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87回国会参議院1979/03/20

予算委員会公聴会 第1号

発言数
64
登壇者
20
会派数
5
開催日
1979/03/20

会議録

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  昭和五十四年度一般会計予算  昭和五十四年度特別会計予算  昭和五十四年度政府関係機関予算  以上三案を一括して議題といたします。  本日は、昭和五十四年度総予算三案について、お手元の名簿の六名の公述人の方々から、それぞれの項目について御意見を拝聴いたします。  一言ごあいさつを申し上げます。渡辺公述人及び今井公述人におかれましては、御繁忙中にもかかわりませず、貴重な時間をお割きいただき、本委員会のために御出席を賜り、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼を申しあげます。本日は忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。まず、お一人十五分程度の御意見を順次拝聴し、その後、委員の質疑にお答えいただきたく存じます。  それでは、順次御意見を承ります。まず、経済、景気、物価問題に関し、法政大学名誉教授渡辺佐平君にお願いいたします。渡辺公述人。

渡辺佐平法政大学名誉教授

○公述人(渡辺佐平君) ただいま紹介していただきました渡辺でございます。  昭和五十四年度予算につきまして私の所感を述べさせていただきます。  この予算は、公共事業などの投資的経費を大きく伸ばし、経常的経費をできるだけ抑えながら、景気振興と経済安定成長を図ろうという、これまで長い間とられてきた予算編成の方針を継承して編まれたものと考えます。私は、これについて幾つかの問題点があるかに思うわけでありますが、それをいまから簡単に申し上げたいと思います。  その第一点は、こういう政府の投資的支出を拡大して景気を振興しようとする予算が長年継続して施行されてきた現在においても、なお同じ形の今年編まれた予算の執行によって所期の目的が達せられるものかどうかということであります。  近い例として、五十三年度予算に関して申し上げますと、これは投資的経費を当初予算において対前年度で三一・七%もふくらませて編まれたものでありますが、これがほぼ執行されてきた現在において見ますとどうでありましょうか。  まず、景気について見ますと、それは着実に回復に向かっているとも言われております。確かに大企業の利益といったそういう面から見ますと、そのようなことも言われるかと思いますが、目を雇用の面に向けますと、失業率というのは、季節調整済みの計数においては五十二年十月から十二月の四半期において二・〇七%でありましたのに対しまして、五十三年同期の計数は二・二六%となっており、これは雇用の好転どころかむしろ悪化しておることを示すものと思われます。また問題なのは物価であります。消費者物価は、まあよく言われますように鎮静化してはおりますが、しかし卸売物価は昨年十一月ごろから反騰に転じまして、今年の二月には前月比〇・九%、年率にすれば一一・四%という上昇ぶりを示しております。他方で企業倒産の数も幾分は減少したというものの、なお高い水準にありますが、こういう点から見ますと、五十三年度予算が景気振興に目立った効果を上げたとは考えられませんし、また投資的経費の支出実額において、対前年度で一八・五%の増加を予定した五十四年度の予算についても、それが物価の上昇を強めるのではないか、また失業や企業倒産を少なくする上で目ぼしい効果を生むものであろうかどうかという点に私は懸念を持つ次第でございます。  第二点は、この予算が執行された結果どういうことになるかという政府の経済見通しに関連しての問題でございます。  政府の出された経済指標によりますと、国民総生産は五十四年度では名目で九・五%拡大されることになっておりますが、民間の最終消費支出は九・三%の伸びとされております。つまり国民総生産の伸びよりわずかにしてもそれが下回っております。さらにそればかりか、五十三年度には対前年度九・六%の伸びとなっていたこの国民消費が、その数に対して今年度の数は低下しておるわけであります。同じことは民間企業設備についても見られまして、前年度は一〇・九%の伸びであったものが五十四年度は一〇・二%と落ち込んでおります。これは政府支出を大きくした割りには民間の支出はそれに相応じて増大しないということを示しているものと思われます。そこで政府支出を大きくすることによって経済成長を促進するという予算編成の仕組みは、本当に国内需要を拡大するという点で効果的なのかどうかということに私は疑問を感ぜざるを得ないのであります。このことは、言い方をかえますれば、次のようになるかと考えます。すなわち国民総生産の伸び率よりも一般会計予算の伸びを大きくすることは、いわゆる経済の高度成長期以来引き続き行われてきたところでありますが、国民総生産に対する後者予算の比率は最近になりまして上昇しております。数字を見ますと、それは五十年度において一四・〇%でありましたが、五十三年度は一六・三%、五十四年度で二八・六%となっております。これは政府支出を拡大することで国民総生産の伸びを上げているという関係をあらわしているものとも考えられます。そうであるならば、こういう方式の経済成長の促進というのは、国民経済を均衡のとれた国民生活の経済基盤を拡大するという結果を生むことになるのかどうか、そこに疑問があると思われるのであります。  第三は、このような政府支出を賄う上で、政府が財源を国債発行に求める度合いを高めている点に関連してであります。  政府の言うところによりますと、今年度は新しい経済計画の初年度であって、物価の安定に配慮して経済の安定的な発展を図る第一歩の年だということであります。そういう政府の今年度の経済の見通しでは、年度間の物価は卸売物価で一・六%、消費物価で四・九%の上昇が見込まれております。物価というのはきわめて多くの要因によって動くものでありますから、今後どうなるのか、その予想はもちろん困難であります。しかし昨今では日本の対外収支の黒字も減少の方向にあり、現に最近では円安ドル高の傾向が為替市場にあらわれておりますので、そういう方面からの物価抑圧の力は今後考えられない状態であろうと思います。他方においてたばこ定価の値上げ、国鉄運賃の値上げ、ガソリン税引き上げ、国立学校学費の引き上げなどが政府によって今年度において予定されております。そういうこともありますので、そこに消費者物価を引き上げる要因が加わってきているものと考えられます。  こういう状況のもとで、今年度は財政の国債依存度を高め合計十五兆二千七百億円の国債発行を政府は予定しております。この巨大な国債発行については、すでに前年からその消化難が金融界の方面からも唱えられてきておりますが、消化難であるから政府が国債発行を縮小させるというようなことにはならないであろうと思います。政府は、そういう事態に当面すれば、恐らく国債の利率の引き上げに応ずるでありましょうし、現に三月からその方向に進んでおります。また政府は国債期限の短縮を図ってのいわゆる多様化をも実行するでありましょう。そこでこの巨大な国債発行は、消化難どころか、恐らくすべて実現されるものと思われますが、もともとこの国債発行は、地方債や政府保証債とともに考えれば、金融市場の資金量の増加に比較して、確かに市場の重荷となることは明らかであります。いま、それら三つのものの合計の五十四年度発行予定額を見ますと、その合計で二十四兆二千三百十億円になります。さらにこれに政府機関等の非政府保証債を合算しますと二十五兆八千七百九十九億円となります。これに対して、全国銀行と相互銀行、信用金庫の、前年度でありますが、五十三暦年間の預金増加額を合計してみますと約二十兆円となりますから、その預金増加額に対して、五十四年度には預金額はそれよりは大きくなるかと思いますが、そしてまた、国債発行額が全部これらの金融機関のしょい込みになるわけではありませんので、仮にその半分が銀行引き受けとなったとしてみましても、それは預金増加額の五割、六割の比率となります。そういう比率から見まして、やはりこの巨大な国債発行には無理が生ずるのではないかと私は懸念するものであります。  そこで、そういう無理を緩和する場合には、どうしても日銀の援助が必要となってきましょうし、その結果としては通貨増大ということになって、インフレの進行が考えられるわけであります。最近M2として総括されている通貨量の増大が問題とされていますが、国債の大増発に依存している政府の投資的支出増加とこのM2の増加との間に、明確にはとらえがたいわけでありますけれども、私は関連があるものと疑っている次第であります。  これと関連いたしまして、第四に私が申し上げたいと思う問題は、国債の利払いと償還の問題でございます。五十四年度予算では国債費は約四兆円となっております。他方で、国債の要償還額というものを見ますと、この五十四年度はゼロでございます。したがってこの年度の四兆円という公債費は、恐らく大体利払いに充てられているものと思います。  ところで、五十九年度についてこれを見ますと、九兆四千二百億円が公債費として推計されております。この公債費には償還額が当然入っていると思われますが、その額を計算してみますと、四条公債は六分の一の償還というふうにしてみますと、合計償還額は一兆三千四百億円と思われます。そうでありますから、約八兆円がこの利払いのために予定されていると考えられます。  このように利払いが増大する予想が立てられているのは、仮に五十九年度までに特例公債が全く出されなくなるとしましても、その年度までに四条公債、いわゆる建設公債が増発されて、五十四年度の発行額の七兆二千百億円から五十九年度には十一兆三千四百億円となっている、そういう増発があるということ、そしてその年度の国債発行残高が百二十九兆六千億、約百三十兆ございますが、そうなる勘定であるからでございます。この数字を見ますと、今年から六年後には国債の利払い額が、くしくも今年度の特例公債——赤字公債の発行額とほぼ同額となっているわけであります。またそれまでに政府の言われますように約九兆の増税——実際の増税はこの何倍かになると思いますが、いわゆる九兆の増税が行われたとしましても、そのほとんど全部が借金の利払いに使われてしまうという姿になるわけであります。  こういう将来のことを考えてみますと、今年度の予算案は、これが果たしてわが国経済社会の安定的な発展を図るための第一歩として、それが国民の生活の安定のために役立つものであるかどうかという点に私は疑問を感ぜざるを得ないのでございます。  以上、大変粗雑な言葉を連ねましたが、お許しを願いまして、公述を終わらしていただきます。ありがとうございました。(拍手)

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) どうもありがとうございました。  次に、財政、金融、国債問題に関し、武蔵大学経済学部助教授今井勝人君にお願いいたします。今井公述人。

今井勝人武蔵大学経済学部助教授

○公述人(今井勝人君) 今井でございます。  これから昭和五十四年度予算の政府原案について私の意見を述べさせていただくわけでありますが、限られた時間ですので、基本的なことだと私が考えますことについて述べてみたいと思いますので、御了承をお願いいたします。  さて、内閣の決定いたしました昭和五十四年度予算編成方針によりますと、昭和五十四年度予算の政府原案は、景気の回復基調を一層確実なものにする、そういうことと、もう一つ、財政健全化に努めるという二つの目標を設定いたしまして、そういう目標のもとに編成されているわけであります。  そこで、まず私は前者の点から検討してみたいと考えております。  御承知のとおり、五十四年度の政府原案は、全体として見ますと、チープガバメントあるいは安上がりの政府と言われておりますように、対前年度増加率が非常に低く抑えられているわけであります。しかし、そういう予算全体の中におきまして、景気の回復に資すると、そういう目標を設定いたしました関係上、投資部門だけは五十三年度の当初予算に比べますと大幅に増大しているわけであります。ところが、こうした予算の編成につきましては、私は次のような三点から大きな疑問があるのではないかと考えております。  どういうことかと申し上げますと、第一に、こうした投資部門を拡大することによって景気の回復に資するという、そういう考え方のもとにもなっております、いわば財政理論といいましょうか、あるいは財政的な考え方といいましょうか、そういうものは、いわゆる乗数理論と言われているものであります。しかしながら、そうした乗数理論による財政の乗数効果というものが、理論的に考えているほど現実には大きくないのではないかという、そういうことがすでに長い間言われてきているわけであります。そして、最近におきましては、そういう乗数効果が大きくない。理論的に考えるほど乗数効果が大きくないということだけではありませんで、乗数理論そのものに対しましてもかなり大きな疑問があるのではないか。理論的に考えてみた場合に、乗数理論そのものに相当問題があるのではないかということが言われているわけであります。そういうことも指摘しておく必要があると私は考えております。特に乗数効果につきましては、臨時異例の財政運営が行われました五十三年度の経験を私たちは真剣に反省してみる必要があるのではないかと考えております。  第二の疑問といいますのは、この投資的経費の財源となるいわゆる建設国債の大量発行とインフレーションの関係であります。公共事業の急激な拡大によりまして、資材の値上がりや地価の高騰を招くおそれがある上に、昨年末以来卸売物価の上昇が問題とされ、さらにことしに入ってからは原油価格の値上げもあるわけであります。そうした中で大量の国債、この場合には建設国債だけでなく特例債も含めてでありますけれども、そういう大量の国債が発行された場合に、インフレーションの心配が生じるのはある意味で当然であろうかと考えます。政府原案におきまして、このインフレーションと政府が目標としております景気回復とが一体どういう関係にあるのであろうかということが、どうも政府原案を通して見る限りはっきりしない。それが第二の疑問であります。なお、国債につきましては、国債発行の方式ですとかあるいは国債償還政策、そういったものについて何ら政策的な見通しがはっきりしないということをつけ加えておく必要があるかと思っております。  第三は、投資的経費の内容であります。御承知のとおり、投資的経費の中心は、主要経費別分類に言いますところの公共事業関係費であります。しかし、その公共事業関係費の内容を検討してみますと、五十四年度のそれは五十三年度の当初予算とほとんど変わっていないのであります。五十四年度の公共事業関係費は景気回復に資する、そのためには投資的経費をできる限り増大させるという、そういう名目のもとで、公共事業関係費の内容をほとんど検討することをせずに、ほぼ一律に五十三年度予算に上積みすることによって編成されたのではないか、そういうふうに私には考えられるわけであります。現代の財政——われわれは現代財政というふうにつづめて言っておりますけれども、現代財政には景気政策の手段としての機能を果たすということが強く要請されているわけでありますが、それと同時に、財政には資源配分機能、そういう機能もあるわけであります。むしろこの資源配分機能というものの方がある意味では財政固有の任務ではないかというふうに考えられます。この資源配分機能といいますのは、民間部門と公共部門との間の資源配分だけではありませんで、公共部門内部での資源配分をどうするか、そういう問題も大きな問題であります。五十四年度政府原案を検討してみますと、景気政策としての財政にばかり目が向けられていて、資源配分機能がどの程度考えられているのか、そういう疑問が生じてくるわけであります。  こういう資源配分機能の問題といいますのは、予算編成方針の第二の目標であります財政健全化に努めるということにも深く関係してまいりますので、次にその財政健全化ということの検討に移りたいと思います。  この財政健全化ということは、言うまでもなく経常部門の公債依存度をゼロにする。換言しますと、財政法第四条のただし書きの規定によらない特例公債をゼロにする、そういうことが財政健全化の内容として説明されているようでありますが、五十四年度の政府原案の経常部門の公債依存度を見てみますと、五十三年度当初予算よりも大幅に増大しておりますから、財政健全化に努めるという政府のおっしゃる目標は、私にはむなしい目標だというふうに考えられるわけであります。大蔵省は、たしか五十二年ごろからだと思いますが、中期財政展望を発表いたしまして、この特例公債依存度をゼロにする目標年次を示してきているわけでありますが、その目標年次が予算編成のたびに先に延ばされているわけであります。どうも五十四年度の予算のもとになった中期財政展望では、特例公債依存度がゼロになるのはたしか五十九年度というように見込まれているわけでありますが、大分先に延びたわけであります。そういう状況のもとで、政府のおっしゃる財政健全化に努めるという目標を私たちがどの程度信頼してよいのか、非常に心もとない限りだと言わざるを得ません。むしろ問題は、特例公債依存度がゼロになれば財政再建が成った、あるいは財政が健全化したという、そういう考え方にあるのではないかと私には思われます。私は、財政健全化ということを、特例公債を増発してまいりました財政体質を転換すること、あるいは特例公債に依存しながら形づくられてまいりました財政構造を転換すること、そういうことが財政の健全化と言われることではないだろうかと考えております。単に特例公債がゼロになればそれでいいんだということには私は賛成できないわけであります。  そういう点から五十四年度の政府の予算原案を見てみますと大きな疑問があると言わなければならないわけであります。先ほど申し上げました公共事業費の中身の問題も実はそうした問題であります。ここでは、経常部門の中心の一つであります社会保障関係費についてそういった観点から私の考えを述べてみたいと思います。  現代の財政には、先ほど申し上げましたような景気安定化機能、あるいは資源配分機能、そういう二つの機能と並んで所得再分配機能というものが強く要請されているわけであります。そういう所得再分配機能を果たすものとして社会保障関係費があるわけでありますので、ここで社会保障関係費について検討してみることは一つの意味があるのではないかと考えております。  さて、社会保障関係費については、たとえば健康保険の自己負担の引き上げですとか、あるいは薬代の半額負担が導入されたり、国民年金の保険料の引き上げなど、国民の負担が増大するような措置がとられておりまして、これが政府原案の評判が悪い一つのどうも理由になっているようであります。しかし、私は単に国民の負担の増大がもたらされるということに問題があるのではなく、むしろ問題は次のようなことにあるのではないかと考えております。  御承知のとおり、日本の社会保障制度の大きな問題は制度の乱立にあり、その間に大きな格差がある、そういうふうに考えております。年金保健制度にいたしましても、健康保険制度にいたしましてもそうであります。そうした制度の乱立、あるいは不整合を内閣がどういう方向に持っていこうとしているのか、その根本的な再検討をしているのかどうか、そういう点が五十四年度の政府原案を検討いたしますとどうもはっきりしないのであります。  たとえば、社会保障制度審議会では基礎年金構想という、そういうものが検討されているようでありますが、そうした基礎年金構想に対して内閣が一体どういうふうに対処しようとしているのか、あるいは健康保険制度につきましても、財政調整が大分大きな問題になってまいりましたけれども、健康保険制度全体をどうするのか、あるいはそれと医療制度の関係をどういうふうに考えるのか、そういったいわば基本的な点について私どもにはわからない点がたくさんあり過ぎるわけであります。  社会保障の側面におきましても、受益者負担ということが最近強調されるようになってまいりましたが、公費負担と私費負担との関係が明確にされないままでこれを明確にしようといたしますれば、当然に制度全体を根本的に再検討せざるを得なくなるわけでありますが、そういった手続を踏まずに、単に受益者負担が、それだけが強調されるということには大きな問題があると私は考えております。食糧管理制度にいたしましてもあるいは国鉄の問題にいたしましても同様であります。私たちは財政構造の転換あるいは財政体質の転換について将来に明るい見通しを持つことがどうもできないわけであります。五十四年度政府原案からそういった見通しについて読み取ることが不可能だと言わざるを得ないように思います。  以上は主に歳出の側面について述べてまいったわけでありますが、歳入、特に税制についても同様なことが指摘できると考えております。たとえば所得税における利子配当所得の問題あるいはキャピタルゲイン課税の問題、さらに法人税におきましては租税特別措置の問題あるいは法人税に累進税率を導入する問題、そういったこれまで繰り返し述べられてきた税制の基本的な問題に内閣がどう対応しようとしているのか、私たちにはわからないわけであります。このような歳出の側あるいは税制の側、両面におきます現在の構造を転換させることによって初めて財政の健全化がなされたというふうに言えるのではないかと私は考えております。単に特例公債をゼロにすればよいということではないんではないか、そういう考えであります。  ところで、私には以上述べてまいりましたような財政構造の転換を図る上で、現在のような財政運営が困難なときこそその好機ではないかというふうに考えております。  それは次のようなことを考えてみるとはっきりするのではないでしょうか。公共事業関係費の中身にいたしましても、あるいは社会保障制度の乱立にいたしましても、さらに不公平税制と言われております、先ほど申し上げましたような税制の問題にいたしましても、そういう構造ができ上がることを可能にしたものは高度成長による税の自然増収が巨額に上り、財政運営が容易であったことによるのではないかというふうに考えられるわけであります。そうした状況のもとでは資本の要求や国民の各種の要求をいわば継ぎはぎという形ででもある程度満たすことができたと思うわけであります。もちろん、大急ぎでつけ加えなければなりませんが、その資本の要求やわれわれ国民の要求を比べてみた場合に、資本の要求の方が大幅に通って、われわれ国民の要求がわずかしか通っていないということは言うまでもありませんが、ともかく、いろいろな要求を次々とある程度ずつでも満たしていくことが可能であったのは、高度成長による税の自然増収が巨額に上って財政運営が容易なときであったからだというふうに考えられるわけであります。財政運営が容易なときに財政構造の転換がなくてもそういう種々の要求をある程度満たすことが可能だったわけであります。その結果が現在のような財政の体質あるいは財政構造なのではないかと私は考えております。したがいまして、いまここで内閣の考えるような財政健全化ができたとしたら現状が拡大再生産されるだけではないかと私は心配するわけであります。このように考えますと、現在のような財政運営が困難なときこそ財政構造の転換を図る好機だと私には思われるわけであります。  たとえば、産業構造の転換を図るには高度成長の時代の方がよいわけであります。これは産業構造の転換といいますと、ある部門ではたとえば失業者が出る可能性が大きい。そういうふうに考えれば、高度成長が続いていて他の部門にスムーズに転換できるそういう産業構造の転換というようなものは、高度成長の時代の方が都合がよいというふうにも考えられるわけでありますが、財政の場合にはこの点が異なっているのではないか、むしろ、財政運営が困難なときこそ財政構造の転換を図る好機ではないか。もう少し理論的に詰める必要があるかと思いますが、私はそういうふうに考えております。  さて、以上述べてまいりましたことが五十四年度予算の政府原案に対する私の基本的な意見でありますが、最後に一点、一般消費税の問題について述べさせていただきたいと思います。  内閣は五十五年度から一般消費税の導入を考えられておるようですが、先ほど申し上げましたような財政構造の転換を考えずに、ただ特例公債をゼロにするという、そういうためだけに一般消費税の導入を図ることに私は反対であります。その前に内閣として考えるべきこと、あるいはなすべきことがたくさんあるのではないかというふうに考えております。  以上をもちまして、私の公述を終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) どうもありがとうございました。  それでは、これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。

下条進一郎自由民主党・自由国民会議

○下条進一郎君 両先生には大変含蓄のあるお話を承りましてありがとうございました。二、三の点につきましてお尋ね申し上げたいと思いますが、最初に渡辺先生に伺いたいと思います。  最初、物価の問題のお話がございましたが、確かに、いろんな点について先生の御説明のような傾向が出ておりますけれども、その中の一つの要件といたしまして、ことしは円の価格は大体このような形で推移するだろうというような前提を置かれて御説明があったやに承りましたけれども、そういう円・ドルのレートの見通しについてのその背景はどのように考えていらっしゃるか、それをまず第一点として承らしていただきたいと思います。  それから第二点でございますが、いわゆる景気回復のために一般会計の規模の増大というもの、そういうものの足取りを御説明くださったわけでございますけれども、そういうような一般会計の努力というもの、特に公共事業費を中心とした努力というものがそれほど大きく期待できないというような御説明がございましたけれども、私は若干、やや疑問を持つわけでございます。最近のいわゆる公共事業関連の方から景気の明るみが出てきているような資料もございますので、そこの点、先生がそれを打ち消されるような別な角度からの御説明をもう少しはっきり伺いたい、こういうことでございます。  それから第三点は、国債費の負担が相当に大きくなっているということで、このことをおっしゃいましたけれども、それでは、その見合いとしてもし国債を減額するに必要な歳入はいかに引き出すか、その点についての御感触なり、一つの御意見を承りたいと思います。  それから今井先生でございますが、今井先生に第一点の問題は、やはり投資部門の拡大による要するに景気拡大というものが直接結びついてこないのじゃないか、乗数効果の期待も少ないのじゃないかというお話でございますけれども、これはいろいろの時代、経済の仕組みの背景等によりましてその乗数効果の大きさは違うと思いますけれども、現在はやはりかなりの効果があるというふうに私も考えるわけでございますが、そこらの点をもう少し突っ込んで、こういうわけだから効果がないんだということであればその説明を伺いたいと思います。  それから第二点でございますが、いわゆる財政の資源配分機能、この御説明がございましたけれども、これが全体の予算の非常に大きな中心のような御説明がございましたけれども、やはり資源配分的な機能というものは当然あるわけではございますものの、それを全部に通じてどのように財政、特に予算を編成するときに考えるべきか、そこらの点をもう少し砕いて御説明をいただきたいと思います。  それから第三点は、歳入の中でお触れになりましたところの法人税の累進税率の問題でございます。これは現在、すでに大法人と中小関係法人の二段に分けておりますけれども、先生はさらにまだこれに累進をということであるのかどうか。その場合に現在の法人税のグロスの収入を割って得た数字でまいりますと、その平均税率は大体五〇%近いわけでございます。この数字は世界各国の法人税の水準と比べて決して見劣りしない、ほぼ先進国の水準並みでございます。それを累進でさらにどのように上げるのか、そこら辺のところの具体的な構想を承らしていただきたい。その三点でございます。お願いいたします。

渡辺佐平法政大学名誉教授

○公述人(渡辺佐平君) ただいま三つの質問をお受けいたしました。  第一点は、円の相場といいますか、為替レートの関係だと思います。この点につきまして、これは現状では円安ということで、物価に対する影響としては、抑圧というよりはむしろ引き上げの力になる、あるいはこれまでそれが物価を抑えていたということであればその力が弱くなるというふうに私は申し上げたわけです。これも実際のところなかなかよくわからないので、円が上がったほど物価にそれが大きく響いたかどうか、これはさまざまな個別的な輸入商品を見ればすぐわかるところでございますが、これはどこかに利益が上がってこうなっているのかと思うのですが、御質問いただきましたのは、その点を仮に考えた場合に円が今後どうなるのかという見通しについてかと思います。そう理解したわけですが、この為替相場といいますのは実は非常にむずかしい理論的な論争もずいぶん前から行われてきておるわけでありまして、いわゆる購買力平価——もちろん従来の国際的な金本位が指向されている場合には、この為替相場の帰着する点あるいは変動の幅というものがございますのでそう大きく動くはずはないのでありますが、そういう金本位のような一定の決まった価値を価格の標準としている制度がなくなる。それは一国ばかりでなくて世界的になる、いわゆる金から離脱した本位制が行われ、また、そういう通貨制度を持つ各国の間に為替を一定の相場で維持しようという、そういう約束が行われている場合とそうでない場合とで違いますが、現在はそれもなくなっている。こういう時期にどういうふうに動くかということは、別に決まった、見解の一致した理論はないのじゃないかと思うわけです。どういう相場が妥当なのか、円については実勢相場とか言いますけれども、それがどういう点に落ちつき、あるいは落ちつくはずだということになるのか、もう非常に議論も行われますし、決め手はないと私は考えるわけです。ただ、これについて大きく作用するであろうと思われますのは、国際収支の有利不利という要因、それから当該国における通貨価値の変動と申しますか、そういういわゆる紙券通貨の代表する価値、これがどう動いているかということ、相手国とのそれとの関連といったようなものが大きな要因だと思うのであります。  さらにもう一つ大きい要因としましては、先の見通し、投機的な要素も入るわけですが、将来の見通しというようなことが現時の為替相場に大きく影響するものと考えます。そういった点をそれぞれ考えてみまして、これから円がどうなるかということを考えますと、恐らくこれまでのような円高というものは、一ドル百六十円といったようなところにはいかないんじゃないかというふうな、これは気配というようなところで感ずるわけであります。それから国際収支の日本の黒字減とか、それから日本の政府ができるだけインフレ政策をとるというふうな、経済成長七%の方に持っていこうというようなことでスペンディングをやるといったような傾向があるということなどからしまして、そう高くは上がらないと思うのでありますけれども、しかしこれ以上円が安くなるかどうか、ドルが高くなるかどうかということは、アメリカの通貨政策あるいは対外経済あるいは軍事政略などとの関連で決まるわけでありまして、ただこれは、これまでよりはドルの引き下げを阻止する方向でアメリカは経済政策なりそういう政策を行うのじゃないかというふうな、そういう予想をするわけでありまして、簡単に申しますと、そう円は下がらないだろうし、しかし、といってもとのように上がることもないだろうというくらいで御勘弁願いたいと思うわけであります。  それから第二点の御質問は、公共事業費の支出の効果についででございますが、この点は今井さんから詳しく御説明あるかと思うのですが、私なりの考えを申しますと、確かにこの効果がないとは言えない、ある程度発揮されていると思うのです。ただ、これはさまざまなタイミングの関係であるかと思います。非常に不況の深まったときに初めてこういう政策をとってスペンディングをしますと、それなりに需要の喚起、あるいはそれが引き金となって民間企業が活動を強めるというようなことがあるということは一般的には言えると思うのであります。しかし、日本の高度成長以来、あるいは私はさらに前の所得倍増計画あたりから日本の財政政策はこういう方向で行われてきたと思うのでありますが、こういうふうに長年、階性的と言っては悪いのですけれども、行われてきたこの政策が現時点においてどういうふうに効果を発揮するかということが問題であると思うのでありまして、効果が全然ないわけではありませんが、いわばそういう効果の強さというものが非常に減退してきているんじゃないか。そしてこれまでそういう政策が上げてきた経済への効果といいますのは、これは統計学者などが最近日本経済の分析ということで追求しておるわけでありますが、やはり大企業の生産高あるいは出荷高というものは比率的に高まっている。しかし、それに対して雇用の面、雇用人員、雇用者の所得といったような面から見ると逆に減っており、中小企業、零細企業などの比率は少なくなっている。数はあったりつぶれたりしておるわけですが、そういうふうなところで、効果の面はやはりこの方向に行われるのじゃないかというのが私の見方でございます。詳しくはまた今井さんからお願いしたいと思うのであります。  第三には公債費の問題公債が増大してきている、これを減らすとすれば、それにかかわる財源あるいは収入はどういうふうに考えるかということであるかと思います。  私はもちろんこの財政の支出、財政の規模、予算の規模をこのようにふくらまして、そしてどこから財源が出るか、財源があるか、収入があるかというふうに問題が出されますと、これは単なる算術から言いましてなかなか出しようもないと思うのです。でありますから、やはり支出の面を洗い直してその総枠を圧縮するということ、これがまず必要なことだと思うのであります。しかし、それでも何でもかんでも削れというふうなことでは問題が大変出てくると思う。たとえば福祉予算を削ればいいとか教育費を削ればいいとかいうふうなこと、そうしなければ予算は圧縮できないというようなことであれば、これはまた問題でありますが、しかしそれに対しては、現在の税制をさらに改革して、あるところから取るという方法があるのじゃないか。今年度の予算におきましても、あるいは前年からですか、企業の保留金、積立金などに対して優遇を改めたというようなことがありますけれども、こういう方向での見直しあるいは強化というようなものが片方に立てられて、そしてある経費は保持あるいはふくらませながらも公債を減らす方法を考えるべきじゃないかというふうに私は思うわけであります。  大変雑駁でございますが、よろしくお願いいたします。

