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80回国会衆議院1977/04/08

社会労働委員会 第8号

発言数
366
登壇者
22
会派数
6
開催日
1977/04/08

会議録

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 これより会議を開きます。  国民年金法等の一部を改正する法律案を議題とし、提案理由の説明を聴取いたします。厚生大臣渡辺美智雄君。     —————————————  国民年金法等の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 ただいま議題となりました国民年金法等の一部を改正する法律案について、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。  老後保障の支えとなる年金制度の改善につきましては、昨年、厚生年金保険及び国民年金を中心に給付水準の大幅な引き上げ、障害年金、遺族年金等についての各種の改善措置の実施等画期的な制度の充実を行ったところでありますが、その後における社会経済情勢の変動を考慮いたしますと、福祉年金の内容をさらに充実させるとともに、拠出制年金についても、物価上昇に対処した措置を講ずることが緊要となっております。  今回の改正法案は、このような趣旨にかんがみ、福祉年金の額の引き上げを行うとともに、厚生年金保険、船員保険及び拠出制国民年金の物価スライドの実施時期を繰り上げること等により老人等の福祉の向上を図ろうとするものであります。  また、本法案は、福祉年金の改善とあわせて児童扶養手当、特別児童扶養手当等についても、額の引上げその他の改善を行い、心身障害者、母子家庭の福祉の向上を図ることとしております。  以下、改正法案の内容について概略を御説明申し上げます。  第一に、福祉年金の額につきましては、老齢福祉年金の額を月額一万三千五百円から一万五千円に、障害福祉年金の額を一級障害について月額二万三百円から二万二千五百円に、二級障害について月額一万三千五百円から一万五千円に、母子福祉年金及び準母子福祉年金の額を月額一万七千六百円から一万九千五百円に、それぞれ引き上げることとしております。あわせて福祉年金の支払い期月を現行一月、五月及び九月の三期から四月、八月及び十二月の三期に改め、いわゆる盆暮れ払いを実施することとしております。なお、十二月に支払うべき年金は、受給権者の請求があったときは、その前月に支払うこととしております。  第二に、昭和五十二年度における物価スライドの実施時期を、厚生年金保険及び船員保険については昭和五十二年十一月から同年六月に、拠出制国民年金については昭和五十三年一月から昭和五十二年七月に、それぞれ繰り上げることとしております。  第三に、児童扶養手当等の額につきましては、福祉年金の額の引き上げに準じて引き上げることとしており、児童扶養手当の額につきましては、児童一人の場合月額一万七千六百円から一万九千五百円に、児童二人の場合一万九千六百円から二万千五百円に、特別児童扶養手当の額につきましては、障害児一人につき月額一万三千五百円から一万五千円に、重度障害児一人につき月額二万三百円から二万二千五百円に、福祉手当の額につきましては、月額五千円から五千五百円に、それぞれ引き上げることとしております。あわせて児童扶養手当等の支払い期月につきましても、福祉年金と同様の改正を行うこととしております。  福祉年金、児童扶養手当、特別児童扶養手当及び福祉手当の額の引き上げにつきましては本年八月から、支払い期月の変更につきましては本年十月から、また厚生年金保険、船員保険及び拠出制国民年金の物価スライドの実施時期の繰り上げの規定につきましては公布の日から、それぞれ実施することとしております。  なお、福祉年金、児童扶養手当、特別児童扶養手当及び福祉手当の額の引き上げ並びに厚生年金保険等の物価スライドの実施時期につきましては、法律案中修正を行い、当初予定していた実施時期を二カ月繰り上げることとしております。  以上がこの法律案を提出する理由及びその内容の概要でありますが、何とぞ慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 これにて提案理由の説明は終わりました。      ————◇—————

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 次に、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。川本敏美君。

川本敏美日本社会党

○川本委員 私は、まず厚生大臣に一つだけお聞きいたしたいのですが、ただいま厚生大臣から提案理由の説明がありましたけれども、今度いわゆる援護費で二十六億ですか、あるいは福祉年金や国民年金、厚生年金等、すべての年金について二カ月、当初の政府案よりも修正することになりましたが、これこそ厚生省の力のなさぶりを発揮したゆえんでありまして、日本社会党を初めとする野党五党に対して、厚生大臣が最初に確保しなければならぬ予算を野党五党のおかげでこれだけ拡大して修正することができましたことを、まず社会党以下の皆さんに厚く御礼申し上げますという一言が抜けているように私は思ったわけなんです。そこで、その点について、まずこの席上でお礼を申してほしいと私は思うのです。     〔委員長退席、中山(正)委員長代理着席〕

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 私どもといたしましては、諸般の情勢を考慮いたしまして、当初の予算を提出したわけでございますが、今回、与野党一致の国会の御意思によって修正をせられることになりました。厚生関係といたしましては、皆さんの御意思でございますし、結構なことだと思っております。

川本敏美日本社会党

○川本委員 結構なことだけじゃなしに、やはり自分の力のなさをまず冒頭に反省してもらいたいと思うわけです。当初予算でこんな二カ月、初めから見込んであれば修正する必要はないわけです。それを見込んだところまで押し切ることができなかったというのは、一にかかって厚生大臣を初めとする厚生省の力の不足を端的にあらわしておると私は思うわけです。だから、よかったということにおいては同感でございますけれども、ひとつ今後は力いっぱいこれらの人々の、いわゆるボーダーライン層の、一番弱い人々の生活を支える責任は厚生省にあるのだ、その一番の責任は厚生大臣にあるのだということを、まず自覚を新たにしていただく意味において、もう一回厚生大臣の決意のほどをお聞きしたい。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 先ほど申し上げましたように、厚生省といたしましては、諸般の事情を総合的に勘案して予算の編成をしたわけでございまして、それが今回与野党の話し合いによって修正が行われたわけであります。したがって、その修正については、私は、結果的に大変結構なことでございましたと、こういうことを申し上げたわけであります。  今後とも予算の充実の点につきましては、私どもも懸命に努力をしてまいる決意でございます。

川本敏美日本社会党

○川本委員 そこで、いよいよ本題についてお聞きいたしたいと思うのですが、まず私は、援護法第二条第三項第四号のいわゆる青年義勇隊員の適用の問題についてお聞きいたしたいと思うわけです。  援護法によりますと、昭和十四年十二月二十二日の閣議決定によって開始されたいわゆる旧満州開拓青年義勇隊の隊員をその対象といたしておるわけですけれども、従来、この援護法が昭和二十七年ですか、制定されまして以来、今日までの歴史的な過程というものを考えてみますと、元来この援護法というものは、あるいは大東亜戦争といいますか、太平洋戦争あるいはその他の戦闘に参加したり、あるいは軍事関連の業務に従事した人あるいはそれらの傷疾者、死没者等の遺族に対する援護ということをまず中心として考えてこられて、改正の都度その適用範囲を拡大されてきたのではないかと思うわけです。  そこで、この青年義勇隊というものについて見てみますと、法律では、昭和十四年十二月二十二日の閣議決定の時点をとらえて、その以後を適用しておるわけですけれども、実際には、この青年義勇隊については昭和十二年十一月三十日の閣議決定があるわけです。これについては御承知だと思いますけれども、その閣議決定の内容は「現下満州国の現状に鑑み、速かに多数の日本内地人を満州に移住定着せしむる要あるところ、既定計画たる壮年移民のみをもってしては、この必要を充たすこと困難なるに付、政府においては、昭和十三年度より可及的多数の青年移民を実施し、もって非常時局に対応するため、昭和十二年度及び昭和十三年度追加予算に計上の方針をもって、急速に具体案の作成に努むること」こういう閣議決定がなされておる。  この閣議決定を受けて当時の拓務省がいわゆる要綱をつくっておるわけです。これは昭和十三年の「拓務要覧」という本から抜粋したわけですけれども、それによりますと「青年移民」として「実施理由 邦人の満州移住を奨励し、日満両国の不可分関係を益々強化することは緊要であり、而も今次の支那事変の勃発に依り満州国に於ける鉄道の守備、在満邦人の保護、政治的思想的、後方撹乱の予防鎮圧、軍需品配給の安全等、後方勤務の為満州移民の重要性は著しく加重し来った。」こういういわゆる実施理由をもって昭和十二年度で六十一万九千六十円、昭和十三年度で五百五十七万五千八百八十三円の予算を組むということでずっと決められておるわけです。昭和十三年度じゅうには三万人の青年移民を送出する、その募集については、全国各道府県より募集する、募集機関は道府県で満州移住協会、大日本連合青年団各団体等その他がこれに協力をする、さらに内地訓練は、茨城県東茨城郡下中妻村内原に青年移民訓練所を特設し、拓務省監督のもとに満州移住協会をして応募者に対して約二カ月間心身を鍛練させる、輸送については、渡満費用は拓務省が負担をし、上陸港に至るまでの輸送宿泊等のあっせんは満州移住協会が当たる、現地訓練として満州国内に左記五カ所の青年移民訓練所を設置し、渡満後おおむね三カ年間農民に必要な心身の鍛練をするということで、その費用は全部国費とするということで予算を計上して、そして募集は都道府県が行う、その経費は全部拓務省がこれを持つということで昭和十二年十一月三十日の閣議決定があるわけです。この閣議決定がありながら、いまの援護法では昭和十四年十二月の閣議決定の方を採用して、前の方を無理に目をつむっておるとしか私には受け取れないわけです。  このように国策としていわゆる鉄道の守備を初めとする軍事目的を半分持った青年移民を送り出すという閣議決定に基づいて、拓務省が募集をして三万人以上送り出しておる。これが昭和二十年八月までに大体八万六千人余り送り出されておるわけですけれども、その後のものは青年義勇隊あるいは義勇隊開拓団等、名称はだんだん変わっていっておるわけですが、その一番嚆矢となるのが、この青年移民だと思うわけです。  そこで、この点について、厚生省は十四年十二月からさらに十二年十一月三十日までこの適用の範囲を拡大するのが至当ではないかと私は思うのですが、その点についてひとつ御意見をいただきたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 満州開拓青年義勇隊につきまして、現在援護法において処遇をしておりますその趣旨は、今次大戦末期の戦況に応じまして、軍の要請を受け、軍の補給廠あるいは重要工場等に派遣をされた、あるいは最後には、ソ連参戦以降は戦闘要員として働かれたという事実に基づくものでございます。  当初ソ連参戦以後にいたしておりましたのを、さらに広げましたのは、先ほど申し上げました大戦末期の戦況に応じまして、軍の要請によって軍の補給廠とか重要工場等に派遣された、これが昭和十八、九年ごろのことでございます。それに着目をしてさらに時期を前へ延ばすというようにいたしたわけでございます。  その際に、基本的にそういった制度の根っこになっております制度が昭和十四年の満州開拓民に関する件でございますので、その後昭和十四年までは広げたということでございますが、それ以前にはこのような事情は認められないものでございますので、昭和十四年以後ということにした次第でございます。

川本敏美日本社会党

○川本委員 そのいわゆる根っこになっておるのが昭和十四年十二月二十二日の閣議決定だ、こうおっしゃるわけですが、私どもは、その根っこになっておるのが昭和十二年十一月三十日の閣議決定ではないかということを申し上げておるわけです。その点について、やはり行政というものは公平でなければいけないと私は思うわけです。仮に、この援護法を拡大していく歴史的過程の中で、昭和十四年十二月二十二日のこの閣議決定が正しいのだということで、そこまで拡大された時点においてはそれでよかったかもしれない。しかし今日、昭和十二年十一月三十日の閣議決定があり、それに基づいて拓務省が省議をもってこういう要綱を決定しておる。そして予算も国の方でつけておる。こういうことが明らかになっておる以上、この時点まではさかのぼってしかるべきではないかと私は思っておるのです。その点についてもう一度お考えをお聞きしたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 先ほど申し上げましたように、私どもがこれをさかのぼりました主要なる観点は、昭和十八、九年におきます事態を重要視したわけでございます。ただ、そのときの制度の基本になるものが、昭和十四年の満州開拓民に関する件であり、その閣議決定に基づきまして、正式に満州開拓青年義勇隊訓練生という名称が使われたということがございます。したがいまして、御指摘の昭和十二年からのものにつきましては、その準備段階であるというように考えますので、私どもが着目しております軍の要請に基づくというところにまではなかなかまいりかねるということで、昭和十四年十二月ということにしたわけでございます。

川本敏美日本社会党

○川本委員 軍の要請に基づくという言葉がありましたけれども、昭和十一年の五月の十二日だと思うのですが、旧関東軍司令部からの建言書が当時の近衛内閣に対して出されておるわけですね。この旧満州青年移民義勇軍というものの派遣の一番最初の意見書が旧関東軍から出されておると思うのです。それを受けて後に石黒忠篤さんから建白書が出されておる。農村更生協会理事長石黒忠篤さん外五名からいわゆる「滿蒙開拓青少年義勇軍編成に閲する建白書」こういうものが出されておるわけです。これが昭和十二年十一月三日に出されているわけですけれども、これを受けて十一月三十日の閣議決定がなされておる。  ですから、軍の要請に基づくということになりますと、一番最初の建言書が旧関東軍司令部から出されておるということから見ても、私は、この十一月三十日の閣議決定そのものが、軍の要請に基づく閣議決定だというふうに理解をして間違いはないところだと思うのですけれども、その点もう一度……。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 昭和十二年の閣議決定が行われるときにおきまして、いろいろ意見が出されておったことは事実だと承知をいたしております。ただ、その意見をもとにいたしまして政府部内において意見調整をいたしました結果、出てまいりました基本的な方針といたしまして、青年移民の訓練所を設けるという場合におきましても、精神訓練でございますとか農業技術の習得でございますとか、あるいは訓練所におけるこれらの基本方針に基づく訓練ということが基礎になっておりまして、まだ軍との協力ということが具体的に出てきておらない段階でございますので、その点で私どもは昭和十四年十二月という閣議決定をとったということでございます。

川本敏美日本社会党

○川本委員 この問題については、あとさらに、先輩の田口議員の方からも御質問があろうと思いますので、それに譲っていきたいと思うのですが、そこで青年義勇隊員というのは、現在でも現行法の中で適用されているわけですけれども、義勇隊開拓団というのは適用されていないと思うわけです。  先ほど申し上げたように、現地で三年間訓練所に入って訓練をする、三年間たつとそれが入植をするわけです。入植をしました先は、大体旧関東軍の守備の一番国境の前線よりまだもう一歩前の非常に環境の悪いところで、いわゆる開拓地に入植をして、そして国境警備とかあるいはその他の治安というような任務も背負わされて、武装したままで入っておるのが義勇隊開拓団。一般の開拓団と区別するために義勇隊という名前を上に冠してあるわけです。この義勇隊開拓団の人たちが、やはり戦後一番苦労をして、ソ連軍とも戦いながら帰ってきておるという実情にあるわけです。この義勇隊開拓団が適用されていないわけですけれども、この義勇隊開拓団を現行法の中で義勇隊と同じように取り扱ってしかるべきだと思うわけですが、その点についてひとつお聞きしたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 満州開拓青年義勇隊の人たちが、約三年の訓練期間を経まして義勇隊開拓団に移行されたのでございますが、その後の義勇隊開拓団につきましては、特に一般の開拓団とは別に軍の命令を受けて軍事業務に従事をしておったということについての事実は認めにくいという状況でございます。したがいまして、一般の開拓団とこれを特に区別をしてということが援護法上の処遇としてはむずかしゅうございます。

川本敏美日本社会党

○川本委員 私どもの奈良県でも、この青年義勇隊あるいは義勇隊開拓団で帰ってこられた方がたくさんおられる。二個中隊ほど編成されておるわけですが、現在その中隊長をしておられた甲元隆範さんという方も、八十歳近いですけれども生存をしておられるわけです。この方のお話を聞きますと、やはり旧関東軍特別大演習にも軍の命令で一緒に参加をしておる。あるいはノモンハン事件のときなんかも、前線へ旧関東軍が出た後の後方の鉄道警備等は全部肩がわりをしてやっておる。あるいは国境の紛争事件とか匪賊討伐というようなときには、いつも動員が出されて軍隊と一緒に行動したということを明らかに証言しておられるわけです。そういうことであっても、これはいわゆる軍に協力したりあるいは軍の要請に基づく行動をしたという証拠が認められないとおっしゃるようであれば、私は、一度機会を見てこの社会労働委員会でも、そういう生存の方は、もうお年ですから、いつ何時亡くなられるかわからぬ、やはりお元気な間に一応参考人としてでも来ていただいて話を聞いていただく。その上に立ってもう一度やはりなるほどこの人たちがどんな苦労をした、どういう軍の協力をしたということが明らかになれば、当然適用されてしかるべきだと思うわけですけれども、その点についてひとつ前向きのお返事をいただきたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 関係者の皆様方の御意見を承る、あるいは実情について承ることにつきましては、私どももやぶさかでございませんし、いろいろ承りたいと思っております。ただ、私どもが従来承知しております範囲におきましては、ただいまお答えを申し上げたような状況でございます。  なお、つけ加えて申し上げますと、援護法の基本的なあり方としては、要するに内地あるいは外地を問わず、軍隊の戦闘協力のために傷害を受けられたり亡くなられたりした方についての援護である、それを地域的には特別にさらに限定して包括をした方がいいという場合に、それぞれの状況によって包括をするということがございますので、それだけに具体的な事実を十分承知をし、かつ、それが政府の方針として行われていたということを承知した上において行われることでございますので、お話は十分承りたいと思います。

川本敏美日本社会党

○川本委員 時間がありませんので、余りこだわることはできないのですが、そうすると、いまおっしゃった政府の答弁によると、いわゆる旧満州というところ、これは戦闘地域として現在認められていないから、ここにおった場合は、特定のそういう軍の命令とか指示とか動員令等がなかった場合には、適用されないのだというお考えなんですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 基本的にはそういうことでございます。

川本敏美日本社会党

○川本委員 やはり私は、終戦当時の、あるいはそれ以前からの旧満州の治安その他から見て、終戦当時のソビエト軍と戦うたというような現状の中で、旧満州を戦闘地域として考えていないこと自体が、一つの問題点を残す原因になっておるのではなかろうかと思うわけです。  実は私、旧蒙疆から帰ってきたのです。私は、旧蒙疆の旧蒙古自治邦政府に勤めておったのですが、戦後四カ月間歩いて、八月十五日から十二月の二十日まで毎日野宿をしながら、鉄道沿いにたくさんの人と歩いて、そして四カ月後にようやく北京にたどり着いたのです。その間、もう十歳以下ぐらいの子供と五十五歳以上ぐらいの年寄りは全部死んだのです。毎日朝起きると、何人かの亡くなられた方の遺体を荼毘に付して、その遺骨を持って翌日歩く。その日寝たら明くる日の朝また亡くなっておられる。またそれを荼毘に付していく。そういうことを四カ月間やって、結局言いかえますと、若い力のある者だけが生きて帰ってこれた。子供と年寄りは全部亡くなった。  その中で、私たちは旧蒙疆でしたけれども、ソビエト軍が侵入してきておる。国境におった若い青年の人なんかは全部ほっておいて帰ったわけですから、全部やはり亡くなっておるわけです、国境無線なんかで監視哨に入っておった人などは。十六歳の高等小学校を卒業して一年間教育を受けただけの者が国境線に入っておるわけですからね。それをほっておいて逃げて帰ったんですからね。それが一人でソビエト軍とピストルで戦うておるわけです。そういうような悲惨な実情を私は目の当たりにして帰ってきたんですから、いま局長がおっしゃられる言葉のような、そのときの現地の実情というものは、そんなものじゃないということを身をもって知っておるわけです。  だから私は、あえて申し上げるわけですけれども、やはりそういう地域を戦闘地域でなかったと考えておることは、私は根本的に間違っておると思うわけです。その辺についてもう一度、ひとつ前向きで考え直していただくようにお願いをしておきたいと思うわけです。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 先ほど申し上げましたように、基本的には満州地域が、要するに戦地と認められていなかったということでございますが、いま先生御指摘のソビエトが参戦しました以降の満州については、戦地として認められておるわけでございます。  なお蒙疆につきましてでございますが、これも基本の方針といたしましては、蒙古の自治邦政府の軍人あるいは文官が日本の軍隊と共同して戦闘をされたというような場合で、そちらに勤めておられた日本の方々が亡くなったという場合には、援護法の対象として検討できるものでございます。  それからなお、蒙古の関係につきましては、蒙疆電気通信設備株式会社の職員は軍属として処遇はされております。

川本敏美日本社会党

○川本委員 それは旧満鉄とか旧満州電業と同じ扱いになっておるということは承知をいたしておるわけです。  そこでもう一つ、旧満州開拓青年義勇隊員あるいは開拓団員の在満期間というものが、現在でも恩給期間に通算をされていないわけです。内閣恩給局の方からお見えいただいておると思うのですが、なぜこの在満期間を恩給の年限として計算できないのかということをちょっとお聞きしておきたいと思うのです。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 恩給制度といいますのは、やはり公務員の在籍期間といいますか公務員を対象とした制度、これを基本にしておるわけでございます。したがいまして、戦後、先ほどちょっとお話に出ました満鉄とかあるいはその他の満州電業、そういう在籍期間を通算しておるのでございますが、それはやはり主としてその政府ができたいきさつとか、あるいは満鉄の職員等で内地の公務員との人事交流が非常にある、しかも、それが自主的ではなしに、時の政府の命令によって行かされていた、そういう事情と、それから政府、政府に準ずるもの、公務員としましては、公務員または公務員に準ずる者、特に恩給では官吏を対象にしておりますので、また、その公務員の中でも制限しておるわけでございます。そういう観点から、いま問題になっております義勇隊の処遇を同じように扱うということは、恩給法のたてまえから非常にむずかしいと思っておるわけでございます。  なお、そのほかに恩給法のたてまえを申し上げますと、現在公務に現実に勤務したという方でも、官吏の枠を外れるということで対象外になっているのもございます。そういう点を考えますと、いまこの問題をにわかに取り上げてどうこうするということは、私ども大変困難かと考えておるわけでございます。

川本敏美日本社会党

○川本委員 援護法関係なり恩給の問題については、一応あと田口議員に追及していただくことにいたしまして、私は、一つだけ関連してお聞きしておきたいと思うのです。  それは中国からの引き揚げ者とか、あるいは一時帰国者に対する援護措置の問題についてであります。大体、引き揚げ者と一時帰国者に分かれるが、一時帰国者というのは里帰りと言われて、大体六ヵ月間日本に、母の国に帰ってきて、そしてもう一度また中国の方へ帰られる人を言うのですが、いま帰ってこられる引き揚げ者あるいは一時帰国者というのは、先ほど申し上げたようなあの終戦の悲惨な状態の中で、親が帰ろうとすれば子供を殺してしまうより仕方がない、生きて連れて帰ることはできない。それだったら、殺すよりは中国の人に子供をもらってもらってでも一命を全うさした方がいいだろうということで、幼い十歳前後の子供を向こうの見知らぬ中国人の人にもらってもらって、そうして置いておいて帰った。その人たちがいま大きくなって結婚して子供ができておる。しかし私は、子供の時分日本人の子やった、名前は何というのやったということがわかっておるから、それで縁故を伝うて帰ってきたら、日本に親がおるとか、きょうだいがおるとかということがわかって、いまその方々と文通した上で中国の許可をもらいまして、大体家族連れで引き揚げてこられる方もあるし、中には六ヵ月間だけ里帰りをして、その里帰りのときに自分の子供も連れて帰ってくる、あるいは御主人、婿さんを連れて帰ってくる人もある、そうしてまた六カ月たてば向こうへ戻るというような人々がおられるわけですが、これに対するいまの政府の措置が非常におくれているのではなかろうかと私は思うわけです。  一つの例を申し上げますと、旅費については、一応帰国者も一時帰国者も引き揚げ者も、居住地から日本で落ち着く先までの全部をもらえるわけです。帰郷手当が現在引き揚げ者については一人五万円政府から出されるわけです。ところが、これは昭和二十八年八月ですか、いわゆる未帰還者留守家族等援護法という法律が制定されておるのですが、その未帰還者留守家族等援護法との関連において、これは関係あると思うんですけれども、そこでいわゆる帰郷手当は現在五万円、これは年々上げられて去年、五十一年四月一日から五万円になったと聞いておる。帰郷雑費のごときは、昭和二十八年の八月二十四日ですか、法律が制定されたときに大人が一人最低千円から三千円の範囲内と決められて、それが今日まだそのままなんです。いまでも一人千円から三千円の範囲内。これは物価水準から考えても、余りにも忘れ去られておるのではなかろうか。物価はもうその当時の何十倍ですわね。そういうようなことを考えても、これもどうかしておるのではないか。あるいは日用品は現物支給しておられるわけですけれども、三千九百円の毛布を一枚上げるだけなんです。家族全員連れて帰ってこられた方に、毛布一枚で明くる日から生活していけ、これが日用品と言えるのかどうか。今日だったら、日用品といったらやはり冷蔵庫から洗たく機から、電子レンジとまでは言いませんけれども、一応の生活ができる電気がま、ガスがま、炊飯器、そういうようなものぐらいは備えつけられる程度のことでなければ、本当に外国からまる裸で引き揚げてきた方がきょうから生活していくということはできない。毛布一枚さえあれば生活できるというふうに考えておられるのであれば、どうかと思うわけです。車中の食事代についても同じことです。現在、現金で四百円見られておるわけです。私は申し上げたのですが、新幹線の中で駅弁買うても、高いのやったらやはり九百円ぐらいするわけです、まむし弁当とかというのは。まむし弁当でなくても、普通の幕の内弁当でも五百円はしますよ。それにお茶をつけたら五百五十円。それを四百円でそのまま据え置いてきておるというところに、私は現在、いわゆる引き揚げ者や中国からの一時帰国者に対する援護という点について政府は本当に冷遇をしておるのではないかと思うわけです。  これらの点について、ひとつもう一度、何とか時代に合うように改正する、法律を改正しなくても済む、予算措置だけでできる問題が大半だと私は思うのですけれども、お聞きいたしたいと思うのです。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 中国から引き揚げてこられます方々に対するこれらの諸手当等につきましては、私どもの方も改善に努めてきておるところではございますが、御指摘のようなこともございます。  ただ昭和五十一年度、五十二年度におきましては、その問題もございますが、さらに中国の孤児につきましては、日本語の修得の問題でございますとか、あるいは帰ってからの生活適応の問題等がございまして、指導員の問題でございますとか、あるいは教科書の問題等に力を入れておりましたので、総合的に私どもの努力の跡を御理解願えればというように考えるわけでございます。

川本敏美日本社会党

○川本委員 最後にお聞きしておきたいのですが、一時帰国者の処遇についてであります。  私は、語学の問題についても申し上げようと思っておったのですけれども、遠いところのことはわかりませんが、全国的には昭和五十年で引き揚げ者が百五世帯、三百七十八人帰ってきておる、あるいは五十一年には六十九世帯、二百九十八人が日本へ引き揚げ者として帰ってこられておる。一時帰国者に至りましては、五十年は千三十八世帯で千六百三十五名、五十一年は五百六十七世帯で八百八十六名帰ってきておられるわけです。  私どもの奈良県でも、ここ二年ほどの間に約二十八家族ほど帰ってきておられるわけですけれども、その中でも、私も一緒にお迎えにも行って実情を一番よくわかっておる人で、これは一時帰国者ですけれども、吉野郡の黒滝村へ向井よし子さんという人が娘一人連れて帰ってこられた。ところが、帰ってきたのが姉さんの家なんです。しかし、この大体姉さんらは開拓団で行った人ですから、ほかの人と違って開拓団というのは向こうに骨を埋めるつもりで行ったのですから、開拓団で出発するときに財産も不動産も、土地も山も田畑も家も全部処分して、そうして金にかえて旧満州へ移住した。ですから、戦後帰ってきたら何にもないわけですね。何にもないような状態ですから、一番引き揚げ者で気の毒なのは、いわゆる開拓団の方々です。全然もう何もない形で、無一文で帰ってきて、そして戦後生活しておられるわけですから、現在でもボーダーライン層に近い苦しい生活をしておられるわけです。その姉さんのところに帰ってきたんですから、家が狭くて、子供一人連れて帰ってきた人が一緒に家の中で寝る部屋がないわけです。家族でいっぱいのところに妹が子供を連れて帰ったから、もう実際家の中に入る場所もないというような気の毒な状態で、それで言葉は全然通じない、いろいろ問題があったわけです。  それで、帰ってきても六カ月間、貧困家庭ということで生活保護法を適用していただけるので生活はできるけれども、今度は先ほどおっしゃった言葉の問題があります。言葉が通じないから、ボランティアの方々に来ていただいて通訳をしてもらわなければきょうだいでも話ができないわけです。奈良県の場合には、天理大学の中国語科の人らがボランティアで来ていろいろやっていただけるわけです。それなしではやっていけない。  ですから、いろいろな点で口に言えないような経費の負担が、今度は帰ってこられた親戚の方、肉親の方々に物すごく重圧としてかかってくる。そうすると帰ってこられた方も、六カ月間おれるのだけれども、見ておったら気の毒でおれぬというような事態が起こって、中には、川上村に帰られた方ですけれども、六カ月を待たずにまた旧満州へ行かれた方もあるわけです。  そういうような点から見ますと、政府としては五万円ぽっきりなんです、一時帰国者に対しては何もないわけです、生活保護だけです。やはり日常生活を支えていくために、現在は県とか市も五万円とか三万円とかいうような見舞い金程度のことをしていただいておるのですが、何分国の方で予算措置がないものですから、県知事にしても市長にしても、見舞い金という予算科目を公につくることができない、だから、交際費で隠れて出すとかいうようなこそくなやり方をしておる。少なくともそういう面について、政府がこの五万円のいわゆる帰郷手当というようなものと同じものを、一時帰国者に対しても予算措置的にたとえ五万円が三万円でもいいから出すことによって、県知事も市町村長も、公に予算を組んでそういうめんどうを見てやれるようになる。そういう意味において、金額の多寡は別として、やはりそういうことをしてやる必要があるんじゃなかろうか、そういうことによって肉親の負担をできるだけ軽減してやる必要があるんじゃなかろうかと思うわけです。これは法律でなくても予算措置だけでできると思うのですが、大臣、ひとつ前向きに考えていただくわけにいかぬでしょうか。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 あなたの御質問の中で、先ほどの開拓青年義勇団ですか、そういうようなものについては、法律上のたてまえ等もあってなかなか援護法の適用というものは困難だと思います。     〔中山(正)委員長代理退席、委員長着席〕 しかし、いまおっしゃったような引き揚げ者のこととか何かについて、もう十年も前から千円だとか四百円だとか、そういうふうな非常識なような話は、これは極力是正をするように努力いたします。

