文教委員会 第3号
- 発言数
- 185 件
- 登壇者
- 15 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1978/02/22
会議録
○菅波委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。中西積介君。
○中西(績)委員 先般の大臣所信表明の内容を検討させていただきましたが、前段に書かれていることが余り簡単過ぎて、さらにまた、以下いろいろ多くの点に触れられておりますけれども、予算全般に及ぶような内容になっておりまして、大変つかみにくい中身になっているようでありますので、私なりに理解をいたしました内容でもって具体的に質問をさせていただきたいと考えています。 現在の教育の荒廃問題をめぐって、いま特に学校教育は厳しく問い直されております。文教行政を進めるに当たって、この教育の荒廃問題を抜きにして諸施策を具体化することはできないんではないだろうか。そこで、教育の荒廃の原因はいろいろ言われておりますけれども、大ざっぱにどういう点が荒廃の原因になっておるのか、大臣はどのように掌握されておるか、お答えいただきたいと思います。
○砂田国務大臣 教育の荒廃という御指摘がいろいろな各方面からある今日でございます。いろいろな、新聞の記事になってまいりますような非行の問題あるいは、私としてはまことにいやな言葉でございますけれども、落ちこぼれの問題、あるいはまたそれと正反対に大変よく勉強のできる能力の豊かなお子様、青少年、児童、生徒たちが学校のいまの勉強にこれでは不満であるという方もまたおられる。いろいろな各種各様の問題がございまして、それぞれの背景は非常に広範なところに原因があると考えます。 ただ、いま中西委員が御指摘になりました、私の所信表明についてのお話でございました。私は、教育というものは、あらゆる機会にあらゆる場所でという教育基本法に書かれておりますことがまさにそのとおりであると心得ますけれども、教育のいろいろな形でのいろいろな態様の荒廃という、その背景にあります各種各様の原因、それは家庭にもある場合には責任があることでございましょう。教師にも、また教員の集団にもある場合には責任があることもございます。しかし、人の責任のことをとやかく言う前に、私は文部大臣として私みずからがやはりまず反省の立場に立って、この荒廃という言葉で表現される各種各様の大変心の痛む問題にどう対応をしていくべきかという角度から、反省の上に立って所信表明の中で申し述べたつもりでございます。こういう考え方に立ちまして、小・中・高等学校の一貫性に配慮をしながら、教育内容を精選をして、もっとゆとりのある、充実した、基礎的な、基本的な内容をまず理解をしてもらう。いままでの学習指導要領が余りにも詰め込み主義に偏りはしなかっただろうか、そういう反省の上に立ちました学習指導要領の内容の改定、これの移行措置の問題、あるいは教員定数の改善と教員の資質の向上を文教行政の責任者としてどういう準備ができるか、あるいはまた大学の入試の制度の問題、あるいはまた大学がそれぞれ特色のある個性のある大学に育っていってもらわなければならない、それに対応する措置、偏った学歴偏重社会というのも大学に格差があるところからもまた生じていることでございますから、こういう一連のことを、いま中西委員が御指摘になりました教育の荒廃、これを何とか正常な形に取り戻さなければならない。私自身の反省の上に立っての所信をあの所信表明の中で申し述べたつもりでございます。
○中西(績)委員 いまのお答えによりますと、大臣の所信表明、特に一ページの八行にわたって書かれておる中身、この八行にある、特に後半の三行に書かれておる内容が、いま言われましたようにあらゆる場所、あらゆる機会で欠けておる。言いかえますならば、社会的に、あるいは家庭で、あるいは学校でということになるのではないかと思うのです。大変短い表現ではありますけれども、ここに集中的に表現されておるというように私も理解をしておったわけでありますけれども、大臣のいまの言葉をおかりいたしますと、内容的に一致するのではないかと思います。 そこで問題は、ここに書かれております、表現されております「個人の創意と自主性」さらに「社会連帯感を重視」をする、こういう表現があります。この社会連帯を重視をするというこの問題で一番私が感じますことは、先ほど大臣が言われた、一つの例として挙げられました学歴偏重社会の問題があります。学歴偏重社会が存在する限り、そこには入試地獄が生じますし、そしてそのことは結果的に中学校、高等学校の予備校化、そしてさらに詰め込み、後の方に出ております学習指導要領の改定をする原因は後でお聞きしますけれども、これとのかかわりの中でやはり積み残し、落ちこぼれというよりも積み残しの子供たちが出てくるという、俗な言葉で表現をいたしますと新幹線教育なんというものが表現としてとられておりますけれども、こういう状況が出てくるのではないか。結局、入試地獄というのは、過去の文化を多量に正確に記憶する、またそれに走る、こういう傾向になりがちになるし、したがって、そのことは、頭脳構造が完成期の青年にとって、批判あるいはそこから生まれる創造の思考力というものをなくすという、結局創造性あるいは自主性あるいは社会の連帯性を持ち得ないという条件がそこから出てきておるのではないかと考えるわけであります。この入試というのは、機械的にふるいにかけ、したがって記憶を中心にやられるわけでありますから高度になってくる。高度というよりもむしろ難問奇問ということが当たっておるのではないかと思いますけれども、こういうものに変わってくるわけです。そういうことからいたしまして、結果的に、昨年の文教委員会でも論議をしました共通一次テストなるもの、あるいはこの試験制度をどうするかということが大変重要視されておるのもごくあたりまえのことだけれども、それが重要視される、そのことがここから派生をしておるというように私は理解をします。この点、大臣は、私がいま指摘をいたしました一つの例として学歴偏重社会、そのことがもたらす、このように教育全般に影響するというこういう状況を想定せざるを得ないわけでありますけれども、このことに関して御意見があればお聞かせ願いたいと思います。
○砂田国務大臣 私も先生と同じ考えを持ちます。余りにも偏重いたしております高学歴社会、神話という言葉がマスコミの中で生まれているようでございますけれども、一流会社に就職しなければと、幼稚園へ行っておられるようなお子様を持っておられる家庭でももうそういうことを願っておられる。そのことが、指定校制度と申しますか、一流会社、大企業がきわめてわずかの大学からしか採用試験を受けさせない、こういうことが数年続いた。そのためにある特定の数少ない大学へ希望者が集中をしてしまう。大学の入学試験もこういう影響を受けてだんだん難問奇問が出てくる。人間性を見届けて大学に入れるかどうかを判断するのではなくて、落とすための入学試験の問題、こういう非常におもしろくない状態が出てまいりましたことは御指摘のとおりでございます。このことがいま先生おっしゃいましたいわゆる教育の荒廃、いろんな問題を起こしている。実はこういうことから、高学歴偏重社会というものを何とか打破をしていかなければいけないということで、私の前任者の海部文部大臣が石田労働大臣と協力をしまして、経済界に指定校制度というあり方をやめてもらいたいという申し入れをいたしましたことはお聞き及びでございます。当委員会でも、共通一次入試ということを実現するのに、これはやはり高学歴社会を打破しなければいけないという御議論がありましたことも承知をいたしております。 私はこの方針を当然受け継いでまいる決意をいたしましたので、藤井労働大臣にも御協力を求めまして、次にどういう手を打っていくか、こういうことも御相談をいたしたのでございますが、実は二千五百社ばかりの企業に質問状を出しております。昨年、指定校制度という入社試験の制度を改めてくれということを正式に海部文部大臣が経済界に申し入れたのでございますから、これを各企業がどう受けとめて、どう改善をしてくれたかということを正確に私は見届けたいと思いましたので、会社に対しまして、会社の数は二千五百社ばかり、それはいろんな産業別に仕分けをしてございます。なお、働いておられる勤労者諸君にも相当大人数の方に、過去、実は十年ほど前にさかのぼって、年次的にどういうふうに入社の採用状態がなっているかということを、ただいまアンケートの御回答を求めている段階でございます。三月の末までにはこれの集計整理をいたしまして公にできる、発表ができると考えておりますけれども、中間で新聞等の記事を見ましても実はある大手銀行が百二十名の新規採用をことししたけれども、特定の学校に集中しないで採用していこうということを採用の基本方針にした。百二十名の新規採用者を七十校からことしは初めて採用をした、そういう話も聞きますし、ある大企業は地方大学の人材を見落とすなということを採用の条件にした、こういうことも聞いておりますので、私どもが直接回答を求めておりますものを整理をいたしましたならば、大分その学歴偏重社会というものの様子が変わってきているのではないか、こういう期待を私自身いたしておりますところでございますが、先生御指摘の、入学試験が余りにも過酷になったことも学歴偏重のこの社会的な風潮に押されてこうなっている、私も同様な感じを抱いておりまして、この調査結果を発表をいたしますその前の整理に実は期待をいたしているところでございます。
○中西(績)委員 漸進的ではあるけれども、徐々にそういう傾向が出るということは望ましいことでありますし、さらにまた、いまいろいろ取りざたされております教育ママの思想的な問題等につきましても、やはり指摘されたような中身、そこからすべてが出ておるということを理解せざるを得ないわけですから、この点をなくすためにはやはり何としてもこの学歴偏重社会というものをどうなくしていくかということ、そしてこれはまた大学問題とのかかわりになってまいりますけれども、大学のあり方、そしてそれとの関連の中でどう位置づけしていくかという問題等が出てくるわけであります。 特に出てまいりましたので指摘しておきたいと思うわけでありますけれども、この大学問題についてはここで触れる重要な問題として私は本日はとらえてはおらなかったわけでありますが、出ましたので簡単に触れたいと思います。 大学の問題は、どう大学間の格差をなくすかということだろうと思うのです。それと同時に、いま国立大学あるいは地方大学等を考えてみましても、地方間において相当大きな差がそこにまたあるということです。さらににまた、大学は私学関係が八〇%あり、日本の大学教育を分担するに当たってはこの私学を無視しては全くできないという状況にあるわけでありますから、この私学の助成問題、さらに奨学金の問題があります。奨学金の場合もやはり同じように、公立にあるいは国立に厚く、私立に薄いという諸条件があるわけでありますから、このような奨学資金の増額と公平化をどう図っていくかという問題があろうと思う。そして、地方大学を含めて、特色のある大学、個性のある大学をどう存続させ、また拡大をするかということがきわめて重要であろうと思います。 さらに付言するならば、大学の改革の一番根本課題というのは、大学の成り立ちから考えてみましても、東大化をどうなくしていくのか、ミニ東大というものを帝国大学に、そしてまた私立大学もそれに向けてという、こういういままで長い歴史があるだけに、この東大化をどうなくしていくかということがいまきわめて重要な課題であろうと思います。ですから、これらの問題を考えてみますと、たとえば、極端なようでありますけれども、卒業証書がやはり学歴というものを決めておるという現状からいたしますと、この卒業証書の廃止なりあるいは単位互換制度、どの大学でも共通する単位を、あるいはまたどこでも取れるという国民に開かれた大学をという、こういう諸問題をやはり中心にして考えていけば、いま言う企業のこういう差別と選別、あわせて大学がそのような格差がなくなるということになれば、相当大きく前進をする要素はこの中におのずからあるわけでありますから、この点をひとつ十分検討されんことを願うわけであります。この点についての決意をお聞かせ願いたいと思います。
○砂田国務大臣 大学間格差を解消をしていくために、実は私どもは格差の解消という言葉を使っておりません、同じことではないかと言って御批判を受けるかもしれませんけれども、大学がそれぞれ個性豊かなスペシャリティーを持ってくれる、そういうことを望みながら指導をしているところでございますけれども、一つの問題として単位の互換制のことを御指摘になりました。御承知のように四十七年度から制度化をされておりまして、その実施の状況は、大学院段階でありますとかあるいは国際的にとかいうことでは、制度としては開かれたものでございますから進展は見ておりますけれども、必ずしも満足した状態にはございません。この単位の互換制、これを各大学でも検討はなさっておられたようでございますけれども、まだそれほどの進展を見ておりませんので、いまおっしゃいました、各大学がそれぞれのスペシャリティーを持った大学に育って充実していってくださる、その方策の一つとして前向きに私どももこの点を検討していきたい、大学に対してもこういうことを御要請をしていきたい、かように考えるものでございます。
○中西(績)委員 そこで、この教育の荒廃を少しでも除去するためには、所信表明の中の表現としてありますように、初等中等教育の改善充実の中で「学習指導要領の改定を行い、その実施に向けて諸般の準備を進めておりますが、本年は、高等学校の学習指導要領」云々、こう表現されております。そこで、この学習指導要領を改定するに当たって、なぜ行ったかということが大変重要ではないかと思うわけです。このことが先ほどから指摘をする教育の荒廃とのかかわり、そういうものを私は強く感ずるからであります。 そこで、学習指導要領を改定するに当たって文部省としてどのように考えたのか。私は、少なくとも教育本来の姿を実現するという、教育の荒廃をなくして、われわれが求める教育のあるべき姿を実現していこう、こういうことでこの学習指導要領は改定されたのではないかと考えます。言いかえますならば、日本国の憲法、教育基本法、学校教育法などに従ってこの学習指導要領なるものが改定されたと私は理解をしました。特にその中で四つの基本方針があるようであります。その中でも特に私が感じますのは、豊かな人間性を育成をするというのがこの改定の基本方針の中でも最も重要な部分ではないかと思います。ほかに内容の問題だとか、あるいは時間数の問題あるいは学校における創意工夫、こういうものを含めてやられたと考えますが、この学習指導要領改定に当たって、私はいま簡単に申し上げましたけれども、そういう中身であるということを理解してよろしいかどうかですね。
○砂田国務大臣 おっしゃるとおりでございます。やはり、いままでの学習指導要領というものは余りにも教科内容が多過ぎたではないか。これでは現場の教師も、創意工夫を生かそうと思っても、いわば詰め込み詰め込みで追いかけていかなければならなかった。こういういわば知に走り過ぎた教育内容、教科内容、これを見直さなければならないということから、ただいま先生がおっしゃった、私も所信表明の中で申しました、人間性豊かな青少年、児童、生徒たちを育てていくためには、それなりのゆとり時間というものをやはり与えていくべきだ、こういう考え方から学習指導要領の内容を改定をしたわけでございまして、知、徳、体、兼ね備えた心身ともに健全な児童、生徒の育成、こういうことを主眼にいたしまして、先ほど御指摘ありましたような憲法、教育基本法等の精神に立った学習指導要領の改定をしたわけでございます。
○中西(績)委員 そうなりますと、具体的に入ってまいりますけれども、この文章の中にもありますように、先ほど読み上げました後の部分になりますけれども、「小・中・高等学校を通じて一貫した教育内容を整備し、ゆとりのある、しかも充実した学校生活の中で基礎と基本を確実に身につけ、心身ともに健全な人間性豊かな国民の育成を期してまいります。」という、いま大臣が触れられたここに私は注視をして質問を申し上げたいと思います。 この中における高等学校、特に私がこの高等学校を取り上げる理由は、中学から高等学校、高等学校から大学へという、冒頭に申し上げました入試にかかわるいろいろな多くの問題が出ておるだけに、その高等学校の位置づけ、そしてこれがどうなくてはならないかということについて、私なりの意見も含めながら質問を申し上げいと思います。 高等学校は、大臣も御存じのとおり、学校教育法の中におきまして、小学校の場合には「初等普通教育を施すことを目的」とし、中学校では「小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育を施すことを目的とする。」そして高等学校は「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。」とあります、このように学校教育法に示されておるように、あくまでも一般普通教育の中における小学校、中学校、高等学校という位置づけが明らかになっています。大学になりますとこれががらり変わってくることは御存じのとおりです。そこで今度憲法を振り返ってみますと、憲法の場合には、二十六条に触れておりますように「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」こうあります。この二十六条というのは二十五条を受けて、教育を受ける権利を生存権の文化的側面として示したものだ、このように私たちは理解をします。こういうことを考えていきますと、この高等学校というものはきわめて普遍的であり、また後で申し上げたいと思いますが、九三%を超える進学者がおるという条件からいたしまして、少なくとも義務的な性格をすでに持ちつつある、こう私は理解をするのですが、この点に関してどのようにお考えか、お答えください。
○砂田国務大臣 九三・一%に高校への進学率が高まりました今日は、大部分の青少年を教育する国民教育機関としての性格が高等学校には非常に強くなってきているわけでございます。しかし、この段階の青少年は、能力、また適性等が非常に多様でございます。そのこともまた現実問題でございまして、高等学校以外の進路を希望する者もまたあるわけでございます。このことも現実的に存在をするわけでございます。高校生の三割が私立学校の生徒でもございます。またこういう私立学校への依存度が高いということも現実問題として考えなければなりませんので、現段階で一律に就学義務を課しますことは、教育上も、また行財政上も種々問題が多いところでございます。希望者全員の入学を制度的に認めますことは、義務化と同様の条件整備が必要でございます。現時点ではまだ問題が多いところでございます。ただ、いま中西委員は非常に微妙な言い回し方をなさいました。義務化への道をたどっているとおっしゃったのですか、何か非常に微妙な言い回しをなさったわけでございますけれども、方向ととしては私もそういう感じを持ってはおります。ただ、いま申し上げましたように、いまの時点におきましてはこういう各種各様の現実問題がある。そのために、いま直ちにこれを義務化するということは教育上も行財政上も非常に問題がある、そうお答えする以外ないわけでございます。
○中西(績)委員 いまのお答えをお聞きしておりますと、義務化へ向けてのそういう過程あるいは行程、そういう内容的なものが、たとえば先ほど言った行財政上の問題だとか、あるいは高校へ進学したくない、かような方がおられる、こういう諸問題が義務化あるいは義務制化をとどめておるというのか、その条件をある程度克服すれば義務化をしなくてはならないと言われておるのか、ここら辺はどのようにお考えなのか。 特に私はもう一つ提起申し上げたいと思いますのは、先ほど申し上げた九三%の進学率、そこで問題は先ほど言った、みずからが高校へ進学したい、あるいは進学せずに就職をしたい、こういう多様な状況、あるいは行財政上の問題と言われるだけに、この九三%の進学者、その残りの者に対するとらえ方をどうするかというのが問題点ではないかと私は思うわけです。残る七%の進学しない子供たち、この子供たちの処遇なりあり方というものについて私たちが一定の方向性を持ち得さえすれば、この義務制化ということの道は開けるのではないかと私は感ずるわけです。 そこで残りの七%の子供たちの問題でございますけれども、先ほど申し上げましたように、憲法上からいいましても、教育を受ける権利があり、生存権としてこれを私たちはとらえるということになりますと、これをどう保障するかということになってくるのではないかと私は思うのです。ということは、教育基本法三条二項にありますように、教育の機会均等、これをいま取り上げますと、「すべて国民は、」云々ということから始まりまして「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」こうありますね。そしてその二項には「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。」こうありますね。ということになりますと、先ほど言いました高校に進学しない者の中には、経済的な理由によって進学しない、中学を出てすぐ就職をせざるを得ないという条件を持っておる子供たちがいる、こういうことを認めざるを得ないと思うのですね。そうしたときに、経済的理由によって修学困難な者に対しては奨学の方法を講ずる。いわゆる生存権という立場から考えて経済的理由をわれわれが補てんをしてやる、保障するということがなくてはならない。そして一項にあるように、差別されてはならないという条件からして、この基本法三条の一、二項を考えますと、この点は国及び地方団体が当然責めを負うべきではないかと考える。と言うと、その部分だけについては行財政上の問題があると言われますけれども、少なくとも法的にそのことを裏づけすれば、当然過ぎるように行財政的なものは行政が考えなくてはならない、こういうことになりはしないか。この点を指摘をし、そして私はさらにもう一歩深めるなら、学校教育法七十五条にあります「特殊学級を置くことができる。」というように、みずからが進学したいと思いつつも、身体的な条件だとかそういうものによって進学できない者、こういう者があるわけでありますから、こういう者については「特殊学級を置くことができる。」というこの条件さえ整えればいいことで、大体いま大臣のお答えになった内容というものはすべて当然過ぎるように国あるいは地方団体がこれを保障し、あるいは行政的措置によってこれを補完するという、このことがいまきわめて問われておるのではないかと考えます。先ほどのお答えに付言して申し上げましたので、この点を加えて考慮をされて答弁していただきたいと思います。
○砂田国務大臣 私どもが高等教育の普及と機会均等という見地から、高校への入学希望者に対しまして、入学者選抜制度というたてまえは維持しつつも、その機会をできるだけ広めていく努力をし、行政的に整備をしていっておりますことは、学校教育法等の示すところに従っている、間違ってない私どもの行財政的な方向であると考えます。高等学校へ進学をしない理由にはそれぞれいろいろな事情があるようでございまして、経済的な事情というお話でございましたけれども、経済的な事情の中にもいろいろあるわけでございます。やはり家業を継がせたい、家業を継ぎたい、そういう両親、そして子供さん御当人。高等学校へ行くよりは、中学校で基礎的な勉強をしたならばもう後は家業の勉強だ。それはもうその家業の中にまた教育もあるわけでございます、学校教育は社会と隔絶して存在するものではございませんから。心身ともに健全なという表現を私は使いましたけれども、そういう青少年がやはりいま申し上げました家庭あるいは家業あるいは社会で引き継いで教育を受けていける、そういう体制を学校教育だけではなくて整備をしていく。高等学校のことにつきましては、高等教育の普及と機会均等という見地に立っての、選抜制度は残しながらも可能な限りの普及を進めていく、こういう整備を続けていくことは決して間違った方向ではない、私はかように考えるものでございます。
○中西(績)委員 私が指摘をいたしましたのは、先ほど申し上げたように義務化に向けて、高校の入学あるいは進学の整備、あるいはそれを可能な限り云々ということを大臣も言われましたけれども、しかし先ほどの答弁の中にございましたように、私はそれにこだわるわけではありませんが、先ほど答えたのは、義務化が停滞をしておるというか、これを進捗させない大きな理由だと思いますが、能力が多様だということについてはこれはもう否定をしません。高校以外へという中に、先ほど言われましたように経済的なものとかいろいろなものがあるということ。しかし、経済的なものについては、先ほど申し上げたような内容でもってすれば、当然過ぎるほど国及び地方団体なりがこれを保障するという姿勢さえあればこれは実現できる中身である。いま言われました、経済的な事情だけでなしに、家業を継ぎたいとかあるいは中学出身のみにとどめて別の職業なりにつく。高等学校という三年間の、極端な言い方をしますとその人にとってはそういうむだな年限を消費せずに直接にという感覚だろうと思いますけれども、こういう方々については、その場における現職教育、いわゆるその場での教育が存在をするということも私は否定はいたしません。 しかし、いずれにしても、ではそういう者はどれだけおるかということになりますと、その率はきわめて低いと私は思うし、恐らく、就職をしておる大部分の皆さんというのは、家庭的な事情だとか、あるいはいままで余り進学をする選抜にたえ得るような勉学をしておらなかったということを理由にして、受験をせずに、就職をして自分一人で生活のできる素地をつくり、あるいはまた、家庭が大変苦しいということであればそれに仕送りをするためにという、家族を含めての家庭設計の中でこうして就職をする、こういう者が大部分ではないかと考えます。それと、先ほど申し上げたように身体的な理由だとか、こういうものによって進学されない、こういう状況の者で、これ以外の者というと私はきわめて数は少ないと考えます。ということになりますと、一〇〇%まではいかなくとも、それに近い数の者がやはり機会があれば高等学校の教育を受けたい、こういう切なる願いは底にあろうと思うのです。そういうことを考えてまいりますと、いまもう国民の最低教養というものを高等学校レベルまでに上げるべきではないかということも含めて私はこのことを申しておるわけであります。ですから、先ほど言われたような条件、私が指摘をしましたようにもうごく少数な者にしかないのではないかと思いますから、もしその点で追跡調査なりなんなりをなさったそういう資料でもあれば、いやそうじゃない、このように答えていただいて結構ですが、資料でもあっておっしゃっておるのか、その点を明らかにしてください。
○砂田国務大臣 資料はないそうでございます、残念ながら。ただ、率直に申しますと、先生御指摘になりました、もう大変能力があるのに家庭が貧しくて高学等校へ行けない、もしもそういう生徒であるとするならば、高等学校への進学の道は、授業料免除でございますとか奨学金とか、そういう制度があるわけでございます。必ずしもそういう子供さんたちばかりではないと思うのです。数少ないとおっしゃいました。まさに七%ですから数は少ないということも事実でございましょうけれども、それはやはり個人の意思なり、両親と相談の上で自分の進むべき道を選ばれる。経済的なという御指摘でございましたけれども、それは家が貧しくて高校へ行く資金がないということだけではなくて、やはり家業を継ぐとかあるいはもう実社会で勉強をするとか、実社会には教育もあることでございますから、そういう方もまたあるということを先ほど申し上げたわけでございまして、授業料免除でありますとか奨学金であるとか、そういう制度で高等学校への進学の道は開かれております。その七%は一体どういうことで高等学校への進学をやめているかということの資料はないそうでございますけれども、これはひとつ検討させていただきたいと思います。
○中西(績)委員 それではその七%、大体各県ごとに分類をいたしますと、東京都のように都市型のところにおいては進学率はきわめて高い。そして東北あるいは九州、あるいは私のいる旧産炭地のようなところ、生活的にきわめて疲弊をし、生活保護世帯の準用世帯がクラスの半数に近い状況にあるようなところでは低いわけです。それは経済的なものが一つと、やはり問題は、勉学をするという、学習をするという、そういう習慣づけ、家庭教育あるいは地域のそういうものの条件が整っておらないところではやはり低いわけですね。このことはお認めになると思うのです。あるいは非行の問題等についても、そのように進学できない条件の中で、経済的あるいは家庭の教育、社会教育、そういうものが大変落ち込んでいるようなところでは非行も多いわけですね。ですから、荒廃の理由の中にはそういうものが率が高くなってくるのは当然です。しかも、ある調査によると、四万五千件程度のいろいろ問題を起こしておる子たち、いわゆる刑法犯と言われる人たちの中で、二十歳から二十四歳以下のやつを見ますと、むしろ現在では、ここ十年ぐらいの間には、犯罪一つとりましても、いろいろ取りざたをされておるけれども、件数は減っておるわけでしょう。ただ問題は、二十歳から二十四歳までの件数は減少しておるにもかかわらず、十九歳からいわゆる未成年と言われる十四歳ぐらいの刑法犯と言われるようなものの中に非行の件数が非常に多くなっておるという、こういう問題が出てくる。やはりそういう条件の満たないところに多く出るわけですね。出ておるということはもう事実なんです。ですから、そういうことを考え合わせていきますと、この進学しない者七%というものの追跡調査なり何なりをなされていない、資料はないと言われるけれども、いま出ておる実態として、そういう面での社会的な教育面、社会教育なりあるいは学校教育、小・中学校あるいは幼稚園、幼児からの教育、そういう諸条件というものが整備され、そして私たちが絶えず言っておるような方向での行政面が行き渡れば、このことはもう高まるということは当然過ぎるぐらいわかっていることなんですよ。そのことについてどうお考えになるか、答えていただきたいと思います。
