文教委員会放送教育に関する小委員会 第1号
- 発言数
- 9 件
- 登壇者
- 4 名
- 会派数
- 1
- 開催日
- 1978/11/08
会議録
○嶋崎小委員長 これより放送教育に関する小委員会を開きます。 放送教育に関する件について調査を進めます。 本小委員会は、さきの第八十四回国会に設置されて以来、放送教育に関する問題について数回にわたり懇談を重ねてまいりましたが、本日は、特に放送大学に関する諸問題について、学識経験者を参考人としてお招きし、御意見をお聞きすることにいたしております。 御出席願いました参考人は、お茶の水女子大学理学部教授、同大学附属図書館長太田次郎君、私立大学通信教育協会理事長高梨公之君及び広島大学教育学部教授沖原豊君、以上三名の方々でございます。 参考人各位には、御多用中のところ本小委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。 本日は、本問題について、参考人各位のそれぞれの立場の御意見をお述べいただき、今後の調査の参考にいたしたいと存じます。 なお、議事の進め方は、初めに参考人の方々からお一人三十分程度御意見をお述べいただき、その後、小委員の質疑にお答えいただくことにいたしたいと存じます。 それでは、太田参考人にお願いいたします。
○太田参考人 太田でございます。 私は、放送大学の準備にこの数年間関係しておりました立場で、放送大学の意義並びにこの問題点について幾つか考えているところをお話し申し上げたいと思います。 放送大学の意義でございますけれども、いろいろございますが、一番大きいのはやはり大学教育の機会の開放という点であろうと思います。すでに御承知かと存じますけれども、現在のところ、昭和五十一年にわが国の大学への進学率は三八・六%になっておりまして、これは短大を含めました高等教育機関の進学率でございますが、五十五年には四〇%、六十五年には四五%と予想されております。もちろん、アメリカにおきまして最近高等教育への進学率が頭打ちになっておる傾向がございますので、このままとは存じませんけれども、少なくとも大学教育を受ける人々が現在よりもふえていくことは確かなことであると考えられるわけでございます。このような人たちに大学教育の機会を与えようということが、放送大学において第一に大きな意義となると私は思います。 同時に、五十年六月に実施いたしました放送大学に対する教育需要の予測調査を見ますと、放送大学の利用希望者は四五・五%に上っておりまして、その中で、科目の単位を取得したりあるいは大学卒業資格を取得する希望者も相当数に上っておりまして、この対象は満十八歳以上の者五千人について面接調査をいたしました結果でございますが、その中で特に注目すべきことは、一日四十五分の放送を毎週二回、十五週間の放送が視聴できて、しかもそのほかに毎週三時間程度テキストの勉強やレポートの作成ができるかということを尋ねまして、回答者の約八%ぐらいはこれはできると申しております。この八%を単純計算いたしますと、放送大学において単に視聴するだけではなくて、科目の単位を取得するかあるいは大学卒業資格の取得を希望している者は六百二十万人という数になるわけでございます。したがいまして、現在、このような大学教育の機会の開放ということについては、大変多くの人々がこれを希望していると考えているわけでございます。 また、これは単に単位の取得あるいは大学卒業資格という以外にも、この調査によりますと、大変高学歴の人もこの視聴を希望しておりまして、現在問題になっておりますいわゆる生涯教育という立場からも放送大学は意義があると考えられるわけでございます。実際、生涯教育におきましては、現在、正規ではございません、いわゆる文化センターのようなものは各地にできておりますけれども、これに対する利用者も上昇の一方でございまして、そういう点から考えましても、この放送大学の開設は生涯教育の拡大という点で大変力になるものと思われます。 第三に私が考えますのは、学問の公開ということでございます。わが国の大学は比較的、学問が大学の中に入っておりまして、公開されていないという傾向がございます。もちろん、現在各大学で公開議座というのを開きまして一般に大学を開放しておりますけれども、公開議座は聴講者の数が限られておりますので、学問の現在の内容を公開するという意味では、放送大学は大変強い大きな意味を持つと思われるわけでございます。 こうした、どちらかと申しますと大学教育の機会を得る人あるいは社会教育的な面のほかに大きな問題は、現在既存の大学に与える影響が大変大きな意義があると私は思うわけでございます。と申しますのは、現在の大学教育というのは、どうしてもそれぞれの大学の定員の中で、限られた人員で限られた内容の講義を行っているわけでございますが、多様化する学生のニーズとこれとが必ずしも一致しているとは言えないわけであります。特に一般教育という科目におきましては、現在各大学で実施されておりますけれども、従来のように一部のある専門を講義するということに対する学生の要望よりも、むしろ、多方面の専門家が集まりました、いわゆる学際的と申しますか、総合科目というものに対する要望が大変多いわけでございますが、各大学においてそれぞれ総合科目の試みがなされておりますけれども、現在のところまだ十分とは言えない状況であると思います。そういう意味で、この放送大学は現在、学際的な科目、それぞれの専門にとらわれません学際科目を志向しておりますので、各大学においてこの放送大学の授業を利用するということができれば、既存の大学においても大変なメリットがあるのではないかと考えられるわけでございます。 もう一つは、残念ながら現在のところ、教育方法あるいは教育評価の方法という点で一番おくれておりますのは、わが国の教育体制においては大学であると考えられるわけでございます。小・中・高におきましては視聴覚教材そのほかの導入は大変盛んでございまして、教育方法の改善ということは行われておりますけれども、残念ながら、大学においては教育方法の改善に対する努力というのは比較的おくれていると考えられるわけであります。また、教育評価という問題も、大学においては大変おくれていると考えられます。従来、実験的試行で、たとえば日本語の問題のような問題をやりましたときに、教育工学者がこれに加わりまして新しい評価の方法をいたしますと、いままで考えられておりましたような文科系の科目でも評価をきちんとできて、学生の到達度がはっきり測定できるということがわかってまいりましたので、そういう面におきましても、既存の大学に与える放送大学の役割りというのは大変大きくなるのではないか、こう思うわけでございます。 こういうふうに挙げてまいりましたが、放送大学におきましては、設立の意義というのは十分ございますし、それから現在の大学においても、この放送大学と今後どう協力していくかということは大変有意義な、しかも大きなこれから取り組まなければならない問題であると考えられるわけでございます。 次に、実際にこれが設立されました場合の問題点が幾つか考えられるわけでございますから、問題点についてお話を申し上げようと思います。 第一は、キャンパスのない大学というものがいままで日本ではなかったわけでございますから、キャンパスのない大学というものに対しての学生の対応の仕方がどうなるかという点は大きな問題になると思われます。大学というところは、確かに学問を学ぶところでございますし、また研究をするところでございますけれども、学生相互の人間的な触れ合いという面も大変大切な役割りを果たしていると思うわけであります。実際、従来の経験でございますと、通信高校講座で、ラジオあるいは通信テキストを使いまして高校生を指導いたしました場合の結果を見ますと、比較的卒業あるいは進級のよかった例は、学習グループを個別につくりまして、そして互いに励まし合って勉強した場合の方が進級率あるいは卒業の割合が高いのでありまして、各個人の学生をばらばらに置いておきましてそして学習しろというのは、意志が強くてもなかなか困難な面がございます。したがって、キャンパスがない大学、あるいは人間的な触れ合いが少なくとも既存のものより少ない大学を今後どうしたらいいかということが、放送大学の最大の問題点になると思います。 