法務委員会 第14号
- 発言数
- 40 件
- 登壇者
- 7 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1976/05/21
会議録
○大竹委員長 これより会議を開きます。 この際、申し上げます。 本委員会に付託になりました請願は七十三件であります。各請願につきましては、先ほどの理事会において協議いたしましたが、いずれも採否の決定を保留することになりましたので、さよう御了承願います。 —————————————
○大竹委員長 今国会、本委員会に参考送付されました陳情書は、不動産登記事務の適正化に関する陳情書外三件でございます。念のため御報告いたします。 ————◇—————
○大竹委員長 閉会中審査に関する件についてお諮りいたします。 稲葉誠一君外二名提出、最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律案 横山利秋君外位名提出、政治亡命者保護法案 裁判所の司法行政に関する件 法務行政及び検察行政に関する件 並びに 国内治安及び人権擁護に関する件 以上の各案件につきまして、議長に対し、閉会中審査の申し出をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○大竹委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 次に、閉会中の委員派遣に関する件についてお諮りいたします。 閉会中審査案件が付託になり、委員派遣を行う必要が生じました場合には、議長に対し、委員派遣承認申請を行うこととし、その派遣地、期間、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○大竹委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————◇—————
○大竹委員長 次に、稲葉誠一君外二名提出、最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律案を議題といたします。 お諮りいたします。 本日、最高裁判所田宮総務局長から出席説明の要求がありますので、これを承認するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○大竹委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 —————————————
○大竹委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。青柳盛雄君。
○青柳委員 ただいま議題となりました最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律案につきまして、提案者であられる諫山議員及び沖本議員に御質問いたしたいと思いますが、お二人のうち、御協議の結果、どちらでも、あるいは御両名別々でもお答えいただきたいと思います。 まず最初にお尋ねしたいのは、提案理由の中に、最近の裁判所の傾向について、政治権力に追随、迎合する判決が近年目立っているとか、あるいは司法の反動化はいまや黙過できない状況になっていると書かれてありますが、具体的には、たとえばどんなことがおありになるのか、それを御指摘いただきたいと思います。
○諫山議員 青柳君に答弁いたします。 私たちが本法案を提出した最大の理由は、現に進んでいる最高裁判所の反動化を食いとめなければならない、最高裁判所を民主的にしなければならない、こういう立場からです。 どういう点で最高裁の反動化が進んだと指摘しているかと言いますと、第一は裁判の中身です。最高裁判所が長い間平和と民主主義の立場に立たなかったということを、たとえばレッドパージの有効性に関する判決、安保条約の違憲性に関する判決あるいは公安条例の違憲性に関する判決、こういう中ではっきり示されていると思います。下級裁判所は、こういう問題について憲法の立場に立った判決をした例もあります。ところが、最高裁判所ではすべてこれが否定されるというのがずっと続いております。 最近でも、公務員労働者のストライキ権に関する全農林の事件、日教組の事件、明らかにこれは憲法で保障された労働者の権利を尊重しない判決であります。そのほか、公務員労働者の政治活動の自由に関する全逓猿払事件判決、徳島郵便局事件判決あるいは総理府統計局事件の判決、これも憲法から言えば当然保障されなければならない公務員労働者の政治活動を認めない、こういう立場で貫かれております。