと見る人も、そこでもって日本の国ということについて広く考えなければならない、行き先も考えなければならないし、歴史も考えなければならないというような、そういう場面を年次的につくっていったらばと、そういった提案があるわけなんですよ。 ひとつそれを交えて、形式的でなしにといいますか、生活化されたものとしての愛国心、これを議論の対象としていく、あるいは教育実践の上の対象としていく、そういったことに留意を集中してもらいたい、いかがでしょうか。
○田中(龍)国務大臣 貴重な御意見といたしまして伺っておきます。
○有島委員 次の問題にいきます。 財政再建に関しては、閣僚として非常に心を悩ましておられるのじゃないかと思うのですが、文部大臣のお立場として行政の簡素化といいますか、むだをなくするというのですか、これにどのように貢献をしていくか、どの程度までやっていくか、その目標なりその方法をお聞かせいただきたい。
○田中(龍)国務大臣 御案内のとおり財政当局が、いま国家財政非常に窮迫しておる、それに対して文部省としても助けてくれ、こういうようなお考えからいろいろと「ゼロリスト」でありますとか「百科」でありますとかそういうふうな問題を提示されておりますことは存じております。しかしながら、これは一つの仮定でありまして、われわれは今日、来年度の予算編成に当たりましての国で示されました予算のぎりぎりの限界というものの基準に従いまして概算要求を提案いたしておるわけであります。仮定に基づくいろいろなことを申すわけにはまいりませんが、わが省といたしましては、大蔵当局に提出いたしました概算要求をもってわれわれの意思である、かように考えております。
○有島委員 一つの努力目標があの概算要求、あれは確かに拝見しましたが、あそこでの大臣の一番のねらいはどの辺だったのかということです。
○田中(龍)国務大臣 私のねらいのぎりぎりが概算要求でございます。大蔵当局の立場は立場といたしまして承りますが、しかし、私のねらいと申しますか、国の圧縮、縮減基準に従って私どもがベストを尽くしてつくりました概算要求でありまして、これをさらにどうこうとは考えておりません。
○有島委員 私たち非常に関心を持ちますのは、教科書の無償の存続ということでございます。これについては、法律がきちんとあることでございますし、これを改正するようなことは将来とも考えるべきではないと思っておるわけでございますけれども、この教科書無償の存続について大臣の御決意を承っておきたい。
○田中(龍)国務大臣 私は、絶対にこれを貫徹するというかたい決意を持っておる次第でございまして、委員会の皆様方挙げての御協力、御鞭撻をひとえにお願い申し上げます。
○有島委員 また別の問題にいきます。 教員免許を取得する人たちが非常にふえているわけであります。これは年を追うごとにまたふえていくであろう、これは大変よいことであると思っております。五十四年四月の教員免許の取得者数が十七万九千人おるそうです。教員に就職決定者はそのうち四万人であるということですね。そうすると、それぞれ免許を持ちながら教員以外に就職なすっている方が十三、四万人はおいでになるということですね。 それで、先ほど大臣、生涯教育とか社会教育の重要性だとかいうことを強調されました。年々ストックされていくといいますか蓄積されていく教員の免許を持っていらっしゃる方々は、恐らく推定百五十万人から二百万人くらいいらっしゃるかもしれませんね。それから教員を退職なさった方々、いわゆるOBのような方、これは毎年三万人前後おいでになるわけでありまして、こうした方々のフォローについて考えていくべきじゃないのだろうかと思うわけでありますが、いかがですか。
○田中(龍)国務大臣 教員免許を持っておられる方が大変たくさんおられる、同時にまた、われわれが生涯教育を実現するためにも、やはりたくさんの方々の御協力をいただかなければなりませんし、また、日本の社会構造からいいましても、高齢化社会におきます退職後のいろいろな職場の問題もございましょうし、われわれとしましては、こういう貴重な人材に対しまして、ぜひとも社会的に活用いたしたい、こういうふうに考えております。 なお、免許の細かいことにつきましては、ひとつ担当官から御説明いたします。
○高石政府委員 いま先生御指摘のとおりに、教員免許状を持った人がかなりございますし、教育界を離れた人材もたくさんいらっしゃいます。したがいまして、社会教育の場ではこれらの人材を積極的に活用するということで、国の方では社会教育指導員の補助金を出すというような対策を講じながら進めているところでございます。
○有島委員 大臣、いま局長からお話ございまして、そういう手だてを講じていらっしゃるということでございますけれども、その数からまいりますと、まだまだけた違いと申しますか緒についたばかりと申しますか、今後その方向を、ここでは余り議論する時間もございませんけれども、なお光を当てて進めていくべきじゃないか。特にいままで成功しているといいますか、私たち、これは非常にうまくいっているなと思う例が幾つかございまして、社会教育なんかの場で幾つかの事例を知っているわけですけれども、いま社会教育そのものが余り重んじられないといいますか、非常に優秀な企画を立てていらっしゃるのにもかかわらず、そこに参加される方というのは極限されているというような事態があるのじゃないかと思うのです。ここにもつと力を与えてもらいたい、そういうことです。大臣から……。
○田中(龍)国務大臣 もちろん免許を持っていらっしゃる方々の中には、いろいろな種類の免許があるわけでございます。同時にまた、それを職場の戦列の中に動員するということにいたしましても、文部省所管の予算をもって文部省の人件費でやるものは、数からするならば少ないかもわかりません。しかし、生涯教育という一つの大きな目標、それは文部省だけの問題ではないのでありまして、官も民も全体が国を挙げてそういうふうな傾向になってまいりますれば、たとえば看護婦さんの免許状を持った者が、文部省関係のボランティア関係の中には入らないかもわかりませんが、会社の方でも不足した看護婦の方々のあれについていただける、こういうふうに考えるのであります。私の申し上げているのは、一省単位の話ではなく、日本の社会構造全部においてそれを吸収し、受けとめていかなければならない、こう考えております。
○有島委員 次に行きます。 国際交流の問題です。これも議論すると長くなる話でございますけれども、簡単に進めていきたいと思います。 国際交流は、今後国の課題として文教問題を越えての相当大変な問題ではないかというふうに私は認識するわけでございます。特に日本の国を守っていく、いろいろな紛争の中でも経済的に守っていくということもございますけれども、さっきも平和憲法を守り抜いていくのだということですね。一つの制限の中で守っていくという言い方ができようかと思います。他の諸国と本当に気心を知ってつき合っていくということについて、従来は日本人としてはそういうことは余り得意ではなかったのじゃないだろうかという反省があろうかと思うのです。たとえば北方領土の問題がいろいろ言われておりますね。ではソ連の方々とどのぐらい友好関係を持った日本人がいるであろうかということです。これはアメリカ、ヨーロッパの方と比べますと非常に少ない。それから中近東に向けてどのような交流がなされているだろうか。私の申しますのは、外交的な折衝が一つ、それから学術的な交流もありますでしょう。文化的な交流もあるでしょう。そういうことをもっともっと幅広く進めていかなければならない。それも世界のあらゆる国々にあまねく積み重ねて進めていかなければならない。そういったいままでの歴史も踏んまえて一つの出発点にいまあるのじゃないか。これからの国際交流ということについてそれを推進していくということ、これは教育の上でも非常に重要な問題になるのじゃないだろうかと私は認識するわけです。そのためのマンパワーを育成するという課題について、大臣平素からお考えになっていることがありましたら、一言先に伺っておきたいと思います。
○田中(龍)国務大臣 有島さんは、私が就任いたしますまでの経歴は、調べ上げてあると思うのでありますが、私は三十年間海外協力の問題を担当いたしておりまして、特に中南米におきます交流の問題、さらに向こうに対します日本の学術、文化については、私は、海外移住家族会の会長もしておりまして、全力を挙げております。ことにODAの関係は、日本がこれだけの経済水準をとっていながら、海外への協力におきましては、世界のODAの国の実に最下位の十六番目になっている。こんなばかなことはございませんので、田中元総理のころから真剣にこの問題については交渉をいたしておりまして、特にOTCA、いまの国際協力事業団に対しまして、アフリカあるいは中近東方面に対して青年の方々あるいはボランティアの方々を派遣いたしております。 そういうことで、本当にお説のとおり、この問題は日本といたしましては恥ずかしい次第であって、偉そうなことを言っておきながら、海外協力について、特に文化協力について非常に劣弱であるということは御指摘のとおりと思います。これにつきましてひとつ有島先生、今後ともによろしく御協力をお願い申し上げたい。 その場合、ことに青年の交流、留学生の問題もございますが、留学生問題だけでなく、もっと広い範囲にひとつ国際的な視野を広げて、そして、あくまでも日本の国柄というものが、貿易の自由とそれから外交的には平和外交でなければならぬということに徹して海外に向かって伸展いたしていきたいものだ、その場合一番問題になりますことは、語学の問題だということだけは申し上げておきます。
○有島委員 私が承りたいと思ったのは、いままで田中さんがずっとやってきてくだすったことを踏まえて今度文部大臣に御就任になっている、それでもって確かにいままでのわが国のそういった努力というものを今後とも踏まえてそのまま進めていくよりも、ここをまた一つの出発点として大幅に本格的にやっていかなければならぬときに来ているのじゃないだろうかということを申し上げたいわけなんです。だから、質的にといいますか量的にも、ここでもってひとつ飛躍的なステップをつくっていく、そのために田中さんが文部大臣になってくだすったのじゃないだろうかというふうに私は思って期待をしているわけなんですが、そのあたりはいかがですか。
○田中(龍)国務大臣 ただいまも申しましたように、文部大臣としての所掌から言います場合に、留学生問題という問題が当然出てくるわけでございます・今日、国費留学生あるいは私費留学生、そういう方々をとっておりまして、国際学友会あるいは日本教育協会といったようなところで大学の関係は扱い、あるいはまた、それのみならず、私設のいろいろな団体やら企業やら非常に幅広い留学生の受け入れをいたしております。同時に、こちらから出してまいります分につきましても、メキシコとの協定でありますとか、パラグアイやその他中近東方面の協定がございまして、そちらの方にも出ていってもらいますが、ただいま最後にちょっと申し上げた分では、語学というものが、何分にも日本が余りにもむずかしい日本語というものを持っておって、向こうから来た者も日本語を習得するのに非常に骨が折れるということで、大学に進学するまでに半年やそこらでは日本語の教育機関の中にはまっていけない、あるいはまた日本という国がアングロサクソンとの関係がいままでの歴史的背景で濃いものですから、英語ばかりが社会に流通しておって、英語以外の言葉に対しては習得する意欲すらないということが、海外に向かっての非常にウイークポイントでございます。そういうふうな語学教育あるいはまたいまの諸般の問題が山積いたしておりますが、ひとつ有島先生のお力で何とかこういう問題についても蒙を開いていただいて、大いに積極的な文教政策を文部大臣といたしましてもやれますようにひとえに御鞭撻をいただきたいと思っております。
