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80回国会衆議院1977/03/02

文教委員会 第3号

発言数
89
登壇者
11
会派数
3
開催日
1977/03/02

会議録

藤尾正行自由民主党

○藤尾委員長 これより会議を開きます。  文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。質疑の申し出がありますので、順次これを許します。曽祢益君。

曾禰益民社党

○曽祢委員 最初に、文教政策の基本目標について御質問いたします。  わが国が世界の進歩、発展に寄与するためには、国民が優秀な知能と徳性を備え、かつ、すぐれた文化の継承者として国際社会に立ち向かうことが必須条件であります。これがため、わが党といたしましては、日本はすぐれて文教国家である、また、なければならないというたてまえに立ち、具体的には、国家予算における文教費につきましても、総予算に対する割合は二五%、国民所得に対する割合は七%ぐらいを当然に目途としていかなければいかぬのではないか。数字は非常にラフでありますけれども、基本姿勢の一つとして文教に重点を置いた国家づくり、こういう点についての文相のお考えを伺いたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 文教の担っております役割り、国家、国民の将来に対する大きな責任、そういった見地から、曽祢先生御指摘のように、民社党が国の予算に占める文教費の割合をこれぐらいにしたらどうかという御発表をなさっておりますことは、私も承知いたしております。同時に、現実に私どもがいま確保いたしております予算の総額と先生ただいまここで御指摘の額との間に格差がございますことは率直に認めなければならないことでございますけれども、私たちも重要性を認識する精神においては全く同じような熱意を持って取り組んでおるわけでございまして、御理解いただきたいと思いますことは、このいま与えられた枠の中で一生懸命やろうとしておりますが、今後も、予算獲得の時期にはできるだけ多くのものを獲得して、われわれの施策がそういった意味からもより裏づけされていくように努力を続けてまいりたい、基本的にはこう考えております。

曾禰益民社党

○曽祢委員 第二の問題は、文教は次の時代の国民を育成するという意味におきまして政治の大きな課題の一つであることはもう当然でございます。と同時に、とかく政治あるいはイデオロギー闘争を教育の場に持ち込む、これは厳に慎まなければならぬ。言葉は悪いかもしれませんけれども、かつて、いわゆる自民党タカ派、文部省対日教組、こういったような二つの集団がそれぞれのイデオロギーあるいは政治理念を教育の場に持ち込む、こういうことがありました。いまでも全然ないとは言えないかもしれません。そこで、そういう意味から、教育の場というものは、中立的な、三権分立のあれから言うと、第四権と言うのは無理かもしれません、第四権的とでも申しますか、そういう場に置くべきだ。中央の機構においても、地方の教育委員会においてもそうでありますけれども、私はそういう基本的な考えを持っております。これに対するお答えを賜りたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 御指摘のとおりに、教育の場が中立的で、静かで、そして少なくとも大人の世界の騒音やイデオロギーによって対立、激化させられてはいけないとおっしゃる御指摘は私も全く同感だと申し上げさせていただきますし、私自身も、やはり教育の場にはそういったものは持ち込まれてはいけない、こう考えております。きょうまでの文教行政ももちろん法令に従って行っておるものでありまして、文部省としましては、いたずらに事を構えてそういったものを激化させていこうというような意図などは毛頭初めからないわけであります。そういう意味から申しますと、ただいま曽祢委員のおっしゃいました第四権的なという御発言でございますけれども、やっぱり教育行政の目指しておりますものは、政治の激化、イデオロギー問題、そういったような論争から離れたところで本当の意味の教育をするにはどうしたらいいか、中立的な静かな場を確立していくためだ、そういうねらいからおっしゃっておるものと理解いたします。そういう意味で、そういう方向に持っていきたいという願いも、また持っていこうとしてやってまいりましたことも、全く御質問の御趣旨と一致するものでございます。

曾禰益民社党

○曽祢委員 永井文相の後を引き受けられた海部文相もそのお気持ちで、ぜひ初志を貫徹していただきたいと思います。  次に、教育改革と申しますか、教育に関するいろいろな課題が山積しているのですけれども、その中の主なるものを一つ一つ取り上げて御質問させていただきます。  第一には、義務教育とそれから高校段階におきまする教育の改革の問題であります。特に私がいまここで取り上げたいのは、いわゆる七、五、三の積み残しといいますか、高校では七割、中等学校では五割、小学校でも三割が積み残される、こういうたとえみたいなあれがあります。特に私は非常に重要だと思いますのは、高校は義務教育ではないのでちょっと違いますが、小中学校の段階で、国民を教育するのは政府の責任であるのにかかわらず、実態は積み残しが多い。昨日の朝日の調査によっても、小中教育に不満が五割、まあこれで満足だというのは二割、結局塾通いがよくないというのが六割。私は当然だと思うのですね。この塾の問題は全般的にやると広がってやりにくいのですが、私は、進学塾、予備校は主として大学の試験の問題として考えたいのでありまして、やはり補習塾、ことに義務教育段階における補習塾なんかは実に義務教育として恥ずべきことだと思うのです。同じ朝日新聞に、文相が朝日新聞に対する質疑応答の中にこういう趣旨のことを言っておられます。補習のための塾の存在理由はある程度わかるが、受験術を教える塾はない方がよいと思う、こういうお言葉ですが、確かに受験術を教えるような進学塾といいますか、こういうものもやはり大学の入試その他のゆがみからきていることで好ましいことでないことは事実です。ただ、補習のための塾ということにはいろいろ意味があると思うが、少なくとも義務教育の段階で補習塾がある程度やむを得ないというようなお考えじゃないと私は思うのですけれども、義務教育の段階においては絶対に補習塾なんかに行かせないで済むという体制と気構えが必要ではないか。決して言葉じりをとらえるつもりはありませんが、基本的な問題なので、文相のはっきりしたお考えを伺いたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 御指摘のようにいま塾の存在についていろいろな角度から批判と議論がなされておりまして、私は、受験戦争を激化させるような大変な原因になっている塾の、特に進学塾の受験突破のための術を教えるようなやり方は全く好ましいものではないという基本認識を持っておりますが、いま先生御指摘の補習塾について、これはよろしいのだという肯定に受け取っていただくよりも、むしろ、私の率直な真意を申し上げますと、現在の初等中等教育の問題で、昨年末の教育課程審議会の答申でも指摘されましたように、もっと内容を精選しなければならない、あるいはそういった教科の内容が詰め込み主義に陥っているのではなかろうか、あるいは科目が多過ぎるのではなかろうか、いろいろな角度からの指摘がなされて、いままさに精選の作業に取りかかっておるところでありますから、小学校の段階でいわゆる落ちこぼれといいますか、落ちこぼしといいますか、そういったものがないようにするためには、やはり必要にして十分なる基礎的、基本的なことはどこなんだろうかということをきちんと筋道を立てて設定をして、いけないことがあったらその教育課程をきちんと改定をして、精選をして、そして決まったことだけは公教育の場で完全にきちんと理解されるようにしていくのが最も正しい姿であって、またそうあるべきことを願って、ただいま学習指導要領の改定は教育課程審議会の答申の趣旨を生かして作業しておる最中でございますので、そういったものを補習塾へ依存しておるのが当然にいいことだという考え方でおるわけではございませんので、御理解をいただきたいと思います。

曾禰益民社党

○曽祢委員 理解します。  そこで、議論の余地のないことは、もうすでに文部省も取り上げておられるように、教育課程そのものあるいは学習指導要領あるいは教科書、これがオーバーであるとかダブっている、それを流線化して、そしてゆとりのある教育の方に持っていく、この基本方法、それは絶対必要で、賛成です。しっかりやってもらいたいのです。  ただ、同時に、私はやはり教える側、特に先生方にも考えてもらいたい点がある。全体の問題としては、教員の待遇の問題、それから教員の資格あるい研修の問題、実習の問題等で、後でいたしますけれども、ここで七、五、三の積み残しと同じような意味で、ごろ合わせではありませんけれども、かつて永井さんが新造語としての「でもしか先生」また「三ト教師」という言葉を文相は御存じですか。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 そういう言葉があるということは私も知っております。

曾禰益民社党

○曽祢委員 これは私もびっくりしたのですけれども、アルバイト、プレゼント、リベート、いや、三トじゃなくて、ストを入れれば四トだ。これはざれごとのようですけれども、私はやはり非常に問題があると思う。まあ、ただ自分の古き追憶に浸っていればいいわけではありませんけれども、昔の先生は何も言わなくても、そのたたずまいというか、それで生徒に影響を与えたという使命感に徹した先生もおった。どうも、生徒は学校が終わればすぐ補習塾に飛んでいく、先生は生徒と同様にすぐアルバイトの方の進学塾か補習塾かあるいは家庭教師に行くというような姿は、私はここで繰り返して申しますが、少なくともこれは義務教育段階ではあってはならぬ。かような意味において、変な例を引いて恐縮でございますけれども、やはりこういったような先生に対する信頼、これも朝日新聞の調査を引いて恐縮ですけれども、やはり「サラリーマン的」「資質が下がった」というのは五割、「熱心だ」というのは二割、こういう回答です。これはやはりまじめに考えなければいかぬではないか、こう考えますが、いかがですか。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 古くから「教育は人なり」と言われておりますように、やはり現場の先生の行動、人格、そういったものに教育が大きく影響されることは御指摘のとおりでございまして、私たちはそういう意味から人材確保法案を通じて教職員の皆さんの待遇改善に努力しつつ、現場における先生の行動に厳しさとそして教育への打ち込みにたくましさをお願いする、やはり両々相まって教育が高められていくように行動をとっておるわけでございまして、御指摘のありますいろいろな塾の問題等も、公教育において当面のいけない点があったらもちろん是正しますが、教育課程を改めたりいろいろなことを改めたりして、そして教育がうまくきちんと正常なものになっていけば、塾の問題なども自然に解消されていくものではなかろうか、こういうふうに考えて、その方向に行くように努力を続けておる所存でございます。

曾禰益民社党

○曽祢委員 幼児教育と後期中等教育、つまり義務教育の前後がいま非常にふくそうしておりまして、重要になってきているわけで、数字を挙げるまでもございませんが、五歳児の八七%が幼稚園あるいは保育所に通っている、中卒の九二・六%が高校に進学している。すなわちこの義務教育前後が義務教育的、と言っては少し言い過ぎかもしれませんが、それに準ずるぐらいな重要性を持ってきていることは事実です。特に幼児教育は、いまさら申し上げるまでもなく、ある学説によれば零歳児から四歳児までが頭脳の発達で一番大切な基本的な時代だという説すらあるわけで、そこで、文相のこの施政方針の中にこういうふうに言っておられます。「幼稚園教育の普及充実については、希望するすべての四、五歳児を就園させることを目標とする幼稚園教育振興計画を引き続き推進してまいります。」、基本的には結構なんです。実は五歳児だってまだそこまでいっていないのですから、四歳児まで目標の中にとらえておられるのは賛成ですけれども、しかしこれがどういう順序で、いまどの程度進行して、何年ぐらいでこのりっぱな目標に達成するというおつもりであるか、概略で結構ですけれども教えていただきたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 具体的な数字、計画につきましては、政府委員の方から答えさせていただきます。

曾禰益民社党

○曽祢委員 結構です。簡単にお願いいたします。

諸沢正道文部省初等中等教育局長

○諸沢政府委員 昭和五十一年度の幼稚園の就園率は、五歳児でただいま御説明がありましたように六四%、四歳児で四八%、こうなっておるようでございまして、文部省の計画といたしましては、昭和五十七年度を目途として、ただいま申し上げましたように、就園を希望するすべての四、五歳児が就園できるように幼稚園の整備を図っていきたい、かように考えております。

曾禰益民社党

○曽祢委員 わかりました。  この幼稚園と保育所との関係ですが、これは御承知のように、われわれ実態に即して地方自治体のあれを見ておりますと、どうも幼稚園にかわる保育所というような考え、それから、やはり自治体の方としては、文教関係よりも社会保障関係の方が中央からの補助も多いというようなところもあるのでしょうが、ややもすれば、公立の幼稚園はつくらずに、そうしてそれの埋め合わせ的に保育所の方を中央のあれを得ながらやっている、それで幼稚園にかわらせているというような、そういう誤った考えがなきにしもあらず。むろん幼稚園については本当の法人の資格もない、私立の幼稚園もございますから、そういう個人のやっていることに大きな脅威を与えるような、すでにあるところに公立の幼稚園をどんどんつくって競争するということは賢明ではありませんが、発展途上にある自治体なんかではもっと幾らでも公立幼稚園をふやす余地があると思うのですね。それが保育所でお茶を濁しているきらいがなきにしもあらず。私はその点非常に間違っていると思うので、これらに関する文部省のきちっとしたお考え、それからまた逆に、個人経営の幼稚園の処遇を放っておいていいわけではないので、幼稚園に対して個人経営の場合には公の補助は困難ですから、そういう場合には父兄に対する幼稚園費の補助というような形で、やはり公立のあれがなくて父母が悩んでおられる、非常に高い幼稚園に通わざるを得ない、この社会的不公正の観念をひとつ早く払拭するように御努力を願いたい。御答弁をお願いいたします。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 幼稚園と保育園の問題は、御承知のように厚生省と文部省との所管が違うということや、あるいは幼稚園の方は幼児の学校教育を施すものである、保育園の方は社会福祉施設として親から保育に欠けるものとして頼まれて保育をするところであるというようなことでばらばらになっておったのではいけないというところから文部省と厚生省に連絡、協議をする場をつくりまして、たとえばその設置場所等の問題の調整についてもいま御指摘のような問題がございますが、少なくとも学校教育に関するような内容にわたるときは、幼稚園でやっておる教育要領を保育園の方でも準じて一緒に扱っていただくとか、いろいろ改善すべき点についての協議を進めさせておるところでございます。  同時にまた、いまのいろいろな所得の低い層の方々の就園に対しては、就園奨励金たしか五十五億円だったと思いますが、今年度予算にも処置をいたしまして、そういったところの就園奨励に資するように補助金等も用意をいたしまして、できる限りの措置をいたしておるところでございます。