ただいままでの計画によりますと、学習センター、スタディーセンターと申しておりますが、これを活用いたしましてこの問題を解決することが考えられておりますけれども、放送大学が成功するか否かの一つの大きなポイントは、学習センターが成功するかしないかにかかっているように私は思っております。学習センターというのは、そこで個人的な指導を受けられるという点もございますし、それから、そこへ集まりましたいわゆる同学の士がキャンパスと同じように人間的な触れ合いを感じ、互いに励まし合って学問していくということが考えられますから、この点をどう充実していくかということが大きな問題でございますが、恐らく放送大学独自の学習センターをつくるということについては問題があると思いますので、既存の大学とどのように協力して学習センターを充実していくかということが放送大学にかかるように私は思います。 なお、実験的試行の例で考えてみますと、現在四十代の主婦に教育の中だるみがあると言われておりまして、家庭の主婦の勉学意欲というのは大変強いと私は思いますけれども、家庭の主婦の場合に、家庭においてテレビ、ラジオを視聴してそして勉強するということは、どうもわが国の家庭事情でございますとなかなか落ちつかないいろいろな問題があると思います。たとえば、不意に来客があらわれるとかあるいは電話そのほかで妨げられるということがございまして、家庭の主婦のような人たちの学習を考えました場合にも、やはり学習センターというものを設けまして、そこへ来て学習することができれば効果は上がるだろう。また、実験的試行におきましても、そこへ参りました参加率は大変高かったということが考えられますので、学習センターの問題は大きくなると思います。 この場合に、日本の制度で考えなければいけないのは、学習センターで実際に指導を行うチューターという位置づけ、現在の日本ではチューターという位置づけはないわけでございますけれども、これをどういう位置づけでしていくかということも放送大学では考えていかなければならない問題だと思います。イギリスのオープンユニバーシティーではこのチューターとの連携が大変うまくいっていると聞いておりますので、このチューターの問題が一つの問題点になると思います。 それから、第二の問題点は、私は、教官の研究体制をどうするかということが大きな問題になると思います。放送大学の教官がいかに研究をするかということでございまして、申すまでもないことでございますが、大学の教官というのは、教育だけではなくて、研究の裏づけがない限りこれはりっぱな大学の教官とは言えないと思います。そういたしますと、放送大学でどのように研究者を養成していくか、つまり教育面と研究面をどう調和していくかということ、これは恐らく、先日発足いたしました放送教育開発センターとの連携ということを十分に考えていかなければならないと思います。あるいは、外国の大学で行われておりますが、サバティカルイヤーという、研究に専念できる期間を設置するとか、そのような方法を考えませんと教官の研究体制ということができなくなりますし、そうなりますと大学の質的な低下ということが起こり得る可能性があるわけでございます。特に、大学では、既存のと申しますか、若い研究者、特に助教授以下の若い研究者がいかに現在の優秀な学問をしているかということがその大学の質をはかる大きな尺度になると思いますので、このような若い研究者をこの大学でどういうように養成していくかということ、この点が一つの問題点であると思います。 それから、放送大学では御承知のとおり、専門的なものではございますが、学際科目を志向しております。この学際科目を志向いたしました放送大学が市民大学講座のようなものとどのような違いがあるか、あるいは専門的な職業と結びつかない場合にどうなるかというような点が、やはり今後十分に検討をしなければならない問題だと思っております。先ほど申し上げましたように、現在の人口問題でも環境問題でも、一つのディシプリンの専門家では解決できない問題でございますので、学際的なあるいは総合的な科目ということは当然望まれるわけでございますが、これの卒業生が実際に専門職業と結びつかない場合にどうするかということ。それからもう一つは、理数系の、特に理科系あるいは理工系の科目をどのように教育していくかという問題があると思います。これにつきましては、学習センターの活用ということが考えられますし、決して私は悲観しているわけではございませんで、たとえばキットを使いましたような、アメリカの各大学で行われておりますような新しい教育方法を考えれば、理工系の教育も学習センターと放送あるいはテキストを使いましてできると考えるわけでございますけれども、現実にはわが国ではその経験が全くございませんので、今後検討をしなければならない問題だと思いますし、こうした検討が既存の大学に与える影響というのは大変大きいのではないかと思いますので、設置の場合に重要な問題点になるように思います。それから、社会科学系の問題になりますと、これは放送との関係で、いわゆる学説の偏らないような講義をするということをどう行うかという問題がございます。これも私は決してできないとは考えておりませんけれども、しかし、現在の大学において各教官が講義をされておりますのとはやや違った感じを持たざるを得ないということが、放送大学において問題点になるように思われます。 次に、これはそれほど大きな問題ではないかもしれませんが、図書館のようなものをどのように考えていくかというようなこと、いわゆる参考図書あるいは学習のための図書をどうして受講生が手に入れていくかというようなことも大きな問題になると思います。私どもの聞いておりますところでは、通信制の大学では地方の公民館あるいはそのほかのようなところを利用させていただきまして、いわゆる参考図書をそこへ置いているというようなことを伺っておりますけれども、そのようなことで図書そのほかのいわゆる学習資料を十分に配付するという手段を講じることもやはり問題点の一つになると思います。 こうした問題点は、いま挙げましたけれども、実はこれはすべて解決の不可能な問題ではございませんし、その解決は、たびたび申し上げますように、既存の大学の教育体制あるいは教育評価にメリットになるものでございますから、準備をし、また実施に向かっての努力を重ねなければならない問題であると考えているわけでございます。 こうしたいわゆる教育、研究上の問題のほかに大きな問題となりますのは、やはり放送との関連であると思います。それで、現在の計画では特殊法人の設置によって放送大学は設置されるというふうになっておりますけれども、設置者と大学との間の位置づけあるいは大学と放送との関連というような点では、これも新しい問題が生じてくると私は考えております。イギリスの公開大学のように、いわゆるBBCが大学の授業の一部を放送するというのと違いまして、独自の放送局を持ちましてそして放送をしていくということになりますと、放送人と大学人との関連をどうするかということは、いままで各国でも余り経験のなかったことでございますので、この点は大きな問題だと思います。特に、具体的に申し上げますと、たとえば機能的な役割りから考えますと、プロデューサーとかディレクターとかいうものは、番組を制作するという意味で、大学の担当教官に非常に近い性格を持つわけでございますが、同時に放送人としての性格を持つというようなことがございまして、こうした協調体制をどのようにつくっていくかということがやはり問題点と申しますか、考えていかなければならないことだと思います。 このように幾つかの問題点を挙げましたけれども、現在、大学を公開して、そして新しい大学をつくるという機運は世界各国でも盛んでございまして、すでに御承知と思いますが、イギリスの公開大学におきましては、昭和四十六年に設置されたと思いますが、それ以後、現在一万五千名のバチェラー、学士を出しておりますし、一九七七年現在、学生数五万五千名に上っていると言われております。こうした世界各国の、放送あるいは通信を使いました教育状況を見ますと、アメリカでも西部の各大学におきまして、これは主にテクノロジーでございますけれども、工科、大学院程度の講義をむしろ各企業とクローズドサーキットで結んだような講義でございますとか、あるいはネブラスカ大学を中心としますミッドアメリカ・ユニバーシティーでございますとか、方々のところでこうした公開が行われておりますし、フランスのパリ大学におきましてはラジオソルボンヌという、これは十数年やっておるそうでございますが、ソルボンヌ、いわゆるパリ大学の文科系の講義をそのままラジオにとりまして国営放送で流しているという状況でございまして、そういう状況から考えますと、世界各国におきましても、教育の機会を広くして、特に高等教育を多くの人たちに開放しようという機運は大変高まりつつあり、盛んになっているものだと私は思います。放送大学におきましてただいまいろいろな問題点を挙げてまいりましたけれども、このような機運と合わせますと、日本においても放送大学が早く設置されまして、そしてその設置とともに、これが既存の大学において、大学の教育にいろいろないい影響を与えることを私どもは望んでいるわけでございます。 簡単でございますが……。
