文教委員会 第11号
- 発言数
- 240 件
- 登壇者
- 18 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1977/04/27
会議録
○藤尾委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、これを許します。湯山勇君。
○湯山委員 いろいろ教育の問題が大きく取り上げられておりまして、それなりに当委員会におきましても、大学入試その他の問題が取り上げられております。私は従来、細かい問題で教科の内容、特に教科書に関する問題、これは前回小川委員からも取り上げられましたけれども、予算委員会等で幾らか触れてはまいりましたが、ああいうところですから細かいだめ詰めができなくて、いつかそういうことをやらなければならないと思っておりましたが、ちょうどきょう時間を与えられましたので、そういう問題を中心にしてお尋ねをいたしたいと思うわけでございます。 教科書のことにつきましては、今度の教育課程の改定に伴って、審議会の方の答申の中にも、改定になった教育課程改善のねらいは教科書に十分反映される必要があるという指摘もございます。それから難問奇問という問題のとき、入試の問題については大臣も、とにかく教科書がよく勉強されておればそうむずかしいということではないようにしければならないという御答弁もございましたし、何か教科書というものが非常に大きく浮かび上がってきたという感じもしないではありません。 しかし考えてみますと、教科書というものが重要であることを否定するのではありませんけれども、過度に重要視されるということになれば、教科書を理解すること、そのことが教育である、教科書が金科玉条であるということになってくると、これはまた逆に角をためて牛を殺すということになりかねないので、そういう点、この際いろいろお尋ねもするし、そういう懸念があるのであればなくする必要があるということを考えまして、現場の先生の立場から質問を申し上げたいと考えております。 それは一つは、教科書につきましては学習指導要領の中で、総則第一の二に、「各教科、道徳ならびに特別活動の内容に関する事項は、特に示す場合を除き、いずれの学校においても取り扱わなければならない。」という、「いずれの学校においても取り扱わなければならない。」という非常に厳しい規定がございます。 それから今度は、教科書と学習指導要領との関係ですけれども、これは検定基準の中に、教科書は学習指導要領のとおりになってなければならないという規定ですか、あるということですが、そうなっておりますか。
○諸沢政府委員 検定基準は、まず文部省告示でございますが、告示という形の法令であるというふうに御理解いただいてよろしいかと思います。そしてその検定基準としては、絶対条件と必要条件があるというのも御承知のとおりでございます。 絶対条件は、基本法、学校教育にかかわる教育の目的との一致というのが一つ、それから立場の公正というのが一つ、もう一つが教科の目標との一致という意味で、学習指導要領に定める各教科の目標と一致しているかどうか、こういうことが絶対条件になっておるわけでございます。 さらに必要条件として、たとえば取り扱い内容、その教科書で取り扱う内容は、学習指導要領に示す教科、科目、分野または学年の目標によっているかどうかという意味で、実質的に学習指導要領が検家基準の主たる内容になっておるということは言えようかと思います。
○湯山委員 そういう教科書についてですが、いまのようにしてできた教科書については、学校教育法におきまして小学校、中学校、高校ともに「文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。」こうなっております。これはもう確認する必要はないことです。 それから今度は教科書というものについてですけれども、教科書の発行に関する臨時措置法で「教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、教授の用に供せられる児童又は生徒用図書」が教科書だという定義づけがしてございます。これも間違いないと思うのです。 そこで、ここからお尋ねすることになります。 教科書というのは、その第一は各教科の主たる教材であるかどうか、このことをひとつお尋ねいたしたいのです。これはどれをお尋ねしたらいいか。まず理科についてですが、御担当の大塚さん、理科の教科書というのはこれは理科の主たる教材でございますか。
○大塚説明員 はい、さように思います。
○湯山委員 目標と一致しておるかということなのですが、理科の目標というのは、「自然に親しみ、自然の事物・現象を観察、実験などによって、論理的、客観的にとらえ、自然の認識を深めるとともに、科学的な能力と態度を育てる。」こういうことですね。ですから、これは親しむ対象は自然であるし、それから調べる、観察、実験する対象も、自然物、自然現象ですね。間違いございませんか、ちょっとお答えください。
○大塚説明員 そのとおりでございます。
○湯山委員 そうすると、教材というのは、自然物、自然現象が教材になるのではありませんか。
○大塚説明員 御指摘のとおり、学習の直接の対象は自然物でございます。ただ、その自然物をどのように教材として生かすかというところに教科書の使命があると思うわけでございます。
○湯山委員 それでは、どちらが教材なのですか。生かすために使うのが教科書だ。教材はどちらですか。
○大塚説明員 学習の上で素材と教材というのを分けて普通考えております。自然は非常に多様でございまして、これは一応素材である。その中でその学習の目的に応じて、あるねらいを持って学習するときにそれが教材となる、そういう意味で教科書が大変重要であるというふうに考えております。
○湯山委員 教科書が重要である、ないということをいま論議しておるのではないのです。教材は何かということを申し上げておるので、それでは、たとえば桜なら桜というのを調べるというときに、ここに置いてある子供の教科書が教材なのですか、ここへ子供が持ってきておる桜の花が教材なのですか。
○大塚説明員 桜の花そのものが教材でございます。
○湯山委員 そうするとおかしいではないですか。桜の花そのものが教材ですね。あなたはいま教科書が教材だ、この法律にも主なる教材、教科書だ、そうですとお答えになっておるのですが、いまは、教科書と桜の花を置いたときには桜の花は教材だ、違いますね、さっきのお答えと。
○大塚説明員 矛盾しているというふうには考えておりませんが、私の説明が不十分であったためと思います。そのわけは、桜そのものは学習の素材であって、どういうねらいで桜を学習するか、そこのところに、教科書を参考にしながら教科書のねらいに沿ってその桜を調べていく、学習の対象が桜であるけれども、その桜の中から何をねらうかというのが学習として大変大切なわけでございまして、その方向あるいは調べる手段を示してくれるのが教科書である。だから、直接調べるのが桜であっても、その調べる方向なり手段なりを教えてくれる教科書というものの二つが両々相まって教材になる、そういうふうに考えていいと思うわけでございます。
○湯山委員 少しおかしいのではありませんか。教材は教師によって生かされていきます。しかし、教科書がそれを生かすためにあるというのは、それはやはり教材を教育に生かすために教科書があるのかもしれません。けれども、それは直ちに教材ではないでしょう。それでは本を調べたり、虫めがねで見たり、そうやって桜は調べられるものではないですね。それでは目標に合わないです。絶対要件になっている教科の目標は、それは自然物、自然現象を観察する、これですよね。教科書を観察したり調べたって、それは何にもこの目標に合わないですね。いかがですか。合いませんね。いまの点だけひとつ答えてください。
○大塚説明員 教科書そのもので桜が調べられないというのは御指摘のとおりでございますが、桜のたとえば花びらが、あるいは雄しべ、雌しべがどうなっているかという、桜の学習の場合には必ずしもそれだけではございません、どういう条件のときに桜がよく咲くかとか、気温の問題とかいろいろございますが、そこの学習のねらいというのが先生の御指導、そのもとにおける教科書の助けというものが必要でございます。したがいまして、理科の学習における対象あるいは自然に親しむということから、桜そのものであってもその中における教科書の役割りというもの、それが教材である、そう考えていいと思うわけでございます。
○湯山委員 そうではないのですよ。法律は、教科書が主たる教材だと、いいですか、局長、間違いありませんね。いまの御答弁聞いて、教科書、主たる教材ですか、局長。
○諸沢政府委員 理科の勉強という場合には、私は素人ですからあれですけれども、おっしゃるように、桜の研究ということになりますと、これは桜の花が最も中心の教材になる。ところが、その理科でたとえば雲だとか風だとかこういうものになると、雲をつかまえて教材だと言ってもちょっと教材にはならぬ。あるいは物の重さというようなものを小学校の低学年で教えるという場合に、これは教材としては何を使うかというと、いまの学習指導要領では水車あるいは砂車のようなものを使うとかシーソーを使うとかいうことで、そこへ物を落としてその重さというものがある、あるいは物質によってはかさだけでは重さがはかれないというようなことを教えるということになりますと、確かにその自然界の現象一つ一つが、全部そのもの自体が教材だとは言えない。やはりそれを理解されるためにどういうふうなやり方で教えるか、あるいは理解してもらうかというのを書いたのが教科書でございますから、そういう意味では、いまおっしゃるように、桜の勉強という場合にはやはり桜の実物が教材として一番よろしいという面はありますけれども、全般的に理科の勉強ということを考えた場合、やはり私は、その教科書に書いてあるいろいろな自然観察の手がかりとかあるいは実験の方法というようなことが教材として中心的だというふうに理解するわけでございます。
○湯山委員 手がかり、方法は手がかり、方法で、それは教材ではありません。いいですか。私は、いま局長が言われたことは本当にそうだと思うのです。けれども、局長の言われたのは、教師用書のようなことを言っておられる。これをどうやって、どう見させて、どうするかということは、先生の方でやっていくことで、いまの教科書というのは児童用書なんです。子供がこれをあけて、桜のところを読んで、雲のところを読んで、それで手がかりや方法をつかむというのはおかしいですよね。空の雲なら、見えるところで、あの雲はこうだ、あの雲が出たらあすはお天気はどうだとか、それは子供でもできることです。雲を教材として自然現象を学ぶことができる。重さの問題だって、ここで落とす、あるいは軽いものを落とす、重いものを落とす。それでは空気を抜いて落としたらどうかというような、やはりそこでやってみなければわからないことなのです。どうやらせるか、空気を抜いてどうするとかいうようなことをやるのは、これは先生の方なのです。やってみせるわけで、局長はいま、子供のやることと先生のやることをごっちゃにおっしゃったのですが、本来は局長の言うとおりです。児童用のいまの教科書というのは、いま視学官がお答えになったように、理科の場合は自然物、自然現象を実験、観察し、それに親しむのですから、教材ではありません。幾ら本を読んだって――たとえばいまお借りした本です。小学校国語です。国語の「スズメと人間」というのがある。人家が少ないとスズメが少なくなるとか、人影の絶えたところではスズメがやがてこうこうと、ある学者の長年にわたる調査の結果からこのことが明らかになった云々と、四十七ページですね。その後の方にいろいろ、十四世帯が定住した、スズメはどこからともなく集まって、二年足らずで六つの巣を発見したとか、えさはこうこう、巣をつくるのはこうだと書いてあるのです。それからムササビやリスのこともその次に書いてあります。どういうときにどういうところに住まって「外が暗くなれば夜の来たことが分かるが、どんよりしたうす暗い日などは、どうして夜の来たことが分かるのだろうか。」ちゃんと動物の生態が国語に書いてあります。これと理科とどう違うのですか、局長。
○諸沢政府委員 国語の場合は、確かに国語の教科書というものは漢字とかかなとかあるいは言葉の決まり、文法的なこととかそういう基礎的な事項と、それからいま御指摘にあったような自然科学的な文章もあろうし、その他各般の文章を教材として提供することにより、それを読んでその表現力なり、理解力を培うという意味がございます。ただ、理科の場合は、おっしゃるように、確かに主として自然現象自体あるいは自然物自体をとらまえないと、正確な観測ができないという面がありますが、しかし先ほど申し上げたような重さの実験などというのは、教師用書だけにあればいいというものではない。子供の教科書にも、それはどういうふうな仕組みで、こういうことをやってみれば、物に重さがあるということがわかりますよというのが書いてあるのが教科書でございますから、やはりそういう意味では、国語とはは、主たる教材といってもその意味合いはちょっと違うかもしれませんけれども、理科にも教科書は主たる教材としての役割りはやはりあるのではないかというふうに考えるわけです。
○湯山委員 今度は理科です。 「せっかい石は水に入れてもとけないが、うすい塩酸に入れるととける。このとき、二酸化炭素があわになって出る。」十三ページに書いてあります。これは教材ですか、局長。
○諸沢政府委員 これは水溶する物質の性格というものを、実際にやってみなければ確かにわからない問題ですけれども、しかしそれは先ほども申しましたように、教師がこういうことをやってごらんなさいということで子供にやらせて、その結論だけを教えればいいものではない。その実験をやる過程というものがやはり理科の一つの勉強になるわけですから、その過程をここに書いてあるというのは、やはり教材と見てよろしいのではないかと思います。
○湯山委員 あなたはやはり少し間違っています。教えることと教材ということとごっちゃになっておるのです。だから、局長の言われるように授業を進めます。そのときに、では、この書いてあるのを一々読みながら――これをこのとおり順々に読みますよ。「鉄のくぎ・はり金・鉄板などの表面を紙やすりでみがき、みがいたあとのようすを解ぼうけんび鏡で観察する。」これを読みました、主なる教材、教科書を。これで学習ですか。いきなりあけたので、何ページか、五ページにありますか。大体どこをあけても、みんなそうなのですけれども……。それを読んでどうするのですか。やらせるのは先生だから……。
○諸沢政府委員 金属物質をやすりなどでみがいて、その表面を見るということは、それ自体は確かに教育の過程といいますか、実験の方法を示したものでございましょうけれども、それではその見た結果がどうなっているかということが最終の学習の目的になるわけでしょうけれども、ここにこういう勉強のプロセスというものをこういうふうにやってごらんなさい、先生もそれを一緒に読んでそこでやらせるということにやはり意味があるわけでございますから……。
○湯山委員 局長にお尋ねします。秀才であった局長ですから……。 あなたは、小学校のときに、理科は、児童用の教科書を机の上に置いて、先生がそれを読んで、子供に読まして、それから授業をしましたか。そういう記憶あがりますか。理科ですよ。
○諸沢政府委員 確かに理科の場合は、特に昔は、低学年は教科書がなかったような記憶がありますし、それから国語などのように教科書と相対して勉強するというのではないですけれども、私はやはり理科の場合も――余り理科は得意ではありませんですから、一生懸命教科書を読んで勉強した記憶がございます。
○湯山委員 本当ですか、ちょっと言ってください。
○諸沢政府委員 それは、いま申しましたように国語あるいは英語などに比べると、教科書に接触する機会は少なかったように記憶しておりますけれども、やはり教科書は教科書としてこれを読むということは、やった記憶がございます。
○湯山委員 大臣、いかがですか。小学校の理科の授業で理科の本を読んで、それから、これはこう書いてある、こうだというような勉強を理科でやった記憶がありますか。
○海部国務大臣 これは正確には覚えておりませんけれども、理科の時間というものがあって、その理科のときには、やはり本と帳面が必要だというふうに、いつもかばんに入れるときに整理しておった記憶がございますが、その程度でございます。
○湯山委員 だから私は、もし局長がそうだとすれば、局長を教えた先生は余りいい先生ではない。大臣を教えた方の先生がりっぱです。というのは、児童用書は授業中に使ってはならぬとなっていたのです。大塚さん、それを御存じですか。
○大塚説明員 御指摘のとおりでございます。存じております。
○湯山委員 局長、どうですか。あなたの信頼する視学官が、そのとおり、授業で使ったらぼろ先生ですと……。
○諸沢政府委員 私の記憶違いかもしれませんけれども、たとえば小学校の高学年で、たんぼからカエルをつかまえてきて、カエルの解剖をやりますという場合に、おなかを割いて、その中にいろいろな臓物がある。それは何かという場合に、やはり教科書の絵を見てやった記憶がかすかにあるように思うのですが、そういう意味では、やはり全然教科書が要らないということではなかったように思うのです。
○湯山委員 それは中学と間違ってやしませんか。中学なら解剖はいたしますね。小学校でそんなにありましたか、当時は。 それはそれとして、それでは、それをやるときに、カエルの解剖をしたら、はねたり、水がついておったりして机が汚れるでしょう。教科書が汚れましたか、ばたばた。そうなってはいかぬ、水を扱ったり、木の根っこを持ってきたり、土が机の上に来たりする、そういうことになってはいかぬ。しかし、理科というものは自然物、自然現象が対象ですから、幾らりっぱに書いてあっても、いまのようにスズメのことやムササビのことが書いてあっても、それは読み物です。それを読んで勉強するのではなくて、その机の上が、水も来る、いまのバッタも飛ぶ、汚れる、そこでノートも出さない、大体ノートも使わないのです。教科書も要らぬのです。一生懸命自然物、自然現象を体で観察し、実験する、それが理科なのです。この目標にもそのとおり書いてあります。だから、子供の教科書は要らない。ただ、子供ですから忘れますよね、何やったのだったかなと。そこで、それは後で帰って読むのです。そのためにつくったのです。 要求しましたが、当時の理科の教師用書をお持ちですか。その凡例のところにどう書いてありますか、理科の教師用書の凡例のところに児童用書について書いてあるところ……。
○諸沢政府委員 これはちょっと凡例というのではないのですけれども、当時の教師用書の趣旨のようなことが出ておりますが、「教師用書には児童用書について「本書中の教材を甚だしく變更せずして教授し得る學校の爲に別に児童用書を編纂せり」と述べている。このことは、当時教師用書は国定教科書としてすべての学校で使用すべきものであったが、児童用書は必ずしも使用しなくてもよい」(湯山委員「その後のは説明ですからね」と呼ぶ)その修正趣意書に……
○藤尾委員長 私語を禁じます――湯山君。
○湯山委員 もう一度言います。 教師用書に初めに凡例というのがあるのです。それは編さん趣意書に当たるものです。国語とか修身とか算術とかというものには編さん趣意書というのがあるのですけれども、理科にはそれがなくて、教師用書の初めのところに凡例というのが書いてあります。申しますから、いいですか。だれかそれがおわかりになる方ありますか。 その凡例にこう書いてあります。「児童用書は教師用書を用いて教授したることの」これはいまのと合いますね。「大要を後日」、後日ですよ、そこではないのです。「生徒をして回想せしむるためのものにして、これを用ふれば生徒に筆記せしむる時間と労とを節約するを得べし。変更したる教材に就いては適宜生徒に筆記」させる、こう書いてあります。 視学官、いまの点わかりましたか。
○大塚説明員 お読みいただいた点はわかりました。
○湯山委員 そうすると、局長が言われたように、授業時間中にそれを出して読んでやったというような、それは後日やるものをそこでやっておるのですから、間違っていますね。どうですか、いまの点おわかりになりましたか。
○諸沢政府委員 いまおっしゃった趣意書というのがいつの時代の教科書のものであったか、よく私も承知いたしておりませんけれども、確かにいまここにあります趣意書などというのを見ましても、要するに教えた後、子供が自分で勉強したことを回想して、それを整理する手控えのような意味があるのだということが書いてありますから、それが主たる役割りであったかと思うわけでございますけれども、しかし、それは授業がすっかり終わった後で見ればいいというだけのものなのか、私は、やはり教科書があれば、それを教える過程においても子供に読ませ――読むだけではいけませんけれども、それを念頭に置かせながらいろいろ観察、実験をさせるということは、それなりに意味があったのだろうというふうに考えるわけであります。
○湯山委員 小学校のことを言っているのですからね。上級生あるいは中学へ行けば実験書のようなものもあって、手引書のようなものがあってやった、それはありましょう。しかし、小学校では、ないはずなのです、高等小学校でも。これは文部省が出した理科の教科書、教師用書の編さん趣意書の凡例のところに、いま読みかけられたところからずっと項目があって、いまの点が書いてあるわけです。だから、いまのように、学年の小さいのは教科書がなかったというのは当然なのです。 それで、もしそれをいまのようにこれを読んでやったりして、それでもって自然科学、理科の勉強をしたというようなことだったら大変な間違いなので、局長も先般ちょっと言いかけたように、四月に桜が咲くというのは、地方によって違うのだ、四月でなくたって六月でも、それでもいいのだというのはそれなのです。実物、物を教材にして、それを観察してそれを理解し、そして自然に親しんでいく、これが理科ですから、物のないところに理科はないわけです。たまたま理科の教科書にないものでも、この教科書を読んでおいたら学力テストのためになるなどということを書いた調査官がおりまして、私からしかられて、文部大臣もとうとうおわびしたことがあったのですよ、以前に。ですから、教科書が主たる教材だということ、これは問題があるのです。まして、この次にあるように、これを使わなければならない、こうなってきますと、そのことによって教科の本質をゆがめる、こういう懸念は多分にあるのです。回ってみて、理科の本を置いて授業をしておるような先生がおったら、それではいかぬと指導するのが視学官ですね。それが、いまのように、これを使わなければならぬ、視学官が来るから、使ったら悪いけれどもここへ置いておこうか、こうなったら、もうその教育は死んでいます。ここを申し上げたいのです。 これはほかのについてもそうなので、算数の視学官、算数の教科書というのは一体何ですか。どういうふうに授業でお使いになるのですか。やはり初めから順次、一ページをあけて、一ページにこうある、それからその次はどう、その次はどう、次はここに問題があるからそれをやりなさい、こういうふうに授業をなさるのですか。
○坂間説明員 教科書のとおり読みながらやるというような授業はなるべくしてもらわないように私どもで指導しているわけです。
○湯山委員 それではどういうふうにお使いになるのですか。
○坂間説明員 いまの算数の教科書は、読んでいくと問題もありますし、説明もありますし、子供自身がある程度自分で勉強が進められるというようなぐあいにつくられております、現在の教科書でございます。ですから、基本的には、そういう子供の自発性というものを尊重しながら授業を進めていく、先生の方は、それに対してもっとよく伸びるように援助をしていくわけでございますから、そういった使い方を、この教科書を工夫しながら、先生方がそれぞれ創意工夫されておるというのが実態というふうに考えております。
○湯山委員 そうすると、いまの御答弁を総合すると、これを読みながらやれば説明もあるし問題もあるから子供たちでやっていける、そこで先生はそれを援助する、きょうはこれをやれ、読んでわかるところを順々にやっていけ、困ったところは援助してやるから手を挙げて質問せい、こうやっていくのですね、この教科書は。そのためにできておるのですね。
○坂間説明員 この算数のどこの単元についてもそういうふうにやるというわけではございません。その内容によりましてそれぞれ扱いが変わってくるかと思いますけれども、先ほど申し上げましたのは、いわゆる前のことをもとにしながら先へ進んでいくような場面の実態をお話し申し上げたわけでございます。
○湯山委員 後の御答弁ははっきりしません。最初のは非常に明確で、そのとおりだと思ったのです。だから、これは複式の学校などでやるのには非常によくできています。先生が一方をやる間にあなたたちこれを見てやっておきなさいというのにはいいのですが、それによって本当に数理的に処理するという目標に合った教育ができるのかどうか、この教科書で。ここが問題なのです。もとは、この扱いをどうするかというのは、やはり教師用書に書いてあったのです、算術の教科書は。児童用書というのは何だったか御存じですか。
○坂間説明員 いま先生のおっしゃっております教科書、戦前の教科書を一緒に議論いたしますと、算数の場合には、先生が多分お習いになりました黒い表紙の小学校算術という時代と、その後の昭和十年から国定になりました緑の表紙の小学校算術というのは大分変わってきておりますし、それとその後の十六年からの教科書もちょっと態様が変わっておりまして、さらに現在の教科書というぐあいになりますものですから、御指摘のところがどの辺のところをあれして私に問われておるのか、ちょっと明確でございませんので、その辺を……。
