文教委員会 第4号
- 発言数
- 302 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1980/03/25
会議録
○委員長(大島友治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 昨二十四日、安永英雄君が委員を辞任され、その補欠として宮之原貞光君が選任されました。 また、本日、土屋義彦君及び塩見俊二君が委員を辞任され、その補欠として林寛子君及び山本富雄君が選任されました。
○委員長(大島友治君) 次に、参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 教育、文化及び学術に関する調査のため、本日、明治大学法学部教授吉田善明君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(大島友治君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
○委員長(大島友治君) 教育、文化及び学術に関する調査中、文教行政の基本施策に関する件及び昭和五十五年度文部省関係予算に関する件を議題といたします。 本件について質疑のある方は順次御発言を願います。
○松前達郎君 文部大臣の所信をお伺いしたわけですが、これに関連して幾つかのことについて御質問いたしたいと思います。 まず最初が、海外子女教育について御質問いたしますけれども、最近日本企業の海外進出に伴う大きな問題として、この海外子女教育の問題がクローズアップされてきているんじゃないか。今後も恐らくその問題がもっと大きな問題となってくるだろうと予測できるわけですが、実は電機関係の産業の労働組合なども企業と一緒になって、今後海外進出に関連して、この海外子女教育をどういうふうにしたらいいのかという問題等も検討を始めていると私は聞いておるわけです。 それとまたさらに、この前から予算委員会等でもいろいろと論議になっている問題の中で、たとえば防衛問題などがいま上がってきておるわけですが、これについてもやはり私は情報収集というものが一番重要な防衛の最前線じゃないか、こういうふうに考えておるんですが、そうなりますと外交の中で、海外に行っておられる外交官、あるいはその他の関係者、こういう方々も私は大幅に今後ふやしていかなきゃならぬ。そんなようなことをすべて考えますと、やはり海外子女教育というのは、後顧の憂いなく活動できるようにするために非常に重大な問題だというふうに考えておるわけなんです。 そこで、いろいろあっちこっちの海外教育、あるいは日本人学校等について、いろいろ調べてもみたんですけれども、どうも私自身としてもなかなかすっきりしない面が幾つかあるわけでございます。それについてまずお伺いしていきたいと思うんですが、これは憲法の中にもあるとおりに、国民は法律の定めるところによって能力に応じて教育を受ける権利を持っておる。また同時に、保護する子女に義務教育を受けさせるべきだ、こういうふうなことが基本的問題として掲げられておるわけなんですが、現在海外子女の教育に関して、いろいろな教育機関があると思いますが、どういう教育機関が一番多くて、またそれをサポートする教育機関がどういうものがあるのか、これについて最初にお伺いいたしておきます。
○国務大臣(谷垣專一君) 最初にお答えいたしまして、足りないところがありましたら、政府委員の方から補足させていただきたいと思いますが、御指摘のように、海外へ出ていきます邦人の数がふえてまいります関係から申しましても、海外に出ておる方々の子弟教育の問題が非常に重要であろうと思っております。 私たちのいま了承しております数は、海外の児童数は現在およそ二万五千人程度に達しておる。これは義務教育の就学年齢に達しておる子供たちでございますが、そういうふうに考えております。それから形態を考えてみますと、いわゆる海外の土地で日本人学校というものをつくって、それに収容できておる者と、それから現地の教育で、現地の学校で教育を受けておるけれども、日本語の補習教育を受けておる、こういうタイプに分かれるわけでありますが、さらにこの補習授業学校ということにならないで、現地の学校だけで教育を受けておる。これに対しては通信教育等の方法で補遺をしておるわけでございますが、大体そういうふうに分かれるかと思います。日本人学校およそ六十二校、在籍いたしております者が在外の児童数の四割少しを超えております。 それから、先ほど申しました現地の学校で教育を受けておるが、日本語による補習学校にも通っておる、こういう者が四割弱、あとの二割がもっぱら現地の学校で教育を受けておる、こういうことでございます。その他の詳しいことに関しましては、政府委員の方から補遺をさせていただきたいと思います。
○政府委員(篠澤公平君) 冒頭に先生から御質問のありました憲法の問題もあるわけでございますが、先ほど大臣からもお話し申し上げましたように、日本人学校につきましては、国内の教育の法令あるいは基準等にのっとりまして、それに準じた教育を行っておるわけでございます。その数字が先ほど大臣が申しました約四割強、正確に申しますならば、昭和五十四年度におきまして一万八百八十二人、四四・八%でございます。それから現地の学校に行っておりまして、週末、土曜日あるいは週二日ということで、日本語による補習授業を行っております、それを受けております生徒は八千五百一人で三五%でございます。残りの二〇%が現地の学校のみで、補習授業も受けておらないと、これが四千九百六名、二〇・二%、合わせまして五十四年度の数字は二万四千二百八十九人ということに相なっておるわけでございます。
○松前達郎君 これは今後、もうすでに出入国の関係で、日本から出国していくのは最近はずっとふえているのじゃないかと思うんです。恐らくこれについては今後ますますふえるであろう、こういう予測はもう立っておりますか。
○政府委員(篠澤公平君) 外務省の方で正確な数字はその都度とらえておるわけでございますが、過去の傾向を申し上げますならば、在留邦人の数がおおむね毎年一万、あるいは五十一年度で申し上げますならば約十五万人ということでございます。五十二年度には十六万人、五十三年度には急にふえまして十七万八千人という統計がございます。これに伴いまして、在外義務教育その他の教育を受けるべき子弟の数でございますが、五十一年度は、百名の台の数字は省略をさせていただきますが一万八千人、五十二年度が一万九千五百人、五十三年度が二万一千四百人というふうに、児童、生徒の該当する者の数はおおむね千五百、あるいは場合によっては二千人というふうに著しくふえきておりますので、今後ともこの傾向はまだ続くのではなかろうかと、こう考えるわけでございます。
○松前達郎君 そういう傾向で今後ふえていくことが当然予測されるわけなんですが、そこで、この日本人学校がいま話題になっておりますから、日本人学校を取り上げますと、これは一体、本来ですと、日本にいる場合は義務教育として当然無償でもうて教育を受けられるということになるのですが、日本人学校というものの義務教育との関連ですね、法的な関連等も含めてどういうふうになっていますか。
○政府委員(篠澤公平君) 簡単に申し上げますならば、わが国の主権が及ばない外国であるということでございますので、国内法令の適用は受けておらないわけでございます。したがいまして、先ほど申し上げましたように、その教育につきましては、義務教育の段階を行うことを目的とする全日制の教育施設だというふうに考えておりますので、たとえば教員の配置等につきましても、国内に合せましてその定数上の措置を行い、また教材等につきましては、国内の教材基準に合わせて、計画に従いまして整備を行っている。さらに海外の特殊事情を考えまして、国内の教材基準にプラスをいたしまして、VTR等の追加した教材も送っておるということで、教科書はもちろん無償でございますし、全く国内の学校と同じに考えておるわけでございます。
○松前達郎君 それで、いまの日本人学校について、現地の方でこの学校の運営等、そういう問題については、これは多分外務省の方が管轄になるんじゃないかと思うんですが、その辺の分担ですね、学校は一つ物としてあるわけですが、たしか教員の送り出しの方は文部省がやって、それで実際の教育を運営する学校運営については外務省がやると、こういうふうなことなんで、その辺の分担は私が申し上げたとおりですか。
○政府委員(塚本政雄君) 海外の子女教育は、御指摘のとおり内の教員の選考その他の段階においては文部省側で、外の教員の派遣、それから学校をリースする場合の土地の探しからそれからその学校ができ上がった場合の借料、それから現地の教員に対する講師謝金といった一連の外の関係においては外務省が予算上の措置を通じまして、これを協力しております。それから、学校の経営そのものは現地に理事会がございまして、その理事会が維持運営の行に当たり、ただいまこちらから派遣された校長先生以下教員が教育の実際面、わが方の在外公館長はこれを直接、間接的に必要なる助言と補助を行っている、こういうような形になっております。
○松前達郎君 そうしますと、文部省にお伺いするのですが、日本人学校というのは、一体じゃ日本の学校と比べまして、どれに当たるのですか、これは各種学校なんですか。もちろん、これは私立学校だと思うんですけれども、各種学校に当たるわけですか。
○政府委員(篠澤公平君) お答えしにくい御質問だと思いますが、あえてどれに当てはめるかというふうに考えますならば、むしろ、私立学校的な性格を持っていると申し上げてよろしいかと存じます。
○松前達郎君 そうしますと、こういうふうな解釈でいいんですか。日本人学校は国内の教育法令からいきますと、学校教育法施行規則第六十三条で解釈をすると、それに当てはまるものだと、こういうふうに解釈するのですか。
○政府委員(篠澤公平君) 先ほど申し上げましたように、国内法の適用がございませんので、私あえて私立学校的性格ということを申し上げたわけでございます。
○松前達郎君 何かその辺がどうもまだはっきりしていないようなんですね。義務教育に当然該当する子女でありながら、国外に出たために義務教育は受けられない。それで、しかもこれは帰ってきたときの問題もまたあるわけですね。外国に置いた日本人学校ですから、当然その国の教育の主権の問題もあるでしょうけれども、この辺も何かすっきりしていない面が私はあるんじゃないかと思う。そういう問題がこれからまたいろいろと質問いたしますが、たとえば送り込んだ教員と現地の運営との間にある程度の問題を起こしていると。これは現地からの情報としてずいぶん入っていますけれども、そういうことになるんじゃないか。やはり、その辺の新しい一つの運営なり何なりのやり方、これについて、もうちょっと法令的にもしっかりした根拠をつくっておかなきゃいけないのじゃないか、そういう気がするのですが、その点いかがしょうか。
○政府委員(篠澤公平君) 重ねて申し上げて恐縮ございでますけれども、現在の形で内容的には国内の義務教育段階の教育と全く同じというレベルで私どもも措置をいたしておりますということと、それから、先ほど外務省の方から御答弁ありましたように、学校自身の運営は、現地の日本人会が主体でございますけれども、理事会をつくりまして、十全な運営がされておるわけでございます。そういうことで、基本的な問題として、先生御指摘のような問題は、現時点においては私はないのではないかというふうに考えておるわけでございます。
○松前達郎君 実施している段階において、教育の成果とかそういうものから見れば、確かに成果は上がっているんじゃないかというふうに私は思うんですけれども、やはり何か法律的な根拠がない。たとえば、学校教育法の第一条に規定する小学校、中学校に相当するものなのかどうか。恐らくはこれは相当してないと思うんですね。その辺の解釈といいますか、何らかの法的根拠というものをつくり上げる必要があるんじゃないか、こういうふうに私は考えるんです。これはいろいろな複雑な問題が入っていますから、そう簡単にできることじゃないとは思いますが、これについて文部大臣、いかがですか。
○政府委員(篠澤公平君) 現地にございます日本人学校は、先ほど御説明申し上げたような形態なりで運営をいたしておるわけでございますが、帰国する場合の扱いにつきましては、これはすでに先生も御存じだと思いますが、すでに、たとえば高等学校の入学資格という点に関しましては、現地の日本人学校は、文部大臣の指定ということで告示をいたしまして、日本に帰る場合の不都合をすべてこれをもって排除しているということになっておるわけでございますので、帰国についての資格について、日本人学校はそれなりの措置がされておるということでございます。
○松前達郎君 さっき文部大臣にお伺いしたんですが、その法律的根拠をはっきりさせる努力をしなきゃいけないだろうと思うのです。それに関連して、今度は外国の教育の主権ですね、それとの関連も出てくると思うんですが、日本人学校設立段階で、その日本人学校を設立する国の政府が、正式に学校として認めているというのはどのぐらいあるんですか。
○政府委員(篠澤公平君) ただいまの御指摘の問題につきましては、現地の法制上の位置づけが明確な学校というものと、それから、当該国の在住外国人のための教育施設として特別な法令条項により認可されているものと、それからまた許可されていない、いわゆるやみのようなものというようなふうに大別できるかと存じます。何らかの形で現地法制上の位置づけが明確な学校は、全体の六十二校のうちの二十四校でございます。二十四校のうちで明確にこれが現地の私立学校であるということとして認可されている学校が十五校ございます。それから現地の法制上の位置づけが明確でない学校は、残りの三十八校になるわけでございまして、これはたとえば、外務省の方から口上書によりましてその設置をするということを先方の国が認めるということで、そういうものが五校。それから現地政府が黙認をしているというものが二十六校等でございます。
○政府委員(塚本政雄君) ただいまの文部省側の答えと同様でございます。
○松前達郎君 外務省にお伺いしますけれども、これらについてその当該国との間に今後問題が起きそうなところ、そういうことはありませんか。
○政府委員(塚本政雄君) 必ずしも格別なそういう情報は伺っておりません、ただいままでのところ。
○松前達郎君 そうしますと、もうそろそろこの問題文部省、外務省協議していただいて、はっきりした一つの裏打ちをしていただかないとならないじゃないないか、最初に申し上げたように人数もふえてまいりますし、恐らく日本人学校ことしは六校ですか、今後増設するというのは。だんだんとふえていくんじゃないかと思うんです。そういう点からさっき冒頭に申し上げたような教育の基本的な考え方から言って、それをある程度裏打ちしておかないと、海外に出る人からよく聞きますけれども、何やっているのだかわからなくなる。国内にいれば義務教育として教育が受けられるのに、外国へ行った場合それに該当しないのだというふうなことですね。これは中身が同じであればいいと言えばそれきりになりますけれども、やはり何らかの法律的な一つの裏打ちというものを、早急に検討していった方がいいんじゃないかと、こういうふうに私は考えておるわけなんです。これは非常にむずかしい話かもしれません、もう長年の懸案事項だと私は思いますけれども、これをひとつ私は提案をしておきます。 そこで、これは文部省にお伺いしたいのですが、日本人学校に送り込む教員の選考方法、これどういうふうにやっているんですか。
○政府委員(篠澤公平君) 教員の選考につきましては、五十五年度になりますけれども、一応校長予定者としては国立学校の教員ということで二十五名を予定しております。これは付属の学校等からの推薦を受けて、文部省において審査をするということで、適任者を送るということでございますが、ほとんど大多数の先生は公立学校の先生でございます。これは各都道府県の教育委員会に次年度の派遣予定者の数を内示いたしまして、各都道府県から推薦を受ける。その推薦を受けました者につきまして、全国ブロックに分けまして、五人ずつのグループを組みまして直接面接をし、そこで評価をいたしまして、最終的には文部省において試験の成績に従いまして選考する、外務省にその旨を、結果を報告するという形でいたしております。
○松前達郎君 私これは聞いた話なんですが、大都会から来る先生と、それから田舎と言ったら悪いんですが、都会じゃないところがら来る先生との間で大分内容が違うんだという話を聞いているんですよ。これは現地の声として聞いております。その理由というのはどこにあるかというと、これは全部が全部そうであるとは言いませんが、教育委員会がどうもこの人は外に出したいという人を——出したいというのは悪い意味で私は言っているんです。そういう人を押しつけてくる傾向があるんじゃなかろうかという推察がされておるんです。一般的に言いまして、都会から来た先生の方がそういう点はなさそうだと、そういう評価を現地でしているんですが、その点お聞きになったことありますか。
○政府委員(篠澤公平君) 教育委員会によります推薦制で選考するということを始めましたのは、三年ほど前からでございます。それ以前は、私どもの方で教員派遣のための給与の手当てをいたしておりませんで、御案内のように、五十三年度から全額国でもって派遣する教員の給与を交付金として措置するという制度をつくりまして、五十五年度、現在御審議いただいております予算でお認めいただきまするならば、その交付金制度は完成するわけでございます。それにあわせまして、教育委員会に完全な責任を負っていただくという意味で教育委員会に推薦をいただくと。 ただいまの先生のお話につきましては、かつてそういうことがあったやに聞いておりますけれども、具体的な話としては存じておりません。うわさとしては伺っておりました。
○松前達郎君 いまの話は実は昨日ある国から帰ってきた、自分が日本人学校に子弟を預けている人から聞いた話なんで、一〇〇%そうだというわけじゃありません、そういう傾向がどうもありそうだということなんですね。たまには外国で生活してみるのもいいなという程度で行ってもらったんじゃかなわないんで、やはり相当質の高い教員を送り込まなければいけないし、ある程度そういった外国で日本人を教えるんだという使命感を持っておって行かなければいけない、この辺が、心構え等の点から違うんじゃないかということを盛んに言っておったわけですけれども、これは今後問題としてひとつ直していかなければいけないことだろうと思います。 それと、あと選考が終わりましてから研修をされるわけですね。この研修は一体どういう内容の研修なんでしょうか。
○政府委員(篠澤公平君) 本年も一二百名近い者を派遣したわけでございますが、その研修を筑波にございます教育会館の分館で一週間いたしました。その内容でございますが、これは外国における、外国のそれぞれの国の事情というごく一般的なものから、すでに日本人学校へ行って御経験になった先生方の、たとえば教科別の指導の問題、教育指導の問題、あるいは生徒指導の問題、そういう経験者の話を伺うということ、それが大部分でございますが、なお私も参りまして、先ほどの日本人学校における教員のあり方といったものにつきましても話をするということで、講義それからセミナー的なもの等を含めまして一週間のプログラムでやっているわけでございます。
○松前達郎君 一週間でできますか。ちょっと短いような気もしますが、内容的に研修をやる目的をはっきり把握してもらえば、一週間でもできるかもしれないですが、その辺も今後もうちょっとがっちりやっていただかないといけないんじゃないか。さっき私が申し上げました教員の使命感といいますか、そういうもので質の問題、こういう問題とあわせてひとつ今後課題として検討していただきたいと存じます。 それから、今度は外務省にお伺いしたいんですが、日本人学校に現地の、その国の生徒、これが入っておりますか、日本人だけじゃなくて。
○政府委員(塚本政雄君) シドニーが一つのユニークな国際学級というのがございまして、これはもう十年になるわけでございますが、あそこへ数名の現地のオーストラリア人の子弟が入っております。
○松前達郎君 そうしますとシドニーだけですか。
○政府委員(塚本政雄君) 原則として入っておらないと承知しております。
○松前達郎君 これもまたいろいろ今後その国の感情の問題ですね、日本人学校をその国が設置を認めるかどうかというときの問題にかかってくるんじゃないか。日本人ばかりでやりたがるのがやはりわが国の特性かもしれませんね。どこか、ロンドンあたりだと、ゴルフ場など日本人だけのやつをつくるとか、いろいろなことで社会的に批判を受けているようですけれども、できましたらこれもなるべく外国人も入れていく、これは入らないのを無理して入れるわけにいきませんが、そういう状態の中で教育が行われていくというのが理想的じゃなかろうか、こういうふうに思っておるわけです。 それでは次に、今度は帰ってきた帰国子女の受け入れの問題、これも私、外国へ行くたびに何人かから直接問題点等があるというので言われるわけなんですが、一番問題になるのは、日本の学期制が四月ですね、向こうの外国の場合は六月で終わるんですが、それで九月に始まるというふうなずれがあるものですから、帰ってきたときそのままスライドして日本の学校へ入ろうとした場合に、必ず空白が出てくるんですね。その辺の調整というのがどうもこれは大変むずかしい問題で、そうかといって日本の学期制を変えてしまえと言ったら大変なことになりますから、そのために変えるわけにもいかぬでしょうけれども、その辺現状どうなっていますか。
○政府委員(諸澤正道君) 外国から帰ってきた子供については、一つには国語の能力が一般的に低いと、あるいは外国の学校の教育レベルが必ずしも各教科にわたって日本のレベルと同じでないというようなハンディがもともとありますから、それに加えて学期のずれというようなことは確かに一つの問題なんですけれども、この点については、いま向こうから帰ってきた子供を特に収容するための公立、私立の小、中、高等学校というようなものを、帰国子女教育研究指定校ということで六十校ほど指定しておりますが、そういうところで受け入れ、その他国立の付属あるいは私立のそのための新設高校等で教育をしておるわけでありまして、一般的に申しますと、先生おっしゃるような点については、個々の学校の教育上の工夫をお願いしてやっておるというのが現状でございます。
○松前達郎君 その学期のずれの問題、これはなかなか調整するのは大変だと思いますけれども、もう一つあるんですね。たとえば海外から帰国した生徒で高等学校へ入学する場合、外国における学校教育九年の課程ですね、これを修了した者というふうになっておるんですね。この高等学校教育の内容なんですが、この場合の教育機関というのは、当該国の正規の教育機関でなければならない、こういうふうに解釈されておられるんじゃないかと思うんですが、そうなりますと、国際学校とかアメリカン・スクール、こういうものは一体何に当たるかと、これはたまたま大学の場合でも全くそれと同じことが言えるんですけれども、この辺はどうなんですか。
○政府委員(諸澤正道君) これはなかなかむずかしい問題で、その国によって、要するにアメリカン・スクールを正規の学校としておるかどうか、日本なんかはしていないわけですけれども、という問題がありますし、さらに現実の問題としては、たとえばスペインで向こうのインターナショナル・スクールから帰ってきたというと、向こうの卒業証明書を持ってくるわけですけれども、これはスペイン語で書いてあるわけですね。高等学校へ持っていっても、高等学校で読める人がいないわけです。それで、話を聞くとどうも向こうの正規の学校らしいというのでこれを入れるというようなことも、現実にはやっているように私は聞いております。したがって、この問題はたてまえ論だけでは私はなかなかいかぬ問題だと思うので、いまの制度としては、向こうの正規の学校九年を終わった者、あるいは文部大臣の指定する海外の日本人学校を終わった者は入れますと言っておりますが、それ以外はこの条項については、その他高等学校において中学校卒業程度の学力があると認定した者という条項がございますから、実際にはこういう条項を活用して弾力的に運用しておるというのが実情だと思いますし、また私は、こういう問題はあんまり規則詰めで言うても、全部を尽くすわけにはいきませんから、そういうような運用について十分関係者が配慮していただくということでやっていただくのがよろしいんではないかと、こういうふうに考えております。
○松前達郎君 これも私幾つか例を知っておるわけでして、ある海外特派員の子供さんが現地の学校に入っている、中学校は日本で在学していた、だから日本語ができるわけですね。現地に行って、高等学校の学齢に達したから現地の高等学校に入った。それがまた帰ってくるというふうなことで、いろいろ相談を持ちかけられたことがあるんですが、これはいまおっしゃったような拡大解釈というか、わりと柔軟的に解釈して、それを文部省の方で認めておいてくれれば別に何も問題起こらない、こういうことなんですが、その辺の解釈の仕方がまちまちですね。その辺も適当な指導をひとつやっていただかないと、いろんな解釈の仕方があって、厳しくやるところもあればやさしくやるところもあるということになるので、その辺もまたよろしくお願いしたい、かように思います。 それからもう一つは、日本人学校の中で、たとえば中学校の一年、二年、三年の人数をずっと見てますと、三年になるとがたんと減っちやうんですね。この理由どういうところにあるか御存じですか。
○政府委員(諸澤正道君) 海外日本人学校のことだろうと思うんですけれども、やっぱり高等学校進学という問題がありますから、いまの調査で、日本人が海外に行って帰ってくる子女の平均海外滞在年数はどのくらいかというのを調べますと、やっぱり二年から三年未満というのが一番多いんですね。これが三〇%近くあったと思うんですけれども、ということは、やっぱり親としては外国へ連れていって一緒に生活もしたい、向こうの教育もさせたいけれども、やはり将来高等学校のことを考えると、それに間に合ううちには帰ってこさせたいという気持ちがあるんではないかというふうに思うわけです。
○松前達郎君 いまおっしゃったとおりだと思うんです。高等学校入試のための準備に帰ってくる、親は現地にいて子供だけ帰す、そういう状況だろうと思うんですね。たとえばことしのジャカルタの学校あたりですと、三年生は一名しかいなかったと、卒業生は。そういうふうな状況になってくるので、その辺がやはり高校への今度進学の問題との関連で何か大きな問題があるんじゃなかろうか。さっきの学期の問題ですとか、あるいは連続的に受け入れる体制の問題ですとか、あるいは今度大学まで考えたときの問題ですとか、やはり教育問題というのは父兄としては相当中心的な悩みであるんですね。そういう点でこの海外子女問題というのは非常に、いまそれぞれ日本人学校つくってはあるんですが、やはり問題点があるんじゃなかろうか、この辺やはり今後検討して、改善をしていかなきゃいけない、そういうふうに思うんです。 そこで、今度は子女を置いていく方ですね、海外に行かれるとき子女を置いていく方、これについてはボーディング・スクールとか、いろいろな考え方が出てきていて、現にそういった高等学校もあるようですけれども、ここでまたいろんな問題があるんです。これは実は私自身の身内もそこに入ったことがあるんですね。そこで非常に大きな問題にぶつかりましたけれども、ボーデイング・スクールというものの運営というものが非常にむずかしい、二十四時間教育なんですね。その辺についていろいろと、初めは入っていたけれども、だんだんみんな退学してほかの高等学校に移っていってしまう、そういう現状があるわけなんで、その学校の名前挙げるとちょっとあれですから挙げませんけれども、そういった面、ボーディング・スクール非常にむずかしい問題であると思いますが、これらについて、たとえばある機関がそういった二十四時間教育体制としてがっちりしたものをやろうということを企画し、それの計画をした場合、文部省としてどういうふうに対処されますか。これバックアップの問題とかいろいろあると思いますが、その点ちょっとお聞きしたいんですが。
○政府委員(諸澤正道君) 率直に申しまして、日本でボーディング・スクールというのは、昔からあります遠距離通学者のための寄宿舎というようなものであって、おっしゃるように全く肉親と離れてしまって子供だけが日本に残る、その教育をどうするかというのは、これは確かに、特に高等学校段階ぐらいになりますといろいろ問題がございますから、二十四時間教育といってもいろいろむずかしい問題があると思うわけでございます。そういう意味で、そういう高校ができてきた、こういうことをやってみたいという高校が現実に計画をしているというような事態になりますれば、私は積極的にいろいろ御相談に応じて、そのあり方等についても考えてまいりたい。これからの日本には恐らくそういうケースがますますふえてくるでありましょうから、そういうつもりではおります。
○松前達郎君 これはまた教育を担当する教師が、相当覚悟を決めてやりませんとこれできないんですね。中途半端にやって、夜はわれわれ関係ないんだとほうり出したんじゃ、これは何が起こるかわからない。現にもうそういう例がたくさんあるわけです。ですから、ミッション・スクール等で、使命感に燃えた先生がやられれば大体うまくいっているようなんですが、その辺の問題が今後残っているんじゃなかろうかと、しかしこれも必要であるというふうに思うんですね。 そこでもう一つお伺いしますが、これはちょっと外務省にお伺いしたいんですが、さっきのデータですと、日本人学校があって、それに通えるところはいいんですね。通えないところでも、補習学校があるところはまだ何とか少しはプラスになってくる。ところが現地の学校、たとえばアメリカみたいに広いところは一番それが問題だと思うんですが、ばらばらに分散していますから、それに対して教育を、さっきちょっと話出ました現地の教育機関で受けている人たちですね、こういう人たちが一体どういうふうなことを要望しているか、それをお聞きになったことはありますか。
○政府委員(塚本政雄君) 御指摘のとおり、アメリカみたいな広いところでいろいろ親戚、知己がやっぱりニューヨークとかなんとかというところに集まる方向で、極力日本語の教育にしておることは事実でございますが、各地におる方はやはり通信教育、これは後で文部省側から御答弁があろうかと思いますけれども、通信教育に依存するところがきわめて多いのではなかろうか、その種の声を私どもとしては伺っております。
○松前達郎君 そこで、こういうことを考えたらどうかと私思っているのは、一般的な通信教育のやり方というのは、いままでずっと歴史が長くやっておられるから、これでも結構でしょうけれども、たとえば、これ私自身が聞いたんですが、ドイツのジュッセルドルフとか、あの付近の方々からお伺いしたのは、たとえばテレビとかなんとかやっていますが、全部現地の言葉なわけですね。日本語のテレビはないわけです。子供はそれにかじりついて見ている、そういう雰囲気がやはり日本語をだんだん忘れさしてしまうので、日本語の何かそういったものを送ってくれないか、できたらそれが教育的な番組であればなおいいというふうな要望が大分来たことがあるんです。たしか日本のそういったものをやるのは年に一回大使館で、何ですか年末の歌合戦かなんかを放映するとか、映画を見せるとか、そういうのが一つの楽しみだというふうに言っていますけれども、これを歌合戦をやるとかそういうことじゃなくて、教育的な番組をふだんからその家庭に回して配給しながらそういう雰囲気をつくっていくという、日本語に接する機会をたくさんつくるという、そういうことを考えたらどうだろうか。たとえばビデオですね。最近はビデオが盛んに、ほとんど行き届いているようですから、このビデオでもってカセットをつくり、それをぐるっと回していったらどうだろうか、こういうことを盛んに言われたわけですね。これは中近東あたりでまとまった会社で行っていられるところは、その会社なりにそれぞれやっておられるようです。これがやはり通信教育として今後非常に効果があるんだろうと私は思うんです。そういう面でこういったビデオ教材を使った通信教育をやっていったらどうか。これは空輸していけばいいんですから、それで次々と会員制みたいにして回していけばいいんですから、そう大してむずかしいことじゃなかろう、こういうふうに思っていろいろ話してみたら、そういう教材づくりの日本における会社なりなんなりありますけれども、これについては非常に賛成である、まあ会社が賛成したからやるかどうか、その話は別ですけれども、そういうアイデアというのは非常にいいんじゃないかというふうなことも聞いたんです。こういった通信教育ですね、これを恐らく今後ますます広げていかなきゃならないんだと思いますが、その点どうお考えですか。
○政府委員(篠澤公平君) 先般予算委員会での御質問に大変簡単に御説明申し上げましたので、若干補足も含めまして、改めて御説明をさしていただきたいと存じます。 日本人学校に行っておらない者、特に補習学校にも行っていないという者を主とした対象といたしまして、それから補習学校に行っております者のうちの希望者も含めまして、現在通信教育で、五十三年度でございますが、受講の状況を申し上げますと、小学校で六千七百十八人、中学校では千五十人、合わせて七千七百六十八人でございます。予算的にも、文部省の方は五十四年度で六千九百万、五十五年度ではこのために九千万の予算を現在御審議いただいているわけでございます。そういうことで、実際の仕事につきましては、財団法人海外子女教育振興財団に委託をいたしまして事業をやってもらっておるわけでございます。 それから教科につきましては、小学校は四教科、国語、算数、理科、社会。中学校につきましては国語、数学ということで、毎月でございます。先般は数カ月おきにと申し上げましたが、数カ月おきには学期末の試験という意味で数カ月おきのもでございますけれども、原則は毎月でございます。毎月教材を送付いたしまして、それにのっとって勉強していただく、その結果をこちらに返送して、添削してまた戻すという、大変なきめの細かい作業をいたしているわけでございます。先ほど申し上げましたような、小学校四教科、中学校二教科につきまして、対象七千七百六十八人に対して通信教育をやっているわけでございます。特に、御指摘のありましたビデオ教材につきましては、国語でございますが、小学生に視聴覚教材としてカセットテープ、これは隔月でございます。毎月ではございません、隔月に一本これをお送りするということで、聴覚によって日本語になじむということも、これを通じてやってまいりたい、現にこれでやっているわけでございます。