○諸澤政府委員 進学率と非行とのかかわり合いのような御指摘がございましたけれども、いま全国的に見ました場合に進学率が一番高いのは、私の記憶では広島県の九八%ぐらいであったかと思うのですけれども、最近ここ二、三年の傾向としましては、東京とか大阪とかいうような過密県におきまして従来進学率が異常な勢いで上昇してまいった県におきましても、進学率の伸びというものはむしろ全国平均の伸びよりは下回っておるというような現状でございまして、これがどこまでも従来と同じような傾向で進学率が上がっていくかというと必ずしもそうでないというような実態もございます。また、昭和五十二年度の中学校から高等学校への進学についての実態調査を文部省でしましたときの資料を見ますと、高等学校進学者が百四十五万ぐらいであったかと思うのですけれども、その中で約一%ぐらいの子供が前年度中学校を卒業した者じゃない。つまり俗に言う中学浪人でございますが、ほかの高等学校におったか本当に浪人しておったか、その辺はわかりませんけれども、とにかくそういう者がおる反面、また全収容定員と入学者との開きというのが三万七、八千ございます。つまり、これも全国的に見ますと、やはり、本当に高等学校に進学するという場合のその進学校がいわば有名校に集まっておるという実態の一つのあらわれであろうかと思うのでありまして、そういう趨勢は、本当に高等学校教育を全入あるいは義務制という方向に向かって考えるのが必ずしもよろしいかどうかという一つの現時点における課題だと思うのでありまして、その点、先ほど先生御指摘がございました、経済的な事由によって能力がありながら教育を受けられないという子供に対する対応として、奨学金なりあるいは授業料の免除という措置を講ずるという、そのことはまさに教育の機会均等という趣旨に出たわけでありますが、その機会均等の本旨というものに立ち返って考えました場合、憲法二十六条でも教育基本法でも、言うところの教育の機会均等というのは無条件ではないわけでありまして、すべて国民は能力に応じて教育を受ける権利があるという、その前提に立っておるわけでございます。そして一方、高等学校教育の目的とするところも、学校教育法の規定は、普通教育を施すだけでなしに、そこは専門教育も施すというたてまえになっておりまして、専門教育というものは、もちろん国民として共通に履修してもらわなければならない、あるいは履修するのが望ましい内容も含むわけでありますが、必ずしもそれだけではない。そういうような高等学校教育の内容というものも考えました場合に、やはり現時点でこれを直ちに希望者はみんな入れるんだというふうな考え方をとるのがどうか。将来の方向としてそれは十分検討すべき課題でありますけれども、われわれはいまのところは緩やかな選抜という形でこれを進めて様子を見る、こういうことにしておるわけでございます。
○中西(績)委員 都市における低下というのは、私はやはりいまの経済情勢なりいろいろなものが大きく影響し、そのことが先ほど申し上げるように、ただ単に経済的なものだけでないとしても、そのことによって派生をしてくる生活の乱れだとか家庭の混乱だとか、いろいろな付随的なものが出てくるわけですね。そうした場合にこの低下をするあるいは進学しないという理由もそういうところから出てくることはもうこれは必定なんですよ。ですから、都市における伸びぐあいは従前に比べて低下をしておるということは認めます。ただ問題は、先ほど言われておりましたように一%もの人が浪人をしておるというこの事態は、先ほど局長が言われましたように有名校ということを志向すれば、あるいは普通高校の有名校というようになれば、これは当然過ぎるほどそういう者が出てくる。こういうのがやはり多く問題になるわけでありますだけに、私は先ほどから申し上げる、憲法なり教育基本法なりあるいは学校教育法なり、こういういろいろな面から推して見て、この高校の教育の義務化あるいは義務化への道というのはもう当然過ぎるほどそこにあるということを認めるべきではないか。もしそれができない過程であるとするなら、一つの段階的なものを追っていって、希望者全員入学させるための措置をどのようにとっていくのか。その場合に、私立学校の場合にはまた授業料の問題とかいろいろ派生をするだけに、いま注意していただかなければならぬのは、私たち九州あたりへ参りますと、特定の私立高校を除けば、大部分の私立高校には公立に入れないから私立高校にというケースが非常に多いわけですね。この類型が非常に多いわけです。それだけに、この希望者全員入学なり義務化への道というのは、国公立をどのように充実させ拡大をするか、あるいは増設をするか、こういうのが問題だろうと思うのですね。その点、大臣はどのようにお考えになり、そして私がいま主張するその点に問題があればまた指摘をしていただきたいと思いますけれども、いずれにしてもそうすることが、いまの中学校教育を正常化する、先ほどから言われておるゆとりのある、あるいは伸び伸び教育と言われる、心身ともに健全な人間性豊かな国民をというこのねらいに合致するわけですから、この点を将来に向けて強く措置するように私は望みたいわけです。
○砂田国務大臣 公立の高等学校の絶対数が足りないということを認めます。当然、先生の御指摘のような趣旨でこれの整備を図ってまいらなければなりませんので、年次的な計画をもってこれの整備に取り組んでいるところでございます。高等学校への進学年齢者の数の推移等も見きわめながら、ただいままでのところは計画どおりにできてきたと思います。五十一年、五十二年で百三十校近いものが整備ができてきていると思いますけれども、まだこれから五十二、五十四、五十五と三年かかってこれの整備を進めてまいるわけでございまして、懸命に努力をいたしまして公立高校の絶対数を確保していく、こういうことで取り組んでまいります。
○中西(績)委員 公立高校の確保、そしてその増加は、いま申し上げましたようにやはり全員を可能な限り収容するという、このことが前提になるわけですね。そして将来的に義務化へという、こういう方向で検討するということですか。
○砂田国務大臣 高校入学を希望される方にできるだけ機会均等という立場から、そして高校教育の普及を図るという立場から先ほど申し上げましたような整備を図ってまいることといたしておりまして、現時点におきましては、これも先ほど御答弁いたしましたように、まだ義務化ということをいたしますのには教育上もまた行財政上も多数の問題があるということをお答えをいたしておきたいと思います。
○中西(績)委員 こだわるようですけれども、どうしても、その行財政上という問題ですね、これはわからないのですよ。行財政上になぜ問題があるのか。法的な裏づけなり何なり、先ほどから皆さん言われておるように国に金がないからやらぬというのですか、行財政上というのは。あるいは地方財政が苦しいからやらぬという、そういう意味での行財政上なのか、そこをもう少し具体的におっしゃらないと。この義務化へという、そしてそのように全員が進学することが望ましいわけだし、そのことは否定なさらぬと思うのですよ。望ましいし、またそのことを実現し、保障してやるということも当然ですし、しかも今度は最低教養を高等学校レベルまでという、これはもう当然過ぎるくらいに新大臣ならば考えるだろうと思って、あえて私はしつこく質問しているのですけれども、そういう意味で、行財政上の問題とそういう方向性についてもう一度お答えください。
○砂田国務大臣 大変御期待におこたえできないようなことですが、ただ、先ほどから申し上げておりますように、必ずしも中学校卒業生一〇〇%が高校進学を望むものではない。それは非常に少数だとはいいながら、やはり少数であってもそういう意見、そういうお考えの方があるわけでございます。それから私立の高等学校の依存度が非常に高いということ、こういうこともあるわけでございまして、そういうことも含めて行財政上のということを申したわけでございますけれども、国に金がないからという端的の御質問に対しましては、やはり国の財政にも限度のあることでございますから、現時点におきましてはと私が申し上げておりますのもそういうことも含めてのことでございまして、御理解をいただきたいと思います。
○中西(績)委員 では確認をしますけれども、少数の者という、それに大変こだわられておるということと、現時点における財政措置という問題大体しぼられてきたようですね。ですから、この点は、少なくとも義務化へ向けて、希望者は全員収容するということがまず前提になるわけですから、その措置をすることと同時に、このような少数いるという、それがために義務化へなかなか踏み切れないという条件があるだけに、この少数という問題についてはいまここで論議をしても、私の持ち時間は大変限定されておりますので短時間になかなか結論を見出すまでに至らないと思いますから、これは私は問題を保留します。これは後々まだ論議をしたいと思いますので、どのような少数な者があるのか、この点について十分検討していただいて、この内容、条件を整えていく、これがいま一番重要のようでありますから、この点の検討をひとつ課題として残したいと思います。それから私立学校云々と言ったのは、これは関係ないですね。全部あるのですから、これはもう関係ないと思います。そのように検討課題として残し、研究していただくということでよろしいですか。
○諸澤政府委員 ちょっと、お言葉を返すようですけれども、七%のごく少数だからというお話でございますが、その少数の者についての能力の問題あるいは高等学校教育の内容の問題ということはやはり検討に値する課題だろうと思います。 それから、私立学校は問題でないとおっしゃいましたけれども、現在高等学校の実態というのは、御承知のように、約五千あります高等学校のうち私立が四分の一でありまして、子供の数にいたしますと三分の一は私立高等学校に依存しておるわけであります。そこで、全入ということを考えます趣旨とするところが、現在のような高等学校の特定校に集中する受験競争を排除して、だれもが高等学校へ競争なしに入れるような体制にして安定をさせたいということが一つあるわけでございますが、いま申しましたような私立の実態を考えました場合に、高等学校も全入とするならば中学校と同じようにそれぞれの学区でも考えないことには、全入のたてまえにしながら自由な志望校を選べということにしたらこれはとても制度として成り立ち得ないわけでございますから、特定の学区を制定するということにしました場合、私立が全く公立と同じような役割りを果たし得るかどうか。いま申しましたように、高等学校の場合には私立というものの存在を無視しては全入ということをやるにしても考えられないわけですから、その場合、私立が国立、公立と同じような役割りを果たせということは行政的には簡単に言い得る問題ではないのでありまして、私立は私立なりの建学の方針なり教育の方針を持っておるわけであります。そういうことを考えました場合に、公立だけで全入を果たすということは非常にむずかしい。そして私立は別だということにしました場合には、今度は受験生は特定の私立高等学校に集中するというようなことになりましたならばいま以上の受験競争が起こるということも考えられないわけではないわけであります。そういうことを考えました場合に、私立は別だよ、こうおっしゃいましたけれども、これはやはり私どもは十分にそういうことも念頭に入れながら検討させていただきたい、かように思うわけであります。
○中西(績)委員 時間がございませんが、私はいまのお答えでは了解をしかねます。しかし、いずれにしても、この前諸澤局長が出られた一月十三日の二十一時からのテレビの中でもいろいろ討論されておりましたね。あのときにも、教師が何人か出ておりましたし、いろいろな人の発言をずっと聞いていますと、いまの内申書重視を中心にして論議をいたしておりましたけれども、その場合だって、全入制、そして小学区、当然それは全入ということになれば小学区ということが付随的なものになるし、そしてこれを総合的にどう考えていくか、私立も含めてどうするのか、別個にするのかというのは当然過ぎるほど考えなければならない問題です。しかし、私が別だと言ったのは、だからと言って、私立の高等学校があるから全入あるいは義務化というのはむずかしい、そういうことにはならないよ、こう言っているわけですから、この点はひとつ十分理解をしておいて検討してください。 ただ、いま義務化の問題、いろいろ答弁願いましたけれども、ここで一つだけ付言させていただきますと、先ほど言ったように、高等学校における専門の問題でありますけれども、高校の多様化の問題です。高校多様化がどういう影響を進学者にあるいは進学しようとする希望者にもたらしておるか、これはまた大変な問題があるわけでありますから、やはりこの高校多様化というものはできるだけなくさなければならぬ状況にまでいま立ち至っておるのではないか。特に、いろいろな何々がある、たとえば大阪で国際的な行事がある、ここには特定の科を設置しなければならぬ、しかも時限的に何年間というようなやり方をやっていましたね。とうてい考えられないようなことを平気でやっておったわけでありますけれども、こういうやり方というのは大変問題があるし、そしていま最低の教養ということを考えた場合に、このような高校の専門性というものをこれからどういう位置づけにしていくのか、ここら辺も含めて十分検討していく、このことが大変重要ではないかということを考えるわけです。特にいまのように大学区制になりまして、普通高校、工業、商業、そして農業、こういうようにふるい分けて、当初は五校くらいの中学区的なところであったものが大学区になった場合には二十何校で振り分けられて、そこにある一校の農業高校の場合には本当にふるい分けられて、層が非常に薄くなってしまってクラスの運営すらもできなくなっておるという状況だってありますね。このことをお気づきだと思いますよ。そういうこと等を考えてまいりますと、社会の形成者にふさわしい人間育成という教育の場が、むしろ今度は逆に、そこでは育成どころでなしに、希望をなくして、連帯性どころか、すべての人間性すらも喪失するような状況というのがそのクラスの中では起こってくる可能性だってあるわけですから、こういうことを考え合わせていきますと、高校の専門教科、これを多様化していくという問題等につきましてもあわせ考えられるように希望を申し上げて、先ほどの検討される課題の中に入れていただきたいと思うわけです。 大変時間を過ごしましたのであとの質問が大変しにくくなってまいりましたけれども、時間のある限り続けたいと思います。 そこで、ゆとりのある教育内容を推進するためにはということで、その次のところに出ておりますように「教育内容の改善を進め、その成果を高めるためにも、教職に人を得ることはきわめて重要なことであります。そのため、いわゆる人材確保法に基づく」云々「教職員定数の改善について、昭和四十九年度から進めてまいりました五カ年計画を計画どおり完成させてまいりたいと存じます。」こうなっております。この二つは避けて通ることはできません。そこで教職員の定数問題でありますけれども、教職員の定数について問題指摘をしながら、その点についてお答えいただきたいと思うわけであります。 いまここにありましたように、四十九年から五十三年までの五年間でこの年次の改善が終了するわけであります。そこで、これが終了し、それを完成させることはわかりますけれども、この定数が完成されれば現状に問題点はあるのかないのか、まだたくさんあるというのか、この点についてどのように把握されておるのか、お答えください。
○砂田国務大臣 御承知のように五十三年度で五カ年計画を完了するわけでございます。今後の問題につきましては、五十三年度で過疎過密地帯の学校の実態や、標準法の完全実施後の教員の配置状況等を全国的に詳細な調査をしたい、かように考えているところでございまして、五十三年度できわめて詳細なこういう調査をいたしまして、その結果を待って慎重に検討いたしたい、かように考えるものでございます。
○中西(績)委員 調査をするということは、問題があるということを前提にしてやられるのか、それとも、完成をされたのでもうないだろうということを期待してやられるのか、どちらかだろうと思うのですけれども、大変失礼な言い方だけれども、どちらを指されておるのか、お答えいただきたいと思います。
○砂田国務大臣 過疎過密地域というのがそれぞれ異常な状態で国内にはあるわけでございますから、問題があるのかないのかということも調査の対象になるわけでございます。実情を的確に把握をしたい、かように思って調査をいたすわけでございます。
○中西(績)委員 それでは、過密あるいは過疎、その状況等を詳細に調査をなさると言われますけれども、具体的に聞きましょう。普通小・中学校、他のところは時間の関係もありますので触れずに、この学級の編制基準、いま四十五名、これで完成されるわけですね。そこで、この四十五名が多いと思われるのか少ないと思われるのか、あるいはもう現状でよろしい、こう言われるのか。少ないとはお答えにはならぬと思いますけれども、現状で果たしてよろしいのか、あるいは多い、こういうふうにお考えになっておるか、どちらか、お答えください。
○砂田国務大臣 四十五名ということに学級編制基準は決まっておりますけれども、これは非常にマクロにとらえて全国平均を見ました場合に、その数よりも下回っておりますことはもう先生御承知のとおりでございます。また、どう申しますか、二十人を割っているというようなところもあるわけでございます。四十五名でいいか悪いか、そのこともまた検討対象だと私は思うのです。率直に私の気持ちを申し上げますと、特に小・中学校の教育というようなものはあるいは一対一が一番いいのかもしれない。しかしそういうこともいわば高望みと申しますか、絵にかいたもちと申しますか、やはりいろいろな問題を検討した上で決心をつけなければならないことでございまして、四十五人がいいと思ってやっているのか、四十五人では多過ぎると思っているのか、少な過ぎると思っているのか、そのことも検討対象にさせていただきたいと思うわけでございます。
○中西(績)委員 それでは、外国のことを出しますと日本の国情に沿ってないとか、日本には日本の、こういう言い方もあるのだけれども、一応外国ではどうなっておるのか、この点、お持ちですか。
○諸澤政府委員 調査としましては、一学級の学級編制の子供が何人かというのが、日本の場合、たびたびお答えしていると思いますけれども、中学校で平均すると三十七人、小学校で三十三人ということでございまして、小学校は大体外国並みというか、ヨーロッパやアメリカ並み、中学校は多少多いということでございますが、ただ、先生の数の積算というのは、一学級当たりの子供の数というのも一つの目安でございますけれども、全校的に見た場合に一学級に対して先生が何人かというような場合、私、聞きますと、フランスなんかは一学級一人で張りつけて、十学級あれば先生は十人だということのようでありますが、日本の場合は、たとえば十二学級でしたらたしか十四人と、そこに余裕がございますから、そこをもって外国の例をストレートに持ってこられない、その比較をどこに置くかによって違います、こういうことでございますので、そういうことも念頭に入れてひとつ検討したい、こういうように思っております。
○中西(績)委員 もう外国のことは言いません。あなたの言によると余り比較検討するあれにはならぬようですからね。 私自身も経験があるのですけれども、大臣、一つのクラスで、目を前に向けて視角の中に入れるとすると、四十五人では入らないですね。いま大臣なりあるいは局長が言われた平均が云々ということは、これは少ないところがあるわけですから平均は四十五名を下回るのは当然ですよ。平均を下回っておるところがある反面、四十五名いっぱいいっぱいのところがたくさんあるわけですから、ここがいま問題になっているわけでしょう。そのことをいま私は言っているわけなのだから、この平均がどうだという問題ではないわけですね。四十五名入ったときに、果たして乗りおくれる子供たちを十分自分の指導なりあるいは対話の中に組み込むことができるかどうかというのが問題です。私の経験からしますと、そのときに両側をずっと見ながらやるということはやはり大変苦労しなくちゃならぬし、そして本当に効果の上がるものじゃないのですね。そうするといまのこの四十五名が、調査をするしないにかかわらず、これはもう当然多過ぎるという回答がはね返ってくるだろうということを私は期待をしたのだけれども、いまの答弁ではそのことが出ませんでした。しかし、この下回っておること、そしてそれを強調されるということは、たとえば三十三名ということが平均値であるなら、やはりそれは望ましい形であるということを逆にまた表現したのではないかということを私は思っているのですよ。そういう意味で、四十五名という問題については何としてもやはり改める、将来的に検討する必要があると私は思う。と同時に、今度は教師の担当する時間数はいま何時間で、そしてその時間数が妥当と考えておられるかどうか、この点、どうでしょう。
○砂田国務大臣 中西委員は御経験から教師の視角のことをお話しになりました。私も経験から申しますと、人間の視角というものは鍛練によって広がりもすれば、ほっておくと狭まりもするものでございます。よけいなことを言うようですが、バスケットボールの選手やアイスホッケーの選手というものは練習しているうちに視角が広まります。視角のことだけではなくて、おっしゃる意味はよくわかるのです。子供たちを完全に四十五人掌握できるかどうか、一人一人と心のつながる教育が施せるかどうかということを御主張になっていることはよくわかります。そのことも含めまして、また同時に、これから数年間、児童、生徒の数が百二、三十万もふえるということにもまた対応していかなければなりません、そういうこともあわせまして詳細な調査をいたしました上で見当をつけていきたい、かようにお答えをしているわけでございます。 時間数の問題等は局長から答弁させます。
○諸澤政府委員 初めにちょっと、学級数の問題でございますけれども、現在小・中学校合わせまして学級総数というのは約四十五万学級ございますが、そのうち四十一人から四十五人までの学級というのが十四万強、つまり三分の一くらいでございます。そのうちの半分くらいが過密級県というところに集中しているわけでございます。そうすると、その四十一人から四十五人の学級を今後どういうふうに考えていくかにしても、そういう過密級県に集中している学級の実態というものは、学級そのものだけではなしに、やはり当該学校の施設、土地、そういうものとの関連も考えて、そういう学級編制の基準を低減させることが物理的に可能かどうかという問題にもつながってまいりますので、そういう意味で、今回の実態調査というのは、過密学級の実態なり、それから校舎、施設、建物、設備の状況なり、そういうものもあわせて調査をしてひとつ検討したい、こういうことにしておるわけでございます。 それから、いまの担任時間の話でございますが、これも四十四年の標準法の第三次の改善のときですから、そのときの基準は小学校二十六時間、中学校二十四時間、高等学校十八時間であったかと思いますが、四十九年の調査では、教諭の一週の授業時数というものの実績は小学校二十三時間、中学校十八・三時間、高等学校十五・二時間、こういうことになっておるわけでございます。この点につきましても今度の実態調査の際にさらに調査をいたしましてひとつ検討したい、こういうふうに考えております。
○中西(績)委員 さっきの大臣の視角の問題はもう論議しません。 問題は、調査を終わって、そしてそれによって立案、計画をするということになると、将来的にはどうなるのですか。五十三年度で終わりますね。配置が終わって、そしてその年度内に集約はできますか、どうでしょう。
○諸澤政府委員 もちろん五十三年度の予算に調査費が計上されておりますので、調査は年度内に終了するようにいたしたいと思っておるわけでございます。
○中西(績)委員 そうすると、五十三年度中のその結果に基づいて、五十四年度から、新たな検討を始めてさらにまた、いまおっしゃるようにもし問題があるといたしますと、具体的な措置をとるということが考えられますか。
○諸澤政府委員 従来の五カ年計画は、前の計画が終わりますれば引き続き次の年度からということでやってきておりますことは事実でございます。しかし、今回はいま申しましたようなことでかなり詳細な実態調査をしませんと、単に計数的に定員の問題だけとして切り離して解決できない課題があるように考えますので調査をするわけでございますから、最大限に調査の速力を上げまして、できるだけ早く次の計画が立ちますように努力をしてまいりたい、かように思うわけでございます。
○中西(績)委員 時間がありませんが、いま言われました、従来ならば、五十三年度中に調査をして、その調査を収集し、結果を出して、今度はそれの評価、これをやるわけですね。その結果、方針をどうするというものが出されるのは、従来ならば、五十三年度なら五十三年度内に行われたわけですね。そして次年度から具体的にそういうものにかかっていった。しかし、今回の場合には違うと言っておるのか、困難だと言っておるのか。そこら辺、もうちょっとはっきりしてください。
○諸澤政府委員 私どもとしましては、できるだけ早く次の年次計画を立てて改善を進めてまいりたいと思うわけでございますが、いま申しましたような調査をまだ具体的に、準備はいたしておりますけれども、取りかかっておるわけではございませんので、その調査の結果を待ちませんとなかなか次の年次計画は全体計画として立ちがたいということでございます。
○中西(績)委員 そうすると、五年前の四十八年に計画が終わって調査をなさり、そしてその結果が今度は第四次計画として出された、こういうことを先ほど申されておったわけですけれども、それができたのに今度はできないというのは、よほど特別な何かがあるということですか。
○諸澤政府委員 四十八年度から四十九年度の新規計画に移行する際には今回のような詳細な実態調査というのはやってないわけでございます。今回は、先ほど申しましたように、いまの学級編制基準の問題等につきまして十分検討するべき課題であるという認識に立って、これをどう持っていくかについてもやはり詳細な実態がわからないと計画が立てられない、こういうことで、今回の場合は前回とは違ってそういう調査をはさんだということでございますので、前回の例と同じというわけにはいかない、こういうことでございます。
○中西(績)委員 前回と同じわけにはいかないと言うけれども、調査の仕方なり、そして先ほどから申し上げる教育の荒廃をどうここで行政的に措置をしてなくしていくかということは、やはりここから発想するわけですから、私、その意味でずっといままで申し上げてきたつもりなんですね。やはり、いま問題があるといたしますと、その調査の仕方なり収集、そして時間的なものが一定の期間かかるといたしましても、今度は調査の出し方、内容、そういうものによってはいろいろ時間的な制約、その中でやる方法といったってたくさんあるわけですから、むしろそれを努力をするということにならないと、私は、いままで論議をしてきた過程というものが、単に口先でいろいろは言ったけれども、具体的な施策をする場合の一番肝心の資料となるものがそのように時間がかかったりなんかしてできないということになりますとこれは大変なことですから、やはり従来と同じような方向でもってやるという基本姿勢を貫いてもらうということがなくてはならぬと思うのです。この点、どうでしょう。
○諸澤政府委員 学級編制を含めて定員の標準的あり方についてはさらに前進的に考えるというのは、この前の標準法の改正の際における両院の文教委員会の御決議にもあることでございますから十分念頭にございます。ございますけれども、いま申しましたように、それはやはり相当実態を詳細に調査した上でないと具体的な方向を打ち出しにくいということでございますから、将来に向かって改善するということを目標に掲げながらやってまいりたい、かようなことでございます。
○中西(績)委員 あくまでも姿勢はそういうことで、基本的に、いまの条件を整備をするという、その中からこれをやるということでありますから、いま言うように大変困難な仕事であろうということは推測がつきますけれども、それをやはりやり遂げるということを前提にしてかかっていただくことを希望します。 それで、時間が来ましたけれども、そのほかに私が申し上げたいと思いましたのは、無免許教科担当教員の問題、依然として問題があるわけであります。あるいは小学校における専科教員の問題、さらにまた養護教員が依然として必置されていない。特に養護教員なんというものは、法では決められておるにもかかわらず、附則がついたばかりに配置しない、こういう状況が出ているわけですから、これはもう私たち立法府におる者として大変残念に思うわけです。むしろそれを逆手にとって配置しないというような状況になっておるわけですから、これらの問題等含めて十分な検討をお願い申し上げたいと思うわけです。 ちょっと時間が過ぎますけれども、最後になりましたが、先ほど申し上げた人材確保の問題だけ、わずかの時間をかしていただきたいと思います。 この人材確保の問題につきましては、先般の内閣委員会で私いろいろお尋ねをいたしました。そういうものの中で「職務と責任にふさわしい処遇を確保する必要がある」ということを、文部省は、教員等待遇改善調査会の調査を経、そして建議を得て、文部省から人事院にこの要請をする、その上に立って給与上の措置をした、こういうことになっていますね。そして、すでに附則の発効も行われた。そこで問題は、この前から私が論議いたしてまいりました職務と責任ということの評価の仕方、とらえ方として、特殊勤務手当を支給する、局長はこういう言い方であったわけですね。私が指摘をしましたのは、そういう面からまいりますと、管理職手当の場合には管理職としての職務、そしてその責任、その評価として、こういうふうになっています。ということになりますと、この主任というものはあくまでも、この前文部大臣あるいは局長は、管理職でないということを言い張っておるわけですね。ですから、管理職ではない者に、このように主任という、職務と責任という、このことに対しての評価、それで支給をするということになっているわけですから、そこの管理職としてある校長、教頭、それと、もう一つ主任というのは、いわゆる職としてどういう位置づけをするのですか。
○角野政府委員 先回の御質問をいま思い出しておりますが、管理職手当といいますか、一般に言いますと役付手当でございますが、これは管理監督という職にある人に対する、その職務と責任に評価ということで、これは、現在国家公務員の給与について見ました場合でも役付手当的な性格の手当と違う体系のものにいたしております。基本的には、いま先生からお話がございましたように、これは中間管理職ではない、連絡調整、指導、助言という校務分掌をなさっておる職である、そういうお話、もともと文部大臣からそういうお話を伺っておりまして、それに対する勤務ということで特殊勤務手当でとらえておる、そういうことでございます。前回もそのように、私、御説明申し上げたと思いますが、特殊勤務手当といいますのはいろいろなものがございますが、要するに勤務したときに払う、そういうスタンスのものでございまして、それに比べますと、役付手当といいますのは、そういう官職なり、民間でいいます管理監督の立場におられるその人に対して支給する、こういう性格の給与体系であろうと思います。
○中西(績)委員 時間が来ましたので論議をすることになりませんけれども、一点だけ確認をしておきたいと思います。勤務をしたときにいわゆる二百円を払うということですね。そして、それをまとめて五千円ですか。では勤務しないときには払わぬということになるのですか。それから減額するということになるのですか。その点、はっきりしてください。
