文教委員会 第14号
- 発言数
- 97 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1980/05/07
会議録
○谷川委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。村山喜一君。
○村山(喜)委員 文部大臣の文教行政に対する所信表明を中心にいたしまして、いま問題になっております二、三の問題を取り上げながら大臣の所見をお尋ねいたしたいと存じます。 まず筑波大学の問題でございますが、開学以来七年の月日を過ぎましたが、今日まで国費をどれだけ投入したわけですか。といいまするのは、これは朝日新聞の四月二十九日号に「筑波大生一人当たり、年間約三百八十万円の税金がつぎ込まれている。全国立大学生一人当たりの平均約百四十万円(五十二年度)をはるかにしのぐ。」金がかかっておるというのが書いてございますが、いままでどれだけの予算を措置してきたのか、まず金額からお尋ねいたします。
○佐野政府委員 施設整備費、設備費あるいは移転費、不動産購入費等を合わせまして約千五百七億の経費が投入され、教職員数は今日の時点で約四千四百名に達しております。
○村山(喜)委員 これは五十五年度予算はまだ配分されていないから五十四年度までにということですね。
○佐野政府委員 御指摘のとおり、施設整備費と設備費は五十五年一月現在での試算でございます。
○村山(喜)委員 ということは、千五百億余りの金をつぎ込んできたということですが、一人当たりに直しますと朝日新聞の記事に出ているようなことになりますか。
○佐野政府委員 恐縮でございますが、学生一人当たりについてどのくらいになるかの計算をしたものが手元にございません。
○村山(喜)委員 いずれにいたしましても、これは新構想大学として文部省は多くの期待をかげながら推進をしてきていることは間違いない、重点的にやってきておられることは間違いない、こういうふうに受け取って間違いなかろうかと思うのですが、前にこの衆議院の文教委員会におきましても、あるいは参議院の文教委員会の中でも、不正入試工作の問題をめぐりましていろいろと論議がありました。その中で佐野大学局長は「御指摘のコピーが存在をするということについては、私どももそのように聞いております。」ということで、コピーの存在を認められましたね。その後この問題に関連いたしまして、新聞を見てまいりますと、三月二十五日に前学長でありました宮島学長から意向表明の補足というのがなされたというふうに承っておりますが、それは大学局長は御存じですか。
○佐野政府委員 筑波大学で発行いたしております「速報つくば」の三月三十一日号に、御指摘のとおり宮島学長の三月二十五日付の意向表明の補足なる文書が掲載されたことは承知をいたしております。
○村山(喜)委員 それに対して七名の教授が見解を二十八日に発表した中身も御存じでしょうか。
○佐野政府委員 私のところへも筑波大学教官有志ということで七教官の御意見の文書が参っておりますので承知をいたしております。
○村山(喜)委員 同じく二十八日、谷津教授が損害賠償と謝罪広告を要求いたしまして福田学長と宮島前学長を告訴したという新聞記事がございますが、これはおわかりになっていらっしゃいますか。
○佐野政府委員 谷津教授が、宮島学長の評議会で行われた意向表明の内容が、いわば谷津教授が不正入試工作ありとしたことについて不正工作がなかったということを明らかにしているために、それによって谷津氏の発言が虚偽であるかのごとき印象を与えたということをとらえて民事訴訟を宮島前学長と福田学長を相手取って提起をされたということは聞いておりますが、内容の詳細は私存じておりません。
○村山(喜)委員 私もその中身につきまして、谷津教授の学長あてに出しました不正入学工作に関する供述及び要望書というのをここに持っておりますが、それを読みながら、そしてまた宮島前学長が意向表明の補足をされたものを読んでみますと、どうも問題のすりかえをやっておいでになるのではなかろうかと思うものが多いのであります。 その意向表明の補足の中身を私の方から読みますが、その要点は三つの点ですね。一、鈴木、谷津両教授は、推薦入学の選考において不正をしていない。二、渡部教授は、前記両教授に対して不正工作をしていない。三、福田副学長から渡部教授に対する不正工作はなかった。だから、この意向表明の補足をこの文書で見る限り、鈴木先生なり谷津先生はあたかも推薦入学の選考において初めから不正を働いたかのごとく思われたので、その中身を調査した結果は不正をしていないというふうに受けとめられる文章ですね。そういうような事実があることを本人が申し立てて、学長に対して実態を調査してもらいたい、真相を明らかにしてもらいたいということで事実関係を供述し、要望書を提出した。ところが、いつのまにかそれをすりかえて、谷津教授は推薦入学の選考において不正をしていない。事実調査をしてもらいたいということは全然やらないで、そしていつの間にか犯人の疑いをかけられるような表現で補足説明をされた場合には、これは名誉を傷つけられたというふうに受けとめても間違いがないのではないでしょうか。 それで、そういうようなのが依然として渦巻いている。だから評議会に調査委員会を設けて真相を明らかにしてもらいたいということなんだけれども、調査委員会を設けられたということは私たちも不敏にして聞かないのでありますが、文部省は調査委員会を設けたというお話はお聞きになっていますか。
○佐野政府委員 聞いておりません。
○村山(喜)委員 そこで、そういうような具体的な証人までおる、そしてだれがコピーを持ってきたかということもわかっておるのにそれは調べないで、そういうようなのは全然なかったということで声明を出した。ところが、それは十分でなかったというので——十分でなかったというのは、その疑惑を受けている人たちが感ずることだと私たちは思うのですが、今度はすりかえて、そういうようなことがあるので真相を明らかにしてもらいたいと言われた人が、今度はわざわざ氏名を掲げられて、推薦入学の選考において不正をしていない、こういうふうにやられたら立つ瀬がないというのはこのことではないでしょうか。どういうふうにお考えですか。
○佐野政府委員 宮島学長の意向表明でございますから、私が推測をして申し上げることはいかがかと思われるわけでございますけれども、恐らくは前学長の御趣旨は、この補足にもございますように、五十五年度の筑波大学の推薦入学の選考に関連して不正あるいは不正工作があったかどうかという点が問題になっているので、そのことを明らかにするためにお名前の出ている渡部、鈴木、谷津三教授の間にはそうした不正工作の働きかけはなかったということ、それから福田副学長から直接渡部教授に対して不正工作を依頼した事実がないということ、そのことを明らかにするという趣旨でこの意向表明の補足をなさったものだと思いますし、そのことが三人の先生方の名誉を傷つけるという性質のものではない、むしろそういった事実がなかったということを明らかにすることを宮島学長は意図されたのであろうと私は考えます。
○村山(喜)委員 この問題は、社会的不公正の問題なりあるいは大学の推薦入学制度の問題なり、筑波大学がとっております特別な選考方式の基本にかかわる問題でございますから、やはり明確にしておいた方がいいというふうに思います。そうでなければ信頼を失い、道義的なものが欠けていく状況の中では教育は存在をしないと私は思います。 そういうようなことから意向表明という形で二月二十八日に宮島学長が表明をされた。ところが、それは事実であったかどうかということについての調査も全然されていないから、臭い物にふたをするというような形の中で問題を処理してきた。事実調査をやってもらいたいということに対しては、それは外部にそういうようなものを出してもらっては困るというような話がされたりして、結果として不正入学がなかったからいいじゃないかという形で処理を済ませられた。そして補足という形の中では、あたかも事実調査の呼びかけを受けて、そして事実調査を要求している人をとらえて、今度は推薦入学の選考においては不正をしていないなどというようなやり方をされるということは、真相の究明を怠ると同時に、罪をそういう問題を提起した人にかぶせて、そうして逃げ切って政治的にこの問題の決着をつけようとする筑波大学の管理者の姿勢がいまいろいろなトラブルを起こしている最大の基本的な原因になっているのじゃないだろうか。私たちはそういうふうに思わざるを得ないのでありますが、そういうふうに認識をしてもいいのかどうか。それは大学は大学のことだからそっちに任せておけというのが文部省の態度ですか。
○佐野政府委員 宮島前学長は、学長としてできる限りの調査をされ、その結果再度にわたって評議会の了解を得て、伝えられるような入試の不正あるいは不正工作はなかったということを公式に表明をされているわけであります。文部省としては、この大学としての意向を尊重もし信頼もしているわけでございます。私は、そのことが御指摘のような現在の筑波大学の管理の責めにある人たちの姿勢がゆがんでいることを示すものであるというようには理解をいたしておりません。
○村山(喜)委員 この問題については法廷で争われることになりますので、そこら辺の経過は明確になっていくであろうと思うのであります。ただ、具体的にコピーを持ってきた人の名前もわかっておれば、それが民放の役員をしておった人の子弟であることもわかっておる。そしてどういう形でコピーがそこに出てきたかということについても事情を調べればわかることであります。現物が存在をしているわけです。証人もおるわけであります。 そういうような事実関係について現在の福田学長が関与している問題であるということから、前の宮島学長が再度にわたってそういうような意向表明をなさって問題を終わらしている。しかし、真理の追求をするのが大学の任務ではなかろうかと思うのですね。真実にふたをしておいて、そして政治的に処理をして、結果としては不正入学はなかったからいいんじゃないかということにすりかえて、そして不正入学はなかった、そういうようなことで、途中に至るまでのそういう工作が露呈をされたことに対してはカムフラージュをするというやり方は、私は許せないと思うのです。それぞれの責任というものを明確にしておくことが必要ではなかろうかと思うのであります。 そこで、私は大臣にお尋ねをいたしますが、大臣は選挙を何回おやりになりましたか。
○谷垣国務大臣 何回になりますか、三十五年のときが初回で出まして、五十一年のときに失敗をしました後の補欠選挙が一つ加わっておりますので、何回になりますか、選挙は八回やったことになりますか、ちょっといま数を数え損ねておりますが……。
○村山(喜)委員 そのとおりなんです。大臣も昭和三十五年初当選ですから、私もそのとき初当選をしておる。途中で一回私も落ちていますから、補欠選挙はやりませんでしたけれども、私も七回やって一回落ちている。私は衆議院の選挙がそうですが、県会議員の選挙をその前に二回やったのですよ。初めに当選をしましたときに、当選証書を私はもらいに行ったのです。そうしたら、その間に警察の方からガサを入れられましてね大臣、残っている書類を全部持っていかれた。何の容疑で私は調べられたのかということは後でわかったのですが、戸別訪問の疑い。それは私が戸別訪問をしたんじゃなくて、私を支持してくれている婦人会の人たちがつかまっちゃった。明くる日から呼び出しですよ。それで、何でおまえたちは戸別訪問をしたのか、幾ら金をもらったのか——金なんか持っているはずがありませんから買収の容疑は消えたのですが、戸別訪問で入れかわり立ちかわり女の人たちが警察に呼び出されては調書をとられて裁判に持ち込まれていく。私もいままで九回選挙をやっておりますが、幸いにして買収事件というのは一回もありません。大臣もないだろうと思います。買収というのは選挙を毒するものだ、そして政治を腐敗させるものだ、こういうふうに考えて間違いないと思うのでありますが、大臣いかがですか。
○谷垣国務大臣 村山先生の御意見はごもっともだと思っております。
○村山(喜)委員 そこで、大臣も文部大臣でございますからそういうお気持ちであることは間違いなかろうと思うのです。私が尊敬をする大臣でございますので、そういうような意味において、この筑波大学のいわゆる県会議員選挙に関連をいたしました事件は、どう考えてみましても汚点を大きく残した、こういうふうに言って差し支えないと思うのでありますが、大臣はどういうふうにお考えですか。
○谷垣国務大臣 遺憾なことだと考えております。
○村山(喜)委員 そこで大学局長、この事件はどういう処理結果になったのでありましょうか。
○佐野政府委員 御指摘の五十三年十二月に行われた茨城県会議員の選挙において、筑波大学の学生が公職選挙法違反容疑で書類送検をされまして起訴猶予になった事件がございます。これについては、不正投票を行った学生についてそれぞれの学群長等から厳重な注意を行い、学則による処分は行われてなかったわけでございます。
○村山(喜)委員 多数の選挙違反者を出したその内容はどうなっておりますか。大学局に筑波大学の方から報告があったものはどういうふうになっておりますか。
○佐野政府委員 いま申し上げましたようなことでございますが、筑波大学の学生百三十七名が書類送検をされまして、その全員を水戸地検が起訴猶予にしたものでございます。事案はいわゆる買収されて不在者投票を行ったものでございます。
○村山(喜)委員 そのうち体育系が何名ですか。
○佐野政府委員 書類送検された学生のうち体育系の学生は百五名でございます。
○村山(喜)委員 その場合に、大学の管理者といいますか体育学群長という人がおりますね。それから厚生担当の副学長がおりますね。それから学長がおりますが、だれも責任をとらなかったようでございます。学生も厳重に注意は受けたけれども、規則に基づいて処分を受けた者はいなかった。あってはならない買収事件を起こした被買収者ですか、金額は三千円で、世話をした人には五百円のプレミアムがついておったというような話が新聞に出ておりましたね。起訴猶予という形にしたのは、この学生たちが社会に出ていった場合に、そういうような起訴によって処罰をされ罰金なりを納めた場合には将来性を考えて気の毒だという配慮が働いたんだろうと思うのです。しかしながら、私の事件で申し上げましたように戸別訪問でさえも罰金を取られ処罰をされる、そういう求刑が行われた裁判がやられてきた。現実に金を受け取って不在者投票をやっている者について不起訴処分にするという、そういうやり方は非常に政治的なものである。その被疑者の諸君の将来を考慮した上でなされたものであろうと私は思うのです。しかし、そのような事件がなぜこの筑波大学において起こったのか。純粋培養の無菌状態にして政治的には無関心層を育て上げ、そしていわゆる公民として、日本国民としての基本的な権利とか、そういうようなものについては全然政治的な教養を教えることもしない。たとえば学園祭をやる。そのときに、学園祭の実行委員会の方が五党の立会演説会をやらしてくれと言っても、それはだめです、それは建学の基礎を揺るがすような状態になるからだめだ、こういうふうにして拒否してきたんでしょう。そういう歴史がありますね。そういう中からこのような事件が生まれてきたのじゃないですか。そのことについては大臣が就任をされる前の事件でありますけれども、検察庁なり裁判所が起訴猶予処分にしたということはおくとしましても、今度は筑波大学の今日の教育の姿勢、そして大学自体のそれに対する対応の仕方というものは、これがもっともな姿勢だ、だれも責任をとる必要はないというふうにお考えでございますか。それについては学内で大学自治に基づいてどのような協議が行われ、そのような結果をつくったのでしょうか。そこのいきさつが明確になっておれば局長からもお答えをいただきたいし、大臣の所見もお聞きしたいのです。
