逓信委員会電波・放送に関する小委員会 第3号
- 発言数
- 102 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1978/06/14
会議録
○加藤小委員長 これより電波・放送に関する小委員会を開きます。 電波・放送に関する件、特に放送番組問題について調査を行います。 本日は、参考人として、放送番組向上委員会委員長今日出海君、放送評論家大森幸男君、「子供のテレビの会」代表鈴木みどり君、日本放送協会専務理事堀四志男君及び日本民間放送連盟専務理事杉山一男君が御出席になっております。 参考人の方々には御多用中のところ本小委員会に御出席を賜り、まことにありがとうございます。 なお、議事の順序について申し上げますが、今参考人、大森参考人、鈴木参考人の順序で御意見をお一人十分以内に要約してお述べいただき、次に小委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。 それでは、まず今参考人からお願いいたします。
○今参考人 私は、いま御紹介にあずかりました番組向上委員会の委員長を今期務めております。 この委員会はすでに相当の年数を経ておりまして、その功罪については、罪はありませんけれども、功はどのくらいかよくわかりませんが、この委員会のいままでの仕事は一々速記をとって一般にお送りしておりますが、皆さんお読みくだすったことと存じます。 各放送局に番組審議会というものがございまして、これは月に一回やっておりますが、これも番組についてのなかなか鋭い批判なり小言なりを絶えず行っており、また、その横にわれわれのいまおります番組向上委員会というものがあり、大所高所から番組の批判なりあるいはほめる方もいたしておりますが、これも皆さんの御存じのとおりだと思います。 その他、この向上委員会では世論調査みたいな形で、視聴率でなく内容について一般の人々の御意見をいろいろと調査しておりますし、また、われわれも三月に一度くらい地方をずっと回りまして、視聴者に二、三十人集まっていただきまして放送についての御意見をいろいろ承っております。これも大体要点を印刷して皆さんのお手元にお送りしているかと思います。そして、一般の人たち、いろいろな年齢層あるいは職業別の方々からの御意見を承って少しでもわれわれの参考の一つにいたしておるわけであります。 この番組向上委員会という名前ですが、向上向上と向上ばかりしていた日には視聴率が落ちるばかりでありまして、私はこれをこしらえたときから文化庁におりましたが、国民の文化の向上を図るをもって目的とするとか、何でも第一条に向上をうたわなければこういうものの存立ができないような状態でありますが、河上とか振興とかいう熟語ばかり並べるよりは、ことに放送の場合には、一般の良識、常識を標準にして健康なる常識人というものを対象にすべきではないか、ただ高級とか向上というようなことばかりをうたい上げるのはどうか、このように私は思うのです。むろん向上は要らぬというわけじゃありませんが、向上ということをうたえばいいどいう考え方には私は余り賛成するものじゃないのです。 それで、俗悪番組というものを指摘するのですが、私はおかっぴきみたいな根性でこういうことをやるのも好まないのですが、たった一度だけやったことがあるのです。「どっきりカメラ」というのがございまして、これは何も知らないで道を歩いている人をばっとつかまえてとてつもないことをして驚かす。これはこっけいで笑っている間はいいですけれども、笑えない何か非常にいやらしいものがありまして、人の虚をつくというようなことはどうかということを申したぐらいが唯一の非難でございます。 私は、非難したり何かするよりは、なるべくこういうものをもっと深く見ていこうというように考えて、余りとげとげしい目で見ないようにしています。しかし、私らの意見は各放送局に伝わっております。したがって相当の改善がなされつつあることは事実でありますが、なおまた皆様方の御意見なりお考えをもっと角度を変えて本日承れれば幸甚だと思います。 私の申し上げたいことはこのくらいであります。
○加藤小委員長 次に、大森参考人にお願いいたします。
○大森参考人 大森でございます。 十分間という御指定でございますので、話が概括的になりますことと、メモを見ながら申し上げますことをお許し願いたいと思います。 皆様御承知のとおり、ことしがテレビ放送開始二十五周年の年に当たるわけでございます。二十五年前テレビの放送開始に当たって、NHKの古垣会長は、テレビは文化のバロメーターだから一日も早く全国に普及いたしたいというふうに述べられ、また、日本テレビの正力社長は、念願するところはテレビの大衆化であり、広告媒体としての発展であるというごあいさつをされておりますが、現在、まさしくこのお二人の申されたとおりの状況が出ておるわけでございます。 ただ、確かにテレビ文化という言葉が社会的に定着もいたしておりますし、受信機の台数あるいは電波のカバレージがほとんど全国を覆い尽くしておるのも事実でございます。また、テレビの大衆化ないしは広告媒体としての発展についても、これも申し上げるまでもないわけでございますけれども、この発展を支えましたテレビの大衆化あるいは広告媒体としての発展ということがすなわち民放テレビを巨大な広告産業に押し上げ、そして巨大なショービジネスに発展させたということがその裏側に言えるわけでございます。これが問題点をはらんでおるということでありますし、当委員会が番組の適正化について現在のいろいろな制度の見直しの作業をお始めになっていらっしゃるのもそのためであろうとお察し申し上げるわけでございますが、テレビが人々の社会生活なり家庭生活の中に埋没して、それを構成する分子となるのならばよろしいのでありますけれども、逆な形、すなわち人々の生活なり意識がテレビの方に埋没し、また吸引されてしまうということも現実に十分に存在するわけでございまして、ここにいろいろな問題が出ているというふうに私は考えております。 これはテレビのお茶の間性ないしはテレビの影響力の大きさという点から考えまして、確かに問題とするに足りると思うわけであります。しかしながら、公共放送でありますNHKの番組は当然でございますし、また、民放テレビといえども過去から現在にかけて、番組において大過はなかったというふうに私は考えております。これは人々の生活を豊かにし、その情操を高め、民主化の道を歩むことについて、わが国の経済の発展と符節を合わせたようにテレビは十分な機能を果たしてきたと考えておりますし、それでなければ現在の放送界の繁栄というものはなかったというふうに思うわけであります。 確かに一部分、時にはどうかと考えられるような番組はございましたし、現在もあると思います。それを否定するわけではございませんけれども、これをとらえて、たとえばポルノ映画または一部の俗悪な週刊誌ないしは非常にいかがわしい屋外広告などと全く一緒くたにしてしまって、青少年の環境浄化、マスコミ環境というもののあり方に重大な害悪であるときめつけてしまうというふうな一部の動きがあるわけでございますけれども、これはいささか次元が違うのではないかと私は考えるわけでございます。そして、これを一緒くたにして法の規制を求め、あるいは行政府による取り締まりの強化を求めるという短絡的な発想をむしろ危険だと私は考えております。 低俗という言葉を非常によく使われるわけでございますけれども、低俗と俗悪ということは区別して考えなければならない。いま申し上げましたようなポルノ映画なり一部の週刊誌なり、いかがわしい屋外広告というたぐいのものはまさしく俗悪でありましょう。低俗というのは、通俗的であり大衆的であるというふうに私は理解しておりますし、低俗性というものがやはりテレビの大衆化なり普及を支えてきた一つの柱であったというふうには考えます。 放送法がわが国で唯一の言論立法でありますことは御承知のとおりであります。現在の放送法の規定、四十四条の各項各号あるいは四十四条の二、四十四条の三、これを受けまして民放に適用いたしております五十一条の規定、これはこういう番組の自主規制を進める措置でございますが、法律としては、事、番組問題に関してはこれが限界であろうと私は考えております。これ以上法律的な措置によって一歩を進めますと、あるいは角をためて牛を殺すというふうなこともあり得ないではないというふうに考えるわけでございます。 ただ、問題は、これらの規定が果たして実際にどう効用しておるか、実際の運用がどうであるかというふうなことにしぼられてくると考えます。放送法によりまして、いま今先生からのお話もありましたように各社は放送番組審議会を設けており、また、各社それぞれ番組基準の制定を義務づけられております。そして民放界の業界団体であります日本民間放送連盟は、これとは別に独自の日本民間放送連盟放送基準を制定しておりますし、内部にこの放送基準の審議会を設置しております。そしてNHK、民放連を主たる会員といたしますところの、今先生を委員長とする放送番組向上委員会がいまあり、また、民放界の教育教養番組の振興のために、同じようにNHK、民放を主たる会員といたします放送番組センターというものもございます。また、広告に関しましては日本広告審査機構、JAROがございますし、あるいはほかにも広告関係の諸団体には、それぞれ倫理面での自主規制の組織がつくられております。仕組みとしてはこれで十分であろうと思われるわけでございます。 いま申し上げましたように、問題は、この法の精神にのっとった自主規制が現実にどう運用され、どう効用を発揮しておるかという点に尽きるということであります。確かに努力はされておるわけでありますが、外部から見ますとやはり十分とは言えないという感じがしてならないわけであります。たとえば何か番組の問題が起こりましたときに、民放界もそうでありますし、一般ジャーナリズムもそうでありますが、すぐに民放連の放送基準が取り上げられます。また、放送番組向上委員会が取り上げられるわけでございます。そして民放連の放送基準に反しているとか反していないとか、あるいは放送番組向上委員会の仕事が少し手ぬるいではないかというふうな批判がすぐに起こるわけでございます。この点は私は大変不満なのでありまして、法律が各社各局にそれぞれ番組基準、番組審議会の制定を決めており、法定の番組基準、番組審議会が存在するのに、番組問題に対する批判はいま申し上げたような形で沸騰してくる。そして民放界にも、私が見ます限りでは、それをよしとする姿勢がうかがえるわけでございます。これはやはり責任の第三者への移譲だ、転嫁だというふうな印象を与えても仕方がない。こういうふうなことを民放界の番組問題に対する反省の一つのあり方として私は指摘しておきたいと考えるわけでございます。 実際、では具体的にどうこれらの自主規制の組織が動けばいいかということは、これはもちろん、事、番組に関しましては各社それぞれの編集責任においてなされることでありますが、ただ、私見を申し上げますと、たとえば民放は、これも皆様御承知のとおり、各地域社会において、それぞれ地域社会のために地域ごとの免許ということで民放はできておるわけでございます。その趣旨から申しましても、それぞれの民放各社がその地域社会に対して、この番組基準なり番組審議会の存在、重要性というものをむしろ局の側から周知徹底すること、その地域社会に対して送り出しております商品の質についての十分な説明というものが局の側からなされていいという、そういうふうな考え方がまず一つあってもいいのではないか、これは当然のことでございますけれども、そういうことがもう少しあってもいいのではないかと思われるわけでございます。 いま、地域ごとの免許、地域社会のための民放テレビというふうに申し上げましたけれども、現実には、民放テレビの現状といいますものは、いわゆるネットワーク、番組系列によって東京のキー局を中心といたします地方への結びつきがあり、実際それによって番組の送り出しが行われているということであります。それであるならば、番組適正化につきましても、系列ぐるみの考え方が何かあってもいいのではないかというふうに思われるわけでございます。 それから、視聴者団体、市民団体への局の側の対応の仕方そのものにも旧態依然としたものがあり過ぎる、いまの社会状況をよく見た上での新しい対応の仕方があってもいいのではないか、そういうふうに思われるわけでございます。 これも御承知のように、民放界は昨年度、つまり今度の決算で大変な利益を上げている。特に、東京のキー局はまことに好調な数字を上げております。これは私の私見でございますけれども、これだけの利益を上げておるのであれば、そのほんのわずかな部分がこれらの自主規制のための措置、放送番組向上委員会なり放送番組センターなり、あるいはその他の機関へ何らかの形で還元されて、番組の質の向上が図られるということを望みたいと考えるわけでございます。 以上でございます。
○加藤小委員長 次に、鈴木参考人にお願いいたします。
○鈴木参考人 「子どものテレビの会」の鈴木でございます。 私は、何も、「子どものテレビの会」のピラミッド型の頂点に立っているわけではございませんで、本当に、その会に属していらっしゃる皆さんが同じ立場にいらっしゃいます中でたまたま私が出てまいりましたので、どうぞよろしくお願いいたします。 私たち「子どものテレビの会」は、未来を担います子供の親として、あるいはその教育に責任を持つ先行世代として、政治的信条とかあるいは宗教、職業などの立場を超えて、よりよい子供のテレビの実現のために調査研究、企画、教育、創造活動を展開することを願いまして、個人の資格として集まりました人たちの集合体でございます。そして、昨年十月に正式に発足しましたが、それ以来学者、研究者、教育者、医者、作家、作曲家、画家などの専門家を初め、放送現場、代理店の方々、あるいはジャーナリスト、広告関係者などの幅広い参加を得まして、子供のテレビのあらゆる問題を多面的にとらえ直す作業に取りかかっております。 私たちの活動の特徴を一言にして申しますと、英語ではフォーラムという言葉を使いますが、フォーラム、つまり広場というのでしょうか、そういった開放性にあるというふうに考えます。従来の子供のテレビをめぐる動きがともすれば受け手対送り手という二極の対立関係に終始して、オール・オア・ナッシングというふうな感じの結論を求めたがって実りが少なかったことを省みまして、私たちは、送り手と受け手の別なく子供のテレビをめぐるあらゆる関係者が自由に発言し、その成果をそれぞれの場へ持ち帰って改善の手がかりにすることが可能なような開かれた場の設定を願ったわけでございます。 これまでにセミナーを三回、フォーラムを三回開催しまして、国際比較研究というのを一つの柱としまして、子供のテレビの公共性、アクセスの可能性、子供のニードなどの問いかけをまずいたしました。そしてそういった中で、大人がいままで持っておりますあらゆる既成概念を問い直し、そして、子供のテレビを子供の視点からどうとられるかという新しいアプローチを模索してまいりました。 この四月から五月にかけましては、アメリカのワシントンDCで開催されましたACTに――これはアメリカにございます十年の歴史を持ちますところの、子供の親あるいは研究者といった方々の集まりですけれども、このACTの第七回全米シンポジウムに参加いたしました。そして、その参加するワシントンDCに向かうまでの間にいろいろな大都市を幾つか訪ねましたが、子供番組のCM規制問題、あるいは暴力番組の影響によると見られます子供の暴行事件の裁判がちょうどそのころ問題になっておりました。あるいはまたマイノリティーのメインストリーミングというような、非常に動きが活発なアメリカのテレビ界の実情を視察してまいりました。そしてまた同時に関係者と交流し、アメリカでの改善運動につぶさに触れることによって、私たちの最も大事だと考えておりますフォーラム、広場の活動は非常に重要であるというふうに再確認してまいりました。 と同時に、アメリカにおける活動がメディアのトップの方々あるいは企業、行政、立法関係者といった幅広い個人に及んでいることを知りまして、アメリカの社会の中で子供のテレビがいかに大きな問題になっているかということを知りました。子供のテレビの問題は子供の問題に限定されるものではなくて、社会の、そしてすべての大人の問題だというふうに感じました。 私たちは、子供たちを取り巻くテレビ環境にいろいろな問題を感じております。たとえばどこのチャンネルを回しても似たりよったりの視聴率至上主義による多様なニードの切り捨てと、その結果としての画一的な内容、過度のコマーシャリズム、ステレオタイプの価値観に基づく暴力、性などの必要以上な表現、文学性、ファンタジーの欠落、安い制作費による番組の質の貧しさ――私たちが問題としているのは個々の番組や個々のコマーシャルではありません。そうした番組やあるいはコマーシャルがメディアを支配するに至る、そのメカニズムを解明し、しかもそれをよりよい方向に持っていかない限り、そういったことは繰り返し消されてはあらわれてくるというように考えます。 そこで、私たちは、まず、子供のテレビの基本的なあり方を子供のテレビの公共性とアクセスの可能性を中心に問いかけてみたいと思います。 すでに明らかなように、テレビ電波は国民のもの、すなわち公共性を帯びたものです。一方、子供は、憲法にも保障されているように健全に育つ権利を持っている公共的な存在です。したがって、子供をターゲットにして送り出されていますテレビ番組には二重の公共性があると言えると思います。いま送り出されていますテレビ番組の中で、このような二重の公共性にこたえることのできるものが果たして幾つあるでしょうか。親を含むすべての大人の意識とこの二重の公共性にこたえるべきテレビの仕組み、たとえば放送免許更新過程や番組審議会のあり方、あるいは放送局内部の自由度の問題、そのほかいずれをとりましてもわが国においては大変未成熟な状態にあると言わざるを得ないというふうに思います。公共性という言葉だけをただ唱えているのではなく、その中身をいま問い直さなければならないと私たちは考えます。 ACTのペギー・シャレン会長は私たちのインタビューに答えまして次のように言っております。「子供にはいろいろな権利があります。電波における子供の権利は、自分たちのために企画され、制作された番組を子供たちが持つことです。放送事業者側が子供視聴者としている二歳から十一歳という年齢層は多様な考え方や価値観が最も大きく発達する時期なのです。ですから、この年齢層の視聴者のニードにこたえたいと思うならば最も多様な番組が必要なのです。ドラマ、詩、音楽、ドキュメンタリー、そして単なる娯楽やくだらないものさえ子供たちのニードにこたえたいと思うならば必要だしというふうに言っておられました。そして、さらに、「今日までの問題として最も重要なことは、最大の視聴者に受け入れられるものだけが企画され放送されてきたことにある」というふうにペギー・シャレンさんはおっしゃいました。そして、「子供たちは、彼らの健康や幸福に害を与えるような商品の広告によって中断されないでこのような多様な番組を見ることができる権利を持っています。」と言っておられました。これがACTのペギー・シャレンさんのインタビューの中の発言なんですけれども、この発言の中から私たちは次のような三つの教訓を学びました。 一つは、ハンディキャップを持つ子供たちを含めたあらゆる異った生き方や価値観を持つ子供たちの権利をどうとらえて、そのニードにどうこたえていくのかということです。それから二番目に、子供を巻き込むコマーシャルの問題は、メッセージの受容とその影響が大人と比べますと格段に違うわけですから、子供の権利を守るためにはどのような配慮が必要なのか、いま緊急な研究と検討が必要であると思います。そして三番目には、子供のテレビのそれらの特性に真剣にこたえなくてはならない放送事業者や広告主の社会的責任、及びそれを実現させるための親の責任を具体的にどう表現していくのかということです。そういう三点が非常に重要だと私たちは思います。 そして、この三つに関しましては、アメリカではすでに具体的な改善の兆しが見えております。たとえばカリフォルニア州のサンフランシスコを中心としたCCTというグループがあるのですが、そのグループはベイエリアの放送局十局と協力しまして、子供のニードについてのガイドラインを作成しまして、そのガイドラインに沿った番組づくりが行われています。ハンディキャップを持つ子供に対する理解を深めるための子供番組が大変大きな成功をおさめていますし、また、公共放送であるPBS系列の局が制作している幾つかの番組は、マイノリティーやハンディキャップを持つ人々、そして子供たちの日常の姿を子供の視点から描いて、多様な子供のニードにこたえています。また、ネットワークのある直営局では、子供たちが自分たちの手で番組をつくり、大人の押しつけではない自分たちの番組を楽しんでいます。こうした新しい流れは、子供の権利の実現を願う親、研究者、メディアの協力によって実現したもので、さらにスポンサーはそうした番組の開発に研究資金を贈ったり、コマーシャル抜きの番組提供、アンダーライティングと言いますが、それをすることによって企業の社会的責任を果たしているのです。 私たち「子どものテレビの会しでは、一九七九年の国際児童年に向けて、現在、このような先例に学びまして、各界の専門家、親が協力して子供のニードについてのテレビのためのガイドライン作成に着手しております。私たちは、そうすることがよりよい子供のテレビの実現の一助になることを願いますし、また、同時に、立法、行政、メディア、企業の関係者が私たちのフォーラムへ参加してくださいますことを期待しております。 最後に、時間がないようなんですけれども、よりよい子供のテレビ実現のための私たちの考えを幾つか申し上げたいと思うのですが、子供番組あるいは子供に人気の高いゴールデンアワー番組にセックスや暴力があふれていることが問題になっているわけです。番組の暴力と子供の実際の暴力の因果関係については、結論を導き出すような研究は残念ながらまだ見出せません。そして、この問題に限らず、日本におきましては、子供のテレビについての研究はあらゆる分野において大変不足していると考えます。 そういうふうな意味では、ハーバード大学で私たちが会いました準教授のエーメ・ドーアさんは、児童心理学者であると同時に母親としての立場から、子供のテレビについての今後の研究として次のような提案を行っていますので、ちょっと御紹介したいと思います。「一、番組制作に当たっては人種、性、年齢、職業等あらゆる点で多様な生き方や価値観を肯定的に描く必要があること。二、社会的に望ましい価値観や行為を伝えることが必要であること。三、テレビ視聴の効果や影響をより望ましいものにするための緩和策が必要であること。」この中には、親子が一緒にテレビを見ることによってどのような効果があるかとか、あるいは子供がテレビを客観的に受けとめて、批判的な視聴者に育っていくためにはどのような教育が必要であるかとか、その辺の研究を提案していらっしゃいます。そして、「四、テレビ・インフォメーション・センターの設置。五、視覚メディアとしてのテレビの受容過程の研究の必要性。六、テレビの新しいテクノロジーが子供の発達にとってどのような意味を持つのか。」これらの点での研究が今後非常に重要であると提案していらっしゃいました。 私たちも、こういった提案を検討いたしまして、調査研究を積み重ねることによりまして、子供の真のニードを追求し、新しいテクノロジーを子供の幸せのために用いたいと考えています。 現に、放送文化基金の援助によりまして、コマーシャルの受容の仕組みについての研究並びにその成果に基づく正しい判断力のある視聴者を育てるための教育プログラムの研究開発を行っております。さらに今後いろいろな研究を進めたいと思いますので、そのときに放送関係者、代理店、スポンサーなどの方々が子供の親として視聴者とともに私たちのプロジェクトに参加してくださることを望みます。 また、これが非常に重要だと思うのですけれども、どのようなすぐれた調査研究が行われましても、それを具体的に番組に反映させる仕組みないしは開かれた態度がメディア側にない限りそれらはむだになってしまいます。アメリカにおける調査研究が具体的な番組に反映している実例を幾つか見てまいりましたし、また、「セサミストリート」を制作していますCTWあるいは「フィーリング・フリー」――これは新しい番組なんですけれども、それをつくっておりますアメリカン・インスティチュート・オブ・リサーチのような独立した研究、制作団体がすぐれた子供番組を生み出している事実、さらに、すでに発表されておりますが、エリウ・カッツのBBCの変革のための提案、それらのことから私たちが学ぶべきことは数多いのではないでしょうか。 一応これだけで終わりにさせていただきます。
