文教委員会 第4号
- 発言数
- 130 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1980/02/22
会議録
○谷川委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。栗田翠君。
○栗田委員 ことしは養護教育義務化二年目の年でございます。それからまた、来年は国際障害者年と決められておりますので、まず初めに、私は、障害児教育の問題について伺いたいと思います。 その初めに厚生省に伺いますけれども、一九七五年国連で障害者の権利宣言や決議が行われておりまして、そして国連の決定として来年からの障害者年がすでに決められております。それに向けてどのような準備や取り組みがされておりますか、伺いたいと思います。
○板山説明員 ただいま御質問のありました件につきましては、昭和五十一年に国連決議がございまして、昭和五十六年を国際障害者年にする、しかも、そのメーンテーマは障害者の完全参加と平等ということでございます。これに向けまして、ただいままでのところは、外務省国連局がその国際連合との対外的な窓口といたしましてそれぞれ情報を受けとめ、国内各方面に連絡をしていただいておったわけでございます。国内的には、心身障害者対策基本法というものがございますが、これに基づいて総理府に中央心身障害者対策協議会が設置されております。これは関係各省並びに学識経験者等で構成されておりますが、この中心協でこれを受けとめまして関係各省が随時連絡協議をいたしまして、これに対する対応策を検討いたしておるところでございます。 なお、今後の対応策等につきましては、政府としての窓口をどのように設定するか、あるいは各省がこれを受けて来年の国際障害者年に備えてどのような事業計画を組みますか、こういったことについて、ただいま関係各省が協議を進めておる最中でございます。 ただ私どもは、国際障害者年というのは参加と平等という大変にむずかしい、しかも長期にわたって取り組まなければならないテーマを取り上げておりますので、単なる一つのある年における一年の行事、このようなものにいたしませんで、今後あるいは半世紀をかけてこのようなテーマを実現していくためのスタートの年にしたい、このようなことで取り組んでおる最中でございます。
○栗田委員 いま参加と平等とおっしゃいましたが、障害者がハンディキャップを克服して社会生活に参加していけるように、またその権利の点でも平等にということで、これは大変なことだと思います。ですから、その準備もかなり入念にされていかなければならないと思いますけれども、いまお話を伺いますと、もう総理府には中心協がつくられているわけですか。
○板山説明員 実は心身障害者対策基本法が昭和四十五年に制定されまして、それに基づきまして中央心身障害者対策協議会というものが総理府に置かれております。現に活動をいたしておるわけであります。
○栗田委員 国際障害者年に向けて各省が取り組みますから、厚生省、労働省、文部省などをまとめた窓口というものはこれから準備されていくというのが実際の状態なわけですね。
○板山説明員 先ほど申し上げましたように、実はいろいろな議論がございまして、中央心身障害者対策協議会をもって国際障害者年の日本国委員会と申しましょうか、対策本部、協議会という形で扱ってもいいのではないかという御意見も一部にはあります。しかしながら、障害者団体あるいは対外的な観点その他から、先般の本会議等でも各大臣からお答えがありましたように、政府としての窓口をやはり特別に設定した方がいいのではないか、こういう考え方で現在検討、協議がなされておる最中でございます。
○栗田委員 検討の段階だということですが、もう一年足らずになりましたので、早急に各省挙げて準備を進めていっていただきたいものと思います。 続いて労働省に伺いますけれども、雇用促進法で障害者の雇用の率が決められております。子供たちの教育の問題からいいましても、せっかく障害児教育が義務化されても、卒業した後に就職すべき場所がないということが将来の大きな不安になっているわけです。現在この雇用率はまだ達成されていないと思いますけれども、この達成のためにはどのような方策をいまとっていらっしゃるでしょうか。
○若林説明員 お答え申し上げます。 先生御指摘の身体障害者雇用促進法に基づきます雇用率でございますが、民間企業で申しますと一・五%が義務づけられておりますけれども、現状は、昨年の六月一日現在で一・一二でございます。そのほか特殊法人につきましては、目標は一・八でございますが、一・二八でございます。それから官公庁につきましては、非現業につきましては義務は一・九でございますが、実雇用率は一・八四ということでございます。それから現業部門につきましては一・八でございますが、実雇用率が一・八五ということでございます。いずれにいたしましても雇用率は、義務の雇用率に対しましてまだかなり低い数字にあるというように考えております。 この雇用率の達成のために、私ども公共職業安定所を通しまして指導を行っているわけでございますけれども、特に雇用率の低い事業場につきまして、法律に基づきまして雇用率の達成計画の作成を命令いたしております。これまで一千二十一件の命令を出しているわけでございまして、この命令に基づきまして計画が提出されております。私どもは、まずこの計画に基づきまして、この雇用率が達成されるように強力に指導をしているわけでございます。
○栗田委員 私の調査では、特に千人以上の大企業の達成率が非常に悪いのです。平均が一・一二ですが、千人以上の大企業になりますと〇・八六になっておりまして、最も条件のあると思われるところが達成率が低くなっております。国際障害者年に向けて、また、障害を持った子供たちの将来に向けて、労働省としても特に強い取り組みをしていっていただきたい、このことを要請いたします。 それでは、労働省それから厚生省の方は後があるようでございますから結構でございます。 それでは、引き続きまして、義務化二年目を迎えまして、努力の中で、猶予、免除の子供たちの数はかなり減ったようでございます。九千八百人から、あと三千三百人しか残っていない状態というふうに聞いております。ところで、文部省は、この猶予、免除として残されている三千三百人に対して今後どう対処していらっしゃるおつもりですか。
○谷垣国務大臣 昭和二十二年に学校教育法が制定されましたが、それ以来の懸案でありますいわゆる養護学校の義務制が昨年から発足を見まして、義務教育はこれで体制的に完成をしたわけでございます。いま御指摘がありましたように、これからやらなければならない問題もございますけれども、養護教育、特殊教育全体を進めまして努力をしていきたい、かように考えております。
○諸澤政府委員 ただいま御指摘のように、義務制実施前約一万名ありました猶免者が、去年の五月一日現在で猶免合わせて三千三百六十七となったわけでございまして、これらの実態は、その障害の程度等からして、どうしても勉強よりもまず療養が先という子供さん方であろうと思うわけでございますが、今後の考え方としましては、そうした障害の程度が勉強に耐えられるように回復しますならば、できるだけ勉学の機会を与えるようにしてまいりたいということであります。 なお、制度として、猶免のうち特に免除という制度はやめたらどうかという御意見がありますことは、この委員会等でも御指摘があったように記憶いたしておるわけでございますが、私は、実態として、やはり数ある子供の中ですから、どうしても免除した方が適当だという子供さんは残ると思います。 ただ、その考え方が、いまの学校教育法のたてまえとしては、御承知のようにその猶予、免除というものは、子供の心身の発育不完全等事由がある場合には教育委員会が猶免ができる、そしてその子供の親御さんも猶免をしたいときには願い出るというような、言ってみれば義務教育の義務の面の立場に立った規定だと思うので、制度としてはこれでよろしいかと思うのですが、今日そういう障害者教育というものが一人一人の人間の教育を受ける権利を保障するというたてまえからしますならば、運用の精神としては、あくまでもその子供さんなり親の立場になってそれを考えていくということでやっていきたい、こう思うわけでございます。
○栗田委員 免除を廃止するかどうかという問題にもお触れになったわけです。私まだそこまで伺わなかったのです。それで、猶予というのは毎年、今度はどうか、今度はどうかということで、次の年に教育を受ける機会が与えられるかどうかという検討がされるわけですが、免除になりますと、もう一度で免除になっていくわけですね。 それで、いまいろいろ実態を調べてみますと、まだ障害児教育について認識が本当に十分とはいっていない面があるわけで、親御さんにしても、うちの子供はとても教育はだめだとあきらめているような方もあって、勧められて教育をしてみたら伸びたという例もあります。それからまた、行政の側でも、これは実際にあることなんですが、親が教育を受けさせたいと言うのに、いや猶予、免除にしたらどうかとしきりに勧めるという例もあります。 こういうことを考えてまいりますと、免除という形ではなく、猶予という形が残っていれば、その子供が次の機会に教育を受けることをもう一度検討できるという機会が与えられると思うのです。免除というのはなくても、無理な子供は猶予を繰り返していくわけですから済むのではないだろうか。逆に言えば、全く機会を失うことのないようにしていかなければならないのではないだろうかと思いますが、いかがでしょうか。
○諸澤政府委員 ちょっといま条文が見当たりませんが、私の記憶では、猶予も免除も願い出があれば中断してまた復することができるという規定がございますから、たてまえとしては免除の場合も同じことであります。ただ、おっしゃるように、そういう場合にほっておきますと、本人が希望を持っておっても実際に復学の機会が少ないということもあろうかと思いますので、そういう点につきましては、先ほども申しました法の運用の精神の徹底を図るといいますか、それと今回の義務化の実施に伴って養護教育の趣旨の徹底、それからそれに関連する普通の学校の先生とか一般のPTAに対する特殊教育への理解の促進など、いろいろなパンフレットをつくったりしてやるということを一つの仕事の内容といたしておりますので、そういうことを通じて実際の運用においては先生御指摘のようなことがないように進めてまいりたい、かように思うわけでございます。
○栗田委員 次に、訪問教育について伺います。 この義務化が進められた一年の中で、最も数がふえたのが訪問教育だと思います。重度重複障害児の教育に占める訪問教育の位置づけというのは大変大きくなっておりますが、文部省は訪問教育をどんなふうに位置づけていらっしゃいますか。
○諸澤政府委員 いまの学校教育法の施行規則の中でも、訪問教育をやるということが一応前提になっておりまして、その場合には特別の教育課程によることができるのだ、こういう規定になっておるわけでございます。 そこで、今度の学習指導要領の改定でも、訪問教育の場合には他の障害児に比較してそれぞれの教科の目標なり内容についてその一部を変えてもよろしいのだということで、子供の実態に合わせるということにしておるわけでございます。 それから、一体どのくらい教育したらよろしいかという時間と内容の問題ですが、これも実はその子供の実態に応じて千差万別だと思いますけれども、この訪問教育をするために非常勤の講師を雇用するということを五十三年度まで進めてまいりまして、そのための人件費の補助をしてきたわけでありますが、その人件費補助の積算として、訪問指導の場合には大体一人の子供さんについて一回二時間週二回というのを目安として積算をしておるということでございますので、実態としても大体そういうことで指導をしておるのではないかというふうに考えておるわけでございます。
○栗田委員 一回二時間週四時間ということですけれども、これはいままでの大体の実例の中からお決めになったものだと思います。けれども、いまおっしゃったように子供の実態に即してこれでは間に合わない、もっとたくさん必要な子供もいろいろあるわけですね。 私は、ここに愛知の日本福祉大学障害者福祉研究会の教育パートがつくりました資料を持ってまいりました。「障害者の教育権保障 その実態と問題点」ということで、これは学生が丁寧に一人一人の重度の身障児の家庭を回りまして、子供の障害の状態から教育を受けた結果どんなふうになったかとか細かく聞き取り調査をやったものでございます。 これを読んで大変感動したのは、いままで全く教育を受けていなかった子供たちが、たった週四時間の教育なんですけれども、それを受けてずいぶん成長してきているという例がたくさん載っております。たとえばC子ちゃんと書かれているケースですけれども、脳性小児麻痺による全身機能障害の一種一級の障害児、十八歳の女の子です。この子供さんは十二歳八カ月になるまで全く教育を受けておりませんでしたけれども、「十二歳八カ月ごろ、訪問指導を希望し、受けるようになったところ、まず五十音をどうにか発することができるようになり、二年目からは小学一年生の教科をやり始めました。教えてもらったことは驚くほどよく覚えました。」これは親が驚いているわけで、それまでうちの子は教育なんというのはもうだめだろうと思っていた子供が教科書でどんどん覚えていったのですね。「それに何よりも訪問指導をやり始めて、体重が一年間で十三キログラムから二十六キログラムと二倍にもなり、身体面でも発達しました。」ということが書かれてあります。 その他時間がありませんのでたくさん挙げられませんけれども、教育によって子供が文字その他の知識を覚えるばかりでなく体まで発育してきたというような例が幾つも出ておりまして、私も改めて教育というものの大切さを感じたわけでございます。 こういう中で、四時間よりももっとたくさんやってほしいという親の希望もずいぶんあります。子供によりますけれども、うちの子供は先生が来るのを待ち遠しがっているとか、教えられると驚くように成長したので週四時間ではなく六時間でも八時間でもその耐えられる限りの時間はぜひとも教育をしてほしいといったようにたくさんの親の声が出ているわけです。 そこで、私伺いたいのですけれども、その実態に即していろいろあるであろうといま局長もおっしゃいましたけれども、文部省としては、この週四時間という時間は弾力的に取り扱われるお考えがありますか。
