法務委員会 第2号
- 発言数
- 125 件
- 登壇者
- 15 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1977/10/26
会議録
○上村委員長 これより会議を開きます。 お諮りいたします。 本日、最高裁判所岡垣刑事局長及び原田家庭局長から出席説明の要求がありますので、これを承認することに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○上村委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————◇—————
○上村委員長 法務行政、検察行政、人権擁護及び裁判所の司法行政に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。横山利秋君。
○横山委員 大臣の就任初めての質疑でございますから、少し大臣のお考えをまずお伺いをいたしたいと思います。 きのう「このたびはからずも法務大臣に就任いたしました。」というごあいさつから始まりました。まさにはからずもであります。しかし、はからずもではあるけれども、法務大臣が更迭をしたという意味を政治的に、また国会としてどういうふうに受けとめていいのかという点を私はまずたださなければならぬと思います。福田前法務大臣はいかなる理由でおやめになったのであろうか。つまり、検察陣、法務行政に責任を持つ者としてこの措置については賛成できかねる、今度の政府の措置については賛成できかねるという立場であったのか、賛成はしたけれども、検察陣の反対についてもっともだからおれは責任をとるということなのか。そのいずれかによっても物の考え方は違うと思うのであります。一方瀬戸山法務大臣はまさにはからずもなられたのでありますが、最初の記者会見ときのうのごあいさつとは少しニュアンスが違っていることは御本人もおわかりのことかと思うのです。つまり最初の就任あいさつは、血が流れても断固たる処分がこれからは必要であるという御趣旨でありましたし、きのうのごあいさつは、将来不幸にして同種の事件が発生いたしました場合には人命の尊重についても配意しつっただいま申し上げた観点を踏まえ、つまり断固ですね、世論の動向等十分参酌してという三要素からこれからの処置方針をお考えになっておるようであります。一体血が流れてもという言葉から後退をされたのであろうか、この点について、前法務大臣のお考えを聞くことはできませんけれども、しかし前法務大臣が腹の中でどうお考えなさろうとも、法務大臣が今回の経緯をもって責任辞職をするということの影響が大きいだけに瀬戸山法務大臣としてはどうお考えなのか、あわせて伺いたいと思うのです。
○瀬戸山国務大臣 福田前法務大臣が辞任をされた、突然のことでありまして、それこそはからずも急遽法務大臣に任命されたわけでございます。そこで、福田前法務大臣が辞任をされたのはどういうことか、こういうことでございますが、これは私のそんたくといいますか、前法務大臣の気持ちを解釈する意味において私の心境を申し上げたいと思います。 それは、あのハイジャック事件の処理そのもの、これは意見がいろいろあるわけでございます。それについてはやむを得ない措置である。百数十名の乗客また乗務員、これは何としてでも人命を救いたい、さればといって一面においては、ハイジャック赤軍派の要求を入れると、実定法の規定に背くといいますか、反する措置をとらざるを得ない、こういう事態でありましたが、それも人命を助ける意味においてはやむを得ない措置である、こういうことで閣議の決定は了承されたと承っております。ただしかし、そうは言っても、法秩序の維持の責任のある責任大臣としては、既決の犯罪人を釈放する、あるいは現に裁判にかかっておる犯罪被告人を釈放せざるを得ない事態になった、これは法治国家としてはきわめて遺憾な措置である。そういう意味において前法務大臣は、法治国の維持を担当する責任大臣としては、これは法治国にとっては大変な事態である、それほどきわめて重要な事態である、措置そのものは認めたけれども、それほど重要な事態であるということを責任大臣としては身をもって示しておく必要がある、こういう心境だと承り、また解釈をいたしております。でありますから、法の番人といいますか、法秩序の維持に当たる責任大臣としては、きわめて崇高といいますか、立場上はきわめてりっぱな立場であると私は解釈をいたしております。私も後任の法務大臣になりましたが、法務大臣としてはそれほどの責任の所在をもちろん明確に感じておかなければならない、かように考えております。 そこで、私が就任早々申し上げ、記者会見等で私の所感として、またこれは個人的な見解だということで申し上げておりますのは、こういうことがたびたび重なるようでは法治国家としての維持が非常に困難になる。私は法律を万能だとは考えておりません。法律は万能ではありませんが、私の考え方を申し上げると、憲法で国家経営の諸原則を定め、その諸原則に従って万般の法律規則を定める、これは、そういうやり方といいますか、制度といいますか、それによって国民全体が平和な中に生活ができるんだというあらかじめの取り決めだと私は受け取っております。今日、いろいろな政治の方式はありますけれども、長い人類の歴史でこれが考えられる最良の方法だ。将来どういう形になるか、これは人間の進歩でありますからわかりませんが、長い歴史の間にいろいろな方法をやったけれども、こうやって憲法というものであらかじめ方針を決め、それに従って各般の法律をつくる、これは国民の合意であります。約束であります。そして、その基準に従って生活する、これが平和に生活を営む基本的考え方である、そういうことになっておるのですから、これを破るということは、ひいては国民全体の平和で安全な生活を破るということになるんだ、私はそういうふうに考えております。でありますから、この原則はどうしても守るという大前提に立って物を考える必要がある、かような考え方に立っております。でありますから、あのときにはああいう事態でありますからやむを得ない措置であったとしても、今後これがたび重なることを容認するわけにはいかない。人命を尊重し、人間の生活を守るというのが法治国家の根本原則であると思いますから、もちろんそれは大切なことでありますけれども、しかし、国民全体の生命財産を守り、平和な生活を営むという基本原則がああいう凶悪な暴力によって破壊されるということについては断じて許すことができない、そういう基本原則で臨むべきだ。でありますから、将来にわたってそれが危殆に瀕するというような状況のときには、これは時と場合によっては血を流してでもこれを守るという決意が必要である。これは一政府あるいは一法務省だけの問題でなくて、国民一人一人がそれだけの決意を持つようにしなければ法治国家の維持はできないじゃないか、こういう所見を申し述べておるのでありまして、私がごあいさつのときに「世論の動向等をも十分参酌して、」こういうことを申し上げておりますけれども、これは時と場合によっていろいろなケースがあると思いますから、この大原則に基づいてそういうハイジャックされた人命を守るということに最大限の努力をして、なおかつ法治国家が維持できないという判断ができれば、時と場合によってはやむを得ない措置をとらなければならない、こういう決意を申し述べておるわけでございまして、いまもそれに変わりはありません。
○横山委員 いまのお話は、この間の血を流してもということときのうのこの就任あいさつとをミックスされてお話をなさいましたが、しかし、いずれにしても血を流してという言葉が最後の結語でついたことについて私は大変関心を持つわけであります。その血を流してもということは、私どもが一番強い意味に感じますのは、人質の血を流してもという言葉になる可能性があるわけです。犯人やあるいはつかまえに行った人が相互に血を流してもということならばわかるのですけれども、問題のポイントは、そういう人でなくして人質の血を流してもというふうにとられやすいわけであります。そこのところは解決の基本的な問題でございまして、西独のあり方について、西独の国民あるいはヨーロッパの国民が西独政府の説得に応じてそれに賛意を表した雰囲気と、日本のこのお国柄、あるいはこの孤島としての日本、そういう場合とは一概に論じがたいものがあると私は思うのでありまして、その血を流してもという意味が、私の杞憂いたしますように、人質の血が流れてもある場合はやむを得ないというようなお考えだとするならば、これは法務大臣がきわめてタカ派的、西独的といいますか、そういう感覚を受けるのでありますが、そういうふうにいままでの方針よりも少し違う方向で法務大臣としてはお考えになる、処理される、こう考えてよろしいのでしょうか。
○瀬戸山国務大臣 先ほど来申し上げておりますように、法治国家のねらいは人命あるいは平和を守るということであると私は思っております。でありますから、それが大前提となっておりますが、その国民全体の平和と人命を守る組織自体が破壊される場合においては、犯人自体はもちろんでございますけれども、その人命を守る最大限の努力をしてなおかつ基本が崩れるというおそれがあるときには、望むところではありませんけれども、場合によってはそういう事態になっても、私は、法治国家の原則は守るという決意が必要である、こういうことでございます。
○横山委員 もう少し問題を進めたいと思います。 前回、稻葉法務大臣の際、昭和五十年八月四日、日本時間、日本赤軍五名が拳銃、手製爆弾等で武装して、在マレーシアアメリカ合衆国大使館及びスウェーデン大使館に侵入して同所を占領、スウェーデン臨時大使、アメリカ合衆国領事五十三名を人質にして、わが国において勾留中の西川ら七名の釈放等を要求する事件が発生した際の取り扱いは、稻葉さんがやめませんでした。その際、超法規的な高度の政治判断として釈放し、検事総長への指揮は検察庁法第十四条による指揮権の発動ではなくて、行政の責任で行われ、検察官が出国を手伝いました。おわかりのことだと思います。今回はその五十年八月と違いまして、その当時も裁判所については了解をとらずに、今回は裁判所はおろか検察も関係ない、矯正局がこの出国の扱いをいたしました。そして大臣は辞職をいたしました。私は、前回と今回とのケースの違いというものを考えてみるわけであります。あなたがそれほど法の峻厳を言われるとするならば、この次はもっともっとシビアな方式になる可能性があると思う。そして法務大臣の辞職という前例が開かれました。三たびこういうことがあってはならないために国会としてもあらゆる努力をし、立法も援助するにやぶさかではないわけであります。しかしながら、今回のこの措置が、検察陣も知らぬ顔、裁判所も知らぬ顔、そして矯正局がこれをやるという過程の中で、検察陣は一体どういう心境であろうかと私は思う。大臣がやめる原因の中に、検察陣の怒りもさはさりながら、この前も反対したが今度も反対だ、もう手伝いもせぬ、やるなら矯正局が引っ張っていってくれということなのか。自分たちの法律上の責任、大臣の直接指揮権というものと検察陣のあり方について少し伺いたいのであります。これは大臣がお答えになるべきなのか、検察の担当である刑事局長がお答えになるべきなのか私にはよくわかりませんが、少なくとも前回と今回の違いというものはどう理解したらいいのですか。
○瀬戸山国務大臣 クアラルンプールの際の措置については、現在の刑事局長はその当時検事として関与いたしておりますから、後でまた御説明を申し上げると思います。 いまお話しのように、この前のときには検察庁法十四条そのままではなくて、これの精神をくんで検事総長に指揮して、検事総長から犯人あるいは収容者を釈放した、こういういきさつになっておりますが、検察としても既決の犯人の収監また未決の犯罪被告人の拘置、これに関係する権利があるわけでございますから、そういう意味で十四条の精神を準用して措置をとられたと承っております。しかしこの際は、いまお話しのように、法務大臣の司法行政上の責任において現在既決の収容犯人あるいはまた未決の拘置犯人を矯正担当の機関に命令を下して釈放した。このいきさつは後で刑事局長から細かく御説明申し上げると思いますが、検察陣は、御承知のとおり、犯罪者を検挙して取り調べ、そして裁判にかけて法律の執行をする担当であります。でありますから、たびたびこういうことを繰り返して検察陣の今後の運営に支障を来してはならない、いまおっしゃるように、法律維持について士気を乱してはならない、こういう趣旨の法務大臣の判断があったように承っております。でありますから、法務行政上の措置として、矯正の担当も既決の囚人を監置し、また未決の犯罪被告人を拘置する責任がありますから、その関係で今度は措置をとった、こういうふうに承っておりますが、詳細については刑事局長からお答えをいたします。
○伊藤(榮)政府委員 今回の不幸な出来事が起きまして、まず最初に検察がその姿勢を示しましたのは、検察幹部が合議いたしまして、前回クアラルンプール事件で非常に残念な思いをして、二年でまたこのたびのような事件が起きた。今度は検察の立場としては、犯人の不法な要求は断じて入れないでいただきたい、こういう意思を固めまして、前法務大臣に申し越しがあったわけでございます。検察の姿勢は検察としてそういう姿勢でおったわけでございます。しかしながら、事態が非常に緊迫してまいりまして、いよいよ百数十名の乗客、乗員の命がいまにも危ない、こういう状況になりましたために、内閣におきましては犯人の要求を涙をのんで入れるという御決定になり、その御意思が法務大臣のところへおりてまいりました。その時点におきまして前法務大臣は、およそ検察というものは国の中でも最も法秩序を守り、憲法以下のいろいろな法律を忠実に守っていかなければならない職責を持っておるものである、これが、前回クアラルンプール事件のときには法務大臣のいわゆる検察庁法十四条に準ずる御指示によりまして、御命令によりまして、釈放の手続に関与したわけでございますが、二度までもこういうことに検察を関与させるといたしますと、将来にわたっての検察活動につきまして重大な支障が生ずるおそれがある、こういうふうに前大臣が御判断になりまして、何とか検察を通じないで、純行政分野の問題として解決する方法はないかということで御検討になりました結果、それらの要求されました者を実際に収容しております矯正施設の長に命令して釈放せしめる、こういう措置をおとりになりました。その過程といたしまして、矯正行政をつかさどっております矯正局長に御指示があり、矯正局長からそれぞれの施設の長に命令をいたしまして所要の手続をとったわけでございます。したがいまして前法務大臣が最終的に矯正に釈放手続をやらせようとお考えになりましたのは、私どもそんたくいたしますのに、一度ならず二度までも検察を関与させるに忍びないという法務大臣御自身のお考えからであった、そういうふうに存じておるわけでございます。 なお、先ほど瀬戸山大臣から御説明がございました、福田前法務大臣がおやめになりますときのお気持ちでございますが、瀬戸山大臣がおっしゃったとおりでございますが、それに一言付加いたしますと、私、前大臣から直接伺っておりますところでは、こういう釈放というようなことをした事態の責任もさることながら、政治家である法務大臣がこの際辞任をすることによって国民全体がこういう問題の深刻さ、重要さを考えていただくよすがになれば、政治家としてあるべき姿ではないかと思う、こういうふうにおっしゃっておりましたことをつけ加えておきます。
○横山委員 問題は、そのときどきにおける政治的判断あるいは客観情勢の判断というものが大事であって、だからといってこういう例が後に残る、たとえば今度、ないと思うのですけれども、もしあった場合に、瀬戸山法務大臣は辞任をいたしますか。かつて国鉄の事故が続出いたしました際に、事故のたびに国鉄総裁がやめた経緯がある。二回ばかり続いて三回目はもうやめないという話になってしまった。今度は法務大臣ばかりではもう重みが足りないから総理大臣がやめるかもしれませんね。そういうことを考えますと、一つ一つのその時点時点における政治的判断も大事ではございますけれども、法務大臣に少し皮肉を言っておきたいと思うのであります。 それは、いま刑事局長のおっしゃったことや、あなたのおっしゃったことはわかるのですけれども、検察陣だけが威信にかかわる問題ではないわけですね。矯正局なら威信にかかわらないのか、入管なら威信にかかわらないのかということは相対的な問題だと思うのであります。私は、福田総理大臣が決断をしたことが閣議で満場一致やむを得ないと了承されて、その線に沿って動くという場合に、あそこだけにやらせるのはかわいそうだという論理はいかがなものかと思うのであります。仮に法務大臣がそう言っても、検察陣としては忍びがたきを忍ぶ、自分の任務なんですから。そういう気持ちが私はあっていいと思うのであります。 今回の問題はそればかりではございません。たとえば矯正局の問題がある。十六億円やるのはいいけれども、刑務所でその釈放された人たちが働いておった、あれは賃金ではないはずですね。何でどろぼうに追い銭のように、出所のときにさあ持っていけ持っていけと言ってポケットに入れたのであろうか。それからまた入管の問題でもそうであります。瀬戸山さんがえらい怒って、外務省のやろうけしからぬと言っておったが、実は入管は知っておった、旅券の問題ですね。そういう点でも、まあそんな細かい問題は私は余り声を大にしようしは思いませんけれども、法務省一体感というものが少し足りないのじゃないか。一つ事に臨んで、法務大臣以下一体的に緻密な責任をお互いに持ち合うということが足らないのではないかという気がするのですけれども、それは私の杞憂でございましょうか。
○瀬戸山国務大臣 また起こったときにどうするかという御質問がございました。いま予定して態度を云々すべきではないと思います。しかし、あえて私の心境を申し上げると、こういうことがもし仮にたびたび重なるようなときには、私は断じてそうあってはならないと考えておりますから、そういう事態にもし追い込まれたときには私は任にとどまらないであろう、かように思います。しかし、いま検察陣と矯正関係とは同じじゃないか、私もそう思います。そう思いますが、さっきから申し上げておりますように、また皆さんもあのときの措置については、これは私のそんたくになりますけれども、国民の皆さんも全乗員、乗務員が助かったといいますか、生命が安全にされたときには、まずこの際はよかったという国民の皆さんのおおよその気持ちがあった。そこが私は、政治は国民の気持ちといいますか、考え方を大きくくみ取ってやるべきものだというふうに思います。法律一点張りではいかない場合がある。もちろん法律の原則を守ることは前提でありますけれども、必ずしも人間の知恵では法律一点張りにいかない場合がある、千差万別の事象でありますから。そういう際に、先ほど申し上げましたように、内閣はああいう方針を決めて、いろいろな御意見があることは承知しておりますが、とにもかくにもあれだけの百数十名の人命を救うことができた。これはあのときにはよかった、私もそう思います。でありますから、日本の政治を責任を持って担当しておる政府が決めた場合に、検察陣に再びやらせないということは先ほど来申し上げたとおりでありますけれども、今度は矯正にやらせる。矯正の立場としても気持ちは同じだったと思います。収容してこれをちゃんと監置しておくというのが法の命ずるところでありますから、残念ながらそれに反してやらなければならないというあの処置をとったことについては、それこそこれもやはり断腸の思いであったと思いまするが、重ねて申し上げますけれども、何とかあの多数の人命をこの際救わなければならない、そういう気持ちも反面あったことと思います。でありますから、今後の問題いろいろあると思いますが、やはり法治国家の原則を守るという大前提に立たなければならない。それには、私は率直に申し上げますけれども、一政府や一法務省だけの問題ではこれはなかなかうまい解決はできない、やはり国民全体のそういう決意がないとうまくいかないのじゃないかと思います。 これはよけいなことでありますけれども、もし仮に法治国家の原則を守るのだということで百数十名の人の生命が犠牲になった、こういうことになりますと、国家の、社会の安全ということはまた逆に保たれないおそれもある。こういうことをいろいろ考えて処置をすべきものだと思いますから、あらかじめ将来のことを云々するわけにいきませんけれども、そういう法治国家の非常な重要な点があるということを前提に国民の皆さんに——私はこの間就任の記者会見で言いましたが、前法務大臣がやめられたのも、先ほど刑事局長から申し上げましたが、そういうことを国民の皆さんに考えていただきたい、こういう気持ちだったということでありますが、私も記者会見でああいうことを言ったのは、全国民がやはりそういうものであるということを考えて腹に据えて対処しなければ、この種の事犯を未然に万全に防止することはできませんよ、いい結末はなかなかむずかしいですよ、こういうことを考えていただきたいというのが私の偽らざる気持ちであります。