川本敏美日本社会党

○川本委員 極力是正するように努力する、努力だけ多いと思うのです。是正いたしますということを明確にひとつお答えください。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 それは私、もちろん努力をするのですから、私が努力する以上は是正されると期待して結構です。

川本敏美日本社会党

○川本委員 以上で終わります。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 次に、田口一男君。

田口一男日本社会党

○田口委員 私は、いまの川本質問を敷衍する形で、それと同じことになるのですが、先ほどからの答弁をお聞きしてなお腑に落ちぬ点がありますから、同じ問題でもう一度ひとつ明確なお答えをいただきたいと思います。  その第一は、先ほどの順序に従っていきますと、現行援護法では第二条三項第四号、それが昭和十四年の閣議決定云々ということになっておるのですが、この十四年の閣議決定になった経過をもう一遍援護局長振り返ってみていただきたいのです。さっきもお答えがあったように、この第四号を挿入した沿革というものは、昭和三十四年の改正によって、そのときは昭和二十年八月、いわゆるソ連参戦の日ということになったんですね。これは援護法のたてまえから言って、ソ連が参戦をする、旧満州、いまの東北地方ですが、その地域が戦闘区域になる、だから、義勇隊員も訓練生も他の方々も、この関東軍の幕下に入って戦闘行為に参加をする、こういう事実があって、不幸にして負傷されたり亡くなられた方については援護法の適用をする、こういうことなんですね。ところが、昭和二十年八月のソ連参戦の日以降というものが、昭和四十五年の改正によって、そういう状態が、いわゆる大東亜戦争、昭和十六年十二月八日以降のものにもこれは拡大をしなければならぬ、こういった意味合いから四十五年改正では十六年に引き延ばした。ところが、四十五年の改正から四十七年の改正で、昭和十四年十二月二十二日の閣議決定、いわゆる基本要綱を決めたその日まで延ばしたという意味は定かでないんですね、議事録をずっと見ましたけれども。大体大東亜戦争勃発の日まで前に持ってきたのなら、それを送出した閣議決定までということが理論構成だと思うのです。  そのことで第四号に十四年云々閣議決定ということが入るのならば、さっき川本質問であったように、この閣議決定の基礎をなしたもの、民間の石黒さんなり大蔵さんなりが建白書を出して、その建白書に基づいて拓務省がいろいろと相談をして昭和十二年の閣議決定、しかも十三年、十四年には、その送出に要する費用というものを国が持っておる、こういった事実経過をたどっていくならば、昭和十四年の閣議決定云々ということに固執をするのではなくて、その閣議決定が生まれた昭和十二年十一月三十日の閣議決定、ここに基礎を置いても何ら矛盾するものではない。この十二年の閣議決定によって旧満州に送出された者で、二十年のソ連参戦で負傷したり死亡したり、こういった人もあるだろう。となると、十四年と十二年のわずか一年有余を経ての方が漏れるおそれがある。  こういう意味合いから言うならば、私は、先ほどの川本質問を敷衍をして言うんですけれども、いまの厚生省の態度としては根拠が薄い、当然十二年の閣議決定にまでさかのぼってしかるべきだ、こう思うのですが、再度その点……。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 満州開拓青年義勇隊の適用の時期を繰り上げてまいりましたのは、昭和十八年、十九年における軍と直接関係のある業務に従事をしたという事実をつかまえて、その基礎になる閣議決定の時期まで延ばしたということでございます。  なお、先生いま御指摘の昭和十三年に入ってこられた方々も、十四年以降につきましては、十四年十二月の閣議決定に基づく訓練生として訓練期間中でございますので、そちらの方に移行をいたしておりますので、その後に要するに公務に関連して起こった障害あるいは死亡につきましては対象になり得るわけでございます。  要するに、十二年から十四年の十二月までの間において亡くなったり、けがをされたりというのが軍務に関連をするということは、私どもは、これはないんじゃなかろうかという意味において十二年まで繰り上げないということを申しておるわけでございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 いや局長、そこのところをもっと正確に考えていただきたいんですよ。旧という名前は省いて満州と言いますけれども、いわゆる当時、内地の内原訓練所で二カ月基礎訓練をやって渡満をし、二年間訓練をするということですね。ですから、十四年の閣議決定以前の十二年に送出された者も訓練期間中ではないか。一部それはあります。一部訓練期間中です。  ところが、この事実経過を追ってみると、当時、厚生省職業部というのですが、いまの労働省に昇格した前身だと思うのですが、職業部あたりが盛んに府県に満州送出の通達を出した。そういったことからかんがみて、第一次先遣隊というのは昭和十二年九月にあるんですね、三百十九名。県別では長野県が中心になっておるのですが、この三百十九名が先遣隊で出発をし、そしてそれから続々送出をされる。その結果が思わしくないから、十四年に総括をして基本要綱の閣議決定になっておるのです。となると、現実には十四年当時訓練中の者もあれば、そこから外れた者もあるわけです。指導員になって残っておる者もある。その指導員というものは、後でも問題になるのですが、いまの第四号の規定でいくと訓練生しか対象になっていない。集団開拓団員というものは対象になっていない。  ここにも問題が発展をしてくるのですが、そういったことを考えれば考えるほど、私は十四年云々ということに固執するのではなくて、私は先遣隊が出発した十二年九月までと言いたいのですが、よりどころを求めるためには十二年十一月三十日の閣議決定、さっき川本質問で閣議決定の内容の御紹介がありましたが、そこまで持っていっても、何ら援護法の精神からいって矛盾するものではないのじゃないか、こう思うのです。それはどうでしょうか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 いま先生御指摘の、十二年から前段階あるいは実験的段階と申してもいいのかと思いますが、お入りになった方がございます。その方々が十四年までの間に脱落してしまわれた、あるいは要するに義勇隊の前身の訓練生でなくなって、十四年十二月の段階ではすでに訓練生ではなかったという場合には、これはもちろん私どもの方の適用にはならないということになりますので、問題は、先生もう十分御承知のことと存じますけれども、その間において事故があった場合のことだけになるわけでございます。それにつきましては、これはその時期から考えて、軍事に関する業務に協力をするという具体的な方針なり事例の見られない時期でございますので、ここまで適用するのはいかがかということを申し上げておるわけでございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 確かに古い話ですから、第一次先遣隊の三百十九名が仮に十四年の閣議決定当時どういう状態に置かれておったか、これはいま知る由もないんですね。そういったことから、これは大臣がお戻りになってから申し上げようと思っておったのですが、事ほどさように、当時の国策によって八万六千有余名と言われておるのですが、旧満州国に送出をされたこれらの訓練生、義勇隊員の方々の全貌、これはいまだにつかまれていない。何人行方不明になってどういう末路をたどったのか、また日本に引き揚げてどういう状態になっておるのか、こういったことは、戦後三十余年たった今日でも全く調査が行われていない。そういう点が十四年がいいのだ、十二年がいいのだということの論争の原因の一つにもなると思うのです。  したがって私は、後で大臣が来たらもう一遍申し上げますけれども、元満州開拓青年義勇隊員の送出状況、引き揚げ状況、死亡、行方不明、こういった状況について十分な調査を、国が、今日でも遅くないからやっていただきたい、これをひとつ要望すると同時に、重ねて言うのですが、十四年の閣議決定と十二年の閣議決定とは脈絡一貫しておるのですから、十四年を十二年に持っていっても、何ら援護法の精神からいって矛盾をしない。もし十四年に固執をし、十二年の第一次先遣隊から十四年までの間の訓練生、義勇隊員で行方不明、死亡、負傷、こういった方があって、数が少なくても法の対象になっていないという者があれば、これは大変な問題ですからね。  となると、仮に死傷者というものがないことを望みながらも、万全を期して、十二年十一月三十日の閣議決定から線を引く、これが調査も十分でない今日、いわゆる次善の策というべきではないのか、こう思います。重ねて、この点についてひとつ決断をしていただきたい、こうお願いします。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 前段階の、お話のございました義勇隊及び義勇隊開拓団の送出あるいは引き揚げ、それから亡くなった方、行方不明になった方の状況につきましては、私どもの方で、それぞれの所属訓練中隊の名前でございますとか、あるいは義勇隊開拓団の名前でございますとか、所属人員といったようなものを私どもなりに一応把握をいたしております。当局としては、いろいろ資料を整えて数字も持っておりますが、なお、御指摘のように、戦後三十年を経た状況でございますので、それが十分正確を期しがたい部分もございます。したがいまして、すでに帰ってこられた方々、その他の方々ともまた連絡をしまして、その上で補完をするように努めてまいりたいというように考えております。  第二点につきましては、繰り返しお答えを申し上げた問題でございますので、後ほど大臣からお答え申し上げる筋合いのものかと存じます。

田口一男日本社会党

○田口委員 じゃ、閣議決定の時期は後に譲りまして、これも川本質問で触れられておったのですが、現行第四号に規定をする義勇隊員の範囲は、いわゆる訓練生に限定をされておる。そこで、訓練を終えて開拓団員になった者は対象外、こういうことなのですが、これも厳密に言うと、昭和二十年八月九日、ソ連参戦の日以降に死傷された場合は、当然対象になっておると思うのですが、そういう現実であるならば、訓練生と開拓団員と何も分ける必要がないのじゃないか、素朴な質問として言うならば。  なぜ私が分ける必要がないと言うかといいますと、この義勇隊の問題が本委員会で議論になったのは、もうかれこれ十年ほど前になるのですけれども、当時の援護局長の答弁を議事録によって拝見をいたしますと、当時旧満州に送出をされた開拓農民、開拓団というのは、いろいろあったわけです。だから、訓練生はともかくとして、これを終えた開拓団員というものは、他の開拓団と同じであるから、国どの関係が明確でないというような御趣旨の御答弁があったのです。  古い資料を私は集めてみたのですが、いま言った十四年の閣議決定基本要綱の中に「開拓青年義勇像は主として日本内地人青少年を以て之を結成し」云々、そして「訓練所の種別態様を確定す」基本訓練所と実務訓練所というように分けて、この実務訓練の場合には、集団開拓農民ということをはっきり位置づけておるのです。  これは長いですから全部読みませんけれども、「日本における募集訓練より現地訓練及定着に至る迄脈絡一貫せる指導精神」こういう表現が出ておるのです。こういったことから見ても、私は、何も義勇隊の開拓団員と訓練生とをあえて分ける必要がない、なぜ分けるのか、総称したものが義勇隊員ではないのか、こういったことで、分けた理由を再度お尋ねしたい。  時間が余りありませんから、これに関連をして、これも二、三人不幸にして亡くなった方もあるというのですが、この訓練生を各中隊、中隊ということで分けていますけれども、そこに寮母というものがおったそうです。これも古い資料にあるのですが、訓練生の寮母、この寮母の必要性は御存じだと思うのですが、いずれも十六歳ないし十九歳までの青少年であって、家庭を離れて渡満をしたのですから、結局母がわり、また姉がわりとして起居をともにする。こういった寮母というものが、これも特別の訓練所や東京、内原なんかで訓練を受けて渡満をし、昭和十五年現在ですか、寮母が八十名おったというのです。  こういった寮母も当然に、十四年の閣議決定を一応是とするならば、この閣議決定の中に訓練生の寮母というものも包含されておるのだと見てしかるべきではないのか。もし不幸にしてこの二十年当時寮母の方が亡くなったり負傷したり、こういった場合には、当然に対象になっていいのではないか、こう思うのですが、いかがでしょうか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 いわゆる寮母の方のことでございますが、この人たちも具体的に軍事関連業務に従事をしておられたということにはなりませんので、そういう意味では、これを援護法に取り入れるということは困難でございます。しかし、この人たちがソ連参戦以降亡くなった場合におきましては、戦闘参加の事実があれば、これは援護法の対象になり得るものでございます。  順序が逆になりましたが、義勇隊開拓団の人たちにつきましては、その訓練期間が三年で、最初の一年間が基本訓練、後の二年間が実地訓練があったようでございます。そういう意味におきまして、いろいろ性質の違う仕事に入っていられたということがございますが、この段階におきまして、先ほど申し上げましたようなさらに軍の協力を求められたということで補給廠に勤めたりというようなことがあったようでございますので、そういう意味で青年義勇隊の後半の二年間のものは義勇隊として取り扱えるわけでございますが、義勇隊開拓団とはその性質を異にするものでございます。したがいまして、義勇隊開拓団そのものは、一般の開拓団と特段にこれを区別する理由がないということになるわけでございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 私が問題とするのは、訓練生と義勇隊開拓団員とは、これを一本にして義勇隊員と言っておったのです。総称したものなんです。こういう認識が当時からあったわけですね。ですから、さっき十四年の閣議決定の第十二項の二番目を私は読んだのですが、これと軌を一にしていまさら古いものをどうこうするわけではないのですけれども、当時の満州国と日本との関係から見れば、当時の満州国政府の勅令というものは、日本の勅令とよう似たものだが、康徳七年というのですから昭和十五年ですが、「満州開拓青年義勇隊訓練本部ニ関スル件」という満州国勅令、そしてこの勅令は、十四年の閣議決定の第十二項に基づくものだという言い方をしているのですが、私は、なぜ分ける必要がないかと言うと、もう一遍言いますと「訓練修了後集団開拓農民として当該訓練地に定着せしむる事を目標とするもの」これが(イ)です。(ロ)が「訓練修了後開拓農民として他地方に移住せしむることを目標とするもの」(ハ)は「技術その他の特殊訓練を施すもの」こういうふうに訓練生を三つの目標に分けておるわけですね。これを「脈絡一貫」という表現で後でくくっておるわけです。  とすれば、訓練生だけを対象にして、訓練を修了して出た開拓農民というものを区別するということは、これはあいまいとしたものではないか。根拠が薄いじゃないか。ソ連参戦の日以降、死んだり、けがをしたりというふうな方々については、全部対象にするのだからいいじゃないかと言うのですが、さっき言った調査が十分でないというところから、開拓団員であったがために、訓練を終えておった者であったがために対象になっていないという人もあるやもしれぬ、こういうおそれから、訓練生に限るというのは今日妥当ではない、こういう私の考えですが、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私どもの理解しております範囲では、例の甲種実務訓練所、乙種実務訓練所、丙種実務訓練所といったような形で、農業あるいはその他の技術を習得される訓練段階は、先ほど申し上げました三年の訓練段階の後期の二年に当たる訓練であるというように承知をいたしておりますので、そういう意味で、その段階では義勇隊の訓練生であるということでございます。その後の五年間は開拓団を認めるというその五年間は、一般開拓団と要するに軍事関連業務に関しては特段の差異が認められない、こういうことでございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 いま言ったこの開拓団というのは、大ざっぱに分けて二つになるんですね。内原の訓練所から集団的に義勇隊として渡満をし、二年間訓練をし、そして訓練修了後、義勇隊集団開拓団として五年間、そして五年済んだら文字どおりそれぞれ入植をする、これは幸か不幸か実現をしていないのですけれども、こういうのが一つです。それからもう一つは、これまた政府が積極的に奨励をした昭和十三年以降、もっと古いのは昭和の初年からあるそうですが、一般開拓民として出ておるもの、これとはちょっと性格が違うのではないか。だから前者の、訓練生が集団開拓民となったものは一体として見るべきではないか、見て妥当なのじゃないか、こう思うのです。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 御指摘のございました、一般の開拓民との関係におきまして、満州における移民の定着を促進するために、開拓団の卒業生の方々が、よりポイントを占めるところに開拓団をつくって行かれた、そのために補助金その他も厚くされたということは私どもも聞いております。ただ、そのことが直接軍事業務に関連するということに結びつかないという意味におきまして、一般の開拓団と変わらないという意味で申し上げたのでございますので、その点は御了承を願いたいと思います。

田口一男日本社会党

○田口委員 それと同じ考え方に立っての答弁だったと思うのですが、訓練生の寮母の問題についてもう一遍お尋ねをしたいのです。  さっき言った母がわり、姉がわり、そういう心情的な状態は別として、制度的に見た場合に、彼女たちが昭和十三年一月に東京に設立された特別の訓練所や内原の訓練所で指導者としての訓練を受ける。そして各訓練所に配属をされる。大石頭訓練所に四名とか孫呉訓練所に六名とか、こういったように強制的に配属をされて訓練生と起居をともにしておる。その数が八十名。こういった状態から見ても、訓練生と同一視してもいいのではないか。さっきの訓練期間を終えて五年間の集団開拓団というものとは相当趣が違う。だから、これも戦闘行為に参加どうこうということは、女性でありますから、そういった態様はちょっと無理があると思うのですが、ああいうどさくさのときに不幸な目に遭っておられるだろう。だとすると、これも援護法の趣旨からいって国との関係が明白になってくるのじゃないか、こう思うのですが、これは無理ですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 寮母の方々が訓練生の世話のために大変御苦労された、あるいは訓練生以上の苦労をされたということも事実であったろうと思います。しかし、援護法の持っておりますそのたてまえが、軍事関連業務に従事した者につきまして、亡くなったりあるいは傷害を受けられたことについての手当てをずるということでございますので、その趣旨には乗りがたいということでございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 援護法の趣旨ということでもう一遍私はお聞きをしたいのですが、さっきの在満期間云々という恩給局との関係等も出てくるのですが、この援護法のできた由来というものを考えた場合に、当時の軍人恩給が昭和二十年に停止になる、そして悲惨な状態がかれこれ七、八年続いたのですが、そういったものを含めて遺家族援護法というものが二十七年にでき、従来恩給法で扱っていたものも援護法に包合をしておった。これは間違いがあったら、ちょっと指摘をしていただきたいのです。そして二十八年に軍人恩給が復活をして、援護法の中で扱っておった軍人恩給分を恩給法に、またもとに戻した。そうして給付水準なり何なりは、大体恩給法に右へならえしながら今日までずっと歩んできたわけですね。だから、性格からいったら、現行恩給法と援護法というものは、多少の独自的なものはあるにしても、中身は同じだ。ただ、あえて言うならば、軍人、軍属と準軍属というものに一条、二条で区別しておりますけれども、この準軍属というものは、後でいろいろと広島の問題であるとか長崎の問題であるとか警防団とか出てまいりましたけれども、戦闘行為に公権力をもって参加をさせられたという関係を認めたものを援護法にみんな入れた。だから、この義勇隊の問題についても、そういう状態がはっきりしなければ、これに入れることができぬという趣旨だということを、さっきから局長はおっしゃっておると思うのですが、しかし私どもは、そういった戦闘行為に参加をしなくても、そのような状態に近い状態の中で死んだり、けがをしたりという者も包合をすべきじゃないかと考えておるのです。  ですから、さっき言ったように、十四年の閣議決定を十二年に持っていけと言ったり、訓練生だけではなくて開拓団員も入れよと言ったり、それから訓練生の寮母というものも、その範疇に入れよと言ったりしているのですけれども、局長の言う援護法の趣旨から言って、公権力とそういった寮母なり開拓団員というものがはっきり結びついていないのか、ここのところをもう少しわかりやすく説明をしてほしいのです。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 繰り返しての御説明になるかと思いますけれども、基本的には、軍事に関連する業務に従事をしておった際に事故があったということが基本になるわけでございます。そういう意味におきまして、先ほど申し上げました開拓団とか寮母というのは、援護法の体系の中に非常に乗りにくい。ただ、援護法の中では、地域なりあるいは時期を限定しまして、より包括的に指定をしておるものがございます。これは戦争状態に入った、あるいはその時期においてあるいはその地域において戦争状態に入っておるので、そのときの事実を非常に確かめにくいということから包括的に指定をしておるものはございますけれども、基本的な考え方は、いま申し上げたとおりでございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 そうすると、これは恩給局に確かめたいのですけれども、ちょっと話が飛びますが、いま援護局長のお話があったように、戦務加算の地域、それから日時指定というものが恩給法にありますね、そうすると旧満州国、いまの東北地方は、何年から戦務加算の対象になるのですか。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 恩給法の戦務加算と申しますのは、御承知のように戦地あるいは準戦地、そういう地域に勤務した方につくわけでございます。したがいまして、旧満州でございますが、満州を一つに考えましていつからというわけではございませんで、かつ、満州におきましても、それぞれの戦地あるいは準戦地の状態になりました時点からそれぞれ違っておるわけなのでございます。省というのがございまして、各省ごとに違うわけでございますが、満州事変からつき始めている地域がございます。ですから、昭和六年でございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 となると、これは局長どうですか。私、戦務加算の意味はわかりますけれども、満州事変から旧満州を戦務加算地域と指定するとなれば、さっきの閣議決定、十四年云々ということを十二年に持っていっても何らおかしくないのじゃないか。その間の、旧関東軍にいろんなことで満鉄警備なり自警団的なことをやらされておったというのですから、こういう面から期日の問題は再考できませんか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 また繰り返して同じお答えになって恐縮でございますけれども、昭和十四年の閣議決定以降のものにおきましても、援護法の対象の主体になる事実は、昭和十八年、十九年における補給廠への勤務その他のものでございます。その事実を取り上げまして、その基礎になった閣議決定の十四年まで——一時は昭和十六年の大東亜戦争の開始の時期にしたわけでございますが、それを閣議決定の時期まで持ってきたということでございますので、その基本は十八年、十九年の事実に基づいておるということがございますから、それ以上にさらに先にさかのぼるというのはいかがなものであろうかということでございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 大臣が来てからにあと質問を留保したいのですが、一つだけ、これは恩給局の方に。  いま言った援護法の組み立て方が恩給法と同じである、ただ軍人軍属と準軍属という見方が若干の色合いが違うということは承知をするのですが、その後ずっと恩給法の改正によって、たとえば昭和三十六年の改正で、外国政府職員、それから外国特殊法人、旧満鉄等ですね、こういったところに勤務をするいわゆる在満期間の扱いを、日満目であるとか日満であるとか満旧ということでいろいろ認められておりますけれども、私がずっと調べますと、この義勇隊の諸君で八万六千人帰ってこられた方がいろいろと職業についておられます。学校の先生をしておったり町村役場の吏員をしたり、いろんなところに勤務しておる方があるのですが、恩給法上でいう在職期間とこの在満期間を見るということが不可能なものか。一方では準軍属として扱っておるわけでしょう。その準軍属というものは恩給法にはなじみがたいのかどうか、そこのところをもう一遍。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 先ほどもちょっと触れましたが、恩給法に言う公務員の概念でございますが、これは昔からずっとそうなんでございますが、公務員全部じゃございませんで、いわゆる判任官というのが昔ございました。「官ニ在ル者」となっておりますので、判任官以上を対象にしておるわけでございます。したがいまして、援護法上にいう軍属、これはほとんど全部恩給法上の対象にはならぬわけでございます。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 速記を戻して。  田口君。

田口一男日本社会党

○田口委員 では、その恩給の問題は、ちょっと後に残しますが、義勇隊の問題についてなお釈然としませんので、大臣が戻られてからもう一遍質問させてもらう、こういうことで留保させてもらいます。  ただ、恩給の方は、官にあった者ということは、当時の判任官以上というのはわかるのですが、そうなってくると、当時の雇用人の扱いといったようなことで満目のケースにならぬかどうかということをもう一遍検討してもらいたいのです。それによって終わりますから……。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 速記を戻して。  次に、森井忠良君。

森井忠良日本社会党

○森井委員 初めにお願いをしておきたいのですが、お見かけのように大臣、それから政務次官もおられませんが、きょうのこの議論は、いま出席の政府委員で正確に大臣に伝えていただきたいと思いますが、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 先ほど以来の私、お答え申し上げました際の御質問の内容は、大臣に私の方からもよくお伝えをいたしたいと思います。

森井忠良日本社会党

○森井委員 いや、これから私がする質問についても同じかどうかということが聞きたいのです。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 失礼いたしました。十分そのように伝えたいと思います。

森井忠良日本社会党

○森井委員 いまから三年前になりますが、四十九年の四月の四日、本院の本委員会におきまして、戦傷病者戦没者遺族等援護法の採決が行われまして、その附帯決議でこういう項目がございます。「戦後三十年近くも経過した今日、なお残されている未処遇者について早急に具体的な解決策を講ずること。」これは御案内のとおりだと思うわけであります。同様の趣旨で同年五月十四日参議院におきましても附帯決議として確定をいたしております。  先ほど来議論になっております満州開拓青少年義勇隊あるいは開拓団の問題についても、戦後未処理になっております大きな問題の一つだと思うわけでございますが、このことにつきましては、先ほど来同僚委員から指摘がございましたので、この附帯決議がなされるときに議論になりました問題、旧逓信雇用人の問題についてお伺いをしたいと思うわけです。  まず、この附帯決議は旧逓信雇用人も入っていると私は理解をしておりますが、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 当時の附帯決議が行われました際の御論議の中に幾つかの論点があったようでございますけれども、その幾つかの論点の中に旧逓信雇用人の問題も御論議をされておったということを承知をいたしております。

森井忠良日本社会党

○森井委員 この問題は、もう一度簡単に申し上げますと、広島、長崎で原爆が落ちました。そして公務中にざっと千数百名の方が亡くなったわけでございます。具体的には郵便局でありますとか、あるいは電信局といったたぐいのものでありまして、大別いたしますと、ここで働いておられた方は三通りになるわけでございます。一つは官吏、いわゆる判任官以上と言われた人々でありますが、この人々には年金がつきました。それからもう一つの層は、共済組合で言いますと、甲種組合員と呼ばれておりました通信手、逓信手といった雇用職員でありますが、この皆さんの大部分に年金がついていない。先ほど申し上げましたとおり公務中であります。それからもう一つの層は、戦時立法によりまして、あるいは勅令によりまして動員をされました学徒動員であります。この学徒につきましては、もう御案内のとおり、戦傷病者戦没者遺族等援護法のいわゆる準軍属として扱われまして、これが年金化をされているわけであります。  いま申し上げました三通りの職員の層がございまして、その中の雇用職員、それも家計維持要件に該当した皆さん、これは人数にすればわずかでありますが、そういう方は年金の対象になっております。しかし、いわゆるひとり者で亡くなられた方、家計維持要件のなかった方がいまもって遺族が年金ももらえないまま悲嘆の涙にくれているということであります。  ちなみに申し上げますと、同じように仮にその当時の逓信院を国の神経系統とすれば、国鉄はまさに大動脈でありますけれども、国鉄はどうかといいますと、同じような職種の形態でありますが、国鉄の雇用職員については、これは家計維持要件がついていませんでしたから、したがって、国鉄あるいはいまで言います専売公社、そういった方々には家計維持要件がありませんでしたから、いわゆるひとり者等でも年金の対象になっている、こういうたぐいのものでございます。  この問題につきましては、いま御出席の大原亨代議士が四十三年に取り上げてかれこれ十年になっているわけでございます。その間、本委員会でもしばしば議論になりまして、先ほど私が指摘をいたしました四十九年の戦傷病者戦没者遺族等援護法の採決に当たっての附帯決議で改めて問題化されたものでございます。  いわゆる法のもとに平等、御案内のとおり、憲法十四条に明確になっているわけでありますが、いま申し上げましたように、戦時立法の不備だということで、新しい憲法になりましても、依然としてその不平等、差別をそのまま温存しておくということについては、きわめて問題が多いと私は思うわけでございます。その間、一体どういう措置がされたか、ここが問題でございます。  四十七年に、いま申し上げましたように、どう考えましても、法のもとに不平等という観点から、郵政省は三十万円の一時金を支出いたしました。その後まだ国会で尾を引いたものでありますから、昨年、戦傷病者戦没者遺族等援護法並みにとりあえず一時金として今度は六十万円が出ました。きわめて異例であります。二回にわたって、しかも一時金としてはかなり多額な額が支払われてまいりました。これは、とりもなおさず年金化しなければならないということが、いまもって役所によってさぼられておりますために、当面を糊塗するやり方で今日に至っている、こうとしか私には思えないわけであります。  こういった問題について、厚生省は一体どういう努力をしたのか。少なくともその当時の議論は、各省間にまたがる非常にむずかしい問題であるけれども、厚生省も一役買って各・省をまとめていきたい、当時の八木援護局長はこう私どもに語っているわけでございますが、この点について、まず厚生省からお伺いしたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 御指摘のように各省にまたがる問題でございます。基本的には、私どもの方の援護法との関係といたしましては、旧逓信雇用人の方々については、旧陸海軍との直接のつながりがないということから、援護法の適用ということはむずかしいという問題がございます。したがいまして、その後、大蔵省、逓信省、郵政省等々、特に大蔵省の方が御中心になりまして御相談を申し上げた結果、いま御指摘のようなものが一時金として出されたというように承知をいたしております。

森井忠良日本社会党

○森井委員 いまの局長の答弁に出ました厚生省の所管かどうかという問題ですね、ちょっとお伺いするわけでありますが、厚生省が戦傷病者戦没者遺族等援護法の所管庁になっている、つまり旧陸海軍の関係の方々の、言うなればこれは戦後処理とでも申しましょうか、その根拠は何ですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 ちょっと御質問の趣旨をあれでございますが、厚生省設置法が私どもの方の権限の基礎になるわけでございますが……。

