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87回国会衆議院1979/04/10

地方行政委員会 第8号

発言数
54
登壇者
10
会派数
6
開催日
1979/04/10

会議録

松野幸泰自由民主党

○松野委員長 これより会議を開きます。  内閣提出に係る地方交付税法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人から意見を聴取することにいたしております。  本日御出席を願っております参考人の方々は、成績大学助教授深谷昌弘君、大阪大学助教授米原淳七郎君、法政大学教授高橋誠君、以上でございます。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ当委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。本案につきまして忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存じます。  なお、議事の順序は、初めに参考人の方々から御意見を約二十分程度お述べいただき、次に委員諸君からの質疑に対して御答弁をお願いいたしたいと存じます。  それでは、まず深谷参考人にお願いいたします。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 成蹊大学の深谷です。  地方交付税法の一部を改正する法律案について参考人として意見を述べるようにという要請がありましたので、以下私の考えを述べさせていただきます。  今回の改正点は主として二つの内容から成るかと思います。第一番目は昭和五十四年度の交付税総額に関すること、それから二番目は交付税算定基礎の単位費用に関すること、この二点かと理解しております。二番目の算定基礎の単位費用に関することについては、問題はきわめて重要ではありますけれども、またきわめて実務的、技術的な問題であります。私のような実務的な知識が乏しい者が意見を述べるというのはいささか不適格のような気もいたしますので、この点については意見の陳述を差し控えさせていただきたいと思います。私は以下もっぱら交付税総額の点について考えを述べさせていただきたいと思います。  とは申しましても、この昭和五十四年度交付税総額の特例という問題は、実は昭和五十三年度の交付税法の改正、すなわち地方交付税の総額の確保のためになされた借入分の措置に関する改正、つまり借入純増加額の二分の一を以後の臨時特例交付金で見るという改正があったわけですが、その五十三年度の改正にのっとった措置であると考えられます。したがいまして、この総額の特例に関する問題の是非については、いわば昭和五十三年度の改正に言及しないわけにはいかないということになります。  ところで、実は昭和五十三年度の交付税法の改正、去年の改正ですが、これについては、昨年私は参議院の地方行政委員会で参考人として意見を述べております。そこで私は、まず昨年時点においてこうした地方財政の財源措置を一体どのように評価していたかという点について申し述べたいと思います。そして次に、五十三年度改正にのっとった今回の五十四年度の措置、それについての評価を試みたいと思います。したがって、まず第一番目としては五十三年度の交付税法改正を去年私はどのように評価したか、第二番目として、その改正にのっとった今回の措置を一体どのように考えているか、そういう順序で意見を述べさせていただきたいと思うわけであります。  まず、昭和五十三年度の交付税法の改正についてでありますが、その内容は、先ほども少し申しましたように、交付税総額の確保のために三税三二%の交付税で不足する分を借り入れで賄った場合、借入純増加額の二分の一相当分を以後の年度において臨時特例交付金として一般会計から繰り入れる、そういう内容の改正であったと理解しております。  この改正の目的はどのようなところにあったかと申しますと、歳出需要の拡大傾向がある、近年ずっと歳出需要が拡大傾向にある。一方、オイルショック以後の成長率のシフトダウン、それから不況の継続、ここから生じた地方財政の財源不足、そういう状況の中で交付税総額を借り入れで手当てする、そしてその返済によって後年交付税総額の確保に支障を来しては困りますから、それが支障を来さないようにするためにこういう措置をとった、そういうふうにこの改正の目的を私は理解しております。  ところで、この措置の、五十三年度の改正の性格でありますが、改正の字句の中に「当分の間」というただし書きがついております。すなわち「当分の間」というただし書きつきの暫定措置であったわけです。この暫定措置が交付税法第六条の三の二、引き続き不足を来すことになった場合の制度改正もしくは交付税率の変更にかなっているかどうかという法制上の問題になったところでありますが、法律上の解釈はともかくとして、実質的には「当分の間」というただし書きつきの暫定措置であった、こういうふうにその性格を私は理解いたしました。  さて、このような五十三年度の交付税法改正について昨年時点で私はどのように評価していたかということを次に申し述べたいと思います。  まず、その改正が生じてきた状況の私なりの認識ですが、これはまず歳出需要が拡大傾向にある。次に、成長路線が安定成長へとシフトダウンした。そこでそれによって税収の落ち込みが生じた。一方で歳出需要の拡大傾向、他方で成長率のシフトダウン及び不況から税収が落ち込んだ、そういう背景の中で深刻な財源不足が生じた。しかもこの財源不足の深刻な状態、その程度というものは、景気が回復し、歳出の見直しがなされた、そのように仮定しても、歳出の拡大傾向の趨勢、それから安定成長ということを前提にすれば、財源不足、歳出と財源のギャップは当分継続せざるを得ない、そういう状況にある。その中で、財政についてどういう問題が生じたかといいますと、中央財政については建設公債主義の破綻といったような形の問題が具体的には生じてきた。それからまた地方財政については、いわば伝統的な三税の一定率、現在とられているのは三二%という率ですが、三税掛ける三二%という交付税制度の運営の仕方が破綻を来してきた、結局、こうした状況では、安定成長路線が定着する過程あるいは定着したところで、税負担率の引き上げを含んだ中央、地方の財政制度全体の改革がなくてはこれからの状況は解決され得ないものだ、私はそういうような状況認識を持っていたわけです。したがいまして、本来は財政制度全体の抜本的な改革というのが必要な状況なんだという理解を持っていたわけでありますが、この認識は現在も変わっておりません。  しかしながら、他方で財政制度全体の基本的改革の目途が立たないという状況がもしあったとしても、やはり幾つかの理由によって暫定措置がどうしても必要であります。その幾つかの理由をかいつまんで申しますと、目下の状況で交付税制度を破綻したままに放置すれば、地方財源の確保に見通しが立たない。したがって、そのために地方団体の自主的、計画的な財政運営が望み得ない、そういう理由。それからまた次の理由は、地方団体の地域的公共財、サービスを提供するという責務を果たし得る財源は、どうしても、どんな状況にあろうと確保されねばならないということ。それから第三の理由として、当時は景気政策としても地方の歳出需要を抑制すべきときではない、むしろ需要拡大を図るべきときであったということです。このような理由から、ともかくも暫定的にせよ交付税総額を将来とも確保し得る、そういう目途をここでつけておく必要がある、そういうふうに私は考えております。  したがいまして、五十三年度の改正については、私は暫定措置として評価するという結論を下しました。いままで申しましたような判断に基づいて五十三年度の改正を暫定措置として評価する、そういうふうに申し述べたわけであります。  ところで、この暫定措置として評価するという私の判断には、二つの意味があります。つまり、暫定措置として評価、その言葉には二つの意味があります。  一つの意味は、財政制度全体の基本的な改革が必要だという状況において、交付税のみを抜本的に変更するというわけにはいかない、そういう制約条件がある中で、地方財政の財源をともかくも確保する、そのめどを立てた、そういう点で評価できるということが一つの意味であります。  それからもう一つの暫定措置として評価するということの意味は、安定成長路線に即した中長期の財政制度の基本的改革を考える必要がある。そのような将来の望ましい制度のあり方との関連でその改正を考えてみた場合、暫定措置が長期にわたって実施されることには問題があるというふうに考えていたということが第二番目の意味です。つまり、暫定措置が長期にわたるならば、これはもはや暫定措置ではなくなるわけですが、その場合には問題がある。したがって、そういった長期にわたることをあらかじめ防止するという意味で暫定という性格を持たしたのだとすれば、それだからこそ、暫定だからこそ評価できるという意味であります。したがって、もし暫定でなくなるならば評価できない、そういう判断です。  このことは具体的にはどういうことかと申しますと、それ以前は交付税の総額はほぼ三税掛ける一定率という方式で決められていたわけであります。ところが、この改正以後どのような形で交付税総額が決まるようになったかということを大ざっぱに考えますと、基準財政需要を計算して、それが基準財政収入プラス地方債、この地方債には通常の地方債といわゆる財源対策債が含まれるわけです。この二つの合計になるわけですが、基準財政収入プラス地方債、さらにプラス交付税、これがちょうど基準財政需要になるように交付税額を決める、そういう形になったというふうに考えられます。したがいまして、ここではどういうことになるかと申しますと、財源対策債を一体どのくらい想定するのか。基準財政需要はどこかで計算されて与えられたものとしますと、それを満たすために、——もう一つの地方税の方は地方税で基準財政収入は経済情勢から決まってきますから、これが決まったとしますと、あと問題は、残りを地方債と交付税でどう振り分けるかという問題になるわけですが、その際に財源対策債をどれくらい見るのか、それによって交付税の総額が動いてくるということになるわけです。この現下の困難な状況では起債充当率を九五%まで見まして、通常の起債充当率から九五%の差額を財源対策債と呼んでいるわけですが、一体この起債充当率を九五%にするのか八〇%にするのか七〇%にするのか、その判断によっては交付税の総額が動いてしまう、こういう構造になったわけです。このことは、いわば交付税の総額を決定する際に中央政府の政策的判断が入る余地というものが拡大したことを意味しているわけです。ということは、交付税総額が将来幾らになるかということの見通しが非常に立ちにくい、そういう状態になったというふうに考えられるわけです。つまり、そのときどきの政策的な判断によって、起債をどのくらい見るか、それによって交付税の総額が変わってくるということでありますから、交付税総額が政策的な中央財政の判断によって動く裁量の余地がかなり生じてきた、そういうことになるかと思います。したがって、自治体がこのような交付税制度のもとで財政運営を計画しようとした場合に、交付税の総額が不明確なために自治体の計画的財政運営を行うということがむずかしくなってきた。したがいまして、もしこういうやり方が長期に継続するならば、自治体の自主的、計画的な財政運営を妨げるという弊害が生ずる可能性が出てくるわけです。その意味で、暫定であればこそ評価し得るのであって、もし長期の制度としてこの制度が定着してしまうならそれは問題がある。だから、暫定だと断っている限りでは評価できるけれども、暫定でなくなった場合には私は評価できないということをその表現の裏には申し上げていたわけであります。  五十三年度の改正について去年は私はこのような評価を下したわけですが、次に、現時点で今回の改正を含めた評価を申し述べたいと思います。  今回の交付税総額の特例に関する改正というものは、前にも申しましたとおり、五十三年度改正法にのっとった措置でありますから、五十三年度の改正法が現在も有効実施されている、そういうことをどう評価するのかということを申し述べれば、あわせて今回の改正に対する評価を述べたことになるというふうに私は考えます。  ところで、私は職業柄学期末になると学生に対して試験を行い、採点をいたします。私の大学では、もし試験が百点満点だとしますと、八十点以上に優をつけます。それから六十点から七十九点までが良、五十点以上六十点未満が可、ここまでが合格でありまして、五十点以下が不可、そういう採点の仕方をしております。これが私の大学の基準です。ところで、一年間に二度試験をする場合があります。つまり前期末の試験と後期末の試験です。それぞれにテストをした場合、通年の評価はどうするか。これに関しましては、私は自分独自の方針として学生の努力というものを重視する立場をとっています。したがって、前期たとえば六十点、後期八十点をとる。そうしますと、通年は、平均すれば七十点なのですが、七十点ということは良ということになるのですが、私はこの場合努力を買って優というふうに通年の評価を下します。逆に、もし前期に八十点をとって後期に六十点、そうすると、これは学生の怠慢だというふうに私はみなしまして、この場合は厳しく良というふうに落としてしまいます。評価を下げます。  ところで、もし五十三年度の改正を採点になぞらえた場合どういうことになるでしょうか。昨年時点の私の評価というものは、端的に言えば六十点から七十九点の間の、つまり良ということになるかと思います。昨年の評価はしたわけですが、なぜ優をつけないかということは、理由を考えれば明らかです。つまり、安定成長路線に即した中長期の財政制度全体の基本的な改革、その中で交付税制度の望ましい方向への改革が図られなければならないわけです。ところが、五十三年度の改正は暫定措置でありますから、暫定措置であるという以上は良以上の評価はどうしても無理であって、優をつけたくてもつけられない、そういうことで良にとどまるのはいわば当然であったかと思います。  さて、今回の改正は、五十三年度改正の踏襲ですから、基本的には前回の答案と同じ内容の答案が提出されたということになります。年二回の試験にたとえれば、前期と後期同じ内容の答案が出てきた、そういうことになるわけです。この場合は、私の信条としましては努力を重視するわけでありますから、後期の採点というのはどうしても前期よりも低いものにならざるを得ない、厳しくならざるを得ないわけです。なぜならば、同じ内容なんだから同じ評価でもいいじゃないかとおっしゃられるかもしれませんが、そうではないわけです。なぜそうなのかと申しますと、学生の試験の場合は、前期の問題と後期の問題というのは問題内容が違っています。ですから、前期良、後期良なら通年判定も良で済むわけです。しかし、この場合は地方財政制度を問うという同一の問題に対して、前期も後期も解答が同じであった、一歩の前進もないわけですから、後期はどうしても評価を一ランク下げざるを得ない。したがって、評価としては可がいいところだ、そういうことになるわけです。  いわば、これはつまらない比喩による評価であるわけですが、もっと私が今回の措置に対して評価を下げざるを得ない基本的な理由がございます。それは現在の措置が暫定措置である、それが長期に継続すればするほど弊害を逆に重視しなければならない、そういう性質のものだ、そういう点に評価を下げざるを得ない理由があるわけです。  前に、現在のような交付税総額の決定方式では総額決定に中央政府の裁量的判断の余地が大きい、そのために自治体が計画的財政運営を行う上で弊害がある、そういうふうに述べたわけですが、暫定措置は暫定措置だからこそ評価できるわけで、長期化することは望ましくない。地方財政が今日のような困難な状況に至ってもうすでに五年を経過しているわけです。しかもなお、基本的な制度改正がなされないということは怠慢のそしりを免れないわけです。努力の跡が見られないということです。  ただ、私が評価をワンランク下げただけで、一応可にとどめて不合格の不可をつけないその理由は、いわばこのような怠慢の全責任を、この委員会を含めてですが、地方財政の関係者だけに責任を帰してしまうというわけにはいかないと私は判断しているからです。基本的な制度改正というのは、中央財政を含めた財政制度全体の抜本的な改革の一環として考える必要があるわけで、それがいわば現在の、昨今の状況になっているわけです。したがいまして、責任は地方財政関係者だけでなくて、財政、経済政策、それに携わる者全体の責任が問われなければならない。それをすべて地方財政関係者に帰してしまうのは少し酷だろうということで可にとどまっているわけであります。  以上が私の評価でありますが、最後に今後の中長期的な地方財政制度のあり方について一言触れておきたいと思います。  安定成長路線に即した地方財政制度のあり方全般についてここで包括的な意見を述べる、そういう時間的な余裕はありません。また、その準備も私は持ち合わせていないわけですが、以下、地方財政の財源にかかわる要点だけを述べておきたいと思います。要約すると次のようなことになるかと思います。  まず第一点は、高度成長期のような大幅な自然増収は望み得ない。それにもかかわらず、歳出需要の増大傾向というのは根強いものがある。財源不足状況は景気回復や歳出の合理化といった程度のことでは解消し切れない見通しになっている。したがって税負担率の引き上げが必要であるというのが要点の第一、税負担率の引き上げは国税、地方税あるいはその両方を意味しているわけです。  第二点は、日本経済の活力を維持する上での一つの重要なキーポイントは地域社会の整備拡充であろうと私は考えております。それはどのような形でなされるかと言いますと、地方の自主性の拡大ということを条件としているかと思います。その一環として地方財政の財源も地方自治を拡充する方向で確保されねばならないだろう。それが第二点です。つまり地方税の拡充強化とか地方交付税の拡充強化といったことが必要になっているということが第二点です。  第三点としては、厳しい財政状況の中で、今後とも厳しい財政状況は高度成長期に比べればずっと続くと考えられるわけですが、その中では自治体の計画的、合理的な財政運営を可能とするような地方財源の安定的な確保が必要だということです。厳しい状況の中では計画的、合理的な財政運営がますます必要になってくるわけですが、それを可能にするような財源の安定的な確保が必要だということ。  第四点、最後の点は、財政の景気調整機能をより強化拡充する要請が安定成長路線では高度成長期よりも強まるということです。地方財政のそれへの協力要請もしたがって強まらざるを得ない。安定成長期においては景気を拡大する、抑制する、両方うまくやらなければならない。高度成長期ではどちらかと言えば抑制さえうまくやっていればよかったわけですが、これが拡大と抑制の両方を、つまり対称性を強化しなければならない。それから高度成長期は設備投資需要さえうまくコントロールすればよかったという側面があったわけですが、今後はそうはいかないだろう。したがって、景気調整の対象項目を多様化しなければならない。それからまた、インフレが起こりやすい体質になっておりますから、より微調整力を強化しなければならない。あるいは別の表現をすれば、景気調整が弾力的に運営されなければならない、そういったことが出てくるわけですが、その中で景気調整を有効たらしめようとする場合には、地方財政の協力がどうしても現実には不可欠になってまいります。今後の中長期的な地方財政の財源に関する制度のあり方というのは、こうした要点を踏まえて設計されねばならないというふうに考えられます。この要点の中で税の負担水準とか、あるいは地方税、交付税、こういった財源構成、そういった問題については、これまでもしばしば議論がありますので私は繰り返さないことにいたしまして、地方の自主的、計画的財政運営、それから地方財政の景気調整への協力、この二つの関係についてだけ私の意見を申し添えておきたいと思います。  景気調整がうまくいかない場合に、どんな制度を設定しても必ずその制度は破綻を来す、それが今回の交付税制度のいろいろな問題として端的にあらわれているわけです。従来地方財政の景気調整への協力というのは、地方の自主的、計画的財政運営に対するいわば撹乱要素として非難されることが多かったわけであります。しかしながら、景気調整の失敗によって景気変動が激化するといたしますと、それ自体が地方の自主的、計画的財政運営の前提としての経済の破綻を意味することになり、自主的、計画的運営はいわば安定した経済を前提として初めて可能である、そのことを忘れてはならないと思います。  それからもう一つ忘れてはならないのは、有効な景気調整は地方財政の協力がどうしても不可欠だ、これは財政支出全体に占める地方の割合などを見れば明らかであります。地方の自主的、計画的財政運営は安定した経済を前提に初めて可能だということと、それから有効な景気調整は地方財政の協力が不可欠だということがどうしても銘記される必要があると思います。要は地方の自主的、計画的な財政運営と両立可能な地方財政制度、そういうものを今後確立していく必要があるかと思います。こういった点を考えますと、現行の地方財源の制度には幾つか問題があります。  たとえば交付税ですが、三税掛ける一定率ということで所得税、法人税、酒税から成っているわけですが、この所得税、法人税の景気感応度はきわめて高い。やはり算定基礎の国税をより安定性の高い税目にする必要がある。あるいはまた単年度の税収見積もり額を算定基礎にするのではなくて、景気変動を除いた中長期の推定額を基礎にするといったような形で交付税の景気感応度を除去する、そういった措置が必要ではなかろうか。  それから地方税についても、法人関係税——住民税、事業税ですが、このウエートが高くて、しかもこれらの景気感応度はかなり強い、こういったことは、税目については外形標準化といったようなことによっての安定化が必要ではないかというふうに考えます。  結局、中央財政よりも地方財政は金融力が弱いために均衡予算原則的な財政運営がとられる傾向があります。理論的には明らかでありますが、これが景気不安定化要因として働く。不況期に支出が縮小して好況期に支出が増大する、そういう傾向を持つわけです。  この傾向は実際に四十年代以降の単独事業の動向を調べてみますと、実ははっきりあらわれております。これは私自身も突きとめてみたことであります。地方財源を安定化することによってこうした傾向を解消するということが必要ではなかろうか。それからより積極的には単独事業についても景気局面によって起債充当率を弾力的に調整する、そういうことをやって不況期に事業量を拡大し、好況期に縮小し得る、そういう措置がとられてもいいのではないかと思います。  ただし、景気調整のために操作した起債充当率の変化、それによって生じた地方財政の負担の追加、そういったものは景気調整の最終責任者である中央財政が見るべきことは言うまでもありません。あるいはまた景気調整の対象とする事業項目、これも地域の優先順位の選好、それに従って選択し得るというようなことがやはり必要であろうかと思います。  こうした方向で改革を行えば、地方の自主的、計画的財政運営と、それから景気調整の協力との両立可能性というのはかなり拡大するはずであります。あるいは将来は地方財政の投資調整基金とか、そういった構想も考えられていいかと思います。そして中長期の財政計画の範囲内で景気調整を行っていく、そういうことが行われますならば、計画的財政運営による資源配分の効率化という観点からも望ましい問題の解決と言えるわけですし、また景気調整の機動性自身も増すということになります。  要は、地方の自主的、計画的財政運営と両立可能な景気調整制度というものを工夫して、地方が進んで協力できるようにすることが重要ではないかと思います。ようやく一般消費税の提案などがあって、財政制度全体の基本的な改革の論議が高まりつつある状態かと思います。地方制度の改革の方も、本委員会を初めとする関係者の皆さんの積極的な取り組みを私は期待したいと思います。来年度も同じ答案ではちょっと困るということであります。  以上で私の意見にかえさせていただきます。(拍手)

