文教委員会 第23号
- 発言数
- 89 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1978/05/31
会議録
○菅波委員長 これより会議を開きます。 オリンピック記念青少年総合センターの解散に関する法律案を議題といたします。 本日は、本案審査のため、参考人として青少年育成国民会議事務局長上村文三君、千葉大学教育学部教授坂本昇一君、日本体育協会国民スポーツ担当理事笹原正三君、立正大学文学部教授藤田秀雄君の四名の方々に御出席を願っております。 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。 本日は、特に本案に関連の探い社会教育関係の基本的諸問題について学識経験の深い各位の御意見を承るため御出席を願った次第であります。何とぞ、各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。 これより参考人各位から御意見を承りたいと存じますが、議事の順序といたしましては、初めに参考人各位から御意見をそれぞれ十五分程度お述べいただきまして、その後、委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。 それでは、まず、上村参考人にお願いいたします。
○上村参考人 おはようございます。上村と申します。 青少年の健全な育成につきましてはかねてから党派を超えて御高配をいただいておりますことを、まず初めに心から感謝を申し上げたいと思います。しかしながら、御承知のとおり、このところまことにショッキングな青少年問題が頻発しているわけでありまして、この点に御留意をいただきまして、なおさらに格段の御理解と御高配をいただきますように特にお願いを申し上げたいと思います。 さて、私は本日は、全国的な青少年育成運動の世話役といたしまして、またオリンピック記念青少年総合センターが発足したときからずっと利用さしていただいておりますが、その一人といたしまして、青少年の健全育成と青少年の施設の関係あるいはそれと関連いたしましたオリンピック記念青少年総合センターの問題につきまして、若干意見を述べさせていただきたいと思います。 まず第一に触れたいと思いますのは、青少年の健全育成と施設の関係についてでございます。 青少年の健全育成を図るためには、青少年を育てる場をいかにして健全に充実していくかということが重要な課題であろうかと思います。すなわち、青少年を育てる第一の場と言われる家庭、第二の場と言われる学校、職場、第三の場と言われる地域社会、これらをいかに教育的に機能させ、この三つがそれぞれ連携、協力しながら健全化を図るかということであろうかと思います。そういう観点から、青少年の施設はこの第三の場、つまり地域社会における青少年育成の目玉となるものでありまして、第二の学校と呼ぶ人もおります。つまり、青少年の関係施設は青少年の健全育成を図る上にとってどうしてもなくてはならない不可欠のものであり、これを整備充実していくのは行政の重要な責任であるというふうに考えております。 二番目に触れたい点は、青少年の施設の現状についてでございます。 一口に青少年の施設といいましても非常に多岐に分かれております。現在は青少年の教育、福祉、文化施設と総称されまして、青少年に携わっておられます文部省、労働省、運輸省等々の省庁が所管しながら整備を進めておられます。昭和四十年以降の十年間の各施設の伸びはまことにすばらしいものでありまして、たとえば児童館、児童遊園地等は約四倍に増加しております。また、国立の青少年教育施設は約五倍になりましたし、公立の青少年の施設は約七倍にふえております。数的にはまことに充実してまいりまして、青少年の健全育成に大きく貢献してきたというふうに思っております。私は昭和二十七、八年ごろ青少年の団体活動を始めておりますが、そのころは施設がほとんどありませんでして、私ども、研修会をやる際はお寺さんとか神社のお堂を借りながらやったものでありますが、そういう点を振り返ってみますと、まさに隔世の感がいたします。 三番目に申し上げたいことは、青少年の施設の問題点でございます。 いま申し上げましたとおり、施設は数的には非常に増加してまいりました。しかし、問題点がないわけではありません。そして早急な対応を迫られている問題点を特に三つ挙げてみたいと思います。 まず第一は、大都市圏、特に東京の青少年関係施設が極端に不足しているという点でございます。 第二の問題点として挙げたいことは、青少年の余暇が次第に増大いたしましたし、青少年のニーズも年ごとに変化してまいりました。こういうような変化に対応した施設づくりや施設の運営がなされていないのではないかという点が第二点でございます。たとえば、青少年のニーズとしては、第一には、従来の講座、研修を中心とする単一の目的の施設にかわって、文化、芸術、教養、軽スポーツ、レクリエーションなどができる多目的な総合施設を望んでいるわけでございますが、必ずしもそういうような方向をとっておりません。第 二には、屋内を中心とする施設から自然と親しめる施設をというような要望があるわけですが、少年自然の家等でようやく緒についたところでございます。第三番目には、特に大都市圏におきましてぶらりと気軽に立ち寄れるような施設をという要請がございますが、たとえば東京などを例にとりましても、なかなかそういう施設がないのが現状でございます。それからさらに、利用時間あるいは利用の対象者の制限等に弾力的な対応のできる施設をというような要望があるわけですが、これらのニーズに必ずしも対応していないじゃないかというのが第二の問題点であります。 第三の問題点といたしましては、設置の主体が先ほどもちょっと触れましたとおり行政的な縦割りで設置をされてまいりました関係上、相互の施設がお互いに連携を図るとか、あるいは一つの施設が総合的につくられていくとか、そういうことがなかなかできない状況があります。そのために、ある部分では重複があったり、あるいはある部分ではむだがあるというような点もあるような気がいたします。 以上三つが当面の問題でありますが、これらの問題点の解消に努め、さらに青少年のニーズにこたえていくのは国や行政の責任であろうかというふうに考えております。 次に、以上の諸点を参考といたしまして、ただいま問題になっておりますオリンピック記念青少年総合センターの現状とこれからのあり方につきまして、四つの点で意見を申し述べさしていただきたいと思います。 まず第一は、オリンピック記念青少年総合センターと青少年の団体の関係についてでございます。 オリンピックの選手村としてできました現在の施設をオリンピック終了後どういうふうに使うかということについては大変に問題になりました。そのとき、青少年団体はいち早く、青少年を育成するための教育施設として保存してほしいという運動をいたしました。その結果、そういう形で発足をいたしまして、私どもその発足以来その効率的な発展に最も協力をしてまいりましたし、その発展を心から願ってきたのは青少年の団体であったというふうに思っております。これらの青少年団体の間で、同センターをもっと何とか充実していきたいという意見が非常に強くなってまいりましたのは、オリンピックセンターが発足いたしまして十周年の記念行事を終えられた時分からであったというふうに記憶いたします。そうしまして、昭和五十年五月に、早くからセンターにかかわってまいりました青少年団体が集まりまして、オリンピック記念青少年総合センター拡充推進青少年団体委員会というものを発足させました。その動機は次の四点でありました。 まず第一は、オリンピック記念青少年総合センターの建物はもともと米軍の宿舎のためにつくられた施設であります。したがいまして、青少年の育成あるいは青少年自身が研修しようという施設として考えますと非常に無理な点がたくさん出てまいりましたし、それから年数も相当古くなりまして建物が非常に汚くなってまいりました。 それから第二には、このところ国際化が急速に進みまして、青少年団体の国際交流も非常に盛んになっておりますが、そういう外国の青年を迎えた際に、あそこに一緒に寝泊まりしながら交流をするという施設としては、そういう用途にたえられなくなってきたというのが第二点でございます。 それから第三には、特殊法人でありますセンターの現状との関連と非常に深くかかわりを持っているわけですが、独立採算制であるためにいろいろな制約が特殊法人にはあるわけでございます。その結果、何とか採算をとっていこうというようなことから、貸し座敷のようにだんだんなってきたような印象を私どもは持つわけでございます。そういう点で、もうちょっと本来の役割りを果たすべきじゃないかということで集まったのが第三の動機でございます。 それから第四点には、先ほども申し上げましたとおり、大都市圏における青少年のための多目的な総合施設がないわけでございますが、この第一号として、センターを思い切って改造、充実していただけないものだろうかという点が、第四番目の委員会を発足させた動機でございます。 それから、センターのことに関して第二に触れたい問題は、そういうふうに青少年団体委員会を発足させまして、オリンピックセンターのあり方をいろいろな角度から研究してまいりました。ちょうど時を一にいたしまして行政改革の問題が起こりまして、その対象にセンターが選ばれました。そこで私どもは、このオリンピックセンターをこの際思い切って総合的に改革を図るいいチャンスであるというふうに考えまして、センターの将来構想を描いたわけでございます。 その将来構想の内容は、まず、センターの立地条件等を考慮いたしまして、ということは首都圏の東京の真ん中でございます。交通の便が非常によろしいし、明治神宮をバックにいたしまして自然環境が非常によろしいわけでありまして、そういうような地理的条件を考慮しよう。それから第二には、青少年あるいは青少年の団体のニーズがこのところ非常に激しく変化しておるので、それにこたえるような方向をとろう。それから第三には、国際化が進んでまいりますので、その傾向にこたえられるような形に持っていこう、そういうような点を考えていきますと、青少年を主たる対象とする多目的な総合施設の方向をたどってこれを充実させるという方向が一番適当ではなかろうかというふうに考えました。 そういう方向性を参考にいたしまして、そうするとセンターとしては非常に多目的な機能を備えなければいけないということで、私どもが考えましたその機能は、非常に大ざっぱに申し上げますと六つございます。 まず第一は、集団の宿泊研修の機能はやはり継続していきたい。つまり、現在二千七百人泊まれるわけですが、年間通してみますとほとんどこれが四〇%くらいの利用率で終わっております。したがいまして、集団宿泊は約千人ぐらいにしまして、小グループの利用にたえられるようなものにした方がいいのじゃないか。 それで残余の施設を大幅に改造いたしまして、次のような機能を立てさせたらいかがだろう。まず文化、芸術、教養、軽スポーツ、レクリエーション、小さな研究などの日帰り研修の機能を備えさせる。第二には、情報センターの機能を備えさせる。第三には、青少年団体活動の中心的な活動のセンターにしていく。第四には、いろいろな青少年問題があるわけですが、その相談のセンターとしての機能をさせよう。それから第五には、実験、研究の機能を持たせたらいかがだろうか。こういうようなのが青少年団体委員会で描きました構想でございます。 そこで、そういうような形で発展をさせていくためにはどうしたらいいのだろうかということで、いろいろ考えまして結論に至ったのが次のような形でございます。 オリンピックセンターのこれまでの運営あるいは整備の状況を振り返ってみますと、利用者の形態の変化等に何とか対応していこうということで、役員の方々も職員の方々もずいぶん努力されたと私どもは評価しております。しかし、その方向性が必ずしも明確ではなかったというような形、たとえば設備をつけ足していくにしても、マスタープランがないから思いつきで体育館を増設してみたりというような形で整備をされております。つまり非常に中途半端であったというふうに考えます。先ほど来申し上げましたとおり、青少年の施設に対する青少年や青少年団体のニーズは都市圏に多目的な総合施設を整備してほしいというところに非常に強く集中されております。そして、青少年団体委員会の構想を具体化するためには、大きな財政措置とそれを裏づける国の施策が必要であるというふうに私どもは考えました。よって、この際、国の責任におきまして、オリンピック記念青少年総合センターのマスタープラン並びに年次整備計画を早急につくっていただきまして、建物等も思い切って改造し、都市圏における青少年サービスを一段と発展させる契機にしていただきたいというふうに考えるわけでございます。 最後に、私はこの際、特に二つの点をお願い申し上げたいと思います。 まず第一は、私は現在、オリンピック記念青少年総合センターの中に設けられておりますセンターの整備計画についての懇談会の一員に加えていただきまして、国民に開かれた施設にするにはどうしたらいいか、あるいは利用者本位の運営を図るにはどうしたらいいかというような点を細かく検討し、整理しつつあります。したがいまして、そういう懇談会における結論が近く出ようかと思いますので、そういう点を国立化への方向と一にしながら、ぜひ国の方で参考にしていただきたいということが第一点でございます。 それから第二は、国の直轄化に当たりましては、現在のセンターの職員の処遇が非常に大きな問題であると思います。私は、センターに事務所を置かしていただきまして、日ごろセンターの職員とは非常に仲よくやっておる仲間の一人でございます。そういう仲間の一人といたしまして、同センターの職員が将来不安のないように、十分の配慮をしてくださいますように特に本席をかりましてお願い申し上げ、私の意見を終わらしていただきたいと思います。 どうもありがとうございました。(拍手)
○菅波委員長 次に、坂本参考人にお願いいたします。
○坂本参考人 いま御紹介いただきました坂本でございます。日本の教育の問題につきまして御造詣の深い国会の先生方に、私のそれに関する私見を述べさせていただける場を与えてくださいまして、本当にありがとうございました。 私は青少年教育の研究と実践をやっております。たとえば、青少年の教育につきまして、実践で言いますと、総理府の青年の船などにも乗らせていただきましたし、その他いろいろな青少年教育を実際一緒に青少年とともに研究並びに活動しているという立場でございます。そういうことで、青少年教育の観点から少し私見を述べさせていただきたいと思います。 御承知のように、いまいろいろな教育問題があります中で、発達課題ということが大きな関心になるのじゃないか。すなわち、特に、発達課題と申しましても、いわゆるパーソナリティー特性、人格特性としての発達課題、いわゆる成長の道しるべといいますか、それぞれの段階でどういうような能力を子供たちが備えていかなくちゃいけないか。たとえば幼稚園の時代にはどういう能力を備えなければいけないか、小学校の間にはいわゆるパーソナリティー特性としてどういう能力をつけなければいけないかというような、人格特性としての発達課題というものが考えられてしかるべきだ。 結論的に言いますと、いまの子供たちはいわゆる、新聞の言葉を借りますと、私はいやな言葉で余り使いたくないわけですけれども、知的に落ちこぼれている子供が多いというようなことをよく新聞で拝見しておりますし、いまの教育課題になっておりますけれども、もっと深刻なのは、知的に落ちこぼれているという子供じゃなくて人格特性として発達課題も落ちこぼれている子供たちの方がもっと深刻じゃないか。人格特性の発達課題をそのまま達成していかないと、勉強の面を幾らいろいろ努力してもなかなかうまくいかないかもしれないというような面すら考えられるぐらい重要な特性ではないかということを考えますので、いわゆるパーソナリティー特性としての発達課題というものをこれから少し、先生方に御説明するのは大変申しわけないのですけれども、日ごろ学生に説明しておりますので、そんなことで学生に説明する口調になればお許しいただきたいのですが、そういう意味合いで発達課題を少し述べさせていただきたいと思うのです。 そうしますと、発達課題ですから順番を追っていかなければいけませんで、これを累加性と言っておりますけれども、途中もしどこかで欠落してしまいますとそれでそれは終わってしまう。ですから、たとえて言いますと、小学校の発達課題をやっておきませんでその子供が中学生、高校生になりますと、もうそこで中学生、高校生の発達課題はやれない、そこでとまってしまうというような累加性を持ったものだと言われているわけですが、そういう点で、小さいときからのことをちょっと申し上げて、いわゆる青少年教育のところは若干詳しく申させていただきたいのです。 いわゆる乳児期におきましてはパーソナリティー特性としては、いろいろ言われますけれども、端的に言えば信頼感ということですね。信頼感ということが発達課題だと言われています。これは、わが国の子供たちを見ましたときに、大部分発達課題を達成しているというふうに見ていいだろう。これは親子関係におきまして乳児は自分の欲求は大体満たされる。おむつがぬれればその要求にこたえてくれる、空腹になればこたえてくれるという形において、人間に対しての信頼感をだんだん育てていける。しかし、それもすべてかというと、気ままに扱われれば、信頼していたと思ったらソファーの上にたたきつけられるというようなことがあればそういうことはないわけですけれども、日本の子供たちは、乳児期における信頼感というパーソナリティー特性としての発達課題はまず卒業しているだろう。 そうしますと今度は大体幼稚園の年代でございますが、五、六歳ぐらい、大ざっぱに言えばその年代とお考えいただきたいわけですけれども、このあたりの発達課題というのは自立感ということです。これは、自分で立つということと自分で律するという律と両方含めております。その自立感、これもまだフィーリング、感情の感の段階ですが、これはいわゆる、子供たちが、自分の行為が自分自身のものだということを確かめようとしていろいろやるのですけれども、成功したり失敗したりする経験があるわけで、ここでちょっと重要なことは、成功経験、うまくいく経験と失敗する経験とがうまくバランスがとれていないと自立感にならないわけです。