そのほか、最近、世間の大問題になった事件として労働者の思想、信条に関する三菱樹脂高野事件判決というのがあります。 こういう判決に示されている最高裁判所の最近の傾向というのは、憲法の平和的、民主的条項を守る立場ではなくして、これを認めない立場で貫かれていると私たち考えております。そして重視しなければならないのは、公務員労働者のスト権に関する判決、公務員労働者の政治活動の自由に関する判決、さらに三菱樹脂事件、こういう問題がすべて田中内閣の任命した裁判官、三木内閣の任命した裁判官によって反動的な方向にねじ曲げられているということであります。事実関係では、白鳥事件の村上国治の再審事件に対して示された反動的な立場というのがあります。私たちは、こういう裁判の中で示された現在の最高裁の反動的な立場を改めなければならない。これがこの法案提出の一つの背景であります。 もう一つ重視しているのは、司法行政の面にあらわれた最高裁判所の反動性です。たとえば全司法労働組合に対する理由のない弾圧。これはしばしば問題になっていることですが、こういう問題の背景にあるのも、私たちは最高裁判所の反動化だと思っております。 さらに、司法修習生が研修を終えて裁判官になろうとするとき新任が拒否される。とりわけ青法協所属の司法修習生に対して新任拒否が続発する。最高裁はいろいろ弁解しているようでありますが、これが司法修習生に対する思想、信条を理由とした差別、団体加入を理由とした不当差別であることは明らかです。 また、最近では、司法研修所で配られたパンフレット、これは司法修習生の教養を高めるという立場で配られたそうでありますが、裁判官を訪問するときには手みやげを持っていかなければならないだとか、サンダル履きの修習生は困るだとか、およそ現在の社会常識に合致しないような教育が行われている。これはマスコミでも非常に大きく指摘されたところであります。 こういうふうにいろいろな面であらわれてきた最高裁判所の反動的な傾向を改めなければならない。そして本当に最高裁判所が憲法の番人としての職責を果たすことができるようにしなければならない。そのために、このたびの改正案を提出した次第であります。
○青柳委員 御指摘のように、私も、最高裁判所の裁判のあり方、つまり憲法との関連において非常に問題を含んでいるということが一つ、それから司法行政の面でも憲法違反あるいは人権侵害に陥るような傾向が見られるということでございますので、いずれの面からもこの法案が非常に必要であるというゆえんがわかったと思いますが、さて、憲法七十九条について、最高裁判所は判例の中で、この制度はいわゆる解職を求めるもの、リコール制であって、決して憲法にはもとっていないというような趣旨の判決をいたしております。私どもはこれに大変な疑義があるわけでありますが、今度出された改正案とこの判決との関係はどうなっているのか、また、現行制度の最大の欠陥はどこにあるとお考えでこの法案を出されているのか、それを御説明いただきたいと思います。
○諫山議員 最高裁判所の大法廷判決が、最高裁判所の裁判官の国民審査について、解職の制度であると言っていることは事実です。また、現在の国民審査の役票のやり方が毫も違法ではないという表現をしているのも事実です。 ただ、ここで私がはっきりしておきたいのは、私たちのこのたびの改正案の提出というのは、現在の制度が違憲、違法だから改めなければならないというのではなくして、現在の国民審査のやり方というのはきわめて不合理だ、常識に反する、国民の真意が正しくあらわれない、こういう観点から是正しなければならないということを考えているわけです。 国民審査の性格が何であるのか、これは最高裁判例でも論じられているし、学界の中でもいろいろな議論があります。解職制度、リコールの一種だということが言われているわけですが、私もそのこと自体を否定する必要はないだろうと思います。憲法第七十九条は、「投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。」というのでありますから、リコール的な性格を持っていることは明らかだと思います。しかし、同時に、この国民審査の制度というのが、裁判の民主化に奉仕するものだ、裁判官の選任に対する民主的コントロールを求めているものだ、裁判官任命に対する国民の批判の制度だ、さらに内閣の専断を防止し、主権者たる国民の監視のもとに置く、こういう立場で国民審査の制度が設けられたことも明らかであります。ですから、ただリコールの制度だからというだけでは割り切れないような広範な意味を持っているのが、憲法第七十九条で規定された国民審査の方法だというふうに考えております。 