文教委員会 第3号
- 発言数
- 122 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1980/03/18
会議録
○委員長(大島友治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 本日、土屋義彦君が委員を辞任され、その補欠として堀江正夫君が選任されました。 —————————————
○委員長(大島友治君) 理事の補欠選任についてお諮りいたします。 委員の異動に伴い、本委員会の理事が一名欠員となっておりますので、ただいまから理事の補欠選任を行いたいと存じます。 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(大島友治君) 御異議ないと認めます。 それでは、理事に小巻敏雄君を指名いたします。 —————————————
○委員長(大島友治君) 教育、文化及び学術に関する調査中、文教行政の基本施策に関する件及び昭和五十五年度文部省関係予算に関する件を議題といたします。 本件について質疑のある方は順次御発言を願います。
○勝又武一君 大臣の所信表明がございまして、大分時間がたちまして恐縮でありますが、きょうはこの問題を中心に少しお伺いをいたしたいと思います。 まず、教育は国政の基本である、こうおっしゃっているわけでありますが、予算全体に占めます教育費の比率、あるいは教育予算の伸び率を見ますと、年々低下をしてきている。この点については、私はやはり教育が財政に屈服してはならない、そう考えるがゆえに、ひとつ国政の基本であるとおっしゃっていらっしゃる大臣のお考えを承りたいと思います。
○国務大臣(谷垣專一君) お答えをいたします。 国の予算の中で、一体文教予算がどの程度の比率を保ってやっていっているか、これは御指摘のように、ほかの政策との、何と申しますか、対比をいたしますのに、一つの大きな指標になると考えておりますが、ただ五十五年度の予算を考えました場合に、御配慮を願いたいと思います点は、御存じのとおり今年度の五十五年度の予算を編成いたします財政の状況の中で、非常に国債関係、あるいは一般交付税等の特異な状況が出ておりますので、その点をひとつ御配慮をいただきたいと思うわけであります。 文教予算の全体を考えてみますと、五十五年度の文部省一般会計予算額四兆二千六百六十八億円でございまして、前年度予算額に対しまして五・七%の増加となっております。この率は政府全体の一般会計予算額の伸び率一〇・三%を下回っておりますけれども、先ほど申し上げましたような特殊な状況が五十五年度予算にはございますので、その点を考慮いたしますと、いわゆる国債費と地方交付税交付金を、一般会計の政府全体の予算額から差し引きました、いわゆる一般歳出の伸び率を考えておりますと、これは五・一%という程度の数字になるわけでございまして、これに比較いたしまして、実質的な文教予算の伸び率は下回ってはいない、これを上回っておるというふうに考えておるわけであります。また、政府全体の一般会計予算総額に占めます文部省所管の一般会計予算額の比率は、前年度一〇・五%でございました。五十五年度は一〇%となっておりますが、これも先ほど申しましたような国債費、地方交付税交付金の伸びが、一般の国費全体の中で大きいことからくるわけでありまして、これを一般歳出、先ほどのようにこれらのものを差し引きました一般歳出の状況から判断をいたしますと、ほぼ前年度並みとなっておると思います。前年度一三・八%が五十五年度は一三・九%、こういうようなパーセンテージになるわけでございます。そういうふうなことでございまして、予算関係の中に占めます状況から見ますと、私は五十五年度の予算の中に占めます文教関係は、それなりの地位を保って伸びておる、こういうふうに考えておるわけでございます。 それから、ことに先生方からも非常に督励をいただきました四十人学級編制問題及び教職員の配置定数の改善計画などが、この厳しい財政状況の中で発足することができる予算編成ができましたことは、やはりこれも私は文教予算の持つ意味を強調しておると思うわけでございます。今後におきます文教予算を全体の予算の中でどういうふうに占めていくように努力するかということを、いまからの見通しで申し上げることは、財政の状況が非常に見通しにくい状況でございますので、困難であろうかと思いますけれども、文部省、また私といたしましては、文教予算の充実には十分な努力を重ねてまいりたい、こういうふうに考えておるところでございます。
○勝又武一君 私がお伺いいたしましたのは、予算に占める比率の問題と、もう一つは、教育は国政の基本だと、そして教育が財政に屈服してはならない、そういう観点でもう一つ伺ったつもりですが、過日、十四日の予算委員会の総括質問でも、大蔵大臣、それから総理にも質問いたしましたが、私は微妙な食い違いを感じました。大蔵大臣は、たとえば教育と財政という問題を両方を合わした芸術作品だというような表現の仕方をしましたけれども、大平総理は、やはり教育にもう少し重点を置いた、ウエートを置いた考え方、財政というものとの調和ということを言いながらも、やはり教育というものが基本的に大切だということを、私の質問に対して答えられたというふうに私は感じております。 そこで、次にお伺いしたいのは、そういう意味で教育が財政に屈服してはいけないというように私は思うんです。そこで、毎年毎年伸び率が低下をしたり、教育費に占める比率が低下をしているわけですから、決して谷垣文部大臣だけの責任を追及しようなんで気持ちはありません。そこで、教育の基本政策として文部大臣がどうお考えになるのか。たとえば、これが谷垣文政だと言われるような特徴的なもの、あるいはこれはひとつ大きな自分の在任中のテーマとしてやりたいんだと、こういう個性的な、魅力ある政策というのは、私が考えているのはこのことなんだと、教育の基本というのは国政の基本なんだから、こういうことをやりたいんだというような点が一、二具体的にあったらお聞かせいただきたいと思うんです。
○国務大臣(谷垣專一君) 私は、教育の基本的な考え方、これはすでに申し上げたかと思いますけれども、やはりどういうふうな状況にありましても、教育の基礎は人間そのものである、その人間を育てることが教育であるというふうに考えております。そして、ことに私たちが義務教育としてとらえておりますような、そういう年齢層に対しましては、しっかりした、たくましい、また創造力のある、また同時に世界に向けて開かれておるような、そういう人を育てていくということを眼目にしていきたいと、こういうふうに考えておるわけであります。また、端的に申しまして、私は日本の文教というもの、これは戦前の日本が近代国家として出発しまして以来、明治以来の長い歴史が一つありますし、また戦前と戦後を分けるという非常に大くな、再出発と申してもいいような出発を経騒しながら、今日の教育行政が積み重ねられておると、こういうふうに私は考えておるわけであります。それもともどもに国政の基本というものが、やはり教育であるというふうに私は考えておるわけでございまして、大きなこういう教育の流れの中に、いろんな諸先輩が努力をし、また国民の各層が非常に強く要望いたしました教育の大きな流れが私はあると思います。十分それをわきまえつつ、その流れを推し進めていくことが大切である。文部大臣がかわったからといって、文部行政が非常に変化をするという、そういう性格というよりも、大きな流れの中で、そのときどきの文教行政というものを常に向上さしていく、常にそれを充実さしていく、こういう観点からやっていくべきものだと私は思っております。したがいまして、五十五年度の予算編成の中で、その一部も私は出ておると思っておるわけでありますが、四十人学級の出発をいたしまする問題も、これは長い文教行政の、文教の流れの中に、一つのものの結集としてやっていかなきゃならない。しかも、その当面いたしました国の財政の状況は決して容易な状況ではない中で、今後におけるそういう教育の財政的な支出を多く考えなきゃならないものを進めていくということを、いま実施をしようとして先生方の御理解をお願いをいたしておるところでございますが、また、今後とも私は教育の改善、あるいは充実という問題は、常に考えていき、またそれを実施していかなきゃならぬと思っておりますが、それはやはり従来の大きな流れの中にさらに躍進していくものを、そのときどきの状況の中で実現をしていくことだ、こういうふうに私は考えております。 すでに今度の国会におきましても、その意味におきまして、従来から御議論を願いながら、実現を見ておりませんけれども、放送学園のお願いをいたしましたり、あるいはその他大学のいろんな科目の増設等、いろんな問題をお願いをいたしておりますることも、私はそういう意味にとらまえておるわけでございますので、御了解を願いたいと、かように考えるわけでございます。
○勝又武一君 私の質問の仕方が稚拙であったかもしれませんので、こんなようにお聞きしたいと思うんですよ、大変申しわけありませんが。 私のお聞きしたかった意味はこういうことなんです。いま大学の不正入学問題がずいぶん世上うるさいわけですね。ところが大学の卒業生の状況を見ますと、たとえばある私立大学の電子工学科を出たのが、既製服のセールスマンをやっておるというような状況は、いまやまさにざらですね、大臣どうお考えかしりませんけれども、私が知っているのでは、具体例でそういうのが幾つかあるわけです。そうしますと、たとえばそういう大学卒業生の就職状況等を見ますと、果たしてそれでいまのこういう大学制度と、それから大学を出た若者たちが希望を持って、夢を持って、これからの人生をどう生きていくかということと、どうなるんだろうかという危惧を持つわけですね。そういう意味で、私が聞きたかった意味は、まさに大学不正入学があり、金が横行し、片っ方は受験準備教育がもう横行しておると、この八〇年代の教育のビジョンというようなことを考えた場合に、教育というものは一年でやれるわけじゃありませんから、やや所信表明と離れていただきまして、やっぱり八〇年代を展望しても、自分がことしこういう点については少し手をつけて、こんな改革をやっぱり手をつけさせたい、徹底して何か大学教育改革なり、受験準備教育なり、一歩でも二歩でも前進するように、この辺から手をつけていきたいんだというような、一例を挙げるとそういう意味なんですが、たとえばそんなようなことで、何かお感じになっていることはないんでしょうか、そういう意味でお聞きしたんです。簡単で結構ですから。
○国務大臣(谷垣專一君) 大変広範にわたる問題でもございますし、なかなかむずかしい問題でありますが、私も文部大臣に就任いたしましてから、まだ何カ月もたっていないわけでございますけれども、いろんな問題を私自身として考えておる点もございます。しかし、それはやはりこれからのいろんな施策の上で、どういうふうに実現していくかということを、少し練らしていただかなけりゃならぬかと思っております。御指摘になりましたような当面の入学試験の非常な激烈な状況、これは一朝一夕になかなか直らないかもしれませんけれども、これに対してのしかし何らかの打開策を考えていかなきゃならぬ問題だと思いますし、これは相当広範な、また大きな問題でございます。学歴社会の偏重をされたような社会的な風潮というものを変えにゃなりません。また文部省としては、たとえば就職をいたしまするような場合に、採用いたします側にいわゆる指定校制度というようなものに固執しないでやっていくというようなことも、小さい問題ではございますが、決して影響するところは小さくない、こういう努力ももちろんしなきゃならぬことと思いますし、それから入試制度の問題、不幸にして早稲田の問題がいまこうしていろいろ喧伝をされておりますが、その基礎的に一体どういうような改革が考えられるかという問題も、当面の管理体制がどうだということ以外に、もう少し突っ込んで考えていく必要があると思います。 よく言われますように、国・公立の大学の、いわゆる共通試験の問題、あれがすべての万能薬ではないと思いますけれども、しかしああいうものを通じつつ、またその中で改善をしていく、論議を重ねていくということも、これも私は確実な一歩の一つでないだろうか、こういうふうに考えるわけでございます。そのほかいろんな問題が出てこようかと思いますが、それは先生方の御意見等も伺いながら、具体的なものとして詰めてまいりたいと、かように考えております。
○勝又武一君 文部省に通信制大学出身の課長さんが誕生といいますか、任命されたそうで、私はこの点については本当にいいことだと心からの敬意を表します。そういう意味で一つお聞きしたいのですが、何か新聞によりますと、文部省始まって以来百十年の歴史で初めてだと。これは通信制大学というのは戦後でしょうからあたりまえでしょうが、それにしても戦後三十五年初めてだというように報道されておりますが、そうでしょうか。
○国務大臣(谷垣專一君) 百十年の歴史というと大変に長いのですが、やはりいままでにない例だというふうに考えております。
○勝又武一君 まさに学歴社会打破の私は一つの非常にいいことだと思いますね。しかし、これがほめられるなんということ自体が大体おかしいんで、本来なら能力とその人の人格、識見、そういうものでいくわけですから、あたりまえのことでありますけれども、やはり初めてということもございますし、なかなかできないことをおやりいただいたという意味で、大変感謝をいたしておりますが、その点について、今後やはりこういうような問題について、文部省としてはどんなようにお考えでしょうか。
○国務大臣(谷垣專一君) この問題は、私たちは、文部省の空気といたしましても、物の考え方といたしましても、そんなに事さら何と申しますか、肩をいからしてやるという、そういう空気でなく、ごく自然な空気の中で、それぞれの能力のある方、それが、人々が皆それを認めるような空気の中で、こういう結果にに私はなったと思っております。それは幸いに文部省の空気その他がそういうことになってきておるということであろうと思います。これからも言ってみますと、人そのものを見ていくような空気は漸次広げさしていかなきゃいかぬ、こういうふうに考えておるわけでございます。
○勝又武一君 それでは教職員定数の問題につきまして二、三伺いたいと思います。これも三月十四日の予算委員会の総括質問で、特に四十名学級問題については、文部大臣にも、大蔵大臣にもいろいろ細かくお伺いをいたしましたので、きょうは基本的なことは差し控えまして、二、三伺いたいのですが、所信表明にも「たくましくかつ創造力のある、心身ともに健全で、国際的に開かれた国民の育成」とあります。それから「一人一人の児童、生徒により行き届いた、きめ細かな教育指導を行い、ゆとりのあるしかも充実した学校生活」こうあります。まさに全面的に賛成なんです。そういう意味で、これは私が、去年は大蔵委員会でしたので、一昨年になりますか、一昨年のたしか秋ごろでしたかね、この文教委員会で、小・学校一年生の複式について強く主張をしお聞きしたことがあるんですが、私はいまでも小学校一年生については、幼稚園、保育園から来まして入ったばっかりの子供です。この子供がすぐに一年生、二年生一緒の複式というのは全く耐えられない、そういう意味で何とかということを強調したのですが、今回では一歩前進ですね。十二人までの一クラスを、これを十人ですか、十人ということですが、これで一体幾人の教職員の増を必要としますか。
○国務大臣(谷垣專一君) 少し具体的な話になりまして、私のよくわからぬところがございますので、局長から答えさしていただきたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) ただいま御指摘ありましたように、あれはおととしの夏の文教委員会でしたかね、それであのときの先生の御主張は、少なくとも小学校一年生だけは単級にすべきだと、それは自分が山の中の学校に行って、校長さんや何かに聞いてもみんなそう言われるのだと、こういうお話で、あのとき私は、いま調査をしたばっかりだから、計画ができるまで待っていただきたいと、こういうことでお答えを留保したわけですけれども、いまの御質問の結論を先に申しますと、十二人を十人にすることによって五百四十八名の増と、学級数にしますとちょっとこの一定の比率がありますので減りますけれども、これよりちょっと学級は減りますけれども、教員は五百四十八名の増と、こういうことになるわけです。それで考え方ですけれども、実はああいう御指摘がございまして、私もその後僻地教育の関係の先生に伺ったり、研究会など行ったときお話を聞いたりいたしまして、確かに先生のおっしゃるような御意見の方もおられます。おられますけれども、ただ、たとえば小学校の一年と二年で五人と五人というような場合に、学年による学級編制というのがいいのかどうか、やっぱり一つの学級というものを担任する場合に、その学級の子供の教室全体の雰囲気とか、あるいは学習活動の盛り上がりとか、子供相互の協調連帯感といいますかね、それは余り人数が小さくなっちゃっても、これはやっぱり問題だというような御指摘もあり、確かに複式でやる場合に、担任する先生はなかなか大変である、これはもう率直に認めますけれども、しかし、私どもはある程度の数になった場合は、やっぱり複式もやむを得ないのじゃないか。複式の中でできるだけ努力していただくということが、やっぱり現在としてはベターな方法ではなかろうかと、こういう結論に達したわけでございます。
○勝又武一君 この一年生なり、二年生なり、そこだけは全部単級にすると、そうした場合に、仮定ですがね、その場合には何人ぐらいの増を必要としますか。
○政府委員(諸澤正道君) いま一年生を含む複式学級というのは、調査によりますと二千二百三十三学級ということになっておるわけですね。ですからこれが簡単に言えば全部二学級になればこの倍の学級になると、倍の学級になった場合に、先生がそれじゃもう千百ふやせばいいかというと、そうじゃない、もうちょっとふやさなければなりませんから、教員の増としてはもうちょっとふえる、こういうことだと思います。
○勝又武一君 きょうはあとまだ大分法律案もあるわけですから、四十名学級は差し控えます。 少し細かい「ゆとりのある」という所信表明に沿いまして、きわめてこれも細かい話になりますが、中学校の場合ですね、中学校の場合の技術・家庭科、保健・体育、これが公立中学校が現在男女共学ですね、この場合にこの二教科、これは何といいましょうか、学級を合併して男女別の学習集団を編制してやるのが基本なのか、あくまでもこの男女別の、いわゆる通常のクラス別ですね、男子も女子も一緒にしたクラス別で、男女共学のままで技術・家庭科も保健・体育もやるのが基本なのか、どちらなんですか。