○諸澤政府委員 その前にちょっと訪問指導担当の非常勤職員を正規の教員に切りかえるという経緯を申し上げますと、昨年義務制になりましたときに、今後は訪問指導担当の教員も正規といいますか、非常勤職員でない教員に担当させることをたてまえにする、それに対してどういう積算で教員を配当するかといいますと、その時点では重度重複障害者の学級は最高限を五人としておりますから五人に一名という積算にしたわけでございます。そしてこれから御審議願う例の標準法の改正で重度陣雲者については三人とするというふうに十二年間で改善を図りたい、かように考えておりますので、その教員の配当という枠を一応頭に置いていただいて、各学校あるいは教育委員会において、子供の実態に応じていまおっしゃるように必ずしも二時間一週二回ということでなしにそこに弾力的に指導をしていただける余地が出てくるのではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
○栗田委員 そうしますと、五対一を三対一にしてその余裕を使って弾力的にもっと時間をふやすということだと思います。ただ、後から申し上げますけれども、私の調べた実態では、まだまだ非常勤講師がかなりおります。そういう過渡的な状態の中で一人週四時間というふうに決められておりますと、非常勤講師の場合なかなかそれ以上はできないという実態になってきますけれども、そういうときに、現に子供は成長していって、いまこの子は六時間、八時間やることも可能だし、もし教えたら伸びるという子供がいたときに、その人件費について文部省が過渡的な状態の中でお考えになる、たとえば八時間受けられるお子さんについては二人分と考えて人件費などを配慮なさることはできないかということなんですが、いかがですか。
○諸澤政府委員 先生の御質問はいつも非常に微細にわたるものですから私もむずかしいのですけれども、実際問題として去年から常勤の教員に切りかえましたから、いまあります非常勤につきましては国庫補助をしてないわけです。しかし、それはおっしゃるように、定年に近い先生だとか簡単にやめていただかない方にやっていただいているわけですから、そういう意味では、現在でも県の持ち出しになっている面もあるというのが実態だろうと思います。したがって、そういうものについて全部フォローしてそれぞれ国庫負担を手当てするということは私ども考えられないことでございますから、それはいま申しましたような教員配置の枠の中でまず第一次的にはやっていただきたいというふうに思うわけでございます。
○栗田委員 そういたしますと、私いまの正規の教員に急いで切りかえていくということが必要だということを一層感じます。また、三対一でも実際には足りないのではないだろうかという気もしまして、五対一の状態では、本当に苦労しておられる先生の実態を見まして三対一になったときにそれほどのゆとりや余裕が出るだろうかということも疑問に思います。また、十二年間にわたってやっていくんですと先が長いですから、これは早くやっていただかないといけない、こういうように思いますが、そういう中でいまの非常勤の実態、訪問指導の先生たちが一体全国的にまだ何%ぐらい非常勤でいらっしゃるかということはお調べになっていますか。
○諸澤政府委員 全国的に調べたところによりますと、これは五十五年の二月、つい最近調べたのですけれども、常勤、非常勤の割合は大体六対四といいますから、非常勤の者がまだ四〇%ぐらいおるということでございます。
○栗田委員 私も調べましたけれども、大体そのくらいの数が出ておりまして、まだ相当非常勤です。また、その県によってアンバランスがずいぶんあるようです。実は私のおります静岡県などは非常に非常勤が多くて、八十六人の先生のうち非常勤が七十人、正規は十六人しかいないという実態でございます。こういうアンバランスというのはどこから出ているんでしょうか。
○諸澤政府委員 私の方も静岡県のことを聞かれるだろうと思って調べてもらったのですが、おっしゃるような実態でございまして、非常勤講師の年齢構成その他実態がすぐに切りかえられないという実情だろうと思います。 私どもの方は、それはたてまえは常勤切りかえですからそれをお勧めしますけれども、一つ一つの県で事情がありますから、それ以上これを追及して早くやめなさいというふうには言ってないわけでございます。
○栗田委員 しかし、これは子供たちの立場から言っても、また非常勤講師の御苦労から言っても、早く正規に採用できる者は採用し、切りかえられる者は切りかえるべきだと私は思います。 私が調べましたところが、静岡県の場合、月六十六時間で非常勤の方は時間給千五百五十円、一カ月で十万二千三百円でございます。ところが、常勤ですと平均二十四万円ですから半分以下の給与で働いているということになります。ところが、勤務実態はどうかと調べましたら、これはある病院内訪問教師の例なんですけれども、国立静岡東病院、八人のうち正規の方が二人、非常勤が六人おります。この非常勤の方たちの勤務は、朝九時から十一時まで午前二時間指導をして、十一時から十二時までは教師間の話し合い、または記録に使っております。これは常勤、非常勤一緒に話し合っているわけです。十三時から十五時まで二時間また午後の指導をやりまして、十五時以降は話し合いを週二日、いろいろな教材準備を週二日、結局五時ころまでみんな一緒にいるというわけで、朝九時から五時まで常勤の方と一緒に勤務しているようです。非常勤の方はこういう勤務で一日四時間分しか計算されておりませんけれども、お話を伺いましたら、教育をまともにやっていくのには、私は二時間だけよと言って帰ってしまうわけにいかないし、子供たちの実態を見れば記録もつけなければならない、いろいろな引き継ぎや討論もしなければならないのだということで、結局子供への愛情と教育への熱意からやっておられますけれども、その方が四時間で計算されている。これが実態ですから、先生の条件としたら非常に悪いことになるわけです。一日も早くこういうものは資格が取れたら正規にしていかなければいけないと思います。 それからまた、常勤の先生に伺いますと、非常勤の方たちで時間で帰る方も中にはありますけれども、時間で帰ってしまうと引き継ぎや打ち合わせができない。それから遠足や運動会にはつくことができないので、ついてきていただくと、このときはボランティア活動だ。つまり無給で奉仕することになるのだそうです。しかも、身分は非常に不安定で、一年更新で面接のし面しをする、学校に指導内容の報告の義務づけがない、ないけれども、教育上は一時間かけて記録をとっているのだ、こういう実態でして、まだまだ訪問教育というものが教育という意味で非常に薄められているというふうに私は思います。 そうしますと、さっき県に特にせかせていないというふうにおっしゃいましたけれども、やはり県が努力をして常勤化を進めていくようにすることが子供たちの教育という面からいっても先生方の条件ということからいっても大変必要なことだと思います。文部省として強力な御指導が必要だと思いますが、いかがでしょうか。
○諸澤政府委員 その勤務の実態等からいえば、常勤の方が本人のためにも教育上の効果もよろしいという御指摘は大体そうだろうと思います。ただ、非常勤の方の中には、もうすでに退職勧奨の年齢が来て一遍おやめになって、その方が在職中の教育経験を生かしてまた非常勤として指導されるというような方もあるわけで、こういう人は、ちょっといまさらまたもう一回現職にというわけには年齢の関係でできない私の聞くところでは、そういうケースもいろいろな県にあるように思いますので、一律に早くと言っても、そういう方にとっては非常勤でも自分の職場でございますから、それはやめさせるというわけにはいかぬだろうということもありますので、そういうことを総合的に考えながら、おっしゃるようにできるだけ効果が上がるような訪問指導ができるよう指導してまいりたいと思うわけでございます。
○栗田委員 しかし、一度退職なさっていらっしゃるのでそういう方の生活権ということはありますが、やめさせるわけにはいかないとおっしゃっても一般の職場でもずいぶんやめさせていらっしゃるわけで、先生でもやめたくないと言っても退職勧奨していらっしゃるところはずいぶんあるわけです。ですから、先生の生活権ももちろんですが、そこだけに重点を置いていくということもまた子供の教育という点で問題もあるわけです。かなり平均年齢も高くていらっしゃる。重度のかなり体の大きな子供を抱きおろしするだけでもとてもできないという方もいらっしゃいますし、それからまた無免許が非常にまだ多いのです。だから過渡的な状態ということでいまこういうことが行われているわけですけれども、本当に訪問指導というのを義務教育の一環として位置づけていったとき、やはり常勤の先生が十分に時間もまた資格も持って指導をしていき、伸びる子供を伸ばしていかなければならない。これが子供に対する責任であると私は思いますけれども、いかがですか。
○諸澤政府委員 どうしても常勤に切りかえる方がいいのだという御指摘ですが、先ほど申しましたように、私は一般的に言えばそういうことだろうと思いますけれども、私が聞きます事例では、いまおっしゃったように、後から御質問もあるのかもしれませんけれども、養護学校の先生でも普通の学校の免許状しか持ってない方も相当おられる。常勤であっても、常勤なるがゆえに全部非常に教育経騒や能力が高いかというと必ずしもそうでない。逆にまた非常勤でお願いせざるを得ないような方でもかなりのエキスパートもおられるという実態もありますから、私はそのことを申し上げているわけであって、機械的に全部直ちに常勤でなければいかぬというわけにもいくまいという程度のことで申し上げているわけでございます。先生の御趣旨はよくわかります。
○栗田委員 次に伺いますが、いま免許を持っていらっしゃらない方は何%くらいか、調査なさっていますか。
○諸澤政府委員 訪問教育担当教員だけについて言いますと、要するに二枚鑑札ですね、普通学校の免許状と特殊教育免許状の両方を持っておられる方は三二・五%ですから、約三分の一でございます。
○栗田委員 まだ大変低いわけでございます。行く行くはこれは全部免許を持った方になっていかなければいけないと思いますが、一般教員でも「当分の間」やれるということが免許法で言われておりますが、この「当分の間」というのはいつごろまでとお考えになっていらっしゃいますか。
○佐野政府委員 御指摘のように特殊教育諸学校の先生は、小中学校等のいわゆる基礎免を持っているほかに、特殊教育諸学校の種類に応じた特殊教育教員の免許状を有することとなっておりますけれども、御指摘のような基礎免だけ持っていれば「当分の間」特殊教育諸学校の教員となることができるという特例が設けられているわけでございます。特殊教育教員の養成あるいはその資質の向上のためには、御案内のように特殊教育関係教員の養成課程を設置し、その拡充を図り、さらに現職教員を対象とした特殊教育の特別専攻科を設置したり、あるいは資格付与講習を実施する等々の措置をとってきているわけでございますけれども、養護学校の場合に、適切な学校運営を図るためには、年齢構成あるいは教職経験等にも配慮する必要がございます。したがって、この附則で設けられております特例措置については、私どもはまだそれをいつまでに廃止をするというような形で対応することはできない、この取り扱いについては十分慎重な検討を要すると考えております。
○栗田委員 そうしますと、義務化はされたけれども、特殊教育教員の養成計画というのがはっきり立ってないということですね。
○佐野政府委員 御案内のように、現在四十八年度までに国立の教員養成大学・学部のすべてに養護学校教員の養成課程を設置しておりますし、また現職教員に養護学校教諭の資格を取得させるための修業年限一年の特殊教育特別専攻科あるいはこれに準じた臨時の特殊教育教員養成課程も設置してきております。これらのほかに、一般の課程認定大学等の卒業者を加えますと、毎年度大学等の卒業者で養護学校教員の免許状を取得する者の数は三千人を超えます。このほか先ほど申し上げましたように、基礎免許状のみで養護学校に勤務している者を対象といたしまして、特殊教育諸学校教諭資格付与講習を毎年度千名を対象として継続して実施をしてきておりますから、こういった講習等の方法で免許状を取得する者の数も毎年千五百人程度になります。これらによりまして、今後学級編制あるいは教員定数の改善に伴う増員あるいは退職補充分等を合わせましても、その新規需要には十分対応できる数が現在養成されているわけでございます。これらによって基礎免許状のみで養護学校に勤務している者につきましても順次資格を取得させることになりますけれども、現在の養成の態様を充実していくことで教員の需要には十分対応できると考えております。
