ロッキード問題に関する調査特別委員会 第8号
- 発言数
- 601 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1976/06/16
会議録
○田中委員長 これより会議を開きます。 ロッキード問題に関する件について渡辺尚次君より証言を求めることといたします。 証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。 昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないこととなっております。 宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときであります。また、医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときにも証言を拒むことができるようになっております。 しかして、証人が正当な理由なくして宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときには三月以上十年以下の懲役に処せられることとなっております。 一応このことを御承知になっておいていただきたいと存じます。 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。全員起立。 〔総員起立〕
○田中委員長 それでは、渡辺尚次君、宣誓書を朗読してください。
○渡辺証人 宣誓書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います 昭和五十一年六月十六日 渡辺 尚次
○田中委員長 それに署名してください。 〔証人、宣誓書に署名捺印〕
○田中委員長 御着席を願います。 これより証言を求めますが、証人は、証言を求められた範囲を越えないこと、また、御発言の際は、その都度委員長の許可を得て発言をされるようにお願いいたします。 なお、こちらから質問をしておるときには着席のままで結構でありますが、お答えの際は必ず起立して発言をしてください。 なお、委員各位に申し上げます。本日は、申し合わせの時間内でロッキード問題に関する重要な問題について証人より証言を求めることでありますから、不規則な発言、議事の進行を妨げるような言動のないように、特にお願い申し上げます。 なお、本日は、特に各党持ち時間を厳守していただきますように、この機会にお願いを申し上げておきます。 —————————————
○田中委員長 これより証人に対して証言を求めます。 まず、委員長より所要の事項についてお尋ねをしておきます。その後、各位の御発言を願うことにいたします。 まず、あなたは渡辺尚次君ですね。
○渡辺証人 はい。
○田中委員長 御住所、職業、生年月日、この三つを述べてください。
○渡辺証人 住所は横浜市磯子区洋光台四丁目十四の十五、大正三年七月十日生まれ、職業は全日本空輸株式会社代表取締役副社長でございます。
○田中委員長 発言の申し出があります。順次これを許します。まず、山崎拓君。
○山崎(拓)委員 渡辺証人に質問いたします。 貴社の若狭社長が衆議院予算委員会において偽証の疑いをもって告発を受けつつあるわけでございますが、こういう事態は、去る三月一日の衆議院予算委員会における若狭、大庭両氏の証言に食い違いがあったために生じたものであります。食い違いのあった点は、若狭社長が、大庭前社長の行ったとされておりますダグラス社とのオプション契約について引き継ぎを受けていたのかどうか、またオプション契約の存在について知っておられたのかどうかという点にあるわけです。したがいまして、当時、専務であり現副社長のあなたが、その間の経緯につきまして一番よく御存じだと考えるわけでございますが、まず、お伺いをいたしますのは、どちらの証言が正しいと考えておられますのか、率直に正直に御答弁をいただきたいと思います。
○渡辺証人 私は若狭社長の証言が正しいと信じております。
○山崎(拓)委員 先日、六月九日の当委員会におきます石黒証人の証言によりますと、日航がエアバスの機種決定を無期延期した直後、大庭氏から電話がかかって、納期の一番早いDC10を全日空で買いたいのでオプションしてほしい、ダグラス社の人との会見をアレンジしてほしいと依頼され、昭和四十四年七月二十九日、三井物産社長室において若杉、石黒、大庭、ダグラス社マクゴーウェン社長外二名、計六名の方の出席の会合がセットされ、その折、大庭氏の口頭依頼により三井物産とダグラス社との間で契約行為があったとのことであります。この事実を知っておられますか。
○渡辺証人 私は、石黒さんが、この前国会で証言されたまで全然この事実は知りませんでございました。
○山崎(拓)委員 石黒証言の詳細についてはお読みと思いますが、確定契約三機、オプション四機、計七機にかかわるレター・オブ・インデント、発注内示書に若杉社長が大庭氏にかわってサインをされたということであります。大庭氏がサインをしなかったのは、輸入許可や外貨割り当て等の政府の認可を得ていないので、全日空が契約の当事者になれないという理由であったとのことですが、すなわち契約は米国三井とダグラス社との間で行われたということでございます。 そこで、お伺いしたいのは、政府の認可がなければ航空会社は外国の航空機製造会社との間で購入契約ができないのですか、その点についてお伺いします。
○渡辺証人 私、契約担当でございませんので、詳細なことはわかりませんけれども、全日空がいままでやってきた契約は、政府の許可、そういうようなものは現実に受けない時点におきまして契約を行いまして、ただ、契約の条件といたしまして、政府の許可が受けられないときはこの契約は成り立たない、こういう条件をつけまして、許可以前に、いままでやってきた契約は、ほとんど全部そういう契約でやってきております。
○山崎(拓)委員 ただいまの証言によりますと、メーカーとユーザーとの間で直接、契約ができるということであります。のみならず、いままでは全部それでやってきた。すなわち、それが通常であるということになるわけでありますが、それにもかかわらず、代理店とメーカー間の契約となったということは異例のことであります。 それはなぜであるのかという点についてお伺いしたいわけでありますが、すなわち、この当時の社長であった大庭氏がサインをしなかったわけでありまして、その点がなぜであるか、非常に疑問に感ずるわけであります。私どもが考えますに、そのことは三井物産の単なる思惑買いにすぎなかったのか、あるいは大庭氏が社内手続を踏んでおらず、独断専行の行為であったためのちゅうちょとも思われるわけでありますが、あるいはその他の事情があったのか、そういう点について証人の御見解を聞きたいと思います。
○渡辺証人 これは、まことに私ども異例なことと考えておりまして、おっしゃるような事情があったかどうか、私どもも、この間までは全然そういう事実を知りませんでしたので、いまもって全くこれは考えられないことである、一体どういう事情があったのだろうかということは全く考えられません。いまでもそういうふうに思っております。
○山崎(拓)委員 さらに大庭氏は、三月一日の予算委員会におきます証言におきまして、四十五年三月ごろオプション契約をしたと言っておられます。また五月八日付の読売新聞の記事を読みますと、四十四年七月段階は「三井物産との契約だった。その後、メーカーと正式契約をしてほしいということなので、四十五年三月に三井物産の立ち会いでダグラス社と、さらに一機加えて三機のオプション契約をした」と話しておられるのであります。 一方、六月九日の当委員会におきます石黒証言によりますと、先ほど申し上げておりますように四十四年七月二十九日、三井物産社長室でオプション契約あるいは確定契約をやった。四十五年二月、ダグラス社の要求によりまして三井物産は正式なコントラクトをやったということであります。このコントラクトや前金支払い等、三井物産が何かをやります際には、必ず大庭社長の同意を得ておった、この行為についても同意を得ておった、こういう証言でありました。 それから、さらに四十五年三月もしくは四月ごろ、全日空大庭社長、三井物産若杉社長、担当常務、ダグラス社のマクゴーウェン社長外計八名によりまして会合を開き、ダグラス社のマクゴーウェン社長は大庭社長に対し、政府の許可、正式注文等はいつごろになるのかと問いただしたそうでありますが、これに対しまして大庭社長は、四十五年九月ごろまでにはオーケーをとる、心配するなという発言をされた、こういう趣旨の証言があったわけであります。 そこで、この石黒証言と大庭証言とは明らかに食い違っておりまして、どちらかが偽証したということになるわけでございますが、渡辺証人はいかが考えられますか。
○渡辺証人 私は、大庭さんの御証言とかあるいは石黒さんの御証言、これを聞いて、ただただ、そういう事実を初めてそこで聞かされて、びっくりしている状態でございまして、どういうことでそういうことになったか、どちらが言っているのが本当かということを、私は立ち会ったわけでもございませんし、全くいまのところわかっておりません。
○山崎(拓)委員 こういう重大な事実が、当時の専務であった渡辺証人も御存じない。あるいは社内の経営陣も、だれにも知らせてなかった。こういうことが今日まで言われておるわけでありますが、全く不思議なことであります。 また、三月一日の予算委員会におきまして、わが党の松永委員の質問に答えて、DC10が望ましいということは常務会で常時、話をしていたと大庭証人は証言しておられるわけです。この点については本当でありますか。常務会の記録が残っているはずでありますが、常務会の記録ではどうなっているのか。あるいは当時から経営陣におられました渡辺証人の今日までの記憶では、どうなっていますか。
○渡辺証人 常務会の正式の議事録というようなものはございません。単なる常務会のメモというものを、出席した幹事がとっておったことは知っておりますが、それは現在、私の聞いたところでは、二月ごろに検察庁に提出いたしまして会社に残っておらぬ。私、実はそれに目を通したこともございません。 それから、大庭さんが常時、常務会でそういう発言をされたということでございますけれども、私の記憶に関する限りにおきましては、そういうことはなかったと考えております。
○山崎(拓)委員 そういたしますと、この大庭証言は偽証ということになります。また、記録が残ってないということでありますが、これは司直の手に渡っておる、そういうことでありますから、やがて明らかになることだと思うのです。 さらに、もう一点お伺いしたいのですが、大庭氏は、社長退任を決意した五月二十九日にDC10の引き継ぎをしたと証言しておられるわけです。この引き継ぎをした時点におきまして、渡辺証人も大庭、若狭の引き継ぎの場面に同席をされたということでありますが、そのときの状況を話していただきたいと思います。
○渡辺証人 それは昭和四十五年の五月の二十九日のことだったと思っておりますが、夕方、大庭社長室に当時の若狭副社長が呼ばれまして、すぐに私も呼ばれまして入ってまいりました。それで、大庭さんを中心にしまして若狭さんと私、座ったわけでございますが、そのとき大庭さんから、実は明日、株主総会、これを控えておったわけでございますが、きょう松尾さんともいろいろ相談した結果、株主総会終わったら社長をやめることにいたしました。ついては明日の株主総会は若狭君にひとつやってもらいたいというお話が突然ございまして、若狭さんも非常にびっくりいたしまして、まあ、そんな急に、そういうことを言われなくてもいいじゃありませんかということを申し上げたところが、いや、これは松尾さんとも十分相談した上のことであるから、ぜひ、あした君にやってもらいたい。そこで若狭さんから、どうしてもおやめになるということならしようがありませんけれども、もしおやめになるのであれば、相談役とかあるいは顧問というような形で、ぜひお残りいただきたいというようなことを申したことを記憶しております。ただ、そのとき大庭さんは、いや、私は今度は日本航空とかあるいは全日空とか、いわゆる、いままの航空生活から一切足を切るつもりである、したがって、そういうようなことはしないつもりである、きょうは非常に頭が混乱しているので、これで帰りたいから、ひとつ、あしたのことはくれぐれもよろしく頼みたいということで、お帰りになった。そういうふうに私は記憶いたしております。
○山崎(拓)委員 そうなりますと、引き継ぎはなかったという証言であります。先ほどの質問も同じでありますが、渡辺証人か大庭氏の、いずれかが偽証しているということになるわけでありますが、大庭証人が偽証をされたというふうにお考えですか。
○渡辺証人 私は、大庭さんから、その日に引き継ぎを受けたという記憶は全くございません。
○山崎(拓)委員 次に、機種選定の経過について、これが疑惑の中心点でありますが、お伺いいたします。 新機種選定準備委員会が社内に設けられた経緯につきまして簡潔に話してください。
○渡辺証人 新機種選定準備委員会は多分昭和四十四年の十二月だと思いますけれども、大庭社長が言い出されまして、これから新機種を入れなければいかぬ、これは社内で皆、研究をして決めなければいかぬ問題であるから、こういう委員会をつくりたいということを社長が言われまして、それで、その後、常務会にかけまして、正式には昭和四十五年の一月七日だと思いますが、発足いたしたわけでございます。
○山崎(拓)委員 そういたしますと、大庭社長の発案によって新機種準備委員会ができたということになりますか。
○渡辺証人 そのように記憶しております。
○山崎(拓)委員 大庭社長の発案によって、昭和四十五年一月九日にこの新機種選定準備委員会が設けられたということでありますが、前年の昭和四十四年七月二十九日、大庭氏は三井、ダグラス間の確定契約を口頭で依頼し、立ち会っておられるわけです。すでにこのダグラス購入の社長の方針は決定したというわけであります。石黒証人の証言が間違いないとするならば。したがって、この新機種選定準備委員会を設けること自体が無意味であります。また、そういうことからいきますと、この準備委員会を大庭社長の発案によって設けたということは、みずからの独断専行をごまかすためのカムフラージュだったのか、そういうふうにも考えられますし、また四十四年七月二十九日の確定契約、石黒証人の証言が正しいとするならば、単なる三井物産の思惑買いにすぎなかったのかどうか、そういう疑惑が生じるわけであります。加えて第一次調査団帰国直後に、みずからオプション契約にサインしていたという証言をなさっておられるわけでありますが、そういうことを検討してまいりますと、新機種選定準備委員会の存在、活動は、大庭社長が存在する限りにおいて茶番にすぎなかった、こういうことになるわけでありますが、当時の専務として、どうお考えでございますか。
○渡辺証人 私は前回の国会証言でも申し上げましたけれども、将来の社運をかけたような新機種の選定、これにいわゆる会社の総力を挙げて真剣に取り組んでいくということでスタートしまして、各委員が本当にまじめに検討を重ねてきたわけでございます。それが最近になりまして、そういうようなことがあったというようなことを聞かされまして、全く泣くに泣けないような気持ちでいっぱいでございます。
○山崎(拓)委員 機種選定に関する石黒証言によりますと、昭和四十七年五、六、七月のDC10の連続事故があるまでは、全日空は三井物産の子会社でもあり、九九%DC10を採用すると思っていたとの証言があったわけでございますが、この点についてお伺いしますけれども、全日空は三井の子会社ですか。 それからDC10の連続事故は機種選定を左右したのかどうか、この点についてお伺いいたします。
○渡辺証人 三井物産が全日空の株をお持ちになって、大株主でございますけれども、その持ち株の比率は恐らく当時、多分せいぜい五%内外であったと思います。会社をつくるのには、やはり、いろいろ御協力いただきましたけれども、子会社とかなんとか、そういうものでは全くございません。御協力はいただいておりますが、子会社ではございません。 それから連続事故、これは、いろいろ準備委員会で調査検討を重ねてまいりまして、それは個人個人につきましては、いろいろな意見を持っておった人がおると思いますけれども、委員会全体の調査の結果としては、あれは昭和四十七年の三月に大体調査委員会の一応の報告をまとめまして、それで社長に報告書を出した。その後、重ねて調査団を二回ほど出しまして、飛行機に実際乗らしたり、いろいろ現地で調査をさせまして、その上ダグラスとロッキード両方がこの飛行機を日本に持ってまいりましてデモフライトをした、そういう報告をまとめまして、大体八月末にまとめた報告を社長にしております。これが準備委員会としては大体、最終の報告になったわけでございますが、その段階で、少なくとも三月にまとめた報告書を出しました時点では、やはり一長一短各機種にあるということで、どれが決定的にいいというような意見は出ておりませんでした、いろんな御意見はありましたが。 しかし、そういう後におきまして、四十七年の五月、六月、七月、こういうときに毎月連続いたしまして、最初は、やはりアメリカでDC10のセンターエンジンの後部が脱落する。それからその六月には貨物ドアがやはり脱落しまして、これは床が抜けて操縦索がまさに切れそうになって大事故になる直前であった。それから七月には、またセンターエンジンがロサンゼルス離陸後に脱落したというようなことが起こりまして、その当時から、実は私の方の主として整備とか運航とか、そういう技術方面が非常にその安全性につきまして心配いたしまして、要するに、最終的な詰めの段階に、この三回の連続事故というものが相当大きな影響を持ったということは、私は間違いないと思っております。
○山崎(拓)委員 次に、運輸省の大型機導入に関する時期の延期指導が、行政指導が疑惑を持たれておるわけでございますので、この点に関して御質問をしたいと思います。 六月十日の朝日新聞の記事を引用いたしますと、石黒証人の証言に関する部分でございますが、三井物産は、やがて、この確定発注をした六機について四十六年五月に転売を図り「米国の定期航空、リース会社数社に当たった。米国での引き受け手が見つからずヨーロッパ、中東に転じて、英国のレーカー社、トルコ航空との契約が決まったのが四十七年六月と九月、」こういうことであります。その後このトルコ航空がDC10のパリにおける大事故を起こしておるわけでありますが、さらに「三井物産は、転売の理由として「全日空の四十七年後半導入がムリになったから」と説明しているが、転売を決意した四十六年五月時点では、全日空は「エアバス導入は四十九年以後」を主張していたものの、日航はジャンボLR機の四十七年国内線転用を譲らずに対立、運輸省が同年二月に出した行政指導も「延期が望ましい」というだけで、時期は明らかにしていない。三井物産が「エアバスの四十七年導入はムリ」と判断した裏には、全日空からの強い意思表示があったと見られる。運輸省はその後、四十七年七月になって全日空の主張通り「四十九年度導入」を打ち出したが、この一連の運輸行政の裏には、全日空の意向が投影されていなかったか。」こういう新聞記事でございます。 そこで、これに関連をいたしまして指摘をしたいわけでございますが、昭和四十六年七月二十日付の全日空経営システム開発本部が出しました副社長講話というパンフレットの中で渡辺証人がお話をされておるわけでございます。その御発言の一部をここで引用いたしますと「つい最近になって日航は運輸省、全日空に対して来春からジャンボを国内線に使いたいと言ってきました。わが社は需要供給の面から四十七年度から大型機を導入することには反対であると運輸省や日航に申入れておりますが、今后、どのようになるか今のところ予断を許しません。」云々と、こういうふうになっておるわけであります。そこで渡辺証人もこういうことを言っておられるわけでありますし、この新聞記事が、全日空がジャンボの国内線転用について反対しておったということだけはみずからもお認めになっておる、間違いない、こういうことでございました。その点について、このことが行政指導に大きく影響したということでありますが、どうして、この日航のジャンボの国内転用について、あるいはエアバス導入時期の延期について強く主張されたのか、その理由を話してください。
○渡辺証人 この四十七年の四月から大型機がやはり国内線にも必要じゃないだろうかということは、実は四十四年とか四十三年ごろのお客の伸びが非常に多くなったものですから、日本航空でも全日空でも一応その当時そういう計画はしておったわけです。しかし、日本航空は、その後エアバスについては、これは何か一応すぐに採用することはやめて白紙還元する、こういうようなお話だったのが一転しまして、従来、国際線に使っていた飛行機を国内線に転用する、こういうような話をし始めたわけでございます。私どもは、私は特に航空のことは何にもわかりませんけれども、日本の民間航空が再開しましてから、その末端に連なりまして、まあ、むずかしいことはわかりませんが、身をもってこの日本の民間航空でいろいろ仕事をやらしていただいてきたわけです。その間、日本航空が、日本航空株式会社法という法律によりまして政府からいろいろな支援を受けまして、まあ非常に健全に成長してきた。これは非常に結構でございますが、それと同時に、純然たる民間航空というのは非常に、もう血の出るような苦労をいたしまして、徐々に発展を遂げてきた。その間におきまして日本航空が、国際線で入れた飛行機を、ときどき御自分の方の都合のいいときに国内線に転用してくる。こういうことでは、これはいわば官業に近い、いろいろ手厚い保護を受けている会社が、純然たる素手の民間事業と公平な競争ということは、こういうことは許されない。本当に日航は国内線専用の飛行機を初めから計画して使うなら、これはまあ文句も言いませんが、国際線で入れた飛行機を都合のいいときに国内線に転用する。これは過去において程度の差はございますけれども、いろいろつらい思いをしてまいりましたので、そういう身勝手なことはやめていただきたい、これでは官業と民業というものは、いつまでたっても適正な競争はできないというようなことで、私どもは、そういう面から、この国際線の飛行機を簡単に転用することに反対いたしました。 また、当時といたしましては四十四年とか四十三年、非常に旅客が伸びてきたわけでございますが、簡単に申しますと、たとえば四十五年の三月から九月、これは万博の期間でございますが、大体毎月、対前年の同月比を調べますと一五〇%近く伸びてきたわけです。これが四十五年の十月過ぎますと、一挙にその伸び率が、対前年度同月が一二〇%台に鈍化してきているわけです。そういう傾向が、この十月以降、四十六年に入りましても続いてまいりましたので、こういうような状態のときに国際線用ジャンボが入り、また私どもが無理をして大型機を入れると、これはお互いに非常に無理ができ、供給過剰になり、経営を圧迫する、そういうようなことで、これはやはり、よほど考えなきゃいかぬというようなことを考えていたわけです。 そういうときに、四十六年の二月ごろになりまして航空局の方から、役所で調べてみると、どうしても供給過剰というおそれがある、お互いによく相談をして、役所のいろいろ計算いたしたところによると、大型機は四十九年くらいから入れたらいいのじゃないかと思うけれども、まあ、ひとつ両社で一遍よく相談をして検討してもらいたい、こういうようなお話がございました。私どもは、まあ、これには大体、かねて考えていた需要が非常に鈍化してきた、それから日本航空がそういう無理な入れ方をするには、どうも公正な競争ができないというような立場もございましたので、私どもは、それはまあ大体結構でございますけれども、日本航空さんともよく相談いたしますということで、いろいろ相談をしてきたのが実情でございます。
○山崎(拓)委員 わが党の箕輪委員の質問がございますので、最後に一つだけお伺いしておきますが、週刊誌によれば、いわゆるM資金について、鈴木明良があなたの部屋にいて、長谷村顧問が入ると、君はおれのじゃまをするのかと怒声を上げたという記事がございますが、あなたはM資金にタッチしておられたのですか。また、全日空におけるM資金の問題の事情について明確にしてもらいたいと思います。