○有島委員 いま大臣、言葉の問題に限って非常に強調されましたので、ほかの問題をちょっと省略してそこだけ議論させていただきたいと思います。議論といいますか一つの提案でございますけれども、まず外国人に日本語を教える問題でございますね、外国人に日本語を教えていくということの本格的な調査といいますか、研究といいますか、実践といいますか、これはいま文化庁の方、国立国語研究所の方にセンターをつくっていただいて進めているわけですけれども、近い将来に日本人が外国人に日本語を教えるそういった免許、一つのライセンス、これは教員免許などとはちょっとニュアンスが違うかもしれませんけれども、そういうものをどこかの機関でつくっていく、こういうことをお考えになったらどうか、大臣。
○田中(龍)国務大臣 担当官の方からもっといろいろと御説明を申し上げればよろしいのでありますが、いまの御質問の内容から私が所見を申し上げますと、日本語の普及という問題とも関連いたしますが、要は、日本語を習った後に習った人が社会生活をする上に非常に役に立つか立たないかということが日本語の普及の基本だと私は思うのです。日本に来て医学を習ったとしますと、本国に帰るなり何なりいたしましても役に立たない。それでは日本語を習う意欲もわかない。ヨーロッパに行きましたり、アメリカに行きましたりする人は、また帰ってきて生活の糧になりますけれども、日本語の場合には役立つまいという問題が大きな問題でございます。 それからもう一つ、もっともっと政府が努力をしなければいけないことは当然でございまして、アメリカや何かというのは、外交官それ自体も日本のシステムとは違うんですね。この間も、ユネスコの関係で私、フランスとイギリスとユーゴスラビアに参りましたけれども、あそこの日本語教育というものは、赴任した商社や外交官の方々や何かが日本にお帰りになった場合に、子弟がいつでも日本のいい学校に進学できることが一番父兄の関心事なんですね。ですからフランスにある日本語学校というのは、フランスの社会に対して溶け込んでフランス語を習うという意味ではなくて、いつ日本に転勤して帰ってもいいように、閉鎖社会といいますか、日本語だけを猛烈に勉強する、そして日本にお父さんが転勤した場合には、すぐ日本の優秀校に受験して受かるような教育をする、こういうところにも語学教育の中で隘路がございます。そういうふうなたくさんの隘路だらけの中でひとつ御一緒に御協力をお願いします。
○有島委員 私が申し上げたのは、いまと十年前と大分情勢変わってまいりましたのは、外国人の中における日本語熱というのが出てまいりましたね、中国なんか非常に多い。ただ、日本人だからだれでも日本語を教えられるかというと、そうはいかない。しかし、ちょっとしたマナーをそこに付加すれば、相当いまの日本には海外に出ている家族というのが多いわけでございますから、そういう人たちがそれを業として日本語を教えてくる。これは国々の事情によってわからないけれども、しかし、いろいろなチャンスを持ちながら、向こうが望みながら、それがうまく機能しないというような状況がいまもありますし、今後も非常に多くなると思うのです。 それで、さっき潜在的に教員免許を持っていらっしゃる方も当然おることだということがございましたけれども、それとやや関連しますけれども、これからの一つの海外交流のマンパワーとしてもう一遍見直す、どういったようなマナーをつけさせていくかという中に一つそういったことがあろうかと思うので、それも御留意いただきたい。 それから、外国語の習得のことにつきまして、外国語の専修学校、ここでもって習得したものを大学の方で履習をしなくても単位として認めていくというようなことをもっと進めていっていいのじゃないだろうか。これは高校段階からも考えられることでございまして、確かに高校における英語の履習ということ、これは基礎ですからいいんですけれども、中学のときにすでに基礎の履習ということをするわけでして、語学の問題になりますと、どのくらい履習してきたかという問題よりも使えるかという段階になるわけでございますね。そうなりますと、学校の中でもってやっていくということも、これは有益かもしれませんけれども、それぞれの能力に従ってどんどん学校以外のところでもって習得してくる、それをむしろ大いに学校が認めていく、そういうような手だてを考えていかなければならないのじゃないだろうか。学校の中に閉じ込めますと、どうしても英語主体ということから逃れられないようになるわけですね。これをさっきおっしゃったように、いろいろな各国語、東南アジアの言葉も含めてそういったものに——日本人はそれが不得意であるというふうに必ずしも決め込むことはないのであって、やらしてないということだと思うのです。やるにはまだ時間が足りないということがあろうかと思うのです。ですから、やや抽象的ですけれども、そういった道を開くことをひとつ御検討いただきたい。
○田中(龍)国務大臣 一点だけ私がお答えいたしまして、私ばかり答えたのじゃ申しわけございませんので、ひとつ担当官の方からあれしますが、いまのお話の中で私が一番気づいていますことは、全世界の語学の中でどこへ行っても通用するのは、全世界の三分の二はスペイン語を話すんですね、スペイン語ならアメリカの本国へ行ったって英語のほかにスペイン語が通じます。東南アジアに行ったってスペイン語が通じます。アフリカに行ったって通ずるのです。ところが日本の社会というのは、いまお話のように英語しか語学というと習得しない、そういう問題がございますので、これは私、外務省の方にも、方々に説いておるのでございますが、なかなか実現できません。 あとの御質問につきましては、担当官から申し上げます。
○宮地政府委員 ただいま先生から、従来の大学における単位の修得につきまして、たとえば語学教育などについては、専修学校の単位を、履修の成果を認めるようにしてはどうか、そういうことを検討するのはどうかというような御趣旨でのお話があったわけでございますが、実はこの文教委員会で先般来、前々国会でございますか、放送大学の審議の際に、体育の行事に参加することを体育の実技の履修に振りかえるというようなことについての御質疑があったわけでございますが、さらに、それを一歩進めて考えるのはどうか、検討してみてはどうかというようなお話であろうかと思います。 ただ、専修学校等における履修の成果を認めるかどうかという問題でございますが、大学とそれらの学校との間に学校教育法上の制度上の違いがあるというようなことが基本的にございます。それから、単位制度の共通の基盤がないというようなこともございまして、大変検討を要する幾つかの問題点があろうかと思います。しかしながら、大学教育、高等教育の構造をできるだけ弾力化していくということについては、すでに大学設置審議会の大学設置計画分科会の報告等でも指摘されている点でございます。 そういう観点で、専修学校等で履修した成果についても、内容によっては何らかの評価を与えることができるようにすべきではないかという御提案については、十分検討いたすべき点ではなかろうかと思います。 私どもとしては、すでに大学設置審議会の大学基準分科会においていろいろ検討も始めておる点でございまして、大学関係者等の御理解も十分得ながら検討させていただきたい、かように考えております。
○有島委員 いま大学局長の方からお話がございましたが、これは外国語教育にもっと弾力を持たして進めていきたいということは、やまやまなんだけれども、制度上隘路があるということでございますね。それで、大学設置審議会というところにもう検討させているんですね、局長さん。
○宮地政府委員 はい。
○有島委員 そういう状況になっているそうでございますけれども、大臣、これを本当に実らせるといいますか、いままでの古い制度のために新しい時代の進展をそれだけ阻害するというような状況は、非常に悲しむべきことでございますから、さっきちょっと文部大臣の所信を先に承ったわけですけれども、せっかく田中さんが大臣におなりになったこのときに、このことだけは踏み出していただきたい、私たちも応援いたしますから、がんばっていただきたい。どうぞ一言……。
○田中(龍)国務大臣 具体的な例といたしまして、やはり日本自体にも欠陥がございます。たとえば医科大学なんかの場合を考えてみますと、日本の医科大学を出た者は、どこの国へ行っても、世界に誇る日本の医学だから当然どこでも開業できるというようなことで胸をたたいておりますけれども、実はそうじゃございませんので、国際関係というのは相互主義でございますから、日本のお医者が向こうへ行って向こうで診療ができるためには、向こうの医科大学を卒業した者を日本に持ってきても、すぐにライセンスができるのでなければ相互交流になりません。ところが遺憾ながら、日本の場合は、われこそは世界に誇る医学ということで向こうの国に対してライセンスを与えないことが非常な交流の欠陥にもなっておりますことを一言だけ申し添えまして、お答えといたします。 まことにありがとうございました。
○三ツ林委員長 本会議散会後直ちに再開することとし、この際、暫時休憩いたします。 午後零時三十七分休憩 ————◇————— 午後二時二十七分開議
○三ツ林委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。有島重武君。
○有島委員 国際交流と留学生の問題をもっといろいろ広げてやりたい意思を持っておりますけれども、相当時間がかかりそうなので、またの機会にさせていただくことにいたします。 それで、青少年の非行の問題につきまして触れておきたいと思いますが、警察の方来ていらっしゃいますね。−五十五年上半期といいますか、最近の青少年の非行の傾向について概括的に簡単に御報告をいただきたい。
○古山説明員 少年非行は、昭和四十八年以降増加を続けているわけでございますけれども、ことしの上半期の刑法犯少年が著しく増加いたしておりまして、半年間の補導人員が七万六千二百七十七人でございまして、昨年同期に比べまして一万三千六百十六人、二一・七%の増加ということで、かつてない大幅な増加となっているわけでございます。 その内容でございますけれども、万引き、自転車盗あるいはオートバイ盗のいわば遊び型非行が依然として多いわけでございますが、そのほかに、ことしは暴走族少年による凶悪粗暴事犯が著しく増加している。それから、教師に対する暴力事件等のいわゆる校内暴力事件が増加しておりまして、この二つを中心に凶悪犯、粗暴犯の増加がかなり著しいというのが、ことしの上半期の特徴でございます。それから、いわゆる低年齢化の傾向が進んでまいりまして、中学生による非行が増加しているというのが、その次の特徴点かと思うわけでございます。それから、両親が健在で経済的にも中流の、ごく普通の家庭の少年による非行が多いという、いわゆる非行の普遍化傾向が進んでいる、そういったところが特徴点かと思うわけでございます。 大体そういうような傾向でございます。
○有島委員 憂うべきといいますか、恐るべきといいますか、大変な問題が増加傾向にあるわけであります。 なお、総理府の方でいろいろと御苦労をしていらっしゃるわけですが、そちらからも御報告をいただきたい。
