文教委員会 第10号
- 発言数
- 293 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1977/04/20
会議録
○藤尾委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小川仁一君。
○小川(仁)委員 最初に、防衛庁の方が見えておると思いますので、それを含めた関連について質問をさせていただきます。 御承知のように、沖繩はこの五月十四日で復帰後満五年を迎えるわけでありますけれども、アメリカの基地は依然として存在しておりまして、特に教育施設について、基地のかかわりの中で問題が幾つかありますので、教育問題に限って御質問を申し上げたいと思います。 一つは、那覇市の北美小学校、この学校に子供たちが通学をいたします道路並びに校門に至る坂道、校庭に米軍のジェット燃料のパイプが三本通っているわけであります。これはいつごろから通っていたのでしょうか。
○犬丸(直)政府委員 詳しい日付は存じておりませんが、これは米軍が占領時代にパイプをつくって、その学校ができまする前にそのパイプラインが引かれておる、このように聞いております。
○小川(仁)委員 復帰後、このパイプライン問題について防衛庁並びに文部省がどのような措置をとられておりますか。
○犬丸(直)政府委員 学校の下を、校庭の下を通っておりますパイプラインにつきましては、これはやはりいろいろ問題もあろうかと思いますので、なお、できましてから大分年がたっておりますから、そういうこともございまして、近くこれを撤去していただく。防衛施設庁の方にお願いして、防衛施設庁の方では予算を組みまして、近くこれを撤去していただく予定になっておる、そのように伺っております。
○小川(仁)委員 校舎の増築等の関係が、そのパイプにかかりますと増築ができない。それから御存じかと思いますけれども、校庭ががけになっておりまして、向こう側のがけまで露出して三本のパイプが並んでいる、こういう形で非常に危険な状態があると思いますので、施設庁に伺いますが、いつまでに撤去なさいますか。
○近藤説明員 北美小学校敷地に所在する米軍の送油管の移設工事につきましては、本年度に所要の予算を計上しておりまして、できるだけ早急にこれを移設して撤去すべく、現在米側と協議中でございます。今後米側との調整を早急に終えまして、移設工事に着手した上、本年度中に工事を完了するよう努力をいたしたいと思っております。
○小川(仁)委員 ほかに大平養護学校を含めて周辺にパイプラインが通っている学校が、私の調査ではこれを含めて八校あるわけですが、それらの学校も含めて今年度中に努力なさいますか。
○近藤説明員 北美小学校にかかる部分について本年度に実施を予定しております。その他の学校につきましては、いまのところ予定はございません。
○小川(仁)委員 予定がないというのは、そのままにしておくということになりますか。
○近藤説明員 北美小学校以外のいま先生が御指摘になりました学校につきましては、私ども詳しく存じ上げておりませんので、早急に調査をいたしたいと思います。
○小川(仁)委員 復帰後五年間たって、学校の校地ないし周辺にジェットの燃料パイプが通っているのを存じませんというのは、これは防衛庁としては、教育というものを一体どう考え、子供の安全というものを一体どう考えてこんなに怠慢な状態にあったかということを非常に疑問を感ずるわけであります。防衛庁は直ちにこういった学校の調査を行い、同時に文部省の方はこれについてどういう調査を行っているかを伺いたいと思います。
○犬丸(直)政府委員 私ども学校の環境につきましては、常日ごろいろいろな形で調査をいたし、そしていろいろな原因がございます。その原因の中で、原因が非常にはっきりとしたものにつきましては、それぞれの責任者の方にお願いして直していただく、是正措置をとっていただくというようなことをやっております。 この件につきましては、その周辺の地域に隣接で大平養護学校、鏡ケ岳養護学校、それから高校が二校というものがあるという調査ができております。ただし、これは校地の中を通っているのではなくて、隣接であるというふうに聞いております。
○小川(仁)委員 隣接だから手をつけなかったという話ですが、ジェット燃料が仮に爆発をするという可能性があるわけでございますね、非常にすぐ燃え出しますから。そういう危険性というのは、隣接といったら、校舎並びに校地から何メートルぐらいまでを危険な範囲と考えておられますか。
○犬丸(直)政府委員 その辺の技術的な内容につきましては私つまびらかではございませんが、しかし、パイプラインそのものが適切な状態でつくられておれば、これは学校以外にもこのパイプラインの通っている近くには民家等もあろうかと思いますから、通常の状況においてはそれほど危険であることはないと思います。ただし、これがたとえば古くなってくるというようなことになりますと、問題になろうかと思います。 それで、学校の場合に、校地の下を通っているということになりますと、これは学校建築の問題やその他ございますので、これは至急によそへ移していただくのが適当だと思います。
○小川(仁)委員 私が聞いているのは、古いのは、アメリカが占領したときから埋設してあるのですから、古いに決まっているのですよ。五年や十年などというものではないですよ。そうすると、ここに学校の施設がある、校庭がある、子供が遊んでいる、その周囲をパイプラインが通っている。この危険な区域というのはあるはずなのです。一般民家もあるから学校もそれでいいではないかというのは論理のすりかえで、私は文教だけに限って、教育施設だけに限ってお聞きしているわけですから、こういう校地、校舎から危険な範囲というのは何メートルぐらいを想定しておられるかということを聞いている。これは防衛庁の方がむしろ詳しいから御答弁を願い、それから文部省は教育的配慮からどの程度離れた方がいいのかということをお答え願いたいと思うのです。
○近藤説明員 現在沖繩におきまして米軍の石油パイプラインが通っておる個所は、那覇市から浦添市を通りまして嘉手納飛行場に至る線と、それから嘉手納飛行場から天願地区の方に至る線、それから途中嘉手納町を通りまして読谷村の方に至る線と、主に三つの線がございます。これらにつきましては、米軍の方も従来から安全に留意をしまして、いろいろと点検措置等安全対策を講じております。 そこで、米側と話し合っております内容は、これは日米安全保障協議委員会という外交レベルでの交渉におきまして、人口稠密地区にあるパイプライン、特に浦添から那覇市の間に走っておるパイプラインにつきましては、那覇港湾に貯油タンクがございますので……
○小川(仁)委員 私の聞いていることに答弁してくださいよ。私も端的な聞き方をしているから、端的な説明をしてくださいよ。どこをどう通っているというようなことを聞いているのではないのです。
○近藤説明員 那覇市、それから浦添市等に存在します人口稠密地区のパイプラインは移設をするように、いま米側と交渉中でございます。 ただいま先生お尋ねのどの範囲にあれば危険かということにつきましては、一定の法的な基準がございますが、現在私どもが考えておりますのは、いまあるパイプラインがすぐに学校等に対して危険を及ぼすというようには考えておりません。
○藤尾委員長 防衛施設庁に申し上げますけれども、ただいま御質問の内容はパイプラインを通ってジェット燃料の安全を期す場合、どの範囲のものが危険であるかということを聞かれておるわけで、たとえば五十メータ以内が危険なら五十メーター以内、百メーター以内が危険なら百メーター以内ということをあなた方は御調査の上お答えになればいいわけです。ひとつ、さようお答えを統一していただきたい。
○小川(仁)委員 いまの点、もう一度尋ねますので、ジェット燃料というものが持つ爆発を含めた危険性というのが、仮にその地点で、学校の近くで爆発をした、そのとき学校に与える影響というのは何メーターぐらいまでが非常に危険な距離でございますか。あなた方の方でわかっておったら教えていただきたいと思うのです。
○近藤説明員 石油パイプラインはそういう爆発等のおそれがないように、十分な鋼材等で保護された管の中を石油を通しておるわけでございます。いま先生お尋ねの仮にそこで爆発を起こした場合という問題につきましては、大変技術的な点がございますので、検討をさしていただきたいと思います。その上でお答えを申し上げたいと思います。 〔委員長退席、登坂委員長代理着席〕
○小川(仁)委員 さっき法的な規定があるとおっしゃいましたから、その法的な規定をおっしゃっていただけばいいです。
○近藤説明員 石油パイプラインにつきましては、石油パイプラインの供給事業法というものと、それから消防法という関係規定がございます。私ちょっと技術的な専門の立場にございませんので、いますぐここでお答えすることができませんので、調べさしていただきましてお答えを申し上げたいというように存じます。
○小川(仁)委員 それによって北美小学校以外の七校に対する危険度も出てくると思います。 それで文部省にお願いをいたします。北美小学校につきましては子供たちが毎日登校する校門の下を三本が通っております。それから登校する坂道の横を通っております。そしてがけの下に三本、それが露出して存在します。かなり古くなっております。したがって、私は非常に危険だと思いますので、積極的に防衛庁に申し入れをして、先ほど本年じゅうという話がありましたから、本年じゅうと言わずに、ちょうど夏休みぐらい、子供たちが学校を休んでいる時期に埋設し直す、あるいは撤去する、こういう方式をとっていただくように特段にお願いをいたします。
○海部国務大臣 これは、できるだけ早い機会にやっていただくように、文部省としては防衛施設庁に要請をいたしたいと思います。
○小川(仁)委員 いまのような状態がもしなくて、爆発等によって子供等に事故が起こった場合の責任というのは、これはどこにあるのですか。防衛庁から聞きます。
○近藤説明員 爆発の原因によりまして態様が異なると思いますが、米軍パイプラインの設置管理の瑕疵によってそういう事故が生じた場合は米軍の責任でございます。ただし、損害の補償の問題につきましては、民事特別法という規定がございまして、国の方で補償をし、一定限度米軍の方からその補償金について償還を受けるというようになっております。
○小川(仁)委員 私が言っているのは、国会で危険であるから早急に移転をしろ、こういうことを防衛施設庁にお話をしておる。それが、あなた方の方がやらないでいる間に起こった事故というものについては、行政的に防衛施設庁に責任があると思うが、どうですか。
○近藤説明員 現在沖繩に敷設されております米軍の石油パイプラインは、地位協定に従いまして米軍に提供しておる施設でございますので、米側と協議をいたしましてこれを移設し、その後に撤去するというような手続が必要になります。そこで現在予算措置も講じまして、いま申し上げた米側との調整を鋭意行っておるところでございます。先ほど大臣からもお話がございましたが、施設庁としてもできるだけ早急に米側と協議をまとめまして移設に着手をいたしたい、かように考えております。
○小川(仁)委員 次は、恩納村の喜瀬武原小中学校の付近の実弾射撃の状態ですが、この実弾射撃と、もう一つはいま沖繩の米軍は海兵隊にかわりまして、ゲリラ作戦といって、民間の生活道路を両側に分かれて完全武装で歩いている。非常に子供たちが心理的な屈折をし、不安を感じているのですが、そういう教育、子供に対する配慮ということを、基地を提供し施設を提供している防衛庁は考えたことがございますか。
○飯村説明員 この海兵隊員の訓練等については、私、特に聞いておらないのでございますけれども、キャンプ・ハンセンについての実弾射撃、これは最近やっております。過去にもあれがございます。そこで、実弾射撃によりましてその射撃等の影響がございますから、防衛施設庁としてはこれらの射撃の実態、それから学校の教育環境の調和ということについては重大な関心を持っておりますので、これの影響ができるだけ少ないように学校等の防音工事等を極力推進してきておる次第でございます。今後ともこれを推進したいと思っております。
○小川(仁)委員 実弾射撃の近くにある学校が防音装置をされたって、余り心理的に安心できないので、トーチカのようなでっかい鉄筋ででもつくってもらうと安心するかもしれませんがね。私が言っているのは、最初の北美小学校のパイプラインにいたしましても、喜瀬武原小中学校の付近のグリーン作戦といいますか、ゲリラ作戦をやるあの海辺隊の完全武装の行軍にしても、実弾射撃にしても、私は教育の問題に限って御質問を申し上げると言っておるように、そういう状態が子供たちにどのような心理的な不安を与えているのか。この子供たちも、日本の子供です。日本の子供が大きくなっていく上においての心理的な屈折や精神的な不安定というものを十分考えて米軍と教育というものを中心にして話をして、施設の撤去なり移転なり演習の取りやめなりを話をしたことがあるかどうかと、こういう聞き方をしてみたいと思います。
○飯村説明員 この米軍の演習に関しましては、沖繩の演習場等は地位協定によって提供しているものでございますし、それから射撃訓練も合同委員会で合意を見ているものでございますから、この射撃訓練それ自体は日本政府として当然許容すべきものであると思います。したがって、基本的にはこれの訓練をやめるということにはまいりませんが、しかしながら、こういう訓練の態様、これが子供たちに与えるような影響については、いま申し上げました学校施設の完備等によって極力これの影響が少ないようにということを考えている次第でございます。
○小川(仁)委員 もう皆さんの頭の中にはどだい人を殺す訓練の方だけが存在して、人を生かす教育の方が余り存在していないような感じがしますので、お願いをしておきますけれども、確かに米軍との話し合いがいるでしょう。しかし、どこの国でもその子供たちを大事に育てるということは同じことだと思います。したがってこれからの米軍との、基地及びそういう演習状態の中で教育という問題を前面に出して、そうして爆音の問題、実弾射撃の問題、そういうものが子供たちに与える影響を考えて教育施設から離すということ、こういうものをぜひ話し合いの基本に据えていただきたいというお願いと、文部省は特にこの点に関して防衛庁に物を言っていただきたいということ、こういうことをお願いします。 それから北美小学校については本年中に輸送パイプラインが移転される、しかも先ほど言った危険な一定の距離を離して移転される、こう理解してよろしいかどうか。それから残りの学校については危険な距離を外してやはり移転をされる、調査後そういうふうな措置がとられる、こう考えていいかどうか、この二点を確認しておきたいと思います。
○近藤説明員 北美小学校の石油パイプ管の移設につきましては、本年度中にというように考えておりますが、しかしできるだけ早く対米協議を整えまして移設に着手をし、早期に移設をいたしたいと思います。 それから移設をするに当たりましては、国内法の基準に従いまして、適正な距離のところに移設を図るようにいたしております。 それから残りの学校の問題につきましては、文部省の方ともよく協議をいたしまして、実情を調べさせて善処してまいりたい、かように考えております。
○小川(仁)委員 それでは防衛庁関係は、沖繩関係まだありますけれども、以上で終わります。 文部省の方にお尋ねをいたしますが、ちょっと私の感想も述べながら、大臣、ひとつお考えをいただきたいのは、私幾つかの官庁と文部省を比較してみました。たとえば運輸省、国鉄などはエリート職員として採用されても、一週間でも二週間でも切符切りをしておる、あるいは農林省の役人も直接現場で仕事をする、こういう形で、本庁に早く戻ってくるにしても、現場の仕事を経験しておられるが、文部省の方々は、現場経験が、いわゆる小、中、高等の授業あるいは事務職というものの経験がないように感ぜられるのです。それが実は現場理解の不足、あるいは簡単に話し合いのつくものが話がつかないというかっこうで、文部省と教師との対立の原因になっているような気がするのです。 それで、一体文部省に、いまのところ、初中局とかあるいは体育局等に教員免許状を持ちあるいは授業あるいは学校事務に直接タッチした経験のある人が何人ぐらいおられるでしょうか。まあ、わからなかったらいいですけれども。そしてまた、そういうことをこれからやらせる必要性についてはどうでしょうか、この点ひとつ大臣からお聞きしたいと思います。
○海部国務大臣 最初に、現在おるかどうかということは、詳しくは政府委員からお答えいたしますが、どうでしょうか、これはよく研究させていただきます。おっしゃることの意味は私もよくわかるのでありますけれども、文部省の職員として採用した者がみんな教員免許状を持っておってくれればこれはよろしいのですけれども、そうでもありませんし、学校へ配属して一定期間学校の事務職なり教壇なりに立ってそれから文部省へ来るとか、そういうようなことがいまの制度からいって全くいままでやったことのないことのようでございますし、ちょっとこれは研究さしてください。
○小川(仁)委員 いまの制度の中で直ちにということは非常に無理だと思います。ただ、現場を持っているほかの官庁は、ほんの短い時間でも現場というものを経験してきて、その後のコースに乗ります。ですから、国鉄の例で言いますと、岩手の盛岡駅では、改札をするとき冬はこの程度寒いのだぞということがわかれば、手袋を三足必要だというふうな話がすぐ出てくるわけです。ところが、文部省の方々は、実は国家公務員として上級試験あるいは中級試験で入ってしまいますから、現場の教員をするあるいは学校の事務職をするという形が存在しないわけです。ですから、一体僻地というものはどういうひどいものか、学校の現場がどういうものかということを体で体験しておられない。 そこで、研究をなされるというのですから、たとえばひとつお考え願いたいのは、僻地の学校の事務職員でも二週間やらせるとか一カ月やらせるとかいったような形で現場を知らせるということが、将来の文部省を背負って立つ方々に対して私は必要なような気がするのですが、検討の材料としてこういうことも考えてみていただけるでしょうか。
○海部国務大臣 確かに御指摘のように、私の大学の友人も国鉄へ入って切符切りをやりながら経験をしたということを聞いておりますが、御指摘のように現場へどういうかっこうで配置できるのか、どういう経験をさせられるのか、私にはさっぱり見当がつきませんので、これはやはり実務家とよく研究さしていただきます。どういう形でそういったことを理解させるか、理解させる方法には何があるか、いろいろあるでしょうけれども、ちょっとこれは研究さしていただきます。
○小川(仁)委員 私、意地悪で言っているつもりではなくて、やはり実際に授業をしてみるとか実際に仕事にタッチしてみるということが実は現場と文部省の理解が深まる一つの方法だし、他の官庁はとにかくそういうことが行われているのだから、ぜひ検討していただきたい。そのことに関連しながら、ちょっとお伺いしますが、現在僻地、岩手へ参りますと陸の孤島と言われる僻地がありますが、ここの教育等について非常に問題になるのに旅費がありますが、いま旅費は陸路一キロ幾らになっておりますかね。
○諸沢政府委員 旅費につきましては、小中学校の先生の旅費は、御承知のように、義務教育費国庫負担法の負担の対象になって、実績を国が半額見るということでやっておるわけです。 それで、では実績をどうして出すかというのは過去のずっと蓄積があって、それで大体実績を見ているわけです。ですから一キロ幾らというような積算はないわけでございますが、予算の積算として少し申し上げますと、たとえば昭和五十年度は教員一人当たり三万六千二百円、それから五十一年度は四万九千四百円、五十二年度は五万二千八百円と、こういう積算で国がまず予算を計上する。それで県の方もその予算を横目でにらみながら当該県のその年度の教員の旅費を積算する、こういうかっこうでやっておるわけでございます。
○小川(仁)委員 岩手県は、この前調べたら、一キロ陸路十五円の計算で旅費を出すわけです。そうすると、分校といいますと、本校へ来るときに大体十キロあります。いただく旅費が百五十円、まさか歩くわけにはいきませんから、タクシーを頼むと二千円は超えますね。こういった矛盾があるわけです。 そこで、なぜこういうことを言うかというと、僻地の過疎化の状態の中で、子供たちが少なくなってますます閉鎖的になりますので、どうしても本校に連れていって集団的な教育をしたり、また教師自身が本校と同じ職員会議をやったりする。授業が終わってから行きます。十キロの道を百五十円もらって歩いて行っていたってどうにもならぬわけですから、当然タクシーを使う。こういうことになりますと、この旅費というのは、実はあなたがおっしゃるように一人当たり三万五千円といったような言い方ではなしに、こういう地帯に必要な旅費というものを、やはり積算基礎をはっきりして支給してやることが大事ではないか、こう考えてお伺いをしているのですが、どうでしょう。
○諸沢政府委員 いまも申しましたように、一定の積算方式をもって積み上げてこのくらいかかるはずだから、あるいはこのくらい必要なはずだからという予算ではなくて、実際にかかったものをその分の半額まるまる負担します、こういうことですから、要するに各県の実績をもとにしておるわけです。 したがって、たとえば五十年度の決算を見ましても、国の補助単価としては三万六千二百円でございますが、実際に実績を精算しますと三万五千六百八十円ということで、むしろ県の実績の方が下がっているわけでございますね。ですから、おっしゃるように、個々の実態について見ますと、あるいは少し単価が低いというようなこともあろうかと思いますが、そういう点は公務員の旅費でございますから、県財政としては恐らく学校の先生もそうであろうし、あるいはその他一般職員の旅費もそうであろうし、そういうものを比べながら財政の許す限り予算を計上しておる、こういう実態ではなかろうかと思うわけでございます。
○小川(仁)委員 たてまえ論で予算のやり方をおっしゃれば、そういう言い方もあると思います。ただ、僻地の教師に対して陸路一キロ十五円の旅費が支給されて、そこを歩いているという事実をどうにか改善しなければならないというお考えはございませんか。
○諸沢政府委員 ちょっとその事実だけを申し上げますが、岩手県の場合ですと、旅費の配分として、学校当たり出張費が先生一人当たり年額一万五千円、そのほかに僻地在勤特別旅費ということで、一人当たり九千九百五十円というのを積算しておるようでございます。 そこでその範囲で、予算ですから、学校なり教育委員会が適宜出張をさせるということで、その出張の回数と見合って、いまおっしゃるようなケースになる場合もあるのかもしれません。したがいまして、今後の課題としては、文部省としても、先ほど申し上げましたように、その単価の引き上げを年々予算でできるだけ図っておるわけでございますから、県からもそういう実態の御意見を伺って、こういう実態であるということをまた大蔵と交渉して、それを土台に次の年に引き上げを図る、こういうことでやってまいりたいと思うわけでございまして、方向としては、先生おっしゃるように、なるべく実際に必要な旅費をめんどうを見られるように努力をしてまいりたい、こういうふうに思うわけでございます。