松野幸泰自由民主党

○松野委員長 次に、米原参考人にお願いいたします。

米原淳七郎大阪大学助教授

○米原参考人 大阪大学の米原でございます。  地方交付税法の一部を改正する法律案につきましての私の意見を述べさせていただきます。  先ほど深谷先生からもお話がありましたことでございますけれども、今回の地方交付税法の改正案の要点というのは二つあると私も理解しております。  まず第一点は、地方交付税の総額を地方交付税法第六条によって規定されている額以上に増額しようとしている点でございます。より具体的に申し上げますと、臨時地方特例交付金三千七百六十六億円を一般会計から交付税及び譲与税配付金特別会計に繰り出しを行う。さらにまた、交付税及び譲与税配付金特別会計におきまして二兆二千八百億円を借り入れ、それだけ地方交付税の総額を増加させようとしておる、こういう点でございます。  第二点は、基準財政需要額の算定方法が、これはいろいろあるようでございますが、改正されている点でございます。これは非常にたくさんあるようでございますが、特に私の目に触れましたのは社会福祉関係の投資的経費が、単位費用についてでございますけれども、前年度に比較して約三〇%と非常に高い伸び率を示しておるというようなこと、それからまた、道府県の基準財政需要額の計算におきまして、教育費に関して特殊教育諸学校費が新たな項目として設けられておるというような点、こういう点は今年度の改正の中で特に私の目にとまった点でございます。  このような地方交付税法の改正につきましては、私は地方交付税の財源均衡化機能及び財源保障機能を強化するという効果を持つものといたしまして大変結構なことであると評価しておる次第でございます。特に今年度の地方財政の財源不足額が四兆一千億円という非常に大きな金額でありましたにもかかわらず、地方債の増発と交付税の増額とによりまして、一応この財源不足額というのが埋められておるということは評価すべき点ではないかと考えております。  私はこのように一応今回の改正案を評価しておるわけでございますけれども、これは基本的に申しますと、私が現在の地方交付税制度というものは望ましい制度であるとしてこれを是認しておることに基づくものでございます。  この現在の地方交付税制度を望ましいと見るかどうかということにつきましては、これはいろいろと意見のあることかと思います。こういうものは望ましくないということを言うこともできるかと思います。たとえば、地方交付税というのは、御案内のように国税の三税を財源といたしまして地方団体に配分するものでございますから、交付税制度があるということは、言いかえれば、それだけ国の方で税金をたくさん取っておるということになるわけでございます。現在、地方自治という見地から見まして、国と地方との税源配分におきまして国がたくさん税を取り過ぎているのではないのか、本当の地方自治というのは地方団体が自分の手で集めた税金で自分の財政を行うというところにあるのではないか、こういう考え方があることは私も十分承知しております。その考え方からいたしますと、交付税というものがあって、国が税金を取り、それを地方に配分するということは、国に対する税源配分をふやすことになりますから、望ましくないのではないか、こういう考え方もできるかと思います。  しかしながら、私はやはり、現在の地方交付税が持っております財源調整機能といいますか、富裕団体と貧困団体との間でその財政力の格差を少なくするということ、これは望ましいことではないのか。もし各地方団体が自分のところの税源だけで財政を行っていく、そういうことにいたしました場合には、特に田舎と申しますか、地方と申しますか、経済力が比軽的弱い地域の財政というものは税収不足で非常にレベルが下がってしまうというようなことが起こりはしないか。そういうことを考えますと、やはり財源調整機能というのは必要ではないのかということを考えておる次第であります。  また、これは若干視点を変えて現在の交付税というものを見てまいりますと、国税の所得税とか法人税を主として財源にしております関係上、その交付税の財源となっております収入というものは都市地域から大体吸収されておると見てよろしいわけでございます。その配分先は経済力が弱い田舎と申しますか、地方に向けられておるわけでございますから、交付税制度というものはいわば都市と地方との間で財源の再配分を行っておるシステムである、こういうふうに理解できるわけでございます。  もし、ここで地方税源の拡充を行い、地方団体は自分のところで集めました税を基礎にして財政を行っていくんだという、これは純粋と申しますか、素朴といいますか、一つの地方自治の原則になるかと思いますが、それを徹底いたしますと、どうしても農山村地域の行政水準は下落し、都市地域の行政水準が上昇していくということになると思いますが、それはそれとして是認できるという考え方もあるかと思います。それは効率性という見地から考えてみまして、人口規模の小さい田舎の市町村あたりで財政を行います場合には、一人当たり経費が非常に高くつくということがあるからでございます。財政活動につきましては、よく規模の経済が働くということが言われるわけでございますけれども、確かに、ある程度人口規模が大きくなりまして都市的な形態を整えてきておる地域におきましては、一人当たり行政の費用というのは安くなってまいるわけでございます。したがいまして、もうそういう非効率な田舎で財政を行うのはやめろ、効率のいい、一人当たり経費が安くつく都市だけで財政を行えという判断をいたしますならば、地方に多額の交付税を回すということはもうやめてしまいまして、地方の行政水準を落として、人々がもうそういう行政水準の低いところでは生活できないというような考えを持ち、都市へ人口移動するという方策をとることも可能である。確かに、効率性ということから経費を安く上げるということを主目的にいたしますならば、そういう政策をとることも可能かと思います。  しかしながら、私の個人的な見解は、やはりそういうことはすべきではないのではなかろうか。現在のわが国の都市地域というのはすでにもう過密状態にありまして、これ以上一人当たり経費が安くつくからといって、農村部、山村部、漁村部からさらに人口を都市地域へ持ってくるというようなことはすべきではないのではなかろうか。やはり今後は人口のUターン現象を図るといいますか、都市に過度に集中しております人口を地方へ分散させる方がむしろ望ましいのではなかろうか、そういうふうな見解を個人的に持っております。  そのような見解からいたしますと、やはり地方に対して交付税を回しまして、そして行政水準を上げ、地方は魅力ある生活の場所だからといって都市から地方へ人々が分散していくという政策をとるべきではなかろうかと思います。そのようなことを私が考えておりますために、やはり交付税というのは必要である。この今回の交付税法の改正案はそういう目的にかなうような形で、交付税の効果を強化するという方向でなされておる。したがって、私はこれに対して賛成をしたいというふうに考えておるわけでございます。  もっとも、私は現在の交付税制度が最高のものであって、これに対して何らの注文もないというわけではございませんで、いまの交付税制度というのはすぐれた制度ではあるけれども、さらに一層の改善をしていただきたいというふうに考えております。  そこで、残り若干の時間をおかりいたしまして、今後こういう形で交付税制度を改善していっていただけたらありがたいなと思う点を述べさせていただきます。四点ほど述べさせていただきます。  まず第一番目は、基準財政需要額の算定の方式でございますけれども、これは全般的に見まして——一つ一つの細かいことは私十分に知識を持っておりませんので、全体としての印象について申し上げますと、現在の計算方法は現状をもとにして計算されておる。たとえば、いま道路面積が何平米あるとか、道路の延長が何キロあるという、そういう現状をもとにして計算されておる部分が非常に多くありますために、将来こうなければならないというあるべき姿を想定し、それに向かっての改善を進めていくための経費が十分に考慮されていないのではなかろうか。言葉が若干悪いかもしれませんけれども、投資的経費の必要性が十分に勘案されていないのではなかろうかということを思っております。  大変卑近な例で申しわけございませんのですが、私は現在兵庫県の宝塚市に住んでおります。この宝塚市は、昔の田舎の町が急速に都市化した町でございますために道路の整備状況が非常に悪いところでございます。ちょっと古くなりますけれども、昭和五十年度の数字で見まして、道路の平均の幅員といいますか、市の道路の総面積を総延長で割った値でありますけれども、それで道路の幅が大体どれぐらいあるのかがわかると私思っておりますが、それは二・七メートルでございます。現在、御案内のように、家を建築いたします場合には少なくとも四メートル幅の道路がないといけないということになっておるわけでございますが、それに遠く及ばない二・七メートルの幅しかございません。また、市の管理しております道路の中で自動車が通れない道路、これは幅が狭いからというのが主な理由でございますけれども、自動車交通不能道路の割合が五九・七%、約六〇%、半分以上もございます。このように道路の整備状況が非常に悪いのですが、これ以外の公共施設につきましても、やはり新興都市の悲しさといいますか、いろいろと不便がございます。こういう公共施設の状況といいますのは、東京でございますとか大阪でございますとかいうような大都市と比較いたしますと非常に落ちるわけでございますけれども、そういう公共施設の状況が悪いからそれを改善するために金がかかるだろう、それを交付税で見ようという配慮はなされていないとは申しません、やはりかなりなされてはおりますけれども、十分ではないのではなかろうか。今後こういう面を御配慮いただけたらありがたいのではないかと思っております。  それから第二点でございますが、これもやはり基準財政需要の算定に関する問題でございますが、現在多くの経費項目につきましてそれぞれの都市でどれぐらい金がかかるのかという経費を算定いたします場合に、態容補正というのがなされております。結局のところ、都市化が進んでおるところほど行政水準は高くあるべきだという配慮からだと思いますけれども、経費がたくさんかかる大都市ほどそういう補正がなされております。しかしながら、交付税というものが本来行政水準、財政水準の平等化をねらうというものでありますならば、このような都市と地方との格差というのは余りつけるべきではないのではなかろうか。行政というのは本来公平に大都市地域も地方も同じように財源をつけるべきではなかろうかという感じを持つわけでございます。そういうことを考えますと、都市地域に多くの金を回す態容補正というのは縮小の傾向で進んでいただけないものだろうか。これは私が田舎から出てまいりましたために特にそういうふうに感じるのかもしれませんが、そういう考えを持っております。  それから第三番目は、先ほど深谷先生もお触れになった点でございますけれども、昨年度から始まりました交付税及び譲与税配付金特別会計の借入れに対して国が二分の一、後の時点で財源を保障する、一般会計から繰り入れて二分の一だけは見るという点でございますが、確かに深谷先生もおっしゃられたように、いまの時点ではこれはやむを得ないことかと思います。いまの国、地方を通じます財政状況から見ればやむを得ないことかと思いますけれども、長い目で見れば、いつまでもこういうことは続けられるべきことではないのではないか。地方負担として残ります二分の一につきましても、将来何らかの形で国によって保障していただくというのが必要なことではないのか。これは現在のわが国の地方財政制度が、国が地方財政に対して財源を保障するというたてまえのもとにつくられておりますことを考えますとき、どうしてもそのような将来におきます国の保障をもっとしっかりしていただく必要があるのではないかと思います。もちろん、一般消費税等の問題が出ておりまして、もしこういうものが実現され、それが交付税財源に回るというようなことが将来において実現したといたしますれば、それによって解決できる問題かもしれませんけれども、現在のところその見通しがはっきりしておりませんので、もしそういうものができなかったら、これは地方団体にとって将来大きな負担になるのではないかという危惧の念を抱く次第でございます。  それから第四点でございますが、これは地方団体金融公庫と申しますか、そういうものをぜひともつくっていただきたいということでございます。御案内のように、いまは公営企業金融公庫というものがございまして、公営企業に対して融資をいたしておりますが、地方財政の一般会計におきます借り入れ、地方債の発行に関しましてはそういうものがございません。そういう地方債の資金を見るとか、あるいはまた現在行われております交付税及び譲与税配付金特別会計の借り入れのめんどうを見るといったような、そういう金融公庫的なものができることを希望するわけでございます。これは一つには、今後もまだしばらくは続くであろうと思われる地方財政の財源確保といいますか地方債の資金確保のためにも必要だと思います。さらにまたもっと長い目で見まして、今後の財政金融政策、いわゆるフィスカルポリシー、景気調整策を行う面におきましても、こういう地方団体に資金を融資することを専業といたします金融機関を設けておくことは重要なことではないのかと思っております。  御案内のように、現在のところ地方債の約半分近くは民間資金によって引き受けられておるわけでございますけれども、この民間資金というのは、どうしても資金の限りにおきまして民間の資金需要と申しますか企業の投資資金の需要などと競合いたすわけでございます。銀行などから金を借ります場合には、銀行は民間企業に貸し出す資金、地方団体に貸し出す資金、同列にこれを取り扱っておるわけでございます。このような場合におきましては、たとえば国全体としての金融政策、金融を引き締めるとか金融を緩めるというような政策は、民間の投資需要と同じように地方債を資金といたします公共投資に対しても影響を及ぼすことになるわけでございますが、これは今後きめ細かい財政金融政策を行っていくに当たっては望ましいことではないのではないかと思っております。今後きめ細かな政策を行っていきます場合には、民間投資は拡大するけれども公共投資は抑制するとか、逆に公共投資は拡大するが民間投資は抑制する、そういうような政策が必要になってくる場合が必ずあると思います。そういう政策をスムーズに実行しますためには、やはり地方団体に対して資金を貸し出す専門の金融機関というものを持っておくことが重要なことではないかと思っておるわけでございます。  以上四点、基準財政需要の計算方法が二つと、それから交付税及び譲与税配付金特別会計の借り入れに対します今後の国の財源保障のあり方、それから四番目の地方団体金融公庫といったようなものの設立、こういうものを今後もしお考えいただけたら大変ありがたいという私の個人的な希望を述べさしていただいたわけでございますが、これで私の意見を終わらしていただきます。(拍手)