○湯山委員 ちょっと、さっき自然の観察のあったのを貸してください。これの時代が中間にはさまるだけなので、編さん趣意書は同じです。説明は変わっていないのです。それはおっしゃるように、これのときの自然の観察というのの文字は、当時は藤原行成卿の和漢朗詠集からとったのを組み合わせて自然の観察というのにしたり、これは正倉院の織物か何かやったりしてやったのがありましたけれども、戦前から戦後までは編さん趣意書、趣旨は変わっていないのです。ただ、理科については当時の橋田文部大臣の「科学する心」などに出まして、力の入れ方は違いましたけれども、趣旨は変わっていないのですよ。あなたは三段階にあるように言われたけれども、そうではありません。これは教科書が変わっただけで、その基本は変わっていないのです。 そこで、それの時代でも児童用の算術の教科書というのは問題集なのです。どっちにしても問題集です。教え方は教師用書の方に書いてある。そこで教師用書の方が問題がたくさんあるのです。補充問題も教師用書にありますから、答えも書いてあるから、皆さんの中にやった人もあるかもしれぬ、先生が教師用書を買わして答えのところを摘み取らして授業に使った、そういうのもあるのです。この算数の教科書というのは大体問題集で、本来つくった趣旨は、これも初め小学校の初期はなかったのです。それを持たしたがいいということになっていろいろ研究して持たすことにしたときに、先生が黒板へ一々問題を書く手間を省くために児童用書をつくった、こうなっている。当時のは問題集ですよ。この次にこれをこう教えるというのは教師用書だった、理科と同じ。ですから、これは教材は教材ですけれども、読んだって何もなりませんよ。これが主たる教材と言えますか、全然違いますよ。 私は、きょうお聞きするのでこういうものを持ってきてくださいというのも二日前にお願いしておったのです。これらも、古いのと新しいのと、私の方はいいからお持ちになってくださいと言ったのはそれなのですが、やはり教科書の検定や指導なさる方は、どう先人が苦労してきたか、これをひとつ調べてもらわないと、ぽっといまのようなことをやられて、しかも法律で使わなければならない、しかも主たる教材だ、こうなったら教育は形骸化してしまう。昔は本当に実物を調べないで、馬の歯が何本あるかというのは、ソクラテスが書いた書物には何本と書いてあるという時代があったそうです。それではいけない。幾ら国語の本によく書いてあっても、それは読み物です。だからウサギが物を言ったり、キツネ、オオカミが物を言ったり、それはそれで読み物ですからいい。しかし理科はそれではいけない、算数はそれではいけないのです。そう見ていきますと、教科書と言ったって、しかも児童用書で文部大臣が検定したのでなければならぬと言うけれども、文部大臣、こんなのを授業中に使われたら困るのがあるのです。少なくとも、局長のところの先生の悪口は言いませんけれども、間違って使ったとしてもそれはほんの一部だったに違いない、ほとんどは児童用教科書を使ってないのです。それをいまはどうかと言ったら、これは使わなければならないのだ、教材でもないものを主なる教材だ、紙を調べるときは教材になります、色などを調べるときは教材になるけれども、科学教育の主たる教材ではない、本当は理科の教材ではありません。こういうことをひとつ考えてもらいたいのです。 大臣、あなたは全体の教科書の責任者ですから、あなたは学校は高校ですか、大臣は旧制中学ですか。――それでは旧制中学までで、この教科書を何のために買ったのかな、一向使いもしない、買っただけでどうするのかなというような疑問をお持ちになった御記憶はありませんか。
○海部国務大臣 私は、中学のときは一年、二年は学徒動員でございましたので試験はございませんでしたし、三、四、五年生のころは戦後の混乱期でございましたが、教科書を買いまして、たしか試験のときにはこの本の何ページまでが範囲だよということを先生が指示しますものですから、その指示されたページだけを一生懸命一夜づけで勉強したことを覚えておりますが、教科書以外には試験の勉強に使ったものは私のころにはたしかございませんでした。
○湯山委員 それはかえって幸せだったかもしれません。局長いかがですか。
○諸沢政府委員 この教科書は全く必要ないというふうに思った者はないようで、ただ教科によって確かに使い方あるいは先生の用い方が違っておったということはあったように記憶いたしております。
○湯山委員 私はうちの秘書とか若い者に聞いてみましたら、図画の教科書なんか買ったけれどもほとんど使ったことがないと言っておりましたが、せっかくそうやって調査官がいて一生懸命やって、そうして子供に、買わしたのではない、やったのだからいいけれども、無償提供して、そして使ってないのです。いまごろ図画の手本の絵を、絵の鑑賞用になるかもしれませんけれども、あれを見てかくなどということはまずないのですよね。ですから、国語の教科書のように、本当に何ページ何行まで一字一字丹念に見ていく、そういう主たる教材と、それからまあせっかくくれたのだから置いておくか、ときにきれいな絵があるから見る、ミレーというのはどんなのだったかなというので見るとか、そういうものと、それから理科などはそれをやられたら困ります。そういうものがあるのを一律に使わなければならない、こういうことで縛っていいかどうかということについての検討をしないと、これで大学の入学試験も教科書から出るのだ、右へならえで高校のも出る、そうなってくるともうすみからすみまで教科書さえやっておればいいということになってしまいはしませんか。 私たちが兵隊のころにこういう話がありました。神様みたいな非常に偉い将軍でした。大秀才で、その人が大学に入るときか何かの試験に、歩兵操典の問題、書いてあるのに一字だけ字がひっくり返っておるのです。どうしてこれをやったのかなということで後で聞いてみたら、歩兵操典の印刷が一つ間違っておった、それをそのまま答案に書いて出した。当時はそれは美談でした。とにかく教科書から出ることになれば端から端まで、教科書のミスプリントがあればそれもそのとおりやったのがいい点を取るような教育になったら一体どうします。私は本当にそのことを心配しておるのです。単純に教科書から出るのだというようなことで縛ったら、教育が教科書から離れられなくなったら大変ですよね、そうでしょう、理科の大塚さん。
○大塚説明員 御指摘のとおりだと思います。
○湯山委員 それから、算数の坂間さん。
○坂間説明員 そのとおりだと思います。
○湯山委員 大臣、ああいうことです。私は本当にこれは心配しておるので、いつかこれは申し上げなければならぬと思っていたことを申し上げておるのです。 とにかくこういうふうに学習指導要領が改定になる。今度その教育課程審議会の答申が出る。学習指導要領が改定になる。しかし、やはり本当に教材を生かして教育できるというのは教科書ではありません。先生なのです。これが大事なので、それをもし教科書は文部大臣がやったのを使わなければならない、学習指導要領から一歩も――さっきの必須条件、そういうもので縛って、生きた教科書ができなかったらこれはまた重要な問題ですから、それらの点についてひとつしっかりお考え願いたい。 もっと言えば、教科書に関する、あるいは学習指導要領に関する法律も改める、もう一遍そこから検討し直すという必要があると思いますので、ぜひそれをやっていただきたいのと、それからこの教科書選定に携わる皆さんのいろいろおやりになったのを見ますと、こんな細かい、何か箱のすみっこを針でつつくような、それも大事かもしれぬけれども、もっとやはり大きい立場からやっていただかないといかぬのではないか。同じ教科書でも、そういうふうにこれは使ってもいい、使わなくてもいいというようなことをちゃんと明治時代には区別して、それが戦前まで来ています。非常に貴重だと思うし、いまでも間違っていないし、いま二人の視学官が言われたようにそういうのをやはり尊重していかないと、幾ら強権でもって入学試験の方法を変えるあるいは学習指導要領をどうする、教科書を薄っぺらにする、そういうことだけで教育がよくならないということをくれぐれも御指摘申し上げたいということが第一点です。 それから第二点は、やはり現場の先生が困っているのは憲法の問題です。自衛力の問題です。これは憲法第九条。社会科の小林視学官、憲法第九条を小学校でも扱っておりますね。
○小林説明員 小学校の六年の教科書に簡単に記述されております。
○湯山委員 そこで、きょう持ってきていただいた「あたらしい憲法のはなし」、これで見ますと、これは文部省が昭和二十二年にお出しになったものですね。憲法はこれでいけというのでは、 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。 こういう説明です。これは文部省の説明ですね。いまこれはどうなのですか、それでいいのですか、いまの視学官。
○諸沢政府委員 詳しくまた視学官からなにいたしますが、現在は自衛隊と戦力との関係というものは、この憲法制定以後今日に至るまでの各般の時代の推移というものを踏まえて政府の現在の見解というものを説明し、そしてそれに対して民間等では自衛隊が違憲であるというような意見もありますという、言ってみれば大きく分けて二つの説があるという現状を事実として教科書に記載してあるというのが事実でございます。
○湯山委員 では、このとおりというのと、それからそうでなくて持ってもいいんだというのと二つある、こういう見解に文部省は立っておるのですか。
○諸沢政府委員 いまの「あたらしい憲法のはなし」は、御指摘のように昭和二十二年につくられました中学校低学年向きの社会科の教科書ということで、その当時の日本というのが戦争直後であり、みずからも自衛力を全く持たないという状況にあり、もっぱら平和主義というたてまえに立って今後は日本はこういうふうに生きるのだということを説明したわけでございますが、御承知のようにその後極東地域の国際関係の推移等もあり、国みずからが、戦力ではない、しかしながら自衛のために必要な最小限の実力であるということの前提に立って自衛隊を持ち、それを整備してきたという実際の政治的な背景があるわけでございまして、それに伴って憲法の解釈もいま申しましたような考え方に立ってきておるという事実でございますが、しかしその間の経緯というものを一々詳細に初等、中等段階で教えるということはしない。そこで、政府の見解としてはという中にはもちろん文部省も政府の一員として入っておるわけですから、自衛隊は合憲であるという立場に立って政府の見解を持っておるわけでありますが、学校の学習においてはそういう政府の見解に対しそうでないという意見もありますということをつけ加えて事実を教えておる、こういうことでございます。
○湯山委員 いまの局長の言われることはそれなりに理解します。 そこで、国語の調査官藤原さんにお尋ねしたいのですが、国語では「生活に必要な国語を正確に理解し表現する能力を養」う、正確に理解せぬといけませんね。これは国語の時間だけ正確であってはならないので、その能力というものはすべてのものに適用される。日本の憲法を正しい国語で読めば、これと同じになるのではないですか、持ってはいかぬということになるのではないですか。
○藤原説明員 確かにお説のとおり、文章というものは表現されているように読む、またそういう力がなければなりませんですが、そこで正しく読むという範囲の中に、一つ一つの語の解釈というものが、読む人によって多少の違いが出てくる。そちらの解釈も間違いとは言えないという場合が、かなり日常生活にはあると思います。
○湯山委員 国語教育の目標は正しく読むことなので、正しいものが二つも三つも、同じ文章で一方は持ってもいい、一方は持ってはいけない、こういう二通りに読み分けられるなどということが許されるのですか。というのは、時間がありませんから端的に、憲法第九条、「日本國民は、正義と秩序を基調とする」云々から「國の交戦権は、これを認めない。」この間の文章から、そういう軍隊も軍艦も大砲も持ってもいいのだというようなお答えが出ますか、正しい国語で。
○藤原説明員 たとえば戦力はこれを持たないという文の解釈につきまして、戦力というのを戦う力と置きかえただけでは意味は同じことでございまして、戦力とはどういうものであるかということが具体的にわかるようにその文を読まなければならぬと思います。その場合に戦力というものの具体的解釈が、多少読む人の考え方あるいは立場というものによって違いが出てくるということは、日常大変多い例かと思います。しかし、立場が違う場合に、一方の立場の人が相手のものをつかまえて、おまえさんの立場は間違いだとはっきり言い切れるかどうかということも、私たち日常絶えずいろいろな例を通して経験していることで、その場合に両方の立場というものが、お互いに立場立場というものは存在するのだということを前提にした場合に、先ほど申し上げました、戦う力はこれを持たないというような例の解釈につきまして、その戦う力というものの解釈が多少違ってくるというように考えております。
○湯山委員 いま、そういうことをお尋ねしたのではないのです。国語の目標というものが一番大事である、目標のところは局長御答弁にあったように、これは動かせない。国語を正確に理解する。現実がどうなっているというのではなくて、国語で大事なのは、言葉で書かれた文章をどう見るかです。だからさっき申し上げたように、国語の本の中ではネズミが物を言ったり、キツネが物を言ったりするけれども、それはそれなりに正しく理解しなければならぬ。キツネが物を言うなどということはないのだ、ネズミが物を言ったりしないのだと言えば、それはもう全部だめです。中身を言っているのではなくて、第九条の、このあらわれた文章、これを見ればこうではないですかということでこれが出たわけです。そうでしょう。
○藤原説明員 そのとおりであると思います。
○湯山委員 そうすると私は、社会の調査官、国語の調査官、それから局長、大臣に、アンケートをいまからしたいと思うのです。いいですか。日本の憲法は、これにあるように一切の軍備は持てないというのが一です。二番はそうではない、持ってもよろしい。第三番目はどちらとも言えない。さっき言われたように、いけないという解釈もある、それから政治的には持つようになっている。三つですが、一番は、国語で正しいように持ってはいけない。二番は、政治的に持ってもよろしい、自衛のための戦力は持ってもいい。第三番目は、どちらとも言えない。この三つで第何番目をお選びになるか、まず国語の調査官。
○藤原説明員 大変むずかしい問題でございますが、強いて申し上げますならば、いまの湯山先生の御質問の三つの設定の中に、これが正しいのだということが含まれているのかどうか、ちょっと私わかりません。
○小林説明員 同様であります。
○諸沢政府委員 いま先生の設問の、国語の正しい解釈として軍備は持てない、政治的判断として持てる、そういう論理の進め方に私はちょっと異論があるわけです。そこをちょっと申させていただきますならば、およそ法律というものは、条文が大体非常に簡潔にできておるわけでございます。したがって、その法律をどう読むかということは、これはもちろん国語の問題でありますけれども、現実社会の動きと対応していかに解釈するかということがあるがゆえに、判例という膨大なものが積み重なった。 そこで、たとえば公務員の労働行為にいたしましても、現在の地方公務員法の三十七条一項ですか、解釈は、およそ使用者たる住民に対して同盟罷業を「してはならない。」と書いてある、その「してはならない。」という規定をどう解釈するか、全面一律と解釈するか、あるいは通常の争議行為に随伴する程度の同盟罷業はよろしいというのか。これは最高裁の判断でもいろいろあったことは、御存じのとおりでございます。 したがいまして、いまの憲法九条二項の問題も、戦力を持ってはならぬと言うても、その解釈というのはやはり出る余地があるわけでございますから、そういう前提に立って考えれば、私はその戦力といいますか、自衛のための最小必要限度の実力は、これは戦力と解さないというのも一つの考え方ではないかというふうに思うわけでございます。
○海部国務大臣 私は、政治的にいろいろな国際情勢の変化とか、国民の意思とか、あるいは憲法制定当時の世界の情勢とか、その後の世界情勢の移り変わりとか、国民の安全とか、いろいろなことを考えまして、二番目の先生の設問に手を挙げます。
○湯山委員 私は、大変失礼なことをお尋ねして恐縮ですけれども、それはそうではないのです。一体、国の基本法である憲法、しかも最も重要なこの憲法の柱である戦争放棄、平和条項が、いまのようなあいまいな状態でいいかどうか。教育の場では、子供にいまの局長の御説明のようなことを言っても通じませんし、しかも調査官が言われたように、その中にはないのだというようなことを言っても、これは教育になりません。また言ってもわかりますまい。そうではなくて、これだけ端的にやっておいて、そのままだらだらと来て、一方の立場もある、一方の立場もあるというようなことで一体いいかどうかです、問題は。教育混乱のもとはむしろここにあると言っても私は言い過ぎでないような気もするのですけれども、このことについて、そうは言いながらもお役目ですから、おやりにならなければならない。 そこで、きのうちょっと申し上げておきましたが、昭和四十五年の検定に当たって、その憲法のところでこういう指導をしておられる。これは事実かどうかです。七五年度検定における内容で、これは教科書の著者の方から白表紙が出てきます。それを調査官ごらんになって指示を与える、ここはこうだと。それに従ってまた著者がそれを修正して出してくる。そこにもとがあるのですね。それは私がきのうお出しした資料と一致していますか。
○諸沢政府委員 いま私の手元に一つ例があるのですけれども、それは聞きまして一致しているということであります。
○湯山委員 それはこういうことなのです。原文は、要らぬところ省きますが、憲法ではこうなっておる。持ってはいけないことになっておる。「実際の政治をみると、戦争を放棄し、戦力をもたないとした憲法のもとで、武器をもつ自衛隊がおかれ、アメリカ国軍隊が国内にとどまっています。このようなことが憲法から見て許されるかどうか、国民の間では長い間話し合われてきています。」これが著者の原稿であった。これに対して調査官が指示を与えています。それは、それではだめだという意味で、「小学生に憲法判断はできない。この文は一方の結論に導かれるようになっている。平和維持のための自衛権は国家固有のものであるし、憲法に違反しない。国民にも戦後支持されている。」こういう付せんがついて本人に返された。そこで本人はこれをどうやって出したかというと、「アメリカ国軍隊が国内にとどまっています。」それ以後です。「一九五九年の砂川事件の裁判では、最高裁判所は国内のアメリカ軍の軍隊は憲法からみて許されるという判決をくだしました。また、自衛隊が憲法から見て許されるかどうかについては、現在長沼裁判がおこなわれています。」こう直して出して、これは教科書になったのでしょう、このとおりで。
○諸沢政府委員 そういうふうになっております。
○湯山委員 ですから、いまのようなことをしなければ教科書はできない。しかも、これでも伊達判決なんかは抜いてありますよね。そのことを言うのではないのです。そのことを言いたいのではなくて、憲法がこういう状態で一体本当に教材になるか、教えられるかということです。いまこの教科書の文章を見て、「一九五九年の砂川事件の裁判では、最高裁判所は国内のアメリカ軍の軍隊は憲法からみて許されるという判決を下しました。また、自衛隊が憲法からみて許されるかどうかについては、現在長沼裁判がおこなわれています。」こんな教科書を見て一体憲法の学習ができますか。局長、どう思いますか。
○諸沢政府委員 確かに自衛隊の存在をめぐって憲法論争があるということは、私も非常に不幸なことだと思います。しかし日本国憲法を学校で教える基本的立場というのは、御承知のように主権在民、民主主義、それと基本的人権の尊重、それから平和主義というこの三つであり、自衛隊の問題も、帰するところはわが国の平和に徹するというこの憲法の理念をいかにして生かし、そしてそれを子供に教えるか、そこにあるわけであり、自衛隊を肯定する方も否定する方も、その平和の維持という願いにおいては皆一致しているはずでございます。ところが自衛隊の存在自身は、いままで長い論争の経緯があって複雑に絡み合い、今日のようなことになっておる。そこで学校で教える場合には、いまも申しましたように現在の事実を教えるということでございますが、いまの学習指導要領でも、そういうことを踏まえながらも、憲法の学習においては平和と安全の問題について考えさせるということを規定しているわけでございますから、やはり子供の発達段階を考えますと少し抽象的ではありますけれども、私はこういう事実を踏まえながら、平和というものがいかに大事かということを教えることで現在の小中等の段階はやっていくことにならざるを得ないというふうに考えておるわけです。
○湯山委員 文部省から出た学習指導要領にはそういうことは書いてありませんですね。
○諸沢政府委員 その点は私もちょっと見たのですけれども、中学校の学習指導要領の社会のところで「国際政治と平和」というところの途中から読みますと、「また、第二次世界大戦後の国際政治の推移と現状のあらましや、わが国をめぐる国際関係について認識させ、日本国憲法の平和主義についての理解を深めるとともに、平和と安全の問題について考えさせる。」ということで、日本国憲法の平和主義と、それに絡んで平和と安全の問題を考えさせるということは指導要領にあるわけでございます。ただ非常に細かくは書いてございません。
○湯山委員 いまの戦力を持つ持たぬということですね、変わってきたということは触れてないわけですね。小学校はもちろんありません。しかし教科書にこんなのが出ておるのです。ただ一つ文部省から出ておる指導書、これにはこう書いてあるのです。これがこの問題についての唯一のもので、しかも昭和四十五年ですから、問題が起こって、朝鮮戦争ごろから見て二十年たって出ておるのはこういうことです。「国際紛争解決の手段としての戦争を放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持しないことを決意したことを理解させる。」これはいいでしょう。「いっぽう、アジアにおける国際情勢の変化が原因となって、わが国が一九五〇年以来自衛力をもつことになり、その後それが増強されて自衛隊が設置されるに至ったことにも触れることが望ましい。」たったこれだけです。いいですか。しかもこれは一九五〇年です。いま七〇何年ですから、約二十年たってこれだけでこの重要な問題を処理しよう――ですから、いまどうなっておるかというと、教育の場の憲法、あります、それから局長の言われた政治の憲法、あります、中身が違うですね。それからいま長沼裁判とか、これも文部省が言われて出した、裁判、これがある。今度は国語で正しく読んだ憲法、四つぐらいあるのですよ。こういう状態が一体許されるのかどうなのか。これが一体教育を、現場の先生たちをどれだけ困らしておるか。もし仮に国語で正しく読んで、そしてこれにあるとおり、「理解させる。」というところを指して、一方触れておくことが望ましいだけのけたら、恐らく何らかのレッテルを張られるのではないか。こう考えてくると、教科書というものも学習指導要領というものも、やはりもっと親切に、正しくしないと、いろいろ教育改革というので部分的な手直しを幾らやったところで日本の教育はよくならない。教育の環境を静かにしようと言っても、こんなのをほうっておいて、教員室で議論でもしてごらんなさい、三通りにも四通りにもなって混乱をしたら、一体どうするかです。そして子供たちに正しく自信を持って教えることができない、こうなったら一体どうなるのか。 こういうことを私は非常に心配しておりますので、今度制度的な、入試とか塾やめいとかいうのではなくて、これらの問題をしっかりやる、そのためにはもっと、――文部省の調査官の皆さんはいろいろ研究のできる人がこれに当たってくれておることは感謝しています、なかなか来てくれないと思うのですけれども、しかしそれにしてもやはりもっと勉強してください。私は教科書やこれらを今度見せてもらって、これで一体いいのかどうか、学習指導要領が改定になって教科書のページが減った、これで楽になった、ゆとりができたと言えるようになるかどうか、自信がありません。逆ではないかということさえ考えます。 大臣はお出になられるそうですから、どうぞ。言いたいことはそれだけです。 それでは、あと五、六分いただいて……。そこで、これは審議会の答申ですね、これを見ますと、やはり心配な点がたくさんあるのです。もう時間がありませんから個々に触れません。しかし、よく文部省は中教審の答申であるとかそれからどこそこの答申であるとかいうものが出ると、それはまた教科書と同じで、もう金科玉条で、とにかくだれが何と言っても答申がこうだからというので他を受け付けない、そういう排他的な気風がなかったとは言えません。局長はそういうことをお感じになりませんか。
○諸沢政府委員 審議会等はそれぞれの専門の方をお願いして検討を願ったわけでありますから、その答申なり建議なりという趣旨を十分尊重するというのは行政当局として当然と思いますけれども、やはり行政の直接責任にある者はわれわれでございますから、十分現場の実態というものも踏まえて、やはり検討すべき点は検討するという態度でなければいけないと思っております。
○湯山委員 理科の視学官、大変御苦労でしたけれども、あなたは、この教科書を使って授業をしてみろと言われたら、なさいますか。
○大塚説明員 具体的にこの教科書をどういうふうに使うかということを、少し時間をいただいて申し上げたいと思います。 たとえば四ページの「金属とさび」というのがございます。その場合、いままで鉄についてどういう学習をしたか、磁石遊びをしてくぎを吸いつけるというようなところで鉄の勉強をした、それが今度はどういうふうにわれわれの生活に使われているかということを想起させる。幾つか上げると思いますが、そこのところで子供の経験に限界がございますので、この四ページのさし絵を見せて、自分の家の周りにもいろいろ使われている。たとえばどろをしゃくうスコップに、あるいはへいのところとか、そういうところに、外へ出ている鉄はさびがつきやすい、したがって、鉄がさびる場合には空気のほかに水が存在することが必要だろうという予想を立てる。そういう、教科書が国語のように常に学習の中心ではございませんが、導入の、いまの問題意識を持たせる場合にも、子供の経験に限界がございますので、それを拡張させる場合、あるいは今度は、その空気とか水が鉄のさびにどういうふうに関係するかというような実験をする場合、これは相当条件規制がむずかしゅうございますので、六ページにございますような実験の装置を使って調べたらどうだろうかというふうに――実験が非常に重要であるという御指摘、これはそのとおりでございますが、その子供の経験とか思考の助けに教科書を活用するというところで、両者が大変密接な関係があるというふうに思うわけでございます。
○湯山委員 いまおっしゃったようなことでは授業にならないのですよね。そうではなくて、やはり子供たちで言えば、たとえばナイフならナイフを持っている、それをさびさせないようにするにはどうすればいいかと言えば、自分でこするでしょう。やはりそれが理科なので、どうしてもこれには水分を持ってこなければならない、空気を持ってこなければならないではなくて、よくふいておけばなぜさびないのか、なぜ油をつけておけばナイフはさびないのか、そうすれば自然にそれは出てくるのではないですか。 もう一遍申し上げますけれども、これを読んでおいて、家へ持って帰って、それから家の周りを探して、あ、石が落っこっている、さびている、これはどうしてか、そんなことをわざわざするための教科書なら、家へまた持って帰って見なければいけませんよね。そうではないです。そうではなくて、やはり子供に必要があれば自分で持ってくる、調べてくるわけで、そういう生活から自然物、自然現象に臨んでいくというのであって、私はこういうことを聞きました。理科の教科書を一生懸命つくっておった、当時ですから監修官ですか、その人とそのことで話をしたら、こう言っていました。私ならこんな教科書は使わない、これは新卒で、もう右左わからない、どうやっていいかわからないという人には役立つけれども、本当にやっておる人、経験のある人にはこれは何にも役に立ちません。現にこれはそうですよね。そういうことなので、だから監修官は、こんなものは自分がやるなら使わないのだ、こうでなければいかぬのです。その方が正しいのです。そこを申し上げたかったのです。いまの点はおわかりいただけたですか。
○大塚説明員 指導する教師が非常に優秀で、またそれを受ける子供がある程度のレベルに達している場合には教科書の役割りは大変小さくなる、御指摘のとおりでございます。しかし、これはある区での調査でございますが、いま御指摘のようなぐあいに教科書を授業にそれほど積極的に活用してないという先生は一割である、あとの九割の先生は指導計画を立てたり授業の流れに利用する、さらに授業の中で子供のつまずきのときにどういうふうに実験をさせるか、さらに装置をどういうふうに使ったら正しい使い方になるか等において教科書に大変依存している、それが実態ではないかと思うわけでございます。