森井忠良日本社会党

○森井委員 ちょっと聞き方が悪かったですかね。具体的に申しますと、軍人は御承知のとおり軍人恩給が出ていますが、いま総理府に引き継がれています。それから各種共済組合は大蔵省が引き継いでおります。そういたしますと、厚生省が陸海軍のそういった方々に対する援護措置を担当する理由は何か、法的な面でなくて実質的にどこに根拠があるのかということをお伺いしたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 戦後、旧陸軍省及び旧海軍省がなくなりまして、旧陸軍省及び旧海軍省で行われておりました業務の戦後処理、残務整理が必要でございます。この仕事と、それからもう一つは、海外から引き揚げられる方の援護ということが、現実の問題として大きな問題になってまいりましたので、この二つが厚生省において援護行政を行うようになったいわれ、理由であると存じます。

森井忠良日本社会党

○森井委員 そうしますと、要するに引き継ぎ官庁としての陸軍省、海軍省がなくなったわけですから、したがって、終戦処理も含めて厚生省がとった、こういうことですね。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 概要御趣旨のとおりと存じます。

森井忠良日本社会党

○森井委員 そうしますと、旧逓信雇用人というのは、これは旧逓信院の職員で、いまは電電公社と郵政省に引き継がれているわけです。そのために、私が先ほど申し上げました二回にわたる一時金については、郵政省と電電公社から出されているわけですね。  郵政省と電電公社にお伺いをしたいのでありますが、去年いわゆる一時金を支給された方々、これは何名ですか、

深海司郎郵政省人事局厚生課長

○深海説明員 お答えいたします。  郵政省が去年遺族の方に払いました金額の対象者は百人でございます。

長谷川実日本電信電話公社厚生局長

○長谷川説明員 電電公社関係につきましては合計百四、十五名でございます。

森井忠良日本社会党

○森井委員 合計をいたしますと二百四十五名ですね。  ついでにお伺いしますが、昭和四十七年に支給をされたときの人員、これは時間の関係で郵政省だけお伺いしたいのですが、ほとんどが両親だったと思うのです、ひとり者が亡くなったわけですからね。それで、その両親の平均年齢は幾らだったかということと、それから昭和四十七年に第一回目の一時金が支給されましたけれども、そのときの人数は何人ですか。

深海司郎郵政省人事局厚生課長

○深海説明員 遺族の方の、いわば両親に当たる方の平均年齢は七十六歳でございます。  それから、四十七年に支給しました受給対象人員は百四十八人でございます。

森井忠良日本社会党

○森井委員 これは、ゆゆしいことなんですよ。年金化をしなければならぬと言いながら、役所の都合でおくれて、いま郵政省の答弁によると、昭和四十七年のときには受給対象者が百四十八人だった、今度は昨年五十一年で、四年しかたっておりませんが、百四十八人なのが何ともう百人に減っておるのです。五割近く対象者が減っておるのです。しかも、いま聞きますと、平均年齢は七十六歳。七十六歳ですよ、まさに日本人の平均余命を超そうとしている。  私は、ここで申し上げておきたい。大体郵政省も怠慢です。いままであれだけたくさんの人を殺して——実はかく言う私も、もしあの当時、広島の原爆の場所にいたら死んでおったのです。まさに私は旧逓信共済組合の甲種組合員で、しかも家計維持要件のなかった男なんです。たまたま呉という土地におりまして、呉の郵便局に勤めておりましたが、私の仲間も同じように広島で死んでいるのです。そして、いまわずかしか生き残っていない両親の皆さんに聞いてみると、もう私の顔を見られるとほろっと涙をこぼされるのです。家に二つの額があるんですよ。一つは学徒動員で郵便局で亡くなった子供、それから同じ自分の子供で、言うなれば本職の逓信院の職員でありました雇用職員の分と、壁に二つの額が掲げてあるのですけれども、学徒動員で出た子の方は年金化されていて、肝心の正規の職員として採用されたその子に年金が出ていない。こういう矛盾をした状態なんです。だから郵政省も、そういう意味では電電公社も、もっと早くからこの問題に着目をして処置をすべきであったと私は思うのです。  ここに、これは郵政省の内部文書でありまして、私が期せずして入手したものでありますけれども、四十九年七月九日付の郵政省の見解が出ております。「旧逓信雇用人戦災殉職者遺族に対する年金支給について」これはあくまでも内部的な郵政省の文書でありますが、これを見ますと、この問題につきまして、こういうことを書いております。「共済制度間の不均衡、就中年金受給権にかかる問題は決して軽視しうる問題ではなく、戦時災害に対する国家補償という面からみるならば大きな欠陥があったというべきである。」そして「もちろん「当時のことは、当時の制度で解決ずみ」という法的安定性を尊重しなければならないことはいうまでもないが、本件のように理に反し極めて不利な扱いとなっている者(年金が支給されなかった者)に対してはなんらかの是正措置を講じ、救済することが適当と考える。」これが郵政省の文書です。  続いてもうちょっと読みますと「この場合の是正措置としては均衡上不利な扱いとなっていた遺族に対し年金措置を講ずることが最も妥当と考えられるが、年金は長期間にわたり国と受給者との権利義務関係が存続することとなり、かかる権利義務関係は法律によって明定しておく必要がある。」郵政省の考え方はそうです。  では、なぜ郵政省がいままでできなかったか。これは御案内のとおり、郵政省が年金を支給するための役所でないからです。郵便や保険やあるいは貯金を扱うでしょう。しかし、先ほど厚生省の答弁によれば、旧陸海軍の雇用人を初め要するに戦傷病者戦没者等の遺族に対する給付につきましては、引き継ぎ官庁がなかったから、したがって、厚生省がとった法的根挙は厚生省設置法、こういうことです。  大蔵省が見えておりますから、大蔵省にお伺いするわけでありますが、本問題は共済組合の問題です、旧逓信共済組合。引き継ぎ官庁としては、まさに私は大蔵省だと思うのです。たとえば国鉄にいたしましても、国鉄共済を引き継ぎまして、具体的に申し上げますならば、いわゆる国鉄の雇用人の皆さんで家計維持要件がなかった方々、これにもいま現に共済から年金が支給されているのです。同じように郵政共済を引き継いだ大蔵省が、雇用職員の中で家計維持要件のなかった者について、これは年金を支給していない。まさに法のもとに平等というその観点からいけば、私は大きな矛盾だと思う。引き継ぎ官庁としての大蔵はどうか、お伺いいたします。

松下康雄大蔵省主計局次長

○松下政府委員 生計維持要件の有無によりまして、年金の受給権に差異が生じておる事例がございますことは事実でございます。この差異は、現在の共済制度が旧令による共済組合の制度を承継いたしましたときに、旧令による共済制度は企業体それぞれ別個の制度でございまして、その間にそれぞれ少しずつ差異がございましたけれども、その差異につきましては、これは過去の制度となりまして生きてない制度になっておるわけでございますので、それぞれの制度の内容をそのまま共済組合に引き継いだということによるわけでございます。  それから、ただいま御指摘のございました生計維持要件につきましては、現在の共済組合の制度におきましても、あるいはその他の社会保障制度におきましても、遺族の年金に生計維持要件を掛けるということが原則になってございますので、この点では逓信雇用人の組合員でございましたために、現在の共済制度に比べて不利を受けておるということではないわけでございます。

森井忠良日本社会党

○森井委員 現行法体系で共済組合の家計維持要件があることについてはわかる。これは戦時災害に関する規定なんですね。では戦時災害とは何か。後でまた先輩の大原代議士からも話があると思いますけれども、特に国鉄とか電々、当時の逓信院でありますが、これはもう軍の仕事と密接不離なんです。国鉄と逓信院の仕事をたとえれば神経と動脈、そうでしょう。だからこそ、この生計維持要件がない人にでも、たとえば国鉄の場合、生計維持要件がなくて年金が支払われておりますが、戦時災害で亡くなった方には、いわゆる共済組合の掛金で支払うんじゃありませんよ、こういうことなんです。共済組合の掛金で払うのじゃなくて、国の一般会計で払っていきましょうということなんです。  昭和二十年勅令第四百七十八号「大東亜戦争ニ因ル戦時災害ニ関シ特別ノ給付ヲ為ス共済組合ニ対シ政府給与金ヲ給与スルノ件」これを受けまして、当時の逓信共済組合では、その第二十六条に「戦災給付に要する費用はすべて政府の負担とし、政府給与金を以てこれに充てる。」それから注目すべきは第四条でありまして、第四条は「戦災給付を受くべき者には、同一事由につき逓信共済組合規則による給付はこれをなさず。」こうなっている。業務災害でなくて戦時災害でなくなった、これは軍人が戦場で亡くなったのと同じということなんです。だから、共済組合の掛金でなくて政府給与金をもって国が責任をもって支払おうということから発足しているのです。松下主計局次長が言われますように、現在の法制では家計維持要件がありますよというのとは筋が違う。軍人だってひとり者で生計維持要件がなくてもやはり年金が出ているじゃないですか。ひとり者でも出したというのは、逓信院とか国鉄とかというのは、一つの戦場にたとえて敵が攻めてきても逃げることできませんよ、職場を死守しなさいということなんです。あなたの言うのは当たりませんよ。もう一遍答弁してください。

松下康雄大蔵省主計局次長

○松下政府委員 昭和二十年の勅令によりまして、戦災給付につきまして国庫の負担といたしたことは御指摘のとおりでございます。ただ、この国庫の負担といたしますに当たって、支給の要件、範囲あるいは金額につきましては、それを変更することをいたしませんで、それぞれの共済給付の例によりまして財源負担を国庫に求めたわけでございます。したがいまして、私どもの現在の立場から申しますと、さかのぼってその点について修正を加えるということができなかったわけでございます。

森井忠良日本社会党

○森井委員 厚生省にお伺いしたいのですが、陸軍雇用人、海軍雇用人、これの共済給付は戦時中はどうなっていましたか、この問題について。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 生計維持要件がかかっておりました。

森井忠良日本社会党

○森井委員 陸軍、海軍の雇用人は当時生計維持要件がかかっておった。いまは昭和三十八年の援護法で救済をされていますが……。  松下次長、陸海軍雇用人は、戦時中やはり旧逓信院と同じように家計維持要件がついておった、三十八年にこの戦傷病者戦没者遺族等援護法の救済の対象になっている。あなたが言われることと矛盾するじゃないですか。大蔵省は主計局でちゃんと主計官まで置いて厚生省の予算についても当然タッチしておられる。明確な答弁を願いたい。

松下康雄大蔵省主計局次長

○松下政府委員 御指摘の陸海軍の雇用人でございますけれども、ちょっと私、いま詳細存じませんが、この雇用人の中で特定の範囲の方々につきまして、これは軍人との権衡をお考えになったのかと思いますけれども、現在では援護法の対象となっておることは事実でございます。ただ、私の理解しております限りでは、それは全員につきまして、そのような措置をとったといいますよりも、その当時の職責なり勤務地なりの内容に応じまして、軍人とのバランス上援護の体系で処理することが適当であるという方々を御処理なさっておられると理解しております。  御質問の旧逓信雇用人につきましては、私どもこれを共済制度の体系の中での問題というふうに取り扱っておりますので、その点に相違があるのではないかと考えております。

森井忠良日本社会党

○森井委員 それは筋が通らない。あなたは先ほど過去にさかのぼって是正することはできないと言われたんですよ。  もう一度申し上げますが、軍人ではないんですよ。陸軍省、海軍省で働いておられた中で、文官等は恩給になっているんですから。要するに全く同じ雇用職員なんです。ちょっと適当な言葉がありませんが、その当時で言う小使さんまで亡くなられた方はいまでは年金をもらっているわけです。したがって、さかのぼらないと言いながら、陸軍と海軍には現にさかのぼることを認めているじゃないですか。本質的に全然違っていませんよ。私は、あなたのその説明では残念ながら納得できない。もとからなくていまもないならいいのですよ。いまあなたは、軍人とのバランスということを考えているとおっしゃいました。それならいま同じように公共企業体、国鉄、電電、それはどうなんですか。同じように共済組合でしょう。しかも共済組合は大蔵省が一括して引き取ったというのはいろいろ議論があると思いますけれども、いま国家公務員やあるいは公共企業体の職員の共済は一括してあなたのところで扱っている。主計局はその所管局じゃないですか。なぜ不均衡を直さないのですか。陸海軍雇用職員と軍人とのバランスが考えられるなら、なぜこれが直せないのですか。私は納得できません。もう一遍御答弁願います。

松下康雄大蔵省主計局次長

○松下政府委員 陸海軍雇用人の取り扱いを援護法の体系で受け入れられました点につきましては、私も所管でございませんので、詳しく御説明できないわけでございますけれども、共済の関係で理解いたしますときに、さかのぼりまして旧令制度を修正するということが、制度全般につきまして安定を欠くような結果になることは余り適当でないということで、実はこの問題は、一昨年ずいぶん関係省庁が集まりまして検討を重ねたところでございますけれども、私の所管の共済制度につきましては、生計維持要件を除外するということは適当でないという結論になったのでございます。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私から補足して申し上げた方が適当かと思いますが、戦傷病者戦没者遺族等援護法で旧陸海軍共済の生計維持のかかっていない方々を取り上げたときの経緯につきましては、これらの方々が旧陸海軍とのつながりのもとに軍事業務に従事させられておられる、その人たちの業務上の災害に係る国家補償制度であるので、本来援護法の対象にすべき人たちである、ただ、現行の制度の上におきましては、旧令共済の特別措置法が適用されておりますので、そういう意味において、それがあるので、そこに盛り切れなかったものについて援護法で拾うということにしたわけでございます。逆に関連して申し上げますと、陸海軍の雇用人でありましても、軍事業務とは言えない官衙及び特務機関の勤務の者は除かれておるということがございます。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 関連質問を認めます。大原亨君。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 大蔵省、それから援護局長、後で質問いたしますけれども、資料があるのですが、こういうことを知っているのですか。ちょっと二人に聞いてみます。  船舶運営会、これは準軍属でなしに軍属になっている。そこでは船舶義勇戦闘隊を組織しておる助けです。義勇戦闘隊を組織いたしましたら軍の直接指揮下に入る。それから職域で義勇戦闘隊を組織しているのは、これは、いま森井代議士から話があったように、鉄道は義勇戦闘隊を組織している。それからもう一つあるのです。これは逓信の義勇戦闘隊を組織しているのです。戦闘隊を組織しましたら、直接軍の指揮下に入るのです。各省の行政官庁から、当時は逓信院総裁、それから運輸省、船舶運営会も運輸省、そういうところから陸軍、海軍の指揮下に入るのです。少なくともそういうことは明確になっておるわけで、私は、資料を後から出すけれども、そういうことについては、いま軍の関係との側面を言っているわけですが、軍の直接指揮下に入っておる。そういうことについては研究しているのか。  それから第二の問題は、この問題に関係して同じ電信電話の職場で働いていた動員学徒は、ずっと改正をして給与金は年金にしたわけだ。同じ職場の動員学徒は、これは同じ職場で働いていた、雇用人と一緒にはち巻きをしてやっておった。それは法律の累次の改正で援護法の対象になっているわけだ。だから、私が言った第一の事実について、事実を知っているかどうか、それだけひとつ……。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 職域における義勇兵役法に基づく編成下令が行われたものにつきましては、鉄道、船舶、サルベージ関係については承知をいたしております。これは具体的には編成下令が行われて発動されるものでございますが、通信関係につきましては、編成下令が行われたということは、私どもは承知いたしておりません。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 ちょっと待って。森井さんの時間内ですが、いいですか。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 ちょっと一言だけ。  編成下令がどのようにして行われたかということは、六月の議会の審議の状況を通じて私が一々言うから。それはあなたの言うように、そんな形式的にやったのじゃないです。文書やその他の手続をずっとやったのじゃないです。職場を指定したらすぐなるようになっておったのだから、その点だけ私は指摘しておきます。

森井忠良日本社会党

○森井委員 たまたま国鉄が一番近い現業だから、私、援用させてもらうわけでありますが、もう一度申し上げますが、国鉄の雇用職員は年金になって、旧逓信院、現在の郵政省と電電公社の雇用職員は年金化がされていない。しかも私は、きわめて遺憾だと思うのは、電電公社は郵政省が監督官庁ですから、郵政省の見解を採用いたしますが、郵政省は、先ほど指摘をいたしましたように、これは年金化が必要だと明確にうたっておる。にもかかわらず、共済の引き継ぎ官庁である大蔵がそれを認めない。しかも、あなたの論理は支離滅裂じゃないですか。特に私は申し上げておきますが、法のもとに平等、これは憲法十四条です。現行法ですよ。昭和二十一年にできた憲法十四条では、法のもとに平等とはっきり書いてある。一体これが法のもとに平等ですか。  具体的にお伺いしますが、国鉄の雇用職員と電電公社の一雇用職員とで年金をもらっているのといないのという形が出てきておるわけですけれども、憲法十四条の規定でどうですか、はっきりしてください。

松下康雄大蔵省主計局次長

○松下政府委員 国鉄の職員と旧逓信雇用人につきまして、生計維持要件の有無によりまして、国鉄の場合にはこれが年金として処理され、また逓信院の場合には遺族一時金の支給によって処理されるというのは、当時の旧令の共済組合自身の持っておった制度的な差でございます。その点につきましては、国鉄の方が年金の対象が広かったわけでございますけれども、また場合によりましては、当時国鉄の方が年金の対象が狭かった部分もあるわけでございます。現在の共済制度に旧令を統合いたしますときに、それらの個別の差異につきましては、その制度自身の実績を尊重いたしまして、そのままこれを引き継ぐということに処理をいたしておりますので、その点につきまして、どちらかをどちらかに対して特に不利益になるように引き継ぎを行ったのではないと存じております。

森井忠良日本社会党

○森井委員 これは全く支離滅裂で、これからの論議の展開ができませんよ。何とかしてくださいよ。だめですよ、全然これは支離滅裂なんだもの。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 主計局次長の再答弁を求めます。

松下康雄大蔵省主計局次長

○松下政府委員 法律上の取り扱いが両者平等であるかどうかという御質問でございますが、国鉄につきましても逓信につきましても、その当時の共済制度の取り扱いをそのまま以後にまで尊重させるという点で、平等の取り扱いをいたしたものと存じております。

森井忠良日本社会党

○森井委員 どうしてもまだわからないですね。遡及をするかしないかということについては、遡及をしないという言い方をした。そこで、陸海軍雇用人は遡及をしているじゃないか、こう言った。そうしたら、今度はこれは軍人との関係があったからでしょうという答弁なんです。それなら同じように、類似をするのなら、国鉄と電電なり専売、郵政、そういったものと比べて不平等じゃないか、それと比べたらいいじゃないかと言ったら、これもはっきりした答弁がない。前へ進めませんよ、これでは。それから法のもとに平等、いいですか、新憲法ですよ、これは。二十一年にできた新憲法で、法のもとに平等ということは十四条にはっきりうたっている。これは社会的にも経済的にもです。経済的という言葉も使ってあるのだ。そこに着目した質問をすれば、これも納得いく答弁が出ない。私はこのままでは続けられません。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 速記を戻して。  森井君。

森井忠良日本社会党

○森井委員 質問を留保いたします。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 田口一男君。

田口一男日本社会党

○田口委員 大臣が戻られましたので、ちょっと中座をした間におけるやりとりを簡単に申し上げて、大臣の決断をひとつ聞かしてもらいたいと思うのですが、私は、私の前の質問者川本委員と同じ趣旨で、元満州国開拓青年義勇隊員の処遇について、三点に分けて質問をいたしました。  その三つの第一は、現行援護法第二条第三項第四号の開拓青年義勇隊員の範囲は昭和十四年十二月二十二日閣議決定により組織された者という、これを閣議決定の経過から言って十二年に、もっと前にもってくるべきではないか、これが第一です。  それから第二の質問は、この閣議決定によって対象になった義勇隊員というのは、義勇隊開拓団員を総称するものではなくて、訓練生だけが対象になっておる。だから、二年間の訓練を終えた訓練生とその訓練終了後の開拓団員とを総称した義勇隊員として援護の対象にすべきではないか、これが第二番目です。  それから第三番目は、そういった趣旨に立つならば、当時この訓練生というのは十五、六歳から十九歳、二十未満の少年が多かったわけですから、母親がわり、姉がわりとしていわゆる寮母というものが、当時の資料によると八十名、各訓練所ごとに配属をされておったわけです。この寮母についても当然に援護法の対象にすべきではないか、こういう質問をいたしたのですが、援護局長の答弁によると、援護法の趣旨から言って、それはできがたい、できないという答弁です。しかも、戦闘行為に参加云々ということが援護法の趣旨であるから認められないという御答弁であったのです。  そこで私は、あれもこれもということではなくて、そのうちの閣議決定の線にしぼって、大臣もう一遍御見解を承りたいと思うのです。事務当局の答弁では戦闘行為云々ということを言っております。そこで私は、もう一遍、この二つの理由から昭和十二年十一月三十日の閣議決定の線に持ってくるべきだ、前にもってくるべきだということを申し上げたいのですが、第四号改正の経緯を振り返ってみますと、昭和三十四年にはソ連参戦の日、二十年八月九日以降の者を業務上云々ということになった。ところが、昭和四十五年には太平洋戦争開始の日、いわゆる昭和十六年十二月八日以降のものが対象になった。そして現在の昭和十四年閣議決定云々ということにまでなってきておるのですが、こういったいきさつを当時の議事録を参照してみますと、昭和四十二年、第五十五国会の参議院予算委員会において、当時の三浦援護課長がこういう言い方をしておるのです。     〔委員長退席、斉藤(滋)委員長代理着席〕 前文は省略しますが、「ソ連参戦以後の隊員について特に準軍属の範囲に加えているものである。ソ連参戦前の開拓訓練生時代の者については右のような事情はないが青年義勇隊員は閣議決定による国策を背景として集められた実情などもあるので、今後これらの点を勘案し、その処遇について検討してまいる所存です。」この援護課長の答弁がもとになって、援護問題懇談会などによって議論の結果、昭和十六年云々ということになった、こういう経緯ですね。  となると、私は、十四年に持ってきたこの閣議決定の線は、いまの、当時の三浦課長の答弁で正しいと思うのですけれども、一方、現行援護法の施行令第一条の四、御存じだと思うのですが、事変地の期間と区域という施行令があります。これに旧満州については昭和十二年七月七日から昭和十六年十二月七日までを事変地として指定をしておる。戦闘地はまた新しいのですけれども、こういう現行の施行令の事変地として指定をしておる背景、こういったものや十四年十二月の閣議決定に至った経過というものを考えたならば、昭和十二年十一月三十日の閣議決定の線に戻すというか前に持ってきても、私は何ら論理的に援護法の趣旨から言っても矛盾がない。他のこの開拓団員を抱含するとか寮母の問題というのは、さらに調査をする必要があろうかと思いますから、私は、あえて言いませんけれども、この時期の問題について、大臣、そこまで持ってきても矛盾がないのではないかと思うのです。どうでしょう。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 詳しいことは、私、わかりませんが、ともかく現行の援護法というのは、戦争の遂行に当たって国と一定の使用関係にあった者またはそれに準ずる者に対して、使用者としての国が戦争公務に係る災害を補償しよう、そういうことでできておりますから、だから、やはりこれは国との使用関係というものがどういうふうな関係にあるのかということが、私は一番問題だと思うのです。そこが議論になっているところなんでしょうがね。だから、国に使用されて戦争公務によって災害を受けた、こういうような事情がございますれば、また、そういう事情があって、疾病にかかった場所が、そういう場合は内地であろうと戦地であろうとを問わず、援護の対象にすることにもなっているわけです、使用関係さえはっきりしていれば。それとはまた別に、国と一定の身分関係がない、そういう人が戦時災害をこうむったとしても、同様に被災地が戦地であろうと内地であろうと、これはやはり身分関係がはっきりしてないわけですから、それは援護の対象にしてないというのが現在の援護法のたてまえなんですね。ですから、法律がそうなっている以上は、それは私、やはりのべつもなく広がってくるということで、こうきちっとしたのだと思います。  どうして鉄道の方が通算になって逓信の関係がならなかったのかというようなことも、当時の法律がそういうふうになっていたから、そのまま平等に引き継いだのですというのが政府の答弁のようです。それはやはり法律がスタートしたときにそうなったから、全部そのまま引き継ぐということになっているのでそうなっているのだという答弁で仕方のないところなんじゃないかと私は思うのです。  ともかくそこらのところは、どこで歯どめがつくのか、こういう問題もあります。のべつもなく広げちゃったら、これは収拾がつかない話ですから。内地だって戦災でやられた人もおりますし、みんな警防団つくって火消しを一緒にやってそれで死んだ人もいるし、戦争犠牲者はたくさんいるわけですから。だから、そういうところまで広がるということになりますと、とても収拾のつかない話になってしまう。その瀬戸際ぐらいのところで——人情論としては、全く気の毒だと思う人もあると私は思うのです。あると思うのですが、これは法律の問題で、国会の法律でも直すというのなら話はどうか知らぬけれども、いまの段階としては、やはり援護局長の言っていることしかないんじゃないかというふうに思っておるのですが、私も国会議員でもあるししますから、さらに勉強します。ともかく私の友だちにも、そういうことについて詳しく知っている国会議員もたくさんいますから、一遍よく相談をしてみたいと思っております。

田口一男日本社会党

○田口委員 どこで線を引くか、大臣、それはむずかしいと思うのです。際限なくという表現もあったのですが、その辺のことはわかるのです。しかし、この元満州開拓青年義勇隊員の問題に限って言うならば、現に四十二年の五十五国会、十年前ですけれども、当時の厚生省の援護局課長三浦正夫という人が、いま大臣が言ったように、国との関係で戦闘行為に参加をしけがをしたり死んだり、これはソ連参戦の二十年八月九日からはそれは歴然としておった、だから、二十年八月九日というのをこの法律の第四号に持ってきた。それでずうっととまっておったら、まだ議論の方法がほかにあるのです。ところが、八月九日ということが、今度四十五年改正では、いわゆる大東亜戦争が始まった十六年十二月八日に持ってきた。その持ってきた理由として、当時の三浦課長の言っておるのは、さっきも言いましたけれども、ソ連参戦前の開拓訓練生時代のものについては右のような事情はないが、青年義勇隊も閣議決定による国策を背景として出てきた、だから、その十四年十二月二十日の閣議決定の線に持ってきたのが現行の四号です。だから、多々ますます弁ずじゃないですよ。  十四年の閣議決定が出た背景というものは、当時の石黒なんとかという人とかいろんな先覚者が内閣に建白書を出し、それを拓務省がいろいろ検討し、そして昭和十二年十一月三十日に「満州に於ける青少年移民送出に関する件」これは川本議員が読み上げましたから言いませんけれども、この閣議決定をしておる。その閣議決定を裏づけるものとして、昭和十二年九月には三百十九名の第一次先遣隊が出発をしておる。こういった歴史経過をずうっと踏まえてみたら、十四年になっておるのを十二年の閣議決定の線に持ってきても援護法の趣旨から言って何ら矛盾がない。  しかも、同じ法律の施行令第一条の四によって昭和十二年七月七日からは旧満州は事変地として指定をしておる。事変地と戦争地というのは、どういう違いか知りません、宣戦布告してないから事変地というのかどうか知りませんけれども、ともかく事変地として旧満州国を指定しておる以上、十二年十一月三十日閣議決定の線に持ってきても何ら無理がない。ですから、むやみに広げろというのじゃないのです。はっきり根拠のある日までやった方がいいじゃないかと言っているのです。もう一つ大臣お答えください。(「頭のいいところで」と呼ぶ者あり)

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 これは、さっきから押し問題をやっているようですが、満州の開拓青年義勇隊を援護法によって処遇しているということは、これは軍の命令といいますか、それによって軍の補給廠とか工場に行ったり、ソ連の参戦のときの戦闘要員になった、そういう事実がはっきりしている、だから、これは入れたんだけれども、十四年以前にはそういうことは認められていない。そういう事実がない。だから、満州青年移民ですか、それは援護法の対象になり得ないという答弁を一貫してしているわけですよ。これは事実の問題だから、私はよくわからないんだ。幾ら頭がよくても何でも、事実は事実ですから、よくわからない。(「政治的な判断を」と呼ぶ者あり)ですから、現在の援護法で事実関係がわからないところまで広げると、もっともっとほかにも次から次へとぞろぞろ出てきて収拾がつかなくなるというのが事務当局の考えだと私は思うのです。これもしかしもっともな話で、ともかく検討してみますよ。検討はしてみますが、現行の法律では無理ですね、これは。

田口一男日本社会党

○田口委員 もうこれで押し問答はなんですから、最後に一つだけ言っておきますけれども、二十年八月九日のソ連参戦、そこからははっきりしているのです。戦闘行為があった。そして関東軍が逃げて、そのかわりにやったというような話もあるのですから。そういう議論を踏まえて、さっきも引用した当時の三浦課長の答弁というのは、ちょっとそういう事実はないと思うけれども、国策によって喪失されたのだから十四年まで持ってきましょう、これがしんになって援護問題懇談会でかんかんがくがくやって現行の第四号になった。ですから、ここで言っておる右のような事情はないが十四年まで持ってきた。ところが、同じ法律の体系の施行令では、昭和十二年七月から事変地に指定しておるじゃないか。  今度は局長、どうですか。事変地にしておるところに送り込まれたら、何か軍との関係、政府との関係があると見るのがあたりまえでしょう。事変地に指定してなかったら私は言いませんよ。ここは事変のあるところで危ないところだ、そこへ行った、そこで何かがあったら当然国との関係、軍との関係とみなし得るじゃないか。そこで言っておるのです。私は、むずかしい法律論議じゃない、あたりまえのことを言っているんですよ。  ですから、大臣、勉強して検討と言うのですが、この問題ぐらいについては、私は、あと寮母の問題とか訓練団員の問題もいろいろと言い分はあるのですが、時間の関係でそれはさておくとして、だれが聞いてもなるほどなと思う十二年の閣議決定まで持ってくるのは、現行施行令で事変地に決めておるのだから、七月七日まで持ってきたって無理がない。重ねてもう一度伺います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 同じことの繰り返しになるわけでございますけれども、義勇隊につきまして、これを昭和二十年八月九日から前に持ってまいりましたときの基本的な理由は、昭和十八年、十九年におきまして、補給廠その他で軍の仕事に使われたということでございます。したがいまして、そういうものを踏まえた基本通達の実施時期まで延ばすというのがもう精いっぱいでございますので、そういう意味において、十四年十二月ということにしたわけでございます。それ以前の時期につきましては、これはそういう意味における軍との関係がない時代でございますので、そこまでということはいかがなものかというように考えるわけでございます。