曾禰益民社党

○曽祢委員 協議は結構ですけれども、やはり事教育ですから、要請し、こういうふうに文部省としてきちんとしたあれを、本当に保育園がやるという以上はそれにふさわしい指導監督を、通ずるのは厚生省か知りませんが、やっていただきたい、希望しておきます。  次に高校の問題に触れたいと存じます。  私は、この高校の問題についていろいろ意見がありまして、たとえば単一学区制あるいは学校群制、全入制あるいはすべてを総合高校制にという主張がございますが、私は必ずしもそれに賛成できません。御承知のように希望者の進学率はすでに九八・四%、希望者はほぼ全員入学であるし、そういう方向であることは非常に重要なことですから、十分に念頭に入れて考えなければなりませんが、しかし高校の場合には、特に大都会においては、東京、神奈川、京都、大阪あたりでは、東京は特にひどいのですが、公立の方が四一・七%、私立の方が多いのですね。全国平均でも公立は七割、私立は三割、この事態も考えると、いきなり公立の高校だけでやるとかいうようなことは適当ではないのではないか。特に試験制度は非常に問題がございますが、これもたびたび引いて恐縮ですけれども、さっきから引用しておりまする朝日の調査によっても、父兄側においては入試がない方がいいというのが三五%、選べた方がいい、入試はやむを得ないじゃないか、自分でやはりいいところを選ぶというのがいいというのは五八%、私はこれは当然ではないかと思う。ですから、過度な入試競争のためのむだな労力とか、それこそさっきの進学塾的なテクニックを教える塾とか、そういうことはいけない。やはり全部一律べったりで中学と同様にところてんでみんな上がれるということにだけ甘えているのは間違いじゃないか、私はそういう感じでございます。  その前提に立っても、なおかつ、これはもう文相御承知ですけれども、特に大都会における人口増、そのために公立学校の急増の必要がある。ところが、そのときに実際問題として神奈川県あたりではむしろ必要があるんだけれども、土地の入手だけでも、そっちからも非常に大きな制約がありますね。ですから、なかなかことしの予算の程度のことでは間に合わない。高校急増、公立高校急増の方向に間に合わない。おまけに自治体の方では、これは後でわが党の中野委員からも彼の選挙区の現状から御質問があろうかと思いますけれども、自治体は起債でもうまいっちゃっているのですね、中央のあれが足りないもので。そういったようなやはり国としての公立高校に対する毅然たる援助、対策、必要な新増設に対するきちんとした援助、これをやっていくべきではないか。  と同時に、あわせて、それだけじゃとうてい間に合わないのですから私立に通う、その私立に対する援助あるいは私立に通わせる、有名私立ならいいのですけれども、いやおうなしに私立に通わせて多大の負担を持たなければならない父兄に対する不公正感を是正するためのそういう私立に対する援助あるいは直接父兄に対する援助になりますから、そういうことが必要だと思うのです。両方やっていく必要があると思うのですが、この高校問題に対する基本的な考え方をお示し願いたい。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 御指摘のように、高校の進学率が最近非常に高くなって、全国で平均しますと九二・六%の人が進学をしておる。おっしゃるように、入学希望者の九八・四%であったと思いますが、合格をしておる。ほとんどその希望する能力ある方すべてが高校には進んでいらっしゃる現状でありますが、特に今年度から五年間というものは高校適齢期の児童がふえていくときでありますから、その計算からいって推定しますと、やはり四百校を超える高等学校を全国に建設いたしませんと現在の合格率を維持していくことが困難ではないかという試算に立ちまして、そして従来高等学校に対しては、これは地方自治体、特に県に地方債とか地方交付税での財源措置をお願いしておったのでありますが、それではこの需要にとても追いつかないというので、一定の条件のもとに緊急対策として公立高校の建造費補助に踏み切って、計画を立てて年々国が予算措置を講じておることは、これは御理解願っておるところだと存じます。  ただ、急増地帯の真っただ中で土地確保に非常に困難があるではないか、そういうことは私どもとしても十分予想できるところでございますが、当該自治体においていろいろ創意工夫をこらされて、そういった高校増設のためにいろいろな御努力を願っておるところでありますが、国としては財政的にできるだけのお力添えをしなければならない。同時にまた、高校がこれだけ普及してまいりましたので、ただ建物をつくるときの財政措置のみならず、やはりでき上がってからの運営にも意を用いなければならぬのは当然のところでありまして、私学振興助成法の精神にも基づきまして、これは県を通じての助成の方にも意を用いるように行っておるどころでございます。

曾禰益民社党

○曽祢委員 委員長、恐縮ですけれども、一つ関連質問を許していただけますか。

藤尾正行自由民主党

○藤尾委員長 関連質疑を許します。中野君。

中野寛成民社党

○中野(寛)委員 特に義務教育並びに高校教育において地域的な格差があります。人口急増都市及び人口が減っていく地域、それによってそれぞれ教育費がかさむ理由が違っております。しかし、特にその中で人口急増都市については義務教育の施設は文字どおり、国もそうでありますが、自治体は義務的に施設をふやさなければいけない。これは当然のことであります。そして、そのことが余りにもかさむがゆえに最近は住宅問題にまで絡んでまいりまして、いわゆる開発負担金制度とか、本来財政的にあってはならない邪道的な財政措置をさえいろいろ地方自治体がとらざるを得ない状態が生まれております。このことの原因の非常に多くの部分を教育施設をつくる、そのことが占めている。こういう現状を考えますときに、よほど国の文教行政として自治体のその負担の実情というものの上に立って対策を講じなければいけないだろうと思うのです。特に施設につきましては、徐々に国からの補助等、分担等が充実をされてまいりましたけれども、先日来の質問に対する御答弁でもございました、用地確保についてはその市町村の言うならば財産になるんだからということで補助等の対象にしないという現状があります。しかし、財産になるんだからと言うけれども、そういう地域で、学校をつぶして、その土地を別に活用するなんということが果たして将来できるんだろうか。財産になるというよりも、やはり文教施設としてそのことは永久に使われるという前提に立って考えれば、市町村の財産だからということで言い逃れは許されないというふうに思うわけであります。  幸い今年度から、その土地の確保についても、義務教育については一〇〇%政府資金をということでございますけれども、四十八年、四十九年近くに特に人口がふえた地域、そういうところにつきまして起債をやり、借金をやって、やっとこさ学校施設をつくった、用地を確保した、そのための公債費にいま現在追われて、地方自治体の財政がパンクをしているというのが現状ではないでしょうか。これからつくるものに対する補助、それも結構であります。必要であります。しかしながら、すでに、過去にそのような実態があり、そのときの財政負担、公債費等によって地方自治体が追いまくられ、パンクしている現状を考えるときに、これに対して速やかに対策を講じなければどうにもならないというのが現状であることを考えるときに、そういう状態に対してどのような手が打たれ、そしてまた打とうとされているのか、大切な問題だと思いますので、関連してお尋ねをしておきたいと思うわけであります。

犬丸直文部省管理局長

○犬丸(直)政府委員 ただいまの義務教育あるいは高等学校の建物に関連しての急増地域の財政問題でございます。  私ども、まず第一に国からの補助金をふやすことに努力をいたしております。それでございますけれども、いまお話しのように、土地につきましては、小中学校については児童生徒急増市町村は補助の対象となっておるわけでございますけれども、その他につきましては地方債で賄っておる。地方債で、その後政府資金をいただいて充当するようになるということでございますが、さらにその元利償還金につきましては、これは交付税の積算をする、これは詳細は自治省関係の所管でございますけれども、いまそういう三段階の措置で、できるだけ地方団体の財政的な窮乏を救おう、そういう三段構えの措置で実は対処しておるわけでございます。  なお、金額等につきましては、まだ不十分な点もございますけれども、なおこれから努力してまいりたいと思います。

中野寛成民社党

○中野(寛)委員 委員長、ありがとうございました。

曾禰益民社党

○曽祢委員 次に、私は、高校段階から進学コースというものはかなり多様化していく必要があるのではないか、そういう観点から見まして特に問題にしたいのは、一つは職業高校でございます。  私は、職業高校も存在価値が十分にあると思うのでございますが、なぜ職業高校に対する人気がないのか。それは私は、中学校の先生方が苦心されていることはよくわかるのですけれども、むしろ、中学校の進学指導で一人も落ちこぼれさせないためにという意図から発して、余りにも画一的に、一番よくできる子は特に国立付属の有名校だ、その次は私立の有名校だというようなふうに、それでだんだん一番できの悪い子は、おまえは商業高校に行けというような、そういう画一性が生んだ一つのレジスタンスというものも当然ある。そういうことが職業高校の本来としての意味というものを発揮させないで、いやな感じで入っている、欲求不満の子だけが職業高校に相当入るというようなことになっている原因じゃないか。それは確かに、その点の進学指導の行き方を改めなければいかぬと思います。この点についての御意見とともに、私は、しかし高校の段階では、文部省も考えておられるように、これからのあれとしては第一年度は、前期の中等教育に、中学校のあれの総仕上げみたいなものをやって、それから第二、第三年度ではむしろ、職業高校といわず普通高校でもそうだけれども、相当選択の範囲を広げていく、そういう多様化という道もある、そういうふうにやっていけば、職業高校と普通高校というものは実質的には差がなくなるということにもなるわけであります。私は、そういう点を含めて高校の多様化コースというものが必要なんだ。それといまの職業高校とのあり方、今後の行き方についての文相の基本的なお考えをお示し願いたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 御指摘のように、職業高校における教科課程の内容におきましても、やはりこの間の教育課程審議会の答申では、基礎的、基本的なことを精選して十分に理解できるように、こういう趣旨の答申が出ておるわけでありまして、ただ私はもう一つ別の角度から申し上げますと、やはり職業高校というものもおっしゃるようにいろいろな意味で社会的にあるいはその人の能力を開発する意味においていろいろな選択の一つであるわけでありまして、きょうまでもその中において自分の能力を啓発してきた多くの青年もおるわけでありますから、こういったものの存在がいまのままの三年間の職業高校のあり方だけでよかったのかどうか、そういう反省から五年制の高等専門学校ができましたこともあるいは最近発足しました専修学校の制度というものもどういうふうに持っていくか、いろいろなものをあわせた判断の中でやはり職業高校というものがどういうふうに改善されていったら一番ふさわしいものになっていくだろうか、それはもちろん検討を重ねてまいりますが、御指摘の精神を生かしてやっていきたいと思っております。

曾禰益民社党

○曽祢委員 それに早速関連いたしまして、文相のお言葉の中にもありましたけれども、私は日本の専修学校、いままでは各種学校と言って、この制度は非常にいい制度だと思うのです。これは後でも触れたいと思うのですけれども、高校生すべて全員が大学まで行かなければいかぬということよりも、たとえばドイツにおけるごとく大体高校卒かあるいは高校へ行く前にも職業について、そして、ある種の生涯教育にもなるでしょうけれども、職につきながら前期、後期の国家試験にパス、そのことによって最後にはマイスターという非常に高い社会的及び経済的な地位を獲得する、そういうようなことも考えていくと、わが国のこの専修学校制度、これは大いに活用すべきだ。少なくとも専修学校の生徒は学業にいそしむこと一番熱心で、それは義務教育や高校に行くよりもまじめに勉強しているので、こういうものを生かして、そして非常に多様化したこの教育制度を日本で生かしていくということは非常に賛成なんですが、この専修学校制度に関するお考えと、ただ、専修学校からやはり大学あるいは専門学校、特に大学への進学の道も開く必要があると思っております。それを含めて文相のお考えを伺いたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 専修学校制度というのはもう御承知のように発足したところでございますけれども、けさの報道等見ましても、専修学校の最初の卒業生が就職率が非常に上がったというような報道もございましたが、やはり自分の技術、自分の職業における立場というものがそれによって非常に実力をつけ、有利になるといいますか、大変いい足跡を残しておるような受け取り方を私はいたしております。それは、先生おっしゃいましたように、そういった職能に関する一定の技術水準に達した者が社会的にも経済的にも尊敬を受けるような社会の仕組みがありますと、こういったものはもっと温かい環境の中で育っていくと思います。こういった専修学校の制度というようなものはやはりこれこそ各界の国民の皆さんの理解の中で育てられなければならぬと思うし、またここを終えた人が大学進学を希望するような場合には大学へ進学できるような道を開いてあげることも必要だと考えますので、ただいまのところそういったことを懇談する意味の調査会におきまして各方面の意見も聞きながらその問題については検討を重ねておると私は聞いております。