○角野政府委員 勤務しないときには支給しない、そういうことでございます。それで、勤務といいますか、特殊勤務手当でも、たとえば高いところに上がるとか海の底へもぐるという場合ですと勤務という形が非常に具体的につかめます。具体的なものであれば一回幾らとか、もっと具体的に一時間とか、非常に厳密なとらえ方で金額幾ら、こういう結びつきになるものもございますし、その辺にはやや幅がございます。たとえば教員の関係で申しましても、教生実習でありますとか、それから多学年でありますとかというのは、やはり高いところへ上がるのとは大分把握のしようが違うと思いますが、これはやはり程度の問題でございまして、特殊勤務手当でございますので、先生が出勤をいたします、一日出勤なさると一日そこで勤務があるという、そういうみなしはどうしても入るかと思いますが、これも程度の問題でございます。出勤なさいません場合にはこれは支給いたしません。そういう形で特殊勤務手当としてございます。
○中西(績)委員 そこで、私たちが先般も指摘をしましたように、この支給に対しては、人材確保法が制定をされた以降、附帯決議なりいろいろなものがつきましたけれども、それは一年限りだとかそのとき限りだとかということでいろいろ答弁されて、いろいろ形態的には変化が起こってきた。そのために、こういうものについては大変問題があるという指摘をし、逆に、受給をされる側、支払いを受ける側の教員の方からこれを返上したい、あるいは、こういうものについては直接阻止をしたりあるいは返上ということは大変困難だから、この分についてはあくまでも自分の手元に置かずに、これを別途積み立てするなり、あるいはいま大変不足しておる教育環境の整備費なり、いろいろなものに回していこう、こういうことをいま言い始めていますね。そのことは御存じですか。
○角野政府委員 そういう新聞の記事等も拝見いたしておりますし、私どものところには職員組合、労働組合の関係の方が出入りしておられまして、来られるたびにそういうお話として伺っております。
○中西(績)委員 御存じであるということですから、そういうことになりますと、先般から問題になっておりましたように、教員の賃金を高めるという手段、教員の賃金を高めるために本俸なり基本賃金を引き上げるということは公務員との賃金の公平化ということから大変問題があるということでいろいろな諸手当に変わってきた、こういうことを申しましたね。であるにもかかわらず、この問題については、受給をされる側はむしろそれを必要でない、返上するという変形がここにこのような形であらわれてきていますね。ということは、みずからはそのものを受け取りたくないという、こういう形のものなんです。ということになりますと人事院というのはどういうことになるのですか。労働者、働いておる人たちの賃金をどう保障するかというその代理機関としてあるべき人事院が、こういう措置が出たときにはどういう態度をおとりになるつもりですか。
○角野政府委員 私どもは給与勧告、これは夏の一般勧告をやっておりますが、これは生計費等の関係もございますが、やはり一つの水準というのと、今度は水準を配分する、その両面がございます。それで、教員給与の改善のこの問題はまさに配分問題であると思いますが、特に人確法の趣旨で一般の公務員より優遇する、そういう趣旨の配分問題でございます。そこで、学校の職場の中で校務分担をなさっておる、そういう現実がございますが、それを踏まえて、そういう校務を分掌しておられる主任の方は大変御苦労であるという付加された重みがあります場合にこれを給与上で評価するということは、給与のそういう勤務に対する配分としては十分成り立つことであろうと思っております。したがいまして、給与の配分の中には、そういう水準的なもの、あるいは実質的な面、両方あろうと思います。主任の関係の前回勧告いたしましていま実施中のものはそういう後者に当たるものである、こういうふうに考えております。
○中西(績)委員 そこで、それを今度返上するという、変形だけれどもこういう措置がとられたということになる。いま少なくともその水準を決め配分するというのが人事院の任務だということをおっしゃった。その配分をする際に校務分担、その中における主任の御苦労手当として、その重みがあるので勤務に対してそれを措置しておる。ところが片一方の、あなたが重みのあると言われる教師が、教員がどうかというと、そうでない、こう言っているとすると、だからこそ返すのだから、でなければ返す理由はないと思うのですよ、ということになると、人事院の、現場の重みがあるかないかということの認識、理解、こういうものがどうかというのが問題になるわけです。ということになってまいりますと、現場のそういうものを実態として把握できない、そして文部省から要請されてからそのことを実施するということにしかなってこないのです、そのことがもしそうだと仮定すると。ということになってまいりますと、なぜ人事院というものが設置されておるかという根本的なものにさかのぼって考えた場合に、この問題は大変な誤りを犯したのではないかと私は考えるわけです。ですから、いまここで討論をする時間がありませんので問題指摘だけいたしておきまして、この次の機会にまたさせていただきます。 大臣、先ほどからずっと申し上げましたように、この教育荒廃を私たちの手によってどう回復し、教育を正常化していくか、このことが大変重要な課題であるし、いま私たちにとって、この委員会としても、また行政としても、最重要な問題であろうと思うのです。大学問題だとかあるいは私学の問題、まだたくさんございますけれども、これは各法案が出た際だとかいろいろなときにまた討論をさせていただくことにいたしまして、いま出ました教職員の定数の問題にいたしましても、あるいはまた人材確保法に基づく給与の第三次分にいたしましても、このような荒廃をもたらすものにつながる、私たちはそういう理解をしておるわけなんです。ですから、そういうことからいたしますと、まだまだ多くの問題を提起申し上げて御認識いただき、そしてこの教育荒廃をどう救っていくかということを考えたいと思いましたけれども、十分ではありませんでしたけれども以上二、三点だけで終わりまして、残る問題等については、保留した分等もございますので、これからまた討論を続けてまいりたいと思います。以上です。
○菅波委員長 午後一時再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時二十一分休憩 ――――◇――――― 午後一時二分開議
○菅波委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について質疑を続行いたします。有島重武君。
○有島委員 第八十四回国会の文部大臣の所信につきまして、時間の許します限り質問をさせていただきます。いろいろと問題は多いわけでございますけれども、大ざっぱな基本的なことだけを確認申し上げておいて、自余のことは、これからもいろいろチャンスがあると思いますのでそのときにまたさせていただくことにします。 まず冒頭に、大臣が言っていらっしゃいますことの中で、教育、学術、文化は国政の基本であるということから始まっているわけなんです。この教育、学術、文化を国政の基本として位置づけられますことは、これは私も異論ございませんし、こうした前提のもとに文教行政を展開してくださることは、これは敬意を表するわけでございますけれども、ここに一つの落とし穴があるのじゃないかということを御指摘したいのです。確かに教育というのは重大な国民の関心事でございますし、一種の国民的活動というか、行事というか、こういうことになろうかと思うのですけれども、教育における国家行政のあり方、これがやや優先されるといいますか、優先され過ぎる、ないしは越権に陥るというようなことがあるんじゃないだろうか。こうした教育における国家行政、ないしは行政と言ってもよろしいわけですけれども、こうしたことの功罪、メリット・デメリットということについて最初にちょっと見きわめをつけておいた方がよろしいのじゃないかというふうに思うわけであります。 ちょっとさかのぼりますけれども、明治十八年に初代文部大臣森有礼ということになったわけでございますけれども、お亡くなりになる直前であったと思いますけれども、明治二十二年に文部省におきまして学校長を集められましての演説の中にこのようなくだりがあるわけです。「そもそも政府が文部省を設立して学政の」、これは学校行政ということですね、「責めに任ぜしめ、加うるに国庫の資力をかりて諸学校を維持するもの、ひっきょう国家のためなり」とあるわけです。それで、文章はずっとつながっているわけですけれども、「ひっきょう国家のためなりとせば、学政の目的もまたもっぱら国家のためということに帰せざるべからず。」云々とありまして、「それしかり、諸学校を通し学政上においては生徒その人のためにするにあらずして国家のためにすることを始終記憶せざるべからず。」このようなことを言っていらっしゃるわけです。これは、時代も変わっておる、国家の目標というものも変わっておるわけですけれども、大臣、これは単に過去のことだけではなしに、現在の文部行政の体質の中にも相当強力にこの精神が流れているのではないかというふうに私は感ずる面がたくさんあるわけなんです。これにつきまして大臣の率直な御所見、御感想を伺っておきたいわけです。
○砂田国務大臣 国家と国民というものの関係が、戦前の文部大臣の時代と今日とでは全く違う、そういう認識を私は持っております。まずそのことを申し上げておきたいと思うのです。民主国家になりました現行憲法のもとでの国家というものは、国民総体のものを指して言っているものである。したがって、国家が要求するということは国民が要求するということと今日においては同一語でなければならないはずでございます。その点が戦前と戦後はすっかり様子が変わっている。私が、教育、学術、文化という問題は国政の根幹であるということを申し述べましたのは、どなたもが、そういうことを申しますと頭ではもっともだと理解をしてくださるわけでございます。しかし、取り組み方、行動で、教育、学術、文化というものが国政の根幹である、そういう考え方が、残念ながら今日では政府自体の中にも必ずしも定着しているわけでもない。率直に申し上げますが、国会議員の中にも必ずしもその意識が完全に定着しているものでもない。日本の社会、各層各界におきましても、頭ではわかっても行動でそれを必ずしも示しておられない。これが実は私が大変残念に思ったことでございまして、確かに景気の問題、経済の問題が大変な事態ではございます。マスコミの論じますところもほとんどが経済問題であり、景気問題でありますけれども、セメントや鉄に金を入れるばかりが能ではないぞという気持ちが非常に強くいたしたものでございますから、やはり人間の能力開発にこそ国家投資というものを重点的に考えるべきだという考えを私はとりますので、しかも、このむずかしい国際経済の環境の中から抜け出し得るか、それはやはり、抜け出すためには、日本人の頭と日本人の心と日本人の体で抜け出さなければならないわけでございます。まさに、当面経済の問題、各種各様の難問がありましょうけれども、やはりこれから抜け出すのも日本人の力と日本人の頭、こう考えれば、ことしは経済の年であるというのが当たっているかもしれませんけれども、教育、学術、文化、この問題は永遠の国の根幹である、かように考えて申したわけでございまして、いま有島議員が御心配になりました、何か国家のために国民が身を殉ずるのだ、そういう戦前的考えを持っているわけでは毛頭ございません。民主社会、今日の日本のこの国の中での教育の重要さを私は訴えたものであることを御理解をいただきたいと思うのでございます。
○有島委員 諸学校を運営するにおいても、これは生徒その人のためではなくて国家のためにするんだ、こういうようなニュアンスですね。いま国家そのものの概念が民主国家になって変わっているはずだ、そういった大臣のお話がるるあったわけでございますけれども、その点のところがやはり一つ問題であろうと思うのですね。そして、大臣はいろいろおっしゃったけれども、大体のニュアンスとして、残念ながらそのような体質が国民の各層の中にやや残存しているということは認めざるを得ないのではないか、そんなようなニュアンスがあったというふうに私は受けとめたわけですけれども、違いますか。
○砂田国務大臣 学校教育のところで、生徒一人一人のためではなくて国家のためにというふうにおまえは言っているではないかという御質問であったようでございますけれども、この民主社会の中では、生徒一人一人の幸せを願い、完成された教育が行われていくことがすなわち国家のためでもあり、また国家のことを考えてやることがすなわち生徒一人一人のためでもある、私はこれが望ましい民主社会の姿であろうと思ってそういう意味を申し上げたわけでございます。しかし必ずしも、教育、学術、文化の振興という問題が国政の根幹だということを頭ではわかってくださっても、まだ行動でそのものを万人が示してくださる状態ではないということをお話し申し上げたわけでございます。
○有島委員 私が一つ提起しておきたいと申し上げたことはこういうことを含んでいるわけです。行政という問題ですけれども、教育に関しては行政の立場というものは大変重いものである。ただ、行政ということを一般的に申しますと、行政に携わる公務員の方々は、ここに模範的な方々が大ぜいいらっしゃるわけですけれども、何よりも公平無私であるということ、ないしは責任が大変重いということ、したがって、管理、統制の一つの技術といいますか、そういったことをしっかり基礎的に持っていなければならない方々、それから形式をきちんと整えるというようなことも、これは模範的な方々であろうと思うのですね。権威づけられていなければならぬというようなこともあるわけです。これは当然のことなんですけれども、これが裏目に出ると一体どういうことになるかということは考えておかなければならぬことじゃないかと思うのです。 それからもう一つは、国家と教育、教育と個人、個人のまた人々というふうな図式もございますけれども、大体みんな目的が一つのように思っておりますけれども、教育に関してアプローチの仕方はずいぶんそれぞれ違いがあるわけです。学習者とすれば、これは当然学んで成長をしていくのだということに決まっているわけでありますけれども、父母、父兄、保護者と言われる方々の教育に対しての期待はまたちょっとニュアンスが違っておりますね。ということは、自分たちの得たもの、ないしは最高と思っているものをどんなにしてでも子供たちに持たしてやりたいという、その善意、情熱というものはあるわけだけれども、それが必ずしも学習者、お子さん方と意見が絶えず一致しているというわけにもいかない。大部分が食い違うというようなこともあるわけですね。それから、教員の側からすれば、これまた子供たちをりっぱに育てていきたいということには違いないけれども、技術的なアプローチということが一つ起こってまいりますし、それから社会人として生活を守っていかなければならない、そういうようなことも入ってくるわけですね。もう一つは、先ほども話題に出ておりました雇用者側の要求ということもまた別な要素を持っておる。 それで、こうした中で行政の立場が、さっき大臣のおっしゃったように、すべての国家の行政の中で文教行政というものは一番の基幹であるということをどこでも認識したいという、その言葉は私は十分わかるわけです。それはわかるわけですけれども、そういうお言葉の中に一つの落とし穴といいますか、行政がイニシアチブをとっていく落とし穴がある。その落とし穴に何が待っているかといえば、これは教育の中に管理、統制主義というものが入ってくる。また権威主義だとか、いわゆるいろいろ基準をつくってその基準に当てはめていく形式主義といいますか、そういったような傾向というものは、これは行政に携わる方が持っている資質の本質的なものですから、これは免れないわけですね。免れないのだけれども、それがどのくらい意識されておるか、反省されておるかということが非常に重要なことになるのではないかと申し上げたいわけです。教育に関して行政の立場が強く機能して働いてくるときは、教育のすみずみまで、いわゆる管理だとか権威だとか基準だとかということで、統計的にはわが国の教育は大変高度な水準を保ち、充実しておるということにはなっておるんだけれども、その反面、貧血状態が起こっておる。これは恐ろしいことであって、受験地獄であるとか落ちこぼれであるとか非行であるとか、あるいは体育の上での肥満児であるとか、これは一つの教育の中における貧血状態といいますか、言葉が少し足りないかもしれませんけれども、大臣のお言葉によりますれば、心の通わぬ教育というような言葉でお話になっているようでございますけれども、心というか命というかが通わない、そういうような状況があらわれた。先ほど、雇用者側の方にはアンケートを出されて学歴偏重の社会に対して一つの是正に積極的に踏み出された、大変結構なことだと思います。それから、指導要領を改定して詰め込み主義を改めていく、こういった努力もこれは認めます。しかし、こうしたことだけでもって、いわゆる心の通わぬ貧血状態がやむものではないんじゃないか。大臣に御就任になり、これからの行政を指導していらっしゃるに当たって、行政そのものが持っている一つの傾向といいますか、教育に一生懸命に熱心になればなるほど、教育そのものも押しつぶして何か心の通わぬものにしていく、そういうような一つの傾向というものを持っているんだというようなことをお認めいただいておった方がよろしいのではないか、そういうことを申し上げたいわけです。いかがでしょうか。
○砂田国務大臣 それを認めろという有島委員のお言葉でございますけれども、私は一つの考えを持っておりまして、行政官というものはこうあるべきだといういろいろな条件を有島委員は御指摘になったわけでございます。御指摘のとおりであると思いますけれども、有島委員のお話の中には、まだ行政官として足りないものがあったと思うのです。それは、やはり行政官というものは国民に対する奉仕者であるということを忘れてはならないということが一つ。それだけに、他の行政官もそうでございますけれども、教育関係の行政官はやはり国民を離れての教育行政というものはあり得ません。遊離してはなりません。ですから、国民、各界各層のお考えに常に十二分に耳を傾けていくということが大事な行政官の資格でございます。当然そういうことをあわせ持っていてくれなければいけないわけでございます。また、教育というものについて学校の先生方は懸命になって、心身ともに健全な児童、生徒を育成しようとしている。しかし、両親はまた違う考えを持っているかもしれない、あるいは雇用者側の企業の方はまた教育について別の要求があるかもしれない、こういう御指摘がございました。私は、今日の世相はまさにそういうことがあると思うのです。やはりこれを正すということも私たちの一つの責任、非常に荷の重いことでございますけれども、努力をしてまいらなければならない大切なことだと思うのです。教育によって青少年、児童、生徒をどう育成していくかという、教育というものの持つ価値観というものは、政府も社会も教師も両親も同じ価値観を持つのでなければりっぱな教育はできないと思う。たとえば、せっかく家庭で一生懸命お母様が規律というもののしつけをなさる、学校でも先生が集団規律ということを一生懸命に子供たちに教えていく、学校の校庭もきれいにしよう、うちの中もみんなできれいにしよう、そういうしつけなり教育が行われていきましても、お休みの日にお父さんに連れられて表に出てみれば、赤信号でとまった前の自動車からはオーナードライバーがドアをあけて車の中の灰ざらの吸いがらを道路に捨てる、これでは、子供たちが身の回りをみんな自分できれいにしようという教育を家庭で、学校で教えられても、まさに社会がこれをぶち壊してしまう。児童、生徒たちはそこに一つの混乱を持つわけでございます。教育の目指すところの価値観というものは、私は、政府も社会も両親も教師も共通したものを持つことが一番望ましい、またそうあらなければならない。そのために各界各層にも私どもは努力をし働きかけて、そういう社会を目指すことも大事な教育行政に携わる者の責任であろうと考えます。
○有島委員 よくわかります。そのとおりだと思います。ただ、私が申し上げていることは、一つの教育的な価値観に向かっていくのが理想だ。たとえその理想状態になった場合にも、そこに親の立場、これは非常に個別的になり、どの子でもわが子と同じようにとは言うけれどもやはりわが子のことを優先するというような傾向は免れないということは、親自身が反省し、これを克服していこうということがなければならないと思います。それから、教師は教師という、確かにこれも奉仕者のはずですけれども、教育にアプローチの仕方がやはり自分たちの仲間に立てこもらないということが必要であろうと思うのです。それには、やはり自分の持っている限度といいますか、分限といいますか、そういうことがお互いにわかり合っていって初めて協力ができていくのではないか。それが、親は、わが愛情こそ、これが教育熱心なんだ、こう突っ込んでくる。あるいは教員が、われわれこそという、これは御確信としてはもっともでございますけれども、その立場に固執なさるということがあればまた混乱のもとになるでありましょう。そういうことからいって、今度は行政の立場の方々は一つの傾向をおのずから持っていらっしゃる。さっき言ったように、公平無私であるとか、管理をきちんと行き渡らせる、あるいはいつでも報告をきちんとしなければならぬ、基準に当てはめていく、こうした一つの手法といいますか、そういった傾向の一つの分限を持っていらっしゃるのだということは心得ていていただかないとうまくいかないのではないか、そう申し上げたいわけです。これはおわかりになりますね。
○砂田国務大臣 ややもすれば、行政官というものは冷たいという御趣旨のお話だったろうと思うのです。公正を目指すために、何か規格にはまったり、手順、手続ばかりをという、そういう意味でおっしゃったと思うのですが、それも忘れてはならないことでありますけれども、文部行政に血を通わしていくのが文部大臣としての私の責務だと考えております。
○有島委員 結構でございます。心と心のつながり、文部行政の中に血を通わしていくことのためには、文部行政そのものが持っている一つの性質あるいは陥りやすい欠陥、このことをよく見届けておいてかかっていただきたい、こういうことでございます。それがないと、せっかくの教育、学術、文化ですか、これが基本である、こうやられたときに非常に落とし穴があるんじゃないか、そういうことでございます。 そこで、やや具体的になりますけれども、年少者の非行あるいは自殺という問題についての御見解を承っておきたい。 初めに自殺でございますけれども、文部省の方からいただいておる統計では、昭和四十七年が中学校七十一、高校が百六十二、中・高の計が二百三十三になりますね。四十八年度は中・高の合計三百四十一、四十九年が二百七十七、五十年が二百九十、それから五十一年が二百七十九、こういうような統計をいただいております。ところが、これは一年につきでございましたけれども、警察庁の保安部少年課の調査によりますと、昭和五十二年三月から八月までの六カ月問、この間に小・中・高、合わせまして三百九十八人の自殺者が出ておるということです。それで細かいいろいろな分類も出ておりますし、いろいろな分析もやられておりますけれども、これは八月までです。それから八月以降、私は新聞記事から拾ってみたわけなんですけれども、九月一日に千葉県の野田市でもって中学三年が首つり、これは宿題のおくれを苦にした。九月一日、千葉県の銚子市でもって高校三年、首つり、成績が落ちた。東京都の葛飾区でもって小学校四年生女子、飛びおり、これは原因不明。九月二日、東京都大田区、高校三年生の男子、ガス自殺、これは厭世。九月二日、岡山県岡山市、中学二年。九月三日、岐阜県、中学三年、ガス自殺。それから九月七日、東京都荒川区、高校一年、飛びおり。それから八日、宮城県仙台市、高校三年女子、首つり。これが延々とあるのです。実は新聞記事からこうした資料をつくろうと思ってお手伝い願った学生さんがもう本当に顔色が変わっちゃって、こうして並べてみると本当に深刻だと、言いようのない様子をされましたけれども、御本人はもとより、御両親には何とも言いようのないお気の毒なことであるし、それからこの該当の学校関係者の方にも私は何人かお目にかかって直接いろいろお話を承りましたが、いろいろと御苦労をしてらっしゃる。 それで、今度警察庁の方でもってこうした問題をまとめていこうということになっておるようでございますけれども、こうした自殺現象につきましていろいろな分析、こうであろう、ああであろうということはいろんなふうに言われております。そういうことをここでもって言い出すと長くなりますから省略いたしますが、世間一般、大人一般として本当に一つの責任といいますか、どうにかしなければならぬというような気持ちに駆られるわけでございますけれども、文教担当の最高責任者でいらっしゃる文部大臣としてはどのように責任をお感じになっておられるか、御所見を承りたい。
○砂田国務大臣 まことに心の痛む残念な問題がたくさん発生しているわけでございます。児童、生徒の自殺の直接の引き金になっております原因等につきましては文部省も調べておりますけれども、非常にたくさんの要因がございます。学校で、あるいは家庭の御両親などに様子を聞いてみましても、原因がわからないというのが一番多いようでございます。何か社会一般的に生命を尊重するという観念が薄らいできておりましたり、また児童、生徒たちの困難に耐えることの弱さ、あるいは学校で、家庭で対話不足である、いろいろな事態が考えられるわけでございますけれども、私は実は文部大臣に就任いたしましてから、生命のとうとさというものを小・中学校ではどう教えているのかということを、新旧の学習指導要領、小・中学校の副読本、学校の教師に対します指導書、こういうものに全部目を通してみたわけでございます。こういう教材は大変りっぱにできているわけでございます。そういうハードウエアはりっぱにできておりますけれども、本当に人間の生命のとうとさというものを児童、生徒たちに理解をさせ得ているかどうか、こういう点に私は非常に大きな問題があろうかと思います。児童、生徒の自殺の防止等につきましては、もちろん学校教育だけで事足れりとは私も実は考えません。社会や家庭においての生命尊重の教育というものも非常に大事なことでございます。また、教師や親が児童、生徒一人一人とできるだけの対話を持ち、そして児童、生徒たちの心の持ち方を十分に把握をしていく、こういうことがもっともっと必要であるということを痛感をいたしておるものでございます。 文部省が従来とってまいりました、各都道府県教育委員会にどうしたとか、そういう具体的ないままでとってまいりましたことについては政府委員から御答弁をさせたいと思います。
○諸澤政府委員 ただいま大臣から御説明がございましたように、この対策といいましても、学校教育だけでもってこれが十分に徹底するというような性質のものではございませんけれども、少なくとも学校教育の場におきましてもただいまのような趣旨を踏まえまして、道徳教育を中心とする各教科の指導におきまして生命の大事なこと、あるいは困難に耐えていくということの意味というようなことを教えるということをいたしますとともに、具体的な臨床的対応としては、児童、生徒の個々の指導という問題がございますので、生徒、児童のためのカウンセリングの強化という意味で、先生方の資質の向上のための各種研修会を実施する、あるいは生徒指導のための各種の指導書、テキストのたぐいをつくりまして、それを参考として提供するというようなことをやってきておるわけでございます。
○有島委員 いま局長からお話がございましたけれども、「精神的な適応に関する諸問題」生徒指導資料、中学校編、高校編、これは拝見いたしました。大変りっぱなものである。これは五十一年にすでにできておるわけなんですけれども、こうしたことによって効果があったのか、ないのかということになりますと、大臣のおっしゃったように、いろいろのものもできておるけれども、効果を上げるためには、これはもう一段、質の違った努力をしていかなければならないというようなことであったと思います。ちょっと触れておきますと、自殺未遂というのがいま自殺のデータには挙がってきていないわけで、これも自殺をしてしまった方々の数倍に上るであろうということになっています。そうした目に見えない効果ということは十分に認めていかなければならないと思いますし、それから、普通の統計の中には出てまいりませんが、事故死であるということでもって統計の中に挙がってこない、こういったこともあるわけなんです。この問題を挙げましたのは、まさにこういうことこそ、いわゆる管理といいますか基準というかあるいは権威、そういうものになじまない問題が大きくクローズアップされているのだということを私たちは非常に強く反省していかなければならないのではないか。したがって、これは一自殺の問題に局限せずに、文教行政一般に対処する態度を反省していく一つのきっかけにしていかなければならないのじゃないだろうかと私は痛感するわけでございますが、いかがでしょうか。
○砂田国務大臣 全く同感でございまして、学校教育、家庭教育、社会教育を通じてなお一層努力をしていかなければならない。人間の生命という非常に大切な、大事な問題でございますので、なお一層の努力をしたい、かように考えます。
○有島委員 気になりますことは、なお一層の努力と言われると、いままであったものを延長していくということなんですね。大臣の先ほどのお話では、いままでの反省を踏まえて新たな分野を配慮していかなければならないのじゃないだろうかということのように私は承ったのですけれども、その辺のところがいつもぼくは心配なわけです。
○砂田国務大臣 これを学校教育の場で果たさなければならない場面につきましては、先ほど私申し上げましたとおりに、学習指導要領なり教育課程あるいは副読本、また教師の方々への指導書等、こういうハードウエアはりっぱなものができているわけでございます。しかし、そのハードウエアの中に書かれたことが児童、生徒たちに徹底しているかどうかというところに問題があるわけでございますから、私はなお一層努力をいたしますと申し上げましたのは、こういうことを児童、生徒たちになお一層理解させるような努力を一段としてまいります、こういう意味で申し上げたわけでございます。