○松前達郎君 その通信教育によって教育を自分たちの努力でやってきた、そういう人たちはどうなっているんですか。その通信教育ですと、国内だとスクーリングとかなんとかやりながら、一つの教育課程を修了したというふうに言うんですが、この場合はそういうふうな考えでいいんでしょうか。
○政府委員(篠澤公平君) 一応年度年度で切りまして、それをちゃんとやられた児童、生徒には修了した旨の証書をお渡ししておりますが、ただ先ほど申し上げましたように、補習学校、あるいは現地の学校に行っている生徒が主でございますので、その生徒たちに対する日本における教育、国内の教育をここでフォローをするという意味での補助的なものでございますので、それ以上のものではないと思っております。
○松前達郎君 この点もまたいろいろ問題が多いわけですね。これはたとえば放送大学をやる場合でも、スクーリングの問題があるし、あれは大学卒業免状を出すわけですから、それと全く同じじゃありませんが、近いような関係になる。親がやはり一緒になってその教材を使って子供に教えなきゃいけない、そういう問題があるわけで、このビデオテープとか、そういった視聴覚ですね、これを使って今後やるというのは非常に効果的だと私は思うものですから、いま申し上げたわけなんです。これもまた研究課題としてひとつ研究をしていただきたい、かように思っております。 海外子女に関しては、まだたくさん問題ありますが、時間の関係でこのぐらいにしまして、あと大臣、余りこう論議されたくないようですが、オリンピック問題をひとつここで取り上げてみたいと思うんです。 これは、オリンピックについてはアメリカがボイコットを打ち出しているということで、それに各国に対するアメリカからの要請が来ている。そういう問題がいまいろいろと話題になっておるわけなんですが、どうも考えてみますと、オリンピックそのものの精神というものと、それからオリンピックに参加するというその意義と、そのための選手そのものの国内における、あるいは何年かを通じての努力、そういうものが積み重なってオリンピックというのがあるんじゃないかというふうに思うんです。そういう意味じゃ総理も政治と経済というのは分離して考えるんだなんておっしゃったこともありますが、オリンピックも政治とオリンピックは分離すべきだ、考え方としてですね。アメリカのカーターの衝動的外交に乗る必要はないと私は思うんです。そういう意味で、この前大来外務大臣がアメリカへ行かれたとき、アメリカとのオリンピックの話し合いが行われたと新聞報道に出ていましたけれども、それ御存じですか、どういう内容について行われたか。
○国務大臣(谷垣專一君) 先般外務大臣がアメリカへ行かれまして、おとついですか帰られたわけでございますが、まだ詳しい話は実は私承知はいたしておりませんが、向こうでもそのオリンピック問題について、特に時間を割いてのお話は余りなかったように聞いておりますけれども、当然しかし話があったようでございます。まあ二月一日の時点におきまして、日本の政府といたしましては意向表明をいたして、そしてそれをJOCの方にもお伝えをしたわけで、大分前のことでございますが、そういう事実がございまして、外務大臣としてはそのときかち余り状況は、つまり日本政府としての状況は変わっていないという旨の御連絡をされておるんではないかというふうに私は承知をしておるわけでございますが、まだ詳しくその状況を、詳しい状況というものはまだ承知をいたしておりません。
○松前達郎君 アメリカがこのオリンピックをボイコットして、かわりに代替オリンピックを開くということについての意向を外務大臣に聞いたんじゃないかと私は思うんですが、恐らく外務大臣それ断られたと、それについての会議の参加を。だから様子が少しずつ変わりつつあると、態様が、そういう気がするわけなんですが、そこで大臣の所信の中にある.オリンピックに関して「自主性と良識をもって適切な対応」ということをおっしゃっておるわけですが、その努力をすることを期待しているというふうに書かれてあるんですけれども、この「自主性と良識をもって適切な対応」というのは一体どういうことなんですか。
○国務大臣(谷垣專一君) 先生も御存じのとおり、また政府の意向も国会におきます質疑応答で明らかでございますように、オリンピック大会へ出るかどうかという決定は、これはもうまさに各国のNOCが決定をするところであろうと思いますし、またそのことは従来の政府の方針でもはっきりいたしておるところでございます。その点につきましては問題はないところでありまして、二月一日の私たちの意向をお伝えいたしましたときも、時あたかもあのときはレークプラシッドにおけるIOCの総会に、こちらからのIOC委員の方々も出発されるときでもありますし、またその前にメキシコシティーにおける各国NOCの集まりもございまして、そちらに日本のJOCからも出かけられる、そういう時期に際会しておったわけでございます。したがいまして、そういうIOC自体の判断、あるいは各国NOCの情報を交換するというような状況のもとにおいて、IOCの方々あるいはJOCの方々の判断をして、適正に行動してもらいたいということをお伝えをしておるわけでございますが、同時に先ほど私の方針として松前先生からお話がございました常識と申しますか、良識に期待する、それは政府の意向のときにも申し述べておりますように、ソ連のアフガニスタンの侵入ということに対しまして、世界の大部分の国がそれに対して、いわば非常に批判をしておる空気があるわけであります。そういうような状況は、オリンピックの憲章等でうたっております平和と友好の雰囲気というものとは、これは大分異なっておる雰囲気であるわけでございまして、その点については日本の政府といたしましても、重大な関心を持たざるを得ないということを言っておるわけでございます。したがいまして、IOCあるいはJOCにおきまする方々自体の努力、あるいはまた良識による行動をお願いをした、それは確かにレークプラシッドその他における状況を見ましても、いろいろな御議論をなすっておるわけでございますし、またレークプラシッドにおけるIOCの総会の後におけるIOC会長の意見の発表を見ましても、そこらの点が私たちはうかがえることだと思っております。 事態はだんだんそういう形で時間は過ぎてきておりまして、いろんな動きはあろうと思いますけれども、やはり依然としてオリンピックに参加するかどうかという判断をいたしますのは、各国のNOCであり、日本においてはJOCであるということでございますので、JOCの判断あるいはJOCの行動におきまして、政府としてはそういう懸念を持っておる。その懸念のことをお伝えをして、そして良識による判断をしてもらいたいということを申し上げておるわけでございます。
○松前達郎君 二月一日ですから、いま激動のさなかですから、時間が大分たっておるわけですね。最近の状況を見ますと、どうもカーター自身アメリカでも評判がだんだん悪くなってきている。カーター戦略の道具になっているんだというふうな認識が各国の問に少しずつ出だした。やはりこれを、ボイコットするというのをアメリカ側から言われてするというのは、これはやはり自主的な判断じやないんじゃないかというふうな感じを各国が持ち出したという気がするんですね。というのは、アメリカの国務省が十八日のオリンピックボイコットのアメリカ政府の決定を支持している国のリストを発表したんですが、その中に日本が入っているんですね。日本を入れて二十八カ国。ところが最近の十六カ国のオリンピック委員会、これヨーロッパ——欧州の委員会ですが、これは二十一日ブリュッセルで会議をやった結果、アメリカのボイコットを拒否していますね、参加するんだ。官国の選手の参加については、それぞれの国のオリンピック委員会が決定権を持つということで、当然だと私は思う。こういった動きがだんだんいま変わってきつつある。ですから逆に、これは戦略的にオリンピックを使っちやいけないと私は言いながら、戦略的なことを言うのは申しわけないんですけれども、逆に参加するという方が、戦略的には私はプラスだというふうにも考えますし、逆に平和を積極的に維持しようとする努力の中で、積極的に参加していくという考えもありますから、その点これから非常に流動的だと思いますけれども、政府としてオリンピック委員会に圧力をかけたりしてやめさせるとか、そういうことのないように自主的な決定にゆだねていただければというふうに私思うんです。しかし、最終的に日本政府としてオリンピックに参加するのは好ましくないと判断した場合、そして、今度日本のオリンピック委員会が参加しようというふうに判断したとき、これ二つに分かれるわけです。そのときの予算措置、オリンピックの参加に対する予算措置を文部省されていますね。そういうものに対してはどういう処置をされますか。
○国務大臣(谷垣專一君) 松前先生おっしゃいましたように、いろんなまだ流動的な要素がこれはかなりあると思います。USOCの予定されております総会自体が四月の十一日から始まるということでもございますし、エントリーの期日は御存じのとおり五月二十四日、あるいは事務的にはもう少し前にやってくれということがありますけれども、まだ事態はかなりいろいろな動きもあることだと私は思います。したがいまして、そういうような状況をいろいろこれからまたよく見ていかなければならないところでございまして、先生がいまおっしゃいますような、それじゃ具体的なオリンピックの補助金を政府はどうするんだという問題も、いろんな私は状況判断のあれがあることと思います。したがいまして、もう少しいまの時期での議論ではなく、その時期においての判断をさしていただく必要があるのではないかと思います。 ただ、念のために申し上げておきたいんでありますが、いつかの予算委員会等のときに御質問がほかの先生からありましたときに、政府は報復的な措置をとるのかという、そういう御質問ございました。私たちはJOCとの関係その他におきまして、報復的な措置とか、そういうような気持ちは全然持っておりません。ただ、具体的に補助金をどうするかということは、私はそのときの状況によって判断すべきことだと思います。報復的であるとか何とかいうような、そういう考え方で動くべきものではない。けれども、しかしやはり補助金としての一つの限度というものは、これは判断として残されておるわけでございます。つまり、奨励すべきものであるかどうかという意味も含めて出てくることだと思いますが、このいまの段階でその問題を申し上げますことは、まだ方々の状況判断が、私は変化が非常に激しいだけに、まだ早過ぎる時期ではないかと考えておるわけでございますし、まだそういうようなたとえばJOCの方から一体補助金はくれるのかくれないのかというような問題が出てきておるわけでもございませんので、もう少しその状況を見ることが私は必要なんじゃないかというふうに考えておるわけでございます。
○松前達郎君 非常にむずかしい問題ですから、ここではっきり申されるといろいろと問題になるかもしれませんが、だけど政府が少なくともオリンピック参加を好ましくないと判断した場合ですね、それじゃ選手団が行くのに補助金を政府としてつけようというのはこれはおかしな話ですね。ですから、私から代弁して申し上げますが、政府がそういうふうに決定をしたときには恐らく補助金はカットされるであろう、これは諸外国みんなそういうことを初めから言っているんですね。恐らくそうだろうと私は想像して申し上げるんですけれども、いずれにしてもオリンピックという問題がだんだん目前に迫ってきているし、ソビエトもアフガニスタンに手を突っ込んだのはよかったけれども、引くに引けない状態で、恐らく五月の時期には新しい変動といいますか、変化は起きてこないような状況になりつつある。これも実を言いますと、私は前にソビエトのある政治局員と話したときに、実は困っているんですね。モスクワあたり行きますと、いまもう肉がないんです。トイレットペーパーもないんです。みんな行列しているんです。それをどうやって彼らに、モスクワ市民にがまんさせているかというと、オリンピックがあるからがまんしろ、そういうふうに言っているのに、オリンピックがなかったら、彼らとしてはやるでしょうけれども、正常な状態でなかった場合には、弁明のしようがないんだということを盛んに言っておりましたがね。まあしかしそれにしても、もうオリンピックそのものの本来の趣旨から考えて、さっきちょっとお話がありましたように、報復手段としてボイコットする、アメリカは恐らくぼくはそれ考えている。わが国としては絶対そういうことを考えない。そういうふうなことで不参加を決めたんではこれはもう大変なことだというふうに私は思っているんです。ですから、その辺余り結論をいま出すわけにいかないと思いますが、もういずれにしたって一カ月ちょっとの間には結論を出さなければいけない時期が来るわけなんで、その点ひとつ十分配慮していただいて、慎重に検討していただきたい、かように思っております。恐らくスポーツ団体の方では行きたいという心に駆られているはずだし、きのうも総理がスポーツ代表者といいますか、活躍をした人を呼んだときにもそういう陳情も出たとも聞いてお血ますし、これもまたカーターのまねなんですね。カーターがこの前やって、そういう陳情を受けて、そのすぐ後また大平さんやっておられるわけですけれども、選手の気分としては、これはぜひとも参加したいというのがほとんどであるということ、これはもうひとつ頭に入れておいていただきたい、かように思うわけです。 時間が参りましたので、この問題これで終わらせていただきます。
○国務大臣(谷垣專一君) ちょっと私からもつけ加えておきたいと思いますが、私たちは、オリンピックを目指しまして、選手の諸君が非常な訓練をして、自己統制もし、また修練も積んでおられること、これはもう肉体的にも精神的にも非常な長い積み重ねの上にそういうのが出てくるわけでございますし、私たちは、オリンピック、スポーツ関係を担当しております者として、十分にその問題は大きく、重く考えていかなきゃならぬと、それはそう考えております。 それから、先ほど報復的措置云々の問題、私この前松前先生に申し上げましたのは、ソ連のアフガニスタンそのものの報復措置という意味での問答ではなかったわけであります、予算委員会では。つまりJOCが政府と反対の意見になっていった場合に、そのものに報復的措置をとるのかという意味の御質問がございまして、それは同じ国内のことで、またスポーツをずっと従来からいろいろやっておる中で、よしんばそこで意見が違っても、報復的措置をとるというような気持ちで私たちは考えておりませんということを申し上げたわけでございますので、その点はソ連のアフガニスタン進出そのものというのではなくて、国内的な問題としての措置としてそういうことを申し上げましたので、私たちが海外の問題言いますと、ちょっと文部省の手足が先に入るようになってきますので、ひとつ申し上げておきたいと思います。
○柏原ヤス君 大臣の所信、また五十五年度の文教予算について何点か質問をいたします。 大臣は所信の初めに、「教育、学術、文化の振興を図ることは国政の基本であると考えます。」と、このようにおっしゃっております。そこで、国の財政と国の教育費の比率を見ますと、昭和五十年の一二・七%、これがピークであって、五十一年一二・三%、五十二年は一一・七%、五十三年は一一・四%、五十四年は一〇・八%と徐々に落ち込んでおります。このようなことで教育が国政の基本であると言えるかどうか、大臣にお答えをお願いいたします。
○国務大臣(谷垣專一君) 御指摘を受けましたこの文教関係の予算と国全体の予算との比率であるとか、伸び率の問題でございますが、御存じのとおり、五十五年度の問題で申し上げますというと、文部省の予算額は四兆二千六百六十八億円に達しておるわけでございまして、これは文教予算の前年度予算額との比率から考えますと五・七%の増加となっております。これは政府全体の一般会計予算額の伸び率が一〇・三%昨年と比べて伸びておりますから、これを下回っておるではないかという、いまそういう意味の御指摘もあったわけでありますが、今年度の、五十五年度の予算編成いたしますときに、最大の問題点は、非常な財政の異常な状況であったということでございます。それは端的に申せば、一般会計予算の中で国債の償還、国債費、それから地方交付税の交付金、これが非常に膨大な額になっておりまして、通常の財政のあれとは大分趣が違っております。いま仮にこれらの国債費と地方交付税の交付金を除いた、いわゆる一般歳出を今度比較してみますというと、国全体のその問題に対しての伸び率は五・一%ということでございますので、文教予算の伸び率の先ほど申しました五・七%という数字は、いま申します国債費、地方交付税の交付金を除いたものと比較いたしますのが、私はことしの財政状況から見て、むしろ正しいんじゃないかという感じを持っておるわけでございます。そういたしますと、国全体のいわゆる一般歳出予算の伸び率からは、五十五年度の文教予算の伸び率はそれを上回っておると、こういうふうに考えておるわけでございます。これは伸び率の問題でございますが、そういうふうに思っておるわけであります。 それからまた、政府全体の会計予算の中に占める文教予算の比率の問題でございますが、これは前年度一〇・五%でございました。五十五年度はそれが一〇・〇%となっております。しかし、これも先ほど申しますように、国債費と地方交付税交付金の伸びが非常に一般会計において大きいというところが問題になるわけでございますので、それを除きまして、いわゆる一般歳出に占める割合を見ますというと、ほぼ前年度並みと、前年度が一三・八%、五十五年度が一三・九%ということで、若干五十五年度の方が伸びておりますが、そう大したことではございません。前年度並みになっておる、こういうふうに考えておるわけでございます。
○柏原ヤス君 いろいろ御説明がありましたが、私が最初にお聞きしたのは、五十年度がピークで、年々国の財政と国の教育費の比率が落ちてるじゃないか、これはお認めになるわけですね。大臣どうですか。
○国務大臣(谷垣專一君) 私のところの手元の資料に五十年度からのやつがちょっとありませんので、申しわけありません。五十三年度からの状況の推移しかちょっとありませんので、政府委員の方からと思っておるわけですが、政府委員の方からお答えさせていただきたいと思います。
○政府委員(植木浩君) 先生がおっしゃいました数字は、文教関係の予算にさらに科学技術振興費もお加えになった恐らく数字だろうと理解いたしております。それで、文教関係のシェアを申し上げますと、五十年度が一一・三%、それから五十一年度が一一・四%、五十二年度が一一・〇%、五十三年度が一〇・五%、五十四年度が先ほど大臣が申し上げました一〇・五%、そして五十五年度が一〇・〇%ということになっておりまして、ここ数年、一〇%台ということを確保いたしておるわけでございます。
○柏原ヤス君 どういうふうにおっしゃろうとも、年々国の財政と国の教育費との比率というものは落ちているわけですよね。それをまたやっぱり認めていただかなければ、確かにそうだと、こうおっしゃってもいいと思うのですね。それをいかにもそうじゃないみたいな苦しい答弁をなさっている、こういう感じです。また大臣の御説明によりますと、今度の国の一般会計の中で、国債費と地方交付税を除いたその一般会計から比べれば五・七というのは上回った伸び率だと、こういう御説明ですね。これはこの前の委員会でもそういう御説明をなすったわけです。また衆議院の予算委員会でも御説明になっているわけですね。私こういう説明は初めてじゃないか、国債費、地方交付税を除いて一般会計が五・一になると、こういう理屈というものがいいのか。国債費とか、地方交付税というのはことし初めてできたものではなくて、以前からあるわけです。ことしに限って国債費とか、地方交付税を引いたその一般会計の伸び率五・一に比べればなんていうその比べ方、ずいぶん頭のいい方がいろいろと研究されて、そうした数字を出されているのはおかしいんじゃないか、こういうふうに思いますけれども、大臣いかがですか。
○国務大臣(谷垣專一君) 決して頭がよくってそんなことを申し上げておるわけじゃございませんので、ことしの財政の状況が先生も御存じのとおり、国債費の問題と、地方交付税の交付金の関係が非常に膨大な額にのっておりますので、それを全体を含めて議論をいたしますと、かえって実際の見方と違ってくるんじゃないかということで申し上げておるわけであります。先生のおっしゃっているように、それを全部合わせて、そして比率を見たらどうだという議論になりますと、それはもう明らかに先生のおっしゃっているようなことになるわけでございます。しかし、ことしの国債費その他がああいう非常に膨大なかっこうになっておりますから、国政のいわゆる一般歳出のいろんな事業その他に出しておりますものの中での比率を考えてみるのも、これも私はむしろ正しい見方の一つではないかと、こういうふうに考えて申し上げておるわけでございます。数字のことでございますから、これはもう両方とも何も議論——その判定の議論は出てくると思いますが、数字ですからこれはもう出せばすぐ出てくることでございますから、さように申し上げたわけでございます。 〔委員長退席、理事高橋誉冨君着席〕
○柏原ヤス君 国債費と、地方交付税の二つを除いた一般会計と比較する、これが合理的だとおっしゃるような感じですけれども、私は納得いかないわけです。合理的だとおっしゃる大臣の御答弁に対して、私はそれは言い逃れじゃないのと、こういうふうに言いたいんですね。予算折衝に当たる側の立場の文部大臣です。大蔵省の立場に立ってお答えになるならばそういうお答えもなさるでしょうけれども、先ほど申し上げたように、年々落ち込んでいる文教予算というもの、じり貧状態の文教予算を、国の財政も厳しいかもしれないけれども、これをやはり打ち破っていく、これが文部大臣の御苦労だと思うんですね。また意気込みでなきゃならないと思うんです。ですから私は、伸び率五・七%に対する言い逃れ的な受けとめ方ではなくて、努力したんだと、来年もがんばるからというような、力強い姿勢でやはり受けとめていただきたいと、私どもも委員の一人として、文部省には大いに応援して、文教予算というものが十分に取れるようにしていきたいと、こう思って申し上げているわけでございます。大臣、一言。
○国務大臣(谷垣專一君) 柏原先生大変激励をしていただきまして本当に恐縮でございます。予算をいろいろ組みますときには、当然、たとえば文教予算を主管しております私たちといたしましては、財政の立場ばかりで議論しちゃいかぬのだということで、これは厳しく両方で激論も交わしますし、いろいろと話をつけてまいるわけでございます。先生方からも非常な御激励を受けましたが、おかげさまで教科書の問題等も従来のまま維持できましたし、四十人学級の問題も、いろいろ、議論は若干残っておりますが、しかしこれもこういうところで、かなり将来にわたって人件費あるいは施設費等がかさみます問題を何とか実現することができましたのは、これはもう先生方の非常なお力添えを得た、激励を受けましたことを受けまして私たち努めさしていただいてきたわけでございます。そういうような問題等も考え合わしまして、言いわけがましく申し上げておるわけではないのでございまして、ただことしの財政の状況というものが相当厳しい状況であることはこれはもう否定のできないところでございますので、そうして、こうして予算が、政府原案が決まりまして、先生方にその御承認をお願いをしているいまの時期になってまいりますと、これは政府全体として、いろいろ過程におきまして議論をいたしましたこととは別に、やはり政府の予算としての決まりましたものをお願いをいたしたい。その中で一体文教予算というものが、先生御指摘になっておりますように、ずっと流れの中でどういうふうに持っておるのか、そしてまた、ことしの五十五年度というむずかしい予算編成のときにどういう意味を持っておるのかということは、これはもう当然私たちも反省をし、検討を加えておるわけでございます。その検討が若干先生と御意見の評価が違ってきたような説明を私がいたしたように先生に受け取られて、少しおしかりを受けておるわけでございますけれども、しかし、それはやはり現実には、そういうようなことしの財政の非常に大きな特質の中での説明としてお聞きを願っておきたい、こういうことでございます。当然これからの文教行政を進めてまいります上に、財政の状況というものを無視はもちろんできません、しかし財政は財政の立場、文教行政を進める私たちは、国政の基本に文教という問題を考えていかにやならぬという考え方でやってまいりますので、単に財政的な立場だけにとどまらない主張を私たちは今後とも続けてまいらなきゃならぬと。そして政府の意思を統一して、予算の面で具体的なものとして、これは五十五年度いまお願いしておるわけですが、五十六年以降いろいろな問題があるわけでございますので、努力をせなきやならぬという覚悟は、これは少しも劣りませず強く持っておると、こういうことでございますので、御了承を題いたいと思います。
○柏原ヤス君 次に、同じく大臣の所信の中で、特に義務教育教科書の無償給与制度について述べられておりますが、ちょっと異例な感じがいたします。何か特別な意味を持っておっしゃっているんでしょうか。
○国務大臣(谷垣專一君) これは特に特別な意味はございません。ただ、五十五年度の予算編成の過程におきまして、財政当局の方から義務教育の無償配付はもうよすと、いろいろな案は過程において出ましたけれども、有償にするんだというような提案が、事実ございましたわけでございます。その問当委員会におきましても、そういう問題に対していろいろな御意見を拝聴いたしました。その意見は一括して申し上げますれば、この教科書の無償配付ということは続けるべきであると、こういう意見であったと私は了承いたしております。私ももちろんそれは当然そういうことであろうと思うわけでありますが、ことしの予算編成の過程におきまして特にその問題が言われた。しかも、それは各党、あるいは国会の議論の場でも言われておったというのが、これはいままでの状況とは少し違った状況であったと思われたわけであります。したがいまして、確かに御指摘のように、いままでの施策を積極的に伸ばしていくというよりも、いままでの施策を継続するということ、余りそれに対して言葉がおかしいという議論も出てくることは当然だと思いますが、五十五年度予算編成における経過を考えまして、その旨を申し上げておると、こういうことでございます。
○柏原ヤス君 教科書無償制度のことについては、もういろいろ議論がございます。憲法二十六条の教育を受ける権利、この権利を保障するという精神に基づいて、義務教育を充実させるという目的で法律によって実施された、無償の範囲というものは教科書にとどまらず拡大されていくべきものだと、こういうふうに考えるのが私たちの主張でございます。そういう点で教科書無償制度は教育の基本問題だと、義務教育に対する国の考え方を示すんだと、このように考えておりますが、大臣はどういうふうにお考えになっていらっしゃいますか。
○国務大臣(谷垣專一君) 私も結論的に申せば、先生のおっしゃっていることと変わりない気持ちを持っておるわけでございます。 ただ、先生がおっしゃるように、教科書だけにとどまらないで、ほかの方へも広げていくべきであると、こういう趣旨のお言葉が若干ございましたが、これは将来の問題としていろいろ議論の出てくるところでございまして、いまその点を担当の大臣としてそうだというわけにはちょっといきかねるわけでございますが、教科書に関しましてはすでに長い経過を経ておりますし、またこれをやりますとき、そのものの問題もございますし、それから御指摘になりましたいわゆる義務教育における無償を決めておりますそういう考え方の精神を、そのものでなくても、その精神を伸ばしていって、すでにこれある程度の年限ずっと継続してきておるわけでございます。これはまあいろいろな財政状況の変化の厳しいことも、これもわからぬじゃございませんけれども、これはやはり従来のあり方を見守っていくという、その点は先生の御指摘と私たちと考えを一つにしておると、かように考えております。
○柏原ヤス君 ところで、教科書無償制度を見直そうという、こういう考え方が、大蔵省から予算編成のたびに、まるで年中行事のように最近出されております。この問題は財政事情で左右されるものではないと、また赤字財政解消の上からだと言ってみても、文教予算の約一%足らず、国の財源がないということのPRに使われているんじゃないかなあという、こういう疑問すら起こっているわけですが、その点いかがでしょうか。
○国務大臣(谷垣專一君) 財政当局の意向は私たちどうもそんたくしにくいところがございますけれども、しかし、この問題は経過を振り返ってみますと、最後まで実は政府部内では決着がなかなかできない問題でございまして、最終的には大蔵大臣と私とがそれぞれ意見が違いまして、結論雨にはしかし文部大臣の意見を通そうというとこるまでいった経過が実はございますので、財政当局なかなかこれに固執しておったという感じは私は持っております。しかし、そのこととこの制度が実際に動き始めておるという現実も考えますと、私はやはりこの問題は今後とも堅持していくべきものである、こういうふうに考えております。
○柏原ヤス君 私は、教科書無償については、今後大蔵省に恩恵扱いにさせないようにしなければならない。見直しの内容についても、国の半額負担だとか、所得制限するとか、貸与制にするとか、いろいろな議論がされておりますけれども、こういう問題はもうすでに実施される前に議論されているわけです。何でこれをまた蒸し返すんだろうか。実施されて今日国民の間にももう定着している制度でございます。先ほど大臣が大蔵省とは意見が違うんだと、こういうふうにおっしゃっておりますけれども、そんな押されぎみな、向こうが違うのだと言っていることを認めているような、そんな弱い態度じゃなくて、そうした大蔵省の恩恵扱い的な態度を今後させないと、こういう強い態度を文部大臣に期待するわけなんですが、この点いかがですか。
○国務大臣(谷垣專一君) 財政当局がこっちに対して恩恵がましく言っているとはもう全然私考えておりません。それは財政当局がどういうつもりでこれを出したか。恐らく国の財政の上から見てそういうことを出してきたと思いますが、これはもう当然の私たちが主張しておることで、大蔵省が恩恵的であるとか、ないというようなことも全然こっちは考えておりませんので、教科書の無償の問題は今後とも続けていきたい、こういうふうに考えております。
○柏原ヤス君 今後続けていく、続けていくと文部大臣はおっしゃるけれども、大蔵省の方は見直せ、見直せと。廃止だ、廃止だと。毎年毎年また続くような感じがするわけですね。私はこういう姿を国民が見ていると、もう政府に対する不信というか、教育というものをどう考えているんだろうという、そういう不安がつのると思うんですね。そこで恩恵扱いにしていると思っていませんと文部大臣はおっしゃるけれども、恩恵扱いにしているじゃないですか。 私は、そこで大臣に強い態度でこの問題にもっと積極的にぶつかっていただきたいと申し上げるのは、私こうしていただきたいんです。これは提案でございますが、教科書無償制度は後退させない。政府の方針として今後とも法律の示すとおりに実施していくという、これを文部大臣の責任で閣議で決定し、政府の方針としてきちっと示していく。また来年なんということがないように私はしていくべきだと思うんです。そうしていただけないでしょうか。
○国務大臣(谷垣專一君) これは、いまの予算の関係は、毎年度予算編成という形でやっております。長期の見通しをするものも、一応その長期の見通しはいたしますけれども、予算は毎年毎年のことになるように財政の決め方はいま運用しておるわけでございます。しかし、私はことしの経過から見て、大蔵省もそんなに毎年毎年出すようなことはないだろう。私は少し楽観的かもしれませんが、そういう気持ちを持っておるわけであります。これは財政の状況が今後どうなって、どういうふうになるかという不確定要素がございますから、向こうは向こうでの議論をすると思いますが、もうことしの状況でそういうことはないだろうというふうに私自身は考えておるわけです。
○柏原ヤス君 この点繰り返さないようにひとつお願いいたします。 次に、四十人学級のことについてお尋ねいたしますが、四十人学級について、これは落ちこぼれ、非行、自殺、受験過熱、こうした子供をめぐる諸問題の中で、行き届いた教育というものを望む声が非常に大きい、国民的な願いだ。その解決策の一つとして学級編制の改善、四十人学級の実現ができたと、非常にこれはよかったと私も思って、今後本当に行き届いた教育が行われる現場にしていきたいと、こう思っております。 そこで、発表された案を見ましたら、何と十二年計画というわけなんですね。五十人から四十五人に改善したときは五年計画だった。文部省がこれまで立てていらっしゃる計画は、大体五年ごとの計画であったと思うんですね。昨年の夏の発表による文部省案、これは九年計画、これでも長いんじゃないかと思っていたのに、十二年計画というのはいかにも長いと、大臣もそうお感じになっていると思うんですね。十二年先のことを本当に見通せる人がいるんだろうか。そういう中で十二年計画というものを立てられた。実施期間というものをもう少し短縮すべきだ。これはどういうふうに大臣お考えですか。
○国務大臣(谷垣專一君) 御指摘の問題は、やはり予算折衝をいたしましていろいろ議論いたしております中において、結論的にそういうことになってお願いをしておるわけでございます。ざっくばらんに申し上げれば、私たちは九年計画の案をもちまして、財政当局とずっとあれをしたわけでございますけれども、まあ財政当局の方はもう非常にこれは教科書以上に強い態度で、この問題に対してはなかなか結論を出しません状況がございました。しかし、これ政府は一体でございますので、中でいろいろな議論をいたしまして、そして今日の財政状況等ももちろんこれは非常に厳しい状況であることはわかりますし、ほかの方で定員削減その他の問題がずっと進行しておる中で、この問題に関しましては、かなり長期において教員の皆さんの増員の問題とか、いろいろな問題が出てくるわけでございます。まあ私たちの原案が確かにその点では先生が御指摘のとおり、若干時間が延びて十二年ということになりました。しかし、まあ私たちは政府一体の考え方でございますので、議論の過程はいまここで申し上げることは避けたいと思いますが、十二年になりましたものを非常に十二年という長い時期でございますので、いろんな変化がまた出てくるかもしれませんけれども、しかし、教育の問題としてはじっくりとやっていくのも一つの行き方ではないか。ことに、これはいろんなこれからの児童、生徒数の消長の問題等も含み、それに関連しての、四十人学級するしないの問題以外の学校の先生方の増減の問題等もこれあることでございますので、そこらもにらみ合わせた形で十二年という政府案を私たちも認めたわけでございます。とにかくなかなか着手しないという状況を、まず着手させるということが非常に大切なんではないかということで、これをお願いをして、そして予算の中に盛り込ませていただいた、こういうことでございます。
