法務委員会 第13号
- 発言数
- 103 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1977/04/27
会議録
○上村委員長 これより会議を開きます。 お諮りいたします。 本日、最高裁判所井口民事局長から出席説明の要求がありますので、これを承認することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○上村委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————◇—————
○上村委員長 連合審査会開会に関する件についてお諮りいたします。 ただいま本委員会において審査中の社債発行限度暫定措置法案について、大蔵委員会から連合審査会の申し入れがありましたので、この申し入れを受諾し、連合審査会を開会することといたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○上村委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 なお、連合審査会の開会日時につきましては、委員長間で協議の上決定することとし、追って公報をもってお知らせすることといたします。 ————◇—————
○上村委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。 すなわち、社債発行限度暫定措置法案を審査するため、参考人の出頭を求め、その意見を聴取することとし、その日時、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○上村委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————◇—————
○上村委員長 裁判所の司法行政、法務行政、検察行政及び人権擁護に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。西宮弘君。
○西宮委員 私は、大臣に、死刑囚の扱い方の問題、あるいはまたさらにこの問題については、再審という問題についても将来門戸を大きく広げていく、こういう問題等もありますので、そういう点についてお尋ねをしたいと思うのであります。 私の住んでおります仙台には宮城刑務所があるわけでありますが、新聞等によりますると、この刑務所には死刑囚の数が多くて、特に現在死刑が確定した人間で無罪を訴えている者が八人あって、そのうちの四人は仙台におる、こういうふうに言われておるのであります。したがって、私にとりましても非常に関心の深い問題でございまするが、あの刑務所の片すみに絞首台があるわけでございます。まことに粗末な建物がそこに寒々とたたずんでおるわけでございますけれども、この中でたくさん消えていった貴重な生命、その中に他人の犯罪のいわばぬれぎぬを着せられて死んでいった人が絶対ないのであろうかどうかということを考えると、まことに私ども憂慮しないわけにいかないわけであります。つまり誤判の結果生命を奪われるというようなことが仮にあるといたしますならば、それこそ本当に社会正義も何も全部崩れてしまうと思うのであります。裁判には往々にして誤判もあり得る。たとえば先般のあの鬼頭元判事補、ああいう人の行いました判決にはずいぶん疑問の点が多いというふうに指摘をされております。数多い裁判官の中に、彼に類するような人がほかには絶対いないのであろうかどうか、こういうことを考えると、これまた絶対の保証はあり得ないと思うわけであります。しかし、いま意図的にそういう判決をするというような人は別問題にいたしましても、仮に善意で行った判決であっても、誤った判断の結果結論が間違っておる、こういうことがないとは言えないと思うのでありまして、日本の岩くつ王と言われた吉田石松の事件のごときはまさにその適例であると思います。大臣もよく御承知のとおりでありますが、大正二年の八月十三日夜半に起こった強盗殺人事件、それの犯人として捕らえられて、第一審においては死刑、第二審においては無期懲役の判決を受けている。上告は棄却になりましたので、結局無期懲役の犯人として収容されたわけであります。しかし、彼は終始一貫無実を主張してがんばり通しました。ついにその不屈の闘志が実って、昭和三十八年の二月二十八日に完全無罪の判決が名古屋の高等裁判所で言い渡されました。そのときは小林登一裁判長でありますが、小林裁判長は、無罪を言い渡した判決の最後に、石松を被告人と言うに忍びない。自分はあえて吉田翁と呼ぶ。先輩の誤判の罪をわびるとともに、冤罪をそそぐためにあらゆる迫害に耐えて闘ってきた不屈の精神力に深甚なる敬意を表し、翁の余生に幸多からんことを祈る。こういう言葉で判決を結んでおるわけでありますけれども、文字どおり半世紀、五十年の間闘い続けてきたこの吉田さんも、せっかく無罪の判決をかちとりましたけれども、そのときにはすでによわい八十四歳、しかも、今日まで大変に肩身が狭い思いで暮らしてまいりました親兄弟、こういう人はもうすでに世に亡くなってしまった。こういうことで、その失われた五十年は、これを償うすべは全くないわけでございます。こういう事実、これはいわゆる岩くつ王と言われた吉田さんの事件でありますけれども、これに類する判決は何回か行われました。 私は、まず、したがいまして一番最初に大臣に一言、わかりきったことのようでありますけれども、お尋ねをしておきたいと思うのは、こういう数多い裁判の中にもときによって誤判もあり得るのだ、こういうことを大臣は承認されるかどうか、ひとつお答えいただきたいと思います。
○福田(一)国務大臣 西宮さんが、誤判によるところのいろいろの不条理な問題がないとは言えないではないか、こういう御指摘があったわけでございますが、もちろん警察、検察、あるいは裁判官も人間でございますから、間違いが絶対にないとは私は言えないと思うのであります。たとえ善意でやっておっても誤りがあり得ることは御指摘のとおりだと私も思っておるわけであります。したがって、いろいろの措置については慎重を期すべきものであると考えております。
○西宮委員 大臣も人間のやる仕事だからときには誤判もあり得るということを承認されたわけでありますが、これは事実がそうでありますから当然なことであります。 そこで問題なのは、捜査の過程あるいはときによって裁判の過程、特に問題にしたいのは捜査の過程でありますが、捜査の過程においていわゆる犯罪のでっち上げというようなことがないわけではないと考えるわけでありますが、もし捜査当局によって犯罪がでっち上げをされるというようなことになりますと、これはまさに重大問題で、私が特にこれから指摘をしたいと思うのはその点でございます。 そこで、これまた私の仙台で行われた最近の判例でございますけれども、あの御承知の弘前大学教授夫人殺しという事件がございました。これがようやく再審の門が開かれて、再審の結果は無罪を言い渡されたわけでありますが、この無罪の判決の中で、特に私どもが注目を引きますのは、犯人が着用しておった白いシャツだと言われる点であります。その白いシャツに血痕がついておったという点について、これが有力な証拠品になっておるわけであります。ところが裁判官は、これに対して三点にわたって論評いたしまして、一番最後に、「むしろ本件白シャツが押収された当時血痕は付着していなかったのではないかという推論に立てば右疑問点はすべて解消する。」こういうふうに言っておるわけであります。つまり血痕が白いシャツについておったというのが有力な証拠の決め手になったわけでありますけれども、それにはそれぞれ疑問があるというので、三つの点を指摘いたしまして、最後に述べた言葉がいまの点でありまして、つまり、その白シャツを押収した当時は血痕はついていなかったのではないか、そういうふうに推論をすると疑問はすべて解消する。言いかえるならば、その血痕なるものは押収後に付着したのだ、こういうことを言っておるわけであります。これは明らかにそういう意味においては捜査当局による作為的なでっち上げだと言わざるを得ないわけでありまして、これはすでに判決があった事件でありますが、そういう捜査係官のでっち上げというようなことも世の中ではあり得るのだということを証明したことになったわけでありますが、大臣いかがでしょうか。ときによってはそういうこともあり得るということを御承認になりますか、どうですか、伺いたい。
○福田(一)国務大臣 私は、警察その他が捜査をいたします場合に、そういうような悪意を持ってやるということはあり得ないことだとは思いますけれども、しかしまた、多数のうちには御指摘のようなことが絶無であるとは言い切れない。一般的に言えば、善意で国家、社会のために治安を守るという意味で犯罪の捜査に当たっておると思いますけれども、絶対にないかとおっしゃれば、それは絶無と考えるわけにはいかないと思っております。
○西宮委員 大臣の御見解よくわかりました。私も本当はそういうことはあってはならないと考えるわけですけれども、残念ながら世の中にはそういうこともきわめてまれな例ではありましょうけれどもあり得るのだ、こういうことをわれわれはまず前提として考えていかなければならないと思うわけであります。 そこで、私いまこれから大臣にあるいはその他の政府委員の方にお尋ねをしたいと思うのは、赤堀政夫という具体的な死刑囚についての問題なのでありますが、私がこの問題についてお尋ねをいたしますのは、冒頭にもちょっと申し上げましたが、この赤堀政夫についてはかなり疑問がある、死刑の刑が確定をいたしておりますけれども、それにもかかわらず相当に強い疑問が残っておる。したがって死刑の執行はしないでほしいということが一点。それから第二点は、こういう問題もあり得るわけでありますから、再審にもっと広く門戸を開くような、そういう制度をつくってほしい、こういうことを言いたいのであります。 そこで、この赤堀政夫が問題になりました事件でありますが、これは大臣も御承知のことでありましょうから簡単に一言だけ申し上げておきますが、これは昭和二十九年の三月十日に静岡県の島田というところで佐野久子という幼稚園の園児が何者かに誘拐をされたというので大変な騒ぎになったわけであります。そして、警察は総力を挙げて、さらにいろんな人の協力を得て捜査に当たりましたけれども、なかなか発見できない。ようやく事件発生の三日後に無残にも死体で発見をされたわけであります。非常にさびしい場所で半裸体のまま死体で発見された。したがって、半裸体でありますから、その幼児が凌辱をされて、さらにその上に首を締められて死んでいる、こういう状況で発見をされたわけでありまして、私はその当時の新聞を全部——と申しましても地元の静岡新聞という一紙だけでありますけれども、当時の新聞を全部拾ってまいったのでありますが、大変なショックを与えた大事件であったわけであります。 そこで、あらゆる手を講じて捜査を行っておったわけでありますけれども、ちょっとそのときの状況を申し上げますと、私はそのことを少し新聞を材料にいたしまして追及し、指摘をしていきたいと思うのです。なぜかと申しますと、こういう中で捜査係官たちが非常に心理的に追い詰められていくという状況がよくわかるからであります。三日後に発見をされて、その次の日にそのかわいい園児たちが集まって涙の葬式をする。警察はこのかたきは必ず討つと言ってみんなを励ました、慰めたという記事があります。あるいは山狩りをしたり、父の職業は八百屋さんでありますが、同業者あるいはPTA、消防団はもちろんのこと、そういう人たちが三百名も毎日動員をされて付近の捜査をする、こういうことが続けられた。あるいはモンタージュ写真を配って一般の人の協力を呼びかける。地元の市長はさらに市民への協力を呼びかける。あるいは八日たった十八日には国警本部長が現場を訪れて署員を激励する。あるいは続いて機動隊の一個中隊が投入される。しかし、依然として皆目わからないというので、何とかして死んだ三十五日目あるいは四十九日目までには解決をしたいと言っておったけれども、それも解決できない。それも過ぎてしまって、約二カ月近くなって警視庁から、あるいは東京の警察の管区本部から、あるいは静岡地検、国警本部の幹部、責任者、そういう人が集まって現地で会議をする。ちょうど満二カ月たったときには捜査本部では、これは何としても解決をする、あくまでも解決をしなければ警察の威信にかかわる、世間に顔が立たない、こういうことを言っておるわけであります。このことは新聞に報道されておるわけであります。このようにいたしまして、非常にいろんな人がその間に容疑者として捕らえられるわけでありますけれども、その都度氏名その他が発表されるけれども、最終的にはシロになってしまう。もっとも、その中には自白した者さえ数名あるわけであります。ちょっと不思議なことなんでありますが、そういう人さえもあるというので、多少でも問題のある人間はシラミつぶしに当たる、あるいは問題の有無にかかわらず二十歳台の若者は全部アリバイその他を調査をするというようなことで、手当り次第にとにかく調査をする。いやが上にも世間の関心が高まりまして、同時に、警察に対する激励とかあるいはカンパの寄贈とかいうことがほとんど連日行われているようであります。しかし、にもかかわらず二カ月も過ぎても杳としてわからない。新聞を見ておりますと、ほとんど連日この記事が載らない日はないのであります。あるいは多いときには朝刊と夕刊の両方に載っておるわけでありますけれども、きわめて確度の高い容疑者がつかまったというようなことが報道されたかと思うと、その次の新聞では捜査は振り出しに戻る、こういう見出しで逆転、逆転をしていくわけであります。 こういう状況だと、当然に、警察に対して非常な協力をしてきたあるいはカンパをして金を贈ってきたというような人たちも、今度は逆に警察に対する不信感に転化をしてくる。これは余り新聞には書いてありませんけれども、それはたやすく想像できると思うのですね。さらに、さっき申し上げたように、上司、上級機関、あらゆる機関から激励を受けるわけであります。当然その中で、非常に捜査当局、捜査に当たる人たちが追い詰められた心境に傾いていくということは当然だと思うのでありますが、私は、警察庁の方にもし御経験があったならば、第一線の経験はおありかどうか知りませんけれども、御経験があったとすれば、そういう状況下において、いても立ってもいられないという、そういう焦燥感に駆られる、そういう経験はなかったかどうか、もしあったら一言お話しください。
○佐々説明員 警察の捜査のやり方についてのお尋ねでございますので、私もこの種の殺人事件の経験はありませんけれども、その他の捜査の経験からお答えを申し上げます。 警察の基本的な任務は、申し上げるまでもなく社会を犯罪から守るという予防的な効果をねらっての諸施策、並びに犯罪が一たん発生いたしました場合には、速やかに捜査を遂げて、犯人を検挙し、社会正義を実現するというのが基本的な使命でございます。この目的を達成するために捜査官は、先ほど必ずかたきをとってやるぞという言葉が新聞記事の中にございましたけれども、そういう個人的な復讐心ではなくて、社会正義実現のための任務遂行という熱情に燃えて捜査に従事するものでございます。ただ、その過程におきまして、必ずしもただいまの報道のように、手当たり次第にだれでも構わずに捜査を行うというものではございません。私ども手持ちの資料では、この事件は何分昭和二十九年三月十日午後一時に発生をした事件でございまして、御承知のように昭和二十九年の七月に新警察法が施行されるまでの間、当時の警察制度は国家地方警察本部と自治体警察とに分かれておりました。この事件は国家地方警察並びに島田の自治体警察との合同捜査で実施をされ……(西宮委員「わかっておりますから簡単にお願いします」と呼ぶ)かつ、その事件はすでに送致をされ、一件書類がございませんけれども、容疑者の選定に当たりましては、御指摘の事件の性格にかんがみまして前歴者、あるいは通報もございまして、目撃者がございまして一番最初にその幼児を連れていった場合のあれがございましたので……(西宮委員「全部わかっておりますから」と呼ぶ)そういう変質者であるとか、こういう者三百数十名を対象にして捜査を行ったわけでございます。また新聞報道は、この間いろいろ取材競争もございますし、いろいろな報道が出ましたけれども、必ずしもこれは警察が発表するものではございません。したがいまして、そういう状況に追い込まれても、警察といたしましては、真実の追求ということを基本に、証拠主義の原則に基づきまして捜査を実施いたすものでございまして、必ずしも焦燥感に駆られて無理に被疑者を、犯人をでっち上げるということはいたしません。
