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81回国会衆議院1977/07/28

本会議 第2号

発言数
13
登壇者
4
会派数
3
開催日
1977/07/28

会議録

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) これより会議を開きます。      ————◇—————  国土総合開発審議会委員の選挙  離島振興対策審議会委員の選挙

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 国土総合開発審議会委員及び離島振興対策審議会委員の選挙を行います。

瓦力自由民主党

○瓦力君 国土総合開発審議会委員及び離島振興対策審議会委員の選挙は、その手続を省略して、議長において氏名されんことを望みます。

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 瓦力君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。  議長は、国土総合開発審議会委員に      北側 義一君 及び 中村 正雄君を指名いたします。  次に、離島振興対策審議会委員に長谷川正三君を指名いたします。      ————◇—————

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。  議員内海清君は、去る一日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  同君に対する弔詞は、去る十五日贈呈いたしました。弔詞を朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は多年憲政のために尽力しさきに交通安全対策特別委員長の要職にあたられた議員正四位勲二等内海清君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます     —————————————  故議員内海清君に対する追悼演説

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) この際、弔意を表するため、宮澤喜一君から発言を求められております。これを許します。宮澤喜一君。     〔宮澤喜一君登壇〕

宮澤喜一自由民主党

○宮澤喜一君 ただいま議長から御報告がありましたとおり、広島県第三区選出議員内海清先生は、去る七月一日逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。  ここに議員各位の御同意を得て、議員一同を代表し謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。  君は明治三十四年、広島県御調郡御調町に生をうけられ、長じて広島県師範学校に進まれ、大正十年御卒業以来、約十八年にわたり、県内の小学校あるいは高等女学校において教鞭をとられました。君の薫陶を受けた子弟は今日も各地に現存して、君を長く徳とし、常に君のよき支持者でありました。  昭和十四年君は請われて日立造船に勤務されることになりました。その後ほぼ二十年間、同社因島工場労務部長、本社総務部長等を歴任され、その間常に勤労者のため労働条件の改善に尽力され、今日の日立造船の発展と、よき労使関係の確立の基礎を築かれたことは、世人のよく知るところであります。  昭和二十八年、因島工場総務部長在任当時、推されて因島市会議員に当選されたのが、君が政治の道に志される契機となり、昭和三十三年五月には、第二十八回衆議院議員総選挙に広島県第三区から初当選されました。  自来連続して当選すること七回、在職十九年余の長きに及び、本院議員として尽くされた功績はまことに大なるものがありました。本院に議席を得られてからの君は、豊富な経験と卓越した識見をもって、運輸、商工、建設、予算、科学技術の各委員会の委員あるいは理事として幅広く活躍され、とりわけ運輸委員会においては、陸運、海運、造船、港湾など、御専門の経験とうんちくを傾けて国政の審議に全力を尽くされました。  第六十一回国会の昭和四十三年末、君は本院の交通安全対策特別委員長に挙げられました。時あたかもわが国は、交通事故が激増して大きな社会問題となり、交通安全の総合対策の推進が強く望まれておりました。君は委員長として、交通安全施設の緊急整備、交通安全対策基本法の制定など、与野党委員とともに終始真剣に交通安全対策の諸問題に取り組まれ、今日の交通安全対策の基礎を築かれた功績は特筆すべきものでありましょう。  一方君は、民社党にあって、中央執行委員、政策審議会副会長、国会議員団副団長、代議士会長等の要職を歴任され、その円満な人徳と真摯なお人柄をもって、党の政策立案に、また党内の取りまとめに尽力され、民社党の発展に大きく貢献されましたことは、御承知のとおりであります。  君はまた、郷土の発展のため終生骨身を削って力を尽くされました。しばしば不況に悩まされる地元の中小造船企業、下請関連企業に対し救済の手を差し伸べ、あるいは山陽新幹線の早期完成のため献身され、とりわけ本州四国間架橋の建設推進については、執念を燃やしてその実現のために尽瘁されました。本州と、君の郷土である因島を結ぶ因島大橋の完成を見ず世を去られましたことは、君にとって大きな心残りであったに相違ありません。しかし、架橋完成の暁には、世人は必ず君の御功績をしのび、これを永く後世に伝えることでありましょう。  君は、「和をもってとうとしとなす」を座右の銘としておられました。人に接するに温厚篤実、その生涯を通じて、声を荒くし肩を怒らせることなく、その人柄は広く友人後輩の尊敬の的でありました。  後輩の一人として長い間御交誼を受けた私自身にとりましても、君の御逝去は、政治に志す者のかがみを失った思いであります。名利を求めず栄達を追わず、その私生活はその名のごとく清廉、清潔、清貧でありました。その温容のうちには、剛直とでも申すべき強い信念が秘められ、長年の風雪に耐えて完成されたその人格を、もはやわれわれはこの議場に見ることはできません。  君の御逝去はひとり民社党のみならず、本院にとっても、広く国家国民にとっても大きな損失であり、まことに痛恨の念にたえません。  ここに、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手)      ————◇—————  弔詞贈呈の件

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。  議員湊徹郎君は、去る十九日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  つきましては、同君に対し、弔詞を贈呈いたしたいと存じます。弔詞は議長に一任せられたいと存じます。これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  弔詞を朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は多年憲政のために尽力しさきに農林水産委員長の要職にあたられた議員従三位勲二等湊徹郎君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます  この弔詞の贈呈方は議長において取り計らいます。     —————————————  故議員湊徹郎君に対する追悼演説

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) この際、弔意を表するため、八百板正君から発言を求められております。これを許します。八百板正君。     〔八百板正君登壇〕

