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75回国会参議院1975/03/25

文教委員会 第5号

発言数
118
登壇者
21
会派数
5
開催日
1975/03/25

会議録

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ただいまから文教委員会を開会いたします。  理事の補欠選任についてお諮りいたします。  委員の異動に伴い、本委員会の理事が一名欠員になっておりますので、ただいまから補欠選任を行いたいと思います。  理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事に加藤進君を指名いたします。     —————————————

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。  教育、文化及び学術に関する調査のため、本日の委員会に参考人として、日本教職員組合中央執行委員長槇枝元文君、和光大学学長梅根悟君、千葉大学学長相磯和嘉君、お茶の水女子大学学長谷田閲次君、東京大学教授東洋君、関西学院大学教授小寺武四郎君、日本医科大学名誉学長石川正臣君、及び都立青山高等学校校長成田喜澄君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) 教育、文化及び学術に関する調査中入試制度の改革に関する件を議題といたします。  午前中はお二人の槇枝参考人、梅根参考人の御出席を願っております。  この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ、本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわり厚く御礼申し上げます。  それでは議事の進め方について申し上げます。  本日は、入試制度の改革について、参考人の方々から忌憚のない御意見をお伺いいたしたいと思いますが、議事の都合上、御意見をお述べ願う時間はお一人二十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお、参考人の方々の意見陳述の後で各委員から質疑がございますので、お答えをいただきたいと存じます。  それでは、まず槇枝参考人にお願いいたします。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) 参考人の槇枝です。  まず、本委員会へお呼びをいただきまして、私の入試問題に関する意見を聴取くださいますことに感謝をいたします。  早速、時間がありませんので本論に入らしていただきますが、入試問題につきまして入試の制度の問題が本日の主要な問題と思います。しかしながら、現在言われております入試地獄のよって来る原因は何か、こういう問題を前提としてまず申し上げなければならないと思うわけです。と申しますのは、入試制度の改革というものがもちろん必要ではありますけれども、これが現在の入試地獄を解決する根本的なものではないというように考えるからであります。お手元にレジュメ的にお配りいたしましたので、これに沿って順序に簡単に説明を申し上げますと、まず、入試地獄のよって来る原因には大きく言って三つあるわけでありまして、その一つは収容能力の不足です。これは、ことしの例を見ましても、大体、高等学校新卒業者及びいままでに残されておる浪人を含めまして大学に入学を希望しておる者は約八十万人と推定をされます。それに対して収容能力としては四十万人前後、ただし、それは定員でありまして、実員としては、私立の場合には定員以上をとっておりますから、実際には五十万人程度が入学を許可されるという状態にあるわけです。ここにまず希望者とそれから入れ物との間の絶対的な不足があるということです。  第二番目には、学校間の格差が非常に大きいということです。すなわち、特定大学なり特定学部に希望者が集中する。ここに一層入試競争を激化させている二番目の大きな原因があるわけです。  そして三番目には学歴偏重といいますか、形式的学歴主義、これが現在の社会の一つの大きな風潮となっております。  この収容能力の不足と学校間格差と学歴主義、この三つの点が解決されなければ、なかなかこの入試地獄というものは簡単に解消するものではないと思うわけです。  そこで、そうしたものが背景になって起こっております現在の入試競争、その弊害として挙げますならば、まず学校教育をゆがめている。これは義務教育の段階から入試準備教育、テスト体制、あるいは塾の横行、そうしてまた、真の学力を身につけないで、むしろテスト技術の上手な子供をつくり上げる、こういうように学校教育がゆがめられております。  第二番目には、家庭生活が非常にゆがめられております。家族の中で中学生または高校生を持っておる家族の場合には、その家庭の自由な雰囲気、明朗な雰囲気が阻害されているというのが現状です。入試の準備のためにみんなおとなしくしなさい、物を言ってはならない、こういうことで非常に家族みんなが気を使わなければならない。しかも、その本人がノイローゼになったり自殺をしたりするような、こういう家族のゆがみを来しているというのが第二です。  第三番目には、人間性をゆがめております。これは情操の陶冶はほとんど現在学校教育ではなし得ない状況にありますし、そして排他的競争心を非常にあおり立てておる。だからお友達がなくなる、連帯性がなくなっていく、こういうエゴイストの人間が育っているという、こうした人間性をゆがめている。こういう学校教育のゆがみ、家庭教育のゆがみ、人間性のゆがみというのが現在の試験地獄の中から生まれてきている大きな弊害と言えるわけです。ですから、これを根本的に解決する道として大きく言いますと、一つは、高校、大学のあり方を変えていく必要があります。第二番目には、形式的な学歴主義の社会の風潮をどうしてなくしていくかという問題です。  第一の高校、大学のあり方を変えていくという面では、まず、高等学校については準義務化にしていく段階だと思うわけです。地域総合高校制に再編成をしていい時期が来ていると思うんです。現状すでに九十数%の入学率を示しておりますから、もうすでに諸外国の義務教育より以上の進学率を示しておるわけです。ですから、この際、高等学校を戦後発足のときの本義に立ち返って、小中高までを義務化していくという方向への再編をして、そして子供が学区制、そして総合制、そして中学を卒業した者は無試験で高校に入っていけるという条件をつくるだけの整備が、もうすでに条件はできているというように思います。この点がまず第一に挙げられなければならないと思うわけです。  次に、大学の問題ですが、これも戦後発足したときの大学の基本的な精神に立ち返るべきではないのか。すなわち、戦後発足したときには全国各県の大学をつくって、これを総合制にしていくというのが基本でありました。しかし、その後、旧七つの帝大を中心にして各県の大学は総合制どころか発足したなりで、それ以上拡充も何もなされていない。ここに大きな格差が生まれているわけです。ですから私が提案したいのは、東京大学、京都大学を初めとして旧七つの帝国大学は、この際、一般大学としてはこれは廃止をすべきである。そうしてむしろ旧七つの帝大を中心にして、全国のブロックに一校程度の連合したところの大学院を設置する。東京大学は東京連合大学院として、関東ブロック中心の各大学の上に位置する大学院というようにして、一般大学はこれはもう廃止をしてしまうというところまでいかなければならないのではないかというように思うわけです。そうして各全国の大学を総合制にして、これから着々といずれの大学の格差もなくなるようにしていくべきだ。ちなみに例を言いますと、これは最近はもうほとんど意図的かどうか発表されておりませんが、一九六四年ですから昭和三十九年までは年々国立大学の予算の決算が発表されておりました。それまでのを見ますと、その時期で一千五十億円の国立学校への決算としての財源が支出されておる。その中の東京大学に百二十億円、すなわち一二%を全大学のうちの東京大学が占める。東大を含めた七つの大学が四百六十億円で約四四%、残りの五十数%である五百九十億円を六十五の大学が分け合う、こういう状態の予算の支出でありますから、ここには格差はますます拡大をしていくという政策がとられているわけです。このことをやはり解決していかない限りは、特定大学、特定学部への競争集中ということは、これはもう余儀なくされてくるのではないかというように思います。  次に、形式的な学歴主義社会の風潮を解消するという問題です。  これはまず、大きく言って三つあると思うわけで、政府なり企業と学閥との関係です。これは、私は政府がまず率先をして学閥解消の指導をするべきではないのか。と申しますのは、東大イコール政府官僚です。現在のあれを調べてみましても、たとえば、文部省の局長以上というのは東京大学出身が八六%です。大体現在、政府の役員であれば、東京大学を卒業していなければ局長、次官にはなれないというのがもうほとんど原則的になっております。もちろん、失礼ですが、内藤先生のように東京大学を御卒業にならなくって次官におなりになった方もあります。これには相当な御苦労と御努力が要ったろうと思うのであります。ですから、文部省の次官は東大何期生、労働省は何期生というように順繰りに決められている。政府みずからがこれを改革していくということでなければならないのではないのか。企業で言いましても、三越に入ろうとすれば、これは慶應大学というように、各企業がこの企業は何私立大学というような系列を持っている。これはやはり政府が率先をして改め、そうして指導をするということによって学歴社会の解消ということに一つは力を尽くすべきではないのか。  そうして、第二番目には、大学そのものの社会的位置づけを、これは変えなければならないと思うのです。と申しますのは、具体的に言うと、少し抜本的になるかもしれませんけれども、大学卒業証書、学士号というものが社会的な地位と賃金を得るパスポートになっているということです。だから、実力があるかないかは別として、とにかく大学卒業という証書が欲しいという、現在そういう状況が出ております。ですから、私は社会における地位というものは、高等学校を準義務化していって、高校卒でもって賃金を決定をしていく。そうして、大学は高卒から直結するか否かは別として、生涯教育の中に位置づけるべきではないのか、高校を卒業して大学へ行かなければ社会的地位なり賃金が上がらないというがために二浪、三浪という、あたら若い青年が浪人をしながら三十歳になってやっと大学を出たと、こういう状況は人的にも私は損失ではないかと思うのです。ですから、大学というのは、社会の中では生涯教育の中に位置づけて、行きたいときに行きたい大学でやりたい勉強をする。