○渡辺証人 ただいまのお話は全く心外な話でございまして、全日空は当時、金は要りますけれども、従来、飛行機は、アメリカの輸出入銀行で応援もしてくれていますし、また国内の銀行でもいろいろ応援してくれていまして、何もやみ金融、そういうようなものを通して資金を調達するような必要は何もなかったわけでございます。したがいまして、会社としては、だれもそんなことを考えたことはございません。 ただ、私が、たまたま秘書室とか総務を担当しておりましたところが、多分四十四年の十月の初めごろだったと思いますけれども、築地の警察から会社あてに照会文書が来まして、全日空の大庭社長と長谷村何がしかの名前で三千億を鈴木明良という人に融資を申し込みをした事実があるかどうか、また、これによって被害を受けているかどうか。こういうような文書が来たわけです。それで当時、経理部長がびっくりしまして、経理担当の専務にも見せ、これもびっくりして私のところへ来た。私もびっくりして、当時の若狭副社長に何か御存じですか、全く知らぬ。そこで若狭副社長と私が大庭さんのところへ行きまして、警察からこういう文書が来ているが、何か御存じですかと聞きましたら、これは私はこの間、申し込んだ、しかし、これについては途中で話がおかしいので、この話は、もう取り下げにして、円満解決をしたから、何も心配はない、こういうお話でございました。 それで私は安心していたわけですけれども、そのときに長谷村君に何か、こういうことで知っていることがあるかと聞きましたら、長谷村君が、当時、自分のところに何人か、そういう話が来ました、しかし、自分はいやしくも銀行出身であるから、そういうようなばかな話がどうかということはすぐわかる、だから、二つ三つ話はあったけれども、みんな断りました、それから大庭さんからこの前やはり御相談を受けたので、そういうばかなことはおやめなさいと言って、とどめました、したがって、私は何にもこんなこと関係しておりませんという話だったわけでございますが、その後、秘書室長が私のところに来まして、最近、社長のところへ、えたいのわからぬような人がしょっちゅう会いに来る、それで社長は、そういうことになりますと、居留守を使ったり、あるいは長谷村君に会えというようなことで、非常に何か困っているような様子だ。それで何か様子がおかしいのだけれども、これはどういうことでしょうかというので、私も重ねて大庭社長に、あなた、この前、解決したとおっしゃっているけれども、何か御心配あるんじゃないでしょうかと、すると、いや、これはもうみんな解決しているし、まあ、若干問題はあっても、自分がこれは独断でやったことであるから、自分で責任を持って解決するから、まあ、あなた方、何も関係しないでください、こういうようなお話ございました。 ところが、それから幾日かたちまして秘書室長が、いま一人また社長のところに会いに来ています。これは鈴木という人です。最初この人に社長は会ったのだけれども、その後この人が来ると社長は逃げ回っている。どうしましょうかというので私のところに相談に来たわけです。私は、社長が、いろいろ聞いても何にも言わない。しかし、いろんな人が来て秘書室で困っているということだものですから、当時の経理担当の鈴木専務と一緒に、その鈴木という人に会いまして、どういうことですかと聞きましたところが、実は大庭さんと長谷村君から頼まれて三千億を、いろいろ奔走した、ところが自分たち以外にも、いろいろな人にまた話を頼んでいるので、この話は一応御破算になった、しかし今度、自分だけを通して申し込んでくれれば、アメリカの方が金を貸すと言っているので、あと一回申し込みしませんか、こういうようなお話でございました。そこで鈴木専務と私は、全日空はそういうような金は必要ない、ほかで都合できるので、そういうような申し込みをする気持ちは全くありませんということで帰ってもらったわけです。 ところが、その後その鈴木何がしかが、あと一人連れまして、またあらわれました。それで、そのときに全日空はまことにけしからぬ、自分たちに大庭さんと長谷村君が頼んでおって、自分たちも工作資金をうんと使ったのだ、ところが途中でその話を取りやめにして、それは借りないのだから、しようがないけれども、その自分たちに断わった後で、また同じようなことをほかに頼んでいる、これはまことにけしからぬという話なので、そんなことを言われても、もう全日空関係ないと言ったところが、長谷村君を呼んでくれということで、長谷村君を呼んだわけです。それで長谷村君に、君は何にも関係してないという話だったがどうかと聞きましたところが、その鈴木何がしかと、あと一人、一緒に来た者が、そんなインチキなことを言うな、ここに証拠書類があるよというような話をいたしまして、長谷村君が、いや申しわけなかった、実は一回、大庭さんに言われて書類をつくって出したことがありますということを私に謝りました。それで、その鈴木何がしかと、あと一人来たのは、長谷村君に用があるということで一緒に出ていったわけです。それから長谷村君が帰ってきてから私は怒ったわけです。長谷村君に、君は何にも関係ないと言っている。しかし、さっき、ああいうことでもって人が来たら、そういうことをやったことがある。まことにけしからぬ。やはり大庭さんが幾ら君にいろいろ言っても、会社にはいろいろ担当があるのだ、経理担当もあれば、いろんなセクションがあって組織で動いているのだから、やはり大事なことはそれぞれ注意してもらいたい、連絡してもらいたいと言ったら、そんなことは、あなたに言われる筋はないという話でありましたので、私は、何を生意気言うかということで、会社の組織を無視して仕事をやるようなことは絶対いかぬということを、相当大きな声を上げまして、たしなめたことがございます。 そういうことが何か週刊誌に、私が何か大声上げて、どうした、こうしたというようなことが書いてございますが、全く事実無根で、私が関係したのは大体そこら辺まででございまして、そこのいすに座っておって、秘書室長が心配して相談に来たので聞いてみただけだということでございまして、まことに残念至極であります。
○田中委員長 箕輪登君。
○箕輪委員 時間がありませんから簡単にお尋ねします。簡単にまたお答えをいただきたいと思います。 先ほど同僚議員の質問にも運輸省の行政指導の問題が出ております。そこで、行政指導は口頭で行われたか文書で行われたか。あるいは口頭で行われた場合、文書で行われた場合も、運輸省のだれが行政指導を行ったか、お答えいただきます。
○渡辺証人 四十六年の二月ごろ、大型機を四十九年度ころにしたらどうかというのは、これは当時の航空局の監督課長でございました山元さんから、私どもの会社は企画室長をやっておりしまた藤原君というのに口頭でお話があったというふうに聞いております。
○箕輪委員 もう一つお尋ねいたします。 オプションの問題が先ほど来、議論されております。若狭さんやあなたは全然聞いておらなかった。大庭さんはオプションした。これが非常に問題でありますが、大体、全貌がわかってきたのでありますが、こういうロッキードの問題が起きてオプションの問題、初めて知ったわけでございましょうけれども、さて、その後この問題が起きてから大庭さんと、このオプションについて私どもは聞いておりませんけれども、あなたは、なぜ、ああいうことをおっしゃったかというようなことで、お話し合いをされたことがないでしょうか、お尋ねします。
○渡辺証人 二月十日の「赤旗」の記事に大庭さんが自分がオプションをしたというようなことが書いてあるということで、会社の人がその記事を持ってまいりました。そこで私は非常にびっくりいたしまして、大庭さんのところへ電話をいたしました。それで大庭さんに、こういう記事が書いてありますが、これは事実でございますかと聞きましたところが、自分はオプションをいたしましたという御返事だったので、私、非常にびっくりしまして、どうして、あなた、こんな大事なことを当時、会社の幹部にも御相談にならず、またわれわれにも何にも言い残されないで、いままでに、どうしてわれわれに何もおっしゃっていなかったのかということを聞きましたところが、君、これはそんな大事なことじゃないじゃないか、オプションというのは、要するに製造ナンバーを仮にある期間だけ押さえているだけの話だ、ある期間、自分の方で何にも言わなければノーオブリゲーションでキャンセルになるのだ、これは日本航空でも松尾さん、しょっちゅう、やっていたことだ、なぜ君らにこんなことを事前に相談したり、また言い残す必要があるのかとおっしゃったので、私、本当にびっくりいたしたわけであります。実は、との前の国会証言のときにオプション問題を聞かれたときに、そのことをのどからしゃべりたいような気持ちでございましたけれども、余りに意外でありまして全く信用できませんでしたので、余り信用できないことを、こういう大切な場所で軽々に発言するのは、これはいかがかと思って、実は遠慮していたわけでございます。
○箕輪委員 終わります。
○田中委員長 松浦利尚君。
○松浦(利)委員 同僚委員からの先般の三井物産の石黒社長の発言についての質問に、あなたからのお答えがありましたから、その点は省略をさしていただきますが、ただ、四十五年の二月九日に若狭団長以下十一名が全日空調査団として渡米いたしておりますね。間違いありませんか。
○渡辺証人 日にちは覚えておりませんが、二月に渡米いたしております。
○松浦(利)委員 渡米するときには、その渡米の目的等について当然、常務会等で議論があるはずでありますが、常務会で議論がありましたか。
○渡辺証人 調査団を出すときには当然そういうような話があったと思いますけれども、当時、常務会でどういうようなことがしゃべられたかということは、全然記憶いたしておりません。
○松浦(利)委員 それはおかしいので、少なくとも、あなた自身は当時、専務だったわけですから、しかも調査団を派遣をして、先ほど言っておったように、航空会社の非常に重要な新しい機種を決定する調査団ですから、当然、議論があったはずです。あなたは記憶がないと言っておられますが、本当に記憶がありませんか。
○渡辺証人 新機種選定準備委員会をつくったときに、最初からもう調査団を派遣しようという話はございましたので、別段、調査団を出すことは、そんな不思議なことでございませんから、初めから調査団を出さなければいかぬということは、みんな考えておりましたので、常務会でどういう論議があったということは一々覚えておりませんけれども、当然いろいろな話があったと思います。
○松浦(利)委員 その中で大庭社長が、この目的について個人的に私はDC10がいいと思う、あるいは四十五年三月末までには新機種を決定しなければ、四十七年度大型機の導入等に間に合わない、ですから私個人はDC10がいいと思う、あるいは三月末までに新機種を決定してもらいたいという話が大庭社長からあった、そういうことを記憶しておられますか。
○渡辺証人 全く記憶いたしておりません。 ただし、新機種選定委員会が発足するときに、大体、目標は四十七年の四月に入れるということを目標にして、みんなで検討を開始しようじゃないかということは、発足のときに、みんなで申し合わせしております。
○松浦(利)委員 あなたは検察庁に呼ばれたことがありますか。
○渡辺証人 まだ、ございません。
○松浦(利)委員 それから、先ほどの同僚委員の質問に対しても、その当時の常務会では記録はとらないがメモ的なものはある、こう言っておられるのですが、この調査団派遣に関する常務会のメモというようなものは、あれば本委員会に提出していただけますか。
○渡辺証人 私が会社で聞いておるところでは、そのメモは検察庁に、みんな一括して出してあるということで、私もまだ見せてもらっておりません。
○松浦(利)委員 委員長にこの際お願いをしておきますが、この前も私は資料を要求いたしましたが、検察庁に資料を送られておるということで、肝心の議論がここで進まないのです。ですから、できれば、いま私が申し上げた調査団がアメリカに渡る直前の常務会のメモを、検察当局でよければ本委員会に委員長が提出できるようにお運びいただきたいと思いますが、よろしいですか。
○田中委員長 よくわかりました。理事会で相談をいたしましょう。
○松浦(利)委員 さらに、お尋ねをいたしますが、先般の石黒証人の発言でも明らかなんですが、四十五年の夏ごろ、ダグラス社のチーフデザイナーの一行が全日空の方に来日して、あなたのところの担当者とDC10の室内装飾などの打ち合わせをしておる。それに三井物産も参加をしておる。石黒氏の証言によれば、全日空本社と羽田事務所とで会った、こういうふうに証言をしておるのですが、その点は、あなた御記憶がありますか。
○渡辺証人 私は記憶ございませんが、これは社内の関係者にいろいろ確かめましたところ、当時、三井物産とかダグラス社だけではなくて、ロッキード、ボーイング、すべての会社がしょっちゅう参りまして、室内のデザインその他いろいろなことにつきまして先方の意見を会社に説明をしたり、また会社の意見を聞いたりしたことが何回も行われている。それから、その後で、やはり当時の担当者がアメリカに出張いたしまして、これはダグラスだけじゃなくてボーイング、ロッキード、全部の会社を回りまして、その会社のデザインの考え方とか、また全日空の考え方とか、そういうことを相互に意見を交換してきたという報告書も出ております。
○松浦(利)委員 さらに、四十五年の夏過ぎ、秋初めというのでしょうか、やはり全日空からダグラス社に対して内装の打ち合わせについて派遣をしたということがありますか。
○渡辺証人 ただいま申し上げたことに入っているわけでございますが、各社から、いろいろそういう説明に参りまして、その後、ダグラスだけじゃなくて、アメリカへ行きまして三社とも回らして打ち合わせをさした事実はございます。
○松浦(利)委員 それから、これはお見せをいたしますが、これは先ほども同僚委員が指摘をいたしました全日空経営システム開発本部が、副社長講話、四十六年の六月十日でありますが、あなたの講話をメモした内容の記載文書でありますが、これを証人にお見せします。——その中で二ページを見てください。先ほどの同僚議員も指摘をいたしましたが「わが社は需要供給の面から四十七年度から大型機を導入することには反対であると運輸省や日航に申し入れております」こういうふうになっておるのですが、当初おたくの四十五年の五カ年計画によりますと、四十七年導入ということが決まっておったはずであります。四十五年十二月にお決めになった五カ年計画。そうすると、いまのこの講話によりますと、四十七年導入反対ということをあなたは言っておられるわけですから、どこの時点で四十七年導入反対ということをお決めになったのですか。その点をひとつ明らかにしてください。
○渡辺証人 先ほど申し上げましたように、この新機種選定準備委員会が発足するに際しまして、いろいろ研究をして一応は四十七年の四月に入れることを目標にする。しかし、いろいろ調査研究をして問題点が出てきたときは、これを事業計画にフィードバックさせまして実際に合うような計画に変えていく、こういうことを申し合わせてスタートしたわけでございます。 それで、四十五年の二月に調査団が行きまして、二月の末に帰ってきまして、三月からいろいろ会合が始まったわけでございますが、大体三、四、五、そこら辺の検討の段階では、行って見てくると、やはり、いままでの飛行機と全く大きさも違うし、それからシステム全体が全く違う、したがって相当、準備期間が長く要る、無理して早くやると、これはやはり安全性に問題も出てくるだろう。それから何といっても、まだ実際に飛んでない。行って現地で見ても、いろいろ資料を集めてみても調査できないような面がたくさん残っている。そういうようなことで、やはり四十七年の四月に入れることは無理じゃないだろうかということが、四十五年の七月の時点でいろいろ問題になりまして、四十五年の九月には、四十七年の四月に入れることは無理である、したがって四十七年の後半に入れるようにしたらどうかというような話が出たわけです。 それから今度は、四十五年の九月が過ぎまして、十月以降いろいろ検討を進めておりましたところが、万博が終わりまして従来、毎月、対前年同月比が一五〇%ぐらい伸びていたのが落ちてきた。それで、やはり四十七年はあきらめて四十八年ごろに延ばした方がいいんじゃないかという意見が出てきたわけでございます。
○松浦(利)委員 私は変更した日にちだけ聞いておるのです。先ほど同僚委員の質問で、その内容は聞いておりますから、その日にちは、いつだったかということをお聞きしておるのですから、ひとつ御協力いただきたいと思います。 そこで、それではさらにお尋ねをするのですが、大体四十七年度の大型機の導入に反対だというのは、それでは全日空側の方から運輸省に対して、問題があるという連絡をしたことがありますか。あなたの方は、先ほど言ったように、四十五年の後半では、もうむずかしいという話をしておられるわけですから、四十七年導入はむずかしいんだという点を運輸省側に、あなたは連絡したことがあるんですか。
○渡辺証人 私は運輸省に連絡したことはございません。ただ、日本航空との間では、日本航空が大型機を転用するというような話がありましたから、そういうむちゃなことをしちゃ困るということは交渉しておりました。
○松浦(利)委員 さらに、これを見てください。この四ページの上段の八行目から、この四十六年六月十日の講話でありますが、その段階で「卒直に言えば機体そのものの調査は両社とも下調べが終っていて問題はないが、ただどういう機種に決定するかは機材導入時期とも関連してくるので」云々と、こういう言葉がありますね。ですから、この段階では、四十六年六月十日の段階では、もうすべての下調べは終わった、あとは要するに大型機をいつ導入するかということによって機種は決まる、こういう講話にとれるわけですが、だから四十六年六月段階では、もう一切の調査を終わって、ただ、あとは四十七年度に入れるか、四十八年度に入れるか、四十九年度に入れるか、その入れるときによって機材の選定が変わってくるぞ、こういう講話の意思ですが、ですから、そのときには、もう一切終わっておったわけですね。時期の問題だけだったのですね。
○渡辺証人 これは社員を相手にしてハッパかけるようなことで大分、話しておりますから、言葉が強調し過ぎているような面はあろうかと思います。この時点で詳細に調査が全部済んでいたということを私は言っておるわけじゃなくて、大体、候補機もしぼってきて、いろいろ調査も進んでおるということを言ったわけなのが、これは、まあ言葉の表現が、いかにも全部、調査が済んじゃっておるというようなことにとられますと、これは私の真意ではなかったわけでございます。
○松浦(利)委員 しかし、率直に言って、この当時には、もうすでに一切の調査は、あなたのところでは終わっておったんじゃありませんか、もう一遍お聞きをいたしますが。
○渡辺証人 まだ終わっておりません。
○松浦(利)委員 それでは、お尋ねをいたしますが、四十六年の十月に、あなたのところがアメリカ・バーバンクのロッキード本社の近くにANAアメリカという全日空商事一〇〇%出資の会社を設立いたしましたね。
○渡辺証人 設立いたしました。
○松浦(利)委員 その社長は当初はあなたでしたね。
○渡辺証人 さようでございます。
○松浦(利)委員 ここは、あなたのところが新設をしたところは、ほとんどロッキードの町と言われておるぐらいのところで、ロッキード関係の部品を調達するには非常に都合のいい場所だが、その他の機種については中古品の市場しかない。ロッキード社の下請関連企業のあれはあるけれども、その他の会社のものは、もう全く中古品の市場しかないというところに、なぜ全日空が一〇〇%出資したANAアメリカをおつくりになったんですか。簡単で結構です。
○渡辺証人 これは簡単といいましても、何か非常に誤解を受けているようですから……。 私は、全日空商事という会社の社長も兼務しておりまして、全日空商事がいろいろな仕事をやっておりますけれども、何かひとつ小型航空機の仕事をしたいというようなことを全日空商事でいろいろ考えていたわけです。その当時、全日空で社員の操縦士の訓練をやるために訓練機を何機も持ってやっていたわけですが、その訓練機が二通りありまして、現場の方では二種類あって非常に仕事がやりにくい、どっちかにひとつ統一してくれぬかというふうな話がありまして、たまたま片方の飛行機が二機ほど連続して事故を起こしまして、機体が壊れちゃったわけです。そこで、やはり、その機会に小型の訓練機を全部、統一しようということになりまして、買いかえることになったわけですが、そのときに、その代理店を持っていたのがトーメンでした。そこでトーメンの方に話をして、全日空が使う飛行機だから全日空の子会社の商事にもちょっと片棒担がしてくれという話をしたのですけれども、いや何も君のところの御厄介にならぬでもいいというような話がありまして、そこで何かうまい方法はないかと思っていろいろ考えたところが、このバーバンクというロッキードの会社のある、そこの近所で、アメリカで小型機の売買をやったり、それから日本航空のやはり訓練機なんかの中古品をいろいろ世話したりする二世の人が会社をやっておりまして、この人は、たまたま日航の人が紹介してくれまして、訓練機なら何も日本で代理店を通さなくても、この男に頼めば簡単に手に入るということで、紹介してやるから来いということで係員を派遣しましたところが、そんなことは簡単なことですよ、私が間に入って買ってあげますということで、日本の代理店を通さないで買ったわけです。それで、その男が今度は、その訓練機を使えば部品も入れなければいかぬだろうと、それからまた、ひとつ、これを機会にして日本の訓練機とか小さな飛行機を扱ったらどうだ、それで、何だったら自分のところの事務所の片すみを貸してやるから、やったらどうですかと、それで、そこにつくったわけでございます。
○松浦(利)委員 簡単に要点だけ説明してください。 それで現在このANAアメリカというのは、率直に言って、ロッキード社の部品しかいま扱っておらないんでしょう。簡単で結構です。
○渡辺証人 現在はロッキードがほとんど大部分でございます。
○松浦(利)委員 さらに、お尋ねいたしますが、先ほど、あなたは日航の大型機導入の問題について反対の意思表示をした、また、このメモにもそのように書いてあるんですが、この日航のボーイング747の国内線転用について反対だという申し入れは、運輸省のだれに対して全日空のだれが言ったのですか、いつ。
○田中委員長 結論だけね。
○渡辺証人 運輸省にはやっておりません。日航に私どもは言っていたわけです。
○松浦(利)委員 それは、いつ、やられたのですか。
○田中委員長 渡辺さん、いつ、だれに。
○渡辺証人 多分これは四十六年の一月ごろだったと思いますが、私は、日本航空の現在、副社長をやっておられます高木さんと当時、定例的に大体一月に一回ないし二回、いろいろな問題で会って話し合いしておりました。そういうときに日航はこれを使いたいのだというようなお話がございましたので、そんなばかなことをしてもらっては困るということを何回か話をしておりました。
○松浦(利)委員 それから四十六年二月以降、運輸省から、四十七年度大型機導入を延期したらという作業が始まるのですが、運輸省のだれが全日空のだれに対して、そういう指導を当時しておったのですか。
○渡辺証人 いまの四十六年の二月ごろからのものは、最初お話があったのは、さっき申し上げましたように、当時の監督課長の山元さんからうちの藤原企画室長に話があった。ただ、私ども、しょっちゅう運輸省に行っておりましたから、当時の部長さんとか局長さんとも、そんな話が話題に上ったことはございます。
○松浦(利)委員 もう一遍お尋ねしますが、当時の局長、部長とも、そういう話はあったわけですね。
○渡辺証人 最初に話があったのは監督課長で、しかし、その後、私なんか行って話題に上ったのは、局長や部長さんとも話題に上っております。
○松浦(利)委員 それから、全日空は自民党の航空対策特別委員会に対して要望書を出しておられるのですが、その絡みで、当時の政務次官である佐藤さんの試案というものが、いろいろ政界でも問題にされておるのですが、あなたは当時の佐藤政務次官と導入延期の問題等について話し合われたことがありますか。
○渡辺証人 佐藤政務次官から四十七年の三月末にお呼び出しがありまして、運輸省に三社とも呼ばれまして佐藤試案というものを示されまして、航空会社は、これに意見があったら、この文章に加筆修正をして出してもらいたいというお話がございましたので、それを持ち帰りまして、いろいろ加筆修正をいたしまして、その中に四十九年以降に入れてもらいたいという希望も書きまして出しました。
○松浦(利)委員 その点について、政務次官との接触というのは何回ぐらいあったのですか。
○渡辺証人 はっきり記憶いたしておりませんが、二、三回はあったと思います。
○松浦(利)委員 それから、これは全日空の広報資料でありますが、大体、航空機会社というのは、売り込みをするときには、それぞれの航空機会社が旅客需要予想というのを集計して、四十七年にはこうなる、五十年度にはこうなる、だから私のところの、これを入れてくれという作業を必ずしておるわけですが、あなたのところの、この全日空の広報資料によりますと——四十五年の十二月末の需要予想を見せます。——いま証人にお示しをいたしましたが、当然その他、各社の需要予測も掲載されなければならぬのに、参考資料としてロッキードだけがそこに掲載されておるというのは、何か意味があるのですか。
○渡辺証人 これは、どういういきさつでつくったか私、存じませんけれども、各社とも、ロッキードもボーイングも詳細な各社ごとの需要見通しを会社の方に出してきております。ですから、これにどうしてそれだけ書いてあるか、ちょっと私、存じませんけれども、それは全部出てきております。
○松浦(利)委員 全部出ておるにかかわらず、なぜロッキード社しか出ておらぬかというのは、あなた自身いま見られて——何かロッキードの方に気が向いておるんじゃないかという印象をわれわれは受けるのですが、そういうふうな、すでに四十五年の十二月段階では、もうおたくの方は、決定ではないが、意思としてはロッキード社の方に傾いておったんじゃないですか。その前の方には各社別のDC10あるいは一〇一一、ボーイング747SR、こういった比較対照というものが出ておるのですよ。ところが需要予測だけは、それしか出ておらぬ。どう思いますか。わかりませんか、経過は。
○渡辺証人 ここに、どういうことでロッキードだけが書かれておるか、私はちょっと記憶しておりませんが、その当時ロッキードが最有力候補だったとか、そんなことは全くございません。