○嶋崎小委員長 どうもありがとうございました。 次に、高梨参考人にお願いいたします。
○高梨参考人 本日は、衆議院文教委員会から、放送教育に関する小委員会に出席して意見を述べろという話を受けて出頭した次第でございますけれども、その指名を受けたゆえんでありますが、現在日本で大学通信教育を実施しているすべての学校、これは大学が十二、短大が九つでございますが、その学校で形成しております私立大学通信教育協会の存在とか活動とか、そういうものと深く関連しているように考えますものでございますから、その点を考慮に入れながら若干の意見を、新たに発足しようとしております放送教育について申し述べてみたいというふうに考えている次第でございます。 端的に申し上げますと、その意見は大別して二つになるのでございます。一つは、すでに三十年にわたって、放送教育もその一環に加えて、私どもは通信教育を実施してきたのでございまして、そういう通信教育を実施してきた私立大学の立場に立ちまして、一つは、新しい放送教育機関の設立によって私たちが、言葉は適切でないかもしれませんが、不当な競争関係に立たされるとか、いわれのない困難に直面するとか、そういうようなことはできるだけないように御配慮を願いたい。できればお互いに唇歯輔車の関係を保って、長く共栄の関係を維持していきたいというふうに考えていることでございます。さらにもう一つは、ともかく四半世紀を越えて、悪戦苦闘しながら、通信による正規の大学卒業資格を与えるという、世界でも初めての制度と取り組んでまいりました経験に徴しまして、ここで新たに討議されております新教育機構に対しまして、私どもの経験から若干注意を要する点があるのではないか、そういう問題点の幾つかを述べて御参考に供したいというふうに考えているわけであります。 要するに、新しい放送教育機関が出発しようとしているいま、それが既存の制度を圧迫することなくて、それと調和を保ちながら、既存の制度がそれを乗り越えて、また現在それと対決しながら悪戦しておりますさまざまの困難を克服して発展してほしいことを力説するだけのことでございます。ただし、既存の制度側といたしましては幾分か激しい口調で希望を申し述べるようなことがあるかもしれませんけれども、要は、日本における通信教育の健全な発展を希望するという一念から出ているものでございますから、御寛容賜りたいと思う次第であります。 なお、放送教育機構設置の企画が次第に具体化されてくるというような事情を背景にいたしまして、私どもの協会では、去る十月の八日から二十一日まで二週間にわたりまして、ほとんどすべての大学からの参加者を網羅して海外通信教育事情視察団というものを結成いたしまして、イギリス、ドイツ、フランスに派遣いたしまして、オープンユニバーシティーでありますとかフェルンユニベルジテートでありますとかいうような諸施設を視察して帰ってまいりました。それらの報告をも随時織り込んで話を進めさしていただきたいというふうに考えております。そこで、まず通信教育の立場から若干の意見を申し上げたいのでございますが、最初に、これは言わずもがなのことかと思いますけれども、「放送大学」と一般に使われているその名称と本質についてちょっと申し上げたいと思います。これは大事な前提でございまして、放送教育は通信教育の一種別であるということをまず御理解していただきませんと、われわれの意見はすべて的外れとなる可能性があるからでございます。 先ほど、私どもはほぼ三十年を越えて通信教育を、そしてそのうちには放送教育をも含めて、実施してきたと申し上げたのでございます。そういう立場から、私どもは、今回設立を考えられております新しい放送教育機構を、その種別から言えば通信制そのものである、つまり通信制大学であって、通信教育の一類型であるというふうに考えておるのであります。この点、実は放送大学をめぐる何回かの会議でも力説してまいったのでございますけれども、放送大学という呼び名そのものは若干誤解を生むおそれがあるのでありまして、「放送」というのは大学教育をやる手段であり方法でありまして、手段や方法を大学名といたしますことは余り類がないことだと思います。放送大学といいますと放送を研究する大学であること、あたかもたとえば電気通信大学が電気通信を研究する大学であると同じような印象を、もし日本という特殊の環境を離れて考えてみるとそういう感じを受けることすらあるのではないかというふうに考えるのでございまして、また、手段、方法を大学名として採用するにいたしましても、放送をもって手段とする大学は場合によれば幾つもできる可能性があるわけでございまして、この大学だけが放送大学というのはいかがかと思うようなこともあったわけでございます。 御承知のように、イギリスのオープンユニバーシティーにおきましては、当初、一九六二年のころにおきましてはユニバーシティー・オブ・ジ・エアという表現をとっておりましたのを、間もなく、七年ほど後になりました一九六九年にはこれをオープンユニバーシティーと変更したというような歴史もあるのでございまして、必ずしも適切ではないのではないかというふうに考えております。日本の新しい教育制度がどの程度放送を利用するかということは詳しくは不明でございますけれども、オープンユニバーシティーの例によりますというと、放送部分は全教育の五ないし一〇%だそうでございます。八〇から八五%は印刷による教材、郵便による教材、いわゆる通信教材によってこれを行っているのでありまして、残りの五ないし八%は面接授業、いわゆるスクーリングと呼ばれるものによってやっているというように承っておるわけであります。そういうことでございますから、やはり放送と申しましても実はいままでの概念で言う通信が主になるのではないかというふうに考えておるわけであります。 一方、われわれの通信教育の方でございますけれども、これも単に郵便教育でありますとか印刷物送付の教育一点張りだったわけではございません。私も詳しくは述べられないのでありますけれども、私の経験では、法学でございますが、大体昭和三十六年度からNHKと提携いたしまして、その第二放送で、協会側から出しました四人の講師が、一回約三十分、各週一回、計五十二回にわたる放送を行いまして、これで四単位の単位取得を認めたということであります。またこれが昭和四十一年からはテレビに切りかえられまして、少なくとも五十年度、私の経験でも五十一年か二年に至るまで、いずれも放映を続けたのであります。実はここにその記録なども一応持ってきているわけでございます。これは他の科目についても行われたわけであります。そういうわけでございまして、私どもも放送を一環として利用するというようなことはすでに手がけてきたというような関係であります。 もちろん、今回の新しい機構は放送を媒体として、それをよりはるかに多用するということもあるでございましょうし、また、従来の大学通信教育がすべて、私立の大学が乏しい経費の中からやってきたというのとは事変わりまして、今回のそれは、多分国立といたしますのは電波法の関係でむずかしいといたしましても、実質的には国が出資をしてその管理を強めるという、いわば準国立、たとえば特殊法人の形になるのであろうというふうに考えられるのでございますけれども、この二点を除くと、大体大学通信教育と同じように考えられるのでございます。