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84回国会衆議院1977/12/19

本会議 第1号

発言数
24
登壇者
4
会派数
3
開催日
1977/12/19

会議録

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 諸君、第八十四回国会は本日をもって召集せられました。  これより会議を開きます。      ————◇—————  日程第一 議席の指定

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 衆議院規則第十四条によりまして、諸君の議席は、議長において、ただいまの仮議席のとおりに指定いたします。      ————◇—————  常任委員長辞任の件

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 常任委員長辞任の件につきお諮りいたします。  逓信委員長八百板正君、決算委員長芳賀貢君及び懲罰委員長小平忠君から、それぞれ常任委員長を辞任いたしたいとの申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、許可するに決しました。      ————◇—————  常任委員長の選挙

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) つきましては、これより各常任委員長の選挙を行います。

加藤紘一自由民主党

○加藤紘一君 各常任委員長の選挙は、その手続を省略して、議長において指名されんことを望みます。

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 加藤紘一君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。  議長は、各常任委員長を指名いたします。           逓信委員長 松本 七郎君     〔拍手〕           決算委員長 楯 兼次郎君     〔拍手〕           懲罰委員長 中村 正雄君     〔拍手〕      ————◇—————  特別委員会設置の件 ○議長(保利茂君)特別委員会の設置につきお諮りいたします。  災害対策を樹立するため委員四十人よりなる特別委員会  公職選挙法改正に関する調査をなすため委員二十五人よりなる特別委員会  科学技術振興の対策を樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会  石炭に関する対策を樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会  公害の対策並びに環境保全の諸施策を樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会  物価問題等に関する対策を樹立するため委員二十五人よりなる特別委員会  交通安全に関する総合対策樹立のため委員二十五人よりなる特別委員会  沖繩及び北方問題に関する対策樹立のため委員二十五人よりなる特別委員会及び  ロッキード問題に関し徹底的に調査しその真相を解明するため委員三十人よりなるロッキード問題に関する調査特別委員会を設置いたしたいと存じます。これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。  ただいま議決せられました九特別委員会の委員は追って指名いたします。      ————◇—————

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。  議員坪川信三君は、去る十一月二十日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。同君に対する弔詞は、去る十一月二十六日贈呈いたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕   衆議院は多年憲政のために尽力しさきに通商産業委員長議院運営委員長予算委員長の要職につきまた再度国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等坪川信三君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます     —————————————  故議員坪川信三君に対する追悼演説

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) この際、弔意を表するため、小林進君から発言を求められております。これを許します。小林進君。     〔小林進君登壇〕

