文教委員会 閉会後第1号
- 発言数
- 276 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 7
- 開催日
- 1978/08/29
会議録
○委員長(吉田実君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 本日、柏原ヤス君が委員を辞任され、その補欠として矢原秀男君か選任されました。 ―――――――――――――
○委員長(吉田実君) 教育、文化及び学術に関する調査を議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言を願います。
○久保亘君 私は、最初に文部大臣にお尋ねをいたしますが、昨日、日本記者クラブにおいて大臣か講演をされました内容か、本日の新聞に詳細に報道されておりますか、その報ぜられるところによれば、きわめて日本の教育にとって重大な内容を含むものだと考えております。特に、戦後の教育は間違いや、誤解を持ってスタートをしたというお考えを述べられているようでありますが、大臣がきのう講演をされました真意について、直接大臣からお伺いをいたしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) お答えをいたします。 昨日、記者クラブで講演をいたしましたことが、けさの各紙の記事になっておりますけれども、必ずしもすべての紙面が正しく報道されているとは、どうも私には受け取れない点が幾つかございます。二つの点を重点にお答えをしたいと思います。 一つは教育勅語に絡んでのことでございます。 私は、教育勅語の中に書かれております各様のことの部分的なことを取り上げました。それは、教育勅語の中に書かれておりますある部分には、人間の基本的な倫理観であるとか、人間の情愛であるとか、人間の連帯感であるとか、そういうことも書かれているということを私の講演の中で話しました。そして、こういったことは、教育勅語は戦前の日本の教育の中心に据えられておった。しかし、戦後、憲法かでき、教育基本法が成立をし、二十三年に教育勅語というものが両院の意思で排除され、あるいは失効確認をされた事実がございますから、そのときに、教育勅語か失効いたしましたとき、排除されましたとき、教育勅語の中に書かれております人間の情愛、人間の連帯感、基本的な人間の倫理観、このような教育の場に必要であると考えられることも、ともに排除をしてしまった。戦後の日本の教育のスタートにおいて、やはり憲法の前文に言うところの理想とするもの、あるいは教育基本法の前文、そうして第一条の「教育の目的」、ここに書かれたことを受けて、こういったことを遂行をしていくのに、やはり人間としてのいま申し上げた基本的な、きわめて素朴な倫理観、情愛、あるいは連帯感というようなものについて、教育勅語にかわるべき指針というものを持たずにスタートをしたことは、今日になってみれば私は間違いであったという感じを受けます、こう申し上げたわけでございます。 しかし、今日の青少年の状態を見ますと、私どもの時代と全く様相が変わっておりまして、文化であるとか、芸術であるとか、芸能であるとか、あるいはスポーツであるとか、そういったことの青少年の生活の中に占めるウエートというものは、非常に大きなものを持ってきている。これらの文化、芸術、あるいはスポーツ等を通じて、これに触れること、また、これらに参画して活動することによって、青少年が先ほど私が申し上げたような、基本的に人間として持っているべき倫理観、人間の情愛、人間の連帯感、このようなものをりっぱにいまの青少年たちは文化、芸術、スポーツに触れることによって、会得をしていってくれている、このことが救いであったという話をしたのが一つの問題点でございます。けさの新聞報道、必ずしも正確でないと申し上げましたのは、私は教育勅語復活論者ではありませんということも講演の中でお話をしたわけでございます。それが戦前志向という表現で報道されましたことは、私もびっくりさせられた言葉でございます。戦前志向ではなくて、いまの青少年の生活の実態が、その救いになっているということをお話をしたわけでございます。好ましいいまの青少年の状態の姿、こういう表現を私は申したかったのでございます。さようなお話をしたわけでございます。 もう一点は、平等議論があろうかと思います。それは憲法二十六条、教育基本法の第三条に書かれております。私は世界に誇るべき憲法でもあるし、世界に誇るべき教育基本法だと心得て、その意味を十分認識をいたすものでございます。しかし、戦後直ちに私どもはよく理解をしてないままで、民主主義というものを突然受けとめたわけであります。人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと、民主主義というものは平等なものである、こういう私どもはありがたいという気持ちで民主主義を受けとめたわけでございますけれども、教育の場における平等というのは何だという議論もさしてなく、機会均等というのは守り抜いていかなければならないことであることは当然でありますけれども、私自身が教育の目的というものは、個々の青少年が持っております個々の個性、能力、これらは個々に異なった指導のあり方があるはずなのであって、個々に異なった教育指導の工夫をして、個々に伸ばしていくのが教育にとって一番大切なことであるということを信じているわけでございますから、その個性を埋没させてしまった間違いがあったんではないだろうか。確かに教育は平等なものでなければならないし、機会均等ということは守り抜いていかなければならないけれども、教育の場における教育というものは何だろうか。落ちこぼれ論議を聞かされますたびに、あるいは、たとえば一つの教科に、学科について非常な才能を持っております子供さんたちか、学校の先生の言われることはみんな自分にはわかっている、学校がおもしろくなくなった、こういう悩みを御両親から伺いますたびに、私はそれぞれの個性を、それぞれの能力を伸ばしていく教育というものをどうしても実現をしていく、このことが本当の平等ではないだろうか、かように考えておりますので、教育基本法、憲法を文字どおりに解釈をしたいものだという気持ちから、教育の場における平等論議なしにスタートしたところに誤りが一つあったのではないか、このような意見を述べたわけでございます。
○久保亘君 いま最初にお話になりました教育勅語の問題でありますが、教育勅語というのは、そのつくられた環境とか、果たした役割りに基づいて、その反省の上に立って、戦後国会においてもこれは否定されたんであります。戦後の教育の指針というのは、憲法、教育基本法に基づいて確立をしているわけでありまして、いま改めて教育勅語という形をとって、人間の普遍的な倫理観などを説明をするということは、これは別途に政治的な意図などかあるめではないかという、それこそ大きな誤解を生むものではながろうかと私は思います。この教育勅語は、旧憲法下における天皇制国家観の上に立つ戦前の教育指針として示されていたことは、教育勅語という形をとる限りにおいてはこれは否定されたものだと、こういうことについては大臣もそのように御確認いただけますか。
○国務大臣(砂田重民君) 確認をいたします。私もさように承知をいたしております。
○久保亘君 では、やっぱり文部大臣としては人間社会における普遍的な倫理観などについてお話をされます場合に、教育勅語の中にそういう部分があるというようなお話をされるということは、誤解を招きやすいものではなかろうか、私はこう思うんです。そういう点では私はいま教育勅語が戦後の日本の教育の指針としては否定をされたものである、こういう立場を御確認をいただきましたので、この問題については時間もありませんから、これ以上議論をいたしませんが、やはり戦後の教育の指針というのは、憲法、教育基本法の上に立って、そこから人間社会における倫理観や、徳目というようなものが考えられなければならない、そういう立場で今後大臣がこの教育問題について対処していただけるものと考えておりますか、そのようなことでよろしゅうございますか。
○国務大臣(砂田重民君) 先ほどもお答えをいたしましたが、教育勅語の中にこういうことが書かれておりますというのは事実でございまして、そして教育勅語というものの戦後の取り扱いの解釈については、いま久保委員が御発言になりましたことを、私もそのとおりですと認めたわけでございます。しかし、教育勅語の中に現実問題として書かれていた人間の情愛であるとか、人間の連帯感であるとか、基本的な人間の倫理観というものは、これは万古不易なものであると私は信じておりますので、教育勅語を廃棄いたしますからには、いま申し上げた万古不易の大切なことを教育の場から失うことは、これは許されないことなんだ、教育勅語を廃棄するからには、それにかわる憲法、教育基本法を受けての人間の倫理観、人間の連帯感、そのようなものを指針として明確に持って、戦後の教育もスタートをしたかったという気持ちで申し上げたわけでございます。
○久保亘君 その点については憲法や教育基本法の前文並びにその条文に、戦後の日本の教育の指針とか、いま大臣が述べられたような倫理観とかいうようなものは、かなり明確に私は示されておると思っております。それが教育の中に、憲法や教育基本法が正しくどう生かされてきたかという立場に立っての反省としての御発言ならば、理解かできると思うんであります。そこで、一挙にこの教育勅語という表現をとって、あえて教育勅語の中にそういうもの、いい部分かあるという言い方で、これは大臣だけではなくて、政府の重要な立場にあられる方々にもしばしばそういう発言があるのは、きわめて私は誤解を招きやすいものだと考えております。この点については、先ほど大臣が述べられましたように、教育勅語は戦後の日本の教育の指針としては、少なくともいまの憲法や教育基本法とは相入れないものであります。これは否定されたものだ、そういう立場でお進めいただくということでありますから、その点については、了解をいたします。 ただ、今度は、やはりそういうような発言を受けて、大臣が教育基本法は憲法を正しく受けとめていないというふうにとられるような発言をされている。そのことについては私は非常に疑問を持つわけですが、教育基本法の第三条というのは、憲法の条文を受けて書かれている、私はこう思っております。なぜ私がそういうことを大臣に言うかといいますと、いま日本の政治家の中にも、教育基本法は改定されなければならぬとか、あるいは教育基本法は廃止すべきであるというような意見をお持ちの方もあるようであります。しかし、少なくとも文教行政の責任者である文部大臣は、先ほど言われましたように、憲法を受けて書かれている教育基本法というのは、これは先ほどのお話によりますと、世界に誇るべきものと認識している。だから、憲法や、教育基本法をしっかり踏まえて、その上に立って教育行政は進めらるべきものであって、教育基本法の改廃などについて、文部大臣としては全く考えているものではない、こういうお立場だと理解してよろしゅうございますか。
○国務大臣(砂田重民君) 教育基本法第三条が、憲法二十六条を正しく受けて書かれておりますことを十分承知をいたしております。教育基本法の改廃などを考えているわけではありません。
○久保亘君 次に、いま二番目に御説明になりました戦後の教育は、憲法や教育基本法に定める「機会均等」と「能力に応じて」という部分を正しくとらえて、戦後の教育が進んできたかどうかということについては検討すべき点があるのではないか、こういう意味のことをお話しになりましたが、私は憲法、教育基本法に定める「能力に応じて」というのは、子供の心身の発達段階に応じて、行き届いた教育をしなければならないという意味で、「能力に応じて」という表現が使われているのであって、「能力に応じて」というのを特定の、福田総理の言葉を借りれば、いわゆる英才と思われるような者を選別して、これに特別な教育を施すという意味で、この憲法や教育基本法の「能力に応じて」という言葉を理解されているのではないと、こう思うのでありますが、その能力主義というのを、あるいは総理の言われる英才教育というのを、大臣はどういうふうにお考えになっているんでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) いま久保委員か御指摘になりました、福田総理の言う英才教育という御指摘でありましたけれども、特別な才能を持った人に特別な教育をやるんだというふうに総理がお考えになっていないことは私は確めてまいりました。 そして、いま久保委員が御発言になりました能力のことでありますが、これはもう青少年に限らずのことでありますが、人間の能力というものは、持って生まれた性分にやはり教育――各種各様の教育の積み重ねによって発達をしていくべきものだ、これは順応的なものである、そう私は理解をしております。したがって、学校教育の場で考えますときに、中学校の一年生のときのある少年の力、この少年の力は、この少年の能力はここまでであると言ってきめつけることは間違いです。高等学校の二年生のある少年をつかまえて、この少年の能力はここまでであるときめつけることも間違いです。やはり教育によってそれは流動するべきものなのであって、そういう意味からすれば、いま久保委員御指摘の、心身の発達に応じて能力というものは変わっていくべきものだと考えております。 しかし、その心身の発達によって変わっていく能力を、さらに好ましい方向に、個々の青少年か個々に持っております異なった能力を、個々に伸ばしてあげられる、そういう教育が、一番私は好ましい教育だと考えますので、先ほどお答えをいたしましたようなことを発言をしたわけでございます。
○久保亘君 総理大臣がNHKの対談で言われた英才教育というのは、その後文部大臣にずいぶん抗議を受けられ、それで総理大臣の考えも少し変わったのかもしれませんけれども、福田総理大臣が首相に就任をされて直後の年頭所感の中で、 「明治、大正、昭和という戦前の教育制度、内容は世界に冠たるもので、その成果が今日の日本を作った。」ということを言われているんであります。こういう観点に立って言われる英才教育というのは、いま文部大臣が御説明になりました英才教育とはいささか違うのではないか。しかも、英才教育というのは、一定の定義かないとも言われているんでありますが、日本で最も普遍的な辞書によれば、英才教育というのは、すぐれた才能を持った者に対して、特別な教育を行うことである、こう書いてある。それがいま国民一般が持っている英才教育というものに対する受けとめ方なんてす。しかも総理大臣が、戦前の教育は世界に冠たるものだった、いまの日本がよくなっているのは、これは戦前の日本の教育のおかげである、こういうことを言って英才教育を主張されると、それはちょっと――その後いろいろ釈明をされましても、総理の本心というのはそういうところにあるのではないのだ。しかも、私はこのような重大な問題を、文教行政の責任者である文部大臣と協議をすることもなく、総理大臣が概念の定まっていないような英才教育という言葉を使って、これからは教育の時代だというようなことで言われるということに対しては、非常に問題があると考えておりますが、総理が英才教育を国民に向かって訴えられる前に、この問題について、文部大臣との間に何か話がありましたか。
○国務大臣(砂田重民君) 総理のNHKでの発言の前に、私とは話はございませんでした。
○久保亘君 それで、その反響の大きさに文部省も驚かれたと思うのでありますが、総理大臣も少しびっくりして、それでその収拾を図らなければいかぬので、そこを大変賢明な文部大臣が調整をされた。そして英才教育というのは、決して選別主義や、差別主義に立つ教育を志向するものではない、こういうことを言われているのでありますが、私が言いましたように、英才教育という言葉の持つ意味は、本来はこれは選別教育を意味するものだと私は思っております。もし英才教育が一般的なすべての子供たちの持っているすぐれた能力を教育の中で引き出す努力のことを指すとすれば、それは英才教育という言葉を、今日文部省の責任でその意味を変えられた、こういうことになるのではなかろうかと思うのでありますが、もしそういうような誤解を招く用語であれば、英才教育という概念は、言葉は、今後そういう個人の能力を教育の中で最大限に引き出す、その可能性を最大限に追求するという立場に立つものであるとするならば、英才教育という用語は使うべきではない、私はこう思うのですが、いかがでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 私も全く同感でございます。文部省といたしましては、英才教育という言葉を使っておりません。総理の口から突然英才教育という言葉が出たものでございますから、いま久保委員か御指摘になりましたような、昔言われた選別教育的な英才教育のことをおっしゃっているのならば大変だと思って、私は総理にお目にかかったわけでございます。国政全般を総括する総理が、教育問題について積極的な関心を示して意見を述べられることは、私は大変ありがたいことだと考えております。しかし、文教行政の責任者としての私の考え方と、総理の考え方と、そごがあっては断じて許されることではありません。そこで、英才教育という言葉の意味するものは、やはり選別教育的なにおいかどうしてもしてしまう、したがって、私どもが使わない言葉でありましたけれども、総理の時代の方はそういう言葉しかあるいは御存じなかったのかもしれない、こう思って伺って、これからの大事な教育というものは、特殊の才能を持った子供たちを選別をして、特別に教育をするということではありません。やはり教育基本法による教育の平等という線は貫いていくべきなんで、標準的な各段階の学校における教育程度というものを確保しながら、おくれをとっているお子さんをその標準線に追いつかせる努力、非常にすぐれたある教科についての能力を持ったお子さんの、その資質をより高めてあげる教育、それぞれの個々の能力をより一層引き出す教育ということこそが必要なことでございます。こうお話をいたしましたら、いや、ぼくの言いたかったのはそれなんだと言われたので、一安心をしたわけであります。意見の一致をみて私帰ってきたわけでございます。 いまおっしゃいますような英才教育というものが、どうしても今日国民の皆さんが受けとめられる英才教育という言葉は、選別教育という感じから抜け切れません。英才教育という言葉を私どもは今後も使っていきたくない。そういう気持ちがいたしております。
○久保亘君 わかりました。文部大臣の言われることはよく理解かできるのであります。 ただ、私は総理大臣が言われた英才教育というものの背景にあるのは、戦前の日本の教育に対する懐古というよりは、これに対してもう非常なあこがれを持つ、そういうことで、むしろ戦後の教育を何か否定するような立場か前々からの発言にあるものですから、英才教育という言葉が出てきたのだと考えております。特に、この英才教育を論ぜられた直後に、また教育関係者と会われた際にも、まあ正しいという言葉がついておりますが、総理なりに考えられる正しいということであって、競争は教育には必要である、こういうことを述べられておる。これはやっぱり英才教育を選別教育的な立場で理解されているのではないかという疑問を強くするわけであります。むしろ、私は総理大臣や文部大臣が、いま戦後の教育について反省をすべき時期に到達していると思われるならば、それは教育基本法の三条に定める「(教育の機会均等)」というのが、正しい意味ですべての青少年に対して保障されておらない。それだけではなくて、もういたずらな競争主義がいま学校教育の中に、幼稚園就学前から持ち込まれてきている。こういうことを是正するという立場において、戦後教育の問題点を指摘するのでなければ、むしろそういう競争は必要なことだというような発言によって受験競争をあおったり、そして、ある程度子供の持っている環境、経済上の問題、地域的な問題あるいは身体上の問題、そういうようなものによって、教育にある程度の差別が起こってくるのはやむを得ぬと。それから、天性持って生まれた能力によって、教育に格差をつけるのは当然であるというような考え方が総理大臣の発言の前提に、どこかにあるのではないかということで、私は大変心配するわけであります。だから、今日憲法や教育基本法に基づいて日本の教育を進めていきたい、そして、今日までの戦後の日本の教育で、問題となっている点について積極的にその改善を図っていきたいということであれば、問題は機会均等という立場にまだ重点を置いて考えなければならないのであって、いまここで能力主義という立場が強調されてくるということは、いわゆる総理の使った英才教育という概念に結びついてしまって、日本の教育にいたずらな混乱を引き起こすものである。むしろ個人の持っている能力や、可能性を最大限に育てる、引き出すという、そういう教育を進めていくということであれば、もっと私は教育を受けたくとも受けられないでいる子供たちのことを、真剣に教育行政の責任に当たられる方は考えなければならないのではなかろうかと、こう思います。そういう意味において、いま機会均等主義と、私は機会均等主義を必ずしも平等主義というふうに解すべきではないと思っているんですが、機会均等主義と能力主義ということを、大臣が先ほど言われた能力に応じてという言葉で理解するならば、いまの日本の教育の中では、教育の機会均等を保障するということにおいて、まだまだ教育行政が果たさなければならない大きな問題が山積している。こういう理解に立つべきではないかと思うんですが、大臣の御見解をお聞きしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 教育の場で機会均等主義という主義と、能力主義という主義が対立することを好ましいとは思いません。やはり能力に応じた機会均等機会というものを確保するために、私どももまだまだ努力をしなければならない問題が残されておりますことも承知をいたすものでございます。そして、学窓を巣立って社会へ出ていくその青少年たちを受け入れてくださる社会の側でも、一枚の卒業証書で、その人間の値打ちをはかられるがごとき学歴偏重社会という風潮も、何とかこれを破っていただきたい。私どももそのための努力をまだ続けなければなりませんし、大学の入学試験の制度も、まだまだ改善をしてまいらなければなりませんし、大学間の格差の解消とも懸命に取り組んでいかなければなりません。そして、小・中学校の学習指導要領改定、皆これはつながりのあることでございます。そして、各様の教育条件整備ということも、私どもに課せられた重大な責任であると承知をいたしております。 そして、また小学校のことを論じるときに、小学校のことだけで小学校の改善ができるものではない。中学生をお子さんに持たれる御両親が中学校の改善策だけを主張なさっても、それは社会にも、大学にも、また小学校にも幼稚園にもつなかるものなのだ。こういう総合的な施策を推し進めていくために、教育の本当の目的というものを両親も、本人も、教師も、そして政府も、同じ目的をもう少し明確に持ち合いたいものだ、このような念願をいたすものでございます。
○久保亘君 最後に、私は文部大臣からかなり明快に憲法や、教育基本法に対する考え方、教育勅語に対する考え方、英才教育という言葉に対する考え方をお聞きしましたので、その点についていまの大臣の御見解はよくわかりました。 ただ、この能力に応ずる教育という場合には、個人の子供の創造的な豊かな才能を最大限に開花さしてやる。こういう立場での理解だとするならば、いまその創造的で豊かな才能を最大限に開花させるという教育をやっていくために、教育の諸条件、教育行政が本来果たすべき諸条件が、きわめて私は立ちおくれている。こう思っております。これは世界の先進国家に比べても、一クラスの子供の数にしても、また学校の施設や設備にしても、それから、この教育機関――高等教育機関などでは特にあらわれてまいりますが、地域格差とか、そういうようなものなどについても、積極的な改善が図られなければならないのであって、いまここで総理大臣が思いつきのように、何か日本の教育の最大の課題は英才教育である。こういうようなことを言われて、そして教育界に無用の論争を巻き起こすなどということは慎むべきことだと考えております。そういう意味では文部大臣が総理大臣をその後たしなめられて、大分お考えも変わったようであります。今後はひとつ文教行政について、総理大臣の責任ある発言をされる場合には、少なくとも文教行政の担当者とは、こういうことで自分は考えていくんだがということで、事前にいろいろ聞かれないと、すでに文部省では使ったこともない、使うことも考えていない英才教育などという言葉を不用意に使う、こういうようなことにもなるわけでありますから、大臣からも、総理に対しても教育行政について、教育の問題についての発言については、事前に文部大臣とも十分話し合われるように、総理に対しても進言をされるよう希望をいたしておきます。 また、これらの問題は、いま一般的な教育の原理、原則についての発言でありましたから、私もそういう立場に立っていろいろお尋ねをいたしました。しかし、具体的にあらわれてまいります教育の制度や行政、そういうものを含めて、今後、いま大臣が述べられたような方向で進んでいくのか、あるいは、われわれが危惧すべき方向があるのか、そういう点については、具体的な問題について今後論議をしてまいりたいと思います。 一応、総理大臣、文部大臣の発言に関連して教育の基本に関するお考えを伺いましたが、これで私の質問を終わります。
○粕谷照美君 大臣にお伺いをいたしますが、きょうの文教委員会は国士館大学の暴力問題に関する件についてでありまして、午前中が参考人、午後からはそれをめぐって文部省との間にわれわれが討論をするということになっておりました。しかし参考人が急に来れなくなったということで、きょう、あすの日程を大幅に変更せざるを得ません。非常に残念なことだと思うのですが、このことについてお伺いをするわけです。 まず、きょう、参考人の出席については、委員部の方から御説明がありましたけれども、六月の二十三日の委員会にぜひ出席をされるようにという要請をした。しかし、大学側の方からは七月の七日か八日ごろに学内対策委員会が発足をしますので、その対策委員会との関連もありまして延ばしてもらいたいということの御報告があったわけです。ところが、大学側の言う日程については、今度はこちらの各委員の都合がつきませんので、八月の二十九日ごろにということで要請をしましたところが、七月の二十六日に安高理事から理事が出席をしますと、こういう返事があったということであります。さらに翌日の七月の二十七日に、やっぱり委員部の方から柴田梵天総長御自身と連絡をいたしまして、本人は出席できないけれども、理事のだれかを出席させようと、こう御返事をいただいたということが報告をされました。総長自身の御返事ですから、われわれは大学の総長か国会に対してそう返事をしたものだというふうに理解をしておりました。それでそのときに、氏名は、だれが出席するかということは、二十五日までの間に報告をしますということであったそうですが、二十三日になって突如として出られないという話があったということであります。文教委員長としましても、いままでの経過もありまして、さらに出席を要請をしたところか、やっぱり翌日の二十四日、出られないと、こう返事があったということを先ほどの理事会で報告をしました。出られないだけではなくて、延期をしてほしい、日程については九月の中旬ということでありますから、それは了解をいたしますとしましても、しかし国会に対して約束をしたのに、出てこられないということは国会軽視ではないかというふうに考えますが、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 学校側と接触をしておられましたのが院の委員部でございますから、文部大臣としての立場からどうだと粕谷委員から御質問がありましても、お答えにくいことでありますけれども、いま粕谷委員のお話を伺いまして、同じ国会議員として、院が軽視をされているような感じがいたします。遺憾なことだという感じがいたします。
○粕谷照美君 それでは、私はまず最初に、暴力事件の事実関係を確かめているかどうかについて大学局長にお伺いをいたします。 新聞を見てみますと、六月の十二日、小田急の電車の中で、車両を占拠してしごき事件をやったということか載っております。これは「毎日」に載っておりますね。それからさらに六月の十五日、応援団長らが恐喝をしたという記事か載っています。これは幾つかの新聞に載っておりますので、特に紙名は挙げません。さらに七月の十七日ですが、この事件は、元応援団の副団長らか、やっぱり暴力ざたを起こしていたということについて、傷害、器物損壊などで東京の北沢署が逮捕をしたという記事であります。八月の十一日、これは大和国政会と言うのでしょうか、その人が高校生を殴りつけて、血がついたと、こう言って洗濯代を出せというので、金を取った。これは強盗ということになっておりますが、これらの事件について調査をされておりますでしょうか。そして、そのような事件について、大学側がどのような対処をされたかということについて御調査しておりますでしょうか、お伺いします。
○説明員(佐野文一郎君) 御指摘の事件につきましては、大学側から報告を求め、大学のとった措置についても、あわせて報告を聞いております。 逐次御報告をいたしますが、まず六月一日に発生をいたしました小田急の車内の暴力事件でございますけれども、これは政経学部の三年生か、下級生四名に対して小田急線の鶴川駅ホームにおきまして暴行を加えて、電車内におきましても一般乗客に対し強引に席をあけさせるというような乱暴を働いたものでございます。大学はこれに対して、この学生が属している国防研究会を、、六月二十三日付をもって解散させまして、さらに七月七日に、政経学部の教授会の議を経て、この学生を無期停学の処分をいたしております。 それから六月十二日の件でございますが、これは六月十二日に、皇国塾という非公認団体がございますが、その会長と応援団の主将と副主持、さらに国友会という非公認団体の会長、これは政経学部の四年生でございますが、それと法学部の四年生の五名が他の大学の応援団長を飯田橋の喫茶店に呼び出しまして、皇国塾への入会を勧誘したけれども断られたので暴行を加えた。さらに十四日にも再び新宿の喫茶店に連れ込んで十万円の支払いについて念書を書かせたというような事件でございます。大学はこれに対して、六月二十三日に応援団の解散を決定をし、同日皇国塾と国友会については、大学か公認していない団体ではございますけれども、問題を看過し得ないとして解散を命じております。さらに七月七日に政経学部の教援会の議を経まして、退学一名、無期停学二名の措置をとり、七月十日には文学部教授会の議を経まして自主退学を認め、二十五日には法学部教授会の議を経て関係の学生を無期停学とする、そのような措置がとられております。 それから元応援団の団員の暴力事件、これは七月十五日に発生したものでございますが、元応援団員、政経学部の三年生でございますけれども、応援団解散後もバッジを関東学生応援団連盟に返還しないということで、Aの先輩であるBの案内で、元応援団のCとDの三人が、この元応援団員の下宿に行きましてバッジの返還を求め、そこで飲酒をしてけんかとなり、この元応援団員が殴られたということでございます。大学側は元応援団員全員に対して注意をし、謹慎するように命じ、さらに八月二日に、法学部教授会の議を経まして、関係の三名の学生について無期停学の措置をとっております。 それから、小田急線の新宿駅の構内で起こった事件でございますけれども、八月十日に政経学部の三年生が、小田急の新宿駅で私立の高校生にいわゆる因縁をつけまして、駅の職員通路に連れ込んで暴行を加えた。その際、被害者の前歯が折れて、散った血がこの学生のズボンについたということで言いかかりをつけて、二千円を奪った、これによって御指摘のように、強盗致傷の現行犯で逮捕をされています。これについては大学側は、この学生の処分については現在検討中でまだ処分の措置がとられておりません。それから、新聞で報道されましたこの学生が所属しているキックボクシングの同好会につきましては、大学としては五十三年の一月に同好会としての公認申請がありましたけれども、ごれを却下しております。その後この会がどのような状況にあるかについては、大学側もその状況を把握をしていないという報告を得ております。