○栗田委員 「当分の間」というのはいつごろまでかわからないとおっしゃって、片方で十分対応できるとおっしゃっているのですけれども、これだけはっきり数が出ていたら、必要な教員何名、それを何年後には充実させていくということはできるのではないでしょうか。その辺の御計画がないということが、ちょっと義務化ということを前提にしながら不思議な感じがしますけれども、そこはどうなっているのですか。
○佐野政府委員 これは私から御答弁申し上げることが適当かどうかわかりませんが、先ほど申しましたように、大学等の新卒者の免許取得状況から申しますと、五十四年度で三千三百人近い者が免許状を持って卒業をしているわけでございます。それで、年度当初新規に卒業した者が教員に採用されている数が千三百弱でございます。これらのその年に就職しなかった者はその次の年に、過年度でまた採用されることもございますし、あるいは小中学校の免許状を持っている者が一般でございますから、それらの者は小中学校に就職していく者もあるわけでございます。ですから、数としては養成数は需要数に対応しておりますけれども、そうした需給の問題だけではなくて、養護学校の運営の問題として全体の養護学校教員の年齢構成なり、そういう教職の経験の問題とかございますので、そういったことを配慮していくと、やはり当分の間まだ附則の措置は残しておく方がより適当であろうと考えておるわけでございます。
○栗田委員 そうしますと、若い方ばかりたくさん入っても困るから、資格はなくとも経験のある方を残しておくというお考えなんですか。
○諸澤政府委員 確かに一つは養護学校の教員の年齢構成というのも考えなければいかぬと思うのですね。それからもう一つは、たとえば普通学校の免許状と養護学校の免許状を持っている人が養護学校へ行く、それでずっと養護教育だけをやるということではなくて、やはり日本の教育というのは普通の小中学校の先生が必要に応じて養護学校へ行って養護教育というものを経験する、これは私は非常に大事だと思うのですね。その辺の運営を弾力的にやろうと思いますと、せっかく行ってみたいと言っても、いや養護学校教員の免許がないからおまえはだめだというのがいいかどうかということで、これは当分という趣旨になじむかどうかわかりませんけれども、私の聞いておりますのは、やはりそういう点も配慮して養護学校の教員構成というのをやる方がより現実において教育的だという意見もありますので、その辺も一つの考え方だというふうに思います。
○栗田委員 私が調べましたいろいろな資料の中でも、障害児について無理解な先生が多いなどということが書いてあるのですね。ぜひもっと理解を持ってほしいなどという親の声、それからいろいろな方の声があります。だから、そういうことがあってはならないのであって、いまのお話では、免許の数はあるけれども就職の関係その他いろいろでまだ三分の一という貧弱な状態になっているということですから、それをちゃんと補えるだけの数の養成というのはやはり必要だと思います。 それでは、時間がありませんので次へ進みます。年齢超過児の問題ですけれども、いま文部省の通達、それから厚生省の通達を見ましても、十五歳を過ぎた、義務教育年齢を超過した子供たちも、希望があれば教育を受けさせるようにした方がいいということを書いておられると思います。ところで、国の施策として年齢超過児を教育している県があった場合、そこへの人件費その他はどういうふうにしていらっしゃいますか。
○諸澤政府委員 これは年齢超過児といって特定のクラスをつくっているわけでも恐らくないと思います。現実の問題としては、当該養護学校等の実際の学級編制の実態を見て、それに応じた教員配置をし、国庫負担をするというやり方をしておるはずでございます。
○栗田委員 愛知は県条例で親と障害者本人の希望を受け入れて訪問教育を積極的に進めるようにということで、三十八歳まで年齢超過児でも教育が受けられるようにという県条例をつくっていますけれども、やはりこういう形で積極的な施策というのが必要だと私は思いますが、いかがでしょうか。
○諸澤政府委員 年齢超過児の教育として養護学校自体で教育する場合あるいは訪問教育する場合、おっしゃるように両方あると思うのですけれども、やはり教育するにはそれだけの教師なり施設なりの条件が必要でございますから、一般論で、希望があればいつでもいつまでもというわけにはいかぬ面があると思いますが、趣旨は、なるべく子供さんの希望をかなえてやるという方向で努力することが必要であろうというふうに思うわけです。
○栗田委員 私が申しているのもそういうことで、望ましいと幾ら通達を出しましても、それに対する先生の数とか施設などの保障がなければたくさんの年齢超過児を教育するわけにはいかないわけですから、国としても望ましいと言われるからには、年齢超過児を教育している場合も教育対象として数に入れて考えてそれなりの国庫補助をしていくべきであるという主張をしているわけですが、そういうことについて今後どうお考えになりますか。
○諸澤政府委員 いまのところは、先ほど申し上げましたように、いろいろな条件が許す範囲で年齢超過児も収容する。それで、収容したものについてはその国庫補助なりあるいは各種の就学奨励なりというのは、その該当年齢児と同じように扱いをしております。こういうことでございます。(栗田委員「今後は」と呼ぶ)今後もそういう方向で指導をしていきたいと思うわけでございます。
○栗田委員 今後文部省、厚生省が通達を出していらっしゃる方向に沿っての御努力をぜひお願いしたいと思います。 引き続いて、訪問教師の交通費の問題なんですけれども、訪問教育の場合にはあちこち何軒もかけ持ちをして歩くということがありますので、マイカーを使っていらっしゃる方がずいぶんあります。そしていま私このマイカーの実態をずっと調べましたけれども、資料をお分けしてありますね。「訪問教育の全国実態調査2」の中で「訪問教師の訪問の際、交通費はどうなっているか」というものがございますが、ここを見ますと、中に公用車並みに扱われているところが二つほどあります。高知県は「自家用車の場合、県立のみ公用車扱い」。三重県も「自家用車は公用車扱い」となっております。そしてその他の県は自己負担とか公用車となっていないとか、いろいろになっておりますね。ほとんどが公用車扱いにはなっておりませんけれども、全国で公用車扱いにしている県もあるわけです。また調べましたら、徳島県では県条例を出して、これは別に訪問教師ばかりではないのですけれども、本当に必要と認められる場合には公用車扱いをしている県条例が出ております。しかし、実際私もいろいろ聞きましたけれども、バスを乗り継いだり汽車を乗り継いだりではなかなか大変だ、これは特に僻地なんか行きましたらそうですが、訪問指導する場合に、自分の車であちこち駆け回る必要があるのだということが言われておりまして、これが先生の自己負担になるというのではお気の毒でございます。やはりこの訪問教育を充実させていくためには、訪問教師が自分の仕事に使う場合には公用車として扱うというようなことをお考えいただけないでしょうか。
○諸澤政府委員 これはちょっと理屈を申し上げれば、公立学校の先生の旅費については、国の場合は国家公務員の旅費規程があり、県立学校について言えば都道府県の旅費条例によって支給されるということであります。したがって、その旅費規程の中身あるいは対象となる職種というのは、いろんな職種があると思うのですね。だから、確かに訪問指導の場合の旅費というのは、現実に考えますと普通の場合とかなり違う。しかし、そういう出張の形あるいは出かけていく場合のあり方というのは他の職種にもあるんだろうと思うのです。したがって、県の旅費条例というものがそれらの実態にどれだけ適応してつくられておるかという、そういうことが一つあるわけで、それに対応してこういうふうな支給がありますから県によって差が出てくる、こういうことだろうと思うのです。 おっしゃるように、公用車扱いにするというのは具体的にどういうふうにするのか。たとえば燃料は全部公の立場で持つのか、あるいは何か事故があったとき一体公の立場でどれだけその賠償の責めに任ずるのかとか、いろいろむずかしい課題があると思いますから、それをそれぞれの県なりに考え、解決をし、あるいは規定してつくっておるのが旅費条例だろうと思います。そこで、抽象的一般的に、先生の御質問のように、すぐそういうふうに指導しますということがよろしいかどうか、これはちょっとその研究をさせていただきたいというふうに思うわけです。
○栗田委員 では、ぜひ御研究いただきたいと思いますが、必要性というのは非常にあるということを御認識いただきたいと思います。 次に、学籍のある在宅児なんですけれども、その学籍のある在宅児の定期健診がどうなっているかということです。これもいまお分けいたしました資料の「訪問教育の全国実態調査1」の方をごらんいただきますと、「子どもの定期健診は行われているのか」という項があります。これは行われていないのがずいぶんあります。「在宅の場合は父母まかせ」は茨城、それから「在宅児はやっていない」千葉、新潟も「行われていない」、静岡も「在宅の場合は父母まかせ」、島根も「行われていない学校もある」、広島とか、ずっとずいぶんございます。 ところで伺いますけれども、学校保健法第六条では、学籍のある子供の定期健診というのが義務づけられておりますね。ですから、その立場から考えますと、学籍のある在宅児の定期健診がやられていないというのは問題ではないでしょうか。
○柳川政府委員 御指摘の訪問教育の対象となります在宅児童につきましては、通常は主治医による医療を受けておるというのが実態であろうと推測する次第でございまして、これらの在宅児童につきましては、学校の定期健康診断に当たりましては、主治医の協力を得て可能な範囲で実施するよう文部省としては指導してまいってきております。いま先生御指摘のとおり、この面が必ずしも徹底しておらないという実態があるようでございますが、県によりましては、たとえば健康診断の中に幾つかの項目がございますが、身長、体重等の身体計測につきましては養護教諭の先生方が中心になって実施する。あるいは尿、寄生虫等の検査につきましては、検査機関でのまとめた検査が必要でございますので、これは一般の在学児童と同じ取り扱いをして学校で取りまとめて実施しており、その他のお医者さんによる診断を必要とするものにつきましては、主治医の検査結果を使用さしていただいておるということで、この面の健康診断票による整備も進めておるという県も幾つかあらわれてきておる次第でございまして、さらにこの面の指導の徹底を期したいと思っております。
○栗田委員 私伺いましたのは、進めている県もあるということは確かで、やっているというのは書いてありますけれども、やっていないというところが多いものですから、それで問題にしているわけです。これはやはり指導を徹底していただかなければならないし、学校保健法の立場から言って、これがおろそかになっているということは、義務化ということから考えても学籍を持っている子供にとって不備なことになるのではないかということです。重ねてお答えをいただきます。
○柳川政府委員 先ほど申しましたような主治医の方々の協力を得て行うということで、なかなか困難が伴っておるところもあるかと思いますが、この線に沿いましてさらに指導を徹底してまいりたいと思っております。
○栗田委員 次に、在宅児になっているのはどんな子供たちなんでしょうか。
○諸澤政府委員 これは、症状はいろいろあると思うのですけれども、肢体不自由であれば重い脳性小児麻痺のようなお子さんとか、あるいは病虚弱でありますとかと言えば長期の腎臓疾患等で寝たきりであるとか、在宅ないしは入院というようなことでないと生命の維持がむずかしいというようなお子さんが中心だろうと思います。