小林進日本社会党

○小林進君 私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、故衆議院議員坪川信三先生に対し、謹んで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。  坪川先生は、ただいま議長から御報告のありましたとおり、去る十一月二十日午前八時五分、肝不全のため、逝去されました。  十月一日入院される前日まで、「少し下痢ぎみで、予算委員会を休むがよろしく」と、律儀過ぎるほど、私の自宅まで御電話くだされた先生、大物委員長と言われながら、時には日に一度ならず私の部屋へ「進ちゃんいる」と声をかけながら訪ねられ、慈顔にあふれる大きなまなざしで、何かと御相談くださったあの御容姿が、いまでもまぶたの底から消えようとはいたしません。しかるに、忽然として幽明を異にするとは、まことに人の世の無常をうらまざるを得ぬのであります。  坪川先生は、明治四十二年十一月十三日福井市種池町の由緒ある旧家に生をうけられ、信仰心厚く徳望家として知られた御両親の薫陶を受けて、健やかに成長されました。  福井師範学校を卒業、しばらく郷里で教員生活を送られた後、青雲の志を抱いて中国大陸に渡り、北京大学に学び、その後、北京の日本大使館に勤め、居留民の教育の仕事につかれたのであります。  次いで、当時内務官僚の大御所と言われた湯澤三千男氏の知遇を得、アジア民族の融和親善のために挺身されました。  やがて、湯澤氏が内務大臣となられるや、請われて内務大臣秘書官となり、続いて内閣嘱託となられるなど、すでに戦前から政界、官界を通じて豊富な経験を重ね、戦後偉大な政治家となるその素地をここで養われていたのであります。  先生が初めて本院に議席を持たれたのは、昭和二十一年四月、戦後初の第二十二回衆議院議員総選挙が行われたときであり、当時、先生は三十六歳、新進気鋭の青年政治家でありました。  自来、今日まで、先生はわが国戦後の政治史とともに歩みを続け、途中、福井市長の要職につかれた一時期を除き、本院議員に当選すること前後十回、在職二十三年に及び、国政の各分野で目覚ましい活躍をされ、多大の功績を残されたのであります。  昭和三十年までの約九年間は、郵政政務次官、通商産業委員長を歴任したほか、党務にも専念され、政治家としてのたゆまざる研さんを積まれました。  特に、故吉田茂総裁の絶大なる信頼を得、先生もまた吉田氏に深く私淑され、自由党幹事長代行、資金局長などの要職を通じ、今日の自由民主党発展の基盤づくりに大きく貢献されたのであります。  しかし、昭和三十年、吉田内閣時代が終わるとともに、先生も一時中央政界を去り、郷里に帰って、長兄信一氏を助けて、福井の名門だるま屋百貨店の経営に任ぜられたのであります。  次いで、市民の要望もだしがたく、無競争で福井市長となり、これまで中央政界で学んだ経験を郷土の建設のために注ぎ込まれたのであります。  中央の政治がどう地方自治体の中に生き、地方住民の声がどう中央政治に反映しているかは、先生の最も関心を持たれた政治課題でありました。これをみずから体験するために、市長に就任するや、早々に市長室を開放し、市民との話し合いの場をつくり、市民対話の市政を全国に先駆けて実践されたのであります。  とりわけ、社会資本、環境整備に力を注ぎ、中央との連絡を密にしながら、福井市の上下水道を普及率日本一に引き上げられたその大きな実績は、今日なお市民の中に語り継がれているところであります。(拍手)  福井市長の任期を全うせられた後、昭和三十八年十一月の総選挙で、再び中央政界に議席を得られました。地方自治体の体験などが先生の人物を一回りも二回りも大きくし、政界指導者としての実力にあわせ、堪能な行政手腕もまた遺憾なく発揮されました。  昭和四十三年十一月には、第二次佐藤内閣の建設大臣として入閣されました。ここで、先生は、市長時代の経験を生かし、下水道五カ年計画を策定し、地方都市近代化の歴史的先鞭をつけられたのであります。  続いて、昭和四十七年十二月、第二次田中内閣には、総理府総務長官、沖繩開発庁長官に就任されました。就任するや、直ちに老人対策本部を新設し、老人問題の総合的推進を図り、他方、青少年の健全育成のために、中小企業で働く青少年を対象とする青年海外派遣制度を創設し、勤労青年に夢と希望を与える政策を打ち出されたのであります。(拍手)  また、先生は、終始一貫、日中国交回復の熱心な推進論者でありました。若き日に中国に学び、多くの中国人と語り合って、中国民族の心情を心の奥底から理解している先生は、だれよりも中国を愛し、中国との善隣友好を願っておられ、日中友好議員連盟の有力なるメンバーとして目覚ましい御活動をされたのであります。一昨年一月には、議長保利先生を団長とする自由民主党訪中議員団に加わり、中国首脳と親しく胸襟を開いて会談し、両国の理解を深め、平和友好条約締結の基礎を固めてこられたのであります。  以上によっても明らかなごとく、先生の政治理念は、中央と郷土を結ぶ政治に徹し、国のすみずみまで温かい政治のともしびを点ずることであり、お年寄りに生きる喜びを、青少年に祖国愛を、そして隣国中国とは、子々孫々に至るまで友好のきずなを結ぶことにあったのであります。(拍手)  この先生の理念は、いずれも私どもが学び、かつ引き継がなければならぬ政治の真髄であり、こうした崇高な信念を心底に秘めて民主政治の伸長に努められた先生の偉大さに、いまさらながら敬慕の念を禁じ得ないのであります。(拍手)  日中平和友好条約締結の機運はまさに指呼の間にあり、その日を待たずして長逝された先生の御心情を思うとき、私どもは、その御意志を継ぎ、その実現のために渾身の力を傾けることをお誓いしなければなりません。  