○菊池説明員 総理府の青少年対策本部では非行防止対策のことも扱っておりますが、非行防止対策は警察あるいは教育とか児童福祉、そういった関係機関の活動はもちろんのことでございますが、民間人によるボランティア活動、これもきわめて重要であり、かつこういう人たちの御活動が非常に効果的であると考えております。 そういう意味で総理府といたしましては、非行防止のために、先生から午前中お話がございましたが、元学校の先生をなさった方とか警察にお勤めであった方とかあるいは保護司であるとか民生児童委員など、こういった民間のボランティアの方々による街頭補導活動、そういう人たちの拠点となっております少年補導センター、これに対する助成をいたしまして、非行防止のために努力をしているところでございます。 そのほか、文部省あるいは警察庁、そういった関係の省庁と定期的な会合を持ちまして、いろいろな意見の交換あるいは情報の交換等を進めておりますが、非行防止という観点だけからではなくて、青少年の健全育成という広い面からの行政につきましても努力をしているところでございます。 特に毎年七月には、青少年を非行から守る全国強調月間、あるいは十一月には全国青少年健全育成強調月間、こういうものを設けまして、非行防止あるいは健全育成につきまして、国民の方々の広い関心を高めまして、国民の方々の活動が一つの国民運動として盛り上がるように私どもそういう施策を進めております。 そのほか、少年の非行の背景となっております諸要因につきまして、学者の方々あるいは有識者の方々によって総合的な検討、協議あるいは研究調査、そういったことをお願いいたしております。 非行防止は、先ほど警察の方からもお話ありましたように、最近その件数も非常に増加しておりまして、私どもも、これについては非常に憂慮しておりますが、今後とも一、非行防止あるいは青少年の健全育成という面につきまして努力を続けたいと思っております。
○有島委員 文部省の方としても、この面で大変御苦労していらっしゃると思うのですけれども、主に初中局じゃないかと思いますので、初等中等局長から御報告いただきたい。
○三角政府委員 ただいま御指摘ございましたように、児童、生徒の非行が最近引き続きまして増加の傾向にあるということは、大変遺憾なことであると思っております。この非行の原因や背景というものは、いろいろ複雑な面があるかと存じますが、やはり社会的風潮に非常に享楽的な面が出てきたり、あるいは暴力を見逃したりするようなことがございますと、そういった方からの影響も受けますし、さらには、もちろん学校教育あるいは家庭教育のあり方などが複雑に絡み合っているものというふうに思われるのでございます。 それで、いまお尋ねの学校教育面でございますが、これは先刻御承知いただいておりますように、私どもといたしましては、教育課程の基準の改善を行った次第でございますが、これによりまして、知徳体の全体の調和のとれた人間性豊かな児童、生徒の育成が行われるように努めているところでございます。また、学校教育全体におきます指導を通じて、一人一人の生徒の実態をできるだけ十分に把握いたしまして、教師と生徒の間及び生徒相互の間に好ましい人間関係というものが醸成、育成されていくようにしなければならない、それからあわせて、生徒の家庭でございますとか、それから当該地域社会とも密接な連絡をとりまして、生徒が非行を起こすことがないように学校として努めていただくように、そういう指導を引き続き行っておるわけでございます。 さらに、生徒の非行問題に適切に対処しますためには、この指導に当たります先生方の能力、資質の向上を図ることが重要でございます。文部省といたしましては、これは毎年、中央と各都道府県におきまして生徒指導講座というものを開催いたしますとともに、生徒指導資料というものも作成いたしまして、全国の中学校と高等学校にお配りをしておるところでございます。 それらのほか、生徒指導研究推進校という仕組み、それから生徒指導研究推進地域という仕組みもつくりまして、これらの推進校ないしは推進地域を指定いたしまして、このねらいとするところは、学校ぐるみあるいは地域ぐるみで、単に生徒指導の先生あるいは担任の先生だけではなくて、全体で一丸となって非行防止、生徒指導に取り組むという体制がつくられますように推進をいたしておるということでございます。
○有島委員 これは大変深刻で広範に広まりつつある問題で、決め手というのはなかなか軽々にはいかないものですけれども、少なくとも青少年の非行などの暴力的なもののうちのあるものは、大変閉ざされてシステムの中に囲い込まれておる、外面的に見れば非常に至れり尽くせりの文句を言う筋合いはないじゃないかというような状況の中に大人側としては置いてあるにもかかわらず、それがかえって閉ざされた環境になって、もっと広がったところに何か突破口を求めていくというようなこともあるのじゃないか、そういう潜在エネルギーといいますか、これを余り破壊的な、暴力的な方向ではなしに、何かもっといい方に積極的に転換していってあげるということが、ここが大切だろうと思います。それを抑えていくということだけではどうにもならない。ここは詰めた話はなかなかできませんけれども、大臣としていろいろお考えになっていること、お感じになっていることがおありになるかと思いますけれども、文部省としてできること、あるいは行政としてできることにはいろいろ限界はあると思いますけれども、大臣の御所見のほどを承っておきたいと思います。
○田中(龍)国務大臣 最もむずかしい問題でございまして、先般も閣議で総理府の総務長官の方から非行問題が議論されたのでございますけれども、しかし、何といいましても、家庭の問題にどうも還元されてきてしまって、本当に温かい家庭のもとに両親がよく指導するということが一番大切じゃないかと思いますし、もう一つは、やはりテレビなんかの影響もずいぶんあるようでもありますが、しかし、こういうのをやめるわけにもいきませんし、なかなかむずかしい問題を残しております。 お話のとおりに全力を挙げてわれわれの方も努力いたしますが、これは文部省だけでできるものでもございません。結局、当面いたしました時代の一つの断層だろうと思うのでありますけれども、一生懸命に全力を尽くして努力いたします。
○有島委員 ひとつさらに努力していただきたいということで、いまここで余り深く議論もできませんけれども、お互いに本気でもって取っ組んでまいりたいと思っておりますから、よろしくお願いします。 それとやや関連しますけれども、体育の問題でございますが、体育政策としていろいろ進めていってもらう、ただ、この体育政策を進めていくことによって体力がどんどん向上しているかというと、必ずしもそうではない、体格はよくなるけれども、体力ということと関連しない面もあるというようなこともあるようであります。 それから、いまの問題で文部大臣が言いました家庭の問題である、家庭でもう少しきめの細かいことをということでございますけれども、本当に遊び場がない、暴れる場所がないということになりますと、これはやはり家庭でもどうにもならないというようなことが相当あるわけですね。 それからもう一つ、体育という問題とスポーツという問題と体力という問題、一時代前には大体これが同じ一つの次元のうちに考えられていたのではないかと思いますけれども、文部省の体育局でお進めいただいているスポーツというのも結構なんですけれども、スポーツというのが必ずしも国民全体の体力にかかわるよりも何かショー的な、あるいは選手主義といいますか、そういった方向に行きやすいということも指摘されているわけです。 そこで、これからの体育について、この間白書も出たようでございますけれども、これが何か新しい方式に踏み出されておるならば、それを御報告いただきたい。ひとつ体育局長から……。
○柳川(覺)政府委員 先生御指摘のとおり、体育、スポーツという言葉が使われておりますが、学校教育におきましても、知徳体、調和のとれた人間形成、その中で特に体育につきましては、まず基本動作を大事にしていく、基本の動き、走、跳、投、歩き、姿勢を正す等の基本動作をしっかりと身につけていく、その上で学年の発達につれてスポーツに親しむ、また生涯を通じてスポーツに親しめる、そういう技術あるいは技能を身につけていくという展開をいたしております。 それと同時に、大臣が申しましたとおり、家庭あるいは地域での子供たちの遊びの中に子が育つという面、そういう面からの場の取り戻しと申しますか、場の設定ということが大きな課題になってきておるということでございますので、いま学校における体育施設の整備と並行いたしまして、身近な運動広場あるいは自然の中に子供たちが野宿すると申しますかキャンプもする、自然の動きを知る人間ということをねらったグリーンスポーツ構想、そういう施策を進めておるところでございます。 したがいまして、よく動くのは元気な子だという基本の線に立ちまして、また親から受けた伸びる力を本当にみずから鍛えて伸ばしていくという意欲がある子供、その辺にねらいを置いた体育、スポーツの振興に心がけているところでございます。
○有島委員 名古屋オリンピック招聘について田中文部大臣が世話人におなりになるということで、もう御決定のあったことですけれども、その御抱負をひとつ承っておきたい。 そこで、ちょっと注文といいますか、いろいろ経済的な障害をはねのけていかなければならぬということ、これはございますね。それからもう一面は、まさに国民体育的な面で申しまして、現在でもなおスポーツと体育ということとの乖離といいますか、余りぴったり来ないところがあるわけですね。そのスポーツの一番の花というところに位置づけられるのがオリンピックということでございますね。これが国民の体育ということから見て宙に浮いたものにならないように、これを通じてグランドや何かが整備されるということが含まれても結構でございますから、国民の体力向上といいますか健康の増進と申しますか、そういうぴしっと地に足のついた行事になるべくわれわれは望むところであります。ひとつ御抱負のほどを承りたい。
○田中(龍)国務大臣 これは御報告でございますが、けさほど閣僚懇談会がございまして、これは新しくつくったものではございませんで、前内閣からずっと踏襲いたしております閣僚懇談会でございますが、すでにいまの外務大臣が官房長官のころから、五月の初めからいろいろと幹事会を持たれましてずっと推進してまいられて、いよいよこの十七日、本日、きょうはモナコの方では十六日になるのだそうでありますが、モナコの方の明十七日までに日本が立候補するかしないかというサインをしてほしい、それをもとにいたしまして今後のオリンピックの話が進んでまいるわけでございます。ライバルとしてオーストラリアが出ておるとかなんとかというふうなうわさも聞いてはおりましたけれども、何はともあれ、中部地方におきましては、ぜひ誘致いたしたいという願望、三県の衆参両院各党の方々のあの非常な熱気あふれる御要請に基づきまして、それでは政府の方といたしましても、財政上非常に苦しい中ではありますけれども、八年後のことでもございまして、ゴーのサインを出そうというところまでまいりました。けさほど関係閣僚が集まりました際に、おのおのいろいろと御意見もございましたが、総理におかれまして、一応前向きに進んでいこう、ついては、その責任大臣として文部大臣がなれというところまでお話をいただきました。なお、閣僚懇談会の決定は、直ちに副知事から現地の方に打電をいたしました。そうしますと、向こうの方ではきょうは十六日になりますので、明日の会議には問に合う、日本は立候補の意思を表明したということに相なります。 これが、その後においてどういうふうに進みますかといいますと、この十一月三十日までに正式に決定しなければならないことになりますが、その間におきましても、非常に財政窮迫の折でもあるし、いままでのオリンピックなるものが余りに冗費のかかり過ぎということと同時に、はでな面もありまして、ただいま御指摘のように、何となしに一般の国民層の感覚とオリンピックというものとが離れておったような感じがするとおっしゃいましたが、そういうふうな問題もできるだけ切り詰めた、本当に最小限の出費をもって最大の効果を上げていこう、こういうような気持ちで今後の処理を進めてまいりたい、かように考えておる次第でございます。 なお、この問題につきまして、さらに詳細は局長の方からお答えいたします。