今井勝人武蔵大学経済学部助教授

○公述人(今井勝人君) お答えいたします。  第一の景気政策の効果ということでありますが、私は先ほど理論的に疑問が最近出ているということを申し上げましたので、その点から少しお話をしてみたいと思います。  御承知のとおり、いわゆる乗数理論というものはケインズ理論というふうにも言われているわけでありますが、そのモデルは非常に簡単であります。非常に簡単でありますというのは、需要関数をもっぱら問題にしていて供給関数を問題にしていないのではないかというそういう問題があるわけであります。乗数理論というのは別の言葉で有効需要の理論というふうに言われておりますように、需要の側面から景気をどうするかということを考えているわけであります。それに対して、そういうケインズあるいはケインジアンというふうに私ども申しておりますけれども、ケインジアンのそういう理論に対しまして、供給関数もモデルに組み込む必要があるんではないか、その供給関数をモデルに組み込んだ場合にどうなるかということが一つの大きな問題であります。供給関数をモデルに組み込む場合に一つの重要な問題として出てまいりますのが情報の問題、情報の完全性あるいは情報の不完全性の問題、あるいはそういう情報をもとにいたしまして特に民間部門がどういう期待を形成するか、将来のたとえば日本経済についてどういう期待を形成するかという、そういうことが非常に重要な問題になってくるわけであります。  最近理論的に問題にされているということは、そういう二つの点、供給関数をモデルに組み込んだらどうなるか、それから情報の不完全性とか、あるいはそれに基づく民間部門の期待形成というものをモデルに組み込んだらどうなるか。そういう状況のもとでモデルを考えてみると、どうも乗数効果というのはそんなに大きくないのではないかというふうに言われているわけであります。これは言うまでもなくいわゆるケインジアンとマネタリストとの間の激しい論争があるわけでありまして、決着がついているというふうにはとても考えられませんが、私はどうもそのマネタリストの考え方というものもかなり説得力があるのではないか。そういうことを考えてみた場合に、五十四年度予算に見られますような、どうもケインズ理論一本やりの予算編成というのは問題がありはしないかというのが私の考えであります。  そのことはもう一つの、第二番目の財政の資源配分機能をもう少し詳しくというお話でございましたけれども、   〔委員長退席、理事嶋崎均君着席〕 これも実はそのケインズの理論に関係するわけでありまして、御承知のとおりケインズのモデルにおきましては、政府支出というものは一本で考えられているわけであります。財政支出が普通モデルの中ではGという形だけでしかモデル化されていないわけであります。そのGの実は中身が問題なのではないか。その中身が一体どうなるか。特に、将来の日本経済の見通しについて、そのGの中身を通して民間部門が明るい見通しを持つことができるかどうかという、そういう問題が資源配分機能の問題としてあるのではないか。ですから、先ほど私は公共事業費の中身が五十三年度と五十四年度でほとんど変わっていないということを申し上げましたけれども、確かに、たとえば四十年代の初めの公共事業費の中身に比べてみますと、最近の公共事業費の中身というのは下水道事業費が大分ふえているとかというような、いわゆる生活関連施設といいますか、そういうものにも傾斜が大分大きくなってきているわけでありますけれども、そういう中身の変化を通じて国民が将来に対してどういう期待を形成するかということが非常に大きな問題であるということであります。  公共事業費の中身の問題で言いますれば、私はどうもいまの日本のことを考えてみた場合には、大都市問題をたとえばどうするのかということは非常に大きな問題だろうと考えております。そういう大都市問題に対する政府の考え方、あるいはその政府の考え方を得てわれわれが大都市問題は将来明るい見通しが持てるというような期待が持てれば、それなりに民間活動というのは活発になる可能性があるわけでありますし、あるいはそういうことを通じて民間の経済活動を活発にすることができるかと思いますけれども、どうもそういう情勢にないのではないかというのが、私が資源配分機能ということを問題にいたしました理由であります。  それから、三番目の法人税の累進税率の具体的構想ということでございますが、私は直ちに、いますぐほかのことは何はともあれ法人税に累進税率を導入せよということを言っているわけではありませんので、先ほど申し上げましたように、利子配当課税の問題ですとか、あるいはキャピタルゲインの課税の問題ですとか、そういうものと総合して税制全体をどうするのかというそういう見通しが与えられていないのではないかということを申し上げたわけであります。先ほどのお話の中にありました法人税の二段階の税率構造でありますが、これはそのとおりでありますが、しかし、私はこれはどうも法人税の累進税率というふうには言えないのではないか。むしろ経過措置である。一部の法人に対する経過措置であるというふうに考えております。  税制の問題については、ちょっと時間が長くなってしまいますが、御承知のとおり、戦後の日本の税制の基本的な枠組みをつくったのはシャウプ勧告に基づく税制でございます。これは皆さん御承知だと思いますが、あそこでは法人税というのは個人所得税の前取りであるという形で非常に低い比例税率が置かれていたわけであります。それに対して法人税というものは個人所得税の前取りであるという考え方に基づきまして、配当課税ですとか、あるいはキャピタルゲインあるいはキャピタルロスの問題というのが所得税制の中で非常に体系的につくられていたわけであります。それが戦後の高度成長の過程で、先ほど申しましたいわば継ぎはぎという形で税制が崩されていったのではないか。ですから、もう一度税制全体をどうするのかというふうに、シャウプ勧告のとおりにせよということを言っているわけではありませんので、いわばあのシャウプ勧告に匹敵するような税制の見通しというものを政府はお持ちなんだろうか。単に一般消費税を導入しようということだけでは済まないのではないかというのが先ほどの私の発言の趣旨であります。よろしゅうございましょうか。

福間知之日本社会党

○福間知之君 渡辺先生に一言お聞きしたいのですが、先ほどの景気に関するお話でもう少し見解を聞きたいのですけれども、最近かなり厳しく見る経済学者の場合、たとえば下村治さんなどはゼロ成長論者と言われているのですが、必ずしもそれにくみするわけじゃないのですけれども、確かに一年以上前に比べて景気がよくなってきたのじゃないか、生産指数の上昇とか在庫投資積み増しなどの指数も回復してきたと言われるのですが、しかし私ども考えまして、かなり財政主導で公共投資重点の財政刺激によって成長率を何とか高めるということにつながっているのであって、全体としての、民間の何と言いますか、景気を押し上げていくという力はなお不足しているのじゃないのか。しかも、先ほど来話があったように、財政はもうきわめてピンチである。これ以上この国債を増発、累積させていっていいのかどうかということがもはや重大な段階に来ているはずでありまして、そういうことも背景として考えれば、果たしていまの景気の回復というものが今後持続させ得るものなのかどうなのか。海外の需要も市場もきわめて厳しくなっているということを含めて先生の御見解をひとつ承りたいと思います。  それから、今井先生にぜひ一つお聞きしたいのですが、これは先ほど来からお聞きしまして、私どもも予算委員会でずいぶん政府側とやり合ってきた問題がお話の中に出ていました。同感だなあと思う点が多いのですが、時間がありませんので、国債の問題とか金融の問題を少しお聞きしたいのですが、それはネグりまして二点だけひとつ。  一つは地方財政の問題について。御案内のとおり四兆一千億円からことしは不足をする。その財源の穴埋めに地方交付税二兆四千六百億円をふやすとか、あるいはまた地方債一兆六千四百億円を増発するとか、その他いろいろあるんですけれども、どうも抜本的な基本的な地方財政再建の手だてというものは一向に考慮されていない。単にそれは地方交付税率を三二から四〇に上げろとかどうせよというだけではなくて、中央、地方の財政の仕組みをもう少し考えなきゃならぬと思うのですが、その点はいかがかということが一点。  もう一点は、財政投融資の問題でありますけれども、どうも一般会計と財政投融資とで使う区分けが少し不明確に最近はなっている。生活環境整備の問題とか福祉の問題文教の問題、一般会計にも入っておれば投融資の方にも入っておるというようなことで、これどういうふうに見たらいいのかということが一つであります。  それから、ことしは投融資の中の資金運用部資金で一兆五千億円は国債に振り向けられるということでその他の投融資部門が圧迫される、特に融資部門というのがかなり圧迫を受けている、こういうふうに思うんですけれども、そのあたりをどういうふうに考えたらよろしいでしょうかということであります。  時間の関係で以上にとどめておきます。

嶋崎均自由民主党・自由国民会議

○理事(嶋崎均君) 続いて安恒君の質疑を行いますので、公述人には、まとめて御答弁をお願いいたします。

安恒良一日本社会党

○安恒良一君 私は、今井先生が財政当局の資源の再配分、それから所得の再配分機能、それと財政健全化、こういうことを言われて大変共感を覚えるところですが、その角度で一、二点御質問申し上げたいと思います。  まず一つは、先生も言われましたように、どうも安上がりの政府ということの強調の余り、ことしはかなり福祉が後退をしているんじゃないだろうか。たとえば一般財政の伸びが一二・六、社会保障の伸びが一二・五なんです。これは昭和四十九年対前年比で三七%をピークとしまして五十二年までは一般財政の伸びよりも社会保障費の伸びが上回っていましたが、去年とことしは下回っているわけです。そこで、私は、やはりこのような国家財政の規模によって社会保障なり福祉が常に左右されるということでは困ると思うんです。低経済成長になればなるほど社会保障、福祉に対する国民の希望は強くなりますから、そこでこれはどうすればいいかということは二つあるんじゃないかと思うんです。  一つは、やはり福祉ないし社会保障の年次計画、中長期計画をまず政府が示すべきではないだろうか。これは今井先生からもいろいろ指摘されていましたが、そういう計画に従って、たとえばいわゆる一部負担の問題であるとか、増税の問題であるとか、さらに制度の抜本改正の問題であるとか、そういうことがされないとやや場当たり的じゃないかというふうに思いますが、この点は渡辺先生と今井先生の両方にお聞きしたいと思うんであります。  それから第二点目には、財政構造の健全化という問題を言われたんですが、これといまの問題との関係があるわけです。たとえば一つの例を挙げますと、ことしの五十四年度の税制改正で約六千億の増税がされていますが、揮発油税が二千六百七十五億、航空機燃料税が二百二十億で全部ひもつきなんです。ですから増税の半分しか一般会計が使えない、こういうところに財政構造改革上の大きなネックがあるんではないだろうか。そこで、これももう予算委員会で何回も議論しているんですが、たとえばガソリン税を道路の財源に優先的に使うということについても長い間批判が出ている。ですから、そういうものについてはやはりこの際改めるべきではないか、全部が全部できないでも、たとえば半分は一般財政に回すとか。こういう道路、いわゆる揮発油税等の問題の扱いについて、いま先生は、主として所得再配分機能、それから資源配分の機能、それから財政健全化の機能、こういうことでいろいろ御意見を開陳されたんですが、時間の関係等もあって、いわゆる増税されたものの配分について触れられなかったと思いますが、以上のこの二点についてどのようにお考えなのか。  以上でございます。

渡辺佐平法政大学名誉教授

○公述人(渡辺佐平君) 三つ質問をいただきましたんですが、最初の問題は、景気の現在の状況をどう判断するかといったような点が主であったかと思うんです。  質問でおっしゃられた点、私も大体賛成で、そう思っておるわけでありまして、確かに景気がよくなったということが言えないわけじゃない。ただ、景気というのは、先ほども申し上げましたんですが、どういうところでとらえるか、本当にとらえにくい問題だと思うんです。昔のように物価が上がっても所得が一般にふえて、そして個人個人の消費が高まる、それがまた生産を刺激して、そして経済の再生産が拡大されていくというようなのが景気の好況ということであれば、そういうようなことは現在の経済機構においては起こらない、起こるはずはないと思うんです。で、そういう中でどういうのが景気がいいと言うのか、恐らく見方によっては、だれもが一致した結論を出し得ないのが現状じゃないかと思う。  そういう中で景気がよくなった面と言いますと、確かに企業のうちのある企業、ある産業あるいはかなり輸出関係のある産業といったものに幾分企業の利益が上がったというようなことで、そういう点からとらえて景気がよくなったと、あるいはそういうところにおける企業の配当などが上がって株が——利子の問題もごさいますけれども、金利の低下の状況も関連して、株が上がったとか証券が上がったというようなことがあると、これが景気がよくなった徴候のようにもとられるわけで、見方によってそういう状況が現在あるということ、これは確かなんでありますが、しかし、見方を変えまして、働こうという人が本当に働く場所、そういう働く場面が拡大されてきているのかどうかといったような面から見まして景気というものを考えますと、まだまだ問題は、先ほど申し上げましたように、好況だとは言えない状況がある、こういうふうに思うわけであります。  また、企業の倒産——倒産は必ずしも全部が景気とか国の政策によるものではないと言ってもいいと思いますが、古い借金がたまって、どうしてたまったかというのは個々の会社によってはさまざまな事情もありましょうけれども、ともかく借金が払えないというのは、その会社の製品なり取り扱い商品なりがうまくさばけないで、そうして借金がたまるというふうなことがあると思う。こういうふうなのが起こらないのが景気がいいんだというふうに考えますと、現状は、倒産の数などから見れば、やはり不況の面が残っているんじゃないかというふうな感じがするわけです。どうも見方によって違うわけです。一般的にどこもここもすべてが不況だということでないのが現状でありまして、そしてまた景気がいいというところには非常にいいところもあるというのが現状でありますので、おしなべてどうと言うことができないように私は思うわけです。  しかし、これが今後どうなるかという問題になりますと、問題は物価の方が先走りインフレが先走っていく、そういうおそれがあるということで、いわゆる景気の面にも懸念が持たれるということではないかと私は考えるわけでございます。  それから第二点ですが、ちょっと私うっかりしていまして、財政の支出の中身の問題だったかと、ちょっと……構造の問題と伺ったわけですが、増税をしても一般会計の方に、あるいは経常経費の方に振り向けられない、そういう増税がある、これをどう考えるかということでございましたでしょうか。

安恒良一日本社会党

○安恒良一君 渡辺先生に私がお聞きをしたのは、やはり社会保障の長期的な計画を持つべきではないだろうかというのが、これが先生に対する御質問です。

渡辺佐平法政大学名誉教授

○公述人(渡辺佐平君) わかりました。どうも失礼しました。  確かにそういう点は、計画といいましても、私は、財政の持ち分による計画と、企業の負担による、企業にそういう福祉の経費を持たせるような計画と、両方合わせて計画化するということが必要だと思うのであります。それから同時に、やはりこれは一般的な傾向でありますけれども、インフレーション、物価の増大というようなことが片方にあって、そして計画を立てるといっても、実は数字上のことになってしまうのではないかと思うのです。ですから、福祉計画というようなものを、福祉政策を本当に地についたものとして、実のあるものとして、計画的に行い得るためには、やはり財政からくるインフレ要因というものを抑えるということが一つの前提になるのじゃないかと思うのです。これが野放しになりまして、物価はいつかはこの前のオイルショックのときのように急に激しい値上がりでもするおそれがないとは言えない、こういうふうな不安な場面において計画化しても、その実が本当にうまく個人に、その福祉政策を受ける人のものになるかどうか私は疑問に思うのでありまして、そういう三点をやはりとらえて組み合わして計画化することが必要なんじゃないかというふうに考えるわけであります。  簡単でございますが、よろしく。

今井勝人武蔵大学経済学部助教授

○公述人(今井勝人君) お答えいたします。  第一の点は、地方財政対策について今井はどう考えるかということだろうと思いますが、先ほど私は地方財政対策についてほとんど、時間の関係がありまして、触れなかったのでありますけれども、地方財政の問題といいますのも、私の先ほどの話の中で言いますと、公共部門内部での資源配分をどういうふうに考えるかという、そういう問題に関係するだろうと考えております。これは中央政府と地方公共団体という二つの公共部門が資源をお互いにどういうふうに使うのか、それを使って国民の福祉にどういうふうに役立てていくのかという、そういう問題ではなかろうかと考えております。  その点から考えますと、先ほどのお話のように、五十四年度予算に見られておりますような地方財政対策というのは、どうも対策のない地方財政対策というふうに言わざるを得ないと考えております。これは何も五十四年度予算だけでありませんで、たしか五十四年度の補正予算のときから問題になったことだろうと私は記憶しております。その場合に、ややもすると問題が地方交付税率の引き上げということに焦点が行きがちでありますけれども、私は、地方交付税率の引き上げだけでは問題は片づかぬというふうに考えております。これは中央、地方を通じるいわば行政、財政全体をどういうふうに考えるのか。最近、地方の時代と言われておりますような中で、あるいは地方分権と言われているような中で、中央と地方の行財政制度を一体どういうふうに考えるのかということをやはり基本的に考え直す時期に来ているだろうというふうに思います。  これはそれを実施していく上ではいろいろと問題があるのだろうと思っております。たとえば神戸勧告や何かのことを考えますと、なかなかむずかしいということは私も十分承知しているつもりでありますけれども、どうもいままで行われてきた地方財政対策というのは場当たり的ではないか。しかも、先ほど申し上げましたような財政運営が困難なときにこそこういう中央と地方の行財政を徹底的に見直してみるということが可能ではないかというふうに私は考えております。非常に抽象的な話でございますけれども、そういうふうに思っております。  それから財政投融資でありますが、この財政投融資につきましても同じような問題が指摘できるわけでありまして、たとえば少し具体的な例で申し上げますと、住宅対策ということを考えてみましても、公営住宅と住宅公団がある。で住宅公団とちょっと類似したものとしては、たとえば宅地開発公団みたいなものがあるというような問題があるわけであります。いわば何を税でもってやり、何を料金でもってやるのかという、そういう原則がどうもはっきりしていないのではないか。何も全部税でやれというわけにはこれは当然いかないわけでありまして、何を税でやるのか、何を料金でやるのか。その場合に、中央と地方の関係、あるいは一般会計と財政投融資の関係をどうするのかという、そういう基本的な点がどうも政府の原案を見ておりますと考えられていないのではないかというのが私の疑問点であります。  これは第三番目の福祉関係費の問題も同様であります。これは先ほど申し上げましたように、制度の乱立ですとか、あるいは不公平の問題ですとか、非効率的な問題ですとかというのがあります。こういうものをやはり、先ほどちょっとお話が出ましたけれども、長期的な計画をぜひとも立てる必要がある。その場合には、当然、税でやる部分と料金でやる部分という問題が出てくるだろうと思います。その場合に、税でやるか料金でやるかということを、特に、たとえばここの部分は料金でやる、あるいは料金でやらざるを得ないということになった場合でも、そういう長期的な見通しのもとでわれわれの将来はこういうふうになるんだという明るい見通し、いわば希望ですかね、明るい希望が持てれば、われわれは料金である程度負担せざるを得ないということも十分承知しているつもりでありますので、その辺をもう少し基本的に考えてみる必要がありはしないだろうかというのが私の考えであります。  それから最後の、特に揮発油税の問題でありますが、確かに地方に参りますとまだまだ道路整備の需要というのはたくさんあるのだろうと思います。ですから、揮発油税を全部一般財源にしてしまえというのは、揮発油税がかなりの部分補助金として流れますから、地方の要望にあるいは沿えなくなるかもしれません。最近では国道の整備や何かは大分進んでまいりましたけれども、地方道の整備がまだまだ、特に市町村道ですね、市町村道の整備がまだまだ進んでいないというのが実情でありますので、特に地方の場合には道路の整備というのは一つの大きな任務であろうというふうに考えておりますから、揮発油税を全部一般財源にしてしまえというふうには私も考えておりませんけれども、その半分なり、あるいは増税した部分ぐらいは一般財源に回してみてもいいのではないか。当然、地方道の整備ということになりますと、これは揮発油税の問題だけではありませんで、地方道路譲与税の問題ですとか、あるいは地方税の軽油引取税ですとか、自動車重量税ですか、そういったような問題も絡んでまいりますが、そういう道路について税負担と道路整備をどういうふうに進めていくのかということも、非常に税がたくさんあるだけに複雑であります。その辺をもっとわかりやすくする必要があるのではないかというのが私の考えであります。  簡単でありますけれども、終わります。

多田省吾公明党

○多田省吾君 私は、時間もございませんので、なるべく重複を避けまして御質問したいと思います。  渡辺先生に御質問したいのは、先生おっしゃるように、物価が現在鎮静化から反騰に転じているということで、石油の値上げとか円高メリットがなくなったとか、あるいは公共料金の大変な軒並み値上げとか、あるいは国債の増発とか、こういうことで大変物価が心配されております。私たちも公共料金等は一年間ぐらい凍結した方がいいのじゃないかというようなことも言っているわけでございますが、この物価問題に対して、先生は、今年度はどのような対策を立てたらよろしいのか、お考えがありましたらひとつ教えていただきたいと思います。  それからもう一つは、雇用の問題におきましても、先生のおっしゃるように、昨年度末と本年度末を比べましても、完全失業者の率が大変悪くなっております。   〔理事嶋崎均君退席、委員長着席〕 こういった問題で、景気とも関連していますけれども、ここ二、三年五・三%から五・六%の実質成長がございましても、このように雇用が悪い、あるいは財政もピンチだということになっておるわけでございまして、雇用の拡大あるいは財政の健全化、こういったものを達成するためにも、特にこういう海外経済摩擦のときには内需の拡大が大変必要だと思いますけれども、景気の今後の好ましいあり方というものは先生はどのようにお考えか、この二点をお尋ねしたいと思います。  それから、今井先生にお尋ねしたいのは、先生のおっしゃった社会保障の乱立という問題ですね。年金あるいは健保も、いま七つ、八つとたくさんの違いがございますし、その点においては大変同感でございますが、たとえば年金にしましても、二階建て年金制度というようなものがいま論ぜられているわけでございますけれども、具体的にそういった問題をどう整理するのか。私も決してこれを縮小ということではないと思うのです。やっぱり福祉増大という方面で先生も考えていらっしゃると思いますが、その点を具体的にお尋ねしたいのです。  それからもう一点は、財政健全化のためには、どうやったらいいかということですね。先生も一般消費税反対だと、これは当然だと思いますし、また国債のこういう増発にも反対でいらっしゃる、これは当然だと思います。で、やっぱり税制におきましても、先生はいろいろ利子配当の問題、キャピタルゲインの問題あるいは租税特別措置等おっしゃいました。非常にむずかしいかと存じますが、富裕税とか土地増価税とかいろいろ考えられる面もあるわけでございますが、そういった点におきまして、やはり国債増発は当然好ましくない、あるいは一般消費税等もこれは絶対やってはならないという点において、どのように財政健全化を図っていくか、この問題も聞かせていただきたいと思います。  以上、お願いいたします。

渡辺佐平法政大学名誉教授

○公述人(渡辺佐平君) ただいま御質問いただきましたのですが、一つは、物価が上昇の気配を見せている、こういう物価の気配が今後どう続くかということと関連して、対策はどんなふうに考えるかという御質問であったと思うのですが、どうも物価というのは、先ほど申しましたように、さまざまな要因で動くわけでございまして、どこを抑えれば効き目があるというような、そういう抑えどころというのは、それぞれの商品なりその時点で変わっているんじゃないか。物価は、商品の価格が上がったら生産、供給をふやせば抑えられるとかいうふうな簡単なことではないのじゃないか。もちろんそういうことが可能であれば、価格の上がった商品には供給をふやす方策を講じ、あるいはその流通機構をよくする。そこを押さえていたり転がしたりしているのを抑えるとかいうふうな対策になって、いわゆるきめ細かい手だてしか具体的にはないのじゃないかというふうに思うわけです。  ただ、今日の状況から言えば、やはり先ほど申しましたように、卸売物価が上がっているというところに大きな黒雲といいますか不安があるわけで、これが今後どういう雨を降らすか、消費者物価にどういうふうに影響するかということが一つの問題点のように思うのです。そこで、こういう状況では、やはり卸売物価に作用している卸売市場に商品を供給したり、そこで取引をしているそういう企業に対する、何といいますか、注意を向けて、それを十分に規制するような方策を考える必要がいまのところあるのじゃないかというふうな気がするわけであります。なかなかむずかしいので、きょうは、これはインフレを抑えるということにもなるわけでありますけれども、そういうふうなことしかお答えできないで申しわけありません。  それから第二点は、雇用の問題で、拡大するのにはどういうふうなことが考えられるかという、そういう御質問であったと思うのですが、よく言われますように、日本人は働き過ぎると。確かに働き過ぎという面があるかと思う。しかし、また、働こうにも働けないという問題が一方にあるのがこの問題なんですが、要するに、もっと怠けろということではないんですけれども、企業や工場で働いている人たちの実働時間をやはり調整するということがこの場合の一つの問題になるのじゃないかと思う。どうも、われわれに言わせると、猛烈社員といいますか、猛烈に働いて、うちに帰っても仕事をしているというようなのがいるようでございますし、工場、企業で拘束されている実働時間で、休養、休日が少ないというふうな問題があるわけです。これをもっと手を入れまして、人をふやすということでなくて、健全に労働力を保全しながら働ける、そういう仕組みにすることが雇用問題の基本じゃないかというふうに私は考える。そういうことによって雇用が増すことが正しい拡大の方式でないかというふうに考えます。  大変簡単でございますが、お答えいたします。

今井勝人武蔵大学経済学部助教授

○公述人(今井勝人君) 第一番目の御質問の、社会保障制度の乱立についてということで、具体的にどうしたらいいのか、今井どういうふうに考えるのかということだろうと思いますが、私は、基本的には制度の統一を図るべきだろうというふうに考えております。それは非常にむずかしい問題であることは十分承知しておるつもりでありますけれども、社会保障というような、いわば国民の基本的人権に関するような問題について、同じ国民でありながらいろいろ違った制度のもとにおるというのは、これはどうも納得のいかないことであります。  なぜそうなったのかというのは、先ほど申し上げましたような、いわば高度成長の時代に、財政運営が容易であったときに、次々につくられていったからではないかと考えておりますので、いま現在それぞれの制度に入っております人々の利害がある意味では対立するわけでありますから、非常にむずかしい問題であろうというふうに思いますけれども、基本的には政府が、内閣が統一する方向で検討する必要があるのではないかというふうに考えております。  それから第二番目の、財政健全化のためにはどうしたらよいのかというお話でありますけれども、どうも先ほどのお話を伺っておりますと、やはり特例公債をゼロにするにはどうしたらいいのかというような御質問のようでありますが、私は、先ほど申し上げましたように、特例公債をゼロにするということを政策目標にするのがいいのかどうかということを問題にしたいわけであります。  先ほどから繰り返し述べておりますように、財政構造の転換ですとか、あるいは財政の体質の転換ですとか、そういうものをやることが財政の健全化である、そういうふうに考えておりますので、特に特例公債をゼロにするにはどうしたらいいかというためだけの具体的な考えというのは持っておりません。財政構造の転換あるいは財政の体質の転換ということを図るには、先ほどから繰り返し申し上げておりますように、長期的な展望、将来の日本国民が一体どういうふうになるのかという長期的な展望をわれわれに示していただくことが必要ではないかという、そういうふうに考えております。  それから一般消費税の問題を先ほどちょっとおっしゃっておられたので申し上げておきますが、私は、いまのような財政のもとで一般消費税を導入することには反対しておるのでありまして、一般消費税そのものが何が何でも絶対だめだということではありません。一般的に言いますれば、間接税よりも直接税の方がタックスペイアーとしてどれだけの税金を支払っているかということが非常にわかりやすくて、それを通じていわば財政全体の関心を高めることができるわけでありますから、間接税よりは直接税の方が望ましいという原則はありますが、だからといって一般消費税は何が何でもだめだというふうに言っているわけでありませんで、特に内閣がいまお考えのような五十五年度の導入については反対するということが私の考えであります。  以上です。

渡辺武日本共産党

○渡辺武君 渡辺先生に最初に伺いたいと思います。  現在の公債の大量発行がインフレの危険に導くという御趣旨の御公述がございましたが、インフレに至る、予想される現在の経路ですね、それからまた現在どのような徴候があらわれているか、またそれに対する政策的な対応はどうかという点を第一点として伺いたいと思います。  それから第二点として、政府が五十五年度導入を予定しております一般消費税、これがインフレの起爆剤になるのではないかというふうに考えられますが、その点についてのお考えはどうでしょうか。  それから第三点として、公債の相次ぐ大量発行で、いま公債の発行残高が恐ろしいほどの状態になっているわけです。私、若干、国によって年度は違いますけれども、GNPにおける政府長期債務の占める割合を最近の数字で調べてみますと、日本は三〇・二%、アメリカが二九・九%、イギリスが四四%、西ドイツが一一・七%と、こういうことになっております。第二次世界大戦のときの戦時公債がいまだに残っているイギリス、これに非常に接近してきているというのが実情で、朝鮮戦争あるいはベトナム戦争での公債発行を大量にやったアメリカの水準さえも超えているという状況でございます。このような事態は、インフレーションの問題はもとよりのことでありますが、国の経済全体をやはり腐朽化さしていって、そうしていまイギリスなどにあらわれているような経済のストップ・アンド・ゴーというような状況や、不断のインフレの懸念というような状況に日本も次第に陥っていくんじゃないかというふうに考えられますが、その点についての先生のお考えをお示しいただきたいと思います。  それから今井先生に伺いたいんですが、先ほど乗数理論そのものに問題があるんじゃないかという御趣旨の御発言がございましたが、私も非常に傾聴したわけでございますが、ひとり乗数理論にとどまらず、ケインズ理論そのものに問題があるということがいま現実から非常に明らかになっているという事態ではないだろうかという気がしております。その点について先生のお考えをお示しいただきたいと思います。  それから財政構造の転換が必要だということをお述べいただきましたが、いま政府もそれなりの財政構造の転換なるものを追求しているんじゃないかと思うんです。投資的経費は拡大する、それから経常経費はできるだけ圧縮する、しかもその経常経費の中で社会保障費その他のいわば国民生活に密着したところは特に圧縮する、それから財源については一般消費税の導入、そして現在の不公平税制はできるだけ基本的には温存するという方向ではないかというふうに思いますが、その点についての先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。  同時に、この財政構造の転換という本当の内容は、私は民主的な方向への転換でなきやならないんじゃないかというふうに考えております。一言で言えば、支出についても不急不要の経費は徹底的に削らなきゃならぬ。たとえば投資的経費の中でも大規模プロジェクトですね、これはやはり生活密着型の公共投資に比重を移すという方向でやっていく必要があるでしょうし、また経常経費についても、この中には軍事費も含まれております、それからまた国債費なども含まれているわけですが、これは急増しているわけです。こういうものはできるだけ圧縮して社会保障その他にこれを転回していくということが非常に重要じゃないか。それからまた財源につきましても、何よりもやはり不公平税制を徹底的に是正するという方向が財政構造の転換ということの真の内容になるんじゃないかというふうに思いますが、その点についてのお考えをお聞かせいただきたい。