○政府委員(諸澤正道君) これはいまの指導要領でも、どっちにしなさいというようなことは示しておりません。ただ、現在の指導要領でも、たとえば保健体育といいますけれども、保健の部分ですね。これはまあ講義の中身が多いわけですけれども、こういうものは、恐らく一緒にやっていると思いますね。 それから技術・家庭にしましても、今度の指導要領の改定では、男子も女子的な内容を一部やる、女子も男子的な内容を一部やるということがございますから、場合によっては、そういうものを男女一緒にやるということも可能であり、これらは言ってみれば、当該学校の教育計画に即して、学校が生徒や地域の実態に即して計画を立てていく、こういうたてまえでやっていただいております。
○勝又武一君 大変細かい話ですから、大臣興味がないかもしれませんけれども、後で大臣にかかわるところをお聞きしますので、しばらく退屈でしょうが、実態をお聞きください。 そうしますと、いま局長のおっしゃっているのが、理論的には、指導方針はそうかもしれませんけれども、全国の小・中学校の現場の実態は一体どんなになっていますか。調査をなさったことはございますか。
○政府委員(諸澤正道君) 別に調査をしたことはございませんけれども、私が聞いておるところでは、大体男女別々にクラス編制をしてやるということが多いようでございます。
○勝又武一君 まさに多いんですね。 そこで、その次にお伺いしますけれども、今度は、ある地域で、私立の女子中学、高等学校の併設の学校がございますね、こういうのが多い地域、たとえば、私の静岡県の浜松市なんていうところはいい例なんです。多いんですよ。そうなりますと、大臣もうおわかりのように、中学の一年生は男子の方が多くなる。おわかりになりますね。女子と男子との比率は、女子は私立の中学校へ行ってしまうんですから、男子の方が多いわけです。そうすると、普通のクラス編制をしても、男子の方が女子より多い。二クラスの中学がある。確かにいま四十五名ですから、四十五名としましょう。四十五名のA、Bのクラスがある。ところが、男子は女子よりもずうっと多い。たとえば三十と十五で四十五ですか。そうはひどくないでしょうけれども、そのくらいのものもあるんです。二十五と二十とかね。そうすると、たとえば二十五と二十でも、これも男子と女子と別にすれば五十になるでしょう。つまり四十五を超して四十六名から五十六名までというクラスが、ここに調査がありますけれども、これは浜松市の調査ですけれども、ずいぶん多いんですよ。男子だけで四十六名、四十七名、四十八名、ずうっとあるんです。最高五十六名なんです。これは一体どういうことになるんでしょう。四十五名との関係でどうなるんでしょう。
○政府委員(諸澤正道君) 確かに先生のおっしゃるような事態があると思うんです。それで、御質問があるというので、きのう私初めて全国の中学校の子供の男女別の比率というのを調べてみますと、全部男子の方が若干多いんですね。だから、いまおっしゃるような特殊な学校でなくても、四十五人、四十五人という編制がみんな二十人、二十三人というようになっているとは限らない。もうちょっと男子が多いところもありますから、男子だけをとれば、五十名近い学級になるということもあるだろうと思いますし、それからいろいろな実態としては、いま言うように、地域内に私立の中学校があればもちろんですけれども、そうでなくても、大都会のいわゆる有名中学校だというと、越境してくるのは大体男の子ですから、男の方が多くなっちゃうとか、非常に現場の実態は、いろんなそういう条件に左右されて、適当な学級編制ができない。また、先生がおっしゃるように、体育とか技術・家庭のようなものを、男は男、女は女のグループに分けるとしても、一学年の学級編制が偶数の学級編制であれば比較的やりやすいわけですけれども、今度は奇数の学級で、五学級のときは一体どうなんだというようなこともありまして、これは現場の実態としては、おっしゃるように、時に五十名を超えるというようなことで授業をしなきゃならぬこともあるかと思うんですけれども、私は、それならば、いまの標準法はそういう事態に対してどう対応するかといえば、私は、これはやっぱりもう現場で工夫していただくしかないんじゃないかと、そこまでその基準みたいなものはとても決められぬだろうというふうに思うわけです。ただ、できますことは、いまの中学校の教員配置の場合に、そういう意味では、技術・家庭の教員配置率というのは、ほかの教科よりはちょっと高くしている実態があるんですけれども、そういうことで対比してもらって、あと現実にどういうふうにやるかということは、私の聞いているところでは、たとえば、どうしてもうまくいかぬという場合には、ある程度グループ分けを小さくして、その部分を非常勤講師にお願いするとか、そういうようなことでやっているようにも聞いておりますが、結論としては、いま申しましたように、それぞれの地域の実情に応じて工夫していただくというようにお願いしたいと思うわけです。
○勝又武一君 いま局長御指摘のように、三学級というような場合がそうなんですよね、A、Bと一緒にしてCと。そうすると、今度Cの方は、四十五名でも二十二と二十になる。片方は六十と幾つかと、こういう関係になりますね。ですから、確かに四十六名以上を、標準定数法では何と言うのでしょうか、規制はしていないのだと、現場の実態でやってもらうしかないのだと、こういう局長の御回答なんですけれども、しかし、現場はそうはいかない。工夫をしますと言ったって、ちょっとこれは工夫のしようがないでしょう。だから、ちょっと非常勤講師というような言葉が局長からありましたけれども、やっぱり私は原則的には定数増をしていくしかないのじゃないか、そういうふうに考えるわけです。というのは、これも四十人学級問題のときに議論をしましたけれども、すぐに横で起きるわけですよね。まさに私は別の意味の言葉で言えば、これはやはり教育の機会均等を失しているというふうに思いますよ、基本的には。だから、この点についてはどうなんでしょうかね、現場でやってもらうのじゃなくて、そういうつれない御返事でなくて、何かやっぱりこの点についてはもう少し、特に技術・家庭科とか、保健・体育というのは、これはあんまり高校入試に関係がないんだからというようなことではないとは思いますけれども、もっとやっぱりその辺を力を入れて御検討する、あるいは対処する、改善を考えてみる、こんなことはございませんか。
○政府委員(諸澤正道君) 私もそれほど詳しく聞いたわけじゃないので、これから申し上げること、あるいはむずかしいのかもしれませんけれども、ただ技術・家庭なんかを見ますと、あれはいま、男の子ですと木工とか、金工とか、あるいは栽培ですね、あるいは農耕というふうに、七つか八つ分野があるのですね。それから女の子でも被服とか、食物とか、あるいは家庭管理とか、保育とかいうふうに、幾つか領域がありまして、それを適当なローテーションを組んで勉強させるということですから、同じ男子の技術・家庭をとりましても、たとえば、私は農耕なんというのは、四十人か五十人いてもやれる場合もある。むしろ実習なんかやる場合にですね。それから木工のようなものは、その学校に工作台が限られた数しかないわけですから、それは限られた数でやるとか、女子のいまの問題にしても、家庭管理というようなものは、やっぱり講義の部分は相当ありますから、それはそれでやってもらうとか、そういうローテーションの組み方である程度工夫をしてもらうというようなことは、私は学校としてはやってもらわなければいかぬのではなかろうかというふうに思います。思いますけれども、いま先生の御指摘の点は、率直に言って私は一つの課題だと思いますかち、もう少し先生よりも私の方がよけい調べて、そうかと言われるように研究をさしていただきたいと思います。
○勝又武一君 これは大臣、私は現場で経験したことがあるのです、高等学校と中学で。これはやっぱり大変ですよ。中学二年生ぐらいをね、ぼくはたしかあのとき七十五人ぐらい合併授業でやったことがあります。それからもう一つ申し上げたいのは、ちょっといま局長もおっしゃったけれども、むしろ四十五人よりは二十人ぐらいでやらなくちゃいけないという要素も技術・家庭科の中にある。教育課程の中にありますよね。だからやっぱりそういう意味でいけば、むしろ尊重されていかなくちゃいかぬ。四十五名でやるよりは、もっと二十名ぐらいにむしろ減らすということが基本だということになれば、たとえば三学級のところの技術・家庭を男女別に分けるなら、四クラスにした方が、ちょうど二十五人ぐらいずつになる。そういう意味から言っても、教育効果の点から言っても、教育の機会均等を守るという観点から言っても、非常に重要なここは個所だというふうに私は思います。そういう意味で、いま局長の御答弁ですので、ぜひ研究、検討をお願いしたいと思います。そのことが大臣のおっしゃっている創造力、そういうことにもつながっていくと思うのですね。 そこで、次にお伺いしたいのは、教頭、主任の問題です。教頭というのは、授業をやらないでよいというのが原則なんでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 教頭は四十九年の学校教育法の改正の際に法律に入れましたけれども、あの中で、教頭は校長を助ける、ただし必要に応じて授業を担当すると書いてありますから、やらないでいいということではございません。
○勝又武一君 私は、やはり教育の現場を考えますと、いま一番心配になるのは教頭が授業をやらなくてもよいという風潮がびまんしつつある、ですから、文部省が今度のやっている教頭代替数という定数増のやり方についても、文部省が考えている本旨、あるいはねらっている本質、そういうものが非常に現場ではむしろ曲げられて、教頭は授業をやらなくたっていいんだと。そうすると教頭何やっているんでしょうか。極端な例を挙げますと、うちの教頭さんは、作業服を着て朝から晩まで校舎の周りを回っています。玄関の横の、学校の何といいますか、あるでしょう、美化を尊重ということで、いまばかにそういうものばっかりはやっていて、そういうことばっかりやってますというような話は、日常茶飯事往々聞きやすいと思うんです。私は、むしろそうではなくて、やっぱり教頭さんというのは、本当の意味で校長を補佐をして、やっぱり授業をやるのがたてまえだ、そういうふうに思うんですけれども、一体いまの教頭が授業をやっている実態について、どの程度調査をされたり、把握をされているんでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 五十二年の調査では、小、中、高等教頭さんの平均担任授業時数というのは、小学校が三・四時間、中学校が六・五時間、高等学校が三・九時間ということになっておりまして、おっしゃるように、私どもは教頭を一つの職として学校に位置づけたということは、やっぱり一つの組織体としての学校の管理運営の責任者として、校長だけではやっぱり十分でない、校長を助けて教頭が管理運営面の全面的な補佐をする、そういう意味では教頭はほかの先生のように授業を担任できないし、また授業に専念するというよりは、そういう管理面での補佐というのが大事ですよということを申し上げておりますが、同時にいま先生が御指摘のように、やはり教頭も教諭なんですから、子供との接触を保って、学校教育活動全体を円滑にするように努力をするという意味においては、教育面に直接タッチするということはやはり望ましいことでございますから、そういう意味で、余裕のある限り教頭さんもひとつ授業を担当してください、こういうふうに言っておるわけです。
○勝又武一君 私は中学のころ、旧制中学ですけれども、大変英語ができませんでしたけれども、教頭さんに英語を教えていただいたんですよ。大変りっぱな教頭さんでしたよ。だからやっぱりそのことを考えますと、人格形成からいっても自分の、旧制中学ですから五年間ですけれども、考えてみましても、その教頭さんの果たした役割りというのは大変大きなものがありましたよ。やっぱり教室で英語を通して−英語はぼくはあんまりできるようにはならなかったけれども、その教頭さんから人格的に教えられたということは大変大きいものがありました。だからそういう意味では、教頭という仕事ですね、もう一度、それは高等学校もそうですけれども、小、中について、大臣、ぜひひとつこの辺は大臣も御研究していただきたい。そしてその実態についてもお考えいただきたい、そのようにこの点一つ思いますが、さて主任の方はどうなんでしょうか、主任の実態はどうでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 主任はいま制度化されておるのが小学校でいえば教務主任と学年主任、それから中学校はそれと生徒指導主任というふうなものでございますが、そのほかに第二次の改善で、小学校で研修主任とか図書主任というのをつけ加えたところもございますが、いずれにしましても、あれは四十九年の調査でしたか、あのときの実態を見ますと、一番その担任授業時数の少ないのが教務主任なんですね。教務主任は、小学校の一般の先生が平均二十二、三時間の授業を担当しているのに対しまして、あのときの調査、正確には覚えておりませんけれども、十四、五時間じゃなかったかと思いますね。それから学年主任とか、生徒指導主任というのは、そう一般の先生と授業担当時間が変わらないというのが全国的な実態調査の結果でございます。
○勝又武一君 大臣も私よりも先輩ですから、その点は私以上に御経験が深いと思いますけれど、たとえば私たちが育った時代は、小学校の校長先生も授業に来られたですね。私たちのころは修身というので、一週間に一時間にしても校長さんの修身というのが小学校のときに大変その影響が大きかった。中学でもそうでしたね。いまは一体小学校や中学校の校長さんというのは、授業をやっていらっしゃらないと思うんですよね。これは法律やその他を離れて、大臣は校長さんというのが、教室で教えるということの評価について、どのようにお考えでしょう。
○国務大臣(谷垣專一君) 私たちが育ちました古い時代のことはまた別といたしまして、学校教育における児童、生徒との接触のきずなの一番大きいのは、私はやっぱりその教諭の授業ということだと思いますが、もちろんそれだけではございませんので、課外の教授もこれあると思います。やはりそこの一番接触を断たない形のものが必要だと思います。これはまた原則でなきゃならぬと思います。ただ、かなり管理という表現はよくございませんけれども、一つの小学校、中学校という組織自体のところにエネルギーを注がなきゃならぬ役割りの方々が校長先生であり、またそれを補佐する仕事として教頭先生が出てくるわけでございますが、教育の考え方としては、児童とそれから生徒との接触の大切な場を保っていくということが、私はやっぱり教育の現場、学校においてもいつも忘れてならないことだというふうに私は考えております。
○勝又武一君 ちょっと脱線して恐縮なんですが、大学の学長は、大学の学長をやめても教授として授業をやられますよね。当然ですよね。小学校の校長さんが校長をやめて普通の教諭のように授業をやる、私はそのくらいのことがあってもいいんじゃないか。たとえば、やや暴論かもしれませんけれど、四十五歳から五十歳ぐらいまで校長をやった方が、五十一歳からまた中学で英語を教えられてもいいんじゃないか。高等学校の校長さんがやめた後、私立高校の何と言うんでしょうか、非常勤講師とか、講師になられて、授業をやっていらっしゃるというのはずいぶんありますよね。ところが、中学の校長さんおやめになった後というのは、だんだんだんだん、たとえば小学校の校長さんにしてもそうだと思いますけれど——やや違ったことを言っているようですけれど、私の言いたい意味は、やっぱり小学校の校長さん、中学の校長さんも、教頭さんも、主任もそうですけれども、やっぱり授業というのは教員の命だと、そういう意味からいけば、いつでも授業をやるという、子供に教室で接するという、そのことがやっぱり基本にないと、そのことを忘れてしまうと、私はやっぱり大変なことじゃないか。文部大臣の言っているこの所信表明と離れていくんじゃないか。そういう意味で、これはいまの法律とはいろいろ違うところがあるんでしょうけれど、校長さんなり、教頭さんなり、主任なりという方々が、もっとやっぱり授業をやるという、教室で子供たちに接するということに、もっと目を向けるような方向といいますかね、そのような点について何かお感じになることございませんか。
○国務大臣(谷垣專一君) 私も大分もう学校の現場を離れておりまして、また最近一つ二つ見たところでそれですぐわかるわけのものでもございませんしいたしますので、的確な御返事ができにくいかと思いますが、要するに児童あるいは生徒との折触をどういう形でとるかということ、これが一番やっぱり大切なことだと思います。ただ、だんだんと何と申しますか、組織体が大きくなってまいったり、いろんな複雑なことがありますと、それの処理をどうするかということは必要だと思いますが、基本的に人と人との接触ということが教育の基本になるわけですから、その原点は忘れちゃならない、こういうふうに私は考えております。
○勝又武一君 小学校の専科教員について、どの程度いま文部省の計画は進んでいますか。こういうふうにお聞きしてもいいんですよ。たとえば音楽なり、図工なり、家庭科なり、体育なり、保健なり、理科なり、そういう点について、考え方というか、進め方で結構です。
○政府委員(諸澤正道君) 五十二年度の調査によりますと、音楽が六千六百三十八、それから図画・工作が二千八百六十二、家庭が二千三百七十二、体育が千二百四十五、計一万三千百十七ということになってます。これは五十二年ですから、五十三、五十四と少しずつふえていると思いますが、そこで今回の改善の計画では、さらに二千七百六十七ふやそう、こういう計画です。
○勝又武一君 これも諸澤局長とあのときは砂田文部大臣でしたか、記憶が不確かになりましたが、教員が一時間の授業を行うためにはどのくらいの事前準備、教材研究、事後指導が必要かということをお聞きしたことがありますが、そのときにも明らかになりましたが、勤務時間の中において、授業を一時間行うために最低一時間、事前準備なり、教材研究なり、事後指導で必要だ、こういうようにお答えがありましたけれども、もう一度、くどくなりますけれども、諸澤局長と大臣のお考えをお聞きいたします。
○政府委員(諸澤正道君) 何回もお答えしていて間違うといけないんですけれども、私はやっぱり当該先生のその経験とか、それまでの専攻の勉強とか、いろいろありますから、個人差も出てくると思うんですけれども、しかし常に新しい学級を持って教育をされるということであれば、いまお話になったように、少なくとも一時間ぐらいはかかるんじゃなかろうかというふうに思っているわけです。
○勝又武一君 大臣いかがでしょう。
