文教委員会 第8号
- 発言数
- 136 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1976/05/21
会議録
○登坂委員長 これより会議を開きます。 請願の審査を行います。 今国会、本委員会に付託されました請願は全部で七百八十九件であります。 請願日程第一より第七八九までの各請願を一括して議題といたします。 まず、審査の方法についてお諮りいたします。 各請願の内容につきましては、文書表等によりすでに御承知のことでありますし、さらに先刻の理事会におきましても慎重に御検討願いましたので、この際、紹介議員からの説明等はこれを省略し、直ちに採決いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○登坂委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 それでは採決いたします。 請願日程中、第一七、第一八、第八四、第八五、第二二六、第二二七、第三〇六、第三八七ないし第三八九、第四五四、第四五五、第五二七、第五四四、第五五六、第五五七、第五六七ないし第五六九、第五八九、第五九〇、第五九二、第五九九ないし第六〇二、第六〇四、第六〇五、第六一一、第六一二、第六一八ないし第六二四、第六三五、第六三六、第六四一、第六四二、第六五四ないし第六五七、第六六七ないし第六八六、第六九三、第六九五ないし第七一〇、第七一二、第七一二、第七二四ないし第七三七、第七四七ないし第七五〇、第七六三ないし第七七九及び第七八二ないし第七八八の各請願は、いずれも採択の上内閣に送付すべきものと決するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○登坂委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 なお、ただいま議決いたしました各請願に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○登坂委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————————————— 〔報告書は附録に掲載〕 —————————————
○登坂委員長 なお、念のために申し上げますが、今国会、本委員会に参考送付されました陳情書は、岡山大学に歯学部設置に関する陳情書外二十五件であります。 ————◇—————
○登坂委員長 次に、閉会中審査に関する件についてお諮りいたします。 文教行政の基本施策に関する件 学校教育に関する件 社会教育に関する件 体育に関する件 学術研究及び宗教に関する件 国際文化交流に関する件 文化財保護に関する件 以上の各件につきまして、議長に対し閉会中審査の申し出をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○登坂委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。 ————◇—————
○登坂委員長 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。嶋崎譲君。
○嶋崎委員 一般質問の最後ですので、別に準備もあるわけでありませんが、思いつくままに質問をさしていただきます。 先般学術会議の第七十回総会で科学研究基本法の制定勧告がなされておりますが、その文書はお読みになったでしょうか。大臣、いかがです。
○永井国務大臣 まだ詳細に検討をいたしておりませんので、必要がありますれば、学術国際局長も来ておりますから、その問題については局長の方から御答弁申し上げます。
○嶋崎委員 私も詳細にまだ読んでおりません。机に置いてあって読んでおりませんが、一昨年ですか、パリのユネスコ本部で開かれた第十八回の総会で、「科学研究者の地位に関する勧告」というのが採択されております。これには日本政府の代表も行って賛成を投じているわけであります。学術会議が今日までたびたび科学研究基本法に相当するものを十四年ぐらいにわたって前から勧告を出してきておるのですが、その都度政府は大体反対の態度か、むしろこれを尊重しない態度をとり続けてきております。しかし今日の段階で考えますと、一昨年のこのユネスコ本部で開かれたパリの「科学研究者の地位に関する勧告」に政府が賛成投票をしてきたわけですから、その内容と今日の学術会議の科学基本法の案は、いわば国内でこれを受けとめていくというような性質のもののように思います。学術会議が先般勧告しました科学研究基本法案、これについてちょっと最初質疑をさしていただきます。けさ思いついたものですから、突然で大変申しわけありませんでした。いずれにせよ、学術会議の今日までの科学技術に関する内閣総理大臣への勧告はたびたびいろいろな形で行われてきている。しかし、これを政府は尊重しないばかりか、むしろ反対の態度で臨んでいると思われる節が今日まであったと思います。しかし、一昨年の十一月にパリのユネスコ本部で開かれた十八回の総会で「科学研究者の地位に関する勧告」が行われ、これに政府代表が賛成を投じているわけであります。したがいまして、当然国内の立法ないしは予算の措置について日本政府は対処しなければならぬ義務があると思いますが、いかがですか。
○木田政府委員 学術会議が去る総会の際に、いま御指摘の基本法等を制定すべきであるというような御意見を取りまとめられて、近く政府に意見を具申してこられるということは、新聞であらかたその概要、輪郭等は承知をいたしました。その事柄につきましては、いま嶋崎委員御指摘のように、一昨年になりますが、ユネスコの十八回総会でユネスコが加盟各国に勧告をいたしました「科学研究者の地位に関する勧告」の内容を踏まえた、大体類似した御意見のように承知をいたしておるわけでございますが、何分まだ具体的な書類として詳細なものをちょうだいしておりませんので、今回の学術会議の総会の御意見に対して、いまはまだ私どもからどうこう申し上げる段階にはなっていないというふうに思っております。
○嶋崎委員 大臣に御意向を聞いてこの問題はやめますが、ユネスコの勧告がありまして、そして当然日本政府がそれに賛成しているわけですから、それに対応した立法措置や予算の措置ということをやらなければならぬ政府の義務があると思います。それに対応して日本学術会議は、十四年前から幾度か勧告してきたものを、今日の段階で一つの時代が終わって新しい時代が始まるような時代でありますだけに、科学技術のあり方というものについて、いわば学者の総力を結集して科学研究基本法の案なるものを勧告しているわけです。それで勧告するわけですから、その内容は表題こそ片一方は「地位に関する勧告」であって、片一方は科学研究基本法ですが、私がばっと目を通した限りにおいては、内容的にはかなり同じ性質を持った国内立法の措置として対応せよという意味の内容のように思います。それだけに、いままでは学術会議の勧告に対して非常に否定的な対応が多かっただけに、この際、学術会議が勧告したこの勧告に基づいて科学研究基本法といわれるようなものをわが国が立法措置としてやっていく、そういう必要があると私は考えるわけですが、大臣、三木内閣が大変動いているときでもありますが、永井大臣の間ぐらいにこういう問題について積極的な対応をする意思がないかどうかお伺いしたいと思います。
○木田政府委員 嶋崎委員も十分御承知のことと思いますけれども、ユネスコで勧告されましたことはかなり多岐にわたっておりまして、科学研究者の地位を高めますための要請の問題から、その研究の自由を確保するとか、発表の自由に触れるとか、あるいは社会的な保障制度の問題であるとか、相当多方面の内容を含んだものでございます。その勧告を受けました各国といたしましては、それぞれの国の法制に従いましてその内容の実現に努めていくということになろうかと思いますから、必ずしも各国の対応は何かある一つの法典にして対応しなければならないということではなくて、具体のこととして考えていくべきものであろうかと思うのであります。したがってそのユネスコの勧告がイコール科学研究基本法ということになるかどうか、これは事柄を一応別に分けて考えらるべきじゃないかというふうに私はいまの段階では思っているわけでございます。 いずれにいたしましても、正式に学術会議から政府各省へ向けて御連絡も来ることでございますから、その内容によりまして、私ども事務方といたしますと、その意味合い、必要というものを考えていく手順になろうかと考えている次第でございます。
○永井国務大臣 ただいま局長かち御答弁申し上げましたように、科学研究基本法、これは新聞報道はありますけれども、それ以上についてのまだ勉強のチャンスがないわけでございます。 そこでユネスコの勧告については日本として賛成でございますけれども、ただいま局長が申し上げたように、各国の法制に従って具体的に考えていくということでありますから、私どもは当然にそうした方向で考えていくべきである。今度の科学研究基本法は検討させていただいて、そうした観念でどのように取り扱うべきか考慮しなければならないと思っております。
○嶋崎委員 大臣、学術会議の勧告というものを、大臣も学会のメンバーであるわけですし私もそうですか、尊重するという対応をぜひとっていただきたいというふうに要望を申し上げておきます。 次は、大学自治という問題について少し質問をさせていただきたいと思います。 大学における学問研究、それから教育、研究という観点から考えた場合に、現在の法制の立場からいえば、大学自治の担い手は教授会、評議会とか大学のもろもろの機関であろうと思います。しかし同時に大学における教育研究という場合に、教官だけが主体なのではなくて、言うまでもなく学生がなくして大学というものは成り立たないわけでありますから、そこには今度教官と学生の関係、同時にまた事務職員と学生、事務職員と教官の関係というものもまた密接なつながりを持つと思います。そういう法制的な議論というよりも、社会学的にアプローチをして大学の自治というものを考えるときに、学生組織、教職員の組織というものが大学自治の担い手としての役割りを果たすと思いますが、大臣いかがですか。
○永井国務大臣 大学がその役割りを果たしていきます上では、学問の教育研究を進めていくということが主眼であって、しかもこれにふさわしい人事を行うということでありますから、それの直接的な責任は大学自治の原則において教授会が担っていくべきものであると考えます。しかしながら学生というものがそれに参加をいたしまして、重要なメンバーであるということはもちろんでありますから、したがいまして、そうした意味において大学の法制上における教育、研究ないし人事について教授会と同じような役割りを果たすものでないということは明らかだと思いますけれども、しかしながらやはり大学が一つの自治体として、そして教育、研究を進めていく一環として、学生組織というものが十分に機能することが望ましいと思います。 また、教職員という言葉で申されましたが、職員の役割りは教授会と異なっている面があると思いますけれども、しかしながらやはり教授会というものの決定に基づいて大学自治体を組織の上で活動させていく上で職員が非常に重要な役割りを担うわけでありますから、そうした意味において当然教員の意向というものと職員の意向との間に十分な意思の疎通があるということも必要であろうと思います。
○嶋崎委員 そうしますと、大臣のいまの考え方でいきますと、学生の自治組織、それから職員の組織、教職員組合、そういうものもまた大学における教育、研究と深いかかわりがあり、しかも大学自治を担うに当たって重要な役割りを果たすというふうにまず前提にしてよろしいでしょうか。
○永井国務大臣 大学は教育、研究の場であるということがまず一つの原則であって、そしてその教育、研究の場というものを管理していく機関につきましては、管理の責任を法制的に持っている機関は教官でありますけれども、しかしながらその目的を、その目的というのは教育、研究ですけれども、自治の場として守っていくという限りにおいて、教職員の組織、また学生の組織というものも協力的でなければ、大学全体というものが当然持つべき秩序を持ちながら活動的になっていくということはむずかしいと考えます。
○嶋崎委員 具体的に聞きますが、では学生の自治組織の学内における政治活動というものをどう考えたらいいでしょう。
○永井国務大臣 これはなかなかむずかしい問題と思われます。なぜむずかしいかといいますと、大学は第一義的に教育、研究を行うということでありますから、まずそれがどう考えても大学における主要な役割りでございますから、したがってそこに入ってくる学生というものも、自治活動において学生が本来果たすべき役割りは、大学に入りますと、そうした研究、教育というものを自治、自由の立場で行っていくということを踏み外しますと、非常に問題を生じてくることになると思います。しかし、他方におきまして、学生というのは社会人としてまた成長していく一つの過程にあるばかりでなく、また年齢的にも当然政治的権利を有する人たちが、全部ではありませんけれども多数含まれているわけでありますから、そうした意味において学校という場所、大学という場におきまして政治的な教養というものを積み重ねていくということは当然のことであろうと思います。 ただ、ここに一つの問題がありますのは、これは天下周知の事実でありますけれども、大学紛争というものがあり、そうしてその結果といたしまして、その結果というかその経過の中で、相当激しい政治的な活動というものが大学において展開されて、一部には暴力的なものも生じたということから学校に一つの混乱が生まれました。今日においてそうした事態というものはかなり鎮静をいたしましたけれども、絶無にはなっていないという事態がありますから、したがいまして、政治的教養というものを学生が獲得していくためのいろいろな活動は重要でありますが、しかしながらそれが非常に学問、研究の自由を阻害するような形で展開される、特に暴力というようなものがそうでありますが、そうでない場合にもそのような学外における一つの政治組織というものの意向を少数者が反映して、学生団体全体の総意というものによって活動しない場合に一つの問題が生じてまいりますから、あくまでも第一義的な目標というものとの関連において政治の問題をやはり配慮していくべきであると考えております。
