文教委員会 第5号
- 発言数
- 217 件
- 登壇者
- 20 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1976/05/11
会議録
○委員長(山崎竜男君) ただいまから文教委員会を開会いたします。教育、文化及び学術に関する調査中、当面の文教行政に関する件を議題といたします。本件に対する質疑を行います。質疑のある方は順次御発言願います。
○山東昭子君 このごろの小中学生の体位の向上は目をみはるばかりのものでありまして、次第に欧米諸国の水準に近づきつつありますけれども、一方においては、走力、跳力あるいは持久力といったものが身長、体重の伸びに比べて横ばい状態、特に大都市周辺の学童の中には肥満児が多くなっているのが御承知のような現状でございます。このように体位と体力とのアンバランスが叫ばれる中で、先般、文部省の教育課程審議会では小中高の教育課程を洗い直す作業を進めているが、その中で中学の体育時間を現行の一週間三時間から二時間とするというようなことが云々されております。もしそのようなことがあるとすれば、いつぞや大臣がつくられた視学委員のメンバーの中にも、水泳の古橋広之進さんを初めといたしまして、バレーの中村昌枝さんであるとか、あるいはその他いろいろの方々がお入りになって、大臣はむしろ積極的にスポーツに力をお入れになるというお考えではないかと思っていたのでございますけれども、どうも何か方向が逆の方に行ってしまう、そんな感じを受けるのでございますけれども、そうすると、そのような会は、永井文部大臣の何やら御趣味の会に終わってしまうようなことでは無意味になってしまうと思うのですけれども、どうやらその会がしり切れトンボというようなことも感じられるのでございますけれども、一体、その実情はどのようになっているのか、あるいは、そうしたメンバーの方々の御意見というものがどのようにこれから教育の上に影響を受けるのか、その辺のところをお伺いしたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 体育尊重ということにつきまして、私も体育は体育であるばかりでなく、徳育であるという考えを持っております。そこで、教育課程審議会の方の問題、また必要であれば後で申し上げますが、高村会長を中心にやはり同じお考えをお持ちになっておられるので、その点では私が体育尊重と申しましたことは教育課程審議会でもそうお考えでありますから、次第にその方向に整備されていくわけでございます。そのことと関連して、助け合いの視学委員にお願いして、その中に体育の方を相当含めましてお集まりを願ってきたわけでありますが、これをこれからどうしていくかという問題なのですが、御承知のように、二月にお集まりを願いまして、そして本年度予算でということで考えておったのですが、本年度予算がやっと成立をいたしました。そこで、いよいよこれからということですが、もう予定を立てておりまして、例のバレーの中村さんは五月の十一日に三重に行っていただく。それから野球の川上哲治さんほか猪熊さん、池田さんは五月十八日に山形、それから六月早々に、八日でございますが、春日野親方は徳島ということで、まず東京よりも地方がそういう何というか著名なスポーツのリーダーに来ていただけば非常に活気づくと思いますから、いまそこまで予定ができて、逐次さらにこれを強化していく考えでございます。
○山東昭子君 そういうことで、教科の時間を創意工夫した時間にするならばうなずけると思います。たとえば、削減した分を、体育活動であるとか、あるいはボランティア活動、あるいは社会見学をするならば大変結構なことと思いますけれども、その中で特にクラブ活動のあり方というものについて伺いたいと思います。体育の時間が削減されるとすると、特に教科以外のクラブ活動を小中高において再検討しなければならないときではないでしょうか。現在、小学校においては四年生以上となっているようでございますけれども、生徒の個性あるいは創造性の育成という見地から、もっと低学年から自由に研究的な活動を実施したらいかがでしょうか。しかし、中には中学や高校のクラブ活動の中で余りにも自由過ぎて漫画クラブなどというものができて、先生みずからがエログロ漫画などというものを学校の図書費で購入して、そしてにたにた喜んで読んで、生徒に与えているというところもあるそうでございます。この話をお聞きになって、文部省の方は、一体クラブ活動における教師の指導性というもの、あるいは今後のクラブ活動のあり方というものについてどのように考えていらっしゃるのか、お聞かせ願いたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) ただいま、先ほどの御質疑との関連で、体育の授業が縮減されるということであるとクラブ活動を重視しなければいけないというお言葉がございましたので、教育課程審議会でお考えいただいている基本的な方向というものについてちょっと御説明を申し上げてからクラブ活動について申し上げたいと思います。 教育課程審議会高村会長が記者会見で御発表になりましたのは、確かに授業時間数というのはすべての授業時間数にゆとりを持たせるということでございますから、削減の方向であることは確かでございます。その中に体育も入っているわけなんですが、しかしながら、実を申しますと、その全体の時間の中の比率は、国語と数学と保健体育はいままでよりふやすというわけです。ですから、授業が中学段階でちょっと減りますが比率はふえるということになりますので、その点御了解願いたいと思います。 そうすると、まあしかしそれにしてももっと体育が必要であるということから、いまクラブ活動のお言葉もありましたが、そのほかに考えておりますのは、業間体操というのが、授業と授業の間の体操ですね、これをやっていくように、この場合には、体育の先生だけでなく、ほかの先生方も体育というのはみんな関係がございますから、そういう方向にしていく。そしてさらに、いまお言葉にございましたクラブ活動というようなものを一層重視していったらよいではないか、こういう考え方でございます。 ところで、そのクラブ活動の実態、それから今後の方向でございますが、クラブ活動につきましては、文部省で昭和四十五年に調査をいたしております。クラブ活動を実施しております学校は、小学校では現状八八%、その現状というのは調査現状、中学ではほぼ一〇〇%、高等学校全日制では九九・九%、定時制では九八・九%でございます。そこで、その中で体育的クラブの設置状況で申しますと、小学校段階では一つの学校に二つ以上クラブがある、中学では六つ以上、高等学校では十一以上、こういう数字が出てきているわけでございます。われわれの考えでは、これはそれこそ現在の試験地獄の激化ということとも関係がございますが、ですからなるべくそちらの方をよくしていかなければいけない。つまり、よくしてというのは、緩和しなきゃいけないというのは、これは教育課程審議会も同じお考えでありますが、そういうものの改善に伴いまして、小学校の段階から、お言葉のように、業間体操、それから正規の授業、さらにまたクラブ活動と、こういう方向で、いわば学校全体の生活の中で、すべての先生もすべての子供もという方向で体育を強化したいと思っているわけでございます。
○山東昭子君 私は、子供というものを必要以上に保護したりあるいは甘やかすことには反対ですけれども、学校は明るく楽しい生活の場でなければならないと思います。偏向したイデオロギーに巻き込まれたり、あるいは子供たちを生き生きと豊かに育てるためには、いまおっしゃったような業間活動であるとか、あるいは校外学習、クラブ活動などに特に力を注いでいただきたいと思います。教育課程審議会というものの意図が軟弱になりまして、詰め込み教育の推進、あるいは知育偏重の偏った施策にならないように、ひとつ慎重に検討していただきたいと、強く大臣にお願いをいたします。 次に、大学教育の改革についてお尋ねしたいと思います。 現在、わが国における学校教育の最大の問題は、入試準備教育が年々過熱して、小中高等学校の教育は受験準備のテスト教育あるいは記憶偏重教育になっており、大学教育は入学がむずかしく卒業は楽な状況のもとで形骸化しているわけですが、また、こうした中で、進学塾等の隆盛というのが現状であるわけでございます。しかし、現在四年制大学の在学者数は約百六十六万人と言われておりますが、社会人を調査した結果を見ますと、大学卒の資格が能力以上に重く見られることはだんだんなくなると思うというのが約三九%を占めている反面、一流大学卒という資格がますます重視されるという意見も約二六%見られるわけでございます。そうして、特に高い学歴を持った人ほど学歴評価が低く、低学歴層では学歴評価が高いことでございます。大臣は、これから十年あるいは二十年先のわが国で、学歴と社会における能力というもの、これは今後どうなるとお思いでしょうか、その展望をお聞かせくださいませ。
○国務大臣(永井道雄君) 将来予測というのはなかなかむずかしいことでございますが、私だけではなく、文部省の場合には、そういう長期計画は、高等教育懇談会、茅先生が会長でいままで御審議を願っていただいているわけでございます。茅先生を中心にした高等教育懇談会の将来的な考え方は、いままで高等教育と申しておりましたのはいわゆる大学、短大だけですけれども、もう少し広い角度で考えてみたらどうかということでございます。広いというのはどういうことかと申しますと、たとえばこの四月一日に発足いたしました専修学校というのがございますが、高等学校を卒業して入っていく専修学校、こういうふうなものも広義の高等教育に考えていくべきであるということでございます。 実は、専修学校について、リクルートセンター——民間の団体てございますが、そういうところで調査などをやっておりますし、文部省もこれからいまでき上がったものについて調べていくわけですが、いままで出てきた調査によりますと、実は非常に就職率がいいのです。九〇%を超している。この場合には、いわゆる学位を取っていないのですね。しかし就職率がいい。これはどうしてかと言えば、本当に身についたやはり技能といいますか、そういうものがあってということではないかと思います。すでにこういうものが重視されているという現状を見ますと、私は、従来のように中身はそれほど重視をいたしませんでも、ともかく四年間大学に行って学位を取るという形の、すべての大学とは申しませんが、形式的に非常に学位を重んじるというものは次第に力を失ってくるという予測を持っております。事実、これは労働省などでも昨年から調査をいたしてきておりますけれども、もちろんすべての大学卒の人が不利になってきているというのではないのですが、そうではないのですが、大学卒とそれからいま言ったような専修学校ないしは高等学校を出て実力で活動している人を比較した場合に、次第に賃金格差というふうなものも学校の別を問わず狭まってきている方向にあるということはすでに結果として出てきておりますから、私はそういう方向は強まっていくであろうと思います。 そうすると、大学というものはどうなるかというと、大学という名実ともにそういうものを備えているところ——やはりある意味におきましてはいまのは学歴尊重というよりは偏重だと思いますが、非常にホワイトカラーのマーケットが急速に拡大いたしました中でだれでも大学大学という一つの勢いがついて、はずみがついてなっているのが現状でございますから、私はこれからもう少しじみちな方向というものが開けてくる。ただ、十年先に何%でどういう形かというところまで具体的には描けませんですけれども、方向としてはそういう方向が強まっていくでございましょうし、高等教育懇談会もいまのような御意見でありますので、文部省としてもそういう方向を目指して、いわば大学の多様化、大衆化ということを考えますが、形式的に流れない、そういう大学教育の充実を考えているわけでございます。
○山東昭子君 大臣は、従来から、学歴社会の解消、あるいは学校間格差の是正、あるいは入試制度の改革、教育課程の改善に取り組むと言われております。しかし、これらは必要な対策ではありますが、すぐに効果を上げることはむずかしく、また果たして十分な成果を上げることができるか、大変疑問な点もございます。したがって、この辺で日本の教育の現状をドラスチックな改革をする必要があるのではないでしょうか。その一つとして、ある水準以上の生徒はすべて大学に入学させる、そのかわり進級や卒業は厳しくして、そして、国公立の場合は進級できなかった者はどこの大学にも入学できないというように、大学のあり方を根本的に考え直すときではないでしょうか。そういう点に関して大臣はどのような御見解か、お伺いいたしたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 確かに、山東委員がおっしゃいますように、教育改革というのは即効的なあれがないのです。ただ、ここのところは、大変私が気が長いように見えるかもしれませんが、実を言えば、現在のような学歴偏重というものができてまいりましたのにもとても時間がかかったのです。したがいまして、ある意味において積弊というか宿弊といいますか、長い間のことでできたわけでありますから、私はやはりこれを直していくという場合には、相当に根が必要であるというふうに思います。 そういう角度から、社会における学歴と雇用の関係、これは労働省とも連絡をしていく、それからさらに大学入試制度を変える、それからまた教育課程も変える、これはみんな時間がかかりますが、そういう方向というものを強化していく。他方で、非常に塾が盛んだからそういうことを言ってもだめではないかという声も起こってくるのですが、私はやはり学校教育というふうなものは社会全体の動向に関連があると考えますし、従来高度経済成長の中で大変な競争主義というのに拍車がかかっておりまして、そういう社会経済の対応も変わってきておりますので、いまの政策というものを根気よくやっていけばかなりの成果を上げ得るのではないか。 なお、学校によってある実力に到達しない場合には国公立などではもうどこにも行けないようにしたらどうかと、そういう方法をどう考えるべきか。その場合に、われわれとしては、一応国公立の大学につきましていろいろな形の充実を考えていくという意味は、たとえば単位の互換を工夫いたしましたり、あるいは外国の先生を迎える方法を考えるとか、あるいは大学間の格差を是正する方向を考えるとか、いろいろやっておりますが、確かに御指摘のように、そういうことをやっても即効的なことはないのであるならば、いま言ったように、少なくとも国公立の大学では——多分山東先生おっしゃる意味は、いわゆる留年というのをぱしっとやったらどうかということになる。そして、留年をやったらもう続けられないというふうにしたらどうかということだと思いますが、これはやはり基本的な制度の問題でございますので、私たちもいま直ちにどうということを申し上げるより、むしろ慎重に検討さしていただきたいと思います。
○山東昭子君 大学間の格差是正というものはなかなか一朝一夕には実現できない問題だと思いますけれども、そこで、いまちょっとおっしゃいました大学間の単位の互換制度などで大学間の交流というものを積極的に進めるべきではないでしょうか。そこで、現在、大学間の単位の互換制度など、大学間の交流の現状についてお伺いしたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 単位の互換制度はすでにある程度進んでおりまして、文部省が把握しておりますところでは、まず学部のレベルと大学院のレベルに分かれるわけですが、学部では、国立、公立、私立を合わせまして六十三校で単位の互換をすでに行っております。そういう意味での学内諸規程整備を行っております。大学院のレベルで体制を整えておりますものは三十八校ということでございます。人数で申しますと、学部レベルは相当多いはずでございますが、人数を把握いたしておりませんが、大学院レベルでは、学生百六十人がこの制度で他大学で勉強するという方向がすでに実現されてきているわけでございます。われわれはこの方向というものを一つの流れにしていかなければならないと考えておりますし、また、大学院博士課程のレベルの場合には、単位の互換だけではなくて、論文指導あるいは論文審査面での大学院間の交流というものも促進したいと考えております。具体的には、すでに東京では東京工大と東大が一諸にやっておる、あるいは関西でも国立民族学博物館と関西学院が一諸にやっておる。そのほかにたくさんございますが、そういう動きがすでに出ていて、国立と私立が一諸になって勉強をするという方向が出てきております。 なお、ちょっとつけ加えさせていただきたいのですが、大学間の格差というものは世の中で非常に変えにくいのではないかというふうにおっしゃるのですが、そういう見方もできますが、実は去年経済同友会で調査をしていただきました約五百ほどの大手の会社の回答が半分参りまして、二百五十ほどですが、それの調査によりますと、二百五十ほどの会社では、昇進に関しましては、現在、国立、公立、私立の学歴の差というものはほとんどないのでございます。つまり、会社へ入ってからやはりその人の実力が物を言っているということが調査の結果明らかになっております。問題は、採用時点というところに確かに偏りが見られる。だから、そこをどう変えていくべきかということが調査結果で明らかになりましたので、私申しますというと、流れとしては、少なくもそういう競争をいままで経てきた企業などにおきましては、昇進では必ずしも学歴主義というものではないという段階には来ているということをちょっとつけ加えさせていただきたいと思います。
○山東昭子君 いまおっしゃったように、格差是正ということはそれほどむずかしくないと、あるいはいろいろな調査にも余り学歴偏重ということが昇進にもあらわれていないということをおっしゃいましたけれども、ひとつ国も積極的に大臣がおっしゃっていらっしゃる生涯教育というものにも力を注いでいただきたいと思います。 時間がございませんので、この辺でどうもありがとうございました。
○高橋誉冨君 私は、先般行われました主任制の問題についてまずお尋ねいたします。 その実施した結果、大臣にその所感を簡明にお聞きしたい、こう思います。
○国務大臣(永井道雄君) 実施過程におきましては教育委員会におきまして非常に努力をされました。現段階で四十の県で制度化しました。その過程において私は教育委員会の責任において十分に説明を尽くされて進められましたことを非常に多としております。こういう方向の御努力によるところが大きかったということを感謝している次第でございます。しかし、なお七つ残っているところがございますから、すべて私としていたすべきことは終わったというふうには理解いたしていないわけでございます。
○高橋誉冨君 現場の混乱というのはどの程度起こったか、それについて……。
○国務大臣(永井道雄君) これは、必要でございましたら初中局長から御報告申し上げますが、かなり地域による違いがございました。でございますから、当初、鹿児島におきましては、この委員会でも御審議をいただきましたように、ある種の混乱がございました。それから他の県におきましても衝突といいますか、そういうケースもございます。しかし、地域によりましては、いわゆる現場の混乱というものをそれほど経ずに、むしろ十分に話し合いを進めながら進んだところも数多くあるというふうに理解いたしております。
○高橋誉冨君 長崎県の対馬において校長の監禁問題というのが起こりまして逮捕者を出したわけですが、この問題につきまして行政的な処置をどうとるのか、お尋ねいたします。
○国務大臣(永井道雄君) 長崎のことは報告を受けておりますが、いまの処置の問題は初中局長から御報告をいたします。
○政府委員(諸沢正道君) 事件の内容につきまして報告を受けているところを申し上げますと、先般、この主任制の実施について対馬の中学校関係のPTAの方の集まりがあって、そこへ校長さんが何名か呼ばれて懇談をした。ところが、その懇談をした内容が教員組合の方に抜けまして、そこで、ある中学校の校長さんに対して組合の幹部が学校へ出かけていって、PTAの会合でどういうことを話したんだというようなことをただしたそうでありますが、校長としては、その話の内容はPTAとのいわば内輪の話であるから君たちに話すことはできないということで拒否したところが、十数時間にわたって校長を問い詰めて監禁したと、こういうようなことで、その事実を知った警察当局が、監禁強要の罪の疑いがあるということでその四名を呼びまして取り調べをしたと、こういう事実があるわけでございますが、その後、警察の方でこの関係者にどういう処分をするかということにつきましては目下検討中と、こういうことのように聞いておるわけでございます。 一方、長崎県の教育委員会も、このことを耳にいたしまして調査を開始いたしておるようでございますが、現時点におきましてはまだ調査中ということで、どのような処分をするかは今後検討したいと、こういうふうに聞いておるわけでございます。
○高橋誉冨君 こういうことを考えてみますと、結局、現場で大混乱が起こるであろうということで組合は反対して、もう現場がむちゃくちゃになるというようなことを宣伝して反対したわけなんですよ。しかし、現場は、やる過程においては混乱は起こったけれども、やった結果については大した、思ったほどの大混乱はなかったようですよ。だから、大山鳴動してネズミ一匹のようなもので、大山鳴動させたのは組合で、いまの実施しようとする過程で出すか出さないかというその過程でこそ混乱はあった、あるいは座り込みがあったり、ストがあったり、いろんなことをやった。いざ実際に発令してみると、こういうことになりますとみんなスムースに行われていると、こういうことを考えたときに、大山を鳴動させたようなそういうことはやっぱりある程度私は糾弾されなくちゃいけないと思うんですよ、だれが一番悪いのかと。文部省は主任があれだけ働いているんだから手当てをするのは当然であると思ったし、これは別に罪はない。そういうことを、これが混乱を起こすだろうなんていうことでストをかけたり、いま言ったように校長を監禁したり、こういうことをやるような組合の姿勢というものは私は放置できないのじゃないかと、こう思いますが、大臣の見解はどうですか。
○国務大臣(永井道雄君) まあ比較的、いまの対馬のような例はございますが、全国的に御指摘のように進みましたのは、一方において教育委員会の御努力、そして他方においてまた各学校における先生方が、組合に属しておられる方、またそうでない方も含めまして、やはり先生方が良識をもってこうした問題に取り組まれる姿勢を持たれたということが非常に重要な要素であったと考えます。 なお、組合につきましては、これは私は昨年来申し上げておりますが、最初から制度の内容を検討いたしませんでただ絶対反対ということで議論をしない、あるいはその内容に入って検討しないというそうした立場はとらないということは、私は先年来申しているとおりでございますので、その点は今日も変わりはございません。
○高橋誉冨君 私は、話し合ったからうまくいったということも考えられないことはないけれども、話し合う、その話し合っている間にいろんな混乱が起きたり、話し合うその段階で座り込みがあったり、むしろ話し合いそのものに私は大きな混乱があったと思うんですがね、私の見解ではですよ。一体、文部省も日教組と話し合った、各地方教委、県教委なら県教委は日教組支部長やなんかと話し合っている、こういう話し合いを持つ筋というものがあるのか、話し合わなくちゃならないという根拠があるのか、これもお尋ねします。
○国務大臣(永井道雄君) 日教組というお言葉がございましたが、私が申し上げておりますのは、当面の行政責任者は教育委員会にあるわけでございます。そして、先生の事柄に属しますから、先生という場合には、別に日教組だけが団体ということでなく、やはりたとえば校長先生方にも御意見がございましょうし、あるいは教頭先生にもおありになる、またその他の先生にも自分の職場のことでございますから御理解を得ていくということが必要である。私は、そういう点においてはやはり先生方の御理解のもとに制度ができるということが望ましく、また各教育委員会はそういう線で御努力になったことをやはり多といたしたいという気持ちでおりますが、先ほど申し上げましたように、ただ絶対反対ということで話し合わないということはこれは私のとるところではないと、その点は教育委員会にもさよう申し上げているわけでございます。
○高橋誉冨君 私は、日教組を目のかたきにするわけじゃないんですがね。あなた、日教組だけじゃないと、こう言うけど、実際言うと、一番妨害し、一番障害になったのは、端的に言ってやっぱり日教組ですよ。私はそう思いますよ。組合は日教組ばかりじゃない、日教連もあるしいろんな組合もあると、こう言うけれど、やっぱり物事は端的に直視しなくちゃいけないと思うんですがね。そういうことを考えましたときに、組合活動の本質から逸脱しているんじゃないか。たとえば、自分たちで教科課程を独自に編成するんだと、あるいは今度の主任問題だって容喙し過ぎているんじゃないか、教育行政というものに。組合というのは、私は、もともとは経済的な待遇改善、そういう本質的なものを中心にして活動すべきものじゃないかと思っていたが、ちょっと逸脱しているんじゃないかと思うけれども、逸脱していると思いませんか。
○国務大臣(永井道雄君) 私は先ほどから申し上げているように、就任以来、本来は日教組を含めまして教職員のすべての組織との間に「対話と協調」という精神をもって行政に当たることを念願としてまいったわけでございます。この念願は、今日におきましてもいささかも変化はございません。しかし、その間におきまして、遺憾ながら私が当初目指したものが実現し得なかったという事実は直視いたすべきであると考えます。そして、その直視いたさなければならない事実の重要なものは、この主任制をめぐりまして、内容の是非を問う前に、遺憾ながらただ実施あるいは反対というそうした対立関係という形でとらえる動きが生じたということを否定できないと思います。そこで、今後、日教組におきましても、いろいろ問題を生じてまいります場合、当然その主たる問題は賃金、待遇などの問題でございます。しかし、多くの先生方にとってやはり自分の職場の問題はあるでしょうが、それを話し合う場合に、非常に冷静に具体的な方向に進めていただくように、また私もそうしたものをつくり上げてまいりますことが、わが国の教育を長期的に建設をしていく上にきわめて重要であるという当初の信念に変わるところはございません。
○高橋誉冨君 私はそれを非常に甘いというふうに考えているんですがね。日本の教育をもっと教育能率を上げ、本当に子供たちが教育をりっぱに受けてすくすく伸びるためには、このままそういうふうに理解ある態度で、早く言えば放置するような態度でいいかどうか。日教組は、たとえば経済力からいきましても、一般会計が十九億六千二百八十四万円、救援資金にしても百七十八億九千六十七万円というのですよね。そういう経済力をバックにしまして、まあ一大王国みたいなもんですよ。日教組王国ですよ。それは中にはりっぱな人もたくさんいるでしょうが、中には人間である以上悪いのもいると思うんですよ、これは自民党にも同じように。たくさんいると思うんですよ。そういうことを考えたときに、日教組の圧力で苦しんでいる教員も相当おりますよ。そういうのが放置され過ぎているんじゃないか。私の知っている学校でも、日教組を脱退した職員が何人かいたんですよ。校長もまた脱退したんですよ。そうすると、その学校の研究会をやったところが、全部駅々に組合員が待っていて、そこの学校の研究会へ参加してはいけないと、こういうことで説得して帰したわけですよ。こういうことまで行われている。これは、確かに、昔僧兵今日教組と、こういう言葉が昔言われたけれども、いまでもまだ依然としてそういうことが言われるんじゃないか。それを理解ある態度、理解ある態度で、だだっ子を甘やかしているようなものにしか私には見えないんですよ。私は、今度の人確法についても、ただ金をよけい出して待遇をよくして人材をただ集める、これだけじゃなくて、待遇をよくすることによって経済的な苦労をしないで教育に専念してもらいたいという願いがあったと思うんですよ。そういうことから考えれば、人確法によって待遇も上げてやった、何もやった。しかし、今度は政治闘争、思想闘争で、これでもって依然として闘争を繰り返している、ストもやる、こういうことでは、甘やかし過ぎるんじゃないか。このような事実に対して大臣はどう考えますか。
○国務大臣(永井道雄君) 私は政治ストは妥当でないと考えます。で、そうしたことについては私の見解を述べております。ただ、先生の御指摘の点について十分理解する点もございますが、他方、私も多数の先生方から直接お手紙をいただくのです。それを読みますと、やはり中央におきまして文部省と日教組との間に本当に話し合いというものを深めることができる場合には地方におきましても学校でやりやすいという事態が生じてくるので、私の当初の信念を変えないでがんばってほしいというお便りもたくさんいただきます。 そこで、私思いますのに、わが国はやはり四面海に囲まれておりますが、今後いろいろな意味合いにおきまして国を愛し自立をいたしていくことが大事であると考えますが、その場合にいろいろと違う意見の人が出てまいります。その違うものについて、私はそれをいわば甘やかしてなれ合いをするということを申しているのではございません。そうではなくて、違う意見に対しては意見は異なるということを申しますが、同時に、わが国を建設いたしていきます基本的な考えといたしましては、私が文部大臣に就任した最初に、私は国内の教育界に敵があるという考えを持ちませんということを申しました。私は、今日も国内の教育界において敵味方の関係がないと、そしてそういうものがあってはならない、もしもあるならば私の心中にあるであろうという考えをもって今日まで臨んできたわけでありますから、そのいわば就任に当たっての約束、それは国民に対するものでございますが一これを変える考えはございませんし、私は国を愛する国民とともに進むという気持ちはどの先生方にも必ずあるはずでありますから、そういう考えで根気よく進んでいきますならば、わが国の教育の将来に今日見られるよりはなお充実したものを必ずや得られるという考えを持っているわけでございます。