松野幸泰自由民主党

○松野委員長 次に、高橋参考人にお願いいたします。

高橋誠法政大学教授

○高橋参考人 私、高橋でございます。  初めに私事を申し上げて恐縮ですが、ちょうど五年前の四月であったと思いますけれども、当時は四十九年度の予算に関連いたしまして当委員会におきまして同じ地方交付税の問題について意見を申し述べたことがありますが、それから五年たっております。五年という期間は、物理的に言いますとそれほど長い期間とは思いませんけれども、やはり世の中の変化というのは非常に激しいということを痛感するわけであります。  その一つは、これは全くプライベートでありますが、当日私の隣におられて公述されました同業者の恒松学習院教授は、この間知事の方に転職されましてりっぱな業績を上げておられるようであります。私はその当時そういうことは思いもかけなかったことであります。これはどうでもいいことでありますが、いま一つは、やはり地方交付税をめぐる税財政上の環境の変化というものの余りにも激しいということを痛感するわけであります。四十九年と申しますと、これは高度成長財政の終わり、地方交付税について申しますと、自然増収に支えられた交付税の時代の終わりということであります。今日の事態は、その自然増収に支えられた交付税が、端的に言えば借金に支えられた交付税、こういうものに変わってきている。ここに今日のこの制度の直面する一番大きい問題がある、こう思うわけであります。  そこで、時間が二十分であります。先生方お疲れのようでありますから、なるべく時間を厳守したいと思いますけれども、三つの点について意見を申し述べたい。  第一点は、先ほど来議論されております交付税の総額及びその総額の確保に係る方式に関する点であります。これは先ほど来いろいろ議論がなされておりますので、具体的なことはもう申し述べませんけれども、要するに地方債及び運用部、この二元借入方式、これは私はこう名づけるわけですが、この方式がこの四、五年来ある意味では完全に定着をした、そのことの可否といいますか、それをどう考えるか、こういう点であろうかと思います。恐らく第一点は、これは純法律論からする議論でありまして、交付税法六条の三の規定から見て、現在のような特例措置と申しますか例外的措置はどうか、こういうことが当然問題になってまいります。私は法律は素人でありますけれども、これは法律の規定を非常に素直に読みますと、「引き続き」というのがすでにもう四、五年続いているわけでありますから、それが規定しているところの行財政上の制度の改革または交付税の引き上げというものがなされていないということになれば、これは当然法律上の問題はある、こう考えます。  ただ、この規定があることの政治成効果というものを私はそれなりに評価をいたします。それはやはり何と言いましても予算決定というのは日本の政治的なメカニズムの中で行われるわけでありまして、そういう中で各省庁あるいは関係諸勢力がさまざまなバーゲニングパワー、政治的交渉力というものを発揮するわけでありますから、そういうバーゲニングパワーを発揮する上でこの条項というのはかなり政治的効果を持っているということは認められると思います。  ただ問題は、私どもの立場からすれば財政論としてこの問題をどう考えるかということになりますと、問題は相当複雑になってまいります。端的に申しまして、いまのような国、地方を通ずる財政上の構造的赤字、実はこういう赤字はどういう原因で生じ、またそれに関する政策上の責任いかんということになりますと、これは私も大いに意見はあるのですが、いまそのことをおけば、このような財政上の赤字というものを前提にして考えれば、この種の措置がとられたということはまあやむを得ないという感じもいたします。  そこで、恐らく問題は二つの点が残るかと思います。第一は、先ほど二元的借入方式、こう申したわけですが、その一元の運用部の部分については、二分の一についてはこの債務の償還については国の負担ということが確立したわけでありまして、これは私は評価していいと思うわけであります。問題は残りのものをどう考えるかということでありまして、これは本来交付税に代替されるということがこの資金の趣旨でありますから、地方財政の立場あるいは交付税本来の立場から言っても、残りの部分についてもやはりそういう措置が拡大をしていくことが望ましいというふうに考えます。  それから第二の点は、いわゆる建設地方債に振りかえられた部分でありまして、これは建設地方債と書かれておりまして、また当委員会からちょうだいしました資料では括弧して「財源対策債」となっているわけであります。ところが、建設地方債ということと財源対策債ということは性格上——「いわゆる」と書いてありますからそこはあいまいなんですけれども、これは性格は違うものでありまして、これは第五条の規定を受けるわけであります。私は、この資金の本来の性格からすれば、その括弧の方の趣旨に準じた運用をすべきだ。端的に申しますと、交付税はその資金についてはブロックで交付して、その支出についてのプライオリティーは自治体に任せているわけでありますから、この起債振りかえ分についてもそういうふうな措置をとることがむしろ望ましい。先ほど深谷さんから、こういう措置でもあれば点が上がるというような趣旨のお話があったわけですが、私もその点はそういうふうに考えるわけであります。しかし、いずれにしましても、この交付税の抜本的な問題は交付税だけの問題ではすでに解決つかない。つまり、わが国の先ほど申しました全体としての財政赤字、その中で地方税財政制度、特に地方税の充実というものは非常に大事だと思いますが、そういう問題を抜きにしては議論できないということになります。そこに触れますことは、これは非常に範囲が広うございますから、また後で質問でも受ければ私の意見を申し述べるということにして、次の第二点に移りたいと思います。  第二点は、この交付税の配分方式にかかわる問題であります。五十四年度の配分方式の変更につきましては先ほど来御意見がありました。これを総じて申しますと、たとえば養護学校の制度の改正あるいは投資重点政策の政策上の変更、それから物価高、物価に対する調整、言うならばそういう交付税の外から来たもの、これを交付税上調整するといういわば受け身の措置でありまして、それはその制度や政策については意見はありますけれども、それを問わないとすれば、特にそのことについてコメントをする余裕を持たないわけであります。ただ、ちょっと私一点だけ申し上げておきたいのは、今回の措置で経常支出に関する補正の問題で、従来は投資的経費につきましては、態容補正につきまして種地、要するに市町村の等級でありますが、これによって決めるということがなされておりましたけれども、この投資的経費にかかわる補正の方式を一部の経常支出についても拡大するという措置がとられております。なかなか実態は私はきわめにくいのですが、地方の実態的な支出に応じて交付税を積極的に拡大するという趣旨であれば、それはそれで理解できるわけですけれども、いずれにしましても、この部分というのは端的に言えば行政当局の裁量に任されるということになるわけでありまして、種地の等級というものは、それはそれとして非常にはっきりしたものが出ておるわけであります。そうしますと、その運用につきましての客観的な基準というものが明確になって、それが公正に施行されるということでないと、交付税の趣旨というものから言って問題が起こってくるかと思います。ひとつこの点についても当委員会において十分の注意をお払いいただきたい、こう思うわけであります。  それから、やや一般的な問題でありますけれども、交付税の趣旨といいますか目的というものが先ほど来米原参考人からも御意見があったわけでありますが、これはもう当然財政力の調整というのは自明の理であります。しかしながら、また同時にこれは行政コストにおける地域の格差の補正、つまり財源と需要との両面における地域格差を補正する、こういう目的を持っております。わが国の地方交付税制度はいろいろな点でいろいろな問題があることはありますけれども、総じて言いますと、財源及び需要というものの両面を通して、いわゆる底上げ効果と申しますか、底上げ的機能という点では、これは非常に、ちょっとオーバーな表現でもありますが、私は世界に冠たるものだというふうに言ってもいいと思います。これはたとえば端的に申しますと、世界で地方行政の内容においてこれだけ均一的に、かつ画一的にやられている国は先進国ではそうないと思いますし、さらに進んで地方税の負担、つまり納税条件さえ同じならばそれほど地方税にも格差がないというのも、これはちょっと世界に例を見ない現象であろうと思います。そういう点で評価するわけでありますけれども、しかし行政コストの地域差という点については、現行の制度では、これは先ほど来米原さんも御指摘のように、段階補正及び態容補正という形で主としてなされているわけであります。  しかし、これは全く米原さんと意見を異にいたしますけれども、先進国の最近の状況というのは、むしろ底上げ効果からさらに進んで、大都市の財政需要に対する対応という方向に進んでいるように私は理解しております。これを日本でどう見るかということでありますが、規模の経済と同時に規模の不経済という問題もあります。大都市にどんどん人間や企業が入ってきて、いままでのように無限に発展するという前提ならば立論の御趣旨もわかるわけですが、大都市はすでに大阪にその顕著な例を見ているように、衰退するとオーバーに言えばそういう面も持つわけでありまして、これは非常にむずかしいところでありますが、客観的に大都市の財政需要というものも算定する、こういう点ではむしろ私は不備の面を持っていた。これは長期の課題として提起したいわけであります。端的に申しますと、たとえば四十二年から五十三年までの地方交付税上の基準財政需要の伸びを見ますと、市町村部分について見ますと、一般市町村の伸びは大体七・五倍だと思います。これに対して旧政令六都市の伸びは約六倍でありまして、東京都大都市分の伸びは四・七倍であります。これをどう解釈するかというのは非常にむずかしい問題で、端的に簡単な結論は出ませんけれども、一般に地方支出については、財政規模あるいは財政力との関係から言えばU字型法則というのが貫徹すると言われているのが常識的な理解、つまり人口の小さい過疎地というところでは割り高になることは当然でありますし、規模の拡大というものに応じて同一の単価が高くなる、これはごく一般的な議論でありますからそういうふうになる。それに財政需要上のコスト差というものをどう調整するかという問題も私は今後考えるべきであろうと思うわけです。その点で現在の方式はいわゆる標準団体方式、御存じのように市町村では十万であります。これはある意味でそれに補正を重ねるということなのでありますが、端的に言えば、多くなればやはり量は質に転化するわけでありまして、交付税制度を余り複雑にすることは私の本意とするところではないのでありますけれども、たとえばイギリスなどは、首都とほかのところとはもう全く分離した算定方式をとっているわけであります。それから需要の中身につきましても、最近昼間人口などを導入されているということは非常に評価できるわけですが、これは必ずしも大都市の需要の底上げに機能していないと思われます。  それからその次の問題は、特に態容補正というものにつきまして、財政難ということの関係もありましてかなり変動あり、かつ切り下げがある。交付税全体として切り下げるということであればこれで理解できるわけですけれども、安定性というものが生命でありますから、そうくるくる指数、係数が変わるということではこの制度の趣旨に反するという面もある、こう思うわけであります。ただ、当面の問題について申しますと、交付税の枠が決まっている中で、一般に財政力が高いとされている大都市が後から参入してきてパイの分け合いをするということになるというきわめて現実的な問題があります。私もそういうことは十分承知しておるわけでありますが、以上の点は、これは長期の問題あるいは今後の検討課題として十分検討してもらいたい。それから当面の対策としては、たとえば計算は計算できちっとして、特例措置で起債に振りかえる措置をとるというふうなことが現実的な対応であろう、こういうふうに考えるわけであります。  それから第三点、最後の問題になりますが、もうほとんど時間がありません。  現在の地方交付税制度を今後どう考えるかという問題でありますが、先ほど来申しているように、これは全体的な税財政制度の抜本的改革、つまり大都市が交付税をもらわなければならぬというふうなこと自体が交付税制度からすれば異常でありまして、いまや府県では東京しか残っていないわけであります。これも地方の自主税源を引き上げる、それとまた、これは構造的赤字でありますから、全体的な税負担率のレベルアップというのが避けがたい。問題は、それをどういうタイミングで、どういう内容でやるかということにかかわる問題かと思います。  日本の全体的な地方財政の今後のあり方として、これを非常に図式化的に言えば、たとえばオランダでやっておりますように、費用負担についてはほとんど中央政府で見る。その中の地方のプライオリティーの持ち方をどうするかという問題は残りますけれども、そういう言うなれば中央責任型。あるいは北欧、スウェーデンに典型的に見られるように、地方税源というものを強化して地方の責任においてやり、中央政府はいわゆる財政調整機能と一部の特定補助金、こういうかっこうでやる地方責任型。はっきり言えば、そういう二つの選択があると思います。これは割り切ればであります。ただ、わが国の状況というのはそう簡単に割り切れない。つまり、ミドルウェー、その中間の方式というものを実は模索せざるを得ない。ここに日本の非常に困難な課題があるように思います。  そのミドルウェーというのは何かと言えば、非常に原則的に言えば、ナショナルミニマムについては中央政府が責任を持つ。しかし、地方のいわゆる任意的行政というふうなものはなるべく地方の責任において実施していく。これをどういうふうに組み合わせていくか。また、中央が責任を持つ部分につきましても、たとえばいまの特定補助金を、いまメニュー化と言っていますが、メニュー化ぐらいじゃ困るのでありまして、少なくとも各省ごとくらいに——あるいは各省一緒にしろなんということになると、これはいまの行政制度から言えばちょっと不可能なことでありますから、少なくとも各省ぐらいにはブロック化するという方向にして、そこでプライオリティーの選択は地方自治体に任せるということを考えるべきであろうと思います。機能配分等の問題がもちろんあることは言うまでもありません。しかし、率直に申しますと、大きな成果を上げているわけですけれども、今後の問題としては、私は次の点をどうしても指摘しておきたいと思うのです。  いまの日本の補助金を含めての交付税は、統制と介入、それから逆に言えば依存、つまり中央政府から言えば過度の統制と介入、実はこれはメダルの両側の問題でありまして、そういう制度があるからまた地方側もそれに依存をするという、これは非常に大きな欠陥だと思います。メリットを認めた上で、はっきり言ってこれは欠陥であります。地方側には地方側の言い分があって、それはまことに皆もっともだと思うのでありますが、しかし、これは水かけ論ではなくて、システムとして、制度として、そういうふうにならない制度をどう創造するか、こういうことだと思います。  それからもう一つの点は、高度成長下ではもうやむを得ないことでありますが、財政責任というものがかなりあいまいである。財政責任と言っても非常にむずかしいことでありますが、たとえば地方団体について申しますと、その地域のサービスは地域の住民の負担でやる、そしてそういうサービスと負担とがドッキングしていて、財政上のコントロールが納税者の側からある意味では行き届くということと、それから財政調整とをどう結びつけるか、これが非常に重要な課題だと私は思います。恐るくシャウプ勧告では、幾つかの地方住民税についての選択肢を設けて、そしてそういう少なくとも任意的行政については地域住民でやれということであったわけですが、これはわが国の土壌にそぐわなかったわけであります。考えてみますと、あのときは非常に貧乏なときでありますから、それをやると貧困団体の税負担が上がって富裕団体は楽をするというふうな、非常に地域的アンバランスが生じてくることは当然である。これが先ほど来申しているように、画一化されたことは望ましいと思いますけれども、むしろわれわれはいまもう一度このシャウプの原則を見直すときが来たというふうに私は思います。  そこで、日本のカスタムというのはそう簡単に直らないのでありますけれども、やはり政策的な誘導としては地方の自主課税といいますか、そういうものはそれとして積極的に進める、そしていまのある範囲におけるサービスと負担とのドッキングというものを考えるべきじゃなかろうか。  それから、これはさらに進んだ意見では、もっと先の将来の問題になると思いますけれども、たとえばイギリスやアメリカでやっておりますように、交付税制度の一部に地方自治体の徴税努力というものを加味して、徴税努力を刺激するというような方式も検討してしかるべきではないか。地方自治、地方の時代ということは、それとして大変結構で大いに推進した方がいいと思うのですが、やはり一番大事な問題は、その地方の時代における費用負担のあり方ということになろうと思います。これはわが国のシステムから言えば、国の方が多く責任を持たなければならぬことは当然でありますけれども、また地方自治体も、一つは自己の財政的努力というふうなものを高めるということと同時に、いま申したような税財政制度の改革というものをあわせて行わなければならぬというふうに思うわけであります。  五分ばかり超過いたしまして申しわけありません。どうもありがとうございました。(拍手)