田口一男日本社会党

○田口委員 これで終わりますが、いまの問題は、どう考えても私は納得いきませんし、事変地と指定した政令第一条の四の精神から言っても、いまの局長の答弁は矛盾がある、これだけ指摘をしておきたいと思います。  最後に大臣、この援護法の対象者全体を見た場合、私は、先月の二十日に旧傷痍軍人会の援護大会に出席したのですが、そこで表彰された方々を見ると、もう年をとっておる、介護をされる奥さんも相当老齢化をしておる、こういった実態を踏まえて、戦後この援護法ができてからでも二十有余年たつのですが、この援護法の中身をもっと厚くすることについてさらに検討をしてもらいたい、それに対する大臣のお考えを聞いて、留保した質問を終わりたいと思います。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 私もできるだけ手厚くして差し上げたい、こういうようなことで予算の折衝等もやってまいりました。もうすでに本年度においては、御承知のとおり、障害者に対する傷病恩給、障害年金、これは四月から公務員のベースアップに準じて七%上げる、それに八月からは障害者の障害の程度に応じて十二万から四万円の上乗せをやるということに決めたわけです。ですから、年々やっておりますし、今後ともできるだけのことは努力をしてまいりたいと考えております。

田口一男日本社会党

○田口委員 終わります。

斉藤滋与史自由民主党

○斉藤(滋)委員長代理 この際、休憩いたします。     午後零時三十二分休憩      ————◇—————     午後一時五十八分開議

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  雇用・失業対策に関する件調査のため、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その日時、人選等については、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。      ————◇—————

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案の質疑を続けます。大原亨君。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 日本の戦争犠牲者に対する国の施策については、現行のいま審議をいたしております戦傷病者戦没者遺族等援護法の体系があるわけですが、それともう一つ、私はやはりこれから議論をいろいろいたしますが、もう一つの領域としましては、原爆二法案があるのです。原爆被爆者に対する国としての措置をどうするか、こういう問題が一つある。     〔委員長退席、戸井田委員長代理着席〕 それから、もう一つの領域は、これはやはり従来から議論になっているわけですが、一般戦災者の領域があるわけです。それらの政策を整備しながら、足りない点は補強をして、そして戦争犠牲者に対する国の措置の公平を期する、こういうことはきわめて重要なことである、こういうふうに思うわけであります。  西ドイツなどは、軍人軍属、その他の軍の関係と一般の国民の戦闘参加や犠牲者の関係についての差別が原則的に薄いというかないというか、そういう施策である。日本は、何といっても軍隊解体になって、自衛隊云々という議論もある中で戦争犠牲者に対する救援をやりましたから、軍人面に傾いておる、そういう点がある。しかし、そういう観点から見ても、やはり申し上げたような三つの大きな点で、戦争犠牲者に対する対策を見直すべきではないか、こういうのが私どもの考え方です。  そこで、質問に入る前にお尋ねしたいのですが、日本の本土における戦争犠牲者の中で、軍人、軍属、準軍属、公務員で、死没者と傷病者は何人か、それから、その領域に入ってない、いわゆる一般非戦闘員と言われる、これはおかしいのですが、そういう民間の被害は大体どのくらいか、こういう資料はいろいろあるわけですけれども、政府がこれが正しいと、こう思う点について見解を述べてもらいたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 戦争の被害者の数は、その調査によって若干数字が異なる面がございますが、軍人、軍属、準軍属の死亡者につきましては、日本本土におきましては十万四千人、それから一般戦災の死亡者は、経済安定本部の調べでは二十九万九千人、大体三十万人と言われておるわけでございますが、全国戦災死没者の遺族会がお調べになったものでは五十万人となっています。それから一般戦災の傷病者の数でございますが、一応三十四万四千八百人と推定されております。経済安定本部の調べでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 二つの出所からの一般戦災者の死没者についてのお答えがあったのですが、その後ずっと時間がたっておるわけですけれども、厚生省としては、あるいは政府としては、どういうふうな数字を確認しておるのか。余りにも差がひどいではないか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 こういう数字を正確につかまえるということは、非常にむずかしいことでございますが、厚生省では毎年戦没者の追悼式を行っておりますが、その対象として考えております戦災者の数は、多い方の五十万人を厚生省としては使わせていただいております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 使わせていただいておるというようなことはないだろう。事実はどうかということです。これは従来しばしば議論になって、やはりそのことについては、自治体等を通じて精査すればわかることである、私はそう思うわけです。ですから、その議論はいたしません。  そこで、一般戦災者について、実態の調査とそれに対する対策をすべし、こういう議論がこの数年来起きてきておるわけですが、政府は、本年度の予算で予算の措置をいたしたというふうに私も初めて承知をいたしました。昨年は一億一千万円を確保したというふうに言われたわけですけれども、本年度の予算は、金額は幾らで、何に使用されるのかということについてお答えいただきたい。

村田敬次郎自由民主党総理府総務副長官

○村田(敬)政府委員 昭和五十二年度の予算の中で、一般戦災死没者の経費あるいは全国戦災史刊行の経費等といたしまして約二千五百万円が計上されております。この二千五百万円の内容は、一般戦災死没者の慰霊に関する措置関係経費が二千五百三十六万円で、その内訳は、全国戦災史刊行経費二千二百八十四万円、それから全国戦災者追悼式参列経費二百五十二万円となっております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 全国戦災史を発行する、これが大部分の予算額を占めておるわけですが、その戦災史を発行するのは、厚生省がやらないで総理府がやる、そしてこの戦災史を発行するために二千数百万円の予算を計上した、この目的はどういう目的ですか。

村田敬次郎自由民主党総理府総務副長官

○村田(敬)政府委員 全国戦災史の刊行につきましては、戦災体験者や関係資料の年々少なくなってきております今日、戦後三十年ということで、一つの区切りといたしまして、その一つの区切りの記念として戦災に関する資料を調査、整理して刊行をし、そして戦災の惨禍を後世によく伝える、また、戦災犠牲者の方々の霊を慰めるという考え方から総理府で計上したものでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 霊を慰めるということは、何らか国としての弔意を表示する、政策上する、そういう考え方があるというふうに理解をいたしてよろしいか。

村田敬次郎自由民主党総理府総務副長官

○村田(敬)政府委員 先生の御指摘のとおりでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 この戦傷病者戦没者遺族等援護法の中で、国民義勇隊に関する点が準軍属として追加されたことは周知のとおりです。本援護法にいうところの国民義勇隊は、いかなる根拠に基づき、そしていかなる範囲内においてなされ、その給付の対象人員は何人であるか、お答えいただきたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 国民義勇隊につきましては、昭和二十年三月の閣議決定に基づいて組織されておるものでございますが、国民義勇隊のこれまでの援護法におきまして処遇いたしました件数は、約一万五千件でございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 その中にはいわゆる総動員法関係の動員学徒があるはずですが、何名ですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 そのうち約六千件は国民義勇隊学徒隊員であります。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 国民義勇隊に関する件の閣議決定に基づいて対象者となった人は、遺族給与金と障害年金ですけれども、それは具体的に、私はこれから議論するわけですけれども、どの範囲を限定して対象者としたのか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 国民義勇隊の隊員の中で、その方が傷害にかかられたり、あるいは亡くなった場合に、その傷害あるいは死亡が、戦争公務にかかわる災害をこうむったという事情があった場合に、これを交付するわけでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 戦争公務に基づく災害を受けた人に対して障害年金や遺族給与金を出した、こういうふうにお答えですが、昭和四十九年の四月四日の本社会労働委員会で、この援護法について附帯決議を付したときに  一 太平洋戦争末期における閣議決定に基づく国民義勇隊の組織及び活動状況、旧義勇兵役法の実施状況を明確にし、適切妥当な援護措置がとりうるよう検討すること。    なお、旧防空法による組織及び活動状況についてもあわせて明確にすること。  一 一般戦災者に対し、戦時災害によって、身体に障害を受けた者及び死亡した者の実態調査を行い、当時の救済状況を明らかにすること。 こういう附帯決議があるのです。われわれもやったわけです。国民義勇隊関係について、厚生省、政府がそういう法律や事実関係を徹底的に明らかにしたかどうか。いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 国民義勇隊関係の方々から、私どもの方に援護法の適用について申請のありました者につきましては、いろいろ詮議をいたしておりますが、その数全体を個々に押さえるというところまでは至っておりません。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 国民義勇隊の閣議決定に基づく法律関係や当時の事実関係を徹底的に調査したかどうか、こういう点です。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私どもの方で可能な限り調べてみております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 占領軍が日本に上陸をいたしまして以来、これらの戦争犠牲者の措置が問題となった、まだその直前、それから引き続いてそういう状況ですが、そういうときに国民義勇隊関係や旧防空法関係、一番議論になった問題ですけれども、そういう関係については、資料を自治体に対しては焼却を命じ、あるいは閣議等におきましてはこれを封印した、こういう経過の事実があると私は理解をしているが、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私どもの手元におきましても、もとの資料を集めることは非常に困難でございます。したがいまして、当時の官報でございますとか、あるいは今日残っております閣議資料等によりまして、この事実をできるだけ承知をしたということでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 本法の第二条による国民義勇隊に関する件で、昭和二十年三月二十三日というふうに現行はなっておるわけですが、最初これが取り上げられましたときには二十二日というふうになっていたわけです。私が、二十二日には閣議はなかったではないかという指摘をいたしまして二十三日に直した経過があります。そういうふうに非常にどさくさで、きわめてずさんな資料で当時厚生省は線引きをしたのではないか、私はこういうふうに思います。  そこで私は、国民義勇隊については三つの段階があると思っているのです。第一の段階は、三月二十三日の閣議決定に基づく国民義勇隊、この閣議決定に基づくものであると私は思っております。その閣議決定は、その文章にありますように「現下ノ事態ニ即シ本土防衛態勢ノ完備ヲ目標トシ当面喫緊ノ防衛及生産ノ一体的飛躍強化ニ資スルト共ニ状勢急迫セル場合ハ武器ヲ執ツテ蹶起スルノ態勢へ移行セシメンガ為左記ニ依リ全国民ヲ挙ゲテ国民義勇隊ヲ組織セシメ其ノ挺身總出動ヲ強力ニ指導実施スルモノトス」というふうに書きまして、項目を挙げておるわけです。こういう決定の内容があります。そして地域、職場における義勇隊を組織する、そういう方向づけをいたしておるわけです。そして運用の項目(二)の中に「原則トシテ国民義勇隊ノ出動要請ハ地方長官ニ対シテ之ヲ為シ地方長官之が出動指令ヲ発スルモノトス」そして日のところには「国民義勇隊ハ軍部隊ノ補助ノ為出動スル場合ハ当該陸海軍部隊長ノ指揮ヲ受ケ警防活動ノ補助ノ為出動スル場合ハ当該官署長、内務大臣、警察署長ノ指揮ヲ受クルモノトス」というふうにそれぞれ書いてあるわけです。  こういう閣議決定に基づく国民義勇隊が全国的に組織を完了いたしたのは、大体いつだというふうに、調べて情勢判断をいたしておるか、お答えいただきたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 国民義勇隊の組織につきましては、地域的にあるいは職域によって行われておる個々の例は承知をいたしておりますが、全国的にこれを行ったというところについては、私ども調査はできておりません。これは、そこまでいっていなかったのではなかろうかというふうに考えられます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 そういうことで実態を把握したということが言えるのですか。前から議論しておるのだから、きょう突然言ったわけじゃないのだから、そんな怠けたことでどうするのですか。(資料を示す)大臣、そこには二つのコピーがあるのですが、新聞の方を見ましょう。局長に見せてやってもいいですけれども、怠けておるから見せぬ方がいいかもしれない。(笑声)  昭和二十年当時の新聞の切り抜きの1を見てください。一番上にあるやつです。これは広島の中国新聞、朝日新聞、毎日新聞の合同版ですけれども、戦争も六月に入っています。三月十日に東京の大空襲で十万人死亡。それから四月にはアメリカ軍の上陸で沖繩が完全に陥落した。米軍が上陸した。戦争に勝負がついた。これは六月一日付のニュースですが、あとずっと下にもあります。これはたとえば「けふ義勇隊結成式 広島市 副隊長以下役員決定」とあって、市長粟屋仙吉が本部隊長、陸軍少将の河瀬健吉が副隊長、奥久登、これは古い代議士です、村上哲夫、これは新聞社の社長、田中好一、いま生きておる人ですが、そういう人々が副隊長で事務局を編成いたしまして、そしてその左側の表にあるように隊長が粟屋市長、それから連合町内会が大隊、それから中隊が町内会、小隊が隣組、そして分隊、こういう組織で組織が完全にでき上がったということであるし、その下に呉市のもある。  そしてその結成式を挙行したというのが下にあって、隊則がちゃんとあるわけです。隊則の第二条には「軍の要請に従ひ直ちに義勇戦闘隊として挺身出動して戦闘行動に協力するを目的とす」こういうふうに書いてある。これは下の六月七日の新聞にもありますが、国民義勇隊についての当時の内務大臣が閣議に報告いたしました報告状況があるわけです。内務大臣は安倍源基だと思いますが、六月初めの段階で義勇隊は完全に編成を終わって、そして一部はすでに実質活動に入った、こういうのがあります。左のすみの方にある「義勇隊情報」というのがありまして、これは広島県の例ですが、三次とかあるいは安佐郡というふうな郡部におきましても、それぞれ編成したということがあるわけです。都の義勇隊の結成式につきましては、六月九日の新聞にあるのをダイジェストしました。  したがって、厚生省が当時そういう資料を焼却したわけなんです。閣議決定の紛失したのを、私は逆に、保存しておった資料やあるいはもとの新聞が国会図書館等に残っておるのを通じまして、閣議決定その他資料を全部出さしたわけです。日にちは昭和四十二年十二月十三日に出させました。そこで閣議決定の二十二日となっていたのは二十三日であったということがはっきりしました。  つまり、閣議決定に基づく国民義勇隊は、全国津々浦々に、六月の初めの段階、沖繩で勝負がついて本土決戦の段階に入ったときには全部できておったのです。だから、動員学徒も総動員法の動員で準軍属に入っておりますが、それも加えて国民義勇隊として全部組織をしたわけです。これは職域、地域全部やっておる。  それで、そういう点は政府も、占領軍下で戦争犯罪の追及、非戦闘員に対する権力動員ということで戦争犯罪の追及になる、あるいは指導者が公職追放になる、そういうことで、これは隠したというように私は考えております。できるだけ自発的な活動だというふうに称しておったわけですが、ずっと強化されまして完全な動員体制になっておったわけです。  それで、これが第一の段階です。これで厚生省は、附帯決議があるにもかかわらず、当時のことについて非常に怠けて調査をしていなかった、こういうことがはっきりしました。  それで第二の段階は、大臣の手元の資料にありますが、この義勇兵役法の二枚目を見ますと、一枚目が三月二十三日、これは読み上げました。三枚目のところで「国民義勇隊組織二関スル件(閣議決定昭和二十年四月十三日)」これが国民義勇隊の第二の段階、本土決戦に対応する組織の第二の段階です。これは「昭和二十年三月二十三日閣議決定国民義勇隊組織ニ関スル件ハ状勢急迫セル場合ニ応ズル國民戦闘組織に照応セシメツツ急速ニ之ヲ実施ニ移ス」云々と書いてあるのですが、それは一応置いておいて、四枚目の最後のところに「状勢急迫セル場合ニ応スル国民戦闘組織ニ関スル件」の閣議決定が四月の十三日になされておる。これらが一括して私は第二の段階であるというふうに思う。その法律関係の四ページ、これが第二の段階。四月十三日閣議決定。その前文には御承知のように「一億皆兵ニ徹シ其ノ総力ヲ結集シテ敵撃滅ニ邁進スル為状勢急迫セル場合国民義勇隊ハ左ニ準拠シ之ヲ戦闘組織ニ転移セシム 一、状勢急迫セハ戦場トナルヘキ地域ノ国民義勇隊ハ軍ノ指揮下ニ入リ夫々郷土ヲ核心トシ防衛、戦闘等ニ任スル戦闘隊ニ転移スルモノトシ之カ発動ハ軍管区司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官ノ命令ニ依ル」云々とあって、また、これに関係いたしました文書がありますが、それがあるわけです。これが第二の段階です。組織はもう六月にでき上がったわけですが、その前に四月の段階でこの重要な閣議決定があるわけです。この閣議決定については本援護法は引用しておりません。これは、ことさらに避けておるわけです。  そこで、この「状勢急迫セル場合ノ戦闘組織」四月十三日の閣議決定と三月二十三日の閣議決定の「国民義勇隊ニ関スル件」国民義勇隊、その関係は法律上あるいは事実上どうなっておったのかという点について、恐らくなまはんかな理解だと思うけれども、ひとつ答弁をしてもらいたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 御指摘のように十分お答えができますかどうか、あれでございますが、三月二十三日の閣議決定によりまして、国民義勇隊組織はここで基礎を持ったわけでございます。それで、四月十三日の「国民戦闘組織ニ関スル件」の閣議決定は、これは六月の義勇兵役法の前段階であるというように考えられます。と申しますのは、この中で「右ノ為兵役法ニ規定スル者以外ノ帝国臣民モ新タナル兵役義務ニヨリ「兵」トシテ動員シ統帥権下ニ服役セシメ得ル如ク必要ナル法的措置ヲ講ス」ということをこの閣議決定で決められておりますので、法的な措置を講じたところで初めて国民戦闘組織ができ上がる。要するにつくり得るものになる。要するに法制的に整備がされるということになりますので、それはこの閣議決定、四月十三日のものは、それに至る前段階であるというように考えていいのではなかろうかというように思います。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 それは私、特徴的な閣議決定だけを申し上げたのですが、その前後の閣議決定から考えてみまして、そういう解釈ではないのです。そんなものは、法律をつくるのだったら黙って法律をつくればいいのであって、法的な措置を講ずるということも一つの項目ですよ。事実認識はそうではなしに、事態がどんどん進んできたから、これは閣議決定だけでは処置できない、こういうことが明確になったから、法律をもつくるのだということで体制を進めていったというふうに考えられる。これは前の閣議決定や三月二十三日の閣議決定でもそのことが言われておるわけです。  つまり、私が前に引用しました閣議決定で、この文書にはありませんけれども、これは安倍源基内務大臣、この警察を担当しておった内務大臣が、鈴木貫太郎内閣総理大臣に四月二十七日に送りました「国民義勇隊ノ組織運営指導ニ関スル件」についての文書の中に「状勢急迫セバ戦場トナルベキ地域ノ国民義勇隊ハ其ノ侭戦闘隊ニ転移スベキモノナルニ付国民義勇隊ノ組織、編成等ニ関シテハ」というふうに確認をいたしておるわけです。そして明確なことは、その閣議決定にもありますように「戦闘隊組織ト国民義勇隊組織トハ表裏一体タルモノトス地方長官ハ軍管区司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官ノ指示スル所ニ基キ義勇隊組織ニ付戦闘隊転移ヘノ準備態勢ヲ整備スルモノトシ右軍事訓練ハ軍管区司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官ノ担任トス」訓練までぴしゃっと決めてあるわけです。戦闘隊転移の国民義勇隊は目標を持って組織したわけだから、それをずっと進めて訓練をしたわけです。竹やり訓練から何からやったわけだ。  ですから、それは単なるあなたが言うようなことではないわけです。あなたが認めておるように、国民義勇隊と戦闘隊組織というのは、義勇兵役法の名前とは必ずしも一致しませんよ、しませんが表裏一体なんだ。義勇隊は即戦闘隊なんだ。戦闘状況が発生したならば、大空襲や本土上陸、艦砲射撃等があったならば、一戦あったならば国民義勇隊はそのまま戦闘隊に移行するのだ、こういう確認のもとに閣議決定をいたしておる。それで必要な法的な措置を講じようということですから、それは法律をつくりましょうという閣議決定ではない。そんなことを閣議決定するものはおらぬ。ですから、これはあなたの、第一段階と同じように認識の違いです。  そして国民義勇隊の第三段階があると私は思うのです。これについては少し議論になるわけですけれども、国民義勇隊の第三段階は、この文書の第一面にある義勇兵役法について六月二十二日に即日公布をしたわけですが、これは大空襲下において最後の議会が昭和二十年の六月の九日の土曜日から、空襲があった日曜日を置いて十一日、十二日と三日間開かれた、そしてそこで義勇兵役法、この法律を決めた、これは非常に簡単な法律です。また、これに付随をいたしまして、国民義勇兵役に関する軍刑法の適用の法律がある。そして一斉に勅令や省令やすべてのやつを出したという文書を私は持っておるわけです。  だから、非常に明快に兵役法に並ぶ国民の兵役の義務としての義勇兵役法を設定いたしたわけです。第二条は年齢です。男は六十歳、女子においては四十歳、ここには書いてありませんが、志願兵制度を認めるということで、重度の障害者以外は全部戦闘配置につく責任を持たせた。そして第五条は「義勇兵ハ必要ニ応ジ勅令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ召集シ国民義勇戦闘隊ニ編入ス」こういうことがあるわけです。  そこで私は、どういうふうな状況の認識をしているかということをお聞きしたいわけです。そういう義勇召集についてどのような手だて、手続をもってやるのか、これは法制局あるいは厚生省その他でいままで議論をしたところですが、それについては具体的にどういうふうにしてやるのだということを決定しておるのか。情勢が急迫して大空襲、敵前上陸あるいは艦砲射撃がある。浜松なんかは二十名近く艦砲射撃でやられておる。そういう状況になった場合に、国民義勇隊はすぐ内務大臣、知事あるいは自治体の長あるいは軍と協力いたしました義勇隊から切りかえまして戦闘隊に転移をしていく。そして軍の指揮下に入っていく。いつでもそれができるような訓練をするというやつをずっとやってきた。  そこで、そういう状況の中でやってきたわけですが、どういう方法をもって召集下令をしたかということで、法制局や厚生省はよく知らぬから断定しなかったけれども、そこに疑問を投げかけてきておったわけです。どういう手続で召集下令をやったのかという点について、ひとつお答えをいただきたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 義勇兵役の中におきまして、先生いま御指摘の第五条におきまして「義勇兵ハ必要ニ応ジ勅令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ召集シ国民義勇戦闘隊ニ編入ス 本法ニ依ル召集ハ之ヲ義勇召集ト称ス」ということがございます。そしてこの義勇召集を行う召集につきましては、義勇兵役法の施行令の第三章に召集という章がございまして、そこの十一条を読んでみますと「義勇召集ハ主務大臣ノ定ムル方法ヲ以テ之ヲ本人ニ通達ス」ということがございます。その通達の方法は文書、または緊急の場合には口頭でよい、ただし、それは事後に上級機関に報告を必要とするということになっておったわけでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 戦争中最後の帝国議会において、委員会をつくりまして審議をいたしました議事録がここにあるわけです。その中では、やめられた森田重次郎氏が非常にたくさん発言をしている。これは青森の人ですね。それから加藤鐐五郎君が委員長です。それから保利茂君がやはり委員です。中原謹司君も委員です。濱田尚友君その他ずっとおります。そして内務政務次官が窪井義道君です。非常にたくさん発言をしているのが芝山兼四郎陸軍次官と兵務局長那須陸軍少将で、それをやっておるわけです。それは、いま局長が言ったようなことは言ってないのです。いざというときにはそんなことでは間に合わぬと言っているわけです。これは文章だけ見ていても、実際は例外が主になっている。だから私は、内閣法制局にも読んでおけと言ったんだけれども全然読んでない。  これは大臣、手元にある新聞の切り抜きの3のところを見ますと、これは六月十二日付の新聞ですが、議会の審議の模様についてその一部がダイジェストしてあります。議事録は詳細なのがあるが長いから読みません。そこで森田氏が「戦闘隊組織と義勇召集実施の時期をどう定められるか」というふうに質問したのに対しまして、那須兵務局長は、上段の左の方ですが、「戦闘隊は陸海軍大臣の認可を得て軍管区司令官が編成を下令し、右下令をもって召集の時期とする 召集方法は簡単を旨とし、隊員の所要の届出でも口頭とするを原則とする 地域的に編成下令する具体的な場合は一々豫め徹底は出来ないが空襲激化などの兆候に徴し」、云々、こういうようにやっているのですが、これを繰り返し巻き返し質疑応答しておりまして、もう口頭で簡単にやるのだ、召集だと言って召集令状を出すのじゃないのだ、時期を失するではないか、戦闘隊をつくれ、いやそうじゃない、義勇隊をつくっておけば戦闘隊と同じだ、状況が来たならば、軍が命令を出したならはこれは戦闘隊だ、こういうふうに繰り返しやっておるわけなのです。  そこで、先ほど議論しました、森井委員の議論にも関係いたしますが、国民義勇隊が義勇戦闘隊に移行した事実がないではないか、少ないではないか、いままではなかったではないかというふうに言ったわけですが、私の解釈は、三月の閣議決定と四月の閣議決定を通じまして、戦闘隊に移行する状況にいつでもあった。その訓練もしておった。そして具体的に戦闘隊下令をしたのは、常時軍の指揮下に体制を整備する必要のあるものに限定をした。  そこで、この新聞にも出ておりますが、5です。厚生大臣、これは後で問題になりますから見ておいてください。これは義勇戦闘隊についての情報です。これは、いよいよ八月六日に近づいたときですね。  たとえば、七月二十三日付の新聞によりますと、鉄道義勇戦闘隊を編成し終わりまして、当時、堀木氏が隊長になっております。その下には、広島鉄道連合義勇戦闘隊が二十七日に初召集をされております。右には、これは準軍属ではない、軍属ですが、船舶義勇戦闘隊を編成しております。一番下を見てください。これは七月二十四日付の新聞ですが、「着々編成さる義勇戦闘隊 生産・防衛の増強に鉄の筋金 鉄道・逓信につぎ」云々、こうあります。  これについては、皆さん反論する人があるかもしれない、けさほどはちょっと違っておることを言っておったから。しかし、そういう答弁をしたらもう一回私は反論する資料があるからね。  とにかく、電信電話や鉄道や、これは民間の鉄道もそうです、そして船舶は海軍、これが常時、軍のかっこうの本土決戦の命脈になるのですから、そこで、これを戦闘隊に編成下令したわけです。召集下令したわけです。軍が指揮をして、そのもとで鉄道省やあるいは逓信省が仕事をする。船舶運営会というのは特殊法人ですが、そういうことで完全に交通コミュニケーションを掌握した。その中の一部がいま問題となっている、森井委員がけさほどからも提起をし、われわれがずっと前からやっておる逓信義勇戦闘隊です。職場では動員学徒もおったし、あるいは雇用人で軍の指揮下に入った、こういう本来の職員もいたわけです。全部はち巻きで一緒にやっていたわけです。これは戦場なんだということで、軍隊と同じなんだと言ってやっていたのであります。  ですから、こういう問題は、完全に現行法からもアプローチできるし、あるいは共済の不備からもアプローチをすることができる、そういう点においては、これは厚生大臣の政治的な決断をすべき問題である。  そういうふうに、いつでも戦闘隊に移行できるように、義勇兵役法が勅令やあるいは軍刑法の適用をする勅令や省令を全部整備いたしまして、そして閣議決定が済んで、その体制で最後の敗戦を迎えたというのが、私は義勇隊に関する問題点である、こういうふうに思っております。  こういう問題は、戦傷病者戦没者遺族等援護法、本援護法の第一条、第二条の趣旨からも、どういう点から考えてみても、軍との命令、服従の関係がなかったということの断定は全然できない。  ただし、私が言ったように、これらに対する措置をとる方法はいろいろな方法がある。それはいままでの経過、既成事実を尊重しながら、やはり政策については、いろいろな方法があるだろうが、やはりこの援護法を整備することと、それからもう一つは、原爆の後障害や放射能障害や、原爆が特殊の爆弾だという、これは終戦の詔勅にもあるし内閣の告示にもあるわけですが、これが降伏の一つの大きな契機ですから、そして身体的にも大きな後遺症を及ぼしていますからね。これはいまだって、これとは全然違うけれども、有機水銀とかカドミウムとか、それによる公害の補償だって一千万、二千万単位でやっておるわけです。しかし私は、そういうことを一々いまのところでは言わない。言わないけれども、議論をしないけれども、ともかくもその領域と一般戦災者の領域についてしかるべき国としての措置をとるということが、やはり戦争の処理について国民の理解を得る道ではないか、こういうふうに私は思っている。立法のやり方や技術、方法、段階についてはあるのでありますが……。  もう一つ、一般の戦災や広く国民の立場について議論をする点は、これは私もずっと議論いたしまして、昭和四十九年に初めてやりましたが、警防団、医療従事者、これは準軍属の中に入れました。これはこの中に入っている。準軍属として警防団、医療従事者がある。それをずっと広げましたら、隣組と職場の防空に入ってきます。それで義勇隊と重なってきます。情勢が緊迫すれば、義勇隊が主導型になって軍が前面に出ます。そういう一億総武装、国民皆兵の体制を七月、八月の段階ではもうとった、そこで原爆を受けたということになる。その法律関係で、一定の守備範囲を持ってきちっと行政についてのけじめをつけることは、これは役人としましてはやむを得ぬと思うけれども、しかし、その中で私は議論すべき点が非常にたくさんあると思っております。  義勇隊に関する件について閣議決定をここへ引用しているのですが、閣議決定で戦闘動員がされるということ、軍事協力が出されるということ自体も非常に異常なことです。しかし、これでは罰則がないということで、防空法の関係の罰則でも足らぬということで軍刑法の適用になったわけですから、だから国との命令、服従の関係、公務、軍務との関係における命令、服従の関係は否定することはできない。  そういう前提に立って、それぞれの申し上げたような施策をやるべきだという点を、これは総論としまして、渡辺厚生大臣、このいまの段階で、ひとつ感想、見解、所見を述べてもらいたい。あなたじゃない。あなたはもう落第だ。あなたの答弁は落第だからだめだ。あなたは、いままでの質疑応答でみんなわかった、あれほどよく勉強しなさいと言っていたのに、あなたは落第です。厚生省の役人は全部落第だ。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 大原先生からいろいろな資料を出していただいて御説明を受けたわけでございますが、そういう状態で日本国じゅうがすでに戦闘体制に入ったということになれば、大部分の国民が全部援護を受けるというようなことにもなるわけですね。いまの説明だと、日本国じゅう全部戦闘体制に入っちゃったのだから。ちゃんと指揮命令を聞いて軍の命令下にみんな入るということになれば、日本国民全部援護法の適用になってしまうような話になってくる。  もう一つは、病弱とか、そのほかの人でこの管轄下には入らない、つまり年をとり過ぎたり、年が小さかったり、女の人、そういう人は体が弱いとかいうことでしょうが、空襲になって逃げおくれて爆死したとか、防空ごうに入らないで機銃掃射を受けて死んじゃったとか、そういう人もあるわけですね。うちを焼かれた人もある。  ということになって、そこまで広げていっちゃったのでは、実際問題として政治論としては収拾のつかない話になるのじゃないだろうか。本土決戦という状態になれば、確かにそれは軍の指揮下に入ったかもしれませんよ。部分的にはそういうことがあったかもしらぬ。しかしそれは、実際から言うと、戦争で本土決戦をやるような状態ですからね、そこまで考えて援護法をつくったのじゃないのじゃないか。  それから厚生省の方では、職場にはそういうふうなのもあるけれども、義勇兵役法の具体的な適用は一般市民にはないというようなことを言っておりますが、実際の話が、私もよくわからない。仮に、どこの地区でも消防団から何から丈夫な人はみんな義勇隊組織下に入っちゃったとすれば、それまで援護したり補償したりということになっちゃったら、実際問題としてできないのと同じことになっちゃうのじゃないだろうか。これは政治論ですよ、事実関係はわかりません。わかりませんが、そういうことにもなるのじゃないだろうかというのが印象なんですよ。これだけの資料をどこから見つけてきたか知らぬけれども、本当に大変なことだと思います。  法律的な問題は、私よくわかりませんから役所にも研究させますが、戦争が終わって三十年たって、どうしても不公平でやむにやまれないところがあれば、多少の手直しはいいとしても、援護法とか何かをどんどん広げていくときでなくて、大体一丁上がりという、むしろ逆にもうそういう時期に来ているのではないだろうか。まして高度経済成長が続いて国の財政も豊かでめんどうを見れるという状態でもあれば、全国民に少しずつくれてやるかという話もそれはいいかもしらぬけれども、それどころじゃなくて、一方には重病だ難病だ、やれ生活困窮者だ、やれ医療の負担が多い、国がめんどうを見ろとかいう財政上の問題もありますからね。理屈としてはわからないこともありませんが、現実の問題としては、そこまで援護法を広げていくということは、理屈の上では理があるかもしらぬが、現実的な見方をすれば、なかなかついていけないというのが率直な私の感想でございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 理屈はわかるし、理屈はあるが、実際にはついていけないのじゃないか、こういう話ですね。私が言った範囲は明快でしょう、あなたも援護法の精神からいって無視することはできないでしょう。ただ私は、財産被害について言っているのじゃないのです。援護法も財産被害は言ってないわけです。これは傷病者、遺族、これを中心に援護しているわけです。  最初にお答えいただいたように、当時の日本の本土における死没者は、多いようだけれども三十万から五十万です。恩給受給者その他は、扶助料関係を入れましたら二百数十万です。ですから、あなたが言うような話じゃない、全部の国民を対象ということじゃないわけです。それは財産被害を入れましたら、疎開をしたり、工場閉鎖をして軍需産業だけに集約したり、軍需省ができておったわけだから、そういうこと等を入れましたら、移動したこと自体についても、疎開したこと自体についてもあるわけです。しかし、そういうことはだれも議論してない。人命、健康の被害ですよ。  そういう点から言って、私は、三つの領域について、法律と事実を分けて対策を立てざるを得ぬだろうということを言った。西ドイツは、戦争被害については、早くからほとんど差別がなかった。戦闘員、非戦闘員、軍人その他の差別をつけることはできない。あれはナチスがやった。ナチスをならって日本はやったわけだ。だから私は、特殊性を考えた場合に、政策の領域としては三つあるのじゃないかということを言ったわけです。  現行の援護法は、警防団、医療従事者については、防空法の関係はネグレクトしておったのですが、昭和四十九年に議論いたしまして、本院でも決定したわけです。これがずっと進みましたら隣組まで全部ですよ、包括的に命令を受けたわけですから。最終段階では自由に疎開や移動ができなかった。広島が原爆を受けるころには、七月段階に入りましたら、完全に移動を禁止した。なぜかというと、勝手に疎開したら、空襲を受けたときに空き家が焼ける、あるいは戦争動員、軍事動員に支障があるということで禁止したわけです。  ですから、その関係を考えながら、日本では、私が言っているのは、三つの領域ぐらいは頭に置きながら、原爆被爆者の援護法は援護法として、国家補償が出ないということはないじゃないか、また後で議論するけれども。一般戦災者については、総理府は二千五百万円ほど戦災史の予算を計上して、従来からの戦災史について編集をやろうということで着手をした。二千五百万円、その前は一億一千万円と言われたけれども、それがどこへ行ったかわからぬ。その領域を考えながら、政策については、現在の経済情勢の段階においてやらないと——東京空襲でも片足や両足や両目をやられた人もおるし、隣組の防火訓練や義勇隊の動員の訓練の最中にやられた人もたくさんおるし、これは全部がそうなっておる。ここの資料にある。当時の六月以降の社説とか安倍内務大臣の七月何日かの放送、これは戦闘員と非戦闘員は全然差別がないと言い切っておる。情勢が緊迫したら全部が戦闘員です、私も先頭に立ちますよと言っておる。立ったかどうかわからぬが、そういうことを言っているのです。繰り返してラジオでもやり、新聞でも声明を出し、命令を通じて出したわけだ。そして広島の義勇隊結成は六月にやったけれども、軍が全部の関係者を集め、地域団体、職場団体を集めて、第一線は軍隊、第二線は義勇隊、第三線は中心は軍隊、それで本土決戦へいくのだということを繰り返し訓示をした。そういう中で、生活基盤と自分の仕事やあらゆる権力関係を集中した段階で起きた被害については、やはり十分その実態を踏まえて、軍人や軍属だけに偏るということでなしに、公平にやるべきではないか。総務副長官の所見をひとつ聞かしてください。