○高橋誉冨君 私だって、何も日教組だから敵だとは思わないんですよ、同じ教育に携わったものの仲間だと思っていますからね。しかし、その中に間違った考えを起こしたり、わがままな考えを起こしたりしたら、これは子供だって年じゅういいことやると限りません。わがままなことをしたときはしかるんですよ。しかり方も、これはやっぱりしかるときにはびしっとしかる必要がある。懲罰を加えるときにはびしっと懲罰を加える必要がある。ただ、敵だと思わないから、仲間だからと甘やかし過ぎやしないかということを私聞いただけです。 それから人材確保法案がさっき出ましたが、人材を確保するのに本当に確保するような仕組みになっているか。たとえば教員の採用についても、いま一番競争率が激しくて、十人に一人か十数人に一人採用している現状ですね。そういうときに、ただテストをやってテストの点が合格したから採用すると、こういうことで選び過ぎていやしないか。もっと教育というのは人間それ自体だと、人間というものをどうして見抜いているんだと、どういう態度で人間を見抜いてこれを採用するかと。いま一番いい。布望者がない、教員が足らなくて困るときにはどんな人間でも採りたいですよ。こんなに十人に一人しか採らないというときには、十人に一人、一番最適任者を採る。最適任者とは何かというのは、ただ点数をよけいとった教員ではない。もっと教育に情熱を持ち、早く言えばストをやったり校長に反抗して違法なことばかりやるような人間を採用しないような、そういう研究が必要じゃないか。これについて見解を伺います。
○国務大臣(永井道雄君) これは、実は私自身も教員養成学部というところで奉職をいたしておったことがございます。そして、今日のように応募者が多くなったから、考えるということだけではなく、実はそうでなくても確かに知識中心で考えるという方向だけであってはならないので、やはり教育実習の問題などもどう考えるか、これは教養審においてすでにいろいろとお考えになっていることでございますので、実は先般来——というのは、特にこの春先から私は教養審のいままでの御意見というようなものも検討いたしました。そして、どういうふうに先生が養成され、採用されるかということにつきましては、いま御指摘になりましたようないわば知識に偏るということでなく、教育の方も知徳体と申しておるのでございますから、そのリーダーとなる方々をどういうふうに養成していくか、また採用していくかということは、非常に重要な検討課題として勉強さしていただきたいと思っております。
○高橋誉冨君 実例を一つ挙げますと、私の方に西高津小というのがありまして、そこで一人の教員が四人の若い暴漢によって襲撃されたんですよ。襲撃された教員は革マル派の出身の教員、襲撃したのは中核派の四名であったと。それでその教員はいまだに行方不明なんです、学校から逃げ出しまして。こういうのも、もっとよく採用のときに、これは一つの例だが、程度の差こそあれ、採用について思想調査をしろと言うわけじゃないけれども、私はある程度人物というものをもっと真剣に、それによって山県の教育、一国の教育がどうなるかというような立場で真剣に人物判定に当たるべきじゃないかと、こういうことをつけ加えておきます。 次に、私は、今度は、採用してしまってからの教員が、何といいますか違法なことをしないような対策、こういうものを立てる必要があるんじゃないか。たとえば、私自身が体験したんですが、教頭試験に反対して組合がピケを張っていました。私は教頭受験者を乗せて自動車でそのピケを破って突っ走っていきましたが、そうしたところが、そのピケを張った連中が、いまになってみると、みんな教頭試験を受けて教頭になりたいと言って教頭になっている。今度は校長になりたいと運動しているんですよ。こういう矛盾、これは校長でも同じようですよ。それからこの間の主任制だって、主任制の問題で私聞いてみたんです、校長らに。そうしたら、Aという校長が、私の学校は教員がたくさんいるので、この間のストで主任制に反対してストをやった者はこの際主任の枠からはずすからと。そうしたらオーケーと、校長の言うことはもっともでございますと素直に言ったというんです。Bという小さい学校では、それをやっていると主任がなくなっちゃうわけですよ、足らなくなっちゃうわけです。ぼくはしようがないからおまえストをやったけれども主任をやってくれなと言ったら、やりますと喜んでやっている。自分がストライキをやってまで反対して、今度は喜んで主任になって、まあ手当ももらうだろうと言っていましたが、こういうのは人間として筋が通らないのじゃないか、つじつまが合わかいのじゃないか。こういうつじつまの合わない人間、筋の通らない人間が教育して、りっぱな筋の通ったつじつまの合う人間ができるだろうか。これは教育委員会でも同じようなことが言えると思うんです。この間の四月末の異動でも、組合の執行部の委員長をやった男が、これが県教委の課長になりたいと言うんですよ。いままで文部省のやることは反対、県教委のやることは反対、おだてそそのかしてその筆頭に立った人間が、自分は今度は県の課長になりたいと言う。県に聞いてみたら、人物もしっかりしているし、組合のことがよくわかっているから、ああいうのをやったら組合を抑えるのに都合がいいじゃないかと思うと。そういう考えは間違いじゃないかと言ったらそれは撤回されたようでしたが、こういう実例が私のこの視野の狭い中でも入ってくるのですから、全国的に見たら非常に多いのじゃないか。文部省でそういう県教委に対する指導助言というものをばっちりとやる必要があるんじゃないか。まあ大臣は日教組の講師団で、今度は日教組のことをよく知っているから文部大臣にしたと三木総裁は考えたのじゃないでしょうが、もっと高邁な識見のもとにこれは選んだに違いないと思いますけれども、私は、そういうケースというのは、やっぱりさっき言った教育は人間だという立場に立てば考えものだと思う。これは大臣のことを批判したわけじゃありませんけれども、見解をひとつお伺いしておきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 私の基本的な認識は、人間というものは余り強い存在ではなく弱いものだと思います。したがいまして、自巳の弱さというものを自覚をいたしまして、弱さから発する行動、発言を自制するように努力をいたしていくということが人間にとって基本的に重要であることは、教員に限りませんけれども、教育界の者にとって最も自戒すべきことであるというふうに私は信じております。
○高橋誉冨君 それでは最後に一つお伺いしますが、教員は、先ほど言ったように、やっぱり人間の知識じゃなくて、教育情熱といいますか、どうしてその子供をかわいがってどうしてその子供を伸ばすかという情熱、これはやっぱり養成機関というものがしっかりしていなくちゃいけないと思いますよ。これも私の方の実例ですが、ある大学の教育学部の教授の指導を受けると校長らが使いづらくてしようがないという。何んでもかんでも校長の言うことは反対しろと、こう指導されたというのですよ。現体制を打破するためには、いまの校長らは文部省の命令で現体制の末端だから、もう何でもかんでもこれは反対しろと。校長が一学期間かかってようやく何とか素直になったと思ったら、夏休みになったところがまたその教授にどこか海岸の方へ呼ばれて講習会みたいなのをやられまして、また気合いかけられて、ちっとやっこくなったじゃないか、もう少し校長らを痛めつけろと、こういうわけで、二学期からまたどうしようもなくなったというのだね。そういうような教員の養成機関が現存しているということを一つ考えますと、私はこれは非常に憂うべきことだと。もっと逆に、こういうふうな教員を再教育によって本当の正しい素直な誠実な教員に仕上げるようなそういう養成機関というもの、再教育機関というものをしっかりつくる必要があるんじゃないか。 これは時間がなくなっちゃうからもう一つ言いますと、ついでだから二つ聞いちゃいますが、もう一つは、先生は、現代の荒廃した世相というものは競争率やなんか激しい個人主義的な大学の入試やなんかにおけるそういうものが大きな災いのもとだと、だから助け合い教育やればいいんだと、こういうことを言っていましたが、私も確かにそれはうなずけるのですよ。しかし、一番大きな原因は、私はもっと教育的に見た場合には、教育の本質を失った教師が余り多いからこうなったんじゃないか。もう放課時間を待ちかねて帰って塾を開く。金、物と金銭的な面で教育というものが災いされ過ぎたんじゃないか。教育というものは、そういう物質的なものというよりも、むしろ人間の魂を人間が伸ばす、人間の心を人間が伸ばすとしたら、私は、俸給が上がらなかったらストライキやる、超過勤務手当をよこさなかったらストライキをやると、その精神的なものを金に換算して考えるところに教育の本質を失った原因がある、こう思うのですがね。もっと教育の本質をいまの日本の教育界にばちっと立て直す、そういう情熱というものを文部大臣はお持ちかどうか。 これで私の質問を終わります。
○国務大臣(永井道雄君) ただいまの教育の情熱といいますか、金によってすべてを得るのではなく、それ以上の理想というものが教育に必要である。そして、そこでまた政治的な対立というようなものにも左右されずに教育を充実すべきであって、そこにこそ教育の生きがいがある。そう考えましたから、私はただいまついている職を引き受けたわけです。これも、ですから、全く今日も変わりありません。ただ、それを実現していくのはなかなか容易でないということは十分に認識をいたしております。 そこで、まず私自身が自戒すべきことが非常に重要であると考えておりますが、しかし、それだけにとどまらず、特に教員養成に関連して御指摘になりましたことは、これは教員養成審議会においても非常に検討しておられるところでありますが、先生になる前の養成の仕方のほかに、現職についてからの再教育——私は実はこの主任の問題について考えましたのは、他の職場におきましてももちろん若い人は意欲を持って入ってくるのですけれども、しかし経験が不足しておりますから、したがって熟達した年輩者から学ぶわけでございます。で、主任というふうなものを指導助言という角度からとらえるべきであるというふうに申しましたのも一つは、常時やはり現職教育が行われるべきであるという考えです。しかし、それだけでは足りないので、わが国におきましてすでに海外研修というような方法も工夫をしてきております。これは視野を広める上で大事と思います。しかし、そのほかに、いままでの教員養成だけでなく、現職教育をどのようにして強化していくべきかということは非常に重要な課題である。ですから、いままでもあるものはありますけれども、これにとどまらず工夫をいたすべきであると考えております。
○中村登美君 大変言い古されている言葉なんでございますが、最近の若者ときたら、大学は出ても知識はもちろんのこと教養すらないと、あいさつの仕方やら目上の上に対する礼儀も余りわからない。たとえば、私どもも経験しておりますのですが、タクシーに乗れば物を聞いても返事するのもおっくうそうな運転手、それからサービスがいいということでは昔はもう定評つきだった一流デパートの女子店員などの誠意のない応対ぶり、それから電車などでお年寄りに席を譲る若い方が少なくて、つり皮にぶら下っているお年寄りの姿を見ると全く漫画だと慨嘆している人もあるようなこのごろでございます。また、あの有名な東大の名誉教授の日高さんが、戦後二十一年から毎週一回、二十八年間続けたというその日高パーティーをこのたび解散したそうでございますが、それは移り変わる若者の様子を見ていてがまんができなくなってそういう結論を出したということでございますが、最後のパーティーに二百人近い若者が集まって、解散宣言をしていすに座った日高さんに対して話しかける若者もなかったと嘆いて何かに書いているのを読んだわけでございますが、若者たちのためによかれと心を砕いたその善意に対して交流する何物も持たなかった若者たち、それから自分を反省するということに非常に欠けておって、自分には甘く、外にきつく、何か満足できないことがあれば責任を全部周りに押しつけてしまう。自己管理能力に欠けているといいましょうか、最近の若者はなっておらぬと悲憤すると、年寄りのヒステリーの兆候などと言われますが、必ずしもそうとばかり考えておられませんこのごろでございます。どうしてこんな若者が大量に生産されてきたのでしょうか。社会にも家庭にももちろん大きな原因があると思いますけれども、最も大きな根本をなすその原因に戦後の教育があると思うわけでございますけれども、大臣はこの問題についてどのようにお考えでございましょうか、御見解をお伺いいたしたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 私は、一つの民族が敗戦いたしましたとき、本当に力強く再建していくということは、なかなかむずかしいことだと思います。ただいま家庭、社会というお言葉もございましたが、一般に戦争直後からしばらく見られました現象は、たとえば大人が自信を喪失した、どうも自分らが戦争中うまくやらなかったのだ、そのためにこうなったのだからということで毅然たる態度で家庭でも臨みにくかった。しかし、そういうことはやはり学校にもあったということは否定できない重要なことであると思います。 すでに三十年を経まして、私は、日本の民族というものが本当に自立してりっぱなものとして成長していかなければならない、その場合には、やはり従来の民族の伝統というものをただそのまま継承するというのではなくて、新しい時代にふさわしいような形で継承していく基本的な精神というものが大事であると思います。それがありませんと、何事も本当に緒につかない。 具体的に申しますと、非常に卑近な例でございますが、たとえば言葉遣いというふうなものにも相当の乱れがあるかと思います。この点は、教育課程審議会などでも相当問題として審議をされている点でありまして、正しく日本語を使って表現をするということは、言葉だけではなくて人間がりっぱな社会関係をつくっていく基礎でございますから、今度の教育課程では、そうした正しい日本語の表現の仕方、そういうことをもっと重視すべきであるということがうたわれておりますが、私は、一例を申し上げますと、こういうことが小さいようで非常に大事であると思います。 また、たとえば歴史の学習などにつきましても、これはOECDの報告書が書いていることでございますが、桂離宮というものがわが国にある。ところが、その時分の社会構造というものは現在よりも封建的であった、だから桂離宮はだめであるという形の考え方がどうも日本に戦後強かったのではないか。当時の社会構造を変えて現在は民主的にしていくことはもちろん必要なことであるけれども——これはOECDか申しているのですが、しかし、同時に、当時の日本、その社会構造の中においてもあれだけのりっぱな文化遺産を残した祖先をなぜ日本人は尊重しないのであろうかと、こういうふうに言っております。 私は、そういう点、先ほど過去をりっぱに創造的に継承しなければならないと申しておりますのは、別に桂離宮がつくられたころの社会構造に戻れと言うのではない。そうでははなくて、前に進んでいくのでございますが、しかし、同時に、当時の社会構造の中で今日の日本人が顧みなければならないようなりっぱな文化遺産が事実残されている。それ以上のものをつくらなければいけないというように私どもは考えていかなければならぬ。こういう点において、やはり敗戦の傷跡というものはわが国にもあった、そしてまだ完全に消えてはいないのではないか、かように私自身が考えているわけでございます。
○中村登美君 どのような国でも、国語と歴史がその国の教育を支える二大支柱だと言われておりますが、わが国の戦後の教育がこの国語と歴史をどれほどいいかげんに扱ってきたか。日本の教育が日本の文化遺産を次の世代に正確に着実に伝えるという本来の課題を忘れて政治に振り回されてきたために、戦後の若者たちが生活の形を失い、誇りを失い、思考能力を失い感受性を失ってしまったのではないかと思います。戦後の日本の歴史や国語教育のあり方について大臣はどのようにお考えになっておられましょうか、お伺いいたします。
○国務大臣(永井道雄君) これは実はたまたま私が考えておりますこととそれから教育課程審議会の中間まとめで発表されておりますことと非常に類似でございますので、そしてまた、私どもは多数の先生方が御検討になった審議会の御意見を尊重したいと考えますので、その部分との関連においてお答えしたいと思います。 まず、国語につきましては、小学校、中学校、高校全部を通しまして、わが国の児童、生徒は国語を正しく使う能力を必ずしも十分に持っているとは言えない。そこで、とりわけ弱い劣っているのは読み書きの能力である。そこで、今後は言語の教育の立場を重視して、表現力また作文力を高め、聞くこと、話すこと、読むこと、書くこと、この相互の連関を考えて、十分に国語教育というものを強化していくべきであるという御意見でございます。ただいま正しく正確に考えるということが重要であるとおっしゃいましたが、私は、そういう正しく考えるということも、ただ抽象的に考えるのでなく、やはり日本語で考えまして日本語で表現するわけでございますから、そうした意味合いにおきまして、この審議会の表現力、作文力の重視というのは大変大事であると考えております。 なお、歴史でございますが、歴史につきまして小学校段階では第六学年の歴史の学習などについて中学や高校の歴史との関連を十分に考慮する必要がある。そして、その場合に特にどういうことを考えていくかと言うと、まだ六学年は児童でございますから、歴史に対する関心や興味を高めるためには、歴史上の人物あるいは具体的な文化遺産、先ほど桂離宮のことを申しましたが、そうしたものを重点的に取り上げるようにすることが必要ではないか。これも私は妥当な指摘であると考えます。歴史というのを全体的な流れとして抽象化して把握いたしますのは高学年段階において可能でございましょうが、しかし、もっといわば人間が生きてきている歴史、そして文化を形成してきた歴史ということを考えますと、本当にこの具体的な過去のわが国の歴史的伝統というものが児童の心に伝わっていくように、そうした方向で変えていくべきだというこの審議会のお考え、これを実現いたすことができますならば、相当いままでとは違う角度で歴史の教育が強化されると考えております。
○中村登美君 現在、日本の高校進学率は九二%ということでございます。高校教育機関の進学者は十五年前の三倍、義務教育を終えるとすぐ仕事につく人がほとんどだった戦前とはまさに隔世の感があるわけでございますが、戦後三十年の間に私ども国民がかくも教育熱心というか、上級学校を志向するようになった理由はどこにあるとお思いでしょうか、大臣にお伺いいたします。
○国務大臣(永井道雄君) これはわが国の社会構造あるいは産業構造が変わりまして、端的に申しますと第二次産業ないし第三次産業が急速に拡大した。そういたしますと、そうした職場における職業的な準備というものをいたしますためには、相当高学歴を要する下敷きというものが必要である。さようなことから、やはり基本的には、戦争直後で申しますと産業別の第一次産業従事者は四十数%でございましたから、そのころと基本的に変わってきたということがまず下敷きとしてあると思います。 しかし、次には、これはいろいろな調査がございますが、なぜ上級学校に進学するかという質問をいたしますと、どこの国も実はそうなっているのですが、ほかの人が行くから私も行くという答えが非常に多いのでございます。そういう意味におきましては、必ずしも自覚的に新しい社会の建設との関連において明確な意識というものを持たないで、一つの勢いというものになっているという側面もまたあるかと思います。
○中村登美君 次に、国民がより高い教育を受けることは願わしいことではありますが、人間はその能力にかかわらずその意思と希望によってどんどん入学をさせるべしという高校の全入運動は選挙の票かせぎにまで利用されて、高校がどんどん増設されて、意思と希望があれば進学させるべしという論理がまかり通っているようでございます。「毎日新聞」の昨年の十月の初めごろの社説に高校はオール一の者でも受け入れるべきであると主張しておったのを記憶しておりますが、受け入れた高校側はどのように扱っておられるのか、余り高校で落第したなどいうお話は聞いておりませんので、力のあるなしを問わず卒業させていると思うわけでございますが、このような高校の全入問題と、現在の実力はつかなくても三年たてば卒業をさせてしまうという高校のあり方等については、大臣はどうお考えでございますしょうか。
○国務大臣(永井道雄君) 実は、いまの高校のカリキュラムを非常な進学率の増大に合わせてどう変えるかということは、これは教育課程審議会の大変な問題でございまして、そこで現段階において考えられておりますことは、共通必修という形でまず一年次のところに共通の地盤をつくり上げる。そうして、それから先のところは、いわゆる普通課程とそれから職業課程、それからなおそれも細かく分かれていくような方向にしていく。ただし、その場合も、普通課程の人にもいままでよりは職業的な要素というものを教えることによって観念的に流れないようにするということでございます。で、それがまだ案の段階で、そこで先ほど申し上げたように非常に時間がかかるというのは、いまの高校の課程にはそうした共通必修のようなものがないわけです。まだ高校が普及率が五十数%だったころの課程でございますので、ここに一つのおくれがございますから、これはでき得る限り早く変えて、そうして現在高校に入ってきている人たちにふさわしいような形で教育課程を組んでいかなければならない。 ただ、そのことが、では結局だれでも全部が義務教育的に入る高校をつくるのかというと、そうではない。これは現段階において果たしてどうしても十二年を義務教育としなければならないという意味合いにおける教育的な理由というものが明確でないということが一つ。それから高校の三割が私学でございます。そういうことを勘案いたしますと、財政能力の点から申しましても義務教育というふうに考えにくい。ただ、現状九一・九%に及んでおりますから、そういう九一・九%の方々の学習をどういうふうに生かすかということに教育課程審議会は努力をしているわけでございますが、それは先ほど申し上げたような方向であるということでございます。
○中村登美君 高校の全入運動論者の根本に能力の平等の思想があると聞いておりますが、アメリカ、ソ連などでは、最近逆に徹底的なエリート教育が行われているとも聞きますわけですが、そのような実態を御存じでございましょうか。御存じでしたらその実態について、また、そういったエリート教育という問題についての大臣の御意見もあわせて伺わせていただきたい。
○国務大臣(永井道雄君) このエリートという——実は、昨日も東ドイツのフンボルト大学の学長に、この方は教育学者でございますが、お目にかかった。それからアメリカの学者の方々ともお目にかかるのですが、エリートというのをどう定義するかというのは非常にむずかしい問題です。といいますのは、余り早期にたとえばある種の専門の人を選んでしまいますというと、かえってその専門領域、たとえば科学者という面が弱まってしまう。そこで、やはりあらゆる人々に教育の門戸を開く、そうしてそこで本当に適正な競争が行われ、広い層から非常にいい科学者が選ばれてくるという方向を目指す方がよろしいというわけで、私は、そういう意味において、いままで複線型教育というのがありまして、非常に早い段階から、たとえば中学である種の人が英語ができればもうその人たちだけしか英語教育をやらない、それであとの人はどうでもいいのだというやり方、こういうやり方をとっている学校もヨーロッパにはございましたし、実はヨーロッパも相当そこが変わってきておりますから、私は余り早期に決めてしまうということには疑問がございます。それが一つ。しかし、ある段階においては、たとえばいまの高校がそうですが、共通必修というものを考える半面におきまして、やはり高校などでは教育を多様化して、そして個性能力とか適性能力、そういうものをなるべくそれぞれの人が見出して、自分の適性能力を最高度に上げていくようなカリキュラムにしていくということが非常に大事だと思います。 このエリートというのをどう定義すべきかということは非常にむずかしいことでございますが、エリートから生じやすい一つの弊害を申しますと、自分はエリートでほかの人を見下すというふうになってはこれは困るわけです。そうではなくて、むしろ科学者にいたしましてもあるいは専門的な法律家ないしは行政者なども大変高度の専門性を要する時代になってまいりましたから、あらゆる国民の中からその適性能力において最もふさわしい人を多様化する専門化社会において活用する方向、一言で申しますればそれがエリート養成の新しい方向だと思いますが、そしてその場に立つ人が非常な権威主義的優越感を持たないようにしていくと、こういうことをお説のとおりそれぞれの国でいろいろ努力をしている点でございますし、また、わが国は、それと、外国でやっているといないとにかかわらず相当の努力をいたしていきませんというと、たとえば科学の発展、たとえば核融合というようなものは、将来のわが国のエネルギー源などを考えますというと非常に重要な学問研究の領域でございますが、その領域の学者の方々の御意見によりますと、やはりどうも先進諸国よりおくれている面が非常にあるようでございます。でございますから、そういう人たちについて、それは高校ないし大学でもってそういう人たちの適性能力を大いに活用して、さらに大学院で充実した研究に入っていくというような方向をしっかりと固めていく。これは今日も相当行われていることですが、なお強化していくということは非常に大事であると思っております。
○中村登美君 大学進学率が四〇%、ますます激しくなる受験戦争の勝利者となろうということで、小学生の塾通いが蔓延しております。普通の日だと四時から十時まで、小学生を七時に終わらして中学生はそれからという平均パターンだそうでございますが、子供たちの心身の健全な発育は親側の期待する学力向上と塾側のもうけ主義にはさまって無視されていますというのが現況のようでございます。電車に乗って家に帰ると午後十一時という中学生もいるそうでございます。子供が遅くなっても親はどうしたんだと聞くことをしないというようでございますが、子供にとって塾はにしきの御旗であり、親は安心の材料であり、塾側は一部を除くともうけ主義、そうして学校や教育委員会は無視というのが現在の塾ブームを取り巻く状況のようでございますが、この現況でよいとお思いでございましょうか、文部大臣のこれらに対する御意見を伺わせていただきます。
○国務大臣(永井道雄君) よいと思っておりません。でございますから、まずこれは、まあ塾にも二種類あると思いますが、一つは先生御指摘のいわゆる進学塾的なもの、あと学習塾的なものあるいは補習的なもの、これは少し違うと思いますけれども進学塾的なものは非常にあおるような形、これは避けなければならない。そこで、文部省は、本年度はとにかくはっきり実態をつかまないといけませんから、そういう塾がどういう分布状態にあって、あるいはその活動内容というものがどういう形で児童、生徒の学校外の生活というものに影響を与えているか、これを「昭和五十一年度児童生徒の学校外活動に関する実態調査」という形で調査をいたしまして、できる限り早く明らかにして、そうして国民的な関心というものを高く持っていきたい。そうして、他方でいわゆるこれからの教育課程というものを内容のあるものにしていくという方向で、つまりいまあるものの中で問題的なものを非常にはっきり国民共通の課題とするということをまずこの調査を通してはっきりさせて、そうして正常な学校教育というものをもっとしっかりと固めていく方向に進みたいと思います。
○中村登美君 都立の国分高校で卒業式に日の丸を揚げてほしいという要求が三年生から起こって、生徒たちが賛否を全員投票で確認したそうでございますが、先生にこのことを頼んだところが、職員会議で前例がないというのでこれを退けてしまって、子供たちの訴えに十分対処することなく、同校の卒業式は前例どおり日の丸を揚げないで行われたということでございますが、この問題について大臣は御存じかどうか。また、文部省関係の方は御存じだと思うのですが、日の丸を卒業式に揚げたことのない学校にも、私どもには驚くべきことでありますが、なおこのような日の丸を揚げてくれなど言う生徒をつくったことを反省しなければという先生側の意見もあったということなのですけれども、どこの国の先生なのかしらと疑いたくなるような気持ちでございます。戦争も国の歴史であり、そのときどきで国民は真剣に生きてきたわけでありますから、一人の日本人として国旗と国歌と民族に誇りを持ち、祖先と父母に感謝し、相互扶助の精神を養うということは当然のことであると存じますが、この問題につきまして大臣御存じでございましょうか。御存じでしたらばその問題についての御意見を、もし御存じなかったら文部省の方の方でも結構でございますが、御意見を伺わせていただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 私は、これは新聞報道で存じておるわけでございます。そこで、これにつきまして東京都教育委員会はどういうふうに対処したかということを調べました。三月の都議会で答弁がございました。これはただいま御指摘のように、日の丸を掲揚したいという生徒の数の方が多かったということでございます。そこで、その答弁は、式場に日の丸を掲揚したいという生徒の希望はそれ自体望ましいものである。したがって、学校としては一それに反対する生徒がいたわけですが、その反対派に対するきめ細かい指導を行うことによってよりよい卒業式の実現に努めることが望ましかったということを東京都教育委員会は答えております。文部省は、この東京都教育委員会と同様の見解でございまして、卒業式等の儀式におきまして日の丸を掲揚するということは望ましいという指導を従来行っているわけでございますから、この場合、東京都の教育委員会のように指導が行われるべきであると考えております。