八百板正日本社会党

○八百板正君 ただいま議長から御報告のとおり、福島県第二区選出議員湊徹郎君は、去る七月十九日急逝されました。  私は、議員各位の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べます。  湊君は、自由民主党の総合農政調査会長として、このたびの五十二年度生産者米価について責任ある立場にあり、農民要求の米価との間に板ばさみにあって苦しみながら、その日、今夜は徹夜をしてもあすまでにはまとめると言っておられたと聞きますが、そのまとめの部屋に行く路上で突然倒れ、そのままついにその生涯を閉じられたのであります。  米価問題では、私も同じ渦の中にあり、立場の違いはあっても同じ悩みに取り組んできたやさきであり、君の突然の死は、思いもよらぬ驚きであり、限りなき悲しみであります。まして御遺族の御心中を思うとき、その痛ましさは言葉をもってあらわすことはできません。  湊君は、大正八年十一月、福島県田村郡三春町に生まれ、水戸高等学校を経て、昭和十七年東京帝国大学経済学部を卒業、そのまま直ちに兵役に服されました。そういう時代でありました。  昭和二十年八月、終戦とともに復員されると、郷里で、折からの経済民主化、農民解放運動に情熱を燃やし、農地改革に没頭されました。このときは、私たちと一緒にやりました。  翌、昭和二十一年には、福島県庁に勤務することとなり、やがて、農政課長、労政課長、総務部長を経て、昭和三十六年には、副知事に抜てきされました。  湊君は、県庁に入ったとき、農民運動家ではやれない面がある、県庁の役人でやった方が効果的な面もある、と仲間に言いました。県庁生活十七年は、机に向かうよりは現場に行き、型破りの役人らしからぬ役人でありました。  炭鉱の労働争議では、炭鉱住宅に泊まり込んで解決に当たり、農協には経済の自立を強調し、不振組合を盛り立てるなど、常に体を運んで相手の立場で指導に当たりました。愛想もなく、取っつきの悪い君でしたが、その温かみのある人柄は、いつの間にか人々を湊さんのペースに巻き込んでしまう、そういう人だと人は言い、同僚や部下も引きつけられました。役人は、いるときだけのつき合いとも言われますが、湊君を慕う心はいまも変わりなく福島県庁に語り継がれております。(拍手)  君は、昭和三十八年十一月、第三十回衆議院議員総選挙に当たり、推されて出馬、みごと初当選、以来連続五回、在職十三年十一カ月に及び、この間、国政に尽くされた功績はまことに大なるものがあります。  とりわけ君は、農業問題の理論家として、しかも実際的な裏づけのある点で、すぐれたものがありました。これは行政の第一線で手がけた経験によるものであります。湊試案に示された施策、また「新農政の創造」あるいは「新農政の展開」など多くの著書は、国際的な流れの中で日本農業をとらえようとしたもので、そこには広く高い政治家の識見を見ることができます。また、その努力と思索を貫く農業と農民に対する愛情は、日本のあすを築く土台となるものであります。  君の正確を期した、実証的な分析と立案が、自由民主党の指導的頭脳として党内に重きをなし、内外高く評価を受けたことは当然のことと思われます。  君の活躍は、ひとり農政にとどまらず、昭和四十五年には総理府総務副長官として沖繩問題、公害問題あるいは北方領土問題などと取り組み、また、自由民主党にあっても、物価、行政調査会副会長などを歴任、また、国会対策副委員長として国会活動の衝に当たられました。  本年一月からは、自由民主党総合農政調査会会長の重責を担い、農業政策の策定に専念してこられましたが、このたびの生産者米価問題に対しては、党内の取りまとめ役として心血を注ぎ、米価を通して、これを安定成長下の農政の第一歩としたい、これがいま自分に与えられた使命であると決意を述べております。  君はその使命感に燃えながら、現実の困難な調査会の結論に取り組み、その決定を目の前にして突如倒れられたのであります。これまさに壮烈なる殉職と申すべきではないでしょうか。(拍手)  思うに君は、常に茫洋たる風貌の中に静かな笑みをたたえ、人に対して争うことを好まず、清廉潔白、利を求めず、地位に恬淡とし、「おれは出しゃばるのはきらい」と言っては常に裏方に回り、まこと寡黙実践の人でありました。(拍手)  君は、「人の信頼は言葉で得られるものではない。人は後姿を見てついてくるもので、肝心なのはその人の行動にある。」と常々言われたと聞きます。一たん仕事を引き受ければ、誠実にこれに当たり、その強い執念と精神力は、必ずこれをなし遂げるものがありました。  君は、事に臨んで集中、全力を尽くされましたが、一面またみずからの所在を別の高い立場で客観する心のゆとりを持っておりました。それは文筆となり、その随筆はユーモアに富み、その諧謔は時にきわめて辛らつな風刺となってあらわれました。  また、みずからを「ムジナ庵」と号し、多くの川柳を残しましたが、その中にみずから諷しては、「タカとハト サギとカラスが 入りまじり」、また「エリヌキの チエ者集まり 愚策ねり」などと詠み、自嘲自虐の心境を述べております。この心根と人間性は、政治家湊徹郎君の上に一層の親しみと豊かさを加えるものであります。(拍手)  厳しい内外の試練の中で、いよいよその成熟を増し、大成の政治家たらんとした君は、五十七歳の若さをもって、いまここに忽然とこの世を去られたのであります。期待は大きく、悲しみは深く、ただただ痛恨の念は人生の無情をかこつばかりであります。  前途有為の政治家湊徹郎君を失いましたことは、自由民主党はもとより、本院にとっても、国家国民にとっても大きな損失であります。  ここに、湊徹郎君の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手)      ————◇—————

保利茂無所属議長

○議長(保利茂君) 本日は、これにて散会いたします。     午後二時二十七分散会      ————◇—————

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