しかし、大学を卒業したからといって直ちに課長のいすが回ってきたり給与が上がったりするのではない。学歴的には大学を卒業した者がみずからがそれだけ能力を開発したということであって、賃金としては、勤務一年に対して大学へ行ったのも一年と換算して何ら給与において大学を卒業したならばぱっと給与が上がるというような、こういうシステムはやめるべきだ。このシステムは大正十年にとっているわけでこれはいま抜本的に改革すべき問題ではないのか。これもやはり政府職員がまず率先をしてやっていくということでなければならないのではないかと思います。  それから、第三番目に、特定職業についての問題があります。これはやはり大学を仮に社会的に生涯教育の場に位置づけたといたしましても、特定の技術あるいは専門的な職業というのは、高校卒だけではその職業がこなせないというものがあります。たとえば医師とか法曹界とか、あるいは建築士というような、あるいは教員もその一つになるかと思いますが、こういう職業については原則的にはやはり国家試験でやっていく。そうして、もう一つは、国家試験または大学における一定の特定の単位取得を義務づける。それだけのものをやらなければこういう資格は与えられないという厳正な措置をとるべきではないのか。ただ、大学さえ卒業すればいいという、こういう風潮がありますから、これを解決するのにはそのようなことも一つの方法ではないか。  これは私、最近調べてみたわけですが、私立大学どことは言いませんけれども、私立大学で学生が大学へ講義を受けに来ているのは大体一〇%ないし一五%という状況で、それが卒業試験あるいは論文、そうしたものを相談し合って出していけば卒業になる、だから授業料を納めておけば大学へは行かなくてもいいという、こうした風潮がある。国立大学の例をとってみましても、講義を受けに来ている学生というのは、もちろん教授によって違いますけれども、三〇%ないし多くて六〇%、こういう状況が出ております。このことを見ましても、やはり真に大学というものを実力をつける大学にしていく。しかし、いまのような状況というものがある限りはそうはなりませんから、以上のようなことを、形式的学歴主義社会を解消していく一つの方途としてお考えいただいたらどうだろうかと思うわけです。  そこで、以上のことが本当は入試地獄を解決していく大きな解決策だと思いますが、しかし、大学の入試制度がそれではこれでいいのかということになりますと、現状の入試制度が必ずしもよしとは言えないと思います。入試制度そのものが根本的な解決策ではないということを前提にしながら、しかし現状を少しでもいい方向に持っていくというために一つの案を申し上げてみたいと思うんです。もちろんこれは決して、私、日教組の委員長ではありますけれども、日教組という機関でがっちり決定をしてこれでいくんだというようなことをやってきておりません。また、そうするべきではないと思うわけです。教育の問題は常に一定の、何といいますか、ゆとりを持ちながら常に検討し、想像しながら改革をしていかなきゃならないと思いますから、そうした意味で試案としてこの際、申し上げてみたいと思うんです。  入試制度の改革を検討するに当たりましては、まず一つは、根本的解決策に向かっての暫定的な措置として検討すべきである。将来は東京大学を、さっき言いましたように、なくして全国の大学を地域総合大学制に持っていく。そうして岡山県の子供は岡山県の総合大学に行くということを原則にしていく。ここまで拡充していくんだという将来展望を持ちながら、しかし、それに持っていくのには何年かかかるでありましょうから、暫定的にそういう方向を目指しながら、それに阻害にならないという角度から入試制度の改革は検討すべきである。  そうして第二番目に、そのためには大学、高校を主体とした検討機関を設置すべきである。そうした機関でもって民主的な討議を十分踏まえながら現実と未来展望を調和させた案を作成すべきではないかというように思います。  具体的には、大学入試制度の改革案として申し上げますと、現在の受験制度、こうした試験制度には大きく分けて三つの性格があると思うのです。一つは、入学選抜試験をやるかどうか。第二番目には、入学する資格を有するという認定試験をやるかどうか。それからもう一つは、適性があるかどうかという角度から調べるかどうかという、こうした意味では入学選抜試験、資格認定試験、それから適性試験というように分けられると思います。しかし、私がここで申し上げたいのは、その中の資格認定試験、これを全国統一的に行うべきであるという意見を申し上げたいわけです。当面、全国統一試験とし、将来、地域総合大学の整備に伴って漸次地域ブロックあるいは今度は各県というように試験の範囲を狭めていく。いまは非常に格差がありますから全国一本でやって、総合大学がだんだんと整備するに従って関東ブロックあるいは東北ブロックというようにブロックにひとつおろしていく。さらに、総合大学の格差が均等化されたときには各県にも地域的にやっていくというような方向をたどるべきだ。そうして試験のあり方につきましては、その統一試験は文科系と理科系、それから芸術・体育関係というように三区分してはどうだろうか。これにはいろいろ意見があります。あえて高等学校教育というものを一般の国民教育的に置いていくとするならば、あえて文科に進む者と理科系に進む者とを分けて試験をやるべきじゃない。むしろ、高校の実力を持っておる者が大学に入った後に理科なり文科の方でしっかり研究していけばいいんだという考え方もあります。しかし、現状ではやはり医学を志望する者、医学の大学としては特にこういう点がもう少し堪能でなければならないとかいう現状があると思いますので、この際、あえて大きく文科系統に入る者の統一試験、理科系統に入る者の統一試験というものが統一的に行われる。そうして体育と、それから芸術関係というのは、これは適性試験的な統一テストを行う。一般的な統一テストはやらないで、適性的にやります。音楽大学へ進む者は、必ずしも数学なり国語において、統一的な試験を合格しなければならない学力よりは幾分下がっておっても、その進む——音楽なら音楽における堪能さをより以上調べる必要があると考えますので、こういう三区分にしたらどうだろうかという案であります。そうして、この試験のやり方は高校、大学の教員によって構成する大学入学資格試験委員会(仮称)を設置をして、ここで統一試験の設定をしていくということであります。  この際、一つ付言しておきますと、一本の試験だけでいいかどうかということでありますが、高校の内申というものをこの際どうするかということです。これは、内申に対する大学側が拒否反応を示すのは、内申の信頼性の問題が一番大きいと思うんです。これは私が戦後、中学校の教員をやっておりました当時のアチーブメントテストで高校に入れた時期があります。その時期に内申の信憑性を得るためには、一人一人の学生の成績表をつけるのではなくて、その高校の成績一覧表を全部つくります。そうして、この生徒は数学はここに位するんだというのをやっていけば、いまのような内申で東大へ行く者は、これをいい点をやっておけというようなことができない一覧表にしていきます。そういう信憑性を高める方法はあるわけでありますから、そうすることによって、統一試験にそうしたものを加味するのも一つの方法ではないだろうか。あえて加味したいと言いますのは、どうしても統一試験になりますと、記憶力中心になっていきます。そうして判断力の、瞬間的な判断力、ひらめきの早い子供で、よく記憶している子供は成績がいいということになるわけです。実際の学力というのはそうではなくて、理解力なり分析力なり、あるいはまた表現力なり、こうした創造的な力が必要でありますから、創造的な力というものは一遍のテストではなかなかはかることは困難です。だから、それを埋めるためには、やはり信憑性のある高校の平素からやった三年間の学力というものの内申を統一テスト成績にプラスをしてやっていくということが、より一層よいものが求められるのではないかというように思うわけです。そうして、この試験の成績が、ひとつここではっきりと大学に入学する資格認定試験を合格したという者が大学に入学する権利を持ったということであって、それ以降の第二次試験とか、大学ごとの試験は一切行わないという方針であります。これは国大協の第二次試験がありますが、これは、そうでなくても受験地獄で子供がいじめられているのに、それに対して統一テストと、もう一つ大学ごとの試験という二重の苦しみは絶対に私は教師としてやらせたくないという気持ちです。  そこで、そうしますと、入学選抜試験で受かった者、たくさん認定試験に合格した者が出ると思いますが、それをどのように各大学に配分をしていくかという問題、これを二次試験をやらないとするならば、入学者の調整委員会をつくるべきだと思うわけです。その調整委員会で選抜する方法は次の順序で行います。第一に本人の希望によって配分する。受験生が第一希望は東大法科、第二希望京大法科、第三希望岡山大学法科というように、三つの、第三希望ぐらい出さしていきます。そうしてまず、入学資格検定を受かった者の中で、第一希望をまず優先的に採用していきます。そうしたときにそれで満杯になるならば、もうそれでいいわけであります。ところがそれがはみ出したという場合に、その次の紙にあります第二として、希望者か超過した場合は地域——生活根拠地によって配分する。まず、東京在住者が東大の法科に——また解体しないで残っている場合入って行く。そうして隣接県まで枠を広げます。そこまでで満杯になれば、それでおさめます。しかし、それでもなおかつ非常に殺到しておるという場合に、第三番目にやむを得ない、これはさらに超過する場合は統一試験の成績によって配分する。第三番目に初めて成績順位が生きてくる。こうすると、何も東京大学の法科に一番優秀なのがそろうということでなくて、全国のまず学生の格差是正に、まず一段の貢献をしていくということにもなっていこうかと思うわけです。  以上のような統一試験と、それから配分調整委員会をもっての調整をしていくということでいくならば、そして今後、地域総合大学制への年々充実をしていくならば、それがブロックでの統一試験になり、各県での統一試験ということで、その方向の展望に向かっての進み方ができるのではないかというように思うわけです。  最後に、これはしかし当面国公立大学にのみ適用するというようにいたしました。と申しますのは、現在の私大と国大の格差、そうして私大の非常な困難性、こういうものを見たときに、一挙に私大までこれを強制することは適当でないと思います。ですから、私立大学については、希望の申し出によって包含する。たとえば慶応大学が、自分も統一テストの中で、ひとつうちの子供も選定をしてくれ、こうなってくれば、それは包含しますが、希望がない限り私大については、当分の間は、この中に強制することはしないということです。と申しますのは、一例を言えば、私立大学は、現在格差を是正するために相当ことしの場合に国で予算も計上されました。