渡辺佐平法政大学名誉教授

○公述人(渡辺佐平君) ただいま三つほど御質問をいただきました。  第一点は、国債発行が非常に大きく予定されておって、この発行の問題に関連して、発行の困難性も出ているというような状況では、政府がどういう対応をするかというようなことでなかったかと思いますが、よろしゅうございましょうか。  それにつきまして、国債の問題は、量の問題が一つ大きくここでは出てきているんじゃないかと思います。要するに金融市場、あるいは投資家といいますか、そういうものの資金の大きさに対して発行を予定されている国債の額が過大といいますか、いままでよりもさらにこれが大きくなってきたというような状況、こういう場合に、私は先ほど国債発行に対しては困難性というものは何とか政府が切り抜ける方法をもってするんであって、困難は現実には起こらないだろうと申したんであります。  そういうときに、どんなことをするかということを申しますと、一つは例の公共事業費をいわゆる前倒しで支払う、こういう方式。この場合にも前倒れ式で事業を行うというだけでなくて、支払いも前倒れにするという方法もあるように聞いておりますが、これが一つだと思うんです。そういう場合に、それじゃその支払いをどうするかということになりますと、これが財政法で日銀引き受けが認められておりますし、この予算案で毎年限度が決められている政府・大蔵省証券であると思うんです。この発行が今年度は四兆三千億円予定されておりますが、これを発行して政府がこの支出の財源に充てる、こういうことができるわけです。こういうふうなことをして、まず支払いをして金融市場に潤いをつけるといいますか、こういう方法があるのであります。それから、そうでなくても、日銀の買いオペもあり得るわけでありますが、これは余り大っぴらには、理由がなけりゃできないわけでありますが、これもできるわけであります。それから政府特別会計の中にまず公債をしょわせて、そしてそれを支出に使うという方法もあるかと思います。いろいろありまして、そういう中でいわゆる資金をまずふやすということ、それによって公債発行難を切り抜けるというようなことがあり得るのじゃないか、こう考えるわけであります。  それから第二点の、一般消費税の問題、これが今日動きかけている物価、これをさらに激しく動かしてインフレを引き起こす引き金になるのじゃないかということでございますが、全く私も同感でございまして、こういう税金が外国にあるというようなことで日本でもいいということにはならないと思うのでありまして、この時点におきましては、国民の現在の消費能力という点から見ましても問題があると同時に、その状況で消費税がかけられますと、これが単にそれがかけられた商品の、あるいはサービスの値段が上がるということでなくて、そういう状況のもとでは、直接関連のない商品までそれをチャンスにして値上げをするというようなことも起こるのじゃないか。そうしますと、これはやはり逆に財政支出にも影響して、支出をふやさなきやならぬというような関連で、これがまた国債増発を呼ぶというようなことにもなるわけでありまして、大きなインフレの危険性を持っていると私は考えるわけであります。  それから国債の残存高ですか、これがだんだん大きくなってきまして、GNPに対する比率がベトナム戦争を行ったアメリカよりもっと高まってきているというふうな問題、イギリスのような場合ですらも四四%あたりでおさまっている、そして今後日本はもっと高まるのじゃないかという、これが予想されるわけです。  こういう場合に、先ほど申しましたのですが、元金の償却を仮に延ばすにしても、赤字公債で払うというような関係になってきましても、利子だけはどうしてもこれ払わなけりゃならない。その利子の負担というものが税金を支払う人の上にかかってきて、そしてこれを受け取る人は支払いはしてないし、必ずしも産業の再生産に役立つ資本にならないという、そういう関係があるかと思います。あるいは、日本の場合には、外国に資金として流れることさえあるし、というふうな国内の産業構造の上に及ぼす影響というものは、国民生活を豊かにする産業構造をつくっていき発展させていくのとは反対の作用をするというふうに考えるわけでありまして、国民総生産というものの中身に財政支出が多くなり、そしてしかも利子払いが多くなるということは健全な国民経済の姿ではないと、私、同感でございます。  以上でございます。

今井勝人武蔵大学経済学部助教授

○公述人(今井勝人君) 第一点の乗数理論についてでございますが、これは、先ほども申し上げましたように、まだ財政学界の間でも大きな論争のあるところだというふうに考えておりますので、私自身もどちらが正しいかということはまだまだわからないところがたくさんあるわけであります。したがいまして私が五十四年度予算の政府原案を問題にします場合に考えましたことは、そういう議論があるにもかかわらず、一方だけの、いわば乗数理論だけに頼った予算編成というのはいいのだろうかという、そういうことであります。  実は、先ほど申し上げましたのですが、乗数理論に批判的な考え方の一つの問題として、情報の問題ですとかあるいは期待形成の問題だとかということを申し上げましたが、これは御承知かと思いますけれども、ケインズ自身の中にばかなり重要なウエートを占めていた問題ではないかというふうに考えられるわけです。ケインズ自身は、御承知のとおり確率論なんかの問題をやっておりまして、いわば数学者でもあるわけであります。したがいまして、そういう人でありますから、将来の期待形成の問題ですとか情報の問題ですとかというのは相当重要な論点を置いていたように考えられますが、その後のケインズ経済学の発展というのは、どうもそこを抜かしてきていはしないかという気がするわけであります。そういうわけで、乗数理論そのものにつきましては論争のあるところでありますから一概には言えませんけれども、片一方だけに乗っかった予算編成というのは大きな問題がありはしないかというのが私の意見でございます。  それから第二の、財政構造の転換を政府なりにやっているのではないかというお話でありますが、実は、私もそういうふうに考えております。で、それではいかぬと。その場合に財政構造の転換を政府なりにやっているというのは、いわば高度成長時代になし崩し的にいろいろなことをやってきたもののひっくり返しで、なし崩し的にこうやっていこうとしている、それではいかぬので、政府は一体どういう方向に持っていこうとしているのか、それがどうも単に国民の負担を増大させるだけなのかどうか、そういうところをもう少しはっきり示してくださる必要が内閣にはあるのではないか、それが内閣の責任ではないかということを考えております。財政構造をどういう方向に転換したらよいかということについては、先ほどおっしゃったことにほぼ私も同感でありまして、不公平税制の問題ですとか、あるいは軍事費の問題ですとかというのもいま早急に基本的な観点から再検討される必要があるというのは、私も全く同感であります。

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) 以上で経済、景気、物価問題及び財政、金融、国債問題に関する意見聴取は終了いたしました。  一言ごあいさつを申し上げます。渡辺公述人及び今井公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいまして、ありがとうございました。拝聴いたしました御意見は、今後、当委員会の審査に十分役立つものと確信してやみません。ここに委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時から公聴会を再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時八分休憩      —————・—————    午後一時九分開会

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) 予算委員会公聴会を再会いたします。  一言ごあいさつを申し上げます。田村公述人及び八城公述人におかれましては、御繁忙中にもかかわりませず、貴重な時間をお割きいただき、本委員会のために御出席を賜り、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。本日は忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。まず、お一人十五分程度の御意見を順次拝聴し、その後、委員の質疑にお答えいただきたく存じます。  それでは、順次御意見を承ります。まず、雇用・問題に関し、国民春闘共闘会議雇用対策委員会委員長田村金吾君にお願いいたします。田村公述人。

田村金吾国民春闘共闘会議雇用対策委員会委員長

○公述人(田村金吾君) ただいま御紹介をいただきました春闘共闘会議の雇用対策委員会の委員長をしております田村でございます。  本日は雇用問題について私の御意見を申し上げまして、雇用の問題についてのこの討議が実のあるものにしていただきたいというように考えております。  御承知のように、わが国の人口は急速な高齢化に向かって走り出しておりまして、年金や医療問題などを初めとした社会保障を頂点にいたしましたいろいろの問題が社会的な課題になっていることは御承知のとおりであります。人口の高齢化の急速な進行を数字によって見てみますと、五十二年の十月現在で人口が一億一千四百十五万人でありまして、これが昭和六十年には一億二千二百三十三万人、昭和七十五年には一億三千三百六十八万人というようになりまして、七十年後に日本の人口がピークに達しまして一億四千万人台になるということが、人口統計その他で予想されておりますけれども、この間におきます生産年齢人口、十五歳から六十四歳までの人口でありますが、これは大体六二、三%から六七%程度でほぼ同じようなパーセンテージになっております。しかし、六十五歳以上の老齢人口を見てみますと、昭和五十二年で九百五十六万人、そして六十年には千百九十一万人、七十年には千六百五十万人、五十二年には全人口に占める割合が八・四%、六十年には九・七%、七十年には一二・七%と急速に高齢化が進む現状にあります。  一方、日本人の平均寿命というものを見てまいりますと、明治の中期ころから戦前までは人生五十年と言われましたように、平均寿命も五十歳以内であります。男子は四十二歳から四十七歳までぐらい、女子は四十四歳から四十九歳、大体こういう水準でありました。しかし、昭和五十二年の男子の平均寿命を見てみますと、御承知のように七十二・六九歳、女子が七十七・九五歳というように、世界の最高水準までこの平均寿命が高まっておりますし、余命年数そのもの、これはその年齢の時点から何歳を生きるかというような余命年数を見てみますと、昭和の初めごろには余命年数が五十歳の時点で十八・五歳でありましたものが、今日では二十六・二歳。余命年数を見ても八年間延びておるというような状況で、高齢化の実態というものが数字の上でもいろいろ明らかになっております。  そうした状況の中で、中高年雇用というものに目を転じてみますと、たとえば求人倍率が御承知のようにありますけれども、この有効求人倍率平均〇・五八の場合を見てみますと、五十歳から五十四歳で〇・三一、五十五歳から五十九歳で〇・一五、六十歳から六十四歳で〇・〇八というような指数になっておりまして、この厳しい雇用情勢の中で、中高年は特に求人一人に対して就職をしたいというように望む人が九人ないし十人、こういうような厳しい状況にあります。  また一方、最近の雇用の状況を企業の減量経営という面から見てみますと、減量経営の名のもとに企業から排出をされておりますのは、特に高年労働者が多いわけであります。また一方では、企業の五十五歳定年、これによって合法的に労働者が労働市場にほうり出されるという実態になっております。こうしたものを見てみますと、むしろ高齢化社会に逆行する実態となっておるのではないかというように思うわけであります。  ここでひとつ定年制について見てみますと、定年制を設けておる企業というのは、すでに皆様方も御承知のように全体の七七%でありますし、そのうち定年制を設けておる中で五十五歳定年は四一・三%、半数の企業が五十五歳定年で打ち切って、定年を理由にして中高年労働者が首を切られておるわけであります。五十六歳から五十九歳、これは一九・四%であります。この一九・四%はここ数年の間に五十五歳の定年から少しずつ延びてきたという内容だというように思います。六十歳につきましては三三・七%、六一歳以上が四・八%というような実態にありまして、半分ぐらいは五十五歳定年というところになってきておるという点に注目をしておかなければいけないというように思います。  先ほど定年延長が徐々になされたということを申し上げましたけれども、四十九年と五十年で定年を延長した企業は四・四%であります。五十一年から五十二年、この二年間で延長したところは四・五%であります。一方、四十六年から四十八年の実情を見てみますと、この三年間で一〇・九%の企業が定年を延長しておるわけであります。つまり、高度成長時代には定年延長がそれなりに進んできたけれども、不況の局面にあって、経営側が定年延長に踏み切らないでおるということが、その数字の実態から見られるわけであります。  そうした点を見てみますと、このような状況の中で、この定年延長について政府はどのような政策をしておるかという点を見てみますと、五十四年度予算では定年延長奨励金の増額だとか、継続雇用奨励金の改善というようなものによって、高齢者雇用の確保、定年の引き延ばしというようなものをしようと図っておられるようであります。そしてまた、定年延長そのものについては、労使の協議によって推進をされるというような立場を堅持せられておるわけであります。しかし、労使の協議によってなかなかこの定年が延びてこないということは、先ほど不況の場合には定年延長の率が下がっておるというようなことを申し上げましたように、なかなか進めないような状況であります。  そうした中で、私ども労働団体、私は春闘共闘の雇用対策委員会以外にも政策推進労組会議の政策委員長もさしていただいておりますけれども、こうした労働団体や各党におきましても、年齢による雇用差別禁止法の早急な立法化によって中高年雇用を確保し、定年を延長すべきだという提案をさしていただいておりますし、すでに国会の中でも御討議をいただいておるわけであります。この法律によって立法化をしていただきたいというのは、六十歳の定年制を確立をし、中高年齢者の年齢を理由とする雇い入れの拒否を制限すべきであると思うからであります。あわせて、この法案の中には、職業紹介の際、年齢を理由として募集をしないというようなこと、それから求職者の中から中高年齢者を除外するような広告の禁止というような問題年齢を理由とした解雇の防止、これは民間の企業では希望退職等が行われておりますけれども、ややともすれば年齢を理由とした希望退職の勧奨が行われておるというような実態なども含めて考えてみますと、年齢によります雇用の差別の禁止というものをぜひとも立法化をしていただきまして、中高年雇用の保護、また雇用保障の促進をしていただくというようなことが大切ではないかというように思います。  この法律はすでに諸外国でも例がございまして、アメリカでは昨年の三月に現行の年齢差別による年齢の制限、六十五歳を七十歳にすることによりまして、七十歳定年という方向で、日本流に言えば七十歳定年という方向で立法がすでに済み実施に移っております。本年の一月から七十歳以上になったというように私どもは文献、また労働組合からの情報で確認をしておるわけであります。この法律では、二十人以上の規模の民間企業では、年齢のみを理由として労働意欲のある従業員を七十歳までは解雇できないという改正が実施をされたわけであります。西独その他ヨーロッパでも六十五歳定年というのがほぼ一般化の状況にありますので、そうした面について、今国会においても十分な御討議もいただきたいというふうに思います。  また、このいわゆる定年法について、これは経営権の侵害ではないかというような意見が一部の経営側にあるやに聞いておりますけれども、経営権というのは、御承知のように、昭和二十五年の労働法の確立に伴いまして、労働側の労働基本三権に対置をして、経営権というものを経営側が主張し今日に至っておるわけでありますけれども、経営権は法律的な位置づけもございません。経営をなすべきに当たって、経営側が行使し得る権というような意味合いだと思いますけれども、経営権も時代の流れの中で当然制約されてしかるべきではないかというように思います。たとえば、いままで経営権の範疇の中にありました工場の設置の問題等につきましても、公害の問題、地域社会に対する貢献の問題というようなものは当然出てまいりまして、そこに経営権の一応の制約があるというような観点から見ますれば、一定年齢までの雇用保障については経営権を侵害するものではないというように思っております。  また、最近厚生年金の支給開始年齢を六十五歳にすべきだという論議が始まっておりますけれども、現在でも五十五歳定年が四七%と申し上げましたけれども、支給開始年齢と定年の間、この間には乖離があるわけであります。定年と年金の支給開始年齢についてはドッキングをすべきだというように思います。そうした意味で、まず定年を六十歳にして、支給開始年齢とドッキングをするというような意味合いにおきましても、ぜひともこの年齢による雇用の差別禁止という点についての十分な御審議と御討議をいただきたいと思います。  最後に、この問題につきましては、衆議院段階ですでに予算討議の際に自民党は立法化を含めて審議会に諮問するというように野党側に回答をしておられますけれども、ぜひともこの内容につきましては、審議会の中で一年以内に結論を出して、六十歳定年を含めた法制化をされるように強く希望いたしたいと思います。審議会にかけたわ、三年、四年かけたということでは本来の趣旨が生かされませんので、ぜひとも早急な審議会を開催をしていただきまして、一年以内に結論をお出しいただくようお願いをいたしたいと思います。  次に雇用創出についてでありますが、五十四年度政府予算の中で雇用創出については、雇用開発事業による雇用拡大で十万人、中身は申し上げなくてもおわかりだと思いますので、省略をいたしますけれども、それから定年延長奨励金、継続雇用奨励金で九万人の失業を予防するというような具体的な数字を挙げて雇用増を見込んでおられますけれども、五十二年度のこれら雇用関係、特に雇用保険における雇用改善事業、能力開発事業というようなものの予算と執行の実績を見てみますと、細かな数字も時間の関係ありまして省略をさしていただきますけれども、雇用改善事業については予算百八十四億に対して五十三億、二八・八%の消化でありますし、能力開発事業につきましても二十四億七千七百万円に対して四億二千八百万円、一七・三%というような予算の執行の状況というようなものを見てみますと、定年延長奨励金や継続雇用奨励金、また中高年開発の雇用給付金というようなものによって、果たして見込んだだけの雇用増ができるのかどうかという点になりますと、なかなか疑問ではないかというように思います。やはりそれには法の一元化の問題、法のPRの問題を含めての対応が大切でありますけれども、そういうような補助金、また給付金というようなものによっては雇用の開発ができないのではないか。できるとすれば、プログラムを示して、どのような形でどこからそうした雇用が出ていくかという点などは明確にされるべきではないかというように思います。  雇用の創出については、景気を回復をさせること、これが第一でありますけれども、現状、景気が緩やかな回復をし、企業の利益がふえておるという実態でありますけれども、企業側の減量経営というものはその基調が変わっておりません。常用雇用はふえておりません。時間外や縁辺労働力がふえておるということではありますけれども、現状の雇用問題が解消するというようになっておりませんので、永続的な雇用の増加をしていくべきだというように思います。  また、新経済社会七カ年計画という中でも、昭和六十年には失業者を百万人程度、失業率を一・七%という見通しを立てておられますけれども、その前提となっております経済成長率六%弱というようなものについても、いろいろな状況の中から見てまいりますと、かなりの不安があるというようなことになれば、この時点でも一・七%の失業率にとどめておる。さらに私どもが希望しております一%の失業率というようなところにはとうていいかないのではないかというように思っております。  そうした観点から見てまいりますと、やはり雇用安定化のために有効的な長期政策、たとえば週休二日制、週四十時間労働の法制化、時間外労働の規制の強化、有給休暇の完全取得というようなものによって雇用の増加を図るということが大切ではないかというように思います。さらにそうしたものとあわせながら、いま言った雇用が厳しい状況の中で、職種ごとに細分化された雇用開拓というようなものを含めた雇用創出というものをしていく必要がありますし、また潜在需要を開拓をして、中高年雇用を創出していくというようなことが大切ではないかというように思います。  こうした点については、労働団体の中で提唱しております雇用創出のための機構の設置というようなものをぜひとも御検討をいただきたいと思います。この雇用の創出の機構については、屋上屋を重ねるものであるとか、労働省の所管であるというような観点からの論議がなされておりますけれども、民間の活力を生かし、労働組合の代表、そうしたものの意見も生かしながらの雇用創出についてもぜひとも御検討をいただきたいというように思います。  この機関については、政府の予算案の中でも雇用政策会議、また雇用発展職種研究開発委員会というようなものの中で御討議をいただくことになっておりますけれども、現状で見てまいりますと、雇用政策全般についての論議が調査程度になっておるわけであります。一歩足を、地域の段階なり、雇用が創出ができるような具体的な検討というものをぜひともお願いをしたい。そうした意味では、一つには労、公、使、学識経験者で構成をいたしました会議を、中央のみでなく地方にも設けていただきまして御検討をいただきたいというように思います。そして、この会議については、ややともすれば、このような審議会は一年に一、二回申しわけ程度に開くだけでありますけれども、定期的に開催をして、そして必要に応じては調査権や勧告権というようなものも付与するというようなところまでその機能を高めていただくことが大切ではないかと思います。そして、この会議については、雇用問題の総合的な検討の場にしていただくというようなことにしたいと思います。そして、総合的な検討という点については、雇用機会の拡大及び解雇の防止、失業中の生活の保障、再雇用の条件整備というようなものも含めて御検討をいただければというように思います。特に都道府県段階における会議については、地方経済の振興や民間活力の引き出しを図るための公共投資の効果、また潜在需要をつくり出すための新たな仕事の開発、こうしたものには民間の委託をも含めたことなども考えていただければというように思います。このようなことによりまして、雇用の創出を図っていただくということが大切だろうというように思います。  雇用の創出について意見を申し上げましたけれども、最後に補足する意味を含めて一、二点申し上げておきたいことがございます。  一つは、貿易摩擦、輸入規制などによりまして、現状輸出が減少するということも、徐々にこれからあらわれてまいりますし、私は電機労連という電機産業に働く労働組合の役員もしておるわけでありますけれども、こうした産業の状況なども見てみますと、海外生産のための企業進出というものが最近非常に盛んになってきております。こうした面から雇用が失われるというような実態もございます。アメリカが今日輸出能力をなくしておるというようなことは、海外の企業にその戦略的な位置を移したことも大きな一因であり、今日これがアメリカの雇用不安を高めているというような意味から見ましても、海外進出に対し、またそこから失われてくる雇用に対しても十分な留意が必要だと思います。また一方、電電の資材開放というような問題におきましても、雇用の面から見てまいりますとかなり大きな影響があるわけであります。一方では雇用をつくりながら一方では雇用が失われるというようなことも、放置することのないような努力もあわせてしなければ総合的な雇用対策と言えないのではないかというように思っております。  以上、一、二点付記をいたしまして雇用の創出の問題と年齢による雇用差別禁止の問題につきまして二点を中心にして御意見を申し上げさしていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) どうもありがとうございました。  次に、資源エネルギー問題に関し、エッソスタンダード石油株式会社社長八城政基君にお願いいたします。八城公述人。

八城政基エッソスタンダード石油株式会社社長

○公述人(八城政基君) 本日、当予算委員会にお招きをいただきまして、石油問題を中心にお話を申し上げる機会をいただきましたことを心から厚く御礼申し上げます。  私は、実は三つの問題を取り上げたいと思いますが、一つはイランの原油の輸出禁止がされてから後、その前と比べて何がどう変わったのかという点について。もう一つは中期、長期の石油の需給問題について見解を申し上げたいと思います。最後に、現在のような非常にむずかしい石油の供給問題、逼迫問題に対処して日本としては何をすべきかということについて私見を申し上げたいと思います。  最初の問題でありますが、共産圏を除きます世界の石油の需給バランスでありますけれども、いわゆる天燃ガスといったものを除いた原油だけで見ますと、昨年の需要は一日当たり約四千七百万バレルであります。この需要に対して原油の生産能力そのものは大体五千二百万バレルあるいはそれを多少上回る水準にあったかと思います。したがって、昨年の需要水準に対しまして、いわゆる継続的に生産できる原油の生産能力という点から考えますと、約一割つまり一日当たり五百万バレルの余剰生産能力があったというのがイラン問題の以前の姿であります。この五百万バレルはイランの輸出量にほぼ匹敵するという点に御注目願いたいと思います。  第二の点は、生産と需要の関係でありますが、生産は、年間を通して大体平均した水準で生産は行われますけれども、需要には御承知のように季節性がございます。言いかえますと、毎年十月から翌年の三月まで、いわゆる冬の期間には需要が非常に高くなります。そして四月から九月までの不需要期には需要が下がるということでございます。したがって、冬場の需要を満たすためには、生産に加えて夏場に積み上げました在庫を取り崩していくというのが通常の需給の姿であります。ところがイランの政情不安から、御承知のように、昨年の第四・四半期では原油の生産が大変落ちまして、その後十二月の二十六日からごく最近までイランからの原油は完全にストップいたしたわけであります。イランの生産そのものは大体一日当たり五百七十万バレル程度でありまして、そのうち七十万バレルが国内の消費に向かいます。したがって残りの五百万バレルが輸出されておったわけでありますが、しかし、イランの政情不安の結果、昨年の第四・四半期では平均しまして三百八十万バレルの生産にとどまりました。ことしになってからはやっと国内消費を満たすだけで輸出量は最近までほぼゼロでございます。このことはことしの一月以降は世界全体の需要に対して生産の方は大体一〇%ばかり下回るということになったわけであります。  この一〇%の供給減に対して二つの対策がとられております。  一つは、他の産油国がみずからの生産を高めていく。これは主としてサウジアラビアを中心にいたしますOPEC諸国が増産を図ったわけでありますが、この増産によって不足分の五百万バレルのうち約半分が満たされたと考えていただいていいかと思います。  具体的に申しますと、サウジアラビアは昨年の一月から九月の末までは平均して一日当たり七百七十万バレルの生産でありましたが、イラン問題でその需給が大変逼迫したために、サウジアラビアは昨年の第四・四半期では一日当たり約一千万バレルの水準に引き上げたわけであります。ことしに入ってからも一月から三月まで毎月一日当たり九百五十万バレルの生産を続けております。そのほかサウジアラビア以外にもイラク、クウェート、ナイジェリア、ベネズエラ等他のOPEC諸国も増産を許しております。全体としてイランからの減少分の約半分は増産によって賄われたということになります。  第二の対策は、各消費国の持ちます原油在庫を取り崩していくということでございますが、御承知のとおり、前回の七三年秋の石油危機の後世界の消費国、十九の国が集まりまして、いわゆるIEAと呼ばれております国際エネルギー機関をつくっております。そして各国とも石油の備蓄に努めた結果、現在ではかなりの備蓄を持っております。具体的に申しますと、昨年の暮れでわが国の石油産業は民間備蓄として約八十五日、そして政府備蓄の一週間を足しますと九十二日の在庫があったわけでありますが、これは前の石油危機のときに日本の在庫が六十日を切っていたことから考えますと三十日以上の在庫がふえておるということでございます。しかし、こういうふうに世界各国とも在庫を持っておりますけれども、今後イランの輸出が再開されたといたしましても、現在三月の初めから多少されているわけでありますけれども、はるかに低い水準で将来の生産は行われるだろうという情報もあります。それに加えましてサウジアラビアは本来みずから生産の上限として八百五十万バレルという水準を決めております。たまたまイランの生産がとまり、輸出がとまったことに対処して一時的に九百五十万バレルの増産を許しておりますけれども、もしも四月以降イランの生産が多少でももとの水準に近いところにと申しますか、たとえばイランが言っておりますように三百万バレル程度の水準に戻れば、サウジアラビアは必ずしも九百五十万バレルの生産を続けないかもしれない、むしろもとの八百五十万バレルの水準に戻るかもしれないということが考えられます。もちろんイランの原油生産がもとの水準に早い時期に戻り、そして輸出が再開されるなら現在の世界の石油の供給問題はごく一時的な問題として解決されるということになりますけれども、今後の需給の見通しはきわめて厳しいものがあると考えます。  第一の理由は、先ほど申し上げましたように、内外の石油関係者、さらにはイランの暫定政権がすでに言っておりますように、イランの生産はせいぜい三百万から四百万バレルにとどめるだろうというふうに言われております。そうしますと、国内消費を除きますと輸出に向かうものはせいぜい二百万程度のものであろう。過去においては五百万の輸出がありましたからそこで三百万の差が出てくる。  それから第二には、先ほど触れました、果たしてサウジアラビアがどの程度の生産を四月以降許すか、これは不確定であります。  第三は、イランの経験から、中東諸国の中には石油の増産に伴って外貨収入がふえる、そして近代化、急速な工業化を図ることが必ずしもその国の政治的安定にはつながらないのだということ。そして、最近の石油の供給逼迫から値段が非常に、一部ではスポットものでありますけれども高騰していることから考えますと、外貨収入を得るためにはそれほどの生産をしなくてもいいというような考え方が出てくる可能性が十分ございます。  これらの理由から、今回のイランの政情不安から派生しました石油の需給問題というものがきわめて長期的には深刻なものがあると考えるわけであります。前回の石油危機はアラブ諸国が禁輸を解除した途端に原状に回復したものでありますけれども、今回の問題はその影響が長期にわたって徐々に感じられる性質のものである。したがって、さしあたりこの逼迫した状況を乗り切るためには消費国全体が節約をする以外にないんだ。ごく最近IEAが出しました五%の石油の消費節約はこの線に沿ったものだと言わなければなりません。  そこで、中期、長期の供給の見通しでありますけれども、原油の需給バランスは一九五〇年代に中東で大規模な油田が次々と発見されたわけでありますけれども、その後六〇年代になりますとアフリカで原油の油田が発見されました。五〇年代、六〇年代を通じまして原油については潜在的な供給過剰の状態が続いておったわけでありますけれども、具体的に申しますと、一九六〇年にはいわゆる非共産圏の需要といたしまして、一日当たり二千万ございました。そのときの余剰生産能力は三百万でありますから、一五%の余裕がございました。それが六〇年代には大体年率で七%の石油の消費の増加がありましたために、七〇年には四千万バレルに需要が伸びました。そのときの余剰生産能力は、前の一五%の余剰生産能力に比べますと、この十年後にはそれがわずか五%程度に落ちた。前回の七三年の秋の石油危機の直前の夏でありますけれども、そのときの需要は一日当たり四千五百万でありますけれども、余剰生産能力としては百万しかなかった、きわめて逼迫した状態にあったわけであります。七三年の石油危機によりまして、その後OPECが原油価格を一挙に四倍にふやしたということ、上げたということから、一時的には供給が世界景気の後退を反映しまして非常に緩くなったということがございます。七四年から七七年までは、世界の石油需要は実は七三年の水準に戻るのに、つまり七七年までかかった。つまり、その間は石油需要の伸びはなかったということであります。したがって、七三年の石油危機以降世界の石油需要の伸びは緩やかな増加を示しており、今後は数年間にわたって恐らく供給は緩やかであろうというのがこれまでの常識的な見方であります。  ところが、今度のイラン問題から派生しまして、これが過剰から逼迫へという状態に変わってきた。こうした過剰から逼迫へ、そして余剰状態をもう一度経て逼迫というのがこれまでの姿であります。しかも一、七三年の危機も今回の石油供給の逼迫も、いずれもある産油国の国内の問題あるいは産油国全体が政治的な理由によって供給を低めたということでありまして、物理的な理由というよりかも、そういった政治的な理由が原因であります。  石油の中期、長期の見通しについてごく最近でありますが、二月の末にロンドンで世界エネルギー経済会議というのが開かれまして、そこへサウジアラビアの石油・鉱物資源大臣でありますヤマニ氏が出席をいたしまして次のように言っております。このヤマニ氏の発言は、今後の石油需給見通しについてかなり正確ではないかというふうに思うわけでありますが、彼の言っておりますのは、八〇年ごろまでは供給力に余裕があり、どちらかと言えば余っている状態が続くと考えており、そして八〇年から八五年にかけて需要と供給はバランスをする。そして八五年以降に供給がきつくなると考えてきたけれども、その事態は数年早まった。八〇年以降はフランスする状態がもうすでに来てしまった。したがって、八五年以降の長期の不足の状態はより早い時期に来るかもしれないということをヤマニ氏は言っておるわけであります。  こういった世界的な石油の供給、非常に大きな問題があるときに、それじゃ日本はどうしたらいいかということでありますけれども、これまで日本がいかなる供給ソースからどのような形で購入し確保してきたかということを歴史的に見る必要があると思います。そして、そうすることが将来の展望にとって示唆を与えるものだと私は考えます。  第一に指摘申し上げるべきことは、原油の供給について、いわゆるメジャーと呼ばれる国際石油企業の役割りがこれまでにも大きく変化してまいりましたけれども、今後それがさらに変わっていくであろうということであります。五〇年代には少量のソ連原油の輸入を除きますとほとんど全量がいわゆるメジャーと呼ばれる国際石油企業によって供給されたわけでありますが、六〇年代には日本の資本、具体的にはアラビア石油のサウジアラビア、クウェートの中立地帯への進出によって約一〇%近くのものが日本のアラビア石油によって供給されたわけであります。その後、石油危機以降、程度の差はありますけれども、多くの産油国は従来の供給先、つまり国際石油会社、これまで投資をして探鉱開発をし輸出をしてきた会社とは別に一部を、いわゆるDD原油という形で売ってまいりました。さらには政府間取引、その中には経済援助を含めたものがございますけれども、いわゆるGGという形による供給をふやしてきたわけであります。こういったDD、GGというものがふえることは、自然の、当然の時代の流れであって、そのことの裏側は、つまりこれまで世界の原油供給の大部分を担ってきたいわゆる国際石油資本とメジャーと呼ばれるものの役割りは徐々に弱まっていく、そして持つ供給能力そのものが下がっていくのだということであります。具体的にも、イランの暫定政権が、今後の原油の販売についてはこれまでのいわゆる国際石油会社十四社でつくられておりましたコンソーシアムを通さずに、イランの国営石油会社NIOCが直接需要家に販売するという報道もありますし、日本の商社、石油会社がかなりの量の原油契約を最近したということも伝えられております。これはいずれもこの新しいイランの政策に沿ったものであるということで、これまでの供給ルートが将来にわたって徐々に変化していくであろうということは当然のことかと思われます。  言うまでもなく、混乱期におきましては値段を無視していたずらに短期の供給確保に走ることは過ちであります。というのは、そうすることは世界の石油価格を非常に高い水準に引き上げてしまうという結果をもたらすわけでありますから、そういう意味では混乱期にいたずらに高い値段で確保するということは避けるべきでありますけれども、しかし、現在のわれわれ日本の石油あるいは石油の供給について考えられることは、今後夏場に向かって、つまり不需要期に向かって多少でも確保できるものについては確保をしなければならない、そういう形においても。そしていずれは現在の逼迫状態は短い期間かもしれないけれども、需給バランスが緩むことが必ず来るであろう。そのときにDD、GG原油というものを将来にわたって長期に確保するということが必要だというふうに考えるわけであります。  最近のイラン問題から派生しまして、石油問題は大きな関心を集めているところでありますが、きょうこの機会をいただきまして、私が感じていることを三つの点について申し上げさせていただくことができましたことを感謝申し上げます。どうもありがとうございました。(拍手)

