法務委員会 第11号
- 発言数
- 87 件
- 登壇者
- 4 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1978/03/28
会議録
○鴨田委員長 これより会議を開きます。 内閣提出、刑事補償法の一部を改正する法律案を議題といたします。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。稲葉誠一君。
○稲葉(誠)委員 刑事補償法の一部を改正する法律案についての質問ですが、この前に飯田委員から刑事補償の本質について非常に詳細な質問がございました。それに対抗する意味ではございませんが、ちょっとその点に関連をして質問をさせていただきたい、こういうふうに思います。 旧憲法には刑事補償に関する規定はなかった、こういうふうに言われるのですが、それはどういう理由からなかったわけですか。
○伊藤(榮)政府委員 なかった理由は必ずしも定かではございませんが、刑事手続に関する人権の保障に関する細かい規定、これは当時の憲法には一般的に規定がなかったわけでございまして、そういう観点から規定が置かれなかったものであろうと思います。
○稲葉(誠)委員 そうすると、刑事補償法という法律そのものは昭和六年四月二日の法律第六十号であったわけですね。そのときの考え方で、渡邊という司法大臣が補償という言葉を用いた理由に関連して提案理由を述べておる。「此補償法ノ適用ヲ致スヤウナ場合ニ於テ、國家が賠償ヲスルト云フヤウナコトハ絶對的ニイケナイコトデアル、サウ云フ観念ハ茲二考ヘラレナイト同時ニ、國家が賠償シナケレバナラナイ、所謂不法行爲ニ對スル損害ヲ賠償スルト云フ意味ノ賠償ト云フコト、國家ノ権力行爲ニサウ云フ観念ガ是非伴ハナケレバナラヌト云フコトノ、積極的理由モ亦少シモ存在シナイノデアリマス、國家ガ賠償スル義務モナシ、補償スル義務モナイノデアリマスケレドモ、國家ハ一ツノ仁政ヲ布キ國民ニ對シテ同情慰藉ノ意ヲ表スルノガ、此ノ法律ノ精神デアリマシテ、國家ガ何方不法ノ事ヲヤッタカラ其賠償ヲ致スト云フヤウナコトハ、此法律ノ精神ノ中ニハ少シモ含マレテ居ナイノデアリマス、」こういうことを言っているようなんですね。 そうすると、これと現憲法の刑事補償、四十条ですか、これができて、その後の刑事補償の考え方のあれはどういうふうに違ってくるわけですか。
○伊藤(榮)政府委員 申し上げるまでもないことだと思いますけれども、戦前におきましては、おおむね世界各国を通じまして、国は不法をなさず、さらに古く言えば、国王は不法をなさずという法諺、法のことわざに象徴されますように、国というものは、たまたま結果において不法行為と見られるようなことがあっても賠償の責めには任じないものだという思想が一般的であったと思うのでございます。そういう一般的な思想を背景にして、ただいま御指摘のような答弁が出ておるわけでございまして、すなわち旧法の時代には、国というものは賠償義務を負うものではないという一般的な考え方を下敷きといたしますから、刑事補償を行うのは国の恩恵であり仁政である、こういう理解で立法がなされておったと思うのでございます。 ところが、新憲法下におきましては、国家賠償法の制定もございましたように、国といえども、場合によっては不法行為の行為者である場合があり得るという考え方がとられておるわけでございます。これに対応しまして、刑事補償も憲法上の権利として規定されておるということでございまして、今日の刑事補償は戦前と違いまして、国の故意、過失を要件としないというように、損害賠償を定型的な形にしたものに性格が変貌しておると思うのでございます。
○稲葉(誠)委員 この旧刑事補償法の中には、無罪の判決があっても補償しない場合が広く規定されておって、同法の第四条には「無罪又ハ免訴ノ言渡ヲ受ケタル者ニ付左ノ事由アルトキハ、補償ヲ爲サズ」「刑法第三十九條乃至第四十一條ニ規定スル事由ニ因リ無罪又ハ免訴ノ言渡アリタルトキ」これが一つ。二つが「起訴セラレタル行爲が公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反シ著シク非難スベキモノナルトキ」こういうふうにあるわけですが、後の方は別として、前の方の「刑法第三十九條乃至第四十一條」という規定、これは心神喪失の場合とかその他ありますね。それがどうして無罪になったときでも補償しないというふうになっておったわけですか。
○伊藤(榮)政府委員 立法当時の考え方は必ずしも的確に再現することはできないわけでありますけれども、客観的に犯罪行為を犯したと認められる場合において、責任能力に欠けるというだけのために無罪になる者がおるわけでございますが、さような者に対して補償するということは、いかにも正義の観念と申しますか社会通念と申しますか、そういうものに反するというような考え方から、御指摘のように除かれたのではなかろうかと思っております。
○稲葉(誠)委員 そうすると、今度の刑事補償法では、その点の規定はどういうふうになっておるわけですか。これは新しい刑事補償法ができたのでしたか、あるいは刑事補償法の改正という形になったのでしたか、どっちでしたか。
○伊藤(榮)政府委員 廃止、制定という全面改正の形をとっております。
○稲葉(誠)委員 いや、だから、前はこの「刑法第三十九條乃至第四十一條ニ規定スル事由ニ因リ無罪又ハ免訴ノ言渡アリタルトキ」というのが無罪の中の場合でも、除かれておったわけでしょう。しかし、今度はその点が削除になっておるわけでしょう。もちろんこれは憲法四十条を受けてのことだと思いますが、どうしてこれが削除になったのですか。
○伊藤(榮)政府委員 いま御指摘のように、旧刑事補償法では責任無能力者の場合には補償しないことになっておったわけですけれども、新憲法第四十条で「無罪の判決を受けたときは、」という一般的な書き方がなされたわけでございます。 ところで、犯罪成立の一般的要件といたしましては、申し上げるまでもなく三つの要素が必要とされております。構成要件該当性、それから違法性、有責性、この三つの要素がそれぞれ同等の地位を占めておるわけでありまして、このうちの一つでも欠ければ、裁判上、無罪の言い渡しがなされるわけでございます。そこで、この犯罪成立の一般的要件の三つのうちのどの一つを軽く扱うということもできないということでございまして、考えてみますと、もともと、客観的な犯罪的行為がありましても、責任能力のない者については拘禁すべきでなかったのでございます。そういう観点から、犯罪の一般的要件というものと、憲法上の「無罪の裁判」というはっきりとした字句と、それらのことを勘案いたしまして、憲法の精神を充足するには、この心神喪失等の場合をも含めて補償することとするのが相当である、こういう考え方によったものでございます。
○稲葉(誠)委員 その点については、私もそういうふうに思っておるわけですが、これは後で恐らく飯田委員から、この点に関連してまた御意見があろうか、こういうふうに思います。 それからもう一つ、免訴または控訴棄却の裁判を受けた者が、もし免訴または控訴棄却の裁判をすべき事由がなかったならば無罪の裁判を受けるべきものと認められる十分な理由のある者を補償の対象者にしているわけですが、これは政府の提案にはなかったわけですね。まず、なぜ政府の提案にこの部分がなかったのかということをお聞きしたいと思うのです。
○伊藤(榮)政府委員 政府の当時の考え方は必ずしもはっきりいたしませんけれども、要するに、憲法四十条の精神を満たすに必要かつ十分な法律案を作成して御提出申し上げたということであろうと思います。ところが参議院におきまして、いわゆる門前払いの判決、被告人死亡の場合の免訴でありますとか、その他控訴棄却というような場合には、実体的に取り調べをすれば無罪である事件も含まれておるはずである、さようなものが、門前払いの判決決定のゆえをもって補償を受けられないのは公平の原則に反するのではないか、こういうような御見地から御修正をいただいたものというふうに承知しております。
○稲葉(誠)委員 それは参議院で修正したわけですが、衆議院で附帯決議がついておったのじゃないですか。
○伊藤(榮)政府委員 いま、その附帯決議そのものを持ち合わせませんが、恐らくそうであったと思います。
○稲葉(誠)委員 そうすると、この前、刑事局の総務課長の説明は、何か心神喪失の場合などは、自分個人としてはこれから除いてもいいというような意味のことを言われたようにちょっと聞いておったんですが、議事録ができていませんから、ちょっとまだはっきりしませんけれども、それは法務省としては、いま言ったような形で実際には心神喪失の場合もどんどん補償していますから、これも含まれるというふうな理解の仕方、そういうふうにお聞きしていいわけですか。
