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78回国会参議院1976/09/16

本会議 第1号

発言数
9
登壇者
3
会派数
3
開催日
1976/09/16

会議録

河野謙三各派に属しない議員議長

○議長(河野謙三君) これより会議を開きます。  日程第一 議席の指定  議長は、本院規則第十四条により、諸君の議席をただいまの仮議席のとおりに指定いたします。      —————・—————

河野謙三各派に属しない議員議長

○議長(河野謙三君) この際、新たに議席に着かれました議員を御紹介いたします。  議席第百十六番、地方選出議員、秋田県選出、佐々木満君。    〔佐々木満君起立、拍手〕      —————・—————

河野謙三各派に属しない議員議長

○議長(河野謙三君) 議員岩男頴一君は、去る八月九日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。  同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。  ここにその弔詞を朗読いたします。    〔総員起立〕  参議院は議員従五位勲四等岩男頴一君の長逝に対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます      —————・—————

河野謙三各派に属しない議員議長

○議長(河野謙三君) 金井元彦君から発言を求められております。この際、発言を許します。金井元彦君。    〔金井元彦君登壇、拍手〕

金井元彦自由民主党

○金井元彦君 本院議員岩男頴一君は、去る八月九日、脳卒中のため、突如として逝去されました。二日前病魔に倒れられる直前までは、元気はつらつとして政務に奔走されていた岩男君の健康そのものの御様子からは、全く予想もし得なかった悲痛な出来事であり、哀惜の念にたえません。ここに、私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉をささげたいと思います。  岩男君は、大正八年一月、大分県大分郡湯布院町に生まれられ、昭和十八年に日本大学医科を御卒業、軍医として南方戦線に従軍し、復員後は郷里において医師として開業されました。次いで昭和三十年には弱冠三十六歳で湯布院町長に選出され、衆望を一身に集め、五期連続、昭和四十九年七月に本院に議席を得られる直前まで、実に二十年近い間、名町長の名をほしいままにされました。  その間、大分県町村会長、全国町村会理事、大分県消防協会副会長、県ユースホステル協会会長、県観光協会副会長、県社会教育団体連絡協議会会長、県土木協会会長を初め、農業協同組合や森林組合の役員などの要職につかれ、精力的な活動家ぶりを遺憾なく発揮されました。また、この間に引き受けられた公職の数は四百有余に及んだと言われ、町村自治発展の基盤づくり、農・林・観光面などの産業振興、青少年の育成、体育の振興、社会教育の充実などに文字どおりひたむきな熱意と努力を傾注されたのであります。  特に君は、「町づくり国づくりの基本は治山治水にあり」を政治信条とされておりました。昭和三十四年に日出生台演習場の補償工事期成会会長に就任され、駐留軍の使用によって荒廃した用地の補償工事に寝食を忘れて精魂を傾けられ、河川改修、洪水調整ダム、貯砂堰堤などを完成させ、周辺町村の町づくりの基礎を築かれた御事績は、君の仕事に打ち込む誠意と強靱な実行力を示すものであり、その御功労は後々までも高く評価されるものであります。  君は、前回の参議院議員通常選挙にみごとに当選を果たされました。二十年になんなんとする自治体の長としての御在歴、そして幅広い活動の経験から、国政参画に期する信念にはかたいものがありました。  第七十三回国会以降、地方行政、決算、大蔵、社会労働、農林水産、逓信、議院運営の各常任委員会、災害対策や科学技術振興対策の特別委員会にも席を持たれ、終始、真摯な態度で案件の審査に精励されました。とりわけ、地方行政委員会においては理事の職責を負われ、時あたかも経済の低成長時代を迎え、地方自治行政のあり方が根本的に問い直されつつあるとき、君の多年にわたる地方自治行政の執行管理者としての豊富な経験と卓越した識見が、委員会審査に大いに貢献するであろうことを私どもは心から期待していたのであります。国と地方を通ずる行政事務の配分、財源の配分という基本問題については、日ごろ強い関心を持たれ、特に国庫補助金制度については現行制度の欠点を端的に指摘し、きわめて積極的な改革意見を持たれていたのであります。  また、自由民主党内にあっても、政務調査会の災害対策特別委員会の副委員長を初め、本院においては国会対策委員、幹事などとして党務にも熱心に活躍しておられました。  本院に議席を得られてからわずか二年、政治家としての大成の志半ばにして他界された君の御心中は察するに余りあるものがあります。理非曲直の判別を重んじ、責任感強く、情熱を傾けて事に処するりっぱな政治家として今後に大いに嘱望された君を五十七歳の若さで失ったことは、国家にとっても大きな損失であります。私どもも、この議場で、そしてまた委員会の席で再び君に相まみえることのできないことを思えば、深い悲しみに身のふるえるのを禁じ得ないのであります。ただひたすらに、在天のみたまの安らかにお休みくださることを合掌してお祈りするのみであります。  ここに、謹んで故岩男頴一君の生前のありしお姿をしのび、御功績をたたえ、心から御冥福をお祈りして追悼の言葉といたします。(拍手)      —————・—————

河野謙三各派に属しない議員議長

○議長(河野謙三君) 議員大森久司君は、去る八月十三日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。  同君に対しましては、すでに弔詞を贈呈いたしました。  ここにその弔詞を朗読いたします。    〔総員起立〕  参議院は議員正四位勲二等大森久司君の長逝に対しつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます      —————・—————