先生は、すぐれた政策の推進者であるとともに、一方、国会運営の分野においても、また余人の及ばぬ練達堪能の士でありました。国会運営のかなめである議院運営委員長の重職につくこと三たび、その間、農地報償法案、ILO条約、日韓条約、四十二年夏の健保法案など、日本の政治史に残る大きな問題にして、しかも与野党対立のまま果てしなき混乱に陥った諸問題について、実に神わざに近い手腕、力量を発揮し、その解決に寄与されたことは、いまなお記憶に新たなるところであります。  昭和四十七年には予算委員長の重任につかれ、さらに昨年十二月、与野党伯仲となった総選挙の後、初の国会において、福田内閣の心臓部を預かる予算委員長に再度就任されたのであります。その間、私はずっと予算委員として、先生と委員会活動をともにし、国家財政を中にして、公私の交わりを深めてきたのであります。  与野党伯仲国会の中で国家予算を審議することは、戦後初めての経験であり、しかも、五十二年度の総予算を審議する予算委員会は、与野党逆転の委員会であります。数を頼りに押し切ることのできない与党少数の委員長として未経験の舞台に立った先生の御心境は、まさに推測するに余りあるものがありました。よほどの力量、よほどの手腕に、あわせて野党委員を心服させる大きな人格と、たくましい説得力がなければなりません。先生はその全部の条件を備え、なお加うるに最大の努力を重ねられ、連日のように、朝から深夜まで、誠意を尽くして各党間の話し合いを進められました。  その結果は、一兆円減税問題など、先例もなく、妥協の余地もないと思われた至難の問題も解決し、近年ますます長期にわたる予算の審議期間を、どの年よりも短期日に、円満に本院を通過せしめ、国民の惜しみなき称賛を受けるに至ったのであります。(拍手)これこそ、坪川先生の作為なき人間性と、その偉大な政治力のたまものというほかはありません。  その後、不況の深刻化と円高問題でわが国経済は曲がり角にあり、特に雇用問題に大きな重圧が加わりました。その意味で、本年度の補正予算も、また重要な政治の焦点となりました。しかるに、第八十二回臨時国会において、この補正予算の審議に入ろうとするやさき、先生はついに病に倒れられ、そして再び立つあたわず、補正予算審議の状況を病床の中で案じながら永遠の眠りにつかれたのであります。  十一月二十八日、郷里福井市体育館で、三千人の市民参列の中で、人間政治家坪川先生のありし日をしのぶ合同葬が営まれました。祭壇の前に立たれた衆議院議長保利茂先生は、「予算委員長の激務があなたの死を早めたことを思うと悔やまれてなりません。」と静かに呼びかけられ、参会者の涙を誘ったのであります。  このお言葉は、私にもひとしお胸の痛みを与えました。かく言えばかくなると知りながら、あえて対決をし、激しく論争もし、そしてその矛を緩め得ぬのが民主政治の原則であります。この政治の持つ非情さが、あなたの死期を早めたとすれば、その罪何をもって償うべきでありましょう。言葉で闘いながら心の中で敬慕し尽くした私の心情を、何とぞ神も御照覧あらんことをひとえに祈る次第であります。(拍手)  ただ一つの救いとも申すべきは、先生の御遺骸を前にされた奥様がきっぱりと、「坪川は議員の皆様の温かい御援助のもとに、予算委員長の重責を果たさせていただき、さぞかし政治家として最後の御奉公ができたと喜んでいることと思います。」と語られたことであります。先生の敬愛する福田首相の要望を受けて予算委員長となり、りっぱにその任務を遂行し、その期待にこたえた先生の御心境を、奥様はこうしたお言葉で代弁されたものと思うからであります。  先生の六十八年の御生涯は、まことに短いものでありました。しかし、先生の、国会に、郷土に、老人に、青少年に、それぞれ残された御功績は不滅であり、年々歳々その光を増すことは疑いありません。(拍手)  先生の生涯を通じての教訓は、「人を敬い、人を愛し、人に交わるに誠をもってせよ」ということでありました。「人を疑うことは、人を信ずるよりもむずかしい」と常日ごろ繰り返しておられたお言葉が深く鋭く心の中に差し込んでまいります。うそをつけず、偽りを言えず、だれからも恨まれず、非難も受けず、真実一路の人柄で国政を動かした偉大な政治家が、いまやこの国会から永遠に去ったことを、改めてお互いに心の中に銘記したいと思います。(拍手)  先生は、郷里には一坪の土地も持たず、東京の御自宅も、大臣となられたとき、警察官が詰め所の設置場所に困ったほどきわめて簡素であり、私生活はあくまで清貧に徹しておられました。先生の胸中に去来するものは、ただ一つ、日本の将来であり、複雑かつ困難な国際環境の中で平和外交を進めることであり、二十一世紀に向かっての食糧資源、エネルギー問題の展望であり、新時代に即応した政治理念と政治の近代化でありました。  ここに先生を失ったことは、ひとり自由民主党のみならず、本院にとっても、国家国民にとっても、まことに大きな損失であります。  先生、坪川先生。呼べどもあの「ほや、ほや」というなつかしい声は再び返ってまいりません。あのあふれるばかりの笑みをたたえた温顔に再び相まみえることができません。この寂蓼、この痛恨、何をもって補うべきでありましょう。  願わくは、先生の御魂魄をこの議場にとどめ、先生の後に続くわれらに永久の御教訓をたれたまうことをひとえに祈り上げ、尽きせぬ追慕の情を、限りある言葉の中にあらわし得ぬもどかしさを嘆きつつ、ここに坪川先生の功績を追懐し、その人となりをしのび、謹んで哀悼の言葉といたします。(拍手)      ————◇—————