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) どうもありがとうございました。  それでは、これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。

岩動道行自由民主党・自由国民会議

○岩動道行君 雇用問題については田村さんのお話、そしてまたエネルギー、特に石油問題を中心とした八城さんのお話は大変示唆を受けるものが多くて傾聴いたした次第であります。ありがとうございます。  最初に雇用と関連して、若干雇用問題から外れるかもしれませんが、田村さんにお伺いいたしたいと思いますのはこの雇用、ただいまお話のありました定年の延長等による雇用、中高年齢層に対する対策の促進であるとか、あるいは雇用の創出ということを申されましたが、この雇用と賃金、そして物価の関係をどのようにお考えになっていらっしゃるのか。今日の物価の安定した状況というものは、やはり賃金との関連において非常に深いかかわり合いがあると思いますので、その点についての御所見。さらにまた、ずばり春闘相場を今度はどのようにお考えになっていらっしゃるのか。この二点についてお伺いをいたしたいと思います。  続いてまた八城さんには、石油危機が一九八五年に到来するであろうというのが常識でありましたが、意外に早くやってまいりました。これはヤマニ石油相の話だけでなくて、かつ昨年私はパレスチナ解放機構のアラファト議長と話をいたしたときにも、すでに昨年の八月の時点において石油危機は非常に早い年に来るであろうという予測をいたしておったのでありますが、この共産圏を含んだグローバルな石油の需給の実情と今後の見通し、これが第一点。  それから、イランの政変に伴って、メジャー、特にエクソンが一番早く話題になったと思いますが、原油の対日供給の削減をおやりになりましたが、このようにメジャーズの対日原油供給削減の内容と、そしてその意図、これに関連して、先ほどお話がメジャーズの今後の役割りというものがだんだんに減少してきて、DD、GG原油の方向に向かっていくというお話でございましたが、しかしながら、一方において高いものを買わなければいけないという面も出てきております。そういう意味において、民族系の日本における石油企業の今後の存立の問題も大きな課題であろうと思われまするが、これらの点についてどのようにお考えになるか。そしてまた、石油価格の見通しについては、高いものをあわてて買うなというお話でございましたが、やはり備蓄もふやさなければいけない、経済成長の中において必要なものはやはり節約の中においても買わなければいけない、こういう点もございますので、この石油価格の問題は、日本経済にとって非常に大きな要素になろうかと思いますので、石油価格の見通し、そして近く行われると予測されるOPECの会合においてどのような結論が出てくるのであろうか、これらの点についてお伺いをいたしたいと思います。  以上三点について八城さんにお伺いをいたします。

田村金吾国民春闘共闘会議雇用対策委員会委員長

○公述人(田村金吾君) 雇用と賃金の関係と物価の関係について先生から御質問をいただきましたけれども、まず賃金と物価の関係でございますけれども、賃金を上げることによって商品の値上げを誘発をし、またこれがコストインフレの要因になっていくのではないかというような観点からの御指摘かと思いますけれども、現状におきます売上高に占める人件費の割合、これは装置産業、労働集約産業、この内容によって違いますけれども、たとえば売り上げに占める賃金の割合、人件費率の割合を二〇%と見てまいります際に、私ども電機労連では八%を要求をしておりますし、春闘共闘の段階では、物価、定昇、生活向上分というようなものを考慮をして要求をし、一二%を要求をしておるところもあるわけでありますけれども、仮に八%というようにいたしますと、二〇%に八%を掛けまして、売上高に与える影響というのは一・六ということになってまいるわけであります。一〇%でございますれば二%でありますので、そういうようにまず見ます。  それからさらに、現状における企業の利益の状況というものを見てまいりますと、全般的に民間産業におきましては増収——昨年九月期の減収増益から増収増益というような状況になっております。こうした面から見ましても、こうしたものは利益の中で吸収され得るものでありまして、賃上げによるものが直ちにコストにはね返り、物価の上昇に影響するというような大きな労働側の要求でないというように思っております。  次に、雇用と賃金の関係でありますが、賃上げをすることによって雇用に影響が出るというような印象を受けがちでありますが、これはかねがね私ども労働組合の賃上げ要求の、経済との整合性の中で主張しておる観点でありますが、御承知のように、日本のGNPの中に占めます個人消費の割合というのは五〇%前後になっておるわけであります。やはり賃上げを低く抑えたことが経済成長率を低めさせ、景気の回復をおくらせておるというような一面もあるわけでありますので、必ずしも賃上げをすることによって雇用に影響するというよりも、一定の賃上げは個人消費を喚起をさせ、雇用を拡大させるのではないかというように考えております。  次に、春闘相場についてどう考えておるかということであります。これについては、各ジャーナリストその他の関係のところでアンケートをとり、それなりの回答などが出ておりますけれども、現状の段階では、私どもの産業を含めまして、まだ要求を出した段階でありますので、私どもとしては何としても低目な要求でありますものは、経営側に御了承をいただくような交渉をこれからさしていただきたいと考えております。

八城政基エッソスタンダード石油株式会社社長

○公述人(八城政基君) お答えいたします。  共産圏の問題でありますけれども、政治社会体制が非共産圏との間では大変違っておりますので、共産圏の内容については余りわかりませんけれども、専門誌とか政府機関の調査などから私どもの知っておりますのは、ソビエトは世界最大の産油国でありますけれども、昨年の生産実績は一日当たり千百四十万バレルであります。これは対前年比で見ますと一日当たり約五十万バレルの増産ということになっております。パーセントで申しますと四・七%でありますが、しかしながら、この増産は一九六〇年来最も低い伸び方であった。伝えられるところでは、ソ連の将来の原油の増産見通しはきわめてむずかしいのではないか、といいますか、将来はなかなか伸びないのではないかということが言われております。  増産の大部分は西シベリアのチュメニを中心としたものでありますけれども、従来、ソ連原油の生産の中心でありましたタタール共和国などの生産は徐々に落ちてきておる。それから、将来、石油資源があって開発可能だと思われている地域としては、オビ川の流域がありますけれども、これは非常に酷寒の地域でありますから開発がむずかしいということが言われております。  世界全体のバランスとの問題でありますけれども、いわゆる共産圏、非共産圏との間の石油の取引は、ネットで見ますと、正味共産圏から従来は百万バレル近くの輸出がございました。イラン問題以降、ソ連もイランからのガスの供給がとまっておるというようなことから、最近の情勢は非共産圏への供給を少し下げておるということが伝えられておりますけれども、確認する手段はございません。先生のお話しのように、今後共産圏といわゆる自由圏——非共産圏との間の石油問題は、私どもも従来非共産圏という見方と共産圏というふうに分けておりましたけれども、それは間違っているのではないか、世界全体としてのバランスがどうなるかということを考えなくちゃいけないというふうに思います。理由は、元アメリカのエネルギー省の国際局長でありました石油問題の専門家でありますコナントが言っておりますのは、イラン問題の出る前でありますけれども、共産圏が非共産圏から入れる量が一日当たり百万バレル程度であるなら、あるいは中東への依存が百万バレル程度であるなら大した問題はないであろうと、しかしながら、共産圏としてソ連そのものがあるいは東ヨーロッパが共産圏を通じて百万バレルから四百万とか五百万という水準での輸入を必要とするときには、中東をめぐる政治的、軍事的な問題で大きな一つの緊張状態を生み出すのではないかということを言っておるわけでありますが、最近の内外の雑誌にも、そういう意味でこのイランの問題から派生して非常に神経質になっていることは事実であります。そういう意味では、確かにお話しのように世界を一つとして見る必要があるし、それからもう一つは、先ほど申し落としましたけれども、オビ川の流域の開発には西側の技術が必要であると言われております。しかし、ソ連はハードカレンシーを持ちませんし、西側の開発をどのような形で第一に受け入れるかどうか、受け入れる場合にはどのような形で西側の技術協力を受け入れるかということが大いに問題であります。  共産圏の問題についてはこの程度にさせていただきますが、最近私どもの親会社でありますエクソンが、日本への非系列の原油供給について削減をするということが報道されたわけでありますけれども、その内容と意図についての御質問であったかと思いますのでお答えいたしたいと思います。  先ほど申し上げたように、いわゆる国際石油会社というのは、これまでみずから原油の開発投資をし、そして原油の供給をみずからの手でしたわけでありますけれども、七三年の石油危機以後、かなりの国がみずから原油を売りたいということで、いわゆるDD原油、GG原油というものが出てきたわけでありますけれども、しかし依然として石油会社を通じて産油国も売るという量が大量にございます。  エクソンの場合には、そういった系列以外への販売は全世界で約四十五万バレルございます。そのうちの半分を少し上回るところが日本への販売であります。ところが、エクソンの供給ソースの中には、これはほかの会社もそうでありますけれども、イランがありまして、イランからの輸出がとまったことによる影響が一日当たり二十五万バレルございます。それから、何十年と長い期間にわたって続いておりましたBP——これはイランのコンソーシアムの四〇%を占めておる会社でありますが、英国の資本が、五一%政府資本が入っておりますけれども、BPとの間に長い期間にわたって原油を買い入れる契約をしておりました。ところが、BPはイランの問題から派生しまして、ことしの六月末で、エクソンに一日当たり三十五万バレル売っておったのですが、その相当部分はイランでありますけれども、それ以外の原油もございますが、それを全部契約解除をする。したがって、エクソンへの影響は、イラン問題から派生して直接間接で一日当たり六十万バレルの穴があいたわけであります。それを、どうしてその需給バランスを戻していくかということが問題になったわけでありますが、一つの方法は、契約が切れたときに新しい契約に入らない、あるいは契約の更新をしないということが一つの方法であります。しかしながら、日本のお客様は非常にたくさんございます。これも石油危機以降変わってきたことでありますけれども、従来は大量のものを少数の非系列のお客様に売っておったわけですが、石油危機以降はエクソンとしては将来の供給について自信が持てない。そこで、少量のものを非常に多くの、十三社のお客様に売っておるわけですが、それをさしあたり今年じゅうに契約の更新の来るものについては契約更新を五〇%だけさしていただく、それも六カ月。それから来年以降、いまから一年後の契約更新の来るものについては、そういり事情であるのでひとつほかからの供給を考えていただきたいというのが、このたびエクソン・インターナショナルが日本のお客様に対してお伝えをした内容であります。  私は、エクソンの直接の子会社の社長でありますけれども、原油の販売については責任はございませんけれども、権限もございませんけれども、この問題は日本のお客様への非常に大きな影響があるので、十分相談を受けております。契約更新のときに直ちに契約を更新しないということでなしに、余裕期間を置いて、少なくとも六カ月、望むべくは一年ぐらいの余裕期間を置いてということで今回のような措置をとったわけであります。  これがすべての石油会社に共通の問題であるかというと、必ずしもそうでないだろうと思います。というのは、BPからの供給は、三十五万バレルというのは非常に大きな量であります。これが六月で全部なくなります。つまり一方的に契約破棄を通告されておるわけで、ほかの会社がそれだけのものをBPあるいはイランから買っていなかったということから考えても、すべてのほかのメジャーに波及する問題であるとはすぐは言えないと思います。  それからもう一つは、こういう供給のむずかしいときに、プレミアムを払って原油を買わなくちゃならない民族系は困るのではないかというお話でありましたけれども、一つは、かつては先ほど申し上げましたように、五〇年代一〇〇%が国際石油会社の供給であり、六〇年代になると一〇%程度はアラビア石油を中心にした日本の資本による供給であり、現在は実はそのいわゆるDDとかGGとか呼ばれるものの比率は三割近くになっているわけであります。そのほかに国際石油会社が直接自分の系列会社、子会社に売っているものが四〇%程度ございます。ですから、問題は将来の供給不安がある残りの三〇%をどのようにして徐徐に安定したものに変えていくかという問題だと思うのです。  世界の石油が、供給は逼迫をしておりますけれども、供給というのは需要をある意味では決定してしまうわけであります。ですから、日本は世界の他の国に比べて、より苦しい立場にならないように、そういう意味での対策を講じるということだろうと思います。その高い原油と申しますけれども、高い原油は非常にごく一部であります。全世界の石油の流れの中でせいぜい一、二%というのが、いわゆるプレミアムつきの六ドルも高いような原油でありまして、大部分のものは依然としてわりと妥当な水準にある。ただし、最近は二月、三月になって産油国が昨年の十二月に決めましたOPECの価格よりかもさらにプレミアムをつけて価格改定を通告してきておりますので、原油価格は高くなっております。で、それをさらに上回る非常に高い水準でのプレミアムつきの原油の取引ということが問題になるわけでありますけれども、全体としての量は非常に小さいものだということであります。  ですから、必ずしも民族系だけが非常に困るという問題ではなしに、私は今後の見通しを申し上げても恐らく間違うと思うので、三月の二十六日にありますOPECの総会でどのように決まるかはちょっと申し上げかねるわけでありますけれども、やはり昨年の暮れに決めたものよりかも高いところに決まるだろう。それが一たん決まれば、いわゆるプレミアムものというものも、パニックを起こして買わない限りは、その水準にいずれ落ちついてくるのではないかというふうに思います。  ただし、石油会社の経理内容というのは、過去においても非常に浮き沈みが激しくて、あるときは大変いい、あるときは大変悪いということであります。これは原料代が非常に高くて、そして会社が利益を出すか出さないかということは、わずか数百円のことで決まってくるのだということをまず申し上げたいと思います。  具体的に申しますと、私どもは、各企業が有価証券報告書などで発表しております数字、それから政府統計などを使いまして、日本の精製、元売り会社三十七社の経理内容をコンピューターのモデルに乗せて実は見ておるわけでありますけれども、昨年一年を通じて見ますと、一月から三月までの第一・四半期は利益もなければ損も出なかったという状態であります。四月から六月までは、平均しまして、これはあくまで平均的な姿でありますからその点御留意願いたいと思いますが、六百三十円ぐらいのキロリッター当たりの利益が出ております。そして七月−九月の期間は大変よくて千円程度の利益ということになる。そして十月−十二月は、値段が為替の益以上に下がったために、石油会社の平均的な姿としては、かなりの赤字を出しておると考えられます。そしてことしは、まだ一−三は値上げが浸透してないために完全に赤字であります。ですから、業績のいい悪いを問わず、現在の状態では赤字であるということは事実であります。  ただし、こういうときには、どうしても原油の値段にしても、製品の価格にしても、いわゆるプレミアムつきというようなことが起きやすいわけでありますから、企業としてはそういうことのないようにできるだけ値上げについても妥当な線、つまりコストを回収することは必要であるけれども、需給の状態が非常にきつくなったからといって、それを利用して値上げすることをぜひとも厳に慎しむべきだと思います。ですから、企業としては利益を上げる必要はありますけれども、その行動には大いに注意をすべきではないかというように思います。  それからもう一つは、民族系というお話でございますけれども、これは石油の問題については、たとえば製品を消費地に運ぶ場合でも、いわゆる不経済輸送をしている場合がございます。それが各社間の協力によってそういった交錯輸送をやめるとか、輸送基地の共同使用をするとか、そういったことによってかなりの合理化ができます。その合理化はずいぶん進んでいるのではないかと思います。  しかしながら、企業の再編の問題については、やはりこれは私的企業のみずからのベースで、企業としてどういうあり方が望ましいかということを考えるのが筋であって、そして、特にたくさんの会社がございますから、合理化をする場合でも、規模の経済と同時に、そういった最も経営の頭脳センターに当たるようなものがある必要があるのではないか。一つの元売り会社にいろいろな精製会社は物を売っているという場合が多いのでありますけれども、やはり全体の経済ということを考えた経営の戦略といいますか、そういうものをつくっていく必要があるというふうに思います。しかし、これはあくまで私的企業のベースで考えるべき問題だというふうに私は思います。  それからOPECの価格の見通しは先ほど実は申し上げたことに尽きるわけでありますけれども、見通しはたとえ申し上げても間違えるわけで、昨年の秋からことしについては、原油は五%から一〇%程度でおさまるであろうといったことでありましたけれども、実際には上の方の年間平均をしますと一〇%であり、最近の価格の上昇傾向から見てそれを上回る可能性は非常に高いというふうなことは言えるかと思います。  どうもありがとうございました。

福間知之日本社会党

○福間知之君 お二人の公述人のお話を興味深く伺いましてありがとうございました。時間の制約がございますので、簡単にひとつ御答弁をお願いしたいのです。  まず田村公述人にお聞きしますが、いま日本の労働者の平均的な労働時間が世界に比べて長いということは申すまでもないと思うのですけれども、特に三十人以上の規模の企業で、労働省調査によってもこの三十人以上の企業の数はほぼ四三・六%、企業数の中であるそうですが、そこで働く労働者の割合は七二%です。この三十人以上の規模の企業で働く労働者のいわば労働時間といいますか、いうところの週休二日制という観点から見て、完全に週休二日制の対象になっている労働者の割合は二三・一%です。七二%のうちの二三・一%です。月三回休日制、月三回週休二日制と  いいますか、これが七・二%なんです。これを合わせますと三〇・三%、約三分の一弱になるんですが、そのほか隔週二日制とか、月二回週休二日制とかありますが、要するに申し上げたいのは、民間の企業でまだ週休二日制というものが十分に普遍化してないということですね。私どもはいま国会のレベルでも、先般の予算委員会でもここで政府とやり合ったんですが、公務員とか金融機関、これは国際的に見ても週休二日制の実現に至ってないということが海外からの批判とか、働き過ぎとか、貿易摩擦とかいう意味での批判につながっている、こう思うのですが、二方雇用の面から見ても、田村さんの方ではそういう部門の週休二日制の拡大、まあそういうふうに民間の週休二日制の拡大、あるいは残業など時間外労働の規制、さらには有給休暇の完全取得というふうなことをやることによって雇用の拡大につなげていくという、そういう政策推進が考えられるんですが、どういうふうに取り組んでいかれようとしているかということが一つ。  もう一つは、先ほど話の出ました六十歳定年制の問題ですね。これはかねがね私どもも議論をしてますし、民間の一部でも労使間で話し合いが行われているところもあるようですけれども、その場合に必ず議論になるのは四十五歳なり五十歳なり以上の高齢者について、いわば賃金水準の引き上げとかボーナス、一時金などの引き上げをストップするというふうなことがどう考えられるかということですね。また退職金のスライドのアップを停止するとか、そういうことが日本の伝統的な一つの雇用なり労働条件のあり方として将来に向かって果たしてどうなのか。そういうものをストップすることによって定年延長ということがよりしやすくなるんじゃないかというふうな議論があるんですけれども、これについてどう考えるかということです。  それからもう一点は、先ほど特に民間の問題として言われたわけですから当然ですけれども、海外への企業進出ということが、言葉をかえれば職場の一部の輸出につながっている。これはっとに欧米のいわゆる多国籍企業がそれぞれの社会で、あるいは労使間で問題を惹起してきた一つのパターンなんですけれども、わが国にもそういう意味で昨今の厳しい雇用関係の中で問題がクローズアップしているように思うのですが、労使間でこの問題の扱い方をどういうように考えておられるか、これが第三点であります。  それから最後に、御指摘のあった雇用発展職種研究開発委員会の各地方レベルでの設置ですか、これはわが党の衆議院予算委員会段階での政府折衝の中で、政府からも同じような回答をいただいているんです。  一方、政府は、当初予算の原案の中で雇用問題政策会議を設置する、こういう方針を持っておるわけですけれども、それらの統一的な運営といいますか、そういうことを私は必要とするんじゃないかと思うのですが、いずれにしても、これは特に中央レベルだけじゃなくて各地方レベルでは、今日の国の行政機関である職業安定所なりあるいは基準局なりの果たしている機能を充実強化していく、あるいはそういうものをさらに包括的に各地方ごとにいま申し上げたような開発委員会なりでやっていけるようにするためには、どうしても民間の労使の御協力がなくてはならないと思うのですけれども、その点について具体的なこれからの心構えというものを持っておられるかどうか。  以上、お聞きをしたいと思います。  それから八城公述人には、簡単にお答え願いたいのですけれども、最近、一般のガソリンスタンド等でガソリンの値上げが発表されました。大体いまレギュラーあるいはハイオクを含めてそれぞれリッター当たり十円程度のようであります。まあこれを公述人にお聞きするのは妥当かどうかは別にして、そういう事態ですが、これは大口消費者、需要家に対しても同レベルの値上げというものが行われる予定なのかどうか。  それから、先ほどのお話の結論として、さらに今後、後半でさらに値上げというようなものが出るのかどうか、お聞きしたいと思います。  それから、中国石油とかアラスカ石油について、公述人のお立場ではどのようにお考えになっているか。二点をお聞きしたいと思います。

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) 続いて安恒君の質疑を行いますので、公述人には、まとめて御答弁くださるようにお願いいたします。

安恒良一日本社会党

○安恒良一君 まず、私は八城さんにお聞きをしたいのですが、スタンダードの販売会社の社長ですから、こういう質問がいいのかどうかわかりませんけれども、私は、省エネルギーをやる場合に、日本の場合においてはすでに自家用のかなりのやはり制限をすべきところに来ているのじゃないだろうか。そして公共交通機関を国民みんなが利用する。というのは、ヨーロッパ各国においては、かなり自家用に対する総量規制なりいろいろなことをやっていますね。わが国の場合には、いまのところ全くこれは野放しであって、たとえば今回の政府の石油節減政策方針の中にもそれが書かれておりませんが、いわゆる省エネルギーと車の総量規制という関係についてお聞かせを願いたい。これが一つです。  それから田村さん、これはちょっと福間さんと一部ダブるところもあるんですが、お聞かせ願いたいのです。まず中高年の労働力、これが雇用、失業対策の重点だと、こういうことはそのとおりだと思う。  そこで、私どもに年齢差別雇用規制法をつくるようにという御要請でありますが、私は、それと同時にやはり労使でその条件整備ということが必要じゃないだろうか。特に、どうも私は、たとえば経済同友会が六十歳定年延長を提案すると日経連もこれに唱和している。ところが、帰ってまいりまして、自分のところの企業だけは別だということで、いまの減量経営を見ますと、希望退職を見ますと、年齢によって何歳以上と、こう出てくるわけですね。ですから、どうも私は、現状を見る限りたてまえと本音が非常に経営者側に違いがあるんじゃないか。それはなぜかというと、一つは、高度経済成長期には労使とも年功的労使関係というのをつくってきたわけですね。それをここでやっぱり変えなきゃならぬ。変えるということは、これは労使にとっても、福間さんが言われたような問題もあって大変だ。しかし、私はまず本当にたてまえと本音というものを一致させないと、ただ単に法律的に年齢差別雇用規制法というものをつくっても、仏つくって魂入れずになりはしないか、そういう意味で、どうも経営者側がここのところについてどう考えているのか、総論では賛成、賛成と言っていますが、各論になるとどうも経済団体全体が反対の方向にありはしないかと思いますから、そういう点についてどう考えられるのか、この点をひとつお聞きをしておきたいと思います。  それから、これも福間さんが言われましたけど、時間短縮問題は私はもうずばり金融機関と官公庁をまず時間短縮する。そうすると、いま週休二日制などというのは、もう大企業はかなり浸透しているわけですね。民間中小零細企業ができない最大の理由は、私は官公庁と金融機関、ここが週休二日制をとれば、一挙に日本の週休二日制というのはかなり進むのじゃないかなという気がしますが、そこのところ、まあ金融機関のことを触れられましたが、官公庁のことについてどう考えられるか、これが第二点目。  それから第三点目は、きょうこれはお触れになりませんでしたが、少し数字を挙げられましたが、中高年齢を初めとする雇用対策緊急対策が、非常に特別立法や各種救済制度というのが乱立をしていてわかりにくい。手続がむずかしい。それから乱立しているから一応ばらまきになっている。だからこの際は、そういうものを一遍ここらで整備すべきじゃないか、だから関係審議会等でいわゆるこの乱立、それから手続の簡素化、それからばらまき、そして、本当に民間企業が使って有効性のあるというものに各種の制度を改めるべきところに来ておりはしないか、それがための私は審議会の早急な検討も要りはしないかと思いますが、以上の点について質問します。