松野幸泰自由民主党

○松野委員長 これにて参考人からの御意見の聴取は終わりました。     —————————————

松野幸泰自由民主党

○松野委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。細谷治嘉君。

細谷治嘉日本社会党

○細谷委員 時間が十分ございませんから、まとめて御質問したいと思います。  深谷参考人と高橋参考人にお尋ねいたしたい第一点は、陳述によりますと、深谷参考人は、五十三年度の評価は良であった、五十四年度の対策は可である、こういうことであります。そこで、五十三年度も五十四年度も同じことでありますけれども、暫定措置としての評価でございますが、実は附則の八条の三で、純増額について二分の一は国が負担する、それから二分の一は地方の負担、こういうことになっておるわけですが、この二分の一は暫定措置としてはやむを得ないものと、こういうふうにお考えなのかどうか。これについて高橋先生は、二分の一というものと六条の三の二項というものについては、法律上の問題としては問題があるだろうけれども、現状ではこれもまたやむを得ないだろう、こういうお言葉のように承ったのです。ただし、その残りの二分の一については国の責任において解消していく、負担していく何らかの方法をとるべきである、こういう高橋参考人の御意見がございました。私は、端的に申し上げまして、この五十三年度の措置の良というのは、現在の法律の本則、六条の三の二項からいってやはり法律の原則を踏み外しておる、こういう見解をとっておりますから、五十三年度は良という点を私はつけるわけにいかぬ。いわんや「当分の間」ということで、法律上は当分の間で三十年も四十年も戦後引き続いておるものがあるわけですね。何十年も続いておるわけで、「当分の間」というのは全く当分の間ではないわけですね。そういう観点からいって五十四年度は論外だ、こう見ておるわけです。そこで、この問題について、お二人とも残りの二分の一については何らかの国の措置をという御意見が含まれておるわけですけれども、何らかのということについてもっと具体的にお答えをいただきたい、これが第一点であります。  それから、財源対策債の問題でありますけれども、残念なことには、おっしゃるように税に財源対策債その他の地方債、それに交付税を加えて地方財政はやっておるわけであります。その財源対策債というのは、借金した交付税で見ておるわけですよ。枠外じゃなくて、交付税の枠内でこれを基準財政需要額に算入して見ておるわけですよ。これもまた大変問題だと思うのです。交付税で借金さして、そして事業をやれということで財源対策債をやりまして、本来これは、過去四十九年までは基準財政需要額に算入して、そして交付税で配っておったものですけれども、それを財源対策債九五%と見ておいて、あとその元利償還について基準財政需要額に計入しておるわけでして、これを込みにしてはいかぬのであって、交付税的配分でやるのはやむを得ないにしても、これはやはりきちんと、現在の交付税総枠とは別の措置を講ずべきである、こういうふうに私は思っておるのです。この点についてひとつ御意見を聞かしていただきたいと思います。  それから、米原参考人にお聞きしたいのでございますけれども、それと東京都の例も高橋先生から出ましたけれども、言ってみますと、きちんとした法定された交付税がありますけれども、実際補正した後には、補正前と比べますと、はなはだしいのになりますと十数倍の変化が起こっておるわけですよ。たとえば標準団体として都市の場合十万を選んでおるわけですけれども、たとえば三百万を超す横浜あたりにこれを適用するなんということは神わざでも恐らくちょっとできないだろうと思うのですが、それをやるものですから、言ってみますと、単位費用補正前と補正後の数字は二十倍になっちゃうとか、そういう実態ができておるわけでありますが、そういうことからかなり大きなフリーハンド、交付税総枠の約二五%くらいがこの補正で入ってくるわけですから大変な問題なんですけれども、その補正について、米原先生は過疎地にと、こういう御意見で、高橋先生はどっちかというと都市施設へということから、需要と財源付与ということについては何らかのやはり両面的な見方という形で、やや大都市の方にウエートを置くべきだという印象の発言のようだったのですが、総枠の問題にかかわるわけでありますけれども、私もずばり言いますと、交付税総額の欠乏から、過疎地にもやらなければいかぬ、町村にもやらなければいかぬけれども、全体として見ますと、合理性、公平性ということからいきますと、現在の配分方式はやや大都市が手薄になってきている。これはいま申し上げた標準団体の十万ということの選び方から来ると思うのです。そういうことで、言ってみますと、配分が結果として不公平が起こっている、こう見ておるわけであります。そういう点からいって、私はどっちにウエートを置くべきだという意見を持っているわけじゃありませんけれども、合理性を貫いていかなければならぬ、公平さを貫かなければならぬということになりますと、やはり現在は問題がある。そういうことからいって、標準団体は戦後ずっと十万都市ということできたわけですけれども、これではとてもじゃないがカバーできないのではないか。たとえば十万と百万くらいの二つの物差しを持ってこなければいかぬじゃないかと。しかし、二つの物差しを設けますと、二つの物差しの間にまた合理性というものを求めますから複雑になるわけでありますけれども、その複雑さよりもはるかに精緻、巧緻と先生も言っており、自治省も自称しているその精緻、巧緻の方がかえって迷路に入っている、こういうふうに私は見ておるわけです。最近東京都の方からの、補正問題について、本来なら東京都は交付団体になっているべきであるという一つの問題提起が、七次報告が出ておるわけでありますけれども、この辺についてひとつ高橋先生と米原先生にちょっと所見を伺いたい。

高橋誠法政大学教授

○高橋参考人 お答えいたします。  細谷委員の私に対する御質問は二点だと思いますが、まず最初の総枠と、それからその調達に関して、私の言葉を使えば二元借入方式ということになりますが、そのうちの債務償還をどう見るか、こういう御質問であろうと思います。ちょっと時間がありませんでやや議論を短絡さしたところがありますので誤解を招いたかと思いますが、そのやむを得ないと言ったのは、総額の確保という点では、わが国のいまの財政事情という点からいえば、この程度の総額の確保というのは、これはやっぱりいろいろな政治的なメカニズムの中で行われるわけですから、まあまあこんなところじゃなかろうかというのは、これは評論家としての感想であります。  しかし、先ほども申しましたように、その措置については、やはりこれは交付税として一般財源として交付されるべきものが借り入れによって補てんされているわけでありますから、これは一般財源に準じた扱いをするというのがたてまえだと思います。それはもう細谷委員の御指摘のとおりであります。したがって、まず運用部の部分については一応二分の一方式というものが確立したわけでありますけれども、私の考えは、これをさらに一〇〇%方式というものに持っていくべきだ、それが本来の趣旨ではなかろうか、こういうふうに思います。  それから第二点の、これも御指摘の点で非常に明快になったわけでありますが、私は、もともと建設地方債としての扱いをすべきでなくて、財源対策債としての扱いをすべきだという、それが今回の財源の振りかえの趣旨に合っている、こういうふうに考えますから、この償還部分についてもこれは同様の原則を適用すべきであるし、私は特にその支出にかかわる自治体の自主的な処分といいますか、プライオリティ一等は、これは自治体に任せるべきだというので、特にそういう点等あわせて強調したわけであります。したがって、第一点につきましては大体御趣旨としては細谷委員とそう意見が違っていないというふうに考えます。  それから問題は恐らく、先ほど来申しているように、これは相手があることでありますから、財布を握っている大蔵省がそれにどういう態度をとるかということもかかわるわけでありますが、ただそこにつきましては、これは政治の問題でありまして私どもとやかく言うことではない。これは地方自治の原則から言えば大体そういうような回答が出てくるだろうというふうに考えます。     〔委員長退席、中山(利)委員長代理着席〕  それから第二の補正の問題でありますが、個々の自治体が云々ということについての議論は差し控えさせていただきたいと思いますが、一般論として議論をいたしたいと思うのですけれども、これは先ほど申しましたように、地方交付税の生命というのは客観性ということにあると思います。これは対象とするのはいわゆるナショナルミニマム、基準的行政というものにかかわるコストを客観的にどういうふうに測定するかということ、それ以外の要素はこの需要の面につきましては加わらないわけであります。  それから今度他方は、財源についての格差というもの、これをどう測定するか、こちらの方については細かいことでは問題ありますけれども、そう大きな議論はないわけでありまして、問題はその需要の測定というのが実は非常にむずかしい、特にこの大都市の場合には非常にむずかしいというわけであります。  そこで、御指摘のように、態容補正というのが主としてそういう大規模の自治体に対して向けられ、これは主としてでありますが、段階補正というのは一般に過疎地の財政需要の引き上げ等に向けられている。つまり規模の経済に伴う調整と、それから不経済に伴う調整というのがそういうかっこうでなされているわけであります。特に、先ほども申したように、やはり十万という、これをたとえばイギリスのように実績主義をとりまして、そしてこれは最近の数学的なメソッドを使いまして、そうして加重回帰方式というようなものでやって、そして一定の公式を出してそれで調整するということまで進めば、これはその点については余り自治体が文句を言わない。むしろマクロ的に調整する方に問題があるというのですが、わが国の自治体の内容というのは非常に多様でありますから、なかなか方式が非常にむずかしいのでありますが、先ほど私も申しましたように、やはり二段階方式ぐらいは考えていいのじゃなかろうか。方式はやはり簡明であってわかりやすいというのがこの制度の趣旨でありますが、これはもう残念ながらこれだけ財政が複雑になっていますと、簡明でわかりやすいという原則はなかなか、恐らく自治省の方も担当者でなければ細かいことはわからぬようなところまで精緻になっているわけでありますから、そこまでいくのならむしろ標準団体方式を基礎として二段階方式ぐらいで整理してみるのもいま一つのやり方ではなかろうかというふうに考えております。  それからこれは当面の問題としまして、全体の枠が小さくなっていますから、結局その単価をある程度上げなければならぬ。それはわりあい弾力的に運営されるところの補正係数を操作するということにならざるを得ないという背景は私としては理解できるわけですけれども、しかし、これは客観的に算定するということが繰り返し申しますように生命ですから、だから、計算は計算としてやはりきちっとやらなければならぬ。その後の財源上の対策についてはパイの分け合いという問題がありますので、それはやはり少し政治的な対応をした方がいいのではないかというのが、繰り返しになりますけれども、私の意見であります。どうも長くなりました。