○国務大臣(谷垣專一君) どうもちょっとそこらのところは、まだよく様子がわからない状況でございます。
○勝又武一君 私は、そういう意味でもやはり教員の一週間の担当授業時間数というのは、小学校でも中学校でも、一週間当たり二十時間以下、一日に三時間とか、四時間、最高四時間、標準的には三時間程度にしないと、やはり授業を一時間行うために最低一時間の事前準備なり、教材研究なり、事後指導というのは十分できない、そう思うわけです。そういう意味で、ぜひこれは週当たりの担当時数の最高が二十時間以下になるように、今後ひとつ文部省としては、これはあしたすぐなんといっても無理でしょうけれども、今後のやはり目標としては、その辺に置いてお考えいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) いまでも中、高は二十時間以内になっておるわけですが、小学校の方は先ほど申し上げたように、二十二時間ちょっとということでございまして、これは学校の実態によってもかなり差はあるようでございますが、今回の十二年の計画では、大体この線でいくというふうに考えておりますが、おっしゃるように長い目で見た場合に、これが一番妥当かどうかというような課題はあろうかと思いますんで、常に研究をさしていただきたい、かように思うわけです。
○勝又武一君 大臣、これ局長いまそうおっしゃったですけれども、実態は全然違うんですよ。これはぜひ大臣承知してくださいね。いつかぼくが雲の上の文部省と言ったら、諸灘局長がいや雲の上じゃないとおっしゃったけれども、まさに雲の上ですよ。中学校で現場の教員が全部二十時間以下になっている学校があったら、本当に文部省の調査をお見せください、全部ですよ、中学校の教員がみんな受け持ち時間数が二十時間以下だというなら。そんなことはありません。もう二十時間以上やっている教員が中学校の場合にも多いわけですから。そうなっていないのはなぜかといいますと、さっき言ったように、教頭だとか、主任の受け持ち授業時間数が減ってきているからです。だから、この点についてはぜひ実情の違うという点を私は指摘をしておきますので、もし私の言うのが違うんでしたら、調査結果を明らかにしていただきたい、そう思います。
○政府委員(諸澤正道君) 私がいま申し上げましたのは、五十二年十月十日の教員統計調査の結果でございまして、これは校長、教頭、教諭、助教諭、講師、養護教諭、養護助教諭に分けて調査した結果で、これはいつか、この前のときも先生そういうことをおっしゃって、粕谷先生もそれは違うじゃないかというふうに言われたように私は記憶しているんですが、私は担当の人に確認をしておるわけですが、一遍これそれじゃごらんいただいてまた。
○勝又武一君 最後に、大臣に定数問題で伺いますが、四十名学級の基本議論を離れて二、三細かいことをお聞きしましたけれども、私が聞いた意味はこういうことなんです。つまり、四十名学級のときには、予算委員会の総括質問でも大臣もお答えになりましたけれども、まさに児童、生徒の減、こういうのが相当大きな財政的な理由と相まってありましたね。ところがいま私が挙げたような問題は、児童、生徒の減と余り関係のない話なんです。たとえばもう一つありますけれど、学校事務職員なり、養護教諭の問題についてもそうですね、これらは余り今後の児童、生徒数の増減の見通しとは関係ありませんね。だから、そういうような問題についてまで、全部が引っくるまって九年計画、そしてまた大蔵との十二年計画になってきておる。だから、そういうことと離れてやれる問題については、これは財政的にもそんな大きな金額にはならぬわけですから、所信表明にある、まさにきめ細かい配慮という点からいけば、こういうような問題について特に力を入れてほしい、そういう意味でわかりやすいという意味を含めて、二、三細かい問題を指摘したわけですが、これらについてなぜこれら九年計画、十二年計画と全部引っくるめておやりになってしまったのか、財政的理由ということが大きな理由でしょうけれども、もし何かほかに理由がありましたら、お聞かせいただきたい。
○国務大臣(谷垣專一君) いま御指摘になっておりますものは、四十人学級の問題、また若干この性格が違ったものとして考えていかなきゃならぬ問題でございまして、それを一緒にしましたことについて、特別の理由は別にないわけでありまして、基本的に財政の状況を将来見通しをしながらやったわけでございます。もちろん、御指摘のような点がこれから私たちの検討いたします重要な問題として残っておることも、当然私たちも考えておるわけでございまして、大きな方向、あるいは大きな数字としては、これはいま申しましたように、十二年の計画なり、それぞれまたお示ししましたような数字でいきたいと思っておりますけれども、今日の予算編成の状況が、その毎年毎年のときにもう一回再検討せざるを得ない、議論をいたさなきゃならぬということもございますので、十分にひとつ考えてまいりたいと思っております。
○勝又武一君 大学の問題について二、三お伺いいたします。 二月の五日でしたか、五十五年度の共通一次学力試験の得点状況が発表されましたが、その前日の二月の四日に結果の一部が漏れていたことが、愛媛県下の高校の先生の証言で明らかになったという新聞の報道がありました。この公平を大前提にしている共通一次で、こんなことがあっていいのかと思うんですが、全国の受験生に大きなショックをそのときは与えましたし、早稲田や筑波の入試工作の疑惑等が重なってまいりますと、ますます入学試験に対する不信とか不安をつのらせるということになると思うんです。そういう意味で、この大学入試センターの信頼というのが大きく問われていると思うんですが、文部省はこの問題についてはどのように対処されましたか。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘のような事実が新聞に報道をされたことは承知をいたしております。直ちに入試センターに対して、当時どういう状況なのか、果たしてそういった公表すべき平均点が公表に先立って外部に漏れるというようなことが、事務処理の体制としてあり得るのかどうかの点検を求めたわけであります。もちろん入試センターはそれについて十分な点検をいたしておりますけれども、公表すべき内容を承知をしている者の範囲というのはごく限られておりますし、そうした方面から問題が外に出るということはあり得ないことでございます。どういう状況で、ごく一部にもしろ平均点の状況が出たのか、たまたま出たものが実態と似ていたのか、あるいは本当に出ていたのか、その辺は必ずしもセンターにおいても、文部省においてもつかみ切れておりません。いずれにしても、入試センターは公表の結果が外へ出るということはあり得ないことだということは言っておりますけれども、御指摘のように、事はもちろん問題の漏洩等とは性質を全く異にするにしましても、センターの信頼にかかわるところがございますので、センターに対してさらに十分な点検方、さらにもし必要であれば、管理の体制について改善方を要請をしておるところでございます。
○勝又武一君 これは、共通一次はまだ二年目なんですね。去年とことしと二回目なんです。ところが、去年も京都のある予備校は、ことしはうまくいかなかったんだけど、昨年は発表の一時間前に手に入れることができたというようなことも公言をしている。こんな事実もございますし、やはり問題は、受験産業と言われる受験産業界、ここに私は一つ問題がある、そう思いますね。ですから、そういういろいろ大学不正入試が言われているさなかでありますだけに、受験産業界が早く入手をするというようなことと、大学入試センターとの関係があるというようなことになると、大変な父母の信頼を失するということになりますので、この辺についてさらに調査をしていただけませんか。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘の点は私どもも十分に注意をしなければならない点だとは考えております。受験産業が非常に過熱をいたしまして、共通入試の結果、平均点を一時間早く手に入れても、そのことがどうということはないわけでありますけれども、そういったことについて過熱をする状況というのは大変残念なことだと思っております。そうではありますけれども、正式に公表をする時点に先立って、その結果が外へ出るというふうなことは、あってはならないことだし、また、現在私どもが調査をしているところでは、センターの方からそれが出ていっているということは、とうていあり得ないことと考えてはおりますけれども、先ほども申しましたように、今後におけるセンターの事務処理の体制をさらに点検をして、そういった点で不信の念を買うことのないように指導をしてまいりたいと思います。
○勝又武一君 私が高等学校の教員で現場にいました二十年代の後半、いわゆる進学適性検査——進適と言われるのがありました。それから三十年代の後半が能研テストですね。ですからこの進適なり、能研テストなりの反省というものを、二つとも失敗したわけですから、それについての反省なり、評価というのを文部省としてはどうお考えになっていらっしゃるのかということが一つと、それから、現在この進適なり、能研なりのデータといいますか、資料といいますか、こういうものは一体どこにあるのか。本来なら大学入試センターが持っていて研究されていいんでしょうけれども、どうも私が聞くところによりますと、国立の教育研究所が保管をしているというようなお話も聞くんですけれども、一体そういうものは国立教育研究所の倉庫に、眠っているかどうかまでは知りませんけれども、何かやっぱりいまの一番問題になる共通一次テストの、この大学入試センターとの関連はどうなっているのか、この辺ですね。共通一次が万般うまくて万々歳ということで私はないと思いますのであえてお聞きするんですが、いかがでしょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘の進適、能研とも、それぞれの経緯はあったわけでございますが、ある年数の経過とともにやはり実態に合わなくなり、その実施が中止をされたわけでございます。私どもが非常にこの事例から教訓として学んだことは、一つには、進適の場合も能研の場合も、いずれもこれは試験を実施をする大学の側からの発想として、大学がみずからの問題として取り上げたものではなかったということであります。今回の共通入試が、これら二つのものと非常に異なる点は、長い間にわたって国立大学がみずから入試の改善に取り組み、国立大学の入試のうちで共通して処理すべき部分というものを共通入試として大学がまさに共同で処理をする、自分たちの問題としてこの問題をとらえて、入試の改善に当たるという取り組み方をしたということが、非常に前二者と異なるところでございます。もちろん共通入試を実施するに際しましては、国立大学協会の中に設けられた委員会においては、進適、能研の二つのケースというものを十分に参考としながら、共通入試の取り進め方を検討をしてきたわけでございます。進適、能研の場合には、世上よく、いわゆる受験生に対する負担が過重になって、そのことも二つの試みを失敗に終わらせ一つの要因になっているというような指摘もございます。そういった点も十分に考えながら、今回の共通一次を導入した新しい入試の改善のあり方においては、共通一次、二次を通じた適正な総合判断ということに向かって、それぞれの大学が努力をしているわけでございます。私はそういう意味で、進適、能研の経験というのはむだになっていない、今回の入試の改善に生かされていると考えます。 進適、能研の当時の個々のデータがいまどこに保管をされて、どのように管理をされ、あるいは利用されているかということについては、詳細は私まだ現在は手元に持っておりませんので、後ほど御報告をいたします。
○勝又武一君 先ほど言いましたように、何か国立教育研究所にあってというようにもお聞きをしていますので、私はやはり先ほど言いましたように、もっとやはりそういうものをそういうところでなくて、大学入試センターの、いまの共通一次の反省材料等に十分使えるように配慮したらどうだというように思いますので、いま局長の御答弁のようにひとつ調査をして対処していただきたいと思います。 そこで、共通一次によって、高校教育は一体どれだけよくなってきているんだろうか、高校教育の正常化が図られるというように言われていましたけれども、おっしゃられるようになったんだろうか、むしろ受験本位の高校教育の方がはびこってきているんじゃないのか、共通一次に焦点を合わした進学高等学校の実態になってきているんじゃないか。そして、高等学校の格差づけということが言われたり、むしろ共通一次は国・公立大学の格づけに終わったという厳しい指摘さえあるわけですね。こういうような評価といいますか、批判について、文部省はどうお答えになりますか。
○政府委員(佐野文一郎君) 共通一次につきましては、先般第二回目が実施されたところでございますし、まだ二回の経験を重ねただけでございますけれども、二回の実施を通じまして、もちろん幾つかの改善すべき問題点の御指摘はありますけれども、おおむね高校のカリキュラムに即した適切な問題が出題されている、そうした問題によって、高等学校における基礎的な、一般的な学習の到達度の判定が行われ、それの上にさらに各大学がそれぞれの学部、学科の特性に応じた二次試験の工夫をする。その両方相まった総合判断によって、従来の入試の弊害というものについての改善の芽が大きく育ってきているという評価は、私は一般的にちょうだいをしているということができると思います。 共通一次試験の実施に伴いまして、確かにこれに対応をして学校行事なり、あるいは教育課程を変更をした高等学校があることは事実だと思います。しかし、それは決して多くの高等学校でそういう措置がとられているのではなくて、やはりそのような措置をとったのは一部の高等学校であり、大半の高等学校では、カリキュラム等に特に変更を加えることなく、冷静に受けとめているという高校関係者の御意見も聞いているわけでございます。どうしても先ほど先生御指摘の受験産業の過熱というようなこともありまして、そのことが本来の共通入試によって達成しようとしている入試の改善の方向というものをともすればゆがめる、大学の進学というものが、それぞれの大学の特色というものによって選択をされるというのではなくて、いわゆる共通一次のテストの結果、いわゆる偏差値というようなものによって選ばれる傾向がなおあるという点については、私どもは大変そのことが残念だという感じを持っておりますけれども、しかし共通一次で目指している方向というものを進めていくことによって、こうした方向を徐々に是正をしていくことは、他のもろもろの施策と相まって進めていくならば、私は可能であると考えているわけでございます。
○勝又武一君 国・公立の大学の格差づけということは全く是正しなくてはいけないと思いますね、そういういろいろの努力の仕方、たとえば共通一次だけの責任ではないと思いますけれども、そういう意味で国・公立大学の格差をなくしていく。そういう意味で、所信表明の中にあります「地方における国立大学の整備充実」とありますけれども、全くこの点も賛成でありまして、そういう意味で、特に地方の国立大学の大学院の拡充につきまして、五十五年度、五十六年度、この一両年あたりどこの大学が具体的に想定されていらっしゃいますか。
○政府委員(佐野文一郎君) 大変むずかしい御質問でございます。大学院の整備については、もちろん各大学の計画につきまして、文部省の方で十分に検討をし、そしてこれを前進させることがしかるべしと思うものについて、関係省庁に対し予算の要求をしていくわけであります。事柄としては地方の大学におけるいわゆる修士の課程、これについては、一つのある学部が充実をしていれば、できるだけ修士の課程についてはこれを設置をしていくという方向で従来から対応をしてきております。しかし、博士の課程につきましては、これは現在の大学院のあり方から申しまして、そう事は簡単でないわけであります。大学院問題懇談会の御指摘にもございますけれども、やはり博士課程につきましては、十分に大学院の卒業生に対する需給の状況等も考えながら、さらに、わが国の学術研究の水準の維持向上というような点をも勘案して、地域的に十分な配慮も加えながら、徐々にその整備を考えていくということになるわけであります。したがって、博士課程について、現在いわゆる新制大学の系統では、神戸大学の大学院の整備を年次計画をもって進めております。これは引き続いて行う考え方でございますけれども、それ以外の博士課程につきましては、なお各大学での御検討の経過を見てまいりたいと思っているわけであります。修士課程につきましては、一般的なそういった状況のほかに、もう一つ現在教育系の修士の課程、いわゆる教員養成学部における修士課程の設置ということを、ここ数年逐次進めてきているわけでございます。五十五年、五十六年を通じまして、大学院の整備に当たって、教員養成系の修士課程の整備につきましては、引き続いて、そう一遍にたくさんつくるわけにいきませんけれども、逐次整備を進めてまいりたいと思います。
○勝又武一君 筑波大学ですけれども、この大学改革の実験校、あるいは新構想大学、そういうことで文部省が非常に力を入れられて開校六年、莫大な国費を投じていらっしゃったわけですが、運営は順調にいっているのかどうかということです。私たちが新聞報道で見ますと、学生の県議選で買収問題だとか、学園紛争だとか、学生の自由な自治活動の要求があるとか、やはり管理面で問題があるんじゃないのか。開かれた大学という前ぶれだったのですけれども、実際そうなっているのか、総合大学としての機能を果たしているんだろうか。特にこの従来の大学にない機構で、横のつながりを密にした総合大学を目指すと、こういうことだったわけですけれども、旧制からの他の国立総合大学と比較をして、総合大学としての機能という点では大変劣っているのではないかという専門家の指摘もありますけれども、この点についてはどうでしょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) 筑波大学は、創設をされましてから今日に至るまでの間に、いわゆる計画されました学群の整備、さらには大学院研究科の整備等をおおむね終わりまして、いえば第一期の建設計画が終了をし、その次のステップを切ろうとしているところでございます。新しい構想を持ってスタートをした大学でございますから、従来の大学にない、たとえば教育研究の機能的な分離ということによる学群、学系の制度というようなものが、運営の中心になっているわけでございます。そうした学群、学系、あるいは学系、学類の関係というものは、従来の大学にないものでございますから、これを所期の方針、方向に沿って、円滑に運営をしていくということについては、これまでも大学は非常な苦心をされてきているというふうに私は見ております。またこの大学が、これから取り組んでいく第二期の整備におきましても、こうした学群、学類、学系の間の所期の方向に沿った運営というものが、非常に重要な要素を占めてくるということも私は十分にわかるわけであります。大学はそうした方向に沿って、懸命の努力をしております。私はもちろんこうした新しい試みでございますから、その間にいろいろな、いわばむずかしさが実際の運営で出てくるということは避けられないことではあろうと思いますけれども、これをこれまでの経験を生かしながら、大学は十分に対応をし、乗り越えていってくれるものと期待をしているわけでございます。御指摘のように、大学の運営に当たって、たとえば学生が選挙違反というようなことで、非常に遺憾な行動を行った、そういった指摘もございます。しかし、これは私は必ずしも筑波大学の運営のあり方から出てきたことでは決してなかろうというように考えておりますし、また、大学もそうした判断のもとに、大学の学生に対する指導というものをより細かく、きめ細かく実施をする、そういう改善措置もとっているわけであります。新しい大学でございますから、なおいろいろとむずかしさが実際に事を進めていく場合に出てくるということはあり得ても、全体の方向につきましては、所期の方向に沿って大学の着実な前進が行われるものと私たちは期待をしております。