○松浦(利)委員 これが実は当時のロッキード社の売り込んだ、各社に持ち込んだ資料です。ところが、これは年別ではなくて、五年単位で需要予測が記載してある。四十一年、四十五年、五十年と記載してあるわけですが、その後、詳細に分割するわけですよね。それは、よほど需要予測について詰めた話がなければ、そういう数字は、これからは出てこない。だから、そういう点から見ても、需要予測に関してロッキードと詰めがあったということは、もうすでに四十五年十二月にはロッキードに傾いておったというふうに、われわれは思うのですが、そうとられてもしようがないでしょう。
○渡辺証人 全くそのようなことはございません。各社で会社以上に詳細な、いろいろなデータを出してきておりますから、会社の方は、むしろそういうものは非常に参考になるだけでございまして……。
○松浦(利)委員 さらに、お尋ねをしておきますが、この前のあなたの証言それから若狭証言で、昭和四十七年十月二十四日、田中総理と会っておられます。内容は、それぞれ違うのですが、よけいなことを言ってしまったということを、この前、若狭さんは言っておられたのですが、この内容で、あなたはアジア諸国に対するフライトあるいは中国フライトの促進を話したというように証言をしておるのですが、この当時アメリカと日本との貿易関係で、三億二千万ドル近くの飛行機を輸入せざるを得ないという情勢が日本の政府自体にすでにあった。そのために日米通商箱根会談とか、あるいは鶴見・インガソル会談とか、いろいろな会談が行われてきたのですが、そういうことが日本の外交にとって非常に重要な内容であったということを、あなた当時、記憶しておられましたか。
○渡辺証人 私どもの会社は、その会談とは無関係に、大分前からこれは計画しておったわけでございますから、もちろん、あの会談は関心を持っておりましたけれども、会社自体の計画は御承知のように、ずっと以前から計画していたことでございますから、あれとは私どもは、何も政府からも聞いておりませんし……。
○松浦(利)委員 私は、政府からいろいろあったかどうかじゃなくて、そういうことについて、あなた知っておりましたかということを聞いておる。知っておられましたか、どうですか。
○渡辺証人 毎日、大きく新聞に出ておったことでございますから、その当時の事情は新聞で存じておりました。
○松浦(利)委員 そうなれば当然あなたのところでお買いになる次期大型機について政府自身も非常に関心を持っておったはずですね。要するに、これは民間企業の売買だけれども、当時、政府にとっては、これは非常に大きな外交政策だった。ですから四十七年十月二十四日、あなたが田中総理にお会いになったときに、全日空としては、こうこう、こういうものを購入いたしますということについて報告をする、要らぬことじゃなくて、これは報告しなければならない情勢にあったんじゃないですか。あなたも一緒に同道しておられるのですから、そうでしょう。
○渡辺証人 私は社長に同行していきましたけれども、初めから社長は表敬訪問ということで私にも、ついてこいということで行ったわけです。それで、この前証言しましたように、私は立ち上がって先にドアのところへ行って待っておった。社長は立ち上がってから何か二言、三言、総理にお話しになっていた。何を話したか私は存じません。ただ、帰りに同じ車に乗りましたところが、帰りしなに、いろいろ私どもは技術、安全、そういうことを中心にしていま詰めておりますということを申し上げたら、民間会社だからそうだろう、しっかりやりなさいというお話があったということを、車の中で社長から聞きました。
○松浦(利)委員 それから関連質問がありますから私、最後にしますが、簡潔にお答えください。日航が747SR、それから全日空がトライスター、それを十月三十日で発表するという話し合いを、日航と最終的に決めたのは、場所はどこで、全日空と日航と、だれとだれが、いつ話し合いをしたのですか、そのことをひとつ正確にお答えいただきたいと思います。
○渡辺証人 日にちは私はっきり覚えてませんが、十月の多分、二十五、六日じゃないかと思いますけれども、私が日本航空へ参りまして高木副社長と、いよいよ三十日が期限だから、ひとつ三十日に両社とも顔を合わせて最終的な機材の報告をし合って、それで大臣や何かにも報告しようという段取りを話したのは、私が参りまして高木副社長とお話しをいたしました。(松浦(利)委員「場所は」と呼ぶ)場所は日本航空の応接室だったと思います。
○田中委員長 楢崎弥之助君。
○楢崎委員 時間がありませんから、答弁の方は簡単にお願いします。 あなたは若狭さんに続いて選定準備委員会の委員長になられたわけですね。選定作業を進めながら、その過程でDC10とL一〇一一の、どちらが全日空にふさわしいとお思いになりました。
○渡辺証人 最後まで、そういうどちらということは私は考えませんでした。
○楢崎委員 全然そうでしょうか。全然あなたは自分自身としての判断はお持ちになりませんでしたか。
○渡辺証人 私は技術屋でございません。専門の分野がいろいろありまして、その専門家が各自の専門の分野で研究しているわけですから、私はそういう報告を待った上で、やはり自分の考えを決めるべきだというふうに考えておりました。
○楢崎委員 余談ですけれども、あなた自身はL一〇一一トライスターの推進者であったという重要な証言をされておる方があるのですが。 次に移ります。あなたが、このやみ金融事件をお知りになったのは、築地署からの照会があったときからですか。
○渡辺証人 そのとおりでございます。
○楢崎委員 その照会を聞いて、どうされました。
○渡辺証人 非常にびっくりしまして、先ほど申し上げましたように、副社長と一緒に大庭さんのところへ確かめに参りました。
○楢崎委員 鈴木専務が、その件をお知りになったのはいつですか。
○渡辺証人 私のところへ持ってきたのは鈴木専務が持ってきたわけです。築地の警察から経理部長のところに書類が来て、経理部長が鈴木経理担当専務、それがびっくりして私のところに持ってきたわけです。
○楢崎委員 あなたは大畑鎮男という方を御存じですか。
○渡辺証人 存じません。
○楢崎委員 大畑鎮男という方から、このやみ金融事件について電話がありませんでしたか。
○渡辺証人 大畑さんという名前は記憶しておりませんが、一回、香港からということで電話を受けたことがございます。
○楢崎委員 その電話の内容、それはただいま、その人から、このやみ金融の問題について、ある人を香港に出しておる、資金手当てをさしておるが、そのめどがついた、そういった内容の電話でございましょう。
○渡辺証人 これは最初、社長あてにかかってきて、社長がいなかったら渡辺専務というので私が出たわけですが、全然知らない人ですが、全日空から頼まれた金融で、香港で金融がついたので、どういう方法で送ったらいいかという電話でございました。
○楢崎委員 その電話を受けて、あなたはどうされましたか。
○渡辺証人 私は、全日空ではそんなことを頼んだ覚えはないと言ったら、おかしいなということで、電話をお切りになりました。
○楢崎委員 その電話の内容は、どなたかにお話しされましたか。
○渡辺証人 当時、若狭副社長とか、あるいは大庭さんとか、あるいは鈴木さんとか、秘書室長とか、みんな話してあります。
○楢崎委員 この念書等が出ておるのですけれども、この念書等の回収に、あなた自身は関係されましたか。
○渡辺証人 回収に関与はいたしませんが、一回、三井物産の総務部長さんが人をお連れになって会社に参りまして、その方は綿織という方ですが、全日空の大庭さんの出した念書が出回っておる、自分が回収してあげましょう、こういう申し出を受けたことがございます。
○楢崎委員 あなたは佐藤政雄という方を御存じですか。
○渡辺証人 会社に来たんで一回、会ったことがあります。
○楢崎委員 どういう用件でお会いになったのですか。
○渡辺証人 この人は鈴木明良という人が連れてまいりまして、何か全日空で新しく融資申込書を出すので来た、そういうことで来ました。
○楢崎委員 その人と会われたときに、鈴木氏が連れてきた。全日空側は、どなたがあなたのほかにおられましたか。そして会われた部屋はどこでありましたか。
○渡辺証人 全日空の役員応接室で私と鈴木専務、当時の鈴木専務が会いました。
○楢崎委員 そのときに長谷村さんはおられましたか。
○渡辺証人 これは、さっき私、証言いたしましたとおりで、その佐藤という人が鈴木何がしかに、全日空が申込書を出すというから、おれは来たんだ、全日空は出さぬと言っておる、おまえ、またうそ言っているなというようなことを、鈴木さんというのをどなりつけておりました。それから長谷村君を呼んでくれというので、長谷村君を部屋に呼んだわけでございます。
○楢崎委員 あなたを含めまして、大庭氏あるいは長谷村氏以外で、全日空の役員の関係で、その回収のために何ほどかのお金を使われた事実はありますか。
○渡辺証人 私は全日空が金を出したということを全然聞いておりません。私以外の人も、このために金を出したということは全然聞いておりません。
○楢崎委員 この事件の内容を株主あるいは運輸省に報告された事実はありますか。
○渡辺証人 運輸省に報告した記憶はございません。
○田中委員長 株主。
○渡辺証人 これは、この事件を聞きまして私はびっくりいたしまして、全日空の創立者でございます美土路昌一先生に、この事実をお話ししたことはございます。
○楢崎委員 大体この件が一件落着したと思われたのは、いつごろでございますか。
○渡辺証人 私は存じませんが、私が関係したのは、会社で関係したのは、昭和四十四年の十月の初めごろから末ごろまでの話でございます。
○楢崎委員 年明けて四十五年、一応この関係書類の回収が終わった。大体、年末には終わった。この念書問題が年明けて再燃してまいりましたね。それはどういう理由でしょうか。
○渡辺証人 再燃したというのは全然私、存じません。その関係は十月で、関係者に、だれにも会っておりませんから、再燃したとかどうなったということは、その後、聞いておりません。
○楢崎委員 その問題が、いわゆる四十五年五月三十日の総会の前に役員会で問題になったのではありませんか。
○渡辺証人 私は、当時の、そういうことに関係された、えらい方々がお亡くなりになっておりますので、そういう方の名前を出すのはまことにいかがかと存じますが、全日空の創立者の美土路さんにそういうことを御報告いたしまして、美土路さんは全日空の将来ということを非常に御憂慮になりまして、大株主の代表の方々にいろいろ御相談になったということは、美土路先生からお伺いしたことはございます。
○楢崎委員 美土路さんがそういう動きに出られたのは、いつごろですか。
○渡辺証人 私は具体的に存じませんが、十月にその事件を聞いたときに、美土路さんはときどきお見えになりましたから、そういう御報告をいたしておりますので、いつごろからか、ちょっとわかりませんが、恐らく年が明けてからじゃないかと思います。
○楢崎委員 三月一日の予算委員会における大庭証言の中では、直前の役員会で、いろいろこの問題が出て、そして最終的に松尾日航会長から大庭氏に対して、もうやめたがいいだろうという話があったという証言が行われておるのですね。四十四年末に一応片づいたものが、役員問題を扱う翌年の株主総会の直前に、どうしてそんなにこれが再燃したのであろうか。これが結局は大庭さんの退陣に結びつくわけですね。だから、その辺は私どもも非常に奇異に感ずるわけです。 それから時間が参りましたが、もう一点。との問題が五月二十九日、前日に某新聞に内容が報道された。その内容を見てみると、先ほどお伺いをした、香港にある人をやって金融ができたと、あなたのところに電話をされてきた、それが載っているんですね。そうすると、この新聞のニュースソースと申しますか、この香港の話を確実に聞かれたのはあなたですね。そうすると、そのニュースソースとの結びつきに非常に疑惑が出てくるのですが、その点はどうでしょうか。
○渡辺証人 私は当時、社外のそういう新聞社とか、そういうようなところに話したことは一切ございません。
○楢崎委員 最後ですが、あなたが、その話をされたのは限られた人間ですね。まあ、大庭さんの証言をかりれば、大庭さんと合わなかった、なかなか融合できなかった側の人にあなたは話されておりますね。もう一度、だれに話されたか、ちょっと確認をしておきます。
○渡辺証人 一々覚えておりませんが、当時、私は本社におりまして、本社の同じ部屋に鈴木専務もおりましたし、秘書室長とか、そういう身の回りにおった人に——大体、電話がかかってきたのは秘書室にかかってきたわけです。秘書室で電話の受け答えをしましたから、秘書室の人には、いまこういう電話があったということを話しまして、部屋に帰って鈴木さんにも話したし、また若狭さんにも話したし、大庭さんにも、こういう電話がありましたということを話しております。
○楢崎委員 委員長、これでやめます。 その新聞の記事が直接的に大庭さんがやめざるを得ない方向に発展していったので、そのニュースソースと、いまの関係は非常に重要であります。これはまた機会を改めてはっきりしたいと思います。
○田中委員長 正森成二君。
○正森委員 先ほど同僚議員の質問に対して、航空会社が飛行機を購入するときに政府の許認可がなくても契約している、いままでずっとそうだった、こういう御発言をなさいましたが、政府の許認可がなくても契約するという契約は、レター・オブ・インテンツ、発注内示書と呼ばれる種類の契約ですか。
○渡辺証人 それは正式の契約書でございます。
○正森委員 正式の契約書というのは、別にフォーマルコントラクトというのがあって、フォーマルコントラクトとレター・オブ・インテンツというのは、航空業界においては明白に区別されているんじゃありませんか。レター・オブ・インテンツも、もちろん正式の契約ですよ。しかし、契約の効力等において差がある。だからレター・オブ・インテンツをまずやって、政府の許認可がおりたときにフォーマルコントラクトを結ぶ、こういう関係に通常はなっているんではありませんか。
○渡辺証人 私、先ほど申し上げましたように、担当でございませんけれども、レター・オブ・インデントのほかに、その後で、いまおっしゃったようなフォーマルコントラクト、その内容に、ただ政府の許可を受けられないときには、これは要らないというような条件をつけた契約をやっております。
○正森委員 先ほど同僚議員の質問に対しては非常に断定的にお答えになりましたから、私にも明確に答えていただきたいのですけれども、たとえばトライスターの購入のときにも、あなた方は昭和四十七年十月三十日に発表なさると同時に契約をされておりますね。そして委員会での証言では、正式契約は四十八年の一月十二日だったと言っておられますね。この四十八年一月十二日が私の言うフォーマルコントラクトであり、四十七年十月三十日に結ばれたのがレター・オブ・インテンツ、発注内示書である。それは明白ではありませんか。
○渡辺証人 おっしゃるように、先にレター・オブ・インデントをやりまして、その後でフォーマル契約、それは価格が幾らとか、そういう条件を詰めましてフォーマルにして、ただし、正式に政府の許可がとれないときは、これはだめだという条項が別についている停止条件つきの契約になっておるわけです。
○正森委員 そうすると、その停止条件がついておるのはフォーマルコントラクトですか、それともレター・オブ・インテンツですか。
○渡辺証人 それはフォーマルコントラクトだと思います。
○正森委員 私が聞いておるのと違いますが、少なくともレター・オブ・インテンツを結ぶというのは、これは政府の許認可がなくても前にできる、これは常識ですね。しかし、それは何カ月かたてばフォーマルコントラクトに変わっていかなきゃならないものでしょう。それは通常何カ月ぐらいですか。
○渡辺証人 私、そこら辺になりますと担当でございませんので、よくわかりません。
○正森委員 そういうことも御存じなしに先ほど証言されたというように伺っておきますが、そうしますと、あなたは、五十一年二月十日に電話で大庭さんからオプションについてお聞きになって非常にびっくりしたと言われましたね。 そこでオプションについて伺いますが、オプションだけの契約なんていうのが航空業界にございますか。航空業界ではファームオーダー、確定注文をして、それに付随してバイヤーにオプションの権利が与えられるというのが通常で、それ以外の例外というのは、コンコルドの売り込みのときにただ一回あっただけだというように聞いておりますが、いかがですか。
○渡辺証人 私も、いま先生がおっしゃったとおりのように理解しております。
○正森委員 そうだといたしますと、これはオプションをしておったというような発言は、航空業界では、必ず確定発注が行われておったのだ、そして、それに付随してオプションがあったということになりますから、あなた方としては、オプションがあったとか、なかったとかいう発言は、これはもう確定発注をしたのだ、その確定発注の形式が発注内示書、レター・オブ・インテンツかあるいは正式契約のフォーマルコントラクトかは別として、確定発注が行われなければオプションはないということになれば、オプションをしたとか、しないとかいうこの発言は、航空会社にとって非常に重要な内容を持っておるものである、こう理解いたしますが、どうですか。
○渡辺証人 少なくとも全日空におきましては、いま先生がおっしゃったように、オプションだけの契約というようなことをやったことはありませんし、このオプションは確定機数が前提にあって、それにオプションということになりますから、オプションといえども大変なことだと思っております。したがいまして、二月十日に「赤旗」の記事を見てびっくりいたしまして大庭さんに電話したところが、おれの言うオプションというのは、何もそんな大事なことではない、ただ仮に押さえただけで、ある時期過ぎて頼まなければノーオブリゲーションで解約できる、日航で松尾さんもしょっちゅう、やったことだ、こんなこと君、大したことない、何、君らに相談する必要があるか、こういうお話がありましたので、びっくりしたわけでございます。
○正森委員 それは伺いましたが、そうすると、あなた方は少なくとも航空業界の常識として、オプションというのは確定発注をした場合にのみ通常付随する権利であるということを十分理解しておられた、こういうことで先へ進ませていただきます。いま、うなづかれましたが。 そうすると、あなた方は四十五年五月三十一日に若狭さんが社長になられましたね。そこで、そうなりますと、六、七月ごろに三井物産の若杉さんと石黒さんがお見えになっておりますね。そのときに何か責任を負わなければならないようなことでもあるんでしょうかというようにお聞きになった、ということは前回、証言されました。そこで、なぜ、そういうようにお聞きになったんだろうかというように見てみますと、あなたの証言では、どこからともなくダグラスの工場に全日空向けと称する飛行機が何号機から何号機まで、これは全日空のために、いわゆる生産計画をしているんだというような話を聞きまして、まことにおかしいことだと思っておりました、こういうことをあなたは言われておるわけですね。 そこで、伺いますが、あなたが、もしダグラスの工場で全日空向けと称する飛行機が何号機から何号機まで全日空のためにつくられておるということになりますと、これはファームオーダーが行われておらなければこういうことはあり得ないことであるということは、その道の専門家として即座にお気づきになったのではありませんか。
○渡辺証人 私は、この若狭さんが三井の社長さんにお会いになった七月末ですね、そのころまでは、そういう話は聞いたことございませんでした。七月に私はアメリカへ参りまして、ダグラスのDC10ロールアウトというセレモニーがありまして、それに呼ばれまして参りまして、そのときにダグラスの人から、当時、発注をした会社がみんなひな壇に乗りまして、アメリカのアグニュー副大統領とかリーガン知事が、発注した会社の代表にみんな握手をして拍手するわけです。で、ダグラスの人が、全日空も早く発注してくれると、ああいうところに乗っかって、こういうことになるんだと。それから工場の中を案内していただきましたが、何もそういうことでございませんでした。で、帰ってきたときに新聞記者の方なんかが来まして、何か工場にあるそうじゃないかというようなことを聞いて、びっくりしたのですが、そのときに、たまたま若狭さんが、私、いや実は、この間、余り三井の方が文書をよこしたり何かで早く発注してくれ、発注してくれということを準備委員会の方に言ってくるので、ちょうど若杉さんがお見えになったので、こんなにしつこく言ってくるのは何かあったんですかということを聞いたら、これこれだったというのは、若狭さんから聞かされました。
○正森委員 あなたの御証言は微妙な点で変化しておりますが、若狭社長は三月一日の証言の中で、三井物産の方あるいはダグラスの方から、とにかく全日空の飛行機を注文をしていただければ、こういう時期にできますとかいうような話を聞かされたので、それで、おかしいので若杉さんに聞いたとか、ダグラス社で全日空の飛行機をつくっているといううわさが出ておったということがあるので、ダグラス自体にも確かめたとか、その後で若杉さんと話をされた、こういうことになっておるわけですね。これは証言に、きちっと出ているわけです。ですから、若狭社長は、若杉氏や石黒氏に会う前に三井物産やダグラスから、全日空の飛行機が工場でつくられておるとか、いつごろにできますよとかいうことを聞いて、それで確かめられたということになっておるんです。これは三月一日の速記録に明白に載っております。そうだとすると、私が前段に伺ったところによりますと、工場で製作を行うとか、いつごろお渡しできるというようなことは、確定発注が行われておけば、そんなことはあり得ないわけですから。ですから、そういう大変なことが全日空のために行われたんだということは、当然あなた方は知られた上で、若杉さんや石黒さんと会って話をされたんではありませんか。
○渡辺証人 三井物産からは大庭さん当時から、四十四年の八月ごろから何回もプロポーザルが毎月ごとぐらいに出ておりまして、何月に発注してくれれば何月に納められる納期の物があります。ですから、なるべく早くひとつ御内示をいただきたいとか発注をしていただきたいとか、こういうことを何回となく大庭さん当時から文書をよこしております。しかし、大庭さんに頼まれて押さえたとかなにか、そんなことは何も書いてありません。私どもは夢にも思いませんから、三井物産もそんなことは一つも言わない。ただ早く何月までにやってくれれば何月に納められる、それを信用して、いろいろ研究しておりましたが、まだ機種も決まらぬものを頼むわけにいきませんよ、こういうことをやっておったわけでございまして、全くそういう事実は知りませんでした。
○正森委員 四十四年八月ごろからプロポーザルがあって、こういうのがありますよというのは、これは当然のことであります。いま私が聞いているのは、四十五年の六、七月ごろに大庭さんが退陣されてから、全日空の飛行機が工場で、すでにダグラスで生産されておるとか、その飛行機をいつごろ納期できますよというようなことを聞いて、これはおかしいなあということで、何か責任があるかなと聞いたんでしょう。だから四十四年八月ごろに聞いたのと、四十五年の六、七月ごろにあなた方が、これはおかしいなと思って聞かれたこととは質的に内容が違うのです。そんなことは当然じゃないですか。私は契約の種類も調べて、その上で聞いているのです。ですから、あなた方が四十五年の六月ごろに、あるいは七月ごろに、三井の若杉社長や石黒さんに言われたときは、若狭さんが、この前、宣誓して明白に言っておるように、その少し前に、大庭さんがやめられた後で、全日空の飛行機がつくられておるとか、いつごろ納められますよということを聞くから、これはおかしい、これは確定発注がされておらなければあり得ないことだというので、法的、道義的に責任があるのですかというように聞いたんでしょう、どうです。
○渡辺証人 それは私が証言したことでなくて、若狭社長が証言したことでございますから、若狭さんが、いつごろ、だれから、そういうようなことを聞いたということは、私は若狭さんからは聞いておりません。私が少なくとも、よその人から聞いたのは、私がアメリカから七月の末に帰ってきてからのことでございます。 それから、三井物産は何回来ても一切そういうことは申しませんし、また大庭さんも当時、何も言われなかった、おやめになる前ですね。そういう大事なことを、ひた隠しに、まあ後から聞けば、されておって、それをわれわれが知らないのがおかしいと言われることは、まあ、不明のやつだと言われれば、それは甘んじて受けますけれども、ひた隠しにされておるものを、私どうして知らなかったのがおかしいと言えるのでしょうか。
○正森委員 証人が自分の弁解に非常に時間をおとりになっておるようですけれども、若狭さんが明白に証言されており、その前後に、それで、その後で、あなたが若狭さんからもお聞きになっていると言うから、お伺いしているのですが、再度お聞きいたしますが、全日空のための飛行機が工場でつくられておる、こういうことを聞いたから確かめたと言っておられるのですね。そして私は伺いたいと思いますが、若狭さんが社長になられてからも、四十五年の夏ないし十月ごろに、あなた方は、インテリアの問題についてダグラス側のチーフデザイナーがやってきた、それで全日空及び羽田事務所で相談をしており、十一月にまたあなた方が行っておられますね。 そこで伺いますが、あなたは、それでダグラスにもあるいはロッキードにも、そういうようなことはやっておるんだと言いましたが、ダグラスやロッキードの飛行機についてあなた方が発注内示もしない間に、その様式に従って製造が進められていくというようなことはございましたか。