米原淳七郎大阪大学助教授

○米原参考人 細谷先生の御質問にお答え申し上げます。  補正係数の問題でございますが、先ほど私が意見を陳述いたしました点をもう一度ここで繰り返さしていただきますと、二つ問題があるのではないかということを申し上げました。  第一点は、投資的経費といいますか、必要性があるということに対する配慮が薄いのではないか。現状は、もっぱら現在ある施設等を基準にして計算がなされておるので、いまの姿から出てくる財政需要というのは入るけれども、今後これを改善していくという点の需要が十分反映されていないのではないかということ。  それからもう一つは、都市と地方とを比較いたしまして、態容補正で都市だから高い行政水準を確保しなければならないという考え方は徐々に改められるべきではなかろうかというこの二点でございます。  これは先ほど細谷先生の御質問は、過疎地と大都市という二つの地域の対比でお考えになっておられるわけでございまして、大都市の方が手薄ではなかろうかというような御感想をお持ちでいらっしゃるということをお聞きしたわけでございますが、先ほど申しました私の二点から考えまして、私の感想といいますのは、たとえば人口等が増加いたしまして学校が必要になる、小学校、中学校、高校が必要になるというような感じでの財政需要というのは都市地域、特に大都市地域で十分に考慮されていないのではなかろうかと思います。その意味では細谷先生の御意見に賛成いたします。  ただ、第二点の都市だから高い行政水準を維持しなければいけない、田舎だから低い行政水準でがまんすべきではないのかといういまの交付税の考え方というのは、やはり私はおかしいと思っております。そういう意味で、その点につきましては、私は、大都市が手薄ではなくして、やはり大都市はちょっと優遇され過ぎているのではなかろうかという感じがいたします。  これは私の非常に個人的な環境がそうさしておるのかもしれません。先ほど申しましたように、私は兵庫県の宝塚市という一地方都市からきょう参っておりますし、私の生まれ育ちましたのは福岡県の行橋市という二、三年前、財政再建団体に落ちたような小さな町でございますけれども、そういうところでの行政水準と、大阪とか東京というような行政水準を比較しますと、やはりどうしても大都市の方が高い。たとえばごみの収集回数を考えてみましても、福岡県の行橋、私が生まれ育った町は一週間に一遍か十日に一遍しかごみの収集はございません。現在住まっております宝塚市は、ごみの収集は週二回とそれからもう一回は不燃性のごみが一回で、三回ございます。これは大都市の大阪で私ちょうど下宿しておったことがございますけれども、そのときはほぼ毎日ごみの収集に来ておりました。そういうような行政水準の差というのは、どれが公平かというのは非常にむずかしい判断だと思います。確かに田舎だからごみの出方は少ないだろう、都会はごみがたくさん出るから毎日でも収集に来なければいけないというふうな考え方もできるかと思います。しかしながら、公平に見まして、やはり行政水準は都市の方がいまはかなり高いというふうに私は判断しております。ただ、先ほど申しましたように、何が公平かは非常にむずかしい。たとえば道路をとりましても、東京に参りますと非常にりっぱな広い舗装道路がありまして、ときどきは停滞もしておるようですが、自動車がそこにどんどん走っておる。宝塚では、さっき申しましたように自動車交通不能道路が六〇%もございまして、曲がり角ではいつも運転手は角をするのじゃないかと気をつけながら運転をしておる。また、狭い道路では向かい合わせになった車が離合できませんで、いつも運転手がけんかをしておる。それは自動車台数が少ないからそれでいいという判断もできるかもしれませんけれども、やはり何だか田舎の方が低いのではなかろうかという、田舎出身でありますためにそう思うのかもしれませんが、感触を持っております。ただ、本当に何が公平かというのは非常にむずかしいと思います。  もう一つの点は、どちらかと言えば地方を重視していただきたいと私申しましたのは、人口政策の見地から、ぽつぽつ大都市に対する人口集中というのは抑えていただいて、地方の方に人口をUターンさせるというのが望ましいのではないかという考え方を私は個人的に持っておるわけでございます。その目的を達成しようとすれば、やはり地方を魅力ある生活の場所としていただきたい。福祉施設などにしましても、保育所とか老人ホームというようなものが都会並みに整備されたような地方というもの、小中学校も都会並みに整備された、プールもあり屋内体育館もあるというような学校もやはり田舎の方にもつくっていただきたいという、そういう人口配分という見地からも若干地方を大事にしていただきたいということを申したわけでございます。  十分御説明になっているかどうかわかりませんが……。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 細谷さんの私に対する御質問は二点だったと思います。私が、五十三年度について良をつけて、五十四年度に可をつける、しかしこれは法原則からは良もいかないのではないかという点と二分の一の件が一つと、それから、財源対策債の処理についての二つの点で御質問があったかと思います。  五十三年度良、五十四年度可、これはいささか甘いのではないかということなんですが、私は法律には全くの素人でございまして、経済学部の教師ですから、どうしても経済的な観点から見て、法律的な観点というのはどうも疎い、そういうことから恐らくそういう見解の差になったかと思います。私はその点至って素人ですから、「当分の間」と書いてあると、これは当分の間で、恐らくそのうちには変わるに違いない、そういうふうに読んでしまうわけです。もちろん実際には当分の間がきわめて長期にわたって実施されてしまうという例がたくさんあるわけです。税制の特例措置やなんか、租税特別措置の関係なんかでもしばしばそういうことがあるわけで、これは大変けしからぬことだ。特に素人ですから、「当分の間」と言われると当分の間だと思い込んでおりますから、それが年月がたつに従って腹立ちが激しくなってくる。したがいまして、こういう状況が長く続くということのマイナスについては、素人であるがゆえにまた厳しく考えざるを得ないということを申し添えておきたいと思います。現に今年度は良から可へ転落したわけでありまして、これが来年もまた同じ答案が出てくるとなると、どうも教師として腹が立ってしようがないということになって、もう一年留年しなさいというような宣告をせざるを得ない、そういう気分に私もなるかと思います。  それから二分の一の件なんですが、じゃ残りの二分の一はどうなんだということでありますが、これももし二分の一を後年になって返さなければならないとしたときに、返す財源がないという事態になったときに一体どうなるのか。これは恐らくこの運営の仕方でいくとまた借金するわけです。そういうわけですから、本来の交付税制度のあり方からいきますと、これは恐らく国が全部めんどうを見るべきものであることは明らかだと私も思いますが、このときの改正の趣旨からいきますと、国も苦しい、地方も苦しい、お互いに苦しいから折半しようじゃないかというようなことでこういう二分の一という規定ができたのだ。しかし、実際に返すのが困難な状況のときは、またそれを借金でする。非常にその場その易しのぎの措置という感は免れないわけでありまして、こういうあいまいな運営の仕方も、これももし当分の間が十年、二十年になるのだったら大問題だと思います。これもやはり将来、基本的に交付税制度はどうあるべきなのだ、あるいは国、地方を含めたわが国の財政制度がどうあるべきなのだという抜本的な改革の考えの中から早急にあるべき姿というものをきちっとさせていただきたいと願っております。どうも経済学をやっている人間というのは、法律の方から見ますと、その点の原理原則に対する考え方が非常にいいかげんなところがあります。実質的によければいいじゃないかというようないいかげんなところがありますが、しかし経済政策において、やはり原則、あるべき姿はどうなのだということをはっきり掲げることが非常に大事なことでありまして、それに関しては私も自分を戒めて厳しく見たいと思っております。したがいまして、そういう将来の抜本的な制度の改革、あり方を考える上では、こういう原則的なことをきちっと浸透させ得るようなシステムを考えるべきであろうと考えております。  それから財源対策債のことに関してですが、これを別枠とすべきではないか、これは確かに私、細谷さんのおっしゃるとおりだと思います。特に私が強調したいと思っておりますのは、中長期の景気変動の波を除いた形での財政の姿と、それから景気局面でそれに対していろいろなインパクトが加わる、それに対する対応、対策ですね、それとの関係を明確に区別して考えておく必要があるだろうということ。つまり、景気調整にあるいは景気の対応にかかったコストと、それから中長期の本来目指すべき財政のコスト、それをやはりきちっと区別して考える、そしてまたその区別が数字の上でもきちっとできるということが財政運営を正す上で非常に重要なことだろう。ですから、将来の制度のあり方としては、景気調整あるいは景気との対応に応じて中長期のあるべき姿から離れたところで生じたいろいろな対策については、景気調整基金その他の制度を使いまして別枠で調整していく、そしてあくまでも本来の中長期のあるべき姿を見失わないようにしておく。これがごっちゃになりますと、そこであいまいなことになって、あるべき姿まで見失われてしまうということが起こりかねませんので、そういった配慮がやはり必要であろうと私は考えております。  以上です。

細谷治嘉日本社会党

○細谷委員 今度財源対策債として借金した交付税から基準財政需要額に計入される予定は四千四百四十億になる。借金して、そして本来国が見ておったものを、今度は基準財政需要額で四千四百四十億飛んじゃうわけですから、これは筋論として別枠でなければならぬと思っております。私もいま、国の財政なり地方の財政からいって、六条の三の二項がそのまま引き続いて著しく、それがもう五年になるのだから、交付税率をそっくりそのまま上げるかあるいは制度を直せ、こう言っているのですが、今日まで交付税率を動かさないで制度だけ改めて——それもマイナスですよ。たとえば学校の先生方の給料を引き上げるとか、こういうのがあると五千億を超えるわけですよ。それは交付税を三二%に抑えたまま来ているわけですね。そういったことからいって、法律学者でないことはわかっておるのですけれども、財政学者、経済学者であり、その中から出てきた財政の専門家としての三人のお方の話を聞きますと、どうもやはり国が苦しいということに肩入れし過ぎているのじゃないか、そこらに妥協し過ぎているのじゃないかと思うので、経済学者であると同時に財政の専門家ですから、そういう財政のサイドからやはりこうあるべきだ、そしてその中にきちっとした筋が通っておらなければいかぬと私は思うのです。そういう点で財政学者はもっとずばり、財政学のサイドからきちんとした——先生の言う、去年は良だけれども今度は可というのは先生の考えであって、主観的である。主観的だと言うと失礼でありますけれども、やはり努力を評価するということですが、その辺に問題があると思うので、国と地方との財政関係についてもうちょっとずばり財政学者としての独自の道を主張していただきたいと思います。それは増税論でも何でもいいですよ、私もある程度増税論者ですから。そういうことをひとつお願いして、もう時間が来てしまっているから質問を終わらしていただきます。

中山利生自由民主党

○中山(利)委員長代理 次に、和田一郎君。

和田一郎公明党・国民会議

○和田(一)委員 御意見大変ありがとうございます。議事録を後でゆっくり読ませていただいて、また検討させていただきますが、まず、深谷先生にお尋ねします。  ただいまの細谷先生と同じ質問でございますけれども、結局この暫定措置が長期にわたると問題であるということをおっしゃいました。その長期とは一体どの程度かという問題があるのですけれども、これは二分の一の制度ができたのは去年からでございまして、現実に交付税特別会計が国から借金を始めたのは昭和五十年からです。そういう点で交付税の率を当然上げなければならぬというのは当委員会のずっといままで続いてきた議論でございまして、また、前に高橋先生がお話をされましたときに、私ちょうど昭和四十四年から四十七年までここにおりましたけれども、そのときは逆に国の方に貸したという議論もあったわけでございます。だから、交付税そのものがそのときそのときでふらふらしている。しかし、法的にはぴしっとアップまたは別な制度を考えるということも出ているわけです。そういうことで、長期とは大体どの程度をおっしゃるのかということですね。それから、アップは考える必要はないのかどうかということです。先生はその御意見をおっしゃいませんでしたものですから、その点についてまずお伺いしたいと思うのです。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 暫定措置というのは一体どのくらいの期間か、あるいは長期とはどのくらいのことかということでありますが、細谷さんの御質問とも関係すると思いますが、暫定措置として評価できて良から可へ転じたというのは非常に主観的だとある意味でおっしゃったのですが、決してそういう意味ではありません。私の考え方は、そういうことで学生に対して採点はやっておりますけれども、そういうふうに評価を低下せざるを得ないというのは、実は、暫定措置であるとすると、それが長期化するとマイナスの効果が出てくる、それを重視すべきである、そういう主観的なことではなくて、この制度の長期化することの弊害からむしろ基本的にはそういうふうに考えているのだということをまず申し添えておきたいと思います。  それでは暫定というのはどのくらいの期間のことであるのかという問題ですが、私は、交付税制度を含めて、あるいは国の財政制度も含めて財政制度はもはや抜本的に改正されなければならない時期に来ていると考えておるわけです。それに対応してやはり財政制度全体の中で交付税制度も改められなければならない。したがいまして、そういう財政制度全体の改革に関する意見が固まるあるいは固まろプロセスと対応しながら交付税制度の方の抜本的な改正も考えられなければならないし、そうする必要があるということで、めどとしましてはそういう財政制度全体の改革が完成する間というふうに私は考えております。  それから、交付税率のアップですか、これはもともと、地方財政の財政需要がどれくらいあるか、そのうち地方債で一体どのくらいを充当すべきなのか、地方税源をどれくらいにすべきなのか、そういうことが決まらないと交付税率もどのくらいがいいのかということが決まらないわけですね。そのことも含めてやはり地方財政の財源制度というのは改革の時期に来ている。確かに、現在の制度を前提にすれば、機械的に交付税率は何%アップしなければならないという計算は可能でしょうけれども、私は財政制度の抜本的な改正の中で交付税率の決定も考えたいと思いますので、そういう地方債の充当率あるいは地方税源の大きさ、それから全体としての地方財政の需要の長期的な動向がどれくらいなのか、そういうことの兼ね合いで考えなければならない問題だろうと考えております。ただし、いろいろな推計をもとにしますと、交付税率のアップというのはどうしても必要な方向にあるだろうということはこの際申し上げても構わないかと思います。  以上でございます。

和田一郎公明党・国民会議

○和田(一)委員 その点につきましてもう一遍深谷先生にお出まし願いたいと思いますけれども、国を含めての抜本的な財政の改革は当然だと思うのです。しかし、現実に地方財政そのものを考えまして、このままで数年過ぎますと、それこそパンクするところが相当出てくる、それから地方財政を大きく見た面でも、これはもうどうにもならなくなってしまうのじゃないかと考えるわけです。その例を申し上げますと、地方債の依存度、これは都道府県の場合でございますけれども、昭和五十年度の当初予算での四・九%に対しまして、五十三年度の当初予算では一〇・一%と、五十年、五十一年、五十二年の三年間に二倍以上になっておるわけです。これはもう大変なことでございます。さらに借り入れそのものがもはや五兆二百億円に達しておるということなのですね。  高橋先生がお出ましになった前の委員会のころは、交付税そのものは地方の財源かまたは国のものかという議論がございましたけれども、地方交付税そのものは国のものとかどうのこうのというのじゃなくて、当然、地方に対して与えなければならない財源であろう。そうなってまいりましたときに借金借金という政策がいいのかどうか、これは当然現段階においてもある程度はアップしなければならぬのじゃないかと私たちは思うのです。その点についてどうでしょう。全体的な改革はよくわかります。わかりますけれども、現時点においてはそういう現状であろう。ですから、ある程度は借金を軽くする上においても、交付税率のアップは必要じゃないだろうか、そういうふうに私たちは緊急に思うわけです。その点についてどうでしょう。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 地方財政の場合に、地方債依存度はどのくらいが適切なのかということに関しては種々のいろいろな見方があるかと思います。五%がいいのか、一〇%がいいのか、あるいは一五%がいいのか、全くゼロがいいのか、いろいろな考え方があると思いますが、地方財政の場合、容認できるめどは私はせいぜい建設公債の範囲だろうと思います。現在の一〇・一%という水準は、その範囲にはおさまっていますけれども、それはせいぜい言い得て建設公債が限度だということで、最適なのがあるいはその限度より手前にあるのかどうか、私自身はっきり答えは持っていない状況です。ですから、その点は余り明確なお答えはできないかと思いますが、まあ一たん抜本的な改革ができるまではこの制度でやるのだと決めたのであれば、ある程度借金もやむを得ないということになるかと思いますが、私は要は一日も早く抜本的な改革をやっていただきたい。  実は昭和四十八年度あたりから地方財政の長期的な動向についての研究会を私どもは持っておりますけれども、そこで四十九年度の研究報告の中ですでに地方財政の財源の問題が今後非常に厳しくなるという予測結果を私ども出しまして、このままですと交付税制度は抜本的に改革せざるを得なくなる——交付税率の改正はもちろん、それ以上の改革が必要になるという認識を持っていたわけで、いまだに暫定措置に甘んじなければならない状況は、実は皆さん方同様、あるいはそれ以上に私自身いら立ちを感じているということを申し上げておきたいと思います。

和田一郎公明党・国民会議

○和田(一)委員 次に、米原先生にお伺いいたします。  この問題とちょっと外れるかもわかりませんけれども、大平総理が田園都市構想というものを唱えておりまして、各省庁でこの田園都市構想に乗ったといいますか、いろいろな構想を発表しております。自治省でも建設省でも国土庁でもいろいろ出ておりますけれども、いずれにしても地方が仕事をしていくことには変わりがないわけでございまして、それだけに財政需要も必要になってまいりますし、国の政策そのものを今度は地方が一生懸命やっていくという形になっていくわけですね。当然、権限の委譲等も必要になってまいりますが、そういう田園都市構想、実態はまだはっきりわかりませんけれども、しかし、先生方のお考えの中からそういうことも加味した上で地方交付税制度がこれでいいのかどうか、もう一つは地方財政はどうあるべきか、その点について、大変大きな意味でもいいと思いますけれども、御意見を伺いたいと思います。

米原淳七郎大阪大学助教授

○米原参考人 お答え申し上げます。  先ほど来申してまいりましたことでございますが、人口配分ということについて、現在東京、大阪を中心といたしました大都市圏に昭和三十年代の半ばごろから急激に大量の人口が流入してきて急膨張してきた。そのためにいまいろいろと過密、公害、それからまた人口増に伴う公共施設の不足というようなひずみが出てきているように思っております。そういうようなひずみをなくしますためには、もう少し人口を地方に分散することが必要なことではないのかと思っておりまして、田園都市構想というものも十分には勉強はしておりませんけれども、もしそういうかっこうで地方都市が育ち、そこで人間性豊かな生活ができるようになるなら非常にいいことではないかと思っております。  実は私、昨年一年間アメリカに行っておりまして、この二月末に日本に帰ってきたばかりでございますけれども、広大な面積を持っておりますアメリカの場合の都市といいますのは、非常に伸び伸びとしたといいますかゆとりのある都市づくりが行われておるように思います。わが国では面積が狭いわけでございますからアメリカのようなまねはできないかと思いますが、少しでも空間的ゆとりのある生活をということになれば、地方に場所を求めるしかないのではなかろうかと思っております。それにつきましては、やはり国の努力も必要でありますとともに、地方自身が自分たちの地域は自分たちで築き上げるんだという地方自治の意識に目覚めて、その方向に向かって努力することが必要なことであろう、このように考えております。  以上でございます。