○加藤小委員長 まことにありがとうございました。 以上で参考人からの御意見の開陳は終わりました。 ―――――――――――――
○加藤小委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。志賀節君。
○志賀小委員 大変恐縮でございますが、私は参考人の御意見開陳の途中に出てまいりました関係上、参考人の御意見と違ったことあるいは重複したこと、ちぐはぐなことを申し上げるかもしれないことをあらかじめお許しいただきたいのでございます。 私は放送番組をつくる場合の基準というものがあると承知しているわけでございまして、民放にもある、NHKにもあると理解しておるのでありますが、そのことは間違いがないかどうかを冒頭に確認させていただきたいと思うのであります。NHKと民放に伺います。
○堀参考人 お答えいたします。 NHKには、日本放送協会国内番組基準というものがございます。
○杉山参考人 お答えいたします。 民放各社には、番組基準が法律によってそれぞれ設けられております。また、民放連には放送基準がつくられて、この民放連の放送基準は各社が皆で守るという約束をしております。 したがって、各社は民放連の放送基準を受けてそれぞれの番組基準をつくっておると思います。
○志賀小委員 先ほど大森参考人から「低俗」と「俗悪」という語義を設けて御説明があったのを私は拝聴したわけでありますが、私は、実は、大森参考人が言われた意味の、低俗という言葉は大衆化を進め、あるいは大衆化を意味する言葉で、これは必ずしも内容が悪いことではないという考え方ではないのでございまして、私自身の使い方としては、やはり結構なことではないという意味での低俗化がNHKの番組に認められるし、それから民放の俗悪な番組が認められるという理解でございます。 特に、私だけではなく一般の声でございますが、たとえばNHKの「ビッグショー」という番組がございますが、私は「ビッグショー」というのはその道で相当名をなした方の出演する歌謡番組であるという理解でございましたが、リトルスターの「ビッグショー」であるということもこのごろは間々散見されるわけでございまして、何が「ビッグショー」であるかということについても大変理解がいかないわけでありますが、坂本さんが会長に就任せられて以後、NHKの番組は俗な言葉で言うと硬派から軟派になってきたという見方が強いわけであります。 それから、民放の俗悪な番組も大変問題だと私は思っておるわけであります。暴力を扱ったものあるいはセックスを扱ったもの等については、子供の健全な番組を目指しておられる鈴木参考人のお話等でもよくよく御指摘がございましたが、全くその方向とは違うようなことが現実に行われておる。一体、それでもなおこれが放送基準にのっとっておる番組だと私どもは理解をしなければならないのかどうか。くどいようでありますが、重ねてお答えをいただきたいと思います。民放の方にお願いします。
○杉山参考人 お答えいたします。 民放の番組の中には、先生の御指摘のような問題の番組は全然ないというふうには思っておりませんけれども、われわれ民放連の持っておる放送基準に照らして、これは全く基準に違反しておるというふうなはっきりした番組はいまないのじゃないかと考えております。 ただ、先生が指摘するように、放送基準というものは具体的に物差しで決められないものであります。と申しますのは、御承知のように番組は表現の自由に関係する問題でありまして、これは精神的な形でいろいろと規定されております。そういう関係でいろいろ解釈はあるかと思いますが、われわれが放送基準を見て、これが基準に違反しておるというふうな番組はいまのところないのじゃないかと考えております。
○志賀小委員 私が民放に特に質問をさせていただくのは、今日の日本のテレビ番組がNHKと民放と大きく分けると二本柱で成り立っているからでありまして、NHKがその放送の低俗化を免れる道の一つは、民放の俗悪化が矯正されることにあるのじゃないかと私は思うのです。今日のNHKはたてまえ上受信料によって事をなしておるわけでありますから、どうしても受信料の不払いよりはよけい払ってくれるような方向に行きたいという気持ちになることは私もわかる。ただ、それがいわゆる大衆の意を迎えるということ、迎合するということであってはいけないのでありますが、いかんせん番組の編成上にもグレシャムの法則が、悪貨は良貨を駆逐するという法則が生きているような気がしてなりません。国民の嗜好の低俗なことに民放がおもねっていく、それに引きずられてNHKも低俗な方向に行っておる、こういうふうに私には見えてならないわけでございます。 私が申し上げたいのは、こういうことをやっていると、結局は、かつてわれわれがいつかその道をたどったように、何ぞのときに自由と得手勝手、放らつとを取り違えるという、虚に乗じたファシズムが言論の自由というものの抑圧の手がかり、足がかりにこれをしてくるのじゃないかという危倶を持つからであります。そういう意味で、今日の放送の行われている事態は、あるいはファシズムの呼び水になりかねないという事態にもなっており、この点に深い反省を加えていただかなければいけないと私は考えておるのであります。 きょうの鈴木参考人のお書きになった資料の中に、アメリカのことについて、「「放送のための全国市民会議」(NCCB)を自ら率いるニコラス・ジョンソンは次のように述べ、参加者に新たな決意を促した。しとして、次のような文章が出ております。「放送は営利事業である。放送局や広告主にとっては番組の内容ではなく最大の利益をあげることだけが関心事なのだ。この現実に対して私たち視聴者に何ができるか、そのことを今、問わなくてはならない」という言葉が引用されております。 〔小委員長退席、左藤小委員長代理着席〕 私は、率直に申し上げて、特に民放の方に伺いたいわけでありますが、表現の自由という隠れみのではなくて、率直にこういうような事態を明らかに認められないのか、認めるのか。そのことが日本の民間放送連盟放送基準が適切に基準として機能しているかしていないかという判断のよすがになると私は思うのです。お立場上それはなかなかおっしゃりにくいかもしれないけれども、忌揮のない御見解を承らせていただきたいと思います。
○杉山参考人 お答えいたします。 番組は、先生がおっしゃるように非常に視聴者の批判を浴びるような番組が全部であるとか、あるいはそういうものが多いということになれば、当然いろいろな規制につながる可能性は持っておると思います。 そこで、民放の経営者なり民放の企業の責任者はそういう中で大衆の中に学んで、いま視聴者が何を求めどういうものを期待しておるかということを常に把握しながら、それにこたえる努力をしております。特に、先生方も御承知のように、高度成長経済当時は売ればもうかるという時代でありましたけれども、いまはそうではなくて低成長時代に入ってきております。したがって、これからの企業は量から質への転換が迫られてきておるのじゃないかと思います。したがって、放送番組もそういう方向でつくられるようになるでしょうし、当然その道を進まざるを得なくなるのじゃないか、そうしないと企業は残れないのじゃないか、こういうふうに思います。 番組そのものは瞬間的な映像でございますから、瞬間的な取引をするとすれば、それはいまおっしゃったような番組が視聴率を上げるときもあるかもしれません。しかし、企業そのものは永続性を持つものであります。そういう観点からすれば、長期的に物を見るという点に立ってくれば、当然これからは質的転換が行われていくと私は思っております。
○志賀小委員 郵政省にお伺いしますが、外国では、たとえばアメリカなどの場合では、番組編成のための放送基準はちょうど日本にあるようなものは存在するのかどうか、あるのかないのか、一言で結構ですから教えてください。
○澤田説明員 お答えいたします。 アメリカにおいては、法律でのそういう番組基準というようなものについての規定というようなものはないのではないかと……(志賀小委員「法律でなくて結構です」と呼ぶ)基準といたしまして全般的なものがあるかどうかちょっと私もよくわかりませんが、たとえば倫理規程というようなものについていろいろ決めておるものはあるということで、名称は異なりましても、何らか一つの基準的なものはあるのではないかというふうに考えております。
○志賀小委員 常識的に考えて、基準ないし基準めいたものはやはりあると考えるべきであります。にもかかわらず、アメリカでもこの問題に関しましては大変に問題を持っております。 実は、これは私が昨今入手したものでありますが、昨年の九月二十九日の日付になっておりますアメリカの国会の逓信委員会の資料でございますが、この資料を読んでまいりますと、いわゆる暴力番組に関しまして一九七四年ごろからきわめて関心が高くなってきている。そして一九七五年に家庭用視聴時間というものが設定された。ファミリー・ビューイング・アワーとなっておりますが、こういうものが設定された。そしてこの番組には、そういう暴力的あるいはセックスのようないかがわしい面から極力これを守るということで自主規制が行われるようになった。ただ、これを自主規制以外の規制立法をするということは、先ほどもそういう御答弁がありましたが、表現の自由ということから問題がございまして、規制立法にかわる対策をいろいろ研究しておるというところで、いろいろな勧告が出てくるわけであります。暴力番組を見過ぎると有害であるということが一つの結論であるし、また、にもかかわらず暴力番組が増加しているという、現実のアメリカでの増加傾向がうたわれております。 そして、その責任はどこにあるかというと、やはり第一にはテレビ局にあるという見方であります。二次的にはプロデューサーと広告主及び視聴者にもあるという結論であります。そして、いかに親の監督が子供のこの種の番組の見過ぎをチェックするのに効果的であるかということもうたっておるわけであります。当然、それ以上に効果的であるのがテレビ局それ国体の、この種の番組をつくらない、流さないという自主規制が効果的であるということが言われておるわけであります。そういうような努力を重ねることによって、表現の自由に抵触しないでこの種の問題を解決することは可能であるということもうたっております。 そして最後に勧告をしておりますのは、第一に、この種の番組の子供に及ぼす影響について研究をきちんと進めなければいけないということ。それから第二番目に、親が子供の視聴状態をよく知って、より監督をして、苦情をテレビ局に寄せること。それから奨励する番組等についてもこれを言うというようなこと。それから三番目には、地域の視聴者にあらかじめ番組をチェックしてもらうような手続をとったらどうだろうかということ。そしてもう一つは、ちょっと奇異なことに聞こえるのでありますが、テレビの機械にかぎを義務づけたらどうかということです。かぎを義務づけておいて、そして子供に見せたくない番組については親がかぎをかけておいて見せない、そして、成人用であるとかどうとかということもあらかじめ番組にも明らかにしておくようなことにしてはどうかということ。こういうようなことを述べて、百八十日以内にこの成案をつくることということを勧告しておるわけでございます。 現に、日本の松下電器がテレビにかぎをつくって、これを輸出しておりますが、輸出先は実は中近東でありまして、中近東の場合は上下の差が非常に画然としておりまして、家のしもべといいますか、あるいは下婢が御主人の留守中に勝手にテレビを見るということをさせないためにかぎをかけるという、そのためのテレビセットにつけるかぎの問題でありますけれども、ただいま私が申し上げましたことはアメリカで現実に検討されているもので、かぎを子供の監督義務を持っている親が持っていて、子供に好ましくないものはかぎをかけて見せないというようなこと等をやろうとしておる、こういうことでございます。 現実にこれは昨年の九月の二十九日に発表されたものでございますので、恐らく私の申し上げたことに誤りはないと思うのであります。アメリカですらこういう自主防衛をすることになっておる。私は何もアメリカのあり方が一〇〇%正しいとは申し上げかねるけれども、しかし、こういうようなこと等を考えると、日本が現在のままでいいんだということにはちょっといかない面があるのではないだろうかと考えるわけであります。 そういう面から郵政省の方に承りたいと思いますのは、番組の健全化ということについてどういう方向であなた方は御努力をなさっておられるのか、あるいは今後なさろうとしておられるのかということです。たとえばきょうここで私が申し上げましたようなこういうレポートのようなものを何らかの委員会とか審議会等でおつくりになって、成案を得て、そういう方向を打ち出されるというような御努力をなさるお気持ちがないのか、あるいは現にそういうスケジュールがあるのかどうか、こういうこと等について承らせていただきたいのであります。
○澤田説明員 お答えいたします。 番組の健全化についてでございますが、個々の番組が各社それぞれの番組基準に適合して、番組の編集の自主性を保ちながら健全な放送に努めるということが最も望ましいあり方でございまして、現行の放送法のたてまえも、放送事業者の自主性というものを最大限に尊重するということで制度の仕組みができているわけでございます。 個々の番組について云々するというようなことは郵政省としては差し控えたいというふうに考えておりますが、放送番組の編集の自由というものが保障されている反面といたしまして、その番組に放送事業者が全責任を負って、みずからの編集の基準に照らして最大限の努力をするということを期待いたしているわけでございまして、郵政省といたしましても、特に再免許等の時期もそうでございますが、あらゆる機会を通じまして、放送事業者が良識を持って番組編集を行い、世論の批判を招くことのないように、またその健全化に努めるように要望しているところでございます。 具体的にその健全化についての方策いかんという御質問でございますが、いま先生から御紹介がございましたようないろいろな問題は確かに参考にするべきものだと考えますが、私どもといたしましては、まずは放送事業者がそういった問題に取り組んでいただきたいといった意味で、番組審議会の活用なり、放送番組向上委員会、放送番組センターといったものの活動に一層の期待をいたしておるところでございます。 〔左藤小委員長代理退席、小委員長着席〕
○志賀小委員 ただいま御披露したものの中にも「成人向け」という言葉がございます。映画館などに参りますと、現実に十八歳未満の方の御入場は遠慮願いたいというようなことが出ております。ところが、テレビに関しては相当きわどいことをやっていてもそういうことには何ら触れない事実というものは認めなければいけない。これはちょっと片手落ちではないだろうか。映画に関してはそういうことをやっておるのに、マスメディアとしてはもっと影響力のあるテレビではそういうようなことが野放し状態であるということはちょっとおかしいのではないか。かぎをかけるというような極端なことが行われないならば、十八歳未満の方は御遠慮願いたいというような番組はむしろ映画館にお任せするとして、テレビはそうでない方向に分野調整をしてはどうかなどということも考え得る一つの方途でございます。そういうようなこと等をも含めて、日本のテレビ番組の問題に関しましては、まだまだプリミティブな状態に置かれておるような気が私はしてならない。それがひいては青年子女の情操の悪化を招くというようなことが当然予想されるのでございまして、まことに寒心にたえないところであります。 私は、特にただいま申し上げましたようなことを中心にして、今後テレビの番組が私などの考えている正常な状態にいくようにもっと行政面からのバックアップをするようにお願いしたいものだと思うのであります。それがひいては日本の独自の経営形態であるNHKと、またNHKの放送番組内容の向上をもたらすと考えるからであります。 これはNHKだけを幾ら責めてもしようがない。民放だけを問題にしてもしようがない。やはり両者は相互関連があるわけでありまして、この相互関連を十分に認識しながら、両方がよりよい方向に牽制し合いながら番組を向上させていくということを私は特に期待し、希望するものでございます。 以上で私の質問を終わらせていただく次第でございます。
○加藤小委員長 野口幸一君。
○野口小委員 いま志賀先生からもお話がございましたが、私は、テレビが今日企業として何を売っているのかといういわゆる定義の問題、何をサービスしていきたいとか何を目的としている企業だとかいうことを、まず民放の方々のお考えを基礎に置いて、視聴率の問題なども含めて若干お尋ねをいたしたいと考えるのであります。 まずお聞きいたしますが、いま申しましたように、企業としてテレビは一体何を売るということを定義としておられるのか、このことをひとつお聞かせいただきたいと思います。
○杉山参考人 お答えいたします。 私は、放送は時間とその時間帯に含まれておる番組、いわゆる商品の価値、こういったものを売っているのではないか、こういうふうに考えております。
○野口小委員 実は、雑誌「世界」の七月号に「特集 テレビを視る」という記事がございまして、そこにいまおっしゃいましたお答えにやや似たような山西TBS社長の御意見が載っておるわけであります。非常に参考になる御意見だと思って私は興味深く読ませていただいたのであります。 時間を売る、それから番組の内容と価値をお売りになっているということでありますけれども、問題は、視聴率を無視しては企業は成り立たない、企業性の追求をするならば視聴率は最も重視しなければならないというところに立ち至るわけでありますが、さて、その価値というものは果たして視聴率だけで判断するものだろうか。と申しますのは、先ほど来の御論議じゃありませんけれども、日本文化の問題とか国民生活への影響とかいろいろなことを考えますと、視聴率だけで価値判断はできないんだということになると思うのであります。 そこで、量とともに質を追求する時代だということを山西社長も言っておられるのでありますけれども、民間のテレビ会社を企業としてやっておられる場合に果たしてどの程度まで質の追求をやることができるのだろうか、その可能性はどういう形で実現しようと思っておられるのだろうか、この辺の基本的な構想をお聞かせいただきたいと思うのであります。