○柏原ヤス君 ところで、計画を見せていただきました。ここに資料いただいたんですけれども、この計画を見ますと、初年度と最終時点の数しか示されてないわけなんです。昨年の文部省原案の九カ年計画では、年次ごとに具体的な数字が示されていますが、この十二年計画案は途中の計画が何にも示されていない。実に漠然としている。また年次別の改善モデルがここに図で示されておりますけれども、年次別改善モデルというのは一体どういうのか、よく国で示されているモデルというのは幻的なものが多い。ですから図ではこう書かれているけれども、そうしたものじゃないのか、モデルなんという言い方が何となく私は、どういう意味なのか。いずれにしても漠然とした感じがするわけですね。内容が具体的でない。こういう点で御説明いただけますでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) ちょっとモデルという点について御指摘がございましたけれども、説明させていただきますと、十二年計画で、十二年間に四十人学級とその他の定員増で八万一千名増員するということは法律ではっきり書いてございます。いま提案しております。それで、各年度どういうふうに、どれだけ増員するかということは、毎年度政令で決めるということになっておりますんで、そういう意味ではいま各年度の増員というのは、これこれですよとはっきり申し上げることができないという意味で、言ってみれば増員案という意味でモデルと申し上げたわけでございますから、その点は御理解いただきたいと思います。そして、そのやり方はすでに御承知のように、五十五年度は過疎地の小学校の一年生から始めますということで、いまのようなやり方でもしやるとすれば毎年何人ぐらい増になるかというのは、利ども案として持っておりますんで、これは後ほどお手元に差し上げたいと思いますから、御了承いただきたいと思います。
○柏原ヤス君 法律として基準的なものも決めずに、毎年毎年財政事情に左右される、政令で決まるというようなこういう内容のものを果たして計画と言えるだろうかと、私はこう思います。それに対して実施する自治体、非常に計画が立てにくいんじゃないか。人事行政も大変だと私は思います。だから、十二年計画というのはやっぱり名ばかりの計画なんじやないのか、最後の十二年目に一遍に実施しても十二年計画と言えます。もっときちっとした中身、基準、これを法律として決めるような、そういう計画にすべきじゃないか。この四十人学級の実施というのは非常にむずかしい問題ではありますけれども、ぜひこれは達成させていただきたいし、成功させていただきたいと思いますので、申し上げるわけでございます。
○政府委員(諸澤正道君) 確かに毎年度の増員あるいは整備計画をあらかじめ全部法律で決めればよりはっきりするわけでございますが、実はこの政府計画というのは、先ほど御指摘がありましたが、たとえば五十人を四十五人にするあの五年計画も、やっぱり最終目的だけを法律に書いて、各年度のやり方は全部政令に譲っておるわけでございますね。そしてその政令をきちっ、きちっと毎年立てて、五年間に四十五人学級を実現したというような実績がございますんで、私どもとしてもずるずるずるずるしておって、最後の年に全部一遍にやるなどということはさらさら考えておりませんので、これはひとつできるだけそのときどきの財政状況を考えながら、そして教員の養成のことも考え、そして各県の採用予定のことも考えながら、そういうことを念頭に置いて、できるだけ堅実にやってまいりたいと思いますので、ひとつ御理解をいただきたいと思います。
○柏原ヤス君 次に、国立大学の学費値上げについてお尋ねいたします。 昭和五十五年から以降、毎年国立大学の学費が値上げされております。五十五年度は、授業料がこれまでの年額十四万四千円から十八万円、二五%の値上げ。こうしたここ数年の値上げ、特に五十五年度二五%の値上げというのは、一体どこに根拠を置いてなさっているのか、御説明をお願いいたします。
○政府委員(佐野文一郎君) 国立大学の授業料につきましては、これまでも社会経済情勢の変化等に応じまして、改定を行ってきたところでございます。現在、国立大学の授業料は、私立大学の授業料との均衡等諸般の情勢を総合的に考えますと、やはりその均衡を図らなければならないような状況もございますので、育英奨学事業の拡充等の措置と一体化した配慮をいたしまして、いま御指摘のような改定を行うこととしたものでございます。 なお、改定に当たりましては、特殊教育特別専攻科なり、あるいは養護教諭の特別別科につきましては、引き上げ幅を小幅に設定をする、あるいは理療科の教員養成施設あるいは盲聾養護学校については授業料を据え置くというような配慮をいたしているところでございます。
○柏原ヤス君 国立大学の学生納付金、いわゆる授業料と入学料のこの推移を、いただきました資料で見ますと、十年前の昭和四十五年度は授業料は一万二千円、入学料は四千円。それが五十五年度になりますと、授業料は十五倍、入学料は二十倍となっております。十年間で十五倍、また二十倍、こういう値上げ、これは異常と言えるんじゃないか。大臣は、国立大学の学費の性格、これをどのようにお考えでいらっしゃいますか。
○国務大臣(谷垣專一君) 先ほど政府委員の方から御答えをいたしましたようなことでございますが、私たちも国立大学にいたしましても、授業料を値上げすることには、やはり十分慎重でなきやならぬということは十分心得ておるつもりでございます。ただ、いろいろのところで御議論がございますように、私立大学の授業料との一種の均衡と申すと語弊がございますけれども、私立大学と国立と比べて、国立はばかに安いじゃないかというような批評がかなりございました。安い方はいいんです、安い方はいいんですが、比較論がやっぱり出てまいります。そのかわり、私学の方は私学助成をやれという議論になるわけでございましょうけれども、授業料も一つの均衡——均衡という考え方はおかしいかもしれませんが、やはりそこらは両方にらみ合わせをしなきゃならぬという点が私ぱやっはり出てくることと思います。 それから、当然ほかの物価その他の上昇の問題も、それだから授業料上げるというわけにはいきませんけれども、しかしそれでもやはりそこらのにらみ合わせというようなものが、これはやむを得ないものとして出てくる。それが、御指摘になりましたように、月千円の前のときの状況から比べますと、ずいぶんと値上がりしたということになってくるわけでございますけれども、先ほど申し上げましたような私立大学とのにらみ合わせとか、ほかの物価との考え方等とのにらみ合わせをいたしまして、やむを得ないものだというところで、この値上げを認めてまいったわけでございます。決して喜び進んでやるというわけじゃございませんのでございますけれども、やはりそこらの状況を見ましての決定をいたしたわけでございます。 それでなお先ほど政府委員からも申し上げましたように、育英資金であるとか、その他の形においての増額をして、少しでもこれに対しまして非常な苦労をする諸君に対しての補足をやっていかなきゃならぬ。これはそういうふうに改めてやってまいっているつもりでございます。
○柏原ヤス君 いろいろ承りますと、政府の学費に対する施策というものは、昭和四十六年の中教審答申、これに沿っているというふうに感じます。 国立は二〇%、私立では四〇%、これは国民一人当たり個人消費支出に対しての比率ですが、だから国立は私立の半分にする、こういう考え方に基づいて値上げをしてきたのじゃないかと、こういうふうに思いますが、その点いかがですか。 〔理事高橋誉冨君退席、委員長着席〕
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘のように、中教審の答申で、今後における長期的ないわば教育にかけるお金の見積もり等をした際に、授業料の水準について、いま御指摘のような一つの試算をするに当たっての仮定を置いたということはございます。しかし、それはどこまでも中教審が今後における経費の見積もりをする上においての一つの仮定として示した考え方であって、答申の中でも、それが中教審答申が示す授業料負担のあるべき姿という形で提示をされているものではないと了解をしております。 御指摘のように、現在国立と私立の間の授業料の比較は、国立が私立の二分の一というところになっております。なってはおりますが、そういう方向へ持っていくために、逐年これまで授業料の改定をしてきたということでは必ずしもございません。
○柏原ヤス君 私立大学と国立大学との学費を比較して、やはりその差を縮めようと、こういうふうにして国立大学の学費を上げてきているのだ、こういうふうにしか思えないわけです。今後そうした悪循環が続くなら、これはえらいことじゃないかと思う。ですから、来年度以降の国立大学の学生納付金に対して、現在どういう基本的な考え方を持っていらっしゃるのか、それをお聞きしておきたいと思います。大臣いかがです。
○国務大臣(谷垣專一君) 国立の大学のいまの授業料につきまして、何か基礎的に決まったルールでどうこうという、そういう決まったルールを私たち持っておるわけではございません。先ほど申し上げましたように、極力値上げはしたくないという基本的な考えを持ちながら、やはり、私立大学との関係、私立大学の方はどっちかというと、先行するようなかっこうになるわけでございますが、そういうこととか、あるいは物価の状況とかいうようなものをにらみ合わしてやっていきたいということで、決してことしやったから来年やろう、そういうような気持ちは、私たちはむしろ消極的なあれでございますが、周辺の状況と申しますか、そういうものが起きました後でどういうふうに判断するかと、こういうことでやむを得ずという状況でございますので、御了解を願いたいと思っております。
○柏原ヤス君 いまお聞きしておきたい大事な点は、来年度以降、国立大学の学生納付金に対して現在基本的なお考えを持っていらっしゃるのか、上げようとしているのか、いや上げないようにする、どちらですか。
○国務大臣(谷垣專一君) せっかくの先生の御質問でございますけれども、いまは五十五年度の予算のことでいっぱいになっておって、方々から、国立大学の授業料上げたのはけしからぬじゃないかという、いまおしかりも受けながらやっておるわけでございまして、まだとても五十六年度の状況をいまからどうのというところまでは頭が実はいっておらないのが現状でございます。
○柏原ヤス君 上げないように努力するということもおっしゃれないんですか。
○国務大臣(谷垣專一君) 文部大臣といたしましては、努力をせなきゃならぬと考えております。
○柏原ヤス君 次に、関連して、奨学金制度についてでございますが、専修学校生に対する拡大、これをすべきだ。五十五年七月から専修学校生に対する貸与の道が開かれました。ところが貸与の人員は、高等課程二百人、専門課程八百人、合計千人、こういうようでございますが、専修学校は全国に約二千四百校あって、生徒や学生は四十万という大ぜいな数でございます。こうした現状を考えますと、千人というのは、非常に少ない数です。今後、ぜひこれは拡大していただきたい。拡大するという前向きのお考えを聞かせていただきたいと思います。
○政府委員(佐野文一郎君) 専修学校に対する奨学金貸与制度をことしから発足をさせたいということで、予算をもってお願いをしているわけであります。率直に申しまして、専修学校を対象とすることについては実はかなりのむずかしさがございます。それは、通常の学校の場合、いわゆる学校教育法一条の学校と違って、専修学校というのはかなりバラエティーを持っておりますし、またそれを持っていることがいいことでございます。そういったものに対して、育英会の貸与制度を適用していく場合というのは、それが円滑かつ適正に進められるように、また先生御指摘のような期待にこたえて、それが発展をするようなステップを切っていく必要があるわけでございます。そういったことも考えまして、初年度は対象となると考えられる生徒の約一%を対象人員、奨学生の数としてとって、スタートさせるわけでございます。これを今後どのように発展をさせていくか、これは関係者の期待も非常に大きいわけでございますから、私どもも十分前向きに取り組んでまいらなければいけないと考えておりますけれども、具体的に、初年度からのこの制度がどのようにスタートし、そして適用されていくのか、その推移も見ながら取り組んでまいりたいと思っております。
○柏原ヤス君 次に、養護学校のことについてお聞きしたいと思います。 去年の四月一日から義務化が実現してちょうど一年が経過しようとしております。そこで、何点かについてお尋ねいたしますが、まず、養護学校の整備の状況はどうでしょうか。現在、学校の整備状況とあわせて、児童、生徒数、これをお聞かせいただきたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) 四十八年でしたか、五十四年度から養護学校を義務制にするという予告政令を出しましたときの養護学校の数は約二百六十校でございました。そして五十五年度当初までにもう二百四十校ほど増設して、五百校というのが当初の計画であったわけでありますが、その後各県の非常な努力によりまして、結果としては、五十五年度当初までに六百四十三校の養護学校輝整備されたわけでございます。そして現在就学しております児童、生徒の数が五万六千九百五十人ということで、これは前年度に比べますと、約一万七千人の増ということになっておるわけでございます。そうして、御承知のように、養護学校については、身体の障害の程度が非常に重い子供さんは就学の猶予、免除というものがあるわけでありますが、これが義務制実施前は約一万人あったわけでございますが、そのうち六千五百人ほどは新たに訪問教育の対象にするなどいたしまして、したがって、猶予、免除された者は三千三百六十七人という数になっておるわけでございます。以上が実情でございます。
○柏原ヤス君 確かに養護学校の義務化によって障害児教育の前進というものが見られます。しかし、義務制となった今日でも、三千以上の猶予、免除される者がいるわけです。これは前にも御質問いたしたんですけれども、就学免除の制度について、これは廃止すべきだと、こう思っておりますが、その点いかがですか、大臣。
○国務大臣(谷垣專一君) これは要するに義務化をいたしまして、そして、言ってみますと、その児童の身体的な状況その他によりまして、無理のあるのは、これは当然あるわけでございます。養護学校の義務化によりまして、従来からの猶予されておった者が、一万人近く縮減されておったということは、これは確かに養護学校の養護教育の義務化があって、一つの通いやすくなったというか、そういう状況で、これは身体的な状況だけにとどまらない、通勤といいますか、通学とか、いろいろな状況がそれで改善されたことからくることだと思います。しかし、やはり身体的な状況とか、その児童の状況によりますが、やはり義務を免除せなければならぬという、そういう方々は残念ですけれども、ある程度は出てこざるを得ないのだと思います。問題は、いまそういうふうに残されておる方々が、身体的な理由以外の、ほかの社会的な条件とか、その他でなっておるかどうかということだと、それに対する改善策は考えなければいけないと思いますが、やはりある一部の方々の義務を免除せざるを得ない、猶予せざるを得ないということは、これはもうやむを得ない点ではないか。訪問教育とか、いろいろな問題を片一方伸ばしていく努力を進めていかなければならぬと思いますが、そういうように考えております。
○柏原ヤス君 義務化がおくれたために、義務教育を受けることができない。そういう学齢を超過してしまった人たち、たくさんいるわけです。こうした人たちの教育について、積極的に取り組むべきではないか、こういうふうに思いますが、どうでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 義務教育は、制度としては六歳から十五歳までですか、義務年限の問就学すればよろしい、学校の方もその間就学させればよろしい、こういう関係になるわけですが、御指摘のように、障害のある方がいろんな事情で就学の時期がおくれる、あるいは就学しても普通の子供のように段階を踏んで上の学年へ行けませんから、所定の年限内で卒業できないという事態が起こりますことは御指摘のとおりでございます。そこで、われわれとしましては、一方、学校の施設でございますから、その収容能力その他のこともございますけれども、現実の問題としては、そういうお子さんについては、できるだけ就学年限を伸ばして、その教育の機会というものを十分与えるように指導してきておるわけでありまして、そういう意味では就学年限を超えましても必要な就学奨励費等の支給はほかの子供さんと同じようにやっておるというような実情でございますので、今後ともそういう方向でまいりたいと、かように思うわけでございます。
○柏原ヤス君 次に訪問教育についてお尋ねいたします。 訪問教育の対象となっている児童、生徒数は何人いるかというこの点が一点です。 また、この訪問教育についていろいろな問題が指摘されております。たとえば指導時間数が少ないとか、担当者の資格がどうだとかということが問題になっております。まだほかにもございます。こうした事情、これを全国的に調査して、この訪問教育の充実対策、こういうものをとるべきだと思いますが、その点いかがでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 訪問教育の対象になる児童、生徒は、五十四年度で約七千人あるわけでございます。これは従来も対象人員は少のうございましたが実施をしておった。ただ、その訪問教育を担当する先生ですね、これは常勤の教員ではなくて、非常勤の先生をお願いしてやるというシステムでございましたけれども、この義務制を契機に常勤の先生に担当してもらうということにしまして、そのために必要とする教員の増を今度の十二年計画の中に織り込んであるわけでございます。そして、いまの訪問教育の標準的なタイプとしては週二回、そして一回約二時間というのを標準にしまして、子供の実情に応じて、主として養護訓練などの勉強をさせるというたてまえでやっておりますので、これからの課題としては、そうした特殊な教育を担当する先生方の一層の資質の向上を図っていく。それから、それに必要な各種の教材の開発整備などに努めるというようなことで、一層この教育の充実を図ってまいりたいと、かように考えておるわけでございます。
○柏原ヤス君 全国的に調査するというような、こういう考えはございませんですか。
○政府委員(諸澤正道君) 一般的な訪問教育の実態というものにつきましては、いま調査をやっておりますので、いずれそれがまとまりましたらまた一つの資料になると思います。
○柏原ヤス君 そこで、前にもこれは申し上げたのですが、養護学校の適正な配置を実現するために、市、区、町村、こうした段階で養護学校を設置した場合に、財政上の援助をとれるように改善していただきたい、改善してはどうかと、こういうふうに思いますが、この点どうですか。
○政府委員(三角哲生君) 御指摘の問題でございますが、公立養護学校の建物につきましては、公立養護学校整備特別措置法によりまして、国が一般的には二分の一を補助するということにいたしてございますが、都道府県立の場合については、当分の間二分の一でなくて三分の二を補助するということになっておるわけでございます。この補助率の引き上げ措置はどうして都道府県立について行ったかと申しますと、やはり昭和五十四年度からの就学義務化ということに伴いまして、都道府県がこういった養護学校の設置義務者であるという立場に立っておることにかんがみまして、文部省といたしましても、設置義務者である都道府県によって養護学校の整備の促進を図る、都道府県に期待をかけようということで、昭和四十八年度から三分の二ということで行っておるのでございます。 その結果といたしまして、先生御指摘のように、市町村でも若干御努力いただいて、養護学校をおつくりいただいているものがありまして、児童、生徒数の上で言うと六%強に当たるかと思いほすが、やはり四十七年から五十三年までの八年間に、面積にして百万近い九十八万平方メートルという校舎建設を進めてまいったわけでございます。 こういった状況でございますので、私どもとしては現時点で市町村に対する補助率を都道府県並みにするということは、いまのところは考えておらないというのが私どもの立場でございます。
○柏原ヤス君 通学のためのスクールバスの購入費とか、運行費、これをぜひ国庫補助していただきたい、こういうふうに思っておりますが、その点いかがでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) スクールバスの購入につきましては、購入費補助を予算に計上しておるところでございまして、現在たしか七百台ぐらい行き渡っておると思うんです。ただ、その運行費は、これをひもつきで補助するということはいたしておりませんで、これは交付税の積算基礎の中に、そういうものも含めて計算をしてもらうということで現在やっておるわけでございます。
○柏原ヤス君 関連して、幼稚部及び高等部についてお尋ねいたしますが、四十七年度を初年度とする特殊教育諸学校の幼稚部学校設置十年計画、これが進められておりますが、その進捗状況、幼稚部学級数及び幼児数、これを教えていただきたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) 幼稚部の十年計画による実績というのは、率直に申しまして、かなり計画からほど遠いというのが現状でございまして、五十四年度までの累計で見ますと、計画としては千四百学級ほど設置したいということでありましたけれども、実績は五百二十七ということでございますから、半分にも満たないわけでございます。 これは言いわけになりますけれども、われわれとしては、一方でこういう計画を立てましたけれども、当面する最大の課題は、義務制の完全実施ということで五十四年度までやってまいりましたので、一般の小・中学校の方は、先ほど申しましたように、計画を約百五十校ほど上回って設置されておるというような実態がございますので、これからひとつ幼稚部及び高等部の整備に努力をしてまいりたいと、かように思うわけでございます。
○柏原ヤス君 非常におくれているわけです。一それには理由があると思いますが、その理由をどういうふうにとらまえていらっしゃるか、その点お願いいたします。
○政府委員(諸澤正道君) 一つは、幼稚部の教育というのは非常に低年齢の子供でございまして、やっぱりこれの通学の問題、それから通学距離の問題というものもございますし、それから子供一人一人について相当丹念な教育をしないと実際に教育にならぬというようなことから、教員その他の条件整備もかなり割り高になるというようなこともございますんで、これは率直に言って私はそういうことだと思います。そういう意味でやはり地方団体の方もどうしても後回しになるという実態があろうかと思うわけでございます。
○柏原ヤス君 これをお聞きしますのは、五十六年度までに該当児童数の二分の一を収容できる幼稚部学級を設置すると、これが達成の目標なんです。あとわずかな間に、この達成ができるかどうか、もっと積極的な対策がなければならないんじゃないかと、そういうことを文部省としてお考えになっているかどうか、この点をお聞きしたがったわけなんです。
○政府委員(諸澤正道君) せっかくの御指摘でございますが、私率直に言って五十七年当初までに計画どおり達成できる見込みは非常に少ないと思います。思いますけれども、あと二年間できるだけ努力をしてまいりたい。そして、いま申し上げたことに関連するわけですけれども、この問題は障害児の幼児教育という条件整備の問題と関連して、具体的にどういう教育活動をするかという教育の方法等につきましても、まだまだ研究する課題がたくさんあるわけでございます。そういう意味で、いま文部省に幼児の障害者を教育する教育内容、方法をどうしたらよいかというようなことを検討するための協力者会議を設けて、いま検討していただいておりますので、そういうことと並行して、各府県に具体的な条件整備を一層進めるように努力をしてまいりたい、かように思うわけでございます。
○柏原ヤス君 養護学校高等部の設置状況、これを一応お尋ねいたしますが、何校で生徒数は何名か。また、中学部卒業生の進学率、これがどうなっているか教えてください。
○政府委員(諸澤正道君) 盲、聾、養護学校を含めまして、高等部を設置しております学校が二百六十三校でございますから、これは全学校六百五十四校に対しまして四〇・二%、在籍生徒数は一万九千八百四十人、こういうことになっておるわけでございます。
○柏原ヤス君 進学率六七%に進んでいると、まだまだ不十分だと私は思います。この高等部の問題は非常に父兄が要望しているわけなんです。これをぜひ文部省としては受けとめていただいて整備計画を立てて進める必要がある。また、整備計画が立たなくても進学率六七%までなっているというこの事実を積極的に取り上げていただきたい、こう思います。
○政府委員(諸澤正道君) 高等部まで設置をするという意味は、そういう障害者の方も高等部へ進学することによって、将来の社会的自立を助ける基礎を一層確実にしようと、こういう趣旨でございまして、そういう意味からいいますと、現在盲学校と聾学校の高等部は、盲であればあんま、はり、きゅう、マッサージとか、聾であれば美容師とか、理容師とかという、かなり的確な職業指導ができますので、効果を上げておるわけでございます。ただ養護学校になりますと、いろんな障害の方がおられますので、これにどういう職業教育をするかということがやっぱり関係者の非常に悩みの種であると言っていいかと思うんです。そういう意味で、先生御指摘のように、これからも高等部の充実を図ります場合に、同じように教育内容をどういうふうに組み立てていくかということが非常に大きな課題でございますので、この問題もいま文部省で協力者をお願いして検討しておるところでございまして、そういう内容の検討と相まって、施設の拡充整備を図っていくという方向で努力をしてまいりたいと思います。
○柏原ヤス君 さらに身体障害者のための新しい高等教育機関、この新設について一言お尋ねしておきたいと思いますが、身体障害者の中で視覚障害者、聴覚障害者、こうした人たちのための高等教育機関新設の研究が進められておりますが、その進捗状況をお聞かせいただきたいと思います。来年は障害者の年に当たりますので、その年に何らかの形でスタートできるように準備を進めていただきたい、こう強く要望してお伺いするわけでございます。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘の問題につきましては、五十三年度からすぐれた付属の特殊教育諸学校の伝統を持っております筑波大学におきまして調査研究が進められております。これまでの調査研究におきまして、視覚障害者と聴覚障害者を対象として高度の専門的な職業教育を行う三年制の短期大学を設置する、そういう方向で基本的な構想が取りまとめられつつあるところでございます。五十五年度におきましても、引き続いて筑波大学でこれまでの調査結果を踏まえまして、教育課程の問題、あるいは教職員の組織の問題等の具体的ないろいろな問題につきまして調査研究を進めていただく、そのために所要の予算措置も行おうとしているわけでございます。それで、事柄につきまして関係者の非常に強い要請があること、それからわが国がこの領域の問題についてより積極的に取り組む必要があることについては十分私どもも認識を持っております。筑波大学における調査の進捗状況をよく見ながら、五十六年度以降どのような形で事柄を進めていくかについて検討してまいりたいと思っております。
○柏原ヤス君 来年障害者の年に何らかの形のものが具体的に出されますでしょうか。その点いかがですか。
○政府委員(佐野文一郎君) 筑波大学は非常に意欲的に調査を進めておられます。筑波大学の関係者はいま御指摘の国際障害者年の年ということも意識をして調査を進めております。これをどのように受けとめて五十六年度に対応するかということについては、現在の時点では私どもとしては何とも申し上げようがないわけでございますが、私どもも大学と同じように、この問題について積極的に取り組みたいという気持ちを持っているということで御理解をいただきたいと思います。
○柏原ヤス君 一九七五年に国際婦人年世界会議がメキシコで開かれました。それから国連婦人の十年として十年間が定められておりますが、ことしはそのちょうど前半期の見直し、評価という年に当たっております。そういう年でもございますので、婦人の教育問題について何点かお聞きしたいと思います。 そこで、社会教育について婦人の学習状況、年次別婦人学級、あるいは講座の開設数、参加者数、こういうものを見ますと、四十九年度からの数字でございますけれども、余りふえていない、こうした現状をどうお考えになっていらっしゃるか。学習の機会拡大というものを本気で考えていらっしゃるかどうか、この点いかがでしょう。
○政府委員(望月哲太郎君) お答え申し上げます。 ただいま柏原先生から婦人の社会教育への参加状況についてお話ございました。私どもといたしましては、現状の認識といたしましては、最近は子供の数が減るとか、あるいは家庭の生活が合理化されるとか、いろいろなことから御婦人の方の学習に参加する時間、あるいはマスコミの発達等によりまして、学習に参加しようという意欲が高まってきておるということで、私どもといたしましては、御婦人が社会教育活動に参加されておられる状況というものは、むしろ増加の傾向にあると思っております。ただ従来どちらかと言えば、学級に集まって、そこで学習をするという形だけが社会教育の一つの典型的な姿としてあったわけでございますけれども、ただいまはテレビを聞いて学習するとか、あるいは通信教育に加入することによって勉強されるとか、それからさらには公的な立場での学級活動だけではなく、たとえば、御承知のような朝日新聞がやっております文化カルチャーセンターとか、あるいはその他いろいろな民間の学習活動にも参加をなさっておるような状況でございますので、私ども総体としては御婦人が学習活動に参加されておる状況というものは、増加の傾向にあると思うわけでございます。 なお、先生御指摘のように、公的なものだけで限ってみますと、それほど増加をいたしていないというような姿が出ておるとは思いますけれども、そこらの点はひとつ状況を御理解いただきたいと思います。ただし、そうかといって、私どもが今後、公的なものに御婦人の方が参加されるように呼びかけをし、またいろいろと働きかけをし、また行われておりますいろんな学習活動の内容というものが陳腐なものにならないように、参加される方に魅力のあるものになるように、そこらの点については十分研究をしてまいりたいと思っておる次第でございますし、先生の大変な御協力をいただきまして誕生いたしました国立の婦人教育会館においても、そこらの婦人教育の将来の姿を展望しながら、鋭意検討をしておるところでございまして、私どもの立場で、御指摘のような点におきまして、公的なものの社会教育活動というものが時代おくれにならないような努力というものは、一生懸命やってまいりたいと思っております。
○柏原ヤス君 いまおっしゃったように、婦人っ意識というものは非常に高まっている、学習したいというそういう熱が非常に上がっている、またそういう時間、そういうものもあるわけです。そういう中でこの婦人学級とか、講座、この実態を見ると、さっぱりふえてない、全体が高まっている中で、どうして婦人学級、あるいは講座などが余り人気がないか、魅力がないか、これをやはり真剣に考えてみなきゃならないと思うんですね。そういう点何か本気じゃないんじゃないかという感じがするんですけど、どうでしょうか。
○政府委員(望月哲太郎君) 私どもは一生懸命やっておるつもりでございますけれども、なお、私どもの力がまだ不十分で、先生がそういうふうにごらんいただくようなことであってはならないと思っておりますので、今後なお一生懸命努力をしてまいりたいと思っておりますし、また社会教育の問題は、単に役所だけが考えるということではなくて、多くの方々の御意見を十分承りながら、時代の進展に即していくようにしなければいけないと思うわけでございますので、十分多くの方々の御意見を伺ったり、あるいは各種の調査なり、統計の資料等も十分勉強をいたしまして、さらに公的な立場での婦人教育というものが時代おくれにならないように、魅力のないものにならないように一生懸命やってまいりたいと思います。
○柏原ヤス君 そこで、国として公立婦人教育会館施設費を補助しております。都道府県及び人口三十万以上の市が建設する際に定額補助を行っておりますが、五十五年度の予算を見ますと、交付対象が五十四年度は二館だったのが、一館に減っていると、これは要望がないので減ったのですか、これはどうして減ったんでしょうか。
○政府委員(望月哲太郎君) お答え申し上げます。 先生御指摘の婦人教育会館の建設のための補助金は、昭和五十二年度から始めたわけでございまして、それは国立婦人教育会館が完成をいたしまして、事業が開始したことを契機といたしまして、新しい事業として予算を要求したわけでございます。そこで、当初の予算要求するに際して、各都道府県あるいは地方公共団体の御要望を承りましたところ、二カ所要望がございましたので、二カ所につきまして要求をいたしまして、満額を確保いたしました。五十四年度も同様二カ所の御要望がございましたので、二カ所を確保いたしましたが、五十五年度はたまたまいろんな状況で、地方公共団体で一回しか御要望が、広島市でございますけど、なかったものでございますから、一カ所の要求にいたしたわけでございますけども、今後御要望があれば、私どもといたしましては、御要望についてはすべて応ずるだけの予算をとるように努力をしてまいりたいと思っておるところでございます。
