逓信委員会 第6号
- 発言数
- 35 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1976/05/19
会議録
○委員長(森勝治君) ただいまから逓信委員会を開会いたします。 放送法第三十七条第二項の規定に基づき、承認を求めるの件を議題といたします。 本日は、本案件につきまして参考人から意見を聴取し、質疑を行います。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 皆様には御多忙中のところを御出席をいただき、まことにありがとうございました。 放送法第三十七条第二項の規定に基づき、承認を求めるの件について皆様方の忌憚のない御意見を拝聴し、本件の審査の参考にしたいと存じます。 つきましては、議事の進行上、甘利参考人、稲葉参考人、ばば参考人及び石坂参考人の順でお一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。 それでは、まず甘利参考人にお願いいたします。
○参考人(甘利省吾君) ただいま御紹介にあずかりました甘利でございます。 本日は、NHKの昭和五十一年度の計画につきまして参考人として意見を求められることになりましたが、本案は、放送法に基づく公共放送としましてNHKが本年度の業務運営維持に必要な予算、事業計画、資金計画等が盛り込まれておる非常に重要なものであると考えます。 特に、特徴といたしましては、内容に入りますが、難視聴対策の施策、これは非常に困難な問題ではありますが、非常に力を入れてやるようなことになっております。また特に受信料の値上げというものが含まれておりまして、これがこういう時節において特に問題点として取り上げられるのではないかと考えております。この受信料の値上げはそれによって今後三年間安定した業務の運営をしようとしているものでございまして、そもそもこの五十年度——前年度の予算承認の際には、附帯決議によりまして、将来における財政基盤の確立方法を検討せよという条項が盛られておりまして、これを受けましてNHK基本問題調査会という会合が持たれて、そこで詳細にいろいろと審議されたようでございますが、そういったものの提言も参考にして、NHKとしては、本案を通して従来より一層本来の使命を達成するという意欲、意図を強く出しておるように見受けます。すなわち、いままでNHKが実施してきました諸施策を見ますと、これは私ども一視聴者、一庶民としてこのNHKの放送をエンジョイしているわけでございますが、非常に一般国民から支持され、親しまれ、また信頼されているという印象を持っております。 そこで、この受信料がこういう形で徴収されておりますが、これは、要するに、この唯一の公共放送であるNHKを維持運営していくために必要な費用をこれを聴取する聴視者が公平に分担して、これを維持していくという体制になっております。私は、これは非常に妙味のある体制であるとかねがね考えておりましたが、この料金の値上げというような問題が起きますと、一層その辺の問題が議論される機会が多いわけでございます。放送体系その他についてこの際意見を申し述べるほどの必要はないと思いますが、要するに、この受信料によって賄われるNHKが、今後、この値上げを機会としまして一層番組の内容を充実しつつ、全国普及またローカルサービスの徹底、さらには将来の放送のあり方、ビジョンを持って、これは運営だけじゃなくて新しい次のゼネレーションの技術も含めてのことでございますが、そういったことの調査、研究開発を強力に進めていっていただきたい、私はかように考えております。 従来、NHKが非常に広範な業務を遂行しまして、広げるだけ広げて安易な経営で赤字が出てきて困るようになったから、そこで料金値上げと、こういうことでは困るんでありますが、私はそういうふうには認識しておりません。若干そういう批判が何かにあったようなことも記憶しておりますが、私は多くのNHKに関する資料を見ておりますが、その運営努力については非常に高く評価しておるものでございます。 たとえばNHKがもう十年以上前ですが、運営のためにコンピューターを導入いたしております。ああいう仕事にコンピューターを入れるということは非常にむずかしいことであります。また、これを入れると相当放送の運営形態が変わってまいりますが、よくこれを英断をもって決断して実施されたと私は敬意を表しておりまして、そういうことで節約とか削減とかそういう消極的な運営努力、これももちろん細かい点にわたって必要ではありますが、大きい問題点としてこのコンピューター導入によって、たとえば十五年前といまは業務量がすでに二倍になっているそうでございますが、その間、人員増がわずか一〇%、その後は増員を必要としていない、こういうような点は非常に大きく経営の合理化、効率化ということに成功している、そういうふうに私は考えております。 その後、カラーの契約のピークが過ぎまして、また石油ショックによる諸物価の高騰等によって経営の費用がかさむ。これは世間一般そういう状況になっておりますが、NHKでは特に内幸町の放送会館の売却益というものが一つの手助けになりまして、五年たった時点でそういう思わぬ収益があったのですが、それがさらに八年据え置かれることになりましたのは、一つは単に経営努力だけじゃなくて、そういう好運に恵まれたということもございます。しかし、もう経営内容からして値上げをしなければならない時期に達しておるわけでございまして、まあタイミングとしては非常に私まずいときだと思います。決して喜ばしいことではありません。しかし、こういう特殊な公共料金、特に国民文化の中心になっているこのNHKの放送が経理上の問題でその質を落としていく、萎縮していくということは決して望ましいことでございません。私は、この値上げについてはやむを得ないというふうに申し上げたいと思います。これを機会に、NHKがその使命を達成するために大いに国民にこの実情をPRされて視聴者の納得を得られるということが必要であろうかと思います。 以上、値上げの問題について申し上げましたが、私はさらにNHKが放送界の中心的存在として、将来における技術改革の中心として、いかなる放送システムが将来実現されても、これに十分対応できるような研究開発をいまから怠りなく、これに相当な費用をかけていただきたいと思っております。かつてラジオから白黒テレビ、白黒テレビからカラーテレビ、だんだん変化してまいりましたが、その間においてNHKは常に非常に優秀な技術ポテンシャルを持って、単に日本だけじゃなくて国際的にもその実力を発揮されましたが、これは、いまもうすでにカラーテレビがある局限に達しておりますので、いずれ新しいシステムがまた発生すると思いますので、この際、特にそういうことを要望いたしておきます。 以上で私の参考意見を終わります。
○委員長(森勝治君) どうもありがとうございました。 次に、稲葉参考人にお願いいたします。
○参考人(稲葉三千男君) まず冒頭に、NHKの予算の問題をめぐって、こういう公聴会をお開きいただいたことにつきまして敬意を表しておきたいと思います。 申し上げるまでもなく、NHKの予算、これを国民的な場で審議をする、あるいは国民の関心を集めるという機会はこの国会の審議の場しかございません。そういう場に国民の側からもまた発言の機会を与えていただいたことを感謝をいたしている次第でございます。 と同時に、希望を申しますならば、各地においてもっと多数の参考人の意見を聴取をしていただきたい、将来はそういう点についても御配慮をいただきたいというふうに申し上げておきます。 続いて、予算につきまして私の意見を申し上げますが、一つは値上げの幅の問題でございます。これは三カ年を見通してまあ五〇数%という値上げになっております。この点につきましては、確かに経営の安定ということを考えれば三カ年が必要だという見解、一概に否定はできませんけれども、本当に経営の安定ということを考える場合には、単に三カ年分の予算がある程度前提されているということではなくて、これはこれからも申し上げていきますけれども、NHKについてどれだけ国民の支持の基盤が広がっていくかということが重要なわけなので、この点で五三%というふうな値上げは私はやはり好ましくないというふうに考えております。ただ、実際問題といたしましては、すでに四月、五月と暫定予算が組まれて実質的には値上げ幅が圧縮をされたというふうにも解せられますので、今後の予算についての努力というようなことを含めて、いまの段階では私は賛成してもよろしいんではないかという意見を持っております。 私は、もともと、この受信料制度を基盤にしたNHKのあり方、またその現在の受信料制度というものを強く支持をいたしております。と申しますのは、この受信料という制度が、一つには、NHKの独立制、いわゆるインデペンデントであるということを保障する制度である。これはこれまでの放送に限りません、新聞その他のいわゆるマスコミの古くからの歴史を見ましても、言論、表現の自由が圧迫をされるという場合、大きな圧力源というのは国家権力とそれから大資本、こういう二つの圧力源がございますけれども、受信料制度はそういう意味ではどこにもデペンドしない、インデペンデント、まさに財政的な独立性を保障する制度である、そういう点において、私は、これは言論、表現の自由を保障するための受信料制度であるというように考えております。と同時に、この受信料制度は決して強制的な支払い義務を義務づけているものではなくて、多少なりとも国民の自発性の中で支払われていく、そういう国民の自発性を喚起しながら、国民の支持を得ながら運営をされていくというところにまた受信料制度のすばらしい点があると思います。 ただ、問題は、そういう利点を抱えた受信料制度、あるいはそれをインデペンデントの基盤としたNHKが現在果たして本当にインデペンデントと言えるかどうかという点でございます。この点については、すでに衆議院の段階あるいはこの参議院においても小野会長の専門懇座長の問題というようなことがたびたび議論をされておりますので改めて申し上げませんけれども、特に、その後の自民党総務会での発言が一方にあり、また一方でNHKの内部における異動があり、こういう点について、小野会長は、これは機構を変えたのではなくて運営を変えたのであるとか、管理体制を強化するというように言ったのは言い過ぎであったとかいうふうに弁明をされている。それから、たまたまそれは二つの時期が一致しただけであるというふうにおっしゃっておりますけれども、私はこういうふうな説明ではとても了承するわけにはまいりません。やはりそこの間に因果関係を想定せざるを得ない。こういう意味ではNHKが本当にインデペンデントであるか、その点、せっかくの受信料制度に依拠しながら別なものにデペンドしてしまう傾向を指摘せざるを得ないと思います。 それでは、そういうNHKをどうしたら本当にインデペンデントにしていけるのか、財政的な意味でも、さらには政治的な意味でも独立な存在にしていけるのか、ここでは私は民主主義の徹底ということが必要だというふうに考えております。この点では、いわゆるマスコミ機関、報道機関の内部における内部自由の問題、本当に職場で働いている人たちが、まあ職制も含めて自由にそこで徹底的に討論できる、そうしてそこで一定の意思形成をしていく、こういう機関内部における民主主義の徹底ということがなければ、私はデペンデントな状態に転落する危険をいつもはらんでいるんだというふうに考えております。 しかし、そうは申しても、現実の——これは必ずしもNHKに限りませんけれども、組織の運営の中では、管理する側と管理される側という対置があり、管理する側は、たとえば職務命令、業務命令、あるいはそういう形でなくても上から管理される側を管理しようとする。現実に、たとえばNHK内部における企画の問題一つをとってみましても、下から企画が上げられていくと上の管理の段階で、それも数段階を経ながら決定をされていく、それは必ずしも管理される側、働く側の意思に一致しない、そういう事態が起こっているわけです。そういう場合に、もちろんそこでさらに徹底的な討論を進めていくということも必要でありますけれども、現実にそういう人事権を背景にしたような管理者側の力というものをチェックしていくという意味で、私は、日本の現状においては企業の内部の労働組合の役割りというのはきわめて大きいというふうに考えております。 一部には、労働組合があり、労働組合が一定の政治傾向を持つことが直ちにNHKの偏向につながるというような議論をなさる方がありますけれども、私はそれはきわめて誤ったとらえ方であって、まさにそういうチェックの機能が企業の内部に存していることこそが民主主義の徹底、あるいはさらにはNHKの中立、公正を保障していく道である、そのように考えており、今後ともNHKの内部における内部自由の保障、発達ということに配慮していくべきであるというふうに考えております。そのことは、同時に、NHKの内部にすでにある幾つかの機関、制度、機構、こういうものについて、これももうすでに経営委員会あるいは番組審議会その他の民主化の問題が出されておりますけれども、当然、こういうものについても徹底的な民主化をしていく必要がある、このように考えております。 しかも、その内部における自由の拡大、保障ということは、さらに、NHKの外部といいますか、あるいはこれはNHKを実際に支えている、財政の面でも支えているという意味ではある意味では主権者という言葉も使われますけれども、NHKを支えている国民の自由をNHKの場でどのように保障をしていくか、こういうことが非常に重要になってくると思います。 ここでは、いろんな方途が考えられております。たとえば諸外国では反論権というような問題が出され、すでに一部では実現をしているというようなことになってきております。あるいは、さらにはアクセス権——接近権というふうに言っておりますけれども、制作あるいは企画、こういう段階に国民が自由に参加をしていく、こういう場もつくっていってほしい。さらには、NHKが国民の間の討論を巻き起こすという意味で、番組を通してNHKの性格、これは先ほど申し上げたことですけれども、あるいは受信料の性格、こういうようなことについても十分情報を伝達し、討論を組織していく、こういうこともNHKがぜひこれから心がけてほしいことである。NHKもすでに懇談会とかそのほかいろんな形で国民の意見の聴取ということには熱心のようでありますけれども、私はそういう活動を、もちろん傍らから見ていての印象でございますけれども、どうもそういうものはおぜん立てした場にお呼びをする、お客様として意見を聞くということであって、もっと自発的、自主的にNHKに参加をするという意欲のある人たちの参加の道というのを聞いていく必要がある、こういうことを考えております。 以上でございます。