○勝又武一君 筑波の推薦入学試験制度というのは、一次が書類選考、二次は面接と作文、こうだと思うんですが、特にそのうちの書類選考という形態ですね、それから面接と作文というのは、何か作文に至っては、「愛」とか「友情」とかいう非常に抽象的な論題が多くて、率直に言いまして、作文なり、面接も、A、B、Cというような点数配分。何か筑波の選考制度というのは、担当試験教官の主観的な採点配慮なり、そういう点で、やや不正工作の入る余地があり得るんじゃないか、そういう心配を指摘する向きもありますが、この点はいかがですか。
○政府委員(佐野文一郎君) 筑波大学では、御指摘のように、医学専門学群を除く五つの学群で推薦入学の制度を積極的に取り入れているわけであります。入学定員の二五ないし三〇%の人員について、共通一次の学力試験と、第二次の学力試験をいずれも免除をいたしまして、高校長の推薦に基づき、さらにこれに加えて大学が行う小論文、面接の結果によって推薦入学が行われているわけであります。推薦入学者の選考は、第一学群、第二学群、第三学群にありましては、各学類ごとに選考することになっております。そして、まず公平を期するために、受験生一人について学類の入学者選考委員会、これは二十三人の委員でございますが、この選考委員会のうちの五人前後の選考委員が高校の調査書、小論文、面接等について評価を行いまして、その結果に基づいて、学類の入学者選考委員会全体で協議をし、その合議によって合否の原案ができます。さらにその原案は、学群の入学者選考委員会と全学の入学者選考特別委員会において審議、確認をされて、最終的に学長が決定をいたします。こういった推薦入学の合格者を決めていく手続というのは、非常に慎重な手順を踏んで、多数の教官の合議に基づいて決定されてまいりますので、不正に結びつくおそれはないわけであります。ただ、これは筑波大学に限らずに、一般に推薦入学というのは、いわば受験準備の過熱の是正ということにも資するために、いわゆる学力ということだけではなくて、学科試験ということだけではなくて、意欲のあるすぐれた学生を選抜をするためにどういう方法があるかという、その観点での努力から生まれてきた方法であり、これが適切に運用されるならば、私は入試の改善に資するところが大きいと見ているわけであります。その場合に、学科試験ではございませんから、何点、何点ということで評価が行われるわけではない。したがって、面接なり、あるいは小論文の場合の評価の基準、あるいはその公正さというものをどのように確保するかということは確かにむずかしい問題ではありますけれども、しかし、その点を越えていかない限りは、やはり学科試験偏重、学力偏重の入試のあり方というものを是正をして、より広い視野で、いろいろな資質を持った、すぐれた学生を大学に迎え入れるという方向での努力がなかなか実っていかないわけであります。筑波大学における推薦入学のあり方につきましても、そうした意味において、どういう形で推薦入学というものを実施をしていくのがいいかという点についての検討は、これからも大学は重ねていくと思いますけれども、選抜の手続において、不正が入り込むというような余地のないものであるということだけは御理解をいただきたいと思います。
○勝又武一君 まさに局長の指摘されたとおりでありまして、不正工作等があってはいけないし、一点の疑義があってもならない、そういう理想、非常にいいと思うんですね。そういう点で、私が三月十四日の予算委員会の総括質問の際に御質問をいたしましたこの宮島学長の意向表明というのが、二月の二十八日に不正がなかったという意向表明がされた。これは大臣お聞きですよね。ところが、それは六人の関係者の方を十分調べもしないで出した、渡部学系長に会ったのが二月の二十九日じゃないか、その点については十分調査をしてくれ、こういうことを指摘をしておきましたが、その調査はなさいましたか。その結果はどうでしたか。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘の意向表明につきましては、学長が関係者と接触をし、学長としてできる限りの調査をした結果、評議会においてこの意向表明を行うことが了解をされたものでございます。学長がこの意向表明を行うに際して、関係者とどのような接触の仕方をし、どのような調査を行ったかにつきましては、文部省としてはつまびらかにはいたしておりませんけれども、ただいま申しましたように、学長としてできる限りの調査をした結果、不正がないことを確認をして、意向表明に至ったというものでございますので、文部省としては、大学当局の意思表示というものを信頼をしているわけであります。
○勝又武一君 文部大臣、いまの局長の答弁というのは、普通の場合はそれで私はいいと思うのですよ。文部省が余りにも大学の自治に介入をしたり、容喙をするということはいけないということは、まさにそのとおりでいいと思うのですけれども、大学の報告をそのままお聞きしますということでいいんですけれども、事柄の性格が違うのですよね。私が十四日に質問した十五日の毎日と朝日、大臣はごらんになりませんでしたか。朝日にも「論壇」に出ているし、毎日の方も教授の実名の名前入りの投稿ですよ。これを読んだ国民はどう思うでしょうか。やっぱりそういうように早稲田の問題があり、どこの問題があると、もう新聞、週刊誌がわんさわんさやっている中で、しかも朝日、毎日等の新聞がああいう報道をしているわけですから、私はやはり筑波の中に何かあるな、不正工作の関係がそんな形であったのだなということをあれは物語っているわけですから、くどく言いますけれども、大学の学長の報告を一方的にそのとおりだということでなくて、二月の二十八日の意向表明の後、二十九日に渡部学系長に会っている。それ以降まだ十分六人の関係者に会ってもいない。あるいはその六人等、関係の教授の皆さんがどういうことを言っているのか、そういうことについては、もっとより積極的に文部省が御調査をやっていただきたい。これを重ねて要望しておきます。 そこで、時間もありませんから、二、三お伺いいたしますが、その渡部学系長という方の手元に特定志願者、つまり受験者の入学願書のコピーがあるということで、私、学系長の方の実筆の文書を持っているのですよ。この事実はお認めになりますか。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘のコピーが存在をするということについては、私どももそのように聞いております。
○勝又武一君 その願書のコピーというのは、だれが許可をして、コピーをするのでしょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) 願書というのは、大学に出願がありまして、それを大学が受け付けた後は、しばらくの間大学の本部に置いて、それをそれぞれの学類ごとに分類する等の作業のために厳重に保管をいたします。そうして、その作業の完了とともに、それぞれの学類における保管に移されるわけであります。いずれも厳重な管理が行われておりますから、その間に受験表のコピーが作成されるということは、私どもには理解できないところであり、大学の事務当局も理解できないということを言っております。
○勝又武一君 そうすると、ますますこれは大臣にもお聞き願っておきたいのですけれども、局長のおっしゃるとおりなんですよね。だから、コピーされたということ自体が大変な問題なんです。そうしてそのことは、もうここまで世上明らかになっているわけですから、私はやっぱりこの経緯は、文部省としても調査をし、明らかにしていただきたい。つまり学長なり、事務局長なり、それから学務部長ですか、あるいは入試実施委員長、こういう特定されている方が明らかなんですよね。それ以外の方が、あれをコピーをしろなんということを言えるはずもない。そうすれば、一体なぜ願書をコピーをしたのか、その作成自体が、その目的は何であったのか、わかりますね。ですから、そのコピーが渡部学系長に手渡された経緯についても、やっぱりこれは文部省としても御調査をなさって、この経緯を明らかにしていただきたい。コピーの目的は何なのか、いかがでしょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) この点は先般大臣からもお答えを申し上げたところでございますけれども、筑波大学の推薦入学において、その入試のあり方、あるいは入試の結果そのものに不正がなかったということにつきましては、学内の関係者はいわゆる不正な働きかけがあったと主張する方々を含めて、一致をして認めているところであります。筑波大学の推薦入学において不正がないということは、これは明白なる事実であります。そのことを前提とした上で、私どもは本件についての事実関係に関し、関心を持っておりますけれども、その調査については、大学当局がみずからの判断において行われてしかるべきものということを考え、従前からそのような対応をしているわけであります。
○勝又武一君 やや局長の前段の答弁といまの答弁とダイレクトに結びつかないわけですよ、そこのところが。大変苦心の御答弁だと私も察しますけれども、事は問題だけにこう申し上げるわけです。確かに事実上不正はなかったというようにお認めになっているわけですね、皆さんが。ところが、なぜ不正が起きなかったのかというと、谷津、鈴木という両教授が頼まれたけれども、面接を断ったわけです。谷津、鈴木両教授が言われているのは、副学長から渡部学系長に、渡部学系長から谷津、鈴木両教授に面接を頼まれに来たときに、その面接の依頼を私たちは断りますというので断っている、こういうように明らかにしているわけですから、谷津、鈴木両教授がもし面接を断らなくて、面接を担当したとしたら、一体どういうことになったのか、今後もこれはまた私はあり得ることだというようにも思いますので、これは大臣、やっぱり大学の自治という問題と私は別の問題だ、大学における不正入試工作があったのか、なかったのか、特定の志願者の、受験者の願書のコピーがあるというのは厳然たる事実なんですから、この辺はやっぱりそういうことを含めて、ぜひ御調査を願いたいと思いますが、重ねて聞きますが、いかがですか。
○政府委員(佐野文一郎君) 谷津、鈴木両先生が面接を行われなかったから不正がなかったということでは私はなかろうと思います。そのことは、むしろ谷津、鈴木両先生の名誉のためにも、谷津、鈴木先生が仮に渡部学系長からそのようなことを聞かれたとしても、そのことに左右されずに適正に入試の選考に当たられた結果であると思います。そのことが事実であるかどうかについては私はつまびらかにいたしません。しかし、仮にそういうことがあっても、それは両先生を含めて、筑波大学の教官陣が適正に推薦入学の処理に当たった結果である。それはまた当然のことであると思うわけであります。コピーが存在をして、仮に——仮にでございますが、これが学内で作成されたものであるとすれば、やはり入試の事務の管理の体制というものをもう一度大学は点検をする必要があり、それについての改善措置が必要でございましょう。そのことは私たちが申すまでもなく、すでに大学当局は十分に受けとめていることではあろうと思いますけれども、その点は私は十分な注意を払わなければいけないところだと思います。しかし、繰り返して申し上げますけれども、筑波大学の入試に不正はなかったのであり、そのことを前提として、きわめて何か奇妙な事柄が指摘をされているわけでありますが、その奇妙な事柄の有無について、すでに大学はそういった事実がないということを公式の機関を経て表明をしているわけでありますけれども、その事実関係についてはわれわれは関心を持っておりますし、大学がその御判断でみずから調査をされるとすればさらに調査をされるべきことと考えるわけであります。
○勝又武一君 それじゃこの問題は大臣こうしてください。いま局長がおっしゃいましたように、はなはだ奇妙な事柄というのは、重大な関心を持って文部省も受けとめていらっしゃるわけですから、その奇妙な事柄について大学当局が自体で調査をするということについて、十分関心を持って見詰めていく、こういうように私は理解をいたしますから、もし違っていたら言ってください。 それから、もう一つ谷津、鈴木両教授の名誉の問題で、確かに局長御指摘のように、私の言葉が言い足らない表現の誤解があるといけませんので、私も申し上げます。まさに私も局長のおっしゃったとおりだと思いますね。だから、谷津、鈴木両教授は断られていらっしゃるわけですから、そういう意味でも、私の言葉に表現のまずさがあったらお許しください。谷津、鈴木教授がそんなことをやりそうな人だという意味で言っているわけじゃありません。また、ほかの教授がじゃ頼まれたときにそういう不正をやるかということになれば、私もやらないということを信頼をいたします。しかし、そういうことが起こり得る余地、あるいは奇妙だとおっしゃっているコピーの存在そのものが問題なんですから、そういう意味で、この点はそういう意味での指摘にとどめておきたいと思います。 それで、最後に、時間もなくなりましたので、大学問題でもう一つ。 これは松本歯科大の問題なんです。たしかこれも一昨年の十一月、私が大分松本歯科大については、当文教委員会で正常化について質問をいたしましたが、それから約一年半、当時問題になった他の大学は正常化されていると思うんですけれど、一体松本歯科大の正常化はいまどうなっているんだろうか、理事の補充問題はまだ解決していないんじゃないかと聞きますけれど、その後文部省はどういう指導をなさいましたか。
○政府委員(三角哲生君) 勝又委員、たしか一昨年の十月、十一月に御質問をちょうだいしておったと思いますが、その後の状況について申し上げさしていただきますと、文部省といたしましては、五十三年の十二月十九日に八項目について指導を行ったのでございます。第一が入学に関する寄付金の収受等の禁止、第二が入学者選抜方法の公正化、第三が理事会等の責任の明確化と責任体制の確立、第四が入学定員の遵守、第五が教員組織の充実、第六が経理の適正処理、第七が内部監査機能の強化、八が学生納付金の額の抑制等でございます。これに対しまして、大学側といたしましては同年十二月二十八日に理事会及び評議員会を、それから翌年の五十四年の一月十一日に教授会を開催して、検討を行っておりますが、その結果といたしまして、第一に今後入学に関する寄付金の収受を一切しない、第二に厳正に入学者選抜を実施する、第三に五十三年度入学者に係る不当な寄付金等の収受に関する責任については、理事長以下責任者を減俸処分にするとともに、直接の責任者は退任する、第四に矢ケ崎前理事長の学校運営への支配介入を是正する、第五に再建委員会の方針に反して昨年復帰した理事と監事というのがお一人ずつおられましたが、これは一月二十六日付で辞任する、第六に入学定員は遵守する、第七に五十四年度学生納付金の額を引き下げるといった回答を文部省に行った次第でございます。 その後の状況でございますが、五十四年一月以降におきます一部理事の引責辞任でございますとか、それから学長が辞任をいたしまして、これらの結果として同年四月には理事が寄付行為上の定数の九人ないし十一人というものが減りまして五人しかいない、そういう状況になりましたので、先ほど委員からの御質問もございましたのですが、この理事体制の刷新及び充実ということが必要であるという観点から、文部省といたしましては、理事の補充について大学当局に指導助言をいたしまして、その結果として長野県知事、それから信州大学長、松本市長、長野県医師会、それから長野県歯科医師会、そういった五人の方々から各一人推薦を求めまして、当該推薦のあった者を理事に選任するということになりまして、文部省といたしましても、六月にいま述べました五者に対して直接この協力方の要請を行った次第でございます。その結果御推薦があったのでございますが、大学側はそのうち長野県知事から推薦のあった方と、それから信州大学長から推薦のあった方、この二方の選任を行いませんで、その他の三民の選任と、それから大学独自に一人の方を考えまして、同年十月八日に新たな理事に選任をした、こういう状況になっております。 文部省といたしましては、これに対しまして昨年十月二十四日。……
○委員長(大島友治君) 要点を簡明に、ひとつ説明して。
○政府委員(三角哲生君) 松本歯科大学の理事長に対しまして。……
○勝又武一君 細かいことはまた後で資料でいいよ。
○政府委員(三角哲生君) 長野県知事と信州大学推薦の両氏についても速やかに理事選任の手続をとるように、そしてそのことが実行されない限りは、理事体制の刷新が行われたというふうには認められないというふうな旨の指導を行ったところでございます。さらに、昨年の十二月に私立大学審議会におきました審議の結果の指導事項というものが、同様の事柄について出ておりまして、これにつきましても改善措置をとるように管理局長命をもって要請をしておりまして、その返事はこの三月三十一日までに報告を求めておるということでございまして、私どもはさらに当該報告を待ちまして、重ねてその結果によりまして指導を強く行ってまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