○横山委員 大臣の決意はわかりますが、先ほどちょっと聞き漏らしたかもしれませんけれども、そういう場合には私もその職にとどまらないであろうとおっしゃった。これは大変意外なことを感ずるわけであります。そういう福田さんの辞職の前例というものを前例にしてはなりません。あなたはまた別な立場で法務大臣の職責を履行なさるのですから、そういう場合でも自分は職を辞さないで断固として自分の方針を貫徹する、そういう立場で私は任に当たってもらいたい。要求はますますエスカレートする可能性を持っています。そのエスカレートする可能性というものをお互いに腹の中に置きます際に、法務大臣が今度も前例があるからおれもやめる可能性があるなんということは軽々しくおっしゃらないでいただきたい。むしろ私は、あなたはまた別な角度でおやりになろうとしているのですから、断固としてこれに対抗して職責を全うして、そして目的を貫く、そういう態度こそ望ましいと思います。これは希望でございます。 それから次に、きのうのごあいさつの中で——きのうはまさにハイジャックと刑法だけでございましたので、その刑法についてあなたのお考えを聞きたいのですが、私はきのうあなたのごあいさつの中で、大変失礼なことではあるけれども、やじりました。やじった原因は、ごあいさつの中に「最近、当法務委員会を中心として刑法全面改正問題について検討を行う機運があるやに伺っておりますが、」と「中心として」とか「あるや」とか大分逃げてはいらしゃいますけれども、何か既成事実を自分でおつくりになっているのではないかという気がするわけであります。どこに法務委員会を中心にしてそういう機運がありますか。正確に申しますけれども、私どもは大変迷惑をしておるわけであります。私どもは刑法全面改正問題について検討を行う気持ちはいまのところございません。先般理事会におきまして、委員長並びに自民党の理事から小委員会設置についてのお話があったことは事実でございます。しかし、これはごく二週間ぐらい前でございます。その際、野党がこもごも申し上げたことがございます。 その一つは、この端緒になりましたのは、前法務大臣が新聞を通じて刑法の改正がどうもうまくいっていないから議会において与野党が一致されるならばそれを受け入れる用意がある旨の発言をなさったことであります。私どもには政府側からもそれから委員長からも何ら話がなかった問題である。しかも、それはまさに福田さんの福田さんらしい政治家としての構想だと思うのであります。しかも、新聞が事実であるかを念査をしたこともわれわれはございません。しかも、その福田さんがかわったわけであります。政治家としての福田さんと政治家としての瀬戸山さんとは異質なものであることは当然であり、自由民主党といえども、やはり福田さんならばこそあの構想は上げられた。あなたからは何の話もないわけであります。何で私どもがそれにいきなり食いつく必要がありましょうか。 それから、議会政治でありますから、長年懸案の刑法を政府がもし議会の審議を経たいとするならば、政府が原案を国会に提示してそれに基づいて与野党が議論をする、あるいはコンセンサスが仮にあるとするならばするのが常道ではありませんか。議会に政府側から刑法に関する御提起なり原案の提示なり法律案の提示なりが何らないのにかかわらず、何かきわめて政治的、高度の政治的なやり方をなさるということは議会政治に対して少し異様ではないか。 それから刑法という大変な法律、整合性の必要な大法典を国会で与野党が議論をするにしたっておのずから限界がある。与野党がこの忙しい中で、あなたの方からの法案もたくさん出ている中で刑法改正草案の第何条をどうするか、第何条をどうするかというような仕事をするのが簡単にできるはずがない。それは、われわれにスタッフがない。また国会の調査室、あそこにいらっしゃる人たちの人数ではとてもできない。われわれが調査するのにその予算がない。そういうたくさんの条件と、それから仮にわれわれがやるにしたってきわめて長期間を必要とする。法制審議会が、政府がこの改正草案に取り組んで以来どれだけの長い年月がたっていますか。そういうことを考えますと「当法務委員会を中心として刑法全面改正問題について検討を行う機運があるやに伺っておりますが、」だれがあなたにそんなことを話しましたか。だれがインチキな話をしましたか。そのインチキな話をまともに受けてあなたが大臣のあいさつでやるということは何事でございますか。これを読んだ人は一様に、野党に対してそうですかと新聞記者がずいぶん私のところへも来ました。社会党においてはこの間法務部会を開いて、だれ一人としてこの刑法改正について公式、非公式に小委員会を設置する、相談してくれというて受けた者はないと確認をいたしました。聞けば、他の野党の方もそういう新聞の憶測記事、あるいは解説記事、報道記事によって大変迷惑を受けたというて理事会で話しておる。それが二週間ぐらい前であります。政府委員もそこにおったわけであります。おったにかかわらず、あなたの大臣あいさつの起草をだれかがやったと思うのでありますが、そういう事実関係を全く抜きにして「当法務委員会を中心として刑法全面改正問題について検討を行う機運があるや」とは何事でありますか。取り消しなさいよ。
○瀬戸山国務大臣 その点について大変おしかりを受けて、まことに恐縮であります。もし間違っておりますならば、あるやに承ったということだけですから、いけなければ撤回するにやぶさかでありません。 刑法については、御承知のとおり長く法制審議会で検討いたしました。四十九年に法制審議会の答申が出されておるわけであります。それを中心にして各方面で反対、賛成、いろいろな意見が闘わされていることは御承知のとおりであります。でありますから、法務省といたしましては、いまおっしゃるように、これはまさに国民の権利義務、生活に重大な関係のある国の基本的な法律でありますから、それを軽々に取り扱うべきものではない。慎重に各方面の意見を参酌しながら、できるだけ国民的合意を得なければ、刑法としての価値といいますか、実効が伴わないわけでありますから、その作業を進めておるわけでございます。できるだけ早く法務省は法務省として、これがベターであるという案をつくりまして国会に提出したいということで、いま鋭意努力をいたしております。その間において、直接関与いたしておりませんから、あるいは誤解があったかもしれませんし、私の認識不足があったかもしれませんが、当法務委員会でも何か刑法改正について議論をしてみようじゃないかという話があるやに聞いております。国会は国民の代表機関でありますし、刑法のような重要な案件についていろいろ議論を出してもらう、これはもう当然のことであります。そういうことになりますれば刑法の改正に一歩前進じゃないか。われわれも皆さんの意見を聞きながら、正すべきところは正し、できるだけ国民的合意の得られるベターな刑法の改正に進みたい、かような気持ちを申し上げておるわけでありまして、ここにもしそういう機運がなければ私の聞き違いだ、こういうことでございます。
○横山委員 機運がなければとおっしゃったのですが、私ども法務委員でございますから、毎国会刑法改正の法案を審議しておるわけでありますし、今回のハイジャックにつきましても、刑法の改正について検討するにやぶさかではありませんし、また私どもから尊属殺に関する刑法の改正案も本委員会に提起をしております。ですから、一概に私どもが刑法の各条項について反対だとかなんとか言う気持ちは毛頭ないのであります。ただ問題は、いまはっきりしてほしいのは、福田さんの構想ですね。政府原案を国会に出さないで、国会が自発的に与野党で話し合ってもらえぬだろうか、話し合ってまとまったところを政府が受け入れるつもりがあるからという非常に高い次元の——放送です。これは正確に私聞いておりません。そういうちょっと冒険じみた構想を瀬戸山さんも受け継がれるのか、それとも瀬戸山さんがいまおっしゃったように、早く自分の方でオーソドックスに国会に出したいということなのか、その違いをまず明らかにしてもらいたいことが一つ。それから二つ目は、私ども、いま言ったように、刑法について決して消極的ではないのです。ただしかし、その議論の場が、刑法の改正草案是か非かという土俵までは困るという気持ちがあります。これは改正草案是か非か、その修正点は何かという問題でなくて、常に私ども、刑法についてのあり方、基本的な原理、基本的な考え方、それをまとめようとしておるわけであります。それは私どもも当然の職務だと思っている。その違いですね。改正草案是か非かという論議でやってもらわなければ困るというのか、それとも、将来にわたって私どもの基本原理、自由な立場、そういう自由な立場でいいから意見を聞かしてくれというのか、その二つの問題についてお答えを願いたい。
○瀬戸山国務大臣 刑法というのは、申し上げるまでもなく一つの組織的法体系をなしておるものでございます。その一部をピックアップしていろいろやるということは私は適当でないと思います。でありますから、先ほど来申し上げておりますように、法務省として全体系を、いろいろな各方面の意見を参酌しながら刑法の原案として提出したいという気持ちでいま努力をしておりますが、御承知のとおり刑法の法制審議会答申が出まして以来、各方面にいろいろな意見が出ております。しかも、その問題点をほとんどずっと賛成、反対を問わずピックアップされておる。その中で法務省としては、各方面の意見のあるところを参酌しながら、そういう点をこういうふうにしたらいかがでしょうかというような、中間報告的な発表もして、さらに各方面の意見を聴取しておる、これが現状でありまして、できるだけ早く刑法の原案として出したい気持ちは先ほど申し上げたとおりでございます。しかし、それにもかかわらず、国民の代表であられる国会の法務委員会の皆さんが刑法についていろいろ御意見があれば、この際そこで御意見を出してもらって、これも参考といいますか、重要な要件としてわれわれが検討することにしたい、こういう希望を持っておるわけでございます。前の福田法務大臣がどういう考え方でどういうことを言われたかということは、私は詳細には直接聞いておりませんから申し上げることはできませんが、やはりそういう気持ちであったのじゃないかということをそんたくしておるわけでありまして、ここでいろいろ議論される、これは国の公式の機関でありますから、そこで議論していただくということは決して悪いことでなく、結構なことである、こういうふうに考えておるのが私の本当の気持ちでございます。
○横山委員 いまのお話の中に、刑法の条文ごとの個々の改正をするのについては好ましくないとおっしゃるのだけれども、必要性があるからやっておるのであります。 それから、福田さんが与野党で話し合ってくれたらひとつのむと言っておるなら、それが事実なら、むしろ私どもとしては二年、三年にわたって野党が提案しております尊属殺に関する刑法二百条の改正、あれなんか法務省と私ども野党と全く意見が一致しておるわけであります。与党の中でも衆議院側では賛成者が多いのであります。そういう与野党のコンセンサスがある、政府ともコンセンサスがあるものを、よう通さぬでおいて、それだけの決意がなくて、大きな大原則の問題を与野党で話していくということは少しおこがましい、あかしを示してくれと言いたいのであります。もしも野党の意見を尊重するというなら、尊属殺を初め、この種の刑法関係の、与野党のコンセンサスがあり、法務省も賛意を表しておる二百条の問題についてあかしを示してもらいたい、これは私の率直な要求であります。そういう野党の意見を尊重するというあかしをなさったならば、われわれもまた考える余地が生まれてくるだろう、政府の真意というものももう少し検討に値する、そういう考えでございますから、抽象的なお考えばかりでなくて、具体的なあかしをひとつ示してもらいたいと希望を申し上げておきます。——御答弁なさいますか。あかしを示すなら答えた方がいい、示さないなら答えない方がいい。
○伊藤(榮)政府委員 大臣からお答えがあるかと思いますが、その前に一言だけ申し上げさしていただきます。 尊属殺の削除の問題について、今日の時点で野党の方々と政府とが一致をしておるということはございません。政府といたしましては一度尊属殺削除の法案を提出しようとしたことがございますが、その後、そういうことをしたのでは親に対する尊重、報恩の倫理に反することになるのではないかというような種々強い御意見等もございまして、現在私どもといたしましては、それらの御意見を踏まえてなお慎重に検討した上で、法務省、政府のこれに対する考え方をまとめたいと思っておるのが偽らざる段階でございますので、その点だけお断り申し上げます。
○横山委員 言わずもがなのことをおっしゃるのでこちらも言わざるを得ぬ。そういうことなら、あの当時最高裁の判決があった直後に、田中法務大臣が相談なさって、検事総長から検察官に対して通達を出しましたね。あの通達は撤回なさったのですか。
○伊藤(榮)政府委員 検事総長から、最高検察庁から全検察に通達が出ております。それはそのまま残っております。
○横山委員 そらごらんなさい。だから事実問題としてはその通達が生きておる。生きておるということは二百条が死んでおるということなんです。解釈にもいろいろあるけれども、とにかく判決が出、法務大臣が決断し、そうして通達が出た、あの瞬間に二百条は死んでおるということですよ。死んだ後をどうするかという議論、それはある。実際問題として裁判の判決にそれは影響しておることも事実である。そんなことをあなたと言い争っても仕方がないけれども、言わずもがなのことをおっしゃらぬ方がいいと思う。 次にロッキード事件、東京地裁刑事第一部で論争が行われておる問題は、これはここで議論をするのが適当であるかどうかは議論がございますけれども、重要な問題でございますから少し問題提起をして御回答を得たいと思います。 刑事訴訟法三百二十一条の一の一でございますが、裁判官の面前調書の問題でございます。これは検察官の面前調書の問題にも波及するわけですが、あなたの方から検察意見書が出ました。要するに、嘱託尋問に関する刑事訴訟法上の規定はないが、反対尋問を必要としない程度に信用性があり、刑事訴訟法の文言にとらわれず証拠採用すべきである、こういう論理であり、弁護士側の意見は、免責条項は日本の法制度にはない、米国関係者を不起訴としたのは法のもとの平等に反する、反対尋問が許されない証言では信用性がない。正確に私が言いあらわしているかどうかわかりませんけれども、おおむねこういうことのようであります。私はどちらかといえばこの検察意見書を信頼をする立場にあるわけでありますから、これは明白に言っておきます。そういう立場ではあるけれども、しかし外国裁判所の嘱託による共助法がありながら、日本から嘱託をして向こうでやってもらう共助法がないというところに一つの問題があるような気がするわけであります。 この論争はまさにロッキード事件の一つの理想的な峠をつくる問題でもあろうと思うのでありますから、ひとつ御意見を伺いたいと思うのでありますが、一つには免責条項の問題があり、一つには外国に頼んでやってもらうという、共助法という根拠規定がないということについてどうお考えでございますか。
○伊藤(榮)政府委員 裁判上の司法共助をいたします場合には、司法共助を受け入れる場合と、向こうへ頼む場合と二つあるわけでございます。受け入れる場合につきましては、受け入れる裁判機関の権限をそれだけ付与しなければなりませんから、国内法の整備を要するわけでございます。こちらから頼みます場合には、向こうの外国の裁判所が受け入れるわけでございますから、外国の裁判所に受け入れの権限を定めた法令があればよろしい。確かに現在民事訴訟法では、かたかな書きの時代の民事訴訟法でございますが、司法共助をこちらから外国へ求めることについての条文がございます。刑事訴訟法にはこれがございませんのでただいまのような御疑問が生ずるのではないかと思われますけれども、刑事裁判所といたしましては、国内法の有無にかかわらず、先ほどちょっと申し上げました司法共助に関する国内法の解釈といたしまして、当然に外国に対して司法共助を求めることができるというふうに考えてやっておるわけでございます。 若干敷衍いたしますと、外国からの司法共助を受け入れる場合の条件として、法律上一つの要件といたしまして、相互主義の保障がなされることというのがございます。したがいまして、相互主義の保障をいたします以上は、こちらから向こうに対して嘱託をすることができるということを当然に前提としておるわけでございまして、そういう解釈で実務は動いておりまして、最近、私の記憶しております例でも、昭和三十一、二年ごろだったと思いますが、東京地裁八王子支部が、米国に対して刑事事件について証人尋問の嘱託をして回答を得た事例がございます。あるいはその他にも裁判所が行われました例があるのではないかと思いますけれども、そういう実際の取り扱い上、立法の欠如ということが不備であるという感触はないわけでございまして、あえて立法を要しないのではないかと考えております。 それからもう一つ、ただいまの御質問の中に含まれておった問題として、証拠能力の問題があいまいではないかということがあろうかと思います。実は現在ロッキード事件で、ただいま御指摘のように、検察側は例のコーチャン氏等の嘱託尋問調書につきまして、三百二十一条一項一号の「書面」に当たるものとして証拠能力があるという第一次的主張をしており、弁護人側ではこれに反論をしておるということがございます。したがいまして、この問題はこれから裁判所において証拠能力をめぐっていわゆる激しい応酬があり、裁判所の最終的な判断が出るわけでございます。 したがいまして、証拠能力の問題について具体的に私がここでお答え申し上げますことは、当該裁判所の判断に影響を及ぼすおそれもありますので、差し控えさしていただきたいと思いますが、一般論として申しますと、およそ刑事訴訟法ができました当時には予想されなかったようないろいろな国際的な諸問題あるいはその他の諸問題がその後出てきております。そういう問題が出ます都度、現在ございます刑事訴訟法のどの条項に当てはめるのが刑事訴訟法全体の精神からして最も適当かということが裁判所において判断されながら決定が行われておるわけでございまして、そういう意味で、ただいま問題になっておりますのも、外国に対する嘱託尋問の結果が、そのものずばりは書いてございませんけれども、三百二十一条の何号に当たるものとして理解すべきか、こういうことで議論が展開されておるわけでございます。将来の問題として、外国に嘱託して得た調書の証拠能力について明快な規定を置いてはどうかというようなことも一応考えられるわけでございますが、諸外国における証人調べの方式その他諸外国の受け入れる方の法制等の仕組みにつきましては、非常に種々千差万別なものがございます。それらをよく考えませんと、一律に証拠能力を決定するわけにはいかない。そこで、当分の間は私どもといたしましては、現在の刑事訴訟法の証拠法則にのっとって、そのうちのどれを適用するのが一番刑訴の精神にのっとることになるかということを判断していただくのが適当ではないかと考えておる次第でございます。
○横山委員 再度断っておきますが、私も双方の主張を念査いたしましたときに、検察意見書が妥当であろうという立場で質問をしておるわけでありますから、その点はお含み置きを願いたいと思うのですが、そういう立場であって、なおかつあなたのおっしゃるように国内における司法共助があるから、相互主義だから、当然外国に対する嘱託も法定をされたことであるという言葉や、あるいは検察意見書を全体的に見ますと、結局は総合判断であって、明白に刑事訴訟法三百二十一条は裁判官の面前調書と言っておることであり、また、検察陣の面前調書で、他の規定もある、それは当然ながら日本の裁判官であり、日本の検察陣であるということを意味する。けれども、いろいろな総合判断からいって、これはそれと匹敵する十分に証拠能力があるという総合判断であります。だから、私の言いたいことは、もし外国への嘱託に必要であるならば、それは条約でもいいではないか、あるいは簡潔なものでいいではないか、少なくともこのようなロッキード裁判における論争の重要な峠になるようなことを考えてみますと、百尺竿頭一歩を進めて、外国へ嘱託する共助法の根拠法があるのがこれからの必要性、これからの問題ではないか、こういうふうに私は説得しておるわけであります。私の説得に対して簡単にうんと言うと、裁判における検察陣の論陣が薄弱になる、こういうおそれをお考えになるかしらぬけれども、私は検察陣の意見書が妥当であるという立場で言っておるわけでありますから、率直な御意見を伺いたいと思います。
○伊藤(榮)政府委員 御質問のお気持ちがよくわかりました。ごもっともな点が十分あると思いますので、将来の問題として検討さしていただきたいと思います。
○横山委員 次に免責条項、免責証言の問題であります。ここに引用いたしますのは、最高裁の四十一年七月一日、第二小法廷の判決であります。被疑者が、起訴、不起訴の決定権を持つ検察官の、自白をすれば起訴猶予にする旨の言葉を信じ、起訴猶予になることを期待してした自白は任意性に疑いがあるものとして証拠能力を欠くと解するのが相当である——四十一年の最高裁の御存じの判決であります。つまり、おまえは起訴猶予にしてやるから本当のことを言えと言われたので本当のことを言ったら起訴猶予にしてもらえなかった、そんなばかなことがあるかと言って訴えた問題に対する答え、つまり一種の免責条項は任意性に疑いがあるという判決なんであります。しかし、刑事訴訟法二百四十八条の起訴便宜主義という立場から、コーチャン、クラッターに、起訴をしないから真実を供述しなさいという免責条項、不起訴を約束をした。最高裁の四十一年の第二小法廷の判決と今度の宣明書——あれは約束とは言えません。国内的に見れば何ということはない、何かわけのわからぬものを書いた、こう言っては失礼でありますけれども、法律的な基礎はないと私は思うけれども、政治的には、国民的には最高裁も約束をした、検察陣のみならず最高裁も約束をした、こういうことになって、ロッキード事件で日本の司法の中にいわゆる免責条項が初めて発動をしたというふうに考えられるわけでありますが、この四十一年の判決と今回の検察陣並びに最高裁の免責とはどういう関係を持つと考えたらいいのでしょうか。
○伊藤(榮)政府委員 ただいまお尋ねの問題も、これからの公判で非常に議論の中心になるところでございますので、具体的な問題についてお答えをいたしますことは適当でないと思います。 そこで、一般論として申し上げますが、先ほど御指摘の最高裁の判例は、具体的な状況のもとにおいて、被告人の自白の証拠能力という観点から下された判断でございます。そういうように、被告人の自白の証拠能力という観点と、参考人あるいは証人の供述の証拠能力という問題は別個に考えるべきものであろうと思います。参考人あるいは証人の供述、証言、こういうものにつきましては、その内容が信用すべき状況のもとで、内容を信用するに足るような形で供述が得られたかどうか、こういうことが重点にあるわけでございまして、おのずからにして、ただいま御指摘の被告人の自白と証拠能力との関係についての裁判例は、そのまま証人、参考人の供述に当てはめるというわけにはまいらぬと思います。後は裁判所が具体的な状況に基づいて、刑事訴訟法の証拠法則を定めた諸規定に照らして、証拠能力を付与できるかどうか、具体的な御判断になる、こういうふうに思います。