○中村登美君 時間でございますから終わらせていただきます。
○久保亘君 私は、質問に先立って、先ほど高橋委員から意見として述べられたような問題について、一般的に考え方の違いますことについて触れようと思いませんが、重要な二点について大臣の見解を伺っておきたいと思います。 一つは、日教組が教育課程の編成やあるいは主任制の問題について教育委員会に対してあるいは文部省に対して協議を求めることが教育行政への介入ではないかといったような意味の御発言がありました。このことについて、私は、従来文部大臣が述べられてきた考え方からするならば、そういう立場に立たれないと思うわけであります。特に、教育課程といいますか、教師の教育研究の問題につきましては、日教組の教研集会が日光で第一回を開催いたしましたときには、文部大臣がこの教研集会に対して祝辞を贈られて、その中で、現場の教師たちの自主的な研究の成果がこのようにして全国的に集められてここで会議が開かれるということは日本の民主教育の夜明けであるという意味の祝辞を贈られております。なお、文部大臣もこの教研集会の意義を評価されておりましたればこそ、この講師団としても参加されておったのだと思うのであります。私は、そういう意味では、これらのことはむしろ将励されるべきことであって、このことが教育行政権への介入というようなことで退けられるべき問題ではなかろう、こう考えております。特に、主任制の問題についても、教育委員会と教組との協議は当然あるべきことであるという従来大臣が表明されました見解からいたしましても、行政権への介入としてとらえることは間違いであろう、この点について大臣の見解を一つ伺っておきたいと思います。 それからもう一つの問題は、先ほどの御発言の中で、人事の一般論としてではなくて、具体的に教師が課長になりたいと言った。そのことについて、教育委員会に対してそんな人事があるかということでいろいろ話をしていったら、こういう教師を課長にすればこういう利点があるんだと教育委員会は言っておったけれども、最後にはそれはつぶれた、こういう話があったのでありますが、この話をお聞きいたしておりますと、この教育委員会は人事に関する個人の問題を第三者に漏らし、そして第三者の意見を聞きながら教育委員会がこれらの人事をやっているのではないかと思われる節があります。このようなことは第三者による人事介入である、私どもはそのように思うわけでありますが、このようなことがもし現実に行われておるとすれば大変遺憾なことでありますが、文部大臣のこのような県教育委員会の人事に臨む姿勢についても見解をお尋ねしておきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 日本教職員組合が教育研究集会を開いたり、あるいは教育課程についていろいろ意見を表明する、そのこと自体が行政に対する介入であると私は申しておりません。そうではないと思います。意見を表明していただいて結構でございます。 また、主任につきまして、私は、制度化に初めから断固反対、もうだめだというので話し合いをしないのは困りますとは申しましたけれども、話し合いをすることは結構であるというふうに申しております。 それからいまの三番目の人事の問題でございますが、それは当然教育委員会はその当事者といたしまして自分の責任において決定するわけでございますが、いま御指摘になりました事例は具体的に私は承知いたしておりませんものでございますので、それがどのようなものであるかということについての判断は差し控えさしていただきたいと思います。
○久保亘君 いや、人事の問題については具体的に承知しておらないと言われたのですが、いま高橋委員の方から具体的に言われておるわけです。教組の元委員長が課長になりたいと言ったと——こういう人事があるのかどうか私はよく知りませんが、課長になりたいと言った。そういう昔教育委員会といろいろやり合っておった者が課長になるというのはおかしいじゃないかと言ったら、教育委員会が、いや、こういうのを課長にしておくと組合対策上大変都合がいいのだと言った。しかし、いろいろあってこの人事はつぶれた、こういうお話であったのです。こういうような教育委員会の人事というのが行われているとすれば、これは第三者、特に政治家等の教育人事に対する不当な介入ということになりませんか、いまのような問題があるとすれば。
○国務大臣(永井道雄君) ただいま高橋委員のお話は承っておりましたけれども、私承っておりますときに、高橋委員がそういうふうに政治的に政治家としてお話し合いになったのか、あるいはこういう事例があるということでほかの方との話し合いであったのか、その辺が具体的によくわからなかったものですから、よく具体的なケースに即して考えないといけないことであると申したわけでございまして、教育委員会が人事を行います場合には教育委員会の責任において政治に左右されずに決めることがその当然の責任である、かように考えております。
○久保亘君 委員の発言に関する問題でありますから私もこれ以上申し上げませんが、いまのような問題はきわめて人事介入とまぎらわしい重要な問題でありますから、文部省としては現にこれらの問題については調査をされ、そしてそのようなことについてその見解をきちんとしていただきたい、こう思います。 次に、文部大臣にぜひこの際御見解を承りたいと思いますことは、先ほど教育界の内部における拝金主義の思想的な考え方をいろいろ言われまして、そのことが教育界に問題を起こしている原田として指摘がありました。私は、そういうことの背後にある、今日わが国における政治不信の最大の問題として、ロッキード問題が青少年に与えた影響はきわめて深刻なものがあろうと考えております。特に、あなたは、この事件が起きました当初、新聞報道等では三木首相の特使としてアメリカに派遣されるかもしれないとうわさされた、三木さんの言ってみれば最も側近のブレーンでありますが、このロッキード問題が青少年に与えた影響、子供たちに深刻に作用している問題等についていまどのような御見解をお持ちなのか、そうしてこの問題について文部省としてどういうことを望んでおられるのか、端的なお答えをいただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 私は、ロッキード事件はいまだにその内容が十分に解明されておりませんから、そのロッキード事件というものが何ものであるかということについて判断を急にすることはよくないと思います。ただ、伝えられるような問題との関連におきまして、たとえばわが国の政党政治に非常に金がかかるし、さらにその金の出し入れなどが不明朗な面があるのではないかということは、実は子供ではなくて、すでに大人のほうが、いろいろな世論調査を見ると明らかなように、相当の不信感を示しているわけでございます。大人がそうした状況でございますから、私は当然子供にもその影響があるものと考え、これは子供にとって望ましいものと思いません。 そこで、どういたすべきかということでございますが、私は、わが国の教育と政治との関連において基本原則を示しておりますのは教育基本法第八条でございますが、八条二項におきまして教育の中立性ということを言っておりますが、実は一項の方がかなり大事なんであります。といいますのは、政治的教養というものを民主的な社会においてはつけることは非常に大事だ。これはそれこそ将来にわたってりっぱなわが国の政治を築いていきますためには、その八条一項の精神に基づいて、これはいたずらに興奮するというようなことがあってはならないので、やはり事実に即して現状がどうなっているかを年齢に応じて学習させるということと、それから習慣形成の意味合いにおいてやはりいまの子供の人たちが次第に社会を形成していく、そういう段階に備えまして、子供の時分から自分たちの社会を十分に討議をしながらつくり上げていくというようなそうした教育というものが、これまでも強化されるべきであったと思いますが、こうした事柄が起こったのを機に一層強めていかなければならないと思っております。
○久保亘君 どうも大臣のお話は一般的な評論としてなされるものですから、私はそうじゃなくて、わが国の教育行政の最高責任者の立場にあられるあなたとして、このロッキード問題というのは、その真相がいま明らかになっているなっていないということは別にして、現にこの事件が日本の社会を大きく揺るがしているわけです。そうして、この問題の背景やそれからこの問題の現状などについては絶えず報道され続けているわけです。こういう問題が起きているその責任がわが国の政治にあるということについてはこれは否定できないわけです。そうすると、その問題が現に日本の教育、子供たちに対して深刻な影響を広げつつあるということについては否定できない。そういう影響についてあなた方がもっと的確にこの実情をとらえられるということは、今後の学校教育等におけるこの問題に対する対処の仕方というものを文部省がきちんとしていく上に非常に私は重要なことだと考えている。だから、これが非常に深刻な影響を子供たちの世界に学校教育の現場にもたらしているということについてはお認めになっているわけですか。そうして、そのことに対して、やはりこの問題は真相を徹底的に究明すると同時に、その責任を明確にすることによって子供たちへの悪影響を断ち切る、そしてこれらの問題に十分耐えていける子供たちを育てるということについて文部省は現実に責任を負うているということについてお考えになっているのかどうか、その点をお聞きしたい。
○国務大臣(永井道雄君) 文部省は直接に教育に責任を持っているわけでございます。また、私は他方この内閣の閣僚の一人としての責任を持っておりますから、その二つは若干分かれるところがあるかと思います。 まず、後者の方について申しますと、これは総理大臣が真相を究明しなければいけないし、そして責任も明らかにしたいということでございますし、私はそうした立場を堅持しなければならないと考えております。 次に、文部省の教育の方の問題について申しますと、これは非常に複雑な事件でございますから、こういう問題の教育というものはいわば学校の教育課程で申しますと時事問題というようなカテゴリーに入ると思いますけれども、それをこうしたもの、さっきそこでまだ十分に真相が明らかでない段階ではという表現を用いましたのは、やはり年齢に応じていわば尚早な判断に走ってはいけないと思います。そして、年齢に応じて十分に理解を深めていくような形で指導していかなければならない問題であって、そういう意味合いにおいて、教育の角度からこの種進行している問題をどのように扱うかということは、実は小学校、中学はもとよりでございますが、それぞれの段階において非常に慎重を要することと思います。
○久保亘君 それでは、時間もありませんから、私はこの問題と関連をしながらぜひこれを具体的にお答えいただきたいと思いますのは、昨年も私立大学の入学寄付金の徴収の実情についてお尋ねし、その対策をお願いいたしました。ところが、私どもが今日いろいろの報道で知りますところでは、私立大学の特に医学部、歯学部等における入学寄付金の徴収額は昨年を上回るものがあると聞いております。この実態についてまずお知らせいただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 管理局長から実態をまず御報告させます。
○政府委員(清水成之君) 五十一年度本年度の寄付金の状況につきましては近日中に調査を開始したいということで準備をしておる次第でございますので、本年春のことにつきましてはまたその時期に結果がまとまりまして御報告いたしたいと存じます。 そこで、五十年度のことで御報告をいたしたいと思いますが、五十年の医学部が二十八学部あるわけでございますが、このうち寄付金を徴していないものが二大学でございます。それを除きます二十六大学のうち入学者三千三百二十二人に対しまして寄付者が二千三百九十九人、七二%の者が寄付をしておる、こういうことに相なっております。寄付金総額といたしまして三百六十億円、それから寄付者一人当たり平均額にいたしますと千五百万円、こういう数字に相なっております。なお、このときの最高が四千万円というのがわずかございます。 それから歯学部でございますが、十五学部ございまして、これは十五学部全部でございますが、入学者数二千六百八人に対しまして寄付者が二千五百二十三人、九七%が寄付を出しておる。寄付金総額が二百六十四億円でございまして、寄付者一人当たり金額が千四十五万円、こういう数字に相なっております。 とりあえず以上御報告申し上げます。
○久保亘君 この五十年度の医学部、歯学部の寄付金の額というのは、文部省の調べによっても四十九年度をかなり上回っておりますね。
○政府委員(清水成之君) 寄付者一人当たり平均額で比較いたしますと、四十九年度が医学部が千百二十六万円、それから歯学部が七百八十三万円、これが寄付の平均でございます。
○久保亘君 じゃ、四十九年度から五十年度にかけてかなり上回っている。しかも、私どもがこの問題を指摘いたしましたのは、五十年度の入学試験が行われる前であります。その前後にその善処方を求めたわけでありまして、しかも五十年度は四十九年度をはるかに上回る金額が徴収された。ということは、本年度入学生にもかなりの寄付金が課せられたと考えられるのでありますが、その大まかな実情というものについて、金額ではおわかりなくても、五十一年度もなおこの寄付金徴収は引き続き拡大しているというふうに御理解になっているのかどうか、その点を御説明いただきたいと思います。
○政府委員(清水成之君) その点が、冒頭にお答えしましたように、私ども具体的にまだつかんでいないわけでございまして、どういう傾向かどうかということにつきましては巷間いろいろ言われておりまして、それからいきますと、やっぱり上がっておる傾向になっておるのではなかろうかと思いますが、本日この席でどういう傾向とつかんでおるというふうに申し上げることは私としましては差し控えさしていただきたい、かように存ずる次第でございます。
○久保亘君 伝えられるところによれば、寄付金をめぐって税務当局との間に問題が起きたり、寄付を納めた側のその収入所得をめぐって税務当局との間に争いの起こっている問題もあるやに聞いております。こういうような状態が依然として改められることなく拡大をしている。このことは、文部省はこの問題に対する指導力というのが全く及ばないのだろうか。それからもう一つ、子供の側に立ってみれば、金を積めば大学に入れる、こういう考え方がはっきり出てくると思うのです。こういうことが望ましいのかどうか。これはどういうふうにして規制ができるのか。これは大臣にお尋ねします。
○国務大臣(永井道雄君) まず第一に、金を積めば大学に入れるという考え方は私のとらないところでございます。そうでない状況にしなければならない。 ただ、現実においてこうなっておりますから、そこでどうするかという問題ですが、これはやはりわが国の医歯科大学建設の計画というものが必ずしも十分でなかったということに起因するかと思いますが、まあ文部省としてこれに対処いたしますためには、第一には私学振興助成の中で特に医歯系大学に対して国庫補助金を配分いたします場合に、他の学科よりは相当の大幅に多い額、これを補助いたしまして医歯系大学の経営の健全化を図る。これが、現在、大体医歯系一人当たりは大学平均一人当たりの十倍になっておりますが、この方向を堅持しなければならないということでございます。 それからもう一つは、国立で医歯系の大学を強化するという方向を進めてきておりますが、これは最終的な目標を医師の養成については昭和六十年度を目指して推計をしているわけでございますが、これをどうしても強化していかなければいけないということ。そして、もう一つは、今後は医歯系の私立の学校の新設というものはこれはもう全力を挙げて私たちは抑制をしなければいけないし、特にその場合に寄付金などに頼るというような形でつくられるというものについては十二分のチェックをしなければならない。おっしゃるように、教育の機会均等という立場からも非常に問題のあるものでありますので、これはいま申し上げたような角度で文部省としては一日も早く是正したいと思っていることでございます。
○久保亘君 あわせて、本年度大学入学に伴う各種納付金の先取りの自粛について文部省は行政指導をされたと思うのでありますが、この成果がどの程度あらわれておるのか、御報告をいただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) この問題については、昨年度国会で御指摘をいただきました問題でありまして、やはりある大学の授業を受けない者から授業料などを徴収することは好ましくございません。それで、国会で御審議をいただいた精神というものを尊重いたしまして、昨年の九月一日付で通知を出し、指導いたしました。その結果といたしまして、現状では、昭和五十一年四月現在で改善をいたしました大学、短大は、七百校のうち六百七十二校でございます。
○久保亘君 この改善によって、現実には、大学に合格しました学生、というよりは負担するのは主として父母でありますから、その父母負担が金額にしてどれくらい軽減されたという判断をされておりますか。
○政府委員(清水成之君) 五十一年度のその状況につきましては、これも先ほどの寄付金と同様近々調査をする準備をいたしておりますが、五十年度の場合を申し上げますと、入学金が取りっぱなしであったというのが約六十億円でございます。そこで、それから推計いたしますと、それに近いか、あるいはそれを若干上回るというような金額が出てくるのではなかろうか、かように考える次第でございますが、一面、また中には、入学金を何といいますか、五十一年度上げておるところが出てくるだろうと思いますので、大学自体の収入から見るとどういうふうになるかと、こういう点はまた今後の調査の結果を見た上で御報告いたしたいと存じます。
○久保亘君 この寄付金の問題にいたしましても、先取りの問題にいたしましても、いずれもこれを文部省が教育的な立場から強く指導されるということになれば、先ほど大臣の御発言にもありましたように、私学助成という実質をもって指導しなければ、ただ文書の通達だけではなかなかいかない問題だと思うのです。そういう意味では、私学助成が大幅に今後、助成法が二分の一を目標としておりますその目標を目指して拡大されていかなければならぬと考えるのでありますが、現実には私学助成は財政上の理由をもって大変厳しい制約を受けている。この点について来年度の私学助成の目標をどの辺に置いておられるか、それをお聞かせいただきたい。
○国務大臣(永井道雄君) 来年度の目標につきましては、ただいま私から明確にたとえばパーセンテージを申し上げることは尚早であると考えております。
○久保亘君 法律が二分の一を目標として決められておるわけです。であるとするならば、本年度は多分四〇%ぐらいであります。だから、その格差は六〇%もあるわけです。だから、少なくとも二分の一を目指して今後何年後にはその目標に到達するということであれば、一応の目標というのがやっぱり文部省になければ、大蔵省の財布のひもかげんということでいつでもやられておったのじゃ、こういう先ほど問題といたしましたようなことについての文部省の指導というのは現実には功を奏しない、こう考えるのです。だから、予算編成上のそういう問題ではなくて、大臣が少なくとも来年はこの辺まではぜひ私学助成を引き上げたい、二分の一の目標に向かってこの辺まではいきたいという、そういうあなたの文部大臣としての一つの目標というのがあるだろうと思う。それをお聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) これは二分の一以内ということでございますから、そうした目標に到達したいという願望は持っております。願望は持っておりますが、先ほどパーセンテージを申し上げるのは差し控えさせていただきたいと申しましたのは、現今のやはり財政事情というものを考えて文教行政をやることも決して大蔵省の圧力によってどうこうということではなく、私も責任を持ってこうしたことについては発言をいたすべきでございますから、願望としてできるだけ多くしたいということを考えているのですけれども、いまパーセンテージなどについては差し控えさせていただきたいということでございます。
○久保亘君 それじゃ、もう少しまた時期が進みましてからこの問題はお尋ねしたいと思います。 それでは、次に国立大学の授業料の値上げについては、五十一年度予算の成立がおくれたこととも関連して、少なくとも本年の後期までは見送られると言われておりますが、私は、これを見送ることによって文教予算に具体的にはね返りが出てくるのか出てこないのか、その点をまずお伺いしておきたいと思います。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘のとおり、今年度の大学その他国立学校関係の授業料につきましては、暫定予算の関係がございますので、前期において徴収する額については旧額、後期から改定をするということにいたしたわけでございますこれは五十一年度入学者についての特例でございますが。しかし、同時に考えております育英奨学事業の拡充であるとかその他の措置につきましてはもちろん年度当初から実施をすることにしているわけでございます。 問題は、前期の額を旧額にとどめましたので、その関係で約二十七億九千万円の歳入の不足が予想されるわけでございます。この額は、本年度の国立学校特別会計の歳入予算のうちで、自己財源収入によるもの約一千六百億円の一・七%程度のものでございます。歳入予算というのは、もともと歳出予算と違いまして限度を決めるものではかくて、一応の収入の見積もりを行うものでございます。したがって、予定に比べましてある程度の変動が生ずることは避けられないところでございます。この二十七億円につきましても、予算の実行におきまして他の歳入面における収入増、あるいは不用額の発生による歳出減、そういったものも通常予想されるところでございますので、全体としては執行上田立学校の予算に影響はないというふうに考えております。
○久保亘君 じゃ、このことを理由にして大学の研究費や需要費などにしわ寄せが行われることは絶対にない、こういうふうに理解していいですね。
○政府委員(佐野文一郎君) そういうことは考えておりません。
○久保亘君 それでは、文教予算に直接はね返りがないとすれば、前・後期合わせても五十六億の金額にすぎませんから、この際五十一年度については授業料を年度途中で上げてくるというのもおかしな話でありますから、それで五十一年度は授業料の値上げを見送るということはできないのかどうか、御意見をお聞かせいただきたいと思います。
○政府委員(佐野文一郎君) 国立学校の授業料につきましては四十七年以来据え置きの状態になっておりまして、いろいろな情勢を総合的に考えまして五十一年度から額を改定をするということにいたしたものでございます。本来、授業料の額というものにつきましては、文部省令で国立学校設置法の委任に基づきまして定めるものでございますので、本予算の成立にかかわりなくこの改定は事柄としては可能なものではございますけれども、暫定予算ということもございますので、四十七年度の例にならって前期分は五十一年度入学生についての特例として旧額によるということにいたしたものでございます。国立学校授業料の改定ということにつきましては諸般の情勢でやはり必要であると考えて実施をいたしたものでございますので、後年度分についても改定を行わないというふうなことは考えておりませんし、また、すでに四月一日付で関係省令の改正をいたしましてその改定を実施したところでございますので、御了承いただきたいと思います。
○久保亘君 次に、これは大臣にお聞きしたいのは、最近、教育の施設設備の充実などのために教育債券構想というのが出されておりますが、文部省としてこの教育債券構想を御検討になったことがあるのかどうか。私は、教育債券構想というのが一般財源の不足を教育債に肩がわりをするというような形で考えられるとすれば、大変問題だと思うのであります。その上に、この教育債が目的税的な意味を特って、債券で一定の金額が集められて教育に使われるということになるならば、教育債券を現在の教育行政の機構によって運用することが可能なのかどうかですね。これは一般財源として教育債券として発行されたものが大蔵省にそのまま吸い上げられていって、そしてその債券が一般会計の歳入として考えられるということならば、これは教育費に投資をするのが惜しいから一般財源の不足を教育債という名前に肩がわりをして債券で徴収する、こういうような形になるものであって大変問題があろう、こう思っております。それからこの教育債構想が今度は地方自治体に及びますと、これはもう紛れもなく父母負担の過重という形で課せられていく。そうすると、この傾向は今度は私立学校等の場合には学校債を発行することによって入学寄付金にかわるものを債券で徴収して卒業段階でその権利放棄をさせる、こういうようなやり方が生まれてくる可能性があるわけでありまして、この教育債券構想というのは、今日のように財政の非常に危機的な状況の中で出されているということについては私どもは非常に大きな危惧を抱くわけでありますが、この問題について大臣の御見解を承っておきたい。
○国務大臣(永井道雄君) まず、文部省といたしましては、これまで教育債券の構想というものを持ってこれを考えてきたというわけではございません。恐らく御指摘の問題は、一部でございますが、新聞に報道されました自由民主党の非課税扱い教育債券発行の構想というのだと思います。そういうものでございますが、私たちはまだそういう具体的な構想を聞いてもおりませんし、また、私たちの方からそういうことを考えておりませんので、そういう段階であると、こういうふうに御了解願いたいと思います。
○久保亘君 そうすると、教育債券というものが現実にもし具体化してくるという場合に、いま私が申し上げましたような危惧ですね、こういうものが起こり得るということについては大臣はどうお考えになりますか。
○国務大臣(永井道雄君) 久保委員の先ほどおっしゃいましたいろいろな問題点というものを私はそれなりに了解いたしますけれども、何分にもいま実は具体案というものも聞いていないものですから、それに先回りをいたしましてこうなればああというふうな見解は持ち合わせていない段階でございます。
○久保亘君 では、次に、体育局長、お願いします。 体育局長にお尋ねしたいのは、社団法人アマチュアボクシング連盟の運営などについて文部省としてどの程度把握をされておるのか、それからこのアマチュアボクシング連盟に対して現在国庫補助はどれぐらい出されているのか、御報告いただきたいと思います。
○政府委員(安養寺重夫君) 社団法人日本アマチュアボクシング連盟というものが昭和四十六年の一月、文部大臣から設置認可を受けまして、自来、アマチュアボクシングの活動に従事しておるわけでございます。現在のところ、四十七都道府県連盟を傘下におさめまして、大学、高校あるいは会社その他民間のクラブというような組織を包含いたしておりまして、いろいろとアマチュアボクシングの調査研究、講習会の開催、日本選手権大会その他の競技大会の開催、あるいは、現にやっておりますけれども、オリンピック大会への代表参加者の派遣の選考をしておりますが、そういった仕事をるるやっておりますほか、審判員だとか指導員の資格の認定なり、安全確保のための普及の事業、あるいは機関誌などの発行、こういうことを多面にわたってやっております。会員の数が約五千名を超える程度になっておりまして、現在その方面の総括的な団体ということで、文部省としましては社団法人としてこの方面の仕事を包括される団体でもございますし、スポーツのアマチュア精神にのっとっていろいろな事業が健全に行われるようにということで一般的な監督をしておる、こういうのが現況でございます。
○久保亘君 補助金は。
○政府委員(安養寺重夫君) 補助金は、国からは出しておりません。
○久保亘君 そうすると、日体協を経由して国の補助金が流れるということになりますか。
○政府委員(安養寺重夫君) 日本体育協会に国からいろいろの補助金を出しますけれども、その経路を通じてもここには補助金は行っておりません。
○久保亘君 そうすると、一切国の援助はいかなる形でもアマチュアボクシング連盟は受けていないと、こういうことですね。それは間違いありませんか。
○政府委員(安養寺重夫君) 結論的にはさようでございます。 多少御説明いたしますと、まあこういう登録料なり維持費の徴収がございますほかに、補助金というのがございます。この団体の受けております補助金は、日本体育協会からも大分来ておりますが、それは日本体育協会が自己財源でいろいろと捻出しましたものの一部を国際的な行事あるいは国内的な行事に参加するその財源としてもらっておると、あるいは自転車等のあれがございますが、それを日本体育協会がもらいまして、その一部をやはりスポーツ振興事業プロパーの経営のためにもらっていると、こういうようなのがございます。国の補助金はそういう意味では直接間接行っていないということでございます。