繰り返しますと、リコールの制度だと解するにしましても、同時に、最高裁判所の裁判官の任命の適否について国民が審査する、こういう制度と理解しなければならないと思います。 ところで、現在この制度が持っている最大の欠陥は、裁判の任命する適否について国民の真意がなかなか投票の上で正確に反映できないようになっている。これが一番の問題です。たとえば、ある裁判官をやめさせた方がいいのかやめさせる必要はないのか、なかなか判断がつかないという場合があり得ると思います。こういう場合ですと、普通の投票なら棄権ということになるわけです。ところが、現在の制度では、この棄権というのが事実上きわめて困難な状態に置かれています。たとえば投票用紙に何も書かない、こういうことになりますと、投票者の気持ちは罷免すべきかどうか判断がつかないというような場合であっても信任扱いされる、こういう弊害が出てきます。わからないつもりで白票を投じたところが、結果的にはこれが信任投票とされている。これが現在の制度における最大の欠陥であります。 もっとも、現在の制度で棄権ということが不可能ではありません。たとえば投票用紙をもらっても、何も書かずにそれを返すというような方法もあるわけです。しかしこれとても、たとえば国民審査にかけられる裁判官が何名もいる、この中の一部については明白に罷免が可だという意思を持っているけれども、残りの裁判官については何とも自分としては判断がつかない、こういう場合に、一部の裁判官についてだけ棄権をするというようなことは、現在の制度の運用としては不可能です。ですから、現在の制度の中に含まれている不合理、つまり国民の意思がそのまま反映しにくいような制度になっている、これを抜本的に改めようではないかというのが今度の改正案の最大のねらいであります。
○青柳委員 いまのことに関連いたしまして、事実関係を少しお尋ねいたしたいと思いますが、従来行われました国民審査において衆議院議員の選挙に投票した者のうち、最高裁判所の裁判官の国民審査については投票されない、その逆の場合も考えられると思いますが、現実にはそういうことはないと思うのです。最高裁判所の裁判官の国民投票はするけれども、衆議院議員の選挙は棄権をするというようなことはまずないと思いますので、最初に申しましたような点で、果たしてどの程度の差があるのか、いままでの統計を見ますと、有権者総数に対する国民審査投票者の投票を比較して投票率を決めておりますが、そのようなものではなくて、いま言ったような比率はどうなっているのか。つまり比率だけでなしに、実数もわかっていたら、自治省の方から説明していただきたいと思います。
○大林説明員 御質問の、従来の総選挙とそれから国民審査の投票者数の比較でございますが、おおむね、過去三回調べてみましたところ、昭和四十二年の際には、国民審査の方が総選挙の投票者数よりも九十一万六千人程度少なくなっております。それから昭和四十四年の際には、やはり国民審査の方が総選挙の投票者数よりもおおむね百四十五万人ほど少なくなっております。一番最近の四十七年の際には、これもやはり国民審査の方が総選挙の投票者数よりも約三百五万人少なくなっております。
○青柳委員 したがって、その比率を出せばおのずからパーセンテージがわかるわけでございますが、それはそれとして、漸次棄権者の数といいますか、私はそれを棄権者と思うのですが、数がふえつつあるということの持つ意味についても検討する必要があると思いますけれども、選管当局としては、この衆議院の投票と同時に行われるこの投票制度について、棄権の自由といいますか、無理やりに投票を強制されないというような意味においてどのような措置をとっているのか、具体的に投票所によって違うのか、全国一律にしかるべき措置をとるように指示してあるのか、その点を明らかにしていただきたいと思います。
○大林説明員 国民審査の投票につきましては、従来から投票の強制にわたらないような運用を図るべきだ、こういう御要望もあったことは御承知のとおりだと思いますが、そういったことで、従前から、投票所内の適当な見やすい個所にそういった趣旨のことを掲示して周知するように、各都道府県選挙管理委員会に対して指導してまいったところであります。 ちなみに、その掲示の趣旨を申し上げますと、国民審査の投票用紙には、やめさせた方がよいと思う裁判官については、その氏名の上の欄に×を書いてください、やめさせたくないと思う裁判官については何も書かないでください、それから投票したくない人は投票用紙を受け取らないでください、投票用紙を受け取ってもやめさせるかやめさせないかを決められない人は投票箱に入れないで係員に返してください、こういった趣旨のことを見やすい場所に掲示するように指導してまいったところであります。