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) この際、暫時休憩いたします。     午前十一時三十分休憩      ————◇—————     午後五時三十三分開議

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 休憩前に引き続き会議を開きます。      ————◇—————  中央更生保護審査会委員任命につき同意を求めるの件

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) お諮りいたします。  内閣から、中央更生保護審査会委員に藤井忠君及び武田喜代子君を任命したいので、本院の同意を得たいとの申し出があります。右申し出のとおり同意を与えるに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、同意を与えるに決しました。      ————◇—————

加藤紘一自由民主党

○加藤紘一君 議事日程追加の緊急動議を提出いたします。  すなわち、この際、北西太平洋のソヴィエト社会主義共和国連邦の地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の有効期間の延長に関する議定書の締結について承認を求めるの件、日本国の地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の有効期間の延長に関する議定書の締結について承認を求めるの件、右両件を一括議題となし、委員長の報告を求め、その審議を進められんことを望みます。

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 加藤紘一君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、日程は追加せられました。     —————————————  北西太平洋のソヴィエト社会主義共和国連邦の地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の有効期間の延長に関する議定書の締結について承認を求めるの件  日本国の地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の有効期間の延長に関する議定書の締結について承認を求めるの件

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 北西太平洋のソヴィエト社会主義共和国連邦の地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の有効期間の延長に関する議定書の締結について承認を求めるの件、日本国の地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の有効期間の延長に関する議定書の締結について承認を求めるの件、右両件を一括して議題といたします。  委員長の報告を求めます。外務委員長竹内黎一君。     —————————————  北西太平洋のソヴィエト社会主義共和国連邦の地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の有効期間の延長に関する議定書の締結について承認を求めるの件及び同報告書  日本国の地先沖合における千九百七十七年の漁業に関する日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の協定の有効期間の延長に関する議定書の締結について承認を求めるの件及び同報告書     〔本号末尾に掲載〕     —————————————     〔竹内黎一君登壇〕

竹内黎一自由民主党

○竹内黎一君 ただいま議題となりました二件につきまして、外務委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。  政府は、本年五月二十七日にモスクワで署名された日ソ漁業暫定協定並びに本年八月四日に東京で署名されたソ日漁業暫定協定の有効期間が、ともに本年十二月三十一日に満了することにかんがみ、ソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間に両協定の有効期間の延長に関する議定書を締結するため、本年九月末以来モスクワにおいて交渉を行ってまいりましたが、合意に達しましたので、十二月十六日両議定書に署名を行いました。  両議定書は、いずれも両協定の有効期間を明年十二月三十一日まで延長すること、両政府の代表者は、明後年以降の問題に関して、明年十一月十五日までに会合し、協議すること等を内容としております。  両件は、本十九日本委員会に付託され、委員会におきましては、園田外務大臣から提案理由の説明を聴取し、質疑を行い、引き続き採決を行いました結果、両件はしずれも全会一致をもって承認すべきものと議決いたしました。  以上、御報告申し上げます。(拍手)     —————————————

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 両件を一括して採決いたします。  両件は委員長報告のとおり承認するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、両件とも委員長報告のとおり承認するに決しました。      ————◇—————

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 本日は、これにて散会いたします。     午後五時三十八分散会      ————◇—————  出席国務大臣         法 務 大 臣 瀬戸山三男君         外 務 大 臣 園田  直君      ————◇—————

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