○栗田委員 通ったのでは生命の維持がむずかしいお子さんが本当なら在宅で、そうでなければできる限り集団の中で教育を受けられるようにすべきだと思います。ところが、この「訪問教育の全国実態調査1」によりますと、「子どもの障害の性質、程度はどうか。学校にいけない子どもなのか。」ということでは、そのかなりのところで、「中には通学及び入舎適の子も何名かいる。通学をすすめても親の不安が大きい。」とか、茨城のように「通学方法の手だてさえ保障すれば通学可能な者は相当いる。」、栃木もそうですが、「通学、入舎できる子どもがいる。」、千葉もそう書いてあります。「手だてさえ保障すれば通学可能」、ずっと見ていきますと、通学可能な子供がかなり在宅しているわけです。 ところで、できる限り通学を可能にしていくかぎは何かということですが、私は、時間がありませんからこちらから言わしていただきますが、やはり一つは、適切な場所に養護学校があること、余り遠くまで通わないで済むようにすることだと思います。それからもう一つは、いま学校が適切な場所になくても、まあ適切な場所になくては困るのですが、通えるようなスクールバスがたくさんあれば通うことが可能になると思います。 さっきの資料の中で、これはやはり愛知の障害児教育の資料ですけれども、こんな子が在宅児になっていたのかといった例があるのです。ある養護学校でことしになってスクールバスの運行路線が変更になったために三人が長期欠席になり、逆に、訪問指導を受けていた子供がバス路線になったために学校に来るようになりましたが、教師たちは、こんな障害の軽い子が訪問指導にいたのかとびっくりしています、こういうのが出ているわけです。つまり、バスの路線が変わったために、路線に近い子供は来られるようになったけれども、路線から遠くなった子供は在宅になってしまった。結局、子供にとって、バスが通るか通らないかが養護学校の集団の中に入るか入らないかの分かれ目になっている、こういう例が出ているわけです。 それから、脳性小児麻痺の伊藤早苗さんという子供さんの話が中日新聞の去年の六月一日からの「あしたこそ」というシリーズの連載の中に出ているわけですけれども、こういう記事があるんですね。「「でも、私たちって、ついていました」五十二年春、早苗ちゃんが進学しようとするその年、小牧養護学校が開校となった。隣の町だ、通学できるかもしれない。」「すぐスクールバスの経路を調べた。この“壁”が通学できるかどうかの唯一最大の問題なのだ。それが、なんと自宅から十数メートルの道路を通るではないか。」「早苗っ、学校へ行けるよ」、こういう記事があるのです。つまりスクールバスが通るかどうか、これが通学できるかどうか唯一最大の問題なんだということなんですね。そうしますと、まさしくくじ運のようなもので、うまく通るか通らないかでこの子は学校へ行けるか行けないかということになってくる、そういう状況があります。 これは同じように新聞に出ておりました。毎日新聞七八年の十月二十九日の記事なんですけれども、「脳性マヒ少年生き生き 岡崎養護学校」「大学生らの善意で「九年の夢」かなう」ということで、岡崎の天野裕史君、この男の子は前々から学校へ通いたくてたまらなかったのですが、親御さんが商売をやっているために、連れていって行き帰りすることができなくて九年間学校ヘ行けなかったんですね。それで、だれかボランティアとして子供を学校へ連れていってくれる子供はいないかということをビラにしてみんなにまいて募ったり、あらゆる努力をしまして、とうとう六人の人たちを募って、一週間のうち毎日一人ずつ交代でこの天野君を学校へ連れていく体制ができたのです。やっと九年目にこの裕史君は通学できるようになりまして、そして学校へ行くようになったら実に生き生きと楽しそうになって、体も健康そうになって、家に帰っての話題は学校のことばかり、討論会でも積極的に発言し、仲間と語り合う喜びを感じてますのよとお母さんが言っているとか、こういうすばらしい変化があるわけです。私こういうのを見ますと、障害児教育を受けている子供たちができる限り集団の中に入っていけるように、学校へ行くことが健康上問題になるというのではいけませんけれども、そのことが通学手段によって補われたら学校へ行けるという子供たちがたくさんいるわけですから、国としてももっともっと通学手段を完備させていかなければならないのではないかと考えております。 ところで伺いますけれども、現在スクールバスの配車はどんなふうになっておりますか。
○諸澤政府委員 去年の五月現在で公立の養護学校に配置されているスクールバスは七百三十台でございます。
○栗田委員 これは大変少ないですね。いま一校について一台は国として補助金を出すようになっていると伺いましたが、そうですね。
○諸澤政府委員 養護学校の総数が六百五十校程度ですから、実質的には一校一台何がしかになっております。ただ、具体的に一校一台という配置じゃなくて、学校の実態に応じて、申請のあるところに必要と認めれば補助を出すというやり方をやっております。
○栗田委員 申請があれば出すというわけですね。いま私全国のスクールバスの配置状態を見ましたが、中には一県に一台しかないというのがずいぶんありまして、学校が十あるのにスクールバスが一台しかない。たとえば新潟なんかそうですね。養護、盲聾学校が十ありますけれども一台しかない。それから秋田、鳥取、宮城、愛媛、その他。それから五つ学校があっても一台しかないとか、ずいぶんそういうところがございます。これは申請があればということなんですけれども、親御さんの要望としては、スクールバスを欲しいという強い要望がずいぶん各地で出ております。いろいろな署名運動なんかがされているのです。そういう中でなぜこんな実態になっているとお考えになりますか。
○諸澤政府委員 これは率直に言って、それぞれの地域でスクールバスを設けて巡行して子供を届けるということがかなり経費が高くつくというようなことで、それよりもいま付き添いの経費を補助しておりますからそっちでいってもらおうというケースもあったり、いろいろだろうと思います。ただ、私どもは去年義務制のときにスクールバスの補助台数を八十七台計上したのです。五十五年度には、これを一応完了しましたけれども、さらに八十一台というふうに予算をいま計上しておるという実態でございますので、そういう一般の方々の輿望を担い、そして県の教育委員会の意識がスクールバスを使って就学させようという意識に向かってきているときのように思いますので、これから一層スクールバスの充実に努めていきたい、こういうように思っておるわけでございます。
○栗田委員 ここに地図がございまして、これはやはり愛知の知多半島ですが、ここの養護学校は三台のバスを持っております。第一号車、第二号車と、こう走っているのですけれども、これを見ますと、バス路線でないところに在宅児がいる。この三角形がみなそうですね。この実態。バス路線に近い子供はみんな通っているのです。こういうのを見ましても、やはり子供の権利からいっても、もっと本気になってたくさんバスを出す必要があると思います。各県の実情を見ますと、バスの経費がかなりかかる。バスの購入そのものは半分国が出して半分交付税に積算されているといいますけれども、運行費ですか、燃料だとか運転手さんの人件費だとかということで非常に大変で、一校について二台、三台出しているところは大変県が努力しているところだと思います。しかし、実際には愛知のように三台くらい出している県でさえもまだこの子が在宅していたのかという実態になっているわけですから、これは国としてもよほど努力をされて、運行のために県が余り多額な支出をしなくてもいいように、また要請があったら予算が十分つけられるような対策を立てることが必要だと思いますが、お考えを伺います。
○諸澤政府委員 確かにおっしゃるような問題がありまして、私もスクールバスをなるべくふやすことでやってまいりたいと思っていろいろ聞きますと、やはり通われる子供さんの家の実態が必ずしもバスの運行に都合のいいようなところばかりじゃございません。千葉県だったと思うのですが、私聞いたら、やはり一回りして学校へ来るのに二時間以上かかるというのですね。それはとても大変だ、行きと帰りで子供は四時間もパスに揺られるわけですからね。そうかといってもっと簡単に送ろうと思えば三倍くらい車をふやさなければならない。というと財政の問題もありますから、先生の御趣旨はよくわかりますけれども、一遍にふやして乗用車で送り迎えするようなわけになかなかいきませんから、その辺は実態とにらみ合わせて御相談しながらやっていきたいと思うわけでございます。
○栗田委員 私は子供の権利の問題として申しますけれども、確かに財政は大変です。けれども、学校ヘ行きたくてたまらない子供、でも自分の足で歩けない子供、親御さんが自家用車で連れて送り迎えしているお宅もありますが、そういうことができない家庭の子供、その子たちの教育を受ける権利はどうなるのだろうか、こういうことを訴えたいわけです。ですから、お金の問題も全く無視するわけにはいきませんけれども、義務化を進めていく以上子供の権利を国として最大限守っていくという立場で要求していかなければならないのではないだろうかと思うのですけれども、大臣、いかがでございますか。
○谷垣国務大臣 御指摘のとおり財政の問題があるわけでございますが、単に国だけではなく地方の自治体の諸君もいろいろがんばってくれていると思います。国の方といたしましても、先ほど局長が申しておりましたように昨年度に比べてことしはさらに増加をしている、こういう努力を続けておるわけでございます。先生のおっしゃっている問題は、それはそのとおりでございますので、今後ともに私たちは努力を重ねていかなければならぬと考えております。
○栗田委員 まだ問題をいろいろ残していますが、時間がありませんので、最後に一つ大臣に伺います。 いま施設内学級それから病院内学級などの実態を見ましても、教室のないところで勉強しています。それで空き教室や廊下を使っていたりして、アンケートを見ますと、そのことがずいぶん問題になっているわけです。まだまだこれからこういう分教室も建てなければなりません。それからいまのスクールバス。それから養護学校も適切な場所に、もっと通いよいところにたくさん建てる必要が出てくると思います。いまこのような全体の実態を見てまいりますと、義務化二年目を迎えまして義務化はまだ緒についたばかりだと私は思います。いま義務化が完成するまで施設などについて三分の二の補助をすることになっているわけですけれども、文部省としては当分これを継続していらっしゃるべきだと私は思います。まだまだ完成していないということで、当分の間三分の二補助は継続なさいますね。
○谷垣国務大臣 昨年から養護学校の義務化をやって一歩進めておるわけでございまして、私もこういう心身障害児の問題につきましては、前から厚生省とも関係がありましてずいぶん見ておりますが、だんだん進んできておることを実は頼もしく感じております。御指摘がありますように新設のものあるいはもう少しここを何とかしなければならぬということを行ってまいりますとずいぶん感じます。いま御指摘がありますように三分の二の補助をいたしておりますものは新設の場合に限っておるようでございますが、極力そういう問題を解決していかなければならぬと考えまして努力はしたいと考えております。
○栗田委員 では、当分継続なさいますか。
○諸澤政府委員 そういう方向でいまやりたいと私は思っています。
○栗田委員 それでは、次の問題に移ります。 いま学費の値上げが大問題になっております。学生の皆さんの陳情などもあって、大臣としてもこういう世論の状態はお感じになっていらっしゃると思います。 大臣に伺いますが、教育基本法第三条で教育の機会均等がうたわれております。いま学費の値上げが相次ぐ中で教育の機会均等は保障されているとお考えになりますか。
○谷垣国務大臣 問題のとり方でございますけれども、私は機会均等が確保されておると考えております。
○栗田委員 私は、それが大変甘いお考えではないかと思います。それで、幾つか例を挙げます。 ここに中日新聞のコピーがございますが、「ルポ80 サラ金進学」というのがあります。毎年進学シーズンになると、いつもサラ金を借りるお客さんとはちょっと感じの違うお客さんたちがサラ金を借りに来るそうです。身なりのきちんとした、いわば職場の中堅どころといったような人たちがサラ金を借りに来る。何のために来るのかというと、子供の学費をサラ金で賄うという人がいま非常にふえているようです。「教育費が、今、かかりすぎるんですよ。うちは今度大学、高校と二人進むんだけれど、私立だからね、二人で二百万円納入しなければならない金がいるのですよ……」。サラ金で借りるのはいいと思いませんけれども、こういう人もかなりふえているいまの世相になっているというのが実態でございまして、中には、百万円借りたために二千数百万円の家を抵当に入れて、とうとう売ってしまったというような例もあるという社会のゆがみもつくり出していると思います。 それから、いま子供の出生率が大変減ってきているのは御存じのとおりですけれども、子供を生まない理由としてどんなものが挙がっているか、御存じですか。
○谷垣国務大臣 私も大変不思議に思っておるのですが、詳しいことはよくわかりません。あるいは教育がそういうふうになっておるのか、人生に対します物の考え方がそういうふうに漸次変化をしておるのではないか、いろいろ実は心配をいたしております。なぜこんなに急速に減っていくのか、単に生活がそれによって苦しくなったというだけで割り切って考えられない部分もあるように私は思います。もちろん生活のことも考えるでありましょうし、あるいは少なく生んで教育その他はしっかりしてやろう、こういう気持ちもありましょうし、いろいろなものが出てきておると思います。ただ、結論的には非常に出産率が少なくなっておるということは、一体教育の場でどういうふうにその問題を解決していったらいいのか、私は問題であろうと考えております。
○栗田委員 昨年の厚生白書によりますと、子供を生まないと回答した者のうち、その理由の第一として挙げているのが「今後の教育費や生活費の問題を考えて」が七六%にも上がっております。これはやはり非常に大きな負担として教育費を親が感じているということをあらわしていると思います。 それから、私も驚きましたけれども、いつから教育費の積み立てを始めているかというと、これも厚生白書の統計でございますが、これを見ましたら、子供が生まれたときから始めているというのが何と二三・二%、四分の一近い人たちがおぎゃあと生まれたときにすぐ教育の費用の積み立てを始めているわけですね。教育ローンなどというのもあったり、積み立てやらいろいろな制度もあるわけですけれども、それにしても、子供が生まれてから幼稚園までの間に四三・二%の人たちが積み立てを始めているという実態です。これは私もかなり驚きました。 こういうわけで、その考え方についていろいろな見解はあるにせよ、親にとって教育費というのが非常に重く感じられている。少なくともこれは事実だと思います。また実際重いものです。 これは毎日新聞の十二月十九日の記事ですが、「教育文化ロータリー」。いま高等学校の学費が上がったために母親がパートに出て収入を補っている家が六〇%なんですね。この間から、母親教育だとか、家庭を破壊しているのは親の考えが悪いからもっと教育せよとか、いろいろな話が出ておりましたけれども、私は別にパートに出るのが家庭破壊につながると思っていませんし、社会参加にもなると思っています。しかし片方で、教育費のためにやむを得ずとにかく何が何でも働きに出なければならないという実態が六割出ているというのですね。これはやはり教育費が重い負担になり、ある意味でいままでの社会の状態と違う状態をつくり出していると思いますけれども、大臣、いかがでしょうか。