○勝又武一君 あと幼稚園の問題、学校給食の問題、それから私学の問題等、きょう所信表明に係って質問を用意してお聞きをしたいと思っておりましたが、時間がなくなりましたので、最後に大臣に一つだけ学校給食の問題でお聞きしておきたいと思うんです。また幼稚園問題は、今度たしか二十二日の予算委員会の一般質問の際に、またいろいろお聞きをいたしたいと思います。 そこで、学校給食についてお聞きするんですが、実は私の地元は静岡でして、天下に有名な熱海ですが、あそこに網代というところがあります。行ったことございますか——この網代の小学校へ行きますと、入っていきまして、廊下を広くしたようなところがある。実は教室ではありません、ちょっと区切ってあるだけで、給食室です。そして小学校の一年生から六年生まで全員がそこへ集まりまして、クラス別でなくて、通学区別といいますか、一年生から六年生までが一つの机に並んで、六年生がめんどうを見てやって、一年生、二年生、三年生、四年生、五年生、六年生、こういう一つのグループになって、そして食事をしているわけです。文部省は網代小学校の給食ごらんになってますか。まだですか。ぜひ一度ごらんいただきたいと思いますが、そういう状況なんですね。ですから、何か非常に完備した、イギリスやフランスあたりにあるような、りっぱな給食室でなければだめだということでなくて、工夫すればオープンの廊下、まあ雨天体育をちょっとやるような広い廊下みたいなところを利用してやっている。そして全学年、学校生徒が全部で、しかもそれはクラス別でない、一年生から六年生がテーブルを囲んで食べているという、私は、学校給食というのはそういうように教育活動の一環だというように思うわけですね。所信表明を見ましてちょっと気になるのは、大臣はこの道の造詣の深い、堪能な食糧行政の御専門家ですから、言うことも一つもないと思いますが、「特に米飯給食の計画的拡充に努め」という個所が一つございまして、米飯給食の拡充に努めるのも非常にいいと思うんですが、あるいは給食会と安全会を統合して学校健康会という新たなる法案、これもわかりますけれど、私は学校給食の基本というのは、教育政策といいますか、教育活動の一環だというように考えているわけですけれども、その点についての大臣のこの学校給食に対する見解をお聞きをして質問を終わりたいと思います。
○国務大臣(谷垣專一君) 学校給食の問題の前に、先ほどの筑波の学園問題、局長の表現によりますと奇妙なことが云々ということがございましたが、私は、この前予算委員会でもお答えいたしましたように、大学当局の良識と判断というものに実は期待をいたしております。先ほど先生が念を押されたような趣旨も十分、私もその趣旨を承知をいたしてお答えを申し上げておるわけでございますが、そういうふうに考えておるわけでございます。 それから、学校給食の問題は、これはどうも私が少し農林省の役人をやっておったという経緯だけで、食糧問題の解決のためだというふうに端的にお考えをいただいては大変誤ると思います。私はまさに学校教育の教育的な観点から出てくるべきものだと思っておりますし、先ほど御指摘になりましたような、皆が集まって、ことに網代の具体的にお話になりましたような案件は、上級生の六年の諸君から一年の諸君まで、一緒になってグループ、グループで食べるという、これはまた別個の意味があると思いますし、非常におもしろいやり方であると思います。食べるということはやっぱり一つの人間の大切なことでございます。ここで一緒に集まって、同じような物を食べていく、そうしてその後の処理もやっていく、片づけもしていくという、そういうことがやはり私は当然教育的な効果があるものである、教育的な立場からこれは進めていくべきことであるというふうに私は考えております。 ただ、申し上げたかった点は、これは一つの哲学になって恐縮なんですが、大体人間というものはその土地で生産され、とれた物で暮らしていく、それを食事にするというのが私は筋合いだと思いますが、学校給食の経緯考えまして、これが戦後の非常に栄養失調になっておる状況のときに、アメリカからの支援物資によって、学校給食が栄養補給のために行われたという経緯がございます。今日でも五十一年からして米飯が取り入れられたわけでございますけれども、それ以前はどちらかと申しますというと、小麦粉によるパン食、あるいは初めは脱脂粉乳でございましたが、それがだんだん生ミルクになりましたが、そういう形になっておるわけでございまして、これはひとつやはりそこで米を食べるということ、単に米が余っておるから食べるというのではなくて、日本人がいままで発見をし、また、それぞれ助成してずっとこれを伸ばしてまいりました主食の米というものは、得がたい私は日本人の宝だと思っておるわけでございますし、これからもまた続いていくことだと思います。やはりそれは大切に教育の中で考えていかなきゃならない、こういうものだと私は思います。言ってみますと、こんなものは食糧供給からいいまして、全部やったって十万トンくらいのものです。現在の日本の食糧政策の上からいって、十万トンの問題は決して小さくは思いませんけれども、しかしそれでどうこうというもんではございません。ただ、ここで大切なことは、日本で米がつくられて、これだけの苦労をして、こういう状況になっておるということを、ほんの少しでもこの過程において子供たちが認識をしていく、そしてそういう形においてこの米飯というものが評価されることであるならば、それを表に出すと、米はまずくなっちゃいますから、言わないと思いますけれども、それが大切なことじゃないかという私は気がいたしておるわけでありまして、その効果は十万トンや、二十万トンなんてけちなものじゃなくて、もっと大きな意味を持っておる。ですから、私は農林大臣にもこの問題の起きましたときに、話をしてお願いしたんですが、一番いい米を出してくれよ、そのことが子供たちが米というものを見直すことになるんだから、そんなまずい物を食わせるようなことじゃなくて、いい米を出して、子供たちに大切な米というものの認識をさせてくれよということを申し上げましたのは、これは農林大臣からたのまれたんじゃないのでありまして、米そのものの持っておる意味が、教育的な意味というものも含めまして、おいしく子供たちの給食の中に入ってもらいたいという、これは本当に教育の上からいく念願でございますので、御了承願いたいと思います。
○委員長(大島友治君) 本件に対する午前の質疑はこの程度にとどめます。 午後一時再開することとし、休憩いたします。 午前十一時五十九分休憩 —————・————— 午後一時十四分開会
○委員長(大島友治君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、教育文化及び学術に関する調査中、文教行政の基本施策に関する件及び昭和五十五年度文部省関係予算に関する件を議題といたします。 本件について質疑のある方は順次御発言を願います。
○有田一寿君 きょうはいままで私が文教委員会あるいは本会議、予算委員会等で文教の問題について質疑をさせていただき、それなりにお答えをいただいた問題の中の比較的基本的な、あるいは比較的大切であるように私が判断する問題について、繰り返しになりますけれども、三つ四つ取り上げて、ここで文部大臣以下皆さんにお答えをいただきたいと思うわけでございます。 振り返ってみますと、四十九年の十二月以来約五年間に、教育問題について数えてみましたら三十六回質疑をさしていただいております。また、その間文部大臣が奥野さんから谷垣文相まで七人の文部大臣がかわられましたが、先ほど文部大臣みずからおっしゃいましたように、大臣はかわろうとも、いわゆる文教行政の姿勢は変わるべきものではないというお言葉もありました。したがって、だれがどうであろうとも、文教行政というものは、そうネコの目のように変わるべきものではないという観点に立って、私もまた質問をさしていただくわけでございます。ただ、そうは申しましても、これは質問ではございませんが、文部大臣というのはやはり平均一年では短いと思うんです。ほかの省庁の長官に比べてやはり三年ぐらいは私は必要だと思うんですけれども、いまの議院内閣制のもとではなかなかむずかしいことかもわかりませんが、これはやはり将来の課題であろうというふうに考えさせられておるわけでございます。 最初に、これは本会議の代表質問において、内藤文相のときにお尋ねしたことを、もう一回これは私ここでお尋ねしますが、大学の運営に関する臨時措置法の問題であります。これは立法されてから今日まで十一年たっておりますが、これは確かに臨時措置法、いわば五年間の時限立法で、五年たったら廃止するものということがちゃんと決まっておるわけでございます。もちろん廃止立法をしなければそのまま自然延長されるということでございますが、これについては、大臣はどういうふうにお取り扱いになるおつもりでしょうか、お尋ねをいたします。
○国務大臣(谷垣專一君) いま御質問ございました例の大学臨時措置法の問題は、確かに附則に「五年以内に廃止するものとする。」という表現になっておりますから、法律の効果は別といたしまして、立法当時の意思はそういう意思であったというふうに私も考えております。しかし、現実にまだそれが、それに対しましての明確な立法的な行為がないわけでございますが、これは文部省といたしましても種々検討を重ねてきておるところと思いますし、検討を重ねてきておるわけでございますが、実際上はこの法律は発動していなかったわけでございます。この法律が存在しておるということ、立法されたということのいわば紛争抑止的な効果というものが意味があったというふうに私たちも考えておるわけでございます。したがいまして、そういう効果等を考えてみますと、これを何と申しますか、いまこれにかわるべき方法というものを、どういうふうに考えていったらいいかということにつきまして、実はいろいろと考えて、まだ本当を言いますと、結論の出ていないところがあるわけでございます。立法当時の意思に従いまして、率直にこれを廃止してしまうということだけで済むかどうかという等々の問題を考えまして、実は現在に至っておるというのが、言ってみますと偽らざる状況でございます。事が相当に、実際発動はされなかったけれども、存在すること自体で意義のある法律であったわけでございますので、その後のもちろん大学の状況その他のことも考え合わせながら、慎重に処置をしてまいらなければならないというふうに、懸案の一つとして検討をさしていただかなければならぬのじゃないかというふうに考えておるわけであります。
○有田一寿君 いま御説のように、抑止効果はもちろんあったと思いますが、この法律というもの、他の省庁にも時限立法で自然延長になっているというものは幾つもあるように承知しております。ただ、私がこだわりますのは、これが教育立法なるがゆえにこだわるわけでありまして、これは他の法とは少し趣を異にしている。したがって、真剣にこれに対処する必要があるというふうに思っています。でなければ、地公法違反だということで、教組に対して違反だ違反だということを文部省も言えないのじゃなかろうかと。だから、法を守るんだと言う限りは、立法府において五年で廃止する、しかも、その立法されたときの背景が、大変な論戦の中で、五年間の時限立法であるということで、これはやっと通過したわけですね。それが抑止効果は発揮しました。しかし、それならば私はお聞きしますが、いまこの法律が仮に廃止されたとしたら、大学紛争がばんとここに起こってくるとお考えでしょうか。多分そうはお考えではないと思うんです。五年たったら廃止するんだと決めてあれば、いま代案とおっしゃいましたが、私は代案は要らないと思うんです。ここで廃止立法によって、この歯どめをかけておく。一遍廃止しておく。そして新たに、残念ながら大学紛争等が起こったならば、その起こり方の状況、これは以前と多少違っておるだろうと思いますから、その状況に応じた立法をすればよろしいわけで、そのために国会が、立法府が存在するわけですから。だから、何が何でもむずかしい状況の中で成立させたから、これをとにかくこのまま自然延長で置いておくぞと。一般は多分こういう法律があるということを知らない。しかし、ここで紛争が万一起こった場合は、これは、この法律は生きていたぞということでこれを発動しようというのは、私は教育立法なるがゆえにその考え方が残念だということを申し上げているわけでして、法律技術上どうこうと言えば、自然延長で、これも一つの法のあり方かもわかりませんが、その考え方を教育界で余りとらない方がいいのじゃないかということを申し上げたわけです。したがって、いま御研究中のようですけれども、これは格別に研究されて、私はそれぞれの党とも話し合われて、これはやっぱり文部省から出すべきではないかという考えであります。自由民主党の中も、これは確かに私も自由民主党におりましたから承知していますが、意見は二つに分れています。このままにしておけというのと、いやそれはけしからぬという議論を持っておられる方と、はっきり二つに分れています。しかしながら、これは先ほど申し上げたようなことで私は処理をしていただきたいものだという強い希望を持っておるわけでございまして、それについては一言だけ、大臣の考え方をもう一度伺っておきたいと思います。
○国務大臣(谷垣專一君) 先ほども申し上げましたように、非常に重大な時期にこういう立法があったわけでありますから、素直に考えてもう五年以内だから廃止したらいいじゃないか、ことに教育関係だからそうじゃないかという先生の御主張、御意見、これは十分私たちも考えていかなければならぬ点だと思います。しかし、またそのほかの諸点につきましても、ことにいろんな政治的な状況はどうかというようなことも含めて考えていかなければなりませんので、慎重にひとつ検討をさしていただきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
○有田一寿君 くどくそれ以上このことについては申しません。 次に、これも五十一年の十月の文教委員会で私も質問さしていただいて、後本会議、あるいは文教委員会、あるいは予算委員会等で持ち出した問題でございますが、いわゆる公共建築物、学校建築物を新たに設置する場合には、予算のほかに一%程度を加えて、芸術的装飾を施すということはいかがなものであろうか。これはフランス等においても、ドイツでも、イタリア、スウェーデン等でも、アメリカも皆やっているわけでございまして、日本の場合もアメリカ式のマッチ箱を並べたような無味乾燥のような建物だけが建てられておる。それが能率的であるというのならば、せめてそこに彫像を置くとか、絵画を飾るとか、あるいはその他いろいろな麺類の芸術的装飾はあるわけでございますので、そういうことによって、その中で学ぶ学生、生徒、あるいは出入りする父兄、一般の人、そういう人たちに十年、十五年たつうちに、自然に芸術的雰囲気が身につくようになるのではないかということで、そういうことはいかがであろうかという提案をさしていただいたわけでございますが、国立について、あるいはその他について多少私も聞き及んでいる点もございますが、現在どういうことか教えていただきたいと思います。
○国務大臣(谷垣專一君) いま委員の御質問がございました案件につきましては、当時砂田さんが大臣の時分で、砂田さんがお答えをされたと思いますし、かなり前向きのお答えをしておられるんじゃないかというふうに私は聞いておりますが、残念ながら私その後落選しましたのでよくその経過はわかりません。経過はわかりませんが、砂田さんが非常に熱心にいろいろ党の中に帰られましても動きをしておられたことは十分拝聴しておりますし、またそういう記録も拝見をいたしております。私もそういう問題につきましては、これは積極的に考えてしかるべき問題だと考えております。大体が、建物自体が人に訴えるものそのものを持っておるわけでございましょうから、そういうような考え方があってしかるべきだと思いますが、しかし、財政の問題その他、先ほど言われましたフランス式のやり方がいいのか、ほかがいいのか、いろんな手法とか、具体的な接近方策については、もう少し検討していかなければならぬと思いますし、また予算編成の過程におきましても、文部省としては財政当局にそういうような具体的な案をつくりまして、折衝した過程もあるようでございます。現実にはそれが認められない形になって現在に至っておるようでございますけれども、しかし考え方自体はこれはやはり積極的に見ていい、見るべきものだというふうに考えますので、そういう立場に立ちながら、具体的な検討をしていかなきゃならぬだろうと、文部省といたしましてはそういうふうにやりたいものだというふうに考えております。もう少し検討をさしていただきたいし、したいと考えておるところであります。
○有田一寿君 実は国立については進んでいないようですけれども、神奈川県あるいは兵庫県その他の府県において県議会で決議をされ、知事も決断をし、それぞれ実行委員会のようなものを設置して、すでに進めているというところもあるように私は聞いております。これは主として高等学校あるいは公民館、文化会館等でございまして、もちろん学校でなくてもいいわけですから、そういう公共の文化的施設にそういう手法が入ればいいわけでございます。ただ、いま大臣おっしゃいましたが、これは実は昨年——五十四年の三月の予算編成のときに、まあ過ぎた話で恐縮ですけれども、河本政調会長と大平幹里長との岡で文書で七項目ほど取り交わした文書がありまして、これは全部合意したわけですね。その中に、五項目目にこの問題が実は合意されて入った。一千億の建物について、昭和五十四年度においては一%ですから十億文教予算としてこれを計上すると、一千億の建物について実施するということが合意されたんですけれども、最終的には、医師優遇税制の問題が一点、私が微力のために党内説得ができずにすべて廃棄されたという経緯がありますので、やろうと思えば私はこれはできるし、党の方でもできる。だから、ぜひともこれは前向きに進めていただきたいものだというふうに考えるわけでございますが、これ大臣でなくて結構ですが、他の府県についての状況を把握していらっしゃったら教えていただきたいんですが、いかがでしょうか。