○柳川(覺)政府委員 先生御指摘のスポーツと国民体育、体力の向上の問題との関係でございますが、スポーツ振興法で広く国民のスポーツの普及振興と同時に、わが国の競技力と申しますか競技水準の向上への努力がうたわれております。確かにオリンピック大会は、それ自体世界の強豪が集いまして、スポーツを通してわざを競い合うという場でございますが、この場におきまして人間がそれぞれの持つ可能性を追求していくということの、より高く、より美しくという世界が実現される、このことは同時に、現実に東京オリンピック大会で東洋の魔女の日本の女子選手の活躍は、やがてママさんバレーという大きな波を生み出してまいりました。 そういう面で高さと面積の問題も関連いたしますが、国民各層の体力づくりということと競技水準の向上という両面の問題でございますが、常にこの辺の調和を図った施策ということを心がけていきたいというふうに考えております。
○有島委員 いまの国民体育という問題とオリンピックという問題があるし、それとオリンピックは国際交流の場であるという面からのアプローチもあろうかと思います。 午前中余り突っつきませんでしたけれども、国際交流の重要性ということについて、田中文部大臣に非常に期待を申し上げるところが多いということでございます。ですから、こういった面でも、それをピークとして青少年の交流ないしは多くの諸国民の交流のクロスポイントになるわけでありますから、また、それをどのように使って、どのように展開していくかというようなことが、いまのママさんバレーの話ではないけれども、一つの国際交流の高さ、ピークを示すことでございますから、それがさらに多くの波紋を呼んでいかれるようなふうにしなければならない。そのためには、もう八年なんというのはとても短いくらいで、相当馬力をかけて、いろいろ考えて手を打っていかなければならないのじゃないだろうかと思うわけであります。そういうことを込めて田中文部大臣の世話人の御就任に対して御期待を申し上げたいと思っておるわけであります。
○田中(龍)国務大臣 なお、これからどういうふうな手を打たなければならないか、さらにまた、国内的にも国際的にも諸般の準備行動に移らなければなりませんし、そういうふうな問題につきましては、担当局長の方から、これからの諸般の手続その他御説明申し上げます。
○柳川(覺)政府委員 大臣が御答弁申し上げましたとおり、正式の開催都市の立候補の申請が十一月三十日までにIOCの事務当局に提出されるようになっております。したがいまして、その期限までの間に地元では正式申請の準備、また、それに対する政府の閣議での了解という手続がございます。それから、その申請が出ますと、IOCあるいは国際競技連盟の方から種々の指摘事項、質問事項が参ります。これに対して的確な回答をしていくということがございます。それらの書類が立候補都市からそろいますと、来年の九月二十一日から三日間西ドイツのバーゲンバーゲンでIOCの総会が開催されますが、その総会の席上、開催都市の決定がなされます。 したがいまして、それまでの間はもっぱら地元を中心として名古屋市において名古屋オリンピック大会が開催できるように、実現への招致運動の展開ということになろうかと思います。その決定後は実行のための組織体制がつくられまして、具体の展開への努力として各方面、各界各層の御意見をいただきながら準備を進めていくということであろうかというように考えております。
○有島委員 これも大臣にお願いしたい趣旨はわかっていただけたと思いますけれども、そういったオリンピック招聘についても、事務的なことはどんどん運んでいく、だけれども、これを準備していく立場の中でいろいろ総合的なことも大きく配慮をしていってもらいたい、これからもいろいろな御注文をまたその都度していくと思いますけれども、よろしくお願いします。 時間があと五分しかないということでございますので、この問題は終わりにして、次に日本語の問題についてやりたかったわけなんですけれど、も、かつて私は、国語審議会というところでもって大変有益な審議を重ねてきてくださっておるということは承知しているわけでございますけれども、それがどちらかというと、従来は漢字を中心とした議論に余りにも集中し過ぎているのじゃないだろうか、もっと広範な国語の問題全般についてのいろんなことをどんどん審議するように諮問をなさるべきじゃないだろうかという意見を持っております。これは御検討いただくということになっておりましたのですが、どんなふうになっておるのか、それを一つ。 それから、日本語の辞典、本格的な辞典を、三十年でも四十年でもいいからかけて、現代語、古文はもとより、あるいは現代行われている、文章に書かれておらない方言のようなものまで、いろんな文例が網羅できるようなしっかりとした日本語の辞典をつくっていくべきじゃないだろうか、こういうことは国の力でひとつやってもいいのじゃないだろうかということも御提案申し上げておる。また辞典をつくるといっても、いろいろな流儀があるわけでありますから、同じようなデータがありましても、その整理の仕方というのはいろいろでありましょうから、国が一つつくるということと同時に、他の何か民間の機関でそういった事業があるなら、それにも助成していってあげるようなこともして、複数の辞典をつくることを考えてもよろしいのじゃないだろうか。ともかく日本語の辞典をつくることについて進めていってもらいたいと申し上げたところ、その準備のとば口のところまでお入りになったということは聞いておりますけれども、その御報告も承りたい。
○田中(龍)国務大臣 国語審議会の問題と辞典の問題につきましては、私が就任いたします前からいろいろな経緯もあるようでございます。担当の局長からお答えいたします。
○佐野(文)政府委員 国語審議会の問題でございますが、御案内のように、また、いま先生御指摘のように、現在の国語審議会は、四十一年六月に大臣の諮問をいたしました事項の一つである漢字の問題等の審議を行っております。当面の、この第十四期の国語審議会の終了までに答申を出そうということで、鋭意御審議が進められているわけでございます。 その審議されている内容は、直接には御指摘のように、表記に関する問題で漢字が中心ではございますけれども、現代社会でお互いの間の伝達を円滑にするために漢字が取り上げられているわけでございますから、その意味では広く日本語全体の問題にもかかわっているわけであります。 国語審議会では、まずこの諮問されている問題に一応の終結をつけるということが、当面のどうしてもやらなければならない任務であるということで御審議をいただいているわけでありますけれども、御指摘の漢字以外の日本語全般の問題、たとえば話し言葉等の問題についても、その重要性にかんがみて、従来からそのあり方等については、意見を交換し、あるいは総会でもたびたび御議論が出ているところでございます。この十四期のいま申し上げました漢字の問題に一応の終結をつけた後に、今後、このような日本語全般の問題をどのように処理していくか、審議会の御意見を十分に伺いながら検討をいたしてまいりたいと考えているところでございます。 それから、国語の辞典の問題でございますが、これもこれまで幾たびか経緯をお答えを申し上げているところでございます。御指摘のように、五十二年度から国立国語研究所に国語辞典編集準備調査会を設けまして、国の研究所で辞典を作成するとすれば、それに最もふさわしい辞典の種類なり規模なり、それを編集、刊行していく場合の仕組みといったものについて御検討を賜っているわけであります。 この調査会でのこれまでの御検討によりますと、現在のところ、これまで国立国語研究所が研究を重ねてきておりますさまざまな事柄、たとえば語彙の研究であるとか語彙の調査であるとか方言の調査といったものがあるわけでございますから、そうした研究成果を生かしながら、これまでの国語の辞典に欠けていると言われているいわゆる語の用例を十分に盛り込んだものとして辞典をつくっていくのがいいのではないか、そういう方向での調査、検討が現在進められております。 また、これと並行いたしまして、研究所としては五十四年度から、準備調査会が検討いたしております辞典編集の全体計画等を作成するために必要な実験的な試行に着手をしているわけであります。用例採集のための資料の収集であるとか諸外国における大きな辞典の編集状況の調査であるとか用例採集を一部実行するとかといったことにも入っております。五十五年度はこの実験的試行を続行いたしておりまして、明治以降の文学作品の目録の作成あるいは諸外国における用例採集の方法等に関する試行を行っているわけであります。 これまでも御指摘があり、また、たびたびお答えをしているわけでありますが、本格的なこうした辞典の編集ということは、わが国では初めてのことでございますし、これに対する慎重な準備調査が不可欠でございますので、文化庁といたしましては、さらに入念な実験的試行なりあるいは準備調査会の調査、検討を重ねて、万遺憾なきを期してまいりたいと考えております。
○有島委員 時間が参りましたので、これで終わりますけれども、大臣、いろいろな問題がありますけれども、一番の焦点は、恐らくこれからの海外交流にたえるような人材をつくっていくこと、そこにまとめていかなければならないのじゃないかというふうに思います。いまの日本語の問題まで含めまして、ひとつそういう方向でもって私たちもこれから努力してまいりたいと思っております。大臣の御所見を最後に承って終わります。
○田中(龍)国務大臣 大変に重要な諸案件につきましての御高見、本当にありがとうございました。御指摘の御注意も本当に共感いたすものがございます。今後ともよろしくどうぞ御協力のほどをひとえにお願い申し上げます。ありがとうございました。
○三ツ林委員長 和田耕作君。