○久保亘君 わかりました。 きょうは時間がありませんから、アマチュアボクシング連盟の運営について、たとえば役員の選出の仕方とかそれからその内部のいろいろな問題について意見が関係の方面から出されているようであります。特に、文部省として、体育団体に対する指導などについて従来余り適確でない面があるのじゃないかと、こういうふうに思いますので、ぜひいろいろ体育団体に対する文部省の認可法人としての権限の内側でできるいろいろな監督や調査などについてお願いをしておきたいと思います。また、いずれこの問題については具体的にお尋ねをしたいと思います。 それから最後に大臣にお尋ねしたいのは、このたび教育白書を出されておるのでありますが、この教育白書についてもう細かい御質問が時間の関係でできなくなりましたので、私がぜひお聞きしたいと思っておりました点だけを申し上げますが、学歴偏重社会の転換が現実に高学歴化によってわが国の社会に起こってきているという見方をされておりますが、この問題については実際には今日受験地獄がいささかも解消されておらない、そしてこの受験地獄へ向けての子供たちの競争は就学前にまで及ぼうとしている、こういうような状況を考えてまいりますと、学歴偏重主義というのは、いまの教育の課題としてこれを文部省が高学歴化によって自然にそういう状況が生まれてきたというとらえ方をして安易に処理するのではなくて、この学歴偏重社会を転換させるために一体どういうことが必要なのかというその具体的な提言が必要になってきているのではないか。で、特に、この学歴偏重社会が転換することが望ましいと考えておられる日本の政府、文部省、それから国立大学、こういうようなところにむしろ学歴偏重主義といいますか、悪い意味での官僚主義、こういうものが典型的に存在をしておるということは、いろいろな人たちが指摘をしているところであります。だから、私は、文部省としてもこの問題について積極的に取り組んでいくということがこの白書の中で必要であったのではないかと思うわけです。そのためには、どうしても現在この白書の中に数量的に今日わが国の教育界の高学歴化がこのように進んできました、世界でも二番になりましたという見方だけではなくて、この裏側にあるもの、塾がどうなっているのか、子供たちの非行やあるいは学校の競争から脱落をした子供たちの自殺の問題、この委員会でも指摘がありました、こういったようないま教育の課題としてこれを取り上げて当面取り組まなければならない問題がこの白書の中では見落とされているのではなかろうか、こういう問題について大臣の見解を承りたいということが一つであります。 それからもう一つは、この白書から教育の課題の解決というものを導き出していくとするならば、今日的な教育の課題をどうやって解決していくかというその道筋について白書はもっと取り上げるべきではないのか、あるいは白書はその素材を提供するだけであるというならば、この白書に次いでその道筋というのはどういう形で今後示されていくのであろうか、この点について大臣のお考えをお聞きしておきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) ただいま先生の挙げられました白書でございますが、力点は確かに一九六〇年代、昭和三十五年以降の社会的あるいは経済的な非常な変化の中でわが国の教育の拡大がどういうふうになっていたかということの総括的な把握というところに置かれております。ただ、そういう量的拡大に伴ってこれから質をどうしていくかということが同時に述べられていると思いますが、私は、今回の白書は、そういう点で、量的拡大より内容の整備充実の段階に入ったということを明らかにしているものであるという、一番の要点を申し上げればそういうことであります。ただ、そういうことを言っても塾のことはないではないかと。それは先ほども申し上げましたが、これから本年度ぜひ取り組もうということで調査に入っていくわけでございますので、その点は今回の白書がカバーできなかった点であります。 それから今後の政策の展開について、白書の姿からかなり理解される点もあると思いますが、しかし、それだけで不十分な点、たとえば学歴社会を変えていくのには具体的にどういう方向が必要であるか、こうしたことは、なお一層、この白書にもある点がありますが、私は政策の中で明確に見解を明らかにしていく必要があると考えております。
○委員長(山崎竜男君) 午前の会議はこの程度にとどめ、午後一時二十分再開することとし、暫時休憩いたします。 午後零時二十分休憩 —————・————— 午後一時二十五分開会
○委員長(山崎竜男君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 教育、文化及び学術に関する調査中、当面の文教行政に関する件を議題といたします。 休憩前に引き続き、本件に対する質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言を願います。
○鈴木美枝子君 前回、文教委員会三月四日の木曜日に私が質問いたしました八歳から十四歳までの子供の自殺に関して、偏差値を取り上げまして、業者テストに対してお伺いいたしました。それについて、永井文部大臣は、徹底的に調べなければいけないとおっしゃっていただきました。そのとおりに、その後の新聞紙上、週刊誌を拝見いたしますと、積極的に永井文部大臣は指導的にお調べになっていることを知りました。たとえば四月一日の「朝日新聞」にも、「学力評価洗い直し」という見出しがついておりまして、文部大臣のおっしゃるのには、「進学指導が偏差値に振り回されたり、特定の教科だけで算定されるなど問題はあるにしても、業者がやっていること。もっとも大きな問題は現在の受験体制にあるが、進路指導に業者が入ってくるのは、現行の相対評価にも問題があるからだ。」とまで申してくださいました。その点について、これはすぐ簡単には解決しないと思いますが、本当にありがとうございました。感謝いたします。それにしても、私はあのときに、偏差値と業者テストで子供の自殺、もう一つ私は申し上げたいことがありましたが、これはちょうど私の考え方と同じものが「朝日新聞」紙上に載っておりましたので、これは全体の記録としても一度読ましていただきたいと思います。 授業時数は、学習指導要領と学校指導施行規則で全国画一的にきめられている。その授業日数は世界有数の多さであり、年間授業日数や年間週数も多い方がよいように定められている。この規定によると授業は年間二百四十日以上(アメリカ平均百八十日、フランス百八十−百八十五日、ソ連二百日)。各教科(道徳を含む)の授業は三十五週以上となっている。つまり二百四十日の授業をおこなうには、日曜休日を計算に入れると週六日制で十二週となる。年間五十二週として四十二週学校で授業をしているのだから、休みは十週となる。だから夏休み、冬休みとも西欧にくらべて短い。授業時間まで明治以来、政府がきめてきた。 学校における「時間」とは何だろうか。それは、無限な時間とも永遠回帰の円環性の時間とも縁がない。「遊び」のような自由な創造的飛躍の時間とも関係ない。生物のリズムによる時間でもない。学校の時間は、終着駅(学習目標)に時間割り通り直線的一レール上)にはこばれる時間である。清水義弘東大教授は「鉄道文明と学校文明とは似ている」という。だとすれば近代日本の「時間の合理化」は、学校と鉄道によっておこなわれ、それが工業や企業組織、さらに官僚制組織の時間による生産性向上の基盤になってきたともいえる。 速度崇拝である。学校の試験は、ある一定の時間内で優秀さが競われる。時間外は失格だから、頭の回転の早いものが勝ち、じっくり考え、考えるプロセスを大切にするものは落後者になる。最近は、テストの答案をだす順番で点数をつけるという。つまり最初に答案をだした子は減点されないが、二番目にだすと一点、三番目は二点と順々に減点されていき、最後の四十番目にだした子は、答案の内容にかかわりなくマイナス三十九点となる。速度崇拝もここまでいきつくと、子どもの創造性をふみにじることになる。従ってすばやい条件反射が至上価値となる。 日本の学校が世界有数のつめこみ主義と授業日数の多さ、「勤勉」という価値を重んずるのは単に近代工業社会の反映だけだろうか。 私も全くこのことに対して同感なんです。で、この裏づけに現に行われている偏差値に対して私は申し上げて、そして八歳から十四歳の子どもの首つり自殺がふえてきたということを申し上げておきました。文部大臣に、私は、すぐ解決できるとは思いませんが、現にこうやっていただいていることに感謝しながら、解決をしていただきたいと私は願っております。 で、文部大臣、重ねてお伺いしておきますが、偏差値と業者テストに対してどういうふうに進めているかということを御報告願いたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 鈴木委員に御指摘いただきました問題は非常に重要であるというふうに考えまして、たしか三月の初め、四日とおっしゃいました。そこで、三月十五日に関東地区等九都県市の教育委員会の進路指導担当主事にまず事情聴取をいたしました。これは関東だけです。そこで、その結果、大都市地域の問題であるということが明らかでしたので、さらに四月十四日に東京都、大阪府、愛知県等の教育委員会の指導部長会議をいたしました。そして意見交換をやりました。それから四月下旬に今度は大都市にとどまらずに全国的な概況を把握するために、業者テストが学校にどのように介入しているか、また生徒が参加しているか、そういうテストの結果どういう資料が得られてそれを利用しているか等につきまして各都道府県の教育委員会に指導と対策も含めて調査を依頼いたしました。これは全国でございます。そして、、この結果、概況、全体的状況というものはつかめるわけでございますが、いま御指摘にもなりましたように、それが一人一人の子供にどういう影響を与えているかというようなところまで把握する必要があるわけでございますので、本年度予算をお願いしておりましたいわゆる塾についての調査なんですが、その中に偏差値問題も含めることにいたしまして、調査をやっていく考えでございます。 以上は調査ですが、こういうことで、大都市だけでなく全国の実情が正確に把握できますわけですので、その結果、非常に問題がある地域——鈴木委員は東京のことをおっしゃいましたが、そのほかにもいろいろな場所があり得ますので、問題のある地域につきましては、各教育委員会が地域の実情に応じてどういう適切な対策をとるべきであるかという結論を出していただくようにして、そういう形で教育委員会に文部省が指導をしていく、そういう順で運んでいく考えでございます。
○鈴木美枝子君 ありがとうございました。どうぞ、いい解決に持っていっていただきたいと思います。 で、第二の質問に移らしていただきたいと思います。これは、基本的人権の尊重と絶対平和主義の原理に立つ日本国憲法の精神にのっとって義務教育の中で平和について教科書の中でまたは教育上どういう教育をしていられるのか、これは文部大臣に一度伺っておきたいと私は思います。
○国務大臣(永井道雄君) そもそも教育基本法の一条に、わが国の教育は平和的な国家及び社会の形成者を養成しなければいけないということがございます。教育基本法だけではなく、憲法それ自体が平和の原則というものを非常に強く強調していることも、言うまでもないわけでございます。 そこで、学校でこれをどう教えていくかという場合でございますが、これは全体的に学校で考えるべきことと思いますが、しかし、学校の中では社会科が一番この問題を取り上げているわけでございまして、小学校の段階においてはまず全体的な考え方、そして、さらに中学に進んでまいりますと、原則を理解させるだけではなくて、原則を具体的に実現していく上にどうすべきか、さらに、核兵器が発達してまいりましたから、戦争が起こると人類を破滅に陥れるおそれがあるという問題を考えさせて、戦争を防止するために努力するそういう熱意と態度が必要であるということを教育の中でその態度をつくるところまで養成していく、大要申しますと以上のようなことでございますが、なお必要がありますれば、指導要領あるいは教科書などで具体的にかなり詳細にこの平和の問題についてはいろいろな角度からの取り上げ方がございますので申し上げますが、いま申し上げましたのは全体的には大体そういう方向で進んでいるということでございます。
○鈴木美枝子君 私は、最近、「国民時事百科」という百科辞典中でいま申し上げました平和問題のところを見ましたら、家永先生の裁判での平和、九条の問題についての教科書判定の問題が出ておりました。その隣に並んで、国防教育というふうに書かれておりました。これは灘尾文部大臣当時の言葉がそのまま載っております。愛国精神を育成する、これはいろんなところでこのごろ聞かれることでございます。この二つの問題が市販されているところの「国民時事百科」に載っているわけでございます。愛国精神を育成するといういま言われている言葉だの、この市販されているところの辞書に書いてあるところの愛国精神の問題なんですが、私は国民の方から陳情を受けました。ここに数枚の写真がございまして、これを見ながらいろいろ検討してみたい。 まあロッキード問題はアメリカから言われたことでございますが、日本人みずからがそういうことを掘り起こしながら検討するというのは重要な時期なんじゃないか。これは言葉よりも写真の方が具体的でございますから、これはちょっと角度が違いますが、愛国の問題としては同じようなことでございます。文部大臣のところまでお回しください。これは中身でございまして、これは外部から見たところでございます。いま回しました写真は、この間の第二次戦争におけるサイパンの戦死した人の遺体じゃなくて遺骨でございますね。この場所は、サイパン刑務所、警察、その広場の中の倉庫でございます。倉庫の外側から撮ったのと、内側にある遺骨の写真でございます。 この写真は、私が陳情を受けましたのはサイパンの生き残りの方。生き残りは四十人いらっしゃいます。で、戦後三十一年間で十回行っているんだから、十年通い詰めているわけでございます。そして、私のところへその写真を持ってきた。昭和四十九年には「朝日新聞」にその写真を持っていった。ところが、厚生省の——これはお名前は言いませんでした、その遺族の方は。厚生省の人がその方のところへ来て、「朝日新聞」にその写真は載せるなということを言ったのでございます。これは昭和四十九年の写真ではございません。その方は十回行っているんですから、去年も行っております。そして、今月十三日にも行くことになっておりますから、その写真は、そこに書かれたとおり、昭和五十年十二月の十一日でございます。で、「朝日新聞」に厚生省の人が載せるなということでございますから、この機会に私はここで文部大臣、厚生省の方に公開して、そうして国防と愛国心という問題がどういうふうにかかわってくるかということを文部大臣からお伺いしたいと思います、それ自体が教育だと思いますので。お回しになりましたらお戻しになっていただきたいと思います。 この写真を撮ることができたのは昭和四十九年ですから、まだサイパンはアメリカ領にはなっておりません。十年間通い詰めているわけでございます。その生き残りの四十人中の一人は、最初は一人で行きました。そして、写真に写してこの事実を見ることができたのは、案内人の人ですが、トビヤス・ムーニャさんという人が、戦争中に現地人で自分は日本人と一緒に戦ったと、だからお参りしたいと。これは現地にいてキリスト教であろうと仏教であろうとも、もし宗教がないにしましても、死ぬまでその人の記憶の中にあるところのそのものに対してお参りしたい。ところが、四十九年の段階では厚生省の人がなかなかお参りさせてくれない。そういう気持ちがあったために、生き残りのサイパンの人に、警察の倉庫の中に実はあるんだと言って見せたわけです。そして写真を撮った。四十九年に撮ったのは、私もその写真はきょう持ってきませんでしたが、ネズミのふんがあったり、そして遺骨が袋に入っているだけでございました。いま皆さんがごらんになったのは五十年に写したのでございますから、サイパンがいまはアメリカ領だということはおわかりになっていると思います。 それで、少し具体的に言えば、いまどのぐらい遺骨が残っているか。それも必要なことでございますから、議事録に記録のために申し上げなきゃならないと思います。サイパンでの戦死者は四万五千人おりました。海軍陸戦隊、陸軍、そうして案内したトビヤス・ムーニャさんと同じような一般の現地人は二万人以上おります。戦死者は半分ぐらいおりました。だから、案内の人も同じ気持ちでその人たちが案内してこの写真の場所を見せたということはあたりまえのことだと思います。 そうして、十回この人が行った経過を申し上げます。第一回目は昭和三十九年でした。それは単身ですから、一人で行きまして費用は十万円かかりました。第二回目は四十一年に行きまして、そのときは三人で行きました。費用は十二万円になりました。そうして第三回目は四年置いて昭和四十六年、生き残りの人四十人誘い合わすことができました。四十七年は四十人。そして第五回目四十八年、これは四十八年は二回行った。四十九年も二回行った。四十八年は経済成長で少し金ができたから二回行けたんだということです。そうして去年五十年はやはり二回行くことができたけれども、なかなか経済的にも続かなくなってきた。この三十九年から五十年の経過ですね、きのう厚生省の方に聞いてみました。聞いてみましたら、昭和二十八年の平和条約から遺骨収集をすることができた。ところが、その時期にはこの人たちは行けなかったんです。昭和二十八年はまだ戦後で金もなく行くことができなかった。だから、この人たちは昭和三十九年から行ったというここに記録的事実があります。そうして昭和二十八年から厚生省の人は行けるようになったと言うが、やはり二十八年は発表しただけなのですね。その後四年間の経過は、だれも行っておりません。この生き残りの人たちが行ける時期から記録されておりますから、この人たちが中心に自費で行っているんだと私は思います。厚生省の方にその費用、予算の点についても聞いてみました。それはなぜ聞いたかといいますと、「朝日新聞」に出してはいけないというのが四十九年、そうして五十年にこの写真を撮ってきた。その時期にNHKではニュースとして発表になった。この写真は十一月ですね。やや同時の時期です。十一月に遺骨収集は中止になったと発表になったのですね。私はそこでNHKという日本全国ネットの中で発表するということが非常に計画的だと思うのです。発表しておいて、大ぜいの国民の方たちには中止になったと。内容がわからないんですね、ただ中止じゃ。だから、その遺族の、戦後からずうっと思い詰めているこの人たちがNHKを見ましたときに、お上という言葉があるかもしれませんですね、政府の方たちを。この遺族の人たちは、厚生省と思うか、いや、政府と思うでしょうね、NHKを見た人は。厚生省はNHKのニュースで遺骨収集中止を発表しておいて、そして国民の見ていない場所で予算を出した。国民には知らせないで、行けなくなったと思わせる。そして予算は今年出ている。ときには陳情する人もあるでしょう。しかし、ああお上が発表したんだという昔式の思い方、それからNHKが持っているところの全国ネットを利用してつまり中止を宣伝している。戦後から遺骨収集のため自費で出かけて行っていた遺族をだます結果を生み出す。戦死者の骨はサイパンを初めいまだにある。 愛国精神というものについて、一体どういうのが愛国精神なのか、私はこの点について教育の問題として文部大臣からお伺いしたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) ただいまのNHKと厚生省の関係につきましては、私、もう一つ十分理解しない点がございますので、大変恐縮ですが、先生にそこの問題点を御指摘願いたいと思いますが、その前に愛国心と平和ということについて申し上げますならば、ただいま御指摘になりましたように、第二次大戦中は非常に多数の人々が、いまのサイパンにとどまらず、戦争によって命を失ったわけでございます。しかも、実は日本人だけでなく、サイパンの例がそうでございますが、日本人以外の人もお命を失った。そこで、愛国ということを言いますのは、やはりそういう過去の戦争という経験によって命を失った方たちのことも本当に考えて、二度と戦争というものは繰り返すまいと、そういう国として自分たちの日本をつくり上げていこうというのが、私は、今日そうしてまた今後のあるべき愛国心であると、かように考えているわけでございますが、いまのNHKの点につきましては、ちょっともう少し御説明をいただいた上で考えを申し上げたいと思います。
○鈴木美枝子君 NHKのニュースも私はそのとき見ているわけです。NHKだけの説明をするということができない。説明はこの事実の問題です。事実の問題があるのに、NHKは勝手に遺骨収集中止とニュースを発表するのでしょうか。厚生省の方、庶務課長さん、答弁ください。
○説明員(柴義康君) お答えいたします。 戦没者の遺骨収集につきましては、昭和二十七年、平和条約発効以後政府か年次計画を立てて実施してまいったわけでございますが、昭和四十八年からは第三次計画というのを立てまして、主要戦域を対象にいたしまして、相手国の事情が許す限り全戦域をカバーするという計画で実施してまいったわけでございます。特に昭和五十年度におきましてはこの第三次計画が三年計画でございましたので最終年度であるということから、特にその派遣団を大規模なものにして実施いたしまして、昭和五十年度は終戦三十周年でもあるということで一応遺骨収集は昭和五十年度をめどにしたいという計画で実施したわけでございます。したがいまして、そのめどにしたいという話がNHKの方で打ち切りというふうに放送されたのではないか。私どもはNHKの放送を存じないものでございますのであれでございますが、私どもといたしましては、打ち切りという発表をした覚えはございません。しかしながら、相手国の事情によりましては入域が認められないといったような地域もございますし、あるいは季節的な事情から計画中に入域ができなかったというような地域があるわけでございます。したがいまして、厚生省といたしましては、今後はそういった地域を重点的に補完的な遺骨収集を実施するという計画でございます。 それで、ただいま先生からお話のございましたサイパン島につきましては、これは約五万名の方々が玉砕されたというきわめて特殊な地域でございますので、したがって、昭和二十八年から九回にわたって政府派遣団が収集に参っておるわけでございますけれども、なかなか完全な収集は行われないということで本年度も計画をいたしておるところでございます。
○鈴木美枝子君 今回は十三日に行くんですよ。今回行く人たちに対してもぎりぎりまで許可がおりなかった。ですから、政務次官にこの写真を見せて、やっと行くことができた。十三日といったらあと二、三日ですよ。いま厚生省の答弁では五万人と言ったけれど、四万五千人です。もう少しよく調べた方がいいですね。そして、いままで荼毘に付すことさえできなかった。荼毘って知っていますか。焼くことができなかったのです、それは厚生省がなかなか許可をおろさなかったから。五十年度だけじゃないですよ、戦後から四十九年度まで。やっと二千人遺骨を五年間にわたって荼毘に付したというのです。 そして、いま残っているのは御存じですか。いま残っているのがどのぐらいありますか、サイパンだけで結構ですから。
○説明員(柴義康君) 民間の方々が海外に参りまして遺骨収集をするという問題につきましては、私どもは全く関与いたしていないわけでございます。サイパンもアメリカの関係でございますので、政府派遣団が参ります場合もあらかじめ外務省を通してアメリカ政府の許可を得て入るというような状態でございます。それで、現在信託統治政府の方の方針といたしまして、サイパン島におきましては、遺骨収集及び持ち出しは政府派遣団に限るという方針のようでございますので、したがって、民間の方々が入ります場合にはいろいろな注文、条件が課せられておるようでございますが、その問題は全くわれわれとしては関与のできないような状態でございます。
○鈴木美枝子君 きのう、電話と、テニヤン市長より手紙が来て、テニヤン市長代理からなんでございますけれども、日本政府の慰霊のことについて厚生省から日本領事館に慰霊碑のことを言ってきたらすぐにやれるというふうに言ってきているんです。いま私が質問したのは、サイパンで残っている遺骨、この残っていることはまた続けていくということへのことがございますから、それを質問したんです。 いまよくわからないと言うんなら教えてあげます。荼毘に付した後残った遺骨が一万五千六百六十七遺骨ございます。そして、現地の方を一緒にして二万七千三百三十三の遺骨が残っております。この私のところへ陳情した方のお言葉によれば、ことしは三十三回忌だそうでございます。仏教の言葉でございます。そして、調査しているからといってお骨のある場所に入れない。厚生省のあなたはごらんになった方がいいと思います。現地の人が案内して四、五人でシャベルでもってぽろぽろ土を掘っているわけ。だから十年以上もかかるんです。三十年もかかったんです。厚生省のあなたはアメリカになったサイパンだからなかなか許可が大変だと言いますけれど、アメリカという国はキリスト教を基本にした国ですから、人の死についてはそんなあなたの考えているような考え方じゃございませんよ。たとえばそれが共産圏であっても、生きている人間の愛というものが死んだ人に対しても同質な感情であるということをひとつ一度心深く考えておいた方がいいんじゃないですか。そのことが愛国精神という言葉を使うことになるんですよ。死んだ人は死んだ人でほうっておいて、そして愛国精神などということを市場に売る辞典の中に書き込むこと自体が私はだめだと思うんです。それこそは戦争につながる教育と言葉だと思うのですよ。遺族の方たちの話を聞きましたら、こうです。遺族じゃなくても、もう骨の顔はわからないんです、体もわかりません。ただ、自分たちの遺骨を探すところは、そこに水筒が戦後もそのままあるとか、そういうところで写真にあるように掘っているのです。そして、全部のお骨が自分の親兄弟と思わなかったらなかなか掘れないと言いました。一万幾体が全部自分の兄弟だと言っていました。自分の親や兄弟だと思わなきゃ、十年間も通っていけるわけはないって言いました。だから、厚生省のあなたがやはり日本人の兄弟だと思うべきですよ。このごろは盛んに民族という言葉声文教でも使います。だけど、自分の兄弟だと思い親と思って一万幾体の残っている遺骨を拾おうとしているその方たちと同じ気持ちがあればこそ愛国という言葉が使えるんですよ。そのことを厚生省の方たち、いや、たちと言っちゃいけないかもしれませんが、もしお知りにならないとしたら、そのことをよくお考えにならなければいけないと思うのです。そのこと自体が、永井先生、先ほど私は一つの字引きから例を引きましたけれど、教育の中で愛国というようなことを文部大臣のお言葉から聞きたいところでございますね。
○国務大臣(永井道雄君) 私、先ほどからよく承っておりまして、鈴木委員のお考えになっている点を理解し、全く同感でございます。戦争から月日を経ますと、やはり人間は忘却しがちでございますけれども、しかし、その戦争のために命を失いました人はこの東京にもございますけれども、はるか故国を離れた南海あるいは大陸その他において亡くなられて、しかも長い年月にわたってその遺骨も国に帰らないということは、われわれ同じ民族に属している人間として非常に残念なことだと思います。私は、今後もそういう事柄については、やはり戦争体験というものは本当に今後平和をつくっていく上では貴重なことでございますから、教育の上でもそうした意味で命を失われた方々の経験というものがむだにならない、そのことが若い世代に伝わりまして、そうしてもちろんその遺骨の一日も早くわが国に帰ってくることが望ましいのでございますが、若い世代というものが日本人の戦争体験というものを踏まえまして、今度は本当に平和を何とかして確保していく国になっていくように、そういう教育が行われなければならないと思っております。
○鈴木美枝子君 私も永井文部大臣と同じような気持ちでいま遺骨問題をやっております。その遺族の中の方の例で言いましても、遺骨を荼毘に付して日本に持ってきたい。厚生省の方は、骨を持って帰りたいと相談すると、いけないと言う。それはだれの骨かわからないからと、こういうのが口実でございます。捜すときは、三十年もたっておりますから、すべて自分の兄弟のつもりで捜しているんですよ。そして、一回だけ、五十年度の十二月です。さっき写真をごらんになった年です。厚生省はほんの骨の一部分をくれたわけです。自分のお墓へ入れたいと言うんですね。そして、それが五十年度の十二月ですから、第二次戦争以後初めて少しだけお骨をもらってお墓へ入れた。そこにもやはり厚生省の方の目的があると私は思うのです。いまはその目的についてはもう時間がございませんから言いません。 遺骨収集の予算そのことについて、ことしの予算をどういうふうにお使いになりますか、そのことをお聞きして私は遺族の方に御報告したいと思います。
○説明員(柴義康君) 本年度の遺骨収集の予算でございますが、一億三千七百万円ほど用意してございます。サイパン島の方は本年は二回実施いたしたいというふうに考えておるわけでございます。そのほか予算上で計画いたしておりますのは、インドのインパール地域、それからビルマ、それからソロモン諸島といったような地域を予定しておるわけでございます。
○鈴木美枝子君 それは慰霊碑を建てるためですか。
○説明員(柴義康君) ただいまのは遺骨収集の予算でございます。