○柏原ヤス君 建物だけを建てても運営ができなければ教育施設としての意味がないということでございますが、指導系職員の配置状況、運営費補助、こういうものがどのようになっておりますでしょうか。
○政府委員(望月哲太郎君) 社会教育施設に対します補助金につきましては、私どもといたしましては、施設をつくられる際の施設費につきまして補助を行っておるところでございますけれども、これは公民館、青年の家、少年自然の家も同様でございます、あるいは図書館、博物館も同様でございますけども、その他のことにつきましては、基本的にはそれぞれ設置者において手当てをしていただくような考え方で予算を編成しておるところでございます。
○柏原ヤス君 社会教育の分野で指導的立場にある社会教育主事、社会教育委員それぞれ女性の活躍状況を聞かせていただきたい。これは具体的に全国の都道府県、市区町村の教育委員会にいたる社会教育主事の総数、そしてその中に女性が何人いるか。同じく社会教育委員についても総数幾ら、女性が何名か、これおわかりですか、お願いします。
○政府委員(望月哲太郎君) 昭和五十三年五月現在の調査によりますと、都道府県、市町村に置かれております専任の社会教育主事の総数が五千四百九人でございまして、そのうち女性は百五十八人でございますので、二・九%という数字になっております。また、社会教育委員の総数が三万八千三百二十七名でございますが、女性の方が五千二百七十一人で、総数の中で一三・八%という比率になっております。
○柏原ヤス君 非常に婦人が少ないわけです。社会教育委員とか、社会教育主事に婦人が少ないというのは、一体これはどういうわけだろうかと、この点について御説明いただけますか。
○政府委員(望月哲太郎君) その理由をどうかというのは大変いろいろむずかしいことでございまして、はっきり明確には申し上げかねると思いますが、ただ社会教育主事は比較的学校の教員の、しかもある程度年数がたって、かつ教頭であるとか、校長であるとか、そういうものに将来なるというような方もかなり多数実際に人事としては入っておられますので、そういういろいろ社会教育主事の任命の候補者の現状等もやはりかなり影響をいたしておると思います。 私どもといたしましては、御承知のように、国といたしましても、公務員の管理職への女性の登用、あるいは審議会の委員にできるだけ婦人の方に参加をしていただくように努力するというようなことを現在やっておりますので、社会教育主事あるいは社会教育委員というのは、都道府県あるいは市町村が任命される方でございますので、国が直接とやかく申し上げるというわけにはまいりかねますけれども、先生先ほど御指摘のように、国連婦人の中間年にも当たりますし、婦人問題あるいは婦人教育の問題について、社会の関心が非常に高まっておりますので、私どもといたしましては、できるだけ今後婦人の方がこういう分野にも従来より多く参加をしていただくように期待をしてまいりたいと思っております。
○柏原ヤス君 大いにがんばっていただきたいんですが、いままでの婦人会館を見ますと、貸し部屋的なんですね。部屋を貸しているという程度の婦人会館だったんじゃないか、しかし、最近、婦人の問題は非常にいろんな問題が山積しております。この世の中の変動というもののしわ寄せというものが全部婦人と子供にかかってきている。そういう点で、婦人の悩みというものは非常に複雑になり、新しい問題にみんなぶつかっている、こういう点で婦人会館というものが、単に部屋を貸していればいいというようなものじゃなくて、もっと相談を受けていく、また保健の問題もここでやっていく。保健所なども非常に遠いところにあって、なかなか行けないというような声もございます。そういうような現代的な問題をやはりこの婦人会館で引き受けるというような、そういう働きにしていかなければなりませんし、また、市町村では新しいいま婦人会館を建てるというような形で、非常に婦人会館の活動が機能的になっている。そうなりますと、その中で指導する、また活動する教育主事とか、教育委員その他の人たちはぜひ婦人じゃなきゃならないと、こういうふうに思いますので、この積極的な人事行政、これについて文部省はもう少し積極的に取り組んでいただきたいと、こういうふうに思うわけなんですね。大臣に一言そうしたことについて積極的なお考えを述べておいていただきたいんです。
○国務大臣(谷垣專一君) 婦人年間ができたからという意味でもございますけれども、それ以上に、やはり女性の進出も多うございますし、先ほど先生が御指摘になりました家庭の条件とか、社会的な条件大分変わりまして、御婦人としてのいろいろな問題が出てきておるのが現状であろうと思います。いろいろこうして努力をいたしておりますが、さらに実際担当してやっていただく方々に、御婦人の方々をもう少し、どっちかいいますと指導的に増加していくことは必要だと私は考えております。努力をさせていただきたいと考えております。
○柏原ヤス君 この際、派遣社会教育主事の問題についてもお尋ねしておきたいと思います。 都道府県教育委員会から市町村教育委員会に派遣されている社会教育主事、これは四十九年度から都道府県の負担する給与費の二分の一相当額を補助しておりました。ところが五十五年度予算では、この補助率が二分の一から十分の四に下がった、これはどうしてだろうか。社会教育軽視だ、後退じゃないかと、こういうふうに残念に思ってお聞きするわけです。また、今後この制度をなくしてしまうのではないかという、そういう心配もあるわけです。市町村からのこの制度の存続、非常に要望が強いと聞いておりますのでお尋ねするわけです。
○政府委員(望月哲太郎君) お答え申し上げます。 先生御指摘の派遣社教主事に対する国庫補助は、昭和四十九年に始まりまして、ことしで七年目になるわけでございますが、大蔵省といたしましては、財政事情その他のことから、人件費補助については整理をしたいと、こういう強い意向が五十四年度の予算編成のころからございまして、私どもとしては、先生御指摘のように、この制度というものが実際に市町村におきますところの社会教育の質を高め、また広がりをさらに大きくしていく上に大変重要な役割りを果たしておるということで、鋭意その予算の確保に努力をいたしたわけでございますが、いろいろやりとりいたしました結果、補助率につきましては二分の一、いわゆる十分の五を十分の四に引き下げるかわりに、この制度というものを維持するということで、一応、私どもといたしましてもきわめて補助率が落ちることは遺憾ではございましたけれども、そういうことでこの制度の存続ということを前提に、そういう形で五十五年度の予算をまとめたわけでございまして、私どもといたしましては、この制度というものの持っておる重要性というものにかんがみまして、今後ともこの制度の維持に努力をしてまいりたいと思っておるところでございます。
○柏原ヤス君 国立婦人教育会館についてお尋ねしておきますが、五十二年十月事業開始して以来、皆さんの非常な努力によって、すでに二十二万人も超える利用者があると聞いております。昨年六月すべての施設が完成して、いよいよこれから内容の充実という段階に入りましたが、これからはどういう点に力を入れて事業運営を進めるか、そうしたお考えがございましたら、お聞かせいただきたいと思います。
○政府委員(望月哲太郎君) 国立婦人教育会館の目的といたしましては、一つは婦人の研修の場を提供する、それから婦人の交流の場を提供する、あるいは婦人教育に関します調査、研究をするということでございまして、私どもといたしましては、まずできるだけ御婦人の方々が気持ちよく研修の場として御利用いただけるように、まずその環境整備、あるいは研修の機能の整備ということにまず第一段階の努力をいたしてまいりまして、先生先ほど御指摘のように、ようやく施設も全部完成をいたしまして、その点につきましては、これから利用される方より一層御便宜を図ることができると思っております。それからなおその次に、先ほどもちょっと申し上げましたように、婦人教育というものが時代の進展に取り残されないように、また国際的な動きをも十分留意することができるように、研修の内容等につきましても、必要があればいろいろと御相談に応ずるような体制を整えてまいりたい。あわせて図書あるいはいろんな資料を収集いたしまして、そういう面でも御利用の方に御便宜を図っていきたいということで、一つはいまそういう資料とか、図書の整備ということにこれから力を入れてまいりたいと思っておるのが一つでございます。 それから、いま一つは、やはり国際交流の場としての婦人教育会館としての機能も十分達成してまいりたいと思うわけでございまして、いろいろと各種の婦人団体で国際交流の場として御利用もいただいておりますが、婦人教育会館の主催事業といたしまして、ユネスコ、ユネスコ国内委員会と共同でことしの十二月に国際会議を一つ開催することにいたしておりまして.私どももこれは非常に新しい婦人会館としての試みでございますので、ぜひりっぱな成果が上がるように努力をいたしてまいりたいと思っておる次第でございまして、そういう交流であるとか、あるいは調査研究であるとか、そういう面につきましても今後努力をし、整備をしてまいりたい、このように考えております。
○柏原ヤス君 これからの活動に対しての要望ですが、婦人の学習条件の整備充実、こうした点に多くの検討課題があると思います。たとえば学習内容のあり方一つをとってみても、学校教育、職業教育、この関係とか、高学歴化、多様化というような問題、あるいは生涯教育というものをどういうふうに展望していくか、そのための計画、こういうような問題、これは一つの例でございますが、こうした研究と実践、こういうものを通して情報センターの役割りをしてもらいたい、こんなふうに考えておりますが、その点いかがでしょう。
○政府委員(望月哲太郎君) 私どもも国立婦人教育会館をつくります際には、いま先生おっしゃったような機能というものを一つの重要な機能として、いわゆる従来ございました婦人教育施設よりももう一つ幅の広い施設として育ててまいりたいと考えてまいりましたわけでございまして、先生御指摘の点につきましては、今後とも十分力を入れてまいりたいと思っております。
○柏原ヤス君 国内行動計画前期重点目標の中に、文部省の取り組むべき問題、まあこれはいままで申し上げた社会教育の機会の拡充ということですが、その後に大学教育のあり方の弾力化等を推進することが必要であると、やはり国内行動計画の重点目標の中で、文部省の取り組むべき問題が挙げられているんですね。そこで、女子の高等教育の状況、これを調べてみますと、大学学部レベルの在学者で、男子との割合を諸外国と比較した場合に、ソ連は五〇%、アメリカは四四%、イギリスは三四%。ところが日本は二一%という数字が上がっております。女子の高等教育への進出にまだまだ問題があると思いますが、いかがでしょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) 五十四年度で四年制大学の進学率を見ますと、男子が三九・三%に対して、女子は一二・二%でございます。その意味では、確かに先生御指摘のように、女子の四年制大学への進学率はなお低いということが言えようかと思います。ただ、四十年度は男子が二〇・七%、女子が四・六%でございましたから、この間の伸びを見ますと、男子の場合には一・九倍、女子の場合には二・七倍というように伸びてきております。女子の四年制大学への進学率が低いということにつきましては、一つには女子の社会の各分野への進出の状況が男子とはかなり違う、そういう現実がなおございますし、したがって、一般的に、女子が自分の将来の職業に対する考えを決める際の考え方が、男子の場合とは違いがあるであろう、そういったことが進学率にもこういう形で出てきているんだと思います。先生御案内のように、五十一年以降、一般的に短大を含めまして高等教育への進学志願の率、あるいは進学率、いずれも停滞の傾向を見せております。高等教育への進学の動向が今後どのように進展をするかということは、男子を含めてなお今日の時点では見定めがたいものがございますけれども、全体の傾向としては、やはりその中でも男子と女子の進学率の差というのは、将来の方向としてはむしろ狭まっていく方向に向くのではないかと見てはおります。
○柏原ヤス君 関連として、家政学についてお尋ねいたしますが、現在の家政学を専攻する学生の中に、男子というのはほとんど存在してない、圧倒的に女子学生で成り立っている。家政学が家族あるいは家庭生活を基盤にした人間生活の学問であるならば、これを学習する対象が女子だけだというのもおかしいと思うんです。この点いかがでしょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) 家政学部を持っている大学が、国、公、私を通じて四十一校ございますが、この中で男子の入学を認めているものは私立の二大学だけでございます。ほかはいわゆる女子大学ということで、男性を入れておりません。もちろん食物とか、被服とか、あるいは住居、育児、そういった点、いずれも人間生活に大変不可欠な重要な分野でございますし、性格上、女子が多いことは、ある意味では当然だとは思いますけれども、女子に限定して考える必要がないという点については私どももそう思います。ただ何分にも大学の側が現在、いま申しましたような対応をどっておりますので、なかなか男子の学生がふえるという状況にないわけでございます。この辺はやはり大学が今後家政学部のあり方についてお考えになっていく場合の一つの課題ではあろうと思いますが、現状はこのような状況でございます。
○柏原ヤス君 いまちょっとお話にも出ましたけれども、家政学や家庭科教育、この内容に問題があると思うんです。この点について文部省としてお考えになっている点がございますか。
○政府委員(佐野文一郎君) 大学の方で申し上げますと、いわゆる家政というような問題についての取り組み方を、たとえば生活科学部というような形でより発展をさせるという方向での検討が幾つかの大学で行われ、また実現をしているものもあるわけでございます。昔ながらのいわゆる家政という概念とはかなり家政学部の内容自体がもう変わってきているとは思いますけれども、関係者はその辺は十分な問題意識を持って取り組んでいると私どもは見ているわけでございます。
○柏原ヤス君 次に、生涯教育あるいは社会教育にも関係いたしますが、大学教育の開放について、最近ようやく一部に学生以外の社会人を対象とした公開講座、これが開設されてくるようになりましたけれども、特に大学教育の開放については、国・公立大学が率先して学習の場を提供すべきではないかと考えておりますが、この点いかがでしよう。
○政府委員(佐野文一郎君) 大学の社会への開放という点は、私どももこれからの高等教育のあり方を考えていく場合に、非常に大事な事柄であると受けとめております。すでに修学の形態を弾力化するというようなことで、いわゆる昼夜開講制といわれる試みを千葉大学、福島大学あるいは愛媛大学等でスタートをさせているわけでございますし、また大学院の修士課程へ積極的に社会人を受け入れるということにつきましても、筑波大学なり、埼玉大学なり、あるいは慶応大学の大学院で進められているわけでございます。公開講座につきましても、御指摘のように、大学を社会に開放するという場合の非常に大事な事業でございます。五十三年度で申しますと、国立が六十三大学で三百十三講座、公立が九大学二十八講座、ちなみに私立は百三大学四百十二講座、これらが開設をされ、約十二万人が受講をするというような状況まで来ております。公開講座の関係の予算は逐年増額を図っておりますけれども、そうした努力をさらに続けてまいりたいと考えております。
○柏原ヤス君 次に、留学生の問題についてお尋ねいたします。わが国には約五千八百人の外国人留学生がいるというお話ですが、この数は国際的に見て欧米等を比較して多いのか少ないのか、どちらでしょうか。
○政府委員(篠澤公平君) 現在わが国におきます留学生の数は、ただいま先生御指摘のように、昨年の五月一日の基本調査によりますと五千九百人を超えてございます。その数でございますが、欧米諸国に比べますと、率直に申し上げて非常に少のうございます。御存じのように、高等教育機関に在学をしております者は短期大学以上で二百万人を超えているわけでございますので、比率にするのも〇・〇〇というような形になるわけで、少のうございます。
○柏原ヤス君 ユネスコで報告している主要国における留学生の受け入れ人数というのを調べてみますと、この数は省略させていただきますが、非常に日本は少ない。さびしい感じがするわけですが、これはやっぱり検討する余地がある、大いに検討しなきゃならないと思いますが、どうですか。
○政府委員(篠澤公平君) 留学生の数が何人が適当かということは、非常にこれまたむずかしい問題でございます。特に日本の社会事情と申しましょうか、あるいは学校制度も含めてでございますけれども、果たして日本に留学を希望する者が何人おるかということも、実は国によって非常にまちまちでございます。そういう対外的な要請も含めて考えますときに、果たして私ども何人が適当かという妥当な規模の数字を計算することは非常に困難だと思います。ただ、特に発展途上国に対します協力という観点からは、まだ当分の間は、日本政府が奨学金を支給する留学生は、特にそういう地域を主といたしましてなお増員していく必要はあろうかと このように考えております
○柏原ヤス君 留学生の対象についてですが、日本で留学生と言う場合は、研究留学生、学部留学生、また現地で大学在学中の学生が日本に短期に研修するために来ている留学生、こういうふうに三つに分かれているわけです。ところが、各種学校で日本語を学んでいる留学生、こういうのは留学生という掌握の中に入ってない。また、専修学校や専門学校でデザイン、写真、電子技術、自動車整備、こういうようなものを学んでいる留学生も含まれていない。しかし、こうしたところで勉強している留学生の実態というものがどうなっているんだろうか、その実態はつかんでいらっしゃるかどうか。
○政府委員(篠澤公平君) ただいま先生の御指摘もございましたように、現在の出入国管理令に基づきます留学生は、短期大学以上の教育機関で勉学する者というふうにされておりますので、私どもの基本調査によります外国人留学生の数をつかまえますときにも、お話しの各種学校、あるいは専修学校に在学しております外国人学生の数はつかまえておりません。実態を存じておりません。
○柏原ヤス君 それはつかんでいないと突っ放さないで、やはりつかむべきじゃないか。少なくとも日本に求めてくるそういう若い人たちに対して、今後もう少し温かく、また日本の立場というものを考えたならば、いままでの行き方をもう少し考え直していかなきゃいけないんじゃないか。それは、留学生に対して医療費の補助とか、入国手続の簡素化、学習奨励金の支給、こういうような援助があるわけです。ところが、各種学校や専修学校にいる留学生は除外されていると、こういう点があるので申し上げるわけなんです。
○政府委員(篠澤公平君) 実態を申し上げますとつかまえてないということで、実態からその数字を把握してないということを申し上げたわけでございます。その数字を把握するように試みてみたいと思います。 それからなお、現在日本に参ります外国人、まあ一般に留学生と申し上げてもいいかもしれませんけれども、そのほかに研修生ということで、特に各種学校、あるいは専修学校等で学ぶのとほぼ似たような形のもの、あるいは会社の中に入って、事業所に入って研修を受けるといったたぐいのものは、すでに先生御存じのように、JICA、国際経済協力基金等でプログラムを組んでおりまして、そういう数字はまた別途あるわけでございますけれども、各種学校あるいは専修学校におりますいわゆる留学生は、もしおるとすれば私費の留学生でありますし、私費留学生の対策としても現在は外れていることは御指摘のとおりでございます。いずれにいたしましても一遍実態を確認いたしてみたいと思います。
○柏原ヤス君 ぜひ留学生というもののとらえ方、これを、出入国管理上の在留資格という面から、第四条一項六号、これによって区別されているわけですけれども、やはり私は「教育機関」、この中に各種学校とか、専修学校、こういうものも入れていくというような、そういう行き方で留学生を温かく迎えていただきたいと思うわけなんです。 次に申し上げます国際学友会、日本語学校、これが例学としてこの四条一項六号が与えられている。けれども大学でないという理由で、医療費の補助の対象からは除外されている。こうした点ももう少し運用を広くしていってはどうか、こういうふうに思いますが、その点いかがでしょう。
○政府委員(篠澤公平君) 在留資格の問題につきましては、法務省の方とも今後協議を進めたいと存じております。ただいま御指摘のように、国際学友会の日本語学校の学生につきましては、四の一の六の適用があるというふうに、便法も——便法と申しましょうか、そういう在留資格で認めておるようでございますので、今後そちらに対する問題につきましても法務省と十分協議してまいりたいと思っております。
○柏原ヤス君 わが国にある日本語の教育機関についてお尋ねしておきたいと思いますが、日本の大学を初め教育機関において使われている言葉はほとんど日本語です。まず留学生の最初の壁はこの日本語をマスターするということにあるわけです。そこで、留学生を対象にした国立の日本語学校、これを設置してもいいのではないかと思いますが、いかがでしょう。
○政府委員(篠澤公平君) 留学生の日本に留学をいたしましての壁は、御指摘のように日本語の習得でございます。きわめてそれぞれの留学生は困難を感じていることもよく承知をいたしております。現在は東京外国語大学の付属といたしまして府中に日本語の学校がございます。それから大阪外国語大学におきましては、やはり付属の日本語学校を設けております。で、これも先生御案内のように府中の方は学部留学生を主体としておりますし、それから大阪外国語大学につきましては、これは研究留学生を主体にして、半年ないし一年の日本語をやっておるわけでございます。それから、近年でございますが、なおそれで十分に日本語教育ができないと。実際に大学に入学いたしましてから非常に困難を感じている者もございますので、主要な大学には日本語担当の教師をそれぞれ措置をするということをやってきてございます。五十五年度にも一、二の大学に日本語担当の教師をつけるという措置をお願いしているところでございます。今後ともそういう形で日本語につきましては、十分留学生の指導ができるように措置を進めてまいりたい。そういうことから考えまして、現在の東京外国語大学あるいは大阪外国語大学におきます留学生に対する日本語のコースで、現時点におきましては留学生の日本語教育は制度的にはそういう形でやっておることについて一応必要な部分はカバーしておると、このように考える次第でございます。
○柏原ヤス君 最後に、留学生の宿舎の問題についてお尋ねしておきたいんですが、現在宿舎の確保、これは文部省としては力を入れていらっしゃるようですが、まだまだ足らないというのが現状です。これからは単なる宿舎というだけでなくて、日本人との交流の場という、そういう機能も考えたいわゆるセンター方式、これが必要だというふうに言われておりますが、その見通し、宿舎の充実、これについてお考えがございましたらお聞かせいただきたいと思います。
○政府委員(篠澤公平君) 留学生が日本に参りまして、日本語教育の問題、先ほど御指摘ありました困難を感じている点の一つは語学の問題でございます。次はやはり宿舎の問題でございます。受け入れます各大学におきましては、宿舎の確保につきまして非常な努力をしていただいております。現在先ほど申し上げましたように、五千九百人を超える留学生がおるわけでございます。国立大学等に付設されております外国人留学生のための宿舎並びに財団法人等の民間の法人が設置しております留学生のための宿舎、合わせましてその収容数は千六百七十五という数字になっております。三分の一以下でございます。したがいまして、今後とも宿舎は増設してまいりたい。そういうことを考えております。 それから、宿舎の形態でございますが、各大学がそれぞれ留学生のための宿舎をお考えになるときに、一つの例が筑波大学でございますが、筑波大学の宿舎はすべて個室になっておりまして、これは日本の学生も外国人学生も全く同一でございます。そういう形で留学生を宿舎に収容していくという方法もございます。 それから、一般的なのは留学生のための宿舎ということで、これはむしろただいま先生の御指摘の線から申し上げますと、日本人学生、あるいは日本から隔絶された形の宿舎になっておる。どちらがよろしいかということはにわかに即断はできませんけれども、一つの方向といたしましては、私は今後やはり日本人学生と交わえるような形のもの、まあ筑波大学方式というのが今後の一つの方式であろう。 それから、宿舎のそれぞれの固有の面積につきましても、なるべく広げてまいりたい。こういうことで五十三年度、五十四年度、五十五年度、各大学からの御要望につきましては全面的に御協力申し上げて、増設を計画いたしている段階でございます。
○委員長(大島友治君) 本件に対する午前の質疑はこの程度とし、暫時休憩いたします。 午後一時二十四分休憩 —————・————— 午後三時八分開会
○委員長(大島友治君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査中、文教行政の基本施設に関する件及び昭和五十五年度文部省関係予算に関する件を議題といたします。 本件について質疑のある方は順次御発言を願います。 なお、吉田参考人に申し上げます。 本日はお忙しいところまことに御苦労さまです。
○宮之原貞光君 ここ一、二年来、地方の時代ということがしきりに強調されてきております。大平総理の先般の施政方針の演説を見ましても、「新しい地方の時代に対応した真に活力ある行政」を展開をしたい、こう述べておられるわけでございますが、大臣はこの「地方の時代」というのをどのようにとらえておられるのか、どういう経過の中でことさらにこの言葉が出てきておるのか、そこらあたりをまずお聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(谷垣專一君) 総理の言葉の中に出ております地方というのは、ほかのところでも出ていると思いますが、田園都市構想等をうたっておりまするように、中央におきまする問題だけにとどまらないで、地方の問題を見直していくべき必要がある、高度の経済成長その他によりまして中央へ、あるいは大都市への集中的ないろんな問題が出てきておるわけでありますが、したがって、その面において地方にだんだん欠けておる点が生じてきておる、そういうものに対しまして地方というものを見直していくべきである、新しく地方としての田園都市構想なんかに見られますような、そういう点を指摘されておるというふうに考えております。
○宮之原貞光君 見直すという中身も相当これは抽象的過ぎまして、中身がわかりませんが、どういうことですか、具体的に申しますと。
○国務大臣(谷垣專一君) 具体的に問題をどういうふうにつかまえてくるか、いろんな多様な面が出てくることだと私は思います。大都市におきます人口集中等で起こっておりまするような過密の状況、一方で過疎の状況が地方にあるわけでございますけれども、それをもう一度見直して、地方における一つの安定した生活基盤と申しますか、そういうものを考えていく必要があるのではないか、それが田園都市構想なんかに出ておるゆえんであろうと私は考えております。
○宮之原貞光君 新しい地方の時代に対応するということに対して、あなたのところの総理はやはり国と地方の自治の事務の再配分とか、いろんな仕事の面で中央に集中し過ぎておるんで、できるだけ地方に分散して、地方の住民の意思がやはり直接反映できるように活力ある地方をつくらなきやならないと、そういうところがあるからこそ田園構想というものも生きてくるんだと、このことを演説の中にも、あるいは質疑の中でもお答えいただいておるんです。これはまさに地方の時代というのは、今日までの日本の行政が当初の考えとは違って、非常に中央集権化の傾向が出てきておる。それではいかぬのだと、やはり地方自治の精神、言うならば分権官治、あるいは三割自治と言われておるところの自治体にもう少し自主性を加えるように、行財政の面でも考えていこうと、こういうところの要素というものが絡んできて、そういう中から地方の自治という言葉が出ておるんですよ。現に昨年の統一地方選挙では、皆さんも、自民党の方もそのことは非常に強調されておったじゃありませんか。そういうやはり地方の自治の本旨をわきまえた形にもう一回あり方を見直そうという意味じゃないでしょうかね。どういうふうにお考えですか。
○国務大臣(谷垣專一君) いま御指摘になったような面ももちろん含めてのことだと思いますが、これは相当に広範な問題に対しましての指摘を総理としてもしておると、こういうふうに思います。
○宮之原貞光君 それならばお尋ねしますが、大臣は憲法九十二条に言っておるところの地方自治の本旨、これは本質的にどういうものだというふうに受けとめておられますか。
○国務大臣(谷垣專一君) 九十二条「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。」と、こういうふうに書いてございますので、そのとおりだと思います。
○宮之原貞光君 本旨というのはどういうふうに理解されておりますかということをお尋ねしておるんですよ。九十二条に言っておるものの中身は。
○国務大臣(谷垣專一君) 地方自治の本旨というのは、地方自治法にうたっておりまするその問題であろうと思っております。
○宮之原貞光君 地方自治法にも書いてないですよ。 いいでしょう、突然の質問ですから。いかに優秀な大臣でもなかなかそこまでは。
○国務大臣(谷垣專一君) 余り広いものですから、ちょっとお答えがしにくいです。
○宮之原貞光君 とにかく地方自治で一番大事なのは、できるだけ地方の住民が生き生きと自分たちの意見が反映できるように、生の声をぶつけるとか、あるいは財政的にも自主財源がふんだんにあってできるようにするとか、あるいは中央のいろいろな事務自体もできる可能な限り地方に分散してやってもらおうというのが地方自治の一番知木だと私は思うのです。そのことがたとえば「教育委員会月報」で書かれておりますところの、いまの地方課長じゃございませんが、前の地方課長あたりもそういうことを書いておるんですけれども、私はこの地方自治のこういう物の考え方というのは、地方教育行政の面でもらち外でないと思うのですがね、その点はいかがですか。地方教育行政は別だと、こういうことにはならぬと思いますが、その点はどうお考えになりますか。
○国務大臣(谷垣專一君) それは地方自治の本旨なるものがどういうものであるかということは、ちょっと私もいまはっきりと申し上げかねておりますが、地方の教育の問題におきましても同じような趣旨であろうことは推察いたします。
○宮之原貞光君 ぼくも当然そうなければ大変なことだと思うんですよね。 それで、五十一年の五月二十一日、最高裁が北海道の、いわゆる旭川学テと申しますけれども、それの一つの判決を出しておる。その主文は私どもの要求とは違った形になって不満ですが、ただその中でこういうことを言っているのですよ。「現行法制上、教育に関する地方自治の原則が採用されているが、これは、戦前におけるような国の強い統制の下における全国的な画一的教育を排して、それぞれの地方の住民に直結した形で、各地方の実情に適応した教育を行わせるのが教育の目的及び本質に適合するとの観念に基づくものであって、このような地方自治の原則が現行教育法制における重要な基本原理の一つをなすものであることは、疑いをいれない。」ということをやはり明確にこの判断として示しておるのですがね。私はこのことが先ほどお尋ねしたところの、大臣がこの地方自治の本旨も地方教育行政のあり方もやはり同一だと言われたものだと理解をするのでございますが、当然そう理解すべきですね、いかがでしょうか。
○国務大臣(谷垣專一君) 五十一年ですか、いま御指摘になりました旭川ですか、その問題に関しましては私よく存じておりませんが、いま言われました点につきましては、私もそういうふうに考えます。
○宮之原貞光君 原則的なことはわかりました。 時に、教育基本法の第十条の問題ですがね、この節十条の問題は、表題のごとく教育行政の基本を示しておるわけでございます。現在の地教行法といえども、この方針のもとに運営されるべきだと考えておるのでありますが、そういうやはり基本原則のもとに運営されておると理解をしておってよろしゅうございますね。
○国務大臣(谷垣專一君) 教育基本法十条、そのとおりだと思っております。
○宮之原貞光君 その十条の問題ですがね、これは本委員会でもしばしば論議をされてきたところの経緯があるわけでございますが、この一項の理解の問題ですね、これは初中局長にお尋ねした方が長いあれがありますからいいだろうと思いますが、この一項をどのようなやはり解釈をされておるのか。いままでも聞いたこともあるんですが、改めてひとつお聞かせをいただきたいんですがね。
○政府委員(諸澤正道君) この問題は、三十一年の現在の地教行法を審議する際も論議になった経緯を私は後から先輩等から伺っておりますけれども、この十条の立法の趣旨としますところは、まず「教育は、」というのは、二項が「教育行政は、」というのに対しまして「教育」と言っておりますのは、教育行政も含めておよそ教育活動というものはという意味に理解するわけでありまして、そこで戦前、戦後のわが国の教育行政なり、教育活動のあり方を考えました場合に、戦前の教育というものの制度万般が、勅令等を中心とした法体系の中にあったのに対し、現在は教育基本法を初めとする法律の規定によって、教育の目的、目標あるいは教育制度の骨格等すべて決められておると。そういう意味では、教育というものは国民の意思に基づく目的、目標ないしは制度等によって運営されると、こういうことでありますから、言ってみれば国民全体に信託を受けた仕事である。したがって、その教育の遂行に当たっては不当な支配、つまり一部特定の勢力の支配に服するのではなくして、国民全体に直結した形でこれが責任を負って行われなければならないと、こういう意味であるというふうに私どもは理解しておるわけです。
○宮之原貞光君 「不当な支配」はわかりましたが、いま一つのポイントの直接責任を云々というのはどういうふうに解釈しておられますか。