この点は、文部省大学局からちょうだいいたしました「放送大学創設の概算要求について」と題する書面を拝見いたしますと、「放送大学は、放送を効果的に利用して大学通信教育を行う独立通信制の単科大学」というふうにお書きになっておられます。つまり、放送を効果的に利用する通信教育だというお考えであろうかと思われます。もっともその少し後には続いて、「放送大学は、その授業をテレビ・ラジオで放送するとともに、併せて印刷教材による通信指導を行う」というので、テレビ、ラジオと印刷教材とを同等に並べて書いておられますけれども、初めの説明では放送を効果的に利用する通信教育だというふうにお考えになっておられるわけでございます。いずれにいたしましても、放送大学といわれるものの内容は、従来の通信教育と本質においては大差ないものであるとわれわれは考えておるわけであります。 そこで、かように、放送大学とされるものが実質的に通信教育の一種であるといたしますと、すでに戦争直後の昭和二十二、三年のころから、大学の開放ということあるいは生涯教育などの実質を生かしながら、特に経済的な困難を、これも同じように逼迫した財政を拘えております親大学にも余り依存することができませんでかろうじて今日まで持ちこたえてまいりました私立大学の通信教育に対して、思いがけない強度の圧迫を加えるような結果になることは賢明に回避されなければならないというふうに考えております。 いま簡単に私立大学通信教育の現状を述べますと、大体次のとおりでございます。 これを実施している学校は、本年度におきまして大学は十二、短大は九つ、計二十一校であります。関東は大学が九つ、短大が四つ、計十三、他は主として関西あるいは九州に散在しております。この総定員でございますが、これは一九七六年で、大学が十七万二千八百、短大が一万八千三百という数でございまして、大学の方が実員が定員に達しておりません。十七万の定員に対して十万が在学しているだけであります。逆に短大の方は一万八千の定員に対しまして三万三千の学生が在学しております。これも非常に興味のある現象でございまして、しかもこれらの実員数は必ずしも学費を納めている者とは限らないのでございまして、途中で休眠状態にある者が名簿上に名前を載せられているだけにとどまるというような者もあるのでありまして、従来通信教育に学ぶ者が非常に多いと申しますが、理論上は別といたしまして、実質においてはこの程度であるということであります。この卒業生ということになりますと、現在まで短大も含めましておよそ六万であるというふうにわれわれは考えております。およそで大変申しわけないわけでありますけれども、大体入学者の一、二割が卒業している程度ではないかというふうに推定しております。もし現在の定員から考えますというと、大学の入学定員は二万六千でございますから、それが四年たって全部卒業するとなりますと、卒業年度を迎えて三年たてば七万八千の卒業生が出るわけでございますが、三十年の経過、もちろん全部が全部三十年やっているというわけではございませんけれども、大学の三十年の経過の中で六万程度しか卒業生が出ていないということは、通信教育を継続することの困難性を示しているのではないかと思います。それから学費でございますが、これもなかなかむずかしいのでございますけれども、一九七六年の統計によりますと、入学金を含んで大学が七万三千ほど、短大は逆にこれより高うございまして十万二千七百円ということになっている、これが現状でございます。 以上のような実情におきまして、通信教育の直面する困難を打開するためには国の経費援助が避けられない現状にあるかと考えるわけでございまして、実はつとにこの運動を行うべきでございましたが、それが大変おくれて文部省にも国会にもお願いすることになった次第でございます。特に最近における人件費でありますとか、それから教材となっておりますテキストが年々老化してまいりまして改訂しなければならないとかいうようなこと、あるいは通信費等も高騰してまいるというような現実の中で大学教育を通信で行うということについて、特に善意と好意を持っておられる先生方の心情に依存してやってまいりました通信教育もいまやその限界に達したような状況でございます。さればといって学費を改定してまいりますことは、通学部の場合とは違って大変むずかしいというような事態もあります。事実、学生の出費は、ことにただいまでは学校のメーンキャンパスのあるところへ出てスクーリングを、主として夏季に面接授業を受けなければならないということになりますが、その一カ月足らずの滞在費も相当の額に達するというような事情にございまして、値上げもなかなかむずかしい実情にあります。 この際、文部省も私どもの陳情をお入れくださいまして、国会の御承認も賜りまして経常費補助の恩恵に浴することができましたことは、通信教育にとりましてはいわば轍鮒の急を助けていただいた、わだちの中のわずかな水であっぷあっぷして、命数尽きなんとするような状況であったところへ一服の水をお寄せいただいたような気持ちがしたことでさえあるわけでございます。昭和五十二年度の補助は経常費関係で五億二千万をちょうだいいたしておりますし、そのほかに教材改訂費、共通教材の開拓費などといたしまして二千百万、カセットの作成などに二千四百万ほどの補助を与えられているわけでございます。もちろん、イギリス流の大学はすべて国費で賄われておりますことは御存じのとおりでございまして、これは望みないと思いますが、詳しいことはわかりませんけれども、アメリカあたりでも通信教育は何かステート・ワイド・サービスということを申しまして、州サイドでやっているような感じでございますし、お隣の韓国は通信放送大学と称して国立でやっておることでございます。ソビエトも当然そうでございまして、実はこれも私、調べ損なったのでありますけれども、全高等教育機関の三分の一はソビエトでは通信教育に依存しております。全日制二百四十六万のところが百五十八万の通信教育を持っているということで、これはもっと詳しく調べてくればよかったなといま悔いているわけでございますが、いずれにいたしましても諸国では相当通信教育に援助を与えているようでございまして、こういうことははなはだ申し上げにくいことでございますけれども、今後とも援助をいただかなければならないように思うのであります。通信教育に関する大学、短大の全予算として報告されているものは、一九七六年、二十一大学で五十九億八千二百万というものでございまして、通信教育に与えられておりますプロパーの補助は約その一〇%に当たっているというのが現実の姿であります。 そこで第二に、放送大学の学費との均衡の問題でございますけれども、ここに新たに設置されます放送教育機構の学費は一体どういうことになるのかについても私どもは関心を持っております。国立大学並みであるということは準備の委員会等で承ったことがあるわけですけれども、それが通学部のように格差の大きいものになっていくということになりますと、通信教育はとうていこれにたえられない。他面、国費による設備の充実と相まちまして、私学の通信教育はその生死を施されるというような事態も起こってくるのではないかというふうに考えております。ちなみに、この第一期計画における新しい機構の経常費は約三十四億とされているのでありまして、私どものものに比べれば相当多額になっております。 それから第三に、放送大学側の通信教育を考慮することについての直接間接の制度的保障の問題であります。文部省大学局の「放送大学学園構想の概要について」というのを拝見いたしますと、この学園に学外者を関与させるためといたしまして「他大学の教員等学外者を含む大学評議会」それから「他大学との連携協力の円滑な実施を図るため、他大学に対する施設、設備の貸与及び教材等の提供に関し、所要の規定を設ける」あるいは「運営協議会」とか、いろいろな制度があるようでございますが、できればこれらはその多く、重要な部分については通信教育を念頭に置いてお考えいただくことが望ましいように思うのでございます。