○西宮委員 時間がありませんから質問したことだけお答えを願いたいと思います。 私は、たとえば町で売っておる本でありますけれども、「刑事一代」とか、あるいは「八兵衛捕物帳」とか、あるいは特にこの間の三億円事件に関連するいろんなそういう記事など——記事といいますか、刑事の立場で主として書いたものでありますが、そういう人たちの書物を数冊捨い読みをいたしてみました。そうすると、そういう追い詰められた心境というのがあちこちに書かれておるわけであります。本当にそれは大変なことだ。無論いま参事官の答弁のように、あくまでも真実の追求だというのが当然のことでありましょうけれども、しかし、さっき私が指摘をした弘前大学の教授夫人殺しの事件のごときは明らかにでっち上げだということを——でっち上げという言葉は使わないけれども、そのことを明瞭に指摘をされておる。しかもそれは検察側では上告もしていないわけですよ。その判決を承認をしているわけだ。したがって、そういうでっち上げもあり得るということを裁判所に認定をされておるのでありますから、でっち上げなどは一切ないという、そういういまの説明は承知できない。むしろ私は、きわめて正直に答弁をされた大臣の答弁の方が現実に即すると考えております。 そこで、何もかも手当たり次第に全部調べたんだというのが新聞の誤報だとするならば、それは譲っても結構ですが、そこへいま佐々参事官の言われたようなまことにあつらえ向きの人間があらわれたわけでありますが、それが赤堀政夫であります。これは岐阜県下で職務尋問を受けたのでありますが、第一赤堀政夫という人間は、裁判所の判決文の中によりますと、この人間は生来知能程度低く、軽度の精神薄弱者であり、学業もふるわず、国民学校高等科卒業後、工員として就職したが、終戦後は実家に帰ってニコヨンなどをしておった。当時は物もらいをしながら放浪をしておった、こういうふうに書かれておるわけです。したがって、いわば典型的な放浪者ということになるわけであります。しかも彼は前科二犯であります。いずれもこそどろの窃盗犯でありますけれども、前科二犯ということでありますから、容疑者としてその何人かの候補者の一人に挙げて手配をしておったというのは警察の処置としては当然だと思うのでありますが、その赤堀が岐阜県下で職務尋問でひっかかったわけであります。 そこで、そうすると、これはまた新聞が勝手にやったんだと言えばそれまででありますけれども、彼が郷里の島田に連れて帰られる。島田からは警部が二人出向いて連行してきているわけであります。連れて帰ってきた。そうするとマスコミは、やっと真犯人がつかまった、こういうことで大々的に報道しておるということでありまして、いわば検察の側、警察の側から言うと全くあつらえ向きの人間があらわれてきたわけであります。時は昭和二十九年でありますから、まだ戦後間もないときでありまして、世情は必ずしも安定しておらない。そして、そういうときに、この精神薄弱者でありあるいは前科を持っておる二十四歳の青年がいる。こういう者を、仮に犯人に仕立て上げようというような、意図的にでっち上げるというようなことをやらないにしても、こういう、いま申し上げたような人を見たならば、てっきりこれに違いない、これだこれだというふうに思い込んでしまうということはあり得ると思うのですよ。そこで、さっき、捜査官は非常に追い詰められた気持ちで、これがもし解決をしないならば警察の威信にかかわる、世間に顔出しができない、こういうことを捜査本部では言っている。そういう心境の中にこういう人間があらわれてきたということになったら、これは全くわれわれが期待しておった人間だというふうに考えざるを得ないと私は思う。 そこで、時間がなくなりますから、大臣にお尋ねするために、大事な点を幾つか指摘していきたいと思うのでありますが、裁判に対する多くの疑問があるわけであります。なぜならば、この事件は物的な証拠はゼロであります。ただ石ころが一つあるだけ。それで殴って殺したという証拠品として挙げられた石があるだけであります。しかし、そんな石ころならどこにでもあるので、証拠力としてはきわめて貧弱だと思うのだけれども、それ以外には証拠物件は何もなし。したがって、あとは本人の自白あるいは証人の証言であります。ただし、その証人の証言なるものも、数名ありますけれども、きわめてまちまちだ。あるいは久子ちゃんが行方不明になった直後に、男の人にかわいい女の子が手を引かれて歩いておったというのを目撃した人が数名おるわけであります。そういう人が数名あったんだけれども、その数名の人も、人によって見方がまちまち。しかも、その同じ人でも、久子ちゃんがいなくなったという直後の証言と、赤堀が逮捕されてから後の、警察においてあるいは裁判が開始されてからの公判廷において、そのときの証言はまたそれぞれいろいろと変わっておるわけであります。したがって、これを十分に有力な証言とみなすことは困難ではないか。それが証拠には、大臣これもぜひ認識を願いたいのですが、恐らく検察側も裁判所側も十分な自信を持ってはいなかったのではないかと考えるわけです。なぜならば、検察側は死刑の求刑をした後にまたもう一遍開廷を要求いたしまして、新しい証人二人を申請いたしました。こういうことは裁判の例としては全く異例なことであります。さらに、今度は、弁護人の最終弁論があって結審をいたしました。結審をした後に、今度は裁判所側で裁判長の職権によって弁論を再開しております。これらのごときはまさに異例中の異例というべきだ。つまり、検察側が死刑の求刑を行ったその後に新しい証人を申請をするために裁判の開廷を要求をする。そして二人の証人を呼び出しました。それから裁判所側は裁判長の職権で開廷をいたしまして弁論を再開して、そしてここでは新しい鑑定人に鑑定を依頼をしております。この鑑定の結果も非常に問題が多いのでありますが、細かいことを申し上げる時間もありません。石で殴ったために死んだのか、あるいは石で殴ったというのは死んだ後に殴ったのかという点が争われておるのでありますが、ここで裁判所側が選任をいたしました古畑鑑定人の鑑定書の提出、これをいわば唯一の科学的な根拠として判決をしておるようであります。くしくもこの古畑鑑定人なる者は、先ほど申し上げた弘前大学の教授夫人殺し事件においても、殺人の罪を言い渡された那須隆さんもこの同じ鑑定人によって殺人という結果が言い渡されたわけでございます。しかも、それは後で再審の結果裁判所によって否認をされたことになるわけですが、くしくも同じ鑑定人がこの赤堀政夫の犯罪を決定する際の有力な材料になっておるわけであります。 それから本人の供述でありますが、たとえばこの人はさっき申し上げたように精神薄弱者であります。そういう人がつかまったのは——つかまったと申しますか不審尋問、職務質問に遭ったのはちょうど二月半たっての後でありますから、恐らく十分な記憶もないと思うのだけれども、そういう精薄の青年を取り巻くのはみんなベテランの刑事ばかりであります。先ほど申し上げたように腕ききの刑事が県警本部からもあるいはまた中央からも多数派遣をされてきている。そういう全く腕ききの刑事数名に取り巻かれて調べられる。こういうことになると、十分な弁明ができないというのはたやすく想像できます。おまえは三月十日にはどこにいたんだ、こういうことを質問されるわけであります。それ以外のことは一切言う必要ない、三月十日は何しておったのだ、こういう質問でありますが、二カ月半たっておるわけでありますから、われわれだって二カ月半前の何日にどこにおったというようなことは手帳でも見なければ答えられないと思うのだけれども、こういう諸所を徘回している浮浪人であります。そういう人にそういう質問を浴びせて、それが答えられないと、きさまうそを言うというようなことでおどかす。たとえば検事の冒頭陳述の最後にこう書いてあります。被告人の申し立てたアリバイは全く虚偽であることが明らかにされたため、観念し、同月三十日夜ついに本件犯行を自白するに至ったものである、こういうふうに書いてある。つまりアリバイをいろいろ述べるのだけれども、それが片っ端から崩れていくというので、それで本人はついに観念をして自白をしたというのでありますけれども、そういうベテランの刑事連中に追及をされて、十分な説明ができない。たとえば平塚の警察署に一晩厄介になった、こういうことを本人が言ったわけであります。ところが、平塚の警察署に警察の方で問い合わしたらば全くそんな事実はないので、それ見ろというようなことで、これまたきさまはでたらめだということでしかられておる。ところがこれは本人の思い違いであったわけであります。だれもこのあわれな赤堀政夫を弁護する人はないわけでありますけれども、ただ一人彼の兄さん、一雄さんというのでありますが、この兄さんだけがあくまでも弟の無罪を信じておりました。したがって、彼は弟に面会をいたしまして、弟に図面を書かした。その図面を頼りにして歩いて探してみると、それは平塚署ではなしに大磯署であろうというふうに兄一雄さんは考えたわけであります。それで弁護士を通じて調べてもらったら大磯署で間違いない、こういうことが後にわかったわけであります。 それらは単なる一例でありますが、その赤堀が平塚警察署に厄介になったと言うので調べると、そういう事実はないという回答で、きさまうそを言うかということでおどかされる。こういうことになると、もうとても耐え切れない、もう勝手にしろというような気持ちになってしまうのも、これまた私は弱い被疑者の立場ではないかと思う。したがって、この検事の冒頭陳述に言われているような、そういうアリバイをあくまでもこの被疑者の赤堀の方で実証しなければならぬ。これは裁判に詳しく出ているのですけれども、被疑者の方でアリバイを実証しなければならぬ、その実証がつかないからだめなんだというのが裁判の判決の中にたくさん書いてある。全く本末転倒でありますけれども、しかしとにかく赤堀のアリバイは信用できない、したがって彼は観念してしまったというのでありまして、私は全く気の毒なことだと言わざるを得ないと思うのであります。 さっき申し上げたように——しつこく長くなって恐縮ですが、大臣、もう少しですからお聞きを願いたい。さっき申し上げたように、この犯行が行われたのは三月十日であります。そして赤堀が大磯署に泊まったのは十二日であります。もし彼がこういう大それた犯行をしておったならば恐らく——その大磯署に呼ばれていったのは、ちょっとした、放火ではないのですけれども、何かはこらのようなところに泊まっていてたき火をたいておったら火が燃え移ったというので連れていかれたわけであります。まあとにかく大磯署に行って、そこで恐らく自分の名前を正確に名乗るということをしなかったのじゃないかと思います。あるいはその後、先ほど申し上げたように二カ月半たった五月二十四日に岐阜県で不審尋問に遭っておるわけですけれども、そこでは何らちゅうちょすることなしに自分の名前を名乗っているわけであります。彼はもうすでに犯罪の起こった直後に島田署で職務質問を受けております。島田署はもう上を下への大騒ぎなんでありますから、そういう大事件があったことは彼だってもちろんよく知っている。したがって、もし彼にやましいところがあれば、その際だって本名は言わなかったのではないか。あるいはそのほかもう一つの不審尋問、それからもう一つは本人が警察に出かけていった、そういうところで何のためらいもなしに自分の名前を名乗っているわけであります。そして、その岐阜県から島田署に送られてくるときは、おまえはこういう容疑者になっているのだ、それでも帰るかと言ったならば、これはむしろ喜んでそれに応じたというのであります。島田の警察署で調べたけれども、シロだというので釈放いたしました。釈放したけれども、実家には帰らせないで、警察が指定したある寮に泊まらしておるわけであります。そして今度はまたもう一遍同じ窃盗の容疑で逮捕をして、そしてこれから本格的な調査を始める、こういうことになっておるわけであります。そのある寮に泊めたというのも、兄さんが警察に訪ねていったけれども教えてくれない、こういうことで、その辺のやり方もまことに不明朗であります。しかもその寮の職員は、何にも変わったことのないあたりまえの人だった、あれがそういう大物とは全く想像もできなかったというようなことを言っております。ですから、彼は、淡々として警察の調べにその時点までは応じておったのだろうと思います。 こういうことを考えてまいりますと、無論判決を読んでみますと、赤堀の供述の中にも大変大罪を犯して済まなかったと言ってみたり、あるいは久子ちゃんの衣類を見せたらば、そのとき非常な見るにたえないというようなことを言って顔を背けたということがあったり、いろいろなことがございます。しかし、だれもいないところで、何か夜中に、宿直の人に大変大罪を犯して済まなかったというようなことを言ったということでありますから、恐らくそういうのは、判決には挙げてありますけれども信憑性はきわめて疑わしいと思う。 もしそう言うことが許されるならば、赤堀は拷問によって自白をさせられた。しかも二人の警察官が犯人と被害者の久子ちゃんになって、こうしてやったんだ、こうしてやったに違いないというようなことを一々実演をしながら供述をさした、いまおれの言ったことをそのまま君の方で言えということで言ったのだと赤堀は言っておりますけれども、これも密室の問題でありますから、信憑性が疑わしいと裁判所で言うならば、それは仕方がないと思うのだけれども、それと同じように、密室で彼がひとり言のように言ったというようなことなどは、これまた排斥をしなければならないと思います。 大変長くなりましたけれども、要するに全く物的証拠のない、証言だけであります。二人の証言について裁判所は、その信頼度が特に高いということを言っておりますけれども、時間がありませんから、それに対する反論は避けますが、とにかくいずれにしても、そういう本人並びに証人の言葉だけしかないわけであります。 そして、もちろん最初の判決でありますが、判決はこう結んでおります。「被告人は警察検察庁においては一貫してその犯行を認め、悔悟の様子も見られなかったわけではないが、当公判廷においては終始その犯行を否認し、弁解してやまない。」「いまだその犯罪の重大さと、罪責の深さを認識することなく、言をかまえて罪を免れようとする態度に外ならず、誠に遺憾という外なく、ここに至って、裁判所は更に被告人の反省を促すものである。」こういうふうに言っておるのですね。だから、彼の言ったことを一々反論するというならともかく、警察では認めた、ところが裁判所へ来てからは終始一貫一切否認をしている、それはまことにけしからぬ、彼は反省の色が全くない、あるいは言を構えて罪を免れようとしているということで、大変な勢いで非難しているわけです。私は、こんな裁判の仕方というのがあるのだろうかと感ぜざるを得ないわけであります。 その次の項目には、「翻って、本件犯行が被害者の家庭、社会に与えた影響を考えると、ひとしく幼女をもつ世の親は、誰しもその幼児の生命、身体の安全について危惧を抱かない、かような場所で、恐らく防ぐすべもなく行われたこのような犯罪について、いい知れない恐怖と、犯人に対する強い情悪をもったであろうことは、犯行自体より推察に難くなく、そして、本件被害者の遺族は、当時悲嘆のどん底に投込まれたことであろうことも、記録の背後に充分うかがうことができる。時は既に四歳月を経て、社会の多くの人は、このいまわしい悲しい事件を忘却の外へど押しやっていることであろう。然し、被害者の遺族、殊に母親、妹等にとっては、その生涯を通じ、己が愛し子、姉のこの悲惨な最後が悲しい思い出となり、心の傷として永久に癒えないであろうことは察するに余りある。」こういうことで結んでおるのであります。 これはいかにも、裁判官は被害者の立場にも深い同情を寄せて、大変な名判決のつもりでお書きになったのかもしれませんけれども、被害者の立場はまさにこのとおりだろうと思う。しかし、それが赤堀政夫であるということとは無縁なこと、もし、いままで私が列挙したことが承認されるとするならば、赤堀政夫に結びつく問題ではないわけであります。こういう裁判では私はとうてい承服できない。 もう一カ所だけ読んでこの問題は終わりにいたします。 「被告人は先に認定した通り智能程度が低く、軽度の精神薄弱者であり、その経歴を見ると殆んど普通の社会生活に適応できない。」これが死刑を言い渡す判決の一つの条件になっているわけであります。大事なところですからもう一遍読みたいと思います。「被告人は先に認定した通り智能程度が低く、軽度の精神薄弱者であり、その経歴を見ると殆んど普通の社会生活に適応できない。」これが死刑を宣告する理由の一つに挙げられている。こういう人間を世の中に生かしておいたのでは社会の安寧が乱されるだろう、こういうことで、これを社会から隔離をするあるいは社会から排除をしてしまう、社会から抹殺をしてしまう、こういう態度は、私はまさに言語道断と言わなければならないと考えるわけでございます。 そこで、大臣に対するお尋ねでございまするが、こういうきわめて不安な要素の多い、疑問の多い判決であるわけであります。裁判の進行状況であるわけであります。しかも、その当時は、こういう見る影もないような一人の浮浪者であります、したがってだれもこういう人のために関心を持つ者はなかった。公判の判決言い渡しのときも、傍聴席にはマスコミその他を除いては彼の兄さんただ一人であります。 私は、この事件を通じて、この兄さんの一雄さんという人の美しいきょうだい愛に打たれたのであります。ついこの間も、四回目の再審が棄却になりましたので、この一雄さんは遠い静岡から仙台まで来られて、その弟に会って慰さめ、励まして帰ったのであります。一介の労働者でございまするけれども、私はこの兄さんの本当に美しいきょうだい愛に感動する。 しかも、この最後の公判で死刑が言い渡されるときなどは、赤堀は興奮をして大変大声を出すわけであります。それに対して、この新聞によりますと、傍聴席からその弟に向かって、「政夫、言葉を慎め」というようなことをどなっている。それで裁判官から傍聴席から発言をしてはいかぬというので制止されたというような一面もあるわけでございまして、本当にこの兄さんはまじめな人だということはこの判決にもあるわけであります。この兄さんただ一人なんであります。だれも見守る人もない。その後時間がたって、地元島田の森源さんという人であるとかあるいは赤堀を救おうという人たちが集まってまいりまして全国的な組織ができてきた。あるいはまた東京の三河島の駅の前で御商売をしておられます檜山義介さん、こういうような人などは本当に一生懸命になって、赤堀の無罪を証明したいというのでいろいろな証拠を集めるために努力をしてくれたり、そういう人がいまではたくさん出てまいりましたけれども、その当時は、だれ一人として顧みる人もなかった。ですから、こういう裁判等がいわばわりに抵抗なしに行われたのではないかと思います。 そこで大臣にお願いしたいのは、こういうまことに疑問の多い、不安な要素の少なくないこの裁判でございますので、ぜひ刑の執行はしないでほしいということが私のお願いの要点でございます。御答弁をお願いいたします。
○伊藤(榮)政府委員 大臣にお答えいただきます前に、手続上の点についてちょっと申し上げさせていただきたいと思いますが、先ほど来先生るる仰せになりました事柄につきましては、おっしゃいますように再審請求が出ておりまして、静岡地裁で棄却決定がございましたが、現在即時抗告がございまして東京高裁に係属中でございますので、そこの事実関係等につきまして私ども触れるわけにいかない立場にございますので、その点だけ、大臣のお答えの前にお含みおきいただきたいと思います。