田村金吾国民春闘共闘会議雇用対策委員会委員長

○公述人(田村金吾君) まず、週休二日制、時間外規制、有給休暇の完全消化の問題でありますが、ある金融機関の調査部の資料によりますと、時間外作業が——残業や休日出勤でありますが、こうしたものがなくなった場合には三百七十九万人の雇用がつくられる、週休二日制が完全に実施をされますと二百二十万人の人を雇うことができる、そして与えられた有給休暇を完全に消化をいたしますと百万人の雇用がふやされるというような資料が出ておりますけれども、実態としてこれだけのものが完全に消化をされ、なくなるというような実態は、なかなか現在の経済的な法則、社会環境から言ってむずかしいかもしれませんが、いまこの三点をかなり規制することによって、現在の百二十七万人と言われておりました失業者というものが吸収できることは事実でありますから、私ども労働組合の間でも、これら対策についてはいろんな角度からの対策を講じております。   〔委員長退席、理事岩動道行君着席〕  まず、安恒先生の方からもお触れになりました週休二日制の問題ですが、福間先生から御指摘のありましたように、まだまだ週休二日制については中小企業段階では十分消化をされていませんけれども、雇用をつくり、また賃金については、表面的には国際比較について欧米に劣らぬものになってまいりました。購買力の面からまいりますとまだ三分の二程度でありますから、こうした面から見てまいりますと、次に国際的な指弾を受けるのは労働時間の問題であり、週休二日制が日本ではまだ実施がされていないという点が、これから国際会議の場で課題になるのではないかというように考えております。  そうした点から見てまいりますと、やはり週休二日制を全労働者に適用するような立法化がまず望ましいというように思います。しかし、現状におきます立法化の方向というのは、大方、労働界なり各界における週休二日制ができるという段階でなければつくらないというような方向でありますけども、むしろ法制化によって促進をさせるというようなことが大切ではないか。そのためには、安恒先生からもお話がございましたけども、金融機関も実施をし、さらにそれを官庁に波及をさしていくということが大切ではないか。ただ、金融機関の週休二日制については、銀行はやるけれども郵便局がやらないというような問題等がありますけども、これは逆に、銀行を週休二日制に踏み切ることによって郵便局関係についても実施をし、それに官公庁に波及をさしていくというような方向が正道ではないかというように思います。  次に、時間外規制でありますが、日本の時間外規制については、私ども電気産業の例をとりますと、まず時間外の割り増し金を高くすることによって規制をしていくという方向をとっております。しかし、これでも十分ペイをするということで時間外が増加をしておりますし、また、この減量雇用によって減りました雇用の分を時間外で補っておるというような状況がございます。そうした意味で、まずこの時間外割り増し金をふやしていくということと、時間外規制については、法的に基準法の面でどのように詰めていくかということも大切ではないだろうか。私どもの産業では、労働組合といたしまして男子四十時間、女子二十時間という月の規制を行っておりますけども、これを遵守をさしていくというようなことなどもしたいと思います。  また労働組合のないようなところについては、基準法によります三六協定、三十六条協定のあり方が経営側の思うままなされるというような状況もございますので、これは労働省を通じまして、この三十六条、三六協定の遵守を特に要請をしておきたいというように思います。  次に、有給休暇の消化でありますが、労働時間の国際比較をとります際には、統計によりまして、休暇をとらない場合には実労働時間に加算をされるというような実態になっております。それでありますので、協定における労働時間を欧米と日本と比較をする際の時間数以上に日本の労働時間が長いという実態になって出てくるわけでありますので、これも先ほど申し上げましたように、これから労働時間がいろいろの面で国際間で問題になるとすれば、私どもの労働組合自体でも、休暇の完全消化という点についての努力をしなければいけないというように思っております。  次に、六十歳定年の実施をするに当たっての問題であります。一つは安恒先生の方からお話のありました、経営側が、公式の場なりそういう公式コメントでは定年制を実施をしなければいけないというたてまえにありながら、ミクロの企業の段階になると実態には進まない。また今日、年齢による雇用差別禁止法がどうも論議が進まないのは、どこかの後押しがあるのじゃないかというようなことを考えてみますと、どうもたてまえと本音が違うようだというように私も感じますけども、まあしかし、そういうことだけじゃなくて、たとえば私どもの労働組合の傘下の大手組合が関西の方にもございますけども、関西の労使会議の中では、これから定年延長を進めていくためにはどうすべきだというようなことで、雇用の延長のための前提条件というようなことで、賃金制度だとか退職金、人事諸制度、能力開発というようなものについて討議が進められ、今後これらの問題について、定年制延長を前提としながら討議を進めていくというようなことなどが論議をされておりますので、こうした国会の場で論議をされる、私どもの労使交渉の中でもこうした問題を積極的に討議をしていくという中から、さらに経営者の理解を求めなければいけないというように思っております。  福間先生の方から御指摘のありました点、いまの関西の産業労使会議の問題を含めて少しお答えをいたしましたけども、さらに個々の問題についてお答えをさしていただきたいと思いますが、定年延長の阻害要因というのは、人事管理の面での阻害要因と、先生が御指摘になりました賃金の問題退職金の問題が阻害要因になってくるということであります。しかし、すでに民間産業の中では、また、定年を延長しようと前向きに取り組んでおるところでは、これらの問題については手だてを講じておるわけであります。たとえば、人事管理の面については、一定年齢段階で役職を離し専門職にしていくというような討議もされ、実施もされておりますし、また、賃金の問題については、関西の経営者協会の資料によりますれば、すでに四割以上の企業が職務給、職能給に類するものを導入もしておりますし、額によりましては全額職務給、また四〇%以上職務給、職能給を導入をしておるというような実態などもございますし、また、年功序列型賃金と申し上げましても、戦争直後またそれ以降における年功序列型賃金が熟成期というか完熟の時期におきましてはこうした上下の賃金格差が一・七倍程度であったものが、現状では一・二五ないし一・三倍というようになっております。御承知のように、年功序列型賃金は、年齢、勤続による賃金の差と学歴、性別の差でありますが、性別の差においても低年齢においてはほとんど解消されつつある。学歴の差についても高学歴社会の中でこれが直されておるというような実態から見てまいりますと、それなりにかなりの是正がすでに民間の段階ではされておるということ。次に、退職金でありますが、退職金につきましては、私が属しております政策推進労組会議でありますけれども、離職者追跡調査というものを八百名ぐらい対象でやったところでありますが、この中で見てまいりますと、退職金の額は、六百万円からまいりますと、六百万円以上の人が七%、七百万円以上の人が一三・四%、八百万円以上の人が一九・八%、一千万円以上の人が一五%、一千二百万円以上の人が一四・四%となっておるわけであります。ほかの人はそれより低いわけであります。こうした状況から見ますれば、また、最近の私どもの産業の退職金交渉等、状況を見てまいりますと、退職金もすでに頭打ちの状況になっていますし、また、退職金の将来の支払い方をめぐりまして、退職金の年金化ということもかなりの企業で導入をされておりますので、経営側が言われるような定年延長の阻害要因がそれほど大きくはない、また是正の方向にそれぞれあるんだというような状況であるということを認識をすべきでありますし、またそれに向かっての討議をしていくことによって定年延長は推進をされるべきである、それを理由にして定年延長を拒むべきでないと、こういうように思います。  次に、福間先生から御質問のありました多国籍企業の問題であります。  先生も御承知のように、また、先生に御指摘いただきましたように、多国籍企業の進出によりまして国内の雇用が失われるという点については、先ほど私の方からも申し上げましたし、先生もよく御承知のように、アメリカではすでにそのよい例があるわけでありますけれども、日本の場合にもこれからそういう問題が大きく出てくるのではないかというように思います。すでに出ておる資料を使いまして大変恐縮でございますけれども、昨年度発表されました労働白書の中でも指摘をしておりますけれども、この白書の数字を拾って申し上げさしていただきますれば、海外投資による生産が全部国内で生産をされますと、直接で四十万人、間接で五十五万人の雇用が国内でつくることができる。しかし、これは本当の仮定の仮定でありまして、その国内の資本が五一、日本の側が四九とか、国内でしか販売できないとかいうように制限を受けるもの等がありますので、国内法人で国内で生産ができるものというように見てみますと、これによります雇用が十三万人であります。それから部品供給を日本の側からして現地で組み立てをしていくというようなことになりますと、国内の部品の産業の労働者の仕事があるわけでありますから、こういうようなものが六万人ありますので、差し引き七万人というように労働白書の中では言っておるわけであります。こういうような計算をしてまいりますと、多国籍企業の進出によりまして、電気機械では三万六千人の雇用が削減をされておる。それから繊維については三万人、食料品については一万一千人という試算をしておるわけでありますから、こういうような雇用が失われておるという言い方もできるわけであります。それからもう一つは、最近の海外進出について私どもの産業で申し上げますと、アメリカへの電機産業の進出というものがございまして、たとえばカラーテレビの生産はアメリカで三百万台生産できる能力を持つ工場が現在建設中であり、確保され、すでに設置をされておるものがあるわけであります。カラーテレビの生産は約一千万台でありますので、三〇%ということになりますれば、これから国内の雇用に大きく影響があるのではないかということでこの問題の提起をさしていただきました。  そこで、先生の方から御質問のありました、これに対して労働組合がどういう対応をしておるかという点でありますが、東南アジア開発途上国におきます企業進出につきましては、これは高度成長期のものがほとんどであります。しかし、多国籍企業の持つ本質というものは、利潤追求の上にということがかなりのウエートを占めてまいります。もちろん、進出国の経済を高め、そこにおける産業を育成し雇用をつくっていくというような面ももちろん一方ではありますけれども、多国籍企業の持つ利潤追求という面から見てまいりますと、また、先ほど申し上げましたようにこれからの国内雇用が非常に厳しいという状況の中では、やはりこれからは多国籍企業の進出について労働組合は厳重にチェックをすべきだ。そして、まず国内の雇用——該当工場の生産が海外へ移転をするわけでありますので、そうした後の雇用、仕事がどうなるかということを一つ一つチェックして、その働く労働者の仕事を確保させるということが大前提でありますし、そうした労使協議が決定をされた上でなければ進出を許さないというような産業政策の方向をとっております。もちろん、以前から、多国籍企業が進出をした場合には、その国の雇用慣行だとか産業、社会に貢献をする、させるというようなことなどの細かな指針等は持っておりますが、特に最近留意をしておりますのは、国外に雇用が移ることによって国内の雇用が失われないようなチェック、国内雇用の保障というような点について特に重点を置いてチェックをいたしております。  最後に、雇用開発と政策会議の問題でありますが、野党に対する衆議院段階におきます討議の中で、この問題については、まず一つは、雇用発展職種研究開発委員会を地方重点地域に設置する方向でという回答が出ておるようでありますので、先ほど申し上げました雇用問題政策会議という場は中央段階だけでありまして、雇用の創出という点、特に地域における雇用創出という点については不十分でありますので、こうした会議と、先ほど申し上げました研究委員会というようなものもジョイントをさしてもいいのではないか。そして、地域を、現在五カ所程度というように聞いておりますけれども、もっときめ細かな設置場所、また、新たな産業を育成しなければいけないようなたとえば不況地域重点だとか、民間の活力を生かすとすれば民間の活力を生かしやすいようなもの、こうしたもので現在民間では十分力を発し得ないような公共福祉的な産業、たとえば、いい例が十分浮かびませんけれども、清掃だとか、大型ごみと申し上げますか、そういうようなものの事業だとかというようなものもあるだろうと思いますし、新たな福祉関係における無資格でできるようなものの雇用を地域に合わせた中でつくっていくというようなことが大切ではないか。そのために、民間の協議、また労働組合の参画という中でそうしたものをつくっていくべきだというように思います。  最後に、中高年雇用対策の乱立の問題、それからばらまきの問題、手続の簡素化の問題でありますが、これらについては、労働関係法規だけで百幾つ、主要なものだけでも最近の不況地域、また不況業種を加えまして二十一あるわけであります。雇用対策基本計画を立てるということでなっていますけれども、出てくる時点時点が、その不況の地域、たとえば業種というように、ばらばらであります。たとえば不況地域にしても不況業種にしても、手当の支給については雇用安定事業の何々に基づいて行う、そしてさらに給付延長を九十日にするというようなやり方で、法律を見てもちっともわからないわけであります。それですから、やはり一つ一つにそういうことを明記をするなり、一つの法律の中に、不況地域はこうこうで給付はこうあるべきだ、不況業種はこうあるべきだ、事業転換はこうあるべきだというように、一つの法律を見ればわかるものということが先生の御指摘のとおり大切ではないか。それから手続の簡素化の問題でありますが、事業転換の給付がほとんど予算に対して実行がされておりません。これらについては、中小の経営者の皆さんに聞きますと、手続が非常にむずかしいためになされていないというような状況でありますので、御指摘のような法の一元化PRはぜひともすべきだというように思います。  以上であります。

八城政基エッソスタンダード石油株式会社社長

○公述人(八城政基君) 簡単にお答えいたします。  ガソリンの価格について、値上げをどうするのだ、大口需要家も同じような幅で上げるのかという御質問でございましたけれども、私は実は業界を代表する者でございませんし、独占禁止法の問題もございますので、私どもの考えを申し上げます。  第一は、ガソリンについては大口需要家というのは大変少のうございます。タクシーがもしもガソリンを使っていれば大口需要家でありますけれども、プロパンガス、いわゆるブタンを使っておりますので、大口需要家は非常に少ない。たとえありましても、値上げの幅は大体同じ幅で考えるというのが筋であります。  それから今後のガソリンの価格の値上げの問題でありますけれども、御記憶にあろうかと思いますが、前回の石油危機以降七十四年の三月の十八日であったと思いますが、当時の通産省がお出しになったガソリンの適当な価格というのがございます。この程度は妥当だと。これはサービスステーション段階で一リッター百円でございます。その当時の原油価格は八ドルから九ドルでございましたから、現在の価格十三ドル、十四ドルに比べますと、ガソリンそのものの値上がりは非常に少ない。しかも、その間にガソリン税はかなり上がっております。しかも、ことし六月一日からガソリン税は一万七百円上がりますから十円上がります。当然そのガソリン税は転嫁せざるを得ないというのが現状でございます。  それから第二の、中国、アラスカ石油についてどう考えるかということでありますけれども、アラスカの石油について申し上げますと、アラスカの石油が日本にとって意味を持ちますのは、アラスカから原油を入れた方がアメリカが全部を使うよりかも運賃が安くて済むから、アメリカも日本も経済的にその方がいいだろうという議論であります。しかし、その議論の中に一つありますのは、アラスカ原油は西海岸だけでは使えないので、東海岸に持っていくために、パイプラインの問題とか公害問題とか運賃問題とかということからアメリカの西海岸の需要を上回るものがある。それを日本に売ったらどうだという議論でありますけれども、これは政治問題であります、はっきり申し上げて。アメリカが自分の国にある原油をそのまま日本に売るということについて政治は恐らく許さないだろう。たとえそれが行われても、スワップという形で日本の石油会社がアメリカに中東原油を持っていってそのかわりにアラスカ原油が入ってくるということであります。ですから、日本にとっての直接のかかわりはかなり少ないというふうに思います。  中国原油はそれとは全く違いまして、中国原油が将来の大陸だな開発によって発見されるなら、当然市場は日本であります。ただし、中国原油については品質上の問題があるということでいろいろ言われておりますけれども、私は将来の問題は品質を越えて量の問題だろうと思います。品質は、ある程度投資をすることによって必要な石油製品に転換することが限度はありますけれどもある程度はできる。やはり日本としては今後中国の大陸だなの開発に積極的に中国との協力をしていくべきだというふうに思います。  それから省エネルギーの問題で御質問がございましたけれども、自家用車の消費規制をしたらどうかというお話かと思うのですが、実は石油危機以後、石油製品の中で需要の落ちていないものはガソリンだけなんです。それほどガソリンというものは非常に需要が根強くて、毎年四、五%ずつ上がってきている。私どもは必ずしもガソリンをうんと売りたいわけではございませんけれども、国内にも公害規制があっていろいろ対策車ができておりますけれども、自動車の数の多いことは先生の御指摘のとおりでありますし、アメリカは大型車から小型車にかえることによってガソリンの需要を落とそうとしております。ですから、八〇年代はガソリンの需要は全然伸びないというのがアメリカの現在の業界の見通しであります。ただ、これは個人の自由との関係もございますし、私はこれは寝言を言っているとお考えいただいてもいいのですが、やはりお金がたまったときにうちを買えないんだと思うのです。一番買いやすいのは自動車なんですね、いまの価格なら。だから、どうしても自動車というものは若い人もみんな欲しがる。やはりそういう意味では自動車のガソリン規制をするといってもなかなかむずかしいのではないかというふうに思います。しかし、原油の性質がだんだん重たくなることによって、将来、ガソリンの収率、あるいは同じものである石油化学用のナフサの供給がきつくなると言われているときでございますから、節約をすることはすべての将来の需給問題にとってもいいことでありますから、できるなら大変賛成であります。  以上です。   〔理事岩動道行君退席、委員長着席〕

矢原秀男公明党

○矢原秀男君 まず、八城さんにお伺いをしたいと思います。  いまいろいろな現況を伺いまして、時間がございませんので具体的に伺いたいと思います。現在、産油国の消費国との直接の取引、DD方式が強化をされておりますけれども、わが国の石油政策の中でこのDD方式の強化策をどういうふうに位置づけをするか、これが一点でございます。  それから消費国の節約が非常に必要である、こういうお話もございましたし、また議会でもいろいろ取り組んでおりますけれども、わが国の節約に対しての具体的な方途はどうすればいいのか。  それから三番目には、わが国の九十日備蓄政策、これはこの前も国会で取り決めまして実施中でございますけれども、近い将来早急に私は改定をすべきではないか、こういうように考えるわけでございますが、この点はどうか、伺います。  それから最後の点でございますが、将来の日本のエネルギー対策として石油依存から脱却する場合のあなたの具体的な御意見を伺いたいと思います。  それから田村さんに伺いますけれども、確かにわが国の人口の高齢化が進んでおりますので、その中で二点の問題を実現するためにはどうしたらいいのかという問題で具体的に伺いたいと思います。  結論的には、雇用の創出機構、これも高度成長が終わった今日、現在までの政策ではどうしても完全雇用がむずかしい。こういう中で多様化する雇用創出のメカニズムを必要とするわけでございます。もう一点は、六十歳の定年法でございますけれども、これはいまお伺いをしたわけでございますが、どうしても中高年の雇用の場の確保策が必要でございます。  この二点を実現をするためには、先ほどもお話がございましたが、米国では年齢による雇用差別禁止法を基盤とされて現行法の改正がなされて、七十歳定年の方向に五四年の一月からいったわけですけれども、ここまできた米国のこれらの具体的なプログラムによる努力、そうして結果、こういうものを見た中で米国と対比をしながらわが国がいま申し上げた雇用創出機構と六十歳定年法を実現するためにはどういうふうに具体的にもっともっと取り組んでいくべきか、そういう点を対比しながらお伺いをしたいと思います。

八城政基エッソスタンダード石油株式会社社長

○公述人(八城政基君) 第一のDD原油をどのように強化して確保していくかという御質問かと思いますけれども、私は、第一は、たとえ量は少なくても細かいものを一つ一つ拾って契約をしていくということだと思うのです。昔のように大量に何十万バーレルをある国から買うということは不可能でございますから、考え方としては量を細かく積み上げていかなくちゃならない。そして、その確保の仕方でありますけれども、日本の商社というのは、総合商社というのは英語になっているほど特徴のあるものでございますが、海外の情報網も持っているし、海外に駐在員を置いておられるところもたくさんございます。そういうところと石油会社が協力をするという方法も一つございますし、さらには石油公団の役割りを活用するというそういうこと。直接には、たとえば政府が経済協力を通じて確保するといういままでの方式をさらに強化していくということだと思います。一日にしてはできませんけれども、じみちなそういう努力が必要であると思います。  それから第二の消費節約でありますけれども、いわゆる市場メカニズムを使うのが一番いいのでありますけれども、御承知のように灯油価格はかなり低い水準に抑えられておりますけれども、かといって市場メカニズムだけで消費節約をすることはできないと思うのです。御承知かと思いますが、世界全体で七四年から七七年まで、いわゆる国民総生産とエネルギーの消費の比率は、かつては一対一あるいは一・一というような形でありましたけれども、石油危機以後実は全世界で〇・四に落ちているわけです。今後は〇・七とか〇・八といった弾性値が予想されるわけでありますけれども、大部分のものは産業構造の変化とそれから大口需要家がエネルギー節約を工場ですることがいかに得であるかということがわかったということだと思うのですね。ですから、細かい個人消費を減らしていこうと言ってもなかなかできない。やはり大口の需要というものを石油から他のエネルギーへの転換も図るということだと思うのです。  それが先生の御指摘の次の問題になるかと思うのですが、その前に九十日備蓄のお話がございましたので、私はやはり政府備蓄というものをもっと進めるべきではないだろうか。政府備蓄はお金がかかると言いますけれども、実は去年いたしました一週間の備蓄はその間にもう原油価格が一〇%以上も上がっているということでございます。もちろん取り崩せばかわりの原油を買わなくちゃいけないということで高い原油を買うわけでありますけれども、日本の置かれている環境からいいまして民間だけに任すことは無理であろう、政府備蓄というものは強化すべきであるというふうに考えます。  それから石油からの脱却でありますけれども、手っ取り早いのはやっぱり石炭だと思うのです。石炭はその石炭の産炭国が政治的に安定しているところが多うございます。アメリカは世界で最大の石炭国でありますけれども、ソ連、中国、アメリカ——アメリカの石炭の埋蔵量はカロリー計算をすれば中東の石油の倍であります。ですから、石炭を排煙脱硫を進めることによって石炭の消費をもう一度する。石炭の液化ガス化という新しいエネルギーは九〇年代にならなければ実用化されないと思うのです。もちろん最近の石油供給逼迫から石油価格が上がることによって具体化の時期は早まると思いますけれども、どうしても八〇年代の終わりから九〇年代以降であろう。そうすとと、石炭そのものを使えるような、そして排煙脱硫設備あるいは環境基準を多少でも緩めるというような手段を講じて、石炭へ相当比重を移していく必要があるだろうというふうに考えます。もちろん原子力もその一つでありますけれども、何かかわりのものを使わなくちゃいけない。減らすことだけでなしに、エネルギーの供給をどうして確保するかということが大事だろうと思います。

田村金吾国民春闘共闘会議雇用対策委員会委員長

○公述人(田村金吾君) 具体的に中高年の雇用を保障するためのプログラムなり、雇用をつくっていくための方途としてはどうすべきかということでありますが、まず現行法令の中で特に労働省がお力を入れておみえになりますのは、中高年、高年者の雇用率の問題が一つあるわけであります。現行は六%ということになっておりまして、企業において六%以上の高年者を雇用しなければいけないということになっておりますけれども、これは努力義務でありまして、全体平均で五・四%、千人以上の大企業ではこの雇用率についてはかなり低いものになっておるわけでありますので、こういうようなものも全般的に高めていくということと、あわせて定年がまず延長される前に、高年者の雇用率についてはペナルティーを課する。これは身障者の雇用率はすでにそういうかっこうになってますから、こういうようなものなどもしておく。そして、定年が延長された際には、さらに高年、たとえば六十以上にするとか、これはまた努力義務で私はいいと思いますけれども、こういうようなことで、法令以外でも促進をしていくようなことで企業の御協力をいただくというようなこととあわせながら、やはり高齢者の職場確保の問題、これが大切だと思います。もちろん職場における高年者用の職場とかいろいろありますけれども、これは高年者だけ集めて職場をつくるというのは活力がございません。若い人も入れた高齢者職場の設置ということで考えなければいけないと思いますけれども、そのほかに高齢者に指定をされたような職種というものがあってもいいのではないか。限定をされた職種については高齢者しか就業させ得ない。具体的な例を挙げては差しさわりがあり、また問題があるかもしれませんけれども、たとえば高速道路の管理の問題、公園、遊園地の管理の問題、デパートにおきましては女子労働力が使われておりますけれども、これらのものを高年者にかえるというようなもので、高年者特有の指定というようなものも一歩踏み込んだ、きめ細かなものでなければ雇用が創出できないのではないか。さらにあわして、こういうことになりますと、こうした高年者の職種を開拓するとともに、それに合わした職業訓練の実施というようなものをさしていく。そして最終的には年金、社会保障につなげて、高年また高齢者、老齢者が安心をして住めるような社会づくりというようなところに結びつけていくべきではないだろうか、かように考えております。

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) 以上で雇用問題及び資源エネルギー問題に関する意見聴取は終了いたしました。  一言ごあいさつを申し上げます。田村公述人及び八城公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせいただきまして、まことにありがとうございました。拝聴いたしました御意見は、今後、当委員会の審査に十分役立つものと確信をいたしております。ここに委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)  御退席くださって結構でございます。     —————————————

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) 一言あいさつを申し上げます。暉峻公述人及び勝田公述人におかれましては、御繁忙中にもかかわりませず、貴重な時間をお割きいただき、本委員会のために御出席を賜り、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。本日は忌憚のない御意見を承り、今後の審査の参考にしてまいりたいと存じます。何とぞよろしくお願いを申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。まず、お一人十五分程度の御意見を順次拝聴し、その後、委員の質疑にお答えいただきたく存じます。  それでは、順次御意見を承ります。まず、社会保障問題に関し、埼玉大学教育学部教授暉峻淑子君にお願いいたします。暉峻公述人。

暉峻淑子埼玉大学教育学部教授

○公述人(暉峻淑子君) 私が暉峻淑子でございます。  私は、きょうは、低成長時代、不況期の国家予算の中で、最近とみに社会保障関係費の伸び率が低下していることについて意見と批判を述べたいと思っております。  社会保障関係費は、四十九年を頂点として対前年伸び率が次第に低下し、五十二年には一般会計予算の伸び率をわずか一%超えるだけとなり、五十三年、五十四年にはとうとう一般会計予算の伸び率を下回るようになってしまいました。このままにしておきますと、福祉国家はなし崩しに消えて、福祉国家にかわって公共事業国家になりかねない現状ですので、いまここで社会保障関係費について徹底した検討を加え、その必要性と緊急性について合意を確立しておくことが必要であると考えます。福祉国家という言葉が早くも福祉見直しとかばらまき福祉というような言葉に置きかえられているのを見てもわかるように、社会保障関係費とは国家予算のむだ遣いであり捨て金であるというような考え方が頭をもたげつつあるように思います。  そこで、私は、きょうは三つの観点から社会保障関係費について意見を述べることにいたしました。  第一は、国家は好況、不況にかかわらずナショナルミニマムを保障する義務があるということについてお話ししたいと思います。  第二番目には、四十八年以降急速に低下した国民の暮らしが多くの部分でいまだに四十八年水準に戻っていないので、それを社会保障費用及びその他で外側から支える必要があるということについてお話しいたします。  第三番目には、社会保障関係費は捨て金ではなく、経済循環過程の中で安定した恒常的な需要をつくり出し、公共事業投資に劣らない経済効果を持つということについてお話ししたいと思います。  それでは、第一の点から順番に申し上げます。  御承知のように、今日の社会保障制度は、公的扶助とそれから保険制度との合体したものでありますから、そこには一方では拠出金あるいは保険料を納めなくても必ず生存権を保障しなければならないという考え方がありますし、他方では人々が相互に拠出金を出し合って万一の事故や老後に備えて相互に扶助し合おうという考え方がございます。その両方が合体しているわけでございます。したがって、生存権保障については仕方がないから少しお金をふやしてやることはやるけれども、その上に社会保障関係費でそれ以上のぜいたくをめんどう見てやる必要はないというそういう考え方は、現在の日本のように相当の経済力を持っている国では当てはまらないというふうに私は考えております。生存権は、今日のような大きな経済力を持つ社会的な段階になりますと、生活権の保障という言葉に高められて、拠出、無拠出にかかわらず、今日の時代にふさわしい人間らしい生活の保障という考え方に変わらなければなりません。ところが、そのような観点から見ますと、たとえば年金について言えば、基本年金、あるいは基礎年金と言ってもいいと思いますが、そういう制度がまだ確立しておりませんし、それから年金の最低保障額が余りにも低い、それから母子年金、それと妻の年金権さえまだ確立していない。それからまだまだ多くの問題が、これは後に御質問があればお答えしたいと思いますが、まだ多くの問題が残っております。それからまた高齢化社会は目の前に追っておりますのに、老人等に対するいろいろな介護、つまり老人専門病院とかその他の施設、寝たきり老人に対するいろいろな世話をする仕事、そういう人間が生きていくための最低保障というものさえ現在はなされておりません。住宅事情も悪いですし、国立病院のサービスの悪さや救急病院の不足、差額ベッドや付添看護の問題も解決されておりませんし、それから母子家庭や父子家庭における子供のケア、これも谷間になっております。数え上げればまだまだございますが、このような不備だらけの状態で現在まだ最低の社会保障さえなされていない、生存権すらなされていないときに、インフレーションとか不況とかというのがその上にかぶさってくるわけですから、弱い者はいよいよこれは谷間に落とされることになります。これだけを考えてみても、最低の生存権の保障さえなされていない現在、社会保障費用が伸び率を鈍化するということは、私どもにはとうてい理解できないところでございます。  次に、第二の点に移ります。皆様にお配りしてある資料をごらんください。資料1と資料2をお配りしてありますが、これを要約いたしますと、四十八年以降インフレに続く不況期に入って、国民の暮らしは全般的にいまだ四十八年水準に戻っていないという証拠がここに挙げられております。特に世帯主六十歳以上、これは高齢者ですが、この高齢者世帯では四十八年に比べて現在二二%も消費が落ち込んだまま上に上がれないという、こういう統計の結果が出ております。また、四十八年と四十九年の狂乱物価のときに、低所得層と高所得層のエンゲル係数の格差は一七・七%にまで拡大いたしました。これは普通は七・三%ぐらいでございます。つまり、この一年間で低所得層の食生活における逆戻りですね、後退は、十五年昔に引き戻されたという状態になったわけでございます。その後徐々に暮らしの内容は改善されてきているもののようではありますが、結果的には資料1をごらんくだされば、まだ改善されていない点がよくおわかりくださると思います。この資料1は、総理府の統計局家計調査の支出分類、それが一ページ目の左側にございます。現在国民の暮らしはこういう形で把握されておりますので、ぜひ御承知おきください。この家計調査の費目別の項目分類に従いまして一ページ目の右半分と二ページ目全体におよそ三十五品目にわたって、国民の消費が四十八年を基準とし、つまり四十八年を一〇〇としてどれくらい上昇し、どれくらい下降したか、つまり、低下したかということが書いてあるのがこのグラフでございます。出所はここに書いてありますように「家計調査年報」昭和五十二年版でございます。これを見ますと、三十五品目のうちほとんどが下向きになっていることにお気づきになると思うのですね。これは、たとえれば上向きになっているというのは実質消費が上がっている品目ですので、仁徳天皇の故事に従えば、人民のかまどの煙が上っているというのはこの上向きだというふうにお考えくださればいいと思います。下向きの方は人民の暮らしが悪くて、かまどの煙がとだえてしまったという状態であるとお考えください。そう考えてみますと、上向きにわずかでもなっているものも入れまして、ほぼ十七ぐらいがそうだと思います。ところが、上向きになっているものを見ますと、その内容は、たとえば肉類とあります。これはお魚の消費が非常に下回りましたので、その消費の内容が肉類に移ったということをあらわすわけで、必ずしも消費内容の向上ではありません。それから乳卵などは価格が安いのにこれだけ低下しているという事実を御注目ください。次に酒類でありますが、これも上昇しておりますけれど、酒類というのは、現在の消費傾向でいってもむしろ低所得層が酒やたばこに消費支出を多くするという傾向を持っていて、これもまたそのまま生活内容の豊かさをあらわすとは言い切れないものが含まれております。次は、外食とか家賃地代、水道料、光熱費、電気代、ガス代とありますが、これは価格が固定されているために節約しようにもしようがないというそういう支出上の固定費用であります。それからその次に洋服、これは男性の洋服が多いのだと思います。それから雑費の中の保健医療、交通通信。保健医療とか交通通信費がふえることは、住居が職場から遠くなって、長い交通時間を疲れて通わなければならないという実態の反映でもありますし、保健医療というものもふえて喜ぶべきなのか、これは社会的なマイナス指標なのか、これは判定に非常に気をつけていただきたいところで、私が見ました個別費目ではむしろマイナス指標をあらわしていたように思います。それから教養娯楽が上がっておりますが、これも家族そろっての旅行というのは内容を見ますとマイナスになっております。それに比べまして、実際のもう切るにも切れないという生活内容をあらわす衣食住、これはいまから読み上げます米、魚、それから干物の魚ですね、乳卵、野菜も果物も含めますとマイナス二二・二です。それから調味料はぎりぎりまで上がっておりますが、菓子、果物、飲料、住居費、設備修繕、家具・什器、他の光熱、それから被服費——この被服費は、価格がずっと下がっているにもかかわらず消費は落ちてしまっているわけですね。それから和服、シャツ下着、他の衣料、身の回り品、理容衛生、教育、文房具、これらの私どもの生活にかけがえないものは皆四十八年水準に戻っていないということでございます。このことについて皆様がどういうふうにお考えになるのか、こちらから御意見を承りたいくらいでございます。  これの参考といたしまして、一ページの右肩に実質国民総支出、つまり実質経済成長率と言われるものをこれは私が加えました。これを見ますと、実際には経済成長率としては上に二二%くらい上がっております。それから国の一般会計の予算も四十八年に比べ五十二年は二倍以上にふえております。それから二ページ目の右下を見てください。これは家計支出の面から見た税金と社会保障費用でありますが、これも四十八年に比べますと、税金プラス社会保障費用というところで見ますと、これはほぼ二倍に上がっております。つまり、私どもは、二倍もの税金と社会保障費用を納めているわけでございますね。ですから、経済成長率もともかく実質的に上がっている、それから国の予算も倍に伸びた、家計から払う社会保障費用及び税金も倍になっている、そしてしかも私たちの生活にかけがえのないこれらの多くの消費支出が下向きになっているという、これは一体何をあらわすものなんでしょうか。  それから資料2を見ていただきたいと思います。それで、私は、このように四十八年から今日まで四十八年水準にさえ回復し切れない国民の暮らしをどういうふうに回復させたらよいかという視点で、これは全く一つの試案、試みでございますが、家計調査費目と国家予算とを対応させてつくってみたのが資料2でございます。資料2は、これは備考のところに書いておりますように、「国民のくらし‐家計の場から、国家予算を検討してみたいと考え、家計と国家予算を「図式的、概括的に関係づけたひとつの試みであり問題提起である。国家予算における項目と、家計の項目とは必ずしも対応しないものもあり、また重複するものもあるので、分類整理及びその結果は、作成者の判断により、適切と思われるところに配置してある。」というふうに述べておりますとおりでございます。資料の出所は、「五十四年度予算の主要経費別内容」大蔵省主計局、「五十四年度物価対策関係経費」経済企画庁、そのほか「昭和五十四年度予算の全容」官報資料版No一〇七六を参考としております。  こういうふうに見てみますと、この両方の資料からどうしてもそういう結論に落ちついてしまうのはどういうことかといいますと、国の予算の支出のときに、ここに書いてありますような国民の生活に関連する予算をもっと伸ばすべきではないかということです。あるいはもっと効率よくこれを検討し直すべきではないか。それから生活に関連する予算、それと、それからこの資料の2の「その他」で一括しております社会保障に関係する予算、これをもっとうんと伸ばすことによって私たちの生活を外側から支えて、私たちの生活の内容をもっと向上させる、そういうことを考えていただくより仕方がないということです。ですから、いまは第二番目の観点をお話ししているわけでございますが、第一番目の観点に加えまして第二の観点から見ても、社会保障費用及び国民生活に密接な関連を持つ国の予算は、決して削るべきではない、減らすべきではないということになります。  このように、私、すべてのものが上向きになっているときに、国民の暮らしだけが取り残されているという理由は、やはり相当多くの公共事業費などが吐き出されておりますが、産業構造の上にそれがアンバランスに支出されていること、それからそれが失業の予防には余り役に立っていない、そのために全体の足を引っ張ってこういう国民の暮らしが低下するということになっているのではないかという、そういう簡単な指摘をここでさせていただきます。  それからその次に、この二を受けてなんですけれども、この二に申しましたように、六十歳以上の世帯は落ち込みが一番ひどい、二割以上落ち込んでいるわけですし、それから母子世帯、それから世帯主が四十歳代の家庭というのは、消費を全く伸ばし切れていないのですね。これは恐らく子供が中学、高校くらいの最も家計内容の苦しい時期だと思います。それから低所得層も同じでございます。こういうものを考えてみますと、もっともっと所得再分配効果を上げるために、社会保障費用をそこにつぎ込んで貧富の格差をなくし、貧しい人々の消費を拡大させることによって個人消費の需要を拡大すべきであるということが結論づけられると思います。  それから次に、第三番目の観点に移りますが、これは申し上げなくても皆様よく御承知のことと思いますが、わが国は個人消費支出ですね、これが非常に少ない国でございます。アメリカが六四・一、イギリス五九・五、西ドイツ五五・七、フランス六二・〇、イタリア六四・一というときに、日本は最低の五六・六ですね。それに対応しまして家計の消費支出も消費性向はアメリカ九四・三、西ドイツ八七・一、イギリス八八・七、フランス八七・〇に比べ、日本は七五・七です。これは日本銀行の「日本経済を中心とする国際比較統計」から引用しておりますので、確実な資料であると思います。  こういうことから見ましても、日本は個人消費支出を余りにも軽んじ過ぎる、つまり国民の生活を犠牲にし過ぎるということです。個人消費支出、人間の暮らしに必要なものというのは、企業の場合には、もうけるときは大いにもうけようということで投資活動が盛んで、あるいはもうからないときはもう投資活動はしないという非常に大きな波がありますが、個人消費支出というものはいつも恒常的であり、安定的であり、そういう絶えざる不可欠な需要を構成しているわけでございます。ですから、私は、国家予算を立案するときに、公共投資あるいは固定資本形成——つまりさっき申しましたのに比べて日本の固定資本形成はまたべらぼうに大きくて、アメリカが一四・六、イギリス一七・九、西ドイツ二〇・八、フランス二三・〇、イタリア一九・八に比べ、日本だけは二八・九という高率なんですね。これも日本のそういうアンバランスな状態を反映しているわけで、今後国の予算を組まれるときに、個人消費に結びつく財及びサービス、この需要を大切にしていただきたいと思います。道路や建物がどんなに建ちましても、そこでサービスに従事する人がほんの少ししかいない。そして、国立病院にいま見られますように、三時間待って三分診療で、入院しても人手がないためにつっけんどんに扱われて、病人は病気が治るという気にもなれないというようなそういうのも、総定員法の枠をそういう福祉関係にまで当てはめようということは私は間違っていると思うのですね。そういう福祉関係、それから社会保障関係、そういうところで雇用効果も上げるべきですし、それから財及びサービスというものに対する消費需要をふやす、そのことによって経済循環の上で安定的、恒常的な緩やかな成長を日本の経済が続けていく、そうして円高などというふうな非難もされないという、そういう仕組みに次第に経済の流れを持っていく、これは私は国の予算の大きな役割りになっていると思います。  時間がございませんので、以上で私の話は終わりますが、後は御質問があればそのときにお答えしたいと思います。(拍手)