曾禰益民社党

○曽祢委員 大学の問題に移りたいと存じます。  国公立あり私立あり各種の大学があるし、また短大がある。これはわが国の大学制度の特徴であり、その多様性は大いに活用すべきだと考えます。ただ国公立においても何でもかんでもが東大のまね——残念ながら一時そういう傾向があったと思うのです。各大学がそれこそ個性を持った、八ケ岳でも何でも結構ですけれども、東大だけが富士山という行き方ははっきり打破しなければいかぬと思います。  私立については、それぞれの伝統があり、特殊性があるわけで、これを生かしながら、特に良質な教育に努める。ただ場合によってやはり文科系統にマスプロ化の傾向がないわけではない。これは補助金の問題とも関連して、そういうことのないように十分に考えてきちんとしていかなければいけないと思います。それらの点について、特に補助金の出し方、改善等についてのお考えを伺いたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 御指摘のように、国公私立大学の格差を是正しなければならないということで、前文部大臣も富士山よりも八ケ岳ということを申しましたように、それぞれの特色、それぞれの個性を発揮して学校が充実、拡充されていくことを願っておるのが基本であることは申すまでもございません。  また補助金の出し方という御指摘もございましたが、特に国公立と私立との間における教育経費の格差の拡大は非常にございますので、父兄の教育費負担をなるべく公平に近づけていくための努力、それは私学振興助成法の趣旨にも基づいて鋭意努力しておるところでございまして、今年度はこういう国家財政の非常に窮迫した折ではございましたが、五十二年度予算においては私立大学に対する経常費補助千六百五億円、これは伸び率にしましても二四・四%ということで、現状のもとにおいてはできるだけの配慮を置いておるつもりでございます。なお経常費補助をしただけで私立学校の問題が片がつくとは思いませんので、私学振興事業団を通じての融資とか、あるいは入学生にとって入学金というのがかたまってくることが父兄にとって非常に負担になることもございますので、そういったものに関しても当該の学校法人が分割納入の方法を認める制度をつくるなればそれに必要な原資を融資するとか、あるいは生徒一人一人を対象にして、育英奨学金の場合等にも学校教育経費が比較してかかる私学には国公立よりも多額の貸付金を出すようにするとか、いろいろなところでそれぞれの配慮をいたしまして、なるべく格差がなくなるように、しかもその学校がそれぞれ特色を持って伸びていくように……。  そして最後に御指摘になりました特に法文系のマスプロ教育に対する御指摘でありますが、これはやはり一部マンモス大学と言われる法文系の授業によく見られるところでございますが、これは率直に私どもも反省をしておるわけでございます。高等教育懇談会の指摘等もございまして、当面のところは量をふやす方向よりも質を正しく充実していくという方向に大学教育の目標を置いておりますので、現在のところ各大学の努力によって定員超過の是正の問題も、前年度の一・七九倍からいまは一・五二倍へと改善されておるところでありますが、御指摘のような趣旨を生かして指導を続けてまいりたい、こう思っておるところでございます。

曾禰益民社党

○曽祢委員 そこで学校法人設立の大学、短大、高専等に対する経常費及び施設費の国の二分の一補助に向けて、どのくらいのペースで何年ぐらいかかっておやり願えるお考えであるか。  同様に、大学ばかりではなくて、学校法人設立するところの高校以下の私学についても、やはり公立学校の標準的経費を基準としての経常費についての二分の一国の補助等々について、あるいは施設費は公立学校に準じた額の補助を実現するように努力されているか、これも年次計画というか一つの目標、順序をどういうふうにお考えか、この点をもう一遍伺いたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 このことに関しましては、ここで三年以内にやりますとか五年以内に行きますと申し上げられると非常にいいと思うのでありますが、残念ながら現状を正直に申し上げますと、私学振興助成法が始まって今年度の予算編成に当たりましたときは第二年目でございまして、今年度の実績で申しますと、全経常費の二四%に当たっておりましたものが五十二年度予算におきましてはたしか二六・九%まで経常費を補助することができるようになる計算に相なります。で、二分の一以内という一つの努力目標みたいなものがあるのでありますけれども、それに何年で到達するかと申しますと、正直に申し上げまして現状が二六・九%というところでありますのでまだまだすき間がございますけれども、ただ申し上げられることは、なるべく一日も早く達成できるように努力を続けていきたいということでございますので、御理解をいただきたいと思います。

曾禰益民社党

○曽祢委員 高校の方はどうなんでございましょうか。高校以下と申しましょうか……。

犬丸直文部省管理局長

○犬丸(直)政府委員 私立学校に対する助成でございますけれども、高校に対する助成につきましては、原則として都道府県、自治体で考えて措置するということを基本といたしまして、それに対してその自治体の努力を促進するという意味におきまして国の補助金を出す、こういう形に現在相なっております。それで振興助成法におきましてもそういう形の立法がなされております。そして(曽祢委員「それはわかっているのですよ。国のあれはどういうふうなペースでやるか、高校以下は」と呼ぶ)そういう措置が始まりました最初の年が八十億でございました。五十一年度に百八十億、五十二年度には三百億と飛躍的に伸ばしてきておりますが、まだ何分の一を目標とするかというところまでは考えておりません。これは自治体との関係もございますので、国が二分の一というような目標はいま立てておりません。

曾禰益民社党

○曽祢委員 次に、大学入試の問題を取り上げさせていただきます。  私は、大学入試が試験地獄の頂点にある、諸悪の根源であるという考えを持っておるわけであります。結局有名大学に入ろうというところから有名高校に入ろう、それがどんどんさかのぼって有名幼稚園に入るための塾なり家庭教師なんという、まことに笑っていられないような悲劇があると思うのです。全部が全部とは言いませんが、やはり試験地獄の解消に努力するというのは当然に大学の入試という頂点から始めなければいけない。したがって、私は、特に国公立大学の協会が中心となって、大学入試の一期校、二期校をやめて第一次共通試験という制度を実施する、この方法は大変にいいことである。いまからでも遅くはないので、ぜひそういうふうにやっていかなければいかぬ。  特にその場合に注意をしなければならないのは、せっかく第一次試験を共通でやるにしても、依然としてその内容が難問奇問であったのでは、これは要するに進学塾を奨励するだけですから、これは実際上にやってみなければわからない、これから試験をするわけでしょうけれども、高校の学力程度の試験にするということ。  同時に、それだったら第二次試験についてほったらかしていいわけじゃない。第一次試験をやりながら、これが現実に動く前に、少なくとも各大学の第二次試験というのはこういう程度のものであるということが決まらなければこれは何にもならぬ。特に、第一次試験を、もう一遍同じようなものを重ねるのは全く無意味で、まあそういうことを考えているのではないと思いますけれども、なるべくんば高校からの内申書、あるいは、やっかいなことかもしれないけれども、一人一人作文を書かせる、あるいは面接というような方式でいくべきだ。  ただ、ことに自然科学系統の大学の場合に、学科試験を全部やめろとまで言い切れるかどうか、これは一つぐらいの科目についてはあるいはその大学の特殊性に応じて許してもいいかもしれませんが、一般的なルールとしては第一次試験とダブらないような二次試験ということに合意が成立しなければいかぬと考えますが、これらのことについての文相のお考えを伺っておきたい。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 御指摘のように、大学の入学試験の制度というものを改善していかなければならないということは、先生御指摘のとおりでありまして、これは昭和四十六年でございましたか、大学入試改善会議からの報告に沿って国立大学協会がいろいろな角度から調査検討を重ねられた結果、国立大学共通第一次試験の構想について、昭和五十四年度の学生募集から実施可能という結論に達して、公立大学協会の方はこれに参加をするという意思表示を得ておりまして、いまのところ明確に申し上げられることは、五十四年度から国公立大学の共通一次試験が実施される見通しである、こういうことでございますが、もちろんこれは私立大学の存在もございますし、私どもとしては国公私立すべてが参加してもらうことが望ましい姿であるとは思っておりますけれども、私立大学の方にはそのようなことで協議を進めておりますが、まだお答えをいただいておらない段階でございます。  ところが、この第一次試験に関しましては、やはり五十四年度から国公立において実施を決めてもらったところからは踏み出していこうということで、文部省といたしましては今年度大学入試センターを設立をして、八万人の生徒を対象に試験を行うつもりでございます。  そのときに、曽祢先生御指摘のように、もしこの共通一次試験の出題範囲というものが従来と全く異ならないようなものであったのでは、これはやはりせっかくの努力が水のあわに帰すわけでありますから、国立大学側でもこの点は十分に調査検討の上の結論でありますから、高等学校の学習を誠実に積み重ねてきた者は、その中から必ず解答ができる出題がなされるものと私どもは信じておりますし、そのような方向で指導助言も行ってまいりました。  また、第二次試験があるからそれとの絡みでどうかという御指摘でございますが、この第二次試験に関しましては、やはり生徒側に極端な負担を強いることになったのではまた第一次試験の意味が半減すると思いますので、第二次試験につきましては、各大学が自主的に今年の七月に具体案を発表することになっておりますが、その前に第二次試験のためのガイドラインというものが示されておりますので、これを簡単にここで御説明しますと、第二次試験の出題に当たっては、やはり共通一次学力試験に課せられていない必要科目に限ることも必要である。また、同一科目の出題を行う場合には、記述力、考察力、表現力のテストを論文形式で行うなどの配慮が必要である。あるいは入試全般の観点から、受験生に大きな負担増とならないよう、できるだけ科目数、出題量を少なくすることが望ましい。あるいは、可能であれば面接を加え、一部特別な分野の大学では、第二次試験は面接、実技のみで十分な場合も考えられる。合格、不合格の判定に当たっては、共通一次学力試験の成績と第二次試験の成績とを適正に総合して判定の資料として利用する。あるいは共通一次学力試験の成績によるいわゆる予備選考は原則として行わないが、受験生の数が極度に多く、そのため十分綿密な第二次試験が行い得ないような大学、学部においては、この方法をとることもやむを得ない。この場合においても、少なくとも入学定員の三倍程度の数は第二次試験を受験できるようにする。こういうガイドラインを設けまして、このガイドラインに従って各大学ごとにいま第二次試験の内容というものを鋭意検討を行っておる最中でありまして、七月には各大学が決定して公表することになるのでありますが、文部省といたしましては、いま申し上げましたようなガイドラインの方向あるいは一次試験、二次試験を通じての大学入試制度を改善して、受験生の負担をなくして、難問奇問から解放されて、受験術を学ばなくても、誠実に高等学校の勉強、努力を積んでおれば合格できるのだという、そういう保障を与えるためにも、これは十分関心を持って見守るとともに、助言も続けていきたい、こう思っております。

曾禰益民社党

○曽祢委員 ガイドラインの方向は私も大体において是認できると思うのです。実際を見なければわかりませんけれども、大体基本的な考えとしては正しい。ただ実際を見、そして第二次試験の内容を見ないとこれ全体の評価ができないのですね。そういう意味で非常に重視していきたいと思います。  それから、私立がいきなり従えというのはこれはちょっと無理だ、やはり国公立が先行して、それから私立が、なるほどこれならというのでついてくるというのは、これは現状からいえば非難はできないと思います。それだけにこの先頭を走る国公立は非常に重要な役割りを持っていると思います。  次に、新自由クラブからの御提案に係る——この表現、内容等について正しいかどうかは——要するに私の理解するところでは、高校卒業の検定試験みたいなもの、それを一律にやって、これを第一次入試として、私立を含めて各大学やったらどうかという趣旨だと思うのですけれども、私自身はその改革の意欲には大いに敬意を表しますけれども、いまいきなりフランスのバカロレアみたいに、高校卒の資格試験で、あと——事実上国立ばかりあるフランスと違って、その第二次試験がまた大変なことになろうし、私は漸進主義で、いまの国立、公立一緒の第一次試験それから第二次試験、これをワンセットにした改革でいくのがいいのではないかというふうに感ずるのですが、この点に対する文相のお考えを伺いたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 新自由クラブの発表されております案については、これは私も十分慎重に検討をしなければならないと受けとめてはおりますが、しかし現在の高等学校の制度というものが、高等学校の課程を終われば大学入学試験の受験資格を一様にすべて保障しておる制度でありまして、それがただ一回のペーパーテストによって資格を失うということになるわけでありますから、ある意味では、高校卒業の意味と一回一発のペーパーテストによってそれが選別をされてしまうというところに慎重に判断をしなければならない点があると私は受けとめておるわけでございます。したがいまして、現状におきましては、特に大学共通一次試験の問題には、共通一次試験と各大学で行う二次試験ともう一つ調査書の活用というテーマがございまして、高等学校における三年間のその人の努力の積み重ね、学習到達度、そういうものを合わせた総合的評価によって大学入学が最終的に判断されていくようにいま制度が改善されようと動いておるさなかでありますので、この制度の改善が当面の課題だと考えますが、私は、共通一次試験がそれによって直ちに大学入学の資格試験になるべきだととるのではなくて、この制度の改善によってより合理的な大学入学制度に改善されていくように全力を挙げていきたい、こう考えて取り組んでおるところでございます。

曾禰益民社党

○曽祢委員 同感するところが多いです。私は先ほど補習塾と進学塾と性質が違うのだということを申しましたが、進学塾の繁盛というのは、それこそ大学入試から、難問奇問でいくということから直さなければ、これは幾ら悪いと言っても、偏差値の問題にしろ、そういう試験制度が生んだ一つの鬼子みたいなものだ。ですから、私が諸悪の根源は現在のままの大学入試なりと言うのはそういう意味なんで、その意味では大学入試だけにとどまるのじゃなく、そこからメスを入れていかなければ、いわゆる塾の問題、特に進学塾とか受験競争が幼稚園にまで及ぶという悪習は改善できないと思うのです。  それから、これは本当はきょうはどうかと思ったのですけれども、この会期中に当委員会におきましてぜひ検討しなければならないと思っているのは、日本の学校における英語教育です。これはもうどう考えてもほっておけない。一生懸命にやっているけれども、難問奇問ばかりを試験に出す。これを口の悪いのは、あれはイングリッシュじゃなくてジャプリッシュだとか豚カツ・イングリッシュだとか言う。全く日本製の難問奇問、文法も古臭い文法を書いておる、そういうことを詰め込むような悪風ですね。これはやはり大学入試の出題が悪いのです。だから、英語教育の改革は、中高における英語教育の行き方は大学の入試から直していかなければだめだ。そういう意味で、やはり大学入試が特に大切だと私は考えます。英語教育についてはきょうは全般的のあれを申し上げませんが、もしかそれに関連する御意見を承ることができれば、文相からちょっとだけでも承っておきたい。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 英語の大家でいらっしゃる先生からむしろいろいろ御意見を承って、文教行政を進めていく上の参考にさせていただきたいと思って聞いておったのでございますが、基本的に英語教育は読むことと書くことに非常に力点を置いて、話すこととか聞くことに非常に弱いのではないかという指摘、批判があること、また実態がそうではないかということを私も考えておりまして、文部省は、英語は読む書くのみならず、聞いたり話したりすることも大切だというので、現実に教壇に立っていらっしゃる英語の先生の海外への派遣とか、外人講師の招聘とか、いろいろな交流をして少しでも一本当に通用する英語が教育されるようにしていかなければならぬと思っていろいろな努力を積み重ねておるところでございますが、大学入学試験の問題に関しましては、御指摘の趣旨を十分受けとめまして今後とも検討をさせていただきたいと考えます。

