ロッキード問題に関する調査特別委員会 第11号
- 発言数
- 830 件
- 登壇者
- 22 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1976/06/24
会議録
○田中委員長 それでは、これより会議を開きます。 この際、御報告を申し上げておくことがございます。 昨日の委員会で、鈴切康雄君に対する昨日の証人内村信行君の証言の中で、証人が地検に呼ばれた日は先週だと証言をいたしましたが、同証人から連絡がありまして、それは先週でなく、先々週の誤りであった、訂正を願いたい旨申し出が事務局にございました。昨日、理事会において協議をいたしました結果、この申し出は了承することにいたしましたので、この段御報告を申し上げておきます。 —————————————
○田中委員長 それでは、ロッキード問題に関する件について、本日は松田功君から証言を求めることにいたします。 証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。 昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬこととなっております。 宣誓または証言を拒むことのできる場合は二つの場合がございます。その一つは、証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの姻戚関係にかつてあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときであります。もう一つの場合は、医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときにも証言を拒むことができることとなっております。 そうして、証人が正当な理由なくして宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三カ月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。 一応このことは証人において篤と御了承になっていただきたいと存じます。 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めることにいたします。全員御起立を願います。 〔総員起立〕
○田中委員長 松田功君宣誓書を朗読してください。
○松田証人 宣誓書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います 昭和五十一年六月二十四日 松田 功
○田中委員長 松田君、それに署名をしてください。判こがあったら、判こをついてください。 〔証人、宣誓書に署名捺印〕
○田中委員長 御着席を願います。 それでは松田君、証言を求めることにいたしますが、証人は、特に気をつけていただきたいのは、証言を求められた範囲を越えないように、つまりむだなこと言わぬように、それから御発言の際は、その都度委員長の許可を得て発言をするようにしていただきたい。 なお、こちらから質問をしておりますときは御着席のままで結構でございますが、お答えになるときは必ず起立をして発言をしてください。 なお、委員諸君に申し上げます。本日は、申し合わせの時間内でロッキード問題に関する重要な問題について証人より証言を求めることでありますから、かねてお願いをしておりますように、不規則発言等議事の進行を妨げる言動のないように、従来どおり御協力をお願い申し上げます。 —————————————
○田中委員長 これより証人に対して証言を求めます。 まず、委員長より所要の事項についてお尋ねをしておきます。 松田功君、あなたは松田功君御本人ですね。
○松田証人 本人でございます。
○田中委員長 それでは、御住所、それから職業、生年月日、この三つをお述べください。
○松田証人 生年月日は大正九年三月二日でございます。住所は東京都品川区南品川一の六の十八、ドエルワコー六〇六号でございます。職業は全日本空輸株式会社常務取締役、運送本部長でございます。
○田中委員長 各委員より発言の申し出があります。順次これを許します。まず、山崎拓君。
○山崎(拓)委員 松田証人にお尋ねをいたします。 去る一昨日、六月二十二日、貴社の沢雄次専務、青木久頼経理部長、植木忠夫営業本部長兼国際部長の三名の幹部の方が、東京地検並びに警視庁特捜本部に外為法違反容疑で逮捕せられました。率直に申し上げまして、きわめて衝撃的なニュースでございました。なぜならば、過般、二月十六日、衆議院予算委員会におきまして、証人喚問せられました貴社の若狭社長並びに渡辺副社長は、米国議会でロッキード社のコーチャン氏が、追加発注八機の契約を詰めるため、全日空に対し昭和四十九年七月十六日、十万五千ドルを支払ったと証言されたのでありますが、これに対しまして、一切受け取っていない旨証言されておられるからでございます。 若狭社長は、御承知のように、衆議院予算委員会より偽証の疑いで告発をされたのであります。しかし、その告発状には、本件につきましては記載されておりません。もし若狭社長が本件につきまして承知しておられたとするならば、明らかに偽証となるわけであります。すでに告発されたオプションにかかわる三点についても、偽証の疑いがこのことによりまして強くなるわけでありますが、この点について、あなたの知っておられますことを全部正直にお話しをいただきたいと思います。
○松田証人 社長がこの席で発言をいたしましたことの内容に関しましては、社長を信じておりまして、詳しいことは何も存じておりません。また、逮捕された三人の私どもの会社の重役、部長でございますが、信じておりますので、それ以外のことは何も申し上げることはございません。
○山崎(拓)委員 ただいま私が申し上げました、コーチャン証言にあります。日本円に換算をいたしまして三千三十四万円、と同時に、同年、昭和四十九年六月の中旬、元ロッキード東京駐在員エリオット氏から受け取った二千七十二万円と合わせまして、計五千百万円という巨額のお金を全日空の三名の方が受け取っておられるという容疑でありますが、もし受け取っておられるといたしますと、そのお金が一体どこに行ったのか、その点が問題であると考えるわけです。果たして会社に入金されておるのか、あるいは三人の方が私して着服されておるのか、あるいは政治工作資金として使われたのか、その三つのうちのいずれかになるわけでありますが、まず、この会社の内部に、表裏を問わず、何らかの形で留保されているのかどうか。昭和四十九年六月から七月の当時、あなたは社内のいかなるポストにおられたのか私は存じませんが、少なくとも役員の一人として存在されておられたわけでありますから、このようなお金が会社に入金されておれば、常務会等で明らかになっておると思うのでありますけれども、御存じでございましたか。
○松田証人 常務会で、いま先生のおっしゃったお金に関しましての話題は、記憶にございません。それから——それだけでございます。失礼しました。
○山崎(拓)委員 昨日の読売新聞の夕刊記事によりますと、植木営業本部業務部長と青木経理部長は、警視庁特捜本部の取り調べに対しまして、全日空が去る四十九年七月にロッキード社から受け取った三千三十四万五千円は、米議会でロッキード社のコーチャンが証言したとおり、四十八年一月以降、ロッキード社が新たに八機の追加発注を得るために全日空に支払われたもので、ほとんどが新規発注の認可を得るための運動工作資金として使われたことをほのめかしたとあるわけです。この記事の真偽はわかりませんが、あなたは少なくともこの植木、青木両部長の上司に当たられる方でありまして、資金の使途について御相談を受けたり、あるいは他の役員から聞いたり、何らかの情報をお持ちだと考えられるわけでありますが、正直にお話しをいただきたいと思います。
○松田証人 だれからも報告も相談も受けておりませんし、全然私の仕事の範囲と違いますので、存じておりません。
○田中委員長 山崎君、ちょっと一言申し上げておきたいと思いますが、証人が存じません、記憶にありませんと言うことが昨日以来わりあい多い。一つの理由は、尋問事項というものが通告してあります。尋問事項どおり御質問をいただくと、存じませんと言うことは少ない。どうか尋問事項を尊重して御質問をいただきますようにお願い申し上げます。
○山崎(拓)委員 委員長の御注意がございましたので、質問の通告事項に従ってオプション問題についてお伺いいたします。
○田中委員長 山崎君、申し上げるまでもなく、関連事項はもちろんやっていただいて結構ですから。
○山崎(拓)委員 わかりました。 去る六月十七日、当委員会におきまして、同僚議員の質問に対し、大庭証人がこう答弁をしておられるのです。「私のやっている仕事は、相当松田と打ち合わせながらやっていた」「ということは、いま申しましたように、私の秘密にある程度属するものについては松田に話していたわけです。一つの念書とかその他については長谷村に話していたわけでありまして、大体二人を私は使ってやっていたわけですから、そういう意味におきまして、松田がある程度報告はしていたんではないか」と思う、それが正確でなかったのでいままで言わなかったが、私の記憶では、松田にある程度話していたという記憶だ、このように大庭氏は証言されておるのであります。 そこで、順を追って聞いてまいりますが、私の質問にだけお答えをいただきたいのでありますけれども、四十四年七月二十九日のダグラス社と三井物産との確定契約について、事前に打ち合わせが大庭社長からございましたか。
○松田証人 大庭さんから何も伺っておりません。
○山崎(拓)委員 それでは事後に——事後と申しましても、一カ月も二カ月もたってではないのでありますが、その直後にこの話について松田常務にお話がありましたか。
○松田証人 直後かどうか記憶が定かでございませんが、四十四年の後半だと思うのでございますが、日にちもはっきりいたしませんが、月もはっきりいたしませんが、大庭さんから簡単に、こういうことにしたからということを伺いました。
○山崎(拓)委員 それでは、四十五年の二月に、ダグラス社のリクエストによりまして、三井物産は大庭前社長の同意を得て正式コントラクトをやったということでありますが、このことについて、事前に相談を受け、もしくは事後に報告を受けましたか。
○松田証人 先ほど申しました四十四年の後半のいつかに聞きました以後は、特にこの問題で私に教えていただいたことはございません。
○山崎(拓)委員 それでは、あなたは、どういう機会にどういう内容を何回ぐらい大庭氏から聞かれたのですか。あなたが記者会見でお話しになったことを新聞で承ったのですが、三井物産の難波氏から、ありがとうございますというあいさつを受けたので、何がありがたいのだと聞き返したら、かくかくしかじかである、そういう話があったので、すぐに大庭氏に聞きに行った、これが最初の事柄であるということでございましたが、その点についてお答えをいただきたいと思います。
○松田証人 記者会見の席で、私ちょっと不用意だと思ったことがございますので、ここで訂正させていただきますと、三井物産の方で灘波さんであったかどうかということは確信を持って言えないのでございまして、三井物産の方だとは思いますが、足しげく来ておられました灘波さんがすぐ頭に浮かんだので、名前を出してしまいまして、これは確信を持っておりません。 四十四年の後半のいつの時期かわからないと先ほど申し上げましたが、そのとき三井物産の方が来て、新聞記者会見で申しましたようなことでございますが、もう一遍申し上げますと、ありがとうございました、大庭さんの御希望に沿いまして三井物産はダグラス社に対して仮押さえをすることになりましたのでというふうなお話が耳に入ったわけです。それで、言葉とかなんとか正確には私もわかりませんが、そのときに、うちは正式発注したわけではないのだがという意味のことを言ったように記憶をいたしますが、どういう言葉を使ったか覚えておりません。それに対しまして、もちろん全日空の正式の発注ではございませんという、そのようなやりとりだったように記憶をいたします。 それで、すぐか、その日のうちか、これも正確ではございませんが、大庭社長のお部屋に私、参りまして、三井物産がこのようなことを言っておりますが、本当でございましょうかということをお尋ねをいたしました。そうしますと大庭さんは、うん、やったよとおっしゃったというふうに記憶いたします。で、四十七年の四月に運航を開始するとなると、もう押さえなければ時間が足りない、それで三井物産に頼んでやってもらったのだ。もちろんこれは、よそからいい買い手があるととられてしまうから早く正式に決めなければならないし、まあないしょにしておけ、というふうなお話でございましたので、私はどのような質問をしたか詳しくは記憶をいたしておりませんが、もう一つ、私が何を尋ねたか覚えておりませんが、大庭さんはそれにつけ加えまして、DC10がうまくいかなかったら三井物産はどこかに売るだろうから、まあ心配せぬでもええよ、そのようなお話であったというふうに記憶します。言葉は正確かどうかはちょっと自信がございませんが、大体そんな話の内容でございました。
○山崎(拓)委員 ただいまのお話を概括しますと、三井物産のどなたかからお話があったので、その確認のために、四十四年の暮れごろ大庭社長のところに行って話を聞いたところが、これはないしょにしてくれ、こういう話であった。そしてこれはやったよという話であったけれども、まあ責任はない、軽い意味だというようなお話があったということでございますか。
○松田証人 はい、大体そういうところでございます。
○山崎(拓)委員 あなたはロッキード導入の選定準備委員会のメンバーでございますね。——エアバスです。失礼しました。
○松田証人 正式にはどういう名前だったか、ちょっと失念いたしましたけれども、ロッキードではございませんで、エアバス、大型機と言っておったと思います。
○山崎(拓)委員 失礼いたしました。新機種選定準備委員会のメンバーであられたわけです。その準備委員会は四十五年一月九日に発足をいたしております。したがって、当初からのメンバーであられたあなたは、すでに大庭前社長からDC10について三井物産が確定契約を行っておる旨話を聞いておられたと考えられます。それにもかかわらず、その後の選定準備委員会において、そのような事情について、大庭前社長からないしょにしてくれと口どめされておったではありましょうけれども、一度も話を出されなかったのですか。
○松田証人 お言葉を返すようでございますが、先生のいまのお言葉の中に確定契約という言葉が出ましたのですが、少し気になりますので、その辺のところをちょっと申し上げたいと思います。 先にそれを申し上げますと、確定契約までいっていたということになると大問題でございまして、そのようには私は承知をいたしておりませんでした。確定契約になりますと、この飛行機をどこに売ってもいいとかというふうな状態から、ずっと進んでおりますので、それでは絶対に買わなければならないというふうな状態までいっておらなかったというふうに理解をしておりまして、これが一点でございます。 それから、大庭さんが先もってこういうふうなことをやっておられたということを、だれにも申しておりませんし、どこでも言わなかったということでございます。
○山崎(拓)委員 そういたしますと、石黒証言によると、四十四年七月二十九日の三井物産とダグラス社との間の契約行為は、確定契約三機、オプション四機、計七機にかかわるレター・オブ・インデント、発注内示書に若杉社長が大庭氏にかわってサインした、こういう証言になっておるわけであります。そのような内容は聞いておられなかったのですか。
○松田証人 そういう詳しい内容は聞いておりませんでした。
○山崎(拓)委員 大庭証言によりますと、このようになっているのですよ。担当常務の松田調達施設部長には常時連絡していた、松田がどういうふうに若狭、渡辺に連絡していたかは知らないが、中間に立って彼らの意見を私に申告するし、私の処置は彼らに報告していた、私がDCを採用することは社内は承知していたはずだ、こういう証言を大庭前社長は当委員会でやっておられるわけであります。そういたしますと、いままでお伺いいたしました松田証人の御証言とは、ずいぶん食い違ってくるわけであります。中間に立って彼らの意見を私に申告しておった、こういうことでございますが、また、自分の意見を若狭、渡辺社長に連絡しておったはずだ、こういうことでありますが、その二点について、あなたは若狭、渡辺社長に大庭前社長から頼まれて連絡したことがあるのかどうか。また、その逆でありますが、若狭、渡辺両氏から大庭前社長に報告を求められて、そのように処置したことがあったのかどうか。この二点についてお伺いいたします。
○松田証人 大庭さんのおっしゃいましたのは、少しいろいろと大庭さんは混同していらっしゃるのじゃないかと思いますけれども、一番問題は、大庭さんが、まあないしょにしておけとおっしゃいましたので、もちろんだれにも言っておりません。 それから、絶えずいろいろとほかの重役方との間に入って意見をこちらに持ってきてくれたというふうなお話でございます。それは、ほかの件ではそういうこともたびたびございましたけれども、この仮押さえの話につきましては、全然ございませんでした。
○山崎(拓)委員 そういたしますと、大庭証言が相当いいかげんなものになってくるわけでありますが、どうも腑に落ちないわけであります。 さらに申し上げますと、六月十七日の大庭証言は、検察庁で、常務会メモによると、大庭氏が、DCがいいように思うが、出ていって確かめてほしいと発言した記録がある——これは検察庁のどなたかの検事が言われた言葉でありましょうが、常務会メモによると、大庭氏が、DCがいいように思うが、出ていって確かめてほしいと発言した記録があるんだと自分は検察庁で言われた、だからやはり自分がそのような主張をしておったんだなあという確信を再び持った由、証言されたわけであります。あなたも当時常務会に出ておられたと思うのでありますが、当時そのような大庭社長の御発言を聞かれたことがございますか。
○松田証人 記憶にございません。
○山崎(拓)委員 それでは、あなたが常務会にたびたび出席をされたと思うのでありますが、そのような際に若狭社長が、DC10が好ましいとする大庭社長の意向を、常務会の席上もしくはその他の機会に聞いておられたというふうに状況判断されますか。その点についてお伺いしたいと思います。
○松田証人 常務会でDC10を推薦されるということを、私は意識的に避けていらっしゃるのじゃないかというふうに感ずるぐらい、大庭さんはDC10についてはお口に出されませんでした。 それから、ほかの場所においてDC10を推薦していらっしゃるということにつきましては、何とも私お答えできません。ただ私は、DC10にむしろほれていらっしゃるのじゃないかと思うぐらい、DC10に打ち込んでいらっしゃいました。
○山崎(拓)委員 そういたしますと、大庭氏が検察庁で聞かれたという話も、どうも理解ができない話になってくる。大庭証言もどうもわれわれには理解できないということになってくるわけなんです。 そこで、なおお聞きしたいのですが、DC10のオプションが全日空の社長交代時に引き継がれたのかどうかにつきまして、長谷村証言というのがございます。長谷村証言によりますと、大庭氏から、五月二十九日夜、電話で直接聞いた話といたしまして、若狭、渡辺両君から三井物産のオプションはどうするかと聞かれたので、善処してくれと言って別れたという言葉を聞き、オプションの事実をそのとき初めて知って驚いたので、よく覚えているという証言があったわけであります。そういたしますと、長谷村氏とともに、大庭氏が何でも相談しておったと証言されたあなたでございますから、しかも大庭氏の証言によりますと、大体、これはまあ私の印象で申し上げますと、オプション問題についてはあなたと、M資金問題については長谷村氏と相談しておった、こういう印象を持ったのであります。そういう関係にあったとされるあなたでございますから、この件について長谷村氏が聞いておるならば、当然大庭氏からあなたは何か聞いておられると想像するわけでございますが、いかがでございますか。
○松田証人 先生のおっしゃるとおり、そこまでお打ち明けいただいておるはずの私が知らないのはおかしいとお思いかもしれませんが、全然これは私、存じませんのです。
○山崎(拓)委員 それでは、大庭氏が社長をおやめになってから、長谷村さんが電話でその晩にお話をされたということでありますが、あなたは電話または面会等で、その後に大庭さんとお話をされたことがありますか。その直後でありますが、お話をされたことがありますか。
○松田証人 交代されましてから一年ほど、大庭さんにはお会いしてもおりませんし——二年ぐらいですか、よく覚えておりませんが、また電話でもお話をしたことがございません。
○山崎(拓)委員 もう一つお伺いしたいことがあるのですが、それは去る六月九日の石黒三井物産顧問の証言でございますが、昭和四十五年の七月二十八日のことについて証言がありました。大庭氏の退陣後、新しく就任した若狭社長への表敬の意味とDC10を買ってもらう話をぽつぽつ始めるという魂胆で、若杉社長と私が全日空に行った。すると突然若狭さんの方から、DC10について何かあったようだが、全日空に法的、道義的な責任はありますかというどぎつい質問があった。若杉社長は、ございませんと答えた云々。何も知らなければ出なかった質問だと思うが、正確に知っていたらあのような質問は出まいと証言されておるわけであります。 そこでお伺いいたしますが、若狭社長が、新機種選定準備委員会か常務会等で、もし話を聞いてない——DC10に関する三井物産とダグラス社との問で行われた契約行為について何も聞いておられなかったということでございますが、そういうことであるとするならば、あなたから直接何かを聞いたと考えられるわけでありますが、あなたは何にも若狭社長には話をされてなかったのかどうか、そういう点について確認をしたいと思います。
○松田証人 若狭さんにもその他の方にも、ずっと私、胸の中へ入れておきまして、どなたにもしゃべっておりません。今回のロッキード問題が起こるまでは、だれにもしゃべっておりません。
○山崎(拓)委員 そういたしますと、もう一つこの点に関して聞きますが、大庭前社長がおやめになったのは昭和四十五年の五月二十九日だと思うのでありますが、それから若杉、石黒両氏が若狭社長のところにごあいさつに来られて、法的、道義的責任について確認を受けた、その時点の間、いわゆる二カ月ばかりでありますが、要するに、いままでの社長がおやめになった、そして新しい社長に若狭さんがなった、こういうことでありますが、古い社長がやめられて、古い社長からあなたが聞いておられましたことを新しい社長に報告をされなかったんですか。
○松田証人 結論的には何も報告をいたしておりません。
○山崎(拓)委員 それでは、もう一つ聞いておきたいのですが、若杉、石黒両氏と若狭社長がお会いになって、ただいま申し上げました、全日空に法的、道義的責任はないということを確認されたわけでありますが、その後、新機種選定準備委員会か、あるいは常務会か、どういう会かわかりませんが、社内のしかるべき機関において、若狭社長がこの件を報告をされましたかどうか、その点についてお伺いいたします。
○松田証人 これもよく覚えておりませんが、多分公式の場においてそんなことは話題はなかったというふうに思います。
○松永委員 関連で質問したいのです。 あなたが昭和四十四年の後半に大庭さんからお聞きになった話の内容でございますが、先ほど断片的にお答えになったんですけれども、大体こういう内容であったと聞いてよろしゅうございますか。 それは、DC10についての約束事は三井がやったんだ、全日空には責任はないんだから、黙って様子を見ておればいい、しかしこの話はないしょにしておいてくれ、こういった趣旨の大庭さんの話をあなたは四十四年の後半に聞いた、こういうことですか。
○松田証人 先生のお話の、ちょっとあいまいな点がございますが、ちょっとひっかかる点は、大庭さんが希望してやってもらったんだというのが入ったら、あとはそのとおりでございます。
○松永委員 そうすると、大庭さんの希望に基づき三井物産がDC10についての約束事をした、そういう話をお聞きになったわけですね、確かめておきますが……。
○松田証人 話のあれからいきますと、三井物産とダグラス社の間においてどのような話がなされたか、どの程度までの話ができたか、その辺のことはわかりませんが、大庭さんのお話の内容から推察いたしますと、さして重要なことではない、ありがちなことかもしれないな、三井物産は御熱心だという感じで受け取りました。
○松永委員 大庭さんしたがって全日空は、契約の当事者じゃないけれども、三井がダグラス社との間にした契約の内容、その内容は、このDC10を四機あるいは六機確定発注、それから最初のうちは六機だったが、後四機になったようですが、オプション機が何機かある。そういった三井物産とダグラス社との間に契約がなされておる、あるいはなされたという話の内容を大庭さんから聞いたことございませんか。
○松田証人 そういう詳しいことは全然教えていただけませんでした。
○松永委員 あなたは、先ほどの証言をお聞きしますと、大庭さんが、ないしょにしておいてくれ、こういう大庭さんの希望だったことによるのでしょうけれども、その後、大庭さんから聞いた話の内容を若狭社長には伝えてない、ないしょにしておった、常務会の席でもないしょにしておった、こういう趣旨の証言ですけれども、あなたは全日空の常務である。新機種選定準備委員会の委員でもある。したがって、大庭さんから聞いた話の内容を若狭社長に伝えない、あるいは新機種選定準備委員会の席上、常務会の席上等で、大庭さんがDC10について何かの関係を持ったということをお話しにならないというのはちょっと理解しにくいのですが、改めて聞きますけれども、その点どうです。
○松田証人 当時の三機種のわが社に対する売り込みであるとか、市場の人気であるとかということをちょっと申し上げたいと思いますが、DC10は当時……(松永委員「話したくなければ、いいです」と呼ぶ) それでは、黙っておれと言われたことが一つと、いつお話を申し上げなければならぬかと思いながらおりましたら、石黒さんとのお話で、全日空に責任はないということを伺いましたので、もう少しこれは黙っていなければいけないことだろうというふうに思いまして、黙っておりました。
○松永委員 あなたが大庭さんからお聞きになったその話の内容は、四十七年ごろになりますと、もう外に漏れておった事実じゃないでしょうか。というのは、衆議院の予算委員会でも野党の委員さんから、DC10について三井物産が契約をしておる、全日空の正式の依頼はないから先物買いと思われるけれども、というふうな趣旨のお話が出ておるのです。そういうことを野党の議員さんたちも知っていらっしゃるほどでありますから、新機種選定について責任を持っていらっしゃるあなたにとって、大庭さんがなさったことについて、秘密にしているような事柄じゃなかったんじゃないでしょうか。その点からいっても、あなたが、若狭さんや、あるいはその他会社の重役の人たちに、大庭さんがDC10について何らかの関係を持っておったのだということを秘密にしておかれたということは、ちょっと理解しにくいのですが、くどいようですけれども、もう一回お答え願います。
○松田証人 まことに言いにくうございますが、大庭さんが希望されたということだけは言いたくなかったのでございます。したがいまして、どちらにもこの点につきましては申しておりません。しかも四十七年と申しますと、私は本社から離れておりまして、機種選定その他から外れましたので、細かいことにつきましては何も存じません。
○田中委員長 横路孝弘君。
○横路委員 いま報道されるところによりますと、丸紅の伊藤前専務が偽証罪等で逮捕されたようであります。そこで証人にお尋ねしたいのでありますが、今回、全日空で逮捕された三人、沢専務を別にして植木、青木というのは、あなたとほぼ同じ時期に全日空に入社されていますね。そんなに違いのない時期であります。逮捕されたことについて、あなたは信じているという先ほどの御証言がありましたけれども、子供じゃないのですから、もうこの事態になって、信じているだけでは済まされないのじゃないでしょうか。新聞の報道によりますと、ほぼ両名ともだんだん認めてきているということのようでありますが、現在どのようなお気持ちでしょうか。
○松田証人 信じているという以外に、特に申し上げることはございません。
○横路委員 逮捕された植木忠夫というのは、調達施設部長をあなたの後やっているのですね。
○松田証人 はい、私の次の部長でございます。
○横路委員 植木、青木に対する容疑は、四十九年六月、七月、二千七十二万円、三千三十四万円というコミッションを受け取ったということなんですけれども、これまで全日空は、先ほども話がありましたように、社内調査ではロッキードからの送金を受け取ったことはないと衆議院の予算委員会においても証言がされておるわけでありますが、この社内調査は、あなたも常務取締役でありますから、御存じだろうと思うのですけれども、一体だれが責任者になって社内調査をされたのか。いかがですか。
○松田証人 存じません。
○横路委員 そうすると、今回この事件が報道されて、少なくともコーチャン証言によると、この三千三十四万円については全日空に入金しているということで、全日空の社内で調査されたと思うのであります。その社内調査の結果は全然入金していない、こういう証言があったのですね。あなたは常務取締役をやっていて、そのことは常務会で全然話題になりませんでしたか、この事件が表に出て以来。
○松田証人 常務会では話題になった記憶はございません。
○横路委員 そうすると、常務会の席上で若狭社長から、この点についてはこうだ——たとえば、全日空についていろいろ言われているけれどもこうだというような発言は、本事件が起きて以来一回もないのですか。
○松田証人 いえ、そういう意味じゃございませんで、やはり社長が、いろいろと世間で疑惑の目でもって見られたりなんかするのだけれども、私は公明正大であるから、事安全運航に関しては十分気をつけて本来の業務に専念をしてくれというふうなお話はございましたけれども……。
○横路委員 そうすると、もう一度確認しますけれども、社内でこの三千三十四万等について調査をされて、その結果が常務会で報告されたということはないわけですね。
○松田証人 三千幾らのことの調査につきましての報告はなかったように思います。
○横路委員 それでは、次の質問に移りますが、植木忠夫は、本事件が表に出て以来、こういう発言をしているのです。調達施設部長という職務上、ロッキード日本支社の人とゴルフや食事はたびたび行った。特に鬼俊良とは植木は非常に親密であったようですけれども、あなたは、植木の前の調達施設部長として、鬼氏を初めロッキード社の幹部は当然知っておられると思いますが、いかがですか。
○松田証人 知っております。幹部と言われましたのでちょっと困るのでございますけれども、お名前をおっしゃっていただきましたら……。
○横路委員 言ってください、どうぞ。
○松田証人 コーチャン副社長とは二回ほどお会いしたことがございます。鬼さんは、あれでも五、六回お会いしたことがあろうかと思います。それからエリオット、クラッター氏は、一回ぐらいずつ会っているかと思いますけれども、印象が定かでございません。ただ、デモフライトのときに写真が残っておりまして、私の隣にクラッター氏が座っておりますので、どんな話をしたか覚えておりませんが、それだけでございます。大体そんなところでございます。
○横路委員 その大阪のデモフライトの話は後でゆっくりお尋ねしますので、先回ってお答えにならないでください。聞かれたことだけお答えください。 それで植木さんは、鬼さんともゴルフをたびたびやったり食事もしたり、ずいぶん頻繁な関係があるようで、それは職務上のつき合いだ、こう言っているのですね。そうすると、調達施設部長というのは、新しい機種選定ということになりますと、当然それが仕事だと思うのですけれども、あなたと鬼さんとのつき合いの程度はどの程度ですか。