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) どうもありがとうございました。  次に、教育問題に関し、京都大学法学部教授勝田吉太郎君にお願いいたします。勝田公述人。

勝田吉太郎京都大学法学部教授

○公述人(勝田吉太郎君) 勝田でございます。  きょう、私、教育問題について何でも日ごろ思っていることを話せと、そういうふうな御要求がございましたので、実はほぼ四つの点についてまずお話ししたいというふうに思っておったのです。まず第一は、つい先般終わりました共通第一次テスト、そういうふうな教育改革の問題、これについての私見、第二番目は、各大学でいまや非常に大きな問題になっておりますオーバードクター問題について第三番目は、大学の研究教育体制の見直しと言いましょうか改善すべき点、第四番目は、教育費控除の必要性、それを主としてお話ししたいというふうに思っておったのです。  ところで、先ほど暉峻先生の非常に勉強の行き届いた御報告を拝聴しているうちにふと思いつきまして、ひとつ総論的にまず最初にお話ししたいことがございます。御承知のように、わが国はいわゆる恵まれた社会という点で自由もふんだんにある国でございますが、考えてみますと、最近、皆様御承知のように、青少年犯罪の問題、あるいはまた年端もいかない小学生、中学生が自殺する、非常に嘆かわしい問題が立て続けにたくさん出ております。この問題をどういうふうに解釈していくか、どこに原因があるか、これは実は非常にむずかしいのですが、それにつけても思い出しますのは、一番最初に申しましたように、これらの若い世代というのは腰の緒を断ち切ってからもうすぐ自由もふんだんにあります。そして、まあいろいろ問題がありますが、いわゆる豊かな社会が実現されている。ありがたいと思っていないんでしょうね。だって、生まれてこの方そこにあるのですから。ありがたいというのは文字どおりこれはあることがむずかしいということなんですけれども、実はありがたいと思ってもいないというところがあるんだろう、そういうふうに私は思います。それにつけても一体こういうふうな青少年犯罪等々、そういう今日の教育の抱える諸問題、それに対する対策を考える場合におきましても、これは御反論もあるかと存じますけれども、一度、学生時代あるいは高等学校までの生徒の時代に——私はかねてから提唱しておりますが、福祉十字軍というようなものを実は提唱しているのです。実は十年ぐらい前に学生反乱が大学にございました。あのときから言っておりますが、そういうふうなボランタリー活動に青少年を参加させていきたい。そういうような世論をつくり上げるべきじゃないのか。無論わが国の憲法上労働を強制するわけにはまいりません。まいりませんから、社会世論というかっこうでそういうボランタリーな自発的な活動として、そういう福祉、老人福祉、老人ホームを訪れていく、身障者施設を訪れていく、そして窓をふく等々、そういうことを積極的にやらせるような機会が本当は必要じゃないか。政治家の皆さん方もそういうふうな世論づくりに影響力のある方々ですからいろいろやっていただいたらどうか。私も及ばずながらやらせていただきますけれども、そういうふうに思っておるのです。  社会福祉はもちろん必要でございます。しかし、国家の与えるのは、結局のところ、老人福祉施設とか、身体障害者施設、あるいはベッド等等、そういう設備、物ですね。国家が与え得ないものは愛です。愛というものだけはこれは与え得ないので、これが国家のいわば悲しいさがというものでしょう。聖書の中で思い出しましたが、これは聖書のみならず恐らく仏典にもたくさんそういうことが出ていると思いますが、たしか「与えるより施すが幸いなり」というイエスの言葉がございましたけれども、まさしくそのことをいま日本国民は大部分忘れているのじゃないのか。よこせよこせ、それは私は福祉を否定するものじゃございません。福祉は重要ですけれども、実は施す一というそういう心が一番足りないのじゃないのか。青少年問題というものを考える、教育の問題というものを考える一番原点にはそういう問題もやっぱり考えるべきじゃないか、そういうふうに思われてならないと思います。  これを一応総論というかっこうで、次いで共通一次試験というものがついこの前行われましたが、それに対して私の考えをごく簡単にお話しさしていただきます。確かにここには改革の芽はございます。できる限りわれわれはその芽を育てていく、そういうふうに心がけるべきだと、そうは思います。しかし、やはりいろいろ短所もある。まあ人間のつくる制度のことですから長所ばかりではございません、短所もたくさんございます。それはやはり考えなければならないと思います。そもそもこういうドラスチックな改革のねらい、当初のねらいと申しますのは、第一次テストによって高校課程の達成度を見る、そして第二次の各大学の施す試験において受験生の適性を見、あるいはまた個性を見る、それがそもそものねらい。それで結局のところこれまでのような受験競争一点ばりというよりは、むしろ高校の勉強をよくしておればそれが受験に有利になる、それが最初のねらいだったですね。しかし、残念ながらこういうねらいは達せられていないというのが悲しいかな事実だろうと、そういうふうに思います。どうしてそうなったのか、いろいろ原因はございます。まあここでいろいろなことをお話しする時間的余裕もございませんので、また後ほど私の考え方はひょっとしたら間違っているかもしれませんけれども、私の考え方をまた御質問があればお話しさしていただきますが、一言で言えば私は第一次テストというものと第二次テストというものとうまくかみ合わせる工夫がないのじゃないか、そういうふうに思うのです。どうしたらいいのか。結局のところ、なるほど難問奇問はなくなった、それは進歩です。さりながら第一次テストにおける成績、これを機械的に第二次テストと同じく加算するものですから、第一次テストに関しても、一点でも、正確に言えば〇・五点でもたくさんかせがなければなりません。難問奇問はなくなったといったって、できるだけ〇・五点でもいいからたくさんかせごうというそういうことになっている以上、事実上難問と同じことになるのですね。おまけに、何といいましてもマークシート方式ですから、マル・バツ式、そういうものの弊害について言われることは全部これについて言われます。一体、一時間三十分ぐらいの時間内で五十、六十のマークを塗りつぶす、ああいうふうな才能が果たしてどこまで——いや、これはまあ三十万とかというそういうたくさんの受験生をテストする以上、そういうコンピューターを導入することは必要でしょうが、本当はそういうふうな知識よりは、ものを多角的にながめる、そういうことが必要でしょうし、それがまたひいては創造性というものを養うということでしょう。どうもそういった点に関してマル・バツ式の弊害について言われたことが全部今回のマークシート方式についても当てはまるだろう、そんなふうに思えてならないと思います。  次いで、時間もそうそう残っておりませんので、第二番目の点に移らせていただきます。オーバードクター問題、これは最近大学で非常に深刻になっております。試みにごく簡単な統計だけお話し申し上げておきますと、これは五十二年の五月に調べた数でございますが、医学系を除いて他の学部に関しての総計ですが、五十二年五月ですから恐らく現時点においてはもっとでしょうが、五十二年五月においては二千五百九人のオーバードクターが全国におります。ただし、それは国公立の大学すべてについての統計でございまして、私立大学はそれに入っておりません。だから、私立大学を加えれば巨大な数になるだろうと、そういうふうに思います。これは昭和四十七年以来五年間に実はこのオーバードクターの数というのは倍増しているんです。その中でもやっぱり一番多いのは理学部ですね。ちなみに、全国の国公立大学の中でも一番多いのは、京都大学と東京大学の二つの大学です。これらの大学は、事実上大学院大学、半ば大学院大学という性格を帯びております。理学部に関して言いますと、東京大学は五十二年の五月の統計で百二十人、京都大学は実に二百九人のオーバードクター、全部の国公立大学を加えますと八百五十六人。次いで工学部です。工学部に関して言いますと、東京大学が百二人、京都大学が八十九人、全部の国公立大学を合わせますと五百三十人。それから農学部です。農学部は、東京大学が八十七人、京都大学が九十四人、全部の国公立大学を合わせると四百十一人のオーバードクターがあるというわけです。ちなみに、文科系においては何といいましても文学部が非常に多いのです。文学部に関して言いますと、東京大学が六十六人、京都大学が六十三人、全部の国公立大学で二百五十九人のオーバードクターを抱えている。先ほど言いましたようにこれは五十二年五月の統計ですから、恐らく現時点においてはもっともっと大きい数になっているに違いない。年々歳々そうやってオーバードクターがふえていく。率直に言って、国家的見地から申しますと、これは非常にむだなことですね。特に理学部、工学部、農学部、特に理学部でしょうが、こういう学問というのは、二十代、それから三十代の初め、まあせいぜい前半、これくらいが一番創造性の発揮できるようなそういう学問の種類です。この時期に、まさしくオーバードクターとして勤め先もない。そして、世を恨み、それは私は世を恨みたくなるのも当然だろうという気はいたします。こういった問題が実はございます。この問題をどうしたらいいのか。この問題を解決する名案が発生していたら、これはもうノーベル賞級の名誉が授けられるでしょうけれども、実はなかなかないんでしょう。なかなかないと思いますけれども、一つは、わが国の大学を見てみますと、特にこれは私立大学に関して言えるのですけれども、非常勤講師に非常に頼っているんですね。常勤の先生よりもむしろ非常勤講師の数の方が多いといったようなそういう私立大学もたくさんある。いっそのことこういう点で、まあ国立大学にもそういう非常勤講師はおりますが、私立大学が非常に目立っておりますが、こういった人たちのかわりにこういうオーバードクターがスタッフになればそれは大変いいことですけれども、これはまあなかなか言うべくしてむずかしい。大変突拍子もないようなことを申しますけれども、ごく最近中国とわが国とは協力関係にございまして、それはそれとして結構なことでございましょうが、中国からたくさんの留学生がわが国に来る、最終的には五千人来るとかいって申しておりますが、まあこれはどうなりますか、白髪三千丈のたぐいかもしれませんが、しかし相当の数が来るだろう。何でしたら、かつてわが国は上海にたとえば東亜同文書院なんというような大学を持っておった。それと似たような調子で、こういうオーバードクターを活用いたしまして、中国のどこかにそういう理工科系の、まあ文科系も含めていいですが、そういう大学をつくる。そこでいろいろ向こうの近代化に役立てる。何しろ中国というのは、御承知のように、工場とかあるいは武器とかそういったものはいろいろな国から輸入ができますが、それを組み立てる言ってみればシステムエンジニアリングが全然ないんですね。だから、そういうふうな人たちの人材養成、これにわが国が応分の協力を果たすことができれば大変結構なことじゃないか。そして、それは結果的にはオーバードクターの解消にもかなりな程度役に立つのじゃないか。突拍子もない意見かもしれませんけれども、ひとつこれは皆様方も考えていただきたいというふうに思う次第です。  時間も迫っておりますので次の問題に移らしていただきますと、つまり次の問題は大学の研究教育体制の不備という点に関してですが、ここで一つモデルケースで私のおります京都大学の例を取り上げてみますと、講座数の増加のスピードですね、一言で言えば、理工科系は非常に増大しました。ところが、それときわめてアンバランスなのは文科系ですね。昭和二十八年から二十五年間、つまり五十三年までの講座の数の増大傾向というのを一つ見てみますと、これはモデルケースとして京都大学を取り上げておりますが、ほぼほかの大学についても同じことが言えるだろうと思いますが、京都大学に関しまして言いますと、理学部は三十八の講座が六十七にふえております。これは大ざっぱに言えば約八割増加している、昭和二十八年から五十三年に至るまでの二十五年間に。工学部に関して言いますと、工学部は六十六の講座が実に百六十一になっております。これは二・五倍近いですね。これは高度成長時代に非常にこうやって理工科系が拡充された。それはむろん大変結構なことです。ところが、それに対して法学部をながめてみますと、法学部は三十三の講座が四十に、これは約二割弱ぐらいでしょうか。それから経済学部は十四の講座が十七に、それから文学部は三十四から三十九にふえている。いずれも大ざっぱに言えば二割弱ふえたというだけですね。こうやって文科系の研究分野が、ここからもほぼ察知できると思いますが取り残されております。しかし、なかんずく取り残されているのは実は共産圏問題の研究教育でございますね。実はこの点に関してはいろいろ私自身かねてから訴えてきましたけれども、全く耳をかすということはなくて、ソ連並びに中国、まあ東欧圏も含めればそれに越したことはございませんが、ソ連研究並びに中国研究というのはもういまや絶望的、私は実はもう不可能じゃないかと腹の中で思っているくらいです。なぜかと申しますと、戦前はロシア語、中国語を勉強する機会というのは外国語学校があったですね、大阪外語、東京外語等々。そこで語学を勉強して、そして大学に入ってきて社会科学の基礎を勉強する、そういうことができたのですけれども、いまじゃそういうわけにまいりません。大学に入るだけで青少年は精力を使い果たしてしまう。特に世間で言う一流大学と言われる大学に入るためには、これは大変なつまらぬ勉強をしなきゃいかぬですね。精力を使い果たしてしまう。だから、大学に入ってしまってあのむずかしいロシア語あるいはまた中国語をまた勉強するという人はもういないですね。もしあるとしても、それはまあ言ってみれば初めからマルクス・レーニン主義にかぶれてそれから急遽ロシア語のアルファベットを勉強するというようなたぐいの、それは余り実は原文も読めないようなそういった人たちが多いですが、そういうふうな人たちばかりで、そこで、戦後一番私おくれている分野は、いま申しておりますのは文科関係の学問ですが、共産圏問題の研究です。私はかねてから日米安保条約というのは政治と軍事だけにしてくれと言うているんです。何も頭脳までアメリカ任せ、もうアメリカただ乗りです、率直に言って。アメリカの研究引き写し、こんな状態でいいんでしょうか。これだけドルが余るとかなんとかと言われているこのわが国が、この分野の研究が全然ないというようなこと。北海道大学になるほどスラブ研究所というのがございます。しかし、率直に申しますと、北海道はちょっと地の理を占めませんですね。ジェット機で一時間半とかというような距離だと申しましても、なかなかうまくそういった点では機能していないというのが現状です。しかも、北海道大学のスラブ研究所というのはきわめて小さなものです。もっとそういった点で、これは政治家の皆さんしっかり考えていただく必要があるじゃないでしょうか。初めから私は何も反共だとかなんとか、そんなことを言っているのじゃないんです。学問です。客観的に勉強する、そういう資料もちゃんと全部集める、そういう学問のABCからの体制が全然わが国にはないですね。アメリカに全部この点に関してもおぶさっているというのがありのままの姿だろう。しかし、この点は、大学でじゃイニシアチブをとればいいじゃないかと、そのとおりでしょう。だけれども、大学というのは、これはもう保守的なところなんです、体質的に。何ともしようがない。もうそれに比べたら自由民主党なんてきわめて進歩的ですね。きわめて保守的で退嬰的で、とてもじゃない、イニシアチブをとるというわけにまいりません。これはなかなかむずかしい問題だと、アカデミックフリーダムという問題ともかかわってきますから、むずかしいとは思いますが、しかし、これは真剣に考える必要があるだろう、もっとお金を使うべきところに使わなきゃいけないということを申し上げたいと思います。  与えられた時間ももうほとんどなくなりましたので、最後にお話ししたい点は、教育費の控除等の必要性ということ、これはもういろんな各方面で言われているとおりですね。御承知のように、わが国は高学歴社会になっております、教育熱心の国です。これはその点では大変よろしいんですね、そのことだけ見れば大変よろしいんです。しかし、教育熱心と言われる中の階層、なかんずく熱心なのは、言ってみればサラリーマン階層ですね。なぜか。私もその一人ですから、よくわかる。つまり、語弊があるかもしれませんけれども、政治家の皆さんでしたら、地盤というものを子供に譲るということも可能でしょう、看板もあるでしょう。商人、商家でしたら、のれんを譲るということもできるでしょう。小工場主でしたら工場、あるいは農民でしたら農地、それを子供にやることはできるでしょう。しかし、サラリーマンというのは学歴しか子供にやることができないんです。だから、サラリーマン層というのは非常に教育熱心にならざるを得ないんですね。そしておやじさんは特級酒を一級酒に切り詰め、いろいろ苦労しながらたくさんの教育費を出しているんです。今度の共通一次等々の試験大改革で、全国でどれだけの人たちが、たくさんなお金を使って共通一次テストのために東京へ息子を旅行させる、あるいは名古屋へ行かせる等々、そういうことをやっているかですね。塾等々のお金も非常に大きい。そういうふうなわけで哀れなのはサラリーマンです。  しかも、サラリーマン、俸給生活者というのは、これは皆さんよく御承知のように、いまの不公正税制の一番のしわ寄せを受けておりますね。トーゴーサン、このごろはトーゴーサンピンと言いまして、サンピンの一というのは何か政治家の皆さんだと、こう言うんですけれども。あるいはまたクロヨンとかというような言葉が象徴しています。もう本当に一〇〇%税金を取られてしまうというか、ですから、こういう不公平税制の恨みつらみというのはサラリーマンに非常に深く内攻している。そのことをもう政治家の皆さん方は十分によく考えていただいて、教育控除等々、そういうことをやっていただきたい。大蔵省はいろんな理屈を言うでしょう、しかし、そういうのは役人の言う理屈です。政治家はもっと大所高所からひとつやっていただきたい。そうすれば、これは昭和の善政ということになるでしょうね。そういうふうなことを私は考えております。  私、資料を前もって配分するという、そういうアイデアが全然なかったも一のですから、資料等々を御配付するということはできませんでしたが、以上でもって終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) どうもありがとうございました。  それでは、これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言を願います。

山本富雄自由民主党・自由国民会議

○山本富雄君 山本でございます。  暉峻先生、それから勝田先生、非常に示唆に富む、しかも暉峻先生は女性の立場から、予算と家計というふうなことにつきまして細々といろいろとお教えを願いまして、ありがとうございました。また、勝田先生、非常にウイットに富むお話などを交えまして、大変いい勉強をさせていただきました。時間がございませんから、一、二点お尋ねをいたしますので、お教えを賜りたい、こう思っております。  まず、暉峻先生でございますが、この総理府の出しました中身につきまして一々議論を申し上げようとは思わないわけでございます。しかし、公共事業国家などというお話が先生から出ましたけれども、そうではありませんで、これはもう政府、与党、野党を問わず、われわれは福祉国家を目指しておる。その福祉を充実させるために国民の生活のレベルを上げていく。まあ景気を何とかして回復させよう、浮揚させよう、そういうことのためにいろんな選択をしながら予算を組み投資を行っておる、こういうふうに御理解を賜りたいと思うわけでございます。  そこで先生のお話の中で、四十八年対比で予算は倍になったと、それから税金、われわれの負担分も倍になったと、まさにそのとおりでございまして、こういう形で私は国というものは、国家というか国民というか、こういうものは着々進んでいくんだと。先生には釈迦に説法ですけれども、戦後、大変短い間に、たとえば保険制度にしても非常な急速な進歩を日本はいたしまして、制度の上から見れば欧米に肩を並べるところまでいっている。中身には問題があります。そういうことで、やはりそこまでいくために、あるいはこれからさらに高度の福祉国家を目指すためには負担というものはどうしても必要なんだ、こういうふうに私ども考えておるわけなんです。そこで、最近は余り言われておりませんけれども、一時、高福祉高負担ということがよく言われました。私はこの言葉は好きでありませんで、高福祉適正負担というふうに考えておりますけれども、この高福祉適正負担ということに対して先生はどういうふうにお考えであるか、これをひとつお教えを賜りたい。  それから二点目は、具体的な問題ですけれども、いろんな保険制度がございます。特に医療保険の問題などは大問題でございますけれども、また健康保険の問題などは継続で今国会にもかかっておるわけでございますが、特に医療保険制度問題につきまして、先生のお考えがございましたら率直なお考えをお聞かせを賜りたい。  それから、先ほどお触れになりましたが、老齢化が非常に早く進んでおるわが国でございますけれども、それに対応した形での各種の年金がございます。八つございますか。その八つの年金を統合しろなんという意見もあるわけですけれども、これは歴史的な沿革もあります。職域とか地域とか、そういういろんな差がありますので、きわめて困難でありますけれども、この年金制度のこれから先のあるべき姿ですね、こういうことについての先生のお考えがあれば率直にお聞かせを賜りたい、こういうふうに思うわけであります。  それから、勝田先生、福祉十字軍から新東亜同文書院設立論までの非常に壮大なお話、興味深くお伺いをしたんでありますけれども、大学入試の問題にしぼって一点だけお聞きをしたいんでありますが、先ほどごく短い時間の中でお触れになりましたが、私ども、これは非常に画期的な歴史的な、教育革命にも当たるようなわが国の壮挙だというふうに見ておるわけです。これだけのことをすれば、問題点は当然たくさん提起をされると思います。そこで、いろいろ言われておりますが、いま文部省などでもいろいろこれに取り組んで、さらに来年あるいは今後どうしようかというふうな検討を、幾つかの会議を起こしながら、あるいは大学入試センターなどとも相談しながらやっているようでございますけれども、さっき先生がお触れになりました第一次試験と第二次試験の問題ですね、これについて配点の問題がございましたけれども、この配点をどういうふうに今後考えていけばいいか、これは具体的な問題としていま問題提起がされておるわけであります。  それから二番目は、これは例の五教科七科目ですか、これがどうも重いんじゃないかと。先般、文教委員会にも私出ておりましたら、文部大臣自身もそういう御発言を所感として漏らされておりましたけれども、この五教科七科目についての先生のお考えはどうか。  それから、もともとのねらいがより多くの学生により多くの入試のチャンスを与えたい、こういうことが発想の基本にあるわけなんですけれども、どうもそれはこのたびはうまくいかなかった。二次試験についてさらにこれを分けたらどうかというふうな議論もあるようでございますけれども、それらの点につきましてお考えがございましたらお聞かせ賜りたい。  最後に両先生、これは教育者でございますから、予算に直接関係はないんでございますけれども、いま非常にやっぱり政治の問題になっている問題で、お二方からお聞きをしたいことがございます。それは子供の自殺の問題でございます。テレビを見ても新聞を見ても、こういう痛ましいニュースが頻々として報じられておる。文部大臣なども、どうも朝新聞を見るのがこわいというふうな所見をこの間申されておりましたけれども、これらについて、もちろん問題は一つではないと思います、多種多様であろうと思いますし、それらについては政府の中で、文部省はもちろんですけれども、総理府とか、あるいは警察庁とか、これらが連合いたしまして、いま対策の協議会などを始めているようでございます。ある者は入試制度、教育地獄が問題だと言い、ある者は家庭生活、家族制度に問題があるというふうないろんな議論がございますけれども、一言にして御意見を述べることのできるような簡単な問題ではないと思いますけれども、せっかくの機会でもございますので、両先生からちょっとお聞かせを賜りたい。  以上でございます。