○鈴木美枝子君 それでは、私が遺族から聞いているところによりますと、長い間費用を自分で出していた人たちに今後ちゃんとしてあげていただきたいと思います。そして、いまお目にかけました写真のとき、遺骨収集団代表の生き残った方が悼辞を読んだわけでございます。この悼辞は長過ぎますのでその一部を読ましていただきます。これは遺骨に向かって読んだのですね。こういうふうに書いてあります。 追悼文 本日茲に祖国日本より御遺族及び元軍人の生還者九十有余名サイパン、テニヤン島に参りました。 すぐる激戦に於て護国の神々となられし皆様方の慰霊碑の前に再度やって参りました。そしてお話しを致す事が出来る事になりましたがあれから三十有余年の歳月も夢の如く過ぎ去りしも皆様方の御骨はまだ〜至る所に雨露をうけ乍ら或いはうづもれて居られる事を思うと断腸の思いが致してなりません。 日本政府も皆様方のお骨を収集は致して居られますが私達の微力ではいかんともしがたくちちとして進まず申訳なき一言につきます。 祖国は今や経済的にも精神面に於ても誠にゆうりょに耐えない程国民は物心両面地に落ち一向に目覚めようとはして居りません。 皆様方の崇高なる御心を真から受け継ぐ事も忘れ去られ唯々物欲あるのみです。誠に申訳ない世相となってしまって居ります。 此の上は御英霊のお力により祖国の一億国民真から目覚めるように天災地変でももたらせて下さらねば目覚める事は出来ません。 こい願わくば有形無形のお姿になって叱吃賜わらんことを願うものであります。 本日より十八日迄サイパン、テニヤン島に於て皆様方を探し求めて山中を歩きますので夢枕に立たれて呼んで下さい。 御遺族様のなかには御英霊にお会い致し心いくまで語りたいのですが此の地に参る事もかなわず御法名を托されて碑前にお祭り致して御慰霊申し上げます。御照覧下さい。 最後に私達一同が無事に目的が達成されんことを幾重にもお願い申し上げ追悼の言葉と致します。 生き残りの会長が天災地変で日本をしかってくれと英霊に向かって言っているのですね。 愛国精神という売り方と同時にずいぶん違うことがあるのですね。私は何かふと感じるんです。政府の考えは、遺骨はほっとけば自然にどうかなるんじゃないかという三十年があったのじゃないか。それで、表向きは国防の精神で、そして歌い文句が愛国心、そういうふうなことが国民の見えない裏側にあって、こんなことでは真の教育とは言えないと思います。そのことも文部大臣はよくよくお考えくださいまして、全く世界じゅうにこんな国はないと私は思います。私もいろんな国の遺族の方や墓地も見ました。あるいは共産圏のそういう日本人墓地にも行きましたし、そして自由主義の国の墓地にも行ったことがございますが、日本のような考え方は、世界じゅうにこういう国はなくて、愛国心を教育の中へ押し込める国はないんじゃないか。そのことを変えていくことが非常に重要なんじゃないか。そして、これはただ単に遺族の問題ではなくて、子供の教育の問題を絡めての問題だと私は思っております。
○松永忠二君 ちょっと関連。 せっかく鈴木さんがおやりになったんで、ちょっと私が聞いていてわからないことと、それから私も実は援護局で調べたことがございます。五十年に三年で一応めどをつけたいということで、厚生省ではこれで打ち切りじゃないと言っているわけだけれども、めどをつけるということが一般に知られたので、これでもう遺骨収集はやらぬのじゃないかということで非常に影響を受けたようです。したがって、治安がまだ十分でないところへ戦友を置いてきたような人たちがそこへ調査に行きないということの話があったというので、私も厚生省の援護課の人に尋ねてみると、そういうことは厚生省としては考えていない。ただしかし、一応それを一つのめどにしたいということは考えているというお話で、いまあなたがおっしゃったように、誤解されている面が非常にあるということが一つ。 もう一つは、私のときは、西ニューギニアあたりの、マライですか、向こうの政府自身がなかなかそれを認めてくれない。それからまた、入っても非常に治安が不備でどうも心配になるというそういう地域でなかなかできない。だから、そこにめどがつけば決してそれを拒否するものではないというお話もわかったんです。いまの何かお話を聞いていてぼくはちょっと不思議に思うのは、サイパンはそういうふうにアメリカが協力をして、とにかく日本の遺骨収集に協力して、遺骨収集団を入れるわけなんです。そこで、この民間の人たちが集めたものがこんなに一ところにたまっているということも写真のようにあるとすれば、それはどういうわけなんだろう。恐らく、十カ年も通っているこの人たちは、自分たちの収集の方が遺骨が集まるんだという気持ちがあって、自分らでやりたいと思っているのじゃないかと思うのですね。したがって、いまお話を聞いてみると、今年二回やると言うんだが、その中にやはりこの人たちを入れ込む努力、それからまた、予算的な面でそんなにたくさん行けぬとすれば、一部を負担してもらって一部を国が出してやるということでこういう人たちの気持ちを満足させてやらなきゃいかぬと思うのだけども、一体そういうことはできないものなのか。政府の派遣するところの遺骨以外にあらゆるところにやっぱりこういうふうに遺骨があって、それを民間の人たちが行ってこうやっている。そして、これだけのものが集まっているとすれば、それを知っているとすれば、その処置を政府がなぜ早くやらぬのだろうか。これらの疑問について、せっかく時間をかけてやってくれたので、私も聞いてみて少しわからないので、簡単にお答えを願ってわからしていただきたい。
○説明員(柴義康君) 私の説明が若干舌足らずでございましたので誤解をいただいたと思うのでございますが、四十八年から実施いたしておりますところの第三次計画によりましては、初めて、民間の方々だの、遺族の方だの、それから戦友の方、それから学生で青年遺骨収集団というものをつくっておられます、そういう方々の御協力をいただいて実施するという方法で行っているわけでございます。そして、それに対しましては国といたしましては三分の二の補助をいたしております。 それで、五十年度で一応めどを立てたというのは、ただいま先生がおっしゃいましたように、国によりまして非常に入域を厳しく制限するようになってまいっているような状況と、それからやはり三十年たちますと地表遺骨というものはほとんど風化してございませんで、あとは埋葬遺骨を現地の住民の方々からの情報でもって掘り起こして持ち帰るというのがほとんどの形態でございます。そこで、一緒に参りました戦友の方々等の情報も勘案しながら、そういう方々も十分に納得の上で、その地域についてはほぼ概了したものと認めようというような、政府の役人だけが一方的にそう言うのではなしに、お互いに協力いただいた方々との相談の上で、そのような方法で戦域の収骨をやってまいっておるわけでございます。 それからサイパンの遺骨でございますが、これは現地の政府の方で、民間の方々が現地の人の情報に基づきまして収骨された遺骨は警察の方に届けてほしいというようなことで、それで政府の派遣団が参りますまでの間、警察の方で、先ほど写真であったと思いますが、あそこに一時保管をして、そして政府の派遣団が参りましてその収骨いたしましたものと一緒に荼毘に付して持ち帰るというような方法をとっておるわけでございます。
○鈴木美枝子君 私は事実を遺族の人たちからお聞きしているのですから、真実のことです。お聞きして、いまここに写真にこれだけ入っていたとあなたおっしゃいましたけれども、三十年ですからね、三十年間。これは入れたり出したりして荼毘に付すのもなかなかできなかったら、お骨が入っているのはなくなったからまた拾って入れる、その経過が三十年間です。第二次戦争後から三十年間です。厚生省の人が二人ぐらいついて行ってどうだったかということも聞いております。いままでの問題はいままでの問題として、今後、予算が出たのですから、ちゃんと解決するようにするということか厚生省と——私は教育の問題で言っているんですから、それは重要な教育の問題だというふうに思うので、文部大臣に答弁をお願いしたいと思います。
○中村登美君 関連。 いまの鈴木先生のあれでございますけれども、どうも許可を出した時期とかそういうこと等については詳しくわかりませんが、実は私の亡くなりました主人がサイパンの方へ何回も自分で遺骨収集に行っておりました。遺族ではございませんが、御遺族の方などを連れて三回か行っております。そして、慰霊塔も建てたり、集めた遺骨を荼毘に付してその慰霊塔の中へ納めたりしておりまして、現地の人が何回か、こちらから行ってお世話になった人たちが今度は日本を見たいというふうなことがあって、村長さんやら酋長さんやら各界の代表を十二人か、いろいろ旅費の面や何かも心配をしてあげて主人が生前にお招きしたことがございます。それで日本全体を見せてあげて、総理からテレビなどをもらって、大変喜んで帰っていった経緯もございます。そういった関係で、私のお部屋がいまでも中心になって学生の遺骨収集団が毎年出ております。それから私の秘書なども、去年の夏やはりサイパンの方へ遺骨収集に行っております。そういう経過を存じておりますだけに、いまの鈴木先生の陳情なすった方の御趣旨というか、何かどこか行き違いがあるのじゃなかろうかというように私は伺ったものでございますが、いままでもそういった民間を含めて遺骨収集団は行っております。昨年は遺骨収集費として厚生省の方も大変、本年度の倍以上の予算をつけられておったように思うのですが、非常に進められてきておりましただけにちょっと奇異に感じましたので、一言申し上げさせていただきました。
○鈴木美枝子君 一カ月前に政務次官のところへこの遺骨のある写真で陳情に行きました。政務次官は、そのときに、三日前にサイパンへ行ったが、ここに骨がたくさんあることは全然知らなかった、ほんの少しお骨をお参りして帰ってきた。この写真を見てすごく驚いて、早速にそれを申し伝えて、現地へ行った厚生省の方にこの問題について注意をなさいました。私にもそういうふうなことの体験はなかったとおっしゃいました。こういうふうに警察の倉庫に入っていて、それが長い間置いてある。遺族は年に二回ですから、一年に二回行くまでお骨は回転し回転し入っているということで、たまりますね、三十年間ものことですから。サイパンの警察にあるのは知らなかったともうすっかり驚いてすぐに言ってくださいました、厚生省の人に。自分が三日前に行ったときには、ほんの少し遺骨を出して、丁重に厚生省の人もしてくれたと言うんです。政務次官や自民党の方たちが行けば丁重に遺骨を扱うのですね。でも遺族の人たちは行けなかったのがやっとまた再び行けるようになったのが十三日でございます。ですから、そういう二通りの方法があるんでしょうか。さっきNHKのは厚生省は知らない。そうすると、NHKは勝手に報道するんでしょうか。それは重要なことだと思いますね、NHKが勝手にするとなったら。
○説明員(柴義康君) 少なくともNHKの報道に関しましては私どもは全く存じません。また、そのような発表もしたこともございません。したがいまして、想像でございますが、先ほど申し上げましたように、一応五十年度をめどにするという話はしてございましたものですから、あるいはそれをそのように報道なさったのかもしれませんが、厚生省といたしましてはちょっとその点は何とも申し上げられないのでございます。
○鈴木美枝子君 私は教育の問題として申し上げましたので、永井文部大臣、教育の問題に絡めてよろしく御答弁をお願いいたします。
○国務大臣(永井道雄君) 私は、鈴木委員の御発言を承り、また中村委員からもそのことの御経験についてお言葉がございましたので、それを踏まえて申し上げますと、やはり戦争によって命を失われた方々、その御遺骨がそのままに放置されているというようなありさまの中で、仮にでも日本人は日本人として民族の連帯性を持って国を愛するというようなことを言えば、確かに観念論になるわけですから、そういうことがあってはならないわけでございます。厚生省の説明を聞いておりますと、厚生省もまたこれまでそういう考えで努力をしてきているように承っておりますので、私ども文部省におります者としましては、教育の面において、やはり生ける者も死せる者も、特に戦争によって命を失ったような方々はいわば大事な民族の一員である。そこで、その方々の遺骨、そして霊というものを本当に慰めるという気持ちがなければ観念的な民族主義になりますから、そういうものをなくすように、そして本当にお互い苦しんだ人というものをむしろ尊重するという考え方に立って今後教育をいたさなければならないと考えております。
○鈴木美枝子君 いまの御答弁のような平和的な教科書を制作してください。
○白木義一郎君 私は、質問に入ります前に、けさほどから行われております当委員会の質疑並びに御答弁を伺いながら、教育のいかに大事であるかということをしみじみ考えつつ、若干考えを述べてみたいと思います。 ある識者が、青少年というものは人類に欠くべからざる水のようなものである、ところが、この水が往々にして人畜に被害を及ぼし、あるいは家屋、田畑等を押し流す悲惨な水にもなる、こういうことを聞いたことがございますけれども、まことにそのとおりだと思います。それで、青少年の教育に際しましては、この水のような青少年をどう世界平和のために生かし切っていくかということが大事ではないか。これはどなたも異論のないことだろうと思います。 そこで、私が実はいまから三十年前にはやはりこのような清浄な水であったわけです。ところが、そのきれいな水であった私が、いつの間にか愛国精神のもとに教育を受けまして、勝って来るぞと勇ましく、長い剣をつって戦場にわが日本帝国を死守するために勇んで出かけた過去が思い出がございます。幸いにして生き残って現在元気でおるわけでございますが、戦争が終わってからしみじみ考えたことは、これは愛国精神のもとにすっかり洗脳されてしまったと。しかも、私と同期の戦友は一人もその後帰ってこない。私がやらんとしたことは殺し屋である。危ないところで私は殺し屋の一員になるところでございましたけれども、これはどこに問題があるのか、その後いろいろと教えられ、あるいは勉強して、その結論としては、人間を最も大切にしていくという考え方、この世の中で人間ほど大切なものはないという考え方の欠如から一切の悲惨な不幸が起きてくる、こういう考えに帰着いたしまして、必然的に二度と世界をまたわれわれの社会、日本を戦争に巻き込んではならない、どんなことがあっても二度と戦争をしてはならない、そういう人生観で来たわけでございます。したがいまして、この教育という問題は、清浄なるべき人類になくてはならない水である青少年をどう生かし切っていくかという教育、何を教え、どう育てていくかということに深い洞察を持っていかなければならない、そういう考えのもとに若干の質問をしたいと思います。 そこで、文部大臣はこの七日の閣議に、「わが国の教育水準」と題する五十年度の教育白書を報告なさいました。これは五年ぶりに提出された今回の白書でございますが、その今回発表されました白書は、大臣としてどこに特徴を認められるのか、また、どこに文部大臣として力点を置かれているのか、最初に御説明を願いたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 教育白書はいろいろな面にわたっておりますが、幾つかの要点を申し上げますと、まず第一は、昭和三十五年以降、一九六〇年以降、経済社会の変化が非常に急速であったわけでございますが、それ以降、わが国の学校教育というものは目覚ましく拡張いたしました。したがいまして、幼稚園から大学までを含めますと、学習している人口がおおよそ二千五百万人、そして教えております人が百五十六万人と記憶いたしておりますが、そういう規模になったという、これはいわば統計的な角度からわが国の学校教育の全体的な鳥瞰図をつくり上げるということが一つでございます。 しかし、第二点といたしましては、そうした量的な拡大というものが遂げられます過程において質的にいろいろな問題を生じておりますから、その質的な面でどういうふうな変化が生まれつつあり、また今後生まれてくる傾向にあるかということを指摘いたしているわけでございます。 具体的に申しますと、小中高のカリキュラムにつきまして、大変な経済成長の中で一種の情報の急成長のようなことがございまして、その結果、カリキュラムが非常に立て込んだ、一種の過密化現象が起こった。そこでたくさん勉強いたしますが不消化になるということでございますから、これは私が大臣就任以前からの重要課題でございますが、教育課程全体を見直しまして、そしていまよりは精選して消化できる教育というものにしていくということでございます。 さらに、もう一つの質としましては、大学人口というものも急速に拡大いたしましたが、その内容について国公私のやはり格差がございますから、そうしたものをどういうふうにして是正していくべきか、またしつつあるか。さらに、高等教育というものを大学だけでとらえるのではなく、もう少し広い角度から、いわゆる専修学校、放送大学等も含めまして考えていくということ。 それからその次に質の第三点といたしましては、従来は大体学校教育だけを教育というふうにとらえやすかったわけでございますが、ここ過去十数年のうちに起こりました重要な変化は、学校以外のいろいろな教育、これが非常に盛んになりましたので、その点に着目いたしまして、教育というものを学校と社会とのかかわり合いにおいてとらえていく。 大要、以上のような点が要点であると考えております。
○白木義一郎君 今回の教育白書の内容は、過去五年間にわたるわが国の教育大国への成長ぶりをまざまざと見せつけられておりますが、この白書は量的な面について詳細に焦点を合わせて触れておりますが、その陰にある、いま触れられた受験戦争、あるいは詰め込み、落ちこぼれといったような質の問題にこの白書が触れられていない。その理由についてちょっと御説明を願いたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) いまの詰め込み、落ちこぼれの問題でございますが、触れていないというのではなく、やはり教育課程というものの新しい見直しをやりまして、そして新しい精選した、そしていわば一貫した方向というものを小中高でつくっていくということを報告いたしておりますのは、詰め込みをやっぱりどういうふうに変えていくか、それから現状詰め込みの中でいわゆる落ちこぼれ的問題がございますので、実はそういう角度から教育課程の問題を取り上げているわけでございます。
○白木義一郎君 さらに、白書の中で、わが国の学校教育における今後の課題が要約されておりますが、その中で第一として、初等中等教育に対して基本的な教育内容のあり方を検討することが重要であると記されておりますが、その具体的な内容、文部当局が今後どのように基本的な教育内容のあり方を進めていくかということについて御説明をいただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) ただいまの、今後の課題の一つに小中高教育というものを充実していくということがございますが、それが実は教育課程審議会で御審議を願っておりますゆとりのある教育の実現ということでございます。教育課程審議会で昨年の十月に教育課程の基準の改善に関する基本方向という中間まとめを出していただいたわけでございますが、その考え方の要点を申し上げますというと、まず、年間の総授業時数につきましてもっといまよりも授業の運営にゆとりが持てるようにするということが一つでございます。それからそれぞれの学校がもっといまよりも創意を生かした教育活動をする時間がある程度確保できるようにする。こういうふうにゆとりを持たせまして、また、学校が創意を生かすようにするというためには、当然、現行からもっと削減した方向で教育課程というものを検討する。教育課程審議会でお考えいただいている中心点はそういうことでございますが、さらに、ごく最近高村会長が審議経過を御報告になりましたが、要点だけ申し上げますと、これは三点にわたっておりますが、第一には、各教科すべて総授業時数をゆとりのあるものにするために削減するということと、二番目には、かといって、すべての教科を自動的に一律に削減するのではなくて、やはり国語、算数・数学、体育、これは重んじていく方向でございます。削減はいたしますが、むしろ総授業時間数に占める比率は高めるようにする。三番目には、授業時数の削減によって生じます余裕時間というものは、これはもちろん休憩とか学校給食などがございますが、そのほかに、各学校が創意工夫をこらしまして、例を挙げますと、授業と授業の間の業間体操、あるいは体力づくりのための活動とか体験学習、そういうふうなものを授業でできない活動を自主的また自由に行うようにする。大体、方向として教育課程審議会からいまお示しいただいているのは以上のようなことでございます。
○白木義一郎君 いま大臣の御説明によりますと、今後はゆとりのある教育の実現、まあそういうようなことの具体的なあらわれとして小・中学校の授業時間数を一割減らすと初めて具体的な方針を打ち出されたわけですが、それに先立ちまして、この三月に教育課程審議会が中学校の体育時間削減を打ち出したと、このように新聞に報道されております。このことは大きな波紋を呼びまして、現場の教師また父兄からも時代に逆行するものではないかというような大きな声が上がっておりますが、いま大臣から説明があった一割削減と、しかも国語、数学、体育はさらに総枠の中で重んじていくという点については私は大賛成でございますが、つい先ごろはこの審議会でそういう父兄からも非難を受けるようなことが審議されている。片方では、最近ではいま述べられたように一割削減をしていく、こういうようなことが何らか父兄並びに子供の立場から釈然としないものが無言のうちに伝わっていくのじゃないかというように思いますので心配しますので、今後の当局の方針をもう一度明確にお示し願いたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) ただいまの御質問の点は非常に重要であると思いますので、少し詳しく説明さしていただきたいと思います。 実は、教育課程審議会の御方針というものが変わって会長がお示しになったのではなく、会長も一貫して体育重視のお立場でございます。私もそうでございますので、非常に会長の重要なお考え方というものをとりわけ尊重いたさなければならないと考えているわけでございますが、ではなぜこう少し混乱したふうに伝わったかというところを申し上げておきますと、次のようなことでございます。 つまり、保健体育につきましても、中学段階で少し授業時間数が減ることは事実なんです。そうすると、そこだけを取り上げますと、体育軽視になるのではないかというふうに実はとられたわけでございます。それはそうではなくて、体育だけでなくすべての学科の実は時間数を減らしていくという方向になりますために、体育も中学段階でいわゆる授業時間は減るということでございますが、体育が教科の中で持っておりますパーセンテージ——比率、これは前よりもふえるのです。ほかの学科は実は減っていくものがあるのですが、体育は時間削減の中でも比率がふえるということが第一点。 それから第二点といたしまして、この体育のような問題を授業だけでやるのはどうかと思うというお考えが教育課程審議会にもありまして、そこで、先ほどもちょっと触れましたが、いわゆる授業と授業の間の業間体操というようなものもやりますし、それから特に授業以外のクラブ活動というところで体育を充実したものにしていく。したがいまして、体育というものにかかわるのは、授業のときは当然体育専門の先生でございましょうけれども、全校的に体育というものは取り組んでいく、そういうことで強化しようというのが教育課程審議会においても一貫したお立場であったというふうに理解いたしておりますが、たまたまその授業時間のところだけ取り上げられたものですから、何かいかにも軽視するのではないかというふうに見られたわけでございまして、少し広く、いろいろ業間体操とかクラブ活動とかを含めて強化しようという、そういうお考えでございます。
○白木義一郎君 この白書について、大臣は、小さな改造を積み重ねてゆがみを修復することが先決であると、改革はその後という姿勢を貫いていらっしゃいます。また、その一環として、いま御説明があったと思いますが、文部省として優先的にゆがみの修復を目指すことは大変結構なことでありますが、大臣のお立場でなかなか伺わないとおっしゃっていただけないので、大臣が白書を通してこれから小さな改造、ゆがみを修復していかなければならないとおっしゃっている見解の内容ですね、具体的にひとつお述べいただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 実は、それは非常に多岐にわたっているわけでございますが、一例を申し上げますと次のようなことでございます。 わが国の高等教育の中で私学が占めております比率が、学生数で申しましておおよそ八割ですけれども、しかし、実は私学の財政状況が非常に悪いということは周知の事実でございます。そこでそういう財政状況はなかなか一挙に解決できない。これはそれぞれ単年度で予算請求をいたしましてそして予算配分していくわけですが、その配分の過程におきまして、やはり私学というのはそれぞれ特色があるわけでございますから、その特色というものを十分に生かすように、また経営内容の点につきまして非常に工夫をしておられるところは一層強化をしていくようにということを考えております。 もう少し具体的に申し上げますと、よく定員と実員ということを申しますが、学校によりましては実員が定員の十倍になっているところもあるのでございます。そういたしますと、なかなか教育というものもできませんから、われわれはそういう十倍のようなところには補助をしない、もう少し経営努力をして比率が適正なところ、本年度の予算配分では五倍以上のところは御遠慮願うということにしたわけです。 他方、私学が特色を持つということはどういうことであるかというと、たとえば身体障害者の方、これを積極的に受け入れて教育をやっている私学がございます。国立もやるべきなのでございますけれども、積極的にやっていらっしゃる私学がありますが、たとえば日本福祉大学がそうであります。そういうところに特別な助成をするとか、あるいは夜学でございますが、夜学も国立よりもむしろ私学が非常に力を入れておられるところがありますので、そういうところに特別補助、合計いたしますと十七億円でございますから決して多い額ではない。しかし、本年度からそれを始めましたので、そういう形で、少し根気が必要というのはそういう意味でございまして、毎年経営内容というものが一層強化されますように、また私学のそれぞれが特色を持てば持つほどいわば国民の税金による支持というものが強まってくる。これを三年なり四年続けてまいりますというと、私は現段階では信じられないぐらい私学の姿に相当な変化が起こるものと思っておりますが、私が具体的なことを少しずつ改造しながらと言っております意味はそういうことでございます。
○白木義一郎君 それで、現段階では、体育科目の授業も課外スポーツも不十分であると私は痛感しております。一方、文部省の学習指導要領には、「健康で安全な生活を営むのに必要な習慣や態度を養い、心身の調和的発達を図るため、体育に関する指導については、学校の教育活動全体を通じて適切に行なうものとする。特に、体育の向上については、保健体育科の時間はもちろん、特別活動においても、じゅうぶん指導するよう配慮しなければならない。」このように指導要領に出ておりますが、このように規定している以上、子供たちの健康や体づくりにさらに眞剣に取り組んでいかなければならないと思います。その点について若干大臣から今後の方針が説明をされたわけでございますが、さらにゆとりのある教育及び生徒にとって楽しい学校生活を実現するためには、現在の体育クラブ活動のあり方、先生と生徒間で好ましい形となって運行されているかどうかということが大変問題だろうと思います。もちろん御存じのことと思いますが、先生は何が大切かというと、学生、生徒に好かれることが一番大切なことである、また、児童、子供たちにとっては先生を好きになることが一番大切なことである。そこからあらゆる教育の効果が上がっていくのじゃないか。その点についてまた後で触れたいと思いますが、現況はその先生と学生、生徒の間が不信感が強くなってきている、これが非常に問題でございますが、それを多少でも除去するためにはこのクラブ活動というものが非常に重要になってくると思います。先ほど、体育の問題については、時間の間、休み時間にそれを織り込むと。これも当然なさねばならないことだと思いますが、このクラブ活動、教育の一環としてクラブ活動を授業と同等にみなしていらっしゃるかどうか。授業中の体育の時間は非常に少ない。また、クラブを指導する先生に対しても、放課後でもこれを行ってもらいたい。ところが、果たして放課後のクラブ活動については文部省は校務として認めていらっしゃるかどうか。これは私どもは当然校務として認めていくべきである。で、現在は週一時間だけクラブ活動の時間を正規の授業時間に繰り入れていると、さらに今後は休み時間にも体育向上のために使っていくというようなお話がありましたけれども、いま申し上げたようなことから、放課後のクラブ活動に対して文部省が先生の当然校務として認めていくかどうか、現在までは認めていないように思いますが、その点はいかがでしょう。