○佐野政府委員 筑波大学は、この事件が明らかになりました当時、十二月五日でございますが、直ちに学長告示をもって遺憾の意を全学に明らかにいたしますとともに、翌日に厚生補導審議会を開き、厚生補導審議会に特別調査委員会を設置して事案の調査検討に当たったわけであります。それと同時に大学は、不正に関与した学生に対して自発的に大学にその旨を申し出ることを求めました。学生はそれぞれ自発的に学群長に対して申告をいたしまして、みずからの行った行為を申し出たわけであります。各学生の改悛の念がきわめて著しいということ、それから事案の性質が買収者の巧妙な誘惑に負けたものであって特に悪質なものがなかったということ等から、大学は学則による処分という方法をとらないで個々の学生について指導を徹底する、その方が教育的に妥当な措置であると判断をして、この厚生補導審議会の調査結果に基づき、またその判断に基づいて、先ほど申しましたように各学群長等から厳重注意処分を行うということにとどめたという報告を受けております。
○村山(喜)委員 そこで、これとの関係があると私は思うのです。というのは、大学が大学として存在をし存立をしていくためには、やはり道義と責任というものが大学当局によっても打ち立てられなければならないし、片一方だけはそういうような破廉恥的な事件を起こしても改悛の情ありとして認めたがゆえに学生は処分も何も受けない。大学当局もだれも責任をとろうとしない。それはそれでいいでしょう。しかしながら三月十三日、学園祭の処分として問題がありとして十八名処分をしましたね。私はここに告示書も持っておりますが、その処分の内容はどういうものだというふうにお聞きになっていらっしゃいますか。
○佐野政府委員 御指摘のとおり筑波大学では五十四年度の学園祭の実施をめぐりまして、学園祭の自主管理あるいは自主運営等を主張する一部の学生が五十四年の十月末から十一月の初めにかけまして無許可集会を開催したり、あるいは無許可の文書を配布する等の学内規則違反にわたる行為を行いました。特に十月三十日に公開の学長直接交渉を要求して本部棟に乱入する等の行為があり、さらに、この一連の違反行為について大学側が事実確認を行っている過程で、十一月二十日に一部の学生が筑波大学の基礎工学類長を長時間にわたって拘束をするというような行為がございました。 大学は、これら二つの事件の関係学生について学内規則に定められた所定の手続にのっとって検討を重ねた結果、三月十三日に厚生補導審議会の議を経て学長が懲戒処分を行うことを決定いたしました。処分の内容は、無期停学が七名、停学六カ月が二名、停学三カ月が四名、さらに無許可集会開催等の学内規則違反事件のみにかかわった者について訓告五名、学群、学類における説諭が二名、計二十名の処分を行ったものでございます。
○村山(喜)委員 「告示 筑波大学学則第四十七条第一項及び第二項により、左記のとおり懲戒に処する。昭和五十五年三月十四日 筑波大学長 宮島龍興」これが処分の告示書です。 この中を見てまいりますと、無期停学というのがございますね。それで、ただし書きがある。「ただし、十二か月を経過するまでは解除を認めない」という括弧書きがありますね。御承知だと思います。ここは学則によりまして、普通の大学は八年間は在籍が認められるのですが、六年しか在籍が認められませんね。そうなると、この中にはもう五年間大学に入っている者がおるのですよ。向こう十二カ月は解除を認めないということは、無期停学だけれども事実上は退学処分じゃないですか。これはそういう結果になることをカムフラージュした告示であって、中身はそういうふうになるんだということは説明がございましたか。
○佐野政府委員 御指摘のとおり無期停学の処分については、厚生補導審議会における懲戒案におきまして、十二カ月を経過するまでは解除を認めないということが明らかにされておりますし、その趣旨は、少なくとも十二カ月の停学処分が相当と判断されるという審議会の見解をそのような形で示したものと考えております。 御指摘のように筑波大学では、学則二十三条におきまして「学生は、六年を超えて在学することができない。」と定められておりますし、さらに学則四十七条で、停学期間は在学年限に算入をするということを明らかにしておりますので、無期停学の処分を受けた学生のうち一名はすでに一年間留年をしている者がございますので、この者については五十六年三月末までに卒業要件に定める単位を修得しなければ、在学期間が満了となって除籍される結果となることは御指摘のとおりでございます。そのことは、大学はその事情を知った上でなおこのような停学処分を相当と判断をしたものと報告を受けております。
○村山(喜)委員 大臣、お聞きのとおりです。 今度の学生処分の問題をめぐりましては、事実上は退学処分という形を含む者まで入れて懲戒処分がされました。そこで一体、大学当局は規則に定める手続に従ってやってきたのであろうか。というのは、学群長がそういうような行為があったと思われる学生の行為を知ったときには厚生補導担当の副学長に報告をする、こうなっておりますね。それから学類長及び大学院研究科長云々は会議に報告をし、その確認を受ける。それから第七条には、学群教員会議等は発議をしていく。そういうような段階的に上に上げていくという仕組みがあるわけですが、そういうような報告がない場合には、みずから厚生担当の副学長が発議をするとか、あるいは学群教員会議等に再議を求めるとか、そういうような措置の方法はとられておるわけですが、それぞれの処分を受けた学生については、そういうような民主的な手続が経られる形の中で事実確認をした者を処分をしているのでしょうか。
○佐野政府委員 御指摘のとおり、通常はそれぞれの学生が属する学群教員会議の処分の発議に基づきまして、それぞれの学群から発議があるわけであります。学群からの発議が行われなかった者につきましては、厚生補導担当副学長が懲戒の発議をいたします。第二学群、第三学群に属する学生については学群からの発議が行われ、第一学群に属する学生については副学長の発議がなされたものと報告を受けております。もちろんこの発議を受けまして厚生補導審議会が調査委員会を発足させまして、関係学生に出頭を求める等の事実調査を行いまして、それに基づいて調査委員会は厚生補導審議会に所要の報告を行い、その報告についてさらに厚生補導審議会で審議が行われた結果、処分案が定められたものであります。それで、この事実調査の過程で、もちろん学生に対する出頭を大学は繰り返して求めているわけでありますけれども、その大学側の出頭の要求に応じなかった学生もいたわけであります。
○村山(喜)委員 官製の学生組織をつくる。それには学生は飽き足らないわけですから、学園祭というのが唯一の開かれた形で学生が参加していく。とにかくそれについては新聞にも報道をされておりますが、集会を開くにしてもポスターを張るにしても、一つ一つ中身の説明をし、判こをもらい、そして顧問教官の印鑑をもらわなければ開けないような仕組みになっておりますから、いわゆる顧問制とそれから事前の企画内容の審査、こういう形の中で事実上の検閲制度を施行して、そして学生の自主的な参加については阻害をしていく、こういうような形の中で問題が積み重なってきて、学園祭についてはひとつ自主的にやろうじゃないかということに対する大学側のチェックに対する不満が、わりあいに開かれているこの学園祭という一つの場に集中をしてきた。 ここに学生たちの反論書がございますが、中身を読んでまいりますと、その当日いわゆる勾留をしたとか不当軟禁をしたとかいうような内容については、どういうふうにしてそれが起こったのかということが書いてございます。連絡に行った学生代表の諸君も、大学の事務官等が二人の学生を殴ったり髪を引っ張ったり引きずったりして階段から突き落とされたりして大分痛めつけられておりますね。そういうものに対して自分たちの方は何も落ち度がなくてやられっぱなしであって、そしてそういう不当監禁をして、学生にあるまじき言葉があったとか、こういうようなことで処分をする。しかも、中身を見てみると、それは教育的にやったとかなんとかと書いてありますが、教育的というのは、事実上の退学処分を意味するものまで含めた教育的な措置というものが果たしてあるのだろうかという疑惑を感ずるんです。 そこで、大学当局は、県議選挙の買収事件については無処罰にしながら大学の管理運営に関するものについては規則を厳重に適用していく。一体そういうような大学というのがあるのだろうか。これは憲法上認められた国民の権利、表現の自由なりあるいは集会の自由——もちろん学校の行う教育的な目的を阻害するようなものについては規制をする、そういうようなものはあると思いますが、デモでも、平穏に行う集会とかあるいはそういうようなものについては憲法上、二十一条によって認められているわけですから、デモコースの変更は命じてもデモ自体を禁止することはできないということで処理をされていますね。大学はやはり憲法の適用対象下にあるわけですから、これは後でまたアメリカの最高裁の判決の中に出ている内容についてもちょっとお話を申し上げてまいりますが、一体こういうような管理規則で、届け出じゃなくて許可制、しかも内容の検閲までやって政治活動でないようなものまで内容を全部チェックしながらやっていく、そういうやり方で、片一方は破廉恥的な被買収事件を起こした者については処分をされない、大学自体の責任者もだれもみずからを処罰することもしない、そういうようなことに対してどういうふうに国民が批判をするかということであります。 そこで私は、ここに処分を受けた人のお父さんが私のところに手紙を持ってきておりますので、大臣、これを読んでみますが、それにはこう書いてあるのです。 要旨 筑波大学は一九六〇年代の大学紛争をふまえて“紛争のない大学”を目ざし六年前に開学されました。学内規則は厳しく、政治、宗教活動の一切禁止、団体結成、集会、文書配布、立て看板などすべて許可制であります。申請書類に事務から学長まで幾つも印が必要であり、届出制を常識とする他大学に比べて前時代的であります。小学校・中学校・高校と民主的教育をうけた学生にとっては、この厳しい管理体制下の大学に強い反撥を感じております。ここ一、二年自治の要求や学内の民主化の要望が学生の間に次第に高まり、こうした学生の不満を表面化したのが学園祭企画に対する大学側の規制であります。 筑波大学には、学生組織としてクラス代表者会議と、その上部に全学専門学群・学類代表者会議がありますが、大学側の連絡機関的性格が強く「大学の御用組織」という批判も学生にあり、学生の自発的な運動組織としては「学園祭実行委員会」であり、学生の唯一の不満の捌け口となってきました。 一昨年十月の学園祭では、学生が計画した家永三郎氏の講演会と、映画「三里塚辺田部落」の上映は禁止されました。家永氏は筑波大構想を批判した。三里塚の映画は学内に闘争形態が持ち込まれる恐れがあるというのが大学側の禁止理由であります。 この三里塚辺田部落の映画というのはそれではなくて、その周辺の農民がどうして生きていくかという内容のものでありますが、そんなものもだめだということです。 度重なる学園祭企画への規制と、一昨年十二月の茨城県議選にからむ大量買収事件でさらに学生の動きに拍車をかけました。 昨年十月末の学園祭では「企画内容審査」や「顧問教官制」の廃止、「自主運営」を求めて、学長との直接交渉を要求し、本部棟に入ろうとした学生と職員がもみ合い、双方に怪我人が出るという騒ぎを起こしましたが、学園祭は大学側の譲歩した形で、“八〇年代における筑波大学の位相”などをテーマとする大学側の管理体制に批判的な内容の形で開催されました。 その後事情聴取のため学生に呼び出しをかけた第三学群類長の三浦教授に対する拘束事件が起きました。 これら二つの事件に関し、大学側では三月十四日無期停学を含む十八名の大量処分を発表いたしました。誠に厳しい処分であります。(無期停学七名、停学六カ月二名、停学三カ月四名、訓告五名)そして本年度の学園祭は大学側の認める内容のものでなければ開催させぬと発表しています。 大学側の紛争解決は責任者を処分追放し、威圧的に押え、或は警察の手に委ねれば事件解決という無責任極まる対処のしかたであります。学生と話し合いを持ち、学生の希望を聞きながら善導すべき教育者の心を感ずることが出来ません。 処分発表当日、張り出された学長告示を取りはがそうとした学生が県警に公文書き棄の現行犯で逮捕されました。 これは後で起訴されております。 この件に関する記者会見で高橋進厚生補導担当副学長は、副学長とも思えない無責任な発言をしています。(三月十五日読売新聞茨城版の記事より)“私服刑事を各学棟に四、五人ずつ配置してもらったが、学生への対応は、警察にまかせてあり、逮捕も警察の独自の判断。大学は関与していない。”というのであります。七千人に近い学生を預かり補導する立場の副学長が地位や権力に汲々としたこういう低級な人物であるということは誠に残念であります。高橋副学長は教育者たる資格がありや疑うものであります。罰するにしても、学生の心情を理解し、受入れ、そしてその処分は愛の鞭でなければなりません。師弟の情愛もなく、血も涙もない冷酷な処分で、平和な学園は戻りません。私は父兄の一人として心から憤りを感じます。 学生は、処分学生を中心に新学期を待って、処分の白紙撤回、学生の自治、大学の民主化を求め、デモや抗議集会を開き、第二、第三の紛争を起こす構えであり、紛争はますます長期化すると共に、全国の大学にも呼びかけを行っておりますので、全国的規模の紛争にエスカレートする可能性があります。そして第二の安田講堂事件に発展しかねません。大学側には紛争解決の方策も熱意もなく、学生は玉砕することだけで、紛争収拾の術を知りません。現在の処分学生の他にもっともっと多くの犠牲を出し、そしてその父兄達の嘆き悲しむ姿を思う時断腸の思いがいたします。 