○有島委員 実は、ぼくが先ほど、文部省から出されているものは大変りっぱなものであると申し上げましたのはやはり二面ございまして、これが徹底されたならば本当に大丈夫なんだろうかという点はこれはまた別の問題でございます。それで、むしろいまの行政として非常に個々別々なニュアンスのもののところに、やや基準化されたといいますか、そういったものが徹底されていくことが、それが効果が上がるものであろうかどうかということは、これはまたちょっと疑問である。そういったことも含めて御反省をいただき、御検討もいただきたいと思うわけです。何か事があれば行政の力がまたぐんと加わっていくという傾向は、かえってまた事をこじらしてしまうということにもなりかねない。これは大変例が失礼かもしれないけれども、下手なお医者さんが非常な確信と善意をもってやったけれども事が壊れていくというような場合もあるわけでございます。下手なお医者さんとは申し上げないけれども……。 これは基礎的に言えば、自殺の問題は、成熟社会における個人個人の生命力の相対的な低下であるということにもなろうかと思うのです。動機で言えば、受験システムの弊害というようなことは確かに目に見えておりますし、それから子供らしい元気はつらつたる遊びが非常に少ない、発散がない、内向的になる、あるいは温室で培養した純粋培養のような形になって非常に抵抗力が弱い、がんばりが足りない、がまんといいますか、こらえ性がないというようなことも指摘されましょうし、それから、先ほどからお話ししておりました親心ということが変に機能してしまったというようなこともあるでしょうし、それからテレビ、劇画など、こうしたものの影響も考えなければならない。非常に総合的なものなんですけれども、これこそまさに教育、学術、文化の基本に触れる重要問題を非常に含んでいる総合的な問題であろうと思うのですね。ですから、自殺の問題を通じて、いま、学術、文化の向上、充実ということでよろしいのか、あるいは学術のあり方、文化のあり方そのものが問われているのじゃないか、そういうような受けとめ方ですね。いわゆる経済の転換のときだ、経済のあり方そのものの転換のときだというようなことが言われているわけですね。いままでのが早急だったからというのでは、これ以上進むこともできない。それじゃこれをしばらく速度を弱めておけばそれでいいのか、そうもいかない、経済界はそういうような反省を持っているわけであります。教育界においても同じような一つの転換といいますか、質的な一つの変化といいますか、そういうことをやはり深刻に受けとめていかなければならないときではないか、そういうことが申し上げたいわけです。おわかりいただけたでしょうか。
○砂田国務大臣 いま総合的というお言葉がございましたけれども、まさに総合的に対処をしてまいらなければなりませんことは当然のことでございます。先ほども申し上げましたけれども、児童、生徒、青少年の自殺の原因、その原因自体が非常につかみにくいということでございますから、将来どれだけ大きな可能性を秘めているかしれない生命が途中で断ち切られたのはこういうことが原因だったのではないだろうかということを想定しながら、その原因排除をやらなければならないわけでございます。私どもは行政の範囲でできますあらゆることを総合的に進めていかなければならないということは御指摘のとおりでございまして、学歴偏重社会の打破から、入試の問題から、学習指導要領の改定から、そういう中で人間性豊かな教育というものを確保したいと私が念願をいたしておりますのも、まさに当然その中に生命の尊重というものを考えていればこそでございまして、可能な限りの努力をいたしてまいります。
○有島委員 所信表明の中に「個人の創意と自主性及び社会連帯感を重視し、」その次のところですけれども「世界の平和と繁栄に貢献し得る知、徳、体の均衡のとれた情操豊かな日本人の育成」をしていきたい、こういうお話でございます。そこで、ここで世界の平和と繁栄に貢献するということについて取り上げておきたいと思うのです。 外交は、確かに二国間、三国間の交渉ということがいろいろ日常的なことでございますけれども、日本外交の基本は国連中心主義であることは当然であろうと思うのです。私たちは国連を通じて、いろいろ変動していく国際社会の中で一つの役割りを果たしていく。世界といった場合に、そこにどう貢献していくか、その一つの大きな重要なチャンネルであると思うわけです。特に教育、学術、文化に対しては、おっしゃるような世界平和と繁栄に貢献するというチャンネルはユネスコ、国連教育科学文化機関ということになろうと思うのですけれども、これらの活動、これをここで取り上げると時間がなくなりますから、一つだけ、国際公務員について触れておきたいと思うわけであります。 国際公務員、国際機関に働く日本人の職員の数でありますが、国際機関に対するわが国の分担金、拠出金が最近大変増大しているわけでございまして、その割当は大変大きくなっているわけです。ところがこれに対して、日本人の職員の数というのは割当に対して非常に少ないということなんです。国連やそれから国連関連の機関に働いている専門職以上の職員だけでも一万八千人いるということでございますけれども、日本人はその一%にもいかぬ、こういう状況になっている。この点について大臣はどのように御認識をいただき、どのように対処していこうとしておられたか、いかがでございましょうか。
○砂田国務大臣 確かに、御指摘のとおりに国際公務員への日本人の進出は非常に少のうございます。専門的な知識にすぐれ、経験も豊富な者、そういう人は往々にして外国語に練達でない、こういうことでなかなかいい候補者が得られないという悩みを今日なお持ち続けているわけでございます。しかしながら、わが国の国際社会におきます地位と責任の向上に伴いまして、国際社会で活躍できる人材養成が必要になっておりますことは当然のことでございますので、ユネスコを初め関係の国際機関に対しまして、より多くの文部省あるいは国立大学等の職員を送り込むように一層努力をしてまいらなければならないわけでございますが、やり方としては、適任者を発掘するということが大事なことでありますので、外務省とも協力をいたしまして、国際公務員の空席ポスト、その国内での候補の募集活動に力を入れること、あるいは初めから国際公務員としての素養を養成していくユネスコのアソシエートエキスパート事業の拡充と有効利用、こういうことに意を用いてまいりたいと考えております。 なお、文部省だけのことで言いますと、文部省職員の語学力の向上を図りますために省内で英会話研修を行っておりますけれども、そのほかにも、国際語学センター、日仏学院あるいはドイツ語会話教室等への語学の委託研修等、なお一層こういったことの実施を充実させていきたい、かように考えておるところでございます。
○有島委員 日本人の学生ないしは若い学者の中で国際公務員のことを知っている人というのは、私が非常につき合う範囲が狭いせいかもしれませんけれども、一人もいない。こちらから教えて差し上げると、ああそういうことがあったのですかということになるわけです。これはPR不足ではないか。人材はいるのではないか。不熱心なのではないか。大体そこに幾らお金をつけて人探しをやっているのか、これはどういうことになっていますか。これは学術局になりますか。
○井内政府委員 具体的な例でお答えいたしますと、ちょうどことしの二月にユネスコ関係でユネスコ事務局の人事局の任用管理部長というのが来日をしまして、ユネスコ関係の職員の候補者の面接の場を文部省の方で設けた次第でありますが、そのとき、文部省の職員は二名でございましたが、大学教官、それから中・高の教員等を含めまして二十四人が応募しまして面接等も実施したところであります。こういう機会の連絡の仕方とか、そういうチャンスがあるということの広報の仕方とか、こういう点につきましては、ただいま先生御指摘のようにまだきわめて不十分と存じますけれども、この点はできるだけの努力をいたしたい、かように存じます。
○有島委員 そのできるだけの努力というのがどのくらいできるか。まあ努力にはお金がつきものなんですけれども、そういったことで動けないようになっているのではないか、これが心配なんです。大蔵省の方も来ていらっしゃるから、細かいことはここでは言いません。ただ、いま日本に割り当てられているユネスコの職員にいたしましても、望ましい職員数の範囲というのは五十九名からあるわけなんです。現在おりますのは二十名だそうですね。そういうことになっている。これはほとんどだれも知らないわけですね。 それからもう一つ、語学の問題でございますけれども、これは本当はずっと後の方からまたそのお話が出てくるからと思ったのですが、ここのところで出します。日本における語学教育ということについて、これもひとつ抜本的に検討をし直してみてよろしい時期に来ておるのではないかと考えますけれども、大臣いかがでございますか。
○諸澤政府委員 大局的な考えでないかもしれませんけれども、現在の高等学校、それから中学校の外国語教育は主として英語教育になるわけでございますが、このような教育に対して、中学校でございますと一週三時間程度、高等学校でありますと、大学を受験するようなコースの子供でありましても一週間五時間から七時間くらい、こういうようなことで、それで日本人の英語に対する能力といいますと、根本的に言語構造が違うということもありまして、なかなかそれを実際に駆使する程度に上達せしめるということは非常にむずかしい問題でございます。そこで、英語教育についてはもっと実用的な面から実際に使えるような英語を集中的に教えるべきである、あるいは、対象は限定しても、もっと集中的に時間をかけてかなり高度の英語が理解できるような教育も考えるべきであるというような御意見もあるわけでありますが、一方、伝統的な日本の語学教育に対する考え方としましては、その基礎に、英語を勉強するということによって物に対する考え方あるいは物を考える力、こういうようなものを養うのだというようなことで、どちらかというと明治時代からの英語教育の本質というのはそういう意味で書いたり話したりというよりも、読んで能力を高めるという点に主力があったように見るわけであります。そういうことを踏まえまして、現在の中学校、それから高等学校の英語教育というものは、一般的に言いますともう少し、読み、書き、聞く、話すという能力を平等につける、しかしそれはあくまでも基礎であるという考え方に立ってやっておるわけであります。一方今日のような国際化の時代におきましては、特に英語をもっぱら勉強するというコースが高等学校にあってもよくないかということで、普通高等学校に職業教育科がありますがごとく、若干の高等学校についてはいわば英語を専攻するコースというものを設けるようにいたしまして、そういう場合にはかなり時間数も高くとって、ここにおいては英語の読み、書き、聞く、話すということを相当の程度まで勉強させるということをやっておるわけでありますが、それはきわめて限定されておるわけでございます。 それからもう一つ、英語の勉強につきまして、わが国の場合、具体的に教える教師自身がどちらかと言えば基本的な聞くとか話すとかいう能力に欠けるということで、何と言っても語学を学ぶ場合に直接向こうの人間から勉強するということが手っ取り早いわけでありますが、そういう教師が得がたいという環境もございますので、現在はアメリカから、本当に数は少のうございますけれども、若い米人の教師を日本へ来ていただいて、身分、取り扱い、その他問題がございますので大体教育委員会に所属させて、高等学校の英語教育を指導してもらうということをやっておりますが、将来の展望としては、やはりそういう点についてももう少し充実し、向こうからの人をできるだけ財政の許す限り招致して、直接向こうの人間について勉強させる機会を設ける、こういうようなことも一つの配慮だろうと思っております。
○有島委員 大臣に申し上げたいのは、いま初中局長のお答えを伺っておりますと、まず時間数の問題がある、あるいは教える意識を少し変えていかなければならないというような問題もありました。それから教えるやり方なんかもありました。語学教育の中で、いまの学校教育体制になじむものと、それから実はもう学校教育の中には抱え込めないことがあるということを見きわめをつけるべき時期ではないか、そういうことを申し上げたいわけなんです。こちらもりっぱな公務員でいらっしゃるから、なるべく自分の責任範囲は自分のところへ抱え込んで、そこで充実していかなければならないという責任感をお持ちになることは私は非常にりっぱだと思うのですけれども、それを延長し充実していったってこれは解決できない問題じゃないのかと申し上げたいわけなんです。いまもアテネ・フランセに通わせておるとかいろいろな学校に通わせている。それは語学専門学校ですね。ですから、確かにいままであった物の考え方を、一つの別な文法体系、論理体系を持ってくることによってわれわれの物の考え方をもう一遍見直してみるというような操作。こうしたことについては、これはあるいは学校教育の中になじむかもしれない。これは英語に限らず、ありがとう、おはようございますという言葉、二十カ国語か三十カ国語をだあっと教えるというようなことも、これは比較言語学に近いことでございますけれども、こういうことは学校教育の中で生徒さんたちも非常におもしろがるかもしれない。だけれども、自分の立場を主張しあるいは相手の話を聞き、質問をし、というような場面が今後は非常に必要になってくるわけでございますね。そういうことについてはいまの学校教育の中ではもう限度であるということを、いっそ見切りをきちんとつけてあげることの方がむしろ今後の日本国民としての語学力によろしいのではないか。そういったことを、この場でそうしますということはおっしゃれないでしょうけれども、深刻に検討をしていただくべきときではないか、そのように思うわけでございますけれども、いかがですか、大臣。
○砂田国務大臣 役に立つ実用外国語の会話というものがだんだん専門化してくると思うのです。海外に進出する、国際社会の中で活躍していかれる人たち、それぞれの専門分野、専門分野があるわけでございますから、旧来からあった文法偏重主義と申しますか、そういった外国語教育というものが学校教育の場だけでは受けとめられないではないか、そういう御議論、私はごもっともだと思います。ただ、その実用会話というものも、基礎的なものはやはり学校の中でできるだけのものをこなす。専門会話については専門学校、専修学校等で履修ができるような多様的な受けとめ方をしていくのが筋であろうと私考えますので、ひとつ検討させていただきたいと思います。
○有島委員 いま諸澤局長からちょっとお話が出ましたアメリカの教師を招いてということで、いまお話なかったけれども、恐らくそれは英語の教師をまた教えるというような場面も出てこようかと思うのです。せんだって、イギリスから百五十人大学卒業生を日本に送り込みたい、そういうようなお話があったように承っていますけれども、その受け入れ方についてはいまどのようになっておりますか。
○諸澤政府委員 この問題はまだ私のところまでは具体的な話として来ておらないわけでございますが、いずれにいたしましても、イギリスの若い青年を日本へ送ってイギリスの英語を日本において教えたいという、その点について、われわれも趣旨としては賛成するわけでございます。ただ、突然な話でございますから、お呼びするとしてもその旅費はどうするかとか、あるいは滞在費はどうするかというような課題もございますので、そういうものを踏まえながら少し前向きの形では検討いたしたいと思いますが、まだその結論を出しているわけではないわけでございます。
○有島委員 これは前向きに検討してくださるそうでございますけれども、いま本場の英語というふうなこともございましたが、逆に、外国人が模範的な日本語の発音でもってペラペラやられたら私たちはむしろちょっと気味が悪いといいますか、奇異に感ずるのではないかと思います。ですから、百五十人の方々、積極的にこれから検討してくださるそうですけれども、その用い方が教師たちの発音をりっぱにしようだとか、そういうようなことに回るようなことではなしに、むしろいまの学校教育体系の中にそれを閉じ込めるというようなこと、それがよろしいのか、かえって外国語専修のところに配置できるようにした方がよろしいのじゃないだろうかというようなことを私は私なりに思うわけでありますので、意見として申し上げておくわけであります。それから、基礎語学力と言いますけれども、私も実はちょっと英語のレッスンを受けてみたのです。これは外国人から受けてみた。それで実感いたしますことは、中学三年までのリーダー、その内容について英語でいろいろ議論できれば、どんな専門に進んでも大体そこから先、積んでいくことができるのじゃないだろうかということが結論なんでございますけれどもね。そういったことを含めて意見として申し上げておくわけでございますが、国際的に貢献しようという大臣の御意向であるように思いますから、それをどう具体化していくか、その一つ一つの障壁をどう乗り越えていくか、これは大変大切な問題であると思うわけです。 もう一つ、語学教育の基礎になっていると思われるのは日本語の教育ではないか。日本語の教え方そのものがやや反省しなければならない時代に来ているのではないかというような提言をこの前の文教委員会で、これは海部文部大臣のときでございましたけれども、いたしました。これもやり出すと時間が長くなることでございますけれども、そのときに日本語の辞書について、大体漢語中心、漢字中心のような傾向というのがいままでも非常に強く出ておる。本当の意味の日本語の辞書をつくるべきじゃないだろうか。幸い文化庁関係でもってその調査費がついたというふうに承っておりますけれども、その辞書の編さんについてはどのように進展しておるのか、御報告をいただいておきたいと存じます。文化庁長官、お願いします。
○犬丸(直)政府委員 国で辞書をつくるという事業自体は、世界的には余り例はございません。たとえば英国のオックスフォード大辞典、これは非常に権威のある辞典でございますけれども、これは民間でできたものでございます。しかしながら、日本の民間の辞書の現状を見まするに、やはり国語辞典をつくることが必要なのではなかろうか。これは前国会での先生の御指摘もあったわけであります。そういうことで、国語研究所を中心といたしまして国の辞典を編さんするという事業を進めております。着々準備を進めておりまして、辞典編集準備調査会という予算がございまして、五十二年度は百八十二万円ばかりでございましたが五十三年度には三百二十四万円と、かなり増額を見ました。着々準備を進めてまいりたいと思っております。ただ、国の辞典をつくるということになりますと大変基礎的な研究をする必要があるわけでございます。最近フランスで行われております辞典の構想、これも国の研究機関、国立科学研究所でつくろうとしておるようでございますけれども、十七冊の計画で、一冊をつくるのに十年かける、こういうような非常に長期的な視野でやっております。したがいまして、私どもも、国でつくる以上はりっぱなものをつくらなければいけない、おっしゃいます漢語中心でない和語も含めてりっぱなものをつくりたい、そういう気持ちでおりますので、じっくり腰を据えまして、しかしまたおくれないように、できるだけ早く努力いたしてまいりたいと思っております。
○有島委員 フランスでやり出したのは一九六〇年ですか、いま十五冊から十七冊ぐらいのものをつくろうという、そういうことでございましたね。それで、このために国立科学研究所の中に専門のフランス語法典研究センターというのをつくったというのですが、その予算が年間二百六十万フラン、約一億六千万円くらい、これは人件費は別だというようなけたでやっていらっしゃるようですね。大蔵省の方は来ていらっしゃいますね。辞書というものはそのくらいのけたがかかるんだということを御記憶いただきたいわけです。今度の日本でつくるものがどんなけたになろうかということは、これからいろいろ特別の委員会でもってやってくださると思うのですけれども、私は特に、また何遍でも申し上げておきたいことは、決定的なものを一発でもってつくろうということになりますと、そのつくり方自体を議論するのに五年から六年、約十年くらいかかるのじゃないかと思われます。そこで私は、方言なら方言に限定されて、東北方言辞書、これは民間にはできているものもあるわけですけれども、そういった地域的ないろいろな方言辞書というようなこともあるでしょうし、それからまた、国語をこのように考えているんだという学者と、また別なように考えている学者とあるわけでございまして、それぞれに試行的な辞書を何種類もつくらせる。これは国が直接という場合もあるし、委嘱の形ないしは補助の形でやらせるというふうに、複数のものを進めていく。その過程の中でどうしても国でやらなければならないというような決定版をおつくりいただくというようなことにでもしなければ、これは何十年かかってもなかなかできないのではないかと思うわけであります。フランスなんか三十年計画で、百年たったらまた改定しようというような御計画らしい。これは大変地味ではございますけれども、語学教育と言ってもまず日本語の一番基礎のところでございます。実はその一番基礎のところが余りよくわかっていなかった、できていなかったということでございますから、これはひとつうんと力を入れていただきたい。大臣にもお願い申し上げるのですが、文部大臣から一言言ってください。
○砂田国務大臣 文化庁長官からお答えいたしましたことでございますが、御指摘のとおりに非常に重要な大切な問題でございますから、年月かけましても真剣に取り組んでまいります。
○有島委員 これはその都度その都度私はまた御報告をいただくようにしてまいりたいと思っております。 それで今度は、順を追ってまいりますと、初中局の関係の問題になろうかと思うのですけれども、大臣が国民能力の基礎を培うというようなことを言っておられます。これは一体どういうことなのか。もう時間がございませんが、これは学習指導要領に要約されていると言えば言えると思うのです。それは知識量に関してでそういうことが言えると思うのですね。確かに、中学校三年までの知識量を本当にマスターしていれば、英語に限らず、数学でも困らないということは言えると思うのです。しかし、ここで考えなければなりませんことは、中学三年までの知識量は、どんなにゆとりを持たして、どんなに減らそうとも、その教科内容を中学までの九年間の年限でこれを定着させ、使いこなせるようにするということは、もう初めから不可能であると考えてよろしいと思うのです。それで、問題が二つございますけれども、一つには、知識の伝達といいますか、訓練、そういうものを通して生涯にわたって学習し抜いていくんだという意欲と、それから学習能力といいますか、学習的な一つの技術、こういうものを持たしてあげるということ、国民の能力をそういうように受け取りたいと思うのでございますけれども、大臣のお考えはどんなふうだったんでしょうか。
○砂田国務大臣 有島委員の御指摘のとおりでございます。学習指導要領の改定に踏み切りましたのも、余りにも多い知識量と申しますか、そういうものを年次的にまる暗記まる暗記で追いかけ追いかけをしていく。これでは、一つの基本、基礎を理解する前に次の問題をまる暗記しなければならない、こういう状態の反省の上に立っての学習指導要領の改定でございますから、まず反復に反復を重ねて、基礎、基本を低学年の間に理解をさせる。暗記をさせるのではなくて理解をさせる、このことに非常に大きなウエートを置いた学習指導要領の改定でございます。基本、基礎を理解して初めて、私はいま有島委員が御指摘になりましたような生涯にわたって研修をしていくという意欲がそこに生まれると思うのです。まる暗記まる暗記で、基礎が理解できていなければこれはいや気が差すのが当然でございますから、そういうことを考えての学習指導要領の改定でございました。有島委員御指摘のとおりでございます。
○有島委員 ちょっと違うところがございますので……。生涯教育の基礎を培う能力、それからいま理解と暗記のことを言われました。これは、いまの大臣のようなお話が余り行き過ぎますとこれまたひずみが起こってこようと思うのです。小さいときにまる暗記して意味がわからなかったんだけれども、大きくなってから意味がよくわかってきたということもあってよろしいわけですね。古典の暗記であるとか、あるいは代数や何か、微分積分の計算なんかも機械的にはできるんだけれども、その意味合いがしみじみとわかってくるのは後であるという場合もございます。そういうこともおわかりの上でもって先ほどの理解ということ、基礎の理解ということを言われたのだと思うのですけれども、それが余り理解に偏り過ぎてということが事実現在でも起こっておりまして、五足す八はいきなり十三と、こういうようなことも、九、九、八十一を、何だか知らないけれども、意味もわからないけれども暗記しているということが役に立つことなんであって、それを、五足す八は五足す五足す三であるというように分解して理解する。その結果を学者たちが、脳みそはこのように機能しておるのだというふうに言うわけですね。子供によってはそんな思考じゃない子供もいるわけなんですね。ですから、理解させるということばかりがいわゆる文部省通達のような形でもって出ますと、これまた大きな混乱が出てくるのではないか。ゆとりができたということは大変いいことだと思うのですね。それは現場現場の教師たちがそこでもって本当に子供たちと四つに取っ組んでいかれる。そこにあるものは確かに制度的には差別がないけれども、教育そのものには初めからいろいろな種々相があるわけでありますから、余り内容にまでは深くタッチしないというようなことの方がむしろ大切なんじゃないか、それを申し上げたいわけなんです。おわかりいただけるでしょうか。
○砂田国務大臣 わかります。また私の答弁も御理解をいただきたい。余り意地悪くとらないでいただきたい。程度のことを申し上げているわけでございまして、いままではまる暗記まる暗記の行き過ぎがあった。それはやはり理解をさせていくのが本当ではないかという意味で申し上げたのでございまして、わからない間にまる暗記させる、それが後からわかってくるということも当然承知いたしておるところでございますから、有島委員も余り意地悪く受け取らないでいただきたいと思うのです。
○有島委員 一言釈明しておくと、私は実は古典の暗記、ないしは英語なんかでも詩や名文の暗記ですね、まるまるの暗記ということが非常に欠如しているのではないかということも感じているわけなんですよ。だから申し上げたわけです。結構でございます。 そこで、もう時間がなくなってきて非常につらいのですけれども、先ほどすでに高校の問題についてはさまざまな御議論があったようでございます。それで特殊教育のことを一言だけ触れておきましょう。 特殊教育の義務化の準備はもう万全であるというようなお答えを大体いままでもいただいておりました。だけれども、盲、聾、知恵おくれ、肢体不自由、それから病弱、いろんなものが入ってくるわけで、この扱いを、混在させておくというのと、それから学級的に独立させる、あるいは学校として独立させる、手法もいろいろだと思うのです。思うのだけれども、どんなにやってもいろいろな苦情が来ると思うのですね。その不服、異議申し立ての相談の窓口というものの御構想はありますか。
○砂田国務大臣 養護学校が五十四年度から義務化されるわけでございます。その準備をいま進めているところでございますけれども、いま御指摘の、養護学校へ進むか、特殊学級に進めるか、普通の学級でいけるか、そういうことの判定をしなければならないわけでございます。これは都道府県並びに市町村の教育委員会に就学指導委員会の設置を次々と準備してまいりました。お医者さん等の専門家にお入りをいただいているわけでございまして、この就学指導委員会が御両親なりあるいは学校側なり、こういうところと意見交換をしながら専門家としての判断を下してほしい。もちろんその障害の種類なり程度なりは政令で書くことでございますけれども、その政令も現下のところ非常にむずかしい問題が具体的にケース・ケースで出てくるのです。そういうことにつきましてはその地域地域で就学指導委員会がそのお子さんの立場に立って、これは特殊学校でいけるから特殊学校へ進ましてあげる方がそのお子さんに幸せだという判断をなさるか、あるいは養護学校としての教育指導を十分に心得た先生がおられる養護学校へ進ましてあげるのがこのお子さんには一番幸せだという判定をなさるか、その就学指導委員会の判定に待ちたい、こういう考えでいるわけでございます。
○有島委員 各地方の就学指導委員会が窓口になります、そういうことですね。 それで、大臣の御所信の中で、智、徳、体の均衡のとれた教育をしていきたいということでございますけれども、特殊教育こそ、智、徳、体の著しく不均衡の方々を取り扱うわけでございますね。そういったことから言うと、著しい不均衡をなるべく人並みに、その能力をどんなに小さな痕跡であろうとも引き出してあげましょう、それこそ人と人との心のつながり、命のぶつかり合いということでございますから、教師にとってはいわば特殊教育というのは教育の典型である、原点であるとさえも言われております。こうなってまいりますと、教員の養成に当たって特殊教育という場面を一遍は必ず経験してくるということが、今後の教員養成の中で大切なことになるんじゃないだろうかというように私は思っているわけですけれども、大臣、いかがでございましょうか。
○砂田国務大臣 私も同じような考えを持ちます。教育者としての使命感と深い教育的愛情を基礎とする、そういう考え方からいたしますと、御指摘のように、教職を志望する学生に対しまして、特殊教育を受けなければならないような障害を持っておられる児童、生徒についての理解を深めさせることは大変有意義なことでございます。文部省としても従来から、国立の教員養成を目的といたしました大学学部におきます特殊教育に関する教育研究体制の整備を図ってまいったところでございまして、特殊教育教員の養成課程の学生はもとよりのことでございますが、小学校教員や中学校教員の養成課程の学生も特殊教育に関します授業、その科目を履修いたしますことができるように制度的には配慮がなされているわけでございます。これを全面的に必修科目にすることは、教員の免許制の現行制度との絡みがございまして、教員たらんとする者にすべてこれを必修科目、そこまではまだまだなかなか踏み切れない状態にあるというのが実情でございます。
○有島委員 現在すぐに踏み切れとは申せないと思いますけれども、そうした方向でもって可能性をひとつ十分御検討いただきたいとお願い申し上げます。 それから、やや戻りますけれども、高校の問題ですが、高校について義務化か準義務化か、この議論はここではいたしません。けれども、高校年代において確かに、大臣が先ほど仰せられたように、いろいろな多様な要求が出てくるのでそれにこたえていかなければならないわけでございます。それと同時に、国民の普遍的な能力を培う普通教育といいますか、こうしたものがなお現在の義務教育九年間ではやや不足であるというような認識は社会一般のことになってきておるわけで、大臣もそれを認めてのお答えであったと思うのですけれども、高校という学校制度の中にすべての人たちの多様な要求を抱え込むということはやはり無理なのじゃないだろうか。そこで、学校教育法四十一条には、高校の目的として高等普通教育、専門教育の二つが挙げられておるわけでございますけれども、専門教育の方は、学校で抱え込める部分と抱え込めない部分とがどうしても起こってこよう。さっきの語学などについてもすでにそういうことが言われているようでございます。それから、これから日本の国の農業がどうなるかわかりませんけれども、ここではそれは議論をする対象ではございませんが、農業や漁業というようなことを考えましても、一つの技術を身につけていく習慣をつけていくというのは、やはり二十代前にやっておかなければならないということもあるわけです。 それで、高校の専門教育に関することは高校の学園以外のところでも履修することができる、修学することができるという方向を今後強めていくべきではないだろうか。そうでなければ、大人の側があるいは行政の側がおぜん立てをした多様な枠の中に、さあこれだけ多様にしたのだから入っていらっしゃいというふうにしたのだけれども、入ってきた子供たちにとってはちっとも多様でなくて、それは盲腸であったというようなことがすでにいままでの高校多様化の中でもって苦い経験としてあるわけであります。高校段階になったならば、専門的な学業については自分の学校以外のところでの学習を大幅に許していく方向、そういうことを検討をなさるべきではないかと思うのですけれども、いかがでございましょうか。