○松田証人 鬼さんとは食事もともにしたこともございませんし、お茶ぐらいは一緒に飲んだかと思いますが、ゴルフはやっておりません。マージャンは私はもともとやりませんし、その程度のことでございます。
○横路委員 調達施設部長というのは、四十五年の一月以来、機種選定準備委員会の総括部会の部会員ですね。そこで、この準備委員会ができて以来、さまざまな働きかけが航空各社からあったと思うのですけれども、ロッキード売り込みのメンバーといいますか、このメンバーは、いまのお話ですと、コーチャン、それからエリオット、クラッター、鬼ということのようでしたけれども、ロッキード社の代表としていろいろな方がお話しに来られたと思うのですけれども、あなたのお考えで、そのときの売り込みの責任者というのは、だれだというように思っていましたか。
○松田証人 売り込みの責任者というふうなことはよくわからないのでございますけれども、ただ一番頻繁に見えましたのが丸紅の方々でございまして、外国人の方はそう頻繁というわけではございませんでした。
○横路委員 それでは、丸紅の人たちは、あなたはどんな人を知っておられますか。
○松田証人 丸紅で一番多く来られましたのが、亡くなられました松井さんでございます。それとほぼ同じぐらい、部長さん、何と申されましたか……(横路委員「坂さんかな」と呼ぶ)いえ、坂さんという方もおられたように思いますが、いえ、そうじゃございません。それ以上の偉い方は一、二回来られて、ああこの方が、というふうなくらいのことでございまして、ほとんど具体的な仕事の話はいたしませんでした。
○横路委員 いま逮捕されている大久保はどうですか。
○松田証人 大久保さんには前後何回かお会いしたと思いますけれども、特に仕事の話で細かい話はなさいませんでした。
○横路委員 そうすると、どういう要件でお会いになったのですか。
○松田証人 何と申しますか、普通の話で、いい飛行機だから買ってくれというふうなことはもちろんおっしゃいますけれども、事務局の話のようなことは、もちろんなさいませんでした。そういうことでございます。
○横路委員 そうすると、やはり大久保さんの任務というのは、事務レベルというよりもうちょっと上の方の政治レベルの仕事を担当されておったという印象ですね。
○松田証人 まあ、そのようなことかと思います。
○横路委員 あなたのところに航空各社の売り込みというのは、何もロッキードばかりじゃなくて、かなりあちこちからあったと思うのですけれども、その場合、政治家から直接、あるいは政治家の紹介でというようなことで、機種選定がどうなっているんだというような問い合わせとか、こういう機種を選んだらどうかというような話は、何かございませんでしたか。
○松田証人 そういう話は、全然私のところには参りませんでした。
○横路委員 ロッキード社の売り込み、これはいろいろな段階があったと思うのです。あなたがおられた四十六年までのことについて、これからお話をしたいと思うのですが、このロッキード社の売り込みというのは、どうですか、かなり激しかったですか。あるいはある時期から激しくなったというような時期は、別にございませんでしたか。
○松田証人 初めのうちは余り激しくなかったと申し上げますか、どうなっているのだ、なかなか来ないじゃないかというふうなことがございましたけれども、終わりになりましたら、激しくなったというよりは、むしろ三機種とも同じぐらいの程度になりまして、印象といたしましては、激しくなったのは、私があの職を去る、大阪に転任する前ごろ、ようやく足並みがそろったといいますか、一線に並んだといいますか、そんな印象を記憶いたしております。
○横路委員 初めはさっぱり来なかった。顔を出すようになったのは、大庭さんがやめてからじゃないですか。
○松田証人 いえ、そういうことはございません。四十五年ごろよく——よくというよりは、まあよく見えておりましたから、大庭さんがおやめになるころ、前後からというふうに特に区切りはなかったように思います。
○横路委員 全日空は初めエアバス導入は四十七年でしたね。で、四十七年といっても、春と秋ということを考えられるわけですけれども、四十七年の春ならば、四十五年の秋ぐらいまでには決めなければいけないでしょうし、四十七年の夏だというと、遅くとも四十六年の初めごろには機種を決定しなければならぬということだったと思うのですけれども、いかがでしょうか。
○松田証人 おっしゃるとおりでございまして、大体二十四カ月から十八カ月ぐらい前に決めませんと準備が整わないということになっておりました。おっしゃるとおりでございます。
○横路委員 昭和四十五年の十二月の全日空の五カ年計画を見ますと、四十七年から三機導入ということになっていますね。そうすると、この方針に基づいて、四十六年の初めには、機種を決定をするという動きというのは、かなり急ピッチだったんじゃないでしょうか。
○松田証人 初めはなかなかスピードが上がりませんでしたけれども、だんだんとスピードが上がってまいりまして、四十六年の一月ごろは、大体の皆さんの御意向が固まりかけたころでございます。
○横路委員 そのころ決めるとしたら、どの機種になっていたでしょうか。
○松田証人 大変むずかしい御質問でございますけれども、よくわかりませんが、DC10は有力であったというふうに記憶をいたしております。
○横路委員 その四十六年の初めごろに機種を決めるというところに来て、どうして先に延びたのですか。
○松田証人 よく覚えておりませんが、ある程度まで選定の調査作業というものが進みましたけれども、最後の詰めになりましてなかなかうまく詰まないというので、もたもたしておった時期じゃないかと思いますが、正確にはよくわかりませんが、大体そんなところじゃなかったかというふうに思い出しておるわけでございます。
○横路委員 その四十六年の初めごろ、なかなか最後の詰めになるとうまくいかないという、詰めになるとうまくいかなかった要素というのは何なんですか。あなたは純粋に事務的にこうやってきているわけですね。そこで最後の詰めのところでうまくいかないというものは何だったんですか。
○松田証人 その辺はどうだったのでしょうか、私もいまここで思い出せませんけれども、何となしになかなか詰まなかったというふうに思います。
○横路委員 機種としては三つあったわけですね。DC10とL一〇一一とボーイング747ということですね。そのうまく詰まなかったというのは、あなたのサイドで詰まなかったのか。詰めようとするときに、何か上の方の指示で、もうちょっと先にしようやというような話か何か出てきたのか。非常に大事なところなので、その記憶に基づいてひとつ思い出していただきたいのですが。
○松田証人 一月というお話でございますので、もたもたと御返事をいたしておりましたけれども、二月ころだったと思いますが、航空局のサゼスチョンがありまして、導入をしばらく延期——いつまでというふうなお話もございませんでしたけれども、まあ、いろいろな意味だったと思いますが、そういう話が、あれは常務会か何か忘れましたけれども、聞きまして、そこで一応ストップということになったように思います。
○横路委員 その機種選定ストップというのは、ストップという形であなた方の方に伝えられたのですか、明確に。
○松田証人 そういうふうな形ではございません。一応延期となりますと気が抜けたと申しますか、作業がもうそこでしばらくたな上げみたいな形になったように記憶いたしております。
○横路委員 その気が抜けたのは、それはいつごろなんですか。春に気が抜けちゃったのかしら。夏ぐらいなんですか。雫石の事故がありますね。あの辺よりは大分前ですか。やはり四十六年の二月、三月ぐらい……。
○松田証人 二月にそのサゼスチョンをいただきまして、しばらく先に延ばすのだという話を聞きまして、途端に気が抜けたというわけでございまして、雫石よりずっと前でございます。
○横路委員 その二月に航空局の方からサゼスチョンがあったというのは、あなたに直接運輸省のどなたからあったのですか。あなた、だれか運輸省の当時の航空局の幹部と会ったことございますか。
○松田証人 私はその立場でございませんので、だれかほかのところに来たのだろうと思います。 それから運輸省の幹部の方とは、それは仕事の上でときどきお会いはいたしますので、多くの方とお会いするように仕事上なっております。
○横路委員 仕事上はもう当然だと思いますね。あなたの職務上会う運輸省の幹部というのはどの関係ですか。航空局長クラスですか、部長クラスですか。
○松田証人 局長さんにお会いすることもございますし、ほぼ課長さん、部長さんのところが主なところでございます。
○横路委員 この当時、局長に会った記憶はございますか、このエアバスの導入問題で。
○松田証人 導入時期の局長さんにお会いした記憶は、ほとんど消えておりまして、ございません。
○横路委員 それは、そのころ、ほかにはどんな用事が航空局にはありましたか。
○松田証人 調達施設部長といたしましては、いろいろな仕事がございますので、たとえば飛行場のターミナルが拡張になるとかどうとかこうとか、いろいろございます。そのときにはやはり飛行場部の方々にお会いしたりなんかします。そんなこともございますし、どちらかといいますと、雑用ぎみなことばかりでございますので、一々細かいことを記憶いたしておりません。
○横路委員 でも、雑用なら課長か部長でいいので、局長に会うときには雑用じゃないでしょう。
○松田証人 さようでございますので、せっかく局に行ったのですから、お暇ならごあいさつをと いうことはございます。
○横路委員 この二月なんですが、航空三社が売り込みをやっているときですね。あなたの方では、機種をいよいよ決めようかと言って詰めている段階。これは、ロッキードの一〇一一のエンジンをつくっているロールスロイスが、その四十六年の二月四日に倒産したのですけれども、これはロッキード社や丸紅の人たちはびっくりしたでしょうね。どうですか。
○松田証人 びっくりなすったようでございます。
○横路委員 びっくりしてあなたのところへ飛んできたでしょう。
○松田証人 よく覚えておりませんが、むしろ私の方から、どうなっておるんだということを聞いたように記憶いたしております。どうするつもりなんだということを。
○横路委員 それで、何と言っていました。
○松田証人 まあ、そのときは丸紅さんもよく御存じなかったのか、私どものお尋ねに対して的確に御返事がなくて、調べてから御返事しますからというので、それぐらいのところで終わったように思います。
○横路委員 そうすると、このときそれでストップになっちゃったわけですね。やはりこのストップで一番助かったのは、じゃロッキードということになりますね。このとき機種を決めるとすれば、ロッキードは外れたでしょう。エンジンなくなって、これはトライスターどころか、グライダーになっちゃったわけですから。そうですね。
○松田証人 どうなったか、ちょっとどういうふうな結論が出たかよくわかりませんから、ちょっとそれは何とお答えしていいかわかりませんが、やはりそういうふうなことは、その機体にとって非常に大きなマイナスでございますから、その機種は一番下に、最下位になるといいますか、三番目になるといいますか、そうなるわけでございます。
○横路委員 まあ調達施設部長としてそれは当然の発言だろうと思うのです。 そこで、ちょっと話が先に飛びまして、四十七年の七月のデモフライトのときなんです。あなた大阪におられましたね。このデモフライトもなかなか大変ロッキードとダグラス社の合戦があったのですけれども、このときに、あなたの方でさきに、写真が写っていてという発言がありましたけれども、ロッキード社の人と会って、一緒に食事でもなさったのでしょう。
○松田証人 二社ともパーティーをおやりになりましたので、食事と言えば食事、パーティーで一緒にごあいさつを申し上げました。
○横路委員 昔よく知っている人に久しぶりにお会いになったわけですからね。 それで、そのときに、丸紅の幹部の人が大阪で、全日空はL一〇一一を六機大体これで注文してもらえそうだという発言を新聞社の人にしたようなんですけれども、あなたは当時、何かそんな発言があったことについて御記憶ございませんか。
○松田証人 初耳でございます。
○横路委員 そこで、少しオプションの問題についてお尋ねしたいと思うのです。 今回のこういう事件ですね、全日空の場合のいろんな背景とか、こういう事件が起きた原因について少しお尋ねしたいのですけれども、日航と全日空というのは非常に競い合っていたわけですね。特に、現在もそうですけれども、焦点は海外進出を何とか果たしていきたい、できれば定期の航空路を持ちたいということが全日空の悲願だと言われているわけですが、そんなことで、従来どちらかというと日航寄りの運輸行政といったようなものに対して、巻き返しを図るために、運輸省のOBの人たちを最近どんどん全日空に入れていますね。そういうようなことから、行政との癒着みたいなことも言われているわけですけれども、非常に急成長で伸びてきた航空会社ですね。いろんな問題があったと思うのですけれども、今度のような事件を起こした背景、これはあなたとしては、いま常務取締役という地位におられてどのようにお考えになっていますか。
○松田証人 ちょっとどういうふうにお答えして——焦点がよくわかりませんけれども、まあ、競争するということは特に悪いことではないと思います。これは世の中には当然あることでございます。 体質がどうかというふうなことを言われますが、さほど私どもは、自分の体質につきまして特に——欠点はいろいろあると思いますけれども、こういうことは悪いことだとかいいことだとかという反省はいたしておりますし、特に世の中に出して恥ずかしいとかいうふうなことはいままでなかったのじゃないかというふうに感じておりますが……。
○横路委員 その欠陥はどうだとかいろいろ反省をしておるということなんですが、たとえばそういうような問題点というのは、あなた自身どんなことが問題だというように考えていますか。
○松田証人 自分の欠点とかなんとかということについての反省はいたしておりますけれども、何とお答えいたしてよろしゅうございましょうか、もうちょっと御質問を変えていただくと、答えが出るのじゃないかと思いますが……。
○横路委員 じゃ、もうちょっと具体的に、そのかわりちょっと生臭い話になりますよ。 四十四年から四十五年当時ですね、当時の大庭社長、全日空の中には対立したグループがありましたね。一説によると、追い落としのプロジェクトチームまでできていたんじゃないかなんて言われているのですけれども、この間の当時の、つまり大庭さんが社長になった一年間ですね、この間の社内の事情というのはどういう状況だったのですか。
○松田証人 大庭さんは豪快なお人柄でございますので、何と申しましょうか、仲に入って私も大変あちらこちらと気を使ったという記憶がございます。まあ、日本航空と全日空との体質の差などというものに対して、もう少し大庭さんが御配慮いただいたならば、もっとスムーズにいったのではないかというふうな感じをいまは持っております。 それから、社内でうまくまとまらなかったというふうな先ほどのお話でもございますけれども、私どものような者が、ちょうど私のような立場の者が、先輩、幹部、諸重役方の間に入りまして、補佐の任が十分できなかったということを反省いたしております。
○横路委員 さっき、七年間黙っていたことについてどうもよくわからないのですが、先ほどの証言で、大庭さんが希望したというようなことは言いたくなかった、つまり、大庭さんが社長になった当時の全日空の内部の状況では、まあ、大庭派と言うとおかしいのですが、何か大庭さんという名前を持ち出すのもちょっと社内でわっとみんなにつぶされるみたいな、そんな空気のように、これはちょっとお答えがしづらいかもしれませんけれども、そんなように感じたのですけれども、それであなた七年間黙っておられたんですか。
○松田証人 先生の表現はちょっとオーバーな感じがいたしますけれども、ただ、その心情的なもので大庭さんの悪評が立つのを警戒したという気持ち、これは正直に申しまして、当時何とか守らなければと思ったことも確かでございます。全日空の名誉のためにも、そういうことが外へ出たら、社長は軽々しいとかなんとか言われて、そのために社外で議論されるようになっては困るという神経が働いたことは、これは申し上げて、そのとおりでございます。言いにくいのでございますが、確かにそのとおりでございます。 それからもう一つは、純粋な調達の立場でいきますと、そのうちに機種選定作業というものも進んでくるだろう、そのときには大庭さんが先につばをつけておいたということがプラスになるかもしれない、それならばそのときまで黙っておるのが一番いいだろうというふうな感じもございました。 それから、四十七年四月というものを目途にするということがかたいことであるならば、DC10という機体が一番優位に立っておるということから、三井物産は大胆なことをおやりになった。しかし、まさかレター・オブ・インデント以降まで突っ込んでおられたということを私は知りませんでした。いま反省しますと、もう少しあの初期の段階で大庭さんに詳細なことを承っておけばよかったという反省を持っております。
○横路委員 あなた個人が聞いて、個人だけが知っていたということじゃなくて、これはアメリカの方の駐在員の方から連絡が入って、四十五年の初めごろに、三井物産に調達施設部として問い合わせしたことがあるのじゃないですか。いかがですか。
○松田証人 四十五年の初めでございますか。
○横路委員 はい。
○松田証人 さあ、大事なことでございますが、そんなことがあれば、私、記憶にあるはずでございますが、全然覚えがございません。
○横路委員 内装の関係なんですが、四十五年の、つまり大庭社長から若狭社長にかわった後で、ダグラス社のインテリアデザインの担当者が来て全日空で打ち合わせをした、こういう事実はございますか。
○松田証人 四十五年の九月かどうかは存じませんが、アメリカから各社いろいろの売り込みのチーム、説明のチームが参りますから、その日時につきましては明快に覚えておりません。インテリアの関係のチームが見えたということは記憶をいたしております。
○横路委員 四十五年のその秋に、全日空の霞が関の本社で、あなた自身このダグラス社の人たちとはお会いになっていますか。
○松田証人 私が外地にいない限り、全部お会いして握手ぐらいはいたしますので、多分会っていると思います。
○横路委員 三井物産が押さえておった飛行機が、全日空が買わないということで、結局トルコ航空、レーカー航空へ転売をして、このうちの一機が落ちたわけなんですが、その座席数がどうも全日空仕様にでき上がっていたのではないかということを言われているわけですが、スペックの書類をあなたの方でダグラス社に渡していたのじゃないですか。
○松田証人 いつの段階かに三社に対しまして、御希望があれば、あなたの飛行機を使う場合には、こういう座席のアレンジメントにしたいという程度のことはお渡ししておったように思います。正確に覚えておりませんが、そういうことは別に秘密でも何でもございませんので、すぐお渡ししたと思います。
○横路委員 それで、何回かアメリカに調査団を派遣していますが、あなたが調達施設部長をやっておった段階までに、アメリカに行ってそのことを確認されておった人がいるのじゃないですか。
○松田証人 そのこととおっしゃいますと、何でございましょう。
○横路委員 つまり、全日空仕様に飛行機が押さえられていて生産をされている、そのことです。
○松田証人 今日の段階までなりますと、いろいろな説が出てくるのでございますが、当時といたしましては、私の耳に一つも入っておりません。
○横路委員 最後になりますが、あなたが地方検察庁に呼ばれたのはいつですか。
○松田証人 四月の初めごろでございます。
○横路委員 あなたが地検に呼ばれたというその事実は、全日空の幹部は御承知ですか。
○松田証人 はい、知っております。
○横路委員 それで、当然呼ばれて行ったわけでしょう。そうすると、何を検察庁から聞かれたかということを全日空の社内で聞かれたでしょう。
○松田証人 地検の方から、取り調べの内容の細かいことについて他言してはいかぬというふうにくぎを刺されておりますので、まあ、包括的なことならよかろうと思いまして、ぼくが在職中のことだというふうな程度のことはみんなに言いましたけれども、細かいことは申し上げておりません。
○横路委員 あれじゃないですか、普通これだけ大きなことになって、全日空の方でもって、内部でどんどん呼ばれて行って事情を聞かれれば、それは全日空だって顧問弁護士がいるでしょうし、それはどんなことをあなた聞かれたかというチェックぐらいやるのが常識じゃないですか。
○松田証人 ある程度のことは資料で——次の日にこういうことを調べていかなければいかぬというふうなことになりますと、やはり資料に目を通さなければいけませんので、その程度のことは社内で知っておると思います。
○横路委員 だから、そのころ問題になっていたのは、オプションがあったかないかということが問題だったわけでしょう。そうすると、いいですか、検察庁の関心じゃないですよ、検察庁で何を聞かれたかということじゃなくて、全日空の方で、松田さんが呼ばれて行ってきた、それ、そのオプションのことだったろうということになるのじゃないですか。
○松田証人 オプションの問題以外にもいろいろ聞かれましたのですが、オプション問題もあったということでございます。その件につきましても、何月何日どういうふうな文書が来ておるというふうなものをひとつ、私も長い昔の話でございますので、読んでいくというので出してもらったりいたしましたから、その程度のことはございました。
○横路委員 この質問が終わってから、どうしてこういう質問をするかという理由をちょっと説明しますけれども、そうすると、あなたの方で、検事に言ってはいけないよとくぎを刺されて、全日空の社内に言ってないのは大庭さんからの話のところだけなんですか。全般的にだめだよと言われたわけじゃなくて、そこだけくぎを刺されたのですか。
○松田証人 その区別は、別に検事の方から伺っておりません。ただ、内容についてという意味に私は了解しておるわけでございます。
○横路委員 いや、話をしていれば、当然これは全日空社内で若狭、渡辺両氏、知っているわけですから。これはロッキード特別委員会における渡辺さんの証言に実はかかわる問題なんで、ぜひその辺のところは確かめておかなければならぬと思いますが、もう一度確認しますけれども、では、その点だけは、特にあなたとしては、その点だけは頭の中にしまっておかなければだめだぞと——検事に言われたからといって、別に外へ行ってしゃべっちゃいけないということはないのですよ。取り調べを受けて、だめだよと言われても、それは別にしゃべってどうこうということはないのですが、特にあなたが、これは言っちゃまずいなと思って、全日空に帰ってからも上司に報告をしなかったのは、そのオプションのことなんですね。
○松田証人 オプションのことだけ話さなかったとか話したとかいうふうに区別をつけて考えておりませんけれども、検察庁で申し上げたことはなるべくだれにも言わないでおこう、そういうふうに行動いたしましたので、どれをどうというふうなことは、いまのところ、ちょっとどういうことをしゃべったかということもわかりませんです。
○横路委員 これで終わりにしますけれども、先ほど丸紅の伊藤前専務が逮捕というふうに報道しているということを発言いたしましたけれども、取り調べを受けているということのようですので、訂正さしていただきたいと思います。
○田中委員長 三浦久君。
○三浦委員 証人に伺いますが、証人は先ほど、三井物産の灘波さんが足しげく来ておった、こう言われましたね。それはいつごろから足しげく全日空に出入りをするようになったのでしょうか。
○松田証人 いつごろからでしょうか、ちょっと覚えておりませんが、まあ一週間に一遍くらいの割りで見えたように思っております。
○三浦委員 大庭オプションの後ですか。
○松田証人 大庭オプションというのは時期のことだろうと思いますが、四十四年の七月、それより前からお見えだったように思いますが……。
○三浦委員 あなた先ほど、記者会見では灘波さんからオプションの話を聞いて大庭さんに確かめた、そういうふうに言ったが、よう考えてみたら、灘波さんであったかどうかよくわからない、こういうことを言われましたね。いまよく考えてみて、灘波さんかどうか思い出せませんか。
○松田証人 正確に思い出せないのでございます。
○三浦委員 すると、三井物産の人からオプションの問題についてお聞きされたわけですね。その内容ですけれども、先ほどあなたは、ただ軽く仮に押さえたよという程度の話だと言ったのですけれども、私はそういうことはないと思うのです。たとえば、三井物産の人は何のためにあなたにオプションの話をしたのですか。売り込みのためじゃありませんか。どうですか。
○松田証人 当然売り込みたいためでございましょう。そういうふうに思います。
○三浦委員 灘波さんも売り込みのために足しげく調達施設部に足を運んだんじゃありませんか。
○松田証人 そのとおりだと思います。
○三浦委員 灘波さんはいわゆる大庭オプションについて御存じでしたか。
○松田証人 灘波さんから聞いたのならば、もちろんそうでございますし、灘波さんとその後そのことについてどんな話をしたかということは思い出せませんので……。灘波さんも御存じだろうと思います。三井物産の方でございますから。
○三浦委員 最初オプションを聞いたときは灘波さんからではないとおっしゃっていましたけれども、その後売り込みのために、あなたに対して何回も何回も足を運んでいろいろ話をされたわけでしょう。そのときに、灘波さんがあなたに対して、いわゆる大庭オプション問題について話をしないというはずはないのです。よく思い出してみてください。一番最初は、あなたは思い出せないと言ったけれども、何回も足を運んでいる。そしてあなたとお会いしている。そのときに、いわゆる大庭オプション問題についてあなたに灘波さんがお話をしているはずです。それでなきゃ商売できないじゃないですか。よく思い出してください。
○松田証人 大庭さんがつばをつけておるということを話題にしてのお話は思い出しません。それから灘波さんに限りませんけれども、商社の方がお見えになるのは、いずれの会社にいたしましても、何もないときにふらっとおいでになるということはございませんで、何かの情報をお持ちになるとか、書類をお持ちになるとかが主でございますが、灘波さんはふらっとお見えになることもありました。
○三浦委員 灘波さんというのは三井物産のどういう立場の人でしたか。思い出してください。
○松田証人 正確な名前は思い出しませんが、航空機部とかいいましたけれども、部の次長さんだったように記憶いたしております。
○三浦委員 そうすると、全日空に対するいわゆるDC10売り込みの責任者だったのじゃありませんか。
○松田証人 責任者であったかどうかということは、私にはわかりません。
○三浦委員 そんなことがわからないのですか。あなたいろいろ商社の方とお話ししておって、その方が三井物産の航空機の売り込みの責任者なのかどうか、相手の地位がわからないでいろいろな話をされるのですか。おかしいですね。あなた、隠していらっしゃるのじゃありませんか。灘波さんと何回もお会いになっているというふうにおっしゃいましたけれども、そのときに大庭オプション問題が話題になりませんでしたか。これはきわめて不可解ですよ、だれが考えても。大体ないしょにしておってくれというふうに大庭さんが言っておるオプションでしょう。その問題について、灘波さんはいわゆる大庭さんが信頼しているあなたにだけ話をしているわけでしょう。そういう関係にある人同士の間で何も大庭オプション問題について話がないなんて、そんなことが世間に通用すると思っていますか。正直に答えてください。
○松田証人 何分にも昔の話でございますので、思い出せと言われましても、思い出せないのでございます。
○三浦委員 私は非常に不誠実な証言だと思いますけれども、じゃ、次にお聞きしますけれども、このいわゆる大庭オプションというのはいつまでもないしょにしておくことができない性格を持っていたものではありませんか。調達施設部長さんとしては、これをいつかは社内の全体の意思にして、そして正式な契約にこれを仕立て上げる、また三井物産自身も、いつまでも秘密にしオプションの段階でとどまっておったのでは商売にならないから、やはり正式に全日空に買ってもらいたいと思っていたでしょう。そうすれば、これはいずれ明るみに出なければいかぬし、また調達施設部長さんとしては、それを明るみに出して、社内全体の意思にしていくというそういう努力を当然されるのがあたりまえだと思うのですけれども、その点はいかがですか。
○松田証人 これは先ほどもちょっと触れましたとおり、いつか選定作業が進んでいきますと、自然にこの問題は表へ出てくる問題であろうと思って、当分の間まあないしょにしておこう、こういうふうに先ほど申し上げました。先生のおっしゃるとおり、いつかはこれは表面に出てくるものだと思いました。大庭さんが退陣をなさいますというああいうことがなければ、そのころにちょうど出たのじゃないか、その後ごろ出たのじゃないかと、いまになってみれば思っております。
○三浦委員 そんな機種選定準備委員会の結論が出るまでのんびり待っておるというような、そういう性格のものではなくて、三井物産自身がやはり早く全日空全体の意思にしてほしい、そういうふうに希望して、いろいろあなたに対して働きかけをしているはずでしょう。それが商取引の常道なんです。三井物産から、早くいわゆる大庭オプションを全日空全体の意思にするために社内を取りまとめてくれというような、そういうお話があなたにありませんでしたか。よく思い出してくださいよ。
○松田証人 非常に御熱心なお手紙をしょっちゅうお持ちでございます。しかし、正式の文書の中にもそんなことはもちろん書いてございませんし、特に大庭さんがこういうことをしておるのだから何とかしてくれということを発言なすってのお話は記憶にないのでございます。
○三浦委員 よく思い出してお話をしていただきたいのですけれども、このいわゆる大庭オプションというのは、秘密に締結をしたということがばれれば、大庭さん自身の社内の地位も危なくなる、そういうような性格のものではありませんか。大庭さん自身はそういうふうにこの前証言されておられましたけれども、いかがですか。
○松田証人 私もそのように感じました。
○三浦委員 大庭さんから信頼されて、オプション問題を打ち明けられているあなたが、いつまでも秘密にしておくわけにいかない、したがって、これでもって社内を取りまとめよう、そのためにはどうしたらいいかということを真剣に考えられたと思うのですが、そういうことはありませんでしたか。
○松田証人 DC10のために、無理やり社内の世論を持っていこうということは非常にむずかしいと思いました。ただ、時間がたてばそのうちに、ということは選定作業が進んでいくうちに、タイムリーないいチャンスがくるだろうというふうに考えてないしょにしておったというのが実情でございます。
○三浦委員 しかし、この当時は、社内はDC10という空気だったのでしょう、さっきのあなたの御証言によれば。無理やりDC10に社内の意思を統一するというような必要性がなかったときじゃありませんか。それは私は理由にならないと思います。 それでは具体的にお尋ねしますけれども、もうレター・オブ・インテンツを結んでしまっている、そういう段階になってきているから、大庭さんが独断でやったということにしてはぐあいが悪いというので、改めてダグラスからプロポーザルをとろう、プロポーザルをとってそれに基づいて公に社内で論議をしよう、そういう話し合いを三井物産との間にしたことがありませんか。そして現実にダグラスからプロポーザルをとり、三井物産がそれを持ってきたことはございませんでしたか。よく思い出してください。