○小川(仁)委員 いまの局長の言葉を非常に大事に考えていきたいと思います。 もう一つ、やはり僻地の問題ですが、なかなか皆さんおいでになることがないだろうから、かわって物を申し上げるつもりで言っているのですが、さっき言ったように、子供たちを本校の生徒と集団的な訓練やあるいは集団的な行事を行わせるために、分校から本校へ連れていくということが必要になるわけです。分校にはプールがございませんが、本校にはプールがある。そうすると、一年には水泳ぎさせるために十回ぐらいは連れていきたい、こうなった場合、子供たちを移動させるのに、いままで学校の教員が自分の車に乗せて運転をし、あるいは父兄の方に乗せてもらって運転をさせておりました。ところが、事故が起こりますと、これは当然のことでしょうけれども、運転しておった父兄の責任あるいは運転をしておった教師の責任になりまして、だんだんそれが断られて、子供を本校へ移動するという方法がなくなってきたわけです。しかし、移動しなければ、ますます取り残された十人足らずの子供たちは社会的に閉鎖的になってしまうというジレンマで苦労しているわけなのです。こういう移動方法に対して、これはまたいろいろ財政的なたてまえを言えば問題があるかと思いますが、必要な措置としてお考えをいただけるような方向がないものでしょうか。
○諸沢政府委員 おっしゃるようなケースがあるのだろうと思います。思いますけれども、国の見まする財政の問題というのは、おおよそ全国的な実態というもので平均化されたところで見、かつ、僻地なら僻地というものについても、たとえば僻地通学に要する経費をどれだけ見るかというようなところまでが現在は限度でございまして、おっしゃるような一つ一つのケースを指摘しますならば、それに類似するようなケースがまたいろいろたくさん出てくるのだろうと思いますので、将来の課題としては検討すべきことかと思いますが、現段階ではそこまでは配慮できないということでございます。
○小川(仁)委員 いまの社会の中における地域的な格差というのが非常にできておるという事実はおわかりいただけると思います。この前には免許外担任の話で申し上げました。どうしても恵まれない地帯というものを、やはり特別の措置をしてやる形で公平な教育なりあるいは行政が行われることが大事なような気がするのです。また、そのために私は岩手のような僻地地帯から選出されたのだろうと思うので、毎回僻地の困った問題をその都度お願いを申し上げますから、ぜひこれは大臣、本気になって考えていただきたい。もし御認識が足りなければ岩手県の山はどこでも御案内いたしますから、私と一緒に陸路十キロぐらい歩いてみていただくという気持ちで対処していただきたい、このようにお願いを申し上げます。この問題は一応打ち切りまして、次の問題に移らせていただきます。 実は、四月十八日に千葉県の「春休みに早朝授業」という記事がございました。これを読んでみますと、マスコミが間違って書いたなどというふうな、あるいはそういう表現をあなた方の方がお使いにならないとすれば、非常に対立的な考え方が出ているのです。校長は、初めて報告を受けて驚いたと言っているのです。校長が知らなかった。県教委は、授業時間は年間千三百時間組んであり、その八割で消化できるはずなのにこれをやらなかったと言って、やややはり批判的。市教委の方は、小中学校管理規則によって届け出をするべきものを、届け出をしないで授業をしたから、校長を通じて指導する、こう言っております。ですから、この三人は、これをやった教師に対して行政的に非常に批判を加えているという感じであります。ところが、文部省の方は全然違いまして、これは奥田さんとおっしゃる審議官のお話でありますけれども、いろいろおっしゃった後に、「教え足りないところを補うのは、先生として当たり前」だと言っている。ですから、教え足りなければ休みでも何でも授業しろとおっしゃる言い方なんです。これについて、責任ある文部省としての御見解を承りたい。
○諸沢政府委員 その点につきましては、先般も参議院でも御質問があったわけでございますけれども、私どもは、その先生が教師として子供の進度のおくれを取り戻してやろうというその熱意は非常に大事だというふうに思います。しかし、ただいま御指摘があったような見解でございますが、その点につきましては、どうも経緯を聞いてみますと、十分具体的事実を知ってないで、あるいは知らされないで感想を述べたという点があるようでございますので、若干本意でないと思うのでありまして、私どもの考えますことは、およそ教師が正規の授業時間に教え、なおかつ進度の遅い子にどう対応するか、その場合に、たてまえとしてはこれは授業時間だけでこなしておれば一番よろしいわけですけれども、やはり子供によってどうしてもできないという場合に、放課後三十分ぐらい教えてやるというようなことは、私はあってしかるべきだと思うわけでございます。しかしながら、この問題は、一般的に肯定いたしますと、数年前に東京初めいろんなところで、いわゆる補習の過熱化といいますか、それがありまして、それが今度はだんだん高じてくると、結局子供を残して受験勉強をさせるというようなことにも発展してきました過去の経緯がございますので、よほど慎重に対処しなければいけない。 そこで、本件の場合は、いま御指摘のように、春休みという、いわば学校が休業日であるということが、現在の制度では春休み、夏休みなどは教育委員会がこれを決めるということになっておるわけでございますから、そういうふうに、教育委員会がこの期間は学校としては休業日でありますよという日にちにまで食い込んで、その数日間子供を集めて教えるというのはちょっとどうであろうかというので、むしろそこは抑制すべきではなかったかというふうに考えておるわけでございます。さらに、その事実関係としては、その校長さんが自分も知らなかったということを言っておるようでありますから、まして学校としての行為というよりも、一教員の個人的な判断だけでやったのであろうかというふうにも思われますので、その点にも少し反省していただく点があるのではなかろうか、こういうふうに考えておるわけでございます。
○小川(仁)委員 そうしますと、奥田さんがおっしゃったのはやはり言葉足らずで、「教え足りないところを補うのは、先生として当たり前」だというのは、あなたがおっしゃったような意味でお聞きすればいいのであって、これは多分真意でなかった、こういうことになりますね。
○諸沢政府委員 そういう意味では、無制約的に、教え足りないところは教師の責任だから教えろというふうには言えないのだろうと思います。
○小川(仁)委員 そうすると、一週間もやっているのに校長が知らなかったということに対する校長の責任に対してはどう考えますか。
○諸沢政府委員 その点は、具体的にどういう環境のもとで校長に知らされなかったのかまだよく調査をいたしておりませんけれども、一般的に言えば、先生が一週間もそういうことをしておると言えば、校長としてはそういう事態も承知をして、適切な指導をするということでなければいけないのだろうと思います。
○小川(仁)委員 一週間もやっていて校長が知らないということは、私の常識の中にはないのです。したがって、あるいは新聞社向けに、かっこうがつかなくなって言ったのかもしれませんけれども、いずれ塾の問題があり、補習授業の問題があり、こういう問題があるので、今後ともこれからの指導要領をおつくりになり、教科書を検定する際に十分考えていただかなければならないことだろうと思うのです。この中で共通していることが一つあるのです。これは、授業したその先生は、現行カリキュラムでは児童が自分の考えで行動する余裕を持たない、こう言って、さらに「カリキュラムを消化することは教師として必要だが、現実には私の力不足かも知れないが」時間不足なので休み中に授業したと言って、カリキュラム消化に対して、これはある意味では謙虚な立場だと思いますが、言いわけをしております。それから知らなかった校長という人も、「カリキュラムが膨大で消化し切れないのは事実だ。」と言って、責任がカリキュラムの膨大さにあるようにおっしゃっている。また教頭は、「授業日数内でカリキュラムを消化することは、どの学校でもできないのではないか。」と言って、これまた疑問を呈している。奥田審議官も、あそこの中で、「教育課程の基準は決まっており、全国どこの学校でもこれに従って教育が行われている。いろいろな批判があることはわかるが、現段階ではこれに基づいてやってもらっている。」「いろいろな批判」という形で、珍しく自分たちが指導していることを批判があると素直に受けとめられている。いずれにしても、教育課程が膨大だ、こういうことを示していると思うのです。 今度は指導要領が改定になるわけでございますが、精選される、ゆとりのある学校と言われておりますが、思い切った措置がとられるでしょうか。
○海部国務大臣 学習指導要領の改定作業は、いままさに行っておる最中でございますが、私も昨年暮れに前大臣から引き継ぎを受けますときに、各界からのいろいろな御意見や問題点の提起、あるいは教育課程審議会の答申の趣旨、そういったものを踏まえて思い切った精選をしてほしい、そして、この考え方だけはどうぞ受け継いでほしいと言われまして、その趣旨は十分受け継いで、現在作業をしておりますさなかの学習指導要領に対しましても、いろいろ御批判を受けている面をこちらも謙虚に受けとめてその作業を進めておるところであります。
○小川(仁)委員 ことしじゅうにはでき上がると思います。しかし、教科書は五十年、五十一年に決定されたものがそのまま現場に存在するわけであります。そうなりますと、新しくできた教育課程、学習指導要領と現在の教科書、これに基づく教科書は三年後ぐらいでないとできないわけですから、どういう措置でこの具体的な精選なり移行措置なりをおやりになる考えでしょうか。
○諸沢政府委員 新しい指導要領ができましても、民間においてそれを編集、著作し、文部省が検定をし、採択をするというプロセスを踏まなければなりませんから、小学校は五十五年から、こういうことになるわけです。 そこで、御指摘のように、それでは、それまでどうするのだということでありますが、私どもがいま考えておりますのは、五十二年度、本年度できるだけ早い機会に指導要領ができますと、すぐその内容について趣旨徹底を全国的に行いたいと思っております。そうしまして、五十三年度からその新しい学習指導要領に即した教育ができる面につきましては新しい指導要領に移行できるように、いわゆる中間的な移行措置というものを五十三年度から実施してまいりたい。そして、その移行措置に基づいて、教材は、これはもうやむを得ませんからいまの教科書を使っていただきますが、それはあくまでも教科書を教えるのではなくて、教科書で教えるわけでありますから、そういう立場で五十三年度からできるだけ移行措置を、学習指導要領に即した教育が行われるように配慮してまいりたい、かように考えております。
○小川(仁)委員 いままでも指導要領の改定が何遍かありまして、どちらかというと量がふえている方の拡大でございましたから、移行措置というのはどこへ当てはめて、どのように足していくかということでの研修が行われたわけですが、今回は思い切って減らすというかっこうになりますと、どの部分を抜くか、どの部分をどう体系化するか、たとえば数学などでいきますと、一定の体系がございますから、この体系をただ抜いてはいけないわけでございますから非常にむずかしい要素が出てくると思うのです。そういう移行措置に対する万全な措置がなければ、その時期の子供たちは大変混乱をすると思うので、その措置に対する構想等がありましたら、ひとつお伺いしたいと思います。
○諸沢政府委員 これはまだ新しい指導要領自体ができておりませんものですから、具体的に構想をどういうものかということは申し上げられないわけでございますが、たとえば理科でありますと、こういう教材を使ってやりなさい、あるいはこういう実験をこういうねらいでやりなさいというようなのが現在も指導要領にあるわけでございますが、そういう点をなるべく簡単にし、むしろ学校の創意工夫に任せて、指導要領にそこまで書かないというような点も私は考えたらどうかと思っているわけですが、そうなりますと、今度の移行措置の期間中には、そういう点は適当な器材なり実験なりをしてその趣旨を教えるようにするとか、そういう点をやらせるとかというふうに、おっしゃるように全体系があって、部分的な改定だけでは体系を崩すというような問題があるいは出てくるかと思いますから、簡単に一つ一つここを抜けばいいとか、ここをこれだけ足せばいいという問題ではない。全体を通観しながら、適切な教育的配慮をして、新しい趣旨はどこにあるかということが実現できるようにするということでやってまいりたいと思っております。
○小川(仁)委員 そうしますと、現場の教師の創意性といいますか、こういうものが非常に大事になってくるような感じがいたします。この点は、いまの指導要領、法的拘束性などという言葉を使いまして、教科書そのものが指導要領の教材指定まで受けたようなかっこうできちっと決まっておりますだけに、そういう習慣から抜け出して創意工夫性を教師が持つような教育をしていかなければならないと思いますので、そういうふうな指導要領、いわゆるある程度の弾力的運用といいますか、拘束力を非常に薄めたといいますか、あるいはなくなったような形で新しい指導要領と移行措置ができてくる、こう考えてよろしゅうございますか。
○諸沢政府委員 指導要領自体の拘束性という表現はちょっと誤解を招く点があるように思うのですけれども、しかしそのねらいとするところは、やはり全国的な教育水準の維持であるとか、すべての子供に対する教育の機会均等の保障とかいうような意味があるわけでございますから、指導要領自体、これを守っていただかなければならぬ点は、これはやはり私あると思うわけでございます。 ただ、具体的にそれを運営をするに当たっては、従来もあるいは今日でも、われわれはかなり弾力的にできるというふうに思っておるわけでございますけれども、一層、おっしゃるように先生方がいろいろ創意工夫をこらしてやれる場面が出てくるようにしたい、こういうふうなことで考えておるわけでございます。
○小川(仁)委員 この前、大臣はテレビでたしか槇枝君との対談だったと思いますが、指導要領については法的拘束力を否定をなさったような感じの発言、法的拘束力がないのだというふうな意味に聞き取れるようなお話があったような気がいたします。そこがいろいろ、巷間さまざまに伝わっておりますので、あのときの大臣の真意というものを、この機会に指導要領についてお聞かせ願えればありがたいと思います。
○海部国務大臣 槇枝委員長とは何回もテレビで討論会をやりましたので、指導要領の問題についても何回か話しましたが、一番詳しくやったのはたしかNHKの朝の討論会ではなかったかと思います。そのときにちょっと一つ誤解がございまして、横枝委員長がおっしゃるのは、法的拘束性と称してがちがちにして、そして少しでもそれに違反すると処罰を食うとか首になるというようなことまで例に出されて、もう少しゆとりを持たせろ。しかも、文部省は学習指導要領と教科書それから一般テストと、この三つでがちがち、がんじがらめにして、現場の教師の創意工夫を全く認めないというような意味の発言を私になさったわけです。 そこで、私が槇枝委員長に申し上げたことは、これは誤解をしていただいてはいけません。学習指導要領というのは、確かに文部省が——教育を受ける権利を持っていらっしゃる国民の皆さんの、権利というものがあるからにはその権利が権利として認められる裏に義務があるわけであって、文部省としては教育を受ける権利というものを十分に発揮してもらうための責務も持つわけである。その文部省側がやるべき仕事の中には、学校というものの教育条件、それから教育内容。指導要領というのは、まさに全国一律に基礎的、基本的なことは身につけてもらいたい基準はこれですということを決めるのが学習指導要領でして、槇枝委員長のおっしゃるように、重箱のすみまでがんじがらめに一分のすきもなく詰めてしまって、これを守らなければ何が何でもだめだということを言っているものではございません。現場の先生の創意工夫によって基礎的、基本的に身につけるものをしっかりと身につくようにしていただきたいという願いを込めてつくっておるというのが学習指導要領でございますと、私はこう答えたわけでございます。ですから、学習指導要領には法的拘束性があるとかないとかいう角度の議論ではなくて、全くないではないか。それに反するようなことをやると極端な場合は首になるのではないかというようなおそれの発言もありましたので、そういうことではなくて、基礎的、基本的なこと、覚えてもらいたい基準、これは示してやるけれども、何が何でも全国一律にそうであらねばならぬというのではなくて、創意工夫をしながら、そういったことが身につくようにしていただきたい、そういう意味の全国的な基準でございます、こういうような答え方を私はした。また、私自身がそう思っておりますので、またもしきょう対談をやらされたとしても、同じようなことを言うと思います。
○小川(仁)委員 そのときのお話がいろいろな角度で、いろいろな伝わり方をしておったので、改めてお伺いをしたわけでございます。 そこで、私も実は幾つか心配しておりますのは、拘束性が現場の教師の創意工夫——局長のお話ですと、教科書で教えるという立場をとる以前に、実は教科書そのものが検定の過程の中で一つの教材指定まで行われるがごとき印象を与えて拘束されてつくられている可能性があるわけでございます。 一つの例で言いますと、たとえば小学校一年生の理科。四月にはどこの学校も花壇ができる、こんなふうに教材にはなっていますけれども、私の岩手では四月はまだ雪が降りまして、とても花などは存在いたしません。またショウジョウバエのような教材にいたしましても、やはり非常に問題があるわけでございます。そうしますと、花壇、花を愛する、そういうものをつくる、こういう考え方で教育を行えばいいのであって、教科書がそのとおり一番先のところに花壇、花を持ってこなくともいい、こういう考え方でこれからの教科書の検定等が行われると考えてよろしゅうございますか。
○諸沢政府委員 花の例を取り上げて教科書のお話でございまして、小学校の低学年の理科というのは、私専門家ではございませんけれども、やはり自分の身の周りの自然に対して関心を持ち、興味を持っていくというところからスタートするんだと思います。そうした場合に、子供ですから花というものを教材に取り上げるというのは一つの取り上げ方である。それは指導要領に花を取り上げなさいと言っているわけではないわけでございます。それでは教材として桜の花を取り上げる、取り上げ方はいろいろあると思いますけれども、やはり子供ですから身近な問題として取り上げるとすると、私が承知しております花の教材の扱いとしては、たとえば子供の絵日記のようなものを教材に取り上げる。そうすると、四月の三日、きょう桜の花が咲いた、きれいだなというようなことが書いてある。そうすると、おっしゃるように岩手の地方でその教科書を使うと、おかしいではないか、私の方は五月だということになります。しかし御承知のように教科書は全国画一的なものでございますから、教科書を書く方が五月と書いたら今度はどうしても南の方の子がおかしいではないかということになるわけでございまして、そこはやはり、教科書にこう書いてあるのは東京あたりのことですよ、岩手あたりでは皆知っているようにおくれますねと言って先生が教えてくださるというのが教科書の取り扱いだろうと思うのです。決してそれは文部省が桜の花は四月の初めごろ咲きますという教材を取り上げろということを言っているわけではないので、そこはひとつ御理解いただきたいと思います。
○小川(仁)委員 そう文部省がおっしゃってなくても、教科書をつくったり、指導なさっている方なり、あるいは現場の教師なりがひどく硬直的に受け取ってしまうという傾向があるわけでございます。とすれば、指導要領というものは、四月に花を取り上げろ、そしてその地域の花なら花について学習をさせろ、これだけでいいわけですね、これから考えられる指導要領のあり方としては。そういう考え方でおつくりになる。そうするとそれを受けた教科書も、四月の花をどう扱うかというかっこうで、桜だけを徹底して扱うというふうな形にならない教科書で構わない、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
○諸沢政府委員 先ほども申し上げましたように、今回の指導要領の改定ではできるだけ基礎的、基本的な事項にしぼって簡潔にしたいという方向で検討しております。
○小川(仁)委員 そういう地域性あるいはその地域の子供たちの経験する体験、こういうものを大事にした教材の配列が大きな枠の中で存在する、こういう指導要領になることを私は期待をいたします。 同時に、これに伴う教科書の課題でありますけれども、今回「教科書検定制度の運用の改善について」という建議がなされました。このことについて少しお伺いしたいと思います。 まず、この建議はどういう形で出てきたものでしょうか。というのは、教科用図書検定調査審議会ですか、これは大臣の諮問によって事を行うように書いてありますけれども、この建議は諮問によらないというふうなことを聞いておりますので、出てきた経緯についてお聞かせ願いたいと思うのです。
○諸沢政府委員 教科用図書検定調査審議会令というのがございますが、この審議会令の第一条によりますと、教科用図書に関して重要事項を諮問に応じて調査審議するという機能と、それからみずから調査審議して文部大臣に建議するという二つの機能を持っておられるわけでありますが、今回のこの検定制度の運営改善についての問題は審議会において進んで御検討をされましてその結果を文部大臣に建議された、こういう形でございますので、いま申し上げた政令との関係で言えば後者に該当するわけでございます。
○小川(仁)委員 そうすると、文部省としては検定のあり方そのものは全般について諮問はしなかった、こういうことですね。
○諸沢政府委員 今回は諮問しておりません。
○小川(仁)委員 それで、これにも前書きの中で書いてありますとおり、すでに検定制度ができて二十年を経過している、この辺で検定制度そのものについていろいろな批判も出ているし、また裁判等もあるので、文部省としては検定制度自身をもう一度問い直してみる、教科書というものの中身から、あるいは学問の自由という立場から、学問の研究という立場から、あるいは教師の創意性、地域の特徴、こういったようなものの立場から検定制度というものを問い直してみるというお考えはないでしょうか。特に現在教育について国民が非常に大きな関心を持っておる。そしてその中で、一つは最高裁判決等にもあらわれておりますように、子供の学習権というものが保障され、それ自身が大きな権利として存在をする、あるいは、一定でございますけれども親の支配権、子供の教育の選択といいますか、教育権についての支配権といったような考え方も出ている。また学問の自由、表現の自由という立場からの執筆者の創意工夫といいますか、そういうものも含めて、国として国民の前に検定制度というものを問い直してみる時期だと私は考えているのです。その結果がどうなるということではないのです。問い直してみる時期だと考えておりますが、大臣としては、以上言ったような立場から検定制度をもう一度国民の前に問い直すお考えはございませんでしょうか。