いまの日本の子供たちを見ますとそうなっているだろうか。成功経験が多過ぎないか。いわゆる事前に、周囲の大人たちが、失敗しそうな事柄はあらかじめやらせなかったり、あるいは失敗しそうな事柄は幾つか手を打って、そして成功へばかり持っていってしまう。そうなりますと自立感が育たないで何が育つかと申し上げますと、小児万能感が育ってしまうわけです。小児万能感、すなわち、世の中は自分を中心に回っているという発想ですね。「世界は二人のために」なんという歌がありましたけれども、まさに自分一人のためにというような発想が子供の中に育って、そのままで高校生、大学生になっている青年諸君がどのくらいいるだろうか。これは私、統計的にはわかりませんけれども、少なくないのじゃないかという感じがするくらいです。 そういうことを卒業してきた子供に対して、今度はこれは小学校、中学校の段階ですけれども、いわゆる活動性、自発性というものが発達課題です。青少年教育ではまずこの辺をねらうわけですが、言うなれば、自立感を育ててきた子供には、活動性、自発性の場を学校教育でも社会教育でも与えていきたい。端的に言いますと、いわゆる何でもやってやろう、いろいろな興味、関心に向かって何でもやってやろうという場を与える。もちろん、何でもやってやろうと言ったらおかしなことをやる心配がないかというようなことになるわけですけれども、その辺はその前の段階で、すなわち自立感というものを育ててきております。それは先ほどの失敗経験から意思力も育てておりますのでその辺の心配はないわけですが、活動性、自発性を子供たちに育てていきたい。 そこでいま日本の子供たちの現状を見ますときにそういう状況にあるだろうか。たとえ話で申し上げますと、いわゆるコンクリートと鉄でできた遊園地、すなわち鉄の鎖のブランコと、コンクリートでできた滑り台、そしていわゆる鉄のさくあるいは金網で囲われたような場所の中にはうり込まれているような現実が多いだろう。その中で活動性、自発性を発揮せよと言われても発揮のしようがない。本来で言えば広い野原に放たれて、これもまた図式的、例示的なんで、そのとおりという意味ではございませんが、広い野原に放たれて、そこには小山もあるし、大木もあるし、小川も流れているし、ヘビもいるかもしれませんが、そういうところで木からなわをつけてブランコをやったり、穴ぼこを掘ったりというような形で活動するという状況をつくりたいということ、そういう事柄が子供たちの中にありませんと、活動性、自発性が発揮できない。ですから、そのままで終わってしまった子供が中学生あるいは高校生、大学生になっているのがいっぱいおりまして、そして高校生時代になってから小学校時代の活動性、自発性をやろうとしますから、ナナハンのオートバイをぶっ飛ばしてみたり、シンナーを吸ってみたりというような状況も出てくるだろう。ですから、そういう子供たちにそれじゃ何かというと、そのままほうり出しておけばいまのようなことになりますので、ある整備された教育環境に入れて、学校とかあるいは社会教育施設とか、そういう形で小学校時代の活動性、自発性を発揮するような場所を取り戻すということもまた必要なわけです。そういうようなことで、子供たちにその時点で、小学校や中学校の時点でそれを与えるとともに、それで落ちこぼれた子供たち、大学生にもいるわけです。大学生にも、活動性、自発性を発揮するために、大学祭の一部ではお汁粉屋とかお化け屋敷しかやらないというようなこともあるくらいですから、あれも教育的に見ればあるいは整備された中での活動性、自発性かとも言えるのですけれども、それじゃ非常にさびしいということになるわけです。 そういう点になりますと、いかにしてそれをやろうか。それでたとえば、先生方御承知のように、学習指導要領も改定して、学校教育ではゆとりと充実という形で、活動性、自発性を発揮するような教育課程を組もうじゃないかという形で学習指導要領が公布されまして、学校教育もそういう方向でだんだんとゆとりと充実を入れていこう。やはりゆとりと充実ということは、いま言いました活動性、自発性を入れていこうという趣旨になろうかと思うのです。 それと同時に、やはり社会教育の分野でもそういうような形で何らかの方向が打ち出せなければいけないのじゃないかという気がするわけです。そして、たとえばそういう事柄で、子供たちにそういうような場とかあるいはその他施設はどういうふうに考えられなければいけないか、学校教育の学習指導要領のゆとりに対比して考えますと、まず、いわゆる多様な、子供たち、少年たち、青年たちのニードに応ずるような機能を持った、いわゆる大規模な青少年施設がたくさんなければいけないのじゃないか。現在、多様なニードに応ずる機能を持った施設というのはなかなかございません。都道府県にございます公民館その他は多様なニードに応ずる規模とは言い切れませんし、そういう形でます大規模な青少年施設が必要だろうというのが一つです。 それからもう一つは、日常活動ができないと困るのじゃないか。日常活動というところにポイントがあります。ですから、余り山奥にあっても困りまして、足の便利な、いわゆる地の利があるような、日帰りができるような形で、さっと行ってさっと帰れるというような場所で大規模なものがないといけないのじゃないか、これが第二番目でございます。 それから三番目としては、在学している青少年——青少年と言います場合にはみんな学校へ行っているわけです。大体高校までで言いますと。行っていない生徒も若干おりますが、大部分学校に行っているとすれば、ある場合には児童、生徒の学校外活動という形で、社会教育と学校教育との連携を持つ、そういう施設の役割りもあるだろうというようなのが三番目でございます。 それから、そういうものを受けていきますと、当然たくさんの青少年が来るわけですから、高いお金は取らないで、安い費用で、そうしてその施設が寝泊まりできたり、いろいろなものが活用できるという場でなければいけないだろう。 それとともに、青少年というようなときに、特に青年ということが強調されて、これは私の偏見かもしれませんけれども、少年ということが余り考えられないという点もございますので、そういうような特に青少年施設ですと、青少年、また少年ということも十分お考えいただいて、じゃ青少年だから青年と少年だけかというと、そうではございません。これは青少年を指導していただく、あるいは青少年にいろいろな教育的影響を与えていただける大人の方々、指導者の方々も含めてのことでございますが、そういう方々の活動の場というような機能も持たなければいけないだろう。 そしてまた、ちょうど先ほど申し上げましたように、いまの子供たちは自然に飢えておりまして、これも図式的に言いますと、コンクリートのアパートの中に生活をしていて、またコンクリートの学校に行く。何か四六時中コンクリートに近い。できるだけコンクリートというような図式的な場じゃなくて、これは大都市の中にあって足が便利だということもありますけれども、できるだけ空間の多い場で、もっとぜいたくを言えば、できるだけ豊かな自然があるような場でそういうような教育がされたいものだというふうに考えているわけです。 こういうようにある程度いまの現状を押さえて、私としては青少年教育という立場に立って考えますときに、このような条件に合ったような教育施策というものはぜひ国でやっていただかなければいけないんじゃないか。なぜかといいますと、これは多くの予算を必要とします。施設設備その他を充実していかなければいけないと思います。また人間も、多様な能力を持った人間、現在もいろいろな施設にそういう人がいるわけですが、学校の先生の御経験のある人、またあるいは運動のすぐれた能力を持った方、あるいは芸術的な能力を持った方、いろいろな方々がそこに入り込んでそして青少年の教育、あるいは青少年の指導者のための研修という場にするとすればそういう方々も必要だし、そういうことになりますと、そういう施策というのはぜひ国でつくっていただきたいというのが私の日ごろ考えている所信でございます。 以上で最初の所信は終わらせていただきたいと思います。どうも失礼いたしました。(拍手)
○菅波委員長 次に、笹原参考人にお願いいたします。
○笹原参考人 本日は、オリンピック記念青少年総合センターの解散に関する法律案について、参考人として意見を述べさせていただく機会を与えていただきましたことを厚く御礼申し上げます。 私は、いまも記憶に新しいのでありますが、東京オリンピック大会の開催が決定したとき、当時のオリンピック担当大臣であられました河野一郎さんが、オリンピック大会の成功、不成功のかぎは、大会の成績はもちろんであるが、それはこの大会が国民にいかなる遺産を残すかにかかっているということを強調されたのであります。その遺産とは、申すまでもなくスポーツが広く国民に浸透して国民の体力が向上することであります。私は、同大会が終わって十四年の歳月を経た今日、国民のスポーツへの関心と積極的参加は目覚ましいものがあり、かかる観点から東京オリンピック大会は成功であったということを、いまは亡き河野大臣に報告したい気持ちでいっぱいでございます。 スポーツは無形文化であります。しかし、われわれスポーツ関係者にとって、東京オリンピックが有形の形で残され、それが次代を担う青少年に役立っていくのならばこれほどの幸せはありません。そんな願いを込め、代々木の選手村跡地にオリンピック記念青少年総合センターが建設されることが決定したとき、われわれは心から喜びました。そしてオリンピック資金財団は、オリンピック映画等の益金をこのセンターのスポーツ施設、現在の青少年センター本館研修棟の建設資金として三億四千万円を寄付されたのであります。 聞くところによると、オリンピックセンターの昨年の年間利用者は百万を超したと言われ、そのうちスポーツ関係者の利用は十六万人であります。利用団体の主なものは、オリンピックの種目である体操、バレー、レスリングなどが含まれ、年々多種目にわたってその利用度が高まりつつあるのが現状であります。しかし、正直言って、現在のオリンピックセンターは施設が中途半端であります。また、運用規則等の面でもいろいろと不便な点があるのは事実であります。 一般的には、国の直轄施設になるとその利用が窮屈になると言われていますが、現在以上に利用しにくい施設になるならば直轄管理には反対であります。しかしながら、本会は、本会というのは体育協会でございますが、体育協会は、当該センターをスポーツ振興の目的達成の一環として有効に利用させていただく立場でありまして、当該センターの管理が、たとえば国の直轄になるとしても、また現状のままであるとしても、そのことよりもむしろ利用しやすい、このことが最も望ましいと考えるものであります。 そこで、青少年センター基本構想検討委員会がまとめた基本構想の中で、次の三点を強く要望するものであります。 すなわち、オリンピック記念の名にふさわしい全国的、国際的視野に立った総合施設をつくること。 それから二番目に、生活規律の教育的、弾力的な運用ができるようにする。これは、現在のセンターを二つのエリアに区分して、生活規律の運用を適切に行えるようにする。たとえば、われわれがそこを使わしてもらいますと、われわれはオリンピックの合宿をやるわけですが、そのときに、センターの決められた時間とわれわれがあそこで鍛練をしようとするその時間帯がなかなかかみ合わない。したがって、われわれもあそこを利用するときは食事を二食にして、それで合宿をやるというようなことを行っているわけです。これはわれわれのスポーツ関係だけではなくて、ほかの利用団体にもこの点が言えるのではないかと思うのです。そういう点で、弾力的な運用をできるようにするセンターの規律と、また一般の民間の団体が利用しやすいような形で、ひとつセンターを二つに区分して利用さしたらどうかということでございます。 三番目に、国際交流会館を建設すること。年々国際間の文化、スポーツ交流が盛んになり、センターの利用がふえておりますが、その目的と機能を果たせる施設をつくる必要があると思います。 以上であります。 直接この問題とは関係ないかもしれませんが、体協はスポーツ総合研究所の設置を要望し、国も調査検討を開始したようでありますが、さらに、われわれは現在トレーニングセンター、トレーニング施設がなく、自衛隊やサイクルセンターなどを転々としてジプシー合宿を強いられているのが現状でございます。したがって、どうしても諸外国に見られるようなトレーニングセンターの建設を国に強く要望しておきたいのでございます。 最後に、このたびのオリンピックセンター解散の法律案審議に際し、わが国のスポーツ振興に根本的な政策を確立するために、この際、スポーツ振興法を改正し、国民のスポーツ欲求に対応していけるような法律にしていただきたいということを切望するものであります。 「体育は知識を乗せる車であり、道徳を宿すやかたである」ということをわれわれの河野会長がしばしば申されております。知育、徳育、体育ということをよく言われますが、日本の場合は知育偏重の余り、人間の体をつくる基本の体育というものが軽視されております。したがって、現代の子供たちはもやしっ子であります。水泳をやってさえも骨を折るというような現状があるわけであります。これは重大な問題でありまして、やはり人間をつくる基本の体育というものを国の一つの大きな柱として確立していただきたいということが日ごろのわれわれの念願でございます。諸外国におきましては、体育とスポーツを憲法の中に明示しております。この際、オリンピックセンターの解散の法案の審議に当たりまして、これももちろん大事な問題でございますが、国のスポーツ政策において、これから育つ青少年たちが哲学を持って、自信を持って、そうして体育、スポーツに励み、社会に貢献できるような人間づくりをしていただけるような体制をぜひ確立していただきたいと強くお願い申し上げまして、私の参考意見といたします。 どうもありがとうございました。(拍手)
○菅波委員長 次に、藤田参考人にお願いいたします。
○藤田参考人 藤田でございます。 私、社会教育を特に専門に研究しております関係で、きょうは、諸先生方すでに御存じの点もあって失礼になる点があるかもしれませんけれども、社会教育と社会教育行政との関係について申し上げ、現在問題になっておりますオリンピック記念青少年総合センターについて私見を述べたいというふうに思っております。 社会教育行政の任務の基礎になりますのは言うまでもなく憲法であります。憲法第二十六条で、「すべて國民は、法律の定めるところにより、その能力に應じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」というふうに規定されておりますが、この規定は、御存じのように、子供に関する規定だけではなく、「すべて國民は、」が主語でございまして、社会教育を含む、つまり、子供以外の大人をも含む規定であるというふうに一般に言われておるわけでございます。この二十六条と似たようなものは世界人権宣言の二十六条にも規定されておりますし、たまたま昨夜の新聞を見ますと国際人権規約が批准される運びになるというようなことが出ておりましたけれども、この国際人権規約の第十三条においても、すべての人はということが主語で、やはり教育を受ける権利ということが規定されております。 ただ、憲法その他でも教育を受ける権利というふうな表現になっておりますが、それでは社会教育の場合にはだれから受けるのかということでございます。これは学校教育の場合、子供の場合とは、その教育の主体の考え方が一般には著しく違ってとらえられておるというふうに言うことができると思います。つまり、二十四年にできました社会教育法がありますが、社会教育法が制定される際に当時の柴沼社会教育局長が強く主張しておられたことでございますが、「元来社会教育は、国民相互の間において行われる自主的な自己教育活動でありまして、政府並びに地方官庁は、その活動が自主的に活発となって、国民の教養水準が自ら高まるように側面より助長奨励する役割を持つものでありまして、いわば、政府や地方官庁は、国民のための良いサービスの機関となることを期せんとするものであります」というふうに、国民自身がさまざまな団体をつくり、そして文化教育活動を行っていく、それが社会教育の本来のものである。つまり、学校教育のように学校があり、そして先生方がいらっしゃって、そして子供たちに与えるというふうなものとは違う、そういうことが強く言われておりまして、これは日本だけではなくて、一般に、文部省やあるいは行政機関と社会教育を行う者、つまり学ぶ者との関係というのはそのようになっておるということは一応言えるのではないかというふうに思います。この点はほかの法律にも明らかでありまして、教育基本法第七条でも、社会教育は「国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。」と、奨励という言葉を使ってありますし、それから社会教育法第三条で、文部省その他の教育行政機関の任務につきましては、国民がみずから文化的教養を高め得るような、そういう環境の醸成を国または地方公共団体が行わなければいけないというふうに書いてあるのも、そのような点を法律の上に規定したものであるというふうに考えられます。 それでは具体的に文部省その他教育行政機関の社会教育に関する任務は何かということでございます。これはいろいろ挙げられると思いますが、現実に社会教育活動を行っている諸団体あるいはその他の文化サークルや教育学習グループのそういうニーズからいたしますと、まず第一は、とにかく公の施設をつくって、そしてそれを利用させる、そういうことをしてほしい、その点でもってもっと充実してほしいという点だろうというふうに思います。それから第二は、専門的な職員がその団体等に干渉するのではなくて、あくまでもその団体の立場に立って助言し指導するということであると思います。それから第三は、法律で認められる範囲内において財政的な援助をそれらの団体等に行うということであろうというふうに思います。特にさまざまな団体が要望しておることは、いま申しました三つの点の中の第一点の施設利用ということであろうというふうに申すことができると思います。 これに関しましては、公民館とかあるいは図書館、博物館、それからスポーツ施設等々がございますが、とりわけさまざまな学習団体やあるいはスポーツ団体が使う場所としましては公民館やあるいは体育館等がありますが、その利用に関しましてはあくまでも自由に、そしてさまざまな団体がある中で平等に、またでき得る限り無料あるいは無料に近い形でもって貸して利用に供してほしいということが非常に切実な願いであるというふうに思うわけであります。この平等ということはもちろん思想や信条その他にかかわりなくということでございまして、その点は青年の人生観とか何かにかかわる事柄でありますから非常に重要なことになってくると考えられるわけであります。 以上申し上げた点から今回の、オリンピック青少年センターと普通言われておりますそのセンターの問題について申し上げますと、とりわけ東京のしかも都心というところは、そういう、団体が利用する施設、しかも大型の施設というのがほとんどない、あっても非常に高いお金を取られるというような状況でありますから、いまの施設はそれらの団体にとって大変貴重なものであります。そのような施設を自由に、そしてしかも平等にもっと利用できるように、もっと使いやすいような施設に発展させていってほしいと思っているということは当然言えるわけでありますし、そして、聞くところによりますと、文部省移管に伴って、文部省としてはこれを教育の機関にしてその質を変えていくというふうに伺っておりますが、そうなりますとさまざまな指導者の養成等々が行われると思いますが、その分だけ一般の自由な利用と申しますか、それが狭められるということはどうしても考えられる点でありまして、この移管問題に関しましてはそのようなことについて非常なおそれを抱くものであります。それからまた、文部省が教育機関を設けて社会教育の指導者養成などを行うことが法律に照らして直ちに誤りであるというふうに即断するわけにはいきませんが、先ほど申しましたような、社会教育法あるいは教育基本法等の立法の原則というものを尊重していただき、むしろ、そのような施設に非常に不足を来している東京都心でもって大型のそういう施設を、他にかえがたい施設でございますから、現在のような形においてさらに発展させるようにしていただくことを、社会教育行政の、あるいは文部省の任務として期待したいと考える次第でございます。 以上、御参考になれば幸いでございます。失礼いたしました。(拍手)