○政府委員(諸澤正道君) そこのところは、この文言にありますように、「不当な支配に服することなく、」つまり一部の不当な支配に服するのでなく「直接に」と、直接に国民全体に対して責任を負って行われるんだと、こういう趣旨であると解しておるわけでございます。
○宮之原貞光君 なかなかさらっとした物の言い方ですが、これはいままでお互いに論じてきた中でも一番のやはりポイントは、この「不当な支配」というものと、国民全体に対して責任じゃないんだな、直接責任を負うと、ここをどういうふうにお互いが、行政当局も理解をしていくかということが一番の大事なところじゃないでしょうか。何だか初中局長は「直接」というのはさらっと流されたようですが、これは立法当時のおたくの先輩の辻田さん、あるいは後に最高裁までいかれた田中一郎さんの共同署書の「教育基本法の解説」というのがございますね。これにはやはりこのことが明確に出ておりますね。これは当時立法されたところの皆さんですから、その後皆さんが解釈変えたというなら別ですよ。恐らく、その解釈変えられたら私ども困りますから、変えるはずないと思うんですがね。明確にこう出ておるんですがね。その解説には「政治と教育とが同じく国民全体に対して責任を負う関係にありながら、その関係に両者の差異が認められなければならない」と、「直接にというのは、国民の意思と教育とが直結してということである。国民の意思が教育と直結するためには、現実的な一般政治上の意思とは別に国民の教育に対する意思が表明され、それが教育の上に反映するような組織が立てられる必要がある」と、こう述べて、そこにそもそも公選制の教育委員会は成り立っておるんですよと、こういう解説を、あなた方の先輩の当時の課長、局長の皆さんはこういう解釈で、天下に物の考え方を明らかにいたしておるのであります。私は、この解釈は今日といえども変わってもらっては困ると思っているんですよ。同時に、「不当な支配」という問題についても、これは後の最高裁の長官になられたところの田中耕太郎さんが「教育基本法の理論」のページ八百六十二に、「「不当な支配」というのは何を意味するのであろうか。」「この規定に「教育行政」という表題がついている以上は、これは国および地方公共団体という、教育について公の権力を行使する権限をもっている者が対象になっていることは疑いがない。」と、こうはっきり言い切っている。いやそればかりではございません。それはずっと以前だと、こうおっしゃるなら、先ほど私が申し上げましたところの五十一年のいわゆる旭川の学テ裁判の判決文の中にもあるんですよ。同条項が「不当な支配」を排除しているのは、教育が国民の信託にこたえて自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」であって、教育行政機関が行う行政でもこれに当たる場合があるという判断を示しておるんです。というのは、この「不当な支配」というものの解釈は、教育活動とか、教育行政と言われておった。それもやはり当然含むということなんですね。ただ皆さんが少しぼかしておるのは、この「直接」という問題は、明白にそれはあったんですよ、こういうふうに。こういうものに基づいて公選制の教育委員会があったということを明確に示しておるんです。それを三十一年のときには、公選にするか、任命にするかはそれは政治判断だとあなた方は逃げた。そして、多数の力でもってしゃにむにそれを押しつけた。こういうような経過を振り返ってみると、少なくとも言えるこの教育基本法の第十条の教育行政のあり方というのは、この二つは、これは抜くことのできない真理でなきやならない、原則でなきゃならないと思うんですが、それは間違いでしょうか、どうでしょうか。これは初中局長にもう一回聞きますよ。
○政府委員(諸澤正道君) 教育は国民に直結しなきゃならぬという御指摘でございますが、そこのところはやっぱり、不当な支配に服することなく直結するということだと思うんで、国民に直結するというのは何かと、私はやはり先ほど申しましたように、今日教育というものが国民から信託を受けておるということは、国民の意思として教育の目的、目標、制度が法律で決められておると。したがって、国民に直結するというのは、一部の勢力によって、行政なり、教育活動のあり方がゆがめられることなしに、法律等に定められておりますところの目的、目標に向かってまっしぐらに教育活動をし、教育行政をするということがまさに国民に直結していることであるというふうに私は考えます。
○宮之原貞光君 ぼくは初中局長がそういうことでごまかされては困ると思うんですよ。これは直結という言葉じゃないでしょう。明確に国民全体に対し直接に責任を負うて行れなきゃならないというんですよ。これ法文はやはり厳密でなきやならぬのですがね。これはまた後ほど参考人の吉田先生にもお尋ねしなきゃならぬのですけれども、直結という言葉と、直接責任を負わなきゃならないということは私は大分違うと思うんですがね。あなたのお話は直接という概念でおっしゃっておるんですか、どうなんですか、それは。もう一回はっきりしておいてください。
○政府委員(諸澤正道君) 直接に責任を負うということを先生はどういうふうなことで理解されておるのかわかりませんけれども、私は繰り返して申し上げますように、直接に責任を負うという意味は、やはり今日の民主主義国家におけるわが国において、教育というものはその目標なり制度等法律で定められたそれを忠実に実施することが直接に責任を負うということであって、その行政なり、あるいは教育のあり方、制度について、どういうふうな立法政策をとるかというのは、また別の問題だろうというふうに思うわけでございます。
○宮之原貞光君 ここはまた後からも触れたいと思いますが、この公選制の問題の、あるいは後ほど私が問題にしたいと思う準公選制の問題のやはり物の考え方と、教育基本法とのかかわりも、やはりここに大きな根本があるということは、これはお互い理解をしておかなきゃならぬと思うんですがね。ただ、あなたがどのように抗弁をされようとも、国民全体に対して直接に責任を負うというこの条文は、先ほど私が質問で申し上げましたところの地方自治の本旨、いわゆる自治、分権、参加というこういうことから見ても、これはやはり教育委員会のあり方としては公選制というのが本筋であることは明白なんですよ。それを三十一年の第二十四国会でいろいろこうやったら、いやリコール制があるからそれは民意が反映できるんだという答弁であなた方逃げられておったでしょう。これは私はまた詭弁だと思う。同時にまた、先ほどもちょっと触れましたけれども、公選にするか、あるいはまた任命にするかは政治選択の問題だと言っても逃げられた。私はやはりこの問題は、これはもう一回文部当局もこれらの問題については本当に謙虚に振り返って検討し直すべき性格のものだとぼくは思いますよ。それを非常に無理に無理を重ねてきておるというのが今日の実態じゃないでしょうか。だからこそ、いろいろ口実は設けられたけれども、今日の日本の教育行政が、地方教育行政も含めてそうでございますけれども、非常に中央集権化されておるというきわめてやはり顕著な批判があるところのゆえんじゃないでしょうかね。それを、現行法を金科玉条という形でこれを墨守される、一歩もこれから出まいとされる、そういう物の考え方の行政姿勢というのが、私は最初申し上げたところの、果たして地方の時代にふさわしいところの行政の姿勢かときわめて疑問に思わざるを得ないんですよ。こういう中から本当に地域にはぐくまれるところの教育というのが実を結ぶのかどうか、ここにさえ私は非常な大きな疑問を覚えるんです。たとえばこの「教育委員会月報」の、これは一昨年ですかね、三百十四号ですから。二十周年記念の座談会の記事も読ましていただきました。この中にも、それはもうみんな文部省の元役人ですから、みんなちょうちん持ちの発言しかしてないんですけれども、その中でも、やはりどうもあのときはちょっと無理し過ぎたと、やっぱり教育委員会のあり方というのは、たとえば相良さんの意見は、いわゆる公選制と任命制というものをミックスしたような形で行うのが一番いいんじゃないかとかという意見さえも述べられておる。このことなどは、まさに今日の教育行政というものが、いわゆる教育基本法の言うところの「教育行政」から踏み外れたところの、非常に中央権力支配の様相の強いところのやはり教育行政のあり方になってきておるという一つの御自身たちとしても内心じくじたるところの反省の念があるからこそ、私はやはりそういう意見さえも出てくるんじゃないかと思うんです。もちろんこの「教育委員会月報」だけじゃございません。たとえば「月刊教育研修」ですか、これも文部省の監修ですね、その昨年の二月号を見たって同じような意見が書いてあるんですよね。こういうものに対して、一体文部省としては依然として耳をかす必要ないというお考えなんですか、どうですか。
○政府委員(諸澤正道君) 先生の御指摘として、今日地方の時代の教育委員会の公選制というようなことが考えられるべきでないかというような御主張のように思いますが、私はそれは一つの立法論としてあることは承知いたしますが、しかし、この十条の解釈からそういうことが出てくるかどうかという点について、私は決してその無理にこれを墨守するというようなことではないので、この十条は先ほど申しましたように括弧で「教育行政」としてありますが、「二項は教育行政は、」となって、教育行政だけを規定しておりますが、一項は「教育は、」でありますから、これは教育行政も含めて教育活動全般ということだろうと思うんですね。それで、そういう教育活動は「直接に責任を負って行われる」ということは公選だとおっしゃるならば、普通の学校の先生や校長さんもやっぱりそれじゃ選挙をして選ぶんだということをこの条項は予定しているかというと、私はそれはそうじゃないと思うんですね。ですから、その趣旨はできるだけ民意を反映するということでありますけれども、公選制まで、つまり選挙によっていわゆる当局者を選ぶということまでこの十条が予定しておったというふうには私は解釈できないと、こういうふうに思っております。
○宮之原貞光君 これは大変な、初中局長ともあろう者が幅を広げた解釈ですね。それぞれのこの教育基本法の条項は、九条は宗教教育はどうあるべきか、十条は教育行政はどうあるべきか、七条は社会教育はどうあるべきか、八条は政治教育はどうあるべきかということできちんと書いてあるんですよ。それをたまたま、この十条の見出しの上にちゃんと「教育行政」と書いてあるのに、「教育行政は、」とないから、これは学校の校長さんも公選で選ばにやならぬかというあなた反論をしようというんですがね、これはちょっと行き過ぎもはなはだしい。余りそれはあれですよ、それは潔く、ぼくはやっぱり文部省の権威のためにこれは撤回された方がいいと思いますよ、これは。恐らく御冗談でしょう、いまの話は。だれもそんなことを、これをもってそう解釈する者おりませんよ、これは。見出しが明確に「教育行政」と書いてあるですよ。ほかの法律でないんだ、これは。それを余りそういうむちゃな解釈をしないでくださいよ。それだけぼくはあなたの名誉のために御忠告申し上げておきますよ。 それで、私はいまの答弁をお聞きしても思い出すんですけれども、いわゆるあの教育委員会法をいろいろ議論をした。あの当時からは、今度はそれが一人歩きしてもうむちゃな解釈を私はしてきておる。当時この是非を論じたときでさえも、そういう議論一つもないですよ、あなたのおっしゃるような解釈は。議事録を見てごらんなさい。問題は、いわゆる「直接」というものの意味を、公選にするか、任命にするかというのは、あなた方はそれは政治判断の問題、政治選択の問題ですというふうに言い切っているんですよ。それをいまごろになって、これは「教育」と書いてあるからだと言うんじゃちょっとこれは困りますよ。 それで、私はその後の日本の教育行政をずうっと見てみますと、やはり例の任命制になったということで、教育行政の基本的な姿勢というものが非常にひん曲げられてしまった、あなた方の都合のいいような形に教育の行政のあり方というのがなっておるというのが今日の実際じゃないでしょうか。私はいまでも思い出すんですけれども、あの法律が通った一年後の三十二年十月二日ですか、朝日新聞の社説がやはり指摘をしておる。あの法律の実施一年ということの中からこう言っておるんですね。教育委員は積極性はなく、飾り物になって、専門的な教育長の思いのままになっておる、教育行政は中央集権化され、地方教育委員会は文部省の出先機関、末端機関化されておる、任命権を持つ首長は政党をバックにしているだけに、教育行政が政治性を超えることは困難になっておるとすでにもうそのことを指摘しておるんです。一年後もそうです。ましてあれから二十年ですからね、ますますこれは拍車をかけておるということは事実じゃないんでしょうか。文部省がいい、あるいは何がいいという人を抜きにしても、今日の日本の教育行政が、文部省、県の教育委員会、市町村教委、校長、教頭、職員というふうに、縦の系列がきわめて強化をされて、何でもかんでもそういう形で振り回されておるというのが実態じゃないんでしょうかね。これは皆さん指摘をされるんですよ。いやそうじゃないんだと、本当に地方教育委員会はそれぞれの地方の教育のさまざまな意見を反映して曲々はつらつとして運営されておるという教育委員会があったなら、私は紹介してもらいたい。できたちやっぱりそういうところにこの文教委員会あたり視察に行きたいものですね。どうですか、そういうところありますか。
○政府委員(諸澤正道君) 行政の運営でございますから、一つ一つの団体を見た場合に、いろいろ運営上問題点を抱えているところもあると思いますけれども、私どもは、全国的に各都道府県、市町村の教育委員会の活動状況を見た場合に、やはりそれはそれなりに皆一生懸命やっておられますし、かなり活発に運営をしておるところもあるというふうに理解しておるわけでございます。
○宮之原貞光君 たびたび引用してあれですけれども、この二十周年記念号にあなたも執筆をされておりますね。もう記憶ありませんか。あなたの論文を拝見をいたしますと、こういうことが書いてある。「地教行法施行二十周年にあたって」という見出しですがね。「三十二年度からの勤務評定の実施、三十六年度からの全国一斉学力調査の実施」さらには五十一年実施の「主任制」もと書いて、同時にまた、これは私が本委員会でも大分当時の奥野さんとやり合った、初中局長名の例の通達問題、あなた方も困りに困り果てて大分議論をして初中局長名で変更したんでしょう。この通達の問題、内申書通達の問題を徹底をさせることにも、地教行法は大きな力を発揮したと言っておる。こういうもろもろのやつが、地方で地方の教育行政の実態から生まれたものかというとみんなそうじゃない。みんな中央の一つの、政権を握っておるところの自民党というものをバックにしたところの政権党の物の考え方で、国会であれだけ反対があったのを一つ一つ力で押しつぶしてこれを実施させたんでしょう、これを否定されるものが一つでもありますか。そういうものを徹底をさせたのがまさに教育委員会の力であったとあんたが書いてあるんだ、ここに。このことをしても、いまや教育委員会の行政というのが、中央文部省の物の考え方だけがストレートに入っていって、それを徹底せしめるという、そこだけの効果を持っているじゃありませんか。これをしても、いわゆる今日の日本の地方教育行政のあり方が、中央権力と申しますか、あるいは言葉が悪いならば直しましょう、中央の文部省の意向というものがストレートにそのまま末端まで行っておるということの役割りしか果たしておらないということじゃありませんか。そう思いませんか。これはもう大臣に私はお尋ねしたいね。むしろずっと長年外から見てこられたところの大臣から聞きたいぐらいなんですけれども、といってもまたいい答えは期待できませんけれどもね。
○国務大臣(谷垣專一君) いまだんだんお話を伺っておりまして、私たちは、先ほど宮之原先生がおっしゃいましたように、文部省の言っていることがすぐ末端まで行っているような、そういう教育の体制になっておるとは考えておりません。地方の教育委員会の働きはそれぞれの状況に応じて働いておると、かように考えております。自民党の思っていることが全部末端までの教育のあれを統一しているじゃないか、そういう御意見も宮之原先生がおっしゃっておるわけでありますが、私はそういうふうには考えておりません。教育委員会は教育委員会としての働きをちゃんとやっていただいておると、こういうふうに思っております。
○宮之原貞光君 その問題と関連をして、ここに内藤先生がおられますけれども、教育長の面接試験の問題がございましたね。これは内藤さんが大臣時代ですよね。これは一体どういうふうに理解したらいいんでしょうか。 これは三十一年のこの法案の進行当時、これは記録によりますと三月三十日ですが、当時の衆議院の文教委員会で清瀬文相が答弁しておるんです。府県の教育長は行政上は文部省と関係が深い。それにこの文相の承認は県議会の承認の前にやるのではありませんと、実際上は文相の拒否はあり得ませんと、さして気にとめる必要はございませんよと。ただ、これくらいの承認制をやらないと、論理的にばらばらにこの教育行政があるみたいに思えるから変えたんですから御心配なくという筋のことを当時言われておったんです、清瀬さんは。そして国会逃げ切ったんです。ところが、新聞は昨年の春以来ですか、極秘裏に文部大臣が教育長候補と個人面接試験を行っておると、新聞は大々的に報じておる。私も当時の新聞の一つをこう持ってきてみたんですが、確かに内藤さんの写真入りで書いてありますよ、これは。これは毎日新聞ですけれども、「教育長候補を“面接試験”」と。それで、内藤さんのコメントは残念ながら出ておりませんがね。そうしたところが、この問題について当時の新聞ではいろんな形でこれを批判をしております。二つだけ紹介しましょう。 八月二十八日の毎日新聞の社説はこう言っている。「「いうことをきく」教育長とは——」という界出しのもとに、「事前に教育長候補者の個人面倍試験を行っている。」、これはまさしく教育行政の中央集権化の典型だと言い切っておるんです。文部省の言うことを聞く教育長では、最初から本人は大切なことを見失っておりませんかと、こう言っておる。 八月三十一日の朝日の社説は、「教育長「面接」への疑問」という見出しのもとに、「文部省の意図はどうあれ、教育の中央集権化をいっそう助長」しておる、こう書いている。こういう問題も、私どもから言わせりゃ、まさにこれは教育長までがすべて県議会で承認を求める前から文部省に行ってオーケーをもらえなければなれないという仕組みになってきておるという証左じゃありませんか。これは事実ですかどうですか、そのことからまずお聞きしたい。事実だとすればそれに対する見解を承っておきたいんですが。
○政府委員(諸澤正道君) ちょっと経緯を説明させていただきますけれども、教育長の任命、都道府県の教育長は文部大臣の承認にかからしめるという現在の法律規定がございますから、その法律があるという前提で考えた場合に、私は承認するに当たって、やはり必要に応じて直接お会いしていろいろお話をするということは、当然担当者としてする仕事の中身であろうというふうに考えるわけであります。何とならば、教育長の経歴、人物等につきましても、国会で、たとえば衆議院の文教委員会で、一体教育長は教育行政なり、教育に関係しておった人がいいんじゃないかと、全然そういうことと関係のない県の農林部長あたりから来たような人は困るじゃないかと、こういうような御意見も現に出てくるわけでございます。そういうときに、私は資料だけ見たんでどういう人かわかりませんというふうにはいきませんから、やはり事前にお会いしていろいろお話をするということは、やっぱり人間関係を深める上に大事なことでございますので、そういう必要に応じて私はこれまでも会ってきておるわけでございまして、そのことはいわばいまの法制のもとでそれを適切に運営する上で、やはり必要じゃなかろうかというふうに考えておるわけでございます。したがいまして、それはどういう場合でも必ずあるというようなことではなくて、従来、たとえば次長をしておった方が教育長に上がるというような場合は、あの方は十分存じていますというようなときは、格別お会いすることもないわけでございますから、私はそういう運営でいけば、この問題はそう問題にすることはないんではなかろうかというふうに考えるわけでございます。
○宮之原貞光君 必要に応じて、人間関係、なかなかりっぱなこと言われますけれども、これ三月から八月までに県で十二府県、それから政令都市で三市、十五人というんですから、これほとんどみんなですよ、これは。一どきにかわるわけじゃないんですからね。だから、大分こう言い方は必要に応じてとおっしゃっていますけれども、これはみんなですよ。私もずっと後を追跡調査してみたんだ。だから、みんな皆さんがこれ呼んでいるんだよ。それはたまたまないのは文部省派遣の教育長はないでしょう。それは皆さんの部下がやるんだから。そういうものではやったことないでしょうけれどもね。それだけに皆さんのこの行政の問題というのが、少なくとも戦後の日本の教育行政の基本だと言われたところがら逸脱したところの形で、皆さんの言いなりのことをしてもらわなけりゃ困る、少しでも違ったら困るというこの物の考え方がきわめて強い、実はこれから質問いたしますところの中野の準公選制の問題にしてもそうでしょう。少しでも中央と違ったら大変だと、こういう物の考え方でしょうが、これは。言うなら私はいまずっと具体的ないろんな教育全体の流れの問題、教育行政の全体の流れについてお尋ねしましたけれども、このことがたまたま最近象徴的にあらわれておるのが、私は中野区におきますところの準公選制の問題だと、こう言い切ってもいいんじゃないかと思うんです。 そこで時間の関係もありますからお尋ねしたいんですが、この中野区の教育委員の準公選の問題ですがね、まず私どもは、これは大臣もよく聞いていただきたいと思うんですが、法律上の可否を論ずる前に、そもそもこの運動の始まりは何かという、どうして起こってきたかという、ここのところをやはりきちんと踏まえておく必要があると思うんですが、これは私が先ほど来指摘をしてまいりましたところの、全国的なやはり教育行政に対するところの中央権力集中化、こういうことが、りっぱな憲法を持ち、教育基本法を持ちながらも、すでに行政の問題はそれが空洞化している。したがって、住民の公正な民意が委員会行政の中にも反映をされておらない。言葉は悪いですけれども、この教育行政ですら本省の末端機関化されておる。こういうことに対するところの私は中野区民のいら立ち、怒り、これが五十二年の十月に「中野の教育をよくする会」という一つの会が結成をされ、これを区民運動として圧倒的な区民の支持を得て、直接請求運動となり、それが成功し、今日の条例化という問題になったというこの経緯ですね、ここのところをまず私どもは見誤ってならないと思うんですよ。特定の政党が急に持ってきてやったんではないんです。ある特定のグループだけでやったんでもないんです。言うなら子を持つところのお母さん方を主体にして、こういう運動が起こって、それが圧倒的な区民の支持の中からこういう政治運動、あるいは条例化されてきておるという、このことをまずやはり知らなければなりません。ですから、この運動の起きてきたところのゆえん、背景ということを理解をすることなしに、ただ今日の地教行法から逸脱しておるからけしからぬと、これだけで違法だ違法だと、こう言ってみたって、この問題の解決にはならぬのですよ。私はこのことをまず大臣に理解をしておいてもらいたいんです。これは私がいま申し上げるだけじゃないんです。大臣は私はお読みになったと思いますが、当時の各新聞ほとんど全面的にこの問題には社説を出していますよ。紹介してみましょうか。 たとえば、昨年五月二十八日の朝日新聞はこう書いてある、「「準公選」は自治の芽を育てる」という表題です。政府が法解釈論で抑え込もうとすることは、かえって問題の政治色を深めますよと、むしろ準公選が住民運動から出発をし、区議会で多数の賛成を得たところの経過と、その背景をありのままに見据えることが重要ですよということ、もちろん準公選制だけで現状がよくなるわけではないけれども、地域住民の意向が直接教育行政に反映されることは、少なくとも改善への第一歩であることは間違いないと、こう言い切っております。 十二月一日の読売新聞の社説はこう書いてある。「検討に値する教育委員の準公選」という見出しです。この試みは教育行政の民主化のアクセサリー的存在となっている教育委員の選任に、民意を反映させることで教委制度に活を入れようとするところの住民運動の実りだと、われわれは教委制度が名目的になり、教育の中央支配が進められてきておる反省から、いま一度教育委員会のあり方を見直そうとする住民運動を見習うべきだと書いている。 十二月六日の東京新聞は、「教育委員公選への試行」と、こういう見出しです。いろいろ書いてありまして、しかし、そうは言っても、二十年余に及ぶ教育委員会制度には多くの弊害が出てきておる。確かに一時的な公選制の行き過ぎを修正する意味はあったかもしれぬが、何よりも直接投票による住民参加の道が全く閉ざされていた点は、制度として欠陥と言わざるを得ないと指摘をしておるのです。 十二月十四日の毎日新聞は「教委準公選制が提起したもの」と、こう書いておる。違法か適法かについては見解が分かれており、結局は行政訴訟に持ち込まれ、そこで判断されることになろう。しかしいま重要なごとは、このことよりも、教委制度が生まれてからちょうど三十年になる。公正な民意により地方の実情に即した教育行政を行うためにつくられたところの教育委員会制が、果たしてこの趣旨に沿っておるかどうかということが一番いま大事なことなんだと、こういうふうにいわゆる世論を代表するといわれるところの各新聞の社説のこの物の見方、これはまさに私は正鵠を得ておると思っておるんです。こういうことを単に私は、文部省はそれは法律違反だ、けしからぬけしからぬということだけで、この問題処理できると思っておるんですか。民主政治はやはり世論だといわれておる。こういう世論のやはりこの問題に対するところの見方に対して、あなた方はあえて背を向けて、ただ違法だ違法だ、やめろやめろという通達などを出せば、それで事済むと思っておるんですかね。一体自分たちが行政の責任者として、二十年来歩んできたところの道に対するところの反省というものが一かけらあってもいいんじゃありませんか。こういうことを一体どう考えて受けとめられておるのか、私はそのことはやはり文教の責任者の大臣にお聞きしたいですね、いかがなもんでしょう、大臣。
○国務大臣(谷垣專一君) いまだんだんのお話がございましたが、先生も地方教育行政法、まあ地教行法と申しますか、それが法律として存在していることを前提にお話をしていただいておるように思います。いまいろいろと新聞の主張あるいは論説等のお話がございました。また準公選制に対しまするそれぞれの意見が出ておるお話がございましたが、私はそれはやはりひとつの立法論という立場でいろいろ議論が出てくることはあり得ることだと思います。しかし、厳然としてここに存在しております法律というものにそれが一体違法であるのか、そうでないのかという問題、現在のようないろんな立法の段階、組織を経て一つの法律ができておるわけでございますから、文部省といたしましても当然その関係のいたしております法律を守っていく必要がむしろこれは当然あるわけだろうと思います。立法論としてのお話、また一つの制度がだんだん経過してまいりまして、いろんなそれに対応いたしまする問題が生じてきますことも、これまた否定できないところだと思います。それをどういうふうに判定するかという問題はお互いに立法の場所、政治の場所あるいは論説の場所等で議論がある、これまた当然のことだと思いますけれども、私たちといたしましては、やはり制定をされております法律というもの、それを遵守していくという、そういう立場を離れて、それでなしにやるというわけにはこれはいかない問題が出てくると思います。幅は幅としての判断というものももちろんそれはありましょう、行政判断としての問題もありましょう。まあそういうふうに私は思うわけであります。
○宮之原貞光君 これはまたおいおい論及しますけれども、中野の準公選制の問題をいわゆるいまの法律がこれは教育基本法に違うから絶対反対だと、これみんな取っ払いと、こう言っておるわけじゃないでしょう、いうならば、意に沿わないけれども、いまの法律は認めながらも、その中で最大限住民の意向を生かすとすればこういう方法はあるんじゃありませんかと、こういう具体的な提起ですよ、これは。それさえも皆さんは狭い法律解釈をし、自分の意に沿わなければ、たとえば十点のものは九点でも八点でもゼロだというつけ方をして、違法だ違法だという呼ばわりでしょう。そういうところから本当の教育行政というものが生まれてきますか、地方行政というのが出てきますかと言っているんですよ。それは国の法律がよかろうとあしかろうとある。あるならばその枠の中で、最大限民意を生かすためにはどうすればいいか、どれだけ自由にさせていくかというのが政治じゃありませんか。けれども、そういうことさえも一宇一文違ったらだめだという物の考え方でしょう。これからは本当に政治を信頼する何物も生まれてきませんよ、これは。これはまた後ほど具体的に申し上げますけれども。 そこで、私はせっかく参考人として吉田先生お見えでございますから、吉田先生にもお聞きをしておきたいと思いますが、いままで文部省当局といろいろやりとりをした中で、一つの問題点は私はあくまでもこの教育行政の公選制が基本であるという問題は、教育基本法十条の第一項の示すところの問題が根底だというこの考え方は、いかに文部省当局が否定をしようともこれは真理であると思うんですがね。その点憲法学者の先生はどういうふうに御理解をされておるのか。同時にまた法の運用という問題について、この民主政治という政治のあり方の問題と関連をして、どうあるべきというふうにお考えか。ちょっと先生のまたお教えをいただきたいと思います。
○参考人(吉田善明君) 私は、もう御存じだろうと思いますので、実は中野の準公選制の問題について専門委員としてかかわりを、昨年の八月の終わりごろからかかわりを持ったわけです。と申しますのは、私自身この中野区の区民ではないわけですが、しかし、こういった条例が出て、やはり自分は大学で憲法及び選挙法関係を主として勉強しておる者でございますから、やはりこういったものを受ける場合に、やはり法律を専門としていながら、やはりこれ慎重に、果たして憲法的適合性があるかどうか、あるいは教育基本法、地教行法、こういったものと見合わせながら、果たして妥当性があるかという、こういった観点を持つのは、私自身というよりか、法律家一般の問題だろうと思います。言うまでもなく、先ほどから議論が出ておりますけれども、この憲法の九十二条、地方自治の本旨というこういった問題も出されておりました。まさに地方自治の本旨、これは地方自治体の地方自治の基本原理、その中の最も重要な問題というのは住民自治の問題、簡単に申しますと住民の、住民による、住民のための教育、これがやはり教育に関していいますと、憲法九十二条の基本的な、九十二条に定められているその枠でとらえる基本的なものだろうと思います。こうしたものがやはり教育、先ほど宮之原先生おっしゃってましたが、やはり教育基本法にも当然つながってきます。そしてかつては公選制という形をとっていたわけです。現在は言うまでもなく地教行法という形の法律の中で、いままで議論のありましたように、第四条の一項ですか、この中で中野区の例に関していいますと、中野区の教育委員は、区長が議会の同意を得て任命するという、そういう形をとっているんだと。そのことは文部大臣がしきりに強調したい点だろうと思います。確かに準公選制を憲法原理から見て、公選制をとるのも一つの道だろうと思います。それからもう一つは、やはりいま地教行法の問題についても立法政策といえば、それに従って中野区に関していいますと、区長が議会の同意を得ているという、これも一つの方法かもわかりません。しかし、われわれはこの問題を、住民から出されたそういった精神に乗って具体化されてきたものを見るときに、非常に重要な問題が私なりに感じとったんです。それはつまりいままでの教育委員の準公選制とはやや違う性格を持ったものである。このことなんです。と申しますのは、いわゆるあくまでも地教行法の第四条というものを前提においています。現在恐らく教育委員をどうやって選んでいるか、これを考えますと、区長さんがいわゆる議会の同意を得るということはいいんですが、区長さん自体がどういった形で議会に推薦してくるんだろうか。これを考えますと、恐らくその町の有力者、あるいは議会の議員さん、いろいろな方と相談して出してくるだろうと思うんです。ところが、中野区の場合は、今度は区長さんはそういうことの相談も結構ですけれども、住民の意見を聞いて議会に送り出したらどうかという、こういうことの違いなんですね。つまり、いままで町の有力者に相談して教育委員を出すのを、それを住民の意見を聞いて、そして、その住民の意見を尊重して区議会に出してくる。ただそれだけの違い。そのためにどういった手続によって選んでくるかという、これがつまり中野区のまさに教育委員の準公選制なんです。そういうことをまずお話をしておきたいと思います。そういう意味でよろしいでしょうか。
○宮之原貞光君 もう少し具体的にお尋ねしたいと思いますが、文部省のこの準公選制の問題に関しますところの文書を拝見をいたしますと、違法だと言われておるところの大きな理由に二つポイントがあるようですね。 まずその一つですが、これは、このように文部省は主張しておると理解しておいていいんですか。いわゆる教育委員の任命権は、区長の専属的な固有な権利であるから、条例によるところの制約は、地教行法第四条第一項の規定に違反するんだと、こういう解釈なんですか。どうなんですか。
○政府委員(諸澤正道君) 前段は、おっしゃるように、住民投票を実施すること、それから投票の結果を尊重するということ、その二つの拘束をかけておるという点で、区長が本来独自の候補者選定をして、議会の同意を得るという、その権限を制約するという点は違法であるということであります。
○宮之原貞光君 尊重してということとどういうことだって、もう一度。
○政府委員(諸澤正道君) もう一度申し上げますと、住民投票をまず実施するということを義務づけますね。そして、その住民投票の結果を尊重するということを義務づける。その二重の義務づけが、要するに区長の独自の選定権を制約するという意味で違法であると、こういうことです。