ことに、その運用につきましては、「他大学の」とありますけれども、通信教育を置いております関係大学に特別の配慮をお払いいただくということができれば非常に後の関係がスムーズにいくし、われわれの意見もお聞きいただくチャンスがあるのではないかというふうに考えておるのであります。 さらに、私どもの特に期待申し上げておりますことは、大学通信教育にも放送利用の道を開いていただくわけにはいかぬのだろうか。放送大学側のものを受け入れるということもたくさんあると思いますけれども、しかし、われわれも放送いたしておりました長年の実績があるのでございますから、その一部をわれわれに企画させ、やらせるというようなチャンスをお与えいただければ大変ありがたいというふうに考えている面があります。それからまた、地域に学習センター等が設置せられる場合には共同利用の道を講じさせていただきたい。たとえば学習のための集合場所として利用するとか、参考図書とかあるいはテープの利用等の問題でございます。それから、通信教育全般について継続的な研究を行うというようなことについても、特に今度新たにできましたセンターなどが中心になりまして御推進いただければありがたいことになるのではないか。これらのことが、できれば単に運用上というのでなくて組織上あるいは制度的な規定としてお考えいただけるならばさらに万全であろうというふうに考えておるわけであります。 さような次第でございまして、結局、放送教育と通信教育とが可能な限り共存共栄していくという配慮が特に要望される次第であります。文部省の大学局の、これもまた「放送大学創設の概算要求について」の説明でございますけれども、放送大学の設立目的は「広く社会人や家庭婦人に、大学教育の機会を提供すること」を第一義に掲げておりますけれども、同時に「今後の高等学校卒業生に対し、柔軟かつ流動的な大学進学の機会を保障すること」をも掲げておるわけであります。そしてその内容は「教養学部」でありますし、しかもカリキュラム等では「幅広い学際的な授業科目を開設」するということでございまして、これらは既設通信教育との衝突を避けるように御配慮を賜っているところのような感じでございますけれども、なお、イギリスのオープンユニバーシティーのことを御参考までに申し上げるならば、この大学では、大学入学資格の有無を問わずに入学を許しているとか、逆に入学年齢は二十一歳以上としているとかいうようなことがあるようでございまして、これは恐らく既存の大学との調節を政治的に考慮しているのではないかと考えられるのでありますが、これらの点も参考にしていただければ幸いだと思っております。 次に、第二の点でございますが、通信教育実施の経験からの若干の意見を申し上げさせていただきます。 その一つでありますが、これは先ほどもお話しいただいたと思いますけれども、電波の全面的利用によって放送大学が実施されるということになりますというと、その影響するところは、国民社会の思想の形成にも大きな影響を与えるというような可能性は十分あるわけでありまして、事は狭い大学のキャンパスの中だけの問題ではとどまっていないと思われます。こういう点についてどのような配慮がなされるものであるか。さらにまた、これが大学のアカデミックフリーダム、大学の教育や研究の自由の問題と絡み合っているという点で大変大きな問題があるように思いますので、その点をあらかじめ深くお考え願っておく必要があろうかと考えるのであります。 それから、同じことは、これも御指摘いただいたところでございますけれども、教授者と放映構成を行う技術者との間に相似た、意見のわずかな対立のようなものが生ずることが間々あるようでございまして、これは私どもが放送をやりました経験の過程におきましても多々あり、教授者が考えておりましたところと台本になりましたところが違ってくるとか、そのカメラアイの向け方によりまして、思ったような、最初予期したようなものとは違った印象が与えられるというようなことがしばしば起こりますが、それらを教育の自由、学問の自由と放送権との関係においてどのように処置するかはあらかじめ手当てがなければならないと思います。 それから、これもわれわれの経験でありますが、電波による教育効果を余り過大視することは問題があろうかと思います。オープンユニバーシティーの例でありますというと、ラジオ、テレビ、合わせて一週間六十六時間、それで三百の番組をこなすということでございますが、それでも公開大学の授業の、先ほど申し上げましたとおり五%から一〇%にすぎないのでありまして、他は、主力は印刷教材による教育であるということであります。しかも、放送に要する費用は、BBCを利用しておりましても大体年額五百二十万ポンド、二十一億円ほどかかるというのでありまして、この五%ないし一〇%の放送にかける費用は、全予算三千二百万ポンド、百二十八億円のうちの一七%に当たる。かなり費用がかかるという面もあるようであります。同大学のニール教授の話を聞いてまいりましたものを聞いたのですが、「放送にのみ頼る大学が大学として機能するであろうか」という疑問をみずから提出されておりまして、「放送に対する過度の熱心さは危険である」と言っておったそうでございます。また、制作者であるBBCのグラタンさんは、「放送の効果は学習の動機づけあるいはテレビの映像効果に重点が置かれまして、講義には余り用いられない。したがって、高いレベルのコースでは放送は余り利用されていない」と述べていたそうでございます。これらは単に一、二の人の発言ではございますけれども、一応他山の石として考える必要があるかと思います。 なお、私どもが協会で行いました調査によりますというと、放送を毎回継続して聴取することは大変困難であるということが指摘されております。放送によって授業を受けようとする者が一週のどの時間でも聴講し得るというような恵まれた事情にあることがわりあいに少ないようでございまして、結局、聞き逃した講座は後でビデオで見るというようなことにでもなろうかと思いますが、それを個人で持てないとするとセンターにでも行って見るということになり、そうなると後から追いかけることがだんだん困難になって、視聴の意欲を失うということがしばしばあり得ることであろうと思いますので、その点はやはり印刷物を利用するということを十分考えておかないといけないのであります。放送聴取の可能性を理想的な像でばかりとらえていくと思い違いが起こるのではないかと考えられます。 それだけではございません。現在の通信教育ではスクーリングはきわめて重視されているわけであります。教育がしょせん人と人との接触、教授との、あるいは学友との接触が重大であるということは先ほどのお言葉の中にもございましたけれども、通信教育におきましても従来最大のネックになっておりましたのは各スクーリングへの出席でございました。しかし、この面接授業を受けるということは、やはり教育のために人的接触ということを重視する上ではどうしても避けることができないというような考え方で、今日われわれの間では、スクーリングを地方へ出張して行うことはいけないだろうかとか、あるいは期間を若干短くすることはどうであろうかということだけが議論されておりまして、スクーリングをやめるという意見はすでになくなっているわけでございます。放送大学におきましても余りこれを軽視することは望ましいことのようには思われないのでございまして、しかも、スクーリングで望まれますことは、大体の場合が教材の執筆者自身の講義であります。放送教育では放送者自身の講義が望まれるというようなことになろうと思われるのでございまして、またそれが事実効果的であるわけでございますが、広い地域や多数の受講者を満足させる方法についてはいまから考えておく必要があるのではないかというふうに考えられます。 それから、放送は取り扱い方によりますというと非常に現象的な興味本位の放映になりがちである。放送におきましては往々にして、基礎的な知識というよりも、応用的なあるいは実用的なあるいは人の視聴を引きやすいようなものをやる発想とか展開が喜ばれる傾向があるのでございまして、ことに、われわれの経験によりますと、テレビの場合、商業放送でないにいたしましても視聴率が常に問題になる。その場合には、やはりおもしろいものをやらなければならぬ、それから現代の問題を取り上げなければならぬというようなことでございまして、本質的なものは余り喜ばれないというような傾向があったように思うのでございます。