○粕谷照美君 そのような暴力事件の事実があったということは、文部省としても認識をしていらっしゃるようですから、私もわかりましたし、大学側がそれなりの対策をとったということも、事実は理解をいたしますけれども、それでは本当にこのような暴力行為というものを、大学の中から一掃していくという姿勢が大学側に見られたかどうかということについて、担当された局長のお考えをお伺いしたいと思います。 それは、たとえば、これは拓大の問題にもあらわれているわけですが、これも新聞記事ですから、私も内容については事実を確認をしておりませんけれども、四十五年には空手道の愛好会、拓忍会が一年生を死亡させた。四十七年には一年生をやっぱりしごいて応援団を廃止をされたと。そして四十九年にはいろいろな動きがあったのでしょう、反省も見えたとして応援団が復活をした。ところが、五十三年の五月、拓大の赤城山荘において一年生の松島敏雄君が死亡した。その死亡した事件については三年生七人、応援団長ら三人、計十人が関連をしていたということが明らかになっておりますか、この応援団長三人というのは、わざわざ三年生七人のほかに記事が載っているということを考えますと、大学の学生であるのかどうなのか、部外の者であるのかどうなのかということについては、ちょっと私ども把握をし切れないでいるわけですけれども、そのような事件があった後で、大学側がこれは傷害致死だということで、御本人といいますか、御自宅の方に二千六十万円のお見舞い金を出したということか新聞に載っているわけです。で、私ども、たとえば山形の高等学校で運動の時間に事故がありまして、一人の高校生が死亡した。やっぱり御両親が裁判に持ち込んで、四千五百万円を支払いなさいということに決定したとか、あるいは東京都で、やっぱり高校生がつり輪で事故を起こして裁判に持ち込まれて、四千六百万円支払いなさいという結論を出されたというような記事を耳にしますと、二千六十万円というのは一体どのようなところから計算をされたのかということも不思議でなりませんけれども、それでも大学側の姿勢というものがうかがわれました。まあこれには、東京地検も起訴をしたということか出ているわけです。さらに六月の二十四日、国士舘大学生とこの拓大の生徒六十人か乱闘事件を起こしているわけです。このような事件に対して大学はどのような対策をしたかと言えば、七月の十日になって二十九人を退学させ、四人を無期停学にしたということになっております。けれども、この応援団廃止をめぐって、七月の十四日、前期試験を中断をしてまで、とにかく学内をまとめていかなければならないということで、大学の対策としてとられているということがあるわけです。そのほかにオッスをやめなければならないとか、あるいは長衣をやめなければならない。違反をした者はもうすぐ退学だと、こういう非常に厳しい姿勢を持っているわけです。学長さんがおやめになった、辞任をされた、これも大変なことですけれども、その姿勢はよくわかるわけですね。もっとも名誉総長中曽根康弘氏もいらっしゃるわけですし、あるいは、衆議院議員の渡辺秀央氏もこの理事としていらっしゃるわけですし、そのほかにも、藤井丙午氏もこの理事としていらっしゃるわけです。こういう姿勢に比べて、国士舘の姿勢はどうであるかということをお伺いをするわけです。 これはある新聞社から黙って私のところに送られてきた同窓会の名簿です。非常に大ぜいの方々がいろいろな社会で活躍をしておられるということも、この同窓会名簿を見てわかりますし、私は昔日教組の組合員であったわけですが、その組合員の方々もいらっしゃるわけです。国士舘一万六千人の学生みんなか悪いわけじゃなくて、そのほんの一部分の人たちによって、国士舘のイメージというものが物すごく傷つけられているということを私どもは思わないわけにはまいりません。私自身も国士舘の卒業生の就職に当たって、相談に乗ったことがありますけれども、実にまじめな、りっぱな生徒でありました。それから、先日も委員会を傍聴に来られました学生諸士を見て、この委員の中ですら、国士舘に女子の学生がいたのかという質問か出るくらい、イメージ的に非常に異様なものを持っている国士舘だと思います。文部省も認可した国士舘が本当にりっぱな大学になって、私どももいい教育をしていただきたい、こういう気持ちで質問をしているわけでありますか、その立場から考えますと、この国士舘の姿勢というものが、本当に暴力一掃の姿勢が見られるかどうかということについて、どのようにお考えでしょうか。
○説明員(佐野文一郎君) 御指摘のように、拓殖大学の場合には、学内で生じた暴力事件に対して、大学全体として非常に厳しい対応をいたしております。国士舘の場合にも、先ほど御報告を申し上げましたように、生じた事件についての学生の処分というのは、もちろん行われております。厳しい処分が行われておりますが、依然として暴力事件が後を絶たないという状況がございます。これらの暴力事件については、もちろん一義的には暴力事件を起こした学生の自覚の問題ではございますけれども、このように暴力事件が頻発をしているということの背景には、やはり大学における教育指導の体制というものについて、反省すべき点があるということを私たちも考えるわけでございます。こういった角度から、大学側に対しては、先般柴田総長に対して、学生の指導の問題、特に暴力事件の問題について、厳重な御配意方を要請をしたわけでございますけれども、やはり何よりも大学の関係者が、大学は教育研究の場であるということを十分に自覚をして、学園としてふさわしい教育の環境、研究の環境をつくっていく、そういう大学全体としての努力というものか続けられないと、個々の暴力事件に対して、現象的に対応していくということだけでは済まない、そういった問題をやはりこの大学は持っているということを考えております。
○粕谷照美君 具体的には、大学全体としてその暴力事件を起こさないような体制、つまり教学の場所として動いていくという体制が、どこが足りないかという具体的な事例をお聞かせください。
○説明員(佐野文一郎君) これまでもお答えをいたしてまいりましたように、私どもは国士舘の事態について、最も憂慮をしておりましたのは、政経学部、法学部の二つの学部について、学部教授会が正常に機能をし得る状態にないという点でございました。やはり学生の教育、あるいは研究の指導ということを考える場合には、教学の体制を整えるということが基本であり、そのためには教授会が正常に機能をするということが何よりもまず要請をされることでございます。 幸いにして、この教授会の正常化の問題につきましては、政経学部も、法学部もいずれも六月の中旬に新しい学部長の選出を行いまして、新しい学部長のもとで、教授会も正常に運営されるに至っております。 問題は、そうした正常な状態を回復した教授会が、さらに十分に教学の体制を実質的に整えていくかどうかにかかると考えております。現在、この大学は委員会を学内に設けまして、暴力行為の根絶を含めて、学内の諸問題について検討をされております。その検討が進んで、第一段階の試案というものもまとまったということを聞いておりますけれども、今後さらに学内で、そうした第一段階の試案というものを、学部の教授会でも検討をする、あるいは、この委員会でもさらに検討をする、そして、理事会側とも十分な協議を進められて、大学か全体として、いわゆる四十八年以降の近代化の非常に苦しい歩みがあったわけでございますか、それをさらに前進をさせる、そういう方向をとることによって、やはり暴力事件の問題も基本的には対応できることではないかと考えております。
○粕谷照美君 教授会か正式にといいましょうか、正常に機能をするようになったから、この暴力的な体質はなくなると、そういうふうにもし文部省が考えているとすれば、私は間違いではないだろうか。それは、暴力を一掃する、体質を改善をする一つの要素にはなるでありましょうけれども、もっともっと根本的な暴力を擁護する体質というものがこの大学にあるんだというところを見抜かなければ、私は根絶にはならない。したがって、そのためには非常に大きな鉄槌といいますか、それか下されなければならないと、こう思っているわけですが、その点については後でいろいろと細かく質問をいたします。 七月の二十九日の読売の記事を、私はちょっと外国に行っていたものですから、帰ってきてから見ました。これは、国士舘大学に国税局が本格調査に入ったと、裏口寄付金でと、こうあるわけですね。そして、その前日の二十八日には、東京の国税局が世田谷税務署員と一緒に行って、国士舘の関係者から事情を聞いているということが載っているわけです。これは事実なんでしょうか。国税庁来ておりますでしょうか。 それから、なぜそのようなことをやったかということについてもお伺いします。
○説明員(山本昭市君) ただいまお尋ねの税務調査の件につきましては、去る七月二十八日以降、現在調査を続行中であることは事実でございます。 調査の目的でございますが、学校法人は法人税法上は公益法人でございまして、公益法人は収益事業をあわせ行わない限り、仮にいろいろ寄付金等の収入がございましても、法人税の課税はないわけでございます。 ところで、私どもが先般以来調査をいたしております理由は、そういった寄付金に関連をいたしまして、大学の、あるいは学校法人の理事者、教職員の方々に対する給与の支払いがどのように行われ、またそれに対しまして源泉徴収が確実に行われているかどうかというのが、一般的に学校法人に対する私どもの見方でございまして、そういうような考え方から現在調査を実施しているわけでございます。
○粕谷照美君 二十八日に事情を聞いたわけですね。そして、その事情を聞いたときに、これは問題ないと思っていらっしゃれば、八月の九日、十日に立ち入り調査をしたということですけれども、これはあり得ないわけですね。やっぱり問題があったから八月の九、十に立ち入り調査をなさったんだと思いますが、八月九、十に立ち入り調査をなさったかどうかという事実と、そのされた理由についてお伺いします。
○説明員(山本昭市君) この種の調査は、一般的に非常に長くなるわけでございまして、私どもか調査に着手いたします場合には、それなりの理由があるわけでございます。したがいまして、七月二十八日以降数回にわたりまして、いろいろと状況をお聞きしている次第でございます。 そこで、私どもがなぜ調査をすることになりましたかという理由につきましては、先ほど申し上げましたような、給与に対する源泉徴収が的確に行われているかどうかということを中心にいたして、いろいろお聞きしているわけでございます。
○粕谷照美君 そのお聞きしたのはいつなんですか。お聞きしたのがその七月の二十八日で、その後もすっと聞いていて、そして、やっぱりこれは問題があると判断をされたから、八月の九、十に立ち入り調査をされたというように理解をしてよろしいですか。
○説明員(山本昭市君) 二十八日以降五回にわたりまして、大学に参りまして、いろいろ事情をお聞きいたしております。なお継続中でございます。
○粕谷照美君 正確に答えていただきたいんですが、立ち入り調査をするということは、単なるその継続というように理解をしてよろしいんですか。事情聴取の継続と理解してよろしいか。
○説明員(山本昭市君) 今回の調査はあくまでも任意の調査でございまして、事情聴取の連続とお考えいただいて結構でございます。七月二十八日以降、同じ意味合いにおきまして、継続的にいろいろお聞きしているわけでございます。
○久保亘君 関連。税法上学校法人として問題がある、こういう疑惑を持たれて、疑問を持たれて調査をされているわけでしょう。任意調査ということにえらい力点を置かれるけれども、任意であろうと、何であろうと、国士舘大学の学校経理について税法上疑問がある、こういうことで調査をされ、そして、その後何回も事情聴取を行われているということじゃありませんか。
○説明員(山本昭市君) 私どもが調査をいたします場合には、いろいろ情報等によりまして、必要がある場合に調査をいたすわけでございます。先般来、御指摘の新聞の記事の内容等も、まあ一般的には通常私どもはそういうものを税務調査の際の情報といたしておりまして、そういう意味におきまして、ただいまの調査を実は行っているわけでございます。
○粕谷照美君 新聞記事などが税務署の立ち入り調査の材料になるということは非常に大きなことだと思いますけれども、もう一つ、あなた方が、立ち入り調査というのは、単なる一般事情聴取とは違うというふうに考えるわけですか、立ち入り調査をされていろいろな資料なども持ち帰られたと思いますけれども、そこまでやられるからには、やっぱりもっと具体的な情報か入ったんだと思いますけれども、その具体的な情報というものはあったんですか、ないんですか。
○説明員(山本昭市君) 調査をいたしております理由は、先ほど来申し上げておりますように、給与に対する源泉徴収が的確かどうかということが中心でございまして、その関連におきまして必要な帳簿等を見せていただくというような、そういった意味での調査は通常あることでございまして、事情聴取と臨場ということが、特別区別があるわけじゃございません。実際に調査をいたします場合には、通常その納税者の方のところに参りまして、言うなればこれは臨場でございます、参りまして事情をお聞きするということでございますから、それを私どもは実地調査と申しております。これは任意の実地に臨んでの調査でございまして、立ち入りという言葉が特別に税務上意味合いのある観念ではないわけでございます。
○粕谷照美君 ここに「書類御送付について」という弁護士・法学博士木川統一郎さんと、同じく石川明さんの書類があります。八月の二日付で世田谷税務署長に出しておりますね。 私たち両名は、代理人として、国税庁長官に むけて国士館大学の経営者に税法違反かあると して告発したものであります。委任状は御指示 があれば持参致します。 さて、その後国士館大学の税法担当の人々か ら同封のような問題点を整理したものを入手し ましたので、何かの御参考になるかと存じ、御 送付申し上げます。というこの弁護士からの告発、これも受けて調査に入られたんですか。
○説明員(山本昭市君) ただいま先生の申されました告発状が私どもの手元に届いておりますのは事実でございます。そういったこと、その他いろいろ総合勘案いたしまして、現在の調査を実は実施したわけでございます。
○粕谷照美君 その「問題点を整理したもの」ということでありますか、その問題点というのはどんなことかと言えば、一つには「出張費のみなす賞与について」ということがありますね。それから「柴田徳文氏の海外留学費の不当支出について」、三つ目は「ニューヨーク支部に対する不当補助金について」、四つ目が「入学寄附金の処理について」、五つ目が「五十一年十二月一その後は不明一に一部の教職員に一約三十名一対し特別慰労金を支出している。」点、六番目に「柴田梵天氏の給与が近年急激に増大している。」件、七番目は「五十一年・五十二年に株式会社辰村組によって鶴川分校の校舎および体育館の建設がおこなわれ約十二億円の建設費が支払われているが、相当額のリベートが支払われているとの噂がある。」、八番目に「本学園出入りの印刷業者、備品納入業者、図書納入業者等にたいし、リベートを要求し受領しているとのもっぱらの噂である。」、あるいは九番目に「四十八年十二月前後、柴田梵天氏の学位論文の謝礼として二百万円が支払われたと聞く。」、十番目に「五十年・五十一年に固定資産の一部を売却し、売却損が計上されているが、その内容に疑義がある。」と、このようなことが入っておりましたでしょうか、どうでしょうか。
○説明員(山本昭市君) 具体的な税務調査の内容にわたります御質問でございますので、大変恐縮でございますが、御回答は御容赦させていただきたいと存じます。
○粕谷照美君 調査中と言いますけれども、ではいつごろ調査の結論が出るのですか。大体のめどをお知らせください。
○説明員(山本昭市君) 大学側の御協力をいただきまして、できるだけ早い機会に終了をしたいというふうに考えております。
○久保亘君 告発状の中に、こういう内容かありましたかということについて、どうしてあなたの方からお答えになれないんですか。
○説明員(山本昭市君) 告発状にいろいろ書いてございます内容につきまして、税務調査の結果、実際そうであったかどうかというふうな御質問どいうふうに私承りまして、したがいまして、お答えできないというふうに申したわけでございます。
○粕谷照美君 内容かどうであったかということについてではなくて、そのようなことが入っていたかということをお伺いしたつもりです。
○説明員(山本昭市君) あくまでも学校法人の、納税者の経理の内容でございます、あるいはまた個人の所得の内容にわたる話でございますので、そういった告発状を受けまして、誠心誠意私どもは実は調査させていただいているわけでございまして、いま具体的に告発状どおりの内容があったかどうかということにつきましても、大変恐縮でございますか、この場で申し上げることはお許し願いたいと存じます。
○粕谷照美君 そういうお答えではなくて、こう言うんですよ。「同封のような問題点を整理したものを入手しましたので、何かの御参考になるかと存じ、御送付申し上げます。」と言っているんですから、その内容が入っていたかどうかということだけを聞いているわけです。同封してあったのかなかったのか。
○説明員(山本昭市君) ただいま先生のおっしゃいます告発状の内容、この中身がそれぞれ大学の経理、あるいは個人の所得の計算におきまして、どのようになっていたかということか、実は私ども、恐縮でございますけれども、特別の個々具体的な内容にわたりますので、お答えを申し上げられないということを申し上げているわけでございます。
○粕谷照美君 それでは、あなたのお答えは「書類御送付について」のこの木川さん、石川さんの文書が誤りであるというふうに私どもに受け取らせるいまの御返事ですけれども、それでよろしいですか。
○説明員(山本昭市君) ただいまの告発状自体が世田谷税務署長、あるいは国税庁長官のもとに参っておりますことは、先ほど申し上げましたように事実でございまして、その点は私も承知いたすわけでございます。
○粕谷照美君 では、その次に移ります。出ていたということが事実なわけですから、私どもはそのように受けとめます。 ところで、本日参考人か出ていらっしゃらないということとも絡めまして、できるだけ国士舘問題をこの国会の中で討議をしてもらいたくないというようないろいろな動きがあったわけです。それと関連しているのではないかと思う部分かあなた方の調査の中に証拠があるんではないかと、こう思うものですからお伺いするんですけれども、いろいろな写しを持ってきていますね、出金伝票、あるいは領収書などの写しの中に、国会対策費というものを学校側で出しているというような事実はありませんでしたでしょうか。内容について言えないとおっしゃるかどうかわかりませんけれども、そのことについては非常に重要な問題ですからお答えをいただきたいと思います。
○説明員(山本昭市君) 私どもいろいろと問題意識を持ちまして調査はいたしております。しかしながら、ただいまのお尋ねの百万円の国会対策費の支出の有無といいますこと、これ自体がありますかどうかということは、やはり私ども特別の個々の法人につきましての内容にわたります問題でございますので、その支出があったか否かにつきましてのお答えは、この場での御説明は御容赦いただきたいと存じます。恐縮でございます。
○久保亘君 ただいま粕谷委員からお尋ねのありましたことについて、国税庁世田谷税務署の調査の際に、国士舘大学会計課の書類の現物をお持ち帰りになったか、あるいはそれを写しでお持ち帰りになったか私存じませんか、税務署の方には、それらの書類をお持ち帰りになったと聞いております。私も最近、国税庁かお持ち帰りになったと同じものと思われる領収書の写しを入手いたしております。いま質問者は金額について全然触れられなかったんですが、法人税課長よく御存じで百万円、百万円単位で領収書が発行されております。受取人は柴田梵天、いずれもそうなっております。この種のものは、私どもが調査をいたしましたのでは、わかりましただけで数百万に達するのではないかと思うのでありますか、国会で国士舘の暴力事件や学校経営について問題が取り上げられました後と思われる日付、六月七日、六月十六日、私が持っております領収書の写しはそうなっておりますが、いずれも百万円、使用目的は国会対策費となっております。このような領収書、もしくはその写しを、国税庁の方はお持ち帰りになっておりますでしょうか。
○説明員(山本昭市君) 一般的に税務調査いたします場合に、いろいろの資料をその場で見せていただきますとか、あるいはまた、そういうコピーをとらせていただくということは、税務調査の必要上これがあることは事実でございます。ただ、ただいまの具体的なお話につきましては、先ほど来まことに恐縮でございますけれども、御容赦をいただきたいと存じます。
○粕谷照美君 私は金額を言わないで質問しましたのに、あなたは百万円という言葉を具体的におっしゃいました。百万円という言葉がなぜ具体的に出たのか、つまりあったという証拠ではなかろうかと思いますが、いかがですか。
○説明員(山本昭市君) いろいろ私ども具体的にたくさんの案件を日常処理しております関係上、いるいろ数字は数多くあるわけでございまして、先ほど私が百万ということを申し上げたとすれば、大変恐縮でございますが、これは何か間違いだったと思います。
○久保亘君 少しも恐縮してもらう必要はないんで、やっぱりあなた方の方も、こういうのは、学校法人の支出する金として妥当なものであるかどうか、重要な関心を持たれるものだと思うのであります。これは、支払い銀行のナンバーも全部入っております。そして、私がさる書類で見ました柴田梵天さんの自筆の署名と同じ字で署名、捺印されております。国会対策費、六月七日、百万円。六月十六日、同じく国会対策費百万円。七月十日、学内問題対策料百万円。これだけかいま私の手元にあります。これは国税庁の問題ではないかもしれませんけれども、国税庁としては、こういう支出が、妥当な柴田梵天氏個人に対する支払いとして認められるものかどうかということは、今後あなたの方の方で十分調査されなければならぬ問題だと思いますが、学校法人の経費か国会対策費として支払われている。国会というのは、日本にはここしかありませんから、だから、この国会に対する対策費として柴田梵天氏が、少なくとも領収書で確認されるだけで二百万円、これは国士舘大学の会計課から持ち出しておるわけです。私は、この問題について文部大臣の御意見を伺いたいと思うのですが、国士舘の正常化に関して、国会で必要な論議が行われる、それを、受けて大学の総長である柴田梵天氏が、個人の名前で国士舘大学の会計課から、わかっておるだけでも、領収書があるだけでも二百万円国会対策費として支払いを受けておるということは、これはどういうふうにお考えになりますでしょうか。もし、これか国会対策に使われていないとすれば、明らかにこれは個人かそういう名目をつくって、大学の公金を持ち出した。こういうことになるわけであります。国会対策に使われているとすれば、これは、国士舘の問題について、文部省が指導されていること、あるいは改善の指示をされていることについて、大学の責任者は何ら反省の色もなく、国会に金をばらまいて、そうして国士舘問題をほおかぶりして逃れようとしているものだと考えざるを得ないわけです。この点について大臣の御見解を承りたい。
○国務大臣(砂田重民君) 学校法人の会計に、国会対策費という費目があることは私には理解ができません。
○久保亘君 それじゃ、これを参考にごらんになっていただきたい。 〔資料を提示〕 それはわれわれがある機会に入手できた分だけでそういうものかあるわけです。それか間違いのない写しであるかどうかは、実際に国士舘大学を税法上の調査をされた国税庁は確認ができるわけです。その確認をぜひやっていただきたい。それで、私かいま提示したものか、税務署もその領収書について承知をされているかどうか、そのことをひとつイエス、ノーで結構なんです。これはわれわれも見ましたということならそれで結構です。そのことをひとつ法人税課長の方で、もし御調査になっておればお答えをいただきたいと思います。
○説明員(山本昭市君) ただいまのお話のような領収書かありましたか、なかったかということにつきましては、これは個々の税務調査の内容にわたる問題でございますので、この際、その確認も差し控えさせていただきます。
○久保亘君 確認をあなたがここでできないと言われるならいいけれども、それは全くの事実でない、その写しでないというふうに否定もされませんね。
○説明員(山本昭市君) 先ほど来申し上げましたとおり、肯定も否定もできないわけでございます。大変恐縮でございます。
○久保亘君 大臣、これは大学の責任者は国士舘大学の問題について、文部省が指導されていることに対して全く反省とか、改善の意見とかいうようなものがないということを物語る証拠になりはしませんか。いずれにせよ、本当に国会対策ということでその金が使われたとするならばそれで問題である。もし国会対策で使っていないのに、いま大学の経営について問題になっているときに、総長たる者が大学の会計課から、国会対策に要るからと言って領収書を切って、百万円単位で金を持ち出すというようなことをやっているとすれば、これは大学の総長としてはまことに私は問題かあると思うんですが、いかかでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) いま私か見せていただきました領収書については、久保委員の御指摘のとおりであると思います。しかし文部省の指導に対して、全く大学当局が、学校側が、正常化の意思がないと決めつけてかかることもまたできない。 たとえば、先ほど局長からもお答えをいたしましたけれども、法学部、政経学部等の教授会の正常化等については、文部省の指導どおりの正常化をしてまいっている点もあるわけであります。しかし、ほかにもまだ事か進行中なことか幾つかありますし、正常化のための委員会も働き出しているところでございますから、文部省としては冷厳な姿勢で、これを見詰めなから、指導、助言を続けていきたい、かように考えております。
○久保亘君 大臣、その大学の経営者であり、総長である者が、仮にいま私がお示ししました領収書が事実だとするならば、そのようなことはあり得べからざることである。そういうことで文部省は大学側に対して今後いろいろと指導されるのかどうか。これは私は大変な問題だと思います。 もし本当に柴田氏がその金を国会対策として使っておるのであれば、その事実も私は明らかにされなければならない問題だと思います。これはやっぱり大学側に本当に教育機関としてあるべき姿を追求しようとする姿勢が欠如しているあらわれではないか、私にはそう思えてならないのですがね、いかがですか。
○国務大臣(砂田重民君) 久保委員が私に御提示になりました領収書については、久保委員のお説のとおりであると私は先ほど申し上げました。したがって、文部省の姿勢がいいかげんなものでないことは、この答弁で御理解いただけると思うんです。 ただ、仮にという言葉を久保委員もお使いになりましたけれども、写しで拝見したことでございますから、税務当局はきょうは大変お答えしにくいようでありますけれども、いずれ近日中に事態を明確になさることでありますから、税務当局の調査結果も待ちたい。また、文部省としても先ほど残されている問題が幾つかございます。文部省としては冷厳な姿勢でこれを見詰めなから、指導、助言を続けてまいります。こうお答えしたのでありますから、文部省の指導はどこまでも真の教育、学問研究の府としての国士舘大学になっていただきたい。この気持ちは非常に強くあることは御理解をいただきたいと思います。
○久保亘君 大学局長、先ほど六月七日柴田梵夫氏と面談された際に、厳重にその改善の指示を行ったということを言われましたですね。厳重に改善の指示を行うということは、文部省としてはこれは大学の責任者に対して、今日の状態を速やかに改善するよう必要な勧告を行ったものである、こういうふうに理解をしてよろしいでしょうか。
○説明員(佐野文一郎君) 文部省は、文部省設置法の規定によりまして、大学に対しては運営に関して指導と助言を与える権限を有しております。この権限に基づきまして、大学の問題について指導、助言をまさに行っているものでございます。指導、助言より強い意味を持ちます勧告については、特定の場合について勧告ができることを法律が明定をいたしております。先般、柴田総長に対して私の方から強く善処方を求めましたのも、これは指導、助言ということに法律上は相なろうかと思います。
○久保亘君 指導、助言でも、改善の指示が強く行われたという事実があるにもかかわらず、この国士舘大学側は、東京都地方労働委員会の会長に対して、教員組合の申し立てに対する答弁の中で「五十三年六月七日大学柴田総長が文部省佐野局長と面談したことは認めるが、その際同省から「勧告」があったとの主張は否認する。」こういう答弁書を出されております。だから、こういう答弁書が出されるということは、これは厳密な用語の問題は別にして、大学側としては、あなたと柴田総長が会うたことは認めるけれども、その際、あなたの方から何らかの改善の強い指導か行われたなどということについては、これは大学が認めておらぬですよ。その主張は否認するという表現になっておりますかね。これでは文部省かいろいろ指導、助言をされても、大学の責任ある当事者たちが問題にしておらぬ。こういうふうに読み取れるんじゃありませんか。
○説明員(佐野文一郎君) 恐らくは勧告という言葉について大学側はそのような答弁をしたものと考えられます。 私どもの方から大学の総長に、一応文部省に来省を求めて、そして局長室で特別に大学の問題についてお願いをするというようなことは、本来そうたびたびあることではございません。非常に例外的なことでございます。それをあえて行って、大学側に対して私たちは正常化のための努力を求めているわけでございます。 その後の大学側の対応を見ましても、先ほど大臣からもお答えをいたしましたように、幾つかの点で私どもの指導にこたえて、具体的な改善措置をとっておられますから、文部省の指導に対して、大学側は大学側として対応していただいていると考えております。
○粕谷照美君 いまのことに関連をいたしますけれども、柴田梵天理事長の退陣要求か、組合だけではなくて、各学部から上がっていると思いますけれども、文部省はどのように理解をしておりますか。
○説明員(三角哲生君) 国士舘大学の政経学部一部、同二部、法学部、文学部、工学部及び教養部の各部長の委任を受けた木川統一郎弁護士及び石川明弁護士から同大学理事長柴田梵天氏に対して、その役職から辞任するよう勧告されたいという内容の文部大臣あての文書を受け取っておる次第でございます。
○粕谷照美君 そうしますと、退陣を要求していないところの学部というのはどこになりますか。
○説明員(三角哲生君) ただいま申し上げました学部等に含まれていないのは体育学部でございます。
○粕谷照美君 六つの学部かそういう要求をし、たった一つの学部だけが退陣要求をしていないということは、非常に異常なことだというふうに私たちは考えますけれども、文部省としての受けとめ方はいかがですか、大学局長。
○説明員(佐野文一郎君) 教員組合からの退陣要求だけではなくて学部の教授会が五つ、それから教養部の教授会、合わせて六つの教授会か柴田氏に対して役職からの退任を要求する決議を行うということについては、私たちは大変事柄は重大であると考えております。
○粕谷照美君 その重大さの中でも、私は特に工学部の教授会の文書に注目をしたいと思います。それは、六月の十三日、大学当局に質問文書を出しまして回答を要求しております。さらに、その問答かなかったものですから、六月の十六日に退陣要求を出し、そしてさらに再回答を求めているわけです。その求めている内容は何かと言えば、文部省か六月の七日に大学局長による改善の指示条項か正しくおりていないことを証明しているのではないか。つまり、工学部の教授会は文部省がどのようなことを指導したのかということを知らないわけですね。知らないから質問をした。質問したのに答えない。だからこういう不まじめな態度ではだめだということで退陣要求を決定し、さらにもう一遍要求をしているわけですね。ところが、その回答がやがて後から出てくるわけですけれども、文部省のその改善指示事項から一つはずれているわけです。非常に重要な部分が。故意かあるいは故意でないのかはわかりませんけれども、はずれているということに大変教授会の教授の方々は怒っているわけです。文部省はそれは一体勧告をされたのか、指導、助言をされたのかということについてお答えください。
○説明員(佐野文一郎君) 先ほどお答えをいたしましたように、これは学長に対する指導、助言でございます。
○粕谷照美君 指導、助言と勧告というのはどのように違いますでしょうか。
○説明員(佐野文一郎君) 指導、助言は、先ほどお答えをいたしましたように、文部省設置法に基づく大学に対する文部省の権限として書かれていることでございます。その一般的な指導助言という権言に基づいて、大学側に対していわば自主的な対応を求めるわけでございます。 勧告という事柄は、指導、助言よりは強い意味を持った行政上の一つの処分でございます。これを行う場合には、それぞれ法律にその規定が明らかに定められている場合に、その規定に従って勧告を行うということに相なります。
○粕谷照美君 そうしますと、指導、助言は余り守らなくてもよろしい、こういう御答弁と聞いてよろしいでしょうか。
○説明員(佐野文一郎君) 文部省と大学との関係から申しまして、文部省か大学に対して物を言う基本的な姿勢として、やはり大学の立場、自主的な立場というものを尊重し、その自主的な対応を求める、そのために指導、助言を行うわけでございます。もちろん、指導、助言であるから守らなくてもいいんだというようなことは毛頭ございません。文部省が指導、助言という形をとって大学側に対して改善を求めている、そのことを大学側でも真剣に受けとめていただきたいと考えておりますし、またいろいろなケースについて私どもは大学から事情を聞き、指導をいたしますけれども、それについて多くの場合大学側はそれぞれ自主的な対応をしていただいているわけでございます。
○粕谷照美君 先ほど久保委員も言われましたけれども、勧告ということかなくても、指導、助言があったということについては、文部省側も認めているわけですから、私はこの指導、助言に沿って、やっぱり大学側としては改善をしていかなければならないと考えているわけです。その改善の姿勢というものが実質的に見られたかどうかという点でありますけれども、局長がさっきおっしゃったように、なるほど八月の二十三日、第一次の対策試案ができて、この試案をつくったのは柴田梵天総長の任命による国士館大学学内諸問題対策委員会でありますけれども、この試案が本当に機能するような条件がつくられるのかどうなのかという見通し、今後もその学内の正常化について、文部省としては強力な指導、助言を行うというお考えなのかどうなのかということについて伺いたいわけです。 それは、先ほどからお話をしておりますように、国会に出席をしますと、総長自身がおっしゃったのに、直前になって急に総長が出るなと言ったから私は出られませんと、こう理事が言ってくるようなことであっては、この対策委員も、総長が任命をされたけれども、それはだめだと、こう言えばだめになっちゃうんじゃないかという危惧を持つものですから伺います。
○説明員(佐野文一郎君) 御指摘のように、学内諸問題対策委員会を中心として、全学的なコンセンサスの形成に現在大学は努めておられます。そして、その一次試案かまとまっております。この一次試案については、大学の学部の関係の方々に伺っても、なお検討を要する点はあるようでございます。その点については、それぞれの教授会でさらに検討をし、さらに委員会の専門部会等で検討しなければならぬということを、大学の学部の関係者もお考えのようでございますけれども、いずれにしても、そういう形で教学の体制を整え、そして、全学的なさまざまな諸問題についての取り組みの体制というものを整えていくという努力は、この学内諸問題対策委員会を中心として進められていくであろう、それは私は十分現在の時点でも言えることだと思います。問題は、やはり先生御指摘のように、学内諸問題対策委員会で最終的に取りまとめて理事会に答申をするその事柄か、理事会によって正しく受けとめられて、今度はまさに大学全体として、それを実現をするということが円滑に進むかどうかというところにかかると考えております。そういう意味でも片方でそういった学内諸問題対策委員会を中心とした作業か進んでいるのと並んで、この段階で理事長、学長の退任要求が出ているということは、率直に言って私は大変残念なことだと思います。やはり理事会側と教学側とが十分に協議を重ねて、話し合いによって事柄を前進をさしていく、正常化さしていく、そういった基盤が失われないような両方の理事会側、教学側の冷静な判断、対応を切に私たちは希望をいたしております。