○砂田国務大臣 やはり中学校を卒業して高校へ進まれる年齢層の皆さんには多様な御要望があると思うのですが、できるだけそれにこたえていくように高校の体制を整えるということは必要だと思います。いま有島委員御指摘になりました高校以外のところでもというのは、それはプラスアルファなんであって、高等学校が多様な形で御要望に対応していく、その整備に努めることは私たちがやらなければならないことだと思うのです。端的に申し上げますと、中学校で成績のいい子を中学校の先生方が普通高校へ送って、余り成績のよくないお子さんを工業高校へ送ってくる。確かに現時点ではそういう現象がございますけれども、これ自体、私は間違った社会的風潮に押されてしまっているという感じがいたすわけでございます。余りにも学歴というものが偏重されてきたここ数年間の社会の風潮がそういう結果をもたらしているのであって、高等学校が多様な形でこたえていくように高等学校を整備していくということはやはり大事なことであり、私どもの責任である、かように考えているのです。先ほどもお答えをしたのでありますが、学歴偏重という状態については、今度は人を採用する側と申しますか、そういう企業の側でも相当大きな反省があったように見受けられるものでございますから、こういったことの決定的なことは、文部省自身で調査をいたしておりますいまの調査結果が出ました暁には、有島委員にも、また当文教委員会にも、その調査結果を御報告するつもりでおります。その結果が出ました上で私どもは的確なことを判断していかなければならないわけでございますけれども、いまのようなそれぞれ内容の違う高等学校へ中学生が進む、その進み方の方が間違いであって、私は本来の姿に社会は必ず戻ってくるという気持ちがいたすものでございますから、やはり中学校卒業生の要望にこたえられる多様な高等学校整備、このことを心がけて重点的な整備をしてまいりたい、かように考えるものでございます。
○有島委員 これは少し議論が長くなると思うのですけれども、私の申し上げたことは、同じ工業高校の中を考えましても、普通教育の部分と専門教育の部分があるわけです。その普通教育の部分、これは国としても十分に配慮していく。それから工業の専門部分あるいは農業の専門部分、こうしたことについてはある場合には学校外での修学を許していく、そういう傾向。それから、普通高校と職業高校というふうに大きく分けるのじゃなくて、どの高校にもとにかく普通部分がある、そういうようなことを申し上げたわけですけれども、もう時間がなくなってしまいました。特に大臣とお話を交換しておきたかったことはまさにその学歴偏重の問題であったのですけれども、また機会を改めてお考えをただしていきたい、そう望んでおきます。 時間になりましたので、きょうはこれで終わります。ありがとうございました。
○菅波委員長 中野寛成君。
○中野(寛)委員 いままさに国民みんなが教育評論家になったような感じで、そして出てくる言葉は教育の荒廃の問題でありますし、先ほど来の質疑の中でもそのことが最重点に論じられたわけであります。私も、戦後三十三年、文字どおりこの三十三年の教育そのものが問われているような気がしてなりません。きょうお尋ねをするその準備をしながら、実は教育基本法を読んでおりました。そして、この教育基本法はいつできたのだろうと日付を調べましたら、昭和二十二年三月三十一日制定と書いてありました。よく考えてみると、私はその翌日、四月一日に小学校に入学しているわけでありますから、まさにいま問われている戦後の教育を最初から受けさせていただいた、そういう立場にあります。そして、そのことを振り返りながら、どうしていまその教育の荒廃というものがこれほどひどいということが指摘されるようになったんだろうかと、私自身の体験を振り返りながら考えると同時に、先般、私の出身地であります大阪へ帰りまして、大阪の新聞を読んでおりましたら、ここ一カ月ほどの間に、次から次に中学生、高校生の自殺、そして殺人、そして学校の保健室を占拠して中学生が自分たちの暴力団の事務所として使っているというケースが摘発されたり、覚せい剤の問題、次から次に連日のごとくそういう問題が報道されております。そして、その記事の中に出てくるのは、私と同世代の母親が、父親が、自分の子供がそんなことをしているとは思わなかったと、こう答えております。私自身も小学生の子供を二人持っております。そうしますと、私自身は、または私の世代は加害者なのか被害者なのか、そのことについても考えさせられてしまいました。青少年の非行や自殺やそのほかの問題が出てくるときに、常に出ることは、教師の責任とともに親の責任が問われています。教える教師もわれわれの世代がいま中核だろうと思います。そして、それを本来基本的に指導しなければいけない親もまたわれわれの世代。もっと子供たちに目が届いておったらという声が聞かれます。そういう意味では、言うならわれわれは子供に対する加害者になってしまった。しかし、それではわれわれの世代が自信を持って、日本の教育はこれなんだ、われらが住んでいる社会の教育指針はこれなんだ、そのことを腹の中にしっかりと据えながら子供たちに教育できるかといえば、正直言ってその自信が持てません。戦後の教育、それは確かに教育基本法や憲法や、そこに文字の上では一つの指針が表現をされました。しかし、終戦直後の親や教師が、果たして新しい教育のあり方というものを十分理解しながら子供たちを教育したであろうか、そういうことを実は振り返らざるを得ないわけであります。 申し上げたように、私は戦前の教育をもちろん歴史としてしか知りません。教育勅語も、もし示されたとしたら、私はあのむずかしい漢字と送りがなを見て、読めません。そういう中で育ちましたから、決して戦前の教育に郷愁を感じることもありませんが、同時に、それを軍国主義教育の典型だといって生理的にきらうという、そういう感覚もありません。頭の中で、歴史としてそれを学び、そしてその歴史を振り返りながら、二度と繰り返してはならないとは思いますけれども、そのことと生理的な感情とは別であります。もし、戦前の日本の教育の長年の歴史の中で培われた部分、それがいまも脈々と生き続けなければならない部分があるとするならば、それは日本人の心のルーツとして大事に育てていかなければいけないのではないかと純粋に思います。 そういう意味で、私は、現在の教育の荒廃という言葉とそして現実の姿を振り返りながら、今日まで約三十数年の自信喪失、そして記憶喪失、記憶喪失者は、言葉をしゃべること、物を食べること、それは知っています。しかし自分の心のルーツを忘れている。これが記憶喪失だと思います。日本の戦後の教育はそういう意味では、ある意味では日本人のルーツを忘れた、教育のルーツを忘れた、記憶喪失の教育だったのかもしれない。自信喪失と記憶喪失、そして心に欠けた、そのような教育を受けたわれわれいわゆる一世、その一世が親となり、教師となって次の教育を担当していって、そこから生まれてくる二世の子供たちがいまそのようなひどいことをしたり、そしてまたかわいそうな状態になっているとしたら、私は、そのことを総合的に考えなければいけないのではないか、このように実は思うわけであります。そして、その子供たちの原因を言うときに、親が親としての責任、そして政治が政治としての、また社会が、それはコミュニティーやマスコミやいろいろなものがあると思いますが、それがみずからの責任を感じ、家族も学校も、みんなが本当は責任を感じなければいけないし、共同して教育の改善のために取り組んでいかなければいけない。もっと極論させていただければ、政治、社会、家族、学校、このような要因がありますが、その中のたとえ一つだけでもわれわれが望むほどにしっかりしておったらあの子供たちはできなかったのではないか。四つが四つとも完璧でなければならない、完璧でなければあの子たちを防げなかったということではなしに、極論かもしれませんが、そのうちの一つだけでも、たとえば親がきちんと目が届いておったとか、学校の教師がきちんとその彼らの芽を発見して摘み取る努力をしておったとか、その一つだけでももしなされておったとしたらあのようなことは生まれなかったのではないかとさえ私は思います。文字どおり共同してやらなければいけないけれども、それはだれかに責任を転嫁できるものではなくて、みんなが自分の問題として、自分の責任だとして考え直さなければいけないのではないか、このように実は思うわけであります。そういう意味で、私はすべて一〇〇%戦前の教育を抹殺してしまおうと思わない。そういう観点から、戦前と戦後の教育を比較をし、そして、いまこうしてあらわれた現象、そういうものの基本について大臣の御所見をまずお尋ねをさせていただきたいと思います。
○砂田国務大臣 まず中野委員に、きわめて当を得た御発言でありましたことを敬意を表しておきたいと思います。 私も同じような感を持つものでございまして、教育という立場に立って物を考えますときに、絶対に繰り返してはならないと思うことと、葬り去ってはならないこと、それの選択を誤ってはならぬということが重大なことだと考えるのです。昭和十二年ころといいますか、日本が支那事変に突入をした、あの時点から終戦までの間の教育はまさにゆがめられていた。絶対にこれは繰り返してはなりません。しかし、それよりも昔の日本の教育はすべて否定するべきかといえば、絶対にそうではない。私もそういう考えを持つものでございます。たとえば、いま中野委員は教育勅語のことに触れられました。これは国会意思で廃棄をしたことでございますけれども、内容に書かれておりますことの中には、人倫について述べておられるところもあるわけでございます。そういう日本人の倫理の基本になりますことは、これはやはり忘れてはならないことなのであって、日本が戦時体制に置かれたその時代の教育を否定するのと一緒に、日本人としての倫理観、昔からわれわれの先祖代々受け継いでまいりました美しい風習、美しい倫理観も、戦争中が悪かったからといってそれも一緒に葬り去ることは間違いだと私は思うのです。やはり人間の倫理観というようなものは、洋の東西、時代の古今を問わず変わらざるものだと私は考えます。 ただ、それを教えていきますのには、教え方には時代とともに変遷があるだろうと思います。いま中野委員は、教育勅語を見せられても私には読めない、こうおっしゃいました。今日はそういう方が日本の国民のもう過半数以上でございます。しかし、それではそういった人間の倫理観というものをいまの若い世代の人たちが何も知らないのかと言えば、決してそうではない。承知をしているわけでございます。「夫婦相和シ」「兄弟ニ友ニ」「朋友相信シ」と言えば、そんな教育勅語みたいな古いことをという言葉がはね返ってまいりますけれども、そういう世代の青少年たちが、たとえばポール・サイモンの「明日に架ける橋」というのを大好きな歌の一つとしております。まさに「朋友相信シ」の歌でございます。O・ヘンリーの小説の中にも、人情話と決めつける人があるかもしれませんけれども、美しい貧しい若い夫婦の夫婦愛が書かれております。こういうものは時代が古い新しいにかかわらずやはりいまの青少年たちの心を打ち、そういう教材を通じて、いまの青少年たちも変わらない日本人としての倫理観というものは十分理解をし、身につけておられるわけでございますから、こういうことをやはり私どもは守っていかなければならない。教育の素材は変わっても、根本になる教育の理念というものは変わらない。絶対に繰り返してはならない、また葬らなければならない間違った戦時中の教育というものと、昔からの日本の歴史をすべて捨て去っていいかどうかという問題は別問題でございます。過去の歴史を葬り去るような民族は将来の歴史を築けるはずはないのでございますから、私はただいまの中野委員の御発言に全面的に御賛同をいたしながら、私の考え方の一端を申し述べた次第でございます。
○中野(寛)委員 ありがとうございます。 そういう観点に立って文部省が、そしてまた多くの、大部分の先生方が真剣に教育に取り組んでおられると思うのです。しかしながら、ややもすると出てまいります教育条件の問題や教育のあり方や、そして教育の指針、基本の問題について、このきょうの文教委員会で論じられているように冷静には、私はどうもいつもいっていないような気がしてなりません。数多くの激論が交わされる。ときには不信感が交錯をしております。なぜそれが生まれるのだろうか。たとえば、こういう問題をストレートに持ち出すと生臭過ぎるかもしれませんけれども、私が住んでおりますところの、そして私の子供が通っております学校、その小学校、中学校の校門に、主任制反対という看板が一校残らず全部かかっています。そしてそこには軍国主義教育の復活を許すなとか、いろいろなスローガンが入っております。どうしてこうなるのだろうか。私は、そのことがいまの教育の荒廃をもたらす一番の根幹なのではないだろうかと思う。そういう看板をかけているということに対してどうこうじゃないのです。そのこともいろいろな学校管理面で問題があると思います。これはこれとして、やはり管理者がきちんとしなければいけないと思います。しかし、子供たちは、自分たちの教育をやってくれている教育委員会や先生方や文部省や、そのような人たちがこれだけ激しく不信感を、憎悪をみなぎらせながら対決していると、これを毎日見ている。そのもとで、どの子供が政治を、そしてまた学校の先生を信頼するだろうか、私はそう思えてなりません。 私が最初に戦前の教育をすべて葬り去ろうとは思わないと言ったのは、それをあえて、よけいな偏見ではなくて、素直に言える社会というものを復活させたい。そのことがいまの日本人にとって大切ではないか。そして、偏見ではない、意図的なものでもない、ただ教育の本旨に基づいてみんなで教育を考えよう。それは日本の将来を考えること、一人一人の幸せを考えることなんだ。その本旨に照らしたときに、決して教育勅語の復活ではない、むしろ新しい日本の教育の基本となるもの、指針となるもの、そのものが国民みんなの参加のもとにつくれないのだろうか。あるとき突然に総理大臣が選挙政策めいて、五つの何とか十の何とかなどとやる、そのことがむしろいろいろな問題を引き起こしたこと、それはもうすでに大臣のお立場でさえ苦々しく思われることがあるだろうと思うのです。しかし、いままでの文部省のやり方、そして政府のやり方は、どうも今日までそのような意図的なものが見え過ぎる。そういう傾向がなかったのだろうか。私は、いまの教育の荒廃を正す基本は、まず教育に対する国民の参加と、そしてその中からコンセンサスがきちんとつくられていく、そのことが大切だと思います。社会教育審議会だとか入試の問題に関する審議会だとか何とかに関する審議会だとか、審議会を決して軽視はしません、無視もしませんけれども、そんな審議会よりも前に、三十数年たった日本の戦後教育をいま振り返って基本的に洗い直す。各界各層の皆さんの御参加によってそういうものが論じられ、そしてこれからの教育を確立していく、そういう機関をむしろ率先して提案をし、そういう場をおつくりになるのが文部省のお仕事ではないかと思いますが、いかがでございましょうか。
○砂田国務大臣 私が先ほどお答えをいたしましたように、教育というものについて、政府も社会も教師も両親も同じ価値観を持ちたいということを申し上げましたのもまさにこのことでございます。文部省と日教組の間に闘争がある。闘争や不信感のあるところに実りがあるはずがないのでございます。私はそのことを承知をいたしましたればこそ、両親にもお願いしたいことがある。教員の方々にも御反省いただきたいことがある。しかし、それを述べるより前に、まず文部大臣として、いままでの文部行政のあり方についてのみずからの反省をするべきだ。自分の責務を果たして初めて人の責務のことに言及ができるのだというのも大切な民主主義の基本でございますから、私はそういう立場に立って所信表明を書いたつもりでございます。いまおっしゃいました、国民の中に一つの合意を求める。私が先ほど申しました、政府も社会も両親も教師も教育というものについて同じ価値観を持ちたい、このことを念願をいかしておりますことは、中野委員のいまの御指摘と同じ趣旨のことを申しているわけでございまして、それぞれの審議会も大切にしてまいりますけれども、私はいま少し素人の皆さんの御意見も文部大臣としては聞いていきたい。いまは国会中でとてもその時間の余裕が与えられません。できましたら、できるだけ早い機会にそういうことを文部大臣としては考えていきたいとこの間から考えているところでございます。
○中野(寛)委員 教育の問題は基本的に国民的な規模で論じ合う、そのことについてまた本日の質問の最後に改めて触れさせていただくことにして、まずいま申し上げましたようなところから、いまの教育の荒廃のみならず、具体的に現象としてあらわれている先ほど申し上げた数々の諸問題、その基礎として、いま申し上げた教育の基本を踏まえながらまず何をやらなければいけないか。それはもちろん言うまでもなくたくさんあります。しかし、小学校から大学までの教育の体系とそれぞれの学校の位置づけ、目的というものをきちんと整理をしながら、その中で、途中でというか、義務教育を経たら即座に就職する人もいる。高校を卒業して就職する人もいます。いろんなコースを歩みますけれども、いわゆる一つの木で言うならば、どこまでが幹であり、どこからどの程度の枝が分かれていくのか、それをむしろきちんと整理をして、その中で、その子供たちが生涯にわたって幸せに暮らすことのできる能力というものをその体系の中で、途中から分かれたとしても、その中でしっかりと生きていくことのできるものをつくっていく、その基本が大切だろうと思います。そしてその中でも特にいま問われているのは心の貧しさだと思います。自分で死んだ子も、人を殺した子も、そしてあの制服を着たまま乱暴を働き、人を殺害した警察官までも含めて、余りにもいまの若い世代は心がもろいのではないか。もっと逆境にも耐え得る、そういうたくましさ、そのことを私は幼児教育や初等教育の中でもっとしっかり植えつけていく必要があると思うのです。そのためにどうしても先生方の御勉強、御努力というものが欠かすことのできない、人をつくるその人、その問題がやはり何といってもきわめて大きな意味を実は持つと思います。 いま子供たちは、先生からは自由濶達にという学校のたてまえを表現されています。そしてその子供たちは一見すると学校の先生を友達扱いにしているようにさえ見えます。しかし、本当に子供たちは先生を信頼しているんだろうか。この前こういう投書が出ていました。あるPTAの役員をしているお母さん方が、子供の学年が変わった、次も引き続いていままでの担任の先生が、男の担任の先生が担任になってくださると思っていたけれども、予想に反して別の女性の先生が担任になられた、途端にPTAの役員をおりられたという投書が出ておりました。いわゆる学校の先生、うちの子は当たりがよかったとか当たりが外れたとかということもいまよく言われています。親が先生をまず信頼していない。そしてその親は必ず子供たちに、自分たちが信頼していないだけではない、そういう無理解な親は必ず先生の悪口を子供にも言っているはずです。なおさら先生が信頼されるはずがありません。ましてや先生の悪口を言う親が信頼されるはずがないと思います。 私の子供のころですけれども、ある大学教授がこういうことを語っておられたのをいまだに記憶しています。自分の子供が、自分の専門のことで学校で担任の先生から習ってきた。ところが間違ったことを教わってきた。その大学の先生は自分の専門ですから、自分の子供に、これは間違っているよ、学校の先生が間違っていると教えればすぐできます。しかし私は教えない。私はそうかと聞きおいて、そして自分は学校の先生に電話をして、このように改めて教え直していただけませんかと申し上げた。そのくらい気を配っておられる大学の先生のお話を聞いたことがあります。こういうことが大切ではないか。 幼児教育、そして初等教育の過程の中では、そういう意味で先生や親への子供の信頼、それから親と教師の信頼と協力、そうして教育の中から培われた真の友だち、そういうものがもっと大事にされる。そしてそのことのために実はPTAとかいろいろなものがつくられたんだろうと思ったけれども、しかし、いまやPTAは先生方の組合と対決する存在にさえなっている地域がたくさん見受けられるわけであります。こういう状態に対して、それぞれ自主的な組織ではありますけれども、少なくとも日本の教育を総括される文部省としてしっかりとした指導がやはりなされるべきだと思います。いかがでございましょうか。
○砂田国務大臣 大変重大な問題でございます。やはり先ほどからお話のありますような非行、自殺等がありましたときの背景調査をいたしましたときも、その自殺をなさった、あるいは非行が行われたその原因が直接的に明確でない場合も、学校の先生に手抜かりがあってみたり、幾晩も幾晩もお子さんが外出なさるのにどこへ行ってきたかということを一言も聞いてもいなかった御両親があったり、そういう事態がたくさん見られるわけでございまして、ある場合には、学校の先生が、この生徒にはちょっと問題がある、御両親にもこのことを理解をしていただいて家庭での教育のこともお願いをしたいと思って御両親を訪ねても、一時、二時まで待ってみても、何回訪ねても両親に会えない、こういう事態がありましたり、また、ただいま中野委員の御指摘のような御両親からの学校の先生に対する不信感がございましたり、先生の当たり外れという言葉があること自体、私は教師という立場の方々にはこれは恥辱だと感じていただきたい、こういう感じがするわけでございます。PTAと教員の団体が対決をしているという状態は好ましい状態ではございません。何とかもう少し教員と両親の間の意思の疎通も図られ、青少年、児童、生徒の心理状態を学校の先生も両親も的確につかんでいきながら、教育、指導のできるような体制に持ってまいるように、できるだけの努力をいたしてまいりたい、かように考えます。
○中野(寛)委員 ありがとうございます。 同時に、私はその上に立って、幼児教育の中で特に小学校、中学校、特に義務教育の中で、いま落ちこぼれというのでしょうか、落ちこぼしと言わなければいけないのだそうでございますが、ゆとりある教育ということが指導要領の改定その他の中でいま問題提起されている。そのゆとりをどう使うかの指導の仕方によっては、これまたいままで以上にゆゆしい問題を引き起こしかねないと思うわけであります。これは教師の自覚と親の自覚、そして理解というもの、まして本当は社会の仕組みそのものにまでそのことは行くと思いますけれども、これをやはりよほどしっかりと計画性を持ってやらなければ、いま心配されているように、そのゆとりと称する、それはいまの段階では時間のゆとりのようですけれども、そのゆとりを結局受験勉強に使ったり、一方でそういう子供ができ、そしてゆとりを文字どおりゆとりとして使った子供たちとは、受験競争の中ではきわめて大きな差をまたつくってしまうことになりかねない。むしろこういうときに、そういうゆとりのある教育の中で、多分これは私の申すまでもないことだと思いますが、その中でこそまさに体力を培い、そして心をよりたくましくし、そしてまた、みずからが将来社会の中でどのような位置を占めていくのか、そのことを真剣に論じるというか、考える、そういう場になるのではないだろうかというふうに思うわけでございます。 同時に、私はそれを個性と能力の開発というものにどしどし使っていただきたい。先ほど申し上げたコミュニケーションというものがきちんと図られていれば、その中でむしろ時間的なゆとりはなくていいと思う、その時間的なゆとりのない中に心のゆとりをつくり上げるというたくましさこそ私はむしろ必要なのではないかとさえ思うわけです。みずからの限界に挑戦をするという教育、それから理想に燃え、情熱を燃やすという教育、そして極限にまでいどむ、そのような子供たちの姿勢の中に、いどんでみて初めておれにはこういう能力があったのかと発見したり、自信を持ったりすることがあるのではないでしょうか。いまそのことさえ、学校の先生方がちゅうちょをしたり遠慮をしたりして取り組めないということが逆にないのでしょうか、そのような気持ちを持ちます。これもすべては親と教師の心の問題だと思います。体刑を科そうと、ぶんなぐろうと、それが本当に愛情からあらわれたものならばよしとされる、そして親も理解する、私はやはりそれは必要だと思うのです。 そういう意味で、いままでいろいろな問題が起こるたびにこれらが論議されながら、しかし具体的に対策が立てられなかったばっかりに荒廃は荒廃を重ねていく。先ほど申し上げました、われわれの世代が第一次荒廃ならば、いまの世代は第二次荒廃なのかもしれません。それはまさに悪循環を繰り返していくことになります。いまこそその悪循環をとめるべき、そういう意味で具体的にどうしようかというものがおありでしたらひとつ大臣から、またはより事務的なことでございましたら局長から、御答弁をいただきたいと思います。
○砂田国務大臣 学習指導要領の改定で二時間ないし四時間のゆとりを持つことになったわけでございます。これは非常に貴重な時間でありまして、文部省といたしましては、まさに中野委員が先ほど御指摘になりました、豊かな心をこのゆとりの中で子供たちに身につけてもらいたい、こういうことを願っての学習指導要領改定でございます。ですから、このゆとり時間の活用の仕方は、やはり原則といたしましては、地域や学校の実態に応じて、学校あるいは先生たちが創意を生かした教育活動にこのゆとりの中で取り組んでもらいたい、こういうことを念願をいたしているところでございます。たとえば体力増進のための活動、これは、たとえば中野委員のゼネレーションでも私のゼネレーションでも、小学校へ通うということ自体そんなに苦労なことではありませんでした。しかし、私のもう一年代前の方は二里、三里の道を、あるいは冬は雪の降った道を踏み締めて小学校に通うということを体験をされた。小学校へ往復するということ自体が、まさに風雪に耐える鍛えられ方をされて育ってこられました。いまの青少年たちにそれを望むといっても無理なことなんであって、やはりそういう鍛練はスポーツを通じて身につけてほしい、こう考えるものでございますから、このゆとりの中で十分にスポーツを通じての肉体的な苦しさに耐えるということもぜひ取り入れてもらいたい。あるいはまた、地域の自然や文化に親しむということ、集団行動の規律訓練というふうなこと、あるいはいろいろな福祉の事業へのボランティアの気持ちをこのゆとりの中でも持たしてもらいたい、こんなふうなことを私どもは期待しているところでございます。原則的には学校なり教員の方々の創意工夫にまちたいと思いますが、いま申し上げたような私どもが願っております方向で助言は続けてまいりたい、かように考えるものでございます。
○中野(寛)委員 次に、中学校の教育に若干入らせていただきたいと思いますが、中学校は、言うならば人生の中で初めて自分の進路を選択しなければいけない、その関門に直面をするわけであります。最近のいろいろな事象を見ていると、その関門に挑戦をすることに負けたケースというものがきわめて多いと思うわけであります。そこには、しっかりした性格の指導、進路の指導、そしてそのようなものは親と教師がこれまた協力してやる以外にないだろうと思います。 同時に、彼らに、たとえば普通教育だとか、いま一般社会で何かそのことがエリートコースだと思われているその部分から外れる子供たち、その子供たちの問題は特に真剣に考えなければいけないだろうというふうに思うわけであります。そして、その子供たちのために先ほど高校教育の多様化を大臣がおっしゃっておられました。私は大賛成であります。人生のバイパスというもの、そして多様化、そういう中で、一本に並んで人生を歩んでいく、そしてその中で順番がつけられる、こういう教育ではなくて、横に並んで、自分の能力や個性に応じて、別にだれにもひけ目を感じることのない、おれはこれが好きだから、これが得意だからやっていく、そういう感覚をそういう子供たちも持ち得る。そして、いまは就職するけれども、もし次の条件が整い、一つの経験を経たならばまた改めて、それは高校一年生に戻るということではなくて、自分の社会における経験というものも尊重された中で次の教育の課程が受けられるというくらいの、これは大変むずかしいことです、乱暴な論議ですけれども、そういう、彼らの気持ちに失望ではなくて常に希望を持ってもらう、そういう体制づくりというものが必要だろうというふうに思うわけです。 ですから、指導要領をゆとりのある教育のために、いままで風に言えばその内容を省略したのか、レベルを落としたのか、トーンを落としたのか、それは一概に私は言えませんけれども、そういうものが弾力性があるならば、もう一回義務教育で勉強しなければいけないのは新しい社会の中でどれだけだ。指導要領の中にそれを盛り込んだんだとおっしゃるかもしれないけれども、もう少し基本的に考え直して、たとえば中学生の段階からもう少し、自分の進路について、三年になって突然やるのではなくて、小学校六年生の教育の中から得たもの等を含めながら、進路を決めていくための準備運動というものがもう少しできないのだろうか。そしてその中で、一人一人がもっと自分の人生についての計画というものを持てないだろうか。そして計画を、余りにも早過ぎてもいけないのでしょうけれども、持つことによって、理想を持ち、夢を感じることができ、そこへ向かって進んでいこうという努力が自主的になされるようになるのではないのだろうかという気がするのです。そのようなことについて、もっと体系的に御研究をいただいた方がいいんではないかというふうに思うのでございますが、いかがでしょうか。
○諸澤政府委員 現在の中学校、義務教育三年として、何をどれだけ学ばせるべきかというようなことは、御指摘のように学習指導要領において定めておるところでございますが、しかし、そこで具体的に挙げておること、これだけが義務教育として必要だということは、私は必ずしも非常に大きな意味があるとは思えない。つまり、学校で習ったこと、そのことが知識としてどれだけ実社会で役に立つかと言いますと、必ずしもそうではないわけでございまして、むしろ中学校という義務教育段階で、御指摘のように人間の精神的、内面的発達にとって最も大事な時期に、将来、社会に生きる人間としてどれだけの公民的な資質をその間に基礎として培うかという、その培い方の方便として各教科の内容があるというふうに把握するわけでございますから、そういう意味で、今回の指導要領が基礎、基本にしぼって内容をやさしくしたというふうに通俗的には言われますけれども、その趣旨とするところは、単に量の問題であるとか程度の問題ではなくして、それを通して将来の勉強のむしろ基礎をはっきりつくってあげるのだというところにあると思うのでございます。そうすればこそ、御指摘のように、高等学校に行く者もありますし、行かぬ者もあります。あるいは生涯教育という観点から、一遍実社会に出て、しかしまた自分はもう一回勉強したいというような気持ちになったとき、その勉強をさせる基礎をつくってやるのが中学校だろうというふうに思うわけでございますので、そのことはいまの御指摘のように、単に中学校教育というものにゆとりがあるというのが時間的にゆとりがあるということではなくて、そういうことを踏まえて一人一人の子供が勉強するということに張り切って立ち向かうような体制でなければいけないと思うのでありまして、単に時間的にゆとりがあればそれで子供が伸びるかというと、決してそういうことではないだろう、こういうふうに思うわけでございます。