○福田(一)国務大臣 ただいま先生から、この事件についての捜査の状況あるいは本人の動向または裁判に処してのいろいろの状況についていろいろ御説明をいただいたわけであります。これは、先生が最後に言われた死刑の執行を急がぬようにという意味を私に明らかにするというか、先生の気持ちを私に訴えられる意味においてるる申し述べられたのであると判断はいたしておるのでありますが、法務大臣の立場といたしまして、その点について私が言及するというか、当否を述べるということは、これは差し控えさしていただきたいと思うのでございます。 ただ、死刑の執行ということは、これは非常に重要なといいますか、もし事実と相違するというようなことがあった場合には取り返しのつかないことになることでありますから、非常に慎重を期さなければならないということは私もよく理解をいたしておるわけでございまして、ただいま刑事局長が申し上げたように、またすでに審理のさなかにあるやに承っておりますので、一般論として、そういうような事件については死刑の執行等は慎重を期すべきであるということについてはわかりますけれども、その先生の言われたことについて具体的な問題としていまここで申し上げることは差し控えさしていただきたいと思います。
○西宮委員 私が捜査並びに裁判の経過についてるる申し上げたのは、大臣が指摘をされたとおり、最終結論として死刑の執行はやらぬでほしいということを大臣に訴える、そのためであったのであります。ただし、その捜査あるいは裁判の当否については私の言う限りではない、これもよくわかります。さらに、きょうの時点は死刑の執行をどうするかということについて言うべき時期ではない、つまり係属中でありますから。その点もわかります。 しかし、これは昭和四十三年十二月十八日、当法務委員会における質疑でありますが、猪俣浩三委員が平沢貞通、あの死刑囚に対しまして私と同じようなことで大臣に意見を述べておるわけであります。それに対して当時の西郷国務大臣はこう答えております。「最近になりまして猪俣先生などが非常に御心配になっているということを私も聞きまして驚いたのであります。」猪俣先生などが非常に御心配になっているというのは、その死刑が近くあるのじゃないかということを御心配になっているという意味であります。「御心配になっているということを私も聞きまして驚いたのであります。事実そういう御心配はございません」、そういう御心配というのは、死刑執行ということですね、「そういう御心配はございませんので、御了承を賜わりたいと思います。なお、いま先生からいろいろ平沢について質問を承りましたので、これは大事なことでもございますし、非常に厳粛な問題でございますので、私も慎重にそういう点については考えてまいりたいと思います。御心配はないと思います。」こういうふうに答えておるわけです。 これは全く読んで字のとおりでありますけれども、とにかく死刑の執行については心配するな、そういうことは全く考えていないという意味で、ただ慎重に扱うという表現よりは一歩進めておるということだけは明らかだと思うのですね。大臣も、いまがその発言する時期でないならば後日で結構でありますが、どうかこの点は十分肝に入れておいていただきたいと思います。 本人赤堀政夫君は、われわれのところにもたびたび手紙が参りますけれども、いまにも処刑場で首にロープの輪っぱをかけられて絞めて殺されて死んでいくのです云々というようなことで、非常に恐怖に駆られておるわけであります。私も本人に会っておりますけれども、死刑囚でありますからわりに待遇は悪くないと思うのでありますが、しかしどんなに待遇がよくても、あるいはまた、彼を支援する人が多くてずいぶん金品が多数カンパされるということなども聞いておりますが、どんなにそういう点で人から慰められても、もういつ、きょう死刑が執行されるのかしらんという不安な気持ち——死刑が執行されるというのは、経験によると、朝早いのだ、したがって朝看守のくつ音が聞こえてくると全く全身の血が凍る思いがするというふうに、これはある死刑囚の書かれたものでありますけれども、そういうふうに言われておるので、毎日毎日そういう全身の血が凍るような思いをしながら生きておるわけでありますから、ぜひもう少し、単に慎重に扱うという以上に、いまの西郷大臣の答弁とも関連をして、もう一言おっしゃっていただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
○常井政府委員 事実の経過だけにつきまして、西郷大臣の御答弁の趣旨を若干大臣が御答弁になる前に申し上げたいと思うのでございますが、昭和二十年九月二日から平和条約発効の昭和二十七年四月二十八日の間に公訴を提起されました者のうち、死刑の判決が確定しながらその刑が執行されていない、いわゆる再審特例法案の対象者の一人として平沢に対します刑の執行をどうするかということにつきましてお答えしたのが西郷大臣の先ほどの答弁のように私承知しておりますので、本件は二十七年以降の事件でございますので、若干その点が違うという事実関係だけ申し上げさせていただきます。
○西宮委員 わかりました。 大臣、たった一言だけ……。さっき申し上げた兄さん、これは大変まじめな人です。労働者ですけれども、この兄さんとか、あるいは本当に自分を犠牲にして一生懸命協力してくれているさっき申し上げたような人たちがおるわけですが、ぜひ一遍大臣に陳情したいと申しておりますので、適当な機会に、大臣のお仕事に御迷惑にならぬようにいたしますけれども、ぜひちょっとでも会っていただくようにお願いしたいと思いますが……。
○福田(一)国務大臣 西郷大臣がどう平沢事件についてお答えになったか、内容についてのお話がございましたが、私といたしましては、先ほど申し上げた以上にこの段階で申し上げることは、まことに申しわけないと思いますけれども、差し控えさせていただきたい。 なお、兄さんがぜひ会いたい、先生が御同行くださるというようなことでございますれば、お目にかからしていただいても結構でございます。
○西宮委員 私は、いまちょっと一部お話もありましたが、それでは、死刑囚に対する死刑を執行する際の順序等について、したがって、これから法務当局としてこれを行う場合の問題点といいますか、そういう点を知りたいために少しお尋ねをしたいと思いますが、死刑が確定した者に対して死刑を執行するという順序は、まあ私の理解しているところでは、死刑の判決をした裁判所に対応する検察庁を管轄する検察庁の長、つまり検事長あるいは検事正から死刑執行の上申をする。そうすると、法務省は確定記録を取り寄せて、刑事局と矯正局と保護局の三局がこれを担当する。つまりその三局では、刑の執行を停止するような事情があるかないか、あるいは再審の事由に該当するかどうか、あるいは非常上告の事由があるかどうかというような点などを検討する、あるいはまた恩赦に相当する状況があるかないかというようなことを検討した上で大臣に上申をするんだというふうに私は理解をしておりますが、そういう手順なのかどうか。そしてその刑事、矯正、保護三局にまたがるんだ、こういうお話でありますが、その発議をする局はどこなのか、聞かせてください。
○伊藤(榮)政府委員 だだいま御指摘のような順序で検討がなされることは事実でございます。事柄が非常に重大な事柄でございますので、少しく正確に御説明申し上げます。 死刑を言い渡しました判決が確定しますと、その判決を執行すべき検察官、これはただいま御指摘の検察官でございますが、そこの属する検察庁の長、検事長あるいは検事正から法務大臣あてに刑執行の上申が参ります。これの窓口は刑事局でございます。刑事局におきましては、これが参りますと、確定記録を取り寄せまして、刑事局に相当数おります検事の資格を持った参事官、局付、こういった者に配点をいたしまして、これが主査となりまして、記録を精査点検いたします。記録だけで足りない事情等につきましては、現地へ照会をしたりあるいはその者の在監しておる拘置所に照会をしたりいたしまして、精査いたします。精査いたします事柄の眼目は、ただいま御指摘のように、法律上死刑を執行すべきでない理由がないかどうか、それは刑の執行停止をすべき場合ではないかどうか、それから再審の事由があるかどうか、非常上告の事由があるかどうか、さらには恩赦相当の事案ではないかどうか、こういった点を精査いたしまして、その結果を刑事局の各課長がまた検討いたしまして、場合によりましては刑事局の検事全員をもって組織いたします局議に諮りまして十分議論を尽くしまして、最後に、刑事局を代表いたします刑事局長がさらに精査をして、これでよしということになりますと、主査をいたしました検事が相当詳細な事案の説明ないし大臣の御判断をいただくに必要な最小限度の書類をつくりまして、これを矯正局、保護局という順に回付いたします。矯正局におかれましては、その者の身柄を現に預かっておられますから、身柄の動静等は十分に御存じであります。それから所内における精神的な状況、こういったものを把握しておられますから、そういった観点からまたこれらの事由がないかどうかを検討されるものと思います。それからその次に保護局に参りますと、保護局は、御承知のように恩赦の申し出をする機関でございます中央更生保護審査会の事務局でございますので、そういう恩赦の観点を中心としてもう一回精査をされる。その三局がいずれも死刑執行を不相当とする理由がない、死刑執行やむなしという結論に達しますと、通常の大臣へ参りますルートを通りまして、官房秘書課長、官房長それから大臣、こういう順序で大臣のお手元へその書類が上がるわけでございます。大臣によりましていろいろ御検討のあり方が違うように私拝察しておりますが、その書類だけでおわかりにならなければ、担当者、主査をお呼びになったり、あるいは記録をお取り寄せになって御自分でごらんになったり、そういうふうに慎重に御検討の上、最終的にその書類に決裁をされます。決裁をされますと、それからもう一遍当該死刑確定者の健康状態その他、書類が回っておる間に何らかの障害となる事由が発生してないかどうかを確認いたしまして、その上で大臣に執行命令を発していただく、こういう手続になっております。
○西宮委員 それでは、通常それにどのくらいの時間がかかるのか。たとえば検事長、検事正等から上申をされてきて、法務省内部でそれだけの手続を経るためにどれくらいの時間がかかるのか。それからもう一つは、最後に大臣が決裁をされたら、それからどのくらいの時間で現実に執行されるのか。
○伊藤(榮)政府委員 お尋ねの後の方から先にお答え申し上げますと、法律上、大臣の執行命令がありますと五日以内に刑の執行をいたすことになっておりますから、通常の場合、係官が記録と死刑執行命令書を携行しまして現地へ赴きますので、おおむね三日ないし五日の間が多いかと思います。 それから、前者の上申があってからどのぐらいの期間で執行命令が出るかということは、事案によりましてまちまちでございまして、一概に申し上げられませんが、統計的に見ますと、昭和四十七年から昨年十二月までの五年間で死刑を執行されたものにつきまして、死刑の裁判確定から執行までの期間を算術的に計算しますと、平均五年六カ月となっております。
○西宮委員 次に矯正局長にお尋ねいたしますが、刑務所内における処遇の問題でありますが、さっきもちょっと言いましたように、死刑囚は他の人に比べるといわば優遇されているという点はあろうかと思いますけれども、たとえば赤堀君のごときは、現にリューマチあるいは痔疾で大変に苦労しておりまして、毎日おむつを腰に当てて生活をしているという状況でありまして、非常にそういう点で苦労をしているわけでありますが、こういう点、外部の医者に診療させるというようなことはできないのですか。
○石原(一)政府委員 刑務所あるいは拘置所におきましては、国が受刑者あるいは刑事被告人の身柄を管理するという責務を持っておる関係上、万全の医療措置を講じております。なお、一般的には死刑囚は拘置所に拘禁されるのでございますが、拘置所に拘禁されるといいましても、未決勾留者とは性格が異なります。すなわち、有罪の確定裁判があった者でございますので、作業等は強制いたしませんが、受刑者並みのいい待遇をするという形になっております。 ただいま御指摘の赤堀死刑囚の健康状態でございますが、本人が症状を訴えている点は二点でございます。一点は両手、両ひざに痛みを感ずるということでありまして、一点は痔疾であるということであります。 そのうち、両手、両ひざの痛みにつきましては、これはいまお話がありましたように、関節リューマチの疑いがあるのではないかということでお医者さんにかけて診せておりますし、また、刑務所の医者以外にほかの外部のお医者さんにも診ていただきまして、リューマチの疑いはないということになっております。しかしながら、鎮痛剤あるいは栄養剤を施用しておりまして、最近におきまして、痛みは減少しつつあるという報告を受けております。 次に、痔の点でございます。昭和四十四年四月四日に、これは全部四の数字が重なる日でございますが、内痔核の手術を行いました。現在は止血剤及び座薬を本人に渡しておりまして、再手術をする必要は認められておりません。その座薬を本人に投与をするに当たりまして、ガーゼを渡しておるのでございまして、決しておむつを当てているというようなことではございません。 なお、本人の体重は現在四十四キログラムということでございまして、身長から見ますと適正な体重である。そのほか、戸外においてキャッチボール等もいたしておりまして、運動も通常の健康人と変わりない形でございます。もちろん病舎等に入れる必要はございませんので、必要な医療は本人の独居房で行っているという状態でございます。
○西宮委員 私も本人の訴えも直接聞いてきておるわけですけれども、とにかく万全を尽くしてもらいたいと思います。 それから面会時間等も、これは通例三十分ということになっておるようですが、特に田舎の人が来たとかなんとか、そういうときは、めんどうくさいのかどうか知らぬけれども、わきに監視がついていて、適当に切り上げさせてしまうというようなことがあるので、そういうことのないように、与えられた面会時間は十分それができるように指導してもらいたいと思います。 それから最後に矯正局長には、これは大事な点でありますからぜひ伺いたいのだけれども、刑務所の中あるいは拘置所の中で待遇の改善を要求したりすると、それはけしからぬ、あるいは仮にけしからぬと言わないまでも、そういうことをする者は模範囚ではないということで格下げにされる、そういうことが行われておるようですが、こういうことは制度的にあるのですか。
○石原(一)政府委員 待遇改善だけを理由にいたしまして不利益な処分を行うというようなことはいたしておりません。ただ、すでに御承知のように、刑務所なり拘置所というのがございますのは、社会に危険な犯罪者を隔離いたしまして、社会防衛をするという立場もあるわけでございます。その刑務所、拘置所におきまして暴動等が起こりますれば、これはわれわれ矯正局は言うに及ばず、現場施設の責任となるのでありまして、そうしたことのないように心情安定を図りつつ処遇をしなければなりませんし、また一人の者の誤った言動によりまして他の収容者の生活の平穏を乱すということも避けなければなりません。したがいまして、待遇改善ということではなくて、待遇改善の要求に籍口して、あるいはそうしたことの内容の中に暴動等を起こすような、刑務所の紀律を守らせないようにするような言動が見られましたときには、処遇上、ほかの収容者に悪い影響を与えますので、これを独居房に移す、あるいは本人が非常に暴れて困る、自傷する可能性もあるというような場合には保護房に移す、こういうことはやっております。この点は「在監者紀律ニ違ヒタルトキハ懲罰ニ処ス」という監獄法の規定に基づいて執行しておるわけでございます。決して待遇改善の要求のみによって不利益な扱いをしているものではないという点を御承知おき願いたいと思います。
○西宮委員 その点ももう少し議論をしたいところなんですけれども、政務次官に最後に一言だけお尋ねします。 冒頭、大臣に私が指摘をしたい問題の一つとして、再審の問題をぜひ門戸を大きく開いてもらいたい、そういう制度をつくってもらいたいと申し上げた。もちろん、ここは裁判所ではありませんから、この赤堀事件について再審をしてくれということを言う場所ではありませんし、そういうことは申し上げないので、一般的な制度として、特に白鳥事件についての判決が行われてから裁判所の態度も若干あるいはかなり変わったというふうに見られるのですけれども、それにしても、死刑の判決を受けた者についての再審は今日まで全くないわけですよ。ところが、いま私がるる申し上げたようなこういう事件があり、まだそのほかにも無実を叫んでいる人は、赤堀君も入れて八名もおる、こういう状況でありますので、これがもし一たび誤判の結果生命を失ってしまうというようなことになったら、全く取り返しがつかない。いまの赤堀君のごときは四十八歳でありますが、いままさに四十八歳の生命が絶たれようとしているわけですよ。そういうきわめて危険な関頭に立っているので、われわれとしてはどうしてもこの再審の制度を拡充していくということが絶対に必要だと考えるわけですが、いかがお考えでしょうか、一言だけお聞かせください。
○塩崎政府委員 西宮委員御指摘のように、再審問題につきまして世上いろいろと御意見があることは私も十分に存じておりますし、現在現行法に基づきまして努力はしておるところでございますが、なお手続についていろいろ問題があるやに聞いているところでございます。たとえば再審請求に対する国選弁護人の選任というような問題、これらの問題もいろいろ検討を要する点があろうかと思いますので、これらの問題を含めまして、世上問題になっておりますだけにひとつ慎重に検討させていただきたい、こんなふうに考えております。
○上村委員長 横山利秋君。