○杉山参考人 お答えいたします。 私は企業の直接の責任者ではないし、また、企業を直接預かったことがないので、いま先生がおっしゃったところの、いわゆるどの程度までできるかということについてはお答えしかねますが、民放連としてどういうふうに考えておるかということについてお答えしてそれにかえさせていただきます。 民放連としても視聴率がすべてであるというふうには考えておりません。しかし、いろいろな企業は営業成績をはかる上において商品の売れ行き高というものがはっきりありますけれども、放送の場合はそれがない。したがって、視聴率がそれにかわるものではないかと私は思います。しかし、それだけで果たしていいかということになりますと、先ほど申しましたように、価値判断というものがどの程度含まれるかということが問題だと思います。 そこで、民放連では、三年前から何か視聴率を補完するメジャーあるいは補完する要素はないものかということで研究を続けております。要するに、視聴者の数だけでなくて、視聴者がそれを質的にどういうふうにとらえておるかという質の面から何か補完するものがあるはずだという観点からいま調査を進めておりまして、いろいろな角度からのデータブックをいま整理中でございます。
○野口小委員 大森先生、いまの問題について御意見をちょうだいできませんでしょうか。
○大森参考人 いまの番組の質、つまり商品としての番組の質の問題でございますけれども、視聴率というものは、これは明らかに、いまの日本の企業がアメリカ式な計数管理というところで事業がされておる民放事業の場合にも、少なくとも計数、数字という形では視聴率しかない。ただ、視聴率の場合に、たとえば一〇%の視聴率のものであるならば三・五%の誤差が、二〇%に上がれば四・五%の上下の誤差が出る。ですから、正確な視聴率というものは上下三・五%ないし四・五%という間にあるのだという説明でございまして、たとえば一五・一%と一四・九%が実は同じ価値であり、数字であるということが言われるわけでございます。 ただ、いまお話しのように、たとえば新聞の場合には広告媒体としての価値は販売部数による。部数というものはかなり正確にキャッチできる。民放の番組に関してはいまのところ二つの調査会社が出しております視聴率という数字しかない。誤差はあろうが、その辺が一つの目安にはなる。ですから、企業として視聴率を高くすることが媒体価値を高めるということで判断されるのは当然であります。しかし、視聴率を高めるためには、低俗といいますか、私はさっき俗悪と低俗の言葉の定義を申し上げましたけれども、つまり、おもしろければいいというものであっていいのか。しかし、現実にはやはり質もよくなければ長い目で見てプラスはない。 民放事業というものは永久にわが国で存続するであろうと思われるわけでありますが、長い目で見たイメージのアップとかダウンとかいう問題は単に日々の視聴率の上下の問題では決してない。やはりステーションイメージというものが確立されていくところに企業としての百年の大計があると私は考えますし、民放連がいまおやりになっております番組評価のいわゆる充足度その他のデータブックでございますが、これはやはり民放各社が非常に注目しておりますし、これを活用していけばまた違った面が開けるのではないかと私は考えております。
○野口小委員 これは民放連の方にお聞きをするというよりも、企業の立場からということになりますと正確なお答えが出てこないということでありますからやむを得ぬと思うのでありますけれども、番組の問題を議論するといいますか、話をする際に、視聴率という問題を抜きにしては議論ができないわけでありますけれども、民間放送の場合は、先ほども私自身も申しましたように、企業でありますがゆえに視聴率という問題を底辺に置いてお考えになることはやはりやむを得ぬことであります。 しかし、一方、先ほどのお話にもありましたように、俗悪番組とまでいかなくても、低俗番組といいますか、そういうものをやはり受け入れざるを得ない。いわゆる企業という立場から受け入れざるを得ない。視聴率を上げるという立場からも受け入れざるを得ないというようなものが仮に許されるといたしましても、先ほども大森先生のお話もありましたように、それだけをやっておっては質の向上なりあるいはまた民放の先行きというものについてもいろいろと問題が出てくることは事実でありますから、ある一定の視聴率に対する上限と申しますか、そのものを余り考えないで、一定の枠内といいますか、視聴率を上げるということを初めから目的としない番組というものを考えてみた場合に、スポンサーがつかないということで経営上成り立たないというようなことなどとの交差する中にありまして、一体どの程度そういうことを求めることができるのかということが私なりに非常に混乱しておるわけであります。 テレビが及ぼす影響というのは、今日も、それからまた先行きもそうでありましょうけれども、非常に大きなものがありまして、これはNHKとそれから民間放送という世界に余り例のない放送体系を持っておる日本としてはさらにこの問題をより深く追求していき、電波行政全般についてもそうでありますけれども、その中でいわゆる企業性というものを維持しつつ、文化面における一つの低俗番組に対する抑制といいますか、そういうものを何かで求めていかなければいけないのじゃないだろうかというような気が私はするわけであります。 そこで、そういった立場から、具体的に今後どういうことを目標にしてそういう点を改めていくかという具体的な問題というものは今日の時点ではございませんでしょうか、民放の方ではそういう具体的なものについて何かお持ちでございませんでしょうか、お聞きしたいのです。
○杉山参考人 具体的に何かと言われますと非常に困るわけですが、先ほど話しました視聴率を補完するデータブックはその一つではないかと思います。これができますと、局だけではなくて、スポンサー、代理店等みなPRいたしますから、それは一つの方向に役立つものだと私は思っております。 もう一つは世論ではないかと思います。世論が必ず悪いものを駆逐してくれる。私はそれを信じております。したがって、これからの番組はそういう方向で必ず是正されていくし、現在も低成長の時代へ入ってまいりましていろいろ厳しい中で、番組は総体的にいい方向へ動きつつあるように私は見ております。
○野口小委員 私自身もこの問題についてはある意味ではいささかつかみにくい問題だとは思っているわけでありますけれども、しかし、何とか方向を見出していかなければいけないのではないだろうかという気も一方ではするわけであります。 そこで、電波行政の方に入ってまいりますが、これは郵政省に答えてもらおうとは思っていなかったわけでありますけれども、いまの日本の電波行政の中で特にテレビの関係でありますが、先ほど来話が出ましたネットワークの問題と、それから民放がローカル免許に限られているという現状、こういったものから考えまして、いわゆる電波行政の面から何とかそういう険路について引き出していく手だてというものが一体見つからないものだろうか。同じ民放でも、ネットワークで東京を中心とした放送が流れているが、その東京のテレビ会社の放送のあり方だけを論議するのではなくて、そういった全体の流れというものをながめた上に立って、視聴率だけを一つの目安にするのじゃなくて、それの一定の上限を求めた中で経営が可能になっていくとするならば、そうすると一たん落ちざるを得ないわけでありますから、その落ちていく部分についての補完する部分を他に求めるという考え方、これはいまないものだろうかということについて考えなければならぬのじゃないだろうかと私は思うのであります。 これはどこの官庁もそうでありますけれども、一たん決まった行政の機構を変えていくということについては非常に大きな抵抗のあるものであります。恐らく電波行政もそうであろうと思いますが、それを何とかして打ち破っていき、あるいはそれの改革を求めていく中に民放としての行き方があるのじゃないかという気がしてならないのであります。だから、私は、むしろそういう点をこの委員会等でも御意見としてお吐きになった方がいいのではないだろうかという意味で申し上げているわけであります。時間もそんなにたくさんありませんし、この問題だけでも話をすれば二時間や三時間かかるわけでありますけれども、もう一度大森先生にお願いいたしますが、こういった私の考えに対して先生は先生なりにどう考えられるか。行政面の中で視聴率の上限をある程度求めていった場合に、経営というものは企業としては落ちるわけでありますから、その落ちる部分について行政面でカバーする部分はあるのじゃないかということについて、先生としての御意見はいかがなものでしょうか。
○大森参考人 たいへんむずかしい御質問でございますが、私は、事、番組に関しましては、現在の法律が決めております自主規制を進める措置が限界だとさっき申し上げました。つまり、行政府がかみ込んでまいります余地はなければない方がいいというふうに私の仕事の立場からも申し上げざるを得ないわけでありますが、ただ、これも冒頭の意見の中で申し上げましたように、現在の民放がローカル免許のたてまえでありながら現実は経営上の要請から全国的な番組系列を組まざるを得ない。極端な言い方を申しますと、民放界といいますのは縦割りの四つのグループが形成しておる。そのほかにプラスアルファがございますけれども、現実はそうである。ですから、視聴率というものにとらわれずに、視聴率を上げるための非常におもしろおかしい番組、つまり低級な要素を盛り込んだ番組を落とすかわりに、何かその間のカバーを行政府がやってはどうかということは、私はこれはいかがなものかと小首をかしげざるを得ないわけでございます。 ただ、申し上げましたようにネットワーク、系列ぐるみの番組向上のいろいろな施策、そこでこれが視聴率の問題が討議され、あるいはその落ち込みに対する相互補完、相互扶助、極端な言い方を言いますと一つの系列というものが運命共同体的な意識に立った上での何らかの施策がなされても、これは自主的な経営なり番組への判断ということでなければならないと思うわけでございますが、いまお話しのように、行政が落ち込んだところをどうカバーするのかあるいは金銭上の問題にしろあるいはアドバイスにしろ、私はそれは御遠慮願いたいと考えております。
○野口小委員 ちょっと私の質問の仕方が悪かったので、そういうふうにおとりになったらお許しをいただきたいのですが、放送そのものにたとえば金銭的な援助をするのだとか、あるいはまた口を入れようとかいうことでは決してなくて、現在とられているものは、たとえば先生がおっしゃったように、ネットワークが全国に四つに割られていて、そういうようなことで流れております。これは内容的に、今日この番組を編成していく上に非常にたくさんの金がかかるということから必然的にそういう系列をとらざるを得ないということになってきているわけでありますけれども、そのほかの方法として、いま現在NHKというものがあるのでありますから、NHKと民放とが並列しているといういまの日本の放送の系列があるわけですけれども、その民放をさらにもう少し砕いてといいますか、検討を加えて、そういった行政的な措置を加えることによって落ち込みをカバーする何らかの措置というものはないものだろうか。こういう意味で申し上げたのであります。これはちょっと私の言い方が悪かったかもしれませんが、私は決してお答えを否定するものではありませんし、確かにその意味においては先生のおっしゃるとおり介入をすべきものではないと私自身も思っておるのでありますから、それでいいと思うのであります。 そこで、時間も余りありませんので最後になりますけれども、一つだけお聞きをしておきたいと思うのですが、雑誌「世界」によりますと、NTVの社長でございます小林與三次さんが、先ほど私が申しましたことで、そういった民放の番組の問題もひっくるめて、いわゆる視聴率だけを追求していくのではなく、内容的に質的な変化を求めていくという立場に立って、さらにその外側からこういうぐあいに民放に対しての力添えを求めるという立場に立って述べておられる意見が二つあるわけであります。一つは多重放送に対する積極的な取り組みということと、もう一つは、NHKと民放とのさらに積極的な緊密な技術提携等によって難視聴対策をさらに進めていきたいというようなことなどを中心とする意見が出ているわけであります。 そこで、放送部長にお答えいただきたいのでありますけれども、こういった点について、むずかしい答えになるかもわかりませんけれども、行政上の措置によって、あるいはまたそれの仲介といいますか、そういう立場に立って、NHKと民放との関連をより強く結びつけていく形のあり方としての行政面がタッチする方法というのは現在あるか、あるいはないかということでございます。その点について一言だけ最後に伺っておきたいと思います。
○澤田説明員 お答えいたします。 小林社長の「世界」に書いておられます記事でございますが、私もざっと読んだことはございます。詳しくは承知いたしておりませんが、ただいまお話に出ました多重放送につきましては、先般の小委員会でもいろいろ御議論をいただいたわけでございます。私どもといたしましては、調査会の報告を受けまして、さしあたりあそこに書いてございましたような音声多重の補完的利用ということに限定をいたしまして、「実験的に」という提言を受けて目下鋭意検討しておる段階でございます。 いま一つ難視聴解消の問題につきましての御提言があるわけでございますが、難視解消ということは私どもにとっても非常に関心の大きい問題でございますし、一刻も早く解消しなければならない問題というふうに考えております。そこでの御提言で、ミニサテで全般的に都市、辺地とも解消を図れるというような御提言があったように記憶しておるわけでございますが、この点は、確かに、辺地におけるミニサテはNHKと民放とが共同して低廉な簡便な方法でやっていくということで私どもも推進をしてまいっておりますし、かなりの実績を上げておるというふうに考えておりますが、これを全般的に行うということは周波数の割り当ての問題等もございまして、これは実現不可能な分野もかなりございます。したがって、御提言の趣旨が私どももちょっと理解しかねる点がございます。 問題はNHKと民放との関係でございますが、全国放送としてのNHK、公共的な立場での放送というものと、それからある意味ではローカリティーというものを前提にはしておりますけれども、先生から先ほどからお話がございますようなネットワークという関係もございますが、いずれにいたしましても一つの放送を行うという意味においては競合関係に立つということが言えるわけでございますが、これはいい意味においての競争というものは進めていかなければならないであろうと私は思います。したがって、競争すべきところは競争しながら、さらには番組の向上という一つの目的に向かっては協調を図っていくべきであろうというふうに考えておりまして、現在、そういった意味では、放送番組センターとかあるいはその他の関係で、たとえば難視聴なら難視聴につきましてもいろいろな連絡会議等を持ちまして話し合いをやっておるのが実態でございますし、私どもといたしましても、そういういい意味での競争と協調というものにつきましては今後とも機会あるごとに努力をしてまいりたい、こういうふうに考えております。
○野口小委員 お読みになっておられまして、的確なお返事をいただいて喜んでおりますが、ただ、ここで小林さんが言い切っておるのです。つまり、かつて小林さん自身も官僚派でその責任者であったわけでありますけれども、今日では、小林さんから言うならば、官僚的な回避、無責任が原因になっている、行政的な処置だけが残っていると言い切ってしまっているわけなんですね。 そこで、いまそのようなお答えがあったわけでありますけれども、それは難視聴の問題だけをそう言っているわけでありますけれども、民放の経営者として問題になってきます先ほど来の視聴率をどうのこうの、番組をどうのこうのという問題から派生をしてまいりまして、それでは先行きそういう点まである意味では規制を受けながら、文化面においても配慮しながら放送をしていくとするならば、その他の部分におけるそういう落ち込みについての救いといいますか援助を、行政面の措置等を通じて見てもらえるならば、ある一定の下降はあってもそのことを維持するのにやぶさかではないというのが民放の言い方のような気がしてならないのです。 それで、いま民放は非常に多くもうけておられるわけでありますから、その一部を吐き出してそういった意味での措置にお使いになることは可能でありましょうけれども、いつまでも黒字が続くということが保証されているわけではありませんから、そういった意味では行政的な面における指導なり措置なりにおいてその面が可能な限り追求されていくという姿勢を崩さないでほしいということを最後に申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。
○加藤小委員長 午後一時から小委員会を再開することとし、この際、暫時休憩いたします。 午後零時三分休憩 ――――◇――――― 午後一時二分開議
○加藤小委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。鈴木強君。
○鈴木(強)小委員 きょうは今先生外三名の参考人の方々には、大変御多用のところをありがとうございました。私どもはかねがね電波・放送のあり方についていろいろ勉強しておりますが、ぜひ先生方の御意見も承りたいと願っておりましたところ、お忙しいところをおいでいただきまして感謝をいたしております。 それで、これから三人の先生方に若干の質疑をいたしたいと思いますが、その前に、NHKの堀参考人がいらしておりますので、二つだけ最初にお伺いしたいことがございます。 その一つは、これは杉山参考人にもお尋ねしたいのですが、御承知のように、十二日の午後五時十四分に宮城県沖の地震が発生いたしまして、二十一名の死傷者を初め多くの犠牲が出ております。 そこで、地震にによる報道関係の被害については、放送がほとんど中断されずに行われておりますから大丈夫だと私どもは心得ておりますが、しかし、特に宮城県を中心とする近県の放送等について、地震のために何か支障があったのではないかというような心配をしているわけでございますので、その点、テレビ、ラジオともにどうであったかということを教えていただきたい。
○堀参考人 お答えいたします。 仙台におきましては、テレビにつきましては、総合、教育とももちろん平常の電源が切れましたが、直ちに自家発電が作用いたしまして、何秒か、四十何秒くらいのあれで全部復旧いたしております。 ラジオにつきましては、一部、宮古で非常に大きな揺れがあったために電源が切れて、何時間かにわたってやや停波したところがございますが、御承知のようなラジオの特性がございますので、全体的に送信面における故障はほとんどなかったと申し上げてよろしいかと思っております。
○杉山参考人 お答えいたします。 仙台に四局ございますが、東北放送ではテレビは停波しておりませんが、ラジオが二時間二十五分とまっております。その原因その他はまだちょっとわかっておりませんけれども、あと、仙台放送はテレビが五十秒の停波ということになっております。宮城テレビは十分間。東日本放送はございません。 停波関係は以上です。
○鈴木(強)小委員 ありがとうございました。 まあ、被害が少なくてよかったと思います。なお、今後とも地震等の対策については万全の上にも万全の配慮をしておいていただきたいと思います。 それから、堀参考人にもう一つお尋ねしたいのですが、かねてモスクワの五輪放送については何回となくこの委員会でも取り上げてまいりましたが、六月十三日の毎日新聞を拝見しましたところ、ラジオについては、朝日テレビがラジオを持っておりませんので、ラジオ権のみを大阪にあります朝日放送に委託をし、こことNHKとの間に何か合意ができたというふうに報道をしておりますが、できたのかできていないのか、どういうことか、簡単でいいですからちょっと内容を知らせてもらいたい。
○堀参考人 お答えいたします。 昨日、朝日放送社長の原さんとそれからテレビ朝日の高野社長、それにNHK会長の坂本の三者会談が行われまして、ラジオについては原則的に民放、NHKが手を携えて取材放送をすることについて意見が一致いたしました。