曾禰益民社党

○曽祢委員 この問題はひとつ継続審議ということにさせていただきまして、いまは文相のお考えの一端を承っておきます。  次に、当然のことなのですけれども、文相も特に重点を置いておられる学歴偏重の是正ですね。これはわが国としてぜひ取り上げていかなければならないと思うのです。  私は平素から言っているのですけれども、わが国の高学歴社会は、学問の尊重じゃなくて学歴偏重に堕しておるのではないか。そうだとすると、十八歳から二十二歳までの子供の約四〇%近くが大学に行くのだということ自身に余り喜んでいられないものがあるような感じがしてなりません。それから父兄や学生側にも、学校に入学して、悪いけれどもところてん式に卒業して、卒業証書の入手だけで万事終われりという弊風があるのではないか、こういう感じがいたします。これも改めていかなければならぬ。これはなかなか大変な問題ですけれども。  たびたび引用して恐縮ですが、朝日の例の調査によると、国民は六〇%が子供を大学に出したい、大学卒にしたいという意見だ。同時に、大学生が多過ぎるのではないかという問いに対しては、そうだというのが五二%、ノーが四一%、多過ぎるというのが、そうまさってないけれども、とにかく多いのですね。多数なんです。これは矛盾しているようだけれども、親御さんの気持ちとしては出してやりたい、しかし社会的現象として見ると多過ぎるのじゃないかという迷いがある。これが、私が申し上げた、高学歴社会それ自身がいいと言えるのか、学問の尊重よりも学歴偏重というところを直していく必要があるのではないかということをはっきりと示しているように感ずる次第です。  文相は就任以来早速、雇用の面における有名校指定方式といいますか、これに対する切り込みをおやりになっている。私も賛成です。こういうことを雇用側で言うのは、私は雇用者の方の頭が悪いのじゃないかと思う。名前を挙げていいかどうか知りませんが、ソニーなんかでは、有名校なんというのは問題じゃないということで、最も科学的なふるいにかけた上で採用試験をやっているようでありまして、指定校方式なんというのは実に古臭いと思うのです。かといって、これを強制によってするわけにはいかぬと思うのですけれども、指導といいますか、そういうことでこういう古臭い考えをやめさせるようにしていくべきではないかと私は考えます。  これが一点ですが、時間の関係で続けて私の意見だけを申し上げさせていただいて、一括お答えを願いたいと思います。  私は、実はもっと大きな一つの題目として生涯教育、全体を取り上げたいわけでございますけれども、それはきょうはいたしません。しかし、学歴偏重、一回限りの勝負でないという意味において国や企業側ももう少し考えて、一片のと言っちゃ怒られるかもしれないけれども、大学の卒業免状だけ持ってきたら、それでその人のコースが決まり、出世も決まる、全部がそういうわけでもないかもしれないけれども、むしろ生涯教育というのを国の制度として考えていくのが必要じゃないか。これは本当の思いつきみたいなものですけれども、たとえば三十五歳、大学卒が何かの職業を選んで約十年したら、もう一遍再教育する、そして試験も受けるという制度。それから、五十五歳、そろそろいわゆる六十歳定年的な方向に進んでいると思いますけれども、そして六十五歳までは健康な人は働く時代が来ると思うのです。その大体十年くらい前の五十五歳にはもう一遍その人が、国の計画によって、企業におる人もそれでひとつ再教育の機会を与える。そして自分に適した老後の仕事につく。雇用者側もその点を十分に考慮して待遇等を考えていく。本人もそういうことで、自分の生活設計を生涯教育と生涯福祉と絡めたような形で考えていくというようなことも今後十分考慮していかなければならないと思うのですが、右二点についてのお考えを伺いたいと存じます。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 最初の学歴社会についての御指摘でございますけれども、私は先生の御発言の趣旨と全く同じ方向で考えております。昨年の暮れに文部大臣を拝命いたしました。前大臣から事務引き継ぎを受けましたときに、四つの問題点を私に指摘され、それが教育改革の四頭立ての馬車と世間では言われておりますが、教育課程の改定の問題、大学入試の改善の問題、大学間格差の是正の問題、そして学歴偏重社会の是正の問題、この四つでございましたが、三頭までは出そろったが、学歴偏重打破についてはなかなかむずかしい問題だからやや出足がおくれておるというのが率直なお話でございました。しかし、逆に申しますと、すべてが社会の学歴偏重という一つの大きな風潮から生み出されてきておる弊害であると言えないこともないわけでありまして、皆それぞれに関連を持っておるわけでございます。文教行政というものは国家百年の大計でありまして、そう手のひらを返すようにぽんぽん変わるものでもありませんし、また変えてはならないとも私は思っておりますけれども、私がまず手をつけなければならない、そして手をつけることのできる問題は何だろうかと思ったときに、教育課程の問題も大学入試の問題も、あるいは学校間格差の是正の問題も、すべて歴代の文部大臣の努力の集積によって小さな芽が出たり、方向がつけられて、それがいま走り出しておるさなかでありますけれども、学歴の問題だけはどうも混沌としておりましたから、私が手をつけられる点はどこだろうかと思って探したら、例の指定校制度というところが見つかりましたので、これにひとつぶつかってやろう。出身の学校によって、この企業を受けることができるかできないかという、要するに参加することができるかできないかという決定的な仕分けをすることは間違いであると私は思っておりましたから、指定校制度の廃止というものについて企業側にも重ねてお願いをしたし、担当する労働大臣にも直接お目にかかって行政指導方を要請し、選考はできるだけその人の能力、資質に応じて公平、平等に参加できるようにしてもらいたい、こういう趣旨でぶつかったわけでございまして、このほかにも、それではそれにふさわしい人をどうして選ぶかという学校側の努力、あるいは学生の自覚と申しますか、指定校制度なんかやっておったら、おれのように有能な人間を採ることができないぞ、結果的にはおまえのところが損をするんだというくらいのことがみんな胸を張って言えるような、そういった雰囲気が社会に出ていくように、みんなの奮起といいますか、社会全体の意識の改善といったようなものも私は強く期待しながら打ち上げておるわけでありまして、これは真心を込めて何回も皆さんにお願いをし、御協力をいただいて、この指定校制度というものだけはとりあえずなくしていきたい。指定校制度がなくなれば学歴偏重がなくなるかというと、そんな簡単な図式ではございませんけれども、まずここから始めていきたい。幸い最近のいろいろな発言を見ておりますと、指定校制度は激減してきたとか、いろいろなことを企業側も言っておられるようでありますから、さらに一層協力を願ってこれはぜひ廃止をしていただきたい、こう強く願っておるわけでございます。  なおまた、学歴だけがひとり歩きするのはよくないという御指摘、そのとおりでありまして、私は、OECDの調査団が日本へ参りましたときに、日本は生まれながらにして人間の差別のない、きわめて民主的なすばらしい国だと言いながら、大学入学のときに何か新しい差別が生まれるようだということをつけ加えて言った、あのOECDの調査書なんかを謙虚に受けとめますと、やはり大学の入学のときに——ということは、学歴というものがその人の一生に必要以上に幅をきかせてしまうというのは、これは外人の目から見たって明らかにおかしいことはおかしいのでありまして、指摘されるまでもなく、われわれの方が改善すべき問題でございますから、そういったものはいろいろな角度からの施策が総合されませんと一挙には片づきませんが、片づける方向で手につく問題があったら一つ一つつぶしていかなければいけない、こう考えております。  それから生涯教育についての御提言でございますけれども、これは人間の生涯というものについて、これだけ時代の移り変わりが激しくなればなるほど、やはり人生の一段階においてさらにみずから学習をしたいという希望や要求あるいは要請が出てくることは想像にかたくないところでございまして、私の知るところでは、現に労働省などでも、生涯の途中において職業の再訓練と申しますか、一定の期間を区切って、それを有給で休暇にして再訓練を受けるような制度をお考えになって、実行されておると承っておりますけれども、いま文部省が考えておりますたとえば放送大学の構想のごときにしましても、いつでも、どこでも、だれでも、自分の欲するものをまた学習することができる、それは正規の大学の単位をくれるんだというようなことで、人生の途中で勉強したい、勉強しようという意欲に対しては、できるだけその機会を用意していかなければなりませんし、また国立大学の夜間学部の設置の問題とかあるいは実験的に行われました昼夜開講制の問題等も、こういった社会に出て働く人々の学習意欲を満たしていただくための一つの場でございますから、方向としては間違っていない正しい方向だと思いますので、こういった施策をできるだけ拡充していきたい。同時に、生涯教育というものは学校の場だけではなくて、地域や社会やいろいろなところで行われていかなければならないものでもあろうと思いますので、社会教育の部面においてもこういった方には力を入れていかなければならない、総合的に判断して効果を上げるようにしていかなければならない、このように考えております。

曾禰益民社党

○曽祢委員 先ほど私は、義務教育段階における教員の心構え等についてもちょっと触れたことがございますが、私は何といっても教員の待遇改善は非常に必要なこと、これを進めると同時に、個個の先生方に対する心構え的なことでなくて、やはり現行の教員の養成、それから資格検定にももう少し考えていかなければならないことがあるのではないかと思います。  この間もある新聞に高崎市立片岡中学校の校長さんが大変に具体的な御意見を開示されておりましたが、確かにいまの教員の資格の賦与が余りにも簡単過ぎるのじゃないか、もう少し考えていく必要があるのじゃないか。どこの大学でも単位をとりさえすれば免状が教育委員会からとれる。しかも、一級免許の教職専門は、小学教員は三十二単位、中学教員は十四単位の履修でいい。しかるに、四年制大学の卒業のためには百三十から百七十単位をとらなければいかぬ。こういうようなことで足りるのかということと、研修、実習が余りにも足りな過ぎるのじゃないか、こういうことが考えられなければいかぬ。したがって、それを項目的に申し上げるならば、教員免許のための履修の単位は増加すべきではないか。  幼稚園、初等教育の教員のためには四年制教員養成大学ぐらいを設置する。これもしばしば外国の例等を引いて恐縮ですけれども、フランスあたりでは、いわゆるドクターコースを取らない者が教えるなんということはあり得ないぐらいになっているわけですね。最近は、特に地方自治体の教員さんが待遇がいいというだけで、文科に入ってすぐ教員の資格をとろうという人がいるのですけれども、果たしてそれだけでいいかなということをもう考える時代が来ているのじゃないか。中等教育の教師は一般総合大学で養成することにして、むしろ下級といいますか、下の幼稚園、初等教育の教師こそ特別な勉強などが必要なんだ。  それから、教育の実習は少なくとも大学卒業後一カ年ぐらいにする。現在は、小学校一級普通で四週間、中学校では二週間、これでは先生の卵にはなっても、先生として世に出すのに少しかわいそうじゃないか。  さらに採用後、これは各地方自治体でもいろいろお考えになってやっておられます。神奈川県あたりでも、大変にいい教育研究所みたいなものがございまして、校長先生とかトップクラスの方のいわゆるサービスに入っての再教育をやっておられますが、それは全般的に、上級の先生だけでなくて、十年ごとには免許の審査制度を設ける等等、もう少しそういう制度をきちんとすべきではないか、かように考えますが、御意見を伺わせていただきます。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 教員養成の問題につきましては、幅広い教養のある人材を求めるという見地から、いわゆる国公私立大学のレベルでこれを行うことといたしますほか、特に義務教育教員につきましては、それにふさわしい資質、能力のある教員を相当数安定的に供給できるよう、各都道府県ごとに教員養成を主たる目的とする四年間の大学、そして学部を設けて、一般大学と教員養成大学がそれぞれの特色を生かして教員養成の充実を図ることとしてきたわけであります。いま先生は免許が非常に安易に出され過ぎておるのではないかというような角度の御指摘でございましたが、確かに免許状というものが出ております数と実際に就職していただいておる人の数との間にはずいぶんな差があることは数字の上で認めなければなりませんが、これは、免許状は一応取るけれども教職にはつかないという本人の自由意思で進路を決定されることがありますので、いかんとも申し上げられないことであります。しかし、先ほど来申し上げておりますように、やはり私も理想を言えば、財政的なこととか制度、仕組みとか、いまの現状を全部もしよそへおくことをお許し願うなれば、教員養成のためにはもっともっといろいろな研修を積み重ね、念には念を入れた研修をすべきではないか、私もそういう気持ちはいたします。同時に、それは教壇に立ってもらって指導力を発揮してもらうためにはどれだけやってもらってもやり過ぎではないというようなことは、気持ちとしてはわかるのでありますけれども、年々の計画もありましょうし、それから身分の問題もありましょうし、現在の財政措置もありますので、できる限りのところでこれは接点を求めていかなければなりません。本年度の予算措置の中では新任教員の人に対する研修のための予算も用意をいたしまして、ややもすれば、新任教員の人が教壇に立たれるときに実地にわたる指導力の問題についていま少し研修を重ねてもらった方がいい、こういう角度の指摘もずいぶんあったわけでありますが、そういったことをまずやろうというので本年度は措置をいたしておりますが、さらに、教壇についてから五年間たった人に対する研修の制度、そういったことも考えまして、必要に応じてできるだけ、特に義務教育段階の教員の事前の研修というものには力を入れていかなければならないと考えております。