○青柳委員 その掲示の中の、やめさせたくない方はというのが非常にひっかかるのですけれども、要するに、その後のところにも投票したくない方はというふうに書いてある点は、棄権の自由を注意的に促しているということになりますが、一番目は条文どおりでありますから、二番目のところが問題だと思うのですね。やめさせたいと思わないかどうかわからない人はというようなことについては、何の注意もない。それは理屈でございまして、わからないというのは、解職制度のもとでは、棄権をするということとは同義語ではないというふうな理屈もつきましょうけれども、確かにそれだけでは投票者に十分な意図を知らせることにはならないのじゃないかというふうに思います。 ところで、そういう掲示をよく読んで投票所へすべての人が入るわけではないのでありますから、その投票用紙をもらう場所をもう少し工夫するということはできないものかどうか。つまり、ほとんど流れ作業のようになっているんですね。ベルトコンベヤーのような形で、最初に衆議院の投票をやって、そして出口の方に行く途中に関所のように国民審査の投票用紙を渡す場所があって、そこを素通りするというようなことは、何か義務違反であるかのごとき印象を与える。いやおうなしに投票用紙をもらわざるを得ない。もらって持ち帰ることはできませんから投票する。また、投票する場合には、バッテンをつけるためにのみ記載所に入る。それは立会人にはバッテンをつけるために入ったんだなということが一目瞭然になるような形になっている。したがって、そういうことで田舎などでは何のたれべえがバッテンをつけに入ったということが立会人にすぐわかります。そうすると、あれはどうも少し変わり者であるというようなことがうわさになる。村八分になっていくというようなことだって考えられないわけではない。したがって、いやおうなしにそのまま投票箱に入れて帰る。わざわざもとへ戻って、紙を渡してくれたところへ返していくというようなことはないと思うのですが、こういうようなことについて、何か自治省としては配慮はなされたのかどうか、その点いかがでしょうか。
○大林説明員 総選挙の投票と、それから国民審査の投票につきましては、御承知のように、同一時期に行うということになっております。一方、選挙の管理執行事務、いろいろ大変なことが多いわけでありますが、できるだけスムーズに事務を進めたいという気持ちもございまして、従来は投票所の入り口におきまして、総選挙の投票用紙とそれから国民審査の投票用紙を同時に交付するような運営をいたしております。
○青柳委員 同時に渡されるのだったら、ますますこれは投票を強制されるような形になるわけでございまして、同時にという意味は同じ時期にということか。私の経験では、混乱を避ける意味もありまして、まず最初に衆議院の投票用紙を渡し、それが済んだ段階で今度は国民審査の投票用紙をもらうといったような——私の記憶が少し間違っているかもしれませんけれども、混乱を避けるためにそんなような措置をとっているのではないかと思います。それだから、私先ほど質問したように、別々に渡すのならば、二度目のところは余り関所のようにしないで、スーパーマーケットのように、あるいは売店のように、少し離れたところに置いておいて、そこを素通りしょうともらっていこうと、それはもう全く本人の自由、何か義務的にそこで必ずもらわなければならぬというような形にしない方が、棄権の自由を保障するゆえんではないかと思いますが、そういう点で実際は配慮されていないように思います。 そこで、時間の関係もありますから先へ進めますが、内閣法制局にお尋ねしたいのですが、先ほど提案者の諫山議員の方からも説明がありました中の一つ、つまり連記制をとっておりますから、二人以上の裁判官が審査の対象になった場合には、一名については罷免すべきかどうかということについて正確な意思表示をすることができるからする。つまり、罷免したいと思えばバッテンをするし、罷免を可としない場合にはそのままにするという現行法で済みまずけれど、もう一名の裁判官については棄権をいたしたいというような場合が具体的には出てくると思います。そのときに、棄権の方法はないわけです。もし棄権をしようとすれば、その用紙自体をもらわないで、したがって、罷免をしたいと思う裁判官についてそういう意思表示をする自由が奪われてしまう。権利が奪われてしまう。もしその権利を行使しょうとすれば、本来棄権しょうと思う裁判官については、罷免を可としない部類に自分は投票を強制されてしまう。こういうことは、憲法がこの制度を認めたことに明らかに違反するのではなかろうか。明らかに連記制ということが非常な不備をそこに露呈するんではないかというふうに思いますが、この点いかがでしょうか。