和田一郎公明党・国民会議

○和田(一)委員 実は財政面でお答え願いたかったのですけれども、時間がございませんので、また次の機会にしたいと思います。  次に、高橋先生にお尋ねいたします。  先生も、先ほどは全体的な抜本的な改革、そして地方の自主財源の拡充だとおっしゃいました。いわゆる国と地方の税源配分でよく議論になりますけれども、これは正確な数字はいまちょっと持っておりませんが、大体国税収入が三分の二で、そして三分の一が地方の収入である、しかし仕事は逆になって、地方が三分の二をやる、こういう形になっておりますけれども、現段階においてこの三分の一と三分の二が逆な形でずっと推移しておる。そこでやはり権限問題も出てまいりますし、それから最近特に交付税で措置するということで各省庁がいろいろな仕事を押しつけるわけです。これは最終的には自治省がまとめて地方財政計画に盛り込みはいたしますけれども、とにかく法的にも何もないという形で、たとえば一万円かかるところを五千円くらいしか措置してもらってない、あと五千円は全部地方で負担するという形になってまいります。いわゆる超過負担も出てまいります。そういう点で、国と地方の現段階においての配分問題について先生の御意見をお伺いいたしたいと思います。

高橋誠法政大学教授

○高橋参考人 第二の御質問にお答えします。  恐らくその基本には、日本特有の国と地方の事務配分の関係というのがあると思います。私はこれを縦型と呼んでいるのでありますけれども、要するに権限と財源をそれぞれ中央官庁が持って、それもワンガバメントならまだわかるのでありますが、複数でガバメンツでありまして、各省庁、しかもその各局各局の各課がそれぞれの権限を持って、それがいまお話しのように委任事務あるいはそれに類似したメカニズムを使って地方に仕事を押しつける。こういう関係を少しずつ横型の配分、つまり理想から言えば一つの機能は一つの政府がやるという、たとえば対人的な社会サービスというものは市町村がやるというふうに、地方地方でも配分の関係を変えなければなりませんが、ましてや国と地方の関係においても、端的に言えば、そういう横型の配分をこれから日本でどういうふうにつくっていくかというのが一番大きな課題だと思うのです。ただ、これははっきり言いますと、明治百年来の大課題に挑戦するということでありまして、たとえば、恐らくこの委員会もそれを主張されておると思いますが、特定補助金の整理が何であんなに進まぬのかということにも象徴されておりまして、私はこれをともかくブロック化にしろ——いまメニュー化ということか言われておりますが、各省庁合わせるなんということは、いまの行政制度を前提にすればちょっと無理ですから、少なくとも各省でそれをブロック化して地方に交付する、こういう改革をやはり一つずつやっていかざるを得ないというのが私の考え方であります。  それから、財源配分の問題であります。これは先ほどお話しのように三分の二と三分の一の関係でありますが、使う方がそれは逆転している。世界に冠たる再配分の国であります。ただ、これもやや日本の特殊事情がありますので、先ほど申しましたように、それなら初めから全部地方に三分の二をしてスウェーデン型の地方責任型に変えろという一つの主張も出てくるかと思いますが、やはり再配分というものが日本ではどうしても重要な機能として残りますので、先ほどの機能配分と全部かかわり合いになってまいりますから、結局中央からの交付をいかにブロックで、つまりいまの交付税のような形で交付していくか。端的に言えば、交付税はこれで——細かい制度については問題はありますけれども、結局補助金をどうブロック化して、そうしてそのプライオリティーを地方政府に任せる、こういう制度にどうやって進んでいくかということが一つと、それにしましても、なおこれは地方財源の強化の必要、その辺はどの辺が自主財源を引き上げるめどになるかどうかというところはなかなかむずかしいところでありますけれども、これは現在の三分の一をかなり高い水準に高めていかなければならぬ。それと、いまの財源の配分と組み合わせる。それを私はミドルウエー、中間型の日本のモデルというふうに申し上げたわけであります。だから、そこの問題は突破口をどういうふうに開いていくかということが一つの課題かというふうに思います。  それから、和田委員の御質問にはなかったわけでありますが、先ほど来細谷委員からもあるいは和田委員の深谷さんへの御質問にもかかわることで、ちょっと失礼かと思いますけれども、おまえたちは何ではっきり交付税を引き上げろということを言わぬのかということだと思います。これは法律論から言えばそうだというふうに私も申し上げているわけで、そうすればここで拍手喝采を受けることになるわけでありますが、やはり財政論というのは費用負担という問題をどう見るかということで、私はいまの日本の財政の状況というものを非常に深刻な事態だというふうに認識しているわけであります。つまり、ある種の税負担の引き上げがなければ、これは端的に言えばインフレの選択、それは相当近いというある意味の私なりの危機感を持っておりますので、細谷委員を初め皆さんの御主張は非常によく理解いたします。いたしますけれども、他方でそういう非常に重みというようなものを心の中に持つものでありますから、その点で、お答えについて非常に歯切れの悪さが残るということを何とぞ御理解いただきたいと思います。  以上です。

和田一郎公明党・国民会議

○和田(一)委員 以上で終わります。ありがとうございました。

中山利生自由民主党

○中山(利)委員長代理 次に、永末英一君。

永末英一民社党

○永末委員 深谷先生にまずお伺いしたいのですが、先ほど地方財政の問題点で、景気調整能力とでも申すものをもっと持たせるようにしたらどうかというような御意見があったと思うのですが、私はその地方団体が、いろいろ地方団体もございますけれども、その自分の区域内における景気調整能力があるだろうか、つまり、ないところに、きわめてむずかしい、地方住民がその地方団体に期待している能力と、それから地方団体が地方住民に与え得るものとの離れがありまして、何ともならぬ。景気対策、景気調整能力というのはひっくり返しますとまた物価対策ともなりますが、その二つにおいて現在の制度上地方団体はほとんど無能力に近い。ただ、不況になりました場合にそれに対応策をとれということでいろいろやる、しかし、その場合には必ずと言ってもいいほど中央政府の予算措置が講ぜられて、それの受け手としての地方団体の機能が動き出すということであって、地方団体独自の景気調整能力というものはない。もしそれを持ち得るならば、地方選挙が半分終わりましたけれども、もっと地方団体は生き生きとしてくるのではないか、そう思っておりましたので、いまの景気調整能力を持たせたらどうかという御意見、もう少しお聞かせ願えるとありがたいのですが。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 私は地方団体に景気調整能力そのものを持たせたらどうかという意見を言った覚えは実はありません。  現実問題として景気調整を有効にするためには、全体としての地方財政の動向がそれに協力的に動いてくれないと有効たり得ない、それには一体どうしたらいいのか。もともと小さな地域団体が自分の地域の景気を浮揚しようとしていろいろなことをやりましても、その効果が外へ漏れていく部分が非常に大きいわけで、地域団体そのものが自分の地域の景気を有効にコントロールできると思ったらやはりそれは間違いであろうと思うのです。むしろ国全体の景気をうまくコントロールすることによってその地域の景気も安定化するということを本来求めるべきであって、もちろんその中には地域によって景気の濃淡の差がありますから、どうしても地域経済対策的なところも入ってきて、ある程度は地方団体も自分の地域についての景気をいろいろめんどうを見なければならないということは事実でありますけれども、しかし、大筋としては景気調整は最終的には国の責任だろうと思うわけです。しかしその景気調整をやる際に、また地方財政にその協力を求める際にいろいろな点で現在の制度上は問題があるというふうに申したわけです。  要は、地方団体の自主的、合理的、計画的な財政運営を損なわない形で、それと両立する形で景気調整に対する協力が可能になるようにいろいろ制度的な工夫をしてほしいというふうに申したわけです。  まず第一の問題は、地方団体の財源が、交付税も含めまして景気に非常に感応的だということは、それ自体が非常にまずいということで、これを何とかできないだろうか。それから、でき得るならばカウンターシクリカルにやはり地方団体の歳出も動き得るように、地方が喜んでそういうふうに動き得るように制度的な工夫も設けてほしい、そういうふうに申したわけであります。

永末英一民社党

○永末委員 これはお三人の方に聞きたいのですが、国が赤字になってまいりますと国債発行でやっている。同じようなアイデアで地方団体が赤字の一部分を地方債で賄おうとしている。しかし、そのある部分を資金運用部でやっている。もしこの資金運用部だけのことを考えれば、その半分を国庫負担をやって、あとの半分はいずれ——大体地方団体の赤字が積み重なりますと、最後は国で処置しているのが戦後の例でございます。だとしたら、その部分ぐらいは交付税率を上げたらどうか。ごまかしですね。つまり制度を変えるのがいやだから交付税率を上げない。しかし、結局最終的に国の一般会計で賄うということなら、初めからその部分だけ上げるというのがぼくは本当じゃないかと思います。  これが一点と、もう一つは、民間資金ということで、縁故債というので地方団体はそれぞれ自分の公庫にしているような地方銀行へ向けて地方債を押しつけるわけですね。ところが、国債の場合には結局日銀のオペレーションがありますから、銀行としては御用金のように割り付けられましても、もう一遍自分の資金に変わるものであるという観念で受け取る。地方債は変わりようがないわけですね。だから、いまのような政策を続けていくとしますと、その地方銀行は困るわけであります。資金が寝てしまいまして、何にも変わらない。したがって、こんな政策をもっと続けていけばまさに行き詰まらざるを得ない。銀行の方が音を上げてしまうときがもう来ておるのではないかと思いますが、この二点について三先生の御意見を承りたいと思うのです。

高橋誠法政大学教授

○高橋参考人 では、僭越ですが私から。  永末委員の最初の御意見でありますが、私は余り法律論は詳しくないのですけれども、逆手をとりまして、もうすでに現在でもある程度の交付税率の引き上げがあるわけでありますから、交付税の計算上の、四兆一千億は算定上正しいとすれば、これを全部カバーするということになりますと私の計算では多分五十何%くらいになろうかと思いますが、そこまではいかなくても、一般財源を繰り上げている分はすでにかなり、三二プラスアルファがありますから、逆手をとりまして、たとえば何%がいいか知りませんけれどもその何%を引き上げる、政府の方が暫定であれば交付税も暫定的にある特定の間、すでにある程度積み上がっていますから、その部分を引き上げるという法的措置をとるのも一つのアイデアだと思いますが、法理論としてどういうことになるのか、ちょっと私、これは一つのアイデアとして申し上げたということであります。  それから地方債の問題は、確かに御指摘のように非常に重要な問題であります。特に、わが国の地方団体と一口に申しましても、財政規模あるいは財政力、起債能力というものが違いますから、一口に議論できないわけであります。  端的に言えば、公募債を募集し得る能力を持っている団体と、マーケットではとても募集し得ないような団体、まだその中間の形もあると思いますけれども、その二つに分けて議論をしないと、なかなかマクロに議論しにくい点があると思います。  前者の点につきましては、私はもともとかなり自由化論者でありまして、前者の起債力のあるところについてはもっと自由化したらいい、ただ、日本の公社債市場のメカニズムは、御案内のように統制機構でありますから、外国のようにある団体がどんどん起債をして消化能力がないとかいうことになればその地方債は暴落してプライスメカニズムから起債ができないということがなかなか働きませんので、漸次そういう方向に行っていますけれども、そこでチェックがかかるという形に持っていった方が本当は望ましいと思います。そういう意味では起債力のあるところは公募債を少し活用して、むしろそれは自由化の方向で、プライスメカニズムでチェックがかかるというようなことを考えたらいいと思うのです。  他方、数から言えばそういう能力を持たない団体の方がむしろ非常に多いわけでありまして、これをどうするかということになるわけであります。ここでは、いままでやられていますように資金運用部資金を活用してなるべく良質な資金をそういうむしろ弱いところに重点的に振り向けるのが一つかと思います。  それから、これは先ほど来どなたかの御意見にありましたように、結局、地方金融公庫、これは仮称ですが、こういうものによってそういうところにかわって資金を取り入れる、こういう機関を拡充するという方式しか現実にはなかろうと考えております。その場合には、そういう団体に対するある種のコントロールは性格上やむを得ませんけれども、それもなるべく枠配分にして余り細かい行政上の統制は私は避けた方がいいと思うのです。  それから、前者の点でもう一つ言わせていただければ、地方債について、公募債ですね、日本銀行の扱いをどうするかという問題が一つあると思うのです。これは恐らく、望ましいのは国債に準じた扱いの方向で公募地方債については考えていく。ただ、これは全体の金融政策とのかかわり合いがありますけれども、地方団体側からすればむしろそういう方向を積極的に推進すべきだ、こういうふうに考えるわけです。  十分お答えになったかどうかわかりませんが、以上で終わります。

米原淳七郎大阪大学助教授

○米原参考人 お答え申し上げます。  まず第一点の交付税率を引き上げるべきか否かというお話でございますが、非常にむずかしい問題でございまして、先ほど来現在の交付税及び譲与税配付金特別会計での借り入れは暫定措置として一応評価できるという御意見、ほかの先生方もおっしゃられたわけでございますが、私も同様でございまして、少し大胆な発言になるかと思いますが、私はここ数年のうちに多分増税が行われ、それによって交付税財源も充実されるだろうと思っておるわけでございます。それまでの期間、いまの交付税及び譲与税配付金特別会計での借り入れが臨時的措置としてとられる、そのように理解いたしますと、いまここで交付税率を引き上げて、また税源拡充が行われ増税が行われました時点で交付税率を下げるというのも若干ぎくしゃくしたことになるのではなかろうか。ですから、ここ数年のうちに増税等によって交付税財源が充実されることを期待しながら、現在は交付税率を引き上げなくてもよろしいのではなかろうかと思っております。  それから第二点でございますが、永末先生おっしゃられたとおり、地方銀行等におきましてその貸出資金の大部分が地方債の引き受けに回ってしまうということはゆゆしき問題であると思います。先ほど来申し上げておりますように、やはりこういう事態を解決するためには地方団体金融公庫的なものをつくって、そこで地方債資金を引き受けるということが必要なことではなかろうかと思っております。  それから、できれば地方債そのものに市場流通性を持たせるような努力もなされるべきではないかと思っております。これは地方団体の信用いかんにかかわることと思いますが、今後は地方団体も健全財政を貫きまして、地方債を買っても大丈夫だ、ニューヨークのようなことにはならないということを一般の国民及び金融機関その他資金を持っております団体が認識すれば少しは問題の解決に役立つのではないかと思っております。  以上でございます。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 交付税率の件ですが、先ほど来われわれも交付税率を引き上げることに対しては非常に歯切れが悪いという皆さんの御指摘があり、それがなぜそういうことになるのかという理由の説明は高橋先生の御説明などからほほ御理解いただけたのではないかと思いますが、要するに、交付税率も一たんたとえば引き上げますと、それはまたそれで長期に維持されるべきものになるわけです。現時点で確かに財源が不足である。それを埋め合わせるための機械的な交付税率の算定をやれば、幾らになるというのは計算は可能でしょうけれども、しかし、来年、再来年あるいは数年先、その交付税率が果たして適当なのかどうか、だれもはっきりした見解を持っていない。そういう段階において、一体交付税率の当面の引き上げに力を注ぐべきなのか、それとも抜本的な制度の改革にできるだけ精力を傾注していくべきなのか、そういう戦術的な考えの分かれる点があると思うのです。私はやはり抜本的な改正が一日も早く行われるようにそちらの方へ皆さんの努力を集中していただきたいというふうに実は考えておるわけです。こういった交付税率のあり方の問題が、予算あるいは財源確保という形だけでしかいまのところ盛んに議論されないというのは実は非常に残念なことでして、もっと予算の時期を離れて抜本的に地方の財政制度はどうあるべきなんだということを、当面の問題は別として、根本から考え直すような討論の場が設置されてしかるべきだと私は思っております。私、地方制度調査会などの答申を読んでおりますけれども、その中でもなかなかあるべき姿、きちっとしたシステムを考えるという姿勢が貫かれていないわけです。ぜひ皆さん方も今後そういう方向でできるだけ、一日も早く地方財政のあるべき姿に基づいた原理原則にかなったシステムの設計ということを真剣に考えていただきたいというふうに私はこの場で要望しておきたいと思います。  それから縁故債債券のことについてですが、これは高橋先生から非常に明快な御説明がありまして、私も全く意見を同じにしておりますので、時間の節約もあり、省略させていただきます。