○中野(寛)委員 そこで、またもとに戻るようですが、大変大切なことは、学校の問題はやはり学校の先生の問題になってこようと思います。教師の役割りって何だろうか、そして現代の教師像というものは本来の教師の役割りとどれだけ違うのか、一致しているのか、実は私自身もよくわかりませんが、しかし、私が接し得る先生方を見ながら私なりに感じたりします。自分のことで大変恐縮ですけれども、私が中学生のころの先生方というのは、九つのクラスが一学年にありましたけれども、その九つのクラスを担任している九人の先生が、九つのクラスの生徒全部の名前と顔を知っておったように記憶をしております。そして、自分の担任のクラスの生徒のことだけではなくて、お互いに協力し合いながら子供たちの教育をしておったように思います。ところが、実はいま、私が卒業したその学校に私の妹が教師として赴任をいたしております。系統だった話をするわけではありませんけれども、いまはあんまりそんなことはないなあ、こう言っておりました。むしろ、教師の一人一人が何か自分が生きることに一生懸命になっているという感じ。そして、落ちこぼれがないように子供たちのために何かしてやろうと思って放課後残ろうとすれば、ほかの先生から、あなただけ、いわゆる大阪弁で、ええかっこしなさんな、帰りなさい、こう言われてしまう、そういう風潮の方がいま強いのではないかしら、こういうふうな話を実は聞きました。全部が全部そうだとは思いません。しかし、私はたとえ一人たりともそういう先生がいらっしゃることが情けない。 実は私の町の近くで、先般学校の先生方の組織によってアンケートがとられまして、それが発表されました。これは大阪府立高校の千百八十人の生徒に聞いたアンケートだということです。これは大阪府の高教組北大阪支部がとったアンケートですから、別に教育委員会がとったわけでも何でもないのですが、その中で、あなたはいろんな悩みを持っている、その悩みをだれに相談しますか、こういう問いのアンケートの中で、友達に相談するというのが六四%、親に相談するというのが一七%、きょうだいが九%、先生に相談するのがわずかに二%。なぜこうなったのだろうか。私はこれを見て先生方もショックを受けられたと思いますけれども、それでは生徒たちから見た教師というのはいまどういう姿になっているのだろうか、もっともっと突っ込んで考えないといけないと思います。もう一つのアンケートがあります。これは小学生のアンケートですが、なぜぼくは学校がきらいかというアンケートで、学校の先生がきらいだというのがそのうちの六〇%もいたというアンケートもある。 私は、いまこそ、管理者と教師、そしてまた教師相互の意思の疎通を図る中で、もっと生徒に信頼される先生方が育ってほしいというふうに思うわけでありまして、これからの教員の研修、養成、そして新しく教員大学ですか、こういうものも用意されているわけでありますが、そのことも含めまして、これからそういう現状に対してどう対処していくのか、お聞かせをいただきたいと思います。
○砂田国務大臣 いま中野委員が御指摘になりました大阪での調査は、新聞に公表されましたので私も拝見をいたしました。非常に大きなショックを私自身も受けました。やはり、人間形成をするという大変な重責を担っておられる教員のことでありますから、青少年、児童、生徒たちから相談される相手として余りにも少ないパーセンテージの数字に私も驚いたわけでございます。やはり児童、生徒たちから信頼される先生になっていただかなければ困る。恐らく多数の教員の方々があの新聞発表をごらんになって、これではいけないという気持ちになっていてくださるものと期待をいたしますけれども、先生御指摘のとおり、教員の養成、そして研修ということが大変重要なことになってまいっておりますので、この点につきまして可能な限りの努力をしてまいりたいと考えますが、その養成、研修のいま文部省がとっておりますやり方、手法等については局長の方から答えさせます。
○佐野政府委員 教員養成のあり方につきましては、すでに御案内のように、戦後いわゆる開放性の制度をとりまして、国・公・私立の大学で教員の養成を行うことを原則とする。と同時に、計画的に確保しなければならない義務教育の教員については、国立の教員養成大学学部でこれを確保していく。その両者が相まって養成の充実を図っていくということで進んできたわけでございます。しかし、現在の免許制度におきましては、たとえば実際に免許を取る者の数が非常に多いのにかかわらず先生に就職する者の数が少ない、いわば免許状が乱発されているのではないかという批判がございましたり、あるいは教員養成の内容についても、教育実習の面等でさらに充実をしなければならないというような御指摘がございます。四十七年の教養審の建議におきましても、現在の免許制度の改善についてそういった問題点を踏まえた御指摘がある点も承知をしているところでございます。しかし、いずれにいたしましても、そうした教養審の建議の提起をされております制度の改正というのは、現在の免許制度の根幹に触れることでございますし、大学院の整備等関連して講じなければならない施策もございますので、直ちにそれらを全面的に実施をするというわけにはまいりませんけれども、建議の中で指摘をされていることで、できますことは逐次取り上げながら現在の養成制度の充実に努めているところでございます。 それから、免許制度を改正をするということもそうでございますけれども、現行の制度の中でできることはやはりできるだけのことをしなければならない。現在の制度のもとにおける教育実習の改善につきましても、あるいはもっと教科教育その他実践的な教育というものを先生が身につけて教壇に立つようにしなければならぬという要請もございます。そういった点を含めて、現在既存の教員養成大学のいろいろな整備充実に努めているところでございますし、また、御指摘のございました、現職教員を受け入れて、大学院レベルにおける高度の研さんの機会を確保するための新しい教員大学の構想というものも、今度の国会に法案として提案をして実現をさせていただきたいと考えているところでございます。
○中野(寛)委員 教員大学のことにつきましては、まだこれから改めて論議をする機会があると思いますので詳しく触れませんけれども、この問題につきましても、現在の教員養成大学側から、いわゆる錯綜する部分だとかダブる部分、またそのほかの身分の問題だとかいろいろなことでやはり疑念が出されているようにもお聞きするわけであります。ただ、私はその場合に、大変言い方は失礼ですが、これをつくる場合に、現在の教員養成大学に気がねをするのではなくて、これをつくる目的は何なのか、それをしっかりと踏まえていただいて、もちろん現在の教員養成大学の役割りというものはきわめて大きいわけですし、そこがやはりしっかりしなければ本当にいい意味での先生方は生まれないと思いますけれども、同時に、より一層中身の充実した、そしていい意味での高度な教育学のあり方というものを理論的にまた実体論的に学ばれる、そういう意味での教員大学であろうと思います。そしてまた、それはある意味ではより一層開かれた、むしろ現職の先生方がそれをもっと気楽に使うことのできる場にもしなければいけないでしょう。私はやはり、目的をあくまでもしっかり踏まえていただいて、どこかからクレームがついたからそれに気がねしてふらふらしたとか、それによって幾らか条件を変えたとかいうことではなくて、目的にマッチするためには、その相手を説得して、信念を持ってやっていくということの方が大切だと思います。いままで風聞いたしますと、むしろ、いろいろなクレームをつけられて何かえらく難航しているみたいなことを見たりするわけでありまして、そのことについての若干の危惧の念を正直に言って実は私持っているわけでありますが、その問題については機会を改めて、その審議のときにお尋ねをしたいと思います。 さてもう一つ、私は生徒や親と教師との信頼関係のことをお尋ねをしてきましたけれども、新たに主任手当の問題がいま関心の的になっているわけであります。私自身は、名実ともにそれが管理職ではない、そのことのために、ほかの先生方とは逆だったかもしれませんけれども、一般社会の通念上その構成員の三分の一の方々に及ぶような管理職というものは存在しないのではないか、むしろ将来そこへ向かって枠を拡大していくべきだ。そして、御苦労賃ならば御苦労賃らしく、本当に苦労されている方々に渡していただくことの方が本来の意味に通じないだろうか。そういう意味で、実はわが党としても今回の主任手当の支給については賛成をさせていただいているわけでありますけれども、さて問題は、この問題でもそらでありますが、それだけ手当が支給されるのですから本当は喜んでいただけるはずのものだと思うのです。しかし、喜んでいただけていない部分がある。これはやはり信頼関係の問題でしょう。 しかし、私がいま特に心配するのは、いまそれを実施するに当たっていろいろな方法が報道されています。主任制反対だと言ってストを用意しているというふうなことも報道をされますし、そしてまた、総額八十億円になるのでしょうか、それを何らかの形でプールして別の目的に使うのだ。これも言うならば国会が、賛成、反対のそれぞれの立場はあったにせよ、決めたものです。そしてそれを手当として国が出すわけです。それをそういう組織立って別の目的に使われるということは、私はやはりこれは明らかにおかしいと思います。もちろん、一たん支給されたものを自主的にそこにカンパしてプールするのだから自由ではないかという論議もあるかもしれませんけれども、私はやはり本来の目的から、それが組織的になされる場合には、逸脱していくと思います。そのことについて私は、しっかりとした大臣また文部省の御指導がなければならぬと思います。あえてお尋ねをさせていただきたい。そして、このことによってまたストライキの問題等が生じた場合、これに対してもやはり教育の観点からはっきりとしたけじめというものがそこには確立されなければいけないと思います。そういうけじめがつけられ、そしてきちんとした秩序に基づいて、そして自由濶達な個性を伸ばす教育が行われていくことがいま望まれていると思います。少なくとも、親や子供たちから先生方が信頼を失う、またはその行為によって日本の教育行政が信頼を失う、そのことは断じて避けなければいけないと思います。大臣の信念のほどをお伺いしたいと思います。
○砂田国務大臣 主任の制度、手当につきましていまだに反対の方々がおられる。これは、文部省といたしましては、主任制度というものは学校の管理面のことではございません。管理ではなくて、教育、指導面でのお仕事をそれぞれ担当していただく方々に御苦労でございますと言ってお渡しをいたします、そういう性格のものですと御説明をしてまいりましたけれども、そのことがまだ十二分に御理解がいただいていない、そういうところからいまだに反対だという御意見があるものと考えます。しかし、すでに幾つかの府県ではもうその準備が進んでまいりましたし、次々と各都道府県におきましてこれが実現されてまいりましたときには、事実をもって、学校を強権的に管理する制度ではないということを必ず示せると私は確信をいたしますので、あれは杞憂であった、必ずそう受けとめていただけるものと確信をいたすものでございます。国会でお決めになりました制度そのものについて、もしも違法な反対の行動があれば、違法なことは違法なこととして明確にしてまいらなければなりません。以後、話し合いをしないとか、お互いに協力は一切しないとか、そういうことではありませんけれども、違法なものは違法なものとして、そこの筋は立てなければならないことは御指摘のとおりでございます。
○中野(寛)委員 秩序を守っていく、そのこともやはりまた教育の基本だと思います。私は、大臣のそのお言葉どおりのことが実現をすること、言うなら、すなわちそのことは杞憂であったと了解していただける時が来る、むしろ、せっかくのことですから、杞憂どころか、それ以上によりよい効果が生まれることを期待したいと思います。 さて、次に高校教育の問題について若干触れてみたいと思います。 高校時代というものは、私は大変厳しい時代だと思います。中学校で初めて人生の進路を決定する選択の場、試練というものが与えられるわけでありますが、その試練を乗り越えたと思ったらもうすぐ目の前には次の試練が待ち構えているわけであります。高校教育というものは、いろいろなより高度なことも学ばなければいけません。そしてまた、肉体的にも精神的にも人生の岐路に立つ、言うならば、自分の生涯の中での一番大きな変革というものがそこへ集中されているという感じがして私はならないわけであります。それだけに、高校教育というものはよほどしっかりとした基本が立てられなければいけないだろうと思います。しかし、いま大阪で、東京で、前回私が御質問申し上げたときにも申し上げたのですが、一年に約一万人くらいの高校生が蒸発をしたり、または学校へ出てこなくなったりしているわけであります。ところが一方でこれは、先ほど来文部大臣から、人口急増都市というか、都市部においてはなかなか施設が足りなくてというお話がございました。まさにそのことがたとえば大阪でも如実にあらわれている。いま地方財政が苦しい。文部省にお聞きするのはちょっとおかしいかもしれませんが、地方財政が苦しいからということで人員の削減をする。足りないからふやしたいのだけれどもそれがふやせないというのならわかる。人員の削減をする。その削減の中に高校の先生が入っている。そして学級定員を、一クラス四十五人から去年までは四十六人にしておられる、今度は四十七人にする、こういう提案がなされております。別に大阪の知事がだれであるからということで思想的に申し上げるのではありません。このような事態が生まれてくること自体、これは実は自治省も大蔵省も文部省も真剣に、地方財政だけではいまもう持っていかない、そういう状態があらわれていることを踏まえていただいて、財政の上でも制度的にもより一層、この高校教育の位置づけ、その大切さがあるがゆえに、もっと真剣に考えていただけないだろうか。決して私は視角の問題を申し上げようとは思いません。高校という重大な時期に、四十五人のクラスが四十六人になり四十七人になっていく。これは大阪府下の府立高校全部がそうなるのです。平均だとかなんとかではない。そういう事態を生じているときにより真剣に考えていただきたいと思います。いかがでございますか。
○砂田国務大臣 高等学校の先生方の給与を地方交付税で全部見ているわけでございます。一応交付税の算出の基礎に入っておりますけれども、府県によっては自治省の交付税の算出の基礎どおりに高校の先生については考えていない。大阪の例をお述べになったわけでございます。私は、先ほど申し上げましたような、政治、行政の場でも、教育の問題は国の根幹だというのが、頭ではわかっていても必ずしも行動で示されていないということの一つの例がいま指摘なされたわけでございますから、慎重な前向きな関心を持ちながらひとつ指導を続けてまいりたい、かように考えております。
○中野(寛)委員 財政の問題ですから、いま急に申し上げても、それではそういうふうにならないように何百億円か一挙に持っていきましょうというお答えにはならぬと思います。ただ、そういう事態を招かないために、文部省としても最大の御努力を、制度の改革も含めてやはり真剣に御論議いただきたい。高校というものを私は義務教育化まではいまは申し上げません。いまは、むしろ義務化よりも権利化と申し上げたらいいのかもしれません。入りたい人がすべて入れるという、いわゆる入る権利を履行できる、もちろん負担の問題はありますけれども、そこまでが現在の段階なのではないかというふうには思います。それでもなおかつこれだけ施設の不足があり、そしていまそれでなくても高校生が、先ほど中学生の例で申し上げたけれども、それ以上に高校生の非行だとか自殺だとか、そういうものが大きくクローズアップされているわけですから、ぜひ真剣なお取り組みをお願いしたいと思います。 大変幅が広くなって申しわけありませんが、次に、ちょっと大学教育の方は後に回させていただいて、このように小学校、中学校、高校といろいろとありますけれども、その段階で、先ほど来親と教師の問題を申し上げましたが、もう一つ社会の問題がありますね。これについてちょっと触れさせていただきたいと思います。 社会教育の問題ですが、施設の面では、たとえば今度新しく婦人教育会館なんかが設置されまして、きわめて大きな一歩を踏み出されましたし、かなり御配慮をいただいていると思うのです。しかし、問題はやはり人だと思います。そしてまたその施設の運用だと思います。ところが、社会教育に携わる方々は本当にまだ少ない。そしてその社会教育に携わっておられる方々の身分等を見ますと腰かけ的な方が多いわけです。大臣のおひざ元でもそうかと思いますけれども、教頭先生から校長先生になるまでのワンステップとして社会教育主事などをおやりになる。教頭先生をやった人またはかなりベテランの先生が社会教育主事に任命される。そうすると給料が下がる。しかし次は教頭なり校長になれるからというのでごしんぼうなさっているというケースを私もやはり聞くのです。そういうふうないまの社会教育の問題、人の問題について、何かまだ整備されなければいけないことがたくさんありはしないだろうか。地方に行きますと、校長先生が退職をなさった、その後、その先生の経験を有効に活用するという御答弁が返ってくるかもしれませんけれども、そういう方に社会教育のお仕事をお願いしている。しかし残念ながら、お年の面からもそれほどの行動力を発揮していただくわけにはいかない。そういう意味では、やはり内容、いわゆる質と量、これがどうしても総数として少ないというふうに思えてなりません。だから、社会教育に携わっている人々の種類と人数、こういうふうなものがいまおわかりでしたらお示しいただきたいと思います。
○望月政府委員 お答え申し上げます。 これは昭和五十年五月一日現在の調査の数字でございますが、社会教育主事が四千八百五十八名。それから、先ほど先生から御指摘のございました社会教育指導員等、たとえばこれは市町村なり都道府県で社会教育指導員のほかに青少年指導員であるとかあるいは家庭教育指導員等、いろいろな形で非常勤の公務員としていろいろな指導に当たられる方をお願いしておりますが、その数が四万一千三百八名でございます。ちなみに、文部省で五十年の当時補助金を出しております社会教育指導員は二千八百名でございますから、ただいま申し上げました四万一千三百八名の中にその分が含まれております。それから公民館の職員の数が三万六千八百九十九名、そのうち公民館主事の資格を持っておりますのが一万二千二百四十六名。それから図書館の職員の数が八千四百八十二名、その中で司書の資格を持っております者が二千八百五十七名。博物館の職員の数が六千四百二十名、その中で学芸員の資格を持っております者が六百七十一名。それからそのほかに公立の青少年施設、これはたとえば公立の少年自然の家であるとかあるいは公立の青年の家とか、公立青少年施設の職員が三千六百二十六名。それから婦人会館の職員が九百三十四名。それからあと社会教育委員、これはそれぞれの都道府県、市町村の社会教育のいろいろな計画等につきまして御意見を拝聴するなど御協力をいただく社会教育委員の方々が三万七千九百十四名。それを含めまして十四万四百四十一名という数字になっております。
○中野(寛)委員 いろいろな種類の、しかしそれは何か目的を限定された方々がいる。しかしそれにしても一つ一つ分けてみますと、全国のそれぞれの地域へ一これはまた国立の施設の職員の方まで入っていますから、そうですね、入っていませんか。
○望月政府委員 国立のものは入っておりません。
○中野(寛)委員 国立の施設は除かれるようですが、それにしても、青少年の家とかいろいろなもの、国立の家的なものがありますね、そういうふうなものを除きまして、具体的に町の中で町のコミュニティーを指導し、そしてまた青少年を指導していく、そういう人たちの数、そしてそれが行動力を持って実際に現場でやれる人の数というのはきわめて少ないですね。全国の公民館の職員は全部で三万六千人でしょう。これを全部分けてしまったら、本当に一つ一つの数というのは乏しいものです。おまけに、国の方で実際に直接委嘱をしたり補助金を出したりしてやっておられる方々の数といえばなおさら少なくなってまいりますね。私がさっき申し上げた、本当に名前だけの社会教育に携わる人は要らない。いまこれだけ教育の荒廃が、そして社会の荒廃が叫ばれているときに、本当に使命感を持って、情熱を燃やしてやってくださる方々、もちろんボランティアでやってくださる方々もいらっしゃるけれども、もっともっと、やはり一つの資格を持ち、そしてある程度の財政的な裏づけも受けながら、そして彼らが一つの組織を持ち、そしてでき得るならば施設を持ちながらやっていくということが必要なのではないか。私は、実はその青少年が何らかせめて一つのサークルに、自分の趣味に合ったサークルに、学校のクラブ活動ではない、町のサークルに所属する、その中を通じてこういう青少年指導員の皆さんともっと有機的な連絡をとりながら、その町の中での非行を防止していくとかいうふうなことにもっと力を注げないんだろうかなというふうに思えてならないのです。そういう意味で、その中間青年層の指導者、むしろ文部大臣御自身でひとつ青年指導者に委嘱するというくらいのことをして差し上げて、そして一つの役割りをきちんと位置づけてやっていく。それでその人たちが学校の教師や先生たちとも協力しながらよりよい町づくりをしていく、そういうことはできないのでしょうか。塾や家庭教師をやる青年はいても、こういうことをやる青年がいないとは私にはちょっと思えないわけであります。いかがでございましょうか。
○砂田国務大臣 非常に重要なことでもございますし、私自身が、それぞれの立場で社会教育に携わっておられる方々の活動ぶりも実は郷里で拝見もしております。ボランティア活動に従事しておられる青少年たちの、本当に涙ぐましいとまで言ってもいいような活躍ぶりも承知をいたしておりますので、前向きに検討をさせていただきたいと思います。
○中野(寛)委員 ちょっと時間がありませんので急ぎます。引き続きまして学校開放の問題についてお尋ねをいたします。 学校開放の目的というのは何だろうか。というのは、最近の学校開放の動向を見ていると、運動場を時間貸しして、そして野球か何かをやってもらっている、何かそれだけみたいな気がしてならないのです。せっかくその管理員手当を補助金としてお出しになる。そしてまた全国へ、もっと公の一般の方々にも利用していただくための学校の開放というふうなものが組まれている。しかし、それは行き当たりばったりで、学校の運動場は放課後あいているじゃないか、日曜日あいているじゃないか、あれを使わしたらいいんだということでは余りにも情けないと思うのです。確かに中学校はそういう傾向があってもいいと私は思うけれども、せっかくの学校開放運動ですから、小学校はもっと地域のコミュニティーセンターとしての役割りというものが果たせないだろうか。そして、先ほど申し上げた青少年指導員だとかそういう人たちが、そういう仕事の余暇を利用しながらそういうところでもっと町の人たちの心の融和、つながりというものを図る、子供たちの育成、そういうものを図っていく、そういうことがそこの中でもっとできないだろうか。 その場合には、もちろん学校の先生によけいな負担をかけるわけにはいきません。それはそれなりの手当てが必要であります。ちなみに、私の住む町で計算をしてもらいましたら、小学校の開放というのはどのぐらいできると聞きましたら、土、日、祝日、平日の夜間、合わせて約二百日はできるでしょうというお答えでした。それから開放できる施設、いろいろな裏づけさえあれば、運動場、体育館、プール、特別教室、このようなものが開放できるでしょうと。ところが、それを開放して使っていただくためには、消耗品費、いわゆる事務文具、体育器材の問題から修繕費、ガラスのことだとか街路灯なんかもある程度設置しなければいけない、その工事請負費、それから光熱水費、それから、やはり学校と住宅街との間を仕切るフェンスの問題とか、いろいろある。そういうものを計算すると、実はこれはちょっと数字が大きいのだけれども、私の町では二百八十五万二千四百円になってしまったのです。しかし、実は地方自治体ではそれをやりたいと念願して、前向きに検討しているのです。特に都市部ではそういうところしか場所がないわけでしょう。ですからこのことについては非常に前向きに熱心に論議されている。しかし国の方でいまお出しいただいているのは、この中の管理員手当を一日三時間に限定をし、なおかつ一年間の日数を百日間に限定をされて、そしてその管理員の手当一人千八百円掛ける三分の一、六百円、これを国として出しておられる、こう聞いた。しかし、これでは何のために学校開放をやるのか。その裏づけもなければ、ほとんどそれは各地方自治体に、やれよ、こう言っているだけ、命令しただけ、そういう気がしてなりません。もっと社会教育について、せっかく学校開放をする、また公民館の活動をやる、そこにきちんとした一つの目的と裏づけというものがあっていまのいわゆる教育の荒廃を是正するためにも一つの役割りが果たせるわけですし、そのことが日本人の心をよみがえらせることにもなるわけですし、そしてそれが都市対策にもなるわけですし、そういう意味でもっと幅広いお考えができないだろうか、お尋ねをいたします。
○砂田国務大臣 いろいろな、先生御指摘のような施設等に国も補助をしているところでございますけれども、これが足りない。まさに足りないという御指摘は私も当たっているような感じがいたします。特に都市部、これはもう中野委員のところもそうですし、私のところもまたそうでございますけれども、都市部の学校が開放されるということは非常に有意義なことでございますので、スポーツ、文化等にもっと幅広くこの活用がなされますように一段の努力をしてまいります。
○中野(寛)委員 そして、そういう中から実はいまの社会的な問題にもっと目が見開かれていくと思うのです。 〔委員長退席、唐沢委員長代理着席〕 そして、実はマスコミの皆さんに教育的な観点からもっとお願いをしたいことがたくさんありますね。たとえば小学生、中学生、高校生の非行の問題でも、すぐ短絡的に殺人に走ってしまう、自殺に走ってしまう、そういう思考の形成過程の中に、テレビの与えた影響というものはきわめて大きいと言われています。いわゆるポルノを規制することはあっても、暴力を規制することは具体的に取り立てたものがないというふうな事態がある。たとえば文部省から、これはけしからぬ、やめろと命令することはできない。これは大変なことになります。しかし、そういう社会教育の中から生まれてきた皆さんの声、国民の声というものが、それを規制すると言ったらおかしいけれども、是正するためにきわめて大きな役割りを果たすだろうと思います。いま残念ながらそこまでいきません。ただ、このテレビが子供たちにいま与えている影響の問題については、何らかの機関にお諮りいただくか、もしくは何らかの御研究をより一層詰めていただいて、いまある意味では学校以上にテレビの影響というのは大きいかもしれないわけでありますので、このことについてもあわせて、いわゆる社会教育の一環と言うのはちょっとおかしいかもしれませんが、ひとつ大臣にお聞きをしておきたいと思います。
○砂田国務大臣 これはNHK調査でございますけれども、小学生が平日テレビを平均二時間二十分見ております。中学生が二時間二分見ております。家庭の主婦は四時間五十七分見ているそうでございます。まさにテレビが国民の生活に非常に深く浸透をしておりまして、放送番組の内容のよし悪しによって青少年、児童、生徒たちの人間形成に及ぼす影響は非常に大きなものがございます。それから一方、放送番組の中には芳しくない評価を受ける番組も私もあるというふうに認めるものでございますけれども、これらの番組につきましては、各放送局ともそれぞれ御自分のところで放送番組審議会というものを持っておられまして、この審議会で検討をやっておられるわけでございます。相当自粛はされておると聞き及びますけれども、その是正を図りますために、教育関係者の声をこの審議会に反映させる形で積極的に取り組んでまいりたい。文部省といたしましても、各局が持っておられる放送審議会に、別に文句をつける意味ではなくて、これからは積極的な発言をしてまいりたい、かように考えております。
○中野(寛)委員 あと、実は障害児教育につきましてもお尋ねをしたかったのでありますが、障害児教育、ちょっと簡単に触れさせていただきたいと思います。 私は、この障害児教育は、本当は養護学校の義務化なのか、障害児の全員入学なのか、どっちなのかということを実はまずお聞きをしたいわけです。先ほどの御答弁の中で、就学指導委員会というものを設けてその中で適切に指導していくということですから、それはそれで了としたいと思いますが、養護学校の義務化ということで、何か養護学校をつくってそこへおさめてしまうみたいなことであれば、これは、昔の家庭における隔離から、公の機関への隔離になってしまわないかという気がしてなりません。実は私の子供が通っている小学校では、普通教室の中に障害児のお子さんがいらっしゃいます。一緒に勉強をしています。ただ、いま情緒不安定の障害児がふえてきて、突然教室の中を走り回るとかいろいろなことで大変困った事態もできているそうでありますが、私が自分の体験上、自分の子供から聞いた話では、その障害児のお子さんのことについて非常に的確に理解をしております。だれだれ君にきょう、こういうことがあったよ、こういうふうに私はしてあげた、だれだれ君はちょっときょう笑ってくれたよ。大変その障害を持ったお子さんのことも適正に観察をしながら自分の役割りを考えているように見受けます。それはもちろん学校の先生の適切な御指導のおかげだと思いますけれども、障害児のそのお子さん御本人も、友達がそういうふうにたくさんいて、その中で自分が、ほかの友達と一緒のようにはできないかもしれないけれども、少なくとも一緒に遊んだり学んだりすることができている、そのことに生きがいを感じている、そのことが非常に大きいのではないでしょうか。障害の度合いによっていろいろなことがあります。養護学校へ入れなければいけない、そのことがより効果的だというお子さんもいらっしゃるでしょう。しかし、むしろできることならば普通教室へ一緒に入って勉強する時間をふやす。しかし、必ずしもすべての時間、全部が全部そうはできません。そのためにはそういう教室が必要でしょう。しかしそれはその学校の中での教室であります。場合によっては併設という問題が考えられるかもしれません。養護学校一辺倒になるのではなくて、先ほどの教員養成機関に障害児教育講座をぜひ必修として設けていただく。学校の先生方は皆さんそのことを勉強しておられるということもあわせお願いしたい。そのほかに、理学療法士や訓練士、そして聾教育専門の先生、そういう方々の人数も足りません。たくさんの方々に御協力いただかなければなりませんけれども、もっとやり方として広い教育的見地からお考えいただかなければいけないのではないだろうかというふうに思うのですが、いかがでございましょうか。