○海部国務大臣 御指摘のように教科書の問題というのは、教科書そのものがやはり教育基本法とか学校教育法の指し示す方向に従って教育されるそのときに使われる教材でありますから、そのあり方についてはきわめて慎重であらねばならぬということは私も重々理解をしておりますし、また現在の制度そのものも、そういった意味でまさに各界の方々のいろいろな御意見を反映しながら教科書の検定作業というものが行われるような仕組みになっておるわけでございます。 そこで、教科書検定のあり方そのものをもう一回根本的に再検討せよということでございますけれども、いま文部省が全く一方的に決める昔の国定教科書みたいな決め方ではございませんから、まさにそこにもいろいろな方々の御意見、専門家の方の意見も反映して、いろいろな角度からながめられるわけでありますし、また最近参りました教科用図書検定調査審議会の答申等も十分尊重してやってまいりますので、御心配になるようなことが起こらないように慎重を期して現在も教科書の検定作業を行っておると私は理解をいたしております。
○小川(仁)委員 私は検定制度のあり方についての私の主張を申し上げるつもりではなくて、二十年もたった時期ですからもう一遍各界の意見を聞いてみる必要がある、むしろ積極的に文部大臣の方から検定制度自体に対してどう考えるかという問題提起をしてほしい時期だ、こう考えて申し上げたのです。そこで私の意見となりますとこれはまた違ったことになりますが、これは考えてみる時期ではないのでしょうか。
○諸沢政府委員 この建議の中にもありますように、また先生御指摘のように、検定制度が発足して三十年たつ、そしてたまたま学習指導要領も新しくなるということでありますので、この際、運用について次のような点を検討し、改善すべきだというのが建議の中心でもございます。検定制度それ自身を考え直すことはないかという先生の御指摘でございますが、私どもといたしましては、現在の検定制度というもの、これを考え直すという御指摘の趣旨が、十分おっしゃっていただいていないように思うわけですけれども、現在文部大臣の、小、中、高等学校で使う教科書について、その具体的内容についてもこれを審査し、教育基本法なり学校教育法の精神に照らして、教育用として適当かどうかという立場から審査をするというこの検定の考え方は、御承知のように、いわゆる教科書裁判でも終始文部省がそれは合憲、合法であるというふうに主張し、現在最高裁までいっているわけでございますから、この考えを文部省はいま変えるつもりはないわけでございまして、従来どおりの検定のたてまえでやりたい。ただ、その運用については、いろいろ御指摘の点がございますから、改善をしてまいりたい、かように思います。
○小川(仁)委員 文部省の立場はわかっているし、あるいは文部省の皆さんも私の立場をわかっておられるかもしれない。そういうことではなしに、私の申し上げているのは、やはり一定の時期が来たら、それは皆さんの考え方が国民に理解されるならそれで構わないのですから、やはり思い切って世の中に問うてみるという形をとられる時期ではないかと思ったのは、実は今回、建議が諮問というかっこうで出てきたのではなくて、みずから審議をしておられる方から出てきたという意味を大事に考えて申し上げたのです。ひとつ御検討願いたいと思います。 今回の建議を私も読ませていただきましたが、これを私なりにずっと見てみますと、この「まえがき」の中に、「二十年を経過しており、その間の検定実施を通じて得た経験を生かすため、教科書検定制度の運用を見直し、必要な改善」こういうふうに書いてあります。ですから、一つは、いままでの経験を生かすということです。そして運用の見直しと必要な改善、こうなるわけであります。 そこでお伺いしたいことは、検定を通じて得た経験というのは、一体具体的にどういうことだろうか。建議によりますと、第二の中に「適用の経験」と「実施の経験」という言葉を使い分けております。この経験によるということは、一体どういう具体的な内容を含んでおるでしょうか。おわかりでしたらお知らせ願いたいと思います。
○諸沢政府委員 教科用図書検定調査審議会というのは、御承知のように、九十名ほどの委員がおりまして、各教科に分かれて、そこで現に教科書の検定をやっておる審議会でございます。その審議会の一つの部会がこの制度の問題を検討されたわけであります。したがって、検定の運用それ自体についてこの審議会自体がずっといままでやってこられたことでございますから、そのやってきた実績というものを踏まえて、こういう点はこういうふうに改善したらよろしくないか。たとえば、ここに検定基準の改善というようなことが、提案されておりますが、それはまさに従来あるいはいまでもやっております検定の物差しですから、この物差しをもう少しよくしたらどうかということは、まさに自分たちが経験でやってきた、そのことを一つの参考としてこういう提言をしているのですよ、こういう意味に私どもは理解しております。
○小川(仁)委員 そうすると、この審議会の中で討議されたことは、文部省はわかっておられないわけですか。
○諸沢政府委員 担当官が出席しておりますから、大体わかっておるわけでございます。
○小川(仁)委員 わかっておりましたとすれば、経験の中には、幾つかの問題点と、それからそれを克服しなければならないような反省とか問題点とか、より発展をしなければならない点とかいうことがあるだろうと思います。こういう反省点等があったら伺いたいと思います。
○諸沢政府委員 それらの点がまさにこの各項目に掲げてある今度の運用の改善の内容になるわけでございますから、いまのをよりよくするためには、検定基準をどういうふうにするかとか、あるいは後の方に出てまいりますけれども、不合格となる検定教科書の扱いについて、それをできるだけ手厚く保護をしながら改善をしていくためにはどうしたらいいかというのが、いままでのこういう点を直したらいいではないかというような点だろうと思います。
○小川(仁)委員 そう言われればそのとおりですが、書かれていることには具体性がないのですよ。具体性があるようで、実際には検定という手続その他の中から見ますと、この文章自体が非常に抽象化されているので、具体的な課題がなかったかどうかということを実はお聞きしながら、私も勉強したいと思ったのです。たとえば問題になった点、さっき教科書裁判というのがありましたが、教科書訴訟などというようなものに対して、これは不合格の場合を前提にしていますけれども、こういう点で経験として大事にしなければならないといったような話し合いが行われたことがあるでしょうか。あるいは、さっき言った指導要領と教科書のたとえば教材指定みたいな形のものをもっと幅を広げてやっていくというふうな形で物を考えなければならないとかいったような、こういう具体の問題としての反省点はなかったのでしょうか。
○諸沢政府委員 ただいまの、たとえば検定基準と指導要領との関連ですけれども、まさにそういう点が、指導要領が変わってくると、そこで指導要領の今度の改善の最大のねらいは何だ、基礎、基本を最も重視して内容の精選を図る、そういうふうに考えた場合に、現在の検定基準の八項目というのはこれでいいかどうか、そういう議論はあったように聞いております。 そこで、それをもう少し整理をして、基礎、基本の精選といういまの主眼に適合した基準にしよう、こういうことになるわけでございまして、一々具体的にどの項目の何がどうだというような議論まで私どももつまびらかにいたしておりませんけれども、もちろんそういう議論もあったと思います。
○小川(仁)委員 局長はつまびらかにおわかりにならないと思いますが、私も勉強させていただきたいと思うので、この審議会の記録みたいなものを、後ででも結構ですから、拝見させていただいていいものでしょうか。
○諸沢政府委員 これはいまも申し上げましたように、審議会の建議でございまして、自発的な検討会でございますので、役所の側において特にその記録をとっておったということはないわけでございまして、自由な御討議をいただいて結論をいただいた、こういうことでございます。
○小川(仁)委員 そうすると、審議会の討議の中身は、文部省はわかっていないのですか、わかっているのですか、記録がないとすれば。
○諸沢政府委員 関係者が大まかな記録はとっておるかと思うのですけれども、要するに直接担当する課長以下は、恐らく毎回出席しておりますでしょうから、議論の内容は承知しておるというふうに私どもは考えております。
○小川(仁)委員 それでは、後で課長さんのところに行って、その中身を聞かせていただきます。 それで、いまみたいに討論された中身がなかなかわれわれの前に出されてこないということが、非常に秘密みたいな感じを与えるわけですね。まして、教科書の検定その他が秘密裏に行われているという印象が非常に強いわけです。ですから、あるいは一方的な文部省の文教政策の押しつけがあったり、あるいは調査官の恣意的な、個人的な思想性が介入したり、こういう疑念が存在するだけに、私は、一つは審議会の中身というものをある程度公表する必要があると思う。特に五十年の社会科の教科書を見ますと、第一回で三十の教科書のうち十一が不合格になっているという事実がある。社会科の教科書が不合格になるということは、これは一般的な思考ですけれども、どちらかというと、やはりそれぞれの人の学説的な要素なども存在して不合格になる可能性もいままでの例ですとありましたので、ぜひこれは秘密主義を改めて、一つは国会で私たちがいろいろ御質問を申し上げることに対しては、ある程度の資料を御用意して拝見をさしていただく、あるいは御答弁をいただく、こういう方向、もう一つは、執筆者や製作者が求めたときには、審議会の議事録とか、あるいは調査官や調査員の意見書とか、あるいは審議会の意見書、答申といったようなものを、限られた場所でと私は申し上げております、一つは私たちのような文教政策を審議する議員、もう一つは著作者や編集者、こういう人たちにお見せいただくわけにはいかないものでしょうか。
○諸沢政府委員 教科書の検定というのも一つの行政処分でございますから、その行政処分の経過を一々これこれこういう意見もあり合格にしたとか不合格にしたとかいうようなことは通常やっていないと思うのでございます。 そこで検定の場合でございますが、そのやり方は御承知と思いますけれども、審議会の委員があり、かつ現場の先生と調査員というものをお願いして、これが五、六百人おりますけれども、その調査員について調査意見を出していただく。一点の教科書に大体三人ぐらいおります。それから、おります専任の教科書調査官が調査する、そういう意見を総合してやるわけでございますが、やはり何と言いましても個々の教科書について、この点がどうだというような議論をしてするわけでございますから、一人一人のそういう関係者の意見を公表するということになりますと、これは一つの先生のお考えではありますが、反面、またそういうことが、発言する、審査に携わる方の側の立場に立ってみれば、いろいろな心理的な抑圧になるというようなことも考えられますし、また、教科書は発行者にとってはやはり一つの商品でございますから、そこで過去の例などを見ますと、お互いに各社の商品についていろいろ宣伝をする。プラスの宣伝もあるしマイナスの宣伝もあるという事実が、これは事実としてあったわけでございますから、そういうことを考えますと、やはりこれを簡単に一般に審議の経過を知らせるという点は、おっしゃるようなメリットはあるのかもしれませんけれども、反面、またいろいろ考えなければならぬ点があるというふうに考えておりますので、私どもはこれを公表するということは考えていないわけでございます。
○小川(仁)委員 公表——結果として公表になりますかね。私は、限られた、たとえば教科書製作に従事する人が求めたときに話をしてくれる、私たちのようにやはり日本の教育というものを討議しようとする者に対しては、こうこうこういう考え方がということを、私らが求めたときですよ、一般的に出してくれと言っているのではないのですよ、求めたときに出してくれるだろうかどうかという、非常に限定した物の言い方をしているのですが、それも無理でございますか。
○諸沢政府委員 先ほど先生が、結果として公表することになるのかなとおっしゃいましたけれども、確かにこれは教科書の関係者と言いましても、現実に書く方もおりますし、それを監修という立場で名前が載っておられる方もありますし、発行会社の編集を担当される人もありますし、連絡に来られる事務の人もありますし、どこまでが関係者と言うかというようなことになりますれば、これは簡単に、それでは関係者だけだというふうに言えない点が現実の問題としてあると私は思いますので、その点はちょっと慎重にさしていただきたいと思います。
○小川(仁)委員 しかし、教科書というのは、それができてしまえば、それ自体が国民に対してかなり——かなりの強制ということではなくて、子供が全部それを持って勉強するという性格を持つものだけに、それが決定されるという状態の中で、確かに専門家の方は精魂込めてやっておられるだろうけれども、特にそれを執筆した者あるいは私たちのような立場にある者が、お聞きしたときには、これはこれだというふうに限定してお答えされることも無理だということになると、全然これはそちらに一切お預けでという結果になってしまいますが、私は、それでは教育というもののあり方の中から言って問題が残るような気がするので、これはひとつ後で御検討していただきたいと思います。
○諸沢政府委員 ちょっと一言だけ。全然言わないわけではないので、仮に不合格ですという場合には、その不合格の理由はお知らせをするわけでございますから、その点は、全く連絡をしていないということではございませんから……。
○小川(仁)委員 時間がなくなったようですから、きちっきちっと聞いていきますが、たとえば不合格がありますと、例示だけですね。部分ですね。全体は出してこないわけです。全体を出してこないというと、例示部分で他を想定しなければならないという問題があるわけでしょう。だとすれば、不合格の、たとえばAの意見とかBの意見というものが全部執筆者に見せられるという状態は考えられませんか。
○諸沢政府委員 これは二つに分かれておりまして、部分的に合格、不合格、たとえばいままである教科書のこの部分とこの部分とこの部分を直したいという場合には、それぞれの部分について合否を明らかにします。そしてその合否の理由も申し上げます。ところが、一冊の教科書全体が不合格だという場合には、おっしゃるように、確かに不合格の理由としては一、二主な点を申し上げるわけです。これはなぜかと言えば、現在、その検定をやる場合に、不合格になった点を全部列挙して、ここがだめですから不合格ですよと言いますと、今度は逆に検定ではなくなって、文部省と著者の共同著作になってしまうわけですね。ですから、それはやはり不合格の主な点を列挙しまして、あとはひとつ編集者の方で十分検討してください、まだたくさん問題がありますよということにしませんと、やはり教科書づくりとしてはかえって相手の主体性を失わせるということにもなりかねないわけでございますから、その辺の配慮というものが必要なわけでございます。
○小川(仁)委員 時間がないから端的な聞き方をしますけれども、いいじゃないですか、国民のためなら文部省と著作者が一緒になって教科書をつくって。実は主体性という名前で、部分だけを出して、他の部分に何があるかという疑念が執筆者、編集者にあることの方がむしろ問題だと私は思うのですよ。そういう意味から、これはぜひ公開をしていただきたい。 次の課題に入りますけれども、この建議の第三の三のところに「単純な誤記・誤植が多く」という形で検定を受けさせないことがある、こう書いてありますが、この「単純な」というのは、内容の正確性等を含まないで、いわゆる本当の文字の誤記、誤植と解してよろしゅうございますか。
○諸沢政府委員 ここにありますように、「単純な誤記・誤植」ということで審議会はおっしゃっているわけでございますから、それを受けて私どもは考えているわけでございます。
○小川(仁)委員 私は、内容を含む正確性などではなくて、文字とか字句だけの誤記、誤植ですかと、こう聞いているのです。
○諸沢政府委員 そのように考えております。
○小川(仁)委員 それから第三の五の「不合格処分に関する救済措置の改善」というのが出ております。これは大変大事なことだと思います。したがって、不合格になった著作者というものだってやはり日本では一流の学者のうちに入るでしょうから、こういう場合の不合格の救済措置として、不合格を決定する前に著作者や発行者が意見を述べる、あるいは話し合いをする機会が設けられる、こう解してよろしゅうございますか。
○諸沢政府委員 ここに書いてあるとおりでございます。
○小川(仁)委員 実は教科書をつくる過程、順序、事実というのはおわかりのとおりでございますから、このとおりでありますけれども、時間的に実はそう言われても、どうにもならなくなったという問題があるわけですね。不合格だと言われたのがぎりぎり最後に持っていって、一カ月後なり一カ月半後に出されるとどうにもならない。ですから、これは一定の、後に時日的な余裕を持って話し合われる、こう解釈していいですか。
○諸沢政府委員 もちろん機会は形式的に与えるけれども、実際上救済の期間がないというようなことは私はすべきではないと思います。それは、手続よりも運用の問題だろうと思うのですけれども、御承知のように、現在でも一次の検定に不合格になっても、年度内にもう一回やれるというような道をなるべく開くようにしてやっているわけでございますから、その趣旨を今後も生かしていきたいと思っています。
○小川(仁)委員 そうすると、運用の改善でございますから、当然一定の時日が存在すると考えて、さらにどうなるのでしょう、たとえば意見が食い違って、どうしてもこれは文部省の検定、A意見と著作者の意見が食い違ったときは、条件つき合格などということで、これを採択者の方に任せるなどという思い切っだ方法を考えておられませんか。
○諸沢政府委員 A意見というのは、検定の方の立場からすれば、これは直してもらわなければ困るというものでございますから、いま先生が御指摘のように、話がつかぬから採択者の判断に任せるというのは、私は、その検定主体の行政責任というものでございますから、どうであろうかという気がするわけでございます。 ただ、具体的なケースについて、一つ一つどうかということになりますと、これは最善の努力をして合意を見るようにするということが、一番よろしいのだと思います。
○小川(仁)委員 調査官が基準、細則、内規等によって決定をしておりますが、調査官申し合わせというのがありますね。これが教科書の七項目の減点を左右するものらしいのですが、この調査官の申し合わせというのは、これは公表できないのですか。
○諸沢政府委員 実際に物差しとして動かすのは、御承知のように検定基準と基準の実施細則でございまして、教科によって審査をいろいろと統一化するために、要するに、各個ばらばらにならぬようにという意味で、その申し合わせもあるようでございますが、それはまさに事務処理の内部の心構えでございますから、外部に発表するということは考えていないわけでございます。
○小川(仁)委員 最後に、意見を申し述べてみたいと思います。そして、お考えをお聞かせいただければいいと思うのです。 調査官の申し合わせ書というのが実は、業者その他の間では非常に大きな役割りを持っているという印象を与えております。したがって私は、教科書は国民すべてが一遍通過しなければならないものでございますから、いろいろな不安とか、疑惑とか、疑念とかというものを払拭するという方式で、すべて検定に当たっていただきたいし、同時に、大臣にお願いをしておきますけれども、今回の指導要領変更と教科書の新たな検定の中で、たとえば調査官等についても日本学術会議とか、あるいは関連の人たちとか、最初に申し上げましたように、本当に現場で教員をしたことのある者とかという中から調査官を選ぶとか、あるいは広く各界の意見を聞いて日本の次代を背負う私たちの子供たちの教育に間違いがないという立場で臨んでいただきたい。ですから、できるだけ多くの人の意見を、時間もないでございましょうけれどもどんどん聞いて、誤りなきよう期していただきたい、このようにお願いをして私の質問を終わらしていただきます。
○登坂委員長代理 次に、有島重武君。