○宮之原貞光君 まことに窮屈な解釈ですが、これはまたおいおいお尋ねしなきゃならないと思うんですけれども、ちょっと先ほど吉田先生も触れられたんですけれども、憲法九十二条の地方自治の原則、とにかくやはり地方自治というものの原則というのは、地方教育行政にも適用されるわけですからね。あるいは、区長の権限の問題にしても私はそうだと思う。そうすると、地方自治法第二条の第十二項、「地方公共団体に関する法令の規定は、地方自治の本旨に基づいて、これを解釈し、及び運用するようにしなければならない。」地方自治行政のこのあり方の基本をここに示しておるんですね。これは、「本旨」とは一体何かというのは、先ほど来いろいろお尋ねをしている。明確な用語の統一はできないにしても、あらかたこういうものだということは共通の認識にあるわけです。住民の意思ということも相当尊重しなきゃならぬし、あるいはまた住民が参加するということも、その度合いの違いはあるにしても尊重しなければならない。こういうようなものを考えていくと、あなたがおっしゃったように、投票するとか、尊重するとかということが、即区長を縛るということに一体なるんでしょうかね。何ですか、あなた方の言葉で言えば、専属的固有の権限を拘束するという文言の使い方ですが、どうも解釈できないんですよね。私はむしろこの問題については、美濃部前都知事が中野の前の区長に出した審査の申し立てに対する裁定、これが一番常識的だと思うんですよ。おわかりのように、「地教行法が教育委員の選任に係る一切の事項について、条例により定めを設けることを排除して」はおりませんと。「地教行法は、長が教育委員候補者を選定するにあたって具体的にいかなる手続をとるべきかについては、何ら規定していない」区民投票の結果の尊重とは、その結果に法的な拘束力はないものと解釈される。こういうことでそれは差しつかえないという判断を示しておるんです、裁定は。むしろこのことが常識的な考えじゃありますかね、どうなんです、それは。
○政府委員(諸澤正道君) 先ほどちょっと参考人の先生も、従来は区長が候補者を選ぶ場合に、関係の有力者などの御意見を聞いてやるであろうが、そのかわりに、住民投票をやって、その結果を参考にするのだから、大して違いないのだというような御説明であったと思うんです。私は全然違うと思うんです。人の意見を聞く、聞かぬというのは、区長の自由意思ですから、本来、自分の専属的権限を行使する一態様として意見を聞くこともあるかもしらぬというだけの話で、しかし、これはそうでないのであって、あくまでも住民投票をやりなさいということを義務づけ、その結果をしかも尊重する。その尊重の仕方はどうかということになりますと、この条例を読みますと、ちょっとよくわからないんですけれども、二条では区民の投票の結果を尊重しなければならぬ。六条の方になりますと、「得票順に尊重しなければならない。」というので、この間の中間報告と言われるものを拝見しますと、本質的には同じ意味だというふうに言っておられるようですけれども、そうだとすれば、条文どおりに読めば、やはり得票順にこれを尊重するということになるでしょうから、これは得票順に順々に尊重するというのは、全然拘束性がないというのは私は法律の議論としてはおかしいんじゃないかと思います。
○宮之原貞光君 法律的拘束性と聞いているんですよ。それは何ですか、やっぱり尊重するでもあるというのですか。精神的な拘束じゃないんですよ。
○政府委員(諸澤正道君) 私はあると思います。尊重するということですから、やっぱり拘束されると思います。
○宮之原貞光君 大体あなたの解釈はこれ私おもしろく読ましていただいたのですけれども、一昨年の十二月十四日でしたかね、サンケイに、元の法制局長官林さんが出していましたね。サンケイ新聞の「正論」という、あれはサンケイの場合は社説になるんですかね、全くあなたの解釈と同じなんですよ。たとえば、尊重というところの問題も、いわゆる投票結果を尊重するということから、不同意という余地がないので違法だと言っているのですよ。きめつけている。これは後からの中間報告等も関連してまた聞きますけれども、林さんの解釈は、尊重というのは不同意の余地がないから、これは区長の権限を逸脱、侵すものだと、こういうきめつけ方です。この中間報告をあなた方もごらんになられたでしょう。これを見たらどこからそういう言葉が出てくるか、余りにも強引過ぎる私は解釈だと思いますよ。何も私は区長の準公選制の問題とこれが全く一致だとは申しません。それはそれぞれの違いはあります。しかし少なくとも、区長が候補者を選定をするところの基準とするために、候補者を公選で選ぶということは、恥いわゆる区長の固有の権限を縛りつけるものであるというのは、いささかこれは強引過ぎるんじゃないんですかね。だから私から言わしめれば、条例というのは、区長から見れば常に他律的なものですよ、どんな条例でも。だから、時と場合によっては、区長の異議があるところの条例だって決められる、これはね。私は、その意味では、教育委員の選定という問題について、仮に区長が不満なものでも制定ができると思うんです。しかしながら、今回の場合を見てみると、すでにそれを超えて、区長は同意をして、すでに公布しているじゃありませんか。そのことは、区長もそのことは私の権限は少しもこれでは拘束されませんよと、それでいいんですよと、区長みずからがそれを承認をして公布しておるというこの事実を、それをあくまでも、いや形式的にそれは区長の固有の権限を拘束するんだと果たして言えるかどうか。私はやはりこのことにきわめて疑問を持つんですがね。ですから、こういうところから見てみると、何もあなた方がおっしゃっているように、区長の、この固有の権限を拘束するという考え方はどうしても出てこないんですがね。それでも拘束すると言うんですか。
○政府委員(諸澤正道君) 現在の区長さんが、いやこの条例があっても私は拘束されるとは思いませんと、そう言っておるからいいじゃないかという御説のようですけれども、私は条例といえどもこれは法令ですから、やはり現在の特定人が、その衝に当たっておるその人の判断だけでは決められないんで、やっぱり客観的に条例の条文を見た場合に、投票の結果を尊重する、あるいは得票順に尊重すると書いてあれば、これはその法令の解釈として、やはり拘束性が非常に強いんだというふうに解せざるを得ないと思うんです。
○宮之原貞光君 中間報告を見ておられると思うけれども、これは後ほどまた専門委員の吉田先生にもお聞きしなきゃならぬけれども、あれですか、区長の教育委員の公選をめぐってのいろんな判断、ずうっと何項目か挙げておる。なるほど区民投票結果の尊重ということも大きな前提だと書いてある。しかしながら、今度は立候補者外から教育委員の選定もなし得るという条項もあるんですよ。条項というか、この基準の中にあるんですよ。たとえば、その何人か出たところの候補者の中から適当な候補者がおらない、教育長として。その場合は、これは立候補外のところからも持ってこれるような余地をつくりなさいという形でちゃんと一応まとめられている。だからあなたがおっしゃったように、選挙する者が高点順にみんな入るというふうには書いてないんだよ。条文の、実際運用のところにいくと。そればかりじゃないですよ。あなた方が言うところの、いわゆる一つの政党から半分以上云々というようなやつもみんなずうっと消しているんです、これは。こういうような運用の中で、現行法を十二分に尊重しながら対処しようというところのものもあえてあなた方目をつぶって見ないふりをして、それでも違法だ違法だと、こうおっしゃるんですか。拘束すると、こう言うんですか。どうなんですか、そこは。
○政府委員(諸澤正道君) 確かに、この中間報告をお出しになった専門委員の方々は、この条例の運用についていろいろ検討され、中間的な御意見を出されたと思うんですけれども、それはあくまでも中間的な意見であって、私どもはやはり現在はっきり法令として制定されておるのは条例しかないわけですから、この条例の条文を読みましたならば、それは全然拘束されないというふうには読めませんよということを申し上げておるわけでございます。
○宮之原貞光君 それなら、その条例の運用というのは、法律があって施行細則があるみたいに、実際運用されていくんだが、いま私が申し上げたような運用すればいいんですか、それなら。それならいいんでしょうね。そこまでけちつけるんですか。
○政府委員(諸澤正道君) まあ条例の運用と言っても、その条例の規定しているところに反するような運用は私はできないと思うのですね、幾ら運用だとおっしゃっても。ですから、六条など見て、得票順にこれを教育委員候補者として尊重しなければならないというのを、いま先生がおっしゃるように、いろいろな裏山を挙げて、それはみんなだめなら、ほかの人を持ってくるというようなことが、この条文から運用として出るかどうか、私はそれは出ないと思います。
○宮之原貞光君 これはあなた尊重というのは、これは精神的な規定ですよ。たとえば得票順位で候補者を決めなければならないというならば、それは別ですよ。尊重しなければならないというのは、導車はすると、しかしながら現行法規の中にいろいろな制限条項がある。そこの問題は、運用の中で考えましょう。考えるべきだというのが中間報告ですよ。それにあえて目をつぶって、けしからぬけしからぬと言ってみたところで、これ始まらぬじゃないですか。どこにそれで違反しますか。尊重という言葉が。たとえば得票順序に選定しなければならないとか、あるいは候補者を決めなければならないというならそうでしょう。あなた方自体無理な解釈をしているのではないですか。
○国務大臣(谷垣專一君) だんだんお話を聞かしていただいておって、わけがわかるのですが、尊重するということ。尊重という言葉は、相当に重い言葉でございまして、尊重せなければならないと書いてある。単に尊重ということを形式だけにしてあれだというふうには、これなかなか解釈のできない点だと私は思います。それは、さっきから尊重だから、もっと余地があるじゃないかどうかというようなお話があるようでございますけれども、立法議会としての区会が決定をいたしました条例、しかもその条例には尊重しなければならないと誓いてある。これはまさに拘束をすることに私はなるのではないか。それは拘束しないのだという言い方の方が無理があるんじゃないでしょうかね。
○宮之原貞光君 尊重というのは無視しなさいという意味じゃないことは私もわかっている。それはやっぱり公選、いわゆる投票に訴えるわけですから、それは尊重されるということは、これは大事なんです。しかしながら、いろんな法律と適用されるところの条項を対比して、たとえば一つの政党から過半数を占めないとかどうだとかいう問題、あるいは教育長の適任者がおらない場合はどうだということを十二分に考えて、その前提のもとに得票順序というものを尊重して決めていくということですからね、何ら変わらない。たとえば、また後ほど触れますけれども、あっちこっち尊重というのはあるのですよ。選挙運動の中でも、教育の中立性というものを尊重してやらなければならないと書いてある。それはあなた方一番喜びそうなところですがね、これは。それは当然だと思う。そういうように、この条例にはそういう問題点が、相当やはり弾力的な条項というのがあるんです。もしあなた方が前向きに脅えるとするならば、そういう条項があるとするならば、この言葉、ここを直しなさいと、そうすれば、これ生きるじゃありませんかと、こういう行政指導をされるなら、なるほどりっぱな行政指導だと言うのです。ところが、重箱のすみを突つくみたいにしておいて、こういう言葉があるからけしからんという皆さんの考え方でしょう。そこにやはり問題があるんです、率直に申し上げて。もし言われるところの問題点を、なるほどやり方について考える必要があるとするならば、君のところの条例は、こういうところとこういうところを手直ししたらどうだ、そうすれば十分生かされるじゃないかと、これが本当の血の通う行政指導じゃありませんか。せっかく皆さんがいろいろ知恵をしぼって、いろんなことに法律の範囲内でやろうと、こうやっているのに、いや、それは条文がそれにないのだからこれは違法ですよと。こういう中から本当のものが育っていきますかね、行政が。そこに私は先ほどから言うところの、皆さん方の行政指導というのは、今日の文部行政の指導のあり方というところに根本的な問題があると言っているゆえんなんですよ、これは。きわめて固執されるわけですがね。これはどういうふうに解釈したらいいんですか。これは初中局長に聞かなければわからぬけれども、沖縄の教育委員の選出方法ですね。これは抵触しませんか、それなら。皆さんが言うとおりになっていませんから。
○政府委員(諸澤正道君) 沖縄が復帰後の教育委員の選出方法については、私どもが承知している限りでは格別の条例等をつくってやっているということではないと思うんですね。具体的に関係者の間で話し合いかなんか知りませんけれども、そういうものがあって意見を聞くような仕組みになっておるのかもしれませんけれども、それはやはり制度の問題として考えておることではないというふうに理解しておるわけです。
○宮之原貞光君 沖縄のはこうなっておるですね。いわゆる選定要綱がちゃんと置かれている。その選定要綱の第一は、地教行法によって任命するが、民意が反映されるよう可能な限り公選制に近い方法を採用すると、こう出ておる。第二項に選出の方法として、教員組合、PTA連合会、県医師会、市町村教委連合、市長会、町村会、市議長会町村議長会等八つの団体から推薦をさせる、その推薦をされたところの中から選ぶところの方式があるんですよ。これはさっきの諸澤局長のいわゆる長の権限から見るとこれはいささかも拘束されることはないんですか、裁量権の。いささかもないですか、これは。
○政府委員(諸澤正道君) それは条例で制度化して投票を義務づけたり、その結果を尊重させるというようなこととはちょっと事柄が違うと思うんですね。その長が自分で推薦する候補者を選ぶ場合の一つのプロセスとして意見を聞きますということを決めるということの話ですから。それといまの条例の問題と私は性質が違うというふうに理解します。
○宮之原貞光君 それは詭弁じゃないですか。あなた方のいままでの解釈からすれば、いわゆる首長というものは自分でどっからでも選んでくるところの一つの権限を持っておるんです。それを県の教育委員会はこういう団体から出されたものを選びなさいと言っているのは、沖縄百万県民の中からみんなどれでも選んでこいということじゃないんですよ。これは大変な拘束になりますよ。なりませんか。ほかの人が聞いたら笑いますよ。それはいいんだということになりますか。たとえばあなたは先ほど人のいろんな意見を聞くと、有力者に意見を聞くということとあれとは別にしてと、こういう答弁していましたが、このこととそれとは違いますよ。ほかの団体から聞くことはできないんですよ。県議会でこれ決めておるんですよ。だからあなた、県議会で条例じゃないにしてもちゃんとこういうところで決めた、だから県議会で当時の野党の自民党が退場したじゃありませんか。退場したけれども決めた、屋良知事時代に。そういう都合の悪いことはみんな皆さんはほおかぶりしておいて、片一方の県でもない一特別区の問題になると目くじらを立ててやっておる。なるほど公選制でいろいろな違いはありますよ、それは、推薦のものとの。あるいは条例化されるか、要綱としてちゃんと議会に出して決めておるものと。それは条例という名を打っておりませんよ、選定要綱として決めておる、一から八までありますよ、それは。そういうものについては黙っておって、それは御自由です、あなた方のいままでの論理からいえば一致しないじゃありませんか。これは大臣どうですか、一致しますか。本当に知事の自由な権限というものを拘束しませんか、それなら。おかしいじゃありませんか。ただ推薦できるのは八つの団体なんですよ、医師会とか何とかという。片一方はそうさせておいて、これだれが考えても片手落ちです、そんなら。首尾一貫せぬじゃありませんか。
○国務大臣(谷垣專一君) 私まだ残念ながらその沖縄の状況を存じませんのでお答えができませんけれども、中野の問題に関しましては先ほど申し上げたとおりでございます。 なお、先生がその際に、それじゃこういうふうに直したらいいじゃないかということを指導しないのは行政指導としてけしからぬじゃないかというおしかりを受けましたけれども、これはいかがなものかと思うんであります。条例は区の議会でつくられておるわけでございますから、これは議会としてはそれぞれの判断でなすっておるわけでございますので、これはそこへ直接のそういう形の指導ということは私たちは遠慮するべきものであって、性格が違うんだろうと、こういうふうに思います。あるいは先生のいまのお話、御意見、少し間違えてとっておるかもしれませんが、もしそうだとすれば、私はそういうふうに先ほどお言いになりましたこと、そうだと思いますね。
○宮之原貞光君 しかし大臣ね、もうあなたも大臣になられてから相当年月たちつつあるんだけれども、まあおたくのことは別にして、初中局長が沖縄のことはよく知りませんでは私は困ると思うし、沖縄のものはそれはよろしいんですと言うなら、論旨一貫せぬですよ、これは。だれが見たって。だから沖縄は間違いですと言いなさいと言っているんじゃないよ。むしろおたくは沖縄が復帰をした、沖縄の復帰当時のいろんな実情を勘案しながら許容し得るところの一つの範囲として私は認めたものだと思うんです。またそれが私は本当の地方行政のあり方だと思うんです、それぞれの地域のものを考えながら法に大きく抵触しない以上は。それだけに中野の場合だって、いまの任命制教育委員会というものを取っ払いますと、こう言っているんじゃない。現在の地教行法の枠の中で可能な限り民意を反映させるためにはどうすればいいかということで苦悩を続けておるんです。そういうものを頭からけしからぬけしからぬ、こうやっておいて、これはちょっと私はやはり行政の姿としては一貫欠くきみありませんかと、こう申し上げておるんです。決して沖縄はけしからぬと言っておるわけじゃないんですからね。なかなかいいことだとぼくは言うんです。よくまあ文部省として珍しく決断しておるなと思って感心しておるんだ、それは。ほめておるんですよ、それは。それぐらいのゆとりがあるんなら、何で中野に対してそういう理解ある態度を示さぬかと言っておるんですよ。 それから、いまの大臣のお答えですけれども、今度の二月二十九日もあなた方は都の教育委員会に通知を出しておるでしょう。コピーがありますよ。これとこれとやっているから、これは違法だから何とかさせろと、こう出しておるんだ、これは。直接言わないだけの話なんだな。それならばもうこの中間報告などはトップに上がってきておるんだから、皆さんが善意があるならば直接やらなければ都の教育委員会やって、こういう問題こういう問題、こういう指導をしたらどうだとか、ここはどうなんだとあってしかるべきじゃありませんか。それが一片の通知を出す、だから都の教育委員会も戸惑っていますよ、これは。通知はもらった、どうしようかといって。 なお、ぼくはもう一つ尋ねなきゃならない問題点は、区長の権限の問題ともう一つの問題は、準公選制が政治的中立を侵すという問題だな。公選制にしたら何で政治的中立を侵されるのか、そこのところをちょっと聞かしてください。
○政府委員(諸澤正道君) 現在の地教行法では、教育委員が五人の場合は同一政党に三人属することとなったときは、その一人をやめさせなきやならぬという規定がございますし、また教育委員は積極的に政治活動をしたり、政党その他の政治団体の役員になってはならないという規定がございますが、これを公選にいたしますならば、まあ具体的にどういう住民投票をやるかという問題はあるわけですけれども、一般的に言えば、やはり公選に出る人は特定の団体等の推薦を受けて、その団体をバックにして選挙運動をするというようなことで、かつての公選制時代を見ましても結果としては特定の政治団体等の背景があって、やはりそのような結果が教育委員会運営の中にあつれきを生ずるというようなことがございますので、そういう意味からしましても、このようなやり方は地教行法の予定するところではない、つまり趣旨に反すると、こういうふうに考えておるわけでございます。
○宮之原貞光君 あなた方の主張は、たとえば地教行法の四条三項、定数の過半数が同一の政党に所属しないように定めた。あるいは第七条の二項、三項、四項、過半数を超えた場合の罷免をすることのできる条項。十一条の第五項、政党その他の団体の役員となり、または積極的に政治活動をすることを禁ずる云々、こういう条項に抵触をするということを言っておるんですね、文章を見る限り。これはまた先ほどの中間報告じゃないですけれども、中間報告は実際のこの運用のところでそこをみんなチェックしておるんですよ。そういうことのないように、したがって、なるほど得票順を尊重するけれども、同じ政党があったらこれは欠格にしましようとか、こういうことをずっとやっておるんです、やろうというんですよ、これ。それもやっぱり読まれたか、読まれないか、あえて目をつぶって、ただ私どもはこの条例を見ておるだけでございますから、条例を見る限りそういう心配がありますからけしからぬけしからぬと、こう言うんですか。この中間報告に明確にこう出ておるんです、これ。大臣もこれはずっとよく見てみていただきたいんですがね。
○政府委員(諸澤正道君) 確かに中間報告ではいろいろと検討をされておるわけでございますが、やはり先ほどの議論に戻りますけれども、この条例の八条を見ますと、「運用の公正と運動の公営」ということで、投票運動は、「教育の中立性を尊重して、公正に行わなければならない。」ということであって、これは別に公職選挙法の規定も何もかぶっていないわけですから、一種の倫理規定だと思うんですね。そして、その次に、「立候補者が行う運動は、区長と立候補者が別に定める協定によらなければならない。」、要するに、立候補者と区長が個別に協定をして、その投票運動のあり方を規制するということですから、これもその両人間の協定であるという意味で、現実にどれだけ関係者を拘束できるかどうかというような問題があるでしょうから、おっしゃるようにいろいろ検討はされておりましょうけれども、しかしこの八条の規定を見る限りにおいては、やはりそういう心配があるというのは、やっぱり言えるんじゃないでしようか。
○宮之原貞光君 心配があるなら、何で都の教育委員会を通じて、これを取り寄せて聞かないの。ただ一片の通知でけしからぬけしからぬ、違法だ違法だと言ってさえおればあんた方の仕事は、責任は終わるの、それなら。この中間報告の方向で、今度はそれをずっと具体化していこうということで、これは後ほどまた先生にお聞きしなきやわからぬですけれども、考えだというように私どもは聞いておるんですよね、これは。でなきゃ何のためにこれやるかわからぬのだから。だから、そういう非常なやはり前向きの努力を続けておるんですよ。実際言って、中野の教育委員会、あるいは区民の皆さんは。それを知ってか知らずか、ただ違法だ、やり直せとさえ言えばあなた方の仕事は済むと思っておるの、それは。
○説明員(西崎清久君) ただいま先生お話しの点でございますが、文部省見解で従来申し上げている点が二点あると申し上げたゆえんは、先ほど局長からお聞きいただいたわけでございます。したがって、条例自体が地教行法に違反する、あるいは地教行法の趣旨に反する、こういうところが私どもの見解でございますので、この条例の内容なり、あるいは運用について指導、助言をするというふうな立場ではないわけでございます。したがいまして、先生のお話ではございますが、条例自体の違法性あるいは条例の趣旨に反するという点について、従来局長がるる御説明をしておる、こういう趣旨に御理解いただきたいと存じます。
○宮之原貞光君 これ西崎さん、ぼくらこの条例自体もどこが悪いかと言いたいんだがね。それは仮に一歩それはそのままに置いておきましょう。 それにしても皆さん、あれですか、条例の中身、条例の裏づけになっておるものは何かということを聞くことなしに、ただけしからぬけしからぬとこう言っておるの。いまのあなたの言葉じりをとらえるわけじゃありませんが、条例の条文がどうだこうだと言うだけなんだよ、内容をどうだこうだと言われない。物事には内容が伴ってこそ、たとえば内容と条例が違っておるとすれば、これはこの条例はおかしいのだと言うなら、これは行政指導としてりっぱですよ。けど、内容のことは私知りませんでは、ぼくはそれは勤まらぬと思うな、行政府は。
○説明員(西崎清久君) もちろん条例が違法であると申し上げるゆえんは、条例の内容において地教行法の規定に違反する部分があるから申し上げておるわけでございまして、基本的な問題点としましては、やはり現在の地方自治の制度におきまして、長に与えられておる権限、あるいは議会に与えられておる権限、これらが執行機関あるいは議決機関として均衡を保ち、それぞれの仕事をすると、こういう地方自治のたてまえであるところ、教育委員の選考は長、そして議会は同意と、こういう仕組みで委員の選任が行われておるわけでございまして、この点は先生よく御承知のとおりでございます。そこのところで、教育委員について長が選考するところに投票という義務づけを条例が内容として書いておる、ここに若干私どもが従来から申し上げておる違法性の点があるわけでございます。そういう意味で、もちろん私、言葉が足りませんでしたが、内容においても条例自体が違法だというところで申し上げておるわけでございます。
○宮之原貞光君 投票をやることが何で違法かというのがさっぱりぼくらもわからぬですよ、皆さんが違法だ違法だと言うのが。それによって区民のあれがどこにあるかということを尊重しながら、いろんな条件を考えて区長が判断をしようというんでしょう。それは先ほどの沖縄の問題と形は違うけれども、同じですよ。ただ知事が任命するに当たって、みんなから聞くわけにいかないから、いろんな八つの団体から意見を聞いて、それをまたその意見を尊重しながら自分で責任持って判断しようというんだから、何ら変わらぬのですよ。それを皆さんはああこれは公選制だ、けしからぬという頭があるから、もう一瀉千里にけしからぬけしからぬと言っておるだけの話なんです、これは。第一教育の中立性を云々と言うんなら、一体中立性は何ぞやというやっぱり問題にまでこれはいかざるを得ない。言われておるところのこの教育の政治的中立というのは、教育が政治に支配をされて、その文化的、専門的自主性を失うかどうかという、ここの判断の問題でしょう。それが、たとえば区民投票すれば失うという、この直線的な、短絡的な物の考え方にあなた方はいまの教委のこの地教行法がいい、いいと、それは行政指導する方から見れば都合がいいでしょう。だから、一歩も聖域に踏み込みさせまいという物の考え方だけが先立つから、こじつけて、それはもう侵しやせぬかとこう言っておるんですよ。しかもまた教育の中立性云々という問題は、単に教育活動のところだけじゃないでしょう。教育行政当局の問題も含まれておるんです、これは。それならば、今日のこの議会民主主義の時代に、これは本当に文字どおり教育の中立性が守られておるかどうかというのは、あなた考えてみたってわかるでしょう。時の多数を持っておるところの政権が、政策をどんどんどんどん進めていく、それが果たして客観的に見て中立とは言えぬのですよ、これは。いままでの中央でなされたところの法律の問題、あるいは地方の実際の行政におけるところの教育委員の任命の仕方見てごらんなさいよ。極端な例は選挙の論功行賞でなっておるのだってあるですよ。こういうものには目をつぶっておって、ただ区民が選挙をするから中立性が侵される侵されると皆さん騒いでおるんだけれども、問題はそういうことじゃないでしょうが。侵されないように、たとえば選挙のあり方もいわゆる投票の仕方もいろいろ工夫する、たとえば、単に一般の政党が、あるいは区会議員選挙とか、都会議員選挙のように、マイクでもって、宣伝カーでもって演説するということは、これは禁止しようというんでしょう。だからいわゆる文化的なこの部面、教育委員会の持つところの。それにふさわしいところの選挙制度というものを編み出すところの工夫をしておるんですよ。それを一般政治の場におけるところの選挙制度と同じだからけしからぬというあなた方の物の考え方というもの自体が、これはやっぱり考え直してもらわなきゃならぬと思うんですが、文字どおりあなた方そういうこともずっと綿密に点検をされて、なおかつ違法だ、あるいは違法の疑いがある、こうおっしゃっておるんですか。端的に申せば、そこまでまだやってないでしょうが。どうなんです、それは。
○説明員(西崎清久君) 中立性の問題につきましては、先ほど先生がお挙げになりましたように、現在の実定法である地教行法では、委員が三人以上同一政党に所属してはならない、あるいは政治的活動の制限等があるわけでございます。そういう意味におきましては、地方教育行政法は制定当初から政治的中立性を教育の場においては尊重するという趣旨でできておる、これが現在の実定法でございますので、私どもの立場といたしましては、地教行法が尊重しておる教育の政治的中立性は確保してまいるということが務めでございます。 しかるところ、この中野区の条例を拝見いたしますと、確かに先生おっしゃいますように、教育の中立性を尊重して公正に行わなければならないということもございますし、中間報告等によりますれば、候補者とそれから区長との協定もあるいは行われるとか、あるいは区長と政党との間にも協定が行われる可能性があるとか、いろいろ御工夫はあるやでございますが、いずれにいたしましても、条例においての、そのような内容においての担保としては私どもとしては十分とは考えにくいわけでございます。したがいまして、この点について現在の条例において、その運用等を含めて、教育の政治的中立性の地教行法の趣旨に反するおそれがある、こういうふうな考え方をお示ししておるわけでございます。
○宮之原貞光君 きわめて本当に血も涙もない話ですね。そういう政治が行われておるからますます政治不信をかり立てるんですよ、これは。それは確かに論理的に言えば、教育の中立性というのは、地教行法でいうところの中立性というのは、いわゆる教育行政機関が独立制の機関ではなくて、合議制だから中立性が保たれるというところにメリットがあるんでしょうが。それはそうですよ、皆さんの解説だってそう書いてあるよ、それは。だからその合議制をあんまり偏ったところの人ばかりではぐあいが悪いから、いろいろな排除条件をつけておるんでしょうが。言うならばそうすることによって、みんなが意見の違うところの人が寄って、いろんなことをして合意したものが一番真ん中だから、これが一番よろしいという物の考え方なんですよ、そもそもは。だからそのことをこの中野の教育委員会としても念頭に置いて、この中間報告にいろんなものをまとめられておるんですよ。そういうものは全然無視して、ただぼくは公布されたところの条例自体一つもどこもおかしいところないと思うんだけれども、いや尊重とあるから、いやそれはけしからぬとか、あるいは区長の固有の権利を拘束するんだ、こう皆さんはおっしゃっておりますけれども、これは理由にならぬのじゃないですか。だから、たとえば当初教育委員会の中の条例をつくるところのいろんな話を聞きますと、この選挙のあり方というものも公職選挙法を運用しようじゃないかという意見だった。けれども、それでは言われておるところの政争の具にされるということになれば、これは事志と違うから、教育の中立性というものを尊重したような投票の方法を考えようじゃないかというふうに条例自体直しておるんですね、これ。そういうことの経過、いきさつということも皆さんは十分わきまえておって、これは判断を示さなければ、ただこれだけ見てワンワンわめくだけが私は行政官の仕事でないと思いますよ。それはそうでしょうが、大臣。本当に教育行政を行おうというのなら、やっぱり血を通わせなければいかぬのだから、それならその中身はどうなっているがということを、やはり見きわめなければならぬと思うんですよ、これは。そこのところが皆さん残念ながらない。だから、私が冒頭に申し上げたところの今日の教育行政の一番の欠陥だと申し上げておるんですよ。 そこで、時間もありませんから、私はやはりいままでの論争を踏まえた中で、参考人の先生に長いこと時間お待ちいただきまして恐縮でございますが、二、三お聞きしたいと思うんです。 一つは、いま申し上げましたところのこの選任の問題と絡んで、いうならばこの教育委員としての文化的な役割りですね、いわゆる文化的投票制というふうに中間報告は出ておりますけれども、こういう投票の性格をどういうふうに専門委員の皆さんはつけられておるのかどうかということ。 第二点は、この区民投票の結果の尊重ということと、先ほど来議論をしておるところの区長の専属的権限との関連性ということについて、特に、いやそれが法的な拘束力があるんだ、どうだこうだというお聞き及びのようなことになっておりますから、きわめて大事なことだと思いますので、その点をまずお聞かせをいただきたいと思います。