○嶋崎委員 時間が短いから大臣も短い答弁で、ぼくも短くやりますから。 それで、では具体的に聞きますが、学生の自治組織が一つの党派を支持するという形で大学内で集会を持つことは、学生の政治活動という意味から見たら大学自治の限界を超えていると思いますか、超えていないと思いますか。
○永井国務大臣 やはり一つの大学の学生自治体全体が一つの党派の下部組織であって他の者を入れないということは、教育、研究の場にある学生組織体の活動としてふさわしくないと思います。
○嶋崎委員 私もそう思うのです。大学における学生の自治組織の自治活動の自由ということは保障されていても、学生の組織が一つの党派で指導されていてもそれは構わないけれども、しかしその学生の自治組織がイコール政治的党派の運動にすべてが埋没してしまって、その党派の集会以外の集会を認めないというような形をとるようになれば、これは自由をみずから狭めているということになるという意味で、大学自治の枠を超えたないしは研究の自由を否定する行動になると私は思います。 しからば、ある大学で自由民主党の参議院議員が学内で行う集会は大学が許可したが、五常討論会というものを許可しなかったとした場合に、その内容は私はテープを持っていますけれども、大変な野党攻撃の集会でございました。そういうのは学内で認められて、学生の自治組織が五常討論会を企画したらそれはだめだというふうに学校が言ったとしたら、この大学のあり方はいいでしょうか。
○永井国務大臣 こういうのはそれぞれ現実に即して考えて、またその実態を明らかにする必要があると思いますが、たとえば自由民主党の議員だけが行かれるという場合、その場合にも自由民主党の議員にもいろんな方がいるでありましょうから、政党の宣伝をやるということでなく、都市問題の話をするとか、いろいろそういう直接的な政策の展開よりもある種の問題の専門的な話をされる場合もあると思います。この場合には政党活動というふうにはなかなか認定しにくいわけでありますから、その場合に自由民主党の人だけが来たということがあっても問題でないし、また社会党の人だけが来たといっても問題でないように思います。
○嶋崎委員 その経過は国立大学です。国立大学で、学園祭に大学側の企画の中にそういう講演会があったわけですね。今度は、学生の自治組織が五党討論会、各政党の政策を勉強しようという討論会を企画して、大学側に提出したら、生の政治の材料を大学に持ち込むことは大学の冷静に研究する観点から見たらおかしい、したがって、その集会は認めないと言って、その集会が認められなかったのです。同じ時期の学園祭に、片一方では非常に政治的性格のある集会が行われ、テーマは確かに都市問題というようなことに関係のある話ですけれども、かなりイデオロギッシュなものです。それで、それが片一方であるものですから、学生の方は五党討論会というものを計画したわけですね。それが片一方では認められないというようなことがあると、これは私が最初に言った、学生の組織が一つの党派の集会を持つということだけが学生組織のいわば運動であれば、これは私は問題があると思う。しかし、大学の中で、二十歳を超している有権者の学生諸君がいるわけですから、そういう学生が五常討論会を自主的に企画したのを認めないということはあり得ることでしょうか。
○永井国務大臣 いまのお話は、実態に即して検討すべきであると私が先ほど申しましたのは、要するに、大学紛争以来いろいろなことがあったと思いますが、理想としては、冷静に五党の討論会というものを学生が聞き、あるいは質問するという形が最も望ましいと思います。
○嶋崎委員 ですから、そこで問題になるのは、学生の組織の自主的な計画というものと大学自治の関係になると思います。そのような、たとえば学生の自主的な組織が学内のサークル活動として五党討論会というものを計画することを認めないということは、これは公党、われわれ野党の立場のみならず、日本の国会における各政党というものの今日の存在からして、一つの政党の特定な集会ではなくて、一つのサークルがそういう五党討論会を計画するというものを大学側が許可しないということはあり得ないことだと私は思います。大臣、それはいかがですか。
○永井国務大臣 ですから、私初めに実態に即してということを申したのですが、私は、五党討論会を行ったら一番理想的と思います。五常以外にも政治的考えがあるでしょうから、そういうふうなものも自由に検討したらいいと思いますが、もう一つの問題は、たとえば自治会をやりますと、どうも定足数が十分でなかったり、あるいは各教室等に十分地盤を置かない自治会活動があったり、あるいはまた、自治会というものをやっていきます場合に、自治会費を大学が代理徴収して、自治会それ自体がそれほどやらないというようなことが過去にありました。現在もそういうものがある程度は残っておりますが、そういう実態を踏まえながら、それぞれの大学当局が、どういうふうに自治会活動を進めていくことが望ましいかということについて判断をして、学生と話し合うということは、これは当然のことと思います。
○嶋崎委員 いや、話し合っても、学生の自主的なサークルが五常討論会を学園祭に企画したのを大学が許可しないという、そんな大学はどこにありますかと言うのです、国立大学で。もしそれが事実だとすれば、そんな大学は——ある大学はありますが、日本の大半の国立大学でそういう大学はあり得ないと想像されませんか。
○永井国務大臣 大半の大学においてないと思います。
○嶋崎委員 それが、ある大学ではそういう事実があるということをまず確認をしておいていただきたいと思います。 それで、お聞きしますが、統一原理研究会というのは、大臣御存じでしょう。
○永井国務大臣 原理研究会という名前だったかちょっとはっきりしませんが、大体そういう名前の組織があるということを知っています。
○嶋崎委員 その教祖はだれですか。
○佐野(文)政府委員 御指摘の組織の教祖と申しますか、恐らくは文鮮明という方をお指しのことと思います。
○嶋崎委員 韓国の文鮮明でございます。これは思想、信条は自由ですから、どういう大学にそういう研究会があっても一つもおかしくないと思います。 この原理研究会の学生の機関紙は御存じですか。
○佐野(文)政府委員 私は存じておりません。
○嶋崎委員 それは、世界学生新聞という新聞でございます。これが全国大学原理研究会新聞局が出している新聞で、世界学生新聞という新聞でございます。この原理研究会に参加した学生たちや生徒は大変な被害を受けて、全国原理運動被害者父母の会という会ができているのは、ご存じですか。
○佐野(文)政府委員 原理運動について御指摘のような父母の抗議、反対の運動があるということは、新聞で承知をいたしております。
○嶋崎委員 ことしの一月に、全国原理運動被害者父母の会の会長の後藤富五郎さんという方が世界キリスト教統一神霊協会会長久保木修己当てに九つにわたっての質問状を出しておられます。 その質問状の第一は、こう書いています。これは事実上は原理研究会の基礎になっている宗教法人でございますが、「貴協会はわれわれの子供を反社会的精神異常者に育成していますが、入信前の純真さに戻すことができますか。」これが一ですね。 「信者になったために脳障害を起こしている被害者が大部多く困っている保護者が多いようですが、その保障問願についてどのように考がえているか説明ねがいたい。」これが第二番目です。 「われわれの子供を保護者の承諾もなく、勝手に海外に派遣していますが、事故が生じた場合に、その保障問題について保護者と合議の上解決するつもりですか説明をねがいたい。」これが三番目の、いまから質問の大事な点でございます。「われわれの子供」といっても、これは大学生、それから勤めている青年、それから高校生、そういう生徒たちでございます。そういう生徒たちを「保護者の承諾もなく、勝手に海外に派遣していますが、事故が生じた場合に、その保障問題について保護者と合議の上解決するつもりですか説明をねがいたい。」これが第三。 第四番目に「海外派遣者の中に大部犠牲者がでているようですが、渡航前に充分な精神状態及び健康診断を何処の医師で行ったか公表して頂きたい。」どこの医者が診断したかわからない、説明を求めても言わないのです。そこで親の許可なしにアメリカへ行ったり韓国へ行ったりしているわけであります。 五番目「海外派遣の折になぜ片路旅費で派遣し、余分の金を献金として取り上げるのか説明ねがいたい。」原理運動は、御承知のように、中国のお茶を売ったりいろいろな販売活動をやっております。そしてこれは、原理研究会というのは思想的な団体で、政治的な団体は国際的な勝共連合でございます。この勝共連合の基金をこの原理研究会の若い人たちが、皆さんも街頭でごらんになりますように、熱心にカンパ活動をやっております。そして、その集めた金でもって片道の旅費で外国にやるわけであります。そして、ほかのお金は全部この勝共連合にカンパをさせられているわけであります。しかし本人はそれが正しいと信じ、そして、それが世のため国のためと思っているわけであります。ですから、その思想、信条を問題にしているわけではありません。しかし、そういう片道旅費で派遣して、余分な金を全部献金として取り上げているのはなぜか説明を願いたい。ということです。 第六番目に「海外派遣者の名簿を明細に公表してほしい。」だれが外国に親の許可なしに行っているかについて、この原理研究会に関係のある宗教法人が現に海外に親の許可なしにやっているが、だれがどのぐらい行っているかわからない。そこで「海外派遣者の名簿を明細に公表してほしい。」 第七番目に「海外派遣者を保護者の要請があれば直ちに保護者の下に貴協会の経費で帰還させるかどうか。」この外国に行っている子供を保護者が返してほしいと言った場合に、保護者のもとに貴協会の経費で帰還させる意思があるかどうかという質問、これが第七です。 第八は「われわれ全国原理運動被害者父母の会をなぜ反対父母の会と呼ばなければならないか説明ねがいたい。」この人たちは原理運動の被害者父母の会と言っているんで、原理運動に反対する会をやっているのではない。だのに、これを反対の集団と名づけて、そして思想的に問題にしていくかのような取り扱いをしているのはなぜかと言っているわけであります。 九番目「われわれ全国原理運動被害者父母の会の活動は、朝鮮連盟から資金を貰って利用されていると事実無根の宣伝をせねばならないのか説明ねがいたい。」つまりこの原理運動は、政治団体が国際勝共連合であり、そして、その思想的な団体が原理研究会であり、宗教法人に統一神霊協会というものがあるわけです。したがってこれは、教祖は韓国人でございますから、言うまでもなく、非常に反共、勝共ですから、朝鮮民主主義人民共和国に対しては非常に敵対的な反共イデオロギーで組織されていることは明らかでございます。したがいまして、この原理運動で被害を受けた母親たちがこの運動をやっているのに対して、これは朝鮮総連その他から金をもらって運動をやっているというふうな宣伝を行っているが、事実、根拠のないものについての説明を願いたい。 以上九項目にわたって公開質問状が出ているが、御存じですか。
○佐野(文)政府委員 大学あるいは高校の学生、生徒の間に非常に熱狂的な信者が多いという点は、私どもも街頭における活動を拝見していて承知いたしております。 いま御指摘のそれぞれの質問事項の大半については、私どももなるほどと思って伺っていたわけですが、そういう公開質問状が出ているという点は承知をしておりません。
○嶋崎委員 文部省には提出してあります。ことしの三月ごろにわが党の政策審議会の渡辺君が引率しまして、文部省の宗務課にまで書類が提出されているはずでありますから、一度この公開質問状を大臣は後で目を通しておいていただきたい。 さて、ここで言っている、高校生や大学生が熱狂的な信者になることはいいにせよ、その子供たちを保護者の承諾もなく海外に派遣する、そのことによってある時期研究、教育が中断されるわけですね。そういうことのために、この宗教は御承知のように、集団結婚なんかをやって大変にぎわしている宗教でございます。そうしておかしな宗教でございまして、この文鮮明さんのような教祖とセックスの関係を持つと、女の人は非常にきれいな心になるそうでございます。そういう意味では、この宗教、この団体に入れるときに非常な一種の思想改造をやるわけです。そして一種の錯乱状態になるわけです。もういままでの価値観や何かひっくり返してしまうわけですね。そうして一種の錯乱状態にさせて、女というのはいかに罪が多いかということで、嫉妬だとかそういうものをあなたが持っているからと責めていくわけです。そうして精神状態が錯乱状態になるわけです。そういう状態から脱する手段として、この集団のリーダーと肉体的な関係を結ぶとそういうものがなくなるということが言われて行われている。そうして集団結婚という妙なものが行事として行われていることは新聞や何かで御承知だと思います。 いずれにせよ、高校生や大学生が、恐らく大学側もわからないうちにいなくなってしまうのでしょうが、保護者の承諾もなしに海外に派遣して研究や教育が中断されてしまうという事態から、非常にこの被害者父母の会の人たちが悩んで、警察やその他に大変な陳情をしております。こういう宗教のあり方、こういう思想団体のあり方はいいものでしょうか。