○有島委員 国語あるいは日本語の問題につきまして文部大臣、文化庁長官に質疑あるいは問題提起をさせていただきます。 国語の問題と申しますと、これはまさに文教施策の基本にかかわる大問題でありますし、あるいは日本文化の根本問題にかかわってくるような大きな問題ですから、わずかの時間で片がつくとは思っておりませんけれども、この種の問題、本格的な論議というのが久しく本院においてはなされていなかったのではないかと思います。いま明治から百年、戦後三十年、後二十三年で二十一世紀というような大きな時代の転換期のように思いますので、こうしたときにいまから手をつけていかなければならない、ねらいを定めて手がけていかなければならないというような幾つかの重要問題があるのではないかと思います。 〔登坂委員長代理退席、委員長着席〕 そうしてその中で国語の問題というのは一つの柱になるのではないかと思いますので、あえてここでもって二、三要点だけ挙げて大臣の一つの御決断をいただく、あるいは実行に移っていただくということを要望したいわけであります。 先に大体三つほどの項目を申し上げますと、文部大臣はひとつ国語審議会に対して新たな国語問題全般に関する諮問をしていただきたい。諮問と言ってもこれはそれではあす、あさってにやりましょうというわけにはまいらないと思いますけれども、今後はどのような諮問をすべきであるかということをひとつ御用意を始めていただきたいということです。現行の審議会は、その内実といたしますところは大体現代の共通語に限られておる、これは一つの特徴であると思います。しかもその中で漢語あるいは漢字問題、ここに集中しておるのではないか。もう一つは、現行の審議会がいわゆる表記上の問題に集中して論議をされておるのではないかということです。それで、もとより日本語、国語というのはさらに大きな幅を持ったことでございますから、さらに総体的な諮問をなさって、いまから十年、二十年かけて一つの国語の審議をしていかなければならないのではないか、これが第一番です。 第二番目のことは、これは文化庁長官の問題になろうかと思いますけれども、日本の国の和語の辞典を編さんする、これに着手をしていただきたいということです。申すまでもなく、日本語の母体は和語であって、その中に漢字だとか、あるいは外来語であるとか、混種語であるとか、そういうものを交えて使っているわけです。その中で日常用語といたしましては、標準的な共通語も使いますけれども、いわゆる方言が多いわけでしょう。私たちもこうして委員会に出てまいりますと、共通語、標準語を一生懸命使いますけれども、これはかなり意識しながら骨を折って使っているわけでありまして、東京生まれで東京で育った私などはそれほど気がつきませんけれども、それでも東京の方言を使っているわけです。そうした生活の実態は方言なわけですね。その中における漢字、漢語中心の御審議というのはいままでずっといろいろとなされておった。それにはそれなりの、六十万語を含むような漢和辞典というりっぱなものがあったわけです。土台があったわけですね。ところが和語に関しましては、方言あるいは現在使われている和語あるいは古語、こういったものを網羅しての和語の集大成というものはいまだないようであります。ぜひともこうしたものを網羅した辞典を日本の国につくっておかなければいけないのではないかと申し上げるわけです。 これは後からもう少し詳しくやりますけれども、辞書というのは、たった一つ完璧なものがあればいいというわけにはまいりませんで、これは学問的に考えても複数、二つないし三つあってよろしいわけです。ですから、一つには文化庁長官が国立国語研究所に命じて官選の辞典というものをお進めくださるがよろしいだろうし、そのほか民間の方に委嘱して、これに国庫補助をしてつくらしていくというようなこともしなければならぬのではないか。これが二つ目です。 それから第三番目は、文部大臣、小、中、高の学習指導要領の改定にいま努力しておられますけれども、特に国語の教育について配慮しなければならない点が幾つかあるのではないだろうか。このことについて申し上げておいて、お考えを承っておきたい。 以上三つの問題についてここで時間を使わせていただきます。そのほかあと二、三の問題を、時間があればなお追加させていただきたいと思っております。 そこで、順序として学習指導要領の問題から入っていきます。 学習指導要領を見ますと、小学校におきましても中学校におきましても高校におきましても、真っ先に出てくるのが国語でありまして、そのまた真っ先に出てくるのが「生活に必要な国語」云々と、こう出てくるわけです。「生活に必要な国語」というのは一体どの辺に考えていらっしゃるのだろうかという問題であります。 中学校の指導要領を拝見いたしますと、「目標」のところに「国語の特質を理解させ、言語感覚を豊かにし、国語を愛護してその向上を図る態度を養う。」と大変いいことが書いてあるわけです。それから、「各学年の目標および内容」のところには、一学年には「ことばに関する基本的な知識を得させて理解と表現を正確にするようにさせる。」二学年のところには「ことばに関する知識を深めて理解と表現を的確にするようにさせるとともに、国語の特質について気づかせる。」三学年には「ことばに関する知識を整理して理解と表現をさらに的確にするようにさせるとともに、国語の特質について理解させる。」このように書いてあります。私たちはこうした指導要領のもとでもって国語を教わったわけではございませんけれども、国語の問題というのは別に専門家だけの問題ではなしに、私たちが全部利用者であり、またそれを後代に伝えていく、望むと望まざるとにかかわらずこういったことになっているわけですから、ここで基本的なことについて文部大臣の御見解また文化庁長官の御見解を承っておきたい。 そこで「生活に必要な国語」、これは一体どの程度に考えていらっしゃるのだろうか、これをまず承っておきたいわけです。
○諸沢政府委員 私、専門家でございませんけれども、私の理解しておりますところでは、要するに現代の小学校、中学校あるいは高等学校段階における国語教育についてはいろいろ考え方もあるわけでございますけれども、やはり基礎は日常生活において必要とする国語の基礎ということがその段階における学校教育の主たるねらいであって、端的に申しますならば、たとえば国語を通して文学的な教養を高めるとか、そういうことはもちろん必要でありますけれども、主眼とするところはやはり日常生活における必要な国語の力の問題、こういう意味で「生活に必要な」、こういうふうな制約をつけた表現になっておるように聞いておるのでございます。
○有島委員 大臣、それほど構えて専門的な議論を私自身もできませんし、御意見だけ承っておきたいと思うのですけれども、ぼくたち生活の中で聞いてだけいる言葉と口に出す言葉というのはずいぶん違うのではないか。聞いてわかるけれども、口に出して話すという言葉はごくごく限られた言葉ではないか。これは生活の中の言葉として非常に初歩的な、常識的な話だと思うのですけれども、大臣、どうお思いになりますか。
○海部国務大臣 私、よくわかりませんが、ぼくらは日常ボキャブラリーが少ないせいか、話す言葉と聞いてわかる言葉と、日常のおつき合いの中とか日常生活とかいろんな中で特にどこがどう違うかということをあえて意識して物を言ったこともございませんし、専門家の方からお答えをいただきたいと思います。
○安嶋政府委員 私もその点につきましては特に専門というわけではございませんが、聞く言葉と話す言葉というのは、これは大体うらはらで一体であろうかと思います。ただ、読む言葉と書く言葉、これは内容的にもかなり違うかと思います。
○有島委員 そこら辺の認識がはっきりしておりませんと、子供は大変迷惑をして、教える方も大変困っているわけであります。これは別に何でもないあたりまえな話なのだけれども、何だかおかしな思い込みが行われているのではないでしょうか。 小さい子供たち、一歳、二歳、三歳ぐらいの子供たち、この子は無口だと言われていても聞くことはみんなわかっている場合があるわけですね。そして、聞いている言葉を心の中で反すうしながらいろいろと育っていくのでしょう。しゃべり出すと、ずいぶんどんどんしゃべり出すというような現象があるわけです。これは御存じですね。わかりますね、そのことは。
○海部国務大臣 私は先ほど現在の私の立場でお答えをいたしましたので、私自身は聞く言葉と話す言葉と全く同じだと思いながらお答えをしてしまいましたが、いまおっしゃるように生まれた赤ん坊が聞く言葉と話す言葉というのは、これはやっぱり、御指摘のように表現方法の数においてもいろいろ違うのではないかと思います。
○有島委員 それでは今度は、家庭に帰って奥さんの立場になりましょうか。いろいろな話を聞く、みんなわかってくれる。だけれども、余りむずかしい話を御婦人方はするわけではありません。ですから、われわれが口でもって話している言葉というのは、聞いてわかっている言葉の大体何十分の一ぐらいになるであろうか。これは専門家にひとつ聞いて計算してもらった方がよろしいかもしれませんけれども、基本的にぼくたちの生活の中でも、これからひとつ気をつけていただきたいのですね。ちょっと意識して気をつけていただけば、すぐわかりますけれども、ぼくたちが使う言葉というのは、非常に限られた、狭い範囲で使っているのだ。ぼくは、単語の数からいきましても、大体口でもってこうやってお話しをしている言葉というのは、聞いてわかる言葉の四十分の一程度ではないかというふうに思います。 いろいろなことでもってそういった数が出てきます。これはまた専門家に計算していただければいいかもしれないけれども、計算のあるなしにかかわらず、国語教育ということに臨んだときに、よくこのことを初めから常識としてかかっていかないと、ずいぶん間違いが起こるのではないか。これはひとつ、もしあれだったら、専門家にうんと聞いていただいてはっきりしておいてください。でないと、せっかくの指導要領が、何か意味不明になるか、あるいは人いじめになりかねないことがあるわけです。 それから、いまお話しした中に含まれるかと思いますけれども、日常使っている言葉といわば冠婚葬祭用の言葉と申しますか、そういうものと、はっきりと二種類と言ってもいいくらいにあろうかと思うですね。これは柳田国男という方が、晴れの言葉とふだんの言葉なんて言っていましたけれども、私たちがモーニングか何か晴れ着を持っておる、ふだん着もある。同じように言葉の上でも、やや儀式張った、決まりのある言葉と、それから普通の会話と二通りあるわけですね。こういったことも非常に基礎的なことであります。奥さん方も、今度どこどこの晴れの場所に行きましょうというようなときに、晴れ着がないから行きたくない、こういうことも起こります。また言葉の上でも、晴れの場所でのきちんとした言葉が使えないと、ついその場に出たくないというようなこともあるわけですね。あるいは、行っても黙っているというようなこともあるわけですね。そういった区別、これはどこの国の言葉でもそうでしょうけれども、これも生活の中の言葉という基本的な問題ではないかと思いますけれども、この御認識はいかがでしょうか。
○安嶋政府委員 私は、柳田国男さんが民俗学の一つの考え方といたしまして、「晴」と「け」という二つの基本的なタイプをお考えになっておったということは承知をいたしておりますが、言葉につきましてそういう分類をされたということは、まだ寡聞にして承知をいたしておりません。いま有島先生のお話を伺っておりまして、そういうこともあろうかというふうに理解はできますが、日本語の国語の分類といたしまして、そういうことが定説であるかどうか、そこのところまではまだ承知いたしておりません。
○有島委員 こうやって委員会でもってお答えになるときなどは、まさに晴れの言葉を使っていらっしゃるのだと思うのですよ。あるいは、天皇陛下の前でもって何か物を言うときなどは、まさにこれは晴れの言葉を使っておる。これは定説といいますか、そういった学問的なむずかしいことはぼくは知らないけれども、現実問題としてあることなのです。そういったことは、最初からだれでも知っているはずだと思うけれども、言われてみると余りよくわかっていない。これはぼくは、国語問題の一番初歩的なことであろうと思うのです。 それから先ほど文化庁長官は、書き言葉と口言葉と、これは違うのだということを言われました。そういたしますと、教科書に書かれている国語、日本語というものは、生活の言葉の中でごくごく、ある特定な言葉なのであるということは御認識いただけますね、どうですか。
○海部国務大臣 これは私、常識的に答えさせていただきますが、やはり自分の立場に振り返ってみても、友達同士で物を言うとき、あるいはこういう場でまさにお答えを申し上げるときの言葉、選挙のときに街頭演説をやるときの言葉、皆それぞれの場所に適合するように私なりに考えてしゃべっておりますから、同じ内容を伝えるにしても、表現方法とか態度とかあるいは敬語の使い方とかいうようなことに差があるということは、私自身でもこれは率直に、日常常に行っていることでありますから、そういう意味でいきますと、教科書に書いてある、国語の教科書の中の言葉というものは、やはりその中の基礎的、基本的なものをという配慮をしながら書いておるとは思いますが、その一面をあらわしておるという御指摘はそうだろうと思います。
○有島委員 ですから、今度は教科書どおりの言葉が正しい言葉なのであって、そこにみんな当てはめていこう、それによって今度生活をその教科書の言葉で考えさせようというような向きがもしあれば、生活そのものが、言語生活が非常に窮屈なものになってしまう。これはまた大変重要なことになろうかと思いますけれども、これも大体おわかりになりますね。 それからもう一つは、言葉の実感と実感してない言葉ということがあろうかと思います。さっき、教科書の中の花の話がありました。花の話は、教科書でもって覚えることはできる。覚えることはできるけれども実感が持てない、そういう場合もございますね。しかし、昔は知ったかぶりというのは、みんなからすぐ見破られてしまうし、尊敬されないということがあったわけですが、いまの子供たちは、その実感のある言葉と知ったかぶりと言ってはおかしいかもしれないけれども、実感を全然伴わないけれども、言葉だけはどんどん使っている言葉との区別がつけられなくなっている。あるいは教えている側ではそれを区別しない、評価する側ではそれを区別しないというふうな傾向に、いまの子供たちは陥っている。ということは、これもひとつ気がついていただきたいわけですけれども、おわかりになりましょうか。
○海部国務大臣 もし間違っておったら、後から専門家に訂正させますけれども、私の考えでは、学校の教科書で、特に小学校などで教える言葉というのは、その基本になるようなことを教えるとともに、それを表現するときはその基本を身につけた者が、たとえば親しいお友達ならこう言って表現しよう、有権者の皆様ならばこう言って表現しよう、国会の答弁のときにはこういう言い方をするのが一番ふさわしいのではないか、それぞれ判断して使い分け——使い分けというと悪いですかね、何かその場に合うような表現方法、御理解願えるような、自分の気持ちが正確に伝わるような表現方法をそれなりに考えて日常生活の中では使うようになってしまうと思うのです、いい悪いは別にして。ですから、学校の段階では一番基礎になることを教える。その基礎になることというのは、日常生活の中で一番必要な基礎になる言葉は何であるかということに、学校では、全部とは言えませんがなるべく多くそういうものに力点を置いてなされているだろう。これは私の想像も入っておるわけでありますから、もし間違っておりましたら専門家から訂正をいたさせます。
○有島委員 いま大臣は言葉を選んでとおっしゃったのですね。選ぶには母体がたくさん、広いわけで、その中から選んでこれが適当、こうおっしゃるわけですね。ですから、語彙、言葉はたくさん持っていらっしゃるわけです。それで適当なものを選ぶわけです。その選ぶ範囲が非常に広いということが、やはり文化生活、言語生活を豊かにしていくということでありましょう。 ですからまた、いま基本になる部分とおっしゃいましたけれども、それは大体現代共通語の中の基本になる部分ということであろうかと思いますが、ただそれは日常用語、生活用語とは違うのだ、ある部分は重なっておりますけれどもそれは違うのだ、全く一対一ではないのだ、そういうことをまず最初に御認識いただきたい。もしあれだったらば適当な学者を呼んで御研究いただきたい。これはあたりまえのことなのですけれども、教育の現場では、まじめな先生ならまじめな先生ほど一生懸命教科書どおりこれがいい言葉なのだと思って、そこにみんな寄せ集めていこうとするような傾向があるというのは、やはり行政府なりそれを指導していらっしゃる政治家なりが、小学校、中学校、高校いずれも、ちゃんと言語に関する基本的な知識を得させるなどと言っておきながら、得させればいいので、こっちは知らぬというわけにはいかぬと思うのです。これは非常に基本的な知識であろうかと思いますから、しっかりしておかないと大変狂ってくると思うのです。 それから次に、日本語の特質と言っていますけれども、日本語の特質はどんなようなものなのであろうか。これは文化庁長官からお答えいただきましょう。
○安嶋政府委員 実は私、まだそこまで勉強をやってきていないわけでございますが、外国語と比較いたしますと日本語の特質というのが比較的理解しやすいかと思います。御承知のとおり語の並べ方も、たとえば英語やフランス語に比べて非常に違うわけでございます。それから、たとえば名詞につきまして、ある国語では性の別があるけれども日本語では性の別がないとか、あるいは人代名詞におきまして、日本語でございますと、ぼくとか、私とか、わしとか、おれとか、いろいろな言い方があるわけでございますが、たとえば英語でございますとアイという人代名詞しかないとか、そういったようなことが日本語の特質の一つであろうかと思います。
○有島委員 これも別に御専門とかなんとか——これは普通教育と言われている中学校の指導要領に書いてあることでございますから聞いているわけなので、そうでなければ参考人などを呼んで言わなければならないかもしれないけれども、当然知っていなければならないようなことを知らなかったということだけはよく御記憶いただきたいのです。 幾つかあります。外国語との対比ということもありますけれども、先ほど申し上げた、日本語は和語を母体としていて、その中に漢文、漢字をまじえて用いているということ、これは大変大きな特質ではないでしょうか。
○安嶋政府委員 言葉の分類といたしましては、御指摘のように日本語は、和語、漢語、外来語それから混種語と言いますか、そういった四種類から成り立っておるということを申すわけでございまして、確かに御指摘のように漢字かなまじり文といったような表記の仕方は、まさに日本語表記の重要な特色であろうと思います。外国では恐らくこういう例はないであろうと考えております。
○有島委員 いま、漢字かなまじりと言われました。これは漢字中心主義のお言葉と承る。漢字の中にかながまじっているのが日本語なのでしょうか、それとも和語の中に漢字をまじえて使っているのが日本語なのでしょうか。
○安嶋政府委員 漢字とかながまじっておるということでありまして、漢字にかながまじっているとか、かなに漢字がまじっているとかいうことではございません。
○有島委員 そのお答えは表出された、書かれた文章について言われているのではないですか。国語一般、われわれが使っている、いまこうやってお話をしている国語。
○安嶋政府委員 それは表記の問題でもございますけれども、私どもが日常に聞いたり話したりいたします場合にも、和語があり漢語があるということでございます。
○有島委員 どちらが母体でどちらがお客さんであるか、どちらが主体でどちらが後からまじえて使っているのか。
○安嶋政府委員 それは歴史的に申しましても明らかなように、和語が基本でございます。漢語は、外来語の一種でございます。
○有島委員 どの程度の割合でもって使われているかは御存じですか。
○安嶋政府委員 これは国語研究所の調査でございまして、助詞、助動詞を抜いた言葉でございます。したがいまして、実際上の文章の表記あるいは会話の際に用いられるものとは違うわけでございます。助詞、助動詞は、和語が基本でございますから、実際の表記あるいは会話におきましては、ただいま申し上げるもの以上に和語の比率が高いわけでございます。 それで、昭和三十年に雑誌九十種を調査いたしましたところ、異なった語の数といたしましては、和語が約三六%、漢語が約四七%、外来語が約一〇%、混種語が約六%というような数字になっておりますが、和語の場合は繰り返し使われることが多うございますので、その使用頻度を含めて統計をとってみますと、和語の場合が約五四%、漢語の場合が約四一%、外来語の場合が約九%、混種語の場合が約二%という数字が出ております。 それから、四十一年度の新聞の調査によりますと、これは異なり語数で申しますと、和語が約三九%ないし三五%、漢語が約四四%ないし四七%、外来語が一二%ないし一三%、混種語が五%程度ということでございます。 それから、使用頻度を含めた延べで申しますと、和語の比率の方がやや高くなりまして四四%ないし二七%、漢語が五一%ないし六五%、外来語が四%ないし六%、混種語が一%ないし二%というふうになっております。 「ないし」と申し上げましたのは、たとえば学校教育法という言葉がございました場合に、これを学校と教育と法の三つに分けて統計をとる場合と、学校教育法という一語で統計をとる場合とではその数字の扱いが違ってくるわけでございます。ですから、一語と数えるか三語と数えるかということによって、つまり「ないし」という統計の幅が出てくるわけでございます。 ただいまの数字でもおわかりでございますように、これは助詞、助動詞が抜いてございますが、それにいたしましても、われわれが日常使っております新聞、雑誌の文章表記におきましては和語がかなり大きな比重を占めておるということが明らかだと思います。
○有島委員 おっしゃったように、これは昭和三十年の雑誌九十種類でありまして、その当時の雑誌を私は国会図書館でずっと見ました。いまよりかはるかにむずかしい、いまの雑誌の方がずっと砕けています。いま、雑誌に表記されたものの割合は、和語が延べで五四%、漢語が四一%と言われましたけれども、現在では和語の方がまたずっと多くなっているように見受けられます。 それから、会話についてNHKで調べてもらいました。これは政治家の言葉と奥様方の言葉と子供たちの言葉といろいろ違いますけれども、普通の会話では和語が大体七〇%を占めるというような状況です。 それで、私が御注意申し上げたいのは、和語が何%、漢語が何%ですよ、これは学者のお話でしょう。どちらが主でどちらが客なのか、どちらが母体なのか、それをどういうふうに考えていらっしゃいますか。並列として考えるのか、漢字を主体として考えるのか、あるいは和語を主体として考えるのか。
○安嶋政府委員 先ほども申し上げましたように、歴史的には日本語というのはもちろん和語が骨格でございます。そういうこともございまして、ただいま御報告申し上げましたように、また先生からもお話がございましたように、日常の文章あるいは会話におきましては和語が基本になっておるわけでございます。しかし、漢語と申しますか漢字というものが入ってまいりまして、日本語と申しますか日本の文化が非常に豊かになった、非常に簡潔な、的確な、複雑な、力強い表現が可能になったという点は認めなければならないと思います。和語だけで今日の複雑な社会生活に対応できるかというと、これはほとんど不可能であろうと思います。それは当然なことだと思います。国会とか文教委員会というような言葉でございましても、これを和語であらわすということはまずは困難であろう、やはり漢字、漢語を用いて初めてこうした的確な表現が可能になっておる、そういうことはやはり認めていかなければならないと思います。しかし、和語が基本であるということは先ほど来申し上げているとおりでございますし、また先生のお考えのとおりだと思います。
○有島委員 基本と言われると、これはまたちょっと違うのです。どちらが母体なのだろうか。和語を母体にして、そこに漢字をどんどん入れていったわけです。そして外来語も同じように使っているわけですよ。ミックスしながら使っていく、こういうようなことを言うでしょう。まぜっこにして使っていくとか、それを混じながらと言えば漢語です。大変豊かだし、どれが一番的確であるか、いろいろな選択を持っているわけです。漢字は使っていくわけです。それはよろしゅうございますね。 そこで、漢語を中心に話をしたという歴史が日本の国の中にもあるわけです。それは明治維新なのです。明治のあの政治家のお話を聞いて——聞くといっても、テレビで聞いたり本で読んだりするわけでございますけれども、あのころは方言がはなはだしい。それぞれお国ぶりの言葉がございまして、それで共通的に話すのは、余輩、今日列強の趨勢を見るにとかなんとか言って、まるで漢文の下し読みのような文章といいますか話しっぷりを会議のときにもなさったようであります。そのときにはまさに、男の使う言葉あるいは政治などで使う言葉は漢文かなまじりなのですよ。それは一般国民全体の言葉ではなかったわけです。でも、それは明治時代にそういった現象が起こりました。平安時代にもある人たちはそういうことをやっていたかもしれないし、古事記と日本書紀の違いなどもその辺にあるとも言われるでしょう。だから、かなり歴史は古いことですけれども、一般的に国民の生活に必要な言葉といいますと、これは和語が主体なのだという認識の上に立っているのがあたりまえでしょう。それはようございますね。