○谷垣国務大臣 その点は、私も委員と同じ考え方を持っております。ですから、それだけ熱心な教育ヘの要望があるわけであろうと思います。しかし、学校さえ出せばいい、子供たちを学校さえ出してやればそれで子供の将来が安心だという考え方は、母としてあるいは両親としてもっともだろうと思いますが、同時に、この間から議論がありますような社会全体として学歴のみを尊重する考え方を何とか基本的にもう少しその偏重度を変えていくようなことはできないものだろうか、こう思いつつ、また同時に、いま御指摘がありましたような両親として子供に教育を受けさせるという一つの大きな望み、それが子供たちに安定したものを選ばせるだろうという親心、これは否定することはできない、そういうことを両方考えながらやっていかなければならぬだろう、こういうふうに考えております。
○栗田委員 大臣に伺いますが、いま東京で下宿をして大学に行っているたとえば私立大学の学年の生活費は一カ月どのくらいかかっているか、おわかりになりますか。
○谷垣国務大臣 私の親戚の連中その他もおりましたが卒業しましたので、いまのところちょっとよくわかりませんが、局長の方から……。
○栗田委員 いえ、時間がありませんので、よろしいです。 私調べましたら、最近どんどん上がっておりまして、去年からことしぐらいだと十万円ぐらいかかってしまうのです。これは私自身も経験しています。それで、また物価が上がっていますからことしは十一万円から十二万円だろうということが新聞などでも出ております。それから初年度は入学金などを払う。合格した、いざ大学へといって下宿をして、引っ越して荷物を入れて、下宿代も敷金も払ってということになりますと、最初だけで、これから大学へ行こうというだけで、いままで百三十万円、ことしは百五十万円かかるだろうと言われているのです。これはやはり非常に大きな負担だと思います。こういう中でいま学費が上がっていくわけです。さっき教育の機会均等は守られていると大臣はおっしゃいましたけれども、文部省がお出しになりました学校生活実態調査を見ますと、一九六一年から一九七八年までの十七年間に国立大学生の中に占める低所得者層の割合は三分の二に減っているのです。これは一、二階層です。本当はそちらから伺った方がいいのですが、こちらから申し上げます。文部省がお出しになった資料です。それから、大学生の家庭の年間平均収入は勤労者世帯の平均収入に対して国立で一・二倍、私立では一・五四倍と高く、低所得家庭での大学進学が困難となっていることを示している。結局平均より高いのですね。だから、やはりある程度所得のある人でないと入れない、こういう状態は昔より強くなってきているのではないでしょうか。私はそう思います。 ところで伺いますが、こういう実態の中で今度国立大学の授業料を二五%アップされましたけれども、これはどういう理由でアップされているのでしょうか、その積算の根拠をおっしゃっていただきたいと思います。
○佐野政府委員 国立大学の授業料については、一つの積算の基礎を持って、たとえば国立大学の必要な経費のうちの受益者負担の額をはじくというようなことで積算しておるものではございません。従来からそのときの社会的な状況あるいは私立大学との関係等を考慮して改定してきているものでございます。前回の国立大学の授業料改定の際には、国立大学の授業料と私立大学の授業料との開きが約二倍程度になったわけでございます。これはかつて七倍程度の開きがあったものを国公私立を通ずる負担の公平ということも考えて逐次国立大学の授業料を引き上げてきたわけでございますが、これが今回改定を行いませんとまた二・五倍くらいに開きます。したがって、今回の改定によって前回の改定の際の水準にまで戻す、そういうことが一つの目安となった数字でございます。
○栗田委員 初めに伺っておきますが、受益者負担という考え方、つまり教育というサービスに対してかかる費用は全部払わせるべきだという考え方は私は否定します。やはり授業料というものはそういうものではないですね。その点はいかがですか。
○佐野政府委員 授業料というものがどういう性質を持っているかというのはむずかしい議論のあるところだと思います。私どもは、学生なり生徒なりが学校という施設あるいは教員によって提供される教育という一つの役務に対する対価を支払うのが授業料であり、そのことは、そうした学校の教育に要する経費の一部を利用者が負担をするという性質をも持っているものであるとは考えておりますけれども、大学における教育、学校における教育によって受益をするのは、もちろん本人もありますけれども、社会全体がそれによって受益をするわけでございますし、いわゆる学校において必要とされる経費のすべてを学生が負担をすべきものだというふうな形で授業料をとらえているわけではございません。
○栗田委員 次に伺いますけれども、国立と私立の差を減らしていくために上げたのだとおっしゃっております。確かに依然私立に対して国立の割合というものは、率からいいますと非常に差がありました。いまは国一対私立が二ぐらいになっているわけですけれども、しかし全体として両方の額は非常に上がっていますね。これは物価上昇率などと比べてもはるかに上がっていると思いますが、八〇年の今度改定されるように予算化されています授業料、これは七〇年を一〇〇としますと、一体どのくらいになっているのでしょうか。国立、私立ともにどのくらいになっておりますか。
○佐野政府委員 一応学費ということで授業料と入学料を合わせて申し上げますが……(栗田委員「学費で結構です」と呼ぶ)四十五年当時を一〇〇といたしますと、五十五年には一六二五というのが国立の数字でございます。私立の場合には、四十五年を一〇〇といたしますと四〇〇という数字になります。
○栗田委員 消費者物価指数は、七〇年から昨年までで二一八・九です。ことしまたちょっと上がりますでしょうけれども、そう一〇〇も二〇〇も上がるわけじゃありません。そうしますと、国立が一六二五、私立が四〇〇、それは国と私立との差はなくすというものの、私立でさえも四〇〇という割合で上がっておりまして、物価の値上がりに比べてはるかに高いということですね。こうやって国立を上げると、また私立が上がる、また国立を上げてということをやっている中で、いま物価指数に対して非常に大きな値上がりをしてきているという事実はお認めになりますね。物価指数と比較したら非常に高いということですね。上がり方が大きいということです。 それで、次に中教審答申で、これは四十六年七月二十三日、中教審答申が出されましたときの質問のやりとりの議事録があります。これはわが党の山原委員がこの中でやっておられるわけですけれども、この中で文部省が答えていらっしゃるのに、国民の消費支出に対して授業料の割合は、国立が二〇%、私立が四〇%ぐらいにしていきたい、それを五十五年度ぐらいまでにしたいのだということを答えておられます。私は消費支出の二〇%、四〇%という割合は多過ぎると思います。これは反対ですけれども、しかしこう答えていらっしゃいます。いま国民消費支出に対して国立二〇%、私立四〇%としますと幾らぐらいになりますか。
○佐野政府委員 いま手元に数字がございませんので、後ほどお答えを申し上げます。
○栗田委員 私試算をいたしましたけれども、七〇年からずっと消費支出を総理府統計局で伺いました。そして七九年はまだ全体が出ておりませんで、一番ピークだったのは七月です。一人五万八千五百五十七円になっておりますから、このピークをとろうと思います。そしてこれを八〇年に当てはめますが、一〇%支出がふえると考えて計算をしてみました。といいますのは、七〇年から七九年までの間に消費支出が一〇%上がったということはほとんどありませんので、このくらいにとったらいいだろうと思います。そうしますと、月で六万四千四百三十四円、年間で七十七万三千二百十六円です。これに四〇%、二〇%を掛けますと、私立の方は三十万九千二百八十六円、国立の方が十五万四千六百四十三円となります。 これと現在の学費を比べてみますと、これは授業料と入学金、施設整備費全部ですが初年度納入金、これは医歯系を抜かしますが、私立が六十二万九千九百九十七円、大変な高さです。国立でも二十六万になります。これは十八万と八万ですか、入学金と施設整備費を四年間に振り分けて、初年度だけでなく四年に平均してみましても、私立が三十九万八千円、国立が十九万五千円となります。これは中教審答申の中で、当時消費支出の二〇%、四〇%を目途とすると政府自身が言われた額よりもはるかに大きくなっています。いまの学費は私非常に高くなっていると思います。いかがでしょうか、こういう実態なんです。首をかしげていらっしゃいますが、計算は間違いないと思います。こういう状態なんですよ。どうでしょうか。
○佐野政府委員 まず、中教審の答申の際に示されている数値というのは、政府の今後の政策目標を示すものとして掲げられた数値ではなくて、中教審が一つの仮定を置いて、今後の教育に要する経費の見積もりの試算を行うに際してとった仮定でございます。そのことはわれわれに対して、国立、私立の場合、いずれもそのような学生の負担額というものを目途として施策を進めるというような意味を持った性質のものではないと私たちは理解をしております。 確かに国立の学費が四十五年から五十五年にかけて十六倍程度上昇をしているというのは御指摘のとおりでございますが、四十五年当時の授業料の額一万二千円というものが五十五年度では十八万円になっているということであり、私は、単にその上昇の指数の問題だけでなくて、その実額が現在の学生生活費の中でどういう意味を持つかということから考えていかないと、単純に国立大学の場合に学費の高騰によって学生の教育の機会均等が非常に阻害される状況だというわけにはいかないのではないかと思います。
○栗田委員 さっき私は指数と物価を比べましたが、いま伺っているのは指数の関係ではなくて、国民消費支出に対して何%かということを申し上げているわけですから、もうさっきのは話としては終わっているわけです。 やはり個人の消費支出に対して二〇%とか、まして私立の場合四〇%というのは、ずいぶん大きな支出だと思うのです。しかもそれを上回っているということ、これはかなり大きな負担であると私は思います。やはりそれは否定なさいますか。個人支出の四〇%が学費として費やされている。生活費じゃないです。学費です。これは非常に大きいと私は思います。ですから、中教審は試算として出しているわけで、これが目途じゃないとおっしゃったけれども、当時二〇%、四〇%というのを出されたときでさえも多過ぎるということでかなり反対というか、批判的な意見が出ているわけですね。それを現在超えているということです。このことをどうお思いになるでしょうか。
○佐野政府委員 手元に消費支出の数字がございませんが、学生生活費でとれば、現在授業料の学生生活費に占める割合は、国立大学の場合には二〇・二%、私立大学の場合には三一・二%という数字でございます。もちろんこの数字の見方についてはいろいろな考え方があるわけでございます。また、学生生活費の中で、いわゆる生活費の伸びよりも学費の伸びの方が激しいというのは御指摘のとおりでございますけれども、この生活費に占める割合が学生の生活を非常に困難にするほどの割合であるというふうには私たちは考えておりません。
○栗田委員 学生生活費というのは親が苦労して必要な額を送っているわけですから、その中の割合を比べてもこれはだめだと思うのですね。さっきから機会均等の話がありましたけれども、国民の平均的な支出に対してどうかということを考えませんと、支出の少ない人にとっては大きな負担になるわけで、所得の少ない人にとっては大きな負担になるということですから、そういうわけで所得の低い人たちがだんだん大学へ行けなくなっているという実態も出でいると私は思います。このことをもう一度申し上げておきます。 時間がありませんので最後に一つ伺いますが、この間予算委員会の一般質問でも山原委員が一度取り上げましたけれども、最近私立大学の経常費は黒字になっておりますね。
○三角政府委員 最近の私立大学の経営状況と申しますか、収支状況は以前に比べまして全体としては一これは全体でございますが、個々のケースはいろいろかと思いますけれども改善されまして、いわゆる消費支出の面において若干の黒字が出ておるというのが実態でございます。
○栗田委員 これは文部省の資料でございますが、五十一年から黒字に転化しているようで、全体で百七十八億六千七百万円黒字に転化している。これは私学助成がされるようになってきてこういう状態が出てきていると思います。 私学助成法の趣旨を見ますと、これは単に経営を黒字にする、健全化するということだけではなくて「児童、生徒、学生又は幼児に係る修学上の経済的負担の軽減を図る」というのが目的の一つになっております。そういうことから言いましても、いまずっと私が述べてきたように、国民消費支出の四〇%をはるかに超えるような私立大学の授業料、学費がまだまだ上がってきているわけですけれども、そういう中で、いま経常費が黒字に転化してきているわけです。もちろん健全化というのは結構なことですけれども、この私学振興助成法をつくったときの決議のように一日も早く二分の一助成を実現して教育研究の条件を充実するのと同時に、やはり親の負担、学生の学費の負担を減らしていくように努力していくべきだと思いますが、大臣、いかがでしょうか。