○永井国務大臣 宗教の内容それ自体につきましては、私も十分承知をいたしておりませんが、ただいまのお話を承ってある程度の理解を得たわけでございます。しかし、宗教の内容に立ち至って、ある宗教は是である非であるということを文部省が申しますことは、妥当でないと考えます。ただ、高校生とか大学生というのは勉強をするために学校に行っているわけでありますから、保護者の問題というのは年齢等関係があると思いますが、学校から突然いなくなって勉強しなくなるということは妥当でないと思います。これはその宗教と他のものにかかわらずそうであろうと思います。
○嶋崎委員 いまこういう質問状が出ていますから、後で目を通してください。 この被害者の会の人たちのお話を聞いて私はこれは大変大問題だなと思っているところでありますが、この原理研究会というのは、被害者の会からこういうものが出てくるぐらいの内容を持っているわけです。しかし、思想、信条は自由です。信教は自由ですから、そういう研究会はあってよろしいと思います。 そこでお聞きしますが、こういう日本の国内で、われわれの日本の家族観、倫理、伝統的な価値観、そういうものと違ったこういうものが子供たちに持ち込まれて被害を受けているわけですが、この原理研究会の集会に自由民主党のかなり重要な大物がメッセージを送り、そして集団見合いか何かにもメッセージを送っているという事実を御存じですか。
○佐野(文)政府委員 存じておりません。
○嶋崎委員 閣僚級の大物が行っております。名前は申し上げません。 そこで、お聞きしますが、大学の学長並びに副学長と言われるような重要な要職、大学の管理運営、教育の上の大事なポストにいらっしゃる人が、この原理研究会の機関紙を大学の行事に際して、正規の大学の行事ですよ、学校の行事にこの機関紙を公然と配布するということはいかがでしょう。どう思いますか。
○佐野(文)政府委員 この御指摘の宗教団体に限らずに、特定の宗教団体のもののみを大学が大学の行事で配布するということは適切ではないと思います。
○嶋崎委員 特に大学の学長や副学長と言われる人がこの原理研究会の統一機関紙世界学生新聞を大学の行事のときに配布するということが行われている大学があります。その大学の中で共産党の赤旗を売ったら禁止されるわけでございます。社会新報はやはり売る努力をしていますが、こっそりやっております。赤旗は公然と一度売られ始めたのです。その赤旗の配布はチェックされました。そして、一方でこの原理研究会の世界学生新聞は大学の行事に際して全員に配布されている、こういう大学に研究、教育の自由というものが保障されていると考えますか。
○佐野(文)政府委員 政党の機関紙の配布について大学が構内におけるその配布をどのように取り扱うかというのは、大学の方針があろうと思いますが、その場合に、政党によってその取り扱いが異なるというのは適切でないと思います。政党の機関紙の場合と一般的な団体の機関紙なりあるいは宗教団体の機関紙の場合とは多少事柄が違うかもしれません。ことに私立大学の場合などは、その私立大学の建学の趣旨としている教義とのかかわりもあるでしょうけれども、一般的には先ほども申しましたように、それらの取り扱いについては一つの方針を大学が持つということはあっても、その場合の取り扱いというのは公平でなければならないと思います。
○嶋崎委員 私は、大学の学生組織が一つの党派的活動で支配されるのはよくないという見解を明確に最初させました。しかし、学生が共産党の機関紙を内部で売ろうが配布しようが、社会新報を配布しようが、自由民主党の自由新報を配布しようが、その自由は大学の中にもあると思いますが、いかがですか。
○永井国務大臣 大学の中でいろいろな種類の刊行物を配布する自由はあると思います。
○嶋崎委員 そうしますと、その国立大学は社会党や共産党の機関紙の配布に対しては非常に厳しくて、大学の行事に世界学生新聞が配られている、その中にはその大学の建学の精神というものが語られている、非常識だと思いませんか。国立大学です。
○佐野(文)政府委員 どういう状況のもとで、どういう内容のものが、どういう趣旨で配布をされているのかということについて、やはり実情を確かめてみませんと一概に申し上げられないと思いますが、もし大学の建学の趣旨というものを学生に示す必要があるならば、それは大学の文書で示すというのが最も適切だろうと思います。
○嶋崎委員 大学は伏せますが、大学の新入生あての、正規の学生に向けての入学式の内容と大学の精神がこういう形で報道されている新聞でございます。そして同時に、この新聞を使って学生の重要なある行事に、大学ができてからしばらく、昨年の五月ごろに大学の行事に際して建学の精神、大学の理念、開かれた大学の意味、そういう大学のあり方というものについて、この機関紙を使って学生に配布をしているという事実がございます。まあお調べになってないからわからぬでしょう。僕は全部持っておりますから、全部コピーしてありますから。こういう大学はおかしいと思いませんか。政党の機関紙を売る自由が否定されて、先ほど言うように、原理運動被害者父母の会が大変な全国組織になって子供たちのことを心配しているその団体の学生新聞に、国立大学の開学の精神や大学のあり方を論じて、そうして学生に配布をしている。これはおかしいと思いませんか。この大学は国立大学です。
○永井国務大臣 私立大学の場合には宗教的な教育というふうなものを目的としていることがありますから、それが建学の精神となっているものもあると思います。国立大学につきましては、建学の精神は正式には大学の文書によって示すべきであると考えます。
○嶋崎委員 私の質問に答えていませんが、原理研究会の学生機関紙を通じて大学の開学の精神やそういうものを一方で説いておる。そうして他方で政党の機関紙を配布することについてはチェックをかけている。とすれば、その大学は学問、思想の自由がありますか。
○永井国務大臣 ですから、私は先ほどお答えしたつもりでありますが、大学の建学の精神は、国立大学ですから、その大学が刊行いたします公式の文書によって示すべきものでございますというふうに申し上げておるわけでございます。
○嶋崎委員 大学の学問、研究の自由というときに、学生が政党の機関紙を売ることはチェックされ、原理研究会の統一機関紙に開学の——公の文書みたいに行事に配布されるという大学は、真の学問の自由や研究の自由が保障されていると考えますかと聞いているのです。
○佐野(文)政府委員 先ほどもお答えいたしましたように、大学の構内における政党機関紙の配布をどのように取り扱うのかということは、大学の御方針があり得ると思いますが、大学の正式の行事の場合に、その大学の建学の趣旨というふうなものを、一つの団体の機関紙に掲載されたその論文等によって学生に示すということは、その大学がその機関紙を発行している団体と積極的なかかわり合いがあるということを学生に思わせるおそれがあります。そういう意味において適当でないと思います。
○嶋崎委員 したがってこの大学は、大学の副学長が中心になって、この機関紙の常時投稿者であり、そしてその内容は反中国、反朝鮮民主主義人民共和国、反共のイデオロギー的なものが常時連載されてもおります。単に一人の副学長だけじゃなくて、大変なことであります。一人だけじゃないのです、名前は申し上げませんが。 だからそういうことになれば、学生の側から見れば、ああこの大学は世界学生新聞を配布する大学なんだなという印象を持つのは当然だと思います。現にそういう投書が私のところにいっぱい来ております。こんな大学でいいのでしょうかと。そこで私は疑問を持ったのです。そこでその新聞を全部コピーし始めたのです。そうしたら大変なことでございます。 したがいまして、いま大臣も局長も言っているような、大学の一教官が赤旗に投稿した、大学の一教官が社会新報に投稿した、これでも私は一定の限界はあり得るだろうと思います。しかしその際に、大学教授つまり国家公務員の名前を使ってやる場合の限界みたいなものは、大学人としての限界があると私は思う。だから私は大学をやめたのです。政治活動をやるときには公務員の肩書きを使うべきではないと思ったからやめたのです。しかし、大学の副学長という名前、大学の学長という名前を使って、そして世界学生新聞という先ほどの原理研究会の機関紙にいつもその大学の開学の精神というものが論ぜられている。こうなれば、その大学は原理研究会ないしはこの統一原理と不可分な結びつきがある大学だと学生が判断するのは当然だと思う。これについて大臣は、そういう大学があったら一度調べて、そういう癒着の関係がないようにする指導、助言をすべきだと思うが、いかがですか。
○永井国務大臣 大学は研究、教育の自由を重んずべきでございますから、一党一派に偏してはならないと考えます。また、御指摘のとおり学長に限らず教官の場合にも恐らくいろいろ一党一派に偏する刊行物への投稿というものにはある種の節度は必要だと考えます。学長の場合には特に必要であると考えますから、仮にそういうものがあります場合には、私たちといたしましてまずその実態というものを明らかに把握する必要があると考えます。そして、本来の大学の精神に基づく運営が行われるというふうにわれわれとして助言いたすべきであろうと思います。
○嶋崎委員 その大学では原理研究会は合法的サークルであります。しかし、その他のサークルについては届け出によってチェックされたり、認められたり認められなかったりしております。つまり学生の内部にはその原理研究会がクラスごとにずっと組織されております。そして、比較思想研究会という名の原理研究会が大学のサークルとして網の目のように組織されている。そしてその新聞はもちろん公然と売られているし、届け出も認めているが、たとえば社会科学研究会とかその他のサークル団体をつくったときに届け出を出しますと、大学では一々かなり厳しいチェックをしております。おかしいじゃありませんか。さっきから言いましたように、被害者父母の会がこれだけ切実な訴えをあらゆるところに出している。そういうところに学生が行くことについて親は心配しているとぼくは思う。思想、信教は自由です。しかしそれにも限度というものがある。人権問題もあれば、いわば就学の権利というものもある。そういうものに対して思想的な一種の暴力でもって事が処理されていたら大変なことでございます。その研究会は合法なんです。そして社会科学研究会が五党討論会を企画すると、君らのサークルは公認のサークルでないから五常討論会は認めませんというのです。実はこの比較思想研究会が主催したのが自由民主党の参議院議員を呼んだ学内集会でございます。そっちの方は認め、五常討論会は認めない、こんな大学がどこにありますか。おかしいと思いませんか。国立大学ですよ。
○佐野(文)政府委員 大学の指導方針の枠を超えるか超えないかという問題がございます。大学の指導方針の枠を超えないものについては、その大学所定の手続に従って公平な取り扱いによってサークルの結成なり活動なりは認めていくべきものであると思います。
○嶋崎委員 いまの局長答弁ならば、その大学がわかったら、いまのような大学のあり方について文部省は指導、助言すべきだと思うが、いかがですか。
○佐野(文)政府委員 実情について私どもまず十分に承知をいたしたいと思います。その上で判断をいたしたいと思います。
○嶋崎委員 それから、もう一つお聞きします。 世界平和教授アカデミーという学会を御存じでしょうか、大臣。
○永井国務大臣 その世界平和教授アカデミーは存じません。
○嶋崎委員 これは韓国と台湾と日本のいま言う大学の教授たち、学長、副学長を含めて、それで推進している学会でございます。これはその機関誌でございます。これは創刊号、その他のもの、ここに全部入っております。この雑誌はどこから金が出ているかも重大な問題でございます。それはきょうはやりません。しかし、この学会の中でいま申し上げました大学の副学長が発言していることを二、三申し上げましょうか。まあ細かなことはやめましょう。一口に言えば、日本と韓国と台湾は歴史的伝統も文化も同じだから、ここががっちり団結をしていかなければ、アジアの平和と世界平和は守れないという考え方に基づいている理念が貫いております。さて、台湾はいまどこの領土でしょう。御存じでしょう。中華人民共和国の一部でございます。上海コミュニケにおいてもそうだし、日中平和条約を結ばなければならぬという段階でございます。そういうときに台湾の大学の——中国の社会制度ややっていることがいいと私は言っているのではありません。社会主義国にもいろいろあるし、私も批判的ないろいろな考え方がございます。しかし、一国の主権を構えた中華人民共和国の一部であって、その一部にある大学の教授たちが中国の国家形態、組織形態、イデオロギー等々について厳しい批判をしている。そういう学者と日本のいま申し上げた大学の副学長とは密接不可分に結びついている。同じ考え方をもって朝鮮民主主義人民共和国を敵視し、そして勝共連合とおぼしき政治活動の一翼を担っているのではないかと考えられるような韓国の学者と結びついている。そういうことが行われているとすれば、その国立大学に何か支障が起きると思いませんか。
○佐野(文)政府委員 国立大学の教官がどういうふうなものの考え方をするかということは、それは私どものあずかるところではないというふうに考えます。問題は、大学の運営あるいは教育、研究というものがそれによって何らかの影響を受けるかどうかというところにあるのでございましょうし、それも第一義的にはもちろん大学の御判断になるべきことであろうと思います。
○嶋崎委員 教育研究上何か支障が起きませんかと言っている。ぼくなら直感的にある問題に気がつくけれども、大臣、気がつきませんか。
○佐野(文)政府委員 先ほどから申し上げておりますように、まずどのような実態なのかについて十分承知いたしたいと思います。