村田敬次郎自由民主党総理府総務副長官

○村田(敬)政府委員 先ほど来、大原委員のいろいろの記録等を挙げての御意見、よく承りました。で、総理府では恩給関係のことをいろいろお世話しておるのでございますが、先ほど渡辺厚生大臣からもお答えがございましたように、戦後三十二年を経まして、いろいろそういったことの記録等について、たとえば都道府県あるいは市町村の記録等も徴し、できるだけ法律のもとに拾えるものは拾うという趣旨で検討をしておるわけでございますが、なお、大原先生の意を体してよく検討させていただきたいと思います。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 あと三十分だから、今度は各論に入ります。  戦傷病者戦没者遺族等援護法の主な改正経過という中で、昭和二十八年、軍人恩給が復活した年ですが、そのときに船舶運営会所属の船に乗っていた船員を軍属の範囲にしたわけですね。それはどういう根拠と、どういう実態であるか、何人いるか。     〔戸井田委員長代理退席、委員長着席〕

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 船舶運営会という特殊法人で、当時の船員さんはみなその中に属したわけでありますが、実態上、軍の指揮下に入って、軍に関する業務を行うという実態があったからでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 適用対象は何人。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 現在給付金を受けておられる方は一万四千七百人、障害年金を受けておられる方は百十三人でございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 つまり、遺族年金を受けている人が一万四千人余りで、あとは障害年金、こういうことですね。  で、この船舶の所有権はどこにあったのか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 ちょっと調べてみませんので……。いま調べておりますので、しばらくの御猶予をいただきたいと思います。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 それは常識なんですよ、私が言っているのは。それははしょりましょう。つまり、国有であろうが民有であろうが、船舶運営会を組織したわけです、特殊法人の。だけれども、趣旨は、国民義勇戦闘隊の件で申し上げたように、召集下令があったように、船舶運営会とそれから鉄道と逓信は、これはもう義勇隊召集をやったわけです。  そこで、質問をさらに進めてまいるわけですが、これ以上は、あと政治的にやってもらわなければならぬから、役人だけと質疑応答をしておったのではだめですから突っ込んでお話ししませんが、その点はひとつ速やかに結論を出してもらう。  そこでもう一つは、広島、長崎が当時、特に広島が問題があるのですが、そういう国民義勇隊とか動員学徒とか、あるいは防空法関係の警防団、医療従事者というふうな人々の適用に当たって、実際に公務をしていたかどうかということが議論になっているわけです。それを、広島の原爆の投下のような場合にはどういう解釈をするのですか。これは政府委員でよろしい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これは、そのときに業務に従事しておられたかおられてないかということについては、当時の資料を得にくいものも非常にございますが、いろいろな資料あるいは当時の生存者の証言その他を得まして、総合的に判断をするということが必要になってくるケースが多いわけであります。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 どういう判断、どういうことに基づいてですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 当時の生存者の方々、あるいは当時の会社における従業員の使用状況その他の記録、あるいは正確な証言を得た場合に、それらを根拠にして整理をしていくということでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 それは公務に従事中ということについての判断ですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 そのとおりでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 これは大臣も聞いておいてもらいたいのですが、広島に原爆が投下されたときには警戒警報が解除になっていたのです。B29がきわめて高いところから飛んで入ったわけです。警戒警報が解除になっていたのです。警防団でも医療従事者でも、あるいはその他義勇隊の行動にいたしましても、警戒警報が解除されておったわけですよ。解除されておって、抜き打ちでやられたわけですよ。警戒警報が出ておりますと今度は配置につくわけです。言うなれば防空配置、戦闘配置につくわけですね。それが解除されておるところをやったわけです。そこで適用について問題がたくさんある。朝八時十五分ですから、帰っておるわけです。これは労災法と同じように、通勤途上については援護法は適用しているわけです。しかし、自宅で待機しておるというふうな場合には、これは適用がむずかしい、あるいは資料がないというようなことでずいぶんなされていない場合があるわけです。しかし、大体警戒警報が出されないということは、一体これは国の責任じゃないかと私は思うけれども、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 警戒警報の発令その他について錯誤が出るということはあり得ることであったと思います。しかし、それと、防空従事者が現実にその公務に従事していたかどうかということにつきましては、これはおのずから別個の観点から答えを出さなければならないということになります。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 つまり、警戒警報が発令をされたら直ちに配置につく。警防団、医療従事者にいたしましても、国民義勇隊の場合でもそうですよ、これは防空もやるのですから。警防団と密接に連絡をとりながらやるわけです、八月六日の段階では軍が実際上掌握しておったわけですから。そうすると、義勇隊の戦闘体制もこの防空体制と一体だったわけです。だから、自宅に待機しておる場合に事故が起きた場合でも、やはりそれは職務の性質においてあるいは仕事の性質において、当時の状況においては、私はそういう公務の通勤途上と同じような考え方の範疇に入るべきではないか、こう思いますが、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 その点につきましては、軍人軍属等の公務に関しましても、営外居住で、公務を離れて自宅におるといったような場合に同様の事故に遭った場合におきましては、その死亡事故あるいは負傷事故につきましては公務性を認めることはできないということがございます。それと同様でございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 なかなか四角四面な答弁だね。軍人の場合だったら、営内居住の場合はこれは適用になるでしょう。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 営内居住の場合におきましては、適用されるはずでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 営外で官舎におったらどうですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 官舎の場合には適用をされないと承知をいたしております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 しかし、軍人だったら、戦闘は夜の間にもあることですから、そうすると、帰っておって、いつでも出てこいという待機の状況にある場合にはやるのじゃないですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 待機の間ということで、御指摘のように営外で居住する場合におきましても地域を限定をされておったということはあったと承知をいたしておりますが、その場合におきましても、自宅におる場合には公務性の適用はない、こういうことでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 地域を指定して、所定の官舎その他におって、いつでも待機、行動できるような状況のときには、それが戦争被害を受けた場合においては公務とみなすのじゃないですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 そうではございません。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 絶対ないか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 間違いないと承知をいたしております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 警防団員に対する準軍属処遇についての設定の時期、ちょっと義勇隊の問題がありましたが、これは昭和十六年の防空従事者扶助令を基礎にいたしまして実施の時期を決めておるというふうに言うのですが、しかし、ここにも資料がありますが、警防団令が設定された昭和十四年四月からこの警防団、医療従事者について、これを準軍属として処遇する制度にしなかったのはどういう理由か。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 昭和十六年の改正の規定によりまして、地方長官から防空従事命令を受けて公共の防空に従事中死亡した警防団員について、昭和四十九年から援護法上処遇の対象としておるわけでございますが、これらの者は、従事令書の交付によりまして従事命令が下され、義務違反を起こした場合にはそれに対して罰則が科されるというように、国の強い強制力のもとに従事をしていた者でございます。他方、その以前の旧防空法の場合におきましては、一般の警防団員はこうした旧防空法の規制を受けていない。すなわち、十六年以前の者につきましてはこういった事情がございませんので、その処遇が困難であるということでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 警防団令は、昭和十二年につくった防空法と同時にやったのじゃないですか。旧防空法の中の一つとしてやったのじゃないですか。それで勅令でつくったのじゃないですか。——一番わかっているのが答弁せい。わからぬのが答弁してはだめだ。

佐藤良正厚生省援護局援護課長

○佐藤説明員 旧防空法は昭和十二年に初めて公布施行になりました。それから警防団令につきましては昭和十四年と承知いたしております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 警防団令は、防空法の中の具体化として勅令で決められた。したがって、防空法の中での警防団であって、警防団を準軍属の対象とする場合には、十四年警防団令ができたときにさかのぼって、訓練その他しているわけですから、そういうことをすべきではないか。

佐藤良正厚生省援護局援護課長

○佐藤説明員 先ほど局長から申し上げましたように、防空法と警防団は一応別個の体系でスタートいたしております。それで、両方ともがジョイントいたした時点が先ほど御説明申しました十六年の改正規定でございまして、ここにおきまして初めて従事令書等の交付によって警防団の防空法の位置づけがなされた、こう了解いたしております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 この厚い資料、皆さんも持っている、私も持っているけれども、ここの防空従事者扶助令によると、第二条には「一 防空監視隊員」、「二 警防団員」、第三は「防空法第六条第一項又ハ第二項」云々、第四は「防空法第九条第一項ノ規定ニ依リ防空ノ実施ニ従事スル者」、第五、第六、第七があって、「応急防火」から「防空計画ノ設定者ノ従業者」ここまであるわけです。こう防空従事者扶助令にはちゃんと一本で決めてあるでしょうが。これは防空業務に対する扶助規定なんだ。防空法と別個のものであるという考え方はどこから出てくるのか。

佐藤良正厚生省援護局援護課長

○佐藤説明員 先生御指摘の扶助令につきましては、傷疾、疾病の療養等の、警防団の活動につきまして後顧の憂いをなくして防空に協力する、こういう趣旨でできたわけでございまして、その対象といたしましては、先生御指摘の防空監視隊員とか警防団員とか、その他応急防火従事者とか自衛防空従事者とかが含まれておりまして、ストレートのコネクトということには必ずしもならないのじゃないか、こう思っております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 この援護法の法律で、警防団、医療従事者を四十九年に入れたときの条文を読んでみてください。

佐藤良正厚生省援護局援護課長

○佐藤説明員 四十九年の改正におきましては、旧防空法の六条一項もしくは第二項の規定により防空の実施に従事中の者を対象に加えたと理解いたしております。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 それが警防団でしょう。警防団、医療従事者がその中に入るということでしょう。

佐藤良正厚生省援護局援護課長

○佐藤説明員 御指摘のとおりでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 それであるならば、旧防空法とは別な警防団令は、勅令は別の体系じゃないですか。

佐藤良正厚生省援護局援護課長

○佐藤説明員 先ほども申し上げたとおり、警防団令と防空法は別個に発足いたしておりまして、昭和十六年に初めて、防空法の改正によりまして、防空従事命令を受けた警防団等が処遇の対象となったということでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うんだ。何だ、そんなこと、法律にはちゃんと防空法と書いてある。そして警防団を適用しているんだから、警防団令を設定した十四年にやりなさい、こう言うのがなぜ悪いんだ。そこへいけば別のことのように言っている。法律の体系はちゃんとそういうふうになっているじゃないですか。それは幾ら事情を知らぬと言っても、そのぐらいのことはわかるはずですよ。大臣、答弁してください。

佐藤良正厚生省援護局援護課長

○佐藤説明員 先ほど、何回も繰り返して申し上げておりますが、防空従事者を防空法の改正規定により十六年に防空法の体系に取り入れた、こういうことでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 そういう体系に取り入れたというのは、当時の事情を見れば、勅令は防空法と関係なしにできたのじゃないですよ。まさに防空法の六条の一項、二項だ。防空扶助規定も一本でしょう。だからそれを、十六年を十四年の実施にするということは当然じゃないですか、警防団を入れる場合に。それは後で、いまは議論だけにしておきます。  それから、警防団従事者だけでなしに、軍属と準軍属との差別扱いの問題ですが、これは格差があるのではないか。たとえば障害者については目について準軍属を外してある。あるいは一時再婚の場合ですね、再婚解消妻の場合の扱いというものが準軍属と軍属の差がある、こういうことは事実であるかどうか、あるいはほかの方を差別を解消したってここだけ格差があるのはおかしいのではないかということ。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 再婚解消の妻に関しましては、援護法においては、軍人恩給停止後の遺族の特別の事情にかんがみて、一定期間内に再婚を解消した戦没者の妻等に遺族年金等を支給しておるものでございますが、その際におきましては、軍人軍属と準軍属との間に処遇の差は設けておりません。  それから第二番目の国鉄の運賃の無料の件でございますが、原則として、戦傷病者とは款症程度以上の障害を有するものでいうわけでございますが、それよりも軽い目症のものでございましても、軍人、準軍人につきましては、恩給法により傷病賜金が支給されております者につきましては、その実情を勘案して特別にその範囲に含めて、目症の方々にも国鉄の無賃乗車船の援護の対象にしたわけでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 それから、これは附帯決議にもしばしばあるのですが、昭和四十九年に警防団、医療従事者を準軍属として処遇したわけです。しかし、戦後ずいぶんだっておりますから、資料を整備したり、実際の手続は非常にむずかしい。そういう事情を十分勘案して親切にやれ、十分配慮せい、こういう決議をしばしばしたわけです。しかし、お答えいただきたい点は、いわゆる申請をしても却下された人数。それから、これから異議申し立ての道については時間的な制限があるかどうか。第三は、さらに積極的に親切にこの問題をやるべきではないか。事情を聞いた上でこういう点が足りない、こういう資料を出してください、こういうふうに個々別に親切に指導すべきではないか。第四は、これらの審査の手続が完了するのはいつか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 警防団、医療従事者として特別支出金を受けた方で援護法の年金の申請を得られました方は、警防団について申し上げますと、亡くなった方の遺族につきましては、特別支出金をもらわれた方は二千六百三十一人でございますが、援護年金の申請をされた者はそのうちの千九百二十人でございます。却下をされましたのは百四十五人。障害者につきましては、特別支出金をもらった方が七百七十七人、援護年金を申請された者は百九十五人、却下された者は五十六人ということになっております。申請者が非常に少ないことにつきましては、死亡者の遺族につきましては、三親等等で年金の該当者でない者も特別支出金はもらっておられます場合がございます。それから障害者につきましては、目症程度の軽い方でございますと年金がもらえないということがございますので、そういう意味で初めから申請をされないという方がございます。なお、年金の却下につきましては、個々にいろいろな事情がございます。たとえば亡くなった時期が戦争後二十年を経ておって、そのときに脳溢血で亡くなったというふうな場合に、お医者さんの判断を得まして、これは公務とは関連が少ない、ほとんどないと断定されるものについては却下されるということもございますが、一つ一つ事情が違うわけでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 それで平病死の例もあるわけですけれども、関連疾病とか平病死とかいうふうに、軍人軍属等についてはだんだんと範囲を拡大してきたわけです。ですから、そういう事情も考え、時間がたっていることも考えて、積極的に親切に事情を聞いた上で、資料が足りない者は、年をとっているようなことがあるから、従来から議論をし、決議をしたとおりに十分な配慮をして、権利の上に眠る人がないような措置をとってもらいたい。厚生大臣からいまの点……。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 大臣からお答えいたします前に事務の実情を申し上げますと、その点につきましては私どもも、少ない人数の中ではございますけれども、できるだけ申請者に対しまして、いろいろな形での資料を集めるように、そして私どもの方もできるだけ知恵をおかしするということで努力をいたしておるつもりでございます。また、時効になる者につきましては、できるだけそのようにならないようにいろいろな配慮を加えて努力いたしておるつもりでございます。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 だから、積極的にさらにやりなさい。やる意思がありますか。それこそ大臣ひとつ……。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 ただいま援護局長が答弁したとおりでありまして、積極的に一生懸命やります。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 厚生大臣、総務副長官、きょう質問いたしました主な点は、戦後、占領軍との関係その他で、戦争犠牲者で本法の趣旨に沿うたそういう者であってもやはり国家の補償の対象からネグレクトされている、そういう人々がいる。たとえば原爆の問題でも、原爆を投下したことについて触れることはアメリカとの関係ではタブーだった時代がある。ですからことさらその問題の資料は出なかった。一般国民についても、やはり一億総武装、一億皆兵の体制で、まさに三月十日、あるいはその前で言うならば、沖繩においては十次空襲で十九年の十月十日、それから沖繩にアメリカ軍が上陸して以降は、まさに本土は軍と警察の指導下で総動員体制であったわけです。ですから、その法律関係と事実関係について私は調べるだけ調べた。厚生大臣は、まあ厚生行政についてはいままでここで議論をずっと重ねた蓄積がないからやむを得ない点もあるが、勘はある程度いいということは認める。ある程度認める。そこで私は、そういう問題となった問題点については決断すべき点は決断する、そしていままで隠しておった点についても出すべき点は出して、そうして、私は大体三つの領域に分けて議論をいたしましたが、非常識なことは言ってないはずだ。財産被害まで私どもは言ってないはずだが、ともかくもこの施策については万遺憾なきを期してもらいたい。総務副長官の方はやや守備範囲が小さい点もあって前向きの答弁であったが、厚生大臣の最後の明快な答弁をひとつ求めまして最後の質問にいたします。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 明快と言われましても、いますぐに明快に言ってしまいますとそれは御期待に沿わないような答えを言ってしまうかもわからない。私としては、先生が調べたのは一つの見識だし、そういう考え方が私はあると思うのですよ。あると思うけれども、援護の問題について、それをやると今度はこれに類似したような話がまたすぐ出てくることになります。だからそういうような点も考えて、これは私としては、どうしても不公平だというようなもの、制度上きちっとなっていて落ちこぼれがあるというような話については検討してもいいけれども、一般戦災者を含めたような形の、たとえばそれが財産以外の身体に関するものであってもそこまでは……。援護法はもともとそこまで考えなくて、恩給や何かの落ちこぼれとか、それで直接救えなくて、しかもそいつに類似した行為をやっているというようなものをしょせん拾うためにつくった法律だと私は思います。したがって、その限界の範囲内でやるべきであって、私は、ここへ来て余り広げることは本当は余り賛成しないのですよ。ですから、厚生省としてもどういう見解をとるか。法律的な問題事実上の問題等については、それは冷静に、しかも謙虚に一遍検討してみます。みますけれども、いつまでもいつまでもこういう話が延々と続くということよりも、どこかできちんと整理をつけるものは一遍整理をびしっとつけたらいいんじゃないか。そういう時代に来たんじゃないかという気が私はいたします。

大原亨日本社会党

○大原(亨)委員 そういう意味において私はきょうは質問したわけです。やはり虚心坦懐に、ひとつ大臣もそういう性質だから虚心坦懐に議論をして、一つの前向きの結論を出してもらうということを要望しまして、私の質問を終わります。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 森井忠良君。

森井忠良日本社会党

○森井委員 午前中に私が質問を留保いたしました旧逓信雇用人の年金化につきましては、質問で指摘しましたように、きわめて深刻な問題であるにもかかわりませず、納得のいく答弁が得られておりません。しかし、もうすでに、答弁にありましたように、遺族は七十六歳、もう待てないという状態であります。したがって、本問題につきましては、委員長において昭和五十三年度から実施するための方策をぜひひとつ御検討を願いたい。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 午前中の質疑の際、森井君の提起されました問題、委員長としても何らかの解決をこの際見なければならないものと考えております。しかし、森井君の御指摘のように援護法の体系の中でこれを処置することは困難であります。そこで、委員長としては、それこそ現行制度の中で今日そのままの体制ではそれを実施することは無理であることは承知をいたしておりますが、郵政省としても、また電電公社としても、物故された先輩に対する哀悼の意を表するためにも、国家公務員共済、また公企体共済のうちにおいて何らかの方途を講じて、これに対しての解決をすることが最もふさわしい形だと考えております。  そこで、郵政省及び電電公社並びに国家公務員共済を主管される大蔵省に対して、委員長としてこの際要請をいたします。両共済制度のうちにおいて、この旧逓信雇用人遺族の問題に対する決着をつけていただきたい。そのための方策、また予算措置については、五十三年度概算要求締結までにそれぞれ所要の措置を完了していただきたい。そうしてそれをもってこの問題の解決といたしたい。そのように思います。  森井委員の同意が得られれば、そういう形で私は各省に対して申し渡したいと思いますが、いかがでしょう。

森井忠良日本社会党

○森井委員 立法技術については郵政省並びに大蔵省に御一任いたしますが、旧逓信雇用人の年金化については五十三年度から必ず実施できるように、できれば関係当局から御答弁をいただいておきたいと思います。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 私もそう思います。郵政省、電電公社、そうして大蔵省の順で、順次いま私から要請した点についての意思をこの際確認をしていただきたい。

深海司郎郵政省人事局厚生課長

○深海説明員 ただいま委員長からお話ございましたことにつきまして、郵政省といたしまして、委員長の趣旨を体して今後努力をしてみたいと思います。

長谷川実日本電信電話公社厚生局長

○長谷川説明員 ただいま委員長からお話のありました点につきましては、私ども帰りましていろいろ検討いたしまして、実施の方向に沿うようにやってまいりたい、こういうふうに考えております。

松下康雄大蔵省主計局次長

○松下政府委員 よく承りましたので、御趣旨を体して十分検討いたします。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 そうすると、確認をしますけれども、郵政省、電電公社から、それぞれの予算措置等について出てきた場合、大蔵省はそれを受けてきちんと作業を進めてくれますね。——それではそのとおりに……。(「答弁、答弁」と呼ぶ者あり)うなずいただけじゃだめだって、言葉でちゃんと言えって……。

松下康雄大蔵省主計局次長

○松下政府委員 そのようにいたします。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 ではそういうことでこの問題は終わりにいたしたいと思います。  草川昭三君。

草川昭三公明党・国民会議

○草川委員 私は、先々回行われました三月二十三日の本委員会における国鉄当局の答弁に重大な問題がございますので、委員長に対する調査方の要望を申し上げたい、このように思います。  実は三月二十三日、本委員会におきまして、私は国鉄の解雇処分者の再雇用、和解問題についての質疑を行いました。その際、国鉄当局の橘高職員局長の答弁の中に、事実問題についての明らかに間違いな点があるわけでございますので、それをひとつ解明をしていただきたいと思うわけであります。  私はこの委員会の中で、国鉄当局の解雇処分者の再雇用の和解というものについては、国鉄の労働組合とはこれで非常に円満な解決になるわけなので、それを体して将来の労使関係の円満化を求め、同時に、しかしそのことは他の組合にとってはそれは非常に耐えがたい問題がある、そのことについて職員局長としてどういうような対応策を立てられておるのかという質問をしたわけであります。そのときに国鉄の職員局長は、確かに御指摘のような問題もあるが、当該の組合とは何回か議論をして、「お互いに、この事件の取り扱いについてはこれを今後の労使関係の改善に役立てるように努力しようという覚書を交換しました。」こういうことを発言をされたわけであります。これは、きのう速記録が入りましたので、確認をして、速記録に基づいて私はいま発言をしておるわけであります。  ところが、事実は、当該の組合の方々と国鉄当局との間には覚書が交換をされていないわけであります。なるがゆえに、私は、この質問の趣旨といいますものは、当該の組合の方々との話し合いが十分いっておるのかどうか、そういう中でかえってアンチアクションというものがあるのではないかという心配から質問をしたわけでございますが、当局は、この言葉のとおりに、覚書を交換して一件は終わっておるというような発言をされてみえるわけでございまして、関係者の方々にもこれは多大な、重要な影響を与えることになっておりますし、また私自身も、当局の方から話し合いがついたというように受け取り、この議事を進めていったわけでございますので、当局の答弁というものは非常に問題がある、私はこう思っておるわけでございますので、ひとつこの際、今後の審議の問題等もあるわけでございますから、委員長の方から、事実経過というものを十分御調査の上、私どもの方にお答えを願いたい、この趣旨で発言を申し上げたわけであります。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 これは、私がちょっと確認をいたしますけれども、その答弁をしたのは国鉄の職員局長ですか。