○湯山委員 勘違いしてもらったら困るのは、先生はもうこの教科書でも繰り返し、巻き返しすり切れるぐらい使ってもらわぬといかぬのです。ただ子供にこれを使わすのを問題にしておるのであって、いまの御答弁はごっちゃになっておったでしょう。教師はこれをうんと見て、これはこうではいけない、こうだ、ここはこうだと。たとえば木をもんで火をつけるのが青い表紙のにありますね。出雲大社では火切りぎねを神主さんがこうやって木をもんで火を出している、これなんか子供に見せて、これで本当に火が出るかどうかとやってみたら、それは一生懸命やって、それだけで、その絵一枚で全部授業できるぐらいです。そういうこともありますけれども、それはきわめてまれであって、あなたがおっしゃったように先生が計画を立てたり実験を準備したり、それにはまだこんなことでは足りない。けれどもそうではない、子供に持たして読みながらこれをやらすというのはだめだということですから、その点を間違えないようにしていただく。それを忘れると教科書をつくっている人はとにかくつくらなければならない、それへ入り込んでしまったら、非常に悪い言い方をすれば周りに盲になるのです。だからできたものがまとまって何かりっぱになればいいというので、いまの行成卿の字を持ってきたり正倉院の御物のそんなものまでつけてということになりがちです。それはあたかも答申というものが金科玉条と同じようになりがちですから、私は、文部行政の責任者は審議会に埋没しないということが教科書に埋没しないというのと同じように重要だということ、そして繰り返し申しますけれども、教科書は使わなければならない、趣旨については学習指導要領に絶対一分一厘違ってはいけないとか、ならない、ねばならない式では教育はよくならないということもぜひお考えいただいて今日の教育の危機に対処していただきたいということを申し上げて、終わりたいと思います。
○藤尾委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。 午前十一時三十四分休憩 ――――◇――――― 午後一時三分開議
○藤尾委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について質疑を続行いたします。鍛治清君。
○鍛治委員 公明党・国民会議を代表いたしまして一般質問をやらせていただきます。 本日は最初に教育の基本姿勢についてお尋ねをし、次いで教科書問題、最後に大塚養護学校の問題、これに関連した問題等を要約いたしまして三点お尋ねをいたしたいと思います。大臣並びに各局長、関係者の皆様方の明快なる御答弁をお願いいたしたいと思います。 まず最初に教育の基本姿勢についてお尋ねをいたしたいわけですが、これは憲法や教育基本法にうたわれていることは十分承知をいたしておりますけれども、本日は別の角度からいろいろお聞きをしたいと思いますので、よろしくお願いをいたしたいと思います。 最近ある本を読んだのでございます。これはユダヤ人の指導的立場にある人が書いた本でございまして、その中に、ユダヤ人はいまから約千九百年前にいろいろ迫害を受けて国を失った民族である、普通国を失い迫害を受けた民族が栄えた例というものはほとんどないとされておりますけれども、ユダヤ人はその後も迫害され続けながらも今日まで生存し大変優秀な人材を世界に送り出してきた、こういうふうに書かれているわけです。また、それはどういうわけでそういうことができたのか、ほとんど迫害され国がなくなった民族はいろんな民族に吸収され滅亡しているという現状の中でそれはどういうわけか。事実見てみますと、ノーベル賞を受賞した方に例をとりましてもその約三分の一の方がユダヤ人になっておる。また現在の世界各国のトップレベルの政治家や実業家、学者の方々を引き抜いて一堂に会しますと、あるいは各国の各分野における指導者は大変穴があいて混乱が起きるのではないかということまで言われているわけであります。このようにユダヤ人がずっと続いてき、優秀な人を輩出した根源は何か、それは宗教であり、教育である、こういうふうにその本では書かれているわけです。特に教育ということについてユダヤ人は、子供というのは親の持ち物ではない、これは自分たちが世界から預かったものである、そして社会の役に立つよりよい大人に育てる責任が大人や親にあるのだ、こういうふうに考えて徹底した小さいときからの教育を行っておる、こういうふうに書かれてあります。したがって、ユダヤ人はずいぶん迫害を受けたわけでありますが、そのたびごとに教育とその教育をする場だけは皆が力を合わせて命がけで守り抜いてきた、こういうふうに書かれてあるわけです。そういうわけで子供というのは、そして教育というものは、ユダヤ人にとりましてはもうユダヤ人そのものでありますし、ユダヤ人の未来そのものである、しかもそれが世界の人々に役立つ人間をつくるために努力をすべきだということで、国のない民族でありますけれども営々として努力を積み重ねてきた、こういうふうに書かれてあるわけです。 私はこの本を読みまして大変感ずるものがありました。多分に心情的なお話になりますので、また前置きが長くなって大変申しわけないのでありますけれども、日本の教育の現状を見てみますと、この最も素朴で一番大切な根本的な姿勢というものがもう一度問い返され、また考え直される中で、教育というものをもう一度考えてみるべきではなかろうか、そういう時期が来ているのではなかろうか、また、そういう姿勢が確立されていく中で、その姿勢が必ず具体的な実践活動の中で行政なりいろいろな形に事実の姿としてあらわれてくるのであろう、こういうふうにも考えるわけでございますが、この点について大臣のお考えをまずお聞かせ願いたいと思います。
○海部国務大臣 いずれの国の民族でも、みずからの立場、みずからの受け継いできた伝統を守りながらまたよりよく後世に伝え、しかもすでにこういう平和を希求する地球上の世論の高まりの中では、いかにして自分の国が文化のかおり高い国になるか、世界平和のためにどうしてこの国は貢献できるか、いろいろなことを考えながら切瑳琢磨して生きていかなければならぬ。それはもう先生いま例として御指摘になったユダヤの人々のお話にも貫かれておることだと思います。 私は、いまの日本の教育というものも、戦後三十年、行き届いた学校教育制度の中で、日本国民として心身ともに健全なりっぱな国民に育っていってもらわなければいけない。文部省としてはそのために国民として重要なものは何かということをいろいろ考えまして、基礎的、基本的に身につけてもらわなければならぬものはどうしたらそれがよりよく身につくようになるか、あるいは全体の風潮としてはお金とか物とかだけで、何か人間の大切な心というものがややもすればおろそかにされてきたのではないか、こういったいろいろな問題点あるいは世の批判、指摘に対しましてこれを謙虚に受けとめながら前進を続けていかなければならない、こう考えております。
○鍛治委員 端的な身近な表現で言いまして、教育に対する根本的姿勢または常にフィードバックしながらそこを基準に判断していかなければならぬ、そういう基本姿勢というものについてはどこにあるというふうにお考えでしょうか。
○海部国務大臣 御質問の意味を私なりに受けとめさせていただいてお答えしますので、間違っておりましたらまた御指摘いただきたいと思いますが、教育というのは、私は、一人一人のそこにいる人間が日本国民としてやはり心身ともに健全に育成されていく、それがやはり一番の目的だと思います。そして、そういう一人一人の人が健全な国民として成長し、世に出てから社会を築かれればその社会は健全であり、その国家は健全である、私はこう判断しております。
○鍛治委員 いまの御答弁、それは確かにそういうことになるのでありますけれども、そこで、いま大臣がおっしゃったことと若干食い違っておるような感じもあるわけですが、念のためにお尋ねしたいのです。 今国会の最初に大臣が所信表明をなさいました。その中で、最初のたった三行でございますけれども、これがいままでの文教行政の成果と、それからどういう考えのもとにやってきたのかということが織り込まれておるような感じがするわけです。大変前の話を持ち出してきて大変申しわけないのでありますけれども、これは基本的な考え方をお尋ねする意味で再度ここに持ち出したわけですが、ここにはこういうふうにございます。「本年は、戦後、新しい学校制度が発足してから三十年目を迎えます。この間、国民の教育に対する熱意と関係者のたゆみない努力によってわが国の学校教育は、着実な普及発展を遂げ、今日のわが国経済社会の礎を培ってまいりました。」こういうふうに三行に要約をされているわけです。あとはこれからやろうということの問題でございますけれども、この三行の中に、やはり大臣が教育に対する、またいままでやってきた教育行政に対する考えがこの表現の中に凝縮されておるのだろう。そう思うわけですね。本当にその中で、「関係者のたゆみない努力によってわが国の学校教育は、着実な普及発展を遂げ」てきた、これはこういう一面も確かに認められますけれども、その反面に、いま言われております受験地獄なり、それからこれに伴う小学校、中学校生徒にまで及ぶ自殺者がふえてきてみたり、大変な問題が起こっているわけでございまして、こういう問題に対する認識は一体どういうふうにお考えなのだろうかということが一つあるわけですが、まずこの点についてお尋ねしたいと思います。
○海部国務大臣 余りその前文にわたることをあれもこれも詳しく書いておりますと膨大なものになってしまいますので、確かにおっしゃるように三行のところに凝縮されたわけでございますが、私が一番言いたかったのは、日本における戦後学校教育制度というものが非常に行き渡ってきた。そして義務教育というものがほぼ一〇〇%近いところまで到達をした。そして養護学校の義務化の制度が五十四年にきちっと始まりますと、いよいよこれで完全な体制になっていく。能力のあるすべての人々に義務教育を受けてもらう、逆に言うと、教育を受ける権利を保障されておる国民が皆教育を受けることができるように、名実ともに広く普及をしてきた。それから戦前はたしか六年制の義務教育でありましたのが、戦後九年間の義務教育になって、国民として身につけてもらうべき基磯的、基本的なことの精選も進んでおる、そういった面では非常に充実をしてきた。私は、そういったことが国民の皆さんの教育に対する熱意、それからやはり教育に携わってきたすべての人々の努力によってここまできたのだということに思いをいたしましてこういう表現をしたわけでありまして、もちろん先生御指摘のように、そのために――そのためにと言っていいか悪いか知りませんが、入学試験の競争のところに地獄とか戦争とかいう言葉が使われるようになった、これはいいとは決して思っておりませんので、これはこれで、着実な普及発展とともに、起こってきた弊害は一段と取り除いていく努力もしなければなりませんので、それはそれで当面の問題を解決するためにやってまいりますが、基本としては、やはり義務教育というものが非常に普及してきて、学校に対するいろいろな問題点はあろうけれども、着実に成果を上げてきた、こういう考え方を率直にここに申し述べたわけでございます。
○鍛治委員 これは所信表明演説の中でございまして、こういういい点ばかりを強調するという一つのしきたりかもわかりませんが、前回の質問のときにも申し上げたように、いい点、悪い点というものは率直に見詰めた上で、それを明らかにしながらやはりこういうふうにやっていくというような形のものが、そういう姿勢が必要ではないか、こう私は思うわけでございますが、この点についての御意見を承りたい。
○海部国務大臣 おっしゃるとおりに、いい点も悪い点も、あるがままの事実を私どもは受けとめ、反省すべきは反省し、前進さすべきは前進させ、やっていかなければならぬと常日ごろ考えておりますし、また、そういう考え方で今度も書いたわけでございまして、この最初の三行だけをお読みになりますと、確かに我田引水のような、いい点だけが出ておるではないかと御指摘でありますが、「以下、当面する文教行政の諸問題について申し述べます。」というところをお読みいただきますと、この中には、こうこうこういう点にやはり問題があるからこう変えていきたいというようなことも、お読みいただくうちににじみ出るように書いておるわけでありまして、それから、申し上げたように、あんまり前文をくどくど書いて長くなってしまうといけないという意味で三行にいたしましたので、ひとつ眼光紙背に徹していただいて、私が先ほどから申しておりますように、そういったよくない点、改善すべき点についてはこれまた十分に自覚をし、改善のための努力も続けてまいりたい、こう思っておりますから、御理解をいただきたいと思います。
○鍛治委員 前文が凝縮しているから――こだわるようでございますけれども、やはり一番大切なところだから申し上げているわけで、たとえば一行でもそこに現状の把握というものが入ってしかるべきではなかろうかという気が私はしているわけです。さっきの質問、ちょっと舌足らずのところがありましたので、そういう意味での表現というものはやはりやるべきではなかろうか。それを踏まえてここに入っていれば、眼光紙背に徹した上で私そう申し上げているわけで、御理解をいただきたいと思うのです。 それとその次の、「今日のわが国経済社会の礎を培ってまいりました。」こうあるわけですが、これ、決して悪いと言うわけではございませんけれども、「経済社会の礎を培ってまいりました。」と、この凝縮した三行の中の一行にこういった語句が出てくるところに、いままでの文部行政のあり方が何かうかがわれるような気がしてならないわけです。大臣は、大臣就任されてから学歴社会の件でもいろいろ話し合いをし、解消に努力されておるようではありますけれども、ともすればいままでの文部行政は、いわゆる企業のための、また経済のために役立つ人間のみをこしらえていったのではないかという批判もずいぶんあるわけでありまして、こういう所信を読んでおりますと、確かに「経済社会の礎」と言っている、こういう点だけを強調しているが、確かにそうではないか、こういう思いがするわけでありますけれども、大臣はこの点については根本の真意はどういうところにあるのか、再度お答えをお願いしたいと思います。
○海部国務大臣 私はこの戦後の教育の評価をするときに、いま御指摘のように、企業のために役立つ人間を育てようというような角度で物を見たこともありませんし、顧みたことも全くございません。それは最初にお答え申し上げましたように、そこにいる一人の、将来いろいろな可能性を持っている国民が、りっぱな資質を持ち、高い能力を持ってもらいたい。義務教育段階では国民として必要なことを身につけてもらいたい。しかし、そういう能力と資質が高まった人々が社会に出て活動をしてもらえば、その社会は活力のあるいい社会になる。私はこういう受けとめ方をしておるのです。また、特異な学術あるいは特異な技術を身につけた人が世に出ていってもらえば、それは社会に貢献をし、ひいてはそれはわれわれみんなに、いい社会をつくるために役立っていただいておるわけであります。そういう意味で、戦後の日本の経済社会の発展というものは私はある意味で非常にすばらしかった、こう考えるのです。それはみんなの力によって、あの敗戦直後の焼けただれ荒れ果てた国土の中から、こういう行き届いた生活ができるように国そのものが立ち上がってきた。それには国民各界のすべての人々が、一人一人の国民がやはり努力もし、英知も出し、そして資質も向上させて、みんなが力を合わせてやってきた証拠である、こういうふうに私は受けとめておりますので、ここにこういう表現をしたわけでございます。
○鍛治委員 人間形成という一番最初大臣おっしゃった内面に対する御答弁、こういう点に対するお考えが掘り下げてお聞きしたかったわけですが、こういった考え方が根底にありますと恐らくこういう表現とは違ったニュアンス、人間的な臭みのある表現が私はできておったのではなかろうか、こういう意味でいまお尋ねをしているわけでありまして、こういう点についてくどいようですがもう一度だけ御答弁をお願いしたい。
○海部国務大臣 これは最初に申し上げましたように、この国会において文教各般の問題を御審議いただくに当たって申し上げたいことの最初の心構えとして最初の一ページは書かれたわけでありますけれども、いま文部省がやっておりますことが完全無欠で間違いないことばかりだとは決して思ってもおりませんし、それから世の批判も十分お聞きしながら、その批判にこたえながら、しかし改善すべきものは一歩前進して改善していこう、こういう気持ちで取り組んでおるわけでありまして、文教行政の諸問題についてのページをちょっと恐縮ですがおめくりいただけば最初から初等、中等教育の改善充実の問題を取り上げておりますし、なぜ改善するのか、現状が一〇〇%理想的にいっていないと思うからこそ改善をするわけであります。高等教育の整備充実の問題にしましてもいま一〇〇%いいのだとは思っておりませんからもっと整備充実していきたい、こういう願いを込めて書いておるわけであります。いまのままの状況でいいのだ、戦後三十年を顧みてこれで問題は全部解決されたというような、決してそんな安易な気持ちでは私どもはおりませんので、その点はまず私もくどいようでございますが何度か申し上げますが、御理解をいただきたい。 それから後段の御指摘の問題につきましては、私は民主主義というものは個の完成だと思います。一人一人の人間が自主性もなくぐうたらで能力もなく資質もなかったら、それらの国は国家として世界に迷惑をかけるかもしれない。社会も暗いものになるかもしれない。一人一人の人間が何がいいことか何が悪いことか、何が美しいことか、何がとうといことか、人間としては何が大切かというようなことを基礎的、基本的に身につけて社会人になっていかなければならぬ、こういうふうに考えまして義務教育というものは日本国民として必要な、心身ともに健全な国民を育成しなければならない。これは日本国憲法を受けてできた教育基本法にも明らかに指し示されているところでありますし、そのほかにも勤労をとうとべとか自主性を持てとかいろいろございます。要はそういうふうに社会に出て人に迷惑をかけないで自分自身の人生をしっかりと自主的に見詰め、しかも資質や能力によって結果的には社会に貢献できる、そういう貢献し合う努力の中で、この社会が住みよい明るい生き生きとしたものになってくる、そういう世の中をつくることを目指してみんなが社会人として生活をしていくわけでありまして、私はそういう立場に立って振り返ると、この三十年間戦後の教育制度の普及というものは、いろいろ御指摘のように問題点も反省すべき点もございましたが、社会が向上し前進し、みんなが生きておることの幸せをきのうよりはきょう、きょうよりはあすへと感じながら、なお前進を続けていくことのできるこの社会の基盤と礎というものがだんだんできつつあるのだ、こう感じとっておりましたので、こういうような表現をいたした次第でございますから御理解をいただきたいと思います。
○鍛治委員 先ほど戦後教育ということが出たわけですが、確かに大臣おっしゃったように国民各層皆さん方、また関係者の皆さんの力を合わせた努力によって今日まで来たということはそれは一つ大きくあると思います。ただもう一面から言いますと、ある意味では文部行政と教組、親、それから政治家のわれわれも含むかもわかりませんけれども、対立の中に教育というものが進められてきたのではないか、こういうような考え方も私は持つわけです。これはそれなりに戦後の教育を立ち直らせ、発展させてくるということに確かに力があったであろう、私はこう思うわけですが、国民の皆さんにいろいろ私もお話し合いをする中で聞いてみますと、いま申し上げたようなある意味では対立という形での教育が行われてきたのではないかという認識が多分にあるわけです。私はこのことについてちょっとたとえがよくないかもわかりませんけれども、こういう関係というのは夫婦げんかに大変似ているのではないかというような気がしているわけです。大体仲の悪い夫婦というものは、御主人に聞いてみますと御主人は大変りっぱでありまして奥さんが大変悪いわけです。ところがその奥さんにお聞きしてみますと、奥さんはまことにりっぱなわけで、悪いのは主人ばかりだ。こういうりっぱな人とりっぱな人がいてどうして家の中でけんかばかりするのか不思議なのですが、教育もそういう面が多分にあったのではないか。そういう中で、子供が親のそういう姿を見ながら変な形と言ったら悪いがさまざまな意図しない形で育ってしまう、こういうような感じもするわけです。 そういう意味で教育の根本姿勢というものは、ここらあたりで本当に子供の幸せのためにというこの一点で真剣に同じ土俵の中で、これは片一方がこっち側に少し主張を引っ込めるとか片一方がこちらの方に折れるだとか、そういったような形ではなく、むしろ違った舞台で、新しい舞台で真剣にこのいろいろな教育、このままでいけば日本の国はあるいは滅ぶかもわからぬという人すらあるこの現状の中で、この教育というものを本当に子供のためにまた日本の将来のためになる教育につくりかえていかなければならない、こういうふうにも考えておるわけでございますが、こういうことに対しての大臣のお考えをお聞きいたしたいと思います。
○海部国務大臣 教育を受けておるその子供のためをもちろん考えて教育は行われなければならないという御指摘は当然のことでありますし、また私どももそれらの子供のことを十分考えながらいたすわけでございますが、いろいろな対立点その他の過去の問題点につきましては、私どもはできるだけそういった大人の世界の雑音とかイデオロギーによる論争みたいなものが教育の現場を騒々しくすることはまさに子供のためにならぬことでありますから避けなければならない、慎まなければならぬ、戒めてやってまいりましたし、またこれからの教育で、たとえば教育課程審議会の答申を得て改定作業をやっておりますのも現場の子供のためを考え、どうしたら日本国民として必要な基礎的基本的なことを身につけてもらうか、身につけてもらうのが将来国民としてその人が生きていくためにいいことだと信ずるからこそ教育というものは行われているわけでありまして、その点では考え方において違うところはございません。
○鍛治委員 その姿勢がやはりいろいろな行政を手を打ってなさる中で食い違いが出てきたり、われわれは手の打ち方が遅かったりというふうなことを思うことが多いわけでございますが、これはまたこれから後の質問の中でいろいろとお考えをお聞きしていきたいと思いますので、次の問題に移りたいと思います。 次は教科書問題でございますけれども、この点について若干お尋ねをいたしたいと思います。 最近この二カ月ぐらいの間に教科書の記述内容に誤りがあるというようなことで朝日新聞とか毎日新聞等々でいろいろな報道がされておるわけですが、こういうミスが新聞報道にあったのを読んでみますと、余りにも数が多過ぎる。こういうことに対して文部省は検定をしてきちっと文部省検定という判を押して本を出しているわけですが、こういう点のチェックというものが事前に正確にどうしてなされてないのか私は大変疑問に思うわけですが、その点についてお聞きをいたしたいと思います。
○諸沢政府委員 教科書の検定に際しましてはどういう小さい誤りでもそれを見逃さずに正確性においても欠けることのない検定をしなければならないのは当然でございます。ところが実際に検定に合格しました教科書が今度は学校で使われるという段階になりますと、印刷の過程で誤りが出るものもあるというような点もございます。それからまた、この一般に指摘されました中には、もちろん誤りであると考えなければならぬものもあるわけでございますけれども、やはり教科書の内容は子供の発展段階、発達段階に応じて記述さるべきでありますから、この段階の子供に対してはおおよそこのくらいの記述でいいであろうというような、言ってみれば教育的配慮のもとに記述をする。そうすると、細かい議論をしてまいりますとどうしても、この点はしっかり明白になってないとか、あるいはよく書いてないとかというような御指摘をいただく場合もあるわけでございますが、そういう点は、その見られる人の意見ではありますけれども、検定する文部省あるいは教科書を著述する著述者の側においても、この段階の子供ではこの程度でいいのだというような判断でそのままにする場合もあるわけでございます。 しかし、いずれにしましても、明らかに誤りであるというようなものにつきましては、これはできるだけ早く訂正をするということが必要でありますので、検定の手続におきましても、明らかに誤りであって、かつ早急に訂正する必要があるというようなものにつきましては、正誤の訂正という扱いで、普通の検定よりも短期間に修正ができるようなやり方を設けておるわけでございまして、そういうやり方にのっとってできるだけ速やかに訂正する処置をとっておると、こういうことでやってまいっておるわけでございます。
○鍛治委員 この訂正の件については、できるだけ速やかに、また最も急ぐ場合はそういう正誤表ですかを書いてということでございましたが、これは、そういう急いでやった場合で期間としてどれくらいかかるのか、それから普通訂正する場合にはどの程度をかけてやるのか、この点をちょっとお聞きいたしたいと思います。
○諸沢政府委員 普通の検定でありますと、検定を出願してから原稿調査、校閲審査、見本本審査と三段階ございますから、六カ月くらいかかるわけでございます。ところが、いまの正誤の場合は、具体的にその誤りの個所が文部省あるいは著述者の方で発見されました場合に、連絡をとりまして、その部分について直したいという連絡がありますれば、早急にその点についての判断を下し、これが正誤扱いで差し支えないということになれば、直ちにその内容に応じて訂正することを認めるわけでございます。そうしますと、その発行者の方はそれに応じて今度は手当てをするわけでございます。 ただ、ここで一つ問題なのは、教科書は御承知のように小、中、高の三段階、皆検定でございまして、点数にしても約二千点近く、冊数にすると二億くらい毎年供給するわけでございますね。したがって、教科書をつくる方はもう毎年大体八月くらいからその教科書の印刷にかからなければならぬということになりますと、正誤を実施する段階がどの時点であるかということによって、すでに輪転機にかかってしまっているものはしようがないから、そこで正誤表をつくって別途送付をする、間に合うものはなるべく教科書それ自体を直したいということになります。教科書それ自体を直すということになるとやはりちょっと時間がかかるというようなことがありますので、一律にどのくらいということは言えないわけでありますが、当事者ができるだけそのつもりになって手当てをすれば、まあ一月ぐらいで直すことは可能であるというふうに考えるわけでございます。
○鍛治委員 早い場合は一カ月のようですが、最も遅く、綿密に検討した上で訂正をしなければならないというような場合に、どれくらい日数がかかるものか、これもちょっと、一般的な問題で結構ですが……。