○菅波委員長 これにて参考人各位の御意見の開陳は一応終わりました。 —————————————
○菅波委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。中村靖君。
○中村(靖)委員 本日は参考人の皆様方、大変御多忙のところ御苦労さまでございます。 本日の委員会で審査をされておりますオリンピック記念青少年総合センターの問題も踏まえまして、社会教育、青少年教育の問題等について幾つかの点を御質問させていただきたいと存じます。 早速でございますが、まず、一番先に御意見をお伺いいたしました上村参考人のお話の中で、いままでこういった施設がともすると横の連係プレーに欠けている点が多々あったのではないかというような意味の御発言があったと思いますが、今回、特殊法人として青少年に大いに利用されてまいりました現センターが、この法案が通れば文部省直轄の国立のセンターに変貌するということになってきておるわけでございますが、その辺と絡めて、現在全国的にかなりできつつございます国立青年の家あるいは国立少年自然の家等の、国立あるいは公立のそういった施設等とのいわゆる連係プレーというものを、今後どういうふうに御期待をなさっていらっしゃるか、あるいはこういうふうにしたらいいという具体的な御提案、お話でもひとつお伺いさせていただきたいと思います。
○上村参考人 私が先ほど横の連係プレーと申し上げましたのは、実は二つの意味があるわけでございます。 まず第一の意味は、私の意見の中でも申し述べましたが、現在いろいろな青少年施設が各省庁に分かれて設置をされておるわけでございまして、その行政的な指導も当然のことながら縦割りで行われていく、そういう意味でいろいろな連係が行われていないという点が一つあります。たとえば労働省が設置されておる勤労青少年ホームというのが最近都市地区で非常に多くなりまして、大変によく機能しております。それから同様に文部省が都市型の青年の家を設置されておるわけですが、それとの違いというのが必ずしも明確ではないような形であります。利用の形態としては非常に似ておるわけですが、たとえば大学生が勤労青少年ホームに行って利用させてほしいと言いましてもなかなか利用させていただけないというような問題点等もあるわけでして、できればそういう似たような施設が多目的に、各省庁という縦割りを離れて連係することができれば非常にいいのではなかろうか、そういう意味で連係プレーをしてほしいということを提案いたしました。 それからもう一つは、全国に似たような青少年の施設がどんどんつくられていきまして、それぞれの形で機能しておることは事実でありますが、先ほどの藤田先生の御指摘とも若干関連するかと思いますが、日本の青少年施設で一番欠落しておりますのは、青少年が利用する際にいろいろ助言をしたり、場合によっては技術的な指導をしたりというような指導者が非常に欠落をしておる、むしろ管理的な仕事をする人が多いというふうに私どもは思うのです。これはなぜかと言いますと、日本にはそういう青少年を指導する専門的な役柄の人を教育するシステムがないわけであります。たとえばイギリスなどへ行きますと、若いユースワーカーというのを専門的に大学で三年間教育をして、その終わった人が施設に行っていろいろ青少年の相談に乗るというようなことがちゃんとできておるわけですが、日本の場合はそういうのがないわけです。全然知識がないとは言いませんが、施設におられる専門指導者と言われる人たちも、そういう指導者として当然持っていなければいけない知識を持っておられない場合が非常にあります。そういうことで、センターが国立になって、労働省の所管だろうが何だろうがかまいません、全国のそういう施設に働く人たちをたまには呼んでいただいて、青少年施設の専門職としてはどうなければいかぬかというような専門的な勉強会でもやれるようになれば、そういう意味での連係プレーというのは格段に進歩するのだろうというふうに思っております。
○中村(靖)委員 ありがとうございました。 先ほどの上村参考人、笹原参考人のお話、いまもおっしゃっておられましたけれども、国立青年の家のような、ああいう大自然の中で社会教育をするという場も大切だけれども、大都市圏、特に東京のような大都会でいろいろと団体生活をしたり議論をしたりする場は大変大切だ、特に国際交流の場としても大いに考えなければいけないのではないかという意味の御意見を伺ったわけでございます。特に笹原参考人からは、このセンターの施設の中に国際交流会館をぜひ建設をしてほしい、こういうお話が先ほどあったわけでございますが、私も大賛成でございまして、もちろん日本の青少年が利用するというのは大変結構なことでありますが、国際交流が非常に盛んになってきた今日でもございますから、外国の青少年にも大いに利用していただいて、そして日本の青少年との国際交流の場としてはまことに大切な場所になるのではなかろうかなというふうに感じておるわけでございます。 特に、国際交流の場といいましても、何か大きな団体が利用して、団体と団体の交流というのも大変結構だと思うのですが、むしろ、先ほどもどなたかの御意見の中で、ぶらっと寄れる施設という言葉がありましたが、一人で外人の青少年と語り合ってみたい、あるいは語学の勉強もしてみたい、そういうような気持ちでぶらっと寄れるような建物なり施設なり場なりというものをこの日本で探すということはなかなかむずかしいのではなかろうか。そういう意味では、このセンターの中にそういう個人的にも自由に利用できるような国際交流の場がぜひできたらいいと思っております。特に、私自身がそうなんですけれども、外国語の読み書きについては何とか辞書を使えばできるわけですが、さてしゃべるという段になりますとまことに不得手でございます。日本人は大体一般的にはそういう傾向がありますから、学校で語学を勉強するだけではなくて、しゃべり言葉の勉強の場というものはこれからこういうセンターの中にもしできたら非常にいいと思います。 一つの例として、外国の映画を普通の映画館で私どもも鑑賞しますけれども、大変残念なことに、外国の映画には、テレビでは大部分吹きかえがあります。劇場で映画を見る場合には必ず字幕が出てまいります。どうしても、いやでも、その字幕を見た方が意味がよく通じるものですから、私なども字幕を読んでしまうわけですが、こういうセンターの中に、たとえば一週間に何回か日にちを決めてでも、字幕のない外国映画を見せるような施設、そう大ぜいでなくても、五十人なり六十人が入って自由に鑑賞ができる、そうすると映画の物語の中で自然に英語なりフランス語なりイタリア語なり、そういう外国語の、少なくもヒヤリングだけでも非常に勉強になるのじゃないかということを私自身はちょっと考えたわけでございます。 そういう国際交流の場をぜひつくっていただきたいという笹原参考人の御意見でもございましたから笹原参考人に、そして上村参考人もたしか国際交流は大切だという御意見をおっしゃっていただいたと思いますので、お二方にもう少し具体的に、どういう施設なりどういう職員なりを置いて今後国際交流に大いに貢献してもらいたいということなのか、もう少し突っ込んでお伺いさせていただけないでしょうか。
○笹原参考人 ただいま中村先生から国際交流会館に関して大変好意的なお考えを聞かせてもらったわけですけれども、私はこの国際交流会館の建設について具体的にどうするかということはまだございませんが、ただ、現実にわれわれが毎年スポーツ交流をやっておりまして、私はレスリング協会でございますけれども、毎年アメリカから二百人の学生を呼んでおります。過去十五年にわたって毎年高校生を呼び、また高校生を海外に派遣するということをやっておりまして、それがだんだんふくらみまして本年は二百名にも達しておるわけです。 そうすると、一番困りますのは何といっても泊まる場所なんですね。そこでわれわれはどういう方法でやっているかと申しますと、まずセンターに泊めてもらうことが多いのですけれども、どうしても泊まれない場合は、選手あるいは学校の担当している先生方にお願いしまして、各個人個人の家に分散するわけです。分散して、練習時間にはみんなが一緒に集まる。そしてまた学校では選手たちが一人一人各教室に分かれまして、先ほど外国映画の字幕のない映画という話もございましたけれども、その選手たちが英語の時間に生徒と英語で話をするわけですね。これは非常にいい勉強になりますし、特に各家庭に外国人を泊めますと、人間の親交はもちろんでありますけれども、日本の生活を実際に見てもらえるということで、畳の上に寝てもらい、またおふろに入ってもらったりしているわけです。ときたま、くつのままで家に上がる選手もおりますけれども。そのように、現実に各スポーツ競技団体が国際交流を頻繁に行っておるし、それの宿泊に一番困っておるわけです。それと練習場でございます。 そこで、私の希望といたしましては、なるべく、だれでもがそこへ来て外人と交流ができる、また宿泊等に関しても現在のオリンピックセンターのような決められた時間というものじゃなくて、せめてホテル並みの時間にできるようにしていただき、宿泊等に関しても、現在のようなセルフサービス式じゃなくて、これはぜいたくかもしれませんけれども、せめて、外国のお客さんが来ても、どなたが見えられてもそれに対応できるような施設ということでございます。交流会館が建設されて、それが使いにくくなるようなことになっては困るわけで、だれでも利用できるスポーツ、文化の交流の場所として、その内容を充実するような施設であれば非常に望ましいということでございます。
○上村参考人 中村先生おっしゃいましたように、映画を見ながら語学の勉強をするかどうかは別にいたしまして、私自身としては、国際交流会館という特別な外国人専用の会館をその施設につくるというようなことじゃなくて、センター全体が国際交流の場になっていくというような形のものがいいというふうに思っております。だから、そういうふうにしていくためには、私ども建築の知識がありませんので、建築の専門の知識をお持ちの方々がそういうふうにするにはどうしたらいいかというようなものを、マスタープランをつくる際にぜひお考えいただいた方が、方向としてはいいのではなかろうかというふうに思います。 ただ、現在、青少年の団体、ボーイスカウト、ガールスカウトというような団体、あるいは総理府を初めいろいろな行政の関係、地方自治体が外国の青年を非常にたくさん呼んでおられます。私の知っておるところでは年間四千人ぐらいそういう関係の青年が日本に来ておるわけです。ところが、たとえば東京を例にとりますと、一番いい例が、田中元総理が東南アジア各国をお回りになったとき提唱されて始まっております東南アジア青年の船というのがありますが、その船で東南アジアの青年諸君が毎年百五、六十名日本に参ります。それで東京に五、六日おるわけですが、そのときですら、国の施設があるのにわざわざホテルに泊めて交流をやらしておる。こういうような状況は、オリンピックセンターがあるのになぜわざわざホテルを使わなければいけないか、こういうような非常に単純な疑問を私どもとしては持つわけです。だから、オリンピックセンターの現状を見てみると、要するに外国の青年を泊め得ない施設なんだということを政府自体お認めになっておるのじゃないか、こういうような感じがいたします。だからせめて、外国人であろうが日本人であろうが、国際的な水準で、宿泊して、食事をして、自由に交流をする、やはりそういうふうに改善を加えていかなければいけないのじゃないか。そういう意味で私は国際交流的な機能を果たしてほしいということを申し上げたわけでございます。
○中村(靖)委員 ありがとうございました。 最後に藤田参考人にお伺いをいたします。 今回の、特殊法人としての現センターを文部省直轄の国立のセンターにしよう、こういう動きにつきまして、幾つか問題点といいますか、あるいは心配な点といいますか、そういう点がないわけではないというふうに思うのですが、その代表的な問題の一つは、いままでの特殊法人としてのセンターには、やはり欠点もたくさんあったと思いますが、同時に特殊法人としてのよさといいますか、利点も私はあったような気がいたします。国立のセンターになりますと、国立のセンターとしてのたとえばほかの青少年施設との人事の交流とか、そういう面で非常にやりやすくなる面も多々あると思いますが、同時にやはり、国立になると何かいろいろな意味で規制がやかましくなるのではないかというような不安感みたいなものが全然ないというわけではないと私は思うのです。そこで、特殊法人から国立にもし変わる場合に、いままでのよさはなるべく生かして、そして国立のよさというものをなお生かしていくという方向が望まれると思うので、その辺の問題点につきまして藤田参考人から、お感じになったままで結構でございますが、国立になる場合にこういう点は特に気をつけてもらいたい、あるいはこういう点が非常に不安だという問題がもしございましたら少し具体的にお聞かせいただきたいと思っております。
○藤田参考人 ただいまの中村先生からの御質問でございますが、私もオリンピック記念青少年総合センターを三回ほど利用させていただいたことがございますし、それからこのことにつきまして職員の方から何回かお聞きしたことがございます。ただ私、青少年総合センターのすべてについて熟知しておるというわけではございませんので、その点はお含みの上お聞き願いたいというふうに思います。 一つは、先ほども申し上げましたが、文部省の直轄になることによりまして、青少年関係の教育機関というふうにあの施設がなっていく。そうしまして、そこでもって文部省がさまざまな教育事業をおやりになるというふうになってまいりますと、現在利用者は、私も聞いて驚いたのですが、年間約百万の人たちが利用しているというふうに聞いておりますが、一般の団体やグループ、サークル等の利用というのは、そのことによってかなりの程度やはり制約されるということが起こるのではないか。そのことは、あそこの地理的な条件とか大きさ等からして、たとえその数割であろうともばかにならないことで、一般の利用の制約ということが心配になるということが一つでございます。 それから第二点は、文部省があの施設を通じましてどのような教育に関する事業をおやりになるかということはまだ定かではございませんが、文部省が直轄しておりますほかの青少年関係の施設と申しますと、国立青年の家というのがございまして、それを思い出すわけでありますし、その国立青年の家では数年前から青少年の指導者養成を行っております。上級指導者養成というふうな名前でたしか行っておったというふうに思いますが、そのプログラムは文部省関係の方々がつくられました「社会教育行政必携」という毎年出ますものに載っておりまして、ここにありますが、この本を拝見いたしますと、これは社会教育局長通知という形でもって、各都道府県や指定都市教育委員会教育長あてに出された「国立青年の家における「青年団体指導者研修基準」について」という文書でございますが、それによりますと、「青年団体活動の意義と役割」というふうな領域につきましては、「人生の意味や現代の青年に期待される役割について考え、歴史的、国際的視野から青年団体活動のあり方を探求する。」また、研修項目の「国際社会と日本の青年」ということにつきまして、「国際社会におけるわが国の地位を理解し、日本の青年に期待される役割について考える。」というふうな、そういう研修内容が盛り込まれております。この辺になりますと、青年にどういう研修が必要なのかということで議論の分かれる点だというふうに思いますが、ともあれ、このような内容はいわば青年の内面的な価値と申しますか、人生観、社会観と深くかかわり合いのある項目だというふうに思われるわけであります。 私、先ほどの話の中で、教育に関する権利というものが憲法条項で定まっておるけれども、そこには社会教育に関する権利も含まれている規定であるというふうなことを御紹介申し上げまして、先生はよく御存じのことと思いますけれども、そのようないわば国民の権利の規定の根拠は、私、解釈いたしますに、一つは、子供以外の成人にしろあるいは学校に行っていない青年にしろ、その一人一人が発達するということ、そのことはやはりその本人の人格の形成あるいは人間の尊厳にとって、もうかけがえのない大切なものであるからということが一つだろうというふうに思います。最近、高齢者の方々の社会教育もずいぶん進んでまいりましたが、特にそういう方々がスポーツをおやりになったり、あるいは陶芸などの、そういうことを勉強なさっていらっしゃるその生き生きとした姿を拝見いたしますと、そのように感じます。 それからもう一つは、やはり民主主義というものを前提とする以上、国民すべてが、特に有権者でございましょうが、そういう方々が政治や社会について理解をするというふうな、そういうことが民主主義の存立と発展にとってかけがえのないことだということが言えますし、そのことから、やはり社会教育に関する権利というふうなことがそれを基礎にして言えるのではないかというふうに思われるわけであります。問題は後の民主主義と関係するわけでございますが、そうしますと、現に政治を動かしておられる機関の、文部省なら文部省が、先ほど言いましたような、特に青年なら青年の内面に関する事柄、人生観やあるいは社会観に関するような事柄に関しまして、一定のプログラムをして、そして指導するというふうなことになりますと、それは、そのようなものによって指導される民主主義ということになり、そのことが、国民の世論によって政治が動いていくという民主主義の原則からやや逸脱するということになりはしないかということがおそれられ、そのことと関連して、先ほど言いましたような、社会教育については自己教育ということが強く要望されたように思うわけでございます。 以上、二点申し上げた次第でございますが、特に移管に伴って心配になる点はという御質問に関して、一応そのようにお答えしておきたいと思います。