○委員長(森勝治君) どうもありがとうございました。 次に、ばば参考人にお願いいたします。
○参考人(ばばこういち君) 私がきょう御出席されたほかの三人の参考人の皆さんと唯一違う点は、昭和三十一年からほぼ二十年にわたって放送の現場で仕事をしてまいりました。主に——主にといいますか、ほとんどですが、民間放送の世界で仕事をしてきたわけです。そういう立場から私、まず結論的に申し上げますと、今度の受信料の値上げには反対です。理由は二つございます。 まず第一の理由は、受信料の値上げの基本になっている考え方として赤字がきわめて大きく出てきたということなんですが、この赤字というのはNHKみずからが招いた赤字だというふうに私は考えます。NHKが大変巨大である、NHK一局とほかの全民放が同じぐらいの関係になっているわけですが、そのぐらい巨大になってくれと国民の側が頼んだわけではないというふうに私は思います。なぜ代々木のあれほどの巨大な放送センターがNHKの放送に必要なのか、これは私には理解できません。放送というのはやはり現場で人間がつくっていくものだというふうに思います。でNHKの放送も、はるかにそれよりも小さいたとえば東京12チャンネルの放送も、さらにそれよりも小さいたとえば千葉テレビとかあるいはTVK神奈川テレビとか、そういうスタジオが一つしかない放送局でも放送を出しているわけです。にもかからわず、NHKはあれほど大きな巨大な機構を持っている。私は現場で仕事をしている者としては、どうしてそんなに巨大な機構が要るのかが理解できないわけです。 巨大な機構になれば、当然、どういうことが起こるかというふうに申しますと、その機構によって人間が使われていくということになります。つまり人間疎外がどうしてもそこに出てくる。これはもうお聞きになっている皆さんも、この放送の世界だけではなくていろんなところでそういう問題が起こってくるということはおわかりいただけると思いますが、管理システムが強化されればされるほど、つまり人間が放送の中で生きてくるということはなくなってくるのは常識でございます。つまりNHK自身の大変巨大化する、あるいは拡大エリート主義のつけを視聴者、国民に回されてはたまったものではないというふうに私は考えます。これが第一の理由です。 次に、第二の理由として、NHKは国民の放送局であるとおっしゃっておりますけれども、私はそうであるとは思っておりません。つまり国民の放送局ならば、内外の批判を拒否してはならないはずであり、それが放送の中にもっと生かされなければならないというふうに私は考えております。しかし、NHKは内外の批判を拒否していると思われる節があるというふうに私は見ています。 具体的な例を申し上げます。まず外部批判の拒否の例として、私が一月の末に、千葉テレビで五時間の番組をレギュラーで持っておりますが、そこでNHKのこの受信料の問題、NHKの体質の問題について五時間の討論番組のキャスターをやりました。そのときにNHKをおやめになった人たちに番組に出ていただいていろいろな問題を討論したわけですが、途中で視聴者の方から、当然、NHKの反論あるいは意見を聞くべきではないかという電話がございました。それは全くもっともなことでありまして、そのことについてNHKの放送センターに電話を入れましたところ、私どもとしては、広報室長の方に出ていただいて、受信料値上げの反対という意見があったり、あるいはNHKの体質の問題についての批判があるならば、それについて答えていただきたいというふうに思っていたんですが、電話は広報室につながりませんでした。で全く私どもとしては理解に苦しむ別な人が出てまいりまして、外部からそういう電話があっても直接は取り次がない、NHKは直接取り次がないんだというふうにおっしゃられた。そうすると、視聴者のいろんな批判がそこで討議されていて、しかもNHKにそれについての反論をお願いすることすらもNHK自身は電話を通してくれないという現実に私どもはぶつかったわけです。 やはり一般の放送局でも一般の企業でも、外部から電話があった場合には、普通交換手は取り次ぐのが当然だと思います。そういう番組をやるということが事前に実はいろいろ新聞報道になされていて、当然、NHKとしては御存じだったと思うんですが、御存じであるから逆にその場に出なかったのではないかというふうに私どもは思っています。で外部からのこういう批判については堂々と答えられ、そして所信を明らかにするというのが国民の放送局であるNHKとしては当然だろうと思っていたにもかかわらず、そういう実態に私は自分自身の体験としてぶつかった、その例を申し上げたわけです。 それからもう一つは、内部批判の拒否の例というのを申し上げます。四十八年の九月にNHKの制作ディレクターであった竜村仁君というのと、それから国際渉外の部員であった小野耕世さん、この二人が解雇されました。で、その理由は、四十八年の八月にこの竜村君というのが「ドキュメンタリーキャロル」という番組をつくったわけです。竜村君がその中で出そうとしたのは、やはりNHKのドキュメンタリーにもいろんな方法論がそこで出されるべきであるということで、方法論についての新しい模索をそこで試みた。ところが、NHKの上司は、それが金曜日の九時半のドキュメンタリーの枠にはふさわしくないという理由で放送をそこでさせないようにしたわけです。これは後々いろんな外部の人たちがその番組を実際に見まして、私自身も拝見しましたけれども、大変すぐれたドキュメンタリーだというふうに私は思いました。そういう声も大変上がっております。しかしながら放送中止になった。そこでその竜村ディレクターはNHKの内部において試写運動というのをやり出した。それから外部にそういうことが起こったという事実を発表した。これはNHKが国民の放送局ならば、竜村仁が国民の放送局の局員ならば、当然なことだろうと思います。にもかかわらず、これによって以後竜村ディレクターはディレクターとしての仕事をNHKの内部において取り上げられてしまったわけです。そこで彼は先ほど申し上げました小野耕世君と一緒にATGという映画と結んで、休暇届を出して映画「キャロル」を撮影したんです。その結果、NHKは、許可なく休み、許可してない映画を撮ったという理由で、四十九年の九月に竜村ディレクターを首にしたという事実がございます。現在、これは裁判中でございます。 で確かに、不思議なことは、外部でいろんな仕事をしたということがもしNHKの職員としてよくないならば、NHKのアナウンサーが外部の結婚の司会をするなんということは現実にございます。そういうことが見放されていながら、現実にその番組の新しいあり方というものを探ろうとしたまじめな局員がそういう形で首になるという、つまり内部批判を拒否するということがNHKの中で現実に行われているということについては、私はやはり国民の放送局たるにふさわしくないというふうに考えております。やはり国民の放送局の局員ならば、自分の生活あるいは職をかけて新しい番組づくりの意欲を示すべきだし、努力をするのは私は当然だというふうに考えます。そしてそういうことがやみからやみに葬られようとしたときに、これを広く国民あるいは視聴者の前に顕在化させるというのがやはり局員として当然の義務である。これは普通の商業局と違ってNHKだからこそそれが必要なんではないかというふうに考えるわけです。その内部批判、問題提起というのをNHK自身がつぶしたわけです。 このように、いま二つの具体例を挙げましたけれども、外部批判の拒否、内部批判の拒否ということがNHKの中で現実に行われている以上は、私はNHKを国民の放送局だと認めるわけにはいかないわけです。 もう一つの例を申し上げますと、この千葉テレビの「スペシャルフライデー46」という五時間の番組の中で、やはり千葉テレビの編成権によって、現在裁判進行中の竜村君の出演を千葉テレビは拒否をいたしました。ところが、千葉テレビは、その中で、拒否をするということはわれわれの考え方だけれども、出演者の皆さん、キャスターの皆さん、あるいは視聴者の人たちがこれをどう判断するかを番組の中であえて出しましょう、そうすることによって果たして千葉テレビがとった処置が正しかったかどうかということを、その批判を仰ごうといって、五時間のその番組の中で出演拒否問題を取り上げて討論しました。これが放送局としては当然のあり方だというふうに私は考えます。 つまり放送局の編成権というものはあるけれども、一方において放送局には国民の電波を預かっているという、そういう一つの責任があるわけです。そうだとするならば、その編成権をあえて視聴者の前に問うていく姿勢というものがあってしかるべきだ。これはNHKあるいは民放局といえどもこれは当然のことだろうと思いますし、年商わずか八億の吹けば飛ぶような小さい局でさえも、そういうような自己に問う姿勢があるにもかかわらず、これだけ巨大になったNHKがそういうことに対して拒否をしているというのを、私は国民の放送局だと認めるわけにはいかないわけです。 電波と新聞雑誌というのは大きく違います。電波は技術的に有限であり、したがって国家が免許を下すという形になっております。新聞雑誌はだれにでもこれは発行できます。おのずとその二つのありようというのは違っていいはずです。免許でだれでも企画をすればその放送を出せるというのでない以上は、それだけ受け手の側の拒否の論理というものがそこの放送の中につまり入っていかなければ、それは大変不公平になるのではないかと思います。新聞や雑誌をたとえば勝手に送ってきて、その後集金人が来たからといって、恐らくここにいらっしゃるだれでも金は払わないだろうと思います。しかし、NHKの場合には、勝手に茶の間に電波が入ってきて、集金人が来る、これはそれだけでも非常に不思議な話だと思います。 前にお話しになった稲葉さんが、言論の自由のためには受信料という制度というのは非常にいい、私もそれはわからないわけではありません。しかし、その視聴者の側がどうその放送の中に自分を生かしていくかとすれば、視聴者の武器というのは受信料を拒否するということが認められるということでしかその武器はないはずです。そうしますと、やはり受信料不払いということが決していいことではないかもしれませんが、そういうことができるという論理にのっとった上で放送が出されるということが、本当は受け手の側と送り手の側がそこで平等になるということに私は論理上なると思います。そういうふうに現在の放送法では必ずしもなっていない。なっていないならば、それだけ国民がNHKの放送にコミットできるような組織あるいは番組づくり、そういうものが生かされるような体制になっていかない限り、NHKが国民の放送局だとは言えないと思います。 公共放送という言葉があります。公共というのは非常にいい言葉です。しかし、NHKというのは、国民の放送局であるならば、公共放送ではなくて公開放送というふうに考えるべきではないか。常にその窓が国民に開かれているという放送局でなければいけないはずです。ところが、現実には、民放で非常に活躍している人間でも、NHKには都合の悪い人は出してもらえないというようなことが非常に多くあります。私自身もNHKのテレビに出ることはありません。それは出ないからこう言っているわけではないんです。つまり、そういう人たちも自由にその中でNHKの批判ができ、自分の意見を開陳できるような放送局であって初めてNHKというのが民間放送とは全然違うんだ、それだけ存在理由があるんだ、それだけ民主的なんだ、それだけ国民の放送局なんだということがはっきりするだろうと思います。そういう仕組みにならない以上は、当然、拡大するためにNHKの受信料を値上げするということは、論理的にも全くおかしいということになるわけです。 したがってNHKは現在の予算の枠組みの中で、もし赤字が出るならば縮小すべきだ。それでもつまり払わない人間が出てくるということであるならば、NHKは解消してもしようがないだろう。NHKが仮になくなったとしても、国民は少しも不幸にはならないだろうというふうに私は考えます。 以上です。
○委員長(森勝治君) どうもありがとうございました。 次に、石坂参考人にお願いいたします。
○参考人(石坂悦男君) 石坂です。私は、本日の昭和五十一年度NHKの予算審議の参考とするために、放送のあり方あるいは公共放送という理念にさかのぼって少し意見を述べてみたいと思います。 御承知のように、放送のあり方について考えますときにまず基本に据えなければならないことは、放送事業が公共の財産であるあるいは国民の財産である限られた電波を使って成り立つ事業であるということです。したがって、その放送がマスメディアの中でも、本来、こういった社会的性格の最も強いメディアである、こういう点を中心に据えて、そこから論議を出発させるべきだというふうに考えます。そしてこの点で、放送がどれほど国民に開かれているか、放送にどれほど国民の声が反映されているかということが、実は、その国の民主主義の発展の度合いを示す一つのバロメーターだというふうに言っていいだろうと思います。こういうような観点から、私は、現在、国民の強い関心の的になっているNHKの五十一年度の予算及び事業計画について、それを単に財政問題としてのみとらえるものではなく、より根本的に今日進行しているマスメディアの独占集中化、そういう事態の中で国民を基盤とした放送事業、あるいは現在のNHKがよりそういった性格を強めていく、それにはどういうふうな方策があるべきなのかというような広い問題としてこの受信料値上げの問題も位置づけられねばならないというふうに考えております。 そこで、この機会に、公共放送としてのNHKにより広範な国民の声を反映させるにはどうしたらよいか、言いかえますと国民の知る権利にこたえる放送、公平な報道を維持し、より多くの国民の放送文化に対する要求にこたえる番組づくりというものの実現を可能ならしめる必要条件について幾つかの観点から述べてみたいと思います。 