○粕谷照美君 私もそう思います。けれども、文部省のこの改善を要求した事項の一、二、三、四、五、六、その六項目目が法学部教授会の正常化、中、高校の円滑な運営など、法人全体の円滑な管理運営、こうありますけれども、それに適していないから退陣要求が出てくるのだと私どもは考えざるを得ません、その意味ではどうしても理事、特に理事長ですね、もうここまで来ますと、理事長に御出席もいただかなければならない、こう考えておりますし、学校側だけではなくて、この対策委員会の先生方にも来ていただきまして、私どもは両方の意見を聞かなければ、正確な判断かできないのではないか、こう考えておりますか、いまのところ、この場所ではそのことは私の発言だけにとどめておきたいと思います。 それで、文部大臣にお伺いしますけれども、私どもはこの大事な国会の中で、国士舘問題で何日討議をしたでしょうか。本当に柴田梵天総長に振り国されたという感じでございます。まだ討議をしなければなりません。さらに明らかになれば、まだ私どもは討議を要求していかなければなりません。一つの私立学校にこのようなことを本当はやりたくないわけですけれども、でも、それほど重要な問題なわけですが、なぜ私どもがこのような質問をしているかということについての大臣のお考えをお伺いしたい。つまり私たちがこのような意見を述べ、あるいは質疑をすることか、本当に国士舘をつぶそうというような考え方に立った質問であるのか、あるいは学校の先生方か総長の退陣を求めるというような運動か、本当に国士舘をつぶしてしまいたいという考え方に立った運動であるのかどうなのかという、この感想をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 国士舘大学の問題で非常な深刻な感じを持っておりますことは、粕谷委員も私どもも同じことでございます。そして、やはり私どもが真剣に取り組んでおりますその目的は、国士舘大学という大学か、やはり教育研究の場にふさわしい学園に国士舘大学かなってほしい、現に勉強している学生かたくさんいるわけでありますから、教育、研究か正常に運営される大学、そのための学校側、教学側も同じ目的を持っての意思の疎通があるべきだ、またそうしていただきたい、このような願いを持って、この問題と取り組んでおりますのが私どもの考えでもあり、粕谷委員のお考えでもあると、私はそう考えております。
○粕谷照美君 ところで、先国会のときに私は大臣にも局長にもあえて答弁を求めなかったのですけれども、きょうはぜひ答弁を求めたい事項か一つあります。それは学位問題に関連して、柴山総長の出されたあの論文ですね。その論文の原文をお渡しし、さらに論文をお渡しして、私か読み上げて比較をしていただきました。見ておわかりいただければそれでよろしいと、こう思ったのですけれども、そのときの感想といいますか、大臣の判断をきょうはどうしてもお聞きしておかなければならないと思いますので、お伺いいたします。
○国務大臣(砂田重民君) 学位論文を審査をいたしますのは、やはり大学の大切な学問の自主と申しますか、そういう問題に絡んでくる問題であると思います。したがって、論文の内容について、文部大臣としての立場から、その論文を批評することはお許しをいただきたいと思います。ただ、この取り扱いについては、大学局長からも学校側に対してこれの事実の究明方を話をしたわけでございますが、研究科委員会ではもう一度調べてみる必要はないという御返事でございました。それでは大学局長の注意喚起の答えにはなっておりませんので、重ねてこれの再検討方を学校当局に話をしているところでございます。
○粕谷照美君 大臣からお答えかありましたけれども、局長、何かつけ加えることありませんでしょうか。両者は非常に似通っていた。やっぱり問題かあったからそのような指導をされたと思いますけれども、そして調査をしますと、この間の委員会で答弁もいただいておりますので、具体的な調査はいつごろ行われるのかということもあわせてお答えください。
○説明員(佐野文一郎君) 学位論文の内容について、私どもが意見を述べるということは差し控えさしていただかなければならないことであると思います。しかし、この学位論文はこの大学の経済学研究科委員会で正式に審議をされて認められたものでございます。したがって、私たちは経済学の研究科委員会に対して、この学長の学位問題について大学として対処してほしいということをお願いをしているわけでございます。現在のところは、大臣からお答えを申し上げましたように、当時の経済学の研究科委員会か正規の手続によって審査した結果採択したものである。したがって、現在の時点で改めて議題とすることはしないということを、一たん七月の中旬、経済学の研究科委員会は決議をしたということを聞いております。しかし、これでは疑惑にこたえたことにはなりませんので、さらにこの研究科委員会の責任で疑問の点について検討してほしい、その結果は明らかにする必要があるということで、大学側に対して再度その点の対処方を要請をしているところでございます。
○粕谷照美君 早急にその報告書を出してもらうように私は強く要望しておきたいと思います。 先ほど途中から関連に入ってしまいましたので、質問か前後いたしますけれども、実は私の名前が挙がっております檄なるものか配られているわけなんですね。もっとも私であるかどうかはわからないのです。というのは、粕谷の「谷」か屋根の「屋」になっておりますので、私は「谷」ですから私でないかもしれません。しかし、その後に出てくる名前はやっぱり「谷」になっておりますから、多分同一人物であろうかと思います。それを出された方は、国士舘の評議員、参与という村中嘉二郎さんです。内容についてはいろいろな方がいろいろなことをおっしゃるのは構わないわけですけれども、この評議員、参与という名前は公のものであるか、個人のものであるかという点です。総理が靖国神社を御参拝になった。私人の福田赳夫だとは言いなからも、記帳に総理大臣と書かれる。これか公人であるか私人であるかという問題ともちょっと似通っているわけですが、大学側のものというふうに私は理解をしたいと思うのです。中を読みますと、私人としてのこの檄であるようですか、もし私人としての檄であるとするならば、大学の会計の中からこの檄を印刷し、そして送った送料などは持つべきものではないというふうに考えます。もし公人としてこのようなことをやられたとするのであれば、国会法の何物かをわきまえることのない大学側の態度と言わざるを得ません。評議員ということになりますと、この国士舘大学役員の評議員を見てみますと、いろいろある中に、松野頼三さんだとか、あるいは長谷川峻さんだとかいいまして、国会議員の大物のお名前も挙がっているわけですね。この方々も参与をされたのかどうなのかということも非常に重要な問題と考えざるを得ないわけですが、私もこの搬、たくさん欲しいと思いまして、ちょっと印刷所に電話をしてみました。そうしたらやっぱり国士舘大学からどうもお金か出ているような感じでしたね。増刷を頼みたいと思うのですがというようなことで、ある人に頼みましてちょっと電話をしていただきましたら、そういうことでした。 ところで、国税庁にお伺いをしますけれども、そのような内容についても、国会の中で問題になっているわけですから、公で出しているのかどうなのかという点についてはやっぱり御審査をいただきたいというように考えます。 ところで、この国士舘というのは冥途からも手紙か来るようですね。柴田徳次郎さんという方かこの国士舘の現状を憂えまして、やっぱり檄を飛ばしておられるわけです。冥途から出された人が、一体どこからこの印刷料が出るのかということについても、非常な問題点があるというふうに考えます。さらに大学の学生が、こういう特定個人の過去にわたる――どこで調査をしたのでしょうね、いろいろなことを書き出しまして、そして印刷をして、べたべたと張り例しているわけです。どうもこれも私が調査をしたところによりますと、大学当局から出ているわけですね。正常化推進学生同志会なんですから、学生同志会からお金が出るならばいざ知らず、そのような実情をつかみました。 それから、先ほどの国会対策に絡んでくるわけですけれども、このP&Iという株式会社かありまして、これか国士舘大学あてに請求書を出しているわけです。PR活動費六月分五十万円といいますから、七月分、八月分、いろいろあるんでしょうけれども、活動費が五十万ぽっきりなんというようなのは非常におかしな請求の仕方ですね。何を幾ら幾らやったから、何万何千何十円というようなことか普通であれば出てくるんですか、五十万を渡し切りにしている。さらに国会対策及びマスコミ対策費として百二十万円請求書か出されていますね。だから当然それに対して大学側から支給されるんだと思いますが、このP&I社をちょっと調べてみましたら、探偵関係もちょっとやっているような御報告もいただいております。この辺のところとも絡み合わさりまして、非常にどろどろしたものかこの国士舘問題についてはありますので、文部省の指導、助言というものを厳重にしていただきたいという要望をいたしまして、大臣の決意をお伺いして質問を終わりたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 国士舘大学が真に教育、研究の場としての衆目の見るところ、りっぱな姿になりますことを念願をいたしておりますことでありますから、指導、助言は厳格にやってまいる決意でございます。
○久保亘君 私は、この際、委員長にお願いをしておきたいと思います。 いま粕谷委員から国士舘大学の問題についていろいろ質問がありました。私たちは、国士舘大学で学んでいる学生諸君や、それから国士舘大学で研究、教学に携っておられる教職員の皆さん、こういう方々か一日も早く学内の民主的な正常化を図って、そして国士舘大学の中で真剣に努力をされることを希望をしているわけでありまして、きょう参考人か御出席いただかなかったことは、この国士舘大学をめぐって起きておりますいろいろな問題の解決を一日も速やかにやりたいと思っている立場からすると、大変残念なことであります。できるだけ早い機会に理事長、それから総長の退陣を要求されております学部の責任者、あるいは教職員の代表、これらの方々を参考人として当委員会に御出席を願って、問題の速やかな解決のために役立つ努力をいたしたいと考えております。そういう意味で、参考人の招致について、本日は御出席いただきませんでしたけれども、重ねて委員長の方で御配慮をいただきますようお願い申し上げます。
○委員長(吉田実君) ただいまの久保委員の御発言、私も同意見でございます。御発言の趣旨に沿いまして、できるだけ早い機会に学長並びに理事、役員を参考人として呼ぶように努力いたします。 午前中の質疑はこの程度にとどめます。 午後は一時三十分から再開することとし、休憩いたします。 午後零時三十三分休憩 ―――――・――――― 午後一時四十二分開会
○委員長(吉田実君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査を議題として質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言を願います。
○勝又武一君 私は、特に教職員の定数と、共通一次テストの問題につきましてお伺いをしたいと思います。 まず最初に、新聞報道によりますと、文部省の五十四年度予算の概算要求か、二十一日ごろおまとめになりまして、総額四兆六百九億二千七百万、こういうようにお聞きをしているわけです。ただ、前年度予算に対する増加率は、これまでの最低でありました前年度の要求一二・五%をさらに下回る一二・三%にとどまっている、こういうように見るわけでありますが、なぜでありましょうか。 教育を重視するという首相と大臣の意見が全く一致をしているというときでありますだけに、なお、午前中の大臣の高邁な御見解もお聞きをしていた直後でありますだけに、私としては何としてもこれは脇に落ちません。なぜ大幅に要求をしていないのか、あるいは要求をしなかった理由はなぜなのか、大臣からお聞きをしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 概算要求の数字をお示しでございます。これはいわゆる概算要求でございます。年末に予定されます予算編成、それがやり終わりました段階で、また御批判をいただくべきかと思いますけれども、各省ごとの昨年に比べましての概算要求の上限等を示されまして、その枠の中での要求に落ちつかせる作業をいたしたわけでございます。そして、私どもといたしましては、要求をいたしました概算要求を歩どまりよく予算編成を年末にやり遂げる、このことに全力を尽くすべきであると考えるわけでございます。
○勝又武一君 概算要求だからというお話でしたが、私の知る限りでは、概算要求より年末等で上回ったというような例は余り知らないのであります。それから、各省間ごとのという点もありましたが、先ほどお断りをいたしましたように、教育が本当に大切なんだと、こういう首相なり、大臣の再三にわたる見解からいけば、これは私はもうバランスを超えて、この際五十四年度の教育予算は大幅にふやすべきだと、こういうように思うわけです。 そこで次にお伺いしたいのは、この四兆六百九億二千七百万、あるいは一二・三%、その中で、特に私のお伺いしたい点は、教職員の定数増についてであります。この定数増は、新聞で見る限りは自然増、当然増だけでありまして、改善は一切されておりません。従来定員増五ヵ年計画というのかありまして、昨日の大臣の記者クラブでのお話でも、何か五ヵ年をさらに長期にというお話かあったようでありますが、私もそれは五年かさらに長期になっても構わないと思いますけれども、なぜ五十四年度からこの定員増の長期計画を出発をされないのか、この点かいままでの大臣の主張から言いましてもわかりませんので、お伺いをしたい。 具体的にお聞きをしますと、ゆとりある教育ということを常に主張されていらっしゃる。学習指導要領等を改定をしただけでは、まさにゆとりある教育は達成できません。再三にわたります文教委員会で私は質問を繰り返す中で、初中局長が重ね重ね答弁をされておりますが、教員の担当授業時間数一時間に対して、事前準備、教材研究、事後指導を行うのには最低一時間勤務時間内で確保する必要がある、これについては全くそのとおりですとお認めをされている方針から、百いましても、当然五十四年度から定員増を具体的に実現をしていかない限り、この教育現場のそういう意味での改善はなされないと考えまずけれど、一切そういうことが児童、生徒の自然増だけに見合う分だということからいきまして、なぜ来年度から出発をされないのかお聞かせをいただきたいわけです。
○国務大臣(砂田重民君) 基本的なことだけをお答えをいたしまして、あとまた担当局長からお答えを詳細いたしたいと思います。 教職員定数の抜本的改善につきましては、この次の長期計画を考えます場合に、学級編制のあり方もやはり重要な検討課題であると心得まして、そこで全国的な実態調査というものを明確につかみたい、こういうことからも、勝又議員も御承知の実態調査をいま実施をしているところでございます。各市町村からそれのお答えが集まってきている時期でありますけれども、これをコンピューターにかけて明確な集計分析をいたしますのに、やはり秋遅い時期まで待たざるを得ません。そういう明確な実態というものを、過疎地域と過密地域の様相の異なり方も非常な違いを示してまいっていることでもありますので、全国一律につかまえたマクロの数字というものではなくて、市町村別にむしろ過疎、過密の事情等、実情を明確につかんだものの上に立って、教職員定数、学級編制のことも含めて、次の長期計画と取り組みたい、かように考えたわけでございます。したがって、五十四年度につきましては、定数標準法を改正して実施する定数改善については、要求をしていないわけでございます。
○勝又武一君 大臣は学級編制のことしかお答えになっていない。四十五名を四十名と私たち従来から主張しておりますが、それについてのいまの大臣の答弁だけでありまして、まさに私は、それはもうひとつ別の議論といたしまして、ゆとりある教育、この点で質問をしているわけでありますから、この点についてひとつお答えいただきたい。
○国務大臣(砂田重民君) 教職員定数のこの次の抜本的改善についてはということをお答えをしたつもりでございましたけれども、詳細につきまして初中局長からお答えをさせていただきます。
○説明員(諸澤正道君) 次の五ヵ年計画を立てる際の課題はたくさんあるわけでございまして、大臣か申し上げました学級編成の問題は、この前の五年計画の法律案を御審議いただくときに、国会で最も大きな問題として御指摘をいただいておるという経過かございますから、それで申し上げたのかと思いますが、それと同時に、ゆとりある教育ということになりますと、いろいろの観点があるわけですか、一つは先生の一週間の授業時数の問題ですけれども、これは四十九年の私どもの調査では、高等学校十五時間、中学校十八時間強、それから小学校二十三時間強と、こういうことで、いつかこの数字を私がこの席で申し上げましたときに、勝又先生と粕谷先生が、ちょっとそれは違うんじゃないかと、もう少し多いんじゃないかというような、失礼ですけれども私語があったように記憶をしておるんで、私はそれは非常にやっぱり問題だと思うんです。問題だという言い方は失礼ですけれども、私どもか調査した実態と違う認識を持っておられるのかなと思いましたものですから、今度の悉皆調査に当たりましては、その点も全部もう一回調べてみようと、こういうことをやっておるわけでございます。そういうことと、それからやはり余裕があると申しますと、ひとつ僻地の学校、特に中学校などは免許外担当教科の問題がかなり大きな問題になっておりまして、現在許可教科ということで、免許状を持っておらないけれども、一年に限って免許外の教科を許可するという措置をとっておるものが、だんだん減ってまいりましたけれども、まだ四万件くらいあると、こういう実態は、一体小規模中学校の教員の配置をどういうふうに考えたらいいのかというような課題と直接つながりますので、その辺はやはり詳細に調べなきゃいかぬと、こういうようなことで、そういう点もいまの調査の課題にしておると、こういうことでございますので、どうしてもその悉皆調査の結果が出ますのは、十一月に入るということでございますので、五十四年度はそういうことで、児童、生徒の増に対応する教員増というようなものを中心に要求せざるを得ないと、こういう経緯になっておるわけでございます。
○勝又武一君 局長のおっしゃった受け持ち授業時間数につきましては、三月二十三日の文教委員会で、決して私語ではなくて、私がA県、B県ということで、具体的な事例を挙げて申し上げているわけですけれども、私たちは高校が十五時間、中学が十八時間、小学校が二十三時間と、とてもそんな実情でないということは重ね重ね申しておりますから、きょうは重複を避けます。そのことは触れるつもりはありませんが、その調査が完了しなければ、この五十四年度はできないんだというのはまさに詭弁でありまして、そうでないということを私たち事実として指摘をしているわけでありますから、さらにこの五十四年度から、学級編制の問題は別にしても、この受け持ち授業時間数を減少するため、そして自主的な研究時間が確保できるための定員増ということには、当然いまから、五十四年度から取り組むべきだということを重ねて強調しておきます。 そこで、きのうの大臣の記者クラブでの発言に関連をしてお聞きしますけれども、本年一年は見送っても、しっかりした計画をつくることが必要だというようにおっしゃっている、こう新聞にありました。きのうのことですから、けさの新聞を読んだだけでありますが、そこで、大臣は来年という年をどういう年だと思っていらっしゃるのか。つまり来年一年は見送っても構わないという中に、来年という年はどういう年なんでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) ひのえうまということを御指摘なんだろうと思います。
○勝又武一君 そこで、ひのえうまということを大臣はよく御存じでありますが、来年の一年生はまさにひのえうまの生まれの者であります。こういうことは外国にあるんでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 外国にはないだろうと思います。
○勝又武一君 そうすると、日本だけにある特殊的な状況というように考えてよろしゅうございますね。 そうしますと、ひのえうまというのは日本の教育史上いつだったんでしょうか。大臣にお聞きしているんです。日本の教育史上で、こういうひのえうまというのは、六十年に一回ですよね、申し上げるまでもなく。いつだったんでしょうか、それは。 言いたい意味はこういう意味なんですよ。元号の問題とも関連しますけれども、なかなかややこしいですね、大正、明治というのは。そこでそれが起きたときは、来年の中学一年生のような状況ではなくて、恐らく大正の初めぐらいの小学校、あるいは中学、そういうころじゃなかったんでしょうか。あえて元号を使いますけれども。
○国務大臣(砂田重民君) 六十年に一遍でございますから、そういう計算になろうかと思います。
○勝又武一君 そうしますと、そのころの小学校、そのころの旧制中学、あるいは女学校等々と来年の中学一年の状況とは、大変違うということはお感じになりますか。
○国務大臣(砂田重民君) 違っていると思います。
○勝又武一君 そうしますと、お聞きしたいのは、私の少し調べたところによりましても、来年度の中学一年生、つまりひのえうまの者は、約百五十四万、そしてことしの一年生か、これは概算数字ですが百六十六万、このくらいですね。そして、いまの五年生、つまりひのえうまの次の者はどのくらいかといいますと百八十三万、その次か百八十二万、その次か百八十七万、こうぐっとふえていくわけですね。 言いたい意味は、来年の中学一年、百五十四万に落ちる一年生というのは、来年だけのきわめて特異な、諸外国にもない、日本の教育史上にもなかった、そういう影響を及ぼすという意味でですね。そういう意味では、来年一年だけのことだと、こういうことを大臣は御存じだったんでしょうか。そして、そういうことが実は小学校ではなくて、中学一年生に起きる。つまり中学の問題として起きるということが、中学という教育の現場にどういう影響を及ぼすか、その実態は御存じだったんでしょうか、こうお聞きしているわけです。
○説明員(諸澤正道君) いまおっしゃるように、いまの小学校の六年生が、増加の傾向のカーブの中で、ちょこんとこう数万人減っておるという傾向にありますから、その年齢層が中学校へ入りますと、全体として中学校の一年から三年までの生徒数か、五十四年度はいままでに比してむしろ減の傾向にある、こういうことでございます。そこで、子供の減か実際の教員の増減にどういう影響を与えるかということが一つ条件の問題としてあるわけでございますが、その点は私どもも考慮に入れて考えておるつもりでございます。
○勝又武一君 新聞報道によりますと、小中学校の自然増八千七百四十人、こうあるわけですね。ところが、いま御指摘しましたように、当然小学校はもっとふえ、中学は減るわけでありますが、小学校か一万一千百五十六人、中学の減か二千四百十六人、こういうように大筋聞いておりますか、この数字には間違いございませんか。
○説明員(諸澤正道君) いまちょっとまとめた数字で、小学校の六年から中学へ行く場合には、私立の中学校に行く子供が若干おりますから、それは経験に照らしてどのくらいという判断をするわけですか、大まかに申しまして来年は中学校の生徒は七万六千七百人の減で、小学校の児童は四十九万人の増と、したがいまして、その差か教員にどういうふうに影響してくるか、こういうことになるかと思います。
○勝又武一君 私か挙げた数字は、文部省が概算要求をしました小・中学校の教員の自然増八千七百四十人、その内訳をお聞きしている。その数字に間違いがないかどうか。
○説明員(諸澤正道君) いまおっしゃったのは、八千百人の内訳でございますね。――今度の一万七百五十人というのか、五十四年度の小・中、盲・聾・養護学校全部を含めての教員の増の要求でございます。そのうちで八千百名というのか、小・中学校の教員の増と減とを差し引いた自然増の分でございます。もう少し内訳を申し上げますと、中学校で約二千五百人の減で、小学校で一万六百人の増、差し引きして八千百人と、こういうことになるわけでございます。
○勝又武一君 そうしますと、中学で約二千五百人の教員の減、そのことはそのままずっと続くんではなくて、きわめて特殊的なひのえうまという現象で中学一年で起きる、次の年には復活をする、こういうことが歴然としているわけですね。 そこで、大臣は来年度の一年ぐらいはいいんだということですが、私は、このこと一つを見ただけでも、当然やはり文部省としてはこのひのえうま対策というのを真剣に考えるべきじゃないか。小学校ならまだいいんですが、中学で起きている問題なんですね。中学校の先生をどうするんですか。一年どっかへ行って、また戻ってくる、この程度のことを、教育か重大だといういまの時期に、学級減と中学の減というのを、最低限度本年と同じにとどめる、このぐらいのことをやるのはむしろあたりまえじゃないか、こう思いますが、いかかでしょうか。
○説明員(諸澤正道君) 確かに、この小学校と中学校の教員の配置の問題というのは、常に子供の増減の傾向が小学校から始まって中学校へ行きますから、あるわけでございまして、この最も極端な例は、御存じと思いますけれども、四十四年から始まりました第二次の五ヵ年計画のときには、小、中合わせて――中学校だけでたしか子供が三百万ぐらい減っているんですね。したがって、毎年二、三十万の生徒減に対してどういうふうに対応するか、これは、先生かおっしゃるように、中は中だ、小は小だという厳然たるたてまえを必ずしもとっておりません。それは、現在の教員の養成の実態から見ましても、一人の先生が小学校と中学校の両方の免許状を持っておられるというケースもかなり多うございますし、やはり一面財政の問題もありますから、ある程度彼此融通してもらうという考え方でございます。 したがいまして、来年の場合を見ましても、第一原則はそれでまいります。そして、それでもなおかつ中学校の先生か本当に余るかというと、恐らくこれは余らぬだろうと思うんですけれども、もしそういう事態がさらに明確になりますれば、御承知のように、ことしも鹿児島や秋田でやりましたように、現定数の九八・五%を確保するという最低保障の考え方を取り入れてやるつもりでおりますから、実際に先生の生首を切るというようなことはどうしても防ぐ。しかし、そういうことじゃないんだと、もっと先生の質の確保という意味で考えろとおっしゃる趣旨かもしれませんけれども、それは私がいま申しましたように、現在の教員の免許の実態等から考えまして、人事を適切にやれば十分カバーできるんではないかというふうに考えておるわけでございます。
○勝又武一君 小学校、中学、高校の教員の人事交流については、むしろ私は積極的にやるべきだということを、これも再三の文教委員会で自論のように主張しております。ですからそれはそれでいいんですけれども、その問題とは違うんじゃないかと思うんです、このひのえうま対策の問題は。だから、当然ゆとりある教育の確保という点から、受け持ち授業時間数を減らしていくということとあわせて、非常に世界的にも例のないこういう問題なんですから、この五十四年度から長期計画を、学級編制の方は仮に別にしても、出発をしたらどうか、こういうように重ねて強調をしているわけです。 それから、もう一つひのえうまの問題で起きる問題に、養護教諭、事務職員の問題があると思います。すでに文部省の場合には関係がないというお話があるかもしれません。つまり、各県単位に文部省の場合には七五%という率で配当をいたしますから、学校の数が減らない限り文部省は構まわない、こうなると思いますが、さて各県段階で現実的に見てみますと、七五%でありますから、どうしても小規模学校に養護教諭、事務職員が配置をされていないという現実がある。そうすれば県の単位で、たとえば十学級以上の小学校には置くけれども、九学級以下は置かないとか、こういうことが起きているわけですね、現実の配置は。そうすると、たまたまそこのところは来年このひのえうま対策にぶつかる。ある中学で、ことしは十二学級だったから養護教諭がおりました、来年一年だけは二学級減るので養護教諭がなくなります、しかしもう一年たつとまたすぐ十二学級になります、こうなるわけですね。そして、そういう小規模校のあるところほど僻地であり、農山村でありますから、たまたまそこに一校しかないという場合があるわけです。そうすると、この養護教諭、事務職員の人事異動の問題が起きてまいります。すぐ隣の学校か大規模校で、かわれるというんならいいですけれども、大体二時間ぐらい通勤しなければ行き先のない、何というんでしょうか、十二学級以上の小学校や中学はない、みんな十学級以下のところだと、こういうことが現実起きているわけであります。こういう現実は各県段階の細かい話でありますから、文部省には関係ないと、こういうことかもしれません。しかし、現実そういうことが起きるわけでありますから、せめてこの各県段階でそういう小規模校に対しての、ひのえうまによって学級が減る小学校や中学について、特別の配慮を当然すべきだと、文部省の総数には私は余り関係ないと思います、強力にこれは文部省あたりでそういう意味を含めて、各県指導をすべきだと考えますけれども、この点はどうでしょう。
○説明員(諸澤正道君) ちょっと御質問の趣旨が的確につかめませんけれども、おっしゃるように、ひのえうまの年にぶつかって、一年生の学級が減る、したがって、従来九学級の中学校だったものが八学級になる、九学級だったら事務職員が一人配置になったけれども、八学級になれば減るんじゃないかというような御指摘と思いますけれども、いまもお話がございましたように、現在予算措置としては、小、中全学校数三万三千の四分の三に当たる学校には、養護教諭、事務職員が一名ずつ配置されるように定員措置をしてあるということでございますから、中学校全体の学級規模が総体的にひのえうまのために下がったとしても、その下がった学校一校とってみると、そのためにいままで事務職員なり、養護教諭が配置されておったのが引き揚げられるかというと、必ずしも県のやり方としてはそういうふうにはならないだろうと私は思うわけでございますが、むしろおっしゃることは、そういう小規模学校についての事務職員の配置等、あるいは人事等について、常に適切な配慮をしろというような御趣旨であれば、それは十分にいままでと同様指導してまいりたいと思うわけでございます。
○勝又武一君 これは全校配置になっていれば問題ないわけです。ですから、基本は養護教諭、事務職員を、これはもう再三強調しておりますが、どのような小規模校でも全校一名配置せよというのはもう当然であります。ですから、それはそのとおりなんですが、仮にそれかできない場合でも、私か指摘したようなことが県段階では起こり得るわけであります、養護教諭、事務職員について。ところが、文部省ではそのことは、総数では変わりないはずでありますから、そういうことが起きないように、ひとつ各県段階の指導を強力にすべきだ。仮にもしできないというような状態が起きましても、このひのえうまの中学の一年生の生徒減で減少する数などは、そう大した数になるはすがありませんので、その程度のことは当然文部省としても、何というんでしょうか、この配当に努力をすべきだというように思いますので、ぜひこの点は強力にお願いをしたいと思います。 それからもう一点は、特に小学校の一年生の場合ですね、これも僻地、農山村ほど多いのでありますが、一年生が六人、二年生が五人、一年生、二年生合わせると十一人になる。十二人以上になれば一年生も単式、つまり複式でしなくていいけれども、たまたま一名少ないばかりに、小学校一年生が六人で、二年生が五人という十一人の複式学級がされている現状があるわけですね。これは僻地教育連盟あたりからも公式の要請がございますし、私など農山村のそういう小さな小学校に行ったときに強く要請をされるのはこのことです。せめて小学校一年生だけは何としても複式をやめてほしいと。これはもう校長さん、教頭さん、一般教員を問わず、担当の教員を問わず大変強い要望、むしろ願望に近いようなものだというように思いますし、事実、そういう農山村へ行ってみると感じます。まして、いま小学校の一年生が長距離を通学してくるというような事例もなくはありませんね。学校の統廃合に伴って、統合しているんだから小学校の一年生がもう五、六人なんてばかな話ないじゃないかというけれども、実際、統合した学校へ行っても、そういう実例に私などぶつかります。この点は何か十一月までの実態調査を待たなければ手がつけられないんだなんという話ではない、まさに全くすぐわかる話だと思うんですけれども、この程度のことも大臣は踏み切られるお気持ちございませんか、その一年生の複式解消につきましてね。
○説明員(諸澤正道君) ちょっと私から事務的な考え方を申し上げますけれども、四十八年までの五ヵ年計画では、三個学年以上の複式学級があったわけでございますが、四十九年から複式学級も一、個学年どまり、そしてその基準も、従来は二個学年を一つの学級として教育する場合の最高の人数を二十二人としておったわけでございますか、現在は一年生を含まない場合は二十人、一年生を含む場合は十二人というふうに切り下げをしたわけでございます。 そこで、先生は一年生という児童の特殊事情にかんがみて、それをもっと改善できないかという御趣旨でございまして、その御趣旨とするところは十分理解できるわけでありますが、およそ複式学級のあり方をどうするか、いま申しましたように、二年以上の場合は二十人を最高とするということでありますので、その点についても御意見のあるところがございます。一方また、中学校の小規模学校でございますが、これは現在、三学級編成のところでたしか校長以外の教諭の数か五名と、四学級で七名でしたか、要するに、それについても現在の計画でそこまでいったわけですけれども、もう少し改善すべきだという御意見がございます。そういうことで、先生の御指摘の問題、もちろん重要な課題でありますけれども、私どもとしましてはやはり小学校、中学校通じて、そういう小規模学校の教員の配当基準はどうあるべきかという観点から同時に検討したい、こういうことでございますので、御指摘のように一つの事項だけ取り上げてやるということは、この際控えておくという事情にあるわけでございます。