○横山委員 被疑者の場合と参考人及び証人の場合の免責の問題とは若干異なる、それはまあその意味はわかります。 それでは続いてお伺いをいたしますが、私ども、委員長を初め数人の者がアメリカへ行ってまいりまして、国政調査並びに議院証言法をずいぶん勉強をしてまいりました。そしていま、理事会を中心にして、議院証言法を改正する案をつくろうとしています。その中で問題になりますのがやはり免責条項の問題であります。 あなたのお話によりますと、証人及び参考人の免責については、これを是認する立場でお話しのように思います。国会が免責をする場合と、検察陣、裁判所が免責をする場合とは若干の違いがございますけれども、真実に到達するための免責については、理論としては同じだと思うのです。もちろん国会が自分勝手に免責をするということは問題がございますから、司法当局との事実上の連絡等ももちろんあり得ましょうし、それから、免責の発動というものが、真犯人、被疑者の罪をどうしても剔抉をすべき重要な要件であるか、免責がどのくらいの重要な問題であるか、比較考量の問題にもなると思いますから、免責条項が仮に発動するといたしましても、これはきわめてまれなことであり慎重でなければならぬという前提のもとに、検察陣としての免責条項、議会における免責条項についてどうお考えでありますか。
○伊藤(榮)政府委員 私どもといたしましては、国会における証人の証言についての免責の問題には触れる資格がございませんので、一般の刑事手続において免責制度をとることについてどう考えるかという御質問の部分だけにお答えをいたしたいと思います。 アメリカで刑事免責ということが発展しておるわけでございますが、御承知のように、アメリカにおける刑事手続は多分に、妙な言葉でございますが、原告官、被告間の取引的な要素も加味されておりまして、ある程度原告官と被告の間で刑罰の内容等について取引をするというような思想が相当程度見られるように思うわけでございます。 また、他面、国民性あるいはその習俗、こういうものからいいまして、米国社会におきましては、免責特権を得まして証言する以上は、宣誓した以上は本当のことを言わなければならぬ、こういう思想が一般的であろうと思います。そこで、免責特権を与えることによって正しい証言が得られる可能性が相当多いのであろうと思います。そういう取引の慣行、それから国民性、国民の風俗習慣と申しますか、習俗と申しますか、そういうものの上に成り立ってきたものであり、かつ、それらのことは、米国における実体法の決め方、訴訟手続の構造、陪審制度をとっておること、これらのことと微妙に絡み合って一応の成果を上げておるものと考えるわけでございます。 そういたしますと、一体わが国においてどうであろうかと考えてみますと、わが国においては、自分の近しい人あるいは関係者のことにつきましては、宣誓をしてもなかなか本当のことを言いかねるような風土的な土壌があったり、あるいは各種裁判における証人の証言等を見ておりましても、必ずしも宣誓をしたから一〇〇%本当のことを全部しゃべるという態度でもない。また、国家刑罰権は非常に厳正に実体的真実の発見ということを中心に動いておりまして、取引という概念はそもそも入れる余地がない、こういうような訴訟構造あるいは国民の実際的な実情等からいたしますと、免責特権をわが国の刑事手続に取り入れることは非常に危険な要素が多いのじゃないかと現在は私ども考えておるわけでございます。 ただ、国会における問題につきましては、私ども判断する立場にございませんので、御了承いただきたいと思います。
○横山委員 あなたは一般論をお話しになりますが、二つの問題であなたに再度質問せなければならぬのです。 そういうお考えにかかわらず、コーチャン、クラッターには免責をしたではないか。最高裁がそれを手助けしたではないか。しておいて、免責はいけませんよと言うのはおかしいではないか。私もどちらかと言えば、アメリカへ行って、あなたと全く同感ではあるけれども、現に検察陣が免責をしたではないかということがある。 もう一つは、国会のおやりになることはとは言うけれども、国会で免責をすれば途端にあなたの方に影響がある。何かの免責をすれば、その捜査中のことはそれで打ち切り、裁判係争中のものはそれで打ち切り、そういうことになるのですよ。だから、国会のおやりになることは自由だと言っても、検察陣としての何らかの、もしおやりになるとするならば、こういう条件でとか、こういうものがあってしかるべきだから、私は質問しているのです。どうですか。
○伊藤(榮)政府委員 第一点の、なぜ免責を与えたかという点でございますが、これは嘱託尋問に係る証人の人たちの証言を求める手続がアメリカ法によって行われる。アメリカ法によって行われる以上、当該証人から免責の申し入れがありました場合どうするかという対応に迫られるわけでございます。私どもといたしましては、検察といたしましては、それらの人が再び日本へ来る可能性が非常に少ない、したがって将来これを訴追する可能性はゼロに近い、それに対して、それらの人たちの証言が得られることによって得られる利益、これは非常に大きい、その利害考量の結果、いまおっしゃいます免責に近いものを約束したわけでございまして、そういう意味で、あくまでこれは外国の裁判手続による証人であるということに特色があるわけでございます。 それから、国会における証言の場合の免責も刑事手続に影響してくるから、こういうことでございますが、アメリカのやり方を見てみましても、先刻御承知のように、当該委員会が裁判所に対して免責特権の付与の申し立てをいたしまして、そして免責特権が付与されるということでございますが、その場合、多くの場合、ユースイミュニティーと申しますか、その証言を捜査、訴追に使うことが許されないということで、その案件について一切の捜査ができないというような場合は非常に例外的であろうと思うのでございます。したがいまして、私どもとしては、国会の高いお立場から、仮に免責制度をとるとして、どういうものにどういう免責を与えられるかお決めになって、それがたとえば裁判所の判断の結果結論が出れば、捜査当局としてはそれを踏まえてその条件のもとで鋭意必要な捜査をする、こういうふうにしか申し上げられないと思います。
○横山委員 時間がございません。ですから、免責問題についてまたの機会を得ますけれども、要するに、私は免責条項の発動は比較軽重の問題それから希有な例等を前提として話をしておるのであって、あなたの言う外国の法律によるものだから免責をしたということもきわめてまれな例としての免責条項の範疇に入るわけです。何はともあれ、検察陣や最高裁までが免責をしたという歴史的な事実というものを抜きにして免責は全部いかぬというような論理は成り立たない。私どもがやったというならともかく、あなたの方がやっておいて、免責に消極的否定論ということは成り立たないということを申し上げておきます。 最後に、たくさんの問題がございますけれども、一つだけに限定をいたしますが、日本国じゅうを騒がしておりますハイジャックなんでありますが、そのハイジャックが年に一回か二回あるのと比較をいたしますと、最近の暴力団の動きというものはきわめて顕著なものがございます。全く、カラスの鳴かぬ日はあっても全国紙の中で暴力的な行為の記事の載らない日はございません。傷害、賭博、暴行、恐喝、覚せい剤、それから競馬法、銃砲刀剣類処罰法違反、特に最近は銃砲刀剣類の違反行為がふえておるわけであります。きのうの新聞では右翼がハワイで射撃訓練をやるという。それから、この間の新聞では暴力団が韓国へ行って最高会議をやるという。そして、東京都の職員がピストルの模造品をつくるという。一体警察はどうしておると言いたいところなんであります。 ところが、いろいろ聞いてみますと、警察が頂上作戦をして二千名、三千名を全国的に逮捕した、その後どうなるかというと、ほどなく釈放なんです。犯罪白書を見てみますと、暴力団で刑期一年以下の懲役受刑者は五四%に達しておる。懲役になった者でも一年以下でみんな出てしまう。それではウンカのごときバッタをつかまえてはすぐ放すようなものではないか、こういう感じがするわけであります。だから、暴力団もそういう点では、ちょっと別荘へ行ってくるからな、別荘から出るとみんなで出迎えて、今晩女がいいか牛肉がいいか、こういう話をするそうであります。ばかげた話だと思うのです。どこに問題があるか。やはりハイジャックの罪もさることながら、暴力団に関する罪が軽過ぎはせぬかという感じがしてならぬのであります。そういう点では、一体警察だけの暴力団対策では不十分ではないか、法律的な暴力団対策というものが必要ではないか、こういうふうに考えるのでありますが、大臣、どうお考えになりますか。
○瀬戸山国務大臣 横山さんおっしゃるとおり、暴力団というのは残念ながら伝統的にいろんな組織があり、一般市民に迷惑をかけている、こういう状況でありますが、最近は御承知のとおり銃砲等凶悪な凶器をもって犯罪が行われておる、特に最近は組織間の対立のために凶悪な犯罪が行われておる、こういう状況であります。でありますから、これは警察、検察協力をして、このせん滅といいますか防除に全力を挙げておる、こういうことであります。 細かいことについては刑事局長から御説明申し上げますが、おっしゃるように、こう言ってはなんですが、浜の真砂と何とかやらというような状況にありますから、これはもう少し根本的に法律で措置ができる問題があればもう一遍再検討する必要があるのじゃないか、私もそういう感じがいたします。何かあそこを出てくるともっと格が上がるように世間で言われておる。そういうことではいかぬ。ハイジャックにかかわらず、左右いかなるものでも暴力を否定するという立場で検討すべき問題だと思っておりますから、またお知恵をかりたいと思います。
○伊藤(榮)政府委員 確かに、ただいま御指摘のように、暴力団の現状は、二、三点の特徴を挙げますと、大変広域化してきておる、お互いに暴力団が広域化しますからその接点で対立抗争が起きておる、それから銃砲を使うケースが非常にふえておる、それから資金源として覚せい剤を非常に大きなものとしてやっておる、それからさらには、現象面で見ますと、総会屋のようなところまで進出をしてきておる、こういうような状況がございますので、それらの実態に即した検挙、科刑の徹底を期さなければいかぬ、こう思っておるわけでございます。 先ほど御指摘がございました一斉検挙で何千人というふうな暴力団の構成員がつかまりますが、個々の犯罪事実がいわば軽微なものが多いわけでございまして、そういう関係でお目にとまるものが一年くらいで出てしまうというものが多いのではないかと思います。要は、私どもはそれぞれの問題についてのもとを検挙しなくてはいけない。たとえば覚せい剤でございますと、末端のいわゆる売人というものを検挙するだけで能事終われりということでなく、その大もとをやらなければいけない。それから銃砲等につきましても、その密輸の根源を断つ、そういう根源にさかのぼってまいりますれば、おかげさまで近年覚せい剤取締法あるいは銃刀法の法定刑もずっと上げていただいておりますので、そういう方向で厳正な処置ができるのではないかと思っております。 なお、検察といたしましても、裁判所に対し厳しい科刑を求めるだけの説得において欠けるところがいささかでもあるといたしますれば、なお鋭意努力をして厳正な科刑を得られるように努めたいと思っています。 それからさらに、大臣もおっしゃいましたように、それらの暴力団を封殺するための何らかの立法措置で適当なものがあるかどうか、真剣に検討してみたいと思います。
○横山委員 問題が残りましたけれども、時間が参りましたので、また後日に譲らせていただきます。
○上村委員長 西宮弘君。
○西宮委員 大臣がおかわりになったばかりでありますから、人権問題、特にまず第一に国際人権規約の批准という問題について、先般代表質問の際にもわが党の代表から質問いたしまして、福田総理がこれに対して、全面的に賛成である、したがってその作業を進める、こういうことを回答されておられるわけですが、したがって、その問題について新任の大臣はどういうふうにお考えになっておられるか、まず最初に一言お尋ねをしたいと思います。
○瀬戸山国務大臣 国際人権規約の批准については、率直に言って、法務省関係としてはそれほど問題がないわけでございますが、関係各省といろいろ細かい検討をしなければならぬ、こういう問題がありますから、鋭意検討したいと思います。詳細については、入管局長から御説明いたします。
○西宮委員 入管局長の御説明ということになると少し長くなりますので、むしろ私の方から問題を指摘したいと思うのですが、瀬戸山大臣は法務省としては問題がないというふうに言われたけれども、むしろ世間の見方は逆なんですよ。たとえば、昭和五十年十二月二十二日の朝日新聞の社説でありますが、これがおくれているのは法務省のためだ、こういうことを社説の中で指摘をしているわけです。つまり、法務省に関連する事項としては、この規約の中のB規約の十二条、十五条の二項、それから二十条の一項、これらが問題になっていろわけです。ですから、このものについては法務省としては、まだ省内においても問題が十分解決をしておらないというふうに私は思います。 時間が余りありませんから、むしろ私の方から申し上げたいと思うのですけれども、いま大臣が入管局長に答弁させようとしたのは、第一の「移転の自由」という問題だと思います。十二条に決められた「移転の自由」、それと出入国管理令の関連性だと思うのですが、私はこの問題は、私の意見としては、むしろ日本の国内法を人権規約の水準にまで高めるべきだというふうに考えます。そもそもこの出入国管理令なるものは、いわゆるポツダム政令から関連をして出た命令でありますから、したがって、私はそういうふうに改正をすべきだと思う。あるいは十五条の二項にあります。刑罰を科する場合に遡及してはならぬ、こういう問題で、十五条の二項の方ではそこに定められた条件の場合には遡及してもよろしい、こういうことになっているのですが、これに対して、いわゆる戦犯の処罰、戦争直後の戦犯の処刑ですね、ああいう問題について、罪刑法定主義との関連性が問題になっているわけです。これが私はちょっと簡単に、私も意見を言いにくい、かなりデリケートな問題でありますから、これは後回しにします。三番目は、二十条の第一項に言われております戦争宣伝の禁止という点でありますが、これは、日本はすでに憲法第九条を持っておるわけですから、その枠の中で解決のできる問題ではないかというふうに考えております。これは、以上は私の意見でありますが、ただ時間が足りませんから、先を急ぎますので、細かい議論は後に、別な機会に譲らしてもらいたいと思います。 ところで大臣、福田総理大臣は、さっき申し上げたように、大いにこれを推進するというようなことを本会議で答弁をしておるわけであります。それから、外務省を代表いたしまして藤岡参事官が外務委員会においてきわめて積極的な発言をいたしております。法務省としてはぜひやらなくてはならぬ、これは前に外務大臣が非常に積極的な発言をしておるので、それを受けて、外務省の大方針に従って、法務省としても、言葉はどういう言葉だったか忘れましたが、強力に推進をするというような非常に力強い答弁をしておるわけです。ですから、ぜひ法務省としても、これは積極的に取り組んでもらいたいということを申し上げたいと思います。 もう少し大臣に、これは、新しい大臣ですから、私の方から講義するみたいで恐縮でありますが申し上げますと、一九四八年に世界人権宣言が行われて、その次に例のサンフランシスコの平和条約ですね。日本はその平和条約の中にこのことをうたっているわけです。「日本国としては」「世界人権宣言の目的を実現するために努力」する「意思を宣言する」と、こういうことまで平和条約の中にうたってある。その目的の実現というのは、要するに人権規約をつくるということなんです。つまり、宣言は単なる宣言でありますから、それを具体化するためには規約をつくらなければならぬ。そういうことで人権規約をつくるということに国連では取り組んできたのでありますが、各国ともなかなか国内法との関連性があって簡単には進まなかったわけであります。さらに、さっき申し上げた国際人権規約が一九六六年にできましたけれども、この際はもちろん日本も賛成をしているわけであります。さらにその後、何年でしたか、これを早くやるべきであると、こういうことで推進の決議をいたしました。早くこの人権規約を各国が締結すべきであるという、これはテヘランの会議で決議をいたしましたが、その際も日本は賛成をしているわけでありますから、私は、早く日本も、それらのいままでの経過にかんがみて、日本の責任を果たさなければならないということを考えておるわけであります。これまた朝日新聞の社説でありますが、これはさっき申し上げたのと違ってことしの社説でありますが、その中には、日本ではこれが決まらないために、いまいわゆる先進国でまだこの規約が批准されておらないというのは日本一つ程度になってしまったわけですから、日本の外務省としては人権問題を議論するときには大変に恥ずかしいと、こういうことを外務省の係官が言っているというようなことが新聞に報道されておりました。ですから、何としてもこれは急がなければ問題だということを申し上げて、大臣の所見を一言だけ簡単に伺いたいと思います。
○瀬戸山国務大臣 まことに申しわけございませんが、私、国際人権規約を詳細に検討しておりません。でありますから、入管局長から一応考え方を申し上げたいと思います。
○西宮委員 さっき申し上げたように、入管局長だけの所管ではないのですよ。それで、その問題だけでも、入管局の所管の問題、つまり出入国管理令との問題を論ずると大変に時間がかかりますから、私は、大変一方的で恐縮だったけれども私の所見だけを申し上げたので、ひとつ御参考にしていただいて、あとでまた別な機会に議論をさしていただきたいと思います。A、B二つに分かれておりますが、とにかくこれができますと、B規約に盛られておるその権利条項については、個人が国連の人事委員会に提訴ができると、こういうことになっておりまして、非常に人権問題としては大変な飛躍的な躍進を見るわけであります。世界の先進国はみんなそれをやっているわけですから、ぜひ日本ももう少し積極的に取り組んでいただきたいということを申し上げたいと思います。 ところで、ということを申し上げて次に参りますけれども、これは例の日韓協定ができたときでありますが、永住権を取れなかった者や取らなかった者はどうするんだと、これはみずから問題を出してそれに対する答えを書いておるわけですが、入管局の偉いお役人でございますが、それに対する答えとして、国際法上の原則から言うと、煮て食おうと焼いて食おうと自由なのである、こういうふうに書いてあります。これは前にも国会でだれかが取り上げたことがあったようでありますが、私は、こういう外国人の権利は煮て食っても焼いて食っても自由なんだという考え方が入管局のおえら方の基底にあるんだということであるとするならば——もっともそのときは入管局からよそにかわってはおるのですよ、こういう考え方が基底にあるのだということだと、大変重大問題だと思うので、入管局長、聞かせてください。
○吉田政府委員 ただいまの煮て食おうと焼いて食おうと云々といいますのは、相当昔そういう本が出たということは私も聞き及んでおりますが、現在、入国管理局の職員で、かかる思想を持っている人は一人もおりません。
○西宮委員 そういう本が出たということを聞いたことがあるというような御答弁でなしに、一遍買って読んでみてください。堂々と書いてあるわけですから。そういう外国人の権利は煮て食おうと焼いて食おうと自由なんだという考え方はとんでもないことだと私は思う。これは日韓条約ができるときで、したがって、その在日韓国人の問題について書いているわけです。特に韓国人の場合などは、わが国の歴史的な経過があって日本に居住をしておるのですから、あるいはまた、いま現におる韓国人あるいは朝鮮人の大半は、七五%は第二世、第三世と言われておりますから、そういうもう完全に日本の社会の中に溶け込んでしまっておる人を見る場合に、煮て食っても焼いて食っても自由なんだというようなことがもしあるとしたら大変だ。そういう人は一人もいないという御答弁でありますから、私はそれを信頼いたします。 いまの日韓条約ができたときですけれども、そのとき法務大臣の声明として、こういうことが発表されました。——声明の文章をどこかへ置いてきてしまいましたけれども、要するに、その在日韓国人については、十分好意的に取り扱っているのだということをうたった声明であります。そもそも在日韓国人あるいは朝鮮人、この国籍の問題でありますが、これは朝鮮人、韓国人の皆さんには大変お気の毒な経過をたどっておるということは明らかだと思います。 たとえば、一九四六年の十一月、GHQは、当時の朝鮮人に対して日本の国籍を保有するものとみなすということで、いわば一方的に日本の国籍を持つことになったわけであります。ところが、その明くる年の一九四七年の五月には外国人登録令というのができて、日本国籍を持ちながら、同時に外国人として登録をしている、そういうことが義務づけられている。したがって、これははなはだしい矛盾で、場合によったら強制退去というようなことを命ぜられることもあり得るわけで、そういったようなきわめて矛盾をしたことが起こったわけであります。 そこで、今度は五二年になりますと、例のサンフランシスコ平和条約が発効した時点でありますが、このときには、日本国籍を喪失し外国人となる、こういうふうに規定をされたわけであります。したがって、今度は一遍に日本国籍が一方的に剥奪されてしまった。こういうことになって、他の国々の外国人と全く同様に扱われるということになった。まことに不幸な、あるいは該当の方々にはまことに気の毒なことに、勝手にいろいろなことをやられたという結果になっておるわけで、しかもこの人たちが、今日は日本の社会にあって、一つの社会の単位として、日本の社会の構成員として現に社会活動をしているわけですから、そういう点を十分踏まえて在日韓国人の問題に対処しなければならぬというふうに私は考えるわけです。 さっき入管局長は、そんな昔、書物に書いたような、そういう考えを持った人は一人もいないということを言われましたけれども、それでは、いまの日本におる韓国人ないしは朝鮮人に対してどういう見解でおられるか。抽象的で結構ですから、大臣の原則的なお考えを聞かしていただきたいと思います。