まず第一に、最初に述べましたように、公共の財産である電波、しかもその使用はすべての人が使用できるというのではなく、特定の限られた人のみが電波を使用するという放送の特殊性、メディアとしての特殊性が、これはアメリカの放送行政が始まったときから、その理念として言われている言葉が的確にあらわしていますが、すなわちパブリック・インタレストあるいはパブリック・コンビニエンスあるいはパブリック・ネセシティ、つまり国民の便宜、利益あるいは必要というものにこたえる、こういった性格がまず第一に公共放送、特にまあ放送といっても、公共放送としてNHKが存在し続けるためには、こういった社会的な責任を果たすことが必要であり、そのために最も重要なことは、放送の自律性あるいは独立性というものが確保されることがまず第一に必要であるということです。直接的であれ間接的であれ、どういった形態にせよ、放送が権力やあるいは行政機関の介入、圧力に左右されることがあっては、言うまでもなく公平な放送を維持したり、国民の知る権力にこたえるということはできません。それは放送が国民を基盤にした放送という、そういった放送が存立することができないということであります。 こういった観点から考えますと、放送の自律性ということをどう確保するのかという問題は、単に放送番組の内容の自律ということはもちろんのことでありますけれども、それ以外にも、これに影響を及ぼす放送事業体の組織、人事あるいは財務についても、その外部からの権力的な介入や干渉が及ばないような、そういった方策が、手だてが考えられなければなりません。そういう中で財政的な自立性あるいは財政的安定というものが重要な性格を持ってくると考えます。 翻って放送の現状を見てみますと、放送の自律性、独立性というのは残念ながらまだ十分に確立されているとは言えない状態にあります。では、放送の自律性、独立性というものを確立するにはどうしたらよいのか、そのことについて三点にしぼって話したいと思います。 その一つは、放送が、特に公共放送としてのNHKの自律性、そういうものを考えるときに、第一には、放送事業の民主的な運営ということが考えられなくちゃなりません。それはさらにいま指摘した財政の自立性、安定性及び放送機関の内部における放送の自由といいますか、あるいはそこに働く人々の言論、表現の自由を初めとした基本的な諸権利の保障というものが放送事業の民主的な運営を支えている最低の条件だというふうに考えます。それから第二番目には、放送への国民の関与、あるいは放送に対する発言権の拡大、その制度的な保障ということが考えられなければならないと思います。それから最後に、第三番目には、放送制度全般の、特に免許行政を中心とした放送行政全体、制度全体の民主化、これへの国民の声の反映ということを確保すること、こういう三つの点がとりわけ必要だろうと思います。 そこで、現在、NHKが当面している財政上の問題、受信料問題というのは、こうした放送の自律性をどう確保するかという性格の問題として位置づける必要があるわけですけれども、ここで強調したいことは、受信料の問題も放送への国民の関与がどれくらい拡大されているか、つまり国民がNHKをどれほど支持しているか、あるいはどれくらい支持されるための方策をNHKの側が講じてきたかという点に問題があるだろうと思います。確かに財政的な危機というものは、財政的な安定性が放送の自律性にとって一つの要件であるというふうに考えられますから、その点では、この支持を、国民の受信料に対する理解を、あるいはそれに対する合意というものをどのようにしてつくってきたかということが問われなくちゃなりません。確かにこういった手だてについては、放送の基本問題調査会というような活動を中心にして一定程度なされてきましたけれども、しかし、受信料の値上げについて国民の合意を構成するという観点から見たときに、これだけではまことに十分ではなかったというふうに言えると思います。 結局のところ、こういう財政的な問題についても、経営の実態をより詳しく国民の前に公開して国民のさまざまな意見をくみ尽くしながら、国民の支持と合意に基づく財政の自立の確立ということを図ることが問題の解決の方法であろうというふうに考えます。そしてこれを可能にするための内部的な努力、事業体自体の努力というものが経営の民主的な運営によって担当されるものであるという点をまず指摘しておきたいと思います。その点で、現行のたとえば経営委員会の構成あるいはその運営についてもこれを再検討する必要があるだろう。放送法の精神にのっとって各階層の代表あるいは地域的な代表というものが十分にそういう形で国民の声を反映させる、そういう経営委員会のあり方というものが再検討されなければならないと思います。 放送の民主的な運営にとってもう一つ重要なことは、先ほど指摘した放送機関の内部で働く人々の言論、表現の自由など基本的な諸権利の保障です。これは番組の制作に携わる人々が直接的に放送の自由の担い手として放送の機関の内部で働いているというわけでありますから、放送活動に対する外部からのさまざまな介入や干渉を排除する、そういうことが可能になるためには、放送の内部に働く人々の諸権利の確立、保障というものがなくてはなりません。そういう人々の創造性や自主性が確保されなければ、また国民の声を放送に多様な形で反映させるということも困難になることは明らかです。 実際一つの例を挙げますと、昨年公にされたNHKの労組、日放労の放送白書においても、こういった内部的な自由、制作者の自由という点が、はなはだそれに対する不満が多いという事実を明らかにしています。たとえば番組制作現場の意見が軽視されている、あるいは企画を出してもなかなか取り上げられない、そのうちにもう企画を出すそういった創意や意欲というものも喪失してくる、あるいは喪失しがちになっている、こういう実態が放送白書の中で明らかにされています。これは放送の自律性というものを内部的に崩壊させていく重要な契機になるということからも、そしてその結果が国民の声を放送に反映させることを困難にするという点で重視しておかなければならないことです。 この点で、こういう問題を解決する一つの方法として、積極的に一つの参考として考えられるのは、ドイツやオーストリヤにおいて、番組制作者の権利というものを確立するいわば編集綱領とかあるいは編集者規約とか、一種の労働協約というような形で番組制作者あるいは放送事業の中で働く人々の、特にジャーナリストの人々を中心とした権利の保障を制度的に確立していく、一つのそういう労働協約というような形で権利を保障していく、こういう手だてが日本でも考えられていいんではないか、そういうことが一つの参考として積極的に検討されるべきではないかということが言えます。 そこでは信念に反して、つまり自分の意見と違う、見解と違うそういった番組をつくることを拒否する権利、あるいは信念に反してそういった活動を、仕事をするそういうことを強制されない権利、あるいは番組の制作の全過程にわたって関与する権利、あるいはさらに人事の配転とか職種がえ、そういうものに対するジャーナリストの側での承認あるいはそれに対する関与という点がいろいろと検討され、その結果が一つの規約として協会と編集者相互の間で協定されております。これなどをもっと積極的に検討しながら、こういった方向で、いわゆる自主規制のような根を、そういった状態を生み出す根を断っていくということによって国民の放送要求を実現していくという手だてを考えるべきだろうと思います。 それから放送の自律性、独立性を確保するための第二点に挙げた放送への国民の関与、発言権の拡大という点であります。この点については、公平の放送というものを維持する、この手だてが引き続いてより高められていかなければならないというふうに考えます。たとえばその方法として反論権というものの運用についてより積極的に検討されてしかるべきだろうと思います。「総理と語る」という番組がありましたが、それに対して公平の放送という原則に抵触するという意見が強くなり、「野党党首に聞く」という番組が出てきたという、そういう一定の前進はありますけれども、より広範な見解を放送に反映さしていくという手だてが公平な放送の問題、反論権を含めてさらに検討されなくちゃならないと思います。それから昨年の四月からNHKが放送への国民の声を反映させる番組として参加番組というものを放送し始めました。これも現状では非常に番組の企画、テーマ、人選等々においてさまざまな制約がありまして、その先例となったBBCの番組等々に照らしても参加の自由度がきわめて限定されたものであるという点を重視しなければならないと思います。その点で参加番組というそういう形態での国民の声を放送に反映させる方法がさらに検討されなくちゃならないと思います。 それからもう一つは、番組内容への国民の意思をどう反映させるかという方法であります。これについては番組審議会の構成や運営をさらに民主化していくということも必要でありましょうし、それからさらにこれもBBCにおいて番組苦情処理委員会というものが数年前から設置されております。これも視聴者会議とかそういった似たようなものもNHKにあるわけですけれども、よりその運営というものを民主化し、より番組に対する不満への対応、そういう不満を吸収していくという制度的な保障というものが考えられてしかるべきだろうと思います。こういう点では、まだ全く制度的な保障がないと言っても言い過ぎではない、そういう状態に現在のところはあると思います。そのほか、番組内容への国民の意思の反映については、ローカル放送を一層充実させる、そして人々の生活に密着したそういう話題や放送というものを実現していくという手だてがまだ不十分だというふうに言えます。さらにまた放送において放送のあり方自体を問題にするというような企画等々も積極的に考えられていいと思います。 それから第三番目に挙げた放送の自律性を確保するための方策として、放送制度の民主化について述べてみたいと思います。 これは特に免許行政の民主化でありますから、特にNHKに限ったことではありませんで、広く放送事業を進めていく上での行政のあり方であります。これは一つには、放送活動全般に対する国民の意見を公聴会というような制度をもっと拡充することによってこういう形で制度的に国民の声を放送に反映させる、そういうことが必要であるということと同時に、放送行政の主体をできるだけ政府の側あるいは行政主体の側から引き離していくということが考えられてよいと思います。少なくともアメリカのFCC、連邦通信委員会のような独立行政委員会の制度というものが取り入れられることが考えられていいだろうと思うのです。この点については、戦後一時期、電波管理委員会というような、そういった経験を、あるいは放送委員会というような経験を歴史上も持っておりますので、こういった点をさらに放送の自律性、国民の参加というものを実現する制度的な保障として実現させなくちゃならないと思います。 以上、幾つかの点についてごく簡単に、国民の放送に対する関与の拡大、そういったものについて、それがとりもなおさず放送の自律性というものを確保していく上で重要だという点を指摘したわけでありますけれども、最後に指摘したいことは、以上のように国民の声を放送により広く反映させ、そして国民の真に国民を基盤として運営される放送局としてNHKをそういう方向に変えていくためには、当面、最低限の改善策として示したにすぎないわけです。こういった以上の諸点は、いずれも現行の放送法のもとで放送法の精神を十分に生かして、これを忠実に運営するならばすべて実現可能なものばかりであるという点を指摘しておきたいと思います。こういった全般的な放送のあり方、国民を基盤とした放送のあり方というものについての国民的な論議をもっと広めていく、もっと活発にしていく、そういう中で財政的な安定化すなわち受信料の問題というものも検討されなければならないというふうに考えます。まだそのための手だてがきわめて不十分だというふうに考えております。 以上です。
○委員長(森勝治君) それではこれより質疑に入るわけでありますが、ばば参考人の時間の都合がありますので、他の三人の参考人の方々には恐縮でございますが、しばらくお待ちいただいて、最初、ばば参考人に対する質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○森中守義君 少し意見を交えながら、ばばさんにお尋ねいたします。 率直に伺いまして、非常に私ははだに感じた例示をしてのお話でございました。実は、時間をお持ちであればもう少しゆっくりいろいろ伺いたい。同時に、はだ身に感じたお話だけに、私どもとしてもそういう御意見を聞きたいし、同時にそのことはNHKにも聞く耳を持たせる、その必要性が絶対にある、そういうことを私は御意見を伺いながら感じました。 そこで、問題は、現在の放送法での基本体制、つまりNHK及び民放というこの制度を私はこういうように受けとめている。何もこれは経営上の問題にとどまらないで、やはり競合性、競争の原理、こういうものが放送を通じて国民生活にきわめて大きな裨益がある、こういったように受けとめねばならぬ、こういうように思っているんです。 ところが、お話しになったような内容のほかに、こういう実例がある。民放の小林会長がその総会において受信料の問題に言及された。直ちにNHKの小野会長が反論を加えておる。それは放送を知らない者の言うことである、こういうことが過去にあった。そこで、現在、正しい意味での競争の原理が生きているか、あるいは正しい意味での競合性というものが確立されているかということになると、残念ながら否定的な立場に私は立たざるを得ない。つまり民放が創設された時代に、民放及びNHKを合体をした放送連合というのがあったはずだ。これはいま申し上げる競合体制、競争の原理をよりよく生かしていこうというところにその本質があったわけです。ところが、四十一年か二年にこれが解体してしまった。逆に何か協議会みたいなものをつくったようですが、だんだん変遷の過程で、NHK、民放のよりよき競合時代というのはもう過ぎてしまったんじゃないか。むしろ今日ではNHKが民放を意識し過ぎる、民放はNHKを意識し過ぎる。これはどうも考えますと心情的なものにかなりの段差がつき始めている、あるいは実態的なものとしても段差がつき始めている、こういう今日の傾向はまことに好ましい状態とは私思っておりません。だから、より正常な競合、より正しい競争の原理ということであれば、何か新しい体制が生まれませんと、御指摘になったような問題というのはむしろ波及、増幅していく、将来の放送界に投げる影というのは大きいと、こういうふうに私は判断をしております。 そこで、御指摘になりましたような問題などが増幅の方向に向かうんでなくて、解消の方向に向かうにはどうしたらいいか。そのことはNHKと民放との経営の交流あるいは部門別の交流、こういうことなども当然考えられてしかるべきであろうし、直ちにそういうことが法制化という段階にまで飛躍はしなくても、もともと放送連合にしろ後の協議会にしろ任意団体ですから、そういう任意性に基づいたものを、つまり民放、NHKが一堂に会して新しい日本放送界のありようを探求していくという、こういう実は体制を求めていくべきだと、こう思います。したがって、そういうようなものが新しい視聴者の要請として求められているという、こういう認識を私は持つんです。 具体的に、在来、そういう関係に従事されてきたばば参考人としては、どうすればいいか、どうすればそういう心情的な実態的な距離というものをより縮めることができるか。つまり競合、競争ということは、その根底にあるもの、包んでいくものは融合ということでなくちゃいかぬ、こう思うんです。どうすれば、そういう融合を基調にして距離を縮めることができるか、そういう具体策を、恐らく平素お考えになっていると思いますから、この際、御披露願っておきたいと思います。