○諸沢政府委員 事務処理としては、いま申しましたようにそうかかる問題ではないと思うのでございますが、ただ、これは誤りであると指摘された事柄について、果たしてそれを直すべきかどうかというような問題になった場合、たとえば、先日も新聞に出ておりましたけれども、小学校の低学年の段階で、びんの中でろうそくの火を燃やすと、そうするとそれが、酸素が欠乏してきたときに火が消える、後に酸素が残っているというような記述が正確に教科書にないものもあるというような場合に、一体この実験でねらうものは何だ、およそ物を燃す場合には酸素が要るのだ、そしてその酸素が二酸化炭素に変わって燃焼を妨げるということぐらいを教えるとすれば、びんの中に完全に酸素がなくなるという状態が必ず起こるかどうかということまで教える必要があるだろうか、こういう教育的な意見もあるわけでございますが、その辺の判断をし、どういうふうにやろうかというのは、教科書を書く人が第一に御自分で判断をされることであり、それを文部省に相談に来られるということでございますので、その辺の往復に多少時間がかかるであろうということで、統計資料を差しかえるというようなこととは全く違いますので、そこに若干の時間的な余裕が出てくる、こういうことだろうと思います。
○鍛治委員 表現の自由ということもあるわけでしょうから、そこらあたりのことはわからないわけではございませんけれども、やはりこういう一つ一つの実情がわかってから、教科書の記述が訂正されてはきておるけれども、大変遅く時間がかかっておる、ちょっと余り長過ぎるという例が多いわけです。いま御答弁の中で遅い場合の正確な日にちというものをおっしゃらなかったのですが、そこらあたりでお逃げになったのか、答弁があいまいで私は大変不満でありますけれども、いま出ましたびんの中でのろうそく燃焼の問題ですね。これも四月十一日の西日本新聞に出ておりました。これは、文部省がこの件について御承知になったのはいつごろでしょうか。これをちょっとお尋ねをいたしたい。
○諸沢政府委員 私は、新聞の記事を見てすぐ担当課の方へ、どうなっているかという照会をしたわけでございます。
○鍛治委員 局長がいつ知ったのとかいうことではなくて、文部省という立場で、担当の方を含めて、こういう記述の間違いがあるということが、内容がちょっと適当でないのではないかということがわかったのは大体いつごろでしょうか。
○諸沢政府委員 教科書検定を担当する者も、その新聞の報道によって知ったように聞いております。
○鍛治委員 それは間違いありませんね。
○諸沢政府委員 私はそういうふうに聞いておるわけでございます。
○鍛治委員 ここで一つ、どうも私が調べたこととちょっと食い違いが出ておるわけです。そういう御答弁に私は大変に文部省の姿勢がうかがわれる。先ほど大臣とのやりとりの中で申し上げました本当に子供のためにという、単純な言葉ですけれども、私はこれは本当に大切ではないかと思う。ところが現実に、この教科書の記述の誤りを直すという点でもこういうふうに大変時間がかかっておるし、しかも後で申し上げますが、精神障害に対する記述について大変差別的な、不穏当な表現のものがいまだに残っておる教科書があるのです。ところが、これが現実に精神障害の方々が問題提起されたのがいまから約四年ぐらい前です。そして、文部省がそれによって、四年ぐらい前に、出版会社に対してこういう記述はよろしくないというメモを出されておるようです。ところがいまだに直っていない。これも含めてお尋ねをいたしたいのですが、このびんの中のろうそくの火の問題ですが、これは私が調べたところでは、この佐藤先生ですかはいまから五年前にやられた実験だそうですね。そして、その当時に出版会社等に電話をしたりして申し出をした。それからさらに文部省の関係にもお電話をされたのではないかというふうなことのようでありますが、そこらあたりは、かけたかけぬということはおくといたしましても、その後こういう記述の認識について先生方がどういう考え方を持っておるのか、アンケート調査したところ、新聞に出ておりますが、これはちょうどいまから四年前と三年前と二回に分けてなさったようです。そしてその結果ろうそくが消えたときには酸素が皆燃え尽きてなくなってしまうという認識の方が大変、七、八割方ぐらい、先生方でさえまだ持っていられた。このことを山形県の教育センターですかの全国大会で昭和五十年に発表をされているようです。そのときに文部省の担当の方もたしか出席をされておったのではないでしょうか。そのことでさらに正式に、どうも先生の方にこの問題についてひとつ書類をきちんとした形で出してくれぬかというふうな依頼があって、昨年、これははっきりと文部省に提出をしてあるのです。それがなぜ新聞発表で、四月十一日といったらついこの前ですよ、そういう日にちに、あなたもそうだ、それから担当官もそうだ、そう聞いておるというふうなこと、大変食い違いがありますが、この点について。
○諸沢政府委員 いま直接担当しておる者がここにおりませんで、事務担当の者に聞きました結果をそのままお話し申し上げたわけでありますが、御指摘のような事実があるとすれば、あるいはその直接検定を担当する者はもう少し前からそういうことを聞いておったことがあったかもしれません。それはよく調べましてまたなにをさせていただきたいと思います。
○鍛治委員 この問題は、私は質問の中にお聞きしますよということは申し上げているのです。どうしてそれがあいまいな形でそういった内容を――文部省部内ですよ、調べぬまま、ここに出席をしてあいまいな答弁をなさるのですか。
○諸沢政府委員 どうも申しわけのようになって恐縮ですけれども、具体的にその問題についての御質問があるというふうには私は聞いておりませんでしたものですから、いまここで資料を見ながらお答えをしているわけでございます。
○鍛治委員 私は確かにこの問題を質問するということを申し上げました。とにかく関係担当官に確認をしていただきたいと思う。少なくとも、これは私は相当前にも問題提起もされておりますし、早く耳に入れておかなければならぬだろう。また出版会社の方には早急に、五年前にもう結果がわかったときに連絡をしておいたようです。ところがそれがようやく一、二の出版会社で訂正がされてきたというようなことで、今回の新聞報道でも出ておるとおりだろうと思います。少なくとも私の調べた中では、昨年の九月にはその書類のきちんとしたものが、五年前の実験ですけれども、文部省に確実に、間違いなく届いておるはずです。そうしたら、先ほどのお話で早ければ一カ月、しかもその間に印刷等の関係もありましょうが、相当の経過がある。それをこの記述で、これはこういう形で子供に教育の中で認識をさせてはまずいということであるなら、その真剣さがあれば、姿勢があれば、私はぱっと手を打つのではないか、こう思うのですよ。その点について、再度、くどいようですが、局長のお考えをお聞きしたい。
○諸沢政府委員 おっしゃるように相当前に出してあるものでありますならば、当然にもっと早く検討しなければならなかっただろうと考えております。ただ、先ほども申し上げましたように、この点は、全部の教科書についてですが、にわかに誤りと断定できるかどうか、あるいは子供の発展段階を考えてこの程度でこの記述はよろしいという判断をするか、そこが一つあると思うのでございまして、そこは一義的には各発行会社、著作者の見解というものをまず聞いた上で取り扱うということになろうかと思うのでありまして、そういう意味でこの点は新聞等に出ました後も各社に連絡をしたようでございますけれども、まだその後のお返事はないというふうに聞いておるわけでございます。
○鍛治委員 私の手元にも、まだほかにもあると思いますが、最近の分で三月二十一日に朝日新聞に出たものがございます。こういう点についてはもう手が打ってあるのかどうか。 それからその後、これは毎日も出ておったようですが、その毎日の記事を見て、毎日の四月十一日の新聞には、今度は埼玉県のお父さん、お母さんが、こういう教科書を子供に教えられたのでは困るということでPTAの方までが大変立ち上がっていま大騒ぎをしていらっしゃる、こういう記事が出ているわけです。すると、こういうような記事に対して手を打って、これはいつごろきちっとするというようなめどをつけていらっしゃるのかどうか、これをお聞きいたしたいと思います。
○諸沢政府委員 文部省としましては第一番には検定の際にできるだけ過ちをなくするということでやってまいりまして、御指摘のようにその後一般の使用者あるいは父兄の方あるいは関係の人々から過ちあるいは過ちと思うというような指摘がありました際、あるいはそういうものが新聞等に報道されました際は、その事実をそれぞれまた各関係者に直ちに連絡をして、どういうふうに考えるかというその考え方を聞いた上で、必要に応じて訂正の措置をとってもらう、こういうことをやってきておるわけでございます。
○鍛治委員 先ほど局長からお話のありました、私もちょっと申し上げました精神障害者の関係の教科書の記述についてお尋ねをいたしたいわけでありますが、文部省にお尋ねをする前に、きょうは厚生省の方から来ていただいておると思いますので、ひとつお尋ねをいたしておきますが、精神障害者というものは、実はこの教科書を持ってきておりますけれども、読みますと遺伝ということがうたわれておりますし、そういうことから結婚しても子供は生まない方がよろしい、生んではいけないみたいな記述も若干あるようですが、この語句の文言はともかくといたしまして、いわゆる精神障害者というものが遺伝ということで片づけられていいのかどうか。これはいまの学問上の考え方についてお尋ねをいたしたいと思います。
○目黒説明員 お尋ねの精神病の遺伝性かどうかということでございますが、この精神障害の原因につきましては各種の研究がこれまで行われております。しかしながら、今日では確実に遺伝であるかどうか、あるいはその原因ということについては結論が得られていないというふうに聞いておるわけでございます。したがいまして、現在の医学の水準では精神病が遺伝性の疾患であるというふうに断言することはできないというふうに思われるわけでございます。
○鍛治委員 ありがとうございました。 ここに大日本図書というところから出ている「生物Ⅰ」の改訂版があります。これは一番新しい分でございますが、この百七十七ページに「遺伝と変異」という項でこういう記述があるわけです。「また、精神病のなかには、遺伝することのはっきりわかっているものもある。非常に悪い遺伝病をもっている人とか、そのような子の生まれる可能性をもっている人は、結婚しても、子のできないようにすることがたいせつである。」実はこういうふうな記述があるわけです。これに対して文部省では指導メモという形で、一九七三年ですから四年前ですか、秋に、各教科書出版会社に対して、記述内容が不穏当なところがあってはならない。これは奈良県の方の患者さんの御家族の方方やらが、やはり精神障害者ということで大変、本人も差別的に扱われてまいりますし、家族までがそういう目で見られる。そういう中でかえって治る者が治らずにいってしまう。また、社会復帰すらできない。学校へ行くのもまたいやがってくるというようなことで、せっかく周囲が温かい目で見ればきちっと治るべきお子さんや精神障害の方々がそのために自分のからにますます閉じこもって、とうとうのっぴきならないような形に追い込まれていくというふうなことがあるというようなことで、特に教科書にそういう問題が出ているのはゆゆしい問題だということで文部省にもいろいろと御陳情なさったようです。その結果、このメモが出されているようでございますが、もうすでに四年たっているわけです。確かにそのときから、二十何種類かあのときは御家族の方が調べられた中ではあったようでございますけれども、それが訂正はされてきておることは事実でありますけれども、四年たった今日でもいまのようなはっきりとした記述のある本があるということは、これは私は文部省の怠慢ではないか、ゆゆしい問題ではないかというふうに思うわけでございますけれども、こういう点についてお答えを願いたいと思います。
○諸沢政府委員 御指摘のように文部省自身においてもこの遺伝の記述について医学上の見地あるいは人権尊重という見地からして不適切なものは改めるようにというメモを示したわけでございますから、その趣旨に沿ってその教科書が直されることを期待しておるわけでございまして、文部省としてはそういう不適切な部分は修正されたというふうに判断をしておったわけでございますけれども、実際いま聞きますとまた御指摘のようなケースもあるようでございますので、早急にまた十分見直しをさせていただきまして、不適切な部分については適当な措置をとるように指導をしてまいりたい、かように思っておるわけでございます。
○鍛治委員 さらにもう一つ精神障害関係ですが、これは教科書ではございませんけれども教師用の指導書というのが出ているわけですが、これは文部省は直接には責任がないものだとは思いますけれども、やはりこういう専門的な内容になりますと、先生方がいろいろ教えられるのにこういう教師用の指導書等を参考にしながらやられることが多いようでありますけれども、こういう中にやはり先ほどの記述と同じような不穏当な語句、精神病に関して記述されているものをここに二冊私持ってきております。一橋出版というところから出ている、「第五章 生活と健康」それから「第二章 精神の健康」というところ、これは「保健編」の中の二冊でございますがあるわけです。これなども、教科書の方がそういう誤解しやすい記述が仮になくなってきたとしても、教える先生側の方の認識がどうしても遺伝だとか、こういう人は結婚させてはいかぬとかいうふうな、かえってそういう人たちの病気を助長させるような形で思い込んで指導をされる、また教えられるということになりますと、私はやはり問題が大変大きいのではないか、だからこれは教科書の表現だけではなくて、文部省を含めて先生方にもこういった的確な形の認識をしていただくように措置を講ずる必要があるのではないかと思いますが、この問題についてちょっとお尋ねいたしたいと思います。
○諸沢政府委員 教師用指導書は各教科書会社がいわばその教科書に添えて各教師等の参考に供する書物でございますから、これは文部省が直接その内容を立ち入って検定をするというような仕組みにいたしますことは、これまた一面表現の自由等の問題もございますので問題があろうかと思いますが、しかしそれが実質的に教育活動上大きな役割りを果たしておることは事実でございますから、教師用指導書の内容の記述が教科書本来の記述に即し、その趣旨が教えられるような教師用指導書でなければならないということは当然であり、そういう趣旨に立って、教科書とは違いますけれども指導書についても十分配慮してもらうように、私どもは今後さらに各発行会社に協力をお願いしたい、かように思うわけでございます。
○鍛治委員 この指導書というのは大変まとまっているものですから、価格からいっても値段が張るようです。こういう言い方をしては大変失礼な言い方かもわかりませんけれども、先生方の中には一度買われますとさらに新しいものを買う前につい手っ取り早いので古いものを使ってやるという方も中にはいらっしゃるようです。そういうことからいきますと、誤った記述のものがそのまま残されて、これは文部省の目の届かないところだからと言いながらあるということはやはり大変な社会的な問題にも通ずることであろうかと思いますし、これはひとつ何とかそういう指導をしながら、認識を新たに変えて、そしてそういう精神障害者のお子さんや学ぶ方々にも、周囲が本当に温かい目で、同じような形で教育ができるように励ましてあげるような雰囲気をぜひとも指導の中でつくっていただきたい。これは要望でございますが、最初申し上げたように、本当に子供のためにというこの思いが文部行政の中に通っておりますと、こういう問題については子供にこういうことをさてせはいかぬとすぐ手を打たなければいかぬ、これは私は行動に出てくると思います。そういう意味で私は、最初大臣に御答弁いだたきましたけれども、大臣も今度おなりになったばかりでございますし、お考えとして、決意としてはそうあってやっていただきたいと思うわけでありますけれども、現実はそういう形で行政が行われていないのではないか。そして単なる事務的な問題とかいろいろなことで行政が停滞しているのではないか。そういう点を私は指摘をしたいわけで、決してこれはあらを探して云々ということではありませんので、今後こういうことがないように本気になってひとつこの教科書の問題にも取っ組んでいただいて、子供が少しでも正しい認識で育つように努力をしていただきたい、御要望を申し上げたいと思います。 それで、教科書の問題はこれで終わりまして、最後の問題になるわけですが、養護教育の問題について最初は若干お尋ねをいたしたいと思います。 五十四年からいよいよ義務制が施行されるわけでございますが、義務制ということはこれは一般に三つあるというふうにも言われているようです。一つは国や地方公共団体が学校の施設に対して設置をする義務を有する、課するということになる。それから二番目は、保護者に対して子女を就学させる義務を課するということになる。三番目は、一般社会の第三者に対しての教育保障の義務を課するということになる。 この中で、三番目はこれはもう言うまでもなく完成されておるわけでありますが、一番心配されるのはこの一と二の関係でありまして、いわゆる学校施設、これが義務化に伴ってきちっとした形で果たして当該年度までにできるのかどうなのか、この点が大変心配になるわけですが、この点について。 それからさらに保護者に対して、これは親が自分の子供を学校に通わせるという義務も出てくるわけでございますが、こういう措置についていま十分な計画のもとに進められて、それがきちっとできるという見通しがあるのかどうか、これをお聞かせ願いたいと思います。
○犬丸(直)政府委員 初めに施設の整備状況につきまして御報告申し上げます。 昭和三十一年に公立養護学校整備特別措置法というのができまして、その後四十七年度を初年度といたします計画的な整備を進めてまいりました。大体五十三年度までに二百四十三校必要であろうということで逐次整備を進めてまいりました。 それで四十七年度は約二十校、四十八年度は三十一校という予算を計上いたしまして、それからさらに四十八年度以降はその負担率を三分の一から三分の二に高める、そういうことによって自治体の負担分を少なくするという措置をとりまして計画を進めてまいったわけでございます。四十九年度以降も毎年大体三十八校分ぐらいを計上いたしまして整備に努めてまいりました。 いままでの実績を見てみますと、ほぼ計画に沿って充実してきております。四十七年度から五十一年度までの計画数が百六十五校でございますが、現実に開設されました学校数は百五十六校、九校ばかりマイナスになっておりますが、これは特に最近多少地方の財政事情もありましてか計画より下回る県が出てまいりましてそういう形になっておりますが、これから五十四年度義務化を控えましてさらに充実してまいりたいと思いますし、県の方の御努力も倍加してまいると思いますので、何とかこの計画を計画どおり実現できるのではなかろうかと思っております。五十二年度におきましては大体三十八校分の十六万八千平米の事業量、それから補助金は百一億円というものを計上いたしております。それからさらに地元自治体の負担の部分でございますが、都道府県立のものにつきましては補助率が三分の二になっておりますが、指定都市の部分につきましては、まだ二分の一のままでございますが、五十二年度からこれも三分の二にするというふうな措置をとりまして、施設の面からの義務化の準備というものにつきましては遺憾のないように措置してまいりたいと思っております。
○諸沢政府委員 義務制になりますと、すべての障害児もたてまえとして養護学校教育を受けるという義務が生ずるわけでございますが、そこで、障害の程度に応じて、現在も普通学校の養護学級なりあるいは養護学校に行く子供もありますし、就学の猶予、免除を受けておる子供もあるという態様でございまして、その判別は、医学的、心理学的あるいは教育学的に見て最も適切な判断をするということが必要になるわけでございますので、そういう意味で現在、五十四年度の義務制実施を前にして各県、市町村に就学指導委員会というものを設置するよう奨励いたしまして、補助をしておるわけでございます。そこの判別によってそれぞれ最も適当と思われる教育を受けさせるということを進めておるわけでございます。 それともう一つ、そうはいっても、最も障害の重い子供について、いま申しましたように現行の制度でも猶予、免除という制度があるわけでございまして、その場合に、教育よりもまず生命の維持であるとかあるいは医療行為であるとかいうものが必要となるような子供さんは、猶予、免除ということにせざるを得ないわけでございますが、それほどまでの状態に至ってないけれども、しかし普通の子供と一緒に養護学校へ行って教育を受けるのは大変ではないか、医療施設等で寝たままであるとかあるいは自宅で療養中であるとか、そういう子供さんについては、在宅のままあるいは在病院のまま学籍を与えて、いわば訪問指導という杉で養護訓練を主とする教育活動をするようにしたい、そういうような意味での訪問指導体制の整備ということもいまやっておるわけでございます。
○鍛治委員 これに伴って、担当する先生方の養成ということについてはきちっと計画を立てておやりになっているのかどうか、お聞きいたしたいと思います。
○佐野(文)政府委員 養護学校の教員確保のためには、まず国立の教員養成大学あるいは学部におきまして、養護学校教員の養成課程をきちっと整えるということが必要でございます。そのことを考えまして、すでに四十八年度までに全国立教員養成大学に養護学校教員養成課程の設置を終わっております。そのほかに、肢体不自由児あるいは病虚弱児、言語障害児の教育をそれぞれ担当する教員の養成課程も若干増置いたしておりますので、全体として国立教員養成大学、学部のこれらの課程によって養成できる教員の数は、入学定員で申しまして千百二十名という状況にございます。それ以外に、いわゆる課程認定を受けました一般の大学、短大で関係の教員を養成できる規模が九百十三名ございます。これらはいずれも新卒の者が免許状を持って出ていくわけでございますが、それ以外に、養護学校の教員の確保を考える場合には、当然現職の教員について資格の付与ということを考える必要があるわけでございますので、そのためにも、教員養成大学に特殊教育の特別専攻科を設けたり、あるいは一年の教員養成の臨時の課程を設けたりいたしまして、現職教員に対する継続教育を主として行うということで、これまた両方合わせますと、国立の関係で六百九十名の入学定員の規模を持っております。そのほかに、特殊教育諸学校の教諭の資格付与講習というのを逐年実施いたしておりまして、これは現職教員に対して資格を付与するわけでございますが、これが毎年約千四百あるわけでございます。そのほか、特殊教育教員の資格認定試験ということで、外部からも有為な方をお迎えするということも始めておりまして、これは数はごく限られておりますが、スタートいたしております。そういったものを合わせますと、全体として免許状を持って出ていく者が毎年三千七百を超えますので、各教育委員会において、現に小中学校等で教職についておられる方との交流等を十分に考えながら、教員構成等において整った養護学校の教員の確保ということは、量的にも質的にも見通しが立てられる状況にあると思います。
○鍛治委員 施設の整備ということについては当然文部省で責任を持つべきものが多いと思いますが、新しくつくる学校は別としまして、いまでき上がっている既設の学校の中で、敷地等が大変狭くて教育に不適当ではないかと思われるようなところもあると私は思うのですが、そういうところに対してはどういうふうな措置をされるのか、お聞きいたしたいと思います。
○犬丸(直)政府委員 公立文教施設の観点から申しますと、現在の段階では義務化に間に合わせて何とか施設を確保するということが重点でございますので、やはり新しく収容力をふやす学級増なりあるいは新設というところに重点を置いて補助をいたしております。したがいまして、既設のものにつきましては、なかなかその部分を予算に計上して拡大するというところまでいっておりません。ただ、個々の学校におきまして、基準の面積に対して不足であるというようなことがございますれば、この点につきましては、事情によりまして、これは建物の場合でございますけれども、配慮することが可能であろうかと思っております。
○鍛治委員 そこで、いま大変狭い学校で東京教育大学附属大塚養護学校というのがございます。この点についてお聞きをいたしたいと思うのですが、最初に、ここに資料を持ってきておりますので、ちょっと大臣にごらんをいただきたい。二枚目の白い方をごらんいただきますと、まず校地総面積というところがございます。これは全国養護学校実態調査の資料の中からいろいろな養護学校を七校抽出をしたものでありますが、七校並べてございます。この中で校地の総面積を見ていただきますと、いま申し上げました東京教育大学附属大塚養護学校は、ほかに比べまして極端に狭いわけですね。五千百一平米ということになっております。約千五百坪です。東京学芸大学附属養護学校が一万六千八百十九平米、京都教育大学附属養護学校が二万七千四百三十六・三三五平米、熊本大学附属養護学校が二万五千九百七十八平米、東京都立王子養護学校は若干狭いようですが、それでも一万三千五百七十二平米、茨城県立友部養護学校が三万八千五百十二平米、福岡県立直方養護学校が四万三千七百二十二平米。これは広いにこしたことはありませんので、広いところはそれなりに措置をなさったのだと思いますが、この大塚の養護学校、これは御承知だと思いますが、精神薄弱のお子さん方を預かっては日本における指導的立場にある学校である、こう思うわけでございます。これが五千百一平米ということで、一番小さいところから比べましても約三分の一程度の広さです。しかも、校舎の敷地面積はそんなに変わってございません。東京学芸大等と比べても変わっておりませんので、運動場がいかに狭いか。特にまた、かぎ型になっておりまして、行ってごらんになったらわかるのですが、本当の意味で運動場として使っているところが大変狭いわけです。 そこで、これは大臣にこういう質問を申し上げることを言っておりませんでしたので、この場で感じでお答えいただいても結構ですが、精神薄弱のお子さん方をこういう狭い運動場等を使いながら教育をした場合、広いところでやったお子さん方と出てくる教育の効果の問題、こういったものについてどういうふうにお考えになるであろうか、ちょっとお聞きをいたしたい。
○海部国務大臣 突然の御指摘でございますので、ちょっと的外れになるかもしれませんが、私はそれはやはり広いがいいか狭いがいいかといったら、広いに越したことはないと思います。 〔委員長退席、藤波委員長代理着席〕 ただ問題は、無限な広さを理想的に獲得することができないこの周辺の状況でございますし、また聞くところによりますと、ここがいいからここへ行きたいというような移転のときのいきさつ等もあったようでございますので、そのことにつきましては、もし詳細にわたって御必要ならば政府委員の方からお答えさせていただきたいと思います。
○鍛治委員 確かにいま突然聞きましたので、的外れの答弁をされたわけですが、私お聞きしているのは、いきさつをお聞きしているのではなくて、ただ広いがいいには違いないということだけではなくて、もっとほかに、体力その他いろいろな点でお気づきになる点はないだろうかということ、子供のためにという立場から見てどうだろうかということをお尋ねをしているわけでございまして、その点についてもう一度お願いします。