○安嶋政府委員 それはそのとおりだと思います。言葉というのは二つの基本があるわけだと思いますが、一つは文法でございます。一つは語彙でございます。日本語の文法というのは、古来基本的には変わっていないわけでございまして、それは当然今日もそのとおり行われているわけでございます。語彙につきましては、和語が基本ではございますが、さらに漢語が加わり、外来語が加わり、混種語が加わって今日の社会生活が成り立っておる、こういうことであろうかと思います。
○有島委員 和語の方でも語彙はどんどん広がってもいいわけなのですね。別に昔のものに固執しなければならないということはありません。だけれども、現実にいまどんどん生活環境が変わっておりますので、それに対応する言葉をつくっていかなければならない。それで、漢字を重ねた方がやさしいし、追いつかない場合にはどんどんかたかなで外来語をまぜていく。ですから、できていく言葉は、いまのところ外来語の方が多い。それを自由に使っていく。そういうことはあるでしょう。あるにもかかわらず、私たちの一番母体になっている物の考え方ないしは動詞や形容詞のようなものは和語が母体になっているのだということ——とってもしつこいようたけれども、何だか漢語中心の物の考え方をあたりまえのようにしているから、日本語の特質ということが指導要領の中には出てきておりますが、これも非常に厳重に、ひとついままでこの辺のことは認識が甘かった、ないしは間違っていた、あるいは無認識だった、こういったことを認めていただきたいわけです。 それからもう一つ。和語というのは聴覚的な言葉であります。文字が渡らなかったころからずっとあったわけでありまして、それに文字を当てはめていったのですね。しかも、聴覚だけでもって伝わった言葉が私たちの日常用語の中にはとんど、奈良時代から残っていることもあたりまえのように私たちはまだ使っている部分が大分あります。万葉集などを見ても、現代語で使っているそのままの和語がたくさんあるわけですね。それから、漢字の方は視覚的なものですね。ですから、漢字というのは読み方は幾通りあっても構わないわけですね。シンボルですね。いわば交通標識の赤い色、あれを紅と読もうがレッドと読もうがルージュと読もうが、とまってくれればいいわけだ。そういうように性質が違うのだ。ただ割合だけではなしに、あるいはどっちが母体であるということではなしに、性質の違うものなのだというそういった基本的な認識の方はいかがでしょうか。
○安嶋政府委員 大体そういうことかと思います。
○有島委員 大臣、おわかりになりますね、このことは。
○海部国務大臣 漢字というのは、象形文字と言われますように、その姿、形を見たときに心に何か感じ取る、和語というのは、万葉集などのころからある言葉で、耳で聞く、その区別の仕方は、私も伺っておって、そうだろうな、そう思いました。
○有島委員 いま申し上げたようなことは、国語教育の中の本当は一番基礎的な問題であろうかと思うのです。これが常識化されていないというのは一体どういうわけなのだろうかと非常に私は不思議に思っていたのですけれども。 そこで、この辺で国語審議会のいままでの御業績についてちょっと文化庁の方から御説明をいただきたいと思います。国語審議会は、最近になって当用漢字の答申をなさる運びになっておられるようですけれども、あの答申は、さかのぼっていくとどのような諮問のもとになされているのだろうか。
○安嶋政府委員 現在の国語審議会の審議内容は、四十一年、当時の中村文部大臣から諮問をいたした事柄が内容でございまして、当用漢字の問題、これは音訓、字体を含むわけでございますが、そうした問題、それから送りがなのつけ方の問題、現代かなづかいの問題、その他これに関する事項について、戦争直後定められましたものを再検討するということを諮問をいたしまして、その審議を国語審議会は任務といたしておるわけでございますが、当用漢字音訓表と送りがなのつけ方の改定につきましては、四十七年に答申をいただいております。現在は、当用漢字表、これは字種、字体の両方の問題につきまして検討をいただいておりまして、ことしの一月に第十二期の国語審議会といたしまして中間試案について報告をいただいたわけでございます。 先般第十三期の国語審議会が発足をしたわけでございますが、引き続いてこの問題について御審議をいただきたいというふうに考えておるわけでございます。ただ、そのときの文部大臣あいさつでございますが、ちょうどその日は海部文部大臣は国会の関係でこの審議会の第一回の総会には御出席できませんでしたので、私がかわって大臣のあいさつを申し上げたわけでございますが、その中で、今期審議会におきましては、従来の諮問事項について結論を出していただくようお願い申し上げますということにさらにつけ加えまして、こうした諮問事項のほか、話し言葉の問題、その他、国語に関する諸問題についても種々御検討くださいますようお願いを申し上げますということを大臣あいさつでつけ加えておるような次第でございます。
○有島委員 大臣、お聞きのとおり、諮問そのものがまず「当用漢字について」です。当用漢字の「取捨選択」ということですね。 それから「音訓」。音訓というのは、漢字を中心にして和語も考えていこう、それが訓ですね。この音訓というのは、漢文をマスターしている人にとってはよくわかるわけですけれども、漢文の素養のない人たちにとってはよくわからない話なのであって、むしろ自分たちの使っている言葉に漢字を当てはめて流用して使っているのだというその意識の方がそれこそ素人にはわかりやすいわけです。どうして「やまと」というのは「大和」と書くのだろうというようなこと。ある場合には「日本」と書いて「やまと」と読んでいるぞなんて。それは漢字中心ではわからない問題がたくさんあり過ぎるわけですけれども、ここでは学者の方々は、でも音訓とこう言うのでしょう。それは国民一般の、特に子供たちの実感にはこないことですから、非常に取り扱いを注意しないと国語ぎらいができると思うのです。 それから「字体の標準に関する方針および各字の字体の標準について検討する必要がある。」これは印刷屋さんの要求であったわけです。これは教科書を印刷する場合に字体が同じである。今度は字体をそれにきちんと同じにしなければ点が取れないというような現象が起こった。ということは去年、おととしあたり各新聞でもって国語の問題として大変取り上げられて騒がれた問題ですけれども、お母さんたちはこれでみんな頭を痛めている問題でございますね。私たちも正確に文字を書けるかどうかという正確というのは何が正確なのかといえば、それは印刷屋さんの便宜に従って文化庁ないしはここでもってお決めになった字にぴったり合っているかどうかということであって、必ずしも昔つくられた漢字と——いろいろなのがあるわけですから、便宜ですから、というような問題を含んでいるわけですね。 それから「送りがな」。送りがなというのも結局これは漢字中心主義ですね。 それから「現代かなづかい」。かなづかいと言われていますけれども、これは正式に和語という扱いとはやや違うと思うのですね。これは表記上の問題ですね。どういうふうに表記していくか。「す」に点々するか「つ」に点々をつけるかなどというようなこと、「え」にするか「へ」にするかとかいうような問題でしょう。というようなこと。 あとは「その他」ということですから、ここにあらわれている姿勢は非常に漢語中心。これはその時代の要請であったと思うのですけれども、漢語、漢文中心主義というものに貫かれているということは否定できないのではないかと思います。この善悪は別ですよ。これは必ずしも、いい悪い、そんなことを言っているわけではありませんけれども、その姿勢がそのようであった、漢文、漢語中心主義であった、これは認められますでしょうか。
○安嶋政府委員 漢語中心主義というお言葉でございますが、先ほどから申し上げておりますように、国語はやはり和語の文脈というものが基本でございまして、私ども和語より漢語を重視するというような意味でこの国語審議会の御審議をお願いしているわけではございません。たびたび申し上げておりますように、現在の社会生活において通常用いられている国語の表記というのは漢字とかなのまじった文章でございまして、その中における漢字のあり方というものもこれは大変大きな問題でございます。したがいましてそれがどうあるべきかということについて御審議をいただく必要もあるわけでございます。同時に先生御指摘の音訓の訓でございますが、これはまさに和語でございまして、つまりいろいろな和語に対しましてどういう漢字を当てるかないしはどういう漢字に対してどういう和語の読みを与えるかということがその音訓の問題の非常に重要な部分でございます。したがいまして、和語を含む日本語全体の問題と離れて漢語漢字の問題を取り扱っているわけでは決してないわけでございます。その点はぜひ御理解をいただきたいと思います。
○有島委員 私は漢字は大変大切だと思っているのですよ。それは安心してくださいよ。 それから音訓ということについてはやはり漢字を主体にして和語を考えているということになるわけです。和語を主体として漢字を考えていくのではないということです。そのこともちょっと言ってもいいけれども、たとえば「ならう」という字があります。学習の「習」の字です。これはしゅうと読んで「ならう」と読む。「慣」という字があります。これを訓で「なれる」と読め、こういうわけですね。同時に送りがなを振れというわけですね。あるいは「馴」これを「なれる」と読む、こういうわけです。あるいは「並」と書いてこれを「ならぶ」と読め。あるいは「倣」と書いて右へならえ、これを「ならえ」と読め。あるいは平城京、ならのみやこ、こういうふうに読む場合も出てくる。これは音訓表には出てこないかもしれないが。たとえばこれは私たちは「ならぶ」「ならう」「ならす」「なれる」みんな大体別の言葉だと思っているのです。学校の先生に聞いてもみんなそう思っている。この中でもテストしてみればわかったかもしれないけれども、ならのみやこ、たいらのところ、もともとの和語の感覚というのは漢字によって分断されてしまっているという実態があるのです。ほかの言葉にもたくさんあります。「まなぶ」「まねる」「まねく」いろいろあります。みんな漢字によって大和言葉の方は分断されているということがあります。それは音訓というものを主体にしてやっていけば必ずそうなっていくわけです。今度はそのことの功罪ということはまた別にこれから学者の方が考えるでしょう。しかしそういった実態があるということだけは知っておかれた方がよろしいのではないか、こう思うわけです。 時間がそろそろなくなってきたから、そこでさっき挙げました一番目の問題に戻ります。 海部文部大臣ひとつ国語審議会に対して今度は次のさらに大きな、それこそ国語全体の問題について諮問をなさるという用意を始めていただきたい、いかがでしょうか。
○海部国務大臣 現在の国語審議会は当用漢字表について検討をするという当面の問題点を抱えてこれを諮問してお願いしているわけでありますから一応この問題を片づけましてそれを急務と思いますが、引き続きまして国語全体の問題、いまいろいろ御指摘の和語の問題とか外来語の問題とか話し言葉の問題とか国語全般についてもいろいろ問題があるようでございますから、わが方でも十分検討させていただきますし、また国語審議会でもなるべく広く取り上げていただきたい、こう考えておりますので、検討させていただきたいと思います。
○有島委員 その都度また御報告もいただきたいと思います。 それから文化庁長官、さっきの和語の辞典をおつくりになるべきではないかということですけれども、いままでもいまの送りがなの問題であるとかかな遣いの問題であるとかいうことも相当論議されたという歴史はあります。そのことは省きましょう。特に明治四十一年でございますか臨時仮名遣調査委員会というのがあって、菊地大麓というすごい方が委員長になってそこでもって森林太郎と芳賀矢一、大槻文彦といった方々が委員となられて、大槻さんと森鴎外とが対立したなんというすごい歴史もあるわけですけれども、そのすごい歴史にもかかわらずそこでなされていたことは何かと言えば現代共通語そしてその中における表記文字、その問題なのですね。そういった問題はこれからも時代に応じていろいろな議論があるでしょう、変更もあるでしょう、そういったことは学者に任せてもいいしこれからの問題であろうかと思いますけれども、その議論の材料になるべき和語の総合的な辞典というものが日本にないわけなのです。これはゆゆしい問題でありまして、和語というのは先ほども言いましたけれども古語も含む、万葉時代も含む、それからいまある方言も含む、そうした広い材料の上でもって議論がなされなければいけないのではないだろうか。日本の国に漢和辞典というのは何種類もある。国語辞典というのもあるけれども、国語辞典を調べてみますとその六〇%が漢語でありまして、和語というのはさっき言ったなれる、「ならす」「ならう」などというのは全然別なところに書いてあるわけです。そういうような状態です。それで方言も含んだ和語の辞典をぜひともおつくりいただきたい。これは十年かかっても二十年、大体二十年ぐらいかかるのではないかと思いますが、その着手をされるべきである。これは文化庁長官いかがですか。
○安嶋政府委員 国語研究所の設置法の第二条におきまして、国語研究所が行います事業といたしまして「現代語辞典、方言辞典、歴史的国語辞典その他研究成果の編集及び刊行」という事柄が掲げられておりまして、本年度新たに国語辞典の編集につきまして調査費を計上いたしております。この予算によりまして今後国語辞典をいかなる種類のものをいかなる方法によって編集するかということを検討してまいりたいというふうに考えております。したがいまして先ほど来御指摘の和語の問題もその検討課題の一つとして当然取り上げてまいりたいというふうに考えております。ただ和語だけの辞典をつくるかどうかということにつきましてはいろいろ意見のあるところであろうと思いますので検討させていただきたいと思います。 御指摘のとおり一般に現在出ておりますものといたしましては、歴史的な辞典といたしましては小学館の日本国語大辞典、これは十五年かかったようでございます。それから三省堂から時代別国語大辞典というのが刊行中でございますが、上代編をつくるのに四十年かかったということも聞いております。それからかつて出ております大きなものといたしましては、このほかに岩波書店の広辞苑でございますとかさらに古いものといたしましては吉川弘文館の大言海、こういった有名な辞書があるわけでございますが、そうしたものを踏まえながらさらに充実した国語に関する辞典の編集にこれから取り組んでまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
○有島委員 半ば結構なお話ですけれども、民間でつくりました辞書というのは、売れなくては困るわけです。それで、売れる辞典をつくらざるを得ないわけです。そこで、国でもって民間ではできないようなお仕事、しかも大変基礎的なことをするということになりますと、それは国語辞典というものは幾通りあってもいいけれども、国でつくってもいいけれども、そういう普通のものはほかでもつくれば売れるわけです。しかし、そういうものの一番基礎になることというのは、これはお金もかかる、人も要る、そして長い時間がかかる。こういったことは国でやらなければできないという仕事があるわけですね。そのことをこれは相当深刻に検討していただきたいわけです。
○安嶋政府委員 御指摘のとおり、国でやります以上は、国でなければできないようなそういう企画でもって編集方針を立てるべきものであると考えております。
○有島委員 しかも、学説というのはいろいろございます。ですから、国でもって立てる企画に必ずしも同意できないで去っていく優秀な学者もいるでしょう、いままでもそういったことはたくさんあるわけですから。そういうものの中にまた貴重なものもあるわけです。ですから、複数おつくりになるということをお勧めしたいわけです。ですから、国語研究所でもって直接、ないしはそこで大ぜいの方々を集めてどこかで仕事をなさる。それは政府直接のものがあってもよろしいでしょう。それとまた別立ての、やはり和語辞典というものを民間でつくらせるということ。これも、お金も時間もかかるわけですから、独力ではできません。しかし、日本の国のこれからの文化、これからの言語生活、これを考えましてどうしても必要であろうという結論になれば、これはもう一つつくるというようなことも、欲張った話みたいだけれども、そうしないとせっかくのこっちの官撰辞典が——完全無欠なものをつくるといっても、完全無欠というのは世の中にないわけだから、複数をおつくりになる。少なくとも二通りですね、官撰のもの、それから民間でさせる仕事。これをお考えいただきたい。どうですか。
○安嶋政府委員 学説はいろいろあるわけでございますから、むしろ二つでは足りなくて、三つ、四つあった方がいいということかもしれませんが、現行の辞書を見てみましても、先ほど来先生が御指摘の「ならす」「ならう」「なれる」といったようなことにつきましても、これは語源的にはいろいろな考え方があるわけでございまして、辞書を見ますとそれぞれの語源について各説が併記してあるわけでございます。したがいまして、文化庁なり国語研究所でそういう辞書をつくります場合におきましても、いろいろな有力な考え方を当然併記するという形でまとめるべきものであろうと思います。公的な解釈ただ一つを取り上げてほかをネグるというようなこと、無視するというようなことは、これは当然避けるべきことであろうと思います。
○有島委員 三番目の国語教育の問題になりますけれども、重複は避けて指導要領のことはもう言いませんけれども、基本的に言葉というのは、生活経験、実感、意欲というものを当面の相手に対して最もわかりやすいように、実感してもらえるように、それを系統立てて表出していく、そういった操作でしょう。後はそれを口で言う、あるいは文章で書くということになるわけですけれども、いまの中でもって、不特定の相手に対して行われる作業といいますか文章、これは非常に変則的なものですね。私たちも、不特定の人にたまたま演説をしろと言われたって、非常にやりにくいわけですよ。恐らくだれかを想定して、それでやっているわけですね。だから、話し言葉はまさに生きているわけです。書かれたものでもって、万人に対してもいいようなものというのはなかなか書けないわけで、それは芸術品のたぐいになるわけですね。作品ということになるわけですね。それで、子供たちに文章の練習をさせるような場合に、いきなり不特定多数の者に対して、だれにでもわかるようなものを書けというような行き方は、変則を真っ先に持ってくるというような無理が行われているのではないかと思うわけです。ですから手紙を書かせるとか、何か伝言を書かせるとか、電報を書かせるとか、そういうことがまず一番自然なわけでしょう。それを、だれに読ませるのかわからないけれども、何か見てきてこれを書きなさいと、これは本当は変則なのだということ、これも心得ておいていただきたいわけです。今度の指導要領はどういうふうにお変えになるか知らないけれども、教え方をどう指導なさるかわからないけれども、教科書の中に手紙の文章なんかがときどき出てくるようであります。はがきの文章あるいは電報の文章、こういうものだって、これは本当に生活に必要な言語生活なわけですね。そういうものが全く欠落している。非常に抽象化されたものがお手本のように出ている。 それで、私が非常に心配しておりますのは、国語ぎらいの問題でありまして、この前予算委員会でもちょっと触れておきましたけれども、国立教育研究所からの発表によっても、国語ぎらいというのが年々ふえている、年とともに多くなっているというような現象があるわけです。それから私どもの調査によっても、国立教育研究所の調査よりももっと極端に国語ぎらいの現象が出ている。二年生のときには百人中二十人ほどあった国語がきらいだという子供が、高校の三年のときになったならばそれが五〇%以上になっておった、あるいは国語が好きだという子供が六〇%もいたのに、それが逆に三〇%に減ってしまったというような調査があるわけです。これは国語そのものに対するわれわれのほうの認識が少しおかしかったのではないかという反省が一つ、それからまたその教え方の順序、そういったことについて、ここではぼくも本当に専門家でもないし、ただ気がついたこと、あるいは現場の先生に伺ったこと、あるいは学者の先生から伺ったというか、耳学問的なこともございますけれども、問題を提起いたしますから、国語の勉強というのは、これは勉強の中の一番の基本になるわけですから、一つのかなりスペースを与える、やたら教科書を薄くしたからゆとりができるだろうなどというような考えでなしに、基本的にもう一つ突っ込んで工夫をしていただきたい。いかがでしょうか。
○海部国務大臣 御指摘の意味はよくわかりますし、現在私どものやっております教育課程の精選の作業というものは、やはり各教科ごとに現場の先生の意見等も十分に聞きながら、どうしたら一番基礎、基本になることを身につけてもらえるだろうかという、そこに重点を置いて精選作業を進めておりますから、指導要領の改定作業においては、やはり国語ぎらいという子供が余り出ていかないように、そういうことも十分考えて作業は進めていかなければならぬと思います。
○有島委員 それでは、国語の問題は以上でとどめまして、あと時間を少しいただいて、幼保一元化の問題について簡単に伺っておきたい。 幼稚園、保育園、これは五歳児は全入するように、幼稚園側でも保育園側でも計画を立てていらっしゃるということは承知しておりますけれども、すでに昭和五十年十一月に行政管理庁から勧告を受けて、文部省、厚生省は積極的に協議の場をつくろうとしておられるように聞いておるわけです。その協議会のメンバーは内定していらっしゃいますか。
○諸沢政府委員 現在まだ厚生省と協議中でございます。
○有島委員 幼稚園は何のために行くのだろうか、幼稚園は教育的にどういう効果があって、必要なものなのかどうか、その辺のことは、局長、どうお考えになっていらっしゃいますか。
○諸沢政府委員 幼稚園は、学校教育法に定められた学校ということになっておるわけですが、その目的とするところは、幼児に適当な環境を与えて心身の発達を促すということでございます。ただ、教育といいましても、その教育作用の中身は、小学校から上のような知育を主体とした教育ではない、情操であるとかしつけであるとかあるいは健康であるとか、そういうことを主眼にした教育機関であり、現在の子供の発達段階を見ますならば、まさに三、四、五歳ぐらいのこの時期にそのような教育を施すことは必要であろう、私はこういうふうに考えるわけでございます。
○有島委員 大臣、これはお役所の方から言わせますと幼稚園、保育園は大分違いますけれども、内容的に申しますと、いま諸沢さんがおっしゃったような内容、学齢時以前に集団的なしつけであるとかあるいはいろいろな経験をさせるとか、そういうことは内容的にはほとんど同じような意識を持っておられるようですね。それからそこに行かせるお母さんたち、若い御夫婦たちの意識も、どっちでもいいからどっちかに入れてもらいたいというようなことになっていますね。 そこで、協議会は早くやらなければならないのではないかと思っているのですけれども、これを早急にやっていただきたいということが一つ。それから、そういったトップレベルのお話し合いだけではなしに、地方におきまして保育園、幼稚園の話し合いの場をどんどん、つくっているところもあるようです。それからもう一つは、幼稚園の先生と保育園の先生との合同研修というようなものですね。両方からいろいろな意見も出るでしょうし、話し合いというような場をセットしていくということ、これはかなり急いでなさった方がいいのではないかと思うのですけれども、いかがでしょうか。