○吉田政府委員 朝鮮半島の人々はわが国の隣国でございまして、また歴史的事実からいたしましても、戦前は日本国籍を保有しておられた方々でございます。こういう方々については、わが国としてはできるだけ親切に扱うという基本方針を持って臨んでおります。ときどき問題が起きるものは結局、わが国の法律がございますが、その法律に違反された方について問題があるということでございます。
○西宮委員 法律に違反するという問題等があれば、これは日本人であろうと外国人であろうと区別はないのだから、それは仕方がないと思う。しかし、私はきょう特にここで法務大臣にもぜひ理解をしていただきたい。そして日本の政府でもできるだけこういう問題について、いま入管局長の言われたような親切な扱いをするということについて——在日韓国人がいわゆる政治犯という名前のもとに、韓国に行って韓国で簡単につかまってしまって、あるいは簡単に死刑の判決を受けている、こういうような人がたくさんあるわけです。これらについて、従来日本の政府は、そういう問題については、これは全く日本の国内問題ではないので、そういう問題はわれわれの関する問題ではない、こういうことで簡単に扱ってきているんだ。私はそうではなしに、これはぜひいま入管局長の言われたような、その親切な気持ちでこういう問題にも対処してもらいたいと考えるわけですが、大臣いかがですか。
○瀬戸山国務大臣 お尋ねのような場合は、まあ申し上げるまでもないことですけれども、韓国なら韓国の国内法によって処置をされる。主権の問題がありますから、こちらから干渉がましいことはなかなか言えない問題である。しかし親切にする、こういうことはさっき入管局長も申し上げましたが、これは当然のことですから、そういうことに触れない範囲内ではできるだけの親切な気持ちで処置をしたい、かように考えております。
○西宮委員 さっき私うっかり言い残してしまった日韓協定当時の法務大臣の声明というのは、こういうことであります。「終戦以前から日本に在留していた大韓民国国民であっても、 現在まですでに相当長期にわたり本邦に生活の根拠を築いている事情をも考慮し、協定発効後はわが国におけるその在留を安定させるため好意的な取扱いをすることとし、」云々というのでありまして、まあおおむね、さっきの入管局長あるいはまた大臣の答弁をされた後段の方の、できるだけ親切に扱うという点とその精神は同じだと思います。しかし、このいまの声明が行われました時点では、もちろん現在のように在日韓国人が韓国に行くとすぐつかまってしまって犯罪人にされてしまうといったような問題等がなかったわけですから、この声明当時、そういうことを予想しておったわけではないと思います。ないけれども、この精神は少しも変わらない。私は、その政治犯と称して韓国で非常な苦境にある在日韓国人、この人に対する態度は同じようでなければならぬと考えるわけですが、入管局長にお尋ねをいたしますが、いわゆるその密出国という件数はどのくらいあるんでしょうか。
○吉田政府委員 私の方は、密入国は押さえておりますが、ちょっといま手元に密出国の資料がございませんので、何でしたら後ほど調べてまた先生の方へ御報告申し上げたいと思います。
○西宮委員 そうですか。それでは後でやむを得ませんが、実は政府委員の方には密入国ではなしに密出国の方を調べてもらいたいということを要請をしておったんでありますが、私がその密出国について事情を知りたいというのは、いま韓国で捕らえられて政治犯というレッテルを張られている人たち、こういう人はほとんど例外なしに、いわゆる北朝鮮に潜入をしてそこで思想教育を受け、洗脳をされる、あるいは入党をしてそして南の方に潜入をする、そこでその政府を転覆する、そういう策動をしているんだというふうに、そういうふうに扱われているのが、ほとんど全部がそうだと言ってもいいくらいそういうふうなケースになっておるわけです。したがって、そういうその北朝鮮に潜入をしていくというようなことが果たしてあるのかどうかということが私の知りたい点なんです。ですから、それじゃ後日で結構ですけれども、ぜひその点を明らかにしていただくようにお願いいたします。 そこで、韓国における裁判のやり方、無論大臣は、これはよその国の問題だからわれわれが口出しをする問題じゃないというふうに言われる。その気持ちはわかりますけれども、韓国における裁判の実態というようなものは、私どもが知っている乏しい知識でありますけれども、それで見る限り、余りにも常識を逸脱している。あるいは、特に大臣が強調する法律を尊重する、そういう点で、ほとんどそういうことがなされていないのではないかという懸念が多分にあるわけです。たとえば、検事の調書が直ちに証拠能力のあるものとして採用される、あるいはアリバイがあっても自白があればそれは有罪にする。このことは、ちょっと具体的な例として後で申し上げたいのですが、そういうことがある。あるいは弁護人の反対尋問、被告人の証人の申請というようなことはほとんど採用されないというようなこと、あるいはまた、これは弁護人の尋問あるいは弁護人の主張、そういうものはほとんど記録されない。速記もないしテープコーダなどもない。それで、これは韓国の弁護士協会連合会というところから、韓国の政府に対していろんな陳情書が出ておりますけれども、それなどを見ても、法廷に速記あるいはまた録音をする装置をしてもらいたいというようなことなどが陳情書にうたわれているわけですね。全く初歩的というか、だからこれはどういう結果になるかと言えば、ほとんど弁護人の言っていることなどは筆記しておらないということですから、特に上告審等では事実審理をやりませんから、書面審理だけですから、そういうときはそういう大事な点が全部欠落をした書面が上告審に届く、こういうことになって、被告人にとってははなはだしく不利なわけですね。そういうことが現に行われている。そして何はともあれ、きわめて短期間に、短時間に一瀉千里に片づけてしまうわけですね。 私は、具体的な例として一番新しい被害者と申しますか、姜宇奎という人がおるわけです。この人の例を一例だけ申し上げても、この人は一月の二十四日に韓国に渡った。消息が全然不明になってしまった。三月の初めになって、ぼつぼつ風のたよりに何か監禁されているらしいというようなことが伝わった。三月の二十四日にKCIAが公式に発表いたしまして、これは恐るべき大諜報団であって、しかも彼がそのスパイ団の首領である、親分だ、こういうことで大々的に発表をされたわけです。それで、東京におります留守の家族の人たちが大変愕然としたわけでありますけれども、それが三月二十四日ですね、発表が。それから四月の十二日に起訴するということが決定をしている。そうしたらば、三日後には第一回の公判を開始するという通知であります。何ぼ何でも三日ではどうしようもない。弁護士の選任もしなければなりませんし、対応できない。それで、弁護士が交渉をしてやっと二週間だけ延ばしてもらったというのでありますけれども、それから毎週一回ずつ公判が行われて、六月二十四日には死刑の判決が下っておるわけであります。第一回の公判が四月の二十九日だと思いましたが、そのようにきわめてスピーディーに一瀉千里に片づけられてしまうということなどは、まことに異常そのもので、瀬戸山さんが大いに強調されておられる、法律を尊重する——これはさっき横山委員の質問にも答えて瀬戸山さんの基本的な態度を述べておられましたが、私は、実は瀬戸山さんが大分前にお書きになった「日本の栄光」という書物を当時ちょうだいして、大いに熟読玩味、非常に敬意を表して読んでおったわけであります。これなども、法律は尊重しなければならぬということを強調しておられる。私も当然だと思います。そういう瀬戸山さんとして、いまこういうやり方で韓国において裁判が強行されているということに対して、どういうふうにお感じになるか、お感じだけ聞かせていただきたいと思います。
○瀬戸山国務大臣 残念ながら私は韓国の国内法、特に訴訟法等裁判の運営状況については未知でございます。ございますが、まあそれはそれとして、いかがなものでしょうか、他の独立国の裁判の運営、法律執行の状況等について、こちらの政府の一員がとやかく批判するということは、中身もよく知らないのですし、仮に知っておっても外国の裁判あるいは法律の運用等について批判がましいことを言うことは、恐縮ですが差し控えさせていただきたいと思います。
○西宮委員 公式な答えはそういうことになるのかもしれませんけれども、瀬戸山個人の意見でも結構だと思うのです。こういうやり方がきわめて適切妥当であるというふうにお考えかどうか。
○瀬戸山国務大臣 法治国家ということを私はしばしば申し上げておりますが、韓国の法制がどうなっておるかつまびらかにいたしませんけれども、やはり法律、規則というものはあらかじめ国民が知っておる約束ごとでありますから、それに従って運営する、これは当然のことだと考えております。
○西宮委員 その韓国の刑事訴訟法等を御存じないというお話、私も別に詳しく知っているわけではありませんけれども、たとえばいまのこの姜宇奎さんの場合ですね。この人の場合などは、さっき申し上げたように一月の二十四日に韓国に渡って、それから全然消息がなくなってしまった。これは韓国の刑事訴訟法によりますと、八十七条に、そういう身柄を拘束した場合には通知をするということが義務づけられているのです。にもかかわらず、全然そういう通知もない。したがって、家族が連絡もできなければ弁護士の選任もできない。起訴をされるまでに家族が選任した弁護士とも会うこともできないということなんですね。全くそういう点では私どもの想像を超えるものがあると思うのです。しかも、韓国では全部の裁判官も大統領が任命するわけですね。ですから、これでは三権分立どころではない。全く大統領の意図のとおりに裁判が進行しているということが当然考えられる。 私は一つだけ、これは大臣は外国のことだということで非常に遠慮をして物を言っておられますけれども、われわれどうしても見逃すことのできないのは、韓国の裁判に日本の官憲が出した書類が提出されている。これは訴訟記録を調べていったところが、日本から送られてきた書類がつづり込まれておった。恐らくうっかりしてつづっておったのだと思いますけれども、そういう事実が指摘をされているわけです。あるいは、さらに熊本県に住んでおった李哲という青年、学生でありますが、この人などは、やはりとっくに死刑の判決を受けている人ですが、明らかにアリバイがあるわけです。というのは、熊本市のデパートで時計を買って、そのときの時計の保証書ですか、そういうものにサインをしている。それが見つかったわけです。したがって、そういうものを送り届けたけれども、それよりも彼は自白をしているということで、自白の方が大事だということで、死刑の判決を受けた現在確定囚であります。そのとき熊本のデパートで時計を買ったというので、時計を買ったそのときのサインしてある書類などを仲間の者が調べに行ったわけです。つまりアリバイとしてそういう材料を探したところが、後日熊本北署の警察官が行って、それを後から調べているわけです。これは明らかにKCIA等と連絡をとって、そこから依頼をされたかどうか、そういうことでうそか本当か調べてくれということを言われて調べに行ったのだろうと思うけれども、そういうことが現に行われている。だから、いま申し上げたように韓国でまことに乱暴な裁判が強行されて、そのために在日韓国人が非常な苦境に立っておるわけですけれども、それに日本もそういう意味でかかわり合いを持っているということは断じて見逃すことができないことだと思うのです。きょうは特に短い時間ですから警察から来てもらっておりませんので、これはお答えをいただく人がおりませんから回答を求めませんけれども、私は、これはまた警察の方からも来てもらって、他日この問題はもう一遍事情を明らかにしたいと思います。とにかく、こういうことで日本の官憲がこういう不当な裁判にある意味で協力をしているという結果になっているということはまことに残念至極だと思うのです。また、看過できないきわめて重大な問題だと考えておるわけです。 そこで私は、さっき入管局長もあるいは大臣も、つまり親切に扱うとか、そういうことを言われましたので、この姜宇奎という方について御説明をしまして、ぜひ親切に扱ってもらうということをお願いしたいと思います。 この姜宇奎さんという人は済州島の出身で、十五、六歳のころ日本に来て、戦争中日本で働いて、大阪の軍需工場で働いておって、事故のためにその工場で左足を切断してしまった。しかし足を切ってしまったけれども、何にも補償がない。そういうことでまさに言語に絶する困苦を重ねてきたのでありますが、戦後、いろいろな苦労をしながら喫茶店を経営するようになった。最初は荒川で、三年ばかり前からは小岩に喫茶店を設けて経営をしております。日本に参りまして四十四年になるわけです。ですから現在は還暦を超えた年齢でございます。そして、その四十四年間というものは、日本におって始末書一つとられたことがない、そういうきわめてまじめな生活をしてきた。子供さんが四人おってきわめて平凡なといいますか、家庭も非常に楽しく暮らしをしておったわけであります。 ところが、日本に来て四十四年にもなるわけですから、一遍韓国へ行ってみたらどうだというようなことを勧める人があった。御本人も歳をとったら本国に帰りたい、こういう気持ちも持っておったので、誘われるままに行ったわけであります。 なお同時に、大栄プラスチックという会社に何ほどかの出資をして、その会社の監査役になりました。そして何回か韓国との間を往復をしておったわけでありますが、途中で、せっかくあなたもここまできたのだから、つまりいわば経済的にも成功したのだから外国を見てきたらいいじゃないかということを言われて、パリ、ロンドン、ローマ、これらを回ってきた、こういうこともあるわけであります。 ところがさっき申し上げたように、この人が一月二十四日に行ったらば——この会社の用件なり、あるいはまた韓国にマンションを買ったのでその代金の支払い等もあったと思うのですが、したがってその会社のためにあるいはまたマンションの支払いのために等々で若干の小金を持って行ったわけです。そうしたらつかまってしまって、さっき申し上げたように大スパイ団の団長だということに仕立て上げられてしまったのです。そして、その金というのはスパイ工作用に北朝鮮からもらってきた金である、パリからモスクワに行って、モスクワからピョンヤンに行って、そこで金日成主席からもいろいろ激励されたり命令されたりして北朝鮮のスパイになったのだ、こういう筋書きになっておるわけです。全くこれは家族ならずとも、われわれが聞いてもただただ驚く以外にはないわけです。 さっき申し上げたように、この人はもうすでによわい六十を過ぎておる。しかも、片足を切ってしまっておりますから義足をはめて松葉づえで歩いておる。したがって、足も不自由でありますから余り外に出ることもない。ときどきパチンコに行くくらいで、きわめて非政治的な人間なんですね。歳をとって片足で、そういう人にスパイのような仕事——スパイというのは、およそ敏捷な活動ができなければスパイにはなれないと思うのだけれども、そういうことにつくり上げられてしまっているというようなことに私どもは非常な、およそ常識では考えられないことなんでありますが、そういうことが堂々と行われておるということなんです。 きょうは外務省からも来てもらっておりますので、こういう問題、いわゆる在日韓国人の政治犯の問題、とりわけこの姜宇奎さんの問題などは、いま申し上げたようにまことにお気の毒な状況だと思うのですけれども、こういう点について政府としてどういうふうに考えているか、これは外務省でも結構ですから御返事を願います。
○遠藤説明員 西宮先生が御指摘の在日韓国人のいわゆる政治犯につきまして外務省としてどういうふうに対処しておるかということで、先ほど法務大臣のお答えいただきましたことと若干繰り返しもございますけれども、私どもの考え方を申し述べさせていただきたいと思います。 先ほど法務大臣からも御答弁ありましたように、確かに法律的には在日韓国人は日本にとりましてはいわゆる外国人でありまして、したがって、外国人がいわゆる外国の法律、韓国の法律によって裁判を受けるということ自身につきましては、日本政府としてはとやかく言えないという法律的な問題があるわけでございます。しかしながら、同時に、先ほど西宮先生も御指摘のように、在日韓国人の方々というものは日本に生活基盤もあり、日本で育ち、恐らくは今後とも日本で生活をされるであろうという意味で、ある意味で日本の社会の一部であろうかと思います。したがいまして、法律問題はそういうことでございますけれども、そういうふうないわゆる外国人といたしまして日本政府としても深い関心を持っておることもまた事実であるわけでございます。 そこで問題は、それではその二つの法律的な要素とそれからいわゆる社会的な要素にどうやって対処していくかということでございます。まず、すでに韓国の法令でもって刑が確定した人がかなりおるわけでございます。ことに死刑が確定した方も若干おるわけでございますが、こういう刑の確定した方については、韓国政府がいわゆる人道的な観点に立って理解ある配慮を払ってもらいたい、こういうことを折に触れて韓国政府の方には伝えておるわけでございます。これは私どもの担当しておりますアジア局長からもあるいは私からも、それから非常に高いレベルでは先般の日韓定期閣僚会議の際にも、鳩山外務大臣から相手の朴外務部長官にも伝えておるわけでございますし、今後ともこの努力はしていきたい、こう思っておるわけでございます。 もう一つ、現在裁判が進行しておる方々、これはいまの、先生御指摘の姜さんもその一人でございますが、この方々につきましては、日本政府としてできる限り可能な範囲でいわゆる便宜供与を行ってまいりたいということ。じゃ、これはどういうことをやっているのだということは、先生もう御想像のようにいろいろな事情がございますので、一々こうこうやっているのだと申し上げにくいのでございますけれども、私どもとしてはできる限りの範囲で便宜を図ってまいりたい、こう考えております。この努力は今後とも続けていきたい、こう考えております。
○西宮委員 いまの北東アジア課にもお願いをして、たとえば起訴状を取り寄せてもらうということをやってもらった。これは全くそういうものがなければ雲をつかむような話で何も手の打ちようがないというので、辛うじてそれを入手してもらったわけです。ただ残念なのは、非常に時間がかかっているわけですよ。先方から起訴状その他関係書類等を取り寄せてもらいたい、あるいはまた日本のアリバイの資料とか、そういうものも即刻送り届けてもらいたいということ、その他声明文を送るとかいろいろな問題もありましょうけれども、とにかくそういったようなことを何とか迅速にやってもらいたい。たとえば、せっかく届けてもらった起訴状も、もうすでにそのときには彼は死刑が宣告をされているわけです。さっきも言いましたけれども、裁判が超スピードに行われるというので間に合わないという点もありますけれども、とにかく起訴状なんというのはイの一番に発表される公文書であるわけですから、何とかして直ちに取り寄せて、直ちに送ってもらうというようなことをぜひともやってもらいたい。それが、日本の政府として、韓国に対して人道主義的な立場で扱ってほしいというようなことを要請するというようなことが行われたとすれば、その具体的な措置としてそういうこともぜひお願いしたい。 それから大臣、ちょっとその起訴状を私取り上げたので、大変長い起訴状でありますが、こんな内容だということをちょっと一カ所だけ読ませてもらいますから、お聞きになってください。「一九七四年七月下旬 日付未詳 十一時頃上記康某、崔某指導員の案内で黒塗り乗用車(ベンツ)で、」「案内員と共に航空便でイルクーツク、ドンスクを経由して、あくる日十七時頃モスクワに到着、空港待合室で待機していた姓名未詳四十才位の案内員に引き継がれて黒塗り乗用車でモスクワ市にある同人宅に到着、一泊し、あくる日、九時頃姓名未詳三十八才位の案内員に引き継がれ黒塗り乗用車でモス空港に到着、同日十一時頃上記案内(解読不可能)航空便(機種未詳)で出発、スイスを経由、同日二十三時頃パリに到着した後上記案内員と別れ、ローマ、ロンドンなどを経由、一九七四年八月十日、航空便で羽田空港に到着」した、こういうことが書いてあるわけです。これは一カ所読んだだけなんですが、肝心なところは下旬とか上旬とかいう表現程度。それから、その金某だの李某なんと言ってみても、これは日本流に言うと佐藤某とか伊藤某とかいったような程度で、全然人物を特定するというようなことはできないと思う。自動車が黒塗りだとかベンツだとか、そういうことだけは大変詳細だし、あるいは年齢三十八歳ぐらいと言って、いかにももっともらしく聞こえるのだけれども、ほとんどこういうたぐいなんです。しかもこの膨大な起訴状がそのまま、検察官の書類がそのまま証拠書類になってしまう、証拠能力を付与される、まあ付与されるかどうか知らないけれども、とにかくそれだけで押し切られてしまうというのが実態なんですから、私はこういうのに対して全く、さっき大臣もちょっと感想を述べられたけれども、さっき定例閣僚会議ということを言われたが、そういう席等では、法務大臣等もぜひこういう問題に関心を持って、在日韓国人の人権を守る、そういう立場から適当な発言をしてもらいたいということを考えますが、いかがですか。