○横山委員 まず、外務省、警察庁関係にお伺いをします。 五十一年九月六日の中部読売の報道によりますと、ワシントン四日発として、 米移民当局はこのほど米国に滞在している原理運動「統一教会」(文鮮明牧師)の外国人信者七百人に対し、国外追放の手続きに必要な措置を直ちにとるよう関係機関に指示した。これら外国人の大半は韓国人および日本人で、さきに連邦判事がこれら信者に「宣教師見習」としての資格を認めないとの裁定を下したことに基づくもの。 当地の「統一教会」指導者サローネン氏によると、これら外国人信者はすでに韓国および日本に帰国の準備を進めており、「彼らの滞在目的は、来る十八日ワシントンでの最後の集会に出席することだ」という。ただ、移民当局は外国人信者を直ちに拘束する措置はとらず、通常の不法滞在者に対すると同じ手続きをとるという。 越えてついこの間、五十二年四月二十五日、ニューヨーク二十四日発の特派員の報道によりますと、 二十四日付の米紙「ニューヨーク・タイムズ」が報じたところによると、ニューヨークの米移民局は、商用ないし観光目的で三年前、米国に入国した世界キリスト教統一神霊協会(指導者・文鮮明牧師)の日本人会員百七十八人を国外に追放する訴訟手続きを開始した。 これら百七十八人の日本人は、三年前、移民局に対し、見習伝道師の資格を求める請願書を提出した統一協会員五百八十二人の一部である。移民局で統一協会問題を担当しているヘレン・グラス部長は、見習伝道師について、認定を受けた教育計画がなく、しかも、計画の主目的が資金調達にあるとして、この請願を却下した。 この決定は、その後、連邦地裁の支持を受けたが、統一協会側が、ワシントンの連邦地裁に控訴して、法廷闘争に発展していた。移民局は、この控訴審の決着がつくまで、これら日本人の米国滞在を一応は認める方針。 移民局によると、ほとんどの統一協会員は三年前に、一年間の滞在ビザで米国に入国し、協会の募金活動を行い、ビザの規定に直接、違反しているという。 この報道は、外務省、警察庁は確認していますか。 〔委員長退席、羽田野委員長代理着席〕
○遠藤説明員 いま先生御指摘の二十四日付ニューヨーク・タイムズの記事、これは御指摘のとおり三年前入国いたしました統一教会の関係者五百八十二名、そのうちいまでも残留しております百七十八名につきまして強制手続を開始したという記事でございますが、これにつきまして早速、ニューヨークでもって現地の移民当局に照会したわけでございます。その結果、これは私、実は先週のこの委員会でも御説明申し上げたわけでございますけれども、五百八十二名のうち二百八十一名が日本人であったわけでございます。今般の百七十八名、つまり五百八十二名のうちいまでも不法残留しております百七十八名のうち日本人がいま何名なのかは追って連絡するということで、いまのところその数は承知しておりませんけれども、近日中に報告があるものと思っております。
○横山委員 これらの人たちは研修ないしは観光ビザで旅券申請をしたというふうに聞いておりますが、その辺はそちらで検討していましたか。
○遠藤説明員 先生御指摘のとおり、アメリカに入国しましたときには、いわゆるアメリカの国内法制のB2という観光であったと承知しております。観光からいわゆる教会活動と申しますか、アメリカの法制で呼びますとH3というカテゴリーだそうでございますけれども、教会活動への資格変更の申請をした、そういうふうに承知しております。
○横山委員 私の手元に一つ旅券があり、申請書があるわけであります。この場合は研修ということになっておりますが、大体これらの人たちは観光の場合、研修の場合、お調べになったことがございますか。大体何日間ぐらいというふうに行われていますか。
○遠藤説明員 日本の政府機関が把握できますのは実は旅券申請の段階でございまして、旅券申請の段階では単に観光とかあるいは商用とか、そういうふうな目的が記載されるだけでございまして、それに対してアメリカ移民当局、アメリカ政府がどういうふうなビザを発給するのかというところは承知いたしておりません。
○横山委員 日本の旅券法第五条の二の一項三号に、旅券申請するときには旅行先及び目的を明示することになっておりますし、それに違反した場合には第二十三条で、一年以下の懲役または三万円以下の罰金になっておりますね。
○伊藤説明員 お答えいたします。 そのとおりでございます。
○横山委員 そういたしますと、どういうふうに考えたらいいのでしょうか、渡航に当たっては渡航申請書に研修ないしは観光ビザで行く、向こうへ着いてから、いまのお話のように教会活動をしたいというふうに向こうで移民局に申請をする。移民局は、今度の報道でもありますように、それは認められぬということになったが、仮に認められた場合にはこれは日本政府としての旅券法違反にはならぬのですか、やはりなるのですか。 それから次の質問は、向こうで観光を教会活動にするという申請をすること自身はいいことですか。合法ですか。 それから、だめだと言って不法残留だと断定された場合には旅券法上はどうなるのですか。
○伊藤説明員 お答え申し上げます。 旅券の申請段階におきまして、あらかじめ当該本人と、それから外国におきます当該教会との間である種の雇用契約があって、明らかにその布教活動に従事するということが予定されておるにかかわらず、その事実を隠蔽して観光等の私的目的ということで旅券を申請しかつ旅券を取得したということになりますと、二十三条一項一号該当の容疑がある。 ただ、問題は、その行為を具体的に処罰し得るかということになりますと、行政官庁側といたしましては、まずその事実関係を立証しなければならないということもございますし、かつ、その現実の外国において行った在留活動との関連で、その立証問題もございますし、非常にその辺のところは技術的にむずかしい、こういう点はございます。 それから、観光目的で行った者が、あちらへ参りまして布教のための在留申請をするということにつきましては、それは本来の渡航目的からいきまして必ずしも好ましいことではない、このようなことは言えるかと存じます。ただ、それに対しての結論は、当然その外国側の行政処分の問題でございますので、それ以上のことはわが国としては論じ得ないということでございます。 それから、具体的にアメリカ、外国側で当該在留が拒否された、こういう場合でございますが、それは当該布教活動が結局なされたかなされなかったのか、その辺の退去強制事由の原因の中身を判断した上でなければ、わが方の旅券法の罰則との関係では議論できないということだと思います。
○横山委員 この報道によりますと、前から私が指摘しておったところでありますが、国外に追放する訴訟手続を開始した、そして移民局は布教活動の請願を却下した、だから裁判で争われておるのですけれども、これが出ていけということになって、自費出国ということになれば、これは入国の場合にはその事実はわかるのですか、わからないのですか、これが一つ。 それから、国外に追放する、強制送還になった場合には、入国の場合にそれはわかるのですか、わからないのですか。あるいは強制送還の場合には日本政府に通知があるのですか、ないのですか。
○吉田(長)政府委員 お尋ねの第一点でございますが、わが方としてはわかりません。 第二点でございますが、強制送還になりました場合には、大抵の場合、それを乗せてきた航空会社から、この人はアメリカから強制送還になった人ですと、こういう通告がございます。また本人が申し立てることもございます。そういう場合はわかります。
○横山委員 ややその辺が、強制送還になる、他国の国民を強制送還にするということは異常なことですが、たとえば日本政府が他国の国民を強制送還する場合に、やはりアメリカと同様ですか。相手国政府に通告をしないのですか。
○吉田(長)政府委員 韓国の場合でございますが、これは帰還船に乗せまして韓国側に引き取ってもらうわけでございますので、韓国政府にあらかじめ強制送還者のリストを提示いたしております。 それ以外の場合は、たとえば自費出国にいたします場合は相手国に一々通報はいたしておりません。
○横山委員 そこで、強制送還にアメリカからなってきた場合の強制送還者の扱いは、入国管理局及び外務省としてはどういう措置をとりますか。
○吉田(長)政府委員 これは、日本人の場合はあくまで本国への帰国でございまして、これはパスポートを持っているとか持ってないとかにかかわらず、あらゆる日本人は日本の国へ帰ってくる権利を持っておりますので、強制送還になった場合も、ブースを通るときに何ら問題はございません。
○横山委員 外務省もそうですか。 私の伺っている点は、強制送還になった者を受け入れるなと言っているわけではありません。その人が今後またどこかへ行きたいという場合があるだろうと思う。そういう場合には両者はチェックをしていくのですか。それとも、帰ってきた者はしようがないで受け入れて、後はチェックもしないで、リストもつくらないで知らぬ顔をしておるのですか。法律上及び行政上どうなるのですかということです。
○吉田(長)政府委員 その日本人が帰ってきた後の問題でございますが、これは出入国管理令上は何ら制限はございません。 ただ、もう一度その人が出たいという場合は、旅券の発給を受けなくてはなりませんので、それは外務省の問題となります。
○伊藤説明員 旅券法十三条一項一号という規定がございまして、要するに外国の法令によりまして当該本人が入国を拒否されるという場合につきましては、旅券の発給を拒否し得る一つの事由になっております。したがいまして、これらの者が、アメリカならアメリカの法令によりましてアメリカヘの再入国を禁止されるということになりますれば、これは旅券の発給拒否の一つの事由になるということでございます。 〔羽田野委員長代理退席、委員長着席〕
○横山委員 旅券法の十三条一の規定は、二十三条の規定によって刑に処せられた者はということではないのですか。刑に処せられなかった、それが国外追放であるけれども、いろいろな判断で刑に処するまでもないということになった場合には、その人は国外追放者であってもどこへでもまた行けるのかどうかということをお伺いします。
○伊藤説明員 旅券法十三条一項一号の規定は「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」という規定でございまして、したがって、いかなる事由によるかにかかわらず、当該渡航先、本人が渡航しようとする渡航先の法令によって入国が禁止されておるという場合にはこれに該当する、こういうことでございます。
○横山委員 この間も披露したわけでありますが、名古屋市中村区大宮町の山田健一氏の長女山田康子、それが、 四十九年十一月二十四日、日航ニューヨーク支店より連絡により当方に電話あり驚きました。 それによると「お宅の娘さんが一週間の観光旅行にてニューヨークにて日本に帰るのに搭乗拒否されて困って居ります。娘さんがアメリカに止どまり福祉活動に盡くしたいと申され、どうしたらよいのでしょうか」との話。以前統一協会に入信していましたから、又その関係で働くことですから日本へ戻る様にと御願い致しました。渡米してより一ケ月過ぎ日航ニューヨーク支店長が再度歸国する様に説得いたされたが聞き入れず「福祉協会の保証人を立て手続をして働きます」と打切り。現在子供からの便りによると人蔘茶売りに活動して居ります。この様にして統一協会傘下で働く事が出来るのでしょうか 統一協会側は「当方に関係なく責任はありません」との話 誰れの保護も無く奉仕活動に統一協会の為に布教に物品の販売に働かされ、事故のあった場合又生命の安全は誰が保障し責任を取るのでしょうか。 五十一年一月二十六日午前十時 アメリカ領事 別紙の件に付き通訳を通し話しを聞きました。領事は、 この原理運動の有ることはよく知っています。又非常にこの問題に対し困っています。山田康子さんの件に付いて調べてみましたが、第一回に四十九年九月二十三日神戸にて渡航申請され却下されており、第二回に日本航空より申請にて一週間の観光ビザにて許可されております。 アメリカの法律によりそれ以上の滞在は許可されておりません。違反しております。 アメリカ国内に於て観光の目的で渡航して物品の強要販売、金集めに活動する事は禁じられ、これも違反しております。 たとえアメリカの福祉団体が保証人となり滞在しても、その申請に於て資格がないと思います。又、布教活動と認め得ない。違反しております。 国外退去を一週間の期限を以て通達致します。期限内に国外に出ない場合は強制送還の処置を取ります、との見解でした。 それで、いま法的なところはわかりましたが、ここに、五十年六月から五十一年にかけてでございますが、統一協会から世界各国に、約九十八カ国くらいだというふうに推定できますが、行っております。これらのほとんどが観光で行って、そしてそのままもぐってしまっておる。そして父母との間に音信不通という状況にあるわけであります。 たとえば、これらの消息を見ますと、「ニューヨークで日本人殺される」「渡辺さんは「世界キリスト教統一神霊協会」の米建国二百年祝賀大会参加のため訪米」「ブルックリン地区で 黒人ハイティーン四人に襲われ、今月一日死亡した。」「犯行の動機は物とりとみられている。」それからアメリカの二十二階の建物から落ちて死んだ者等がございます。 そこで、私が外務省に聞きたいのは、この間も、あなたはいらっしゃいませんでしたので大臣に尋ねたのですが、原理運動の信者が、観光と言おうがあるいは研修と言おうが、原則的にそれで行って居座って、アメリカないしは各国で布教活動をするということは、いまや公然の事なのであります。 そこで、一体、新しく原理活動の若い人たちが観光で行くというから、渡航申請書に書いてあるから、これは何ともしようがないというものであろうか。ほとんどがそのまま居座ってしまって、いまの山田さんの例のように帰るのをがえんじない。そしてアメリカが一番いい例でございますけれども、結局は、わかれば国外追放。ドイツがやはり韓国に対して強制送還をしたそうでありますが、そういうことがもう公然の事実となっていることについて、外務省としては、新しくこれから申請をしてきたときに、この人は初めてだから、この人はそういう前のいきさつがないから、また向こうへ行って居座ることがわかっておっても仕方がないものであろうか。この点について行政上どういう配慮をなさいますか。
○伊藤説明員 先生御承知のとおり、現行旅券法というのは、旅券の発給を拒否し得る事由、こういうものを厳しく制限してございまして、原則として犯罪関係者について旅券の発給を禁止する。それに唯一の例外は、わが国の利益もしくは公安を著しくかつ直接に損なうおそれがある、こういう者について旅券の発給を拒否するというふうになっております。 したがいまして、現段階におきまして、これらの者が、まさにいま申し上げましたように、わが国の利益または公安を著しく損なうおそれがある者というふうに認定し得るかというと、それはむずかしい、困難があるということだと思います。したがいまして、法令上は、現段階では旅券発給を拒否する、こういうことは非常にむずかしい。 ただ、実際上いろいろ御父兄等から申し入れがございますので、その際に、実際上何らかの、たとえば御父兄の説得等に応じさせる程度の時間を若干とるとか、そういう事実上の措置はケース・バイ・ケースであり得るかと存じますが、法令上はいま申し上げたようなことでございます。
○横山委員 あなたがいま最後のところでおっしゃったように、一番著名な例は集団結婚のときであります。あれほど全国の各マスコミが騒いだ集団結婚、御存じかと思いますが、全くきょうまで見も知らぬ娘、息子が、お父様文鮮明のお言葉として結婚することになった。中には日本人同士でなくて韓国人との結婚もあり得るということで、父母が半狂乱のようになって、各県の旅券の関係の事務所へ行ったり、外務省へ行ったり、そしてとにかく旅券を発給する前に一遍娘と会わせるようにしてもらいたい、あるいは発給をとめてもらいたいということが、あの当時大騒ぎになりました。 いまでもこれは、私がここに父母のアンケートを全部持っておるわけでありますが、この中で、いつまた、第何回になりますか、集団結婚があるかもしれない、あるいはいつ子供が外国へ行ってしまうかもしれない、だからその点も、チェックするとなれば、あと各県の旅券手続をする事務所、外務省しかないというふうに、非常に期待を持っておるわけであります。 だから、私の言いたいことは、一つは、この種の統一協会の若い人たち、原理運動に従っている若い人たちは、旅券法違反をするに決まっておる。これはもうあらゆる事例がみんなそうなんでありますから、決まっておるものを、申請書に観光と書いてある、一週間と書いてある、一月と書いてあるから仕方がないではないかというだけで一体行政上済ませるものかどうか、これが御考慮を願いたい第一です。 それから第二番目には、いまも言いましたように、旅券法違反を現実にした、そして航空会社から通知を受けた。入管並びに外務省が、この次の発給についてもう少しチェックをしておいて、厳密な処理、いまも御説明はありましたが、しかしみすみす強制送還されてきた者を、またこの種の旅券を発給するということについて、もう少し厳正な措置をとるべきである、こう思いますが、両省の御意見を伺いたいと思います。
○伊藤説明員 お答え申し上げます。 観光であるがゆえに自動的にしようがない、そういうことを必ずしも言ってはいないのでございまして、要するに、観光等の理由で申請されておるから、事実上御本人がそういう布教活動に行かれるということを知り得ないという状態であるということを申し上げておるわけであります。 では、たまたま知った場合にどうするかということにつきましては、法令上の問題は先ほど申し上げたとおりでございますが、実際上の扱いの上におきましては、御父兄等の心情等も十分配慮しながら、できるだけその辺は実態に合ったような取り扱いをしてまいりたい、かように存じます。 それから罰則の点につきましても、それは先ほど申し上げました法律の問題になりますので、先ほど申し上げました以上のことは出ませんが、いずれにしても、また旅券の出る段階におきましてはいま申し上げたような趣旨で十分に配慮してまいりたい、かように思います。
○吉田(長)政府委員 入管局としましては、外務省から旅券の発給を受けて飛行場へ来た人を、有効な査証がある人に対して出国をしてはいかぬと言うことは法律上できない立場にございます。 ただ、これは逆でございますけれども、ちょっと御参考までに申し上げれば、海外にいて強制退去を受けて入ってきた人は、強制退去をさせた国は何年間か、わが国の場合は一年間でございますが、入国を認めませんので、査証は発給しない。したがいまして、実際上その国へ一年以内に再渡航はできない結果になると思います。