○中村(靖)委員 終わります。
○菅波委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。 午前十一時五十一分休憩 ————◇————— 午後一時三分開議
○菅波委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 オリンピック記念青少年総合センターの解散に関する法律案を議題といたします。 午前に引き続き、参考人より御意見を承りたいと存じますが、御意見は委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小川仁一君。
○小川(仁)委員 参考人の皆様、御苦労さまでございました。私、社会党の小川仁一でございます。幾つか御意見を承りたいと思います。 先ほどの参考人の皆様のお話を聞いておりますと、オリンピックセンターは東京の都心にあって非常に利用に便利であり、しかも、皆さんのお考えの中には、日帰りの利用、一般の人たちに対する利用というものも大きく考えておかなければならない、こういうお話もあり、また、それは社会教育から社会体育、こういった面についても非常に有効に活用されなければならない、こういうお話でございますが、私たち考えますに、青年の家といったような国立の文部省の社会教育施設、青少年施設の運営等から見てまいりますと、非常に制約が厳しくなるという前例があるわけでございます。そういう観点からまいりまして、坂本参考人、また笹原参考人のお二人から、国立化することによって制約が厳しくなり、むしろ国の社会教育施設として利用が制約されるのではないかという懸念を持つような御意見に承りましたが、そういう点についてお二人から御意見を伺いたいと思います。
○坂本参考人 小川先生のお話を承りまして、いわゆる国立化したときいま以上に制約があるということに対しては、私自身は望ましくない。だから、現行の形で、子供たちも、また子供たちの指導の立場にある人たちも利用できるように運営をしていただくというようなことは前提条件でございます。ですから、先ほど申し上げましたように、ある種の青少年教育論で考えますと、そういうような多様な国民のニードに沿った方向が打ち出されるとすれば、それに対して国は積極的に財政的援助をすべきだ。たとえば施設の面でもあるいは人間的な面でも財政的援助をすべきだという意味で国立化する方が有利だろうということでありまして、国立化することにおいて従来と違った意味のコントロールができる、これは運営の問題として、小川先生も御存じのいわゆる国立青年の家と異質な形の運営としてその問題をとらえていくべきだというふうに私は考えております。
○笹原参考人 国の直轄になった場合は現在運営されている状態よりもより窮屈になるのじゃないかという心配をしていますのは、一つは、国が直轄の事業をやられる場合に、社会教育というものの研修、直轄の社会研修等の事業が入ってまいります。したがって、施設の利用が自然と制約されるのじゃないかという心配があるわけでございます。そういうことでありますけれども、われわれとしては要するに、先ほど申し上げましたように、青少年センター基本構想検討委員会が描かれました三点について改善していただき、また、それが利用しやすい形であれば、国であろうとあるいは現在のままであろうとどちらでもいいのではないか。まだ体協の基本的な態度は決まっていませんけれども、要するに現在の利用しやすい形を崩していただきたくない。しかし、いまの状態ではどうしても施設あるいは運用の面でいろいろと使いにくい面がありますので、その点を改善していただきたいというのがわれわれ利用者側の希望でございます。
○小川(仁)委員 上村参考人にお伺いいたしますが、属しておられます青少年育成国民会議というのは、これは社会教育団体でございましょうか。
○上村参考人 社会教育団体というふうに厳密に言えるかどうかわかりませんが、実は昭和四十一年にわが国の青少年非行が非常に多くなりまして、この問題に何とかして対処しなければいけないというようなことから、いろいろ青少年の教育に携わっておられる各種の団体を糾合いたしまして結成をされた民間の団体でございます。所管は総理府になっておりまして、社団法人ということで、青少年の関係団体あるいは育成団体、そういうものがすべて寄り集まってできております。
○小川(仁)委員 続いて上村参考人にお伺いしますが、先ほど、オリンピックセンターの運営方針が確立をしていない、思いつきのような運営だというふうな意味のお話にお聞きをいたしましたが、これはやはりあそこを運営する文部省のあり方、あるいはあそこの運営を中心になってしている評議員会というのがあります。あるいはあそこの役員がありますが、そういう人たちの運営の問題であって、施設そのものの問題ではない、こういうふうに先ほどのお話の趣旨は考えてよろしゅうございましょうか。
○上村参考人 私の申し上げましたのは二つ意味があります。一つは、青少年総合センターと一応名前がついておるわけですが、多角的に青少年のニードにこたえていくために、総合的な施設の整備というのを最終的にどういうふうにしていったらいいかというような意味での全体的なプランというのが実はできていない。したがって、たとえば研修館が足りないといっては研修館をつくり、スポーツの体育館が足りないといってはスポーツ館を継ぎ足していくというような、何といいましょうか、全体計画をあらかじめつくっておきまして、それに沿っていろいろな施設を整備していくというような形では必ずしもなされていないという点が一点。それからもう一点は、あの施設の利用形態の変化を克明に調査していただけばおわかりじゃないかと思うのですが、要するに宿泊研修施設という形でスタートしてまいりまして、この十年間に日帰り研修というのが非常に増加してきたわけですが、それの利用のさせ方についてのいろいろなプログラム、サービスその他の準備等も十分でない。こういうような、運営の面と、施設の整備をどういうふうにしていくかという点についての全体計画がないままに進められておるのじゃないか。そういう二つの意味でございます。
○小川(仁)委員 いまのお話をお聞きしながら、おたくの方で「「オリンピック記念青少年総合センター」の拡充計画について」というのをお出しになったのを私拝見をいたしておりました。これによりますと、先ほどお述べになった施設の拡充その他については非常によく書いておられますが、行政改革というのは本来、経済的効率を高くする、仕事を減らしていくというのが本質でございます。先ほどお話をお聞きしておりますと、行政改革をする時期にこういう拡充計画をお出しになったわけでございますが、片方の行政改革で施設を減らすという一つの方向性と、皆さん方の施設の拡充計画、こういうのは非常に矛盾したように感ずるわけでございます。したがいまして、そうなりますと、今回の行政改革によって施設を減らし、行政改革の本質であります経済効率を高める、そういうふうな面については御反対の意見でございましょうか。
○上村参考人 行政改革を進めていただくということについては、基本的には私どもは賛成をしております。先生おっしゃった意味を、要するに行政改革を進めることに賛成か反対かという形で……。
○小川(仁)委員 私、説明が足らなかったようですが、このオリンピック記念青少年総合センターが行政改革の対象として縮小される方向性を持つわけです。行政改革というものの本質は、経済効率を上げて、不要になった事業とかそういうものを減らしていくということのようであります。一方、施設の拡充ということを非常に皆さんはオリンピックセンターを中心にしてお話しになっておられる。非常に矛盾をしておられるのじゃないかという意味で、私は、施設拡充というお立場から考えるなら行政改革には反対というお考えなのかどうか。オリンピックセンターについてお伺いしているわけです。
○上村参考人 私どもが構想いたしましたセンターの将来構想というのは、行政改革の対象になったからこれを大急ぎでつくったというものではございません。私どもとしては、実は先ほども私申し述べさせていただきましたとおり、オリンピック記念青少年総合センターが発足した当初からここをずっと使わせていただきました。それでその後ずっと、ここのセンターがよりよく青少年の自主研修のために役立っていくようにというような形で実は御協力その他もしてきたわけでございますが、建物自体が大変古くなっている、それから利用の形態が非常に多様になっているのにそれにこたえ得ないというような点から、これを大規模に改修、改革していくべきであろうというようなことをかねがね考えておりまして、その線に沿って実は整理をしたわけでございます。 それからもう一つは、これに大改革を加えて充実を図るということが行政改革に反するというようなことに、あるいはとり方によれば、そういう点から見ればなるかもしれませんが、私どもとしては、青少年の社会教育施設というのはまだ非常に不十分である。たとえば学校教育に比較いたしまして、予算の投入の仕方、国家投資の仕方というのは極端に少ないわけでありまして、その面に思い切って投資をしていくということは必ずしも行政改革の方向に沿っていないというふうには考えておりません。
○小川(仁)委員 そうしますと、ただいまの御意見を伺っておりますと、施設の拡充は非常に必要だ、特に現在施設を拡大して社会的な要求にこたえたい、こういうお考えはわかりましたが、そういう考え方と、それから逆に、これは多分今度の法案をお読みになっておられると思いますが、目的のところにこう書いてある。新たに設置する「国立オリンピック記念青少年総合センターは、青少年及び青少年教育指導者その他の青少年教育関係者に対する研修を通じ、並びに青少年教育に関する施設及び団体との連絡及び協力並びに青少年教育に関する専門的な調査研究を行うことにより、健全な青少年の育成及び青少年教育の振興を図るための機関とする。」国の機関にする。しかも、ねらいははっきりと青少年の教育指導者、教育関係者、こういう主体がいままでとは違ってまいりました。前の主体の中にはこういうことはなかったわけであります。今度新しく入った教育対象の主体。しかも性格が、研修を通じ、連絡及び協力をし、さらに国の機関とする。こういう明確な形になった中で、先ほどから皆さんお話しになっておられるような状況が果たして生まれてくるだろうか。非常に多様な研修、あるいは日帰りの方、あるいは各種のスポーツ団体、レクリエーション、こういう形に、目的と、皆さんがお考えになっているようなことがうまく合致するだろうか。こういう点について参考人全員の方の御意見を一言ずつお伺いしたいと思います。
○上村参考人 私は法案の内容を詳細に吟味をしたことはありませんが、従来文部省その他の御答弁等を見ておりますと、すべて国の機関として国が行う研修その他に提供するものではない、むしろ現在の機能を延長していくのが基本的な方針であるというような答弁等もされておりますし、それから、あの施設が現在非常に多様に使われておる方向を、それに反して変えていくということは恐らく無理ではなかろうかというふうに思いますので、法案に書いてある事項は、いままでになかった事項で、言うなれば一部欠落した事項がそういう形で取り込まれておる、そういうふうに私は解釈をしております。
○坂本参考人 小川先生のおっしゃったことで申し上げますと、たとえば、青少年自身及び青少年教育指導者といいます。その青少年教育指導者というのを大人たちと考えてくださって、多様な人々がいままでもお入りになって研修なさっていたわけですから、そういう形で多くの大人の方々も、お母さんならお母さんで青少年に影響を与えてくださるわけですので、そういう方々を入れていくというふうに私自身は解釈しております。そうするとそれこそ多様な方々のニードに応じられるというふうにむしろ思うわけです。それと同時に、いわゆる連絡及び協力ということをやるといままでと違うのじゃないかとか、あるいは私どもが申し上げましたように、いままでの性格は変えないで、できるだけ入りやすい、気楽に入れるというような事柄は、連絡、協力あるいはそれによって、研修をすることによってということですが、この研修というのは、いままでに入りました団体の方々がプログラムをお持ちになって研修を自分たちでなさるわけでして、ある機関が、あるいは文部省の機関とかその団体と関与しない人々がその方々のプログラムに反してやるという意味じゃなくて、いまでもいわゆる研修ということを通じておやりになっているのだというふうにこのことを解釈いたしますので、こういう内容におきましていままでと大きく路線が変わるというふうには考えておりません。
○笹原参考人 現在、オリンピック記念青少年総合センターが、大変なニーズがあるにかかわらず、また歴史的背景からいっても、あのセンターの活用が先ほど申しましたように施設あるいは運用の面で不備がありますけれども、にもかかわらず、行政改革にオリンピックセンターが挙げられる、その過程が、私個人の見解でございますが、センターの実態をよく調べられないでこの問題が取り上げられているのじゃないかというふうに私は考えているわけです。したがって、あのセンターができて、あそこをオリンピックの記念にふさわしいセンターということで今日まで、私自身も現在も毎日あそこを利用させてもらっているわけですけれども、それが国の直轄になったために、国の社会教育の指導者研修にほとんどが使われて、われわれ民間のいろいろなグループ活動の場がなくなるということを非常に心配しているわけでございます。したがって、このセンターの問題は、もっともっとその実態を調査していただいて、いま即決断をされないで、もっとゆっくり審議をしていただいて、なおかつ、先ほど私が申しましたように、国の社会教育とスポーツの立場、こういうものを、国の基本の柱は何かということをひとつ政策の面で確立していくために、このセンターの問題については、これを契機として、もっともっとその実態を調査していただきたい、私はこういう希望を持っているものでございます。
○小川(仁)委員 藤田先生に入る前に、もう一つお聞きしたいことがございますので……。 憲法第八十九条「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは團體の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に對し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」こういう条項がございます。したがいまして、公の支配に属している社会教育団体は利用できますけれども、それ以外の団体は利用ができなくなる、直営になるとこういうことが懸念をされます。したがいまして、先ほど青少年育成国民会議の事務局長さんにもお伺いしたのですが、社会教育系団体じゃないと、あそこにお入りになっている方は出なければならないという結果になるわけでございますね。また、あそこに入っている幾つかの社会教育団体でないものは出ていかなければならない、こういう形になるわけでございます。こうなりますと利用の幅というものが非常に狭くなってまいります。その結果、青少年あるいは一般の社会教育としての自主的な活動というものが猛烈に狭められる。いま皆さんが御期待をしておられるような、日帰りの人からなにからというふうな、そういう利用というものが、文部省のどこで答弁されたかわからないが、憲法八十九条との関係でそのお話とは性格が変わってくるのじゃないか、こういう心配を私は持つものでございますが、社会教育という立場から、この憲法八十九条との関連の中でこのセンターのあり方というものを先ほどのことに付加してさらにお考えをいただければありがたいと思います。同時に、いまの問題について他の方々でも御意見があれば伺いたいと思います。
○菅波委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。湯山勇君。
○湯山委員 ただいまの小川委員の質問に関連してお尋ねいたしたいと思うのです。藤田先生にお願いします。 それは、ただいま小川委員から指摘がございましたように、公の支配に属しない教育団体にはこれは使わしてはならないということになるわけです。そうすると、社会教育団体というのは社会教育法によりまして「公の支配に属しない団体」という定義がありますから、そうなってくると、この施設そのものが教育の機関であり、事業は教育の事業をやっていくということですから、社会教育団体の研修計画を持って、プログラムを持ってやっていく教育には使えない。つまり、厳密にこの規定を解釈すれば、社会教育団体はせっかくこういうものができても使えない、そういうことになるのではないだろうかということを、いまの小川委員の質問にあわせてお尋ねいたしたいと思うわけです。