○海部国務大臣 幼稚園と保育園というものが、その設置の目的とか、どちらを選択するかどいうときに、お母様方に長時間保育に欠けるから保育をしてほしいという御要望と、それから幼児教育の面にウエートを置いて、したがって時間はそんなに長時間になっていない幼稚園と、二つが定着をし、ずっと伸びてきたわけでありますけれども、いま文部省でお願いしておりますことは、これが幼保一元化だとは思いませんけれども、幼稚園と保育園と両方ばらばらに設置されていることによって、どこか共通なものを生み出していったらそれはよりためになるのではないかと考えまして、たとえば幼稚園教育要領に基づいて教育的な面の一応の目安が決めてございますので、保育園においても教育的なことをおやりになるときにはその幼稚園教育要領というものに準じてやっていただけるならば、入学前の幼稚園と保育所とにおけるレベルといいますか、基準といいますか、それが同じものになることは望ましいことではないか。このことは厚生省にも御同意をいただいてそういった方向で進めておることは御理解いただけると思います。さらに、地域的に、幼稚園が非常にたくさんあって保育園が少ないところとか、保育園はすごくあるけれども幼稚園がないところとかというようなことが地方には間々あるようでございますので、そういうところでは幼稚園と保育園の設置をどうするかというような協議、相談をすでに始めていただいておるところもある、こういうふうに聞いておりますが、文部省といたしましては、まだ幼稚園に入園したくても入園できない人があるわけでして、私の記憶に誤りなければ、現在大体六四%が幼稚園に入園しておる児童の比率でございます。ですから、当面は、この施設を充実をいたしまして、入園を希望される四、五歳児が昭和五十七年までには全員入園できるようにするということを一応の目標に設定いたしまして、その目標を達成するために現在努力を進めておる最中でございますが、御指摘の幼保一元化の問題も、これは目標として一つの重要な検討課題であることは間違いございませんから、できるだけわが方の省内の準備は進めて、厚生省ともいろいろ相談をしてみたい、こう考えます。
○有島委員 いまの、紙の上でもっていろいろ突き合わせていくという問題と、それからもう一つ、幼稚園はどんどん設置してもらいたい、このことは私どももずっと言い続けてきているわけでありまして、これをなお私も促進していきたいと思っておりますけれども、いま申し上げておるのは、幼稚園の先生とそれから保育園の保母さんと、そういったような合同会議の場を何か設けるということをなさってはいかが、そういった提案であります。
○諸沢政府委員 現在の制度では、幼稚園の教諭と保育所の保母さんとは養成のあり方が違いますし、資格も違うということでございますが、しかし内容は、いま御指摘もありましたように、幼稚園教育に準じた教育をしていただくことが望ましいわけでございますから、そういう意味で、最近、地方でも、幼稚園と保育所の教育に従事する方、あるいはそこに小学校の低学年の先生なども入って、一緒に研究会を開きましょうというような機運もあるように聞いておるわけでございまして、私どもも今後いろいろ指導担当の県の係官等の会議の際にもそういうことを申し上げまして、そういう機運を盛り上げて相互に教育内容の研究、向上を図っていただくことは望ましいことではないかというふうに思うわけであります。
○有島委員 望ましいという御返事をいただいたから、それに対して何か援助してあげられることができれば援助をしてあげるように図ってくださいませ。それがやがて今度トップ会談ということにもなるでしょう。 それではあと一問だけ聞いておきますけれども、この前の委員会でもって大臣に御提言しておいた問題ですけれども、虫歯が大変ふえているということから、これはお砂糖の使用量といいますか、これが大変大きな問題だ。しかもあれから三歳児が相当虫歯にやられているという報道がありました。私、直観的に思うことは、自分の体重ほどの砂糖類を年間に食べさせられて育っていった人たちが今度親になって二代目になっている、そういうことも直観的に私は思うわけなのです。これは虫歯だけの問題ではなしに、砂糖の多量摂取ということで、健康全般という問題についても、これはどこかでもって研究しなければいけないのではないだろうか、こう思うわけですよ。この間、大臣はさせますということをおっしゃったから、何かお始めになりましたか。
○海部国務大臣 この前、委員会で御答弁しましてから、私はほとんど連日のように衆参の委員会がございましてお答えに回っておりますので、比較的暇な時間を持っております政務次官を呼びまして、政務次官会議の場で、これは文部省では歯をきちんとみがくことの指導くらいしか思い当たりませんものですから、砂糖を輸入しておる農林省、それから医学的研究をやっておる厚生省それぞれに、大臣がこういう御質問を受けていろいろ考えなければならぬけれども、あなた方のお役所の方でも担当事項については一遍よく考えてもらえぬだろうかというようなことをうちの政務次官から厚生省、農林省にお願いしたわけであります。ところが、砂糖の輸入と直ちに虫歯との関係についてどういう角度から取り組んでいったらいいのか。これは定説ではありませんが、先生おっしゃるように、体質みたいなものではなかろうかということになってまいりますと、それが一体砂糖をとる体質とどうなるかということをまた厚生省にお願いして研究してもらわなければならぬわけでございます。いずれにしても、そういう問題が提起されて、自分たちの範囲でわかるところがあったら少し調べてみてくれぬかということはお願いをしておりますが、ここで御報告申し上げるほどの結果はまだ集まっておりませんので、御了承をいただきたいと思います。
○有島委員 私は厚生大臣にも申し上げてありますので、それはそっちの方でやるかもしれない。私が心配しておりますのは、戦後三十年になるのに、みんな大体気がついているのだけれどもだれも手をつけてないという点ですよ。だからだれかにやらせようといったって、大概うやむやになってしまう話なんです。幸い文部大臣は各大学、研究施設というようなものの指導助言の権限を持っていらっしゃる方であるから、そういったところに委託して、これは虫歯だけには限らない、砂糖の多量摂取ということがどういうふうになっていくのだろうかということはひとつお調べいただいた方がいいのではないか、そういうふうに言ったわけです。それをまた向こうになすりつけないで、文部大臣は文部大臣の範囲でもって何かのアクションを起こしていただきたい、こうお願い申し上げておきますが、いかがですか。
○海部国務大臣 これは突然の具体的な御指示でありますので、しばらく検討させていただきます。できる方法があったらわが方でも調査をさせてもらいます。
○有島委員 終わります。どうもありがとうございました。
○藤尾委員長 山原健二郎君。
○山原委員 私の質問は三つです。大蔵省と文化庁長官に出ていただいておりますので、簡単に二つの問題を先に質問したいと思います。 では、文化庁長官。これは芸術、文化団体の出張公演に伴う旅行の際、国鉄旅客運賃の特別割引を実施してはどうかという質問であります。事情はもう十分御承知だと思いますが、現在専門的な演劇団、歌舞団、オーケストラ、そういうのは大体数十あると思います。それがほとんど東京に本拠地を持っていまして、さまざまな形で地方公演が行われているわけですが、その団体を見てみますと、一つの団体で年間二百回あるいは三百回も地方公演をしておる団体もあるわけでございます。それから一方逆に、これは非専門的な民間団体でありますけれども、地方の文化団体が大都市側の要請にこたえまして出張公演をする例も現在ふえておるというふうに聞いております。現在、日本の芸術、文化というのは大変大都市に集中しておるわけでありまして、地方の住民あるいは学童が受ける文化的、芸術的享受というのは非常に少なくて、わずかに文化庁がやっておる公演があるくらいのものだと思うのです。ほかに、これらの団体に対しましても何ら国家的保障もありませんし、また国がこういう地方に公演活動を活発にしていくということも余りないわけでありまして、国の文化行政としてこの地方公演活動を重視しまして、そして文化庁、文部省としても援助し、また慫慂すべきであるというのが私の考え方であります。ところがこれらの団体は、御承知のように予算が足りないために大変な苦境に立っておりまして、しかも国の援助もありませんから、物価が上がると、今回国鉄運賃の値上げ問題が今国会で審議されておりますが、これらの問題も大きな打撃になってくるわけです。そして結局住民や学童のこういう文化、芸術に対して接触する機会あるいは鑑賞ができなくなって、それが入場料や会費にもろにはね返ってくる、こういう状態でございます。これらの実情について文化庁としては何かお考えになっているか、最初に伺っておきたいのです。
○安嶋政府委員 地方における芸術公演が大切であるということは、これは御指摘のとおりかと思います。そうした課題に対応いたしまして、文化庁では、これも御承知のことと思いますが、子供芸術劇場、青少年芸術劇場あるいは移動芸術祭ということで、これは経費の全額を文化庁が負担をいたしまして、地方におきまして演劇、演奏活動を行っておるわけでございます。前年度予算額が七億二千九百万円でございましたが、本年度はこれを八億一千三百万円に増額をして、さらに内容の充実を図っていきたいというふうにいたしておるわけでございます。それから、これは直営の場合でございますが、芸術団体の補助という予算事項がございまして、前年度の七億九千三百万円を今年度は九億円に増額をいたしておるわけでございますが、この中にはオーケストラの補助でございますとかあるいは劇団に対する補助も含まれておりまして、そうしたオーケストラや劇団が地方に公演に出かけます際の経費も補助対象経費に含めているわけでございます。 そうした方法によりまして地方公演の充実を図っておるというのが現状でございますが、直接やります場合あるいは補助の場合以外の一般の場合につきまして、運賃の割引を考えてはどうかというお話でございます。これは私から申し上げるよりはあるいは文部省全体の問題かとも思いますが、教職員、学童生徒の学割の問題も昨今の国鉄の事情からいろいろ問題になっておるような状況でございます。したがいまして、芸術団体についてさらに特別な割引制度を提案するということは、なかなかむずかしい課題ではないかというふうに考えます。もし地方で公演をすることが国家的に見てぜひ必要であるという場合には、むしろそうした事業を補助事業として取り上げまして、補助事業には当然さっき申し上げておりますように、運賃だけではなくて宿泊費等も含まれるわけでございますから、そうした形でむしろ団体補助の充実あるいは拡実を図るという形で対応をする方が、私は対応の仕方としては妥当ではないかというふうに考えます。したがいまして、具体的な措置といたしましては直接運賃の割引というような方法ではなくて、芸術関係団体に対する補助の充実拡大を今後とも図っていくということで対応したいというふうに考えます。
○山原委員 この問題は当然運輸委員会で審議されるべき問題だと思いますし、またこの国鉄運賃の問題を含めて、これら学生割引の問題とかそういったことも当然問題になると思いますが、援助の仕方には、いま長官がおっしゃったようにいろいろあるわけですね。いずれにしても、このままでは日本の文化、芸術の地方への進出というか、多くの学童や住民に鑑賞さすということは非常に困難な事態になっておると思うのですよ。そういう意味で補助を強めていくということは、文部省全体としては非常に重視してほしいと思いますし、また現在国鉄の割引がたとえば相撲協会やあるいは靖国神社参拝遺族の団体等に対しては、割合は違いますが一割、一割五分とかあるいは遺族の方に対しては五割とかあるわけですから、そういう制度というものはなくしてはなりませんし、同時にいま国鉄当局が考えておるような、そういう学割りも減少させていくというようなことに対しては当然抵抗して、そしてできればこういう文化芸術団体の地方公演に対しても旅費の割引もしていくという方向は私は持ってもらいたいと考えています。きょうはこれ以上ここで申し上げてもちょっと進まぬ問題だと思います。しかしこういう要請は非常に強いわけですね、そういうことを文化庁長官としてうんと認識をしていただいて、さらに補助の問題その他さまざまな援助の仕方というものを検討してほしいと思うのです。 次に、東京教育大学の農学部の跡地の問題についてですが、現在この跡地利用についての計画が、いろいろな団体からの要請があると思いますが、大体どういう情勢にあるか最初に伺っておきたいのです。
○宮地政府委員 お尋ねの教育大学農学部の跡地問題についての地元のどのような利用希望があるかというお尋ねでございますが、地元等の利用希望については、目黒区からたとえば公園、体育施設、高校用地というような利用計画をもって利用したい。そのほか東京都からは、近隣公園、高校用地、養護学校用地等として使用したい。さらに教育大学跡地を考える会から文部大臣あてに公園緑地として利用したいというような利用計画が出ていると伺っております。
○山原委員 いまおっしゃったような主として教育関係ですね、東京都や目黒区の要請というのはほぼ似通った要請になっておると思います。そのほかにいま私のお聞きしたところでは、住宅公団が住宅団地あるいは電電公社が局舎として使わせてほしいというようなことがあるようですが、そういう要請も出ているのですか。
○宮地政府委員 大蔵省あてにそのような要望が出ているということを伺っております。
○山原委員 私は、東京教育大学の農学部跡地は高等学校用地など文教施設として優先をさせるべきではないかという考えも持っているわけですし、また地元の目黒区におきましては御承知のようにもうずいぶん前から計画書を出しております。ごらんになっていると思いますが、こういう計画書をもって、目黒区の今日の実情からいってこれをやってほしいということでほぼ全住民の署名も集められ、区議会あるいは町内会等も決定をして、言うならば東京都の目黒区の全住民の要求として一致した要請が出ておると思うのですね。そういう点で、文部省はこれをどういうふうにお考えになるか。それから大蔵省の方、こういう要請に対してこたえる姿勢を持っておるかどうか、両省にお伺いしておきたいのです。
○宮地政府委員 教育大学農学部跡地の問題につきましては、筑波研究学園都市への移転対象機関ということになっておりまして、この跡地の利用に関しましては、現在国有財産中央審議会筑波移転跡地小委員会で審議中であるというぐあいに承っております。 なお、文部省といたしましては、教育大学農学部跡地につきましてはその一部を大学入試センターとして利用したいということを大蔵省にも申し入れておるところでありますし、また文化庁からは第二国立劇場の用地として利用したいという希望を申し入れておるところでございます。 なお、お話のように地元からも公園緑地等あるいは文教施設として利用する希望が出ているということは承っておるわけでございますが、全体の跡地については先ほど申しましたように筑波跡地小委員会で審議中でございまして、その結論を待って関係省庁とも十分協議をいたしたい、かように考えているところでございます。
○藤尾委員長 山原君に申し上げますが、委員長の不手際で大蔵省の係官がいまだに委員会に出席をいたしておりません。直ちに呼ぶような手配をいたしておりますから、この問題に関する大蔵省の見解につきましては後ほど答弁をさせていただくことにいたします。
○山原委員 大蔵省いないとちょっと話になりませんので、出てまいりましてから質問をします。 それでは、私のきょうの主たる質問であります先ほど小川さんの方から質問のありました教科書問題につきまして質問をいたしたいと思います。 最初に学習指導要領の法的拘束力という問題で小川さんからお尋ねになって、文部大臣の方から御答弁があったわけですが、たとえば現場教師の創意工夫を尊重するというようなお考えのように承って、ちょっとその辺が不明確ですね。これは文部大臣のお話というのは、学習指導要領については法的な拘束力、そういうきっぱりしたものではないのだ、こういう立場でお答えになっておられるのですか。
○海部国務大臣 そうではなくて、法に基づいて文教行政の中で基準を示すということになっておるわけでありますから、だから法に基づいての行為であることは当然の大前提でございます。 ただ、先ほど小川委員とのやりとりの中で、私が槇枝日教組委員長との対談の中で法的拘束力はないと受け取られるような発言をしたのではないかというお尋ねがありましたから、そういう考え方で物を申したこともないし、私は現在も過去もそういうことを申し上げた記憶はございません、こういうことを言ったわけであります。
○山原委員 それは法に基づいて基準が示されたのだという程度でよろしいわけですね、学習指導要領というのは。
○海部国務大臣 学習指導要領を決めるということが法に基づいて文部大臣に与えられておることでありまして、そしてその学習指導要領の内容は法に基づいて文部大臣が決めるのでありますが、それはあくまで基礎的、基本的なことで、日本国民としての必要な基準はどうなのだということを決めるわけでありますから、それぞれの教科ごとにやはり現場の先生などの御協力もいただき、どの辺が基準として妥当なものであるかということはいろいろな皆さんの御意見を聞いて判断もいたしますし決めますし、また現在はやっております指導要領について教育課程審議会の答申を受けて、精選をしたらどうかというその答申の趣旨を受けて精選の作業をしておる、こういうことでございます。ですから、やはりそれは基礎的、基準的な大綱を示したものでありますし、またそれは法によってその権限を与えられて示しておるものであります。ただそれを重箱のすみをほじるように、一字一句何から何まで金科玉条で、現場の先生の創意工夫がそこに入り込む余地は全くないというようにおとり願うことはいささか過ぎたる御判断ではなかろうか。それを利用して、その基準に従って、その大綱に従って、どのようにしたらより身につけてくれるだろうか、よりわかってくれるだろうかということをお考え願う幅というものは、これは設けられております、こういう感覚であります。
○山原委員 この問題は後でまたちょっと教科書に触れて申し上げたいと思いますが、文部大臣の考え方は法に基づいて設けられた基準だというお考えと同時に、それは重箱の底をほじるような形でやるのではないということで、現場の教師、教育関係者の自発性、創意性、工夫というものをかなり大きく評価をされるというか、そういう自発性というものを認めるという立場に立っておられるわけですね。いまのお話ですと。その点まず了解しておきまして、次に移りたいと思います。 教科書検定の問題につきましては、ずいぶん長い論争が行われてまいったわけでありますが、今回教科用図書検討調査審議会の建議が出されまして、その建議についてまた多くの意見があるわけです。一つは中身の不徹底さと、もう一つは一層教育内容統制の危険性を持っているのではないかという危惧の念も出ているわけでございますが、この建議と教科書検定の改善の作業というのは大体いつごろ終わって、いつごろ決定するという見通しを持っておられますか。
○諸沢政府委員 検定制度運用の改善は、新しい学習指導要領を前提として、その新しい学習指導要領に基づく教科書の検定をより適切なものにしようという考え方でございます。ところで、その新しい学習指導要領は現在最終的な検討の段階に来ておるということでございますので、この指導要領ができた、そこでそれを前提として今度は検定制度の改善を考えよう、こういうことでございますので、現段階でいつということをはっきりとまだ申し上げられないわけでございます。しかし、具体的には来年度には小学校の新しい指導要領による教科書の検定が始まりますから、それに間に合うようにある程度期間を置いて、検定を受けられる方も十分検討できるような余裕を置いてつくりたい、こういうつもりでおるわけでございます。
○山原委員 そうすると、逆算して大体いつごろまでに出さなければならぬという文部省の計画があるのですか。
○諸沢政府委員 現在、学習指導要領自体が恐らく来月ぐらいになるだろうと思っておるわけでありますから、したがって、検定基準はそれ以降できるだけ早い機会ということになろうかと思います。
○山原委員 この検定の問題について、幾つか指摘をしながら質問をいたしたいと思います。 第一番は、検定の秘密主義を改めるための措置を講ずる必要があるという私の見解であります。その一つの措置として、少なくとも著作者あるいは発行者の求めがあれば、検定関係の諸文書、特に調査官の意見書あるいは評定書あるいは審議会の議事録、意見書、答申などを提出すべきである、またこれは明らかにしていいものだと思いますが、これについて先ほども御質問がありましたけれども、改めて伺っておきたいのです。
○諸沢政府委員 先ほど言い落としましたけれども、最終的に不合格になったというような場合には不合格の理由を例示して申し上げておるわけでございます。それは確かに具体的に個々の調査官あるいは審議会委員の御意見を生のままお伝えするものではありませんけれども、理由とするところをお話申し上げているということでございます。 ところで、一般的にある行政処分をしました場合に、その結論に至る経緯というものをそれに参与した個々の人々の意見がこうであった、どうであったというようなことを外部に発表いたしますことは、今度は逆に審査に関与された方々にとっては、自分の意見は外部に発表しないというたてまえであるがゆえに比較的自由に自分の考えを述べていただいておるということが実態であろうかと思いますので、それが皆外へ伝わるのだということになりますれば、これはある意味ではそういう関係者の方々に心理的抑圧を与えることにもなりかねないということもございますので、私どもはこれを公表するということには踏み切っていないわけでございます。
○山原委員 そういう秘密的な隠微な文部省の姿勢に問題があるのではないでしょうか。教科書の検定に携わる方たち、それぞれ一定の見識を持つ学者の皆さんだと思いますし、そういう方が公然と自説を固執する場合もあるでしょうし、また自分の見解を発表してもちっとも構わないわけで、よい教科書をつくろうとするならば、それこそ明らかにされた中で論議をされていく、これがよい教科書をつくる最大の前提ではないでしょうか。それが、自分の発言は外には出ないのだから、ここでは何でも言えるという、およそ学者の良識からいってもふさわしくないことを文部省は制度としてつくっているのではないか。だから、この秘密主義という点が、日本の教科書検定制度が何となく暗い、陰うつな、刑務所の中の閉じ込められたようなところでやっているような感じを、大変悪い表現ですけれども、与えるわけですよ。だから、先ほどもお話がありましたけれども、調査会に調査官の意見書を出してもいいし、それから審議会の会議録——先ほど会議録も余りないようなお話でしたが、およそ議事録のないような審議会は余りないと思うのですが、そういう点では、諸沢局長、どうですか。もう少し公開性といいますか開放性といいますか、そういうものをもって公然とよい教科書をつくるのだという立場を文部省はとる決意はないですか、伺っておきたいのです。