○嶋崎委員 こういうことです。いま東京大学の中に朝鮮人の留学生をめぐって大変な問題があることを御存じですか、大臣。
○木田政府委員 東京大学で御指摘のような問題があることについて、残念ながらまだ承知をいたしておりません。
○嶋崎委員 こういうことです。 教授のセミナーで、韓国系の学生と北朝鮮系の学生、ないしは北朝鮮系の学生ではなくて韓国系の学生で、反朴的思想を持った学生と朴政権に非常に好意的な学生——これがどうもKCIAとのつながりがありそうなのです。というのは、セミナーをやりますね。そうしますと、そこで学生と教授との議論が行われます。朝鮮問題なら朝鮮問題で議論が行われる。これは東大のその教授から聞いたのですが、そうした場合に、その質問に教授が答えるときに、教授は日本の大学の教授ですから、思想、信条は自由だ、スカッとしたことを言います。そのときに、そこにいた二人の留学生のうちの片一方は朴政権を支持し、片一方は反朴的である場合に、その学生は韓国に帰ることはできません、幾つかそういうデータがっくり出されますと。そのために、東大の教授は、その学生を韓国に帰さずに、大学院の課程を終わったらアメリカに行かせるような努力をしています。こういう事実が現実にあります。 さて、先ほど言いました国際フォーラムにある平和教授アカデミーに結びついている教授、個人の教授が結びついているのは学問、思想の自由ということが言えるかもしれません。しかし、大学の管理的地位にあり、大学の人事権にも介入し、学生の指導にも介入している、筑波大学の場合には。そういう意味において、非常に重大なわけであります。その大学で外国人を受け入れる場合に、問題を起こす可能性はないかということを実は私は危惧するのであります。どうですか。
○木田政府委員 いま御指摘のように、大学にはいろいろな思想、信条をお持ちの教官がいらっしゃいます。そのことから、おのずから、個々の大学の場合に何らかのカラーというものが浮かび上がってくるということもあろうかと思います。 また、いま御指摘がございましたように、大学の教官の立場、あるいは学生の見解によりまして学内でいろいろな問題が起こるということは、過ぐる大学紛争の経過その他を考えてみましてもあり得ることだと思います。しかし、それを個々の大学が良識を持って処理していくというのが大学の自治であり、大学の運営であろうかと思っております。ですから、個々のケースをとってみますと何がしかの問題が起こることはあろうと思いますけれども、しかし、それをどうやって乗り越えていくかというのが現実の大学の運営かと考える次第です。
○嶋崎委員 木田さんは大学局長じゃないのでしょう。学術局長です。あなたにいま質問しているのじゃないのですよ。どうして質問に答え始めたのですか。ぼくはいま大臣と大学局長に聞いているのですよ。ちょっと待ってください。発言を封じているわけじゃないけれども、もう時間がないですから、いまのようなことを木田さんが言い始めたら、いままでの私の質問を初めから全部やり直さなければいけませんよ。 被害者父母の会ができて、大変な質問状が出ている事実もいいですよ。そうして大学におけるサークル活動や大学における活動という問題について、局長も大臣も、公の大学のあり方みたいなものを、大学の新聞で言うのならいざ知らず、それを世界学生新聞というようなもので報道したり公の行事に配付しているのはおかしいというふうに回答されておられるのですよ。そういう一連の議論の経過を踏まえていま問題にしているのですから、それを大学が自主的に判断して、大学紛争があったから今後云々とまた初めに戻るような、そんな筑波大学論争みたいなものをいまぼくはしたくないのですよ。 私が言っているのは、たとえばその大学に外国人の留学生という問題が起きたときに、思想、信条の自由が侵される危険性があると言っているので、何もそんな事実があったとか言ってないのです。将来そういうことが起こり得る可能性がありはしないか。その例として、この平和教授アカデミーというものとその大学の副学長が密接に結びついている。しかもプロモーターなんです。しかも、その韓国の教授たちは原理研究会と密接につながっています。私は、これはデータを持っています。きょうは細かいこと言いません。それだけに、日本と韓国と台湾だけがアジアの平和の中心になっていかなければならない、仲よくしなければならない、そのいわばアジアにおける使命を持った三国だという確認、一体となってというような言葉をしょっちゅう言っているのですから、確認のもとに進められるこういう学会に一教授が参加することはあり得るとぼくは思うのです。しかし、大学の副学長という名前を堂々と出し、しかもその大学の副学長がこの学会のプロモーターです。金も大変怪しい。そういう意味において、大学が少しゆがみ過ぎているというふうに私は思うのです。だから、学生の自治活動の自由という問題それから思想、信条の自由ないしは研究の自由という問題そういう観点からすると相当な問題点を持っているというのは、いま挙げた幾つかの例でおわかりだと思います。 それで、もう時間がありませんが、これが筑波大学でございます。私は、筑波大学はこの委員会で長い討論をしました。こういうことになることを恐れたから長い討論をやったのです。私の予言したとおりの実態が現在ある。しかも、先般の委員会で木島委員から、筑波大学の副学長人事とそれから今日のロッキード事件と関係のある人たちとの怪しい問題について質問がありました。あたかもそれを支えるかのごとく、この大学の実態は、国立大学にしてはよそではとうてい考えられない大学でございます。このような大学が新構想大学なのかどうか、大臣どう思いますか。
○永井国務大臣 ただいま、筑波大学という固有名詞が出ましたが、大学は、筑波大学であると否とを問わず、また右翼であると左翼であるとを問わず、政治的活動を目的にしているのではなく、自由な学問、研究の場でありますから、そうした方向というものを大学として目指すべきが当然でございます。したがいまして、実態に即する調査は常に文部省として心がけるべきことでありますが、そうした調査を踏まえまして大学の基本的な精神というものが、新構想であると既存であるとを問わず、一層実現されていくように、われわれとしては日本の国立大学の方向を定める行政を行うべきものであると考えております。
○嶋崎委員 一つだけ最後につけ加えておきます。 その学生が集会に要請して不許可になった講師の名前を挙げます。朝永振一郎教授、湯川秀樹教授、江上不二夫教授、和光大学の生越教授、家永三郎、和歌森太郎、これらの先生方の集会を学術的集会として企画をしたのに対して、大学は、開学の理念と反する学者だからどんなに科学者としてすぐれていてもこういう学者を呼ぶことはできませんと言って、これらの学者は全部大学で拒否されました。朝永振一郎さんですよ。江上不二夫先生ですよ。よく考えてください。どうだ。(「一人二人断るのはぐあいが悪かったのじゃないか」と呼ぶ者あり)そんなことはない。そして、自由民主党の参議院議員は学内講演ができるのです。五党討論会はできないのです。そしていま挙げた学者の集会が全部不許可になっているというのがこの筑波大学でございます。こんな大学は全国の国立大学にはどこにもございません。これが東京大学と京都大学に匹敵する新構想大学なんです。こんな大学を文部大臣として放置してよろしいと思うでしょうか。お考えですか。
○永井国務大臣 文部大臣の方針は非常にはっきりしておりまして、新構想であると既存であるとを問わず、そして学者にいろいろ違う考えというものも政治についてありますが、それ以上に学問の研究に関してはいろいろ異なった角度からの研究がありますから、したがいまして、わが国の大学にはいろいろむずかしい問題があるということは承知をいたしております。そして大学紛争以来非常にむずかしいその問題というものが簡単には解決しないままに今日に及んでおるわけでありますけれども、しかし理想と原則は明瞭でありますから、そうした方向に向けまして、すべての大学、たまたま筑波大学がただいま問題のものとして提案されましたけれども、そういう大学というものを原則の方向に向けて発展させるようにすることがわれわれの務めであると考えております。
○嶋崎委員 そこで最後に、世界学生新聞に投稿された副学長のこれ、全部ここにあります。これは図書館にある新聞ですから。ですから、こういうものを大臣として一遍検討してもらう。それから先ほど挙げた原理研究会の総務課ですか、あそこに出ているはずですから、こういうことがその大学において起きないように調査をしていただく。それから、これはそれぞれの学者の課題ですから——この機関誌を教えておきましょう。「国際文化フォーラム」、これも国会図書館にあります。こういうものについてもう一遍、筑波大学のあり方について、そんな大学の内部に、ああせいこうせいと言うことはできないでしょう。しかし新構想大学と称して出発した筑波大学が、私がおそれた学問、研究の自由というものが、非常に危険な状態にあるということはいままで申し上げたとおりでございますから、そういう点に留意していただいて、少なくとも副学長の今日とっているような行動については、どこかで、せめて裏からでもいいから、大学のあり方としてこういうことは注意する必要があるということぐらいは、その言い方はむずかしいけれども、私は大臣として言ってほしいと思う。しかし、いずれにしろこの調査だけはやった上で、この筑波大学のあり方についてまた委員会で議論をさせていただきますから、そういう意味で調査の結果と判断を次回の国会までの間に大臣の方や文部省の方で判断、一定の考え方をまとめておいていただくことを要望いたします。 これで終わります。
○登坂委員長 次に、高橋繁君。
○高橋(繁)委員 厚生省も待っているようでありますから、先に血友病の問題で質問を二、三して次に移りたいと思います。 この血友病患者のことについて、小学校、中学校で大変困っている問題があるようであります。十分な学校教育を受けることができない。したがって、対人関係を保つのに大変未熟であるとかあるいは出血時に学習活動が中断をしなくちゃならない。そういう血友病の特質から、これは全部の学校ということはいきませんが、現在国立の東埼玉病院内に黒浜高校というのがあります。そこが治療を受けながら教育を受けているわけです。具体的には、特に階段等でころびますと、血友病の患者が大変なけがをする。これは独特な病気でありますので、具体的に県下に二校ないし三校あるいは一校でもいいから、上下に移動できる設備があれば大変助かる、あるいはそうした血友病の患者の子供を守るために特段の教育についての配慮をしてほしいという要望がございますが、まず最初に文部省はそういう限られた、児童数、生徒数も少ないわけでありますが、そうかといってこれを野方図にするわけにいかない。したがって、この血友病の児童、生徒についての考え方をまずお聞きしたいと思います。
○永井国務大臣 血友病の児童、生徒につきましては、障害の程度が重く、特別の配慮を必要とするものについて教育委員会の就学指導委員会の判断によりまして、養護学校に就学して実態に応じた教育を受けることとなっております。ただ、現状必ずしも十分と言えませんから、この就学指導委員会の充実については、一層努力をしたいと考えております。 また、血友病の児童生徒を養護学校に収容するかあるいは一般の学校に収容するかということは、教育上の問題としても考慮すべきでございますが、一般的な問題として心身障害児童を収容する特殊学級施設につきましては、施設整備の助成において、特にいろいろ整備面積など大きくして国庫負担の措置を講じているわけでございます。 こうした考え方に基づきまして、今後も血友病を含みます心身障害児のための施設の設計、仕様、そうしたことについて努力をしたいと思っておりますし、また公立学校の施設担当者研修会というようなところでも、血友病を含めましてわれわれとして一層の充実を図るよう努力をいたしたいと考えているわけでございます。
○高橋(繁)委員 これは治療とかそういうことによってずいぶん助かる病気でありますので、現在大学の講師ですか、助教授をしておる方もあります。したがって、いま大臣が言っておりましたが、養護学校に入れることも一つの方法かもしれないが、あるいは普通の小学校、中学校に入れることがかえって適切であるという場合も多いので、それにはそうした施設も考慮しなければならない、こう考えますので、ひとつ特段のこれに対する対策の樹立をお願いしたいと思います。 それから、厚生省来ておりますので、それに関連しまして、この血友病の患者につきまして満十八歳までは治療を国費で見る、それ以後は打ち切りになるわけですね。年齢制限の撤廃ということが現在あるわけです。それについて非常に問題が起きている。たとえば全国でいま七県、市で年齢制限を撤廃しているわけです。そうなりますと、この患者たちはたとえば茨城県から静岡県、東京都、神奈川、川崎、横浜、山口とかという七つの県、市で実施しているので、そこへ移動する、こういう結果ができてくる。住みなれた土地を離れて、そうした府県が年齢制限を撤廃しているところに移動して、そこで治療を受けるということは、多額な金を要する。そういうことが一体あっていいのかどうか。私はこういう、特に難病対策であるとかあるいは年金の問題とかいうものは国が統一をしてやるべきである、こういうふうに考えるわけです。したがって、この年齢制限の撤廃をして、どこでも安心して住めるような体制をつくらなくてはならないと思うのです。あわせて、時間もありませんから、難病指定をなぜしていないのか、また、する意思が将来あるのか、この二点について……。