○藤田参考人 先ほどの小川先生の、前の御質問でありますが、ほかの参考人の方々もお答えになったことでございますが、端的に申し上げまして現在の施設が完全ではございませんが、しかし、これが国に移管されることによりまして、先ほど小川先生もお読みくださいましたこの案件を明文化いたしましたことからしましても、現在の青少年総合センターというものが教育機関、つまり全国の青少年団体の指導者養成機関の方向に向かっていく、そのような事業を文部省がなさるというふうなことは十分考えられますので、一般の自主的な活動の利用に供するという点ではやはりかなり制約をされてくるということは十分考えられ、そのようなことが多くの社会教育関係団体の意向とは反してくるというふうに私は存じます。 それから第二の点でございますが、この点は湯山先生もおっしゃった点で、御質問の内容はほぼ同じように私は受け取ったわけでございますが、間違えましたらお許し願いたいと思うのですけれども、確かに、八十九条を文理的にと申しますか、そのまま読んでいきますと、公の施設になると、公の支配に属しない社会教育関係団体は利用できなくなります。ただ、しかし、この点は大変むずかしい点だと思いますけれども、それじゃ現在、国立の施設において公の支配に属しない社会教育関係団体は利用できなくなっておるか。たとえば国立青年の家というのがございます。そうするとそうではないのであります。ですから、それを文理的に解釈しましてそれを振りかぶったときにはそうなるけれども、だから直ちにそうなるというふうなことは、他の国立青年の家等の事例に照らしまして、断定することはちょっとできないということが実情でございます。そういう施設でも貸しておりますから。ただ、制約されるということは言えるというふうに思います。
○湯山委員 私はたまたま、三十何年ですか、社会教育法の大きな改正のときにその審議に参加をいたしました。そのときに、いま先生おっしゃったように、社会教育団体に対する助成の問題、いろいろ論議したわけでございます。そのときの解釈では、この場合の教育というのは、目的を持って継続的に計画的にやる教育を教育というのであって、一日集まっていろいろ話し合いをするとか、自主的な、しかもそういう計画的、継続的でないものはいいというので、現在のような青年の家あたりの利用その他が行われていたと思います。今度の場合は、もうこの機関はそういうものと違って、先生が先ほど御指摘のように明らかに教育機関であるし、やることは教育事業である。したがって、これにはちゃんと計画もあれば目的もあるということになれば、憲法で指摘しておる教育という範疇に入ると解釈するのがこの際妥当じゃないか。そういう意味からいって、現在までいろいろ国の施設あるいは公の施設を使わしているのと、今度こういう形で国の施設になった場合とでは性格が違ってくる。そうなれば、申し上げましたように、公の支配に属しない社会教育団体が、この新しいセンターの趣旨に沿った施設の利用というものは非常に矛盾したものを持ってくるということでお尋ねしておるわけですが、その点、いかがでしょうか。
○藤田参考人 確かにおっしゃるとおり、文部省の教育機関ということになりますと、私ども教育機関ですぐ思い出すのは学校でございますが、学校と同じようになるとは思いませんけれども、そのような方向に向かっていくとすると、やはり、これまでのような自主的な団体が自主的に使う、利用する、そういう施設とは全く性質が違ってくるということは確かに言えると思います。 それからなおちょっと申し上げますと、文部省と社会教育関係団体の関係でございますが、社会教育法第十一条に、文部省及び地方公共団体は、社会教育関係団体の求めに応じて指導、助言するということが書いてあります。つまり、その団体の自主性をあくまで尊重するということが法律のたてまえでございまして、その求めに応じて指導、助言ということと、いま考えられておられることが抵触しはしないかということをやはりおそれるわけでございます。
○湯山委員 結構です。
○小川(仁)委員 どうもありがとうございました。
○菅波委員長 池田克也君。
○池田(克)委員 最初に笹原参考人にお伺いをしたいのでございますが、先ほどの一番最初の御発言の中で、スポーツの選手の合宿、これに対して、このオリンピックセンターの時間帯といいますか、さまざまな運営のやり方がなじまない、ときには三食の食事ができなくて二食になる、こんなようなお話がございましたが、なぜ二食になっているのか、どういうふうにしてそれがそぐわないのか、その辺をもうちょっと御説明いただきたいと思うのです。
○笹原参考人 池田先生の御質問にお答えします。 たとえば、われわれ食事が終わって、それで午前の練習が始まります。そうしますと昼の時間が、オリンピックセンターの食堂がごらんのように大変な列をつくりまして、選手が食事が終わるまでにかなりの時間がかかってしまうし、次の練習時間に差し支えてしまう、消化する時間がありますので。そうしますとどうしても次の練習時間に差し支えるものですから、昼の食事を抜いて朝だけにしてしまうということがあるわけです。 それから、最近は朝の集いがなくなったようでございますけれども、たとえばわれわれ以外のスポーツ団体の方々が夜遅くまで練習したいと言っても、なかなか時間の制限の問題がありましてこれまた練習が制約されるということで、バレーさんとかは遅くまでやっているようですけれども、そういうふうにセンターの時間にどうしても制約されるというのが実情でございます。
○池田(克)委員 その辺についてもう少し笹原参考人にお伺いしたいのですが、オリンピックセンターの運営についてはたしか評議員会というのがございました。その中にたしか、私が承知しているのでは四つの大きな種目があって、一つはいわゆる社会教育の団体の方、もう一つは体協の団体の方、あと二つ、詳細な資料はここでは必要ないと思いますけれども、特に体協の代表が評議員会に入っておったわけですから、いまおっしゃるような専門家のトレーニングについて不都合があるならば、それに即した注文をつけて、運営をある面では直してもらうことができたはずなんですが、ある面では、社会教育ということとスポーツということとの力関係のまま、スポーツが若干押されぎみで遠慮して、結果的にはだんだん使用頻度がスポーツ関係者は減ってきて今日二八%になっているんじゃないか、そんなふうに思うのですが、その辺、どんなものでしょうか。笹原さんからその実態を少し伺いたいと思うのです。
○笹原参考人 確かに、オリンピックセンターというものは、われわれの考えからしますと、広く国民の間に国民の自主的活動の場所があそこで与えられるということ、今日百万という数字になったわけでございます。われわれスポーツ関係団体関係者は十六万人ということでございますけれども、非常に少ないわけですが、この理由は幾つか挙げられると思います。そのうち最も大きな理由は、いわゆるあそこを借りる賃料が競技団体にとっては非常に負担になる。御承知のように競技団体は台所が非常に貧乏でございますから、そういう面で一つの大きな理由は、あそこが有料で、よその民間の施設から見れば安いのですけれども、競技団体としてみれば非常に負担になるということが挙げられるということ。 それから、先ほど私はスポーツ振興法を改正していただきたいということを申し上げたわけですが、現在のスポーツ振興法に定められるスポーツ振興施設について、国は社会教育主事、スポーツ担当の指導者をことしは六百人ですか、何か配置しているわけですね。地方の市町村には三万人の非常勤の体育指導委員というものも配置しているわけですけれども、現在、行政サイドではいわゆる社会教育法に基づいた体育指導者が配置されているということがあるだろうと思うのです。そういう面で、現在のスポーツ振興法は指導者を施設に配置する問題、その他いろいろあるわけですけれども、そういう面から見ますと、現在これだけ国民のスポーツ欲求が高まっているにかかわらず、現在は社会教育法に基づくスポーツの指導者というものが対応できない状態にあるわけです。社会教育主事といっても、スポーツ担当といってもスポーツを知らない担当がたくさんいるような現状でございますから、そういう意味で、私が先ほど申しましたように、国としてせめて、憲法とまではいかないかもしれませんが、現在のスポーツ振興法の中にしっかりしたフィロソフィーを明記していただき、また国の責任分野も明記していただきたい。もちろん、体育、スポーツというものは社会教育の中に入っているかもしれませんけれども、体育、スポーツというものは現在はどちらかというと低い地位に置かれている。現在の法律からいけばそういう規定で押さえられていますから、その辺をぜひ検討していただきたいというのが私の希望でございます。 それから、中のいろいろな時間帯の利用の問題とか、そういうものは体育協会から評議員が出ていますし、その辺は問題なく解決できるのじゃないかと思います。
○池田(克)委員 オリンピック記念の施設で、要するにオリンピックのときに残ったお金、こういうようなものを使ってスポーツ研修館というものができた。この中には医務室というものもあって、かなり科学的に研究をしようじゃないかという当初の期待というものは体協関係者にもあったのじゃないか。そして、いまお話があったようないろいろな趣旨で、やりにくいながらも今日でも笹原さんの団体はスポーツをやっている。 そこで、さっきちょっと気になるお話があったので確認をしたいのですが、いわゆるスポーツの合宿で、費用の問題あるいは適当な場所がないという問題で、自衛隊あるいはサイクルセンター、こういうところを使っているというお話がちょっとございました。自衛隊にはどのくらいの競技団体が行っているのか。正確なデータをお手持ちじゃなければあれですが、感じとして伺いたいのです。また、サイクルセンターというのは例の競輪によるところの収益でつくった施設なのかどうか、その辺ちょっと聞かしていただきたいのです。
○笹原参考人 競技団体の自衛隊の利用については、正確な数字は私持っていませんけれども、ウエートリフティングとか、特に自衛隊の体育学校で実施している種目関係はかなり利用されている。われわれももちろん全国の高校生を集めて、ことしまた合宿が始まるわけです。五百人ぐらい集まるわけですけれども、そういうふうにかなりの競技団体が自衛隊を利用されるというのが実情でございます。確かにはっきりした数字はつかんでおりません。しかし、利用されていることはもう事実でありますし、体協の体力向上委員会等においてもこのトレーニングの場所について一番頭を悩ませているのが現状でございますが、どうしても費用の点あるいは施設の面でそういうところを利用せざるを得ないというのが実情でございます。 それから、サイクルセンターというのは、池田先生がおっしゃったように、自転車振興会が伊豆にサイクルセンターというのをつくられました。そこを利用させてもらっているわけです。施設は大変りっぱなんですが、ただ、通うにはちょっと不便で、オリンピックセンターみたいに日帰りでというわけにはいかないわけです。
○池田(克)委員 こういうふうにして、いわゆるオリンピックの名前がついた歴史的な、スポーツ関係者にはそこが東京オリンピックの思い出の場所である、そこでハッスルして日の丸を立てるんだと言ってがんばってこられたんでしょうが、だんだん使いにくくなって、またいろんな状況の中で自衛隊へ行ったり、ギャンブルについてもいろいろ御意見があるでしょうが、そういう施設を使うような方向になってきている。そして、先ほどお話があったスポーツのための総合研究所が欲しいということ、これは体協の御要望だそうですか、これは何か、私が聞くところによると、このいわゆるオリンピックの場所につくるんじゃなくて、教育大学の体育学部の跡地にこれをつくってほしいというのでしょうか、そういうようなことで文部省の方にも要求をしている。私の感じでは、せっかくオリンピック記念となっているんだから、もう少しスポーツという問題について重きを置いたそういうような施設を残し、運用をすべきじゃないか。 これは藤田先生にちょっと私お伺いしたいのですが、社会教育というものとスポーツというものと、何か法律の条文ではちょっと違うように私は思うのです。つまり、スポーツ振興法の第三条なんかを見ますと、スポーツというものはあくまでも「自発的な活動に協力しつつ、ひろく国民があらゆる機会とあらゆる場所において自主的にその適性及び健康状態に応じてスポーツをすることができるような」こういうふうに自発性、自主性がうたわれている。社会教育法を見ますと、「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動)」こういうふうに、法律の中で体育とスポーツという問題について、社会教育の方の実態はこれからよく伺わなくちゃならないのですが、組織的な教育の一環に体育があることは認める。スポーツの方は自主的な問題である。こうなりますと、今度社会教育機関として国のセンターになるということになると、スポーツというイメージからは、法律の条文からいってもだんだんどけということになってくる。しかも、いまのような状態で自衛隊やサイクルセンターというようなところになってくる。総合施設も研究施設も教育大の体育学部の跡地になる。だんだんスポーツという問題から離れていってしまって、結局、社会教育というものがあそこにどんと座ってくる。社会教育の中にいわゆるスポーツがもっともっと思い切った自由な形で残れればいいのですが、どうもそれが、先ほど来小川先生の質問のやりとりなんかでも、憲法の問題が出てきましたけれども、どうもその辺が心配だし、はっきりしないのですね。この法律の解釈ですね、これは社会教育が御専門だということで藤田先生にちょっとお伺いしたいのですが、この体育というもの、スポーツというものを国民は似たように受けとめているのですが、法律の条文からはちょっと違うのですね。この辺ちょっと整理して教えていただけませんでしょうか。
○藤田参考人 ただいまの御質問の点ですが、実は私も、社会教育法では体育という言葉を使い、スポーツ振興法ではスポーツという言葉を使っている、その言葉の定義の違いというものにつきまして実はいろいろ御意見があろうかと思いますが、これは立法に当たった方々の御意見を聞かなければなりませんが、どうも私のいままで調べたところではその差異というものが明確でなくて、わかりません。大変申しわけないと思います。ただ、一般に解釈されておりますのが社会教育の中にはスポーツも入るということで、そして進めておりますし、ですから体協のようなそういうスポーツ団体も社会教育関係団体というふうになっておるということは御存じのとおりでございます。ですから、社会教育というものはスポーツを排除するものではなくて、含むものでございます。したがって、今度の施設の問題にしましても、スポーツがどいて社会教育が来るということではなくて、むしろスポーツや社会教育の自主的な活動の方が、いままでのような形で利用がむずかしくなるというふうなことを私は考え、おそれるわけでございます。
○池田(克)委員 いまの問題については藤田先生、定義については明確なお答えがなかったわけです。しかし、これはまた別の機会に文部省当局や法制局等にこの法律の意味という問題について私も聞いてみなければならないと思うのです。 一方、藤田先生がお書きになったちょっとした論文がございまして、この問題についてちょっとお伺いをしたいと思うのです。これは社会教育の一つの状況についての藤田先生のお話なんですが、若干読ましていただきます。これは、社会教育についての補助金を支出するという問題についてなんです。 このような補助金を出すということ、文部側 の教育活動に対する補助金の支出というのは、 かつては禁じられていたわけです。それは憲法 八九条との関係で禁じられていて、金を出すこ とによってその団体を縛ることになる恐れがあ るという趣旨であり、また公金の支出を厳正に しようということから、社会教育法では、第一 三条でかつては禁止されていたわけですが、そ れが一九五九年の法改正によって、これは改悪 ですが、出せるようになったわけです。 ただ、その法律改正によって出せるようにな つたのは、私どもが考えるような権利の保障と しての経済的な補助金の支出、援助ということ ではなくて、むしろ文部省・あるいは都道府県 の行政に支出することが好ましいと考えられた 団体に対して出すという、非常に偏りな考え方 で出してきたし、現在もそうであることは確か です。こういうお話を私は拝見したわけです。 いわゆる補助金の問題については、確かにもらう側から見ますといろいろな危惧を抱くわけですし、また出す側から見てもいろいろなチェックがあろうかと思うのです。この社会教育の一つの方向として、ある面ではお金を出す、そのチャンスに若干のそうした運用といいますか、団体についての選別というものがあるかもしれない、そういう形で次第次第に、国家統制と言っては少し言い過ぎかもしれませんが、国が中心となって監督をしていく、こういう形の傾向性を帯びているような御発言なんですね。私はそういうふうに理解して、しかもその中心として国立の青少年センターがある、社会教育機関の中心である、私は、そういう意味ではその傾向の流れにあるというふうに藤田先生がおっしゃっているのじゃないかと理解をしたのですが、私のそういう読み方に間違いはないかどうか、お伺いをしたいと思うのです。