永末英一民社党

○永末委員 高橋先生、先ほど各省庁がいろいろな補助金を出しておるが、これを全部はいかぬが、ブロック別にブロック化してやったらどうか。われわれ民社党も実はそういう考え方を持っておりまして、補助金を一つ一つとりますと、それぞれ故事来歴がございます。しかし、統計的に、また年度を通じて、各年度歴史的に見ますと、大体ある一定の分量が流れておる。結局、補助金総額というものを大蔵省が押さえますからそうなるわけですけれども、しかし、そう変わりないのだったら、その程度の額を第二交付税なら第二交付税としてやったらどうかと思う。  もう一つの問題は、財政の話はこうやっていろいろ細かく計算がやられますけれども、行政調査というものはちっとも日本では進んでいない。アメリカの自治体では、会社と比べて行政機関が一体能率が上がっているのか上がっておらぬのかということを調べるために行政調査というものが発達しておるわけでございますが、日本では発達していない。私はそのことをいまやれと言っているのではなくて、補助金の一番の悪さというのは、補助金項目を立てればそれをもらうための仕事をするものができる。中央官庁と地方団体の両方にできるわけですね。したがって、もしこれを第二交付税でやれば非常に行政能率が上がり、人員の問題につきましても縮小できる。何とか第二交付税みたいなものを、つまり補助金、交付金等を一括してぼっとやれるようなことを考えられないか。行政改革と相まって民社党は考えておるのですが、もう少し詳しく御意見を承っておきたいと思います。

高橋誠法政大学教授

○高橋参考人 先ほど一般的なことを申し上げたわけですが、私どもは役所の機構というものについては全く不案内でありまして、そういう本の中といいますか、書斎の中で考えておることです。これは私思いつきましたのは、イギリスの国庫補助金がいまから十五年くらい前までは大体九割が特定補助金で、一割が一般補助金で、日本の交付税だったわけですが、それを一九五八年から大転換をしまして、いまはその比重が全く逆転しておるわけであります。特定補助金が一割でブロック補助金が九割。それで、そういうことは私どもかねてから主張していたことなんです。  なぜイギリスでできて日本でできないかということをいろいろ考えてみたわけで、これはいろいろなことがあると思いますが、結局は日本のビューロクラシーの問題にぶつかるということになるわけですね。それは、先ほども申しましたように、統制と介入と、それから今度は逆に地方の側の依存、これはやはりメダルの両面でありまして、そういう一つのメカニズムをつくっているわけですね。このメカニズム自体が崩れていかないと——それはまあ明治百年の蓄積でありますから、きょうあすにどうこうというわけになかなかいかないと思うのですけれども、一つはやはり、これはイギリスの例で言いますと、内閣総理大臣の一つの大きな決断だと思います。それだけの体制が日本にないと言われればそれまでですけれども、内閣がそういう方針をきちっと出すということがこの問題を進める大前提でありまして、私どもがここで大きな声を出してみても、これは本当にか細い声でありますが、ぼくは繰り返し言うことだと思います、そうしないと改革は進みませんから。  それから、一つそういう点で、これは本当に具体策いかんということになると、私どもの議論はもともと抽象的でありまして、個々の問題は、特に地方団体の方から、こういうのでは困る、地方財政というのは総合性、現場性というものがあるので、こういう細かいのが、同じ省のしかも同じ課から出先へ流してきて、例は悪いのですけれども、一方であぜ道をつくれと言い、一方ではあぜ道を取っ払えというようなかっこうで交付されるのでは困るというようなことを少し勇気を持って発言するということがないと、どうも進まないんじゃないかと思うわけです。  それから第二点の、地方行政の経営的な改革という点は、私はこれから相当重視しなければならぬ点だと思います。つまり、経営といいますと、減量経営だけが強調されまして、人件費とか人員を削るというような話だけが先に進んでくるわけであります。まあ必要ならば、それもやらなければならぬことだと私は思いますが、もう少し政策的な経営という点で少し視野を広げていく必要があると思うのですね。恐らく、それがなかなか日本で進まない一つの理由は、アカウンタビリティーといいますか、住民の負担とサービスとはなかなか直結していないということと、それから地方自治体の財政的な当事者能力というものが非常に欠如している。それが悪いという意味で申し上げるわけではないのですけれども、小さな団体だとやはり九割くらいはいろんな——つまり自主財源は一割ぐらいで、あとの九割は何らかの形で国から補てんせざるを得ないという形になります。そういうところは、国から来る金は供給コストはゼロですから、多々ますます弁ずるということになりまして、およそ経営というような視角にのりにくいという側面があって、それが日本でこういう経営的な改革がうまくいかないといいますか、そういう視角というものがなかなか導入されないという一つの根拠になっているんじゃないか。やはり、自治体の財政上の当事者能力というものを少し与えて、それで計画——このころ盛んに長期計画をつくれということを自治省なども指導されているようですけれども、当事者能力のないところに本当の計画というのがあるんだろうか。しかも財源についてはみんなあてがいぶちであります。だから、その辺は改革と絡まないと、どうも経営というのは大体みんな減量経営になって、自治体自身から一歩踏み込んでいく政策経営に進まないんじゃないかという感じを持っているわけであります。  以上であります。

永末英一民社党

○永末委員 補助金というのは、やはり中央政府の地方自治体に対する支配のひもでございますので、民社党内閣でもできたら、これは決心してやります。  先ほどの質問の中で、補助金と交付金を一括してと言うたような気がしますが、それは補助金と負担金というのの誤りでございますから、訂正いたします。どうもありがとうございました。

中山利生自由民主党

○中山(利)委員長代理 次に、三谷秀治君。

三谷秀治日本共産党・革新共同

○三谷委員 きょうは御苦労さまでございます。  先ほどからいろいろ承っておりまして、私、一つの疑問は、この交付税の問題というのは、基本的に言えば、憲法に定めます地方自治の本旨に基づいて、そして地財法、地交法の規定に照らして地方財政自主権を擁護する観点の中で地方交付税はどうあるべきかという性質のものだろうと思います。     〔中山(利)委員長代理退席、委員長着席〕 ここが基本だろうと私は思っております。  そこで、その点からいきますと、先ほどからお聞きしますと、国の財政問題が出て、増税というふうな問題が言われておりますが、私どもは、増税とかなんとかいう問題、いわば政策選択の問題ですね。この地方財政の問題というのは、国の政策選択の問題以前の問題であって、これは憲法で決められました地方自治の本旨に基づいて財源の保障をすべきものであるし、国がたとえば軍備の増強に金を使ったり、あるいは不要不急の事業に金を使うとか、歳入から申しますと、不公正税制が維持されるとか、そういう論議を別にしまして、そういう政策手段以前の問題として地方財政は確保されなくちゃいけませんし、そして、その自主権というものも擁護される必要があるというふうに思っております。  そういう点から申しますと、どうも先ほどからおっしゃっているのを聞いていますと、自治省が言っている、要するに政治的な見地のようなものが非常に濃厚なものですから、私ども、もう少しこれはそういう原則に立った学問的な見地というものをお聞きしたいと思っておったわけです。  そういう点からしますと、たとえば米原先生がおっしゃっていました点で一つお尋ねしますが、大都市需要の算定不足という問題は、いまかなり各地で問題化しております。それで、東京にしましても大阪にしましても、財政需要が十分見込まれていないという点が指摘されております。たとえば、これは自治省の基準財政需要額及び基準財政収入額の推移についてという統計を見ましても、団体別の基準財政需要額の推移が、都市の構成比ですね、これが二十九年の一三・九%から五十一年の二一・〇%、こういう推移を示しておりますが、大都市におきましては二十九年の一〇・四%から一二・一%と伸びが非常に少ないために、大都市におきます財政上のいろいろな需要というものが十分に反映していない。これは人口急増補正だとか都市圏補正だとか事業費補正を行っておりますけれども、なおこれが足りなくて、たとえば東京都などは不交付団体ですけれども、本来言いますと、二千数百億円の交付税があってしかるべきだというような計算も出しております。それから大阪などにおきましても算入不足がありまして、これが非常に問題化してきておりますけれども、そこら辺を見ますと、何か大都市の方は非常に潤沢に交付税の配分がなされておって、中小都市は行政水準が非常に低いというのか、需要の算入が少ないとか、そういうふうな御意見でありましたが、その点はどういうふうに統計などで割り出していらっしゃるのでしょうか。

米原淳七郎大阪大学助教授

○米原参考人 お答え申し上げます。  まず最初に、地方財政というのは国の政策以前の問題ではないのかというようなお話がございましたが、その点について私の感想を若干述べさせていただきます。  確かに、地方自治というものを非常に純粋に突き詰めて考えてまいりますと、国の施策とは独立に、各地方団体が自由に課税権を持ち支出権を持って、それぞれの団体が国の指揮監督を排除しながらの財政運営を行っていくというのが純粋に見た地方自治であろうかと思います。  ところが、わが国の制度を見てまいりますと、特に地方財政におきましては、地方財源はもっぱら国の手で保障するというような考え方がいろいろなところに出てまいるわけでございます。国の手で保障するというようなことを国の方で言い、それをもとにして地方財政が運営されていくということになりますと、やはり国の財政がどうなっているのかとか、今後国がどういうような施策を地方に対してとるのかというようなことを考えながら交付税の問題も考えなければいけないのではなかろうかと思って、これまでそのような意見陳述や答弁をしてまいったわけでございます。  それから第二点、大都市需要の算定不足の問題でございますが、私が申しておりますのは、態容補正という補正係数がございますが、この補正係数は大都市ほど高い財政需要を見込むように補正をしていっておるわけでございます。この大都市ほど高い補正をしていくということは、大都市の方が高い行政水準を確保する必要があるから高い経費を見込んでいくということになっているのではないかと私は解釈しておるわけでございます。そういたしますと、大都市だから行政水準は高くあるべきだ、田舎だから行政水準は低くあるべきだという思想につながっていくことになりまして、このような不公平というのは望ましくないのではないのかということを申し上げたわけでございます。  それから、大都市需要の算定不足という問題につきますと、これはまた範囲が広がってまいりまして、先ほど私は小、中、高等学校というような例を申し上げたわけでございますが、現在のところまだ人口増加と申しますか、小、中、高の生徒児童の増加によりまして新しい学校をどんどんつくらないといけないというような事情に大都市圏は追い込まれておりますけれども、そういうものについての基準財政需要額への算入というのは、三谷先生のお考えのようにやはり不足しておるのではないかというふうに思っております。  突き詰めて考えますと、交付税というのはどうしても地方と都市との金の奪い合いというような性格をある程度持っておるわけでございます。それで、地方都市に行きますと、どうしてうちの基準財政需要はこんなに少ないのだろうかと。私、大阪府下の市町村にもときどき参るのでございますが、堺市に参りましても、どうしてうちはこれだけの大きな都市でありながら大阪市や東京都に比べて補正係数がこれだけ低いのだろうかということをおっしゃられますし、さらにまた南の泉南の方に行けば、いや、うちの方はどうしてこんなに基準財政需要の補正係数が低いのだろうかというようなことをおっしゃられます。それで、大阪府の地方課などへ行きますと、交付税に対する要望としては、府下の各都市は補正係数については同じような取り扱いをしてほしい、大都市並みの取り扱いをしてほしいというような御意見が出てくるわけでございます。一体どちらがどうなのか。現状はどちらが本当に優遇され、どちらが冷遇されているのかというのは非常にむずかしいと思います。一体何を基準にして判断するのか。公平とは一体何なのか。先ほども道路とかごみの例を挙げましたけれども、それぞれの行政項目について一体どうなれば公平であるのかという判断はむずかしいと思います。ただ、態容補正という形で大都市だからという理由でぼんほ゛ん高い経費をつけていくというのは一概に余り賛成できないということを申し上げたわけでございます。  以上でございます。

三谷秀治日本共産党・革新共同

○三谷委員 大都市の需要も産業基盤整備事業と生活関連事業につきましてはもう補正の仕方が変わっておりますから、これも大都市と中小都市との対比というだけでは済まない複雑性を持っておりまして、これは非常にめんどうなんです。  そこで、高橋先生の論文の中で、交付税の内部構造の複雑性を指摘されて簡素化すべきだという御意見、これは「地方交付税と財政調整」という表題の文章で拝見しましたが、これについて具体的な何か試案のようなのをお持ちでしょうか。

高橋誠法政大学教授

○高橋参考人 三谷委員からの御質問で、第一点の法律論でありますが、私は法律論からすれば三谷委員のおっしゃることは正論だと思います。ただ、私どもの観点は、費用負担とか日本全体の財政ということを自分の業としておりますので、先ほど来繰り返すようなお答えになるわけであります。  それから、第二点の問題でありますが、大都市の高度ということの意味でありますけれども、そのレベルが高いというのではなくて、これは標準的な行政に対応しなければならないわけですから、たとえば消防であれば都市構造からいって、高級なはしご車とか化学何とか車とか、あと詳しいことは知りませんけれども、そういうものは都市には必要なのであります。農村に同じようなものは都市の態様からいって必要としないわけであります。その高度ということの中身の個々の解釈、私は都市が任意的な行政をやったり、そういうものに対してまで国でめんどうを見ろということを言うつもりはありません。  それから、交付税のあるべき姿、たとえば社会資本のストックが不足しているというふうなところを引き上げるというふうなことも、これも最近投資的経費については、十分かどうかはわかりませんけれども、交付税に入り込んでおります、私どもは余りそういう措置は感心しないという方ですけれども一。それから、人口急増対策等についてもかなり補正が進んでおります。  そこで、三谷委員の御質問の簡素化の問題でございますが、これはかなりいまの方式を改革をしていかないと非常にむずかしいと思いますが、現在でも投資的経費と経常経費とは一応分けてやるということになっていますが、私の前提は、これはやはり経常的経費についてやってみるということがまず一つの前提であります。  そこで、先ほど来ちょっと申したわけですけれども、これはちょっと技術的な細かいことになりますが、イギリスでやっております実績をもとにした回帰方程式といいますか回帰分析の手法を使いまして幾つかモデルをつくるわけでありますが、つまりいまで言う測定単位をもう少し簡素化をして、そしてそれに見合う、日本でやっている補正係数と申しますか、そういうものを割り掛ける、こういうことを考えているわけであります。ただ、これを日本に入れる場合にはやはりいろいろ技術的に非常にむずかしい問題がありますので、一応そういう——ちょっとまだ研究自身か進行中なものですから、それでやってみたら日本の場合はこうなるということがはっきり言えないのですが、どうも余り単純な指標、つまりモデルの設定を若干複数にしなければならぬと私は思いますが、それをきちっとつくればもう少しいわゆる測定単位を簡素化しても、いま要するに民主主義の世の中ですからいろんな要求がある。そして、先ほどの公明党の委員の方からの御指摘のように、外部的要因で制度が変わったら必ず交付税に響くようになっていますので、これが一層この制度を複雑化している原因にもなっていると思うので、これをやってみるとわりあい単純な方法でもそれほどいまの算定とそう変わらない結果が出るんじゃないか。ちょっと多様にやらないとやはり日本のいろんな各層の圧力に満足しないというようなことが、ちょっと表現は悪いですが、大衆民主主義と申しますか、そういうものが制度を複雑化しているという側面も否定できないように思うわけです。  十分お答えになったかどうかわかりませんが、以上でございます。