○横山委員 もちろんそれはアメリカへは行けませんけれども、ここにございますコロンビアからベネズエラ、ボリビア、メキシコ、エクアドル、パナマ、パラグアイ、ウルグアイ、スリナム、ギアナ、コスタリカ、グアテマラ等々九十八の国へ、皆名前もわかっておるのですが、行っておるわけですね。これらがみんな観光で行って、そのまま居座って、そして尾羽打ち枯らしたかっこうでニンジン茶を売ったり花を売ったり、あるいはいろいろな布教活動をやっておる。こういうことでございますから、アメリカへは行けないかもしれぬけれども、ほかの方へ転出されるということでございます。 それから刑事局へ聞きたいのですが、これは外務省へ聞いた方がいいかもしらぬけれども、私はさっと読んだだけですが、旅券法違反をやれというて、事実上旅券法違反をすることを知っておってそれをさせる人間はどういう罪になりますか。
○伊藤(榮)政府委員 多くの場合教唆犯になります。それから場合によっては、もともと本人が意思を固めているのをけしかけたということになると幇助ということになると思います。
○横山委員 初めて海外渡航する若い青年、婦人が旅券法をよく知っておるわけではないと私は思うのです。その罰則を知っておるわけではないと思うのです。それを、原理運動の指導者なりあるいは旅行あっせん業者なりは、従来もう何百人と取り扱っておるのですから、この人たちは向こうへ行ってこの期間内に帰ってこないということを知りつつ、それを毎年送っておるということについて、いま刑事局長のおっしゃるように、これは教唆でございますか、幇助でございますか、そういう点が明らかだと思うのでありますが、外務省では、これらの旅行業者がすべて手続業務をやるのでございますけれども、こういう本人をどうのこうのと言う前に、いつも手続をする業者、そういうものを押さえて、かかる者については今後戒めるという措置をとる必要を認めませんか。
○伊藤説明員 現在旅券の申請につきましてはあくまでも本人申請を原則にいたしております。したがいまして、それはあくまでもその本人の意思に基づいて申請がなされておる、かように考えております。ただ付随的な事務その他についてエージェント等がある種のお手伝いをするということはございますが、特に本件につきましてその辺の教唆とか幇助とかいう関係があるというふうにはまだ理解しておりません。
○横山委員 この間も披露したのですが、あなた方まだお見えになりませんでしたので、三省に聞いてもらいたいと思うのですが、これは「成約の鐘」という原理運動の機関誌でございまして、この中に——四十九年五月七日、帝国ホテル孔雀の間で希望の日晩さん会がございました。そこへ現在の総理大臣、当時の福田大蔵大臣が出席をして、そしてあいさつをされ、遠くでごらんになってわからないかもしれませんけれども、こちらが文鮮明で、こちらがいまの福田総理大臣でありますが、まあ外国なら珍しくもありませんけれども、帝国ホテルでこんなかっこうをして抱き合っているというのは全くぶざまなことだと思うのでありますが、そこでその文鮮明が長々とメッセージをしました。メッセージというより講演でしょう。しかしこの本では「みことば」ということになっております。その「みことば」の中にこういう文章があります。 アメリカの一番むずかしい所を我々が責任をもつ。これのためには人がいない。人数がいない。人数がない。アメリカはもう統一教会のメンバーがもう何千人もいない。そのメンバーでこれはもうアメリカを動かすことができない。それで各国から十一カ国から若い青年達を千名近く緊急それで動員したんであります。それが今になって非常に問題になってきておる。これはもう今から宣伝になってイミグレーションで問題になってきておる。統一教会にやっているのはすばらしい。その青年は日本ばかりでなくアメリカで頼しい。しかし、法的な目から見た場合には、これは旅行ビザでも違うビザをもって来てそれは献金活動とか商売とかそれはできないようになっておる。しかし、これは法的にひっかかっても、アメリカの為に、アメリカの国民以上に先頭に立ったとするならば、神の法にはひっかからない。 こういう文章なんであります。これは明らかに、旅券法に違反をしても神様がお許しになる、しっかりやれという文章なんです。そのほかたくさんございますが、きょうあなた方に関係のあるところはそこでございます。そういう演説をして、千六百名内外の日本人が拍手をしているわけですね。これを一体外務省はどうお考えになりますか。
○伊藤説明員 まあ宗教上の問題でございますので、いろいろな解釈もあろうと思います。まさにその個人の信条の問題でもございますので、具体的にわれわれがこの段階で論議するわけにもいかないと思います。したがいまして、われわれの立場といたしましては、あくまでも具体的にある種の違反が犯された、こういう段階でその問題を考える、こういうことしか、現在の段階では申し上げられないのであります。
○横山委員 きょう短い時間ではありますが外務省と法務省の入管とに聞きましたのは、単に普通の問題ならば、私もこうも追及しないのであります。統一神霊協会によって起こっております問題は、ここ数年来新聞雑誌に満載されておりますし、本委員会も、これでもう五回目ぐらいになりますか、あらゆる角度でこの問題を追及しておるわけであります。単に旅券法に違反したというのでなくて、それによって生じております殺人、自殺、精神異常、家族の破壊、人権じゅうりん等々は全く政治問題化しております。その一番根源となる若い人たちがやっておることは何かといいますと、原理運動の教義を信じておることではありましょう。しかし文鮮明が、法的にひっかかっても、アメリカのために、アメリカの国民以上に先頭に立つとするならば、神にはひっかからない。つまり旅券法なんかくそ食らえ、神様がお許しになるからどんどんやれ、簡単に言うとそういうことなんであります。それが御言葉なんであります。その御言葉に対して、福田現総理大臣を初め千六百名の朝野の名士が拍手を贈った、そこだけに拍手を贈ったわけではありませんが、最終的に拍手を贈っておる。ゆゆしいことだと私は思う。少なくとも日本の法律、アメリカの法律に違反しても、神様がお許しになるのだ、こういう論理、若い青年諸君たちはまじめにそれを信じておる。率直に申しますが、まじめに信じておるわけです。そういうことはいけないことだということでこれのチェックをきょうは両省にお願いしておるわけですが、どこかの行政機関が、それは違っている、日本の法律には反しておることだということで予防的にもチェックをしなければ、これはもう法律なんかくそ食らえ、神様がお許しになるのだからというようなことです。これから外務省に関係のない警察関係の諸問題に移るわけでありますが、ちょっとの間その警察関係の諸問題を聞いておっていただきたい。 警察庁、この間ちょっと十分な質疑ができませんでしたが、簡単にきょうは経過を一つずつお伺いいたします。 まず第一に本委員会で取り上げました三重県の浜田さんという御婦人、学校の先生が、統一協会へ子供を返してくれと苦情を言いにいって暴行を受けた問題について、伝えるところによりますと、警察庁は電光石火のごとく逮捕をされたそうでありますが、この経緯を簡潔にひとつ御報告願います。
○佐々説明員 前回の委員会でお尋ねいただきました、渋谷署において検挙いたしました、浜田さんという被害者に対する暴行事件でございますが、これはただいま先生御指摘のように、四月十二日に暴行傷害被疑事件といたしまして通常逮捕し、十四日に関係記録とともに身柄を東京地検に送致してございます。現在勾留中でございまして、五月の三日まで勾留中でございます。 なお、その前日に同様この本部において行われましたほかの父兄の方二人に対する暴行事件につきましても、あわせて検挙取り調べ中でございます。
○横山委員 子供に会わせてくれ、そして話し合いをさせてくれと言った母親に対する暴行事件なんであります。 そこで、浜田さんから私のところへ陳情がありました。母親としてまあもっともな話ではございますけれども、要するに、自分が決断をして訴える、調書にも判こを押す、診断書も出すということによって、娘が内部で報復手段を受けるおそれがある、娘はかつて自殺未遂をしたことがある、そういう状況であるから、協会内部においてどんな事態があるやも知れない、この娘の身柄を保護してもらいたいという陳情がございました。あなたの方にもそのお手紙は回付をしておきましたが、あなたの方としてはどういう手段をおとりになりますか。
○佐々説明員 その後、先生御指摘のように、この娘さんから手紙が参りまして、内容的には恐らくいろいろ事情があったのかもしれませんけれども、自分は元気でやっておるという趣旨のものでございまして、所在地についてはその手紙の消し印その他から現在家出人という形で調査中でございます。
○横山委員 もし娘さんが健在で自分が何の問題もなく暮らしておるとするならば、なぜ住所を書かないのであろうか、また協会側としてもなぜ一体娘さんをお母さんなりお父さんに会わせないのであろうか、そういうところにお母さんの非常な心配があるわけであります。私は政治家として一つの信念と責任を持っておりますからいいのでありますが、私が本委員会でたびたび、これからいろいろ名前を挙げます人たちについて、議事録に載る人たちについて、何らかの報復手段が陰に陽に脅迫なり何なりがありはしないかということを私は常に心配をいたしております。私はこれからも参考人の出頭を求めておるわけでありますが、そのかつて入信しておってもとへ返った若い人たちが、協会内部の諸問題、違法、不当、人権じゅうりんの諸問題を参考人として本委員会にあるいは私どもに言うたことによって何らかの報復手段が行われることを、従来の例からいって非常に心配をしておるわけでありますが、この点について、警察庁として、いやしくも本委員会において名前の出た人、出席して話をした人、そういう人たちに対する報復手段が仮に行われる場合、警察としてはどういうふうになさいますか。
○佐々説明員 まず第一に、本委員会において先生から名前を挙げてお尋ねがございました方々にかかわる渋谷警察署の事件に際しましても、私ども事件検挙に際しての新聞発表には、ABCというような形で被害者の氏名を発表しないようにいたしまして、まずそういう被害者側の氏名が不必要に一般に知れないよう配慮をいたしました。また、そのお名前の出ました方々、三重県松阪署の方でございますけれども、この方につきましては、直ちに松阪警察署の刑事課長がその被害者の方のお宅に伺いまして、身辺に危害の及んだ場合の打ち合わせ、たとえば一一〇番をかけなさいということ、自宅から連絡のできない場合には隣家に頼んで速報態勢をとること、また警察側といたしましても、たまたま松阪署から二百メートルほどのところでございますので、重点警らを行って常時立ち回って何らかの報復措置が行われることのないよう配慮いたしております。 なお、御本人は、むしろ警察に頼みたいのは娘を早く連れ戻してもらいたいことである、報復を受けるとは思っていないけれども、保護を頼むとすれば、相手と顔を合わせる裁判所であるとかその話し合いをするとき、こういうとき保護していただきたいという御依頼でございます。 また、そのほかの渋谷署の事件の関係の方々にも、同様一一〇番非常通報態勢の確立、巡回連絡の励行、重点警らその他被害者保護のための万全の措置をそれぞれ係官を派遣して打ち合わせをいたしておりまして、この点については被害者側から大変感謝していただいております。
○横山委員 調査を頼んでおきましたが、加藤福美、神戸市須磨区大手町四、神戸女子短大二年、二十歳で、他殺を受けました、五十二年二月四日東灘区の住宅街の小川で半身裸の変死体として他殺。五十二年一月中旬家出。教会に出入りした事実あり。五十一年十二月二十二日家出、一週間の修練会に参加、宝塚、守山、厚木等、終わって正月家に帰ったころの精神状態、健康状態が異常であった。この他殺事件は、その後調査はどこまで進んでいますか。
○佐々説明員 昭和五十二年二月四日午後三時五十分、神戸市東灘区住吉町牛前町一の二先の疎水路内から神戸女子短大の二年生の加藤福美さんの死体が発見され、状況から、この事件は他殺事件であると判断されます。死体解剖の所見では、死因は頸部圧迫による窒息死ということでございまして、刑事部長を長とする百三十八名の体制で鋭意捜査を続けております。捜査の内容につきましては、捜査中の事件でございますので、詳細の答弁を差し控えさせていただきますが、現在差し支えない範囲で申し上げますと、本人は一度原理運動に参加するように友達から勧誘されたことはあるようでございますけれども、その後はこの運動には関心を示さなかったというふうに承知いたしております。
○横山委員 お父さんから私に連絡があったところによりますと、自宅に原理運動の本が発見された、こういうことでございまして、私もこれが原理運動に直接関係があるという確証を持っているわけではございません。しかし、私どもの方の調査によると、修練会にも参加したという話でございます。一層の鋭意調査を望みます。 次は、これも原理運動に関係があるかどうかわかりません。堀本信也、高知県宿毛市平田町戸内、武田金福長男二十歳。五十年六月五日、信也は精神錯乱状態で、悪魔をやった、悪いことをしていない、人類のためにやったと口走り、夜十時四十五分ごろ、金福、お父さんの首を持ってうろついていた。殺人の現行犯で逮捕。これは、わかりませんが、悪魔をやった、悪いことをしてない、人類のためにやったというその物の言い方が少し気にかかる。私どもの調査によると気にかかるわけであります。これは通告しておりませんけれども、後で御調査をお願いしたいと思います。 それから、死亡、上見繁樹、青森県五所川原市字長富、上見義直氏長男二十四歳。福島大一年の際入会、以後行方不明。両親が統一協会に問い合わせたが、大阪、東京、仙台と行方を変えられ、その都度尋ねあぐみ、やっと三年目に、昭和四十九年、仙台国立病院に白血病で入院中の本人に面会、ところが、他人の名前でいた。死の直前本人の名に直した。八月死亡。協会では会員ではないと拒否、幸世商事として花輪が来た。幸世商事というのは、御存じのように統一協会の販売機能の会社でございます。 そこで、厚生省においで願っておりますが、厚生省と刑事局にお伺いをしたいのでありますが、健康保険法で、自分の健康保険証を他人に使わせるということは、自分の罪はどうなのか、それから、人の健康保険証を健康保険に入ってない人が勝手に使う、そしてそれで治療を受けるということが一体法律上どういうことなのか、伺いたいと思います。
○坂本説明員 お答えいたします。 健康保険証を、一つは、自分のものを他人に使わせた場合、もう一つは、他人の健康保険証を勝手に使用した場合、どういう罪に当たるかというお尋ねでございますが、私どもが直接担当しております健康保険法には、そのような事例についての罰則関係の規定がございません。これは、私どもとしては、恐らく刑法上の問題としてはそういったところにいろいろな関係があるかと存じておりますけれども、健康保険法上は直接規定はございません。
○横山委員 それは私も、どうもそうらしいと思って、いささかどうかなという感じがするわけでありますが、刑事局はどういうふうにお考えになりますか。
○伊藤(榮)政府委員 健康保険の関係は素人でございますので、多少見当外れになるかとも思いますが、他人の健康保険証を使って、他人になりすまして医療を受けて、その関係で自分の支払いを免れたということになれば、一応詐欺罪の構成要件に該当するのではないかと思います。
○横山委員 ここに父母からのアンケートがこれだけございます。この中で、健康保険証を持っているかいないかの調査をしてあります。この調査によりますと、家庭で国民健康保険に入っている、職場で健康保険に入っていますが、職場のやつは、もう退職してしまうんですからそれは切れることになる。家庭にありますものは、送ってくれというので送ったやつもある。しかし、父母とけんかしておりますから、送らないというふうに言っているものがある。それから、統一教会は全国的に、たとえばあなたの町にも統一教会がありますというのが、全国にホームなるものがこれだけあるわけです。ざっと勘定しても百以上になるでしょう。それから世界統一十字軍というのが別途組織であります。それから、統一産業を初め、あらゆる傍系会社が全国にあるわけであります。統一協会としての記者会見によります公式の発表によりますと、信者二十六万と公式に発表されました。しかし、識者の判断では、専従者はその半数であろうと言われています。したがって、少なくとも十三万から十五万ぐらいの専従者がいるのではないかと思われるのであります。その専従者、つまり、ある人はホームにおってニンジン茶を売るなりあるいは勉強をしておる、ある人は統一産業に入り、あるいはクリニックに入り、あるいは代理店に入る。それは、私どものこの調査によりますと、少なくとも三カ月か半年ぐらいでぐるぐる全国を回らされておると思われます。したがいまして、そういうところで、原則的に私がこの調査で感じますことは、統一協会、統一産業、幸世商事以下すべてのホームで、健康保険に加入をしておる事実はまずないだろうと判断がされるわけであります。しかのみならず、断食をする、そして、二年前の調査でありますが、今日でも余り変わらないと思うのですが、一日にパンの耳、耳というのはやっぱり信仰に関係があるわけですが、パンの耳と三百円をもらって一日じゅう駆け回って、まあ私どもに言わせればノルマでありますが、一定の期間の間にニンジン茶を幾ら売る、それから募金をどれだけするというノルマがあるわけです。そのノルマで、パンの耳と三百円をもらって駆け回って、夜の十二時ごろまでは寝られない。朝は五時か六時に起きる。そして、ちょっと成績が悪いと、一晩じゅう神の前でざんげをして祈る。こういうことでありますから、この統計で見ますのは、ほとんどが健康が悪いわけであります。ある者は入院する、ある者は家へ帰ってきて金をせびっていく、そういう状況でありますから、統一協会関係の健康保険の問題の中には、この上見君なんかは白血病で入院して死ぬまで人の健康保険証を使っておったということでありますから、この上見君は死んだのでありますけれども、もうこの種の問題、他人名義の健康保険証を使うということは実に広範に行われていると考えざるを得ないのであります。そういう状況について厚生省はどうお考えになりますか。もし資料が欲しいというなら、全国的なホーム、関連会社関係、全部あなたの方に資料を差し上げてもよろしい。一体この他人名義があるかないか、健康保険に入っているかいないか、一人や二人ではございません。私の対象にいたしますのは、十数万の人たちの問題でございます。どうお考えになりますか。