○政府委員(安養寺重夫君) 小学校、中学校、高等学校ともいずれも同じですが、中学校を多少例にとりまして申し上げます。 現在、保健体育という教科の授業がございますほかに、クラブ活動というのが学校の行います正規の教育活動ということになっておるわけでございます。したがいまして、それに従事する先生の勤務は校務ということになるわけでございます。で、クラブ活動には、細かく申し上げますと、文芸的な活動に従事するとか、生産的な活動に従事するとか、体育活動に時間を割くというように内容が分かれてございまして、いまお話にございましたように、中学校の場合は一週間に一時間はこういうような時間を設ける必要があるということで、学年や学級の所属を離れまして、それぞれ共通の興味や関心がある者がクラブということに分属をいたしましてそういうような学校の教育活動を先生方の指導のもとにやっておるというようなのが実態でございます。 なお、こういったどの子供もどれかのクラブ活動を週最低一時限はやるということのほかに、いまお話にございましたように、体育の活動だけをやる、俗に在来からの申し上げ方で申しますと部活動ということでございますか、いろいろサッカーをやるとか、野球をやるとか、そういう部活動がございます。これは、先ほど申しましたクラブ活動のほかに、今度はそういうものをやろうという子供が先生方の指導を受けて実際やっておるというものでございまして、これにつきましてもそれに従事する間は先生方の校務というぐあいにわれわれとしては取り扱っておるわけでございます。
○白木義一郎君 このクラブ活動にも、授業時間に繰り入れたクラブ活動と放課後のクラブ活動とあるわけです。その放課後のクラブ活動も含めて先生の立場に立てば校務としてはっきりと認めてあげなければならない、そういうことでお尋ねをしたのですが、その規定の授業時間以外のクラブ活動も校務として文部省は認めていらっしゃるかどうか、もう一度ひとつお願いしたいと思います。
○政府委員(安養寺重夫君) いまお話しのように、全部が一斉に時間をかけてやる以外に、部活動というような体育に限っての教育活動も先生にとりましては校務に従事するということになるわけでございます。
○白木義一郎君 私がこのクラブ活動に関して質問をしている理由は、昨年の夏の運動部の練習中に生徒が倒れて死亡したのを機会に部活動を中止をさせていた大阪の堺市立の金岡中学の例があるわけです。この事件につきまして大臣はどのように報告を受けていらっしゃるか。
○国務大臣(永井道雄君) 金岡中学校の事件でございますが、私が理解いたしておりますところでは、昭和五十年七月二十八日、部活動中に事故が起こりまして、本年に入りましてすなわち昭和五十一年二月三日に父兄から訴訟が提起されたものでございます。このため学校といたしましては部活動を中止をいたしました。ただ、その後金岡中学校では堺市の教育委員会の指導を受けるとともに、PTAのお考え、あるいは生徒の要望というものも考慮いたしまして検討を続けてきたわけでございます。その結果、部活動の位置づけにつきまして学校内で幸いに共通理解を得ることができるようになりましたので、それに伴ってクラブ顧問の教員というものを決定いたしました。そして、公園施設の計画的な使用につきましては市の了解も得られましたので、五月一日から部活動を全面的に再開することができた、かように報告を受けております。
○白木義一郎君 この金岡中学の事件は、いまの中学校において課外スポーツも安心してまた満足に行われない状況を象徴していると思います。で、文部省がこれにどう対処していくかと注目していたところが、この三月に、先ほど御説明がありましたけれども、体育時間を減らすというようなことが流れてきた、大変心配していたわけですが、その後、いま文部省の方は放課後のクラブ活動も校務とみなすと、こういうはっきりした御返事をいただいたわけですが、先生の方の立場になりますと、今度は手当というような問題が出てまいりますが、その点の関係はどういうふうに理解したらよろしいでしょうか。
○政府委員(諸沢正道君) 学校の先生の勤務時間外の手当というものにつきましては、御承知のように、その勤務の態様の特殊性からいたしまして教職調整額というものが本俸の四%相当ついておりまして、この四%というのは本俸並みにいろいろの退職手当その他の計算の基礎となるわけでございますが、ということは、個々の超過勤務につきまして一つ一つこれを計算して超過勤務手当を支払うかわりに、勤務時間の内外を包括してこの特別調整額でこれをお支払いすると、こういうかっこうになっておりますので、通常の場合、放課後あるいは若干の勤務時間を超過してクラブ活動を指導するというような場合はこの特別調整額をもってカバーすると、こういうたてまえになっておるわけでございます。ただ、現実には、たとえば日曜日に生徒を連れて遠いところへ対外試合の遠征に行くと、こういうようなこともございます。そこで、そういうような場合につきましては、これは特殊勤務手当のうちに教員業務特別手当というのを設けまして、そのような場合には現在は泊を伴う場合、つまり泊まりがけで行く場合に一回につき千二百円という手当を支給しておるわけでございますが、泊まりがけでなくても、たとえば土曜の午後とか日曜日に相当長時間にわたって部あるいはクラブのスポーツ指導をするというような場合もございますので、そういう場合にも手当を出せるようにしたいということで、これは先般人事院の勧告がございました第三次教員給与改善の具体的中身の一つとして今後手当支給の範囲を拡大していくというようなことで処理してまいりたい、かように考えております。
○白木義一郎君 大臣のお考えで今後ますます児童、生徒の体育向上のために力を入れていかれる。そうしますと、当然そのクラブ活動、放課後あるいは対外試合、あるいは夏休みの間のクラブ活動というようなことから、先ほど伺いました不慮の事故というものが残念ながら過去にも起きておりますし、これから起きないというわけにはまいらないと思います。 そこで、それに対する万全の補償体制を整備をしておかなければならないと思いますが、いま話に出ました金岡中学では、いろいろの補償体制を完備した、そして再びクラブ活動が開始された、子供たちも生き生きとしてまた活動を始めた、こういうことでございますが、その補償体制について文部省としてどのようなお考えで今後進めていかれるか。
○政府委員(安養寺重夫君) 日ごろ健康であるということが大前提でございまして、そういうためには、日本の体育というのは保健教育を含めるというような意味合いで幅広くやっておるわけでございますし、最近身体検査の諸規定等もいろいろに現状に沿うように整備をしつつあるわけでございます。 端的にいまお話しの災害に対する補償という分野に限定してまいりますと、制度が幾つかございます。一つは、日本学校安全会というのが特殊法人で設けられておりまして、ここに加入していただくということで、これは一種の共済による災害の給付をするという制度でございます。年々この内容を充実してまいる努力をしておるわけでございます。 それからいま一つは、市もしくは町村会の方で損害賠償保険というものを一括実施をされることに昨年度なりまして、その制度で市町村が公の責任をお互いカバーし合うというような形で、共済制度とは若干趣を異にいたしますが、相当額の補償の制度を実施に移しておるわけでございます。ちなみに、金岡中学校におきましても、いろいろ善後措置、部活動再開の条件整備ということに関連をいたしまして、たまたまそういう制度に堺市が加入したわけでございますので、それに入るというようなことも実施しておるようでございます。 それからそれ以外に、任意にスポーツを愛好する人たちが個人もしくは団体でスポーツ安全協会の損害保険に加入するというような互助制度ができております。これもいろいろと文部省もその内容の改善等につきまして御相談に応じて御指導申し上げているというようなことでございます。 以上のような国家賠償の関係法令以外にもこういう制度がございまして、不幸にして事故がございました際にはその損害を治癒することに迅速であるようにというようなことを考えておるわけでございます。しかし、何を申しましてもこれは日ごろ健康におるということを前提に身体活動をやってもらうということが最大の眼目でございまして、そういうためには、お話しのように、いろいろと体育の授業を正規にやる、クラブ活動、部活動を十分満足のいけるような状態の上で行うということが大切だろうと努力をいたしておるわけでございます。
○白木義一郎君 いま御説明のあった点につきましては、これは金岡中学でクラブ活動を中止して、それから当局、学校あるいは教育委員会、父兄等がしばしば意見を交換して、そしてそういう補償体制を講じて、一応不幸にして最悪の場合は二千七百万円まで補償ができる、そういうことで、新聞の見出し等では「日本一安心校に」というような見出しで報道されているわけですが、これは御承知のとおり不慮の事故に対していつも学校側が裁判の立場から敗訴で終る傾向が強かったために、児童の補償ということとあわせて防御的な措置も講じられ、一応はこれでこの学校のクラブ活動は活発に進められているわけですが、その点さらに十分な措置を講じてクラブ活動の効果を上げていかなければならないと思うわけでございます。 次にお伺いするのは、校庭の開放でございます。もう申すまでもなく、都市部では次々と子供の遊び場がなくなりますし、また地域住民の憩いの場も少なくなっていく現状であります。そこで、全国的に校庭を開放する、あるいは市民のコミュニケ−ションの場にしていく、あるいは遊び場を失った子供たちの遊び場として開放してもらいたい、すべきであるというようなことが進められております。その点について文部省のお考えを伺っておきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 子供に限らず、国民が全般的に日常生活の中でスポーツ活動をいたしていくことは、非常に強い願望であるばかりでなく、重要なことと考えております。ところが、その場合に施設が不十分であるということでございますので、文部省では従来から方針といたしまして学校の体育施設というものは学校教育に支障のない範囲で地域の住民、子供も含めまして、そういう方々のスポーツ活動に供するよう、学校体育施設開放事業というものを奨励いたしてきているところでございます。 昭和五十年度の社会体育実態調査というものを文部省が行いましたが、これによりますと、その時点におきましては、公立の小学、中学、高校につきまして、屋外運動場で七三・七%、それから体育館では六七・八%というところまで学校体育施設が地域住民に開放されてきているということがわかりました。しかし、さらにスポーツ活動に対する要望というものが強いわけでございますから、文部省は学校体育施設開放事業に関する予算措置というものを充実いたしましてさらに開放事業というものを促進したいという考えで、市町村教育委員会の御協力が必要でありますから、その御協力を得て、今後一層学校における体育施設の開放というものによって国民のスポーツ活動の発展に役立ちたいという方針で臨んでいるわけでございます。
○白木義一郎君 そこで、開放の効果の上がっている一例を見ますと、現在、大阪市の教育委員会が、遊び場の少ない子供たちや施設不足に悩む青少年のために学校施設の開放を進めております。この発想は、学校開放を地域住民の体力づくりの核にしようという考えに基づいているわけです。で、学校施設の利用法は地元の住民及び各種団体の人々で自主的に決められ、近く地域住民による開放運営委員会が設立されるとのことです。この新しい学校開放のあり方が期待され、今年度は大阪市内で新たに約百校が学校開放に踏み切る予定だといわれております。積極的な試みと言えますが、地域に開かれた学校という形で将来も文部省としてはさらに温かい前向きの応援の手を差し伸べるべきだと思います。ところが、学校側ではこの開放についてはまだまだ非常に慎重で、開放中の管理責任が不明確になる、また施設内で喫煙などする使用者のマナーが悪いからだめだとか、あるいは生徒のクラブ活動と時間がかち合うなどのため、なかなか進行しないところも全国的にあるように伺っております。さらに、学生、生徒のクラブ活動と重複するという面については、ナイター設備等の問題も真剣に考えられておりますので、さらに充実した予算措置を講じなければ、なかなかこのような前向きの問題も進んでいかないのではないか、こういう心配で申し上げたわけであります。 そこで、日本の予算に占める文部省の予算、また英米の予算と比べますと大変低い予算措置、このように思うわけでございます。いずれにいたしましても、最も基本的な問題である教育に関することでございますから、予算措置も今後世界的に見劣りのないようにしていかなければならないと思います。その点について大臣の御所見を伺いたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 私が理解いたしておりますところでは、わが国の教育費の問題でございますが、中央教育審議会が昭和四十六年度に出しました報告書に予算の国際比較がございますが、一人当たり所得との関連で見ますと、わが国の場合、小中義務教育機関に対する投資というのはいわゆる先進諸国に劣っていないわけでございます。劣っておりますのは、現在私学の充実のためなどに非常に力を注いでおります高等教育のところ、これは確かにたとえば具体例を申しますとイギリスあたりに比較いたしますと非常に劣っておりますから、今後予算を編成していきます過程で、いまも次第にそう動いてきておりますが、バランスのとれた形でやはりわが国の教育全体を見渡して充実を図らなければならないと考えております。 また、御指摘の体育施設というようなもの、学校に限らず公共的なそういう施設でございますが、これも欧米のすべての国と思いませんが、進んでいるところに比べますというと、かなりおくれがあるわけでございますが、先般発表いたしました公共的な体育施設の伸びは、昭和四十六年以降を見ますと、約二倍に相なりました。でありますから大丈夫というわけではないのでございますが、最近ようやくこれは国に限らず公共的なものすべてを含めてでございますが伸びてまいりました。そういうことで、この方向を助長していくことが大事であると考えまして、五十一年度予算につきましても学校体育施設につきましては五十年度予算より大分伸ばしまして、単価あるいは場所、その双方につきまして、数をふやし、また単価を上げるという方向で予算の充実を図る。必要でございましたら数字を申し上げますが、そういう方向で努力をいたしてまいる考えでございますし、これが今後の方向になることを願っているわけでございます。
○白木義一郎君 そこで、体育の向上、子供たちの体育づくりと相対して試験地獄、試験戦争、こういう問題が出てくるわけでございますが、この点ですね、現況のままだとなかなか実際問題、現実問題として子供たちが伸び伸びと一生涯の基礎となる体力を養うという問題は考えられなくなる。その点について、試験制度ですね、私たちの子供のころと比べますと、全く同情に値する現況だと思います。その点もそろそろ、まあ白書に示されておりますように教育大国としての成長ぶりが認められるわけですが、さらにそれからいまるる申し上げたようなひずみが生じているわけですが、この試験制度と体育の向上という問題についてどのようにお考えになっているか。あるいは文部省としてどういう方向へこれを推し進めていこうとお考えになっているのか、伺っておきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 経済企画庁の国民生活白書に関連をいたしまして国民の生活時間調査という報告も出ましたが、それを見ますと、確かにわが国の子供は非常に忙しいのです。体育もやらなければいけない、それから勉強もしなければいけない、テレビを見なければいけない。テレビが三時間ぐらいになっております。そこで、二十四時間しかありませんから、十分によく寝て、そして勉強もきちんとやって、そうして体もつくる。テレビの時間が減らせたら非常に望ましいという気もいたしますが、これはそれぞれの御家庭でもずいぶん御苦労の点と思います。やはりさしあたって非常に競合いたしておりますのは、塾通いに時間をとられて、そうしてまたスポーツをやらなきゃいけないということでありますから、私どもが考えておりますのは、少し時間がかかりますが、これは長期戦でやはりわが国の現在の受験体制を緩和する。これは教育課程審議会もその方向、あるいは大学共通テストもその方向でございますし、それからまた大学もいろいろ助成その他によりまして格差も次第になくすという方向に進んできておりますから、でき得る限りそうした政策を互いに連動させながら魅力のある学校、特に高校につきましてそういうものをつくり上げていくことによって現在の受験体制を緩和する、そして緩和いたしますれば、その分だけいわば安心してスポーツができるということになりますから、そういう形で二つの政策というものを並行させていくほかはない。しかし、そういうことを言いましても、実は、そういう生活時間の調査、あるいは今度文部省でやります子供の学校外における生活の調査をやりますと、一体どういう結果が出てまいりますか。これはかなり個別的ないろいろ違う事情のところもあると思いますけれども、やはり大都市地域などではなかなか学校外の時間が忙しいというのが実情でございましょうが、こうしたことは一つの今後の重要な教育指導の課題ともいたしまして、私たちは教育指導というものを強化しながら子供にゆとりのある時間を一日も早くつくって、そしてゆとりがあるから怠けるというのではなくて、むしろ積極的に勉強し、積極的に体をつくるという状況をつくり上げなければならないと考えております。
○白木義一郎君 そこで、まだまだたくさんありますが、いままでは子供たちに目を向けた問題でございますが、さらに何を教えるか、どう育ててていくかという問題は今度はこちらにあるわけです。そこで、先ほど久保委員からも発言がございましたけれども、現在のロッキード問題が非常に不信と不安を国民に与えている。子供たちまでにもその大きな影響がある。このことは大臣もお認めになっていらっしゃいます。さらに、このロッキード問題は、政府高官あるいは大企業のトップレベルの問題が国民の話題のたねになっております。この教育問題、子供たちばかりに目を向けておりますと、大人の方が非常に困ったことばかりしているわけです。また、主任制の問題では、文部省と先生が紛争し対立を起こしている。子供たちは非常につらい思いをすることは明白です。また、最近の報道のように、内申書を学校の先生が業者に手渡しているということが明らかにされております。これは先生の問題です。企業のトップレベルあるいは政府高官というのは日本の指導者クラスでございます。また、あるところでは、先生が生徒に暴行を加えている。あるいは三重県の小学校では、子供たちが相談してそして宿題をしてこなかった仲間に制裁を加える相談をした。それを担任の先生が承知しながら見逃して暴行事件が起きているというような方の教育をしなければならないのが大臣の責任じゃないかと思います。 そこで、そう言っちゃなんですが、従来の日本の文部行政といいますか、文部大臣は、どちらかと言うと、日教組対策に強力な積極性を持った方が文部大臣に就任されている。ところが、あなたは、議員でもない、しかも三木内閣に登用された非常に国民から見ますと期特の持てる方である。その一つのあらわれとして、先日各文化面のりーダーを集められてこれからいろいろと文化面の教育にも乗り出そうというようなことも非常に興味と関心をもって迎えられているわけです。まだ日が浅いものですから、その実効はまだまだ時間をかさなければならないと思いますが、教育の責任者である文部大臣としては、要するに政党間の紛争、あるいは政府内の党利党略等に左右されずに、むしろその辺をリードしていく考え方、これをお持ちにならないと、あなたもユニークな三木内閣の人材登用の文部大臣としての期特から外れてしまうのではないか。私たち議員というのはもう御承知のとおり本音とたてまえがありましてなかなか微妙な問題がありますけれども、あなたは、議員でもない、しかも一国の日本の将来を左右する大事な文部大臣としての責任ある立場に立っていらっしゃるわけです。先ほど残念に思ったのは、三木内閣の一閣僚であると。これはまあそのとおりでございますが、しかし、文部大臣としてそれだけに終わったのでは、大臣病患者と何ら変わりがなくなってしまう。ここでロッキード問題等を通して日本のトップレベルがこういう状態であってはいかに文部省が文部行政、子供たちの将来に対してよき環境づくりに努力したとしても、先ほど最初に申しました人類に必要であるべき、清らかな水は皆濁ってしまう、こういうことを最も心配をする一人でございますが、私があなたに期特するものは、いまこそ政府はこのロッキード問題を国民の前に明らかに納得させるような解決をすべきである。文部大臣として、教育の最高責任者として、政府あるいは三木内閣に百年の展望の上からはっきりとした意見をお述べになるべきじゃないかと思いますが、就任当時の希望あるいは抱負を持って就任された大臣の偽わらざるお考えをお聞きして、私の質問を終りたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) ロッキード問題というものは深刻な問題でございますから、私は、その真相が究明されまして、そして責任というものが明らかになるべきであるというふうに考えております。総理大臣もそういう考えで臨んでおられますから、私も閣員の一人としてその考えというものを実現していただくように要望いたしている次第でございます。 ただ、ここで申し上げておきたいことは、私は、教育というものは、いろいろそういう政治の厄介な問題というものがあります中においても、でき得る限り静かに、そして固めながらやっていくということが非常に大事なのではないかと考えております。 なぜそうであるかということの一、二の例を申しますと、たとえば幕末におきまして吉田松陰が松下村塾を営んでおりましたころ、久坂玄瑞と思いますが、ともかく教育というようなものをぐずぐずやっている場合ではなくて、まず政治の方を解決しなければだめなんですと先生に迫るわけですが、そうすると、吉田松陰は、非常に志の高い人であったわけですが、君はまだ自分自身というものを十分に充実する力がない、それをむしろ固めていくことが大事であるということを言われたという、そういう教育があります。また、明治の初期には、江戸が戦火に包まれました中で、慶応義塾で福沢諭吉が教えておりましたときに、それは政治にいろいろなことがあるが、この塾で勉強している若者は、江戸がたとえどのように騒がしくなろうとも、ここで学問を続けていけばここから将来の日本が興ることは間違いない、慶応義塾ある限り日本は安泰であるというふうに言われたという故事がございます。 私は、もちろん閣員としてロッキード問題の解決というものにも責任を分担いたしておりますが、事態がきわめて混乱した時期でございますだけに、私といたしましては、ただいま二つの故事を引きましたが、わが国にさような伝統もありますので、その伝統というものに踏まえまして、政治の混乱した時代の中にあるだけに、教育というものをめぐりまして混乱はなく、そして着々と民族の将来を築いていくという沈着なる行政というものを進めるために、微力でございますがお役に立ちたいと考えておるわけでございます。
○白木義一郎君 二つの故事はよく存じておりますが、それから起きたのが大東亜戦争です。さらに、戦後、いま最も話題になっているロッキード問題はそういったような中から生まれてきた。いわゆる十分なる教育を受けた、あるいは環境に恵まれた、しかも素質の豊かなリーダー格が、いま日本全体に大きな不信と不安を与えている。この問題をないがしろにして——当然教育行政はさらに推し進めていかなければなりませんけれども、そういう点、ひとつ真剣に、まあできれば解散、選挙にかかわらず、永井文部大臣はがまんを重ねて、そのうんちく識見をあらわしていただきたいのですが、そういうことも含んで今後御健闘をお願いしたいと思います。 終わります。
○委員長(山崎竜男君) 速記をとめてください。 〔速記中止〕
○委員長(山崎竜男君) 速記を起こしてください。
○内田善利君 初めに、私も少し小中学校の授業時間数改善についての基本的な考え方について一、二問お聞きしたいと思いますが、まず、休憩、学校給食等の時間を十分取るようにするなど、日課が全体的にゆとりあるものにするということなんですが、全体的にゆとりあるものにすることは非常に結構なことなんですが、社会環境等を考えますと、いま受験一本の教育になっておりまして、そういうゆとりある時間数を取ったがために受験勉強の時間に振り当てられるようなことになりかねないという心配をするわけですが、この点はどのようにお考えなのか。 それからもう一つは、基準として示す授業時間のほかに、学校の創意に基づく教育活動の時間ができるだけ計画化されるようにすることと、こうなっておりますが、学校の創意に基づく教育活動の時間というのは文部省はノータッチなのか、学校にもう全面的に委せるのか、この辺をお聞きしたいと思います。 それから最後には、各教科等の授業時間数については、小中学校一貫的に見て原則的にはそれぞれ現行より削減する。先ほど、国語、数学、体育については若干増加するということですが、原則的にはそれぞれ現行より削減するということになってまいりますと、各教科ごとのエゴといいますか、今日までこの問題については教育課程審議会でも問題になっておるようですけれども、この点具体的にはどのように削減されていくのか、この点をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 三点でございますと思いますが、ゆとりができますというと試験勉強に利用されてしまうのではないか。これはやはり何と言いましても、そこは私は子供たちが学校にいる限りにおきましてはこれからの教育指導のやり方は非常に大事だと考えております。この教育課程審議会の案はこの年末までに最終的な考えとして固まるわけでございますので、教育指導のあり方をどういうふうにしていくか、そこで、校長、教頭にとどまらず、全校の先生方が自分の担当する子供たちに対してそのゆとりある時間というところをどういうふうに工夫して使っていくかという、その問題を私どもとしても教育課程審議会の御意見を承りながら考えていきたいと思っております。 それから二番目に申された各学校の裁量時間は文部省との関連でどうなるか、これは初中局長の方からお答え申し上げます。 それから三番目の授業時間数の問題でございますが、誤解のないように申し上げておきたいのは高村会長がお示しになりましたのは全体的に減らすわけでございますが、その場合、国語、算数、体育というのはやはり減るのです。減りますが、比率がふえるわけでございます。でございますから、その点、誤解をいただかないように念を押さしていただきます。 なお、その全体の比率、それぞれの学科がどうなっているのかというのはまだ検討段階でございますが、高村会長は検討段階で先ほど申し上げたようなところまでお示しになっておりますので、それ以外の点はまだ教育課程審議会においてそれぞれの学科のパーセンテージあるいは比率というものを御検討になっていくものと理解をいたしております。
○政府委員(諸沢正道君) 学校の自由裁量の時間というものを教育課程審議会ではいまどういうふうに検討をしておるかという点でございますけれども、現在、小学校の子供の学校におります時間というのは、小学校の一年生で二十五年間、二年生で二十七時間、三年生で二十八時間というふうに逐次ふえまして、四年以降は三十一時間から三十二時間、中学生になりますと三十二時間ないし三十三時間、こういうことになっておるわけでございまして、それが現在の学習指導要領の基準では全部国の定めた各教科、特別活動等の時間に割り振られておるわけでございますが、今回の改正では、それを全部国が基準として決めてしまうのではなくて、教科、教科外の活動等、基準としては先ほど大臣がお話し申し上げましたように、一割ぐらい減らした時間にしたらどうかという方向で検討しておるように聞くわけでございます。 ただ、そうしました場合に、現在の子供を取り巻く環境その他を考えました場合に、子供はやっぱり現在と同じくらいの時間は学校に置いた方がいいだろう、こういう前提で考えるわけでございまして、そうしますと、その基準にない時間というのは要するに学校においてこれを最も適切に使うということが考えられなければならないわけでありまして、先ほどお話しが出ました給食などにいたしましても、現在は大体昼休みというのは一時間当たっておるわけでございますが、実際に給食の準備をし、子供が食事をし、後を片づけますと、四十五分から五十分ぐらいかかってしまう。そうすると、本当に昼休みとして子供が遊びあるいは先生が休息するという時間も十分とれないというようなことで、学校の状況その他を考えて昼休みの時間を延ばすというのも一つの方法でありましょうし、あるいは、今度の指導要領の改定に当たりましては、たとえば子供に体験的学習という意味でみずから体を動かし手足を動かして勤労を体験させるというようなことの必要性と、それを実際に学校に取り入れることを恐らく提案するようになるであろう。といたしますと、そういうようなことをどういう形でやるかというのは、これはその地域の実情なり、あるいは学校の教員構成、施設設備の状況等を考えまして学校が自分の学校の子供に最も適切な方法をとるのがよろしい、こういうわけになるわけでありますので、そういう点は学校の裁量に任せるというようなことで、全般的に基準に決められたとおりだけでなしに、それにプラスアルファすることによってそれぞれの地域なり子供の実態に即した教育が独創的に行われるようにしたい、こういうふうな意図のもとに考えられておるように私どもは聞いておるわけでございます。