○勝又武一君 一つだけは控えておきたいというお話で、十一月に調査が完了したらみんなまとまってやると、そうなるんでしょうか。どうも私にはそうは受け取れません。つまり、小学校一年生の複式の問題はいま言われたことではありません。もう恐らく長い間、こういうことだけはせめてまず優先的になくすべきだという指摘がされていると思うわけですね。時間がありませんから、きょう多くは触れませんけれども、たとえば中学校におけるいわゆる無免許運転という問題があります。この間もある僻地の農村の中学へ行きました。そこの地域は、これも御存じと思いますけれども、約七割が三十歳未満ですね。そこの町村合併された相当大きい程度の町村、そういうところでも、もうほとんど圧倒的に三十歳未満の教員が多い。そして現実はまさに無免許運転が横行しているわけですよね。体育の免許状の中学の教師が英語を二十一時間教えていると。こういうことはまさにざらにあるわけです。これは文部省が十一月までに調査をしなければわからないなんという問題ではないはずです。もう長く指摘をされているそういう問題について、どうなさるおつもりなんですか。それも全部十一月の調査か済まなければ、つまり五十四年度から着手かできない、そういう問題なんでしょうか。
○説明員(諸澤正道君) ただいまの無免許運転といいますか、免許教科外担任の問題ですけれども、これは一つには学級規模の問題がありますけれども、もう一つはやっぱり教員の採用、任命に当たっての教員構成の問題というのが私はあると思うんです。特に第一次ベビーブームの際に中学校に相当の教員を入れた、それが先ほどお話ししましたように、四十四年以降ずっと減ってきたというその過程で、やはり特定教科に偏ってしまっておるというようなことも事実としてはどうもあるようでございます。そこでいまの免許教科担任外の許可件数を見ましても、五十二年度はたしか四万数千件でございましたが、これ過去数年にさかのぼってみますと、五、六年前は七万件ぐらいになっているわけですね。そこである程度合理化といいますか、そういう努力があったことも事実でございます。そこで今回はそういった免許外教科担任の実態は何件ぐらいあるかということを見ますと同時に、やはり適正な教科担任教員の配置状況を調べるという意味で、それぞれの教科の担任の先生がどのくらい担任時間を持っておられるかという中学校、高等学校独自の問題もひとつ調査してみようということでございますので、いままでつかんだ大まかな調査ではなくして、やはりそういう実態をもう少しきめ細かに調べたところをもとにして検討してみたい、こういうふうに考えております。
○勝又武一君 きょうはこれだけが本論ではありませんし、時間の関係で教職員の定員問題については別の機会に十分議論を申し上げなくてはいけないと思いますか、きょう私かこのことを持ち出しましたのは、五十四年度の概算要求か十一月の調査を待たなければ出発しないんだと、五十四年度一年は見送って、五十五年度以降にするんだという発想があるからなんです。この点を二つの面から反論をしたわけですね。一つは調査が児童、生徒数等の調査ということであるならば、まさに世界でも例のないようなひのえうまの問題であるので、すぐだれでもわかることだから、これはすぐやれるんじゃないか、これか一点です。そして当然そういう対策を立てるべきだというのが私の主張です。 それからもう一つの、その他の問題が調査完了しなければできないんだというならば、むしろ調査を完了しなくても、再三言われている問題があるはずである。そのことで、たとえば小学校一年生の複式とか、中学の無免許の、免許外担当の問題とか、わかりやすい例を一、二挙げただけでありますが、これは例を挙げれば枚挙にいとまないくらい私は手をつける気になればあると思います。そういう意味で、ぜひひとつ、冒頭大臣は概算要求ですから後を見ててくれということでありますから、お手並みを拝見いたしますので、ぜひこの観点で五十四年度から長期定員増計画かできるように具体的な検討をお願いをしたいと思います。そういうことできょうのところは定員増の問題は打ち切りたいと思います。 そこで、その次の共通一次テストの問題であります。特に文部省が二次試験の実施方法につきまして、概況報告をされておりますし、これに基づきまして以下二、三お聞きをしたいと思います。 その第一は、共通一次テストの決定を見ました昨年度、つまり私などか国会に出る前の通常国会、参議院文教委員会における附帯決議の要望がどう実現されているか、つまり発表された二次試験の内容と関連をいたしまして、この参議院文教委員会における附帯決議の実現のされ方について、文部省としてどう思われておるか、大臣としてどう思われるかということであります。つまり附帯決議の中には、私はその当時おりませんでしたが、会議録を拝見いたしますと、特に要望事項の中で、一として、「予備選抜への利用は極力避け」る、二として、二次試験は「受験生の過重な負担とならない」、そのために「調査書の活用」と「学力検査の科目の減少」、三は、「受験生の第二志望をできるだけ生かす方途を」講ずる、四として、私立大学入試制度の改善と業者テストの弊害の除去、非常に重要な四点があると思いますが、これらのことが、いわゆる今回発表された二次試験の内容と関連して、どの程度この附帯決議か具現をされているというふうにお考えなんでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 御指摘の参議院の文教委員会での附帯決議の個々の項目について、共通一次テストが明年行われます第一回目の共通一次テストにどうおこたえをしているか、さらにこれからまだなお改善を続けていかなければならない問題点がどこにあるか等について、具体の例を大学局長からお答えをさせます。
○説明員(佐野文一郎君) 附帯決議の第一項が、御指摘のいわゆる「客観テストの短所・限界」の除去と「予備選抜への利用」回避、有効適切な利用という点でございます。この点につきましては、共通一次学力試験の問題作成に関しまして、大学入試センターが、これまで国大協が続けておりました調査研究を引き継ぎまして、専門的な研究を続けております。その結果、いわゆる客観テストではございますけれども、その短所、限界をできるだけ除去しようということで、相当の成果を上げております。この点は昨年十二月の試行テストの問題におきましても、その内容は関係者からおおむね適切であるという評価をいただいているところでございます。 さらに、各大学の入学者選抜におきまして、調査書を活用したり、あるいは第二次試験の工夫を行う、そういうことによりまして、共通一次の客観テストだけであるというその制約を補正をするという、そういう努力も行われているわけでございます。 二段階選抜の実施につきましては、昨年の七月時点では六十四校でございましたけれども、ことしの七月末に各大学が最終的に発表したところによりますと、五十二校に減少をしております。また、倍率を緩和した大学もございますし、各大学はやはり附帯決議、あるいは関係者の要望等を考慮して、十分な検討を行ってきたということはうかがうことかできると考えます。なお、二段階選抜それ自体を全く不適切なものとして廃止をするということは必ずしも考えておりません。これは二次試験の方で十分綿密な試験をやるということを工夫をする。そのために大学側が予備選抜を実施をしなければならないということはあり得ることではございますけれども、安易に二段階選抜を行うことのないように、さらに指導を続けてまいりますし、また今後実施の経験が重ねられてまいりますれば、志願者の動向が各大学によってよりはっきりつかむことができるようになりますので、それに伴って二段階選抜を取りやめる大学学部はさらにふえてくるということは十分に考えられるわけでございます。 それから、二次試験の内容が「受験生の過重の負担とならないよう」にという第二点でございますか、二次試験の学力検査につきましては、これを課さないとしている大学もかなりございます。また、教科科目の数も、国立大学が平均で二・九科目、国・公立大学が二・四科目ということで、これも従来からは相当の減少を見ております。昨年の七月と比較をいたしますと、この数はほとんど変わってはおりませんけれども、やはり大学においてその内容について検討したあとはうかがわれるわけでございます。 それから推薦入学の実施、あるいは実技検査、面接、小論文の実施につきましても、大学において積極的に検討をされて、面接、小論文についてはこれまでのあり方よりは大幅な増加を見ていることは御承知のとおりでございますし、全般的に見まして、それぞれの大学で新しい入学者選抜の実施に関して、趣旨を尊重をし、多角的な資料による綿密な選抜ということを考えて努力をしている、その場合に受験生の過重な負担にならないような努力をしているあとは認められるわけございます。これらの二次試験の科目の数、あるいは二段階選抜の問題については、昨年秋の国大協の総会におきましても、各大学で引き続いて検討をするということが確認されておりますので、文部省としても、さらに続けてこれが改善されますように、指導助言を重ねてまいりたいと考えております。 それから「二次志望をできるだけ生かす方途を考慮する」という点につきましては、御案内のように、すでに各大学におきまして、第二次募集を行うことができるという道を開いたわけでございます。五十四年度の入学者選抜におきましては、十八の大学がこの道を開いております。これも昨年の七月に比べますと、その数は増加をしているわけでございます。今後とも各大学に対して一期、二期の一元化が受験生に与える影響を緩和するという意味も含めまして、こういった第二次募集の実施についての検討を促してまいりたいと考えております。 それから四番目は、職業高校の卒業生が不利にならないような代替科目の設定や、推薦入学等の活用という点でございます。これは主として二次試験の段階で問題になることでございますけれども、職業高校の出身者のために、職業に関する基礎的基本的な科目を出題して、選択解答かできるように特に配慮することか望ましいということで、各大学を指導をしております。各大学が発表したところによりますと、職業科目の出題状況は十六大学二十一学部で行うことになっております。また推薦入学方式、これが職業高校の出身者の大学進学については非常に大きな意味を持ちますけれども、この点につきましても、大学の学部の特性、あるいは学科の特性に応じて、特に必要がある場合には、共通一次試験の免除も考えてよろしいということになっておりますし、五十四年度入試において推薦入学を実施する国・公立の大学は、五十二大学八十二学部という非常な数に上っております。この数も従来に比較すると大幅に増加をしているわけでございます。 さらに五番目に、「入試センターの運営については、高校関係者等広く世論が反映できるような組織を作る」。さらに入試センターと各大学の入試の自主体制を整備をするという点の御指摘かございますが、これについてはすでに大学入試センターに共通第一次学力試験等連絡協議会というものを昨年の十月一日に設けまして、数回の連絡協議を重ね、高等学校関係者等の意見を十分センターの運営に反映させるような努力をしているところでございます。入試センターについての整備については、共通一次の実施を控えまして、五十三年度において、人員、予算については十分な整備を行っておりますし、明年度も引き続いてその整備を図りたいと考えております。 それから「私立大学における入試制度の改善の努力を期待する」。さらに「予想される業者テスト等の弊害の除去に格段の努力を払え」という御指摘でございますけれども、私立大学の関係につきましては、私大の関係団体か現在共通一次試験への参加も含めまして、選抜方法の改善について検討をそれぞれされていると承知をしております。特に、私立の医科大学協会では共通一次への参加について、前向きに検討が進められております。五十四年から参加ということはスケジュール的に言って不可能でございますけれども、五十五年度入試からの参加を含めて、さらに関係の大学協会と相談を続けてまいりたいと考えております。 業者テストについては、関係者に対して注意を喚起することを重ねておりますけれども、残念なから率直に申しまして過熱の状況が見られることを大変遺憾に存じております。この点についてもさらに関係の業者等に、いたずらに競争を激化させたり、不安を醸し出したりすることのないように、協力を求めてまいりたいと考えております。 全体的に申しまして、やはり各大学それぞれこの附帯決議の趣旨に沿って努力をしている、もちろんまだ完全にそれか実現をされていると言えないものもございますけれども、その方向での努力が続けられているということは、私たちは十分に認めることができると考えております。
○勝又武一君 大学局長からお答えがありましたけれども、実はこの二次の発表に伴いまして、共通一次の果たすべき役割りが不明確になってきたんじゃないか。むしろ従来と比較して、改善されたという大きな特徴はなくなってきているんじゃないか、こういう指摘もございます。 そこで、私は受験生の立場で考えた場合に、共通一次で、たとえば二校平均で切る問題、あるいは一次の終わった後の正解例の発表とか、科目別平均点の発表とか、いろいろな対策がされておりますが、反面、共通一次を重視をするのか、二次を重視をするのか、こういう議論がございます。 それから、二次の中でも、足切りの問題、配点のウエート、面接、小論文、調査書の取り扱い、あるいはこういうことから起きる学校差、こういう点で、受験生の不安と動揺というのは、いままで以上に大きいのではないか、現時点では。このように思いますけれども、この点はいかがでしょうか。
○説明員(佐野文一郎君) 確かに最初の制度の切りかわりに際会をされる受験生、あるいはその御父兄等に不安があるということは否定できないと思います。その不安を除去するために必要なことは、できるだけ共通入試の趣旨というものを明らかにするということと、それからまた、共通入試の内容についてPRに努める。さらには、いま御指摘の共通入試についての科目別の平均点を含む結果を受験生に的確に情報として提供をして、それぞれの受験生が二次募集をするについての自己診断ができるようにするような配慮をする、いろいろなことが考えられるわけでございます。 これまで入試センター、文部省協力をいたしまして、各地区において説明会を開催をし、あるいは必要なPRのための資料等も準備をいたしまして、極力趣旨の徹底に努めてまいっているところでございます。 御指摘のように、共通一次学力試験と二次試験の配点の比率等の公表の問題は、これは各大学の自主性に任されておりますけれども、幾つかの大学で募集要項で記載をしたり、あるいは報道機関に公表をいたしたりしております。そういった形で、できるだけ共通一次、あるいは二次についての情報が受験生に提供されることは望ましいことでございますし、そういったことを含めて、われわれは御指摘のような受験生の不安というものが、不必要な形で大きくならないように、できる限りの努力をさらに続けてまいるつもりでございます。
○勝又武一君 時間がなくなってまいりましたので、端的に御指摘をしてまいりますが、確かにこの受験生の不安をなくすためには、公平に受験生に対する情報の提供、このことが非常に必要だと、ところが反面、これを受け持つのは大学入試センターの役割りなのか、あるいはこの受験産業に任せるのか、そうすれば受験産業を助長するということになるのではないか、あるいは受験者の立場に立ちまして、できるだけ親切にそういうことを公表していくということになれば、必然的に大学間の格差、高校間の格差の拡大とランクづけ、こういうことが当然起きてくる。つまりこの共通一次テストという問題がそういう二面性を含んでいるという、私はそういうように指摘せざるを得ないわけですね。ですから、どちらの立場に立っても、これはなかなかこの矛盾は解決できない。むしろ問題は、こういう形よりは、多様な入試方法や、多様な入学方法、こういうものがむしろあってもいいのじゃないのか、その方が矛盾や欠陥が少ないのじゃないか、こういうようにもあえて思いますけれども、この辺の見解はいかがでしょう。
○説明員(佐野文一郎君) 御指摘のように、共通入試の結果を各受験生個々人に知らせた方がいいという御意見も国会で幾たびか承っております。それに対して、そういった手段を現在の段階でとることは、それは結果として高校、あるいは大学の格差というものを非常に明らかにしたり、あるいはそれを助長したりする結果になるので、それは避けたい、しかし、そういうことにならないような形で、できるだけ受験生が一次、二次を通じて、自分の志望を明確に定める、ことができるように、共通一次の結果の公表については、科目別平均点を含めて努力をするということで、対応をこれまでしてきているわけでございます。とにかく最初の事柄でございますので、いろいろと今後実施をしていく段階で、改善をしていかなきゃならないことか多いということは、私たちも率直に考えているわけでございますけれども、入試センターを初め、各国立大学、公立大学、非常な熱意を持って、一致した意見のもとに努力をしておりますので、そうした努力を重ねながら、さまざまな御批判にこたえて内容を改善していく、そういうことができるだろうと思っております。
○勝又武一君 これはややお言葉を返しますけれども、足切り四百点未満ということを考える大学もあるわけですね。私はこれなどはまさに大学の格づけにならないのか、大学のランクづけにならないのかというように思います。こういうことも、たとえば三倍でやるところもあるし、四百点未満というような、こういう問題については、私は非常に重要な問題だと思います。時間がありませんから、これはむしろそういう課題として指摘しておきたいと思うのであります。 最後にお聞きしたいのは、私学の問題です。これは昨日の大臣の記者クラブでの話の中でも出ておりましたですね。ただ、当初文部省は、私学も共通一次に入ることか望ましいというようにおっしゃっていたと思いますが、私学が参加をされなかった、それはなぜなのか、私はむしろ現状では私学が参加しないのは当然ではないかというようにさえ思います。昨日、大臣は私学としての共通一次を考えてもらいたいと発言されているようでありますが、そうすれば私学の入試の改善になるのか、むしろ私は現状の国・公立の共通一次と同じように、受験者の負担の増大、競争の激化ということになるだけではないのかというように思います。文部省の発行されております文部統計要覧、この数字をちょっと計算しただけでも、国立の大学の入学者数を五十二年度で見ましても、国立か一八・三%、公立か二・五%、私立大学か七九・二一%、短大は私立か九三%、この全部短大のトータルした数字で申し上げますならば、まさに八三・四%がこの私学の入学者なんです。こういう状況にあります。とすれば、この国公立の共通一次という問題だけで、日本の大学の入試制度の改善ということにはまさにならない。私学の占めるウエートというのは大変大きいと思いますね。同時に、参加をされていない。大臣は私学としての共通一次を考えてもらいたいというようにおっしゃっていますか、私はそうではなくって、むしろ私学としての何というんでしょうか、歴史的な特徴、あるいは画一的でない伝統のある独自性、こういうものをこそ維持すべきであって、むしろやはり多様な入試方法や、多様な入学方法があっていいんじゃないのか、いまのような共通一次というのはそういう意味で非常に中途半端だ、むしろかつての進学適性検査、能研テスト、こういう場合の轍を踏むんじゃないのか、こういう心配もありますが、この点についての見解はいかがでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 大学入試の改善は、国・公・私立を通じたものとして考えていくべきはもちろんでございます。文部省としてもその方向で努力をしておりますけれども、大学の入学者選抜は、大学教育の第一歩として、大学のやはり自主性のもとに改善か図られるべきもの、それがもう基本であろうと思います。大学諸団体の自主的な検討によって前進を図ることといたしまして、当面大学側の意向のまとまりました国・公立について、五十四年度から共通の第一次学力試験を取り入れた入学者選抜方式を実施をするわけでございます。現在、私立大学の各団体におきまして、共通一次学力試験に参加することも含めて、選抜方法の改善について検討をしてくださっているところでございます、いろんな方法か考えられているでございましょうけれども、私立大学御自身で、別の共通一次入試というお考えの私立大学もあるようでございまして、国・公立の来年行われますあの方式に、五十五年度から参加しようという私立大学もまたございます。いろんな方法がございましょうけれども、その選び方によっては、高等学校の教育内容に非常に大きな影響も及ぼすことでもあり、それから受験の時期の選び方いかんによっては、かえって競争を激化ささせるおそれもなしといたしません。まだ私立のことにつきましては、その改善方法について、今後さらに努力をしてまいらなければなりませんし、私立大学側御自身に御努力を願わなきゃならないことでありますけれども、いずれにいたしましても、たとえば国・公立が来年の一月十三、十四に行います一回目のこのテストで、少なくとも難問、奇問の苦しさから高校生を解放する、しかし、私立の大学入試の選抜の方法が、依然として高等学校の授業内容を超えたような難問、奇問で苦しめるということであってはならないと私も考えますし、私立の側でもさようなお考えで目指しておりますので、なお、私どももその改善方をお願いする働きかけを努めてまいりますけれども、私学の側においても、なお一傍の御検討をお願いをしたい、かように考えているところでございます。
○勝又武一君 時間かなくなりましたので、要望だけして終わります。 一つは、いま中国からの留学生の問題かございますね。大臣もおっしゃっていました。いわゆる大学入試に二年足りないという、大学入学者の就業年限の問題。これは決して中国だけでなくって、イギリスの教育制度を見ても思いますね。ですから、イギリスなり、西欧の先進的な諸国、あるいは社会主義的な諸国の十一年制の義務教育、非常にこれはアメリカに学び過ぎたんじゃないか、むしろやっぱり日本の教育制度という問題を、そういう意味からいま見直すべきときだというふうに個人的に私は思います。そういう意味で、たとえば高校までの準義務教育だとか、そしてまた十一年制の義務教育、特にイギリスに学ぶ点とか、幾つかの課題があると思いますね。そういう意味でこの共通一次テストの実施だけでは、私は全く抜本的な改革になっていない。そういう意味ではこの学歴偏重による就職するため、立身出世のための大学入学から卒業資格の取得、こういうことを抜本的にやっぱり変えていかない限り、この共通一次テストというのは私は失敗に終わる、そういうように指摘せざるを得ません。 そういう意味で、特に前回からも言われておりますこの放送大学、一同時にまた、私たちが主張します勤労者の学ぶ夜間大学、そういう意味で、むしろ本当に学問をする者か、大学に進学をするという体制を、この学校教育と社会教育との相互乗り入れという観点から、社会人に開かれた大学にしていく、こういう観点も必要でしょうし、そういう意味でのむしろ大学の抜本的な改革を図っていかないと、大学はそのままで、共通一次だけを変えたらどうにかなるという問題じゃないと思いますので、この点を強く指摘をいたしまして、きょうの質問を終わります。
○矢原秀男君 最初に、八月の二十八日午後、日本記者クラブでの講演においての大臣発言についてお尋ねをいたします。 報道によりますと、二点が浮き彫りにされております。その大臣発言の第一点は、全部平等でなければいけないという戦後教育は、重大な間違いかあったと、教育基本法に基づいた戦後教育に否定的見解の表明をなされていることか一点。第二点は、教育勅語についても、勅語には人間として本来的に持つべき温かみ、連帯感か書かれてあるが、戦後教育では投げ捨てられたと、これを再評価する姿勢を明らかにしておる点でございます。まあ、現職の文相か公式の場で、戦後教育を正面から批判したのは初めてであると論評をされているわけでございます。この点についてお伺いをしたいと思いますが、まず教育勅語にもよいところがあると発言をされております。教育勅語の復活を思わせるようなことを言われているわけでございますが、先ほどから大臣は、教育勅語全体において評価しているのではなく、ある一部はよいところもあるという趣旨のようでございますけれども、いすれにしても教育勅語の復活を思わせ、軍国主義論者かと誤解を与えるような発言は、文教行政の中心者としてはなはだ軽率な発言であると私は考えるわけです。この点についての大臣の御見解をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 私はきのうの講演の中で、教育勅語復活論者ではありませんということを明確にお断りをいたしました。教育勅語の中に書かれております徳目、人間の情感、人間の連帯感、これらのことは、教育勅語の中に書かれておったことではあるけれども、今日もなおやはり青少年の好ましい、持っていてもらいたいやはり資質である。しかし、教育勅語は国会の意志によって明確に廃棄の処分をいたしましたことでもありますから、人間の情感、基本的な人間の倫理観、人間の持つべき連帯感、そのようなことは、やはり教育勅語とは別途に、教育の場に一つの指針として持っているべきではなかったかと、こういうことを発言をしたわけでございます。教育勅語復活論者では毛頭ないことを明確にお話をしたつもりでございましたけれども、何か教育勅語復活のように受け取られた、そのことを軽率な発言だという御指摘でございますか、私の発言内容に至りませんところがあったとすれば、それは私の軽率な点でございました。ただ、重ねて申し上げますけれども、教育勅語復活を考えているのでは毛頭ない、しかし教育勅語の中に現実に書かれている徳性のことについては、やはり教育勅語にかわって何かの教育の場にそれらの指針が必要であったのではないか。幸いにして現代の青少年か、文化、芸術、スポーツ等の活動を通じて、私どもだれしもか考える基本的な倫理観、基本的な情感、基本的な人間としての連帯感というものを、そういった文化活動、芸術活動、スポーツ活動を通じて会得していってくれておりますいまの状態は、幸せな事態でございますとお話をしたわけなのでございます。どうぞこの点を御理解をいただきたいと思うわけでございます。 それから、教育基本法に基づいての教育を私は絶対に否定をしておりません。むしろ、けさほど久保委員にもお答えをいたしましたか、憲法二十六条を受けての教育基本法というものを、まさしくこれを遵守していくべき責任が当然のこととして私にはあるわけでございますから、そして教育基本法の第三条に書かれておる、ひとしく能力に応じた教育を、そのことを文字どおりにひとつ進めていきたい、これが本当の教育のあり方ではないだろうかという講演をしたわけでございます、
○矢原秀男君 もとに戻りますけれども、教育勅語について断片的によいところがあるので、一部に教育の指針になるところかあるというふうな言い方は、私は大臣としては不見識ではないかなと思うわけです。それは、街頭の書籍に出ているいろいろのこと、いろんな文章や本にも、そういう言い方をすれば、よいところがあるのは当然でございます。それをあえて誤解を与え、議論を呼ぶことが目に見えていることを、御承知をされて発言をしておられるのではないか、こういうふうに私は感じるわけでございます。もしそうであるならば、別にあなたの御意図があって発言をされたのではないか、こういうふうに私は思うわけですけれども、大臣の基本的な姿勢にもかかわる問題でございますので、重ねてこの点についてお尋ねをしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 明確にお答えをいたしておきませんと、大臣の姿勢にも関するという御発言でございます。そのとおりでございます。私は教育勅語の問題と、いまの青少年か好ましく育っていってくれている実情とを完全に切り離してお話をしたつもりでございます。教育勅語というものか戦前の教育の中心に据えられてきたということは、これはもう歴史の物語るところであって、否定はできない戦前の話でございます。そうして、先ほどもお答えをいたしましたように、人間の倫理観であるとか、人間の情感であるとか、あるいは人間の連帯感であるとか、そういうことはむしろ教育勅語以前の問題であって、教育勅語か廃棄された今日でも、やはり教育の中心に据えられるべき問題だと私は認識をいたしておりますから、教育勅語を廃棄はしたけれども、大切なこういう人間の倫理観であるとか、人間の連帯感であるということか、一時期には考えられなかったほど青少年の生活にウェートを持ってきた、文化活動、芸術活動、スポーツ活動、これらを通じてこういう大切な、基本的な資質というものを青少年たちか身につけていてくれることはありがたいことである、こういうふうにお話をしたわけでありますから、どうぞさように御認識をいただきたいのでございます。
○矢原秀男君 では、もう一点の、戦後教育は重大な間違いで、また誤解を持ってスタートしたという認識のように私たちは受けとめたわけでございますが、それは能力に応じてという能力主義を忘れて、機会均等、平等主義偏重に陥ったこと、これは誤りであったとしている点をも私たちもいろいろと検討するわけですけれども、しかも、戦前の教育はよかったとされております。で、私は戦前の教育は完全な能力主義であったのかどうか、そういう点を考えますと、そうは思えない面も強くあったと思います。やはり経済的に恵まれているということが前提にあってのことだと認識もするわけでございます。戦前の教育の現実は不平等であった、反省しこれを是正する、改革するということで、戦後の平等主義は必要であったからそれを理念としてスタートしたと、こういうふうに私たちは考えるわけですけれども、ます大臣の見解ですね、この点をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 戦前の教育をすべて是正し、戦前の教育がすべてよかったと私は考えておりません。しかし、少なくとも戦争中にゆがめられた教育というものについては、深刻な反省を持って戦後の教育の再出発に取り組まなければならなかったことは、まさにそのとおりでございます。しかし、申しますならば、昭和十一、二年ごろでございましょうか、日本が支那事変に突入をした時期から終戦までの間、いろいろ教育がゆがめられていた、そのことについては深刻な反省をいたさなければなりませんけれども、明治の初めから明治の先輩が日本にしいてまいりました教育の制度、教育の内容をすべて否定するのも私は余り賛成できることではございません。やはり義務教育というものを日本でしいた、そして先進各国から先覚者と申しますか、いろんな学者を日本へ連れてきて、先進諸国の進んだ学問を吸収をしていった、この努力を明治の先輩がしてくださったことは、それはそれなりに私たちは感謝をするべきだ、このような考え方から、戦前の教育のあり方すべてを悪だとすることは間違いではないだろうかという発言をしたわけでございます。そのことと、戦後の憲法に書かれております教育に関する第二十六条、そしてそれを受けての教育基本法、それはそれなりに意義がある、そしてまた新憲法下において当然の機会均等、能力に応じてひとしく教育を受ける権利がある、そのことを憲法を受けて教育基本法では明確にしていることでございますから、そのことの意義は、私は明確に認識をいたすものでございます。
○矢原秀男君 まあ大臣の言葉じりをとらえて論議する考えはございませんけれども、大臣の言われている平等主義偏重ということは、どういう教育の現実をとらえて表現した言葉なのか、私はどうも不明なところがあるわけでございます。確かに憲法や教育基本法において、教育における自由と平等、教育の機会均等等か宣言されております。ところが、現実には平等主義偏重と言われるほど平等になっているのか、非常に疑問点もございます。経済的に恵まれていなければ進学できない問題も現在あります。そういう中で落ちこぼれの問題等々、現実には平等とはほど遠い状態もあるわけです。もっと教育現場を認識する必要が私は大臣にあるのではないか、そうして教師、親、行政及び地域の人々が、一体となって取り組んでいく重要な教育改革の視点というものが、私はまだまだあると思います。そういう意味で、午前中も大臣が第三条の教育の機会均等とおっしゃっておられましたが、私は昼からもう一度改めて、教育基本法というものを読み直してみました。最初の目的にいたしましても、「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力をまつべきものである。」と、こういうふうにうたい、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」、こういうふうに基本法には明記されている。そうして、第一条の「(教育の目的)」も、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ」と、こういうふうになりなから、第二条の「(教育の方針)」、そうして第三条の「(教育の機会均等)」、とくるわけです。そうなってくると、こういう疑問点をあなたかやはり出されたということは、私は、逆に言えば、文部大臣を中心とする、また戦後以来の政府、そうして文部行政の中でまず反省をしてもらわなくちゃいけない。そういうこともせずに、抽象的にいろんなところで感覚的に話が出てくる。もしそうであるならば私は大変だと思うわけです。そういう点、もう一度大臣の御見解をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 教育条件を整備することによって、真のゆとりある教育も確保ができ、教育基本法に言うところの教育の真の機会均等の確保ができる、当然のことでございます。 私どもは、先ほど矢原委員か御指摘になりました、経済的な環境に恵まれてなければ進学もままならない、そういう子弟をなくそうということから、奨学金制度等の充実にも努めてまいったところでございますけれども、もうすべてこれはでき上がっているというほど私は思い上がっておりません。まだ努力をしてまいらなければ、真の機会均等というものが実現できない。そういう反省の上に立ちつつ、話を申し上げたつもりでございます。教育条件の整備として、私どもが文部行政の立場として果たさなければならない責務についても、実は昨日も言及をしたところでございます。 ただ、言えますことは、教育の場における平等というのは何ぞやという議論がいままで余り行われてきておりませんでした。私は、一人一人の青少年、児童、生徒たちか顔か違うように、その資質も、性格も、進路も、希望も異なる。学校の学習だけで言えば、得意とする科目も、不得意とする科目も皆違う。そういう異なった態様を持っております子供たちに、すべて平等だということで、一定の決められた教育だけで対処をしてまいりますことは、非常に数学ができるけれども国語かできない、国語のおくれているところをつかまえて落ちこぼれだと決めつけられる、そのような風潮に実は身を切られる覚えかするわけであります。また、数学はおくれをとっているけれども、非常にすぐれた音楽的才能を持っている。そういう子供たちに対しても、数学かおくれをとっていることを理由に、落ちこぼれだというような烙印か押されがちないまの状態は、文部大臣として身を切られるような思いがいたしますだけに、教育の場における本当の平等の教育というものは、やはり個々の能力、個々に持っている特質を、個々に伸ばしてあげることか真の教育の平等ではないだろうか、この趣旨のことをお話をいたしたのでございまして、この点御理解をいただきたいと思うのでございます。