○藤田参考人 いま先生がお読みになりましたのは、論文とおっしゃいましたが、実は論文ではなくて、私がしゃべったことを記録したものだと思います。どうも私のしゃべったとおりに書かれたのかなということをちょっと危惧には思うわけでございますが、確かに、いま申しましたように、一九五九年になりますか、昭和三十四年に大改正になりまして、そして現在の社会教育法第十三条に変わりまして、そのときにこの国会で大きな論争がありまして、八十九条との関係でどうなんだということが問題になりました。そのいきさつからしますと、先ほどもちょっと、どなたかの先生から御発言がございましたが、教育の定義というものにつきまして、一般に私ども考える定義ではないような定義が法制局の見解として出まして、それをもとにして通ったというふうな経過につきましては、私ども専門家としては大変疑義を持っておるわけでございます。 ただ、申しますけれども、私は、文部省を初めとする行政機関がそのような、いま公の支配に属しない社会教育関係団体に対して財政的な援助を行うことが直ちに悪いというふうには申していないわけでございまして、むしろ、それが平等、公平に支出され、それによって社会教育が振興されるということであれば非常に望ましいし、そのためには、サポートするけれどもコントロールはしないという原則が貫かれるということこそ非常に望ましいことだと思っております。日本ではそういう点がまだまだでございますが、ヨーロッパ諸国などを見ますと、文部省の役割りというのは、特にヨーロッパの北の方の福祉の進んだ国などを考えますと、むしろそのことが文部省の中心点でございまして、その辺のところは他の国々と日本とはずいぶん違うな、もっともっとそういうことが伸びなければならないなというふうに日ごろ痛感しているわけでございます。 これまでそういういろいろなことがございましたが、ともあれ、文部省が青少年指導の教育機関を新たにつくるということは、やはり文部省の一定の教育の理念と申しますか、考えによって、日本の青少年の社会教育の方の分野でございますが、そういうものを誘導すると申しますか、そういったような気持ち、ねらいというものがあるということは、これは十分推測することができます。
○池田(克)委員 私が問題意識としているのは、たとえば「国立青年の家の管理運営について」という四十七年四月の社会教育局長の通知が出ております。これなんかにも、青年の家では研修生の生活時間の割り振りの基準を定めることということで、こういうふうにきちっとした時間帯のもとに教育をしていこう、こういう、いわゆる国立による青年の家というもので、言うならば一つの意思を持って教育をしていくということですね。いままでの、どっちかと言えば、先ほど貸し座敷だなんて話がありましたけれども、いわゆるオリンピックセンターというものがかなり自主的にいろいろな角度のニーズに応じて使われていた、こういう状態というものが私は常に一〇〇%いいとは言いません、直さなければならない部分はあると思いますけれども、趣旨としては、いまの青少年の、先ほど来何度もお話が出ている多様なニーズという、こういう問題にはかなり即応した、特に東京のようなところですと、そういうふうな多様な方々の集まりであり、かなりそうした面でそうなってきていたんですね。それを今度は網をかぶせ、国立にして、こういうふうな、都市型とおっしゃっていますから必ずしも地方にある青年の家と同じようになると私は思いませんけれども、しかしそういう心配をいましておかなければならない。この国会の審議というものを経なければ、後、ほかでどうだれが注文をつけるといってもこれは進んでいってしまうことですから、いまの段階で私たちは十分これを監視し、注意していかなければならないと思っているのです。 そこで坂本先生にちょっとお伺いしたいのですが、先ほど大変興味深いお話を伺ったのです。それは、青少年に対する成功経験と失敗経験というお話でございます。つまり、子供の中で適正なバランスでの失敗の経験もまた人生として、あるいは自分の精神を強くしていく上に大事だ、いま社会ではその失敗経験が少ないということでした。確かに、いま安全という問題がありまして、学校においても町においても、子供たちが危ないところへ行かないように、川や深みにはまらないように、あらゆる形でその安全の強化、これは大事だと思うのです。そういう状況の中でどうやってこの成功経験や失敗経験をバランスを持たせるかというと、私はスポーツというものが一番いいのではないか。勝ちもあり負けもあり、そのトレーニングがされたりゲームをやっていく中でそういう精神が養われていくし、またその結果として、企業なんかが採用される場合でもスポーツマンというのはわりと評判がいいように私は聞いている。これは学問的な見地と若干問題意識が違うかもしれませんが、先ほどのお話をつなげていきますと、スポーツというものを社会教育の中では、先ほどの解釈はいろいろありますけれども、もっと大きくしてやっていくこともまた大事なんじゃないかと、私は先ほどのお話を伺ったのです。御意見があれば伺いたいのです。
○坂本参考人 先ほど私が、池田先生がおっしゃいましたように失敗経験と成功経験ということが必要だと申し上げたわけですが、これは昔でいいますと、路地に子供たちが集まって、小さい子から年取った子供まで、あるチャンスに、たとえば紙芝居の方がいらっしゃったチャンスとか、そういうチャンスにいわゆる異年齢集団をつくってやる。そういう中で年配の子供がちゃんと管理しながら、極端な失敗経験は与えないようにしながら、たとえば鬼にならないように、幼い子供はみそっかすとかその他にして、一、二年たつとメンバーに入れてくるというような形でやられておりました。また、地域社会におきましてはいわゆるソシアルアンクル、社会的おじさんと言われる、本当に流動的で任意な男の人々が常々教育をなさっていらっしゃるという状況があったわけです。そういうものが取られてきますと、今度は幼いときには親の管理下だけで行うことが多くなってきます。そうなってくると、親がいまの実情のように失敗経験を与え切れない。それからまた地域社会へ出せば交通その他の問題で与え切れないということがありますので、ですからある一定の教育的な場の中で、池田先生おっしゃいましたようにある自由な活動をさせれば必然的に失敗経験は起こってくるわけです。たとえば、自由な活動の最たるものは先生おっしゃるようにスポーツもそれです。あるいはその他の、物をつくる活動とかその他の活動をすれば、全部うまくいくわけはありません。だから、自発的そして自主的な活動の最たるものがスポーツだろうと思いますし、その他の活動をしていけば、われわれが意図しなくてもいい割合で当然入ってくるわけです。社会教育とかあるいは青少年教育の中で、これは先生すでに御指摘のように自発性とか自主性ということを非常に大切にするわけです。そうすると、それを一番持っているものの一つにスポーツ活動もございます。ですから、社会教育や青少年教育ではスポーツ活動とかレクリエーション活動というのが活動内容としては相当大きな部分を占めるわけです。そういう意味では、私先ほど申し上げましたように、失敗経験を意図するわけではありませんけれども、ある種の組織的な活動をさせればそういうことは必然的に起こるということで、スポーツもその重要な要素だというふうに考えております。
○池田(克)委員 上村事務局長さんにお伺いしたいのですが、現在の社会教育の状況の中で、いろいろな青年の家なんかができておりますね。少年の家もあります。その中でスポーツというものはどのくらいの割合で行われているのでしょうか。
○上村参考人 先ほどスポーツの解釈の問題があったわけですが、いわゆるオリンピックの代表選手を養成するようなスポーツということで考えますと、社会教育的な活動の中ではいわゆるハードなスポーツというのはちょっとできないというふうに思います。しかし、最近いろいろな集会その他をしましても、スポーツを抜きにして社会教育関係の活動をするということは現在もう不可能になっておるというふうに私ども考えまして、どんな青年の集まり、あるいは成人の集まり、御婦人の集まりを持っても、スポーツというのを、パーセンテージはどの程度になるかはっきりわかりませんが、少なくとも相当数取り入れていかないと実際のプログラム、運営というのは不可能な状況になりつつある。特に青年が一番楽しんで自分をそのままさらけ出せる時間というのはいわゆるスポーツ活動というふうにみんな志向しておりますので、やはりそういう点をさらに強くしていきまして、従来言われておりましたいわゆる社会体育と社会教育の連結といいますか、そういう点を今後特に強く志向しなければいけないのじゃなかろうか、そういうふうに考えております。
○池田(克)委員 もう一点だけお願いしたいのです。これは上村先生のいまのお話についてなんですが、一つのカリキュラムの中でスポーツをするということと、同時に全体がとにかくスポーツの目的のために合宿をするとか、スポーツの目的のために社会教育施設を使うとか、こういうことはあるのでしょうか。
○上村参考人 ございます。たとえばある町の青年会の連中が隣の町の青年会と野球の交歓試合をやるというような場合は、特別に日ごろのプログラムを変更いたしまして野球のためだけにある程度合宿をするとか、そういうのは幾らもあるというふうに思います。
○池田(克)委員 終わります。ありがとうございました。
○菅波委員長 中野寛成君。
○中野(寛)委員 民社党の中野寛成でございます。きょう、貴重な御意見をお聞かせをいただきましてありがとうございました。 大変興味深くお話を聞かせていただいたわけでありますが、その中の一つに、坂本先生から人間の発達課題の話を聞きました。その中で、これは順を追ってやるものだ、そしてまたその累加性というものを非常に大切に考え、これを無視しては成り立っていかないことの話をお聞きいたしました。実はその発達課題についてお聞きしながら、人間の発達の問題とそれから日本の社会教育そのものの発達の問題と、何か頭の中でだんだんダブってまいりまして、実はいま社会教育の問題、最近になってクローズアップして取り上げられるようになりましたが、しかし、やはり何かその社会教育に対する考え方というものがまだ国民的なコンセンサスとして形成されていない。そしてその意見の違いというものがどこから来るのだろうかと考えるときに、実はその幼児期における信頼感を育てていくということ、日本の社会教育の幼児期における信頼感というのが実は育てられなかったのではなかろうか。日本の社会教育がいまどの期にあるかわかりませんが、たとえば幼児期にその自立感というものがきちんと整理して国民の中に植えつけられたのであろうか。いま、その信頼感と自立感が十分育てられないままに、活動性と自発性というものをいろんなところから要求をされているというのが実態ではないだろうかという感じをダブらせながらお聞きをいたしておったわけであります。 そういう意味で、どうも日本の場合にはその中でも失敗経験のみ多くて成功経験が少なかったことも、今日のその意見の相違の一つの原因にもなっているのじゃないだろうかという気がしてなりませんでした。そういう意味で、実は先ほども藤田先生からもお触れになりましたが、いわゆるノーサポート・ノーコントロール、それにいまむしろオンリーサポート・ノーコントロールの方が求められて、またそれが正しい姿だということじゃないかと思うのですが、坂本先生、藤田先生からそれぞれ、今日の日本の社会教育の置かれている、私いま申し上げましたような経緯と今日の精神的な構造というか現状というか、そういうふうなものについての御感想をまずお聞かせいただければありがたいと思います。
○坂本参考人 中野先生は私の人格特性としての発達課題というのを御理解いただいた上で、それが日本の社会教育の流れといいますか、発達課題もあるいはそういうふうなことになるかもしれない。そういう中で、いわゆる発達課題というのは積み上げていくわけですから、途中が欠如したらその上はだめなんだというようなもののときに、先ほど御指摘くださいましたように、活動性、自発性というのは小学校か中学校の子供たちのものだ、それに対して日本は、社会教育それ自身はもっと前のものにあるのじゃないかというようなことでございますが、その前に、発達課題というのも、いま申し上げましたように、子供の実態、青年の実態をとらえましても、活動性、自発性までいけない子供の実態はいっぱいありまして、そういう点では、中野先生が御指摘のように、社会教育とかあるいはその他の活動でも、そういうようなその以前の、たとえば自立感を喪失している現状その他もあると思うのです。子供も同じように、そういういわゆる、いやな言葉ですけれども、発達課題において落ちこぼれて残っていってしまうという子供たちもあると思うのです。そういうようなときにわれわれはどうしようか。その子たちは、累加性だからしようがないのだというわけにいかないわけです。そうなってきますと、遅まきながら、年齢は高いのですけれども、ちょうど社会教育の流れの中でも相当年齢は高く流れてきたわけですけれども、それを野放しにしておけば先ほど申し上げたような状況で、このプロセスを通ってきておりませんのでオートバイを飛ばしたりその他大変なことになりますから、ある自然環境とかある施設を用意して、その中で五年か十年の年代をさかのぼって自立感なりあるいは活動性なりを発揮するチャンスを与える。これはベストではないけれどもベターなわけですね。現在、そういう発達課題の落ちこぼれた子供たちに対して、そういうようなことを教育としては意図的にたくさんやらざるを得ないというようなことになろうかと思うのです。また、社会教育あるいは青少年教育の歴史的流れでもその発想は同じでして、もしそれが落ちこぼれた状況があるとすれば、ベストではなくベターだけれども、自立感、信頼感を得られるような活動があってしかるべきだろう。人間の人格特性との兼ね合いで考えればそんなことが言えるのではないかというふうに思っております。 以上です。
○藤田参考人 いまの先生の御質問の件ですが、子供の問題につきましては坂本先生がもうおっしゃいましたので、私は日ごろ接しております青年や成人のことについて申しますと、確かに、最近の青年の行動や考え方についてはいろいろ新しいむずかしい面もございまして、そういう点で社会教育に携わっている青少年関係の人たちというのは苦慮している点もあります。しかし、そのことは、一つは学校教育の問題があろうかと私は思っておるわけでございまして、日本の学校教育の一つの問題だろうと思いますけれども、進学中心ということにどうしてもなっておりますので、進学というふうなことを離れた学習の意欲を高める、そういうような学校教育の中における努力というものがもう少しあれば、学校を離れた後で、学校以外の社会教育の場所でもって物を学んでいくというような態度というものがもっともっと養えるのではないか。これは日本だけの問題ではないようですが、そのようなことを常々考えております。 しかし、そのようなことを頭に置きましてもなお、日本では青年などを調査しましてもまず要望するのはスポーツでございます。それからさまざまなレクリエーションや学習活動を要求している、そういった青年たちというのは非常にたくさんあります。ただ、それに応ずるだけのいわば条件整備というふうなもの、そういうものが、特に東京のような大都市の場合大変おくれていると残念ながら言わなければならないというふうに思いますので、いろいろな団体や文化グループ、サークルが自由に利用できる、そういう施設がもっともっとふえるということを、ぜひ先生方の御努力でお願いしたいというふうに思っております。
○中野(寛)委員 実は私はいまたとえで申し上げましたが、文部省を親にたとえ、そして国民の皆さんを子供にたとえるのはちょっと問題があろうと考えますが、今日までの日本の教育の歴史の中で、日本の文教行政というものが、正しい社会教育の発展を望んでいる国民に対して信頼感を植えつけ得なかった、または裏切った、もしくは歴史的な流れの中で意図的にそのことを悪用したというか利用したというか、そういうふうなこと等もある中で信頼感の欠如というものが生まれてきていないか、そういう感じがするし、また、いまなお文教行政にそのような危険性がもしあるとするならばこれは大変なことだと思うのであります。社会教育の問題につきまして、そういう国民的な立場または利用者の立場、そういう方々と文部省との間における意思の疎通、そういうふうなものがもっときちっと確立される中でいま起こっているこれらの問題の処理というものが進められていっておるとするならば、むしろ国民的な要望に文部省なり国がこたえるという形で今回の提案等がもしなされてきたとするならばそれは非常にスムーズにはかどっていくのではないかという、歴史的な今日までの流れの上に立っていまのこの問題をもう一回白紙の中から考えてみたいなと思ったものですから実は私は先ほどのようなお尋ねをしたわけでございますけれども、そのことについてもう一度恐れ入りますが簡単に両先生から……。
○坂本参考人 先ほど申し上げましたように、そういう発達課題がいまの日本の子供たちの中ではその年齢においてスムーズにいっていないということで、それを補ったり、またそれをより多く保障するということは国民全体の、また直接は新たちの願いだろうと思うのです。そうすると、そういう願いをかなえていくためには先ほど申し上げた幾つかの条項を満たすことが一つだろう。そして学校教育で言えば、私など、教育課程の時間数を減らすなんというのは大変なことだったろうと思うのです。私なんかよく言うのですが、これは大変な努力だろう。いままで何度も試みながら時間が削れなかったわけです。そういう中でゆとりと充実という形で、それは微々たるものかもしれませんけれども、一方その方向でこたえていくということは一つだろうと思うし、また、社会教育、青少年教育で言いますと、先ほど申し上げましたような形で多様なニードにこたえられるような施設をつくっていくというようなことが、発達課題を押さえた上での国民的な要求だろうし、またそういうものが日常活動がすぐできるような場だとかそういう性格、あるいは学校の子供たちが校外活動として使えるということも発達課題からいう国民的ニードだろうし、またそういうものが安くできなければいけないというような事柄、あるいはコンクリートではなしに空間の広い場所というような事柄が発達課題を達成するための国民的ニードだろう。そのニードにこたえるためには、国は積極的に費用を出してそういう施設をつくるべきだし、また、いま話題になっておりますオリンピックセンターもそういう形でやることにおいては、子供のパーソナリティーの発達課題を押さえた上から見ただけでも国民的ニードになるのではないかというような解釈をしておるわけです。
○藤田参考人 先ほど先生がおっしゃった点はまさにそのとおりでございまして、社会教育に関しましては、文部省の施策というふうなものが、各国民一人一人、あるいはさまざまな団体の主体性というものを尊重しながらもっともっと伸ばしていく、そのためのいろいろな条件整備をどんどん進めるということを通し、さらに社会教育についてどういう機会が国民にあるのかというようなことを行政機関を通じてもっともっとPRしていくというふうなこと、そういったことがもっともっと進められなければ、いま先生がおっしゃるような信頼関係というものは確立できないように思うわけでございます。