曾禰益民社党

○曽祢委員 ぜひ積極的に改善についてお考えを進めていただきたいと思います。  最後に、文化問題については余りにも窓口が広いのできょうは本当の一点だけについて伺わせていただきますが、文相のこの間の所信表明の中にも触れておられましたけれども、由緒ある町並みの保存なんかもひとつやっていきたいと言っておられました。私自身がそういう建築等について非常に興味を持っておる。最近の日本の行き方を見ておりますと、どうも、本当の古い文化財ではないけれども、明治から少なくとも大正初期ぐらいにできた西洋建築なんかで、明治時代のいわゆる文化財保護の網がかかっているものでなくても、非常に文化的な価値のある建造物等が所々方方にある。特に私がいま直接取り上げているのは西洋式の建造物です。そういうものが少し古くなったらすぐに所有者の恣意によって壊され、新しいもっと便利なものをつくる。こういうことでいいのかどうか。具体的には、丸の内にある大正十二年、震災前にできたあるビルディングですけれども、非常に美しい装いを持ったビルディングを壊すことになったときに、私はちょっと待ってくれ、果たして壊さなければいけないのか、それを十分に調べたのか、仮にどうしても壊す場合には、そういうものの一部でも、ファサードといいますか、そういうものを新建築の中に取り入れるというようなことも考えていくべきではないか。東大の生産技術研究所の某教授も、全然同感である。そういうことをやろうとして結局はそれはできなかった。それから、やはり同じような例で、いまで言えば東銀ですね、昔の正金銀行の日本橋の店、これも何とか保存したいというのが結局押し切られてしまった。ですから、どこまであれするか、必ずしも明治と大正とで区別できるものではない。大正年代にかかっても、そういうふうに保存の価値がある、少なくとも一部保存の価値がある建造物なんかあると思うのですね。そういうことについての考慮が少し足らな過ぎる。何でも便利だから昔のを壊して高層建築をつくればいいというその行き方に私は非常に抵抗を感ずるわけです。ですから、そういったような町並みも結構。たとえば倉敷の一部の町並みなんかそのまま保存したいとか、京都なんか無論そうでしょう。古い話で恐縮ですけれども、昔パリにおったときなんか、コンコルドの広場からオペラハウスを見たあそこの両側に相似形の、シンメトリーのビルディング、片方が海軍省、片っ方がほかの建物、それをアメリカ大使館が買った。買うのはいいけれども、壊すのはいいけれども、同じものをつくれ。それだけやはりフランス人あるいはパリジャンというものは自分の町並みというものを守るという意気込みと意地と誇りを持って、それは日本もいきなりそういうふうにもいかぬでしょうが、文相が言っておられる町並みの保存ということとあわせて、やはりそういう生きている文化財が次から次に便宜的に、古くなったから壊すなんということでいいかどうかという問題をこれからも取り上げてまいりたいと考えておりますので、文相のお考えを伺わせていただきたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 私は、ただ何でも古くなって役に立たなくなったものは壊して、どんどん合理的につくりかえていけばいいというだけでは、これは民族の伝統を守ったり心の豊かさを残していくためにいけないのではないか。そういう観点から、やはり由緒ある町並みを保存するとかあるいは歴史的な景観の保持に努めてまいりたい、こう申し上げておるわけでございますが、先生御指摘になりました具体的ないろいろの丸の内の銀行の問題等に関しましては、私ちょっと具体的な事実をつまびらかにしておりませんので、文化庁長官からお答えをいたします。

安嶋彌文化庁長官

○安嶋政府委員 古いすぐれた建築の保存が必要であるということは先生の御指摘のとおりでございまして、文化庁におきましても、明治維新前のものはもとよりでございますが、明治以後のものでございましてもかなりな数の指定に着手をいたしておるわけでございます。  一番新しいものといたしましては、大正十三年に建築されました芦屋の、ライトが設計をいたしました旧山邑邸の指定というものも決まっておるような次第でございます。国有の例といたしましては、北の丸公園にございますもとの近衛師団司令部がございますが、これは明治建築でございます。あれは内部はかなり従来の姿と変わっておりますけれども、外形を保存するということでただいま修理を進めておるようなわけでございます。完成いたしましたならば、近代美術館の付属の工芸館として運用をしたいということでございます。それから北海道大学に、これは創立当時の農場がございますが、こういったものも現在修理をいたしておるわけでございます。ほかに例といたしましては、日本銀行の大阪支店でございますが、これを取り壊すという話がございましたので、これはぜひ残していただきたいということを折衝いたしまして、幸い日銀当局の御理解を得まして外側だけは残すようなことになっております。内部は、さっき申し上げました近衛師団司令部と同じようにかなり直す、ないしは壁だけを残しまして内部は全部新しくするというようなことも計画されております。そういうようなことで徐徐に比較的新しい建築にも手をつけておるということでございます。  それから町並みの保存の問題でございますが、これは一昨年の議員立法による文化財保護法の改正によりまして新しく設けられた制度でございまして、秋田の角館でございますとか、岐阜県の白川でございますとか、それから京都の産寧坂、祗園、それから萩、そういった約七カ所の指定をいたしております。これを大正、明治の町並みにまで及ぼすかどうかということにつきましては、これは現に使用者があり、居住者があり、生活や事業があるものでございますから、これを一方的に指定をするということには若干問題があろうかと思います。法律のたてまえも、地域住民が自主的に保存の意思決定をし、市町村がそのことを取り上げまして保存条例をつくりました場合に、初めて国がこれを選定する、指定ではなくて選定をするというのが町並み保存のたてまえでございまして、一般文化財の保存とややそこが違うわけでございます。そういうことでございまして、国は町並みの場合は受けて立つということでございますが、そうした特別な制度になっておりますのも、やはりそこに現実の生活があり、事業があるということに対する配慮が前提になっておったものと理解をいたします。なかなかむずかしい問題でございますが、御趣旨といたしましては全く同感でございますので前向きに仕事を進めてまいりたいと思います。

曾禰益民社党

○曽祢委員 これで終わります。

藤尾正行自由民主党

○藤尾委員長 午後零時三十分に再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時六分休憩      ————◇—————     午後零時三十四分開議