○参考人(ばばこういち君) 日本の放送制度というのは、もともと矛盾があると私は思っております。それは長い間NHK一局だったところから、新しくそこに民放が生まれてきた。アメリカなんかはもともと民放しかないわけです。もちろんヨーロッパには国営放送があって、民間放送があるというケースもございます。ただ、日本のNHKのようにこれほど巨大な放送局というのは恐らく世界一だろうと思うんです、余りにも巨大になり過ぎた。なり過ぎたから、逆に意識し過ぎるということも私はあるだろうと思います。ですから、NHKが巨大にならない方向にむしろ考えていくということが、いまおっしゃった部分のまず基本的な方向だろうという気が私はいたします。 それからもう一つは、しかし現実にはNHKがある、受信料制度もある、それの基づく放送法というものができているわけですから、せめて現在のNHKを、少なくとも先ほど来いろいろな方からも言われておりますけれども、できるだけ国民の声を生かす方向に持っていく形しか現在はすぐには考えられないわけです。したがって、たとえば経営委員会を国民の選挙で選ぶというようなことは途方もないことかもしれませんが、つまり経営委員会が国民から選ばれるというような形がもし法制化されるとするならば、その中でつまり経営をする人たちと現場との関係というものはまるで変わってくるだろうという気が一つにはいたします。で、そのNHKの会長さんというのは大変な力をお持ちです。しかし、これは経営委員会が国民から実際の選挙で選ばれた上で、その互選によって会長が選ばれるというような仕組みになると、会長及び経営委員会というのは、たとえば三年に一度あるいは二年に一度づつかわるかもしれないという形になれば、当然、現場の制作をしている人間の立場というものは強くなりますし、その主体性というものが番組に生かされてくるだろう。 つまり、コンピューターという話が出ましたけれども、コンピューターが導入されることによって、よかった、合理化された部分も確かにあったかもしれない。しかし同時に、逆に人間がコンピューターから使われてしまうという現実もたくさんNHKの中にはあるわけです。むしろ放送というものは、そもそも、それでつくる人間と取材される対象との間の人間交流の中からしか放送というものは生まれない。その中から非常にいいものが出てくる、そういうのが放送の原理だと思う。その原理を否定する方向に向かったというのはNHKが巨大になり過ぎた。これは民間放送にも言えると思います。民間放送も巨大になり過ぎると、当然、その仕組みの中で人間が動かされるようになってくるということじゃないかと思います。いまの直接的な、これぞいい解決案だということは実はないわけですけれども、現実のNHKと民間放送というものがこれだけ定着した以上は、そのNHKのあり方そのものをいま私が申し上げたような方向に変えることによってかなり改善されるものがあるのではないかという気がいたします。 もう一つ申し上げておきますと、NHKの場合というのは外部の演出者を使って番組をつくらせるというようなこともございませんし、それからNHKを一たん出た方、たとえば高橋圭三さんとか小川宏さんとか、一たん出た方は決してNHKに弓を引いていなくてもなかなかNHKに出るということはできない、これは本当におかしいと思うわけです。やっぱりもっともっと外部の人に番組をつくらせ、外部の人をどんどん起用していくような形になればNHKというものは自然に変わっていくというふうに私は考えます。
○長田裕二君 ばばさんがおっしゃったNHKの巨大性の一環になるのかもしれません、あるいはお考えによってはその面は違うということになるのかもしれませんが、NHKの使命のようなものになっております、全国あまねく受信できるようにするというのが放送法にもありまして、現にNHKはいままで財政的にも相当巨額な資金を投入してきた。それからまた今後の事業計画におきましても相当その面に力を入れるという構えをとっているわけです。難視聴地域の解消ということになりますが、この難視聴地域の解消のうちで、都市の難視聴は、これは財政的な問題以外にいろいろな要素が込められていますから、その面は私除きますけれども、全国まだ相当残っております地域に対して、これから相当の資金も投入しようとしているNHKの姿勢等につきましての御意見を伺いたいと思うわけです。 一方では、御承知かと思いますけれども、過疎地域などでテレビが見えないためにもうそこを引き払っちゃう、町の方に出てくるというところが相当あって、私なども昔知っていたなつかしい部落なんかがもう消えちゃったという大変残念な感じもするわけです。いまは普通に見えるところのほかに、中継局をだんだんつくっていって見える地域を広くする。中継局がつくりにくいようなところについては共同聴視施設という形で、そこの土地の人にも若干金を出してもらい、基幹的なものはNHKが出してやって、それでもどうしても届かないもっと過疎のところについては、もうしようがないという形で、そういうものをなくそうという方向で進んでいるわけです。民放の方は経営問題などその他の問題と絡めながら、それを少しずつ追っかけてやっていくという形をとっておるわけです。まあ巨大性という、おっしゃった問題の一面かもわかりませんし、それらについて今後いまNHKがやろうとしている方向、あるいはそれは途中までの段階しか明らかではありません、あるいは国なり何なりがやるべき方向があるとすれば、それらにつきましての御意見をお聞かせ願いたいと思います。
○参考人(ばばこういち君) 過去においてNHKがそういう努力をされてきたことに対しては敬意を表します、評価をいたします。ただ、そういうことをやっていくのは、つまり民間放送と違って受信料を国民から集めている以上は、これはある意味では当然である。しかし、そういう努力をNHKが一生懸命にやり、同時にそのNHKがやったことについて民間放送がさらに普及していくためにもプラスになっているということについては私は認めます。ただ、それを認めた上で、なおかつ果たしてあれだけ巨大な機構を、つまり放送センターをつくることが必要なのかどうか、恐らくNHKにおいでになってみればおわかりだと思いますけれども、廊下一つとりましても民間放送はその三分の一ぐらいしかありません。もっと極端に言いますと、四分の一か五分の一の廊下しかないということすらあるわけです。あれだけ大きな建物が放送を出す一つの設備として私はとても必要だとは思ってないわけです。つまり、そういう一方においては非常にいいこともやっていることは認めます。他方においては、逆にむだも相当やっている。 それともう一つは、たとえばきょうこういうふうにして各参考人が話すようなこと、これはNHKの問題についてかなり重要な問題提起がなされていると思いますが、本来ならばNHKはこれを生放送でも中継すべきだと、つまり、そういうようなことの中で国民が、一体、どういう人がNHKについて批判を持っているのか、あるいは支持をしているのかということが国民自身が見られるような、つまり内部機関をあえてそこの中で明らかにしていく、そういう民主的な姿勢があれば、やはりNHKの体質というのは非常によくなってくるんじゃないかというふうに思いますが、恐らくフィルムで写されていらっしゃるし、NHKのマイクがここにありますけれども、つまびらかにそれが出るとは私はとても思えません。そういうものを出していくような姿勢というものがやっぱりNHKのありようとして一番大事なんじゃないかというふうに思います。
○山中郁子君 私は、いま、ばば参考人が意見を述べられました中で、制作者の自由という問題についてさらに具体的な御意見をお伺いしたいというふうに思います。 これは大変重要な問題で、いまは時間の関係で私自身の意見を申し上げるのは控えますが、そうしたことがたとえばこの逓信委員会でいろいろ議論をされる、そうしますと小野会長を初めNHK関係者の言われることは、御指摘はごもっともでございます、そのように考えております、そのように一生懸命がんばって努力をしておりますと、こういうことなんですね。だけれども、実際には、さっき、ばば参考人が具体的な事例としても提起されましたように、またそれでなくても多くの情報を私たちは耳にいたします。やはりかなりの厚い壁なんですね。そこのところに関しまして、先ほど石坂参考人が外国の例で若干お話しになりましたけれども、具体的にその放送の仕事に携わっていらっしゃるばば参考人から、具体的な提言があれば、ぜひ聞かせていただきたいというふうに考えています。
○参考人(ばばこういち君) 先ほど来申し上げておりますとおり、やはりその放送というものは機構がつくるんではなくて人間がつくるわけです。ですから、その局員の局内外での発言の自由とか身分保証というのは、これはもうあたりまえのことだと思います。 それから番組企画あるいは番組制作の過程において、現実のNHKの中でいろんな人たちに私が取材し、あるいはお話し合いをする中で、いつも皆さんがおっしゃることは、いろんな圧力というものが問題であるよりも、もうそういうようなものは逆に初めから企画をしない、つくらないというふうになってしまっている自分を発見するときに、とても恐ろしいことだというふうにおっしゃいます。それは局舎なり機構が巨大になることによって起こってくることですが、これは民間放送でもありますけれども、しばしば、一つの番組をつくるのに電話一本で出演交渉をする。本来、番組制作というのは、私は二十年もやっておりますけれども、直接その取材対象あるいは出演者のところに出向いていっていろんな話をしながら、そこで番組のプランなり何なりができてくるのが放送のありようとしてあたりまえだと思うんですが、機構が大きくなればなるほどすべて局舎の中にいても番組ができるような仕組みになってしまう。そういうことで、実際に世の中に起こっていることと放送をつくる側とがどんどん断絶していってしまうことになる。ですから、現場の制作者たち、NHKの制作者の皆さんには非常にすぐれた方もたくさんおられます、そういうすぐれた人たちが実際に本当に意欲を持って仕事ができるような場にするということがきわめて重要である。しかし、そういうふうには必ずしも私はなっているとは思えません。
○藤原房雄君 ばば参考人は何せ現場で二十年近くお仕事をなさっている、そういう体験からにじみ出たお話でございますので非常に貴重なお話と思います。私も、昨日、三時間近くいろんな質疑をいたしましたが、私どもも感じておったこと、それをさらに敷衍して具体的にお話しなさった点も多々ございまして、私ども、今後の審議の中で大いにまた考えさせていただきたい、また生かしていきたい、こういう気持ちで先ほどから拝聴いたしておりました。 で、世界的な一つの大きな変動期の中にあって、特に公共放送というものにつきましては昨日もいろいろ申し上げたんでありますが、西欧におきましても国営放送または公共放送、イギリスにおきましても、またフランス、西ドイツ、イタリーそれぞれでやはりこの一つの転換期といいますか、どうあるべきかということが非常に論じられて、それぞれの国々の国情に沿っていろいろな改革がなされつつある。まあNHKも、値上げ問題ということだけで今回国民も大きな関心を抱きつつその改革に対する声が非常に大きくなったということだけじゃなくして、やっぱり本質的に公共放送という使命といいますか、この持つ立場というものに対してのいろんな批判というものがこう集中したんじゃないかと、こう思うわけであります。 いろいろお聞きしたいことがあるわけですが、もう時間もございませんので端的に申し上げますが、先ほど来のいろんなお話、そこで私どもはこのNHKをこれからどう改善するのかということを中心にしてきのうもいろいろ質疑したわけでありますが、現場に携わっていらっしゃる、先ほど二、三点お話しございましたが、より国民に親しまれるNHKのためには、よりこうあるべきではないかという、こういう観点で先ほどのお話も踏まえながら、重要な点をひとつお述べいただきたい、こう思うわけであります。
○参考人(ばばこういち君) 簡単に六つほど個条書き的に申し上げますと、第一には、制作者が自分の、人間として番組をつくれるその主体性の確立をまずNHKはきちっとすべきだろうと思います。 第二点としては、NHKに入った方も、NHKの経営をやっていらっしゃる方も、これはある意味では選ばれた形になっているわけですが、その人たちだけでやるのではなくて、つまり内部だけではなくて、外部の人たちをどんどんその中に導入するような仕組みにすべきである。たとえば大橋巨泉さんとか、野坂昭如さんみたいな人はもう初めっから出さないというような不文律みたいなものがNHKにはございますけれども、そういうものを一切払拭するような形にしていくべきだというふうに思います。 第三点としては、内外からの批判を、たとえば一週間に一回、あるいは月に一回でも長時間にわたって取り上げ、大幅に番組の中で取り上げるというようなことを具体的に実行すべきだというふうに思います。 第四点としては、局員の局内外でのつまり発言というものはすべて自由にするべきだと、これは局員の立場は日本放送協会の局員であると同時に、国民から負託された人であるという二重の立場があるのです。ですから、その発言は内部で起こったことを外部に言う、漏らすのは企業秘密を外部に漏らすんじゃないかというような考え方もありますが、NHKに関してだけはそれは当てはまらないだろうと、つまりその発言の自由と身分保証は当然あるべきだと考えます。 それから先ほどもちょっと申し上げましたが、五番目として、経営委員会を国民の選挙で選出されるような仕組みにすべきではないかというふうに考えます。これは内閣総理大臣の承認というのはたしか要るはずでございます。しかし、たとえば現政権が仮にかわったとすれば同じことが今度は出てくるわけですから、常にその政治権力とジャーナリズムというのは対立する形である、つまり離れた形であることが望ましいわけです。当然、それは国民の選挙で選出され、会長はその選出された経営委員会が選ぶということがかなり多くのNHKの体質を変えることになるのではないかというふうに考えます。 六番目として、番組中止等の経過、そういうことがあった場合に、その経過及び理由を公開する、NHKのメディアの中で全国ネットで公開をするというようなことをレギュラー化すべきだというふうに考えます。 そして新聞雑誌等と同じように、受け手の側というのは、実際はNHKの番組制作、経営とは少しもコミットしないようないま仕組みになっているわけですが、少なくとも買わない自由、あるいはNHKを見ない自由、それからある面では受信料を払わない自由というものが保障された中で、NHKは経営努力をすべきだと、そういう経営努力をしたところで初めてこれは新聞あるいは雑誌と同じ形のジャーナリズムになる。ですから、受信料制度によってNHKというのは非常に保護されている部分がありますけれども、その保護されていることに逆に甘んじることによってNHKの体質そのものが悪くなっているということを指摘しないわけにはいきません。で重ねて申し上げますと、NHKが仮に赤字でつぶれたとしても私ども国民にとっては何ら痛くもかゆくもないというような前提に立って、NHKはむしろ番組の中身をよくするべきだというふうに私は考えます。 以上です。