○佐野(文)政府委員 お答えになるかどうかわかりませんが、私どもは現在養護学校を新しくつくるというときには、敷地につきましては少なくとも一万二千平米を確保するめどが立ちませんと養護学校の新設はしない方針でございます。一般的に申しますと、敷地というのはやはりその程度は欲しいというのが私たちの率直な考え方でございます。ただ、この特定の場合についてはまた別の事情があるわけでございます。
○鍛治委員 いろいろ時間もたちますので、こちらから申し上げますが、たとえば狭い運動場で、こういう精薄のお子さん方というのはやはり運動したがるのですね。たとえば野球なら野球というのはどうしてもしたがる。そういう中で、ソフトボールなんかもチームを組んでやらしておられるようです。ところが、ときどきやはり各養護学校間での対抗試合等もなさるようですが、全く体力的にも、体の動きからいろいろな点から比較にならぬぐらいに大塚養護学校のお子さん方は落ちるようですね。というのは、野球をやっても、遊ばれていると同じで、こてんぱんにやられてしまう。というのはなぜかというと、たとえば大変狭いものですから、ボールを打ちます、遊びます、そうすると後逸した場合に、立っておってもことんと向こうに当たって玉が戻ってくるというようなことで、体をそう動かさない、こういうようなことがある。したがって、また走るにしてみても、ぱっと走り過ぎると狭くて危ないから、そこでセーブして走るというようなこともありまして、いわゆる全力疾走ができないし、いろいろ、そういう野球を一つ例に見ても、普通の広い、いまおっしゃった一万二千平米というのは一つの基準でございましょうが、そういうところから一つはお決めになった基準でもあろうかと思うのですが、そのお子さん方を育てるについて、体育の面でも、いろんな動きの面でもマイナスが出てくる。逆に言えば差別が出てくるという形がやはり起こってきているわけですね。これは私はうかつにしてわからなかったのですが、一緒にいろいろと話し合いもし、また地元に帰ったときに、そういう専門の方にお聞きしたり、そういうお子さん方と話し合いをする中で、そういうようなこともはっきりいたしてまいりました。 そういうことからいきますと、やはりこれは精薄のお子さん方を教育基本法や憲法にうたわれている平等な意味で教育をするという立場から言いましても、私はやはりこういう狭い校舎ということはこれは考えるべきときに来ているのではないかという気がしているわけです。それが一つ。 さらに、時間がありませんので、若干こちらからお話し申し上げますが、移転のいきさつということについてはいろいろあるようでありますけれども、実際問題こういう形の中で教育をやってみて、もう何年も前から、学校の先生方を初め父兄の方がいま切実な願いとしておるのは、どうしても広いところで教育を思う存分やりたい。しかも教育の指導的立場にある大塚養護学校でございますので、それなりに一つの新しい考え方のもとに教育もやりたいというふうな考え方もあるようでありまして、これはぜひ校舎の移転と、そして新しい広い中でこの学校を卒業した子供さん方の生涯教育という立場からのアフターケアの面も含めて、農場をつくり、いろいろな施設をつくってやりたいという希望を大変お持ちのようであります。 しかもこの学校につきましては、以前剱木さん、元文部大臣を囲んでの教育大学の中での話し合いの中で、昭和四十六年ごろのお話のようでありますけれども、いまの大塚キャンパスというところがあります心付属の小学校へ中学校等があるところでございますけれども、これがあいたときには教育大の中でその跡地を全面的に利用していいのではないか、こういうふうな話があって、そういう意向を受けて、教育大学の方ではそこの大塚キャンパス、現在の大塚三丁目二十九の一にあるようですが、この土地を移転をして、そしてこの養護学校で約一万五千平米ぐらいでしたかあるとろこを利用して、一つの日本における養護学校のメッカとしてりっぱなもをのつくってやってもらいたい、こういうふうな意見があるようです。事実これは、この話し合いがあって、ワーキンググループが早速できて、この跡地をどういうふうに利用するかという計画の中で、この大塚附属養護学校からも要望書を出しまして、その跡地をぜひ使わしてもらいたい、こういう計画の中で、これが正式にそこの跡地を移転してそして使う、使ってもいいというふうな形で認められたというふうに学校サイドや父兄の方々は認識をされているわけです。そして以前の内山教授ですか、前事務取り扱いをなさっていらっしゃった方ですが、このワーキンググループの中にお入りになっておられたようですけれども、その中の話し合いではっきりと決定したということで校長の方にも報告があったそうであります。 そういうことで大変に大塚養護の皆さん方は喜んで、その日の来るのを待っておったというような形のようでありますが、こういういきさつについて御存じかどうか、ひとつまずお聞きをいたしたい思います。
○佐野(文)政府委員 東京教育大学のいわゆる跡地の利用の問題につきましては、全体としては大蔵省の関係審議会で御検討になっていることであり、その結果を待たなければならないわけでありますが、少なくとも教育大学の付属学校十校ございますが、これについてはそれぞれの現在地において整備をするということにおいて、教育大学、筑波大学いずれもすでに合意をしていることでございますし、この大塚養護学校について、大塚キャンパスへの移転ということが計画としてあるということは私どもは全く存じておりません。
○鍛治委員 これはいろいろ学校の関係者の方々にお聞きしてみますと、これもまた文部省の方を含めて、官房長初めいろいろな方面にも書類もお出しをし、また教育大の方にもそういう形でお願いをして、その意思というものは十分に伝えてきておる、こういうふうに言っておられるわけですが、そこの間にちょっと意思の疎通がなかったわけです。 さらに、ここに持ってきておりますけれども、こういう写真の入った、これはいろいろな内容を入れた写真集ですが、一番表に、東京教育大学跡地への移転要望書ということで、これが五十一年の二月二日付で、学校長金子孫市、教職員一同という形で印刷もされたものがちゃんと、これも含めて文部省にも渡してあると、間違いなければ私はそういうふうにお聞きしているわけですが、全く御存じないような、まことに冷たいお話でございますが、それは本当にそうなのかどうなのか、これをもう一度お聞きしたいと思うのです。
○佐野(文)政府委員 教育大学なりあるいは筑波大学としての整備の計画としてはそういうものがない、現地整備の方針であるということを申し上げたわけでございます。しかし、大塚養護学校の教職員の方あるいは父兄の方の中に先生御指摘のような強い要望があることは私どもは承知はいたしておるわけでございます。
○鍛治委員 では、その要望について御存じならば、さっきから私申し上げたのですが、広さといい教育上の問題といい、やはりこれは問題があるのではないか。これは先ほどちょっと大臣も東京は土地が狭くて云々とおっしゃったのですが、本当に行き先がないのであればそれはまたそれなりにやむを得ぬ向きがあると思うのです。しかし、そういうところが前からのいきさつで学校の関係者の方々、口をそろえてそういうふうにおっしゃっておりますし、こういう書類や写真集等もおつくりになってやられているところを見ると、恐らく相当な動きをされたのだろう。また、剱木元大臣との話し合いは、昭和三十六年とお聞きしておりますので、相当前から、こちらに移られてからいろいろな事情で、当初のいきさつは私まだ詳しくわかりませんけれども、教育上もう少しこういうことがあってほしいという要望で、単なるわがままということではなくて、日本の養護教育のメッカとして、また今回養護学校が義務化になる、そういう場合にますますその重要性というものはあるだろう。そういう中でいわゆる前進的な、また実験的と言うと大変表現が悪い言葉になるかもわかりませんが、先ほど申し上げた障害教育という立場からより前進的な立場で、いろいろな試みをしながら、本当に精薄のお子さん方の社会復帰なりまた教育なりを考えていこうという純粋な関係者の方々の気持ちというものは取り上げていいのではないかと思うわけでありますが、その点についてお答えをお願いいたしたい。
○佐野(文)政府委員 御指摘のように、この養護学校は、三十九年に大塚キャンパスから現在の土地を求めましてそこに移転をし、整備をしてきたものでございます。私どもは、先般の当委員会においてもお答えを申しましたように、現在地において整備をするという方針で臨んでいるわけでございます。ただ、今後、運動場やあるいはことにプール等を整備をしていく上で現在地がいかにも狭隘である、そういう事情があることは承知はいたしておりますので、整備をしていくときにどういう工夫をするかということがあることは十分に考える必要があると考えておりますけれども、先ほど来申し上げておりますように、私どもはこの養護学校は現在地において整備をするということで臨みたいと思っているわけでございます。
○鍛治委員 こういう形でいいのかどうかということをまずお答え願いたいと思いますし、それからいまおっしゃったように、確かに学大の養護学校と比べても、先ほどの資料の中にございますようにプールがございません。それから教官室もございません。集会室もありません。それからふろ等、いろいろある設備がほかのところに比べて大変に見劣りがしているわけですね。それがしかも日本の養護教育の中心的な学校であるといま言われておるわけでありまして、そういう意味では文部省の施策としては私はちょっと納得ができないわけですけれども、そういうことを踏まえながら、また子供の本当の教育を進めるという前進的な意味合いの上から、これはぜひとも早い機会に移転し、そういう設備の充実を図るという方向でお考えいただきたいと思うのですが、この点についてお答えを願いたいと思います。
○佐野(文)政府委員 先生のせっかくの御指摘でございますので、大学の側、これは筑波大学の側の考え方というものが付属学校の整備についてはまず先行をして重要になるわけでございますので、筑波大学の方の考え方、あるいは養護学校の方の考え方、それを十分に聞いてみたいと思います。
○鍛治委員 最後に大臣から、いままでのやりとりのいきさつを踏まえながら、子供のために、日本の指導的立場にある大塚養護学校が広い土地で、なければ別ですけれども、そういうことで一応は考えられておった予定地もあるわけですから、そういうりっぱなものをつくっていく、そして大学等に対しても積極的に文部大臣の方からお話し合いももしできればお願いしたいと思うのでありますが、そういったことを含めて大臣の最後の御返事をいただいて私の質問を終わりたいと思います。
○海部国務大臣 お話の趣旨はよくわかるわけでございますが、いろいろきょうまでの経緯がございますので、大学局長申しましたように、大学側とよく相談をして充実に努力していきたいと思います。
○鍛治委員 時間がちょっとまだございますけれども、大体私の予定した質問を終わりましたのでこれで終わらしていただきますが、一貫して子供のためにという教育の中で、われわれももちろんでございますが、力を合わせてやっていきたい、こういうふうに思いますので、きょう御質問申し上げた内容について速やかに手を打つものは打ちながら、改善をしながら教育を進めていただきたい、こう要望申し上げて私の質問を終わらしていただきます。ありがとうございました。
○藤波委員長代理 曽祢益君の質疑に際し、参考人として東京大学生産技術研究所教授村松貞次郎君、東京都都市計画局長有沢清一郎君の両名の方方に御出席を願っております。 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。参考人の御意見は委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。 なお、参考人各位に申し上げますが、発言の際は委員長の許可を得て御発言願いたいと存じます。また、念のため申し上げますが、参考人は委員に対し質疑はできないことになっておりますので、御了承をお願いいたします。 曽祢益君。
○曽祢委員 去る三月二日の私の文部大臣に対します一般質問の中で、最後の項目として、私は、実は、文化的価値のある建造物の保存についてどうもフランス等の実例から見てわが国において非常に欠くるところがあるのではないかということを申し上げました。その詳細は略しますが、このことに対しまして、委細は文化庁長官以下に譲られましたけれども、大臣は、何でも古くなって役に立たなくなったものを壊してどんどん合理的につくりかえるというだけでは、民族の伝統を守り、心の豊かさを残していくためにはいけない、これを保存するように努めてまいりたい、こう基本方針としてはそういう御意見を述べられたわけであります。私はその御意見を非常に多とし、今後ともそういう意味で、さらにいろいろのこういう問題についてお互いにひとつ考えていきたいと思っていたわけでございます。 ところで、くしくもそれから約二週間後の三月十七日の東京の各新聞が伝えました一つの記事、それは、東京駅を中心とする丸の内一帯、特に国鉄の関係している建物及び東京都の関係している建物につきまして、どうもイニシアチブは国鉄の総裁の方から持ち出されたようでありますが、国鉄の総裁と東京都知事とが話して――これはまあ最近珍しいケースでもないのかもしれませんけれども、最近は都知事さんも日本の保守党の政府ともなかなか仲よくやっておられるのでそういう一つのあらわれかもしれませんが、それはさておきまして、いま申し上げましたこれは、国鉄としては東京駅の建物を壊して新しくしたい、ついでにひとつ御相談だというので、東京駅を中心とする丸の内一帯の、特に両機関が持っておる建物が中心になろうと思いますけれども、そこら辺の再開発のプランを相談していこうではないかという合意が成立したということを伝えておるのであります。私は、その全体が悪いという意味では毛頭ございません。こういう土地再開発、しかも日本の中心である、むしろ東京の顔とも言うべき丸の内一帯のことについててんでんばらばらでなくて、特に大きな持ち主である国鉄と都とがなるべく協調しながら一つのプランのもとにやるということは大変望ましいことだと思うのです。ただ私が直観的に考えたことは、東京駅という建物をそう簡単にと言っては叱られるかもしれませんが、そう安易に壊す、建てかえるのだというふうにお決めになったとすれば、これはわれわれとして、そこにちょっと異議を申し立てたい。また、東京都知事がそういう国鉄の案にこれまた安易に賛成されることはちょっとうなずけない。むしろ東京都知事の方から、ちょっと待てというしばらくがかかってもいいほどの価値のあるのが実は東京駅の建物ではないか、これは私の考えでございますが。 そういう意味で、本日はこの三月二日の質問の継続という形で現実に起きてきた問題について、ひとつこれを本委員会においてお取り上げ願い、基本的にはまず文部大臣のお考えを聞くのでありまするけれども、せっかくきょう参考人として来ていただいた村松教授並びに東京都の局長さん、さらにこれは政府側みたいなものですから国鉄の建設局長さん、まずこのお三人から、当事者の方からこの問題についての御自分の方の、当局側の見解をなるべく簡明に、しかも要領よくひとつお話し願いたいと思うのです。私の順序としては、やはり私は東京駅のビルディングを問題にするので、まず国鉄の建設局長から国鉄側の考えをお聞かせ願いたいと思います。
○岡部説明員 国鉄の建設局長の岡部でございます。 ただいま先生から御指摘のありました点につきましては、国鉄総裁と都知事とで三月に東北新幹線も関連しましていろいろ協議をした中で出てきたことでございます。 それで、そのときの内容をもう少し細かく申し上げますと、東京駅は明治四十一年に着工されまして、大正三年十二月に三階建てで完成いたしましたが、昭和二十年五月二十五、二十六日の大空襲で焼けたため、戦後三階部分を削り取りまして、大部分二階建てとして復旧したものでありまして、屋根の骨組みは木造で、老朽化しております。それに東京駅は元来中央部に貴賓室関係を、南口が乗車口、北口が降車口というふうに分離した形で設計をなされておりまして、建物自体の構造としましては、北口と中央口と南口が建物の壁で分離されておりまして、各口相互の連絡ができない構造となっております。 また、戦後、乗降客が急増いたしましたし、通勤客が急増いたしましたし、また東海道、山陽新幹線が開業されるに及びまして大幅な乗降客の増加を来し、また今後東北、上越新幹線の建設と相まってなお増加するのではないかと想像されております。 このような増加いたしました乗客をさばくためには現在の駅舎では手狭であるばかりでなく、前述のとおりの使い勝手が非常に悪い構造になっております。 それからまた、将来列車増発ということも考えられますが、その際にはホームをもう一面増設する必要があるかと想像されます。そのためにも丸の内本屋がどうしても支障するということになるわけでございます。 そういったような観点で国鉄といたしましては利用客の利便を第一と考えるべきだとわれわれは思っておりますが、しかしながら、大正初期に完成されたりっぱな駅舎でもあり、また日本の玄関口でもありますので、今後は総合的にそういったような観点からも検討する必要があるものと考えております。 単に国鉄あるいは東京都等の関係者だけにとどまらず、たとえばいろいろ委員会組織などをつくりまして、広く学識経験者その他の貴重な御意見を拝聴して進めさせていただきたいと思っておりまして、実際にはそういう委員会を通しまして案をだんだん固めていきたいと思っておりますが、具体的な改造計画はこれから検討させていただきたいと思います。 以上でございます。
○曽祢委員 東京都、ちょっとおまちください、一つ一つやりますから。 国鉄のいまのお考えですと、やはり建物がとにかく使いにくい。中央の昇降口、それから左右のあれと全然分かれておって使いにくく、さらにまた手狭になってもう一つのプラットホームを近く設けなければならぬ等々のことから、利用者の便利を考えてもどうもこれは建て直した方がいいのではないか。 〔藤波委員長代理退席、委員長着席〕 しかし、そのどうするかについては委員会をつくって学識経験者の意見を聞くというのか。とにかく原則としてはこれはもう古くて使いにくいから壊す。壊して建て直す。そして建て直すということを前提としてしからばどういうものをつくっていくか、こういうことなのか。どうも私はその前者が本当ではないかと思うのですね。とにかくこれではもう時代に即応しないから壊して建て直すのだ、その建て直すについてはいろいろ学識経験者などの意見も聞くというのか。どうもその前者ではないかと思うのですね。壊すことを前提としてで、学識経験者云々はその次のつくるものの案について意見を聞くということなのか。その点ははっきりしていただきたい。
○岡部説明員 われわれとしては、もちろん利用客ということを相当重点に考えてはおりますが、何といっても国鉄の職員としても非常にメモリアムといいますか、ノスタルジアのある建物でありますので、その点はわれわれ自身としても特段に配慮したい、そこでわれわれで至らないところはぜひ先生方の御意見を拝聴して進めさしていただきたいというわけでございます。
○曽祢委員 どうもくどいようですけれども、とにかくあれは壊して新しいものをつくって時代のあれに応ずるということが先なのか、それともあの歴史的記念物は、これは後で村松教授から詳しくその価値について伺いたいと思うのですけれども、大正三年にできた辰野金吾のこの名作は、日本銀行本店の名作とともに長く歴史に残すべき名作である。ただ、いま局長が言われたように、残念ながら実際は戦災でひどくやられて、いまのかっこうはだれが見ても原形から見ると情けないい。もっと金をかけてあのときにやればよかったのだけれども、三階は削ってしまって、しかも両側の丸天井のドームの美しいところ、これが三角帽子のように実にあの点はむしろ醜くなっているとは思う。しかし、もし金をかけるのならむしろ修理して復元してもらいたいぐらいの、またそれだけの価値のある東京の顔である、私は日本建築の一つのりっぱな記念塔だという考えでございますので、そこら辺の方を、ただ便利にするのだから――まさか、この間うちから国鉄さんが考えておられるように、新幹線の中にも広告をとる、それほど国鉄としては再建に非常に熱意をかけてやっておられることはわかるけれども、まさか八重洲口みたいな不細工な真四角な建物でもつくってしまって、それで大いにテナントから家賃でも召し上げて国鉄再建の原資をそこから出そうなどという、国鉄の建て直しのためのいろいろなプランについてはわからぬではありませんが、この建物を安易に壊すことに熱中しているのではないだろうと思うのですが、その点はどうなのですか。いまの局長のお話だと、そこら辺のことがまだ明確でないのです。壊すことが前提になっているのかいないのか、壊すかどうかを含めてどうしたらいいかということを諮問されるのか、どっちが本当なのかをはっきりしていただきたいと思います。
○岡部説明員 先生の御指摘も十分配慮さしていただきまして、なお一層そういう点に重点を置いて改造計画を練っていきたいと思っております。
○藤尾委員長 岡部建設局長に申し上げますが、あなたの御答弁はきわめて明確を欠いておるように私は感じます。しかとお答えを願いたい。
○岡部説明員 先生の御趣旨に沿って、文化財的価値を非常に尊重して解決さしていただきたいと思います。
○曽祢委員 方針が変わったと思われるぐらいいいお答えでございますけれども、これはフォローアップが必要なので、いきなり安心はできませんが、ぜひいま言われたように、国鉄の方に働く方も私はこれに誇りと愛着を感じておられると思うのです。ですから、私をして言わしめるならば、むしろこの際少しお金を出しても原形を復元しながらその中で改造する。壊して新しいものを建てるなどということはまことに私はもったいない話だと思うのです。 これは後で東京都の方に伺いますが、日本人が騒ぐのはあたりまえなのに、この間東京都知事を招いた外人記者クラブで大騒ぎになった。騒ぎというのは、だれか一人が美濃部都知事に、あの東京駅の再開発、ことにあの東京駅を壊すのはやめてほしいと言ったら、みんなそうだそうだと言ってえらい人気ですね。それに対して都知事が実に情けない返事をして、いや一部を明治村に持っていくからどうだ、こういうまことにお恥ずかしいような返事だと私は思うのです。あの建物を、どこの一部を持っていったらそれが保存になるのですか。建物というものは、明治村に移築したらこれは墓石みたいになってしまうわけです。その環境から外したものは、これは全く生きたものではなくなるわけなのです。私はそう思うのです。 そんなわけで、局長だけを責めてもしようがありませんが、いまの最後の委員長の御指摘がありましたことに対するお答えは、きわめてその歴史的、文化的価値を尊重する方向でというお答えですから、それはそれなりに原則論としては異議がないので、東京都の局長に伺いますが、一体東京都は、簡単に東京都自身のこの付近、丸の内付近の再開発に関するお考え、あわせてこっちの方に私は重点を置いていて恐縮ですけれども東京駅について知事はどういう考えなのか、安易にこれを壊して建てるのに賛成されたのか、あるいは一部を明治村に移築なんかという、きわめて率直に言ってこれは解決にならない、悪く言えばびほう策といいますかごまかしというか、そんなことしか考えておられないのか、その点に対する明確な御回答をお願いいたします。
○有沢参考人 お答え申し上げます。 このいま御指摘のことにつきましては、たまたま知事と高木総裁との会談の中で東京駅の改造問題が出た、そういうことでございまして、都知事が申しましたのは、単に東京駅の改造にとどまらず周辺を含めた一体的な考え方で今後検討してまいりましょう、こういうのが本旨でございます。と申しまのすは、東京駅を中心にいたしまして、先ほど御指摘もございましたけれども、都庁舎あるいは三菱銀行あるいは旧丸ビルあるいはさらに北に上りまして朝日生命等の建てかえの計画があるわけでございまして、やはり委員の御指摘のように東京駅は首都の玄関である、したがって機能的にも景観的にもそれにそぐわしい形というものがあるのではなかろうか、こういうことでございまして、一つ例示を挙げて申し上げれば、たとえば東京駅の駅前広場と申しますか、八重洲、丸の内等についても不十分である。また、あそこに集まっております国鉄あるいは地下鉄等の乗降者人員の流れ、車との動線が錯綜しております。したがいましてそうした面でも、たとえば歩車道の分離をもっと徹底して図るべきではなかろうか、あるいはあの周辺の建物に先ほど申しましたように建てかえの動きがございますので、単に鉄とコンクリートの街にするだけではなく、たとえば民間の建築につきましてもセットバックする等の協力を得まして、やはり緑の豊かな、また安全にして歩けるような環境づくりはする必要があるだろう、こういうことが趣旨でございます。 それで、先ほど国鉄からもお話がございましたけれども、学識経験者を含めました委員会等をつくりまして、その中で十分に検討していこうというのが知事の腹でございます。 次に、外人記者クラブ云々のことについて、明治村等の移転等についてお答え申し上げます。 知事はどうもそのようなことを言ったようでございますけれども、こちらへ参ります前に知事とも打ち合わせをしております。で、その結果を申し上げますと、やはり東京駅の歴史的な価値というものも含めまして、これを壊すかどうかも含めて、学識経験を主体にいたしました委員会で御意見を聞きながら慎重に対処してまいりたい、こういうことでございます。
○曽祢委員 確かに東京駅付近について、都と国鉄が中心になって、民間の大きなビルディングもありますから、全体の再開発のプランニングをなるべく一つの統一性を持って、何もビルディングそのものを全部一緒にする必要はないですけれども、やはり東京駅を真ん中に据えた総合的計画というようなことの中で、それぞれの個性を生かすということは非常にいいことだと思うのです、そういう意味では、東京都と国鉄が一緒になって、何かそういう再開発のプランニングを持ち出すということは賛成です。 そこで、私の本日のねらいであった、とにかく、その東京駅というものの歴史的、文化的価値を損わないようにという――単に機能だけから言えば確かに不便はあるでしょう、これは認めざるを得ないけれども。しかし、機能主義だけでなく、やはりそこの景観及び文化財、こういう点を加えて、さてどうしたらいいかというようなことで、学識経験者の意見を聞く。これなら、私は異存はありません。何か初めの受け取り方では、壊すのが前提であり、だからこそ、言うならば罪の償いではないけれども、一部を明治村に持っていったらいいだろうという発想につながると思ったので、それはひとつ考え直した方がいいのではないか。本日、お打ち合わせの上で、歴史的な価値のものを十分に尊重する方向で、それでいろいろの学識経験者あるいは識者の意見を総合プランということで聞く。歴史的価値にウエートを置いた検討をするというのならば、方向において私は異存がない。ぜひそういうふうにお考えを願いたい。両当局にこの点をさらに強く希望しておきたいと思います。後で当委員会の今後の問題についても、同僚委員あるいは委員長にもひとつ御意見を伺って、今後の問題を、継続審議的な意味でこういう問題を取り上げていきたいと思います。 以上、両当事者の意見を伺いました。 そこで、ここで特に学識経験者でございます、また特に日本の近代建築の研究をやっておられます東大の生産技術研究所の研究室をやっておられます村松教授の御意見を伺いたいと思うのです。 申し上げるまでもなく、この東京駅の問題に限らず、私がこの前も文相への質問の中でも申し上げましたように、残念ながら、わが国においては確かに古い寺院、仏閣等の保護については相当やっているけれども、存外、明治以来の、比較的近代的な様式に限りませんけれども、建造物、建築等についてはどうも文化的な保護の手が非常に不足しているのではないか。大体において明治時代の有名なもので残っているものは、多分多くは網をかけられ、たとえば日銀の本店あるいは三田の慶応義塾大学の図書館等々については、明治時代のものは、大きなものは、著名なものには保護の網がかかっているけれども、さて大正時代になると俄然そういったような保護がなくて、戦後丸の内の、日本でできた最初の耐震高層建築のオールド海上ビルディングは、もう全くわれわれ戦争ぼけのうちに壊されてしまった。ただ残ったものは、その後に建てる高い建物の美観論争だけが残ったというようなところで、フランスあたりがパリの町に、あるいはフランスの建造物に、それが、よし国宝級のものでなくても、町並みといいますか、町の景観を守るためには高さまで統一するとか、非常に細かいところまでそういったものの保護に対して完璧というか、そういう態度をとっておるのに比べて、どうもわが国においてはそういう点が足りないのではないかという感じがいたしますので、そういったような基本的な問題とあわせて、本件に関する郵船ビルの保存並びに丸の内かいわいの再開発等に関する問題についての御所見もあわせて承りたいと思います。