村山先生、紛争を解決し、平和な大学に戻り、学生が嬉々として勉学や人間形成に努められる筑波大学になるように、紛争解決並びに大学の改革に御助力を賜りますよう父兄の一人として心からお願い申し上げます。 更にもう一言つけくわえさせて頂きますならば、筑波大学にはもう一つ不幸な出来事があります。それは新学長として福田氏の就任であります。自民党の総裁選のような不明朗なやり方で選ばれております。講師以上の教官選挙では、福田氏は五百二十六票対四百六十三票で町田貞副学長に破れております。それが評議会での第二次選挙で、福田氏が三十六票対十五票と逆転、学長に選ばれました。評議会の構成員の選考権は学長にあります。そういう評議会の選挙が正しい公平な選挙とは言い難いのではないでしょうか。 良識の府である大学で、こんな学長選挙があってよいものでしょうか。そして教官は二派に分れて対立しています。そしてその対立は又学生紛争に重大な影響を与えています。しかも福田氏は“原発反対派が反国民的である”とが “警察は左翼に対する取締りがゆるやかだ。なお一層の対処”とか発言をしており、財界の御用学者か右翼のゴロつきとしか思われないような考えの持主のようであります。又福田氏は原理運動の支持者で、統一教会との関係も深く、就任後は学内における学問の自由が奪われるのではないかと教官や学生は心配しております。 二十一世紀の日本を背負って立つべき人間育成を国家目的として、巨額の税金を使って筑波大学は開校されているのであります。その学長が財界の茶坊主であり、右翼のゴロつきであり、原理運動支持者のような偏見な思想の学者であってはなりません。 どうか先生、人格高潔で、学生に心から尊敬され、愛され、慕われるような立派な学長が選任されるように御尽力賜ることを心からお願い申し上げます。 こういう手紙が私のところに来ております。 そこで、この問題についてはその後の動き等を見ておりますと、それぞれの新聞にも特集号が出ておりますが、これは朝日新聞でございますが上中下に分けてあります。二十七日のものを見ると、これは学生を中心にして「慢性意欲喪失症」「大学管理症候群」というような自己診断をする上級生もいる。「つきまとう管理規則」「救いは友人らとの交際」こういう形で学生が無気力の姿の中で入学の喜びを喪失していく姿が描写されております。そして二十八日の同新聞によりますと、「人を見たら私服刑事」「学園祭問題で疑心生む」「過敏反応」これは学生の側も大学の側も反省をしなければならない点が掲げてあります。それから「理念の再建」の問題については二十九日号に出ておりますが、「なお続く波乱の現実」「確執、授業の中にまで」という形で新大学の理念というのは一体何だろうかということで、故三輪知雄元学長の言葉が出ておる。その中に「新大学の理念という言葉がよく使われますし、私自身も学生や新任の先生に、いかにも(理念とは何かが)わかっているように話してきました。ところが、これが今もってよくわからないのです。」もう亡くなられた三輪先生のこういう追憶の言葉が記事として「筑波フォーラム」の最近号の中に出ていることも指摘をされております。今日まで千五百億を上回る金をつぎ込みながら、こういう状況の中で筑波大学があるということは非常に残念なことですね。大臣、どうお考えですか。
○谷垣国務大臣 いまいろいろ先生の御意見を交えてのお話を承りました。現実に筑波大学が新しい構想のもとで大学を始めましてまだ日は浅いわけでございますので、いろいろな問題が試行錯誤的にも行われておるであろうということは推測できるわけでございます。一つ一つの案件につきましての判断処理、これはやはりいまの状況ではそれぞれの事情を踏んまえて大学の当局が判断をしてまいっておると私は考えます。また、いま新聞その他の記事、批判、これもまた大学の責任を持っておる教授会にいたしましてもその他にいたしましても、十分それは承知をしながらやっておるというふうに私は思うのであります。したがいまして、いろいろな問題が常に検討をされ、またあるべき姿に持っていくような努力がされておるもの、こういうふうに私たちは前提といたしまして考え方を持って、筑波大学が本来の建学の趣旨にのっとった優秀な教育機関としてこれからつくられていくように期待をいたしておるところでございます。 いま、いろいろと父兄の手紙等を拝聴いたしました。その文言その他は必ずしも私は全部賛成することもできない文言もございますし異議もございますけれども、父兄も大変心配しておるということにつきましては私も十分に承知をいたしたわけでございます。教育というものが一つの理念、厳しさとともに温かい愛情があって行われるということは当然のことでございますしいたしますが、また同時に、管理の方の立場にあります学校当局も、また学生自体も、自分の行動そのものに対して責任を持つということはやはり基本的に大切なことである、こういうふうに私は考えておるわけであります。
○村山(喜)委員 無菌状態に置いて、大学の学生として買収事件にひっかかって、しかも百三十七名も該当者がおったが、起訴猶予になったからそれで大学の方は責任もとりません。そういうのに、片一方においては管理規則を発動しまして、おまえたちは無期停学だというような形で処分をする。しかもその手続の中において、民主的な手続も経ない形の中でつり合いのとれない処分をしてそれで済まそうとする姿が続く限り、筑波大学の正常な姿は国民の税金を使いながら生まれてこないと思いますよ。これはやはり建学の精神とおっしゃいますが、建学の精神というのは一体何だろうかということ自体わけがわからぬと前の人もおっしゃっておる。このことは、大学の自治というものが完全に憲法体制なり、あるいは国際人権規約のB項の条項に照らし合わせても喪失している、大学の自治そのものがないという姿の中から生まれてきているのではないでしょうか。そして警官をやたらに入れて、観光に来た人まであれはお巡りだぞというふうに思われて迷惑をしたという話もあるくらい過敏性の状態に陥っているということは、国民の税金を特別にたくさん使っている筑波大学のあり方としては非常に問題があり過ぎる、もう少し大学のあり方というものについて大学管理者自体が自己反省をしてもらわなければならないし、また学長選挙をめぐっても、学系長や学類長の選挙に学長が介入できるような雰囲気があるところに大学の自治そのものがない。学長の独裁体制が構築されるような体制になっているんじゃないだろうか。そして平教員は虫けら同様の見方をされていくような姿、一般教員の意思はもう無視してもやっていけるんだというような姿が現実にあるのではないか。学問の自由も否定をしていくような姿勢が管理者の中にあるのじゃないだろうか。道義やあるいは道義感のないそういう大学が技術や知識を詰め込んで、鋳型にはめ込んで社会に学生を出している、そういう姿の中で、果たしてこれからの新しい時代の大学として国民の批判にたえられるだろうかということを私は心配をするわけでございます。したがいまして、この内容については、さらに今後の進展を見守りながら追及をしたい点はもっと明確になった段階の中で明らかにしてまいりますが、どうも大学というところは憲法の枠外にあるような感じさえも受けるような感じがしてなりません。そういうような状況の中にある大学はきわめて不幸でございますから、迷走する新構想大学として大きく取り上げられてマスコミをにぎわすだけでは、これは文部省も大学の自治の問題だと言って逃げるわけにはいかぬだろうと思うのです。そういう点から、今後さらにこの動きについては御留意を願っておきたいと思いますが、いかがでございますか。
○谷垣国務大臣 大学の自治の問題として文部省が逃げるわけにいかないという御指摘がございますが、大学の自治の問題は、あくまでもこれを尊重すべきものであると私は考えております。ただ、御指摘がありますようないろいろな案件、また、案件に対しましてのその後の状況につきましては、文部省といたしましても十分注意深くこれを見守っていかなければならない、かように考えております。
○村山(喜)委員 時間があと二十分しかございませんから、その他通告をしておりました問題をはしょりながら質問をしてまいります。 きのう、政府委員室の方に、私がコピーをとった方がいいんじゃないかということでコピーをとってもらいましたが、アメリカの一九六九年の最高裁判決のティンカー判決というのを私も学校における生徒の人権の保障という去年の三月二十八日の東京地裁の判決と照らし合わせながら読んでみたのであります。そうしたら、当時ベトナム戦争がある中で、大臣、こういうことなんです。一九六五年の十二月に、アイオワ州のデモイン市というところでベトナム反戦集会があった。それに十三歳の女子中学生と十五歳、十六歳の高校生が参加をしている。クリスマスシーズンの間は黒の腕章をつけようじゃないか、そして十二月十六日と十二月三十一日は断食をやろうじゃないかというような申し合わせをして、十二月十四日にはデモイン市の公立学校長が申し合わせをして、黒の腕章をはめて登校をしたら外すように要求しよう、拒んだ場合には登校を拒否をしよう、それは一月一日までは登校はできないぞということで登校拒否をする、こういうことから事実上勉強ができなかった。そこで相手取って裁判をやったわけです。そうしたら地裁では負けたんです。それから控裁では同数でこれは棄却をされました。最高裁は七対二というので原審を破棄しまして差し戻しの判決をしました。その判旨を見てみると、こういうようなことが書いてあるのです。「学校当局は学生に対し絶対的な権限を有していない。」「少なくとも学校の教育活動に対する実体的、実質的な妨害を回避するために必要であるとの証拠がないかぎり、憲法上は許されない。」学生は学校内でも外でも「アメリカ憲法上の「人」である。」「自分の意見を表明する自由の権利を有している。」第三点は「憲法上の自由を注意深く守るのには学校が最善の場である。」こういうことで、そういうような登校拒否をした学校の態度は間違っている、こういうことで最高裁の判決が下されている「アメリカ法」のなにをちょっと読んでみました。 そして、そのことを考えながら五十四年三月二十八日の東京地裁の判決、これは内申書をめぐる問題でございますが、教師の教育評価権が逸脱をしているということで指摘をされて、そして控訴をしていま争っているわけでございます。そのことから今度批准をされました国際人権規約のB項というのがありますね。市民的及び政治的権利に関する国際規約の十九条を見てまいりますと「すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。」第二十一条には「平和的な集会の権利は、認められる。」云云というのがあるのですが、これは憲法二十一条の問題にも関係があるような内容のものであります。これは留保条項はついていないわけですね。 そういうことから私は、いま基本的な人権規約が国会において認められたということは、教育の現場としてもそういう学生なり生徒が持っている基本的な人権はやはり尊重していかなければならないのだということを考えるわけですが、この内申書裁判の判決の中にありますのは、思想、信条の自由、言論、表現の自由は最大限に尊重されるべきなのであって、そして進学の場合の指導要録の抄本送付が学校教育法施行規則の規定によって義務づけられている。そこでC評定は高校側で入学を拒むための生徒を発見するための手段として使われている。生徒の持っている学習権の継続的な保障を図るという立場から、この評定については「生徒の思想、信条に関する事項は高等学校の入学者選抜の判定資料となしえないもの」であるという意味の判断のもとに内申書のその評価を送付をした。これに対しては教師の評価権を逸脱したものであるというので、東京都が敗訴しましたね。 そこで、これについてはいま控訴をして争っている問題があるのですが、そういうような意味でさきの筑波大学の問題とも関係があるわけですが、憲法なりあるいは国際人権規約を批准をした立場から、教育的に見て学校内における裁量の余地はあるにいたしましても、そこには限度というものがあるんじゃないか。学校の管理規則なりあるいは学校のそういうような生徒の指導に対する限界というものは憲法をはみ出ることはできないし、また教育基本法やそういう精神の上から見まして逸脱をすることは許されないとするならば、一体国際人権規約のB項を批准をした立場から、これらの問題について、どういうふうに今後学校における生徒の人権保障という問題、学生の人権保障という問題を考えていくべきだとお考えになっているのか。この点について、これは初中局長の所管だけじゃないのですね。あなたのところは、国際人権規約を教育に適用するのは高等学校までですか。大学の方は大学局の方でやるんでしょう。そうするならばそれぞれの立場からお答えをいただき、大臣の御所見も承っておきたい。
○諸澤政府委員 人権規約が出ましたけれども、あの人権規約の規定を私は正確に記憶いたしておりませんけれども、趣旨とするところは、日本国憲法に言うところの思想、良心の自由を侵してはならない、あるいは集会、結社、言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障するというあの憲法の精神と全く同じだと思います。そういう意味でこれはちゅうちょなく批准をしたわけでございまして、そこでそれらの思想、信条の自由というものは、日本国憲法が保障するのはおよそ日本国国民全部についてでありますから、中学校や高等学校の生徒についても同じであろうと思うわけでございます。 ただ、いまお話がございましたように、現実の教育の場でそれと教育活動とがどう調和するかということが問題であろうと思うわけでありまして、いまの麹町中学校の内申書問題は、この生徒が在学中にベトナム反戦デモとかあるいは安保反対のデモに参加する、あるいは学校の文化祭反対ということで、ほかの中学校の生徒を連れてきて、覆面スタイルで学校内でゲバ棒をふるう、あるいは学校の禁止にもかかわらず再三反戦のビラを配る、こういうようなことは、この思想、信条の自由を超えて具体的な政治活動になるというふうに私どもは判断するわけでございますから、したがって、そういうものまで中学校で保障するということは、教育基本法の学校は政治的中立の場でなければならぬという趣旨にも反しますし、あるいは学校の正常な教育活動の運営の妨げとなり、他の生徒の勉学の邪魔にもなるというようなことで、そこまでこれを認めるということは事実上とうていできないことではないかというふうに私は考えるわけであります。