○瀬戸山国務大臣 起訴状の書き方等は捜査の関係で不明なところもある場合があると思いますが、それにとやかく私の方でコメントするわけにはいかないと思います。しかし、先ほど外務省からもお話がありましたし、われわれも触れておるわけでございますが、在日韓国人、しかも長く日本国内に生活しておられる人は、もとはいわゆる同じ国民であり、その後御承知のような事態になって韓国人の法的地位を定めて安住をしてもらう、こういうことをしておる間柄でありますから、そういう事件の扱いそのものについてとやかく言う立場にありませんけれども、できるだけやはりそういう人々の人権を尊重しながら、真実に従って処置をしてもらいたいということを折あるごとに申し上げたいと思います。
○西宮委員 ぜひそういう見解を韓国政府の方に伝えてもらって、韓国の善処を求めるということを法務大臣の立場でもやってもらいたいということを重ねてお願いしたいと思います。 いま大臣も言われたように、韓国の人たちがあるいは朝鮮の人が早くから日本に来て、日本の社会で生活しておる。しかもそれは、いまさら古い昔のことを言う必要もないかもしれませんけれども、食糧の足りなかった日本が、韓国から食糧を供給させる、そういうことのために韓国の農村が非常に荒廃してしまった。農村で飯が食えないので都会に出てくる、あるいはまたきわめて低賃金の労働者として日本に流れてくる、こういう人がその当時のほとんど全部のケースだったと思いますね。あるいはまた、中には日本の必要に応じて強制的に入国させられたというような人も、これまたかなりの人数になるのじゃないか。そういう人が日本に住みついて、しかも今日は日本の社会の中の一構成員としてりっぱに生活をしている。さっき申し上げた姜さんなども、江戸川の小岩でいま喫茶店を経営しておりますが、私も一遍行ってみましたけれども、非常に大きなお店で、喫茶店あるいは食堂、全くたくさんの市民がそこに出入りをしておる。本当に私も何か非常に楽しい思いがしたわけです。日本の市民社会の中に根づいておるということを見て、全く文字どおり日本の社会の有力な構成員だというようなことをしみじみ感じてきたのであります。したがって、この姜さんのいまの不幸な事態に対して、地元にキリスト教会がありまして、そこの牧師さんの江口武憲さんという方がこの姜さんを助ける会の会長ということで非常な御苦労をされておるわけです。私はこの方にも何遍も会っていろいろお話を伺いましたが、元来そういう政治などには比較的関心のない方であったようであります。しかし、今度の問題だけは全く黙って見ているわけにいかない、見逃すわけにいかない、こういうことで、この問題にはきわめて熱心に取り組んでおるということを見たり聞いたりしてまいりまして、正直のところ私ども頭が下がる思いがしたわけでございますけれども、そういうきわめて善意なあるいはきわめて良心的な日本の人たちが、何とかして救いたいというので努力をしておる。ところが、いま第二審でありますが、この第二審も近々中に結審になるのではないかと言われているわけです。いままでの例を見るならば、恐らくこれまた第一審どおりの死刑が二審でも言い渡されるのではないかというような不安があるわけです。 私は、もう時間が参りましたのでこの問題は切り上げたいと思いますけれども、最後に一つだけぜひ大臣にも御理解を願いたいと思うのは、大臣はよその国の問題だからわれわれの出る幕じゃない、日本政府のタッチする限りではない、こういう考えを基本にしておられるようですが、私は決してそれが理解できないわけではありません。しかし、事いやしくも人権に関しては、私は人権問題というのは人類普遍の原則だと思うのですよ。したがって、よその国で誤った政治等が行われているということになれば、これは他の国がこれを批判をしたり、あるいはまたこれに何らかの形で適切な指導をするということは許されるというか、許されるというよりもむしろそれはそういうことを気のついた国の責任であるというふうにさえ私は考えるわけです。大臣の言う、内政は干渉してはならないという問題は一般的にはそのとおりですよ。しかし、事いやしくも人権の問題に関しては決してそうではない。これは人類普遍の原則としていま申し上げたように当然に許され、かつそれをやるだけの責任があると私は考えるわけです。たとえば、南アフリカの人種差別の問題、ローデシアの問題あるいはまたポルトガルのアフリカ植民地に対する問題あるいはフランスのアルジェリアに対する政策もそうでしたが、こういう問題等については現に国連でもいろいろ議論を闘わせ、さらに決議をもって迫るということなども行われているわけなんです。これはいわゆる一国の内政には他国が干渉すべきではない、こういうことが絶対的なものであるとすれば、国連といえどもそういうことが許されるはずはないわけであります。さらに、アメリカのいわゆるカーター人権外交と言われますけれども、これなども、ことしの二月十八日でありますが、声明が出ております。その二月十八日というのは、その前の日にアメリカのカーター大統領の人権外交に対してソ連が文句を言ってきたわけであります。苦情を申し込んできたわけであります。そうしたら、直ちにその次の日にアメリカ政府は声明を発表している。次のように述べております。われわれは、人権問題に関するアメリカ政府の声明はソ連の内政に対する干渉とは考えていない、われわれの見解では、人権に関する事項は国境を越えた問題であり、この見解は世界人権宣言やヘルシンキ宣言など多くの国際文書によって裏づけられている、以下長いのでありますが、こういう声明を発表しておるわけです。私はそのことは当然だと思うのですね。ですから、一般的には内政には干渉しないということはそのまま容認いたしますけれども、事人権問題に関しては、私はもっと勇敢で積極的であってよろしい、ぜひそうでなければならぬと思います。 最後に大臣の見解を伺う前に、自民党の態度を御紹介いたします。これは先般いわゆる在日韓国人を救う運動をやっております団体から公開質問状を各党に出したわけであります。その際の自民党の回答でありまして、その一部です。在日韓国人政治犯を支援する全国会議の公開質問状に対する答え。ことしの二月七日であります。 在日韓国人として日本に長く居住している者があり、これらの人々については、わが国の社会といろいろな面で密接な関連を有しておるので、決して無関心ではありません。わが党としては、この事件がわが国に居住する韓国人社会に与える影響の大きいことを考えるとき、まことに残念であり、遺憾なことであります。今後も政府を督励し、韓国当局に逮捕されている日本人を初め在日韓国人の方々の釈放に努めてまいります。これが自民党から寄せられた回答なんですね。私はこの回答を正しいと思うのであります。大臣も自民党の一員でもありますし、政府を鞭撻してこのことを実行したいというふうに書いておるので、私はそういう点について、法務大臣もそういう立場でこれに大いに力をかしていただきたいということをお願いしたいと思います。大臣のお考えを伺って終わりにいたします。
○瀬戸山国務大臣 西宮さんがお話しされた、国際連合その他でいろいろ認めておりますように、人類普遍の原則と申しますか、そういうものについて発言することが当然である、これはもう世界の諸国が守るということは政治の基本であろうと思います。ただしかし、おっしゃるように個々の具体的な事件について、そういう外国の法制によってその国の国民についていろいろ裁判その他が行われておるときに、人権を侵害しているものであるかこちらで直ちに判断ができないわけでありますから、それを具体的な事件について、これはおかしいじゃないか、これは適当でないんじゃないかということを直ちに申し上げることは適当でないと私は考えるものであります。一般原則として、法治国家なら法治国家として法律に従ってやる、こういうふうなことは当然なことでございますから申し上げられますが、いま示されました具体的な事件について、内容をつまびらかにしておらない立場でそれを取り上げるということは差し控えさせていただきたいと思います。
○西宮委員 一言だけ。大臣、いわゆる具体的な個々のケースについて、細かい問題について意見を述べるというようなことが適当かどうかは大変疑問があります。大臣の言われるとおりだと思います。しかし、私はもう少し原則的な立場で、さっき外務省は、外務大臣はいわゆる人道主義的な立場で対処をしてほしいという申し入れをしたという話でありますが、少なくともそういう点については法務大臣も同じような立場で発言をしてもらいたいということを考えるのですが、いかがですか。
○瀬戸山国務大臣 そういう意味においては当然だと思います。
○上村委員長 午後一時三十分再開することとし、この際、暫時休憩いたします。 午後零時四十九分休憩 ————◇————— 午後一時三十八分開議
○上村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。沖本泰幸君。
○沖本委員 私は、きょうは、子殺しとか子捨てとか、コインロッカーに子供を捨てるとか、そういう子供の人権並びに産みたくないお母さんが産まざるを得ないという問題につきまして、いろいろな角度から問題提起をしてみたい、こう考えるわけでございます。 三年ほど前に、仙台の菊田医師が子供の問題で、お母さんの籍とは関係なしに子供を養い親の方に実子として渡すようなあっせんをしたということで社会的な問題になってき、いまもこの問題で訴訟が行われておるわけですけれども、そういう内容には触れないでやっていきたいと思うのです。 まず、この二十五日の新聞で、風疹の予防接種で思わぬ伏兵があるということで、三日はしかの予防接種が中学三年の女子を対象に義務づけられて各地で実施されている、ところが、現実に中学生の出産ケースがあるために、妊娠を知らずに接種をすると奇形児が生まれるなど、こういう弊害が出てくるわけで、その場合は事故や責任の有無が懸念されるから、独自に調べていったら中学生の妊娠ケースにぶつかったということです。たとえば、不純な異性交遊で補導されている中学生が全国で大体千二百人ぐらいに上っているということが出ているわけです。こういう中に実際に妊娠している生徒が出てきているということで、最近は中学生はもちろんのこと、小学生の五、六年になってくると、お母さんとしての条件が整うような肉体的な成長があるわけで、高校生はもちろんのこと、中学生の売春行為もいろいろ取りざたされることもあります。こういうケースから考えてみましても、好む好まないは別としまして、いわゆる結婚していない女性が妊娠するというケースがたくさん出てきて、その場合に、結果的にはそういうことに無知なために気がつかなかったり、あるいは恥ずかしくて言えないために気がついたときは産む寸前のような状態になっているという事件が多くあるわけで、表面に出るだけでも相当あるわけですから、潜在しているものは相当あるんじゃないかというふうに考えられるわけです。この点で考えられますのは、ともすれば産んだら困る、しかし産まなければならない事態に立ち至った、その場合、産んでもらえるかもらえないかという子供の人権と、それからどうしても子供を持ったら困るというお母さんの方の人権と二つが出てくるというケースになってくるわけなんです。 そこで、最近週刊誌やテレビ、マスコミでポルノの解禁とか世界的な風潮で性に対するいろいろな問題が取りざたされてきておりますし、あるいはモラルの低下、また親に当たる方のモラルの低下というものもいろいろありますし、またわれわれの生活様式も核家族化というような形態を次第にたどってきていることから起こってくるいろいろな社会環境の変化というものも考えられるわけです。この間参議院でも問題になりましたけれども、五つの自分の実子を自分の欲しいと思う女性がきらうということで、その子供を川へ投げて殺したという恐るべき事態も出てきているということなんで、いろいろな面から考えなければなりません。これはもう全体的な場で、いろいろなケースからそれぞれの衝に当たる方々すべて、国民全体が考えなければならぬ問題であると考えられます。先ほど申し上げました風疹の予防接種ですらも、すでに妊娠している中学の女子生徒ということが医師会の方で心配になってきて、直接あらわに本人に聞くわけにもいかないし、親の方にそれとなく言ってそういう問題を調べてみるとか、いろいろなケースをたどっているわけですけれども、こういう問題は大きな社会問題として、これから将来に向かっての問題として考えなければならないことだと考えられます。こういう生まれてくる子供をどうするかということについては児童相談所であるとか家庭裁判所で扱っていただいて、養子縁組みにしていったりいろいろなケースがあるのですけれども、われわれの中には昔の家族制度的なものも残っておりますし、昔からの習慣的な思想もいろいろ残っておるわけです。そういうものがやはりわれわれの中で渦を巻いておって、こういう問題を解決するための考え方というものが広く行き渡っていかないというところにもいろんなケースが出てきていると思うのです。 それで、とりあえずお伺いしてみたいのは、まず厚生省に妊娠中絶の件数でわかる分、それから中絶に関する最近の傾向で、最近どういうような問題が中絶に関しては起こってきておるか、そういう点についてお願いしたい。また家庭裁判所の方では、こういう中絶に関する問題とか、あるいはどうしても自分の子供としておけないので、どこか養子に出したい、こういうふうな相談とか、家庭裁判所に持ち込まれるこの種の内容のものが、どの程度どういう傾向でいま出てきておるか。あるいは児童相談所のいま果たしておる役割り、そういうものについてお答えいただきたいと思います。
○目黒説明員 人工妊娠中絶の件数と傾向についてお答えいたします。 人工妊娠中絶は、御承知のとおり優生保護法に基づきまして母性の生命、健康を保護するといったような見地から行われております。その件数は、昭和三十年に約百十七万件というのをピークにいたしまして年々減少の一途をたどっておりまして、昭和五十一年は約六十六万四千件となっているわけでございます。
○沖本委員 なぜ減少したかという理由については、お調べになったりわかっている点はないのですか。
○目黒説明員 御指摘の点については各界のいろいろな御意見もあるように伺っておりますけれども、これは、国民全体のこういう問題に対する理解とか知識の普及とか等々の事柄でかなり減ってきている原因になっておるのではなかろうかというふうに推測はされております。しかしながら、はっきりしたその原因ということについてはまだわかっておりません。ただ、そういう御意見があるということでございます。
○原田最高裁判所長官代理者 家庭裁判所で受け付けております養子縁組み許可の申し立ての件数から最初に申し上げたいと思います。 司法統計年報によりますと、昭和四十九年は七千四百八十三件でございます。続いて昭和五十年は六千七百七十二件、昭和五十一年度は六千三百三十三件となっております。この数字を見ます限りにおいて、毎年減少の傾向を見せておることがうかがわれます。この理由につきましては、いまだ推測の域は出ませんけれども、御承知のとおりに、最近の家族構成が非常に子供の数が少ない、昔のように五人、六人、あるいは十人近い子供を抱えている夫婦は非常に少なくなりまして、最近では実子はおおむね二人ぐらいというのが一般的ではなかろうかと思います。そういう実子の少なさから、たとえ親戚間であろうと他人間であろうと、容易によそへ養子には出せないというような風潮、気運があるのではなかろうか、そういうところから、養子縁組みの申し立て件数が漸減しておるのではなかろうか、このように推察するわけでざいます。 そこで、ただいまは申し立て件数を申し上げたのでございますが、それに対する認容件数を申し上げたいと存じます。昭和四十九年度におきましては六千八百二十九件で、既済総数の九〇・一%が認容になっております。続いて、昭和五十年度におきましては六千百三件で、同じく九〇・一%。昨昭和五十一年度におきましては五千六百五十二件で、八八・七%という数字が出ております。 さて、この中で沖本先生がお尋ねになりました非嫡出子の関係でございますが、これも昭和五十年度の司法統計によりますと、認容件数のうちで非嫡出子は約一千件、一七・八%を占めております。過去にさかのぼりますと、昭和四十九年度におきましては約千百件で、同じく一七・八%ぐらい。四十八年度は約千二百件ぐらいで一七%。このような数字が出ております。 以上でございます。
○沖本委員 法務省の人権擁護局の方では、この問題をどういうとらえ方をしていらっしゃるでしょうか、この中絶とか養子の問題とかですね。
○鬼塚政府委員 いろいろな原因があろうかと存じますが、やはり、かつては母親が自分の生命の危険を冒してまでも子供を産んだというようなことと比べまして、生まれ出てくる者に対する厳粛な思いとか、あるいは命への畏敬の念とか、そういうものが薄れてきているのも一つの原因ではないかというふうに考えております。
○沖本委員 原因だけでなくて、人権擁護局の方でこういう種類のものを扱った件数なり、傾向なり、そういう実態調査的なものをお持ちかどうかということなんですが、その点はいかがですか。
○鬼塚政府委員 お答えいたします。 統計の関係でございますと、従来統計の報告面でございますと、酷使虐待事件というようなことで、家族間におけるものとその他のものという、この二つの類型につきまして報告を求めておりますので、先生御指摘のような事柄に対します事件数ということはちょっと統計として把握しておらないわけでございますが、もし時間的な猶予が許されるならば、多少時間がかかるかと思いますが、そういう点も把握することに努めたいと考えております。
○沖本委員 私は、好まないことなんですけれども、ショッキングな数字が出てくるのではないかという悪い期待なんですけれども、そういうものを持っておったわけなんです。なぜかというと、私の直に聞いたお話の中でもいろいろあるわけですね。たとえば大阪で、中学生らしき子供が薄暗くなりかけた材林置き場で集まって何かしておるのをのぞいてみたら、一人の女の子を裸にして数人の中学生がいろいろなことをしておった、それでどなりつけたけれども、自分が向こうへ行ったらまた出てきたというようなこととか、最近のこの種の、いわゆるおもしろおかしく伝えるテレビのいろいろなルポとか何かの面から見ても、相当数のものが出てきているということが想像できるわけですけれども、ただ、これは表面に出てくる問題と表面に出てこない問題とが分かれているのではないかと考えられるわけです。 それで、厚生省の方に伺いますけれども、実際に自分の欲しくない子が生まれたということで児童相談所の方に相談に行く人たちは、年間どれぐらいあってどういうケースがあるのか、お教えいただきたいのですけれども……。
○下村説明員 児童相談所につきましてお答えいたします。 児童相談所は、御承知のように医師とか心理関係の専門家を置きまして、そういう相談があった場合に子供の状況についての専門的な判定をして、必要な施設に入れるというようなことをやっているわけでございますが、総体としての相談件数は大体年間三万件程度ございます。この数は大体三万一千から三万二千件、この五、六年ほとんど動いておりませんけれども、子供の養護と申しますか、養育上の問題についての相談件数が大体そんなところでございます。その中で捨て子の件数がここ三、四年大体三百四十件程度、五十一年度で申しますと三百四十三件でございまして、この数もほとんど動いておりません。 それから、これに多少関連するかというふうなことでついでに申し上げますと、家出とかいうふうなものが大体五千五百件、そのほかに子供の傷病というふうなものが六千五百件。傷病関係が大体全体の二〇%、家出が大体一八%、捨て子が総体の一・一%。そのほかに離婚が約三千七百件で約一二%、それから親の死亡とかそういうふうなものが約千件、それから家族の環境、これが大体一六%、あとはその他、こんなふうな数字になっております。
○沖本委員 さっき御紹介しました、風疹の予防接種で思わぬ伏兵があったということで、医師会が何とかいい手はないだろうかということで、結局、妊娠している中学生に風疹の予防接種をすると奇形児が生まれたりいろいろなことが起こってくるので、その責任はお医者さんが持たなければならないというようなことから、こういう面をいろいろ調べる方法はないかということで困っているわけですね。さっき言いましたように、不純な異性との交遊で補導された中学生は全国で三年だけで千二百人、こういうことなんですね。だから、この中で妊娠するしないということは別ですけれども、一カ所だけ数をとらえてみてもこういう数字が出てきているわけですね。補導された人ですから、それ以外ということになってくると大変なことになってくるんじゃないかとも思えるわけなんですね。ですから私は、変な期待であるけれども、実態がわかったら大変なこういう問題が出てくるんじゃないか、大きな社会問題になるんじゃないかというふうにとらえておったわけです。 そこで、日本は非常に中絶のしやすい国であるというふうに世界からもとらえられておるわけで、わざわざアメリカから日本に中絶に来るというふうなことも聞きましたし、そういうこともあるわけですけれども、その反面に、お父さんのいない子を産んだお母さんというのは社会から大変冷く扱われていくという問題が存在しておることも事実なんですね。そういうことで、私は主として菊田医師がいろいろ述べていたような問題を拾ってみたわけですけれども、その中のものをとらえてちょっと披露してみたいと思うのですけれども、その前に刑事局長さんにお伺いしたいのですが、幼児殺しとか中絶などの面で刑事事件に及んだようなものの件数をおつかみになっていらっしゃったら、お教えいただきたいのです。
○伊藤(榮)政府委員 中絶関係の犯罪というのはちょっと把握いたしておりません。私どもでわかりますのは嬰児殺し、これについては統計的に把握いたしております。ここ五年間を通覧いたしますと、検察庁で嬰児殺で受理をいたします人員が、ここ五年間すべて五十人台でございます。最も少なかった年が五十一人、多かった年が五十九人ということでございまして、このうちのほとんどと言っていいくらいの大多数が女性によって犯されております。 ちなみに、これらの五十数人という全国の検察庁で受理しました嬰児殺の被疑者の処分でございますが、大ざっぱに申し上げますと、四割が起訴、四割が不起訴、二割が未成年のため家庭裁判所等への送致というような割合でございます。