○松田証人 プロポーザルの差しかえは、ダグラスが何回、ボーイングが何回というようなことはほとんど忘れておりますけれども、何回かございます。それから私の方からいま先生のおっしゃったような細かな相談をしてそういうプロポーザルを取り寄せたというふうな記憶はございません。
○三浦委員 これはいわゆる三井物産の関係の方を証人にお呼びしてお聞きすればわかるわけですけれども、もう一度念を押しますけれども、そういう事実はございませんでしたか。
○松田証人 記憶にございません。
○三浦委員 それでは、あなた自身がオプション問題についてお聞きしたことをその後若狭さんや渡辺さんにもお話しになっていない、こういうことでしたね。社長が若狭さんにかわったときに、あなたはそれを言う義務があった人ではありませんか。どうですか。
○松田証人 社長交代をされましたときに、これは大庭さんが何か御処理なさるだろう。というのは、先ほど初めの方に申し上げましたように、まさかレター・オブ・インデントとかなんとかそういったところまでいっておるということは夢にも知りませんでしたので、そこで重い、軽いということになるのでございますが、軽く思っていたということでございまして、大庭さんが何か御処置をなさるだろう、でなければ三井物産から何か言ってくるであろう、もうちょっと様子を見ていようといううちに、例の若狭さんと石黒さんとのお話し合いで全日空に責任がないのだということを承りまして、実は何か大庭さんが御処置なすったのか、いずれにしましてもこれでいいのだ、終わったというふうに理解をいたしまして、今日まで黙っておった、こういうことでございます。
○三浦委員 大庭さんが何かしただろうという想像でもって何もしないでいられる立場にあなたあったのですか。調達施設部というのはどういうことをやる部署なんですか。お答えいただきたいと思います。
○松田証人 あの場合はあれでよかったといまでも思っております。
○三浦委員 ちょっと質問に対して答えていないのですけれども、私の方から言いましょう。あなたの方の業務分掌規程というのを私は取り寄せた。そうすると調達施設部というのは、航空機を含む「動産、不動産の調達、契約の締結、実施を担当することによって最高経営者層を補佐し、各部各本部に対し機能的指示および援助を行なう。」こうなっている。最高経営者層を補佐するのですね。大庭さんが社長時代に、大庭さんが黙っておれと言ったから黙っておったというのは、まあ理解ができます。しかし、その最高首脳である大庭さんがおやめになって若狭さんが社長になられた。最高首脳がかわったわけです。そうならば当然このオプション問題についてあなたは新社長に報告をする義務があなたたちの内部規程でも発生していると思うのですが、どうですか。
○松田証人 その点につきましては、若干今日になりますと反省もございますけれども、当時としましては、ここまで波風の立った交代でございますので、これ以上言うことは避けた方がいいのではないかというふうに考えまして、まあ、大庭さんのこれ以上の、何といいますか、こういうことまでやっておったということが社内外に出るということは全日空の恥辱であるというふうに考えまして、胸におさめました。
○三浦委員 若狭社長に言うことがどうして社内外に発表されることになるのですか。あなた、そういうことは理屈にならないじゃありませんか。若狭社長さんにだけ話をすればいいことでしょう。渡辺副社長さんにだけ話をすればいいことでしょう。そういうことが何で社内外にこのことがばれることになるのですか。これは全く理由にならないと思います。あなたは何度かこの問題を話さなければいけない機会に遭遇していらっしゃるわけです。 一応、あなたが先ほど御証言なさった若狭・若杉会談でもって一応この問題のけりがついたから、だから私はそれでいいのだろうと思って言わなかった、こうおっしゃいましたけれども、では若狭・若杉会談が行われ、けりがついたということを、あなたはどういう機会にだれからお聞きになったのですか。
○松田証人 それはいつ聞いたのでございましょうか、ちょっと記憶にございませんが、大体そのころ聞いたように思います。
○三浦委員 常務会では、また公の場所ではそういう話はなかったということをあなたは言われたのですからね。そうすると、それ以外のところであなたはお知りになっているはずでしょう。正直におっしゃってください。
○松田証人 どうもどこで聞きましたか、よく覚えておりません。記憶にございません。
○三浦委員 そうすると、あなたは若狭・若杉会談でけりがついたんだと思う、こう言われていますね。そうすると、若狭さんは大庭オプション問題についてあなたぐらいの認識は、じゃその当時は持っておったというふうにあなたはお感じになっておったのですか、いかがですか。
○松田証人 大庭さんがどの程度におやりになっておったかということの認識は、私も重い、軽いになりますと非常に軽い気持ちでおりましたのですが、多分若狭さんもその程度じゃないかと推察をいたしますが、若狭さんのことはよく存じません。
○三浦委員 そうすると、いまのあなたの御証言ですと、よくわからないけれども、あなた程度の認識はオプションについて若狭さんは持っていただろうと思う、そういう御趣旨ですね。
○松田証人 ちょっと私の言葉がまずかったと思いますけれども、何かの影を感じてお尋ねになったように今日証言をしていらっしゃいますので、私が人のことをそんたくして言ったのは間違いでございますので、先生の御質問によって気がつきましたけれども、これは前言はちょっと訂正させていただきます。若狭さんに関しましては、推測がましいことを申し上げまして大変失礼いたしました。よくわかりません。
○三浦委員 若狭氏がことしの二月の十六日に証人に喚問されたわけですが、その前にオプションがあったかどうか、いわゆる証人に出てくるための打ち合わせというものを全日空の社内で行ったことがありませんか。
○松田証人 ございませんでした。
○三浦委員 そんなことがあり得るでしょうか。あなた自身その打合会に出ておりませんか、いかがですか。
○松田証人 そのような打合会は私は存じません。
○三浦委員 三月一日にも若狭さんは証人に出ておられますけれども、このときにやっぱり打合会があり、あなたはその打合会に出席しておったんじゃありませんか。
○松田証人 そのときにもなかったように思います。
○三浦委員 若狭氏が偽証で告発をされたとき、このときはどうですか。あなたはそれでもなおかつ若狭氏には何も言っていないのですか。
○松田証人 若狭さんには何も言っておりません。
○三浦委員 あなたはオプション問題で江島三郎さんと大沢当時の技術整備本部長とお話ししたことはありますか。
○松田証人 オプション問題と申しますか、仮押さえ云々の件につきましては、どなたにも申し上げておりません。
○三浦委員 調達部の課員がおりますね。あなたの部下がおりましたね。その部下にも一切話をしておりませんか。
○松田証人 話した記憶がございません。
○三浦委員 終わります。
○田中委員長 坂井弘一君。
○坂井委員 私がお尋ねする要点につきましては、どうか正確に、簡潔にひとつお答えください。 あなたは三井物産の灘波さんとはしばしばお会いになった。それも最初の出会いは四十四年の四月以前からであったと思う、こう証言されたわけであります。その後、四十四年の十二月段階、つまりこの時点ではダグラス社からきわめて強いプロポーザルが全日空に参ります。このときのプロポーザル、つまり正式注文書、これは灘波氏の手からあなたのもとに示されたと思いますが、いかがですか。
○松田証人 四十四年の十二月、どういうことがあったかということを思い出せませんで、一般論でお答えいたしますと、大体書類は手渡していただいたか、あるいは私どもの方の課員のところに置いていかれたか、それもいろいろであったように思います。
○坂井委員 あなたはこの四十四年十二月段階のプロポーザルに対して、灘波氏と相談は一切されませんか。このプロポーザルをごらんになっていませんか。
○松田証人 多分見ておると思いますけれども、どのような内容であったか、ちょっと忘れております。
○坂井委員 四十四年の十月段階から十二月末にかけまして、ダグラス支社のテーラー氏が再三ダグラスの技術者を連れまして全日空にやってきた、そうして各部門の担当者と打ち合わせを何回か行いまして、ようやくにして十二月に入りまして正式な注文書を出す、プロポーザルを出す、こういう経緯がございます。したがって、十二月段階で受け取ったこのプロポーザルに対しまして、あなたはそういう記憶はあるけれども、内容等については定かでないかのごとき証言でございますけれども、これは私にはどうしても納得ができない。 ここでお尋ねしますが、このプロポーザルを受け取ったという記憶を呼び起こしていただいて、さて、あなたは必ず部下にこのプロポーザルのことについて話なり相談なりされたと思いますが、いかがですか。
○松田証人 受け取りまして、置いてお帰りになることもあったように思います。いずれにいたしましても、読んでわからないところがあれば電話をするように部下にも言ったと思いますし、内容いかんによっては上の方に報告をしたと思います。
○坂井委員 内容いかんによっては上の方に報告したかもわからない。じゃ、部下の方を聞きましょう。あなたの調達施設部の部下に井上課長、徳田係員、御存じですか。
○松田証人 はい、よく存じております。
○坂井委員 お話はされておりませんか、そのお二人に。
○松田証人 プロポーザルの改定があったというふうなことになりますと、条件が変わってくるわけでございますので、まあしかし、特に話をしなければならないというところまで受け入れ側の方が整っておらない段階でございますので、そうかと言って受け取ったのであろうというふうに思います。
○坂井委員 あなたの部下と相談をされましていろいろとその内容等について検討されたはずだと思います。その結果につきましては、上の方に、つまり若狭あるいは渡辺、鈴木三氏には、あなた自身が報告されたかどうかは別といたしまして、そうした打ち合わせをあなたの部内でやっているということについて、この王氏は知っておったでしょうか——と思いますが、当然知っていただろうと思いますけれども、あなた自身はどうお感じになっておりますか。
○松田証人 部内会議を開くほど重要な事柄ならば別でございますけれども、そうでなければ、承っておく程度にして承知をしておればそれでいいのでございますので、部内で会議をするというほどの事々しいことはいたさなかったと思います。
○坂井委員 そうしますと、このプロポーザルに対して検討されたことについては、全日空首脳は一切知らなかったと、あなたはそう思いますか。断言できますか。
○松田証人 先ほどから話題になっておりますその当該プロポーザルの内容がわかりませんので、どんな重要な書類だったかということもわかりませんので、何とも申し上げられませんが、普通の場合は、プロポーザルの改定という程度でございますと、まあ担当重役に報告するかしないかというところでございまして、特に機種選定作業というものが最後の段階になってきますと、これは大変でございますが、四十四年の十二月ごろと申しますと、ほとんどその必要のない時代でございますので、承っておく程度だったというふうに思います。
○坂井委員 よく思い起こしてくださいよ。つまり、私が申し上げておるのは、少なくとも四十四年の七月の二十九日の段階では、すでに米国三井とダグラス社間においてこのファームオーダーが三、オプションが四、こういう契約が成立して以後であります。しかし、この時点では大庭さんがまだ表に出ていない、こういう段階でありますが、具体的な作業はどんどんどんどん進行しておる。そういう中で少なくとも全日空、そしてダグラス、それから三井物産三者間においては何回も打ち合わせを行っておりまして、ようやくにして四十四年十二月の段階に至りまして正式注文書をダグラスからおたくの方に出す、こういう段階に至るわけであります。 この注文書の内容につきましては二つございます。大きな内容は。飛行機の下取り価格をどうするか、それからいま一つはパイロットの訓練費用をどうするか、こういう点についてもこのプロポーザルの中には項目として挙げられておる。このことについては当然あなたは部内で検討されなければいかぬ事項であります。したがって、そういうことについて検討されたことがあるかどうか、さらにひとつ確認をしておきたいと思う。
○松田証人 パイロットの訓練費を補助しろとか、もう退役する飛行機の売却の支援金をお願いしたいとかということは、原則的には私どもの方の所管でない要素もございますので、その担当部署と相談をして、大体これぐらいは要するにもらいたいと、言うなれば値切りの一つの材料でございますが、そういう話は部内ではいたします。大体、最終的な返事であれば別でございますが、その段階でございますと、ダグラスはこう言ってきた、ロッキードはこう言ってきた、ボーイングはこう言ってきたというふうな段階でデータを集めておるだけでございます。
○坂井委員 したがって、各担当部署と相談されたわけでございますから、全日空の首脳は、若狭さんを初め、間接的であれ、当然知り得たであろう、こう私は申し上げているわけでありますが、あなたはどう思うかということです。
○松田証人 三社平等に扱いまして、いろいろとデータを集めておりますので、一々細かいことをトップの社長まで御報告する、お尋ねがあれば別でございますが、そういうことはいたさないことに慣例がなっております。
○坂井委員 じゃ、同じく四十四年末にダグラス社の顧問弁護士でありますソリスター氏、ダグラスの顧問弁護士、御存じですか。
○松田証人 思い出しませんでございます。
○坂井委員 ソリスター氏がDC10の基本契約の案を持ってあなたの支社に伺ったと思いますが、御記憶ございませんか。
○松田証人 基本契約の案とおっしゃいますと、どういうふうな内容でございましょうか。
○坂井委員 むしろそのことをあなたにお聞きしたいと思いますが、基本契約の案について、あなたは当事者として御相談をされた、検討されたと思いますが、いかがでしょう。
○松田証人 言葉はいろいろございますけれども、基本契約の案と申しますと、当初の事業計画のことであろうと思いますけれども、これは半ば公表されたようなものでございまして、何年何月ごろに飛行機を何機入手して飛ばしたいというふうなことでございます。それから、先ほども話題に出ましたけれども、この飛行機は売りたいと思うがひとつ支援をしてくれというふうなことで、それは金銭換算でいくとか、まあ、いろいろな具体的なことになるわけでございます。ということは、よくわかりませんが、先生のお話ですと、まあ、プロポーザルだろうというふうな感じがいたします。
○坂井委員 それでは、さらに具体的なことについてずっと伺っていきたいと思います。 四十五年一月の末、つまり若狭調査団がアメリカに出発する前であります。全日空の羽田事務所がありますが、ここで当時の全日空の技術部長であります青木さんがダグラス社とリクエスト・フォー・チェンジ、RFCと言っておりますが、つまり仕様変更の要求書であります。これにサインをしたということが私どもの調査でわかっておりますが、この青木さんがサインいたしましたリクエスト・フォー・チェンジ、これについてあなたは青木さんから聞かれましたでしょうか。
○松田証人 聞いた覚えがございません。まあ、技術のことでございますので、私どもの方まで言う必要はないわけでございますので、私の耳に入らなかったのじゃないかと思います。
○坂井委員 このリクエスト・フォー・チェンジに従いましてその後だんだんと詰めを行いますが、最終段階は四十五年の十月になりまして、全日空のこれまた羽田事務所におきまして、ダグラス、三井物産と一緒に仕様変更の最終打ち合わせをあなたが出席しておやりになったと思いますが、これは御記憶があるでしょう。
○松田証人 どうもよくわかりませんが、私はこういうふうに思います。四十四年の初めごろにはまだデータも少のうございまして、わが社が大型機、俗に申しますエアバス機を飛ばせるときには、こういうふうな無線関係の仕様が欲しいとかいうことの詰めが十分でなかった。ところが、だんだん詰めてまいりますうちに、一応最初に立てた案がまた変更になる。これがファイナルかどうかということはわからないが、少なくともここでチェンジしておかないといけないとか、そんなことがあった会議ではないかと思います。なお、私は技術的な会議にほとんど出ておりませんので、詳しいことは存じません。
○坂井委員 具体的に申し上げたい。四十五年の十月ということも申し上げた。全日空の羽田事務所という場所も申し上げた。そこにあなたが出席されて、この仕様変更の最終打ち合わせを行った、こう私は申し上げた。まるっきり記憶にないと、こうおっしゃるのか、それとも、そう言われてみれば、確かにそのようなことがあったように思う、こういうことなのか、いずれでしょうか。それをはっきりしてください。
○松田証人 お答えいたしますと、仕様変更という言葉が少しひっかかりますが、仕様の差しかえぐらいのところでございます。 それから、その席におったかどうかということは、いまだ思い出しません。
○坂井委員 じゃ、また具体的に申しますが、四十五年の三月になりまして、大庭さんがダグラス社と相談して、DC10の説明団をつくって全日空に大々的な説明を行った。このときの出席者は、大庭社長以下役員の大半、それから準備委員会のメンバー、それから特に技術委員会、これも出席をしておる。この場所は全日空社長室の裏の大会議室。ダグラス社はマクゴーウェン社長が主宰いたしまして五人ぐらいの専門家を連れてきたようでありますが、あなたはこの説明会に出席されましたか。
○松田証人 正確な記憶はございませんが、お話の内容でございますと、マクゴーウェン社長がお見えになったような——お見えになったこともございますので、私が外地に行かない限り出席しておったと思います。ちょっと定かでございません。
○坂井委員 この席上に若狭、渡辺氏は出席をしておったと思いますが、いかがでしょう。
○松田証人 私にはわかりません。
○坂井委員 この説明会の目的は何だったでしょう。
○松田証人 この説明会とおっしゃる特定の説明会のことはよくわかりませんが、一般的に申しまして、三社いずれが見えましても、丁寧に、社長以下の御都合によっては全員出席して、いろいろと技術的なことから何から、参加する方々の顔ぶれによりまして細かい技術的なことは言わないけれども、インテリアのことなら皆さんおわかりだから話をするとかというふうに、向こうがアレンジして説明会というものは何回か催されました。
○坂井委員 さらに具体的に申し上げましょう。四十五年当時でありますが、ダグラス社のロングビーチには日本航空の事務所が置かれてありました。当時日航ではDC8の書類検査をするために駐在員が常駐をしておる。時にこの駐在員は、ロングビーチにおきまして全日空向けのDC10がすでに製作に入っておるということを確認をした、そういう事実がございます。これはわが方の調査であります。この駐在員から日航の羽田事務所に連絡、報告がされておる。つまり、全日空向けのDC10がつくられておりますよという報告であります。あなたは当時調達部長として当然これを聞かれたと思います。お知りだったと思いますが、いかがでしょうか。
○松田証人 日本航空からそういうふうなお話があったというふうなことは、そのときは何も聞いておりませんです。
○坂井委員 では、どこから聞きましたか。
○松田証人 ずっと後になりまして、もう最近になってその件は聞きまして……。
○坂井委員 その当時あなたの耳にちゃんと入っておるはずだという証言者があらわれた場合——先ほどから私が幾つかの具体的な問題を言いましたけれども、あなたはことごとく包み隠して全く真実を語ろうとしない、証言されようとしないように私には思えてならないわけであります。したがって、もし、私が幾つか挙げました具体的な例に対しまして、全くそのとおりであるという証言者がある場合においては、あなたは全く偽証であるということになりますので、私は念のために、私の質問に対しましてはどうか正確にお答えをいただきたいと、こうわざわざお断りしたわけでありますけれども、はなはだ不的確な、あるいは知りながらもそれをあえて言われようとしないような証言に聞こえて私はなりません。はなはだ残念であります。遺憾であります。 もう一点聞きますが、大庭社長が四十四年当時、整備運航のために長期機材計画、それをみずからの手でつくった。グラフにしてある、図面であります。それは四十七年にはすでにDC10を導入するのだというその一連の計画表であります。しかもその後にはボーイング747SR、こういう計画も、DC10を明示し、747SRを明示したそういう表でありますけれども、それはあなたはごらんになったでしょうね。
○松田証人 見せられたかもしれませんが、ちょっと記憶にございません。ただ、そういう御計画といいますか、それは口頭では耳にいたしております。
○坂井委員 委員長、時間が来ましたから終わりますけれども、はなはだ残念であります。少なくとも、いま私が最後に示しましたものは、長期機材計画、これは大庭さんの手元にあるわけです。それを一番信頼するあなたに見せておるはずです。それに対して記憶があるかどうか、そう言われればあるようにも思う、そういうあいまいな証言、私はこれは全く証言ではない、非常に残念であるということを申し上げ、さらにこのことにつきましては、他の証言者において私がいま申し上げたことにつきましてはっきりしたいということを申し上げて、終わります。
○田中委員長 永末英一君。
○永末委員 あなたは、昭和四十三年の七月、全日空の調達施設部長に就任され、いつまでこの職におられましたか。
○松田証人 四十六年の六月までと思います。
○永末委員 したがって、この期間あなたは勤められて、それから転任されて本日に至るわけでございますが、調達施設部長として一番いま強く心に残っておる問題は何ですか。
○松田証人 残っておると申しますとあれですが、 〔委員長退席、大橋(武)委員長代理着席〕 こんな事件が起こりましたのでまたちょっと違うのでございますが、やはり一番苦労したのは、中古の飛行機を売ることではなかったかというふうに思っております。
○永末委員 当時、あなたは調達施設部長として大庭社長並びに若狭社長の下に仕えるわけでございますが、大庭社長当時の社内の事情からして、あなたは特に大庭さんから信任を受けていたと考えておられましたね。
○松田証人 歴代社長の御信任をいただいたと思っております。
○永末委員 先ほどDC10を進めるについては、社内の世論が許さなかったとあなたは判断されて、そういう証言をされた。なぜそれを進めたら社内の世論が許さないのですか。
○松田証人 これは言いにくいのでございますが、大庭さんのやり方といいますか、それが従来から全日空で普通の行われているやり方、順序、順番と申しますか、それと非常に違うものでございますので、また物議をかもして大庭社長が窮地に立たれるようなことがあってはいかぬというふうな気持ちでございました。
○永末委員 いわば大庭社長のやり方に対して、言うならば、反大庭という機運が社内にある、したがって、大庭社長が考えていることをあなたが指示をして進めるということはむずかしい、こう判断されたんでしょう。
○松田証人 指示をして進めてむずかしいといいますと一言でございますけれども、その中でうまく処理をしよう、それには時間がかかるというので、苦労して調達施設部の仕事をやり切ったわけでございます。
○永末委員 したがって、大庭社長時代には大庭社長の意向に反するような見解を持つ人々が社内におった。あなたはその中で、大庭社長の意向を実現し得る側あるいは、すると大庭社長が信任をしている側の人間であるとあなたは自認しておられましたね。
○松田証人 調達施設部長が社長の御意向に反対をするということには限度がございまして、御信任をいただいていろいろと御指示をいただいた記憶がございますし、また御命令はちゃんとやったように思います。
○永末委員 いわゆる四十四年七月に大庭社長が三井物産に頼んで、ダグラス社との間にDC10に関する確定発注とオプション発注とをいたしました。この件についてあなたは最初三井物産の方から聞いたのですか。
○松田証人 そのとおりでございます。
○永末委員 そしてそれを大庭社長に確かめられた。三井物産から聞かれたのは何であって、大庭社長から聞いたのは何ですか。
○松田証人 細かい言葉のやりとりなどにつきましては正確ではございませんが、両方の共通項とするところは、三井物産とダグラスの間において話がついた、これは大庭さんの御希望によったんだということでございまして、全日空に責任がないということである。それから最後に、大庭さんだけと私との話でございますが、正式の発注ではございませんので、全日空には責任はございません、当分ないしょにしておってくれというのが大庭さんの言葉でございました。
○永末委員 三井物産が、言うならば、責任がないなんというようなことは若狭社長になってからの話であって、四十四年の後半、あなたが最初この事件を知ったときに、そういう態度で出ているとは私は思えませんが、あなたは正確にひとつ御証言願いたい。
○松田証人 三井物産の方のお言葉を全部思い出せませんから、内容だけ申し上げておるわけでございますが、全日空の正式の発注ではございません、したがって大庭さんの御希望によって取り計らったことでございますので、早くこれを正規のルートにのせてくれ、こういう意味ではなかったかというふうに思います。
○永末委員 大庭さんはこの事件を察して、自分の気持ちとしては、これで大庭としてはオプションをしたのだ、そのオプションという言葉を使ってあなたに説明したとその場で証言されました。あなたはそのように受け取られましたか。
○松田証人 何遍も大庭さんの証言以後考えておるのでございますが、オプションという言葉でなくて、製造番号仮押さえというふうな表現だったように思います。
○永末委員 大庭さんはこの証言台に立って何回も証言されましたが、仮押さえというあなたが先ほどから使われる言葉は使われたことがないのです。オプションという言葉を使われた。そのオプションの時期についてはこの証言台で確かめました。そしてごく軽い意味であるけれども、四十四年の七月二十九日、最初の三者の、すなわち三井物産、ダグラス社、大庭さん、この会合で三井の社長がサインをいたした。その時期に、軽い意味であるけれどもオプションをしたと自分は思うと言われた。その後あなたが大庭さんに会われている。そしてあなたにオプションをしたということを言ったと言っておられるわけですね。したがって、あなたはそのオプションという言葉で受け取られておったはずだと思いますが、いかがですか。
○松田証人 何遍も申しますように、仮に製造番号を押さえたとか、つばをつけたとか、そんな程度のことで、オプションという言葉ではなかったように思います。
○永末委員 信頼される大庭さんが言っておられることもあなたはなかなか思い出していただけないようでございますが、さて、先ほどこのオプション事件について、ロッキード事件が起こるまではだれにも話さなかったと証言をされました。いわゆる今回のロッキード事件が起こった後では話されたのですか。
○松田証人 検察庁の方で話しました。
○永末委員 検察庁だけであって、社内の者にも何にも言わなかった、こういうことですか。
○松田証人 だれとどこでしゃべったか、なるべくこれはまあないしょにしたいという気持ちもありますので、しゃべってないと思いますが……。
○永末委員 しゃべってないと思いますがということになりますと、しゃべったかもしれないというニュアンスに聞こえますね。正確にひとつお考えを願いたい。もう一遍お答えを願います。
○松田証人 自信を持ってお答えするわけにもいきませんので、そういう言葉を使いましたが、私が知っておるということにつきましてないしょにしたかったということでございます。
○永末委員 あなたの語感から言いますと、あなたはないしょにしておきたかったのだ、しかしながらあるいはだれかに漏らしたかもしれぬと受け取っていいですか。
○松田証人 漏らしていない方が正確のように思います。
○永末委員 漏らしてなかったという断言ではないと私は受け取りました。 さて、四十五年の二月九日に若狭氏を団長とする第一次の調査団が行くのでございますが、これはダグラス社に行くことになっておりましたね。あなたはこのことを知っておりながら、この問題をだれにも言わなかったのですか。
○松田証人 大庭さんがつばをつけておったというふうなことの意味のお尋ねだろうと思います。だれにもしゃべっておりません。
○永末委員 つばをつけた否かでなくて、三井物産がすでに全日空向けの航空機の導入について確定契約もしくはオプションをやり、そしてすでにダグラス社が生産にかかっておるということ、このことについて調査団のだれにもあなたは言わなかったのですか。 〔大橋(武)委員長代理退席、委員長着席〕
○松田証人 だれにも言いませんでした。
○永末委員 調達施設部長としてあなたそれでよいと思っておられたのですか。
○松田証人 第一次調査団が行きましてそれでおしまいではございませんし、まだ社長からの何の別命もございませんし、黙っておるべきだと思いました。
○永末委員 そのころは昭和四十七年の四月に大型機の導入をするということがあなたの社内の決定ですね。そういたしますと、四十五年の二月に調査団が行けば、その結論によって大体決めなくてはならぬ。先ほどあなたは十八カ月ないし二十四カ月以前に決めなければならぬというのが社の方針であったとしますと、そういう計算になる。したがって、その一次調査団というものが行くときに、二次も三次も四次もやるのだという前提で行ったのですか。
○松田証人 二次も三次も行くかどうかということまでは考えませんでしたけれども、まあ、一次で終わるということはむずかしいのじゃないかという気持ちを持っておりました。
○永末委員 昭和四十五年九月の十四日に新機種選定準備委員会の本委員会が開かれて、ここで全日空としましてはいままでの四十七年四月導入を八月以降もあり得るというぐあいに態度を変えるわけですね。そのときにあなたは、すでにこれは若狭社長のときでありますが、四十七年四月を目途にしたこの大庭さんの行為があり、ダグラス社は生産にかかっておることを知っておったはずですね。このときも黙っておったのですか。
○松田証人 三井物産が何とかしたのであろうと思いまして、黙っておりました。
○永末委員 三井物産は四十四年の九月に確定発注とオプションの数を変え、それを大庭さんに通告をし、そして四十五年の二月には大庭さんと三井物産、ダグラス社との間の会談が行われて、三井物産はダグラス社に正式の契約を行い、さらにその翌日大庭さんのところへ三井物産の灘波さんがやってきて、そして書類に対するサインを求める、こういう形式になりますが、これらの事実について大庭さんはあなたに何も言わなかったですか。
○松田証人 全然お話は教えていただけませんでした。
○永末委員 契約に基づいていろんな段階で三井物産は前金払いをダグラス社にやります。そのことにつきましてもその都度大庭さんに通告をしておった。信頼を受けているあなた、しかも最初のオプション行為をあなたに打ち明けられた大庭さんが、ここまで進んでいるよということを、普通の常識なら、あなたに言っておられたと思いますし、大庭さんはこの席で常時あなたに伝えておったと言っておられる。伝えてもらったことはありますか。
○松田証人 先ほども最初に申し上げましたように、一番最初の軽い意味のものは承っておりましたけれども、その後につきましてはそういう細かいところまでいっておるということは存じませんでした。
○永末委員 四十四年の後半に三井物産からあなたの方にダグラス社が三井物産との間に取り交わした見積書、ダグラス社のサインのあるもの、英文のものを持ってきましたね。あなたは受け取られましたね。
○松田証人 記憶にございませんが、そういうものは受け取ったと思います。
○永末委員 記憶にないが受け取ったと思うということは、どっちかよくわからぬ。受け取ったのですね。