藤尾正行自由民主党

○藤尾委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政の基本施策に関する件について質疑を続行いたします。山原健二郎君。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 海部文部大臣、就任されて最初に質問するわけですが、教育問題の基本方針につきましてまた予算委員会で質問することになっていますので、きょうは私は、この委員会でかつて二度請願の採択になりました学校災害の問題について主として質問をしていきたいと思っています。また、私の提起も含めまして質問を申し上げるわけですが、前々から一度は当委員会でどうしても取り上げなければならぬ問題だと思いながら今日まで参りまして、一度部分的に取り上げましたが、この問題非常に重要な問題になっておりまして、改めてこれをぜひ私の調べた範囲のことを調査もしていただきたい。また、聞いてもいただきたいと思っているわけであります。  最初に、私のお聞きしておりますところでは、昭和五十年の学校における災害の現状を見ますと、死亡二百四十七名、廃疾五百六十八名、負傷、疾病が合わせまして八十九万五千七百四十五名となっております。これを交通白書によりまして交通事故と比べてみますと、これは学童だけではありません。大人も含めての全交通事故の人数でありますが、六十三万三千二百五十九人となっておりまして、何と交通事故よりも学校災害の方が大きいという数字が出ているわけでございます。  最初にお伺いしますのは、この数年来、この学校災害はどういう数字になっておりますか。いま私の言いました五十年の数字が正しいかどうか伺っておきたいのです。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 日本学校安全会の方から取り寄せました数字によりますと、先生が例示的に言われました昭和五十年負傷並びに疾病が八十九万四千九百三十件。そのうち疾病が五百六十八件、死亡が二百四十七件、御指摘のような数字になっております。  なお、年別の詳しいことが御入用でしたら、政府委員の方から申します。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 この数年来増加の傾向にあるのではないかと思うのですが、その点は大臣でなくて結構ですが、どんなふうになっておりますでしょうか。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 安全会の給付の件数で見ますと、ここ数年来ふえておりまして、昭和四十六年度全体で七十二万七千五百七十九件ございましたものが逐年ふえておりまして、五十年度はいま大臣からお答えしましたように、八十九万を超える数字になっております。だんだんにふえておるわけでございます。特に負傷、疾病の数がふえておるというような内容になっております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 交通事故の場合は、これはいろいろ努力もなされて、最近では減少の状態にあると聞いております。また、交通災害の場合はいろいろの配慮が行われるならば当然減少していくわけですが、学校災害の場合はむしろふえる可能性を持っておる。ふえることは当然これは防がなければなりませんが、たとえば学校における教育活動が活発になるにつれて事故が起こりやすいということも言えると思うのですが、そういう点で、交通事故と違いまして、非常に憂慮すべき問題だと思うのですが、その点はいかがでしょうか。たとえば特活とかクラブ活動その他が活発になり、子供の体力を増進させていくという点からいいましても、それが盛んになればなるほど事故がふえる可能性がある。もちろん防ぐことは大事なことでありますけれども、現状ではそういう状態にあるのではないかと思いますが、それはどういうふうに把握されておりますか。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 これも同じく安全会の資料でございますが、小学校で申しますと、一番事故の多発しますのは休憩時間でございます。休憩時間に次いで各教科、それから特別活動というような順序になっております。これを高等学校で見ますと、やはり一番事故の多発しますのは特別活動でございまして、それから各教科、それに休憩時間、かようなことになっております。高等学校ともなりますと、いろいろとクラブ活動なり部活動というものが活発になっておるというような学校における生活時間の傾向がこのように反映しておるのではないか、かように内容を見ております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 そういう大変憂慮すべき事態にあるわけですが、これに対して現在はどういう手当てがとられておるかということなんですが、これを最初に伺っておきたいのです。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 安全会というのは加入者が、義務教育でございますと一応強制的な加入、高等学校、幼稚園は任意加入、引き継ぎまして高専も任意加入、こういうようなかっこうになっておりまして、掛金を出して共済給付というような制度になっております。出します制度は医療費と廃疾見舞い金と死亡見舞い金、かようになっております。これは私的な制度でございまして、国なり地方公共団体がそれぞれ財源措置についててこ入れはしておりますけれども、あくまで基本は掛金を持ち寄る制度という共済制度でございます。  これは見舞い金というようなことで説明できると思いますが、それ以外に、本来的に公の責任でこういう災害の場合の補償をするというようなことにつきましては、国公立でございますと国家賠償法なり、私学でございますと民法というふうな規定がございまして、公の責任を追及する方法はまた別途に制度としてございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 現在国としてはいわば学校安全会のみを頼りにしているという状態であるわけです。そのほかに自治体としてやむなく学校管理者賠償責任保険制度というのをつくっているようですが、全国で大体どれくらいの市町村がこういう制度をとっておりますかおわかりですか。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 いまお話の制度は三種類ございまして、全国町村会、それから全国市長会、それから都道府県というようになっておりまして、それぞれ管理者の賠償責任の保険制度を運営しておるわけでございます。いずれも五十年度以降にできましたものでございます。これは公の責任を全体が保険制度でカバーをしていくというような趣旨によっておるものでございます。市町村ではほぼ七〇%程度がこれに加入しておる、かように聞いております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 現在の安全会の制度のもとで死亡、廃疾については大体どれくらいの見舞い金あるいは給付が行われているんでしょうか。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 死亡見舞い金は二百万円でございます。廃疾見舞い金はそれぞれ段階がございまして最高額が二百四十万円、かようになっております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 現状はそういう状態です。  いままでのことをまとめますと、学校災害は大臣が答弁されましたように八十九万を超すという状態でございますが、それに対して現在の段階では死亡に対して二百万、廃疾に対して二百四十万という金額しか出ないというのが実情でございます。そこでこの現状の中からさまざまな問題が起こっています。ことに教育の場ですから、教育の場であるがゆえに一層悲劇的な状態が出てくるわけでして、これから私は幾つかの例を申し上げたいと思いますが、これは文部大臣にも委員長にもぜひお聞きいただきたいと思うのです。  一つは、日大山形高等学校の近野光正君の例でございますけれども、これは山形高等学校に入学をしまして三カ月日に、つり輪の練習をクラブ活動で行っておりました。その際、いわゆるウルトラCというわざでございますか、これは先生が目を離しておるときだったようでありますが、そのわざに失敗をして頭から転落をしまして全身麻痺になっているわけです。  この事故が起こりましたのは昭和四十三年七月一日でございまして、現在まで八年を経過いたしておるわけであります。そして、先ほど言いましたような安全会の給付は五年間の給付でございますから、もうすでに打ち切られておるわけですが、この近野君の場合、ここでちょっと伺いたいのですが、このとき幾らの金額が見舞い金あるいは給付金として支払われているか、打ち切りの段階でおわかりになりますか。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 お話しの近野君の事故は昭和四十三年七月に起こりまして、日本安全会からは、四十三年七月から四十八年六月までの間に医療費としまして約百十五万円を支給いたしております。なお廃疾見舞い金につきましても、昭和四十八年八月に請求に基づきまして第一級の廃疾見舞い金ということで六十三万円を支給しております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 こうして、いまお話がありましたように、医療費として五年間に百十五万円、それから見舞い金として六十三万円ですか、こういう状態ですね。そして現在どうなっておるかといいますと、現在の生活と医療を支えていますのは、調べてみますと、身障者年金が年に十八万円でございます。そのほかに、紙おしめ、敷布、消毒剤あるいは排せつ材、雑費、暖房費、その他マットレス、布団と出てまいりますが、暖房費というのは、こういう体でございますから、絶えず二十度に保たなければならぬという病状があるわけでございます。そうしますと、これを合わせまして少なく見積もりまして年に九十六万二千円の出費がなされているわけですね。これは全く必要経費のみでございますが、この九十六万二千円を身体障害者年金の十八万円で賄わなければならぬ、こういう状態にあるわけです。この御家庭を調べてみますと、お父さんが農業だけで生活をされておった方のようでございますが、現在夜警などをやって生活を支えておられます。その収入は月七万円という状態です。ではお母さんの方はどうしておるかといいますと、これは現在看護人、付き添い婦一人雇いますと、こういう病状では一日一万円要るわけです。お母さんはみずから介抱しなければならぬという状態の中でリョーマチにもなっているわけですが、その体でみずからも治療しながらつききりという状態でございます。結局お父さんの収入月七万円と身障者年金年十八万円を足して療養費を満たさなければならぬということで、当然これは生活も何もできないわけですね。そこで裁判が起こるわけです。  その前に、私はここに近野君が入院をしておる病院に対して、これは高畠町立高畠病院の「大場院長先生外御一同様」という手紙をもらってまいりましたが、これは結局近野君を守る会というのが組織をされまして、その方たちがこの病院長に対して、また従業員の皆さんに対して出しておる手紙でございます。これはもう切々と、このような症状の近野君に対していろいろな親切な治療をしてくださっておることに対する感謝と、同時にぜひまたよろしくお願いしますという願いを込めた手紙であるわけです。これは、私はいただいて読みましたが、まさにこういう状態に置かれておるのがこの近野君の実情だと思うわけです。  そこで近野君の場合、身体はどういうふうになっておるかと申しますと、まさに全身麻痺、そして植物人間と申しますか、そういう状態になって、幾つかの手術もしておるのですが、体もこういうふうにやせ衰えて、手もこういう状態になっているわけです。(写真を示す)これはここへ置いておきますから、ぜひごらんになっていただきたいと思いますが、こういう状態なんですね。これがこれから先何年こういう状態が続くかということを考えますと、まさに暗たんたる気持ちにならざるを得ないのでございます。  もう一つの例を申し上げますと、これは岩手県の国立一関工業高等専門学校、国立高専の生徒でありました小野寺勇治君の場合でございます。この小野寺君は昭和四十八年五月二十二日に事故が起こっております。この小野寺君の場合は国立高専に入学しまして四十日目なのでありますが、柔道の授業を受けておりまして、彼は中学生のときから柔道をやっているわけですが、その柔道の教育を受ける中で、先生から内またから大内刈りにいく連続変化わざの練習中に事故が起こりまして、二度先生に投げられておりますが、そのため橋静脈が破れまして、そして急性硬膜下血腫、それから脳挫折傷の傷を受けております。そしていわゆる植物人間となりまして、現在三年九カ月たっているわけでございます。これは、ちょうどお父さんから写真をいただきまして、お父さんが看病しておる姿でございますが、これが小野寺勇治君の今日の姿でございます。(写真を示す)そしてこの小野寺君の場合は、あと一年三カ月で安全会の給付が切れることになるわけです。この場合もおしめ代、付き添い代あるいは差額ベッドなどいろいろなもの、これはもちろん自己負担になるわけですが、こういう状態に置かれておりまして、五年を経過しますと全く何もなくなるわけです。お父さんは農業をされており、また出かせぎに行っておられるわけですが、その出かせぎもこの事故のためにできなくなっておりまして、収入は三分の一に減っております。御承知のように、昨年来東北地方は冷害その他の被害のためにソバもとれないという状態に置かれておるわけでございますし、またお母さんはつきっきりで看病する、こういう状態でございます。  先ほど申しました近野君の場合は現在裁判が係属中であると思います。それから小野寺君の場合は裁判の結果が、第一審判決が二月の十日、先月の十日に出まして、これは敗訴となっているわけであります。この敗訴の問題ですけれども、この敗訴になりましてお父さんの手紙を私、いただいているのですが、手紙と、それから当時、各新聞がこの裁判の結審につきましていろいろ書いております、そのうちの一部を皆さんに御紹介したいと思っています。このお父さんが、小野寺君が倒れまして病院へ担ぎ込まれたときにつきっきりで約二カ月泊まり込みで看病をしておりましたが、そのときに何とか勇治君に目を覚ましてもらいたい、こういう願いを込めてつくった短歌を私は見せていただいたのであります。その短歌は「昼になれども夜は明けない」という表題がついておりますが、そこに歌われておる歌は「背伸びして目覚めし吾子を夢に見てはっと目覚めし有明の月」、こういう歌を歌っておられるのでございます。そこで、このときに勇治君のお父さんが私によこしていただいた手紙をちょっと読んでみたいと思いますが、どういう気持ちで裁判をし、そしてどういう結果になったかということを書いておられます。こういう手紙です。  「勇治の事故以来三年九ケ月、裁判に提訴して三年三ケ月、過失の立証不充分という事で敗訴となりました。この裁判を通して如何に学校裁判の過失立証が難かしいかを身を以て感じ、国家賠償法は被害者救済の法律ではないとつくづく感じ、無過失補償を基本とする学校災害補償法の必要性を痛感させられ」ました。裁判を「維持するに当り、何故被害者がこんな苦しい中に苦しい裁判をしなければ、そして勝たなければ救われないのかと感じ、好まざる法廷」に出て「皆さんのお力添えで頑張って参りましたが、結果は敗訴となり足元から力が抜ける様な感じで、控訴についても迷いましたが、やはりこの問題は勇治一人の問題ではない、学災被害者の家庭が無言の支援をしてくれているんだとの自覚から控訴に踏み切りました。島根県の板倉さん、山形の近野君、県内の皆様、電話で手紙で支援して戴くので、勇治の命のある限り捨て石のつもりで頑張ります」、「この生活が今後何十年続くのかと思うと、学校安全会もあと一年で切れ、老母も七十六歳と老い、私達も仕事に専念出来ず、付き添い費は勿論どこからも一銭も出来ず、家政婦を依頼すれば一日一万円、到底私達では頼む事も出来ず、止むなく昼夜の別なく妻が寸時も離れず看護に当たる生活」です。「子供を健全に育てる為に同じ目的の中に子供を中心として教師有り親有り学校設置者があるのに、一旦事故が発生するや子供と親にのみ責任を転嫁させ、それを不満として裁判にするや世の非難のみ蒙るという現況は、法は平等の中にあるべきもの、法は人を救う為に存するという理念から離れ、生存権、教育権を無視して、法は法の為にのみ存するのかと疑わざるを得ません。」、こういう手紙をいただいたのであります。  もう一つ、その当時、この結審の後で岩手日報が、これは各社とも書いておりますが、現地の新聞を挙げた方がよいと思いますので、ここへ書き抜いてまいりましたが、岩手日報二月十二日の社説であります。二月十日が結審でありますから、二日後の社説でありますが、それに「学校災害判決考える」という表題で社説が出ております。この社説は、かなりまとまった今日の事態を表現をいたしておると思いますので、私はちょっと読み上げてみたいと思います。  今回の判決は、「小野寺君の障害が、投げられた衝撃で発生したと因果関係は認めながらも、教官の過失によるものとは言えないと原告の主張を退けている。」、これが今度の判決の特徴であります。柔道によって生じたものである、投げられたことによって受けた傷であるという因果関係は明らかになっていますが、しかし教官の過失は立証できなかったというこの二つの問題があるわけですね。それを指摘をいたしております。「県内でも」、これは岩手県内だと思いますが、「県内でも年間の発生件数は七、八千件にのぼる。」「五十年度は死亡者が十一人もあった。」とこの社説は述べておるのであります。次に、「見舞い金だけで、最高が二百四十万円と極めて少額である。」、補償につきましては少額である。さらに、「最近の公害裁判では、公害源となる企業の過失が立証されなくても、因果関係が認められれば無過失責任を問う傾向が強まってきている。」という現状を考えるべきである。「国としても過失はなかったとして、障害に苦しむ人を放置できるものかどうか。その半面、学校災害に対して常に教師や学校側の責任が追及されるようなことになると、それにも問題なしとしない。」「小さなけがでもすぐ責任問題に発展するようでは、教師は萎縮して十分な体育の授業や野外での活動はできなくなる恐れもある。」「いま全国的に高まっているのは、無過失責任を前提にした「学校等災害補償法」制定への要望である。」「国としても単に裁判の結果に従うというのではなく、これを機に学災法の制定に積極的な姿勢を示してほしい。小野寺君の両親があえて訴訟に持ち込んだのも、国の責任を追及するだけにとどまらず、このような救済制度の充実を意図したものと思う。」、こういうふうに出ているわけであります。  この小野寺さんのお父さんの手紙と、そして岩手日報の社説を披露いたしたのでございますが、私はこのような事態につきまして文部省がこの際何らかの措置を講ずるようなことも考える時期に来ているのではないかというふうに思うわけですが、こういう事実を御存じであろうか、そしていま私が読み上げましたことについて、文部大臣の見解や感想がありましたら、この際、ぜひ伺っておきたいのであります。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 そのような事実が起こっておりましたことは、私も報告を受けまして承知をいたしておりますし、その事柄そのものに焦点を当てて考えますと、やはりこれは大変心痛む出来事だというふうに私も率直に受けとめております。  現在、そういったものに対する給付の状況等がどうかということで、昭和五十年度に死亡見舞い金が二百万円、廃疾の場合に最高額が二百四十万円という返事がございましたが、しかし委員御指摘のように、現実に災害に遭っていらっしゃる方方の医療費の実態と申しますか、あるいは今後いろいろ続くであろう費用の積算なんということはなかなかこれはできないもので、そこに大変な犠牲が起こると申しますか、負担がかかっておることもわかるわけでございます。  ただ、こういった問題の制度の根本といたしまして、そこに故意があればもちろんでありますが、一体過失があったかどうかということが賠償責任の分かれ道になってくる、それをさらに一歩前進して、無過失の場合にもすべてことごとくというところまで踏み切ることができるかどうかということは、これはいろいろな資料等は取り寄せ、またいろいろな状況等は研究、検討は重ねておりますけれども、直ちにそれを無過失の場合でも全部賠償してしまいましょうというところまで率直に言って踏み出したお答えがまだできない状況であるということ、これはまことに不十分な答えかもしれませんが、率直に申し上げて無過失に直ちに踏み切ることはできないということでございます。しかし、さはさりながら、現状のままでいいとも決して思っておるわけではございませんで、たとえば給付金の問題にしましても、昭和五十二年度、今年度の予算の予定では、死亡見舞い金は百万円増額して三百万円に持っていこう、廃疾の見舞金は最高二百四十万円というのを最高四百万円になるようにしていこう、努力の積み重ねでできる範囲のことはやっていこう、こういう姿勢でただいま取り組んでおるところでございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 文部省としても当然検討されておると私は思いますし、いまの大臣のお答えもそういうことでございますが、最初に私が申しましたように、年々ふえておることは事実ですね。教育活動が盛んになればなるほど、また盛んにさせなければならぬのが教育行政でありますが、そうであればあるほど、その災害の起こる可能性も考えておかなければなりません。そういう意味で、私は、もう一歩前進をさせた研究、あるいはどういう対策があるか、あるいはいまおっしゃったように無過失賠償ということを全面的にやるというようなことについてもそれは当然考えておかなければなりませんし、そういった点でさらにこの検討を進めていく必要があると思うのです。  これは、最初に言いましたように、この委員会では請願の採択もすでに二回か三回しておると思うのですが、そういう点から考えましても当然文部省としても、またこういう実態から言っても考えていかなければならぬ問題じゃないかと思いますが、もう一度、これは漫然とは私は申しませんけれども、いままでも安全会の問題があって、掛金の改定期に少し金額をふやすという程度のことでなくて、もっと突っ込んだ討議を文部省内でもやっていただきたいと思うのですが、その点はいかがでしょうか。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 そのことにつきましては、きょうまでの長い間の経緯もいろいろあってでございますので、政府委員の方からお答えをさせていただきます。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 かつてこのような問題がございまして、いろいろ検討した結果、昭和三十五年度から日本学校安全会による国、地方公共団体も公費のてこ入れをする救済制度をやろうというようなことになりまして、これは事故のいかんにかかわらず、該当のときには学校の管理下であれば見舞い金を支給するという制度であったわけでございます。年々、その支給の範囲の拡大でございますとか、期間の延長あるいは金額の増額等、努力してまいりまして、ただいま五十二年度のこと、大臣から申し上げましたような努力もいたしております。しかしいかんせん、これは多くの人たちから掛金を徴収するというようなことがございまして、掛金の値上げにおのずから限度もございましょうし、それなりに要保護者等々の掛金につきましては、国、地方公共団体が肩がわりをするというようなこともしてはおりますけれども、なかなか一挙に上げるというわけにまいりません。そういうときに、いろいろと御指摘のような不幸な事故もだんだんに出てまいっておりまして、関係者からの希望もございます。これは率直に申しまして、現在の法制の体系では大変むずかしい問題でございます。しかし文部省は教育の現場を預かっておる立場でございまして、教育の場所がそういうことでいろいろトラブルが不必要に起こる、あるいはトラブルを避けるためにいろいろな曲折した現象が起こるということは好ましくございません。そういうことで、いろいろ関係者のお知恵も拝借いたしまして、検討は内部で続けてまいってきておりました。最近は日本弁護士連合会からも、現在ただいま御専門の方々のお立場からの御意見をいただく、引き続いて自分たちも検討するが、文部省でもひとつ検討してもらいたいというお話がございまして、ぜひそのような姿勢で具体的な問題解決に一層の努力をしてまいりたい、かように思っております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 国家賠償法の第一条では、公務員が故意または過失によってということになっているわけですが、学校の先生が故意にやるということはまずなかろうと思いますね。結局、過失の立証問題が残ってまいりますと、これがまた深刻なんですね。たとえば小野寺君の場合にしましても、国立高専ですから寄宿舎へ入っています。この身柄は全部学校へ預けておるかっこうで、その中で起こった事故ですと、親たちが立証しようといったって実際は立証できないわけですよ。立証不可能なことを裁判にかけて立証しなければならぬ。一方では、学校側にとってみますと、これに対して防戦をしなければならぬ。いままで師弟の関係にあった教育の学校というものが、この事件で裁判に一たびなりますと、一方は攻める方、一方は防御するという、ここですさまじい相克が起こる。その決着がつくまで闘わなければ裁判の結審が出ないということになってくると、私が最初に言いましたように、教育の場であればこそまさに悲劇的な事態が生じてくるわけです。小野寺さんのお父さんの手紙の中にもありましたように、好ましくない、好きで行っているわけでないこの法廷で闘わなければならない苦しみがあの中に出ていると思うのでありますけれども、こういうことを私は許すことはできない、そういう側面からもこの問題を考えていただきたいと思います。そういう国家賠償法第一条の問題が当然論議になると思いますし、日弁連の問題についてはちょっと後でお尋ねしたいと思っております。  もうちょっと例を挙げてみますと、これは大阪堺の金岡中学校の永沢哲也君の例ですけれども、この学校は生徒数二千七百九十四名というマンモスの中学校であります。そしてこの永沢哲也君が学校へ入りまして卓球部に入っておりますが、卓球部といいましても七十四名から百名に達する部員を持っているわけでして、しかもそこにはピンポン台が数台しかありません。結局、ピンポン台へついて卓球の練習をするというようなこともできないほどのマンモス学校なのであります。そしてほとんどマラソンばかりやっている。そしてそれは上級生が指導している、こういう状態でございまして、その中でマラソンの途中で倒れています。このときの温度が三十五度、路上は四十度と言われております。そこで倒れて、そして上級生は帰ってしまいます。その倒れておるのを近所の通行人が見つけまして、そして救急車に連絡をしております。そして翌日亡くなっているわけですね。こういう事故も起こっているわけです。この問題も現在係争中だと聞いております。  それから広島県の米田君の例は、四年前にラグビーで倒れて、これまた全身麻痺でございます。しかし、この方の場合、お聞きしますと、今度小野寺君の敗訴が出ましたために、もう生活もできない状態だけれども、訴訟を起こしても立証ができないので敗訴になるということで、これはあきらめなければならぬという状態を迎えておるようです。つぶさにはよくわかりません。岡山大学の柔道クラブにおりました井上君の場合も、これまた全身麻痺ですが、これは五十万円の見舞い金で終わっておるわけであります。私の県で国立高専の植村忠司君というのが柔道の対外試合、国立高専間の試合の途中で倒れまして、これも半身不随でございましたが、彼は現在車いすに乗りまして、自分の手だけ使ってやる仕事につきまして、自分のようなことを二度と起こしてはならぬということで、この植村忠司君は自分の仕事を自分で見つけてやりながら、再起のために奮闘している姿を私は同郷の者として見てまいりました。  さらにもう一例申し上げますが、静岡県立榛原高等学校の三年生、永野哲君の場合でございます。これは昭和四十九年十一月十一日の五時間日の体育の時間、サッカーのゴールキーパーをしておりました。中学時代に彼はバスケットの選手で、ゴールキーパーをやっておったわけですが、この球が飛んでまいりまして、友人のひざが頭に強烈にぶつかって倒れまして、養護室で一時間休んでおりまして、午後六時に榛原病院に入院をして、その夜の十時半から十二時まで手術をいたしております。そして三十三日間意識不明、そして治りましてもけいれんが続いておりますが、学校側は三月に卒業をさせております。これは十一月から学校へ行ってないのですけれども、どうしてかここで卒業させられているわけです。これは憶測で大変恐縮でありますけれども、学校と縁のない者にした方がいいのじゃないかという気持ちがあったのかもしれません。その辺はつぶさにわかりません。そして去年の八月に退院をいたしておりますが、県の体育保健課の課長補佐さんあるいは体育指導主事はもう円満に解決したと言っているのですけれども、左半身は不随で、伊豆のリハビリ病院へ入っております。しかし脳に異常がありまして、時折暴れるということでリハビリ病院を出されまして、現在母親が引き取っております。この場合は、父は昭和四十七年に死亡いたしておりまして、母子家庭でございます。こういう状態なんですね。そしてよく聞いてみますと、補償の問題も学校安全会の方から医療費が約百万円いままで出ておるようでありますが、実際には医療費だけでも二百万を超しています。現在、月に一回脳波テストが行われておりますけれども、この代金も去年の八月から滞って出されておりません。また、現在二十歳になるわけでございますけれども、大変なお母さんの苦労が続いておるわけであります。医療費すらてきぱきと出ないというような状態ですね。  そのほか埼玉県大宮市の場合には、学校災害補償制度のために、大宮市は市議会、市を挙げて、恐らく全国の自治体の先頭に立って努力をしておるところだと思いますが、ここでは大宮市の南中学校の大谷立君の問題が昭和三十六年五月九日に起こっておりまして、柔道の途中で全身麻痺、そして大宮市の市議会、市当局が中心となりまして、すでに十六年間この大谷君も闘病生活をしておりますが、同時に、この運動が大宮市によって展開をされておることは御承知だと思います。そして意見書その他が続々と寄せられまして、現在たしか二百六十二自治体がすでに意見書を提出しておると思うのでありますが、このような運動が自治体ぐるみで起こっておることも御承知だろうと思います。文部省はその運動の状況についてどういう把握をされておりますか、伺っておきたいのです。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 最初の大宮市の事件が昭和三十六年に起こりまして、三十九年以降市議会等々が中心になりまして、議決書を国の方にも出され、最近では国会にも請願がございまして、採択をされるというような状況でございます。個別にもいろいろ私どもの方に各地方団体の議会の意見書というものも若干参っておったりいたしておりまして、事柄の個々のケースの詳細はともかくといたしまして、こういうことについてのいろいろなお考えというものは十分に承知をしておるつもりでございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 結局、どう考えましても今日までの国の制度の不備、貧困ということが原因となって、そしてこういう事態が起こり、しかも裁判になれば、先ほど申しましたように深刻な争い、攻防戦を展開しなければならぬ、こういう状態にあるわけでして、これはどうしても、一刻も早く改善をしなければならぬと思います。  そういう意味で、たとえば安全会の給付の額をふやす問題もありましょう。また、いま全国からの要請が出ておりますところの災害補償制度という制度の確立あるいは法律化の問題、こういうものもあると思います。しかし、これらを含めまして法律技術的に困難があれば、それはその困難を摘出をして、法技術としてもできるような措置を講じていくというやり方もありましょうし、これは衆知をしぼってやらなければならぬ問題だと思います。  そこで、日弁連のこの一月に出されました、いまお答えにもなりましたものでございますけれども、これは御承知のように日本弁護士連合会の人権擁護委員会学校災害補償調査研究委員会の出されたものでございます。ずいぶん学ばされる文章になっておりますが、私がここへ持って来ております。この二十三ページに要約された見解が出ておると思います。それはこういうふうに書いております。   しかも、学校災害の賠償義務は学校設置者に  ありとする現行法制の下では、弱小市町村にお  いては、その賠償によって財政を圧迫し、また  教師に対する安易な過失責任追及は、教育活動  の消極化を招きやすい。   ここにおいて、生徒等の安全に教育を受け  る権利を保障し、もって児童、生徒等並びにそ  の保護者と教師とが緊密な信頼関係に立脚して  教育活動が実現できるよう、無過失責任主義に  基く学校災害補償制度の確立と、国が主体とな  った補償費用の負担の方途がはかられるべきこ  とは当然の理である。   現行の日本学校安全会法と関係法規を改正  して、見舞金を災害補償制に改め、実損害の全  額給付と給付対象者の大学生への拡大の方向で  改めるのも一つの方途ではある。しかし、現行  法の如き、設置者の任意契約制と共済掛金の設  置者及び保護者負担という制度を抜本的に改め  て、国が費用負担の主体となる災害補償制にふ  みきるためには、新たに学校災害補償法という  ような名称の、私立学校も含む公教育制度にお  ける、生徒等の安全に教育を受ける権利の国に  よる制度的保障の確立が望ましいのであり、そ  れが国民的願いでもある。こういうふうに日弁連はこの報告書の中で書いておるのでございます。  私は一番大きな問題になりますのは、何といっても死亡、廃疾の問題が大きいと思いますけれども、この幾つかの事例を見ながら、日弁連の見解は、まさに傾聴に値するものではないかと考えたのでございますが、文部省としてはこれをどういうふうに受け取っておられるか、正式な見解を伺っておきたいのであります。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 われわれなりに研究をいたしております。いろいろな現在の制度で最もティピカルに援用されますのは自賠法の規定がございまして、これは一つの考え方から、死亡、廃疾ともに千五百万円という多額の補償をするというようなたてまえでございますが、これはきわめてレアな法理論の上に体系づけられております。先ほども少し引用されましたが、公害健康補償法制がございまして、これは被害者の立証の要なしということで制度がつくられてございますが、これは死亡の際に二百四十万円を出すというような制度でございます。いろいろそういうような、全く似ておるわけではございませんけれども、どういう法益を守るべきかというような議論はあちこちにございます。  そういうことでもございますので、私どもも、先ほど申しましたように検討を続けてまいりたいと思っておりますし、現在の日弁連の専門的なお話も、安全会の制度をよくするのはそれとしても、公の責任を問うというのはやはり現行制度では国家賠償法の一条というようなことである。したがいまして、これの公権力の行使の範囲を拡大し過ぎると教師の人権の問題にかかわる、これを厳密に解釈し過ぎると児童生徒の災害について手当てができないというジレンマがある。これはあくまで裁判例というようなことの具体の問題をいろいろに検討して積み上げていくということと同時に、別個の観点から研究としては続けたいというお話もございまして、私どもの方にもそういうような御説明をいただきました。そういう観点から私どももよく勉強を続けてまいりたい、かように思っております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 日弁連だけでなくて、日本教育法学会の方でも以前からほぼこうした考え方に立っての立法措置の検討をなされておると聞くわけですが、その方の意見もお聞きになっているのでしょうか。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 直接お話をいただいておるわけではございませんが、いろいろ関係の先生方の御意見は、論文その他の機会を見て拝見もいたしております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 国際的に見ましても、たとえばILO、ユネスコの教師の地位に関する勧告の中では、御承知のように、教師は生徒の安全を守るために最大の努力を払わなければならぬと書いてあります。また同時に、教員の雇用主は校内外における学校活動の中で生じた生徒の傷害の際に、教員に損害賠償が課せられる危険から教員を守らなければならぬ、この二つの問題が国際的なこの問題に対するいわば統一された見解だと思います。この両面を生かすためには、やはり私は一つは無過失の責任問題の確立が必要であるというふうに考えています。そして初めて両立をさせ得るわけでございまして、その意味では、この日弁連あるいは日本教育法学会の見解というものは、これは一つの大きな参考になると考えるわけでございます。  いずれにしましても、こういう不幸が今後続かないようにするということは、教育行政にとりましても非常に重要な問題でありますし、また不具、廃疾、死亡というのがそれほど莫大な数に上っているわけでもありませんし、同時にこれを少なくしていくための努力が今後続けられなければならぬと考えております。  そこで、文部大臣と委員長に対して、私は、提案を含めまして、お尋ねと提起をいたしたいと思います。  その前に、去る二月十八日に、種痘等の予防接種禍に対して救済制度がスタートしましたね。これは閣議で十八日に決まりまして、死亡一時金が千百七十万円出ているわけです。種痘の場合にもそういうものが出るならば、学校災害という、子供たちを学校へ預けている、しかも子供たちが授業の時間、学校にいわば拘束されておる中で起こった事故、通学、下校の間における事故については、当然それに見合う実損害また今日の経済事情に見合うだけの補償、見舞いが行われなければならぬと思っているわけでございます。そういう点を含めまして文部大臣に、先ほどもお答えがありましたけれども、この問題について重大な関心を払っていただき、精力的な調査と検討とをしていただきまして、この問題解決のために一歩大きく前進さす措置をとっていただきたいと思います。それについての御回答をいただきたいと思います。  さらに、既設の学校あるいは新設の学校が建築に当たりまして子供たちの安全対策をやろうとする場合には、当然これに対して国も援助すべきであるという考えを持っています。この間中野で、子供さんがさくがないために落ちて亡くなるという事故が発生をいたしております。あれはさくさえあればそういう事故はなかったわけでございまして、もし既設の学校でも、ここは危険だからさくをつくるという場合には、安全保障のために国はそれに対する援助の体制をとる意思があるかどうか。  この二つの点を大臣に伺っておきたいのであります。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 第一の点につきましては、先ほど私が最初にお答え申し上げましたように、個々の事例を私もいろいろ報告を受けて聞いております範囲で申し上げると、やはり非常に心が痛む問題でありまして、いまの制度の中で、いまやり得る範囲の中でできるだけのことはしたいという姿勢で、学校安全会の給付金をふやすということで五十二年度予算に措置をし、気持ちの一端を示していることは御理解いただきたいと思うのであります。さらにこの内容を調査して無過失責任の方に踏み出すために検討をせよという御指摘であますが、私どももいま担当の局において、いろいろな諸外国の例や日弁連からのお申し出はもちろんのこと、各実情等を正確に調査いたしますとともに、これは慎重に検討をさせていただきたいと思います。  二つ目の点につきましては、新設の学校の場合にそういうさく等で安全を確保すべきであるという御発言はそのとおりだろうと思います。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 中野の例を出しましたけれども、中野の中央中学校で去年の十二月二十日に伊東啓介君という子供が転落死亡をしておるわけですね。これは手すりがあれば事故は起こらなかったであろうと言われておりますが、そういう場合に、自治体を通じて既設の学校から安全のためにこういう施策をしたいと申請のあった場合、大臣でなくて結構ですが、その際にはどういう措置をとるようになっていますか。