○諸沢政府委員 審議会の記録がないと申し上げましたのは、先ほどはこの制度運用改善の建議の場合について申し上げたわけでございまして、一般的に教科書の検定の場合はもちろん記録をとっているわけでございます。そうしまして、繰り返しますけれども、最終結論においてこれは不合格だという場合にはある程度不合格の理由を申し上げましてどうして不合格になったかということははっきりさせておるわけでございますから、あらゆる場合について一々その審議の経緯を、個々人の意見なりあるいは評定書等に基づいてこれを公にするという点は、先生おっしゃるような意味でのメリットはあるのかもしれませんけれども、反面のデメリットを考えますと、私どもはやはりこれを公にするのは適切でないというふうに考えるわけでございます。
○山原委員 私は一般的に天下に公表せよという主張をいましているのではないのです。だから、少なくとも著作者あるいは発行者の求めがあった場合はという、少し条件をつけた形で言っているわけですね。そういう求めがあった場合にはこれらのものを見せていいのではないかという考え方でございます。これが第一点ですね。大分見解が違うようですが、どうですか。著作者あるいは発行者から特に求めがあった場合には、こういう資料については見せるということまでいけないという見解ですか。
○諸沢政府委員 お言葉を返すようでございますけれども、教科書の著作者というのもこれはいろいろございまして、一人で全巻を通して書かれるという例はまずない。それぞれのパートを受け持って書かれます。あるいは書く場合も監修的な立場に立って書かれる人もあり、一様に名前は連ねておりますけれども、実態はかなり違っております。 また、教科書の発行者といっても、その発行に直接責任を持つ方もおられますが、当該発行企業の一職員という場合もありましょうし、非常に範囲が広いわけで、そういう簡単な限定の仕方ではいかないのではないか。 そうしまして、これは先ほどもちょっと申し上げましたけれども、決して通常起こることではございませんけれども、そういう経緯を詳細に話しますと、もしこれが一般の方に漏れた場合はどうかということでございますが、教科書の発行は、御承知のように民間の企業が何社でも競争的につくっておるということであり、そして決して望ましいことではない、非常に注意しなければいかぬことでありますけれども、過去の実例などを見ますと、やはり企業同士で競争のために相手の会社を誹謗中傷するというようなこともないではないわけでございます。そういう場合に何を材料にするかというと、これはいろいろございますけれども、やはり相手の教科書の欠点を言い立てるということも、これはないわけではない、そういうような心配もございますので、これは決して一般的ではございませんけれども、やはり公表するということになりますと、簡単にごく限られた人であればいいのではないかということには私はいかぬように思うわけであります。
○山原委員 次に検定における採点の基準あるいは合否判定の規定といいますか、そういったものはいかがでしょうか。求めがあった場合にこれを見せるということはどう考えますか。
○諸沢政府委員 詳細には、私正確には記憶いたしておりませんけれども、検定の合否を決定する場合には千点をたしか満点としてそれに創意工夫の点数を若干加え、そして今度は組織配列であるとか取り扱い内容であるとかあるいは正確性であるとかいうような八つほどの角度があって、それぞれの角度から原稿を審査し、欠点とされるところを欠点の大きさによって所定の規定に従って減点をするということで、その減点した結果が八百点に満たなければ不合格だ、こういう取り扱いでございまして、その大筋のやり方というのは発表しております。
○山原委員 合否判定に関する規定、内規というのがありますね。
○諸沢政府委員 おっしゃるように省令等の形ではいま言ったようなことは規定されておりません。
○山原委員 内規はあるのですか。
○諸沢政府委員 内規はございます。
○山原委員 この内規の中に、「この内規の実施について必要な事項は別に定めるものとする。」となっておりますが、この実施について必要な事項を別に定めたものはございますか。
○諸沢政府委員 その内規の実施のさらに細目という形で申し合わせができておるようでございます。
○山原委員 この内規の中にある「この内規の実施について必要な事項は別に定める」というのは先ほど小川議員に御答弁になりました調査官申し合わせというものですか。
○諸沢政府委員 これは調査官申し合わせというよりは、やはり教科書担当課において定めた課としての内規、こういうふうに考えております。
○山原委員 これは内規というのはどこの内規になりますか。ちょっと正確に私は知りたいのですが、この内規と、申し合わせというのはどこの申し合わせですか。
○諸沢政府委員 いま申し上げました内規の実施についてというのは教科書を決定する担当官全員に及ぶ内規でございます。それから申し合わせというのはそれぞれの教科ごとに、たとえば社会であるとか数学であるとかそういう教科ごとに検定をする場合の意思統一を図る、こういうのを申し合わせと言っているようにいま聞きました。
○山原委員 そのほかに調査官申し合わせというのがあるのですか。
○諸沢政府委員 そのほかにあるわけでございますが、どうも全教科ではないようでございますけれども。
○山原委員 この合否判定に関する内規、またこれに伴うところの「この内規の実施について必要な事項は別に定めるものとする。」という申し合わせ、それから調査官の申し合わせ、この三つを私どもにお見せいただきたいのですが、いかがですか。
○諸沢政府委員 一番最初に申し上げました検定申請原稿の調査評定及び合否判定に関する内規、これはその審議会の決定でございますので一般にもお示ししておるわけでございますが、それ以下の細目あるいは各調査官の申し合わせ等は事務処理上の必要に応じてつくられた内部の事務処理の問題でございますから、これは外部にお見せするということは考えていないわけでございます。
○山原委員 たとえば先ほど小川議員に御答弁になりました調査官申し合わせですが、これはいまおっしゃるように実務的、事務的なものだという御答弁で、したがってお見せする必要はないと小川さんにお答えになりましたけれども、これは実務的、事務的なものなら見せたってちっともかまわないではないですか。いやむしろこれはもっと重要な中身を持っているのではないですか。たとえば実際はこの調査官申し合わせが採点の基準に資するものを申し合わせているのではないですか。その点はっきりさせていただきたい。
○諸沢政府委員 私いま手元に持っておりませんので具体的に申し上げられませんけれども、やはり調査官が検定という事務をするわけでありますから、その事務処理の上でお互いに意思統一をしておくに必要な事項というのはやはり申し上げておく必要がある、こういうふうに聞いております。それは必ずしも一般にお示ししてどうこうするというようなものとは私は考えませんので、内部の取り扱いということにしておるわけでございます。
○山原委員 局長は初等中等局長としてこの教科書問題で重要な立場におられ、ここで御答弁なさっているわけですが、どうもこの中身をよく御承知ないのではないか。というふうに思っておりますとか事務的、実務的なものだというお答えですけれども、この中にたとえばこういうことがあれば大変なことです。明治憲法の記述について、これはアジアにおいても一番先にできた憲法などという記述がなければマイナス十点になるとかそういう減点の基準までこの調査官申し合わせの中にあるのではないかということを私は質問しているわけです。これははっきりさせてもらわないと、それは一例ですからそんなことまで例として述べておるだけですけれども、そういうことまで含めて採点の基準になるようなものがこの調査官申し合わせの中にあるのではないのですかということを聞いているのです。これは正確に答えていただきたい。
○諸沢政府委員 いま担当官に聞きましたところでございますが、具体的におっしゃるように明治憲法について記述がなければ大減点だ、そういうような具体的事項を挙げての申し合わせというのはないということでございます。
○山原委員 では何かあるのですか。——見せないからそういうことになるのですよ。
○藤尾委員長 不規則発言は慎んでいただきます。
○諸沢政府委員 いま手元にございませんので正確な御説明でないとあるいは誤解を招くかと思いますが、調べまして次の機会にでも御報告させていただきたいと思います。
○山原委員 委員長にお願いしますが、小川議員からもこの要請がございましたので、もちろん文部省がどうしても見せてはならぬというものまで私ども要求するものでもないわけですが、しかしその辺の中身の問題について多少あいまいな場合は一応理事会等において検討していただきまして、資料の提出は適切なものであれば、本委員会の審議に資するものであればぜひ提出をしていただきたいと思いますが、この後からも資料の要請があると思いますけれども、委員長としてそういう御判断をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○藤尾委員長 その取り扱いにつきましては委員長に御一任願いたいと思います。
○山原委員 次に、特に不合格の場合ですね、その場合にはその理由を文書で告知すべきだと私は考えているわけでございますが、この点はどうでしょうか。
○諸沢政府委員 現在は直接責任者に来ていただいて、口頭をもって詳細に説明をしておる、こういうことでございまして、文書でやるというのも一つの方法かもしれませんけれども、何しろ膨大な原稿の一点一点でございますから、やはり私どもは口頭で意を尽くして説明をした方がよろしいのではないかというふうに考えておるわけです。
○山原委員 口頭で意を尽くしておりますか。先ほどは例示ということがあったのですが、例示ではなくて意を尽くしてこの個所、この個所、この個所と具体的に示して、これが不合格の理由であるというふうに言っておられるのですか。どっちですか。
○諸沢政府委員 私は、意を尽くすというのは不合格個所を全部列挙して説明するというふうには考えていないわけでございます。それは、先ほども申し上げましたように、教科書の検定というのは、相手の方が創意工夫をこらしてつくる、そしてその創意を生かすところにあるという前提でやっておるわけでございますから、不合格の個所は全部、こことこことここですよと言って、最終的に文部省と著作者が教科書を合作するような形になることは望ましくない。やはり幾つかの例を挙げまして、全般をもう一度見返してください、そこでまた検討をしていただいて、よりよい教科書をつくるように努力していただくというのが検定として妥当だろう、こういうふうに思うわけです。
○山原委員 この例示の問題ですが、局長、先ほどからそういう御答弁をされているわけですが、何か不合格の個所を具体的に示せば、文部省と著作者あるいは出版社とが共同で著作したようなかっこうになるからぐあいが悪いのだという、これは私はちょっと詭弁だと思うのですよ。条件つき合格の場合には、たとえば八百一点で合格したものについては、その記述の部分について、条件つきのその条件の部分については具体的に示しているではないですか。示して合格になっているのではないですか。しかもそれは相当の個所を、文部省がこことこことここというふうに示して、そして条件つきで合格をさしている。共同合作の教科書になるのだという言い方をするならば、その点だっておかしいわけで、共同合作したって構わぬわけですよ。事実、文部省自体が条件つき合格の教科書については、共同合作とあなたが言われるようなことをやって合格にしているのではないですか。だから、そういう詭弁は使ってほしくないと思うのですが、どうですか。
○諸沢政府委員 改訂検定の場合、既存の教科書を何カ所か直すという場合には、先ほども御説明申し上げましたけれども、この個所は改訂にならぬから不合格だ、これは結構でしょうというふうに、一つ一つ確かにやります。ところが、新しい教科書原稿が来て不合格という場合には、御指摘のように全部挙げてもいいではないかという御意見でございますが、しかし、教科書によりましては、一冊の本に不合格個所が二百点も二百五十点もあるという実態に対しまして、それを全部挙げてこれはだめです、こういうことを言って全部書き直させるということになりますと、これはやはり私はどうかと思うわけでございます。したがって、主なところを申し上げてやるというのが結局実際的だと言わざるを得ないと思います。
○山原委員 諸沢局長、大変オーバーなことを出されても困るのですよ、例示で。幾つかの個所を具体的に示してやれば、それを改善して合格になる場合もあると私は思うのですね。だから、二百カ所も三百カ所もあるというような問題を出されてくると、こっちもちょっと困るのです。ですから、そういう点は単なる例示でなくして——とても初めからはしにも棒にもかからぬというものがあるとは私は思いませんけれども、それはまた、そういう例示ではなくして、ここの個所を直せばいいのではないかという点はやはりきちんとその点を指摘をして、この個所は修正すべきであるとかいうようなことはできないものでしょうかね。ただ単なる例示であれば、端摩憶測をして、著者にとっても出版社にとりましても、文部省はああいうふうに口頭で言ったのだが、これは例示で言われたのだから、まさに推測と憶測で教科書を再提出するための七十五日間に全部書き直さなくてはならぬ、そこまでしなければならないものかどうか。その辺は例示という言い方でなくして、場合によってはこの個所この個所が不適切であるというようなことだってやれるのではないかと思うのですが、その点はいかがですか。
○諸沢政府委員 私は、やはり例示という前提でこれを考えた方がよろしい。ただ、その例示する例示の仕方は、その教科書が持っております欠点というようなものを全体的に見た場合に、これとこれとこれを挙げてお話をすれば他の部分も類推して考えてもらえるであろうというようなそういう配慮を担当官としてはした方がよろしい、こういうふうに思って、それはそれぞれの専門家にお願いをしておるわけでございます。考え方としてはそういうことでやってまいりたいと思っておるわけでございます。
○山原委員 諸沢さんはその衝にあって現在の検定制度を防衛する立場にあると思いますので、大変かたくなに御答弁なさっているのですけれども、例示といいましても、たとえば社会科などで農民が領主に対して抵抗した、この抵抗はぐあいが悪い、反抗ならいいというような一定の歴史観とかいうようなものが出てくる場合に、これは憶測、推測でそういう例示を示された場合に、どの程度に改訂していいものか、そういう状態に置かれるのではないかと思うのですね。だからそれは、いま私は本当の具体的な作業というものがよくわかりませんので少し素人考えで申し上げているのですけれども、そこらに全く余地もない、弾力性もない状態でいかれるのか、あるいはその点などについては相当改善すべき余地があるのではないか、それはとりもなおさず、よい教科書をお互いにつくっていくという立場に立つならば、その共通の場面は出てくると私は思うのですが、この点はいかがですか。
○諸沢政府委員 現在は大体その不合格の理由説明をある程度の時間をとって両者が話し合いをするということでやっておりまして、私は今後も不合格の場合はそういうやり方でいくのが適当であろうと思うわけでございますが、その際にできるだけ相手にいろいろ不必要な不信感なり不安感を与えるようなことでなしに説明をするという態度でやってもらうように、今後は一層努力をしてまいりたいと思うわけでございます。
○山原委員 次に、いわゆる教育の自由の原則に基づきまして、検定の拘束性というものを緩和して著作者の創意工夫を尊重する立場をとってほしいという点から質問をするわけですが、そのために学習指導要領にいわゆる法的拘束力という持たし方でなくて、まさにその学習指導要領の細目に至るまで従わなければ減点の対象となるような現行の検定基準や実施細則などは改める必要があるのではないかと思いますが、この点はいかがですか。
○諸沢政府委員 少しく説明をさせていただきますけれども、学習指導要領自体は御承知のようにそのもとを学校教育法に置き、学校教育法から施行規則に委任され、その施行規則において、小学校、中学校、高等学校の教育課程は別に文部大臣が公示する学習指導要領の基準によるとなっておるわけでありますから、そういう意味で法律的に言えばこれは拘束性があると言わざるを得ないわけでございます。ただ、実際の学習指導要領が一体それでは一から十まで全部拘束的な書き方になっておるかということでございますが、それはごらんになっていただけばおわかりのように、それぞれの教科について目標と内容、それから現在では内容の取り扱いもございますけれども、書き方としては、こうするものとするというようなところもございますが、こうすることが望ましいとか、そういうふうな表現になっているところが相当多いわけでございますから、そういう意味では、望ましいというようなところはある意味では訓示的な規定と言えようかと思うのであります。そこで、そういう学習指導要領を踏まえて、教科書の検定は学習指導要領がある意味では実質的な基準をなしておるということでございますので、検定をします際にも学習指導要領でぜひここのところは欠かしてはならぬ、たとえば小学校の日本史で言えば上代から現代に至るまで一通り取り扱わなければならぬわけでございますから、それの主なところを飛ばしてしまうということは指導要領として認められないということでございますが、しかし先生御指摘のように、一々学習指導要領の細かい、こうこうするものは望ましいのだというところまで、もし検定でそれは望ましいという規定に反するからこう書かなければいかぬのだというようなことを言うたとすれば、それはやはり行き過ぎだと私は思います。しかし現在そこまで検定を強化してやっておるというふうには見ていないわけでございます。
○山原委員 たとえば学習指導要領の細目の一例でございますが、小学校一年生の理科ですが、内容の取り扱いの場合、身近な動物というのでウサギ、シロネズミ、鶏、小鳥、フナ、金魚などが考えられるというのがございますけれども、いま私が言いましたこの動物以外に、たとえば犬とかネコとかいうものはないわけですが、こういうことについてまで減点対象になるというようなことはまさかないのでしょうね。
○諸沢政府委員 それはそれぞれの教材を使う目的に照らして適当なものを使えばいいのだろうと私は思います。 それからなおつけ加えさしていただきますけれども、今回の学習指導要領の改定に当たっては、こういう点について、いまおっしゃった点をどうするということではございませんけれども、一般的な考え方として、低学年で使う教材なども特に必要がある場合以外はむしろ例示、列挙しないで、その辺の判断は学校にお任せした方がよくないだろうかという方向で、それはまた指導要領自体の簡素化にもつながることでございますから、そういう方向でいま検討してもらっておるわけでございます。
○山原委員 そうすると、こういう点では多少いままでの検定基準や実施細則を改めるというお考えですか。そういうふうに受け取ってよろしいですか。
○諸沢政府委員 まず学習指導要領を改める、そしてそれに即応して今度は検定基準も改める、こういう考え方で作業したいと思っておるわけでございます。
○山原委員 教科内容の精選の問題で学習指導要領の問題が出てくるわけですが、この精選のチェックですね。建議を見ますと、精選されているか否かという新たなチェックの方式が入ってくるかもしれないという建議の中身になっておりますが、こういうことはすべきではない、むしろそういう点については著作者の創意工夫を尊重していくべきではないかと思うのです。もっと単純に言いますと、精選されているかどうかという点でまた新たな検定の基準を設置するという必要はないと私は思います。もっと著作の創意工夫というものを生かしていくという立場をとるべきではないかと思いますが、この点はどうでしょうか。
○諸沢政府委員 精選というものをどういう形で基準化してやるかというのは確かに一つのむずかしい問題点でございます。特に、それを著作者の創意と工夫といいますか、それを生かしながらしていくということでございますから、むずかしい課題ではございます。したがって、それはいまいろいろ検討しておるわけでございますが、そういうことをしない方がよろしいという点につきましては、従来の教科書というのを見ましても、これは率直に申し上げまして各社がつくっていく教科書というのは、黙って見ていますと、その内容が詳しく、いろいろな教材がたくさん入ってくるというような傾向がどうしても出てくるわけでございます。それはやはりその教科書を採決する方にも十分注意してもらわなければならない問題なのですけれども、実際はそういうふうにいろいろなものをたくさん書いてある方が、わが社の教科書はこういうものですといって、どうも売れ行きがいい、あるいは採択部数が多いというようなことが現実にあるように思われるわけでございまして、したがって、それは今回せっかく教育課程を改定して簡素化しようということでございますから、私はその点は何とかして精選というものが教科書の上でも実現できるように配慮していく道はないかというふうに考えておるわけでございます。
○山原委員 そうしますと、その点での新しい基準を設置するという考えでしょうか。それほどのことは必要ない、文部省の言い方からするならば、あなた方の立場に立っても、現行でも組織、配列、分量などというような必要な項目が出ているわけですが、それすら私どもは問題に思っておりますけれども、改めてチェックする基準をつくる必要はないと思うのですが、そういうふうに考えてよろしいですか。むしろいまの指導要領を変えなければならぬという全国的な風潮、そういうものに沿って著作者の方たちが創意工夫をしていくという、その自発性、自主性というものを尊重する立場の方がむしろいいのではないかと思いますが、新しい基準というものはつくらないわけですね。
○諸沢政府委員 新しい基準と申しますか、現在の基準は、先ほども申しましたように、正確性とか内容の選択と扱いとか、あるいは取扱内容とか、八つの着眼点を示しておるわけでございますが、この八つの観点につきましては、たとえば組織、配列、分量という観点と内容の選択と扱いというのは、ちょっと観点としては重複する面もあるのではないかというような意見も従来ございました。 そこで、そういう点を考えて、それからいま申しましたように内容の精選というような観点も考えて、そしていまの検定基準を改正する。新しくつくるといいますか、基本的な考え方は、やはり幾つかの着眼点をもって検定をするわけでございますが、その着眼点を整理し、より合目的的な検定基準とするように改善、整理をしたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
○山原委員 では、新しくつけ加えて基準をつくるということでなくして、いままでの分も含めて改定をしていくという考えですね。