しかし、まだまだ不十分であります。というのは、まだ専任教員の例を見ましても、国立大学は、一人の専任教員に対して、大体生徒の数は十四名程度、ところが私立大学の場合は、一人の専任教員に対して四十数名の生徒というぐらい格差があるわけであります。そうして、いまの財政難から言って、私立大学は、みずからの大学で受験をさせることによって受験料も非常な収入になっているということです。ですからこうした受験料、入学金、父母負担というものが国立並みになっていくという、その努力が一段と払われるということがなされた上で、私立大学についても統一テストに入れるかどうかということは検討すべきであって、いまの段階で私学までもこれに包含するということは、これは不可能に近い問題だというように考えます。  以上、私の意見を申し上げまして、あとは御質問にお答えしたいと思います。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  次に、梅根参考人にお願いいたします。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 参考人の梅根でございます。  若干の意見を申し上げさせていただきます。槇枝参考人の御意見とダブるところがございますが、その辺はできるだけ省略して申し上げます。  三つぐらいに大きく分けて申し上げたいのですが、第一は入試制度以前の、槇枝参考人も申されたような入試制度の前提とも言うべきような問題について、一、二申し上げます。  学歴社会というのは、あらゆる慣行をどうやって取り除くかということは大変むずかしい問題でございますけれども、やはり官庁、企業等で特定の大学を指定して採用をするということは、だんだん後退はしつつありますけれども、なお残っておるようでございます。そういうことのないように、大学の格差是正に官庁、企業も積極的に協力をしていただくというような雰囲気づくりをぜひしていただきたいものだと思っております。  それから卒業制度の問題は、槇枝参考人から申されましたけれども、私は、やはり大学の学部の卒業制度というのは、いろいろな意味で弊害をもたらしておるというふうに思いますので、この際、思い切って大学というところは卒業をさせないところであるというような考え方に変えるべきではなかろうかと思っております。学校教育法では卒業という概念は余り使っておりませんので、学位の制度だけございますけれども、その辺を考え直すべきではなかろうかと思っております。やや具体的に申しますと、学校教育法という法律がございますが、その中の幾つかの条項を改めることをしていただいたらどうであろうかというふうに思っております。五十五条には修業年限というのがございます。修業年限四年となっておりますが、これはむしろ削除すべきではないかということです。無年限としてよかろう。それから五十六条には、入学資格は高等学校卒業程度、卒業ということになっておりますが、そこはやはり高等学校に卒業制度が残ります以上、高校の卒業プラス先ほどの資格試験ということに改めるべきであろうというふうに思っております。六十三条は学位称号規定でございますが、これも削除すべきであるということでございます。それから、六十七条に大学院のことがございまして、大学院入学資格の項目に大学を卒業した者とありますが、それも削除すべきであろうと、ここは各大学院が独自にただ大学院の入学に適するか否かを試験をもって認定するということであればいいのであって、大学卒業を条件とする必要はなかろうというふうに考えております。  それから、第一項目の三番目でございますけれども、やはり一部の大学の現在の学部を廃止してそれを連合大学院なり、あるいは大学院のみの大学にすべきではなかろうかというふうに考えております。これはまずとりあえず旧帝国大学でございますが、それと関連して旧国立大学がございます。どの辺で線を切るかということはいろいろ問題がございましょうけれども、とりあえずは旧帝国大学というふうに考えております。これはなかなかむずかしい問題でございましょうけれども、旧帝国大学の内部にもほぼ二派あるんじゃないかと思います。旧帝国大学は学部と大学院とを持っておられて、学部の後半と大学院とを大体旧帝大の旧学部の教授諸君が担当しております。これはかなり負担が大きいですね。学部の学生の教育と五年間の大学院生の教育とを両方やりますから、研究者としてもなかなか大きな負担を持っている。そういう意味では必ずしも賛成でない部分もあるようでございます。しかし、一方では、やはり学部を残すことに非常な執着を持っていらっしゃるところもあるというわけでございますが、とりあえず、旧帝国大学の学部をやめるようにしたらどうであろうかというふうに思っております。これをやめますと、たとえば東京大学が高等学校からストレートには入っていけないというふうになると、全国的にこの影響が非常に大きいと思うんです。あとの大学はドングリの背比べと言っては悪うございますけれども、関東で申しますと、群馬大学あり、宇都宮大学があるというだけですから、そう大きな格差はございません。そういうわけでございますから、まずもって東京大学、京都大学等の旧大学の学部を廃止すると、これは法的には国立学校設置法のあの一覧表の中からあの学部のところを削ってしまえばよろしいわけでございますから、そのことを何とか考えていったらどうであろうかというふうなことを考えております。  大きな二番目の柱は、そういったようなことはなかなか簡単にできることではなかろうと思いますから、やはり将来構想として考えまして、当面の改革をどうするかということでございますが、このことは、槇枝参考人もかなり詳しく申されましたし、また、私どもがやっておりました教育制度検討委員会などでもこの問題に関連していろんなことを申しておるわけでございますけれども、四つの私どもの報告の中には、いま槇枝参考人が申されました、その大学進学の資格試験という項目がございまして、この際、そういう試験を実施してその資格試験の合格者だけが大学に進学することができるというふうにすべきではなかろうかということでございます。これを各都道府県ごとに資格試験の委員会をやると、あるいは連合学区ごとにやると言っておりますが、槇枝参考人のおっしゃるとおりに、いますぐにそれはやりにくい状況でございますので、現在実施するとすれば、全国一律の資格試験ということになるだろうと思いますけれども、そういうことをやったらどうかと思います。  ここで私は、槇枝参考人は私立大学は外したらいいだろうとおっしゃいましたけれども、私は必ずしもそうは思っていないですね。それは、資格試験の程度、内容、方法の問題もあるだろうと思うんです。やはり一定の資格、能力を持った者でなければ大学は進学できないと、その他の方法を講ずべきであるということは、国公私立を通じての原則として考えるべきではなかろうかというふうに私は考えております。資格試験の合格者に対してさらに各大学が改めて試験をするかしないか、ここでも槇枝さんの御意見と若干食い違っておりますけれども、私どもの委員会の報告では、一部の大学では重ねて選抜試験を行うことができると、これはただし、前に申しましたような一斉の資格試験をします機関であります、選考委員会の機関でありますものの承認を得てその上で若干の大学が資格試験をやってもよろしいと、入学試験をやってもよろしいという考え方をとっておりますけれども、これはやはり特定の大学ですね、特定の大学と申しますのは、一つはどうしても実験講座などで必要上定員を厳しく引き締めなきゃならぬというところがございます。そういうところは、やはりやたらにふやすわけにはいきませんから、やはり必要な試験を二次試験としてやらざるを得ないだろうということもございます。また、先ほどの体育や芸術のように、特殊の実技的な試験を課さなきゃならぬという事情もございましょうから、一般的な資格試験だけであとは何にもしないというわけにもいかないではなかろうか、ごく特殊の特例的なものとして残しておくべきではなかろうかというふうな考え方を持っております。しかし、各大学でその資格試験だけで、資格試験の成績順位ということだけではなくて、やはり面接をかなり丁寧にやったり、あるいは論文テストみたいなことをやったりということは望ましいことではなかろうかというふうに考えております。いまの入学試験のペーパーテストではとらえ得ないようなことを丁寧にやっていくということが、その場合には必要になってくるんじゃなかろうかというふうなことに考えております。  それから、柱としては三番目の大きい柱になりますけれども、事柄は簡単でございます。在来、統一テスト的な進適等々の名前で行われたものがございますけれども、やはり入試制度の具体的な改革につきましては、法政改正を要する部分は別といたしまして、それ以外のものにつきましては、事柄につきましては、やはり大学が自主的に相互に協力して一つの方針なり制度なりを相互に了解し合ってつくり出していくということが基本であるべきではなかろうかというふうな考え方をいたしております。大学の伝統的に持っております大学自治というふうに申しておりますけれども、それを何か侵されるといったようなことに対して非常に神経質に拒否反応を示すといったような観察がされる向きもございますけれども、やはり入学者を選抜するのは大学の重要な業務になっておりますから、そのことを認めた上で、国立大学のみに関して言いますならば、国立大学協会とか、あるいは国公私立大学を打って一丸としたような大学進学の具体的制度に関する協議会といったようなものをつくることを慫慂して、そういうものができ上がってくればよろしいんではなかろうかというふうに私は考えております。やはり、この問題について、何か権力的に大学に対して命令をするとかあるいは支配をするとかいったことでなしに、大学自身が自主的に共同して、そうして協力して、そうしてこの制度の改革を進めていくというふうな方向にいくように指導をしていただければ大変いいんじゃなかろうかと思っております。文部省のお仕事などは、その辺に非常に深くかかわっておるんではなかろうかというふうな感じがいたします。  申し上げたいことの骨子はそういうことでございますけれども、特に二番目に申しました具体的な選抜制度につきましては、私どもの教育制度検討委員会の中の大学の部分の意見がお手元に配られておるようでございますから、それをお読みいただければおわかり願えると思います。したがいまして、ここではそれを繰り返して説明はいたしません。後で御質問がございましたならば、私に可能な限りでお答えを申し上げたいというふうに思っております。  以上で終わります。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  以上で参考人の方々の御意見の開陳を終わります。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言を願います。