○松田証人 具体的にどういう英文であるかというふうなことの記憶がないという意味を申し上げましたので、そういう大事な書類がそのころ出ておったとすれば、当然私が窓口でございますから、受け取ったと思います。こういうことを申し上げたわけでございます。
○永末委員 新聞の報道によりますと、この契約というのは、全日空向けだけれども、全日空よりも先にお客がついた場合にはそれに売りますよという、英文の条項があるという説明をあなたは受けなかったですか。
○松田証人 英文の説明というのは記憶ございません。ただ、日本文の文書の中に、まあ早い者勝ちというふうな意味の、飛行機をこのままの状態に置いてはおけないから、この納期の飛行機がいいだろうと思います。どうかひとつというふうな意味の文章はございました。
○永末委員 その文書はだれからだれあての文書ですか。
○松田証人 私あてであったろうと思います。だれからだれへ、だれからの方がちょっとあいまいでございますが、私あてだろうと思います。
○永末委員 少なくとも三井物産としてはあなたに大庭さんの行為を——そのときの現社長大庭さんのやられたことをあなたに知らし、そのもとでこれを持ってくる。そうしますと、あなたの記憶であなたあてとおっしゃいますけれども、それはやはり全日空の社内で検討願いたい、あなたの上司には通知を願いたい、こういう意図があったと思いますが、そういう意向をあなたは受け取られましたか。
○松田証人 窓口業務でございますから、当然、いずれの社のいずれの文書にいたしましても、これを社内で検討してくれ、こういう意味で持ってくるわけでございまして、そのときの文書を私のところへ持ってきたということも、そういう趣旨だろうと思います。
○永末委員 あなたは上司にこれを報告いたしましたか。
○松田証人 内容を詳しく見てみないとわかりませんが、大事な書類であれば、当然回覧なり報告なりをいたしたと思います。
○永末委員 回覧する場合に、当然この書類を見る上司の名前はだれとだれになっておりましたか。
○松田証人 その書類がどういう扱いをしたかということを覚えておりませんが、もし出すとすれば、関連の各部長とそれから私どもの担当の専務というくらいのところまでは大事な書類なら持ち上げたと思います。もっと大事なものは社長までお目にかけたと思います。
○永末委員 あなたの担当の上司の専務の名前はだれですか。
○松田証人 鈴木正之とおっしゃいます。
○永末委員 鈴木専務と大庭社長とは仲は余りよくなかったという話ですが、あなたはそのときそのことを知っておられましたか。
○松田証人 存じておりました。
○永末委員 だといたしますと、調達施設部長としては、回覧の上紙を載せるのではなくて、あなたみずからやはり鈴木専務に事態を説明するのが任務ですね。あなたはそうされなかったのですか。
○松田証人 私が直接持ち回ったかどうかということは確信がございません。ちょっとわかりません。
○永末委員 正確に思い返していただかないと、これは重要なところなんですね。あなたが胸に持っておったものを社内に広げたかどうか、思い返してもう一度この点を正確にお答え願いたい。
○松田証人 その十月幾日付の、十一月か十月か存じませんが、その書類そのものがちょっとわかりませんし、思い出せと言われますけれども、ちょっと思い出せないと思います。
○永末委員 あなたは大阪空港支店長を勤めておられましたが、デモフライトを思いつかれたのはあなたですね。
○松田証人 いいえ、私ではございませんが、私もデモフライトに来てくれて、住民の方に静かな飛行機、威圧感のない大きな飛行機というのを見ていただきたいという希望を持っておりました。私が発案者というわけではございませんと思います。
○永末委員 あなたはこの話を、三機種のうちどの社に最初相談されましたか。
○松田証人 私、相談をしたというよりは、三井物産と丸紅さんからお電話をいただいたのが初めであったように思います。
○永末委員 あなたの方としては、いま三井物産を先に言われましたが、三井物産と最初相談しましたか。
○松田証人 どちらが先であったか覚えておりません。
○永末委員 重要なとき皆忘れていただくと困るのですが、正確にお答え願いたい。もう一度。
○松田証人 どうも思い出しません。
○永末委員 終わります。
○田中委員長 松田証人に対する御発言は終わりました。 この機会に、証人にごあいさつを申し上げます。 長時間御苦労さま。ありがとう。 それで、休憩をいたしまして、一時三十分より再開をいたします。 午後零時三十四分休憩 ————◇————— 午後一時三十二分開議
○田中委員長 休憩前に引き続いて会議を開きます。 ロッキード問題について渡辺尚次君及び長谷村資君の両君より証言を求めることにいたします。 証言を求める前に証人の諸君に一言申し上げておきます。 昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によって、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をせなければならないことになっております。 それから、宣誓または証言を拒むことのできる場合が二つあります。一つは、証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係にかつてあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときであります。もう一つの場合は、医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときにも証言を拒むことができるようになっております。 しかし、証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられます。かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときには三カ月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。 証人は篤とこのことを御承知いただきたいと存じます。 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。全員御起立を願います。 〔総員起立〕
○田中委員長 まず、渡辺尚次君、宣誓書を朗読してください。
○渡辺証人 宣誓書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います 昭和五十一年六月二十四日 渡辺 尚次
○田中委員長 次に、長谷村資君、宣誓書を朗読してください。
○長谷村証人 宣誓書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います 昭和五十一年六月二十四日 長谷村 資
○田中委員長 両証人とも宣誓書に署名を願います。 〔証人、宣誓書に署名捺印〕
○田中委員長 皆さん御着席ください。 それから、署名をしております間にちょっとお諮りをいたします。 理事会の申し合わせにより、ただいま出頭しております渡辺尚次君、長谷村資君両君をこのまま同席の上で証言を求めることに御異議はございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○田中委員長 御異議なしと認めて、さように決定をいたしました。 それでは、これより証言を求めることにいたしますが、証人は、証言を求められた範囲を越えないように、要らぬことをつけ加えないように、また、その発言の際には、その都度委員長の許可を得て発言をしてください。 質問をしておるときはお座りになっておってよろしいのでありますが、お答えになるときには必ず起立をしてお答えをいただくようにお願いします。 それから、念のために証人に申し上げておきますが、きょうは両証人が同席をしておられるのでこの注意をするわけでありますが、他の証人が証言をしたことに直接反駁するような、反論をするような、証人同士がやり合いをするような、そういうことは慎んでいただきたい。証言は、委員長または委員の発言に答える形でのみこれを整然と行っていただきますようにお願いをいたします。 —————————————
○田中委員長 それでは、証人に対して証言を求めますが、まず、委員長から所要の事項について先にお尋ねをしておきます。 まず、渡辺君、あなたは渡辺尚次君ですね。
○渡辺証人 さようでございます。
○田中委員長 それでは、渡辺君、御住所、御職業、生年月日、この三つをお答えください。
○渡辺証人 住所、横浜市磯子区洋光台四丁目十四の十五、職業、全日本空輸株式会社代表取締役、副社長、生年月日、大正三年七月十日でございます。
○田中委員長 次に、長谷村君、あなたは長谷村資君ですね。
○長谷村証人 さようでございます。
○田中委員長 同様に、御住所、御職業、生年月日をお述べください。
○長谷村証人 東京都港区南青山五の十二の二十四の二〇五、日本航空株式会社営業本部審議役、大正十五年二月一日生まれ。
○田中委員長 それでは、発言の申し出があります。順次これを許します。まず、瀬戸山三男君。
○瀬戸山委員 きょう渡辺、長谷村両証人を同席の上でいろいろお尋ねをするわけですが、それは御両所が前に当委員会で証言をされております。しかもそれは直接関係されておる問題点について証言をされておるわけでありますが、直接関係されておる一つの真実について、両者の中に全然違ったような証言があるわけであります。そういう意味で、真実は一つでありますからきょうは同席の上でお尋ねをしたい、こういうわけでございます。どちらかが偽りを言っておるか間違ったことを言っておるということになるわけでございまして、もし偽りの証言をされると偽証になるわけでございます。しかし、人間の記憶というものは必ずしも定かでないわけでありますから、記憶違いもあるでありましょう、また思い違いもある、あるいは忘れるということもあるわけでございます。しかし、同じ事実について、御両所がいろいろほかの意見を聞いたり発言を聞いたりして思い出されることもあると思います。間違った判断をしておったということもあると思いますから、重ねて申し上げますが、どうかひとつ冷静な立場できょうは真実を語っていただきたい、これをまずお願いをしておきます。 そこで、渡辺証人にお尋ねするわけですが、全日空の前社長の大庭さんがやめられた。やめること、退陣することを表明されたのはいつでしたか。
○渡辺証人 昭和四十五年五月二十九日の午後でございます。
○瀬戸山委員 その際のことをお尋ねするわけですが、これは会社としては、しかも私ども見ておると相当トラブルがあって退陣を表明された、こういうことですから、記憶は相当確かなのじゃないかと思います。昭和四十五年の五月二十九日の夕方ですか、その際にどういう形でそういう態度を表明されたか、かいつまんでひとつもう一遍御証言を願いたいと思います。
○渡辺証人 その日はちょうど翌日に株主総会を控えておりまして、その株主総会の前日でございましたが、ちょうどその日の東京新聞の朝刊に全日空の融資問題の記事が大きく出ておりまして、私ども会社へ参りましてからその記事を見て非常にびっくりしたわけでございます。ちょうど私どもいろいろ会議がございまして、私は羽田に会合があったりいろいろなことがありまして午後に帰ってまいりまして、何時ごろでございましたか、ちょっと時間は定かに覚えておりませんが、多分五時前後だったと思いますけれども、大庭社長から私と当時の早崎という総務部長の二人に呼び出しがございまして、二人で大庭社長の部屋に入っていったわけです。 そうしましたところが、大庭社長から私に、実は先刻まで上森さんという総会関係の方と、あとどなたかお一人見えて、それであしたの株主総会に大庭さんが出ると非常に紛糾するおそれがある、だから出ない方がいいのじゃないかということをいろいろ話を受けた、ついては自分はあした総会に出たくないんだがどうだろうかと、こういうお話でございました。私は大庭社長に、あなたは社長なんだから、株主総会に出ないと言ったってそういうわけにいかないと思いますけれどもどういうものでしょうかと言いましたところが、実は自分はきょう松尾さんにお会いしていろいろお話しした結果、株主総会が終わった後の取締役会でやめることに決意をしているんだ、やめることが決まっておる社長がわざわざ株主総会に出て紛糾させるということは好ましくないと思うので、実は出たくないんだというようなお話でございましたので、非常にこれは重要なお話である、このことを若狭副社長にお話しになりましたかということを聞きましたところが、いやまだ話してないというお話でございましたので、それでは早速若狭副社長を呼んでお話しになってよく御相談になったらいいでしょうということで、若狭副社長に来てもらおうと思ったのですが、若狭副社長はちょうど外出しておりまして、それから早速外出先を調べまして連絡をいたしまして、帰ってきていただいたわけです。 それで、若狭さんは大庭さんが待っておる社長室へお入りになって、すぐに私にも来いということで私も入りまして、大庭社長、若狭副社長、それから私も同席いたしたわけです。その席で大庭社長が、実は松尾さんともいろいろ相談した結果、全日空を私はやめることにした。ついては、ひとつあしたの総会は、御苦労であるけれども、若狭君、君かわってやってもらいたいというようなお話がございまして、若狭さんは非常に突然なお話なのでびっくりしまして、しかしそう急におやめになるとかそんなことをおっしゃらぬでもいいじゃないですか、もっとお考えになったらどうですかというようなお話でございましたが、いやこれはもう松尾さんとも十分話し合った結果である……(瀬戸山委員「時間がないからもっと簡単に」と呼ぶ)そういうことで、何か翌日の議長を頼む、それから、きょうは私は非常に頭が混乱している、あしたのことはくれぐれもよろしく頼むということで、お帰りになったわけでございます。
○瀬戸山委員 その際、上森何がしという——上森何という人ですか。もう一人の人は西山何とかいう人じゃないですか。
○渡辺証人 一人の方は上森子鉄という人です。あと一人の方は私の知ってない人で、西山さんではございません。
○瀬戸山委員 その際、大庭社長がどこからか帰られたときに、もうすでにあなたと若狭副社長あるいはいまお話がありました上森、もう一人の方、そういう人が何か話をしておられたところに大庭社長が帰ったんじゃないですか。
○渡辺証人 そういうようなことはございません。私どもが来たときには、上森さんはもうお帰りになった後でございました。
○瀬戸山委員 いまお話しのように、大庭さんが若狭副社長を社長室に呼ばれてやめるというお話があったときに、これはたびたび出るわけですが、例のオプションといいますか、DC10を三井物産を通じて頼んである、こういう話が、大庭前社長は証言で、あなた方に告げてある、こういうお話だったが、あなた方はないとおっしゃった、その点、あったかなかったかだけひとつ……。
○渡辺証人 ずいぶん思い出してみましたけれども、そういうような記憶は全くございません。
○瀬戸山委員 それで、長谷村証人、あなたはこの前の証言の中で、大庭社長が四十五年の五月二十九日やめられることになった、その電話をされたそうですね。そうして、いきさつを聞かれた。その際に、いきさつの長いことは申し上げませんが、若狭、渡辺両君から三井物産のオプションをどうしましょうかと聞かれたので、二人で相談して善処してくれと頼んできた、こういうお話だったということでありますが、それは間違いありませんか。
○長谷村証人 間違いございません。
○瀬戸山委員 さらに、大庭社長が当国会の予算委員会で証言をされました。三月一日か二日か、ありましたが、その際の証言を聞かれておって、あなたはまたそのことについて電話をされたことはありますか、大庭前社長に。
○長谷村証人 電話をいたしておりません。
○瀬戸山委員 オプションの話は大庭社長がしたんじゃなくて、渡辺、若狭氏の方から問われたので、二人で相談して善処してくれと言ってあるのだ、こういうことを聞いたんですが、違いはしませんかという電話か何かの話し合いがありはしませんでしたか。
○長谷村証人 ただいまの電話というのは、三月一日の若狭さんとの対決のときの証言のときに出ました電話のことかと思いましたから、私は電話をいたしておりませんとお答えいたしました。いまオプションのことでございます。これは当日ではございません。三月の七日の日に私が大庭さんのお宅へ伺いまして、大庭さんのお宅で私が、大庭さんの証言によりますと自分から言われたというお話ですけれども、私は当時電話の中では先方から言われた、こういうぐあいに覚えておりますが、いかがでしょうかと問いただしました。そのときに大庭さんは苦笑いしておられましたけれども、実はこれは武士の情けである、確かにそう言われたように私は記憶しております。
○瀬戸山委員 先日の大庭証言によりますと、長谷村君からそういう話があったが、そういうことを君が言えばあるいはそうだったかもしれぬ、どちらか判然としないという証言でしたが、これは間違いありませんか。
○長谷村証人 そのとおりだと思います。
○瀬戸山委員 渡辺証人、いかがですか、いまの問題について、あなたの記憶をひとつ……。
○渡辺証人 私はもう先般来、きょうで国会三回目でございます。私は良心に従いまして、まあ、記憶を忘れたこともございますけれども、この件に関しましても十分にいろいろ思い出しましても、そういうような引き継ぎを受けた記憶は全くございません。
○瀬戸山委員 それでは、次に移ります。 長谷村証人は、六月十六日の当委員会において、稲葉委員の質問に対して答えられております。 昭和四十四年十一月初めごろ、たまたま会社の廊下で佐藤政雄にぶつかり、何しに来たのかと尋ねたら、渡辺専務から新しい融資依頼書を出してやると言われ、前の融資申込書を持ってこいと言われたとのことだった。だれから連絡を受けたかと聞いたら、鈴木明良だと言い、私が、持っている依頼書と念書を見せろと言ったら、八月二十六日ごろ鈴木明良に渡したものだったので、その場で回収した。その後、専務室に行ったら、そこに渡辺、鈴木両専務と鈴木明良がいた。そこで、佐藤は鈴木明良から持ってきた件を聞かれていたが、それは長谷村に渡したと言っていた。佐藤政雄は私に、なぜ当初自分たちが進めていた融資の話を打ち切って鈴木明良のところに持っていったのかとなじったのを覚えている。その直後、おれの話を邪魔するなという渡辺専務の声で退席した。こういう証言をしておられますが、間違いありませんか。
○長谷村証人 間違いございません。
○瀬戸山委員 あなたは、鈴木明良という人はそのとき初めて会ったんですか。
○長谷村証人 私は、八月の二十五日に大庭さんのところに見えて、翌日二十六日ごろだと思いますが、そのとき鈴木さんに初めてお目にかかっています。ですから、二度目でございます。
○瀬戸山委員 二十五日に大庭さんが念書や申込書を書いて渡したときにあなたは会っておらないですから、その後で会って、これが二度目だというわけですか。
○長谷村証人 さようでございます。
○瀬戸山委員 渡辺専務が、おれの話を邪魔するな、これはどういうことなんですか。この前もお話がありましたが、もう一度聞かしてください。
○長谷村証人 前回の証言で楢崎先生からそのことをお尋ねいただきましたときに、私、余りにもどぎついと思いましてお答えを少し……
○田中委員長 長谷村君、もう少し大きな声で……。
○長谷村証人 はい。前回楢崎先生からその御質問をいただきましたときに、私はお答えするのに少しどぎついと思いまして、ちょうどそのときが香港融資の問題が解決した後でございましたから、実は香港融資に関係あるようにお答えしましたが、それもございますけれども、私は実はその念書を回収しましたときに、ああこの念書が渡辺さんの手に渡らなくてよかったと、実ははっきり自分でそう思いましたし、神も仏もあるものだとそのときは本当に思いましたから、私としましては、その念書を回収されるというのがあるいはお仕事であったのかなあと実は思いました。
○瀬戸山委員 時間がありませんから飛んで聞きますが、渡辺証人はいまの奇怪な融資問題といいますか、一般にM資金問題と言っておりますが、このことを運輸省にあなたの名前で報告されたことがありますか。
○渡辺証人 ちょっとこの質問に対しましておわびしたいことがございますが、この前の質問におきまして、運輸省に私が報告書を出したかどうかという御質問がございまして、私は報告書を出した記憶が全くありませんということを御返事申し上げました。しかし、その後帰りましていろいろ私、思い出してみたのでございますが、報告書を出した記憶は全くございませんが、ただいろいろ考えてみますと、当時の航空局長の手塚さんから呼び出しがありまして、これは日にちははっきり覚えておりませんが、この件について事情を聞きたいというお話がございましたので、私が知っておる限りのことをそこでお話ししたことがございます。報告書は出しておりませんが、局で、呼び出しを受けまして事情を説明したことはございます。そういうことを思い出しましたので、この前の証言を修正させていただきます。申しわけありませんでした。
○瀬戸山委員 あなたが運輸省に行って報告したのはいつで、どういうわけでそういうことをしたのか。
○渡辺証人 これは私が出向いたのでなくて、手塚航空局長の方から呼び出しがございまして、行きましたところが、いろいろこういううわさを聞く、ついては上司から話があったのでこの事情を話してもらいたい、こういうことでございましたので、お話を申し上げたわけでございます。
○瀬戸山委員 長谷村証人に念のために聞いておきます。 証人はこの前、鈴木明良を紹介した原田代議士、大石代議士の名刺の話をされた。その際に、何か両代議士の秘書に確かめたというお話をされましたが、それは間違いありませんか。
○長谷村証人 そのことで私はおわびを申し上げなければいけませんが、実は私は原田先生の秘書さんという方をよく存じ上げません。そこで、私は持っておりました国会便覧で、当時、四十三年の八月現在のものだと思いますが、それで調べまして、大桑さんを知りました。そこで、たしか会館だったと思いますけれども、お電話をいたしました。大桑さんはおられませんでしょうか、私は全日空の顧問の長谷村ですがと、こう申しましたら、どういう御用件ですかということですから、私は、お手間をとらせて恐縮ですが、原田先生から当社の社長の大庭哲夫あてに鈴木明良氏を御紹介する旨のお名刺をちょうだいしております。御確認いただけませんでしょうか。そうしましたら、しばらくしまして、御紹介しております。よろしくと、こういうことでございました。したがって、私はその電話に出られた方が大桑さんだとばかり思い込んでおりました。しかし今日、そうでないということですから、私は素直にそれは訂正しておわびしたいと思います。
○瀬戸山委員 原田代議士のその当時の秘書の大桑啓仁、この人は四十四年の八月二十三日から九月十九日までヨーロッパ旅行に出ておったという本人の語られたことが新聞報道がされており、それで確かめたわけです。 そのあなたが確かめたという秘書さんの名前はわからない、どうですか。
○長谷村証人 大桑さんだとばかり思い込んでおりましたから、電話に出られた方がですね、そういうぐあいに私はお答えしました。 しかし、本件につきまして、私は名刺が本当に鈴木明良氏がその名刺をちょうだいしたかどうかということにつきましては、委員長、私、検察庁で確認しましたことをお答えしてよろしゅうございますでしょうか。
○田中委員長 ええ、言ってよろしい。
○長谷村証人 実は私、検察庁で鈴木明良氏と同席いたしまして、検事の前で本当に原田先生から名刺をもらったかどうかを問われていましたら、御本人は確かにもらったと、そう言っておりました。
○瀬戸山委員 終わります。
○田中委員長 楢崎弥之助君。
○楢崎委員 いずれかの証人、偽証の疑いがあるのではないかということで対決尋問になったわけであります。その偽証という点で関連がありますので、まず渡辺証人にお伺いをいたします。 一昨日、全日空の三幹部が外為違反容疑で逮捕をされた。新聞の報道するところでは、植木忠夫は調達施設部長の立場で金を受け取った、それを上役に渡した。ある新聞では、その上役は沢である。まあ、こういう報道があって、大体事実の確認を被疑者はしておるようであります。 それで、このPR料なりあるいはレンタル料の金銭の授受について、渡辺証人は全然報告は受けなかったですか。
○渡辺証人 全然報告を受けておりません。
○楢崎委員 チャーチ委員会におけるこの問題が、コーチャン証言で出てきた。それ以降、その事実の有無について、社内で調査された事実がありますか。
○渡辺証人 これは若狭社長と私から、社員もたくさんおりますけれども、関係個所というのは決まっておりますから、関係の調達施設部並びに経理部、そういうところの担当役員並びに幹部の者には何回も確かめまして、また帳簿等も全部調べさせまして、そういう事実はありませんという報告を受けております。
○楢崎委員 その調べられた対象の中に沢、植木、青木らは含まれておりましたか。
○渡辺証人 当然入っております。
○楢崎委員 その調査の事実結果を役員会に報告されたことはありますか。
○渡辺証人 これは社長が、あの事件が起こりましてからいろいろ疑われておるけれども、自分はこういうものをもらっておらぬし、また関係の人にも聞いてみたけれどもそういうことはないということで、私ら自分ももらってない、みんなも信頼している、これでわれわれは運航の安全に一層努めて、仮にも事故を起こすようなことがないようにみんなやろうではないかという激励の言葉を社長がやっております。
○楢崎委員 その役員会には、松田氏は列席しておりましたか。
○渡辺証人 これはいつの役員会かちょっと記憶しておりませんが、二回ぐらいにわたりまして社長はそういう発言をしております。
○楢崎委員 私の質問に答えてください。松田氏は列席しておりましたか。
○渡辺証人 ちょっと記憶しておりません。いつの役員会で、出席者がだれかということは記憶しておりません。
○楢崎委員 被疑者の供述が事実であるとすれば、あなた方は御存じなかった、そうすると沢ら三人が勝手に処理したということになりますね。どう思われますか。
○渡辺証人 私はいまもって信じられない気持ちでいっぱいでございます。
○楢崎委員 そうすると、確認をいたしておきますが、恐らく金銭の授受があったとすれば、これがどこに流れていったのかということは、当然その捜査の最終的な目標になると思うのですね。つまりそこに、これは裏金ですから、帳簿にないというのですから、だからこれはいわゆる工作資金に使われた疑いが濃厚である。 確認をしておきますが、あなたはそれらの工作がだれに向けて行われたか、あるいはこの工作の指示をだれが一体やったのか、あるいはだれがそういう工作資金を運んだのか、そういった点については全然御存じないということになりますね。そうですが。
○渡辺証人 私は全く存じません。
○楢崎委員 本件につきまして、実は二月十六日の予算委員会の荒舩委員長の質問に対して若狭証人が証言をしておる。これは全然そういうことはあり得ない、ないと断言されておる。それから、同じく同日の予算委員会で河村委員の質問に対して同じように若狭証人は、そう、絶対ないと断定をされておる。それから、せんだっての六月十六日のこの当特別委員会、これも河村委員の質問ですが、渡辺証人自身も、断じてないと。そうすると、これは金銭の授受が事実であれば、当然これは偽証になるわけであります。いかに否定をされても、これから事実は明らかになってくると思われますが、その疑いが出てくる、こういうことでありましょう。 この際ちょっと指摘をしておきますけれども、当委員会に関係がありますから、この偽証の問題で。実は六月二日、シグ・片山氏を証人に呼んだときに、この点を箕輪委員から質問をされておる、シグ・片山証人は。そのときシグ証人は、領収証をID社から出しておるのですね。その金額に匹敵するものが出ておる。それのうち、その一九七四年の六月十八日分の二千七十二万円分については金額は自分は入れなかった。そして、それから先「その当時の事情から考えますと、この領収証の問題は、会社内部の問題であった、日本に関係ない、日本国内に関係ない会社内部の問題であった、またはロッキードの日本における活動にも何の関係もなかったということであります。」と証言されております。これは、この全日空三幹部の逮捕から供述が事実とすれば、このシグ・片山氏の証言も偽証の疑いが出てくる。これに対して箕輪委員は、このシグ・片山氏の証言を受けて「ロッキードというのはおかしな会社ですね。コーチャンというのは非常におかしなやつだと僕は思うのです。」ところが、昨日の委員会でも実は、あなた方御存じないかもしれないが、刑事局長から、この部分に関するコーチャン証言は信憑性があるということを断言されているから、おかしいのはコーチャンさんの方ではなしに、箕輪委員の方になってしまいますね。要するに、私は、このシグ・片山証人の証言について偽証の疑いがあるということだけこの際指摘をしておきたいと思います。 次に、架空融資の問題であります。 この点について実は、全日空生え抜き、つまり民族派と言われておる人と日航派と言われておる人の派閥の争いがあったことは既定の事実ですね。そこで、この全日空生え抜きの方の民族派の方々が、その首脳の、言うならば反大庭派でしょう、その数人の人が集まって、大庭社長を追い落とすためにチームをつくられたというような話を長谷村証人は聞かれたことはありませんか。
○長谷村証人 聞いたこと、ございません。
○楢崎委員 渡辺証人、そういう事実は御存じないですか。
○渡辺証人 そういう事実は全く私は存じません。
○楢崎委員 もし、これが事実とすれば、このチームは最終的にはその追い落としの目的を達したということに結果的にはなるわけですね。まさに大庭追い落としは計画的な工作と、こうなる非常に重要な問題であります。実は、これはおたくの全日空の社内の某役員の証言で裏づけられておる事実であります。それで、問題の融資話を知ったそのチームは、この金融問題が追い落としのかっこうの材料として工作に入っていった。そして、鈴木正之専務、現顧問が銀行の工作の方をやった。そして、実はあなたが株主の説得の方に当たった。このように役割りをそれぞれ決めて、大庭氏の行動を内外に伝える、あるいは大庭氏の信用失墜を図る目的に使っておる、こういう話を実は聞いておるのです。これは非常に重要な点であります。そこで、御存じないということであれば、いずれこれははっきりすることと思います。その際にまた問題にしたいと思います。 それで、この前の私の質問に対して渡辺証人は、この架空融資の問題を知ったときにすぐ美土路氏に報告したとおっしゃいましたね。それはいつですか。報告されたのは、その話を聞いてすぐですか。
○渡辺証人 日にちははっきり覚えておりませんが、美土路さんはわが社の創始者でございまして、役員をおやめになりましてもしょっちゅう会社にお見えになっておりましたので、そういう席でお話し申し上げたと思います。
○楢崎委員 あなたの証言によりますと、自分がこの架空融資にタッチしたのは四十四年の十月いっぱいだ、そういう証言がありますね。だから、その十月の期間であることは間違いないですね。
○渡辺証人 そんな遅い後だとは思いませんから、恐らくそういう事件を聞いて、まあ一カ月以内であったと思いますね。日にちははっきり覚えておりません。
○楢崎委員 まあ一カ月以内であった。先ほどもあなたは訂正されたようでありますが、実は私はこのときに質問しているのは、こういう言葉でしているのです。議事録によって正確に言いますよ。「この事件の内容を株主あるいは運輸省に報告された事実はありますか。」私は報告書を出されたかと聞いていないのです。「運輸省に報告された事実はありますか。」これに対してあなたは「運輸省に報告した記憶はございません。」こういう御答弁であります。ところが、もう事実これは違うということははっきりしましたね。それで、美土路さんに報告した期間と、あなたが運輸省に行って報告された日にちは四十四年十月二十三日、そう期間は変わらないのです。変わらないのに、一方の美土路氏の方は記憶があって、わざわざ出向いた運輸省に対して報告した事実は、そう期間が過ぎてないのに記憶がないということは、これはこういう証言はこの当委員会では通らないのです。社会にも通りませんよ。とすれば、何か意図的なものが感じられるわけですね。つまりそれを言ったら都合が悪い。これはもう私は完全な偽証であると断定せざるを得ません。 そこで、そのとき運輸省のどの部屋で、だれが同席されておったか、もう一度明確にしてください。