○和田(耕)委員 大臣、御苦労さまでございます。 一昨日でございましたか、私、よく知っている学者とある雑誌で対談をしたのでありますけれども、その学者は、日本の憲法をしっかりと守って、そして非武装中立という姿勢が日本の生存にとって一番大事なことであるということをかねがね主張しておる、本気に主張しておる人なんですけれども、この人との対談で私はこのように申したのでありました。私は、非武装中立という考え方には賛成ではありません、しかしながら、ある条件のもとでは日本においては有力な意見になり得るということを申しまして、その条件というのは、つまり、日本が侵略されるというときに、日本国民としてそういう侵略には屈服しない、そういう精神状態をしっかりと持っておる、日ごろからそういうことを教えておる、むろん学校の教育でも義務教育を中心としてそのような教育が行われておる、そういうふうな条件があれば、日本の戦後のような国の状態から見れば、非武装中立という考え方も、一つのりっぱな根拠を持った考え方だ、しかし残念ながら、その根拠が現在の日本ではないじゃないか、こういうふうな議論をしたことがありました。 その先生も、もしソビエトが入ってきたら、日本は国を挙げてゲリラ戦争、ゲリラ的な抵抗でもやってというようなことも口にしておりました。それは勇ましい言葉だけれども、そうであるなれば、平生からそういうふうな教育をしておいて、ソビエトが不当に日本を侵略するということは、これは全くあり得ない状態ではないと私は思いますけれども、そういうときに国、国民が挙げてゲリラの抵抗をするということがあれば、非武装中立という考え方はりっぱな一つの政策であり得る、こういうことを申したわけでございます。 つまり、私がこういうふうに申し上げるのは、現在の日本の状態というのは、戦後、有史以来初めて戦争に負けて、いままでの国家ありて個人なし、ひたすら一億一心でもって国のためにということで軍国的な姿勢のもとにあった日本が、負けてしまうと一遍に精神的におかしくなってしまったという状態があるわけでありまして、いまの戦後初めて出てきた新しい緊張した場面でそういう状態のままいけばどんなことになるのかということを心配するからであります。 憲法の中心である民主主義という考え方は、これを無制限に発展さしていきますと、無政府主義的な考え方になる、これは歴史の教えるところであります。戦後の日本でそのような精神状態、つまり無政府状態、国家権力に対して無視するかあるいは軽視するという状態、そういうふうな戦後の状態があったと思うのですけれども、もしこういうふうな状態で、いまの国際的な状態が次第に緊迫していくという状況の中で国民の精神状態がそういうふうなままで過ごしていけばどうなるかという問題なんですね。 この一つの例になるのが第一次世界大戦でのドイツの状態、ワイマール憲法下のドイツの状態だと思うのですけれども、あそこでは独立国家としての構え、これは防衛の問題もありますし、その他の国民経済の立て方の問題もありますけれども、それができてないので、結局ヒットラーが出てきて、ナチという強大な力の政治になってしまうということになる。つまり、国民は民主主義、自由を食っているわけではありません。他国の侵略に対して日本の国が守れるか、守れないとなれば、ナチであろうが何であろうが、それを求めていくということになる一つの歴史的な教訓。このナチとかファッショという政治は、自由とか民主主義ということを言わな過ぎたから起こったのではなくて、それを言い過ぎて無政府的な状態になってきたからナチとかファッショが出てくるということは事実だと私は思う。 そういうようなことを考えておりまして、いまの日本の状態を考えると、いまの日本の状態では正しく国家という問題を位置づけて、そして民主的な平和な国を守る、国を大事にするという考え方を国民が持ってくるようにしていくということが、つまり、日本が全体主義的なナチやファッショにならないような状態にするための一番大事なことだと私は考えておるのです。 そういうふうな意味で、現在、戦後忘れておった国家という問題について、これを正しく位置づけて正しく理解するということから教育の問題も見直してみる必要がある時期に来ている。これを正しく見直して、いまの当面しておる国民的な一つの課題に対処することができなければ、自由、平和な状態とは逆の状態に陥っていくおそれがあるからであります。 そういう、私のいま申し上げたような主張をすると、世間ではよくあれは何か軍国主義、国家主義あるいはナチだファッショだというふうに短絡的に結びつける人があるのですけれども、逆でありまして、必要なときに必要な主張が出てこないと、逆に国民はそれができるような形の間違った方向、つまり、ナチやファッショの方向をとるようになる。あのナチとかファッショとかいう運動は、たとえば日本のおかしな右翼がおって、これが国民を扇動してそのような運動が出てくるのではなくて、逆にこういうふうにならなければならぬなと思うことにこたえられない政治の状態というものがあると、まともな国民がファッショになりナチになる。これがドイツやイタリアの経験だと思うのです。何もわれらは気違いじゃない。まともな国民が、まともな民主主義者が、そういう条件のもとでナチになったりファッショになったりするというわけです。そういう瀬戸際の時期に来ているのが、現在の日本の状態だと思います。 自民党が絶対多数をとったということを契機にして憲法改正という動きがでております。この動きは私は警戒しなければならぬと思います。私どもは、党も私個人も憲法は守っていかなければならないと考えております。そして憲法を守るということを前提にして最小限度の自衛力が必要であり、特に不当な侵略、圧力に対しては屈服しないという精神状態というものを、この憲法を守っていくという体制のもとでしっかりとつくり上げていく必要がある、このように考えておるわけでありまして、そういう立場からきょうは御質問をしたいと思うのです。 私は、いまの日本の教育、特に義務教育の中では、日本の独立国としての国家という問題をもっと強く正しく意識して教育の場にのせていかなければならない、こういうふうに考えておるのですけれども、文部大臣はいかがにお考えになっておられるのか、最初にお伺いをしたいと思います。
○田中(龍)国務大臣 和田先生の非常に豊富な御経験と含蓄のあるいろいろな示唆に富んだお話、心から感銘いたすものでございます。 先般来、予算委員会等におきまして、いろいろと論議の交わされた諸案件でございます。文部大臣といたしましての私は、そういう諸般の御意見を踏まえまして善処いたしてまいりたい、かように考えております。
○和田(耕)委員 私も、この前の国会から文教委員会に籍を置くようになりましたけれども、私が文教委員会に籍を置こうと思ったのは、この前の選挙とそのもう一つ前の選挙、二つの選挙を通じまして選挙の公報にもあるいはその他の文書にも、少なくとも義務教育の中に正しく国を守っていく、あるいは国を愛していく、そのことと正しい国際的な感覚を持っていくということとを両立させるようなしっかりした教科書の科目を入れる必要があるのだ、私は、その努力をしたいということを選挙公報にも載せまして、そして選挙のための他のいろいろな文書にも載せて当選をしてきたのでありまして、いまこの問題を質問するのは義務だと思っておるわけであります。前国会で谷垣文部大臣にもこのことを質問いたしました。余りはっきりした御答弁はいただかなかったように思うのですけれども、私のその質問と同じような趣旨の質問が一昨日、三塚委員からありました。これに対して大臣は、現在の文部省の置かれておる立場を意識されておるでしょう、はっきりはしないけれども。しかし、前向きのような感じの答弁があったと思いますけれども、やはり昨日と同じようなお考えかどうか、そのことをお伺いしたい。
○田中(龍)国務大臣 三塚君の御質問は、教科書の中における国を思うという言葉の数が少ないというような御意見でもございましたし、また、その他の委員の方々におかれましても、それは当然ではあるけれども、言わずもがなの言葉ではないかというようなお話もございました。そういうことを踏まえまして私も努力をいたしてまいります。
○和田(耕)委員 これは大臣でなくてもいいですが、そのような教科書の中のはっきりした科目、つまり国を愛する、国を守るということをテーマにした教科書の科目が日本の義務教育の場になかなか出てこないという理由はどういう理由でしょう。
○三角政府委員 なかなか出てこないというお言葉でございますが、私どもといたしましては、義務教育の中で、小学校で申しますれば、これは国を思うと申しますか、こういうようないわば本来的には一つの自然な人間の気持ち、日本人としての感情、これを学校教育の場でさらに意識の上にのせて学習指導していくということになると存じます。 そういった性格の事柄でございますから、特にどの科目ということでなく、いろいろな教科の中でいろいろな事柄に関連させて出得ることであると思いますが、ただその中で、やはり主としてこういった面に関係が深いのは、小学校で申しますれば、社会科でございますとか国語、それから中学校で申しますれば、同じく国語、社会科の中のそれぞれの地理的分野、歴史的分野、公民の分野、全体にわたるかと存じます。なおあわせて、教科外でございますが、学校の教育課程の中で道徳という分野がございますが、そういったところで愛国心でございますとか、あるいはただいまおっしゃいました自分の国についての誇りを持つと同時に、国際社会の一員としての心構えも持っていくことといった内容につきましても、同じく道徳の中で扱われていくということであろうかと存じます。 それで、その事柄がなかなか行われないかどうかということでございますが、私どもといたしましては、和田委員すでに前国会でも御質問いただきまして、御承知いただいておるわけでございますが、学習指導要領の中に、国を愛するというような事柄につきましては、たとえばわが国の歴史や伝統を大切にしようとする態度を育てるとか、いろいろな表現で盛り込んでございまして、そして教科書の中にも、端的に愛国心であるとか国を守るという字であらわれてはいないかもしれませんが、総合的な観点から見ますれば、そういった内容は盛り込まれておる、これがまた現場でどのように、学習指導要領の基準に従いまして学習活動を展開してもらうかということが、さらにその上での問題ではございますけれども、私どもとしましては、そういった事柄がきちんと行われることを期待して、今回の指導要領の改定などを行った次第でございます。
○和田(耕)委員 学習指導要領の線に従って、不十分ではあっても現在教科書の中にはあるという判断ですか。
○三角政府委員 愛国心というような文字そのもの、あるいは国防といったような文字そのもの、いわば表題と申しますか、そういう事柄自体を書いてあるなしは別といたしまして、間接的に、あるいはいろいろな事例に即して具体的に、たとえば日本の伝統、文化が非常に特色がある、あるいは非常にすぐれた面を持っておるような事柄についての内容を盛り込みますこととか、日本の国土についてのいろいろな認識を深めるということでございますとか、私どもの先人あるいは祖先がどのような事績を行っておったか、そして私どもが現在の社会をさらに豊かにしていくために、どういう政治上あるいは経済上の仕組みを持っておって、それを盛んにしていくために、どのように国民として行動しなければならないかといったような具体的な内容に即した記述はいろいろとなされておると思いますが、ただ、これについての御評価、御判断をいただく場合には、いろいろな観点なりお立場があろうかと存じます。教科書もいろいろな種類がございますので、おのずからその間にはウエートの置き方あるいは内容の盛り込み方につきまして差がありますから、見方によりまして、非常に不十分であるという教科書もあろうかと存じますし、あるいは比較的よくできているという教科書もあろうかと存じます。そういうような意味合いで、私は、先日来の御議論を理解しておった次第でございます。
○和田(耕)委員 大臣、いまの問題について、不十分だと思われる人もあるかもしれないが、十分だと思われる人があるかもわからない、この点、大臣はどう思われますか。