○諸沢政府委員 そうでございます。現在あります検定基準を改善するという考えでございます。
○山原委員 その際に、精選とは一体何ぞやという問題が論議されるわけでございますが、たとえば文部省側が気に入った精選とはかくのごときものだというような、そういうものが入る余地はあってはならぬと私は思うのですが、その点いかがですか。
○諸沢政府委員 まだ具体的に案をつくっておるわけではございませんが、基本的な考え方としては、新しくできますところの学習指導要領の趣旨が実現されるような見方ということになろうかと思うわけでございます。
○山原委員 この問題についてももう少し述べたいこともありますけれども、限られた時間なので先へ進めたいと思います。 誤記、誤植による検定受け付け拒否制度というものはやるべきではないと思いますが、これについてはどういうお考えを持っていますか。
○諸沢政府委員 大体の教科書原稿を拝見しますと、そんなにひどい誤記、誤植があるわけではないのですけれども、中に、一ページに何カ所も誤記、誤植があるというような原稿も、これまでの経験に徴すると、ないわけではないわけでございます。ところで、そういう原稿を審査するということになると一体どういうことになるかと言いますと、本来的に言えばとても合格にならぬというようなものでも、最初のページから最後まで全部審査をしなければならぬということになるわけでございます。そこで、そういう非能率的な作業をやはり避けて、本来の意味での検定を十分充実するにはどうしたらいいかということになりますと、御指摘のように、ただちょっと見てこれは誤植が多そうだからだめだというのではこれは問題だと思いますけれども、そこはやはり客観的に基準を考えまして、一定のページ数の中に一体どのくらい、けた外れに誤植が多かった場合はどうかというような何か客観的な基準を設ける、そういうごく特殊な場合に、それは一応差し戻していただいて、もう一回直して持ってきてくださいということの方がお互いのためにもよろしかろう、私はこういうふうに考えております。
○山原委員 ごく特殊な場合というお話でございますが、その点はわかりますけれども、誤植というのはわかりますけれども、誤記というのは、たとえば社会科の場合なんかの誤記というのはどんなものを指しておりますか。
○諸沢政府委員 これは、どこまで指すかというのは、これを実際にやる場合にはもう少し正確に限定しなければいけないと思いますので、いまほんの例示として申し上げますならば、最近の例を申し上げますと、大体誤植に近いような場合が多いわけですけれども、たとえば「符号」の「符」というのを「付」という字を書いてきたというような場合ですね。これは本来誤植なのか、あるいはそもそも原稿が間違っているのかちょっとわかりませんけれども、そういう場合とか、あるいは「中生代」というのが「中性代」になっていたりというようなものを、誤植か誤記かちょっと判然としませんけれども、大体そういうような一目見て間違いが明確になっておるものというふうに考えていただいてよろしいかと思うわけでございます。
○山原委員 誤植の場合はわかるのですが、特に誤記の場合ですね、まさに竹かんむりがないなどというのは誤植の部類だろうと思いますが、たとえば誤記というものが恣意的な運用をされると困るわけですね。これはどういうふうにチェックされるのですか。
○諸沢政府委員 それは、先ほど申しましたように、現時点でまだ具体的やり方を決定しておるわけではございませんけれども、基本的な考え方としては、おっしゃるように、そこに余り恣意的な判断が入らぬような、だれが見ても明白な誤りであるというようなものに限定して考えていくべきだろう、こういうふうに思っております。
○山原委員 次に、検定機関の公正な運営の問題についてでありますが、たとえば審議会の委員とか調査官などの選考の基準というものを明らかにされた方がいいのではないかと思います。そしてこれらの審議会の委員あるいは調査官などの推薦につきましても、たとえば学術会議とか、あるいはそれぞれあります、歴史学会とかそういう関係機関の推薦を受けるというような、いわゆる審議会調査官の民主的な選考といいますか、そういう基準について改める必要があるのではないかと思いますが、どうでしょうか。
○諸沢政府委員 審議会の委員は、文部省に置かれます審議会の委員でありますから、文部大臣が任命する非常勤の国家公務員であり、また調査官は文部省にあって教科書検定事務に携わる常勤の専門職でございます。したがいまして、その任命に当たってはいわば文部大臣が責任を持って選考し、任命すべき職員であろうと思います。ただ、その過程でいろいろ関係の方々の御意見を聞いたりということは、これまでもやっておりますので、そういう形で今後も適正な人を選ぶように努力をしていきたい、かように思います。
○山原委員 次に移りますが、現行の不合格処分は、著作者、発行者の反論、弁明の機会が全くなく、教科書内容の改善、向上にとって無用の制度であるというふうに思うのです。これをなくする方向で検討していく必要があると思いますが、その一つとして少なくとも発行者側には不合格の理由のすべてを処分前に文書で明らかにしてはどうかということでありますが、先ほども多少触れましたけれども、改めてこの問題を伺っておきたいのです。
○諸沢政府委員 その点は、この建議の中にもありますように、現在条件つき合格の場合にのみ与えられております機会というものを、「不合格処分についても、審議会の不合格処分が内定した段階において、事前に著作者、発行者が意見を述べる機会を設けることなどを検討すべきである。」こう言っておりますので、この趣旨に従いまして現在検討をしておる、こういうことでございます。
○山原委員 文部省側と発行者側でどうしても記述をめぐって歩み寄りのない個所については、文部省側の見解を押しつけるようなことをしないでB意見とし、教科書記述として妥当かどうかについては採択の場に判断をゆだねるべきであると思いますが、いかがでしょうか。
○諸沢政府委員 文部大臣は教科書の検定を行って教育上適切であると判断した教科書を世に出す責務があるわけでございます。したがいまして、教科書を著述する側と決定する側において意見が合わないからと言って、それは採択者の判断にお任せしましょうということには私はならないと思うわけでございます。その点につきましては、現実に個々のケースについて、もちろんできるだけ話し合いをし、どちらかにはっきりさせるということが、やはり望ましいのではないか、また責任を全うすることではないかというふうに考えるわけであります。
○山原委員 著作者側の修正も含めましてB意見扱いとなったものは減点対象とすることなく、それによって合格点に達した場合は不合格処分を撤回すべきであると思いますが、いかがでしょう。
○諸沢政府委員 個々の検定について文部省の意見としてA意見とB意見とあり、欠点であるからこれは直さなければ合格にならないというのがA意見であり、欠点だけれども直さなくてもまあいいだろうというのがB意見でございます。したがって、現在の検定の対象として個々に減点といたしますのはA意見だけということでやっているわけでございます。
○山原委員 次に、検定の周期の問題でございますけれども、検定周期の延長という問題が建議の中にも出ているわけでございますが、この点について教科書協会が本年の二月に意見書でしょうか、あるいは申し入れでしょうか、文部省に対してこの周期の延長は時期尚早であるという意見を出しておりますが、この点は文部省は承知しておりますか。
○諸沢政府委員 そういう意見のあることは聞いております。
○山原委員 これは意見のあることを聞いているのではなくして、申し入れ書あるいは意見書のような形態で出されているのではないでしょうか。
○諸沢政府委員 文書の形で申し入れば来ておらないようにいま聞いております。
○山原委員 どういう形で来ておりますか。
○諸沢政府委員 私の聞きましたのは、その教科書協会のメンバーの方と、文部省の担当審議官でありましたか、いろいろ検定の問題について話し合いをしたときにそういう意見が出ましたという報は受けております。
○山原委員 その点は正確にしていただきたいと思うのです。あるいは文書によって統一した意見として出てきておるのか、単なる話し合いの場にそういう意見が出たのか、ずいぶん違いますので、業界といいますか、教科書協会として統一した申し入れだと私は思っているわけでございますが、これはなお調査していただきまして、文書が来ておればこれは私たちにも披瀝をしていただきたいと思いますが、いかがですか。
○諸沢政府委員 調査いたしまして、お申し出の趣旨に即して処理をいたします。
○山原委員 検定周期の延長につきましては、採択周期も延長されることになりますし、またそれは教科書販売競争の激化を招来するとともに、ひいては教科書発行会社の減少となると思います。そして教科書種類の数も減少してくると思うのです。そうしますと、現場ではどういうことになるかといいますと、教科書の長期固定化となって教育の画一化をさらに進める可能性も持ってくるわけであります。したがって、この検定周期の延長というのはかなり慎重に検討されなければならないものだと思いますし、建議の中にも多種類の教科書があるということについては評価をいたしておるのでありますが、この点について文部省の見解を伺いたいのであります。
○諸沢政府委員 確かに検定周期を現在の三年から四年、五年と延ばしますならば、それだけ教科書を書く方の立場に立って見れば時間をかけていい教科書がつくれるというメリットはあるわけでございますが、半面、御指摘のような点もございますので、私どもとしましては、この建議を受けましたけれども、なお十分慎重に検討してまいりたい、かように思っておるわけであります。
○山原委員 この検定制度の改善というのは非常に重要な問題でありますし、教科書問題をめぐりまして十二年間にわたる教科書裁判も続けられてまいっているわけです。したがってこのような問題についてはかなり民主的で、しかも国民あるいは教育関係者の声を聞くということが非常に重要だと思うのです。そういう意味で、私は最初から申しておりますように、いわゆる開かれた審議会というような形態もとるべきでありますし、また具体的な提案としまして、たとえば公聴会を開くというようなことをぜひ行うべきだと思っているわけでございますが、これは国民の声を聞くという意味で非常に重要なものだと思います。これについては、局長ではなくて文部大臣に伺いたいのであります。この教科書検定の改革、改善に当たりまして、公聴会を開きまして各方面の意見を聴取するというお考えはありませんか。
○海部国務大臣 教科書の検定は、その図書がやはりいいものになっていかなければならぬということで、いいものというのは学習指導要領を基準として教科書の内容の扱いが教育的見地から見て公正か、妥当かといういろいろな点がございます。そこで、きょうまでも恣意的に一部分の人で決めるのではなくて、やはり多くの人々のいろんな意見が反映されるように仕組み、制度としては私はなってきていると思いますけれども、教科書検定審議会の総括部会に学識経験者、現場の教員の方など、十一名の臨時委員の参加も求めて、また教科書協会等からも広く意見を得て行っておるというふうにきょうまではなっておるわけでありますし、なおこの改善案をいろいろと出されたわけでありますから、今後も調査研究は続けてまいりたい、こう思います。
○山原委員 そうしますと、文部大臣としても現在の審議会あるいはこの教科書検定の構成からいって公聴会まで開く必要はないというお考えに立っておられるのですか、そういう問題についてもさらに検討してみるというお考えに立っておられるか、この点を伺っておきたいのであります。
○海部国務大臣 最初申し上げましたように、文部省の人間だけで暗いところで、刑務所の中でやっておるというような御表現がありましたが、そんな暗いものではなくても、いまでさえ先ほどから言っておりますようにいろいろな方々の意見を聞いて、公聴会という形式にはなっておりませんけれども、いろいろな意見を聞いて公正にやっておる、私はこう判断をしておりますので、公聴会をするかどうかという具体的な御提案は御提案として承っておきますし、現在の制度の運用についていろいろ改善の建議も受けてその方面等を考えておりますから、そういうことの中で一層その御趣旨が生かされるように努力をしていきたい、こう考えます。
○山原委員 大臣の方も公正にやられているというお考えでありますけれども、しかしこの教科書検定問題をめぐってずいぶんいろいろな意見が出てきたことは、歴史的に見ましても現状から見てもこれは否定をできないわけでございまして、私は幾つかの点を指摘をして質問を申し上げてきたわけでございますが、先ほどの局長のお話では五月といいますか、やはりかなり実施も急いでおられるようでございますが、私はこれが一方的な手直しにならないことを心から求めているものでございます。ことに、この教科書検定について違憲違法の問題も提起されて、そういう意味で国民的な批判も強いわけですね。そして現行の検定制度そのものについても単なる手直しでなく抜本的に検討する必要があるのではないかという大きな世論もあるわけでございます。これはいままでの裁判の記録を見ましても、たとえば一昨年十二月の東京高裁の判決におきましても、「そしりを免れぬ」という言葉も入っておりますし、またあの厳しい高津裁判でも、「表現の自由については謙抑的態度を持すべきである」、こういうふうに述べておる点から見ましても、この教科書検定の問題についてはまさに抜本的に国民的合意を得て改定をしていくという検討が必要ではなかろうかと思いますが、単なる手直しということでなくて、そういう検定制度全体を含めて抜本的な検討をする用意があるかどうか、これを伺っておきたいのです。
○諸沢政府委員 御趣旨のように教科書の検定の問題は裁判の問題にもなったわけでございますが、私どもといたしましては、現在の検定、教科書の内容に立ち入っての教育上の適否を検定するという、これが合憲合法であるということはいまも考えておるわけでございまして、しかしながら、その運用については御指摘のように、もう三十年を経ましたし、たまたま新しい学習指導要領もできたことでございますから、今後の改善の方向としては新しい学習指導要領の基礎基本を充実した精選の教育というものを念頭に置きながら、それが先生方の創意工夫を生かしていけるようにするのだというこのたてまえを踏まえまして検定の運営の改善についても検討してまいりたい、かように思うわけでございます。
○山原委員 行政訴訟の面から見るならば行政庁としては二回敗北した経験も持っているわけでございまして、そういう点から考えましても、現行の検定制度については相当検討すべき必要があるというふうに私は考えているわけでございます。 時間ももう余りありません。それで最後に、一つは文部大臣にお願いしたいわけでありますが、こういう教科書検定問題につきまして、また特に建議が出まして改めて改善をするというこの事態の中で、いろいろな意見があることはもちろんであります。そういう意味で、関係団体などの要請もあると思いますが、文部大臣としてもやはり私は率直に会っていただいて、そしていろいろな意見を大臣の頭の中に入れていただいて、そして公正な改善が行われるということが必要だと思いますが、そういう御用意を持っておられると思いますけれども、あえて一言お伺いをしたいのであります。
○海部国務大臣 きょうも委員の皆さんからこの問題に関するいろいろな貴重な御意見を承りましたし、また文部省が現在選考中の基準改善につきましても、調査研究会には御承知のように学識経験者の皆さんや現場の教職員の方などの全体に関する御意見も承っておりますし、また教科別部会にも委員として総勢八十人にも及ぶ方々で、これも教科書協会の代表の方、現場の先生方も入っておられるわけでありまして、そういう意見はできるだけ広くそして尊重しながら制度の改善を進めていかなければならぬことは、これは当然の心構えでございますので、今後も時間の許します限りはそういったことにも力を注いでいかなければならないと、私自身がこう考えております。
○山原委員 委員長に最後にお願いをしたいのでございますが、いままで当委員会は文教行政に関する諸施設の小委員会というものをつくっておりまして、この小委員会では御承知のように養護教育の問題とかそれから在外法人子第の教育の問題などをテーマとしてすでに検討が始められているわけでございますが、委員長から小委員長にも——当然小委員会で決定すべきことだと思いますけれども、恐らく本日の小川委員の御質問も時間の不足のために十分意を尽くすことはできなかったのではないかと思います、さらに私の方も資料その他におきましてもう少し検討したい、また質問もいたしたいと思っているわけでございますが、小委員会におきましてもこの教科書問題に関するテーマを一つ加えていただきまして、これについての精力的な検討がなされるような御努力を賜りたいと存じますが、いかがでございましょうか。
○藤尾委員長 善処いたします。
○山原委員 大蔵省がお見えになっていますので、最後に短時間でございますが、東京教育大学農学部の駒場の跡地の問題てございますが——大蔵省どうしておくれたか、ちょっと伺っておきたいのです。
○藤尾委員長 ちょっとお待ちください。 委員長から申し上げますが、当委員会の審議に間に合うようにあなたの御出席を求めたはずであります。ところが、あなたの御出席がおくれたために審議がそれだけ蹉跌を生じております。こういうことはきわめてよろしくないことでございますから、以後十二分に御注意あってしかるべきだと思います。よろしゅうございますね。松岡説明員。
○松岡説明員 山原委員の御質問の時間に遅参いたしまして御迷惑をおかけしましたことを、委員長及び山原委員に対し深くおわびいたします。 お答えいたしますが、目黒区駒場に所在いたします東京教育大学農学部の跡地の問題でございますけれども、これは筑波研究学園都市への移転対象機関でございまして、その跡地につきましては、他の筑波移転跡地とともに一括いたしまして今後の利用方針が国有財産中央審議会に諮問されており、同審議会は筑波移転跡地小委員会を設け現在審議中でございます。大蔵省といたしましては、この審議会の答申を得た上で土地問題、都市問題の解決に資する方向で適切な利用計画の策定を行ってまいる所存でございます。
○山原委員 この諮問の仕方でございますけれども、これは私最初に説明しましたが、東京教育大学の跡地につきまして、東京都あるいは目黒区などからずいぶん要請が出ていることは御承知でございますか。
○松岡説明員 大蔵省に対しまして東京都からは近隣公園高等学校及び養護学校用地として利用したい旨の要望をいただいております。また目黒区からは公園、体育施設、高等学校用地として利用したい旨の要望をいただいております。その他関係各省あるいは政府関係機関からもそれぞれ別途の利用要望をいただいております。
○山原委員 私は高等学校用地など文教施設を優先すべきであると考えておりますが、大蔵省がその小委員会に諮問するに当たりまして、そういう立場で諮問をするお考えがないかどうか伺っておきたいのであります。
○松岡説明員 大蔵省といたしましては、この跡地がその他の筑波移転跡地と同様首都圏の過密解消に資する目的で発生した跡地であるということを踏まえまして、都市問題、土地問題の解決に資する方向で審議会に御検討をお願いしているわけでございまして、現在のところ今後の跡地の利用についての基本方針を幅広く審議会で御検討を続けていただいているわけでございます。
○山原委員 その際に、目黒区としましては区議会の満場一致の議決あるいは町内会あるいはその他署名運動二万四千という署名が一週間で集まるという状態でございまして、いわば目黒区民全体の要求となっておることはほぼ明らかでございます。そういう問題、しかも前々からこういう計画書をつくりまして、ずいぶん前から、この跡地の問題についての運動がたしか昭和三十七年から始まっておるというふうに報告を受けておるわけでございます。そういう要望についても十分検討し、また地区住民あるいは地区機関などの意見も十分参酌をしていくべきだと思うのでございますが、さらに大蔵省の方にお聞きし、また文部省としてもこれらの意見を十分反映できるような立場をとられるのかどうか伺っておきたいのであります。
○松岡説明員 ただいま御指摘のございました地元の住民約二万四千名の署名簿も私ども大蔵省ではいただいているわけでございます。地元の関係者の強い要望が出されていることは、十分承知しているわけでございます。同時にまた別途の要望が文部省、文化庁あるいは日本住宅公団等からも提出されておりますので、これらのもろもろ要望を十分勘案いたしまして、最も適切な結論を導くように審議会の御検討をお願いしている次第でございます。
○山原委員 文部省に対しまして改めて伺いますが、いまのような情勢でございます。一方文部省の方も入試センターあるいは第二国立劇場というものを出しておりますが、これらを含めまして、しかも住民の強い要望に対して耳を傾け、慎重に検討する用意がありますかどうか最後に伺いまして、私の質問を終わりたいと思います。
○宮地政府委員 ただいま大蔵省の方から御答弁もございましたように、筑波小委員会での結論を待ってその処置が決まるわけでございますが、文部省といたしましては、先ほど御答弁申し上げましたように、農学部跡地につきましてはその一部を入試センターとして利用いたしたいということも申し出ておるわけでございます。全体の跡地小委員会の結論を待って関係省庁とも十分協議をして適正な処置を進めたい、かように考えております。
○山原委員 終わります。 —————————————
○藤尾委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。 文教行政の基本施策に関する件について、来る二十七日、参考人の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○藤尾委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 なお、参考人の人選、その他所要の手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○藤尾委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 また、学校災害に関する小委員会において、明二十一日、参考人として日本学校安全会理事長渋谷敬三君、日本弁護士連合会国会等対策会議学校災害補償法制定促進部会部会長代理佐藤義行君、日本教育法学会事務局長兼子仁君の出席を求め、意見を聴取いたしたいとの小委員長からの申し出がございます。 つきましては、小委員会に参考人の出席を求め、意見を聴取するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○藤尾委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 次回は、来る二十七日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後六時一分散会