安養寺重夫文部省体育局長

○安養寺政府委員 学校の施設設備の安全点検につきましては、私どもの局の方で毎年いろいろな手引きを出して講習会等をやっておりますし、日本学校安全会におきましても、災害予防の手引きというようなものを出しましてそれぞれの関係者の注意を喚起しておる、こういうことをいたしております。いまのお話とは多少違うかもしれませんが、災害の起こる前に用心するにこしたことはない、よい指導をしていただこうという努力はしているわけでございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 少し足りない答弁ですが、時間も余りありませんので……。  委員長に伺いますが、この委員会で請願採択をしております。それ以来余りこの委員会でも取り上げてないように思う。他の議員の皆さんが取り上げたかもしれませんが、私はこれはどうしても一度やらなければならぬと思ってきょう取り上げたわけですが、先ほど言いましたように、いま自治体の場合も相当数が意見書を国会にも出しています。政府の方へも出しています。日本弁護士連合会も、先ほど言いました法制化の問題についてかなり大胆な提起をなされております。日本教育法学会も出しております。それから一昨年の母親大会などでも婦人の間で問題になっておりまして、これらの災害を受けた子供たちを持っている各県におきまして、心配をする方々が集まって裁判をやったりしており、皆好んで裁判をやっているわけではないと思いますが、四苦八苦しながら何とかしなければならぬという努力が続けられておるときであります。  特に委員長は、いろいろな一般質問の中でテーマが設定されれば、これについてオープンの討議をしてもらいたいという要請もありますが、私はできれば、他の各党の皆さんにお願いをして、場合によってはこの問題についての集中審議もしていただきたいと思いますし、同時に、これら関係しております日弁連等を含めまして、法律論その他を含めて参考人として本委員会にお呼びいただきまして、各議員の皆さんから質疑をし、この問題が父母の期待にこたえて前進するような委員会運営をぜひお願いしたいと思っているのでありますが、委員長のお考えを承りまして、この問題に関する私の質問は終わりたいと思います。