○渡辺証人 どなたが同席されたか、私はよく覚えてないのですが、ただ、局長のほかにお二人おられたように思っておりますけれども、それはどなたであったかは、ちょっと覚えておりません。
○楢崎委員 その辺もおかしいんですね。あなたは運輸省との関係はそう薄くないのですから……。 そこで、あなたが報告された内容に事実と違う報告をされた点があるようであります。長谷村氏の証言によりますと、この報告書を見せられて——メモですね。運輸省に持っていかれたそのメモを捜査当局で見られた際に、依頼書と念書を回収したようにメモはなっておる。ところが、その時点では回収されていないのですね。そうすると、事実と違う報告をされたことになりますが、その点どうですか。
○渡辺証人 私は、この問題が起こりまして、大庭社長にお伺いしたところが、これはもう全部回収が済んでいるんだ、だから心配しないでもらいたい。なお二、三回お伺いしたことがありますけれども、二、三回目には、まあ一枚ぐらい何か残っておるようなことも聞いておるけれども、いずれにしても自分の責任でやったことだから、これは自分の方でけりをつけるんだから心配しないでください。最初私がお伺いしたときは、全部その関係の書類は回収済みである、だから何にも心配ないということをおっしゃっておられました。
○楢崎委員 運輸省から来てくださいというのは、渡辺証人に名指しで電話があったのですか。
○渡辺証人 そこははっきり覚えていませんが、私は当時、航空局にもよく行っておりましたし、手塚航空局長のところにもよく行っておりましたので、恐らく私のところへ直接お電話があったと思います。
○楢崎委員 その辺も私どもにとっては非常に疑問があるのですね。どうして当事者の大庭氏なりあるいは長谷村氏なりに運輸省は連絡をとらなかったかという疑問が一つ。なぜあなたを選んだか。そうしてまた、あなたも、その連絡を受けたときに、あなたは当事者じゃないんだから、本来ならば、大庭社長か長谷村さんに聞いてくださいと言うのが普通だと思うのですけれどもね。なぜならば、もうあなたと大庭さんとは対立関係、うまくいかなかったということも事実ですから、その辺も非常に私どもは疑問が残るわけですよね。そうして、長谷村証人はそういうことについて、やはりあなたは社長を補佐する身であって、そういうことをされるのは大変不謹慎であると指摘をされておるのですけれども、これは私個人の感覚かもしれませんが、そういうふうに私も思いますね。 それから、オプションの問題ですけれども、オプションの問題については、もうあなたも国会の証人喚問の内容はずっと御存じでしょうが、若狭社長と同じ考えですね。
○渡辺証人 若狭社長と一緒に聞いておりますから、全く同じだと思います。
○楢崎委員 そうしますと、予算委員会では、そのことのゆえに、それを理由にして、若狭社長を偽証の疑いで告発したわけであります。同じ証言をされておるあなたも、当然予算委員会としては、いまの御答弁を基礎にして告発をせざるを得ない。公平を期すということは大事ですから、そういうことになる、このように思わざるを得ません。 じゃ、あと一問だけお願いします。 長谷村さんにもう一度聞いておきますが、大庭さんが築地署の調書を見て例のお二人の名刺があったと述べられていますが、これはどうなんですか。
○長谷村証人 大庭さんが築地署で調書云々とか、あるいは名刺のことを言っておられますが、築地署は当時鈴木明良の詐欺未遂事件でございますから、調書はないと思います。それではなくて、実は四十五年の夏ごろだと思いますけれども、鈴木明良が、たしか赤坂署だと思いますけれども、詐欺で挙がりまして、そのときに調書を取られております。その供述の中に、ちょうど大庭退陣の数カ月後でございますから、全日空問題が出てくるかもしれない。そうしますと、先生方の名前がそこへ出てくるのではないかということを実は二人で心配したことがございます。それで、今度大庭さんが三月一日に証言されるということですから、特に大庭さんは、あのときの調書の中にあるいは先生方のお名前があるとすれば、これは自分は偽ってお答えするわけにいかぬ、それでおまえ、すまぬけれども少し当たってみてくれぬか、こういうことでございましたものですから、当時の関係の調書だとかあるいは上申書、そういうものの中にお名前があるかどうか、実はその筋の方に当たってもらいました。そうしましたら、あるということでございましたので、その旨連絡をいたしました。そのことを大庭さんは言っておられるのだろうと思います。
○楢崎委員 終わります。
○田中委員長 増本一彦君。
○増本委員 渡辺証人、全日空本社には最近まで昭和四十四年のやみ融資事件で大庭社長に鈴木明良から渡されたと思われる大蔵政務次官、衆議院議員上村千一郎という名刺があったと言われていますが、これは事実ですか。
○渡辺証人 これは事実でございます。
○増本委員 あなたは、この名刺を昭和四十四年の十月か十一月当時見て知っていたのではありませんか。
○渡辺証人 これは昭和四十四年の十月、日にちははっきりいたしませんが、鈴木明良という人が会社に来たわけです。それで、私のところの秘書室長がその名刺を私のところへ持ってまいりまして、この人が社長に会いに来ている、しかし社長はいま不在である、しかし社長は初めのころこの方が来ると会っておったけれども、最近は何か来ても会わない、それでしょっちゅう来ているんですけれども、態度が非常におかしいというようなことでありましたので、私と鈴木専務が、その名刺を持ってきた鈴木明良という人にそこで会ったわけです。その名刺がいま先生のおっしゃった方の名刺でございました。
○増本委員 昭和五十一年六月十七日付の東京新聞に、この名刺のコピーの写真がありますが、証人に確認してよろしいですか。
○田中委員長 いいですよ。
○増本委員 そこにあるような名刺ですか。
○渡辺証人 私は、そうだと思います。
○増本委員 長谷村さん、どうですか。
○長谷村証人 はい、私も見たものと同一でございます。
○増本委員 ところで渡辺さん、全日空の社長が岡崎嘉平太氏から森村勇さん、大庭哲夫さんと交代するに当たって、これからは社長の独断専行を排して、役員は相談の上で事を進める、こういうことを確認されていたというように言われていますが、事実でしょうか。
○渡辺証人 森村さんがおいでになったときには、特別そういう話は聞きませんが、大庭さんが社長になられたときに、私は立ち会ったわけじゃありませんが、美土路先生からお伺いしたところによりますと、大庭さんが社長になるに際しまして、社長になった以上は独断専行はいかぬ。それから、全日空という会社は初めのうちは本当にいつつぶれるかわからぬような会社であった。これが大株主各位の非常な御助力を得てなったので、そういうことを……(増本委員「十分しかないから結論だけを」と呼ぶ)はい、よく注意しろということで大庭さんに注意を与えたということを伺っております。
○増本委員 そこで、あなたは大庭氏が社長になるということには必ずしも賛成をしていなかった。そこであなたは、いま示した上村代議士の名刺や鈴木明良の出入りで、大庭社長が何か独断で融資の問題やその他、事を進めているんではないか、こういうように考えて、四十四年十月の末か十一月ごろ、このやみ金融の件で大庭氏の落ち度を探そうとして、鈴木明良や佐藤政雄を、あたかもその融資であなた方も気があるように話をして呼んだんじゃないですか。そうして、融資の話で鈴木から事情を聞く、そういうようなことをあなたとしてはしていたというように言われているのですが、どうでしょう。
○渡辺証人 私としましては全く心外でございます。私はこういう事実を知ったのは、いまの築地署からの照会の文書で初めて知って、本当にびっくりしたわけです。それから社長に伺ったところが、もう心配ないから心配するな、こういうことでございましたが、秘書室長が何回となく変な連中がうろうろ来て心配だ。それから社長に重ねて、あなた何か解決したようにおっしゃっていますけれども、秘書室で聞くとこれこれである、私どもも協力したいんだということでやって、そこへ鈴木が来たわけです。ですから、社長は何にもおっしゃってないので心配ですから、どういう事情なのか聞いてみようということで聞いただけでございまして、決して私どもが陥れるとかなんとかでなくて、たまたま私がそのポストに座っておって、そういう事実があることを聞かされて聞いただけでございます。
○増本委員 それならば、なぜ二度も鈴木明良と会っているんですか。なぜ二度目には佐藤政雄が来たのですか。しかも、大庭社長に関係をするやみ融資事件の融資申込書とかあるいは念書といったものはその後焼却をされているというように言われているのに、この上村代議士の名刺だけはそのまま残っているじゃありませんか。だから、ここで二人から、鈴木や佐藤から聞き出した事実をあなたの方は美土路氏に報告をし、そうして鈴木や佐藤の方は、結局あれじゃないですか、あなたの方でも融資に気があると思って金融ブローカーの方にいろいろ話が行って、その結果アイデアル工業の方から香港にも金策に行く、その電話があなたに指名電話としてかかってくる、そういうような状況まで生まれたんではありませんか。どうです。
○渡辺証人 これは全く事実と相違しております。この鈴木明良に会ったのは、会って事情を聞いてみたら、前のは断った、今度新しく依頼書を出してくれればまた貸し出しできるという話がありましたので、これは私どもの会社はこういうような金融をやらぬでも正規のまともな金融でいままでやってきているんだ、したがって、せっかくの申し出ですがお断りいたしますと断ったところが、何日かたったらまたその鈴木が来たわけです。それで、会ってみたところが、きょうはあと一人の佐藤という人を連れてきているんだ、もうじき来るはずですと。何のために連れてきたかは私は知りませんでしたが、これは後から聞いてみますと、その佐藤という人は、長谷村証人の証言にあったように、この鈴木が待っている部屋に来る前に長谷村証人に会った、その後で、私と全日空の鈴木専務と、それから鈴木明良が待っているところへこの佐藤というのがあらわれたわけです。それで、佐藤がこの鈴木明良に、きょう全日空で依頼書を出せというから来たんだ、こういうことを言っておりましたが、私どもは、冗談じゃありません、鈴木さんはこの間来て依頼書はお断りしましたと……(増本委員「時間がないから簡単に言ってください、まだ聞きたいことがあるの、だから」と呼ぶ)それでお断りしたわけです。だから、わざわざ私が呼んだんじゃなくて、鈴木には一回断ったのを、わざわざその人を連れてきたわけです。
○増本委員 鈴木明良が、一度断ったのにまた新しい話としてあなたのところに持ってきたというのは、あれじゃないですか、あなたの方で呼んだか、あなたの方にその気があったからと、そういうように疑わせるじゃありませんか。 長谷村さん、あなたが佐藤政雄と廊下でいわばぶつかるようにして出会って念書を取り上げた。そのときに、渡辺専務の部屋に行って、鈴木正之会計担当の専務も一緒にいた、鈴木明良もいた。そのときに、あなたに対して渡辺氏が、おれの仕事のじゃまをする気か、こういうように言いましたね。さっきもお話がありましたけれども、おれの仕事という言葉を聞いたときに、あなたはそのときどういうことだと思いました。
○長谷村証人 これは回収の仕事は実は私がひそかにやっておりまして、その仕事を渡辺さんがおやりになっているんではなかろうか、そういうぐあいに実は感じました。
○増本委員 渡辺氏が、あなた方が一度出した念書なりそのコピーを回収する仕事をひそかにやっているというのはどういう意味ですか。どういう意図でそういうことをやっているようにあなたは思いましたか。
○長谷村証人 私としましては、ひそかに回収を終わりまして、大庭社長には迷惑のかからないようにということをやっておりまして、それで、先ほども鈴木明良が何度か訪ねてきているというようなことを言っておりましたが、実は私はその鈴木明良を追いかけ回しておりました。実は彼が初めは文京区のマンションにおり、一カ月後に港区のアパートに移り、私は彼を追いかけ回しておったわけです。そうして、にもかかわらず、ひそかに彼が全日空の中へあらわれておったということを私は後から知りまして、実は私も意外に思いました。なぜ鈴木明良が渡辺専務のところにいたのか、これは不可解でございます。
○増本委員 渡辺さん、いまあなたの沢常務を初め部下が逮捕されている。で、五千万円を超えるお金が全日空に入り、しかもそれがどこかへ流れたというように言われているわけですね。この問題について、あなたとしてはどういう責任をおとりになりますか、その点だけ伺って終わります。
○渡辺証人 私は、今回の逮捕はまことに寝耳に水でございまして、こういうことで世間を騒がしていることに対して、まことに申しわけないと思っております。私は、しかし、前回も証言しておりますように、私自身は金は受け取っておりませんし、また当時、今回逮捕された三名につきましてもいろいろ聞きましたが、そういうようなことは全く申しておりませんし、いまもって信じられない気持ちでいっぱいでございます。しかし、私どもはそういうふうに、彼らの行動については、そんなことはなかったといまでも信じたい気持ちでいっぱいでございますが、こういうような事実が仮に調査の結果はっきりいたしましたときには、これは会社の最高幹部といたしまして、非常に世の中に対しまして大きな責任があると痛感しております。
○田中委員長 坂井弘一君。
○坂井委員 お二人に申し上げますけれども、どうか的確にひとつお答えをいただきたいと思います。 去る十六日の当委員会におきます渡辺さんの証言、これは私、冒頭から申し上げますけれども、あなたは偽証されたと、私はそう思います。先ほど、運輸省に対する例の融資問題についてのいわゆる報告書というものを出した覚えはないと、あなたは盛んに報告書ということをおっしゃいますけれども、私は何も最初から報告書というようなことを言ってない。一番最初に言ったことは、ここに議事録がございますから正確に申し上げますけれども、「運輸省に報告をされたということはございませんか。」と、こう聞いたわけです。前段として、「あなたは美土路さんには報告をした。」では「運輸省に報告をされたということはございませんか。」と、こう聞いたらば、あなたは、そういうことはありませんと、こう言っている。そこから始まるのですよ。ですから、きわめてこれは何事かを隠すための意図があったと、こう判断せざるを得ないわけでありまして、これは全く常識的な判断だろうと私は思う。 そういう上に立って、今度は運輸省から検察に出されました報告の内容、これはわが方の調査であります。それに基づきまして長谷村さんからひとつ証言を得たいと思いますが、鈴木明良が上村千一郎氏の紹介状を渡辺に持ってきたと、こうあります。ところが一方、大庭さんにも上村千一郎の紹介状を鈴木明良が持ってきた。ということになりますと、上村千一郎の二枚の紹介状、これがあるということになりますけれども、これは常識的にはそういうことはあり得ない、こう思われるわけでありますが、こういう点につきまして長谷村さんは率直にどうお考えになりますか。
○長谷村証人 上村先生が同じ大庭哲夫あてに、わずか一月足らずの間に二枚お書きになるということは、私は考えられないと思います。
○坂井委員 まことに考えられないことであります。これはどうお考えになったかということにつきましても、あえて判断はあなたに私は求めようとは思いません。ただ、非常に不可解なことである。また、これがいわゆる非常に意味のあることであるということだけは、この際申し上げておきたい。 そこで、なお一点、興銀の正宗頭取の確認と、それから佐藤政雄からの依頼書と念書の回収、これが実は報告書と申しますかメモですね、これの日付が四十四年十月の二十三日でありますが、この時点で渡辺さんは、これは知らないことだと私は思います。 そこで、長谷村さんに伺いますが、長谷村さんはこういう、いま私が申しましたような内容に対しましては、どう判断されますか。
○長谷村証人 興銀頭取云々とございますのは、実はその時点で大庭さんと私以外は話をしておりません。それから、ただお一人築地の警察の署長にお話をしております。そこで私、先般、ことしの三月でございますが、検察庁で築地の署長さんにもお会いしました。それで、このことをよそへ口外しておられるかどうかについて伺いましたら、一切全日空とは接触しておりません、こういうことでございました。そうしますと、その時点でそのことが表に出るということは私には考えられないと思います。
○坂井委員 わかりました。 渡辺さんに伺いますけれども、ことしの二月四日の米上院公聴会におけるフィンドレー氏の発言の中にピーナツ百個、つまり一億、これが丸紅の伊藤氏の手から政府高官と得意先の航空会社の代表者の両方に対して行われた、こういう証言があるわけでございますけれども、いわゆる丸紅の得意先というと全日空であります。あなたはこのフィンドレー証言に対して、いまの時点でどうお考えになりますか。
○渡辺証人 私は、いまの時点でも全く信じられないような気持ちでいっぱいでございます。
○坂井委員 渡辺さんはまだ検察に呼ばれておりませんか。
○渡辺証人 呼ばれておりません。
○坂井委員 例のオーストラリアへのデモフライトのレンタル料、このレンタル料につきましてロッキード社との間に協議事項を記した文書、つまり協定書、これがあったんだということを盛んにあなたの社の関係者は主張されておったようでございますが、協定書はございますか。
○渡辺証人 会社の仕事もたくさんありまして、私、そのことについては余り関係しておりませんでしたので、存じません。
○坂井委員 当時の植木調達部長が逮捕されておりますけれども、上司の合意、許可を得た、こう言われておりますけれども、あなたには一切相談はなかったということですか。
○渡辺証人 会社の仕事につきましては、やはり重要な事項については社長まで決裁というようなことがございまして、毎日たくさんの書類が参っておりますから、あるいは私、印鑑を押しているかもしれません。それは責任は免れようとは思っておりませんけれども、いろんな仕事でございますから、細部につきまして説明を求めるところもございますし、またそう大したことでないものはそのまま通すし、記憶に残ってないこともたくさんございます。
○坂井委員 一点、大変大事なことだと思いますので、長谷村さんに特にひとつ御記憶に基づいて正確に御証言いただきたいと思いますが、大庭さんは四十四年当時から技術的な面から運航整備などを考えられまして、御自身でもっていわゆる長期機材計画、これは図面にいたしております。グラフと申しますか、そういうものをつくられた。その長期機材計画は、いわゆる四十七年のDC10の導入というところに一つのポイントを定めてある、それに至る一つの機材整備計画であります。こういうものを御自身が持たれて、そして全日空社内のそれぞれのポストにある人たちにそれを見せて大庭さんが説明をしておる、こういう事実をわが方は調査の段階で知り得ました。 そこで、長谷村さんに伺いますが、あなたに対して大庭さんがそのような長期機材計画を見せられた、そして説明をされた、そういうことはございませんでしょうか。
○長谷村証人 確かに大庭さんはファイルの中にグラフで書かれました長期機材計画というのをお持ちでございました。それで、四十四年度、幹線のほかにローカル線についてのいわゆる新路線構想としてビームラインという新しい構想を打ち出されまして、四十四年度は大阪を中心にしてビームラインを完成させる、四十五年度は東京、それから四十六年は地方のローカル都市を結ぶ、これを准幹線としたい、四十七年からエアバスを導入したい、こういう計画に基づきまして長期機材計画というのをお持ちでございました。その中にDC10というのは出てまいります。確かに私はそれを見ております。
○坂井委員 よくわかりました。 渡辺さんはそれを見ていませんか。
○渡辺証人 私は見ておりません。
○坂井委員 それでは、長谷村さんに伺いますが、これまた実は私どもで調査をいたしましたが、長谷村さん、四十四年のたしか四月ごろだと、われわれの調査ではそうなっておりますが、日本航空の松尾社長にお会いになった。その際に、日本航空の次期機材計画をあなたは松尾社長に聞かれたと思います。それは一体だれからそう言われて聞きに行かれたのか、そのことについて要点だけ、簡略で結構でございますからひとつお答えをいただきたい。
○長谷村証人 大庭社長から言われまして、とにかく日本航空の松尾さんにお会いして、日本航空で考えている大型機材のことについておまえ伺ってこいと、こういうことでございました。伺いましたら、これは雑談でございますけれども、そのときに松尾さんは、やはりこれからは国内線だとかそれから日本航空のいわゆる国際路線、路線によってはDC10というのを使うことになるだろう。それは国内線だとかあるいはシドニー線だとか、南回りのヨーロッパ線、そういうようなものはDC10を使いたいというようなお話をしておられまして、そのほかの線にはボーイング747、いわゆるジャンボだというようなお話を伺っております。
○坂井委員 最後に一点だけ。 いまのでよくわかりましたけれども、すでに大庭社長は、松尾前日航社長から、当時児玉、政府筋から圧力があった、こういう証言をされているわけでございますけれども、長谷村さん、この政府筋のことについて、あなたお聞きになったことはございませんでしょうか。何か政府筋のことについてあなたが聞かれたということであれば、ひとつここであからさまに御証言いただきたい。
○長谷村証人 伺っておりません。
○坂井委員 終わります。
○田中委員長 河村勝君。
○河村委員 渡辺さん、今回全日空の幹部が三名逮捕されたその対象となった事件、御承知のように三千三十四万円という裏金がロッキード会社から全日空に流れたという問題ですね。この点について、私は二月十六日の一番最初の証人喚問のときに、若狭証人に対してこの事実の有無についてお尋ねをいたしました。それに対して若狭証人は、そういうものは一切ございません、さらに重ねてその後お尋ねしましたのに対して、そういうものは絶対にございません、これだけ明確に否定をしておられます。先週のこの委員会で、私は渡辺さんに対してこの事件を再度お尋ねをして、もしあなた方が潔白であるという自信がおありならば、進んでロッキード会社を名誉棄損で訴えるべきではないかというお尋ねをいたしました。それに対してあなたは、この事実は絶対ないと信ずる、そして、できるだけ早くそういう名誉棄損の訴訟というような手続をとりたいと思うという言明をされました。今回こういう事件が起こりましたが、現在あなたはなお先週私に対してお答えになったとおりの考えでおられるかどうか、それを伺いたいと思います。
○渡辺証人 私は、今回の逮捕者が出まして、全く信じられない気持ちでいっぱいでございまして、ただしかしながら、こういうようなことで社会から疑惑を招いていることについて本当に申しわけないと思っております。しかし、私自身に関しまして、こういう金が入ったとかあるいは会社の中でこういうものを手に入れたということについては何回も尋ねておるわけでございまして、いまもって信じられない気持ちでいっぱいでございます。
○河村委員 あなたとしては、現在でも進んで名誉棄損の訴訟をするという決意には変わりありませんか。
○渡辺証人 前回の証言で帰りました後、当社の弁護団にいまいろいろその関係のことを研究してもらっております。
○河村委員 それでは、きょうお二人を呼んだ趣旨であるお二人の証言の食い違い、この点についてお尋ねをいたします。 現在までいろいろ質問がありましたけれども、完全にすれ違ったままであります。恐らくきょうが、また私の質問がお二人にとって最後の証言になろうと思いますので、この食い違いの部分について、時間もありませんので一、二についてお尋ねをいたしますので、率直な答弁をいただきたい。 先般来の証言の中で香港融資というものがあります。十月ごろあるいは十一月とも言われております。これについて渡辺さんは、これは香港から大庭さんのところに電話がかかってきた、それが大庭さんが不在であったのであなたがその電話を受けた、その融資の申し込みについては直ちに断った、額についてはわからないというような証言でありました。それを後で大庭さんあるいは若狭さんにはその旨を話した、そういう証言でありましたが、そのとおりですか。
○渡辺証人 そのとおりでございます。ただ、ちょっと弁解させていただきますが、私の記憶では、秘書室から社長にかかってきて、いなかったら渡辺専務と、私はそう記憶しておりますが、いま秘書室の者に当時の記憶をいろいろ呼び起こさせておりますが、当時の関係の者は一人しかおりませんので、そう言われたような気がするけれども、それはどっちかはっきりしておりません、こういうこと、ただ、私の名前を言ったことは間違いないと思います。
○河村委員 それは大庭さんがいなかったからかどうかわからないけれども、渡辺さんにという取り次ぎがあったことは間違いない、そういうことですね。——それで、その内容について大庭さんに話したという証言でしたね。その大庭さんに話した内容というのは、どの程度の中身をお話しになったのですか。
○渡辺証人 きょう香港から電話があって、何か金ができたというような報告があったけれども、私は全然そんなことを頼んだ覚えはないし、そうしたら向こうでそれはおかしいということで電話を切りましたと、そういうことだけを報告いたしました。
○河村委員 それでは、長谷村さんに伺いますが、あなたはこれは伝聞ですね、大庭さんからこの話を聞いたと。大庭さんからは、自分としてはこれに関与をしていないから何もわからぬが、とにかく長谷村君は回収が上手だから回収を命じたという大庭さんの証言であって、あなたの証言は、大庭さんのそういう指示によってそれで回収に当たった、それが警視庁捜査二課において錦織さんなどと会ってそこで処置をした、大ざっぱに言いますと大体そういう内容に聞いておりますが、大体それでよろしいですか。
○長谷村証人 大体大筋はそうでございますが、警視庁の捜査二課で先方三人ですね、山本、それから大畑、徳永と、私の方は私一人でございます。そのときに山本、この人は後ほど錦織という人であるということがわかるのですが、山本の名刺を実は私の方に渡してくれました。ですから、私は山本さんだと思っておりました。その山本さんの名刺の裏に、大畑氏が本件について説明をしましたことを簡単にメモしております。その私のメモによりますと、十月の十一日から十六日にかけまして、井上という男を香港に出した。これは金策のために出した、大体融資のめどがつきそうだというので会長を香港へ行かせた、めどがついたので十六日、指名の国際電話を会長から渡辺専務あてに入れた。そういうことでございまして、じゃ、だれが融資の依頼をしたのか。大庭社長は、私は融資を依頼した覚えはない。だれが依頼をしたのかと言いますと、先方は答えませんで、だれも依頼をしたことのない融資を全日空が受けるわけにはいかぬということで解決をいたしました。そのときに私は、融資を頼んだ者はいない、にもかかわらず国際電話が指名で渡辺専務のところに入っておる、その事実だけを社長に報告いたしました。
○河村委員 先ほど渡辺さんは、大庭さんにはその内容についての具体的な話はしていないというお話であったが、あなたは大庭さんから、この関係者がだれであるかということを中身を聞いたのですか。あなたは回収に当たるに当たっては、回収する相手がわからなければいけませんね。それはあなた、大庭さんに確認したのですか。
○長谷村証人 渡辺専務からのお話と、それからもう一つ、二十七日ですが、アイデアル工業の大畑という人から電話をもらって、香港融資の問題をどうしてくれるんだということであった。それで相手の大畑というのがわかるわけですが、そこで私に、アイデアル工業の大畑氏に会って本件を処理するように指示されたわけでございます。
○河村委員 しかし、渡辺さんが電話を受けたわけですね。大庭さんはそれを取り次いだという形ですね。そうであれば、あなたが回収に当たる前に、渡辺さんに具体的な事情を聞かなければすぐ回収に行けるはずはないと思う。あなたがもし渡辺さんに事情も聞かずに回収に行ったとすれば、あなたは前々からそういう人たちと、ずっとつながりがあった、そういうことになりますね。
○長谷村証人 私は検察庁で、渡辺さんが口頭で話されたことを運輸省側でメモしたというそのメモについて検事から聞かされました。その中に、十月十五日にアイデアル工業の会長の錦織氏が渡辺専務を訪ねたというように記載されておるというように聞いております。そうしますと、私が大庭社長から言われましたのは、それから十二日後の十月二十七日でございます。
○河村委員 最後に一問だけ、時間が来ましたので聞きますが、しかしそれにしましても、その検察庁の云々の話は最近の話ですね。そのときに渡辺さんのところにかかった電話であれば、われわれの常識では、まず渡辺さんからどういう内容であるかを聞いて、それから回収の行動を起こさなければ、そういうことは普通できないはずだ、そう私は思いますが、その点はどうですか。
○長谷村証人 大庭社長から、渡辺専務がこの問題の処理で困っておるという、それで始末をするようにということでございますので、金額、それから融資銀行も、大庭社長から香港上海銀行、金額五億円、そこまではっきり言われておりますので、私は渡辺専務には確認いたしませんでした。
○河村委員 しかし、大庭氏からそれだけの話を聞いてすぐに回収の行動に移れるというのは、私にはどうも腑に落ちませんが、時間でありますから、これで終わります。
○田中委員長 これにて渡辺、長谷村両証人に対する発言を終わりました。 この機会に、両証人に一言ごあいさつを申し上げます。 長時間御苦労さまでした。ありがとう。 —————————————
○田中委員長 それから次に、舟津良行君及び江島三郎君両君の証言を求めることにいたします。そのまま、しばらくお待ちください。 それでは、両証人の入室を求めます。 証言を求める前に証人に一言申し上げます。 昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によって、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をしなければならないことになっております。 宣誓または証言を拒むことができる場合は二つあります。その一つは、証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係にあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときであります。もう一つの場合は、医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときにも証言を拒むことができることになっております。 これらの証人が正当な理由なくして宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときには三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。 一応このことを篤と両証人において御承知おきをいただきたいと存じます。 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。全員御起立を願います。 〔総員起立〕
○田中委員長 まず、舟津良行君、宣誓書を先に朗読してください。
○舟津証人 宣誓書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います 昭和五十一年六月二十四日 舟津 良行
○田中委員長 江島三郎君、宣誓書を同じく朗読してください。