○渡辺証人 ちょっとおっしゃることがわからないのですけれども、各社が、私のところは発注してもらえばデザインの種類はこういうのがございます。こういうようなことはいかがでございますかというのは、各社とも熱心に言ってまいりました。それから、そういうものを聞いて会社も、もし頼むんであればこういう方がいいなとか、いろんな意見を各社に言ったことはあると思います。
○正森委員 もう一度、私の発言が誤っていたかもしれませんので、申しますが、ロッキードやボーイングに対してスペックで製造を始めていくというようなことはございましたか。ロッキードとボーイング。
○渡辺証人 特定の会社だけに特別なスペックを出すというようなことはしておりませんね。
○正森委員 私が聞いておりますのは、スペックが出ているかどうかじゃなしに、そのスペックに基づいて製造が始まっておるというようなことがロッキードやボーイングについてございましたか、こう聞いているのです。
○渡辺証人 全く存じません。
○正森委員 それはないのが当然であります。ところがダグラスについてだけは、あなた方のインテリアのスペックによって製造が進められている。なぜ、そういうことが起こったのでしょうか。たとえば、すでに言われております四十六年五月付の石黒さんの手紙によりますと「御薦メ申上ゲテオリマスDC10機ハ価格が低廉デアル上ニ各コンフィギュレイションヲ出来ル限り貴社御使用ニ便ナル様ニ取計ラッテアリマスノデ、海外他社用ニ転用致シマスヨリハ」貴社でお使い願いたい、こうなっておるのです。これは、その飛行機というのは、ただ単にスペックを知っておりますというのじゃなしに、それで製造しておって、あなたの方に便利なように取り計らってある。だから他社へ転用するよりは——日本語の転用というのは、本来の用途が全日空用に決まっておって、それを転用するという意味なんですから、そこまで踏み込んで言われるというのは、これは単にスペックを相手に言うただけでなしに、そのスペックに基づいて製造をしておる。だから、よそへ転用するよりは、あなたのところでお使いください、こういうことなんですね。そこまで踏み込んで三井さんがなさるという点については、私が順次聞いてまいりましたが、これはあなた方の会社の内規や皆からいえば不本意なことであったかもしれないけれども、全日空の大庭さんが三井を代理にして確定発注を含む契約をしておられたということは、あなた方、業界の常識から見れば十分に考えられ、疑われることであるというように思うのが当然じゃありませんか。
○渡辺証人 私はそう思いません。 それから三井から、いろいろ来ているプロポーザルの中に、日本航空といろいろ交渉して契約等については非常に有利な契約にダグラスと詰めておるんだ、そういう前提があるから、いま発注してもらえば、おたくなんかに向ければ、新しくいろいろ交渉することなくて有利な条件でお渡しできますよというような文書が現に来ておるわけです。ですから私どもは、三井が日航とか、そういうところと交渉したり何かして、そういうまた後のことで全日空にもどうかというようなことを言ってきたのだと思いまして、初めから全日空にどうだこうだというふうには思っておりません。
○正森委員 あなた方は四十五年の二月に、検察庁に押収されているという常務会の議事録で、機種選定準備委員会のある役員が、形式的に見てくればいいんですな、こう言って、大庭さんが、まあ、そういうことだ、あれよりもいいものがあれば別だがということが記録に残っておると言われております。あなたは同僚議員の質問に対して、大庭さんが常時、常務会でDC10がいいということを言っておったというようなことはないと言われましたが、二月九日あるいは、その前後に一回だけでも、そういうことは言われなかったですか。
○渡辺証人 全く記憶いたしておりません。
○正森委員 三井物産の若杉社長は四十七年に三井の常務会で、全日航に対して裁判をするということも辞さないというように考えたけれども、将来を考え、円満に買ってもらわなければいけないと思ったので、やめたという意味のことを発言されたと石黒氏は言っておるのですね。三井物産がそこまで言うのについては、三井物産が単に思惑で米国三井が契約したというのでなしに、大庭さんが三井に頼むということを明確に言われたからこそ、そういうことまで考えられたのだというように思うのが当然だと思うのですが、あなた方は、そういうことを、大庭さんが四十五年の五月二十九日におやめになるときに、自分がサインしてオプションしたということは聞かなかったとしても、三井に頼んで、してもらっているのだ、よろしく頼むよということは言われなかったですか。大庭さんは宣誓した上で約二十分間、私は、自分は何も言うことはないけれども、これだけが気がかりだったのだ、こう言っているのですが、いままでの議事録を見ると、大庭さんも記憶違いがあったのかしれませんが、自分がサインをしてオプションをした、それを引き継いだと言っておられますが、仮にそれがなくても、三井物産に頼んで自分がオプションしてもらったのだ、それをよろしく頼むよ、善処してくれという意味のことはなかったですか。
○渡辺証人 ございませんでした。私も前のことで忘れることもありますが、仮にそういうことを聞いていれば、私は二十何年、全日空におりまして、そういうような、社長が一機六十億もする飛行機を独断で、だれにも黙ってやったというようなことは例がないことでございますから、恐らくびっくり仰天して、みんなに相談するとか、相談しないまでも絶対忘れるようなことはないと思います。ですから、私は、そういうことから申しましても、言われたことを忘れたという事実はないと思います。
○正森委員 一点だけ伺います。 あなたは四十七年十月二十四日、田中総理に会われたときに、日中定期航空路についてよろしくということを、若狭さんとあなたは言われたのですね。あなたの証言ではそうなっておりますよ。
○渡辺証人 日中のチャーター便で、いろいろ御厄介になりましてありがとうございましたということは申し上げました。それから、このチャーター便も今後いろいろやりたいので、またよろしくお願いいたしますという程度のことは言ったと思います。しかし、正確に言葉の一つ一つまで覚えておるわけではございませんので、そういうふうに日中航空を今後よろしくお願いいたします。そこまではっきり言ったかどうかということは記憶いたしておりません。
○正森委員 あなたは前回の証言で「私どもは多年国際線に出たいという宿願をこのチャンスにどうしても実現したいという気持ちがありまして、」云々ということで、時間がございませんから言いませんが、言っておられます。そして若狭さんは、それは言っておらないと言い、あなた方のところの「全日空ニュース月報」の十一月号では「若狭得治社長が田中首相と佐々木運輸相を訪ねて」「日中定期航空路への全日空乗り入れを政府に要望」と書いてあります。そうすると、若狭さんが間違っているか、あなたが言っておるのか、どちらかだと思いますが、いかがですか。 これで終わります。
○田中委員長 答えは簡単に。
○渡辺証人 私は日中定期航空をよろしくというようなことは言ってなかったと思います。
○田中委員長 坂井弘一君。
○坂井委員 大庭さんが融資問題で社長をおやめになる、そこに鈴木明良という人物が介在をしたということを、あなたがお知りになったのは、四十四年の十月の初めに築地署からの問い合わせのあった時点で初めて知った。その後、この融資事件の内容につきましてあなたは美土路さんには報告をした。 一点、伺いますが、運輸省に報告をされたということはございませんか。
○渡辺証人 私はそういうような記憶はございません。
○坂井委員 日付をもって申し上げます。四十四年の十月の二十三日、渡辺尚次、つまり、あなたの名前で報告を運輸省にお出しになっていませんか。
○渡辺証人 そういうような報告書を出したことは全くございません。
○坂井委員 あなたの名義で、つまり、あなたが、あなたの社内のだれかに命じられて出されたというようなこともございませんか。
○渡辺証人 全くございません。
○坂井委員 運輸省に提出をされたと私は断定をいたしました。その報告の内容、要点だけを申し上げますから、あなたの記憶に基づいて正確に御証言をいただきたいと思います。 一つは、日本興業銀行に金を積むという内容がこの中に書かれてあります。いま一つは、いわゆる佐藤政雄という金融ブローカーのことについて触れております。この二つについて、まず最初の日本興業銀行ということについて、あなたが知り得たのはいつでしょうか。
○渡辺証人 これは十月、築地の警察から照会が来て、大庭さんにその日にすぐに聞いて、その後で、その日に長谷村君に聞いたところが、長谷村君が、日本興業銀行に何か金が入るというようなことで、自分は聞いてみたら、そんなことはでたらめだということなので、大庭さんに言ってやめさせたということを、その日に長谷村君から聞いたわけでございます。
○坂井委員 次の、二番目に申しました佐藤政雄氏、一番最初にあなたが接触をされたのはいつですか。
○渡辺証人 最初も何も、一回きり会っておりませんが、それは十月の中旬だと思います。日にちははっきり覚えておりません。
○坂井委員 鈴木明良氏から聞かれたのは、いつでしょうか、お会いになって。
○渡辺証人 これも十月の中旬の初めのころでございますな。日にちははっきり覚えておりません。
○坂井委員 私は冒頭に申しましたが、四十四年の十月二十三日の報告の中に日本興業銀行あるいは佐藤政雄氏の名前が明示されておるということになりますと、その時点で、この二つの事実を知り得ておるのは大庭氏であり、そして長谷村氏である。同時にいま一人、鈴木明良氏である。それがこの報告書の中に書かれておるということ、これは一体だれがそういう事実を知り得て報告をしたのかという、はなはだ大きな疑問があるわけであります。あなたは否定されますが、私自身がそういう報告をした覚えはない、こうおっしゃるわけでございますけれども、重ねてもう一度その点について確認しておきたいと思います。全くそのような事実はないと否定されますか。
○渡辺証人 私は、どう考えても全く記憶しておりません。
○坂井委員 では、いずれこのことは関係する証人の証言において明確にいたしたいと思います。 そこで、続けてお尋ねをいたしますが、鈴木明良氏に会ったのは四十四年十月十三日が第一回でしょうか。その次には十一月の初めに会われた、これが二回目でしょうか。
○渡辺証人 日にちは私は記憶しておりませんが、会ったのは二回でございます。ですから十月に二回だと思いますが、あるいは、ずれていたかどうか、そこら辺のところは、はっきりいたしておりません。二回でございます。
○坂井委員 第一回には鈴木明良氏とあなた、それから鈴木専務が同席をされた。それが第一回だと思います。二回目は、つまり十一月の初めは長谷村氏が全日空の廊下で佐藤政雄氏と会った。そのときに三千億の融資依頼書と念書を取り戻した。そうして、あなたの部屋に、先ほどあなたは、その後、長谷村氏を呼んだ、こういうことでございますが、そこで、あなたと鈴木専務と鈴木明良氏、それから、そこへ長谷村氏、この四人があなたの部屋で会われたということだと思いますが、それは事実かどうか。同時に、そのときの話の要点は何であったかということについて、ひとつ簡単に証言をいただきたい。
○渡辺証人 それはちょっと事実に相違しておりまして、鈴木明良氏が佐藤何がしという人を連れてきたのは二回目です。それで、全日空の役員応接室で私と鈴木専務が会ったわけです。そのときに、佐藤何がしというのが、これは初対面ですが、一緒に来た鈴木明良に、全日空が新しく融資申し込み書を出すと言うから来たんだ、ところが全日空は出さぬと言っているじゃないか、おまえ、またうそを言ったなと言って、佐藤さんという人が鈴木明良をどなりつけておりました。それで、全日空は出さないのならいい、長谷村君を呼んでくれということで、その席に長谷村君に来てもらったわけです。それで長谷村君に、その前に私が聞いたところ、この事件に関係してない、大庭さんをいさめてやめさせたぐらいだという話を聞いておったので、君、そういうことなんでしょうと言ったら、その佐藤という人が長谷村君に対して、おまえ、何をうそ言っているんだ、そんなことを言うならここに書類があるよ、こう言われて長谷村君は私に、申しわけなかった、一回だけ大庭さんに言われて書類を出したことがあります。それで佐藤と鈴木という人は、長谷村君に用があるから長谷村君出てくれということで、長谷村君を連れて出ていったわけです。それが真相です。それから長谷村君が帰ってきたので私は呼びつけまして、君はどうして、うそを言うんだ、一体どういうことだと聞いたら、あなたにそんなことを言う義理合いはありませんと言ったので、私は、いやしくも君は顧問じゃないか、会社の中にいて組織を無視して仕事をするとは何事であるかということを強い言葉でたしなめました。それがそのときの状況でございます。
○坂井委員 香港から電話がありました。受話器をとられたのは、あなたでありますが、その際に、いわゆる全日空向けの金の用意ができたという趣旨の電話であったと思うのですが、金額まで電話の相手方は言いましたか。
○渡辺証人 秘書室から連絡があって、いま社長あてに電話が香港からかかっている。社長はいないと言ったら、渡辺専務出てくれと言うので、私は自分の部屋からら秘書室に飛んでいきまして出たところが、あなたのところから頼まれた金は香港で用意できた、ついては、どこに送ったらいいかというので、金額は言っていません。ただ、私が、そんな話は全日空でお願いしたことはございませんよと言ったら、おかしいな、それじゃ、しようがないと言って電話が切れたわけでございます。
○坂井委員 金額はありませんか、言わなかったでしょうかという質問であります。
○渡辺証人 金額は、私は記憶ありません。
○坂井委員 その際の電話は、あなたを指名して電話があったのじゃないでしょうか。いまの御証言によりますと大庭社長、私がかわって出たということでございますが、あなたにという電話ではなかったでしょうか。
○渡辺証人 秘書室から、社長あてにかかってきた、社長は不在だと言ったら、それでは渡辺を出してくれ、こういうふうに言っておりました。
○坂井委員 いずれ、この点につきましても別の証言者から明らかにしたいと思います。 東京新聞に、すでにこの香港という記事が当時、出た。大庭社長が退陣されます前々日の四十五年五月二十九日でありますが、香港からの融資の話を当時知り得た人は、渡辺さん、あなたがお考えになられる人、こうこうこういう人が知り得たはずだと思われる人は、一体だれだれでしょうか。
○渡辺証人 全くわかりません。私も、突然そういう電話がありましたので、それ以外のことは何も知らぬわけですから、全然わかりません。
○坂井委員 ごく限られた人であるはずであります。常識的に。私から申し上げましょう。 大庭さんは当然、知っておる。長谷村氏、鈴木専務、あなた、若狭さん、鈴木明良、それからもう一人アイデアル工業の会長の錦織さん、以上七名。少なくとも、この金融事件、香港からの電話の内容の示す金融について知り得たのは、私はこの七人であろうと思いますが、いかがでしょうか。
○渡辺証人 私は、この事件に関係しておりませんので、全然わかりませんです。
○坂井委員 いや、この七人は当然、知り得たでしょうと私は申し上げているわけであります。いかがでしょうか。
○渡辺証人 自分のことはわかっておりますけれども、いまの錦織さんがどうだとか、こんなことで話し合をしたこと全然ございませんから、推測で申し上げるわけにはまいりません。
○坂井委員 では結構です。それも後ほどの証言者で明らかにしていきたいと思います。 若狭さんが社長になります当時、あなたは、当時の大庭社長から話なんか全然ない。つまりオプションのことに関してお聞きしたいわけでありますが、どこからも話はないのでありますけれども、どこからともなく聞こえてきた、話をする人がないのに、どこからともなく聞こえてくるというのは、また奇々怪々な話でありますけれども、つまり、だれとはなしに、どこからともなく、DC10、ダグラス社が全日空に対しての飛行機がつくられつつあるという話をあなたが聞かれたのは、若狭さんが社長に就任する前でしょうか、それとも、その後でしょうか。
○渡辺証人 就任した後、しかも私が七月にダグラスのロールアウト式に出まして帰ってきた後でございます。
○坂井委員 就任した後、四十四年七月のことを、あなたは指すのだろうと思いますが、しからば、その後、四十四年の十二月に至りまして、ダグラス社から全日空に対しまして、オプションを出してもらいたい、正式なる契約を全日空として出してもらわないと困るという文書による要請はなかったでしょうか。
○渡辺証人 先ほど申し上げましたように、四十四年の八月に三井がダグラスの代理店になったわけです。その後、何回か、早く契約をしていただきたいとか内示していただきたいというような書類が、大庭さんあて、あるいは調達施設部長あてに何通か来ております。そういう書類は、やはり現在もございます。
○坂井委員 その十二月、私が指しておるのは四十四年十二月の段階であります。四十四年十二月にダグラス社から、いずれにしろ早く全日空として契約してもらわないと困るという強い要請書が全日空に届けられた。それに対して、いままだオプション、正式契約はできないというノーの回答を出したという御記憶はございませんか。
○渡辺証人 文書による、そういうような回答を出したということは全然聞いておりません。ただ、そういう申し出に対して、全日空は目下、機種選定中でありますから、どの機種にするというようなことはできようがありませんよというようなことは、口頭で担当者が言ったということは聞いております。
○坂井委員 いま申します当時のダグラス社から、あなたの社に対する強い正式要請の文書、これはいま、あなたの社にありますか。
○渡辺証人 私、一々全部見ておりませんけれども、書類は、来たのは、みんなあると思います。
○坂井委員 もし、あれば御提出いただけるでしょうか。
○渡辺証人 もろちん、お出しして結構だと思います。
○田中委員長 証人、書類は出せますね。
○渡辺証人 ちょっと修正させていただきますが、私、副社長でございますので、私はいいと思いますが、帰りまして社長にも言いまして、私では——そういう書類は別に秘密のものではございませんから、差し上げて結構だと思っております。
○田中委員長 では提出してください。
○坂井委員 最初の質問に返りますが、あなたは、一番最初に、どこからか聞こえてきたのだ、その聞こえてきたのが若狭社長就任後である、大体七月の時点であると、先ほどの御証言であります。その聞こえてきたのは、全日空社内からですか、それとも社外からでしょうか、一番最初にあなたが耳にしたのは。
○渡辺証人 別に、そう何回もというわけではありません。これは社外でございます。新聞社の方だったと思います。
○坂井委員 社内のどなたからか、お聞きになりましたですか。
○渡辺証人 社内からは一切聞いておりません。
○坂井委員 松田調達部長とあなたは、この件につきまして話し合い、あるいは相談をされたことはございませんか。
○渡辺証人 この件に関してとは、どういう意味でございましょうか。同じ会社の中におりますから、仕事の話はしょっちゅうやっておりますけれども、別に三井がオプションしていたとか、していないとか、そういうようなことについては一切話をしたことはございません。
○坂井委員 松田調達部長から、すでにダグラス社において全日空向けの飛行機がつくられつつあるとか、あるいは、その仕様書の内容等につきまして、あなたに報告はございませんか。
○渡辺証人 報告はございませんでした。
○坂井委員 先ほど、あなたは、大庭社長が退社するとき、つまり四十五年の五月の二十九日の夕方の六時ごろと明確に大庭さんは証言されているわけでございますけれども、若狭さんとあなたに、オプションのことが非常に気になったものだから引き継ぎをしたと明確に証言されたわけでありますが、あなたは、そういう事実は全くなかったと、これまた明確にそれを否定されたわけであります。したがって、あったかなかったかということにつきましては、少なくとも、あなたの証言に関する限りは、これを完全に否定をされておるということでありますが、しかし、少なくとも、この事実関係をずっと見てまいりますと、当初、若狭社長が就任されまして、そして若杉社長とお会いになった七月段階ですか、その際に、どうも気になったから確認をしたならば、法的にも道義的にも全日空には責任はないという回答を得たということでもって、オプションは一切なかった、こう、あなた方は決めつけている、断定をされていらっしゃるわけでありますが、しかし、少なくとも、その言質を得たということと事実関係とは、これは全く関係がないということだと私は思いますし、同時に、この事実関係、事実的な行為というものが着々と進行しつつあった、この行為の存在そのものに対しての答えには実はなっていないわけであります。その答え、つまり法的にも道義的にも責任はない、そういう答えを得たということは、事実関係、事実の存在に対する答えではない。少なくとも事実関係は、今日までの経緯を見る限りにおいては、大庭証言のごとく、ダグラスのDC10が全日空向けとしてつくられつつあったということの事実関係だけは、私は否定し得ないと思う。 そこで最後に一点、そのことに対して率直に、あなたは、あくまでも大庭オプションがないということを、ここで明言できるかどうかについて、率直にひとつ見解を伺って、証言をいただいて終わりたいと思います。
○渡辺証人 オプション契約は、全日空では書類をもってやる契約、しかもオプションだけの契約ということは過去においてやったことはございません。確定機が前提になってやる契約であります。したがいまして、そういうようなオプション契約というものが存在したということは、いまもって、とうてい私は信じられません。これははっきり申し上げておきます。
○田中委員長 河村勝君。
○河村委員 このロッキード事件が公になった時点で、全日空がロッキード社から購入する予定のトライスターは二十一機であったと思いますが、そのうち十四機が購入済みで、なお残りはまだ引き取っていないということだと思いますが、その後、一体この飛行機の引き取りの状態はどうなっておりますか。
○渡辺証人 その後、十六機まで、もう到着して国内線に就航いたしております。それから、あと二機は、まだアメリカに置いてあります。その後の機材については、今後のいろいろな状況を見た上で、正式に引き取る日にちとか、そういうようなことをやる、詰めるということになっております。
○河村委員 その後の経過で、このロッキード問題に関連をして、児玉譽士夫が一九七三年七月に手数料契約を結んで、七機以降のトライスターの全日空が購入することについて、一機当たり五万ドルずつの手数料を払う、それから、ほかに年間五千六百万円のコンサルタント料を払う、こういう契約を結んでいることは御承知だと思います。であれば、もし、あなた方が、この件について一切かかわりがないということであれば、当然、この購入について、価格、値段の交渉をされるはずですね。その際に、こうしたものを、それまでの間には購入価格の中に入っておったはずだ。そううものを差し引くべく交渉されるはずだと思いますが、その点は一体どうなっておりますか。
○渡辺証人 いままで私が知り得たところでは、全日空が購入した機体価格というのは、アメリカその他、世界各国で購入した価格の中で一番安く買っておる。これはアメリカなんかは全部、法律によりまして取得価格を報告いたしておりますが、そういうものと比較しても一番安く買っておる。こういう事実はございますが、いろいろ何か余分な金が出ているというようなことが、もし事実であるとすれば、将来そういう問題については、当然やはり、いろいろ交渉をして、できるだけそういうものについて納得のいくような措置を講じなければいかぬだろうというふうには考えております。
○河村委員 しかし、その後の経過で、この手数料契約なるものは、その契約の実物も存在するわけですね。ですから、これについては疑う余地がない。少なくとも、それをあなたはダグラス社に確認をして、あなた、全日空として、それで現在の価格が、それを相場として安いかどうかは知らないが、しかし従来そういうものが払われていたことも事実でありましょうし、そういうものを確認をして、それで、その分ぐらいは引くという態度が当然とらるべきであると思うが、そういうことは、まだやっていないのですね。
○渡辺証人 この事件が起きましてから、ロッキード社には、社長名をもって、今回こういう事件が起きて、いろいろ何か問題になっておる、したがって、この問題がだんだん解明された暁においては、全日空としてはいろいろな措置をロッキードに対して要求いたしますよと、それについて十分なるひとつ考慮をしてもらいたいという文書を出しまして、それに対しましてロッキードの方でも、そういう問題についてはいろいろ善処したいという意味の文書は来ております。しかし、現在この事件が進行中でございますので、その後、具体的な詰めは行っておりません。