○伊藤(榮)政府委員 前回、よんどころないことで私がお答えできませんで総務課長に答えてもらったわけですが、そのとき飯田先生の非常に精緻な御理論をいただいたようでございます。事は憲法解釈の問題でございますから軽々に言うべきことではないと思いますが、なお検討して、よく研究してみるというような趣旨でお答えしたようでございますが、憲法四十条に「悪罪の裁判を受けたときは」とあります以上は、多少常識的にしっくりしないところがあると申しましても、憲法の趣旨を尊重して責任無能力者に対しても刑事補償をするということでやっていくべきだ、こういうふうに現在私どもとしては考えております。
○稲葉(誠)委員 この点も後からまたいろいろ議論が出てくると思うのです。 そこで、憲法四十条で規定せられたということから、これは一つの国民の権利として出てきておる、ことに、ほかの災害補償や証人等の被害についての給付に比べて、この刑事補償の場合は権利性が強いから有利なものでなければならないというような議論も出てくるわけなのですが、その点についてはどういうふうにお考えでしょうか。
○伊藤(榮)政府委員 刑事補償の請求権は憲法上の権利として認められる、その他の給付は憲法上の権利として認められておらない、このことから必然的に給付の内容に格差がなければならぬという議論にはならないと思うのでございまして、刑事補償は刑事補償で、国の故意、過失を論じない定型的な損害賠償としてどの程度の内容が相当かということを考えていくべきものだろう、こういうふうに思っております。
○稲葉(誠)委員 そうすると、証人等の被害についての給付の場合に比較してみると、種々の災害補償、災害補償といったっていろいろあるからちょっとはっきりしないのですが、これは金銭的にはどういうふうになっていますか。
○伊藤(榮)政府委員 大変比べにくいお尋ねでございまして、証人被害給付の場合は、証人等に出られましたために身体的危害を受けられた方に対する補償でありますから、補償の内容も療養補償であるとか多岐にわたっております。一方、刑事補償の方は、身柄の拘束を受けておったことに対する補償でありますので、かれとこれを比べることはちょっと困難かと思います。
○稲葉(誠)委員 もう一つの大きな問題は、憲法で規定があるけれども、その金額です。金額を一々法律にしないで政令で賄うようにするということも一部で考えられておるようなのですが、それは憲法との関係でどういうふうになるわけですか。
○伊藤(榮)政府委員 全く形式論から申しますと、憲法では、法律の定めるところにより刑事補償を行うべきこととされておりますから、刑事補償の制度の基本について法律が定められ、細部についてはさらに政令に委任されるということも可能であるかもしれません。しかしながら、事柄は憲法上権利として認められたものでございまして、実質的内容をなします補償の金額につきましては、やはり刑事補償の相当大きな部分を占める問題でございますので、その都度国会における慎重な御審議をいただいて決めていくというのが憲法の趣旨を尊重するゆえんではなかろうか、かように考えております。
○稲葉(誠)委員 いま刑事局長も、慎重な御審議をお願いしたいと言っておるわけですからね。わかりましたか。だから慎重な審議……(「慎重かつ速やかに」と呼ぶ者あり)いや、速やかは後で、慎重の方が大事なのです。(発言する者あり)不規則発言は困ります。 そこで問題になってまいります一つは、最低限度だけ法律で規定されておれば上限は規定されなくてもいいじゃないか、これでりっぱに憲法上の要請を満たしておるではないかという考え方があるわけですね。これはどうなんでしょうか。何も上限まで決めなくたっていいのじゃないでしょうか。
○伊藤(榮)政府委員 確かに、下限だけ決めておいて上の方は政令に任せるというのも一つの考え方であろうと思います。ただ、私どもとしては、下限を法律で書くくらいなら上限も法律で書いた方が一般国民もわかりやすうございますし、また上限についても御審議をいただくということが望ましいのじゃないか、かように考えております。
○稲葉(誠)委員 これは私もよくわからないのですが、イギリスでは刑事補償というのはないのですか。
○伊藤(榮)政府委員 イギリスは今日でも、国は不法を犯さずという考え方が支配しておりますので、刑事補償はないように記憶しております。
○稲葉(誠)委員 アメリカは最初やはりなかったのですね。ずっと後になってこれを設けるようになったようなのです。これははっきりしませんけれども、一九三八年に刑事補償に関する連邦法が初めて制定されて、一九四八年に改められて現在に及んでおる、こういうふうに聞いておるのですが、アメリカではなぜ初めなかったのですか。これはやはりイギリス法の母法の関係もあってなくて、後からできるようになったのですか。
○伊藤(榮)政府委員 アメリカの立法者に聞いてみたわけではありませんが、御指摘のようにアメリカは英法を母法として法律的に発展してまいりましたので、長い間、国は不法をなさずという考え方があったのではないかと思います。御指摘のように、現在連邦法において適用されておりますのは一九四八年六月の改正の部分でございまして、有罪宣告を受けて自由刑に処せられた者が後に無実であったということで破棄されたような場合に補償するということが主な内容のようでございます。
○稲葉(誠)委員 この場合は古い法律で、その後変わっているかもわからないのですが、上限が決まっているだけで下限は決まってないのじゃないですか。五百ドルを超えない範囲の損害賠償の請求を請求権裁判所に提出し得る、こういう規定の仕方のように聞いておるわけですが、上限だけで下限が決まってない、こういうふうに理解してよろしいですか。
○伊藤(榮)政府委員 ただいま御指摘の数字がちょっと違っておりますが、五千ドルで頭打ちということになっておるようでございます。
○稲葉(誠)委員 失礼しました。私の読み間違いで、五千ドルです。 その場合に、定型的に額が決まってないということもあるのでしょうが、「損失の補償は、特定の損害、すなわち収入の減少、弁護費用、無罪釈放を求めるに要した費用などに限られねばならない。」というふうに言っておって、「収入の減少、弁護費用、無罪釈放を求めるに要した費用」こういうふうなものに限定しておるようですね。日本の刑事補償の場合はその点は定型的な損害賠償なんでしょうけれども、何を損害とみなしているわけなんですか。
○伊藤(榮)政府委員 わが国の場合には大きく分けて二つの要素があると思いますが、一つは拘束を受けたことによる経済的損失、もう一つは精神的な損害、この両方をひっくるめて定型的なものとして補償金額を決定しておる、こういうふうになっております。
○稲葉(誠)委員 そうすると、これも私はよくわからないので、にわか勉強で申しわけないのですが、西ドイツの刑事補償法をちょっと勉強してみたのです。これの中でいろいろあるのですが、一九七一年三月八日ですか刑事補償法が制定されて、いままでの二つの法律、一八九八年五月二十日の再審手続において無罪の言渡しを受けた者の補償に関する法律と、一九〇四年七月十四日の責任なくして受けた未決勾留の補償に関する法律が一本化されたというふうに出ておるわけなんですが、そのことを細かく聞いたところでどうということはありませんから聞かないですが、補償義務の範囲を刑事法上の有罪判決の言い渡しの結果の場合のみに限定せず、特定の刑事訴追上の措置にまで拡張したことだ、こういうふうにあるのですが、これは日本の場合に当てはめるとどういうことになるのでしょうか。あるいは当てはまらないのですか。