○佐野政府委員 基本的にはいま初中局長からお答えを申し上げたとおりだと思います。もちろん大学のキャンパス内におけるさまざまの学生の活動について、大学が静穏な環境のもとに教育研究活動を円滑に遂行をしていく、それに必要な限度において一定の規律を設けるということは許されることであり、それはそれぞれの大学の判断によって行われているところであろうと私は思います。そうした大学側の判断によるさまざまな学園内における規律というものは、基本的にはわが国の憲法の存在というものを十分念頭に置いて取り進められなければならないということは申すまでもないことであろうと思います。
○村山(喜)委員 基本的な人権がどのように学園の中で保障されているか、そのことは筑波大学の例を見ても、これは東京都の公安条例よりも上回るような管理規則ですよ。大体届けをして、それが学問の自由を阻害するようなことにわたるものであれば規制ができるけれども、そうでないと認められるものについては許可をするのがあたりまえであって、許可をしないのがおかしいのである、そういう基本的な考え方に立たなければ、それは表現の自由なり言論の自由を保障したことにはならない。そこを履き違えて、すべて許可をしないのがあたりまえだという形でつくられているところに今日の問題があるんじゃないでしょうか。だから、学園といえども、子供といえども、憲法の保障する人権を有しているわけだし、学生といえどももちろんその中にある。そういう点から、この点についてはB規約の批准をした段階の中で、極端な麹町中学校の場合のそれでさえも、そういうような差別をして子供の学習権を奪うことは許されないという判決を下しているわけでしょう。それによって高等学校に入れなかった、勉学をする機会を奪われた、こういうことで初審では負けたわけですね。そういう点から、評価権の問題については今後争われるでしょうが、生徒が持っている学習権の継続性というものに着目した判決だと私は評価しております。そういうような意味においては、B規約の批准をした段階の中で、いまの学校の学生の規則なりあるいは生徒規則というものについて、学校というのは別社会なんだから何でもできるんだという心得違いをしてもらっては困る、こういうような気持ちでお話をしました。その点は大臣、いかがでございますか。 時間がもうございませんので、それをお聞きして、最後に、体育局長もお見えでございますから、一言だけお尋ねをして終わりたいと思います。 最近の文部省の学校指定統計調査によりましても出てまいりましたが、子供たちの体位が非常におかしなかっこうになっている。特に目の異常は、私も——大臣も近視だろうと思うのですが、高校生段階でもう五三%だというのが出ているわけですね。そういうような状況になっている今日の状態の中で、どう子供たちの体を守るのか、これは非常に重要な問題です。虫歯は九十何%、もう一〇〇%に近いような状況にまでなっている。それで、最近はよく子供たちが骨折をするというようなことも報道をされておりますね。遊び方を知らない。けんかの仕方を知らない。どろんこになって遊ぶ子供はいないわけですね。そして学校に行ってみると、校庭はコンクリートで張り詰あられて、一体そういうところで体操をやって子供たちの教育というのは成り立つんだろうかとよく考えるところです。 それについては、せっかくおいでをいただいた体育局長から御説明をいただくと同時に、さきの問題については、国際人権規約を受けて、もちろん日本国憲法もありますが、学校のそういうような管理体制の問題について再検討というのか、もっと研究をしてみる必要があるんじゃないかと私は思うのですが、大臣の所見をお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。
○谷垣国務大臣 学園といえども憲法の規定のもとで運営をしていかなければならぬという御指摘は当然でございますし、人権が確保されなければならないという御趣旨もこれまた当然のことだと私は考えております。ただ、もちろん小学校、中学校それから大学に至りますまでの生徒の心身の発達の状況等があるわけでございますし、やはり教育の場としての立場でそういう生徒学生に対してどういうような態度で臨んでいき教育をやっていくかということにつきましては、これはやはり当然のこととしてその調整が図られなければならぬ、こういうことでございまして、先生の御指摘になっております点もそういうところにあると思います。その点につきましては、その調整の点は一体どういうところが限界あるいはその場の判断として間違っていないかというところに両方の御意見のそれぞれの差異が出てくるというふうに私は思っておるわけであります。 なお、具体的な事例としてのアメリカの判例あるいは現在第一審が終わりまして第二審に進んでおるという御指摘の問題につきましては、これは私もまだ十分存じておりませんので言及することを避けたいと思いますけれども、いまの教育の場としての政治活動云々の問題と、先ほど先生が御指摘になりました内申書による問題とは、密接な関係があるとは言い条、論点の違いが若干そこにあるのではないかという感じを持って先ほどから拝聴しておったところでございます。
○柳川(覺)政府委員 最近の子供たちの体位、体格は毎年向上しております。この面では大変喜ばしい現象でございますが、先生御指摘のとおり体力づくりの面でいろいろな問題が生じてきております。また、御指摘のような身体発育の面あるいは精神的な抵抗力その他の面で種々の問題の指摘があるわけでございます。常にたくましい体と豊かな心を育てるということは子育ての理想でございますし、また家庭教育、学校教育あるいは地域社会での教育を通しての最も基本の問題でございますので、いま私どもは、体力づくりの体育、スポーツの振興の面、学校保健の健康管理の面あるいは栄養確保の学校給食の推進、それらの総合的な施策の推進という観点に立ちまして、家庭、地域、学校が三位一体になって子供たちをたくましく心豊かに育てるという施策を進めようとしておるところでございます。 最近試みに「子育ての中の基礎体力づくり」という指導資料をゼロ歳から五歳までの子供たちを対象に作成いたしました。これが十数万いま出ておりましてかなりの反響を呼んでおりますので、引き続きまして六歳から九歳、ちょうど小学校で基本動作を大事にするその時期の子供たちを対象として「家庭で、地域で、学校で」という第二集を作成いたしております。 また、先生も御指摘のとおり、子供たちが戸外に出て、運動を通し、あるいは遊びを通して、たくましく育つということは大事でございますので、片方でハードな部分としてグリーンスポーツ構想ということで、自然の中に子供たちのわんぱく広場等の遊び天国が持たれるということがいま二十七カ所の市町村でできましたので、引き続きこれらも進めてまいりまして、学校あるいは地域に遊びの場を取り戻して、その中で子供たちが本当に意欲を持って育つ、そのことの実現を期そうとしておるところでございます。
○谷川委員長 山原健二郎君。
○山原委員 最初に、東京都中野区における教育委員準公選の問題について伺います。 この問題は、法律上の問題といたしましてももうすでに幾たびか論議をされてきたところですが、御承知のように、正式の名前は教育委員候補者選定に関する区民投票条例、いわゆる準公選条例でございます。これは区民の直接請求に基づきまして区議会が二度にわたって議決をしたものであります。そして東京都知事の適法という裁定も出されているものであります。これに対して文部省は違法だという態度をとり続けてまいりまして、前の内藤文部大臣は、昨年の夏でありましたか、改善措置要求権を発動してでも区民の投票を中止させようという意向も示しました。また、諸澤初中局長は見解を文書にまとめまして、この制度は地教行法違反であるということで東京都教育委員会に対して適切に指導することを要望しております。これは違法だという見解を出した根拠はどこにあるのですか、改めて伺いたいのです。
○諸澤政府委員 現在の地教行法では、教育委員は「地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。」という規定になっておるわけでございますが、その際、長はみずからの判断において候補者を選定し議会の審議にかければよろしいわけでありますが、この条例を見ますと、長はその候補者を選定するに当たってまず区民投票を実施しなさいという投票の実施を義務づけております。そして投票の結果を見て、その結果を尊重して候補者を選定しなければならない。そこに候補者の尊重というもう一つの制約を課しておるわけでございます。これは、最初に申しました現在の地教行法が区長の候補者選定権をそのみずからの責任においてなせばよろしいとしておる法律の規定に違反する、こういうふうに私どもは考えておるわけでございます。
○山原委員 どうして違反しますか。もう尽くされた論議でありますけれども、地教行法第四条は教育委員の任命は、「地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。」とだけ規定しておるわけでございまして、要するにそれだけのことなんです。それがどんな方法をとろうが、現実の問題としていろいろ調べてみますと、どういう選考方法をとるかということは、もともと地方自治体の自主性に任せられておるものなんです、それは後で申し上げますけれども。たとえば首長が一部の側近と相談をして選考する場合もあります。あるいは沖繩のように教育関係諸団体の推薦を受けて決めているところなどもありまして、多様な形態をとっているわけですね。その一つの形態として、中野区の場合に、区民投票で候補者を選定して、区長が区民の意向を尊重して、議会の同意を得て任命をしようとするものが、そのどこの部分が違法なんですか。
○諸澤政府委員 確かに地方公共団体の長自身が、候補者を選定するに当たってみずからの判断で、ある特定の人に意見を求める、あるいは特定の団体から推薦を依頼するというようなことを任意に行うことは何ら法律に触れるものではございません。しかしながら、中野区のように区議会が一つの条例を制定して区長の選定権を制約する場合は、具体的に言いますならば、このようにしますとまず必ず投票を実施しなければならぬ、投票を実施するためには候補者が立候補しなければいかぬ、そして立候補して投票した結果、高い得票がなければならぬ、こういう段取りがあるわけですけれども、区長としては、おれはそういう立候補する人を教育委員にしたくないという場合に、この条例ではそれができないわけでございます。そういう意味で区長の候補者選定権を制約するわけですから、そこが違法であるというふうに私は申し上げるわけでございます。
○山原委員 それは文部省の一方的な解釈なんですね。現行法の枠内で選挙方法の民主化を図ってやっていくということは、憲法、教育基本法の立場からいいましてもむしろ積極的に評価をされなければならぬ問題だと私は思うのです。その点では、文部省の見解と私どもの見解は全く対立するわけですね。しかし、文部省の方はそういう権限を持っておりますから、いわば一種の代官が、おまえのところは間違いだ、こういう判定を下すというやり方になっているわけですね。 その意味で、たとえば教育基本法の第十条第一項の「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という規定がつくられたときには、すでに教育委員の公選制の導入が予定されておったのです。そういう経過を踏んでおることは局長も御承知だろうと思います。その点から考えましても、まさにいまの文部省の見解というのはきわめて一方的な見解であるということを指摘したいのですが、その点はいかがですか。
○諸澤政府委員 教育基本法ができたのは昭和二十二年ですか、委員会法は二十三年か二十四年ですか、おっしゃるように戦後の改革としてほぼ同じように構想されたと思うわけであります。そしてまた、今日でも基本法十条一項の教育は不当な支配に服することなく直接国民に対して責任を負って行われなければならぬというのが教育委員の公選制の基本的な考え方を含んでおるのだというような意見もあることは承知いたしておるわけでございますが、私どもは、教育が直接国民に対して責任を負って行われなければならぬということの意味は、教育委員の公選制を当然のこととして予定しているということでは決してないと思うわけでありまして、それは教育というものの特殊な性格からしてやはり国民に対して十分責任を自覚して行わなければならぬという趣旨であると考えるわけでございます。それはこの条文が「教育は、」となっておるわけでありまして、教育行政はというふうには言っていないわけでありますから、およそ教育行政も含めて教育活動すべてが直接国民に対して責任を負って行われなければならぬということでありまして、言うがごとくこれが公選を目的とするというのであれば、およそ教育に携わる者は、先生でも校長さんでもみんな選挙によってやらなければこの法の趣旨に合わないということになってしまうという論理が出てくると私は思いますので、それはちょっと違うと思います。
○山原委員 これは全くいまの議事録は検討しなければなりませんけれども、教育行政はその次の項に出てくるわけですね。教育行政の項があるでしょう。そこへ出てくるわけです。その点をはっきりさせないと、あなたのおっしゃるように校長から教員まで選挙でやらなければならぬなんということになってくると、これはもうまさに逸脱した見解であって、少なくとも法律論議の立場じゃないと私は思います。これは文部省の中でも、恐らく皆さんの中にだって問題が出てくると思うのですよ。これは時間の関係もありますけれども、本当にその点は一応論議しなければならぬ問題だと思うのです。そういう点で、諸澤局長が文部省を代表されて違法だ違法だと言っておられることが教育基本法の精神というものを本当に把握した上でのことか。あるいは教育基本法の精神を理解しない点から出てきておるのではないかということを心配しておるわけです。あなたのこの論法でいけば、むしろ区長が独断で教育委員を選考して、そして任命をせよというに等しくて、憲法の地方自治の原則である地方自治の自主性あるいは住民自治を否定する立場に立つというふうに考えられます。この点ではどうしても納得できないことでございます。 そしてまた、中立性の問題についてはあなたの方からおっしゃっていませんからここで論議はいたしませんけれども、これなども、いままで、一つは首長の選考権に対する制約である。もう一つは中立性を侵すものだ——中立性というのは一体何かといえば、これは教育が宗教的宗派あるいは政治的党派によって左右されないということが一般的な中立性の問題でありまして、そういう点から考えますと、一九七六年十月の教育委員会月報に諸澤局長の論文が出ておりますが、任命制教委のメリットを昭和三十二年度からの勤務評定の実施や、昭和三十六年度からの全国一斉学力調査の実施あるいは小中高等学校等の主任制の実施を挙げておられます。あなたは任命制教委のメリットはこういうことにあるのだということを教育委員会月報に出されているのですね。ところが、これらは一体何かというと、勤評にしても、全国一斉の学力テストにしましても、あるいは主任制問題にしましても、この委員会でも国会でも大論議があったわけでしょう。大論議があって、ときには警官まで導入してこういうことが決定されるという、いわばその時点における自由民主党政府の政治的意図がまさにずばり出てきて、それを実行するのに任命制教育委員会がメリットがあったのだ——これは政治的中立じゃないのです。まさに一党派の道具に中立という言葉が使われておるにすぎないのであって、そういう点で文部省のこの中野区の準公選に対する態度というのは、私どもの見解からするならば明らかに誤りである。第一、中野区においてこの条例に反対された自由民主党の方でも違法性の問題はもうすでに出ていないわけですからね。文部省だけが違法だ違法だと言っているわけです。 しかも、お伺いしますが、違法だというのはどこが違法なのですか。条例が違法なのですか。青山区長が新しくなられて、この間の区議会における施政方針説明が出ておりますけれども、彼はこういうふうに発言しておられるのですね。「すでに幾たびも申し上げてまいりましたように、いわゆる準公選条例は、区民の直接請求を受け、」これは住民の直接請求権が憲法で保障されています。そして「区議会が、再度の議決」これも地方自治体の議会の権限に所属する問題ですね。そしてさらに、法に定める裁定機関である東京都知事の裁定、それは適法だという裁定、この三つがある。これに基づいて「区長が適法な条例と判断して公布したものであります。したがって、私がこの条例に基づく事務を執行することは、区民から私に課せられた重要な責務であり、これを放棄することは、区民並びに区議会の意思を否定することになると信じております。」こういう立場ですね。 私は、この区長の立場というのは当然のことだと思います。憲法に基づく住民の直接請求が成立しておる。議会は二回にわたって議決している。そして法に基づく東京都知事の裁定が行われている。じゃ区長はこれに従わなくていい、そこまで文部省が区長の権限をむしろ逆に制約する権限はないと私は思うのですが、その点はいかがですか。