○沖本委員 菊田さんが述べている中で、菊田さんと特に関係があるという問題ではなしに、一般的な問題だけ拾ってみたわけなんですけれども、 産婦人科の医師は、日常の診療の中で、望まないで受胎し中絶の時期を逸してから中絶を希望して駈け込む婚外の女性に接することは珍しくない。これは母が医師に嬰児殺しを依頼していることを意味し、赤ちゃんの生命はきわめて危険な状況にある。しかし、もともと母は子どもを殺したいわけではなく、“望まない子”と“腐れ縁”を断ちたいと願っているに過ぎない。私がこの願いをかなえてやると約束すると、彼女はもう子どもの死を願わなくなった。なぜなら母にとってはもう子どもの生命を奪わなくとも、中絶したと同じ状態になることができるからである。これで一人の赤ちゃんの生命は確実に守られることになったわけだ。 ということで、それから三つの例を挙げております。 一つは、集団暴行で受胎した女高生。 滋賀県の高二の娘、一昨年の夏、クラブの帰途、高校生の集団に襲われ、暴行された。恥ずかしくて親にも言いそびれた。受胎を知ったのは胎動を感じた妊娠六カ月頃であった。ひとりで悶々とし、自殺を考えたが、怖くて果せなかつた。せっぱ詰まって、親に打明け、産婦人科医に駈け込み、中絶を頼んだが、もう九カ月で、駄目だといわれた。父親は、「それでは、産ませるのだけでも早くお願いしたい。産まれたら、先生に子殺しを頼むわけにはいかないから、横を向いていてもらえれば私の手で首を絞めて殺します」と頼んだ。医師はカンカンに怒り、そんな奴は即刻警察へつき出してやるというので、三拝九拝のお詫びをして帰ってきた。そろそろお腹が目立ってきたので高校を中退させ、京都の児童相談所へ相談に行ったが、里親なら相談に乗るが、養子のあっせんはしないと断られた。出産の時期が迫ったので、大阪へ身を隠し、こっそり産んだあとで、父親が殺すつもりでいたという。菊田医師の噂を聞き、娘はもちろん孫の生命も助けたいので、どうしても引き受けてくれ、と父と娘がこもごも泣きながら私の前に土下座した。私は引き受けることにした。この赤ちゃんは今、よい家庭で幸福に暮している。 この辺は別にいたしまして、大事なところなんですけれども。 姦通で受胎した農家の主婦。 悪質な選挙違反で、二年間服役して夫が帰宅した。二人の子持ちの農家の妻(三六歳)は、当時、妊娠四カ月になっていることに気付いていたが、四カ月は中絶できないものと思い、悩んでいた。近所の男と性関係を結び、彼が子種がないと言ったのを信じて避妊具も使わなかったという。産み月が近付いたので、家出をしてこっそり産み、始末しようと思っていた矢先、お腹が異常に大きいのを不審に思った夫に問い詰められて白状してしまった。 夫の言い分はこうである。もとはといえば、永い間家を留守にした自分にも責任がある。二人の子どももいるので、離婚は避けるが、この胎児はどうしても生きて産まれてきては迷惑である。隣近所の手前も恥ずかしくて土地に住めるものではない。この子どもが戸籍に記載され、夫婦の子としてつながったが最後、家庭の中には永久にいまわしい姦通の思い出が消え去ることはないであろう。かといって、子どもは親の姦通に関しては全く無関係であるから、殺すのもかわいそうだ。一家全部の者を助けると思って、この赤ちゃんをたのみたいと私を訪れた。 菊田医師のところに行ったわけですね。 三番目は、売春で受胎した中学生。 昭和五十一年二月一三日付の『毎日新聞』は「中学二年生の実娘に売春させていた母親が十二日朝、児童福祉法、売春防止法違反の疑いで博多署に逮捕された。この母親は住所不定、無職、盗み、詐欺、売春など、前歴十二回のA子(四八)。娘はA子の長女で福岡市内の中学二年生、B子さん(一四)……同署は今月九日、B子さんを保護、市内の施設に収容したが、すでに妊娠八カ月になっている」と報道した。この娘と胎児の運命はその後どうなっているだろうか。 中学生の娘は望んで赤ちゃんを産むわけではない。売春の結果、誰が父とも知れない子を産み、婚外子出産を戸籍に記載されれば、もうこの宿命の子どもは娘の人生に生涯つきまとう。この場合、A子とB子の本音は、赤ちゃんが死んで産まれてもらいたい、というところではないだろうか。B子が補導されずにこっそり産んでしまった場合、赤ちゃんは果して、子捨て、子殺しの憂き目に会わなかったであろうか。この赤ちゃんが殺害されなかったとしても、入籍されれば、母と子の縁は切れないから、中学生売春婦であったB子の子としての烙印は一生消えないだろう。 子どもを貰い受ける人々は少ないので、子どもは悪い環境の中で育つようになるかもしれない。しかし、法的に実母との断絶が認められれば、売春婦の子、婚外子の烙印は消え、政府の立派な子どもとして、選ばれた「もらい手」と縁組が可能となる。「親の因果が子に報い」の時代はそろそろ終わりにすべきではないか。 ということなんですね。 そこで、以上の共通点は、望まれぬ子であり、中絶の時期を逸した子、婚外子、子供の存在が母の生活を脅かしている、これらの哀れな子をどう救うかを考えてみなければならぬ、こういうことになってくるわけです。 養子制度にも触れておりますからついでに触れますけれども、いままでの問題で、 「親子関係は天与のものであるから、人為的に操作することには限界がある」として、子どもは「腹をいためた母」に縛っておくのが一番という血縁偏重の原則にしがみついている。その結果は、どうであるか。“望まれぬ子”を“望まぬ母”に縛りつけて事足れりとしていた日本の養子制度が今日の子捨て、子殺し、幼児虐待の世相をもたらしたといっても過言ではないであろう。 ちなみに、“望まれぬ子”を分類すると、 受胎時からの“望まれぬ子” 夫婦が受胎調節に失敗。 婚外受胎(遊び、売春、姦通、強姦など) 受胎以後に“望まれなくなった子” 男が女性を捨ててしまった。 他の女性と同棲、または結婚した。 男が死亡、大病、大怪我をした。 他の男性を愛するようになった。 男性に愛想がつき、別れることにした。 女性の健康上、経済上の理由で、産めない、育てられない、など。 であるということで、なぜ子供を殺すかという自己保護の本能のようなものもこの点では述べられておりますけれども、そこで、ともすれば、こういう問題をとらえていきますと、親の方の問題ばかりが問題になってくるのが常なのです。それでむしろ、菊田医師も言っておりますけれども、私がいろいろ伺ってみて、子供に何の罪もないわけです。また問題になるのは、その子供をいろいろな問題から殺さなければならない立場になるとか、そういうところへ追い込まれた母親の責任ばかりが追及されて、子供ができるということは片方に男がおるわけですから、男の方の責任が全然ないという点も言っていましたし、菊田さんのところに来た女性の人は、今度生まれるときには女になんか生まれない、絶対生まれたくないということを言っておった。そこで菊田さんは、結局女性が子宮を持っておるからこの悲劇を持っているのだ、こういうふうなことも言っておりますけれども、いまあらまし述べてみたわけですけれども、この面に対して児童相談所の方はどういう役割りを果たしていらっしゃるのか、その辺を伺いたいのです。
○下村説明員 児童相談所の方は、先ほども申し上げましたように、一応その子供の状況を見まして、お話のあれですと、大体赤ちゃんの場合が多いわけですから、乳児院に入れるかあるいは里親に出すというふうな措置をとる、こういうことになるのではないかと思います。
○沖本委員 ところが、先ほども読みましたとおり、たとえば滋賀県の高校の女学生が集団暴行されて、どうしても九カ月を超して産まざるを得ないような事態に立ち至った。児童相談所に行ったけれどもらちが明かなかった、こういうふうに言っているわけなのですね。結局、高校生であるとか中学生であるとかが、十分性に対する認識、あるいは生まれてきたらその子供はお母さんの籍に入るのだ、そういうような事情というもの、法律上の問題ということは全然知らない、わからないわけです。ただ、その行為だけがあって、結果が出てきているわけです。後に残ってくるのは、子供をおなかの中に持って、その事態がもう産まなければどうしようもないという事態になってきた。ところが、日本の制度というものは、いまはそういう状態で、責任を負う男がおれば別ですけれども、たとえおったとしても、その辺がいろいろなことでうまくいかないというようなことになると、子供をおなかに持ったお母さんと子供だけが問題になってくるわけです。そうした場合に、お母さんの方は子供が籍についたら将来困るわけです。未婚であるし、まだ中学生であるとか高校生であるとか、世間に知れたら自分の将来というものは全然お先真っ暗という事態になっていくわけですけれども、現在の制度というものは、そのお母さんが子供を産んだら、どうしてもお母さんの籍の中にお父さんのいない子として入れなければならないわけでしょう。その辺、どうなのですか。
○下村説明員 先ほどのお話を伺っておって私も思ったわけでございますけれども、現在のたてまえですと、やはり籍に入れる。私どもの方の立場から申しますと、やはり子供の健全な養育ということが一番前提になるわけですから、お母さんとの関係、あるいはおじいさんあるいはおばあさんというような方もおられるわけですから、その人たちの愛情に包まれて育つということがやはり一番好ましいということになるのだと思います。したがいまして、いまのわが国の制度のもとにおきましては、児童相談所としてはその戸籍の問題まで持ち込まれてもそれは処理しようがないということになって、結局相談に乗って、まあ同情はしたのだと思いますが、それ以上は手が出せないということになったのではないかと思います。
○沖本委員 私の考えだと、法律上お母さんの籍に入れなければならないという法律があるからどうしようもないということじゃないですか。あなたのおっしゃったのは、子供の将来に向かってその子が健全な家庭の中で十分に養育されていくような環境というのは、いわゆる未婚の女性のお父さんとかお母さんとか、おばあさんとかおじいさんとかがおるような環境の中で育てていくことが大事なんだということなんですけれども、そこで実子特例法とかそういう法律をつくってくれという要求があるわけです。いま法律をつくるつくらぬというようなことは、賛成論、反対論いろいろありますから、いまそのことには触れませんけれども、そこで菊田さんが言っているのはもっともだと思う節は、産みたくない母親に子供を縛りつけてしまうから、殺してしまうというのですね。どうしてもそうなるというわけです。だから産む娘がもうだめだし、お医者さんの手で殺してくれないなら自分の手で殺すということを言ったわけですね。今度それがどうしようもないときに、お父さんとお母さんが自分の孫に当たる者を自分の籍に入れてしまうようなことがあるわけですね。そういうふうにして引き取ってしまうというような実例があるわけですが、これもやはり正式ではないわけですね。そういうところに法律上のいま実態にそぐわない——いま社会の機構がどんどん変わってきて、そういうふうになってきているわけです。子供は自由に遊んでいるわけですからね。きっちりした昔のような形の家族制度の中でそういうふうな精神教育なんか受けて、それがいいか悪いかということは別問題にして、厳密にそういう点がやられているということではなしに、むしろすべてのものはそういう開放的な方向へどんどん進んでおるわけです。ですから自然に妊娠してしまうという事態はいっぱい起こってくる。だからさっき言ったとおり、風疹で、妊娠している中学生の問題が問題になって、こう出てきているわけです。これは風疹という角度からとらえた一端であるから、実際にそこをえぐってこの問題をずっと全体の所管で調べていけばいろいろな問題が出てくると思うのですけれども、その場合に言われているのは、児童相談所というのはそういうところでの役割りが十分果たし切れないということになるのではないですか。
○下村説明員 おっしゃるように、親がその養育の責任を十分に果たすことができない。その場合に福祉の側として親にかわって子供を育ててやるということは、福祉サービスとして通常やっているわけでございますが、児童相談所はその面については私ども十分仕事を果たしていると思うわけでございます。ただ、おっしゃるように、親との関係をもうそこで切ってしまいたい、こういう点については福祉サービスの力ではちょっと及ばない。それからヨーロッパ等でも未婚の母に対する福祉サービスのようなものもいろいろやっておりますけれども、その場合でも、通常やられておりますのは、やはりそこで目立たぬ形で子供を産ませてやって子供に十分の保護を加える。あるいはその若い親が働きに出るというふうな場合にいろいろ職業上の援助を与えるとか、保護を加えるとかいうふうな形のものが通例でございまして、そこから先の戸籍の問題ということになりますと、むしろ私どもよりか法務省の方の問題ということが主になるのではないかというふうに思っております。 一般的な風潮としてそういうことが認められていいというふうに動いてきているのではないかというふうなことでございますが、実は私どもの内部でもいろいろな意見はもちろんございます。それで、おっしゃるように、親との関係を断ち切った方がいい場合もあるんじゃないか、こういうふうな意見を持つ者も福祉関係者の中にもあるかもしれませんけれども、しかし一方において、やはり親が安易に養育の責任を放棄するということについて、それを助長するような形になるのはどうか。それからまた、子供の養育というのは非常に長期間を要する問題でございますから、長期間にわたってそういう安定した関係というものをそういうふうな形で処理するということが保障できるかどうか。それからまた、根底においてやはり事実をある程度偽った形で子供を育てるということが前提になるわけでございますから、そういうふうなことが子供に知れた場合に子供に与える影響はどうかというふうな意味で、厚生省として十分に、この問題について最終的な結論ということではありませんけれども、私どもとしてもなかなか簡単にいまの体系を崩してやる方がいいということはちょっと申し上げかねるのではないかというふうに思っております。
○沖本委員 許される法律の枠内で行政が行われているからその枠の中でお考えになるのであって、いま社会的に起こっている問題というのは法律の枠を離れたところに問題がずっと広がっていっているわけで、だからそこへ結論を出してお答えしてくれと言う方が無理であることはよくわかるわけですけれども、しかし、そういうところへ向かっていま事態がどんどん行っていることは事実なんですね。それはもう何人たりとも否めない事実だと思います。たとえて言うなら、テレビのドラマの中で、私幾つも見ておりますけれども、中学生みたいな女の子がお医者さんのところに飛び込んできて、おなかが大きくなったからすぐおろしてくださいと言って、お医者さんにどなられて表へ飛び出しているような場面なんか幾つもありますからね。だからそういう場面がぱっぱっと取り入れられていくということは、社会的にいろいろそういう問題があるという認識の上に立ってドラマが組まれているというふうに考えるべきだということになると思うのですね。それと同時に、いわゆる最近の児童の肉体的な成長は、精神的な成長よりももっと早くなっていることは事実でもあるわけですし、そうすると、結局妊娠するという条件は整ってくるわけですからね。だからその問題を十分現代のそういう状況に合わしてこれから考えていただかなければならない、こういうことになると私思うのです。ただ児童相談所だけ、厚生省だけ考えてくださいといって片づく問題ではありませんし、厚生省も文部省も法務省もあるいは総理府も全部考えていただかなければならぬ問題で、本来は全部一カ所に集まっていただいて、同じ問題をいろいろな角度から討議していただいて、具体的にそこを掘り下げてみていただいて、お互いに問題提起をしていただいて、それに合う法律なり制度なりをつくってもらわなければならない。でなければ、ショッキングなコインロッカーなり子殺し、子捨てということはおさまらないというふうに考えられるわけです。 そこで、また問題になりますのは養子の制度ということになるわけですけれども、この点で一番邪魔になるのは養子縁組みの場合の養子のあり方だということになりますが、本来、養子縁組み、養子というものについて基本的な考え方はどういうところから発しているのでしょうか。
○香川政府委員 民法の養子制度のあり方、いろいろ問題があろうかと思うのでありますが、沿革的には、旧民法時代は家の制度を中心にしてそちらに力点を置いた養子制度、その次が親の方に力点を置いた養子制度ということになってきておるわけでありますが、今日的には、むしろ力点を少し子供の福祉と申しますか、さようなところに置いて養子制度を考えるべきではなかろうかというふうなことで、現行民法の親族法の見直しをお願いしております法制審議会におきましても、養子制度について検討をお願いしたわけであります。 ただ、いろいろむずかしい問題がございまして、今日まだ結論は出ておりませんが、大方の考えとしては、やはり子供の福祉に力点を置いた養子制度を考究すべきであるというふうな方向にあろうかと思います。
○沖本委員 大体一般的に、米ぬか三合持ったら養子に行くなといって、昔から言いならわしがありまして、養子に対する社会の目というのは、養子に一つの差別をつけていまだに見ている面があるのですね。あるいは、あの子はもらい子であるとか、こういう社会の目があるわけです。そういうことで、あそこはかかあ天下やから養子やとか、どうしても、昔からそういう風習的というのですか、そういうものがずっと残っているわけですね。あそこは養子やけれどようできているなとかですね。いろいろなことで養子というものが一つの物の見方の違いというものを出しているわけですけれども、同時にやはり、養子というのは親と親とが話し合うて、子がないから親戚から跡取りをもらうとか、そういう事柄が養子的な発端であり、それが制度化されていき、法律化されていったように、自然にそうなってきて法律ができたように私は考えるわけですけれども、それと、いままでいろいろ申し上げてきたいわゆる子供がない、子供が欲しい、子供は持ちたくない、子供は要らない、しかし子供をこの世に出さなければならないというものを結びつける養子的な制度が生まれなければ、現代的なものにそぐわなくなってきている。 先ほど統計のお話がありまして、だんだん二人目の子供を持たないという社会的な傾向が強くなってきて、子だくさんということがなくなってきたからそういう問題が相当少なくなっているのじゃないかという面もあるでしょう。おっしゃっていたそういう面もあるでしょうけれども、今度はやはり、これも社会的な風潮であり、いろいろなモラルの変化というようなことで、セックスに対する考え方あるいは子供の肉体的な条件、いろいろな問題から、自分は好まないのに妊娠してしまったという事態も多く起こってきているということになるわけですから、ともすればその場合は気がついたときにはもうすでに遅くて、その子供も母体の方も命が危なくなる、中絶してしまうというところに問題があってくるわけで、だからその子供を制度的に拾い上げていって、そして欲しいという子供のいない夫婦のところへちゃんとお世話してあげられるようなことにしていかなければならないのじゃないかと思うのですけれども、子供を産めば戸籍上の縁がやはりつながっていって、産んだ方のお母さんの方は最後までそれで苦しんでいく。そういうものがあるから産めないという問題があるのですね。そこに殺人を犯さす一つの原因が存在するということになります。菊田氏も言っていますけれども、おなかの中で動き出した子供というのは、おなかの外へ出ても生きる力を持っているんだということになれば、それを無理やりに医者に中絶してくれということを頼めば嬰児殺しを要求しているのと同じであり、それを拒めば今度は親の方で同じことをしなければならないという事態が起こってくる。これは社会的に大きな罪悪につながっていくということになるわけで、大変矛盾した問題がいま社会問題として提起されていることだけは事実だと思うのです。 そうすると民事局長は、ここらの制度をもう一度法制審の方で検討してもらっているとおっしゃるわけですけれども、これはもう真剣にこういう問題を拾っていただいて、十分御検討いただかなければならないときが来ているんじゃないかと私は考えるわけですけれども、大臣、いままでのいきさつは大臣のような姿勢の正しいお方には聞きにくいお話かもわかりませんが、現実にあるわけなんで、それであえて出したわけなんです。