久保亘日本社会党

○久保亘君 お二人の参考人にお尋ねしたいと思いますが、私は戦後の大学教育は、教育を受ける者の量的なすそ野を広げたかわりに、戦前よりも大学の格差をはっきりさせてそれぞれの大学が特色を失ってきたのではないかと考えております。そして、この大学の格差によるランクだけが非常にはっきりして、先ほど御意見がありましたように、それが社会的地位やあるいは社会的ないろいろの資格につながる傾向が強くなってまいりましたから、今日ではどこの大学に入るかということが問題であって、大学で何を学ぶかということが小供や親の重要な関心事になっていないのではないかと考えられるような面さえ見られると思っております。そういう意味で、いまいろいろと傾聴すべき御意見をお聞かせいただいたのでありますが、いまの御意見によりますと、大学の根本的な改革が問題の本質であるということがよくわかりますが、そうすれば、その入試制度を単に技術的に扱うということではなくて、そういう大学のあり方の根本的な改革の方向に沿って入試制度が改善されなければならない、こういう御意見だと思います。その場合に具体的にそれでは、いま若干の意見をお示しになっておりますけれども、さしあたって、当面どういう改革が現在の試験制度において可能になるのか、その点をもう少しお聞かせいただきたいと思います。  そこで、地域総合大学とか連合大学院の構想とかいうかなり時間のかかる目標に向けて示されておりますが、当面、この受験地獄を解消するためのこういう大局的な方向に沿った具体的提案というのがありましたら、お聞かせいただきたいと思います。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) じゃ私の方から申し上げます。私と梅根参考人必ずしも一致はしておりません。  私が先ほど改革の一つの試みの案として申し上げましたのが、将来展望をしながら、まあ言えばあすの日にでもできるのはこういう方法ではないかということで申し上げたわけです。すなわち、現状の段階では大学の格差は厳然としてある、そうしてまた、東大を将来は学部をなくするにしても、まだ来年はある。その中で行うとした場合に、各大学ごとの選抜ということを現状を放置したならば、これはもうどうにも改革できないんですから、そこで全国的な統一テストと名前をつけるか、共通テストと名前をつけるか、これは名前は自由でありますが、要するに、大きく言えば、高等学校における基礎学力、五教科中心。これについて、これだけのものは少なくとも高校卒業者としてマスターしていなければならないというものの試験を全国一本の形でまず行なう、それによって高校卒業の学力を身につけ、大学の教育に対応でき得るという者を入学資格試験合格者として選定をする、そのものを後は調整によって配分をしていく。そこが梅根参考人と違うところです。各大学にとる方が、企業のように、私のところにはこういう者が採りたいんだというのではなくて、少なくとも、国公立大学である限りは、岡山大学の法学部と東京大学の法学部に差があってはならない、そういう差をなくするという方向に向かって進めるためにも、これは配分委員会で配分をしていく。それは、まず第一に希望によって集める、超過した場合は、これを今度は地域によって配分する。しかも、それを超過した場合に限って、今度は成績の順がどうなっておるかで最後はそれによって締めくくるという方式ならば、来年からやろうと思えばできる方法ではないか、こういうことなんです。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 二点ばかり申し上げたいのです。  当面。すぐにでもやれるということですが、すぐにでもと申しましてもなかなか手間がかかるだろうと思いますけれども、説得が大変でしょうから、大変だろうと思いますけれども。やはり私は大学の入学試験の改善を考えます場合には、何か手本か先例かが欲しいような気がいたします。諸外国にいろいろ例がございますけれども、それはあまり参考にならないと思うんです。国内で申しますと、いま一つの参考になり得るのは高等学校の入学制度ですね。これが東京都では学校群制度を設けてかなりの経験をしておりますが、なお、修正を必要とするというんで新たな討議が行われておる。その他の都道府県にも若干学校群制度を試みたりあるいは成功したりしておる例がございます。やはり、大学の場合も国立だけについて申しますならば、この学校群制度を、大学群制度を国立の場合に考えたらどうか、そうして統一試験をしていくというふうになれば、そうしてしかるべく配分をしていくということになれば、およそ各大学とも格差が是正されてほぼ均等化していくということになりはしないかと、私は大学群制度というものを考えてみるべきではないかというふうに考えております。  それから現在のように、各大学で思い思いに入学試験をするというふうな状況を一応それには手をつけないということになりました場合に、どう考えたらいいかということでございますけれども、私は国立の一期、二期の制度は廃止すべきだと思っております。国立は一回限り、同日に試験をする。どこかの国立に入りたいならば、どこかの国立を受験をしなさいということで国立は一回だけで試験をする。それで、私立大学は国立の試験の日と同時に試験をすることを一回やって、それは各私立大学の自由です。しかる後に、それが終わった後、一定の時期を置いて二度目の入学試験、第二次の試験を私立大学に関してのみやるものはやろうし、やらないものはやらないというふうにしていくべきではなかろうか。五つも六つも七つも八つも受験校を決めて学生が右往左往しておるという実情を見ますと、やはり、そういう点に改善をしていくべき余地があるんではなかろうかというふうに考えております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 次に、大学の格差とか大学の卒業資格というのが社会的にいろいろと弊害を生んでいるということでありますが、それならば、この際、思い切って大学の卒業証書を全廃をする、そして社会的には履歴書の学歴に大学の課程は全部廃止をする、そして賃金決定の基準として大学卒業の資格を使わない、こういう点についても少し御意見が述べられておりますし、私も賛成でありますが、そういうふうな角度から考えますならば、大学が、本当に勉強したい者がやって来るという立場から現在の収容力不足を解消をしていくためには、新たにつくられる大学というのは、これまでは大学教育の補完的な役割りしか果たしていない夜間大学とか、通信大学とか、こういうものが新たに増設されていく大学の主力をなすべきではないかと、こういうふうにただいまの御意見からは伺えるのでありますが、その点について御意見ございましたらお聞かせいただきたいと思います。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) いまの、最後の点にしぼって申し上げますと、時間がなかったので私、省いたんですが、いま、高校の場合にも、働く青年が、非常に定時制高校、通信教育を学びたいという状況があります。ただ、問題は、社会的な地位という面では、定時制高校出身と、全日制高校出身にやはり差別が存在するがために、なかなか、そこの教育というものが進行しないという現状もまたあるのです。だから、その点の差別をなくするということを一つは前提にしなけりゃならないと思いますが、大学の場合には、少なくとも、私は早急に実現してほしいのは、理工と医学、これについては夜間大学をぜひつくってもらいたいと思うんです。