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) 暉峻公述人、お願いいたします。

暉峻淑子埼玉大学教育学部教授

○公述人(暉峻淑子君) それではお答えいたします。  最初の方におっしゃったことは、質問というよりは、私に対して弁解をされたものというふうに私は受け取りましたので、(「いや、弁解じゃない」と呼ぶ者あり)そうですが。それを、でも質問というふうに……(「釈明」と呼ぶ者あり)釈明と申しますんですか。でも、それに対しましてなお私の方でお答えすべき点のあるとすれば、次の点があると思います。  公共事業投資をいたしましたときの波及効果がこのごろ大変落ちてきているというふうに言われておりますね。これはどの新聞もそう言っておりますし、それから産業連関表自体がそのことに使えるとは思いませんけれども、あれこれのものを突き合わせてみますと、それは三十年代の公共投資のような効果を持ち得ないということはもうだれも否定できないと思います。ですから、雇用効果も思うほど上がりませんし、それから景気の伸びも、だんだん景気も上向きになってきているとはいうものの、そこに費やされた国債の発行、それから国民がかぶる膨大な国債費、そういうもの、それからもしも景気が上向きになっても、インフレーションになれば、これは勤労者に一番しわ寄せがくるわけでして、そういう一切のマイナス要因を考えると、公共投資が回り回って国民生活の向上に結びつくのかということに私は疑問を感じるわけです。結びつく面もあると思いますけれども、マイナス効果も大いにあると、そのことを言いたいわけです。  そういうことから言いますと、公共投資といいましても、たとえば国民の生活のことをよく考えているとおっしゃいますが、私は地方自治体の幾つかの長期計画やいろいろな審議会にも関係しておりまして、地方自治体の動きをわりあいに知っているんでございますが、公共投資も、道路とか港湾という本来的な公共投資の方は国は予算の面で大変めんどうをごらんになるわけでございますけれども、生活関連の方の公共投資ですね、福祉施設とか公園とか学校とか、そういうふうになりますと、国の予算は大変出し渋られていて、地方自治体が持ち出しでこれを補わなければならないものがずいぶんあるわけでございます。ということは、言わずして国民の生活の福祉に結びつくような公共投資は国は余り歓迎していないということにこれはなっていると思うんですね。ですから、この事実を思いますと、いま釈明された、絶えず国民の福祉のことを考えて公共投資もそのためにしておりますと言われたことが、いまの波及効果が薄いこと、インフレの懸念があること、生活関連のそういう公共投資に地方自治体に対して大変冷たいということ、この三つから言って私はやや違った結論を持っているということをお答えいたします。  それから、その次に、高福祉適正負担のことですけれども、私も適正負担という言葉は大変いい言葉だと思っております。で、さっきも述べましたように、まだまだ福祉の面では足りない面がたくさんあるわけで、けれども、費用を必要とすれば適正な負担とはどういうことかということですが、これはよく言われておりますように、ただ保険料を上げればいいという問題ではないと思うんですね。たとえば一例を述べますと、製造業で労働者一人を雇ったときに福利厚生費というのを企業側は幾ら払うかという国際比較がございます。これは日本は三十二万六千円であるのに比べてアメリカは七十五万円、西ドイツ七十八万も払っているわけでございますね。それを考えると、私は、いまの社会保険料の折半ですね、これは一部分の企業では三、七にして企業の持ち分を多くしておりますけれども、この点も適正負担という場合、企業の保険料の持ち分を大きくする、そのことを考えていただきたい、そういう道は考えられるということを申し上げたいと思います。  それから次には、予算の面で、国の予算から社会保険料の方への補助をしていただく、これも適正負担の一つの道かと思います。それから、もしも保険料を上げるという場合も、これが私たちの生活に確実に還元されるという保証があって、もう私たちは貯金も別個にしなくても、生命保険などに入らなくても、国の社会保障制度だけを信用していれば、揺りかごから墓場まで、ともかく最低の健康にして文化的な生活はできるということならば、保険料が上がるということも国民は納得するというふうに考えております。  それから最後に、幾ら保険料だけを上げることを高負担というふうに考えましても、供給面でむだ遣いがあれば何にもならないわけですね。これは例の医療保険がそうでして、現在のように捨ててしまうような薬を薬袋の中にいっぱい、三分しか診ないのに薬ばかりは袋の中にいっぱいということですね。  それから、私は、社会保障制度にかかわるものというのは基本的人権にかかわることですから、これを商品経済の営利行為でやるということ自体にもともと無理があるんだと思うんですね。それが日本の医療保険というのは、大体民間の開業医によってその非常に大きな部分が担われておりますので、そこに非常な無理がある上に、開業医もこれは一つの営利企業でありますから、公共性を持っているといってもやっぱりもうけることを考える。そうすると、よけいなところにお金が使われて、上げられた保険料がみんなそこに吸い込まれる。つまり移転所得と言われますが、そういう形になるのは私は望ましくない。だから、もし適正負担で、企業主が負担するにしろ国が負担するにしろ、あるいは被保険者が負担するにしろ、その負担をしたものがそういう変なところに移転していくんじゃなくて、適正に私たちに還元されるという、それが大変大事なことだと思います。  それから次に、年金の問題がございましたが、年金の点でおくれているのは、さっきもおっしゃいました八つの乱立する年金ですね、これは社会保障制度審議会が出しました基礎年金の構想というのを私は早急に立てるべきで、基礎年金面について国の財政の補助があればいいので、その上プラス企業年金とか地域年金とか、いろいろ考えられますが、そういうものを自由にするという、そういう方向を考えられてはどうか。すぐには無理としても、方向としてそれをプランとして考えられてはどうかということです。  それから最低保障額がいま三万八千円なんですね。厚生年金もそうだと思いますが、これは余りにも低い。そんな年金ではいまは本当に部屋代にもならないということですね。それから、いま一番また問題になっているのは妻の年金権ですね。離婚してしまいますと、妻は国民年金に加入していない限り無年金になります。私は、通算老齢年金という制度がすでにあるんですから、二十年の掛金期間というのが必要であれば、もし妻が十年結婚していて離婚したんだったら、その十年分は妻の年金権として、あと国民年金に引き続くとしましても、認めてはどうか。なぜ妻の年金だけが通算にならないのかということを私は非常に不思議に思っているわけです。悪く言うと、妻というのはそれこそ刺身のつまのようなつけたりで、一人分の人間として考えられてないからではないかと、ちょっとひがみたくなるわけでございます。  それから、あと福祉年金は経過的に引き上げられておりますけれども、これはいずれなくなるという安心感がおありになって、わりあいこの面では引き上げられているものと思いますが、福祉年金を引き上げられることば大いに結構ですし、それと同時に、今度は最低保障額を引き上げないと、そこにアンバランスが出てくる。これは最低保障額は引き上げられるべきものですから、引き上げていただきたいということですね。  それから、あと母子年金などが大変低過ぎるということが言えると思います。いま離婚が、これは幾ら悪いと言っても、現実の問題でもうそうなっているわけですから、母子家庭というのは大変ふえておりまして、むしろ施設に収容されている子供よりも一、母子家庭でかぎっ子になって、お母さんがパートにでも働きに行かなきゃならない、そういう子供は大変不幸なんですね。これは父子家庭も同じでして、父親が子供のめんどうを見られなくて、よく新聞に父子で心中をしたとか、子供を父親が捨てに行ったとかいろいろありますけれども、その面での配慮もぜひ考えていただきたい。これは日本の家庭も一だんだんそういう方向に行くもあと思いますので、いい悪いは別として、ともかく制度として考えてほしいということです。  それから最後に、自殺の問題がありましたけれども、これは一言で言えば、私はやっぱり大人がこの社会の中で生きがいを感じて、日本の国に生まれてよかった、そして生きがいを感じて楽しく生きているという、そういう姿勢を現在子供に見せられないという、これが私は順位から言えば第一番の順位だと思います。非常に競争社会での締めつけがひどいですし、それからいまの勤労者の生活も楽ではありませんし、子供は自分の未来の大人の姿を考えて、ああいうふうになる将来には希望がないと。  ですから、私も、二人の男の子の母親で、まさに中、高という男の子がいるわけですけれども、本当に受験競争に人生観も価値観も無にして打ち込める子供はいまの社会にも生きがいがあるのかもしれませんが、社会のあり方、それから人間のあり方、そういうものを親子で考えると、私のうちなんかもそうなんですが、そういうものを考え始めると、結局、いまの受験競争には無条件には乗り切れない。そうすると、親子はそこで悟り切っているつもりでも子供はやっぱり学校で非常に違和感を感じることになります、学校でやっぱりできる子、点を取れる子というのが歓迎すべき子ということになっておりますので。そうすると、個々の人間がしっかりしていればいいとか、個々の人間の価値観の問題だと言いますが、個々の人間の問題だけではなくて、大人はともかくとして、子供がそういう非常な競争社会の中で生きているときに、自分が人間はいかにあるべきかということを考えて競争社会に乗り切れない場合、そういうときに仲間外れにされるという、そういうことがあると思うんですね。  私は、ですから、最初に申しましたように、大人の社会の方を本当に生きがいがある、それこそ職業の貴賎の別なく生活の最低保障はある、しかも、努力すればそれなりのものがあり能力に応じて働けるという、そういう生きがいのある社会に日本の国がなっているという、そういうことですね、これがもう無言の子供に対する一番いい教訓になる、そういうふうに考えております。

勝田吉太郎京都大学法学部教授

○公述人(勝田吉太郎君) それでは、先ほど御質問がございましたが、その点について私の考えておりますことをお話し申し上げます。  第一は、先般初めて実行されました共通第一次テストとそれから第二次テストの配点の問題ですね。この点に関しては、東京大学は御承知のように第二次試験、つまり東京大学独自で行う試験、そちらの方の配分を非常に多くしていることはこれはもう皆さんよく御承知ですね。それに対して京都大学は、私どもの総長がこういう入学試験制度改革委員会のたしか委員長か何かやっている、そういうせいもございましょう、この今度の新しい試みに全面的に協力するというかっこうで、共通一次の方をほぼ六割、そして京都大学自身で行う第二次の方を四割程度と、そういうふうな配分にいたしました。私は率直に言って京都大学のようなやり方、そして全国の国公立大学の大部分は京都大学方式にならっております、こういうふうな方式であった方がいい、それが今度の新しい試験制度の大改革——先ほど教育革命とおっしゃった、全く革命的なドラスティックな変革ですな、その変革の趣旨に沿うものだ、そういうふうにだんだんと来年、再来年というふうにやっていくべきだ、そういうふうに考えます。  ただ、共通一次テストというのは、先ほども申しましたようにマークシート方式というものをやっております。こういうマークシート方式になじまない試験科目というのはやっぱりあると思いますね。私自身の感じでは、英語の試験などはなかなかうまくできているというふうに、つまりマークシート方式でもまあまあなかなかうまくできている。社会もそういうふうな感じを持ちました。しかし、どうでしょうか、数字というのはどうも余りなじまないような。ですから、今回は非常に数学の試験をやさしくしたようですがね。しかし、それでもちょっとしたきわめてささいな計算間違いが命取りになります。どうもそういう点で数学などは本当は共通第一次にどこまでなじむかどうか、こういった問題もこれからいろいろ議論が出てくるだろう、そういうふうに思います。いずれにしろ一次と二次の配点のパーセンテージという点に関して言えば、私は、京都大学のやった方式の方がよろしいし、それが改革の趣旨に沿うものだ、そういうふうに思います。  ただ、私は、一番最初に申しましたように、それでもこの大改革の本来のねらいにはそぐわないのでして、本来のねらいというのは、高校教育を一生懸命勉強していれば、それでもって受験体制に実はより一層うまく適応できるという、そういうふうなゆとりのあるような教育をということでこの改革をやったんですけれども、実のところ、すでにお話ししましたように、一次と二次と、その割合は別として、機械的に合算するものですから、一次でももう一点でも多く、〇・五点でも多くということになってしまっている。一体、果たしてこれでいいのか。そこでいっそのこと思い切って一次と二次とを切り離してしまう、そして共通一次の試験では高校教育の達成度をながめるという、そういう本来の趣旨に沿うて運営していく。そして率直のところ足切りもやむを得ない、それに達しない適当な点以下の人はもう一度やり直しなさいということになっていくでしょう。そうしてそれの方が本当は高校教育を大事にするという点からすればいいのだと、そういうふうに私は思っております。  五教科七科目という点、これは実は年来多過ぎるというのが私の考え方なんです。  私ごとを申して大変どうも恐縮でございますけれども、私は、実は、そもそも大学に入ろうというつもりはなかったんです。うちがそもそも商売屋でございまして、問屋で、男の子供も少なかったということもございまして、名古屋の出身ですけれども、名古屋市立商業学校に入りまして、CAと言っておった何か全国で一番古い商業学校の一つのようですが、それがやおら戦争で商売もできない、長男はどうやらもう死ぬらしい、つまり戦争にとられて。急遽ひとつどこか大学、上の学校へ行けということになりまして、それで大阪外語へ行ったんです。なぜかと言えば、これは親戚に当時の八高の英語の先生がおりまして、それがいいアイデアを出してくれたということもございますが、大阪外語は数学がなかったんです。英語と国語ぐらいでしたね。それだったら商業学校卒業でもこれは完全に何とかいけるだろうと、数学なしで入れたんです。  私どもが大阪外語——私はロシア語ですけれども、入りまして、その前後に非常に奇妙な——奇妙なといいますか型破りのような、そういったような一種の奇形児ですが、奇形児がたくさん出たんです。たくさん名前挙げたら時間がございませんからやめますが、その一人が司馬遼太郎。司馬遼太郎というのはあれは大阪外語の蒙古語の出身で、それから陳舜臣というのもこれはインド語ですね。インド語や蒙古語というのは一番やさしい、だれでも入れた。それから市村真一というのは私どもの京都大学の同僚におります。これは経済学者ですが、これはマレー語ですね。当時はマレー語と私の入りましたロシア語が一番人気があったんです。それからまだ京都大学文学部の教授をしておる言語学者の西田龍雄という、これは非常に天才的な学者で、西夏語というのがございますね、あれを初めて解読した世界的な言語学者で、三十一か二ぐらいで学士院恩賜賞をもらった方ですね。非常な天才です、これは中国語です。そういうふうな型破りな連中がたくさん出て、まだそのほか水野肇なんて医事評論家、あれは私の後輩になりますが、ロシア語出たきりですね。で、あるとき、陳舜臣に、陳君にパーティーの席上、なぜあの当時あんなのが出たんだろうと私が言いましたら、ああそれはいつも司馬遼太郎と話しているんだが、それは大阪外語に数学の試験がなかったからだと、こう言うんです。なるほど言われて見りゃ私も実は数学音痴でございます。  それから、私は、卒業しまして、まあ外語ではどうも飯が食えぬだろうということで、学問はおもしろくない、一番おもしろくないけれども、法律をやれば何とか食えるだろうということで、何しろ戦後の大混乱期ですから、京都大学の法学部に入ったわけでございます。そのときも受験科目は語学と——語学というのは英、独、仏どれでもいいんですが、語学とそれから論文。論文といいましても、まあ作文。でもまあかなりの論文ですね。ですから、私は京都大学にも入れたんです。  どうも私ごとになりますけれども、そういうことを考えますと、私は昔の入学試験制度の方がはるかによかったんじゃないのか。つまり語学といいましても、マークシート方式みたいなあんなものじゃございませんで一かなり長い文章が出まして、その英文を和訳する、そして今度はその文章について、これはなかなかむずかしい文章です、私の記憶するところでは、経済学、経済関係の論文が出ました。それについて今度は英語で批判せよ、そういう語学の試験ですね。さらに論文。論文を書くというのは総合的に種々さまざまないろんなその人の能力が全部出るわけです。そういうふうな能力を試すようなかっての旧制大学の試験制度の方が本当はいいのじゃないのか。いま受験技術というものは大いに開発されて受験産業も大いに花盛りです。そういうマークシート方式等々に対していろいろ作戦を練っておりますが、果たしてこういう五教科七科目と言われる科目に関して、いい点をとるというのが果たして本当に物事を多面的にながめ、そして創造的な能力の持ち主をピックアップできるかどうか、私は実はなかなかどうもこれは疑問だと思います。  論より証拠、私は、学生の試験を毎年採点いたしております。ずいぶん膨大な試験の答案ですが、誤字、脱字が多うございますし、文章能力がない。文章能力がないというのは、つまり論理能力がないということなんですね。一体、これでいいんだろうかということを痛切に実は思っております。少し飛躍するかもしれませんけれども、大正元年から敗戦の昭和二十年まで三十三年間、それと敗戦から今日に至るまでほぼ三十三年間、この同じ時期に関して比較いたしますと、どうも昔の大学の方が創造的な、そして世界に通用するようなそういう学者が出たんじゃないのか。無論のこと、ノーベル賞をもらった人たちは京都大学の方方ですが、そういった方々の研究も御承知のように戦前の研究でございます。そしてかつては哲学とか文学とか東洋史とか、いろんなところで世界的な学者が出られている。これは事実上、大部分、これらの方々の研究というのは敗戦以前の段階ですね。それに対して豊かな社会と自由とパンと満ちあふれたこの戦後三十三年間、この期間は案外大学というのは、一流の世界に通用するような、そういう学者が果たしてどれだけ出ているんだろうか、私は自責の念を込めてそういうことを実は考えております。  五教科七科目は多いと私は思います。何でもできるというのは何にもできないということなんですね、結局は。まあこういった人たちは便利でしょう、大きな組織の歯車にはなることができます。そして上からあるいは外から与えられた問題をうまくこなすということはできるでしょう。しかし、新しいものをつくり出すという、そういう創造性は五教科七科目、平均的に何でもできるという人には果たしてできるんだろうかという疑問を実は持っております。こういったこともひとつ皆様方もいろいろお考えいただきたいと思います。  私は、先ほど申しましたように、数学音痴です。それでも結構何とか世の中を渡っていけるんで、ちなみに私なぞはもう学者としても本当に二流、三流でございますけれども、私が調べましたところでは、天才というのは鋭角的に一つの個性がぐうっと発達した人間のことを言うんです。そして天才というのはまずほとんど例外なく劣等生ですね、学校時代は。いろんな例を挙げても挙げることができます。時間の関係があってそういうこともできませんけれども、天才は全部落ちこぼれなんです。ただし、落ちこぼれが全部天才じゃございませんよ。落ちこぼれが天才だったらそれは大変結構なんですが、逆は真ならず。ただし、本当の一流の天才というのはまずどれを見ても、トルストイ、ドストエフスキー、古くはメンデルの法則のメンデル、チャールズ・ダーウィン、ピカソ、とにかく全部が全部たった一つのことしかできないんですね。どうも戦後のわが国の教育というのは、少なくとも何でもできる、そういった意味では非常に受験秀才で頭の回転も早い人間はつくり出すことはできるでしょうが、天才の芽はつぼみのうちに摘んでいるというような、そういうところがあるんじゃないでしょうか。  アインシュタインだって、一つ申しますと、彼も、高校時代、ギムナジウム時代に、とうとうある日校長先生から、もう来るな、おまえが来ると授業がちっとも進まないからもうやめてくれと言って引導を渡されたんです。ただし、アインシュタイン少年の才能に注目したのはアインシュタインのおじさんで、おじさんは工場の技師長をやっておった。どうもこのかわいそうなおいは数学だけはできるなというわけで、みずから数学を手ほどきして一生懸命に勉強させたら、めきめきめきめき数学だけは伸びていった。そこで彼はチューリヒ工科大学に入学して、そして後年のあの相対性原理等々の二十世紀最大の物理学者、科学者になったんですね。チューリヒ工科大学に入学できたのはなぜか、受験科目は数学一科目であったからです。  さて、第二番目の御質問で、受験に関して今度の改革はもう全くドラスチックな改革で、これまで長い間一期校、二期校の別がありまして、少なくとも国公立に関して言いますと二回受験の挑戦のチャンスがあったわけですね。今度は一回だけになっちゃった。私は、これはむごい処置だと、昔からいろいろ機会あるごとにそのことを主張しているんです。一期校、二期校というような区別があると二期校のいわれなき劣等感を生み出す。しかし、それは大学側の論理でして、大学というのは学生、つまり受験生のためにあるんであって、受験生、学生が大学のためにあるんじゃないんですね。私は、一期校、二期校と固定することをやめて、定期的に、くじ引きでも何でもいいですから、一期校、二期校をがらりと配分を変える。くじ引きでこの年は一期校、次の年は二期校とか、いろいろそういうふうに変えたらいい、そして大いに補欠制度を活用する、そういうことで私は受験のチャンスをこれまでどおり二回は与えた方がいいのじゃないか、そういうふうに思っております。  最後に、子供の自殺の問題、これは全く文部大臣じゃございませんが、私も一時期新聞を開くのが本当こわいような思いをいたしました。御承知のように、この一月だけで百四人の少年自殺が出ておりますね。この百四人というのは少年並びに未成年者、青年も一含めてですが、しかし、その中に二十一人が中学並びに小学生の自殺ですね、非常にこれはふえていることは事実です。しかも自殺年齢が低くなっている、これが大きな問題。なぜかと、これはむずかしい問題だと思います。御承知のように、こういう自殺する少年たちあるいは少女たち、中には遺書を書いている。遺書を見ます。手がかりにすると、たとえば、あれはどこか、東京かどこかの女子の中学の子供だったと思いますが、ハムスターしか話す相手はいない、さびしい、だれか一人でいいから心を打ち明ける友達が欲しい、そういうふうに書いている。それからまた、お父さんとお母さんがいつもけんかしている、いやだ等々、そういうたぐいの遺書は確かにございます。それでほぼ自殺の直接の引き金になったものは何かというのは察知できるんですけれども、しかし、むしろその背景といいますか素地といいますか、それが大きな問題で、つまりこれら少年少女たちの心の奥深く何が起こっているか、これはむずかしい問題です。これはひとつ皆さん方と御一緒に考えていくよりほか仕方がない。  私はかねてこんなふうに思っております。先ほども暉峻先生もおっしゃったんですけれども、総じて一般に青少年犯罪、自殺をも含めて、そういうものはわれわれ大人の社会が鏡に映った姿を示しているわけですね。われわれ自身の大人の社会を映した鏡、そういうふうな特徴があるんじゃないかと思います。先ほど、ハムスターしか話す相手がいない、一人でもいいから話す友達が欲しいと。いまの子供っていうのはやっぱり孤独ですね、ほんとに孤独。そしてそれはやっぱり親、われわれ自身も、この豊かな社会とはいうものの、どうもこれは本当のところ競争社会で、かなり孤独じゃないでしょうか。  私どもの子供の時代には、小学校あるいは中学校でもいいです、特に小学校ですが、小学校から帰りますと、すぐかばんを投げ出して近所の悪童連中と遊んで、そしてチャンバラをやったりいろんなことをやったですね、そして日が暮れるまで遊んでおった。このごろ、私のうちのそばでも大抵、そういう学校から帰ってすぐ近所の子供たちと一緒に隠れんぼうをやったり、そういう子供たちの騒がしい声というのは聞こえませんね。学校から帰ると塾へ行かせる、あるいはピアノを習わせるというようなことでしょうね。そういうふうな意味で、子供同士のつき合いというんですか、意外にないですね、ほんとにない。そしてだんだんと中学へ入ればいい高校へ、またでき得べくんばいい大学へというわけで、親たちももっぱら勉強ができる子供になるようにというふうにこいねがっている。友達というのは、要するにそういった意味では、潜在的な競争相手です。潜在的な競争相手、もっとはっきり言ってしまえばまあ敵なんですね。どうもそういった点で非常に孤独じゃないのか。昔の方がはるかにそういった点では悪童連中との交流というものがございました。そしてそれはやっぱり大人の世界を映すという点があるんだろうと思います。  第二番目に、私かねて思っておりますのは、現代のこの学歴偏重社会とかといろいろ申しますが、ともあれ知情意と言いますが、その知識だけが、知育だけが偏重をしたそういう少年、青年が生み出されているような気がしてならないんです。大学でも、こういうふうな学生がヘルメットをかぶったり、ことごとに体制が悪であるとか、政治の貧困であるとかといったようなことを言う。しかし、ことごとにすべてを挙げて体制あるいは政治の貧困のせいにする、そういう人間の心こそ本当は貧弱ですね、貧しいですね。  昔、河上肇という偉い先生が、これはマルクス主義者ですが、京都大学におられまして、日本のマルクス主義経済学の草分けですね、この先生は、昔、若いころ東京で書生時代に、足尾銅山の鉱毒事件の大講演会というものにたまたま出かけて、それを聞いて、終わりました後、司会者のところへ行って、私はまだ貧しい書生です、お金はございません、しかし、せめてこれを受け取っていただきたいと、こう言うて自分の外套を脱いで与えた。今日の知識だけ発達した知育偏重的なそういう青年ですね、受験秀才が多いですが、そういった青年に言わせれば、つまらぬことです。そんなことをしたって何にもならぬじゃないか。一人が助かるかどうか、オーバーぐらい何にも大した価値がない。理屈はそうでしょうね、理屈は。しかし、そういうふうに批判するその知育偏重の青年の心は、実は、非常に貧弱だと思います。河上先生というのは、そういった意味でマルクス主義者であるよりも前に人道主義者であった。だから、あの先生の言説というのは当時の中で非常に大きなインフルーエンスを持ったと私は思います。  こういった意味で、現代では知だけが非常に独走して、情と意志というのが非常にアンバランスだというふうに思えてならないんです。特にその情が発達しない。さらにまた意志というのが発達しない。それは生まれてへその緒を断ち切ってからこの方、いわゆる豊かな社会ということでございますから、何でも与えられるんですね、要するに。おもちゃは何でも与えられる、おいしいケーキは何でも与えられる。こらえ性といいますか、しんぼうするという気持ちがないような気がしてならないんですね、現代の青年というのは。私どもの青年時代、恐らく先生方の青年時代も多分そうだろうと思いますけれども、日本は貧しかった……

山本富雄自由民主党・自由国民会議

○山本富雄君 先生、ありがとうございました。後の質問者がございますから、簡潔で結構です。

勝田吉太郎京都大学法学部教授

○公述人(勝田吉太郎君) それじゃ、そういうことで意志という点で非常に薄弱じゃないか、こういうふうに思われてならないんです。  きわめて簡潔にあと駆け足で申します。  もっともっと奥深い問題が実はあるんじゃないか。生命観、そういうものがいまや非常にうつろになっているんじゃないか。生命のとうとさとか、あるいは神秘感ですね、何しろ自然科学が発達しまして、いまや腎臓から角膜から、そういうふうな生の人間の手による管理の時代です。勢いその論理がおもむくところ、死も人間の手で管理できる、だから今日安楽死という問題が論議されているわけですね。生というものが神から与えられたとかというような、そういう気持ちが非常にない。むしろ子供なんかできちゃったと言うんですね。できちゃったというのはできものなんであって、それで切り取るんですね。堕胎が非常に多い、そういう時代。そういう子供というのは、どうもやっぱり一番これはそういう点で深いところがそういうことだろうと思う。  最後に申し上げたいのは、生かされているという、そういう意識がないですね、いまや。世界は二人のためにあると。しかし、二人は世界によって本当は生かされている。ところが、そういう意識がない。ということは、言葉をかえて言えば、社会というもの、それによって生かされているというその社会が目に入らない。その点はやっぱり大きい問題だと思う。  私は、一カ月ほど前に「週刊民社」という民社党が出している新聞を偶然見ましたら、大変おもしろい運動が神戸で起こっているということが書いてある。それは他人の子もしかろう運動ということなんですね。これは大変おもしろいと思うんですね。しかし、他人の子もです。自分の子も怒らなきゃいけない。他人の子ばかり怒っておっちゃこれはお話になりませんし、第二番目に、怒るだけが芸じゃないと思います。やっぱりいいことをしたらほめる、そういうような習慣を、これは政治家の皆さんも私どもも、折に触れて日本に生み出していく、そういう努力をすべきじゃないのか。そんなふうに、そしてしつけという点でも、大体、他人の子をしかるくらいでしたら、自分の子供はいいだろうかというふうに思う。そしてさらには子供をしかる資格のあるような大人になりたいという、そういう気持ちも出てくるでしょうし、そんなふうに思っています。  どうも大変長くなって恐縮です。

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) はなはだ恐縮ですが、まだ五名の質疑の希望者がございますので、どうか質疑者の方も公述人の方もできるだけ御協力をお願いいたします。

広田幸一日本社会党

○広田幸一君 暉峻先生に御質問申し上げますが、最初に先生がおっしゃいましたさっきの釈明ではございません。が、私はいい意味でひとつ釈明をしたいと思うんですけれども、先生は、社会福祉が非常に後退をしておる、実はそのことについて皆さんに問いたいぐらいだ、こうおっしゃいましたけれども、私たちも社会福祉の後退には反対しております。  政府の方は、御案内のように、予算の中で四〇%借金だと、金がない、こういうふうに言っておるわけですけれども、私たちはそのことはよくわかるわけですけれども、先ほど勝田先生も言っていらっしゃったですけれども、社会の不公平をもっと直しなさいと、そういうものをもっと直してから金がないと言うならばわれわれはわかるけれども、いろんな社会的な税金の面でも不公平がある、こういう立場を主張いたしておりまして、先生とは同意見でありますから、いい意味の釈明として御了解いただきたいと思います。  そこで、時間が相当たっておりますので、私は、特に、先ほど先生がおっしゃいました、石油ショック以来非常に国民の生活が悪くなっておる、その中で特に身体障害者とかお年寄り、この人たちの幸せというものが非常に大きいと思っているわけですね。そこで、きょうは、身障者の問題は別として、お年寄りの年金問題について二、三質問をしてみたいと思います。  一つは、厚生年金の在職老齢年金の問題でございますけれども、御案内のように、これは制限がありまして、二〇%、五〇%、八〇%引くようになっているわけですけれども、どうもこういうことになってきますと、同じ年金をもらう資格がありましても勤めておるところの給料によっては高い人が逆に少なくなるというような矛盾があるわけでございますね。そういう点がありますし、また、その点、雇用者の場合はそれを悪用して、そして低賃金政策に追い込むという場合があるわけでございます。そういう実は矛盾がありますですね。  それから、私は、この制度というのは四十年から始まったんですけれども、いまのようにお年寄りの雇用条件が非常に悪いわけですし、それから生活条件も悪いわけですから、もうこの辺でそういう制限というものを撤廃したらどうか、そういう時期に来ておるのではないか、こういうふうに思うわけです。共済年金の場合は、退職しましても、どこに次に勤めても、これは一緒にもらえるわけですから、もうそろそろそういうふうにやってもいいではないかというふうに思っておりますが、先生、いかがでございましょうか。  次は、同じく厚生年金の問題ですけれども、いまは年金の支給開始年齢が六十になっておりますね。ところが、きょうもお話がありましたが、実際六十の定年というのは一〇%ぐらいでございまして、半分は五十五歳でございます。いま定年制の法制化をわれわれは要求しておりますけれども、なかなかむずかしいと思います。むしろ経営者の方はなかなかそれに応じてこないという実態があるわけです。そこで、六十歳までの手前でやめた場合ですね、四年とか三年とか二年とかという期間があるわけですが、この辺を何とか生活保障の何かがないかというふうに考えるわけでありますが、共済年金の場合は減額年金制度というのがございまして、五十歳から五十五歳までは年に四%引いていく、ああいう制度があるわけですけれども、最近のこうした雇用の深刻な事態でございますから、そこらのことは何か考えられないものだろうかというふうに思います。  それから、婦人の年金の問題は先ほどお話がありましたので私もよくわかるわけですけれども、一つの方法として、離婚した場合には、国民年金に入っておれば何とかなるわけですけれども、国民年金に入ってないとゼロということになるわけです。ですから、一つの考え方として、この国民年金に強制的に加入させるというようなことは一つの方法であると思いますし、それからもう一つは、被用者年金の世帯保障的性格というものをもっと強めて、妻にも被用者年金の保障の方向に順次考えていく、こういうふうなことはいかがなものだろうかというふうに考えます。  それからもう一つ、先ほどお話しになりました父子対策でございます。母子対策というものはあるんですけれども、昔は、父よあなたは強かったというような話があるんですけれども、そういうことはいま実際ないわけでございまして、特に家庭の子供でございますね、子供はやっぱり父子であろうが母子であろうが、児童福祉法によってちゃんと認められているわけですから、そういう意味では、最近、市や村でそういう家庭に児童扶養手当を支給しておるようなところがだんだん見られるわけですが、それはそれとして、やはり父子家庭に対する対策というものは必要である、こういうふうに実は思っておるわけでございます。  以上、急いで質問しましたが、御答弁願いたいと思います。