○瀬戸山国務大臣 先ほど来いろいろな実情あるいは実例等を引いて、現に起こっておる事態についていろいろお話がありました。これは非常にむずかしい問題と思いますが、沖本さんのお話を伺いながら、私もいろいろ考えながら聞いておりました。よけいなことかもしれませんが、私はこういうように考えるべきだと思っておるのです。結論は後で申し上げますけれども。 大体人間に限らず、人間も動物の一種だと思いますが、あらゆる動物それから植物を含めていわゆる生命体というものは、生命の永遠の存続を図るために生殖作用を行う。生命体の大小にかかわらずそれが行われておる。そこで、それはそのままでいいのですけれども、人間社会においては、万物の霊長という言葉がいまごろ適当かどうかわかりませんが、秩序ある社会をつくらなければならない。そういう観点から、生命体は、自分の生命を継ぐものを、さらに次あるいは次の将来の生命を健全に延ばすという意味で、それをはぐくみ育てる責任がある。一般の植物あるいは動物全部じゃありませんけれども、動物の中にはそういう感覚を持たない生命体もあると私は思いますが、人間の場合には、非常に違ったというか高度といいましょうか、万物の霊長と言われるような生命体なのでありますから、その生命がずっと持続していくためには、社会を構成するためには、やはり組織立った仕組みをしていかなければならない。そこで、自分のつくり出した生命は自分でそれをはぐくみ育てなければならない。これは昔はなかったわけです。他の動物にはないわけでございます。産めば産みっ放しで、子供も親もどこがどうなっているか全然わからないというのが一般の生命体でございますが、人間の場合にはそれを秩序あるものとしていかなければならぬということで、戸籍法を考えたり何かしておる。 そこで、生命体から出た、分裂した細胞といいましょうか、子供はここから出てきた子供である、こういうふうにして社会構成が明らかになり、そして組織的な社会をつくっていくような仕組みを考えたのが戸籍法だと思います。まだ世界各国全部調べているわけではありませんけれども、まだまだ戸籍法が整っておらない国々も相当あると思いますけれども、いずれにしてもそういうことになっておる。そういうのが正しい人類社会のいき方であると私は思いますが、先ほど来いろいろおっしゃるように、最近のわが国ばかりでないですけれども、そういう人間の生命のあり方、人間のあり方というものについていろいろ考えが乱れてきておる。おっしゃるように、性に対する観念が非常におかしくなってきたのは事実でございます。いいとか悪いとかという議論は別にして、先ほど来お話しのようなことになる。それが生まれてくる子供に対しても、先ほどお話がありましたが、子供には何も関係がない。生まれてくる新しい生命は何も関係がない。生物の本能として出てきておる。しかもそれは、過去の生命をもっと延ばそうというために出てきておる。これは罪も何もないわけです。罪の観念をここで言うのは適当でありませんけれども、そういうものだと思うのです。それも非常に不幸な状態になる、いまの決められた制度の中で考えますと。あるいは親の万でも、さっきいろいろお話がありましたように、不幸な、あるいは悲惨なといいますか、状態が出てきておるのが現実の社会であります。でありますから、いま決めてある諸般の法律制度には当てはまらない、人間の生命をとうとんで、その生命の発展を期する上から言うと、その仕組みの中にはまらない現象が現実に起こってきておる。そして、多く実例を言われましたけれども、悲しむべきといいますか、あるまじきことで、非常に悲惨なことが起こってきておる。これは社会の乱れにもなっておる。これは、性教育あるいは学校教育、家庭教育、社会教育、その他全部別に考えなければならない問題でありますが、それはそれとして進めなければならない。先ほど厚生省からお話がありましたように、そういう児童の保護といういろいろなシステムがあるわけでありますから、それによってもやはり尽くすべきは尽くさなければならない。しかしそれでもまだ解決ができない問題点があるということを沖本さんも指摘された。私もそう思います。でありますから、これは、生まれた子供をそのままだれの子ということをしないで、別な人の子として届けるということが、これは表に出ないけれども相当社会にあるんじゃないかと思うのです。それで結構幸せに済んでいる面もある。さればといって、現在行われておる民法や戸籍法のたてまえをそれで全部崩してしまうと、さっき申し上げましたような本来の姿というものが破れてしまうおそれもある。ここに困難があると思うのです。 先ほど法制審議会の話も出ましたが、こういう問題を検討した歴史があります。むずかしいもので結論をまだ得ておらない。長く申し上げませんが、いまおっしゃったように、いずれにしてもこれは現に起こっておる。数字にあらわれない方が多いんじゃないかと私は思う。中絶なんかでも、これはさっき統計を示されましたけれども、これは表に出た統計であって、表に出ないのが相当あるんじゃないか。これは想像でありますけれども、当然考えられることであります。でありますから、これは、現実の社会に起こっている事態、それが正しいとは思いません。教育その他あらゆる倫理、道徳から皆改めるべきは改めなければなりませんけれども、いま起こっておる現象に対しては、いまの制度ではどうにもならないんだ。なるほどかわいそうだ。犯罪が起こる、小さな生命が滅びていく、これを見逃すということは、それでいいんだということはちょっと私は言い切れないと思うのです。でありますから、いまもお話がありましたが、これにいつまで結論を出すという簡単なものではありませんけれども、こういう事態に対して、さればといって、これを奨励するような、何でもやりっ放しでちゃんとしてくれるんだというような風潮をまた誘発してもこれは大変な逆効果でありますから、そういうものを含めまして関係各省で検討する。これは役所ばかりではありません。あらゆる方面の知恵を出し合って、いまおっしゃった、何の罪もない生命をどうするか、それから、それをもとにして、悲惨な犯罪事件あるいは悲惨なことが起こる、これをできるだけ防ぎ得る方法、制度はどうあるべきか、こういう点を含めて検討すべき問題点だと思います。そういうふうに考えております。
○沖本委員 大臣のお話で尽きるわけなんですけれども、話に聞きますと、いまはっきりした数字を持っていないのですが、子供ができない御家庭、お父さんとお母さんということになりますから、二百四十万ずつで四百八十万人ぐらいいらっしゃる。だから二百四十万ぐらいの家庭が子なしだ、たしかそういうふうに伺ったと思うのですけれども、そのくらいあるのだ。だからいまは子供が欲しいという御家庭の方が非常に多いのだ。だから、そこで子供の将来を十分に保障できるような家庭を選んであげられれば、この世に出てきた子供の将来の保障は十分に満たされるのではないか、そういうふうな物事の考え方が大事ではないかということであり、おなかで胎動し出した子供は生存権があるだろうということになり、ハイジャックが問題になりまして、乗っている人の生命の安全が非常に叫ばれたわけですけれども、その人たちの安全も、これから世に出ようとする子供の安全なり人権なりもやはり同じウエートであると考える。また一般の幸せな家庭の中で誕生してくる子供も、条件こそいろいろ違いますけれども、この世に出てくる子供も同じ幸せを享受する権利はあるはずなんですから、それが同じような場面の中に展開していけるような社会をつくり上げていくことが一番大事なところではないか、こう考えるわけです。 それで、きょうは断片的に申し上げたわけでありまして、ただこういう問題があります。これは放置できない内容のものであって、早急に対策を立てていかなければならない問題であるということだけは御認識していただけたのじゃないか。それに対して、現在の法律なり制度というものは対応できない状態にあるのだということも大臣のお答えの中でも出てきておりますし、そういう点を十分御認識いただいて、早急に御検討をいただいて方法を、制度なり法律なりを御研究していただき、早くこれに対応できるようなことにしていただきたいわけです。私たちも今後この種の問題を勉強しながら、政府と一緒になって早く実現する方向でやっていきたいと考えます。 以上です。
○瀬戸山国務大臣 重ねて申し上げますが、非常にむずかしい問題でありますけれども、社会の現実を見ますと、私はやはり大きく検討に値する問題だと思います。でありますから、各方面の意見と知恵をかしていただきたいと思います。
○沖本委員 以上で終わります。
○上村委員長 正森成二君。
○正森委員 もう午後の遅い時間になりましたので、なるべく要点だけ質問させていただきます。 法務大臣は、先ほど横山委員からも御質問がありましたが、ハイジャック事件に関連して、血を流すようなことがあっても法秩序は維持しなければならぬという意味のことをおっしゃいました。そこで、そういう御決意でございますから、私は先日十七日の予算委員会でも、ましてや血を流さないで法秩序を維持し、国家の主権を守れることであるならば最大限の努力をすべきではないかということをお話し申し上げたと思いますが、質問を続けていく最初としてその点についての御決意を承りたいと思います。
○瀬戸山国務大臣 私が、時と場合によっては血を流す場合もやむを得ないこともあり得る、こう言いますと、これだけを申し上げるとかなり誤解を生ずるおそれがあります。それはいまお話しのとおり、ハイジャックが起こらないように、起こっても生命は守るという大前提のもとで、しかし森羅万象の中にはなかなかそういかぬ場合もあります。法治国家というものを守らないと、われわれ国民の、あるいは世界人類と言ってもいいと私は思いますけれども、その生命あるいは自由の侵害になるおそれがあるわけですから、考えると、その場合は決意をする事態もあり得る、そうでないと、本来法律制度がある趣旨を没却されるおそれがある、こういうことを申し上げておるのでありまして、いま正森さんがおっしゃったことが大前提になるわけであります。
○正森委員 そこで、金大中事件に関連して私は少し伺いたいと思いますが、金大中事件がわが国の捜査陣できわめてはっきりしているのは、金東雲の指紋が発見された、劉永福の車が犯行に供されたという二つでございますけれども、その後金炯旭氏から、金在権ら実行グループ六名、金在権を入れますと七名になりますが、発表をされたことがございました。それに関連して私も十七日に質問いたしましたが、二十日に参議院でわが党の橋本敦議員が、韓国の駐日大使館員の中にKCIAがおるのではないかということに関連して質問したことは御承知のとおりであります。 前との関連性を持たせますために多少重複して申し上げますが、たとえば韓国年鑑等の記録によりますと、金在鉉という人は中央情報部の駐日公使顧問をしておりましたが、その直後に、一九六五年に駐日代表部の公使になっております。それからイ・サンイクと読むのですが、ちょっとむずかし字ですね、韓国文字で李相翊、この方は六六年に駐日公使をやりまして、その後韓国に帰られてから中央情報部の企画管理室長になり、さらに中央情報部長特別補佐官になっておられる。それから金景沃という人がおりますが、この人は六三年に中央情報部の企画調整官をやり、その後中央情報学校長をおやりになった上で、六八年から駐日大使館の公使になっておられる。それから全在徳という方は、六三年に中央情報部の清州市の支部長、六五年中央情報部の支部長局長を経て、七四年五月に駐日公使になり、おやめになってすぐ七六年十二月に中央情報部の次長補をなさっておるというように、わが国に来ておられる韓国大使館員の中には、来られる前に中央情報部の部員であった、おやめになってからすぐ中部情報部の要職についておられるという方が多いわけですね。したがって、大使館員としておいでになっておったときにも中央情報部の部員を兼ねておられたのではないかという疑問を提出したわけです。その疑問に対して、中江アジア局長がお答えをなさったと思うのです。 論を進める意味からいいまして、その中江局長のお答えの趣旨を要約して外務省からお述べ願いたいと思います。
○遠藤説明員 正森先生、実は本件橋本委員の御質問に対しまして中江局長が答弁しまして、そのフォローアップということでございますから、本来中江局長が答弁すべきなんでございますけれども、いまどうしても都合がつきませんので、私がかわって答弁することにしていただきたいと思います。 いまの御指摘の橋本委員の御質問の件でございますけれども、この御質問の数カ年前にさかのぼるのでございますけれども、先生あるいは御記憶かと思いますけれども、金大中事件が終わりました直後の昭和四十八年八月二十八日の参議院法務委員会、それから続きまして、同じく参議院法務委員会で中江局長が、当時中江参事官が答弁したわけでございますが、在日大使館にはいろんな人が来ておると思います。かつては建設省の出身の方もおればあるいは文教部出身の方もおるかと思います。その中にはあるいは中央情報部出身の方もおるかと思われるのでございますが、しかしながら在日韓国大使館にいる限りは、これはそのときも御説明しましたように、法律的にも実際の職務上も全部韓国の外務省の職員としての地位を持っておるわけでございます。したがいまして、日本にいる限りはすべて外務部職員ということである、したがいまして、中央情報部員という資格で日本に駐在している者はいない、こういうことを答弁申し上げたわけでございます。 橋本委員からの十月二十日の参議院予算委員会での御質問、いま先生の御指摘のとおりでございまして、これに対しまして中江局長から「中央情報部の機関として活動したことがあるかどうかにつきましては、なお調べてみることといたしますが、金大中事件が起きました当時の私どもの懸命の調査の結果は、いま申し上げたようなことであったと、こういうことでございます。」ということで、いまの後段の部分というのは事件直後の政府の回答であったわけでございますが、しかしながら橋本委員の御質問でございますので、かつて中央情報部員、特に六人が東京に在勤している間にもなおKCIAの機関として活動したことがあるかどうかという点につきましては、いま照会しているところでございます。ちょっとまだ回答が来ておりませんので、来次第、この場あるいは先生直接に、中江局長あるいは私から御返事をさしていただきたいと思いますので、しばらく時間をおかしいただきたいと存じます。 ただし、先ほど申し上げましたように、事件直後の韓国側に対する照会の結果は以上のようなとおりでございますので、恐らくそういうことではあろうかと思いますけれども、念のために照会しておきます。
○正森委員 それでは、ここに韓国中央情報部法という法律の日本語に翻訳したのがありますから、ごらんになってください。 一九七三年に事件が起こりまして間もなくのときの照会を含めて、それを前提にして中江アジア局長がお答えになったわけですね。ところが、お答えと全然違うんです。韓国の答えによると、中央情報部の部員であった者あるいは部員が出向しておっても、日本にいる限りは中央情報部の指揮命令を受けない、大使の指揮命令を受ける、こういう趣旨でございますね。ところが、れっきとした中央情報部法、これは一九七三年に改正されておるのです。それを見ますと、まずこの中の第六条の2というのを見てください。「部長は情報部の業務を統轄し、所属職員を指揮・監督する。」となっていますね。これはあたりまえの話ですね。ところが、第九条を見てください。「部長は現役軍人または必要な公務員の派遣勤務を関係機関の長に要請することができる。」これは兼職を求めるわけですね、あるいは出向を求めるわけであります。したがって、あなたがおっしゃったように、建設省の職員が建設省の職員であると同時に中央情報部の部員である、あるいは中央情報部の部員が建設省へ行くというような場合あるいは中央情報部の部員が外務省へ行って公使になる、参事官になるという場合ですね。その第二項を見てください。「兼職職員の原所属機関の長は兼職職員の全ての身分上の権益と給与を保障しなければならず、兼職職員を転補発令しようとするときには事前に部長の同意を得なければならない。」つまり給料は外務省が当然負担しなければならない、建設省が当然負担しなければならないが、それをどこかに動かそうとするときには中央情報部の部長の同意を得なければならない、こうなっておりますね。三項に至っては「兼職職員は兼職期間中、原所属機関の長の指示または監督をうけない。」つまり外務省の監督を受けないで、第六条の二項の情報部長の指揮監督を受けるということを公然と決めているわけですね。いいですか。私は念のために韓国語の原文を当たって、韓国語のできる人にこの意味を確かめてもらったのです。間違いがない。この「原所属機関の長」というのは、外務省へ行っている場合には外務省、建設省へ行っている場合には建設省の指揮監督を受けない、依然として中央情報部長の指揮監督を受ける。法律の解釈としてはそれ以外に解釈のしようがないといっているわけであります。 そうすると、あなた方が言っていることは、これは何に反するといったって韓国の中央情報部法に反するじゃありませんか。韓国の中央情報部法が、外務省へ行ったって外務省の指揮監督を受けないのだ、中央情報部長の指揮監督を受けるのだ、こう言っているわけですから、そうすると、あなた方のいままでの答弁というのは全面的に変えなければならないということになるんではないですか。
○遠藤説明員 実は、韓国中央情報部、これの有権的解釈を私、少なくとも日本がすることはできないと思うのでございますが、したがいまして、いまの有権的解釈ということをちょっと忘れまして、あるいはこういうことも可能ではないかという、つまり兼職職員というのは、いま先生まさしくも御指摘なさいましたように、国内での異動ということを念頭に置いているのじゃないかというふうに私は思うわけでございます。したがいまして、海外職員になった場合のことを言っているのかどうか。この点、先ほど申し上げたように私は有権的な解釈はできないものでございますから、何ともいまのところ断定的なことは言えないのでございますけれども、これは国内のことを言っているんじゃないか。つまりここの大使館なりあるいはどこの大使館に行った場合のことを言っているのかどうか。この点については、私ちょっと自分自身もいまのところ何と解釈していいのかわからないわけでございまして、この点の有権的解釈というのは私どもじゃございませんので、これにつきまして調査照会することにいたしたいと思います。
○正森委員 それは他国の法律を日本の外務省が有権的に解釈することはできないでしょうけれども、しかし有権的に解釈できるできないは別にいたしまして、アメリカの法律であっても、われわれが法律家として読めば普通こう解釈できるという解釈はあるわけですね。この解釈を見ますと、どうしたっていままでの外務省のおっしゃることには不利であって、逆に、どこにおろうとその省の指示は受けないで、依然として中央情報部長の指揮監督を受けるのだというように書いてあるということは、もう文章から歴然としているのですね。しかも、外務省の所属職員を除く、外交官を除くというようなことは全然書いてないのですね。ですから、法律の解釈としましても外務省だけが例外であるというようには解せられないわけであります。逆に「兼職職員の定員は関係機関の長と協議して大統領の承認をうけて部長が定める。」こうなっております。一方的に、外務省とはかかわりなく、大統領とさえ相談すれば部長が定められるようになっているのですね。そして、あなたも御記憶におありでしょうけれども、アメリカでフレーザー委員会やフリント委員会やいろいろなところが調べております。また最近は、フリント委員会で金相根氏が証言をされましたけれども、あの人は自分自身がKCIAだった人物であります。その人物が、アメリカにおる間も外交官ではあったが同時にKCIAの職員であったという意味の証言をしておりますね。ですから外務省の職員が例外ではないということは、アメリカにおける宣誓をした証言の上からも明らかであろうというようにわれわれは思っておるわけです。 そうすると、日本大使館に就職した職員だけを除くというようなそんな奇妙きてれつな法律はないわけでありますから、私は常識的に考えると、外務省の職員も例外ではなく、外務省に就職している場合にも依然としてKCIA部長が最終的な指揮命令権を持っておる、こう解釈せざるを得ないと思うのですね。私は、いままでの外務省の答弁の中にあるいは十月二十日の橋本議員に対する答弁の中にも、この法律にお触れになって、なおかつ法律にはこう書いてございますがわれわれの照会ではこうでございますと言うならまだしも外務省は少し勉強したかなと思いますけれども、この法律のあることすら恐らく私が指摘するまでは御存じなかったか、あるいは御存じであってもほおかぶりをされておったということであれば、それは金大中事件がここ数年きわめて国民の関心を呼んでおり、KCIAの部員であったかどうかということも重大な争点の一つになっておるのにもかかわらず、国民に対して外務省の態度は非常にあいまいな態度であり、あるいはもっとはっきり言えば誠実さを欠くきらいがあったというように思わざるを得ないのですね。ただ、ここで直接の答弁者は中江アジア局長ですし、外務大臣が責任を負うべきところを法務委員会ですから遠藤課長が人身御供のように出てきておられるわけでありますから、その遠藤課長をきりきり追及してみるのも大人げないことですから、私の指摘した問題点を外務省なり局に帰って検討した上、改めて委員会なり私に報告していただきたい、こう思います。よろしいですか。
○遠藤説明員 先生御指摘の点は検討いたすことにいたしますが、一言申し上げたいのは、私どもが調査しました限りでは、韓国の在外公館員はいわゆる三つのカテゴリーに分かれておりまして、いわゆる在外公館職制に基づく者、公務員海外駐在令に基づく者、それから武官海外駐在令に基づいて派遣される者、三つのカテゴリーがあるそうでございますが、そのうちの最初の在外公館職制に基づいて派遣される者の中には、たとえば元教員であった者とかあるいは元中央情報部員であった者も含まれておるが、そのような者でも、このカテゴリーに入った以上は法律的にも実際の職務上も外務部職員としての地位を有する者であり、当初より外務部職員であった者と区別しないことになっているという回答を得ておるわけでございます。これ一点最後につけ加えさせていただきたいと思います。
○正森委員 遠藤課長が懸命に防戦されるのは非常に結構ですし、その労は多としますけれども、しかし韓国の法律の中にそれに真っ向から反するもの、外務省は除くと書いておらないで、原所属機関の長は指揮命令権がなくて中央情報部長に指揮命令権があるんだということを法律で決めておるわけです。ですから日本政府に対する単なる回答よりは、韓国はどういう国か知りませんけれども、法律の方が優先するであろうという疑問を持つのは当然だと思うのです。ですからこの点についてはやはりしっかりと調べていただいて、先入観を持たずに回答をしていただきたい、こういうように思います。 次に、私は別の問題について質問をさせていただきたいと思います。 鬼頭裁判官が三木総理大臣にああいう謀略電話をかける、あるいはまた網走の刑務所に参りまして、わが党の宮本委員長の身分帳という通常の手段では見ることのできないものを、裁判官の職務上の必要であるというように相手が誤認するような言動を行って、職権を乱用してこれを閲覧しあるいは写真に撮り、あるいは手書きで送付させこれを外部に流したということについては疑いのないところであります。 そこで、この事件は準起訴手続になりまして、最初は東京地裁の裁判所は起訴不相当ということにしたわけですが、抗告をしました結果、東京高裁がこれは審判に付すべきであるということで、私の承知しておりますところでは、十一月十四日午後一時三十分から東京地方裁判所の第八刑事部で初公判が開かれるということになっておるようであります。その公判が開かれるということについては誤りございませんか。