○真田政府委員 お答えをいたします。 ただいまの御質問の問題は、国民審査の投票用紙を裁判官一名につき一枚ずつというふうにすれば全く問題がないということは、御指摘のとおりでございます。問題は、現行のように、複数の裁判官を同一の機会に国民審査にかける場合に、連名つまり連記の様式を用いているからそういう問題が起きてくるのだろうと思います。 その点につきまして、私たちの方の理解をしているところを御説明いたしますと、問題は、もともとこの最高裁判所裁判官の国民審査の制度は、一体性格は何だということが第一の出発点でございまして、先ほど提案者の方も、これは解職の性格を持っているのだということをおっしゃっておりました。私たちもそのとおりだと思います。つまり解職でございまして、裁判官の任命についての適否を審査するというものでは実はないわけでございます。そういうことでございますので、適法に、有効に在職していらっしゃる最高裁判所の裁判官をやめさせたいという人が多ければ罷免になるということでございまして、つまり投票者を二つに分けまして、積極的にやめさせたいぞという票とそれ以外の票とを分けるというのが制度の根本に沿うものだろうと思います。第二番目のグループのそうでない票というものの中には、実はしさいに見ますと幾つかありまして、積極的に信任するという票もありましょう。それから信任していいのかどうかわからぬからといういわゆる白票もあろうと思いますが、いまの解職制度というような国民審査の制度の本質に照らしました場合には、実は第二のグループの中の色分けはさほど意味がないんだろうというふうに考えるわけでございます。 そういう点から見まして、普通の選挙のように、選挙人が集まって何のたれがしを国会議員なり地方議会の議員に選挙するというような場合とは違いまして、国民審査のいまの解職の制度であるという点に重点を置いて、制度の本質をそこへ持っていってながめた場合には、実は棄権の自由を保障しなければいかぬという意味合いも、選挙の場合とはかなり違うのだろうと思います。最高裁判所の、先ほど提案者も御引用になりました昭和二十七年の大法廷の判決でも、通常の選挙の場合におけるいわゆる良心的棄権というようなことも考慮しないでいいわけであるとまで言い切っているわけでございまして、私たちはこの考えに従うものでございます。
○青柳委員 これは相当議論しなければならない問題でありまして、良心的な棄権というようなことを全然無視してしまう、そして支持の票——支持ではないのですけれども、つまり罷免を可とする者との比較の対象にされてしまう。先ほど自治省の方から説明がありましたように、前回は百何十万ですか、相当数の棄権者がある。これは良心的であるかないかというようなことよりも、やはり自分で責任の持てない投票をして、その結果が罷免を可としない者に加えられてしまう。したがって、罷免を可とする者は、その意思がそういう人のために貫徹できないといいますか、比較少数になってしまうというようなことに疑問を感ずるからこそ棄権をするのじゃないか。もちろん、わからないから棄権するというのもあるでしょう。しかし、わからないから棄権するというのは、無責任ということではなくて、やはり良心的な考え方から出てくると私は思います。 そこで最高裁の判決を見ますと、そんな白票を認めないみたいな形になると、「わからない者が総て棄権する様なことになると、極く少数の者の偏見或は個人的憎悪等による罷免投票によって適当な裁判官が罷免されるに至る虞があり、」と、まことに罷免を可とする者というのは、偏見あるいは個人的な憎悪などでやっているのだ、こういう民主主義からいったらきわめて反対の立場をとって、この制度自体を憎悪するような判例になっているわけです。私どもはこういうところから見ても、いまの法制局の御説明は最初のところで別にすればいいので、連記が悪いのだというふうに単純におっしゃいますが、まずそこから出発したらどうだ。そしてどの程度の可とする者とあるいは可としない者との差が出るのか、そうしたらこの制度はいまのままでも、運用の面がもっと変わってくると思います。しかし、それもやらない。そして今度提案されるような〇×方式をも好ましくない。これは解任制度については不適当だというような御意見でございます。 それでは自治省にもお尋ねいたしたいと思いますし、法制局にもお尋ねしたいのでありますが、地方自治体の長とか議員のリコール制度についての投票の仕方はどうなっているのか。これは条文を見ればわかることですけれども、簡単に御説明いただきたいと思います。