NHKの放送教育におきましても常に課題となりましたのは、こういう放送面の希望と、学術的な基礎的なものをやろうとするわれわれの意見との調節にあったような感じがいたしますので、この点も考えておく必要があるんじゃないかと思います。 なお、時間もございませんので大急ぎで申し上げますけれども、放送教育が開始されまして、その斬新性やPRによって、初年度及びそれに継続する数年度の入学希望者は多分相当の多数に達することと思われますけれども、同時に、入りました者が脱落していくということもきわめて多いということ、あるいはまた、数年たちまして一時のそういう波が過ぎ去りますと入学者が減るというようなことも考えられるのでございまして、いわば珍しさが過ぎて減少していくというような可能性もあろうかと思いますので、これに対する対策を考えておく必要があろうかと思います。 それから、これは全く技術的な問題でございますが、放送教育でも不可避でありますレポートであります。報告でありますとか質問に対する処理でございますけれども、これは受講学生の側からは常に希望が出されておりまして、迅速に返してほしい、添削を丁重にやってほしい、たとえば採点をやる場合はどうしてそういう採点がされたのかということがわかるぐらいにしてほしいという希望が常時出され続けているのでございまして、これらは教室の授業とは全く違ったことでございます。技術的な細かなことでありますが、このことも申し上げておきたいと思います。 要するに、放送教育を物にし得るかどうかは、結局のところ、私どもは関係者の方々の熱意いかんにあるというふうに考えております。戦後の通信教育が、あの困難の中に曲がりなりにも定着してまいりましたのは、ああいう時期でございましたから、教育をやろうとする者も、そこで学んでいこうとする者も、一種の情熱に似た何かを持っていたような感じであります。精神主義を謳歌するわけではございません。そういうものがなくては放送教育も決してこの国に根づいていくことはないと思われるのでございまして、単なる、ためになるお話のチャンネルのために国費を使うということになってはならないことであろうと思います。幸いに文部省側も、また新たに誕生したセンターも、大変りっぱな方々が熱意をもって事に当たっておられるようでございますから、本当に民主的な、重厚な基礎的な知識をも与える斬新な通信教育の一つが新たに誕生していくように、私どもは心から望んでいる次第でございます。 大変長い時間申し上げまして恐縮でございます。
○嶋崎小委員長 どうもありがとうございました。 次に、沖原参考人にお願いします。
○沖原参考人 それでは私の方からは、放送大学の実験を担当いたしました立場から、いろいろ実態及びそこから考えられるいろいろな問題について御報告したいと思っております。 広島大学では、この地域社会に開かれた大学ということを重視いたしまして、従来から公開議座を充実発展させてきていたわけでありますが、文部省の方から放送大学の実験の委嘱を受けましたので、これを引き受けてやろうということになりまして、全学的にその実施委員会ができまして、学長が委員長、学生部長の私が副委員長ということで、各学部から委員が出まして過去三年間やっているわけであります。 それで、第一回目は五十一年度にテレビを二本作成し放送して実験いたしました。第二年度、五十二年度にはテレビを二本、ラジオを二本作成し放送し実験した。それから本年度はテレビ二本、ラジオ一本、計三本やっております。従来これを受講した者は、本年度を含めまして約千四百名の受講生がございます。本年度は現在まだ実施中でございますのでその結果は出ておりませんが、五十一年度、二年度については、いろいろの結果を私たちとしてもできるだけ把握に努めておるわけであります。 なお、お手元に青色の「テレビ・ラジオによる広島大学公開議座」というパンフレット、募集要項がございますので、一応これで簡単に、どういうことをやるのかということを御説明したいと思います。 第一ページに「科目、募集人員、期間及び放送局」というのがございまして、本年度は「日本国憲法」とそれから「生物の進化を考える」これは両方テレビでございまして、ラジオが最後の「方言と文化」でございます。それぞれ募集人員、放送期間、放送局。放送局はいずれも中国放送でやっております。なお、ここには書いてございませんが、このテレビ及びラジオを制作する機関といたしましては、「日本国憲法」につきましてはテレビ朝日の中にありますビデオパック日本というところで制作いたしております。あとの二つは中国放送で制作いたしております。そして募集人員はそれぞれ百五十名か百名。定員いっぱいでございまして、「方言と文化」だけは数名欠けておりますが、これもほぼいっぱいであるということでございます。 その次に、第2に「科目の内容」というのがございますが、これは後でごらんいただきたいと思いますので、時間の関係で省略いたします。 それから3の「学習課題と講師」というので、毎回の課題及び講師が次のようになっております。 第六ページをごらんいただきたいと思いますが、六ページに「4、学習の方法及び評価」となっております。一番上に「受講者は、テレビ番組又はラジオ番組」いずれも中国放送「の視聴、教材による予習・復習」とありますが、教材というのは主としてテキストでございます。テキストを作成して渡してあります。「を行い、科目に応じて実施される通信指導、面接指導又は演習指導を受ける。」というふうになっております。「なお、演習指導、面接指導は、広島、福山の二会場で行う。」というふうになっております。なお、これは聴講科目と演習科目という二つの科目がありまして、「日本国憲法」は聴講科目に当たります。この場合には、アといたしまして、番組視聴、毎週四十五分の番組を十三週視聴いたしましてい教材、テキストにより自学自習する。それに通信指導がございまして、期間中三回の通信指導がございます。問題を講師が作成し、それを受講者に郵送し、それがまた返送されてまいりまして、それについてまたいろいろなコメント、添削をいたしまして送り返すという作業でございます。それから、ウは面接指導でございまして、やはり十三週の期間中に三回面接指導が特定の指定された日時、場所において行われます。それから演習科目というのがございまして、これは、「生物の進化を考える」と「方言と文化」は演習科目ということになりまして、ここでは、番組視聴は同じでございますが、通信指導がございません。そのかわり演習指導が三回行われますが、一回三時間でありまして、上の方の面接指導は一回二時間でございますが、通信指導がないので演習指導の時間が一時間長くなっておりまして、そこで講義を聞いた中でわからない点についての質疑応答とかいろいろのことを行うわけであります。そういうことを行いまして、最終試験を行い、そして出席――出席といいましても、面接指導、通信指導あるいは演習指導等の出席を考慮いたしまして、受講者に修了証書を交付するというふうに行っております。 なお、放送番組の再視聴というのが(4)としてございますが、いろいろな事情で放送が聞けない者のためにはビデオを準備いたしておりまして、ビデオセンターを設けまして、そこで大体十三週のうちに五回、だから三回分または二回分ぐらいまとめまして希望者に再視聴をさせるというふうになっております。 なお、次のページの5の「応募の方法」でございますが、受講者は市民、これは一般市民という意味でございます。受講者の決定は先着順に行います。それから、受講料は無料でございますが、教材費、というのは主といたしましてはテキストでございますが、それ及びそのテキストの郵送料あるいは通信指導の郵送料です。そういうものを全く必要経費のみいただくということで、そこに千四百円、千五百円、千六百円となっております。 大体こういうことで募集をいたしまして実施をいたしておるわけでございますが、本年度は現在まだ実施中でございますので、昨年度、約四つの番組で六百人の受講生がございましたが、その六百人に対するアンケート調査を綿密にまた専門の教官にやっていただいております。それをもとにいたしまして若干、いろいろの実態と問題と考えられる点を御報告したいと思っております。 