○江島証人 宣誓書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います 昭和五十一年六月二十四日 江島 三郎
○田中委員長 両証人とも、その宣誓書にお名前を書いて、署名捺印をしてください。 〔証人、宣誓書に署名捺印〕
○田中委員長 皆さん、御着席を願います。 それでは、これより証言を求めることにいたします。証人は、証言を求められた範囲を越えないように願います。また、御発言の際は、その都度委員長の許可を得て発言するように願います。 なお、こちらから質問をしておる間は、お座りになっておってよいのでありますが、お答えになる際は必ず起立をして御発言を願います。 証言を求める順序は、先に舟津良行君、続いて江島三郎君の順序でお願いをいたしたいと存じます。 それでは、江島君は、恐縮ですが、控え室の方でしばらくお待ちを願います。
○田中委員長 これより証人に対して証言を求めます。 まず、委員長より所要の事項についてお尋ねをいたします。 舟津君、あなたは舟津良行君ですね。
○舟津証人 はい、そうです。
○田中委員長 御住所、御職業、生年月日、この三つを、そこで述べてください。
○舟津証人 私は、住所は東京都国立市谷保四千三百八十八番でございます。職業は全日本空輸株式会社常務取締役整備本部長をしております。名前は舟津良行でございます。生年月日は大正十年四月十一日でございます。
○田中委員長 それでは、発言の申し出がありますので、順次これを許します。まず、古屋亨君。
○古屋委員 証人は、ただいまお話しのように、整備本部長をされておると言われておりますが、整備本部長の大体の事業の分担、分野、それについて御説明願いたいと思います。ごく簡単で結構であります。
○舟津証人 お答えいたします。 整備本部長の仕事の大体のところは、航空会社の運送事業に使用いたします航空機の日常の整備全般につきまして実施すると同時に、さらに、いろいろな将来の計画、整備上の計画等も検討して進めてまいります。
○古屋委員 まず第一にお伺いしたいことは、書面で申し上げておきましたとおり、新機種選定準備委員会の問題につきまして、あなたは発足のときは、たしかおられなかったように聞いておりますが、そのことについてお知りになっているところをお伺いしたいと思います。
○舟津証人 先生のおっしゃるとおり、発足当時は私は委員会にも属しておりませんでしたし、全日本空輸にも勤務しておりませんでした。
○古屋委員 全日本空輸に入られましたのはいつで、どういう分担をされておりますか。
○舟津証人 私は昭和四十六年三月に全日本空輸の顧問として入りまして、整備関係の仕事をやっておりました。それで四十六年の五月に取締役に就任いたしまして、同じく整備本部の副本部長といたしまして整備関係の業務の本部長の補佐及び関係各部の指導等をやっておりました。
○古屋委員 それでは、いま申し上げました新機種選定準備委員会発足後お入りになったというお話でございますが、あなたが、この機種委員会のメンバーになられたのはいつであり、どういうポストにお入りになったんでしょうか。
○舟津証人 最後まで新機種選定準備委員会のメンバーにはなっておりません。仕事といたしましては、先ほど申しましたとおり、整備本部長の補佐としまして本部長を補佐すると同時に、各部の指導、助言をしておりまして、その間におきまして選定に関する業務にタッチしておりました。
○古屋委員 そうすると、選定に関する業務にタッチしておるというのは、分担事項が何か組織的に、そういうことを整備部会として担当されておったという意味でございますか。
○舟津証人 私は整備副本部長という資格で本部長を補佐し、なお整備本部の中の各部の選定業務に助言をし、指導をしておったわけでございます。
○古屋委員 選定の業務にいろいろ助言をされておりますということは、この委員会の全般にわたってもある程度関与されており、また、そのための進言とか、そういうことを技術的分野からされておったと解してよろしゅうございますか。
○舟津証人 そのとおりでございます。
○古屋委員 それでは、この機種選定委員会が発足いたしましてから、ずっと続いております間、外国への飛行機の調査に五回くらい行っております。その間に整備関係の調査団も一回派遣されておるようでございますが、あなたはそれには御関係になっておるかなってないか。外国の調査の問題、そのうちの整備の調査も一回あるようでございますが、それについて意見を伺います。
○舟津証人 この整備関係の調査団は四十七年の六月に出たと思います。それで、これには私は参加しておりませんが、部下の者が参加しまして、航空会社を回りまして、ジャンボ、エアバス等の整備の実態がどうなっているか、そういうことを主体といたしまして調査しております。後ほど報告は受けております。
○古屋委員 それでは、あなた自身が、この五回の調査団のうちには加わって行っていられるということはございませんか。
○舟津証人 私自身は直接加わっておりません。
○古屋委員 それでは、改めてお伺いをいたしたいと思いますのは、調査団が五回、向こうへ行きまして帰りましてから、いろいろの機種決定に関する合同部会とか、あるいは意見の聴取の委員会だとか、それから整備本部から機種選定についての意見書が出ておりますが、意見書を聞く機会もあったようでございますが、こういうときに、あなたは関係はしておられませんか。
○舟津証人 そういう際には相談にも乗っております。また、本部長に報告するような時点でも私も立ち会っている場合が多うございました。
○古屋委員 それでは、特に九月十四日と十六日に整備部長から機種選定の意見聴取について報告をされている会議が持たれているようでございますが、このときは、あなたは御出席でございますか、四十七年の九月。
○舟津証人 そのときは私、出席しております。
○古屋委員 そのときに機種選定について何か御意見が、特に意見の交換をされた、意見を聴取したということが記録に、国会へ出していただきました資料のうちにあるのでありますが、どのような意見が出ておりますか、それを記憶をたどって、ひとつお話し願いたいと思います。
○舟津証人 そのときは整備本部長が若狭社長に、整備本部が何を推すのか、はっきり申してみよという趣旨でございましたので、整備本部長としましては、はっきりとトライスターの技術上の諸問題を挙げまして、こちらの方がいいということをはっきり推薦しております。
○古屋委員 その推薦をされるにつきましては、その前に七月二十三日に日本でのデモフライトがございましたが、そのときは、あなたはデモフライトにお行きになっておりますか。
○舟津証人 あのときのデモフライトは、東京及び大阪において行われたと覚えております。私は東京でのデモフライトのときに同乗した記憶がございます。大阪には行っておりません。
○古屋委員 東京でのデモフライトはDC10だと思うのですが、そのときのあなたのお感じ、御感想、乗った技術的な意見というのについて、ひとつ御所見を述べていただきたい。
○舟津証人 先生はDC10だけとおっしゃったようなんですが、私の記憶では、トライスターとDC10と両方だったかと思っております。
○古屋委員 私の間違いかもしれませんから、いまのDC10と、それからロッキード一〇一一と両方についての御所見をひとつ。
○舟津証人 羽田におけるデモンストレーションフライトにおける所見に限定して申します。 ほかの技術的な優劣等もございますが、デモンストレーション時において私ども整備本部の幹部として特に調べましたのは、当社の社員がトライスター及びDC10をどういうふうに評価するか、そういうことを主体に見ました。私ども自身みずからが一々細かいことを評価するというのは、すでに、それまでの二年数カ月にわたる調査段階で、大体のところはわかっておりますので、そういう意味で社員諸君の感覚、こういうものを主にして聞きました。 その結果は、整備の方でございますが、やはりトライスターの方が整備がしやすい、それから身近な感じがする。これは従来使っています727、737とのいろいろな面における類似性、それとエンジンの位置等のこともございまして、そういう発言が過半数を占めた、そういうふうに了解しております。
○古屋委員 この点は後でもうちょっとお伺いしたいと思いますが、結局、航空会社としての選定要因として、たとえば安全性の確保だとか環境への対応だとか運用上の経済性とか、そういう問題が必ず問題になると思うのでありますが、こういう問題についても総合してロッキードがいい、技術的にいいというふうに皆の意見が一致したというふうに考えるのは、いかがでございましょうか。
○舟津証人 その点、先生のおっしゃるとおりでございまして、整備本部におきまして評価を総括いたしました際に、いままでの調査事項を細大漏らさず検討して集約しました結果が、やはり安全性それから環境対応性といったものでございます。 したがいまして、その内容としまして申しますと、飛行機の各部の信頼性がはるかにいいんではないか、そういう信頼性の評価がトライスターが高かった。それから次に、信頼性につきましては、通常、定時出発率というようなものを使っております。これは十五分以上の遅発あるいは欠航、そういったものを事前に各飛行機のシステム——系統でございます。系統あるいは装備品の信頼性から積算しまして、トライスターの場合は設計上九九%を目標にしておる。他の機種におきましては、もうちょっと低い数字を出しております。そのほか整備性、飛行機の、たとえばエンジンの位置が非常に高い。従来ああいう形の飛行機はなかったと思いますが、そういう問題、あるいは、いろいろな系統などの従来の飛行機との関連で整備がしやすそうだ、そういった問題等もございます。 それから騒音の問題は、先ほどの環境対応性の問題でございますが、四十七年の四月にFAA、米国の連邦航空当局でございますが、こちらの公式なデータによりまして、トライスターが三デシベル、正確に言いますとEPNdbという単位でございますが、平均して三デシベル、トライスターの方がDC10より低いということで、私どもは、これを非常に高く評価したということもございます。 そのほか、DC10にはございませんが、トライスターには飛行機につけて予備エンジンを運ぶ装置もついております。そのほか、ロールスロイスのエンジン、三軸エンジンと申しまして、回転部分が三つの軸でできております。これは非常に新しい技術で、エンジンの効率それから全体の寸法、形状等が非常に簡潔にできるというような点を評価しております。
○古屋委員 いまのお話を聞いておりますと、どなたか、こちらからの私語があったようでございますが、トライスターが非常に有利であるというお話でございます。それは技術的な見地から言えば、私は技術的には素人でありますから、あれでございますが、技術的にはほかのものよりも非常にすぐれておるという御意見は一応わかったのでございますが、ただ、これが決定いたしましたのは、十月三十日の取締役会において正式に決定して、十一月の初めに仮発注をしたということになっておりますが、その点は御異議ございませんか。
○舟津証人 私も、いまそのように聞いております。
○古屋委員 いまのような技術上のいろいろの問題の、あなたのおっしゃいました諸点につきまして、運輸省の行政指導というものは、この点について何らか、あったかなかったか、まずその点をお伺いいたします。
○舟津証人 技術的な内容で一切指導はございませんでした。
○古屋委員 それでは、技術的な点におきましての行政指導はなかったというあれでありますが、この問題について、その他の点からの部外からの関与、そういう点は、あなた方は何か圧力を感じた点はありませんでしたか。
○舟津証人 一切ございませんでした。
○古屋委員 それでは、捜査当局に事情を調査される、事情を報告されるというようなことも、いままで整備本部長としてはなかったわけでございますか。
○舟津証人 私は一回、調査を受けたことがございます。
○古屋委員 その調査を受けたという意味を、もうちょっと詳しく、内容は結構ですけれども。
○舟津証人 地検で調べられたわけでございます。
○古屋委員 それは最近のことでございますか。
○舟津証人 五月の初めぐらいかと思っております。
○古屋委員 大体いまお聞きしましたように、私の聞きます分野が、こういうように整備関係の技術的な分野でありますので、これ以上突っ込んでお伺いすることができないことはきわめて残念でございますが、一応、証人に対して私の方からお伺いする点は、あくまでも技術的見地ということでありますので、そういう点からお伺いしまして、私の質問を終わります。
○田中委員長 松浦利尚君。
○松浦(利)委員 証人には大変お気の毒だと思うのですが、実は与党の方から、どうしてもあなたをここに呼んでということで呼んだのですけれども、新機種選定過程について、ほとんどあなたはかかわり合っておられませんので、いろいろなことをお聞きしても、経過としてはおわかりにくいと思うのです。しかし、せっかくおいでになったので、ちょっと質問をさせていただきたいと思うのです。 私は技術的なことは全くの素人で、あなたの言ったことは正しいというふうにとる以外にないと思うのですが、ただ経過として、あなたはかつて二十五年四月に航空庁の調査課に行かれて、三十二年九月に航空局の検査課、航空機検査官、そして三十七年十一月に辞職されて、その後、四十一年五月から伊藤忠航空整備株式会社取締役、四十五年五月、新日本航空整備株式会社、そして四十六年五月、全日空取締役になられた。経歴に間違いありませんね。
○舟津証人 詳細の年月は覚えておりませんが、大体、間違いないと思います。
○松浦(利)委員 当時あなたは航空機会社のエンジンその他についてオーバーホールその他について非常に詳しい方だったそうですが、当時、全日空が使っておった日本で開発したYS11のエンジンは、どこのエンジンが搭載されておりますか。それから、全日空が使っておったバイカウントあるいはフレンドシップ、このエンジンはどこのエンジンでしたか。
○舟津証人 ロールスロイス社のエンジンでございます。
○松浦(利)委員 あなたは当時エンジンの専門家で、エンジン野郎と言われるくらいの評判の立った人ですが、あなたはロールスロイス社を航空局の検査課当時から非常に評価をしておられた。もうエンジンならロールスロイス社のが間違いない、そういうことを盛んにあなたは商社とかあるいは航空機会社、こういったところの整備の人たちにも宣伝をしておられた、こういう話を、私はあなたが証人になった後いろいろ調べてみたら、そういううわさが非常に多かったという話を聞いたのですが、私は素人ですが、あなたは技術屋として、そういう意味でロールスロイス社のエンジンというのは当時から非常に高く評価しておられた。この点は間違いないですね。
○舟津証人 当時、日本にバイカウント、フレンドシップ等が入りましたときに、ついていたのはロールスロイスのエンジンでございます。そのころ、あれはプロペラのついたターボプロップと称するエンジンでございますが、ロールスロイス以外で、ああいうエンジンがたまたまなかったわけでございます。したがって、ああいうターボプロップのフレンドシップ、バイカウント、YSということになると、必ずロールスロイスのエンジンをつけなければならない状況であったわけでございます。したがいまして、とりたてて、どこと比べてどこの方がいいのだという偏見は持っていなかったと思っております。
○松浦(利)委員 日にちは別にして、あなたは検査官当時、ロールスロイスのエンジンについて非常に詳しかったし、またイギリスのその会社等から、いろいろな問題について仕様書とかオーバーホールの方法とか、そういったものについては非常に接触があった、その点は事実でございましょう。
○舟津証人 おっしゃるとおり、他のエンジン、たとえばプラット・アンド・ホイットニーを含めまして、私は航空局の検査課におりました時代、発動機係長をしておりましたので、当然そういう接触は深うございました。
○松浦(利)委員 あなたは先ほど同僚議員の質問に対して、いろいろ調査をした結果、一〇一一がいい、こういうふうに御証言なさったのですが、これは実は決定をした昭和四十七年十一月十三日の「タイム」の誌上の、決定経過に対する評価の問題ですが、これには、こういうふうに書いてあるのです。「全日空やロッキード社は何ら政治的圧力はなかったと懸命に否定するのだが、この取引は実に注目すべきものだった。全日空当局は、トライスターをオーダーした主な原因は、エンジンが比較的静かである故と述べた。ロッキードL一〇一一はマクドネルダグラスDC10よりすぐれているものでもない。さらにアメリカでの比較調査によると、トライスターのロールスロイス製エンジンは、ダグラスDC10のGEエンジンよりも三回の割合で保守のため取り去られなければならない。」ですから、GEよりも三回の割合で保守のために、これをオーバーホールせねばいかぬ、こういうことですね。「これ以前の比較試験によると、トライスターのロールスロイスエンジンはDC10のGEエンジンよりも、より多くの燃料を消費するとのことである。無論この問題を解決するために、少くとも部分的には、方策がとられているのだが。」これはタイム支局長のハーマン・ニッケル氏が書いた記事ですよ。ということは逆に言うと、私は素人だけれども、あなたは決定的にロッキードがいいと言っておるけれども、アメリカ自身の「タイム」によって、そういうことは事実じゃない、比較検討したときには、むしろGEのエンジンよりも落ちるのだ。もちろん国益的な意味で自分のところのエンジンがいいというふうに評価するものも差し引いたにしても、少なくともこれは報道でありますから、そういう点を考えると、われわれは、あなたが先ほど同僚議員に答弁をした内容で、技術的な評価によってロッキードを採択したということについては非常に疑問がある。ここに書いてあることは、これはうそですか。この記事について事実かどうか、その点をはっきりさしてください。
○舟津証人 そういう記事がどの程度真実であるか、私ははっきり申し上げられません。 現に選定当時トライスターのエンジンがGEエンジンあるいはジャンボのエンジンに比べて決して遜色がないばかりか、GEと申しますかDC10のエンジンは、二回にわたる大きな事故続きで、非常に将来の問題が案じられておったわけでございます。一方、ジャンボのエンジン、これも昭和四十五年以降、就航しておりますが、四十五、六年と成績ははなはだ芳しくございません。よって、ロールスロイスエンジンがなぜそんな悪いのかというような評価は、そこから出てくるわけはないと思っております。むしろDC10のエンジンの二回の事故という問題こそ重大ではなかったかと当時でも思っております。
○松浦(利)委員 これは技術的な問題ですからね。あなたも証人ですから、良心に従って技術屋の立場で証言しておられると思うのですが、そこで私は素人の立場で問題点をお聞きしておるわけです。 それで、四十七年四月三日に新機種選定準備委員会というのがありまして、そうして第九回本委員会に整備関係の資料をやっぱり提出して、最終的に一番上部機関の委員会で裁断するわけですね。この資料、四月三日のこの整備関係の資料を見ると、「ボーイング747が航空会社で二年の実績、DC10が四十六年九月以来の実績をもつ強みは、飛行テストを繰りかえす段階にあるL一〇一一と比較して有利に評価される」こういうふうに書いていますね。こういうふうに、あなたのところの整備関係は——これはあなたのところで結論を出されるのでしょう。そうしてまた「各社の設計思想の差が各部分にあり、その得失については確定的な判断は下しえない。」要するに、整備関係で調べてみた場合に、この段階ですね、四十七年四月三日段階では、要するに整備関係では一〇一一が一番下、しかし、設計思想の差があるものだから、その得失については確定的ではない。ですから、いずれともつけかねるという報告を出しておるのです。そうして最終的に、いつだか知りませんが、十月三十日の一〇一一という決定に、発表になっていくわけですけれども、ですから、この点と、あなたのさっきの証言は、ちょっと矛盾するのじゃありませんか。
○舟津証人 いまの点についてお答えいたします。 四月三日とおっしゃいましたが、その時点では、いろいろな基礎的な調査、その後の運航実績等評価して、先生のおっしゃったとおりだったと思います。ただ、その後、御承知のように、五月と七月でございますか、DC10のエンジンの事故がございました。そういうことが、やはり全体の最終評価に大きな影響を及ぼさざるを得なかったのが実情でございます。
○松浦(利)委員 それからノイズの関係ですね、騒音の関係は、FAA基準、これにはどうなんですか、外れておる機種がありますか。
○舟津証人 三機種ともFAAの三十六という基準に合致しております。
○松浦(利)委員 そうすると、全部合格しておるということですね。 それで最後に、あと二つお尋ねしておきますが、あなたはエンジニアの立場で、純粋な立場で機種選定に当たられたと私は思います。また、そうでなければならぬと思うのですが、しかし、そうであったとしても、いろいろな意味で機種選定委員会から、あるいは幹部から、あるいは外部から——非常にあなたの発言力というのが機種選定のときには評価されるわけです。整備の発言というのは。ですから各社がねらうのは、整備の人たちはどう判断するかという意味で、非常に働きかけが強いと思う。だから、そういう意味では、われわれはちょっと常識外に思うのだけれども、あなたはやはり検察当局に出頭させられておると思うのですよ。一番働きかけなければならぬところは、あなたのところなんです。そういう意味で、他からの圧力はありませんでしたか。社内の上部あるいは他からの圧力は、あなた自身にはなかったですか。
○舟津証人 機種選定の作業におきましては、一切そういう圧力はございませんでした。
○松浦(利)委員 もうこれで最後にしますが、この事件が出まして、実は全日空の内部で、あなたが全日空に入られる前、四十五年の二月九日の日に、若狭団長以下十一名が第一次の調査団としてアメリカにダグラス社の調査に出ておられます。そのときに若狭団長は行っておられないのですね。後発で行っておられる。そして、ほとんどの人たちが三日ダグラス社に行かれたのに、若狭団長だけはたった一日しか出ておられない。そのことについて社内部で非常に疑問が出て、社長の方から釈明があったというのを私は聞いているのですが、そういうことをあなた御存じですか。
○舟津証人 私はその事実は聞いておりません。
○松浦(利)委員 それでは、この点については委員長の方で、そういう事実があったかどうかは、調査室等に対して調べさせていただきたいというふうに思います。 本当は証人に来ていただかなくてもよかったのだけれども、御苦労さんでした。
○田中委員長 庄司幸助君。
○庄司委員 あなたは新日本航空整備におられて全日空に招かれたわけですが、何を買われて招かれたのですか。
○舟津証人 率直に言わしていただきますと、私は学校を出てからずっと航空機の技術をやっております。したがいまして、その点じゃないかと思っております。
○庄司委員 どなたの推薦か、どなたのお招きか。お名前ひとつおっしゃってください。
○舟津証人 たしか前全日空の専務をしておられた大沢専務だったかと思います。
○庄司委員 大沢さんですね。 それでは、あなたが入社された四十六年の三月、それから取締役になられた五月、この当時、つまり入社された当時、全日空の整備部門は将来の機種を何にしぼって準備しておられたのか。あなた、さっき将来の計画の検討もなさる、こう申しましたから、将来の計画、この点ひとつ。
○舟津証人 昭和四十六年六月ごろでございますが、私は早速、勉強をして当時の状況を把握しようと考えたわけでございます。これは新機種選定準備委員会でやっておった内容を調べたわけでございますが、やはり当時といたしましては三機種というものを考えておったようでございます。ただし、ジャンボにつきましては非常に大きいという問題で、需要の問題等で、ちょっと競争外だったのじゃないかというふうに感じておりました。
○庄司委員 その当時トライスターは、この検討対象にしたのだと思いますが、トライスターの、いわゆる整備上、検討すべきような対象、これがあったのですか。
○舟津証人 四十六年六月の段階でございますと、すでにいろいろ資料等はもちろん完備してございます。一方、飛行機の方も完成して試験飛行の段階だったと思います。そういう状況でございますので、実際に就航している会社はまだございませんが、その段階までの状況は把握できたと思います。
○庄司委員 トライスターについては資料はあった、ただし対象にすべき実物の飛行機は試験飛行の程度だったと、あなたはおっしゃいます。これは若干、私は後で江島証人にもお伺いしますけれども、違うのじゃないかと思うのです。そういう点で、当時ロールアウトもしており、しかも就航もしているという点で、やはり将来の計画という観点で整備の職場で対象にしていたという点では、DC10じゃなかったかと思うのです。そういう方向を目がけて整備の計画を進めておられたというのが職場の支配的な空気だったと私は伺っています。その点どうなんですか。
○舟津証人 私、正確には記憶しておりませんが、四十六年六月ごろは、DC10はまだ就航してなかったのではないかと思っております。したがって、トライスターと同じような状況で試験飛行中だったかと思います。
○庄司委員 それでDC10が職場では、将来、受け入れる予想の強い機種だというかっこうでDC10、DC10という声が支配的だったという点を私、伺っているのです。
○舟津証人 そういう際立って大きい声でDC10、DC10ということはなかったと覚えております。
○庄司委員 これは後でわかることだと思います。 それで、この四十六年、あなたが入社された四十六年の六月段階、この段階では全日空としては、これは中村航空局長の答弁によっても、四十七年導入もあり得るということで、会社の内部の意見が表明されていたというふうに中村航空局長は答弁されております。とすれば、四十七年導入となれば、現実に考えられる機種はDC10以外はなかったんじゃないですか。
○舟津証人 四十六年六月当時の新機種選定準備委員会におきましては、四十七年の導入は無理である、四十八年に延ばさなければだめであろう、そういう意見が圧倒的だったように記憶しております。
○庄司委員 それは中村航空局長の発言と違うわけです。中村航空局長は、この五月八日の参議院の予算委員会でこう答えています。「当時の全日空の記録によりますと、二月段階の航空局のアドバイスに対して、全日空としては四十九年で差し支えないような返事をしたということは、全日空の記録にございます。」ただ、全日空内部としてはやはり日航を意識しておった。「先ほども申し上げましたように、いわゆる機種選定委員会では依然として四十七年度導入もあり得るという前提で準備をやっておった。」と明確に答弁しております。つまり、四十七年導入を前提に準備をやっていた。これは中村航空局長が答弁間違いなのか、あなたの証言が間違いなのか、どっちかになるわけです。その点どうですか。
○舟津証人 四十七年の導入があり得るという表現は、私、非常に理解に苦しむというか、むずかしい表現だと思うのですが、私の記憶では四十六年六月ごろの状況は、社内の技術部門は少なくとも導入は四十七年は無理だ、ぜひ延ばす方向に持っていくべきではないか、そういう意向だったと思っております。
○庄司委員 そうすると、あなたの上司である清水整備、本部長、この方やあなたも、整備では四十七年導入は無理だという意見だったということになります。その点で、そういう整備本部の意見を、そういうふうに指導していったといいますか、意見がそういうふうになっていった主導的な役割りを果たしたのはあなたですか。それとも清水さんですか。
○舟津証人 当時、清水本部長でございます——四十六年六月は大沢さんが本部長だったと覚えております。清水さんは四十七年の三月ごろ本部長になられて……
○庄司委員 それなら大沢さんでもいいですが。
○舟津証人 それで、いまの御趣旨の、なぜおくらす方になったかという点でございますが、私の理解しているところでは、特に本部長あるいは副本部長がそうせいと指導したわけではなくて、客観的な事実としまして、たとえば整備の受け入れ体制が果たして十分にできるのかどうか。当時、昭和四十四年、五年、六年と万博をはさみまして727あるいは737を増強する、そういうことで整備能力が非常に問題があって、十分早期導入にたえ得るかどうかという問題がございました。 それから一方、トライスター、DC10も飛び出してはおりますが、十分エアラインの実績も評価されてない、そういう問題もございます。そういうことで、騒音の問題もまだ確認されていない、そういうこともございまして、とても急ぐべきじゃない。一方、ジャンボの747につきましても、かなり問題も残っておったというふうに記憶しております。
○庄司委員 あなたは、四十七年度導入だとすれば、これは当然DC10じゃないか、こういうことになると思うのですが、その点、明確にひとつお答えを願いたいと思うのです。あの当時、四十七年度導入するとすればDC10以外はなかったのじゃないか、こういうふうに思うのですが、その点どうですか。
○舟津証人 それは私は一概に断定できないと思います。と申しますのは、トライスターが米国航空局の型式証明をとりましたのが四十七年の四月でございます。それで五月ごろからアメリカの航空会社はトライスターを就航させておるという事実から見ますと、四十七年度に物理的に就航は決して不可能ではないというふうに考えます。
○庄司委員 これは重大な御発言だと思います。 それで、最後に伺いますが、日航はDC10で、うまくいっているわけですね。それで、あなたはさっき証言の中で、四十七年の八月三十日の時点で自信を持って推薦したといったような意味のことを結論づけられておりますが、あなたの方で、全日空で発行した二十周年記念誌の「大空へ二十年」という冊子があります。この冊子の中に、八月三十日時点では、三機種いろいろ検討してみたが、いずれも兄たりがたく弟たりがたし、そして激論が沸騰した、最後は若狭社長の決断にゆだねられた、こういう表現が書いてあります。そうすると、あなたの証言だと、何か八月三十日に結論が出たというふうな表現ですが、この「大空へ二十年」の表現と違うのですね。あなたの方の会社に正式に社外に出した文書です。その点どうなんでですか。
○舟津証人 私はそういう決定的な理由を八月三十日に社長に御報告したとは申し上げてなかったと思います。これは整備本部長の意見を社長が徴されましたのが九月の上旬でございます。その時点で当時の本部長の清水さんのお供をしまして、社長に、これこれしかじかの理由で推薦するということでございまして、八月三十日の新機種選定準備委員会の報告の内容とは違っております。
○庄司委員 終わります。
○田中委員長 林孝矩君。
○林(孝)委員 舟津証人に尋ねます。 昭和四十四年の当時あなたを中心に伊藤忠の整備員約六十名によって新日本飛行機整備会社がつくられた、こういう事実がありますか。
○舟津証人 私は全然そういう思い当たることはございません。
○林(孝)委員 新日本飛行機整備会社の存在を知っておりますか。
○舟津証人 私は知りません。
○林(孝)委員 それでは、全日空が日航でボーイング727のオーバーホールの勉強、研修、学習、そうしたことをやった事実はありますか。
○舟津証人 これは私が聞いておりますのは、四十四年ごろから四十六年の半ばにかけまして、727の共同オーバーホールという形で、全日空社員が相当数日航のオーバーホール工場へ参りまして勉強したという事実はございます。その際に、全日空側の仕様書、これは日航と必ずしも一緒でございませんので、そういうものに基づいて実施したように聞いております。
○林(孝)委員 ボーイング727に加えてダグラスDC8、このオーバーホールの勉強のために全日空から整備士を半年以上にわたって派遣した、こういう事実はございますか。
○舟津証人 期間は正確でございませんが、727の勉強の方に相当期間、整備士を派遣したということを聞いております。DC8の方は存じません。