○秋山説明員 ただいまの地方自治体における議会の議員それから長の解職請求の関係の手続はどうかというお話でございます。 十分御承知のとおりだと思うのでございますが、有権者の方がある一定数の連署をもって代表者からその解職の請求をする、そういう場合において、これを有権者の投票に付して、そしてその結果を見る。その結果、過半数の解職についての同意があればその職を失う、こういうような制度になっておる次第でございます。
○青柳委員 その制度を言っているのではなくて、その投票の方法がどうなっているのか、つまりいまの最高裁判所の国民審査の仕方と同じようになっているのか、それとも別な方法をとっているのか、その点を聞きたかったのです。
○秋山説明員 地方団体の議会の議員と長の解職請求につきましては、その投票の際におきまして賛成する者と反対する者、こういう形におきまして投票が行われまして、賛成者が多数である場合におきましてその罷免をされるという点でございます。この点最高裁の国民審査の制度とは異なっておるわけでございます。 思いまするに、この点は地方団体の解職の場合におきましては、やはり解職請求があったというときに積極的にその賛否を問う、こういう制度ではないかと理解するわけでございますが、これに反しまして最高裁の裁判官の国民審査におきましては、先ほどからお話のございます判決にもございますように、罷免を可とする者というものがそうでない者よりも多数かどうかを知ろうという、いわゆる解職制度であるというところから来る制度の違いの問題ではなかろうか、このように考えておる次第でございます。
○青柳委員 いささかそれは詭弁に類すると思いますが、何か説得力のある説明にそれでなっているかどうか、解職請求というものが積極的にある場合の投票と、それから一般制度として憲法で認められているからそれとは違うんだというようなのは、ちょっとこれは詭弁に類すると思いますけれども、内閣法制局の方ではその点どうお考えですか。
○真田政府委員 基本的には、ただいま自治省の課長さんがお答えになったとおりでございますし、青柳先生御自身がいまおっしゃったような点だと考えております。つまり、自治法の解職請求の制度の場合には、特定の長なり特定の議員を名指しであの人をやめさせたいという請求をする人が出てきて、それをやめさせたらいいかどうかという案件がまず立ちますものですから、それに対する賛否を問うということで、マルとバツとが出てくるというふうに思います。 それに対しまして最高裁判所の裁判官国民審査の場合には、だれだれ、何裁判官をやめさせたいという案件が先行するわけではございませんので、制度的に一括して、国民に解職の機会を与えろというだけでございますので、先ほど来申しましたような、そういう解職制度の本質から見て、いわゆる先ほど申しました白票も過半数の場合の分母に入れるということは合理的であるというふうに考えるわけでございます。
○青柳委員 積極的に賛否が問われている場合だから慎重に賛成、反対を意思表示を求める。しかるに国民審査の方はそうではないんだというような御説明でございますけれども、賛否を問うというような意味であるかどうかは知りませんけれども、憲法九十五条の特別な地域に適用される法律について住民投票を行う。これは賛成、反対、やはり明確な意思表示を求めるような形をとっていると思いますけれども、これも別に国の方でそういう法律をつくるということについて、住民はどういう反応を示すかを調べ、その結果、住民が反対ならばこれは効力を持たせない。そういう趣旨のものだろうと思いますけれども、この点について自治省にお尋ねいたしますが、これはどういうような意思確認の方法をとっておりますか。
○秋山説明員 やはり賛否の形におきましてその投票の結果を判定している次第でございます。
○青柳委員 もうだんだん時間が迫ってまいりましたので、最高裁判所にお尋ねいたしますけれども、裁判の内容について、事務当局としてとやかく意見を述べる立場にないことは明白でありましょうが、しかし最高裁判所の裁判官が、先ほど提案者の諫山議員からも説明がありましたように、裁判官会議を開いて司法行政の最高の権能を持っていろいろやっているわけでありますから、その裁判官の適格性といいますか、果たして国民の負託にこたえるだけの適格性を持っているかどうかというような点について、適格性と言うと何か欠格条項の反対で非常に厳格に解釈されてしまいますけれども、適任、不適任というか、そういうような概念として理解していただきたいのですが、そういうことを司法行政の立場から考えて、この国民審査の制度がどう働いているのか、そういうことについては別に何にも考えていないのか、意見があったら述べていただきたいと思います。