まず、この受講者につきましては、年齢は大体二十歳から五十歳ぐらいに主としてまたがりますけれども、大体二十歳よりは三十歳、三十歳よりは四十歳というふうに、四十歳がピークになっております。五十歳はかなり少なくなっております。それから学歴といたしましては、高校卒が全体の約半分でございます。そのあとは短大卒、それから大学卒というふうに順次少なくなっております。高校、短大、大学の順番でございます。もちろん中学校卒業というのも若干おります。職業といたしましては、専門技術職が非常に多いのでございます。これは昨年行ったこの放送の番組の内容にも影響される点があるかと思いますけれども、専門技術職、それから主婦が非常に多いということであります。それから事務職とかあるいは販売職というような方が多いようでございます。 次に、第二に受講の動機でございますが、なぜこの放送大学の実験番組を受講したかということにつきましては、全体の三分の一の者が、実用的な知識を得たいために受けるということが一番多いようでございます。実用的な知識でございます。その次は学問的な教養といいますか、教養としての学問といいますか、そういう一般教養といいますか、そういうようなものが全体の四分の一でございます。大体実用的知識及び学問的な教養、知識というものが三分の一及び四分の一で、大多数を占めるというふうになっております。 それから、そういう動機で受講するわけでありますが、なおその受講の動機の一端といたしまして、こういう放送大学の実験番組のどういうところに魅力を感じているのかということを調査してあります。つまり、そういう魅力があるからまた受講の動機にもなっているわけでありますが、その第一は何といっても学習の方法として放送を利用しておるというところが三〇%以上、約三分の一の者がやはり学習方法として放送ということを利用しているところに魅力を感ずる。それから第二番目は家で学習が可能である、自分の家庭で学習が可能であるということが約四分の一でございます。第三番目はやはりこれを大学が主催しているというところに魅力を感ずる。これはまあ一般の公開議座でも同じでありますけれども、やはり大学の門をくぐって、時たま大学というところへ入って講義を聞いてみるというところに魅力があるということが一般の公開議座でもあるようでございますが、そういう点がございます。 次に、第三番目といたしまして、テレビ及びラジオで放送するわけでございますが、その視聴の状況、どの程度それを見ておるかあるいは聞いておるか、視聴の状況でございますが、初めから終わりまで十三週、十三回何とか見た、一回ぐらいは見ないことがあるかもしれないが、まあ何とか全体を見たという者が、これは四つの科目がございますので若干のでこぼこがございますが、大体受講生の五〇%から七〇%が何とか見たということでございます。それでは逆に約五〇%ないし三〇%の最後まで見れなかったという者がおるわけで、途中から視聴を放棄するわけですね。もうやめるという視聴放棄の理由としては、圧倒的に仕事などの関係で視聴が不可能である。見たいけれども仕事の都合で見れないとか、あるいは仕事以外にもいろいろ緊急の理由があるでしょうが、仕事等の関係で見れないというのが七〇%を超えております。そして、講義の内容が非常にむずかしいとかあるいは興味がないとかおもしろくない、それでやめたというのはきわめて少ないのであります。それぞれ五%以内ぐらいの理由しかありません。そういうことで、継続的にやれないというのは仕事等の関係ということが特に出ております。 それから、視聴の場所及び形態でございますが、これは当然でありますが、自宅で一人で視聴するというのが九〇%以上であります。自分の家で一人でこれを見るんだというのが九〇%以上でございます。 そこで、こういうような視聴状況から見まして将来の問題点といたしましては、先ほどからもいろいろお話がございましたように、やはり再視聴、見損なったテレビあるいはラジオをもう一度見るためのビデオセンターというものを、理想的に言えば全国に網の目のように設けなければ、なかなか一回限りの放送では徹底しないということが言えます。網の目のように設けるということになりますと、やはり一つの案といたしましては各地の教育委員会あるいは公民館等の協力を得なければなかなかむずかしいのではないかということが考えられます。私たちも実際には広島県教育委員会あるいは公民館等に協力をお願いしているわけであります。 それから、第四番目でございますが、講義の水準であります。この講義の水準も、実際われわれとしてはどういうところにねらいをつけてやったらいいかという点については非常に困っておるのでありまして、過去二年間は文部省から委嘱を受けておりますし、本年度は放送教育開発センターから委嘱を受けておるわけでありますが、これは実際の大学の本当の単位を出す講義ではないわけでありまして、公開議座という形で現状としてはやらざるを得ないわけでありますから、やはり一般の市民にわかりやすいものをやらなければいけない。と同時に、放送大学の実験であるからやはり内容はある程度大学の教育程度の水準も維持したいという二つの要望といいますか、要素をいかに調和させるかというのが常に私たちの問題になるところでございますが、いろいろそういう点で、内容は必ずしも低俗なものにしないで、しかし一般の人にもわかりやすいということに努力をするということで、昨年の受講生の反応は、大体、講義の水準はちょうどよかったというのが六五%ぐらいおります。六五%といいますと約三分の二ぐらいは大体よかった。ただ、残りの三分の一は、むずかし過ぎる、ちょっとついていけぬという者もおります。 そこで本年度は、「日本国憲法」におきましてはいろいろ趣向をこらしまして、清水何とかという漫画家と若い女性の司会者をつけまして、そして講義をしながらそういう人たちが実際に聞いて、どういう点がわからないかとかわかるかということで、放送の中でその漫画家の方が質問されたり、あるいは自分が受け取ったことを漫画にかいて視聴者に見せる。たとえば第一回目で、日本国憲法といった場合にどういう印象を受けるかということについてすらすらっと漫画をかかれましたが、ゴジラの漫画をかかれました。日本国憲法というのはゴジラのように、ちょっとこわいようなあるいは近づきがたいような印象が一般の人にあるということをちょっとかかれたのですが、そういうふうにいたしますと受講生は非常に親近感がありますし、また、この放送教育は先ほどもお話のありましたように一方通行ございますから質問ができないわけですけれども、自分たちにかわってその放送の中で自分たちの代表的な人が講義について質問されるわけですので、そこでの質疑応答を聞いておって、多少自分たちの質問したいこともそれで満足ができるということになっているんじゃないかというので、ことしのそういうやり方は、関係者の間ではかなりこれはおもしろいではないかということになっているようであります。 なお、先ほどから出ておりますように、プロデューサーとの協力関係ということはことしは私たちも特に力を入れておりまして、私たちが選定いたしました大学の講師が講義のテーマ及び内容をつくるわけでありますが、幾らいい内容であってもそれが一般の視聴者にわかりやすく理解してもらえなければ困るわけでありますから、プロデューサーとの協力関係については特に力を入れるようにということで、何回も打ち合わせをしてやりまして、私の見るところではかなりうまくいっているのではなかろうかと思っております。 なお、そういうふうにいい点もあるけれども、しかし講義についての不満もございまして、についての不満で一番多いのはやはり、一本調子に話してばかりおる、あるいはむずかしいテクニカルターム、術語とかあるいは外国語が多過ぎる。大体、大学の先生はすぐ外国語を書いたりするわけですが、外国語とかむずかしい言葉が多過ぎるというのが不満の中で圧倒的に多いわけです。これはまた一方で考えれば、話し方が一本調子ということもやはり一方通行ということ、テレビ、ラジオによる教育の一つの問題点である一方通行的なものということにも関連している点ではないかと思いますが、むずかしい術語、外国語が出てもすぐそれはどういうことですかということが質問できないものですから、なお一層そういうことが不満として残るということがあるのではないかと考えられます。 