○政府委員(三角哲生君) 私どもただいま有田先生おっしゃいました神奈川県と兵庫県でそういう取り上げ方をしておるということを最初新聞情報で知った次第でございますが、なお、先ほど大臣から答弁ございましたが、五十五年度におきまして私どももさらに検討を行いたいと思っておりますが、その検討の過程で神奈川、兵庫が具体的にどんなふうな企画あるいは実施の方策を持っているか、つぶさにこれまた勉強もしたいと思っておりますが、ただいま聞いております範囲では、神奈川におきましては一%システム推進委員会というようなものを、文化行政推進本部の中に設けまして、県立高校で五十四年度予算で六校につきまして、そういったことを実施したいということのようでございます。これは内容としては建物配置の工夫とか、中庭や、校内道路の造園、生徒ホールといったようなものについて、空間構成についてゆとりを持たせる、あるいは外壁面にシンボルマークをつけましたり、壁面デザインを工夫するといったようなこと、それから特別教室や図書館等について、地域の利用のためにしかるべき配慮を加えていくといったようなことが検討課題のようでございますが、兵庫につきましてはまだ具体案は検討中のようでございますが、それから財政的には既定予算の範囲内で五十四年度高校で導入することも検討しようといったようなことだったようでございますが、明年度からは基本設計段階から計画を盛り込むというようなことにつきまして、学校のみならず、橋などの建築の場合にも、そういった工夫を加えていこうということを考えておられるようでございます。
○有田一寿君 実はそれを提案申し上げたときにも私考えておりましたのは、伝統工芸の後継者がなかなか育たないというのは、その伝統工芸でつくった作品が利用される、売られる、あるいはつくった人の生活の問題等があって、なかなか後継者が育たない、日本の伝統工芸が消えていくということでもありますので、そういうことが全国的に逐次少しずつでも行われていくようになれば、絵画を飾るところもありましょうけれども、伝統工芸、あるいは郷土出身の彫像家のもの、あるいは草木染めだとか、いろいろ伝統工芸貴重なものがわが国にはありますけれども、そういうものをコーナーにガラスでもはめて、その中にそれを設置する、そしてそれを各学校二年ぐらいでまた交換をしていくということになれば、そういう伝統工芸の後継者も育つのではないかということをあわせて考えながら提案を申し上げたわけでございます。 ここで、他国の中の一つ、二つですけれども、イタリア、フランスは、私は伝統工芸、あるいはそういう芸術作品について余りやあやあ言わなくてもいい国だと思うんです。むしろ日本の方がそういうことを意識的にやったがいいと思うんですけれども、これはイタリアでも昭和二十四年、——一九四九年の七月に法律でこういうことを書いておるようですね、「国の行政機関とその自治組織、ならびに管区、州、市区町村およびその他の公共団体で、戦争中に破壊された公共建築物を再建しようとするものは、その計画にかかわる予算総額の二パーセントをくだらない額を、当該建造物の美化のため用いられる芸術作品の購入費として計上しなければならない。」。また、ドイツも同様でありまして、「その建造物の建設費および外部設備費の一パーセントから五パーセントまでの金額を、芸術作品(彫刻、絵画等)の購入費として計上しなければならない。」。フランス、スウェーデン、アメリカとありますが、アメリカの場合は予算のほかに一%加えるのじゃなくて、決まった予算の中から一%を取ってそれに充てろというようなことが書いてあるようでありまして、これは多少まちまちではありますけれども、そういうことで少しずつでも国の場合についても進めることができるならば、少しずつでも進めるように御努力を額えたらというふうに思いますが、まあ進めるんだというお答えであれば、もうそれだけで、いつ進めるとか、私が聞いても別に御返事をいただける種類の問題じゃありませんし、谷垣文相なかなか優等生的なお答えでありますので、のれんに腕押しのようなことでございますから、御返事としてはこれ承るようにした方がいいのか悪いのかわかりませんが、犬丸さんいらっしゃいますが、前はあなたから御返事をいただいたことがあるんですよね。
○政府委員(犬丸直君) いま先生のおっしゃいました観点で、日本の伝統工芸、あるいは芸術家を育てるために、こういう制度を持ち込むということも、これは一つのお考えであろうと思います。ただ、現在の国の公共の建物に芸術性を導入するという問題につきましては、その将来の実効性を考えましても、私ども文化庁ではもちろんその精神には賛成でございますけれども、具体的な問題を考えまして、やはり管理局で実際に建物の建設の仕事をしておるところで担当していただくのがいいんじゃなかろうかということで、管理局の方にお願いして、私どもは側面から御返事を申し上げているような態勢でございまして、先生のおっしゃいました御趣旨に、文化庁といたしましては賛成しまして、協力しておる次第でございます。
○有田一寿君 じゃ、よろしくお願いをいたします。 次に、ちょっと問題を変えさしていただきますが、四十人学級のことについてお尋ねをいたします。四十五人から四十人学級にするということは、もう既定のことのように自由民主党でも、あるいは衆議院でもそういうことで、文部省もそのつもりになっていらっしゃるようでございます。それに水をかけるようなことになって多少恐縮ですけれども、決してそれが悪いと、望まないという意味ではなくて、同じそこまで持っていくなら、貴重な金を使うことだから、慎重な御判断で、すべてを承知した上でそれに進んでいかれる方がいいんではないかという意味でお聞きするわけです。学校の環境整備上、いろんな計数がありますが、一学級の定数を何人にするかというのと、一つの学校に配置する教員数、それから生徒一人当たり何人の教員数というような、たしか三つぐらい物差しがあったと思います。その物差しが計数で表示されたものが、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツ等先進国についてあったと思いますが、お手持ちであれば聞かしていただきたいし、お手持ちでなければよろしいですが。
○政府委員(諸澤正道君) 一学級当たりの児童、生徒数というのが、一般的にこれまで言われておりますが、それで言いますと、初等教育段階では、日本は小学校になりますが、三十三人ですね。イギリスが二十八・八と言いますから約二十九、フランスが二十二・八ですから約二十三というふうに見られます。それから、前期中等教育で言いますと、日本が三十六・八ですから約三十七、それからイギリスが二十二・三ですから二十二ぐらいですね。それから、フランスが二十五・六、約二十六弱というような数字になります。 それから、教員の一人当たり児童、生徒数はどのくらいになるかという調査ですが、これもちょっと古くなりますけれども、五十一年の調査で、日本が小学校が二十六、アメリカが二十二、イギリスが二十五、フランスが二十三。それから、前期中等教育になりますと、日本が二十一、アメリカが十九、イギリスが十八、フランスが十六、ちょっと丸くした数字になりますが、大体そんなような数字でございます。 それから、もう一つの指標のとり方は、一学級当たりの教員数ですね、これが小学校で言いますと、日本が一・二七に対してイギリスが一・一六、それからフランスが一・〇〇、西独が一・一〇。それから中学校は、日本が一・七八に対して、イギリスが一・三〇、フランスが一・五八、西独が一・四六ということでございまして、この係数でおわかりのように、一学級当たりの教員配当率から言うと、日本はヨーロッパの諸国より確かにいいわけですね。しかしながら、一学級を構成する児童、生徒数の上限が、向こうの国よりも、向こうは大体四十人ぐらいであれば、日本は四十五ですから、その分だけよけいになりますから、いまの教員一人当たりとか、一学級当たりの児童、生徒数の構成ということになると、条件はヨーロッパの国の方がいいというようなのが現状でございます。
○有田一寿君 要は、そういう三つの物差しでクラスの定数が四十五ということだけをとれば、日本よりも他国の方がいいところがあるわけですけれども、他の二つの物差しを加えて総合平均値を求めれば、私は日本は最高水準をいっていると思うんです。これは物的な数だけの話でございますが、ほぼいい線まで私はいっていると。もちろん、数は少ない方がいいという常識論から言えば、予算の許す範囲内で、学級定数は少なくした方がいいと思いますが。また、一面から言うと、クラスの定数をずっと減していけば、極端に言えば、二十五人、三十人に持っていけば、教育効果が上がるのかということですけれども、それについてはどういうふうに御判断ですか。
○政府委員(諸澤正道君) この点も一体それじゃ学級規模をどのくらいに抑えたら最も効果的かというような、いわば科学的な研究成果というようなものは、日本はもちろん、外国にもちょっとないですね。ただ、教育学者などが実際の教育現場について、同じような条件で四十人学級と五十人学級を同じ先生に担任させた場合に、四十人の方がいろんな面で効果的だというような資料はあるわけでございます。そこでそういうことを前提にして、今度の四十人学級を考えた場合に、私は日本の場合ですね、明治の初めの尋常小学校の一学級というのは、制度で見ますと八十人なんですね。八十人でも、言ってみれば、明治時代の四十年近くを通じて、小学校の普及率は物すごく高くなって、国民全体の教育レベルが非常に上がったという意味では、相当の多人数でもある程度の効果は上がるんじゃないかという逆の証明もできると思うわけです。思いますけれども、しかし、今度私どもが考えましたのは、定数の問題だけでなしに、およそわが国の初等・中等教育のこれから考えるべき課題は何だということを考えました場合に、一番最初に考えられるのは、例の学習指導要領の改定なんですけれども、学習指導要領の改定自体の考え方というものが、従来の、言ってみれば、教育内容を多様に、多量に編成して、一方的に子供につぎ込むんではなくて、内容を精選して、子供が主体的にこれを自分のものとして取り込むという、そういうやり方は、ある意味では画一的な教育を排して、いわば一人一人の子供の能力や個性を尊重してできるだけそれを伸ばすという思想だと思うんですね。そういう学習指導要領に対応して、いまの学級編制の問題を考えました場合に、やはり、もう少し一学級の子供の数を減らすことによって、子供一人一人に先生の目をできるだけ届かせる、そのことによっておよそ一学級四十五人というんではなくて、一学級を構成する一人一人の子供にできるだけ個別に目が届くような方向に教育を持っていきたい。そういう意味での効果をねらっておるというふうに考えていただくのがよろしいんじゃないかと思うわけです。
○有田一寿君 多いよりも少ない方が、同じ教師であれば、しかも同じ教育熱と教育能力を持っておれば、それは極端に言えば、塾の方がもっといいように教育効果も上がっていくだろうと思いますので、これ以上私も理屈は申しませんが、ただ、人数は少ないがいいのだ、少なくすればみんな子供はよくなるのだということにだんだん世間の目が向いておるような気がいたしますから、そうではない、やはり、どこまでも教育は教師に始まり、教師に終わるというように教師の質というものが高められなければ、それは血税のむだ遣いに終わりはしないかという心配をする余り、そういうことを申し上げたわけでございまして、もうすでに既定路線のようになっておりますから後は教師の問題に返ってくるのではないかということを思うわけでございます。 昔、これも私いつかの機会に申し上げたような記憶がありますが、外国で、ギリシャで教僕という言葉がありました。教えるしもべ、ペダゴーグと言って、これは奴隷ですけれども、奴隷といっても、他国を征服した場合に、そこの教師だとか、インテリも奴隷になるわけですから、そういう気のきいた者に自分のところの子供に知識を教えさせるということが行われた。これは教僕であって、これはいわば労働者なんですが、ところが西洋の教育の源流は私はそういうところにあったと思うんです。ただ、幾らか救われたのはキリスト教で救われたと思いますけれども、東洋の場合、特に日本の場合はそうではない。天智天皇のときに学校というものが始まったと言われておりますが、それ以来貴族の学校にしても、武家学校、あるいは寺小屋にしても、教育史をずっと見てみると、やはり教育、教師というものは知識を切り売りするものではない。たとえば、寺小屋で読み書き、そろばんは教えるが、同時に人格的な形成に役立つような、言いかえれば教師というものはペダゴーグではないんだ、知識だけを教えさせる労働者ではないんだということ、したがって、教師に対する尊敬の念、信頼の念というものがあらゆる日本の学校にはあった。なかったというケースは一つもないと私は理解しておりますが、明治以後も私は同様であったと思うんです。入ってきたのは西洋の教育思潮が入り、学校制度が入ってきた。けれども、日本の実情に合うようにこれを合わせよう、合わせようとしたように思うわけです。だから、したがって、大学でもヨーロッパの伝統を引いた大学制度を入れながら、結局実業教育にしても、フランス等は実業教育を余りやらない、言いかえれば職人仕事だという観念が抜けない、イギリスも同様ですけれども、日本の場合はそこで勇敢に実業教育振興令というものを出して、これに取り込んできた。それが今日の日本の発展を促したと思いますが、そういう実業教育のみならず、教師像というものについても、東洋的な、日本的な私は教師に対する信頼、尊敬の念というものはずっときた、終戦まであった。それは軍国主義だとか、封建的とかいうことと、結果的にはオーバーラップしたこともありましょうけれども、必ずしもそうではない、決して教僕ではないんだということであったと思いますが、しかし教職員組合ができて、われわれは教育労働者であるということを宣言をする、そして今日ストライキも行うわけでございますが、私はこれをきわめて残念と思うので、要するに教師に返ると言った場合、いろいろ問題はあると思いますが、仮にストライキ一つとってみても、子供の学習権を侵害する、そして自分たちの人権は憲法で保障されたものを守るんだというような発想がある。だから、父兄あるいはそれを含む社会全般の期待と、尊敬と、信頼に値するような教育者でない場合に、教育効果が行われにくいのではないか。家庭に帰ったときに、何だあの先生はなというようなことを言われたら、子供のやはり受ける影響というものは悪い方に影響を受けていくだろうという気がしますので、要するに日本で言う教師、教育者というものに対する尊敬の念というものは、これはどうしてもやっぱり維持していきたいものだと、それがないと教育は行われないんだということを強く感じますので、それについて、私は政策要求ストはいけないということを先般の本会議のときにも申し上げましたが、人確法によって二割五分ぐらいの一般公務員よりむしろ高い給与が保障された、そうなると、賃金要求がほぼ満たされてくれば次は政策要求になりますけれども、政策要求ということになればこれはもう限りなく出てくる。その四十人学級というものも、これはストを構えて横枝さんがやられたわけですよ。内藤文相のときに持ち出されたわけです。その内容は大変りっぱですよ。いま諸澤局長おっしゃったように、四十五人より四十人がいいと、それからその他養護教諭をふやすということで、今度の予算でこれはふえていると思いますよ、六百人ぐらい。それもいいです。いいけれども、その方法が、子供をストライキに、結果的には巻き込まなかった、がしかし、巻き込むぞということでかち取っていくという、目的のためには手段を選ばないというこの考え方はまことに私は残念だという気がするわけです。これについてどういうふうに大臣はお考えでしょうか。
○国務大臣(谷垣專一君) 有田先生が申しておられるように、結局教育の一番大切なものは教師そのものであろうと思います、それは。教師そのものに適切な人を求めるということ、これが非常に大きな、また教育問題に関します非常に基本的な問題であると思います。けさほど私申しましたように、教育の基本は結局人にあるし、人をりっぱに育てていくというところに教育の原点があるということで思いますと、それを育てていく教師そのものが問題である、こういうふうに考えるわけでございます。先ほどストライキ等の問題等々のお話がございましたけれども、とにかく教師に適切な人を求めるということ、そしてそれはいろいろ問題はあろうと思います。しかし、ことに義務教育の段階におきましては、英語の先生もおられるでしょうし、国語の先生もおられるわけですけれども、そういう問題のもう一つ根底に教師全体としての人間の問題が当然これはあるわけだと思います。そういうものを、前からも問題でありましたでしょうし、いわば教育におきます初めから、また尽きることのない永久の課題と言ってもいいかもしれませんが、やはりそこに教育の本当の問題点が私はあると、こういうふうに思います。今度の四十人学級の問題につきましても先ほどいろいろお話がございました。これは先ほど局長の方からもお答えをしておる中にありますけれども、やはり生徒、児童とそれから教師との接触の密接度合いと申しますか、そういうところにこの四十人学級の重要な私は問題点があって、そのために四十五人よりも四十人の方がよろしいと見ておるということだと思います。数が少なくなればなるほどいいという量的な問題ではないのであって、量的な問題も含めて児童、生徒と先生との接触の濃度の問題、そういうところに私は問題がある。そうなりますと、単にその制度だけでなく、適切な先生が欲しい、優秀な先生が欲しい、よけいに緊切になってくる、こういうふうに私たちは思っておるわけであります。
○有田一寿君 入学試験の問題について引き続きお尋ねしますが、入試が激化する、まあ現実に激化しておるわけですが、これは日本が学歴社会であるからだということを言いますが、どういうところから入試激化になったというふうに御判断になっていらっしゃいましょうか伺います。
○国務大臣(谷垣專一君) 結局、学校というものを出なければ、世の中に出て行って不利益である、端的に言いますと。そういう空気が非常に強くなってきておる。そのためにこういう状況になっておるのではないかと。もっと端的にほかの方から言えば、学校教育を受けたいという、あるいは大学教育を受けたいという、そういう希望を持つ諸君と、それに受け答えするだけのものが、単に需給が不均衡だというだけでなしに、もっと根底にいまの、言ってみますと一種の学問に対する熱情というだけで判定のできない、若干、世の中に出ての利己的な、学校教育を受けた方がよろしいという、そういうものが根底になって、非常に入学試験その他が激化しておる、こういうふうに考える面があるわけでありまして、その点を何とか是正する方法がないものかと、こういうふうに考えるわけであります。