○北川説明員 血友病は、早期に治療をするということによりまして、年齢が長ずるにつれてだんだん症状が軽快をしていくわけでございます。厚生省では、児童の健全育成の立場から、血友病を含む特定の慢性疾患につきまして、小児慢性特定疾患対策といたしまして十八歳未満の児童に対して医療費の負担を行っているわけでございます。 この行政の趣旨は、これらの疾患が放置をされることによりまして子供たちがその将来の発育がいろんな点で阻害をされる、それから、医学研究の上からもこれらの疾患がまだまだ解明されていない点が多いというようなことに着目いたしまして、これらの疾患に研究を行う、その研究に参加をしていただくという立場から医療費の公費負担をしているわけでございます。したがいまして、比較的年齢の低いところで発病して長期に罹患をしているというこれらの疾患を、何とか早く医療に結びつけたいというのがこの制度の趣旨でございます。
○古川説明員 いわゆる難病のうち、原因が不明で治療方法が確立していない疾患については、特定疾患対策懇談会の意見を聞いて特定疾患に指定して、具体的に申し上げますと、特定疾患研究事業費として、一つは調査研究、二番目には医療費の自己負担分の公費負担をしております。現在この対象に十五疾患がなっておるわけでございます。 この指定の考え方でございますが、ただいま申し上げたとおりでございますが、さらに詳細に申し上げますと、たとえば出生の前あるいは出産の前後、あるいは小児期に原因がある、またそういうふうなことですから、遺伝性の疾患である、こういうふうなことがはっきりしているものについては特定疾患としては指定していないというのが現状でございます。
○高橋(繁)委員 いや、ぼくの質問に答えてくれればいいのですよ。年齢制限の撤廃をする意思があるかないか。もう十八歳までは国費でめんどうを見ているのは、こっちはわかっているのですよ。それだけ答えてくれればいいのですよ。どうですか。
○北川説明員 先ほども御説明申し上げましたとおり、厚生省といたしましては、これらの疾患が、成長期にある児童の疾患を早期に治療をすることによって問題を将来に残さないようにするということが趣旨でございますので、現在の段階では十八歳未満ということにしておるわけでございます。これは他の児童福祉法の全般的な行政にそろえておるわけでございます。
○高橋(繁)委員 この病気は確かに幼少、小学、中学生の時代に治療すればそれで治るというものじゃないのです。満十八歳になって、それまで治療すれば治って後は自然に回復していくという病気じゃないのです。そこで切れると、その人はそこで命を失うということが考えられるのです。続けて治療をするところにこの病気の特質があるわけですよ。そこで十八歳で切られては困ると言うのです。何万円も金をかけなければできない。したがって、そうした年齢制限を撤廃している県に移動するという事態が起きる。これじゃ私は非常に不公平だと思う。だから、幼少のときに治療してそれがだんだん回復に向かっているならそれは結構です。そういう病気でないということを厚生省もひとつ考えて、各都道府県で年齢制限を撤廃しているところがあるのですから、人数にしてもそうたくさんな人数じゃないのです、こういう病気こそそういう撤廃をして、守ってやる、先ほど申し上げたように大学の教授までしている人がいる、治療しながら一生懸命教えている、そういう人材もできているのですから、治療することによってその目的が達せられ、人命を少しでも長生きさせていくことができるこの病気なんです。そういう意味で、積極的に検討していただきたい。 何回答弁しても同じでありますから、それでは厚生省結構です。 次に主任制の問題について、これは大変問題になって、現在もきております。また、主任手当を出すということで現在内閣委員会でも非常に議論が交わされているようでございます。そこで、人事院に若干確認をしたいこともありますのでお聞きしたいのですが、この教員給与の改善について人事院は勧告をいたしました。そのうち、主任の制度化による主任「手当の支給対象は、主任等の実態を考慮しつつ定めるものとし、」とありますが、一体「実態を考慮しつつ」ということは何を指しておるのですか。
○茨木政府委員 勧告段階でそういう書き方を説明のところでいたしました理由は、当時勧告前から、国会の予算委員会等でもいろいろ御議論がございました。各県の主任制度の整備状況等についての御議論もございましたようでございます。そこで、そういうものも踏まえつつ、かつ、これは特殊勤務手当でございますので、そういう実態を備えてまいりませんと手当支給の対象になってまいりません。そこで、任命がされ、現にそういう仕事に仕えているかどうかというような状況を確認いたしました上でやる必要があるという意味でそういう書き方をしておるわけでございます。
○高橋(繁)委員 主任が制度化されて、それが現場で制度化されあるいは任命された上で、その実態がどのようになされているかということを確認をした上で定める、あるいはさらに具体的な勧告を出す、こういう意味ですか。
○茨木政府委員 当時勧告の説明のところで骨格はお示しをしておるわけでございますが、それは文部省の方で制度化しましたものを受けまして——読んでみますと、「今回、関係法令の改正により主任等についての規定の整備が行われ、その職務の明確化等が図られたが、これらの主任等の職務を行う教員のうち、」ここからそれを受けてくるわけでございますが、「各種の教育活動についての連絡調整及び指導、助言に当たる者で人事院の定めるものについては、これに見合う処遇を行う必要があると認められるので、特殊勤務手当として教育業務連絡指導手当を支給することとする。」こう書いておるわけでございます。そこで、当時制度化は昨年のうちに一応されたわけでございますが、県段階、市町村段階等におきますところの制度化というようなものがその勧告を出す段階ごろには盛んに行われておる時期でございます。もちろん私どもの直接所管しております国立につきましてはそのころ大半終わっておるわけでございます。でございますから、それだけを踏まえればそれで判断をしてもよいという考え方もあろうかと思いますけれども、何せこの問題は公立の方にも直接影響のある問題でございますので、公立の方もある程度整備した状況で、特に予算委員会等で野党議員さんからも七、八割の整備をしておればともかくというような御発言もございましたようですので、そういうような段階も踏まえてやることが適切ではないかというような判断が人事院限りでも行われて、そこでこのような表現になったわけでございます。
○高橋(繁)委員 そうしますと、内閣委員会で法律が通った暁、あるいはいま申された七割前後の実施でやる。報道によりますと、七割前後の実施で事務総長通達でそれを出すというようなことを聞いておりますが、そういうように理解してよろしいですか。
○茨木政府委員 この段階等におきましては、もちろん今国会にこれと関連いたします特別手当、全員に対します分ですが、二%改善のものが給与法の改正という形で出されておりますので、私どもの考え方といたしましては、やはり全員に対します手当と相伴いまして同時にやりたいという気持ちでございました。そこで、まず七、八割以上整備しますという実態を踏まえつつ、かつそちらの方の法律が通りまして一緒にやることが最も好ましい、こういう判断をしておったわけでございます。いま国会に諮りまして、日数もあと残り少なくなったようでございますが、一応お願いいたして、一日も早く本当は上げていただきたい、こういう気持ちでおるわけでございます。
○高橋(繁)委員 一部に人事院はそういうような妥協的な産物みたいなことで発表しておりますが、文部省は人事院とすでに主任に手当を出すということを合意しておるというふうに聞いておるわけですが、その辺のことはどうなんですか、文部大臣。主任手当を出すというその主任はどういう主任に手当を出すか。
○永井国務大臣 主任の手当支給の範囲でございますが、これは人事院におきまして専門的なお立場から検討していただく事項であると考えているわけでございます。ただ、文部省といたしましては、省令化されました主任に対して手当支給の道が開かれることを希望いたしているわけでございます。
○高橋(繁)委員 人事院が四十億のこれに対する予算を一応考えておるということで勧告しておる。四十億でありますと、五千円ということで勧告しておりますから、年間六万、——大体何人くらいの人員を対象にした四十億円でございますか。
○茨木政府委員 その当時その数字が出ましたのは、二百二十億ばかりの予算が、諸手当も全部合算いたしますとそういう姿に、三次改善の平年度化された部分がございます。そういうことであったわけでございます。そのうち、先ほど触れました二%の特別手当の改善分、これが約百六十億ぐらいになりましょうか。それから、二次から残っております校長、教頭等の本来の等級への格づけがまだ一部残されております。この関係を進めてまいらなければならない。これが十億程度要るであろう。それからもう一つ、説明のところで触れております部活動の特殊業務手当でございますが、これを従来支給をしておりましたものよりも範囲を拡大していくという関係を十億ぐらい見ておるというような姿がございます。その辺からあと残ったものが、いま先生がお挙げになったような数字になってまいるということから出てまいったわけでございます。 そこで、その対象が何名になりますというふうに、私どもの方としましては詰めた考え方をこの段階でまだしておるわけではございません。その残額で処理していくという考え方でございます。と申しますのは、一応、その当時文部省さんから要望されましたものを基礎にいたしますと、当時、文部省さんの省令にうたわれましたもの等はたくさんあったわけでございますし、ほかの席でも、たしか文部省さんの方がその当時十数万になるというような人数をお挙げになった場面もあったやに私は記憶いたしております。そういうものを概算してみますと、いまそちらの方で挙げております数字と大体見合ったような数字になってくるということは、これは大体踏まえておった数字でもございます。ただ、自主的に私の方で何名出すというふうに確定してそこであれしたわけではないので、概算的にそういうもので大体見合ってくるだろう、こういうふうに考えております。
○高橋(繁)委員 素人的に考えまして、四十億で六万支給しますと、約六万六千人じゃないですか。小中学校全国合わせて三万五千、そうしますと、ごく簡単な算術的に考えると平均して各校二名ということになりますね。そういう勘定になりませんか。私、いまここでざっと勘定しただけですが、それだけの予算が組まれていると判断して、どうですか。
○茨木政府委員 小中学校の学校の数で割り返せば大体一校当たり幾らというような人数が出てくるということはいろいろ考えられております。あそこで挙げられておりましたのも、小学校で言えば教務主任、これは各学校一人だろうと思いますが、それにあと学年主任が挙がっておったわけでございますが、これをどの程度の規模で置くかというのが一つの問題点であると私どもは考えております。そういうものでございますから、そうしますと、少なくとも二人以上のものを平均的に言えば考えておったのじゃなかろうかというふうに思われます。
○高橋(繁)委員 人事院はそのように考えておる。文部大臣は、先ほど、省令化した幾つかの主任を考えておるということになりますと、そこに大きな差が出てくるのじゃないですか。この辺、どうですか、大臣。
○永井国務大臣 先ほど申し上げましたように、文部省としては省令化しまして要望いたしたわけでございますが、これは、最終的な勧告というものは人事院において専門的なお立場で御検討になってお示しになるものと考えております。
○高橋(繁)委員 予算から、人事院の勧告されたものから見ると、そういうことであります。そうしますと、主任制の問題はさらに問題を残していくような感じがいたします。 きょうは時間がありませんので、もう一点。 主任の手当を特殊勤務手当の中に入れると言うのですね。特殊勤務手当というものは危険とか不快とか不健康または困難な勤労、そういう内容でありますが、大臣がよく言う教育活動において連絡調整及び指導、助言に当たる仕事であるというものをこの特殊勤務手当の中に入れることが一体妥当であるかどうかということですね。その辺について人事院はどうですか。