○伊藤(榮)政府委員 ただいま御指摘の一九七一年三月八日の刑事訴追上の処分に対する補償に関する法律という西ドイツの法律でございますが、これでは、御指摘のように未決勾留のほかに、その他の刑事訴追上の処分による損害についても無罪の言い渡しを受けたりいたしますと補償するということになっておるわけでございます。 その他の刑事訴追上の処分と申しますのは、この法律の第二条第二項によりますと五つ規定してございます。第一は、刑事訴訟法及び少年裁判所法の規定に基づく仮収容及び観察処分というのでございまして、これはわが国の刑事訴訟法あるいは少年法による拘禁とほぼ同じでございます。それから二番目が、刑事訴訟法第百二十七条第二項に基づく仮逮捕でございまして、これも刑事訴訟法の制度でございます。わが国と比べて特色がございますのはその後だろうと思いますが、第三番目に、勾留状の執行を猶予する裁判官の処分というのがございます。これはわが国で似たような概念を探しますと、保釈に一番似ているだろうと思いますが、この場合に、勾留状の執行を猶予してやるけれども、そのかわりにいろいろな指定条件が裁判官からつけられるわけです。たとえば、決まった日時に裁判官のもとなどへ出てこい、あるいは居所を離れてはいけないとか、その他そういう自由の制限を伴う条件がつけられることがあるわけでございまして、そういうような場合に損害をこうむらせることがあるということを予定しておるのであろうと思います。それから第四番目が、領置、差し押さえ、捜索であって、他の法律において補償が定められていない場合ということでございまして、これはわが国の没収の裁判の場合と対比できると思います。最後に五番目に、運転免許の仮取り消しというのがございます。ドイツにおいては、交通事件において裁判所の裁判で運転免許の仮取り消しということが行われております。そのことによって損害をこうむった場合にも補償しようということのようでございまして、これはわが国とは異なる制度でございます。 すなわち、重ねて申し上げますと、保釈の条件によって損害をこうむった、それから免許の仮取り消しで損害をこうむった、これを加えておるのがわが国と違うところではないかと思います。 〔委員長退席、羽田野委員長代理着席〕
○稲葉(誠)委員 いま没収と言われましたけれども、あるいは没収かもわかりませんが、差し押さえ及び捜索によっていろいろ損害を、違法なあれによってこうむった場合にも刑事補償の対象にしろという学説が日本にもありますね。平野竜一さんはそういうふうなことを言っておられるようですが、それは損害額の認定その他が定型的になかなかなりにくいからということで日本の刑事補償法の中に含ませるのは無理だ、こういう考え方をとっておられるわけですか。
○伊藤(榮)政府委員 ただいま御指摘の西ドイツの差し押さえ、捜索という点につきましては、損害をこうむったその者が無罪になった場合に、自分の所有物を差し押さえを受けるるいは捜索を受けたということに関してやるのだろうと思うのですが、私どもの刑事補償法でこれらの点を補償の対象としておりませんのは、やはり刑事手続における身柄の拘束と、その余の諸般の手続上の事柄とは質的にきわめて異なるものであって、人権が侵されることが最も大きい身柄の拘束についてとりあえず補償をしようという思想でできておるわけでございます。したがいまして、そのほかに手続をめぐってのいろいろなことがあると思うのでございますが、これはひとり刑事手続ばかりでなく、一般行政手続、たとえば許認可であるとか、あるいは裁判に近いもので言えば海難審判とか、いろいろ行政上の手続においても同様な事柄が起こり得るわけでございまして、それらのことと総合的に検討して対応すべきものであろうということでわが国では刑事補償の対象としていない、こういう事情でございます。
○稲葉(誠)委員 そこで、この西ドイツの刑事補償法の中で、従来の補償額の上限を廃止したということが一つの大きな特徴になっておるわけです。財産的損害に対しては損害額が五十ドイツマルクを超えたとき、また非財産的損害に対しては、自由の剥奪を開始した日から全一日につき十ドイツマルクを補償することとして、上限を定めた規定が置かれていない、こういうふうになっておるようです。ドルのことは何とかわかりますが、五十ドイツマルクとか十ドイツマルクというのは日本の円にすると一体幾らぐらいなんですか。
○伊藤(榮)政府委員 マルクを円に直すと大体百十倍ぐらいになるのではないかと思います。その日その日で違うでしょうけれども、百十四、五円のところではないかと思います。
○稲葉(誠)委員 ドイツの場合は従来あった上限をどうして廃止して下限だけにしたのか、ここら辺のところがよくわからないのですがね。ドイツのことをどうこう言ってそれをまねしろという意味では決してありませんけれども、制度が違うからあれかもわかりませんがね、前は何か「七万五千ライヒマルクの元本補償額又は年額四千五百ライヒマルクの年金額を超えて賠償を給付することはできない。」というふうに規定してあった、それの上限を廃止した、こういうことのようですね。日本の場合でも、何か上限を廃止しても憲法の考え方から見て違反にはならないのだという考え方を、法務省の刑事局付の検事の人がそういう意味のことを前に、はっきりは言っておりませんけれども、述べておるんですね。これは昭和三十九年ごろにいた井上五郎という人がそういう意味のことを書いていますね。だから必ずしも上限を一々書かなくても、上限は裁判所の裁量に任せるとか、あるいは政令に任せるとかということでもいいのじゃないですか。
○伊藤(榮)政府委員 わが国の場合は、もとが憲法上保障された権利でございますので、全く裁判所に任せてしまうというわけにもまいらぬと思いますが、御指摘のように、下限だけを決めて上限は政令に譲るというようなことは理論上は可能であろうと思います。
○稲葉(誠)委員 それじゃ問題を変えてまいりますが、余り古い統計をかれこれしてもまずいし、大変だろうと思いますので、昭和五十年からにしましょうか。昭和五十年から無罪で刑事補償決定のあった事例を私の方で調べてみたわけです。そうすると、あなたの方のものと違うかもわかりませんが、昭和五十年は七十五件、それから五十一年が四十五件、五十二年が七十一件。昭和五十二年の分は十一月までですね。大体こういうふうになっておるわけですが、これは後で、違うかどうか、一覧表を出してほしい、こういうふうに思います。 そこで一つの問題は、刑事補償があった場合に、無罪があって刑事補償を請求しておるパーセンテージはどのくらいになるのですか。書物によりますと、日本の場合は非常に低い。大体四割から五割ぐらいしか補償請求してないのではないかという統計があらわれておるように見ておるのですがね。 まず、いま私が申し上げた昭和五十年、五十一年、五十二年——五十二年は十一月まで、の無罪で刑事補償決定のあったのは何件ぐらいあるかということと、それから無罪になったのは何件ぐらいあって、刑事補償請求しているのはどの程度の割合かということですね。
○伊藤(榮)政府委員 過去三年間に刑事補償が行われたのは、昭和五十年、五十一年は御指摘のとおりそれぞれ七十五件と四十五件でございます。昭和五十二年は、十二末日までの数字を拾ってみますと、八十三件でございます。三年間合計二百三件ということになります。 ところで、無罪になった者のどれくらいの者が補償請求をしておるかということでございますが、実は遺憾ながら無罪になった人の中で身柄拘束を受けた者がどの程度の割合を占めるかというデータがないのでございます。したがいまして、この補償件数を何かで割ってみたいわけなんですけれども、分母が得られないというのが実情でございます。ただ、裁判所の当局の方から聞きますと、御指摘のように拘束日数が短い等のことで請求しない人も相当おられるということを聞いております。裁判所ではこの制度がなるべく周知されるようにやっておられるようでございますが、実情はどうもそういうことのようでございます。
○稲葉(誠)委員 そうすると、これらの事件は無罪になって刑事補償が決定した事案ですね。これについては一体なぜ無罪になったかということについて、法務省、検察当局としては詳細な調べがしてあるわけですね。いまはどうしているのか知りませんが、昔は無罪になって確定すると上申書を書かされたものだと思いますが、私も書かせられたことがありますが、いまでもその事件がなぜ無罪になったのか、公訴の提起がどこかに欠陥があったのではないかとか、あるいはやむを得なかったとかいろいろな理由で、恐らく一つ一つの事件を高検なり何なりで点検をして、法務省の方に報告がある、こういうふうに思うのです。それでなければこういうふうに人権がじゅうりんされてきた原因というものが不当な公訴提起にあったかどうかということがわからないわけですから、現在の組織では、まず無罪があって確定した場合に、これは一体どういうふうに下から無罪に対する報告が上へ上がってくるのですか。