○中野(寛)委員 次に、上村参考人にお聞きしたいと思うのでございますけれども、ある意味では、上村参考人のお立場は国民の立場または利用者の立場からの一つの提案をするというお立場でもあろうかと思うのでありますが、皆様がお出しになりましたこのセンターの拡充計画、このようなものをおつくりになりましたきっかけというものも当然そういうお気持ちの中から生まれてきておるのではないだろうかというふうに思うわけであります。その皆さんのきっかけといいますか、自主的な協議の中でこれが行われ、そしてまたその要望というものが文部省に出されるという経緯があったのだろうかと思うのでありますけれども、そのことにつきまして経緯等を簡単にお聞かせいただければと思います。
○上村参考人 ただいま先生御指摘になったのは、実は私、けさちょっとお話をさしていただきましたわけですが、オリンピック記念青少年総合センター拡充推進青少年団体委員会というのを、ボーイスカウトとかガールスカウト、日本青年団協議会、そのほか三十二の団体でつくりましたのは実は昭和五十年の初めころだったというふうに思っております。そのきっかけは、先ほどもちょっと触れましたが、オリンピックセンターが開所してことしで十三、四年目だろうと思うのですが、ちょうど十周年の記念式典等が行われた際に青少年の団体等もお招きをいただきまして、あそこを見て歩くような機会をいただきまして、そういうようなのがきっかけになってこの委員会が発足をいたしまして、この際思い切った整備をしていただこうということで、何回か研究委員会を重ねまして、先生いまお持ちの将来構想を確定をして、それで文部省その他にお願いをした、こういう経緯でございます。
○中野(寛)委員 なお、その場合に、先ほど来お話し等しておりまして感ずることは、率直に言って、確かに、われわれ国民の立場で一つのレクリエーション的な感覚でのスポーツ、体育というのでしょうか、それと、エリート教育と言っていいのかどうかわからないけれども、オリンピック選手を育てるという意味での計画的なスポーツ選手の養成というものと、かなりそこに内容的にも違いが出てくるだろうと思うのです。今回のこのセンターにつきまして検討された経緯の中でも、たとえば国立競技場との統合の可否というものも検討された経緯があるようでございます。そうしますと、もっとそういうスポーツの方に重点を置いた施設としてむしろ位置づけていくという考え方と、社会教育的な施設としてはっきり位置づけていくという形、それからもう一つは、今日利用されているような形態と同時に、文部省がいま考えている、それにプラスさせていろいろな今後の社会教育に関する研究を含めての、また指導者養成等を含めてのものと、何か幾つかの異なった性格のものというのがごっちゃに扱われているような感じがするのであります。恐らく、笹原参考人のお立場からすれば、あそこはトレーニングセンターとして位置づけられ、充実させられるとするならば、むしろそのことが望ましいであろうと思うわけでありますし、また別の立場からの考え方もあろうかと思うわけであります。その辺が私はもう少し整理されて考えられていいのではないかというように思うのでありますが、そのことにつきましての御意見、また御感想ございましたら、上村参考人と笹原参考人からお聞かせいただきたいと思います。
○上村参考人 私どもがその将来構想をつくる際に、実は近くにある施設との関連をどういうふうに考えたらいいかということで対象として考えましたのが幾つかございます。たとえば国立競技場も非常に近くにある施設でありますし、それから神宮の森を一つ越えますと日本青年館という施設があります。現在改築中でございますが。それからもう一つは、新宿を通しまして中野の方にサンプラザという勤労青少年の施設があるわけでございます。そういうような施設を横にらみしながらそれを実は私どもは考えたわけです。 そこで、体育施設といたしましてあそこを充実した方が手っ取り早いのかどうかという議論は実はいたしませんでしたけれども、論議の中で、たとえばオリンピックに参加されるような選手の養成という施設としては、施設の内容自体は非常にちゃちじゃないかなという感じを私どもはいたしました。それから逆に今度は、ある程度技能を備えた方があそこにおいでになって辛うじて使える施設としましては、スポーツ研修館の地下にトレーニングをやるような器械等が若干置いてありますが、その程度でありまして、あの施設をそういうような形で使うのはどうもむずかしいのじゃなかろうか。したがいまして、あそこを使うとするならば、いろんな形での青少年のたとえば芸術活動をするとかあるいは軽いスポーツ活動をするとか、そういうようなものと、それから自己研修をする、こういうものが組み合わされた形で、それにこたえる形の施設整備の方が一番適当じゃなかろうかな、こういうふうに考えて私どもの将来構想はできております。 それから、先ほど来いろいろ出ておりますが、文部省が主催をしながらいろんな研修事業を組まれるというような受けとめ方については、私どもとしては、文部省自体が主催してあそこで研修事業等をおやりになる可能性というのはそうないのじゃなかろうかというふうに実は思っておるわけです。やっても、先ほど私ちょっと触れました、全国に置かれておるいろいろな施設の職員をいわゆる再教育をしていくとか、その程度がせいぜいじゃなかろうかなというふうに考えまして、その面が極端にふえていくというふうには考えておりません。
○笹原参考人 日本体育協会といたしましては、あそこの中にトレーニングセンターの機能を果たさしていただきたいという希望はありますけれども、現実的にあそこのスペース、施設等を見ますと、完全なトレーニングセンターの機能を果たすというのはむずかしいだろうと思うのです。しかし、あそこに二千七百人が泊まれるわけですから、少なくとも、われわれ競技団体関係者ということでなしに、一般の方々も、二千七百人の泊まられている方々がせめてスポーツができるという最低限のトレーニング施設をつくっていただいたらという希望を持っております。あそこにグラウンドも体育館も、それからトレーニング室も全部というのは恐らくむずかしい状況にあるだろうと思いますので、あそこに泊まられている方々が、せめて二千七百人の半分くらいの方が何かしら利用できるというふうな形でトレーニング施設の整備がなされれば非常に研修にも役立つのではないか、こう思うわけであります。
○中野(寛)委員 最後に、青少年教育指導者のあり方についてお尋ねをさせていただきたいのですが、先ほど、これは坂本先生でしたか、ソシアルアンクルの話がありました。私はこの文教委員会で何回か指摘をし、申し上げてきているのは、ソシアルアンクル、私の場合にはソシアルブラザーの方です。町の中のいい意味でのお兄さん、お姉さんというものがもっと育てられないものだろうか。たとえば青少年の非行化の問題や青少年が引き起こす事件、そういうものを考えるときに、取り締まる警察官を幾らふやしたってそんなものは解決の糧にはならない。学校教育、いわゆるゆとりと充実の教育というものが新しくプログラム化されてくる。私はむしろ社会教育の中に学校教育が位置づけられればいいなとさえ、これは混同した考え方ですけれども、社会教育をもっと広いものに考え、その中に学校教育を位置づけていくということの方がむしろ正しいのではないかと思いますが、そういう意味で、学校教育に負けない比重で社会的な教育環境というものを育てていくためにはどうしたらいいだろうか。ソシアルアンクル、ソシアルブラザーは、本当は自然発生的に、自発的にそういう方々がふえてくることが望ましいし、そうなければいけないと思うのですが、やはり何かのきっかけをわれわれはつくっていかなければいけないだろう。そういう意味で、そのあり方、やり方、そういうことにつきましてのお考えがございましたらお聞かせをいただきたいと思うわけであります。 私も、学生時代というか、むしろ生徒のころに学校で教わった、君たちは社会の宝だよ、こう言われた。昔は国の宝だと言われたのかもしれません。子供たちは社会が責任を持って教育する。しかし、それではその社会を構成している人たち、たとえばいまのお父さんやお母さんも、ある意味では、自分の子供に対する親であると同時に、よそのお子さんに対しては社会の一員としての一つの役割りを持たなければいけないはずですが、それがむしろ逆に受けとめられる。これは国民の皆さんにはおしかりを受けるような大変失礼な言い方かもしれませんが、一部では、社会が責任を持ってくれるんだよ、だから自分の子供も社会が責任を持ってくれるんだよという形で、自分が社会の構成員であることを忘れがちな傾向というものがないだろうか。自分の子供も社会が見てくれるというのではなくて、社会の一員として自分もすべての子供たちのことを考えなければ、またすべての青少年たちのことを考えなければという風潮をつくり上げていかなければ大変なことになる。むしろ、いまそのことが残念ながら悲観的な方向にまだ進んでいるような気がしてなりません。そのことにつきまして坂本先生、藤田先生からもう一度お聞かせいただければ、また上村参考人の方でそれらのことにつきまして国民会議として御協議されていることがございましたら御紹介いただければありがたいと思います。
○坂本参考人 いま中野先生のおっしゃられたことに本当に賛成でございまして、いわゆる自分の子供は、あるいは周りの子供はみんなお互いに自分たちの子供で、他人の問題としてとらえるわけでありませんけれども、そういう点で、確かに先生御指摘のように、私どもはいわゆる教育の問題でも自分の問題としてとらえていかないというような風潮があるように私も感じております。これは現状でもそのようにあるという御指摘ですが、それは私もそのように思っておりまして、御承知のように、合理化、機械化した社会では人間までも合理化、機械化するような形で行動しますので、必然的に人間的触れ合いその他のものが欠如していきます。都会生活は御指摘のとおりばらばらですし、農村におきましても、いままで五軒、十軒と農家が協力してやっていらっしゃった田植えなどもばらばらにおやりになるというように、コミュニティー自体もそういう形でばらばらになっていくという筋道が一つあろうかと思います。 そういう事柄で、いわゆるソシアルアンクルとかソシアルブラザーというものがなくなっていくというときに、さてどうするかということですが、御承知のように、青少年指導者といいますのは、専門的におやりになる方々、これは、スポーツを専門的におやりになる方はスポーツ担当の社教主事という形でいろいろなところにおります。あるいはその他、スポーツ以外の担当の社教主事もいらっしゃいます。そういうふうな専門的におやりになる方々と同時に、これは社会教育の特質でして、先ほどいろいろな御意見がありましたけれども、法律の問題でもそうなんですけれども、社会教育というのは余り固定して考えないで弾力的に考えないと成り立たないという特質を持ちます。だから法律にしても、社会教育団体というのを余りかたく考えると、お母さんと子供などというのはなくなってしまうかもしれないわけです。けれども、そこに社会教育的機能が働くという形で流動的に考えるという、これは教育本来のものですので、法律もそのように解釈してこれからのオリンピックセンターでも考えていただきたいわけですけれども、同じことは指導者にでも言えまして、余り資格を持ったりあるいは特定の専門的な人ばかりでもいけなくて、決して予算がないからボランティアを頼むのじゃなくて、社会教育の特質としてボランティアがなければいけないし、ボランティアになったソシアルアンクルとかソシアルブラザーそれ自身が、子供たちを高めるだけじゃなくて、高まっていくわけですね。そういう機能もあるわけですので、いわゆるボランティアと専門的な指導者と両者要るわけです。 さて、そういうのをつくろうといいますときに、私どもが考えると、学生たちにそういうことを指導して、結局はそういうような期間われわれでもそういう教育をいたします。たとえばボランティアといったってやはり教育をやるわけです。ある一定の責任とか知識がなければできませんので。そういう意味合いでは、彼らはそういう意思のある人の集まりのもとで、青少年教育の指導者はどうあるべきか、自発的に研修をしていくという形での研修活動が必要であろう。これは、私も中野先生がおっしゃるのと同じように、本当に社会教育の中に学校教育を含めたいぐらいなんですね。たとえ話で大変暴言ですけれども、日本では学校教育は横綱みたいですけれども、社会教育は三段目ぐらいのような感じがするわけです。社会教育は、横綱にならなくてもせめて前頭ぐらいにはなってほしいという気がするわけですから、含めていただければ本当にうれしいのです。そういう形でやるとすれば、そういう指導者をおつくりいただくときに、やはり場所とかあるいはお金とかいうものが出てきませんとこれは成り立たないわけです。そういう点で今後先生方の御配慮をいただかないと、昔のように自然発生的にソシアルアンクルやソシアルブラザーが出てくるという社会状況ではございませんので、そこに予算とかその他施設とかの、ある意図を持った形で、内容的には自発的に自主的に自由にということで、そういうものをおつくりいただければ大変ありがたいというふうに思っております。
○藤田参考人 ただいまの中野先生のお話、非常に興味深く伺いました。特にソシアルブラザー、シスターの問題というのは、確かに子供の学校外の活動に関しては大事なことと思います。その点につきましては、坂本先生がいまおっしゃったように、いま施設とお金のことを申しましたが、確かにその点は大事で、そのような点についての充実を文部省にぜひお願いしたいというふうに思うわけであります。 それからもう一つは、実はその問題につきまして、かつて三年ぐらい前でしたか、品川区で関係者が集まりましていろいろな討論がありまして、私、ちょうど同席していたことがございます。そのようなことについて苦労している大人の方々の集まりでしたけれども、自分の娘や息子はそういう活動をしていないし、無理だという話がずいぶん出ました。そのことはどうかと言えば、結局、いまの進学の体制では、高校生である自分の息子がそんなに出ていってもらっては困る、およそそういう意見が非常に強かったわけでありまして、中野先生が御心配なさる、そういうシスター、ブラザーが出ていっていろいろな子供たちのめんどうを見たり指導するということにつきまして、そういう青年が少なくなってきているという点は、やはりそのようなことも非常に大きく関係しているように存じます。
○上村参考人 ただいまの中野先生のお説に私全く賛成でございますので、ぜひ今後ともそういう方向で社会教育の問題をお進めいただきたいというふうに思います。 私どもといたしましては、青少年のいろいろな育成指導を考える際に、坂本先生が御指摘になりましたが、専門的な指導者をどういうふうに養成をするかという、日本では非常におくれた分野の問題が一つあると思います。これにつきましては、私ちょっと先ほど触れましたが、イギリスのユースワーカーの養成制度というのは非常にすぐれたあり方であろうと思いますし、これに関しましてイギリスの政府がまとめを出しておりますミルソン・レポートというのがありますので、ぜひ一回御研究をいただきながら、そういう方面の前進を図っていただければ非常にありがたいと思います。 それからもう一つは、有志のお父さん、お母さんあるいはお兄さんたちがいつでもそういう問題を考えるという、いわゆる有志指導者をどういうふうに多くつくっていくかという問題があろうかと思います。そこで私どもとしては、先ほど坂本先生がおっしゃった、だれでもひとつソシアルアンクルになろうという運動として、青少年育成国民運動というのを地域の段階でやっていこうかというような努力を現在いたしております。 それからもう一つの問題は、有志指導者といいましても、背は子供が好きであればいいのだという、指導者についての人柄論と言われる論がありました。しかし、青少年の意識とかあるいは行動というのが最近のように非常に変わった形で出てまいりますと、たとえば戦前の人間と戦後の物の考え方という点を比較しますと、理解のしにくい分野が非常にたくさん出てくるかと思います。そういう際に、昔的な考え方で青少年の指導その他を考えてもどうしても無理な、あつれきだけが起こってまいる可能性があるわけですので、素人とは言いながら、せめて青少年をどういうふうにとらえていくかという物のとらえ方とか、あるいは最小限の技能というのは習得していただかなければいけないだろうというふうに思います。そこでいま私どもが始めておりますのは、専門家とはいかないけれども、少しでも入り口ぐらいの専門的な知識を身につけていただこうということで、実は青少年指導者のための通信教育というのを昨年から始めております。これはどの程度来るかと思って非常に心配しておったわけですが、四千名を予定しましたところ、募集と同時に四千名さあっと来るぐらい非常に希望者がありまして、この分野で特にお母さん方の受講者が多いわけですが、それぞれ非常に大きな悩みを持っておられるんだなという感じがいたしております。
○中野(寛)委員 どうもありがとうございました。終わります。
○菅波委員長 山原健二郎君。