○参考人(吉田善明君) いま二点ほど質問ございましたが、この一つの文化的投票ですね、この中野の区民投票条例というものをどう性格づけるかということ、これがまず前提にあると思います。確かに先ほど宮之原先生もお話されましたように、この条例を見ると確かに雑な点も多々あると思うんです。こういった問題をやはり文部省の皆さん方のお知恵をかりればいいかわかりませんけれども、結局われわれ専門家という形でその観点を補う形で出てきた、それがこの中間報告で、運用面で地域住民に合った教育委員を選ぶ方法として一体どうかという、こういう観点から協力したわけですし、この近日中にもうわれわれも本報告組みまして、今月の月末には本報告ができます。大体骨子はこのとおりで二、三これに対して補充を加えているだけです。 そこで、いわゆる区民投票条例の性格というのは、普通教育委員の公選制ですと、いわゆる住民の選挙によってつまり当落が決定をするわけです。ところが、中野区の区民投票条例はそういう性格じゃなくて、むしろ住民投票的な性格を持っているわけですね。ですから、先ほど政治的中立性云々ということの問題から絡まって出てきたと思いますけれども、やはり地教行法の条文に掲げられているたとえば同一政党から三人以上の人間が出てはならないとか、あるいはその地域的適合性で、中野区ですと女性が必ず一名入っていなければならない、あるいは二名必要であるというようなことが先例としてあれば、やはりそういったことも得票順と言いながらも、そういったことを加味しますから、そうするとこの法律と条例との融合性というのは図られていくだろうという、そういう意味で、まさに住民の意思がどういう形でもって意向が教育に対してあらわれているんだろうという、そういうものをいわゆる区長が勘案するという、そういうことが前提になってくるわけです。こういう意味で、そうすると、そういう中でどういつだ形で、いわゆる区民の意向を反映させるその手だてが一体どうなのか、これは言うまでもなく、この準公選制と言われている、これは公職選挙法の適用はありません。あくまでもこれは公の選挙でないわけですね、公職選挙法でいう公の選挙に入りません。したがって、やはりみずから地教行法の政治的中立性というものを勘案しながら、やはり地域に応じたいわゆる選出方法というものを考える必要があるんじゃないか、こういうことです。その場合に、なぜいままで公選制が失敗したんだろうかという、こういう問題をちょっと検討してみたわけです、それは政治的中立性の観点から。そうしますと、これは非常にぼくは重要だなと思ったんですが、最初の選挙というのは、これはまさに地方議会の議員さんの選挙の規定を使っているわけですね。ですから、これはもう教育委員だってまさに政治性を伴うのは言うまでもないわけですね。議会の議員さんの選挙の規則をそのまま教育委員の選挙に使ってますから、これはもう政党色がそのままあらわれてくるだろう。と同時に、選挙は、その当時お金がないということもありまして、結局二回か三回行われているわけですが、一般の選挙と同じ形でもって同時選挙をやっているわけです。こういうことを考えていきますと、これはまさに政治的な色彩というものは当然伴ってくるんだということがあるわけです。そこで、やはりそれじゃいかぬ、やはり政治的中立性を確立するために、どうした形の選び方が必要であるか。そうしますと、ふと思い立ってくるのは学術会議の選挙ですね。これは学術会議の会員の選挙というのは、まさにこれは独自の選挙をやっています。これはつまり学識経験者を学術会議のメンバーに選ぶわけですね。それはそれに応じたいわゆる文化的選挙なわけですね。教育というのはまさに文化です。そうすると、われわれも政治的選挙というものをもう一応度外視しちゃって、いわゆる公職選挙というものを全く度外視しちゃって、まさに教育文化、八〇年代の文化を担うその地域の代表を選ぶためには、文化的選挙、地域に適合したいわゆる選び方というものがどうしても必要になってくるんじゃないか、こういう観点から考え出していった、これをいわゆるわれわれは文化的選挙と称しているわけです。 そこで、やはり普通の選挙でしたら供託金という形でお金を出します。お金を積まなきゃ選挙に出れないという。ところが、地域ではやはり出たい人より出したい人なんだという、そういう観点から、いわゆる推薦という制度をとって、六十名なら六十名の推薦によって立候補する。そして、それはあくまでもこれは文化的選挙、いわゆる文化活動の一環というふうなとらえ方をしますと、いわゆる戸別訪問でも何でもしながら、との人がいいんだという私は地域住民がみんなが相談して出そうじゃないかという、非常にそういう側面から選出方式をわれわれは考えていった。したがって、そこで当然出てくるいわゆる政治性との絡み合い、これもできるだけ排除した配慮というものが——質問があればお答えしたいと思いますけれども、そういう側面も強くわれわれは公選法の、そう言いながらも政治活動は事前運動との関係で絡まってきますから、その辺もまたわれわれは一つの調整をしております。これは今回の最終報告で出ますけれども、こういう側面を持っているわけです。まさに教育文化の非政治性を保障し、地域文化活動を推進するんだという、そういう側面から、いわゆる出たい人より出したい人をみんなで考えていこうという、そういう方式をいわゆるわれわれは文化的選挙、そういう性格づけを公選法と切り離してこれを考えていたわけです。これが文化的投票のまず意味です。 それからもう一つは、結果の尊重、区長の専属権、専権事項という人事の問題ですね。区長の専権事項を侵すんであるという言い方がよく出てきます。これは一般の各所管の大臣が一般公務員を選ぶんであれば、これに対してクレームをつければ、これは専権事項を奪うことになると思います。この場合は、言うまでもなく区長が議会の同意を得るという、議会との絡み合いも考えてみなきやならないわけですね。その議会がいわゆるこの条例化をしているわけです。そうしますと、やはり区長さんにいつも自分たちが同意というのは、これは任命の効力発生の問題だと思います、議会が同意するということは。そうすると、区長がつまりこういう人を選んできても議会で否定する場合もあるわけです。そうすると、よりベターな委員を選ぶんだとすれば、議会の条例でもって少なくともこういう側面から選んでみたらどうなのかという、そういう形で条例をとらえてみれば、より中立性というものは実は維持できるのじやないのか、こういう解釈もでき上がってくると思うのです。そこでわれわれはそういう側面から尊重の意味の問題もあります。これは尊重を法的拘束力があるなんて論理を掲げる学者というのは、これは日本の学界では恐らくいないだろうと思います。これは法的尊重という言葉で法的拘束性を持たせる議論はこれは出てくるはずがないと思います。そこで尊重する場合一体どうすべきかという、こういう問題になってくると思います。ここで言う尊重の意味ですが、われわれ中間報告で、やはり先ほど言いましたように、地教行法に定められている事項、それから地教行法に定められている政党関係の問題、それから社会的謙虚な人材を選ぶということ、それから教育長の役割りを考えること、そういうことも全部、つまり尊重するんですよと、もしこれが投票でそういう人間を選べなかったら、先ほど先生もおっしゃっていたとおり、いやこれは区長さんが選んできてもいいんですよという、つまりそういう住民投票的な性格をこの尊重の中に与えているという、こういうふうに考えます。 どうも長々しゃべって申しわけないですが。
○宮之原貞光君 どうも本当にありがとうございました。大臣、いま大臣もお聞き及びのように、皆さんがただ表面にあらわれてきたところの問題だけでワンワンやられるのと大分違ってきますね、これ。本当に皆さんは皆さんで、現行法の許す中でどれだけ最大限に民意を反映をさせるかという、全くこれは涙ぐましいといいますか、みんな総意をしぼっての問題の処理の仕方ですよ。それをただ方法がどうだこうだという形で皆さんは済まされようとする。時間がありませんので聞きますがね、いままでずっとこの論議の中で、問題点の浮き彫り、あるいは問題点ということもはっきり大臣も御理解できたと思うのですがね。それでもやはりこれは問答無用で違法だというかっこうになるんですか。それで、このままやったら地教行法の第五十二条の措置要求をされるという方針に直進をされるんですか。それとも本当に問題点というのは突き詰められた中で、これを最大限生かすためにどうすればいいかという親身になってこの問題を、たとえば区当局と一結になってやはり前向きの解決をしようというところの判断に立たれておるのかどうか、どっちなんですか、大臣のお気持ち。そこらあたり私は最後にお聞きして、質問を終わりたいと思うのですが、どうなんですか。やるならやるとおっしゃってください。それならそうとこっちも構えなきゃなりませんからね。
○国務大臣(谷垣專一君) 先ほど五十何条ですか、措置命令云々、そういう問題は私の方はいままだ議論をしておるわけではございませんで、二十九日の局長の通達のように、地教行法の法文にありますような指導を都の教育委員会にいたしておる、こういうことでございます。 それから尊重の意味が非常にいろいろ議論になっておるようでございますし、私も中間報告なるものをまだ拝見しておりませんのであれでございますけれども、たとえば適当な者がなければ、当選というんですか、選抜というんですか、した者よりほかの者でも云々というようなことも用意をしておるというようなお話がございますが、これは逆に考えますと、それ以外はすべて尊重、つまりその決定どおりやれというふうな解釈も成り立ち得るところがあるのではないかと、こういうところも問題が私はあるように思います。何にいたしましても、いま委員が御質問のように、五十何条ですか、措置命令をする云々というようなことを私たちいまの段階でどうこうしておるわけではございません。いまのこの条例、あるいは準公選のあり方というものが、地教行法の条文に照らしまして、これは違法であるというそういう認定のもとに、それに対しまする善処、あるいは指導を教育委員会にお願いをしておる、こういう段階でございます。
○宮之原貞光君 そこに問題があるというんですよ。二時間もかかっていままで議論して問題を浮き彫りにしたって、何ら前と変わらぬじゃないですか。頭からあなた方違法だときめつけるところに問題があると言うんですよ。だから、本当にこの民意を反映させたところの現行法の枠の中でやろうとするならば、たとえば中野区の専門委員の皆さんと文部省と一緒になって、本当に問題点でもお互いに議論をし合って、ここはどうするんだというのを詰めて、よりよいものへ前向きの解決をさせようとするという一体考え方があるのか、それとも頭から違法だから困りますよと押しつけるのか、それしかないんですよ、これは方法としては。しかし、もう二十年、あるいは戦後三十年たっておるんですから、日本の教育行政のあり方は曲がり角に来ておるんです。それはみんなそれぞれの地域で模索しておるんですよ。そういう大事なときにこそ、こういう問題を契機にしたときに、皆さんがやはり関係者と一緒になって、この問題を解決をしていく、この問題をどうするかと、そこを探り出そうとするところの積極的な意欲が文部省にあってもいいじゃありませんか。そういうあなた意欲を大臣は示すことこそが、大平さんの言うところの政治の本道なんですよ。それはやっぱり官僚の枠の中を一歩も出ない、違法だからということだけではこの問題解決つかないんですよ、これは。行くところまで行かなければ。そういう中からは、これは区民も皆不幸ですよ。国民の不幸にしかつながりませんよ。皆さんは皆さんで一歩も引けないと言う。片一方は御承知のようにそのことを標榜して区長は当選したんですから、あるいは区条例もできておるんですから、これは公布されておるんですから。これを本当によりよい解決策を求めるとするならば、いまそれぞれ、たとえばいま大臣も中間報告も読んでなかったとこういうお話なんだから、こういうものの中からお互い解決点を見出していこうというその姿勢があってしかるべきじゃないでしょうかね。そういうことはみじんもございませんか、大臣は。
○国務大臣(谷垣專一君) 二時間議論をしたがそのままかとおっしゃることでございますが。……
○宮之原貞光君 それはそうじゃありませんか、初めかち違法だと言っておるんだから。
○国務大臣(谷垣專一君) 二時間だんだんお聞きをいたしておりまして、最後に申し上げましたようなやはり私は感想を持ちます。 それから、まあこれは確かに立法の問題でございましょうから、いろんな議論が出てきてしかるべきものだと思いますし、それから、いま委員がおっしゃいましたように、教育委員会制度が何年か続いてずっと来ておる、そういう状況のもとにいろんな事態が出てきておる、これはそのとおりだと思います。しかし、それだからといって、現在の法律そのものに抵触しているものがあれば、それはそれとして指摘をしておくことがむしろ当然の仕事ではないか、こういうふうに思います。
○宮之原貞光君 もう多くは申しませんが、大臣、自分たちが賛成しないものはみんな頭から違法だというそこの姿勢を変えなさいと私は言っておるんですよ。なお疑いがあるというなら、これだけ問題があるんだから皆さんやったらどうですか。それを上から命令するだけが仕事だとあなた方は思っているんですか。そういう中からは本当の民主主義は育たぬでしょうが。
○委員長(大島友治君) 宮之原君、時間が来ていますから。
○宮之原貞光君 わかってますよ。 そこのところをぼくは行政当局にやりなさいと言ったってこれは無理だと思うんだ。官僚というのはそれはできないんだ。あなたも官僚出身だけれども、やっぱりお互いに政治家の一人であることは間違いないんですからね。そこのところをやはり大臣が判断をしながら、前向きにこの問題を解決するという姿勢があっていいんではありませんかと言っておるんですよ。それも一かけらもありませんか。最後にそれだけ聞いておきます。一かけらもありませんならないと言いなさい。
○国務大臣(谷垣專一君) 御意見は十分お聞きをいたしました。
○委員長(大島友治君) 参考人の方には大変お忙しいところどうも御苦労さまでした。御退席願います。
○小巻敏雄君 大臣に教員定数の問題からお伺いをいたします。 朝、五十五年度の配当は、これはもう準備もあるので、法律改正前であるけれども手配をしておるというような局長の話があったわけであります。私も、この方式でやるなら実際に、たとえば大阪でどういう状況になるのかというような問題も当たってみたわけでありますが、大阪で適用を受けるのは私は守口市と大阪市であるというふうに承知をするわけであります。このやり方によりますと、守口市は減少市町村の中でかかってきまずから、全部の学校が一年生は適用を受けると、こういうことになるわけであります。そうしますと、五百市町村に五百六人を配当するという今度のものが大体全市的にかかってくるわけですね、一年生についてだけ言えば。ところが、大阪市がこれにおおよそかかるんですけれども、ごく一部だけ残して非常に悩んでおるというような状況に.なっておるわけであります。二百九十八校、大体ここで一生懸命やっても、どうも校舎の増設が必要になるところは当てはめないと、こう言うものですから、特別教室の転用でもしようかとか、どうやれば全部一斉に該当できるかとやっておるんですけれども、計算のしようによって三校になるか、九校になるか、こういうふうに見ておるわけです。ここでお伺いするんですが、少なくとも一つの行政区で、大部分できるような状況下で、単費ででもやればできるのかもしれませんけれども、こういう状況の中で、運用上同一行政区でほとんどできる中にやり残しができるというような問題、このケースはわずかなことだと思うんですけれども、こういうような状況を何とか解決の方法はないものか。こういう不平等というものは、少なくとも好もしいものではなかろうと思うわけですが、大臣どうお考えになりますか。
○説明員(西崎清久君) 若干数字が絡まる問題でございますので、先に私の方から御説明を申し上げたいと思います。 教員定数の改善の内容となっております学級編制改善は、先生御指摘のとおり五十五年度から十二カ年計画で走るわけでございますが、その五十五年度適用において、予算上私どもは五百六名の教員増が学級編制改善に伴って必要であろうと、こういうことでございますが、その五百六人が適用になる市町村につきましては、三カ年の児童が継続的に減少する市町村で、かつ学級編制改善に伴って施設の増設を伴わないもの、こういう枠をかぶせておると。先生御承知だと思いますが、そういうことからいたしまして、大阪市の場合には、御指摘のようなケースが出てまいろうかうと思わけでございます。現在私どもは該当市町村に調査を依頼いたしまして、最終的に各市町村からデータをとっておる最中でございますが、大体先生御指摘のような数字になろうかと思うわけでございます。 この点について、先生御指摘の最初の問題でございますが、沿革的には、学級編制改善を予算要求いたしました際には、児童、生徒が三カ年減る場合には、市町村全体において学級編成会議でもやるというふうな経緯もあったわけでございます。しかし、全体の財政事情との絡み、その他を勘案いたしまして、このために学校施設の増設を必要とするというふうなことは、将来児童、生徒が減少するということからいたしますれば空き教室も生ずる、こういうことでは国費の投資、地方公共団体の投資においてもむだを生ずる。まあ財政的見地その他兼ね合わせて、五十五年度、向こう三カ年については、施設の増設を伴わないものについて四十人にすると、こういうふうな考え方でまいるわけでございます。したがいまして、御指摘の点につきましては、私どもといたしましては、まあ若干市町村内で施設を伴うものの改善が残るというケースがあり得ようかと思いますが、やむを得ない実情として御理解をいただきたいと思う次第でございます。
○小巻敏雄君 いまの答弁求めた分は、やむを得ないということだけなんですよ、答えは。ただ、前の説明の部分がわかっておるから、こうなっておるからどうかということを質問しておるんですからね。まあこの地域別二段階学年進行方式というやり方は、一年生と二年生にギャップが出て、不公平だという点があるわけですね。まあこの地方自治法第十条でいう法律の定めるところによって、「その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有」すると、まさにずばり学校の先生に習うということは、これは義務教育を市町村が責任を持って役務を提供するわけですからね、これは不公平だと思うんです。それにも越えて、同一地区内での不平等というのは、たとえば受験でも一緒にするときに、これは一年きりのことになるかどうなるかわかりませんけれども、違う条件で受けることになりますからね。こういう点から見ても、より顕在的な不平等だと思うわけです。 私、大臣に特にお伺いしたいと思うのは、いま局長の説明でも、この法律には定数法の改善を含めて六十六年度の最終の姿を法律に出しておいて、毎年の人間を要求していくかっこうは、これは財政事情等も考えながら政令で決めることになるというわけですね。また報じるところによれば、これは官庁速報というようなものも見ても、そういう決め方はかなり弾力的にやるというようなことを、大臣と竹下大蔵大臣の四カ条かなんかの約束の中にも入っているみたいであります。まあこういうような状況の中で、人間の配当、教員の配当を、この大阪の例なんぞ具体的に見れば、本当に弾力運用でいきそうなもんじゃなかろうかと私は思うわけです。大阪市としては、府にもお願いをし、国にもお願いをしたいと、こう言っておりますけれども、露骨な、しかも同学年の不平等ですね、この問題についてはひとつ知恵を出し、運用の中で努力をするというような立場をとっていただきたいと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(谷垣專一君) いま御指摘になりましたように、とにかく年次別にいたしますから、おっしゃるように一年と二年の問題は確かにその間に一種の不平等が生じてこざるを得ぬと思います。それからその同一の市町村の問題につきましても、やむを得ずそういうことにならざるを得ぬものが出てくる可能性というものがあると思います。ただ、その実態をもう少し把握したいという努力をいましておるわけでございますが、そういうことになるかと、これは残念なことですが、あるいはそういうことになるかもしれません。 それから先ほどの予算を編成いたします場合に、最終的なものを法律に書きます、八万一千幾らですか、それを書きます。そういうことで、毎年の問題が政令で数を書くことになりますので、これはもう長い間の期間だから、また財政状況その他でその点が非常にある意味では弾力的に動いちゃって、はっきりした計画的なものが立たぬ心配があるじゃないかという御指摘がございます。これは確かにそういう面がいまの形では絶対にないとは言い切れないものがございますけれども、ただすでに私たちがいろいろな計画をもってやっておりますもの、たとえば五十人学級から四十五人にもっていきましたような場合におきましても、何年問かの計画でやっておりますし、その当時の財政その他のあり方というものを、やはり年度年度の計画ということが主体でございますので。同じように最終的なものだけを法律で書いておいて、そしてその年度の計画をその都度政令でやっておったわけであります。その過去の例から申しまして、年度年度の計画というものが、ほとんど要求をいたしましたときの当初の計画どおり進んできておるのが現実の結果でございます。確かにいまは非常に財政状況が厳しゅうございますから、来年のこと、再来年のことをはっきり約束ができないと財政当局は申します。しかし、これはやはり一つの計画として、総数が法律で決まったわけですから、それに対しましての年次計画というものは、これはさっきモデルと申しましたか、試案のような形だと、こう遠慮して言っておりますけれども、これは財政当局と私たちとの間で、私たちが十二年計画として立てましたものが、ほぼそのままのかっこうで遂行できるようにすることは私は可能であるし、努力をせなければならぬ、こういうふうにこれは考えております。これは毎年毎年のことだと言って、この問からずっとのいろいろな御質疑の中で、非常にそれが不安な感じを与えておるように一部私は感じたところがございますけれども、確かにいまのやり方としてはそういうかっこうで、年次計画というものがはっきり規定はされておりませんけれども、しかし、従来の経緯、あるいはまたいままでのそういう形における財政当局と、ほかの現業を持っております私たちのあれから申しますと、大体その計画どおりに進めていっておる。これは私は今後もやはりそうでなければ、この大きな計画の職員の、教師の方々の異動の問題にいたしましても、あるいは教室等の問題もありますし、それは地方地方にはある程度先にわかっていなければならない、そういう性格を持っておりますので、その点は私たちは財政当局との詰めばございますけれども、努力をしたい、かように考えております。 〔委員長退席、理事高橋誉富君着席〕
○小巻敏雄君 ひとつ質問の趣旨としては、大臣、二年生以上と一年生とのギャップ、これも問題だと。しかし、同一学年において、あらかた同一地域内でできるのに、建て増しを要するのでというので、わずかなところが残るというような問題、ごく小部分にあらわれてくる問題ですけれども、こういう問題なんかはケース等の配慮で弾力的運用が可能になるのではなかろうかと、そういう楽しみをもって見ておるけれどもどうですかという質問しておることと、もう一つは、やっぱり自治法をしゃくし定規に言うわけじゃありませんから、そういつでも満足だったわけじゃないですから、しかし、今度のように露骨に出てくる場合に、やっぱりそういう公平の観点というのも重視して取り組んでもらう必要がある。いまの計画、修正案でも出さぬ限り、一年生と二年生の同時出発はむずかしいでしょうけれども、一年生の中に出てくるもの、これは地方公共団体としての大阪市でもいま挙げた例であれば、本当にやりたい意欲も持っておるわけです。こういうようなもの、たとえば教室の転用はどうかとか、いろいろあるでしょうけれども、こういうような点についてお伺いをしているんですよ。そこにはお答えはなかったように思うんですが、一言不平等の問題というのは、不平等とお認めになるかどうかということと、やっぱりこの解消は課題だということはよく自覚しておられるかということをお伺いしておきたいです。
○国務大臣(谷垣專一君) 不平等と申しますると、ちょっと私の気持ちよりも少し厳しい表現になるかと思いますが、でき得ればそれは一緒に進ましたいという気持ちを強く持っておることは事実でございます。 それから、先ほど一番最初に御指摘になりました問題は、ちょっと具体的な問題で、ずっと各地の実情を調べて、事務当局としてはどういうふうな感じになっているかという点もございますので、政府委員の方から答えさしていただきたいと思います。
○小巻敏雄君 簡潔にやってくださいね。
○説明員(西崎清久君) ただいま小巻先生のお話、先ほどお答えしたことと同様になって大変申しわけございませんが、私ども事務当局といたしましては、やはり予算積算、計画全体としては、学校施設を伴わないものについて四十人学級にするという形でセットいたし、これを実行しようといたしておりますので、たまたま大阪市において学校施設を伴うものが出てきた場合、これが四十人にいたしかねるということはやむを得ないケースになるのではないかというふうに思っております。
○小巻敏雄君 その絡みでお伺いするわけですが、いま義務教育諸学校施設費の国庫負担法第五条というものに、三年前向きというやつがあるわけですね。この問題について当然四十人学級が三年後にやってくるというときは、三年前向きで準備することになるんだと理解していますが、それでいいですか。
○政府委員(三角哲生君) 小巻委員がおっしゃいました義務教育諸学校施設費国庫負担法によりまして、現在のところは集団的住宅の建設など児童、生徒数の増があります場合に、そういう場合には三年後の学校の学級数に応ずる面積が補助対象とされる、こういうことでございまして、今回のは児童、生徒数の増ではございませんで、学級編制の改善でございますので、でございますから、やはり新たな制度的な手当てを必要とするということになると思っております。
○小巻敏雄君 この五条の中には公団住宅など多数の住宅が建つ場合、さらにその他政令で定めたものと、こうなっておりましてね、当然三年後には幾つかの建設が見込まれるというときに、前もって建設なり、そのときになってプレハブなんか出てこないように手配をすると。これやらなければ人口急増地なんかいかぬわけですよ。この三年前向きというのはひとつ大臣覚えておいていただいて、三年後には、何年後ですか、必ずやってくるわけですからね、六年後ですか、移行してくれば、急増地に及んだときは必ず出てくると。ところがいまあっぷあっぷやってますからね、こういうような措置もひとつお考えいただいて援用してもらわないと、プレハブなんかで非常に困ったことになるだろうと思いますので、ひとつ御配慮いただきたいと思うんです。
○政府委員(三角哲生君) まあ先ほど来御説明申し上げておりますように、当初は施設増を必要としないものから学級編制基準の改善を進めていくという方法がとられるわけでございますので、でございますから、いま小巻委員御指摘の問題は将来の一つの検討課題であると思うんでございます。それで三年前向きの制度というのは、やはり教室の増設が、何と申しますか必要な数というのが、あらかじめわかる場合には、建築工事のやり方としてある程度まとめてやった方が、合理的な場合があるということも考えてやっておりますことでございますから、そういったことを含めて今後の検討課題であろうというふうに考えておるのでございます。
○小巻敏雄君 この定数法については、十年以上というのは非常に強い不満を持っておりますけれどもね、私どもとして修正を考える場合にも、しかしまあ来年から直にやれといったって、いまの人口急増地の実情もありますから、やっぱり準備期間と、それに対する予算の手当てをしなければ、人口急増地ではなかなかいかぬという事情は私もよく知っておるわけです。そうであればこそ、私どもとしてもまあやっぱり五年くらいは要るんじゃないかとか、一生懸命やってもそういうふうに見ているわけですね。そう見ていくなら、特に人口急増地現行四十五人学級でも、非常に厳しい中でやっておるわけですから、あらゆる問題をよく考えて当然予想される問題については手当てをしていただく必要があるし、ひとつの常識的なことかとも思いますが、五十五年で満期になる、人口急増地に対する用地補助費、あるいは学校建設の急増の補助費などについては、当然延長されなければならぬと思うわけです。来年のことを言うようですけれども、文部省はこれらの計画をする中では、自治体の立場に立って考えれば、当然そうなるんじゃないかと思うんですが、どうですか。
○国務大臣(谷垣專一君) 先ほどの問題といまの問題と若干性格が違う御質疑であったように思いますけれども、確かに四十人学級の問題考えまして、三年後の状況というものは、十分私たち検討してかからなきゃならぬ問題だと思っております。これはひとつ十分検討をさして、準備をさしていただきたい。いまここでどうこうという返事はできませんが、三年後の状況は非常に準備が必要だと、こういうことは十分心得ております。 それから五十五年まで終えて五十六年どうだというお話でございますが、いままで続けておった急増地帯の問題、これは当然この八月ぐらいまでに、だんだんもう五十六年の予算の事務的な交渉がありますので、その時点でこれはまたずいぶん議論になってくる問題だと思うんです。しかし私たちの方は、当然その場合に続けていけるべきものということで折衝いたしますけれども、それはこれからの問題だと思っております。
○小巻敏雄君 それはその線でがんばっていただきたいと思うわけです。 次に、学習指導要録の問題についてお伺いをいたします。 今度学習指導要録が手直しをされて、小・中学校の一部評価の部分も改めることにされるというような状況を聞いておるわけです。一部非常に、前からあった五段階評価に対して部分的に、評定部分の問題は変えないけれども、ほかに到達度評価を観点別学習状況というので設けることにされたわけですね。局長にお伺いしましようか。この趣旨について簡潔にひとつ答えていただきたいと思うんです。
○政府委員(諸澤正道君) 学習成果の評価の仕方として、御承知のように、相対評価というのと、絶対評価と大ざっぱに分ければあるわけでございますが、五段階評定というのは、言ってみればクラスなり、学年の全体の中でどのくらいの位置にあるかという、そういう評価でございますから、これは一部絶対評価を加味しておりますけれども、相対評価ということになるわけであり、私はこれはこれで現実に一人一人の子供のグループの中における学習状況というものを客観的に評価するという意味で意味があると思いますから、これは残したと。しかしながら、もう一方一人一人の子供にとって、その子供がその学習目標に照らしてどのくらい到達しているかというところの絶対評価というのもやっぱりある程度やってもらう必要があるんじゃないかと。そういう意味で、今回は観点別に、国語で言えば読み、書き、聞く、話すというような、それぞれの分野における能力を相当うまくこなしているか、そうでないかというようなことを記録させるというところを新しく設けたわけでございます。 〔理事高橋誉冨君退席、委員長着席〕
○小巻敏雄君 私どもとしては何回にもわたって、局長にはこの五段階評価というものの持つ矛盾についていろいろ質問もいたしましたし、この点今回小学校の一、二年生については、評定欄に五段階評価をやめて三段階にされるというような点については、これからの前進の足がかりになるのかと思ってながめておるわけですけれども、これ五段階相対評価を全体としてこの評定欄に残したのは、客観性があるというふうにいまも言われたように思うんですが、客観性というふうに特に言われるその必要度というのは、入試の内申が一番大きな問題になっているんじゃないですか。そうじやないですか。
○政府委員(諸澤正道君) 確かに入試の内申の際に、この評価を使うということが一つの大きな役目になっています。
○小巻敏雄君 そうすると、小学校の三年、四年、五年、六年は、中学で公立に行かずに、私学に行くことを考えて残しておるわけですか。ここまでくると、私は小学校の分ぐらいはせめて今度めこの評定欄についても、もっと大きく一歩踏み出してもらいたかったと思うわけであります。小学校一、二年生の場合も、三、四、五、六の場合にも、もちろん発達段階の違いはありますけれども、この評価の客観性とか、主観性とかいうような問題については基本は一つだと思うんですね。この点私どもとしては、中学であれ、到達度評価を基準にすべしと、京都でもそういう方法を加味してやっておるわけなんですね。特に地域性、学区制というものを支える上で、十分にやれておることを考えるんですが、小学校いっぱいぐらいには広げたら何か差し支えあるんですか。
○政府委員(諸澤正道君) 私率直に申しまして、五段階評価というようなものも、これが絶対一番いいんで、ほかのものはみんなだめだという議論はどこにもないんですね。そういうことですから、今回の改定に際しましてもずいぶん専門の方に協力をお願いして、そのグループで議論をしていただいたと。その結果として、確かに小学校は三段階ぐらいでいいじゃないかという議論もございました。ございましたけれども、全体の意向としては、現在の教育内容なり、子供の発達段階を考えると、まあ二年くらいまでを三段階にして、後は従来どおり五段階でいいんじゃないかというのが大多数の御意見でございましたので、それに従って従来どおりにしたと、こういう経緯でございます。
○小巻敏雄君 やっぱり行政を担当される場合には、内部でいろいろ意見があったものを、その都度議論だけに終わらしてしまうということになれば、ぼくはせっかくの意見も生きてこないんじゃなかろうかと思うわけです。特に今度せっかく設けられた観点別学習状況の評価も、これも相対評価、最終評価と並べられて、実際上重視されるのは、いわゆる学籍簿に記載されて残るものとして評定だけというようなことになってしまえば、せっかくのこの改定の意味も薄れてくるわけであります。これは引き続いて内容的には検討を要する問題だと思うわけですが、そこはどうですか。
○政府委員(諸澤正道君) ちょっと御質問を整理してお答えいたしますと、この通知簿と指導要録の関係というのは、いつも申し上げますように、即通知簿の内容になるわけではない。そしてこの点は、われわれもずいぶんいままで関係者にお願いしてきたわけでありますが、最近、たとえば数年前の国立教育研究所の調査なんかでも、各市町村、学校でその通知簿のあり方についていろいろ工夫をこらし、その中身としてもいろんな要素を総合的に調整したり、あるいは到達度別評価をしたりというようなことをやっておりますので、これはこれとして今後も検討していただくということにしたいと思いますし、またその指導要録自体のあり方につきましても、これはあくまでも文部省としてのモデルを示したわけであり、最初申し上げましたように、この評価の問題は、これがもう一番いいんであって、これ以外はいけないという態度では私はいかぬと思いますから、今後も引き続き検討してまいりたい、こういうつもりでおります。
○小巻敏雄君 私も質問は通知簿についていま質問したのでなくて、指導要録について質問をしておるわけです、明確にですね。指導要録というものが、やっぱり学校としても最も重点を置き、公式記録として残していくものですからね、これの動きが教育内容に最も全体的にかかわりを持つものだと、そう思うわけです。まあこれの実施をやっていくのは、自治である教育だというところまでの答弁をいまもらっておりますから、そこまでにしておきます。 続いて、ひとつ放課後の子供たちの問題についてお伺いをしたいわけであります。 まあ子供たちの放課後の生活環境というものは、いま今日の教育問題、社会の関心の中でも大きく登場をしているわけでありますが、たとえば「内外教育」という教育関係のニュースにも、岡山県警の万引き少年に対するアンケート調査というようなものが出ておりますが、こういう問題がずうっと出てくるわけですね。そしてこれが今日の憂慮されるところとなっておる。遊び型非行だとか、いろいろ書いておりますが、私が言いたいと思うのは、学校から帰って、夕食までの間の時間というものですね。これがいま非常に問題の多い場面になってきておる。この状況について、教育はどこまで責任を持って考えるか、あるいはまあ考えなくてもいいのかという問題があると思うのです。昔と今日への社会の変化というものは、そういう点で家族制度の変わり方とか、社会状況の変化というものが、この場面への教育の責任を増加させておるだろうと思うのですが、その点について大臣にひとつこれはお伺いしたいと思うのですが、この放課後の子供たちの状況というものについてどう考えておられますか。