現在、特に医学部の増設というものが叫ばれておりますし、しかし、これには相当費用がかかるということで、なかなか遅々として進まないわけです。けれども、夜間大学ということになりますと、現在の医学部の施設を、あとは教官を補充することによって夜間大学開設ができるわけでありますから、そういう施設設備の必要な理工と、そうして医学に関しては、特に需要も非常に多いわけでありますので、これは夜間大学の設立ということに、特段、ぜひ早急に力を入れてほしいという意見を持っております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 それから梅根参考人にお尋ねいたしますが、今日の大学のあり方というものを考えてまいりました場合に、入り口が非常に狭くて、出口の方は簡単に出れるような日本の大学の制度がありはしないか。この点、諸外国の例の中には、大学の教育を受けるべき一定の資格を持つ者は、希望する大学に登録をして、そして全国どこの大学の講座も受講できて、そして最後に、卒業するときに学士試験というんですか、それを自分の希望する大学で受けて、大学卒業の資格を得ると、こういうような制度をとっているところがあるように聞くんでありますが、そのようなところがありますでしょうか。また、そういうことがわが国において可能だとお考えになりますか。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) その御質問にお答えします前に、前の御質問でございますが、やはり私も同じような意見で、国立こそが夜間大学を設けるべきであるのに、なぜ設けないのかということを絶えず私は申しております。その点については、今後の課題として考えていただきたいと思います。  それから、先ほど申しましたような卒業制度のない、学びたいときに来て学ぶというふうな大学に切りかえていくためには、やはり日曜日を大学が休んでしまうということじゃ困りますな、土曜日休むのも困るんです。やはり大学は、月月火水木金金で、一週間全部あいているというふうにすべきと思うんです。これはいろんな方法を講じさえすれば、大学の教職員のオーバーロードには決してならないというふうに私は考えております。  それから第二の点でございますけれども、私は余り外国の実情、その辺のことは詳しくは存じませんけれども、そういうかなりオープンなシステムでやっていこうという考え方はあるようでございますね。それも一つの考え方だと思いますが、日本の現状は、私はかん詰め主義と言っておりますけれども、一つの大学にかん詰めにしてしまって、そこの講義しか聞けないといったような窮屈な状況はやっぱり開放すべきであります。どこの大学へ行ってもいいと、土曜日には東大に行こうと、日曜日にはどこに行こうといったふうに、自由に選んで行ったらいいだろうというふうな形のものにしていくべきであろうと。卒業制度をやめるべきだという考え方をもとに持っておりますから、したがって、大学の講義を聞くのは、むしろ大学の講義を聞くというよりも、だれそれ教授の講義を聞くためにどこどこ大学に聴講するとか、大学の教授の講義を聞くためにどこに行くというようなことになるべきであって、それは複数であってよろしいというふうに考えております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 次にお尋ねしたいと思っておりますのは、大学の格差が受験地獄を導き出しているということになりますなら、この大学の格差を生み出している原因について、先ほど槇枝参考人の方から、今日の文教予算、大学予算の配分などについて御意見が述べられました。私も地方の大学からしばしばそういうことを聞かされておりますが、そういうことになってまいりますと、いまの日本の文教行政そのものが大学の格差を助長し、そうして受験地獄に拍車をかけてきた、その責任は免れない、こういう感じが一面からいたすわけであります。そういう意味で、やっぱり文教行政の根本にメスを入れるということが、この受験地獄解消につながる非常に重要な問題だとお考えになりますでしょうか。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) その点は、御質問のとおりでありまして、特に、私がこの際、指摘しておきたいのは、いまから三年前に出ました中央教育審議会の答申です。この答申が出された当時は、もちろん高度成長のど真ん中で検討されたものでありましょうから、そういう面では、その意味からも再検討は必要だと思いますが、中でも、この大学の格差について、格差是正の方向ではなくて、格差拡大の方向が答申されているということについて、きわめて大きな不満を持っているわけです。現在ですらも旧七帝大を講座制、そうしてあと学科目制と、こういうふうに分けておりますが、それが今度はあれは五類でありましたかに分け、しかも、それをさらに細分化していって、大きな大学ごとによって格差をさらに助長し、拡大をしていくような、この大学制度のあり方の根本の提案がなされておるわけです。ですから、これについては、私は絶対に反対でありますし、同時に、いままでの文教政策というものが、格差是正ではなく、格差拡大の方向に、予算的措置を見ましても、またそうした施策を見ましても、出ているという現状については、深くぜひメスを入れてほしいというように思います。

久保亘日本社会党

○久保亘君 それでは時間がございませんので、最後に、梅根参考人にお尋ねいたしますが、先ほどお二人が述べられました連合大学院というのについて、この連合大学院というのは、どんな目的を持って、どういうふうに運営されるものであるか、場合によっては地域総合大学から今度は連合大学院に向けて、今日のような受験地獄が発生する可能性がないわけでもありません。それはいま、大学の受験を目指すために、その大学に入るために、高等学校を、学区制のあるところも乗り越えて選ぶ、また、その高等学校に入るために親元を離れて下宿しながら義務制の中学に通う、そしてずっと小学校、幼稚園までゆがめられていっている傾向がありますが、その場合に、この連合大学院と地域総合大学とのつながり方というものも一つ問題になるところではないかと思うんです。その点について、御意見をお聞かせいただきたいと思います。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 報告書に書いてあるわけでございますから、ごらんをいただきたいと思いますけれども、私どもの考えておりまする連合大学院というのは、各都道府県ごとに置かれるであろう地域総合大学にいわば直結しておるという形で、しかも、横に連絡をしておるということ、例を九州にとりますと、九州各県にあります総合大学がどこかに、たとえば学部を廃止された九州大学がそれになっていくと、そうして、それ以外の各地域にあります総合大学の協力で、一緒に経営をしていくというふうな形になるべきであるというふうに思っております。  入学試験のお話がございましたけれども、やはりそれは各地域には修士課程を置くことを認めておりますから、連合大学院の博士課程のみ場合によって若干修士課程を加えてもよろしいというふうになっておりますが、もう博士課程の連合大学院でいわゆる入学試験の試験地獄なんてことは起こってこないはずのものだと。これはそれまでにやってきた業績と面接で十分であろうというふうに考えております。