○森中守義君 最後にもう一問だけお尋ねしておきます。 いろんな問題が私どもにも理解できるし、いまお述べになった御意見も非常に貴重なものとして拝聴いたしましたが、そういうものの具体的な改善策という、こういう観点から、NHKの中に日放労というのがありますね、これは言うまでもなく労働組合法の適用を受ける組合。そこで、そういう組織であれば当然経営協議会というものが開かれてしかるべきだ。だから、経営協議会の中で、つまり編集権への参加といいましょうか、そういったようなことが内在する幾つかの問題を解消することに役立つかどうか。これは恐らく編集権を中心にしまして非常にむずかしい議論に発展するとは思うのですよ。けれども、おっしゃったように、すぐれた人材がNHKの中に入っている。しかもそれは日放労という団体の枠の中にある。それならば、そういう一つの労働組合という単位のもとに編集権参加というものが私は供与されてもいいんじゃないか。そのことが幾つかの問題を解消することに大いに役に立つであろう、こういう見解を持つのです。同時に、このことは民放にも同じようなことが言えると思いますが、そういう編集権と労働組合という単位における編集参加というものはどういうようにお考えになりますか。
○参考人(ばばこういち君) それはかなり多くの問題を解決するとは必ずしも思いませんが、何か前進させるための一つの手段にはなると思います。 というのは、NHKの労働組合があくまでも労働組合という立場ではなしに、国民から負託された立場として機能したときに非常にそれは前進するだろう。同時に、それはNHKの経営者と労働組合が考えるだけじゃなくて、NHKの外部の受け手の側の人間も同時にそれに参加できる。その受け手もNHKにとってはっきりしたことを言わない人間がそこに参加するのではなくて、逆に厳しい目を持って批判をする立場の人間がその中に入っていくというようなことがもしできれば、NHKの体質は非常によくなる、いい放送局になるだろうというふうに私は考えます。
○委員長(森勝治君) ばば参考人、御苦労さまでございました。どうもありがとうございました。 それでは、次の方々に対する質疑を行います。
○案納勝君 私は稲葉参考人に二、三点だけお尋ねしておきます。 いま参考人の皆さんの御意見を聞きますと、NHKの経営の危機というのは単に財政上の問題だけではない。これは国民の支持という基盤の上に成り立つNHKとして、その性格の上でどうやって国民の放送としてあるべきかということは、先ほど稲葉さんが、今日、NHKが果たして国民の基盤の上に立っているかどうか、そういう運営をされているかどうかに大変疑問を持っている。たとえば自民党の総務会での偏向攻撃の問題、あるいは小野会長の閣僚協の専門懇の座長の問題、あるいは内部の問題等がある。そこで、私は意見を言わずにその辺についてもう少し御意見を承りたいと思う。 昨日、同僚議員であります最上委員から、日放労という労働組合が総評の下部にある、そこで機関としては社会党を支持している、さらに委員長である上田哲さんがいま社会党の同僚議員である、このことがNHKの不偏性を侵すのではないかという御指摘があった。私は労働組合というのは民主国家、民主主義の根幹だと思う。大衆民主主義の基盤の上に立っているだけにそう信じますが、そういう立場に立っているわけですが、果たして指摘をされるようなことになるのかどうか、この辺どのようにお考えか。 第二点目は、偏向攻撃の問題でありますが、これも関連をします。先ほど、ばば参考人も言われたように、国民の基盤に立つというNHKならば、権力から距離を置いて、常に国民の立場に立つという、そういう姿勢こそ私は今日とるべきものと思う。そこで議会制民主主義、日本の民主主義体制をより継承発展をさせるという立場なら、今日は自民党の政権である、この与党の総務会、ということは直接権力の介入する余地が最も近い。私は、仮に政権交替がルールによって行われたとしても、どの政党があるいはどの政権が生まれても、その場合における政権与党という立場というのは、行動は慎重でなくてはならない、一般と同じようなレベルでの国民の批判と並べてはならぬと思いますが、この辺について、偏向攻撃の問題についてどのようにお考えか、もう少し。 三点目は、閣僚協の専門委員懇として小野会長が座長である、私、まさにこれは会長自身の姿勢を疑っているわけです。私はまだ討論が残されていますから、まあ意見は差し控えますが、きわめて重大な問題を含んでいる。NHKが持っている機能、性格から言って、今日に置かれている課題、問題もきわめて政治的課題である。そういう中で専門懇の座長を務められる、そのことが国民の批判あるいは国民の偏向に対する、NHK自身に対する私はきわめて敏感な反応を示している、そういうふうに思いますが、この辺についてお答えいただきたい。
○参考人(稲葉三千男君) まず第一点でございますけれども、申し上げるまでもなく労働者は団結権を持っております。さらには憲法二十一条で結社の自由も認められております。したがって労働組合としてでもあるいはその他の団体としてでも、NHKの職員がいかなる団体を結成することも私は基本的人権の問題で自由である。さらに、その労働組合が結成をされて一定の方針を決定する、政治的問題についてであれ、あるいはその他さまざまな経済的あるいは文化的いろんな問題について方針を決定する、これもまさに労働組合の私は自由の問題であるというふうに考えております。したがって日放労がNHKの内部にあり、そして日放労が社会党支持を決定している、これは私は全く日放労の自由の問題であり、それを侵害することは憲法違反である、あるいは労働組合法に違反であるというふうに考えます。 それはそういうものがあってよろしいという議論でございますけれども、さらに、そういうことがなぜ必要なのか、現在の資本主義社会においてなぜ必要なのかという点については、先ほども簡単に申し上げましたけれども、現実に言論機関に対する圧力というものがかかってくる場合、それは先ほども言いましたように、国家権力あるいは大資本というようなところからかかってくるわけで、それに対抗するものとして私はやっぱり労働組合の力というものは非常に大きい。これは私自身はまた日教組の組合員でございますけれども、自分もまた職場において感じていることで、やはりそこで本当に働く人間が団結をして、いろいろな、もちろんその中には政府の立場あるいは自民党の立場あるいはいろいろな企業の立場で、これこそが民主主義の発展だというふうに本当にお考えになってお出しになっている意見だと思いますけれども、そういう意見に対してもまた一つの力で堂々と反論をしていく、そういう討論の中から本当の意味の正しい議論を導き出していくという意味では、私は、そこに反論するあるいは討論する、そういう場に一定の力を持った組織があることが非常に必要だというふうに考えている。その意味では、日放労が存在するということは私は現在のNHKが外からのいろいろな圧力をはね返していく上で必要であるというふうに考えております。 それから、二点目の偏向攻撃の問題でございますけれども、この点では、これは衆議院の逓信委員会での審議の中で小野会長もたしか「一億人の経済」の問題に触れられてでしたでしょうか、発言をされておりましたけれども、その中で一定の方向が出る、ある方向性を持った発言がある、しかしそれはその番組の中でなり、あるいはその番組の他の番組でなり、そういうもので公平を図るようにしているんだという発言でございました。私はこれはもう全くそういう扱いをすべきだし、していれば、それでいいというふうに考えております。 これは放送法の、ここで申し上げるまでもないことでございますけれども、四十四条の三項でいわゆる番組編成の基準を決めているわけですけれども、「政治的に公平であること。」が二番目で、それから三番目に「報道は事実をまげないですること。」というのが入っておりますけれども、事実に反した場合には、これは個々の番組に、あるいは個々の発言について批判を加えていく。これはある場合には、私は、内閣であれあるいは自民党であれ、なさってよろしい、これは当然そちらの権利の問題ではないかというふうに思っておりますけれども、「政治的に公平であること。」ということ、裏返して言うと偏向ということについては、これはちょっと私ここのところ走り回っておりまして十分に調べてきておりませんけれども、一九六五年の二月に当時の大蔵大臣が「大蔵大臣アワー」というのをある民放局で放送いたしました。これは一クール、十三回放送いたしたわけでございます。これは国会でも議論をされまして、そのときに政府委員として、多分郵政省の電波監理局長だったと思いますけれども、一定期間を通じて一定の傾向が常に出ているというような場合であれば、これは偏向ということになる、あるいは政治的公平を欠いているということになるけれども、個々の番組であるいは個々の発言でそういう判断をすべきではないというきわめて妥当な見解を述べられております。その後にそういう審議があったのかどうか私存じませんけれども、私はそれは当然尊重すべきことであって、個々の発言あるいは個々のニュースのアイテム、あるいは個々の番組をとらえて偏向攻撃を加えるというようなことは、言論、表現の自由の上から言ってきわめて危険な動きであるというふうに考えております。 したがって今度の場合も、ある政党の機関紙を引用したということが問題になっているわけでございますけれども、一定期間を通じてある政党の機関紙だけが非常に頻度高く引用されるというような事実がもしもあれば、これは当然議論をする必要が起こるかもしれませんけれども、恐らくそういうふうなことはないのじゃないかというふうに私は考えております。 それから、最後の閣僚協の専門懇座長の問題でございますけれども、私はこれはNHKという報道機関あるいは言論機関の言論報道活動の中で出てきている問題ではない。したがって、私は、言論、表現の自由の問題としてもしもNHKの小野会長がNHKの番組制作の中で、あるいはストライキの違法性についてとか、あるいはスト権付与の是非についてとか、こういう問題について議論をされるというようなことなら、まあ果たしてそれ適当かどうかわかりませんけれども、あるいはそういう自由も認められるのかもわかりませんけれども、機関の人間として機関の外に出て、言論、表現の自由の活動の問題としてでなく、そういう一定の政治方向をとられた。これは誤解というふうに言われますけれども、そこは若干判断の違いはあるかもしれませんけれども、こういうことは私は少なくとも軽率のそしりは免れないのではないかと、このように考えております。
○最上進君 稲葉さんに一つお伺いしたいと思いますが、NHKの五十年六月、七月に実施いたしましたアンケート調査によりますと、聴視者のNHKに対する一つの評価、この中で一番から四番まで挙げられておりますけれども、一番がいわゆる「放送の普及」加えて「調和ある放送による文化水準の向上」「教育放送」そうして四番目に「政治的公平」ということが挙げられているわけであります。私はやはり公共放送としてのNHKのむしろ最大の使命はこの政治的公平にあるというふうに確信をしております。 しかし、先ほど来案納委員からのお話もありましたとおり、私は決して労働組合そのものを否定しているものでは決してありません。しかし、選挙を通じて日放労のいわゆる組織の人たちが特定の候補者のいわゆる応援に回るというようなことが巷間伝えられている。ある特定のいわゆる候補者の、しかも現実にその方は当選をされて国会議員になっておられるわけでありますけれども、そういうことに対して国民一般の目から見ますれば、本来公共放送として政治的に中立でなければならない、しかも第一線に立って取材に当たっておられる方々がそうした選挙の際に走り回る。それはともかくといたしまして、日放労の委員長がいわゆる特定の政党の国会議員であるということからいたしますと、私はやはり政治的中立というものに対して国民の感ずるところはやはり一つひっかかるものがあるのではないかというふうに考えておるわけです。 そういう意味で、私は昨日委員会の場で発言をしたわけでありますけれども、私は最近の労働組合というのは決して本来の労働組合の活動というよりもむしろいわゆる政治的活動というものが非常に活発である。しかも取材に当たる記者にいたしましても、これはやはり人間でありますから、当然、取材に当たって自分の主観が入るであろう。したがいましてそれは当然本人が政治的公正を守ろうとして努力はしていても、人間でありますから間々入ることもあるであろう。そういう意味では、私は、当然、NHK内部に調整機能というものは必要であるという考えに立っているわけであります。この点につきましてひとつ稲葉さんの御見解を伺いたい。