○村松参考人 東京大学の村松でございます。 私に課された宿題が大変たくさんありますが、まず最初に、建築の歴史を専攻しておる立場から、東京駅そのものの建築史的な価値、それに対する私の考え方を最初に申し上げまして、次に、曽祢先生からも御質問がありました明治以降の日本の近代建築の保存に対する一般的な考え方を申し述べたいと思います。 東京駅につきましては、私の研究室にあります資料によりますと、明治二十九年にもう敷地をあそこに決定いたしました。それから三十九年の十二月から設計をすでに開始しております。これは、設計者は、先ほど曽祢さんの話にもございましたように、明治の日本の建築界の第一任者であります建築学会の会長の辰野金吾さん、それから辰野さんの後輩の葛西万司さん、このお二人が辰野葛西設計事務所というのを明治三十年代の末あたりからつくっておりまして、その設計事務所で設計したものでございます。 四十一年の三月に基礎工事に着工いたしまして、大正三年の十二月十四日に竣工、それから同じ十二月十八日に開業式が行われまして、従来、中央停車場と称しておりましたものを東京駅と命名いたしたわけでございます。その基礎の着工から開業まで約六年九カ月をかけた建物でございます。 建築様式は、ルネッサンスの様式と称してよろしいかと思います。 そういう来歴を持った建物でございますが、これを建築史的に評価いたしますと、一つは、やはり東京の表玄関であるという、いわゆる都市の歴史の上で大変メモリアルな建築であるということが申されると思います。ことに東京駅が開業いたしましたことによって、丸の内一帯が、言ってみれば陸の桟橋がついたということで、御承知のように、従来、丸の内と申しましても、あの三菱の赤れんが街のあった方面に重点がありましたのは、あの前の海上ビル、郵船ビル、やがては丸ビルというように、日本の中心的なオフィスセンターとして急速な発展を遂げました。その契機になったものは東京駅の開業といいますか、そういうことが言えるのではないかと思います。言ってみれば、明治の栄光を結集して、大正、昭和の時代の門戸を開いた建物、そう申しても差し支えないと思います。 二番目に、多少専門的になりますけれども、やはり東京駅の建物、明治の末から大正へかけて工事が行われまして、全国的に申しても、やはり第一級の建築だということは申せると思います。それから東京だけに限って申しますと、東京の代表的なれんが建築だということが言えるのではないかと思います。大変数少なくなったものの代表の建築、規模から言いましても質から言いましてもそういうことが言えると思います。 それからさらに都市の記憶ということが最近よく言われています。御承知のように建築というものはそれぞれの自分の生まれた町あるいは生活した町の記憶の根拠になるものでございますが、そういう意味で東京駅というのは東京都民の記憶のよすがになる建物であると同時に、恐らく日本国民全体の、明治以降近代の日本の一つの記憶のよすがになる建築だろうということが特に強調されると思います。 もう一つ専門的になりますが、東京駅は外見はれんがの建物のように見えますが、皆さん御承知のように明治の末から日本には鉄筋コンクリートとかあるいは鉄骨だとか今日につながります新しい建築の技術がヨーロッパから入ってまいりまして、ちょうどそれの過渡期を建築の建物の構造自身に非常によく刻みつけている建物だといってよろしいと思います。基礎は数十万本の松丸太を打ちましてそしてコンクリートの基礎を築く。その上に鉄骨を建てて鉄骨をれんが及び石、さらに表面をタイル状のれんがで張った。それから床は鉄筋コンクリートという、ですから明治のれんが、石の時代から大正、昭和の鉄筋コンクリート、鉄骨建築の時代の移り変わりを非常によくあらわしている建築だ。ですから建築の学術的な意味もそういうような技術的な見地からも大変貴重な建物と申すことができると思います。 ただ、それの具体的な評価になりますと大正十二年の関東大震災には東京駅はびくともしなかったという記録になっております。ただ今後の戦争によって戦災を受けまして、実は八角型でございましたが左右の丸いドームが落ちましていまのように多少ぶかっこうな屋根がかかっております。それから元来三階建ての建物だったのですが二階に、一階分減らされております。そういう意味では多少やはり芸術的な価値というのは落ちていることは認めざるを得ないと思います。ただ芸術的な価値のマイナスと、それから先ほど申し上げましたように都民あるいは国民の記憶の中で非常に大きな意味を持っているそのプラスとをてんびんにかけますと、恐らくマイナスを補って余りある建築だろう、そう考えております。それでいまの建物をごらんになりますとわかりますように、三階建てが二階になりましたが、三階の軒のところについておりましたキャピタル、いわゆる柱頭の飾りですね。それをわざわざいまの二階の柱頭のところまで移しております。ですから戦災を受けまして戦後あの建物を改造するときの国鉄の当局者というのは非常にあの建物に対して愛着をもってそういう努力をしておられるということが専門的にうかがうことができます。 それから具体的な詳しいことは私はよく知りませんけれども、今度の総武線の地下への乗り入れ、あの工事も私は大変な工事をしたと思います。あれを恐らく何かの方法で持ち上げておいて、下に非常に深い地下工事をやったと思いますが、壊そうと思えば私はあの時点で壊していたと思います。それをせっかくあそこまで大変な無理をして残しておかれた当時の国鉄の当事者のことを考えますと、何かうまい方法でさらにその遺志を受け継いでいっていただきたいと第三者からも考えるわけでございます。 以上のようなことが東京駅そのものの経緯とそれの専門的な評価でございますが、一般論と申しまして、明治以降の日本の近代建築は御承知のように日本という大変な都市の急速な発達の中で急激にその破壊が進んでおります。私が所属しております日本建築学会では昭和四十年ごろからともかく明治建築、明治時代の洋風の建築の全国調査を始めまして、数年がかりで昭和四十五年に明治建築の全国リストというものを作成いたしまして、この時点でリストに挙がりましたものが約千二百件ございますが、そのうちのたしか三百件だと私記憶しておりますが、主だったものをある新聞の正月号の紙面に発表させていただきまして大変な反響をいただいたわけですが、それをつい二年ほど前にそのリストの三百件の建物がその後どうなっているかということをその新聞社の記者が追跡調査をしてくれました。そうしましたらこれも正確な数字は覚えておりませんが九〇%以上が健在だったという大変驚くべき記録が残っております。ですから明治建築については幸いにも大変な関心ができたということでございます。それからそれを受けまして文化庁の方でも明治建築のいわゆる国の重要文化財の指定がかなり活発に行われまして、私の記憶では約七十件近い明治建築が指定されております。その中で一番新しい建物は神戸にあります山邑邸という帝国ホテルを設計したライトという建築家の設計したものが大正十二年の竣工です。これが一番新しい国の重要文化財の建造物ということになります。しかし私たちがその明治建築の調査を全国的に全国の研究者に協力してもらってやっております中で、むしろ明治建築より次の大正、昭和の戦前の建築の破壊の方がもっと激しいのだということを痛感いたしました。 したがいまして明治建築の調査が終わりました時点で直ちに今度は大正、昭和の戦前の建築の調査を初めまして現在進行中でございます。これは大正、昭和、先ほどの山邑邸のようなケースがございますが、時代が新しくなっておりますから国の文化財の指定というのはにわかには恐らくできないと思いますが、私たちとしたら日本の近代都市の形成の中で市民の重要な記憶の寄りどころになる建物、さらに日本の近代建築史のその後の証人になる建物としてできるだけたくさん残していただきたい、そう考えております。 そういう建物の具体的な保存の仕方についてはいろいろな案がございます。技術的な問題になりますからもしまた質問がございましたらそれについての私見を申し上げたいと思いますが、ともかく第一回はこの辺にして私の意見の陳述を終了させていただきます。
○曽祢委員 村松教授から大変に重要で有益な御所見を伺いまして、ありがとうございました。 教授も言っておられますように、当該建築物、つまり東京駅が非常に重要な価値ある文化財で、これをなるべく残すということが非常に望ましいということがはっきりしたと思うのでありますが、いま最後にお述べになりましたように、この建築物あるいはいわゆる大正以後のもの、むしろ明治の方は大体九〇%ぐらい保護されていて、大正時代がいま一番やり玉に上がっているわけですね、次から次に。その大正時代に関するものをどういうふうにしたら保護できるのか。あるいは法制的な面もございましょうし、あるいは東京駅等についても、率直に言ってどういう、構造上の問題でこういうふうにしたら保存できるのではないかというようなお考えがございましたら、せっかくの機会ですからお示しを願いたいと思います。
○村松参考人 これは東京駅は、私も現在の建物がどの程度将来構造的にもつだろうか、現在どの程度傷んでおるかということは、専門的な調査をしたことがございませんから何とも言えません。 ただ、一般論として申しますと、最近われわれの専門家の間では、ことに文化財以外の建物の場合、都市の中にございますものはいわゆるファサード保存ということをよく申しております。これはパリのあのマレー街のケースなどをよく引き合いに出しますが、都市で現在使われている建物、それをそのままに残せというのは無理であろう、おまけにその建物はむしろ中身よりは景観的な、いわゆる町並みをつくるという上で意味があるのだから、中は新しくしてよろしいのではないか、外側だけをできるだけ旧態で保存しようという、そういうことをいわゆるファサード保存と申しております。そういうことをこれから日本でもかなり具体化して考えなければならないのではないかと思っております。 それで、二、三すでに先例がございまして、皆様もあるいは御存じだと思いますが、京都に中京郵便局というれんがの三階建ての小さな郵便局があります。京都の三条通りに面しております。それで、郵政省がこれを取り壊しまして新しい郵便局舎を建てようということになりまして、地元の人たちが、なつかしい建物であると。それから、あれに連なりまして、もとの日銀の京都支店、いまは博物館になっておりますが、赤れんがの建物が幾つか連なっております。したがって何とかこれを残そうということで、初めてファサード保存のケースを郵政省の理解のもとにそこに実施いたしております。ただいま工事が行われておりますが、これは外側に面しているれんがの三階建ての壁をそのまま残して、その中から後ろにかけて近代的な今日の要求に合った局舎をつくっているわけです。そして、新しい建物からいま従来のれんがの壁を内側からサポートするという方式をとっております。 ただ、こういうような二、三階建てのれんがの建物ですと、まあ多少サポートをいたしますれば、震度四くらいの地震があっても一年か一年半の工期中はもちます。しかし、これが石とかコンクリートの七階、八階の大建築になりますと、これはかなり高さが高くなりますから、そういうような壁をつい立てのようにして残しておいては、その間にいつ地震があるかもしれませんから、これは大変なことになります。そういうことで技術的にむずかしい。 したがいまして、私が経験しましたある丸の内の銀行のケースでございますけれども、そういうようないわゆるつい立て的な保存工事をやるよりは、柱間一つ、専門的にはワンスパンと申しますが、柱間一つを外側に取っておく。柱間一つございますれば、工期中一年とか二年の間はそれこそよほどの大地震がない限り自立しておりますから、その後ろの方に高い建物をつくれば要求に合致するのではないか、そういう提案をいたしましたが、あにはからんや、いまの日本の建築基準法、消防法ではそれが不可能でございます。これはいまの建築関係法規では建物をつぶせとしか言っておりません。と申しますのは、古いものに新しいものをくっつけて新築いたしますと、古い部分も新築の計算になるわけです。そして古い部分も構造計算書というものを提出しなければいけません。ただ、古いものですから中に鉄筋がどう入っていって、どういうように鉄骨がなっていてなんということは、実際壊してみなければわかりませんから、そういうことはそれを正直に計算しようと思ったら不可能でございます。そのほか消防法関係の規定もございまして、この点からも不可能でございまして、いまの日本では、そういうような保存というのは法規的にも大変無理だ。したがって、民間の建築についてはもう余りやかましい保存の要求というのは、いまの段階ではなかなかできないのではないかと思います。ただ東京駅のような、あるいは中京の郵便局のような公共建築については、やはりできるだけうまい保存の方法を考えてほしいと思います。 そういうようなファサード保存、ファサード保存よりもっといい保存は、いまのままで完全に保存することでございます。それからだんだん保存のレベルを下げますと、ファサード保存ということになります。その中間に恐らく、たとえば明治村へ持っていくというような移築あるいは部分的な移築保存ということが考えられます。しかし、れんがや鉄筋コンクリートの建築というのは、本造とは違いまして、移築保存というのはほとんど意味をなさない、これはいわゆる復元だと考えてよろしいと思います。それからファサード保存の次に考えられますのは、これは現実によく行われておりますが、部分保存ということがございます。これは銀行建築などの非常に象徴的な部分ですね。たとえば柱を新しい建築のところのどこかにくっつけるとか、玄関回りのもとの建物のイメージを新しい建築でどこかに張りつけるとかいう、もとの建物の部分を少しずつ残すというのがあります。これも非常に大量に残す場合と、もう本当にれんがなりあるいは大理石を少しはがして張りつけるという、その間にはもちろんバラエティーがある。最後の保存というのは記録保存になります。これはもう壊してしまう。ただ、壊す過程にもとの建物の写真とか図面とか、あるいは工事途中で中がどういうような構造になっているかという、それを写真、図面あるいは文字で残しておく、そういうようなバラエティーがございます。 以上でございます。
○曽祢委員 ありがとうございました。 本件の建物に関しては、記録保存とかあるいは部分保存とかあるいはファサード保存ではなくて、あの建物をなるべく原形のまま保存していくように、ひとつ私個人の願いでございますが、ありがとうございました。 そこで、文部大臣、どうも大変お待たせをいたしまして恐縮でございます。冒頭申しましたように、三月二日の大臣に対する質問をもう一遍繰り返すことになるのですけれども、どうも私は、文化庁からも説明を聞きましたけれども、わが国の文化財保護に関する法令上このままでいいのかということをやはり考えていかなければいけないと思うのです。文化財保護法におきましては委員五名よりなる保護審議会がある。そこにいまオーソリティーがずらっと並んでおられるのでありますが、そのもとに五つの専門調査会がございます、ね。建築物は第二専門調査会、これは現在は東工大名誉教授、芸術院会員の谷口吉郎さんがその主任といいますか、委員長といいますか、されているわけですが、そして、ここで単体建造物あるいは町並みもあるようでございますけれども、そういったものを、重要文化財の指定はこの調査会の審議を経て、そしてこの審議会の議決を経て、そして国が動き出す、こういう行き方のようでございますが、その仕組みそのものが悪いということは言えないと思うのですが、どうもやはり取り上げ方を見ておりますと、近代建築に関しては一応明治でピリオドになっているのですね。大正時代の方が全然といってもいいくらいほとんど取り上げられていないのですね。実は私も前に、要するに大正の時代で大震災の直前にできた郵船ビルをいきなり壊すのはもったいないではないかと言って、これは全くの私人としてですけれども、当時国会議員でもなかったので、保存について郵船会社等にも交渉したことがありますし、文化庁にも行きましたけれども、結局この委員会で取り上げて何か決めてくれないと政府としては打つ手がないわけですね。果たしてこれでいいのか。もう少し、いま村松教授のお話にもございましたように、何でもかんでも全部が原形保存ということも困難であるにしても、やはりこの大正時代の建築はほっておくととんどん――個人の持ち主の恣意といっては悪いかもしれませんが、所有権だから済むという問題ではないと思うのです。この前も大臣も言われたように、古くなったから壊せばいいでは済まない。そこにやはり豊かさと文化財保護というものが出てくるわけです。そういう意味で、これはひとつ法制的にももう少し手を伸ばすように、要するに文化財保護審議会をもう少し動かすように、大正時代についてももう少しリストアップしてこういうものを一つ一つ点検して、何らかの保護の手を伸べるのがいいかどうか、こういうことをやはりやってみる。村松教授が研究者としてやっておられたことを文化財保護の当該委員会が取り上げて検討する時期が来ているのではないか。その一つがいま郵船という形になっていると思うのです。ですから、そういう法制的なことを含めてやはり、この間町並みの保護についても議員立法のりっぱなものがありますけれども、それも必要であるけれども、いま非常に問題になっているのは大正年代の近代建造物の問題だと思うのです。これについて、ひとつ文相のお考えを伺いたいことが一つ、これは一般的な問題ですが、特に郵船ビル並びに丸の内付近の再開発について、やはりひとつ文部省として、大臣として関心を持っていただいて、積極的に法令による介入とか命令ではないでしょうけれども、やはりそこに文部大臣としてのこの問題に対してひとつ何か取り上げて検討してみる、単に国鉄と東京都だけに任すのでない、こういうような関与されることが望ましいと思うのですが、この二つの問題、一つは法制の問題、一つはこの問題ですね、東京駅を中心とする東京駅付近の再開発に関する文部大臣としての御関心のほどを伺いたいと思います。
○海部国務大臣 前回も先生から御質疑をいただきましたが、私個人の基本的な考え方を申し上げますと、やはりわれわれの先人がつくり上げてこられた貴重な文化財でございますから、ただ古くなったからどんどん壊して新しい合理的なものにしていこうというだけでは残念でありますので、何らかの形で基準があって、そして価値のあるものは保存をしていかなければならない。重要文化財の保存の制度というのはまさにそういうものだ、こう考えております。ただ、現在議論になっております大正期の物に関しましてはもう御指摘のとおりに、私もいろいろ聞いてみますと、わずか一件だけ指定がなされておるわけであって、あとは大正時代の建築物という物の現存しておる状況とかあるいはその保存上の問題点というのについていまだ的確に把握されていないという点も率直に言ってあるわけでございまして、これにつきましては文部省としましてはいろいろな問題点がございましょうけれども、それぞれ専門家の方の御意見を聞いたり、あるいは至らない点があるなればいろいろなことも検討しながら、東京駅の問題も含めて大正期の建築物に対してはどういうふうに対処していくべきかということを、これはきちんと検討しなければならない、こう考えております。 それから法制上の問題につきましては、先ほど御指摘のようにいま委員会がありまして、そこでお決め願ってやっていくということでございますが、具体的な問題になってまいりますとそれぞれ国鉄なりあるいは東京都なりの意見もあろうかと思いますが、文部省といたしましてもそういう時代のいいものは先人の残された文化的遺産として継承していきたいという大きなねらいがあるわけでございますので、慎重に検討させていただきたいと考えます。
○曽祢委員 最後にもう一遍文相にお願いいたしますが、まず第一、東京駅を中心とする再開発の問題についてこれを機会に関心を持っていただき、直接文化庁からで結構と思いますけれども、特に両当事者ですね、国鉄及び東京都を招致されまして、いま法令をひけらかしてやることではございませんけれども、どうなんだ、文部省、文化庁としての関心を持っておるので、ひとつ聞きたい、場合によったら相談に乗ろうではないか、まずこういう手を具体的に発動していただきたい。タイミングが大切ですから。 第二には、こういういま申し上げました大正時代の建築、この保存の問題について、やはりこれもひとつスタートするように、文化庁にそういう当該があるのですけれども、何だか知らないけれども、私の得た印象では、大正時代となるといやに冷たいのですね、やれ、セセッション式の建築で余り移り変わりの時代だから、何だかんだと言って。私は明治と大正とそう様式上の問題とか――建築の移り変わりは事実ですけれども、明治時代だっていろいろな移り変わりはあったので、いまや明治は保護されているけれども、大正がいまあらわになっているところが問題なのですから、結論を出して、大正時代のを全部救えなどということを言っているのではありませんが、点検して価値ある物にはワン・バイ・ワンで一つ一つとにかく手を打つというぐらいのお気持ちで、いまある委員会が動いてないとは言いませんが、いささか大正時代についてはやや投げやりのきらい、なきにしもあらずですね。この点をひとつ直していただきたいと思うので、この二点についてもう一遍、大臣の御所信を伺いたいと思うのです。
○海部国務大臣 御指摘のように大正時代の物についての着手、検討、研究がおくれておりましたことは、先ほども申したように率直に認めなければならないことでございまして、同時に、これはほっておいていいものではございません。 いま二つに分けて御指摘がございましたが、前半の東京駅周辺のことにつきましては関心を持たせていただいて、いろいろと相談をしたり、また必要に応じて協議をしたりさせていただきます。 なお、大正時代の建物等のことにつきましては、ただいま文化庁長官もおりましたので、どうすると言いましたらやりますとこう言いますので、大正時代の建物についての調査検討を早急に始めさせていただいて、やりたいと思います。
○曽祢委員 これで終わります。
○藤尾委員長 参考人各位には御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。 ―――――――――――――
○藤尾委員長 中西績介君。
○中西(績)委員 定時制の問題ですが……。
○藤尾委員長 政府委員が来ておらぬわけですね。 至急に政府委員の出席を求めますから、暫時お待ちを願います。――中西績介君。
○中西(績)委員 私は三点にわたってお聞きをしたいと思いますが、まず最初に夜間定時制高校の問題についてお聞きしたいと思いますが、政府委員の方はよろしいですか。
○諸沢政府委員 はい。
○中西(績)委員 まず現在の夜間定時制高校の問題点を申し上げてみますと、生徒の減少が大変著しいという点がございます。それから二つ目に修学奨励金が支払われるようになっておりますけれども、実際にはこの予算が余っておるという状況にあるという問題があります。さらに生活の上からも、昼間働いて夜、修学をするわけでありますから、求職の問題がございます。そしてこれらの子たちを修学させるための手だてとして、未就学者の就学促進をどう果たしていくかという問題、そして五つ目に、それを果たすために就学促進のための職場あるいは家庭までも訪問をしなくてはならぬという問題と、数え上げてまいりますとたくさんありますけれども、そのほか、夜間定時における教員の確保の問題など、たくさんあるわけでございます。そこで、これらの問題につきまして一つずつお聞きしてまいりたいと思いますので、時間の関係もございますので簡潔にお答えいただきたいと思います。 まず、生徒減少がどうしてこのように急速に起こってきておるのか、この点について把握されておるならお答えください。
○諸沢政府委員 生徒の減少傾向につきましては御指摘がありましたように、昭和二十五年度四十万二千五百名でありましたのが、五十一年度二十一万七千十九名と、約半分近く減っておるわけでございますが、この理由としてやはり私どもが考えますのに、今日のように国民一般の生活水準が上がり、生活に余裕ができてきたというようなことが一般的な背景となって、御承知のように、高等学校進学率九二%を超すということは、大部分の者が進学の意欲を持てば昼間の高等学校へ通う機会を持ち得る、そういう時代の推移というものが背景にあろうかというふうに考えるわけでございます。
○中西(績)委員 いまいろいろな理由を申されましたけれども、実態は中途退学者が四割おるというところに大変な問題があるわけですね。なぜ四割の中途退学者が出るのかということを、その内容を把握されていられるかどうかをお聞きします。
○諸沢政府委員 具体的にその把握はいたしておりません。おりませんが、われわれが推測しますに、やはりその点は、働きながら学ぶということでありますので、どうしても最初の一年ないし二年で勉強を放棄してしまう、あるいは放棄せざるを得ないというような状況にある方が相当出てきておるというふうに推測しておるわけでございます。
○中西(績)委員 これは私なりに調べてみますと、やはり一番大きな問題は勤務内容ですね。企業の勤労青少年に対する無理解、これは勤労青少年福祉法十二条で、企業が勤労青少年に対して十分な理解を示さなければならぬにもかかわらず、そのことが全く考えられておらない、こういうところに大きな原因があるわけです。残業あるいは三交代、あるいは病院の准看などの場合におきましても、中学を卒業して定時制に通っておる子たちが当直をさせられておるという労働基準法違反、こういう問題等はもうたくさんあるわけですね。 そうしたことからして、私は、北九州の一つの学校の例をずっとつぶさに追跡したものを見ますと、やはりみんな勤務条件が一番大きな原因になっておる。こういう点についてどのようにお考えになっておるのか、また、今後どのように指導されようとしておるのか、お答えください。