○田中(龍)国務大臣 まず一昨日の三塚君の御質問にもありましたように、その点においてはまことに不十分であるというふうな御見解をお持ちの方も非常に多いでございましょうが、反面にまた、そのことが指導要領にちゃんと明記してあるのだから、それについては十分にその基本的な方針に従って具体的な教育をすれば事足りるというような御見解の方もあるわけであります。それにつきましては、すでにでき上がりました教科書でありますが、ここ三年間というものは固定しておるようなわけでありまして、これを一体いかに教育効果を上げていくかということは、また今後の文部省といたしましての指導のありようにかかっておる、こういうふうにも考えるのでございます。 大体以上申し上げたようなことで措置をしてまいりたい、かように考えております。
○和田(耕)委員 あまり歯切れがよくない感じがするのでございますけれども、こういう問題は、たとえば憲法問題のような問題じゃないのですから、もっとはっきり、私は大臣が本当に考えていることは推測できるのだけれども、もっとはっきり言った方がいいのじゃないかと私は思うのです。これは、たとえば奥野さんみたいに憲法問題がどうのこうのという大問題になる問題じゃないのです。先ほどから長々と私、前提のいろいろな話をしたのですけれども、現在は国家という問題をもっと正しく位置づけて、もっとまともに子供に教えなければならない時期だ、そういうことをしないと、それこそおかしな考えを持った連中が出てきますよということを申し上げておるわけですね。その問題をもっと文部省は真剣に考えていただかなければならぬと私は思うのです。たとえば一昨日三塚委員の御質問に対して、教科書にそのような愛国心という言葉の入った科目を入れるように文部省としては指導できませんという趣旨の答弁があったと思いますが、そういうふうに理解していいですか。
○三角政府委員 これは、いまさら御説明申し上げるまでもなく、教科書は民間の著作に成るものを文部大臣が検定をして、検定に合格したものが学校で使用されるということになるわけでございます。したがいまして、検定の申請が出てくるわけでございますが、それにつきまして、一昨日御説明申し上げましたように、教育基本法あるいは学校教育法、さらに具体的には学習指導要領の示すところの目標あるいは内容、これに即しましていろいろな検定基準があるわけでございますが、たとえば不正確な点や誤りがあれば直していただく、あるいは内容の盛り込み方に学習指導要領にそぐわない点があれば、それはやはり修正していただく、あるいは非常に一面的な見解だけが強調されているというような場合には、それも考え直していただくというようなことでございます。でございますから、申請がございますと、わりとよくできている教科書でも三百数十カ所、それから物によりましては六百カ所以上のそういった意見をつけて、これをできるだけ学校教育の場にふさわしい、先ほど申しましたような基準に照らしてもこれに合致したものに練り直していただくという作業を、非常な苦心をしていたしておるわけでございます。 そういうことでございまして、私が一昨日限界があるというふうに申し上げましたのは、著作者ではございませんので、書いてないことを、無理にこれにある事柄をある文章なり何なりで入れていただくということは、これは検定の性格から申しましてそういうことはできがたいことでございまして、そういう意味で限界があるということを申したわけなんでございます。 ただ、先刻来の御議論の中身の問題になりますれば、私どもといたしましては、これは和田委員前回も御指摘いただきましたとおり、学習指導要領の目標として「自国を愛し、その平和と繁栄を図り文化を高めることが大切であることを自覚させる。」というようなことを、これは中学校の社会科の公民の分野でございますが、書いてございますし、その他の分野でも、いわゆるわれわれが生まれ育ち、そして、われわれの子孫をそこでまた繁栄させていく国、日本という国を大事にするということは、ほかの部面にも出ているわけでございまして、私どもとしては、教科書の記述を全体として見ました場合に、やはりこういった国を愛する気持ちを培うというようなものになっていなければならないと思っておりますので、これは先ほど大臣が申されましたとおり、教科書というのは、検定は三年ごとでございますが、できるだけこういった学習指導要領の目標に沿った適切なものができていきますように、今後とも私どもの方の面からも努力はしたい、こういうふうに思っているのでございまして、一昨日の一種の限界というようなことで申し上げました趣旨は、以上のようなことでございます。
○和田(耕)委員 学習指導要領の内容がだんだんと改善されておるということは私も認めます。しかし、学習指導要領の中に、ある方針を書くか書かぬかということは、これは大事なことですけれども、現在の日本の教育の現場の問題を考えた場合に、もっと大事なことは、学習指導要領に書かれたことが実際に教科書の中に、あるいはその現場の学習の中に果たして取り入れられておるのかどうか。 道徳教育という問題がある、この指導要領にはかなりはっきりした見解が出ておりますが、私も、私の選挙区の幾つかの学校の道徳教育の現場を見たのですけれども、果たして、その学習指導要領に書いてある方針が、実際の現場でそのような趣旨が行われておるかどうかということをお調べになったことはありますか、あるいは趣旨が行われるように指導なさったことがありますか。
○三角政府委員 今回の指導要領の改定に当たりましても、この新しい指導要領の趣旨の普及徹底のための講習会をかなり丹念に行ってまいった次第でございます。 それから、こういった改定そのものと直接に関係がない意味合いでの各種の研修会あるいは講習会、あるいは各都道府県の指導担当の部課長の会議というようなことは常時行っておりますが、そういった場面で私どもといたしましては、いろいろ問題になっております事項あるいは学習指導要領の線で、学校教育が内容が充実して行われますような意味合いでの話し合いなり助言なりは重ねてまいっておるのでございます。
○和田(耕)委員 しかし、学習指導要領を一つの権威的な文書として、それをそのようなものとして受け取らない有力な団体があるわけですね。それはないと思われますか。
○三角政府委員 御質問の意味合いが直接お答えしにくいような感じがいたしますけれども、私どもといたしましては、教員は公務員でございますから、法令の規定にのっとりまして、その職務を忠実に執行していただくべき筋合いの教員という立場でございますので、何も文部省が指令したり統制したりということではございませんで、国会で決められました法律の規定に基づきます諸般の事柄の実施については、日本の全体の教育の水準をでこぼこなくできるだけ効率的に高めてまいるということに精励していただくのが本来であるというふうに思っております。
○和田(耕)委員 お答えを聞いていると、何かおどおどしているみたいなんですが、私は、もっと自信を持った方がいいと思うんですね。大臣以下もっと自信を持った姿勢でないと、この大きな転換期の正しい学習の転換というのはできないと私は思うのです。もっと自信を持ってもらいたいと思うのです。 もう一つ、私が学習指導要領の中で内容的に大事な問題だと思うのは、先ほど、国家という問題をもっと厳しく位置づけて、そして国家という問題を教えるということが大事だということを申し上げたのですけれども、いまの学習指導要領は、小学校、中学校の指導要領を詳しく拝見したのでありますけれども、そのような項目がないですね。たとえば小学校のところでは、国の直接の権力の行使等に関するそれを小学校の子供に教える項目が一つもないですね。ただあるのは、郵便局の配達の人が正しく時間どおり配達するかどうかについて教えるというようなこと、郵便局の局員さんのことだけあるのですけれども、そこには警察官のことがないですね。あるいは自衛隊のことがない。つまり、国家の機構の基本的な柱というのは、やはり国を守る自衛隊の問題であり、国内の治安を守る警察の問題であるわけですね。そういう問題について、義務教育という中で子供にはっきりとしたイメージを教えていない。これはどういうわけでしょう。
○三角政府委員 これは先生の御意見でございますけれども、小学校の場合には小学校の児童の心身の発達の状況に応じまして、そこに住んでおります国の仕組みというものは取り扱われねばならないというふうに私は考えます。
○和田(耕)委員 確かに仕組みという問題を、抽象的に、議会制民主主義の体制はこうだ、こうだとある、あるけれども、たとえば輸送の問題に関係する人がどうのこうの、農業に関係する人がどうのこうの、商業に関係する人がどうのこうの、あるいはいまの郵便配達の人はどうのこうのとはずっとあるけれども、つまり、そういうものは国家権力の外にあると言っても過言ではないのであって、権力そのものということについての説明がない。何か国家というものに触れると民主主義と反するような考え方が文部省自体にあるのではないですか。
○三角政府委員 小学校におきましても、これは主として高学年の段階で先生御指摘の問題は扱われるのが適当な事柄かと存じますが、たとえば第六学年におきましては、日本の発展に貢献した歴史的な先人の業績や文化遺産の問題が出てまいります。それから現在の問題といたしましては、私どもの国民生活の安定あるいはさらに、その発展にとって重要な政治の働きというものを理解させるということ、さらには日本が国際社会の中で占めている役割りに気づき、世界の中の日本人としての自覚を持つようにするというような目標を立てております。さらに日本の歴史や国民生活に関してのいろいろな資料についても勉強させるということでございます。そして、たとえば内容の取り扱いとして一例として記述しておりますものとしては、先ほども申しました現在の政治の働きとの関連でございますが、国民としての権利義務ということ、たとえば参政権といったこと、あるいは納税の義務といったようなことは取り上げるということにいたしておるわけでございます。 でございますから、私、先ほど申し上げました政治の仕組み、あるいは日本人が日本という、国という形でまとまっておるのだということは、小学校においても教育されなければならないという事柄でございます。
○和田(耕)委員 きょう具体的にこういうこと、こういうことということを申し上げませんけれども、あなたはいまの状態で十分だみたいな感じを受けるけれども、そう思っていますか。
○三角政府委員 先生御指摘の事柄はもとよりでございますが、その他の学校教育の内容について、まだまだ改善、充実すべき事項は、特に内容面において多うございまして、それもございまして、先ごろ学習指導要領の改善も図った次第でございます。教員の資質の向上あるいは教員に対しますいろいろな施策の充実は図ってまいらなければならない。特に国家という問題は、年少の段階ではなかなか具体的に理解しがたいような一種の抽象的な観念に属する部面もあるかと存じますが、そういった事柄も含めまして、やはり私どもは、たとえば教員の海外派遣といったようなことを実施いたしております。海外に参りますと、その先生方は、現実に具体的にいろいろな国境を通るというような経験を通しまして、日本という国家を振り返って、さらに自覚して、その先生自身が日本という国のありがたさというか、日本人としてよかったという観念を持って帰られるわけで、そういった経験を生かして、また現実の教育に当たっていただくというようなこともあるわけでございまして、私どもとしましては、いろいろな意味での改善、充実を進めてまいりたいというふうに思っておる次第でございます。