○鈴木(強)小委員 それは結構でした。われわれも大変心配しておりました一つが解決をしたわけですから同慶にたえません。 さらに、テレビの方についてはいろいろまだ問題もあるようですが、前回私は具体的な妥結への提案等も個人的にしておりますので、これらを参考にして、できるだけ早く合意できるようにお願いしたいと思います。 さて、本論に入りますが、御承知のように放送番組というのはなかなかいろいろな問題がございまして、比較的批判をしにくいような立場にみなおりまして、すきっとした意見が出てこない。これは申すまでもなく表現の自由、言論の自由、報道の自由ということは憲法によって保障されておりますし、特に放送法においても放送の規律に関する原則というものがございますから、番組そのものに意見を述べることが放送に対する介入だ、自由に対する介入だという考え方が強く意識的に動くものですから、この委員会におきましても、大臣に意見を聞いても、大臣はそれはどうも介入になるおそれがあるということでなかなか物を言わない。われわれは国民の側に立って、この番組はいいとか悪いとか、俗悪であるとか低俗であるとか、そんな低俗な俗悪な番組はなくしてもらわなければ困るわけですから意見は出します。しかし、憲法、放送法における言論、報道、表現の自由というものをいつも頭に置いていることは当然であります。 〔小委員長退席、左藤小委員長代理着席〕 ですから、私どもとして大事なことは、この侵すべからざる言論の自由、表現の自由ということを頭に置きながら、なおかつ放送法第一条に示しておりますような、「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。」ということを守り、国民文化の向上とか、今先生がさっきお述べになりましたが、社会の発展とか、そういうものに寄与することでありましょう。そこで、私どもは、そういう立場から考えますと、たとえば番組向上委員会あるいは番組審議会、各社における放送番組基準、それから民放連がおつくりになっておりますような全体としての基準というものが一つのよりどころになると思うのであります。 私はこの前の委員会でも質問したのですけれども、せっかく放送番組に関する基準審議会がありまして一つの基準をつくりましても、その基準そのものが本当に守られているかどうかということになると、これは疑義があるわけです。それが守られておれば俗悪な番組ができるはずはない。そこに一つ問題があるわけでございます。そういう意味においては、番組向上委員会の先生方の御活躍には大変敬意を表しておりますし、報告をいただきますとできるだけ全体にわたって読ませていただいているわけでございます。 そういう立場から、最初に今参考人にお尋ねしたいのでありますが、いまも申し上げたように、放送というものは、特にテレビでございますが、私どもの日常生活においては自動車と同じで、なくてはならないものになってきていると思います。したがって、放送の影響というものはまた非常に大きいものがございまして、その番組がいいか悪いかによって大変な問題を起こしてくると思うのでございます。これは後からまたいろいろ具体的にお伺いしますが、たとえばさっき鈴木先生がお話しになったような子供向けの番組の中に――子供向け番組というか、これはテレビですから子供向けですよと言ったところで大人も見るでしょうし、大人向けですと言ったところで子供も見るわけでして、そこにさっき志賀先生もおっしゃったように、映画館における未成年者を入れないということと違いまして、セックスとか暴力とかいったこと自体がストレートにまだ判断の持てない子供に入ってくるわけですから、そういうことがあるいは青少年の非行に通ずる一つの原因になっているのではないのだろうかと思うのです。もちろんこれはたくさんその他の原因があると思いますけれども、私たちは絶えずそういったような心配をしているわけです。 先生は昭和四十四年六月に番組向上委員会の委員になられたわけでございますが、いま向上委員会は、事務局が男四人、女一人で、五人の方々でやっておられます。予算もたしか年間四千万くらいではないでしょうか。そして、月二回くらい地方に出て、三カ月に一遍ですか、地方の視察もされるし、また、地方におきましても放送事業者との連絡懇談等もよくやっていただいておるのはこれで知りました。しかし、NHK、民放連、日本電子機械工業会あるいは株式会社電通、博報堂等の方々が集まってつくっている番組向上協議会、そしてその上というか、横というか、それを受けてやっておりますものに放送番組向上委員会がある。これは任意団体であります。ですから、予算的にも権限的にもそう問題はないと思いますが、しかし、この前の臨時法制調査会の答申等のときにも若干意見が出ておったと思いますけれども、この番組向上委員会を任意団体から法人とか特別な団体にしてやった方がいいんじゃないかという意見も聞いておるわけです。 私は、その是非はいまここでは申しませんが、いずれにしても、現在の向上委員会が十分に機能を果たし、その目的を果たせるような体制にあるのかどうか。先生は御就任になられましていろいろ御苦労されておりますが、皆さんが取り上げましたいろいろな意見が実際に具体的にこの番組の中に生かされているのかどうか。先生は先ほど功罪と言われたが、罪の方は余りなくて功はというようなことを言われたように聞きましたけれども、いずれにしてもそういう点がいまの体制の中で基本的に十分機能を果たし得るのかどうか、ここらを最初に伺いたいと思います。
○今参考人 これは、こういうことをしたらどうするというような力を持ったものではないし、また、そういう性質のものでもあってはならないと思うのです。したがって、悪く言えば、放送局にとっては聞いてもよし聞かぬでもいいというような形に見えるかもしれませんが、番組審議会でも、各民放も中に入っておりますが、相当痛烈に番組を批判する人が大勢おりまして、私はもっともだと思いながらも言葉はちょっときついなと思うくらいにやっております。 ですから、これ以上どうするかということですが、それは具体的な問題にならないと言えないのですけれども、さっきちょっとお話ししましたように、「どっきりカメラ」というのはどうもよくないということはみんなの意見だった。これはやはり放送局でやめましたね。ですから、放送局の良識に訴えればなるほどなということでやめるような状態があったので、その後際立ってそういうような問題になったものはありませんから、注意とか勧告とかいうようなことをしたのは例としてはございません。ですから、放送局の中ではこういう外の委員会みたいなものの話がわりあい通じて、取り上げられておるということを私は確信いたします。ただ、問題は、テーマの俗悪なものですか、そういうようなものがいま本当にあるかどうかというと、部分的にはあると私は思うのです。茶の間ではどうかと思うような非常に品の悪いような演出をするようなことがあったり、そういう言葉を吐いたりすることはあるようでございますけれども、ドラマならドラマ全体が俗悪無比というのは非常に少ないんじゃないかと思います。もしあれば、どこかの委員会で問題になっておると思うのでございますが、いまのところ、私の知る範囲ではございません。ですから、そういう問題はひとつ具体的な例を引いていただきたいと思うのです。私らの方では、まだ、どうもああいうのは困るねなんと言うけれども、それは演出上の問題の方が多いのです。ですから、もしわれわれの方が知らないで見過ごしたとして、お気づきのものがあったら具体的に言っていただくと、これは必ず放送局の方に伝わるし、反省してもらえるだろうと思います。 〔左藤小委員長代理退席、小委員長着席〕 そういう俗悪だとか何かよりも、私が何となく心配なのはある種の傾向ですね。これはみんな同じになってしまうのです。番組でも、何か推理物、刑事物をやるとみんな各局で同じようにやってくる。これは新聞も多少そういう傾向があるし、週刊誌のごときにおいては実に多いんじゃないかと思います。したがって、テレビにもそういう傾向が相当強いんじゃないかと思う。一つ見ればわかるものを各局どこを回しても同じような番組が多くなってくる。これなら何社あっても同じじゃないかというような気さえ起こさせる。こういう一種の競争心が模倣性を生んでいるというような状態の方が何か恐ろしいような気が私はするのですね。つまり、あなたのおっしゃるように影響ということを考えますとそういう傾向がふえて、どこもここも同じような傾向になってくることの方が何か不安な気が私はいたします。 ただ部分的な俗悪というのは、それを指摘して非難することはできると思うのですが、しかし、どれもこれも同じようなものだというようなこと、推理物が流行だということになるとどこもかしこもやっていくということの方に、何か局の自主性というか自律性というものが失われていくような気が私はする。そういうものの影響の方がこわいのじゃないかなという気がする。視聴者の方にも、子供なんかそういうものが非常に強くなってまいります。そういう方が心配な傾向だと私は思いますけれども、いかがなものでございましょうか。ちょっと御質問から外れたお答えになったかもしれませんけれども、私はその方が心配なような気がいたします。
○鈴木(強)小委員 ですから、理念の基礎になるもの、憲法なり放送法に保障されている言論、報道、表現の自由というものは、これは絶対に守らなければいけない。憲法にも公序良俗というような言葉が使われていますね。また、品位を著しく損なってはいけないとか、裸であってはいけないとか全裸の人をやってはいけないとか、基準の中に書いてあります。そういう基礎の上に立って報道がなされるわけですね。ですから、あくまでも自主規制、自律というものの上に立ってやられるわけですから、私は、そのことはやはり保障すべきだということをだれにも負けないだけ主張している一人です。 ただ、そうであっても、国民の側から見たときに、この番組は本当にいい番組だ、これはちょっとどうかな、こんなのはやめたらどうかなというのがあると思うのですよ。これはどんどん出していただいて、そして放送事業者にそういう意見がありますよ、だからひとつ御注意をしたらどうですかというようなことをやるのがあなたの仕事でしょう。何か、あってもなくても同じようなものだということになると、そんなものはない方がいいわけですよ。私はそうでないと思うのですよ。この向上委員会をつくったのは、そういう言論、報道、表現の自由の上にあるものに対して、視聴者の立場からいろいろな意見を聞いてもらって、そして全体として、憲法、放送法に保障された範囲において国民のためになる放送をしてもらいたいというためにつくったもので、そういう意見があれば出せばいい。 たとえば、ここにあなたからいただいた資料がありますが、五十一年十月十三日に仙台で仙台地区の放送局首脳者との懇談会を開いたときに、むしろ放送局の方が向上委員会にハッパをかけているような意見が出ている。そのとき出席したのはNHK東北、東北放送、仙台放送、宮城テレビ、それから東日本放送ですが、各社大体社長が出ていますが、そのときのものにこういうふうに書いてある。「地方局の場合は、どこでも大半の番組を東京なりキー局から受けているので、自社制作番組となると報道番組を中心として社会教養番組的なものを作ることになってくる。したがって、そうひどいものはないと思う。モニターの会合や番組審議会で問題になる番組といえば、専らキー局からくる番組ということになる。私どももキー局に対して若干意見はいうが、番組向上委員会はお目付役として、キー局の制作部門に強く当たって欲しい。これはキー局の内部規制が望ましいのだろうが、やはり社長は忙しいだろうし、番組制作の責任の実体は、役員、局長とだんだん下へ移っていき、実際の制作となると、映画と違って会社へ入って五、六年というかなり若い人にまかされるということが多いようだ。娯楽番組のようなものはいろいろ問題がある。作ったものをどの程度上の人が見ているか、特に社長が全部を見ることはできないだろうし、それでどうしてもディレクター、プロデューサーあたりに直接、向上委員会の意向を強く出していただきたいと思う。」と、こういう意見が出たことをここで述べているのですよ。やはり、放送局自体もそういうジレンマに陥っているのです。 私は、この番組向上委員会というものは大事なところだと思っているのですよ。ですから、この委員会は本当に全国民の負託にこたえて、本当にりっぱな日本のテレビ番組、ラジオ番組をつくるようにして、そして国民のために稗益していただきたい。そういうものに役立つ大事な仕事だと私は考えているのです。ですから、もっと予算が必要であれば出したらいいじゃないですか。国が出せばこれはまたいろいろ干渉になるでしょうから、それは自主的に放送局が出したって結構ですよ。四千万円ぐらいの金で、五人ぐらいの人でどうしてできますか。そういう意味において、参議院にも私は十八年おりましたけれども、この向上委員会については発足以来長い間私はかかわってきているし、前から期待を持っているのですよ。私はそういう願いを込めてあなたにさっきから意見も出しているわけです。 こめ資料の中にもありますが、皆さんの方で放送番組を指摘したものが幾つかあります。たとえば深夜番組によく見られるようなよろめきヌード番組は、こんな悪い番組をやっていいのかという向上委員会に対する一般視聴者からの電話が多くかかってきて、そして向上委員会に努力をしていただいてこの深夜番組はこのごろ大分行儀がよくなった、しかし、昼間の主婦番組に変なベッドシーンなどが出てきてひんしゅくを買っているというように具体的に出ているのですね。 皆さんの努力によってやっても、深夜にやったものを昼間に持ってきたというのでは、これは同じなんですからね。視聴者の態様が違いますから若干の違いはあるかもしれませんけれども、どうして昼間に持ってきたか、私はわかりません。そういう個々のケースというのは、皆さんが番組をよく見ていただかなければならぬでしょう。番組審議会委員になった以上はそうしなければならぬでしょう。われわれはなかなか時間がありませんから、率直に言ってそう全部の番組を見るわけにはいきません。大変でございますが、そこは皆さんの御苦労でチェックしていただくようなことをやっていただきたいと私は思うのですよ。そういう意味においてさっきから私は番組向上委員会が本当に現状で十分機能できますかどうですかということを伺ったわけです。もう一回答えてください。
○今参考人 これはさっきも申したように、放送局には各放送局に属する番組審議会というものがありますし、向上委員会その他ございますが、そこで、いまのようなお話は、仙台の問題も私は記憶しております。したがって、個々の問題というものがあった場合には必ず何か注意なり忠告なりを事務局から出しております。さっき私が申したのは、われわれが気がついてそうしておるにもかかわらず、まだ見過ごしたり見逃したりしたものがございましたら御指摘願いたいと申し上げたので、相当にみんな問題にしておるのでございます。ただ、すぐにやめさせるにはどうしたらいいかということなのです。 番組審議会でも、出席しているのは社長並びに各部長ですね。そういう人がやっておりますから、それから下の方へどういうように言っているか、それもただしたのですけれども、必ず言っているそうです。現場の方にも、こういう委員会でこういうことがあったぞ、気をつけろということは上から言っておるそうでございます。 〔小委員長退席、志賀小委員長代理着席〕 ですから、それにもかかわらず何かあるとしたら、われわれが見過ごしたか見逃したかの問題なんで、これはわれわれの委員会にも、しっかりしろ、こういうところがあったぞ、こういうことをおまえは見逃したかというような話がもっといろいろ緊密にできればまたありがたいと思います。私はそういう意味で申し上げたのであります。
○鈴木(強)小委員 この局側の意見というのはどこの局かこれには書いてありませんが、具体的にディレクターなりプロデューサーの段階に直接向上委員会の意見を伝えてほしいという要望があったわけですね。あなたもそういうふうな趣旨でいま述べられましたが、これはここだけではなくてすべての問題に言えると思います。ただ単に社長さんと懇談するということじゃなしに、むしろ、番組審議会のメンバーの方とか、あるいは直接制作に当たる方々とか――これは時間と金がかかるが、金もないし、大変お忙しい方もいるようですから大変でございましょうけれども、そういう要望が出たら、その要望にこたえてやるということによって言った人の発言というものは生きてくるわけですし、また、自信が持てるわけです。 この問題のときにはやってくれたのですか。これは会ったとも会わないとも言っていないのです。中にどこにも書いてないのです。
○今参考人 具体的な問題がございましたら私はやっております。ただ、いま申したように、上から現場の演出家の方に伝えるだけなんですね。われわれ実際に現場の者に会っておりません。ですから、もし現場が上から言われて聞きっぱなしということがあったら、会社としてけしからぬ話じゃないかと私は思うのですが、たしか現場との連絡は上を通じてやるのみなんですね。そこが行き届かないところがあるかもしれませんけれども、ありましたらいろいろやっておりますことは事実なんです。
○鈴木(強)小委員 ですから、ここにあるのは直接向上委員会からディレクターなりプロデューサーにそういう話を落としてほしいという要望なんですね。これをやってくれましたかと聞いたのです。あなたの方では社長に言ったわけですね。社長が下へおろしたのだろうと推定しているわけでしょう。だから、この要望にはこたえていないですね。ですから、私が言うように、そういうプロデューサーあたりの段階の人ともお話をし、懇談をしていただくとか、番組審議会の方に直接お話ししていただくとか、そういう方法をとっていただいたらなおいいのじゃないかなと思うわけですから、その辺はひとつ今後の運営の中で御配慮をしていただきたいと思います。 〔志賀小委員長代理退席、小委員長着席〕 それから、五十一年の十二月九日に金沢市で開かれました視聴者と委員長との懇談会の席上で、放送をしてほしくない番組とそれからテレビ向きでないと思われる要素についての質疑が行われたと聞いておりますが、そのときに「ワイド・ショー、娯楽ショー番組に意見が集中した。」と書いてあります。そこに書いてありますのは、「事件ものを取り上げる場合、人権を侵すようなものはやめてほしい、興味本位に扱うな。」「身の上相談など、そのものは悪くないが、取り上げ方が問題だ。夫婦間の問題にまだ判断力のない小さなこどもまで巻きぞえにして、画面に映し出すのは残酷だ。」と言っていますね。それから、「商品を山と積んで人気をあおろうとするのは、制作者の計算や作為がみえすいていて好ましくない。」「食べものを粗末に扱い笑いのタネにするのは許せない。」というような意見が出たと聞いていますね。 これは恐らくワイドショーなり娯楽ショーに対する視聴者の痛烈な批判だったと思うのですよ。ですから、そういう点も懇談会の席上で出た以上は何かの方法において委員長として御配慮いただいたものだと私は思うのでございますが、この辺はどうですか。
○今参考人 これは一々ごもっともな話なんですが、このことは、そういう話が出て、それを放送局の方へ事務局の方で伝達したと思います。
○鈴木(強)小委員 これは五十一年末くらいまでの報告でございますので、ごく最近の報告は残念ながら手元にないのでございますが、できましたら、何かメモでもありましたら、事務局がありますから私どもに定期的にいただけるようなことにして、向上委員会の御苦労を概略だけでも直接われわれにもわからせていただき、また、われわれも国会を通じて意見を出して、ともどもにテレビ番組が本当にみんなに喜ばれ、楽しまれるようなものにしたいと願っておりますので、今後またその辺の御配慮もお願いしたいと思います。 そこで、大森参考人に番組のことでちょっとお伺いしたいのですが、放送規律については現状でいい、番組問題についてあえてこれ以上法制面からの改正は必要ないとおっしゃいました。私も原則的には賛成ですが、そこで、いまのような問題が現実にあるわけです。これは五十一年十二月の報告でございますが、恐らく、その後も依然としてこういう問題は続いていると思います。向上委員会としてもこれは取り上げられていると思います。後ほど二年くらいおくれて私たちの手元に来るわけです。ですから、それぞれの局の番組審議会が放送法に基づいて、あの四十四条の三以降の準用される問題については真剣にやっていただいていると思うのです。りっぱな基準があるのです。あるにもかかわらず依然としてこういう指摘が出てくるわけです。だから、その辺をどういうふうにしていくのかということが当面問題になると思うのでございます。 ですから、私はいまの向上委員会というのにかなりの期待をかけておりますし、問題は国民の世論ですから、見たくないものは極端に言えばスイッチを切ってしまえばいいわけですね。見たいのは見ればいいのです。選択権は自由ですから、その辺はいかようにでも調節できますが、しかし、一番問題なのは、これは鈴木参考人にもちょっと伺いたいのですが、やはり子供だと思うのです。子供も大人も年寄りも全部が見るのがテレビですから、幾らスイッチを切って子供にだけ見せないようにしようとしたって、そうはいかないわけですね。スイッチを入れれば子供も大人もおじいちゃんもおばあちゃんも全部に入ってくるのです。そこに非常に問題がありまして、判断力のない子供に対するいろいろな悪影響というものが出てくると思うのです。 一つの場面で、人を殺す、刀で切りつける、よく見れば悪いことをしているやつが必ず切られるということでも、子供にそこまで判断力があるでしょうか。人をぶんなぐる、どこかから飛びおりて自殺をする、小さい子供の心にそれがどう映るか、ここが問題だと思うのです。ピストルで人を撃つ、刀で切る、け飛ばす、そういう暴力シーンを子供たちはしょっちゅう見なれているわけですから、いつの間にかその部分だけが頭に残って、一つの慣習としてそういう行いが家庭の中で、あるいは学校で社会でやられるような気もするわけですね。もっと極端に言うと、オッパイを出して、ズロースか何か一枚ははいているのでしょうけれども、真っ裸になっている場面が出てきてみたり、コマーシャルもひざを組んで何かを宣伝したりするようなものが出てきたり、ああいうものを見たときに、大人は判断力があるからいいのですが、しかし、子供の場合にはそれがどう映っていくか、ここいらを編集する人たちがよほど考えておかないと問題を起こすように思うわけです。その辺は、どういうふうに歯どめをしていったらいいのか。 これはあくまでも制作者の良心にわれわれは訴えなければならないのですが、そんなものは見なければいいと言えば簡単ですけれども、そうもいかないでしょうから、そこに何かの工夫をやらなければならぬとわれわれは思うわけです。これはあくまでも良心的な判断によって作成者に善処していただくということが基本になると思いますけれども、先生はその方面の権威者でございますから、われわれよりも少しいい知恵があると思いますので、何かそういう点で教えていただけたらと思います。 それから関連しまして鈴木さんには、そういう子供に与えるテレビの影響というものをあなたはどういうふうに受けとめておられるか、その辺を伺いたいと思います。