○河村委員 それじゃ、もう一つ伺います。 これは、あなたも御存じのアメリカ上院でのコーチャン氏の証言の中で、一九七四年九月二日付の正体不明の領収証があって、その金額が三千三十四万円、これが上院の追及の中でコーチャン氏は、これは全日空に対して追加の八機をファームアップするために支払われたものだという証言をしているわけですね。これは明らかに裏金が、全日空という特定の名前を挙げて、払われていることを証言をしている。 それからもう一つ、会計監査をやっておりますフィンドレー氏、これがピーナツ百個の中身を追及をされた際に、これは伝聞であるがという前提ではあるけれども、これは政府高官並びに得意先の航空会社の幹部たちに支払われたものと思っている。得意先の航空会社といえば、これはもう全日空を指すことは当然ですね。こういう名前を挙げております。このことに直接関連してではないけれども、当時、若狭社長は、このロッキードに対する態度として、今後、真剣にロッキード社と話し合いたいという旨のことを述べておりますが、しかし、これだけ特定の名前を挙げて非難を受けていれば、あなた方がもし潔白であれば、当然これは、それだけで名誉棄損の対象になるべき事柄だと思いますが、そうしたことについて、どのように社内では論議をされ、どのような行動をとろうとしておられるか、それを伺いたいと思う。
○渡辺証人 社長も私も、社長は、そんな金は全然もらってないと、私も全くそんな金はもらっておりませんし、また社内の主な幹部にも、そういうようなことにつきましていろいろ聞きましたが、だれもそんな金はもらっておらぬ。私はそれを信用しております。 それからロッキードに対しましては、いろいろ先方で言っている言い方が、伝聞だとか、そうではないかと思っているというような、いろいろ微妙な言い回しがしてありまして、直ちに、これを告訴に踏み切るとか、いろいろな点については、そう簡単にはいかないというような意見も、いろいろ弁護士等からも聞いておりますので、こういうものに対する対策につきましては、これは素人の考えというよりも、そういう専門家のいろいろ意見なんかも取り入れまして、今後、真剣に、どういう方法をとっていったらいいかということを進めていきたいと思っております。
○河村委員 伝聞という言葉を使っても、特定の名前を挙げて、とにかく前に述べた方は明らかに賄賂を贈ったという意味ですね。後段も同様であります。そのくらいはっきりしておれば、これは少なくとも名誉棄損罪は成立する可能性は十分あると思う。だから私は、この事件もずいぶん長くかかるわけですね、だから、じんぜん日を待つのではなくして、早急にとにかくやるべきだと思う、もしあなた方が潔白であれば。そういう気はありませんか。
○渡辺証人 先生のおっしゃる御意見も、ごもっともだと思います。私どもも、こういう問題は法律問題という非常に専門的な分野の問題もございますから、ただ感情だけで物を言うわけにもまいりませんが、私ども弁護士もおることでございますから、十分に真剣に討議をいたしまして、迅速に適切妥当な方法をとっていきたいというふうに考えております。
○河村委員 私は、なるほど事件は片づいていない、しかしこれだけのことは一日も早く明確にすることは当然とるべき態度だと思う。これはそう、弁護士に相談しなくたって、私はそうむずかしいことではないと思う。ぜひ、もしあなた方が潔白であり、それを主張したいと思われるならば、それをやることを私は要請します。 それから次に、先ほどから議論になっているオプションの問題でありますが、先ほどあなたは、先週のこの国会における石黒証言まで、オプションという言葉は正確ではないが、この契約を知らなかった、存在を知らなかった、そういう証言でしたね。私は今日まで知らなかったというところまで言うのは、どういうつもりなのか、その点に非常に疑問を持つのですね。一応、大庭社長退任、若狭氏就任、その時点の以前と以後に分けましょう。以後において、先ほどから、いろいろ話の出ておりますような内装の交渉とか、そればかりでなくて、三井物産とは別に改まった関係ではなくて、日常あなたは責任者として再三接しておられるはずだ。その中で、なるほど、このオプションそのものは全日空がやったのではなくて、大庭氏の依頼によって三井物産がファームオーダー並びにオプションをやったという事実は、おおむね判明いたしましたが、それにいたしましても、われわれの常識から言えば、ずいぶん長い期間です。その間にいろいろないきさつもあります。その間にそういう事実関係が全く話がされなくて、大専門家であるあなた方が全く事実を知らなかったというのは、余りにも常識に反するように私は思う。その点もう一遍、聞かせてもらいたいと思います。
○渡辺証人 もう全く常識に反することだという先生のお話、私もごもっともだと思うのですが、いま考えてみますと、三井の証言を見ても、何か犯罪行為を犯したような言い方をやっておりますね。全日空の飛行機を頼むのに、なぜそんな、ないしょにしなければいけないのでしょうか。大庭さんがいる当時から、何回となく大庭さんあての文書、調達施設部長あての文書、これに一言もそういうことは触れてないのです。何月までに申し込んでもらえば何月に納められる飛行機がありますから発注してくれませんかと、ずっと長く文書をよこして、全日空に対して、大庭さんがオプションしたとか、そういうことは何もわからないように、わからないように、もうひた隠しに隠して、大庭さんもまたわれわれに一言も言わない。常識的に考えれば何かここに犯罪行為でもあったのではないだろうかというところまで実は考えられますけれども、恐らく、まあ、ほかの事情があって、ひた隠しにされたと思うのですけれども、みんなが寄ってたかって隠そう隠そうと思っているのを、私どもが不明にしてわからなかったということは、何としても、これは皆さんから御批判を受ければ、だらしないと言われれば御批判を受けますけれども、私は善意を持っていままでの人生を歩んでまいりましたし、長年の全日空の歴史でそういうばかなことが起きたことは全然ございませんでしたので、夢にも思わなかったわけでございます。この点は、私はばかだと言われれば甘んじて受けますけれども、全く残念でたまりません。
○河村委員 私は前回の国会の証人喚問の際にも、あなた並びに若狭さんに対して繰り返してその点をお尋ねしているのです。それはダグラスのオプションですね、これは三井物産が責任を持ってやったにせよ、あるいは大庭氏個人が独断でやったにせよ、いずれにせよ、あったこと自体は、あったからといって別段差し支えないことであって、要は、問題は、それがどうあろうと、結局、全日空としては少なくとも、その後トライスターの選考の過程に何があったかということだけが本当の問題なわけですね。三井物産がかなり強い依頼を受けたにせよ、自分たちのリスクにおいてダグラスの契約を結んだということは、当時からわれわれも大体知っておりました。だから、なぜ、そうがんばるのか私には意味がわからなかったから、むしろ余りがんばると、かえってその後のトライスター選考過程が何か後ろ暗いことでもあって、それでがんばるのではないかというところまでお尋ねをしたのですけれども、しかし、結局それに対する直接お答えではなくて、三井物産の若杉氏との会談の際に、道義的、法律的責任がないという言質があったというお答えにとどまってしまったわけです。 きょうもやはり同じでありますが、これ以上お尋ねをしても答弁は変わらないと思いますが、最終的に、引き継ぎ以後の時点についてのお話は伺いました。この以前においても全くこのことは、あなた方としては知らなかったということでございますね。
○渡辺証人 全く知りませんでございました。
○河村委員 エアバス導入延期のことで一つお尋ねをいたします。 とれも先ほどから話に出ていることでありますが、全日空として昭和四十五年十二月に、四十七年後半から大型ジェット機三機の導入を計画している。ところが先般、三井物産の石黒氏の証言によりますと、四十四年四月、春には、もうすでに日航においてはこのエアバスの導入を四十八年まで延期を決定しております。それで、こういう新しい機種の導入の際には、まあ失礼ですが、全日空の場合には後発であって、少なくとも当時は日航よりも先にやるというような体制にはなかったと思う。それにもかかわらず四十五年の十二月の計画で、なぜ四十七年導入を決定したのか。日航の方は四十八年度導入ですね。平素、非常によく話し合っておられるにもかかわらず、わざわざ四十七年度導入を決定されたのは、どういうわけなんですか。
○渡辺証人 いま先生のおっしゃった四十五年十二月に五カ年計画を立てまして、このときの需要の見通しは、大体、年間の増加率が、対前年度一三五%ないし二二八%ぐらいというふうに、非常に伸びる当時の計画だったわけです。やはり当時、日本航空でも四十七年から入れるという計画になっておったわけです。ただ日本航空が、この大型機を四十八年に延期すると言ったのは、新しく国内線専用としての大型機を四十八年に延期するということであって、その場合に国際線で使っていた飛行機を、とにかく一年間仮に突っ込んでいこう、こういうことを言い出したわけです。そこで私どもは、これはおかしいということを申し上げたわけでございます。
○河村委員 そうすると全日空としては、日航が全体の大型機の導入は四十八年ではあるが、四十七年に国際線のものを国内線に転入する、それに対抗するために四十七年度導入を計画したということですか。
○渡辺証人 いや、それは全く違うのでございまして、四十三年、四十四年ごろの、お客が非常にふえてきた状況を踏まえて、日本航空も全日空も四十七年の四月ごろには大型機を入れる必要があるだろうというので、両方とも、そこで大型機必要というような計画を立てたわけです。ただし日本航空は、その後になりまして四十四年の、これはいつか私はよく知りませんけれども、報ずるところによりますと、七月ごろに、いわゆる国内線専用のやつはちょっと待とう、それで、その間は国際線のやつを仮に使っていこう、こういうふうに計画を変更したようです。したがいまして、四十七年四月というのは前からあったわけです。
○河村委員 時間が来たようでありますから、最後にお伺いいたしますが、先般の石黒氏の証言によりますと、四十六年五月、三井物産からあなたのところに、押さえてある飛行機を引き取ってもらいたいというような申し込みがあった時点ですね。その時点で、すでにもう全日空として、そのときのあなたの発言として、そのころ物産としては、もうあきらめて、それでイギリス、トルコ等に転売を決意した、こういうことであったので、なぜ、その時点であきらめたかと聞いたら、渡辺さん、あなたが石黒氏に対して、全日空としては四十九年導入になりますよ、そう言ったもので、三井物産として押さえてある飛行機を、もう納期が来てしまって間に合わないから、だから転売を決意したのだ、こういう証言があったわけです。 ところが、四十六年の五月といいますと、四十六年六月一日、これが例の運輸省が六月一日メモと称して日航に対して、いろいろなデータをもって、何とか延期しろ、延期してもらいたいという指導をやっている最中で、日航は、それに抵抗している最中なんですね。ところが、この証言が正しいとすれば、その前の四十六年五月に、あなたは、もうすでに大型ジェット機の導入は四十九年になりますよ、こういう発言をしておるということになりますと、そうすると、あなたは、すでに運輸省等と十分な緊密な連絡を保って、大体もう最終的に見通しをつけておった、そういうことにならざるを得ないと思いますが、その点はどうですか。
○渡辺証人 石黒さんが、当時、私が、そのころ四十九年度になると言ったというようなことをおっしゃっていますが、それは私は記憶いたしておりませんけれども、しかし、四十六年の、もうすでに二月には、運輸省から、四十七年の四月に大型機をお互いに競い合って入れたら、これは供給過剰になるし、経営を圧迫するし、これは非常に大変なことになるのじゃないですか、役所がいろいろ計算してみると、四十九年くらいが適当じゃないかと思うけれども、まあ両社でよく相談してください。もう現に二月から話がございまして、日本航空とはいろいろ話し合って日本航空も、この問題は余り無理押しはできぬ、何とか入れたいけれども無理押しはできぬという雰囲気は、私は日本航空の人と話し合っておって察知できていたわけです。余り無理押しはできない。だから、全日空も必要なら共同運航でもやってあげますよ、あるいはマークをつけてあげますよとか、いろいろ言っておりましたが、まあ、余り無理押しはできないかなという雰囲気は、私には察せられておりました。これは日本航空との交渉でございます。
○河村委員 終わります。
○田中委員長 証人渡辺君に対する御発言は、これで終わりました。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。渡辺さん、ありがとう。御苦労さま。それで一時三十分まで休憩をいたします。 午後零時四十三分休憩 ————◇————— 午後一時四十一分開議
○田中委員長 休憩前に引き続いて会議を開きます。 ロッキード問題に関する件について長谷村資君より証言を求めることといたします。 証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。 昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をしなければならないことになっております。 宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係にあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときであります。また、医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたるときにも証言を拒むことができます。 そして、証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をなしたるときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。 一応このことを篤と御承知になっておいていただきたいと存じます。 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。全員御起立を願います。 〔総員起立〕
○田中委員長 長谷村君、宣誓書を朗読してください。
○長谷村証人 宣誓書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。 昭和五十一月六月十六日 長谷村
○田中委員長 それに署名を願います。 〔証人、宣誓書に署名捺印〕
○田中委員長 御着席を願います。 これより長谷村証人に証言を求めることになっておりますが、証人は、証言を求められた範囲を越えないように願いたい。また、御発言の際には、その都度委員長の許可を受けて発言をされるようにお願いします。 なお、こちらの質問が続いておる間は着席のままで結構でありますが、お答えの際は必ず起立して発言をするように願います。 —————————————
○田中委員長 これより証人に対する証言を求めます。 まず、委員長より所要の事項について先にお尋ねをいたします。その後、委員各位の御発言を願うことにいたします。 証人、あなたは長谷村資君ですね。
○長谷村証人 そうでございます。
○田中委員長 御住所、職業、生年月日、この三つをお答えください。
○長谷村証人 東京都港区南青山五の十二の二十四の二〇五。大正十五年二月一日生まれ。日本航空株式会社営業本部審議役でございます。
○田中委員長 次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。まず、瀬戸山三男君。
○瀬戸山委員 まず最初に、ごく概略でよろしいですから、証人の略歴をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
○長谷村証人 お答えいたします。 昭和二十三年三月、東北大学を出まして、日銀に入行いたしました。三十年、日本輸出入銀行へ出向いたしました。その後三十五年からアラビア石油株式会社、三十九年、富士石油株式会社、三十九年の九月から佐藤榮作先生の秘書をいたしました。四十三年五月に退職しまして、同年の六月、全日空へ入社いたしました。四十五年五月末、全日空を退社いたしまして、現在の日本航空には四十五年の十一月入社して今日に至っております。
○瀬戸山委員 全日空には何か顧問ということでおられたそうですが、顧問というのはどういう役柄で、特にその当時の社長の大庭哲夫氏との関係といいますか、間柄といいますか、それを簡単に御説明願いたいと思います。
○長谷村証人 お答えいたします。 大庭哲夫さんは、私が入社いたしましたときは副社長でございまして、当時の社長は森村勇さんでございます。顧問の役割りと申しますか仕事は、社長、副社長よりの特命事項を担当いたしておりました。所属は企画室におりました。
○瀬戸山委員 これから私がお尋ねすることは、おおよそ証人の方で新聞あるいは雑誌等、いわゆる報道機関にいろいろな機会に発言されておるようであります。いろいろに伝えられておりますが、きょうは申し上げるまでもないことですけれども、この国会の委員会の場で証人として宣誓をされております。これからお尋ねすることについては、過去の発言等いろいろあると思いますけれども、いろいろ違った点もあるように思いますので、冷静にひとつ整理をして、国民の前に事態を明らかにするというのが目的でありますから、どうかそういうつもりでお答えをいただきたいと思います。 そこで、まず第一に私がお尋ねしたいのは、あなたが全日空に入られて間もなく、昭和四十四年当時の模様でございますが、全日空に対して資金の融通をしよう、融資のあっせんといいますか、世話をしようという申し出がいろいろあったようでございますが、そういうことがあったかどうか、あったらどういうかっこうであったかの、あらましを御説明いただきたいと思います。
○長谷村証人 前後四回あったように記憶しております。 当初は四十四年の六月十日前後だと思いますが、当時昭和石油株式会社の社長室におられました堀井氏から、と同時にまた成田努氏からお話がございました。 本件は、最初は、アラブ産油国と申しますか、そこの資金がスイスだとかあるいは中東系のイギリスの銀行、アメリカの銀行に預けてある、その資金を貸し付けたい、こういう話でございました。関係者と接触いたしまして十分調査もいたしました結果、本件はおかしいと判断いたしまして、八月の初旬だと思いますが、成田さんにも御連絡をいたし、御了承いただきまして本件を打ち切り、関係書類すべて回収いたしております。この際の書類はすべてコピーでございます。 第二回目は、同年の八月二十五、六日ごろではなかったかと思いますが、鈴木明良氏という方が見えまして三千億の融資の話を持ち込まれました。 本件につきましては、私ちょうどそのとき外出をしておりまして、午後二時ごろだったと思いますが、帰りまして、机の上の社長からの呼び出しのメモを見まして社長室へ参りました。そのとき大庭社長から二枚の名刺を見せられました。その名刺は、原田憲代議士と大石武一代議士の名刺でございました。それぞれ、全日空社長大庭あての鈴木明良氏を紹介する旨の名刺でございました。そのとき大庭さんは、私にその名刺を見せまして、鈴木明良という人は元代議士であって内閣委員長までやられた方である、そして現在大蔵省特殊資金運用委員会の委員ということで見えた。そこで、外国からの資金があるのだが全日空で使わないか、こういう申し出があって、先方が用意された融資、申込書の依頼書とそれから念書を出されたようでございます。そのときに大庭さんは、指定銀行にこの資金が積まれたことを確認した上で取締役会に諮って、そうして承認を得てその上で融資契約を結びたいがよろしいかと念を押されたそうでございます。よろしいということで、社長印を押して渡した。そのとき私を呼ばれたそうですが、私がいなかったものですから、おまえに相談することができなかった、こう申されました。 私はそのお二人の名刺を見ましたときに、この名刺はこの融資問題とは関係なくて、単なる大庭社長への紹介状である、こういうぐあいに判断いたしまして、これはおかしい。そこで大庭さんに、指定銀行が日本興業銀行になっておるが、私は興銀の正宗頭取にこのことを確かめたい、こう申しましたら、大庭さんはぜひそうしてほしい。そこで、すぐ興銀の頭取秘書役である住吉さんに電話をいたしまして、頭取にお目にかかりたい旨を連絡いたしました。当日夕刻アポイントがとれまして、八重州口にあります興銀本店の頭取応接室でお目にかかりました。そのとき本件を話しますと、頭取はある製鉄会社の話をされまして、融資の申し込みがあったが、資金は興銀には結局積まれなかった。全く同じような融資申し込み話である。そこで、その製鉄会社は回収に大変苦労をされておる。用意周到といいますか、準備を十分にされて、早急に本書類を回収されるように、こういうアドバイスをちょうだいしました。そこで、取って返しまして、この件を大庭さんに報告いたしました。善後策を相談いたしました。その結果、何せ書類が大庭社長印を押した書類でございますので、この回収に失敗いたしますと直接社長へ責任が及ぶことになります。そこで私が担当者になりまして、私がすべて本件を担当して処理に当たる、こういうことで書類をつくり直しました。
○瀬戸山委員 四回そういうことがあったというお話でありますが、いま二回のお話を承りました。最初の分は昭和石油の堀井さんあるいは成田努さん、これは前に成田空港の総裁をされた人じゃないかと思いますが、それはどこでどういう形でそういうお話があったのか。だれに直接お話があったのか、それをまず聞きたい。
○長谷村証人 成田さんからは私に電話がございまして、そしてこの融資の話を検討してみてほしい、こういうことでございました。
○瀬戸山委員 それはどういう関係で問題にならなかったわけですか。
○長谷村証人 関係者に接触しまして説明を求めてまいりました。そのときに、途中からアメリカ大使館とか大蔵省とかそういうのが出てまいります。最後は大蔵省の銀行局長が会社へ見える、こういうことでございました。それで、八月の初めだと思いますが、会社にお見えになりました。ところが、この人はにせものでございました。そこで、全く本件はおかしい、こういうことで打ち切ったわけでございます。
○瀬戸山委員 八月の初めに会社に見えたというが、にせものだというが、それは何ということで見えた何という人ですか。八月の初めに見えた、にせものだったという、銀行局長ということで見えて銀行局長じゃなかったということですか。何という人だったですか。
○長谷村証人 お答えします。 大蔵省の銀行局長の青山と名のって見えました。しかし、私は青山さんをよく存じ上げておりますので、すぐにせものだということがわかりました。
○瀬戸山委員 昭和四十四年の八月というお話ですが、日というのは年月がたちますとそう記憶に正確でないのが普通ですが、多少前後しておるのじゃないか、私はそういう気がしておるのですけれども、何か佐藤何がしという人が最初に持ってきた話じゃないのですか、これは。
○長谷村証人 それは違います。
○瀬戸山委員 いろいろ伝えられておるところでは、最初に話が来たのが佐藤何がし、また伝えられているのは佐藤政雄という、あるいは通称木内とか、こういうのがいろいろ伝えられておりますが、そういうことにあなたは記憶がありますか。そういう関係があったことを御存じですか。
○長谷村証人 途中からそういう人たちが参りましたけれども、最初のときはその方ではございません。河野某と名のる男でございました。
○瀬戸山委員 最初、最初と言いますが、最初に来たのは、さっき言った昭石の堀井それから成田、その前に何かあったわけですか。
○長谷村証人 昭石の堀井氏それから成田さんからの紹介があって、見えましたのが河野某でございます。
○瀬戸山委員 そうしますと、あなたは昭石の堀井氏あるいは成田氏から最初話があったということですが、いまのお話だと、それは紹介でというお話ですが、直接堀井氏や成田氏に会ってその話を聞いたというわけじゃないのですね。その紹介で、いま言われた河野某という人、その人が事の始まりということですか。
○長谷村証人 さようでございます。
○瀬戸山委員 こういう問題は、少し時間がありませんから細かく聞くいとまはないのですけれども、正確にお話をしていただかないと、先ほどのように直ちに昭石の堀井あるいは成田から最初話があった、それとその紹介で河野という人から直接話があった、これは世間に対して非常に違ったことになりますので、その紹介というのは、どういう形で紹介してまいりましたか。
○長谷村証人 お答えします。 昭石の堀井氏からは、当初昭和石油でその資金を借りたい。そういうことで申し入れたところが、外国資本が入っているということで断られた。それから同時に、当時東洋曹達工業株式会社の会長名で融資申し込みの依頼をしています。その書類を私に見せました。こういう形で申し込んだ、こういうことでございました。そこで、私は関係者に会いたいと申し入れましたら、河野某氏があらわれたわけでございます。そこで、私は河野氏という方を存じませんので、しかるべきちゃんとした人の紹介がなければ私はこの話を受けるわけにはまいらぬ、こういうことで帰したわけでございます。そうしましたら、成田さんから私にお電話がございまして、この融資話を聞いて検討してみてほしい、こういうことでございました。