○茨木政府委員 特殊勤務手当にするまでにはいろいろ吟味を重ねてまいったわけでございます。それで、よほど前からこういう問題もございましたし、それから昨年の二次、三次の要望の段階でもこういうものについて何らかの処遇をするようにという要望もございました。 そこで、昨年以来のいろいろ主任制度を定めますことをめぐりましての文部省と国会の各方面との間の御議論等の動きを見ておりますと、今度の制度化されました主任というものは管理監督の職であるかどうかということをめぐって大変論議があったことは御案内のとおりでございます。そこで、これはそういうものではないのだということの一つの性格づけがだんだん固まってまいったように思います。 そういうところから、まずこれが通常常識的にそういう指導的なものに当たる者であるならば、何らかそういうような固まったもので処遇していくというのが本当はいいのかもしれませんけれども、そういうものでないということがむしろ非常に強く論議され、中心点になったような経緯もございますので、したがってこれは私の方で言いますと特別調整額、地方の方の団体で言いますと管理職手当、こういうもので取り扱うことは適切でないということが一つまず固まってまいったわけでございます。 そういたしますと、その他の処遇方法としてどう考えていったらいいかということになってまいります。その際もう一つ一方的に考えましたのは、省令化されました特定の主任だけの処遇でこれが済むのかどうかという問題があります。そこで人事院といたしましては、二次の際から関係のところにはそういう説明をしてまいっておるわけでございますけれども、各学校に行ってまいりますといろいろ職務の分担がございまして、先生方がいろいろ縦横に担当していらっしゃる、いろいろな主任もあるということがございます。そこで、今度も論議の過程では、省令化されました主任とそうでない主任というようなことの論議もずいぶんあったように思います。 そこで私どもといたしましては、そういう者については本俸それから教育調整額のほかに昨年から特別手当というものを一つ設けていただいたわけでございますが、この四%をさらにもう二%かさ上げいたしまして六%とすることによって、まずそういういろいろな縦横に分担されております先生方の御苦労度にはお報い申し上げたいという態度をとっております。さらにその上で、特に同僚の先生方をいろいろ指導されるというような意味が入ってまいりまして、御苦労度が強いというものについては、その上何らかのやはり処遇をするという順序で物事を考えていく、そういうところから、そこでそれらの基礎的なものに入らないものということで、現在の給与制度ではそういうものは大体特殊勤務手当の項目で考えておりますので、その中の特殊勤務の項目の中にも困難度というようなものを見る要素がございますので、そういうところを踏まえて特殊勤務手当でやっていく。そのほかに独立の新設の給与の種類をつくることもいろいろ内部では吟味をいたしてみましたけれども、教員の中の一部の者についての手当でございますので、私どもの所管しております公務員全体から見ますとごく一部の分野になってしまいます。そういうこともあって、この際、新設の手当をつくるということはやはりふさわしくないだろうということを総裁は別の席で答弁されておりますけれども、そんなこともございまして、最後にこの特殊勤務手当で処理をするということに相なったわけでございます。それで、特殊勤務手当というのは、そういう関係でいろいろな給与の最後の処理場所になっております関係上、いろいろなものが入っておるわけでございます。
○高橋(繁)委員 まあ聞いておっても大変無理したようにも聞こえますし、主任に手当を出すということがいかに困難であるかということもうかがえると思います。したがって、人事院はその辺にして、文部大臣として、こういう特殊勤務手当の中に、文部大臣が盛んに言っておる連絡調整、指導、助言、この任務を満たす主任というものを、その「危険、不快、不健康又は困難な勤務」の中に入れることが本当にその主任を生かす道であるかどうか、その辺の考え方はどうですか。
○永井国務大臣 ただいま人事院の方からも御答弁がありましたが、管理手当というのは不適当である。ただいまの特殊勤務手当に危険、不快というふうなところもございますが、ほかに、困難、労苦を伴うという場所がございます。これは主任の先生方は、教諭としての仕事をずっと続けていただくわけです。その上にある種の仕事をしていただくわけでございますから、労苦といいますか、そういう点ではなるほど人事院はそういう角度をお考えになったものと私は理解しております。
○高橋(繁)委員 大変に無理にこじつけるような言い方であります。 そこで、この勧告の中にもありますが、一つ将来に問題を残すと思うのです。ということは、これは文部省側に聞きたいのですが、そういうことはないとおっしゃるかもしれないが、特一等級に校長をする、あるいは教頭は一等級にする、その予算も十億を盛られているようでありますが、さらに「なお、豊富な教育経験と優れた教育実績をもつ教諭で、職務の等級上の評価として特に教頭に準じて取り扱うことが適当と認められるものについては」すなわち一等級とする。それは結構です。 しかしながら、そうしますと、将来教頭になる人は一等級で救われる。教頭にならない、校長にもならない人はまた一等級で救われますが、そういう先生方は非常に豊富な経験とすぐれた教育実績を持っておる方でありますので、将来学年主任、教務主任、こういうものにつく方でございます。そうしますと、一等級で救われ、さらに主任手当がつくということになりますと、今度の人事院勧告は、人材確保法による教員の優遇措置、一面ではそういうことです。一面では、文部大臣が言う指導、助言に当たる職務——教員の優遇ということからいきますと、一等級で救われ、さらに主任手当をもらう、そういうことになりますと、それは結構な話でありますが、もっと全体的に多くの先生を優遇していくということからいくと、将来そういうようなことが起きてくるのではないかということは考えませんか、初中局長。
○諸沢政府委員 教員全体について優遇措置を考えるということは人確法においても第一義的に考えなければならないことであり、またその趣旨に沿って一次、二次改善が行われたわけでございますが、同時に、学校という組織体においてそれぞれの役割り、分担があるわけでございますから、必要に応じて、他よりも重い負担を持っておる方等に手当を出すということは当然だろうと思います。 同時にまた、その教諭の一等級の問題につきましては、これは学校という職場の特殊性からいたしまして、校長特一等級、教頭一等級ということで、従来教諭は二等級ということにとどまったわけでありますが、その点については、昨年の三月の第二次勧告に基づく給与改善を行いました際にも、衆参両院の内閣委員会におきまして、経験豊かな、そして学識のある教諭については一等級の道を開くべきだ、こういう附帯決議があったことでございますので、人事院とされましても、その趣旨を尊重して、その線で考えられたものと思うわけでございまして、全般的に見まするならば法律の趣旨に即した待遇改善がなされつつあるというふうに考えるわけでございます。
○高橋(繁)委員 どうも言っていることがわからないのですけれども、私が言っているのは一等級と主任手当が二重になるというのです。そういうことになりますと、もちろんそこで救われるということになれば大変結構なことでありますが、やはり学校内にそういうことで将来に、主任手当を出すときに問題が起こることが考えられると思うのですね。この人は一等級になっているから主任でなくてもいいのだ、実際に実力、経験、技術優秀であっても。そのかわりにこの人を主任にして主任手当を出す。優遇という面からいけば各学校で、現場でそうなってくると思う。起こると思う。そう考えませんか。
○諸沢政府委員 この経験と学識の豊富な教諭を一等級に格づけする道を開くということは、大ぜいおられます先生の中には非常に教育そのものについてみずから子供を対象とする教育活動に打ち込む、しかし自分は主任というような仕事は望まないというような方もおられるわけでございまして、そういう方にはまさに一等級に格づけするというのは大いに必要でありますし、またそういう方が主任になるということもそれはあり得るでありましょうけれども、しかし、それはやはり主任という特別のお仕事をしていただくわけでありますから、そういう面から言えば現在の給与というものが、たとえば産業教育手当をもらっている方等につきましては同じような問題もあるわけでございますから、やはり一面において給与、処遇というものはその仕事に見合ってなされるべきであるということから考えなければならない面があるわけでありまして、そのことと教諭全体の水準の向上ということはやはり並行して考えていかなければならない問題だと思います。
○高橋(繁)委員 ですから、教諭優遇という、これはいいですよ。それと、文部省が言っている指導、助言に当たる主任をつくるということになると、優遇と学校の実力あるいは教育実績を上げなければならない、子供に還元しなければならないということを考えると、非常に相矛盾したものが将来残るということを私は心配するのです。起きてくると思う。きょうは余り論議するあれもありませんので、したがって、そういう矛盾が将来に起きる、あるいは教員の優遇という面で特殊勤務手当の中に連絡、調整、指導、助言をする主任手当を突っ込む、いろいろなことを考えると、給与体系というものを、もちろん五段階給与とかそういう意味じゃなくて、一般公務員と違った観点で、教師が子供の人間形成に直接責任を負うということから考えると、特殊な任務を持った仕事である、その職務の上から、筋を通した給与制度という別立て計画というものをつくらないと、せっかくの教員の優遇ということが将来非常に問題を起こすし、また手当という制度でありますから、自治省からもすでに文句が来ておる。削られていく面もある。ですから、そうした教諭優遇という面から別立ての計画を立てなければならぬと私は考えるわけですが、文部大臣のお考えを最後に聞いて終わりたいと思います。
○永井国務大臣 教員のために別立ての制度ということでございますが、私どもは現在それを考えているわけではなく、やはり現行の制度の中で教員の活動になるべく適応したように給与を考えていくという考えで臨んでいるわけでございます。 なお先ほどの、一等級になった人の手当という場合のことですが、まあ主任というのは永久の職ではないという側面もあって、その期間、手当を受けられるわけでありますから、必ずしも先ほどの御指摘のように一等級と主任というものが重なった形で、ある人の場合何年間も続いていくという種類のものではないというふうに考えていることをつけ加えさしていただきたいと思います。
○高橋(繁)委員 それはわかりますよ。わかりますが、私の言うことも将来に問題があるということを言っておるのであって、それを否定するかのような発言は私はちょっと納得できないのであります。だから、そういういろいろな、教員給与というものが複雑になってきておりますので、それもあわせた上で教員の優遇という面からいって考えなければならないのではないかということを言っているのです。 あと関連で有島先生から質問がありますので、私はこれで終わります。
○登坂委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。有島重武君。
○有島委員 大学局長に伺いたいのですけれども、四十七年に大学設置基準の第三十一条の二というのが追加されまして、なおこれは大学院設置基準の方も大学院設置基準第十五条によって、これがこのまま準用されている。と申しますのは、大学間、大学院間の交流の問題です。これが現在どの程度進捗しているかということについて承りたい。
○佐野政府委員 いま御指摘の点は、いわゆる単位の互換制度の問題でございます。御指摘のように大学設置基準を改正いたしまして、国内の大学であると外国の大学であるとを問わず習得いたしました単位は、学部にあっては三十単位、大学院にあっては十単位を限度として卒業要件に含めることができるという制度を四十七年度から設けたわけでございます。 これを活用している状況でございますが、まず外国の大学へ留学している者は、四十八年度の数字でございますが、国公私立合わせて二十一校、学部段階で六十一人、大学院段階で二十人。四十九年度はさらに学部段階百六十一人、大学院段階三十人、三十九校というふうになっております。年々増加する傾向が見られるわけでございます。 また学内における、大学間あるいは大学院間における単位互換の実態でございますが、現段階で私どもが把握をいたしておりますところによりますと、学部レベルでは国公私立合わせて六十三校で単位互換制度を実施するための学内諸規定の整備を行っております。大学院レベルで同様に単位互換の体制を整えたものが国公私立合わせて三十八校ということになっております。
○有島委員 国内におきまして国立と私立との間の互換ということは進められておりますか。
○佐野政府委員 大学院の段階における国立と私立の間の交流というものについて、現在積極的に呼びかけを行っているわけでございます。特定の大学で一部そういった方向が実施に移されようとしたり、あるいは関西の方ではもうすでに実施に移っているものもございます。
○有島委員 大臣の御所見を承っておきたいのですけれども、こうした大学の単位互換ということは将来の大学のあり方ということについて非常に深いかかわりを持っていて、これは大いに進めていくべきである、積極的に進めるよう何か機会があるごとに進めていくべきじゃないか、そういうように思いますが、大臣の御所見はいかがか、承りたいと思います。
○永井国務大臣 全く同感でございまして、私就任以来大学の関係の方々にお目にかかりますと国公私を問わずその方向で大学で自主的に御決定願って、これを強化していただきたいとお願いしているわけでございます。
○有島委員 その次に、これに関連はいたしますけれども、国際交流と申しますとこれは留学というよりもちょっと幅が広くなる話になりますが、最近海外に出る学生が、留学、研修、レジャーという、その範囲が余りよくわからないのがたくさん出てまいっておるようです。それで、こういうことからアメリカ合衆国では、昨年から観光ビザから留学ビザへの切りかえということは停止にしたというような処置まで始まった。こういうことに関して、日本から大体年間一万人以上の学生さんたちが海外に行っているわけですけれども、これに対してやはり適当な準備教育と申しますか、研修と申しますか、そういうことを何らか企画すべきではないか、こういうふうに私は思うのですけれども、その点についてお考えを承りたい。
○永井国務大臣 ただいま御指摘がありましたように、一万人を超す人が海外に参っておりますが、観光ビザで参って、そして向こうに行って留学生のビザに取りかえるというようなことから、アメリカ合衆国の場合にそうしたいままでのやり方を変えたいという政策がとられているということも承知をいたしております。そこでフルブライト委員会もわが国の大学関係者に呼びかけまして、アメリカについてでございますが、アメリカの大学の事情の説明というものを各大学の事務当局を通して学生に伝えていくという努力をすでにしているわけでございます。その程度のところまで来ておりますが、ただいま有島委員が御指摘になりましたように、この一万人全体につきまして、非常に多岐にわたっておりますのと、留学期間とか留学先、動機、目的、非常に多様でございますので、直ちにそれら全部の人を包含できるような留学準備機関というものを設けることは困難であるとは思います。しかしいろいろフルブライト委員会がやっているようなことにつきましてわれわれも対応をしながら、何らかの形で、いわゆるオリエンテーション的なものができるようにこれは今後研究いたしたいと思っております。