○田宮最高裁判所長官代理者 この制度につきましていろいろ御異論、御意見があることは十分承知しておりますが、青柳委員が冒頭申されましたように、制度の問題でございますので、最高裁判所といたしまして特に意見を申し上げる立場にございませんので、御了承いただきたいと思います。
○青柳委員 制度の問題でも裁判所の裁判のルールなどについては、当然裁判所の規則をいろいろ決められる、また規則で賄えないものは法律を制定してこれを処理する。そういう場合に、当然制度の問題でありますから、最高裁とすればそれについていろいろの希望なり見解なりがあろうかと思うのです。法律を国会に出す場合、最高裁がじかに提案者になって出すということはありませんけれども、形は法務省提案であってもあるいは内閣提案であっても、当然最高裁の方から積極的に働きかけるということもありましょうし、また内閣の方で立案したことに対して、意見を求められればこれにいろいろの意見を述べるということもあるわけです。だから、たとえばいまの議員立法としての〇×方式がある。これに対して最高裁としては何にも言えないという立場なのか。この問題に関しては何にも言えないというのであれば、どういう意味で言えないのか、それを明らかにしていただきたいのです。
○田宮最高裁判所長官代理者 制度の問題でございますので、制度をどのようにいたすかということは、国会なり政府がお決めいただくことでございまして、裁判所の方からこれについてとやかく言うべき立場にございません。そういうことでございますので、御了承いただきたいと思います。
○青柳委員 どうも制度と一般を言うから私の方でこだわるのですが、恐らく人事関係、しかも最高裁判所の裁判官の人事に関するものであって、下級審の裁判官の人事とはかかわり合いのないことであるから何も言えないし、考えてもいないことのように私は理解します。それが正しい態度であるかどうかについてはまだ私もよくわかりませんが、最高裁の答えはいま得た程度で一応きょうはやめておきます。 そこで提案者に、時間もありませんから、午前中に終わるという委員長との約束ですから、お答えを願いたいのですが、視力障害者の投票は現行法でもやることになっておりますが、現行法では何らかの欠陥があるのではないか。今度の法律案では、これをどういうふうに改めようとしているか、お答えをいただきたいと思う。
○諫山議員 いまの質問の前にさっき法制局と自治省から国民審査制度の性格について発言がありましたが、提案者として二点だけ意見を申し上げたいと思います。 第一は、法制局の方から私の発言を引用しながら国民審査制度というのは解職の制度であるという指摘がされました。私が述べたのは、解職の制度であることは否定しないけれども、同時に任命の適否について国民が審査する制度である、両方の性格を持っているんだということを申し上げたわけで、この点は単なる解職の制度と機械的に理解しているわけではないということが第一です。 第二は、審査のやり方について、自治省も法制局も現行法が正しい、欠陥がないという立場で述べられたように思います。これはきわめて重大なことです。現行の制度が必ずしも正しくないことは、すでにこの委員会で満場一致で決議していることです。現在の制度というのは不合理だから改めなければならないというのは、国権の最高機関である国会ですでに決めていることだ。このことを前提にしますと、現在の制度が絶対的でいささかも欠陥がないという立場で考えておられるとすれば、これはきわめて重大だという点は、提案者として指摘せざるを得ないと思います。 次に、御質問の点字による投票のやり方の問題です。現在の制度は、点字による投票を確かに認めております。ただ、これはきわめて欠陥が多いということを私たちは指摘しております。 第一に、罷免を可とする裁判官の名前を点字で記入しなければならない、これが現在のやり方です。つまり、今度の場合のように、たくさんの裁判官が国民審査にかけられる、そうすると、何という裁判官を罷免させるのか、全部投票者が名前を記憶しなければならないということになるわけです。視力障害者でない人の場合は、裁判官の名前がちゃんと投票用紙に書かれておりますから、名前まで記憶する必要はありません。ところが視力障害者の場合には、審査にかけられる裁判官の名前を記憶しなければならないという不当なハンディキャップが負わされる。私たちは、これは是正を要すると思っております。 もう一つは、罷免を可とする裁判官の名前を投票所で書くわけですが、視力障害者でない人の場合は×を書けば済む。