○瀬戸山委員 最初に申し上げておりますように、事態を明らかにするためことさらに宣誓を求めておるわけですが、あなたの話を簡単に聞くと、非常に間違った方向にいくような気がしてたまらないわけです。いまのは大変順序が違っております。 それはそれとして、時間が非常にありませんので、切り詰めてお尋ねしますが、先ほど八月とかいう話がありましたが、あなたなりあるいは大庭前社長なりが名前を書いて判を押したというものなどいろいろ伝えられております。それによると、昭和四十四年六月十六日といういわゆる申込書あるいは念書というのがいろいろ伝えられておりますが、その事実はどうですか、日時は。
○長谷村証人 お答えします。 たしか六月の十七日ではなかったかと思いますが……。
○瀬戸山委員 それが最初に、先ほどお話がありました申込書あるいは念書というものを出したときですね。
○長谷村証人 さようでございます。
○瀬戸山委員 その最初に来たときには、杉村鉄二郎という人が来て大庭社長と直接話をした事実はありませんか。
○長谷村証人 そういう事実はございません。その方が見えましたのは、九月になってからでございます。
○瀬戸山委員 第一回目に、昭和四十四年六月十七日という文書が世間に出ておる。そのときには、その念書なりあるいは申込書というのですか、それを書かれたのはどこでどなたがつくられて判を押されたかということです。それから、何通つくられたかということです。
○長谷村証人 書類は私が作成いたしました。そして、これは融資の瀬踏みといいますか、打診ということでございますので、本書を私が保管いたしまして、コピーを相手方に渡しました。融資申込書一通と念書がたしか二、三通ではなかったかと思います。いずれもコピーでございます。
○瀬戸山委員 いろいろ伝えられておるところを見ておりますと、あなたは念書というものを五通つくっている。コピーされたのでしょうが、一枚は自分で保管する、そういうことを書いておられるところもあるようであります。それで、四通というものを渡したということになっている。渡したのは、だれにどこで渡されましたか。
○長谷村証人 社長応接室だと思いますが、大庭社長と私、大庭社長に同席いただきまして、その前で河野某なる者に渡しました。
○瀬戸山委員 河野某というのは、大蔵省の銀行局長というものを偽って来た人だとさっきおっしゃったようですけれども、それに渡されたのはどういうわけですか。
○長谷村証人 銀行局長とは関係ございません。
○瀬戸山委員 そうすると、それはどのくらいの金額を融資を受けるということで——これは大変なものだ、社長の判も押してありますし、あなたの判も押してある。それを先ほどあなたは信用ならぬというようなことを懸念しておられたいというのですが、信用なりそうなあるいはその河野某という人はどこのどういう人であるかということを確かめて渡したのですか。
○長谷村証人 金額は五百億でございました。河野某氏に渡しました後、資金の説明を詳しく求めました。そうしましたら、かわって別の方が参りました。それは島津某と名乗る人でございます。
○瀬戸山委員 河野とか島津とかたくさんありますからね。島津某、河野某だけでは、これほどの重要な約束をするときにちょっとこれは常識的におかしいのですが、名前は御存じないのですか。
○長谷村証人 お答えします。 名前は、私、承知しておりますが、捜査のじゃまになるといけないと思いまして、私は下の名前を申し上げておりません。どうしても申し上げなければならないということでしたら申し上げますが、委員長、いかがでございましょうか。
○瀬戸山委員 あなたは、このいま一連のロッキード事件というものに関連して、警察なり検察の捜査でいろいろ事情を聞かれたことありますか。
○長谷村証人 ございます。
○瀬戸山委員 それには真実を語っておられますか。
○長谷村証人 すべて真実を語っております。
○瀬戸山委員 それならば、これは国会ですから、知っておられたなら、河野何がし、島津何がしと明らかにされたい。
○田中委員長 証人に委員長から一つ申し上げますが、姓名を明らかにすることは捜査に影響はない。何の何がしがどうしたということを言うんじゃないですね。姓名は仰せになったらいかがでしょうか。大したことはない。
○長谷村証人 河野雄二郎でございます。
○田中委員長 どんな字ですか。
○長谷村証人 英雄の雄に数の二の太郎の郎でございます。 それから、島津正久です。正しい久しいと書きます。
○田中委員長 はい、御苦労さん。
○瀬戸山委員 巷間伝えられておりますのは、昭和四十六年六月十七日の申込書というのは、三千億と書いたのも五千億と書いたのもいろいろ回っておるのですが、それはどういう事情か、たとえば五百億というのはその申込書に書いてあったのかどうか、それを明らかにしてください。
○長谷村証人 五百億でございます。それが後ほど五千億に改ざんされておりました。
○瀬戸山委員 時間がありませんので、もう一つ、次に移ります。 第二回目のときには、先ほど名前が出ましたが、原田憲代議士、大石武一代議士の名刺を持ってきて、鈴木明良という人を紹介するという名刺を持ってきた。そこで、大庭社長一人のところで、あなたが外出中であった、帰ってきて呼ばれて云々というお話がありましたが、そうすると、あなたが大庭社長に呼ばれて会ったときには、もうその念書とかあるいは申込書というのはつくって相手方に渡してあったということですか、どうですか。
○長谷村証人 相手方が持参したものに社長印を押しまして、相手に渡してしまってございました。
○瀬戸山委員 そうしますと、そういう書類にはあなたの名前は書いてないんですか、書いてあったんですか、判を押してありましたか、大庭社長のほかに。
○長谷村証人 私の名前は記載されておりません。
○瀬戸山委員 時間がありませんからはしょって聞きますが、あなたはその後、これを大分回収をされた。何通ぐらい回収されました。
○長谷村証人 そのときに渡しました書類は翌日に回収しまして、別の私の名前の入ったものを差しかえて渡しました。その渡した数は、融資申込書一通と念書四通でございます。その合わせて五通、すべて十一月末までに回収を終わりました。
○瀬戸山委員 伝えられておるところは、さっきいろいろ申し上げましたように、報道機関にいろいろ書いてある。それによると、四十通以上を非常に苦心惨たんをして回収したというふうに伝わっておるのですが、それは違いますか。
○長谷村証人 違います。
○瀬戸山委員 正確に言うと、何通です。
○長谷村証人 融資申込依頼書一通と念書四通、それからコピーが全部で五通ないし六通だと記憶しております。
○瀬戸山委員 念のために聞きますが、先ほどあなたは大庭社長だけのところに鈴木明良という人が、原田代議士あるいは大石代議士の紹介名刺を持ってきておった。それを社長から見せられた、こういう話をなさいましたが、たとえば原田代議士の名刺はどういう種類の名刺で、何が書いてあったか。当時、私の考えでは、原田代議士は運輸大臣であった。その名刺は運輸大臣の名刺であったかあるいは単なる衆議院議員の名刺であったか、あるいは何も書いてない名刺であったか。それにペン書きか何かでつけ加えてあったか、大石代議士も同じでありますが、それはどうですか。
○長谷村証人 衆議院議員原田憲とその活字は名刺の左すみにございまして、全日空社長大庭哲夫あてに鈴木明良氏を紹介する旨記載されていたように思います。
○瀬戸山委員 後で関連で質疑される方がありますからはしょってお尋ねしますが、結局これはだめだったんでしょう。最初のときも怪しいと言われて、これもだめになって回収するということなんですが、しかもこれよりも、あなたの五百億、巷間伝わっているのは三千億とか五千億とかいう文書が流れておるという。これはどういう金にそういう融資あっせんが来るし、また五百億の金を必要とするかっこうで——あなたは金融関係の出だからということで、あなたに大庭社長がいろいろ相談をされたという話ですが、何の金にそれが必要だったのですか、それを心得ておられたわけですか。
○長谷村証人 何の金かと言われましても、大庭社長からは、そういう金がもしも借り入れることができるならばこれは結構な話である、しかしこういう話はまず信用しがたい、これは私も同感でございます。そういうことで十分注意しながら本件を進めるということでございましたから、この金を大庭社長がどういう形でお使いになるか、これは私にはわかりませんでした。
○瀬戸山委員 まあそれは証人ですから、私ども中身わからないのでお尋ねをしておるのですけれども、少なくとも五百億の金を——あなたは常任顧問としていろいろ特別な任務をいただいておるというお話であります。その五百億という金は、幾ら全日空大きい会社でも、そう小さな金じゃないと思うのですが、それを借りるのに、何に使う金かもわからない。しかも、怪しげな金だとみずからおっしゃりながら、こういうしかも——時間が短いから言いませんが、会社の印も押してある。あなたの印も大庭社長の印、認め印でしょうけれども押してある。ちょっと世間で解せないのですが、これこれの金を借りるについて、たとえば重役会とか役員会とかそういうものに、こういう金が要る、融資があるということなんだが、どうした方がよかろうか、どうしようかという相談をされたこと、ありますか。
○長谷村証人 大庭社長以外の相談をしておりません。
○瀬戸山委員 理解しがたいのですが、何かわけがあるのですか、それをもう一度……。
○長谷村証人 わけがあるかと申されましても、そういう資金が確実に借りられるというめどはどこにもございませんし、そういうものがもしも借りられればそれにこしたことはないというようなことでございましたから、これは調査をしながらその資金の所在をまず確かめて、そうしてそれが真実であればその資金を借り入れたい、こういうことでございましたので、途中でこの資金がおかしいということがはっきりしましたから、打ち切って回収したわけでございます。
○瀬戸山委員 なかなか了解しがたいところがありますけれども、やむを得ません。 その当時、いままでのこの委員会あるいは予算委員会の調べでは、ちょうど全日空では大庭前社長はダグラス社のDC10というものを三井物産を通じていわゆるオプションとか予約というか、申し込みをしておった。そういう関係で資金が要ると、こういうことでなかったのですか。
○長谷村証人 オプション問題につきましては、私はその衝にございませんので、一切関知しておりません。したがって、そのための資金であるかどうか私にはわかりません。
○瀬戸山委員 昭和四十五年になってから、大庭社長は五月三十一日ですか三十日か、やめられましたね。それはこの事件がきっかけになってやめられたんですか。あなたが先ほど言われた、紹介を受けてこういう膨大な金を借りるような、私から言うと、インチキみたいな金にかかわり合った、しかも、重役会にも諮らないでやった、そういうことが回り回って大庭社長は社長をやめられるようになったと、こういうことが言われております。しかも、それはいま問題になっておるロッキード問題とかかわりがあるんだ、そのためにそういうふうに仕組まれたんだというようなうわさが世間では流れておるのですが、あなたはずっとかかわり合っておって、いま考えてどういうふうにお考えですか。
○長谷村証人 ロッキード問題とはかかわりがあるかどうか、これは私にはわかりません。
○田中委員長 箕輪登君。
○箕輪委員 関連して御質問いたしたいと思います。 いま瀬戸山議員の質問で大体わかってまいりましたが、いまのM資金問題はロッキード問題と関係があるかないか私にはわからない、こういうことであります。大体、当時原田憲先生は運輸大臣でありました。その運輸省の記録によりますと、四十四年の八月八日、四十四年九月十二日、四十四年十月二十四日、大庭さんと若狭さん、また大庭さんと渡辺さんなどを呼ばれまして、運輸大臣が当時の問題であった全日空と東亜航空の合併問題の話し合いをいたしております。この事実があるんでありますが、したがって、いまロッキードと関係のある資金であったのかという質問で知らないとおっしゃったが、私はその話し合って合併問題やっている運輸大臣が、大庭社長追い落としの紹介状を書くようなばかなことは絶対にないと考えているのであります。 そこで、あなたにお聞きしたいんでありますが、その原田先生の名刺でありますが、いまどこにありますか、それをお尋ねします。簡単に答えてください。
○長谷村証人 お答えします。 この名刺は、たしか大庭さんが本件処理が終わりましたときにすべて焼却をしておられると思います。したがって、現在ございません。
○箕輪委員 もう一問お聞きしたいのでありますが、本院の予算委員会の記録を見ますというと、いまお話のありました鈴木明良氏に対する紹介状に関して大庭さんは——いまの原田さんの名刺でありますが、大庭証言は、午前においてはあなたのいまされた証言と同じことを言っております。原田さんの名刺とそれからもう一人大石武一先生の名刺を持ってこられた。ところが、午後になりましてから——これは大事なところであります。実はあなたから電話が来た。そうして、それによりますというと、原田さんは名刺を書いてないと言った。したがって、それを報告いたしますというような形で、午前中の証言をひっくり返したような言い方をいたしております。そうとれるような言い方をしております。 そこで、あなたにお尋ねしたいことは、あなたはそのとき電話をいたしましたかということについてお尋ねいたします。大庭さんに電話をしたかどうか、どうですか。
○田中委員長 簡単に。
○長谷村証人 電話いたしておりません。
○箕輪委員 以上、終わります。
○田中委員長 それでは、稲葉誠一君。お待たせしました。
○稲葉(誠)委員 長谷村さん、いろいろお聞きしますけれども、余りかたくならないで、ひとつ楽な気持ちで答えてください。 いまちょっと話が出たことしの三月一日の件ですね、その日のあなたの行動というのをちょっとお話し願えませんか。
○長谷村証人 午前中は、テレビで大庭さんの証言を拝見しました。その後、大庭さんが休んでおられますホテルオークラへ伺いまして、午後は大庭さんと一緒に一もちろん大庭さん休んでおられましたけれども、若狭さんの証言を拝見しました。五時ごろまでたしか御一緒したと思います。その後は、日銀時代の会合がございまして、そちらへ参りまして、夕刻九時半過ぎに私は、たまたま娘が試験の最中でございましたものですから、ホテルをとっておりまして、そちらへ帰りました。
○稲葉(誠)委員 あなたのおられる間にあなたにか大庭さんにか、国会の中からかどこからか何か電話がありましたか。
○長谷村証人 大庭さんが一度電話に出られたような記憶がございますが、その直後に私は失礼をしておりますので、その記憶しかございません。
○稲葉(誠)委員 そうすると、大庭さんがそのホテルオークラですかにおられるということを知っておるのは、予算委員会のメンバーのほんの一部だけだと思うのですが、どこから電話があったかは、あなた自身はよくわかりませんか。
○長谷村証人 わかりません。
○稲葉(誠)委員 大庭さん何か言っておられましたか、その電話を聞いて。
○長谷村証人 何も申しておられませんでした。
○稲葉(誠)委員 その電話、大庭さん答えているときは、あなたはいたわけでしょう。だから、どういうような意味の電話かは大体わかったわけでしょう。
○長谷村証人 電話口が別のところでございますので、その内容は一切わかりません。
○稲葉(誠)委員 じゃ、話、変えますが、あなたから見て、大庭さんはまだ任期があるわけですよね。それを途中でやめたんですが、それはどういうわけでやめたというふうにあなたはお考えになりますか。やめたのか、あるいはやめさせられたのかは議論があるとして、どういうわけでやめたのでしょうか。もっと楽な気持ちで答えてよ。
○長谷村証人 そうですね。このやみ金融事件といいますか、それが十一月だと思いますが終わりまして、翌年の五月にそれが再び蒸し返されまして、五月の下旬だと思いますが、どうもこの問題で大庭さんが責任を問われそうだというような気配を実は私は感じまして、そこで本件につきましては大庭さんに迷惑がかかってはならぬと思いまして、私が全責任を負って辞任しまして本問題を終結させる、こういうことで、五月二十九日に私は大庭社長に辞表を提出して退社をしております。その後に大庭さんが結局辞任することになるわけですが、私は、私が退社することによって大庭さんは残れるはずだ、とう確信しておりましたから、私にとっては大庭さんがやめられたことは全く意外でございました。
○稲葉(誠)委員 十一月に回収されまして、それによって会社に実害、金銭的な実害だとか、いろいろ実害があると思うのですが、実害が何か与えられたのですか。
○長谷村証人 金銭的な実害は一切ございません。
○稲葉(誠)委員 その話は、最終的に興銀かどこかへ金が積まれて、それがある程度確定してから取締役会へかける、こういう話ですね。だから、融資の依頼というふうに正式に言っていいかどうかはわかりませんが、予備的なものであって、これは社長個人でできる殿階のものではないのでしょうか。
○長谷村証人 金券でも手形でもございません。単なる融資申し込みの依頼でございますので、私はできる、こういうぐあいに見ました。
○稲葉(誠)委員 そこで、問題になってくるのは、一通のほかに四通書いたと言いましたね、その回収の問題なんですがね。 まずお聞きしたいのは、簡単に回収できたのが二通あるようですね。それから、なかなかむずかしかったのも二通あるというふうに聞いているのですが、ちょっと時間もあれですけれども、一つ一つ回収の経過を簡単にお話し願えませんか。
○長谷村証人 最初の二通は、その事件がありました四、五日後に鈴木明良氏の使いの方から回収しました。それから、十一月の初めに、これは会社の廊下で、佐藤政雄なる人物から念書と依頼書を回収しました。最後の念書一通は、十一月の中旬かあるいは下旬かと思いますが、小野武雄と言われる方から回収いたしました。
○稲葉(誠)委員 もう一通あるのじゃないですか。アイデアル工業が入っているものがあるでしょう。
○長谷村証人 お答えします。 それはすべてコピーでございました。
○稲葉(誠)委員 そこで、いまの佐藤政雄から全日空の廊下かどこかで会って回収したときに、あなたは、当時の専務の渡辺さん、いまは副社長だけれども、その部屋に行ったことがありますね。その間の経緯を少し話していただきたいのですよ。
○長谷村証人 たまたま廊下で佐藤政雄氏にぶつかったというのが適当ではないかと思いますが、彼は最初の融資話のときに、いろいろ連絡に来ていた男でございます。そこで、君はきょう何しに来たんだと私が尋ねましたら、渡辺専務から新しい融資申込依頼書を出してやるということで、前の融資申込依頼書、その書類を持ってこい、こういうことでしたと。一体だれから連絡を受けたんだと尋ねましたら、鈴木明良氏からだ、こういうことでございまして、そこで私は、彼が持っておりました融資申込依頼書とそれから念書を私に見せろ、こういうことで見ましたところが、八月の二十六日ごろだと思いますが、鈴木明良氏に渡したものに間違いございませんでしたので、そのままそこで私が回収しました。 そこで、その後専務室へ彼を連れてまいりまして、そうして専務室の中へ入れましたら、そこに渡辺、鈴木両専務とそれから鈴木明良氏がおりました。そこで、佐藤政雄氏は鈴木明良氏から持ってきた書類のことを聞かれておりました。それは長谷村さんにすでに渡した、彼がそう言いまして、佐藤政雄氏は私に、なぜ当初の自分たちが進めておりました融資の依頼の話を打ち切って、そうして鈴木明良氏の融資話を進めたのかと私をなじったのを覚えております。その直後、おれの仕事をじゃまするなという渡辺専務からの声で、私は退席いたしました。
○稲葉(誠)委員 あなたは渡辺さんの話をもうさっき聞いてなかったかもしれませんけれども、あなたはそのときいなくて、みんなが集まったところへあなたを後から呼んだんだと言っているのですよ、渡辺さんは。その点どうですか。
○長谷村証人 そういう事実はございません。
○稲葉(誠)委員 あなたの言うことが正しければ、渡辺証人が偽証しているとしか考えられないですね。これは後で明らかにしたいと思います。 そこで、いまあなたは、渡辺専務があなたに対して、何でおれの仕事をじゃまするかと言ったと、こう言いましたね。その経過ね、その前のことからの経過、ここが一番大事なところなんですが、そこら辺のことをちょっとお話し願えませんか。
○長谷村証人 本件につきましては、渡辺専務といわゆる話し合いといいますか、しましたのは、そのときただ一回だけでございます。したがって、それまでの経緯というものは、私は渡辺専務には一切説明をしておりません。
○稲葉(誠)委員 何でおれの仕事をじゃまするかということは、何なんですか、意味がよくわからない。そういう話が渡辺さんからあったことは間違いないのですね。あなたはそれをどういうふうに理解されましたか。どういうときにそういう言葉が出たんだろうか。
○長谷村証人 その前に香港の融資話がございまして、その香港の融資話といいますのは、大庭さんも私も全然関知しないことでございます。
○稲葉(誠)委員 いまの香港の融資話、金というのは、ある外国人ですね。ある外国人だ、それ以上言いません、ぼくは知っているけれども。ある外国人から電話がかかってきたわけだ。ところが、渡辺さんに言わせると、大庭さんのところに電話がかかってきたんだ。大庭さんいないかとかかってきたけれども、大庭さん、いなかった。まあ秘書室へ電話かかってきたんでしょうけれども、いなかったので、そこでたまたま渡辺さんが電話に出たんだと、こう言うのですよ。だから、渡辺さんからの融資の話というのも何かあったのじゃないでしょうか。
○長谷村証人 その点については、私もはっきりしたことはわかりません。ただ、本件につきましては、大庭社長から、善処するようにということで処置を命ぜられましたものですから、たまたま警視庁の捜査二課へ参りまして、そのときに先方の方と同席しまして、私、そのとき先方からちょうだいした名刺の裏にメモがございます。そのメモによりますと、井上という男を香港へ出した、そして会長が渡辺専務あてに指名電話を香港からしている、こういうようなメモになっておりまして、それ以外はちょっとわかりません。
○稲葉(誠)委員 これも渡辺さんの言うのと違うのですよね。渡辺さんは、指名電話じゃないと言うのだ。大庭さんにかかってきたと言うのだ。たまたま大庭さんがいなかったから渡辺さんが出たのだと、こう言うのだよ。何の話だかわからなかったと、こう言うのだよ。また、あなたに言わせると、何の話だかなと言って、前から渡辺さんを中心としてある程度の話が進んでいた、別のルートらしいけれども進んでいたのだ、だから渡辺さんに指名電話がかかってきたのだと、こういうふうにあなたは理解されるわけですか。それが、おれの仕事ということに結びつくのでしょうかね。
○長谷村証人 はっきりしたことはわかりませんが、その処置を私に命じました大庭さんの当時の私への指示ですが、その指示は、渡辺専務が香港からの融資話で困っているからということで、自分のところへ処置をしてほしいということを頼んできた、同時に、当時のアイデアル工業から大庭さんあてに、香港からの融資の件についてどうしてくれるんだという電話があった、その二つのことから、私にこの処置をしろ、こういう指示がありました。
○稲葉(誠)委員 いまのところは、あなたの言うことと渡辺さんの言うことが全く違うのですよ。これは渡辺さんをもう一遍再喚問しなければならぬ必要があると思うのです。 委員長、後で理事会でお話があると思いますが、理事会でお諮りしていただきたいと思います。 そこで、いまのアイデアル工業の名前が出てきましたね、アイデアル工業というのが本件に関係しますね、これを通じてコピーがいろいろなところへ渡ってきて、そして最後に三井物産、ここがはっきりわからないのだけれども、三井物産の水上社長立ち会いのもとなのか、通じてかわかりませんが、それが返されたということはございますか。
○長谷村証人 三井物産の水上会長にこの話を通ずれば書類を返す、こういう先方からの話がありまして、たしか大庭さんが水上さんに会われたと思います。その直後、コピー、四、五枚だと思いますが、そういう形で返ってまいりました。
○稲葉(誠)委員 アイデアル工業というのにそのコピーが行くまでの経過、それはあなたが回収に当たられたのだから御存じじゃありませんか。ある右翼の人に渡って、それがある元代議士の秘書に渡って、それからアイデアル工業の取締役へ行って、それからアイデアル工業の社長へ行って、それからじゃないですか、話は。そこら辺の経過は、あなた御存じじゃありませんか。
○長谷村証人 たしか十月の初めに、高橋裕なる人物から電話をもらいまして、そして彼とNHKの近くの喫茶店で会ったわけです。そのときにそのコピーを見せられまして、そのコピーがあることを私は確かめました。そのときにコピーを返してくれるように私が頼みましたところが、そのコピーが本物の写しであるということを名刺に記載しろ、こういうことでございまして、そうすれば返してやる。そこで、五、六人の方がおりましたものですから、彼らに囲まれまして、やむなく私はそのことを書きまして、そのコピーを返してもらいました。ところが、そのときにそこにおりました人物が、これは後ほどわかるのですが、アイデアル工業へ参りましたときに、同一人物であったわけでございます。したがって、その関係のコピーがそのルートを通してアイデアル工業に渡ったということははっきりしております。
○稲葉(誠)委員 その高橋という人は、産恵商事とかなんとかという会社をやっていた人じゃございませんか。
○長谷村証人 そのとおりでございます。