○和田(耕)委員 これ以上この問題は取り上げませんけれども、大臣、先ほど私、前段で申し上げたとおり、いま民主主義という考え方が無政府主義的な無責任な、アナーキーな状態にならない一番の大事なポイントは、民主的な平和な日本の独立国家という問題を正しく教えることなのです。その問題があいまいだと、民主主義というものは全く無政府主義的なものになりますよ。つまり、そういうふうになるかならぬかの一つの境目に来ているのが、いまの日本の教育でしょう。いままで文部省は、学習指導要領というものをつくって、自分がりっぱに日本の教育を指導しておるという感じでおるかもしれないけれども、実態はそうじゃない。私は、そういう責任感に欠けておるという感じがする。それはむずかしい問題はありますよ。日本の教育基本法の中にも、いろいろな教育関係の法律の中にも非常にあいまいな問題がある。あっても、その法律を解釈することによって、いま当面している大事な問題を国民が期待できるような方向に変えていくこともできぬことじゃない。 ちょうど憲法の問題と同じですよ。私どもは、いまの憲法改正というものについては、憲法を守ろうとしている。憲法を守るというたてまえに立っても、最小限度の自衛力は必要だ、憲法違反ではないのだ、こう考えている。そういうふうに教育基本法の中でも、少なくとも義務教育については、文部省はもっと責任を持たなければならない。もっと国民の期待にこたえて、いまの学習指導要領というものができれば、ただ、それを言葉を変えて発表するだけではない、また、いろいろな関係者を集めて訓辞するだけではない、実際にその趣旨が行われるような効果的な処置をほとんどとってないという判断に私は立つ、だから、やかましく言っているのです。その点は、こういうやりとりでのいろいろなあれではなくて、むずかしいことはわかっていますが、国家、国民という問題の考え方をもっと真剣に義務教育の中で教えるような処置をぜひとも前向きに考えてもらいたい、そう思います。大臣、いかがでしょう。
○田中(龍)国務大臣 私も、先生と全く感を同じにする者でございます。同時にまた、いまの日本の置かれておる非常に重大な時局に対しまして、特に文教行政というものの重大性を本当にはだで意識する次第でございます。お話の御趣旨を十分に体しまして指導をいたしてまいりたい、かように考えております。
○和田(耕)委員 私、この夏ドイツに行きまして、ドイツのリーダーの人たちの話をいろいろ聞きながら考えたのですが、あの国は現在六十万という兵力を持っているんですね。しかも徴兵制度をしいておるのです。つまり私は、日本で徴兵制度をしけと言っているのじゃない、それには反対しているんですよ。つまり、ドイツは戦争に二度大きく負けている。前に負けてワイマール憲法ができて、その結果、ナチの勢力を増大させたという経験にかんがみて、そういうふうなことはやらない、アメリカと強力にあれをしてドイツは軍隊を持ち、しかも徴兵制度を持っている。それだけではないのです。あそこはナチが復活できないように根本的な対策を講じて、ファッショの台頭を防いでおる。つまり、こういう態度が大事だということを、ドイツ国民は歴史の上から教訓をとっているんですね。 私は先ほどから申し上げているとおり、日本の憲法は守るべきものである。しかしながら、現実の必要が充足できるような形でこれを解釈していくというのは決して憲法違反じゃない。特にまた日本の教育の問題なんかは、個人あって国家なしという戦後のこの教育は、ぜひとも国家という問題を正しく位置づけて、教育の場で具体化して教えていかなければ、変な勢力が逆に出てきますよということを私は申し上げておる。私どもは、民主主義者としてそういうことを許すことはできない。それならそれでもっとまともに日本の教育が行われるように説得を行う、文部省はその責任を持っていると私は思いますね。むずかしいことはわかりますけれども、何か悪く言えば、何考えているかわからぬような、そういうふうなあれじゃなくて、もっと目的意識を持って、できるだけ当面の必要な問題にこたえてもらいたい、そういうことを強く望みまして、この問題については質問を打ち切ります。 その次の問題は、現在、学校の中での暴力や学外での非行という問題が毎日毎日、新聞に載るという状態ですね。しかも非常に悪質化している。この問題を文部省としてどういうふうに実情を把握しているのか、お答えをいただきたい。
○三角政府委員 児童、生徒の非行の問題でございますが、昭和五十四年度の数字がございます。中学生でいわゆる刑法犯少年で補導された者の数が五十四年は四万七千五百八十八人ということでございます。五十三年の四万二千五百七十四人に比べまして大変数字がふえております。それから、高校生の方は五万二千五百四十一人でございまして、五十三年は五万一千六十人、こういうことで高校生の方は中学生ほどの増加ではないわけでございます。 それから、御指摘の校内暴力でございますが、中学生につきまして、五十四年が八百九十二件、補導人員五千百四十一人、五十二年の八百五十三件、四千二百八十八人に対しまして、これまたかなり数字的にふえております。高校生の方は、五十四年が三百十六件、千五百七十八人、五十三年の四百三十九件、二千四百七十五人に比べますと、減となっておる状況でございます。 これをこの数字から見ますと、やはり増加をいたしておりまして、そして凶悪犯、粗暴犯、窃盗犯、知能犯、風俗犯といういわゆる主要刑法犯の人口千人当たりの人員が十三・九人、これは実は中高校生のほかに一般の少年も含めました二十歳未満の者の数の率でございますが、これが相当な率で、戦後最高でございます。 そして傾向でございますが、いわゆる遊び型非行が依然として多発する一方、殺人、強盗などの凶悪犯が増加しておる。それから、先ほど申しましたように、中学生がふえておるということは、すなわち非行の低年齢化という傾向になっておる、その傾向が一層顕著でございます。 それから、御指摘の校内暴力事犯や中学生の教師に対する暴行事犯が増加しておるというような特徴が見られるわけでございます。
○和田(耕)委員 これは非常に心配しなければならない事態が現に進行しておるわけですね。学校外の問題については文部省に直接責任があるとは言いませんけれども、大臣、学校内の問題について、その原因はどういうところにあるのか、あるいはどういう対策を講じておるのか、講じようとしておるのか、この問題について御所信を伺いたい。
○田中(龍)国務大臣 先般も閣議で総理府総務長官の方から非行青少年の問題が出まして、いろいろと論議もあり、また警察庁の方からの意見もいろいろあったのであります。よって来るところは、一つや二つの問題じゃなくて、全般の今日までの風潮というものが、お話のような問題の累積だろうと思うのであります。そういう点で教育の弛緩もありましょうし、それからまた、テレビその他のああいった余りよくないいろいろな放映もありましょうし、それからまた、家庭におけるいろいろな家族制度の破壊から来る核家族の非常に乱れたしつけの問題、あるいはまた家庭生活の問題、そういうふうなあらゆる問題の総合であろうと思います。それからもう一つ、やはり暴走族とかなんとかというふうなものになりますと、これはちょうど青年期で非常にスタミナが、ポテンシャルが上がっておるというあれに対しましてのはけ口もない、やはり集団的なああいうふうな行動というものが、一つの主観的な快楽といいますか、ストレスのはけ場になっておることもありましょう。そういうふうなたくさんのものの累積したのが今日の姿であります。 では、これをどうするかという問題になりますと、こういう問題については、教育の面におきましては、全力を挙げてその非行を正さなければなりませんし、その原因になっております問題については、やはり処罰というふうな問題もあわせて考えなければなりませんし、総合的に全力を挙げて内閣といたしましても努力をいたしておるところであります。
○和田(耕)委員 家庭においてはおやじさんに対する信頼なり尊敬の欠如という問題がよく議論されるのですけれども、先生に対する信頼の欠如、信頼される先生が少なくなっているという問題は、学校の中のいろいろな暴力、非行の重要な原因ではありませんか。
○田中(龍)国務大臣 戦後の一時期、そういうふうな学校内における規律の問題やあるいはしつけ、監督という問題が非常に弛緩をしておるのみならず、やはり子弟関係におきましての信頼される姿でなかったというような時代もございます。しかし、そういうふうな問題は、現実に起こったこういう社会的な現象によりまして大変に反省されつつあることも事実でございます。
○和田(耕)委員 そういう生徒の先生に対する信頼の欠如という面から、学校暴力等の非行の問題を文部省として点検していったことがありますか。
○三角政府委員 個々の事例につきましては、私ども、その都度どのような原因があったか、あるいはいま御指摘のような教師と子供たちとの間の人間関係に原因があったかどうかというようなことも重要な要素の一つでございますが、県の教育委員会を通じて聞くことにいたしてございます。
○和田(耕)委員 この問題は、もっと文教行政に責任を持つ、といっても事実上非常に制限された状態で、言うことを言えないような状態が各所にあると思うのですけれども、そういうことを乗り越えて、文部省としては、もっと積極的にこういう問題に立ち向かって、そういう事態が起これば、教育委員会任せじゃなくて、その現場に駆けつける、校内暴力という問題は、国全体の文教行政から見て大事な問題ですので、私は、もっと立ち入った指導をしなければならぬと思います。多少行き過ぎると言われるまでも、こういう問題については、しっかりとした指導が必要だと思います。ぜひとも、そういう問題をやっていってもらいたいと思います。 これは、この国会が終わったところで、ぜひとも文教委員会が中心になって地方行政や内閣委員会に呼びかけて、この問題の実情のしっかりとした把握と、これに対する対策についての立案をしないと、文教委員会としての責任が果たされないような重要な局面に来ているというふうにも考えておるわけです。 この問題については、行政官庁としても、その起こった都度、文部省のしかるべき係官が現場に行って、その原因をよく調べるというくらいのことはやらなければいけない、ぜひともそれをお願いしたいと思いますが、いかがでしょう、大臣。
○三角政府委員 和田委員御指摘の一つの問題性と申しますかそれは、私どもも、重々これを体していろいろなことを考えなければいけないと心得ます。ただ、一々の事例ごとに調査官を派遣することが果たして可能かどうか、まあいろいろな条件もあるかと存じますが、確かに校内暴力事件というのは、学校の中で起こる事件でございまして、これは学校ぐるみで直剣に対処しなければならないし、状況によりましては、家庭、地域ぐるみでの対応も必要でございますので、それの一々の状況については、物によりましては、私どもも、現地で実地に調査をするということも必要かと存じます。 そういった方法も含めまして、基本的には、県の教育委員会が直接市町村の教育委員会を指導しておるものでございますので、実情について十分把握し、また原因のしっかりした分析もしてもらうようにして、私どもとして、全国レベルでのこれに対する対策を考える上での重要な資料というものはきちんと収集をしてまいるようにいたしたいと思います。