○坂本説明員 私どもの立場からいたしまして、特にいま先生がおっしゃいました原理運動と申しますか、そういう人たちが実際にどこにどういうふうにおられるのかということは、直接行政の問題として把握する立場にございませんために、今日まで先生のおっしゃいましたような事実については非常に私どもも不明でございます。したがいまして、ある場所でそのような事実はあるいは行われておるかとも思いますけれども、現在の健康保険の制度から申しますと、特にそういう原理運動という点に着目しての調査というような問題も、直接には行い得ないような状況でございますために、実際に医療にかかる場合の方法などについて、私どもとしては事実を明らかにいたしておらないわけでございます。 それと、健康保険証の他人のものを使用した場合の問題につきましては、どのように他人のものを使うか、これも具体的な方法としてはいろいろあるだろうと思われますけれども、実際にそれを仮に使用したといたしましても、健康保険の加入者としての名前はこちらに上がってまいりますが、実際に使用した人の名前というものは、全く行政上の手続としては載ってまいりませんために、なかなかそういった事実があるかどうかということも制度の上からわかりにくいような状態でございます。したがいまして、私どもとしては、現実にどうなっているか、この辺についてはいまのところ実情が明らかになっておりません。
○横山委員 それでは、少なくともいまの上見繁樹君が仙台国立病院に四十九年白血病で入院中他人名義である、その事実関係だけは調べておいていただきたいと思うのです。 私が警告したいのは、なるほど健康保険法では、人に健康保険証を貸しても、人のやつを使っても、健康保険法上の違法にならずに、刑法上の責任であるということは、現行法ではそうかもしれません。しかし、これは予見されることでございますし、いま現に行われておることでございますから、この種の問題は、近い将来、健康保険法の改正が仮にあるとするならば、この点についてひとつ法律上の制度、規定を設ける必要があると思いますから、これも御検討を願いたいと思います。 それから、民事局長はおいでになりませんけれども、ひとつ刑事局長にお伺いをいたします。 死亡、長岡悟、秋田県能代市桧山字新田家の前七七、長岡金吾氏長男、二十三才。昭和五十年二月死亡。前年統一協会員の誘致で群馬県前橋市の教会修練会に入会。四日目に精神異常を来し、教会は悟君を放り出し、新宿警察に保護され、親に通知。その後帰宅、加療中突然家出し、投身自殺をする。上智大学三年生。 それから、自殺、二階堂いく子、宮城県栗原郡金成町姉歯字梨崎佐野八、二階堂文夫氏長女。昭和二十五年十二月四日生まれ。昭和四十六年十二月自殺。昭和四十五年五月教会に入り、八月初め神奈川県厚木市の特別修練会に参加後狂信的となる。うそを言い、だまし、ついに精神病状となり入水自殺をする。 この二つの例の中からどういうことが考えられ、るでしょうか。 民法二百十八条を考えますと、要するに私の意見は、とにかくこの若い青年たちを統一協会が信仰させるのもよろしい、あるいは断食も一つの宗教儀式としてあってもよろしい。しかしながら、この人たちを保護し、そうして健康状態を保全する管理的な責任があるのである。それを、もう気違いになりかけた、あるいはもうだめだということでほうり出す。ほうり出して家へ帰ってくる、家で死んでしまう、あるいは自殺をしてしまうということについて、父母からそういう管理責任を訴えることが可能かどうか、民法二百十八条で、その点について統一協会の責任あり、こういうことを考えるのですが、御意見を伺いたい。
○伊藤(榮)政府委員 ただいま民法とおっしゃいましたが、刑法の間違いであると思います。それを前提としてお答えいたします。 御指摘のように、修練道場というものを必ずしも私実態をよくわかりませんが、そこへ泊まり込んで、新しく入ってきた者に信仰心といいますか、そういうものを吹き込むという過程において心身の異常を生じたということになりますと、修練道場の責任者といいますか、そういう人が保護すべき責任があるというふうに見られる場合が多いのじゃないかと思います。そういう人を何らの医療等をしない、おっぽり出すということになると、刑法二百十八条の保護責任者遺棄に当たることも考えられるように思います。
○横山委員 それが成人者であった場合の一般論をいま伺ったのでありますが、この若い人たちには未成年者がまたきわめて多いのであります。未成年者の場合の親権者の権利についてはどうでございますか。
○伊藤(榮)政府委員 いま申し上げておりますのは、刑法二百十八条の保護責任者遺棄という犯罪は、被害者が成年者でありましても未成年者でありましても、それがいわゆる病者であれば同じことでございます。そうなりますと、あと問題は御両親がそれを訴え出るとかそういう問題になりますので、そういう点は、御両親であれば当然捜査機関等に対して訴え出られるということによって捜査が始められる、こういうふうに思います。
○横山委員 未成年者には特別の規定があるわけではありませんか。住居の指定、親としての懲戒権、職業の許可、監護教育の権利義務、財産を管理する権利、代表権がたしかあったと思うのでありますが、未成年者がそういう措置に遭った場合には、特に、何らかの法律的な保護ないしは相手に対する請求権、そういうものがあるのではありますまいか。
○伊藤(榮)政府委員 親権の効力の問題かと思いますが、何分民法の方は素人でございますので、間違ったことをお答えするといけませんから、御容赦願います。
○横山委員 厚生省、ちょっと先ほどのに追加しておきますが、健康保険のない者として、東京都の佐藤尚芳、青森県の片石美恵子、東京都の渡辺愛子、福岡県の田中尚子、これらは家庭のアンケートによりますと健康保険証がございません。これらはまだ整理の最中でございますけれども、ずいぶん枚挙にいとまがないことでございますから、その点をひとつ調べておいていただきたいと思います。それから今度は、行方不明であります。久保正子、盛岡市境田町二ノ六国鉄官舎十六の十二、久保正勝長女二十二歳。短大卒業後入信。以後父母との間に取り戻し四回繰り返し、その後行方不明。盛岡統一協会が手をかして東京の協会に移していた。警察に届け出たが、本人がいでも出さない。警察が拘束の疑いありと言ったが、逮捕状を持ってこいと主張して物別れ。 自殺、福島県小名浜、原喜四郎娘。 それから自殺、磯崎正規、大船渡市磯崎伊勢五郎四男。鉄道自殺、四十六年十二月死亡、新潟大学生。 行方不明、穴田和子、福島県双葉郡富岡町夜の森南一の五六、穴田和子長男。昭和四十八年入信、十字軍に入り、地方巡回。五十年米国の班長。親が取り戻したが顔色悪く、狂気のようだった。その後家出、現在行方不明。 監禁失調、死亡、山田龍男。大阪府茨木市上穂積九十、生命の貯蓄クラブにて昭和四十五年七月十五日死亡。関西大学一年入信。これはこの間同僚諸君が質問をしたケースだと思います。 この種のケースを数え上げますと全く枚挙にいとまがないのであります。時間の関係上、これ以上はきょうは省略いたしたいと思いますが、とにもかくにも、いままで個々のケースとして警察庁あるいは人権擁護局等が扱っていただいたわけでありますが、繰り返し私が申しますように、これは全国的なもの、普遍的なもの、しかも画一的なケースということを言っても過言ではございません。 それで、どうぞひとつ、厚生省にしても、あるいは警察庁にしても、あるいは外務省にしても、統一原理運動というものの表面に浮かび上がった、自分の所管の、法律的にはまあまあと思うことであろうけれども、それがきわめて奥底の深いもので、自分のところでチェックをすればかなりそれから発する諸問題がカバーできるということをひとつ理解をしてもらいたいのであります。 私がよく言うのでありますけれども、ずいぶん、正常に戻って帰ってきた青年がいます。その人たちは、どういう意味で原理運動から立ち直ったかと言いますと、実はキリスト教の正規の牧師さんと話し合ってみて、原理運動が間違っておったということがわかったときに帰ってくるわけであります。いまあなた方にお願いしておりますような、違法だから、間違っておった、法律に触れたからこれはいけないと思ってうちへ帰ってきたというケースは、残念ながら余りありません。やはり信仰というものは恐ろしいものだということを痛感いたします。先ほど御紹介いたしました文鮮明のみ教えのように、目的が正しければ手段は神様がお許しになるという論理でありますから、いささか、私どもが一生懸命になっておりますのは、靴の裏から足をかくような気がしないではありません。しかし、そうではあるけれども、憲法並びに宗教法人法の規定に従いまして、ここで私は、原理運動が間違いであるとか、あるいは国会で信仰の自由について支障を来すようなことはなるべく避けたいと思っているから、もう余り言いませんけれども、それはそれで、父母なり民間の諸団体の努力と活躍を切に望みたいところであります。お互いに行政を担当される人、政治を担当いたしておりますわれわれといたしましても、これほど数年にわたり広範にわたり、殺人から、自殺から、気違いから、旅券法違反から、薬事法違反から、銃砲、火薬取締法違反から、あるいは人権じゅうりんから、あらゆる広範な法律違反がこの問題の中にあるわけでありますから、ひとつこの面については、それぞれの御担当の中で厳しくやってもらいたい。その厳しさというものが、今日までの数千人の若い人たち、あるいはまた泣いている父母の人たち、あるいはまた統一協会やその関連の人たちに対しましても、正常に戻させる——信仰は何を信仰してもよろしいが、違法なことはいけないということが、しっかり正常に機能を戻させる要因だと私は考えているわけでありますから、この点について、それぞれの機能の御協力を切にお願いをいたしたいと存じます。 きょうは私の質問はこれで終わります。
○上村委員長 沖本泰幸君。
○沖本委員 私は、法律相談なりあるいは法律扶助、そういう問題について、きわめて国民的な立場から御質問したいと思います。 先日の新聞の家庭欄のところで、「裁判費用がなくても「法律扶助」があります」、こういうタイトルで法律扶助協会の中身が紹介されておるわけです。「“泣き寝入り”救い二十五年 約三万件を解決」ということで、 「法律扶助」という制度を御存じだろうか。交通事故や金の貸し借り、借家・借地をめぐる紛争、あるいは離婚、子どもの認知といった家庭内のいざこざの民事事件を法律の力で解決しようと思っても、裁判費用がないとか、弁護士も知らないとかいう理由で、みすみす泣き寝入りを余儀なくされている人たちが少なくない。そうした人たちのために、代わって費用を立て替えてやろうというのが「法律扶助」制度だ。 こういうことで記事が載っているわけです。ここで法律扶助協会の内容が紹介されているわけですけれども、「四半世紀を記念して五月三日の憲法記念日には、もっと多くの人に理解、利用してもらうためのPR行事も予定している。」ということで、二十五周年になるということからこの取材記事だと思うわけです。 そこで、この中に、 実際のところ、協会の調査でも、この制度を知っている人は調査対象のわずか三%。しかも、そのうちで内容まで多少詳しく理解しているのは半分の一・五%にすぎなかった。「PR不足」と協会は認めながらも、資金不足や、ただちに直接的利益につながらないこと、単純な制度や仕組みのわりには一般には「めんどうな法律のことだから」と不当に敬遠されている面があるという。サリドマイド、カネミ、スモン訴訟やバスの転落事故による補償要求など社会的にクローズアップされた集団訴訟事件にもこの制度が利用されていることはあまり知られていない。 こういう記事が出ているわけです。 そこで、一般的に最近はテレビやラジオで身の上相談とか法律相談というものが非常に多く取り上げられてきております。見ていると、主に夫婦関係のいざこざであるとか、男女間の問題であるとか、そういうようなものが法律の専門家も交えながらですけれども、社会的に名の知られている人たち等が相談にあずかって、アドバイスしたりなさっていることが多いように見受けられます。しかし聞いていると、そんなものはもう別れてしまいなさいとか、単純に感情的に判断して、ぱっとアドバイスなさっていることとか、聞いていてびっくりするようなことをおっしゃっている方もいらっしゃるし、またそうでない場合もある。こういうことが広くマスコミに取り上げられるということは私は非常にいいことだと考えて、民主主義の時代ですから、いろいろな角度から取り上げられていき、それだけそういうものに対する国民の人権を守っていくという考え方、そういうものに対する認識が深まればよりプラスになるんだ、私はそう考えておるわけですけれども、その反面、この法律扶助協会が余り知られていない。専門的な法律相談をしてもらうところは余り知らない。知らな過ぎると言ってもいいんじゃないかと思われます。 たとえば、家裁なら家裁に身の上相談なり法律相談の窓口があるわけなんです。あるいは弁護士会館にも無料相談所がいろいろありますし、各地方自治体の中にも相談所的なものが設けられて、地方自治体から弁護士会にお願いして、いろいろとそういうシステムをつくってくださっておりますが、そのわりに利用されていないという面が多いわけです。 たとえば家庭裁判所なら家庭裁判所を例にとってみますと、あるいは弁護士会なら弁護士会なりの窓口、法律相談なり法律扶助の施設についてでも、やはりそこへ行く人たちの心理というのは、自分が裁かれるというふうな思いに立つような人が多いんではないか、こういうふうに考えられるわけですね。 それで、最近はだんだん社会の仕組みが複雑になっていっておりますし、それからまた公害なりあるいは日照権なり、いろいろなことで社会的に個人がいろいろと被害を受けているということが多いわけですけれども、泣き寝入りすることが非常に多いということも事実だと私は思うわけです。 そこで、法律扶助協会の、一番最初の中身にもありますとおりに、法のもとに平等であって、そしていずれの人も平等に裁判を受ける権利があるというふうになっているわけなんですけれども、弁護士に頼めば金がかかる、そういうことから泣き寝入り、あるいは自分が抱え込んでいる複雑な社会的な困難な内容についても、それをはっきりより分けて自分が主張できる利益がある、あるいは主張しても不利益である、そういうような判断すらきかない、またそういう判断について相談する相手を選ぶすべもない、そういうことのまま泣き寝入りしている人がずいぶんおるということになるわけです。ですから、在来の制度なりあるいは法律なり、あるもので、国民すべて法のもとに平等という立場で、そういうふうな国民のための平等の権利を保護してあげられるような内容のものにもう一度考え直さなければならないんじゃないか、こういうふうに考えざるを得ないわけです。 それで、法律扶助協会の方の立場からおっしゃっているところを抜粋してみますと、「法律扶助だより」という中で、「二十五周年を迎えた協会の課題」で会長がおっしゃっているのは、 ところで、最近広く行なわれている法律相談と、裁判費用立替制度とのつながりはあまり強いものといえない。協会の無料相談所は別としても、多くの相談所と裁判費用立替制度は、現在、有効に結合し、機能しているとはいい難い。またこれと共に、有料の弁護士紹介制度も整備されてはいない。 そこで、1気軽な法律相談所、2簡単な弁護士紹介制度、3裁判費用立替制度、の三つを有機的に連動させ、総合的な法律サービスの制度として整備していく必要が生じている。いま協会が単独でこれらすべをフォローすることは困難としても、今後は、弁護士をより国民に近い存在としていくための組織的整備が不可欠となるだろう。現在協会が行なっている「法律扶助」は、これらの総合的な法律サービスの一部にすぎない。 飛ばしますが、 ほとんどの支部が弁護士会職員の兼任によって辛うじて業務を維持している実情で、協会事務は弁護士会から未だ実体的に独立していない。支部の業務には、法律相談(扶助申し込みの受付)から始まって、扶助決定、費用立替、事件の進行管理、立替金の償還の確保、およびこれらに伴う実に厖大な会計処理がある。また、関係機関との協力や広報活動、報告事務などの業務が加わる。これらを、ごく少数の弁護士会の兼任職員に負わせるのは無理であり、その結果として、事業的には停滞をかこっているといえる。 いずれにせよ、弁護士会だけの努力で法律扶助を支えていく時代は終わりつつある。より大胆な構想と、開かれた法律扶助の姿を求めてゆくべきであろう。国、地方自治体、多くの民間団体、個人の参加を得て、事業の拡大をはかるときである。 これらの人々への援助が事業の内容であるとするなら、これに従事する者には、依頼者一人一人のパートナーとしてともに問題を解決していく姿勢が必要である。事務局に働く職員に少しでも「貧困者を助けている」という意識が残るとき、法律扶助の理想は根底からくずれ去ることになるだろう。社会福祉事業に従事する者が身につけがちな権威主義を排し、事業の充実によって、困難に陥った人々に少しでも助力できることを協会の誇りとして、事業の発展をめざしていきたい。 こういう形でこの法律扶助協会の方はおっしゃっているわけです。 そこで、この扶助協会の中の問題点がいろいろ出ております。「法律相談の現状と問題点」というところで、やはり御指摘しておかなければならぬ点もありますので、触れますけれども、 相談の主体としては、扶助協会、交通事故相談センター、東京では各弁護士会もやっています。それ以外に自治体、町の法律相談、例えば不動産会社、銀行、その他の企業がサービス的にやっているものがあります。 これを総体として見たとき、結論としては、需要を満たしてはいないと思います。社会の複雑化、経済の高度化に伴う相談の需要はあっても、これを汲みあげていくシステムは極めて貧困だといえます。 “法の日”とかで、デパートなどで相談を受けるときには非常に多くの人が来ます。それから見ると需要は大変多いと思われますが、これは普通の相談所のPRの不足なのか、あるいは、相談所が閉鎖的で行きにくいムードがあるのか、思い迷うところです。 交通事故相談センターは、特別の目的で、普通の相談とは違いますが、センターの相談所の大部分が全国の各単位弁護士会の中にあるので、場所的に行きにくいという声が強く、それに比べれば、一般の相談の方が容易に利用できるだろうと思います。 