○矢原秀男君 先般も福田総理が、NHKの番組で三点にわたって御発言があったわけです。これは福田総理と文部大臣のあなたは、一つのレールの上での発言の前後、主と補完があったと、私はこういうふうに思うわけですので、総理発言について少しただしますけれども、総理にかわって大臣の御答弁を一、二お伺いいたしたいと思うわけです。 それは、福田総理は先般の番組で、一つは戦前の日本の教育の礼賛、二番目は競争は教育の源泉、三番目には英才教育の必要性を主張されたわけです。これは各方面でもいろいろと大きな話題になっております。 私は、この第一の戦前の教育の評価については、もちろんよい点もあったと思います。しかし、大きな欠点があったことは、いまさら言わなくても、国民の皆さんがすべて知っていらっしゃるわけです。命をかけて知っていらっしゃるわけです。しかるに今日の段階で、戦後の教育理念を否定するような形で、総理大臣が戦前の教育を礼賛する真意というものかどこにあるのか、その真意を疑わざるを得ないわけです。 それから第二には、教育における競争の強調に至っては、わが国の教育の現状、問題点を認識しているのか疑わざるを得ないわけです。わが国の教育の大きな問題は、学歴偏重社会のもとで、一点でもいい点を取り、有名大学に通ずる有名高校、有名高校に通ずる有名中学、塾通いやそうして記憶中心のガリ勉に血道を上げている受験体制、教育のゆがみでございます。そこでは競争心不在どころか、競争の過剰以外の何物でもございません。このことはある高校で、成績のよい生徒かけがをしたり、不慮の死を遂げたとき、競争相手が少なくなったと喜ぶ級友がいる。これは私もその学校の先生からじかに聞いております。したがって、今日の大人の責任というものは子供だけに強制をされているけれども、そうではございません。いま大人の社会というのは、実力や能力の主義よりも学歴主義、こういうことで過剰な競争というものを抑制し、すべての子供の個性を生かす人間重視の教育を実現することが、私は大事であろうかと思うわけです。しかるに総理か、受験戦争を助長するような発言をすることはまことに私は残念であると思います。 また、総理がしゃべっております第三の英才教育についても、その意味、内容が多岐的で不明確でございます。軽々しい発言はかえって教育界に混乱をもたらし、慎重な検討を要する問題であろうかと思います。しかるに慎重な検討を経ないで、このような軽率な発言は不穏当であるばかりでなく、また、ただいま申し上げたような現在の受験準備教育の過熱は、国民、特に一部の御父兄の中にも、エリート志向の強さ、これに基づくエリート校を頂点とする学校格差の存在に起因する、こういう教育のゆがみを助長するような発言は、私はまことに残念だと言わなければなりません。 こういうことで、いま三点総理の発言を申し上げたわけですけれども、文部大臣は午前中も、総理とこの問題について真偽をただしたと、こういうふうに御答弁をいただいたわけでございますか、もう一度総理の発言の真意かどこにあったのか、そういう点をお伺いをしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 第一番目に、戦前の教育の問題でございます。 いま矢原委員は、命をかけて戦ったという言葉を使われました。戦争中の教育のあり方についてであろうかと思います。総理が言われた戦前の教育、これは、総理は御自分の学生時分のことを振り返って楽しかりし、また、懸命に勉強をした学生時代の教育のことを言われたものと考えます。 それから、第二点の競争の点でございます。 現在の確かに日本の教育にかかわり合いのある競争、まさに受験地獄という名前で呼ばれる状態、何とかこの状態の改善をしなければならないのが文部大臣の重要な一つの責務でございます。学歴偏重社会、何大学と何大学と何大学にだけ入社試験を受けさせます、そのような指定校制度というような、学校を巣立つ若い世代の人たちに対する社会の、あるいは企業の受け入れ方の状態は、大変な誤りであると私は信じております。この学歴偏重社会を打破するために、経済界にも、私の前任者である海部文部大臣以来接触を持って、学歴偏重社会を打破する風潮をもっと高めようというお願いをしてまいっているところでございます。ことしの一月に文部省で調査をいたしましたところでは、五十二年度の新規大学卒業生に対比した場合、五十三年度の大学の新規卒業生に対しての企業の受け入れの姿勢か、ありがたいことに変わってまいりましたことか、調査結果判明してまいりました。当委員会でも御説明をしたことでございますけれども、この傾向をより強めるべくさらに努力をしてまいりたいと考えております。そうでなければ、いま矢原委員か御指摘になりましたような、栄利出世のためだけの競争、こういうことに陥ってしまういまの状態が、好ましい状態とは毛頭考えておりません。学歴偏重社会を打破し、大学の格差も解消する、それぞれの大学が特色ある大学に育っていくように、五十四年度予算においても、地方大学の充実に重点を置いた予算要求をしていく、このような総合的な努力を積み重ねていくことによって、正しい競争というものだけしか教育の場には残らない、こういうことを理想に掲げて努力してまいりたいと考えるわけでございます。正しい教育という、正しい競争というのは、まさに教育基本法の一条、二条に沿った人材に育っていっていただく、その競争のことをいうわけでございます。自分の栄利を達するための競争では決してない、総理が言われた正しい競争というものも、そのことを意味しているということを私総理に会って確認をしてまいったところでございます。 第三番目の英才教育の問題でありますけれども、この点についても、突然テレビで英才教育という言葉が飛び出しましたので、英才教育というものを私どもと違う考え方を持たれていたのでは困るところでありますから、それの確認に総理に会いまして、意見交換をしたわけでございます。総理のお考えも、個々の青少年たちが持っております、個々にすぐれた能力というものを、個々にできるだけ伸ばしていく教育、そのことを私が説明をいたしましたら、自分の言いたかったのもそのことなんだというお答えをいただきまして、意見の一致を見て帰ってまいったわけでございます。英才教育という言葉を使って表現をいたしますと、午前中もお話のございましたような、何かシステム化された、特別の人間に特別の教育を施すというふうに受け取られがちでございますが、総理の真意はそのようなシステム化された、特別の人間を特別の場所で特別に教育するということでは毛頭ございません。私どもが心かけております個々の青少年の異なって持っている能力をできるだけ伸ばしていく、こういう趣旨であったと御理解をいただきたいと思います。
○矢原秀男君 教育はすべての人間の成長。人類、社会、国家の存続、発展の基礎であり、すべての国民にかかわる問題であります。したがって、教育のあり方については、国民の合意に基づいて、長期的な観点からまた行わるべきでもあろうかと思います。それを一党一派の立場から、特に、私も文教委員として、またいろいろと議員として、長年市、県、国と携わっておりますけれども、一党一派の立場から行われてはならない。これはおわかりだろうと思いますけれども、そして、特に政治家の中でも一国の総理ともなれば、その与える影響から見て、教育問題に関する発言は慎重でなければなりません。国民の誤解を招き、教育の現状を混乱させるような、思いつき発言は厳に戒めなければなりません。総理は、今後このような思いつき発言は厳に戒めるとともに、その発言の真意を明らかにすると同時に、教育界に混乱を生じたことについては、私は一面では国民におわびをすべきではないかとも思うわけです。その点については文部大臣いかがでございますか。
○国務大臣(砂田重民君) 一国の行政を総括的に責任を持ちます総理でございますから、教育の問題についても積極的な発言をしていただくことか、私はむしろ望ましいと思います。しかし、それは軽率であってはなりません。きわめて慎重なものでなければならないことは、教育についての施策というものが、経済問題などと違って、非常に長い物差しで取り組まなければならない問題であるからでございます。 先般総理と懇談をしてまいりましたけれども、いろんな教育の問題について、さらに重ねて時間をとって総理とお目にかかることにいたしておりますので、その機会に矢原委員の御指摘になりましたような点をあわせて補佐をする責任もまた私にあるわけでございますから、進言をいたすこととしたいと思います。
○矢原秀男君 私たちは政府の教育に関する大きな役割りでお願いをしたいことは、具体的には教育条件を整備充実することですね、先ほども大臣かおっしゃっておられましたが、たとえば、学歴社会の改革であるとか、大学間の格差の是正とか、大学の教育研究条件の改善、入試制度の改革、いま取り組んでいらっしゃる、先ほども御質問ございましたが、教職員定数の改善とか、教育施設設備の整備等の課題に、やはり真剣に取り組んでいただきたいことが、大きなウエートを持つわけでございます。決して抽象的な思いつき発言をするとか、これは私は総理の仕事ではないと思っております。 また、国民の心、自由にかかわる教育問題についても、私は別な面から見れば、政府の関与というものも限界があって、政府だから何でもやってよいというのではないと思うわけです。こういう点は十分御認だろうと思いますけれども、お願いをしておきたいと思います。 では次に入ります。 養護学校の義務化の問題についてでございますが、いよいよ来年度から養護学校の義務化が発足することになるわけですが、施設設備の整備、教職員の確保等は万全なのだろうかと、非常に懸念をしているわけでございますが、この点についてお伺いをしたいと思います。
○説明員(諸澤正道君) 養護学校の学校自体の新設の問題でございますが、これは四十七年当時二百六十校余ございましたのを、五十四年当初までに五百校程度つくれば大体収用できるという計算でございましたけれど、その後もいろいろ検討してみますと、やはり学校の規模はむしろ小さくても、なるべく数を多くして、子供の通学の便、その他を考えた方がよろしくないかというようなことで、五十三年五月の現在で、すでに五百校近くできておりますが、さらに五十三年度中にもう百校程度は増設する、もちろんそれは全部新設ではございませんで、既存の児童福祉施設等に養護学校を併設と、こういうようなことをいたしますものも含めての計算でございますが、そういうことをやっておりまして、この八月の半ばぐらいまで各県の担当者を文部省に来ていただきまして、詳しく実情、あるいは計画等をお聞き取りしておるところでございます。それで、これに対応する教員の増の問題も、いまちょっと手元に資料は持ってございませんけれども、大体その新設に見合う分として、たしか四千名弱であったかと思いますが、教員の増員等を五十四年度の予算に要求をいたしておるということで、条件の整備には、そのほかいろいろございますけれども、ただいま御質問のあった点についてお答え申し上げますならば、そういうことでいま努力をしておる、こういうことでございます。
○矢原秀男君 先日、特殊教育に関する研究調査会から、軽度の心身障害児に対する学校教育のあり方と、精神薄弱者のための発達診断表について報告が行われておりますけれども、文部省として、これをどう受けとめ、今後行政指導にどう生かしていくのか、この点をお伺いいたします。
○説明員(諸澤正道君) この間の研究会の報告の扱いといたしましては、特に養護学校のうちでも精神薄弱児が一番対象児童生徒数としても数か多うございますし、教育の対応としても養護学校でやるのがいいのか、特殊学級でやるのか、普通学級の中で一般健常児と一緒に勉強させるのがいいのか、その辺の仕分けかむずかしいところでございます。 そこで現在の法制では、学校教育法の施行令において、そういう障害児の仕分けの基準を定めておりまするけれども、特にこの精神薄弱者の場合には、その基準かかなり抽象的でございまして、たとえば精神発達の遅滞の程度が非常におくれている者というようなことでは、具体的な目盛りになりにくいということでございますので、先般の研究会の報告によりますれば、それの発達診断の手引き、基準として、たとえば日常生活では衣服の着脱とか、食事とか、排せつとか、そういう行為、あるいは手の運動であるとか、身体全体の動きであるとか、そういうものかどの程度できるかということを、健常な子供と、それから障害のある子供と、同じ年齢段階でどのくらい違うかというようなことを一つの目盛りにして、それを尺度にして、いまの障害児の教育を考える場合に、どこで教育をしたらいいかという、その仕分けをする就学指導委員会等の仕分けの指導、ガイドラインにしようと、こういう趣旨でございまして、したがって、われわれとしては、あの報告を受けまして、近い機会にあれを各県の教育委員会等に流して、ひとつ十分参考にしていただこうと、こういうつもりでおります。
○矢原秀男君 障害児が就学すべき学校の決定については、子供の立場に立って障害の種類、程度を考え、専門家の入っている就学指導委員会で十分両親、学校側の意見を聞いてケース・バイ・ケースで判定すると、さきの国会で文部大臣の御発言かあったわけですけれども、非常に前進をしたと評価をされているわけでございます。しかし、市町村の現場においては、従来どおり基準の機械的適用によって選別が強制されるおそれがないとは言えない、そういう点もあるわけですけれども、文部大臣の御方針、こういう面については今後どういうふうにきめ細やかな御指導されるのか、お伺いしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 前国会でお答えをいたしました基本的な考え方にいささかも変わりはございません。養護学校は義務化されるわけでございますから、養護学校で障害を持っておられるお子様が就学してくださることか義務づけられている、それをやはり原則に踏まえてまいらなければなりません。しかし、それぞれの市町村において、それぞれの学校単位に市町村教育委員会等で判断をいただきますときには、いろいろな要件が、いまここで予測できないような、一般論的にはなかなかお話できないような各様の事情があろうかと思います。したがって、IQだけで決められておりましたような昭和三十八年通達、それだけではまことに不十分であって、大変機械的過ぎると思いましたので、ただいま初中局長がお答えいたしましたような資料を都道府県にお渡しをして、ああいう角度からも御検討をいただくことに相なるわけでございます。学校にも事情かございましょう、家庭にも事情がございましょうから、原則は原則として踏まえてまいらなければならないことは当然でありますけれども、ケース・バイ・ケースで市町村段階で就学指導委員会等の適切な御判断を期待をしているものでございます。
○矢原秀男君 適切な就学指導が行われるためには、やはり就学指導委員会の整備、充実か不可欠であろうかと思います。そこで、設置の現状と今後の充実策はどうするのか、その辺をお伺いしたいと思います。そして、補足といたしまして、親の意見や、不満を十分に聞くシステムをつくるべきと私たちは考えております。これは私も先般の文教委員のときにも御父兄の方といろいろまたお話もしてまいりましたけれども、いろいろ心配事があるようでございますが、こういう点もどのように配慮をするのか、そういう点お答えをお願いいたします。
○説明員(諸澤正道君) 就学指導委員会は、現在各都道府県の段階では全都道府県に設置が済みましたわけでございますが、市町村の設置率が、ことしの六月一日現在で八四%ということで、これはぜひこの秋までには残りの市町村も設置をしてもらいたいということを、先般来の教育長会議、指導課長会議等で強力にお願いをいたしておりますので、大体全市町村に設置される見込みでございます。そうしまして、この設置の基礎を、現在では就学指導委員会を運営するに必要な国か予算補助をいたしておりますので、その補助の条件として、市町村の場合は構成を大体十名、県の場合は十五名、そしてその中の構成員として専門の医者、それから学校の先生、それから社会福祉施設の職員と、こういうものを必ず入れるようにしてくださいということでやっておるわけでございまして、この人数と構成員の職業別というようなものは大体この線を踏襲して、今後より的確な人をそこへ入ってもらうように指導してまいりたいと、かように思っておるわけでございます。 そこで、お尋ねの、その際に父兄の要望、意見というものをどういうふうに書くかということでございますか、就学指導委員会はあくまでもその教育専門の立場において、このお子さんはどこで教育した方が最もよいかということを冷静、客観的に判断していただく場でございますが、もちろん教育のことでございますから、親あるいは肉親としてはぜひどうしたいという希望を持つ場合が多いわけでございますので、そういうものにつきましても、十分そういう機会に聞くという態度は、私は必要だろうと思うわけでございます。しかしながら、やはり最終的にどこで教育を受けるかという決定をする場合のそのポイントは、やはりその子供の教育にとって、どこで教育したら最もよろしいかということであり、またそれを受け入れる学校側においても、それを受け入れるに足る十分な条件が整っているかどうかということだろうと思いますので、その辺を十分に配慮していただくようにしたいと、かように考えております。
○矢原秀男君 その点よろしくお願いいたします。 じゃ、時間もございませんので、あと一点簡単に質問いたします。 幼稚園の経常費補助についてでございますけれども、補助の実情については、学校法人立と学校法人立以外とに分けて、法人数や補助金額について、まず簡単にお伺いをしたいと思います。
○説明員(三角哲生君) 私立幼稚園に対します補助の状況でございますが、昭和五十二年度について申し上げますと、学校法人立に対しましては、都道府県からの補助か総額で約二百三十億円になっておりまして、これに対します国庫補助額が五十一億五千九百万円でございます。それから、学校法人立以外の幼稚園に対して行われました都道府県の補助額の総額か約六十一億円でございまして、これに対します国庫補助額は十一億六千三百万円という数字になっております。
○矢原秀男君 学校法人立以外の幼稚園が、補助金の交付を受けるに当たっては、私立学校振興助成法附則第二条第五項の規定によって、五年以内に学校法人によって設置されるように措置する義務を負うことになると解釈されております。この点はいかがでございますか。
○説明員(三角哲生君) ただいまおっしゃられましたように、学校法人立以外の学校の設置者で、補助金の交付を受ける者は、私立学校振興助成法附則二条五項におきまして、補助金の交付を受けた翌年度の四月一日から起算して、五年以内に「学校法人によって設置されるように措置しなければならない。」というように規定が行われておるのでございます。
○矢原秀男君 そこで、補助金交付要綱の中の第四条の第一項には、学校法人化のための努力をする幼稚園を交付の対象にしているものと思われます。その学法化の努力の有無の判断をするために、交付対象の学法立以外の幼稚園の学校法人化の措置状況という報告書を文部大臣に報告をさせているわけでございますけれども、その状況はどういうふうになっているでしょうか。
○説明員(三角哲生君) 学校法人化の状況でございますが、昭和五十年度で申し上げますと六十八校、それから私学振興助成法かできました後の昭和五十一年度中には七十一校でございまして、さらに昭和五十二年度になりますと、この数が百六十校というふうになっておるのが実際の状況でございます。
○矢原秀男君 経常費助成費補助金の基本的事項についても、この補助金の性格については、助成法附則第二条第六項の規定によって学法化しなかった場合と、補助金について、補助金支給上、その運営のため、文部省、大蔵省、内閣法制局、衆参法制局の間で話し合われております。こういうふうな中で、学校法人立以外の私立幼稚園に対する経常費助成についても、都道府県私立学校主管部課長会議で、文部省の考え方を示されたものによりますと、学法化できなかった場合、補助金を返還させることができるかという問いに対して、経常費補助の目的から見て、補助金の返還を求めるべき性格のものでないと考える、こういうふうに示されております。そうしますと、補助をするに際して、学法化の条件をつけ返還をさせることはしないということになるわけですけれども、助成法の附則第二条第五項の解釈としては割り切れない点も残るわけでございます。そういう点をからめて今後どうされるのか、時間かございませんので、簡単に御答弁をお願いしたいと思います。
○説明員(三角哲生君) 国から都道府県に交付しておりますこの経常費助成費補助金の取り扱いにつきましては、いま申されましたように、私学振興助成法附則二条五項の規定かございますわけですので、この規定にかんがみまして、やはり学校法人化の努力を行う、そういう幼稚園に対して、都道府県が補助をいたします場合に、国から都道府県に補助をいたします場合の補助金の算定の基礎といたしましては、そういう学法化の努力をする幼稚園をその算定の基礎に置いてあるわけでございます。したがいまして、努力を行わないようになった場合でございますとか、あるいは法定の期間内に学校法人化ができなかったという場合には、そういった幼稚園は国庫補助金の算定の基礎から除外するという方針でございます。 なお、学校法人化できなかった場合でございましても、この補助金が、その目的といたしましては、教育条件の維持、向上でございますとか、それから間接的には、経済的な負担の軽減、あるいは幼稚園としての経営の健全性を高めるということを目的としたものでございまして、必ずしも学校法人化の推進を図るということのみを直接の目的とするものではございませんので、そういった園が出た場合でございましても、既往に都道府県に対して交付した補助金の返還をその都道府県に求めるという性格ではないというふうに解釈、判断をしておる次第でございます。
○矢原秀男君 時間ございませんので要望に終わりますけれども、せっかくの助成策も、五年間で学法化されてないために打ち切りとなるおそれもあるわけです。もちろんこの五年間という期間を延長すれば済むわけですけれども、五年間だけでも受けられるものは受けて、後はその時点で考えればという考え方もあろうかとは思いますけれども、まじめに学法化を考え、幼児教育に取り組んでいる幼稚園も多数あると考えます。そういうわけですから、文部省としては、今後も幼児教育の振興のために、学法立の幼稚園を主体に助成する方針とするなら、何らかの学法化のための助成というものも検討する必要かあろうかと思います。この点はどうか皆さんのところでよく御検討を重ねてやってみていただきたいと思います。 時間かございませんので要望で終わります。
○小巻敏雄君 大臣にお伺いをします。 ほかの議員からも先立って質問もあったわけですが、大臣か二十八日、日本記者クラブで行われた講演に関して一、二お伺いをするわけであります。 一つは、教育勅語に関する御発言内容でありますが、新聞記事の内容、あるいは先ほどからの答弁をお伺いしておった限りでは、教育勅語を今日の時点で、全部にしろ、一部にしろ、現実の教育行政に再び生かそう、復活しようという考えでないということはお伺いをしておるわけですけれども、この際よいところもあるというふうに報道されるような発言の趣旨については、今日問題になっております有事立法の問題とか、元号法制化の問題で国論を分かって議論のあるところでもあり、特に慎重な御答弁をお願いをしたいところであります。 よいところというのは、しばしば言われるわけでありますけれども、教育勅語の中で徳目、特に共感とか、連帯感、情感にあふれておる部分というのは一体どこを指して言われるのか。よいところもあると言われる以上、今日も復活を許してはならない悪いところがあるということは、盾の両面として発言をしておられるのでありましょうが、それは具体的に一体何を指すのか。その点を端的にお伺いをしてから質問に入りたいと思うわけです。
○国務大臣(砂田重民君) 「兄弟ニ友ニ夫婦相相シ朋友相信シ」、いまもやはり青少年に持ってもらいたい資質でございます。「兄弟ニ女ニ夫婦相和シ朋友相信シ」、という人間の情感、人間の連帯感というものか教育勅語の中にあって、戦前の教育の中心に据えられていたと私は昨日発言をいたしました。戦後の教育では――教育勅語を持ってくるとか持ってこないではないんです、これは明確にもう二十三年に国会意思で廃棄処分は終わっているわけであります。ですから、教育勅語を戦後の教育に持ってこようとか、そういうことではなくて、教育勅語の中に書かれているような、そういう人間の情感、人間の倫理観、人間の連帯感というものは、いまの青少年にも持ってもらいたい。それを戦後の教育のスタートのときには明確な指針として明示しなかったことはやはり残念なことであった。しかし、青少年の文化、芸術、スポーツに寄せられる関心、若い世代の人たちの生活の中に占めるこれらの比重というものがこれだけ重くなってきて、文化活動、芸術活動、スポーツ活動を通じてこれらの資質をいまの青少年たちは好ましく健全に会得していってくれているということをお話をしたわけでございます。
○小巻敏雄君 悪いところというのは一体それではどういう部分なのかという点にも触れていただきたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 悪い点について発言は一切昨日はいたしておりません。 ただ、先ほど私がお答えをいたしましたように、国会決議が二十三年に行われました。新憲法のもとであの教育勅語がそぐわないものであることは国会意思として明確になっているわけでございます。
○小巻敏雄君 教育勅語の問題については、すでに憲法が制定される国会の中においても、るる国会審議の中でも取り上げられたところであり、私はここでそれを繰り返そうとは思いませんけれども、しばしば現在の福田総理にしても、前田中総理にしても、教育勅語によいところがあったというふうに問題を取り上げられるわけです。その中身について言えば、よいところというのは、いわばこれは俗に言うこの「兄弟に女ニ夫婦相和シ」と。たとえば、ある国ではコーランの規定を実際の生活に対する法律でこの規制をしたり、さまざまなこういう道徳立法のごときものを持っておりますけれども、これはいわば行政行為、法律以前の一つの人類の到達をした人間のつながりというような部分を指して言われるのであって、この「兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」というのは、イギリスとははなはだ異なっておるとか、中国とは大いに違うとか、ソ連とは趣を異にするとかいうことではなくて、共通した部分だけを取り上げて、これがよい部分だというふうに言われる。その他の否定する部分については口をつぐんで言われないというのは、意図するところが別にあるのではなかろうかというふうにしばしば世論の指摘するところとなるわけであります。 ここで一つずつについて言えば、夫婦というのは相和するのが本性であり、朋友関係においてだけ対等平等で相信じるのか。一つずつやれば夫婦についても相信じ、相和し、相尊敬しなければならぬでありましょうけれども、こういったふうな問題は法律や行政行為の以前の問題として、個人の生活、あるいは家庭教育、その他のところにゆだねられるべきだというのが全般的な考え方ではなかろうか。特にこの問題が繰り返し取り上げられるというのは、今日の他の問題と相まって、時宜に適したものかどうかというのが非常に問題と感じるところであります。 あわせて申しますが、特にこの連帯感を養うこと、さまざまな徳を涵養すること、その基本問題については、教育基本法、また憲法前文でも触れておるところであります。何ゆえに、さきの久保委員等からも質問がございましたが、これらの人類普遍、一般的な、この挙げられたような部分が、教育勅語の見直しというようなニュアンスを持って語られなければならないか。この点が非常に私は政治的な響きを帯びてくるということを指摘しなければならぬと思います。 いま言われたような徳目、「兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」、必ず「克ク忠ニ克ク孝ニ」の部分を除いたところがら語り始められるわけでありますが、「朋友相信シ恭倹己レヲ持シ」「學ヲ修メ業ヲ習ヒ」、それらのところがら至って「一旦緩急」の前でとまるわけでありますけれども、こういう問題は日本独特の美徳であるのか。これこそ通常のいわゆる道徳であって、前文と後文と合わせてこれが意味を持つように仕組まれたものが教育勅語だと思うわけですけれども、その点はいかがでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) 私は、教育勅語を復活をして、教育勅語の中に書かれている人類普遍的な問題を、教育勅語を復活をしてどうこう教育の場に据えようとか、そういう議論を、そういう思想を持ってそういう議論をしたとすれば、小巻委員の御指摘のとおりの非難を受けて当然だと思います。しかし、そういう思想、そういう考え方を持ってそういう議論をしたのではないということを先ほどからお話をしていたわけでございます。 教育勅語は制定されてから日本の教育の中心に教育勅語が置かれていたという歴史的な事実、これはもうそういう歴史でございますから否定できないことであります。その事実を申し上げて、教育勅語の中に、これこれかくかくしかじかの人間の倫理観等を教育勅語によって戦前派の人間は教育を受けてきたという事実、そして、いまの青少年たちに対しては、そのような具体的な人間の倫理観であるとか、人間の連帯感であるとか、そういうことを具体的に指針として示してはいないけれども、文化活動、芸術活動、スポーツ活動を通じて、同じような人類普遍の望ましい資質をいまの青少年は身につけてくれているという話をしたわけであります。 ですから、冒頭にお答えいたしましたように、私が教育勅語を復活しようとか、あるいは教育勅語に対する郷愁からそのような発言をしたのであれば、小巻委員の御指摘のような非難を受けて当然だと思いますけれども、私の話はそういうことではなかったことを御理解をいただきたいと思います。
○小巻敏雄君 答弁はいただいておくことにしたいと思います。 文部大臣の発言は非常に近代という立場に立って貫いて発言されているというふうに認めるわけでありますけれども、それはタイムリーに、いわゆる英才教育論と、それから教育勅語の中の一部の有益な点の見直し論というふうに一部の人たちによって、また文章とは違うようなニュアンスで語られるのに符節を合わせて、その問題を重点として語られるところに、政治的な別途の色合いを帯びてくるということを再度私はここで御指摘をしておきたいと思うわけであります。いわば非常に復古的なニュアンスを帯びて語られた首相の発言、これを近代主義者の手でも肯定することができるというふうに裏づけをされるというふうな全体効果になってくるということを、よくお考えをいただきたいと思うわけであります。 続いてもう一つの問題ですね。新聞等の記事でも、戦後教育の出発点に誤りかあったのではないかと、平等を偏重して、そして特質を見抜いて伸ばすという、そういう能力を伸長させる教育に欠ける点かあったのが、わが国の持っておる教育の性格だというふうに語られたことになっておりますけれども、それは詰めて言えばそういうことでよろしいわけですか。
○国務大臣(砂田重民君) 私はそう考えております。