○稲葉(誠)委員 ですけれども、伝えるところによりますと、その人は右翼の関係者で、児玉譽士夫と親しい人だという話が巷間伝えられているのですよ。そういうことをあなたは御存じでしょう。 それから、元代議士の秘書というのもいま出てきました。いまあなたが名前を言わなかった人というのは、元代議士の秘書じゃございませんか。
○長谷村証人 その高橋裕という人が児玉氏と関係があるかどうか、これは私わかりません。 それから、いま申されましたのは徳永哲郎という人だと思いますが、彼も代議士の秘書であるかどうか、これは私にはわかっておりません。
○稲葉(誠)委員 その徳永哲郎という人は、経営コンサルタントをやっている人でしょう。
○長谷村証人 さようでございます。
○稲葉(誠)委員 もう一通の念書というか、本当の念書かどうかわかりませんが、コピーかわかりませんが、「オール日本」というのかな、小野武雄という人がいますね。この人を通じて返りましたね。それは麹町の紀尾井町の福田家でしょう。この方から返った経過というのはどうなんですか、簡単で結構ですが。
○長谷村証人 当時、オール日本社の国際部長という山崎五郎という人から電話がございまして、お見せしたい書類がある、こういうことで社長の大庭さんと一緒にお目にかかりたい、こういうことでございまして、席を紀尾井町の福田家に設けまして、たしかお昼だと思いますが、先方はオール日本社の社長の小野武雄氏と山崎五郎氏、こちらは大庭社長と私、そこで、これは大庭さんと先方の小野社長との間で隣の部屋で返してもらったようでございます。
○稲葉(誠)委員 これは大庭さんはバスケットのあれでしょう、それから小野さんというのはリトルリーグというやつ、子供の野球ね、あの会長なんかをやっていて、そういう関係で返してもらった、こういうことなんですが、この人の事務所は、何か岡村吾一という人がおるらしいのですが、ぼくはどういう人か知りませんけれども、この人の事務所があるのと同じところに事務所があるとかという話もあって、何かある程度の行き来があったのではないかということが言われておるのですが、そういう点についてはあなたはどの程度御存じでしょうか。
○長谷村証人 そのような情報は私、各方面からいただいておりますが、私はそれを確かめておりません。したがって、わかりません。
○稲葉(誠)委員 話をもとへ戻しますが、そうすると十一月に全部回収して終わったわけですね。そうすると、あなたの方では、これはもう事件が済んだのだ、こう思っておったわけですか。
○長谷村証人 さようでございます。
○稲葉(誠)委員 それがどうして四十五年の五月になって再燃したのでしょうか。そこがこっちもわからないのですよね。わからないというか、まあ大体わかりますけれどもね。わかるのだけれども、あなたとしてはどういうふうにお考えでしょうか。どうしてこんなものが再燃してきたのでしょうか。
○長谷村証人 よくわかりませんが、大庭さんが退陣されましたその日の晩に、私、電話をちょうだいしました。そのときの模様を御説明いたしますれば、あるいは御参考になるかもしれませんが、よろしゅうございますか。 たしか五月二十九日の午後八時半か九時ごろじゃなかったかと思いますが、大庭さんから私、電話をちょうだいしまして、長谷村、おれは社長をやめることにした、そして若狭君に後を引き継いできたと。このお話は私は全く意外でございましたから、一体どうしてそういうことになったのですかと尋ねましたら、大庭さんは、松尾社長からの話もしておられましたけれども、それでもなおかつ、まだ何とか社長を続けたいという御意向があったようでございました。しかし夕刻、全日空の社長室で総会関係者の上森氏とそれからもう一人、二人ですね、それと自分と、自分というのは大庭さんでございます。それから若狭さん、それから渡辺さんの五人で会った。そのときに上森氏から、あなたが社長をどうしても続けるということであればあしたの総会は責任を持って取り仕切ることができない、こう言われた。そこで、自分はこれでどうしようもないなと思って、それで辞任を決意した、こう言われました。 その後、これはオプション問題でございますが——ちょっと……(稲葉(誠)委員「どうぞ」と呼ぶ)そのほか何かございましたかと私が尋ねましたら、若狭、渡辺両君から三井物産のオプションの件をいかがしましょうかと聞かれた。そこで、自分は二人で相談して善処してほしいと頼んだ、こう言われました。そしてその後、あしたの総会にはおれは出ないよ。君には御苦労かけたな、済まぬ、済まぬと言って、電話を切られました。 以上がそのときの模様でございます。
○稲葉(誠)委員 これは五月二十九日の前、四月に、何か内部で決算役員会とかなんとかいうのをやりまして、そこで大庭社長、若狭副社長の陣営でいくということに決まっておったのじゃないですか。それは御存じありませんか。
○長谷村証人 私は全然存じません。その問題が表へ出ましたのは、五月の中旬ごろ大庭会長たな上げ説といううわさが出まして、私はそのときまで全然存じません。
○稲葉(誠)委員 いま言った上森という人は、上森子鉄という人ですね。これは率直な話、全日空には全日空関係の、言葉は悪いですよ、言葉が悪いのはお許し願いたいのですが、いわゆる総会屋といいますか、そういう方もおられたわけだ。名前も二人わかっていますがね。この方は日本航空関係から全日空へいわゆる総会の幹事役として送り込まれてきた方ではございませんか、千代田商事の社長の上森子鉄という人ではございませんか。
○長谷村証人 私は総会関係のことは一切タッチしておりませんので、わかりません。
○稲葉(誠)委員 上森子鉄という人が来たのは二十九日の大庭、若狭の会見の前ですか、後ですか。そこら辺どういうようにお聞きになっていらっしゃいますか。
○長谷村証人 大変失礼しました。大庭さんのそのときの話では、大庭、若狭それから渡辺さん三人で話し合われる前にそのことがあって、そして、その二人を帰した後でオプション問題に触れたように私は聞いております。
○稲葉(誠)委員 上森子鉄さんともう一人はだれですか、二人というのは。
○長谷村証人 大庭さんは西山というようなことを言っておられますが、その辺が私にもよくわかりませんが、たしか西山というように私は伺ったと思います。ただ後日、私、いまお話しの西山コウキさんかということを伺いましたら、そうではないようなことを言っておられました。
○稲葉(誠)委員 上森という人は千代田商事という会社の社長をやっておられるらしいのですが、それで児玉譽士夫ときわめて親しい人であるということについては、本当のことを言ってくださいよ。率直な話、あなたは御存じなんでしょう。
○長谷村証人 お答えします。 私は総会関係というのは全然知りません。したがって、児玉氏と親しいかどうかは私にはわかりません。
○稲葉(誠)委員 大庭さんが社長に就任するときに、児玉譽士夫のところにあいさつに行っているわけですね。これは大庭さんの証言に出てきたわけです。若狭さんは社長に就任するときに児玉譽士夫のところに行ってないわけだ。なぜ児玉譽士夫のところへあいさつに行ったのか、あなたも常勤顧問というのだから特命事項をやっているのでしょうけれども、その間の経過はわかっているのじゃないでしょうか。だれがそういうようなことを決めたのでしょうか。どういう経過で児玉譽士夫のところに大庭さんが行くようになったのでしょうかね。
○長谷村証人 私は特命事項として、全日空では東亜航空と全日空の合併問題とこの問題だけしかやっておりませんで、そのほかのことは一切関係しておりませんから、わかりません。
○稲葉(誠)委員 あなたは児玉譽士夫という人にお会いになったことがありますか。
○長谷村証人 全然ございません。
○稲葉(誠)委員 小佐野賢治という人にお会いになったことがありますか。小佐野賢治は全日空の株主ではあるのだけれども、お会いになったことありますか。
○長谷村証人 東亜航空との合併問題のときに一度ごあいさつに上がりました。それだけでございます。
○稲葉(誠)委員 大庭社長は、やめた原因について、金融の問題についてということもありますが、もう一つは社内的な問題だ、こう言っているのですが、この社内的な問題というのは何なのですか。率直に言うと、いまの渡辺副社長、若狭さんと大庭社長との間にいろいろな対立があったのではないでしょうか。あったのではないでしょうかと聞くとあれかもわからぬけれども、そこはどうなんでしょうか。
○長谷村証人 若狭さんと大庭さんとの間にはそういうものはなかったように私は思いますが、ただ、渡辺さんと鈴木さんとの間は、正直言って、よくございませんでした。
○稲葉(誠)委員 日本航空からもう一人鈴木正之とかいう専務が送り込まれているでしょう。この人と大庭さんとの間も余りよくなかったのですか。あるいは日本航空から行ったというのは間違いかもわからない、小林中さんからの紹介と言った方がいいかもわからぬが。
○長谷村証人 鈴木専務と申し上げましたのは、その方のことでございます。(稲葉(誠)委員「鈴木正之さん」と呼ぶ)さようでございます。
○稲葉(誠)委員 いろいろ長谷村さんに質問しまして新しい事実もわかってまいりました。前の証人、副社長と非常に大きな違いがあるし、前の副社長の証言も大分問題があるということで、私は理事会で十分お計らい願いたいと思います。 あと楢崎さんとの関連質問に移ります。
○田中委員長 楢崎弥之助君。
○楢崎委員 三月一日のことですが、大庭さんが予算委員会の証人尋問を終えられて、ホテルオークラに休憩されておるということは、どうしてお知りになりましたか。
○長谷村証人 大庭さんの会社の秘書の方から特別に教えてもらいました。
○楢崎委員 そして、お呼ばれになったわけですか。
○長谷村証人 お呼ばれになったということは、どういうことでございましょうか。
○楢崎委員 大庭さんからホテルオークラに来てくれという……。
○長谷村証人 いいえ、私から自分の気持ちで参りまして、大庭さんからは呼ばれておりません。
○楢崎委員 あなた、五月二十九日ですか、どうも大庭さんをやめさせるという気配を感じたということをさっきおっしゃいましたが、そういう気配というのは、具体的にどういう気配であったのでしょうか。たとえば全日空の社内の動きとか言動とかですね、そういうことでしょうか。
○長谷村証人 五月の二十七日にパレスホテルで、当時日本航空の社長であった松尾さんと、それから大庭さんと私とで、たしか午後一時ごろだと思いますが、お会いしました。そのときに、その融資問題につきまして松尾さんが非常に頭を痛めておられまして、その席で、私が全責任を持って辞任して、大庭さんにはその責任を及ぼさないということで、私の辞職を認めてもらいました。ですから、感じましたのはそのときでございます。
○楢崎委員 松尾さんから聞かれたその動きの内容をもう少し言ってくれませんか。大庭さんがやめさせられるという、そういう気配の内容を具体的に松尾さんからお聞きになったのでしょうが。
○長谷村証人 松尾さんは、この融資問題につきまして大庭さんを責めておられました。そこで私が、大庭さんは全然責任がございません、本件を担当いたしましたのは私でございます。したがって私に全責任がございます。そういうことを申しまして、それではおまえに全部責任をとってもらうぞ、こういうことですから、よろしゅうございますと。そこで、私が責任をとってやめることによって大庭さんが社長を続けることができると私は判断をいたしました。
○楢崎委員 四十四年の十二月ごろ、先ほど話のありました佐藤政雄さんと全日空の役員室の廊下でお会いになった。そして、後で入っていったら、渡辺さんから、何で邪魔をするのかというおしかりを受けたというお話でしたが、そのときあなたは、その邪魔になるという意味をどのように解されましたか。何で邪魔になるのかというふうにお感じになりませんでしたか。
○長谷村証人 私にははっきりわかりませんけれども、強いて申し上げますれば、先ほど申し上げた香港融資の問題ではなかろうかと思います。
○楢崎委員 その香港の話は渡辺さんから聞いたのですか、だれから聞いたのですか。その香港の融資の話です。
○長谷村証人 私は大庭社長から伺いました。
○楢崎委員 渡辺さんから聞きませんでしたか。
○長谷村証人 渡辺さんからは直接聞いておりません。
○楢崎委員 先ほど渡辺さんは、あなたにもこの話はしたとおっしゃいましたですね。そうすると、いまの点もちょっと食い違っておりますね。 それから、渡辺さんは念書のコピーをお持ちでありましたか。
○長谷村証人 それは私にわかりません。
○楢崎委員 先ほど、興銀に話しに行ったときに、興銀の頭取からある製鉄の話を聞いた、同じような話を。その製鉄というのはどこですか。
○長谷村証人 富士製鉄株式会社でございます。
○楢崎委員 そうすると、その当時の社長は永野重雄さんですね。じゃ、永野重雄さんがやはり同じような金融事件にひっかかったという話を聞かれたわけですね。
○長谷村証人 違います。永野さんの話は出ておりません。
○楢崎委員 じゃ、富士製鉄のだれがそういう金融にひっかかったという話だったのですか。
○長谷村証人 某専務と言っておられまして、その名前は私、伺っておりません。
○楢崎委員 某専務ですか。それだけですね。 あなたは、石坂春郎という名前を聞いたことはございますか。
○長谷村証人 そのハルオというのはどういう字を書きますのでしょうか。
○楢崎委員 仮名かもしれませんが……。 じゃ、石坂という名前は御存じですか。ハルオというのは、春夏秋冬の春という字と郎という字です。
○長谷村証人 いいえ、存じません。
○楢崎委員 じゃ、四十四年の十一月十日ごろ、大庭さんと一緒にホテルオークラでこういう名前の人とお会いになったという事実はありませんか。
○長谷村証人 そのころ四つ目の融資話がありましたから、それは即刻断っておりますが、そのときの人かもしれませんが、私はよくわかりません。
○楢崎委員 終わります。
○田中委員長 増本一彦君。
○増本委員 昭和四十四年にいわゆるやみ金融事件というものが前後四回あった。二つについてはある程度詳しくお話しになりましたけれども、三回目、四回目の融資事件とは、だれの紹介で、どういう内容のものであったのか、ひとつ簡潔に説明してください。
○長谷村証人 九月の中旬と十一月の十日ごろだと思います。 それは、九月のときは川間健次という人からの直接の話でございます。それから、十一月十日前後のときには山西喜一郎という人からの直接の話でございます。両方とも即日お断りいたしております。
○増本委員 あなたが全日空の本社の廊下で佐藤政雄と出会って、渡辺専務の部屋へ行った。このときに佐藤政雄は新しい融資の話で来たんだというような趣旨のことを先ほどお話しになりましたが、そのときの具体的な話の中身ですね、これをお話しいただけますか。
○長谷村証人 廊下でぶつかったという感じでございまして、そのときに先方に確かめましたら、渡辺専務から新しい融資申込依頼書を出してやるから前の古いものを持ってくるように、こういうことであった。それから、だれの紹介で、連絡で来たのかと尋ねましたら、鈴木明良氏だ、こう答えまして、それ以上のことは私には、私自身問いただしておりませんので、わかりません。
○増本委員 渡辺専務の部屋には、渡辺専務とそれから鈴木正之会計担当専務とそれから鈴木明良と三人がいたようですがね。あなた方が入っていって、どういう話を渡辺、両鈴木はしておりましたか、おわかりになりますか。
○長谷村証人 渡辺、鈴木両専務ともそれぞれ御自分の席に着いておられまして、鈴木明良氏は入り口の横のいすに座っておりましたから、話はしていなかったように思います。
○増本委員 午前中の渡辺副社長の証言によりますと、鈴木ともう一人の男が来ていて、そして融資のあっせんを頼んでおきながら何だ、手数料や費用もかけているというようなことで、もう一人の男と鈴木明良とが口論をして、そうしたら鈴木明良が、いや実は証拠があるんだということで証拠を見せたら、その中にあなたの名前なども出ていた。それで、これはとんでもない話だというので、あなたを専務室に呼びつけて、そして一体どうなってんだと言ったら、実は隠していたけれども、こういう書類を出していたんだというようなことで、その後鈴木明良ともう一人の男とあなたとが部屋を出て、そしてどこかへ行ってまた戻ってきた。そのときに渡辺専務は、あなたは顧問なのに、会社の組織系統を無視してそういう仕事をするとは何だというようにしかったら、渡辺専務からとやかく言われる筋合いではないという趣旨のことを言って、そこで大声でいさめたというような趣旨の証言をしているんですがね、どうですか。
○長谷村証人 時間で申しますと三、四分ぐらいの間でございます。確かにその佐藤政雄氏から私に、自分たちが取り進めていた融資話を打ち切っておきながらどうして鈴木明良氏の話を進めたのかと言って、私をなじりました。それ以外には話は出ておりません。 そこで、あとはその書類のことですが、書類をどうしたかということですから、これは長谷村さんに返したと彼が言いまして、その直後だろうと思いますけれども、おれの仕事を邪魔するなということで、私はすぐ退席しております。
○増本委員 そうしますと、いま私があなたにお尋ねをした渡辺証人の証言の趣旨、内容、これはあなたのいまおっしゃったことと全く違う、こういうように理解をしていいですか。
○長谷村証人 渡辺さんの御証言を私、聞いておりませんから、聞いていない証言に対して、私はとやかく申し上げるわけにはまいりません。
○増本委員 一度その鈴木明良ともう一人の男とあなたが渡辺専務の部屋を出て、そして今度は渡辺専務に呼びつけられるようにしてもう一度戻ってきてそこでしかられたというのは、あなたの認識と大変違いますね。それは、そういう事実はなかったというようにはっきり断言できますか。
○長谷村証人 そういう事実はなかったとはっきり断言できます。
○増本委員 この第二回目の三千億の鈴木明良の融資事件をめぐって、コピーなどが金融ブローカーとかいろいろなところに流れているというようなことが言われていました。あなたもその回収のために大変奔走をされたようですが、この念書だとか融資申込書の原本とかコピーの回収をやっていらっしゃる中で、児玉譽士夫の影のようなものは全く感じませんでしたか。
○長谷村証人 全く私にはわかりません。
○増本委員 先ほどあなたは、昭和四十五年の五月二十九日、大庭社長が退陣を決意された後あなたに電話があって、そのときに、退陣を決意した経過を述べた後、渡辺、若狭の二人から、三井物産とのオプションの処理をどうしたらいいか、こういうように尋ねられたということを言いましたが、そのときの電話のやりとりをもう少し詳しお話しになれるんでしたら、ここではっきりお話ししてください。
○長谷村証人 先ほど申し上げましたとおりでございますが、そのくだりは、社長をやめられるについて、総会関係者から総会を取り仕切る自信がないということでやめたというその直後に、そのほか何かございましたかと私がお聞きしましたら、若狭、渡辺両君から、三井物産のオプションの件はいかがしましょうかと聞かれた。そこで自分は、お二人でよく相談して善処してほしいと頼んだ、こう言われました。 実は私はオプション関係の衝にございませんので、そのとき初めてその事実を知ったわけでございまして、大変驚きましたものですから、よく覚えております。
○増本委員 せんだっての三井物産の石黒さんの証言によりますと、昭和四十四年七月二十九日にすでにレター・オブ・インデント、内示の注文をしており、その中で確定発注と、それからオプションもしているというような証言がありました。九月にはその機数を変更するというようなこともありまして、これは新聞でその証言の内容はあなたもお読みになったかもしれません。そういうような経過というものは、あなたは大庭さんの特命を受けていろいろお仕事をされていらしたわけですから、その途中であるいはお知りになっていたのではないかと思うのですが、いかがですか。
○長谷村証人 私は、この本件融資問題だけを特命でやっておりましたから、オプションのことは一切知らされておりません。
○増本委員 五月二十九日の電話の後も何回か大庭さんにはお会いになってきたと思いますが、そのときにも、この電話の中身については、あなたはもう一度確認をされるとか、あるいは大庭さんの方から繰り返しその点についてお話があったというような経過はありませんか。
○長谷村証人 その後大庭さんとお会いする機会は、大庭さんが選挙に出られましたときだけでございまして、それ以外はございません。したがって、その間そういう話は出ておりません。 ただ、三月の七日、日曜日に大庭さんが高松から帰られまして、私は三月一日の夜の再喚問のときの証言の中に、私から電話をしたというような話が出てまいりましたものですから、その事情を確かめるために大庭さんのお宅を訪ねました。そのときに大庭さんは、おまえからの電話を受けてないということをはっきり言われました。 それから、そのときです。オプション問題について、大庭さんは自分から若狭、渡辺さんに確かめられたと言っておられるけれども、そうじゃなくて先方から聞かれたと私は記憶しております。その電話の件も、大庭さん、一体どっちが本当なんですかと私が尋ねましたら、大庭さんは、それはおまえが言うのが正しい、そのとき初めてそう言われまして、確かにおまえが言うとおりだった、武士の情けだということを言っておられました。
○増本委員 いまのお話は大変大事だと思いますので、いまのお話をされたのは、もう一度確認しますが、いつごろ、場所はどこで、どういう機会だったのですか。
○長谷村証人 三月七日午前八時半ごろだと思います。大庭さんのお宅でございます。
○増本委員 ところで、この第二回目のやみ金融事件のときに、原田代議士や大石武一代議士の名刺を鈴木明良が持ってきたとお話しになりましたね。この原田代議士や大石代議士に、あなたの方でその名刺を見られた後、確かめられていると思いますが、どうですか。
○長谷村証人 仰せのとおり確認いたしております。たしか二、三日後だと思いますが、原田代議士の秘書の大桑さんだったと私は記憶しております。それから、大石代議士の秘書さんはちょっといま名前を失念しておりますが、男性の方であったように覚えております。
○増本委員 原田代議士や大石代議士の秘書の人たちは、あなたにどういうように返答されましたか。
○長谷村証人 紹介いたしましたと、こういうことでございました。
○増本委員 それから、この第二回目の融資事件で、最初に大庭社長が社印を押して渡した文書はその翌日に差しかえをしたと先ほど言いましたね。そのときに、鈴木明良はまた別の代議士とかあるいは政治家の名刺を持ってきたというようにも報道されておりますけれども、その点はいかがですか。
○長谷村証人 確かに名刺をお持ちになりました。しかし、その時点では大庭さんも私も本件を打ち切るつもりで回収に入るということでございましたので、名刺はちょうだいしましたけれども、その真偽のほどを確かめず、同時にその先生の方にも紹介されたかどうかの有無を確かめておりません。したがって、私の方は名刺をちょうだいしましたけれども、その紹介を受けるということではございませんで、ただ名刺をちょうだいしただけでございます。
○増本委員 融資を打ち切ることを決意されながら、大庭社長の社長印の書類をあなたの名前の書類に差しかえたというのは、どういういきさつなんですか。そのことが次の二回目に鈴木明良が持ってきた政治家の名刺、新聞報道によりますと上村千一郎代議士だというようなことも言われておりますが、その点を含めてあなたの記憶をひとつはっきりさせてください。
○長谷村証人 なぜ差しかえたかと申しますと、当初は社長名だけでございまして、もしも回収に失敗しました場合にはこれは大変なことになります。それで、とにかく社長名とそれから私の名前を入れまして、私を担当者にしまして、そして新しいものをつくりまして、鈴木明良氏には書類に不備があったために取りかえたいのでお越しいただきたいということでお願いしまして、そしてお越しいただたわけでございます。そこで私を鈴木氏に大庭さんから紹介していただきまして、以後長谷村が担当することになったのでよろしくと、それで私もよろしくお願いしますということであったわけでございます。そのときに、その名刺を鈴木明良氏が出されましたが、いま仰せられた先生のお名前であったように記憶しております。しかし、私の方は紹介を受けるつもりがございませんでしたから、本件につきましては単に名刺を受け取っただけでございます。
○増本委員 あなたは、大庭さんのことしの三月一日の証言をテレビで午前中ごらんになっていた。あの中であなたのお名前を含めて午前中の証言ではいろいろ事実を述べられておられますが、その大庭さんの証言は、あなたの記憶とか認識と一致をしているものですか。
○長谷村証人 オプション問題につきましては、私は関知しておりませんから、わかりません。 それから、その融資事件の問題につきましては、大庭さんもよく覚えておられないようでございますので、私の記憶とは若干違ったように思いました。