○大森参考人 いまの御指摘はごもっともでございますし、私は放送評論の仕事をしておりますけれども、いまの先生のお考え以上のことは実は思い浮かんでおりません。 ただ、申し上げましたように、私は、いまの法律の仕組みはあれでいい、それに伴ういろいろな自主規制の機構も形としてはいい、しかしそれが十分に運用されていないと思いますし、法律が期待をし、あるいは日本じゅうで期待しているような効果が出ていないと思います。ですから、それをどう改善すればいいのかということに尽きるわけでございますし、実は、いまのお話にございました制作者あるいは局側の良心ということでしかないわけでございます。 ただ、向上委員会にいまお向けになりました御期待は十分わかりますけれども、要は各社の審議会であり、各社が掲げる放送基準であるわけでございまして、これの実際の運用が実は外部にもよく伝わってこない。これがもっと公開性を持ち、現実にどうあるのかということを、法律が決めております以上、国民の側、視聴者の側はそれを知る権利と申しますか、必要が十分にあるわけでございますので、私は、ここら辺がまだまだ不足しておるという気がしております。 たとえば、いまお話にもちょっと出ましたように、向上委員会が各社の審議会の委員長さんと懇談する機会がもっとあればいいと私も思いますし、全国の民放の審議会の委員長さんが年に一度か二度東京にお集まりになって向上委員会と懇談する機会があったり、その内容が新聞などによって報道されることがあれば、少なくとも各社のそれぞれの良識なり何なりに訴えるものがありましょうし、ひょっとして暴走するかもしれない、俗悪に走るかもしれないものへの歯どめの機会は出てこようかと思います。 子供に与えます影響につきましても、私は必ずしもそちらの方が十分に専門ではございませんのですけれども、やはり、テレビの中に家庭生活なり社会生活が埋没してはいけない。テレビを取り込んで生活の構成分子にしなければならない。御承知のように、いまの日本はテレビなりマスコミというものからもう切っても切り離せない状態にあります以上、たとえば低級な週刊誌が家に入ってくるのを防ぐようなつもりで、むしろテレビというものを、家庭生活を豊かにし、情操を高めるよすがに父親なり母親なりが責任を持ってやる必要があるだろう、局側の責任、責任と言うだけでは事は済まない、こう考えております。 お答えになりましたかどうかわかりませんが、非常に抽象的で申しわけございません。
○鈴木参考人 テレビの影響ということに関しましては、子供、大人の別なくテレビがマスメディアとして影響あるいは効果を持つということに関しましては、だれ一人として否定することはできないと思います。 そして、特にテレビが問題になりますのは、新聞や映画あるいは雑誌、その他いろいろなメディアがございますけれども、テレビがテレビであるという非常に特異な性格を持っている。特にそれの最も重要なのは、公共の電波を使用しているということと、その電波が有無を言わさずそれぞれの家庭の中に入り込んでいってしまうということ、そういう非常な特殊性を持っておりますので、その点に関しましてどう配慮するかということが非常に重要なポイントになると思います。 そして、子供が大人と違うどのような影響を受けるかということに関しましては、はっきり申しまして日本の場合はまだまだ研究が足りません。たとえばお母さんが子供と一緒にテレビを見てわからないところを説明してやったりすれば、それが子供にとっては悪い影響をある程度緩和することができるのじゃないかとか、いろいろ言われてはおりますけれども、実際に研究ということになりますと、特に第三者の手によります研究が日本の場合は非常に、不足していると思います。 ですから、たとえばテレビ企業あるいはスポンサーとか、そういった電波を使う方、使用を許されていらっしゃる方々がそういった中の何らかの責任を持って、そういうふうな具体的な研究として資金を提出なさって、たとえば第三者のそういう機関でそういった研究をもっと深めていただくとか、そういったことをするならば、未来を考えますと、よりよいテレビの実現のために、結局メディア側にとっても有益なものになるのではないかというふうに考えております。 それから、あともう一つちょっと私は申し上げたいのですが、アメリカで、現在、テレビを見ること自体が内容とは無関係に子供に非常に大きな悪影響を与えるのだという非常にセンセーショナルな本が出まして、これは「プラグ・イン・ドラッグ」という本なんですけれども、結局、麻薬と同じようにテレビ視聴そのものが非常に悪いんだということが、その本では非常に極端な例ばかりを引用しました形で書かれております。そしてそれがかなりな部数売れまして、そういった風潮が盛んになってきております。そして、そういったことがテレビ関係者にとりまして決して望ましいことでないことはよくおわかりになると思いますので、そういうふうな形でテレビの問題を議論するんじゃなくて、テレビというメディアのまだ開発されていない可能性というものを視聴者の側及び送り手の側の両方で開発していくということが非常に重要だと私は思います。 それは、親がテレビのスイッチを切ればいいんじゃないかという親の責任ということと同時に、送り手の側にどういう責任があるかということを問いかけることでありまして、たとえば先ほどかぎをつけて見せないようにしなければならないという措置まで必要になるかもしれないというようなことをおっしゃいましたし、いろいろな提案が出てくることは非常にいいことだと思います。 ですけれども、私はサンフランシスコで会いました一人のテレビプロデューサーの言葉をここでちょっと御紹介したいのです。その方はまだ三十代の非常に活躍盛りのプロデューサーでいらっしゃいましたけれども、いろいろなお母さんの集まりとかあるいは学校の集まりなんかには非常に積極的に出ていらっしゃいまして、そして、テレビをそんなにたくさん子供に見せるのは有害だということをはっきりお母さんたちにおっしゃっているということを話されたわけです。そして、テレビは上手に選んで見ることが非常に大切だということを言っているんだということをそのプロデューサー自身がおっしゃったわけです。そして、それがテレビに勤めるマスコミ人としての自分の責任であるというふうな言い方をなさっていらっしゃいました。私は、子供の親の立場に立ちますと、送り手も受け手もなく、結局はそういうことが非常に大事なことだと思います。
○大森参考人 ちょっとつけ加えさせていただきたいのでございますけれども、これはつまらぬことのようでございますけれども、私が一番気になり不快に思いますのは、毎日の新聞のテレビ、ラジオ欄に出ます番組のタイトルでございます。 これは深夜のショー番組についてでございますが、たとえば見せ物の呼び込みのように、これが女性のすべてだとか、いろいろな変な見出しでタイトルが新聞のラジオ、テレビ欄に載っております。どうしてこういうふうな番組タイトルで視聴者をつらなければならないのかなという気がして大変不愉快でありますし、これは当然各社の審議会で取り上げられてもいいテーマではないかと思いますが、長年にわたっていまもなお依然として後を絶たないわけです。 この辺はかえって放送局に対する理解を妨げる非常に大きな要因ではないか。それだけ見れば中がわかるような感じがする。実際つけてみて羊頭狗肉みたいなものもございますし、実際は放送局にとっての非常なイメージダウンにつながるのではないかという気がしてならないのであります。
○鈴木(強)小委員 時間が少なくて非常に残念ですが、先ほど大森先生の方から一つの御意見を伺いましたが、民放連の杉山さん、これは私の要望でちょっと提案みたいになるかもしれませんが、大事なことだと思うのですが、民放連の番組基準ですね。各社の番組基準がございますが、もちろんそういう番組基準に基づいてやっていただいているのですけれども、問題はその審議会の委員の方です。 これは委員長さんもおられると思いますけれども、適当な方でいいと思うのですが、一遍にやろうといったってこれはなかなかむずかしいかもしれませんから計画的におやりになることにして、まず、番組審議会の委員の方ですが、NHKの方も番組審議会がありますから一緒になったらいいと思うのですけれども、それと番組向上委員会ですね。審議会はそれぞれの局にございますが、その局のどなたか、編集に携わる人、そういった方々ができれば一年に一遍ぐらい集まっていろいろな意見交換をして世論にこたえて、こういう批判があるとかああいう批判があるとかディスカッションして、そういうものをもう一遍改めて胸に秘めながらやっていくということは構想としては非常にいいことだと私は思うのです。ですから、それが何回できるか、どういうかっこうにするかわかりませんけれども、これは検討に値することだと思いますので、一遍検討していただけませんでしょうか。どうでしょうか。
○杉山参考人 お答えいたします。 先生のお話はごもっともだと思いますが、民放連は、昔は民放連の中に審議会があって、それで年に一回ずつ各社の審議会の委員長さんの会合を持ったことがあります。いま向上委員会ができまして、向上委員会でそういう問題について機会があれば御検討を願うわけで、うちの方としては各社の審議会の先先方のつながりの組織を持っていないわけです。 うちが持っているのは会員各社の社長さんたちを中心にする放送番組基準審議会でありまして、ここで放送基準に関連するいろいろな問題とか、あるいは新しく取り上げられる問題、たとえば社説放送の問題とか、あるいは基準の改正とか、こういったことが中心になっておりまして、民放連が各社の審議会との会合をつくるということがいまの形ではちょっとむずかしいんじゃないかというふうに考えます。しかし、一応研究させていただきます。
○鈴木(強)小委員 ぜひ検討してみていただきたいと、重ねてお願いしておきます。 それから、こういう機会ですからちょっと御意見を承っておきたいのですが、日本の場合には戦後テレビ、ラジオ局がものすごくふえまして、御承知のような状態になっているのですが、五十一年末のものしかありませんものですからその資料で申し上げますと、ラジオは、民間が四十八社、百七十七放送局、NHKは第一、第二で三百十四局、テレビは、民間が九十社、二千三百六十二局、NHKが四千九百四十九局、これは中断所も入っていると思いますから多くなっています。超短波が、NHKが四百六十四局、民間が四局です。それで放送時間も、ちょっと調べてみただけで、NHKが三十七時間三十二分ですかね。ラジオの方、第一、第二ですね。それから教育テレビの方が十八時間、総合が十七時間三十六分。これは前の統計ですが、それで合計しますと、日本のテレビは一日に百二十一時間二十一分。ラジオの方は、これは東京キー局、TBS、文化放送、ラジオ関東、ニッポン放送といったものの平均を出していると思いますが、八十七時間二十分。これだけの電波がとにかく飛び交っているわけでございますね。 ですから、ちょうどオイルショックのときにNHKが放送時間を少し短縮しましたが、やはり資源有限時代ですから、エネルギー問題に対してもわれわれは相当慎重に対処していかなければならぬと思うので、そういう意味からはよかったのですが、だんだんそれがもとへ戻りつつあるし、民放の方ではずっとまた延びていますから、その対抗上と言うと悪いですが、比較上NHKもそうせざるを得なかったのだと思いますが、放送時間がべらぼうに長いように思うのですね。こういう時間を多少短縮してもいいんじゃないかという意見も私どもは聞くわけですね。 それから、テレビ受像機も、これはメーカーの方々がいろいろな研究をするものですから、メインスイッチを入れておいて副スイッチを入れれば画面だけは消えますけれども、電流は流れておる。あのために何億アンペアという電力をむだに消費しているわけですね。スイッチを入れて三十秒や一分間映像が出てくるのが遅くたっていいじゃないですか。音声はすぐ出てきますしね。ですから、そこらも、行政サイドというか、放送者にいろいろな角度で啓蒙していただいて、そういうむだな使い方は注意して少しでも消費を節約するということもやるべきだと思うのですね。 現状は局も多いし、放送時間も長いですが、ここらを多少短くしたらどうかという意見も聞くのですけれども、大森先生、その辺はどうですか。
○大森参考人 いま御指摘のことは、私もたてまえとして同感でございます。 やはり、世界でもまれなテレビ王国といいますか、電波王国になった現在でございます。いわゆる民放の多局化志向といいますか、多局化のレールというものは私どもの関知する事柄ではない、政治がお決めになり、ここ二十年来のレールに乗ってこういう状態になってきた、そして時間を売るという民放の商売上放送時間が延びていく、そういうことで現在に至ってきております。 ですから、いま局が多過ぎるではないか、放送時間が長過ぎるではないかという御指摘はまことにごもっともでございますが、たとえば深夜労働者がふえてくる状態があり、視聴者の視聴態様がまことに千差万別であります。それでは画一的にもっと減らせということもいかがかと思われますし、放送の時間といいますことも当然番組編集の自由にかかわることでございまして、各社の編集権にゆだねられることでございますのであえていろいろ申し上げることはございませんが、しかし、結局はやはり中身の問題で、深夜労働者の方がただ深夜の映画やらショー番組を見たいというふうに思っているかどうかというところの把握が不足している。深夜労働者の方々もあるいはニュースが見たいかもしれないし、もう少しいろいろとそうやわらかくないものも見たいかもしれない。その辺の把握がどうなんだろうか。あるいは各社の従業員の方のいろいろな労働の問題もございましょうし、非常に安直なものを出して、それがお金になるという状態は必ずあると思いますが、放送時間が減ればいいということよりも、むしろ、当委員会のテーマであります番組の質の問題にこれはかかわってくると、かように考えるわけでございます。 むだ遣いという印象は確かにあります。しかし、いま現在に至ってこれをどうしろということよりは、中身の向上の方に局側が力を割いていただきたいと考えております。
○鈴木(強)小委員 杉山さん、電力の消費について、メインスイッチを切っておいてもらえばいいじゃないかというふうな宣伝などは民放の方でもたまにはやったらどうかと思うのですが、どうなんですか。
○杉山参考人 局の方では資源節約というようなことでいろいろなCMを出しております。電力の問題、それからほかの問題も含めて部分的には出ておるわけです。それからもう一つは、公共機構のCMを流すというようなこともしております。 また、電力を非常に使うという受像機の問題ですが、これは最近非常に新しい形の受像機が開発されまして、ほとんどネグっていいくらいの電力で処理できるようなものが出てまいりました。これが普及するのはまだちょっと時間がかかると思いますが、そういうことで、これが普及すればその問題は一応解決されるんじゃないかというふうに見ております。
○鈴木(強)小委員 番組の問題もまだいろいろありますけれども、先ほども視聴率の問題が出ておりましたが、どうかすると民放が視聴率というものを大変気にされるわけですね。何か、一%上がると一億円の収入がふえるというようなことをどこかの社長が言っておりました。12チャンネルの中川さんですか、六月十一日の朝日新聞をちょっと私は拝見しましたけれども、ですから、どうしても視聴率を気にしてとっぴなものをつくりて、そしてそれを見てもらうというようなことがいま論議されているような番組の俗悪とか低俗とかいうようなことにつながるような気もするわけです。 さっきもお話がありましたが、ここで私は具体的に金額は申しませんが、私も資料をいただいて見ますと相当な利益を得ているわけですから、そういう利益を――電波は公共のものだという鈴木さんの御意見は全くそのとおりでありまして、放送法の中にもありますように、これは純然たる利益追求の一般の商業や事業と違うと私は思うんです。ですから、電波は国民のものであり公共のものであるという考え方に立てば、そんなにもうけなくてもいいと思うし、もうかったら、むしろそのもうけをよりよい番組をつくり、よりよいサービスをするという方向にやっていくのがあたりまえなことでございますから、そういう方向に行くべきだということをさっきも言われておりましたが、私もその点は全く同感でございまして、今後さらに国民の期待に沿えるような番組をぜひ制作していただくように私はくれぐれも願っておるものでございます。 それから、ちょっと細かいことですが、二、三承りたいのですが、たとえばもう一つCMのことですけれども、五十年の十月にCMの総量は放送時間の一八%以内というふうに決められたんですし、それからスーパーのCMの場合は原則的に廃止するというような放送基準の改正がなされましたが、大森さん、この辺は見ておられてどう感じますかね。ぼくらはCMが一つの中に何か多過ぎるような気がするんですね。またかまたかというようにCMが次から次へと来るわけです。これは時間をはかっていませんし、一八%以内という基準に合っていれば、われわれもそう思ったって別に文句は言えないわけですけれども、何か若干多いんじゃないかという気がするのですが、その辺は感じとしてはどうでしょうかね。
○大森参考人 これも私もタイムウオッチではかるわけでもないのでございますが、ただ、これは、五十年に民放連の方で世論を受けて、特に向上委員会からの要請もあったということでCMの総量規制が行われたのですが、ただ、お話しのようにCMがそう減っていないという漠然たる印象がある。しかし、現実には恐らく多分決められたとおりにおやりになっていらっしゃるんだろうと思いますが、いろいろな景気その他の問題もあって、一つの番組に乗ります相乗りのスポンサーの数がふえてまいりますと、それだけいろいろなCMがちらちら目に入ります。ですから、非常に多いという印象は受ける。一時間番組でいま大体六社のスポンサーが乗っておりますが、これが六十秒ずつ六個出てくるとなりますと少し煩わしさが先に立ったり、CMの好きな方は別でございますけれども、多いという印象はあります。しかし、これは民放連の方でもう自主的にお決めになったことで、各社が遵守されているに違いないというふうに考えております。 もう一つ、音量の問題がございますが、この音量の問題も、民放連さんの方で自主的に音量を控えるように各社の方とお話し合いになったというふうに聞いております。ただ、音量につきましては、どうもまだやや改善されていないという印象は受けます。しかし、これもただ私の感じでございます。
○鈴木(強)小委員 その点はもう少し私も研究してみたいと思っております。 番組のことでもう一つつけ加えてお願いしておきたいのですが、これは杉山さんにもぜひお願いしたいし、向上委員会の委員長さんにも注意しておいていただきたいと思いますが、子供に対する影響ですが、これが非行に何百分の一か原因があるのではないだろうかとかいう心配が当然出てくるわけです。特に、子供番組の基準というものについては、昭和五十年にたしか放送基準の第三章の「児童および青少年への配慮」ということで新しく特別に入れていただいたと思っているのですね。ですから、それにかかわらず、まだいろいろな意見が出るということは、やはり、さっき申し上げたような基準はあっても実行が伴っていかないということになりますから、この辺に対しては慎重の上にも慎重を期していただいて、判断力の少ない子供が変な意味において悪い影響を受けることのないように編集上御配慮をしておいていただきたいと思います。 それから杉山さん、私どもがテレビを見させていただいていると、男のアナウンサーと女のアナウンサーが出ますが、何か女性のアナウンサーがわき役、添え役みたいなものに多くの場合なっているんですね。男性の方がどんどん発言してリードしてしまって、わき役みたいな形になる傾向があると思うんです。婦人の人が控え目にしているのかどうか、それはよくわかりませんけれども、婦人のアナウンサーも男子と交代ぐらいに出ていってやるようなことをもう少ししてほしいということをぼくはある奥さんに言われたんですけれども、何か婦人のアナウンサーを差別扱いしているじゃないかと言うのです。いや、そんなことはないでしょうと私は言っておきましたけれども、見る人から見ると、どうも男性優位のような気がすると言うんですね。 こういう点は全く見当違いのことじゃないでしょうね。それとも見当違いのことですか。これは番組そのものの性格とかなんとかいうものを全然知らなくて、ただ見た感じとして言ったのかどうかわかりませんけれども、一考をする余地があるんじゃないかというような気が私もするものですからあえて私はここで取り上げたのですが、どうでしょうか。
○杉山参考人 お答えいたします。 私が見ておる民放の番組に限って申し上げますと、民放の番組は男のアナウンサーも女のアナウンサーもむしろ対等に自由にやっておるんじゃないかというふうに私は見ております。特に、TBSの朝の番組を私はときどき見ておりますけれども、もう男とか女とかの区別なく自由にやっておりますし、女のアナウンサーあるいはそういう方がいろいろレポートされますが、そういうものも男と全く対等にやって、海外を取材してきたり、いろいろしてやっておる。こういうふうに私自身は認識しておりましたが、私は、いまの先生のお話を聞いてちょっと奇異な感じを受けておるという心境です。