草川昭三公明党・国民会議

○草川委員 橘高職員局長であります。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 これは発言が誤ってなされたのか、あるいはそれこそ完全に虚偽の委員会における答弁をしたのか、いまお話を伺ったばかりではちょっとわかりませんが、いずれにしてもその事実関係をこれは私の方でも調べてみたいと思います。そして、もし仮に、その政府委員あるいは説明員の人たちの答弁が本委員会をわざわざだますようなやり方がされているとすれば、これはやはり委員会としては問題ですし、そのままにするわけにはいきません。その事実関係が明らかになりました時点で、理事の方々にも御相談をして、しかるべき処置をとりたいと思います。

草川昭三公明党・国民会議

○草川委員 以上です。よろしくお願いいたします。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 次に、平石磨作太郎。     〔委員長退席、斉藤(滋)委員長代理着席〕

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 厚生大臣にお聞きいたします。  シナ事変並びに大東亜戦争で戦地に動員された看護婦さん、これは内容的には陸軍看護婦、それから日赤から派遣された救護看護婦、この人員はどのくらいあったか、お聞きしたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 ちょっとお待ちいただきます。すくに出てまいりますから。——日華事変以後陸海軍に召集されました日赤救護員は延べ約三万三千人、実数では一万人と推定されております。そのうち死没者が約千五百人ございます。なお、陸海軍のものにつきましてはまだ一応数字がわかっておりません。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 いま御答弁にありましたように、約三万三千人の看護婦さんが戦争に動員をされております。  そこで、戦後、中国あるいは戦地において抑留されて引き揚げられた看護婦さんは何人か、お示しをいただきたい。

手塚康夫総理府恩給局恩給問題審議室長

○手塚説明員 日赤の方の調べでわかっている程度でございますが、現在日赤で調べがついておりますのは二十八年の第一次引き揚げから三十五年二月の第十八次引き揚げまでですが、二百七十三名ということでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 私の調べておる数字とはちょっと違うようですけれども、まあそれでいいでしょう。  ところで、こういう看護婦さんで、戦傷病者戦没者遺族等援護法の中で処遇されておる看護婦さん、これはどのくらいおるでしょうか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 日赤の従軍看護婦につきましては、従来から遺族援護法上では陸海軍内の有給軍属と同一視しまして、軍属または準軍属として処遇の対象としております。現在処遇の対象になっている人員は、障害年金で三十名、遺族年金、遺族給与金を合わせまして一千二十五名、合計千五十五名でございます。これは昨年の十二月までの累計でございまして、日赤で調べたものでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 このように処遇がなされておりますが、この処遇になされたのは、やはりこういう看護婦が戦地に動員されたということが根拠になっておるのかどうか、もう一度お伺いしたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これらの方々は戦地または事変地に従軍した方々でございまして、これらの日赤看護婦は陸軍または海軍から給与を支給されておられ、陸軍または海軍の病院、軍医学校等に派遣されて、戦時衛生業務を担当させられた者でございます。その勤務の実態において、陸軍または海軍内の有給軍属と変わりがないというところから、援護法上陸軍または海軍の有給軍属と同じような扱いができるようにしておるものでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 わかりました。  そこで恩給局にお伺いしたいのですが、いま厚生省の方からお答えがございましたように、戦地に動員され、さらに軍から給与を受けて、いわば兵隊と同じような形で戦地に参加しておるということから、援護法では処置されております。そして、これらの処置された看護婦さんは、戦地において傷病ないしは死没した、こういった者に限られておると思うのですが、生きて元気で帰られた、こういう看護婦さんは恩給局の方から処遇されてない。しかも、昭和五十年の衆議院の内閣委員会あるいは参議院の内閣委員会等においては、これらの者について請願か採択されております。「戦地勤務に服した日本赤十字社の救護看護婦の処遇については、旧軍人軍属に比して不利となっている者があるので、その救済処置を図るよう検討すること。」こういう請願が採択されております。恩給局はこれについてどのようにしておられるか、お伺いをしたい。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 まず、検討の過程をちょっと申し上げますと、恩給問題は、御承知のように戦後いろいろな複雑な問題が出まして、それで、これは恩給局でもいろいろの問題について検討しておるわけでございます。たとえば恩給の仮定俸給あるいは傷病者の処遇、そのほかに公務員の範囲と在職年の通算関係、そういうグループがあるわけでございますが、昨年、このグループについてこの問題を真剣に検討しまして、その結果、終戦後非常に大陸、南方等で御苦労なさった方々につきまして、抑留期間、これはかなり長い期間、三十年ごろ帰還された方もございます。そういう方々につきましては、従来恩給公務員期間に通算しなかったのでございます。これを通算することにしまして、予算措置をとりまして、この国会に法案を提出しております。  それから、日赤の看護婦だけの在職年につきましては、これが恩給法上のたてまえが恩給公務員ということで、これは公務員と申しましても、午前中ちょっと申し上げましたが、そういうふうにしぼられた範囲が恩給の対象になっておるわけでございますが、そういう関係がございます。それから、戦後いろいろな問題が出まして、恩給法の周辺に絡まる、たとえば午前中問題になりましたような満州の開拓青年義勇隊、そういう方々もありますので、これは恩給法の問題として恩給法の枠内で処理することは非常にむずかしいと私は思うわけでございます。それから、ことしですか、本年度の調査費もつけていただいておりますので、何か恩給法以外の仕方で処置できやしないか、いろいろな周辺の問題もひっくるめまして研究いたしたい、こういう段階でございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 厚生省にお聞きいたします。  いま恩給局の方からそういう検討中という御返事をいただきましたが、この戦争のときに看護婦さんを召集したという根拠、戦争のために必要なんだから、こういう必要のために召集をしたのは何が根拠か、お伺いしたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 明治三十四年の勅令二百二十三号、日本赤十字社令というのがございます。その第八条におきまして、「陸海軍ノ戦時衛生勤務ニ服スル日本赤十字社救護員ハ陸海軍の紀律ヲ守リ命令ニ服スルノ義務ヲ負フ」という条項がございます。なお、同勅令の十一条に、「陸海軍ノ戦時衛生勤務ニ服スル日本赤十字社救護員ノ給与ハ陸軍大臣海軍大臣ノ定メル所ニ依リ之ヲ官給スルコトを得」というのがございます。また、「日本赤十字社ニ於ケル救護員ノ身分ニ関スル件」という陸軍大臣から日赤社長にあてました通牒が明治三十五年に出ております。これによりますと、「戦時事務ニ際シ陸軍統轄下ニ在リテ衛生勤務ヲ幇助スル其社救護員ハ宣誓若ハ読法ノ式ヲ履行シ軍属トシテ陸軍刑法及陸軍懲罰令ノ適用ヲ受クルモノトス」ということで、処罰も陸軍の刑法あるいは懲罰令の適用を受くるということがここで明示されておるわけでございます。海軍においても同様の趣旨の通達がなされております。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 それでは恩給局にお伺いいたします。  恩給法上の公務員の範囲、この問題がいま出ましたが、公務員の範囲は看護婦についてはどのように決めておりますか。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 恩給法上の公務員の範囲は、原則を申し上げますと、公務員の中で判任官以上ということになっておるわけでございます。したがいまして、看護婦さんにつきましても公務員であれば、判任官以上の方は恩給法上の公務員ということになります。たとえば陸海軍の看護婦長、これは恩給法上の公務員であります。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 そこでお伺いをいたします。いま召集の根拠を示してもらいましたが、この召集の根拠になるものは、いわゆる人権を、侵害と言うたら悪いが、制限するということになりますと、ただ日本赤十字社令という、会社の、会社というか、こういう法人の社令だけではできないと私は思う。この社令は一体何ですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これは勅令でございまして、昔の法律に当たるもので、細かく申し上げるのはあれでございますが、政府が出したものでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 いまおっしゃられたように、これは勅令となっております。旧憲法における勅令はどういう性質のものか。これは恩給局にお伺いいたします。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 どの程度答えてよろしいかわかりませんが、法律の段階から申し上げますと、ただいまの政令に当たるものだと思うわけでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 いま恩給局の次長さんのお話を聞いたら、政令に相当する、こういうお話ですけれども、旧憲法における勅令といまの新憲法における政令とは性格が異なる、これは私は常識だと思うのです。だから、昔の勅令というものを現行の政令というように解釈をするから身分の問題がそうなってくると思うのです。昔の憲法を見てみますと、この勅令というのは、御案内でもございましょうが、主権者である天皇がいわゆる元首として勅令を発布したものです。だからこれは法律に相当すべきものです。単なる政令というような、行政作用とか行政規則とか法を執行するためのものとか、こんなものじゃないと私は理解しておる。ただ、勅令の中にもいろいろ区分はあります。区分はありますけれども、あの九条から出た独立勅令というものはやはり法律なんです。法律があるからこそ看護婦さんを召集するだけの、いわば人権を制限することができたのです。これは帝国議会の協賛は得てないかもしれませんけれども、当時の勅令は次の議会において協賛する、こういうことが旧憲法八条にあったはずです。そうすると、この勅令は次の帝国議会において両院の協賛を得ておるので、これは法律なんです。  それから、いま身分の問題で言われたのは、看護婦もいわゆる看護婦長さん以上は判任官だ、それから下は雇用人であり傭員なんだ、こういう御理解だと思うのですけれども、軍人にこういう区分がありますか。その点、お伺いしたいのです。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 その前に、先ほどの勅令のことになりますが、ちょっと内容が、どういう御質問でどういう答えをしたらいいか見当つきませんでしたが、私が申し上げましたのは、法律の段階でいきますと、現在の法律の次でございますから政令に当たる。旧憲法の勅令の内容は、結局追認して法律になるような緊急勅令ですか、そういうものもございますが、大部分は、法律の執行とか、あるいは法律の委任を受けていろいろなことを規定する、ただいまの政令と同じであろう、こう解釈いたしましてお答え申し上げたわけでございます。  それから、兵につきましては、そういう判任官、勅任官の区別がないではないか、こうおっしゃるわけですが、この兵について軍人恩給が適用になっておりますのは、わが国の恩給制度は、御承知かもしれませんが、軍人恩給を主体として明治八年にできておるわけでございます。そういういきさつがございまして、特に国の危難に当たった軍人を救済するという意味で、当初から兵というものは恩給の対象になっておるわけでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 いま兵については、当初から兵を救済するということでできておる。これについては根拠は格別示されませんでした。  ところで、いわゆる恩給を受給する恩給主体、受給主体といいますか、これは軍人については、私ちょっと調べてみましたら、「旧軍人とは、次に掲げる者をいう」、(イ)として「陸海軍の現役・予備役又は補充兵役にあった者」、それから(ロ)として「国民兵役にあった者で召集されていたもの及び志願により国民軍に編入されていた者」、それから「右の旧軍人のうちで、兵は、他の恩給法上の公務員と異なり、官吏でもなく、待遇官吏でもなかったという特色がある。」  そこでさらにお伺いをしたい。いま勅令の話が出ました。私ここで勅令の説明をすれば時間がかかりますので説明はいたしません。説明はいたしませんが、この勅令の効力について、これは形式的な効力と実質的な効力があるわけでして、形式的には当然、先ほど申し上げたように成立をし、効力が出ておる。実質的な効力としては、いろいろ内容はありますけれども、「命令の内容に基く効力で、其の内容の異るに応じて其の効力を異にするが、命令の内容が法規を定むるものである限度に於ては、命令も其の実質的効力に於ては法律と同様であって、」法律と同様なんです。「国家自身もそれに従はねばならぬ拘束を受くると共に、関係ある人民の権利義務を規律する力を有する。」これが勅令なんです。効力なんです。  そうすると、看護婦さんを召集した根拠は、いわゆる日本赤十字社令という勅令です。そしてその中には、いま答弁にありましたように、第八条において、「陸海軍ノ戦時衛生勤務に服スル日本赤十字社救護員ハ陸海軍ノ紀律ヲ守り命令ニ服スルノ義務ヲ負フ」、それから十条においては、「陸海軍ノ戦時衛生勤務ニ服スル日本赤十字社ノ」後は中略しまして、それぞれのなにが出ておりますが、「看護婦長及看護人長ノ待遇ハ下士官ニ看護婦及看護人ノ待遇ハ兵ニ準ス」と、こうなっている。軍人ですよ。軍属じゃないですよ。しかもこれは法律なんです。  そして、いま厚生省の方から御答弁のありました陸軍の通達を見てみますと、これは昭和十四年七月十七日、陸普四四三八の通達です。看護婦の、「戦時衛生勤務ニ服スル日本赤十字社救護員ノ取扱ニ関スル件」、この中の第二条において「救護員ノ始メテ陸軍部隊ノ指揮下ニ入リタルトキ当該部隊長ハ之ヲシテ宣誓セシムルモノトス」、こうなり、さらに第三条において「前条ノ規定ニ依り宣誓シタル救護員ハ其ノ時ヨリ陸軍ノ指揮下ヲ離ルル時迄之ヲ軍属トス」。これが通牒ですよ、単なる通達です、取り扱いの。私は、この通達を根拠にして、看護婦は恩給の判任官以上にならない、こんな論理が出てくるんじゃないかと思うんです。  だが、看護婦さんはいま申し上げたように法律、勅令、この第十条によって「看護婦及看護人ノ待遇ハ兵ニ準ス」と、こうなっている。兵隊さんに準ずるんですよ。当時婦人部隊というのはなかった。婦人部隊はないから、女の看護婦さんを必要とするために、いまの自衛官なら婦人部隊がありますけれども、兵隊はなかったから、だからこういう勅令でもって看護婦さんを召集したんです。私はここへ召集の令状を持っておりますけれども、これはゼロックスで焼いたから黒いんですが、本当はこれはピンクの赤色です。兵隊さんと一緒です。これを見てみますと、「救護看護婦山崎近衛特別救護班要員トシテ召集ス依テ九月二日午後十時高知県高知市西弘小路日本赤十字社高知支部ニ参着シ此ノ召集状ヲ以テ届出ラルヘシ」と、こう書いてある。こういう形で一方的に召集をしたのは兵隊さんと看護婦さんじゃないですか。その当時、国家総動員法に基づいていろいろ軍属さんも徴用されました。いろいろな形でいま局長のおっしゃった周辺地域に動員された方がおります。その動員形式において、ほかの軍属さん、これは全一部徴用ということで徴用された。召集という形式でもって召集されたのは兵隊さんと看護婦さんです。だから、召集形式において、あるいは勅令のこの立場から考えて「兵ニ準ス」となっておるのです。  そういう意味から考えて、なぜこの看護婦さんが処遇されないか、私にはわからない。片手落ちじゃないかと思うんです。そういうことを検討しておりますか。どうです。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 お言葉を返すようでございますが、最初に、日赤の救護看護婦さん、これがいわゆる公務員ではないということは、いろいろ法令を挙げなければならないと思いますが、公務員ではないということは言えると思うんです。というのは、公務員というのはいろいろな官制、いわゆる組織で厳格に規定しておるわけでございます。したがいまして、公務員に準ずという言葉が出てきておるんだと思います。したがって、従来から恩給法上の公務員ではなかったということは間違いないと思うのであります。  しかしながら、先ほど言われましたように、戦後いろいろな周辺の方々の問題が出てきておるわけでございます。その間にニュアンスが若干違っておるものがあるということは、これは私どもも認めておるわけでございます。それでありますからこそ、恩給法上の公務員として扱うことは私はいま非常に至難だと思うということを申し上げておるわけですが、それ以外に何かの方法で検討、あるいは処遇につきまして研究できないかということで、いま恩給局が苦労して研究しておるわけなのであります。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 私は、研究のためにもと思って申し上げておるわけです。  ところで、この看護婦さんを、いま次長さんは恩給法上の公務員云々と、こうおっしゃいました。もちろん恩給法上の公務員もございます。この恩給対象者の中には公務員と軍人軍属が入っておるわけですね。だから、すべていわゆる文官としての公務員には、これはいろいろおっしゃるとおり段階がありましょう。私もそれは認めます。だが、私がさっきから言っておることは、文官の看護婦ではないのだぞということです。勅令によって「兵ニ準ス」となっておるのです。そしてこの陸軍通達の、いま話がちょっと出たのですけれども、その中に「軍属トス」というのがありますけれども、その一方で、答弁にもありましたように、陸軍刑法、陸軍懲罰令を適用すると、こうなっておる。文官には陸軍刑法は当たりません。だから、看護婦さんは兵に準じて、兵と同じく、特別法である陸軍刑法と陸軍懲罰令の適用があっておるわけです。だから、文官の中へ入れて論じたのでは理屈が出てこないのです、救済できない、私はそう思っておる。だから、これはあくまでも法律により兵に準ずるという身分の位置づけをして、そして、当時は兵隊さんという女の人はいなかったのだから、軍人の中で救済をしていく、ここへ理屈を持っていかないと現行法上私は救えぬと思う。その意味で私は申し上げておる。  そして、この陸軍の通達の後ろの方、その中で見てみましても、これは第六条ですが、給与の支給のところでは「兵ニ準ス」となっておる。だから、処罰をする、給与を与える、召集をする、これは陸軍で扱って、そして処遇をせねばならぬところだけを文官でございまして、雇用人でございましてと、これは片手落ちじゃないですか。看護婦さんが悪いことをしたら陸軍刑法で処罰をするのだ、看護婦を徴用するときには召集令状というものを発付するのだ、こういう形で徴用しておいて、召集しておいて、そして給与は陸軍の指揮下にあって官給され、兵に準じて給料はあげましょう。そして戦後内地へ戻ったら、あなた方は文官で雇用人だから、判任官以上でありませんから、戻ってきて公務員としての身分を取得した者については抑留期間の通算処置だけはしてやろう、救護期間は一切知らない、これは私は片手落ちだと思うのです、おわかりいただけるかどうかわかりませんけれども。私は理論上から考えても、やはり看護婦さんというものをそういう形で戦後三十年ほっておいてはいかぬじゃないか、こう思うわけです。

手塚康夫総理府恩給局恩給問題審議室長

○手塚説明員 事実関係の点、多少次長の説明で足りない点もございましたので御説明申し上げます。  初めに申しますと、看護婦さん、あるいは婦長を含めましても、日赤の場合には判任官でもございません。陸海軍看護婦になりますと、婦長という場合には判任官ということになっております。その下の看護婦さんは雇用人ということになっております。つまり、今度の問題が出て検討する際に、いわゆるその並びで実は見たものですから、いわば日赤の婦長さん以上であれば判任官相当の方であろうというふうに見ているわけでございます。したがって、ただいま文官を引き合いに出すのはおかしいというふうにおっしゃいましたけれども、ちょっとその点は、日赤という特別な組織でございますので、召集も日赤が少なくとも形式的には行っておるという点で、恩給法上かなり遠い存在になるという点を御説明したわけでございます。なお、軍属につきましても、先生ちょっと、文官、軍人、軍属、みんな恩給法の対象になっているとおっしゃいましたが、実は恩給法上は軍属はやはり対象から除かれておるわけでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 いま御説明をいただきました。私はここでこの兵について先ほど申し上げましたが、「右の旧軍人のうちで、兵は、他の恩給法上の公務員と異なり、」ここもおかしいのですよ。「他の恩給法上の公務員と異なり、官吏でもなく、待遇官吏でもなかったという特色がある。」というだけで兵に軍人恩給が適用されておるんですね。だから、この特色というので、男である兵と、女である看護婦さん——いま審議室長から日赤はちょっと特色がございまして云々の話がございました。だからいまの恩給法上の旧軍人に対する処遇の中で、兵が何も下士官とかなんとかいうことにはなってないけれども兵隊さんに処遇がなされておって、じかもこれの根拠というものがあいまいもこ、ただそういう特色があるのだ、官吏ではないのだ、官吏ではないけれどもそういう特色があるのですということで恩給法上の処遇がなされておる。それからここで、従軍看護婦の陸軍看護婦さんにしろあるいは救護看護婦さんにしろ、そういう特色でもって現行恩給法上の処遇ができないものかどうか、もう一つお答えをいただきたい。

手塚康夫総理府恩給局恩給問題審議室長

○手塚説明員 歴史的に申しますと、これは各国とも大体そのようでございますが、むしろ軍人恩給の方が先にできるというのが普通でございます。わが国におきましても、むしろ軍人に関する恩給制度が先にできまして、その後文官についても恩給制度ができた。それが大正十二年に統合されたものが現在引き続いて行われておるわけでございます。  その当時、実は日赤自体、やはり軍でそういった戦場の救護が必要だということでできたものだと私も思います。そこで「兵ニ準ス」ということを言いながら、なぜその時点で実は恩給法の対象にしなかったのかという点、はっきり申しますと私どもよく理解できない点がございます。ただ現実にはそのようにずっと、もう大正十二年にこの恩給法ができているのでございますが、その前にできている日赤の救護員が外されてきているということは事実でございます。ただ、現時点で、いわば一つの終戦処理と申しますか、かつての戦争に対する処理の一環として考えなければいけない面もあるのではないか。しかし、それを恩給法で果たしていまになってできるものかどうか。古い革袋に新しい酒は盛れないのでございます。場合によってはパンクしてしまうこともあるということで、その辺も含めてわれわれ鋭意検討しているわけでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 検討ということで、それ以上のことにはなりませんが、私は、今度適用になる場合に、いま次長からもお話がありましたように、在職年数の問題が出てくると思うのです。まず身分を確立してもらって、その身分をはっきりした上で具体的に適用ということになると、在職年数の問題が出てまいります。このときに、やはり三万何千人というこれらの看護婦さんの中で救済される者がどのくらいおるか。これはまず優先的には、抑留された看護婦さんが該当してきはしないかと思うのです。  こういう看護婦さんは、この山崎近衛さんは昭和十二年という召集状ですが、大体昭和十五、六年、太平洋戦争が起こった当時に駆り出されたとしても終戦まで四、五年ぐらいおった。しかも、これは看護婦さんの記録を見てみますと、敵前上陸にまで参加した看護婦さんがおるのです。敵前上陸の付属船団、いわゆる病院船に乗って敵前上陸を数回やっておる人がある。これだけ兵隊さんと同じような立場でやって、それから戦後ずっと抑留されて、昭和二十八年が第一次の引き揚げ、以来十八次にわたって、昭和三十五年を最終として引き揚げをしてきておる。そうすると、昭和十五、六年に仮に召集になったとして、最終に戻ったとしたら昭和三十五年です。こういった場合に、やはり兵隊さんにあるように戦地加算、この制度を考えてあげないと、これはほとんど救済されない、一部の人しか救済されない、こういう懸念が出てくるのですが、検討の段階でそこまで、兵と同じように戦地勤務等をした場合にそういういわゆる加算がつくのかどうか、ここらも検討しておるかどうか、ひとつお伺いしてみたいと思います。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 先ほども申し上げましたように、現段階でございますが、恩給法の中の公務員として恩給法を適用するということにつきましては、私はまだ非常に疑問を持っておるわけなのでございます。よく御心情はわかるわけでありますが、そのほかに何かこれを救済する道はないかということをいま検討しておる段階です。その場合に、ただ恩給法のとおりに在職年を評価する、加算年を評価する、あるいはいろいろなことを恩給法のとおりに評価する、こう言うとまた救済されない方も出てくるというような問題も出てくると思いますので、日赤看護婦自体としましてできれば、これが実現するかどうかいまの段階でちょっと申し上げられませんが、何か処遇の方法を模索している段階でございまして、いま直ちに、加算年を恩給法通り入れるか入れないかという御質問に対しましてはちょっと答えることができないのですが、そういう点を含めて検討しておるということで御了承願いたいと思います。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 もう時間も参りましたから余り深追いはいたしませんが、大体私の申し上げたことは、現行法の中で救えるのにはこの道しかないがな、こういう考えで兵の問題を出したわけです。それで、また別途にそういった特別法をつくって救済するとするのなら、これはどちらの方法をとろうと私はそれは構わぬわけでございまして、要は、処遇を早くしてあげぬば、いま申し上げた看護婦さんたちは、二十で行ったとしてももう五十歳、もう皆さんおばあちゃんになっておるのです。もう亡くなった方もおる。     〔斉藤(滋)委員長代理退席、委員長着席〕 そういう状態ですので、非常に早くやってもらわねばなりません。これの論議が国会でなされたのをちょっと見てみますと、四十七年ごろからなされておるようですが、それ以来、検討、検討という答弁のようです。もう四十七、四十八、四十九、五十、五十一、五十二上六年、えらい長いこと検討がかかるものだと私もびっくりしたのですが、大体めどとしていつごろに検討が終わるものですか、ひとつお伺いしておきたいと思います。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 いつまでと日を限って結論を出せ、こう言われるとちょっと困るわけなのですが、調査費もついておることですから、できるだけ早く結論を出したいと思っております。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 五十三年度ぐらいには大体できますか。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 どうもまことに申しわけないのですが、五十三年度というと来年度でございますね、まあできるだけ早く検討して結論を出したいということできょうは御勘弁をお願いしたいと思うのです。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 この間の予算の分科会においてもこの問題が出たようです。そのときの答弁を見てみますと、二、三年もかかることはない、こう大臣が答えておるのですね。二、三年もかからぬということになると来年でなければいかぬ、こう私は思っておるのです。そのときに、長いことかかっては困るという追質問の中で、二、三年もかかることはありません、早急にやります、こういう御返事です。そうすると来年にならないといかぬと思うのです。大臣の答えとちょっと違うようですが……。

大屋敷行雄総理府恩給局次長

○大屋敷説明員 大臣が御答弁になったとおりに、私どももこの問題について緊急に、真剣に検討していきたいと思います。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 それではこの問題については終わらせていただきますが、ひとつ全力を挙げて御検討いただきたい。そして来年はこれらの看護婦さんに救済の措置がとられるように、ひとつ格段の御努力をお願いしたいと思うわけです。  次に、時間もございませんので、厚生省へ一つお伺いしたいのです。  午前中に審議がなされたかと思いますが、満蒙開拓青年義勇隊、これについて、援護法の中では昭和十四年の閣議決定以降の者については処遇されておるようですが、それ以前の昭和十二年の閣議決定、この時期までさかのぼって処遇ができないかどうか。これは数次の改正によってだんだんとさかのぼっての処遇がなされておるようですが、最初の十二年まで上がらぬかどうか、この点、お伺いしたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 満州開拓青年義勇隊を援護法において処遇をいたしておりますのは、今次大戦の末期の戦況に応じまして、軍によりまして戦闘参加、あるいは軍の補給廠、重要工場等に派遣をされて、そこで仕事をされたというような事実に基づくものでございます。最初は八月九日のソ連の参戦以後にしておったのでございますが、昭和十八、九年ごろには補給廠その他の重要工場に派遣されるというような事実もございましたので、それらの事実を踏まえまして、軍の指揮下でこれらの仕事に当たられた期間をも含めたいということで、その基本になっております閣議決定が昭和十四年十二月のものでございますので、一たびは大東亜戦争の初めのときからということにしたのでございますが、この辺のところがぎりぎりのところであろうということで昭和十四年十二月まで持っていったわけでございますので、そういう意味から申しまして、さらにこれを昭和十二年までさかのぼるということはいかがなものかということで、私どもの方としてはとり得なかったものでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 いまの点で大体いままでのことはわかりましたが、なお、十四年に閣議決定がなされて、その実施要綱が決められて満州へ行った、そこまでの救済措置はとられましたけれども、その前段階においては、こういったその当時の情勢から言うて、拓務省あたりが満州において食糧の増産とか、あるいは、ソ連に対すると言うたら語弊がありますけれども、関東軍の予備軍的な考え方もあり、そういう意味でだんだんと成熟をしてきたわけですよ。そして昭和十四年に、これならいける、これなら部隊編成をやってそのまま送ってもいけるという、一つのいわば草創期における出発なんです、この十二年というのは。  そうしますと、そういう成熟をしてから以降の救済措置ということはもちろん大切なことですが、さらにその前の段階において、この事業ができるかどうかといういわばテストといいますか、十二年から十四年までに行った皆さんというのはさらにさらに苦労は倍加したと私は思うのです。そういう中で出ていって、そしてだんだんとその事業が成熟をしてきたので国も本腰を入れ始めた。そう考えれば——考えればでなしに実際はそうです。そういうように成熟してきておる段階を見てあげなければいかぬと私は思うのですね。だから、この成熟段階にあるものがそういう形で放置されてしまうということでなく、これらの人を、やはりそれだけの国家に対する貢献といいますか、青春をささげたのですから、処遇すべきである。  そして、おっしゃってはおりませんけれども、いままでのことを聞いてみますと、これは個人の志願で行ったのだ、いわゆる移民だというようなことも聞かされましたけれども、形式的にはそういうことであったかもわからぬ。本人自身に行ってくれぬかということはなかったかもわからぬけれども、あるいは町村長なり小学校長なりに、おたくの村からは何名出してほしいと、いわゆる人員の割り当てが強制されて、そうなりますと村長は、募集しておるが卒業生の中で行ける者はおらぬかという形で受け入れはしたと思うのです。さらに、要請された人員に満たない場合は、村長自身が行って、あるいは小学校長さん自身が行って、本人に何とか満州に渡ってくれぬかと言って、親をも説得したと私は思う。だから、個人の志願でございます、と、形式は志願かもしれませんが、大まかに何々村はどのくらい出せというように要請があった。ここに半強制的な駆り出しでもって昭和十二年以降は出ておると私は思う。この点も考えてひとつ御答弁をいただきたい。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 昭和十一二年に最初に送られた方々があったと思いますが、この方々はいわゆるパイオニアとして、その後の方々よりもなお御苦労になったというようなこともあるかと存じます。しかし、援護法の取り扱いという観点からまいりますと、軍事に関する業務に従事をされるということが援護の基本的な視点になるものでございますから、そういう意味合いにおきまして私どもの視点を当てますと、終戦の直前あるいはその少し前の段階におきましてそういう事実が義勇隊の皆さん方に出ておるが、さらにさかのぼって昭和十二、三年ごろには、そういうことがある、あるいは制度上予定されておるということがないものでございますから、そこまでさかのぼるのはいかがかということで、とるのはなかなか困難であるというように御了解を願いたいわけでございます。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 大臣に一言。いまだんだんとお話を聞きましたが、さっきも大原先生がおっしゃっておられましたが、大臣の決断でお願いしたいと思います。  それから、従軍看護婦につきましては厚生省がいまの援護法の中で処遇されておりますけれども、きょうは総理府総務長官がお見えになっておりませんけれども、大臣も政府の閣僚の一員としてひとつ御尽力をお願いしたいと思うわけです。ひとつ決意をお願いしたいと思います。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 皆さんから再々御質問を受けておるわけでございますが、よく内容を調べて検討してみたいと思います。