○参考人(稲葉三千男君) まず最初の方で御指摘になりましたように、政治的公平が重要であるということについては私も認めますけれども、ただ政治的公平というものをどうやって生み出すのかという場合に、ひとつ簡単な手としては、いまNHKが国会討論会というような形でやっているわけでございますけれども、五党であれ、あるいはもっと多くても構わないわけですけれども、そこへ特に他人を出演させて、そこへたくさんの多元性を保障しておく、こういうことでともかくいろいろな意見が出ているんだから、これは四十四条の三項の四、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」になっているからいいじゃないかという議論もございますけれども、私はそういうこと、この点では、実は、自民党総務会でのどなたかの発言の中で、独自取材をもっとすべきだというようにおっしゃっていた点については、私はジャーナリズムの原点といいますか、最も根底にあるのはやはりどう自分が発言をするかということが重要なわけで、やはりNHKの内部の人もみんながジャーナリストとして現実の問題について発言をしていく、そういう自由を確保して、しかもそういう発言がちょうど真ん中のところへ行っているんじゃなくて、いろんな立場からのいろんな角度からの発言がなされて、それが全体として公平を保つというふうに、それはもちろんそこで働いていらっしゃる一人一人の放送記者あるいはディレクター、そういう人たちも気をつけなければいけないし、同時にNHKの管理者の側も気をつけなければいけない。 そこが、現在のNHKの言っている、あるいは社会的に評価をされている公平というのは、しばしばNHKが後ろに退いていろんな人の意見を手際よく並べるという形のバランスのとり方じゃないだろうか。そこへちょっとまあNHKがいま沈滞しているというふうな印象が一方で出てくるんじゃないかと。そういう意味では政治的公平は非常に重要だけれども、それは何といいますか、先ほどの森中議員の言葉にもございましたけれども、ある競合を含んだ公平でないと公平にならないんじゃないだろうかと、このように考えております。 それから二番目の問題として、社会の世論といいますか、多くの人が日放労の委員長が社会党の国会議員であるということからNHKの偏向ということを考えるんじゃないかということでございますけれども、この点については、私は最初から申しておりますように、現実の社会の中で、もしもそこへ労働組合というチェックの機能がなかったときに、じゃどういうNHKの姿勢が形成されていくかということを考えれば、そのときにNHKが非常にいわゆる体制寄りであるとか、あるいは自民党寄りであるとか政府寄りであるとかというふうに、そういう形で出てくる批判を、いま一生懸命日放労が内部で言論の自由を守るということで、これは世論に訴える活動もいろいろなさりながら、まさにそういうチェックの機能を通して現実の社会の中での言論の自由を保障しているというふうに私は考えております。たまたま、そこの委員長が国会議員であるかないかということについては、これは私は全くその一人一人の人の政治活動の自由、そういう政治活動の自由を組合員が認めるかどうかということであって、これは私はやっぱり関与すべきじゃないというふうに考えております。
○長田裕二君 いまの質問あるいはお答えに関連して私お伺いしたいと思います。 先ほど稲葉さんから、職場内部の自由独立が非常に必要だということと、それからそういう観点から労働組合も必要だということ、それからまた報道その他についての編集権の問題、最初のお話のときにそういうことに触れられたと思うわけです。そこらの関係につきまして、私は私なりにこういうふうに伺ったんですが、もし間違いでしたらまたひとつその点を御指摘願いたいと思います。 職場の中の人間はそれぞれの能力を十分に発揮できるように自由濶達な雰囲気が非常に望ましいと、簡単に申しますが、一言で。それからまた労働組合というものは労働条件の維持向上、そういうようなことを目的にしている。その中には身分の安定あるいは雇用関係の安定ということも含まれているし、そういう意味で労働組合が存在し、これが活動するということは、一面、そういう濶達な雰囲気を保っていくということの面で大変プラスになる。 それから一方で編集権もある。編集権というものは、いわば編集者ですか執行部と申しますか、言葉が適切かどうかは別として、そういう人たちは法律を守り、NHKというものの使命をしっかり果たしていくという任務を持っている。そういう人たちは広くいろんな意見を聞く。ことに直接報道なりあるいはその他のあれに従事している職員の考え方というものは、まあこれは自然いろいろな形で反映してくるわけでしょうが、ばらばらな人のいろんな意見がある。個々の職員はばらばらな意見なり、その他のあれを持っている、そういうものもいろいろもちろん身近にいることですから当然参考になる。しかし、一方で、与えられている使命なり何なりというものを編集責任者としてはしっかり考えて報道なりその他のことをやっていくべき使命がある。 その場合に、いわば労働組合というものと編集権の問題はどうかということですが、私はこの放送局の編集権というものと労働組合というものは全く無縁のものだ、またそうでなければならない。ときどき何か新聞記事によりますと、民放などですけれども、何々のテーマが放送されることはけしからぬというようなことでかなり厳しい闘争が行われるということなどもときに見ることがあります。その場合、どういう種目、どういうものを報道した、どういうものを演出したということの責任は、これはやっぱり会社なり編集責任者のところにある。よくも悪くもその責任は所属する。だから、ときに職員として意見を述べることはこれは当然あるでしょうし、あれですが、労働組合という形でそこまで干渉というか、あるいは厳しく闘い、要求として迫ることは余り妥当ではないんだ、そういうふうに考えておりますが、もし間違いがあったら、ひとつ御指摘願いたいことが一つ。 それからもう一つ、ただいまの日放労のことに関連して、私は個々の組合のことに余り触れたくありませんが、たまたまお話として、いまは自民党政府だ、したがって、自民党を必ずしも支持していない労働組合というものがあることが権力の報道に対する介入を防ぐという意味で意味があるという御意見だったと思いますが、これはいまの時点のいわば放送の独立性ということを尊重するという御意見だと思いますが、まあ挙げられた例をもしもっと広く敷衍しますと、たとえば社会党内閣が出たときに社会党の支持の労働組合があるということになりますと、先生のお話には逆行するんで、むしろ社会党内閣のときには社会党支持でない労働組合ができた方が好ましいということにもなりますので、私は、その点は全く別のものだと、編集権とそれから労働組合とは全く別のものだと理解したいんですが、その点についての御見解を——。
○参考人(稲葉三千男君) 第二の問題の方が簡単なようでございますので、第二の問題から申し上げます。 これはもしも社会主義社会になって、そこで国家権力が本当に社会主義的な勢力に握られているというような場合に、じゃ労働組合はどういう役割りを果たすかということと、たまたま資本主義社会の中で——これから社会党の方や共産党の方、公明党の方、そういう皆さんが奮闘なさって、資本主義社会の中で一定程度そういう革新的な政権がつくられたという場合は、これはやっぱり区別すべきだと思います。だから、もう本当に社会主義社会に移行したときに、そこで労働組合が言論の自由の問題についてどういう役割りを持つかということについては、またこれは別な私も考えを持っておりますけれども、現在のところで仮に保革逆転をしましても、まだ当分は私は労働組合の役割りというのは必要だというふうに考えております。 それから、最初の方で御質問になりました放送における編集権の問題でございますけれども、これは御承知のとおり放送法の第三条で「放送番組編集の自由」というのを決めて、これが編集権の根拠だというふうに言われております。この点についても私は必ずしも多数説に賛成でございませんけれども、いまここで述べるちょっと時間もございませんので、現実の問題として申し上げておきますと、私も職場における編集の自由をどう確保していくのかというときに直ちに労働組合が関与すべきだというふうにはまだ考えておりません。これはもうできるだけその職場集団、それはまあ新聞社の場合で言えば部会とか、あるいはNHKの場合で言えば班会とか、名前はいろいろでございましょうけれども、まずその職場集団内部における民主的な討論、それを通しての民主的な意思の形成、意見の形成というのがまず必要である。その点についてはお話しになっていることにまあある程度同感でございますけれども、ただ、そのときに何かいろんな意見がある、しかしここに一人何か放送の使命というのをよくわかっている人間がいて、その人間が最後は決めていくんだということでは、これは私はやっぱり民主的討論じゃないと思うんですね。やっぱりその人が入って一緒に討論していく中で民主的な意思を形成していくという、そういう姿勢がいまのNHKの経営陣についても、あるいはいま御指摘の民放の場合にも私は必要なんじゃないか。その辺がどうも一つ上に上がって、いろいろ言わせておくけれども、最後は編集権で押し切るんだという姿勢であると、これはどうしても労働組合がそこに関与して、その労働組合としてのある意味の労働権というようなものを基盤にしながら、いまおっしゃったような地位の保全であるとか、あるいは先ほどこれは石坂参考人からもちょっと出ましたような良心条項の問題、自分の意思に反して何か労働しなきゃいけないか、これは憲法上のまた問題にもなってまいりますけれども、そういうことを含めて労働組合が発言せざるを得なくなってくる。私は、だから、労働組合が一挙にいまの編集権について介入をしていくというようなことが望ましいかどうかという点については、現実そういうふうにしてしまっているのが私はいまの経営陣だと、したがって、もっと職場で本当に自由に討論できるような雰囲気をまず職場につくれというふうにまずは言いたいと思います。 それから、ついででございますので、石坂さんが出された西ドイツその他の経営参加の問題について言いますと、これは全体的な体系の中で、労働組合の労使参加というふうなことがなされている中での職員協議会の参加の問題なので、それを直ちに日本に適用して労働協約を結んでいくことがじゃいいのかどうかという点についても、私は若干の留保を持っております。もう少し慣行的に職場の自由を認め、さらにそこでどうしても押し切られる、押し切ろうとするというふうな事態が起こった場合に労働組合がどう関与していくか、そこで一つの現実の運用の問題として編集権に労働組合もタッチをするというふうなこと、これはあってもいいと思いますけれども、そういうものをいま一挙に制度化することが望ましいかどうかという点では若干の留保を持っております。
○山中郁子君 先ほど、ばば参考人にお尋ねしたところなんですけれども、受信料制度も含めていまNHKの問題で論議をされている非常に重要な中身として国民の積極的な支持と、それから参加による放送事業というものが確立されなければいけないというのが、今度の値上げ問題であっても、それが根底にあるということは多くの参考人の方が述べられたところで、私どもも委員会でいろいろな立場からそうした点についての論議も進めてきているところですけれども、 〔委員長退席、理事茜ケ久保重光君着席〕 その点につきましては、私はやはり国民の声がどのように自由に、もっと言えば国民が主体的にその放送をつくり上げていくというそういうものの保障、それからまた同時に、その中の不可欠な一つとして制作者がどれほど主体的に自主的にその放送事業に取り組んでいくか、こういう二つの面があるというふうに思います。 それで、その点についてまず初めに稲葉参考人にお尋ねしたいんですが、先ほどの御意見の中で、これはたしか外国の例としてお引きになったように承りましたけれども、接近権というふうなことを言われました。これが国民がやはり放送の内容に参加する、そしてむしろ積極的にそれをつくり上げていくというところの具体的な例だというふうに私は承りましたけれども、日本の場合を考えてみますと、それは大義名分なりあるいは理論問題としては多く議論もされ、そして先ほど申し上げましたことを繰り返すわけじゃありませんけれども、NHKの側でもそのことはもっともであるということで強調されるんですけれども、そこのところの具体的なアプローチが確かにまだなかなかつかみにくいというところだと思います。いろいろな努力をされているということについては私は全面的に否定するわけではありませんけれども、その辺のことを少し具体的に伺わせていただいたらありがたいと思います。 それからもう一つは、制作者の自由の問題ですけれども、これは石坂参考人にお尋ねしたいんですけれども、これもやはり外国の例としていま稲葉参考人もちょっと触れられましたが、西ドイツ、オーストリーでそうした制度化の問題が実現されているかに伺ったんですけれども、その点も多少具体的にどういう内容でもって制度化されていて、そしてどういう成果ですね、効果がある意味では保障されているのかということをお伺いしたいと思います。
○参考人(稲葉三千男君) 私は海外放送事情というのには全く暗くて、特にイギリス、先ほど石坂さんもイギリスのBBCで「オープンドア」というような番組をやっているというお話で、石坂さんはイギリスの放送制度が専門なので、むしろこれも石坂さんの方にお譲りした方がいいかとも思いますけれども、ただちょっと指摘されてないことで、これは全体の問題に絡みますので、ちょっと発言をしておきますけれども、接近権ということをもしも私たちが要求をしていく、そして制度化していくというような場合に、同時に、私たち、これは皆さん政治家の方を含めて、あるいは私どものような学者を含めて、いろんなところから発言をしていかなきゃいけないと思います。 要するに、社会的に言論、表現に対する寛容ということが定着していかないと、たとえば接近権だ、だれかに何か言わしたと、それはまたこっちに不利だ、あっちに有利だというようなことで、すぐまた番組つぶしにつながっていく。こういうところは言論には言論で、表現には表現で対抗していくんだ、その中から一定の意思形成をしていくんだ、それが民主主義だと、時間もかかり、いろいろな紆余曲折はあるけれども、そこを寛容の精神でがまんするというか、むしろ楽しむというふうな社会的空気がないと、 〔理事茜ケ久保重光君退席、委員長着席〕 どうも接近権の問題も、確かにシカゴの放送局でございますが「キャッチ44」というのをやっているとか、イギリスのBBCがいまの「オープンドア」をやっている。なぜ日本でできないのだと。NHKいやにせせこましいじゃないかというときに、そこに社会的な寛容の形成ということが必要だと。この辺については、そのほかの、必ずしも接近権の問題だけじゃなくて、今後のマスコミのあり方ということを考えるときに、ぜひ私たち、皆さんも含めて、強調していきたい点だというふうに考えております。