ところが視力障害者の場合には、裁判官の氏名を書きますから、これは明らかに×を書いているのと氏名を書いているのと外から見たら区別がつくわけです。つまり投票の自由というのが実質的に保障されない、こういう弊害が生じております。視力障害者とそうでない人に対して、いささかも不合理な差別を与えてはならないというのは民主主義の大原則ですが、これが現在のやり方では守られない、こういう観点から、私たちは、もっと投票の方法を改善しなければならないと思いました。 そして具体的には、投票用紙に裁判官の名前を点字で印刷する、これに〇×に相当する一定の記号をつける。たとえば点字で〇×というような記号があるのかどうか私よく知りませんが、とにかく視力障害者であっても、何らかの記号を点字で記入された裁判官の名前の上に記載できるようにする、私たちはこういう制度に改めたいと思っております。これは憲法の要請する四民平等という立場から当然のことですから、ぜひこれは実現したいと念願しております。
○青柳委員 いささか技術的な質問ですが、有効投票率といいますか、要するに審査権の行使を行った者の数が現行法では有権者の総数の百分の一ということになっておりますが、これを百分の十に引き上げるというのが提案のようであります。これが百分の五とか百分の二十とかにしないで十とした理由、一から引き上げた理由、これをちょっと御説明いただきたいと思います。
○諫山議員 この問題を検討するとき私たちが考えたのは、次の二点です。 第一に、投票した人の意思がなるべく結果に反映する。第二番目は、同時にきわめて少数者の投票によって結論が決まるというのはやはり問題がある。こういう二つの要請を満たすためにはどうすればいいのかという点からこの問題を検討しました。そして、現行法の百分の一というのは余りに数字が小さ過ぎる、これは百分の十に引き上ぐべきであるというのが私たちの提案です。 いま御質問にありました百分の五ではいけないのか、百分の二十ではいけないのか、なぜ百分の十にしなければならないのか、この問題については、私たちは相対的なものだと思っております。百分の五が絶対に間違い、百分の二十が絶対に間違い、百分の十だけが絶対的に正しいというようなものではなくして、それぞれ長短があるけれども、どの数字が一番適正、妥当であるのかという観点から見ますと、現在の百分の一というのは少な過ぎる、百分の二十というのは多過ぎる、百分の十が常識的に考えてみて妥当ではないかという立場から今度の改正案をつくりました。 以上です。
○青柳委員 この提案理由の中に、こういうような議員立法の改正というものが国民から大きく期待をかけられているという趣旨のことがありますが、現実にはどのような状況があるんでしょうか。
○諫山議員 総選挙のたびに、裁判官の国民審査のあり方というのは、いろいろなところで論議されております。運動としては、審査にかけられる裁判官だれだれを罷免すべきだというような運動も繰り返し展開されましたが、同時に、国民審査の制度そのものにメスを入れなければならないという運動が並行して進められているのが現在までの経過であります。 現在、日本の全体の情勢を見ておりますと、この制度改正運動の推進力になっているのは、私は、司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議だろうと思います。どういう組織かと言いますと、総評、中立労連、東京地評、共産党、社会党、公明党、護憲連合、憲法会議、日本婦人有権者同盟、日本基督教婦人矯風会、日本民主法律家協会、総評弁護団、自由法曹団、その他たくさんの団体あるいは個人が、司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議というのをつくっています。そしてここでさまざまな研究、討論をする、さまざまな運動を繰り広げる、これが日本で行われている一番大きな運動ではなかろうかと思います。 この国民連絡会議は、今度の総選挙に向けて、この法律改正のための請願運動を続けております。この請願の署名がすでに現在四十万集まったと言われております。また、この国民連絡会議には参加していませんが、日弁連その他有力な法律家団体あるいは法律家が、同じような立場で運動を進めていることは、御承知のとおりであります。 そういう立場から私たちは今度の総選挙に間に合うように、この改正案をぜひ法律として実現したいというふうに念願しているわけです。
○青柳委員 まだ一、二質問したいこともありますが、次の機会に譲りまして、きょうはこれでおしまいにいたします。
○大竹委員長 本日は、これにて散会いたします。 正午散会