○和田(耕)委員 こういう問題も、先ほどから御質問しておるように、つまり民主的な社会、国家における教師の一つの使命感みたいなものが、大事な国家という問題の位置づけがなかったままに自分勝手な、あるいは他のいろいろな考えに基づいてやられているということが、子供にとってはいろいろ信頼感が出てこないというようなこととも、それだけではないと私は思いますけれども、関係するわけであって、そういう問題について、ぜひとももっと強力な、そして即時の指導というものを強化していっていただきたい。 最後の質問でありますけれども、今度私は、ヨーロッパ旅行をしまして、ロンドンに行きましたら、ロンドンの日本人学校というのがありまして、内容を約二時間ぐらいかけて視察をしたのですけれども、非常にりっぱにできている。義務教育が、外国の学校としては一番よくできているのではないかと思うほどかなりりっぱにできている。この問題について、外務省から、主なところでいいのですが、現在の在外日本人の子弟の教育、日本人学校の問題について御説明いただけませんか。
○杉野説明員 現在、海外に日本人学校は六十七校設立されてございます。世界各地に広がっておりますけれども、私どもの考え方といたしましては、現地における教育環境の悪いところを優先的に取り上げるという考え方に立っておりますので、したがいまして、現在実際上の扱いといたしましては、後進国に数多く設立されているという状態になっております。 それから、それに収容されております日本人生徒数は一万二千三百六十五名、これは本年五月一日現在でございます。それが日本人学校に収容されております。
○和田(耕)委員 いま世界の中の日本と言われるだけに、たくさんの人が外国で仕事をしている。しかも、この人たちにとって一番後顧の憂いがあるのが子供たちの教育の問題ですね。大部分の人は、小学校、中学校、高校から日本に残して、そして向こうに行っている。そういうことだから、どうしても二年ぐらいに一回交代するということも起こってくる。いろいろな外国での仕事の関係にも影響してくる。公務員だけではなくて民間の商社なんかでも、二年、三年、長くても三年ぐらいで交代するというのは、恐らく世界じゅうで日本だけじゃないですか。 そういうことで今後とも、世界の中の日本人としての立場は強化されるし、在外日本人の学校等は広がってくる、こういうことを考えますと、いま義務教育を完全に実施しているロンドンにあるような学校を、世界の日本人のかなり密集しておる主なところには設けていくような考え方を持ったらどうだろう。 そこで私は、ロンドンの校長さんに、これはイギリス全体の日本人の子弟をカバーしていますかと言ったら、そうじゃない。ロンドンだけなんですね。イギリス全体の人をカバーするのには、ロンドンに寮生活をさせるような寮をつくって、もっといなかの方の都市におる日本人の子弟は寮に入れて教育をするというようなことをすれば、イギリスに在住している日本人の子弟は教育を受けることができる。ところが、そういうものを、たとえばパリ、あるいはドイツはどこに置いたらいいか。ジュッセルドルフかボンか、あるいはベルリンか、いろいろなところがありましょうが、そういうものをヨーロッパに三、四カ所設けることによって、ヨーロッパにいる在外日本人の子弟の教育が果たせるのじゃないか。これは世界の各地について、そういう考え方を持って一遍検討してみることが必要ではないだろうか、そういうふうに思ったのです。 その場合に、一つの重要な問題は先生なのです。そういう義務教育が果たせるためには先生という問題があります。これは現在、文部省のいろいろな配慮で日本からも行っているようですけれども、文部省に在外研修生の制度がありますね、つまり、この制度をもっと拡充して、たとえばこの人が、在外研修期間が三年なら、一年ぐらいは日本人学校で教鞭をとる、つまり、日本人学校と日本の先生の在外研修生の制度をリンクさせて考えてみる。こういうふうに考えてみれば、先生の問題は不十分であっても何とかできやしないか。それができるように文部省も考えてみる必要がありはしないかという感じがするのです。 もう一つ、現地の人たちは、そういう日本人学校ができても、たとえば中学校を出て今度は日本の高校に入るという場合、日本に帰ってくる。ところが、日本の高校に入る場合の受け入れの体制がないんですね。この体制がないのは無理がないのです。現地の教授のレベルが低いのですから、なかなか日本の高校へは入れない。そういうことで、現地の中学校のレベルを高くして、そして日本の高校での受け入れができるということをぜひとも考えなければならない。こういう問題を含めてひとつ文部省と外務省とが協力をして、プロジェクトチームでもつくって、在外日本人の子弟の教育の問題を解決するためにぜひとも御努力願いたい。二のことが今後、日本の在外活動を強化していくための非常なキーポイントになるのだという感じを私は持ったのですけれども、いかがでしょう大臣、この問題は。
○田中(龍)国務大臣 私も、つい先日、ユネスコの会議とあわせまして、パリの日本人学校あるいはベオグラードの日本人学校それからロンドン、そういうふうなところを回ってきました。大変問題がたくさんございます。いまのお話のようなケースも、これは役所といたしましても十分考えていい、非常に興味のあるお話だと思います。これは早速、事務当局の方にも研究させてみますが、反面、先生が御指摘になった前段の日本の海外における役所並びに会社の在勤制度も、二年とか三年とかで浮き草のように転々として歩いておるというふうなこと、これに伴っての子弟の教育の親として非常に心配な問題、それから現地における教育のあり方の問題やら大変問題が多いようでございます。それからなお、受け入れと申しますか日本に帰ってからの学校も、逐次整備されつつありますけれども、まだ数が少ないのでありまして、そういう問題につきましては、本当によくお調べをいただきましたことをお礼申し上げますとともに、私の方もまたいろいろな問題を、本当に真剣に考えさせられてまいりました。 それから、またお話のように、イギリスなんかの場合を考えてみると、外務省のあれでも在勤してから大使になるまでずっとそこでもって勤務する、そのかわり三年に一年は本国の方に帰して勤務させる、そういうふうな仕事に対しての非常に定着した在勤のシステムというものを日本の役所がとっておらないというところは、やはり外交上にもあるいは仕事の上においても反省を要する制度上の問題だと、これは別の問題でございますが、考えております。
○和田(耕)委員 これは外務省は現在どういう政策をとっていますか。
○杉野説明員 外務省といたしましては、この日本人学校設立の問題一般につきましては、外国に学校をつくるということでございますので、政府が直接学校をつくるということには、やはりその国の国内主権の問題との絡みで問題があるものですから、したがいまして、現地の在留いたします日本人の社会の総意、一致した協力という体制がある場所、それに対しまして、そういう一致した協力のもとに設立されます学校組織に対しまして、政府が側面的に援助するという考え方をとっております。 したがいまして先進国におきましては、確かに在留邦人の数は多いのでございますけれども、一方、いろいろ教育機関も整っているということであって、在留邦人一般の考え方といたしまして、やはりそこは必ずしも日本人学校だけに頼るという考え方に至らないわけでございます。したがいまして、日本人学校をつくるかどうかということにつきまして、必ずしも一致した意見の確立というものが容易ではなく、むしろ現地の学校に通わせながら、その足らないところを一部分補う、そういう考え方で、日本人学校とは別に補習授業校というものを設けております。それに対しましても、政府は助成を行っておりますので、そういう形の、補習授業の形によります日本語教育、その他日本の教科の中で現地の教育施設で足らないところを補うというような方式をとることを希望する場合も多うございます。 むしろそれに対しまして、後進国におきましては、現地に日本の水準に達するような高いレベルの学校施設がない場合が多うございますので、そういうところに在勤いたします在留邦人の希望といたしましては、これは日本人学校をつくってほしいということが一致した希望として実は出てまいります。したがいまして、政府といたしましては、そういうところにまず優先的につくるという考え方をとってきております。 先ほど先生御指摘のございました、その寮生活を行うような学校をつくったらどうかという点につきましても、確かに世界各地におきまして、そのような希望が、特に高等学校の学生を対象といたしまして、そのような学校をつくれないかという希望が出ていることは承知しております。しかしながら、いま申し上げましたように、政府が政府のイニシアチブに基づいて、どこかの外国に学校をつくるというわけにいかないものですから、したがいまして、このような寮生活を基盤といたします学校をつくるということにつきましても、やはりそういうものをプロモートして促進していただく、そういう民間の組織なり団体なりあるいは学校法人なり、そういったものの存在が前提となるかというふうに存じております。
○和田(耕)委員 私も数年前に、タイ、シンガポールの日本人学校の問題についていろいろ考えたこともあったのですけれども、これはひとつこの段階で、全世界的な規模で、日本の在外日本人の子弟の教育の問題は、これは一つの省じゃできないので関係の省が集まって何とか解決してもらいたい。大臣も所信表明の中に、在外日本人の教育の問題についてやりたいということを述べておられるわけでありますけれども、これはなかなかお金の問題、そしていろいろな技術的な問題がある、先生の問題がある、非常に散らばっている人たちをどうするかという問題もある、そしていま大臣もおっしゃったように、現地でしかるべき学校に行って、そこに永住するような、あるいはそこで働けるような教育を望む人もあるでしょう、いろいろなことがありますけれども、大部分の平均的な在外日本人の子弟の教育の問題として、ぜひともこれは考える時期に来ているというふうに思いますので、大臣ぜひとも、関係のところと話し合いをしながら解決していっていただきたいと思います。 きょうは時間がありますけれども、大体これで終わりますが、私は、戦争前の状態といまとを比較しながら、戦争前には文部省というのは一番かその次くらいに有力な、そして国民から期待された省だったんですね。ところが、このごろはどうも文部省というのが変なぐあいになって、余り国民から期待されないというのは非常に遺憾に思っているのです。日本の教育、子供の教育という問題、それは本当に大事なことなんですね。これは大事なことだということを口で言うだけじゃなくて、実際に大事なことなんです。そしてまた現在、戦後三十五年にして日本は大きな転換点に立って、本当の意味の民主的な独立国家としての機能を高めていかなければならない、その一番大事なのは教育なんですね。特に義務教育ということになると、いまのお父さん、お母さんは、大体三十代、四十代の人でしょう。そういう人たちに子供の教育を通じて日本の国という問題を考え直してもらう一番大事なポイントが、やはり義務教育の中で転換期に立つ大事な問題、つまり、国という問題の位置づけをしっかりとやってもらいたい。いろいろな障害があれば、法律の改正が必要であれば改正してもいいと私は思います。憲法改正を言う前に、もっとそういう具体的な問題に対して意欲的に取り組んでもらいたいと思います。そういう感じでございまして、きょうはいろいろ失礼な質問をしたこともあったと思いますけれども、御容赦をいただきたいと思います。 質問を終わります。
○三ツ林委員長 次回は、来る二十二日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時二十二分散会