○小巻敏雄君 私はその点、大臣、特に大臣就任後はよく教育関係の御勉強をされたと思うわけでありますけれども、戦後の教育改革の中心点と戦後教育史を一体どう見るかということは、今後の施策の上で非常に重要な問題だと思うわけであります。機会均等が一面的に重視をされて、そして能力発達に対する施策か立ちおくれた。本来矛盾対立するはずのないこの問題か、矛盾対立の関係として立ちあらわれてきたと言われる言い方は、私は正しくないというふうに思うわけであります。特に、教育基本法は、戦前決して取り上げられることのなかった個人能力の全面発達を保障することをうたっておるわけであります。あるいは憲法を受けて、それらのことを成文化しておるわけであります。教育基本法の前文には、「個人の尊厳を重んじ」、「個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」。普及徹底するのでありますから、機会均等の教育をしなければなりません。すべての者に対して一人一人の個性を伸ばす、それも能力に応じてでありますから、能力伸長を図る、個人の手を加えれば発展する能力を、教育の手を加えないことによって埋没させてはならないということが明記されておるわけであります。教育勅語には一言もさようなことは記述しておりません。教育の淵源は先祖から伝わったもので、それを発展させるために、それぞれ個人の美徳を発揮せよというふうになっておるのであって、個人に対する教育活動は国家目的に奉仕をするように仕組まれておるわけであります。その点か憲法、教育基本法では、国家と教育は個人の発展のためにある、一人一人の能力を発展させなさい。もし撫順炭鉱のように才能が露出をしておれば、掘ればよろしいのです。しかしながら、これが十メートル、百メートルと埋没をした能力というものは、手伝いをして、教育の手でボーリングをし、掘り起こさなければならぬ。そういう方法で組み立てて、一人ずつ、一人一人に行き届いた教育を行えというのか、これが憲法、教育基本法の趣旨でありますから、戦後これにへんぱな状況かあらわれたとすれば、機会均等を真に質的に保障することを怠ったか、もしくは、一人一人の能力に対して行き届いた行政の手だてを加えることを怠ったか、あるいは親の責任も、社会の責任もあるでしょうけれども、そういう問題になってくる。大臣かもし今日の病弊を画一的教育にあって、個性の伸長が妨げられておると見られるならば、これはまさしく今日までの学習指導要領と教育課程を編成をし、大綱を決めてきた文部省の今日までの行政の中にその反省点を求めなければならぬと思うわけですけれども、その点はどうでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) 教育基本法の掲げております問題点、基本点、小巻委員と全く同感でございます。したがって、私は教育基本法を昨日も否定をしたり、非難をしたり一つもしておりません。教育基本法に書かれておることを正確に読んで、教育基本法の目指すところを一〇〇%発揮できる教育を築き上げていきたいという趣旨のことを話したわけでございます。そうして、平等的な教育という名前のもとに、いわゆる通称落ちこぼれの生徒たちか厳存しているということ、この子供たちに少なくとも平等な平準的な線まで追いつかせるための教育工夫というものが、現場現場では先生方いろいろ御苦労しておられますけれども、それがまだ全うされていない。また、ある教科について非常な才能を持っております子供たちに対し、その才能をさらに伸ばしていくという教育工夫が不十分である。こういうことが教育の平等論という名前のもとに、個々の生徒の持っている、個々の才能を伸ばすことか欠けているいまの現状を、やはり教育基本法に書かれているとおりに、個々の才能を伸ばしていく、そういう教育にひとつ立ち返るべきだ、このように申したわけでございます。教育基本法に書かれております個々の才能を発掘をして伸ばしていく、このことか教育の真の目的だと私は信じておりますので、さような発言をしたわけでございます。
○小巻敏雄君 新聞記事の報道によれば、今日の平等主義的教育か画一のきらいかあって、よりすぐれた能力を持っておる者を足踏みをさせて、能力発展を阻んでおるかに見えるような記述もあり、それらの点については、若干午前中の答弁でも触れられたかと思うわけですか、今日の教育体制、これか個性発展を妨げておるその理由は画一教育にある、あるいは平等教育にあるというふうに、ここのところに中心的な原因を見出しておられるわけですか。
○国務大臣(砂田重民君) 小巻委員の御指摘、先ほどの御発言にもございましたけれども、画一的な教育というものが今日普遍的に存在している、その事実からは目をそらすわけにはまいらないと思います。現にいろんな御両親にお目にかかりましても、数学におくれをとっている、それを追いつかせるための指導がなかなか受けられない。また、うちの子供は大変数学ができるのだけれども、学校へ行って、もう先生の教えてくれることはみんなわかってしまって、学校かおもしろくない。学校全体がおもしろくないと言われる子供に悩んでいるという父兄もたくさんおられるのが現状でございます。こういうことであってはならない。ある教科についておくれをとっているお子さんも、ある教科について非常に進んだ才能を持っているお子さんも、両方ともが落ちこぼれになってしまう教育というものは許されるべきではない。まさに教育基本法に書かれている個々の能力を伸ばしていくことに、もっと努力をして取り組んでいくべきだ、こう私は考えておるわけであります。そういう状態が醸し出されたのは、文部省に責任がないと私はあえて申しておりません。そういったことの文部省として反省するべき点を反省したその反省の上に立って、学習指導要領の改定とも取り組んだわけでございます。
○小巻敏雄君 戦前に比較して、戦前の世界に冠たる教育というふうに表現をされる方もあるんでありますが、今日の段階では、今日の教育制度の中から、たとえばバイオリンのコンクールとか、あるいは独唱のコンクールとかいうので、国際舞台に出ても、高い成績をおさめる者ははるかに戦前の水準よりぬきんでておるのであって、さまざまな領域において、戦前と戦後は比較にならないほど多数の英才を生み出してきておるということも、また明白に現実に存在する事実だと思うわけであります。むしろ、今日の問題点、これらの英才がどこではぐくまれたのかと言えば、これはちょうど高村光雲の息子さんに高村光太郎さんがおられたように、家庭、そして社会、これらの中で、基礎の教育を受けた上に形成をしていくのであって、これらの天才教育というのを、学校教育の中に特別なコースで求めようとするのには、少なくとも義務制段階では無理があるのは、これはいわば論を待たないところであろうと思うわけであります。いま言われなければならぬことは、この画一主義というのが個性の伸長を阻む、これは確かに両面において生まれてきております。ある人にとっては、それは大臣がいま触れられたような点もあるかもしれません。一面では、学習指導要領も見直さなければならぬというほど、小学校段階で九々を覚えることに到達せずと、基本漢字を覚えることに小学校段階で到達せずというような子供たちが、従来考えていたよりもはるかに大規模に出現をしておる。これはむしろ、たてまえは機会均等、平等教育であるけれども、根強く戦後、たてまえと本音という姿で持ってこられた中教審答申等にも人材開発の方針等か出されて、いわば偏差植等によるこの成績別分類パターンに基づく画一教育というようなものか行われ、中心部分に対して、特に一九五〇年度末から六〇年度初めにかけて、いわゆる特急列車型の詰め込み教育をどっと持ち込んで、そうしてハイタレントには高い教育を、劣った者に対しては劣等な教育をという分類を試みようとした中で、いわゆる能力主義、これを形を変えて、形は平等主義、内容は能力主義というような変形を持ち込んできたところに、今日の荒廃かあり、まさにいまの行われておる教育課程の変更に基づく学習指導要領の、これの改定も、いわばUターンとかいうような表現で言われるほど、いわゆる誤った能力主義的な押しつけに対する是正行動としてあらわれていると、私はそのように理解しておるわけであります。ところが、この際に再び英才教育論を首相が唱えれば、それを別個のより近代的な形で、大臣か呼応するような姿で、問題の一部に焦点を当てて強調されるというのはいかかなものか。これは政治的にはコーラスのような姿になって、これはまあ総理の復古的なこの低音と、それから文相の近代的高音とかコーラスになって、やっぱり一つの誤った方向に導くというおそれを非常に強く感じるわけです。そういうような点については、一言御答弁を伺って、今後についてもまた継続をして、状況についてはお伺いをしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 復古的という言葉を使われましたけれども、私どもが考えておりますことは、復古的ではなくて一九八〇年代を目指して先取りをしたつもりでいるわけでございます。 私先ほども申し上げましたけれども、文部行政に反省するところはないかと問われれば、反省するところがございますと率直にお答えをするわけでございます。そして、その反省の上に立って、知育に偏重していた小・中学校の学習指導要領の改定もいたしました。いろいろなねらいかございましたけれども、基礎、基本を反復してでも理解をしてもらう。暗記力を頼って、ただ知識量ばかりを望んでいくのではない。子供たちに考える時間を提供する、子供たちみずからか考える時間を提供する。暗記ではなくて理解を求めていく。基礎、基本を繰り返していく。そのようなことを願って小・中学校の学習指導要領改定も作成をしたつもりでございます。 高等学校につきましても、この月末までには決定をしなければならないと考えておりまして、まあ各方面に御意見を伺っているところでございますけれども、やはりいま言われた、小巻委員もこれは御指摘になったことでございますけれども、個々に青少年たちが持っている、個々に異なった能力を、個々に発掘をし、それを伸ばしていく、そういう教育こそが真の教育だと、そう信じますがゆえに、いままでの高等学校の余りにも多かった知識量というものを改定をして、そのような個々の能力を伸ばしていく、その方針のもとの学習指導要領改定を高等学校においてもこの月末に決定を見たい、かように考えているところでございます。
○小巻敏雄君 私も今年たまたまヨーロッパの諸列国の教育事情を視察する機会を得て、何も外国の方が何もかも日本よりもよいというわけではありませんけれども、徹底をした到達主義、修得主義を伝統的に持っておるという点には、一定の感銘を受けてまいっておるわけです。これは別途の日の議題としたいと思うわけですか、特に小学校低学年――一年生、二年生を教育準備期間とし、その前の幼児教育の進展とともに、国が責任を持ってこの交流の教育研究をやっておるとか、あるいは一年生段階での落第というものを、まあフランスはフランス語テストを通じてやっておったようですけれども、これは現代的に手直しをするとしても、特にその中で家庭崩壊に基づく、形態的には精神障害者と同様な擬態をあらわしてくるような一つのグループの子供ですね、落ちこぼれの。こういう者に対して、特段に教育行政の側が責任を感じて処置を考慮しておる。日本の場合にはこれらの問題はすぐれた担任の指導力と、父母の理解というふうになりまして、家庭崩壊をした者などはやっぱり障害児などと同様に、ちょっとまあ系統的には手がついていないようなところがあったわけですけれども、こういったふうな問題もありました。こういう爛熟をした資本主義社会のもとに、これらの問題は必然出てくるわけでありますから、八〇年先取りと言われるならば、これらの点についても大いに今後とも御努力をいただきたいと思うところであります。まあそれについても、やはり一般紙等は常識的に判断をしておるのでありますから、この際記者会見の中で、教育勅語と英才教育に触れて、そして近代的考えを述べるというような点については今後再考をされてはいかがかと考えるわけであります。いかがでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) 今後も日本の歴史的な経過、事実はそのまま私は述べてまいろうと思います。そして私の考えが教育勅語復活を意図しておるのではないということも明確にきのう話したわけでございます。そのことを的確に報道をしていただいた紙面もありますし、そのことを報道してくださらない紙面もございます。しかしこういうことは、私か口にしたことは的確に報道していただけるように、これからも言葉を選んで、できるだけ丁寧に発言はしてまいろう、かように思うわけでございます。
○小巻敏雄君 本日は、もともとは国士舘大学の問題について、午前中は参考人に出頭を求め、そうして集中的に審議をするというような予定でございましたが、残念ながら柴田総長は、電話では声は聞こえても、学生の前に姿をあらわさない、学校に姿をあらわさない、杳として消息不明というような状況にあって、残念ながら国会で参考人の意見を聞くことができないというような状況でございますので、他日を期して、本日は二、三文部省関係で調査指導のされておるところでありますから、御質問をするわけであります。 特に大臣、局長、いままで大学当局と接触をされて、幾つかの指導のポイントについて語ってこられたわけでございますが、今日委員会か設置をされて、そうしてすでにこれについては問題対策委員会で第一次試案がまとまり、さらに検討中であるというふうに先ほどもお答えあったわけですが、当局並びにもう一面では学校の教員の代表者、粕谷助教授等にも面接をされ、さまざま事情聴取をされたやにも承っておりますので、それらの内容について、把握されておる今日の国士舘大学の現状について、簡潔にお答えをいただきたいと思うわけであります。
○説明員(佐野文一郎君) 現在までの国士舘の事態についての改善の状況を御報告を申し上げるのが適当かと存じますが、大学側から事情を聞いておりますところによりますと一教授会の問題につきましては政経学部、法学部とも六月の中旬に新しい学部長の選出が行われまして、それを大学側が認めて発令をいたしております。新しい学部長のもとで教授会も正常に運営されております。 それから、入試に関して問題があったわけでございますが、この点については、五十四年度の入学者選抜からは従来の特別合格の制度を廃止をする、それと同時に、従来の寄付金の納入を条件とした補欠合格もやめる、そういう方針を大学側は固めております。 さらに、中学校、高等学校の運営に関しましては、高等学校の教頭が辞任をし、教務部長等、校務分掌の担当者についても改めて選任する等の措置がとられております。 このほか、学内規程の整備、あるいは学生の暴力行為の根絶、その他の学内の運営の正常化のためのいろいろな問題につきましては、このための全学的な学内諸問題対策委員会が発足をして審議中であると。御指摘のように、昨日その第一次の対策試案が大学当局に提出をされたと聞いております。 私どもが承知をしております現在までの具体的に進んでおります状況は以上のとおりでございます。
○小巻敏雄君 いま教授会は六月中旬学部長選出によって正常運営に入ったというふうに報告があったわけです。この問題は、特に政経学部の問題は、国士舘大学の不正常の中核をなすものとして、文部省としては把握をしてこられたと思うわけですから、そのとおりに進んでおるなら、いわば一連の問題として、この合意書に基づく正常化委員会の審議も、これは健全に進むものではないかという期待を持つことができると思うのですけれども、正常化委員会の方は、いまその点では学内一致の体制で進んでおると考えてよろしいわけですか。いかがでしょう。
○説明員(佐野文一郎君) 現在の大学の学内諸問題対策委員会については、やはり全学的なものとして、大学全体のコンセンサスのもとに大学のあり方を改善をしようということで取り組んでおられる、そのように考えております。
○小巻敏雄君 学内諸問題対策委員会であります。正常化委員会と言うと何か怪しげなものと混同をいたすといけませんので、これは訂正をしておきます。 ところで、お伺いをするわけですが、教授会の健全運営といいますか、正常運営というのは、国士舘大学の正常化のかなめであるというふうに私も把握をしておりますし、これはもし教授会が長期にわたって不正常であるならば、これは大学としての資格を欠くということになるのではないかと思いますが、その点についてひとつ解釈をお伺いをしておきたい。特に、これは国立大学、私立大学を問わず、大学に関する法律では、教授会を置きこれが重要事項を審議するとなっておるわけであります。総長自身は、アメリカなどならアイゼンハワーが大学総長になられたり、それは別に学識経験高くなくても総長というのは存在できるが、大学が大学たるためには教授会が健常に機能しなければ、そこはもはや大学ではないと、これが日本の大学に関する法律の持つ性格であるというふうに考えますが、いかかでしょうか。
○説明員(佐野文一郎君) 私立大学の場合に、理事会と教学側とがどのようにうまく機能を調整をしていくかということは、国立大学の場合にない非常に重要な、しかもむずかしい課題でございますけれども、教学の組織が整うということが大学にとっては非常に大切なことであり、そのために教授会が正常に機能をするということが不可欠であるということは、御指摘のとおりでございます。
○小巻敏雄君 むしろ教学関係、教育関係としては、教授会は置かなければならないものになっており、それが法定されておる。理事会の方については、財団法人時代から学校法人になるまで、特段にこれは経営主体として、全学的に位置づけられておるというふうに私は把握をしておりますし、戦前にはなかった教授会の規定が戦後の法規で入れられたということは、教授会が健全に機能するということは、大学が大学たるかそうでないかの必須の条件である。これは法定事項であるというふうに考えますが、違いますか。
○説明員(佐野文一郎君) 御指摘のとおり、学校教育法に教授会の規定が設けられ、重要事項について審議をするということが定められているところでございます。
○小巻敏雄君 確かに国士舘大学政経学部の不正常な状況は、学部長の選出が原因であって、その結果、長期にわたって大学側が勝手に設けた教授会にかわるものというのが機能させられておって、不正常であった。これが、学部長が教授の合意によって選ばれて、健常化されたということはまことにおめでたいことでありますが、その中で、今日これが総長との関係で、この政経学部教授会は、総長がこれを認め、正しく運営されておるのかどうか。その点はどうですか。
○説明員(佐野文一郎君) 政経学部の学部長に一つきましては、法学部の学部長も同様でございますけれども、大学側はもちろん教授会の選考に従って、学部長をそれぞれ正規に発令をいたしております。したがって、大学の制度の中で位置づけられたものであることは間違いございませんけれども、ただ、たとえば正常化された後の政経学部の教授会が、従来から問題となっておりました三名の教授についての人事の問題を議論をいたしまして、それぞれ結論を得て学部長から学長あてに通知をし、必要な手続をとるように求めているけれども、まだ大学側から何らの措置がとられていないというような形で、教授会の活動と大学側の対応との間に、なおそごがある点があることは事実でございます。
○小巻敏雄君 私は、教授会が正常化いたしましたかということをお伺いしたのは、それらの問題が解決して、初めて教授会が正常化したと言い得るのだと思うからそういうふうにお伺いをしたわけであります。学部長が正常に選ばれましたかということをお伺いしたのではないのであります。部長一人で教授会と言うことはできないわけです、この点はね。教授会というのは教授の会でありますから、そして重要事項の中の最も中心的なものは人事問題だと。これはもうどこの大学でも当然であります。学部長、これも教授会の選んだ人事でありますが、これを大学当局が教授会と分離をして語られるというのも、私は奇異な感じがするのでありますけれども、大学側、あるいは総長が受け入れたと。しかしながら、教授会の行った人事としての三名の教授、これを除いたことに対して、教授会として教授と認め、教授会を開けばこれらの三名の方が出席をして、教授会を構成をして運営をするということについて、これに基づく事務上の措置をとらない。すでに三名の教授は教授会の人事によって、教授会のうちに加えられておるにもかかわらず、これを除籍したまま非常勤講師として事務的な処置をとらない。これでは国士舘大学の政経学部教授会は、いまなお正常化の過程にあると言うことはできても、この問題が双方の合意によって解決をしないのであれば、解決をしたのではないと、こう見なければならぬと思いますが、いかがでしょう。
○説明員(佐野文一郎君) 従来のいわゆる大学側の任命した教授会と、そうでない自主的な教授会とが二つあって、対立をしているというような状況が解消をされている、そういう意味では教授会のあり方というのは正常化をされているわけでございますが、御指摘のように、理事者側との間の関係というものが完全に整っていないという点に問題を残しているということは言えるわけでございます。なお、この三名の教官の点につきましては、大学側は現在その取り扱いを検討中であるというように私たちは聞いておりますけれども、これらについてはもともと学部の教授会か正常な状況になかったということから出てきた課題であり、正常化された学部の教授会において改めて検討をしてその措置を決めるということで、私たちも指導をしてきたものでございますし、そういった従来の経緯にかんがみまして、教授会の決定を尊重をして、早急に適切な措置をとってほしいというように大学側に要請をしているところでございます。
○小巻敏雄君 いまの答弁は、三名の教授を加えて、教授会が構成をされていると、これは不正常時代に分断をされておった双方が合体化し、一元化した今日段階での正常な教授会が定めたものである、当然これが総長もしくは当局に容認をされて、そうして事務上の措置もとられることによって正常化する、文部省としてはそれを希望し、指導しておると、こういうふうにお伺いしてよろしいわけですか。
○説明員(佐野文一郎君) 三者の教授のうち、一名の方については専任の教授、二名の方については従来の慣例に従って特任の教授ということで、教授会はこれを決議をいたしておりますので、それに従って大学側で措置をとられることが望ましいと考えております。
○小巻敏雄君 この問題については、合意によって措置がとられるならば、それは正常化することになると。いまなお私は、主として柴田梵天学長と教授会の間には正常化していない状況が残っておって、事務上の措置が怠られている、こういうような点十分に御指導いただきたいと思いますし、かような問題になりますと、何としても国会でこれだけ関心を持っております以上、総長自身がやはりここに出席をされて、それで総長みずからが所信を述べて正常化を図られることが、欠くことのできない問題ではなかろうかというふうに考える次第であります。 ここでさらにお伺いをするわけですが、総長は、学位問題はさておき、教授籍を持つ教授でありますか、それとも学者ではなくて経営者として、学問研究、教授会に参画をしない総長であるのか、それはどのように把握をしておられますか。
○説明員(佐野文一郎君) 政経学部の教授でもあると考えております。
○小巻敏雄君 私はこの状況についても文部省は御存じであったかと思うのですが、政経学部の教授会は、教授会であるかゆえに人事についてはこれは決定を行う権能を持っておるわけでありますか、政経学部教授としての柴田梵天氏は、その資格なしと認定をして、八月十八日に教授会から除籍をするという決定を行ったやに聞いておりますが、この点はいかがですか。
○説明員(佐野文一郎君) いわゆる正常化された後の教授会で審議をされた事柄の中に、柴田梵天氏は政経学部教授として不適格であるということを決めておられるということは承知をしております。
○小巻敏雄君 教授会で不適格と決めれば、だれかほかに適格と決めることのできる機関があるでしょうか。
○説明員(佐野文一郎君) もとより教官の人事については、教授会においてまず一義的に議論をされるべき事柄でございます。しかし、たとえば国立学校の教職員につきましては、教育公務員特例法におきまして、その身分保障について非常に慎重な手続が規定をされております。大学の教学の体制を整えていくという場合に、教官の身分というものは非常に重要な意味を持つものと考えます。したがって、もちろん国士舘大学の教授会も慎重な御審議を行った上で、このように御判断になったものと一応考えられますけれども、個々の教官の身分取り扱いを決めるについては、十分に慎重な手続を経る必要がある。それを欠くことによって、逆の意味でのまた問題か教育の体制として生ずるおそれがあると考えるわけでございます。
○小巻敏雄君 それは教官の身分の問題とか、学位の認定の問題とかいうのは、十分慎重に行われなければならぬものであります。社会でいろいろ言われたときには、疑問は起こるけれども、文部省としては、たとえば学位認定の問題については、これについてとやかく言う問題でないと言っていられるわけでありますから、これらの人事についての教授会の決定についても、まずは決定が正しいと見るのが、これが筋になるのじゃないでしょうか。
○説明員(佐野文一郎君) 政経学部教授会でこのような決議をされているということは、私たちも事実として認めるわけでございます。
○小巻敏雄君 すでに午前中からるる質問もあったところでございますから、本日はこれらの問題をもって、本問題については終了しておきたいと思うわけですけれども、すでに久保委員の方から要請もございましたか、この問題につきましてはすでに二回にわたって延期の要請があり、延期をして待てばいわば無期延期をされるという状況であります。当然参考人ですから、出頭するかしないかは本人の意思であります。しかしながら、国会の方としても目標を定めて、そして決定を行っているわけであります。だからだれから事情を聞くかは別として、どうしても一定期間のうちにこの問題について調査の目的を遂げる必要があり、参考人の意見を聞く必要があると思います。これは必ず、理事会でも諮ればよろしいかと思いますが、一定時期に、向こうの都合とこっちの都合がありますから、再度参考人出頭についてお願いをする。もし、大学の責任者の方から派遣をされることがなければ、当方で最も適任と考える人をこちらで選んで参考人出頭を求めるということは、次善の策としてまたやむを得ないと思うわけですけれども、その点について委員長よろしくお計らいを願いたいと思うわけであります。
○委員長(吉田実君) 午前中久保委員にお答え申し上げたとおりであります。御期待に沿うように努力いたします。
○小巻敏雄君 続いてお伺いをするわけであります。 すでに仙台に起こった地震に関連をして御質問を申し上げるわけであります。あの地震はだれも地震が来るとは予想しなかった場所にやってきたということでありますか、学校施設、学校教育にも大きな損害をもたらしているわけであります。私は災害委員もやっておりますので、地震の中で、特に大学について二回にわたって調査に参りまして、発生の事情と、その損害の模様と、復旧に対する見通し等を、いわば検分調査をしてきたわけですが、特にあの地盤の強いと言われた旧市内と、そして青葉城の方との中間の過程に新しく開発されたところに立地をした東北工業大学、この大学が非常に大きな損害を受けておるということも見てまいったわけであります。この大学は国庫補助も受けておりますか、比較的学生納付金も少なく、理工系としては熱心な堅実な経営をしておられるかのように見受けたわけでありますけれども、何分赤字の出やすい私学経営にとって、容易ならぬ災害であったというふうに思うわけです。この東北工業大学について被災状況、そして復旧の進捗状況等について御報告いただきたいと思います。
○説明員(三角哲生君) 東北工業大学におきましては、大学からの報告によりますと、宮城沖地震の結果としての被害といたしまして、建物関係、ほかに設備等の関係も含めまして、合計金額十二億七千七百万円の被害を生じておるのでございます。そういたしまして、これの復旧の計画でございますか、幾つかの建物のうち、いわゆる三号館と言っております建物は、かなりの被害をこうむっておりまして、いわば半壊ないしはそれに近い状況でございますので、これは全面的に建て直す必要があるという状況でございますが、また、そのほかの建物につきましては、それぞれの被害の状況に応じた修理、補修を必要とするということでございます。三号館の建物につきましては、とりあえずその建物が使用できませんので、そういう状況に対応いたしますために、仮設の建物を用意をいたすということを考えておるようでございまして、そのほかの部分につきましては、修復をいたしたいというのか大学の計画でございまして、五十三年度と五十二年度、ほぼ事業量、それから事業の計画の復旧のための金額にいたしまして、時間的な計画もございますので、半分半分ぐらいの割り振りで、二年間で修復を完成したいというのが学校の計画でございます。
○小巻敏雄君 私も見せてもらったのですが、あれだけの十勝沖地震の結果も見て、鉄筋として大丈夫という設計をされたところに、ああいうふうな激甚な地震がやってまいりまして、非常に大きな損害を受けておる。そこを見ればまさに激甚災害なわけですけれども、これに対する救助制度においては、公共事業の激甚災指定に連動しておるために、激甚災指定が受けられないというようなことを聞くわけですが、これに対して救済の道はないわけですか。どうでしょう。
○説明員(三角哲生君) 現在は、私立学校に対します激甚災害の指定につきましては、ただいま小巻委員申されましたように、公共事業の指定に連動しておりまして、これは公立学校時の被害の程度とも関連いたしておるわけでございます。これは従来私立学校に対しましては、一般的な災害復旧に関する補助制度かございませんことと、それから、これまでの状況では、一定地域内の学校の被害は公・私立を区別することなく、大体同じような態様になるということか予想されますために、公立学校の方法に準じて、激甚災害とするかどうかということを判断いたしておるものでございまして、したがいまして、学校としては、一つの同じような考え方に立ったシステムで指定の基準というものが考えられておるわけでございます。
○小巻敏雄君 救済も年々年を追いまして、集中して被害かあらわれたところに対しては、従来措置されなかったものか、改めて措置されるようになるどいうような状況で、昔に比べても施設、設備、営農施設等も含めて、すべてにわたって資本がかかっておりますから、前進をしてきておるわけです。ところが、この場合には、救済の道がこの面で出てこない、いかにも気の毒だと思うわけですけれども、私学の救助制度等について、何かしか改善をされると、改善の余地はないのか、激甚並みの対策を現実に、現状の法制度のもとででもしていくというような方法はないのか、その点について文部省は知恵を出されて、いろいろな措置をされるというようなことについてはいかかでしょう。
○説明員(三角哲生君) 今回の地震による被害でございますが、これはお話のように、学校関係としては、激甚災害にならなかったわけでございますか、たとえば特定の、ただいま問題になっております東北工業大学の例を見ましても、特定の学校について見ますと、これは相当重大な被害であるということは事実でございます。私ども文部省といたしましては、従来私立学校の災害復旧に関しましては、日本私学振興財団からの融資の援助を行ってまいりまして、災害の場合には一般の施設費の貸し付けよりも、より有利な条件での貸し付けを行ってきておるわけでございます。ただ、今回の被害か非常に甚大なものでございますし、また早くから関係学校法人、あるいは県当局、その他関係者からのいろいろな要請も出されていることにかんかみまして、文部省は私学振興財団と共同いたしまして、七月に現地の実地調査をいたしました。そういたしまして、その状況をよく把握いたしました結果として、私どもとしましては、できるだけ被害を受けた学校の復旧を速やかにしていただく、それによりまして、今後の教育の円滑な実施をできるだけ確保していきたいということで、特に今回につきまして、貸付条件について、通常の災害の復旧資金よりも有利な条件での特例措置を行いたいというふうに考えまして、目下関係当局とも協議をし、検討中でございます。
○小巻敏雄君 特別な措置を検討中ということですから、これができる限り現地の要請にこたえるような前進を期待するわけであります。特に先生方ともお目にかかったわけですか、実際借金ばかりではいかぬ、募金活動もやらなくちゃならぬとなると、やっぱり状況次第によってはボーナスも返上したり、研究条件をダウンさせたりというような点にもどうしても至ってくるわけですね。これらの点については、少なくとも学生は、二度と取り返しのつかない特定の就学年限がございますから、緊急にこれに措置ができるようにお願いをしたいわけであります。 続いてお伺いするわけですが、私学財団の融資、これについては激甚並みの適用というのができないのか。聞くところでは、激甚災並みになれば、貸付条件も五・二五%、五分余りの利息で二年据え置きの上二十三年払いだと、この程度の状況で被害の回復をこういう貸し付けでやることができれば、大変現地での復旧も速やかにいくだろうと思うんですが、いかがですか。
○説明員(三角哲生君) 先ほどお答え申し上げましたことも、いま小巻委員か仰せになりましたようなことでございまして、私ども有利な条件で目下検討中と申しましたのは、そのめどとして激甚災害の場合の条件を考えておるのでございます。
○小巻敏雄君 そうすると、五分二厘五毛と、二十三年払いという状況か、恩恵か及ぶように検討中ということですか。
○説明員(三角哲生君) さようでございます。
○小巻敏雄君 その融資枠の問題なんですか、七五%までは出せるとかいうふうに聞いておりますが、これは要求金額いっぱい認められるようになるのか、あるいは基準単価が当節大抵実勢単価と貸付基準単価か違って、四分の三借りられると思ったら、実額か半分にしかならなかったというようなことが起こりやすいわけです。こういったふうな点にも、まるまる借りられるものかどうか、その点はどうですか。
○説明員(三角哲生君) これにつきましては、それぞれの学校の御計画につきまして、私学振興財団が一々個別に検討して、できるだけの配慮かできるように考えていくべき事柄でございますが、いわゆる融資率につきましては、七五%以内ということになっておりますが、特定の学校法人が七五%以下を希望すれば、その希望の率でいたしますか、七五%の御希望かあれば、七五%を融資するというのか原則でございます。 それから、単価の問題でございますが、これは貸し付けに当たりましては、学校法人の実施単価を積算の根拠といたしておりますか、基準は国・公立学校の単価と同様の単価を使っておりまして、たとえば五十三年度におきましては、大学につきましては、一平方メートル当たり十二万二千九百円という額でございますか、ただ、状況によりまして、実施単価がこれを上国る必要があります場合には、一五%の範囲内で加算をするというような例外的な措置もとることかできるようにいたしております。そういったことにつきましては、私学振興財団の方でそれぞれの学校法人と十分に御相談の上、決めていただくということになろうと思います。
○小巻敏雄君 そうすると、一五%加算というようなことも含めて、大体実勢に見合うものになるだろうというふうに把握をしてよろしいわけですね。