○林(孝)委員 この当時の整備計画というものについて簡単に説明してください。
○舟津証人 昭和四十四年から四十六年までは、詳細な点は私は存じませんが、当時としましては全日空の整備能力の充実というために諸般の計画を展開しつつあったわけでございます。たとえば機体のオーバーホールをやるために全日本航空整備株式会社というものを昭和四十五年ごろ大阪に設立し、従来、手元でやっておった仕事を、当時は新明和というところでオーバーホールしておりましたが、そういうものを逐次そっちへ持っていく。最初はYSとかフレンドシップのような機種でございましたが、逐次727、737もオーバーホールできるように強化していく。そういう施策を行うと同時に、東京地区に装備品の工場、修理工場を設立するということで、これも昭和四十七年ごろ完成をめどに進めつつありました。一方、将来の大型機受け入れのために、やはり東京が受け入れベースになるという考えで、東京の仕事を減らす。東京で727、737の、C整備という機体の整備がございますが、その分を全部大阪に移管する、そういうことを計画的に進めている最中でございました。
○林(孝)委員 大庭社長当時の整備計画について伺いますが、これは四十七年からDC10を導入することを前提にした整備計画であったということについて、本委員会等においても今日まで議論されてきたわけでありますが、そうしたことについて証人は御存じであったかどうか、お伺いしたいと思います。
○舟津証人 私が入りましてからの整備計画というものは、大庭さんの整備計画とか、あるいは若狭さんの整備計画とか、そういったものはございませんで、やはり整備本部の立てた整備計画というものしかございませんので、いまの御質問の大庭さんの整備計画というものは、全然存じておりません。
○林(孝)委員 整備本部の整備計画は整備本部長独断で行われるものなのか。整備本部の整備計画の目標というものは全日空の当時の社の目標に従うものではないのか、その点について明確にしてください。
○舟津証人 これは当然、会社の事業計画に対応した形で整備本部も事業計画をつくるわけでございます。それで、大体一般の会社と同じかと思いますが、単年度の計画を立てる、それから長期的な準備を要するものは会社の長期計画、そういったものをもとにして考える、そういうたてまえでございます。
○林(孝)委員 確認をもう一点いたしますが、大庭社長当時の四十七年DC10導入という目標に、整備本部の整備体制づくり、目標というものが全然違ったところにあったものなのか、それとも四十七年導入目標に合わせて、先ほど指摘いたしました日航での大型機のオーバーホールの研究に当たられたのか、この点について確認しておきます。
○舟津証人 日航に共同オーバーホールの形で勉強しようということは、明らかに将来の大型機の導入を含めまして今後の全日空の事業拡張、そういったものに対応するものだと思います。ただ、それが大庭さんの何か特定の整備計画と言われますと、私は存じ上げておりません。
○林(孝)委員 証人、あなたは、昭和四十五年二月に第一回の調査団が訪米したときに、ボーイング、ロッキード、ダグラス、こうしたところを訪問するわけですが、若狭団長がダグラス社を訪問してDC10の組み立てを見ていることを御存じですか。
○舟津証人 私は存じません。
○林(孝)委員 われわれの調査によりますと、いま御存じないということであったわけですけれども、最近、証人が関係者に対して、若狭社長がそのときダグラス社へは行っていないということにするような工作をしているという、こういう情報があるわけです。その点について事実かどうか、お答え願いたいと思います。
○舟津証人 そういう点は、全然身に覚えはございません。
○林(孝)委員 若狭氏が当時三井物産ロス支店長の案内によってダグラス社に行っていることは事実でありますが、もう一度確認しますけれども、たとえば三井物産を初め関係者に対して、そのような電話なり話をした事実はございませんね。
○舟津証人 全然ございません。
○林(孝)委員 証人は三井物産の灘波氏を知っておりますか。
○舟津証人 一、二回お会いしたことはございます。
○林(孝)委員 灘波氏と当時、全日空松田調達部長と再三会っていた事実があるわけでありますが、そのことについて知っておりますか。
○舟津証人 当時、松田調達部長は当然職掌柄そういった商社の幹部の方と会っていたのじゃないかというふうに推測します。
○林(孝)委員 最後に一点だけ。会談、相談の内容について知っていたかどうか、お答えください。
○舟津証人 内容は契約上の問題とか、そういうことであろうと推測する以外は何にもわかりません。
○林(孝)委員 終わります。
○田中委員長 河村勝君。
○河村委員 証人が全日空に就任をされたころの時期、四十六年六月、先ほど、この時期には四十七年度大型機導入は無理であるというような意向が一般的であったというお話でありましたが、それは、この大型機導入問題について機種選定委員会ないしは会社として、そうした方針がつくられたということでございますか。
○舟津証人 いまの点は会社の方が方針を決めてきたという意味ではございませんで、特に技術部門で、いろいろ検討した結果が、どう考えても四十七年度は無理じゃないかということでございます。
○河村委員 それは整備関係だけですか、運航等を含めてそういう判断をされたのですか。
○舟津証人 それは整備関係だけではございません。私の記憶では、需要の問題及びそれに絡んでジャンボがいいのかあるいはエアバスクラスがいいのかという問題もあったかに聞いています。それからまた、乗員の方も実際にいろいろ乗ってみて実際の感じをつかみたいとか、そういう気持ちもあったと思います。したがいまして、整備はそのほかにいろいろございましたが、他の部門もそういう意見が出てきたと思っております。
○河村委員 証人がおっしゃるように、各部門の総合的な意見だとすると、それは、ただ何となく全般的にそういう空気になったということではなくて、やはり会社としての方針がそこで変わったということでないと、どうも一般常識には反するように思われますが、そういうことではないのですか。
○舟津証人 いままでいろいろずっと調査が進められておったわけでございますが、その間にも、先ほどの需要の問題とかあるいは実際の各機種別の本当の実績の評価、そういうもののむずかしさは前からあったわけでございます。
○河村委員 いや、私が聞いておりますのは、それは各部門でそれぞれ、やはりもう四十七年導入は無理だというふうに何となく決まったというのではなくて、各部門の意見を総合して無理だということになったわけでしょう。そうであれば、そこを統一する何か意思が働かなければ、そういうふうに会社というものは動くものではありませんね。ですから、そこに何か機種選定委員会であるか会社の常務会であるか、それは私どもにはわかりませんけれども、何かそうした正規の機関にかけて、そこで方針が決まったということでないと、どうもぴんとこないと思うのですが、その点は、あなたがおわかりにならなければ、それでやむを得ませんが、そういうことは聞いておりませんでしたか。
○舟津証人 いまの点は、おっしゃるとおり、私の記憶では、第何回か忘れましたが、新機種選定準備委員会、六月の終わりごろだったと思います。そのころの委員会で、そういった意見が集約されていたかと思います。
○河村委員 そのときには、四十七年度は無理で、それをどのくらい延ばす、そういう集約であったのですか。
○舟津証人 私ははっきり覚えておりませんが、後分、四十八年度に延ばすということではなかったかと思っています。
○河村委員 そこで、新機種選定の結論の過程に入るのですが、最終的には社長一任になったという報告をいままでも聞いておりますが、それに至るまでに営業とか運航とか整備とか、それぞれの部門で意見を集約をされたはずでありますが、それぞれの意見がどういうふうになっていたかということは、あなたは御存じですか。
○舟津証人 他の部門については正確には記憶ございませんが、ある程度は記憶しておると思います。
○河村委員 大体どういうことでございましたか。
○舟津証人 運送関係、これは営業のお客様の乗りおり、貨物の積みおろし、こういう関係の、ハンドリングと称しております。この辺の関係の見解。これは、やはりトライスターの方が一番前の入り口のドアが大きいというようなことから、お客さんの乗りおりに非常に有利である、五分以上短時間でできる、そういう点と、それから床下に調理室と貨物室がございますが、トライスターの場合には貨物室のとびらのほかに調理室のとびらも別個についておりまして、その辺の作業が非常に重複しないでできる、DC10の場合はそれは貨物室のドアを通じてやらなければできないために時間がかかるという評価がございまして、運送本部としては、やはりトライスターの方が好ましいと言っておったようでございます。 あとはパイロット関係でございますが、これは第二次、第三次、まあ、第三次の調査団が行って帰ってくるころは、飛行機の特性等も実機によって十分体得してまいりまして、その辺の話では飛行機で一番大事だと思われる着陸時の進入、それから着陸操作、こういったものでトライスターの性能がすばらしい、そういう評価を聞いております。 大体、以上でございます。
○河村委員 そこで整備本部としては、先ほどの証言のように、トライスターがすぐれているという判定をされたわけですね。その責任というのは非常に大きいと思います。 そこで、あなたが本当に仕事を始めてからの仕事として、四十七年の六月の十七日から七月にかけて整備調査団をアメリカに派遣をした。これにあなたは参加をされなかったということでしたね。この場合は、先発のエアラインに行って実際、調べられたと思いますが、そのときには三機種とも全部実地に整備関係の実態を調べたのですか。
○舟津証人 これはアメリカン・エアラインとイースターン・エアラインというアメリカの二大航空会社の整備の実態を調べるという目的で、エアバス、ジャンボ両方使っている状況を見さしたわけでございますが、目的は各メーカーの言うとおり整備が行われておるのかどうか、実態は違うのではないか、そういうことも含めまして調査させております。
○河村委員 それで、あなた方の最終結論が先ほどの話で九月の上旬、こういうことになるわけですね。その間、一つだけお尋ねしておきますが、DC10の事故が三つあった。それが選考過程に非常な影響を及ぼしたということが、いままでのいろいろな証言にもありますが、このコンチネンタルとアメリカン航空との事故というのは、整備の立場から見ると、どういう評価というか、どういう欠陥というか、要するに評価ですね、どういう評価をあなた方としては持ったのですか。
○舟津証人 こういう事件、三回続いたわけでございますが、これは明らかに機材の、飛行機そのもののふぐあいの問題でございまして、パイロットとか、そういう者がやったわけではないということで、やはりこれは機材上の責任が一〇〇%あるという種類の事件だというふうに判断しまして、これについては選定の立場にあるわれわれとしては、全責任を持って納得のできる答えの出る調査をしようということで調査をいたしました。
○河村委員 最後に一つだけ伺いますが、先ほどの各部門の意見の集約でありますが、私の聞いているところでは、運航本部では、純粋に比較をすればボーイングが一番よろしい。しかしエアバスだけを選べば、どっちとも言えない、DC10ともトライスターとも。営業関係では、商売の方から考えればDC10がよろしい、そういうような判定であったというふうに聞いておりますが、そうではありませんでしたか。
○舟津証人 おっしゃるとおり、営業の方はジャンボというものをどうするかという点で、ジャンボ、エアバスも百八十度変わるわけでございます。そういう視点から見ますと、ジャンボが有利だと考える向きもあったと思いますが、問題は、その前提をどうとるかということで、必ずしも、私は整備本部から見ていまして、それはどっちとも言えないというふうに見ておりました。 運航につきましては、私のいま記憶に残っているのでは、先ほど申しましたように、やはりトライスターの方が、地上に接近するとき及び着陸のとき、これが非常にスムーズで楽だという点を評価しているように私は記憶しております。
○河村委員 終わります。
○田中委員長 これにて舟津証人に対する発言は終わりました。 この機会に、一言証人にごあいさつを申し上げます。 長時間御苦労さまでした。ありがとうございました。 —————————————
○田中委員長 証人江島三郎君の入室を求めます。 それでは、まず委員長から所要の事項についてお尋ねをいたします。 江島君、あなたは江島三郎君ですね。
○江島証人 そうでございます。
○田中委員長 それでは、続いて御住所と職業と生年月日、その三つをお答えください。
○江島証人 川崎市高津区野川三〇二三の七、職業は全日本空輸株式会社専務取締役で、現在は総合安全推進委員会の委員長をやっております。生まれは大正三年一月三十一日でございます。
○田中委員長 それでは、発言の申し出がありますので、順次これを許します。まず、松永光君。
○松永委員 時間がございませんので、あなたの簡単な御経歴でございますが、あなたは昭和七年の三月に逓信省航空局の依託操縦学生を終えられて、戦前はずっと飛行機のパイロットをしておられた。そして戦後は、昭和二十六年に日本航空に入られて、やはりパイロットをされてきておられる。そして昭和四十年八月に日本航空の航務本部副本部長をされ、四十二年五月に日本航空を退社されて全日本空輸に入社されて常務取締役になられた。その後、四十六年五月に専務取締役になられた。いま私の述べた御経歴に間違いございませんか。
○江島証人 おっしゃるとおりでございます。
○松永委員 あなたのパイロットとしてのいわゆる滞空時間、それからジェット機の経験年数ですか、そういうところを簡単に教えてください。
○江島証人 パイロットの飛行時間でございますか、私、一万八千六百三十時間ほどの飛行経験を持っております。 それ以外は何だったですか。
○松永委員 ジェットです。
○江島証人 ジェットはDC8型、それにコンベア脚、この二種をやっておりました。
○松永委員 現在は専務取締役で、総合安全推進委員会の委員長だそうですが、運航本部長とか運航副本部長とかをなさっておったことはございませんか。
○江島証人 おっしゃるとおりで、私、昨年の五月までは全日空で航務本部長をやっておりまして、六月一日からこの総合安全推進委員会の委員長を務めております。
○松永委員 航務本部長を、航務関係の方を担当され始めたのは、いつごろからかということと。それから航務本部長とか、そういう仕事の内容、職務の内容、これを簡単に説明してください。
○江島証人 最初……
○田中委員長 江島さん、もう少し大きな声で。
○江島証人 最初、全日空に入りましたのが昭和四十二年で、運航担当ということで常務取締役をやらせていただいて、その後、航務本部、それから整備本部、それから営業本部というふうな三つの部に分かれた時点で、航務副本部長をやらせていただきました。
○松永委員 昭和四十五年の十二月に全日空では経営五カ年計画というのが策定され、その経営五カ年計画でエアバスを導入するという計画が立てられた、こういうことでありまして、そしてその長期計画におけるエアバス導入はいつごろを予定されておったか、その点をお尋ねいたします。
○江島証人 お答えいたします。 いま先生の御質問、四十五年のたしか秋ごろかと思います。これは四十六年を第一年目として五カ年計画を作成いたしまして、私らにもやはりそれを配付されまして、たしかあの当時の計画書には四十七年ごろからのエアバスと申しますか、当時私ら大型機とか、それからワイドボデーというふうな言葉を使っておりました。これはエアバスと同じことかと思います。
○松永委員 そのワイドボデージェット機というか、それの導入を考えて、そしてどの機種を選定すべきかということで、昭和四十五年の一月九日に新機種選定準備委員会というものが全日空で設立されて、あなたはその委員に選ばれましたか。
○江島証人 おっしゃるとおりでございます。
○松永委員 で、あなたはその新機種選定に関してアメリカに調査に行かれましたね。何回行かれました。
○江島証人 第二次、第三次のリーダーとして参りました。
○松永委員 第二次調査団は昭和四十六年二月二十四日出発、第三次調査団は昭和四十七年六月十五日出発、こういうふうになっておるようでありますが、そして現地で実際の飛行機に乗って、幾つかの種類の飛行機に乗って、そして飛行機の優劣というか、全日空で採用するのにはどの飛行機が望ましいかということの評価をされた、こういうことはございますか。
○江島証人 おっしゃるとおりでございます。第二次の場合には、すでにボーイング社でB747、いわゆるあのジャンボジェット機、これはもうすでに完成しておりまして、ロッキードはまだそこまで——ちょっと待ってください。ロッキードはやっとでき上がりまして、大体六十時間程度のいわゆる試験飛行の段階、それとダグラスのDC10の方は間もなくFAAのサティフィケート、いわゆるライセンスがおりる直前かと思います。その時点で、第二次でも三機とも私自身も乗りまして操縦いたしまして、もちろん第三次においては、ロッキードの方でもFAAのライセンスも取った時点でございまして、その時点でも、やはり三機種乗りまして、比較検討いたしました。
○松永委員 そうすると、二回にわたって、第二次調査団としてアメリカに行った場合、それから第三次調査団としてアメリカに行った場合、いずれも三機種に乗って、あなた自身、操縦されて、そして比較検討された、こういうことでございますが、実際に操縦してみてのあなたの評価、優劣の評価、同じぐらいだったのか。あるいは、いろいろ特色もあろうと思いますけれども、あなたが実際に操縦されてみての評価を、あなたの感じられたことを簡単に説明していただきたい。
○江島証人 お答え申し上げます。 私自身で感じましたのは、当時やはりボーイング747、これが一番、私自身にはいいように感じました。それとDC10とトライスターについては、これは優劣がつけられないというふうな、同じ程度のいわゆる操縦性能であったかと思います。こういうふうなことで、個人的な体験だけではちょっとまずいものですから、私自身が会社にお願いして、勘定いたしましたところ延べ七人ほどのパイロットに乗っていただいてパイロット各人のフィーリングと申しますか、これのレポートをとりました。
○松永委員 そうすると、あなた自身の感じはわかりましたが、ほかの人、ほかのパイロットたちの意見ですね、大体どういったような意見ないし評価だったでしょうか。
○江島証人 お答えいたします。 先ほどの順序に従いまして、ボーイング747、これはやはりみんな、いい飛行機だということなんです。それから次に、いわゆる操縦特性と申しますか、こういうふうなのについては、DC10とトライスターと比較して、あっちがいい、こっちが悪いというふうなことは余りなかったのでございますけれども、ただ、飛行機の設計上、非常に斬新的な設計を取り入れているというような評価、これはトライスターの方でございますけれども、この評価はパイロット仲間でも高かったと思います。
○松永委員 専門的なことになると思うので、われわれ素人にはわかりにくいと思うのですけれども、簡単に言って、どういう点が斬新的な設計だということで評判がよかったのですか。斬新的な設計を取り入れてあるという点のポイントだけ、おっしゃっていただきたい。
○江島証人 委員長、術語を使ってよろしゅうございますか。
○田中委員長 よろしゅうございます。
○江島証人 たとえばボーイング747、これについては皆、文句はなかったのですけれども、言うならば、ちょっと古くさい——古くさいというのは旧式というような意味ではありません、ちょっと古いのじゃないかと。それから次のDC10、これにはボーイング747で古いというふうなところが、やはりある程度改良されている。その次のいわゆるトライスターについては、非常に斬新な設計で、たとえばFHS、こういうふうなものがトライスターにはついている。それとかまたDLCとか、こういうふうなのがついていて、いわゆる飛行機の——御承知のように、飛行機で一番われわれが緊張するのは、やはり離陸、着陸でございます。この着陸の場合の進入角度あたりの安定性については、やはりこれはトライスターの、先ほど申しましたDLCあたりの操作によって非常にスムーズな着陸ができる。これはほかのパイロットも申していました。
○松永委員 四十七年になりまして、七月の二十三日ですか、これはDC10、それからL一〇一一トライスター、この二つの飛行機について東京と大阪でデモフライトがあったのですか。あなたはそれに参加されて、どういう経験をされましたか。
○江島証人 私は第二次、第三次で乗って、実際自分でハンドルを持ったフィーリングというふうなのをつかみ得ましたけれども、まだほかに私らの方のパイロットが、やはり新しい飛行機というふうなものに対しては非常に関心が深かったわけでございます。それで先生のいまおっしゃった日本における両機のデモフライト、これについては私は机に座っていまして、できるだけほかのパイロットの同乗というふうなことに一生懸命になりまして、私自身はデモフライトについては全然タッチしていません。
○松永委員 これはまた、あるいは伝聞にわたるかもしれぬが、その乗ったパイロットたちの意見といいますか、どういった意見でしたか。
○江島証人 フィフティー・フィフティーだったと思うのですけれども、先ほどちょっと申しましたDLCあたりの問題とか、それからもう一つ、トライスターにはILSのカテゴリー3Bまでべーシックについていたものですから、この評価は高かったように思います。
○松永委員 ちょっと非常にむずかしい言葉が出てわからないのですが、先ほどもちょっと言われたが、斬新な設計が取り入れられておる。それはパイロットとして一番緊張するのは離着陸のとき、特に着陸のときであるということをおっしゃいました。その着陸時の安全性あるいは着陸時の操縦のやりやすさといいますか、そういった点がトライスターはすぐれておる、こういう意見が多かったというふうに聞いてよろしいですか。
○江島証人 そのとおりでございます。
○松永委員 結局、四十七年の十月三十日に結論的にはロッキードのトライスターが採用されたわけなんですが、あなたは長いパイロットの経験を持った方として、あるいは特に運航関係の担当者として、どれにすべきかということについての意見を述べられたと思うのですが、あなたの総合的な判断、その判断に基づく結論は、簡単に言えば、どういうことになりましたか。
○江島証人 各パイロットの意見を総合してみますと、やはりちょっとトライスターの方が分がいいんじゃないかというふうな感じだったのですけれども、ただ、ここで申し上げたいことは、ちょうど、われわれが本当に最終的に決める時点において、実はDC10が、ドア関係、それから真ん中のエンジン、これの故障というふうなのが三回ほど続きまして、やはり安全性の方から見ましたら、そういうふうないわゆるトラブルというふうなものには、パイロット側としたら、決定的な判断を下して、やはりトライスターがいいんではないかというふうな感じを私自身持ちました。
○松永委員 結局これは社長の決断、社長が最終的には判定したというふうに聞いているのですが、あなたも、先ほど言ったように、パイロットの長い経験を持っておられて、運航関係の責任者であったわけですから、社長に何か意見を述べられたと思うのですが、あなたの意見はどういうふうに述べられたのですか。
○江島証人 最終的に私の方で社長から意見を求められたのは、四十七年の九月上旬かと思います。社長、それから選定委員会の委員長の渡辺副社長、それからたしか藤原経管室長あたり三人参りまして、これは羽田で航務本部だけのいわゆるミーティングを持って、その意見を求められた時点では、やはり私自身もトライスターを推薦いたしました。
○松永委員 質問を終わります。
○田中委員長 斉藤正男君。
○斉藤(正)委員 江島さん、大変失礼ですけれども、少し意地の悪いお尋ねをいたしますので、率直にお答えをいただきたいと思います。 巷間、全日空にはいわゆる民族派と称する幹部と日航派と称する幹部があって、抗争が激しかった時代があるというように言われておりますけれども、あなたは内部にいらっしゃって、そういうことを感じましたか。
○江島証人 お答えいたします。 私自身は感じませんでした。
○斉藤(正)委員 そうすると、あなたは職務に精励するの余り、そういうことには関心も持たなかったし、また感じてもいなかった、こういうことになるのかと思いますけれども、もう一つ伺いたいのですが、残念なことでありましょうけれども、沢専務、青木経理部長、植木業務部長が外為法違反の疑い、さらに貿易管理令違反の疑いで逮捕されております。その直接の理由というのは、エリオット氏から、四十九年六月中旬に二千七十二万円、同じく七月下旬に三千三十四万五千円、金を受け取っている。これは手続上不正な行為であるし、なおこの金がどう使われたのか疑問があるというように言われておるわけでございます。正直言って、あなたも大変衝撃を受けたと思いますけれども、このような、ロッキード社から全日空に対して、受け取ってはいけない金が入っていたというようなことは、全く知らなかったのか、あるいは多少感づいていたのか。いかがでございますか。
○江島証人 お答えします。 私、この金銭的な問題については全然ノータッチでございまして、いま先生のおっしゃった三人の逮捕者が出たというふうなことについては、本当にびっくりした次第でございまして、その金がどっちにどう行ったとかなんとかいうふうなことは、私は全然知りません。 〔委員長退席、亀岡委員長代理着席〕
○斉藤(正)委員 あなたは今日まで検察、警察関係から事情聴取を受けたことがありますか。
○江島証人 委員長、これ、やっぱり言わなければいけないのですか。
○亀岡委員長代理 はい、言ってください。
○江島証人 警視庁の方で三回、それから地検特捜部で十回受けました。
○斉藤(正)委員 延べ何十時間ぐらいでしょうか。
○江島証人 延べ何時間というふうな御質問ですけれども、これ、実は計算したことありません。
○斉藤(正)委員 滞空時間についてはきわめて明快に覚えていらしゃいますけれども、覚える必要もないでしょう。結構です。しかし、大変な回数、事情を聴取をされたという事実はわかりました。 そこで伺いたいと思いますが、あなたは全日空の新機種選定準備委員会のメンバーでございますね。
○江島証人 さようでございます。
○斉藤(正)委員 全日空は、若狭さんを団長にして第一次の調査団を四十五年二月九日から二月二十一日までアメリカへ派遣をしておりますけれども、この第一次調査団のメンバーではなかったですね。
○江島証人 さようでございます。
○斉藤(正)委員 あなたが全日空へ入社されたのは、四十二年五月と経歴書から承知をいたしておりますが、当然四十五年二月の若狭調査団のメンバーになってしかるべき方だ。その証拠というとなんですけれども、二次、一三次は団長をされて渡米をされている。なぜあなたが若狭調査団のメンバーに入らなかったのでございましょうか。世間では不思議に思っているのです。私も、もしあなたが四十二年五月全日空入社というのが間違いでなければ、若狭調査団のメンバーになってしかるべき方だというように思うのですけれども、何かわけがあったんですか。
○江島証人 私が第一次のあの調査団になぜ入らなかったかというふうな御質問かと思うのですけれども、私自身も、なぜ私が入らなかったかというふうなことに対しては、別に何も他意はなかったと、私はそう存じます。
○斉藤(正)委員 この調査団は若狭団長以下十一名であって、二月の十、十一、十二とダグラス社、二月の十三、十四、十五、十六、十七とロッキード社、二月の十八、十九、二十日とボーイング社というように、かなり日をかけて調査をされておるわけですが、たまたま入らなかった、当時も不思議に思わなかったし、いまも他意はなかったと思っている、こういう発言ですけれども、私は何かあったのじゃないかというふうな気がするのですが、当時も今日も、全く自然なものであったというようにお考えですか。
○江島証人 お答えします。 私、運航関係の担当でございまして、そのかわり、私が行くかわりにベテランのパイロット、それに従来からこのワイドボデーについての調査研究をしている専門的な人間、こういうふうなののグループを航務本部で差し出したわけで、私自身も、まだあの時点では実はDC10もトライスターも製造段階でございまして、乗るチャンスというふうなのは全然なかったものですから、私自身の個人的な考えかもしれませんけれども、私は、いわゆる全日空がそういうふうな飛行機を買うというふうな場合には、一機五、六十億するような高価な飛行機でございますので、ぜひ私自身も、いわゆる両機が、何と申しますか、スタートラインについたら、私自身が真っ先に出ていって他のパイロットと一緒に乗りたい、こう考えておりました。第一回目にはまだ両機、できていませんでした。
○斉藤(正)委員 第二次調査団が四十六年二月二十四日から三月六日まで派遣をされ、あなた以下八名一行が乗り込んだわけでございまして、主として実機への搭乗、そして騒音測定実施等をやってお帰りになったようになっております。 ところが、第二次調査団の補足として、前回搭乗不十分だったトライスター一〇一一の実機試乗調査実施という名目で、同じ四十六年の五月十一日にあるメンバーが派遣をされておりますね。トライスター一〇一一だけ実機試乗調査を再度やったというのは、何か意味があるんですか。
○江島証人 お答えします。 大いに意味があります。と申しますのは、第二次で私がリーダーで行った時点では、トライスターがテストフライトでまだたしか六十時間せいぜいの飛行時間しかなくて、いわゆるエンジンのフルパワーと申しますか、全開でフライトするというふうなことができかねる状態で、せいぜい飛行高度も二万フィートぐらい。それから離陸あたりでも、大体八割程度のパワーで上がるというふうな時点でございまして、その後いわゆる第二次調査団の補足としてやりましたのは、そのちょっと前に、実はトライスターがFAAのライセンスを取った直後でございます。と申しますのは、いわゆるフルパワーを使って性能的にはいわゆるDC10とトライスターと比較する絶好の機会だと思いまして、第二次で連れていったパイロットを実は補足としてまたやった次第でございます。
○斉藤(正)委員 そうしますと、第三次調査団にあなたがやはり団長で四十七年六月十五日から六月二十三日まで行っておられまして、ボーイング、ダグラス、トライスター、それぞれ実機の試乗調査をやられておる。この第三次、すなわち四十七年六月十五日から六月二十三日のこの調査でトライスターの試乗その他をやったんでは間に合わない、あるいは不十分だということだったんでしょうか。いまのトライスターへなぜ特別に派遣したかというのはわかります。三次でも同じような調査をやっておられるので、この点、私ちょっとひっかかるんですけれども、いかがでございましょう。
○江島証人 お答え申し上げます。 第二次の調査団、それにまた補足の、さっきのあの説明で御了解をいただいたと思いますけれども、じゃ、第三次でまたこれをやるというふうなことはなぜかというふうな御質問かと思いますけれども、第三次に連れていったのは、実は全然違う。パイロットでございまして、トップクラスのパイロットを二名、計私を入れて三名のパイロットオンリーのいわゆるサーベイでございました。
○斉藤(正)委員 そういう調査をやって、四十七年四月三日の新機種選定準備委員会第九回本委員会において、あなたの方の意見は——いろいろありますよ。だけど、集約すると、各機種とも総合的に際立った優劣の評価はつけがたいという報告になっているはずですが、そのように確認してよろしいか。
○江島証人 よろしいと思います。