○有島委員 研究していただきたいし、それから何か実行に踏み切っていただきたい。私、提案というような形になりますが、余り熟さない提案ではございますけれども、御承知のように国際学割りというようなものがございます。外国で発行した学割りというのは日本には通用しないことになっているのですね。日本の学生は外国の学割りの恩恵をこうむっていることもあるわけなんです。わが国でも学生さんという証明があればホテル等それから博物館だとかそういったいわゆる文教施設というようなものについてはこれを割引してあげるとか、あるいはある場合には交通の便宜を図ってあげるとかいうようなことが今後考えなければならぬことだと思うのです。今度は日本から行く学生さんたちにしても国際的な学割り制度というものに日本も参加するようなことになるかもしれない、あるいは独自の行き方まで考えるかもしれない、そういった際に、オリエンテーションを受けている者、受けていない者というようなチェックをすることも可能であろうかと思うのです。それが一つです。それからまた、オリエンテートするのを、官立といいますか、余りお役人が決めたことではなしにいろいろなものがあってもいいのじゃないだろうかということを考えているわけです。これは将来の問題ですから御研究いただきたいと思います。 それから、その先に進めます。日本語の教育の問題でございますが、これも以前文教委員会において私は問題提起をしたことがございまして、日本人だから日本語を教えられるのは当然といえば当然ですけれども、なかなかそうはいかない。しかし日本語を外国人に教えるためには幾つかの要件が必要なわけで、その要件を見定めて、そしてこれも一つの研修をして免状を渡してあげるというような制度を早く確立した方がよろしいのではないかと思います。国立国語研究所の方で外国人に教えるための日本語の研究というようなことをお始めになっているように承っておりますが、これもその研究を早くお進めになるということが一つです。それと同時に、英語ならば英語で、有名なトーフェルであるとかあるいはその他の、別に国家的な機関がつくっているのではないけれども非常に権威がある英語なら英語の認定機関というものがある。試験はどんどんやってくれる、そういうような制度がございますね。日本語の場合にはそういった日本語の認定機関というほどまだ世界的に一般化していないわけです。そこで今度は、日本語を教えるための日本語の語学力ないしは言語学に対する理解といいますか、そういうものに対する認定機関を奨励するというか、そういうものができてくることを促進するということが大切なことではないかというふうに、これも私は提案したいわけなのですけれども、お考えがあったらば承りたい。
○永井国務大臣 外国人の日本語教育でございますが、しばらくの間にかなり発展をいたしました。昭和四十九年でございますが、日本語を勉強しております外国人の数が一万九百五十人、日本語を教えております機関が百三十七機関ある、これはわが国の中でございます。ただし海外におきまして日本語を教えておりますところは六十八カ国、九百三十五機関になって、これも昭和四十九年の数字でございますが、そういうわけで勉強している外国人の数が七万六千人ということですので、わが国で勉強している外国人と海外で勉強している外国人を合わせますとおよそ十万人程度という相当の数になったわけでございます。 そこで、こうした日本語というものの教育を、認定というお言葉でございましたが、これをどうしていくか。もっとちゃんとした中心が必要ではないかということでございますが、まず海外のものにつきましては、やはり古くからの大学、たとえばコロンビア大学とか、あるいはロンドン大学とか、そういうところが日本語について相当高度な授業をやっておりまして、やはりそこが中核になりまして日本語教育の先生というものに対する程度が次第に上がっていく。現在も相当高いですけれども、そうなっていくということで、わが国が直接関与するということよりも、むしろそういう方向ではなかろうかと思います。 また、わが国の中の場合には、いろいろな方法が可能でございますが、留学生に対して東京外国語大学の付属日本語学校で全寮制の教育をやっておる、あるいは大阪外語大学でも留学生別科で半年の教育をやっておりますが、私学では早稲田、慶応、上智、国際キリスト教大学などが特別な施設を設けてやっております。 さらにこれを、いま有島委員がおっしゃいましたように、本格的なものにしていくということが重要であろうと思います。それで、現在文部省で考えておりますことは、国立国語研究所の中に日本語教育部というものが昭和四十九年に設立されたわけでございますが、これを本年の十月に日本語教育センターというものに拡充をいたしまして、そこで日本語教育というものの研究をしっかりやりまして、それがまたほかの大学にも影響を及ぼしていくというふうな方法であります。何せ十万人の人が勉強しているわけでありまして、その中に程度の差がずいぶんあると思いますが、いま申し上げましたのは結局のところ中核と申しましょうか、中核となるような組織をわが国の中につくることと、それから外国もすでにやっているわけですが、外国にも幾つかの中核ができてきている。それがもうできているわけだと思いますが、それを高めていく。さしあたって認可制度というものは考えておりませんですけれども、いまのような形で次第に改善されていく方向に進みつつあるのではないか、それを進めることが大事ではないかと思っております。
○有島委員 いまのお話の中で、国語研究所の日本語教育センターが建物もできて、正式に発足する。大変これは結構なことだと思います。予算が来年度から運営費なんかつくのだろうと思うのですけれども、建物は建ったけれどもそれが本当に十分機能するように私どもも見守っていきたいと思っておりますので、しっかりがんばっていただきたい。 それからもう一つ、いま言っておりますのは日本語を教える機関としてはいろいろございますけれども、個人的に何か日本語を教え得るのだというような資格、まあ幼稚園の先生の資格であるとか保育園の先生の資格、そういうのとよく似たふうなことだけれども、それをぼくは言いたいと思っているのです。そういうような日本語をマスターしているのだという資格認定のようなことが今後必要ではないかというふうに思っているわけです。といいますのは、日本の国語自体がいま世界的な国際化の中でもう一遍見直されなければならないのではないかというふうな印象を受けているのです。それで、いままでの国語の教え方そのものも今後変更していかなければならないのじゃないだろうか、考え直していかなければならないのではないだろうかという問題も、いま大分これは世論として国語の問題がクローズアップされつつあるという問題もあります。それで、この間国語力が大変落ちておるというような調査を新聞紙上でもって発表されたのを私見ました。それで、そのときにも思ったのです。その中でもって、主に国語力が落ちているということの根拠になっているのが書き取りができないというようなことなんですね。書き取りというのは漢字だということですね。それで、漢字の書き取りの仕方がどんなふうに行われているのか、私は二、三聞きました。それで、それによりますと、ここにこれだけ大の男がいるけれども、この方々にたとえば「望」という字でもいいです、あるいは「養育」というような言葉ですな、そういう三つの字でもいいですが、全部書かせるとしますね。それでいまの採点基準でやったらば一体どういうことになるか。本当にぼくはやってみたい気持ちなんですけれども、恐らくこれは五十点以下になるわけなのです。どうしてそういうことになるかと言えば、それは昔の基準とちょっと違うということもあるし、それからいま示されている字体というのは漢字といっても活字体をつくるためのスタイルとして決められたものである。ところが、それが今度は学校の中では大変厳しく墨守されている。墨守という言葉は古い言葉かもしれないけれども、相当厳しく守られていて、その採点の仕方によっては、ちょっとした点の向きが違うとか、あるいはくっついているかくっついていないかとか、そういうようなことになっている。ですから、国語力が落ちているといってもどの辺まで——そういう非常に末梢的な一例でございますけれども、国語教育に関しての構え方というもの、これはひとつ変わらなければならないのだけれども、いまは受験地獄の中にはさまれて、どうにかして少しでも大ぜいの人たちの中から判定していかなければなりませんから、勢いいろいろな点が大変末梢的なことまで注意が及ぶといいますか、詳しくなり過ぎているというようなこともあるでしょう。そうしたときに、外国人から見た、外国人に教えるという構えでもう一遍日本語を見直してみるということは、大変これは大切な問題ではないかというふうに思っているわけです。「日本語教授法の諸問題」というような書物が文化庁の方からもたくさん出ているのを私あらかた拝見いたしました。ところが、イギリス大使館やアメリカ大使館で使っているそこの教科書みたいなもの、テキストブックを私は見ましたけれども、ずいぶん違うのですね。それで、向こうでやっている方がはるかに合理的だし、わかりやすいし、それから、われわれ気がつかなかったけれども、外国人にとってこういうことが非常にむずかしかったのだな、これさえ乗り越えればわりあいとやさしいのだなというようなこともいろいろ示唆されるところがあったと私は思うのです。そういうところから、日本人であるから日本語は全部しゃべれる、それで学校が済んでしまえばそれでいいというのではなしに、新たに外国人にまで教えられるような日本語というものの資格を私も持っているのだ、ぼくも持っているのだというような、運転免許証のようなものですね、そういうようなものを発行していくということが一つの教育的な側面を持つのじゃないか。それは一つの新しい日本文化の方向をまた新しく推進するのじゃないかというようなことを私は考えに入れて申し上げたわけです。おわかりでしょうか。
○永井国務大臣 ただいま有島委員がおっしゃいました御趣旨はよくわかります。つまり、自分の国の言葉を外国人に教えようということになりますと、相当自分の言葉というものを対照化しまして整理をするということがなければならないわけでございますから、そうすることによってかえって自分の国の言葉を明確に把握していくことができる。そうしたやり方というのもなるほど一つの方法であろうかと思います。例としては、東京の某私立の小学校におきまして、日本語から外国語に入っていくという教え方をしている例を一つ知っておりますが、これは一つの試みと思います。ただ現状では、さしあたり教育過程審議会は現在の日本の国語教育というものにいろいろな弱点があるということを指摘しておられまして、特に表現能力、その中に書き取りも入ると思いますけれども、書き取りだけではなく作文あるいは口頭の表現も入ると思いますが、それを正しく美しく行うということに力を注ぐようにということが言われております。これは今度の教育過程審議会の一つの重点でございますから、やはりこのことを実現しなければならないと思います。それと、ただいま有島委員がおっしゃいますようなやり方というものをどう組み合わせていくかというのは一つの課題とは思いますけれども、直ちに、ではどういう認可制度をつくって、そうすることによって国語教育を改造するかというところまでの準備はいまのところはないわけでございますが、御趣旨の点は非常に一つの卓抜な御意見として拝聴したわけでございます。
○有島委員 いわゆる学テ裁判というのがきょうとり行われた。その判決が出たようであります。私は、テスト一般について、文部大臣にちょっとお話を伺っておきたいと思っております。テストというものは教育的な機能と同時に管理的な機能を持つ、これが一つです。これはどんなテストでもそれは避けられないことであるし、二つの側面を持っているというふうに考えられますね。 もう一つは、テストのやり方は、個別のテストとそれから大集団統一テスト、その中間に当たるグループテストのような、そういうテストの形態ということがあろうかと思うんですね。それでぼくはいろんな現場の方やそれから学者の方に伺ってみたわけだけれども、まずテスト礼賛といいますか、テストは必要なものであるという点から入ってまいりますと、学習者にとってテストは一つの刺激を与える、学習の刺激を与えてくれる。テストがなかったらば怠けるであろう、こう言いますね。それから教師側から言いますと、自分の教えたことがどの程度徹底しているか、フィードバックするんだから大切なのだ、こういうことでございます。 それからもう一つ、大体平均的な水準を知ることができるという意味が出てくるわけですね。これは前の二つと違って管理に近い面になります。ところがその管理面がまた教育の方に戻ってまいりますと、こういった水準に照らして自分の欠点を知ることができると学生さんが言うのですね。だからどこが足りないかというようなことを知ることができるし、それから先生の方もそれに対しての個性に応じた指導をすることができるのだ、さようなことがあるわけです。そこでテストの効果をこのようにいい方に——いい方にといいますか、向けるためには一体どういうことが必要なのかということがある。いまのテストは大変有用であるというのは、ひっくり返した意見をまた幾つか求めてみました。そうしたらこういうことなんですね。テストそのものは、本当は教育の手段であるというはずだけれども、それが目標となる、目標というよりもむしろ目的となってしまっているのだ。そうなると非常に非教育的な側面がいろいろあらわれる。このことについては、すでにもう昭和二十一年ごろのアメリカの教育使節団の報告書にも試験第一主義というようなことが出ておりまして、受験準備の方に支配されてしまう教育というのが第一番に形式的になる。それから決まり切った形のものになる。ただ服従していればいいのだという気持ちを教師や生徒に起こさせる。そしてそれは研究の自由、批判的な判断の自由を奪ってしまうというようなことでしょうね。ですから大臣の所信表明では、今後は創意工夫に満ちたような人物をつくらなければならないし、そのような教育が必要だということがありますけれども、テストそのものは、余り創意工夫をすると大概落ちてしまうというようなことでありまして、創意工夫などしないで言われたとおりやっていればいいのじゃないかということを生徒も思うし、先生もそういうふうに思ってしまう。それでときにはごまかしや不正行為をやらせたり、健康を害して失敗に終わらせてしまうような異常な競争心も生み出すというようなことを言っているようですね。これはまさに昭和二十一年の警告なのですけれども、これがそのとおりになってしまっているように、いまの教育の一番の問題になってしまう。それで本当にそのテストが教育的な機能を果たすためには、一つの条件としては、なるべく個別なテストならばこれは弊害が一番少ないのである。それから集団的、統一的になればなるほど、そのテストの弊害というものは大きくなるのではないかというふうに、これがテストの大体一般論といいますか、こういうことになろうかと思うのですけれども、大臣の所見を承っておきたい。