○有田一寿君 私は、その是正する方法というのは、よほど広範に考えないとむずかしいんだろうと思うんですが、一つはドイツなどのように、マイスターというような制度があるわけではなく、この学校を出ておやじの職業を継ぐのだというためにその学校に入っていくというような場合は、日本は医科歯科系の場合はよく見られますけれども、それ以外はわりに少ないように思うんですよ。これは日本が、これは私の判断ですが、一番開かれている。階層間の移動が学校によってなされる、いままでは大工さんの子供であっても、今度こうこうすればおれは役人のこういうのになれるんだという、この階層移動が非常に容易であるということが、学校志向につながっていると思うんです。それからいま御指摘になられましたように、安全地帯に送り込んでおきたい、言いかえれば大学さえ出しておけばというのが親の気持ちであろうと思う。それともう一つは、これだけ昔から教育熱心な日本ですから、これを六・三・三という単線型をアメリカが持ち込んできた。そしてこれを日本が採用して、そして針の穴に糸を通すように、もうみんなこの単線型の六・三・三制に向かって、最後は大学に行かなきゃだめだと。そうすると、これだけ大学が量的に拡大してきますと、ただ金使って行っただけでは、どうにも自分が目的とする、いわゆる安全地帯に入ることにならない。だから有名校志向ということになったから、非常に国・公立を問わず、私立を問わず、有名校に集中するようになっていったということだと思うので、幾つかの要素がある。だから六・三・三制の問題も私は真剣に考えなきゃならない。 それから、もう一つだけ申し上げておかなきゃいけないんですが、これは能力に応じてひとしく教育を受けることができるとなっておるわけですけれども、ひとしくということはみんな意識しますけれども、能力に応じてということを忘れている。だから、早く言えばみんな平等なんだと。ところが人権というか、人間のとうとさはもちろん平等ですけれども、個人個人の能力は平等なのかといえば、さあここで差があると言えば、おまえは何を言うといって、この席でも以前言われたことがありますけれども、それは私はそうだと思い込んでおりますから、そして遺伝によって人間の能力というものはある程度決まるということを申します。ある学者は八〇%と言います。少ない方では六〇%と言います。どれが正しいかは別として、いずれにしても、やっぱり言いにくいことですけれども、サラブレットで競馬させずに、ロバで競馬させたら、それはサラブレットと走らせたら百回やらしても全部負けると思うんです。しかし、荷物をかついで遠いところへ行かしたら、サラブレットより耐久力があるだろうと思うんです。だから、人間の持ち場持ち場、適正というものを全部無視して、そして全部大学に送り込めばいいんだ、塾にやってやれば全部能力は花開くんだという、これは余り私はPRし過ぎていると思うんです。PRが行き届き過ぎている。お母さん方も全部もう無理してでも、ここに入れさえすれば、それが結局挫折感になって、能力のない者も同じところに向かおうとするわけですから、自殺したり、そういううっせきした心境になって、人生を失うということになっている。だから、それは自分の向いた方にいくという、適正指導ということが、口で言うはやすく、実際にはなかなか行われにくい。教師がそう考えても、お母さんの方が納得しない。それがいまの私は混乱した入試激化の姿になっておるように思うわけです。したがって、この問題を高校の問題につないで質問をさしていただきますが、高校はまず全入、無償、それから義務化という方に向かうだろうと思います。現在九十数%、昭和六十年になれば九六・何%、県によっては九八・数%というような進学率になってきますから、もうほとんど全入ですが、そこで以前私がこれも申し上げたことをいま繰り返して最後ですから申し上げておるわけですけれども、高校は学年制を固執せずに、単位制に切りかえられて、そして単位を完全に履修して、かつ修得した者は普通卒業、単位が二単位でも残った者は特別卒業ということで、これは職についた後でもまたそれだけを二カ月一回なり、三カ月一回の追試をして、合格すれば普通卒業に切りかえていけばいい。言いかえれば、学年制であれば落第、留年ということになりますから、なかなか不名誉だということで、父兄の大変な反対も起こりましょうけれども、単位制に切りかえていかなきゃならないんじゃないでしょうか。全入を目指す限りは、もうちょっと責任のある教育をしなきゃならぬ。そうなれば、当然そこで何らかの手法が導入されなければ、全部入れるよ、全部出すよということで卒業証書を持たして全部出してしまうということはちょっと私はいかがなものかという感じがするわけです。それは同時に六・三・三の単線型の問題とも絡み合ってくるわけですけれども、もっと複線化していく、もっと職業高校を充実していく、そして誇りを持たせるというふうにもっと力を入れていかないと、いまのこの混乱した入試のますます激化する状況はよくならないんじゃないか。これは諸澤局長はよく御存じですわ、以前この問題議論したことがございますから。いまどういうふうに文部省としてはお考えかお聞かせ願いたい。
○政府委員(諸澤正道君) 大変むずかしい問題なんですけれども、率直に私考えていることを申し上げたいと思います。 全入というまずその門口の議論ですけれども、おっしゃる意味は、恐らく高校へ入りたいという者は全入という意味だろうと思います。それにしても、現在すでに九四%入っておって、率直に言って、私いろいろ実態を見たり聞いたりしますと、確かに希望はするんだけれども、高等学校へ入る希望というものが、本人の希望なのか、親の希望なのか、これはせっかく高等学校へ入れるという社会の恩恵に十分自覚至らずして、入っておっても、要するに高等学校に入って三年間座っていれば卒業できるんだということでいくんじゃ、これは幾ら全入とか、機会均等とかいっても私は意味ないんじゃないか。そこが一つあると思うんですね。 それで、その次に、先生おっしゃるように、単位制にするという趣旨は、いやしくも高等学校で勉強した者は、単に履修したというんでなくて、内容を修得しなきゃいけませんよ、この思想ですね。これも私はそのとおりだと思うんですね。だから、アメリカなんかのハイスクールというのは、入ってから出るまでにドロップアウトするのが三〇%ぐらいいるというので、これが教育の正常な姿かどうかわからないけれども、やはりある程度の厳しさがなきゃいかぬ。その場合に日本は学年制にしているから、二年から三年に行くところで必要な単位をとってなきゃもう一回足踏みだ、こういうことになっちゃうのはどうかという議論なんですけれども、これも私はいろいろ聞いてみると、必ずしもそうばかりも言えない。仮に三年に進級させておいて、残った分を三年の前期でもう一回テストさせるというような方法もあろうかと思うんですね。 じゃ、なぜその単位制一本に切りかえないかということなんですが、ここのところはやっぱりいまの高等学校年齢相当の青年を考えた場合に、まるで大学と同じように、とにかく所定の単位だけを積み上げていけばいいんだというのが高等学校教育として適当かどうか。やっぱりある程度の学級編制、学年編制を経て、その中で適切に単位制をとりながら進ませる。三年間で高等学校の課程を終了するのがたてまえですよという方が私は教育の制度としては妥当ではないか。しかし、その中でいまおっしゃるように、履修と修得の問題は非常にこれは日本じゃ大きな問題だと思いますから、それはもう少し考えて、少なくともいまのような形式的な履修だけでどんどん卒業させるということは、これは十分考えてほしいということを、私はよく高等学校の先生の集まりのときには言っているわけなんですけれども、そのためにはやっぱり今度はもう一つ教育の指導面で、ややもすれば従来のやり方の一つの大きな問題は、だれでも、数学でも英語でもむずかしい内容を八単位も十単位もみんな共通必修で覚えさせなきゃ、勉強しなきゃいかぬという、あの共通必修の過度な要求というのはやめなきゃいかぬというのが今度のねらいで、それを半分くらいにしたわけですね。それからその同じ共通必修の履修の仕方でも、だれも一単位は、年間三十五週一単位一時間というのじゃなくて、必要に応じてその時間をもっと延ばしたりするようなそういう配慮、それがもっと延長されればいまの習熟度別学級編制というようなこと、これはいまの平等主義から言うと非常に差別じゃないかという意見もありますけれども、最近はやはりそういうことに対する反応というのは、高等学校の現場から聞きましてもやはり実際必要なものはやるんだと。それは差別だとかいうようなたてまえ論だけじゃいきませんよという話を私は聞きますから、本当にそういうふうにだんだん変わってくるんじゃないかなというふうに思うわけでして、そういうことを総合しながら考えますと、私のいまの考えは、やはり学年制を持ちながら、その中でできるだけ確実な内容の修得という方向に持っていくのがよろしいんではないかというふうに思っています。
○有田一寿君 それは結構でございます。 私も少しとっぴな提案をしているわけでありますから、いまの諸澤局長の御発言でよく意味はわかります。ただ、平均、平均ということを言いまして、できる子もできない子も——だから、できない子にも習熟度別あるいは遅進児対策としてのクラス編制等今後逐次考えられていくでしょうが、できる子供の方もやはり考えてやらないと、これがまた言う意味の塾に行くことでありまして、そのために私は在学は高等学校は三年間であるべきだ。仮に単位制に切りかえても三年間であるべきだ。ただし、単位の修得は二年ないし四年で修得したらいいんだと。できる子は二年でとったって構わない。あとスポーツやろうと何やろうと、三年間いなきゃならない。それで、しかし、とれなかった者はもう一年アローアンスがありますから、そこで追試を二、三回受けて単位を充足すればいいではないか。それは職業についていようと、大学に入っておろうと構わないよと。一応卒業はさせるんですから、普通卒業を——特別卒業の者もおりますけれども。そういうことで、おくれた者の対策もやるが、やはり進んだ者も足踏みをさせないようにするのが、これがいわゆる本当の平等ではないか。長い日本の将来を考えたときに、平均だ平均だと、言いかえりゃ教育を福祉対策的に考えずに、それをやると同時に、進んだ者も私はやる必要がある。そうしないと、弱者ばかりがふえたら、いい意味の強者がいなければ、だれがこの文化を発展させ、経済を発展させ、国際的に伸びていくことができるかということを考えたときに、英才という言葉を使えばもう悪、エリートと言えばもうこれは大変な攻撃を受けるという、全くびびったような状況ですけれども、これは先ほど申し上げるように、人間の能力には種類の差もありますし、それから能力のある者、ない者という差もございましょうから、それぞれに応じた教育を確保していくというための教育制度というものを、その教育内容というものを、あらゆる観点からこれはやっぱり詰めていかなければいくまい。そして六・三・三というものをこのままやる方がいいんだということであれば、それも一つの方法だと思うんです。その中で複線化を考えていく。 それから、これをいつの時点か中教審の答申にあるように、変更するんだということであれば、これを二十年計画であっても、がっちり日程を組んで取り組んでいくべきであって、それを変えるという人もあれば、変えないという人もある。これは迷うばっかりですから、そこら辺については文部省の中に何かセクションができたようにお伺いしたことがありましたが、現在どうなっておりましょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 学校制度の問題は、いつかもお話したことがあったかと思うんですけれども、具体的日程に上げているわけではないのでございます。ただそれじゃ四十六年の中教審の答申を受けてどう対応をしておるかと言えば、いま言ったような、制度にかかわり合いのある問題としては、幼小の連関であるとか、あるいは中高の一貫であるとかいうようなことを、制度改革という前にもう少しいまの教育内容、指導方法等について連関性を持たせる方がいいんじゃないか、そういう研究をしてみようということで、初中局に、いまはやめましたけれども一セクションをつくって、そこが主として担当して幼稚園の情操教育、徳育から小学校の知育教育へ移るその移り変わりのカリキュラムをどういうふうに考えていくか。あるいは中学校と高等学校の間に三年の区切りがあって、教育内容に重複があったり、あるいは断絶があったりというその問題を、六年間の教育として考えた場合、どう教育課程を是正していくべきかというようなことを研究に着手しましてて、これはいまも続けてやっております。そしその結果をごく一部の人に、これは余り大っぴらにしますと、また何かそれが非常に妙な影響があったりするおそれがありますから、ごく一部の限られた人なんですけれども、お配りしてまたいろいろ検討してもらうということで、言ってみれば遠い将来、またわれわれどういうふうに制度を考えていくかというようなことへの、いわば現時点における研究成果の積み重ねという形でいまやっておる、こういう現状でございます。
○有田一寿君 高等学校の問題はそれで結構です。 最後に、九月入学という問題でございます。 これも九月ないし十月入学が最善の方法なのか、あるいは現在の四月入学の方がいいのか、もちろん私もわかりませんが、それぞれ学者その他いろんな意見がありまして、利害得失あるだろうと思います。ただ会計年度が日本の場合は四月−三月であるというのが、以前九月入学であったのが四月入学に変わった一つの大きな理由であると、私は承知しておりますが、どういうことでしょうか、あのとき私が本会議で申し上げて提案したのは、まあ先進国は全部秋の入学だと、日本だけがそうだと。そうでないいわゆる日本以外で四月入学をとっているのはインドと、あのときはパキスタン、それとリヒテンシュタインですか、そういう国であって、もう全部九月入学。そうすると、これだけ国際化してくると、その面から九月の方がいいのじゃないかということと、共通一次テストということから考えて、高校三年に割り込まないということから言えば、六月ごろ試験をなさるなりして、七月に——あのとき提案したのは、まあ奉仕期間的に二十日でも三十日でもいいから、卒業した者はみんな老人ホームでも、あるいは身障者の施設でも、草むしりでも洗たくでもいいから、男女それぞれ分かれて、そういう奉仕をすれば、自分たちが健康であるということだけでもいかに幸せであるかということを、理屈を言うよりも身にしみてわかってくれるのではないか。そして、それから八月を休んで九月に入学するということはどうであろうというようなことで提案申し上げたわけですけれども、高等学校と中学校をいまのままにしておいた方がいいのか、あるいはそれも外国がやっておるように九月にした方がいいのかとか、いろいろ問題があるようですが、これについて現在はどういうふうに文部省はお考えでしょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) 九月の入学の問題は、先生御指摘のように、国際交流の点あるいは共通入試の点等を考えますと、非常にメリットのある考え方であることは私たちもそのように認めております。また大学人の中にも、特に国際交流の円滑というようなことを考えた場合に、九月の新学期というものを採用してはどうかという考え方の者があることも事実でございます。この点は共通一次試験の導入の際にも大変御議論のあったことでございますし、文部省は大学局でそれを受けとめまして、局の中に一応検討のためのいわばプロジェクトチームをつくりまして、問題点の整理等を行ってきているわけであります。現実にすでに施行規則の一部改正をいたしまして、特に必要がある場合には九月からの入学ができるような措置は講じましたし、それに従って国立、私立それぞれ若干ではございますが、九月から主として海外から入ってくる学生を受け入れるという措置をとっているところもございます。ただ、全体として入学期のシステムを変えるということについては、先生もいま御指摘のように、高等学校以下をどうするんだとか、あるいはわが国全体の社会の慣行、特に就職の問題等がございますので、なかなか大学局の方から見た事情だけではいきかねるところもございますので、さらにわが方で整理をしました問題をもとにして、もう少し省内全体で議論を深めてまいりたいと思っている段階でございます。
○有田一寿君 終わります。
○山東昭子君 私は障害児教育について大臣並びに文部省の方に何点かお伺いしたいと思います。 まず第一に、養護学校義務制実施の成果についてお伺いしたいと思います。 心身に障害を持っているために、小・中学校の一般学級における教育では十分な教育効果を期待することが困難な子供に対しては、その心身の障害の状態、発達段階、特性等に応じてよりよい環境を整え、その可能性を最大限に伸ばし、可能な限り積極的に社会に参加する人間に育てるため、特別の教育の仕組みを用意する必要があると考えます。 ところで、昭和二十二年の学校教育法制定以来、長年の懸案でありました養護学校教育の義務制が昨年四月から実施されました。この制度は中身や実態では問題点はまだまだございますが、長い間日の当たらなかった子供たちに対し、思いやりと温かな教育をといった面で、アメリカ、イギリスに次いで世界で三番目に実現したことは、一応評価に値すると思います。ついては、この養護学校義務制実施によって、一体どのような成果が上がったとお考えか。また、養護学校の数、就学児童、生徒数等は従前に比べてどのような実態になってきているか、お教え願いたいと思います。 また、文部大臣は、今後の養護学校教育の振興について、一体どのようなお考えをお持ちかお伺いしたいと存じます。
○国務大臣(谷垣專一君) 昨年から養護教育の義務制を実施することになって、すでに発足しておるわけでございますが、これは長い間の懸案がこうして実施を見たわけでございまして、大変に意義のあることでございました。学齢期に達しました児童、生徒に教育の機会を保障することが実現を見たわけでありまして、大きな意味が私はあると存じております。 こういう制度を実施いたしましてからまる一年たったわけでございまして、いろんな考えなきゃならぬ問題も起きてきておるわけでございますしいたしますが、将来ともにこの養護教育の義務制を実施いたしました初心を貫いてまいりたい、かように考えておるわけであります。 すぐにその効果がどう出るかということにつきましては、これはいろいろな見方があろうと思います。要するに、義務教育をとにかく養護教育のところまで持っていったということ自体、多くの心身障害者を持っておられる家庭に即常に大きな期待を持たしておることは事実でございまして、そのこと自体が非常に大きな意味を持っておるというふうに考えております。 具体的な数字その他につきましては局長からお答えをさしていただきたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) 昭和四十七年ですか、その予告政令を出したときは、養護学校の数は概数二百六十だったんですね。それが五十四年度の年度当初義務制発足のときには約六百五十校になってますから、非常に数も関係都道府県の努力によって急速に増設してもらいまして、したがって、その就学児童、生徒の数も去年で五万六千なんですね。それは対前年度で一万六千ぐらいふえてますから、これもその移行によって、従来特殊学級などに行っておった子供さんも養護学校に来るというようなのもかなりあって、子供の数も非常にふえてきた。 それからもう一つ大きな問題は、五十四年度まではいわゆる就学猶予、免除として学籍を持ち得なかった子供が約一万いたんですね。それのうち、本当に療養に専念しなきゃならぬような子供さんは引き続き猶予ないしは免除ですけれども、いわゆる訪問指導の対象になった子供さん、約七千訪問指導の対象にいたしましたから、そうした就学対象児の増加ということを含めて、非常にこれで日本の義務教育というものが制度的にも実質的にも一応全部整備されたと、こういうところに大きな意味があろうかと思います。