○谷垣国務大臣 私まだ余り十分に勉強しておりませんので、先ほどから委員の御所説を実は拝聴しておったわけでございます。 ちょっと前に戻って恐縮でございますけれども、機会均等が妨げられておるという御指摘があったわけでありますけれども、私の手元に事務局の方から来ました資料を見ておりますと、これは総理府の家計調査で調べたものでありますが、四十三年度、五十一年度、五十三年度等でいわゆる年間収入の階層別——階層という表現は悪うございますが、ずっとランクに分けましてその学生の状況を見ておりますと、余り変わっていないというか、むしろ四十三年の状況に比べますと家計収入の低い層の方がふえておるような数字も出てきておるわけであります。私まだ不十分な勉強しかできておりませんので、これからもいろいろと検討させていただきたいと思いますが、こういう数字を見ますと、教育の機会均等が非常に狂ってきたというふうには実は考えられないものですから、先ほど機会均等がそれによって損なわれておるというふうには思いませんということを申し上げたわけでございます。えらい前の話を振り返りまして恐縮でございますが、その点はひとつ申し上げておきたいと考えております。 それから、私立大学の経営は学校によって違いますけれども、黒字のところも少し出てきておるということは大変ありがたいことでございますが、それをすぐにそれじゃ授業料の問題と結びつけ得るかどうかということは、これは大学としての自主的判定をして、そしてなるたけ授業料等の軽減を行うようにしてもらいたいと私たちは期待をしましてそういうように願っておるわけでありますが、いろいろといわゆる奨学資金等の対策も年々講じてまいりまして、それの単価増等も行って対策を講じてきておるところでございますので御了解を願いたいと思います。
○栗田委員 時間がありませんのでこれで終わりますが、大臣いまおっしゃいましたように、私が持っている資料でも低所得一、二階層の大学ヘ行っている数が一九七六年二五%から一九七八年二六・三%と一・三%ふえております。これは私も知っているのです。ただ、これにはいろいろな事情があると私は思います。それこそ生まれたときから積み立てをするとか、こういう親の努力、これが学歴社会の中で子供を生き抜かせなければならないという涙ぐましい努力となってやられてくる中でこういうことも起こっているというふうにも思いますし、また奨学資金にしましても貸与数がふえていないですね。貸与学生数が……(谷垣国務大臣「ふえていますよ」と呼ぶ)そうですか。これはもっともっとふやしていただかなければならない。何といいましても消費支出の二〇%、四〇%、特に四〇%などというのは余りにも多いと私は思います。重ねて思います。大臣もそういう方向で私学などでは負担を減らすように努力をさせたいとおっしゃっておりますので、学費値上げについては、できる限り多くの国民が希望し、能力さえあれば大学へも行けるようにという方向での一層の御努力をお願いいたしまして、私の質問を終わります。
○谷川委員長 和田耕作君。
○和田(耕)委員 まずオリンピック問題なんですけれども、昨日でしたか、アメリカはやはり参加しないという政府の態度を明らかにしたようですが、日本の場合はいままでの基本方針と変わらないということだと聞いておりますけれども、大臣、大臣が日本のオリンピック委員会に対して政府の意向を伝えたときに、マスコミが報道しているように、ソビエトがアフガニスタンに入っておるという事実が続く限りは、日本のオリンピック委員会も参加しない方がいいじゃないかというようなことをそういう形で政府の意向を伝えたわけですか。
○谷垣国務大臣 いま和田さんが敷衍しておっしゃいましたようなことは、正直なところ申し上げてはいないわけであります。非常に重要な意向の伝達でございますので、前にも申し上げましたでしょうか、「オリンピック大会は、本来スポーツを通じてより良きより平和な世界の建設に助力し、国際親善を創り出すことを目的としている。従って、モスクワオリンピック大会について、政府は、ソ連のアフガニスタンへの軍事介入、これに対する厳しい国際世論等に重大な関心を払わざるを得ない。日本オリンピック委員会は、この事態を踏まえ、諸外国の国内オリンピック委員会と緊密な連携をとって適切に対処されたい。」このことを申し上げまして、いま和田さんがおっしゃいましたような一種の解釈と申しますか、そういうことは全然申し上げていないわけでございます。 ただ、この言葉でも表現の中に出ておると思うのでありますけれども、オリンピック憲章第一章第一条の目的等から考えまして、国際平和あるいはまたその平和な条件を促進していくような中でオリンピック自体は開かれるべきであるということをオリンピック自体の目的としてはっきり書いております。いまのアフガニスタンへの侵入その他の状況に対して世界世論の起きました考え方というものは、考えてみますと、直接オリンピックのことを言っているわけでは毛頭ないのでございますけれども、そういう環境、オリンピック憲章の目的として考えておるそういう雰囲気を考えてみると、これはもう「重大な関心を払わざるを得ない。」という表現になっておるわけでございます。
○和田(耕)委員 一般のマスコミ、特にアメリカ側も西側諸国も、日本政府は不参加の意向だというふうに受け取っておるようですけれども、この受け取りはそう間違いじゃないと考えていいですか。
○谷垣国務大臣 アメリカがどういうふうに受け取っておるかということでありますが、たとえば端的にときどきの新聞記事等で出てまいります。私まだアメリカ側の本当の表現というものは、実はじかに確かめておりませんからわかりませんが、あれで見ると、日本は不参加国という中に入れてしまっておる、こういう見方になっておるようでございますが、ちょっとそこらは整理をし過ぎておるのじゃないかという感じもいたします。 これはよく御存じでございましょうが、政府と、そしてオリンピックに参加するかしないかという決定権を持っておる各国のNOCというものとの間は、おのずと立場が違っておるわけでございますから、したがって、政府筋の意向をもって直ちにNOCの意見であるという判断は、各国とも私はそうだと思いますが、少しそこに区別があるべきだと思っております。したがって、新聞記事その他の表現がどういうところの整理をしておるのかというようなバックグラウンドもはっきりいたしませんと、いまの和田先生のデリケートな御質問に対しては、ちょっとこっちも明確に返事のしにくい点がございます。
○和田(耕)委員 そこのあたりは、特に政治的な影響力を国際スポーツの競技に及ぼしてはいけないということで、政府とオリンピック委員会との区別もよくわかるのです。したがって、政府はこう思うのだということを言ったって何ら差し支えないことで、この問題は自主的にオリンピック委員会が決めることなんです。マスコミはそうとっているのですね。そこらあたりもっと端的に言った方が、国民の方も好感というのかな、そうだろうなあとか、いやそれはいかぬなあというふうな判断をしやすいと思うのですね。だから、政府としては、そういう責任はオリンピック委員会にあるとしても、政府はこういう事態が続いておれば参加しない方がいいんだと考えておると言うことは、ぼくは何も差し支えないと思うのですが、その点、慎重過ぎやしないかと思うのです。そうでないと、たとえば私どもとしてその問題について物が言えないのです。 政府はまだはっきり決めておりません、格別行けとも行くなとも言ってはおりませんということであれば、国民の方も、まあ国民はマスコミの報道を信じておりますから、日本の政府は決めているらしいということで文句は言わないけれども、そういう点は私はもっとあけすけな態度であっていいじゃないかというふうに思うのですけれども、余り慎重になり過ぎていやしないかというふうに思うのです。その辺の問題はいかがでしょう。
○谷垣国務大臣 和田先生の御意見は十分私たちも敬意をもってお聞きをしておきますし、同じような御意見も他の方面からもよく聞いておるわけでございます。
○和田(耕)委員 この問題は、私ども初め考えた場合に非常にむずかしい問題だと思いましたけれども、やはり一番大事なことは、国際の平和を維持するためにソビエトのアフガニスタンにおけるようなああいうことを成功させてはいけないということなんですね。こういうことを成功させてはいけない。つまり今後の世界の平和のために成功させてはいけない。これが当面の平和な世界の環境を保つために非常に大事なことだということになれば、オリンピックの問題について政治がかかわりを持つ持たぬという議論はあっても、やはりこの一番大事な問題に対して平和を願う日本の国民として態度を明らかにするということが大事じゃないかというふうに私は思うのです。しかし、そういう点は、大臣はおっしゃらないけれども恐らくそういう意向を政府は考えておられるとして、マスコミもそういうふうに承知をしているし、アメリカ側もそうとっているようだし、それだから余り文句は言いませんけれども、もっとあけすけにあれした方が国民としても理解がしやすいんじゃないかという感じがしますので、その点をひとつ希望しておきたいと思います。 このごろアメリカでやっている冬季オリンピックは余り成績がよくないのでおもしろくなく聞いておるのですけれども、こういう問題は余り政治とかかわりがあるとかないとかいうことにあれしないで、もっとさらっと表明した方がいいじゃないかというふうに思えてならないのです。 さて、本論の質問なんですけれども、大臣、劈頭で、日本の学術、文化の振興を図ることは国政の基本である云々のことを強調しておられるのでございますけれども、確かに資源のない日本としては、各分野の学術的なレベルアップをして国民生活の裏づけをするということは大事なことなんですが、その面から、いまの大学院の教育内容というよりはむしろもっと身近なことで、大学院で勉強している特にドクターコースの人たちが大変な就職難に陥っているという問題があるのです。私も去年おととしと二人ほど国立大学のドクターコースの人の頼みを受けまして、そしてやっさもっさ大変な苦労をして職場を探してあげたことがあるのですけれども、それでもその人が長年勉強したこととは少しは違った方向でしか就職できないという事実がある。最近は大学院関係の院生の人たちも非常に強い要望を持っておられるようだけれども、こういうふうなせっかく意欲を持って勉強したたくさんの人が失業状態あるいは不本意な仕事しかやれないという状況がありますね。こういう実情を文部省としてつかんでおられると思うのですけれども、どれぐらいの人が職業が現にない、あるいはあっても非常に不満足な状態にあるという資料を持っておられますか。
○谷垣国務大臣 私も文部大臣になる以前から、実はいま先生のおっしゃいましたような大学院を卒業したり、あるいは修士課程を済ましたような諸君とか博士課程を済ましたような諸君の就職の問題には何回か苦労をいたしておりますので、案外そういう諸君の行き先が窮屈であるという実態は、実は痛切に感じております。これは文部大臣になります以前のことでございますが、そういう実態はあるだろうと思います。 いま文部省で、いわゆる修士課程を経ました者、昨年の三月の修了者で見ますと、修士課程の修了者の約二〇%はいわゆるドクターコース、博士課程の方に進学します。それから六四%が就職しておる、こういう現状でございまして、その諸君の就職先はほとんど自分たちの専門的な研究を生かした部門に入っておると思います。修士の問題につきましていろいろ問題はありますけれども、いろいろ苦労しながら安定しつつあるのではないか、こういうふうに考えておりますが、ドクターコースにおきましても六〇%は就職しておりますけれども、何も就職しないのが三〇%ございます。その諸君の幾分かはまたずっと残って大学の将来の研究その他の要員になってくれることになるだろうと思いますけれども、その段階で、いわゆるオーバードクターといわれるようないろいろな問題が生じて身分的に不安定な研究者群がある、こういうふうに思われます。 文部省としていままでどういう対策をやっているんだと私も聞いたわけでありますが、いわゆる奨励研究員というような制度をとりまして、二年間ほどにわたって一つの勉強をし得るような奨励制度はとっておるわけでございますが、これらの問題は確かにもう少し何か考えていかなきょならぬ点はあるだろうと思います。詳しい実態は局長の方から答えさせたいと思っております。
○佐野政府委員 現在の博士課程修了者の進路の状況については、いま大臣からお答えを申し上げたとおりでございます。 わが国の大学院の規模というのは諸外国と比較をしました場合に決して多くはございません。学部の学生に対する比率は、わが国の場合は三%ぐらいでございますが、アメリカの場合は一四・九、イギリスの場合は二三・五、フランスが一九というような規模を各国の場合は持っております。しかし、わが国の大学院の場合は、やはり戦後新制大学として大学の制度がスタートして以来、昔の大学院の制度との関係が必ずしも整理をされないままに推移してきているということもあったりいたしまして、大学院の機能自体に問題があるということは、これまでも文部省の大学院の改善充実について御検討いただいた関係の懇談会からも御指摘をいただいておるところでございます。私どもは、特に博士課程については当面その内容、質の充実向上に重点を置いていく。これを新しくつくっていくということについては十分慎重に対応し、今後の修了者の需給の動向を十分見定めながら対応していかなきゃならぬというふうに考えておるわけでございます。