○永井国務大臣 非常に根本的な重要な問題であると思いますが、私はただいまの御質問は、結局期するところ、教育評価というものをどう考えていくかということではなかろうかと思います。 いま一般に行われておりますペーパーテストは、いわゆる客観テストと言われるものであって、計量化しやすいというもので行われておりますから、ただいま有島委員が御指摘になりました種類で申しますと、個別的ではなく大量的である、そして客観テスト的な方向をとるのだと思います。しかし、学校というようなものが大量の人を受け入れていく限りにおきましては避けがたいものであると考えております。ただその場合にも、本来は教育が目的でございまして、そして客観テストのようなものも手段であるということでありますから、手段と目的の関係というものが倒錯した関係にならないように配慮することがまず第一点として必要だと思います。 ただ、第二点といたしまして、計量化し得る客観テストだけに依存いたしますというと教育活動の中の他の部面が軽視されるおそれがあるということから、最近指摘されておりますことは、従来からもそうでありますが、たとえばエッセイによる評価あるいは口頭評価、あるいは日常の活動、これは体育、特性などを含むわけでありますが、そうしたものも学籍簿にはちゃんと所見といたしまして記載をされているわけでございます。そこで、その場合には大量的であるよりはむしろ個別的であるということでございます。 また、現在の大学入試改善の場合にも、第一次共通テストにおいては大量の客観テスト、そしてこれを計量化していくという方向でございますが、第二次テストでいま議論をされておりますことは、筆答の論文、あるいは口頭試問、実技というようなものを含めようということでございますから、大学の段階でもそうしたことが議論になっておりますので、私は、小、中、高、大学を通じてバランスのとれた教育評価というものがだんだん生まれてくることが望ましい。バランスがとれたと言いますのは、少なくも二つぐらいの点でありまして、一つは大量だけではなくて、何らかの意味でそれぞれ個人の適性能力というものが反映するような教育評価が望ましい。それから第二点といたしましては、やはり目的と手段の関係が倒錯しないように、テスト主義というものに陥らないようにしなければならないと思っておりますが、現状はそうしたかくあるべきものというものから非常に離れておりますので、これはいろいろな形から是正をしなければならないと思っております。
○有島委員 大量な、統一的なテストは、どうしても教育的側面よりも管理的な側面といいますか、よく差別とか選択とか言われますけれども、そういうような方向に機能しやすいということは避けられないと思うのですね。ですから、いまおっしゃったように目的、手段が倒錯しないようにという配慮は、形の上から言えば、試験というものはなるべく現場で出題者とその評価者とが交流があるという場でもって行われていくということが一番教育的効果の方に向きやすいということは、これはもう自明のこととして認め合ってよろしいのではないかと思うのですが、いかがでございましょうか。
○永井国務大臣 いまの、教育者と学習者との間に個別的関係があった方がよろしいし、そういう意味で個別的なそれぞれ個人の適性能力というものを配慮するような評価というものが必要であるということも、事実であります。そういう方向ですでに大学の入試を変えているところもありますし、また今後の課題と思いますが、しかし他方、それでは大量のテストというものは一切不要であるかというと、そうでもないと考えるわけです。現在の大学共通一次テストがそうでございますが、大量のテストを行ってまいります場合にも、たとえば高等学校までの教育というものを正常に、十分に修得したかどうかということをいわば最低限の段階において十分に把握しておくということは、これは学習者の方からいっても望ましいことでございましょうし、また、大学というものが高等学校の上にあるという限りにおいては、それぞれの人間というものの個別的な評価というものだけに頼れないという面がやはりあるのではないかと考えます。たとえば国語にいたしましても算数にいたしましても、そうしたものの基本的な高等学校で修得しなければならないものを十分に修得するという前提に基づいて大学が成立しているわけでありますから、そうしたものも私はやはり併用されるべきものであって、むしろいままではそれを各大学が出題いたしておりましたために非常に選抜的要素が強くなってきておりましたから、今度一次共通テストをつくりまして、高等学校の教育内容に即してその習得度というものを明確に把握しようということでありますから、そうしたやり方次第によりましては、私は、大量のテストというものも非常に目的に応じて効果を持ち得る、ただ、ほかのものを一切捨てるということになると問題が起こる、そういうものではなかろうかと思っております。
○有島委員 いま大臣のお話の中で、統一の大きいテストも捨てたものではない、では、その効果はどこにあるかというと、大体の水準を統一していくという方向、それも大ぜいの人たちのことであるから必要であるというようなお話です。だけれども、私がさっき申し上げていたのは、それにもかかわらず、大きいテストをすれば必ず非教育的な一面が強くあらわれるということは覚悟しなければならない。たとえば、いま大臣がおっしゃったような高校の学力一般についてテストをしようとする、まあいいのですけれども、これはどんなふうにやろうとも、それを通過しなければならないから、どんな試験が出るのだろう、こうまず学習者はすぐ思う。それから学習者を預かっている先生たちは山をかけるということ、まあ極端に言えばそういうことですね、どういうことが出るだろうか。そのテストというものは非常な、まあ、よく言えば指導性を発揮するわけで、悪く言えば、たとえば一つの管理機能を発揮するわけです。そのことは、本当にそれを覚悟してやらなければいけないわけです。それを、いい面もあるのだからというあいまいなことでもってやれば、必ず弊害がそのまままた大きくなると思うのですね。それで、大学でやっていたのも実はその個別テストではなくて、それは全国の統一テストではないにしても、一種の大量の統一テストではあったわけでしょう。その弊害を逃れるためにさらに大きくしてしまったということがあるわけです。だから、それはそれなりの覚悟がなければいけないと思うのですよ。だから大量の統一テストをするときには非常な注意を、配慮を必要とする。そうでなければ教育的な機能よりも別なところに行ってしまいがちである。このことだけはお互いに認め合っておかなければいけないのじゃないか、こう申し上げたいわけですが、どうですか。
○永井国務大臣 いまの具体的の問題に即して申しますと、私は、それはどのような大量テストをいたしましょうとも、そのテストによってテスト受験者の学習というものがある程度規定されるということは、当然テストをつくる者は覚悟をしておかなければならないと思います。ただ、いままで個別の大学が出題いたしておりましたテストも大量である。さらに大量になるから自動的に悪くなるというと、そうではないと思います。むしろそうではなくて、これは個別の大学がお互いに違うような問題を出そうとして、戦後二十数年やってまいりまして、しかも一種の競争関係というものもありますためにだんだん問題がむずかしくなってまいりまして、具体的に申しますと、たとえば高等学校の教科書でも脚注のところもよく勉強して暗記をしていないと通らないというような問題、事実ふえてきているわけでございます。 それに反しまして今度の共通テストの場合には、当然高等学校の教科書というものも非常に勉強をした専門家が当たりますし、そうして脚注からの落とし穴的なものではなくて、むしろ正規の授業というものをどのぐらい十分に把握しているか。これは二回にわたる調査をすでに行っておりますが、調査の中にも書かれておりますけれども、たとえばある程度考えさせる問題というものも客観テストに含め得るのではないかということで努力をした。初めは悲観的であったけれども、二回の調査によってその点もある程度行えることがわかったということは報告書に書かれているわけでございます。そして諸外国の例を見ましても、わが国までは参りませんでも、大学が大量になっておりますところはどこでもやはり高校以下のカリキュラムを尊重いたします共通テストというものが行われているのが実情でありまして、私はその点ではむしろわが国は遅きに失したのではないか。こういうやり方によって従来の各大学が出しておりました問題と具体的に比較をいたしますと、これは非常によくわかるわけですが、従来のようなよほどの暗記練習をやらないとなかなか通りにくいような形のテストというものはなくなってくる。さらに二次テストがどういうふうに運営されるかによりまして、むしろ個性的なものは二次テストのところで活用することにいたしますると一段と進歩を遂げ得るわけでありまして、私は、有島委員が御指摘になりましたように、テストというものは学習者の心理並びに学習内容をある程度規定いたすということは否定いたしませんし、この点はだれでも十分気をつけていることと思いますが、具体的に現在の各大学の大量テストと共通テストを見ます場合には、国立大学協会で考えておられることは一歩前進であるというふうに把握をいたしております。
○有島委員 このたびの国立大学のことにつきましては、大ぜいの専門家の方々を動員し、それで長い間時間をかけてやっているわけです。それでもなおどのような弊害が生ずるか、その弊害を避けるためにはどうしたらよろしいのかというようなことをいろいろと配慮をしているわけです。ですから、統一テストというものは大変な配慮の上でもって扱わなければ、それは教育的な効果を損ずるということは、これはお互いに認め合えるでしょう。——うなずいていらっしゃる。それはいいですか。
○永井国務大臣 統一テストにいろいろな問題がありますから、その点全く同感でありまして、国立大学協会も全く同感だという理由によって、いままで二回予備調査をやったわけだと考えております。
○有島委員 そこで、私はこの質問の冒頭に申しました、いわゆる三十六年に行われました学力テストについても同じ原理であると思うのです。あの際の文部省のとられたこの統一テストというのは非常に不用意である、十分な配慮がなされていない、不適切なものであると言わざるを得ないわけです。これは大学入試のためのテストよりもはるかに影響力が大きいわけです。 それで、それを一つは調査としてやる。それが途中からは、これは教育的な効果を持つものである、あるいは評価をするのであるというようなことに途中から入れたり何かして、それはテストですから、冒頭に言いましたように管理面あるいはそれを選別する機能が使い方によっては確かに教育的な促進面がある、決まっているのですけれども、そういったことの配慮が非常に不十分であったということは、これはいまのお話の中に認めざるを得ないと思うのです。ですから、私たちはきょうの最高裁の判定についてはいま非常に不満の意を持っております。そしてあのような裁判になるとすれば、これはまた法改正を考えなければいけないのじゃないかということを思い詰めることになるわけです。 それで、きょうの質問の結論といたしまして、こういった不用意なことは今後なさらぬということをぜひともお願いしたいわけです。もし統一的なこういうことをやるならば、それは大変な準備をしてやらなければならないということを申し上げたい。 以上であります。
○登坂委員長 それではこの際、一言ごあいさつを申し上げます。 第七十七回国会も、本委員会の審議の日程もおおむね本日をもって終了いたしました。今国会中、本委員会においては、内閣提出法律案はもとより、前国会よりの継続審議中の学校教育法の一部を改正する法律案についても成立せしめ、懸案の諸法案のすべてを議了いたしました。これはまことに委員各位の御協力のたまものと厚く御礼申し上げます。 なお、本委員会の運営に当たって、私の不徳のいたすところ、委員の各位の御意思に沿い得なかったごとを深くおわび申し上げます。再度、委員各位の御協力によりまして大過なく終了ができましたことを深く感謝申し上げて、ごあいさつといたします。ありがとうございました。 本日は、これをもって散会いたします。 午後一時三十分散会