平石磨作太郎公明党・国民会議

○平石委員 どうもありがとうございました。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 大橋敏雄君。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 戦後処理の一環といたしまして重要な役割りを果たしてきたのが、いま審議されております戦傷病者戦没者遺族等の援護法であるわけでございますが、これは御承知のとおりに、制定されて以来相当改善に改善を重ねてまいりました。われわれも法の改正に当たりまして、その都度真剣な審議を重ねてきまして、それなりの成果は上げてきたつもりでございますが、その改善をされるに当たりまして、その対象者が新しく発生する、あるいは給付者が拡大されていくという実態に相なってくるわけでございまして、法律はできたものの、その趣旨がいわゆる関係者に徹底されなければせっかくの法律改善が公平を欠く、つまり法律の趣旨が死んでしまうような気がしてなりません。     〔委員長退席、葉梨委員長代理着席〕 この法律の目的、趣旨が十分生かされていく上には、行政上あるいは運営上大きな問題があるわけでございますが、厚生省といたしまして、そういう立場、特に行政面における今後の指導の基本的な考え方を初めに聞かしていただきたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 従来から、援護法の改正が行われますと、基本的には施行通達を出しまして、各県でブロック会議等を持ちまして、その趣旨を都道府県を通じまして市町村まで達するように研修をし、実施をしてまいるわけでございます。そのほかには、厚生省の持っております広報手段等を利用いたしまして周知徹底を図るということでございます。御指摘の問題につきましては私どもも、役所の人間でございますので広報については余り得意でない面もございますけれども、できるだけの努力をして、漏れる方がないように努めてまいりたいというように考えております。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 先ほどから大臣は、この援護法については、切りがないのである程度きたならば打ちどめをしてみたい、この気持ちは私もよく理解できるわけですが、打ちどめをするに当たりましても、ぎりぎりの線まで救済処置をとって整理をしていただきたい。これは強く要望するわけでございますが、現実問題としまして、その対象者といいますか、関係者に対して、行政の運用面でかなり手落ちがある。これは後で私、具体例を示したいと思うわけでございますが、そういう事実がたくさんあちらこちらに見聞されるわけですので、特にこの広報的なことについては再度真剣な検討の上、善処していただきたいという気持ちでいっぱいでございます。  中でも、戦傷病者相談員あるいは戦没者遺族相談員というのが現にいまあるわけでございますが、私は、この相談員の受けていらっしゃる手当額が余りにも低過ぎるのではないか、こう考えるわけです。何もこの相談員の方々はお金のために活動なさっていると思いません。ボランティア精神で大変な努力をなさっている方々ばかりだろうと思いますけれども、それにいたしましても余りにも額が低過ぎる。たとえば、いま厚生行政の中でいろいろと相談員がいますけれども、それを比較してみますと、五十二年度の額になるわけですが、家庭相談員は月額で五万九千円、婦人相談員は同じく五万九千円、母子相談員も五万九千円、民生委員で年額三万、月額二千五百円、この戦傷病者相談員、戦没者遺族相談員はおのおの年額で一万二千円です。月額わずか千円というわけです。これなどはもう少し配慮すべきではないかと思うわけでございますが、この辺はやはり大臣の決断だろうと思いますので、大臣のお気持ちを聞かしていただきたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 戦傷病者相談員、遺族相談員の皆様方は、主として御本人が戦傷者であられる方でございますとかあるいは御本人が遺族の方の場合がかなり多いようでございます。その方々に篤志的なボランティアとしての御活動をお願いしておりますので、そういう意味におきまして、差し上げる謝金につきましては御指摘のような金額でございますので、私どもも大変申しわけないと思っております。ただ、私どもも毎年毎年少しずつは財政当局から引き上げてはもらっておるのでございます。この点につきましては、ほかのボランティアの皆さん方との仕事の性質等を勘案いたしますと、財政当局でいろいろ並行してそれぞれを比較考量した上でのことであるというように感じられますので、非常にむずかしい問題であるとは思いますけれども、今後ともその増額には努めてまいりたいというように思っております。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 毎年毎年引き上げが行われてきたということでございますが、今回は月に千円でございますが、前回は九百十七円ですね。ほとんど引き上げられたというような額じゃないわけですよ。同じボランティア活動をなさっている民生委員の方が月額二千五百円になったわけですから、大臣、こういう引き上げ方では意欲的なものが欠けておるというような気がするのですよ。何もお金をもらうからやるという方々ばかりじゃございませんけれども、皆様のお仕事に対する気持ちをくんで、これはもう少し妥当な額があるのではないか、こう考えます。どうですか。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 ボランティア活動というのはもともと奉仕でやっていただくことになっているわけです。きょうも参議院で出たのですが、たとえば献血のお世話なんかをする人とか、こういうような民生委員の方とか、それから戦傷病者、戦没者の遺族相談員、本当にその電話代というか、はがき代というか、その程度のお金なんですよ。それは五万も六万もというような方も仕事の内容によって違うのでしょうけれども、こういう本当に社会奉仕でやってくださっている人には、ひとつ感謝とかあるいは勲章でも位のいい勲章を差し上げたらどうなんだ。少しばかり金をもらうよりも、勲何等とか、そういうことの点で一ランク上にしたらどうなんだ、何十年、二十年とか三十年とかやってくれるのだから。金をもらってやっている人ともらわずにやっている人と、もらわないでやっている人が本当は勲章に値するのじゃないか。だから、厚生省でもそういうのをよく拾って、勲章を出すときには、厚生省は枠よりも少しよけいはみ出てもいいから総理府へ出したらどうだということを私は事務当局には言っているのですよ。本当にそういう人がもらうべきものであって、事業があって、自分で収入をたくさんもらっていてやった人が勲章をもらうのは本当はおかしいのじゃないか。こういう人にこそそういう点で報いたらどうか。みんなもともとが銭金でやっているのじゃないのだから、そういうことで徳をたたえてあげるという方向がいいだろうということでぼつぼつやらせております。額で上げるばかりが能じゃないのじゃないかという気もするのですがね。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 いまの大臣の考えに私も同感ですが、それにしても月に千円というのはいまの経済水準からいってやっぱり低過ぎる。いまおっしゃった民生委員の方も二千五百円程度は支給されるわけですから、幾ら毎年考えられて引き上げられたと言ってみても、わずか何十円の引き上げ程度では、これは幾らお金が目的ではない、あるいはそれが趣旨ではないと言ってみても、やっぱり気持ちの問題としてあれですから、もう少しこれは配慮していただきたい。要望しておきます。  次に、援護法の対象者がよく役所などに御相談に行かれるわけですが、そのときのいわゆる窓口担当者の指示や指導というものが非常に大きな問題になるわけで、その指導によって左右されていくわけですけれども、言うならばその窓口の人の指示や指導が直接的な影響を持っている。したがいまして、その担当者が正しい理解あるいは認識を持っていないととんでもない結果になるのではないか、こう思うわけですね。  そこで一つの例を挙げてみたいと思うのですけれども、元軍人の奥さんが、もちろんその軍人の方は亡くなっているわけですけれども、戦没者の妻に対する特別給付金をいただけるということで申請をしたわけですが、その申請に当たりまして大変な苦労をなさったわけですね。その方は広島に行ったり北海道に行ったり、現在神奈川にいらっしゃる方ですけれども、行くたびにそのことで苦労なさったわけです。それも厚生省の通達の内容を見てそうした申請をしたというのじゃなくて、たまたまその奥様の同僚の方々から、私はこういうものをいただきましたよ、あなたはどうというようなことから、それならばということで動かれて窓口に行かれたわけですが、現在その奥様はもう七十九歳であるわけです。  まず初めに、現在の援護法の立場から見て一般的なことをお尋ねしますので、よく聞いておっていただきたいと思います。大東亜戦争の戦時中、その軍人、これは将校さんだったのですけれども、直腸がんで内地の海軍病院で死亡なさったわけです。その奥さんが先ほど申し上げましたように七十九歳で健在です。そこで、昭和三十年に戦傷病者戦没者等の援護法の改正でこういうのがありますね、軍人、準軍人については故意または重大な過失によるもの以外の死亡は公務死とみなされる、こういうことになりましたので、私は、この奥様は公務扶助料あるいは遺族年金の対象者となっていていまの特別給付金の該当者になったのではないだろうか、このように直観的に思ったわけですけれども、その点まずお伺いしたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 具体的なケースでございますので、その方の具体的な内容をずっと精査いたしませんと、ちょっとここで直観的にお答え申し上げますと間違いが起こってもいけませんので、お許しをいただけるのでございましたら、後ほどそれを具体的にお教えいただきましてお答えを申し上げさせていただきたい。よろしければ別のところで先生のところにお話を申し上げに参るようにいたしますが……。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 きわめて具体的な問題ですから、後でまた詳しく御報告はいたしますし、御相談したいと思うのですけれども、一応大まかな事実だけ申し上げておきます。  昭和十八年十一月の十日、松岡知行という方でございますが、海軍の将校の方です。この方が先ほどの原因で東京の築地海軍病院で死亡なさったわけです。その奥様は松岡柳という方でございます。そこで、昭和三十八年に先ほど申し上げました戦没者等の妻に対する特別給付金支給法が制定されて、公務扶助料、遺族年金、遺族給与金等を受ける権利を有する戦没者の妻に対して特別給付金が、そのときは二十万円十年償還の国債が支給されることになった。そして四十八年にはさらに新たに六十万円になって同じ国債が給付されたということであるわけです。ところが、この奥様が役所に行き、相談をしましたところが、たまたま四十一年にその相談に行ったらば、もう時効です、もらえる権利はあったのですけれどもあなたはもう時効ですからということで、受け付けてもらえなかったということでございます。そういうことですけれども、やはり友人の方々から激励されて、それじゃもう一回、もう一回ということでなさったらしいのですが、つい去年の十二月の末に神奈川県の県庁の民生部の援護課に書類を提出なさったわけです。ところが、三月の末ごろにその援護課の方から電話連絡が入ったそうですが、あの受け付けた書類を東京都の民生局の方に発送して、紛失しました、そこでもう一度出し直していただけませんかという知らせが来たというわけですね。その七十九歳のおばあさんは、もうそろそろ決定されて喜びの連絡が来たかと思ったところが、書類がなくなったからまた出せと言う。もうがっくりきて、それそこ悲しい涙に暮れたというお話を私聞きました。これは郵送事故でございまして、やむを得ぬと言えばやむを得ないかもしれませんけれども、ここにはやはり行政上何か大きな欠陥があるように思われてならないわけです。  そこで、その郵便物事故調査票を神奈川県の援護課の方から公式なものを出しているわけですけれども、その内容を見てみますと、戦没者等の妻に対する特別給付金請求書と、公務扶助料、遺族年金等の支払い証明に関する書類と、住民票、戸籍抄本等を受け付けて発送したということになっております。ところがそのときに一緒に発送したのに、ほかに四名の方の名前も載っておるわけです。だから一つの袋で五名分が発送された内容になっておるわけです。  いずれにいたしましても私が不思議に思っていることは、公務扶助料としての権利を有したのが四十一年の十月だとかということだったのですね。これも私、電話での応対だったものですから私の聞き間違いもあるかもしれませんので、これは後で十分調べていただきたいのですが、四十一年十月に公務扶助料の権利者になったと、こうなっているわけです。四十一年十月にそうなるのならば、もっと早い時期に、この昭和三十七年十月一日には年額十万四千百六十三円の証書があるわけですが、このときになぜならなかったのだろうかというような疑問も出てならないわけです。  ここに二つの問題があるわけですが、一つは、そうした窓口の担当官の指導によって、これはだめだと言われてあきらめた。ところがまたよその地域に行ってやると、何とかできますよと言われて、再度申請をした。そして時効であったとかいうことでまた却下されたり、あるいは今度は大丈夫ですよということで出したとかいうようなことで、本人にしてみれば一体何が本当なんだろうか、疑問でならないと同時に、行政に対する不信感といいますか、そういうものもかなり持っていらっしゃるわけです。これは一つの例であって、他にも相当こういう類似の問題があるのじゃないかと思うのです。これが一つの問題です。  それから、いま言ったように、法改正によって救済が逐次変わっていくわけでございますが、この人の場合、四十一年十月には公務扶助料が支給されることになったということでございましたので、それはどこの法改正によってそういう変わりがあったのかという疑問が私にも出てくるわけです。いずれにいたしましても、先ほど直観的に受けたのは、当然その特別給付金をいただける条件、資格のある方である。ですから、もしこの方を調べていただいた結果該当者であったとなれば、これは以前にさかのぼって、遡及していただけるようなことになるのかどうか、その点をお尋ねしたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 具体的なケースでございますので、十分に調査をさせていただきまして処置をいたしたいと考えております。基本的には、私どもの行政は特に戦争の犠牲になられた方の処遇のための行政でございますので、中央、地方を通じまして気を使っておるつもりでございますけれども、多数の中でございますので、あるいはそういった間違いを起こしておるケースもあるかと存じます。そういう点は十分にせんさくをいたしましての上でお答えを申し上げさせていただきたいと思います。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 それでは後で十分検討してもらいたいと思います。     〔葉梨委員長代理退席、中山(正)委員長代     理着席〕  それでは、遺族年金あるいは遺族給与金の支給の期月を私はふやしてもらいたいということを述べたいのですが、御承知のとおりに、今回国民年金の福祉年金等は盆暮れの支給ということで、もともと三回だったわけですけれども、その支給時期を改善なさいますね。この遺族年金と給与金は年に二回払いになっているわけです。これもこの辺でそろそろ、少なくとも福祉年金等に合わせるぐらいの改善の必要はないのかどうか。ないのかどうかというよりも、ぜひ改善をしていただきたいということなんですが、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 遺族年金等の支払い期月につきましては、御指摘のように制度発足以来年二回でございます。これは窓口が実は郵便局でございます。郵便局の事務体制の問題等もございますので、私どももこれの回数をふやすということは望ましいことであると考えてはおりますが、関係省庁との協議をしつつ、私どもも検討を進めてまいりたいと考えております。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 大体福祉年金等に合わせて、回数を三回くらいにはしたいという気持ちは十分あるということですね。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これは受けられる方にとりましては、回数がふえるということが非常に望ましいことであろうということは私どもも十分承知をいたしております。ただ窓口との関係がございますので、その意味におきまして、私どもの希望と関係者との意見調整が十分必要でございますので、いまの段階におきましてどの程度可能であるかという見通しはまだ十分つけておりませんけれども、私どもは努力をいたしてまいりたいと考えております。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 児童手当にしろ児童扶養手当にしろ、あるいは特別児童扶養手当の支給にしろ、これは年三回。あるいは労災保険などは四回ですね。国民年金等も拠出の方は四回。船員保険も四回ということで、ほとんど四回ないし三回となっているわけですから、是が非でもこれもそのように改善をしていただきたいと要望しておきます。  次に、もう時間もあとわずかでございますが、今回の法律を見てまいりますと、障害年金、遺族年金等の額を恩給法に準じて増額するとあるわけですが、大臣のお話で七%アップであるということであったわけですね。たとえば、今度の法律の内容を見てまいりますと、遺族年金及び遺族給与金の欄を見ますと、現行六十万二百円になっているわけですね。五十二年六月からこれが六十三万九千七百円で、六十万二百円から六十三万九千七百円になっているわけですね。七%アップとなればちょっと計算が合わぬのでございますが、これはどういうわけですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 六十万二百円、六十三万九千七百円、それぞれにつきましては、基礎額が二の寡婦加算三万六千円を引いた額でございますので、それで比較をいたしまして七%のアップということでございます。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 寡婦加算三万六千円が入っているからこういうことになって、七%アップというのはもともとの基礎額である。つまり、五十六万四千二百円に対して七%アップして、いまの加算額を足したからこのような額になるんだということですね。ところが、この三万六千円の加算額というのは扶養親族一人までということになっているわけですね。ところが、五十二年十月の引き上げを見ますと七十二万となっているわけです。月額六万円ということになるわけですけれども、このときには三万六千円の加算額はないのですね。これはどういうことでしょうか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 五十二年八月以降につきましては基本額六十九万六千円で、その場合に加算として二万四千円がつくということで七十二万円ということになるわけでございます。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 計算はわかるのですけれども、その初回の方は扶養親族一人までの立場で加算されて、五十二年十月の分になるとそれが二万四千円の加算しかしてない。何だかその根拠が非常に薄弱だという感じがしてならぬわけですが、これは恐らく、最終的に月額六万円支給するんだからということでの計算になったのではないかと思うのですけれども、私はやはりこうしたいわゆる遺族年金や遺族給与金の計算の基礎というものはもう少し明確な根拠を持つべきではないか、このような感慨がしてなりません。  時間が来ましたので、最後にもう一言質問申し上げますが、大久野島の毒ガス障害者の救済措置でございますが、これは公衆衛生局でいま措置をなさっていると思うのですね。やはりこれは、先ほどの大臣の話じゃないけれども、打ちどめにしたいという気持ちもあるわけですから、そういう立場からいけば当然援護局の方でこれは抱きかかえていくべき問題ではないかと思うのですけれども、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これらの学徒につきましては、現在七件援護法の障害年金の請求が来ております。目下その障害の公務性について検討を進めているところでありますが、多分に医学上の判断を必要とする問題でございますので、厚生省の公衆衛生局の方でやっております委託による毒ガス研究会が行っております調査研究の結論などを考慮に入れました上で答えを出す必要があると考えておるわけでございます。実態として私どもが承知いたしております範囲内では、当時の動員学徒などは主として風船爆弾とか袋張り等の業務に従事をしておりまして、毒ガスに関連する作業には直接に従事しておられなかったように聞いておりますが、これらをあわせまして、研究班の結論に基づきまして私どもも結論を出したいと考えます。

大橋敏雄公明党・国民会議

○大橋委員 終わります。

中山正暉自由民主党

○中山(正)委員長代理 次に、西田八郎君。

西田八郎民社党

○西田(八)委員 さっきの大橋委員によく似たような質問になるわけですが、受給権者とみなされる人が裁定を受ける場合にいろいろな立証の手続をとりますね。その立証方法について若干伺いたいと思うのであります。  と申しますことは、仮に私なら私が太平洋戦争で負傷をして、敦賀なら敦賀の陸軍病院へ転送されて帰ってきたとします。負傷の加療中に別の病気、肺浸潤なら肺浸潤あるいは肋膜炎なら肋膜炎を併発しておった。ところが陸軍病院の方では負傷だけに重点を置いて、併発した内臓の疾患については、治療はしておったけれどもそうしたことが表面に出ていなかった。ところが、帰ってきて死んだ。法定期間内に死んだ場合に当然遺族一時金が受けられるわけですが、しかし、負傷を原因にして死んだのではなしに、そのときに併発した病気がもとで死んだ場合には、いわゆる公務に起因すると認められない、因果関係がないということで当然受けられる一時金が受けられないという場合が生じてくるわけです。そのときに援護局の方では、公務に起因するものであるという立証をしろということなんです。ところが、受給権者である遺族が大正三年ぐらいの生まれ、あるいは明治生まれとしましょうか、もう六十歳以上、本人自身もちょっともうろくしていて、なかなか手続がむずかしい。体のぐあいも悪くてそう再々役場へも県へも足が運べないということで、結局みすみす受けられる年金が受けられないで、一時金ぽっきりで終わっているというようなケースがあると思う。  そういう場合の立証について、たとえば死んだときに診た医者が、肺浸潤が原因で死んだ、私はたとえば昭和十八年に初診をしたというようなことになると、その人が仮に十三年に発病しておったとしてもその当時の立証にはならない。ところがもう一人のお医者さんが、その人を私は診たことがある。たしか除隊直後に診たところ、敦賀の陸軍病院で肺浸潤であるということで治療を受け出ておったことがはっきりしておるということを書いて立証した場合に、一体どちらの医師の診断書が証拠になり、その裁定はどこで下されるかという、非常にややこしい問題なんですが、こういう場合どういうふうに判定をされるのか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これも具体的なケースで申し上げませんと誤解を招くおそれがございますので、概括のお話でお許しをいただきたいのでございますが、特に医学的な判断を必要とするというものにつきましての立証については、私どもの援護局当局の者でもむずかしいものが非常に多うございます。そういう場合には、私どもの援護審査会の方で、こういう問題に不服の申し立てが来ました場合に審査をしていただいておられる専門のお医者さんがおいでになりますので、もちろん不服審査の場合には当然でございますが、私どもの職員の手に余るというような場合にはそういう先生方の御意見等も承りながら措置をする。基本的に申し上げますと、援護法の年金なり一時金なりはそれぞれ国家補償として支給するということでございまして、それらの財源はすべて税金でございます。そういう意味におきまして、全く証拠なしにということもこれはかえって乱に流れるという批判を免れない問題でございますので、その辺のところをできるだけ探していくということにつきましては、私ども、当局が保管しております資料その他を探して差し上げるというようなことも従来やってきておりますが、それらを総合いたしまして、できるだけ申請された方が不利にならないようには努力をしているつもりでございます。至らないところはいろいろございますかと思いますが、御叱正を得て進めてまいりたいというふうに考えております。

西田八郎民社党

○西田(八)委員 そうすると、その場合、手持ちの資料によるということですが、資料がなかった場合、たとえば敦賀陸軍病院に行ってカルテを見ればわかる話ですね。当時の陸軍病院等のカルテはいまでも保存されておるのかどうか、そういうことはいかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 陸軍病院が所管を変えて、最終的にはいま国立病院になっておると思いますが、その間におきます三十年の経過の中で、カルテは相当程度紛失をいたしております。幸いにして見つかるケースもございます。それから、その人の所属しておられました部隊、その部隊の兵隊さんはこの病院に病気になったら行ったはずであるといったような経路を追いかける手だてというものを、私ども援護局側の調査課の資料で見つけ出すことができる場合もございます。そういうものを総合したことになりますので、御指摘のカルテがすべてあるという状況ではございません。

西田八郎民社党

○西田(八)委員 そうすると、その場合にカルテというものを探し出す方法なんですが、それは援護局から指示して敦賀の陸軍病院に照合をされるのか、それとも遺族である人が敦賀陸軍病院まで出向いていってそのカルテの所在を明らかにし、もしあったとするならばそれの写し等をとってくることになるのか、その辺のところはどうなんですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 多数の方々のことでございますので、私どもの方あるいは都道府県を通じまして、できるだけ御自分で集めていただくということをお願いしなければならないことでございます。しかし、状況によりまして、私どもの方で追って手助けをしなければならないというようなものにつきましては、私どもの方でお手助けをしておることもいろいろございます。

西田八郎民社党

○西田(八)委員 そこで、私が厚生省の方へ電話をかけて具体的なケースを挙げて聞いてみた。ところが、なかなかそこまではやっておられませんということなんですね。そうすると、六十幾つのおばあちゃんがわざわざ敦賀まで行かなければならぬわけですよ。しかしそこで果たして見つかるかどうかわからぬ。その場合、敦賀にいるときに肺浸潤の治療を受けておった、本人もその病院でその話をよくしたんだというようなことがありますね。そうすると、その娘さんなり息子さんがおって、その人が、いやお母さんと一緒に行ったときにお父さんは肺浸潤の治療も一緒に受けていました、というような肉親の証言だけではだめなのかどうか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 戦後三十年経ておりますので、大変残念なことでございますけれども、現時点におきます証言がすべて信頼できるものであるかどうかということにつきましては、かなり疑問のある点もございます。これはその他の資料それぞれを総合いたしまして判定すべき問題になってくるかと思いますので、御指摘の問題だけを取り上げて即答するのは非常にむずかしゅうございますけれども、それだけでということは非常にむずかしい問題ではなかろうかと思います。

西田八郎民社党

○西田(八)委員 私は一般論として申し上げておるのです。あなたがおっしゃるとおり三十年も前の話なんですよ。そうだったと言ってもなかなか信用してもらえないだろうし、それにふさわしい証拠書類をそろえろと言ったってできるものじゃないですよ。  ところが、実際に軍隊生活をした私どもから考えますならば、自分の着ておったものを洗ってもあくる日の演習に間に合わぬ。乾かない。もたもたしておったら上級兵にぶんなぐられる、戦地においてはいつ何どき敵の弾が飛んでくるかわからぬというようなときに。そんなときにのんびり洗たくもしておられませんが、汗をかいたままでも仕方がない、着たままでも寝なければならぬ。りっぱな屋根の下で寝させてもらえるわけじゃないのですよ。私どもそういうひどい目に遭い、食う物も食わずに二月間ルソン島の山の中をぬたくり回ってきました。私自身も戦争で受けた傷でいま脊損です。しかし私はそういうことで手当をもらおうとかどうとかということは考えていませんが、一年に一回や二回は腰痛のために三日ないし長いときには十日間寝なければどうにもならぬ。寝ておらなければ治らぬ病気を持っているわけですよ。ぬれたものをまともに干すところもないから、力でしほれるだけしぼって、自分の体にぬれたものを着て、自分の体温で乾かすという兵隊生活なんです。そういう中で負傷をすればなおのことそこまでなかなか手が届かないということになってくると、当然過労から肺浸潤やそんなものが出てくるのは私はあたりまえのことだと思う。  だからといって、それを言うてきたから何もかもすべて聞けというわけじゃないのですが、もう少しそういう面で、ただ理屈に合って、合法的に、合理的にというだけではなしに、もっと人情があっていいのではないか。厚生省が直接やれとは言いませんが、出先機関にそういうことを指導していく必要があるのではないか。だんだんと戦傷病者も数が減っていくわけですよ。当初の見込みよりもだんだん減っていっておるわけですから、せめてそうした法律のもとに救われるべき人は救ってあげるべきではないかというのが私の主張なんだ。それに対して、それは厚生省の役人さんとしては、当然、定められた法律、定められた規定によって審査して、それでだめなら、これではだめですという一片の通達で終わりですよ。しかし、それをもう少し親切に考えてあげるならば、たとえば敦賀の病院にそういうカルテが残っていないかどうか、一回県の厚生課なら厚生課、あるいは厚生課から役場を通じて役場の係の人から調べさせるとか、自分のところで調べることができなければ、本人に、一回照会してみたらどうですかと言うというような方法をとってあげるのが、私は遺家族に対する援護法の精神ではなかろうかと思うのですね。それに対して、局長、どうですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私どもの援護法の扱いにつきましては、中央、地方を通じまして、先生の御指摘のような精神で業務を進めるべきだと考えております。なお地方庁との間におきましてもそのように努めておるところでございますけれども、私ども厚生省援護局におきましても、軍隊の経験者が幹部職員の一部を除きましてはだんだんとなくなってきておるような状況でございます。都道府県におきましてもそのような状況になっておりますので、戦争に直接経験のなかった人たちに援護の業務を実施してもらうために、戦争のときの状況を、言葉の上でございますけれども、いろいろ追体験をしてもらって、そして援護独自のこういったむずかしさを持った取り扱いを行っていくように教育には努めておるつもりでございますけれども、なお至らない点につきましてはいろいろ御叱正を得まして、私どもできるだけ努力をいたしてまいりたいというように考えております。

西田八郎民社党

○西田(八)委員 私はここに三通ばかりそうした書類ばかりを持参いたしておるわけですが、自分で読んでみると、どれもやはり妥当なような気がするものがあるわけです。一部まだ審査中のものもあれば、一部はすでに却下されたものもある。中には、恩給法の適用を受けたいという申請を出したけれどもこれもだめだといってはね返されたものもあるわけです。したがって、私は、そうした人たちに対して本当に温かい気持ちで、裁定をする場合でも、本当にもうどこかにないかなと——これはだめだ、だめにしようというのではなしに、むしろこれをよくしてやるためにどうするかと、そのためにはどういう手だてを講じてあげたらいいかというようなことを考えるということでなければならないと思うのですね。その点を私は切に要望しておいて、時間はたっぷりあるのですけれども、どうしても私どもの党の会議のために五時半には出ていかなければなりませんから、あとのことはまた後日に譲りますが、どうかひとつそういう意味で、せっかくこの援護法ができて長年になるし、毎年改定をされ、だんだんとその給付額等も上がってきておるわけですから、そういう中で網の目をこぼれた人、あるいは本当に老人のひとり暮らしで息子のそうしたことが立証できない人、あるいは結婚をしてすぐに戦争にとられて夫を失って、その後ひとりでその子供を育てている人、そういう人たちが本当に法のもとでもう少し温かい保護が受けられるように、援護業務、このことを文字どおりそうした面に徹していただくように、もし大臣がおられたらそれを要請するわけですが、大臣は都合でここにはおられませんから、大臣にかわってひとつ援護局長にお願いをしておいて、私の質問を終わります。頼みます。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 御趣旨は十分に体しまして努めてまいりたいと思います。