○諸澤政府委員 ちょっとその前に、先ほど基本法十条の解釈で御指摘がございましたから、私の意図を釈明させていただきますけれども、私は何も学校の先生などが選挙でやるべきだということを言っているわけではないので、教育委員の公選制という問題は立法論としては確かにあるでしょう、しかし、その問題を根拠として十条の一項を挙げると私のような法律解釈が出てくるのではないでしょうかということを私は申し上げただけでございます。 なお、先生はいまどこが違法かとおっしゃったわけですけれども、いまの条例そのものが私は違法と考えるわけです。それはなぜかと言えば、先ほど申しましたように、この条例によって地方公共団体の長の教育委員候補者の選定権を制約するということが内容的に見て地教行法に違反する。そこで現在の憲法九十四条を見ましても、地方公共団体は「法律の範囲内で條例を制定することができる。」と規定されているわけですから、法律に違反した条例をつくることはできないと私は思うのであります。
○山原委員 この前も湯山議員に対する答弁の中でそういうことをおっしゃっておられました。じゃ法律とは何ですか。いま読み上げた四条しかないじゃないですか。そうでしょう。法律のどこで規制していますか。禁止されていますか。しかも、法律の条項としては「地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。」だけなんですよ。その法律の文言の中にないから違法だという言い方は、これは乱暴な言い方ですよ。これは文部省の意図はわかりますよ。文部省が公選制を復活させたくないという意図はわかります。それからまた、これは公選制の復活じゃないのです。むしろ非常に柔軟な姿勢をとっていまして、今度中野区教育委員選任問題専門委員会から新しく出ました解釈は、「この教育委員の「準公選制」は、区民投票のしくみをもつが、その区民投票は、「公選制」の場合とは制度的意味がかなりちがっている。公選制にあっては、教育委員の当選を直接に決める選挙であるのに対し、「準公選投票」は、自治体の長が委員候補者を決定する際の判断に住民の意思を反映させていく手だてであって、住民が投票という形で参加していく住民参加のしくみにほかならない。したがって、この区民投票への参加を呼びかけるには、「教育委員選びに参加しましょう」とするのが適当であろう。」というふうに、むしろ現行法の枠内において民主的な立場をとろうとしている。いまの場合は法律の枠を突破しようという立場ではないわけですからね。そういった点では、本当にもう少し冷静な立場で文部省は対応すべきではないかと私は思うのです。 それからもう一つ、こういうことから起こっております問題としまして、先日新聞を見ておりますと、全国市町村教育委員会連合がこういう文書を文部省へ出しておるようです。住民の意思を教育行政に反映させるという動きがこの連合の中でも強まってまいりまして、現在の教育委員会が大変形骸化の傾向にある、この現状を見直しております。そして教育委員会の充実強化を求める提言をまとめまして、文部省あるいは都道府県教育委員会に提出をしておるということは御承知と思います。 それを見ますと、どれだけ教育委員会制度が形骸化されているかということは驚くべきことなんです。五十三年からこの連合は小委員会をつくりまして、二百六十七市町村で五十四年度、昨年の五月段階の調査をしておりますが、定例の会を一カ月に一回持ったところが六六%、二カ月に一回以下のところが一〇%、そのうち四市町村では年に一度も開いていないというようなことですね。それから教育長にしましても、教職経験者は五二・五%にすぎず、教職外の地方公務員から任用されておる者が二六・七%で、年々この数が増加しておる。それから教育委員会に専従職員がゼロの市町村が十三市町村、これは文部省の調査でも出ております。三人以下が四百四十一市町村、六人以下は三千二百三十七市町村のうち四七・四%、指導主事がゼロのところが七〇・一%、こういう実態ですね。そして結局どういうことになっておるかというと、万事教育長任せで、教育長の提案に対しても十分にこれを判断する力もなければ努力をすることもないという、みずからの中身の実態をこのように出しているわけです。そして本当に地教行法に従いまして、市町村教育委員会は合議制で公正な民意を反映できるように、地方の実情に即して基本方針の樹立と重要事項を決定するというこの趣旨に従ってできるような市町村教育委員会をつくるべきであるという提案が出ていますね。 私はこれを見まして、文部省の指導のやり方からこういうことが出てきておると思う。だれがこんなふうに教育委員会制度を形骸化したのかということを考えますと、先ほど諸澤局長が出されました考え方から出てきておると思うのですよ。それから考えますと、本当に今度の中野区における準公選制度の住民の直接請求の成立と、議会における二度の議決というのは、むしろ日本の教育を前進さす内容を持っている。本当に教育委員会を教育委員会らしくしようという空気を醸し出す、そういう役割りを果たしている。それをしゃにむに違法だ違法だと言ってやっている文部省の態度というのは正しくない、私はそう思います。文部省がこの中野区の準公選に対して違法だと言い、そして措置要求を何らかの形でやられるまでのお考えを持っておるのかどうか、伺っておきます。
○諸澤政府委員 措置要求というのは、御承知のように地教行法の規定によって教育委員会の行政処理が違法あるいは著しく適正を欠く場合に出すわけでございますが、現在のところ、中野区では、区として条例を公布し、区長が学識経験者を集めてその具体的方法の検討をお願いし、予算を議会に提案したけれども、実際の投票関係の予算が削除された、こういう段階でございまして、これに対して具体的に措置要求をするというような行政措置が区長の側にあるわけではございませんので、現段階で措置要求をするというようなことは考えていないわけでございます。
○山原委員 中野区の議会も大変だろうと思うのです。本当に二回も論議をして、それは確かに賛否両論もあったと思いますけれども、これは地方議会の権限の問題ですよ。それを二回も決定すると、それはもう違法だと言われる。その中で予算の問題についても動揺が起こるということだと思いますけれども、そういうことを起こすこと自体が私はもう本当にこれは最高の教育行政機関として重大なことだと思うのです。しかも、今度の区長は青山さんという区長さんのようですが、この方は、私の選定権を豊かにしてくれるものだとさえ言っているんですね。区長みずからもそういう民主的な方法について同意をされて、みずからそれによって制約されるという考えを持っていないわけです。むしろ私の選定権を豊かにしてくれるんだという形でやられているのですからね。全国でただ一つこういう試みをされようとしているところに対しては、むしろその成り行きを静観をしまして、そしてその中で生まれてくるメリット、デメリットがあるでしょうが、それについて文部省がやはりいけなかったとか、あるいはこの方がむしろ中野区の教育を振興する上でよかったとか、そういう正当な判断をする。教育行政の機関とはそういうものなんで、頭から違法だなどという、しかも相当こじつけの違法性を指摘するなんということは、私は誤りだと思います。この点について文部大臣の見解をお聞かせいただきたいのです。
○谷垣国務大臣 諸澤政府委員の方からお答えをしておるとおりでございまして、現行の地教行法のもとではこれは違法である、私たちはそう考えておるわけであります。
○山原委員 そう言い張られるわけですけれども、教育基本法が出ましたときのあれは日高さんでしたか、文部省の政府委員が説明をしておる文章をごらんになりましても、まさに教育基本法第十条第一項の考え方は教育委員会の公選制を志向しての上なんです。それは議事録にもちゃんと残っておりますからごらんになっていただきたい。もちろんごらんになっておると思いますけれども、そういう点から、むしろ文部省の方が政治的中立性を侵した見解に立っておると私は思うのですよ、先ほど諸澤さんの論文を引用させていただきましたけれども。そんな点から考えまして、この問題についてまだこれから論議がされることと思いますので、きょうはこれでおきますが、なお検討をしていただきたいということを強く要請をいたしたいと思います。 次に、オリンピック問題について御質問を申し上げます。 この問題はもうすでにスポーツ関係者だけでなくて国民全体の大きな関心事になっております。私は昨日テレビを見ておりましたら、競輪のオリンピック出場選手の代表が昨日決まったようなんです。そのときに、六名の代表を送られるんだそうですが、そのうちの三位に入賞された長さんという方の発言がテレビでずっと行われました。私は今度のオリンピックにすべてをかけてがんばってきた、そして今度のオリンピックに出場したならば、私はもうこれで選手生活をやめますという発言。この間の選手会あるいはコーチの強化会におきまして山下選手が涙で語っておるというような場面も見まして、本当に青春をかけて血のにじむような毎日毎日の練習、そして人間としての自分の極限に挑戦をしていくという、こういうすさまじい世界、しかも世界の覇を唱えるというような考え方で行われておる選手の気持ち、これが一番尊重されなければならぬものだと思います。ところが今度の問題は、ソ連のアフガニスタン軍事介入をめぐりましてまずアメリカの制裁措置が発表される。これもある新聞を読みますと、まさにカーターの横紙破りだと書いてあります。「横紙破りの米大統領 目に余る日本の追随」これはカーター大統領の発言がなければこういう事態は起こらなかったと私は思うのです。しかも日本がそれに対していち早く追随的立場をとるというようなことになってきまして、こういうような非常にややこしい事態を迎えておるわけです。 ソ連がアフガニスタンに軍事介入したことは誤りであり、これは当然撤兵をすべきであるということは私どもも主張しておるわけです。しかし、オリンピックをやるのはソ連政府じゃないのです。オリンピック憲章を見ても明らかなように、これは国際オリンピック委員会、IOCが主催するんですね。そしてこれは国家行事ではない。IOC精神のどこを見たって、IOCに対して政治的圧力が加えられるようなことにはなっておりません。アフガニスタンへの介入はソ連がやっておるのです。IOCがやっておるのではないのです。こういう点から考えましても、日本政府がとっておる態度というのは、私は本当に不可解な態度だと思います。だから先ほど申しました四月二十一日の選手、コーチの会において意見が爆発するような形で出てきているわけです。四月二十一二日にはJOCが原則として参加をする。しかし、それには若干の条件めいたものがついておりまして、安心して競技ができるような状態ということが出ております。ところが、きょうの新聞を読みますと、「政府首脳は六日夜、モスクワ・オリンピックのボイコット問題に関連して、選手派遣のため日本体育協会に交付されることになっている政府補助金について「政府内でまだ協議したわけではないが、(交付するのは)適当でないかもしれない」と述べ、同補助金の交付を見合わせる考えであることを初めて明らかにした。」とあります。この金額は御承知のように六千百四十四万円が今年度予算に組まれているわけですが、これは事実ですか、まず伺っておきます。
○谷垣国務大臣 モスクワ・オリンピックに関しましての政府の意向と申しますか、所信はすでに二度にわたりまして表明しておるところでございます。オリンピック憲章を先ほど先生がおっしゃいましたが、オリンピックの憲章自体、オリンピック大会の目的は、スポーツを通じてよりよき平和な世界をつくるために国際親善をつくり出したい、こういうところに目標を置いておるわけでございますが、御指摘のようなアフガンヘのソ連の侵入という事態が起きまして、国際的にこれに対する大変な非難を呼び起こしたという状況があるわけであります。こういう雰囲気の中で果たしてオリンピックが望んでおりますようなことが行われるかどうか刀そういうところに政府といたしましても非常に関心を抱かざるを得ないということでございます。確かにIOCが主催をすることでございますし、また参加するかしないかということは、最終的には各国のNOCが決める。これは憲章に明瞭に書いてあるところでございますが、現実の問題といたしまして、今日モスクワ・オリンピックに参加するかどうかということは、参加すると参加しないとにかかわらず、いわゆるスポーツと政治とを完全に切り離した形で考えられるかというと、現実問題としては政治問題化しておるということを否定するわけにいかないと思うわけであります。したがいまして、政府といたしましては、先般二十九日にも政府の所信をJOCにお伝えしたわけでございますが、JOC関係の団体の諸君、また先ほど御指摘になりましたオリンピックに出場する予定をもちまして懸命になって訓練を続けております選手諸君の気持ちというものは十分に私たちもお察しをするところでございますが、政府といたしましては、今日の状況が続いております限り、これに参加をいたしますことは不適当である、望ましくないという結論に達しておるわけでございます。 そういうことでございまして、先ほど事実であるかどうかというお話が最後の段階の方でございました。政府首脳の補助金の問題に対しての発言でございますが、それは私は十分関知はいたしておりません。しかし、政府の立場から申しますと、このオリンピックに参加いたしますための補助金につきまして、現下の情勢にかんがみましてこれは望ましくない、こういう結論に達せざるを得ない、こういうふうに思っております。