○説明員(三角哲生君) 私どもとしては、実際の実施単価にこういった措置で十分に対応できるのではないかというふうに考えておる次第でございます。
○小巻敏雄君 どこの大学でもいま借金してない大学はないと思うわけですけれども、現在借金をしている上に新しい借金をしなければならぬという事情が起こってくるわけであります。しばしば農業災害その他の災害の際に、すでに貸し付けたものについて一定の猶予措置、あるいは免除措置を行って、そして復旧の手伝いをするということがあるわけですが、この大学も聞くところでは一年に五千万円ずつは返さなくちゃならぬような借金がすでに財団の方に対してあるようですが、これらについては猶予のような制度はないのか、猶予申請をすれば猶予してもらえるというような方向があるかどうか、いかがでしょう。
○説明員(三角哲生君) 学校法人からのいわゆる既往の貸付金に係る返済の猶予、または免除の申し出がございました場合には、当該学校法人の経営の状況から申しまして、債務の返済が非常に困難であるというふうに認められます場合には、貸し付け条件の変更等の措置をとる道は設けられております。 ただ、日本私学振興財団の貸付金は、もともと通常の貸付金に比べまして、かなり長期低利の有利な条件になっております上に、この財源の大部分が郵便貯金等の国民からお借りしているお金ということに依存しておりますので、こういった点の運用に関しましては、個々の学校法人の実態に広じまして、非常に慎重に、かつ例外的に行うというふうに考えておりまして、個々のケースに即応しまして検討をするということになっておる次第でございます。
○小巻敏雄君 ケース・バイ・ケースだけれども、そういう道はないとは言えない、道はあるということですね。 続いてお伺いしますが、ここで教育機器とか、教育研究の備品についてもかなり被害が出ておるわけですね。幾つかの振興の法律とか、一般助成費の中で、教育機器についても補助金があると思うのですが、これらについて災害にかかわっての助成の特別な措置、かさ上げというような方法はあるのかないのかどうか、その点のところをお伺いしておきたいと思います。
○説明員(三角哲生君) 備品につきましても、現在は日本私学振興財団の災害復旧資金の貸し付けの対象といたしておりまして、これにつきましても、先ほど御説明申し上げましたようなふうに、施設費と同じように、できれば有利な条件で対応できるように検討中でございます。
○小巻敏雄君 続いて、最後に障害児教育についてお伺いをしたいわけであります。 今般、学校教育法の施行令、施行規則の改正、また、学校保健法施行令、施行規則の改正によって、児童の就学前健康診断の問題、これについて改善措置を加えられたのは、私は従来から強く関係者の望んでおったところでありますので、どうしてもやらなければならないことである。前進措置だと考えておるわけであります。しかし、これはすべての子供にこれを行うわけであって、実際問題としては二ヵ月早められたとしても、たとえば東京等先進的な諸県は、聞くところでは七月くらいから実際に手をつけて、そうやっていかなければ、いわば書面審査とか、あるいは機械的措置、事務的操作ということになりやすいというような点で、なお不十分だというような意見もあるわけですけれども、これで大体具体的に目立った改善措置が見通されるのかどうか。これらの法改正に当たって、調査なり実態を見られたところでの状況をお伺いをしておきたいと思うわけであります。 それからもう一つは発達診断表の問題であります。この発達診断表というのは、すでに前国会の予算審議の中で、障害児教育についてお伺いをしておった際にも、触れておられたような点が具体化をされてきたとか思うわけでありますが、実際にこの報告書がなかなかすぐれた見識と見解に基づいて書かれておるのでありますけれども、どうかするとそれの最後の振り分けの一覧表だけが最大に関心を持たれ、新聞報道等でも、いわばこの報告の本文等についての記載よりは、診断表が特にクローズアップされるというようなきらいかあるわけであります。これらの問題について、特にこの診断表というのは、最後の付表の中で平均の項目を挙げて、関係の調査対象に対する平均を挙げて、この平均以上は特殊学級、それで平均以下は養護学校というような物差しとして提示されておるように思うわけですが、それはそういう趣旨なんですか。これらの点をお答えいただきたいと思います。
○説明員(諸澤正道君) 前段の、今回の政令改正によって、就学児の健康診断、及びそれに引き続く就学指導の時期を二月早めたわけでございます。従来は十二月一日現在で、十二月いっぱいに学籍簿をつくって、それから一月中に健康診断をして、一月の末までにどこの学校へ行くか決めなさいというのを、十月一日現在で、十月末までに学籍簿をつくって、十一月いっぱいかけて健康診断をして、十二月の末に特殊教育学級へ行く子供さんについては県に連絡をしなさい、こういう仕組みにしたわけで、おっしゃるように、これを医学的、あるいは教育的に見て、もっと前へ持っていって、長期的に観察、指導をして進学指導をすべきではないかというような意見もありましたことは、私も承知いたしております。しかしながら、事はやはり進学指導という行政事務の一面を持つわけでございますから、余り長期にやるといっても、実際問題としてそれがむずかしいというようなこともございまして、関係担当課長と県の課長等の意見も聞きました上で、まず二月先にすることによって、大体可能であろう、こういうことでございますので、このような改正に踏み切ったわけでございます。これで十分やってみまして、またどうしてもぐあいが悪いということがあれば、将来考えるといたしましても、さしあたっての発足としては、私はこれでやっていてよろしいのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。 それから、二番目の発達診断表の扱いの問題でございますが、これは確かにその調査会の報告の本文のところは、どちらかと言うときわめて各障害別の対応の仕方について、抽象的な書き方をいたしておりますので、一般にも一番最後にあります発達診断表というものに関心が集まり、新聞等ももっぱらこれを報道していただいたわけでありますが、この扱いにつきましては、これはあくまでも一つのガイドラインでございますから、私は指導のあり方としては、障害の程度を判別する第一の基準は、学校教育法施行令の二十二条にある抽象的な基準であり、それを受けまして、昭和三十七年に出しました判別基準の通知がございますが、それを引き続きもう少し内容を改正したらどうだろうかということで、いま検討をお願いいたしておりますか、それをさらに具体化した診断表が、この別表についておるものでございまして、そういう意味でこれは一つの参考として使っていただくということでございますから、これまたその専門の方にお聞きしますと、ここにあります発達の段階というのも、もちろん二百近い実際の事例を参考にしてやったものでありましょうけれども、やはりそれぞれの能力分野における発達の個人差というものか相当あるようでございますから、余りにこれを金科玉条的に扱いますと、また特定の部門で君はこういうことだからどうしても養護学校へ行け式の議論になりかねませんので、その辺は十分に弾力的な判断を持って利用していただくように、今後指導してまいりたい、こういうふうに考えるわけでございます。
○小巻敏雄君 弾力的にこれを見ながら指導をせよということですから、その限りでいただいておくわけでありますけれども、前回のこの種の質問に対して、文部大臣自身もこれらの問題は教育学、学問の課程でも発展土の問題であり、特に障害者を従来のように、原因か何によって起こるのか、また現状かどうかという一つの横断面といいますか、プロフィールを見て、固定的に考えるということであってはならないというふうな見方からすれば、これは非常に限定されて有効なものだと、そのことを承知をして、早期発見から早期治療とリハビリ教育を行っていく、これらの協力の中で、一つのプロフィールとして限定をされて位置づけるものだということが、しっかり明らかにされていく必要があるんではなかろうか、私もまあ十分にわかるわけではありませんけれども、数百人の子供のパターンをとって、それの平均というようなものでプロフィールを描くことか、学問的にどう位置づけられるのか、決して定まったものではないだろうと思うわけであります。もしこれが機械的に振り分けの道具に使われて、従来から間々あったように、法令の規定と、診断書などの調書と、これがいわばA、B振り分けの偏差値のように使われて、振り分けていくということになれば、従来の状況に若干の行政的振り分けの点で便宜は提供するにしても、根本問題の前進にはならない、こういうふうに思うわけですが、その点はどうでしょう。
○説明員(諸澤正道君) この特殊教育の中でも、どうも話をいろいろ聞きますと、特に精神薄弱者の場合の判断というのが非常に、個人的に幾つもの障害をあわせ持っている場合とか、あるいは障害の程度とか、判別しにくいケースがございますから、私はその点は今回のこの調査会の報告で、発達診断表をいただきまして、大分現場の方々もこれは非常に参考になるという御意見をいただいておりますので、ずいぶんと前進ではあろうと思いますけれども、先ほど申しましたように、こういうものを全くこれを物差しによってやりなさいということは、一面また問題があろうかと思います一ので、十分この個々のケースについて、やっぱり判断して、いただくという立場を一方には持ちなから、やっていただくように指導してまいりたいと思うわけでございます。
○小巻敏雄君 就学指導委員会の実力次第ということにもなるかもしれませんし、これを取り扱う地域行政の継ぎはぎいかんがこの結果を大きく左右をするだろうと思うわけです。その中で考えていく際に、従来からあった問題が、この問題によって必ずしも飛躍的に前進するものでないということは、十分見ておく必要があると、東京のように、すでに猶予、免除をほとんどなくして、重度の子供も収容をしておるところと、それから早期から、七月ぐらいから着手をされ、また幼児診断のデータも保健婦等から入手をして、一人ずつのヒストリーを握っておるようなところとそうでないところでは、ずいぶんと違ってくるのではないか、たとえば私大津市なんかのことも調べたのですけれども、こういう非常に高い水準にあるところでは、これらのものの利用は、この全体的な就学指導の一環として利用をされていくということはあるにいたしましても、依然として絶えざる問題がある。不十分なところでは、もっとこれらの問題に加えて、義務制実施のために、さまざまな手だてが必要だというふうに思うわけです。義務制実施に備えて、養護学校の建物を建てるということと、法令制度上の措置は大体これをもって終わるわけですか、どうなんでしょう。
○説明員(諸澤正道君) 法令上の措置としましては、いまの健康診断の問題それから現在小・中学校に入っております障害児の経過的扱い問題を、学校教育法の施行令を直しまして、これをもって一応終わりといたしまして、なお、学校の施設の整備については、五十三年度中に十分な施設をつくるように最後まで指導してまいりたい、かように考えております。
○小巻敏雄君 前回の予算委員会の際に御質問申し上げた点を重ねて聞くことになりますが、私はこれでは非常に不十分なのではないか、特にいまの養護義務化に伴う中央政府の行り措置としては、養護実施に至るまでの過程において、現状のままでこの措置をもってそのまま義務制実施を迎えることではまことに不十分な状況ではなかろうかと思うわけです。その一つの大きな要素は、絶えざる現場の関係者たちの努力と学問的な進歩発達、国際的にも高い水準になってきておりますから、そういう状況の中で大きく前進をしておることは事実なんですけれども、地域の格差、行政力の強弱、これらによって、かなり大きなギャップが全国四十七都道府県をながめていくならば存在をしている。少なくとも一定の到達水準を政府で把握をして、急速に後進地域をそこへ引き上げるということのためには、さらに法令上の措置通達の手直し、そして具体的な行政指導、あるいは厚生省との連絡機関の強化といったふうな点で、多くの施策が必要ではなかろうか。これをいわば建物と物差しの若干の強化、まあ建物の方は飛躍的強化と言っておきましょうか、建物については飛躍的強化かございますけれども、これらの法制上の指導については一定の手直しで、いわば地方公共団体の善意による到達待ちというような状況に置かれていくのではなかろうか。 特に、私はここで申し上げたいのは、この際に非常におくれた状況を反映をしてつくられているあの通達ですね、昭和三十七年ですか、そういったふうな問題について全面の再検討、見直しをされる必要があるのじゃなかろうかと思います。 特に、問題の中心は、この就学猶予、免除の問題にある。今度出されたものは軽度の措置についてだけで、特に一番問題のところについてだけいわばこう薬張りのようにやっぱり出されているということは言える。普通校に就学させるか、養護学校へ行かされるかという点で、部分的には父母にパニック状況がある。それに備えるような姿で、一つの措置が出されておるけれども、就学猶予、免除を行うのか、あるいはこれを行政上の措置を行って就学をさせるのかというような点について大きな進歩があるにもかかわらず、それに対する通達は従来どおりのままで迎えてよろしいのか、こういうような点については検討されなかったわけですか。どうでしょう。
○説明員(諸澤正道君) おっしゃるように、この就学指導というものは法令の扱いというよりも、事実上どういうふうにきめ細かく指導していくかということは、これは非常に大切なことと思うわけでございまして、そういう意味でいま御指摘の三十七年十月の通達も少し手直しをして、もう少しわかりいいものにできないだろうかというようなことで、いま検討いたしているわけでございます。そして、事実就学指導の問題として、できるだけ学問的な指導をするということになりますと、いまの就学指導委員会の充実強化ということもございますし、厚生省関係でやっております三歳児の健康診断、こういうようなものも、その資料として利用できる場合には使って、言ってみれば、長期間の検討の結果をもとに判断をするというようなことも一つの方法だと思い、そういう協力関係というものも一層奨励してまいりたいと思うわけでございます。 そして、その猶予、免除の問題でございますが、これは先般来も御説明申し上げておりますように、特に精薄、病、虚弱者を中心にしまして、重度障害、あるいは重複障害の子供で、とても学校には行けないというような子供さんにつきましても、生命の維持が第一というようなものでない場合には、病院なり、自宅において訪問指導を受けさせる、こういうようなことで、訪問指導の制度というものを逐次拡張してまいってきておるわけでございますから、その辺の扱いの目安というようなものも、いまの三十七年通達の改正に際しましては、ひとつ取り込んでみたい、こういうふうに考えております。
○小巻敏雄君 前にも指摘したわけですけれども、猶予、免除の対象は、決してもし学校に来させたら身体、生命に危険かあるとか、そういうことではなくて、受ける側の学校か扱いかねるというような未発達の状況のもとに、精神障害者なら中度の中の扱いにくいものと、重度はすべて猶予、免除してよろしいということで、行政指導を行って、因果を含めて、いわば免除申請を出させておったわけですから、現実にはもう東京を初め、これらの子供はずっと就学させるところまで発展してきておるのでありますから、やはりこれも中度の一部を含んで、重度は原則的には就学猶予、免除と読めるような通達は、今日の段階で例外的規定の中に、身体、生命に危険のある者は、県段階ぐらいの承認を受けて猶予、免除できるとか、本当に父母との間に十分なコンセンサスか得られるようにするとかといったふうな、今日の状況を反映したものにされるべきではないか、このことが一つであり、大臣みずからも白痴と魯鈍と痴愚というようなことで線を引いて、そしていわば子供についてヒストリーも知らずに、書面審査をして、そして振り分けるというようなあり方、親の方は運命としてこれを受け入れるというようなあり方、これこそ非能力開発の典型ですからね。こういったふうな問題については、少なくとも今日時点では見直す必要があるのではないか。まあ大臣も問題意識を持たれたようですし、しかしこれがそのままで義務化に移行していく。これと符節を合わせるように、就学指導の問題があるわけであります。今日の状況では就学指導委員会か置かれたと言いましても、行管庁の調査の中でも非常に未熟なものだ。先進的なところでは一定の実力を備えておるにしても、これは非常に不十分なものかある。必ずこういう状況の中では、法令、規定をよりどころにして、診断書とか、その他の調書を道具に使って、そして事務的操作で機械的に振り分けるということが、かなりの地域で出てくるのではなかろうか。恐らく先進的な地域ではこんなにしつこく言わなくても、まあ父母も、障害児の子供を抱えているだけで、子供のため自殺するぐらい一生懸命になっているんですから、正しい接触があれば必ずいい解決が行われる。親権と行政権とどっちか強いかというふうな矛盾は出てこないと思うんですよ。ところが、必ずしもそういう状況にない。ここのところに非常におくれた、通達を残したままで進んでいくということは、せっかくのいま進行しつつある状態の中で、非常におくれた要素になると、私はそう思うわけです。基本的に猶予、免除児はゼロとすると、しかし例外的に免除等かあらわれるのは、本当に例外規定ぐらいで、分類の中から外れてしかるべきじゃなかろ、うかというのが、まあ学者でもそう見るでしょうし、担当者の考え方も。すでに大津市で――私は資料手にして行ったのですけれども、前年から就学猶予、免除はゼロになったということを、行政の方は喜びを持って市民に広報しているわけですね。大津でできて、ほかでできぬということはないと思うんです、このことは。しかしながら、政府では大幅に障害児の、中度も含めて、猶予、免除の道を残した従来型の通達を是正しない。そのこととかかわって、今度の就学指導についても、せっかくの今回の辻村さんの出された診断表か、限定づきのものか万能薬のようなだんびらとして作用するおそれか残っておる。まあ時間もございませんから、この点については続いていろいろお伺いしたい点があるわけです。しかしながら、この通達の見直しについては、ぜひともお考えを願いたいと思うわけですが、大臣いかかでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) 今回の法令の改正や発達診断表を都道府県、市町村に示しまして、これか弾力的に運用されてまいりますことによって、準備は一段と進んだということは言えると思います。ただ、御指摘のような点もまさにあることでございます。しかし、大津市でできたからほかでもできるということも、またこれは簡単には済まないと思うんです。やはりその子供さんの体のことを考えなければ、生命に危険を及ぼすような状態、無理に就学免除を、行政の場の何か点数かせぎのようなことに使うことは許されません。やはりそのお子さんの立場に立って私は事は判断をするべきだと思います。そして、そのようなことも残されておりますので、三十七年の判別基準の通達等、これをできるだけ早い時期に改正をしようと手がけているところでございます。
○小巻敏雄君 まあ時間か来ておりますから終わりたいと思うんですが、大臣のできるだけ早い機会に再検討をすると言われた点を、しっかり実行していただきたいと思うわけです。部分的ではあれ、たとえば養護学校に行くのか、普通学校に行くのかというのは、子供の一生を左右するような問題かあります、盲、聾の場合にでも。いまのところ障害児学校に行けば、普通の教学のカリキュラムに従って教育を受けることはできないわけですね。理科は除外をして、かわりに生活科というようなのかつけ加えられておって、大体これは固定をして、将来的に精神的な発達が、少年期から青年期ぐらいでとまると見て、社会人として耐えられないものとしてのカリキュラムが組まれておることも事実であります。それが適切な子供もあるでしょうけれども、やっぱり子供のときから早期に発見をされ、境遇もよく、そういう状況の中で克服をして、機械的判断を行えば養護学校の該当になるけれども、あるいは盲、聾学校の該当になるけれども、まあ普通学校に入れて、将来的には伸びるというような子供は、学者の研究例でも、実践例でもたくさん出ておるわけであります。まあすでに、一部私立高校等を通じて、盲人の大学入学者等もあらわれているようなことを考えるならば、この点については新しく発展をした状況に即応して、どうしてもこれはもう作業時間の問題であって、理念的には当然到達していなけりゃならぬのではなかろうか。これはまあきょうは取り上げることはできませんでしたけれども、就学前の厚生省関係と文部省関係の系統的な措置、これも先進的な行政の中ではうまく現地の努力によって行われておりますけれども、必ずやっていただく必要がある。 私は、これはたまたま東ドイツの方で、障害児の問題で端的に聞いたわけですけれども、全障害児のリストを把握しておりますと胸張って言いますね。日本の場合には、研究も対応も部分的にはすぐれて、それぞれは相当のレベルに達しておるのに、それでは大津市で、この就学時の子供の、すべての子供をいつから把握しておりましたといえば、幼児健診のときから就学前健診のときまでは断絶をしておるわけですね。部分的に、幸い幼児教育に就園できた子供と、追跡調査でいく部分については保健婦等の連絡で握っております。これかあるかないかかかなめになるわけであります。こういった裏づけをつけていくことが、これか幼児教育の問題も含めて、障害児の義務化の問題であると考えます。 きょうは、二日分か一日になってしまいましたので、この問題については果たせませんでしたけれども、ぜひともその問題については再検討をしていただきたいということで質問を終わります。
○田渕哲也君 私は、国士舘大学の問題について若干質問をしたいと思います。 間もなく二学期も始まるわけでありますけれども、この国士舘大学の正常化の問題について、文部省の説明を聞いておりますと、この八月二十三日に学内諸問題対策委員会でこういう第一次の試案かできた、まあ何となく正常化が軌道に乗りつつあるような御答弁でありますけれども、私はこれはかなり認識が違うのではないかという気がするわけです。現に御承知のように、体育学部を除く全学部の教授会が、学長並びに理事長の解任を要求しております。それから教職員組合も同様であります。しかもこれは、文部大臣に対しましても八月一日付で上申書が出されておる。私は、大学においてこういう状態というのはきわめて異常な状態だと思うんですね。だから、文部省が考えておられるように、これは正常化が軌道に乗っておる段階では断じてない、このように思うわけですけれども、まずこの情勢の認識についてお伺いをしたいと思います。
○説明員(佐野文一郎君) 学部の教授会の変則的な状況が是正をされ、学内のコンセンサスを得るための委員会か審議を続けているという状況にございます。そういう意味では、学園の正常化に向かって学内の努力か行われている、また、その実際の成果も出てきているということは言えますけれども、それによって国士舘大学の正常化が軌道に乗っているとは私たちは考えておりません。むしろ、これから学内の委員会で検討されることがどのように詰まっていくのか、また、その詰まったことが、理事会によってどのように実現をされていくのか、そこのところに非常に大きな問題を残していると考えております。
○田渕哲也君 まあ教授会の正常化とか、あるいは対策委員会の設置とか言われますけれども、この総長自身かまあ言うならば大学のみんなから不信任を食らっておるような状態ですね。こういう中で一部の教授会の正常化とか、対策委員会つくってみたところでどうなるものか、きわめて疑問なんです。だから、この正常化のガンが総長にあるというのが教授会とか、教職員組合の意見でしょう。この辺について文部省はどう考えておられるわけですか。
○説明員(佐野文一郎君) 体育学部を除く各学部教授会において総長、理事長の辞任ということについての決議が行われているということを、非常に重要な、また、重大な事柄であると受けとめております。やはりそういう意味でこの大学は非常にむずかしい状況のもとにあると言えると思いますが、それであるからこそ、この学内の対策委員会を中心とした全学的なコンセンサスの形成ということについて、全力を挙げていただきたいし、また、それに基づいて理事者の側と教学側とが地道な協議を重ねて、そして大学全体として正常化を図っていくという、その努力を地道に続けることが必要であると考えるわけでございます。現在の段階で理事長、総長の退任要求か出ているということは、それを出された学部教授会のお考えも理解できないわけではございませんけれども、そういった意味において私たちはむしろ残念なことだと考えております。
○田渕哲也君 まあ、大学の自主性というものは尊重しなければならないと思うんです。だから、学内でいろんな意見があるから軽々しくどうするという措置を、文部省か介入すべきではないと思いますけれども、少なくともこういう段階に来ておるわけですから、いわゆる大学の責任者を呼んで、総長退陣の問題について事情聴取等をやられたかどうか、あるいは退陣要求を出しておる教授会の代表とか、教職員組合の代表を呼んで、事情聴取をやられたかどうか、その辺はいかがですか。
○説明員(佐野文一郎君) 八月二十三日に法学部長と工学部長においでをいただきました。これはむしろ学部長の側から私と会いたいというお話でございました。御来省いただきまして、八月一日付の文書についての学部教授会のお考えは十分に承っております。
○田渕哲也君 学校側はどうですか。
○説明員(佐野文一郎君) 大学側からは常務理事を通じまして、八月十六日、二十二日の二回にわたって、これまで柴田総長に対して要望をした事項について、その後どのような状況にあるかを聞いております。
○田渕哲也君 私は、この問題がこの委員会で問題になってからずっと経過等をお聞きしておるわけですけれども、どうも文部省のやり方がなまぬるいような気がするわけですね。確かに学問の自由とか、大学の運営の自主性とかいうものは尊重しなければなりません。しかし、このような大きな問題に発展しておるにかかわらず、どうも文部省のやっておることはなまぬるくて、くつの上からかくような気かするわけです。もちろん文部省自体がどこまで介入できるかという限界はあるでしょうけれども、しかし法律的にも、文部省設置法がありますし、あるいは私立学校振興助成法に基づく権限かあるわけです。もう少しこれをきっちりやってもらう必要かあるのではないかと思います。もう少し強力な指導とか、監督とか、助言とか、勧告とか、こういうことかできると思うんですけれども、いかがですか。
○説明員(佐野文一郎君) これまでも文部大臣に与えられております大学運営についての一般的な監督権、いわゆる指導、助言の権限に基づきまして、大学側に対して事態の推移に応じて、指導、助言を続けてきているわけでございます。これから学内の委員会の審議の進展等に応じて、さらに事態が動いてまいりますので、事態の推移に応じて、適切に指導を重ねてまいりたいと考えております。
○田渕哲也君 私学振興法第五条には、教育条件またはその管理運営が適正を欠く場合には、補助金の減額ができる、こういう項目がありますね。それから第十二条では、文部省はその会計状況について調査をする、そして帳簿とか、書類その他の物件を検査することができる、こういうことがあります。それから同じく第十二条の四号には、「当該学校法人の役員か法令の規定、法令の規定に基づく所轄庁の処分又は寄附行為に違反した場合において、当該役員の解職をすべき旨を勧告すること。」これができるわけです。私は、現在総長自体のその資格か問われておるわけですから、もう少し総長のいままでのやってきたこととか、現在いろいろ問題になっておることについて調べて、必要ならやっぱり勧告を出すべきではないかと思うわけです。もちろんこれも軽々しくやるべきではありませんけれども、少なくとも事実関係というのはもう少し突っ込んで調査すべきではないかと思いますが、いかがですか。
○説明員(三角哲生君) いま仰せになりましたようないろいろな規定があるわけでございますか、文部省としましては、そういったような規定の適用については、できるだけ慎重に対処いたしたいと考えておるわけでございまして、ただ、こういった規定があることを一応前提といたしまして、当該学校ないしその関係者に対しまして、必要な改善の努力を十分に払っていただくように、指導を重ねてまいりたいというふうに考えております。
○田渕哲也君 もちろん総長と教授会の対立とか、あるいは教職員組合の対立というのは学内の問題でありますから、私はあえてどちらの肩を持とうということではありませんけれども、少なくとも、この国士舘大学は国民の税金が多額に使われておるわけです。したがって、その総長がやっておることの中で、そういう面から考えて不正な面があるならば、これは許すべきではないと思うんです。 そこで、先ほども問題になりましたけれども、国税庁が調査しておることに関連しまして、国会対策費という名目の伝票があるということを先ほどから言われておるわけですけれども、私は、この国会対策費というのはどう考えてもきわめて違法性が強いと思うんですね。大臣も言われましたように、こういうことがあること自体か常識では考えられないと言われますけれども、私は、問題はこの国会対策費の使途なんです。使われた中身なんです。もし、これがだれかの政治家に渡っていないものとすれば本人が着服している。これは横領です。それから、もし政治家に渡って議会対策とかなんとかで便宜を図ってもらおうとしたならばこれは贈収賄です。それから、もし、これは単なる政治献金だと言い逃れをされるかもわかりません。政治献金だとしても、これは私は教育基本法の第八条から見ておかしいし、それから政治資金規正法から見てもこれは違反だと思うんです。国士舘大学は私は政治献金はできないはずだと思うんです。国から補助金が多額に出ておりますね。これは政治資金規正法の第二十二条の三にうたってありますから政治献金はできない。そうすると横領か贈収賄かどちらかなんですよ。私は、国税庁はこの問題について厳格に調査をしてもらいたいと思うんですが、いかかですか。
○説明員(山本昭市君) ただいま学校法人国士舘に対しましては、税務上の処理が適正に行われているかいないかという点を中心にいたしまして、特に公益法人でございますので、法人税の関係と申しますよりは、寄付を中心にいたしました学校の収入か個人の給与になっているかいないかという点を中心にいたしまして、調査をしているわけでございます。あくまでも私どもの調査は、税法に基づきまして、的確な申告か行われ、課税が行われているかということを中心に調査をしている次第でございます。
○田渕哲也君 しかし、先ほどの、これはなかなかお答えにならないことだと思いますけれども、国会対策費という名目の伝票かあるならば、その使途については当然調査をされなければなりません。これは個人の税金のことを調べるについても当然調査をしなければならないわけです。そして調査の過程で、横領とか、贈収賄ということがわかれば、これは刑事訴訟法の第二百三十九条の二項によりまして、公務員は告発の義務かあるわけです。違法性を発見したときには国税庁は告発をしなければなりません。だから、うやむやで済ますということはこれは義務違反ですね。それから、もし告発されない場合、告発に至らない場合でも、結果は文部省に報告されますか、いかがですか。
○説明員(山本昭市君) ただいま刑事訴訟法二百三十九条につきまして御質問があったわけでございます。二百三十九条におきましては「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」、こういう規定がおっしゃいますとおりあるわけでございます。しかしながら、この規定は、犯罪の捜査、あるいは公訴権の行使等の刑事に関連いたしまして、そういう行政が適正に行われるために、国あるいは公共団体の各種の行政機関か一体となって、その行政機能を発揮することか重要であると、こういう認識に立ちまして、行政機関の相互の協力を要請する意味の規定でございまして、かつまた、それ以上の意味もないというわけでございます。したがいまして、私どもが確かに税務調査の過程におきまして、そういった事実に遭遇することはございますけれども、私どもの税務の行政上の全体への影響等考慮いたしまして、必ずしも当然にそれを告発をするというような扱いにはなっていないわけでございます。具体的には私どもの質問検査権、税法上の質問検査権は犯罪捜査のための権限と考慮してはならないという規定もございますし、先ほど来の守秘義務ということによりまして、私どもの日本の申告納税制度というもの全体を維持するために、そういう逐一発見の都度通報いたしますということは、むしろ税務行政全体に大きな影響かある、こういう観点から、必ずしも当然に通報はいたしていないわけでございます。
○田渕哲也君 大体、国税庁は税金さえ取ればいいという態度で、だから田中金脈のときも何も言わなかったんですよ。しかし私は、それではいかぬと思うんですよ。社会正義から見ておかしなことを発見した場合は、刑事訴訟法に従って告発の手続をとるべきだと思います。 それから、告発の下続をとるかどうか、いろいろの判断の場合もあるでしょうけれども、もし告発に至らない場合でも、その結果を文部省に報告をすべきだと思いますが、報告されますか。調査した結果について、大学管理上重要な問題だということを発見した場合には、文部省に報告されますか。
○説明員(山本昭市君) 税務の調査の過程におきまして判明いたしました事実につきましては、行政庁そのほかに対しましても、私どもは当然その内容をお知らせばしないというような扱いでございます。
○田渕哲也君 そうすると、文部省は国税庁に期待していても何にも実態がわからないわけです。だから、これは文部省独自が調査をせぬといかぬわけです。私学振興法の第二条一項によりまして、文部省はその権限かあるわけですから、こういう問題がすでに論議されているわけですから、すぐ帳簿を調べて、差し押え措置をして調べて、それで国会対策費が何に使われたか調査して明らかにすべきだと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(砂田重民君) 文部省自身でやはり調査をしなければならないことと考えます。ただ、国税庁の御答弁は調査の過程においてはということでございます。私どもできますことは調査でございまして、どこまで調査かし切れるか。そしてまた国税庁は調査の過程においてはということでありましたけれども、処分もなさるわけです。処分をなさったときには、それは私どもにもおのずから判明するわけでございますから、私学振興助成法にかかわりを持つ問題で至当であったかどうか、そういうこともおのずから判明をしてくるのであろうと考えます。文部省といたしましても、できる限りの調査に努めることにいたしたいと思います。