○伊藤(榮)政府委員 典型的な事例として、まず第一審無罪の場合を申し上げますが、第一審で無罪の裁判がございますと、大きい検察庁では公判部、それ以外のところでは検察官会議というようなものにこれを披露いたしまして、なぜ無罪になったか、捜査に欠陥はなかったか、法律解釈に問題はなかったかというような諸般の法律面、それから事実認定面、あるいは捜査技術面の検討を詳細尽くしまして、もちろんその間に検事正、次席検事の判断も得るわけでございますが、その結果を携えまして高等検察庁へ参りまして、高等検察庁の検察官のもとにおきまして、おおむね複数でやっているようでありますが、同様に無罪となった経緯、あるいはその反省点、あるいは裁判所の判断に誤っているところがないのかどうか、そういう点を多角的に検討いたしまして、やむを得ず検察官控訴すべきものは控訴すべき旨の指揮がなされます。無罪で確定せしむべきものについては、その旨の指揮がなされまして、いずれにしろ、その結果は一審判決の結果の審査の報告書というようなものにまとめられまして、管内の各検察庁あるいはよその高等検察庁、最高検察庁、法務省等へそれぞれ送付されるわけでございます。 なお、特異重大な事件あるいは世間の耳目を引いた事件につきましては、法務大臣、検事総長、検事長が当該地方検察庁から詳細な報告を求めて、これをよく調べることによりまして、本省におきましては会同等の機会に注意を促す、最高検は個々的に注意を促すというようなことをやっておるわけでございます。 上級審で無罪の裁判を確定させました場合におきましては、やはり同様に最高検察庁等が詳細調査をして、その結果を法務大臣に知らせる、こういうような措置がとられております。
○稲葉(誠)委員 いま言われた五十年、五十一年、五十二年の無罪で刑事補償決定のあった事例で、検察官の起訴が事実認定を誤っておったとか、あるいは自白を信頼し過ぎたとか法律解釈を誤ったとか、いろいろ分け方があると思うのです。あるいは検察官の措置が、無罪にはなったけれども、必ずしもこれは不当ではなかった、事案によっては、検察庁限りでとめておくわけにはいかぬ、有罪、無罪はフェアに裁判所の判断に任せるんだということで、起訴して、有罪、無罪について余りこだわらない事件も率直に言うとあるわけですね。いずれにいたしましても、こういうふうな事件について検察官の措置が不当であったとかなかったとかということの項目的な分け方、自白をそのまま偏重し過ぎたとか、あるいは証拠の収集が十分でなかったとかいろいろ分け方があると思うのですが、これはどういうふうに収録して分類しているわけですか。
○伊藤(榮)政府委員 分類と申しましても、そういう意味の分類をして、類型化して反省材料にするということではないわけでありまして、たとえば自白偏重という項目をつくってみましても、自白を偏重する背景には、あるいは自白偏重の結果として、客観証拠の評価違いということが当然ついてくるわけでございますし、また逆も言えるわけでありますし、主として大ざっぱに分ければ、検察官の事実誤認という裁判を受けた場合、それから検察官の法律判断が間違っておるというふうな判断を受けた場合、さらには鑑定結果によりまして心神喪失と認められた場合、大ざっぱに言えばこの三つぐらいに分けて、それぞれについて反省しておるわけであります。
○稲葉(誠)委員 そうすると、それぞれについて反省しているわけですが、本来ならば五十年、五十一年、五十二年のものを、そういうふうに無罪で刑事補償のあったものを一々そういう三つのジャンルに分類して、これは心神喪失はすぐに出てきますが、資料として提出願いたいと思うのですが、これをやるとなかなか、慎重には確かになりますけれども、迅速でなくなるかもわからぬから、どうしますか、やってもらいましょうか。できますか。
○伊藤(榮)政府委員 何分合計二百三件の事件でございまして、検察当局としては、刑事補償が行われたということで反省しておるわけではなくて、無罪になったということで反省しておるわけでありますから、無罪になったものの中から刑事補償が行われたものを裁判所に拾い出していただきまして、それからその記録の所在を八方手を尽くして調べまして、そうしてそれに見合う無罪審査の結果を引っ張り出すということになりますと相当な大作業になりますので、できましたら、一般的なお答えを誠心誠意申し上げるということで御勘弁いただきたいと思います。
○稲葉(誠)委員 無罪判決のあったものは、この刑事補償決定のあったものよりも多いわけでしょう。大体倍ぐらいあるのじゃないかなと思っております。一々それを検討して、なぜ無罪になったかということを検討して、そして最高検でやるのかどこでやるのか知りませんが、捜査のミスのような場合とかなんとかでそれは人事にも関係してくるのですから、相当大きなウエートを占めてくるのじゃないですか。だけれども、これは全部やると言ったってなかなか大変ですから、そこまでは要求しないことにします。 そこで、これを見てみると気がつくのは、非常に近来これが多いのですよ。威力業務妨害、凶器準備集合、暴力行為の処罰、それから騒擾助勢、これは特別なものかもわかりませんが、非常に多いのですね。どんどんそれがふえてきている。ことに凶器準備集合が非常に多いわけですね。だから、これは全部労働運動、学生運動だとは言いませんけれども、そうでないものもあるかもしれませんけれども、これらは大体において学生運動ないし労働運動の場合ではないのですか。
○伊藤(榮)政府委員 一番顕著でございますのが凶器準備集合と凶器準備結集なのですが、これは労働運動というものではなくて、過激派の内ゲバその他の過激な事件あるいは集団暴行事件、こういうものが主になっておるのだと思います。 〔羽田野委員長代理退席、委員長着席〕
○稲葉(誠)委員 それがどうしてこんなに無罪が出て刑事補償が出るのですか。無罪になれば刑事補償が出るのはあたりまえだからそれはいいのですが、どうしてこういうふうに無罪が出るのですか。これは恐らく非常に網を張った——網を張ったという言葉は悪いけれども、少し乱起訴の傾向があるのじゃないですか。これがとてもふえていますね。本当に凶器準備集合が非常に多いのだ。近来非常に目立ってふえている、こういうことですね。 いずれにいたしましても、そういうふうなことで無罪がここのところ前よりも、全体の起訴がふえているのかもしれませんけれども、ふえているのじゃないですか。
○伊藤(榮)政府委員 第一審の無罪の総数は、大局的に観察いたしますと無罪率は逐次減少の傾向にあります。昭和五十年におきます第一審無罪人員が二百二十一人で、無罪率にしまして〇・四%、それから五十一年が無罪が百八十三人で無罪率〇・三%ということで下がっておるわけです。 御指摘の各種罪名のうち、たとえば暴力行為処罰法違反をとってみますと、昭和五十年の無罪率が〇・五%、五十一年の無罪率が〇・三%ということでありまして、総体の無罪率と余り開いておりません。それなのに補償請求の件数がふえて出てくると申しますのは、身柄拘束のまま裁判を受けるのが大変多いということが一つ、それから権利意識が強いということが原因ではなかろうかと考えられます。 それから凶器準備集合、同結集につきましては、五十年の無罪率が二・三%、五十一年の無罪率が七・八%と、こうなっておりまして、この凶器準備の事件はときにかたまって起きますので、年によって補償の件数も大変アンバランスがございます。多いことは多いとしてもアンバランスがあるわけでございます。 この種の事件でなぜ無罪が多いかということをひとつ考えなければならぬわけでありますが、要するにこの種の事件、過激派による凶器準備集合あるいは結集の事件と申しますのはほとんどが黙秘でございまして、黙秘のまま共犯関係を客観証拠で認定をして起訴せざるを得ないというような状況がしばしばあるわけでございますが、公判へ参りまして、にわかにしゃべり出して共犯関係を否定するというようなことで、共犯関係が裁判上証拠によって認定されなくて、共犯関係から裁判の判断上脱落していくというものが相当数見られるわけでございまして、それらのものが無罪率を高めておる一つの原因であろうと思っております。 さらに、この種の事件は、御承知のように身柄拘束のまま裁判を受けることが多いわけでございますし、また無罪になりますと直ちに補償の請求をする。こういうようなことで、刑事補償請求件数の中で凶器準備集合等の事件が、昭和五十一年で一三・三%、五十二年で二一・七%を占める、こういうことになっておるように思います。
○稲葉(誠)委員 日本の検察庁の場合は、無罪率が非常に低いということで世界的にも著名なものであるというふうにいままで聞いていたわけですね。通常の無罪率というのは、日本の場合どの程度ですか。それから外国と比べて、外国の法制は違いますから何とも言えませんけれども、ことに陪審なんかやっている場合は違いますからあれですけれども、それはどういうふうになっているかということが一つですね。 それから、いま五十一年度の無罪率が七%というふうにちょっとお聞きしたのですが、非常に多いのですね。ですから、この次に、五十一年度に限って凶器準備集合が、幾つもありますが、それがなぜ無罪になったのか、それは起訴自身に問題があったのではないか、こういうことを少し聞いておく必要があるのではないか、こういうふうに思うのです。ほかの国と比べて日本の無罪率というものはどの程度のものですか。