○増本委員 ところが、大庭さんはその後のいわば実質的な再尋問の段階で、荒舩委員長の問いに対して、実はこういう証言を予算委員会でされたのですね。あなたのお名前も出てきますので、ちょっと読みますから、あなたの認識とか記憶と符合しているのかいないのか、いなかったら、どこがどういうように違うのか、その点をはっきりお答えください。 「私、先ほど証言台から終わりまして、体が悪くて夕方まで寝ておりましたが、その間に会社へ長谷村の方から連絡がありまして、私が申しました大石代議士と原田代議士の発言につきまして後日確かめたところが、大石代議士の方は私に紹介をしたということでありましたけれども、原田代議士の方は覚えがないということであったという報告を私にしたということで、私がそれにつきまして覚えていなかったわけでありまして、原田代議士については、私に紹介しましたそれは、何と申しますか、原田代議士の知らない名刺であったのじゃないかと存ずるわけで、ここに改めてその担当でありました長谷村の言葉をここにお伝えしまして、私の証言の訂正をいたしたいと存じます。」と、こういう証言をされているわけですよ。これに符合するような事実は、先ほどあなたがお電話をしていないということでもありましたし、それだったらホテルオークラで原田代議士の名刺の件であなたと大庭さんとの間で何かお話をされたのか、あるいはそれもされていないのか。これは事実と違うとすれば、どこがどう違うのか、あなたの御記憶と認識ではっきりさしてください。
○長谷村証人 最初に、電話はいたしておりません。それから、大庭さんと御一緒しましたときに、私の方からそのような話をしておりませんし、大庭さんもそのような話をしておりません。 この時点までの間、大石代議士、原田代議士から私の方には何らの問い合わせもございません。
○増本委員 それに符合するような事実はない、こういうように理解をしてよろしいですね。
○長谷村証人 そのとおりでございます。
○増本委員 じゃ、終わります。
○田中委員長 それでは次に、鈴切康雄君。
○鈴切委員 三月一日の予算委員会で大庭証人が、三千億円の融資の事件について鈴木明良が原田代議士、大石代議士の名刺の紹介状を持ってきたと証言をされまして、同じ委員会で実は訂正をされたわけであります。 そこで、ちょっと証人にお伺いをしたいわけでありますけれども、あなたはやはり事実関係については一番よく知っておられる立場にあるわけでありますが、その日のうちに渡辺氏から長谷村氏にその事実関係の問い合わせがあったかどうか、それをお伺いいたします。 〔委員長退席、大橋(武)委員長代理着席〕
○長谷村証人 問い合わせはございません。
○鈴切委員 少なくとも原田憲氏から、一日の夜行われました記者会見が実はあるわけでありますけれども、それ以前に原田憲さんから問い合わせがございましたか。
○長谷村証人 全くございません。
○鈴切委員 実は一日の記者会見で、全日空の渡辺副社長に会って事実関係を調べてもらったが、そのような事実はないという確信を得たということで記者会見をされているわけでございますので、その点について確認をしたわけであります。 次に、あなたはきょうはきわめて重要な証言をされておりますので、再度確認をさせていただきたいと思うわけでありますが、四十五年の五月二十九日の午後八時三十分かあるいは九時ごろ大庭さんから電話があった。そのときあなたは大庭さんから聞いた話では、大庭さんは若狭、渡辺両君から三井のオプションについてどうするかと聞かれた。それについて君たち善処をしてくれと大庭さんが言われたということでありますが、大庭さんに向こうから、三井のオプションについてどうするか そのように聞かれたと、そのように理解してよろしゅうございましょうか。
○長谷村証人 そのように私は記憶しております。
○鈴切委員 そうなりますと、オプションは知っていたということになるわけですね。
○長谷村証人 私は、大庭さんのその電話の話の内容からしますと、知っておられたというふうに思います。
○鈴切委員 まあ、いろいろ確認になるかもわかりませんけれども、昭和四十四年の十月ごろ、香港から国際電話でいわゆる融資の話が出たと言いますけれども、その金額はどのような内容であったか。 また、渡辺氏は、大庭社長にかかってきたけれども、留守で秘書室長が渡辺氏に回したと証言しておりますけれども、先ほど長谷村さんは、渡辺氏指名の電話であるというふうに言われました。その点についてもう一度確認をいたしておきます。
○長谷村証人 ちょっと初めの御質問のことが私わかりませんが……。
○鈴切委員 この国際電話でかかってきた融資の金額は、いかような金額になっておるか。 それから、先ほど申し上げましたが、渡辺氏が、大庭社長にかかってきたけれども、留守で秘書室長が渡辺氏に回したと証言をしておりますけれども、先ほどはあなたは指名電話である、そのように言われたわけでありますけれども、その点については……。
○長谷村証人 金額は、香港上海銀行で五億円と、こう聞いております。 それから、その指名電話のことでございますけれども、これは十月の二十八日だと私、記憶しておりますが、警視庁の捜査二課で先方のアイデアル工業の人と私が話を聞いてもらいましたそのとき、先方の錦織会長、そのときは山本達郎という社長名の名刺をちょうだいしましたが、山本社長名の名刺を持った錦織会長からの話として、実はその山本達郎氏の名刺の裏にメモしてございます。そのメモによりますと、指名と書いて、そして会長−渡辺と、そのようにメモが書いてございます。そのメモは、現在検察庁の方に提出してございます。
○鈴切委員 そうなりますと、先ほどからいろいろ話がありました五百億円の融資、そしてまた鈴木明良が持ち込んだ三千億円の融資とは全く別なものである、そのように思ってよろしゅうございましょうか。
○長谷村証人 そのとおりでございます。
○鈴切委員 そうなりますと、香港から国際電話があった融資の件については、大庭さん、またあなたは依頼した事実は全くない、このように判断してよろしゅうございましょうか。
○長谷村証人 そのように御判断願いたいと思います。間違いございません。
○鈴切委員 この件について、当時知っておった方々はだれでしょうか。
○長谷村証人 大変むつかしい御質問でございます。私が知っている限りでは、アイデアル工業の会長錦織襄さん、それから取締役の大畑鎮男氏、それから経営コンサルタントの徳永哲郎氏、そのほかには渡辺、鈴木両専務を初めとしてその周辺の関係者だと思います。
○鈴切委員 もちろんこの問題については、鈴木明良もそれから若狭も、もちろん大庭さん、そしてあなたも御存じなわけですね。
○長谷村証人 大庭さんは、鈴木明良氏が見えた直後にこの問題が起こっているというように理解しておられます。したがって、鈴木明良氏が関係しておられたかどうか、これは私には正確なことはわかりません。ただ、五月二十九日に出ました東京新聞の例の大庭さんについての融資事件問題についての記事の中に、その鈴木氏がその香港の融資をやったというようなことが書いてございます。そういう意味では、あるいは関係しておられたのもかしれません。しかし、はっきりしたことはわかりません。
○鈴切委員 この件について、実は融資を依頼しない大庭さんやあるいは長谷村さんがどうしてこの融資のことを知ったかという経緯についてちょっとお伺いします。
○長谷村証人 私は十月の二十七日だと記憶しておりますが、これは警視庁へ参りましたのが二十八日ということではっきり記録が残っておりますものですから、二十七日の日に大庭社長から私に、香港融資の問題で渡辺専務から処置してほしいということを頼まれた、同時にアイデアル工業からどうしてくれるんだという電話を受けた、そこでおまえこの件を処置しろ、こう指示があったわけです。その時点が初めて知ったわけでございます。それで、詳細は翌二十八日に警視庁の捜査二課へ参りまして、先方の話を聞いてわかったわけでございます。
○鈴切委員 アイデアル工業と前にできた五百億円、そしてまた三千億円の融資の件とが何らかの関係はあると私は思うのですが、その点についてちょっとお伺いしたいのです。
○長谷村証人 はっきりしたことは私にはわかりません。
○鈴切委員 三千億円の融資と鈴木明良、そして鈴木明良を通じて三千億円の融資が大庭さんのところに持ち込まれたわけですね。それから、鈴木明良とアイデアル工業、そして渡辺、大庭さんの関係もあるわけですね。それから、五百億円と佐藤政雄、そして渡辺専務、鈴木明良、鈴木専務、こういう関係を考えたときに、一連のこの融資自体が何らか関係がないと私は言えないのじゃないかと思うのですけれども、その点について御感想を伺います。
○長谷村証人 佐藤政雄という人は、当初の融資話のときに連絡に来た人ですから、そういう意味では後ろでつながっているというぐあいに考えられます。香港融資の問題もそうであるかどうか、これはちょっと私はっきりしたことはわかりません。
○鈴切委員 全日空融資詐欺事件が直接大庭退陣のきっかけになった問題だけに、先ほどもお話ありましたように、長谷村さんは捜査当局に参考人として事情を聴取されておりますけれども、実は私どもの調査によりますと、十月二十三日、渡辺尚次専務から運輸省に報告書が出されていたことが判明しておるのですけれども、あなたはこの報告書についていろいろ調査をされている中において、何らか捜査当局から事情聴取を受けられたことがございましょうか。
○長谷村証人 ございます。
○鈴切委員 そのことについてもう少し詳しく御説明願いたいです。
○長谷村証人 十月の二十三日現在で出された内容のものが、私が伺ったところによりますと、私の記憶していることとは違った形になっていたような思います。
○鈴切委員 そうしますと、坂井委員が実は午前中に尋問を渡辺さんにしたときに、興銀に金を積むことと、そして佐藤政雄云々という内容だというふうに言われましたけれども、そういう内容は含まれておりましょうか。
○長谷村証人 その時点では佐藤政雄氏からその依頼書と念書を回収しておりませんので、ところがその報告の中には回収されたようになっております。その点で食い違いがございます。
○鈴切委員 その運輸省に出された報告書というのですが、報告書の名前は何でしょうかね、報告書の名前。
○長谷村証人 それは私にはわかりません。
○鈴切委員 先ほどのところからちょっと飛んでおるのでもう少し確認をしてまいりたいと思うわけでありますけれども、実は五百億円の融資の問題でありますが、島津正久さんという人物が来て、この資金は米大使館も関係をしている、このように説明をされたわけでありますけれども、その後また七月の末ごろにあなたのところへ人が来られるわけでありますけれども、どういう内容で来られたんでしょうか。
○長谷村証人 この融資の審査委員会と申しますか、そういう運用委員会というのがあるんだ、その責任者がいるという話ですから、これは私、もしもおられるのならばお目にかかりたい、そういうことで頼みましたら、見えましたのがその方でございまして、ただ馬場というしか名乗りませんでしたので、したがって、下の氏名はわかりません。
○鈴切委員 それは七月の何日ごろでしょうか。
○長谷村証人 七月の何日でしょうか、ちょっと私の記憶にございません。
○鈴切委員 興銀に金を積むから、興銀を窓口にして金が入ったのを確認してから本契約をすればよいということなんですけれども、興銀というふうに指定をしたのはこちらが指定を——こちらといいますか、大庭さんが指定をしたんですか、それとも鈴木明良が指定をしたんでしょうか。
○長谷村証人 ちょっと私にはわかりませんが、私が見ました融資申込依頼書ですか、それは鈴木明良氏が持ち込んだものですが、それには日本興業銀行とすでにタイプが打ってございました。
○鈴切委員 五月の二十九日まで少なくとも大庭さんは留任という決意を固めておったわけでありますけれども、五月二十九日に急に退陣をされるというふうになったいきさつの動機というものは何でしょうか。
○長谷村証人 五月二十九日の東京新聞の朝刊、これが大変な影響を与えたんではないか、これは直接といいますか間接といいますか、いずれにしても影響を与えたのではないかと私は思います。
○鈴切委員 質疑時間が参りましたので、終了させていただきます。
○大橋(武)委員長代理 河村勝君。
○河村委員 あなたが全日空の顧問に就任をされたのは、小林中氏から当時の全日空森村社長、大庭副社長への紹介、依頼であったというふうに聞いておりますが、そういうことでございますか。
○長谷村証人 多分そうであろうと思います。
○河村委員 しかし、あなたは全く縁のないところから全日空に入ったわけですね。ですから、普通に入れるわけはないのですから、相当強力なバックアップをする人がなければならないはずで、多分ということはないと私は思いますが、いかがです。
○長谷村証人 小林さんからのお世話であったことはそのとおりだと思いますが、小林さんだけであったかどうか、その辺が私にははっきりいたしません。
○河村委員 あなたは日銀出身で、その他二、三の会社を経歴しておられるけれども、この時期になぜ全日空を希望されて入られたわけですか。
○長谷村証人 航空関係の仕事というのは私、大変興味を持っておりましたので、できればそういうことでお世話願えればということをお話したことはございます。
○河村委員 その後、四十五年の五月に全日空を退任をして、現在は日航に入られているわけですね。全日空から日航に移る際は、どういういきさつで日航に入られたのですか。
○長谷村証人 亡くなられました、当時日本航空の社長の松尾さんのお世話でございます。
○河村委員 あなたは顧問でありますが、常勤ですね。常勤であって、社長の特命事項によって動く。それで、あなたの先ほどからのお話によると、この融資の問題だけを特命されていて、ほかのことは何もしていなかったのですか。
○長谷村証人 森村社長のときに、東亜航空と全日空との合併問題の特命を受けました。
○河村委員 いま問題になっているその時期は、融資の問題だけしかやっていなかった、そういうことですか。
○長谷村証人 東亜航空と全日空との合併問題は、たしか四十三年の九月から四十四年の五月まで私が担当いたしまして、新しい大庭社長になりましてからは、その問題を担当いたしておりません。 〔大橋(武)委員長代理退席、委員長着席〕
○河村委員 そこで、融資問題等は金融関係の経験の長いあなたとしてふさわしい仕事だと思いますが、しかし、金融関係で非常に有能であった方にしては、どうもわれわれにとっては余りに納得のいかないところが多いのですね。 そこで、若干お尋ねをいたしますが、第一回目の四十四年六月十七日、このときの融資を持ってきた人、これにつきましても、これは週刊誌の報道等ですからどの程度の信憑性があるか私にもわかりませんが、ある場合には佐藤政雄が持ってきたと言い、ある場合にはアイデアル工業の山本社長が成田努氏、例の空港公団総裁からの紹介で持ってきたと言い、きょうはそうではなくて河野雄二郎氏というふうに変わってきておりますが、その後、佐藤については、何か第一回目からかかわりがあったような証言がありましたが、実際はどういうことになっていますか。
○長谷村証人 週刊誌とかそのほかのマスコミ関係ではいろいろ報道されておりますけれども、これはマスコミ関係で御自分の立場で調査されましたわけですから、私から見ますと、これは的外れな部分がほとんどでございます。真実は私しか知りませんから。週刊誌でそのようにお話をされても、私はちょっとお答えに窮します。
○河村委員 そこで、先ほどあなたから第一回目の融資の申し込みは非常に怪しいと考えたというお話がありましたが、それにしては、決定的なものでないにせよ、社長の印を押し、あなたもそれに署名捺印をしておりますね。それで、依頼申込書並びに念書を十一通も出しているというようなことは、金融関係の専門家としてはわれわれにはちょっと常識外れだと思いますが、何かそうしなければならない理由があったのですか。
○長谷村証人 当初のお話はいわゆるインパクトローンといいますか、これはまともな資金の話でございますので、その話でスタートしまして、途中から話がおかしくなってきたわけでございます。そうして、島津正久、それから責任者と称する馬場某まで確かめまして、どうも納得がいかない。その最後に大蔵省の名前が出てまいりまして、大蔵省がこういう問題にタッチしているというのはおかしい、私もはっきりそう思いました。それから、大庭さんも確かにそう思いました。しかし、一体相手がどんなことを考えているのか、その正体をひとつ見てやれというようなことからも——これはその点で、その資金が確実にないということはそのときにはもうはっきりしておりましたから、しかし相手が大蔵省の銀行局長が見えると言うのであれば一遍会ってみるか。ただ、そのときに先方は正式の判こが欲しいということを言っておりましたけれども、しかし正式の文書を渡すわけにいきませんから、実はそのコピーを渡したわけでございます。そうして、大蔵省の銀行局長に来てもらったのですけれども、大蔵省の青山と自称いたしましたけれども、全然別の人物でございました。そこで、ここまではっきりすれば、何ていいますか、以後もう調査する必要ございませんので、すぐ打ち切りまして、それで関係の書類はその時点で全部回収しましたから、以後の鈴木明良氏とのあれとは別の形ですべてその時点で回収されておりますから、私の方はそれでもう安心しておりました。
○河村委員 そうしますと、この話が起きたのは六月十七日ではなくて、もっと前からあって、最初は本当らしいと思ったが、この十七日のあなたが署名捺印した時期にはおかしいと思ったので、用心して本紙は自分で保管をして、それでコピーを相手に渡した、こういうことですか。
○長谷村証人 さようでございます。それから、その正式の融資申込書といいますのは、これは社長印を押しませんと効力がございませんで、社長の三文判ではこれは単なる瀬踏みでございまして、打診というような意味の文書でございます。金券でも手形でございませんので、これをもって会社の社長印のある正式の文書とみなすということはできません。
○河村委員 その文書が、後に五千億と改ざんをされて出たということでありますが、そのときの申込書には幾らと書いあったのですか。
○長谷村証人 五百億でございます。
○河村委員 一部に空欄にしておいたという報道がありますが。それは間違いですね。
○長谷村証人 間違いでございます。
○河村委員 それから、二回目の鈴木明良氏の持ってきた話ですね。これは八月二十五日、あなたが不在であって、それで後から大庭氏から話を聞いて興銀の正宗頭取に相談をして、結局どうもおかしいということで書類をつくり直した、こういうお話でしたね。つくり直すということになれば、文書は回収できるわけですね。回収した後に、なぜ新しくつくり直して、新しいものをこしらえて、それであなた自身がそれまでサインをしてないものを改めて署名捺印までしなければならないのか、その点もわれわれにはちょっとわかりませんが、一体どういうことでしょうか。
○長谷村証人 社長名だけの書類を回収をしまして、回収に失敗しました場合には、これは大変なことになります。したがって、一応私を担当者にして私の責任でこの回収に当たろう、そうして翌日だと思いますが、それをすりかえたわけでございます。そのときに、私はその書類を全部押さえようという気はいたしました。ただ、元国会議員の先生で、内閣委員長までやられた方です。ましてやその時点では、そういう詐欺を働くというようなことは、帝国興信所の紳士録を見ましても一切出ておりませんし、ちゃんと興信録に載っておりますし、原田代議士、大石代議士の紹介もある方でございますので、それは失礼だと思いまして、そこですりかえましたその夜から直ちに回収に入りました。
○河村委員 しかし、それは失礼であると感じられてもよろしいけれども、つくり直して、新しくまたつくればよけいにそこでもってオブリゲーションが発生するわけですね、それは停止条件つきのものであっても。だから、それは普通、本当に金融を扱う者であれば、そこでもってその程度の配慮は抜きにして、当然そこで手を分かつべきものだと私は思いますが、そうではないのでしょうか。
○長谷村証人 確かに私もその気持ちはございましたのですが、とにかく一度お帰りいただいて、それからすぐ回収に入ろうと思っておりましたから、その時点では見逃したといいますか、そうしたわけでございます。
○河村委員 先ほどからも質問がありましたが、社長の特命を受けて仕事をする、それはわかります。しかし、特命は、通常、会社で、特命事項を受けてやっている場合でも、事柄が重大なことは、これは関係幹部には相談するのが普通ですね。これを一切、こうしたことをあなたの方から他の役員に対して相談しないというのは、これまた私どもには常識的でないのですが、何か特別な理由がありますか。
○長谷村証人 理由はございません。ただ、社長からの特命でございますから、命ぜられたとおりを私やったまででございます。
○河村委員 十月の九日、築地署から三千億融資についての照会があったという事実がありますが、これは当時、経理部長かだれかが電話を受けて、その上で渡辺専務が処理した、そういう証言がありましたが、これについて渡辺専務が大庭氏に話をし、またあなたを呼んでこの点は確認をしたという証言がありますが、それは事実ですか。
○長谷村証人 私は呼ばれておりません。
○河村委員 では、関連にかわります。
○田中委員長 永末英一君。
○永末委員 あなたの方が会社側に全然この融資問題の報告をしておられませんのに、どうして四十四年の十月二十三日には会社側から運輸省へこの融資問題の報告が行ったんでしょう。
○長谷村証人 私にはわかりませんで、捜査当局からそういう事実を聞かされて初めて知ったわけでございます。
○永末委員 全然理由はわかりませんか。
○長谷村証人 なぜ、運輸省航空局だと思いますが、そういう報告をされたのか、本来ですとこれは、まあ、そういうことは社長を補佐する意味では、むしろそういう報告を勝手に出されるということは私は不謹慎だ、こういうぐあいに思いますが……。
○永末委員 では、社長とあなたしか知らないこと相手側は知っていますね。会社側というものが知り得ることがあるとしますと、相手側から会社側が知った、こういうことになりますね。
○長谷村証人 さように思います。
○永末委員 念書等、申込書等の回収が終わったにかかわらず、昭和四十五年になりまして、この融資問題が大庭社長の命取りになるということを心配されてあなたが退任の決意をされた。なぜ全部回収されているのに命取りになると判断されたのですか。
○長谷村証人 先ほども申し上げましたように、五月の二十七日に松尾社長とそれから大庭さんと私とがパレスホテルで会いましたときに、松尾さんが大庭社長にそのことを強くなじっておられました。詰問しておられましたから、どうもこのことが大庭さんの社長留任といいますか、それに大きな関係があるのではないかと、私なりに自分で判断した次第でございます。
○永末委員 融資問題そのものではなくて、これに絡んで松尾さんから大庭さんに対する信任が失われたので、あなたは大庭さんにかわって全責任を松尾さんにとる、こういう形で退任を決意されたのですか。
○長谷村証人 そうではございません。大庭社長に対して責任をとる、そういうことでございます。それを松尾さんが了解されたわけでございます。
○永末委員 そのように松尾、大庭間において、あなたはいろいろな事情を詳しいようですが、日航がDC10について昭和四十四年の夏断念をされたいきさつは御存じでしたね。
○長谷村証人 在職約二カ年ですが、その間そういうことは一切知りません。
○永末委員 香港融資は、あなたの知る限りでは、だれがだれに話を持ちかけた事件だと承知しておりますか。
○長谷村証人 アイデアル工業の会長の錦織氏が渡辺専務を訪ねておりますので、しかし、それは証拠がありませんからそうだというぐあいに私も言い切るわけにまいりません。実際にアイデアル工業から人が香港に出されて融資の話を進めておりますので、ただ漠然とそのように感じるわけでございます。
○永末委員 これが最後でございますが、この念書、申込書等の回収で金銭的な実害はなかったと仰せられました。この金銭的な実害がなかったということは、外部の者からはきわめて異様に思うのでありますが、理由は何だとあなたはお考えですか。
○長谷村証人 私もこの種の回収にはかなりの資金が要るというようなことを聞かされておりましたが、実際のところ一銭もかかっておりません。したがって、その点はいまでも私は不思議に思っております。
○永末委員 大庭さんの地位に傷を与えようという企てだと思われましたか。
○長谷村証人 それはわかりません。
○永末委員 終わります。
○田中委員長 これにて長谷村証人に対する発言はすべて終わりました。 この際、証人にごあいさつを申し上げます。 本日は御苦労さまでした。 ————◇—————
○田中委員長 この際、御報告を申し上げることがあります。 去る五月二十七日の委員会において、米国人カール・コーチャン君及びジョン・クラッター君の両君を、米国政府の承認及び本人の同意が得られるならば、証人として出頭を求めることに決定をいたしました。同日、当委員長より外務大臣に対し、本件に関する連絡並びに意向確認方について依頼をいたしましたるところ、去る六月十日、外務大臣より次の回答がありました。 すなわち、一、在米大使館を通じて米国政府に連絡を行ったところ、去る五月二十九日、米国政府より、本人の同意を得られることを条件に両君に証人として出頭を求めることに異議はない。二、同日、在ロサンゼルス総領事館より両君に対し連絡をいたしましたるところ、クラッター君からは出頭する意思がない旨の回答があった、コーチャン君からは去る六月十日、日本の国会への出頭は丁重にお断りいたしたい旨の回答がそれぞれありました旨、通報がありました。 この段御報告を申し上げます。 次回は、明十七日午前十時委員会を開催することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時十四分散会