藤尾正行自由民主党

○藤尾委員長 各党とも御相談をいたしまして、御趣旨のとおり展開さすことにいたしたいと思います。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 大臣は少しお体が悪いという手紙をいまもらいましたので簡単に済ませたいと思いますが、もう一つは海外におるところの子弟の教育  の問題であります。私は資料をいただきましたが、文部省から海外へかなりの教員が配置されておりますが、どうもこの実態がわかりません。  まず第一番に、三百八十三名の教師が現在海外に配置されているようですね。ところが、その身分が全くばらばらでございまして、職務専念義務免除の場合もありますし、休職の場合もありますし、特別休暇もあるし、出張という場合もある、もとの職務に復帰することには限らないなどという、これでは本当に身を入れて海外におる日本人の子弟の教育に当たることはできないのじゃないか、全くばらばらな方針だなあということを感じました。  さらに、いま調べてみますと、文部省から幾つかの資料をいただいておるのですが、たとえば岩手県はずいぶんたくさん海外に教員を派遣しておりまして、十五名となっています。それから東京都が十四名、ちなみに私の県を調べますと二人となっています。たとえば岩手の場合、この十五名がどこへ配置されておるかというと、香港、マニラ、バンコク、シドニー、ニューヨーク。ニューヨークは二人ですが、他は一名です。メキシコ、パナマ、リオデジャネイロ。パリは二人ですね。シンガポール、ダッカ、これは一人ずつという状態です。私の高知県の場合は二人の教員を配置しておるそうですが、ソウルが一人、バンコクが一人となっています。それから東京都の十四名を調べてみますと、台北、香港、バンコク、ジャカルタ、北京、ニューヨーク。ニューヨークは四名になっています。サンパウロ、リオデジャネイロ、パリ、クウェート、カイロ、それぞれ一名という配置になっているわけでございますが、これは一体何を対象にして教育をする教師として配置されておるのか、身分はこんなばらばらでやっておるのか、ちょっと実情を伺っておきたいのです。

今村武俊文部省学術国際局長

○今村(武)政府委員 各都道府県がその所管に属する教員を在外の日本人学校に出しておりますが、その身分取り扱いが出張、職務専念義務の免除あるいは休職等の取り扱いになっておりまして、各県まちまちであることはおっしゃるとおりでございます。これは在外の日本人学校に対して、日本の公立学校あるいは国立学校の教員を派遣するということが、まだ国の制度として十分確立していない。在外の日本人学校からの希望によって、都道府県の教員の定数の枠内で、いわば都道府県の好意に待って教員を現実に派遣しておるということに基づいておる歴史的な沿革を持っておるものでございます。  第二の、一県から海外に出している教員の数のうちで、派遣の先が非常にまちまちであるということの理由でございますが、これは在外の日本人学校から、交代する要員について、どういう年配の人、何の担当の教科、性別は男子、女子等々の希望が寄せられるわけでございます。外務省を通じてその依頼を受けた文部省では、教育委員会に照会して教育委員会が出し得る人、そして本人が希望する範囲内で人選をするわけでございますが、その際、年齢構成、教科の担当、性別、また本人の希望等々を総合勘案いたしますので、結果はおっしゃるような事態になっておるわけでございます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 こういうふうにばらばらに行っておる。在外公館、そういうところあるいは商社などの子弟の教育が中心ではなかろうかというふうに思って、私見ておったのです。  そこで、私は一つの例でパラグアイの問題をちょっと出してみたいと思うのです。日本の政府の移住民に対する教育と、ドイツの場合、これは西ドイツでありますが、格段の違いがあるんですね。その一例としてパラグアイ国の場合を申し上げたいと思うのです。  私は、三年前にちょうどIPUの会議がありまして、ブラジルへ各党の議員の皆さんと一緒に参り、ブラジルのイグアスからパラグアイへ短時間入った経験がありますが、ここには日本人がずいぶんたくさんおるのです。もちろん、これはパラグアイ国籍ではありません。この国はパラグアイ国籍を取ろうとすれば取れる国でありますけれども、皆日本人として生きていきたいという考えを持っていますし、また、パラグアイ国籍になりますと、日本に墓参りに帰ってきたりする場合にも少しややこしい問題などもありまして、ほとんど日本国籍を持っておる日本人であります。そこで約一千世帯の日本人がおるのですが、私の聞きましたところでは、パラグアイに二十五万の日本人がおると聞いておるのでございますけれども、そこで学校が幾つあるかということで、これは国際協力事業団の出しております「パラグアイ国イグアス移住地案内」というのを見せていただきました。そうすると、ここにはスペイン語小学校、これは現地人と日本人と一緒に学んでおるところですが、ここに一つ、マリスカルロベスという学校ですが、日本人がここで百名ということになっておりますが、中身を調べてみますと、いわば午前、午後の二部に分かれましてスペイン語を教えておるのですが、本当に中身としてはお粗末なものだと思います。また、パラグアイ国そのものが教育の普及度は非常に低いわけでして、そういう状態です。日本語の学校があるかと思って調べてみますと、これは現地の日本人の移住民の自治会がやっとこさつくっているのがイグアス日本語学校というのがあることはあることになっているのですが、実態はイグアス小学校で百三名の生徒、イグアス中学校で二十八名の生徒だというふうに紹介をこの本にはされておるわけであります。  ところで、このイグアス移住区、これはパラグアイ国イグアス移住区でありますが、ここは入植をしまして満十六年。そして、ここだけで日本人の家族が百七十家族イグアスにあります。こういう状態で、自治会が学校らしきものをつくっているとは言うのですけれども、恐らくカリキュラムはありませんし、教育らしいものは行われていないという状態であります。それが実態だと思います。これだけ日本人がおるにもかかわらず、国として何らの措置がとられていない。いまこの移住者の中の一番の要求は、農業技術と経営、それと教育の問題です。日本人の先生が欲しいと言うわけですね。現在、子弟は、もう一番最初連れていった子供たちは大体二十歳になっていますが、どういう状態に置かれているかというと、日本語とスペイン語のチャンポンです。中途半端でございまして、パラグアイの高等教育を受けようとしても言葉がわからないためにこれも中途半端、では日本へ送り帰して教育を受けようと思っても、日本語が中途半端で日本の教育にはついていけない。これが最大の悩みですね。今日の農村の不況の中でパラグアイまで移住しておる人たち、この人たちは日本全国にまたがっています。北海道、岩手が一番多いのですけれども、全国にまたがっておるわけでありますが、この人たちの要求は教育です。これらの親たちは皆日本の教育を受けて行っていますから、教育に対する熱意とかそういうものはものすごくあるわけでして、先生がいないということに対して非常に大きい要求を持っているわけであります。  ところで、この状態の中で、岩手県がたしか二人の先生を送っているというふうに踏み切っているようであります。私の高知県の場合、いま県議会が開かれていますが、今度三百万円の予算を知事はつけまして、たとえば現職の農業高等学校の教頭クラスの人をできれば送りたいという見解に立っているようであります。いま県議会が行われている最中ですから、恐らく決まるだろうといわれておりますが、いわばこういう貧弱な状態ですね。まさにいま局長が答弁になりましたように、もう各県任せ、国として日本人をどう教えていくかということの欠如ですね。私は、その点でいままでの考え方を変えなければならぬ、こういうふうに思うわけです。  では、西ドイツの場合はどうかといいますと、ここパラグアイにおきまして大変に教育を重要視しておりまして、高等教育を授けるわけですね。したがって、パラグアイ国におきまして、西ドイツの人たちが官庁その他で、もう支配をするというところまでいっているそうです。農業技術の面でも経営の面でも教育の高さの面でもかなわないわけです。こういう差が生じてきておるというのが現状でございます。  そこで、私の提案でございますけれども、まず第一番に、教科の編成ができ、教育の計画の見通しができるような、パラグアイだけではないと思いますが、世界各国にどれだけの移住民が日本から行っているかはよくつぶさにはわかりませんけれども、これに対してそういう対策を考える必要があるということが一つであります。  それから、各県任せでなく教員の数をふやしていくということ、そして国の補助制度を確立をしていくということが必要ではないかというふうに考えるわけでございます。こう言っています。「無学な、開拓だけは知っている日本人がつくられても、移住そのものの成功はない」と現地の人たちは言っているわけでございますが、文部省としまして、外務省とも相談をしまして、この海外派遣教員の実態をまずお調べになって、いままでのように各県任せでなくて、文部省として、日本人をこう教えるんだということを明確にしていただきたいのでありますが、この点はいかがですか。

橋本恕外務大臣官房領事移住部外務参事官

○橋本説明員 先ほど御指摘いただきました御趣旨につきましては、外務省におきまして文部省と十分協議いたしまして、なるたけ移住者の皆さんが子弟の教育に御心配がないようにとせっかく努力中でございます。  それから御参考まででございますが、現在外務省が把握しております日本人のパラグアイ移住者につきましては、現在六千五百人に達しております。この六千五百名の日系人の中で小中高校生それから大学生を含めまして、現在千四百七十名でございます。先ほど御指摘がありました、この方方の教育のためにわが国の国内から派遣しております先生方といたしましては、先ほど御指摘の岩手県、それから現在高知県で派遣方御検討中であるというふうに承知しております。  それから、外務省所管の国際協力事業団におきまして、数年前から先生を一名委嘱いたしまして、パラグアイおける日系人子弟の教育にせっかく努力いたしております。それから、その先生方を派遣するほかに、国際協力事業団といたしましては、現地で雇われました教師の謝金、それから学校教育事業の設備整備のため、それから学校の建設、それからスクールバスでありますとか、こういった諸施設の拡充のための補助金と申しますか、これを事業団の予算として流しております。それから、その他奨学金あるいは青年学級活動援助、それから婦人学級あるいは日本語教育事業、これにもいろいろと予算を流しておりまして、昭和五十一年度予算では全世界で一億六千六百四十四万八千円の予算をこれらの移住者子弟の教育のための事業の一環といたしまして予算措置を講じております。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 現地は、日本人の移住の部落はずっと離れて、ときには何百キロもあるわけですね。そういう状態の中での教育ですから、私は行く方も大変だと思います。しかし、教育はただ日本語を教えるというのが教育じゃありません。そしてこの子供たちに本当に高等教育を与えていって、やはり移住者としても成功さすし、また人間としてもこの国に貢献できるような、また日本人の生活を支えていけるような力を与えていくという、そういう農業技術経営の問題と教育というものを——これは外務省ではおわかりにくい点があるかもしれませんけれども、教育の成果というのは必ず出てくるわけですね。これを軽視してはならぬと思うのです。  それで、いまお話がありましたけれども、各県に任す、岩手と高知だけが——しかも高知はまだこれからという状態ですからね、こんな貧弱なことで日本人をほっておけるかという問題だと思います。だから、これは最後に文部大臣からも、やはりこの問題、外務省の実態等もよくお調べいただきまして、千四百七十名の小中高校生がおるといっても、恐らく実態は、ほとんど勉強ができていない状態にあると私は思います。親と話す間に日本語をそこそこ覚える程度でございまして、教育の範疇には入らないことがいまあるわけですね。  海外事業団に対しても相当批判があるんですよ。これは外務省の古手のたまり場じゃないかとかもっと熱心にやれとかいうような声がありますけれども、ここでそれを申し上げる——申し上げてしまって申し上げる必要はないというのも妙なことですが、こういう状態ですから、ぜひこの問題も注意を喚起して取り組んでいただきたいと思います。最後にこの問題について文部大臣の見解を伺いたいと思います。  そして、先ほど言いました学校災害の問題につきましては、こんなに各県から手紙が来ている。これは私に来たのじゃない、私がいただいたのですけれども、こういう切実な要求があるということもつけ加えまして、最後の質問をしまして終わりたいと思います。

海部俊樹自由民主党文部大臣

○海部国務大臣 ただいまの御質疑を承りまして、私どもが、海外に出ております日本人の子女の教育に関しまして日ごろとっております基本的な態度は、要するに日本における義務教育年齢と同じ層の人も、いまずいぶん国際交流が盛んになって海外に出ていらっしゃるわけでありますから、その人にはなるべく日本の義務教育で使っておると同じ教科書で、そして日本の教壇に立っていらっしゃる有資格者の先生に教えてもらうことが理想である、こう考えまして、それに近づくような努力を年々いたしておるところでありますし、また事業団の方では、教科書のみならず、教材等も編成して送り出してやっておるわけであります。  しかし、ただいまの先生御指摘の事態は、特に例に出されましたのはパラグアイでございますか、移住された人の子弟の教育の問題ということになってまいりますと、一般の子女、海外にとどまっておる子女教育の問題とはまたちょっと違う角度からの検討も必要な面も出てまいりまして、原則的には、移住していった相手国の教育の方針なり教育体系なりに従うべきでしょうけれども、しかし、それに伴って日本語というものの教育を補習的にどうするかという御要望も、いまおっしゃるようにあるわけでございますから、この問題については、私どもよく実態等をさらにきちんと調査をいたしまして研究をさせていただきたい、かように考えます。

山原健二郎日本共産党・革新共同

○山原委員 終わります。

藤尾正行自由民主党

○藤尾委員長 次回は、来る四日開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後一時五十七分散会

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