それから次に、講義の中で期待充足度でございますが、講義を受けてみてどれだけ期待が充足されたかといいますと、大体四分の三は充足されたというふうに答えております。大体自分が考えていたような内容で満足したということでございます。これにつきましては、先ほどからもお話がありましたが、広島大学の大学図書館はこの受講生には期間中全部開放いたしておりますので、受講生は大学図書館を自由に利用できまして勉強できる体制になっております。 次に、第五番目ですが、スクーリング、ここで言うスクーリングと申しますのは具体的には面接指導とか演習指導のことであります。十三週の期間中、三回集まっていただくわけですが、そのスクーリングで三回とも出席したというのはわずかに一五%程度しかおりません。これは科目によってでこぼこがありますが、三回とも出たというのが一五%、一回も出ないというのが三〇%から四〇%もおるわけです。いかにスクーリングに出るということが実際はむずかしいかということをあらわしております。ただ、これは公開議座でありまして、それが単位になるとかなんとかいう問題ではありませんので、実際の放送大学ができて、単位が取得でき、あるいは学士号が得られるという状態になれば恐らく出席率はぽんと上がるのではないかと思いますが、現在の公開議座の場合は非常にスクーリングの出席率が悪いということであります。なぜ出席しないかという理由でございますが、やはり仕事が忙しいというのが圧倒的でございます。それから、仕事が忙しいから出ないのですが、出ても、スクーリングに対する不満がかなり多いのです。スクーリングに対して不満があるという者とないという者はパーセントが大体同じでございます。それぞれ三〇%ぐらいあります。いいという者が三〇%、不満があるという者が三〇%。その不満の理由は何かというと、時間が短いということがあるし、また、講師の説明が不十分であるというところがあります。講師の説明が不十分というのは、これはやむを得ない点がありまして、これも先ほどお話がありましたが、ある講師がテレビ、ラジオで放送いたしますけれども、その講師が全部の会場を回って質疑に答えることはできませんのでそのかわりの者が行くわけでありますから、どうしてもかわりの者が一〇〇%よく答えることができない。講義の内容が非常に範囲が広い場合には一人ではとても質問に応じ切れないというので、質問に応じ切れない問題は紙に書き取って持って帰って、そして担当の講師の回答を得てそれをまた受講生に送り返すというふうなことをしておるわけでございますが、ともかく即座に回答ができないということも間々あるわけであります。 以上、第五のスクーリングの実態からわれわれが将来の問題点として考えられますのは、やはりスクーリングの場所を多くつくらなければいけない、特に僻地のようなところにもつくらなければいけないということであります。私の方で委嘱を受けている計画の範囲内では大体二カ所ということになっておりますが、二カ所となりますと、受講生の数からいってやはり広島市と福山市という大都会になってしまうのです。それでは放送大学の本来の目的である山間僻地のような方でも勉強できるということにならないではないかというので、もう一カ所、県北の三次というところに面接指導等の位置を設けたのでありますが、二年間やってみて、こちらから講師が二、三人行っても演習指導に来る人は一人か二人しかいないということもありまして、二カ所分の経費で三カ所やるわけでありますので、われわれも講師の謝金とか旅費等いろいろやりくりしておりますので、本年度はもとの二カ所にしたわけです。しかし、その点は、将来もし放送大学をつくるとすれば、やはり、いつも都会の者だけが非常に便利であるという形でなくて、山間僻地にもスクーリングの場所、ビデオセンター等をつくる必要がある。それから実際に講義をする講師とスクーリングの講師との関係あるいは意思疎通、そんな点をどうするのかという問題がございます。 それから次に、テキストの問題でございますが、テキストについては分量も大体適当であり、また内容もわかりやすいということで、私たちもテキストには改善を加えてまいっておりますので、いまのところ大体問題は少ないようでございます。 いまのは六になるかと思いますが、次に七番目といたしまして、テレビとラジオによる両方の放送の実験をやっておるわけでありまして、テレビとラジオということでどういうメリットがあり、どういうふうな受け取り方があるかという点を申し上げますと、まず、ラジオはどこでも学習できる便利があるというふうに答えております。つまり、現在ラジオは一人一台時代に入っておりますので、大体ラジオはどこでもある。そしてそれが持ち運びができまして、たとえば自動車の中でも聞けるというような点ではラジオは非常に有利な状態をいろいろ持っておるわけであります。しかし、実際に受講生の反応は、テレビ利用の講座を聞いた者に対してあなたはラジオで学んだ方がよかったかどうかという質問に対しては、よかったというのはわずかに二・七%ですから、ほとんどテレビの方がよかったという反応であります。次に、ラジオ利用の講座を聞いた者に対してあなたはテレビで学んだ方がよかったかという質問に対しては、よかったが三五%、だから約三分の一はテレビの方がよかったという反応を示しております。それからなお、テレビとラジオの併用がいいという意見も約三割ございます。実際問題としては、テレビとラジオの併用ということに将来なるのであろうと思いますが、そういうことで、ラジオにも非常なメリットがあるのですけれども、いまのところ何かテレビでやるというところに魅力を感ずるといいますか、そういう点があるのではないかと考えられます。 それから、八番目になると思いますが、放送大学の可能性、非常に大げさな質問でございますが、受講生は将来放送大学がうまくできると思うかということに対して、通常の大学教育と同様な教育のできる大学として可能である、普通の大学と同じような教育のできるものになり得るというのと、それから、やり方を工夫すれば普通の大学と同じような程度のことができるであろうという、この二つの肯定的な意見が八〇%、やり方を工夫すればというのが一番多いのですが、両方合わせまして約八〇%。相対的には、やはり理科系的な実験等はどうするのかとか、いろいろ限界がある、普通の大学ほどにはできまいというのが一七%くらいあります。 それから最後に、放送大学ができたらあなたは入学をしますかということに対しましては、約七〇%が入学したいということであります。 以上で時間が大体終わりになったと思いますが、私が途中で申したことと重なるかと思いますが、もう一度最後に簡単にまとめますと、第一は番組の編成ですね、テレビの番組をつくったりラジオの番組をつくったりするということは、これはかなり容易にできるではないかと私たちは思います。適任の講師が選ばれ、そうしてプロデューサーとの関係がうまくいけば番組自体はできるであろう。二番目は、しかし受講生がそれを全部視聴するということはかなり困難であるので、ビデオセンター等を全国に網の目のようにつくらなければなるまい。三番目は、放送教育の一つの問題点である一方通行的なものを解消するためには、ぜひスクーリングを充実させなければならないということであります。そして第四番目は、放送大学への期待は受講生に関する限りかなりといいますか、非常に高いということでございます。 以上で終わります。
○嶋崎小委員長 どうもありがとうございました。 これにて参考人の御意見の開陳は終わりました。 ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○嶋崎小委員長 速記を始めて。 これより参考人に対する質疑に入るのでありますが、質疑は懇談の形式で行うこととし、これより懇談に入ります。 〔午後二時二十九分懇談に入る〕 〔午後三時三十三分懇談を終わる〕
○嶋崎小委員長 これにて懇談は終わりました。 参考人各位には、長時間にわたり貴重な御意見を承り、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 次回は、来る二十二日午後一時に開くこととし、本日は、これにて散会いたします。 午後三時三十四分散会