○和田(耕)委員 修士の場合は学生自身にいろいろな要素もあるようですけれども、ドクターコースという場合は、この制度を設けたたてまえからいいましても日本の研究者の一つの最高の課程です。だから一つの日本の国の学問的な水準を示すという大事な役割りだし、また今後資源のない国が科学技術の面で新しい資源をつくり上げていくという面から見ても、このポストというのは案外いわゆる戦略的な重要な問題なんですね。 そういうふうに考えてみると、もっとこの制度を活用する方法はありはしないか。大臣の所信表明にも大学院の拡充という言葉があるのですけれども、ここで勉強した人が将来どういう方面でどういう働きをするかということを考えることなしに、ただこの制度だけをふやしていくというような制度じゃないと思うのです。したがって、ドクターコースを卒業したという人は、国の各産業、文化の各部面でやはり重要な役割りを担ってもらわなければならない。これは昔の戦前の学校、帝国大学の悪い面を私言っているわけじゃないのです。現在の日本の民主的な産業社会の中で、文化的な社会の中で、やはり相当の国費を使い、国民の税金を使って優秀な人たちがここで勉強しているところなんですから、しかもこれが卒業をして、博士号を得るとか得ぬとかいうことは二の次としても、全く違ったところで仕事をすることを余儀なくされるとか、あるいは畑違いのところで腰かけの居候をするとかいうようなことを放置してはいけないのじゃないか、そういうように思うのです。 そこで、一つの例を挙げれば工業、工科関係、サイエンスの問題であれば国の試験研究の工場試験をやるような、そういうふうな研究機関を、たとえば今度エネルギーの問題であればエネルギーの場面においてそういう部面を国が開発して一つのプロジェクトの中でそういう人たちを使っていくとか、これは一つの例ですけれども、文科関係は文科関係としていろんなことがあると思いますけれども、つまりドクターコースを経た人は将来こういうところで働いてもらう、研究してもらうという、そういうめどを持ってこういう制度を考えていく必要がありはしないか。そうでないと、ここのところがごたごたしていますと、研究者であるやらないやら、またいろいろなのが腰かけておったりなんかするようなことになってしまいますと、全体の日本の研究体制に悪い影響を持つと私は思うのです。したがって、ここのところだけは国がもっと責任を持って、そして学修した人が必ずある任務を持って仕事ができるように、そういう配慮をすることが必要ではないかと思うのです。これは外国で働くという問題でもそうなんです。そういうことが広がってくれば文部省だけではなかなかできないことなんです。だから国、政府全体としても、こういう科学技術の振興を図るという気持ちはもっともな気持ち、方向でございますから、閣議の決定でも、こういう問題について懇談なすって、戦略的な一つの学術研究の場面なんですから、そういう場面についてはぜひとも特別な配慮が私は必要だと思う。特にいまも重ねて申し上げているような働く場を確保してあげる、見通しをつけてあげる、それで一生懸命勉強するというような場にしないといけないのではないかという感じがしてならないのですが、御所見をお伺いしたい。
○谷垣国務大臣 和田先生のいまの御意見でありますが、私は基本的にそういうところに問題があると思っております。正直に言いまして工学関係とか、そういう部門のところは何とかいくのです。やはり専門のそれぞれのところでバランスがいろいろございまして、文科系統その他になりますとオーバードクターのところで少しよどみがあるとか、そういういろいろな問題がございます。しかし、御指摘がありますように、せっかく一番すぐれた研究の方向ヘ行こうという諸君のところがむだになっていくということは大変惜しゅうございますし、むしろ積極的にそれらの知能、努力が集積するようなことを考えていかなければいかぬと思うのです。これはひとつよく検討してまいりたいというふうに考えております。
○和田(耕)委員 日本の大学教育だけじゃなく、高等教育という面から考えましても、これはアメリカ以外の国と言ってもいいかもわかりませんが、外国の先進諸国と際立って違う点は、いい意味では非常に自由にしている、ある意味では野方図な関係になっているということですね。金を持っている者は、何でもかんでも、たとえばひどくなると大学の医学部の裏口入学みたいな不届きなことまでもやるようなことがある一方で、なかなか能力のある人がそういうところへ入学できない。ドイツやイギリスの場合は、もっと小さな段階で能力検査をして適正な方向に向けるような一つの制度的なものがあるわけですね。私はこれを日本ではある程度まで考える必要がありはしないかという感じがしてならないのです。いまのドクターコースの問題も、これは一つの最高の研究段階なんですから、そういうところでははっきりとそういう礎石ができるような運営をぜひともしてもらいたいと思うのですね。これはひとつぜひ御検討になっていただきたいと思うのです。 こういうことを言うとエリート教育とかあるいは若いときに仕事を区別するとか、いろいろなことを言う人もおりますけれども、これは先進諸国でも皆やっておることであって、しかも人は皆能力が違うわけですから、能力の違う者を同じように扱うことが正しいということでもないわけですから、そういう意味で日本の入学制度の問題にも関係しますけれども、一遍ぜひとも検討を願いたいと私は思うのです。このドクターコースの問題は、修士課程の問題も含めましてそういうものにも広がりを持っている問題だというふうに私は思いますね。これは何か中間的なあるいは職がないからしばらくというのもたくさんおるようだけれども、これはこれとして、ドクターコースだけはそういうきちっとしたものをつくらないと非常に弊害が出てくると思いますよ。一番最高の段階がごたごたして何かはっきりわからないということになると、せっかく希望を持っている人が希望を失うようなことにもなるわけでありまして、ぜひともひとつ御検討をいただきたいと思います。 それからもう一つの問題は、この四月から学習指導要領を新しく改正されて実施されるわけです。この問題で、私今度文教委員会に所属して、にわかにいろいろな法令もよく読んで勉強しているのですけれども、学習指導要領を文部省が指示するという法律的な根拠はどこにあるのですか。
○諸澤政府委員 法律的に言いますと、現在の学校教育法の中に、小学校をとりますと小学校教育の目的、目標というのが抽象的に書いてあるわけでございます。さらに、小学校の教科に関する事項は別に監督庁が決めるということで、この場合の監督庁は文部大臣、こういう規定になっている。これを受けまして文部省令、学校教育法の施行規則があるわけでございます。 この施行規則ではどういうことを決めているかといいますと、小学校では国語、算数、理科といったような教科と道徳などを教育内容といたします。それから、それぞれの教科、道徳等の一週間の授業時間の標準はこれこれですということは省令に書いてある。さらに、それらのほか、小学校の教育課程については文部大臣が別に教育課程の基準として公示する学習指導要領によると省令に書いてある。その省令を受けて文部大臣告示で学習指導要領というものを定めているというのが法令のたてまえでございます。
○和田(耕)委員 これはいつから実施されておるのですか。
○諸澤政府委員 これは昭和二十二年ですか、学校教育法ができたときから規定は若干修正しましたけれども、法律の体系はそれ以来変わっていないわけでございます。
○和田(耕)委員 その問題は一応おいておきまして、教育基本法の第十条を私は何十回も読むのですけれども、日本の教育の内容的な問題については国民全体に対して特別責任を負うという言葉があるのですけれども、これはだれが責任を負うのですか。
○諸澤政府委員 これは御承知のように昭和二十二年で、かなり古い法律なんですけれども、十条の一項は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる」。それで「教育は、」というのは一体何だ。これは解釈として、教育行政もあるいは教育活動もみんな入るというふうに考えておるわけでございます。そしてこの考え方というのは、要するに民主主義下における政治というのがいわば国民の国民による国民のための政治だというような考え方をいたしましても、およそ国民の生活にきわめて密着する教育というものは、国民に対してその行政であろうと教育作用そのものであろうと深い責任を持つんだ、こういう趣旨だというふうに私どもは聞いておるわけであります。
○和田(耕)委員 この十条の項目は教育行政という枠組みの中の項目ですね。教育行政というものを考える場合にいまの第一項の文言があるわけですけれども、その次の第二項に、行政は環境整備を中心というような言葉がありますね。環境じゃなかったか……(諸澤政府委員「条件です」と呼ぶ)そうそう、つまりこれだというふうに見られる節もあるんだけれども、文部省はこの点どういうふうにお考えになるのですか。
○諸澤政府委員 そこで、この二項は、今度は教育行政のあり方で「教育行政は、この自覚のもとに、」ですから、不当な支配に服することなく国民全体に対して直接責任を負うという自覚のもとに教育の目的を遂行するに必要なもろもろの条件の整備確立を目指して行わなければならぬ。 そこで、その「諸条件」というのは一体何だということなんですけれども、これにつきましては、たとえば学校の校舎を整備する、あるいは教員を養成する、先生の俸給を支払うというような教育を遂行するに必要な人的物的な条件の整備というのはもちろん入ります。 そこで、学校でおよそどういう内容の教育をすべきかという教育活動の基準あるいは学校の主たる教材である教科書の内容はどうあるべきかということを検定する教科書検定というものがここで条件整備として入るかどうかというのが実は長い間の議論であったわけでございます。 それで、具体的には、簡単に申し上げますと、昭和三十年の後半から各都道府県で文部省の委嘱を受けて小中学校の生徒について学力調査というのを広範に行いました。この学力調査というのは、いまの学習指導要領に定めるところの教育目標内容にどのくらい到達しておるかということを調査することによって、その教育内容の整備あるいは条件の整備に参考になるような資料を得たいという趣旨でやったわけですが、これが一部の方にとっては教育内容の国家統制だということで、具体的にはいまの学カテストの実施についてこれを実力で阻止するというような動きが各地にございました。 そこで、これが裁判の問題になる。裁判の問題になりますと、それが公務執行妨害かどうかということは、学カテストが合法か合憲か、あるいは違憲か違法かということによって公務執行妨害が成り立つかどうかという判断になりますから、そこでいまの学習指導要領の性格というものが問題になる。同じような問題が、国の場合では教科書の検定を学習指導要領の基準に即してやるということ自体が一体違憲かどうかというような訴訟が起こったというようなことで、ここ十数年来議論があったわけでございますが、昭和五十一年に、いまの一連の学カテスト裁判のうちで北海道の旭川市で起こった事件について最高裁の判決が出たわけでございます。 そこで、最高裁の判決は、およそ行政で言うところの教育条件の整備というのは、教育内容についても必要かつ合理的な基準を定めることは、これは含まれるという判断が出ましたので、それで私どもはいまの学習指導要領についても、これを国が定めることは合憲、合法であろうというふうな判断に立ってこの事務を進めておる、こういうことでございます。
○和田(耕)委員 ところが、最高裁の決定というのは、たとえば北海道のある学校で起こったことに対する決定なんですね。同じことがたとえば東京のどこかで起こったら、やはりまた争いになる。前のは余り基準にならないというようなことです。 私は、四、五年前に衆議院の本会議でその問題を稻葉法務大臣に尋ねたことがありましたけれども、同じ法体系のものであれば、最高裁の決定があれば考え方として右にならえするのがあたりまえじゃないかという質問をしたことに対して、いまの制度はそれはできない、たとえば和田がやったこと、ある学校でやったそのことだけの決定であって、同じ法体系のものに対するあれにはならないということがあるんですね。 そういうことがあって、日教組の諸君には、この間も朝日新聞に載っておったけれども、北海道の二カ所ぐらいのところで、今度の教研大会でも教員が自主的に一つの学習指導のテーマをつくって、そして教育しようじゃないかという考え方がいまだに有力に残っていますね。いまのこの時期というのは、いろいろな意味で、こういう問題について一つの新しい国民合意をつくり上げていく時期だと私は思うのです。今後どういうふうな方針で日教組の人たちとの相互理解を図っていこうとしておられるのか、その点をちょっとお伺いしたい。