○参考人(石坂悦男君) お答えします。 先ほど述べた西ドイツ、オーストリーにおいて新しくあらわれてきた一つの傾向としての編集者の権利、あるいは放送機関の内部で働いている人々のいわゆる言論、表現の権利を中心とした諸権利をどういうふうに維持するかという問題のなぜ重要なのかという点につきましては、先ほどNHKの白書の具体例などを引いて、そういう事態が生まれているということに対して何らかの対応が必要だというところから生まれてきたという事情は同じであります。 ただ、稲葉さんが指摘されましたように、西ドイツの場合も全体的に労働組合の経営参加という、そういった背景の中の一つとしてこういう問題があらわれてきた、放送事業の中であらわれてきたということは確かにそのとおりでありまして、そういう文脈の中で考えていかなければならない問題でありますが、しかし、そういう配慮をしてもなおかつこの具体的な編集者の放送事業内における言論表現の自由というものをどういうふうに拡大していくかという観点から見ました場合に、これは検討すべき一つの方向性ではないかというふうに考えます。 具体的に幾つかを紹介しますと、放送の番組内容あるいは制作にストレートに労働組合が関与していくという以前に、いわば一つの職能的な権利集団といいますか、職能的な権利としてまず受けとめていく、そういう次元で問題を処理していくという考え方が根底にあるということが言えるだろうと思うんです。具体的には先ほど指摘した良心条項、良心に反して番組制作あるいは見解の違うものをつくらせられるということを拒否する権利があるんだという問題とか、あるいは人事の決定に関して、たとえば解雇とか配転とかあるいは担当の変更という問題について、これが全体のそういうものを考える上で事業の内部においても閉鎖的であるだけでなくて、それぞれのジャーナリストにそういった理由が開示されるということ、あるいは番組が中止になり、あるいは変更になった場合にも、同様にその理由が開示されていくということを通して内部的な自由というものを拡大していく、そういう手だてとして有効性を持ち得ているということは言えるだろうと思うんです。 組織的には、こういった内部で働いている人々が編集者委員会というものを構成しまして、そういうところで問題をいわゆる放送協会の側と処理していくというシステムになっておりますので、職能的権利というものを拡大していく、そういう次元で考えていくと、必ずしも経営協議会というようなレベルでその編集権等々を含めた問題を扱うというのでないという点に、われわれが参考にすべき視点があるんではないかというふうに考えております。
○最上進君 稲葉さんと石坂さんに、もう一点簡単にお伺いしたいんでございますが、先ほど石坂さんがお触れになりました、いわゆる公平な放送を維持する手だてを確立すべきである、その御提案の中で、反論権というものを御指摘になったわけでありますけれども、それには私も一面賛成するわけでありますが、先ほど稲葉さんの発言の中にも、いわゆるいまのNHKは自民党寄りであるとかあるいは体制寄りであるとかという、そういう御指摘、お考え方というものも当然御自由でありますから、これは何も私は言いませんけれども、やはり一つの私は個人の見解、私どもからすればやはり偏見であると思うんです。 同時に、私は先ほど触れました日放労の問題につきましても、やはり見る方からいたしますれば、これもやはり私の偏見であるかもしれない。 しかし、いま私たちを取り巻いている社会環境というものを見てまいりますと、一たび放送をされる、あるいは新聞に載せられる、それがやはり一方的であって本人の必ずしも真意でないあるいは事実でないということによって、結局それがそのままうやむやに、結局泣き寝入りをさせられるということが大変多くあるわけであります。そういう意味で、私はこの反論をするいわゆる権利というものは大変大事だと思っておりますけれども、自由民主党が先般いわゆるNHKの報道に対して決してこれに対して介入をしたことではない、自由民主党もやはり政党ではあっても当然不利な発言や報道に対しては反論する権利があるはずであります。私は労働組合がとにかくこのNHKの運営等に対していろいろ注文をつけることもまた自由であると思いますけれども、そういうやはり自由民主党の立場というものがあって、先般のいわゆる行動になったわけであると、私は確信をしておりまして、決して自由民主党が今回NHKに対して圧力をかけたとか、いわゆる介入をしたということは決してない、それだけはひとつ申し上げておきたいと思うんです。 それで、ひとつ石坂さんにお伺いしたいのは、この放送法によりまして、第一条の第二号「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。」これは第三条にあります、いわゆる放送番組というものは「法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」これをやはり上回る一つの規定だというふうに私は考えておりますけれども、ここで「不偏不党」とか「真実」に基づく、あるいは「自律を保障することによって、」というこの辺が非常にいまの放送番組制作等においては忘れ去られているんではないだろうか、私は非常にその点を強く感じるわけでございますけれども、この点いかが御解釈を、この「自律」ということについては特にどういう御解釈をしておられるか、お伺いしたいと思います。
○参考人(稲葉三千男君) 私は先ほどインデペンデントの問題ということで自律の問題を発言をしておきました。もう一度ちょっと申しますと、さまざまな意見がそこで自由に闘わされることが保障されていく、そういうことを通して自律ということは可能になってくると。もちろん先ほども申し上げましたように、その自律の根拠としては、これは受信料という自主的な財源を確保しているということ、これが自律の根拠。したがって、そこにまた国民の自発性がキャナライズといいますか、流れ込んでくるというふうになっているということは、結果においてはNHKの政治的な意味でも、あるいは道徳的ないろんなレベルでの自律の根拠になっていくというふうに考えております。 それから、私の方に御質問じゃなかったのかもわかりませんけれども、反論権ということでちょっと申し上げておきますと、反論権と言っておりますのに大体二つの種類といいますかレベルがございます。 で、一つのレベルは、その人に、あるいはまあ団体でもよろしいわけでございますけれども、これに利害が、その人の利害と絡んでいる場合と、それからもう一つの反論権は、そういう利害は一応離れて思想的あるいは意見上の対立がある場合、こういう二つの反論権の範疇がございます。私は反論権という場合にもちろん利害が対立してくる場合、こういうようなことについてはもっと早く考えていくべきだ。西ドイツなんかでもそういうことの法制化の動きが新聞で起こっているようでございますけれども、しかし、さらにはそれは思想のレベル、意見のレベルでの対立についての反論権も保障していくべきだというふうに考えております。ただ先ほど自民党総務会の例ということで申しましたけれども、この点については私はやっぱり案納委員も発言されたかと思いますけれども、一つは政治的に非常に自民党は強大であるという、そこの現実をひとつ御認識いただいておいた方がよろしいんじゃないかと。 それから二番目の問題として、先ほども申しましたけれども、放送法四十四条の三項の問題として言えば、やっぱり公平ということにあるもので、偏向というかっこうで出てくることに私は問題がある、事実に反するということであれば、これは争う余地はあると思います。しかし、事実に反するかどうかじゃなくて、「赤旗」を引用したことが公平でないというようなことは私は少し筋違いだと。先ほども言いましたように、そういう一つ一つの番組についてそれに反論というか異論を出すということなどもこれは筋違いだというように考えております。 それから——まあ一応ここで終わりましょう。
○参考人(石坂悦男君) お答えします。 一つは、順序は逆になるかと思うんですが、放送における不偏不党、さまざまなそういった見解があるけれどもどうかということですけれども、その点につきましては、私は最初に参考意見を述べた冒頭に指摘しましたように、なぜ放送というメディアにおいて、この問題が放送法にも明記されて重要視されなければならないかというその点を再度若干敷衍したいと思うんです。 それは電波そのものが、これが公共的な性格を持っている。それを限られた人だけが放送事業者として被免許者として電波を使用できるのだというところに、そもそもそのメディアを使用する者が限られた人たちである、数である。一般の人は、多くの人はこのメディアを利用することができない。ばば参考人が指摘しましたように、この事情は雑誌やほかの新聞活字メディアなどとは違うんだというように指摘した点でありますけれども、この点にまず電波の公共的な性格、言いかえれば国民の財産であるという点と、それが限られた周波数割り当てというものに制限されている。だれでもこのメディアで自分の意見を表現するということができないそういった制約条件の中で、電波言論というものの公平性というものがとりわけ重視されなくちゃならない。その公平さというものが重視されなくちゃならない、確保されなくちゃならないという、そういう点がかなり出ているのだろうと思います。 で、そのことと関連して、まず大体電波言論からオミットされる部分といいますのは、いま言ったように放送事業者になり得ない人々でありますから、圧倒的に多数の国民あるいは考え方として少数言論といいますか少数派、マイナーな意見というものが放送になかなか取り上げられない、そういう事情が現実にある。あるいは放送に取り上げられないことによって多数意見に転化していかない、そういう制約さえ持っている。こういう事情を考えますと、公平の維持ということがこういう方向から反論権という具体的な手だてとして出てきた。これはアメリカの放送において早くから出てきた考え方でありまして、フェアネス・ドクトリンという考え方、いわゆるこれは法律の規定条項でありませんで、慣行的にそういった電波メディアの持っているそういう性格からいわば慣行的に積み上げられたまさにドクトリンでありますけれども、そういったフェアネス・ドクトリンというそういう理念が人々によって支持され、そういう方向から反論権というものがアメリカの放送の中で定着してきた。それは六八年のいわゆるレッドライオン判決という最高裁の判決の中で、いわば整理された形で明確に言及されたことでありますけれども、まず反論権というものがこういった電波言論状況の中からあらわれたという点をひとつ見失ってはならないことだというふうに指摘しておきたい、そういうふうに私は少なくとも考えております。 それからもう一つ、反論権の問題について触れておきたいと思うんですけれども、これはアメリカのケースでも個人攻撃とか、あるいは公職選挙、日本で言えば公職選挙法に基づく放送利用というものに当たると思うのですが、こういう公職を争う候補者の放送利用のケースとは分けて考えている。つまり言論の内容に対する反論の場合は、いわゆる前者の二つがイコールタイムという形で、個人攻撃や公職を争う言論という場合のイコールタイムとはこれを切り離して考える。イコールタイムの場合は全く均等な時間を割り当てられるということでありますけれども、フェアネスという考え方の方は、それに基づく反論という方は、これは番組全体の、つまり編成全体の判断でバランスがとれているのかどうか、先ほどからこの点は稲葉参考人も指摘しているとおりでありますけれども、しかもそのバランスがとれているかどうか、公平を維持しているかどうかという判断そのものは放送事業者にあるんだということです。ですから、しかもそれがどういう番組の形態で、形式でバランスをとるかということもこれも放送事業者の側にゆだねられていることであります。 しかも、この点も重要なことでありまして、全く反論権の行使だから、いろいろなものを、いわゆる電話利用のような形でコモンキャリアと言ってますが、いわゆる先着順で、受付順でどんどん反論を可能とするということになりますと、これは放送のジャーナリズム機能、言論機能というものが麻痺してしまう、そういう微妙なバランスの上に成り立っているということから、一方では、バランスの判断はいわゆる番組編成全体の一定期間のバランスという考え方、しかもこれを最終的に決定するのが放送事業者である。しかもさらに言えば、そういった放送事業者のいわゆるバランス感覚というものを左右するものは視聴者大衆の支持であり、まあこれを支えていくものだというところに重要な点があるというふうに考えております。