○田渕哲也君 大臣のお答えですけれども、私はそれは期待できないと思います。国税庁は調査の結果わかっても、それは公表しないでしょう。田中金脈のときも何も言わなかった。どれだけ追徴金を取ったという額も言わなかった。言えますか。今度こういう問題があって、どれだけ追徴金を取って、どういう処分をしたということを文部省に報告されますか。
○説明員(山本昭市君) あくまでも税務調査の過程で判明いたしました事実につきましては、税務の行政か阻害されないような配慮から、行政庁相互間といえどもきわめて慎重に、すなわちお知らせをしないという扱いを従来いたしておるわけでございます。
○田渕哲也君 結果も報告されませんか、結果は。
○説明員(山本昭市君) 結果につきましても同様でございます。
○田渕哲也君 いまのとおりなんですよ。だから、国税庁に頼っておったんでは文部省何もわからないのです。だから、文部省独自でこれは調査をしてもらいたいのです。それで、この委員会でいろんな委員から出されておる疑惑については、これは文部省がそれを調査をして明らかにする義務があるわけです。そういう点で私はちょっとやり方が生ぬるいと思うのですが、大臣いかがですか。
○国務大臣(砂田重民君) 文部省として調査をいたします。
○田渕哲也君 終わります。
○有田一寿君 私は、昨日からきょう、けさからただいまにかけまして、文部大臣の記者クラブにおける発言についていろいろ論議が行われてきたわけでありますが、重ねてそれについて文部大臣の真意を伺いたいと思います。 最初にお伺いしますか、きょうの夕刊、文部大臣ごらんになりましたか。
○国務大臣(砂田重民君) まだ見ておりません。
○有田一寿君 きょうの夕刊も、ほとんどの各紙か、第一面で文部大臣のけさからのこの委員会における答弁を報道しております。正確には、私も手元に新聞持ちませんが、まあ昨日記者クラブで大臣が発言されたことについて、簡単に言えば取り消し、もう少し丁寧に言えば真意を伝えていないというようなことで、平等だとか、徳育の問題について、たとえば文化、芸術、スポーツ等の中で、徳育は行われておるように思うというようなこと等、主として久保委員の質疑に対する答弁か報道されておるわけでありますけれども、私はこれ大変わかりにくいと思うんです。けさの新聞を読み、夕刊をまた読んだ者はなかなかこの論議はわかりにくいと思います。 私は、ここで申し上げたいのは、ああいう問題を文部大臣という立場にある人が発言したということは、もちろん非常に大変な大きな意味があると思います。が、だからこそこれが論議の種になるのであって、そのことは非常に望ましいことだと私は思っております。で、いままで歴代――古くは別として、文部大臣のこの委員会における説明にいたしましても、大体本音は避けて、たてまえ論に終始するというような佃向か強かったと思います。 なぜ総理がああいう発言をし、文部大臣がああいう発言をしたかという背景にあるもの、私はその中からああいう発言が行われたということだと思うんです。したがいまして、ただ思いつきであったとか、あるいは新聞の表現が間違っているとか、言いかえれば、自分の本意ではないとか、そういうことではなくて、恐らく思いつきではなかったと思うんです。それぞれ背景かあって御発言になったと思うので、その背景と称せられるものは、やっぱり考えてみますと、戦後の正確でない、正しくない意味の平等主義だとか、本能肯定主義だとか、徳育といえば即軍国主義につなかるという即断だとか、そういうことが戦後の教育の中で行われてきた。言いかえれば、行われるべきものか行われずにきたという背景かあったことか、今度の大臣の発言に私はなったものと思うんです、その表言のよしあし、上手、下手は別として。したがって、私は大臣の発言を評価するものでありまして、あれが間違っていたとはわれわれは思っておりません。 それで、考えてみますと、戦後と一口に言いますが、この戦後というものも正確な意味で考えてみなければならない。言いかえれば、戦後の教育と言いますが、いろいろの分け方はありますが、終戦二十年から二十五年までの五年間、それから独立するまでの五年間、それからそれ以後三十五年までの五年間、それから、いよいよ高度成長を始めた三十五年から四十四年、五年までの約十年間、それから今日までの八年ですか、この合計三十三年間、これは分ければ幾つかに分けられる。したがって、そのときそのときにおける教育政策についても、正しいものもあったと思いますし、必ずしも正しくないものもあったと思います。がしかし、そのよかったと思うものは、これはもう今後とも存続させるべきものと思いますし、間違っていたと思うものは勇敢に改めるべきだと、これがいわゆる日本の教育の進展というものであろうかと思います。同様に戦前についても、戦前の教育の中で、よかったと思うものは十分あると思います。幾ら戦いに負けたからといって、必ずしもすべてが悪かったとは思いません。また、行き過ぎであったというような面も多々あると思うんです。したがって、それを冷静に区分けしながら、よいものを残し、悪いものは除去していくということが、今後とも教育政策の中では進められなければならないと思いますので、戦前だとか戦後だとかいう一括した荒らっぽい分け方では誤解を招くもとになると思います。 それと、倫理ということが問題になっておりましたけれども、この倫理というものも言葉がちょっと簡単過ぎると思いますけれども、身辺のしつけに類するような、これは大臣も言っておられるような、親切だとか、きょうだい仲よくするとか、公衆道徳だとか、あるいは老人を大切にするとかいう、そういうしつけに類するようなものから、今度は親孝行、親か押しつけるという多少封建的な、家を中心にした道徳、そういうものもありました。これは家のために、あるいは親のために娘が身売りをしなきゃならぬ、あるいは身売りさせられるというようなこともありました。やくざの世界にも、一つのおきてのような、いわばやくざの世界の中における倫理と称するものもあったと思います。あるいは現在でもあるのかもわかりません。それから武士社会の中における倫理というものもありました。武士に二言はない、あるいは二君にまみえぬと、殉死すると、あるいはいさめて諌死すると、そういう武士道という一つの限局された社会の中で、その武士社会を守るために守らなきゃならない倫理というものもあって、これも日本のいまの道徳の中に入っておると思うんです。それから朱子学に代表されるようないわゆる封建的な意味の忠の観念、そういうものもあった。これが一括されて倫理だとか、道徳とかという言葉の中で私は表現されておると思います。それが戦前は戦争に最終的につながる。したがって、それに至る間の日本の教育、あるいは道徳教育等、これはもうすべて一掃する必要があるというのか、終戦後の考えであったように思います。もうそろそろ三十年を経過したわけですから、冷静にその中を分けて、よいものと、あるいはこの際除去されるものを区別していくということか必要になったように思います。 それで、大臣にお伺いしますか、勅語というのは、これはけさほどから大臣がおっしゃっておるように、勅語という言葉自身はそぐわないと思います。それから、中はこうこうだが、その勅語の背景にあるいわゆる日本の戦前の社会そのものが、現在の開かれた自由社会から見れば別な社会である。したがって、間違っても勅語というようなものを例に引いて、その中のしつけ的な倫理であろうとも、それをコメントしては不適当だという議論もございました。ただ、余り私はそこまで固苦しく考えることはないと思う。あの中でも横の道徳の方が縦の道徳より多く強調されているわけですし、現在非常に無視されておりますけれども、きょうだい仲よくするとか、親を大切にするとか、友達と仲よくする――言いかえれば、「朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發」していく、そこら辺のところは日本人にわかりやすいわけですね。だから恐らく大臣もついそれを引かれたと思うんですけれども、そこのところを余りオーバーに、過剰取り消しをやられない方がいいんじゃないか。恐らく論議は起こりますよ。その論議の真っただ中に大臣はお立ちになることが意味かあると思います。傷つかれると思います。傷つくことか、今後の日本の教育をよくするために、私は人柱とは言いませんけれども、いい影響を与えると思います。 したがって、もう一回お聞きしますが、大臣か記者クラブで話されたその心境と申しますか、考えた真意というか、いろいろ弁解は私はお聞きしなくても結構です、率直なところを最後ですからお聞きしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) けさほどから、久保委員、矢原委員、小巻委員等から御質問かあったわけでございます。昨日の私の記者クラブでの講演の内容について、私の真意を御説明をいたしました。私は取り消したつもりは毛頭ございません。小巻委員にも先ほどお答えしたばかりでございますけれども、教育勅語の中にこういうことか書かれていたという、いまや教育勅語は歴史上のものでございますから、書かれていたという事実をそのまま話をしたわけでございます。そして、そのことは、やはりいまの青少年たちにも大切な資質として考えていかなけりゃならない。教育勅語は昭和二十三年に廃棄をされましたけれども、戦前の日本の教育の中心に据えられました教育勅許はそれは廃棄をされました。日本の教育とは無縁なものになったわけでございますが、憲法、そして教育基本法に基づいてのただいまの教育、確かに日本の民主社会の中での日本の教育の場であって、学校教育であろうと社会の教育であろうと、やはり青少年たちに身につけていてほしい資質、そのことは永久に変わらないものがあるはずだ、それを、教育勅語を廃棄したのでありますけれども、教育勅語にかわる何かの指針を持ちたいものだ、また戦後すぐに教育勅語を廃棄した、だけども、教育の中に必要な、青少年に望ましいと思われる資質については、それを個条書きにした指針のようなものを持ってスタートができたならば、どれほどよかったであろうか、そういうことを述べたわけでございます。したがって、昨日私がクラブで話をしたことをきょうは取り消した覚えはございません。私の真意を御説明をしたわけでございます。
○有田一寿君 平等ということについて、これまた大臣のお考えを重ねて伺いますが、その前に、教育における遺伝的な要素というものを、どの程度お考えか、それを伺いたいと思うんです。 個性と申しますけれども、個性の中には先天的なものと、後天的に培われたものと二つあると思うんですか、私かお聞きしょうとしているのは、先天的なものについてお聞きをしたい。これは、身体的に言っても、色盲だとか、IQだとか、運動神経、それから音感、それから背か高いか低いか、そういうものには非常に遺伝的素質があると思う。ということは、これを能力と称するか、あるいは、もっと小分けにするかは別として、厳然とした一人一人全部差がある。そうすると、教育というものは、その本人の持っている能力に応じて、それこそ機会均等に、公正に、公平に、ひとしく教育を与えるというのか教育の理想として、私は憲法にも、基本法にもうたわれているところだと理解しております。その最初の遺伝的なものというものか平等であれば話は別ですけれども、それが差があるということについて、これは認めたくはなくとも認めなければならない厳然たる事実だと思います。これは学者によって六〇%の差があると言う学者もおりますし、八〇%までは遺伝的なもので決まると言っている極端な学者もおりますが、大臣はそれについてはどういうふうにお考えでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 遺伝について、私は有田先生ほど学があるわけではございません。しかし、遺伝的な要素が一人一人の青少年たちに受け継がれていることは認めなければならないと思います。ただ、有田先生いまの御発言の冒頭で、教育の場における平等のことを御議論でございます。先ほどからお答えをいたしておりますとおりに、個々の青少年、児童、生徒が持っておりますそれぞれの能力をできるだけ伸ばしてあげる。それは非常にすぐれた才能を持っているその才能を伸ばしてあげることも必要でありますし、ある学科についておくれをとっているお子さんを標準的な線まで近づかせて、追いつかせていくことの努力も必要なのが教育だと思うのです。ですから、遺伝的に初めからそういうことは不得手であると言ってあきらめるのでは、これは教育にならないと思います。標準的な線まで追いつかせるための教育の方法を工夫をして、その努力を払っていくところにこそ私は教育の値打ちがあると、このように考えるものでございます。
○有田一寿君 追いつかない生徒を何とか努力によって、少なくとも平均のところまでは追いつかせようという努力、これはもう当然必要なことであると思って、私も同感であります。ただ、何回もこの委員会で私も訴えたことかありますけれども、さればといって、できる子供、これか足踏みをさせられるということは、極端に言えば人権問題だろうと思うんです。これは一個人としては人権問題かもしれませんか、国として、あるいは国際社会としては、これははなはだもったいないことでありまして、社会的な損失になる。それから持てるものは極度に伸ばしてやるというのか本当の自由主義社会であり、民主主義社会だと思うんですけれども、いままでは、追いつかせることの方はずいぶん論議されましたけれども、それより先の話、言いかえれば、足踏みさせずに伸ばすということについては、これは英才教育という名前で呼ぶ人もありましょうし、あるいはその他の名前で呼ぶ人もありますけれども、どうしても目がいかない。これは何も学科に限らず、音楽でも、スポーツでも、芸術すべてそうだと思いますが、これだけ多様化してきた社会、またこれだけ多様化した個人個人の才能、それを教育で包み込んで伸ばそうということは、大変な努力が要ると思いますけれども、それはやらなきゃならぬと思うんです。そういうことをお感じになりませんか。足踏みさせられる方の子供についてはわりにネグレクトされてきたのではないかということ、それについてはどういうふうにお考えでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 個々の能力をできるだけ伸ばす工夫をしていく、それが本当の教育だと私は思いますと申し上げておりますことは、おくれをとっておられるお子さまを、標準線まで追いつかせるための努力も当然必要な努力であるし、いま先生御指摘のとおりに、それか数学であれ、英語であれ、音楽であれ、美術であれ、そういう非常にすぐれた才能を持ったお子様の才能をなお一層伸ばしてあげる、このこともまた同時に行わなければならない努力であろうと考えるわけです。経済の問題のときには物価と雇用の状態が確かにシーソーになります。これは相手が物だからだろうと思うのです。しかし教育の場合はシーソーにしてはならない。非常にすぐれた才能を持っているお子様のその才能をさらに伸ばしてあげる、おくれをとっているお子様を標準線まで追いつかせていく。これはシーソーにしてはいけないので、両方に対してその努力が払われていなければ、本当の教育を確保したとは言えない、そういうことを私は強く感じるものでございますから、いま先生おっしゃった、いままで落ちこぼれ対策というような言葉はあったけれども、すぐれた才能というものについての考え方はいささかネグレクトされていたではないか、同じような感じを率直に申し上げて持つものでございます。
○有田一寿君 乱塾時代という言葉がしばらく前にずいぶん論議されました。その後、塾が減ったとは思いません。自然淘汰されたことはあって、数はあるいは減ったかもしれませんけれども、人数としては減っているとは思わない。その当時も論議されたことですけれども、よって来るところは、学校がそういう才能の進んだ、あるいは勉強の進んだ子供に対して、これをほったらかしにするということ。それから、落ちこぼれ対策も必ずしも十分は行き届かない。したがって、その両面の手当てをする目的で生まれたのが塾だと思うのです。したがって、塾は減るわけはないんで、学校かそこまで配慮するようになったとき塾はなくなると思いますけれども、それまでの間は塾は補完作用を務めておると思いますので、私は塾は悪いとは一度も言ったことがありません。それを非難する前に、改めるべきいわゆる教育姿勢があるということを一貫して考えてきたわけです。で、親は平等を考えているか、平均を考えているかというと、私はそうは思いません。平均まではまず近づかなきゃならないだろう。そうしたらあとは平等思考じゃなくて、不平等思考だと思う。ほかの子よりももっと上に持っていきたい。それは何も学科だけじゃありません。あらゆる分野について上に持っていきたい。これは人間本来の私は自己拡大本能というものだと思うのです、子供も親も。これが別の言葉で言うと競争ということになろうかと思いますが、この競争心、向上欲、こういうものを善用したときに教育は進む。それでこの競争の芽を全部つぶすのだということになったときに、私は全部そこで足踏みが起こるというふうの考えを持っております。したがって、この競争ということについて、私は大臣の意見も伺いたいのですが、この不平等だ、差別だといいますけれども、私、思いついたのをいま書いてみただけでも、まあたとえば野球、一軍と二軍、これはもう厳然たる差別があります。月給の差も御承知のとおり。相撲もそうです。横綱と幕下は大変な差です。音楽界、クラシック、あるいはこの中の特にオペラでプリマドンナを務めるような人とそうでない人、これはもう大変な差がなされている。歌舞伎に至ってはこれはまあ封建的な社会ですから極端ですけれども、これは議論にはならない。これはもう完全な不平等、人間の才能がそのまま生きているわけではありません。それからお茶、お花の世界、これは世襲制がほとんどのようですね。それから企業でも同族会社等はそうで、株式を相続すればそれが半分までなくとも、大株主であればオーナーになりますし、そうでないものはホワイトカラーになるというようなこと。バレー、ピンポン、スケート等のスポーツから、あるいは陶芸、絵画、彫刻等の芸術社会においても、これはもう大変な差がある。言いかえれば自由社会というのはもう本当に自由でありますから、努力、才能、いろんな面でみんなが競争して、そこに縦のずっと私は差別ができてくる。その差別をなくすんだ、格差をなくするんだと言っても、これはもうとても空理空論であって、現実にはなくなることはないと思います。したがって、この競争ということも、私は何とかしてこれをいい意味の競争に持ち込んでいく、堂々たる競争に持ち込んでいくルールづくり、言いかえればルールを守るという心を教育すべきであって、それから先差ができるのは、これはもう自由社会であれば当然だと思うんです。それをいかにも悪であるという決めつけ方は、私は教育の芽を摘んでしまうのではないか。ですから、この平等ということと競争ということがいろいろ議論になりましたし、今後なると思うんです、大臣の御発言もあったことですから、それについては大臣のお考えをもう一回お聞きしておきたいと思うんです。
○国務大臣(砂田重民君) 私も有田議員のただいまの御発言、全く同感でございます。自由社会というものは人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、そういうことが言われるわけでございまして、当然そうあるべきでありますけれども、それはいまおっしゃった、たとえば、野球でも一軍と二軍の差、しかし、二軍の選手といえども、二軍の選手で一生懸命やっていることにブライドを持てる生活ができる、そのことが大事なのであって、決して一軍と二軍に差があるからと言って、人の上に人をつくっているわけではない、そのように私は理解をいたすものでございます。
○有田一寿君 自由社会の中で、社会主義的な理想を、ほぼ完全とは言わないけれども、その理想に近く実現されつつあるのは日本が唯一の国だという指摘もあります。私はこのよって来るところは、それはいろいろありましょうけれども、まあ目に映るものを見ただけでも、相続税の高さというのは日本は世界最高であります。むしろただのところかイタリアだとか、ブラジル等あるぐらいで、日本はひ孫の時代になったときはゼロになるように大体計算がなる。これほどの上に重く、下に――下というのは貧しい方を温かく守るということが税制で行われている国というのは、日本以外にはそれほどないんじゃないかと思います。健康保険の累進にしましても、収入の累進制にしましても、ずいぶん平等に近づいている。大変いいことだと思います。企業等とってみましても、言いかえれば部課長の給与と、組合員の給与とのそこはほとんど差がない、もう近づいています。うっかりすると逆転しているところもあるぐらい、それが日本の企業の現況だと思います。だから、ずいぶん日本という国は、この戦後三十年の間によその国でもできにくかった、そういう平等化というものを実現しつつあります。しかも、もう完全な姿が間近に迫っているというふうな見方をしても間違いではなかろうと思うのです。したがって、教育の面におきまして、それをどういうふうに考えていくかということですけれども、いろんな面はずいぶん私は平等にはなってきた。ただ入試の問題、これはあります。これによっていろいろ人格形成がむしばまれる、これを避けなきゃならない。ただこれも一朝一夕に私はできるとは思いません。やはり十人のうち二人落ちるのだという厳然たる事実があれば、八人は通るが、二人は落第する、その二人がなくなれば、言いかえれば十人が全員通るだけの入れ物ができ、そこに教育者が準備されてくれば、それはもう問題解消ですけれども、そういうことはちょっと考えられませんので、これは入試というものはくじ引きにすれば射幸心はあふりますし、くじ引きにしなければ今度勉強で疲れるという問題はありますけれども、私は入試のときにいつも思うんですけれども、万能の方法はないのではなかろうか。ただ公平に、公正にそれを行うということしか残っていない、だからそれはお互いにこれはもう大変努力をしなきゃならないという気がするわけですが、そこに不平等な、言いかえれば門地だとか、経済的背景とか、そういうものによって区別をされてならないという、教育基本法なり、憲法で指摘している、その点をきちっと守っていけば、ある程度の競争は私はこれをゼロにすることはできないと思う。少し荒っぽいんですけれども、そういう考えを持っております。それは競争ということと、平等ということから考えて、そういうふうな考えを持っているわけです。 それで、最初の問題に返りますけれども、大臣がああいうふうにおっしゃった、これは国民の多くは、全部とは申しませんけれども、私は賛同したと思うんです。多少の言い過ぎだとか、そこは知りませんよ、言葉の一つ一つは別として、おっしゃろうとした意味については、私はもうみんな賛同したと思うんです。だから、余り変な取り消しはなさっていただきたくないというのが私の考えでありまして、言いかえればストライキだとか、平等主義だとか、徳育排除だとか、安易を指向する本能肯定主義、克己心不足、これはいまの教育で私は完全に行われていると思わないし、むしろこういうことが間違った意味で行われつつあるということは、大臣かおっしゃろうとしたことと考えは同じでございます。国民も大多数はそう考えていると思うんです。したがいまして、一例を引きますけれども、終戦後アメリカの教育使節団の報告で、制度化された教育委員制度、これは選挙によって、昭和二十三年の十月に第一回の選挙が行われました。これの理想とするところは、御承知のとおり文部省という中央集権から、教育行政を地域地域に取り返すと、言いかえれば地方分権、そしてその地域住民の意思を自分たちの直接選挙によって教育行政に反映させるということで、いまの知事選挙と同じ、あるいは参議院の地方区選挙と同じ選挙区の広さを持ってこれを行ったわけでございます。しかし、ふたをあけてみたらどうなったか、そのとき父兄や地域住民の希望は、これで文部省の指示を受けずに、公平に自分たちの考える教育行政がこの地域に行われるだろうという夢を持ったと思うんですけれども、現実はそうではなかった。それは、あのときは教員組合の幹部が物すごく多く当選をした。選挙のときにどうしても先生のおっしゃることは間違いがないと思って父兄は投票しますから、それが皆当選した。組合の専従者もずいぶん当選した。私の承知している福岡県でもそのとおりであります。したがって、間違った教育行政であるということが言えると思います。それは昭和三十年に修正をされた。これに対しては、もうここまでだんだん皆か物を言うことがなれ、情報が発達しましたから、今後はあるいは直接選挙にしても、そう間違わないかもしらないという感じはありますけれども、あの当時はやはり間違いましたね。だから、いまいいとか悪いとか言っているんじゃありませんが、あの当時としてはやっぱりそういう間違いもあったんだと、教育面で、教育行政で。したがって、終戦後も間違いはありました。戦前もあったでしょう。だから、そのことを戦前だ、戦後だとか、道徳教育は即軍国主義だとか、そういう短絡的な決め方ではなくて、最初にお伺いしたように、いいと思うものは残そうではありませんかと、悪いものはここでカットしようではありませんかと、それが教育の進展につながっていくのではありますまいかということをくどいようですけれども、そういうことを訴えたい。それで、この学歴偏重の問題が先ほど出ましたけれども、産業界も私の知っている限り、ぐんぐん変わっていっている。決してそう学歴にしがみついてはおりません。しがみついておるとすれば官庁と教育界じゃないですか。だから、そちらの方かもう一回姿勢を正して考え直す必要があるのであって、産業界か学歴偏重だからという言い方は、もう私は通らなくなりつつあるように思うんです。そして、教育界にいい人材が殺到するようになる。そして、その中からだれとだれを教師として採用すると、選択の幅が大きくなれば、いい人材を確保することができる。それは、人材確保法案のねらったところはそうであったと思います。で、それも少しやっぱり実現に近づいてきたように思うわけです。だからいろいろ、戦後三十年を振り返っていいこと悪いこと、それはあったと思いますけれども、戦後の教育がすべて正しかったという断定は絶対できないわけです。それから、戦前の教育がすべて悪かったという断定も絶対できないわけです。もうこれからは、戦前だとか戦後だとか余り荒っぽい分け方、あるいは倫理といえば縦の押しつけ道徳だけだという考えじゃなくて、やっぱり中身を一つ一つお互いに勉強しながら教育の中に取り入れるべきものを取り入れていきたい。したがって、教育勅語というようなことは考えませんけれども、これは国民のコンセンサスかなければならないことですけれども、しつけを中心にした、人間かイデオロギーと関係なく、共同社会を形成しながら生きていく限り、必要なルールだとか、エチケットとか、そういうものはやはり家庭に任せずに、学校でもそれを積極的に教育していくということがいいんじゃないかと思います。それはスポーツを通じて、あるいは学問を通じて、いろんなところで徳育ということは行われると思いますけれども、まあそれはやっぱりある意味の逃げ口上のようなものだと私は思うんで、やはり徳育は徳育として年齢に応じた、それぞれあると思います。決して昔の徳目主義でない教育の仕方を現にやっていらっしゃると思いますけれども、もう一歩それを前進させる、私は教育憲章とか、あるいはまあ国民憲章のようなものがあってもいいと、そして市民社会の中に明るい倫理、モラルというものを確立していくことが、将来の日本のためになるのではなかろうか、そこら辺のところについて文相の率直なお考えを一遍伺いたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) まさに御高説をありがたく拝聴させていただいたわけでございます。やはり大切なことは向上心、克己心というものを青少年たちに強く持っていってもらう必要がございます。そして、またそういうことはいろんな場所で、私どもの想像もしなかったような青少年の生活の中で、学校だけではなくて、その青少年の生活の中に占めます文化、芸術、スポーツ等のウエートが非常に重くなっていて、そういうことを通じて、先ほどから有田委員御指摘のような親切とか、きょうだい仲よくとか、あるいは老人を大切にとか、そういうしつけに属する部類の問題、あるいは向上欲の問題、克己心の問題、夏の甲子園に出てまいります高等学校の野球も、テレビに映っている生徒だけが甲子園夢見てあの苦しい練習に耐えているのではありません。テレビには映らない予選で破れ去っていった高校生の数の方が圧倒的に多いわけでございます。非常に苦しい練習に耐え抜いている、そういうスポーツに取り組んでいる青少年たち、試合に勝ったときの感激をするという大切なことを知っております。試合に負けたときのなにくそという苦しさに打ちかっていこうという気力も、またそのことによって心に植えつけられていく、苦しい練習に耐えることも経験をしております。こういう本当のスポーツの値打ちというものをもっと大人たちが理解をしなければいけない。これから青少年たちに求めていく――それが、私は徳性であるとか、倫理とかいう言葉を余り好みません。しかし、これからの自由社会へ羽ばたっていく若い世代の人たちが身につけていてもらわなければならない好ましい資質、そういうものを文化であるとか、芸術であるとか、スポーツであるとか、こういうことによって会得していってくれている青少年か今日の青少年の大多数であるということを私は信頼をいたしております。その中においてそういうことを体験をしない青少年たちが一部ありますことが、非行の問題であるとか、落ちこぼれの問題であるとか、私が落ちこぼれと言いますのは、あることに非常に才能を持っているだけに、学校の先生の教室での指導がおもしろくない、自分の知っていることしか先生は教えてくれない、学科がおもしろくない、それも一つの非常に残念な落ちこぼれと言わなければなりません。そういうことに対処をしていかなければならないのが教育行政を預かっております私どもの責任でもあり、教育現場を頂かってくださっておられる先生方の責任でもある。また、そういうことを側面から同じようなウエートを持って家庭でしつけし続けてくださらなければならない御両親のまた責任でもあろうかと思うわけなんです。 そういう観点に立って、戦前であろうと、戦後であろうと、いまの民主社会の中で、いまの憲法のもとで、子供たちに幸せだと思われることは、大事なものは残していく、断じて守り抜いていく、子供たちに実りのないと思われることはこれを改めていく、そういうことに勇敢でなければならないという気持ちを先生のお話を伺って、なお一層肝に銘じさせられたところでございます。
○有田一寿君 最後に、これはお願いをしたいのですが、がらりと変わって、戦後こういうふうの社会が実現し、教育もそれに沿って改革されて行われてきたわけです。その中でいろいろ欠けたものもあったと思いますけれども、日本の国かそういう精神的な面においても、他国に必ずしも負けずここまでちゃんとやってきた。何も経済的な面だけでなく、それは島国的な民族だと言われながら、短所もずいぶん指摘もされましたけれども、何はともあれ、ニューヨークで行われていると言われるああいう殺人だ、強盗だ、そういうどろ沼のような面を日本に持ち込まずにここまでまあまあやってこれたのは、教育者の功績だと思わない、それもあると思います、十分あると思いますけれども、これは何百年、何千年にわたって続いてきた日本の家庭の中における一つのしつけだとか、モラルだとか、そういうものかあったかこそである。したがって、余り安心をし、油断をし、言いたいことを言い、したいことばかりしておっても、急に悪くなるとは思いませんけれども、やはりそういう過去の遺産ばっかりを食いつぶすのではなくて、ここで新たなまた方向をきちっと前進する、そういうことを実現していく義務がお互いにあると、こう思うわけであります。 だから、日本にはよく宗教がないとか、道徳がないとか、特に宗教に関してはもう何もないと言われておりますけれども、これはもう大臣が十二分に御承知のように、私は、宗教はあり過ぎるくらいある、あるけれども、キリスト教だとか、ユダヤ教だとか、一つの国でそれをほとんど唯一絶対の宗教としている宗教はいまありませんけれども、しかし、これはだれかが指摘したように、人間教というか、人間として恥ずかしいではないか、人間らしく振る舞おうではないかというような、何とない一つの倫理観というものは今日まで続いてきている。しかし、これがこのままほっといて、今後法定主義で一切画一的な配慮が行われていったときに、まだ何十年も何百年も続くということは私は考えられないと思います。 だから、年をとった人、あるいは戦前派と申しますか、そういう人たちは古いんだと、あれが戦争を起こし、負けた張本人だというようなことではなくて、やはり同じ日本人で、一つの歴史的必然の中で、そういうこともあったけれども、今後のことに目を注いでいきたい、特に、教育の場合にはそういうことで、戦前戦後を問わず、で、最後の結語としてお願いしたいと思いましたのは、昨日の大臣の発言、私は全然間違っていたとも思わないのです。国民も、それを理解した国民は大多数であったと思います。福田総理が言った英才教育というのは必ずしも適切と思いませんけれども、言おうとしたその真意というものは、これも国民にはわかると思いますので、あんまり変な取り消しだとかということはなさらずに、次のまた袋だたきが起こったら、それに耐えて、また、自分の真意はこうだというのをそのときまたおっしゃれば、それを何回か重ねる間に、国民も一緒になって考えるだろうという気がいたしますので、どうかそういう意味で、胸を張って勇敢にがんばっていただきたい、これは激励のお言葉でございます。 以上で終わります。
○委員長(吉田実君) 本件に対する質疑は、本日はこの程度にとどめます。 これにて散会いたします。 午後六時二十一分散会