久保亘日本社会党

○久保亘君 槇枝参考人に再度お尋ねいたしますが、この当面の大学入試制度の改革試案、これは全国統一試験として行われます場合に、今日各大学が行っております面接とか身体検査とか、こういうものは、この入学試験制度の中ではどのようにお考えになりますでしょうか。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) これは梅根参考人が先ほど面接によってより細かく、いわゆる統一試験ではかり知れない点をというような御意見がありましたが、私は統一試験ではかり知れない、いわゆる記憶力中心のテストでは不十分だと思いますから、それを補完するのはやはり高等学校の信頼性のある内申制度というものを併用すべきだということを申し上げたんです。面接と身体検査につきましては基本的に私は反対なんです。と申しますのは、面接というものによってできるのは、たとえば司法試験における面接がありますが、これは口述試験でありまして、面接ではなくて全然、言葉でやりとりをしながらずっと問題を提起していくわけです。けれども、そういう制度はとてもできませんから、通常に言われる面接でありますと、これは客観性の問題、公平性の問題でどうしても主観になってくると思うんです。ですから個々面接ということによって合否を決定するということには、これは採用すべきではない、これはもう統一テストとそれから内申というものの信憑性というものによって行うべきである。それから身体検査でありますが、身体検査も、これはとても身体検査でもって合否を決定するということは私はきわめて困難だろうと思います。むしろ身体検査書というのは必要な書類の中で各高等学校から出る場合につけて出すべきであって、その書類によって審査をすべきで、これを一時的な身体検査で合否を決定するということになると、一時的な病もありましょうし、しますから、それは休学によって療養すればいいことでありますから、そのときにたまたまこういう病気だったというために生涯にわたって大学入学の機会を失うということはすべきでない。  それから身体検査で問題になりますのは、いわゆる肢体不自由という問題、これは学部によっては肢体が不自由であっても入学を許可する学部は拡大していく必要があるわけでありますから、そうした意味で、特定の学部以外はそうした肢体不自由云々ということを問題にすべきじゃない。もう一つは、今度は精神問題があると思うんです。いわゆる精神的な病気は云々、これは極端な言い方をしますと、現在の高校卒業生で大学進学をしようとする者はほとんど精神的にはノイローゼになっていると言ってもいいと思うんですが、合否を決定するような精神病患者なんというものはこれはあり得ないと思いますし、そういうふうなものについても、これは一時的な試験によってそればふるい分けられるものではない、むしろ精神病云々ということが仮にこの入学の問題で拒否されたとしますと、これは人権問題にも発展します。ですから身体検査はやはり高校から出るときの身体検査書を、綿密なものをつけて出す、書類審査でいくべきである。面接はやはり公平性なり客観性を維持する意味から言って、これは採用すべきではないという考え方でございます。

久保田藤麿自由民主党

○久保田藤麿君 時間を節約する意味で端的なものの申し方で失礼だと存じますが、第一には、昭和二十二年から二十九年にわたって行われておった進学適性検査、それからいま一つは、三十八年から四十三年までやっておった能研テスト、この二つについての経緯は私も一通りは知っておりますが、お二人の、場合によってはどちらか片方でいいかと思いますが、その評価といいましょうか、どんなふうであったからああなった、また、それはもう少し評価されてもよかったんじゃないかというような見方があってもいいんじゃないかと思いますが、それらについての御判断が先ほどの統一試験の問題と私は関連があると思いますが、それらについての御判断が統一テストの問題と関連があると私は思いますのでお聞かせいただきたいと思います。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) これは一部内藤委員長の時代のあれでございますな。そんなことはどうでもよろしゅうございますけれども、私はやはり入学者を選抜するのは大学自体であるべきだと、そこでやはり大学の中から盛り上がってきて大学のお互いの間で協議機関を設けて、大学のお互いで共同してやっていくという線を貫いていくべきものではなかろうかというふうに申し上げましたのはそういう意味なんです。一種の拒否反応がございますからね、それに触れてはいけないと私は思っております。それでおわかり願えるのではなかろうかと思います。

久保田藤麿自由民主党

○久保田藤麿君 私もおっしゃるとおり、この入学試験問題は大学が基本的に姿勢を正すといいましょうか、市民的な要求にこたえる、若い人たちの将来を考えるということから、大学が根本的に考えないと、これは解決していかぬものと心得ております。したがって、ただいまお話の先生方の案を私なりにこう拝見すると、やはり大学がこれにどこまで順応していくであろうかという角度から考えたい、こんなふうに実は思って端的なことを伺ったわけでありますので、これからも伺おうと思いますが、昨年十一月に国大協で共通試験といいますか、高校生を三千人ほど対象にしてやった、あの評価がまだ具体的には出ておらぬかと思いますが、先生方のところでどんなふうにくみ取ってやっておられるか、これが大学の私の申す入学試験問題に絡む大学側の責任、大学側の態度といいましょうか、それを一つ一つ洗っていく上に大事なことじゃなかろうかというような感じがいたしますので、御意見を拝聴いたしたいと思います。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 御質問に答えることにならないかもわからないと思っておりますけれども、現に国大協の中でこの問題を考えていらっしゃるようでございますが、私はやはり国大協というのは学長の学長協会でございまして、それでおやりになるならその学長協会である国大協の内部に専門委員会をお設けになるような発想が必要じゃなかろうか。学長でない大学問題に関心のある専門家が集まって一つの結論を出し、それを大学協会が尊重するというふうな線で一つの結論が出てくることが一番望ましいのではなかろうかというふうに考えております。国公私立を通じて考えます場合には、やはり国立は一本ですが、公立は一本でしょうが、私立はいま三本になっております。この五本の大学の学長の団体が一本になるということはなかなかむずかしいですけれども、少なくとも、大学の進学制度については、先ほど申しました国公私立を通じての全国的な協議会が成立することが非常に望ましい。協議会の自主的判断によって選抜制度が改革されるというふうにいけないものだろうかというふうに考えております。