○森中守義君 稲葉参考人に数点お聞きいたします。 その一つは、受信料の性質に関する問題です。御承知のようにいま郵政省並びに日本放送協会が両院の予算審議を通じて受信料に対する見解というものはほぼ同一だと、いわばこれが統一解釈というふうに私は理解します。言うまでもなく「受信料は、NHKの維持運営のため、法律によってNHKに徴収権の認められた、「受信料」という名の特殊な負担金」である、こういう見解ですね。これは三十九年の臨時放送関係法制調査会の答申の中にこういう定義を与えているのを引用されているわけです。ところが、最近、これに対する対抗意見というのが非常に強い。稲葉参考人の著述の中にもそういう問題をずいぶんお出しになっていますね。大別すれば放送対価説、それから税金説、それに許可料説、それといまの公用負担説、おおむねこの四つに分かれておるようであります。私は、今日、ここまで受信料に対する関心が高まり、しかもいろいろな背景が視聴者間にございます。そこで臨放調のこの統一解釈を依然として承継していくべきかどうか、やや今日の時点では軌道修正の必要があろう、こういう見解を持っております。 一体、どの説を最も当を得た説としておとりになろうとするか、これが第一点。 また、いま一つは、そういう統一解釈のために一体受信料というものは公共料金なりや否やという、この辺の問題解明が十分でございません。これは、在来、この種調査会等々の答申の中にも余りあらわれてこない、これはやっぱりこの統一解釈というものがかなり大きな抑えになっている、こういうように私は認識をいたします。したがって受信料というものは公共料金と解すべきかどうか、これが第二点であります。 ただ、一つ出ておりますのは、三十六年の受信料問題の際に、今回と同じように日本放送協会が受信料調査会というものをつくって答申を求めた。その中に公共料金というのはちょっと出てはおります。あと余り公共料金という用語それ自体が非常に避けられていて、もちろんこれにはいろいろ郵政省が意見書を出すには、公共料金という定義を与えれば企画庁と協議をしなければならぬ。それでは一体郵政省、郵政大臣の権限がどうなるか、こういう問題等もいろいろ背景にはあるものと私は想定しておりますが、この際、受信料は公共料金なのかどうなのか、こういうようなことも非常に私どもこの審議に当たって重要な課題でございますから、このことをひとつお示しいただきたい。 それからいま一つの問題は、受信料の設定の原則といいましょうか、これもまた非常に明確でないですね。もちろんこれはあらゆる公共料金のあり方がこういう問題の枠の中にございますけれども、やはり私は料金を設定をする際には一つの原則がなくちゃならない。 ただし、さっき申し上げた三十六年のNHKの調査会の答申の中に、料金水準の考え方、こういう項目がある。この中にこういう表現を用いていますね。原価経営のたてまえをとることが妥当と考えられる、こういう前提を置きながらも、なおかつ受信料総収入についてはNHKの運営に必要な総経費に見合うものに足るものでなければならない、これが問題なんです。 一体、総経費の積算、算出の基準は何なのか。残念ながら今日のこの状態では、施行令あるいは施行規則等で日本放送協会が郵政大臣に予算案を提出する、大臣は意見書を付して国会に出してくる、こういう一つのコースをとりながら、さっき申し上げる二つのことで、提出をする予算、編成予算の内容に対する資料の制限もあります。国会に出されてきたものもきわめて少数の資料にすぎない。一体、総経費の中身は何なのか、この辺がどう考えてみても私は妥当な国会審議にはなり得ない。いわんや郵政大臣に勧告権もない、国会に修正権があるないという議論もいまだまだ答えが出ていない。それなれば総経費を日本放送協会が——もちろんこれは冗漫な予算を組んでいるとは思いません、けれども、受信料という、つまり契約者から取り上げているというこの事実からいくならば、もう少しその総経費の内容というものが明らかでなくちゃならぬ。であれば、当然、受信料設定の原則というものは何なのか、こういうことが一つの解明さるべき問題ではないのかと、こういうように思いますので、この点については一体どうお考えになるのか。 それからいま一つは、いま放送界が、さっき参考人の御意見等にもありましたように、NHK、民放というこういう現行制度のもとで大変な背景があるように私は受け取りますし、しかも先ほど申し上げた三十九年の臨時放送関係法制調査会の——まああの当時私はあの答申は非常に当を得たものと思っている。ほとんどが手を押されていない。ところが、早くもそれから十年たった今日、わが国の放送界には異常な事情変更が発生していると思います。したがって、いまこういう事情変更に対応して、改めて放送法の不足の点、あるいは日本の放送事業の将来をどういったように受けとめていくのか、それにはどうしてももう一度放送法を見直す、洗い直す時期に来ている、こういうような見解を持っております。 しかし、これは非常にむずかしい。当時、私も政党の代表として小委員の一人に選ばれておりましたが、なかなかあの当時できなかった。しかし十年前にできなかったが、今日、私はその可能性があると思う。もちろん、その間に一回の手直しは行われておりますけれども、これはもう抜本的な改正に至っていない。したがって大きくは放送の基本体制としての現行制度はこれでいいのか悪いのか、どうすればいいのか、こういう合理性を追及する。同時にまた、私は今日のように放送法の中に一般原則として日本放送協会を混在さしておくということは法体系として余り適当であるとは思っておりません。したがって放送基本法をつくる、もしくは放送法の見直しをやりながら日本放送協会は別個な、つまり日本放送協会法とも言うべき特定法を制定した方が将来のためにいいのではないか、こういうことなども一つの意見として持っている。つきましては、大臣が諮問をした機関は法定機関でございます。これは今日もう消滅しております。したがって改めてこういう第二次の法制調査会というものを設定をして、そこに諮問をし答申を受ける、こういうことがさしずめ必要な段階にきたと思うんですが、これは一体どういうようにお考えなのか。 それからいま一つは、大臣の意見書がここ三、四年の間日本放送協会に財政の確立を要請している。両院の審議に当たりましても同じようなことを附帯決議として協会に指示をいたしております。ところが、いま要請された財政の確立に対するアンサーというものは五二%のきわめて高率な料金改正ということで出てきている。これは私は財政の確立を国会及び郵政大臣が要請したものに対する答えとしては当を得ているとは思っておりません。 つまり、私は、財政の確立とは何なのかということを具体的に考えますと、一体、料金収納体制というものはどうなっているのか、これが非常に問題だと思う。端的な言い方をしますと、要するに金を集めるのは委託業務ということでいろんなところに委託をしておる。集めてきなさい、集めた者に金米糖を与える、金を使うのはおれの方だと、こういうようなことで、どうも収納業務に対する日本放送協会の体制というものが完璧であるとは思えない。そのために不払いである、未払いであるというものをチェックができない。二、三日前、小野会長でしたか、どなたか質問者に対してこう答えられている。チェックをして説得に行きますと、こう言う。一体、不特定多数ともいうべき相当数の未払い者に対し何によってチェックしているのか、その人の住まい、氏名、そういうものがわかっているかどうか、報告も求めていないと私は思う。だからチェックして説得に行くというのは、何某何某という少数の不払い運動、未払い運動のリーダーのところに説得に行っているのじゃないか、これはまともな説得じゃございませんよ。もう少しいわゆる不払いをしている広い層、不特定多数、それをとらえながら説得をしなければ、私は協会財政の将来は非常に危険であると思う。 それをやるには一体どうしたらいいか。沿革的には大正年間、わが国の放送が始まったときに手足がない、足腰が弱いからみんなで盛り立てようという時代に実は今日の委託制度が始まっておるわけですから、それを先ほどから言われているように、巨大な体制になった今日の日本放送協会が財政にみずから手を加えないで人に金を集めさせる、そこで金米糖を与える、使うのはおれの方だというこの論理の中に、実体の中に私は財政上の大きな問題がある、こういうように考えておるわけであります。したがって財政の確立に真剣に日本放送協会が取り組むにはどうしたらいいのか、その収納体制にメスを入れないで財政の確立はあり得ない。足りなくなれば料金改正すりゃいいだろう、適当な理屈をくっつけたらいいだろう、料金改正のときに両院の国会審議で一ヵ月なのか半月なのか、滝に打たれるつもりで神妙な顔をしておればそれで事は済むという——そういうつもりでもないでしょうけれども、そういうパターンを繰り返したのでは将来の放送事業のためにならない、こういう強い見解を私は持っております。こういう財政確立ということはどうすればいいのか、具体的にはいま申し上げる内容が一つあるわけです。これらの点についてのひとつ御見解を承っておきたいと思います。
○参考人(稲葉三千男君) 学者的判断を申しますと、あと二時間ぐらいお時間をいただいて、少し講義をさせていただくと私の意見が出るかとも思いますが、いささか政治的判断をいたしまして五分ぐらいでやめるようにいたしますが、一つは、受信料をどういうふうにおまえは規定しているのかという点については、私は労働生産物の価値というふうに考えております。それが価格というふうに現実にはなっている。ただ、それは実際に徴収するときにどういう論理で徴収するか、それは税金という形もあるでしょうし、あるいはいま普通に言われている公的負担金という立場もあるでしょう。ただ、現実の最近のNHKのいろいろな運営の中でも、次第に対価説的な処理をせざるを得ない面が出てきている、私はこれはやっぱり理論に近づかざるを得ないんじゃないだろうかというふうに考えております。ただ、理論がそうだからすべて対価説で割り切っていけるというふうに言えるかどうかというのは、これはまた別な問題でございます。 それから、その次の公共料金かどうか、これも私は公共事業論その他の専門家じゃございませんから、これはむしろ発言を慎んだ方がいいかもわかりませんが、ただ、私も公共的性格が強い料金であるというふうには思いますけれども、他の公共料金、たとえば鉄道運賃とか郵便料金とか、そういう価格体系によって運用の余地のあるもの、あるいはまたサービスが非常に多岐にわたっているものと、こういうNHKの料金、受信料というようなものを同一視するのは危険ではないだろうか、特に言論活動の基盤というようなことを考えると、他の公共料金と同一視することは少なくとも危険だという判断を持っております。 それから、その次に、受信料設定の原則について何かおまえ意見があるかということ、実は、私は東京都の公衆浴場料金協議会というのの委員をここ数年やっておりまして、ここでは総括原価方式ということで料金を決定しております。これはいま公共事業の中ではそういう形の料金決定が比較的多いかと思いますけれども、ただ、この場合は、サービスがやはり非常に簡単である、サービスの内容が。で支出項目の構成も比較的簡明である、こういう場合には総括原価方式というのはとりやすいわけですけれども、NHKのような事業の場合に、それじゃそういう総括原価方式がとりいいかということになると、私は少しなじまない面があるんじゃないかというふうに考えております。 これも先ほど石坂さんなんかもお触れになっております、日放労が昨年出しましたNHK白書の中で番組単価の問題に触れて、いまの番組単価の決定がせいぜい前年度にアルファを積むというふうな、そういう安易な処理でなされている場合が多いという、この点については、もう少し、むしろ番組、表現活動と密着したような方向で予算運営ができるようなそういうことを考えてみたらどうだろうかというふうに思っております。 それから、その次に、第二臨放調的な諮問機関を設けたらどうだろうかという御意見でございます。これは実はいま触れませんでしたし、あるいは先ほど、ちょっとお名前を存じませんですが、自民党の先生の方からばば参考人にあまねく規定をどうするんだというようなお話がございまして、特に放送衛星の問題なんかも出てきている、こういうふうなことと絡めて、たとえばあまねく規定についてどうするんだというふうな辺ですと、私は放送衛星なんかとの絡みで、少しそういう調査機関を設けて議論をしてみる必要もあるんじゃないだろうかというふうに思っておりますが、ただ、その目的が放送法改正ということになると、確かにいまの放送法が、法体系といいますか法律の内容として不備であるという点は御指摘のとおりだと思いますけれども、どうも私は法律を整備するということは、余り言論表現活動ということの自由の保障ということで、そんなに意味があることじゃなくて、むしろそういう社会的な空気、政治的な現実というのをつくり上げていく方が重要なんじゃないだろうかというふうに考えておりますので、その諮問事項になると、ちょっと、できれば放送法改正というのは外しておいていただきたいというふうに私は思っております。 最後に、財政の確立のところで、これはいろんな問題が出てくると思いますが、一点だけ収納業務の内容を改善すべきじゃないかというふうにおっしゃった点は、私はこれは財政の確立になるかどうかはわかりませんけれども、現在の収納業務というのは本当に改善する必要がある。 私の改善というのは、これはあるいは御意見が違うのかもわかりませんけれども、もっともっといわゆる営業費がかさむかもしれない。しかし集金業務をやっている人たちが一軒一軒歩いて、それこそ非常に努力をして、それも御指摘のとおり決して恵まれた労働条件じゃない中で一軒一軒回って集めていらっしゃる。その努力をやっぱりNHKの放送活動に反映できるように——いまのように、たしか何十秒かで一軒ずつ片づけていきなさいというようなそんなんじゃなくて、もっと金はかかる、もっと人員はかかるかもしれないけれども、本当にNHKに国民の支持の基盤を広げていくということであったら、あるいはそういうことをお考えなのかもわかりませんけれども、いわゆる職員化といいますか定員化といいますか、こういうようなこともある場合には必要なのかもしれない。そして本当にそこで国民一人一人と話し合って、いま黙って渡している人たちからももっとどんどん意見を引き出してくる、それをいまの放送機構にフィードバックする、そういうことのできる集金業務、収納業務に変えていくという点では私は大賛成でございます。 ただ、それはどうも財政の確立になるのか、もっと支出の増大ということになってあるいは反論が出るかもわかりませんけれども、私は、最初に申しましたように、三年間を先取りした予算の決定というような意味では、今度の値上げ率は高過ぎるというように思っておりますけれども、一般的に言って、安い放送がいいのかということになると、私は必ずしもそれには賛成しない。もしも必要なもの、たとえばローカル放送だとか、いまいろいろな研究活動、調査活動などをやっておりますけれども、一見必要ないようなものについても、もっと、私たちは、文化活動、教育活動、こういうようなものについてはどんどん支出をしていく、そういう金の使い方をぜひ国会の方でもお考えいただきたい。何か生産性の向上なんというようなことを考えたらどうだなんという御発言もあったようでございますけれども、私は、そういうことは放送事業なんというものには全くなじまない性質のものだと。むしろもっと金をかけて、と言うとちょっと言い過ぎになるかもわかりません、金をかければいい放送になるという意味じゃございませんけれども、いい放送にするためには、ある場合にはもっと金のかかることもやっていっていいんじゃないかというふうに考えております。
○委員長(森勝治君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 参考人の方々には、本日は長時間にわたり貴重なる御意見をいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表し、厚く御礼を申し上げます。 本件に対する本日の審査は、この程度にとどめます。 本日はこれにて散会いたします。 午後二時六分散会