○砂田国務大臣 養護学校が義務化される、そのことが障害を持っておられるお子さんを養護学校に締め込むというお言葉をいまお使いになりましたけれども、私たちはそういう考え方を毛頭持っておりません。どこまでもそういう障害を持っておられるお子様の立場でこれは考えるべきだと思いますので、その障害の種類、程度というものを、お医者さん等の専門家も入っていただいております就学指導委員会で、十分に御両親の御意見も伺い、学校側の意見も聞いた上で、ケース・バイ・ケースで判定をしていただきたい、かように考えるものでございます。私、先般大田区立の養護学校に行ってまいりました。実は私は行くまで、少し暗い感じを受けるのではないかと思って参ったのです。決してそうではなくて、体に障害を持っておられるお子さんたちが校庭で野球をしておられるのを見てまいりました。ピッチャーは先生で、ボールを転がしておられました。本当にうれしそうに喜々として友達同士が一緒に野球をやっておられる姿を見まして、もしも通常の学校においでになったならばこういう意味の野球仲間というものはあるいはできないのかもしれない。これは私が参観をいたしましたところの先生方の御努力に本当に頭が下がる思いをしたのでありますけれども、養護教育を専門的に勉強なさった先生方があのような指導をしてくださるのならば、私はやはり、専門家の入った就学指導委員会でケース・バイ・ケースで、その障害の種類、程度についての判定をしていただいて、特殊学校に行かれるのがこのお子さんに一番幸せか、養護学校に行かれるのが幸せか、その判定をそのお子さんの立場に立って就学指導委員会でやっていただきたい、かように願いますし、さような指導をしてまいりたいと考えております。
○中野(寛)委員 時間が参りましたので、最後の質問だけちょっと一言させていただきたいと思います。 ただ、障害児教育の義務化の問題の場合に、行政負担の問題、それから担当される先生の負担、それから本人の希望と親の負担。養護学校へ通うとすれば親がなかなか大変だという場合もあるでしょう。しかし本人が通いたいと思うかもしれません。本人は逆に普通教室で健常児と一緒に学びたい希望があるかもしれません。そのことが十分に理解されるということ。それから健常児の教育にもまた同時に役に立つということ、しかし健常児の親は必ずしもそういう理解をしていない場合もあるということ。いろいろな諸問題がここには内包されていると思います。どうか、その就学指導委員会が単にその個々のお子さんの進路を決めるということのみにならず、それを受け入れる、養護学校の場合はいいにしましても、一般教育施設を取り巻く人たちの理解を深めることにも格段の御努力がなされるべきだと思います。そういう意味で御期待を申し上げたいというように思います。 最後に大学の問題についてお聞きしたかったのですが、とうとう時間がなくてお尋ねする時間がありません。改めて大学の問題についてはお尋ねをさせていただきたいと思います。 最後になりましたが、一番最初に申し上げた言葉に戻りたいと思います。私は、偏見や混乱の中からまさに確固とした教育の基本というものが確立され、そしてそのことが教育の荒廃から教育を復活させることにつながっていく、そしていまほど国民の皆さんが教育に関心を向けている時代もそうないと思います。そういう意味では、教育についてもっと文部省から国民の皆さんに、国民総討論といいますか、国民の皆さんが本当に系統立てて真剣に教育のあり方について討論できるような意味での問題提起をしていただき、そして一日も早く今日の現状から脱却できるように、なお一層の御努力をいただくことをお願いをしたいと思います。民社党は数年前に、教育国家の建設ということを政策としての柱に立てました。そしてその後、司法、立法、行政に次ぐ第四権としての教育権の確立、すなわち中央教育委員会等の設置等を含めまして、いろいろな思惑だとか疑心暗鬼だとか、または組織と組織の対決だとかいうことではなくて、もっと国民的見地から、中立を守りつつ、かつ確固たる信念を持って教育が行われるようにするために、そのようなものがもっと前向きに真剣に論議をされてほしい。去年のこの委員会で、わが党の曽祢委員からさきの海部大臣にも御提議申し上げ、かつ前向きの検討をいただきたいということの御提議を申し上げているわけでありますけれども、新大臣もその検討を引き継いでいただいて、これからの教育行政のより一層積極的な、能率的な進め方というものができますように御検討をお願いしたいと思うわけでございます。いかがでございましょう。
○砂田国務大臣 民社党の御提案も私承知をいたしております。ただ、現行憲法下におきまして、御提案のような教育制度を直ちに採用することは考えてはおりません。しかし、もとより教育の政治的な中立ということはまことに重要なことでございますので、その確保につきましては教育基本法その他の法令に規定されているところでもございますし、教育を政争の具に供するようなことのないようにいかなる政党政派も慎まなければならないということは同感でもございます。全国民的に呼びかけてどういう形で提言をしてまいるか、勉強させていただきたいし、民社党の御提案についても引き続いて検討させていただきたいと思います。
○中野(寛)委員 ありがとうございました。終わります。
○唐沢委員長代理 山原健二郎君。
○山原委員 今国会でも問題になっています東京大学の精神神経科病棟の異常な事態につきまして質問をいたします。 最初に、文部大臣、いままでの国会における審議の経過をちょっと御報告して参考にしていただきたいと思うのですが、この問題は今国会で初めて取り上げられたのではなくて、私ども何回かこの問題について政府の見解をただしてまいりました。その経過を申し上げますと、その都度それぞれの文部大臣が答弁をされておりますので参考にしていただきたいのですが、昭和四十七年の四月三日に衆議院の予算委員会におきまして私の党の松本善明がこの問題で質問をいたしております。これについて当時の高見文部大臣が答弁の最終として「もうしばらくの間、時間をかしていただきたいと思います。必ず解決をいたしたいと考えております。」こういう答弁がなされております。そのときに当時の総理大臣である佐藤首相が「それぞれ十分話し合って、そうして手荒なことをしないで解決する、こういうことのようですから、しばらく模様を見たいと思います。」と答弁をして、それ以来六年経過しました。これが一つです。それで、昭和四十八年二月二十四日の予算委員会におきまして私が奥野文部大臣に対して質問をいたしまして、奥野文部大臣が「非常に長い間御指摘のような状態が続いていることに対しまして、深く心配をいたしております。また責任も感じております。」「なお、具体の方法などにつきましてお考えをお持ちでございましたら、むしろお教えを賜りたい、こういう気持ちさえ抱いております。」これが私に対する答弁でございました。引き続いて四十八年三月七日に予算委員会の第二分科会におきまして津川武一議員が、津川さんはわが党の議員でありますが、この東大医学部神経科の出身の議員でありまして、精神科の医師でもございますが、この問題を取り上げ、これに対し奥野文部大臣から「ぜひ早急に解決するように努力していきたいものだと考えております。」こう答弁されております。引き続いて五十年の二月二十六日の予算委員会の第二分科会で、これは私でありますが、永井文部大臣に対してこういう提案をいたしました。まず第一点は、患者を入院させないこと、第二点は、この事態の続く限り予算等の便宜を図らないこと、三点は、国有財産取扱規程に従った適切な措置をとること、第四点は、大臣は現在の精神科病棟の状態を大学のあるべき姿でないことを言明して、大学に対して真に東京大学にふさわしい解決策を求めるべきである、その解決策に沿って、指導、助言を行うこと、以上四点の提案をいたしましたところ、永井文部大臣は次のように答弁をいたしております。「東京大学の病棟の問題につきまして、正常でないと私は考えます。そこで、この正常化を目指して絶対に進めなければいけない。一日も早く問題を解決すべきであると考えます。きわめて具体的な御提案がいろいろございました。」「これはまず私どもこれを承って十分文部省の中で最初に検討いたします。」こうして三年が経過をして今日に至っているわけですね。 そこで、この問題について最初に、今回初めて、二月十五日、十六日に会計検査院がこの病棟に対する調査を行われたわけでございますが、この調査に行かれた目的は何であったかという点が一つ、それから調査に行かれた後における今日の所見はどういう御所見を持っておられるか、この二点についてお伺いをいたします。
○松田会計検査院説明員 お答えいたします。 先生御指摘のように、先週十五、十六日の二日間、調査官、担当課長以下四名をもちまして検査を実施いたしました。その検査内容を言いますと、もちろん東大精神科病棟、そこの国有財産及び物品の管理状況、これがどうなっておるか、そして歳入歳出の内容はいかがであるか、また債権の管理状況はどうかということを検査したわけであります。東大精神神経科病棟の異常事態につきましては、私どもも従前から承知しておったわけでございますが、昨年の東大の検査の際にも事態の解決に努力していだたくように注意を申し上げてきたところでございます。そして東大だけでなしに、東大と同種の事態でございますが、いまそのほかに京大なりそういった大学でやはり占拠問題が起きているというところがございますので、私どもの方としましては、本年の検査におきましてはこれらの全体をひとつ事態の究明をしてみようということで考えておったわけでございます。ところが、たまたま先般新聞紙上なんかでも取り上げられまして、われわれとしましてもこの機に、とにかくその実情がどうなっているんだということを知る必要があるということで検査したわけでございます。 そして、検査の状況でございますが、二日間にわたりまして事務部におきまして、収入支出、そういった面については帳票その他と照合して検査してきたわけでございます。ただ、財産の管理の面、物品の管理の面ということになりますと、病棟に立ち入って確認しなければいけないわけなんです。ちょうどその両日、過激派の団体ですか、デモなんかがございまして、まあ私どもの調査官も何とかして立ち入って検査したいということで努力したわけでございますが、二日目に中へ入りましたけれども、占拠派の方の部屋には入ることができませんで、したがって、病棟の脳波検査室等の四室における物品の確認にとどまった、そういう状態でございます。 こういうふうな事態になったこと、われわれとしてもまことに残念なことに思っておりますが、いまも申し上げましたように、国立大学におけるこういった事態というもの、これは他の大学にもございますので、今回はその検査の一環としてまず実情を知ろうということで検査に行ったわけでございます。さらに今後全般の検査を通じて検討していきたい、こういうふうに考えておる次第でございます。
○山原委員 会計検査院が国有財産の管理に当たって必要を認め、しかも八年間にわたり不正常な事態が続いておる場合に、これを検査に行って、実際は、ここに図面をいただいておりますけれども、たとえば、通常赤れんがと言われます精神科病棟の、この赤い部分が占拠されておるところですが、そこには一歩も入れないという状態、一部占拠されていない幾つかの部屋で調査をすることができるという、こういう事態ですね、こういうことはいままでも会計検査の場合にあったことでございますか。
○松田会計検査院説明員 いままでずっと続いてきた紛争の、その事態に立ち入って検査するという方法はとっておりませんでした。
○山原委員 結局、財産と物品の問題については、この管理の状況というのはわからないというのが実情ですし、新聞を見ましても、また昨日会計検査院の話を聞きましても、最初の十五日は入ることを拒否される、翌日は入りましても、十数名の者が取り囲んで入れない、建物に入っても実際には部屋には入れないという状態、しかも、入るに際しても安全の保証はできないというようなことを通告してくるということ自体、これは全く異常なことでございますが、この問題について文部大臣が二月一日の予算委員会で御答弁をなさり、またこの委員会でも自民党の水平委員の質問に対して答弁をされております。その中で「いわば暴徒のような者が占拠を不法にいたしておる、」という御発言があったわけですね。これはいままでの文部大臣の発言とは違った、彼らに対する一定の前進した評価がなされておると思うのですが、その点は間違いなく受け取ってよろしいでしょうか。
○砂田国務大臣 八年余りにもなります長い間にこういった異常な事態を解消し得ない、こういう御批判は受けなければなりませんし、私も重大な責任を感じております。私から国有財産の管理、その権限、責務の委譲を受けております大学長も同じ責任を感じておられるものと考えるものでございます。いま先生の御指摘になりました、私が異常な事態と申し上げておりますのは、まさに、いかなる体制にも反対だというような思想を持った暴徒が占拠をしている、私はこういうふうに認識しております。
○山原委員 私もその認識は正しい認識であろうというふうに思うわけであります。現在、八年間に及ぶ被害の状況を見ましても、たとえば教育、研究、診療の機関でありながら、教育の面から、どのような妨害がなされておるかということを調査してみますと、医学生が、昭和四十五年の卒業生から五十二年の卒業生まで八学年にわたりまして、八百七十七名が病棟実習ができないという状態に置かれております。ことし卒業する五十三年度の卒業見込みの医学生が百十六人でございますが、これも同様の状態に置かれておる。これは看護学部の場合も同じでございまして、四十八年の卒業生から五十二年の卒業生まで五学年、二百人が病棟実習ができないという状態にあるわけです。それから研修医の面から見ましても、研修医の教育が始まりました四十五年から五十二年まで八世代にわたって三十一名の研修医が病棟研修が不能に陥っているという状態があります。それから研究の妨害の実態を見ましても、とにかく図書室へもはいれなければ、この建物内の研究器具、設備の整備、使用などは不能な状態に置かれておる。 それから診療の問題から見ましても、何しろ医師が病棟に入れないという状態で、その数が、講師二名、助手十二名、非常勤医、これは正規の職員でありますが十一名、合計二十五名がこの八年間にわたって全く病棟へ入れないという状態であります。したがって、病棟内の患者は十数名おると言われておりますけれども、その診療の実態についても病院当局は把握できない、こういうことですね。したがって、たとえば昨年の十二月にある患者が失踪しまして、あの三四郎池に入水自殺をいたしておりますが、その自殺を病院長が知ったのは実は失踪後二十一日経過して警察当局から知らされたという状態があるわけですね。 しかも、これは前にも私は指摘をしたのですけれども、この建物が、いわゆる過激分子と言いましょうか、連合赤軍などを含めた連中の拠点になっている、出撃基地にもなっている、こういう状態で、これは一月三十日のサンケイ新聞の、占拠のただ一人の職員であります石川という講師の発言によりましても、かつて連合赤軍の二人が武器を持ってやってきたというようなことを言っておりまして、年末になると越年闘争と称して山谷住民が大挙して寝泊まりをするとか、こういう事態が続いているわけですね。 〔唐沢委員長代理退席、石橋(一)委員長代理着席〕 しかも、東大の文学部長室占拠のときやあるいは演習林の封鎖のときなどにも、学内の闘う拠点であるという言い方をしています。これは本年の一月三十一日付の、彼らが精医連と称しております精神科医師連合のビラを見ても、学内の闘う拠点としてこれを自認しておるという状態でございますから、これは大変な事態で、しかもこれはいつまでたっても解決しない、こういうことですが、私は、こういう事態をどう解決していくかという問題をお互いに論議しなければならぬところだと思います。確かに、要するに暴力をいつでも行使する状態にあるわけですから困難ではありますけれども、しかし、どうやって解決していくかということについて文部大臣はいま何らかの方法を持っておられるか、伺っておきたいのです。
○砂田国務大臣 現在、東大病院当局におきましては、現在のような状態を是正いたしますための方策として、精神医学講座を分担いたしております教官がまず病棟内に入りまして、患者の診療や学生の臨床実習指導等を行って、これを通じていまの状態を改善していこう、こういうことから、昨年末から医学部長、病院長が中心となりまして、病棟の占領側に対しまして精力的な説得が続けられているところでございます。特に昨年暮れからこの説得を病院側が非常に積極的に行っているところでございまして、文部省といたしましては、紛争の性質上、当面は医学部、病院当局のこのような方針と、それによります努力を見守りながら、事態の進展に応じまして不正常な状態の早急な是正のために指導をしてまいりたい、そしてその指導は強めてまいりたい、このように考えているところでございます。
○山原委員 いままでもそういう御発言は各文部大臣もなされているわけでして、今度は、昨年の十二月から積極的にやっておるとおっしゃいますけれども、これが八年間たってもなかなか解決できないという事態、ではここでどうするかという問題が出てくるわけです。 その前に、私は、こういう非常な妨害の中でも、教育、研究、診療活動というのが東大の精神科において行われておるということは、まず言っておかなければならぬと思います。たとえば外来患者数を見ましても、新しい患者が千九百五十三名、これは昨年度でありますが、毎年大体二千名を超しておりますし、それから再来患者が大体二万五千を超しております。だから、そういう診療活動は行われておりますし、また、学生の教育実習等につきましても東大の付属病院、あるいは病棟実習につきましては付属病院の分院や関東逓信病院でやっておりますし、付属看護学校の生徒の場合でも、たとえば外来の場合には付属病院、それから国立武蔵療養所精神科病棟等で病床実習というのが行われてはおります。そういう努力が続けられてはおりますけれども、とにかくこの赤れんが自体が本当に開放されて使えるようになれば、東京大学における精神神経科の診療、教育、研究というのが飛躍的に前進することは目に見えているわけですね。 そういう事態をどうしてもつくらなければならぬわけですが、ここでまず、文部大臣のおっしゃる、いわゆる暴徒というようなものが不法に占拠しておるのだというこの認識が大学当局にあるんでしょうか。そういう見解に立っているんでしょうか。この点に私は非常に疑問を持っておるのですが、その点どうでしょうか。これは大学局長からでも結構ですから……。
○佐野政府委員 東大の医学部あるいは病院当局は、現在の事態がきわめて異常、かつ不正常なものであるという認識は持っておりますが、不当な占拠であるという認識を持っておるとは思いません。
○山原委員 私はいままでずっとこの問題を取り上げてまいりまして、この問題の解決ができない一番の中心はここにあると思うわけです。こういう八年間異常な事態を続け、入ろうとすれば暴行を加えられて入れないという事態、中におる患者の診療がどういうふうになされておるか把握もできないという状態の中で、なおかつこの占拠しておる部分に対して的確な評価といいますか、そういうことさえ明らかになっていないところに、この問題がいつまでたっても解決しない原因があるわけです。だから、むしろ私は、いまこの国会に至りまして、砂田文部大臣が言われておる彼らに対する見解と大学当局の見解が一致することが必要だと思うのです。その話し合いがなされなければ事態は全く前進しないわけでございますが、その点について大臣としてどういうふうにお考えになるのでしょうか。
○砂田国務大臣 一つの目的を持ちまして国庫資金が投入されて建設された建物が、まさに国有財産が、その所期の目的のとおりに使用されていないという事態はまさに異常な事態でございます。私はそういう認識を持っておりますし、大学当局にもそういう認識を持っていただくように努力をしているところでございます。
○山原委員 大学局長がおっしゃいましたように、大学当局としては不当な事態ではないという、こういう見解ですね。もう一回正確に。
○佐野政府委員 医学部あるいは病院当局は、現在の事態がきわめて不正常あるいは異常な事態であるということは十分に認識をしておりますけれども、いわゆる不法な占拠であるという認識はいたしておりません。
○山原委員 文部省としての見解はどうでしょうか。大臣のお考えは私はわかるのですけれども、大学局はどういうふうにお考えになっていますか。これは不当なあるいは不法な占拠ではないというふうに――文部省の事務当局としてはどういうふうにお考えになっていますか。 〔石橋(一)委員長代理退席、唐沢委員長 代理着席〕
○佐野政府委員 現在、この病棟には御指摘のように精神神経科の他の職員が入ることができないわけですし、病床実習もできないわけです。きわめて異常な、不正常な状況にございます。しかし一面では、ここに入ってくる入院患者というのは病院長の許可を得て入院をしている。そしてその入院患者に対して治療を行い、治療費、入院費を徴収しているという状況がございます。したがって、直ちに現在の状態をもって違法な状況にあるとは言いがたい面がございます。しかし、その状況が続いていく中で、個々の事態をとらえれば多くの違法な状況がある、起こっている、そういうふうに考えているわけでございます。
○山原委員 かなりわかりにくい解釈をしておられるわけですけれども、異常な事態ではあるけれども違法ではないということですね。これは文部大臣の見解とは違いますね。大臣の国会で答弁されておることと大学局の方で把握されておる見解とは、その辺の接点はどういうふうになっているのでしょうか。
○砂田国務大臣 大学局長と私の御答弁が違ってはおりません。先ほどから申し上げておりますように、異常な事態であり、不当な事態だと私は申し上げております。また不当な行為であると申し上げておるのでございまして、それが不法であるかどうかは、法律的にはいろいろな見解があろうかと思います。いま大学局長が御答弁をいたしましたけれども、起こっておりますいろいろな事態につきましては、中には不法だと考えられることもあると大学局長はお答えをしているのでございまして、食い違っているわけではございません。
○山原委員 そうしますと、大臣は不法という言葉を予算委員会で使われていますね。これは時間をとるつもりはなかったのですが、少し正確にしておく必要があると思います。そういうお言葉を使っておられないですか、いかがですか。
○砂田国務大臣 私は不当なと申し上げております。
○山原委員 本年の二月一日の予算委員会の総括質問で、議事録の二十五ページでございますが、「いかなる体制にも反対だという、いわば暴徒のような者が占拠を不法にいたしておる、」という、不法という言葉を使っておりますが、これはいま訂正されるのですか。何かこれには別の解釈があるのでしょうか。
○砂田国務大臣 私は予算の総括質問のときにお答えいたしましたのも、不当なという言葉を使いましたので、速記録、私見ておりませんでしたから、速記録がそうなっておりましたら、記録部に訂正の申し入れをいたします。
○山原委員 不法と不当という言葉、これはずいぶんいろいろな解釈の仕方があるわけでございますが、実は私も予算委員会の総括質問を聞いておったのです。確かに不法という言葉を使われたように思いましたね。だから議事録がこうなっておるのは当然だと思います。この前の本委員会でお使いになった言葉は、まだ議事録が出ておりませんが、確かに、不当だという言葉になっております。不当な占拠、それから暴徒という言葉をこの委員会でもお使いになっておるわけです。 そこで、この問題を長くやってもいけませんけれども、とにかくその付近のことですね、不当であろうと何であろうと、暴徒のごとき者が不当に占拠しておると言おうとも、それすら大学当局はまだそういう言葉を使ってない、異常な事態だと言う。これで暴徒のごとき者と幾ら交渉をやったって交渉が成立するはずがないわけですね。それはいままでの八年間の経験でおわかりでしょう。 〔唐沢委員長代理退席、委員長着席〕 私は文部省はおわかりだと思うのです。しかもこの交渉に来ておるのは、今度の場合だって七十人、四十人と来まして、しかもその中には松沢病院の吉田哲郎とか国立武蔵療養所の藤沢なんという人物が来て、そこに病院反戦共闘とか労評とかいうものが来て、そして話し合いを幾ら続けたって解決できない状態にあるということはおわかりだと思いますが、そういう暴徒と話し合いによってこの問題を解決するという立場をとっておられるかどうか、はっきりしていただきたいのです。
○佐野政府委員 東大の病院当局は、現在の異常な事態のいわば根底と申しますか、本質と申しますか、その部分に、精神神経科の医師の間における精神神経科の教育、研究あるいは診療についての考え方の相違の問題があるのだ、そこのところを何とか正していかない限りは抜本的な解決というわけにはいかないのだという認識を強く持っております。そこで、従来病院当局はそれぞれ個別に病棟側あるいは外来側と話し合いをし、できれば病院長が仲立ちして同じテーブルに着いて双方の話し合いを進めたいという努力をしたようでございますが、これはついに実らずに今日に至っております。それに対して現在病院当局がとっておる方針は、いわば保健学科の教授等に分担をしてもらっておる分担教官というのが現在いるわけですけれども、そういった分担教官を仲に入れて、そして病棟側と話し合い、その話し合いの中に外来側の意見も十分に組み込んで、何とかそういう基本的な対立を幾らかでも緩和をしていくことができないか。そういう方向がとれないと、結局精神神経科の問題としてこの赤れんがの問題を解決できないのだという認識を非常に強く持っております。そのことについて、私どもは、病院当局がそういうことをこれまでの紛争の経緯、発生の経過等からして持っているということは理解できますけれども、ただ漫然と話し合いを続けていくことによって病院当局が期待しているように事態が直ちに好転してくるというほど楽観はいたしておりません。したがって、先ほど大臣からもお答え申しましたように、事態の進展をいましばらく見守って、そしてその進展に応じてさらに東大当局に対して指導を強めていくということを考えているわけでございます。
○山原委員 それでは解決できないと私は思います。当局とおっしゃいますけれども、東大医学部当局、まあ病院当局でしょうかね、その辺もはっきりさせたいのですが、診療上の意見の相違などということになってきますとどこにだってありますよ。学問の世界に意見の相違がないことはないのです。意見の相違はあったっていいわけですよ。精神科の診療についてはどういうやり方があるかという意見の相違があったっていいわけです。いいのだけれども、暴力で他の意見を持つ者を排除するとかいうようなことはいけないと思うのです。しかも、向こうを占拠しておるのは、皆さんからいただいたこの資料を見ましても、実際、有給の職員というのはたった一人でしょう。一人が占拠しているわけです。しかも、膨大な建物を占拠して他を入らせないなどということになったら、東大当局がそれは診療上の意見の相違だとか、八年かかってまだそれをいま言っていること自体がおかしいじゃないですか。そんなことは国民の間には通用しませんよ。 だから、ここに入れない人たちが、本当に自主的に解決することがやはり東大当局にとっても一番いいことでありますから、その点でこの問題を処理するために具体的な条件も出しておられるわけですね。外部の力を排除する。何かわからない者がどんどん入ってきて、交渉なんかできやしません。それから暴力についてもちゃんと反省をして、職員の立ち入りができるようにする。そうすれば話し合いをしたっていいわけですね。それをやらぬというわけでしょう。だから、話し合いをすると言ったってどういうふうにやられるのか。いま何か少し、保健センターですか、その方から入って仲立ちをするような形で話し合いをなされるというお話でございますけれども、その話がどういうふうに進むかわかりませんが、私はここで一つ提案します。 東京大学医学部は、教授会を開いてこの赤れんが問題について討論をすべきです。ちゃんと議題にのせて、一神経科の問題としてさわらないようなかっこうでおるのではなくて、教授会というものが本当に責任を持つものであるならば、いろいろな意見は出るでしょうけれども、教授会の議題として、この八年間に及ぶ赤れんが問題をどのように東大当局として解決をしていくかということを論議しなければ、これは病院長だってあるいは医学部長だって解決できないことは佐野局長は一番よく知っておられると思うのですよ。しかもそういうふうに大学の機能があるわけです。それは教授会です。教授会でこういうふうにするという論議をする。それは幾日かかるかわかりません。いろいろな議論が百出するかもしれません。しかし、少なくとも暴力を排除せよという声ぐらい出なければ教授会の責任はとれないと思いますが、そういう全員が一致するものを見出す。東京大学医学部の機能がそこで動くということ、そしてそれが東京大学の評議会なら評議会にかけられていって解決の方向を見出していく。それに従わない場合には、それは全く不法な暴徒でありますからそれなりの措置が東京大学自体としてとられるでしょう。そういう一つ一つの持てる機能をフルに動かして、正常な論議をして正常な方針を出していくということにならないと解決しないのです。 なぜ私がそういうことを言うかといいますと、今度の問題で一番感じますのは、歴代の医学部長だって病院長だって、みんな、こんなことは全く不当なことだと知っているのです。ときにはそういう発言もされておりますが、その次には、ばっと揺さぶりをかけられてその言い方を撤回する。ちょうど文部大臣が言ったような、不法なあるいは不当な占拠、あるいは暴徒が占拠しておるというような言い方をときにはしておられるのです。それから大学の総長だって、これはもう本当に異常な事態だということを言っておるのですが、言ってしばらくして、彼らが押しかけてくるとまたそれを撤回する、この繰り返しです。ここに何があるかというと、暴力に対するおびえがあるのです。これが問題の解決しない一番のガンになっているわけです。ここで文部省が大学当局のこの問題解決に向かっての熱意を激励して、本当に正常な大学としての機能をフルに回転させて、全学挙げて問題の処理に当たっていく、この気風をいまつくっていくということ、これが文部省に課せられた指導助言の立場ではないかと私は思うのです。そういうふうに私は考えておるわけでございますが、それ以外にいま方法はないと思いますよ。たとえば大学当局が退去命令を出して、何月何日までに退去しなかったら警察権力を入れてばっとやる、これが一番簡単な解決の方法でしょう。しかし、それでは大学の自主的解決にはなりませんし、また後遺症も大きくなりますから、やはりやらなければならぬことは、大学の持てる機能、教授会、評議会、そういうものがこの問題を正当に議題として取り上げて論議をしていく、こうして初めて解決の道が見出されるのではないかと思います。それを文部省が本当に励まして、そういう方向がいいのじゃないかというようなことをやられるならば、私はかなり事態は前進するような気がするのですが、この点について文部大臣どうでしょうか、私の提案をぜひ聞いていただきたい。私は八年間、各大臣のかわるたびにこの問題を取り上げてきた。しかし、じいっと見ながら前進はしない。しかも、いまのような大きな問題になってきて、まかり間違えばどんなことになるかわからぬというようなことになってきたわけですから、この際、私が本当に一生懸命考えた末、言っておるこの提案についてどういうふうにお考えになるか、伺っておきたいのであります。