○国務大臣(谷垣專一君) これは大変大きな問題で、困っておる問題の一つだと思います。学校で、ひとつその子供たちに、保育のために学校を、教室を開放したらどうかという問題も出てきましょうし、あるいはいま申されましたように、その問の、学校が済んで家へ帰るけれども、帰った後におけるいわゆる校外指導がどの程度まででき得るのかと、こういうところが問題であろうかと思います。御存じのとおりに、いろいろな社会教育、あるいは青少年団あるいはその地域のいろいろなボランティアの諸君の活動に期待してやっておることもずいぶんやってまいりましたが、なかなかそれまで十分にはいってない面がまだ多いわけでございます。また、それじゃ放課後も学校の教室を開放して、そして先生方にその責任を持って保育をさせるかという問題になりますと、これまたいろいろな問題が生じてくることでございまして、実はなかなか頭の痛い問題の一つでございます。ただ御指摘のように、そこに問題点があるということは十分に認識をして、そして従来からやっております施設を少しでも伸ばしていきたい、こういうことで努力をさしていただきたいと考えております。
○小巻敏雄君 まあ子供の校外生活の中で、集団的にというのか、グループとして、一つの階層としてといいますか、問題になるのは、いつでも留守家庭の子供が問題になる、まあ俗にかぎっ子と、こう言うわけですね。この問題について考えてみますと、私はどうしてもこれを厚生省の方にお預けしておいて、この問題は一つの社会福祉の対象だということで、何とかということだけでは.とどまらずに、文部省の方でも責任のある発達問題が絡んでくるんじゃなかろうかと、心身の発達ですね。それがまあ新しい社会の問題ではなかろうかと。かぎをもらって一人で家にいるというような状況ですね、あるいは適宜グループをつくっても、その拠点になるような場がないというような状況ですね。学校から家までの間がほとんどグループで遊ぶような場でなくなっておるような状況化ですね、教育的な観点から見て非常に重要な問題だと思うんです。 これについては、以前は文部省ではここに注目をしまして、昭和四十一年から、下校後保護者が家庭にいない小学校児童を対象に、留守家庭児童会というのを開いて、これらの児童に生活指導を行う、もって少年教育の振興に資するというような観点から、補助金もつけておられたと思うんですが、そのてんまつはどうなっておるわけですか。
○政府委員(望月哲太郎君) お答え申し上げます。 先生御指摘のように、文部省では昭和四十一年度から市町村の教育委員会が行う留守家庭児童会育成の事業に対して補助を行ってまいりました。この補助の対象といたしましては、小学校児童で下校後五時ごろまで保護者が家庭にいない場合等、保護指導を受けることができないことが常態である子供たちを対象に、原則として四十人以上をもって構成する児童会の育成に補助をするということで、実施回数は年間三カ月以上にわたり週三回以上を実施するというようなことでやってまいりました。 それで、その後文部省といたしましては、その補助を考えた後にさらに一歩進みまして、都会地の子供たち全体が、留守家庭だけでなくて全体がやはり遊び場がない、あるいは交通災害等の危険に冒されるおそれがあるので、できるだけそういう環境でないところで伸び伸びと遊べる場所を考えたいということで、学校の校庭を遊び場として市町村の教育委員会がその校庭を開放する場合の事業に対しまして、少年活動促進の事業について助成を始めたわけでございますが、その後昭和四十六年度に留守家庭の子供だけをまとめてやるというよりは、もうすべて、子供たち全部をまとめてそういうやっぱり遊び場を確保する、あるいは安全な場所で遊ばせるということにする方が適当ではないかということで、その二つの事業をまとめまして、昭和四十六年度から校庭開放事業ということで一本にいたしまして、それを契機に予算の増額等を図って、現在ではその方向でこの事業を進めておるということでございます。
○小巻敏雄君 文部大臣、お聞きになったような状況で、昭和四十一年から四十五年までの間は留守家庭の子供をまとめてめんどうを見るということで、地方自治体に対してそういう施策を奨励をしてそれなりの成果も上げてきたわけです。いま言われたように、発展的解消したような話なんですが、実はそれでとぎれてしまって、もう後はやっぱり厚生省にお願いするように現実は推移をしておるわけですね。校庭開放事業というのは、御承知のとおり屋内体育館でもそうでしょうけれども、特に校庭の場合雨の場合なんかだともう使えませんしね。子供たちにとってあの事業というのは、留守家庭のようにそこをたまり場にするなり、拠点にして、そうしてそこのところで社会機能としての家庭の役割りを代行さしていくというようなことは、校庭開放だけでは果たすことができないわけです。その点は学童保育と一般に言うあの領域でやっておるわけですね。こっちの方の事業に対する有力な教育の面からの応援、助成としての役に立たなくなってしまっておるわけであります。さればこそ、たとえば私が住んでいるのは大阪ですが、大阪府ではその後単費でずうっと続けて、それなりの成果をおさめておるわけであります。厚生省の方にそれではお任せをしておけばということになるのか。厚生省の方では、この点についてはどういうふうに進めておられますか。
○説明員(会田武平君) 先生御指摘の、学校の放課後の児童の、いわゆるかぎっ子対策でございますが、実はかぎっ子の実態、非常に複雑多様化と申しますか、たとえばこの対象児童の年齢なども小学校の一年生から始まりまして、高学年まであると。それからまた、授業の終わる時間帯と申しますか、帰宅時間、これもまあ相当の格差があるわけでございます。 また、そういうことでございますので、その子供の処遇という見地も非常に多様的に対応する必要があるということでございまして、たとえば低学年のお子さんでございますと、個別指導が中心になるわけでございますが、やや大きいお子さんでございますと、集団指導と申しますか、たとえばピンポンでありますとか、野球でありますとか、そういうお子さんの自主性なり、主体性と申しますか、そういう遊びが中心になると。 それから三つは、お母さんの就業時間と申しますか、これが非常に区々でございまして、日中お母さんが不在であるという母子家庭の方々から始まりまして、あるいは共かせぎのサラリーマン、あるいは自営業、最近はパートのお母さんなんかも相当ふえてきているというような実態があるわけでございます。したがいまして、私ども画一的な方策ではなくて、地域の実情に応ずると申しますか、つまり地域の社会資源を活用していただきまして、弾力的に対応する方策が最も現実的であると、実情に即するんではなかろうか、基本的にはそのように考えておるわけでございます。 このような観点から、厚生省といたしましては、理想としましては、このお子さんの生活圏と申しますか、遊戯圏と申しますか、それに見合った児童館あるいは児童センター、それをまあ漸次整備をしていくということが基本でございますが、さらには児童遊園の問題、あるいはその地域のお子さん方の児童育成クラブ、あるいは子供会、あるいは母親クラブ、そういう地域組織の育成と申しますか、あるいは先ほど来文部省の方からもお話がありました、社会教育の分野における学校体育施設開放事業、あるいはまた労働省の分野におきます働く婦人の家の活用というようなことで、各省協力をいただきまして、各分野の施策の適切な組み合わせと申しますか、地域の実情に応じまして、幅広くその推進を図ると、そういうことが私どもそういう意味で行政努力をいたしておるところでございます。
○小巻敏雄君 社会の要請が非常に強いということがあって、まあ文部省の方では離れたようになっておりますけれども、それなりに各地域のこの児童保育の状況は発展の方向へ向かっておると私も見るわけですよ。あちこちに行くと、もうそれは非常に具体的なさまざまな陳情も受けるわけであります。 まあ、こういう状況の中で、これを反映しながら私もこの厚生省関係の処置と、そしてこの文書も読んでみるわけでありますが、「社会的に援護を要する児童のための福祉施策」という厚生白書の中の一文に、今日の状況ではもちろん母親の就労保障のために集団保育しなければならぬということで入所児童の福祉を積極的に図っていくのとは別に、いまは体と心の両面にわたる子供の全面的発達の保障を求める需要が、ぐっと前面に出てきておるということが報告をされております。 これは中央児童福祉審議会の答申の中に出てくる問題です。子供の心身の発達にとって不可欠なものが何らかの原因によって与えられない場合には、やっぱり集団でこの学童保育をやることが必要だと。これはまあ母親の労働保障のためにただ預かるというようなものではない社会的機能を持ってきているんだということを言っておるわけですね。 こういうふうに考えますと、私としてはどうしても文部省と厚生省は、これは保育所の問題のときにも出てきましたが、やっぱり協議機関の中でこれらの問題には全体として取り組まれ、とりあえず児童の全面的な姿、放課後の生活についての調査を行われる必要があるんじゃなかろうかと思うわけですね。大臣その辺いかがでしょうね。資料も何もありませんよ。
○国務大臣(谷垣專一君) 私まだ不勉強で、そういう問題についてどの程度の従来調査があるかつまびらかにいたしておりません。ただ、御指摘になりました点は、非常に重要な点だと考えております。したがいまして、私の方の省内において、あるいはまた厚生省等でそういう資料がございますれば、それを拝見もいたしたいと思いますが、ひとつ検討をさしていただきたいと、かように考えます。
○小巻敏雄君 保育所の場合には連絡機関をつくってやっているということになっているんですが、報告を聞くと、何回やりましたという報告以外何にも出てこないですな。実のあるものを、たとえばあの機関で学童保育の問題も、加えて特に教育の果たさなければならぬ側面の問題なんかは、その場でもやられていって何ら支障はないんじゃなかろうかというふうにも思うわけです。 私、先般から大阪の実情に加えて、大津でかなり熱心にやっている状況なんか見るんですけれども、今日の学童保育、厚生省でも聞いておいていただきたいと思うんですが、熱心にやったら矛盾が顕在化してくるんですね。たとえば、大津市では、建物は市が保証するというので、一定の規格にかなえば市が建物を建てていく、そこに熱意に燃えた短大を出た女性とか、指導員が入ってくるわけですよ。しかし、非常にこれに対する補助は少額ですからね。さらに、それに対して父母から金を集めるというのが大変なんですわ、普通の幼稚園その他に比べて。それと同時に、一定の発展状況がなければ、一般に余暇の時間を塾に行くという習慣が非常にありますから、塾と競合関係なんかにもなりまして、この経営というのは非常に身を切るような奉仕の中でやっていますよ。それで会えば、一年、二年は熱意でやつたけれども、このままいたんじゃ結婚もできぬじゃないかというような女性の訴えなんかもかなり聞いておるんです。これはまさに教育職としての公務をやっているというような自覚でやっておりますが、厚生省の方としては、こういう待遇の問題ですね、その他の問題についてどういう問題意識を持っておられるんですかね。
○説明員(会田武平君) 育成クラブの問題につきましては、先ほど来申しましたように、都市に児童館なり、児童センター、そういうものの整備が十分でない、そういう現状からいたしまして、児童館が整備されるまでという一つのつなぎの措置として、先生御指摘の先ほどの大津市でございますか、そこで五十一年度から都市健全育成事業といたしまして、留守家庭のための児童育成クラブということを実施いたしてきたわけでございます。それで、その事業の内容は、大体三十人程度を前提にいたしまして、地域のボランティアなり、民生委員の方、児童委員の方、そういう方に協力を願いまして、交代で指導をお願いすると。場所は、先生御指摘の地域センター、にあるいは集会所等を利用するというようなことでございまして、したがいまして、このお金の関係が、現在一年間で基本額が四十五万六千円に来年度見込んでおるわけでございますが、この経費はあくまでもこういうボランティアの方々の指導員の研修でありますとか、あるいは実地の指導という謝金でございますとか、あるいは備品の購入費、あるいは消耗品というような一つの間接的な経費ということになっておりまして、人件費につきましては、地方自治と申しますか、地方自治体のサイドでこの事業があるわけでございますので、地方自治体で御負担を願うというふうに考えておるわけでございます。
○小巻敏雄君 実際にはパートの人がやってくるというのがたてまえで、ペイが処置されておりますから、まあいいところで月額七万円ぐらいですね、それだからまた交代せざるを得ない状況になっておって、そのことが経営としての発展の是をひっ張る状況にもなっておりますし、一定の成長した段階では、当然この問題はもう少し奨励と援助の手が差し伸べられるべきではなかろうか。 児童館というのは、各中学校区に一つずつぐらいできるまでには、どうですか、どのぐらいかかるんですか。五十年もかかるんじゃないでしょうか。その間の状況ですね、子供の実態、これに対して適切な調査もぼくらは見ることができない、こういう状況に対して、ぜひとも文部省サイドそして厚生省サイドの力を合わせて努力を傾けていただきたいと思うんです。先ほどの衆議院の予算委員会でわが党の小林委員が質問をしたところでは、野呂厚生大臣及び局長からは、この点は文部省ともよく相談をしまして協力をしてやりますというふうに言っていますよ。相談はありましたかな。
○政府委員(諸澤正道君) これからあるのかもしれませんけれども、いまのところございません。
○小巻敏雄君 どんなりっぱな答弁しても、やってもらわぬと何もならぬわけですから、文部省の方からもひとつこれらの問題についてはよく連絡をとって、将来に向かって努力をしていただきたいと思います。いかがですか。
○国務大臣(谷垣專一君) 非常に大切な、言ってみますと、私の方から言えば、教育の揚がら離れて、しかも実際は教育が必要なところが空間になっておりますし、厚生省の方といたしましても、恐らく保育のそういう新しい需要ができておることは十分承知をしておられることだと思いますので、私の方からも連絡をいたして、必要があれば調査もしなければならない、対策も考えなければならない、こういうふうに考えます。
○小巻敏雄君 最後にひとつ、同和教育の問題についてお伺いしたいんです。 関西は同和教育の問題が非常にウエートの高いところなんですね。私の住んでおる大阪はもちろんのこと、兵庫県では、いまから六年前になりますか、八鹿高校事件というような大変な問題もありました。奈良県でも問題は頻発をしておるわけであります。同和教育の問題について、同対審の答申にも示されたように、この同和問題を通じながら民主主義を前進をさせていく、同和問題を一定期間に解決をし、やっていくということは、わが党も重要なことだと思っておるんですね。特に先頭に立ってやってきたつもりなんです。ところが、問題が頻発するわけであります。部落解放運動というものの運動を進めるために、場合によれば教育が手段に使われたり、生徒が道具に使われたり、あるいは教職員諸君が、この中に入れば教育とは別の論理で教育を組み立てていくというような問題が、いわば頻発をした時期がありました。こういう状況がいままた大阪で起こっておるわけであります。 大阪府立松原高等学校、ここで二年生の一人の少年が、生徒が学校の黒板に、友人との対話の中で部落問題について聞かれて、そしてその部落の名前を黒板に書いたという、そういう事件があるんですね。それの発端は、そこにやってきた新任の先生が部落民宣言というのをやって、部落解放のために献身するというので、ずっとその問題をやってくるので、どこの出身の人や、あそこやということになって、部落の名前を書いたわけですね。この子が差別者だというので糾弾を受けたのですけれども、この子は差別と思わぬということで屈服せぬわけですね。そうしたら、学校に登校させずに、そして出席日数不定というようなことで落第をさせる、屈服をしなければ、報復として学校の懲戒規程にも何にもない事実上の処分が行われておるわけですね。しかも、この糾弾というのがほかの例と違っておるところは、教員諸君が寄ってたかって、一人の生徒を屈服するところまで糾弾するという、こういう状況があるんです。私は幾つかの問題をはらんでおると思うので、大阪府教育委員会にもひとつこの点の調査を頼んでおいたわけですが、局長、いかがですか。この経過について述べてくれますか。
○政府委員(諸澤正道君) この同和の問題というのは、率直に申しまして、当事者の考え方、心理状態等非常に微妙な点もありますので、私、話を聞きましても的確に理解できない点があるんですけれども、いま御指摘の、子供が黒板に何々先生はどこどこの出身だというようなことで、それを書いただけなのか、それで書いたことについて友達などとどういう話をしたのか、その辺も的確でございませんけれども、学校側の判断としては、要するに、その地区は生徒はもちろん、先生も同和地区から来ておられる人もおるというような地区でありますから、それらの人間同士のつき合いといいますか、そういうものを、いわば人権の尊重という見地から、べっ視したりすることのないようにということを非常に注意をしながらやってきたわけでありましょうが、この問題は、そういう点で大変残念だということで、その子供について、いわば特別の指導等をしてきたと。しかし、家庭において子供が、いま先生御指摘のように、必ずしも毎日出てきて特別の指導を受けたわけではないと、学校をかなり欠席しておったというようなことで、結果的には進級できるかどうかというところまで来てしまったというのがこの事件でございまして、教育委員会を通じての聴取によりますと、そういう意味での学校の同和教育の徹底、趣旨を理解してもらうという考え方は肯定されるにしても、今回の指導に当たっての教員の態度が、言葉遣いがかなり粗野であったとか、多数の教員が集団的に一人の子供を長時間にわたって相手にしたというようなことが、高校生を対象とする教育活動としてどうであろうかというような反省もあるようでございますので、そういう点を含めて考えました場合に、一つには、そういう地区の問題ですから、今後とも同和教育を一層徹底してもらうということが必要でありますと同時に、やはり高等学校でありますから、そういう問題のある子供については、授業にはできるだけ出して学校の勉強をさせるというような、そういう面での指導を一層徹底してもらうということが必要であろうかと思うわけでございます。
○小巻敏雄君 どうも聞いていてよくわからぬのですが、その子は何をしたというふうに報告を受けておられるのですか。
○政府委員(諸澤正道君) これは昭和五十四年の十一月二日の昼休みに、大阪府立松原高校二年生のAという子供が、〇〇先生は部落出身で〇〇から来ていると言って、黒板にその同和地区名を書いたということのようでございます。そして、そこへたまたまその先生が教場へ入ってこられたということから事件が起こったように聞いております。
○小巻敏雄君 具体的に起こった事実は、糾弾をした側の出した教師の記述した文章なんかも読んでみるんですが、要するに休憩時間中に——その五日ほど前に部落民宣言というのをやった先生に、それではあなたはどこの部落の出身やと言って尋ねた女生徒が、そんな差別的な言辞をやるのなら確認会に出ろというので、糾弾を受けて屈服をして帰ったのをかわいそうだと言うて、しかしどこやろうと。自分が部落民宣言をやれば、どこの出身だというのを聞くのはいわば教師から引き出された言葉であります。そうすると、わなにかかった魚のように、部落民宣言をやって、それではどこ出身ですかと言うと、それ差別だというのでやられて、気力のある子供で屈服をしなかったから数十日間学校に出席する権利を奪われておるというような状態が起こったのが事実であります。その点はひとつよく府教委にも聞き合わせて事実を明らかにしてもらいたいと思うんです。私も注目をしていただきたい事象だと思うわけであります。すでに八鹿高校の事件その他は文部省の、私は十分とは思いませんでしたけれども、指導の中で一定の鎮静を見たというような状況があるわけです。 ここに母親から私のところに来た手紙がありますけれども、特別指導と称する指導はどのように行ったのか、こういうことを、この問題は教職員諸君が、こういう黒板に文字を書いて、消した段階でまだ見え残っておったのを、その教師自身がこれは差別だというのでその当日から指導をするわけですけれども、昨年の十一月二日でした。ある同和地区の名前を黒板に書きつけました。差別ということで、午後一時から大ぜいの先生に取り囲まれ、大声で糾弾されました。私に連絡があったのは午後七時です。びっくりして学校へ飛んで行きました。私は、二十人ぐらいの先生に囲まれて、インタビューを受けるようなかっこうで、何も言えず、済みませんでしたと言うのが精いっぱいでした。その間の六時間というものは、徹底的に、机がはね上がるほどどんどんたたいて、頭ごなしにどなりつけるというので、ぼく気を失いそうやったという、こういう姿が指導になっているわけです。しかもその中で、宇を書いたぐらいでそのくらいやられるのかと子供は言うとるんですね。その都度、おまえは差別は相手を死に追いやるものだから殺人犯だとか、いろいろこうやられているわけですね。とれが反省書を出して、相手の思うような確認書を書くまで数十日続くわけですよ。私は学校長に会いましたけれども、学校というところは、懲戒するのは懲戒規定によらなければならぬ。少なくとも板書をしたから退学にするとか落第させるということはできないわけなんですよ、それは公立学校である以上ね。それだから処分はしないわけですね。それで学校に来て授業を受けるのは遠慮して、反省書を出すまでは授業は遠慮せいと言って、授業を受けさせないわけですよ。そのままで行けば当然落第もしますしね。こういう状況が非常に長く続いておるわけです。 ここでひとつはっきりしていただきたいことがあるんですよ。差別問題は当事者間の問題だから、これは他からうかがい知ることはできないから、当事者に任しておくというようなことを言われるのであれば、差別問題に対しては教育の論理と教育の条理は適用しないわけなんですか。どう考えてみても、私は、黒板に地名を書くことが差別だと、とことんまで屈服するところまで糾弾するものだとは思えないわけですよ。これは、差別と感じる者がそう認定したら差別になるというようなことが持ち込まれるのなら、学校の中の指導というのは、差別だと一言言った途端にその人に主導権が移ってしまって、もう教育の論理は消えてしまうことになると思うんです。具体的な事実をとらえて差別と言うなら、それが差別であるかないかはみんなの前で明らかにできるものである必要があると思うんですが、いかがですか。黒板に字を書いただけでは差別にならない、しかしながら、そう思って書いておるから差別だ、こういうことになったらもう主観主義でどうにもならぬじゃないですか。どうですか、局長、どう思いますか。板書は差別になるんですかね。
○政府委員(諸澤正道君) 大変むずかしい御質問ですけれども、私が課長から受けた報告では、子供は、〇〇先生は部落出身で〇〇から来ていると言って黒板にその同和地区名を書いたということですから、地区名を書いただけでなしに、だれか友達か何かと話をしながらやったということではないかと思うんですけれども、先生の御指摘だと意識の問題かということになるんでしょうけれども、しかし私は、やっぱり黒板へ書いてそれが話題になった。そのときの、そこにおった子供たちの雰囲気とか、あるいはその部落自体を従来関係者がどういうふうに見ておったかとか、いろんなその要素がありますから、その部分だけ取り出して書いたらそんなんは差別かと、こう言われましても、ちょっと私は判断できかねる点があるように思うわけでございます。
○小巻敏雄君 普通の常識で言えば、だれだってそんなものは差別だとか差別でないとか、第一差別用語ではありませんよ、地名というのは。それ言うて差別になるなら地名を変えるよりほかないじゃないですか。第一その人は部落民宣言をやっておるんですよ。自分の方からおれは部落民だと、だからいまから部落差別をなくするために君たちを鍛えてやると、こう言ってやっておいて、そしてどこ出身だと言われたら糾弾され、あの女の子はあんなかわいそうにやられたけれども、どこやと聞かれたから、あれはどこそこやでと言って字を書いたら、その当事者が出てきて教員の地位にあって生徒を糾弾をする、私はここまで来たらもうこういうのは教育の名に値しないと思うんですけれどもね。字を書いたら差別だというのは私はどこでも通用しないことだと思うんです。あなたはそう思いませんか、局長。まあ普通には賤称というのはありますね、それを人が知らないものをそれから暴露して、そして侮べつとか差別を組織する、子供同士でやると、こういうようなのが多い場合、しかも教員が生徒に自分から部落民宣言しておいて、あの人の場所はあそこだと言われたら差別だと言って仲間と一緒に徹底的に屈服するまで痛める、こういうようなことは、私はもう学校のあり方としてとうてい許すことができないと思うんです。しかも、それがいままではみんな屈服しているから——数日前の女の子も。府教委の出した文書でも悪質な事件が数件起こりと、こうなっておりますけれども、みんなそういうのですね。何するたんびにそうやって特別教育を受けて、みんな親は始末書を書き、息子はまいりましたということになって、その中にある部落研という生徒のクラブの中の特定のクラブ、これに対して忠誠を誓うようになつていくわけであります。私は、こういう点はもう少しひとつお調べいただいて、具体的な姿を知っていただきたい。教員が生徒に対して多人数で長時間、一回当たりが長時間で長期にわたって連日指導するというような管理、それについて指導を受け入れたと言わない限りは授業を受けさせないという状況が二学期間いっぱいほとんど続いたわけであります、十一月に始まりまして。府教委が見るに見かねてということと、お母さんが府教委に泣きを入れたので、そこで、たとえ問題のある子でも、学校の特殊性は認めるが、授業を受けさせないというようなことはよくよくのことですよと、こういうことを指導したら、そうしたら授業は受けさせたけれども、休憩時間を全部糾弾に当てて、テストの日でも糾弾するんですよ。十何歳の生徒がテストの日に糾弾されて次の時間の成績が下がるなんかあたりまえなんですよ。だから、こういうのは学校の制度によって処分することができないので、自滅をねらって成績が下がるように教育したと読んでいくよりほかしょうがないです、こういうものはね。学習権を奪って自宅待機というのでやらせたと、処分の口実がないので落第させるように指導したと、こうでも読まなければ仕方がない。しかも、反省文というのを書いてこいと言うから、生徒はとうとう反省文というのを書いて出すけれども、その中には友だちに迷惑をかけて悪かったとかいうような常識的な部分を書いて、騒がして悪かったというので、あれが差別だったということは言わないわけですね。そうなりますと、その反省文が生徒会の中にある部落研の子供の出すビラにすぐに掲載されるわけですね。こういう学校であるということです。学校長に対して出した反省文が、生徒会のビラに掲載されて全校生徒にまかれると、こういうことは指導上どうですか。
○政府委員(諸澤正道君) 一般的に言えば、その子供のある行為について反省しなさいと、それについては反省の文書を出しなさいというのは、やっぱり指導者と子供の間の関係ですから、それをむやみに外に出すというのは私は適当じゃないと思います。
○小巻敏雄君 そうだろうと思うんですね。どえらい差別を行っているわけです。ほかの子供に対してこういうことをやるのかどうかわからないけれども、このケース。ぼくは、機密保護法なんぞありませんけれども、職務上知り得た秘密ですよ。縁談の問い合わせが来たって、あの人はビリから三番でしたというようなことは言わないでしょう、女生徒の。こういう校長と生徒の信頼関係で詰め寄られて、ようやく反省文を出せば、こんな反省文では授業させるに当たらないというようなことで、部落研の生徒諸君に出すビラに記述をされているわけです。 私は、後ほどこっちの方からも指摘して資料を差し上げますけれども、これ学校の教職員集団の中で、この糾弾は正当であるという文書をみずから教師集団が書いて出しておるわけです。解放教育を本校では行っておる。それは最も権利を奪われ、しんどい生活を抱えて、学校生活を送る生徒たちを集団の中心に据えて、一般の生徒たちは、すべての生徒たちは現実の高校格差の中で格差意識を植えつけられて落ちこぼれてきた者であって、これは卑屈だから、差別意識を容易に持ち得る生徒である。だから、これは被教育の対象で、教育をする側には部落出身者の生徒を中心に据えるというふうに学校で決めて、この問題については抗弁を許さずに、カンボジアで誤った方針をとったときは、第一民とか、第二民とか、第三民とかっくったそうですけれども、一番中心になって教師と力を合わせて闘う生徒と、それから何食わぬ顔をしておっても差別者であるから、この同和教育の中で鍛え直される生徒というふうに、初めからグループ分けをして教育をしておる、こういう問題もあるんです。 校長もさすがに途中の段階では府教委の指導を受けて、授業には来さすようにと、反省書も文書を突きつけて子供に判を押させるようなことをしてはいかぬと、自分の思ったとおり書いて出させて、それを見て教育的に今後指導していったらよいと、こう言うんですけれども、糾弾しているのが担任なんですから救いも何もないですよ、こういう状況ではね。こうして出席日数不足につき落第をさせる、こういう状況が出ておりますので、さすがに教育委員会としても、見直しをしろという指導を実際にやっているはずであります。それらのところもひとつよく事情聴取をされて、四月一日に勝負がつくわけですね。実際には教師みずから授業を与えなかったんですから、補講をする.なり何なりすれば、成績の不良の教科を単位認定する道だってありますし、どこでもやっていることなんです。府教委はこれを指導をしておりますけれども、非常に微妙な状況にあると思うんです。ひとつぜひ府教委に対して、さらに事情聴取をされた上で私の方に御報告をいただきたいと思うわけです。いかがですか。
○政府委員(諸澤正道君) さらに調査をいたしまして、御報告をいたします。
○委員長(大島友治君) 以上で本件に対する質疑は終了いたしました。 —————————————
○委員長(大島友治君) 次に、国立学校設置法の一部を改正する等の法律案を議題といたします。 まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。谷垣文部大臣。
○国務大臣(谷垣專一君) このたび政府から提出しました国立学校設置法の一部を改正する等の法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。 この法律案は、昭和五十五年度における国立大学の学部及び大学院の設置、短期大学部の新設及び廃止、国立養護教諭養成所設置法の廃止等について規定しているものであります。 まず第一は、学部の設置についてであります。 これは、新潟大学に法文学部を改組して人文学部、法学部及び経済学部を、金沢大学及び岡山大学に各法文学部を改組して文学部、法学部及び経済学部をそれぞれ設置し、これら地方における国立大学の教育研究体制の整備を図るものであります。 第二は、大学院の設置についてであります。 これまで大学院を置いていなかった浜松医科大学及び宮崎医科大学に、医学の博士課程の大学院を新たに設置し、両大学における教育研究の水準を高めるとともに、研究能力のある人材の養成に資することとするものであります。 第三は、短期大学部の新設等についてであります。 これは、北海道大学に医療技術短期大学部を新たに併設し、近年における医学の進歩と医療技術の高度化、専門化に即応して看護婦の養成及び資質の向上に資することとするとともに、福島大学経済短期大学部については、昭和五十三年度において既設の経済学部の中へ発展的に転換を行い、以来、学生の募集を停止してきておりますので、このたびこれを廃止することとするものであります。 なお、北海道大学医療技術短期大学部は、本年十月に設置し、昭和五十六年四月から学生を入学させることとしております。 第四は、国立養護教諭養成所設置法を廃止することであります。 国立養護教諭養成所は、義務教育諸学校の養護教諭の増員計画に対処するため修業年限三年の養成施設として、昭和四十年度から昭和四十四年度までの間に、九大学に付置してきたものでありますが、その後、養護教諭の職務の重要性にかんがみ、逐次大学の四年制の課程へ発展的に転換を進めてきたところであります。 このような転換措置によりすでに七養成所を廃止してまいりましたが、残る弘前大学及び岡山大学の両養成所についても、昭和五十三年度において付置大学に養護教諭養成課程を設置すると同時に、学生募集を停止しできておりますので、このたびこれを廃止するものでありますが、これにより九養成所すべてが廃止となりますので、国立養護教諭養成所設置法を廃止することとしたものであります。 以上のほか、昭和四十八年度以後に設置された医科大学等に係る職員の定員を改めるとともに、この法律施行に伴う所要の経過措置を講ずることといたしております。 以上がこの法律案を提出いたしました理由及びその内容の概要であります。何とぞ十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますよう、お願いいたします。
○委員長(大島友治君) 以上で説明は終わりました。 本案に対する質疑は後日に譲ることにいたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後六時三十三分散会 —————・—————