○諸沢政府委員 学業を中途で放棄しなければならないというような理由につきましては、確かにいまおっしゃったような、現に働いておる企業側の協力ないしは理解というものが十分得られないという点が一つあると思います。もう一つは、高等学校であるということからしまして、定時制高等学校についての教育課程のあり方等についても、もう少し弾力的でもいいのではないかというような意見もあることは事実でございます。 〔委員長退席、藤波委員長代理着席〕 ところで、前段の問題でございますが、この点につきましては、現在でも各県等の段階で、それぞれ高等学校へ行っておる者がいる企業等に対して理解を得られるよう協力をお願いする、また全国的な定時制教育の団体であります定時制教育振興会等でも、そういう企業等に対する定時制教育のPRというようなことをやっておるわけでございます。しかし、現実には、まだまだおっしゃるように十分な協力が得られないという事態もあるのでございまして、私どもとしましても、さらにそういう意味で、関係方面の理解と協力が得られるよう一層努力をしていかなければいかぬ、こういうふうに思っているわけでございます。
○中西(績)委員 いま言われましたように、勤労青少年に対する真の理解が企業の側にもなければ、またその他のところでも本当に落ちておる部分が大変多くあるわけです。それ以外にも、健康の度合いですね。これらの健康診断なり、あるいは欠席数がなぜ多いかということを県教委なりが本当に把握をしておるかどうかということが、私たちがいままで見てきたところ、何回となく指摘をしながらも、これが落ちておるわけですね。ですから、企業の皆さんと懇談をしたりあるいはいろいろ打ち合わせをしたり、その回数にいたしましても、形式的に一回ぐらい行ってそれを済ませてしまう、こういう程度しかやっておらないわけです。ですから、このこと一つをとりましても、相当大きく違いが出てくるのでなはいかと私は考えますので、この点をさらに強めていただくことを要望するものです。 それともう一つ、生徒減少の中に大きな問題があるということをお気づきになっていないのではないか。それは通信制とのかかわりであろうと思うのです。この点についてはどのように把握されておるのか。
○諸沢政府委員 定時制に学ぶ生徒にとって、本来の定時制の課程だけで必要な単位を全部修得するということはかなりむずかしい面がございます。そこで、現在でも定時制と通信制の併修といいますか、そういうことをやっておるところも県によってはあるわけでございます。しかし、それは必ずしもまだ十分でないということは、文部省で先般設けました定時制通信制教育の改善に関する協力者会議の結論としてもあるわけでございまして、そういう点について、今後もっと定時制、通信制の併修が可能になるようにいろいろ工夫をしてみたいという点が一つ。 さらに、いまの改善協力者会議の御意見としては、通常の全日制の課程との併修というようなことも将来の課題としては検討してはどうかというような提言があるわけでございます。
○中西(績)委員 通信制との併修あるいは提携ということ、私はこれに問題があると思うのです。そこで、もう一度最も基本的な問題に触れるわけですけれども、夜間定時制というものを設立をしたその趣旨と、いま文部省が考えておられるのは、これをさらに強化をしようとしているのか、軽視をしようとしているのか、そこをはっきりしてください。
○諸沢政府委員 今日の勤労青少年の実態というものを見ました場合に、先ほど御指摘のように、企業側の理解が十分でないという点はありますけれども、一般的に、働いた余暇に勉強するということは見つけよくなっていようかと思うのでありますが、同時にそのことは、非常に勉学の態様が一人一人の人間にとって多様化しているといいますか、いろいろな機会をつかまえて勉強するという方がより勉学をしやすいわけでありますから、そういう意味で、私どもは定時制自体の振興をもちろん図るわけでありますが、そのことは、ただ定時制だけをやるというのではなくて、子供によっては、ある部分は通信制によってそれを補うということ、あるいは定時制の中でも、技能連携施設との提携によって、働いている場所における勉学を高等学校の単位として換算するというような方途もさらに充実するというようなことで、その学習の内容と方法を多様化することによって、定時制教育をより充実しようというのが私どもの考え方でございます。
○中西(績)委員 学校教育が重要視され、ここにある限り、子供が、特に成長期にある子供が多くの仲間と接触をし、そして加えて教師との関係、社会との関係、そういうものがやはり十分満たされ、補われる中で教育というものがなされていくわけなんです。いまあなたから指摘のありました通信制というものについては、特殊な条件、そういう学校に通学ができないという諸条件にあるものについては、いたし方なくやるというのが通信制ではないか、このように私たちはいままで考えてまいりましたし、とらえてきているわけですね。この点については、私が指摘する面が間違いかどうかをお答えいただきたい。
○諸沢政府委員 御指摘のように、高等学校の教育というものは十五歳から十八歳くらいまでの、最も心身が発達する伸び盛りでございますから、その期間にやはり友達をつくり、あるいは先生と接触して勉強するということは大切なことだと思います。思いますけれども、しかしそれならば通信教育はどうかと言えば、これはその機会は非常に少のうございますけれども、スクーリング等を設けて通信教育の場合でも一定の期間その他特定の時期に一つところに集まって、生徒同士のスポーツの交流であるとか教師との接触であるとかいうことをやらせ、それは大事なことであるというふうに私どもも判断しているわけでありまして、それは決してやむを得ないといいますか、教育としては定時制よりは確かに接触の機会は少ないわけでございますが、今日のいろいろな生き方をする青少年を考えた場合に、それはそれとしてやはり教育上一つの重要な教育のあり方であるというふうに私どもは考えるわけでありまして、したがって通信制はやむを得ないのだというふうには私は考えないわけであります。
○中西(績)委員 可能ならばやはり学校に通学をして、より多く機会を得るということが望ましいわけですね。ですから、通信制の場合も、スクーリングなり設定をされるというのもそこにあると思うわけですけれども、そのことは間違いではないですね。そうであれば、むしろ、私は生徒の現象面を考えますと、極端な言い方をしますと、生徒の囲い込みをしておる、通信制の囲い込みがあるのだという表現を使いたいと思うのですけれども、たとえば大規模校がございますね。広域通信制で、日本放送協会学園高校あるいは科学技術学園工業高校あるいは大阪の向陽台高校、大阪の向陽台高校あたりでは、見ますと、その数は一万六千という数になっていますし、この放送協会学園にしましても、科学技術学園工業高校にしましても、その程度より以上ではないかと思われます。十三万九千七百六十名いる通信制の生徒のうちの、三校ぐらいで五分の一ぐらいになるのではないかと思うのですね。ですから、そうなりますと、いま企業の側は先ほど出ておりましたように、通学が可能であるにもかかわらず、残業あるいは三交代なりいろいろなそういう制約をつけることによって通学が不可能になる。それを補うために、仕方なく通信制へ、あるいは関西あたりへ九州あたりから子供が、中学卒業生が就職して重いります。そのときの条件として、定時に通学できるということを条件にして、文章では見て来ているけれども、行ってみたところがそうではなくて、通信制という措置が半強制的にされておる、こういう面があるわけなのです。ですから、むしろそういう点は、できるだけ文部省なりのお考えが、先ほど私が最後に指摘をいたしましたように、やはり可能なら学校に通学をするということを中心に据えていただかないと、しかし云々とこうつけ加えてまいりますと、これが大変弱まってくるし、そのことが何かむしろいい結果を生むような感じでとられておる部分があるわけですから、この点について十分認識を改めていただきたいと思います。 さらに、企業連携の問題でありますけれども、企業連携の場合に、先ほども申し上げましたように、就職条件として定時制にというものがあるにもかかわらず、来てみると通信制に限定をされている、こういう実態等については文部省では把握をされていますか。
○諸沢政府委員 個々の通信制高校について調査をしたことはございません。ございませんけれども、たとえば、先ほど御指摘のありました広地域通信教育の、大阪にあります向陽台高校と言いましたか、それは大体紡績関係の女子従業員が通信教育を主体として高校教育をやるということで、それなどは初めから通信教育ですよということでやっておられるように思いますけれども、個々に、本来、夜間定時制のような形でやるべかりしものを通信教育にしているかどうか、そういう点になりますと、ちょっと詳細は承知いたしておりません。
○中西(績)委員 相当そういう部分があるようでありまして、九州の方にUターンして帰ってくる子たちの中に、条件が違っておったということを漏らす子がいるわけですね。こういう点等を十分認識をしていただいて、特に県教委なり町教委をこういう面ではやはり指導していただいて、本当に定時制の子たちが途中で退学をせずとも済むように、そしてまた多くの仲間と接触のできる体制というのをつくり上げてほしいと思うのです。 次に、修学奨励金の問題でありますけれども、この修学奨励金は、いま国が二分の一、県が二分の一で、一人五千円支払いをしていると思うのです。ただ問題は、この奨励金が各県段階――私は全国的に掌握をしておりませんけれども、福岡県あたりでは予算残を生じておる、こういう事態があるわけですけれども、これはなぜかということを文部省では把握できていますか。
○諸沢政府委員 修学奨励金を貸与するという趣旨は、勤労青少年に対してそれだけさしあたっての負担の軽減を図ろう、こういうわけでございますから、そのための資格要件として、勤労青少年であっても所得税の課税対象とならない者ということで、五十二年度で言いますと、年収九十六万以下という制限がございますから、そこでそれ以上の収入があれば対象にならないという点がひとつ問題があろうかと思います。 ところで、それでは、そうした場合に、各県とも大体同じような貸与率かというふうなことでございますが、この点について実態の資料を見ますと、非常に県によってアンバランスがある。いま御指摘のように、福岡県あたりでは五%未満でございますけれども、県によっては二〇%を超しているというところもあるわけでございまして、これはそれぞれの県におけるこういう奨学事業の趣旨の徹底であるとか、あるいは受ける方の学生のそれに対する受け入れといいますか、そういうことの違いといいますか、そういうことがやはり現実には出ているのではなかろうかというふうに判断するわけでございます。
○中西(績)委員 この修学奨励金につきましては、特にいま制限が九十五万円。この年収九十五万円という額の場合に、やはり調査した結果を見ますと、たとえばある高校の夜間定時の場合に、大体四分の一、二五%程度の人は、父母あるいは弟妹に対する仕送りをやっているのですよ。大体最低一万円から最高五万円という仕送りをし、平均して大体二万五千円程度になっているようです。ですから、このように若い、しかも九十五万円程度といえば、ボーナスだとかなんとかを考えますと、月収にしますと七万円程度ですよ。それに父母に仕送りをしたりなどしながら学んでいる、そういう子たちは修学奨励金、これを受給できる資格を全然なくすわけですね。ですから、やはりこういう点がいま生徒減少のまた一つの大きな原因――しなくてはならぬのに、行きたいという気持ちはありながらも、どうしてもやはりこういう点が経済的にも十分でないということによって出てくる原因にもなっていると思うのですけれども、この点は文部省としてはかかわりがあるとお考えになっていますか。
○諸沢政府委員 確かに御指摘のように、九十六万円という線の引き方が妥当かどうかという点についてはいろいろ議論もあろうかと思うのであります。ただ、その場合にも、いま御指摘のように、一人一人の人間についてそれだけの収入があっても、その相当部分を弟妹や両親に仕送りするというような実態はまたなかなかつかみにくい問題でございますし、それから、こういう税とのかかわり合いにおいて限度を決めるという問題は、いろいろほかとのひっかかりもございますので、この問題を取り上げて、すぐ簡単に下げればいいではないかというふうにもいかない点があろうかと思うわけでございます。 そして、先ほど申しましたように、それよりも、現在のような基準でやりましても、県によりましてかなり給付の率が違っておるという実態、つまり、県によってはある県の四倍も奨学金がいっているという実情でございますから、私どもとしましては、さしあたっては、各県にこの修学奨励事業の趣旨というものを一層徹底して、少なくとも予算が残るなどということがないように、さらに十分やってもらうように努力をするというのが当面の課題ではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
○中西(績)委員 この限度枠ですね、これを取り払うという意思なり、検討なりされる意思はありますか。
○諸沢政府委員 いま申しましたように、当面この限度額について、取り払うというようなことは考えておりません。しかし、長期的に見た場合に、これをどの辺にするかというのは検討の課題であろうというふうには考えるわけでございます。
○中西(績)委員 いま限度枠を取り払うという意思がないようでありますけれども、いま、これらの調査につきましても、各県段階でやはり一番問題になりますのは、実態がどうあるかということを本当に把握をしておらない、学校に通いたい、友達と語りたい、こういうものを本当に持っておる子たちが学校に来れないという実態があるということもつかみ得ないわけですから、ただ、表面的な数がどうだこうだということでなくて、その中身がどうなっているかということの調査、これは大変重要ではないかと思うのです。やはりそういうものが把握をされたときに初めて夜間定時というもののあり方について真剣に考える時期が来るのではないか、こう考えるわけです。ですから、ぜひ調査をやってほしいと思いますね。 それでは、時間がございませんので次に参りますけれども、完全給食の問題であります。 これは全国でいま――もう私の方から申します。約四五%程度実施されておるのではないかと思います。残念ながら、私の出身の福岡の場合には、三十五校中七校しかやっておらない、そういう実態にあるし、また、やっておる七校だって、給食婦の皆さんの賃金を生徒に負担をさせておるという実態があるわけですね。これをどうしても、解消できずに困っておるわけです。ところが、ここに通学をしておる生徒は、やはり昼間昼食をとって、あと九時ころまで授業をして帰るまでの間ミルクとパンくらいで済ませるわけですね。あのパンだって、何グラムか、規定があるようでありますけれども、しかし、私たちが食べておるパンとは違うのですね。もう本当に皆さんにそれを食べていただいたらすぐわかるのですけれども、内容は違いますよ。ですから、そういうものを見ますと、家に帰り、そして本当に食事にありつく時間というのは十時ころにはなるわけでありますから、成長期にある生徒が本当にそれで栄養のバランスがとれるのか、カロリーが不足しないのか、そして、もし完全給食がないところでは経済的な問題が出てくるわけでありますから、完全給食をすれば、大体材料費だけですから、一カ月に二千円程度の負担で済むわけなのです。これを外食をしますと、腹が本当に十分だというぐらいに食べるとすると、いまの物価高の中では大変なものだということは、もう十分御認識いただけると思うのです。そういうことを考えますと、この完全給食の問題につきましても、恥ずかしい話だけれども福岡のようなところもあるわけですから、こういうものについての指導はどのようになさっておるのか。
○諸沢政府委員 恐縮ですけれども、給食のことは私の担当でございませんのですが、担当がおりませんからかわって、完全な答えではございませんけれどもお許しいただきたいと思いますが、現在の定時制高校に対する給食の補助というのは、夜食費の補助という予算になっておりますので、いま御指摘のように、パン、ミルク、マーガリン等の補助ということで、完全な給食にはなっていない、要するに、夜間勉強する青年にとって、学校で一時空腹をしのいで、帰ってから正規の食事をするのだというたてまえで来ていると思うのでございます。そこで御指摘のような問題があろうかと思うのでございますが、したがいまして、実態としてはいま言うような補食給食というのがやはり四〇%くらいになっておるようでございますから、それらの点は今後の検討課題ではあろうかと思いますが、現在の予算のたてまえからいたしますと、直ちに完全給食ということにはいかないように思われるわけでございます。
○中西(績)委員 十分な答弁を得ませんけれども、時間もありませんので、次に、未就学者の就学促進ですね、これについては各県段階で県教委が主体になってやらなくてはならぬわけでありますけれども、この点については、文部省は十分なされておるというようにお考えですか。
○諸沢政府委員 的確なお答えにはならぬかもしれませんけれども、私は、この減少の傾向等を見ますと、県によっては相当やっておられるところもあると思いますけれども、やはりまだまだ全般的に言えば十分ではないのではないかというふうに思うわけでございます。
○中西(績)委員 これは文部大臣ぜひ知っていただきたいと思いますけれども、未就学者の就学促進のためには、たとえばこういうチラシがあります。これは差し上げます。これは組合がやっているのです。それから、これも差し上げますけれども、これは県教委が入っていますけれども、ことしの場合には福岡県の場合には、県教委の名前を使わせないというのです。これは去年のものです。このように、ビラ一つをとりましても、まだ相当数いるわけですから、これに対して一生懸命やっているのは教師です。そしてまた、生徒がやっている。ところが、県教委の名前を入れさせてほしいということをことしも進言をしたのだけれども、それを入れさせなかった。さらにまた、ポスターをそれぞれ生徒が自分でかいて、あるいはそのほかの学校の費用を使ってそういうポスターをつくって町に張り出すなり、さらにまた、それだけではありません、各職場に進出をいたしまして、職場訪問をするし、そして、もしそういう未就学の子がいるといたしますと、家庭訪問までして皆さんやっているわけなのです。確かにこのポスターは、定時制、通信制の教育振興会あたりから何枚かは来るでしょう。しかし、ほとんどそういうものがなされておらない。ですから、そういう点で、このポスターにしましてもビラにいたしましても、あるいは中学を訪問したり、あるいは職場を訪問したり家庭を訪問したりという、こういうのを教師あるいは生徒が一生懸命やっている。県教委にそのことをただしますと、中学校にその指導をしたとか、その程度しかあり得ないわけですね。ですから、こういう点につきましては、福岡県でたとえば私たちがやったといたしましても、今度は、福岡に来ておる約半数の、北九州あたりだったら半数の子は南九州だとか別の県から来るわけでありますから、中学ではそれがやれないとすると、もう全くそのことに関しては知らなかったということになるわけですね。ですから、こういう点をやはり十分認識していただかないと、先ほどから私が主張しておる生徒減少については、ただ単に一つ、二つの条件でこれが減少しておるのではなくて、もろもろのものが重なっておるということを十分認識していただきたいと思うのです。この未就学の就学指導につきましても、その点を特に私は強調したいと思うのです。 それから次に、先ほど触れました、職場を訪問したり家庭を訪問したり、いろいろずっとやっていくわけですけれども、その際に旅費等が支払われておるかどうか、実態を把握されていますか。
○諸沢政府委員 把握しておりません。
○中西(績)委員 旅費の支払いは、五時間以上というのがあるのですね。時間的な制限があるのです。そうしますと、夜間の生徒をするとすれば、昼間職場に行く。働いておるとしますと、家庭にはいないわけですから、会えないから職場に行ってやる。そうすると、その間におけるあれは、たとえば二時間、三時間で行ったのでは旅費は出ないわけですね。これは一つの学校の例ですけれども、これは北九州のある学校ですが、一年間に一万四千二百六十円ですよ、いまこれがありますけれども。私はこれをもらってみて、ああ、あなたが受け取られた額ですかと、こう言ったところが、めっそうもない、これが百四、五十名いる定時制の学校の全額ですと、こう言われたのです。そうしますと、職場訪問なり家庭訪問なり中学の訪問にいたしましても、全部手出しで教師がやらなくてはならぬ。あるいは、先ほどから出ておるビラの問題にいたしましても、すべてみずからが拠出をする金によって定時制の維持を図っていくという、こういう体制でしかないわけですね。ですから、もう場合によっては、これでは足りないからということでPTAから支払いを受ける。ところがPTAというのは、定時制の場合、よく考えてみますと、生徒がみずから働いてそれを拠出をしたものになっている。この場合が非常に多いわけです。少なくとも、当然こういうことこそ、時間の制限だとか何とかでなくて、そのことを認めて、むしろ積極的にそういう活動ができるように措置をすべきであるにもかかわらず、自己負担かあるいは間接的には生徒負担という中でしかされておらないという実態があるわけです。この点は私たちはもうどうしても納得できないのです。これらについても何かお考えありますか。
○諸沢政府委員 御承知のように、小中学校につきましては先生の給与費なり旅費なりは、国が半分見る、旅費の場合は実支出額を見ますということになっておるわけでございますが、高等学校の場合は、義務教育でもございませんということもありまして、設置者である、一般的には都道府県がその経費を見る、ということになりますと交付税の積算ということをどう考えるかということに帰着するわけでございまして、一つ一つの費目をとりまして御指摘のような重要性をおっしゃっていただきますならばまことにそのとおりだと私も思いますけれども、しかし、現在の制度といたしましては、そういう問題も念頭に置きながら、国の財政措置として交付税をできるだけ積算するという方向で考えるというのが現実的ではなかろうかと、こういうふうに思うわけでございます。
○中西(績)委員 ぜひこの点は検討していただいて、特に県の場合には、このような財政事情の中にありますけれども、まだまだその点が不足している部分がありますから、もし国で措置ができないというなら県に対してこういうことこそ私は指導をすべきではないか、こう考えますね。 それから、もう時間がありませんので、教員の定数の問題についてお聞きしたいと思いますけれども、教員定数は四十九年に改善されました。このことで一定の措置はされましたけれども、しかし、依然として一教師が三科目だとか、大体高等学校でありますならば九教科、十五科目になっておりますから、一教師が三科目をやるとか、そして加えて無免許で臨免を取って、こういう場合には直ちに県教委が喜んで措置をしてくれるわけですね。ここら辺が大変おかしいところなので、してはならないことに対しては直ちにそういう措置をする。ですから、これは北九州のある高校ですけれども、教員定数八名です、一学年一学級ですから。そうすると、その中の二名分は常勤講師なのですよ。当然八名で学校運営――常勤であるならばうまくいくのだけれども、それをどうしてもくれないのですね。配当しないのです。そして残る二名分を常勤講師としているわけですよ。ここが大変おかしいところなのでありまして、そしてさらにまたこの非常勤によってそれを賄うということを半強制的にやらせる。結局何を意図しているかというと、そこで人件費を浮かしているわけですね。あえて私は申し上げませんけれども、これは計算すればすぐおわかりになると思うのです。そして、私どもから見ると財政事情が赤字が黒字になったということを言わんがための措置としてこういうことが使われている。こういう定数の配置、国からの配置、そしてさらに今度はこの中身がどうなっておるかという、こういう指導はどのようにされておるのですか。
○諸沢政府委員 御承知のように、高等学校の教員の定数配置、それから学級編制の基準につきましては、高等学校のそれらに関する標準法がございまして、その標準法は五カ年を一区切りとしてその間に所要の改善を加えるということでやってまいったわけでございます。現在は昭和四十九年から始まりました第三次の五カ年計画のちょうど四年目、こういうことになるわけでございまして、今回の進行中のこの計画におきましては、特に定時制高校の場合は、いま御指摘がありましたように、一般に小規模でございますから、どうしても普通の計算でいきますと先生の配置が足りない、少なくなるということで、実際に入っております子供の数ではなしに、想定しておりますところの定数、収容定員というものを基礎にして定数配置をするのだということで、そのことが第二次の場合と一つ改善をした点でございまして、その改善によりまして五年間に定時制高校について五千二百十人の定員増になる予定だということで、現在進行をいたしておるわけでございます。そうして今度は具体的の教員の配置等につきましては、ただいま御指摘のように、個々の学校について見ますと、あるいは常勤講師にするとか教科が片寄るとかいろいろ問題がございますので、そういう点についてはできるだけ適正な有資格の先生を配置するようにという指導を重ねてきておるということでございます。
○中西(績)委員 指導をされておると言われますけれども、実際には依然としてそういうことはあります。ですから、小中高を通じまして無免許でこのように臨免をとって授業をさせられておるという教師が相当数いると思うのです。この点については、文部省の調査の能力相当あるようでありますから、十分把握をされて、その点でひとつ資料の提出を求めたいと思うのですが、委員長、よろしいですか。
○藤波委員長代理 どうぞ。
○中西(績)委員 小中学校、高等学校、すべての資料を……。
○諸沢政府委員 ただいまの御要望の御趣旨というのが小規模学校についてどういう教員の配置になっておるかということのようでございますが、御要望の御趣旨に的確に合うものがありますかどうか、少し検討させていただきまして御返事を申し上げたいと思います。
○中西(績)委員 大臣、もう時間がありませんから、まだまだ時間の制限なしにやれば大変な時間になる状況ですから、これでやめますけれども、このように夜間定時の場合には、いま挙げただけでも大変な問題を内蔵しておるということがおわかりだと思います。特に学ぶという場合に、余裕のある者だけが教育を受ける資格があるというようなことでなくて、本当にこういう学習したい、多くの子たちと交わりたいという希望を持ち合わせながらできない子がたくさんおるということをぜひ知っていただきたいと思うのです。この点に関しまして、いままで申し上げた中で可能な限り努力願って解消を図っていただく面があろうかと思います。ある程度意見の違う分もありましたけれども、この点について、大臣の御決意なりを述べていただきたいと思います。