確かに相談設備にしても市や区の係員がいる部屋の延長で声が聞こえたり、相談記録の集計いかんで、相談者が細かい話をためらう結果になるでしょう。また、紛争の相手方が市や区の有力者だという場合には、相談をためらう人が出てくるでしょう。 こういういろんな隘路もこの中へ出てきているわけですね。 この問題に関しましても、もう一度おさらいするみたいになりますけれども、「法律扶助制度概観」、これは協会が出しているやつですけれども、その中の一番最初のところで、これは当然お互いにわかっているところではあるわけですけれども、 離婚・離縁・相続・扶養などの家庭に関する紛争、交通事故によって受けた損害の賠償に関する紛争、土地や建物などの貸借・売買に関する紛争、隣地との境界に関する紛争、その他金銭の貸借に関する紛争などは、日常生活の中でもっとも多く生ずる紛争である。これらの紛争の当事者は一人対一人であるのが普通である。このような紛争がいわゆる民事一般事件といわれているところのものである。 ところが、急速な高度経済成長を遂げた今日においては、従来の一般的紛争とは、その原因においても規模の点においても全く変った形の紛争が生ずるようになった。都市においては、いわゆる日照阻害に関する紛争、工場の排水・排気による水質・大気の汚染を原因とする紛争、航空機や新幹線などによる騒音を原因とする紛争あるいは薬や食物などを原因とするいわゆる公害紛争等である。これらの問題はいずれも人々の健康と生活侵害という悲惨な結果を招来するものである。また最近では一般市民の消費生活に関する問題、すなわち不当表示商品、欠陥商品および不当価格商品等をめぐる紛争が現われた。 これらの紛争の特徴は、従来の紛争と異なり紛争の当事者が企業または国と一般市民であり、紛争の原因について一般市民側には何等責任がないことである。 このように、私たちが社会生活を営むうちに発生する諸々の紛争は、社会の変転につれてその数も増大し、また複雑化の傾向をたどってきているといえる。 法律上の紛争がおこった場合に、当事者間で円満な話し合いによって解決しようとしても、なかなか困難な場合が多い。どうしても自分達で解決ができないときには、司法機関である裁判所の調停や裁判によって、紛争を解決してもらう以外に方法はない。ただ、公害紛争のように特殊な事件については、法律解釈上も種々に困難な問題があると同時に、きわめて高度な科学的・技術的知識を必要とするし、またこの解決は迅速かつ実情に即してなされることが要請されるので、司法裁判所とは別の行政委員会すなわち公害等調整委員会に救済を求める方法も新しく設けられた。 調停は、簡易、低廉、迅速な紛争解決手段であるといわれ、利用者の数も多い。手続面においても訴訟とは異なり専門家である弁護士の手をかりなくともできるように配慮されている。しかし、調停による紛争解決は、あくまで当事者間の合意が必要であり、訴訟のように、裁判官が証拠によって事実を確定し、これに法規をあてはめて権利の存否を認定して紛争の解決をはかるものではない。 こういうようにあるわけで、 今日のように社会が複雑化すればするほど、紛争の解決手段としての裁判は、その訴訟関与者に高度の専門的知識が要請されるからである。 こういうことになっていき、費用の点、いろいろ出てくるわけですけれども、こういうことによって、いずれにいたしましても、どういう時代になろうとも、法のもとに平等である国民の権利あるいは生命、財産を守っていくだけの責任が国にあるわけですから、それだけに国民の要請にこたえるだけの体制を整えていただかなければならない、こういうことになってくると考えられますけれども、順序は飛ぶかわかりませんが、まず、法律扶助協会に対する国からの補助はどの程度いま行われておるのでしょうか。
○村岡政府委員 国から法律扶助協会に対します補助金といたしましては、現在、合計して年間七千二百万円が補助されております。
○沖本委員 これは四十六年の三月十六日の当委員会で、社会党の畑先生が御質問になっているのですけれども、そのときの法務省側の御答弁で、「発足後昭和四十四年までに扶助の申し込み件数の合計が三万一千六百六十六件、そのうち扶助決定をいたしました件数が一万二千五百十六件でございます。一昨年度、昭和四十四年度の例をとってみますと、申し込み件数が五千五百八十二件、扶助を決定いたしましたのが千九百六十八件、三五%ということになっております。なお、補助金につきましては、四十五年度におきましては、法務省所管のものが七千万円、運輸省所管のものが千五百万円でございます。」こういう御答弁をなさっていらっしゃるわけですね。 そうすると、扶助協会に対して昭和四十五年から現在に至って年間二百万円ふえているだけなんです。これでは金額の面からいっても扶助協会の活動を国が鈍らせていると言ってもいいんじゃないか。また、弁護士会の方から盛んにここの金額をふやしてくれという要望が私たちにもありますけれども、そういうところから見ますと、もっともだということが言えるんじゃないかと思うのですね。四十五年から急速な高度経済成長を来してくるわけですから、この扶助協会に対する駆け込みなり法律相談なり何なりというものがうんと増大しているはずなんです。扱い件数もふえているし、いろいろなものもふえてきておるわけですから、そういうものに対して、やはりもっと中身を検討していただいて、実情に即したような内容のものを盛り込んでもらわないと、これはもう結局国の方が足を引っ張っていると言ってもいいのではないか。 そういうところで、二十五周年だからあえて言うということではなくて、国民的な立場から私は申し上げているわけなんですが、これではたまらないというので、いま募金運動を始めているわけなんですね。だけれども、一般国民に知られていないこの協会が、果たしてどれほど一般社会の人たちから募金に援助を受けられるかという点は、非常に心細い点が多いわけですね。弁護士さんに伺ってみると、結局は弁護士会の会員一人一人の負担が多くなっているというふうに聞いたりするようなことになるわけです。この辺からも改めていっていただかないと、これはどうにもならないということになるわけです。その点いかがですか。
○村岡政府委員 補助金の増額につきましては、私ども所管の局といたしましては毎年度努力をしておるところでございますけれども、遺憾ながらただいま御指摘のようにほとんど伸びていないというのが現状でございます。 その原因の一つとして、責任を転嫁するわけではございませんが、扶助決定の事件数が、実は増加ではなくて減少の傾向をたどっておるということがございます。先ほど御指摘のありました四十六年度の件数が三千百件余でございますが、その後少しずつ減りまして、一昨五十年度には二千百六十九件という減少傾向をたどっております。これは扶助を要する事件の数自体が減少したのならば非常に結構なことだと思いますけれども、そう楽観はすべきでない。ただいま御指摘のように、やはりこの制度のPRが不足で救済さるべき者が救済されていないという面が確かにあるように感じております。そのためにはPRをなお一層しなければならぬ。このための努力を重ねていきたいと思いますが、予算要求の現実面といたしましては、事件数が減っているということは増額請求をするのに非常にやりにくい面がございまして、その点、決して救済さるべき事件の客観的な数字が減っているわけではないんだということは説明はいたしておりますけれども、そういう一つの障害があるということでございます。われわれといたしましては、扶助協会とも緊密に連絡をとり、救済さるべき事件が放置されることのないように、そういうことになりますれば扶助の決定の事件数もふえてくるわけでございますので、なお一層の努力をいたしたいと思っております。
○沖本委員 ここの「法律扶助だより」の中で指摘しておられるように、結局相談記録の集計いかんでというような点もあるのですね。これは相談者が話をためらうという形になっているけれどもということなんで、またこの畑さんの御質問の中に出てくるのですが、「この扶助を決定いたします基準としましては、まず資力に乏しい国民であること、それから勝訴の見込みがあるということ、」こう述べていらっしゃるのです。「それからその請求が扶助の趣旨に適するものであるということが要件になっているわけでございまして、その第一に申し上げました資力に乏しい国民であることというのは、なかなか基準がむずかしいのでございますが、これは現在の取り扱いといたしましては、生活保護法による保護を受けている者には限らない。むしろそれは統計上は比較的少数であるようでございます。やや古くなりますが、昭和四十年ごろでは十数%にすぎないというようなことでございます。結局訴訟のための出費によって生活を脅かされるおそれのある者ということになるわけでございまして、多少の資産がございましても訴訟のための出費ができないという人々も救助の対象にされているという取り扱いであるように聞いている次第でございます。」これは聞いていると、資力に乏しい国民である、それから勝訴の見込みがあるという点に私はずいぶん疑いを持つのです。とにかく、自分は確かに法律相談を受けて訴訟をやってみたい、それは民事であろうと刑事であろうと訴訟をやってみたい。しかし、自分にはその裁判をするだけの力がないということによって、内容をいろいろ相談していただいて決めていただくわけであって、たとえそれが勝ち目がない訴訟であっても、本人のおっしゃっている内容がちゃんとしておれば、それは対象としてやっていくのであって、訴訟費用が要るわけですから、その訴訟費用について、勝った場合には弁護士さんがその費用を、自分の報酬を受けて何割かを協会の方へ出すということで、敗訴の場合はその弁護士さんの報酬に関しては協会の方から出してもらえる、そういうふうだというのですが、その辺に認識の誤りがあるんじゃないでしょうか。民間団体ですから、国の方でどうだこうだということはないと思いますけれども、一応補助金を出している以上は、ある程度の基準を決めて——そういうものの相談なり何なりというものを御存じだと思うのですけれども。
○村岡政府委員 ただいま御指摘のように、扶助いたしますための要件といたしましては、資力に乏しい者であるということ、それから勝訴の見込みがあるということが特に重要な要件でございます。この制度の趣旨は、訴訟を自分の経済力で遂行するだけの能力がないという者に対して扶助を与えるということでございます。資力の十分な方に扶助することは制度の趣旨に沿わないものでございますので、こういう第一の条件があるわけでございますが、これを余り厳しく適用いたしますと、扶助さるべき者が扶助されないということになります。実際の運用といたしましては、現在特に生活に困っているわけではないけれども、訴訟を遂行するその費用を支弁することによって生活に困窮を来すおそれがあるというようなものも含めて、かなり緩やかにこれは解釈運用されているというように承知しております。実際上では、一応収入についての基準がございまして、現在のところでは、独身者の場合は月収十万円、これに家族が一人増すごとに二万円ずつ加えた額、これを一応の目安にして資力の有無を判断することにしております。ただしかし、これも一律にしゃくし定規に適用しているわけではないようでございまして、私はこの基準の審査が余りに厳しいために扶助さるべき件が扶助されていないというような状況にはなっていないように了解いたしております。 それからもう一つの勝訴の見込みの点でございますが、この点も、やはりこの法律扶助制度の趣旨からいたしまして、勝訴の見込みのないものに扶助するということは適当ではないと思いますが、ただ問題は、勝訴の見込みがあるかないかということは事前に判断するわけでございまして、確実にその結果を予測することはもとより事の性質上できません。ですから、この点も、余りに厳格に解釈いたしますと、扶助さるべきものが扶助されないという好ましからざる結果をもたらすことになると思いますが、現在の運用の実態は、私もこの点はそれほどシビア、厳格に適用、運用されているとは思っておらないわけでございます。一応の審査に基づいて、勝訴の見込みがかなり乏しい場合でございましても、先ほどお読み上げになられました中に触れておられます調停等の制度もあるわけでございまして、訴訟の帰趨が、一〇〇%こちらが正しくて勝訴の見込みがあって、片方にはゼロであるというふうなことはないわけでございます。ある程度の理屈はこちらにある、しかし総合的判断としてはどうも勝訴の見込みがない、しかし一方の当事者にも相当の理屈があるというような場合には、調停でもって具体的妥当な解決を得るという方法もあるわけでございます。そのために、その調停制度を利用する、それについて弁護士をつけてその費用を立てかえるというようなことも現実に行っておるところでございます。
○沖本委員 それから、先ほど触れました各地方自治体とか各警察本部のあるところ、都道府県庁の所在するところ等には、まず第一に交通相談所、いろいろあるわけです。そこでやはり法律相談も受けているわけですし、身の上相談もいろいろありますし、それはもう必ず弁護士会から専門の先生方が要請に従って出張していただいているというシステムはとられているわけです。それが皆地方自治体の費用で賄われておるということになるわけです。そういう順序からいきますと、一番最初は、交通事故がふえてきたということで無料相談的なことが行われていき出したことがずっと広がっていく端緒みたいにはなっておりますけれども、同時に、日照権の問題であるとか、土地の争いであるとか、そういうところへ及んでいったことにはなりますけれども、私みたいな素人のところでもずいぶんお越しになるのです。それは裁判に行かなくても、裁判の前に一応調停へかけてみたらどうですか、それは相手方と両方の意見を別々に聞いてくれて、両方の意見をあわしてくれてどうだということをいろいろ調停してくれるわけだから、相手の顔を最後に見るようなことになるけれども、最初は見なくて済むのだから、当事者同士で解決しないときには、そこで相談なさって、そこでもまだ解決しなければ裁判所の方へ行きなさい、こういうふうなアドバイスをすることがよくあるのです。そういうことも御存じないわけなんです。それで迷っているということです。迷っているで済めばいいのですが、泣き寝入りしてしまうというようなことを考えますと、やはり国民が十分利用できる法律的な施設なりあるいは常識的な法律問題なり、そういうものが余りにも国民とかけ離れておるということになるのではないかと思われるわけですけれども、そういう点から考えていきますと、人権週間なり何なり一年のうち必ず人権を取り扱うときがあるわけですから、ただそのときポスターだけでやる、それぞれの保護司とかそういう社会にいろいろ貢献なされた方々の表彰もさることながら、もっと国民の間に十分法律が活用できて、自分の権利というものを十分に守るためのいろいろな制度についての認識が国民の間に行き渡るようにしてあげるべきじゃないだろうかというふうに私は考えるわけですけれども、その点について当局としてはどんなお考えを持っていらっしゃるわけですか。
○村岡政府委員 法律相談が公私の各種機関において行われていることは御指摘のとおりでございますが、この制度、そういう相談が行われておるということが国民に一般周知されていないのではないかという御指摘だと思います。この点はさらに一層周知の努力をすべきものだと考えております。私どもの出先であります法務局、地方法務局にそれぞれ人権擁護を担当する部門がございまして、ここでは毎日常時常設人権相談所というのを開設しておりまして、いつでも人権に関する問題があったときには相談に応じる、場合によっては、夜間なんかでありますと、留守番電話というのを法務局によっては設置しておりまして、そういう場合に電話でもって相談を受けるということもいたしております。これは本来の趣旨は人権にかかわる問題について相談を受けるということでございますけれども、実際に開設してやっておりますと、法律相談が非常に多いわけでございまして、非常に簡単な問題でありますれば法務局の職員で処理いたしますが、法律問題にかかわるものでありますと、これは弁護士業務との関係がございますので、できるだけ人権擁護委員をなさっている弁護士の方にお願いする、あるいはいまの法律扶助協会の支部とも密接な連絡をとりまして、扶助協会の方に行っていただくということもあるわけでございます。法律扶助制度の活用という点では、そういう公私の法律相談を行っています各種の機関にさらに連絡をとりまして、法律扶助制度を今後ともより活用していただけるようにPRのために努めたいと思っております。
○沖本委員 それで、法律扶助という点、法律相談両方あわせて言えるわけですけれども、在来からのいわゆるもめごとから起こってくる離婚とかあるいは金銭の問題、利害関係、こういうふうなものによる法律扶助的な内容あるいは法律相談、こういうことと、最近とみにふえてきているのはいわゆる行政に対する問題ですね。これが公害であるとか、先ほど述べましたように騒音であるとか、いろいろなことで、不満がいろいろ起こったり国民の権利が侵害されているという問題がたくさん起こってきているわけです。これにはやはり専門的な知識も要るし、あるいはこういう国民の要求にこたえられるだけの制度の準備が要るということになっていくわけですね。それで、先ほども申し上げたとおりに、相手方は国であったり企業であったりということになりますから、うちの党から集団訴訟に関するあれを参議院の方で出しまして廃案になったのがあるわけなんですけれども、そういう動きもありますし、弁護士会あたりでもその辺非常に関心を持って当たっておられるということがあるわけですけれども、法律をつくっていくという反面、やはりそういう施設ですかね、あるいは制度、こういうものをも整えていっていただかないと、国民の権利を守れないと思うのですね。こういう点について何か新しい方法をあるいは制度を検討されたり考えたりしていらっしゃるのかどうか。その点はいかがですか。
○村岡政府委員 人権擁護局といたしましては、具体的に人権侵犯のありましたときにこれを調査いたしまして、救済、侵犯の排除を図るということを職責といたしております。 それからただいまの法律扶助制度につきましても、これを補助する衝に当たっているわけでございますが、そういうただいま御指摘のような非常に専門的な事項にわたるような事項につきまして、人権擁護局の所管といたしましては、特にいまそういう新しい計画を考えているわけではございません。