○伊藤(榮)政府委員 わが国におきます無罪率は、道路交通法違反事件などを入れますと、ほとんどゼロに近づいてしまいますので、通常、第一審事件に限って見てみますと、先ほどもちょっと申し上げましたように、裁判総人員に対して〇・三%から〇・四%のあたりを上下いたしております。これに対して、先ほど五十一年の凶器準備集合が無罪率七・八%と申し上げましたが、数にしますと無罪が十三人というわけでして、全部で百六十六人に対して裁判が言い渡されたわけでございますが、百五十三人が有罪、十三人が無罪、こういうことでございます。 なお、諸外国の無罪率でございますが、法制がいろいろ違いますから一律にその数字だけで云々することはできないと思いますけれども、アメリカなどでは、州によって違うようでありますが、二〇%からあるいは四〇%に及んでいるところもあるようでございますし、大陸、たとえば西ドイツなども、これは私の記憶でございますから間違っておれば後に確認して訂正しますが、無罪率は一七、八%ではなかったかというふうに思っております。
○稲葉(誠)委員 それは日本の場合は、たとえば再審をやって、実際に未決で入っていたものよりも少なくなった場合、あるいは、再審でなくてもいいのですけれども、未決よりも実際の刑が少なくなった場合に、差し引いて実刑よりも上になる未決ですね、このものについてはどうなんですか、日本の場合には。それも未決として刑事補償の対象になるのですか。質問の意味、おわかりですか。
○伊藤(榮)政府委員 たとえば三カ月間勾留されておりまして、裁判の結果懲役二月になるという場合がございますと思いますが、その場合、俗な言い方ですが一カ月のおつりが出るわけでございますが、それについて補償するというたてまえはとっておりません。
○稲葉(誠)委員 それはどうしてですか。
○伊藤(榮)政府委員 結局いまの例で申し上げますと、三カ月の未決勾留というものは裁判を行うのに必要な期間でございましたわけでありまして、それが裁判の結果有罪とされた。したがって、その未決期間については補償する必要がない、こういう考え方でございまして、未決勾留日数というものを裁判の有罪、無罪、あるいは刑期の中へ算入するとかしないとかいうことを結びつけて考えるのは必ずしも適当でない場合があるのじゃないか、いまちょっと適切な事例を思い起こしませんけれども……。ただ問題は、こういう場合があろうと思います。再審の結果、罪名が変わりまして法定刑が変わる、その結果処断刑が変わる、低く変わりましたために、すでに服役した部分との差額が出るというようなことはまず考えられると思います。まあ観念的な話でありますが、いままでそういう事例を聞いたことはありませんが、観念的にあり得ると思われます。そういう場合、先ほど御指摘の西ドイツでは補償の対象としており、わが国ではいまだしておらない、こういう状況でございまして、この部分については将来の問題として検討の余地があるのじゃないか、かように思っております。
○稲葉(誠)委員 いろいろ時間の関係もあるものですから早目に終わりますが、もう一つお聞きしておきたいのは、この刑事補償で補償金をもらった、それのうちで国家賠償を請求するのはどの程度のものになりますか。
○伊藤(榮)政府委員 刑事補償を受けたもので国家賠償を請求するというのが何件あるか、適切な統計はないと思いますけれども、一件一件拾えば、数も少ないことでありまして、大体年間に一件か二件であろうと思います。特に再審で無罪になったような場合には、おおむね刑事補償を受けた後に国家賠償を請求しておられる、こういう例がちらほら見えるように思います。
○稲葉(誠)委員 これで質問を一応終わりますが、そこで、いま言った、無罪になり刑事補償をもらった、あるいは刑事補償をもらわなくても構いませんが、無罪になって国家賠償を請求するという場合に、故意、過失を国家賠償では要求しているわけですが、故意の場合はないでしょうけれども、無罪が出て確定した場合には、過失が一応国側にあったという推定を受けて、だから、それを覆すためには国側で過失がなかったんだということを主張し、立証することになるのですか、あるいは請求権者側で国側の、まあ故意はめったにないでしょうけれども、不法行為による過失を主張し、立証しなければならない、こういうことに現在のたてまえではなるのですか、どういうふうになるのですか。
○伊藤(榮)政府委員 国家賠償の請求は民事訴訟手続で行われますので、法律のたてまえとしては、主張する者がこれを立証する責任があるということでありますから、法律上のたてまえでは国家賠償を請求する人が捜査機関なり裁判機関なりの過失を主張し、その過失の内容を立証しなければならぬ、こういうことになっておるわけでございますが、裁判の実際は、おおむね定型的な、外形的な事実を立証されまして、それによって裁判官が事実上の推定を働かせながら判断をしておられる、こういうことだろうと思います。
○稲葉(誠)委員 一応これで終わります。
○鴨田委員長 次に、飯田忠雄君。
○飯田委員 先般私は、無罪の裁判についてという問題と刑事補償の性質の問題、第三番目に、刑事補償をするときの問題、この三つの点について御質問を申し上げましたのですが、どうも十分な御答弁を得ることができませんでした。それで重ねて質問を申し上げたいと思います。 まず最初に、第一の問題から入りますが、刑事補償の性質の問題です。これにつきまして先般お尋ねをいたしましたけれども、的確な御答弁が得られないままに終わってしまいましたので、重ねて御質問申し上げます。 国家賠償法というのがございますが、国家賠償法では、公務員の公権力によるところの行為によって、公務員が故意、過失がある場合ですが、その場合に損害を与えた、それに対する補償を国家賠償法でやるということになっております。刑事事件におきまして、警察官とか検察官とかあるいはそのほかの方々は皆公務員でございます。この公務員の方々の故意、過失によって勾留をいたしたところが、その人はたまたま勾留に該当するような事件に関与していない、無罪となった、こういう場合に払う金の問題が補償法として決められております。そこで、この刑事補償がもし損害賠償だ、そういう損害賠償の性質を持つということになりますと、国家賠償法で賠償をした、その同じことについて再び賠償をするということになります。二重損害賠償の支払いということになります。こういうことは今日の法体制で認められるだろうかということを私、疑念を持つものであります。 ところが、刑事補償法の規定を詳細に見てみますと、損害賠償も含めて支払うとなっているわけです。ここのところがどうも疑問が多いと私は思います。元来刑事補償といいますのは、本来の性質は、罪を犯していないのにそれを勾留した、それに対して大変な御迷惑をかけたということを理由とするところの慰謝料ではないかと私は考えるわけです。損害賠償であれば国家賠償法で賠償がなされるものでありますので、その点のところについての御見解を承りたいと思います。
○伊藤(榮)政府委員 国家賠償法に基づく賠償も刑事補償法によります補償も、国からの損害賠償の性格を持つことは一緒であろうと思います。ただ、どこが違うかといいますと、国家賠償法の場合には、当該公務員の故意または過失があることを要件としております。一方、刑事補償法の方は、故意、過失を全く問わない。過失がない場合でも補償をする。反面、補償の額を定型化しておりまして、その中に財産上の損害及び精神的な損害、すなわち慰謝料、これを含ましめておる、これが違っておるわけでございます。 ところで、国家賠償という制度があるのに刑事補償という制度を設けております趣旨は、国家賠償はいま申しましたように故意、過失を要するわけでありますが、考えてみますと、結局裁判で無罪になるような人が身柄の拘束を受けられたということ自体大変お気の毒なことであり、かつ国の機関の責任でそういう状態になられたわけであります。そこでとりあえず、とにもかくにも定型化された形において補償を差し上げておきましょう。しかしながらこれは定型化された額でございますので、人それぞれによって経済的な事情あるいは精神的な損害の度合いが違うわけでございますので、この刑事補償の額からはみ出る部分については、故意、過失の存在を要件とはいたしますが、国家賠償で請求していただく、こういうようなことになっておるわけでございます。もっとも、刑事補償を受ける前に国家賠償をお受けになって、刑事補償と国家賠償の額との間にプラスの差額があるとしますれば、その分を刑事補償で御請求になるということももちろんできるわけでございます。そこで刑事補償法は第五条におきまして、国家賠償法その他の損害賠償を請求することをこの法律は妨げるものではない、こういたしまして、どちらかの補償あるいは賠償で一定の額の補償ないし賠償を得られた場合には二重にはもらえない、どちらかから差し引いて支払うというような調整規定を設けて、その国家賠償と刑事補償との関係を調整をしようとしておるわけでございます。