河野謙三各派に属しない議員議長

○議長(河野謙三君) 向井長年君から発言を求められております。この際、発言を許します。向井長年君。    〔向井長年君登壇、拍手〕

向井長年民社党

○向井長年君 本院議員大森久司君は、去る八月十三日、急性肺炎のため、東京慈恵医大附属病院において急逝されました。まことに痛惜の念にたえないところであります。ここに、私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表して、正四位勲二等故大森久司君の霊に謹んで追悼の言葉をささげたいと存じます。  大森久司君は、明治三十四年八月、奈良県桜井市初瀬町の旧家に生まれ、長じて県立畝傍中学校を卒業、関西学院に学ばれ、つとに志を立てて、昭和五年、弱冠二十八歳で奈良市に大徳電気商会を設立、近畿一円の電気工事会社統合に際し、君はその一翼を担って近畿電気工事株式会社の設立に努力され、取締役に就任されました。会社は創業早々にして終戦を迎え、その存立にかかわる幾多の難関に遭遇いたしましたが、君は当時すでに奈良県議会議員として活躍する傍ら、よくこれを克服、昭和二十九年まで取締役奈良支店長を務められたのであります。しかし、君の天性の資質が遺憾なく発揮され、経済成長期には、その手腕を買われ常務取締役に就任、昭和三十二年専務取締役、同三十六年取締役社長、そして今日まで取締役会長の要職にあり、二十数年の長きにわたり会社経営の責任ある地位につかれたのでありました。その間、君は、総合設備業界では実行困難と言われていた予算制度を採用したのを初め、全面的に経営の近代化を行い、全国主要都市に支店網を張りめぐらすとともに、シンガポール、インドネシア、マレーシアなどに合弁会社を経営するなど、社業の伸展に大いに努力され、業界のトップに立つ今日の近畿電気工事株式会社に育て上げられたのは、君の大きな功績と言えるでしょう。  また、君は、戦後復興期の昭和二十二年奈良県商工会議所の設立とともに理事として活躍、昭和三十五年会議所法の改正により奈良商工会議所となるに及んで会頭となり、翌年には奈良県商工会議所連合会の会長に就任するほか、大阪商工会議所議員となり、日本商工会議所常任議員を務めるなど、会議所の充実発展に貢献されたのを初め、昭和三十八年奈良商工会議所EEC調査団長、四十二年には同会議所産業視察団長として二度にわたって欧米各国を歴訪、視察し、見聞を広められたのであります。ことに地域商業の振興に尽力されるとともに、奈良商工業の将来の発展を期して商工会館を建設されたのであります。  君の経済界に残された足跡とともに、政界にしるされた足跡も大きく、昭和十年に推されて奈良市会議員に当選されてより、市議会議員を三期、続いて県議会議員を六期、その間、県会副議長、二度にわたって県会議長に就任し、奈良国際文化都市審議会会長、奈良県国宝保存連盟会長などの要職を務められ、公正かつ円満な議会運営を図り、議員の信望を集め、地方政界の長老として、今日までの長きにわたり、若き人材の発掘と指導に当たってまいられました。  そして、郷土の人々の熱心な推挙により、中央政界へ進出を決意せられ、昭和四十年本院に議席を得られ、また、四十六年に再選されたのであります。この間、物価等対策特別委員長、商工委員長、建設委員会理事、裁判官訴追委員など歴任され、また、党にあっては副幹事長、道路調査会副会長、党総務などの要職につかれたのであります。君は、常に対話と協調、公正、円満な委員会運営を願ってこられたことは同僚議員の認めるところであります。君を知る野党議員も、その信望の厚かったことを私は知っております。  私の強い印象の一つに、君が近畿電気工事会社社長当時、労働組合から賃金、手当等の値上げ要求が出された、時あたかも不況下で、会社の業績も芳しくなかったが、要求額の七〇%程度で解決せざるを得ないかもしれないと組合が考えていたとき、大森社長は、「要求趣旨は理解できる、労働者、従業員あっての会社であり、労使真の協調をしなければ会社の業績は望めない、したがって借金してでもその要求を一〇〇%受け入れよう」と回答し、円満に解決を見たのであります。組合員の社長に対する信頼と尊敬の念が高まり、組合委員長より大森久司社長に対して感謝状が贈られたのであります。このことは、君の企業経営哲学と豊かな人間性のあらわれと思います。  君が中央政界に入りました動機が政治と中小企業の間に太いパイプを通すためと語っておられたように、近畿地方の総合開発と発展に努力され、ことのほか中小企業の振興に情熱を注がれたのであります。  君はまた、だれよりも郷土を愛し、奈良の歴史的文化風土保存と開発、調和のため、甚大な努力と貢献をされました。  君は決して雄弁ではありませんでしたが、長い間政財界におられただけあって、人間関係を大切にし、めんどう見はことのほかよく、人柄は温厚にして誠実、信念と努力の人でありました。さらに、「和と明朗」、「研究と努力」、「誠実と奉仕」を人生訓としておられたことも君の人柄がうかがわれるところであります。  わが国の政治、経済が多難なときを迎えた今日、突然君を失ったことは、本院にとっても、国家・経済界の重大な損失であり、痛恨のきわみであります。まさしく君の生涯は、四十数年の長きにわたって政治と経済界にすべてをささげた一生であると言えるでしょう。  ここに謹んで大森久司君の生前におけるありし姿をしのび、数え切れぬ功績をたたえ、心から御冥福を祈って追悼の言葉といたします。(拍手)

河野謙三各派に属しない議員議長

○議長(河野謙三君) これにて休憩いたします。    午前十時五十二分休憩    〔休憩後開議に至らなかった〕

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