○内田善利君 ひとつ学校現場で戸惑いがないようにしていただきたいと思います。と申しますのは、クラブ活動を正規の授業時間数に入れてやるということになったときに、時間割りの方できちっとやりますと、グラウンドの使用、体育館の使用、あるいは文化クラブをやるとか、いろいろ割り当てができますけれども、一斉にクラブ活動となりますと、グラウンドが狭い、体育のクラブ活動をしようと思ってもできない、そういう非常に戸惑いが多かったわけです。具体的に現場ではそういう戸惑いが起こりがちだと思いますので、たくさんまだ聞きたい問題がありますけれども、きぅうはほかの面で質問したいと思っておりますので、ほかの方に移っていきたいと思います。 この時間数と関係があると思いますが、ローマ字教育の問題ですけれども、現在小学校では年間十時間となっているわけですね。これも最初は昭和二十六年の学習指導要領では年間四十時間となっていたのが、昭和三十三年になりますと教育課程審議会の答申を受けて小学校四年生で年間二十時間、五、六年生で十時間と削減になって、昭和四十三年の改定で現在十時間となってしまったわけですが、この小中学校の特に小学校ですが、ローマ字教育が現在のように衰退してきた理由はどこにあるのか、原因をお教えいただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 衰退というお言葉がございましたが、ローマ字教育の時間が減ってまいりますのは、ローマ字教育は国語教育全般の一部分であるという考え方であるわけですが、その国語教育の中でやはりローマ字が占める重要性について従来に比べますというとその比重というものは減ってくる方向であったのではないかというふうに理解いたしております。
○内田善利君 そうじゃなくして、情報化すればするほどローマ字が必要になってきて非常に国内では混乱が起こってきた歴史があるわけですね。その中で、小学校教育の十時間、だんだん減ってきたわけですが、この十時間も、昭和二十九年ですかに最後の結論がほぼ出て、内閣訓令が出たわけですが、その内閣訓令に従って小学校では訓令式を使っているわけですね。ところが、中学校になりますと、英語を学ぶようになってヘボン式を使っている、こういう混乱が起こっているわけですが、この点はどのようにお考えですか。
○政府委員(安嶋彌君) 私がお答えするのが適当かどうかわかりませんが、ただいまのお尋ねの中で中学校になるとヘボン式であるというお話がございましたが、学校教育におきましては小学校について指導要領に規定があるだけでございまして、小学校については訓令式を基本とするということでございます。中学校についてヘボン式ということはございません。
○内田善利君 文部省ではそう言われますけれども、実際はヘボン式を使っているわけですね。訓令式は全然使っておりませんね。和英辞典をごらんになれば、全部ローマ字はヘボン式です。
○政府委員(安嶋彌君) 一般にそういう傾があることはこれは否めないわけでございますが、御承知のとおり、訓令式の中に一表、二表という二つの表がございまして、第一表は従来の訓令式でございますが、第二表はいわゆる標準式と申しますかヘボン式が基本になっておりまして、そういうものの使用も認めるということでございますから、一般の出版物でありますとか、あるいはただいま御指摘の辞書でございますとか、あるいは地名、氏名の表示などにつきましては、標準式といいますか、ヘボン式が用いられたと、これが実態でございますが、ただ学校教育における方針、方向といたしましては、ただいま申し上げましたように、小学校の指導要領に訓令式によるという記載があるだけでございまして、中学校はどうだとか、高等学校はどうだという、そういう方針は示されていないわけでございます。もっぱら実際の問題でございます。
○内田善利君 実際の問題だと思いますけれども、そういうことから内閣訓令はいろいろ歴史的に問題があったわけですけれども、昭和二十九年に訓令式とするという内閣訓令告示が出たわけですね。この訓令はどこあてに出ているかというと、各官庁あてになっているわけですね。だから、各官庁はこの訓令に基づいて守らなきゃならないと思うのですが、それに従って小学校の教育指導要領では小学校四年生で訓令式とすると、こうされたのだろうと思いますが、ところが、中学校はもちろんのこと、大学あるいは各官庁ヘボン式を使っていると、こういうことなんですが、こういうことでいいのかどうかという問題です。
○政府委員(安嶋彌君) 二十九年の内閣告示でございますが、これは御指摘のように「各官庁において、ローマ字で国語を書き表わす場合には、このつづり方によるとともに、」ということでございます。したがいまして、各官庁はこれによるということでございますが、この基準自体の内容といたしまして、ただいま申し上げましたように、第一表のほかに第二表という許容があるわけでございます。ですから、第二表が用いられておりましても、この内閣告示に反しているということには必ずしもならないわけでございます。さらに、官庁以外の場合につきまして「広く各方面に、この使用を勧めて、」ということがございます。ですから、各官庁以外につきましてはこの内閣告示の使用を勧奨すると、こういうことになっておるわけでございます。もちろん、強制をするということではございません。したがって、現実の姿は非常にばらばらであるということでございます。
○内田善利君 確かに、第二項に「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り、第二表に掲げたつづり方によってもさしつかえない。」と、こうなっておるわけですね。そうなっておりますから違反にはならないと思いますが、だんだん情報化社会に入ってきてコンピューター等が使われるようになれば、ヘボン式でもいいし、訓令式でもいいと思いますが、コンピューターに入れる場合は訓令式の方がずっと安くつくと、そういうふうに字数の方からも言えるわけですが、このように訓令がなされたにもかかわらず、各官庁は守っていない。小学校では訓令式、そして中学校以上になるとそういったヘボン式等が行われていると、こういうことで文部省としてはいいのかどうかという問題ですね。小学校にはこうして訓令式をさせておりますと、あとは社会の問題だと、そういうことでいいのか。私は、辞書、和英辞典等はヘボン式となっておりますが、訓令式も使っていいような方向へ持っていかなきゃならないのじゃないかと、こう思うのですけれども、どうなんですか。
○政府委員(安嶋彌君) ただいま申し上げましたように、訓令式が基本でありますけれども、第二表の許容があるということでございますから、強いてそちらに向けていくということは必ずしも適当ではないのじゃないかと思います。 〔委員長退席、理事有田一寿君着席〕 ただ、学校教育、特に小学校教育の場におけるローマ字教育は、先ほど大臣からもお答え申し上げましたとおり、国語教育の一環ということでございます。国語教育の一環ということでございますと、国語の構造でございますとか、あるいは音の構造でございますとか、そういうものを子供たちに理解させるためにはやはりこの第一表によることが適当であると、こういう考え方が基本になっておると思います。ただ、和英辞典などの場合は、これは中学校に入って英語を学んだ後に使用するのが通常でございますから、その場合はつまり第一表でございましても第二表のヘボン式でございましても実際上の支障はないわけでございまして、およそそうしたものにつきまして訓令式でなければならないとすることはやはり必ずしも適当ではないのではないかというふうに考えます。
○内田善利君 内閣訓令が出たにもかかわらず、しかも各官庁に対して出されたにもかかわらず、それが守られていないというのは、尊重されてないといいますか、これはどういうことなんでしょう。
○政府委員(安嶋彌君) 各官庁におきましてローマ字で文書をつくるということはこれはまずないわけでございます。ローマ字を用います場合には、これは固有名詞、地名、人名等が中心でございますが、そうした場合には、その使用の実際の便宜等を考えまして、第二表と申しますか、ヘボン式を用いることもあるわけでございまして、それを必ず訓令式と申しますか、第一表に準拠しなければならないと、こうきめつけることも必ずしも適当でない面があろうというふうに考えます。 〔理事有田一寿君退席、委員長着席〕
○内田善利君 通産省お見えになっておりますか。——通産省にお伺いしますが、日本のJISに相当するISOですね、国際標準化機構の方で国際的に標準化しようということが行われておるようですけれども、この点についてお伺いしたいと思います。
○説明員(帆足万里君) ただいま御質問のございましたとおり、ISO——国際標準化機構におきましては、その中のTC——テクニカリコミッティ、技術委員会の第46というところにおきまして、日本語をローマ字で記載する方法を一九六二年以来研究いたしております。TC46の中にサブコミッティの二番目というSC2というのがございましてそこで研究しておりますが、一九六二年以来昨年までアメリカが幹事国となりましてこれの検討を行ってきました。いろいろ経過はございますが、一九七〇年以来日本はこれのPメンバー、主要メンバーでございますが、正式メンバーと申しますかパーティシペイトメンバー、貢献するメンバー、このほかにメンバーはオブザベーションメンバー、これはもう参加するだけというメンバーがございますが、その正式のPメンバーになっております。 一九七一年にリスボンで会議がございましたときにすでにこのISOにおいてアメリカが幹事国といたしまして提案されましたものはヘボン式を主体といたしましたローマニゼーションのドラフト——案でございまして、これに対しまして日本はISOのメンバーとしては日本工業標準調査会というのがなっております。これの本件に関する国内対策委員会におきまして、日本はすでに訓令式というのがあるから賛成したしかねるということで賛成いたしておりません。その後一九七二年にもう一度会議がございまして、このときにはたまたま日本は出席してなかったわけでございますが、そのときにアメリカがやはり主になりまして、先ほど審議未了になっておりましたドラフトをドラフトといたしまして正式に取り上げるということが決定いたしまして、一九七五年昨年それの採否を各国に求めてまいりました。日本はもちろん先ほどから申しましたように、昭和二十九年十二月九日付の内閣告示第一号がございますから、当然これに従ってもらいたいということで、ヘボン式のものに対してはアメリカのドラフトに対しましては反対という意思表示をいたしますと同時に、これよりもむしろ訓令に従った訓令式を、訓令式と申しますか、内閣告示に従ったものを採用するようにしてもらいたいということを申し述べました。さらに、さしあたりはこれは七月二十三日が採決の期日でございましたから、これを延期するようにという申し出をいたしました。その結果として各国の回答結果はわかっておりますが、これらの中には大体約半分が賛成というような形が出ておりました。しかし、これにつきましては、ISOの規約の中に、数の上での投票結果のみならず、主題に一この場合にはローマニセーションでございますが、主題に実質的な関心を持つPメンバーの意見にも注意を払うべきである。この場合、日本はまさに実質的な関心を持つ、非常に絶対的な関心を持っておる国でございまして、この国がそれじゃ困ると言っている場合には相当高い尊重されるべき意見だということになりまして、もう一度検討しようということになりまして、今月五月の四日、五日、七日とブラッセルで同じTC46及びSC2の会議が行われております。日本からは、この問題に対する国内対策専門委員会、これはISOのそれぞれのTC、SCに対応して国内対策専門委員会が組織されておるわけでございますが、このTC46、SC2に対する国内対策専門委員会の委員会長大塚明郎氏が出席されまして、いままでのドラフトを一応撤回して、内閣告示第一号に基づくドラフトをドラフトとして検討してくれということを申し出ておられるはずでございます。ただいまのところ、そこまでわかっております。 それから申しおくれましたが、本SC2の幹事国は、昨年までは先ほどから申しておりますようにアメリカでございましたが、今年からフランスにかわりました。 以上でございます。
○内田善利君 昨日の「サンケイ新聞」によりますと、パリ発の情報が入っておりますが、それによりますと、訓令式に統一の方向に向かうと、そういうふうに新聞に出ておりますが、「ヘボン式と同居の日本も右へ倣へ」ということで、今後日本側と相談し、訓令式を考慮した表記の原案をつくることに決まったと、こういうことなんですが、こういう情報はまだ入っておりませんか。
○説明員(帆足万里君) まだそういう情報は受け取っておりません。 ただ、訓令式といいますか、内閣告示第一号に沿ったものにしていただきたいということは、われわれのかねてからの主張でございます。その意味においては、訓令式というよりかも、内閣告示第一号に沿ったものにするということはかねて申しておりますので、その告示に従うように主張され、恐らくそうなったのではなかろうかと類推いたしております。
○内田善利君 時間がありませんのでこれで終わりますが、ともあれ文部省としては小学校では訓令式というふうになっておりまして、ところが、中学校になりますとヘボン式になり、また社会も国鉄の表示板とかその他各省庁がヘボン式を使っているわけですが、国鉄全部そうですね。これは私は占領時代の名残だと思うのです。それがこうして昭和二十九年に内閣訓令が出たわけですから、まず各官庁が守ることが先決問題だと思うのですね。そして、この訓令によりまず各官庁が守れば、小学校のそういった教育も何も矛盾が起こってこないわけですが、小学校四年生のときだけ訓令式で、あとは全部ヘボン式というのは非常に不統一でありますし、混乱が起こると思うのですね。私どもは最初からヘボン式を習いましたからそう感じませんでしたけれども、小学校で訓令式を学んでいたら混乱が起こったのじゃないかと、そう思いますが、そういったことで、まず官庁に対して出された訓令が第二項でほとんど守られていないということが私は問題じゃないかと、そう思います。それと、小学校四年生のローマ字教育と、中学校に入ってからの、また大学に入ってからの問題点、こういう点を、非常にむずかしい面があろうかと思いますが、情報化社会に入っていきますといよいよこれは統一しなければならないのじゃないかと思いますが、いろいろ学問的な問題、学者間の論争等もあるように聞いておりますけれども、やはりローマ字教育としてそのつづり方の表記の仕方のある程度の統一をするか、あるいは両方使っていいというふうにするかしなければ、小学校のときだけ訓令式ということでは問題じゃないかと、そう思うのですけれども、最後に大臣の所見をお尋ねして終わりたいと思います。
○政府委員(安嶋彌君) 御指摘のとおり、官庁におけるローマ字使用の実態につきましては、これは私どもの方でも調査をいたしたいと思います。実態に基づきましてさらに検討いたしたいというふうに考えます。
○国務大臣(永井道雄君) 内田委員の御指摘になりましたように、昭和二十九年の告示もございますし、当然訓令式を尊重していくべきと思いますが、いろいろの問題をはらんでいるので、ただいま文化庁長官が調査という方向で考えるということでありますから、これは確かに混乱を生じると厄介な問題でもございますし、内田委員御指摘のように重要な問題でございますので、調査に基づいて混乱を生じない方向で今後この問題に対処してまいりたいと考えております。
○小巻敏雄君 私は、この委員会で主として教科書に関係する問題について大臣初め文部省に対して質問をいたします。 いままで学力の問題について親がこんなに悩んでいるという時期は余りなかったのじゃないかと思うのです。やっぱり、その点は、教育の熱心さという点もありますが、安心して学校教育に全面的に寄りかかっていられないということも大きな原因になっているに違いないと思うわけですね。そういう点から考えましても、幾つかの学力をつけていくためには要素があると思うのですが、教科書というのは非常に教育内容にかかわる大きな要素であると思います。特に、具体的な教材を体系として配列をして学ぶべきことを整理をした図書、教科書を全く離れた授業というものは具体的に頭に浮かべにくいぐらいこれは大きな役割りを持つ。いわばその点では子供の学力を左右して学校教育の成否を分けていく上で非常に重大なかかわりを持つものだ、こういうふうに思うわけであります。そういう教科書が、先ほど白木さんから人間形成の過程で戦争中に受けた軍国主義教育の話もございましたけれども、学問が、一つは公正を欠く偏った内容で教科書が編成されるというような問題、あるいは真理とか真実とかいうものと離れてそうして偏ったことが記述されているということになれば、これは子供の思考を混乱させて学力低下を招く要因になるというようなことも言える問題だろうと思います。この点で、こういう重要な教科書、今日の憲法のもとに教育基本法のもとに、教科書をつくる者もそれからこれを使う者も、国民の意向を反映させて民主的にそして科学的な真実を含むりっぱなものをつくっていかなければならぬというふうに思うわけですが、その点について大臣の見解をまず伺って、そうして質問したいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 教科書は教科書で教えるか教科書を教えるかというような言葉がございますが、やはり教科書で教えるというぐらい教員に自主性があるということが望ましいと私も考えております。しかし、その場合にも、やはり教科書で教えるわけでございますから、教科書というものが教育上持っている重要性につきましては、先生御指摘のとおり、きわめて重要であると考えております。そしてまた、教科書の内容というものは、偏せず党せず学問的また教育的見地から見まして妥当なものであるというようにすることが教科書というものの性格上きわめて重要であると考えております。
○小巻敏雄君 六年前にこの参議院の文教委員会でわが党の小笠原議員の方から小学校社会科の教科書の内容について指摘したことがあるわけですね。企業が公害防止の努力を続けて、町は緑の美しい町に生まれ変わりましたというような記事ですね。これは山口県のたしか宇部の記事だったと思うのですけれども、この問題について真実なり現実と全く適合していないというようなことも申し上げて、これは問題があるということになり、その翌年の正月、学習指導要領の中でこれにかかわる部分が改定をされて、そして教科書にも反映をしたというようなことがあったというふうに記憶をしておるわけでございますが、あの時点での学習指導要領はどういうふうに変えられたのか、簡潔に説明していただきたいと思います。
○政府委員(諸沢正道君) ただいま御指摘の点は、昭和四十六年の時点におきまして、ちょうどその前年の昭和四十五年に公害対策基本法の一部を改正する法律が制定されたというようなこともあり、公害の問題がきわめて社会生活にとって大事な問題になってきたわけでありますので、それに対応いたしまして学習指導要領においてもこの問題を適切に取り扱う必要という見地から、小中高等学校の学習指導要領につきまして、小学校について申しますならば、小学校五年の社会の学習におきまして、産業などによる各種の公害から国民の健康や生活環境を守ることがきわめて大切であることを具体的事例によって理解するとともに、地域開発とか、自然や文化財の保護に関連した問題などを取り上げ、計画的な解決が重要であることを考えさせられた、こういうようなことを入れたわけであります。また、中学校につきましても、社会の公民的分野における内容として「日本経済の現状と課題」というところがございますが、ここにおきまして同じく公害の防止、国民の健康の保護や生活環境の保全というようなことを関連づけて学習せしめるようにしたい。それから高等学校におきましても、社会のうちの「政治・経済」の教科において、「国民生活の向上と福祉の実現」というくだりの公害と国民生活というところに、公害についての認識とその防除等について学習をせしめる、こういうふうな内容の改正をしたわけでございます。
○小巻敏雄君 この学習指導要領の改正、具体的には小学校の指導書社会編のところを見てみると、ここで初めて「この際、公害に関連した学習では、大気の汚染、水質の汚濁、土壌の汚染、騒音、振動、地盤の沈下、悪臭等による各種の公害の事例のなかから適切なものを取り上げ、て防止のためには「事業者、国、地方公共団体がそれぞれ積極的な対策を進める必要がある」これらのことを「気づかせる。」ようにするというような記述が指導書の中にあらわれておる。その前はどうなっていたかというと、「ただ注意しなければならないのは、産業公害の問題を扱うといっても、たとえば企業を悪者として糾弾させることが目的ではない」それから「自然美や文化財の保護のどちらが優先すべきかという単純な結論を出させるのが目的でもないということである」というような点に重点が置かれて、いまのようなことの記述はなかったわけです。さらに、新しく是正の際に削除された部分にあったもとの学習指導で力こぶを入れておった部分はどう書いてあったかといいますと、「こうした学習を展開しながら、ことさら結論を、いわゆる政治の貧困、政治の不在という方向へ持っていこうとする教師がいるとすれば、学習指導要領の趣旨を正しく理解し、正しく実現しているとはいえないのである。」というようなことが書いてあるところが削除されるというような状況になったのがあのときの改定であった。 実際に、教科書でも、そのことに従って、ここに小学校の社会科の五年の教科書のコピーがあるわけですけれども、宇部市の記述であれば、「大学の先生や市役所の人が、」ばい煙が出て木が枯れるので公害に強い木を探して植えたりして、「日本一の緑のまちといわれるほどになっています。」という記述が、「緑のまちになりました。しかし、工場で石油の使用量がふえるとともに、こんどは、ありゅうさんガスの害が大きくなってきました。」という程度の記述に変えられているわけです。いわば、以前の指導では、この変更されたような部分を書くと、調査官にA意見とかB意見とかいうのをつけられて、大体A意見などがついたらほとんど日の目を見ない。その部分を書くのか、教科書ぐるみで心中するのかというようなところに持っていかれるような状態がこの際には是正をされたという一つの例だと私は思っております。 こういう状況で、国民の声が生かされた一つの例だと思うわけですけれども、最近教科書について二、三の新聞がとりわけ公害などにかかわる教科書記述に対する検定の過程での問題を報道しておるわけです。四月二十六日の「東京新聞」、同日の「京都新聞」はこれを大きく報道しておりました。そこでは、その問題を提起した教科書出版の出版社に働く人たちの組合のつくった教科書レポートから資料を得てこの新聞記事が記載されておるものであり、文部省の課長の発言もなかなか威勢よく掲載されておるというような問題もあるわけです。この点について、ひとつここに書かれておるような問題についてどうなのかということをお伺いしたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 初中局長からお答えを申し上げます。
○政府委員(諸沢正道君) 新聞に出ました小学校五年の社会の公害に関する部分の記述につきまして、原稿はこれこれであったがこういう理由で修正を指示されたというその指摘でございますが、まず、この五年の社会科の教科書につきましては、いま申しましたような指摘は原稿審査の段階でありました問題でございまして、御承知のように、教科書の検定はさらにその後もう二度審査をいたしまして最終判定に至るわけでございますが、これらの教科書は現在まだ最終判定に至っておりませんので、具体的にどこの会社のどういう記述ということを明確には申し上げられないわけでございますが、新聞に載りました点に即しまして、そういうことであればその理由はこういうことではなかろうかというふうにお答えを申し上げたいと思います。 一つは、ストックホルムでありました人間環境宣言の中には、世界じゅうの人々が公害について無関心でいるならば、人々の生活や自然に対して取り返しのつかない害が広がることであろうという意味のことが強く述べられていますと、この記述に宣言自体の評価には疑問があると、つまり人間環境宣言それ自体の評価には疑問があるということで修正を指示したように書かれておるわけでございますが、もしそういう点でありますならば、この人間環境宣言を載せました教科書はこの一種類に実はとどまらないわけでありまして、また、記述どおりに検定を現段階では通りそうな状態にあるものもあるわけでありまして、しからば問題として取り上げられたのはどういう点かといいますと、ある教科書ではこの人間環境宣言の前文のうちの第三という項目を教科書として小学校の五年の子供にわかりいいように書き直しましたと、こう言っておるわけでありますが、担当調査官が見ましたところでは、この環境宣言それ自体と、わかりやすく書き直したと言われる原稿とでは、どうもその趣旨が違っているのじゃないか。だから、わかりやすく書き直すにしても、もうちょっと宣言どおりの趣旨のものに書き直さにゃいかぬのじゃないかという点が一つございまして、そこにB意見をつけたわけであります。そして、さらにその教科書の原稿ではもう一カ所同じ環境宣言の同じ部分をどうも引いてある。しかも、その引き方が、子供にわかりやすくということでありましょうけれども、最初に書き直したそれともまたその表現が違っておるというようなことで、どうも教科書としては子供を対象にする場合にそのようなことは混乱をしますし、さらにまた、一定の分量の中で取り扱う事柄でございますから、同じことを二度扱うというのは重複するじゃないかと、こういうようなことで、これは重複の部分は何かほかのもっと有効な教材に変えたらどうかということでA意見をつけたというようなことでありますので、人間環境宣言それ自体にその評価に疑問があるというようなことは検定の段階で相手方にも言っていないと、こういうことでございます。 六点ほどございますので……
○小巻敏雄君 いや、簡潔にやってくださいよ。
○政府委員(諸沢正道君) 全部申し上げるのはなんですから簡単に申し上げますが、たとえば、PCBとか、DDTとか、BHCとか、カドミウムとか、水銀とか、こういうような物質の恐ろしさというのは、親から子へ、子から孫へ受け継がれて人間の体の中に残るというような記述、これを修正指示をしたわけでありますが、これは聞きますところでは、現在の医学の研究では、親から胎児等にそういう物質が体内から伝わるということはあるわけでございますが、さらにその子の次の三代にわたって有害物質が体の中で受け継がれていったというようなことは科学的にもまだ証明されていないので、やはり断定的な表現は避けた方がいいだろう、こういうような趣旨でございます。 また、公害に反対する人々についての記述において、公害反対の運動をする人々というような写真、さし絵を載せておるわけでございますが、これも写真そのものは、どうも会社の企業家とそれから組合の人が相対峙して、しかも組合側の人は直接指を大きく上げて相手方を何か激しく糾弾しているような写真、そこでその写真の説明が公害反対の運動をする人々というふうになっておるので、これは子供を対象にした教科書でございますから、説明としてはちょっと公害反対の運動をする人々というのは適当でないのじゃないか、もしそういう説明でしたいというのであれば、そこにあります写真なりさし絵をもっと適切なものに変えたらどうか、こういうような意見を言っておるわけでございます。 それからまた、同じ公害の問題につきましても、公害において被害を受けた方々、こういう人について公害の恐ろしさ、その実際の被害のありさま等を記述をしておるわけでありますが、それはそれとしてよろしいわけでありますが、同時に、今日の公害の問題は、やはり地方団体なり国なり、あるいは企業の当事者なり、それぞれが努力をし、また努力をすべきものでありますから、そういう記述も同じように書いて取り扱うべきではなかろうかと、こういうような指示をしておるところもございます……
○小巻敏雄君 いや、そのぐらいでいいです。
○政府委員(諸沢正道君) 大体そういうようなことで、御指摘のような新聞に書かれましたような理由でこの検定の過程でそれを削除せよとかあるいは訂正せよということを言ったわけではないのでありまして、全体的に見まして教科書として適切かどうかという観点から必要な指示をしたと、こういうことでございます。
○小巻敏雄君 おおよそここに挙げられておるような幾つかの事実について釈明をいただいたわけでありますけれども、これらのポイントについて、読み取り方はいろいろあるかもしれませんが、そういう指示がなされたということは、ほぼこの記事がないことを書いておるものじゃないということを御説明になっておると思うのです。私はこの問題についてここで深入りすることはできないと思うのです。あの白表紙の教科書というものの前後の関係を読むこともなく、その部分だけについて、しかも検定を受けようとする出版社にだけ知らされたものであって、これについて十分に検討するという状況にない問題ですから。しかし、私は、ここに提起されている問題についての国民の関心の深さ、それからこれらの幾つかの問題を通じて、これは出版労協が言うように、被害の真実を書くこと、被害の実態を書くことを避ける、あるいは企業の立場についての記述をあわせて書くように求める、公害反対運動についての基準は政治的と記述をきめつけていくなどといって規制をしていくなら、結局公害はある程度やむを得ないという方向に落ち込んでいくという危惧ですね。この問題については、いまの説明にもかかわらず、これらの諸点が重点的にかなりの分量に上って修正、削除の対象になっているということですから、非常に大きく不安を感じざるを得ないということを申し上げておきます。 特に、環境宣言の問題については、新聞の取材は環境庁の方にも及んでおりますので、環境庁の方からの見解を聞いておきたいと思いますが、課長が見えているでしょう。