三谷秀治日本共産党・革新共同

○三谷委員 私はこの交付税というものが、調整機能を通じまして、住民のための地方自治を促進して住民の生活と権利を守るという要素を持つものだと思いますが、いまの交付税が、元来これは自主財源、一般財源でありますが、これが特定財源化している。これは極端な例を申しますと、この交付税の中から包括算入分を地方債に移しましたり、あるいは建設地方債に移管をしたりしまして、当然国が保障すべき財政を借金に振りかえてしまって、しかも特定財源化が進むというような状況ですね。こういう状態がかなり深刻になってきておりますが、これについてはどうお考えでしょうか。特に事業費補正なんというものは結局開発事業の後追いになりますから、開発の後追いということで一般財源というよりも特定財源的な性格を強めてきているという点を私どもは大変不満に思っておりますが、その点どうお考えでしょうか。  それからもう一つは標準団体ですね。標準団体が昭和二十五年にできまして、十万の市、百七十万の府県になっておりますが、これは当時の市や府県の規模とは根本的に違っておりますし、高度経済成長を通じまして都市あたりのいろんな条件も変化してきている。ですから、十万とか百七十万という標準団体自体が財政需要を捕捉する点から言いまして非常に困難性を持っているのではないか。ですから、大きな府県、たとえば東京、大阪なんかそうですが、五百万とか三百万とか程度以上の府県を一つの標準団体とする。それから市の方も十万という市は非常に少なくなりました。しかもこれは農村的な要素が強いわけですから、もう少し分けまして具体に割り出しができやすくするということが必要ではないかと思っておりますが、この点はどうお考えでしょうか。

高橋誠法政大学教授

○高橋参考人 二点あったと思いますが、私もいまの三谷さんの御指摘の点を痛感しているわけですが、これが結局、やや言い過ぎかと思いますけれども、日本の地方財政制度が私に言わせれば三点セットと申しますか、まず補助金が最初にあって、それからその裏の負担を交付税や地方税つまり一般財源で見る、それから多々あって、用地等は起債で見る、これが一つの事業に関して一つのセットになっているという関係からきているところがわりあい多いと思うのです。つまり、初めに補助金ありきでありまして、つまり特定の事業をやるということになりますと、どうしても地方が裏を持たなければなりませんから、裏が地方税だけじゃ持てない。地方税だけでは持ち切らぬからその事業に対応するように交付税を交付しなければいかぬ。そのために交付税の特定財源化といいますか、そういう事業に見合って交付税を算定するというようなかっこうになっているのではないか、やや図式化的に言いますと。それで、それが決まればそれに応じて用地等の財源を地方債で見て、その枠を充当率をどうするかという問題もありますけれども、そういう三点セット構造から——この表現は余り適切じゃないと思いますけれども、先ほど永末委員からの御質問もあったように、やはりこの補助金のところに話が返るようなことになるわけであります。  それで、私も、そういう社会資本のおくれたようなところにそのストックの引き上げをするために、やはりかなり財源のかさ上げ措置をとるということの必要性は十分認めるわけでありますが、その点をもう少し合理的な方法といいますか、あるいは地方団体の自主性なりプライオリティーを発揮できるような方法を考えてみるべきではないかというふうに思います。  それから第二点は、私も先ほどの公述で申し上げたところでありまして、やはり十万と百七十万というのは端的に言いますと時代おくれという感じがいたします。やはり補正で幾ら積み上げましても、量というものはある時点で質に転化するという法則がありますので、いまの条件を少しあわせて考えてみる必要がある。それは、同時に補正方式の簡素化というものとも絡んで考えていかなければならぬというふうに考えます。

三谷秀治日本共産党・革新共同

○三谷委員 どうもありがとうございました。時間ですから。

松野幸泰自由民主党

○松野委員長 次に、加地和君。

加地和新自由クラブ

○加地委員 まず深谷先生にお尋ねをしたいのでございますが、先ほどから交付税率のアップ問題について、それのみでは考えられない、いまや国、地方の財政を抜本的に改めなければならない時期に来ておる、こういうぐあいに相当力点を置いて御発言なさっておりますのですが、時間が限られてはおりますけれども、十分ぐらいでこの地方財政制度に絡めて、先生がいままで御研究になっておる、力点を置いておられる点についてちょっとまた教えていただけないでしょうか。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 抜本的な改革について私の考えを十分ぐらいで述べよということなんですが、地方財政の財源制度については先ほど二、三お話しいたしましたので、ここで繰り返すことは避けたいと思います。  全般的な問題として私が一番関心を抱いております問題は、もちろん税負担の絶対的な水準はどのくらいが適正かとか、そういう問題がありますけれども、もう一つの問題としては、財政の資源配分機能と景気調整機能とをいかに調整するかという問題に私自身は一番の関心を持っているわけであります。これは地方財政についても触れましたけれども、実は問題は、国の財政にとっても同じことが言えまして、景気調整に公共投資を使う。そうしますと、一体どういう現象が起こるかと申しますと、好況期が非常に長く続きますと、その間ずっと公共投資が抑制されてしまう。そのために社会資本不足が生ずる。逆に、もし不況期が長く続くとしますと、今度は、いまの状況ではそういうことはちょっと考えられませんけれども、しかし公共投資をずっとやっていくと、資源配分としては公共資本ストックが過大になる可能性がある。これは想像の上だけの話で現在ではそういう状況は余り考えられませんが、そういう問題があって、それで景気調整に財政支出を使うのは問題ではないかという議論がしばしばあるわけです。景気調整にはどちらかというと税を使うべきだというような主張も中にはあるわけです。しかし、現実的に問題を考えてみますと、やはり景気調整に財政支出の方を用いざるを得ない面が多々ございます。その中で資源配分機能と景気調整を一体どう両立させていくのかということが問題になるわけです。しかも、先ほどもちょっと申しましたけれども、景気調整にもし失敗いたしますと、経済の計画その他が全部支障を来たしまして、資源配分自体も計画的に行っていくということが不可能になる。景気調整がうまくいってこそ初めて計画的、合理的な資源配分が可能になる。この点をよくわれわれは認識する必要があるだろう。そういったことを銘記した上で今後の財政制度のあり方を考えていきますと、長期あるいは中期の財政計画で中長期のあるべき財政の姿というのをきちっと明確化した上で、その中でそのときどきの事情に応じた景気調整政策をとっていく、その範囲を崩さないようにしていく、そういう配慮が基本的に必要だろうと思うわけです。ですから、たとえば景気対策で公共投資を抑制しましたならば、それは長期の趨勢から言えば一時公共投資をする権利を預けたのだというふうにいたしまして、そして抑制する必要がなくなったときに、その預けた権利も含めて長期の趨勢に回復すべく財政が行動できる、そういったようなシステムの設計が今後望ましいというふうに基本的には私は考えているわけです。

加地和新自由クラブ

○加地委員 そうしますと、先生のお考えでは、先ほどもおっしゃっておりますように、いま交付税率をいじるということは抜本的改正をおくらせてしまうことにもなるので、むしろ望ましくないというような考えなのでしょうか。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 交付税率をいまいじることが望ましいか望ましくないかという見方については、確かに意見が分かれると思います。いま交付税率を引き上げますと、それでまた当分推移してしまって、かえって抜本的な制度の改革がおくれてしまうということが考えられないわけではない。日本のいろいろな政治決定のメカニズムからいきますと、非常な困難に陥らないと抜本的ないろいろな改革というのが行われない。前もって事態を予測してそれに備えて基本的な制度の改革を考えるというような風習がなかなか日本にはない。たとえば、西ドイツの経済安定成長法の成立の経緯なんかを見ますと、やはりきっかけは非常な財源難、成長路線のシフトに伴う財源難が生じてきて、しかも地方政府の官僚の給与が高過ぎるなんという問題の指摘まで行われた。状況はわりと似た状況にあったわけですが、そういった中で西ドイツはどういう対応をとったかというと、安定成長促進法というのを準備いたしました。そして成長路線のシフトに合わせて、曲がりなりにもともかく中長期の計画的な財政運営と景気調整とを両立させるような努力を経済安定成長法という形で結実させているわけです。そういったような対応が日本の場合にどれだけスムーズにできるのか。問題が深刻にならないとなかなか手をつけられない、手をつけても暫定措置、暫定措置で糊塗していく傾向がある。そういう中で私は非常に危機感を持っているわけですが、交付税率そのものの問題も確かに重要な問題かもしれませんけれども、できることなら、そういう西ドイツ並みといかないまでも、できるだけ早くこの委員会などもプッシュしてそういう基本的な改革を進めるような努力の積み重ねをしていただきたいというのが私の希望でございます。

加地和新自由クラブ

○加地委員 深谷先生が先ほどおっしゃいました中長期の財政計画を明確にして、公共投資なども民間投資が多いとき少ないときで抑制したり預けてあるものを返してもらったりと、こういうことはもっぱら国の方がやるべきことになってきて、地方の方が景気調整政策に協調的に動けるような制度でなければいかぬ、こういうことに地方の役割りとしては恐らくなってくると思うのですけれども、そうした場合でもやはり現在の地方交付税法、これはナショナルミニマムをある程度保っていくというような点でそれなりの意義はあると思うのですが、先生のお考えでは、地方交付税法は現在の形のままである程度微調整をしながら残していくべきものだ、根本的にはこれは必要だというお考えなんでしょうか。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 交付税制度そのものが基本的に必要だということは私も認めております。ただ、いまのような交付税制度ではやはりうまくいかない。たとえば交付税が財源として非常に不安定だということ自体やはり問題だ。特に法人税、所得税、いわば交付税の基礎になっている税が非常に景気感応的ですから、それを単年度、単年度の見積もり額に三二%掛けて交付税額にするというようなやり方をやっていますと、どうしても景気変動の局面で地方の財源が不安定になってしまう、そういう傾向は否定できないわけでして、やはりそういったものを安定化させることが必要だ。一つはどのくらいの率が平均的に必要かという問題と、それからそれをどうやって中長期に安定的に維持するかということがもう一つ問題で、その安定的に維持するということの視点がこれまでの議論ではやや不足しているので、私自身はそこをできるだけ強調したいというのが私の意見のいわば裏の事情です。

加地和新自由クラブ

○加地委員 深谷先生いまおっしゃいました地方財源の安定という問題ですけれども、先生は先ほど所得税、法人税には景気感応度が強い、これを単年度の税だけでいくと景気感応になってしまう、数年度の平均などをとるべきじゃないかとおっしゃいましたが、具体的にはどんな方法が考えられましょうか。

深谷昌弘成蹊大学助教授

○深谷参考人 これはやはり国も地方もあわせての中長期の財政計画の話になるかと思いますが、財政計画、経済計画を前提にしました中長期の路線というのが、もし計画ができますならそういうものが出てくるわけですね。それを前提にした個人所得なり法人所得、その趨勢線上での税額が幾らになるか、そういうような計算の仕方というのは考えられると思います。

加地和新自由クラブ

○加地委員 それでは高橋先生にちょっとお尋ねしたいのでございますが、高橋先生はやはり大都市なんかの特殊性を認めていくべきであるという御意見だったと思うのです。実際に私が持っておりますところの都道府県財政指数表、昭和四十六年版という、ちょっと古いのですけれども、大阪の方は人口一人当たり道府県税が三万四百四十一円で、鹿児島の方が六千八百五十六円、そこへ交付税とか地方譲与税を足しますと、逆に鹿児島の方が三万一千四百二十三円で、大阪の方が三万五百三十一円というぐあいに、税金をようけ払っている方がトータルとしても少なくなっていって、やはり世の中、勝手に金が入ってくるわけではなしに、かせぐためには睡眠時間も短くしているであろうし、ほかの娯楽も減らしておるであろうし、あるいは健康を害し、あるいは寿命を短くしておるという面も恐らくあると思うのですね。それから非常な研究、努力等。ですから、現在の平等制度というのはそれなりに私はとうといものだと思うのですけれども、極端に平等化してしまうと、のんびりしていて寝ておる方が体が楽で、トータル計算すればむしろ得だ、そういうようなことにもなってくるおそれも私あると思うのです。私も大都市に住んでおる者であり、いろいろと大都市の自治体からは大都市をちょっと冷遇し過ぎじゃないかという意見も聞きますので、そこらちょっとエゴにならないように、大都市エゴでなしに、いま言ったような人間の努力というものと努力するものが公正に報われるという制度との、そういう哲学との兼ね合いから先生のお考えを聞かしてほしいのです。

高橋誠法政大学教授

○高橋参考人 加地委員が先ほど、これは要するに一般財源ですね、地方税プラス交付税の府県別の一人当たりの比較という指数をお挙げになりましたが、私もちょっといまここに持ちませんけれども、大体御指摘のとおりだと思います。私はそれが一応わが国の地方交付税、これは補助金等も含めて総合的に判断すれば、そういういわゆる底上げ機能と申しますか、そういうものが相当成功しているというふうに判断いたしました一つの根拠であります。つまり、そういう財政力をならすという点では、わが国の制度はある意味では世界に冠たるものだというふうに思うわけです。ただし、その裏側の問題としまして、先ほどの例に直ちに承服はいたしませんけれども、供給コストがゼロという資金、つまり、交付税とか補助金というのは交付される方から言えばコストのかからない金でありますから、私どもで言う一種のただ乗り現象というものを生じやすいわけであります。これがたとえば地元の自分たちの金でやるということになりますと、そこにやはりアカウンタビリティーというものが働きますから、高校の授業料を上げるというようなことでもこれはもう大騒ぎでありますけれども、そういうシステムができますと、しかもそれに大きくよっていますと、地方自治体で私が恐らく首長になってもそういうビヘービアをとると思いますが、ある財源が必要だということになれば、これは地元に負担を求めるというよりも、いまのシステムならば、基準財政需要の計算が足らぬからそれをもっとうんと見て金をどんどん下さいというふうに、やはり上の方に志向するというのは、いまのメカニズムから言えばちょっとやむを得ないといいますか、ある意味ではあたりまえだというふうな気もするわけです。そういう意味で統制と介入とそれから依存ということがやや過度になっているという感じを持つわけであります。それを基本的にはやはり維持しなければならないわけです、つまりナショナルミニマムはやはり確保しなければなりませんから。  そこで、大は大なり小は小なりに、やっぱり財政努力をするというシステムとその調整のシステムというものを組み合わせる必要があるのじゃないか。それで先ほどイギリスの例を挙げたわけですが、簡単に言えば、イギリスは税負担率は各地でばらばらでありますし、また税率もまたばらばらであります。日本はそういうことになっていないことは、ある意味で日本の特徴なんですけれども、したがって、高い税率をとれば実は交付税もたくさん来る、こういうシステムになっているわけです。これを日本にどういうかっこうで導入するかということはなかなかむずかしい問題で、いままでの風土や慣行がありますから、私はそれをストレートに入れろというふうには言いませんけれども、日本のシステムとすれば、少しそういうような地域の財政努力と、それから交付税との絡み合いというものを考えていかなければならぬのじゃないかというのが一つなんです。何も、田舎の方にかつて二十年代のように超過負担が農村地帯にずいぶんありまして、それにもとへ返れということを私は言うつもりはありませんけれども、特に任意的な行政ですね、その地域が特別におやりになることについては、少し地域も負担する。どうもいまのシステムは、少し寄っかかりの、まあ言葉は悪いですけれども、そういう面もあるのではないか、こう思うわけです。  それから、その反面として、特に大都市というものと一般都市というものの財政需要というものの算定ですね、これは先ほど来議論になって、確かにこれは非常にむずかしい問題であります。確かにかつては日本は相当の格差がありましたし、それから都市は田舎に比べれば相当ぜいたくな施設を持っていたことも事実であります。私はこれを端的に認めるべきだと思います。そういうストックの差は確かにあるのですが、近年こういう交付税制度がいま御指摘のように一般的に言えば地方の方が多いというようなことで、相当効果を上げていて、これはやはり経済力や財政力のバランスを調整する上では働きをしたということをむしろ率直に認めるべきであります。  それで、いまの外国の例もちょっと挙げたわけですけれども、単に発展というだけでなくて、衰退に伴ういろいろなむずかしい財政事情がありますので、こういうものは非常にダイナミックなものですから、やっぱり計算というものは非常に静的にならざるを得ないわけで、そこで制度上の対応がちょっとおくれているという側面があるように思いますので、そういう点を少し是正すべきだということを申し上げているわけであります。

加地和新自由クラブ

○加地委員 終わります。

松野幸泰自由民主党

○松野委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人の方々には、御多忙のところ御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。  委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。(拍手)  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時三十六分散会

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