○飯田委員 現行法の刑事補償法のたてまえは、規定の内容からそのようになっておるようでございますね。特に第四条で、本人が受けた財産上の損失、得るはずであった利益の喪失、これを補償しよう、これが刑事補償法だと書いてありますが、それでありますならば、国家賠償法で済むのではないか、私はこう申し上げるのです。国家賠償法で済むのに、わざわざなぜ刑事補償法という法律を二重につくらねばならぬのか。これは国家賠償法の方ですと時間がかかり過ぎるんだということであれば、それは裁判上の手続の運用の問題ではないか、このように実は私、考えたわけです。 それから次に、刑事補償法の場合、故意、過失を問わず損害賠償するんだということになりますと、これは損害賠償の基本的な観念、性質を大変ゆがめてしまうことになるのですが、そういうことを法律でおやりになるということは困るのではないかという問題、疑問があるわけです。この点はどうでございましょうか。
○伊藤(榮)政府委員 伝統的な損害賠償と申しますものは、御指摘のように故意、過失を前提とするのが本来であったのでございますが、最近民法上——私、民法は素人でございますが、無過失責任を問うというようなケースも出てきておるようでございます。たとえば工作物の瑕疵でございますとかそういうものがあるようでございますが、次第に社会構造の複雑化、発展に伴いまして、必ずしも過失の存在は証明できないけれども、たとえばそういうものが存在することによってどうしても他に損害をこうむらせる可能性があるというような場合には、無過失であっても損害賠償をするというような考え方が次第に出てきておるように思うわけでございます。したがいまして、伝統的な損害賠償の法理からいたしますと例外的なことにはなろうかと思いますが、刑事補償におきましては、国の機関がそういう損害をこうむらせたわけでありますから、国の故意、過失を問わないで補償してあげよう、こういう考え方でできておるわけでございまして、それはそれなりの政策として妥当性があるのではないか、かように思っております。
○飯田委員 その点はよくわかりました。そうでありますならば、国家賠償法と刑事補償法は統一をとる必要がないだろうかという私は疑問を持つわけです。国家賠償法ではわざわざ故意、過失の場合だけ公権力の行使による損害賠償をいたしまして、それがたまたま刑事に関するとそれだけ無過失責任を認めるというのでは、同じ公務員の不法行為に関する国民に対する補償に差ができてまいりまして不公平ができると思いますが、この点についてはどうでございますか。国家賠償法をお改めになる、国家賠償法の方も故意、過失を抜く、そういうお考えがあるのでしょうか、お尋ねをいたします。
○伊藤(榮)政府委員 国家賠償法を所管しておりませんので、私からお答えするのはいかがかと思いますけれども、刑事補償との関連において一応の意見を申し上げさせていただきますと、国家賠償の場合はもともと、先ほど稲葉委員の御質問の際にもお答えしましたように、国は不法を犯さずというような思想でずっと来ておりましたのを、戦後、新憲法の精神にのっとりまして、国もまた、一般国民に損害を与えた場合には、故意、過失のある場合には、損害賠償の一般法理に準じて賠償するというふうにされたわけでございます。 そこで、ただいまの御提言は、この国家賠償法から当該公務員の故意、過失という要件を取っ払って広く賠償するようにしてはどうかということでございますけれども、考えてみますと、国の機関が行います行為というものはきわめて万般にわたっておりまして、先刻御承知のとおり、憲法上の諸権利もこれが衝突する場合もあるわけでございますし、また、公共の福祉という観念から一定の私権の制限がなされる場合もあるわけでございまして、そういうあらゆる国の行為につきましては、利益を得る人がある反面、必ずと言っていいほど損害を受ける人も主観的にはあるのだろうと思います。そういう場合をすべて、当該公務員の故意、過失にかかわらず賠償するということになりますと、著しく正義に反するような、ひいては憲法の精神、趣旨と背馳するような結果になる場合もあり得るのではないかと考えられるわけでありまして、この際は、ただいま刑事補償法がとっておりますように、特殊な全国民的な必要性のある部分について、個々的に、故意、過失という要件を外したそういう法律をつくって特定の分野の事象に対応する、こういうことがいいのではないかという気がいたすわけでございます。
○飯田委員 そうしますと、刑事補償法は国家賠償法の特別法だ、このように御理解になっているように実はお聞きしたのですが、特別法ならば、特別法を優先的に実行するのが正しい。そうしますと、刑事補償法において賠償すべき損害賠償は、本人が受けた実際上の財産上の損失と得べかりし利益の喪失でございますが、これを制限することなく、国家賠償法で要求する方は、刑事補償法で要求したらもうできないのだということにして、特別法ですから、刑事補償法の方で全部要求するというふうにお考えになっておるのでしょうか、その点をお伺いします。
○伊藤(榮)政府委員 刑事補償法というのは、国家賠償法に対する関係において、一面特別法でございます。故意、過失を要しない等の点において特別法の性格があると思いますが、また、無罪になった人に広く補償するということにおいて、必ずしも特別法でもないような性格があると思いますが、それはさておきまして、刑事補償法の方で財産上の損害あるいは精神的な損害を一〇〇%個々具体的な事案に応じて補償していくという制度にしてはどうかということでございますが、確かに一つの御指摘であろうと思います。 ただ、その場合一つ考えなければならないと思いますのは、現在のやり方でありますと、金額において損害額が定型化されておりますので、きわめて迅速にそれなりの補償がなされるわけでございますが、個々具体的な損害額というものをすべてカバーしてあげるという制度にいたしますと、事が、身柄を拘束されたことによって何ほどの財産的な損害を生じたか、逆に言えば、身柄を拘束されなくても生ずべかりし損害を算定してそこから差っ引くとか、事実認定その他、非常に複雑かつ困難な事実調べ等を要することとなろうと思います。そういたしますと、結局、現在国家賠償手続において要しておるような期間あるいはこれに近い期間を要するようなことになりまして、身柄拘束を受けた末に無罪となった人に対する補償を迅速にとりあえずしてあげようという目的がやや実現がむずかしくなるのじゃないかというふうに思うわけでございまして、そういう観点から定型化された金額でいま臨んでおるわけでございますが、先ほど稲葉委員からも西ドイツの法制等を御引用になりまして御指摘がございましたし、ただいまも御指摘がございましたので、将来の研究課題として十分承っておきたいと思います。
○飯田委員 この問題は、それではこれでやめまして、次に、このたびの法案によりますと、補償金につきまして、附則の2で、既往にさかのぼらないということになっておりますが、この補償金というのは、元来補償するときの法律によって支給するのが正しいのではないかと考えるわけであります。 なぜならば、政府の方の御処理によって補償するときが早かったりおくれたりするはずでありますが、それが原因となって、一部の人はそのときの法律で支給を受けるが、ほかの人はそのときの法律で支給を受けないで、必ずしも十分なことにならないということになろうと思います。そこで、附則の2というのは、これは無用のものではないかと思いますが、いかがでございますか。
○伊藤(榮)政府委員 ただいま御指摘がございました、身柄の拘束を受けたときを基準に払ったらどうかというような点の御指摘でございますが、この刑事補償の請求権と申しますのが、無罪の裁判が確定した時点で発生するということに相なっておるわけでございまして、その請求権が発生した時点において請求権の内容というのは抽象的に確定をする、こういう考え方をいたしますと、やはり無罪の裁判が確定した時点でそれぞれの人が持たれる請求権の抽象的内容が決まるという意味において、その確定の時期に施行されている刑事補償法によって補償して差し上げる、これが理論的に筋が通るという観点から、このような附則を設けておるわけでございます。 ただ、同じ時期に同じ程度の抑留、拘禁を受けたのに、裁判を受けた時期が一人の人は旧法時代であり一人の人は新法になってからである、こういう場合が生ずるということをどう調整したらいいか。すべて補償を受けられる人の利益になるような方向で考えてみたらどうかというのも一つの御意見としてあるわけでございまして、この点は将来なお検討してみたいと思いますが、ただいまのところは、請求権の発生という時期で法律の適用をいたしたいと、かように考えておるわけでございます。