○諸澤政府委員 おっしゃるように、学習指導要領の法的拘束性撤廃とかあるいは教育課程自主編成というのが一つのスローガンであったわけですけれども、先生ただいまでもかなり根強く残っておるというお話でございましたが、私どもの判断では、しかし、かつてそれが言われたときに比べますと、今日ではよほど状況が変わってきておるのではないか。 これは端的に申し上げますけれども、先日高知で日教組の教研集会がございまして、いろいろ議論があったようでございます。それで、そこへ行ってこられた文部省の記者クラブの方などによく私どうだったと聞いてみますと、たとえば文部省が今度の高等学校の学習指導要領で進める習熟度別学級編制というようなことも、もちろん日教組はこれは反対ですから反対の御意見もありましたけれども、そこへ来られた先生の中でも、しかしあれはやってみると効果があるというようなことを言って、助言者である大学の先生かなんかには、そんな文部省べったりのことを言っていいのかというようなお話もあったというふうに私は聞くのでありますが、やはり私は学習指導要領という現物を見てくださいと言うのです。私は、確かに従来の学習指導要領はちょっと細か過ぎたと思うのですよ。今度の改正でそれをできるだけ簡潔にして、教育の目的と内容というものをできるだけ一般論の形で載せる、それで具体的には個々の先生の工夫に任せるということで直しましたから、これが拘束性といってどこがそんなに反対することがあるんですかと私は地方へ行くたびにそう言っているんですけれども、そういうことを私だけでなしにやはり文部省の関係者も県の人も大いにPRしてこれからやっていきたい、こういうふうに思っているわけです。
○和田(耕)委員 少なくとも義務教育という枠内では国民、特に子供なり親御さんは学校を選ぶ自由がないわけです。しかも、税金で教育を行っておるという問題がある義務教育ですから、したがって国民が機会均等の平等な教育を、受けるという権利がある。これは侵すことができない。そういう意味からいって、公正なある一つの学習の標準を考えて、それによって指導していくということは間違ってないというふうに端的にそういう感じを持つのです。そしてその学習が実際どういう成果を生んでいるかというのが指導要領の問題でしょう。だから指導要領をつくっていくということも正しいことです。ただ、そういうことは正しいとしましても、正しいというだけで実際にそれの点検が行われてないとなると、ことによったら看板だけで何も内容がないということにもなるわけなんですね。そういう問題をかなり多くの人たちは心配していると思うのです。しかし、確かに教育基本法その他の教育関係の法令を見れば、文部省がそこまでやれないというふうなことが法廷で議論になるような根拠がなきにしもあらずだと思うのですね。したがって、そういうような問題について、私は、教組の人もなかなか常識のある、教養のある人が多いんですから、この段階では、よく理解できるものは理解できると思うので、木島さんなんかに今度は指導してもらわなければいかぬと思うのだけれども、そういう問題を率直に話し合ってみる必要がありはしないかという感じがしてならないのです。 この教育基本法の問題で、先生の立場を非常に強調している面がありますけれども、教師は全体の奉仕者という言葉、ただ、教育の内容について教師が責任を持つという言葉は、これもまたどこにもないんですね。教師が責任を持つという言葉は法律の中にないんです。それじゃ責任を文部省が持つかというと、教育の内容について文部省が持つという言葉もないんです。そこのところは、地方の教育委員会の任務の中にはそれらしい内容も入っている言葉もあるんですけれども、その点は非常にあいまいなんですね。しかし、教育の内容について、いろいろ能力の違う、いろいろな千差万別の先生が責任を持つということは、それは実際問題としてできない。国民もなかなかそういうことに対して納得しない。だから、そういうことを強く主張しても、私は、これは立場が弱いと思うのです。教師が責任を持つということ、あるいはそれに近い法律的な根拠はどこかにありますか。
○諸澤政府委員 教育内容について教師が責任を持つ、あるいは言いかえれば教師の自主的判断で教える必要があると思うものは何でも教えられる、こういうことはどこにも規定はございませんし、先ほど申しました最高裁の判断でも、そこのところは大学は別でございますが、高等学校以下の教育については、やはり子供の発達段階ということがありますから一方的な見解だけになるようなことは教えてはいかぬ、あるいはいまお話があったように、子供自身が一般的には教師なり学校を選べないという立場もありますから、その点も考えなくてはいかぬ、そしてさらに高等学校以下の教育については、全国的な水準の維持とかあるいは教育の機会均等ということがありますから、これはやはりある程度の制約があって一定の基準のもとでやるのが妥当だ、こういう判断が示されておるわけでございます。
○和田(耕)委員 そういう問題なので、私どもは一ころ文部省とは違った、たとえば地方に教育委員会があるように中央でも教育委員会の制度を設けて、それで中立的な形ができないかという考え方を持ったことがあるんです。考え方としてはいまだにそういう考えは変えていないのです。だけれども、中央の教育委員会といっても警察の公安委員会と同じような感じのものであれば、これまた余り意味のないことになりはしないかということも考えるので、日本の重要な教育という面を考えますと、特にこの問題については教師と文部省あるいは教育関係者がもっと真剣な一つの討議をする時期ではないかと思うのですね。戦後日本の大改革は防衛に対する問題と教育に対する問題、同じく軍国主義を排除するという立場からこの二つの問題が大きな内容になっているわけですけれども、戦後しばらくの間は、相当行き過ぎた意見でも私はもっともだと思うのですよ。しかし三十数年たって、こうして一応民主主義が定着するようになった現在、いまだに国民の最も大事な国の防衛の問題とか教育の問題について、大事なところがペンディングであるような状態を放置してはいけない。私はそういう感じがしてならないのです。したがって、ひとつ文部省自身がこういう問題についての雰囲気——余り高い姿勢ではなくて辞を低くして、先生方とあるいはその他の教育関係者と率直に話し合うというような姿勢が必要だと私は思うのですね。その点について大臣に御決意のほどをひとつお願い申し上げたい。
○谷垣国務大臣 いろいろな経緯があったかと思いますけれども、教育という問題をそれぞれ考えておる環境なり考え方というものは、漸次変化もしたり調整もとれたりしてきておると私は思います。文部省自体がそう高圧的な態度でどうこうという考え方は文部省は全然ないと思いますが、これからもいまのような問題、ことに教育は非常に大切な問題で合意がなければ本当にできないことでございますので、確かに防衛と教育というふうな非常に重要な問題について先ほどお話がございましたが、文教という問題はもっと基本的に大切だと私は考えておりますので、そこらの調整あるいは意思の疎通というものを図っていかなければならぬ、こういうふうに考えておるわけであります。
○和田(耕)委員 次に、私の選挙区で起こっている問題で、ここでひとつ所信を聞きたいと思います。 中野区に教育委員会の準公選という問題が出ておりまして、これをこの秋に実行するということで、かなり差し迫った問題として現地では大きな問題になっておるんです。いまの区長青山さんを中心にして、やろうと条例として決めているんですね。それをやるための実際の方法等についてもう発表されている。この準公選問題というものに対して文部省はどのような見解を持っておられるのか、それをお聞きしたい。
○谷垣国務大臣 教育委員会の委員の選任に当たりまして中野区に起きておる問題は、区長が区民の投票を行う、そしてその結果を尊重して教育委員候補者を選定しなければならない、こういう条例、いわゆる教育委員会の準公選制が中野区で言われておるわけでありますが、現行法は、御存じのとおり、こういう教育委員を選定いたしますのは区長の専属的な権限でございますから、この選定権の行使にいまのような形で制限を加えられる、拘束されるということ、そういう条例が法的制約を加えるということは当然法律に違反するものである、こういう考え方を文部省としては持っております。しかし、これは直接そういうわけにいきませんので、東京都の教育委員会等を通じてそういう指導をしてもらいたい、こういうことでやっておるわけでございます。 詳しくは局長からまた説明をいたしたいと思います。
○諸澤政府委員 大臣の申し上げたことで尽きておるわけでございますが、もう少し具体的に申し上げますと、要するにいまの教育委員会制度のもとでは教育委員というのは区長が、あの方は学識経験があってりっぱな人だからあの人を候補者にしようと自分の責任と権限において候補者を選んで、議会に諮って、その同意を得る、同意が得られれば区長が任命するということになっておるわけでございます。ところが、今度の条例を見ますと、まず当該区で住民投票をやることが区長に義務づけられるわけで、それで教育委員になりたいという人は何人かの推薦をもらって立候補して、最近の具体的あり方の検討等の結果を見ますと、言ってみればかなりいろいろ自由な選挙運動をやって、それで得票数が決まりますと、区長は、一番得票の高い人から得票順というものを尊重して、ですから、具体的にだれを候補者にするかというその選定権が非常に制約されるわけです。その方を議会に相談するというかっこうになって、それがよかろうということになればその方を任命するということでありますから、言ってみれば、いまの委員会法が予定しておりますところの区長独自の候補者選定権、任命権というものを大きく制約するという意味でこれは法律に反するのじゃないか。 なお、いまの教育委員会の制度の法律的趣旨からしますと、たとえば教育委員は五人いるわけですけれども、五人のうち過半数が同じ政党に属するようになった場合にはそのうち特定の人をやめさせなければいかぬ、こういう規定もございます。また、教育委員は政党、政治団体等の役員になったり、積極的に政治活動をしてはいけないという規定もございます。そういう規定を頭に置いていまの準公選による任命というものを考えますと、これはやはり現在の委員会法が予定しておりまするところの教育委員会の政治的中立という趣旨からしてこの趣旨に反するのではないか、この二点を挙げて文部省は、この条例案が示されたときにこれには反対であるという意見を表明した経緯があるわけでございます。
○和田(耕)委員 そこで私どものところも、現地のうちの政党ではまだ態度を決めてないようですけれども、法律違反という判断をしておられるわけですね。法律に違反することが現に中野という、区で行われるということに対してこれをある一時期ストップさすとか、そういうことはできるのですか、できないのですか。
○諸澤政府委員 現行の法制では、国なり都がストップをかけて、あるいは無効にさすというような権限あるいは手だてはないわけでございます。
○和田(耕)委員 それは地方の自治という面からですか。
○諸澤政府委員 地方の自治という面もあります。これはちょっと私わかりませんけれども、恐らくいまの法律、この委員会法に限らず、法律のたてまえというものが地方公共団体の議会などがそういう違法な条例をつくるなどということは前提にしていないということだと思います。したがって、そんなものができた場合にどうするかというような手だては書いてないというふうに私は読むわけでございます。
○和田(耕)委員 そうですか、法律とはそんなものですか。役所は間違ったことはしないということを前提にして法律はできているというわけですか。
○諸澤政府委員 一般的に、たとえば違法な行政処分があったというような場合には当然救済の法律はございますけれども、いま言ったように議会の立法行為のようなものは、それをすぐ違法だといって、上級官庁といいますか、都なり国が判断をして、それに是正なり無効にさせるとか、そういうようなことは恐らくいまの規定としては予定していなかったのじゃないかと思います。
○和田(耕)委員 これはずっと長い経過があるわけで、前は公選されておったのが途中でなくなったという経過がある。そういう経過を踏まえているわけだと思うのですけれども、何かこういうことについて今度日教組としては、全国的にこれはいいことだからどこでも考えたらどうだという指導をなさっているそうですね。今度の教研集会、これは木島さんに聞くわけにいかぬけれども、そういう指導をなさっているようで、そこらあたりの問題も先ほど申し上げたような問題としてあるわけですね。ぼくらのところも公選に反対したのかな。したかもわからぬと思うけれども、いまは国会議員だけじゃなくて地方議員も多過ぎるという世論が多くて、余り選挙なんかはという空気が強いのですよ。また、それらしいところもあるのです、国会議員もそうかもわからぬが。そういう中で一般の人は、こういうことに対してどうかなと首をかしげている人が事実多いのです。多いのですけれども、役所から見れば間違っておるとはっきりしているものをとめられない、とめる方法がないというのはどんなものですかね。違法だとわかっていて、これがどこもとめられないというのはどういうわけでしょうか。何か改正する必要があるのじゃないですか。
○諸澤政府委員 繰り返して申し上げますけれども、現在の法律では直接文部省等が介入する手だてはないわけでございます。結局議会が決めたものですから、議会自身が今後どう判断されるかということが一番のポイントになると思います。
○和田(耕)委員 わかりました。 きょうはまだ大分時間があるようですけれども、率直な御答弁をいただいたので、これで終わりたいと思います。
○谷川委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時五分散会