○砂田国務大臣 暴力に対する恐れというような気持ちがあるのならば、そういうひきょうな気持ちは一掃していただいて、この異常な事態を解決するための大学側の努力について私どもといたしましてもなお一層積極的に指導助言を強めてまいります。
○山原委員 その点、大学局長にも伺いたいのですが、病院長、医学部長という個人ではやられるのです。またいままでやられてきたのです。だから私が言うのは、いま大臣もかなり理解をしてくださった御答弁をなさっていますが、大学の機能を動かすということが大事ではないでしょうか。また、大学の自治そのものはその機能に基づいてやられているわけですから、何も大学の自治に違反するものではない、もとより当然のことを私は申し上げているのですが、大学局長、いかがでしょうか。
○佐野政府委員 御指摘のように、東大の医学部の場合に、この問題を医学部全体の問題としてとらえないで、一診療科の問題であるととらえる傾向なしとしないと私も思います。ただ、最近の話し合いの際には、夜遅くなりましても他の診療科の科長がすべて残って待機をしておる、そういうところまで医学部の意識は高まってきておりますし、医学部長に医学部全体の問題としてこの問題の解決に当たるように、さらに強く指導をいたしたいと思います。
○山原委員 もう一言伺っておきますが、大学全体、医学部全体の問題として取り上げるということ、これはもう大きな前進だと思います。そして、本当にそういう問題を議題として取り上げる組織といえば教授会であろうと思いますし、また精神科に関する教職員の皆さんの問題でもあろうと思います。そういうところで本当に議事として取り上げて論議をしていく。いままで医学部の教授会でこの問題を議題としてまだ取り上げたことがないようにお聞きをしておりますが、そういう正規のルートに乗せて、ほかにもやり方はあると思いますよ、あろうと思いますけれども、それも一つの大学の機能としての重要な仕事ではないかと思いますが、その点よろしいですか、局長、そういう助言指導をしてくださいますか。
○佐野政府委員 医学部長、病院長に対して私の方から指導をいたします。
○山原委員 次の問題に入ります。 これは、けさからずっと論議されております、現在の教育に対していろいろひずみが生まれたり、また荒廃という言葉が生まれたり、危機的な状態であるということで、自殺とか非行とかいう問題がかなり多くなってきているわけです。そうした中で学校の先生方が本当にいろいろな努力をされておるということでございますが、今度も沖繩で行われました日教組の教研集会など、いわば先生方が教育の現場から、本心から吹き出るような、烏山工業高等学校の問題とか、いろいろな困難な問題、その他の問題をいっぱい出して、これをどう解決するかということで論議されておるわけですね。そのことは最近のマスコミを見ましてもずいぶん多く取り上げられておりまして、そういう点で全国の教師の努力というものも大変なものだと思うのです。私は、こういう現在の日本の教育のひずみの中で、こういう努力に対して文部省がどう評価するかという問題もあると思います。大臣の所信表明の中にはそういう言葉が全くないわけでして、一番大事な問題について現在の日本の教師がどういう努力をされておるか、あるいはそれに対して文部省がどう対応するのかというようなことがいま非常に必要なことではないかと思うのですが、その点、所信表明の中にはありませんが、何か大臣としてお考えになっておるのでしょうか。
○砂田国務大臣 先ほども御答弁をいたしましたことでございますけれども、教育の各種各様な形でございますひずみを是正いたしますのに、これは文部省にも責任があり、教員にも責任があり、両親にも責任があることだと私は考えます。しかし、先生方はこうあるべきですよということを言います前に、また御両親にこうあってくださいよということを言います前に、文部省として反省の上に立ってどうあるべきかという責任をまず明らかにするべきだと考えたものでございますから、教員のことについて所信表明では言及をいたしておりません。私の決意を表明したにとどめたわけでございますけれども、私どもが学習指導要領の改定をいたしまして、もちろん学習指導要領の改定だけでひずみが一切直るものでもございませんけれども、その一助にも当然学習指導要領の改定というものが重大な意味を持ってくるわけでございます。しかし、この学習指導要領の改善をいたしましても、これを教育の現場で生かしていただくのはやはり教員の創意工夫にまたなければなりませんことは当然のことでございます。なお一層の創意工夫、御研修をいただかなければならないわけでございますから、もっと自分が勉強しようと、恐らく教員の大多数の方はそういうお考えをお持ちになっていることでございますから、文部省としてはそういう、勉強をさらに積み重ねようという教師の方々の御要望にこたえる意味で、各種各様の、すでに教壇にある方々に研修の場を提供するというようなことを所信表明の中では申したわけでございます。
○山原委員 先生方が教研集会というものをやっておりますが、これは長い歴史もありますし、また恐らく全世界の教員の中でこれくらい大きなスケールの研究集会を持っているところもないと思いますけれども、これだって、各県の対応の仕方を見ますと、大変な苦労をして、有給休暇で行ったり、さまざまな苦労をして出なければならぬという状態ですね。こんなのも、もう少し文部省の見方も改善をして、いま大臣がおっしゃったように、創意工夫あるいは創造性といいますか、そういう自主性といいますか、そういうものを尊重するという立場で、大きな目で文部省が見ていくということも必要だと私は思っているのです。文部省のやる研修もあると思います。各種各様というのはそのことだと思いますが、そういう意味で、もう少し研修というものに対して広い立場での見解を表明される必要がありはしないかと私は思っております。 大変古い話で恐縮ですけれども、いままで文部省がとってきた、あるいはかなり古い文部大臣の発言なんか見ましても、教員の自主的な研修というものに対しては非常に敵意を持っているのですね。これは、第一回の文部省教育課程研究発表大会において荒木文部大臣の発言があるわけですが、これらも全く乱暴な発言になっているわけです。たとえば、日教組のやっている教育研究というのは「教育は中立だとする教育基本法への挑戦である。」それから、「日教組は教研活動をやっているが、一種の教育泥棒であり、ヤミ文部省的行為である。日教組といわず、日教組征伐をつづける。日教組は死んだふりをしているあばれ馬である。いつかみつかれるかわからない。文部省の対象ではなく警視庁の対象だ。」こういう文献が残っているのですよ。それから、一九五九年の十月の自民党の「政策月報」の四十五号を見ますと、かつて文部大臣をしていました清瀬一郎氏の語った言葉なんか出ている。研修についてこう言っています。「もっと少ないといけるんだけれども、五十万もの者を悪いからといって免職できず、何とも仕様がないのです。それで大海の一滴のようなものだけれども、研修所をつくって逐次ふやして、これらの人を再教育する。初めは五十人でも千人でもいい、成績がよければそれをどんどん拡大して思想的改造といったようなことを、共産党の洗脳をあべこべにやるようになったら悪いんですけれども、ときと場合ですからね。」と、大変おもしろい文章が出てきまして、私は興味深く見たのですけれども、こういう時期もあったわけでしょうね。恐らく乱暴な言葉のやりとりもあったと思いますが、しかし、よくこういう言葉の中に日教組征伐というような言葉が出てくるように、研修というものに対して、教師あるいは教員組合の自主的な研修に対しては頭からこれを敵視するという見解を表明されてきたことは事実なんですね。しかし、恐らくいまはそういう立場ではないと私は思うのです。だから私は、教員の研修というのは非常に重要なものでございますから、文部省としてもっと広い立場で見ていく。それからまた、各県の対応の仕方にしましても、自主的な研修に対して余り敵視するような、いじめていじめて、行かさぬというようなことじゃなくて、もっと自由な雰囲気を教育界につくることが必要ではないかと思いますが、この点、簡単にお答えをいただきたいのです。
○砂田国務大臣 山原先生、大変古いときのお話でございます。まさに文献と呼んでいいのではないかと思いますが、世の中は変化し、進歩もしておることでございます。確かに、そういう時代には、お互いにそういうことを言い合っていた時代があったと思います。そういう時代、子供たちにとってみれば何の実りもなかった時代であったと、私はさように考えます。教研集会の問題も、文部省がこれを認めていないということも事実そのとおりでございます。しかし、教研集会で御議論なさいましたことは、ある人によりましては、主流派だとか反主流派だとか、それの抗争から出てきた議論だというふうなことをおっしゃる方がありますけれども、私はもう少し素直にこの議論の中身を受けとめております。ただ、ただいまの教研集会というものが果たして自主的な――教育という問題の枠の中での自主的な研修そのものであることは望ましいと思いますけれども、ある時間はそうでもないことにも使われておる状態でございます。私は、先ほどからしばしば申し上げておりますように、日教組がこうあるべきだとか、教員がこうあるべきだとか、そういうことを申し上げる前に、私自身が反省の上に立って、文部省にできることをこういう形で私どもは責務を果たしてまいりますということを申し上げておりますのも、先ほど文献として申されたような時代を二度と繰り返したくないと思えばこそでございます。私を見習えというわけではありませんけれども、やはりある団体の方々にもそういう立場でお考えをいただきたい。確かに、話し合いをしてみましても意見が平行線のままの問題もございます。平行線のことは平行線でいいではありませんか。協力ができることがあるならばお互いに協力し合っていくことが、私は子供たちにとってみれば一番実りのあることだと信じますから、その姿勢でこれからも文教行政と取り組んでまいる決意でございます。
○山原委員 一言、いまの歴史的な経過を申し上げまして次へ移りますが、いまの教育の荒廃の問題について行政としてやるべきこと、それは何かということで幾つかの最近資料が出ています。非行の問題を見ましても、学校から疎外されるということが非常に大きな原因になっておるわけです。そういう意味で学校の責務というのも非常に重要ですが、その中で学校の仕事といえば、一人一人の子供に基礎的な力をつけて子供たちに自信を持たせて、そして同時に、生き生きと学校へ行ける、何といいますか、いそいそと学校へ行けるという、このことは大事なんですね。全く、いわば、ある人が言っていますが、恋人に会えるような気持ちで学校へいそいそと子供が行けるという、そういう学校にしたいというのがみんなの気持ちだと思います。そうすれば、かなりいまの非行とかそういう問題が解決されていくんだろうと思うのです。 これは先ほどもちょっと出ましたけれども、NHKの二月十一日の中学校教育に関する調査結果、これは都内の公立中学校の先生千四百八十五人、生徒、父母九百人を対象に昨年十一月に調査をしたものだと言われていますが、これは諸澤さんよく御承知のことと思います。その中で、教育に対する批判もずいぶんありますが、中学校で身につけてほしいものは何かということで父母に聞いておりますけれども、五三%が基礎学力をつけてほしいということですね。これはずば抜けておるわけです。それから、生徒のよりよい教育のためにどうすればよいかという先生方に対する質問で、一番多いのは一学級当たり生徒を減らすこと、これは一番目の答えとしては三二%ですが、教育内容を精選することが二二%になっています。この設問の仕方によりますけれども、設問の一、二、三をトータルをとりますと、何と学級定数を減らしてほしいということが六二%にも達していますね。これはずいぶん大きな比重を占めておりますから、大体父母にとりましても教師にとりましても非常に重要な、生徒数をもう少し減らしてもらいたいというのが本当に一つの焦点になってきたように思うのです。 そこで、読売新聞の二月六日の社説を読みますと、荒廃問題を取り上げていますが、「現行の学級編成基準は、一学級四十五人になっているが、欧米のように上限を三十人程度にする改善が、とりわけ急務であろう。」というふうに、こういう世論がずっと構成をされておるわけでありますが、この点から見ますと、上限を見ると、外国と比べるというのはどうかと思いますけれども、やはり日本の四十五というのは多いですね。それから平均をよく言われるわけですが、これは文部省の国際比較を見ましてもやはり多い数字になっております。 それからもう一つ、学級定数が四十人以上の過密学級数と生徒数はどれくらいということで、もう時間がありませんから私の調べておるところで申しますと、小学校で学級数が二六・五%、それを生徒数にしますと三二・二%で三百三十万の生徒が四十名以上の学級で勉強しておるということになります。中学校の場合は、学級数にしまして四九・九%、五万八千五百七十二学級、生徒数にしますと二百五十二万という数字が出てきまして、パーセントで五五・一%ですね。相当な過密の学級で勉強をしておる子供が大体半数に達しておる。そういうところに、御承知の田舎よりは都市地帯に非行問題なんか起こるわけですね。ここのところにメスを加えなければいかぬというふうに思うわけです。 そこで学級定数の減の問題について、これはアメリカのカリフォルニアの小学校の例を見ますと、一人の先生に三人のペイドヘルパー、有給ヘルパーとでも申しましょうか、この三名のヘルパーが教室の中に入っておる。一学級二十三名から二十四名がカリフォルニアの例でありますが、結局一人先生がいらっしゃって、そこへ三名の有給ヘルパーがついておりますから、本当に生徒の一人一人に見合った教育ができますし、それから五人、六人のグループ学習をやる場合にはそれ一人一人に先生とヘルパーがつく、こうなってくると全く先生の表情と子供の表情とがぴたっと合うわけですね。こうして初めて進度もよくわかるし、子供の性格もよくわかるという状態で、この点についてはイギリスにしてもスウェーデンにしても、東欧、ソ連などに行っても学級規模の問題は最大の関心事になっております。これはもう文部省よくおわかりのことと思いますが……。 そこで、四十五名というのが昭和三十九年に決められまして、すでに十四年を迎えたわけですね。これをどうするかということなんです。私はいろいろ隘路もあると思うのです。文部省、この四十五名を四十名にせよといってもいろいろな隘路があるわけですね。だから私は、ここで文部省と私どもがけんかをして事が済む問題ではないと思っております。それから、きょうは文教委員会、皆各党を代表して文教委員がおるわけですけれども、四十九年に、先ほどお話があったように衆参両院で、少なくとも学級定数は四十人という努力、それから複式学級をなくすという国会の決議があります。その決議がある限り、各党の文教委員としてはこれを実現する任務があるわけですね。そうしますといままでのように、文部省に対して四十五名を四十名にせよ、そう言うと文部省の方では、そんなことを言われたってお金が第一ありません、東京なら東京でいま学級を二つに割ってしまえば教室がありません、用地がありません、校舎がありません、こうなってくるわけですが、ではどうするかということをもう考えなければ、この子供たちの非行に走る実態を放置することができないということになってくると、本当に衆知をしぼって、この問題について各党一緒になって、文部省も一緒になって、大蔵省も一緒になって考えなければいまの父母の教育に対する不安を解消することはできない、子供を守ることもできないというふうに思うのです。 だから一つは、先ほど中西議員に対する御答弁の中で、第四次の定数改善が行われれて第五次に移るという段階で、今年度の予算に調査費を組んで調査するというお話があって、今度は調査が中へ入って、そして五十四年度から第五次が始まると私どもは思っていました。それからいままでの答弁でも、次の定数改善期には相当改善をするという答弁も私たちはもらっているわけですね。ところが、いまの諸澤局長の御答弁によりますと、ここへ緩衝地帯ができて、第五次の定数改善が先へ延びるという。これは重大な問題ですよ。私はそんなことを夢にも思わなかったわけですが、この点はもう一回お聞きしますけれども、今年度ついております新規の予算として千五百万でしたか千二百万でしたか、その調査費でことしじゅう調査をして、それから立案をして、そうすると第五次改善はいつになるのですか。
○諸澤政府委員 御指摘のように国会の御意思もあるわけでございますから、できるだけ早急に次の年次計画を立てたいということは念頭を離れないわけでございますが、全国的に悉皆調査をいたしますと、五十三年度に入りましても、五十三年度中の早期に調査をまとめて五十四年度より新しい計画を発足させるということはかなり時間的にむずかしい課題ではないかというふうには考えております。おりますが、次の五カ年計画を立てるに当たりましては、できるだけ早い機会にこれを実施に移したいというふうには考えております。
○山原委員 これは文教委員会としてはちょっと聞き捨てにならぬ事態なんですよ。いま一番国民が求めておる定数改善と先生の数の問題と絡んでくるわけですが、その問題が、もう第四次の計画が終わって第五次に、次に移ると私どもは思い込んでいるわけですね。きょう文部省の御発言によると、調査をする。調査は大事ですから、調査をやるななんということは言っておりませんが、しかし、国会の議決は四十九年でございますから、もう四年もたっているわけですね。だからこれは文部省は本当に怠慢ですよ。これはここで諸澤局長の、調査をして立案をなるべく早くやりますというその答弁だけでは私は納得できません。これはまさに本委員会として理事会の問題だと思うのですけれども――いま木島先生から前の国会の決議を一応いただいたのですけれども、これを見ましても、いまのお話とは国会の決議は違うわけです。おわかりでしょう。これはどうしますか、文部大臣。これは本当に重要な問題ですから、私は理事の皆さんにお諮りして、委員長、この問題は場合によっては本文教委員会として理事会を開いて、集中的な審議をしないと私たち責任を持てないですよ。国会の議決はある。引き続いて四次から五次へ移ると思っておりましたところ、その間に間隔ができる。いま木島先生からいただきましたこれには、「これまでのように標準法を五年計画に即して五年ごとに改正する慣行を改め、本法案に基づく五年計画実施中に以上の各項目の措置実現のための法律改正を行うこと。」こういう明確な議決になっているわけですから、ここでは下がるわけにはいかぬわけです。これは文部大臣の決意を伺い、また委員長としてのこれに対処するお立場を御説明いただかぬと、ここで引き下がるわけにはいきません。いかがでしょうか。
○砂田国務大臣 委員会議決も明確でございます。委員会決議の御趣旨も体しまして、五カ年計画というものを五十三年度改正もしたわけでございますけれども、その次どうするのかということも、ただいま御指摘になりました委員会決議が明確でございますから、その御趣旨を私も体しましてできるだけ早く答えを出して次のことを考える、このようにひとつ御理解をいただきたいと思います。
○山原委員 委員長、これはおわかりになっていただけたと思いますが、恐らくここにいらっしゃる各議員とも、きょうの中西議員の御質問に対する答弁、かなり意外な気持ちでお受け取りになっているのではないかと思います。これは、こういう決議をした委員会としては非常に重要な問題でありますから、委員長としましてもこの問題についてはかなりの決意を持った立場をとっていただきたいと思いますが、委員長の御見解をこの際伺っておきたいのです。
○菅波委員長 この問題は非常に重要な問題でありますので、後ほど理事会において協議いたしたいと思います。
○山原委員 最後に、高等学校教育の問題について簡単に御質問申し上げます。 最近、先ほど言いました日教組の沖繩の教研集会におきまして、烏山工業高等学校の例も大胆に提起されています。それに対するいろいろな意見も出ています。また、今回滋賀県の野洲町の中学校の生徒の残念ながら殺人事件が発生をしまして、その中身を新聞等で読みましても、たとえば中学校卒業間際を控えまして、次にどういうふうな進路を歩むかということで、職業訓練校に行く子供、それから一方は県立高校の農業科に行く子供、そういう中における、子供たちにとって大変深刻なつらい事態がその背景に横たわっているように思うのです。新聞を見ますと、滋賀県ではこういうことが書かれているのですね。昔は士農工商というものがあったけれども、現在は普商工農という言葉がある。工業科とかあるいは農業科というのは学校の名に値しないという風潮があるのだというようなことまで書かれておりまして、これはまた大変な事態であります。これは容易に想像できることではありますけれども、これはどうすべきかということであります。 これについて私どもはこういう考えを持っているのです。たとえば普通科の高等学校と職業高等学校をもっと接近させていく。それから普通科でも技術に関する専門的教科を必ず学習させる。あるいは職業高校でも専門教科を精選して普通教育を重視する。そういういわば普通科高校あるいは職業科高校をもっと接近させていくというような問題とか、いろいろ考え方は出てくると思います。たとえば一定地域内の普通高等学校及び職業高等学校に、工、農、商、音楽、体育などの専門教科を置きまして条件を整備し、そして他校の生徒を含めて、そこで学びたい人が専門的教育を受けるとか、生徒の希望によって普通科、職業教育の間の編入学を認めるとか、これは私どもの党としても一定の提案をしていまして、文部大臣、これはきょう差し上げたいと思いますが、簡単なパンフレットですけれども、ぜひ読んでいただきたいと思いますが、いろいろなことが考えられると思うのです。そういう点でこれはもう検討しないといろいろな弊害が生じてくるように思うわけです。きょうは時間を少し残したいものですから、学習指導要領の改定が、高等学校の分が進められつつあるわけでありますが、これについてこういった問題が検討されておるのかどうか。そしていつ出されるのか。それから、いままで高等学校の指導要領の改定についての論議がなされておると思いますが、討論や内容、こういうものはやはり公然と発表して、広く意見を求めていくということが大事ではないかと思いますが、この点についてどういうふうなお考えを持っているか、伺っておきます。
○諸澤政府委員 教育課程審議会の答申をいただきまして、現在高等学校の学習指導要領の内容について検討中でございます。基本的な考え方といたしまして、先ほど御指摘のありました、普通課程と職業課程の内容的なあり方の接近ということの御指示がございましたけれども、今回の改定では、普通科、職業科を通じまして、いわゆる共通必修と言われますところの国語、社会、数学、理科といったような部面につきましては、内容をできるだけ集約して、その単位数もきわめて最小限にしぼる。そして職業科の専門科目のあり方につきましても、これは実験、実習を重視する。あるいは、従来職業教育の多様化という名のもとに余りにも専門学科目を細分し過ぎたというような弊もございますので、その辺はむしろもっと大ざっぱなくくりにするというようなことで、同じ職業科といっても特定の非常に専門に分かれた内容をやるのでなくて、むしろ工業なり農業なりの専門教科の基礎を重視するという考え方でやってまいりたい、簡単に申しますとそのような考え方で検討しておるわけでございます。しからばいつごろできるかということでございますが、現在の目安といたしましては、いろいろ各面の意見などを聞きますとどうしても五月過ぎぐらいにはなるんではなかろうかと思いますが、一応素案ができました段階でまた一般に公表をいたしまして、各方面の御意見をいただいた上で、夏までには正規の学習指導要領として公示をしたい、こういうように考えております。
○山原委員 最後に、自治省もおいでいただいておりますので、高等学校の授業料の問題ですが、一月十九日に自治省として全国の総務部長会議を開いて、授業料五〇%アップについて指導いたしておるわけでございます。これはかなり大きな反響を呼んでおるわけでございますが、これは都道府県の決めることであって、まさに自治省の教育に対する介入になるのではないかというふうに思いますが、自治省はどういう立場でこういうことをやられておるか、一言伺いたいのです。
○関根説明員 自治省といたしましては、先般国会に地方財政計画を提出をいたしておるわけでございます。御承知のように、各年度の地方の歳入歳出を見積もりまして国会へ提出をするわけでございますが、その積算の基礎といたしまして、細目の使用料、歳入の使用料、手数料の中で、高等学校の授業料については一応月額四千八百円、そういうことで積算をいたしておるわけでございます。これに基づきまして地方団体の財政運営を行います場合に、歳入の確保といたしましては、地方財政計画にのせられた計画どおりの収入の額を確保するように一般的な指導をいたしております。最終的に決定いたしますのは、おっしゃるように各都道府県の条例で決定を見るわけでございまして、それを何らわが方から強制をするものではございません。
○山原委員 強制をするものではないのですけれども、たとえば起債の枠をもらうためには、たとえば東京都は四千何百円というふうに一挙に上げなくてはならぬとかいうようなことで、強制ではないといっても、自治体にとってみますとまさに強制の形をとるわけです。これは自治省の見解ですから、最後は教育委員会の御決定でございますから決して強制したものではありませんという答弁、これ以上出ないと思いますけれども、文部省としてはどうなんでしょうか。こういう形で教育条件が、あるいは父母負担というものが増大していくということで別の省からぱかっと入ってくる、しかもかなり強制力を持っているということについて、文部省の見解はどうなんでしょうか。
○諸澤政府委員 授業料というものも、公教育機関における授業の対価として公共団体が徴収するという性格のものでございますから、その対価をどのくらいにするかということは、やはり公共団体の財政を預かる当事者として他の一般収入等との均衡も考えながら決められるという面がございますので、そういう仕組みそのものは私は一つの方法だろうと思います。ただ一般に、非常にこれが不合理な決め方あるいはふつり合いな決め方でありますれば、これは文部省としても強い要望をいたしますけれども、現行の諸物価の動向等を考えました場合に、今回の四千八百円という値上げは、国立学校について文部省が自主的に判断いたしました授業料の値上げとも合うわけでございますから、これは了承せざるを得ないのではないか、こういうふうに考えます。
○山原委員 少し時間が残っていますけれども、まだ養護教育の問題その他ありまして、折を見てまた質問をいたしますので、本日の質問はこれで終わります。 ――――◇―――――
○菅波委員長 日本学校安全会法及び学校保健法の一部を改正する法律案を議題とし、提案理由の説明を聴取いたします。砂田文部大臣。
○砂田国務大臣 このたび政府から提出いたしました日本学校安全会法及び学校保健法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。 この法律案は、学校安全の充実を図るため、国が日本学校安全会の災害共済給付に要する経費の一部を補助することができること、高等学校、幼稚園等の設置者が共済掛金の一部を負担すること等を定めるとともに、学校における安全管理に関する事項につき所要の規定を設けることとし、あわせて、義務教育諸学校の校長、教員の健康診断について所要の改正を行うこと等を内容とするものであります。 まず、第一は、日本学校安全会の災害共済給付事業に対する国庫補助についてであります。 学校教育の積極的、かつ、円滑な実施を図るため、昭和五十三年度から安全会の災害共済給付の給付額を大幅に引き上げることといたしておりますが、この改善に際し、新たに、国が安全会の災害共済給付に要する経費の一部を補助することとし、それに必要な規定を設けることといたしております。 第二は、学校の設置者の共済掛金の一部負担についてであります。 義務教育諸学校の設置者については、従来から安全会の災害共済給付に係る共済掛金の一部を負担することといたしておりますが、今回の給付額の改善に際し、高等学校、高等専門学校、幼稚園及び保育所の設置者も共済掛金の一部を負担することとするものであります。 第三は、学校の設置者の損害賠償責任の免責についてであります。 現在、災害共済給付の給付事由が学校の設置者の責めにより生じたものである場合は、安全会は、その設置者に対し、その給付の価額の限度において、被害者にかわって損害賠償の請求をすることになっておりますが、今後は、学校の設置者があらかじめ特別の掛金を安全会に支払うことにより、その損害賠償の責任を免れるようにする特約を締結することができることとするものであります。 第四は、学校における安全管理についてであります。 学校における児童、生徒の安全を確保するためには、事故の原因となる危険を防止するための措置を講じ、安全な環境の維持を図ることが肝要でありますので、この際、学校における安全管理の一層の徹底を期して安全点検等の計画的な実施について法律に明記することとしたものであります。 第五は、義務教育諸学校の校長、教員の健康診断についてであります。 現在、市町村立の義務教育諸学校の校長、教員の結核に関する健康診断については、都道府県の教育委員会が行うことといたしておりますが、今後は、市町村が行っている他の項目の健康診断と一元的に行うこととするものであります。 そのほか、昭和五十四年度から養護学校の義務制が施行されることに伴い、義務教育諸学校に就学する者の健康診断に関する規定を整備することといたしております。 以上が、この法律案を提出いたしました理由及びその内容の概要であります。 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようお願いいたします。
○菅波委員長 これにて提案理由の説明は終わりました。 ―――――――――――――
○菅波委員長 この際、参考人出頭要求の件についてお諮りいたします。 日本学校安全会法及び学校保健法の一部を改正する法律案審査のため、来る二十四日、日本学校安全会理事長渋谷敬三君を参考人として出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○菅波委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 次回は、来る二十四日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時四十一分散会 ――――◇―――――