○鈴木(強)小委員 そうすると、何かNHKがやっているような気がするんだけれども、そうじゃないですか。民放のことで私はいま聞いたんですけれども、NHKの方はどうですかね。その点は反省するところがあるんですか。
○堀参考人 お答えいたします。 特殊な、たとえば「奥さんごいっしょに」等においては、女性のアナウンサーあるいは女性のレポーターが対等以上の立場で活躍はいたしておりますが、NHKの場合、全体的に見まして、女性のアナウンサーあるいは女性のタレントが多少添え物的な感じで、もう少し活躍の場所を広げるように努力すべきじゃないかと常々は感じておりますが、なかなかその人を得ないという実情でございます。
○鈴木(強)小委員 そうです。人を得なければなかなかだめですし、女性のアナウンサーの方にも大いに勉強していただいて、男子と堂々とやれるようなことも必要でしょうから――これはまあNHKの方も同じですから……。 なお、杉山さん、いろいろ見る方は角度が違うでしょうから、私がさっき断ったように誤解もあるかもしれませんが、特にそういった話を二、三カ所で聞いたものですから、それで申し上げたわけですから、またひとつ検討してみてください。 それから、「よりよい放送のために」の中に、さっきの五十一年十月十三日の仙台のときのお話の中に局側からこういう指摘があるのですね。「日本はタレント費にかけ過ぎて脚本代にかけていない。見て面白いドラマは、俳優より脚本のよさで決まってくる。私も民放連で著作権の仕事を二十年以上もやっているが、そこでもタレント費を少なくして脚本代をもっと増やすようにということでやってきたのだが、」と言っていろいろと書いてあります。 実際にタレント費というのもいろいろあります。時間があれば番組の外注で下請までいっている問題についてきょう私は伺いたかったのですが、この前、民放連の会長のお話では民放はほとんど外注に出しているところもあるようでございまして、いろいろな問題があるわけですが、一応そういう点はここではおくとして、脚本代もそんなにけちけちしているものでしょうかね。こういう御指摘があるのですが、杉山さん、これはどうなんでしょうか。よく見ていただければわかりますが、本当にここにありますから研究してみてください。こういうところもたまには見ていただいて、もし誤解であればそれを解く、そうでなかったら直していくということにならないとせっかくの指摘がどうにもならぬのですが、その点はどうでしょうか。 もう一つ、これは去年の二月二日のことですが、例のNETテレビの、当時毎週日曜日の午後八時に放送していたもので、「いたずらカメラだ!大成功」というものの収録中にタレントの桂小軽さんがライオンに足か何かをねらわれてけがをしたことがございました。それでその後中村歌右衛門さんが会長の日本芸能実演家団体協議会が放送事業者に対して申し出があったようでございまして、労災の適用を受けられるようにしてくれとかいろいろな措置を要求されました。 労災の問題については、個人契約との関係があって確かにむずかしいと思いますが、しかし、これは袋の中に何か入れておってばあっと出てきたらその前にライオンがいたということですね。こういうことについては今委員長もさっきおっしゃっておりましたが、いまでもこういうことをやっているのですか。そうでなくても、個人契約の場合におけるタレントさん、俳優さんの災害についての補償をしっかりやっておいていただきたい。将来労災をどのように改正していくか、この辺のことはもちろんわれわれがこれから研究していくことでございますから、われわれも一緒になってやっていきたいと思いますが、とりあえずその間できるだけの御高配をいただいておきたいと思います。 その二つをお尋ねして終わります。
○杉山参考人 お答えいたします。 最初の脚本料その他の問題でございますが、これは放作組やその他の関係団体がございまして、毎年民放連と話し合いまして改定しております。昨年度も改定いたしました。最近は保護同盟との間で改定が成立いたしまして、新しく相互で批准するようになっております。 また、もう一つの桂小軽さんの問題ですが、これは先生も御存じのように、当時は治療費並びにお見舞い金を出すということで両者円満に解決しております。ただ、労災の問題については中村歌右衛門さんの方から私の方へ参りました。それで、私たちの方としては、放送番組を制作する上において人権、人命に関するような問題については特に注意してほしいということを各社の方にお願いすると同時に、労災の問題は先ほど先生もおっしゃったように契約上の問題でありまして、民放連はそういう問題を取り上げていないので、契約のときに芸団協の方でも取り上げるなり、芸団協自体が労災問題を取り上げる一つの組織をつくるなりして対処していただいた方がいいのじゃないかということを先方に申し上げて、先方もそれを了解して帰られました。
○鈴木(強)小委員 どうもありがとうございました。
○加藤小委員長 田中昭二君。
○田中(昭)小委員 きょうは参考人の皆さんには大変長時間にわたって御苦労さんでございます。 私の時間の中で、民放連の方の御都合で余り時間がないようでございますから、順序を変えまして民放連の杉山さんに最初にお尋ねをしてみたいと思います。 朝からずっとこの委員会で議論を聞いておりますと、私も余り知識がないわけでございますが、先ほどから鈴木委員もいろいろ指摘しておりましたが、現在のテレビ、そしてテレビの番組内容についてはいろいろな問題があろうと思います。番組内容のいい悪いはいろいろ問題があろうと思いますが、テレビ放送につきましても、先進国であり、また先輩でもありますアメリカ等のテレビに対する対応を見てみましても、わが国より進んだ対応をしておると聞いております。 そこで、具体的に申し上げますが、先ほどから話が出ているように、民放各社の番組編成を受け手である視聴者の方から見ますといろいろな問題を含んでおる。ですから、番組の内容については審議会等で基準も設け、規制を加えておるが、ところが、現在までの内容を見てみるとまだ不十分である。だから、各民放の各審議会の責任ある方々が向上委員会等とのいろいろな懇談もすべきではないか。それについては、民放としては、そういうものはいままで組織の中にないし、行き方としてはそういうものはないけれども、今後は検討するというような御発言がありましたが、これを一つ取り上げてみましても、アメリカあたりでやっておるテレビやそして企業が視聴者と取り組む態度から見てみて、そういうことでも審議会の責任者が向上委員会等と話し合うこともできないのかという、素朴なと言われるかもしれませんが、そういう疑問が出てきたわけです。 それから、もう一つは、番組をよりよくするためには、テレビを放送することによって日本の民送はキー局においては大変利益を上げておるが、その利益については、もう少し視聴者の方によい番組をつくるために還元すべきであるという御意見は、ここにいらっしゃいます評論家の大森先生からも、また、テレビから子供を守る立場の参考人の方からもそういう御意見があったわけです。ですから、そういう審議会の問題と、それからテレビのよりよい番組のための、それを守っていくための、その利益の還元というようなことで私はまずお聞きしたいのですが、いままで各テレビ放送によってもうけてきたテレビ放送事業者は、民放の中でどういうふうに視聴者のための還元をしておるのか、その点をお聞かせ願いたいと思います。
○杉山参考人 お答えいたします。 番組審議会の先生方と私たちが話さないということではなしに、民放連が各社の番組審議会の先生方と民放連という形で話す場はいまの組織の中ではないということを話したので、各社は各系列で審議会の先生方と話をしておると私は思うのです。それから向上委員会の先生方とは、各社の社長あるいは制作担当の重役は年に二回ないし三回話し合いを持って、いろいろな番組の向上について話し合っております。 それから、民放の利益の番組への還元の問題でございますが、これは各社が番組制作にどういうものをどれだけ使って放送するかというようなことについては、民放連はタッチする機関ではございませんが、私が知っている限りでは、各社はそれなりのよい番組をつくるために努力をしている。ということは、それに金を相当支出しておるし、今後も支出していくというふうに理解しております。先生方も御存じのように、大型番組がつくられて新しい試みとして出てきておるということもその一つではないか、こういうふうに思っております。
○田中(昭)小委員 よりよい番組をつくるために経費も使っておる、金も使っておるというお答えでございますが、それではその金を使った分だけよくなったかという問題は、これは各民放企業サイドの言い分であって、私はそれは納得できません。先ほど大森先生からもお話があったように、そのもうけた分についてはもう少し還元すべきであるというふうに私は大森先生のお話を聞いたのです。いわゆる番組の問題について言えば、現在の法制の中で、その法の精神というものを良識に従ってやっていくならば、その運用においてそういう問題は良識に沿った線でやらなければならないというようなお話がありました。 ただ一つ、現状況で具体的に言えばというお話の中で、いまの民放連のお話によりますと、局々の一つの基準といいますか、そういうものの向上に向かって金を使っておるというお話ですが、それなら過去十年、二十年前と現在を比較して、このようなテレビに対するいろいろな批評や意見は出てこないはずなんだというふうにも私には思われます。 先ほどの大森先生のお話の中に、市民団体との対応が旧態依然であるというようなことが指摘されました。特に東京のキー局については利益を上げておるから、それは質の向上のために還元をすべきであるという御意見だったのですが、その辺についてもう少し大森先生から御指摘いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○大森参考人 最初にはしょって申し上げた形になりましたのですけれども、市民団体あるいは視聴者団体等市民パワーというものへの対応が日本の放送界ではやはり旧態依然である。何か少し及び腰で対応している。お話は承っておくというようなことである。つまり、視聴者意向の吸収ということが最近特に強く言われておりますが、これはNHKも民放も含めてでございますが、本当の視聴者意向の吸収、その番組への反映、局の姿勢への反映ということが、たてまえ論でなくて、行われなければならない社会状況にいま来ておるというふうに私どもは感ずるわけでございます。 及び腰で、何かためにする団体だというふうな先入感にとらわれて、非常に虚心に番組に物言いをつけに来た方も同じように見て扱ってしまうということがもしありとすれば、やはりこれは局側の非常に大きな欠落した部分であろうと思うわけでございます。ですから、これは具体的にどうこうといいますよりは、市民の側からの物言いはむしろこちらから求めてもいいくらいにいまは重要な時期である。これは鈴木先生のおっしゃいますような子供とテレビとの関係につきましても、お母さん方の意見というものを、教育ママが何を言っておるのかというふうな感じではなくて、本当に子供のためにテレビは大事なんだというところから発想しませんと、局の編集権に介入するというふうな感じでもし受け取る方がいたら、これははなはだしい時代錯誤だと感ずるわけでございます。 それから、東京の局はもうけ過ぎだという話ですが、私はもうけ過ぎとは思いませんけれども、一局で一年間の売り上げが七百五十億にも達し、上がりが百億円を計上するような状態ではやはりかなりな利潤が上がっている企業である。しかも、これが公共の電波、国民の電波を預かっての事業であるならばもう少し――たとえば大型番組をつくるのも結構でございますし、イベント独占というような形での番組も結構でございますけれども、それはまた別に金を生んでいく形の番組でございます。そうではなくて、非常に貴重な捨て金というようなものがもっとあってもいい。放送番組センターなり向上委員会なりへの財政基盤の安定というようなこともございましょうし、各種の自主規制機関へのそれなりの援助というふうなものが出たらいいなと、私は個人的には考えております。 以上でございます。
○田中(昭)小委員 杉山専務さん、いかがでしょうか。私はまだちょっとよく納得できないのですが、いまの金を使う問題ですね。還元する問題について……。
○杉山参考人 大森参考人のお話の中に、番組向上委員会などにも金を出したらどうだというお話がございました。これについては予算制度で行っておりますので、必要があったときには予算は出せると思います。 それで、番組の問題というのは、先生も資料でごらんかと思いますが、制作費は相当年々ふえておりますので、相当努力しておる。そして、経営者のいろいろな雑誌やその他の中での発言を見ておりましても、これからは放送番組の質をよくする時代に入ってきているのだという認識を私は強く持っております。したがって、これから番組はそういう方向で改善されていくものと私は期待しております。
○田中(昭)小委員 鈴木さん、いまの民放連の専務さんのお答えでございますが、子供にも、いわゆる子供が自主的につくる番組なんかも必要であろうというような御意見がありましたが、その面から民放に対する御意見があればお聞きしておきたいと思います。
○鈴木参考人 それでは、ここでもう少し具体的に日本にない番組というようなものを御紹介したいと思います。 たとえば、私たちが今度行ってきまして、短い間でしたけれども見ました中で非常に私たちが感激いたしましたのは、子供のためのドキュメンタリーが非常に多いということなんですね。それはたとえば年齢層も分かれておりまして、八歳ぐらいから十二歳ぐらいのそういう子供たちを対象としたドキュメンタリーと、それからまたもう少し大きい子供たち、その場合は特につくるという方面が入ってまいりますけれども、中学生、高校生の子供たちを対象としましたもの、これもドキュメンタリーですけれども、そういった番組が実際に非常にたくさん出ております。これは残念なことに日本の子供番組の中には皆無でございます。 特に私たちが非常に大事だと思いましたのは、そういう子供のためのドキュメンタリーが――単にいままで私たちが大人として見ております大人のためのドキュメンタリーとしては、NHK、民放を問わず非常にいい番組がたくさんあったと思いますけれども、そういうふうな考え方に基づくのではなくて、子供の側に立ちまして、子供の視点から見たときにどういったことが子供にとって重要であるか、あるいはどういったことに子供たちは興味を持つのかという考え方に立って、たとえばハンディキャップを持つ子供たちを描きました「フィーリング・フリー」という番組がありますけれども、その場合には、子供は、そういうハンディキャップを持った子供たちを日常生活の中で余りにも知らない子がほとんどございまして、そういう子供たちに対する偏見というのは非常に強いのですけれども、ただ、そういう子供たちの偏見を取り除くためにはどうすることがいいのか、どういうふうに描くのが最も偏見を取り除き、人間対人間として友達になりたいという気持ちを抱かせるのかという視点に立った番組づくりがなされております。 この「フィーリング・フリー」なんかを見ておりますと、かわいそうだとか、そういうふうな気持ちは全然ありませんで、生きていることの喜びとか、みんな人間は違うんだということが非常に高らかに描かれております。子供のための童話なんかで非常にすぐれた内容を持ったものは大人でも心を打たれるものですけれども、私たちはそれと同じ気持ちを持ってそれを見ました。 そんなふうに日本にない番組がたくさんあるわけです。ですから、日本の中でなぜそういうような番組が生まれてこないのかということになりますと、やはり、余りにも送り手側の中にそういうふうなことを考えつく創造性が欠けているのか、あるいは個人的な意味で創造性を欠いた人たちの集まりであるのか、あるいは個々の方々は、そういうふうなテレビをつくりたいとか、そういう芸術的な欲求とか、いろいろなものを持った方が入ってきてテレビに勤めているにもかかわらず、そういった人々の才能を伸ばしていく場がないというのか、そういうことでしょうか。 伺いますと、子供番組のための専門のプロデューサーというのは日本のテレビ局には余りいらっしゃらないようですけれども、たとえばアメリカのある局では、子供用の制作部門と大人の制作部門とは完全に分かれております。そういう中で、たとえば大人の深夜番組などをつくっていらしたプロデューサーが突然子供番組をつくるプロデューサーにかわってきてつくるということはほとんどあり得ないわけです。ですから、何年も経験を積んだ中で、本当に子供が求めているもの、子供にとって何が大切かということを知ったそういう方たちが経験と自分の能力を生かしながら番組をつくっていらっしゃるということで、環境的にもアメリカの制作者たちは非常に恵まれていると思いました。 特に、こういう話は、大体はネットワークというふうな中じゃなくて、どちらかといいますと、外にありますわりに小さなプロダクションあるいは公共放送系列の局の中でそういう番組ができております。ですから、余りにも大きな組織になりますとそういうものがなかなか育たないという面がやはりあるように思いましたし、問題はいろいろなところにあると思いますけれども、とにかく、日本の放送界の中でどこに問題があるかということを客観的に研究し始めることがまず大事だというふうに感じます。
○田中(昭)小委員 民放連の方は、お約束の時間だそうですからどうぞ……。 次に、私は先ほどからお話を聞いておりましたが、番組向上委員長の今先生のお話の中に、現在の番組はテーマとしてはそんなに俗悪なといいますか、良俗に反するようなものはないが、しかし、番組内容の部分的においてはそういうものも見受けられるというようなお話があったと思います。それで、それに対して大森先生は、テーマにも大変よくないものがあると――いわば深夜番組等ですか、そういうことを前提としておっしゃったと思います。 まず、向上委員会ですが、先ほどから聞いておりますと、大変高い次元に立ってのお話といいますか、大人的といいますか、功罪という話も先ほど鈴木委員もいたしておりましたが、今先生のお話の中に、功罪の罪は余りなかったと思うがというお話もあったように私はお聞きしました。そういう意味でその後のお話を聞いておりまして、悪いものがあれば言ってもらえばちゃんと指摘して直していくんだというお考えもあるように聞いたわけです。でありますから、現在のテレビ番組のテーマとそして内容ですが、テーマといいましても、番組の内容が低俗であればテーマも何もあったものじゃないわけですから、そういう意味では、向上委員会の方でもう少してきぱきと御指摘があった方がいいのではなかろうかと私は思いますが、その点はいかがでございましょうか。今先生にお尋ねします。
○大森参考人 ちょっと途中で失礼いたしますが、私が先ほどテーマと申し上げたのを、いま田中先生が、私の言葉が足りなくて少しお考え違いになったかと思います。 私が申し上げましたのは、新聞のラジオ、テレビ欄に出ます番組のタイトルの中に大変刺激的なものがあるのを、それを私はテーマと申し上げましたので、私の考え方としては、テレビ番組は過去も現在もさしたる大過はなかった。その点では今先生のおっしゃいますように、場面場面、シーンあるいはせりふ、そういうところに俗悪に近いものがたまに散見されるというのが基本的な見方でございますので、おわびして訂正しておきます。
○今参考人 少し言葉が足りなかったようでございますが、私は、娯楽的なもの、たとえば「全員集合」であるとか、その他の娯楽ドラマには多少部分的にどうかと思う個所が見受けられました。それから普通の、そういう娯楽でないドラマといいますか、そういうものの中には比較的まじめな要素の方が多く見られて、そう俗悪という感じは私は持ったことはないのでございます。 ただ、私は、各局の番組審議会であるとかあるいは向上委員会に出席いたしまして、相当厳しい批判を聞いておりますが、それでも限られた委員たちですから、もしそういう委員が見落としたものがあったら教えていただきたいという意味なので、これはできるだけ多くの人の話を伺いたいと思っております。 地方にも年に何回か参って、視聴者の方々とひざを交えてテレビ番組の内容についての意見を伺ってきたのでありますが、私がその中で非常におもしろく思うのは、地方の視聴者と東京の視聴者との間に余り差異がない。そして、なかなかりっぱな見方をし、熱心に語られる委員がむしろ地方の方におりまして、そういう方の意見に私はむしろ非常にうれしい感じがいたします。テレビというものが非常に大きな文化的な役割りをしているということを地方に行くたびに私は感ずるのでありまして、悪いところはできるだけ除去していきたい、なくしていきたいものだと思います。 これはこの委員会の事務局の方もいろいろビデオをとったりして、こういうところがちょっと問題じゃありませんかということをわれわれに提出されることもあるので、かなり具体的にああこんな場面があったのかと思うようなところもありまして、そういうものは私はかなり厳しくその都度やっておるはずでございます。そのときの会話は大体録音されて各局にお送りしているはずでございます。 ですから、委員会としては、どこでもああいうものをわりあい真剣にやっているという印象を私は実は持っておりますけれども、あれだけ長い時間やっていることですから、委員の中で一人もそれを見ていないという場合もしばしばあるのでございますから、そういうことがあったらどうかまたお教えいただきたいという意味で申したのです。 また、私はきょう初めて出席して、国会でこういうテレビの問題をこれほど熱心に細かく厳しく論議されているということにこれまた驚いているようなわけでございまして、きょう初めて来て知ったということは、つまり無知であったということなんですが、私は出席したことを大変うれしく存じております。どうもありがとうございました。