○飯田委員 それでは、この問題は御研究いただく内容といたしまして、この際、これ以上お尋ねはいたしません。 そこで、次に問題となりますのは、この刑事補償法は、無罪の裁判を受けた者に対して補償をする、その趣旨から設けられたと承っております。結局、憲法の四十条が根拠になっておるというふうに思うわけでございますが、憲法の四十条で言うところの無罪の裁判というのは、これは拘禁された者とか抑留された人が罪になる行為をしていない、罪になる行為をしていないのに間違って逮捕された、そして抑留された、こういう場合に無罪の判決を下された、これは本当に行為者が罪となる行為をしていないのですから、つまり抑留された人がしていないのですから、だからそれに対して補償する、そういうたてまえで憲法の四十条はあるというふうに理解できるのでありますが、この点についていかがでしょうか。
○伊藤(榮)政府委員 現行刑事訴訟法で使っております無罪という言葉と憲法第四十条に言う無罪という言葉の概念を一致せしめる必要はないのではないかという御趣旨に帰すると思うのでございますが、憲法三十条あたりから四十条あたりにかけましての諸規定は刑事手続に関する人権の保障規定でございますが、これらは憲法自体としましても、現在の刑事訴訟法あるいは刑法というようなものではないにしましても、これによって代表されます近代的な刑法あるいは刑事手続というものを念頭に置きましてそれぞれの規定がなされておるというふうに思うわけでございます。 そこで、憲法第四十条で無罪という言葉を使いましたときにどういうことをその二字の中で考えられたかということが問題になるわけでございますが、この新憲法制定の前後を通じまして、刑罰法令のあり方につきましては、やはり犯罪の成立要件としては構成要件該当性、違法、有責、そういう三つの要素が三本柱として存在して初めて犯罪と言い得るという一般的刑法思潮、こういうものを踏まえてできておると思うわけでございまして、そういたしますと、そのうちのどれ一つ欠けても無罪という裁判がなされるわけでございまして、そういう意味で憲法第四十条で書いております無罪も、この犯罪と言い得るための三要件のいずれかあるいはその全部が欠けた場合、これのことを言っておるものと解せざるを得ない、かように思っておるわけでございます。あるいは他に、ただいま仰せになりましたように、構成要件該当性が犯罪成立のための幹でありまして、違法とか有責というのはその支え木のようなものであるという考えをとるといたしますと、この憲法四十条の無罪を犯罪構成要件該当性のみの意味に限って解釈することができると思いますけれども、私どもはただいま御説明しましたように、三要素が犯罪の成立のために必要だという立場を踏まえて憲法がつくられたものというふうに考えておる次第でございます。
○飯田委員 憲法制定当時に刑法解釈を入れて制定されたというお説でございますが、どうも私はこの点については疑問を持つわけでございます。本当にアメリカの人たちがドイツ流の無罪を考えておったかということでございます。 〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕 憲法は御承知のように日本国家において立法したものではございますけれども、その草案はGHQの、ほとんどの根本的な修正は許されないほどの強い要求に基づく御提案であったはずでございます。このアメリカ刑法においての無罪という言葉とドイツ刑法における、ドイツの学者が言う無罪という言葉には、おのずから違いがあったはずでございまして、私どもは憲法四十条というのはドイツ刑法学で言う犯罪構成要件というものを考えておらないのではないかというふうに考えるわけでございます。これは当時の立法事情をもっと詳しく調べていただかなければわかりませんので、後ほどぜひお調べになっていただきたいと思うわけです。 そこで、その憲法問題は憲法問題で一つ宿題を残しまして、次に、時間の都合で刑法問題に移りたいと思います。 憲法の規定はそのようになっておるのだが、では刑法ではどうなっておるかという問題につきまして、わが国の刑法は御承知のように第一編、第二編と分けまして、第二編の方において罪の規定を設けております。この罪の規定は、御承知のように罪と刑は法律をもって定めなければならないという原則に基づいて書かれておるのでございまして、ここに掲げられた罪はすべてそれに該当すれば無条件に罪なのであります。たとえば百九十九条の人を殺した者は、この概念に当てはまればそれは殺人なのでありまして、ただそれを罰するか罰しないかは別の要件によって決めることになる、そういうたてまえを日本の刑法はとっておると思います。そして罰するか罰しないかを決める要件は、これは主として第一編の第七章におきまして決めております。 そこでこの第七章に決められておる法令による行為とか正当防衛とか、あるいは緊急避難とか責任無能力者の行為とか、こういうものの本質をどう考えるかという問題につきまして、これは学説が分かれておることは私も承知をいたしております。しかし、ここで考えなければなりませんのは、行為者の主観的事情とそれから客観的に発生した事実、この問題は分けて考える必要があるのではないか。客観的に発生した事実の問題は、刑法第二編の罪に該当する事実の実現であります。もちろんその中には故意、過失も入りましょうし、いろいろ入るでありましょうが、その第二編に決めてあることに該当した行為が実現すればそれで罪があるということになるわけであります。それを特にそれだけで罰したのでは責任主義に反する。わが国の刑法は責任なければ刑罰なしという責任主義の伝統によっておるというふうに言われております。このことは非常に重大でございまして、責任がなければ刑罰はないのだ、ということは、逆に言えば、責任があれば刑罰があるかというとそうではないのであります。責任はあっても刑罰はない。そういう責任があるから必ず全部刑罰を科するということではない。要は責任がない者を罰してはいけない、こういうことでありまして、それならばどのような場合に責任がないかといいますと、刑法の第一編第七章に書いてあることであります。あの第七章に書いてある法令による行為とか正当防衛とか緊急避難とか責任無能力の行為、こういうようなものは責任がない。つまりおまえのやったことはけしからぬではないかと言って責めることができない事情にある、だからそういう場合は罰しない、こういうたてまえで刑法は現実に制定されておると見ざるを得ないわけであります。ドイツ刑法学者が何と言おうと、日本の刑法学者が何と言おうと、それは学説であります。少なくとも刑法の現実の規定はどうなっておるかという問題からいきますと、私はそう理解せざるを得ないと思います。 そこで、罪というところに該当する行為が実現すれば罪はあるのであります。罪はあるのだけれども正当防衛だから罰しない、緊急避難だから罰しない、あるいは責任無能力者の行為だから罰しないというのは、そうした行為には犯罪者としてきめつけるには適当でない事情があるからであります。少なくとも刑罰適用能力がないとされるか、あるいは社会責任観念からいいまして加害者に違法意識がない場合である、だから責任を問い得ないのだ、責任を問い得ないから罰しない、これが現行刑法の立法のたてまえになっておるというふうに理解せざるを得ないのであります。 そうしますと、ここで問題になりますのは、無罪とは何であるかといいますと、これは刑法の「第二編 罪」に掲げてあるそのことに該当する事実あるいは該当する行為を実現しなかった場合、これが無罪だと言わざるを得ないのであります。刑法第二編に決めてある行為を実現した場合あるいはそういう行為をした場合、行為がある場合、これを無罪とは言い得ない、罪はあるのですから。それは無罪ではなくて、明らかに罪はある場合であります。ただ、それを罰するか罰しないかは別の事情によって、行為者の主観的事情を取り入れて罰しない、このように刑法ではなっておるというふうに理解されますが、この辺についていかがでございますか。