○海部国務大臣 ただいまいろいろ質疑のなされました定時制高校に通う人々の問題については、働きながらもなお学ぼうということでありますから、私どもとしてもできるだけ学びやすいように環境の整備をしてあげることは大切なことだと考えますので、具体的なことについてはよく十分相談をしながら前進をさせていきたいと思います。
○中西(績)委員 それでは先般の三月一日の予算委員会のときに質問をいたしました管理職選考試験の問題について残っておりましたので、お聞きしたいと思います。 先般のあの中では、お答えありましたように、十二月二十一日に前文部大臣が調査結果をまとめまして、留意事項四点にわたって発表したということを初中局長の方から答弁があっておりますけれども、その四点は、一番目が全人的評価の方法、二番目が必要な素養が全般的にわかる問題、そして三番目に勤務成績のみのところでは全面的な公平な評価、四番目に合格率と任用率間の差をなくすというようなことで御答弁いただいたと思います。 そこで、質問なのですけれども、このように調査をしなくてはならなくなったのは何が原因ですか。
○諸沢政府委員 これは前大臣の御要望もあって調査をしたわけでございますけれども、経緯を率直に申し上げますと、やはり例の主任の問題等とも関連いたしまして、校長、教頭というのも学校の管理運営面の責任者であると同時に、これはやはり教育活動そのものについても学校の中核として他の教員を指導する立場になければいかぬ。そうだとすれば、校長や教頭になられる方が単に管理職的な勉強だけしておったのではいけないので、やはり学校の教育運営についても十分な識見と能力を持つ人でなければいけないだろう。とすれば、現在の校長、教頭の任用の方法等は一体そういう趣旨に合致しているかどうか、そういう点をひとつ十分検討してみる必要がある、こういうようなお考えもございまして、そこで調査をした、こういうことでございます。
○中西(績)委員 そこで、まず第一点の、もうちょっと具体的にお尋ねしたいと思うのですけれども、「いわば当該候補者の全人的な評価ができるような方法というものを考えてほしいのだという点であります。」こういうことで、いままでの管理職試験というのがもともと持たれたのは、学閥の排除とか、あるいは公平さを求めるためにということを理由にしてこれが行われるようになりましたね。その結果、法律に強く、学校運営には強いけれども、信頼される教師であったのか、あるいは識見の高い教師であるだろうかということを問われた場合に、やはりいろいろ問題があるということも出て、いまあなたが言われましたように、全人的な評価ができるような方法というものを考えなくてはやはり問題があるという、問題意識の中からこれがなされたと理解してよろしいですか。
○諸沢政府委員 文部省においては小中高等学校の校長、教頭さんに従来もいろいろな工夫をこらして適格者を選考しておられるというふうに考えておるわけでありますが、その実態を知ってさらにより適切にそれを高めていく、その方法を高めていくというような指導をしたい、こういう趣旨からでございます。
○中西(績)委員 そうしますと、そういう趣旨で、二番目の問題にしましても、あるいは三番目の問題にしましても、大体貫かれておると考えていいですね。そうしますと、たとえば「三番目といたしましては、平常の勤務成績だけで選考を行うという場合には、いろいろな工夫をすることによって十分全面的な公平な評価ができるようにしてもらいたいのだということであります。」こういうことでこの前お答えしておるようですけれども、この試験をしておらないところというのは、この前の資料から見ますと、高等学校の場合でありますならば、大体半数以上がまだ面接も筆記もやっておらないという結果が出ていますね。こういうところで具体的にお聞きしたいと思うのですけれども、問題があるのですか。
○諸沢政府委員 この高等学校と小中学校の場合でございますけれども、御承知のように小中学校の先生も任命権者は県の教育委員会だということになりますと、実際の問題として高等学校の校長なり教頭になろうとする方についての県の教育委員会としての評価なり日常の接触なりと、それから小中学校の先生の場合では、その数等においても相当違うわけでありますから、そこで試験あるいは選考のあり方についても、小中と高等学校ではかなり差があるということは、そういう実態に基づくものであろうというふうに考えるわけでございます。
○中西(績)委員 実態に基づいてやられておらないという、そういう理解ですか。
○諸沢政府委員 高等学校の場合は、大体日常の勤務成績あるいは成績の評価というようなものを主体として、試験をやらないところはやっているのではないかというふうに思うわけでございます。
○中西(績)委員 そこで問題はもとに返るわけでありますけれども、この前もお聞きいたしましたように教員の地位に関する勧告が一九六六年十月五日に出されまして、その中に「昇格は、教員団体との協議により定められた厳密に専門的な基準を参考にして、新しい職に対する教員の適格性の客観的な評価に基づいて行うものとする。」こういう勧告が出ていますね。これはもうこの前も認められたとおりです。そこで、この中にありますように、いま行われておる管理職試験、そういうものがやはり先ほどから指摘をしましたように一元的なものだけを追求するということによってこの破行的なものが出ておる。ですからやはりそれを補うということで十分注意をしてほしいという中身も含んでこの十二月二十一日の発表がなされておると思いますが、そうしますと、そういうものがいま言うようにたとえば高等学校の場合実際に行われていないところが過半数を占めておるわけですけれども、それは実態がやはりそのように勤務成績なりそういうものだけでよろしい、そのことによってこういう結果が出ておる。とするならば、さらに一歩進めて、本当に全教師から、あるいは地域の父母から、すべての人たちから認められる、そういう体制というのがいまの特に学校教育の中では必要ではないかと考えるわけですね。ということになれば、そういう手だてというのはさらによりよい結果を生ずるためにはどのようにしたらいいのか。こういう管理職試験ということによってそれが解消できるのか。そうでなくて、むしろ私はそういうものを十分協議しながら皆さんが納得のいく体制というのがいまこそ必要ではないかと考えるわけですけれども、これに対する見解があればお聞かせください。
○諸沢政府委員 わが国の場合、職員を昇任、採用するというのは任命権者の任命行為によるわけでございますから、それが試験によるか、選考によるかというやり方の違いがございますけれども、その実施について任命権者として責任を負わなければならない立場にある。ところで、小中校の先生方の校長、教頭への昇任のあり方を見ますと、この報告でも、各県とも選考の方法がまことに多様であって、それが各県の従来の経緯等によるものと思われるが云々とありますように、今日試験なしでやっているところも、あるいは試験をしておるところも、面接、筆記をやるところも、それぞれいろいろな経緯をたどって今日に至っておる。そしてわれわれが承知いたしておりますところでは、それぞれの任命権者において必ずしも全国的な他府県の実情というものを十分御承知ない向きもあるようだということでありますので、今回の調査をしてこれを発表し、連絡しました趣旨も、そういう県については自分の県だけの従来の経緯を踏まえるのではなくて、ほかの県の方法等も、なるほど、こういうことをやっておるのかという意味で十分検討していただいて改善の努力をしてもらうということがこの趣旨でございますから、したがって、繰り返しになりますが、他の例というものを十分比較検討していただいて、だから高校については試験なしで従来やってきた、今後もそれでいいのだというのではなしに、やはりほかの県の試験をやっているところはどういうふうにやっているのだろう、あるいは面接をやっているのはどうであろうということを十分検討していただき、そのよりよき方法を取り入れることによって改善していただくということが念願であるわけでございます。
○中西(績)委員 なぜ私がこのことを申し上げるかと申しますと、選考試験についていろいろずっと見ていきますと、たとえば東京都の場合、週刊朝日あるいは新聞でも取り上げられましたし、その中身を見ますと、塾の数が百以上、そして予備校的なものが十以上ある。季節講座だとか通信教育だとか、今度それに加えて自主研修会、まあ自主研修会は構いませんけれども……。ところが塾にしましても、いまから大体三年くらい前でも十二回で二万円程度の授業料と申しますか、講座料を取られる。そして学閥なり派閥をなくすという趣旨であるにもかかわらず、今度逆にそれに沿った幾つもの流れができて、どこどこの塾、どこどこのそういう研修会あるいは予備校的なもの、そこに行けばいまの受験体制、この塾の状況と全く同じような結果が出ておると言われていますね。また、私は福岡ですけれども、福岡の場合もやはり同じように、これを見ますと、北九州だとか筑後の方でもうすでにそういうものがあると言われていますね。そして、たとえばそこに入ろうとする場合には、全会員の承認が必要だとかいろいろあるわけですよ。結局それは何につながっているかというと、そういう学閥的なものだとか、あるいは派閥的なものだとか、こういうものにこれが形成されていく大きな原因にもなっておるのではないかと思われるようなことが、この中ではあるわけなのです。ですから、これについてもまだまだ資料等がありますけれども、時間の関係で省かしていただきますが、いずれにしても、こういう状況が出ておるということの認識はされておりますか。
○諸沢政府委員 東京などで管理職試験を受けるための塾通いというようなことをやっておるという話は私もかねて聞いておりまして、実に適切でないというふうに考えておるわけでございます。
○中西(績)委員 こういうことがある程度把握できておるといたしますならば、少なくともこれは会員ではないのですから、やはりこういうことこそやめさせるという行政指導なり、下部教委に対する指導というのをなされなくてはならぬ。そしてそれとのかかわりの中でこの管理職登用試験なり任用試験というものが非常にゆがめられていく可能性だってあるわけですから、この点をひとつ認識をしていただきたいと思います。 そこで、大変はしょって申し上げるようですけれども、管理職試験をするについて、私たちの認識というのは、やはり大変恣意的なものになっておるのではないかということを、県教委なりがやるわけですから、感じるわけですね。それはなぜかといいますと、これまた福岡のことを申し上げて恥をさらすようですけれども、大変残念だけれども、いたし方ありません。 それは今年三月十一日の高等学校の入学者選抜に絡んで大変問題が出ました。その際に管理部長が新聞社に発表をしておる中身を見ますと、文部省と相談をした、こういうところがあるのですね。ですから私、文部省にそういうことが十分入っておられるだろうと思いますので、この点を申し上げたいと思うのです。 まず、この福岡における入学試験のミスというのは、これはもう毎年のことです。一番激しいので昭和四十八年の三月十四日にやられたときには、社会、国語、数学。しかも数学には三問あったのですね。三教科にわたってミスが出たのです。これについては高等学校側から三回にわたって県教委に注意をしたのですよ。ところがそれを突っぱね、拒否をしました。変えようとしませんし、聞こうとしなかったのですね。だから、Aという学校からそのことが通告されると、その学校だけに、たとえば国語が悪かったら国語だけ訂正をさせるのです。Bという学校から今度は数学がそのように間違っていると言えば、その点をどうしろと、こういうように言うわけです。ですから、そういう状況であったからそれを全部まとめまして私たちは三回にわたってこれを指摘をしましたけれども、拒否をしました。その結果どうなったかというと、県議会で大変問題になって、県教委の諸君は三日間も逃げ回って議会が空白になってしまうというふうな大騒ぎになりました。そしてその結果は、われわれは、全教師で採点委員がおるわけですからすべてこれを解消していこう、点検をし直すべきだ、父母のあるいは生徒の信頼を取り戻すべきだということを主張しましたけれども、校長、教頭、事務長で再点検をして、そのことが入学可能かあるいはその合否に関係はなかったということで発表されました。その結果かどうか知りませんけれども、当時の県会議長はやめられるというような事件に発展をした。ところが、以前はそういうことが起きなかったのはなぜかというと、入学者選抜検討委員会というのがありますね、それから試験問題作成委員会がありまして、特に試験問題作成委員会は、検討委員会で毎年そのことが論議をされまして訂正すべきところは訂正をしていく、改良すべきところは改良していくという体制をとって試験問題というものは作成されるわけです。その委員が全部そこにおって、Aという学校からたとえば連絡があると直ちにそれをやり変えるわけですね。集まっているから、これをどう措置するということはもう三十分しますと全部全県下に行き渡る。だからいままで完全無欠だ、一回もなかったというわけではありません。あったけれどもそういう措置が必ずとられ、そうして全県下一様にされておったわけですね。ところがこれは四十八年にそういうことをやり、五十年にまたやりました。大きな問題を起こしました。本年に至ってはまたそういうことをやって皆さんも御存じの今度文部省に帰られました、県教委の第一指導部長をやっておった富張氏がこの委員長を勤めておったのですけれども、ここで指摘をされたところがそれを突っぱねた。当初の方針どおり正解はそれぞれ一つしかありませんということで拒否をしています。そして大変な問題になって、十五日それから十六日にかけて、それを受け入れ、二回訂正しているのですよ。そして三月十六日には、十八日が発表の日であるのにかかわらず採点を全部やり直す、こういうふうな状況です。そのとき管理部長が新聞記者に発表した中に、文部省と慎重に連絡をとり検討しましたというのがあるのです。ここに新聞のコピーがありますから。 このように徹夜作業で全部やり直して――発表の時期を延ばしたらどうかと言ったけれども、それもだめだ、こういうふうなことで十八日ようやく発表する、こういう事態が出てきたわけですね。 これだけなら私はこのことを言いません。ところが、それに対して三月三十一日に処分が発表されたのですよ。県教育委員長は辞任をしましたね。これは新聞なりで御存じだと思うのです。教育長は減給一カ月、入試委員長・指導第一部長と、それから問題作成委員長、この二名は戒告処分で三カ月延伸。そして、ここです、入試の副委員長で指導第一課長城戸という人がいますけれども、城戸氏の場合は、三月三十一日にこのように文書訓告をされたわけですね。ところが、あくる日の四月一日には、どうなったかというと、指導第一部長に富張氏の後任として昇任をしておるのです、昇格をしておるのですね。課長であった者が、そういう問題を引き起こし、副委員長で処分をされているにもかかわらず、今度は指導第一部長、高等学校関係です。富張氏は文部省に帰る。そして問題作成委員長の戒告処分を受けた者は、これはちょうど年齢であったから退職です。責任をとりますと言ったけれども、だれもあれせずに、むしろ栄転という、こういう事態が出ています。 長々と私がこれを説明申し上げたのは、問題はそういう人たちが謙虚に反省をし、本当に生徒のことを考えているかというと、全く考えてないというのがこの新聞を見れば全部出ています。「公立高校入試ミス続く」こういうようにして、「「ミス」と指摘に教委譲らず」とか、「「不適切」で押し通す」とか、それからこれなんかを見ますと「県教委の“体質”浮彫り 欠けていた「受験生の立場」」こういう文章です。「丸一日空費の落第県教委」こういうぐあいに挙げていきますと、なぜこのように言われるかと言ったら、ことしの国語の問題でも、つくりにかぎのついた福の字、教科書にないものを、いま使ってないというものを出しているのですよ。そして、それを間違いでないといって拒否をする、こういうことをたびたび繰り返す。これはさっきから申し上げたように四十八年以降からたびたびです。ですからこういうものが載るわけです。こういう状態の県教委が問題作成をしている。 そして、これにはこういうことまで書かれているのです。「こうした県教委の姿勢の背景には「県教委内部に子供の立場から本当に教育を考える人が少ないし、そんな人がいても大きな声で発言しにくいふん囲気があるのではないか」と、あるベテラン教師は指摘する。確かに県教委は主任制度、管理職試験、処分などの“硬派”には強い。むしろ生き生きとさえする。そのバックボーンには“教育正常化”という大義名分がある。」その次にあるのは、「県教委が“組合つぶし”ばかりに強くて、肝心の教育に弱い……としたらどうしようもない。「教育正常化を唱えていればすむという感じはあります」と、県教委の職員さえ声をひそめて話す。」とこう書いてある。 今度は試験になりますけれども、試験のときに七人くらい並ぶのですよ。座長はだれがやりますか、県教委の職員が、指導主事がやるのですよ。両方についていますよ。そしていろいろ設問をし、やりますね。ですから、いまこれは言うとおりなのです。組合が間違っているとかいろいろそういうことを大きな声で言わぬとだめなのです。そういう実態があるということをこのことは浮き彫りしているわけですよ。もう実に残念だけれども、恥をさらすようだけれども、こういう状況ですね。 それが今度は管理職試験でしょう。そうすると、管理職試験というのが、本当にあなたが考えておられる、文部省なりが考えておられるそういうものに果たしてなり得るだろうかということを父母も教師もすべて考えざるを得ないというこういう実態になる、あたりまえなのです。 この管理職試験というのは、福岡の場合には筆記試験と両方やられています。内容的には果たしてそういうものが――これを見ますと言っていますよね。何のためにやるのだということで指摘をしましたら、やるのは公平なことをやるとか、いろいろ理由だけはりっぱな理由を掲げています。そのことは私は否定はしません。 そこで、私は質問をいたしますけれども、まだ挙げれば、ほかに人事の問題だって何だって全部ありますから挙げられますが、時間の関係がありますからここでは省かしていただきますけれども、こういう理由になっているのです、管理職試験をやるのに。選考より客観的な資料により公平、妥当、外部からの不当な圧力や情実人事を排除する。二つ目が、学閥の排除、全県的視野で人材を登用する。三つ目に、管理職としての資質を高め、自覚と認識を深める。これが大きな理由です。 いまさっきから私が申し述べてきたようなことを考えてみますと、果たして妥当なものになり得るだろうか、あるいは外部からの圧力、あるいは情実人事を排除すると言うけれども、では主観的なものがそこには働かないのか。それから、さっき申し上げたように、学閥排除と言うけれども、塾だとか研究会だとか、いろいろなものをするならば、むしろ学閥は助長されておるのではないか。あるいは自覚と認識を深めると言っていますけれども、たとえば県教委に対していろいろ物の言えない、絶対服従でなくてはならぬわけですね。誤りも権力で押し通すという、そういうことのできる人ということを私は期待するのではないかと思うのですよ、試験問題一つ例にとりましても出ているいまの体制というのは。そして、すべて管理運営事項であるということで、何もかも全部そういうようにしてしまう。それが管理職としての資質を高め、自覚と認識を深めるということにつながっておるのです。 こういうことを考え合わせていきますと、文部省が本当にいま求めておる、考えておるような管理職試験になっておるだろうか。そのことを私は大変懸念するし、このことに対して大変危惧を持つものです。この点について、いま申し上げたような実態、そして実際にそれがあったことなのですから、いま資料を差し上げても結構ですから、ごらんになっていただいて、どのように判断をなさるのか、いまあればお答えください。
○諸沢政府委員 いまいろいろ御指摘がありました具体的内容については、私も十分承知していない点もございます。ただ、この人事をやる、あるいは試験をやるという場合に、選考なりテストというもののやり方につきましては、これが絶対唯一のものであるというものはなかなかないだろうと私は思うのです。たとえば子供の評価にしても、国でもいろいろやり、考えてきておるわけですけれども、まあいま考えられるところではこれが一番いいのだというようなことでやってきているわけです。したがって、人事を行います場合の選考の方法につきましても、まさにそれぞれの任命権者においていろいろ趣向をこらし、工夫をして、こうやった方がベターだろう、こういうふうにしたら改善されるだろうとやってきた積み重ねが、今日の実績だろうと思います。そしていまおっしゃったように、福岡の場合などは、選考会場に、これに反対するために先生方が大ぜい集まってこれを阻止するというような動きもあったりして、全国的に見れば、率直に申しまして、きわめて特異な面があるようにも思うわけでございますが、そういう事態を踏まえておるだけに、なお一層福岡県においてどういう選考をやったら一番いいかということは、いろいろ改善工夫をすべき点であろうかと思いますが、そういう意味で、現在、福岡でやっておられます校長、教頭の選考というものは、今後いろいろ検討すべき課題はたくさん持っておるだろうと思いますけれども、基本的な考えは、先ほど来御指摘がありましたような、公平な人事をやるという基本原則に立って努力を重ねてきておるというふうに判断するわけでございます。
○中西(績)委員 先ほど指摘をしました四月一日付で発表しました人事は、普通、正当と考えますか。
○諸沢政府委員 ただいま御指摘がありました教育委員会の幹部職員の人事につきましては、いま初めて具体的内容は私、お聞きしたわけでございますので、なおよく実情等、私の立場からも聞くなり、調べるなりして判断をしてみたいと思っております。
○中西(績)委員 そういう誤りをし、そして県教育委員長を辞任をし、教育長以下こうして戒告処分から文書訓告まで、そして教員が職場でいろいろ問題を起こした、あるいは交通事故を起こしたた、いろいろなことでは処分をし、そうする県教委みずからがそのことの発表をしておるにもかかわらず、課長から部長に、現在、部長ですよ、現役の部長です。そういうことが普通のところで常識として考えられるのですか。そのことをちょっとお聞かせください。
○諸沢政府委員 いま、課長が部長に昇格された、その方は、先ほどのお話では文書訓告ということであったようにお聞きしたわけでございますが、文書訓告というのは一般的に懲戒ではないわけでございますが、その直後にすぐ部長に昇任するというようなことは、率直に申しまして普通は余りないだろうと私は思います。ただ、管理職の異動等は、任命権者においていろいろ見渡して適任者をそこに持ってくるという必要がございますから、その辺はよく事情を聞いてみないと判断ができないところだと思います。
○中西(績)委員 時間が十分でありませんでしたので、まだまだはしょった部分がありまして大変不十分でありましたけれども、最後に、大臣、このように管理職登用試験というのは、いままでいろいろ各県段階では、管理職についても、先ほど申し上げたように、ちょうど勧告の中にありますような中身でもって、たとえば昇格については、「教員団体との協議により定められた厳密に専門的な基準を参考にしながら」云々、こういうものも含めていろいろな措置がされておったわけでありますね。近代になって、こういう試験制度なるものが取り入れられ、そして理由は、さっき申し上げたような、客観的に見ればなるほどと思われるような理由です。しかしやる側が、いまさっきから申し上げるような状況であるとするなら、私は、客観的にはなり得ないのではないか。きわめて主観的にしかできない。ですから一つの例を言いますと、福岡県の校長会の中でいま問題になっているのは、暴力を二回ふるった教師が校長になっているのです。だから、これは困る、私たちも一緒に見られるというふうなことの不平が出ておる、そういうことだってあり得るのです。それから県議会の文教委員の諸君が管内視察に行きますね。そうすると、意見を言ってくれ、要請があれば言ってくれと言ったら、全部口をつぐむのですよ。何にもないのです。なぜか。県教委がしているのだから、下僚の校長がいろいろなことに対していろいろ物を言うと、指摘され、これを押さえ込まれる、こういうものがあるから、全く県会議員の諸君は驚いている。そういうものをもう出し得なくなっている。ですから、現場からそういうものは出し得ない。県教委がそういうように絶対主義的な感覚でおるとするならば、先ほどから申し上げる三つの条件、客観的で情実人事をなくすとか学閥排除だとか、資質を高め、自覚、認識を深めるとかいうふうなことは、きわめて主観的なものでしかあり得ないと思うのですよ。いま初中局長が言いましたように、福岡だから何か特殊みたいに言いますけれども、私はそのようには考えません。ですから、こういう状況にあるといたしますならば、果たして管理職試験というものが、いまのような認識の仕方でよろしいかどうか、この点、最後に大臣お答えください。
○海部国務大臣 いろいろな角度からの御意見を私も承っておりましたが、やはり試験というものは選択の問題だと思います。やはり私どもも、そういうテストをきちんとして、客観的に公平に、その人の能力や資質というものが選抜の対象になるということは、そういう角度からいきますといいことだと思いますので、どこでだれがどういう基準で選んだか全くわからなかったというような選び方では、それはやはりいけないだろうと思います。ただ、そのやり方で、いま、はしなくも指摘されたいろいろな問題、たとえば試験問題の間違いなどをやるようなやる側の態度ではよくないではないか。やる側の方も十分これはみずからを自粛自戒して、そういう過ちとかそれから世間の疑いを受けるようなことがあってはいかぬわけでございますから、そういうことで客観的にその人がどういう能力どういう資質の方か、そうしてどうしたらいいかということになってくるとそれぞれの任命権者によっていろいろな方法を考えるわけでありますが、それが公正にかつ国民の皆さんから余り疑いを持たれないような方法できちんと行われるように今後も関心をって指導していきたいと思います。
○中西(績)委員 最後に。だからこそ私はそういう客観的な措置をとるとすれば、先ほどから何回か申し上げているように教員の地位に関する勧告に沿ったそういうものも一つのやり方なんですから、そういうものを含めてもう検討すべき時期ではないかと考えるわけですが、この点についてはどうなのですか。
○海部国務大臣 それは最終的には任命権者の判断によるのでしょうけれども、私の方としてはそういった任命権者の自主的な努力、そして誤解や疑いを招かないように騒ぎを起こさないようにきちっと公平に選抜できるような姿にあってもらいたい、その方向に向かって何か改善していくことがあったならばこれは慎重に協議をしていかなければならぬ、こう考えます。
○中西(績)委員 まだ多くの問題を残しておりますので、冒頭にやりました定時制の問題につきましても、先ほどからお聞きしました管理職問題につきましてもまた後日させていただきたいし、さらにまた同和教育問題なりあるいは高校新増設の問題なりそれから著作権の問題等につきましてもきょうぜひやっておきたいと思いましたので、残る問題につきましては次回に保留をしたいと思いますが、その点御了解ください。 以上で終わります。
○藤波委員長代理 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後五時十三分散会