○山原委員 共産党の山原健二郎です。 きょうは、社会教育、またスポーツ、体育の実践家として、また研究者としての大変貴重な御意見を承りました。私は、オリンピックセンターの廃止、そして国立化、この問題にしぼって御意見を承りたいと思っています。 先ほどからの参考人の皆さんの御意見を聞きますと、無条件で国立化に賛成をしておられる方はいないということなんです。しかもその条件というのが非常に積極的であります。しかし、いま政府が考えておる行政改革の面、また行政改革の考え方から見るならば、それは非常に困難な情勢にあるということです。この点は、賛成、反対は別にしまして、お互いに努力をしなければならぬことだと考えます。しかし、実際にいまのこの委員会の状況を見ましても、ここから向こうが与党席です。ここからこっちが野党席です。こっちは十名おりますけれどもあちらは数人という状態ですね。予算編成の最も大きな責任を持っておる与党がこれでは、廃止には熱心かもしれないが、皆さんが期待されておるような相当積極的な構想を実現するという意味ではいささか不安を感ずるというのが、この委員会のいまの状態ではなかろうかと思うのです。 私はまず上村さんにお伺いしたいのですが、上村さんのお話も、このような施設というものはうんと気軽く使えるものだ、こういうことをおっしやっているわけです。これはもうどなたも一致した見解です。それからもう一つは弾力的運営ということですね。このことはまさに、十三年前にこの特殊法人オリンピック記念青少年総合センターができましたときの愛知文部大臣の趣旨説明がこれなんですね。なぜ特殊法人にするかというと、国立の場合にはえてして弾力的運営ができなくなる、だから特殊法人にして弾力的運営をやるのでございます。ここのところにきっぱりと政府は態度を明らかにしているのですね。その点から考えまして、国立化にするということは、当時の情勢からさほど変化はないと思うわけでして、この点で私は疑問を持っておるわけです。その点、どのようにお考えになるか、簡明にお伺いしたいのです。 それからもう一つは、上村さんの方も、施設その他の充実、たとえば多目的な機構、機能にするとか、あるいは文化、芸術、情報センター、実験、研究というようなことをお考えになっておりますが、これも当然のことでございまして、私も賛成です。そして、このオリンピックセンター労働組合の一昨年八月に出しましたところのセンター改善案もそのことを書いておりまして、その点についての意思の食い違いはないと思うのです。ではそれができるかどうかということになりますと、かなりの経費が要るわけですね。ところが行政改革という立場で、これには上村さんも御賛成。行政改革そのものについては私どもも反対じゃありません。たとえばいまの審議会にたくさんの政府職員が出ていくとか、あるいは特殊法人などに天下りの役人がどんどん頭を並べるとかいうようなことは改善しなければならぬわけですね。そういう意味では私ども賛成ですけれども、しかし、いま政府が考えております閣議決定の「行政改革の推進について」の基本方針は整理と合理化です。この二つです。「等」という言葉もないのですね。これは「行政の合理化、効率化を図るため、差し当たり下記の措置を講ずるものとする。」となっておりまして、そこには全く余裕もないような状態で、要するに経費節減をするのだということの思想と絡み合わせますと、上村さんのお考えの実現は相当困難だろうというようなことを考えるわけですが、その辺の御心配がありましたら一言お述べいただきたいと思います。
○上村参考人 ただいま山原先生から御指摘いただきました第一の、要するに気楽に使えなくなるのじゃないかという点をどう思うかということでございますが、私は、その施設の性格によって使い方が若干違ってくるのじゃなかろうかというふうに一つは考えております。そこで、たとえばよく問題になります国立青年の家みたいになるのじゃないかということで非常に危惧が起こってくるわけですが、私自身も青年の家に何回も行きまして大変不便を覚えることがたびたびあります。たとえば、これが非常に機械的になっておる点がたくさんあるわけですが、どこの国立青年の家に行きましても専門職と称する人たちが出てきて長々とオリエンテーションを繰り返す、こういうようなのは施設によってやり方を変えればいいのになということで、実は何回もそれの改善の提言等もしたことがございます。そういう意味で、非常に役所的になって使いにくく、型にはめてしまうのだということがあるとするならば、これは大変な問題だろうというふうに私は思います。ただ、先ほども言いましたように、その施設の性格によって違いが出てくるわけですから、オリンピックセンターが直ちに国立青年の家と同じになるとは私は思っておりませんし、そうしようと思っても現状ではできない状況がすでに定着しておるのじゃなかろうかというふうに思っております。 それから二つ目の問題につきまして、先ほど先生が指摘されました研究センターをつくるとかあるいは情報センター的な役割りを果たすというような点につきましては、私もセンターの職員の方々の原案を見せていただきまして、そういう点の機能を果たしていこうじゃないかということについては、私どもはそう意見の相違は持っていないと思います。ただ、いま御指摘の点と関連いたしまして、与党の先生方あるいは政府の方で、君たちが幾ら要望しても経費をつけるはずがないよというような御指摘ですが、私どもはぜひそういうようなふうにはならぬように、先ほど申し上げました青少年団体委員会の諸君とともに、ひとつ文部省あるいは与党の先生方にお願いをいたしまして、ぜひ経費の支出は、いわゆる行政整理的な感覚で受けとめていかないようにしていただきたい。特に、先ほど中野先生がおっしゃった問題と関連しまして、社会教育はまだまだおくれておるわけですので、この点にお金を入れなくて一体どこにお金を入れていただけるのだろうか、こういうような感じがいたします。
○山原委員 そのお答えで先へ進みます。と申しますのは、小川委員の方からも質問がありましたように、これから私どもこの法案の審議をするわけですが、行政改革という問題が一枚かんでいるわけですね。その点でどうしても矛盾が私どもの頭から去らないわけでして、そのことでお尋ねしているわけです。 坂本先生の場合も、従来以上のコントロールは困るという御発言でございました。まさにそのとおりだと思います。そして、宿泊代なども安くして、そして空間を広くする。それから経験者、そういう人たちが気軽く出入りできるような施設にすべきである。全くそのとおりだと思います。これは同じ質問になりますけれども、国立化した場合にその期待がかなえられるであろうかということについて御疑問を持っておられないでしょうか。
○坂本参考人 オリンピックセンターを特殊法人にしたときの愛知先生の御答弁がどうだったかということは、申しわけありませんが、私調べておりませんのでわかりません。 それから、特殊法人でやってまいりまして、いままでいろいろ運営してきたのが全部よかったのかということになりますと、やはり問題点は出てくるのじゃないかという気がするわけです。 それからもう一つは、行政改革の問題をどう考えるのか。いわゆる行政改革ならば、いま山原先生おっしゃいましたように整理と合理化だろう。それを施設拡充ということになってしまうとおかしいじゃないかというような御指摘でございましたけれども、その二つの問題を含めますときに、行政改革というのはそういうふうに解釈する場合もあるけれども、整理、合理化の中には、問題点が整理されていくという意味合いがあって、あるものはなくなるけれども、またあるものはつくられるということもあり得るのじゃないか。あるいは合理化におきましても、不合理なものは取るし、合理的なものは加えるということがあるのだろうというふうに私は解釈をしているわけです。 ですからそういう点で、いままでの不合理な点はやはりあるだろう。確かに来やすくて、参加しやすいというところはあります。ありますけれども、また一面におきましては不合理な点といえば、発足時代はオリンピックの施設を使ったわけですから、それが青少年教育としてマッチするかといえば、建物その他がマッチしないという点は出ております。それから多面的なニードにこたえるという点では、もう十年以上前からそのニードにこたえ切れていないという問題点も出てきます。そういう点でいまのような不合理が改められるだろうし、また、いわゆる多面的なニードにこたえていく施設だけではなくて、先生も御承知のように、教育というのは、言うまでもありませんが、施設とともに、そこにいる指導者といいますか、職員の方々、人の問題ですね。学校で言えば先生の問題もあると思うのです。そういうような人の問題が、特殊法人発足のときはそういうことは表に出ておりませんけれども、行き場がないというと変ですけれども、広く人事交流ができない場です。本来でしたら、先ほど申し上げましたように、学校の教育もよく御存じの学校の先生もお入りになるだろうし、それから社会教育の専門的なお方もお入りになるだろうし、あるいは粘土をこねてつぼをつくるとか、いろいろな芸術的な才能をお持ちの方あるいはスポーツの方、いろいろな方がお入りにならないと人としての多面的な機能も果たせないわけです。そういうことになってくると、発足しましたけれども、特殊法人という形ですと人の交流という点でやはり不合理な点が出てくるから、これを合理化するというのも行改につながるのじゃないかという気がするわけですね。それから、今度資料の収集とか研究活動とかいうこともやって、地方公共団体にあります公民館その他のあるいは団体に対してサービス的な役割りということも、いままで余り多くされてないのじゃないかという気がするとすれば、そういうことの不合理さも整理して、合理的にしていくというような作用は必要なのじゃないかという意味でいままで申し上げたわけです。 以上です。
○山原委員 ここでいろいろ論争するつもりはありませんが、私の言いましたのは、特殊法人ですべてがよかったなどということを思っている者はだれもいないと思います。先ほど言いましたように、労働組合自体も、長い間運営をしてきてこういう改善案を出されて、これを理事長に対してしばしば要求をされてもなかなかその改善ができない原因はどこにあるかといえば、やはり予算の問題もあると思います。そういう点を解決していけば、いま御心配になっておる欠陥というものはかなり改善されたのではなかろうかと思うのです。その点ができなかったことは、これはだれの責任かと言えば、これは特殊法人の責任ではなくて、むしろこれに対して積極的な援助を惜しまずしなかったところの側にあるのではなかろうかということを感じておるわけです。 そこで、先生の御意見はわかりましたが、笹原さんにお伺いしたいのです。 やはり利用しやすいということをおっしゃいまして、すでに年間百万の人が利用しておられるというお話がございました。百万と言えばこれは大変な数ですね。私の県なんかに観光問題が起こっています。観光百万というと大変な数なんで、そのために県やなんか必死になって努力しているわけです。この施設の中で年間百万の人をこなすということは大変な貢献度を示しておると思っておるわけです。でも、施設の不十分さを笹原さんも指摘をされておられるわけですね。そういう点があります。同時に、笹原さんの場合には、直轄で利用が困難になるようならばこれは反対であるということをおっしゃいました。これも当然だと思います。同時に、このオリンピックセンターの将来問題について十分調査をし、検討してほしいというお話がありました。私はこれはまさに結論的な言葉ではなかろうかと考え、国政にあずかる者としては当然、この問題については拙速ではなくて、十分皆さんの意見を聞いて結論を出すべきだというのが私の気持ちでもあります。 そういう点で笹原さんにお伺いしたいのですが、いま私が申しましたような、利用しやすい、あるいは弾力的ということについて、国立化した場合にスポーツ団体として疑問があられるのではないかと思いますが、その点、いかがでしょうか。
○笹原参考人 私どもが一番心配するのはやはり利用しにくくなるということでございます。そこで先ほど、オリンピックセンターの基本構想の中で、センターの中を二つに区分して、われわれのような体協団体が使えるような、あるいはその他の団体がセンターの規律とは関係なく利用できるような形にしてもらえないだろうかというような希望を申し上げたわけでございます。 特に、近年国際間の文化、スポーツの交流が非常に盛んになっておりますし、センターにたくさんの方々が見えられておるわけであります。それから毎年、年中行事のようにしていらっしゃっている外国の方々もかなりいらっしゃるわけです。そこで、オリンピックセンターの現在の機能が完全とは言いませんけれども、これからあそこの中をどのように改善していったらいいのか、また仮に国の直轄になった場合は一体具体的にどういう形になるのかということをもっともっと詰めて検討する必要があるのじゃないか、このように思うわけです。 改革案の直轄の場合の法律案を見ますと、心身の鍛練、いわゆる体の鍛練という言葉が全く消えているわけですね。もちろん社会教育の中に体育、スポーツも含まれるでしょうけれども、われわれスポーツ関係者としては、あそこはオリンピックの唯一の有形の財産として今日活用されるわけですから、その機能が果たされないということは非常にわれわれとしてもさびしいし、また、あのセンターをよりよくこれから改善することによって、われわれとしてはもっともっと有意義なものにできるのじゃないかと考えていますので、先ほども申しましたように、行政改革したことによってそれがプラスになるのかマイナスになるのか。もしプラスにならないとすればどういう点がマイナスなのか。また、改革することによってどういう点であの場所が生きてくるのか、その辺をやはり徹底的に調査研究してこの問題を解決すべきじゃないか、このように考えているわけです。
○山原委員 いまおっしゃったように、特殊法人オリンピック記念青少年総合センターは廃止するということと、文部省直轄にするということはこの法案でわかっているのですが、それではそれから先、直轄にした場合にどういうものになるのか、あるいは連絡、協力するという社会教育団体とは一体何なのか。たとえば上村さんのいらっしゃる青少年育成国民会議、これだって社会教育団体、今度の法律に出てくるものになるのかどうかなどということすら明らかになっていないのですね。だから私ども、本当に将来のイメージが全くないまま法案の審議をさせられておるという状態の中で、まるで責任の持てないような審議すら迫られているというのが実態でございます。したがって、笹原さんのおっしゃるように、本当に緻密に調査をし、研究し、討議をして結論を出していくべきだ、そうして将来の展望も明らかにすべきであるというのはもう当然のことだと思って、私はそういうふうに受けとめたいと思っています。 それから、いま坂本さんがおっしゃいました、十三年前の愛知文部大臣のこの問題に対する答弁なのですが、こういうふうに答弁しております。「まず第一に、特殊法人にする理由でございますけれども、」と書きまして、「えてして国の直営にいたしますと弾力的な運営に欠けるおそれがあるのではなかろうかということが一つ。」というふうにはっきりさせまして、さらに「特殊法人として管理、運用いたしますれば、法律に基づいてこの設立の目的が適正、確実な運営が期せられると存じます。同時にまた比較的弾力的な運営ができましょうし、」こういうふうな説明になっているわけですね。国会ではずいぶん論議になったところでございまして、こういう説明によって政府側の意思を聞いてこの法律ができまして、特殊法人オリンピックセンターが設立された経過がございます。 最後に、これは一番大事な問題でございますが、これは時間の関係で、藤田先生にお伺いしたいと思うのですが、先生の場合は行政と社会教育の関係についてお話をされまして、行政側の任務は、社会教育諸団体や国民に対して利用させる、あるいは適切な助言をする、そうして財政の援助を行うというような三つの性格を述べられたと思います。まさに私もそのとおりだと思うので、それは教育基本法、さらには社会教育法、これに合致した考え方だと思うのです。社会教育法の第十二条「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、いかなる方法によっても、不当に統制的支配を及ぼし、又はその事業に干渉を加えてはならない。」これが原則ですね。この点を踏み外したら大変なことになるわけです。私はその意味で、いま教育基本法やあるいは社会教育法というものをもう一度教育関係者がしっかりとかみしめる必要がある時期を迎えておるのではなかろうかと思います。 先ほどお話の中に、たとえば初級、中級の幹部養成の中で青年が期待されるものをしっかりと認識してというようなことを言われた。実はここへその中身、社会教育局長が出したものをいただいておるわけでございますが、ただ、期待される人間像あるいは教師像などというものは、いままでしばしば問題になってまいりました、だれが期待をし、そして期待される人間、青少年とは一体何なのかということになってくると、これはもう大変論議のあるところでございまして、それは一官庁が青年にかく期待するものだなどという性格のものではないわけですね。そのことがずばりこの中に書かれておることは、まさに社会教育の面に対する国家統制のにおいがし始めておるという点で非常に重要だと思うのです。これはまさに社会教育法第十二条に対する違反行為だとさえ私は考えられると思うのであります。そして、学校教育の面でもいままでの経過を振り返ってみますと、残念ながら、政府が行ってきましたことは学校教育における管理、統制、この面を強化することが数多く出てまいりました。そのことが日本の教育界における紛糾の種になってきたわけであります。そうしますと、そんなことを社会教育の面まで及ぼされてはこれは大変なことでございまして、この点については私どもしっかりと論議をしておかなければならぬと考えております。 藤田先生にお伺いいたしますけれども、この国立化あるいは文部省直轄というような場合にそのようなおそれがないのかどうか、この点について端的に御意見を承りたいと思います。
○藤田参考人 いま山原先生の御質問のことでございますが、山原先生御自身がおっしゃいましたように、どうも国立に移管されたことによってどうなるかという細かいことがまだわかりませんので、私自身イメージがはっきりしておらないわけでございます。ただ、ほかの国立の施設の場合だとか、あるいはほかの青少年の指導者育成の場合がどうであるかということと考え合わせながら私いままで意見を申してきたわけでございますが、そういうことからしますと、そのおそれ、つまり国家統制のおそれがあるのかないのかというふうに御質問を受けますと、やはりこれによって統制ないしは一定の方向に青少年の団体を導いていく、そういうおそれというものはあるというふうに申し上げます。
○山原委員 長時間どうもありがとうございました。
○菅波委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。 参考人各位には、長時間御出席いただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。(拍手) 次回は、来る六月二日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後三時八分散会