暉峻淑子埼玉大学教育学部教授

○公述人(暉峻淑子君) それでは、あとまださっき四人とか五人とかおっしゃいましたので簡単にお答えいたします。  第一番目の年金を受給する老齢者がよそに勤めてそこから月給をもらった場合ですね、十四万二千円といういま上限の規定がございますね、私は、これは撤廃すべきだと思います。これは論理的にも非常におかしいんですね。それはなぜかといいますと、さっきおっしゃいましたように、厚生年金のグループに入っている人が国民年金のグループに入っている企業に、というのは、つまり零細企業のことですが、そういうところで働けばそういう上限の制限はないんです。あるいは厚生年金のグループに入っていた人が今度は公民館か何かの共済組合年金のグループに入っている勤め先に勤めれば、上限の制限はないんですね。厚生年金に勤めていた人が五十五歳でやめて同じ厚生年金のグループに入っている企業に勤めた場合に、厚生年金の基金を節約する上で上限の制限を設けているわけです。ですから、厚生年金のグループというのは厚年から厚年へと移る人が一番多いので、その上限の問題が一番大きく露骨に出てくるということなんですね。それが論理的に大変おかしいということの一つです。  もう一つは、老齢年金を受けている人でも、利子配当所得というのがたとえばほかに五十万あるとしますね。これは十四万二千円よりはるかに大きな利子配当所得なんですが、そういう人はさっぱりカットされないんです。これも大変おかしいとお思いになりませんか、それこそ不労所得ですよね。不労所得の人はカットされないで、よその企業で営々と働いている勤労所得の人は、それが十四万二千円以上であればカットされる、私はこれは非常に不合理な制度だと思います。  ですから、そういう変なことはやらないで、自分が営々と二十五年とか掛けて、いまモデル年金は二十八年になっておりますが、それだけ汗の結晶の一部分を拠出してきたわけです。しかも、これは強制拠出ですから、そういう人の老齢になって受ける年金をいかなる理由であっても私はカットすべきでないと思います。もしも取り上げたいんなら、それはあれですね、累進課税ですべての所得を合計して、たとえばそういう資産所得があるとかね、そういうところで所得税としてお取りになればいいので、年金に手をつけるべきではないと、これは私のはっきりした考えです。  それからもう一つは、やめた定年のときと年金のドッキングの問題ですけれども、これは絶対にやらなきゃおかしいですね。これがつながらない国は恐らく日本だけだと思います。たしか昭和二七年でしたか八年でしたかに、それまで五十五歳で受給ができた厚生年金の制度を六十歳で受給できるように五年延ばしたんですね。そのときになぜ延ばしたかというと、これから厚生年金を掛けていって二十年か二十五年先には企業の定年は恐らくどこも六十歳まで延びているであろうという予定で六十歳受給に延ばしたんです、そのとき。ところが、そうはなりませんで、現在、大企業ほど、大企業の恐らく七割が五十五歳定年だと思いますが、大企業ほど五十五歳で早く首を切ってしまうとか、定年にしてしまうんですね。私は、それこそ五十五歳定年というのは大正年間のまだ平均寿命が短いときの制度ですから、今日のように、まだいつまでも元気で働ける時代には、この定年制度はやっぱり延ばすべきであると思います。それから、何歳で定年になるにしても、定年でやめた人の年金は定年と同時に受けられるという、そういう制度にしなければ年金制度の意味がないということですね。ですから、ドッキングは必ずやるべきだというふうに考えております。  それから、繰り上げ支給といいますか、おっしゃいましたけれども、私は、繰り上げ支給よりも、定年制と年金の受給時期を一致させることと、それから、もし自分にはまだ余力があって、よそで働いて収入が得られるとか、ほかに蓄えがあるという人は、逆に延期する、受給年限を延期して、一年につき延期した人にはむしろ報奨制度で年金額を増額して与える。そうすると自分はまだ七十まで働けると思って働いて、七十一歳から受ける者は物すごい増額した年金が取れるという希望を持って働けるわけですから、何か取り上げられるというよりは、後からもらえばごほうびがくるという方が私は何か老人の心理としては楽しみがあっていいのではないか。  で、基本的には、五十五歳定年が多いならば、むしろ私は五十五歳で年金を支給すべきである。そうでなければ定年の年限を六十歳に延ばす。私は、定年が延ばせないと、これは国の力では延ばせないということを言われて、民間の問題だと言われますけれども、これはたしかアメリカでは性差によって就業の区別をするということはもちろん罰せられますし、それから年齢によって雇用を区別することも公民権違反か何かにいまなっているはずです。と言いますのは、同じ六十でも元気な六十の人もおりますし、もう四十五ぐらいの六十の人もいるわけですね、もう六十といっても八十ぐらいの六十の人もいるから、ただ生理的年齢だけでこれを差別するということは許されていないんです。ですから、私は、日本も性差及びただ生理的な年齢でこれを均一に雇用の機会を奪うということについて、もっと基本的な反省が必要であると思います。  それから、妻の年金権の問題は、いまおっしゃったとおりで私もいいと思いますので、私の特別な考えはございません。  それから、福祉家庭とか、福祉年金のことで私は一つ提案があるんですが、前、一日内閣というのがございましたね。大変繁盛しないで滅びてしまったわけですけれども、私、ああいう余りばっとしない計画をだれが立てられるのかと思って、当初から大変もう不思議に思っていたんですけど、一日内閣は取りやめになりましたけれども、それにかわるものがいまはない。これは私の提案ですが、一週間体験内閣というのはどうなんでしょう。  と言いますのは、たとえば福祉年金とはいかなくても、厚年のいま既裁定の平均は七万五千から八万にいってないんですね、夫婦二人で。その八万円で、お年に不足はないわけですから、大平総理は、一週間は四分の一カ月ですから、一週間にならすと二万円になりますね、二万円で一週間暮らしてみる。それから、建設大臣は、賃貸アパートの民間アパートで、お便所もお台所も共用で、遠高狭という、そういうアパートに一週間暮らしてみる。そういう民の苦しみを一週間みんなそれぞれの分野で体験するという、私は、そういう体験内閣というのを、一日内閣にかわって、ぜひ実行なされば、もう少しは伸び率の方もまた旧に復するのではないかって、そういうふうに考えるんですけれども。  以上です。

粕谷照美日本社会党

○粕谷照美君 最初に、勝田先生にお伺いをいたします。  第一点は、オーバードクターの問題で大変困っているというお話でありますけれども、そのオーバードクターの数の中に、なぜ私立大学卒業生の数を入れてお話をなさらなかったのか、そこがわからない第一点です。それとあわせまして、そのオーバードクター解消の一つの例として、まあ中国にというようなお話がありましたけれども、あの中で武器の組み立てもできないからという点については私ども日本社会党としては非常にこだわるところですが、たまたま出たお話というふうにお伺いいたしますけれども、根本的にこのオーバードクターを解消していくためには、どのようなことが必要なのかというふうに先生自身がお考えかという点をお伺いいたします。  第二番目に、共通一次の問題ですけれども、私も先生の御意見に非常に賛成をするところがたくさんあるわけですが、とにかく、いろんな点からこの共通一次についての意見が出されてまいりますが、国立大学協会、国大協として、このいろいろな二次試験というのがあるわけですね、御自分たちで申し合わされたにもかかわらず、なかなかそのような方法がとれなかったというのは、一体、どこがそのネックになっているんだろうか。まさに江川問題みたいな感じがしてならないわけです。組織的な討論の積み上げ、組織的な一定の方向、大学の先生方というのは皆さん一国一城のあるじですから、お決まりになっても、もう執拗に私どものところにおれは反対だといって手紙などもいただきますけれども、それはどういうふうにあるべきかというふうに先生はお考えかということをお伺いいたします。  それから福祉十字軍のことについては私も全く同感をするんですが、この点については暉峻先生にお伺いしたいと思うんですけれども、特に先生が問題であるという点で、先生の教育実習のあり方についていろいろな意見が出されております。しかし、その教育実習のあり方の中に、私は非常に問題だなと思うのは、小学校や中学校、高校の先生になる人たちに障害児と触れ合うということが義務になっていないんですね。そうしてやっぱり障害児に触れ合った学生がそこのところで大変な感動を受けて本当にいい先生になろう、こう思ったといういろいろな報告書なんかを読んでみますときに、私はこの制度というのはもっともっと大事にされていくべきではないだろうかというふうに思いますので、暉峻先生のお考えをお伺いしたい。  それから、高福祉適正負担についてなんですけれども、特にその中で保育所に子供を預ける場合に、住民税によって保育料が決まりますね、したがって共働きサラリーマンの家庭が一番大きな負担を出さなければならない。すばらしいマンションを持っている大家さんのおうちより、たな子のサラリーマンがもっと高い保育料を払わなければならないというのはどうしても納得がいかないわけです。その辺のことについての先生のお考えをお伺いしまして、簡単な質問を終わります。

勝田吉太郎京都大学法学部教授

○公述人(勝田吉太郎君) オーバードクターの問題に関して、私立大学の実情をお話しできなかったのは統計がまだできていないんです。私ども国公立大学の方でいろいろこの問題を調べて、そちらの方の統計はかなり詳しいものがございますけれども、どうも私立大学の方は残念ながらまだしっかりしたそういう統計ができ上がっていないというのが実情なんです。  さりながら、それではどの程度あるか、これは推察の域を出ませんけれども、私立大学の定員だけについて申しますと、これは比較的最近の新聞に載っておりました数ですが、五十三年度現在の私立大学の大学院の定員は修士課程が実に二万四千九百九十三人、博士課程は一万六百六十人、そういうことになっております。ですから、私立大学に関しては相当な数のいわゆるオーバードクターを抱えている、そういうふうにまず推察して間違いないと思います。  これは私立大学のそういうオーバードクターの方々の中で非常にまじめに勉強している人がいるんです、率直に言って。修士課程を卒業して、私どもの大学は門戸を開いておりますから、そうして多くの博士課程へ入ってくる学生諸君もおります。そういう私立大学を卒業して修士課程を出て、そういうふうな修士論文を読みましても、これは国立大学、われわれの京都大学の修士課程の学生よりももっと勉強しているなというのがやっぱりいることはいますね。ですから、私が申し上げましたオーバードクターの問題は、恐らく私立大学の先生が聞かれても、わが意を得たりと、そういうふうな感じを持たれるだろうと思います。どうしたらいいのか、これは名案が実はございません。だもんだから、苦し紛れに、たとえば中国とのということも言ったんですが、まあしかし、これも一つの解決策じゃないでしょうか。  しかし、もう一つは、戦後、アメリカ式の教育システムが輸入されまして、そのときアメリカの大学を見習って、きわめて安易に結局文部省が大学院をつくることにしたんですね。しかし、あれは絵にかいただけのことですね。昔、ポチョムキン村というのがございまして、エカチェリーナが——こんなことを言っていると時間がありませんが、ロシアのエカチェリーナ二世が国内を視察するときに、急遽りっぱな施設をかいた絵を沿道に掲げて、あれ、この村はこんなにりっぱですというようなことを言った。そういう感じがいたします。つまりスタッフもそれから物的施設、図書館とか実験用具とか、そういうことも既存の大学をそのまま大学院に流用するというかっこうでつくったもので、非常にそういった意味ではちゃちですね。それがために主として理科系の教授並びに助教授の教育の時間というのは非常にいまふえていることも事実なんです。  私立大学に関して言いますと、世間体、こう言っては悪いですけれども、世間体のために大学院を持っておるぞという、そういうことで大学院をつくる。で、これだけの施設、たとえば本の数はこれだけだとか、いろいろそういったたぐいの基準がございます。それを満たせば文部省としては自動的に大学院を認めざるを得ないという仕組みになっておるものですから、どしどしどしどし大学院ができる、粗製乱造です。  そこで、私は、思い切って名実ともに本当に大学院らしい大学院の大学、つまり学部と切り離した大学院だけの大学をいっそうのことつくったらどうかと。全国にとりあえずは二つとか三つとか。そうすれば、いまみたいに各大学が大学院をそれぞれ世間体のために持っているというような、そこでだんだんだんだんと、そこにエベレストがあるから登るというのじゃないですが、そこに大学院があるから大学院卒業生が出てくる、そういうふうな今日の状況を少しでもなくすことができるだろう。そしてあわせて本当に大学院らしい大学、大学院大学ですね、学部とは離れたそういう大学をつくる。それは学問の研究発達のために大いにためになるのじゃないか、そういうふうに思います。  最後に申されました点は、私どもにとって非常に耳の痛いところでございます、率直に言って。今度の試験改革等々に関しても、長い間いろいろ論議は尽くされました。しかし、民主主義です。私は民主主義はそれは大変大事だと思いますが、教授会の自治ということで民主主義ですね。中には教育のあり方、試験制度をどうしたらいいのか真剣に考えておられる方もあります。しかし、大部分の先生はそれ以外のことに関心があるというか、やっぱり子供を持っていない方も中にはおられます。そんなことで民主主義で話し合いをしている教授会ではなかなか決まらないんですね、結局は。で、多数の人々は無関心と言っては大変失礼ですけれども、まあどうでもいいじゃないか、もっと当面重要なことがあるというたぐいの、個人的にそれぞれそういうような重要な問題を持っていますから、結局のところ、出てきたのはそれぞれこの試験制度に賛成といった意見がずっと集まるんです。しかし、本当に真剣にこういった問題を考えている先生方は意外に少ない。ただし、民主主義の多数決ということで、必ずしも大学側が本当に真剣に考えた成果かどうかということはこれは疑わしいです。しかし、一番最初に申し上げましたように、せっかくとにかくこういう改革を思い切ってやったんです。われわれはその改革の芽を何とかして育てていこう、いい意味で、そういう意味では前向きにこの問題に取り組んでいかなきゃならぬだろうと、そんなふうには思っております。

暉峻淑子埼玉大学教育学部教授

○公述人(暉峻淑子君) 簡単にお答えいたします。  第一番目の、保育所の受益者負担が住民税を基準にしているということですが、これはいま確かに制度は大変不公平、不平等、それから論理的な根拠がないというので、いつも地方自治体と住民の間でもめているもめごとなんですね。私はそのこと自体もう一遍検討され直すべきだと思いますし、それから、その前に、所得税上の不公平がそのまま住民税に相乗効果をもたらして反映してくる、ここを突かなければどうにもならない。一般消費税は今度は出されないということで私たちはやれやれで、資料1で配ったような、まだ消費は四十八年度にも回復しないときにまた消費税をかけるなんて、私たちから見ると、どうも本当に正気のあれとは思えないみたいに驚いていたんですが、これは一年ともかく延びるらしいので新聞を見て安心しているんですが、一般消費税ということも、いまの所得税の不公平ということと絡めて考えれば、特別措置というものを非常にかた目に洗い出しても、この参議院から私がいただいたこの資料では、それは四千億、私はこれをつぶさに全部見たんですけれども、四千億という大蔵省の試算がありますが、こちらの方の財政改革と大都市経営という東京都の財源問題をやっていた研究会では二兆何千億かと出しておりますね。ですから、私は、その税制上の不公平がいま言ったそんな託児所の問題のところまで波及してきているので、この不公平税制をぜひ早く是正していただきたいというのが第一の答えです。  それから十字軍の問題ですけれども、私も、いま学生は点数をとることにばかり一生懸命で、非常に体験して、自分たちのいま受けている教育が何に役立つのか、われわれは何のために勉強しているのかという反省がないということを大変残念に思っていますので、ぜひぜひそういう機会を与えるように、そういう制度が組まれたらよいと思います。  それから障害児の問題ですけれども、これは障害児をいま特殊学級にしないで普通学級の中で教育を受けさせた方がよいということになっております。そうなれば教育実習生もそのまま体験できるようになると思いますので、私は、それは大変いいことだ、その点でまず改革があれば、これは自然に実習生が体験をするということになると思います。  その体験の問題で、私は本当にもう一度言いたいんですけれども、やっぱり各担当大臣が、厚生大臣は病院施設などの一番貧しいところで一週間入院してくる。それから大平総理大臣は特別老人ホームの寝たきり老人の、おむつを当てて一日に四回しかかえてもらえないという、カーテンの奥で生涯を閉じるという、そういう経験をやっぱりしてもらいたい。で、そういう経験をしているのは、むしろいま地方自治体です。国は余り体験してない。私は、さっき年金の質問がしばしば出ましたけれども、実は心の中で非常に皮肉なことを思っているわけで、議員の方は十年年金を掛ければ三十五歳からでも死ぬまで年金がもらえますよね。そういう方が民間の年金の苦しみというのを本当にわかるんだろうかと思いつつ、でもいい御質問ですから、喜んで答えさせていただきました。

多田省吾公明党

○多田省吾君 私は、揮峻先生に三点御質問したいと思います。  先生のおっしゃる生存権、憲法第二十五条の条文を国民生活の上に実現させるということは、私は大変大事なことだと思いますし、また、高度経済成長時代も全然恩恵にあずからず、また諸外国と比べても非常に立ちおくれている社会福祉、社会保障、国民福祉等の問題につきまして、先生の先ほどおっしゃったことを私も大変共鳴できますが、まず第一に、ただいまのお話では、国民の消費性向が非常に落ち込んでいるということがよくわかりましたが、いま暉峻先生がおっしゃったように、政府は昭和五十五年度から一般消費税の導入を考えているようでございますが、先生は反対だとこのようにおっしゃっております。国の財政再建についてどのようにお考えですか、お伺いしたいと思います。  それから第二点は、このような不況の時代に、景気回復、不況脱出ということは雇用問題も含めまして非常に大事な問題であると思います。いま先生が公共事業国家というふうにおっしゃったわけですが、さまざまな公共投資が行われておりまして、私は公共投資の内容も大変問題があると思いますが、一応、景気回復ということを政府は図っているわけですが、そのために社会保障費が大変食われておりまして、先生がおっしゃったように、福祉の見直しとか、あるいはばらまき福祉ということで、政府もこういったことに便乗して福祉予算が大変削られております。先生は、この不況脱出のための施策と社会保障費用との関係について、どのように分析されておりますか、これが第二点の御質問でございます。  次に第三点でございますが、先ほどからの御答弁をお聞きしまして、先生が非常に地方自治体の内容に御造詣が深いということはよくわかりましたが、この福祉行政の国とそれから自治体の役割り分担というものが言われておりますけれども、先生のお考えを承りたいと思います。いま地方の時代あるいは地方分権化ということが強く言われておりますけれども、やはり財政のあり方につきましては、地方自治体の内容というものが充実していなければならないというふうに私たちは考えるわけでございますが、先生の御見解を承りたいと思います。  以上、三点お伺いします。

暉峻淑子埼玉大学教育学部教授

○公述人(暉峻淑子君) それではお答えいたします。  最初の、消費性向が著しく落ち込んでいるところに一般消費税をかけるべきでないという、これは私の持論でございます。そういうことをしたらいよいよ消費が上向かなくなって、それから国内市場も国民の消費支出という意味で狭くなる一方ですから、そうすると、また無理をして外国に売りに出さなきゃいけないということになりますし、国内の個人消費の市場を決して狭くしてはいけないということはいま至上命令ですから、消費税はかけるべきでない。  では、それにかわる財源はということですが、さっき言いました不公平税制の問題ですね、企業に対するいろんな企業優遇措置、それから医師に対する例の、いま国民の間から非常に大きな非難が起こっている優遇措置、これを早く改めること。それから資産所得、利子配当分離課税ですね、これについても考えてほしいこと。それから土地の重課税が除かれて今度緩和されましたが、それも私は時代に逆行する方向で、一方で足りない足りないと言って一般消費税をかけることを考えながら、一方ではまたそういう取れるべき税も取っていないわけですので、そこからもっともっとお取りくださいということです。  それから、一般的に言いまして、日本はいま現在で法人税四五、所得税五五ぐらいになっているはずですが、これも、こういう国は日本だけだと思います。大体、法人税は半分以上超えているのが諸外国の歳入でありますので、この点も、もっと法人税を高くかけたら、その点税源が大きくなるわけですから、一般消費税というのを考える必要はない。この法人税の安さについても円高のときに諸外国はずいぶん非難していたわけです。企業をそれだけ優遇していて、そのためにコストが安く済んで外国の市場を荒らすというのは日本は公正でないという非難が大分ありました。この点をお考えください。  それから第二番目ですが、これは一番最初の話のときに相当触れましたので余り申し上げませんが、個人消費需要というのは不況回復のための非常に大きな支えになるということですね。これを大事にして、固定資本形成だけでなくて、財及びサービスの面でもっと景気を回復するということを考えれば、国民生活も上向くし、そういう景気は恒常的普遍的でありますので、大変景気の上昇には力になると思います。  それから最後に、一番言いたいのは、社会保障制度と地方分権のことです。現在、社会保障制度を一番親身にやっているのは地方自治体なんですね、これは住民の声を一番聞いているわけですから。国は本当はあんまりよくわかってない。地方自治体は一番これは毎日接触しているわけです。ですから、私は年金とかあるいは失業保険——いま雇用保険と言いますか、雇用保険とか、それから医療保険とかという、国でどうしても見なければならない基本的なものだけを国に保留されて、あとは地方自治体に任せたらいいと思います、地方自治体の方がはるかに住民のニーズというものを知っているわけですから。  ただし、その前提は、地方にもっと財源を移譲するということを前提にしてほしいと思います。現在のように、住民税はごくわずか、そしてあと国税三税、その中から三二%を地方交付税として渡すというんでなくて、最初からもっと取りやすい税源を地方自治体に移譲して、たとえば住民税と所得税の割合なんというのは、出す私たちの方は同じ額であっても、住民税の比率をうんと大きくして、所得税の比率を小さくしたらいいと思うんですね。国を通ってまた地方に分配されるというのは中央集権を強めますので、それはやめて、地方に一番最初から、せめて三割自治じゃなくて五割以上は地方に初めから税源を移譲するという態度で、地方の自治を大事にしていただきたいということです。これはもう昭和二十年代から変わっていない一番おくれた日本の税制の一つでありますので、私は、国民の生活を大事にするということは地方自治体を大事にするということで言いかえられると思っているんですね。この点をぜひぜひ真剣に考えていただきたいというふうに私は考えております。  以上です。

佐藤昭夫日本共産党

○佐藤昭夫君 もう時刻も五時を回っていますので、社会保障の問題でもいろいろお尋ねをしたいことがありましたが、省略をしまして、教育の問題で一つだけお二人の先生方にお尋ねをいたします。  子供の非行、自殺の問題がいろいろきょうもお話に出ていますけれども、大体、いままでの質問や御答弁の中で、一つは家庭教育のあり方の問題、それからもう一つは社会のあり方の問題、ここらあたりの問題は大体出ているというふうに思うんですが、もう一つ、学校教育自体のあり方について今日どう考えるかという、ここの問題が余り出てないように私は思うんです。  で非行、自殺の原因は多岐にわたりますけれども、大きくそういうふうに三つほどに大別をしてみた場合に、学校教育のあり方をめぐって、本当に学校の教師が一人一人の子供たちの心の奥底の動きをしっかりつかみ取って、本当にどうこの行き届いた教育がやれるような学校の体制をつくっていくか、そういう点で、諸外国にも余り例のない日本のいわゆるすし詰め学級の問題、こうした点でいっときも早く最低一クラス四十人編制にすべきだということが国会でもずっと議論になっている問題だと思いますが、そういう問題とか、それから余りにも教える内容が雑多で盛りだくさん過ぎるということで、もっと教育の内容を精選をして、本当に最小限必要なことだけがしっかり教えられていくような教育内容の精選、整理をすべきだということが大体今日ずっと言われてきている問題だと思うんですけれども、そうした点で、学校教育のあり方について、いまの子供の非行、自殺という、これをなくしていくためにいま何が必要かという点で、お二人の先生方にそれぞれお尋ねをいたしたいと思います。

勝田吉太郎京都大学法学部教授

○公述人(勝田吉太郎君) ただいま御意見を拝聴して、すべての点について私は賛成なんです。で、私の答えるべき点に関しまして、こういうふうに思っております。  学校の先生もやはりこの問題は心の中で非常に重苦しくいろいろ思っているに違いないですね。先ほどお話ししているときに、つまり知育偏重ということを言いましたけれども、そのことは言葉をかえて言いますと、情あるいは意志という点で余り発達していないという、そういう子供が多いということです。それは先ほどは豊かな社会ということで、何でも与えられるということで、こらえ性というか、しんぼう性というのがない、そういったことで意志が薄弱じゃないか、何かちょっとつまずくとすぐもうだめだと、へなへなとなってしまう、そういう子供が多過ぎるんじゃないか、そういうことを申しましたが、学校だって、たとえば体操、体育、これはどの学校でもちゃんとございますけれども、余り厳しくやらないですね。  その一つの理由は、これは先生が悪いんじゃないんです。むしろ、いま権利主張の時代ですね。もしも学校の体操の時間に厳しくやってちょっとどこかすりむいた、あるいは悪くしてどこかこぶをつくったとなると、お母さん、まあ教育ママ、ひょっとすると教育パパもそうかもしれませんが、けしからぬ、賠償だと言って学校の先生相手にどなり込むんですね。だもんだから学校の先生もついつい、体操等々でもっと体を鍛えてやろうとか、体操を通して意志の力を養わさせてやろうとかという心はありながら、もうそんなに訴えられたら大変だということで、意外とそういった点で手抜きをしている。だから最後のところ学校の先生もやっぱり考えるべきですが、回り回って社会、つまり子を持つ親たちの考え方、そしてさらには社会全体の考え方、こういったものを改める必要があるだろう、そんなように私は思っております。

暉峻淑子埼玉大学教育学部教授

○公述人(暉峻淑子君) いまの御質問は本当に大変根の深い問題で、教育問題というのはちょっと一言でお答えできないような気がします。私は、知育偏重と言われましたけれども、知育すら偏重じゃないので、知といっても暗記したり、ばっと質問されればばっと答えるというクイズの答えを答えるような、ああいう能力はいまの学校教育では高く評価されるんですが、考えたり判断したり創造性を培うというそういう教育の方もこれも知育だと思うんですが、非常におくれているわけですね。むしろ、そういうのは取り上げられていないという感じです。私の大学の学生に聞いても、もう自分たちは小学校の四年生ぐらいから遊んだという経験がないというんですね。そこから大学受験までただただ学校から帰ってくると勉強勉強で、それで私の子供も同じなんです。  特に中学から高校に行くときなんか正直に言えば四時間ぐらいしか夜寝なかったんじゃないかと思います、勉強勉強で。本人は楽しんでいるわけでもないけれども、結局月謝の安い公立高校に行こうと思えばそうやって励まざるを得ないという、そういう親が横で見ていても親の方が胃潰瘍になりそうにつらかったんですね。すべての母親、すべての教師がこれは間違っているとみんな言いながら何で直らないのかという私も無力感を感じます。みんながいまの教育は間違っていると言うんです。そして、それを一つ一つ直すという意味で三十五人クラス編制にすることも私は賛成です。だけれども、こんなに母も子も教師も血が出るような思いをして苦しみながら、しかもそれが社会に出たときに大してプラスにもなっていないのにどうしてこんなに血や汁を流すようにして、しかもある年限から何点とったとか、ノートの見せ合いも子供たちはしないで、塾に行くのも偽名を使って塾に行って、自分は塾に行っていることを知られないようにして競争に勝つとか、それから高校に行くとき内申五割ですので、中学のときの技術や図工、美術の成績を出すのに、人のものを盗んで、自分よりいいのを盗んで、先生に自分の名前をつけて出すとか、本当に耳を覆いたくなるようなことがずいぶん教育の世界にあるんですね。それもみんな考えてみると、競争で点をとるということにすべてが集中しているからなんです。そういう悪の根源というものがなぜ是正されないのか、私は、ですから答える資格がないということです。毎年毎年無力感に駆られて、だけれども、何とかしなくちゃいけないといって、教師としても、それから母親としても本当に苦しんでいるというのが現状です。

井上計民社党

○井上計君 時間が大分経過しておりますので、勝田先生に一点だけひとつお伺いしたいと思います。  両先生のお話を承っておりまして、やはり痛感しますことは、現在の受験地獄をどのように解消するか、すべて教育の問題の根源につながっておると思います。  ところで、大分前でありますが、進学塾に通っているお子さんを持っているお母さん数人の方と話したことがあります。それらのお母さん方になぜ子供をそのようにいわば塾に通わして勉強勉強ということで押しつけるのですかと聞きましたところ、すべてのお母さん方の返事がまず大学、国立、公立に行かすこと、これが大目的だ、それはなぜかというと費用が安く上がる。いまもおっしゃいましたが安く上がるのだ。同時に国立、公立大学を出ることによって一生のやはり生活が保障される、そういう可能性が高い、これは大体二つに実は集中されております。全部がそうだとは言いませんけれども、大体それらの二つの理由が現在の受験地獄また子供に偏った教育ということのまず根本をなしておるのではなかろうか、こう思います。  そこで私見でありますけれども、国立、公立大学を全部なくして大学は全部私学にする。そうして国立、公立は特殊な専門学校をつくって、専門学校についてはひとつ国なりあるいは地方自治体が国立、公立でそのようないわば学生を大いに養成する。あとの大学は全部私学でやる。しかし私学についての助成については現在のようないわば国立、公立と私学と偏ったようなそのようなことでなくて、やはり均等をといいますか、国、地方自治体が要するにいろんな面で助成をしていく。こういうことができるかどうかは別ですけれども、考え方として実はどうであろうかということを考えておるのですが、勝田先生には大変ユニークなお話を先ほど来いろいろといただいておりますので、先生のひとつ率直な御感想を承ればありがたいと思います。  以上です。

勝田吉太郎京都大学法学部教授

○公述人(勝田吉太郎君) いや、私も実は先生に劣らずきわめてユニークな考え方をずっと前に、もう六、七年前になりましょうか、打ち出したことがございます。それは肩書き廃止論というふうに俗人に入りやすいかっこうでそういうふうに言ったのです。はっきり言いますと、どの大学を卒業しても、そういうどこそこ、たとえば東京大学卒業といったようなそういう履歴を抹殺してしまえと、そういう意見なんです。私、率直に言いまして、学士あるいは修士、博士、そういうふうな学位というものが必要なのはどうでしょうか、弁護士、医者、それからエンジニア、科学者、それから大学の先生、教師、それぐらいなものでいいのじゃないかと思います。弁護士も医者も国家試験がちゃんと現在ございますね。国家試験というのをたとえばエンジニアにも課すということにする、それも一つの方法じゃないのか。学校の先生ももちろんのこと、そういうふうな国家試験をやる、そういうことにすればどこそこの大学に入るということだけが目的で、その大学に入ってしまえばもう能事終われりということで、あとはアルバイトやるなりあるいはデートして楽しんでいる、そうしてちっとも勉強しない、そういう現在の悪弊が少しは改まるだろう。いっそのこと履歴廃止という方向に進むべきである、こういうふうに私はずっと前に論じたことがございます。それ以来学歴社会の偏重等々いろいろマスコミ等々で騒がれまして、ソニーがその一つの代表です。最近では毎日新聞もそういうふうな傾向をやり出したというのですが、採用試験のときに履歴を見ないのですね、履歴を抹殺するといいますか、実力本位でこの入社試験を受けさせる。それは私は、一つの私のもともと考えておったそういうふうな考え方に社会も少しずつ近寄ってきたなと、そういうふうな感じがいたすのです。  先ほど先生は、全部大学というのは私立大学にしたらどうか云々と、これもなかなか思い切ったユニークな考え方で、確かにすべての問題、いろいろな問題をわれわれは考える必要があると思います。しかし、大学というのはこれは実は金のかかるところなんです。すべて私立というわけにもまいらないだろうなあというふうに思います。よほどの国家の助成ということが必要になりましょうね。もともと学問というのは本当はこれは非常にお金のかかるものなんです。その点、文科関係の文学部は一応除きますと、法学部とか経済学部等々は私学で十分にペイするんですね。そういったものはいつそのこと私学に任してもいいのじゃないか、私も実は同感なんです。そういうひとつ思い切ったことをいろいろ皆さん社会全体で考えてみるというのも一つの方向じゃないか。今日、私学の助成というのは相当進んでおります。文部省の調べで言いますと、もうすでに私学の経常費の三割は国からの助成で賄われております。これは憲法八十九条との関係も一ございまして……、しかし、それは事実上骨抜きにしたようなかっこうでそれはそれでいいと私は思うんです。ある意味ではもっと私学に援助してもいいじゃないか。しかしそのかわり裏口入学だとか特に医科系の大学に見られるようなああいう特殊なやり方ですね。あれは青年の心を腐らせます。私、率直に言って、ロッキードだとかグラマンだとかというそんなことより以上に日本の道徳的な堕落の原因をなしている。青年の心を腐らしてはいけません。そういった点に関しては、マスコミもさることながら、文部省もそれぞれ口を出しても構わぬのじゃないか。それは何にもアカデミックフリーダムの侵害にならない、そういうように私は思っております。いずれにしろ、お互いにこの問題はユニークな発想でいろいろ考えてみる、そういうことが必要なんだということを申し上げたいと存じます。

町村金五自由民主党・自由国民会議

○委員長(町村金五君) 以上で社会保障問題及び教育問題に関する意見聴取は終了いたしました。  一言ごあいさつを申し上げます。暉峻公述人及び勝田公述人には、それぞれのお立場から貴重な御意見をお聞かせくださいまして、ありがとうございました。拝聴いたしました御意見は、今後、当委員会の審査に十分役立ってまいるものと信じております。ここに委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)  明後二十二日午前十時から委員会を開会することとし、公聴会はこれをもって散会いたします。    午後五時二十一分散会

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