久保田藤麿自由民主党

○久保田藤麿君 私の伺ったこととちょっと焦点が違っておるわけですが、それはそれで結構です。私は国大協は学長のそうした機関であるということも了解しますし、また、今度のそういう勉強してくださっておる学長さんのための委員会といったようなものは特にそういう特別の人をこしらえて、名前こそ国大協の看板を掲げておりますが、国大協の中の一つの機関として、また、そういう何といいますか、試験的な動きとしてやっておられることで、大体その辺は先生のお話とちょっと実態が違っておると、かなり評価されておるように私は認めますし、少なくとも、各大学の共通の形で、しかも大学の責任だというような意味でこの問題が扱われておるという点は評価をし、また、それが高等学校、特に受験生の間に前の能研だのあるいは適性検査のときのような響きになってしまったんじゃ、せっかくの努力なり、そこからよりいいものが生まれた場合に対する芽としても、評価しながら、やらしてみたら案外近道じゃないのかなというような気もいたしておりますので、そこらの御判断を伺えたらと、こういう意味でございました。あえてそれはこれ以上お聞きはいたしません。  それと、これはだんだん後ほど伺った方がいいのかもしれませんが、身障者に対する入学上の扱いは大体目鼻がついてきたといいましょうか、ある方向が与えられてきておるようで、私は非常に結構だと思っておりますが、もっと別な感覚で必要なのは英才教育の問題、私はもう少し入学というようなことにも絡み、先ほど来お話の問題にも関連してもう少し重大に扱われ、尊重されなければいかぬのじゃないか。いかにも平等、平等、あるいは機会均等ということと、この英才教育が特に必要だという角度とは、私は性質が違うと思うんです。また、それの必要というようなことが、今日のようになってくればくるほど私はより必要だという感じがいたしますので、一般の、たまたま入学試験問題については、えて論議から外れておりますけれども、これらについては否定的で外してあるのか、あるいはそれは全く別な性格だからという意味でこういう論議から外していくものなのか、その辺の気持ちといいましょうか、いろいろ御研究願ったものについてのお話し合いでもありましたら、伺わせていただきたいと思います。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 英才教育の問題につきましては日本ではかつて戦前に国立の師範学校の附属に英才学級を設けたという経験がございます。これは数年にして挫折してしまったといったような歴史を持っております。結局うまくいかなかったわけですね。いわゆる英才だけを集めて特別な学級をつくるということは、いろいろな弊害をもたらす、必ずしもいわゆる英才なるものが英才として伸びていくというわけにもいかないというふうなデリケートな問題もあったようで、とりやめになった経験がございます。私は、いまの教育制度の中で、その側面からいろいろ考えてみる必要があろうということはやっぱり考えます。これは、私の大学の例でございますが、私の方は入学試験制度にかかわりまして、やはりめいめいが自分の特色を高等学校中にどれだけ生かしたか、自分の特色で試験も受けなさい、自分の特色で論文も書きなさい、特色の経験を書き取りなさい、特色のあるユニークな研究をした者をこちらは歓迎するというふうな考えでおります。ところが、現実は平均点でございますから、とにかく三課目試験したら三課目三百点ということで、なるべく各課目とも八十点以上とっていることが望ましいということになります。私どもの方では、一課目は百点で他の一課目は三十点でもよろしいというふうな計算の仕方をいたしておりますから、おのずから特色のある学習ができるというように考えられておる。その辺を基本にして考えるべきで、やはり英才教育だといって英才学級をつくるという考え方は非常に短絡的ではなかろうかというふうに私は考えております。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) いまの点では、私どもの方で特に検討しておりますので、これはぜひ参考としていただきたいと思いますのは、英才学級とかいうものをつくるかどうかについてはいま梅根参考人のおっしゃったとおりで、これはやるべきでない。しかしながら、現在の学校教育課程、これを見たときには、もっと伸び得る子供、もっと伸びたい意欲を持っている者に伸びたい教科について伸ばし得ないという条件があります。それは何かといいますと、高等学校、大学を通じてそうでありますが、高等学校の場合にも八十五単位を三ヵ年間にをとる、この八十五単位がずっと指導要領によってきめられております。だからどの教科についてもまず平均にやっていかなきゃならなくなっています。しかも、これが非常にかなりの締めつけになっている、私はあえて言いますのは、八十五単位の高等学校の場合に、その大体五〇%ないし六〇%、すなわち五十単位ぐらいを、これを共通科目として、これはみんなこれだけは少なくとも学ばなきゃならないというのを五〇%ないし六〇%置くわけです。そしてあとは選択制にしていくわけです。そして、自分がより数学をもっと突っ込みたい、それとも図工をもっとやりたい、あるいは農業関係をもっとやりたい、こういう地域総合制の高校にしていってしかも単位は六〇%程度を共通として基準に置いて、あとの少なくとも三〇%程度というものは、これは自分がもっと勉強したい点が勉強できるという、こういう教科課程の編成をすべきではないか、そのことによって、学びたくない学問を学ぶよりも、も車と学びたいというものがより以上やれるような、そうすると高校の生徒も希望持って学校に行けるんではないかというように思うのです。ですから、そういう教育課程の組み方を高校においてもやるべきでありますし、それからさらに大学において科目の組み方、講座の置き方というものについても、これは工夫すればそうした突っ込んだ研究をより以上できて、その点で伸び得る生徒を伸ばしていく方法というものはあると思うわけです。

久保田藤麿自由民主党

○久保田藤麿君 私の英才関係について伺ったのは、英才特別クラスをつくろうじゃないかという、そういう意味ではさらさらないんで、師範学校の附属小学校、ああいうものすらやめてしもうたらどうだというのが私の持論でございます。決して英才教育をそういう分けてやろうというのじゃなくて、昔は小学校五年生から中学校へ進めてみたり、中学の四年から高等学校に進めてみたりという時代もありまして、ちょうどそのころ私ども皆ぶつかっておったわけで、おそらくわれわれの仲間にもそのコースを走ったのもだいぶおったと思いますが、それらのことをそのままやろうというんじゃありませんが、英才教育という意味合いがむしろ軽く扱われて全学的なような、今度の六、三のときからそういう風潮が、非常に恐れられたことではありますが、現実には出ておる。数をまとめるということ、そろえるということ、いま槇枝さんのおっしゃったような、各科目について非常に努力をしていく、どれも悪くてはいけませんし、それが一つの力を生み出すだろうこともいろいろ想像できますが、私はこの日本の置かれた立場で、その意味からいって伸ばせるものを本当に力をつけていく、あるいは拒まないというようなことから、そういう個人的なあるいは特殊な英才教育というようなことがもっとあってもいいじゃないかと、それらのことは何もこの入学試験に厳格に響くことではありませんけれども、制度を考えていただき、あるいは総合制をいろいろ考えるというようなことと絡んでどの程度に配慮されたものであろうか、特に先生方のような立場のところでこうした問題がどんなふうに扱われたのであろうかなといったようなことを伺えたらと、こういう意味でございます。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) おっしゃることはよくわかりますが、そういう理屈もございまして、英才教育に対しては先入観念があってかなりの拒否反応を示しておるというのが実情だろうと思います。私どもは英才教育という言葉を使いません。言ってみれば、個性教育、個性尊重といったようなことに切りかわっているというふうに申し上げてよろしいと思う。つまり、個々人の持っておる特徴や個性を十分に生かし得るような、そういう教育課程をつくっていきたいというふうなことが前提になって、教育課程を考えてみよう、いま槇枝参考人は六〇%が共通の科目とおっしゃいましたが、私どもが制度検討委員会で出しております案はもっともっと共通科目が少なくて、むしろ高等学校について申しますと、共通科目はわずかに十二単位、選択部分が大部分というような形になっております。それでいけるんじゃないかなと私は思っております。

久保田藤麿自由民主党

○久保田藤麿君 私は、これ特殊な問題で本論でないことをよく心得ておりますので、その程度で結構でありますが、先ほど来のお話をだんだん伺っておりまして一番気になるのは、ここで考えられた統一試験、これに対して各高等学校から申せば、おれの方でりっぱな資格あるいは成績を分析し、いまさらあなた方のお世話にならぬでもいいという高等学校の側の意見、あるいは大学があくまで自分のところの独特の立場で処理するのがあたりまえだ、処理しなきゃならぬといった、これがいつもこういう種類の問題の一番大きな抵抗に私はなってきておると思っておりますが、この二つのことに対して、一つは大学からの皆さんのおっしゃる統一試験といいますか、統一試験はどんなふうにこれをくぐっていくだろうか、高等学校といえども、大学といえどもこれに余り抵抗しないと見られておるか、私はかなりの抵抗があると見ておるんですが、そこらのお見通しなり、こういう手段がある、あるいはこういうメリットがあるといったようなことが先ほどのお話では特に伺えなかったように思うので、そこを補っていただきたいと思います。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 多分おっしゃるような抵抗が高等学校側と大学側に残存しておるだろうということは予想できます、在来の経験から。したがいまして、今度の改革については、先ほど申しましたように、やはり言ってみれば説得ということが非常に大事なことになってくるだろうと思うんです。各高等学校、各大学通じて何とかしようじゃないかという空気が盛り上がってくることが根本じゃないかというふうに思っております。  高等学校について申しますと、現在各地で統一試験の研究をいたしておりますが、かなり皆さん賛成しております。中にはいわゆる有名校の先生方の中には、たてまえ賛成、実際は反対という空気が残っておるようでございますが、賛成するんだけれども、本当はおれの学校は秀才ばかり集めたいんだがといったような気持ちが残っておるようですが、しかし、やはりたてまえとしては、賛成というものになっておるということが大事なことではなかろうかと思います。高等学校はまずまずいけるじゃないか、むずかしいのは大学じゃないかと私は考えております。その辺の説得がやはり若干の有力な大学と申しますか、中心になっていただく大学があって説得工作が続けられるということは大事なことではなかろうかというふうに私は思っております。