○岡垣最高裁判所長官代理者 ただいまおっしゃいました鬼頭元判事補を被告とする審判請求事件、これの第一回公判が東京地方裁判所の刑事第八部でことしの十一月十四日ということになっております。その点間違いございません。
○正森委員 そこで、この公訴を維持する検察官の職務を行う者、これは刑事局長を相手に私はくどくど申しませんけれども、法律で定まっておりますように、検察官ではなしに弁護士が指定されて職務を行うということになっているはずであります。この件については森本脩氏が指定された検察官の職を行う者になっておるというように聞いているわけですが、この森本氏が指定されるに至った経緯、いきさつ、どこで決まって、どういう手続で、どういうようにしてこれが発令されたのかどうか、お答え願いたいと思います。
○岡垣最高裁判所長官代理者 付審判の決定のありました事件につきましては、これは指定弁護士と申しますか、検察官の職務を行う弁護士としては、これは受訴裁判所が裁判で決める、決定で決めるということになっておりますので、森本弁護士さんが指名されたのも、第八部の指名するという決定によりましてその決定書を送達するという形で行われております。
○正森委員 私が調査したところによりますと、審判に付されました事件というのはいままで今回の事件を入れてほぼ十件ぐらいあるようであります。私が承知しておりますところでは、東京地裁の件を除きまして、仙台地方裁判所の昭和四十三年六月十七日に付審判決定のあった事件、水戸地方裁判所の五十年四月二十八日に付審判決定のあった事件、大阪地方裁判所の五十年六月三十日に付審判決定のあった事件につきましては、いずれも裁判所が該当する弁護士会にどの弁護士に検察官の職務を行わせればいいかということで推薦を求めて決定をした。それ以外については調査した結果不明であるというようになっていると思うのです。今回は東弁三会の御意見をお聞きになりましたかどうか、お答え願いたいと思います。
○岡垣最高裁判所長官代理者 意見は問うてないというふうに聞いております。
○正森委員 それは非常におかしいのではないですか。弁護士会に聞くというのが、現在から見て接着した三つの事件についてはいずれもとられておるのです。それ以外の件については不明であるということですから聞かれた可能性もある。ところが今回はお聞きにならない、こういうことになっているのですね。 私は改めて裁判所の姿勢を問いたいのですけれども、この事件の被告人は普通の人間ではありませんよ。つい先ほどまであなた方の裁判所の裁判官として勤務しておった人間です。その裁判官が裁かれるという事件なんですね。そしてその経緯に至っては、捜査をした結果検察官が自主的に起訴相当であるといって起訴したのじゃないのです。法務大臣や伊藤刑事局長を前に置いて非常に言いにくいことですけれども、検察官が裁判官をかばおうとかあるいは不公正な決定をしたとは決して思いませんけれども、少なくとも検察官は起訴したくなかった、起訴しないでもいいと思っておった。ところが、国民の代表がこういうけしからぬ裁判官は起訴すべきではないか、こう言って徒手空拳の国民とその代理人が一生懸命奮闘したけれども、なおかつ東京地方裁判所は起訴しないと決めた。それにも屈しないで東京高裁に抗告したからこそ、やっと起訴すべきである、審判に付すべきであるという決定がされた事件です。したがって、ある意味では、被告人は鬼頭元裁判官ですけれども、裁判所がわれわれから見て国民の要望になかなか答えようとしなかった。検察官は当然のことであります。国民の期待にこたえておらない。そこで、弁護士が法律の規定に基づいて検察官の職務を行うわけでありますから、当該裁判をする裁判長がどういう基準で選んだかわからないうちにある弁護士に頼むというのではなしに、公平に弁護士会から適当な人間を複数推薦を仰いで、その中から適当な人を決めるとかそういうようにするのが、国民の目から見て公正さを担保する何よりの方法ではありませんか。なぜ国民の知らない間に当該裁判をする裁判長が弁護人を指定するというようなことをやったのです。
○岡垣最高裁判所長官代理者 最初にお断り申し上げたいのですけれども、この事件、いま問題になっておる事件は、現に係属中のことは御承知のとおりでありますし、それに付随するものとして受訴裁判所がいろいろ考えてなされたことの当否については私どもここで申し上げることは差し控えた方がいいと思います。 ただ、抽象的、一般的に申し上げますならば、大体付審判請求事件における指定弁護士をどなたに指名するかということは、これは受訴裁判所に法律上任されていることでございます。したがって、受訴裁判所がいろいろな事情を考えて、これは弁護士会に聞いた方がいいと思えば聞いてもよろしいし、それから裁判所の方でいろいろと合議された結果、これがいいというふうにお考えになればそれはいいことであって、そのことは何も私どもの考えからすれば、その事件に対しての心構えがどうかとかなんとかということには直接のかかわりはないことであるというふうに考えております。
○正森委員 私はそういうことをぬけぬけと答弁するところが全く反省がないと言わなければなりません。これは裁判に付する決定だと言って、いかにも裁判内容に関与するなということをにおわしたようなことをおっしゃいましたけれども、これは有罪にするとか無罪にするとかいうようなそういう裁判ではありませんよ。訴訟構造を決める、裁判所は裁判所で上から見ているわけでしょう。検察官は一生懸命有罪であるということを言う、弁護人は有罪でないということで闘う、それを裁判所が公平にジャッジする、その当事者の一方を決める行為じゃないですか。それじゃなぜ、大阪地方裁判所の事件、水戸地方裁判所の事件、仙台地方裁判所の事件は弁護士会に委嘱したのです。あなたはそれも、そうするのも自由だし、自分が胸先三寸で決めるのも自由だし、裁判だ、関与することではない、こういうように聞こえる答弁をしましたけれども、それが国民の目から見て妥当であるかどうか。ある意味では司法行政の一環ですよ。 考えてごらんなさい。どの検察官がこの事件を担当するかどうかというようなことは裁判官の関与すべきことではないでしょう、検察庁が決めることです。ある意味では検察行政の一種ですよ。それが検察官が起訴しないから準起訴手続、付審判請求ということになって、弁護士がやるのです。あなた方は公判検事を、どの検事を公判に立ち合わしてくれと言って命令しますか、そんなことしないでしょう。どんな気に入らない検事でも、どんなに手ごわい検事でも、検察庁が決めてくればそれを検察官として遇しなければならないでしょう。検察が起訴しないのがまさにけしからぬと言われている事件、被告は刑法百九十三条ないし百九十六条、こういうようなものについて国民の権利を侵害したという公務員です。今回の場合は鬼頭という元裁判官だ。そういう者について起訴する、公訴を維持する人間について裁判所が公正さを国民の目からも担保する、外形的にも担保するというのであれば、弁護士会から適当な国民の権利を守れる人を何人か推薦してもらって、その中から決めるという慎重さを持つのがあたりまえじゃないですか。それを思わないで、弁護士会に推薦を依頼しようと自分が胸先三寸で決めようとそんなもの自由だ、そんな態度がありますか。たとえそれが自由であっても、李下に冠を正さずということで、公正さを担保するようにするのがあたりまえじゃないですか。また、大阪の事件では指定弁護士は二名になっております。仙台の事件でも指定弁護士は二名になっておる。大阪の場合は、大阪の当該裁判所が弁護士会に照会をして、どういう人物が検察官の事務を取り扱う弁護士になったか、あなたは知っていますか。
○岡垣最高裁判所長官代理者 私は大阪の場合、どなたがなられたかという具体的なことは存じませんが、和島さん、的場さんというお名前は聞いて知っております。
○正森委員 私は大阪の弁護士会出身ですからお二人ともよく存じております。和島岩吉さんというのは大阪の弁護士会長をお務めになり、日本弁護士連合会の会長を務められた方ですよ。日弁連の人権擁護委員長を長らくお務めになった方ですよ。和島岩吉さんより上の弁護士というのは日本でもそう幾らもないのです。上というのは、私は能力と言っているのじゃなしに、経歴という意味で言っているのです。どんな弁護人が弁護側につこうとも、被告人側につこうとも、堂々と対抗していける、そういう人物と、的場さんというのは私よりも少し下の人ですけれども、非常に有能な中堅クラスの実務もできる人です。そういう人を配置している。ところがどうです。この鬼頭裁判官の事件については、単に殴った、けったという事件じゃないでしょう。世間を騒がして、背後関係はどうか、動機はどうか、目的はどうか、資料はどこに流しただろうか、そういうことを全部調べなければならない事件です。どうして一人の弁護士しか指定しなかったのです。検察官の場合は、複雑な事件、ロッキード事件なんか一人でやっていますか。やっていないでしょう。公判に立ち会う検事は何人もいるでしょう。おまけにその検事は、公判に出る検事だけでなしに、公判副部長のところへでも部長のところへでも、次席検事のところへでも検事正のところへでも相談に行けるのです。ところが、本件において指定された一人の弁護士は、本当に相談しようと思えば、それは秘密を漏洩することになるのです。全部自分一人でやらなければならない。なぜ一人しか指定しなかったのです。なぜ、これほど重大な事件について十分に補充捜査も行い、また、あの鬼頭の言動から見て公判廷で丁々発止とやらなければならぬ事件に、だれにも相談することができないような状況、そういう状況で公訴を維持し、そして有罪をかち取らなければならないというような状況に追いやったのです。
○岡垣最高裁判所長官代理者 私どもの立場は先ほど申し上げましたとおりでございまして、何名の弁護士さんを、どなたを決めるか、これは受訴裁判所がお考えになって決められることである、それ以上のことは私どもとしてはお答えすることはできないと思います。
○正森委員 いまのような答弁であります。しかしあなたは、当該裁判所の決定で決めることだから関与できない、それで国民が納得すると思っているでしょうけれども、国民はだれも納得しませんよ。そういう秘密主義の、弁護士会の意向も全く聞かないやり方は、裁判所は何だかんだ言っても、鬼頭裁判官の問題について、元同僚だったから徹底的に追及しようという気がないんだな、幾ら裁判官が裁判所の決定だなんて言っても、国民は全部そう思いますよ。あたりまえの話です。私が疑惑を言っているのではないのです。新聞もこういう期待を持っているのですよ。その新聞のうちの一部を読みましょうか。これは一九七七年七月二十八日の読売新聞の社説であります。「鬼頭の強制的起訴が持つ意味」という題です。「強制的起訴」と書いているのです。検察官が起訴してくれなかったのを無理やり国民の力で起訴させたということを含んで書いているのです。「われわれが、つねづね求めていた鬼頭事件の背景と全容の解明に、この審判が大きな役割を果たすことを、強く期待する。」そして「もともと、鬼頭事件は、鬼頭個人の奇異な行動だけが、すべてではない。鬼頭をそそのかし、支え、利用した人脈や組織が背後にあることは否定できない。事件をわい小化し、個人的犯行に封じ込めてはならないはずであった。かつて鬼頭自身が告白していたように、政界や捜査当局に関係者がいるとすれば、なおのこと、事件の全容の解明を怠ってはならない。網走事件の裁判には、そうした観点から、国民も重大な関心を寄せるであろう。決して審理の内容を、狭く限定してはならない。鬼頭の行為の目的と、背後関係と、そして、同一資料が各方面に流れた疑惑や経緯を、とことんまで追及すべきである。」こう言っているのですね。まだほかにいろいろ書いてありますが、時間の関係で読みませんけれども、これが一新聞社にあらわれた国民の声であります。この国民の声に対して、少しでも裁判所が謙虚であるならば、検察官の職務を行う指定弁護士を一人などということではなしに、少なくとも二人や三人にするのがあたりまえではないですか。私は刑事局長に伺いたいと思います。ロッキード事件で、いま公判に何人の検事が立ち会っておりますか。そして、公判検事には捜査検事も一緒に立ち会っておりますか。
○伊藤(榮)政府委員 現在ロッキード事件の公判は、グループによって多少がありますが、きょう現在の構成では、一番多いところは六人、一番少ないところが四人だと思います。
○正森委員 それで捜査検事は立ち会っておりますか。
○伊藤(榮)政府委員 捜査検事も、現在立ち会っておる検察官のほとんどが捜査検事でございます。
○正森委員 お聞きのとおりであります。ですから、日本弁護士連合会でも、準起訴手続で審判に付された件につきましては、検察官の職務を行う弁護士は、むしろ準起訴手続で告発代理人になったその当該弁護士が担当するのが望ましい、それが証拠に、複雑な事件については、検察官は公判部の検事というのがわざわざおるのに、それにつけ加えて、あるいは場合によってはそれにかえて、捜査を十分に行って事件を知り尽くした検察官がわざわざ公判検事としてやっているということを指摘しているわけであります。そういう意味から言えば、複数の、できれば三人の弁護士を指定弁護士にして、一人は年輩の検事正あるいは公判部長のように全体を見得る人、そして残る二人のうち一人は、告発にも参加して初めからよく知っている人、そしてもう一人は、公判を中心に維持していく人、こういう三名の構成で行われるならば、十分に相談もできるし、事件の内容も知っているし、国民の期待にこたえ得ることは明らかであります。私は、そういうような態度をとろうとする気さえ、大阪地方裁判所やその他の裁判所に比べて——大阪地方裁判所はそういう決定を行ったのに、東京地方裁判所は行わず、しかもそれについて最高裁の刑事局長が信として、裁判所の決定だからどうのこうの、こういうことだけで反省の色を見せないということを、私は国民のために非常に残念に思います。あなたがお答えにならないというのならよろしい。しかし、私が発言したことは速記録に残るし、国民もいつかは、国民の声としてこういうことを国会で論議をされたということを知ってくれるときがあるでしょう。 それでは、あなたがどうしても答えなければならないことを聞きましょうか。検察官の職務を行う弁護士の報酬は幾らになっていますか。
○岡垣最高裁判所長官代理者 これは四十五年の、検察官の職務を行う弁護士に給すべき手当の額を定める政令、これで「審級ごとに、三万円以上十二万円以下」というのが現在の規定でございます。
○正森委員 お聞きいただきたいと思います。三万円以上十二万円というのは一カ月にもらう分じゃないでしょう。事件全体についてもらう分でしょう。私が調べたのでは、審級ごとに、二年も三年も四年もかかっている事件がありますね。三年かかっても四年かかっても三万円以上十二万円以下で、びた一文ふえないのですね。
○岡垣最高裁判所長官代理者 政令に書いてあるとおりに「審級ごとに、三万円以上十二万円以下」となっておりますから、その審級がどれだけかかってもそれは関係ないわけでございます。
○正森委員 いまどきの世の中に、それで本当に職務に精励してやれるでしょうか。私は担当した何人かの弁護士に聞いてみました。そんなことは考えずに、国民のために弁護士としてやらなければならないと思っているから、持ち出しであろう局であろうとやっている——弁護士の善意に支えられているのです。こういう財政的な面からして、準起訴手続や付審判事件が、本当に国民の期待にこたえられないようになっているじゃないですか。昭和二十四年に決めたときには、一体報酬は幾らと定められていましたか。
○岡垣最高裁判所長官代理者 二十四年のときには一万円以下でございます。
○正森委員 昭和二十四年には一万円以下でございますから、そこまでは出せたわけであります。その当時に、最高裁判所長官やあるいは東京高等裁判所長官の給与は幾らでしたか。——時間がございませんから私から申し上げますと、最高裁判所の長官は四万円であります。いまから見れば隔世の感であります。三権分立の一番偉い人が四万円です。東京高等裁判所長官は三万四百円であります。その時代の一万円なんですよ。いまは最高裁判所長官は、国会に給与改定を求めている報酬月額は幾らですか。
○岡垣最高裁判所長官代理者 百五十五万円ということになっております。 ちょっといまの問題について一言釈明を申し上げたいと思っておりますけれども、いま生きている四十五年にできたこの規定は、確かに三万円以上十二万円以下でありまして、いまその指定弁護士さんの職務が終わったとすれば、いまこれを払うことになります。そういう面では、おっしゃるとおりに額は低いという感じはだれも持つと思います。ところが、御承知のとおりに、付審判請求事件は非常に少のうございまして、二十四年からいままでに十件ということでございまして、その事件の審理が終わったときにお支払いする、その審級が終わったときにお支払いするということでございます。実はいままでの改正の経過を見てみますと、これは終わりそうだというと、その終わるときの適当な額に変える、こういうことをしてまいったようであります。したがって、この検察官の職務を行う弁護士に給すべき手当の額を定める政令の附則には、たとえば「この政令の施行の日以後に審級が終了した事件の当該審級に関する手当について適用する。」ということになっております。つまり、ここで政令が施行された、ところがその前からずっと支払われておる、途中でこちらに入ったという場合には、前の方も全部新しいのにするというたてまえになっております。実はいま付審判請求事件でかかっておりますのは、東京のは別といたしまして、大阪、それから二件進行中のものがございます。これは大体来年の春以降にそろそろ終結に向かうのではないかというふうに考えておるわけでございまして、それまでには関係の各省庁と御相談しなければならぬというふうに考えております。 以上、釈明いたします。
○正森委員 いまお話がありましたように、最高裁判所長官が四万円だったときに一万円だった。百五十五万円になっておりますから、理屈から言えば三十五倍ぐらいになっているわけですね。だから、大体三十万円から四十万円が最高の限度額、下は幾らになるかわかりませんけれども、そういうことになっても当然いいはずであります。私は、あなた方の報酬の改定について賀集調査部長から資料をもらいましたから調べてみましたけれども、大体私の観点は合うているようですね。四十三、四年ごろの裁判官のあるランクの報酬が十二万円クラスのところがある、それが今度の改定で幾らになっているかと見てみると、ほぼ三十五万円ぐらいになっていますね。三倍になっている。ですから、あなた方はいよいよ終わりそうになったら変えるのだということを言うておられますけれども、しかし七年間もほっておくということは、御自分の報酬だけは一生懸命お変えになって、用事があると言っても、御説明に参ります。御説明に参りますと言うのに、付審判請求の弁護士の件については七年もほったらかしておいて、そろそろ事件が終わりそうになったら考えるつもりでございますから手落ちはございませんというような答弁だと受け取れるのですね。これは最高裁判所あるいは裁判所としては余りでかした答弁の仕方ではないし、心がけではない。そういうような答弁をぬけぬけされると、一生懸命御説明に参ります。御説明に参りますと言う当該——名前は挙げませんけれども、調査部長なんかは実にいい方で、私はその説明を聞くと、いやあこれは賛成しなければいかぬな、こう思うけれども、いまの最高裁判所の刑事局長のような答弁を聞いていると、いやいやこれは余り上げなくてもいいのじゃないか、いよいよ困って食えないと言うてきてから上げてもいいのじゃないかという気持ちにならざるを得ないのですね。だから、今度の鬼頭元裁判官の事件についての指定弁護士の決め方やその人数等々についてのあり方についても、私たちは、よほど反省してもらわなければいけない点があるのじゃないかというように思うのですね。繰り返して言いますが、これは純然たる司法内部の判決についての決定やら裁判ではないです。広い意味の司法行政に関係することです。 法務大臣、私は法務大臣にもお伺いしたいと思いますけれども、いま私はこの政令についても申し上げたのですけれども、管轄の点やいろいろあると思いますけれども、お聞きになっておりまして、一般的に、鬼頭元裁判官の事件の持つ重大な意味に絡んで、もう少し法改正を必要とする点なら必要とする点、あるいは政令を変えるべき点があるとすれば変えるべき点として、国民から、なるほどたとえ検察官が起訴しない事件についても、被告人が裁判官である事件についても、権力機関というのは法秩序を維持するために一生懸命やっておるな、ただ血を流すだけでなしに、血を流さない点についても、法秩序を守るために李下に冠を正さずというように公正にやっておるなというように思われる、そういう政治をやるということが私は国民の信頼を得る大きなゆえんである、こう思いますが、法務大臣の御見解を承りたいと思います。
○瀬戸山国務大臣 裁判所の決定について法務大臣としてとやかく言うことは差し控えます。ただしかし、検事の役割りをするための弁護士、この報酬は、よけいなことかもしれませんが、これはいつ起こるかわからない問題ですから、やはり適当に改正するのが適当であると思います。
○正森委員 終わります。
○岡垣最高裁判所長官代理者 いまの御答弁の中で、二十四年のときに一万円以下と申しましたけれども、一万円ぽっきりでございますので、訂正させていただきます。
○上村委員長 次回は、来る二十八日午前十時理事会、午前十時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後三時三十四分散会