○斉藤(正)委員 続いて、四十七年八月一二十日、第十回の本委員会が開かれ、これが最終的な答申といいますか、会議になっているようでありますけれども、このときも別段、いろいろなことが言われておっても、ないわけでありますが、ただ、運航関係の中で特筆すべきふぐあい事項、ぐあいの悪い事項ということで、先ほどからたびたびお話しになっているDC10のエンジン破損落下二件、そうして貨物ドア破損落下一件、このことが報告をされ、三機種とも優劣つけがたいけれども、この第十回本委員会が開かれた直前にDC10の事故が三つばかりあったので、これが非常にDC10にとっては弱点になった、反面、トライスターにとっては有利になったというように考えてよろしいか。
○江島証人 さようにお考えになってよろしいかと思います。
○斉藤(正)委員 巷間、全日空が買ったトライスター一〇一一は価格が非常に不安定だ、何で一体こんなに買うたびに飛行機の値段が違うんだろう。これは江島さん、あなた専門じゃないかもしれませんけれども、やはり専門でない人の方が客観的な判断ができると思うので伺うんです。すなわち、平均約五十五億です。しかし一番安く入っているのは四十五億で入っている。一番高いのは六十八億円ですよ。一番高い飛行機と一番安い飛行機は二十三億円の差がある。平均が五十五億ですから、最高の六十八億と比較しても十三億の差があるんですよ。これはどういうこっちゃ。同じ飛行機を同じ飛行機会社から同じ航空会社が買って、一機について二十三億、平均価格の変動でも十三億ある、どういうことだろうというのは、これは国民の率直な疑問ですよ。お答えください。
○江島証人 お答えします。 実は、先ほどもちょっと申しましたとおり、私、金銭的な問題には全然首を突っ込んでいなかったものですから……。ただ、私がこの新機種導入について首を突っ込んだのは、われわれとしては、いかにパイロットになじみやすい飛行機か、そういうふうなところと、それから、先ほどちょっと申しましたけれども、いわゆる進入時あたりのところで非常にトライスターの方が優秀であるというふうな、そういうふうな面にばっかり頭を突っ込んでいたものですから、機の価格が非常に変動しているというふうなことに対しては、非常にまずいお答えかと思うのですけれども、実はちょっと私はかりかねます。そこのところは。
○斉藤(正)委員 だから、冒頭お断りして、あなたには向かない質問かもしらぬがと、こう言った。しかし、素人なら素人なりに——それじゃ、聞きますけれども、一機について二十三億も価格が違っているという事実を御承知でしたか。
○江島証人 これは、このロッキードの事件が何か二月五日ごろからありましたけれども、そういうふうなところで、たとえば新聞紙上なり何なりというふうなところで詳しい数字を実は見た程度でございます。
○斉藤(正)委員 そうすると、事件が発覚というか、世上を騒がせるようになってから新聞紙上等で見た。要するに、知っているんですね。知ったんですね。
○江島証人 新聞の見出しあたりでそういうふうな意味のことを書いてありましたから、それで存じ上げています。 〔亀岡委員長代理退席、委員長着席〕
○斉藤(正)委員 新聞の見出しだけ読んだと言ったって、中身は読んでいませんか。
○江島証人 確かに、ああ、ずいぶん違っているんだなあというふうな感じは受けました。
○斉藤(正)委員 自分の会社の飛行機でしてね、よそ様の飛行機じゃない。ずいぶん違っているんだなと思った程度であって、なぜだろうというようなことをお考えになったことありませんか。あるいはこの担当の関係者に尋ねたりしたことありませんか。
○江島証人 担当者に直接、なぜこんなに価格が違うかというふうなことについては、実は私一回も質問していません。
○斉藤(正)委員 いろいろ全日空側では説明、釈明をいたしておりますけれども、国民が一番疑問に思っているのは、四十八年九月契約をし、五十年五月ないし七月に引き渡された一一ないし一四号機の四機の異常高値なんです。このときはどういうときかというと、四十八年八月九日に丸紅からピーナツ領収証が発行され、四十八年十月十二日には百五十ピーシーズのにせ領収証が発行されている時期と符合するわけなんです。こういうことから考えて、なぜかしらこの異常に高い飛行機の価格が今度の事件に関係あるんじゃないかというような疑問を国民は持っているわけです。 ここであなたの証言をこれ以上求めるのは無理でありますから、お尋ねいたしませんけれども、会社へお帰りになったら、まじめにこういう国民の疑問に全日空側はこたえるべきだということで、幹部に言ってください。言ってくれますか。
○江島証人 先生の方からこういうふうな質問があったというふうなことは、これはお伝えいたします。
○斉藤(正)委員 終わります。
○田中委員長 庄司幸助君。
○庄司委員 証人に伺いますが、これはあなたの方で事件が起きてから会社社員を説得するために出された「トライスターはこうして選ばれた」というパンフレットですが、この中に江島さんの発言として、四十七年カンサスシティーに行って、実際に就航しているTWAのL一〇一一に乗ってみて、結局、航務本部としてはだんだんトライスターに傾いていった、こう述べていらっしゃいます。このカンサスシティーの前は何に傾いておったのか、あるいは白紙の状態だったのか、その辺ちょっとお伺いします。
○江島証人 ただいま先生の御質問のTWAのトライスターに乗りまして、たとえばそのときには、私を含めてパイロット三人だったと思います。その前は、やはりDC10、それからトライスターについてはフィフティー・フィフティーと申して差し支えないかと思います。
○庄司委員 江島証人は、四十六年二月二十四日から三月六日まで第二回の渡米調査団に参加されたわけですが、その当時、昭和四十六年二月から三月の時点、エアバスと言っておきますが、この導入時期ですね、いつごろを目標になすったのか、何年度から、この点伺います。
○江島証人 その当時は、最初は大体四十七年の導入というふうなことを決めてあったのですけれども、その当時の航務本部の内情といたしまして、パイロットのトレーニングあたりから、それから数、それから質、これを考えまして、非常に苦しいなあというふうな感じを実は持っていましたけれども、やはりわれわれとして、先ほど舟津が答えたかと思うのですけれども、航務本部あたりでのいわゆるオーダーをいたしまして、それを受け入れるまでには、大体われわれとして二十二カ月ぐらいはかかるのではなかろうかというふうなところで、四十六年の時点では、大体導入時期は四十八年の終わりか四十九年の春か、そこらあたりに的をしぼったかと思います。
○庄司委員 それは違うのじゃないですか、計算上。二十二カ月だとすると、四十六年三月としても十二カ月で四十七年の四月、それに十カ月足すと四十八年の早目ですね。そうすると、そのころに考えておられたわけですね。
○江島証人 お答えします。 もう少し後あたりの導入というふうなことを実は考えていたかと思います。と申しますのは、当時その時点では、ボーイング727−200、それからボーイング737を相当数入れまして、このトレーニングで非常に忙しかった時代で、やはりこれが一応片がつかなければ次のトライスターというふうなところまではいかないのじゃないか、そういうふうな時代だったと思います。
○庄司委員 それでは、あなたが第二次調査団で渡米された際、DC10には実機で試乗なすったのですか。実際の飛行機にお乗りになられたのですか。
○江島証人 第二次、第三次とも実はDC10に乗りました。
○庄司委員 私がアメリカで聞いてきた話ですが、あなたはその際、ロングビーチとサクラメントの間を四時間ぐらい飛んでおられる。それからサクラメントでは、このDC10でタッチ・アンド・ゴーの練習といいますか、試験をなすった。あるいはまた急旋回や、それからエンジンの急停止、それから片肺の着陸、こういうテストもなすった。あわせてその際、日本で、日航でなじみの深いチーフ・テストパイロットのキャプテン・スタウト、この人が一緒に乗った、こういうふうに私は聞いてきたのですが、そのとおりですか。
○江島証人 そのとおりでございまして、ダグラス社のチーフパイロット・スタウトさんですね、この方は私がDC8を習った教官でございます。
○庄司委員 そうしますと、もう一つ伺っておきますが、ロッキードの方も、実際の飛行機にお乗りになったとさっきお述べになったようですが、このとき、これも私、聞いてきたのですが、あなたのおっしゃるとおり、フルパワーが出ない。六十時間だ。また何か非常に砂漠の暑いところですね。暑いと浮力がつかないとかなんとか、ぼくは素人ですからあれですが、そういう関係で朝しか飛ばしてもらえなかった、こういう話を聞いてまいりましたが、それもそのとおりでございますか。
○江島証人 おっしゃるとおりでございまして、第二次の調査団のリーダーとして参ったときには、先ほど説明いたしましたように、せいぜい六十時間、それからフルパワーが引けないというふうな、コンディションとしたらやっと飛べるというふうな状態だったのでございます。
○庄司委員 私がこれを伺うのは、これはもういろいろ国民が疑惑に思っております。ロッキードがまだ十分な飛行機を持っていなかったにもかかわらず、DC10をひっくり返してロッキードのための時間かせぎをやるという工作がやられていた、これはコーチャン証言でも明確なんです。あなたのいまの証言を聞いても、この昭和四十六年二月、三月の時点ですでにこういう格差がついていた。あるいは立ちおくれと言ってもいいですね。この事実は明確になったと思うわけです。 それで、この渡米調査団が参ります際、飛行機に乗せてもらう、飛行場を見せてもらう、この場合、必ず代理店の方がついていかれて、それぞれの会社を御案内なさるだろうと思うのですが、ダグラスについては三井物産が当然ついていったと私は思うのですが、三井物産のどなたがこの調査団についていかれたのか。それからもう一つ、ロッキードについては、これは丸紅だろうと思いますが、丸紅のどなたが御一緒したのか。これをひとつお聞かせ願います。
○江島証人 お答えします。 三井の方が確かについてきていただいたことは事実でございますけれども、実はこれ私、名前失念しています。それからロッキードの方は、丸紅の小畠さんという方が御一緒だったかと思います。
○庄司委員 三井の方は灘波さんじゃございませんでしたか。思い出していただきたいのです。
○江島証人 そのとおりでございます。実は私、われわれの第二次の調査団の時点でスケジュールをつくったときに、三井の灘波さんという人の名前が確かに出ていました。しかし、その灘波さんがどういうふうなお顔の人か、そのとき会った程度で、実は顔とお名前が一緒になりません。
○庄司委員 もう二問だけお願いします。 この灘波さんからそのとき、ダグラスと三井の間でもいいですが、あるいはダグラスと全日空の間で世上言われておりますオプションですね。この機体は押さえてあるというような話は聞かされなかったですか、あるいはそれに類した、あなたの方のために飛行機を確保する準備がありますとか、そういうお話はなかったですか。
○江島証人 お答えします。 実は先ほどちょっと申しましたけれども、ダグラスのチーフパイロットのスタウト、この人は私のDC8の教官で、その後も非常におつき合いしている方なんでございます。それと実は今度のこのロッキード事件で何だかんだなった時点で、せんだって三井の石黒さんの証言の中で、四十四年の七月二十九日だったですか、それでたとえば大庭さんも含めてダグラス、三井の間で、ファームかオプションか知りませんけれども、そういうふうな確定的なことが行われていたというふうな証言があったかと思いますけれども、私、実は非常に不思議に思っていますのは、第二次、第三次、しかもダグラス社には私の先生であったスタウトさん、それからまだほかにたくさん知り合いがあります。そういうふうな方が、なぜ私にその時点でそういうふうなことの発言がなかったか、実は非常に不思議に思っている次第でございます。 そしてもう一つ申し上げたいのは、第二次、第三次で、たとえば四十四年にそういうふうなことが契約が交わされているというふうなことだったら、当然、私には何か知らぬが黙っていたんだけれども、私が連れていきましたほかの調査団の人間、こういうふうな人には、ひょっとしたらそういうふうなうわさがその当時聞かれたかどうかというふうなことをずっと当たってみました。ところが、だれ一人、そういうふうな、今度のことでわかりましたいわゆるARA機というのですね、こういうふうなことでは何にも私らに発言がなかった、これは言えます。
○庄司委員 最後ですが、調査団がお帰りになって、ダグラスはこういう試験をしてきた、実際飛べる、それからロッキードは残念ながらとおっしゃったかどうかわかりませんが、これはだめだった、つまりフルパワーは出せないという報告をなすったと思うのですが、この四十七年にしろ八年初期にしろ、導入を決めていたとするならば、導入の意思があったとするならば、当然四十六年のこの報告の時点ですね、三月か四月かわかりませんが、その時点では、この導入の希望の時期と合わせればDC10しかないのじゃないかというような結論が出るのじゃないかな、私はこう思ったのですが、そういう結論を出されたのかどうか、あるいは、ロッキードがもう少しだ、だから待ってやろうじゃないかというような御報告を出されたのか。その点だけ最後に伺って、終わります。
○江島証人 お答え申し上げます。 これは先ほどの方の質問に重複するかと思うのですけれども、何せワイドボデー、ボーイングの747を含めまして非常に金額が高い。それともう一つ、ちょっと補足説明いたしますけれども、大体メーカーがある飛行機をつくろうといったような場合には、大きないわゆるユーザーですね、そういうふうなところに、今度こういうふうな飛行機をつくるのだけれどもあなたのところはどうだというふうなアプローチがあって、これは大きな会社なんですけれども、そういうふうなところの技術陣あたりとタイアップして、じゃ、われわれとしたら、もしもこういうふうなわれわれのりクワイアメントをやれば、われわれのところでたとえば三十機とか二十機とか大口の注文をいたしましょうという段階と、もう一つは、実際実機ができまして、そこのところでいわゆる飛行特性なり性能あたりを調査してオーダーするのと、それからもう一つは、ほかの会社がその新しい飛行機を買いまして、ある程度の期間を、インターバルを置きまして、そこでたとえば非常に故障が少ないとか、それから何とかかんとかというふうなことで、その時点で買う。大体私は三段階に分かれるのじゃないかと思うのですけれども、今度の場合は、私らとして、航本として、やはりワイドボデーならばワイドボデーがスタートラインに乗ったところで、同じチャンスを与えてわれわれはチェックしたい、こういうふうな考え方でいました。
○庄司委員 終わります。
○田中委員長 林孝矩君。
○林(孝)委員 証人にお伺いいたします。 四十六年に江島証人が団長として訪米された。ダグラス社の工場に行かれたわけでありますけれども、その当時、全日空用の飛行機がすでにつくられていたことを確認されたかどうか、お答え願いたいと思います。
○江島証人 確認していません。
○林(孝)委員 先ほどあなたのお答えの中で、昭和四十六年二月のときにDC10が設計段階にあったというお話をされましたですね。
○江島証人 そう発言したかどうかちょっといまわかりませんけれども、それだったら私、訂正申し上げます。私が第二次で行ったときには、すでにDC10はできまして、テストフライトも重ねまして、あと三、四カ月たてばFAAのライセンスを取り得るというふうな状況、それからトライスターは第二次ではまだ六十時間くらいしかテストフライトをやっていないという状況で、訂正いたします。
○林(孝)委員 DC10の初飛行はいつの時点であったと理解されておりますか。
○江島証人 私のメモにはありますけれども、いまはっきり何月ごろかというふうなことは、ちょっと失念しています。
○林(孝)委員 全日空の内部資料がここにありますので、ちょっと確認をしていただきたいと思うのです。——いま確認をしていただきましたところ、四十五年の八月九日、DC10初飛行ということでございます。 そこでお伺いいたしますが、先ほどお伺いしましたことと関連するわけですけれども、ダグラス社のあるロングビーチ、ここに日本航空の事務所があることを御存じでしょうか。
○江島証人 存じています。
○林(孝)委員 この事務所に駐在員も常駐しておりました。その駐在員が日本航空の東京事務所に報告してきている内容は、すでにその当時全日空用のDC10がつくられていることを知っておるという報告をしているわけです。当時、証人は部長という立場にあられたと思うわけですが、この事実を御存じでしょうか。
○江島証人 お答えします。 いま先生のおっしゃったことは、四十五年の時点でそういうふうな飛行機がつくられているというふうなことですか。——私は四十二年に全日空に入りまして、四十五年はすでにもう日航の籍を実は離れているものですから、存じ上げていません。
○林(孝)委員 あなたは大庭前社長と同じく日航から全日空に入社されたわけですが、全日空入社後、日本航空の人たちと関係をお持ちになっておりましたでしょうか。
○江島証人 お答えします。 大いに関係していました。
○林(孝)委員 四十四年当時、日本航空の松尾社長がダグラスDC10に決める機材計画について、あなたは日航出身であるという関係から、松尾さんから聞かれたことがありますか。
○江島証人 そういうふうな機会はなかったと思います。
○林(孝)委員 あなたは、大庭前社長がダグラスのオプションをしていたこと、このことについて日本航空の人たちから聞いたことはございませんか。
○江島証人 お答えします。 日本航空と限定ではなくて、何かしらぬそういうふうなうわさが四十五年の三、四月ごろですか、そういうふうなことをちょっと耳にしていて、まさか、こう思っていました。
○林(孝)委員 四十五年の三月ないし四月ごろに、大庭前社長がダグラスとオプションをしているということを聞いたといういまの証言でありますけれども、だれからどういう状況のときにお聞きになったか、思い出していただけますか。
○江島証人 お答えします。 大庭さんがオプション云々でなくて、日航関係者か何か私わかりませんけれども、とにかくDC10が何かそういうふうな目的のためにつくられているというふうなうわさを聞きましたけれども、これをもう少し私ははっきりさせるために、ちょっと説明してよろしいでしょうか。——実は私、御承知のように、大庭前社長と一緒に日本航空から四十二年に入社いたしまして、このワイドボデーに関する問題で四十五年の一月九日に第一回目の新機種選定準備委員会というふうなものができまして、それから二月の何日かに第一回目の調査団の派遣がありましたけれども、その間、本社だったか羽田サイド——実は私はいつも大体羽田サイドに常駐しているものでございますけれども、何らかの会合の席上で、その当時の大庭社長の方から、まあ第一次の調査団が出ていく、そういうふうな場合にはいわゆる色めがねで見るな、公平な目で見ろというふうな言葉の御注意があったのですけれども、実は私は、この公平に見ろというふうな言葉は、私も大庭さんも、日本航空時代に、コンベア880という飛行機、これとそれからボーイング720だったと思いますけれども、日航におけるいわゆる中距離旅客機、このときのサーベイチーム、調査団の一員として私は加わりましたけれども、そのとき大庭さんが日本航空では航整本部長でございまして、そのときの訓示にやはり同じ言葉があったわけなんでございます。それで今度は全日空に参りまして、第一次の調査団の出発前だったと思うのですけれども、場所ははっきりしませんけれども、そのお言葉を聞いたものですから、私そのときに、あ、これは一回コンベア880の調査団のときにもやはり大庭さんの方からそういうふうな御注意があったというふうなので、非常に私は記憶がはっきりしている次第でございます。 それで、今度は先ほどの御質問に戻りますけれども、たしかそういうふうなのが、四十五年の三月か四月かわからぬけれども、どこからともなく、何かしらぬ全日空向けにDC10あたりがつくられているらしいというふうなうわさを聞きましたけれども、その当時は、私、大庭さんの言葉が耳にこびりついているものですから、まさか、大庭さんがあれだけわれわれにたしなめられるというふうなことで、私自身は大庭さんの言を信用して一笑に付していました。
○林(孝)委員 もう一歩進めて、今度は乗員訓練計画等で、大庭前社長から四十四年当時に、四十五年、四十六年の二年間にわたって、大阪、アメリカ、イギリス、この三カ所で乗員の訓練をする計画が発表されて、それを実施された事実があるかどうか。それから、この乗員計画がパイロットを増員して四十七年DC10を導入したときに対応するための計画である、こういうことについて、大庭さん直接か、あるいはこうした運航計画について間接的か、証人がお聞きになったことがございますか。
○江島証人 あるかと思います。
○林(孝)委員 いま二つ聞いたわけですけれども、最初の方の訓練をした事実についてはどうでしょうか。
○江島証人 これはあります。これは日本の方でジェット機の訓練というふうなのがなかなかむずかしいものですから、やはり外国、ついさっきまでは実はアメリカサイドのPSAというふうな会社でやるし、そのほかにPSAでまた本当の初期の訓練、これもPSAにお願いしてやった事実があります。
○林(孝)委員 最後に、いま肯定された二問目の質問に対してですけれども、大庭さん直接か、あるいは間接的にという質問を申し上げたわけです。いま証人から、ありますということだけだったわけですけれども、どういう形で運航計画、DC10四十七年導入のための運航計画であるということを認識されたのかお伺いして、終わりたいと思います。
○江島証人 お答えします。 先生のおっしゃっておるいまのこと、ちょっとどういうふうな意味か、私、真意はかりかねますけれども……。
○林(孝)委員 じゃ、もう一度。乗員の訓練計画等に関して、四十七年DC10導入のための訓練計画である、こうしたことについて、大庭前社長から直接聞かれたのか、あるいは間接的に聞かれたのか、その点についてもう少し詳しくお伺いしたい。 といいますのは、これが乗員訓練計画、実際に行われたという事実をお認めになったわけです。そのことがDC10導入のためのものであるということもお認めになった。それは一体どういう形で認識されたのか、こういうことなんです。
○江島証人 お答えします。 先生のおっしゃるいわゆる四十七年のDC10導入のための訓練計画というふうなことよりも、その当時、いわゆる何と申しますか、世間の景気もだんだん上昇いたしまして、増機——ほかのたとえば、そのときにはまだボーイング737は入ってなかったかと思うのですけれども、ボーイング727の増機というふうなことで、いわゆる将来のワイドボデーの飛行機のための訓練というふうなものに対しては、やはりその次のもう一段落下と申しますか、そういうふうなところのパイロットの訓練をして増員を図っておくという、それは将来のためにというふうな意味合いのもとに、アメリカサイドでそういうふうな訓練をするというふうに私は解釈しています。
○林(孝)委員 終わります。
○田中委員長 永末英一君。
○永末委員 江島さんは、大庭さんとともに長い間日航におられて、それからほとんど時期を同じくして全日空に移られた。親しい間柄ですか。
○江島証人 おっしゃるとおりに、私、日本航空でも御一緒したし、それから全日空に入社も、もう一人の方、森村さん、三人で入りまして、親しいというのが、どういうふうな意味合いでおっしゃったかわかりませんけれども、少なくとも、おい、おまえというふうな言葉で、私の方に何だかんだ持ちかけられるというふうな間柄でございました。
○永末委員 本委員会に、また前の予算委員会に大庭さんが来て証言されておる中から、私、判断いたしますのに、きわめて全日空の仕事の中で社長として、いまあなたの言葉をかりますと、ワイドボデーの航空機の導入について熱心に考えておられたと思います。したがって、親しいというのは、いわばおい、おまえでございますから、ざっくばらんに大庭さんが自分の考え方について、特に操縦の最高責任者であるあなたにいろいろとお話があったのではないかと思いますが、ございましたか。
○江島証人 ワイドボデーについて大庭さんからそういうふうな話はありませんでした。
○永末委員 恐らく、そういうあなたも仕事に御熱心な方だと思いますし、仕事について、新しく全日空に移籍をされ、そしてともに、言うならば新しい職場ですから、昔からの知り合いというものは仕事上のことについてお話があると思いますが、大庭さんとの話の中で、どんなことが四十四年ないし四十五年当時話題になっておったのですか。
○江島証人 お答えします。 私たちが一緒に全日空に入社いたしましたのは四十二年でございます。実は四十一年に全日空で大きな事故を二回起こしまして、いわゆる当時日本航空の社長であった松尾さんの方からと、それから当時全日空で運航担当をやっておられるわれわれの大先輩鳥居専務さんがいらっしゃって、両方の方で、実は来いというふうなこと。それから松尾社長の方からは、おまえ行って技術指導をせいというふうなことで行きまして、四十二年から実は四十三年にかけまして、全日空の中の運航関係の、たとえばオペレーションマニュアルあたりの改定とかなんとかで一生懸命やりまして、そういうふうなときには、そういうふうな改修のたびに御相談申し上げたり、それからもう一つ大庭さんは、ひとつ実はティスパッチャー——ディスバッチャーと申しますと地上運航管理者、これは国家のライセンスが要るのでございますけれども、これに非常に熱心でございまして、言うならばこのディスバッチャーというのは、クルー、いわゆる乗務員がたとえばフライトで出てくる前に、天候なりそのフライトプランあたりを作成して、密接な関係をとって、言うならば乗員のバックアップをするというふうなこのディスバッチャー関係の組織なり、それから運営あたりについて非常に御熱心で、これには私らもいつも引きずられてまいった次第でございます。 それから先ほどの、おい、おまえというふうな仲でございましたけれども、やはり四十二年に入ってその以後、昭和四十四年、大庭社長におなりになったのですけれども、その時点でやはり小さいミスはときどきあります。そういうふうな場合には、もうまず私が常務会あたりでぼろくそに言われるわけなのです。なっちょらぬじゃないかというふうなところで、私の方は平身低頭して、その善後策あたりをるる説明してお許しを願うというふうなことでございましたけれども、これが陰に回っては、大庭さんが、おい、ちょっと来い、おまえを名指しでぼろくそに言ったんだけれども、あれはほかの役員とかほかの部長あたりに、この運航の厳しさ、これを言わんためにおまえをぼろくそに言ったんだ、勘弁せい、その程度の仲間でございます。
○永末委員 大庭社長が社長になられてすぐ、四十四年の七月からこの新しいエアバス導入問題が、日航の松尾社長との関連において発生をいたしておることがいま判明しておるわけです。したがって、その四十四年の七月以降大庭社長がやめられるまで、あなたの言葉で言えばワイドボデー、エアバス、これについての話し合いは一切ございませんか。
○江島証人 ありませんでした。
○永末委員 四十五年の二月に若狭団長の第一次調査団が出ました。そのときには、全日空といたしましては、四十七年の四月にエアバスを導入するということが会社としては決まっておりました。あなたはその準備をしておられたと思いますが、その当時、全然相手方に、試乗すべき、テストフライトをすべき飛行機はないのに、あなたはそのときに四十七年四月に導入できるとお考えでしたか。
○江島証人 ちょっと、まだワイドボデーはできない時点ではないか、こう思いました。
○永末委員 第一次調査団長の若狭氏は、ダグラス社につきましては、会社、調査団の計画としましては二月十日、十一、十二日ですが、十一日の一一日だけ参加をされて、十日、十二日は参加をされなかったということが記録に明らかでございまして、その理由についてあなたは何か聞きましたか。
○江島証人 聞いていません。
○永末委員 あなたは、第二次、第三次と調査団長で行かれました。先ほど、大庭社長が、公平にやってこい、こう言われた、これを伺ったのでありますが、やはり公平に各社を団長としては自分の目で確かめる必要がある。ダグラス社だけ手を抜くということは、団長としていい姿勢だと思いますか。
○江島証人 思いません。
○永末委員 第二回の団長として行かれましたときには、その行く前にこのロッキードの一〇一一という飛行機はまだフルに運転できる状態ではないということを知っておられましたか。
○江島証人 知っていました。
○永末委員 にもかかわらず出発をされたというのは、初めからこの調査団はもう一度やらなければならぬのだということが前提でございますか。どういう時期設定で、採用に対してはどの程度のところで結論が出せるという考えで行かれたのですか。
○江島証人 やはり両社がフルパワーを引けるといったようなところでわれわれははっきりしたいわゆる結論を出す、こういうふうな考えで参りました。
○永末委員 しかし、行く前に、すでにフルパワーは出せないということであり、同時に出発直前、二月四日、エンジンを製造しているロールスロイスの倒産が、すでに全日空としては知っておられた、そうしますと、この調査団は公平にやれないということをあらかじめ承知の上で出かけられましたか。
○江島証人 飛行の性能的なものに関しては確かにそう言えるかと思うのですけれど、いわゆる操縦性、いわゆるパイロットのフィーリング、これはたとえばフルパワーを引けなくても大体のところがわかるか、こう思って第二次で行った次第でございます。
○永末委員 この調査団の出発前に、あなたは団長として、すでに運輸省あたりから、時期、この大型エアバスの導入はもう延ばすのだ、そして会社の、あなたを含めて、あるいはあなたは外れてかわかりませんが、会社としては、四十九年度ぐらいが望ましいという意思決定を一応内々しておったということを知って出発されましたか。
○江島証人 その点は実は知りませんでした。大体私が第二次で行ったのが二月でございまして、それから何か大臣の方からの通達ですか、それによって大体四十九年延期というようなのが、たしか私の記憶ではその二月ごろに行われたかと思うのですけれど、ちょうど同じ、同時期ぐらいじゃなかったかと思います。
○永末委員 あなたの御出発になったのは二月二十四日でございますので、それ以前にそういうような動きがあったのではないか。つまり、調査団としては、自分が調査をしてきて、帰ってきてどういう準備をするかということが、言うならば任務でございますから、導入時期というものは重要な一つの目的に入っているはずだ。そのことをあなたは打ち合わせて出発されるべきであります。ところが、その二月に運輸省から、いまのような導入時期の延期ということに対して全日空はどう対処するかということが問われ、全日空としては四十九年が望ましいと返事をしておるということが当委員会で証言されておるわけでございまして、団長のあなたに知らさぬのですか、御存じだったのですか。もう一遍思い返してお答え願いたい。
○江島証人 私の方にも言われたかもしれませんけれども、ちょっといまは記憶にありません。
○永末委員 調査に行かれまして、あなたは日航出身でございますから、ロングビーチの日航の駐在員はあなたに会いに参りましたか。
○江島証人 ちょっと記憶ありません。
○永末委員 そのときに、会社、製造場もごらんになったと思いますが、全日空向けのDC10がラインに並んでおることを、あなた、あるいはあなた以外の人が、見たり聞いたりしたことはございませんか。
○江島証人 お答えします。 先ほども申しましたように、実はそういうふうなことがわれわれには何にも聞かされない、第三次も含めまして何にもなかった、どうしてだろうと、いまもって私、不思議に思っています。
○永末委員 終わります。
○田中委員長 これにて江島証人に対する発言はすべて終わりました。 この際、証人にごあいさつを申し上げます。 長時間御苦労さまでした。ありがとう。 この際、暫時休憩にいたします。 午後五時四十八分休憩 ————◇————— 〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