○沖本委員 これは問題だと思うのですね。それで、私らから言わせれば、法務省の方は、国に対する国民からの訴訟なり何なりそういう問題が持ち込まれたときに、国の方を勝たすためにいろいろ法務省がそれに対して専門的な働きをなさるけれども、その反面、国民の権利を守ってあげるための十分な制度なり何なりというものが整えられていないということになると、これは片手落ちということになるわけですから、これはやはり早急にそういう制度を考えていただく必要があると思うのですね。それで、法務省を中心にしていろいろな行政機関との関係を整えていただかなければならない。公害については、いわゆる立証の関係が被害者側から立証しなければならないというむずかしい問題も大分変わってきているわけですし、そういう問題に、公害事件に絡んで法務省の方としてもいろいろ専門家をもう準備されておるわけですし、裁判所の方も準備なさっていらっしゃるということであり、またそういう問題に絡んでは、地方の行政機関とタイアップしていろいろな事件を吸い上げているということもあるわけなんですからね。そういうことをおやりになっていらっしゃるのであれば、またやらなければならないわけですけれども、当然国民の利益を守ってやるための制度をつくってあげて、それで、このことはあなた方が十分主張できるのだ、あるいはこういう訴えを起こした場合にあなた方は正当な訴えが起こされるのだ、こういうときにはこういう方法をとりなさいというふうなものなり何なり、十分国民の相談に応じたり国民の利益を守るためのいろいろな制度というものを考えていただかなければならないと思うのですね。 それで、これは弁護士会から出ている「自由と正義」の中にも討論会という形で出ておりますけれども、これは弁護士を対象にして述べていらっしゃるわけです、弁護士並びに弁護士会。「ただわれわれ弁護士の立場から福祉行政の進展を眺めますと、福祉政策というものが進んでいく背後には、やはり行政救済というものがどうしても前面に押し出される、たとえば、公害の被害者救済の制度でも、一応既に法律もできております。行政救済が進んでくると司法救済というものはその背後に押しやられて領域を狭めていく。したがって今後の弁護士の活き方としてはまず第一義的には行政救済の中に弁護士がある程度介入して、そこでやがて主役を演ずるというような情勢を持ってこなきやならないじゃなかろうか。ただ日本のような官僚指導体制の国がらでは、きわめて困難な問題」だ、こう述べていらっしゃるわけです。 また、庶民と弁護士等の関係につきましても、「弁護士の場合はまだまだ庶民にとってはなにか遠い存在と言いますか、敷居が高い。ある人は弁護士事務所を訪れるのはちょうどガン病棟を訪れるような気持だと言われるんですが、まず庶民と弁護士との距離、」という点も指摘されております。 それからもう一つは「法曹の意識変革問題」。「やはり弁護士がもっと市民に接近していかなければいけないということになってくると、今法曹集団というのは一つの閉ざされた集団である、特権集団なんだという形で、市民の側からの批判がかなり強くなってきていると思うんです。そういう意味での意識変革が法曹の側に要請されているんじゃないかと思うんですが、その関係」から見ると、法曹三者の水平運動あるいは在朝と在野を水平にするという運動は大切なんだというようなこともいろいろ議論されているわけです。 「訴訟が公共的な色彩を持っている場合には、各地方公共団体の条例などで「訴訟の援助」という新しい制度が芽生えてきておりまして、それである程度まで事態は改善されるかもしれませんが、日の当たらない問題を発掘して新たな分野に正義を及ぼしていくということになりますと、やはりなにか弁護士業務の内部に自立の原理なり力を創り上げていかないといけないのではないかと思います。」 こういうふうなところへいろいろ議論を持っていっていらっしゃるわけですけれども、これで考えられますことは、やはり官僚の方ですね、国の方に同じような方向で国民の問題を吸い上げていくという制度なり考えというものが定着していき、それによっていろいろな形で対応していくものができてこなければ、その分だけはおくれていく。それはやはり、法のもとに平等であるというものからは恐らく遠いものに存在がなっていく、こういうことになりかねないと思うのです。その点はいかがなんですか。
○村岡政府委員 特定の分野、特に専門的にわたる知識を必要とするような特殊分野につきまして、それぞれ特別の行政的な救済措置が講ぜられるということは、非常に望ましいことであると思います。これは人権擁護局の所管ということにはなりませんが、その事柄自体としては、一般論として非常に望ましいことであると思うわけでございます。 それから国を相手にする訴訟等について、国の機関が直接訴訟の援助をするということについては、御指摘のような問題が確かにあるわけでございまして、法律扶助の主体はどうあるべきかということは一つの問題でございまして、現在は、財団法人法律扶助協会がこれに当たる、国はそれに対する補助金を交付する、補助するという形をとっております。どうも法律扶助一般として考えます場合に、国が直接タッチするというよりは、やはりこういう民間の法律団体が直接それに当たる、国はそれに補助をするという現行の形がいいのではないかというふうに一般論としては考えております。
○沖本委員 国が法律扶助協会あたりに援助をするということになっているのは先ほどお述べになったとおりなんですけれども、それはさっき御指摘したとおりに余りにも金額的に少ないということが言えるわけです。 そこで、アメリカの場合は、「ジョンソン大統領の「偉大な社会」建設のための「貧困撲滅戦争」宣言に伴なう一九六四年の経済機会法の制定、および同法に基づく経済機会局の設立は、伝統的な法律扶助の概念をすっかり変えてしまった。」こういうことで、政府所管の法律援助事業にいかに多額の国家資金が投入されたかというと、六五年当時、民間の法律扶助事業での資金規模が四百三十万ドル、約十二億九千万円になっているわけです。ここから見ると、七千二百万円でしょう。それで、なぜこういうことになっているかというと、アメリカは貧困ではないというふうに自負しておったところが、余りに貧困が多過ぎるというところからショックを受けてきているわけですよね。政府自体がこれに乗り出しているということを考えていきますと、ただ七千二百万円の金額を法律扶助協会へ出して悪く言えば事を済ましているということであってはならないということになるのじゃないかと私は思うのです。法律を守っていき法の番人である法務省自体が、国民の権利を守るためには本当に力を入れているという形のものがちゃんと出てこなければおかしいということになるわけですから、これは本当に重大な問題として何をおいても検討していただかなければならないということになるわけです。 われわれ素人が六法全書を見るのは非常にむずかしくて、刑法改正の根本はやはりわかりやすい六法全書をつくっていただくというのが発想だったはずなんですけれども、事ほどさように、一般の国民にとっては、税金の問題と法律問題ほどむずかしい問題はないわけですね。だから逃げてしまう、そのために、自分でわからない間にいろんな苦労をしてしまう、こういうことになるわけですから、とりわけ、きょうこの機会に人権擁護局長が答弁したということで終わったということにならないで、予算制度は終わったわけですけれども、ことし一年の重大課題として法務省としては取り上げていただかなければならない、こういうふうに私は考えますが、どうですか。
○村岡政府委員 御指示に従って一層努力いたしたいと思います。
○沖本委員 裁判所の方にお伺いしたいのですが、しばしば、簡易裁判所は駆け込み裁判所である、何でも困ったら自分の権利を守るために飛び込んでいって、そこでいろいろな問題を裁いていただける、単純に言えばこういうことではないかということなんですけれども、だんだんそれがむずかしくなってきて、地方裁判所からの事件も大分引き継ぐような重要な役割りを果たすようなことになっているわけなんです。 そこで、ここに一つの提言があるのです。読んでみますけれども、 隣人にほんの数日といって貸した少額の金を返してもらえない時、父の死亡後の相続の処理に戸惑う時、辺地に住む人たちは、汽車で数時間泊まりがけで、大都市に住んでいる弁護士を訪ねるよりも、たった三十分ほどで行ける近くの町の司法書士に相談して解決するのが日常である。東京や大阪のド真ん中でも、家賃の値上げや立ち退き、交通事故の示談書の作成などの少額事件は、金と時間のかかる弁護士に行かないで、気安く、せいぜい三、四千円の司法書士にかけ込んで、安直に解決してもらっているようだ。いや時には、簡易裁判所においては、辺地、少額訴訟での庶民の代理人となって、弁護士にかわって法支配の一翼をになうこともあり、庶民の法律家と親しまれ、社会的に大きな貢献をしている。 しかしそれには、法律上問題はなくはない。第一は伝統的な司法書士法の解釈。第二は弁護士法から来る制約である。司法書士法は第一条で司法書士の仕事の内容を、裁判所、検察庁、法務局に提出する書類の作成、ならびに登記事務と限定している。それは文盲の多かった明治時代のイメージをそのままに、単なる代書人にすぎないものであり、法律判断など、とんでもない事だというのである。第二の弁護士側からの反対は、弁護士の仕事は、弁護士法第三条に定められているように法廷活動だけでなく、広く一般の法律事務の独占権を有するものであるとする。弁護士法は、この独占権を一層強固にするために、独占を侵害するものに対して、刑罰をもってのぞみ、その排除をはかっている。この二点から、司法書士が取り扱う辺地、少額紛争の処理は、非弁護士活動にあたるおそれがあるとして、時に警告の対象とされている。 ところで、このような法解釈や制度でもっとも迷惑をこうむり、損害を受けるのはほかならぬ国民自身である。かりに司法書士に好意的態度をとり、一部法律判断が可能であり、緊急に抵当権を設定するときなど、裁判官にもひとしい法律判断をしているし、せねばならないといってみたところで、必要はつねに違法性を阻却するわけではないので、その活動には一定の制限がある。それは庶民に必要な法の支配を十分満足させる制度からはほど遠い。 また、法律事務処理の独占権を主張する弁護士は大企業やビジネスのための高額かつ大規模な訴訟の処理に多忙で、辺地、少額紛争の処理には手がまわりかねているのが現実である。しかし、この法制度の空白にある人たちこそ、もっとも法の支配を必要とする、めぐまれない人たちである。これを放置するのは民主社会の恥である。早急に弱者庶民のために「簡易弁護士制度」を設ける必要がある。 この点で最も進んでいるのは、おそらくイギリスであろう。 こういうふうに述べて、簡易弁護士制度を設けたらどうか、こういうふうないわゆる日本的ソリシターとしての認知をしたらどうかという提言が「論壇」で出ているわけですし、これに対して反論も出ているわけです。 一月七日付の……「簡易弁護士を設けよ」という主張に対して、弁護士でもある私は、別の提案をしてみたい。…… おっしゃるとおり、簡易な法律問題については、人々は司法書士を頼って、それを解決している。だが、司法書士が「簡易な」事件と思って作った書類に大きな傷があって、あとで裁判で負けた例をいくつか知っている。 先生は「家賃の値上げや立ち退き、交通事故の示談など少額の事件は簡易裁判所で」とそれらは少額・簡易な事件のようにおっしゃるが、今日交通事故事件では何千万円の大金が出入する。他の事件でも、なかなか司法書士のところで解決できるものではない。裁判になると、主張、証拠、判例の扱い方で勝負がきまるのである。すなわち勝つためには弁護士のもつ程度の法律知識と訴訟技術とが簡易裁判所でも絶対に必要なのであって、決して「司法書士に駆けこんで、安直に解決してもらえる」ものではない。弁護士の有る無しでは、弁償金も数倍にもなることが少なくない。 かりにそれらが小さい事件であっても、負けて苦しむ小市民の痛手は、大きい事件で負けて苦しむ大商人の痛手と差があるわけではない。 「弁護士は都会の、金高の多い裁判に忙しくて、田舎の小さい事件には手が回りかねるのが実情」とおっしゃるけれども、実情は全く違う。こういうことですね。これについて提案として、 1ほんとに簡易な事件なら調停制度を活用するのが万事具合がよい。金もかからん。 2今日の司法書士の姿をそのままで、それに弁護士に近い権限を与えるのでなしに、先生もおっしゃる「法廷での弁論の準備作業もできる」、つまり弁護士のそれに近い知識をもつ「一種の弁護士」の制度を設けるのがよい。そしてこの準弁護士は、普通の弁護士を介添えとし、それと連名してなら、簡易な訴訟行為を行う権限を有することとする。そうすれば、弁護士費用を心配する人はこの準弁護士のドアをたたくであろう。 3弁護士に依頼する権利をすべての国民に保障するために、貧しい人が弁護士へ払う報酬の負担を軽くしたいのならば、国あるいは県、市、町村は、貧しい人には訴訟費用に対して若干の補助金を与えるのがよい。国などが国民の権利を保障するのであれば、その権利の実現に必要なことをすべきは当然である。それはまた、田舎に住みたいが、収入が少ないので足踏みしている弁護士の生活の保障ともなる。今日裁判の一方の担当者である裁判官の生活のみを保障しているのは官僚政治の名残である。 まだあと続くのですが、こういう問題が提起されているわけなんです。 これと全く同意見でもあるわけですけれども、同時に簡易裁判所でも、いわゆるお医者さんの最近の二時間待って三分診察で終わっているというように、長い間待たされて、交通事件が主なんですけれども、即決でばたばたと決まってしまう。まあ反則金制度もできているわけで、そういう扱いになっているわけですけれども、何か機械的でむなしいようなことも感じられるというようなこともありますし、それから以前にも指摘しましたが、簡易裁判所のいろいろな問題が指摘されておるわけですけれども、要は、裁判所たりとも国民の裁判所でなければならないし、国民が自分の持つ事件を解決するための裁判所でなければならないわけですし、最も正しい法の裁きをしてもらわなければならない場所ということになるわけですから、そこのところが行きにくかったり、やりにくかったり、わからなかったり、あるいは長引いたりということであっては、迷惑するのは国民であるということになるわけです。この点についていろいろ法曹三者で検討してもらわなければならない問題ではあるわけですけれども、現時点のこういう問題に対して、裁判所の方はどういうお考えをお持ちなのか。
○井口最高裁判所長官代理者 ただいまの御質問の中で、私どもの所管に限定してお答えしたいと思います。 おっしゃいますように、裁判所に国民がなかなか近づきにくいということが前提にあることは御指摘のとおりでございます。ただ、簡易裁判所はとりわけ国民生活に密着しておらなければならないという考えから、必ずしも弁護士さんの介添えを要しないで訴訟が提起できますように、これは法律上も口頭で訴えを提起できるような道が開かれております。そのほかにも、比較的簡易な事件はある程度型が決まっております。そこで必ずしも口頭で訴えを提起するという形ではございませんが、定型的な書面の訴訟のフォームを各窓口に備えまして、それにたとえば丸をつけるとか、ある程度書き込めば訴状ができ上がるというような形で、少しでも訴えの提起といいますか権利の救済ができやすいような方向の運用を推進しておるわけでございます。 それから、事件の審理が長くかかっては困るという点も御指摘のとおりでございますが、現在簡易裁判所では大体、平均でございますけれども、ほぼ訴えの提起から四、五カ月程度で事件が済むというのが平均的な姿でございますので、その点も御了承いただきたいと思います。
○沖本委員 判決につきましても、中身に入ったようなことを申し上げますけれども、聞いていて一般人にはなかなかわかりにくいんですね。何かわからぬ間に判決がされて終わっているという感じが非常に強いんですね。できればやはり補足的にわかりやすい、実は判決文ではこういうふうに活字で印刷してこうなっているけれども、あなたの方はこうなんだよと、人柄を見ていただいて理解させるような判決をしていただいたり、もう少し工夫していただけたら国民のために非常にいいんじゃないかと思います。 それから、ついでですから言いますけれども、どっちかというと、簡易裁判所というところはどこか昔の代官所みたいなお裁きの場所を感じるんですね。建てかえがなかなか行われるところが少なくてということで、だんだん国民全体は、もうどの家庭でもテレビがありますし、電気冷蔵庫もほとんど備わっていますしというふうな近代生活に変わってきているわけです。そういうところで、やはり古色蒼然とした裁判所にお目にかかると、民事で争っていても何か刑事の法廷に座らされてしぼられているみたいな感じを受けるわけで、そういうものもやはり対応して考えていただかなければならない。お互いに対等の権利を持っておりながら、利害なら利害は裁くところで公平に裁いてもらえるんだ、われわれの裁判所なんだ、そういうふうな認識、国民の裁判所なんだ、お上の裁判所じゃないんだ、こういうふうなところに改まっていただかなければ国民は親しまないと思います。そういう方向にすべてを徐々に変えていっていただかなければ、ここのところだけが国民から取り残されてしまって、国民のためには平等を欠くところになる、わかりにくいところだ、こういうふうな形が残っていくんじゃないか、こういうふうに考えられるわけでございます。 そういうことで、簡易弁護士さんですかあるいは準弁護士さんの制度も、法務省の方も両方とも一度話題として御検討いただきたいのです。それをすぐどうこう言うことではなくて、やはりそういうものが話題になっているんだというふうにしていただいて、もっと国民に近づいていただくような法務行政なり何なりに変わっていただかなければならないということを、時間が来ましたので、いろいろあるのはこの次にすることにいたしまして、きょうはこの程度で終わりたいと思います。
○上村委員長 次回は、来る五月十日午前十時理事会、午前十時十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後二時十八分散会