中山正暉自由民主党

○中山(正)委員長代理 次に、工藤晃君。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) 工藤晃でございます。  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案、これに関連いたしまして、一、二質問をさせていただきます。  今回の改正に当たりまして、予算策定に当たってその基準をどこに置いて改定をなさいましたか、その点についてお答え願いたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私、援護局長としてお答え申し上げるには非常にむずかしい話かと思いますが、援護だけを中心にして申し上げてよろしゅうございましょうか——。     〔中山(正)委員長代理退席、斉藤(滋)委員     長代理着席〕  基本的には、援護の行政は相当きめの細かいところまで三十年間に進められてきたというように考えております。しかし、特に援護の対象になる遺族の方々でございますとかあるいは障害を受けられた方々の老齢化が進んでおりますので、そういった方々につきましては老齢化に伴う措置が必要になってまいります。そういうことから、援護の年金等もできるだけ充実をしていく、これは恩給と歩調をそろえることでございますけれども、そういう面につきまして努力をしてまいっておるわけでございます。その他につきましては、援護特有の行政といたしまして遺骨収集その他がございますので、これらのことにつきましてもできるだけ万全を期してまいりたいということで進めてまいってきておるわけでございます。  なお、将来の見通しについて申し上げますと、対象者が老齢化しておると同時に、対象者の数も減ってまいりますので、そういうことを見通しながら、私どもの行政がこれらの方々に十分適応していけるようにということが基本であるというように考えております。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) 高齢者が多くなってくることに対する配慮は特別になされているということでございますが、その点は私も指摘したかったわけでございます。このような障害年金とか遺族年金の引き上げも、だんだん対象者が減ってまいりますから予算的には前年度に比べて楽になる可能性もあるわけですから、ばらまきではなくて、特にそのような遺族の高齢者には十分御配慮いただきたいと思いますけれども、中でも、この中にもありましたように戦没者遺族相談員制度、このような制度がございますから、このような制度を十分活用していただきまして、そういう余ってまいるであろう予算の中から特に高齢者の中で低所得者の方々には特別の何か手当を、それ以外にもそういう予算の中から捻出して、この物価、人件費の高騰に対応できるような遺族年金の支給方法をお考えになっていらっしゃるかどうか、その点についてお答え願いたいと思います。     〔斉藤(滋)委員長代理退席、委員長着席〕

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 援護法によります援護につきましては、基本的には、一般の社会保障と異なりまして、国がそれらの方々を軍務あるいはそれに近い業務に服さしめたということに基づく犠牲の補償的な観点から行うという見地で行っておりますので、軍務に対する貢献度その他によって補償の額が変わってくるということがございます。あるいは障害を受けられた方についてはその障害の程度によって変わってくるということがございますが、貧富の区別によりましてということは、援護法の性質上困難であると考えております。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) それでは質問を次にまいりますが、この中で特別給付金というものが出されておりますけれども、この特別給付金の性質について、これはどういうものを指すのか、御説明願いたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 特別給付金につきましては、戦傷病者の妻に対する特別給付金と戦没者の妻に対する特別給付金、それから戦没者の父母等に対する特別給付金の三つがございます。これらにつきましては、戦没者の妻につきましては、戦没者の妻であるということで戦後いろいろな御苦労をなさっておるというような状況に着目をいたしまして、年金は年金として差し上げるほか、そのような御苦労に報いたいということで出されたものでございます。父母につきましては、孤独な父母、要するに戦争で亡くなった方以外にその両親のお手元にはもうお子さんがおられないといったような方々の父母という、非常にさびしい状況に置かれました事柄に着目して行われておるものでございます。それから戦傷病者の妻につきましては、戦争で障害を受けた御不自由な夫を抱えながらの暮らしでございますので、そういった意味での御苦労に着目をして、年金とは別に特別給付金を差し上げて御慰労申し上げるという趣旨のものであるというように承知をいたしております。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) それじゃこの特別給付金の性質からいきまして、原則としては初回一回限りか、あるいはまたそれを何度も繰り返していく性質のものなのか、その点はいかがでございますか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 この制度ができました当初においては一回限りということで行われたものだと承知をいたしております。ただ、その後の状況を申し上げますと、戦傷病者、戦没者の妻、父母、特に父母の方々については老境を迎えておられます。また、奥さんの方々ももうかなりな年配に達しております。そのために、老い先短くなる、と申し上げますとちょっと言葉が適当でないかと思いますが、老境を迎えまして、いよいよ寂蓼感や哀切の念がますます深まってくるというような特別な事情があるだろうということで、援護局といたしましても懇談会で関係の先生方の御意見を求めまして、再度行うということに踏み切ったものでございます。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) 福祉はこれでいいというものじゃなくて、国力の許す限りこういう福祉政策というものは充実させていただきたいという気持ちは十分ございますし、そのとおりだと思うのですが、ただ、こういうたてまえ上のことが途中から変更されてまいりますと、今度は他の同じような制度を新設いたします場合にそういうものを導入することは大変障害になるんじゃないか。そういうものをつくってしまったら、また同じように何回も何回もそういうことが繰り返されていくのじゃないかというふうな懸念が生まれるために、逆にそういう制度の導入が新しい制度をつくるために大変困難なブレーキになるのじゃないかというような心配も起きてまいりますが、その点はいかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 御指摘の点も一つの見識をお話しいただいたことだと存じます。ただ、私どもが二度行うというようにいたしましたのは、最初に申し上げました、私どもの対象の方々が非常に老境を迎えておられる老齢化の現象を控えまして、特殊な事情にあるということから二度目を行ったということでございますので、その特殊性につきまして御了察をいただきたいというように考えるわけでございます。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) そういうことでありますので、私は最初申し上げましたように、高齢化してまいります方々、特にその中で低所得のためにお困りになっていらっしゃる方、あるいはこういういろいろな援護法の適用を受けているにもかかわらず経済的に大変お困りになっている方がいらっしゃるはずでございますので、そういう方々に対しては十分配慮をしていただきたいと思いますし、また、そういう方々に高齢者特別手当なんというものを新設しまして、そういうもので特別に手当てをしていく。たてまえ上つくられたものはたてまえを通していく方が逆にすっきりするのじゃないか。だから、私がいま申し上げましたのも一例を挙げたにすぎませんので、そういう場合には別の制度を考えて、それの適用にはめて、特別給付金というのはやはり一度限りという原則に立つならば、そういうたてまえを通してすっきりさせておいた方がいいのじゃないかと思うのですが、その点、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 先生の御意見は私どももごもっともな御意見であるというように考えますが、ただ、私どもの対象の方々が非常に老齢化しておられる。その場合に、いままで差し上げておるものがそういう意味においてはこれらの方々の特殊性によくマッチをするものであるということでございますので、私どもの方もその意味ではさらに慎重を期しまして、民間の有識者の方々にお集まりを願いまして、これを再度行うことについては十分それらの御意向をいただきました上で実施をしてきておるものでございますので、別な制度を設けることとどちらがいいかということにつきましては、なかなか即断はむずかしい問題ではなかろうかというように考えます。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) これは見解の相違でございますけれども、やはり筋は通された方がよろしかろうと思います。これを切ってしまえじゃなくて、逆に継続して行うべきものであるならば継続して行えるようなものをそこに追加していった方が納得されやすいと思いますし、私が心配いたしますのは、これに限らず、そういう国家補償をしていかなければならない新しい制度を設けられる場合のそのブレーキになってしまうというようなことがあって次の制度の新設の障害になることはよくないというふうに考えますので、その点はぜひまた私の意見も御配慮いただきまして、諮問していただくなり何なり、意見をひとつ調整していただいて、より円滑にこの制度が運営されますようにお願いしておきます。  その次に入ります。  戦後三十年を経過いたしました現在、戦中や終戦前後の証拠書類や証人もすでになくなっていると言われておりますけれども、これらの多くの方々の公務性などもそのために立証できない。そのために結果的に援護法による処置からも漏れているという方々がいらっしゃるのではないかと思うのですが、その点、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 この問題につきましては非常に兼ね合いのむずかしい問題でございます。遺族援護法を適用する場合に、死亡された方の原因となった傷病が在隊中になったものであるということを当時の資料で証明するということ、これが要するに公務上の傷病としては決定的な要素なんでございますけれども、それが得られないという場合がよくございます。その場合には、その事実をよく承知をしております上司、同僚等の認証であるとか、あるいは復員直後から亡くなるまでの症状、経過に関する遺族の申し立てでございますとか、あるいはその治療を受けておられる状況等を示す医師の診断書等がありますと、それらを総合して答えを出すということでできるだけの判定はいたしたいということでございますが、これらの資料が全く得られないということになりますと、判定はなかなかむずかしいということになるわけでございます。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) そのむずかしいところを何か打開する方法は具体的にございませんか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 先ほども申し上げましたように、決定的なその当時の書類がないという場合には、その周りの証拠をいろいろ集めまして総合的に判断をして、これならば——その場合に医学的な判断は私どもは医師の関係者の方々から御意見をいただくといったようなことで、総合的に判断をしてまいるということでございます。したがいまして、そのものずばりの資料がない場合におきましても、いろいろな傍証を総合いたしまして大丈夫という場合には、できるだけ援護の対象にするというように努めてまいっておるところでございますが、それもなかなかむずかしいということになってまいりますと、逆にまた、証拠が何にもないのに決めるということにつきましては適用が乱に流れるという批判を免れないということもございますので、この辺の兼ね合いが最初申し上げましたように非常にむずかしいところでございますが、できるだけ適正を期して、できるだけ対象の方々が損をなさらないように私どもとしては努めてまいる方針でやっております。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) ぜひ、法のたてまえからいって救済できるものは救済していくような方法、手段をとっていただきたいと思います。  次に、戦後三十年たっておりますけれども、いまだ日本に帰還していない者は大体どれぐらいの数字でございますか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 最も新しい状況で申し上げますと、昭和五十二年三月一日現在で未帰還者が二千四百三十八人でございます。その大部分の千九百七十三人は中国地域からの未帰還者でございます。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) その帰還できない事情は、大別して大体どういうふうな事情で帰還できないことになっておりますか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これはすべて同一の事情というわけにはまいらないと思いますが、本人が帰還をしたいという意思は持っておりましても、現地ですでに結婚をしておるというようなことからその夫が帰さないといったような場合もあるようでございますし、それからその土地の、その国の状況によりまして出国の許可がおりないというようなケースも国によってはあるようでございます。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) 本人が帰国を希望していながら他の条件によって帰れないような方々には、ひとつぜひとも今後その事情を究明していただきながら、その国にも十分そういう帰国促進のための努力をされる意思はございますか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 外交問題に属します事柄につきましては、私どもも外務省当局と常に連絡をとっておりますので、外務省当局の方でいろいろ努力をしてくれておるようでございます。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) 今後ともにひとつその努力を忘れないで続けていただきたいと思います。  それから、中国に残留している身元不明の日本人孤児が相当数おります。現在これらの者から身元調査の依頼が相当来ておると聞いておりますが、その調査状況はどういう状況になっておりますか、ひとつお聞かせ願います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 日中の国交回復がなされました昭和四十七年九月以降の状況で申し上げますと、その調査の依頼を受けました者は六百七十三人の方でございます。そのうちで身元の確認できた者は三百八十七人でございます。六百七十三人のうちで、新聞の御協力を得まして公開調査をした者、三百十一人ございます。これは、私どもの方の事務ベースで各都道府県なりいろいろ照会をしてみた上で、なお見つけるのがむずかしいという者について新聞の御協力を願うわけでございますが、その三百十一人の中で八十八人までが確認をされております。これはやはり新聞の力というのは非常に偉大なものであるというように私どもは考えております。状況は大体以上でございます。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) 残りの方々に対しましても今後努力をされるおつもりでございますか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私どもとしてはさらに続けてまいりたいというように考えておりますし、またさらに新聞にお願いする件数がある程度出てまいりますと御協力をお願いするということも、努力を続けてまいりたいと思います。現在、新聞関係からは非常に好意的に私どもの方に対応していただいております。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) 孤児といいましても、もう相当年齢的には高年齢になっていらっしゃる方々が多いと思うのですが、そういう方々で、日本に帰ってこられて何かトラブルその他で困っていらっしゃる方は現在いらっしゃいませんか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 具体的なケースを私がいま手元に持っておるわけではございませんけれども、御指摘のように、戦後三十年を経てお帰りになってこられた方々でございます。そういう意味で言葉の不自由さ、それから社会の仕組みの違うところ、制度の違うところで三十年間暮らされてきた方でございますので、日本の風俗習慣に合わせていくということも非常にむずかしい面があるようでございます。それらを乗り越えて適応していただくということでございますが、何分にも年齢が三十歳以上になっておりまして、子供の場合と違いまして適応力も比較的弱くなっておるということがございますので、その点では非常に御苦労が多いというように考えております。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) 円満に国元にお帰りになって幸せになられる方はいいのですけれども、せっかく祖国を夢見て切なる思いで帰ってこられた方々が、冷ややかな迎え方、あるいは生活にお困りになっていらっしゃる、あるいはその他いろいろな事情で不幸な立場に立っていらっしゃる方に対して、その援護、救済その他について具体的に何か考えていらっしゃるなり実行されていることがありましたらお願いします。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私どもの方の援護の守備範囲から申し上げますと、それぞれ外国から日本にお帰りになる旅費そしてそれぞれの落ちつき先に着かれるまでのめんどうを見るというのが私どもの基本的な仕事でございます。その後は、言葉の問題あるいは学校の問題、住宅の問題、それぞれございますが、それから生活費の基本になる生活保護を含めた生活の問題あるいは職業の問題というのがございます。これらはそれぞれの各行政の専門の分野がございますので、それぞれの行政においてお取り扱いを願うということになるわけでございますけれども、その間にギャップが生ずるおそれがございますので、私どもの方では、帰ってこられた方々に言葉を覚えていただくためのテキストを準備するということを昭和五十一年から始めまして、実はその書籍がいままだでき上がらない、なかなかむずかしいようでございますが、そういう段階でございます。  それからなお、昭和五十二年度からは予算の中で、これら引き揚げ者の方々の指導員ということで、特に帰られた先輩の方々もその適任者であろうと思いますが、日本の生活なりに適応していただくための指導に当たっていただくというような予算を計上しております。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) これはやはり雇用の問題も絡んでまいろうと思います。日本までお迎えするには一生懸命努力された、その後の、何のために帰ってきたかというとやはりその人なりの幸せを求めて帰ってこられたと思いますので、そういうことに対するアフターケアと申しますか、そういうものに対しても十分御配慮いただいて、そういう言語に対する不足を何とか補うということだけじゃなくて、もっと積極的に雇用の促進まで、あるいは労働省のそういう雇用促進の担当の方々とお話し合いいただきまして、そういう方々の将来の生活設計まで御配慮いただくようにお願いしておきたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 私どもの方も労働省あるいは文部省その他と従来からも連絡しておるところでございますけれども、さらに一層緊密に連絡をいたしまして、それぞれの関係のところに私どもの方からもお願いするということは怠らないようにいたしたいというように考えております。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) ぜひそのようにお願いします。  大臣の参議院予算委員会出席に対して、この審議の進捗に協力する意味で大臣不在で質疑をやりましたけれども、ぜひあなたから私の質問要旨について十分御説明いただいて、大臣にも御納得あるいは御協力いただけるようにお願いしておきたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 御趣旨は十分大臣に伝えるようにいたします。

工藤晃新自由クラブ

○工藤(晃)委員(新自) それではこれで質問を終わります。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 この際、暫時休憩いたします。     午後五時四十九分休憩      ————◇—————     午後六時三十七分開議

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  質疑を続行いたします。浦井洋君。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 大臣によく聞いておっていただきたいのですが、大変御苦労さんです。  まず第一点は、今回改正された部分というよりも、改正をされ、しかも新規の部分があるわけなんですが、新たに平病死の遺族年金の支給範囲が拡大をされたということになるだろうと思うのです。ところが問題は、拡大された部分について年金の額が九万円という、新しい、より低いランクをつくられたわけであります。従来から支給されておった部分の年金額というのが十万円で、しかもことしの八月からは十二万円に上がるというふうになっておるにもかかわらず、なぜわざわざ低いランクといいますか、ランク外の九万円というようなものをそういうかっこうで新設をされたのか。その根拠、理由を一遍お聞きしたいと思います。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 今回の平病死年金につきましては、基本的には恩給における措置に準じて支給をするということで決めたものでございます。その基本的な物の考え方は、同じ平病死の年金でございましても、すでにございました項症のものに比べまして今回のものは款症ということで、病気の程度、障害の程度の低い者を対象にするものでございますので、前の部分が十二万円になった、その四分の三というのが九万円ということで、要するに公務の程度によってということならこの辺のところではなかろうかということで決められたものではないかと承知をいたしております。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 いみじくもこの辺のところではないかというふうに言われておるわけでありまして、何かいただいた表を見ておりますと、公務傷病の特別項症から六項症まで、これがAランクで、その次、第一款症から第五款症までの公務傷病がBランクで、勤務関連はその下のCランクで、しかも軽い一款症から五款症までは今度新設されてDランクというような、何か根拠のない序列をつくっておられるような感じがして仕方がないわけであります。これはもちろん額の高い方が支給される皆さんに喜ばれるわけではありますけれども、少なくともやはり公務傷病一款症から五款症のこの辺のランクには持っていかなければならぬのではないか、理屈から言ってもおかしいのではないか、こういうように思うわけですが、もう一遍局長からひとつ。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 基本的には、公務に対する貢献度とも言えることが基本になるわけでございます。それによりまして、いわゆる障害と公務の間の因果関係の強さでございますとか、あるいは障害の程度といったようなものを考慮するということによって差等を設けるということは、これはこの年金の性質から考えてそうあるのが姿であろうということから、やはり差等づけをするということはやむを得ないというように考えられるわけでございます。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 それも納得がいかないのです。遺族年金ですから、むりやりに廃疾の程度によって遺族に支給する遺族年金の金額まで差をつけるというのは私はうなずけないわけでありますが、しかし、いずれにしても、厚生省としてはいつまでもこの新規の九万円をそのまま置いておかれるつもりはないわけでしょう。どうなんですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これは他の年金とのバランスの問題でございますので、ランクとしては私どもは恩給と合わせるべきであるというように考えておりますので、恩給と同一歩調で考えるべき性質のものであるというように考えております。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 これは新規ですからことし始まるわけなんですが、来年度、五十三年度の厚生省の概算要求としては何がしかの引き上げの措置は講じられる決意なんでしょうね。ちょっと大臣にお尋ねしたいと思います。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 いま答弁をいたしましたように、年金とか恩給とかというのは関連性がございますから、恩給の手直しというときには当然これも一緒に上げてもらう、こういうことになると思います。これだけというわけにはなかなかいかない。恩給と連動します。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 それと、もう一点は、今度は遺族一時金の年金化、これもよいことだと思うのです、従来一時金であったのが今回年金化するということで。ところが問題は、やはりここでもその額が、遺族給与金でありますけれども、これが最低のまだもう一つ下の九万円、こういうふうな額にとどめおかれておるわけなんですが、これも何で格差をつくったのか。お答えいただいても余りぱっとした返事は返ってこないだろうと思うのですが、少なくともこれもいまの年金の最低ランクである先ほどの十万円、今度十二万円になるという辺に持っていくように努力をすべきではないか、こういうように思うのですが、いかがですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 今回の遺族一時金の年金化につきましては、御案内のように、これは遺族一時金という形で一回十万円ということで済んでおったものでございます。ただ、最近におきます年金の支給対象範囲の拡大の動向、特に平病死に係る遺族年金の支給範囲の拡大等のことにかんがみまして、均衡も考慮いたしまして年金化に踏み切ったというものでございますので、その意味におきまして、最も最近にできました平病死年金の九万円に合わせたということでございます。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 だから大臣、やはり先ほど申し上げた第一点の平病死遺族年金の九万円というのが問題になるわけですよ。だから、遺族一時金十万円を年金化して九万円というのもうなずけないわけでありますけれども、その右へならえということで、初めに申し上げた平病死遺族年金、この額の引き上げをやはり大臣としてひとつ積極的に努力をしていただきたい。恩給に右へならえだという話でありますけれども、それはそれとして、大臣として積極的な努力を期待したいと思うのですが、どうですか。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 これは欲に切りのない話ですが、いままで一時金であったものを年金に直したということは、実は大変な改善だと思うのですよ。しかしそれでも十分というわけには、なかなかこれはもらう方と出す方ですから違いがございますが、今後とも、物価等の上昇もございますし、当然……(浦井委員「五十三年度の場合」と呼ぶ)五十三年は、物価等の問題もあるから、やはりそれに見合って充実をするように努力はしてまいります。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 それでは、次の問題に移りたいと思います。  いつもこの法の改正のときに問題になっておるようでありますけれども、再婚解消妻の問題であります。これは五十一年度に、それまで二十七年四月二十九日までであったのが二十八年七月三十  一日まで拡大延長された、それで今回はこれに合わせて特別給付金の支給が新規でついた、こういうことになるわけであります。これはよいことではあるわけなんですが、しかし、なぜこの際に二十八年七月三十一日までであるのをもっと延長しないのか、拡大しないのか、その辺がよくわからぬわけなんです。戦中戦後の混乱期に不幸にして夫を失った御婦人が、子供を育てるためであるとかあるいは自分の生活を支えていくために、やむなく再婚をしたケースもあるだろうし、これはその当時の経済事情からして当然のことだと思うわけなんです。だから、これはもっともっと広い範囲にわたって救済すべきではないか、こういうふうに私は思うわけなんですが、どうですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 援護法におきましては、妻が再婚をした場合には本来はその対象としないというのが基本でございます。しかし、昭和二十一年の二月に軍人恩給が停止されまして以後は、当時の事情から申し上げまして非常に生活上の困難があったと考えられます。これらのことを勘案いたしまして、軍人恩給が復活をした日の前日、昭和二十八年七月三十一日までに再婚を解消している場合には、特例としてこれを認めるということにしたものでございます。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 遺族年金の受給資格で養子縁組みの場合には、これは昭和三十年の法改正のときの附則第六項で、三十年六月三十日までに解消したものについては受給資格を認める、こういうふうになっているわけでしょう。だから、それとの整合性というような意味から言っても、合わせて別に差し支えないではないか。少なくともその辺までは拡大延長してもよいのではないか。支給対象もそう多くないことでもあるし、財政的な問題はないわけなんですから。どうですか、それは。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 その点につきましては、そういう考え方も一つの考え方であろうとは思いますけれども、養子縁組みをした者が養子を解消されるという事柄につきましては、当人の意思決定能力の問題ではなしに、周囲の事情で決まるということが多いであろうと考えられます。その点が一つ違っておりますのと、それから、戦没者の妻が再婚したことに対する問題につきましては国民感情の問題等もありまして、これは実は賛成意見ばかりではございません。そういう意味におきましては、軍人恩給が復活した時点をもって期限を切るということが一番いいんじゃないかというように考えられます。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 いろいろ理由を言われるようでありますけれども、私、聞いたところによりますと、二年前に厚生省自身が予算要求で三十年まで要求したという経緯もあるというふうに聞いておるわけなんです。だから、これはもうこの際、先ほど私が言った三十年まで拡大しても別にメンツにも——メンツにこだわっているのかどうか知りませんけれども、どうですか大臣。この辺になってくると局長よりも大臣でしょう。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 そういうことはあったそうですが、妻が再婚した場合はともかく出さないというのが原則です、一遍行っちゃったんだから。お灯明料なんというのもありまして、あれも再婚した人にはやらない。前の亭主のことばかり考えていて、新しい亭主のところに行って前の人ばかり拝んだりしていられては結婚した人はいい気持ちはしませんから、そういうようなこと等もあって実際はいろいろ反対もあるのです。再婚したらばそれでいいじゃないかというようなのもあるのです。私なんかは実際は余り賛成しない方なんです。だから、よくわかりませんけれども、そういうことをいろいろ考えて妥協の産物としてできたんじゃないかと思います。だから、特別にこれでなくちゃならぬということもないし、これ以上にもっと、三十年に合わせなくちゃ……(浦井委員「しても差し支えないわけでしょう」と呼ぶ)と思うのですけれども、やはりそれは銭金の話も一緒にくっついているんじゃないですか。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 局長の言われることをより悪く表現されている。大臣にせっかく答弁していただく値打ちがない。私は、渡辺厚生大臣というのは個人的にはかなり評価をしておるわけなんですが、やはり銭金の問題じゃないわけなんですよ。して差し支えないなら延長していいじゃないですか。どうですか大臣、もう一遍。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 よくわかりませんから、よく検討いたします。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 そういうことだそうでありますが、その次の問題に移りたいと思います。  こういう金額的な改定が今度の改正で行われるわけなんですけれども、これが当初六月とか十月の予定であったのが、今度の一兆円減税の大きな運動によって与党も予算を修正されて、そしてその減税措置に伴うものとして二カ月間支給が繰り上げられたわけです。この二カ月、特に四月になるという点では、前からいろいろな方面から強い要望があったわけで、われわれとしては非常に歓迎をしておるわけなんですけれども、問題は、本年度だけの実施だということで特例にせずに、これからもずっと四月実施あるいは八月実施というかっこうに固定すべきではないか、こういうように私思うわけなんですが、この点について、これもひとつ大臣にお伺いしたいと思う。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 浦井さん御承知のとおり、今回の予算修正は政府が言い出したのではなくて、国会の方から言ってこられて、それで与野党で話し合いができてこうしょうということになったわけなんです。したがって、これはともかく一兆円減税から始まって、ことしの問題だけとして取り上げられたことでございますから、私ども政府の側といたしましては、いま、来年からはこれがいいということは申し上げられない立場にございます。国会の方で決めたものですから。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 厚生省としてはこれは当然だと思っているわけなんでしょう。だからやはり私はやるべきだと思うのですがね。しつこくは言いませんけれども。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 これは先ほど言ったように、私は厚生大臣でもありますが、やはり内閣の閣僚でもありますから、内閣全体としては、これはことし限りの措置ですよと言って国会で答弁して、まだ予算も成立しない段階でございますので、やはり全体のことを考えると私だけが先走った答弁ができる立場にないわけなんですよ。腹の中はどうか知らぬけれども、ともかくそういう立場にはない、こういうことで御了承願いたいと思います。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 今度は順序が逆になりますけれども、局長はどうですか。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 これは大臣がお答え申し上げたとおりでございますので、来年度以降の問題は来年度以降の問題として、各恩給と各種年金との均衡を考慮しながら検討してまいりたいということでございます。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 委員長もせいておられるようなんで、個別の問題を一つ申し上げたいと思うのですが、昭和二十年八月六日に広島への原爆投下があった。そのときに死亡された方の中で、広島県立医学専門学校附属病院の看護婦さんがおられるわけなんです。これは午前中から午後にかけてかなりこの系統のお話が論議されたようでありますけれども、法体系がどうなっておるか、どうのこうのというような議論は別にして、とにもかくにも、ここに私は陳情書を持ってきておりますけれども、防空法による救護業務に組み入れられておって、しかもその中の一人の方に対してはこの援護法の適用も行われておる。現在十四名の亡くなられた方の親御さんからこの申請が出されておるわけなんです。これはやはりいろいろな法律の仕組みの中で、該当するやらしないやら、議論があるでしょうけれども、そういう事情から言って、金額の上から言っても大して負担にならないわけでありますから、これはやはりこの法律の適用を行ってこの人たちの期待に報いるべきではないか、このように私は思うわけでありますが、これはひとつ局長から。

出原孝夫厚生省援護局長

○出原政府委員 広島の県立病院内で亡くなりました看護婦さんたちにつきましては、その死亡当時の状況がまだつまびらかでございません。いま申請は十六件請求を受けておりますけれども、この人たちの死亡当時の状況が、旧防空法に基づく防空業務従事令書を交付され、かつ防空業務に従事していたのであるかどうかということにつきまして、現在広島県の保管資料を中心にしまして調査をしておるところでございます。私どももできるだけ早く結論を出したいということで、県の方とも打ち合わせをいたしておる段階でございます。結論が出るのはまだしばらくお待ちを願いたいということでございます。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 これは局長の方でもよく御承知だろうと思うのですけれども、ちょっと読み上げてみますと、「昭和二十年八月六日広島県立医学専門学校附属病院で救護活動中被爆死した看護婦の一人亀井政子さんは厚生省で「公務死」が認められましたが、防空法による防空従事令によって、まつたく同じように救護業務に当たる体制の中に組みこまれていた左記二名」——これは二名の方の陳情書でありますが、「左記二名がいまだ認定をされず保留されています。しかし、保留される理由はまったくないので「公務死」として認定し、すみやかに「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の適用をしていただきますようお願ひいたします。」こういうのが恐らくそちらにも行っているだろうと思うのですけれども、先ほども申し上げましたように、早く実態を把握をしていただいて、適用の範囲を少し広くとっていただくなりしてこの人たちの期待に報いていただきたい、このように私は大臣に要望したいのでありますが、どうでしょう。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 局長が答弁いたしましたように、できるだけ早急に結論を出してまいりたいと存じます。

浦井洋日本共産党・革新共同

○浦井委員 それで、最後に、これはもう朝から各党が出されましたので、私、要望だけ申し上げておきますけれども、やはり満蒙開拓青年義勇隊の隊員の問題であります。これは昭和十四年になっておるのを十二年に遡及せよというような議論も出てまいりましたし、私特に言いたいのは、義勇隊から開拓団員になった方からいろいろと要望を受けておるわけでありまして、この点についてぜひとも実態調査をきちんとして、その人たちの要望に沿うようにしていただきたい。このことを大臣にひとつお伺いをして、一応私の質問を終わりたいと思います。

渡辺美智雄自由民主党厚生大臣

○渡辺国務大臣 御要望は十分拝聴いたしましたが、関係者の話をよく聞いてみたいと思います。

橋本龍太郎自由民主党

○橋本委員長 次回は、来る十二日火曜日午前九時五十分理事会、十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後七時三分散会      ————◇—————

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