○説明員(名本公洲君) お答え申し上げます。 一九七二年のストックホルムにおきまして採択されました人間環境宣言、このときは当時の大石長官が御出席になったわけでございまして、前文が七項目、本文が二十六項目に及ぶ膨大な宣言でございましたが、これにつきましては、当時の大石環境庁長官が日本国主席代表といたしまして全面的にこれを支持するという基調演説もなさっておるわけでございまして、このものそれ自体、環境宣言そのものに対する評価は、日本国政府といたしましてはこれを支持いたしておるわけでございますので、この宣言自体に対する評価そのものに疑義はないわけでございます。
○小巻敏雄君 実は、この教科書検定は、具体的ないろいろなチェックは審査員が多数に上って行われるでしょうけれども、この中で大きな力を発揮されるのは調査官である。調査官の問題については従来からも国会でもいろいろ追及もしてきたところでありますが、引き続いてさまざまなわきまえない振る舞いが耳に入ってくるわけであります。 一つは、所という調査官は、一月の「神社新報」という神社関係の新聞に、五日だったかと思いますが、天皇元首論を肩書きづきで書かれているわけですね。元首とか日本の主権にかかわる問題というのは憲法事項であって、教科書の非常に重要な柱の問題である。こういうことについて、NHKの報道が偏向であるから天皇元首論の立場で一撃を加えておいたというようなことを前提にしてそうして文章が記述をされておる。こういうことを公然と行っていくという人が、みんなの目に見えないところでほとんど反論の余地も保証されないような姿の中で教科書検定を実行していくわけでありますから、穏健中正という選定基準があるそうですけれども、こういうわきまえのない行動、行為というのはこれはどういうものであろうか、これについてひとつお伺いをしておく必要があると思うのです。 さらに、もう一つ続いて、これは昨年の十一月五日から七日にかけて行われた文部省の高校教育課程研究発表、そういう会合の場所でもって、これまた文部省の指揮監督下にある教科書調査官が助言をしておるのでありますけれども、これが教科書の調査官であるのかということを疑わせるような助言内容になっております。これは私どもの方に参加者から手紙が寄せられておるのでありますが、驚くべき内容である。最終日になってそれまでの討議というものは一切踏まえることもなく椎名良吉という調査官があらわれて、教材に新聞などマスコミを皆さんはよく使われているようですが、これほど当てにならないものはない、新聞記事には偏見がある——永井先生ももとは偏見記事をつくられたのかもわかりませんが、そういうことを申しまして、たとえば多くの新聞はサイゴン解放と報道したが、これが偏向だというわけですね。解放ではなく、陥落と言うべきだ。マスコミは出かせぎを大きく取り上げているが、これも偏向である。出かせぎの人は気の毒だが、商社の海外出張員や遠洋漁業の乗組員についても言えると思う。一方的に取り上げるのは誤りで、これを教材として取り扱うのは正しい教育でない、こういうことを助言をしておるわけであります。さすがにこの手紙をよこした人は、海外商社員と出かせぎを同じだと言うばかがどこの世界にあるでしょうかというふうに言っておりますけれども、どっちの常識が国民を正しく育てる常識であるのか、私は伺いたいものだと思うわけであります。こういうような人が、しかもこういう高圧的な態度の人が、指導主事を含む教師に対して、文部省の禄をはみ、指導をしておるのであります。これは、さすがに終わった後でこれについて数人が発言を求めたといいますが、主催者は意見は後日中等課へ直接寄せよと言って部会を打ち切ったというふうにいわれております。 こういったふうな状況、一連の状態を見ますと、公害問題についても、出版労連の指摘というのは正しいのではないかというふうに考えるのが、これが自然な流れであろうと思います。この話については、斉藤弘文部省教科調査官がこれを確認しておられるということでもありますし、こういう状況について、一体、野放図にさしておいていいのかという問題がありますので、大臣にひとつ御見解を伺っておきたいと思う。
○国務大臣(永井道雄君) 初中局長から詳細な事実関係を……。
○政府委員(諸沢正道君) 所調査官と椎名調査官の両名についての御指摘でございますが、まず、所調査官の「天皇は君首か否か」という見出しの「神社新報」に出しました論説の問題でございますが、この「神社新報」というのは、そもそも神社新報社という商業新聞でございまして、これに寄稿を求められて出したのでございますが、その内容とするところは、たまたまNHKのテレビ放送の番組で磯村解説員が天皇の御訪米の成果を伝えまして、アメリカで陛下が非常に歓迎を受けられたのは、まさにアメリカの国民が天皇を君主でもなく、元首でもなく、日本国の象徴であると考えられたからこのような歓迎を受けられたのだと思いますという、これは磯村さんの個人的見解という前置きがあったそうでございますが、そう述べられたのに対しまして、所調査官は、天皇を君主と見るか元首と見るか、君主の性格があるか元首の性格があるかということにつきましては、今日においても学者の間にこれを君主ないしは元首の性格というものをどうとらえるかということにあって、日本の天皇も君主でありあるいは元首であるという意見も相当あるわけであるから、個人的見解とはいっても、公共的な解説、ニュースで断定的に天皇は君主でも元首でもないと言われるのはちょっと行き過ぎではないか、こういうことを前段で述べられ、また、そのことは、日本の歴史を見ました場合に、日本の天皇制というものがシナにおける易姓革命なりあるいはその他の国における外国からの侵略者による王制の樹立と……
○小巻敏雄君 内容は私も読んでいますから、逐一解説してもらわなくてもわかっているのです。
○政府委員(諸沢正道君) そういう歴史を踏まえて考えた場合に、日本の天皇制における天皇というのは、政治上の実権はないけれども、これはやはり君主と見るべきだ。この後半の歴史の解説の部分は、まさにこの所調査官は日本史の専門家でございますから、所調査官のいわば自分の学問的見解、こういうことであろうと思うわけであります。 そこで、ただ、この論説、論孜は、いま申しました「神社新報」に寄稿したわけでありますが、調査官の原稿においては肩書き等は一切ついていなかったそうでありますが、「神社新報」の方でこの人はどういう人だということを紹介する意味で文部省教科書調査官という肩書きをつけてあった、こういうことでございますので、もちろん教科書調査官としての立場における言動は十分慎重でなければならないわけでありますが、調査官といえども学問研究者の面を持つわけでありますから、そういう意味において自己の学問的見解を述べる自由というものは当然あってしかるべきじゃなかろうかと思うわけでありますし、この人の原稿を読みますと、現在の天皇の性格づけにつきましても、これはわれわれの立場において日本の天皇はどういう性格の方かということを申し上げる立場ではないわけでありますが、従来の国会答弁等を見ましても、内閣委員会等で政府関係者が天皇は君主の性格を持ち、かつまた元首の性格も持つのだということを答弁しておられますし、そういうことを考えますならば、所調査官の前段の説もうなずけるところであり、後段の考え方も歴史学者として一つの見解であるということで、私はこのような考え方をあえて責める必要はないのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。 なお、椎名調査官の発言でございますが、これは先ほど御指摘がありましたように、高等学校の社会科の先生の研究集会での発言でございますが、もう少し説明させていただきますと、この研究集会は文部省が主催いたしまして、その場合、文部省側としては、小学校、中学校、高等学校各科に教科調査官というのがございまして、これは教科書調査官と違って、教科のあり方、指導の方法等について現場の先生なり県の指導主事等に指導助言をする立場の方でございますが、そういう方がこの研究集会の助言者なりまとめ役になっておるわけでありまして、教科書調査官はもちろんそこへ出て指導する立場にあるのではないのでありますが、ただ、教科書調査官は現場で使います教科書を検定するという仕事を担当するわけでありますから、機会があればできるだけ現場の空気を知り、先生方の考えも知るということが大事だ、こういう意味で、事情が許せばそういうところへ一参加者として参加をしていろいろ研究することは大いにやりなさいというふうに私どもも言っておるわけであります。椎名調査官は教科書調査官としてそういう立場でこの会に参加をしたわけでありまして、たまたまそのグループの討論の材料が、新聞等に流された各種の社会問題等を教材として取り扱う場合にはどういうふうにすべきかということが一つのテーマであったように聞くわけでありまして、この問題は刻々移り行く世界情勢の中での出来事でございますから、評価の定まることもむずかしく、したがって取り扱い方にも慎重を要する、そういう意味でいまのサイゴンの問題もこれをある新聞は陥落と言い、ある新聞は解放と言う。これはどういう表現を使ったらよいのであろうかというようないわば提案をしたわけでございまして、ここでお断りしておきたいのは、調査官としてはそういう意味で実際に現場の教育においてはそういう時事問題をどういうふうに扱ったらいいかという提案と、しかし現実に教料書の検定はどうなっておるかということはこれは全く別の次元の問題でございまして、具体的に昨年の春サイゴンが陥落した後における教科書の扱いにつきましては、各教科書会社から、こういう場合には社会情勢の変化によって部分的に訂正を必要とする場合は便宜教科書の内容の正誤扱いということでやることに私どもはなっておるわけでございまして、そこの記述を書き改めて持ってきたわけでありますが、各社の記述を見ますと、いずれもベトナムにも平和が訪れましたとか、あるいはベトナム戦争は終わりましたというような表現を使っておるわけでありまして、それはいずれも各教科書発行会社の自発的な記述変更をそのまま尊重してやっておるわけでありまして、これを見ましても、別に文部省において教科書検定においていま陥落と言うかあるいは解放と言うのかというようなことを具体的検定の中でどうしろと言っていることはないことは、御理解いただけるのではなかろうかと思うわけでございます。また、そういう意味で……
○小巻敏雄君 簡単に。
○政府委員(諸沢正道君) いまの出かせぎの問題にいたしましても、要するに、出かせぎの問題というのは新聞紙上等で詳細にいろいろ報道されておりますけれども、椎名発言は、こういう問題については、客観的な資料に基づいて冷静にこの事実関係を教えながら子供に考えさせるというようなことが必要であろうという指摘でありますし、それから公害の問題にいたしましても、同じ公害といっても不可避的に避けられない問題、あるいはわれわれの努力によって相当改善される問題と、程度の差ではありましょうけれども、そういう問題があるというようなこともやはり一つの問題の課題ではなかろうかというような提案をしたというふうに聞いておるわけでありまして、公害の問題などにつきましても、先ほど来御指摘がありましたように、現実の教科書におきましてはまたそれなりに適切な検定をいたしておるわけでございまして、一方的に理由なくして記述の変更を求めるというようなことはやっていないわけでございます。 以上でございます。
○小巻敏雄君 初中局長の考えでは、公害もやむを得ないものと人間の怠慢から来るものとがあるなどということを述べて、新聞を当てにするなというふうに指導するのがこれが客観的なことだというふうに擁護されておるようでありますし、非常に問題だと思います。特に私はここで、いつでも出てくるのですけれども、文部大臣の指揮監督下にある調査官が、しかも文部省主催の集会に出席するのが、民間人と同じ取り扱いとしてこの場合にだけ擁護解釈される、これで一体よろしいのかということ。こういうふうにながめていくなら、もう穏健中正などという基準はなくなってしまうわけであります。私人として旧憲法を礼賛しようが、原爆の二発や三発落ちてもというようなことを言おうが、それはだれも見る人のいない検定を公正にやっておりますというあなた方の信用しようにも材料のない擁護の言葉が残るだけであります。私は、こういうふうな具体内容、新聞、テレビがもう偏向としてしんぼうできないようなこういう右翼的心情と私はあえて申し上げますけれども、こういう人をよりすぐって調査官に据えて、そしてこれを言を左右にして、さらにここでは学問の自由だとか言論の自由という民間人同様に取り扱うというようなあり方ですね、これは文部省の姿勢にかかわってくると思うわけであります。 私は、ここで再度、いま全国の耳目の集中しておる教科書検定の年であります、ことしは。進行中でありますが、この時期の文部省の姿勢として大臣からこの件にも触れて見解を伺っておきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 要点だけ申し上げたいと思いますが、まず、所調査官との関連で一番大事な点は、教科書において新憲法では主権在民、そして天皇は象徴であるというふうに旧憲法との対比において書いてきているということであります。そして、そういう教科書が用いられている。したがいまして、これが文部省が教科書調査に当たってとってきた態度であり、またその点は明確に申し上げておかなければならないと思います。 その場合に、天皇が君主であるか元首であるかということを教科書の中で書いて議論をするというのは、これは大学の教授の中にそういう議論はあるでしょうが、教科書としては妥当でないと思います。ただ、教科書調査官というのは専門的領域を持って勉強をするわけでありますから、この論文はそういう意味合いにおいて教科書検定に当たって小中高生を考えてやっていくのと全く違う立場で表明されているものと理解いたします。次に、公害、出かせぎ等の問題の中で、公害——時間とりますけれども、公害を申し上げますと、公害もこれは自然現象であるというようなことではなくて、公害はやはりどういうふうにして発生してくるかというと、科学技術の成果というふうなものを人間が上手に使わなかったといういわば人為的な錯誤によって生じてきているということがたとえば高等学校指導要領、社会、公害と国民生活というところに書いてあるわけでございまして、この点は私は画然としてそれに基づいて教科書の調査は行ってまいっておりますし、これを変えることは全くないと思います。椎名氏という人が発言をしたのは、私の理解いたしますところでは、教科書は ですからそれで非常にはっきりしているのですが、にもかかわらず公害がどうやって起こってくるかということについてあれこれいろいろな議論がある、そういう議論の中に引用されている違うような議論もあるがということで、教科書を教えるというより教科書で教えるというのでしょうか、つまり反対意見というものがあればどういうふうに考えるかという意味における発言であると理解しているわけでございます。 したがいまして、教科書を検定していく場合の基本的な立場は、所、椎名両氏の発言を一貫して申し上げたいことは、新憲法における天皇の地位、それからまた公害等の問題につきましては、指導要領に示している方針に基づいて調査を行ってきておりますし、また行わなければならない、私はかように考えます。
○小巻敏雄君 どうも、大臣がきっぱりとどういう考え方を持っておられるのか、どうしてもいまの答弁からつかみ取ることはむずかしかったと思うのですけれども、調査官という立場ですね、調査官が公正であるべき立場からして肩書きをつけたままで天皇元首論を業界紙であるとはいえこういうものに記述をするというのは、私はわきまえのない、慎みのない行為だと思うし、引き続いてこういうことが繰り返し行われてはならないことだと思うのですけれども、それについてひとつきっぱりとした、よろしいとか、遺憾なことだとか、やっぱり繰り返されてはならないのか、やってもいいのか、答えをしてもらいたいと思いますし、それからさらに、どっちかといえば、各県の教育委員会の中心的な人々を集めた指導主事の多いところでさえも抗議の声が上がって、そうしてそこで聞きただそうとする問題の上がったような椎名調査官の問題についても、これは初中局長の話では一向差し支えないことで、まあ今後もそういうことが引き続いて起こったとてこれは文部省というのはどうこう言うことはないという答弁になっておるわけですね。そういうことでよろしいのか、私は再度文部大臣にその点を明確にしていただきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 明確にいたしておきたいことは、まず教科書調査の基本的原則というものがありますから、その原則というものが揺らぐようなことがあってはいけない。二番目には、しかし教科書調査官はいろいろ勉強していかなければいけませんから、これは当然勉強していただくことは望ましい。ただ、その勉強する過程においては、勉強というのは一つの考え方を絶対視するのじゃなくて、いろいろなものを参酌いたしますでしょうから、違う考えが出るわけですが、そういう場合に教科書調査官が調査をする立場ではなくて研究者の立場ということが一層明らかであればよかったわけですが、これは別に調査官が希望してあれを書いたわけではない。本当はむしろ研究の立場からということが明記されていればなおわかりやすかったと考えます。 それからその次の高校の指導の会でございますが、これは私の理解するところでは、いま申し上げましたように、教科書は教科書で、ベトナムにつきましてもここに幾つか用例を持っておりますが、出かせぎにつきましても、公害ですか、これはまさにきちんとした調査のやり方がなければいけない。それをどういうふうに教えていくかという場合には、教科書の考え方というものを尊重いたしますけれども、違う考え方も出てくるということが討議されたものと理解しているわけでありまして、さようなものであるならば、私はむしろ教科書の討議というか、多角的な立場というものを考えながら教えていくという意味においてその点が明確であれば妥当であるというふうに考えます。
○小巻敏雄君 文部大臣としては、かようなことは今後も容認していくし、繰り返されて差し支えがないと、こういうふうに聞いていいわけですか。
○国務大臣(永井道雄君) 私が申し上げているのは、教科書検定の立場というものは非常に明確でなければならない、それがあいまいであるとよろしくないということでございます。したがいまして、いまの後の二つの事例につきましては、そういうものと違う活動として行われた。なお、そういう点が一層はっきり今後もしていくように、つまり、教科書検定の方の活動と、それから研究者としての活動というものがだれの目で見ても明らかになるようにこれはわれわれとしても努力をしていくべきものであると思いますが、そういう研究をやっていただかないというと、調査官としてのこれからの仕事をやっていただく上にもやっぱり不適切な面がある。しかし、そこの区別は明確にしなければならないと思います。
○小巻敏雄君 調査官から離れて私人として行われたというふうにはっきり認定することもできないということのようにも聞こえるわけですが、どうなんですか、そこは。これは私人として行った行動であるのか、調査官としてであるのかですね。これははっきりしないということなんですか。処分しろとか何とか言っているんじゃありませんがね。
○国務大臣(永井道雄君) わかっております。私が聞いておりますところでは、私人としてこの論文は書かれているようでございますが、しかし、確かに御指摘のように、教科書調査官という肩書きがついていますから、私が申し上げているのは、そういう意味において仮に誤解が出てきますと遺憾でありますから、しかし同時に研究は非常に大事でありますから、今後そういう点は非常に配慮をいたしまして進めていきたいと考えております。
○小巻敏雄君 時間が過ぎておりますが、こういう調査官が密室の中で検定を行っていくというところに今日の教科書検定に対する国民の不安がある、そのことをどうしても強く指摘しておかなければならないわけであります。 こういう状況の中で特に一つこれは防衛庁の方にお伺いをしておきたいのですけれども、これは「東京新聞」その他が報じておったわけですが、教科書について国防意識のための記述を増加させるように教科書調査を行い、文部省に申し入れを行うというような記事がありましたが、その件について防衛庁、いかがですか。
○説明員(森山武君) 小中高校の社会科教科書の防衛問題の記述ぶりにつきまして、防衛庁としまして特に調査し、検討する作業をいたしておりません。しかしながら、防衛庁の付属機関でわが国の防衛問題に関する調査研究を行うこととされております防衛研修所というところがございます。その防衛研修所におきましては、従来からたとえば各種世論調査の分析等、国防意識に関する調査研究を実施しておりまして、その一環といたしまして社会科教科書の中で防衛問題がどのように記述されているかということにつきましてその防衛研修所の担当者が本年一月ごろだったかと思いますが整理したものがございます。報道はそのことだと思います。これは、ただいまも御説明しましたように、国防意識に関する調査研究の一環としてやられておるのでございまして、新聞記事にあるように特に文部省に対して学習指導要領等の是正について特別に申し入れるというふうなことは考えておりませんし、その準備もしておりません。
○小巻敏雄君 新聞では、文部省に申し入れを行うというような旨を記述しておりましたけれども、特段に文部省に申し入れを行うという予定は持っていないし行ったこともないと、こういうふうに聞いていいわけですね。
○説明員(森山武君) そのとおりでございます。
○小巻敏雄君 その以前には、特に昭和四十二年十一月に日米共同声明が出された際のことなど想起をいたしますと、佐藤総理がその直後から祖国愛と国防意識の強化というようなことを強調いたしまして、まさにその後を受けて十二月の二十八日に灘尾文相が学習指導要領の書きかえを含めて国防意識を盛り込むようにというようなことを指示するというふうなこともあって、その直後に翌日に増田防衛庁長官が文部省に申し入れ、そうしてその結果学習指導要領の記述が変更をされたというような例がある。今度もそういうことになってはならぬと思うし、注目をしておったのでありますけれども、文部省においては特に外部の介入によって、それが時の政権を握る人であろうと、そういうものによって学習指導要領の内容を指示によって変更するというようなことになれば、これは教育の中立に対してもぼくは問題があろうかと思いますし、永井文相は、教育はニュートラルなものだということを事あるごとに強調されてきたわけですから、この点については引き続いて政治的な一つの変更指示を受けることがないようにやってもらいたいという要望をしておきます。 続いてでありますけれども、「文部広報」の二十三日のものですね、これに「教科書検定の手続等審議会が検討を開始」する、「教科書検定制度の運用を改善」というような点について報道しておるわけであります。これは十九日に持たれた総括会議の結論の報道かと、こういうふうに思うのでありますけれども、私はこの問題について今日の教科書問題に対する国民の要望の中心はどこにあるのか。この際に教科書検定制度の運用の改善が改めて拡大をされた。臨時の方々も発令をされておりますが、臨時委員も含めて検討されるということであるなら、そこに何を期待しどのような方向を考えておられるのか、これを文部大臣にお伺いをしておきたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) 教科書の検定調査審議会が「教科書検定制度の運用の改善について」ということを取り上げるわけでありますが、それはまず理由といたしましては、現行の教科書検定制度は戦後実施以来かなりの年月を経過いたしました。そこで、その間の検定の実施の経験にかんがみまして制度の運用の改善を改めて検討することとしてはどうであるか。また、昨年十月の教育課程審議会の中間まとめの中で教科書のあり方というものについて問題提起がなされておりまして、そしてページ数のこと等もございますが、教科書をよくするということが必要であるという御提案があったわけでございます。で、こういうものに踏まえて私どもは教科書の今後の検討をお願いしたいというふうに考えているわけでございます。
○小巻敏雄君 国民が注目もし、新聞が一斉に書き出しておるのは、この問題、たとえば不合格の教科書が改めて制度運用改善によって異議申し立ての条件が整備されるのかと、これらの問題、さまざまな点を書き記しておるわけですね。この点はこの広報の中では討議内容を伝えておりませんからその空気がわからないのですけれども、いま国民が具体的に求めておることは、これは技術的な端々の問題を言うよりも、やはり使う者も、学校で直接教科書を採択する教員、それで執筆する者も、これがどのようにして教科書がつくられていくのかと、これをよくわかる状況にして内容をいいものにしていこうと、こういうことではないかと思うわけですけれども、そういう方向に沿って改善を考えられるのか、今日までにその点で問題はなかったのか、こういったふうな点について大臣はどう考えておられるのか、さらにお伺いしたいと思います。
○国務大臣(永井道雄君) ただいま小巻委員御指摘の点は、主として教科書検定の手続の改善と思いますが、確かに手続の改善についていろいろな要望がございますので、こうしたこともこの審議会において十分御検討願いまして、そして従来の経験を踏まえまして手続というものがよりよい方向に向かうように多角的な御検討を願う考えでおります。 なお、それについて初中局長から……。
○小巻敏雄君 ちょっともう時間がないからこっちの方から申し上げておくことがあるんです。 いままでの文部省の検定のあり方については、国民の批判だけではなくて、すでに三回にわたって出された東京高裁、そしてさらに東京地裁の二回にわたる判決と、杉本判決、それから高津判決、さらに畔上判決、これは内容は憲法の解釈についてその他でそれぞれ違う内容を持っておりますけれども、文部省のこの検定のあり方についてはいずれも高津判決といえども厳しい批判をしておるということは、これは意見の別はあれ認めなければならぬことだと思うわけです。これらを受けて、そうして国民の声を聞いて正そうとするなら、その根本の大もとは現行の密室における検定というのに対して改定の手を加えることがなければ、単にさまざまな部分手直しや、そうして小手先の改定を行っても、とうてい問題は正しい方向に行かない。これについて、従来のあり方で特に不合格になる教科書についてはすでにクレームが三百数十カ所あるものでそれで一割以下の程度しか本人に知らされないというような状況も出てきておるわけであります。判決の内容を挙げるまでもなく、この問題については国民の批判も集中をしておる。この点については、この検定のとりあえず結果と経過を、これを使用する教員にも執筆者にもわかるようにさしていくという方向で改定をされる、そういう考えはないのかどうか、このことを大臣にお伺いしたいと思います。
○委員長(山崎竜男君) 大臣、ちょっとお待ちになってください。 速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(山崎竜男君) 速記を起こして。
○小巻敏雄君 それじゃ、いまの質問については私の意見にとどめて、答弁を求めません。 一つ聞いておきたいのは、五月二十二日、全国一斉同盟休校と称して、狭山事件のこの問題を勝利させるために、石川青年の無罪をかち取るために、小学校の同盟休校をやるという動きがあります。すでに一月段階で大阪、奈良等に見られた動きが、これが今回は全国一斉と称して広範にわたって行われる。こういう一つの裁判の判決を、これの勝利のためにという目標で子供に対して同盟休校をやらせていく、こういうことが行われていいことか、この問題について文部省の態度をお伺いをしようと思うものです。特に、私どもの方では、これの拠点というふうに指導団体がやっておる福岡県の北九州などで出されておる文章と、そうして調査結果に基づきますと、これは非常に重要な状態があります。たとえば、まさか幼稚園の子供、保育所の子供に対してストライキを説法するわけにもいかぬので、保母を休ませるというような方向で運動が進められる、こういうことも見られますし、それから校長さんあるいは教職員も実際には非常に困っておるわけであります。これに対して、わが党でも、強迫に屈することなく正しい学校運営を守るようにということで申し入れをやってみますと、これについて、そういう方向で正しくない運動には屈しませんというようなところと、上の指導待ちをして態度を決めかねております、協力するのかそれともどうするのか、態度を決めかねておりますというようなところもあるわけであります。これについて、基本的な文部省の姿勢と、そうして状況が予想される各県に対する指導についてお伺いをしておきます。
○国務大臣(永井道雄君) 来る五月二十二日に部落解放同盟が狭山裁判に関連して各府県で児童、生徒の同盟休校を実施するおそれがあるというふうに聞いておりますが、これは私どもとしてきわめて憂慮すべきことであると考えております。したがいまして、現在、各府県教育委員会を通じまして事情を照会していることが一つ。また、そのようなことが行われないように指導をいたしております。なぜかなれば、文部省といたしましては、従来から、児童、生徒が社会の実際的な行動の場に参加することは適切でないという考えでございますから、そうした立場で教育委員会を指導してまいる考えでございます。
○小巻敏雄君 それでは、その点について必ず下まで周知徹底するように万全を期されたい、そういうことを申し上げて、質問を終わります。
○委員長(山崎竜男君) 本件に対する質疑は、本日はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。 午後五時十七分散会 —————・—————