○田中(昭)小委員 いま今先生から向上委員会のやっておることをいろいろお聞きしたわけですが、この委員会におきましても、この番組の問題についてはしょっちゅういろいろとやっているわけでございます。ですから、今後もどんどん来ていただきまして、私たちの足らないところを御指摘いただき、また、こちらの要望も聞いていただきたいということをこの際お願いしておきます。 そこで、いまの番組が、子供でも大人でも同じですけれども、いろいろな意味で悪い影響を与えておるということについては、こういう問題に携わる私たちを初め先生方も少しシビアに、考え過ぎぐらいに考えていかないといけないと思うわけです。先ほど視聴率の問題も出ましたし、各民放がもうけているというような問題もありましたが、現在のわが国の資本主義の体制の中では、指摘しましても、それ以上に悪い影響の方がだんだん膨張してくるという傾向があろうと思います。そういう点を考えますと、子供というのはやはり未来への使者でございますから、私たちのつくったものを後を引き継いでもらって、より以上の社会を築いてもらわなければならない財産でもあろうと思いますので、そういうものに傷をつけたり、そういう未来の人たちにいやな財産は残したくないという気持ちが私はしておるわけでございます。 そこで、これは一つの例でございますが、新聞の投書の評でございますが、ここにこういうふうに出ております。もうお読みになったと思いますが、「民放を主としたテレビ番組の内容は、各局競って、人間が欲求不満にぶつかったときに、殺人、自殺、暴力などに突っ走るさまを、あくどく見せつけてくれる。」「それらのドラマの内容は、非現実の出来事として、一定の距離をおいて見ることができる。」となっていますが、それができればいいのですけれども、そうじゃない。「もの心づく以前から〃テレビ浴〃」とここで言っております。日本くらいテレビをつけているところはないと思いますが、そういう「〃テレビ浴〃の中で育ってきた今の子供たちにとっては、それらは本人の現実そのものの生活体験になっているのではないか。自己の生活もテレビドラマも同一のものであって、区別されない。」ということが言われております。 さらに、子供の心中未遂事件で、三人の中学生が鎮痛剤を飲んで、カッターナイフでかわるがわる自分たちの手首を切って心中を図ったという事件が現実にあります。これはその子供たちが、「換言すれば死を極めて安直に考えている証拠だろう。そしてその原因は、主として彼らの」「彼ら」というのは、先ほどのテレビ浴の中に育ってきた子供たちですが、「彼らの知識源になっているテレビや劇画から来ているように思われる。これらのマスメディアは感覚へ直接訴えることが多く、物事を自分で考えるという習慣を失わせる。とくに人生の意味や生命の大切さなどについてじっくり考えさせることは少ない。死というものの扱いも極めて軽々しい。簡単に人を殺したり、自殺したりする。」ということを言われております。これは新聞に関連した、一つの批評でございます。 これはほかにもいろいろな問題もございますけれども、このように子供にテレビが悪い影響を与えておるという危惧は各参考人の中にも同じようにあると私は思います。 そこで、現在の番組の内容で、具体的に子供にどういう影響を与えておると思われておりますのか、大森参考人と鈴木参考人から簡単にお聞かせ願いたいと思います。
○大森参考人 先ほどもちょっと申し上げたのでございますけれども、子供に与えております影響についての正確な調査と申しますか、これがまだまだ私どもの目に触れる機会もないのですが、いろいろなマスコミ環境によります種々の影響というものはいろいろ目にする機会がございます。しかし、この中からテレビだけを抽出してその影響度をはかるということはまことにむずかしい。むしろ、あらゆるマスコミに、さっき申し上げましたように、いわゆる俗悪ないろいろなものもないではない。それらをひっくるめた社会状況、マスコミ環境の浄化ということは重要な命題でございます。 ただ、テレビによってどうかということは、テレビの個々の番組よりも、むしろテレビによって時間を奪われたり、活字を読まなくなったり、物の考え方が何となく画一的になったり、そういうふうなことへの影響の方があるいは多いのではないかと私は思うのです。いわゆるテレビっ子と言われる方々がもうすでに成年の域に達しておられるわけでございますけれども、先ほどから御指摘がありますように、いま現在番組の洪水の中で、カラーテレビの全盛の中で育った子供たちがあと十年、十五年、二十年とたったときにどうなのかということを私は大変不安にも感ずるわけでございます。 私は、個々の番組の弊害よりも、むしろテレビが家庭の茶の間にどんと居座っておりますこと、そのために家庭生活やら子供の生活が吸い込まれていっておることの弊害の方があるいは多いのじゃないかと思います。ですから、これらをひっくるめての局側の反省も必要でございましょうが、テレビを生活に取り込んでしまう各家庭の努力が必要ではないかと思います。 お答えになったかどうかと思いますけれども、やや抽象的ですが、感想としてはそういうことでございます。
○鈴木参考人 いま大森先生からいろいろなことをおっしゃっていただきましたし、それからその前に今先生が御指摘になりましたが、傾向がみな同じようになってしまう、そのことの方が問題だというようなことをおっしゃいましたけれども、私はそれは非常に大事な御指摘だと思うのです。直接的な影響というのは目に見えやすいわけで、まあ言ってみますと、新聞の記事などにしますと、テレビを見てああいうふうなまねをして殺人事件が起こったとか、あるいは暴行事件が起こったという言い方で取り上げやすいのですけれども、そうじゃなくて、何となくテレビと人間との関係が非常に密で、そういうふうな生活がずっと続いておりますと、そういう効果が累積しましたときにどういうふうな影響が出てくるかという方が重要だと思います。そしてそれの一つとしまして、やはりみんな同じ傾向になってくる。つまり、多様性というものが欠けてきまして、みんな同じでないと非常に不安になってくるわけですね。それは非常に大きなテレビの効果、影響と言ってもいいと思いますけれども、それがあると思います。 ですから、多様性が必要だというのは、そういった意味で私は重要だと思うわけです。みな同じだと安心なんですけれども、それはある意味では非常に危険なことで、自分自身というものを持てない人間が育っていくわけですから、いざというときに自分自身の意見を持たないという人間が社会の大半を占めるということは非常にこわいことだと思います。 それから、もう一つ、人間関係ということになりますと、これも非常に重要なことだと思いますけれども、テレビを通しまして人間関係はずいぶん変わってきております。たとえば親子の関係がコミュニケーションがなくなったというような言い方をしますけれども、あともう一つ日本での非常に特異な現象としまして、御飯を食べながらテレビを見るということがある。特に夕御飯あるいは朝御飯を食べながらテレビを見るという問題がございます。これは日本特有の問題でもあるようで、アメリカなどでは三十何%くらいでも、こんなにそういう人がふえてきたら困るというので深刻な問題になっておりましたけれども、日本の場合は八〇%を超えているような状況で、食事をしながらテレビを見るというのが一般化してしまっているわけです。そういったときに親子の本当の意味での人間関係がどういうふうに変わってきているかとか、それが親の場合はともかくとしまして、子供が非常に小さい場合には、特に子供の心理的な発達ということに対しましてテレビがどんなふうな影響あるいは効果をもたらしているかとか、そういうことは非常に重要なことだと私は思いますが、こういうふうな面がすべて研究がまだなされておりません。 それから、もう一つ、これも大事なことですけれども、テレビで描かれる人間像があります。いろいろな男の人が描かれます。たとえば医者であったらこうだとか、テレビというものはどうしても非常にステレオタイプな形で描きやすいものですから、そういったものが子供には一つのモデルというふうな形で提供されてしまいます。ですから、たとえば社長さんというイメージというのはいばっていて太っているとか、たとえば国会議員はどうだとか、子供にはそういうふうな形でテレビを通しまして一つのイメージが形成されてきます。 それはロールモデルという言い方をしますけれども、非常にこれは重要なことで、大体テレビが与えているロールモデルというのは余りいい面がなくて、いろいろな研究がいままでなされてきたところによりますと、非常にステレオタイプ化されて固定的だということがアメリカの場合で研究がなされて、すでに明らかになっております。たとえば女の子の職業はこういう職業でしかないとか、非常に限定してしまうわけですね。そういった意味で多様化を欠いていく。ですから、私たちが会として主張しております子供のテレビに多様性が必要だということは、そういったいろいろな危険性を少しずつでも減らしていくという面で、テレビが多様であるということは非常に大事なことだというふうに思っております。
○田中(昭)小委員 今先生と大森先生にお願いしますが、現在のテレビの番組の中で暴力シーンが大変多い。そういうことはいろいろな調査でも出てきておりますが、そういう暴力シーンが青少年の非行につながっておるのだというような意見が大変あるわけでございますが、これはいかがなものでございましょうか。そういう意見は間違っておるのかどうか。私としましては、一概にそれを間違いとは言えないというような気持ちがしてならないのですが、今先生と大森先生にお尋ねします。
○今参考人 私は、自分が体が小さいし、弱いので、したがって暴力に嫌悪を感ずるのですけれども、しかし、それの扱い方じゃないかとも思われる節がある。つまり、強いやつを英雄視するというような扱い方、あるいはそういう影響、そういうものが少年や子供たちにいい影響を与えていないのじゃないかと思うのです。子供らは強い者、英雄がやはり好きですけれども、その強さが、腕力が強いということも一つの英雄視をされるような扱い方が多いのじゃないかと思うのです。 子供たちは、いい人、悪い人の次には強い人、弱い人というふうによく分類しますが、そういうように子供たちに受け取られるような描き方というものの方が問題なんです。正義というようなものとくっつけないで、ただ強い者が英雄というような考え方の方が悪い影響があるのじゃないか、あるとすればそういう方に問題があるというように私は考えます。
○大森参考人 テレビの暴力番組あるいはアクション番組と呼ばれるものが青少年の非行に関係がないとも言えないし、あるいはどこかでつながっているという気がいたします。 これは繰り返しになりますけれども、感受性の強い年ごろの子供にとって、われわれが感ずる以上の刺激というものがあるいはあるのではないかと思うのです。ただ、私どもの少年時代を考えましても、非行ということではなくて不良化というふうな言われ方をしたわけでありますけれども、何か、そういう力というものへのあこがれを持つ年齢があるわけです。 力が正義だというふうな考え方もあろうかと思いますが、いまのテレビの暴力シーンなりアクションシーンがさてどれだけ影響を与えているかというと、アメリカの場合には、お国柄でございましょうが、セックス番組よりも暴力番組に対して拒絶反応が非常に強い。これはアメリカはたとえばピストルなり武器の所持が比較的緩やかな国でもありましょうし、国情全体も違うのですが、日本のようにチャンバラにならされ、武器、凶器というものの保有が禁じられております国では、むしろ、ポルノ番組、セックス番組についての拒絶反応が強いというふうに私は理解しております。 ですから、言えますことは、青少年の非行がテレビの暴力番組なりアクション番組に強い影響を受けているということは必ずしも言えない。繰り返しになりますが、むしろ、青少年を取り巻いております全体の社会状況なりマスコミ環境というふうなもの全体をとらえないと、軽々にテレビだけの影響とは言えないと私は思います。しかし、暴力番組、アクション番組と呼ばれるもの、御承知のような刑事物、捕り物帳等いろいろな種類のアクション番組がいまあるわけでございますけれども、やはり描き方に細心の注意を払ってもらわないと、いま御指摘のようなことが非常にはっきりした形で指摘できるようになるかもしれないという不安は感じております。 ですから、あるストーリーの展開に必要な程度のアクションシーンというふうなところを目安にして、それ以上必要以上に残酷さを要求したり、あるいは殺人を請け負う商売の話とかは、特にカラーでありますので非常に刺激も強うございますし、この辺については、局側の放送基準に照らした、番組基準に照らした十分な配慮がないとこの問題がだんだんふくれ上がってくるおそれがあるどいうふうに私は理解しております。
○田中(昭)小委員 私もテレビだけがそうなっているというふうに言うわけではありませんで、確かにテレビがそういう面で青少年の非行に一部分ではつながっておると肯定した上で、いわゆるセックスも含めての暴力シーンなり、そういうものはよい影響はありませんから、番組が視聴率等によって求められる中にそういうものがだんだん問題になってきたと思うのです。 ここに報道されておりますある大学の教授の調査したところによりましても、午後の五時から十一時までの時間帯を一週間調べたが、ところが、暴力関係、暴力のシーンで、死者が五百五十九名ですか、けが人が七百二十七人というような状況で、そういう暴力シーンが繰り返されておった。それがいまのアメリカに比べても内容が大変どぎつい。そういう指摘がなされていかなければならないということですから、その辺は今先生あたりより私たちの心配の方が少し先走っておるかと思いますけれども、先ほどから言いますように向上委員会があるわけでございますから、こういう報道があり、こういう状況に追い込まれてきたという調査がなされ、また、アメリカ等ではそういうものが公表されて裁判にまで持ち込まれて、それが一つの裁判の決め手になっておるというようなことも考えますと、このことについては官民挙げて取り組まなければならないのじゃないかと私も常日ごろ思っているわけです。 これは今先生の方が私よりもずっと御経験も知識もおありになりますから、釈迦に説法になるかもしれませんが、環境というものはやはり大事なものでございまして、植物でも愛情を込めて育てればりっぱに育つということもございます。ですから、動植物でもそういう影響を受けるわけですから、三つ子の魂百までと言いますが、幼い、自分でいろいろ判断のできない子供、魂を持った子供にこういう暴力シーンが飛び込んでくるような状態を放置することは、仮にいま社会の制裁は受けないにしてみても、その保護者である私たちに無言の鉄槌が下るのではなかろうかという心配もするわけでございます。 きょうは大変長時間になっておりますから、質問をしたいこともたくさんございましたけれども、あとは次の機会に譲りますが、NHKと郵政省につきましても、また民放につきましても、こういう問題については調査もし、調査の結果を公表し、そしてよりよい文化の発展のために尽くすべきであるということを要望いたしまして、私の質問を終わりたいと思います。 ありがとうございました。
○加藤小委員長 藤原ひろ子君。
○藤原小委員 放送番組向上委員会の第百二十二回委員会の報告を読ませていただきましたが、それには、テレビはいまや水道の水的な存在から空気的な存在になっている、こういう中で放送番組向上委員会の社会的責任は大変重いのだということを書いておられました。 私も、テレビというのは、よい番組によりまして放送されれば、国民の社会活動あるいは社会生活に大変大きな影響を与えるというふうに思います。しかし、一方、悪くすれば、先ほどからも出ておりますようなとんでもない影響を与えるというふうに思うわけでございます。とりわけ子供にはその影響は非常に強く響くわけでございます。 私も、ことしの二月二十二日に当委員会におきまして子供とテレビということで質問をさせていただいたわけでございますが、とりわけ来年は国際児童年でございます。こういう中できょうは三人の先生方に来ていただきまして、ともに考え、そしていろいろ教えていただき、よいものをぜひともつくっていただきたい、真に電波を国民のものにしていきたいという立場で質問をさせていただき、お教えを願いたいと思うわけでございます。 NHKが放送世論調査をいたしましたけれども、テレビの役割りについてこういう結果が出ております。「人びとの毎日の生活に役立っている」と答えたものが八八%でございます。「物事を正確に伝えている」というのが八〇%です。「世の中の動きをもれなく伝えている」というのが七八%です。そうすると、全体といたしましては高い評価がなされているというふうに思うわけです。 こういう中で子供の状態を私も調べてみましたところ、京都府の教育研究所が調査をいたしまして、学童が帰宅いたしましてから生活をどのようにやっているか、子供の一日の生活はどう変わったのかということを調査いたしましたら、昭和二十二年には遊びの時間が一日平均一時間四十五分でございました。家の手伝いは一時間四十七分でございました。つまり、三十年前の子供たちは合計三時間三十二分体を動かしてお友達と集団で遊ぶというようなことをやっていたわけです。ところが、昭和五十一年の調査によりますと、遊び時間は平均たった四十三分で、家の手伝いは何と九分間なんです。合わせまして五十二分です。そういたしますと、三十年前の子供と比べまして、いまの子供は二時間四十分も、こういう遊び及び体を動かして仲間と遊ぶという状態が少なくなっております。二時間四十分というこの時間は、NHKの調査にもぴったり合ったわけですけれども、これはテレビを見ているという時間に匹敵をしてくるわけです。 こういうふうに考えてみますと、子供のテレビに費やす時間と申しますのは、一週間に約二十時間見ているわけですね。そういたしますと、一年間で考えてみますと、二千時間という時間を子供たちはテレビを見ております。テレビには夏休みもありません。祭日もありません。そういたしますと、学校の授業時間よりも長いことテレビによって教育を受けている、あるいは大変影響を受けているということが考えられてくるわけでございます。 こういう中で児童憲章を見ますと、その九の項には、「すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。」というふうなこともうたわれているわけでございますし、同時に、NHKや民放連の放送基準を見ましても、「公共の福祉、文化の向上、産業と経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与すること」というふうに明記されております。とりわけ民放連では、第三章の十六項では、「児童向け番組は健全な社会通念に基づき、児童の品性をそこなうような言葉や表現はさけなければならない。」となっておりますし、十七項では、「児童向け番組で、悪徳行為・残忍・陰惨などの場面を取り扱うときは、児童の気持を過度に刺激したり傷つけたりしないように配慮する。」と明記されているわけでございます。 しかしながら、一九七五年のNHKの放送世論調査所の資料によりましても、テレビの影響について、言葉や風俗を乱れさせ、日本人の道徳を乱れさせたという調査結果が出ているわけなんです。このマイナスの影響とされている点については、子供たちにとっても一番影響が出ているだろうというふうに私は思うわけです。いま、チャンネルをひねりさえすれば映像が飛び出してくるという今日の状態の中で、家庭のしつけはもちろん大事でございますが、しかし、しつけを少々厳しくいたしましたところで余り効果がないというふうなこともあるわけなんです。 子供という視聴者層、この子供を対象とするテレビ番組につきましては、子供が何を好んでいるのか、何が好きなのかというふうな分析だけに基づくのではなくて、子供の心をどのように豊かにしていくのかということで番組の内容やそのほかについて考えていく必要があるだろうというふうに私は思うわけですが、子供とテレビの問題で日々御苦労いただいております鈴木先生の方から一言御見解をいただきたいと思います。