○山原委員 私は人間の条件の限界にいどむという話をしましたが、本当にスポーツというものが全人的人間性を形成するものとして、そのため日夜努力をしておる青年たちの意思が一番尊重されなければならぬということです。けれども、たとえば政府がそういう態度で、二月一日の決定あるいは大来外務大臣の国会における答弁などから見ましても、じりじりと圧力をかけまして不参加の方向に動員をしていく。たてまえはJOCが決定すべきものだと言いながら、やはりそういう形で押しつけていく。だから柴田JOC委員長から政府にはかなわないという発言が出てくるわけですけれども、各国委員会は、オリンピック憲章を見ましても、完全かつ自主的であり、すべての政治的、宗教的圧力にも抵抗しなければならない。これは本当に大事なところでありまして、たとえばスポーツの分野だからこんなことを勝手に言えるのかもしれませんよ。たとえば作家の会とかいろいろなほかの分野のものだったら、とても政府なんかが文句は言えない。それだけにスポーツ界が一つのいままでの経過上の問題は持っておると思います。政府には逆らえないということを柴田JOC委員長が言っておられるわけですが、これはJOCにとりましても本当にたまらないことだと思うのです。そういう意味で、いま私は日本政府も大きな誤りを犯そうとしておると思います。 私が言うのは、アメリカであろうがソ連であろうがオリンピックを政治的に利用しようとしている動きについては断固反対しなければならぬと同時に、そのためにも日本政府は、お金は出すけれども口は出さない、援助はするが非干渉という立場をやはり貫くこと、そうでなければ今後におきましてロサンゼルス・オリンピック問題あるいは名古屋の問題も出てくるというような状態の中で、政治に振り回されておったら大変なことになりますから、その端緒を今度つくったということになりますと、現在の日本政府の責任というのは相当歴史的に批判を受けるものだろうと思います。そういう意味で、参加しようが参加しまいがあくまでもJOCの決定を待つべきであり、しかも選手諸君の意思を最も尊重すべきであるということを重ねて私は強調しておきたいのです。 これ以上この問題で時間はとりませんが、再度文部大臣の見解を伺っておきたいのです。
○谷垣国務大臣 先ほどお答えをいたしましたとおり、スポーツと政治とを切り離して純粋な形で考えるということは望ましいと思いますが、現実に今回のモスクワ・オリンピックを前にいたしまして起きておる事態というのは、参加いたしましょうとも不参加でありましょうとも、いずれの場合におきましても、現在の国際情勢から見て政治課題をはらんでおる、こういうふうに思います。各国のNOC、日本におきましてはJOCが最終的にこれを決定するということでございますけれども、政府といたしましては、現状のような状況が続く限り、これに参加いたしますことは望ましくないという考え方を持っておるわけでありまして、選手の諸君あるいはJOCの関係の諸君がいろいろな立場がございますことは十分お察しをいたしておりますが、政府のこの考え方に到達いたしましたことも十分にひとつ参酌をして判断をしてもらいたい、そういうふうに考えておるところであります。
○山原委員 スポーツと政治が全く無関係だなどと私は言っておりません。そうも思っておりません。しかし私は、政治がやることはだれでもスポーツができる施設をつくっていくとかいうようなことが政治の任務だと思うのです。むしろ日本政府はこのオリンピック問題については政治的介入をするな、おやめなさいという立場を貫くのが一番正しいあり方であって、今日の情勢で今日の情勢でと言っても、世界情勢というのはどんどん変化していくわけですからね。アメリカがベトナムにジェノサイド、皆殺し戦争をやっておるときだって、オリンピックはアメリカの選手を排除したことはないですよ。だから政治を絡まそうとすればどうでも絡んでいくのです。このオリンピック憲章を本当に日本政府が守ろうとするならば、どちらの国であろうがそういう介入はやめなさい、だからIOCの決定あるいは各国のオリンピック委員会の決定にすべてをゆだねなさいという立場をとることが私はいいと思うのです。だからいま、この問題、イランの問題を契機にして日本が全くアメリカに対して追随的態度をとっておるというのも本当に情けないような状態で、しかもスポーツの問題にまで追随するということになりますと、幾ら政治が複雑だとかなんとか言っても、いまの複雑な国際情勢はどこまで続くかわからぬ。そんな点から考えましたら、本当にここでもう少し沈着といいますか、冷静な立場でこのスポーツの祭典を見ていく必要があるのじゃないかということを改めて強調しまして、特に選手諸君の意思が尊重されるように要請をしておきたいと思います。 次の問題は、文化庁長官がおいでくださっていますので、余り文化問題を取り上げる機会がございませんからこの際幾つかの御質問を申し上げたいと思います。 一つは著作権問題でございますが、先般三月でありましたか、芸団協から、テープレコーダー、ラジオカセット、ビデオテープレコーダーなどの録音、録画用の機器の普及が実演芸能人の生活を脅かしているという要請があったと思います。新聞にも出ておりますので、もうすでに御承知だろうと思いますが、この中で著作権問題が出ておりまして、著作権法第三十条の改正の要望が出ております。 それから、その会議の内容としまして、実演家への補償金につきまして録音機価格に上乗せをした金額を受け取る権利を保障せよという中身になっておると思います。これが一つです。それでいまから何年前でしたか、著作権法が改正されましたときに附帯決議がつけられまして、この問題も懸案事項となっております。 それからもう一つは、あのときに、これは十年前に著作権の大幅改正が行われましたときに写真家の著作権が非常に問題になりました。御承知のように現行は公表後五十年の著作権を認める。あのときにも要求としましては死後五十年の著作権の要求がありました。これも附帯決議の問題点として指摘をされたところであります。 それからもう一つは映画の著作権でありますが、これは製作者に帰属しておりますけれども、このときにも大変な問題になりまして、いわゆる映画創造に参加した人に帰属せしめよという著作権法二十九条の改正といいますか削除といいますか、この問題がありました。 もう一つは、隣接著作権についてローマ条約への早期加盟の問題も附帯決議で出ておりました。 あれから十年たち、場合によっては数年を経過しました今日ですが、この著作権問題について相当検討がなされておると思いますが、この点について長官のお考えをお聞きいたします。
○犬丸政府委員 ちょうど十年前に大改正を行いました著作権法をめぐるいま先生の御指摘の幾つかの問題は、いずれも著作権制度の中の重要な課題として私ども研究を進めてきておるわけでございます。 第一点の録音機器等の普及に伴う著作権の問題でございますが、これにつきましては、私自身も先般芸能関係の団体の方たちから要望書をいただきまして、その問題点の所在は大変に大きな問題点であるということはよく承知いたしております。実はこれはかねてからの問題でございまして、私どもの諮問機関として著作権審議会というのがございます。その中にいろいろな専門委員会がございまして、各方面の専門家に御検討いただいているわけでございますが、その第五小委員会の中で五十二年以来検討を進めてきております。 それで、だんだんにいろいろな意見が出てまいっておるわけでございますけれども、まことにこれは大きな問題でございまして、いわゆるテープレコーダーとかビデオテープレコーダーとか、そういったものがどんどん普及してまいりますと手軽に録音してしまう。利用者の立場からはいいのでございましょうけれども、それによって著作権が侵害される、特に上演芸術家の著作権が侵害されるという問題でございます。 それで、そういうテープレコーダーというような機器、録音、録画等の機器そのものに賦課金をかけて、それを著作権で分配したらいいじゃないかとか、そういう議論が実はあるわけでございまして、いわゆる西独方式と申しております。西独においてはいち早くそういう方式を実施しておりますので、それにならって日本も大いにやるべきであるという御議論がございます。大変尊重すべき御議論でございますが、これはそれぞれの国の著作権の制度の整備状況それから実際の運用状況等に照らして考えてまいりませんと、大変大きな影響を及ぼす問題でございますので、私ども鋭意研究を進めておりますし、また諸外国の情勢等もつぶさに調べております。ほかの国でもいろいろ検討しながら、西独方式にすぐにかかっていこうという国はまだなかなかないようでございます。しかし、これは大事な問題でございますので、さらに研究を進めてまいりたい。時期が来ますればある方向に結論を出すということでございますけれども、もう少しこれは慎重に検討しなければならないということでなお研究を進めておるわけでございます。 それから、写真の著作権の保護期間の問題でございますが、これは古い改正前の著作権法におきましても写真と一般の著作物とでは著作権の保護の態様が違っておりまして、旧法では、一般の著作権は死後三十年でございましたのが写真だけは発行後十年となっております。そういったこともありまして、前回の改正の際におきましても写真は公表後五十年、他のものは死後五十年でございますけれども、そういうふうになっております。これがどういうわけでそれだけ差がついておるのかということは、いろいろこれも専門的な見解がございまして、一つには、この著作権の保護ということは、一方から言うと利用者側の便宜とのバランスになってくるわけでございます。それで写真というのは、その性格上ある時期からはもう一般に使わせるようにした方がいいという考え方、これも一つの考え方であろうと思います。 そういうようなこともございまして、これも一つの問題点でございますけれども、写真というものの性格あるいは社会的な機能というものあるいは普及の状況というものが他の著作物ともう同じになってきたんだという実態があるのかどうか、そういう点も少し研究する必要がございますし、それから諸外国の制度もみんなそうなっております。多少差がついております。そういうことがどういう理由でそうなったのかというようなことも研究してみる必要がございます。これも一つの研究課題として私どもさらに研究を進めたいと思っております。 それから、映画の鞍作権の問題でございます。これもいろいろかねてから問題になっているわけでございまして、御承知のように、著作物としての映画の著作権は映画製作者に帰属しているわけでございます。映画と申しますものはいわゆる総合芸術でございまして、大変いろいろな人が関与するわけでございますから、そういったものの中で特に映画監督などについては著作権を与えたらいいんじゃないかというような御議論も盛んにあることはよく承知いたしております。ただ、現在の段階におきましては、そういう非常に大きな多方面の著作物を総合していく、その一つ一つに認めていくことによる複雑な問題、あるいは製作者というものが一番映画に対するその後の企業的な責任を負うわけでございますから、そこに集約しておくということの方がいいんではなかろうか。また、その必要があるんではなかろうか。それから、それに関与した人の諸権利につきましては、その製作者との関係において処理していくという、そういうやり方が一番いいんではなかろうかということで、現在は製作者に集中しているわけでございます。この辺についてそういったことを改めていくということになりますと、これもまたいろいろな実際上の問題その他起こってまいりますので、あるいは原理的な問題もございましょうし、それからまた諸外国の制度を見ましても、細かい点に多少の違いはありますけれども、おおむね映画の著作権は製作者に集中しているという制度がいまのところは大勢を占めております。 そういったことでございますので、これもやはり研究課題としてはおります。諸外国の動向等も十分に見守っていきたいとは思いますけれども、なお直ちにこれをどう改正したらいいという結論にまでは至っておらないような状況であるわけでございます。 それから、四番目に御指摘のございましたいわゆる隣接権条約の問題でございます。実演家、レコード製作者及び放送事業者等の保護を図るための条約、いわゆるローマ条約、これに早く加盟したらどうであろうかという御議論は常に承っております。昨年でございましたか、レコード保護条約に加盟いたしまして、関係の法律の改正の御審議を願いました際も、附帯決議としてそういうような御要望をいただいております。これにつきましては、私どもこれは外交事項として外務者ともよく御相談しなければならないのでございますけれども、方向といたしましては、何とか前向きにできるだけ早い時期に批准するという方向に参りたいと思っております。 御案内のとおり、十年前の著作権法の改正によりまして、国内法といたしましては、隣接権は十分に保護するようなかなり進んだ制度ができ上がっております。問題は、この条約に加盟いたしますと諸外国のそういう権利を国際的な関係において保護しなければならないという責任が生ずるわけでございます。そのためには、やはり制度が確立したというだけでなしに、著作権の運用の実態そのものがある程度熟成していく必要もございます。それで、そういう状況をもう少し見きわめて、これで大丈夫という段階で加盟に入っていきたいと思っております。文化先進国となるためには、国際的にそういうものも保護するという関係に入っていかなければならないことは当然でございまして、方向としては私ども前向きに考えておりますけれども、なお十分に外務省等とも相談して検討してまいりたいと思っております。 以上でございます。