○山東昭子君 次に就学指導体制の整備についてお伺いしたいと存じます。 心身に障害を持つ子供たちが学齢期を迎えたとき、普通学校に入学するか、あるいは特殊教育諸学校入学かというようなことについて、親御さんは大変思い悩まれる例が多いと聞いております。これはもちろん障害を持つ子供の親として当然のことと思います。制度の上では子供の入学先を決定するのは教育委員会ということですが、昨年養護学校義務制を控えて、子供の就学先をめぐって、教育委員会と保護者が対立するという例が少なからず見られたということは、まことに不幸せなことであったと思います。初めて会ったのにわずか二、三分観察をして、わが子の障害の状態を測定された、判定されたと、保護者が怒るのも無理がないような気がいたします。またその全盲児の保護者に対して、盲学校では盲児のために点字指導であるとか、あるいは感覚訓練、歩行訓練、将来社会自立できるための職業教育など、さまざまの配慮をした教育を行ってくれるので、本人の将来のために利益があるというように、保護者が納得できるような説明もせずに、ただ法例で定めてあるから盲学校へ就学せよと申し渡すようなやり方は非常に問題があると思います。心身に障害を持つ子供の就学指導に当たっては、もちろんその子供の障害の状態を正確に判定するということが大切ですが、それと同時に、その障害に応じた特殊教育がその子にとってどうして必要か、その子にとってどういう利益があるかということを保護者に対して十分に説明し、納得を得られるような形で進めることが大切であると思うわけでございます。そういう意味で、各市町村及び教育委員会の行う就学指導は非常に重要な意味を持っていると思いますが、この点文部省としては、各教育委員会における就学指導体制の整備について、どのような指導なり、施策を行っているのかお聞かせいただきたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) 就学指導とおっしゃるように、一人一人の子供さんを普通の学校へ行かせるべきか、あるいは養護学校へやるべきかというこの判断は、なかなか大変な仕事で、まず第一番にいま先生がおっしゃるように、余り短期間のうちにこれを決めるというのはやっぱりよくないわけで、これはできれば相当長い期間その子供さんを観察して、やっぱりこれは小学校無理だというような判断をするのが一番いいというのは専門家などの言うところですが、現在の学校体系でそうは言ってもそう長い観察期間はできませんけれども、昨年規則を直しまして、いまちょっと正確に覚えておりませんけれども、身体検査の時期を前の年の十一月くらいにやるようにしたんですね。いままでは一月にもうやってますから、おっしゃるように子供を見て、それから指導するまでの時間的余裕がない。そこで十一月ごろ身体検査をやって、その結果市町村教育委員会として、この子供さんはちょっと小学校は無理だという場合には、県の教育委員会へその調査の結果を送付すると。それで県の教育委員会がそれを見て、あるいは必要に応じて専門家の判断を仰いで養護学校入学を指定すると、こういう手続にするわけですが、そこでもう一つの問題は、そのような市町村ないしは県の教育委員会がその判断をする場合に、教育委員会だけでするんではなくて、そこに市町村県の段階で就学指導委員会というのを設けなさいという指導をしてきたわけで、これは現在県は全部、市町村の段階でも九十何%かみんな設置されるところまできたわけですが、その就学指導委員会の構成は学校の先生、医者それから福祉施設の職員というようなことになっておりますが、実際はそれに加えて、地域によって心理学者を入れたり、あるいは教育専門の学者を入れたりというようなことで、その方たちの専門的ないわばアドバイスを参考にして学校を決めると、あくまでもこれは制度上親の希望でどこの学校へ行きなさいと決めるんではなくて、もちろん親の希望は十分聞きながら、教育委員会が自分の責任でするという制度のたてまえになってますから、それをより教育的にするために、やはりそういう就学指導委員会の充実ということを考えたわけで、今度は問題になりますのは、そういう就学指導委員会の委員さん個々人について、できるだけそういう指導面での経験と能力を伸ばしていただくという意味で、そういう指導員あるいはその就学指導員にさらに専門員というようなものをその下に設けるところもありますんで、そういう方たちの研修といいますかね、こういうこともできるだけやってまいりたいということで、ことしは計画をしておるというようなことで、全般的にいまの就学事務の適正化と円滑化を図っていこうと、こういうことでございます。
○山東昭子君 次に、重度障害児の教育対策についてお伺いしたいと思います。 養護学校の義務化に伴い、重度の障害児が養護学校や盲聾学校に就学するようになってきたということは、大変意義深いことだと思っております。しかし、どうも私どもいろいろな施設を歩いたりして感じることは、その形や制度ということではなしに、本当に重度の障害児の発達を真に促すような教育が必要であり、今後はその形あるいは数ということだけではなしに、教育の質が、中身が問われなければならない、そういうときになってきたんではないかと思うわけでございます。たとえば盲聾の二つの障害を持った子供の場合には、言葉を教えようとしても、先生の言葉は聞こえないわけでありますし、また先生の口の形や、あるいは身ぶりも見ることもできないわけでございます。したがって、どうしてもマン・ツー・マンによる教育が必要でございます。そこで、これらの重度の障害を持つ子供たちの教育について、文部省はどのような対策を講じているのか。今後これら子供の教育について、一体どのように充実させようとしているのかをお伺いしたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) 確かに重度障害あるいは重複障害の子供さんは、まあマン・ツー・マンに近いような指導でないと効果が上がりませんから、そういう意味でいまのこういう重度障害、重複障害の子供の学級編制は五人にしておるわけですけれども、今度の十二年計画で三人にするということで、できるだけ教育の目が行き届くようにしようというのが一つの改正でございます。それに加えて、やっぱり校内においても手足も十分に動かせない、言葉も通じないということですと、どうしても介助を必要としますから、そういう介助のための職員というのも、ことしの予算でまたさらに増員しまして、国庫補助の対象になるのも七百五十人というふうにいたしておるわけでございます。それから、いまおっしゃった教育そのものをどういうふうにしてやるかということですが、これは私どもも実際学校へ行ってみて痛感するわけですが、要するに学校教育というものの考え方をよほど弾力的に考えないと、重度障害の子供さんの教育というのは、普通の子供さんの教育のように、各教科の知的内容を注入するなんてもんじゃないわけですから、養護学校では特に教科の内容として普通の学校にはない養護訓練という教育分野を設けておりますが、それによって、子供の障害に応じて手足の機能訓練であるとか、あるいは発声訓練であるとか、聴覚の訓練であるとか、そういうことをかなり重点的にやると、そういうことをやるためには、いろいろな独特の施設、設備を必要としますから、そういうものについての設備の補助をするというようなことでございます。さらに、非常に重い子供さんについては先ほども申しましたように、学校へ来られないから自宅で、あるいは病院に入っておるというような子供については、こちらから出向いて行って、いうところの訪問指導をやると、こういうようなことで今後も対応してまいりたいと。そういう障害児の教育というのは、結局はその担当する先生の問題になるわけで、これはなかなか本当にそれに対応できるという人は能力だけでなしに、やっぱり意欲も持っている方でないと困るわけですが、そういう意味での教員のあり方、養成の仕方としては、いわゆる四年制の学部で初めから特殊教育の免状を取らせるという方法だけでなしに、要するに普通の学校の先生の免許状を四年間大学に在籍して取って、普通の学校に入っておられる、勤務しておられるような先生が、やっぱり自分は特殊教育もやってみたいと、自分からそういう意欲を持つ人が特殊教育を担当するためにその勉強をする。そのためには国立大学にそういう現職の先生が一年間通って、その現職免状、普通の学校の免状にプラスして特殊教育学校の免許状を取れるコースとか、あるいは四年の上にさらに一年の専攻科を設けるとか、こういうようなこともぼつぼつ国立大学でお願いをしておるというようなことで、このような教師の養成、現職教育と相まって、いまのような重度、重複障害者の教育の充実を図っていこうというのがいまの考え方でございます。
○山東昭子君 やはりこうした障害児教育というものについては、やはりその形ではなくて、本当に最後には心だと思いますので、やはりよき指導者、よき教師というものをお育ていただくように、なお一層研修の機会であるとか、あるいはそうしたことに対してぜひとも力を入れていただきたいとお願いをする次第でございます。 次に、普通学級の子供たちとの交流教育についてお伺いしたいと存じます。最近そうした心身障害児を持つ親御さんたちとお話をしておりますと、どうしても一般社会の理解というものが非常にないと、そういうことを聞くわけでございます。公園で遊んでいても、自分たちとは違った子供たちだから、やたらにけ飛ばしたり、なぐったり、あるいは洋服をはがれたり、傷だらけになって帰ってくるんですよというような話をお母様方から伺ったこともございます。やはり心身に障害がある子供たちでも、障害を持たない一般の人々と同じ地域社会で生活を営んでいくわけでございますし、そのためには一般社会の人々、あるいは子供たちの障害児に対する正しい理解と、温かい思いやりというものが当然要請されることとなります。したがって、義務教育段階から一般の子供たちと障害児が交流することは、障害児にとっては積極的に社会に参加する態度を育成するために、さらに一般の子供たちにとっても、仲間意識をはぐくみ、人間尊重の精神を涵養するという点からも、まことに有意義なことと考えるわけでございます。たとえば、普通学級の子供たちにとっては、障害児との交流は一見異質と思われる人の中に多くの共通点を見出して、同質感を持つことの喜びをもたらすわけです。また、心身障害児の障害克服の意欲というものに触れて、自分の生活姿勢、あるいは学習の態度を正す場合もあると思います。また、友達の立場を理解する態度や、能力を育てることもあると思います。さらに、障害者に対してのみならず、幼い子あるいはお年寄りを含めて、自分たちの地域社会を構成している仲間に対して、思いやりの気持ちを育てる乙とになると考えます。まあ来年は国際障害者年ということでございますけれども、ただおざなりの同情、障害者に対する同情ということではなしに、本当に幼児のときからのそうした子供たちに対する、あるいは弱い立場の人たちに対する意識というものを植えつけるためにも、文部省としてもこうした観点から普通学級の子供たちと障害児との交流というものを、これは授業の一環として学校ぐるみで促進をすべきであると私は考えるんでございますけれども、大臣初め文部省の方のお考えを承りたいと思います。
○国務大臣(谷垣專一君) 御指摘がございましたような普通学級の子供たちと、それから養護学校の子供たち、普通の健全な子供たちがこういう心身に障害のある子供たちと同じように交流するということは、非常に望ましいことだと思います。これは現在はもうすでにそういういろんな諸施策をやっておるところでございますが、詳しくは局長からお話しいたしますけれども、やはり何と申しますか、一諸に住んでおるこの世の中でございますので、その間の子供のときからの交流、その間にお互いにそれが仲間であるという意識を持たせるようにすることは、やはりこの問題の一番根本の考え方として必要だと思って指導しておるところでございますが、詳しくは局長からお答えをいたします。
○政府委員(諸澤正道君) 具体的には各県で養護学校あるいは盲学校等一校と隣接する小・中学校とを提携させまして、心身障害児理解推進校というようなことで、その両校の間で、たとえば運動会であるとか、文化祭であるとか、学芸会であるとかいうような、あるいはその他の特別活動等の際に、障害のある子供さんもその普通の学校へ呼んで、友達になる機会をつくらせるというようなことで、言ってみれば、いずれにしても将来社会に出れば普通の人間と一緒に生きていかなきゃならぬわけですから、そういう接触する機会を多く持たせるということを、現実に教育活動のプログラムの中で持たせるというのがねらいでございますし、それからもう一つは、やっぱりそういうことをやるについては、どうしても普通学校の先生、あるいは子供というものが、そういう障害児に対して正しい理解を持つということが必要であるわけで、そういう意味で、ことしはそういう障害児を理解するためのパンフレットですね、これをたしか三十万部ぐらいつくって、一般の学校なり、教育委員会へお送りして、それらの先生や子供に、障害児というのはこういう方なんだという理解を持ってもらった上で、いま言ったような交流といいますか、そういうことが円滑にできるようにやっていこうということで、これは現実には、確かにそうは言っても、やっぱり一人一人の人間の内心の問題というのはいろんな反応をしますから、口で言うほどうまく必ずしもいくというふうには私理解しておりませんけれども、やはり長い目でこういうことを考えて、だれもが障害を持っている人間に対しても、やっぱり人間として同じなんだという、そういう基本的な考え方を培っていくということは大事なことだと思いますので、こういう仕事をこれからも進めてまいりたいと、こういうふうに思うわけです。
○山東昭子君 次に、障害児の早期教育及び後期中等教育の拡充についてお伺いしたいと存じます。 最近は障害児というものも早期発見できるということ、いろんなその手だてがあるそうでございますけれども、障害を持つ子供に対する教育というものは、特に幼児段階においてできるだけ早期に行うことが必要であり、その効果も大きいということを聞いております。ことに障害児を持つお母様方は、その子供の教育について日夜いろいろと悩んでおられます。そこで、障害児の早期教育及び後期中等教育の拡充について、やはり障害を持つ子供たちはその障害の故に学習にも時間がかかるわけでありまして、これらの子供たちが自立しようとすれば、高等部程度の教育はぜひとも必要だと思いますので、そうした角度から一体その後期中等教育というもの、あるいは早期教育というものをどういうふうにお考えになっているか、あるいはまた今後どのような施策を講じようとしているのかをお伺いしたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) 障害児の早期教育の問題は、障害の程度によっても違うわけでありますが、非常に障害の重い子供さんはやはり養護学校の幼稚部と、それからそれほどでないお子さんは幼稚園で普通の園児と一緒にというのが基本的な考え方でありますけれども、確かに御指摘のように、障害によっては早期からその教育をすることによって、大分障害の程度を軽くするということが可能だと聞いておるわけで、たとえば自閉症のお子さんなんかは普通の幼稚園へやって、先生の教育のやり方にも非常に関係すると思うんですけれども、適切な教育をすることによって、次第に自閉症児的な傾向がとれてくるというようなことも聞きますので、そうした早期教育というものを、幼稚園の教育も含めてもっと充実していきたいということを考えておるわけですが、ただその場合やっぱり現実に問題なのは、幼稚部にしても、それから特に幼稚園の場合は、そうは言っても実際にどの幼稚園でもそういう障害のお子さんに対応できるような先生がいるかというと、これがいないのですね。やっぱりそういう教育はしていませんから。そこでそういう先生の現職教育なり、あるいは教育の内容、方法の研究というようなことをこれからもやってまいりたい。 それからもう一つ、後期中等教育の研究の課題でございますが、これはまあ一口に障害児の後期中等教育といってもいろいろあるわけですが、その内容をしぼって養護学校等における後期中等教育ということになりますと、やっぱり一般には高等学校を卒業、高等部を出れば、社会的自立が保証されることが一番望ましいわけですけれども、実際にはなかなかそこまでいくということはむずかしいケースも多いわけですね。そこで、障害によっても、たとえば盲学校の場合のあんまとか、はりとか、マッサージとか、あるいは聾学校の理容師とか、美容師とか、これは比較的一般の職業人に伍しても、十分社会的自立の可能な分野もありますけれども、養護学校のような場合は、やはりたとえふ精薄のお子さんですと、ある程度裁縫の勉強をするとか、あるいはその他の手工業をやるとかにしても、なかなかそれだけで完全に社会的自立はできないということになりますと、後期中等教育の充実と一緒に、その後の実社会において、経済界なり、あるいはその他の労働担当の問題なり、あるいは医学界の問題なり、そういうものと提携をしながら、そういう人等がどうしたら社会に何とか生きていけるように教育していくかということを考えないと、これは私は学校だけの問題として考えては、なかなか解決できない問題ではないかというふうに思っておりますんで、そういう点も、端的に言いますと、労働省などに御相談したりしながら考えていくと、こういうことでございます。
○山東昭子君 とにかく、この障害児教育というものにつきましては、法令で、あるいは年齢でということで線引きをするのではなしに、やはりその障害児の、いわゆる状態に応じた教育というもの、心のこもった、あるいは血の通った教育というもの、障害児教育というものを充実させるために、これからも大臣初め文部省の方々にお願いをいたしまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
○委員長(大島友治君) 本件に対する質疑は、本日はこの程度にとどめます。 本日はこれにて散会いたします。 午後二時五十二分散会 —————・—————