○鈴木参考人 お答えいたします。 先ほど一番最初にも申しましたけれども、子供のニードというのは一体何だろうかということを私たちは大人として非常に疑問を持つわけでございます。子供というのは非常に幼くて壊れそうだとか、非常に大事にしなければいけないとか、悪に近づいてはいけないとか、そういう大人の一つの子供像というものがいままであったのでございますけれども、時代とともにそういったものも変わってきておりますし、それに、これは大人の郷愁というのでしょうか、子供時代はこうあってほしいということが子供に押しつけられている場面なども非常にあると思いますので、そういったことをすべて問い直していかなければ本当の意味での子供のニードというものはとらえられないのじゃないかというふうに私は考えております。 ですから、そういうふうな意味では、たとえば先ほどから暴力の問題がいろいろ出ておりますけれども、暴力が実際の暴力とどういうふうに関係があるのかないのかというようなことがよく議論になるのですけれども、それよりももっと大事なことは、暴力以外の別の方法で問題解決が可能かどうかということをテレビの中で試みてみることだと思うのです。ですから、何でも暴力で物事が片づいてしまうような、そういう思考方法に対して別な新しい方法を提供してあげるということ、それがやはり子供にとっては必要なんじゃないかというふうに私は思ったりします。 それから、また、子供の創造性ということでは、子供はこの程度でいいだろうというふうな考え方が大人にはありますけれども、これは芸術家の方なんかがよくおっしゃることで、私たちのセミナーの中でも作曲家のある方がおっしゃいましたけれども、やはり、子供には大人以上にすばらしい芸術を、それも本当にベストなものを提供してあげなければいけないのだということをおっしゃいました。そしてその中から子供がどう選ぶかという、その能力を育てるのが私たち大人の務めだと思いますので、そういった意味では、最もすばらしい芸術あるいは創造性を育てるものを子供に提供しなければいけないだろうと思います。 そのほか、文化という面では、日本というのは非常に狭い島国的なところがいろいろなところに出ておりますから、そういう日本以外の別な文化に触れさせるということは子供にとって非常に大事だと思うのです。それも日本からだけいつも見ているのじゃなくて、別の視点から別の世界をとらえてみるとか、そういった新しい世界のありようというものを子供の視点から見た場合に、大人はやはり既成のものを押しつけ過ぎているのじゃないかという反省が出てくるのじゃないかと思います。 そのほか、自然界への目をどういうふうに向けていくかということとか、あるいはテレビ番組といいますと大体がファンタジーというのでしょうか、作り物である場合が非常に多いわけですが、ですから、子供は一時間から二時間、あるいは多い子で三時間、四時間とテレビを見ますけれども、それが全部が全部と言っていいほどファンタジーに埋まってしまっている。そのファンタジーもある意味では非常に固定化されまして、先ほど今先化がおっしゃっていらっしゃいましたけれども、どれでも同じようなタイプのものに大人の目には見えてしまうような、非常に似たり寄ったりの内容を持ちますところの、そういうふうなアニメーションが主なわけです。ですから、そういったものに対しまして、現実の社会あるいは現実の生活というものを、あたりまえのものをテレビの中でもっと提供していければ、子供は、現実の生活をどういうふうに把握するのかということを――テレビというものが虚構であるということをかえってはっきりと理解できるようになりますし、そういうふうな意味での多様化ということを図ることができると思います。 そのほか、商品の広告が非常に問題になっておりますけれども、これに対しましても判断ができるような、正しいものが選べるような、そういうふうな内容をテレビの中に盛り込んでいくことは決して不可能ではないと思いますし、そういったものを試みることは私たち大人にとりましては非常に大事なことだと思います。 それから、先ほどから何度も申し上げておりますけれども、いろいろな意味でステレオタイプということがテレビの非常に大きな問題だと思いますので、そういったものをどういうふうに打破していくのかということ、そのことがやはりいま問われなければならないというように考えます。
○藤原小委員 私は、少し具体的なことで三人の先出方に御意見を聞かせていただきたいと思います。 それはCMの問題についてでございますが、視聴者の立場から言いますと、CMなんというのは余りない方がいいというふうに思うと思うのですね。しかし、民間放送はその広告収入によって成り立っているわけですから、その点をお互いに認め合っていかなければならないのは当然のことだと思うわけでございます。ただ、このコマーシャルのやり方によってはいろいろな弊害が出てまいりますし、現に出ているわけでございます。 そこで、私は、CMの内容の問題と、二番目にはCMの放映時間の問題について御意見をお伺いしていきたいわけでございますが、まず最初にCMの内零についてお尋ねをいたします。 いまの放送基準や、民放連も加盟しております全日本広告連盟のCMの倫理綱領にもその精神が書いてございますが、しかし、子供の射幸心をあおる懸賞つき、おまけつきの商品のCMはまだ流されているわけです。あるスポンサーの言をおかりいたしますと、子供は動く広告塔だというふうにおっしゃっております。このようなテレビで流されておりますCMを子供が覚えて、毎日毎日それを買うように親にねだるわけです。さらには、その商品そのものはどうでもよくなってくる。お金に対する価値観も変わってまいります。そして商品知識さえも考えないような人間が形成されていくのではないかというふうに、これでもかこれでもかというコマーシャルを見て私は大変心を痛めている一人でございます。 子供は考え方や物事の理解の仕方がまだしっかりとかたまっていないために、ほかからの影響を大変受けやすい。しかも、現実と作り事の区別をしっかりと正しく見分けられるというだけの正しい判断力であるとか豊かな経験をすべての子供が身につけているわけではありません。テレビを見ている子供の層の範囲というのは非常に広いわけです。その子供たちを懸賞でつくって商品を買わせるというようなコマーシャルは、広告そのものとして考えてみましても問題があるというふうに私は思うわけです。ここを改善する必要があるというふうに考えているわけです。 また、現在でも、たばこの有害表示であるとか薬の使用上の注意表示などが当然製品の表には示されているわけですから、たとえばテレビのCMにつきましても、糖分を多く含んでいて子供の健康やあるいは子供の歯に大変有害だというようなお菓子や飲料などのCMについてはもっと積極的に――やはり、スポンサーがついて広告料をもらって成り立っているわけですから、それをしたらいけないとは言えないと思いますが、ですから、もっと積極的に、食べたら歯をみがきましょうとか、食べ過ぎると虫歯になりますよとか、そういう字句をCMスポットの中に入れるべきだと、こういうふうにして一つの解決方法を私は考えているわけですけれども、いま申しました子供向けのCMでの懸賞つきのコマーシャルですね。この問題と、健康保持のためにいまのようなたとえ話を私はしたわけですけれども、子供たちの健康を守るという立場からのCMについて参考人の先生方の御意見を承りたいと思うわけでございます。
○大森参考人 御指摘はそのとおりだと思います。 懸賞つきのCMにつきましては、従来いろいろな意味で批判もあり、非難もあり、かなり改善はされてきているという気がいたしますけれども、射幸心をそそって商品を買わせ、しかもそれが子供を対象にぶつけるCMであるという点でまだまだ改善の余地がある。この点につきましては、私はいまの御指摘と同感でございます。冒頭に述べましたように、これはやはり民放界がいまや巨大な広告産業になっているという前提から、いろいろな弊害がそこにのぞいている一つであろうと思われるわけでございます。 希望を申せば、懸賞でつるような商品のCMはなくなるのが望ましい。少なくとも改善の跡が日に日に見えていくようでなければならない。しかし、逆に、射幸心をそそって商品を売らなければならないようなスポンサーが果たしてまたいつまで続くのか、それが世の反発を買ってむしろマイナスの効果をもたらすのが望ましい、やはりそれには世論の強い指摘が必要であろう、このように思うわけです。 それで、子供の健康の問題も含めまして、アメリカのFTC、連邦取引委員会が最近出して話題になっております子供向けCMの非常に厳しい規制についての法定化の案、これがお話の骨子になっていると拝察いたしますが、アメリカでは、少なくともFTCの案では、八歳未満の子供向けのCMは全部廃止する、それから虫歯の原因となる糖分を含んだ食品については十二歳以下の子供向けのものは禁止する、そうでないものについては、いまお話がありましたように、体にいいとか栄養にいいとかという事実証明をやらなければならぬ、こういうことが骨子だと考えておりますけれども、これはアメリカというわが国とはいささか風土の違ったところでの発想でもございましょうし、アメリカの行政機構は日本と違いまして委員会制度の複数制の行政委員会であり、市民パワーを当初から組織に取り込んだ仕組みになっておりますだけに、一概に日本に移しかえることはできないと思いますが、考え方としては、純真な子供と巨大な資本を持った大人の広告主との間のバランスを考えた非常に理想主義的な発想としてかなり参考になる部分はあろうかと思います。 いま御指摘になりましたように、薬にははっきり箱に表示があります。しかし、実際にはテレビのCMについてはそういう表示がない。糖分を含んだ食品につきましても、御指摘のように、歯をみがきましょうとか、寝る前にはやめた方がいいとかいうものがあればいいと私は思います。ただ、限られた時間枠の中でどこまでそれが可能かということもございましょうけれども、そこまでスポンサーが自覚をするべきである。 先ほどから局側の責任を私どもは盛んに論議したわけでございますけれども、民放界を支える産業界、スポンサー側の本当の意味の自省というものがCMをつくるに当たってもっともっと有効に出てこなくてはならぬ、そういうふうに考えております。
○鈴木参考人 私もいま大森先生がおっしゃったことに大体同意見でございますけれども、特にスポンサーサイドがどういう形で対応できるかということに関しまして、いまの状態がスポンサー及び放送局にとりましては別にそれほど問題と感じられるようなものでないとすれば、それを問題と感じている子供の親の側がそういったことをもっと積極的に提起していくことが必要であろうと思います。 たとえばアメリカの例などで申しますと、良心的なスポンサーというのが必ずあらわれまして、そういうスポンサーはCMを流さないで、番組の提供あるいは制作をするお金だけを出すというアンダーライティングという形で番組を援助しております。すでにそういうふうな形で行われております。 それから、また、先ほど藤原先生が御指摘なさいましたように、甘いものを食べた後は歯をみがきましょう式な、要するにデメリット広告というのでしょうか、あるいは公共サービス広告という形でアメリカでは言われますけれども、そういうCMを商品の広告にかわって流すという形でスポンサーが積極的な姿勢を示しているというような対応がすでに行われております。 ですから、そういうことが日本でも行われるように視聴者がそれを支えていく必要があると思いますので、視聴者の意識が高まっていくことも非常に大事なことですし、そういうスポンサーが出てくるための力に視聴者がなるという、そういう方向が必要なような気がいたします。
○藤原小委員 それでは、今度はCMの放送される時間についてお尋ねをしたいと思うのです。 いまは放送基準で、一時間の中で平均十八分ということになっておるわけです。これでも外国に比べますれば長いというふうに私は思っております。この放映の仕方についても改善をすべき点があるのではないかというふうに考えるわけです。それは、たとえばある子供の番組を見ておりますと、三十分の番組の中で四回のCMが入ってくるわけですね。途中に二回ある。それも十五秒ずつで六つの商品のコマーシャルが二回入るわけなんです。一生懸命番組を見ている子供たちの目に、突然それとは何ら関係のないものが飛び込んでくる。これでは番組もコマーシャルも一緒に子供の思考の中に入っていくわけです。番組自身は幾ら制作者がよいものをつくっていても、先ほどから論議になっているいろいろなドキュメント式のよいものをつくっていたとしても、これではぶち壊しだというふうに思うわけです。子供の番組の場合は、途中にCMを入れないということについて検討すべきではないかというふうに私は思っているわけです。 また、CMの放送時間の問題ですけれども、俗に言うゴールデンアワーはCMは一〇%だということになっております。そういたしますと、ゴールデンアワーでしわ寄せされた部分が出てくるわけですね。それ以外の時間帯ではCMの時間は一八%以上になって出てくるわけです。これが子供番組に入ってきますと、子供は番組を見ているのかコマーシャルを見ているのかわからない。 京都のある学校で、コマーシャルとその品名をどれくらい覚えているのかということを五年生の子供について調査をいたしました。十分間で、白い紙を渡して、先生が「用意ドン」と言いますと、子供は書くは書くは何と平均十一書いたわけですね。多い子供で十八書いたわけです。「パパ、アデランスにしてよかったね」というふうに、まさに正確に書いたわけです。それでは山間僻地の子供はどうかと思って調査をしていただきましたら、私は恐らく子供たちは野山を駆け回って遊んでいるだろうと思って期待いたしたのですが、平均十三書いているのです。山間僻地の子供の方が正確に、実によくコマーシャルを覚えているわけです。こういうことは大変な問題だというふうに思うし、これだけの記憶力がある子供たちに対してプラス面に放送を使えば、プラス面にCMを考えていただければ、それこそもっと子供たちは伸びるのじゃないか、全く空気のような存在だという根本的な考え方に合ってくるのじゃないかというふうに私は思うわけです。 そういう中で、子供の番組にはCMの時間を少なくしてもよい、じっくりと番組を見せるということが大変必要だというふうに思いますが、このCMの時間を短くするという点、それから子供の番組の場合のCMの時間のとり方、このことについて先生方の御意見を拝聴したいと思います。
○鈴木参考人 先生の御指摘になったとおりでございまして、子供の番組の方に、たとえば人気のある子供番組などに限りましてCMの数が多い、非常に不都合なことが行われているということは私は前から感じておりました。それはなぜかと申しますと、CMは総量の一八%以内というふうな民放連の規定が改定されたわけですけれども、私は子供に対する配慮がこの時点で非常に欠けていたような感じを持っているわけでございます。これはまだ民放連に対しましてはっきりとそういうふうな形で意見を表明しておるわけではないのですけれども、私個人としてはそういうふうに感じております。 そして、子供を対象として物を売り込むということは、アメリカのFTC、連邦取引委員会の規制の発表の中ではアンフェアである、要するに公正ではないという言い方をしております。そして企業を行う自由というものは放送企業側にあるわけですから、そういった場合にはフェアに行うことが大事だというふうな立場に立ちましてそういうふうな言い方をしておりまして、私も、子供の番組が放送されているある一定の時間帯にはCMの時間量が少なくとも、大人の時間よりも少ない方がいいのじゃないかというふうに感ずるわけでございます。それは大人の子供に対する配慮として当然のような気がします。皆さんが大人として親としてお考えになったら、それは当然だというふうに思われるのじゃないかと思うのです。 それで、アメリカのニューヨークに、テレビジョン・インフォメーション・センターという、ちょうど日本の民放連のようなところのインフォメーション・センターがありますが、そこを訪ねましたときに、そこのディレクターのブリラーさんという方にいろいろこの話をしましたら、その中で、向こうの民放連の方も、NABですけれども、非常に気を使っておりまして、たとえば番組の中に人気者のキャラクターを使わないとか、あるいは人気者の俳優をCMの中に持ってこないとか、あるいはまたおもちゃのCMを映すときには、最後の五秒間は動かないようにきちんとそのまま静止した像を見せるとか、いろいろな配慮が行われております。ですから、そういった点ももっと繊細な大人の配慮というものが子供にとって利益になるというふうな立場で考えるべきであると思います。
○藤原小委員 最後にお尋ねをしたいと思いますが、現在、視聴者は放送に対します批判とか不満、意見、提案といったものをたくさん持っておるわけです。しかし、それらの意見をどこへ寄せたらいいのか、その手だてがないというのが現状でございます。 最近幾つかの放送事業者が視聴者の苦情受け付けの電話窓口を設けているように聞いているわけでございます。しかし、私の知り合いのお母さんが、その局で放映された番組につきましてすぐに電話で意見を伝えたそうですか、そうしましたら、責任者や担当者がおりませんからということで、聞いた意見に対して非常にあいまいな答弁しか返ってこない、その処置も非常にあいまいにされたというふうな不満を語っておられるわけです。こういうことが一つや二つだけではなくて、国民は幾ばくか経験していらっしゃるのじゃないかというふうに私は思うわけです。 ですから、提案をしたいと思うわけですけれども、視聴者の権利を保障するという上からも、各放送事業者として番組向上委員会や番組審議会に定期的に放送の枠を提供して、放送に対する視聴者の意見であるとか要望であるとか批判を取り上げて、それらを放送するというふうな方法も考えられるのではないでしょうか。番組向上委員会や審議会というところはいろいろといっぱい聞いていらっしゃるわけですから、それを先生方が集まってああいう報告書などにしていただいておるわけですけれども、国民がテレビを見るほど目にはなかなか接しられないというふうなことを克服するためにも、そういう時間の枠をとられて放送するというふうな方法も考えられるのではないかというふうに私は思うわけです。この点につきましてどのような御見解を持っていらっしゃるでしょうか。今度は今先牛にもお教えいただけたらありがたいと思います。
○今参考人 大変細かいようなお話ですが、非常に重要なお話だと私は思うのであります。 いまのあなたのお話のように、電話をかけても扱うところがないというようなまことににべもない返事をする、責任者に伝わらないということは、国民のための大事な放送にとって実に重大な問題じゃないかと私は思います。ただ、そのために放送時間を割けるかどうかということは放送局の事情がおありであろうと思います。しかし、そう主張なさることは結構だし、私もある程度賛成でございます。 ただ、そういう声が伝わるということの方が――伝えないということはけしからぬことだと私は思いますし、何とかしてそういうものが伝わるようにするべく私らの手で少しでもお手伝いができれば幸いだと思います。
○大森参考人 いま今先生がおっしゃったように大変重要なことでありますし、私も、繰り返しになりますけれども、視聴者の意向の吸収、そのフィードバックということがこれからの放送界にとってきわめて重要であることは確信しております。 NHKさんの方で一昨年から視聴者会議をつくられ、あるいは視聴者センターという大きな窓口をしつらえておられるわけでございますが、民放側でもこういうふうな視聴者会議あるいはセンターのようなものに、それだけに専従される職員の方を配置されて、的確な応答、吸収、フィードバックという仕組みが一日も早くできればいいし、つくられねばならないような状況ではないかと考えております。 いま御指摘のように、テレビの番組を使って視聴者の声を紹介することが最も望ましい姿だし、そうなってくれればいいと考えるわけでございますけれども、これは局側の編集権あるいは経営権に属することでありますので軽々に論評はできませんけれども、理想的な形としては私もそれを望んでおるということでございます。
○鈴木参考人 放送時間を使って、その中で番組向上委員会、審議会などの内容を公開するということは私も非常におもしろいと思いますし、とにかく実現の方向に持っていっていただければ視聴者にも大変歓迎されることだと思います。 ただ、視聴者がいろいろなところにいろいろなことを言いたいのだけれどもルートがないということに関しましては、あらゆる面でそうであって、ただ番組化されるだけが視聴者の主張が反映されるという道ではなくて、さまざまな領域で視聴者のニードに放送局側がどうこたえていくかということは、大森先生が御指摘なさったように今後非常に大きな重要な問題になってくると思います。 これは何も私が視聴者だからそういうふうに申し上げているわけではなくて、やはり、視聴者のニードこそが番組をよりよいものにしていくものであると私は確信しておりますし、また、そういったニードを無視して何か放送が上から一方的に行われているとすれば、それは新しいものを何らつくり出さない、結局皆から見放されていく放送局になるであろうと思われます。 ですから、視聴者のニードをどういうふうに先取りすることができるかということは、放送局の方々にとりましては非常に重要な課題であるように私には感じられるのです。その辺のことをできましたら放送局側の方々に伺いたいと思うのですけれども……。
○藤原小委員 私は本当はNHKと民放に最後にお聞きしたがったのですが、民放の御都合でお帰りになるということでしたので大変残念なんですけれども、先生方の御意見は会議録で読んでいただくなり何なりして伝わるというふうに思うわけです。また、それについての御意見については今後の逓信委員会ででもやっていきたいと思います。 できましたらNHKから、一言でもお考えがありましたら言っていただいて終わりにしたいと思います。
○堀参考人 お答えいたします。 NHKといたしましては、視聴者の直接の声を放送面に反映する番組をかなり持っておりますが、ただいまの先生の御指摘の趣旨もあり、さらにその内容の検討を慎重に進めたいと思っております。
○加藤小委員長 参考人の方々には、御多用の中を長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございます。 本日は、これにて散会いたします。 午後三時四十六分散会