○山原委員 大変むずかしい関連性のある問題ですから、なかなかきっぱりとしたお答えにならぬと思いますが、検討は進められておりますし、また、隣接権問題につきましても早期に批准の方向へ導きたいというお考えもわかります。 いまの映画の問題と関係しまして製作者に帰属するというわけですが、その他のものについては製作者との関係で解決をしていくという、これは前からの考え方ですが、これが非常に問題になっているわけです。結局物をつくる、映画をつくる、芸術的作品をつくっていく人間の頭脳というものを大事にするということが著作権の一つの考え方ではなかろうかというふうに私は思いますが、大きな会社に帰属してしまいますと、そこの関係で交渉をしたり話し合いをしたりして一定の改善がなされるとしても、やはり本当に頭脳を提供した、あるいは技術を提供した人たちがそれによって恩恵を受けないということになりますとこれは問題なんでして、その辺がずいぶん論議になってきたわけですね。 たとえば、いま著作権の新しい問題として棋譜が本になって売られているわけです。これについての著作権問題というのを多少あちらこちらから耳にしているわけでございます。これは全く著作権の範疇に入らないものか。新たな問題として、これも人間の頭脳が作成していくものでございますから私は著作権の範疇に入るのじゃないかというふうに考えるわけです。これは即答はできないかもしれませんが、やはり検討課題としていただきたいと思いますが、何かお考えになっておりましたらお伺いしたいのです。
○犬丸政府委員 おっしゃいました棋譜というものは、やはりそこに対局者の独創性というものが出てくる場合が多いと思います。やはり一種の知的創造物であるという場合が非常に多いと思いますので、そういうものであるということがはっきりすれば、これは著作権の対象になり得るものであろうかと思います。これは制度の改正というような問題よりも運用の問題として、実際にその辺が熟してまいればはっきりとした形になっていく可能性があるのではなかろうかと思っております。
○山原委員 時間が余りありませんので、長官せっかくおいでですから映画のことについてもう一言お伺いしておきたいのです。 日本映画はすぐれた伝統を持っておりますが、かなり衰微をしておる。これは浦和の例ですけれども、映画館が一つしかない。それもポルノ専門の映画館だということで物すごく減っているわけです。昔はいま半と言いまして、ベルが鳴り出す、そうするとそのときから値段が半額になる。大体どこの町におってもベルが聞こえて、ベルが鳴り出すと駆けつけていけばあとの半分が半額で見られるいま半という制度——制度ではないのですが、それくらい映画館があったのです。それがいまは全く消え去ってしまいまして、日本映画のすぐれた伝統というものは全く惨たんたる状態です。イギリスとかイタリアとかに比べますとずいぶん保護政策をとっておるわけですが、この映画政策というのを文化庁としてはお考えになっておるでしょうか。 それからもう一つは、いろいろな映画団体、映団連とかの申し入れがあるわけですが、これらの申し入れに対しては、ただそこそこおつき合いで聞いておるという程度なのか、やはり文化庁としてこういう要請に対して対応する体制があるのかどうか、これを最後に伺いたいのです。
○犬丸政府委員 映画も一つの文化の分野として大変重要なものであるということは私ども認識いたしておりまして、かなり前から文化庁におきましてもいろいろな方法で優秀映画、すぐれた映画をつくるということを促進していくという努力をいたしております。 文化庁がいままでまた現在やっております映画関係の事業を一応申し上げてみますと、まず一つは、毎年十本ずつ優秀映画を選びまして、選考委員で見ていただきまして、その中からいいものを選んで十本に各一千万円ずつの奨励金を差し上げております。私ども大変乏しい予算でありますけれども、私どもの予算の中ではこれはかなり思い切った金額であろうかと思います。 それから子供向けの映画、特にテレビのアニメのもの、これにつきまして毎年五本選びまして、一本につき六百万円ずつの奨励金を差し上げております。こういう優秀映画の奨励制度が一つございます。 それからあと、芸術祭や芸術選奨におきましても当然映画部門が含まれておりまして、芸術祭大賞を受ける映画、これは芸術祭の場合には輸入映画が中心でございます。というのは、日本でつくられます映画につきましては先ほどの制度がございますので、輸入映画につきまして大賞賞金三十万円、それから優秀賞十五万円というものを差し上げております。それからあと芸術選奨、これは芸術祭に参加というのではなくて、年間を通じて非常にすぐれたものであるというものに対して文部大臣賞三十万円、新人賞三十万円でございますが、それにも映画部門がございます。劇映画、記録映画の演出家あるいは脚本家あるいは撮影者、演技者、監督等も入るわけでありますが、そういった方に差し上げるような制度をやっております。 それから、そういう映画関係のシナリオ作家であるとか俳優、技術者の養成のために芸術家在外研修の一部分をその方向に向けております。芸術家が外国へ行きましていろいろ研修をしていただくために毎年人を選んで派遣しておりますけれども、四十七年度から映画の演出家であるとか、あるいは撮影技術者等を含めておりまして、過去において七名行かれております。五十五年度もその関係の方を一人お送りする予定になっております。 それから、いろいろな芸術団体を助成しております。その中でも映画関係の団体、日本映画製作者連盟であるとか、あるいは日本映画海外普及協会であるとか、あるいはフィルム・ライブラリー協議会、そういったものがある事業をやりました場合に、過去においていろいろな援助をいたしたことがございます。たとえばアジア映画祭への参加であるとか、あるいは「日本の優秀映画」という資料をおつくりになるとか、あるいは日ソ映画シンポジウムへの参加であるとか、そういうような場合に助成金を過去において差し上げた例がございます。今後ともそういうようなことも考えられるわけでございます。 それからもう一つは、東京の国立近代美術館に御承知のとおりフィルムセンターがございます。これは昭和四十四年四月一日に設置されまして、資料を収集し、過去の内外の優秀映画を保存いたしております。そしてときどきこれを上映して一般にも見ていただいております。 そのようなことでございまして、かなりいろいろな面をやっております。もちろん諸外国にはもっともっと大きなお金を使っているところもございます。まだ足りない面もあろうかと思いますけれども、私どもといたしましては、映画というものの重要性には十分着目いたしまして努力いたしてきておる次第でございます。
○山原委員 文化庁の予算が文部省関係の予算の一%、全予算の〇・一%ぐらいじゃないかと思いますが、私はこんな予算ではだめだと思うのです。荒々しいものをつくるよりはもっと文化的なものに金を使うということが必要だと思います。そういう意味で文化庁はうんとがんばっていただかなければならぬと思いますし、埋蔵文化財にしましても大体七千件ぐらい出ておるようですが、それがすべて重要なものばかりではないかもしれませんが、それにしても藤原宮あるいは飛鳥の発掘にしましても、このままでいけば百年かかるというような状態ではやっぱりぐあいが悪いと思うのですね。そういう意味で、本当にこれはお金の問題と関係してくると思いますが、文化庁予算というものがもっとふえることが大事だと思います。その点は文部大臣もぜひお考えおきいただきたいというふうに思います。 文化庁長官、どうもありがとうございました。 あと残された時間を障害児教育の問題についてお伺いしたいと思うのですが、養護学校の高等部の設置が非常におくれております。これも数字を持っておりますけれども、特に申し上げませんが、非常におくれているのですね。それから卒業後の進路の問題ですが、知恵おくれ、精神薄弱児の場合、雇用促進法の適用の対象になっていないと聞いておりますが、それは事実でしょうか。これは労働省か厚生省に伺いたいと思います。 もう一つついでに指導要領の改定がなされましたが、この知恵おくれの子供たちに対しましては職業・家庭がない。いままでは盲、聾がありまして、今回の改定によって病弱、肢体不自由児が入っておりますが、知恵おくれがこれに入っていないということを聞きますが、これは事実でしょうか。
○諸澤政府委員 小中高の指導要領の改正にあわせまして盲、聾、養護学校の学習指導要領も改正し、これを合わせて一本のものとしたわけでございます。そこで、盲、聾学校と、それから養護学校のうちでも肢体不自由と病虚弱、それと精神薄弱者と三つありますうちで、盲、聾それから肢体不自由、病虚弱は一つの学習指導要領で実施をし、それから精神薄弱者を教育する養護学校についての指導要領はそれと違う立て方をしておるわけであります。 そこで、いま職業・家庭の勉強がなくなったのではないかという御指摘のように聞きましたけれども、これは決してそうではないのでございまして、先に申し上げました四つのグループについては技術・家庭という一般の中学校と同じような職業教育をするわけですね。技術・家庭の中身は、御承知のように男子であれば機械とか電気とか木工とか金工とか、かなり分かれた技術の勉強になるわけですけれども、精神薄弱者の場合はそこまで分けることをしないで、この技術・家庭に対応する教科として職業・家庭という教科を勉強させなさい、それでその中身はいわば職業生活や家庭生活の基盤になるようなごく基礎的な知識なり技能なりを勉強させるようにしなさい、こういうことでございますから、その点では子供の発達の度合いに応じた特別な扱いをしておりますけれども教育の趣旨は変わりない、こういうことでございます。
○若林説明員 身体障害者の雇用促進法におきまして雇用率が義務づけられておるわけでございますけれども、この雇用率の対象となります障害者の範囲につきましては、身体障害者のみでございまして精神薄弱者は含まれてない。先生御指摘のとおりでございます。
○山原委員 ちょっと時間が足らなくなりましたので、その点、いいことかどうか、私はちょっと判断がつきませんけれども、理由はあると思いますが、でも、いま文部省がおっしゃったように、文部省の方では一応いまこの職業・家庭という形で考えておられるという点から見ますと、やはりこの問題もその適用の中に入れるべきではないかと思いますが、その点いかがですか、簡単にお答え願いたい。
○若林説明員 この精神薄弱者を対象とするかどうかにつきましては、こういう知恵おくれの方々が雇用に適するかどうかという判定の困難性の問題が一つございます。それから一般の職業という中でどういうものが適職であるかという点についてその開発が進んでいないという点などがございまして、これを法律で義務づけるということにつきましては問題があるということでございます。しかしながら、身体障害者雇用促進法におきまして、身体障害者の雇用率を下回っている三百人以上の企業につきましては納付金の支払いが義務づけられているわけでございますけれども、精神薄弱者を雇用している場合につきましてはその分は納付金から減額されるというような措置を講じているわけでございますし、また納付金に基づきましていろいろな助成金が用意されているわけでございますけれども、この助成金の支給の対象といたしましては精神薄弱者も含まれているわけでございます。その他いろいろな援護措置等がございますけれども、雇用奨励金等ございますが、そういうような制度につきましては精神薄弱者も身状障害者と同じような形での助成の対象としているわけでございまして、全般的に精神薄弱君の雇用対策という面におきましては同一の扱いになっているということでございます。
○山原委員 私もまた検討さしてもらいますが、なお御検討を賜りたいと思います。 それからいま納付金の話が出ましたが、共同作業所の場合、特に無認可の場合、これは非常に苦労しておりまして、県や自治体におきましては助成もしておりますところがかなりあります。それで、この雇用納付金を現在二百億も蓄積されておるということで、これをこういう非常に苦労しておるところに適用していいのではないかという論議はいままでもなされておるようですが、これは後で簡単に御答弁を賜りたいと思います。 たとえば私の県では安芸市というところがありまして、そこに安芸工芸という無認可の共同作業所がございます。ここは、ここで働いておる人も必死ですけれども、市としても大変な努力をいたしまして、今回社会福祉法人の申請をしようとしているわけですが、これに対して、厚生省の方でしょうか、何らかの方法が私はあると思うのです。法人を認可しました場合には、これは当然助成が行われるだろうと思います。ところが、これをつくるに当たりまして、建物、土地を取得するためには自治体の長はもう大変な苦労をしておるわけでございますが、ここなんかの場合は市長も大変乗り気でがんばっておりまして、土地もやっと入手することができる。こういうところは全国にもかなりあるのではないかと思います。これに対しては、厚生省でございましょうか、どういう対策を立てられておるのか。これも簡単にお伺いしたいのです。 それからもう一つは、厚生省の方はなかなかむずかしいことを言って、法人化してそれに助成する場合でも、たとえばその所長になる者は十年以上の経験がなければならぬとかいうようなことを言われますと、これはもうまじめに一生懸命何とかしょうと思っておりましても、そういう厳しい規制をつけられると、相当のベテランを配置する気持ちは持っておりましてもそこでひっかかってしまうというようなことになるわけですが、こういうところは当然弾力的に適用していくべきではなかろうか。せっかくその芽生えをむしり取ることがないような努力が厚生省としても必要ではないかというふうに思うのです。 それから、たとえば高知市に「すずめ」という共同作業所がございますが、これは土地の購入はとてもむずかしい。これは社会福祉法人になれるような状態ではまだございません。でも、土地の場合にしましても、たとえば公有地であるとか国有地、こういうものを供与するとかいうことをすればできるわけですね。そんなことも、これは今後、国際障害者年を来年に控えましてそこらのところを一歩踏み出していく、全国にある共同作業所に対してもう少し光を当てていくという考え方を持ってほしいと思いますが、この点について御意見を賜りたい。
○板山説明員 いま御指摘の共同作業所、別な名前で福祉作業所でありますとか福祉工場というような名前を使っておるところもあるようでございますが、確かに精神薄弱児者あるいは身体障害者の親の会の人たちなどを中心にいたしまして、子供のために生きがいを求める場所あるいは障害者の人たちがみずからの力で手を携えて働く場所をつくろう、こういう広がりがだんだんに目立ってきております。私どもも、身体障害者福祉法という立場から、ある程度の働きをいたします作業をいたします場所に、衛生上の問題でありますとか安全性の問題でありますとか経営の安定性というようなこともありますので、公的に設備や運営に対して助成をいたそうといたしますと、どうしても一つの制約が出てまいります。実は五十四年度から初めて小規模の身体障害者通所授産施設というものに公的に助成をするという道を開きました。建物それから運営費、こういったものについて二十人程度の身体障害者の人たちなどが一緒に働かれる場所なりについては助成をするという制度を初めて昨年度から始めました。 先ほどお話のありました高知市あるいは安芸市の例も伺っておりますが、安芸市の方は市当局が適当な場所などを用意しまして、県を通しまして私どもの方に協議が出てきておりますので、五十五年度におきまして、この面につきましては恐らく前向きに助成が図られるのではないかと考えております。全国的にもそういった動きがございますので、適職が得られますかどうか、あるいは作業の安全性がどうか、経営の安定性がどうかというようなことを見きわめながら公的な助成も引き続き拡大をしていくつもりでございます。