○伊藤(榮)政府委員 ただいまの御質問にお答えいたします前に、宿題をちょうだいしたような形になっておりますので、その点だけちょっと宿題の半分前渡しというようなことで申し上げさせていただきたいと思います。 憲法制定の経過につきましては私どももさらに深く調べてみたいと思いますが、憲法第四十条の刑事補償に関する規定は、国会において議員修正で入れられました規定でございますので、これはあるいはアメリカ軍の影響がなかったのではないかという感じもいたしますが、その辺もなお調査してみたいと思います。 それから、ただいまの無罪の本質といいますか、罪というものの本質についての御議論でございます。拝聴しておりまして、はなはだ傾聴に値するお説であるというふうに思っております。ただ、しかしながら、たとえば刑事訴訟法第三百三十六条で、被告事件が罪とならないときは無罪の言い渡しをするということになっておるのですが、この場合の「罪とならない」ということの中には、伝統的に最高裁判所におきましても、先ほど申し上げました三要件を平等に扱いまして、責任能力のない場合あるいは違法性のない場合、いずれも罪とならないということで解釈されておるわけでございます。したがいまして、刑法各則の構成要件を充足するけれども、責任阻却事由がある、あるいは違法性阻却事由がある場合の裁判言い渡し方法については改めて規定をしておらないのが刑事訴訟法なのでございまして、ただいまのお話は私どももよく承って勉強させていただくべき分野の事項であるというふうに思いますけれども、私どもといたしましては、最高裁判所が確立いたしております罪というものの考え方、これに従って考えていかざるを得ない、こういうふうに思うわけでございます。
○飯田委員 ここで一つ私の考え方を申し上げたいのですが、罪と犯罪とは違うということです。罪というのは、これは刑法で決めてある問題でございます。犯罪は、その刑法で決めてあることに該当する事実を犯した場合。犯すという以上は、そこに責任能力の問題が入ってまいります。責任能力等を加えた場合に犯罪というのですが、罪という場合は、刑法の第二編に書いてあるあの条項に当てはまる事実を実現した場合、あるいはそういう行為をした場合、それを罪と言うわけですね。罪、それに責任能力が加わって考えた場合が犯罪。罪を犯すのですから、犯すと犯すのないのとでは大いに意味が違う、このように考えるわけです。ここで無罪という場合は、明らかにどの法規を見ましても罪とならない、罪となるべき行為がない、これが無罪。犯罪を犯してないという言葉は使ってないのです。刑事訴訟法でもそういう言葉は使ってないと私は思います。刑事訴訟法では、無罪の判決を言い渡すべき場合としましては「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないとき」こうあるわけです。明らかに使い分けをいたしております。「罪とならないとき」あるいは「犯罪の証明がないとき」、違うわけです。もしこれが同じものであるなら同じ言葉を使わなければいかぬのですが、同じ条文の中でこのように使い分けておるということは、この場合の罪というのは、刑法の第二編に書いてある罪、その罪に該当しないという場合のことであり、それから被告事件について犯罪の証明ができぬという場合は、もちろん罪の証明ができないばかりでなしに、そういう行為者の主観的事情も証明できぬという場合も含まれる、このように理解できるのですが、この点についてはいかがでございましょう。
○伊藤(榮)政府委員 刑法学の分野におきましては私ども先生に対抗するだけの知識を持ち合わせないのでございますが、役人といたしまして、わが国の最高裁判所が現にとっておる立場、これで対処させていただくより仕方がない。そういう意味におきまして、ただいまの御指摘に、そのとおりの解釈で今後いたしますというふうにお答えできないのを大変残念に思っておる次第でございます。
○飯田委員 私は裁判の現実の問題を申し上げておるのじゃなしに、立法の問題を申し上げておるのです。立法する場合の態度、考え方の問題を申し上げておるわけですが、最高裁の判例がどうあろうと、それは法律を根拠にしてなされるのですから、われわれ立法者の立場としては、判例が合憲的であるか、判例が合理的であるかという点を詳しく審査すればいいと思っております。 私は、最高裁の従来の判例がどうもドイツ刑法の理論に煩わされておるような気がしてしようがないのです。私はもっと刑法の理論も英米法の刑法理論をお考えになっていく必要があるのではないか、刑事訴訟法が英米法によりながら刑法だけドイツ法だというのは、これは考え方がおかしいと思います。もう少し英米法では融通のある考え方をしているわけですね。決してドイツ法のような固定した考え方はとっていないのです。この刑事補償法というものは、明らかに現行憲法を基礎にしております。現行憲法は、これはアメリカの憲法思想を多分に受けておるわけなんです。ですから、そういう点からいきましても、必ずしも従来の明治憲法下における刑法理論、その流れをくんでおる今日の刑法理論を固執する必要は、立法者としてはないのじゃないかと私は思うのです。 それで、刑事補償法につきまして、もっと国民感情にぴたっと合うような内容で今後改正案をお考えになる御用意はないかどうか、お伺いをいたします。
○伊藤(榮)政府委員 立法者としての御見識でお述べになっておりますことをよく存じ上げておるわけでございますが、ただいま御指摘の問題につきましては、先生みずから御指摘のように、現在の刑法それから刑事訴訟法の相当部分が、ドイツ式と言ってもいいと思いますが、その犯罪論を中心に組み立てられておる事情がございますので、ひとり刑事補償法のみを刑法、刑事訴訟法と切り離して、別の新しい角度から、そういう発想あるいは思想からつくるということは、なかなかできにくいことであろうと思います。すなわち、立法同士の調和を欠くということになっては相ならぬと思います。そうでありますから、事は刑事法一般に影響してくる問題でございますので、おっしゃいましたことをよくかみしめて、なお勉強させていただきたいと思います。
○飯田委員 時間がもう来てしまいましたので締めくくりますが、私がここで刑事補償法について御質問申し上げております内容は、決してこれだけにとどまらないのでありまして、刑法改正の根本的な態度、刑法改正の具体的な内容、そういうものにも当然出てくる問題だと思いますので、御質問を申し上げたわけです。 今日刑事補償で、実はだれが見ても、こんなのに補償するのはいわゆるどろぼうに追い銭と思われるようなものじゃないかという非難をこうむる事件が大変多いわけですね。 〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕 精神薄弱的な状態があった人の行為について無罪にしてしまう、あるいは大酒を飲んだ人の行為について無罪にしてしまう、そしてそれに刑事補償をする、こういう考え方は、いかにも今日の刑法理論に合っておるように見えて、実は本当の刑法思想に違反しておるのじゃないかと思うわけです。刑法は一体何のために存在するのかという問題ですね。悪いことをしない、全然犯罪を犯していないために無罪になったのなら、これはあらゆることをして慰めなければならぬ、損害を賠償しなければならぬ。しかし現実に加害者になっておいて、人を殺しながら、あるいは放火をしておる加害者でありながら、それがたまたま責任無能力だという裁判所の認定によって——本来は無罪になるべきではなくて、私は刑法理論からいきますならばこれは罰せずの方なんだと思いますけれども、不幸にして現在の裁判所の御見解が、本当に刑法の根本精神を理解しておるかどうかわからないような御見解がたまにありますので、そのためにこういう不祥事が生じておるということはまことに遺憾であると思うものであります。罰しないということと罪とならぬということとは違うのだ、これはもう明らかに今日の刑法でさえそういう立法の態度をとっておるのに、それを解釈で、罰しないということはそれは犯罪がないことだ、そういう解釈をおとりになって、だれが見ても補償すべきでない者に対して補償しておられるという点について、私は遺憾の意を表するものであります。この点につきましてぜひ根本的な御研究を重ねられて、国民の万人が納得がいく刑法を一日も早くつくっていただきたい、こう思うものであります。 時間が参りましたのでこれで私の質問はやめますが、ちょっとその点の刑事局長の御見解を承りたいと思います。
○伊藤(榮)政府委員 かねがね承っており、またただいまお話を承りまして、貴重な御意見だと思いますので、今後の立法作業に十分参考にさしていただきたいと思います。
○飯田委員 終わります。
○鴨田委員長 次回は、来る三十一日金曜日午前十時理事会、十時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後零時三分散会