○若林説明員 先ほどの身体障害者雇用納付金制度のお話でございますが、身体障害者雇用納付金制度に基づきます助成金制度は、身体障害者の雇用についての事業主の社会連帯の理念に基づきまして、事業主間の経済的負担の公平を期するための制度でございます。雇用率未達成の事業主から納付金を徴収いたしまして、身体障害者等を雇用いたします事業主に還元する制度でございます。したがいまして、法律のたてまえにおきましても雇用関係を前提にしているわけでございます。 この共同作業所につきましては、雇用保険の適用関係の存在等から見まして、雇用関係があると認められるものにつきましては助成金を支給してまいっております。まだ件数は少のうございますけれども、そういうケースがございます。しかし、雇用関係が不明確なところにつきましては助成金を支給することは法律上無理があるわけでございますけれども、これまでもケース、ケースにつきまして、できるだけきめ細かく御相談に応じるようにしてきておりますし、できるだけのアドバイスもするようにしてまいっておりますが、今後ともそういう形で雇用関係の確立につきまして御相談申し上げていきたいと思っております。
○山原委員 障害年ということでございますから御努力されておりますことはよくわかっておりますが、なお、新たな観点でさらに拡大をしていく等の御努力をお願いしたいと思います。 もう余り時間がありませんので、大学局長、海洋学部の問題、これはいつでしたか、二年ほど前になりますか嶋崎議員が長時間にわたりまして、この問題一つにしぼって質問をされたことを覚えておると思います。私も大変感銘を受けて聞いたわけですが、海洋学部の創設を要請する声はかなりあるのじゃないかと思うのです。それで、私の県などにもございまして、いつもそういう要請を受けるわけですが、これだけの海洋国家におきまして、いま海洋学部として存在しておるのは東海大学だけだというふうに聞きます。それで、たとえば一般的に考えますと、日本海あるいは太平洋岸あるいは沖繩というようなところにそういうものが必要なのか、あるいは海洋学というものがどういうふうな位置づけをされておるのか、その辺の大学局の見解を伺いたいのです。 聞きますと、学術審議会とか海洋開発審議会というようなところでも答申がある程度なされておるようですけれども、まだ抽象的な答申であって具体的な問題には入ってないと聞きますが、これはどういう要請が全国的に出ておるかとういことと、そしてそれに対して文部省としては一体この将来展望についてどんな御見解を持っておるかということを先に伺っておきたいのです。
○佐野政府委員 御指摘のように海洋に関する学部の新設につきましては、大分大学であるとか高知大学であるとか金沢大学であるとか、幾つかの大学で検討が進められている状況にあることは承知をいたしております。ただ、同じ海洋に関する学部と申しましても、それぞれの大学で検討されている方向は必ずしも一様ではございません。広がりがある領域でございますから、これからそれぞれの大学で教育研究のねらいなりあるいはそれに伴う教育研究組織等についての検討がもう少し進められていかないと、現在の段階ではまだわれわれの方としてはなかなか積極的に対応することがむずかしいという状況にあるのが率直なところでございます。海洋に関する科学についての研究者等の養成について、いま御指摘の審議会の建議等を初めとして御指摘があることは承知をいたしておりますけれども、これまで国立大学につくってきております幾つかの学科について見ましても、かなりすぐれた研究者の確保に難渋をしている実態もないわけではございません。事柄として学部の新増設の問題については、現在の財政状況もありまして教育研究上の必要性なりあるいは社会的な要請というものを十分に勘案しながら慎重に対処をしていかなければならない課題であると考えております。私たちも十分に関心を持っておりますけれども、実態はいま申し上げたような状況だと思っております。
○山原委員 こういう意見もあるわけですね。これは幾ら陳情しても全く話にならぬものなのかどうかという、陳情と言えばおかしいのですが、これは確かにありまして、私は、これについては文部省ももう少し検討していく必要があるのじゃないかと思うのです。全く不必要なものだとだれも思わないでしょうし、現実にそれぞれの大学からもまた自治体からも要請が出ておる以上は、やはり必要があって出ておると思いますね。そういう意味では学術審議会とかあるいは海洋開発審議会、これは一つは文部省の諮問機関だと聞いておりますが、もう少し積極的な諮問をしてもいいのじゃないか、その結論がどうなろうとも。そういう点を考えますが、いま関心は持っておるというお話でしたが、もう少し検討を進めてみるというお気持ちはありませんか。
○佐野政府委員 いまお答え申し上げましたように、それぞれの大学で検討が進められているわけでございます。大学の方の検討の進捗状況も私ども十分に伺いながら、これから海洋に関する教育研究をどのように進めていくことが最も適切なのか、事柄はかなり慎重を要すると思いますけれども、検討を進めてまいりたいと思っております。
○山原委員 最後に一つだけ。これは初中局長になると思いますが、人材確保法ができましたときの附帯決議を思い起こしていただきたいと思うのです。あれから教員にとりましては幾たびか法改正も行われてきました。あのときの附帯決議は幾つもありますけれども、きょうは時間がありませんから取り上げませんが、事務職員の問題ですね。これはかなり論議をされまして不均衡が生じないような努力をせよという附帯決議でありましたが、これが一向にまだ何らの見通しも得ていないという状態でございますが、この点については相当の検討がなされているのでしょうか。
○諸澤政府委員 人確法の附帯決議もございましたし、それ以前から事務職員の処遇の改善というのは一つの大きな課題であったわけです。そしてわれわれもずっと検討をしておるわけでございますが、結局問題は、学校事務職員というものの俸給表を一般の事務職員と同じ行政職俸給表にしておく限りどういう処遇改善の方法があるかということで、その具体的な中身としてずっと言ってきましたことは、事務職員についても本省の課長補佐相当、つまり四等級ぐらいまで上れるように行政措置をしろ、それから教員と違って超勤制度が認められているのだから超勤を完全に払いなさい、それから一つの学校に長い間くぎづけしておきますと、どうしてもその俸給の昇給、昇格が間遠になりますから、そこで職員の配置についていろいろ考えなさい、こういうようなことを言ってきたわけですね。現実に超勤などはかなり払われるようになりましたし、もう一つの四等級格づけという問題は最近はかなり進みまして、いま四十県くらい四等級になっているのです。これは四十九年のときは十九県だったので、その点では各県を指導した人の成果だと私ども思っておるわけですが、率直に言って事務職員の方々の要望は、これは学校事務職員という特色に着目して何か制度上の優遇措置はないかということなので、ずいぶん私も人事院へ行っていろいろ相談したりしておるのですけれども、いまのところその確たる名案がないというのが現状で、引き続き努力をしてまいりたい、かようなことになっておるわけです。
○山原委員 これで終わりますが、事務職員の育児休業の問題はいま法案も出されておるようでございますし、そういった面であのときもかなり論議をした上で附帯決議がつけられておる問題でございますから、なお積極的な検討をしていただきたいと思います。
○谷川委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。木島喜兵衞君。
○木島委員 先ほど山原さんの質問の最初に、教基法第十条の「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を」の「直接」は、公選制というものを前提にしたものじゃないかという中で御答弁がありました。これは昭和四十六年十二月四日でありますが、沖繩の復帰のときの特別委員会で、御案内のとおり沖繩は当時公選制をしいておりました。それで復帰するから日本と同一だということで任命制にする。しかし、屋良朝苗知事が要望書を出しました。そこで私は、一時間半この問題だけにしぼって特別委員会で質問をしておるのであります。そのことに関しましてずいぶん長い質問がありますが、いまそのさわりだけを言いますと、ずっとやってきましたが、「きっとあなたのお考え方の中には市長が教育委員会を任命したって、市長は国民から選ばれておる、議員も国民から選ばれておる。だからその国民から選ばれたところの市長が任命をし、国民から選ばれたところの議員が同意をするのであるからそれでいいのだ。そういうお立場に立っていらっしゃるとあなたはおっしゃらないが、私はそうとしか理解できないのです、さっきからずっと一貫し考えますと。そういうお立場ではないのですか。」と私が聞きましたら、高見国務大臣は「私が申し上げようと思ったことを先回りして言われましたので、そのとおりでございます。」こうおっしゃっているのです。したがって、この十条は教育行政の項でありますから、国会においては、ことに文教委員会においては、文部大臣のそのときにお考えになったことが文部省の一貫した物のお考えだと私は今日まで考えてまいりました。いまの御答弁はそれが違います。 そこでお聞きするのでありますが、文部省はあのときの解釈と先ほど局長がお考えになったところの解釈と、いつどのような機関でそのような解釈の変更をなさったのか。そのことは教育基本法の解釈でありますから、今後このことをもとにしてわれわれは教育を考えるのでありますから、その点では大変重要だと私は思うのであります。そこをお聞きをしたいのです。
○諸澤政府委員 ただいまの沖繩特別委員会における高見大臣の御答弁は、要するに教育委員の選任方法として、選挙によって選ばれた長が候補者を選び、選挙によって選ばれた議会の同意を得て任命するという、いわば間接的な民意の反映方法というものが妥当だということで三十一年の改正をしましたという趣旨だろうと思うのです。そういう意味では私もその考え方は全然変わりませんし、それはいまも同じでございます。
○木島委員 さっきの答弁と全然違うじゃないですか。さっきのあなたの答えは、「直接」は公選制というものを前提にしておらないのだ、それを前提とするならば教員まで選挙しなければならぬとあなたはおっしゃったのですよ。違うじゃないですか。
○諸澤政府委員 私の申し上げたのは、先ほど言うように十条の解釈から直接選挙ということは出てこないのじゃないですかということだけで、いまの教育委員会の任命制度の考え方自体は、高見大臣がおっしゃるのとちっとも変わらないと思うのです。
○木島委員 違うのですよ。私は十条の解釈だけずっと詰めてきて、だけれどもなかなかおっしゃらなかった。高見さんも文教族でありましたけれどもね。だが、それを詰めたら、結果的には「直接」というのは本来公選制なのだけれども、しかし任命制にしたというのは、住民が選んだ市長が住民の選んだ議会の同意を得てやるのだからそれは直接じゃございませんかと、任命制を「直接」にからめて言っているわけですね。だから直接なんですよ。直接であることを是認されたわけですよ。だからそこは本来ならば公選制でやることが一番好ましい。これを詰めているときの文部大臣は田中耕太郎さんですが、あの人の「直接」の解釈の中にもあるわけですよ。だからそういう意味で、政治というのは国民全体に責任を負うのはあたりまえなんですよ。ここで「直接」とあえて入れたのは何かというと公選制というものを意識したからです。だからあのとき改正されなかったところの教育委員会法の第一条は、この教育は不当な支配に服することなく国民に対して直接責任を負うという立場から教育委員会をつくるのだということで、後に公選制を加えています。そういう観点に立つならば、「ではないのですか。」と沖繩委員会で聞いたときに、大臣はおっしゃらないが、直接選ばれた市長が任命をし、直接選ばれた議員が同意するということであなたは考えていらっしゃるのでしょう——そのとおりだということだったのです。そうすると、あなたのさっきの答弁と違うのじゃないですか。もし違うとすれば、いつどう変わったか、私は聞きたい。
○諸澤政府委員 繰り返して申し上げますけれども、私はその考えは全然変わっていないと思うのです。ただ、いまおっしゃったようにその十条の解釈として、直接住民投棄によって教育委員を選ぶのだという根拠がそこにあるのではなくて、立法論として民主的日本において教育委員会制度をどうするか、その場合に直接選挙をするか、あるいは住民によって選ばれた長や団体の意向をもとにしてやるかというその立法論はあるでありましょうし、そしてまた直接選挙の方がよりベターだという意見のあることも私は承知しておりますけれども、それらのことは直接基本法十条から出てくる問題ではないのじゃなかろうか、こう申し上げたわけでございます。
○木島委員 関連ですからやめますが、ただ、いまあなたがおっしゃったことと、先ほどからの中野区の準公選とのずっと一貫したところの論理、その間に矛盾がありますが、これは関連でありましていまは私の質問ではありませんから、私はここで打ち切ります。
○山原委員 いまの問題に関連して一言だけ申し上げておきますと、「教育基本法の解説」これは辻田力、田中二郎監修ですが、この点につきまして「直接にというのは、国民の意思と教育とが直結しているということである。国民の意思と教育との間にいかなる意思も介入してはならないのである。」ということなんですね。こういう解釈をしておるのです。これは百三十ページに出ております。そしてこのことから「このような組織として現在米国において行われる教育委員会制度は、わが国においてもこれを採用する価値があると思われるのである。」というような見解に立っていまして、ちょっといまの文部省の見解はやっぱり変化があるということを私も感じております。しかし、この問題はもっと基本的な問題ですから、当然時間をかけて本委員会でも折を見てやる問題だと思いますので、私の質問はこれで終わります。
○谷川委員長 次回は、明後九日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後一時四十二分散会