久保田藤麿自由民主党

○久保田藤麿君 槇枝さん、どうですか。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) 特別変わったという意見ではございませんけれども、確かに現状のところで声を大にして抵抗したり反対したりするというのは、えてしてこういう問題で出てこられる方々、あるいは何かの組織をつくって検討する会をつくれば、そこへ選定される方々というのは有名大学の学長であり、有名大学の教授であり、今度は有名高校の校長でありというようなことが往々にして多いわけです。そういうところの意見というものがかなり社会的な意見かのごとく聞こえますけれども、私はそうではないというふうに思うんです。ですから、私の組織の場合には、何も有名高校、有名大学の組合員だけでありませんから、全体を通じていろいろな議論をしてみまして、やはり統一的なこういう試験というのが公平に行われていくということについては、まず高等学校側としては、そう大した抵抗はありません。むしろ賛成の部分が多いわけです。もちろんしかし、高校の中でも有名高校と言われておって、自分のところでは毎年東大に何名入れるんだ、入れたんだということをもって肩をいからしているような学校の人に言わせれば、こういうことでぱっとやられて割り当てされると、必ずしも自分のところが多くならなくなるということで地位が下がるような感じを持つのはありますけれども、一般的に言うと、こういうあり方というのは、これは抵抗はそうないわけです。問題は、私は私の試みの案でいきますならば、大学側にかなりな抵抗があると思います。これは梅根参考人と違うところかありますから、それは梅根先生の場合にも、全部を第二次試験を各大学でやれとはおっしゃっていない、特定の大学ですけれども、特定の学部に限定されるのでしょうが、私の場合にはもう第二次試験なり、各大学での選考はやらせないということを前提にしておりますから、ここには非常な抵抗があると思います。しかし、その抵抗も考えてみますと、現在受験者が集中しているような大学ほど抵抗が強いんであって、そうでない大学の場合には、このようにして公平な選定をして、うちにも優秀な子も配分してもらえるとなることはうれしいことなんです。ですから、そういう数の多い、そうして表にあらわれない声を十分そんたくしていくならば決して私は無理な案ではないというように思っております。

藤井丙午自由民主党

○藤井丙午君 ちょっと関連して質問をお許しいただきたいと思います。  槇枝参考人の御意見はまことに傾聴に値することと思います。私の申し上げたいと思っているようなことが網羅してありますので非常に感銘したわけでございます。特にこの入試制度の前提となる根本的な解決策として社会の学歴偏重が最大の原因であるということはもう御指摘のとおりでございます。私もかねがねこの問題を取り上げまして、もう能力主義、実力主義の社会にするために、学歴偏重の根強い社会慣習を何とかして打破したいということで、実は私事でございますけれども、旧八幡製鉄、新日鉄を通じて高校生、大学生、卒業は教育年度が年数が違いますから、最初の賃金は同じでございますけれども、入社した後は一切いわゆる天井取っ払って、高校出でも高級管理職はむろん、経営者にもなり得るというふうな制度に変えたんです。また、経済同友会を足場にして、それを経済界にも呼びかけておりますが、さっき御指摘のように、官庁が依然として戦前そのままの高級国家公務員ですか、昔の高文制度そのままのようなことで大変これに対しては私も不満を持っておる次第でございますが、それはそれとしまして、極力この根強い社会的な学歴偏重の慣習がこの教育に投影して、そしていわゆる学歴偏重、テスト主義、このテスト主義はさっきもあなたが御指摘のように、これは記憶力中心になってきて、肝心の生徒なり児童なりの持つ理解力であるとか、分析力であるとか、創造力であるとか、適性というものがほとんど見きわめられないまま試験されておるということ、そこで内申制度をもう少しその信憑性を重要視してもらいたいという御意見、それもまことにごもっともでございます。それらの点はまことに私は同感でございますが、ただ、一つ槇枝参考人に御質問したいのは、第一項の中の収容能力の不足、まさに不足しているから浪人がたくさんおることは事実でございますが、私はこの際、これは高校、大学を通じて考えていただきたいことは、なるほど大学の進学率が三〇%超える、さらに将来は五〇%超えるという、こういうことは全体の国民の質的水準を上げるという意味においては非常に結構なことでございますけれども、わが国の産業構造、産業労働人口構成等から考えまして、こういういわゆる中途半端なインテリばかりできてきて、果たして日本の産業なり経済が今後うまく運営されるかということについては私は非常に憂慮する一人でございます。したがいまして、やはり産業教育、私は産業教育振興中央会の理事長もやっておりますが、そういう立場から言うわけじゃございませんけれども、やはり生徒なり児童なりの適性、能力に応じた進学指導ということをするということについて必ずしも量産ではなくて、質的にその持つ能力を十分生かし得るような方法を講ずることはできないだろうかということについて、まず槇枝参考人に御意見をお伺いしたいと思います。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) 御質問の御趣旨は、私の申し上げた気持ちとほとんど同じなんです。それで、ここで申し上げております収容力の絶対量の不足の問題ですね。この面で分けて申し上げますと、高等学校の場合、いわゆる後期中等教育といわれる高等学校の場合には、これはもう国際的に見ましてもやはり国民等しく受ける教育の場にすべきである。これはシンガポールへ行ってみましても高等学校の二年生まで義務にしているわけですし、アメリカ、ヨーロッパほとんどそうですし、特に社会主義の北鮮にしましてももう高等学校を義務化していくということをやっているわけでして、そういう時代ですから、日本だけが小中まで義務で、後はいまのような選抜方式でいくということではなくして、やっぱり高等学校までは、現に九十何%入っているわけですから、これは全入で準義務にしていくということでこれを国民教育の基準にすべきだ。そうして大学の場合には、現状のままでいきますと希望者に対して収容力が少ないわけですから、それをそのまま申しますれば、もう少し増設をするということが必要になってきます。けれども、事実上私は先ほど言ったように大学というものの社会的な位置づけを、大学卒業ということがあれば給料が上がる、あるいは地位が上がるというそういう社会的地位を得るためのものでないということにして、生涯教育の中に大学教育というものを含めていきますなら、これは大学の希望者というものもそんな一時に殺到するものではないと思うんです。大学へいま行かなければ賃金も安いから行ってるんであって、しかし、大学へ行ったからといって給料は上がらないんだ、ただ勉強したいときにするんだという、そういう社会的位置づけをしますと、これは高校卒業した者がだれも彼も皆大学へとにかく行って、卒業証書だけもらわなければ社会へ出られないなんていう考え方がなくなってくるだろう。そういうところを一つは一面やりながら、そして現状では絶対量の不足というよりむしろ地域総合大学の方をもっと拡充をしていく。いま大学の数そのものをふやす必要は私はないと思うんです。現在ある各県大学をもっと拡充していくということによって、両々相まっていけば解決するんではないかというように思っております。

藤井丙午自由民主党

○藤井丙午君 もう一つだけ。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) 簡単に願います。

藤井丙午自由民主党

○藤井丙午君 私も、梅枝参考人の御意見はまことに同感と思います。生涯教育を通じて、大学の拡充のみならず、夜間なり通信なり放送大学なりあらゆる教育を通じてやれば十分大学教育以上のものを身につけることができると確信しております。  そこで、梅根参考人にちょっとお伺いしたいんですが、さっき久保先生からも槇枝参考人からもお話がございましたが、大学へ入ることは非常に狭き門であっても出るときはもう入ること既卒業ということで、大変失礼な言い方でございますけれども、大学教育の内容、方法というのはまことにずさんきわまるものであって、真剣に本当に大学生らしい学問の研究なり真理の探求をしているのは恐らく全体を通じて二割程度しかないという現状でございまして、これは外国の大学と全く反対でございます。外国の大学では、高等学校までは心身ともに伸び伸びと人間の土台づくりをして、大学ではぴしっと厳しい教育をして、成績の悪い者は落第させる、落第を続ければ退学をさせるという制度をとっておるのが欧米の通例でございます。ところが、日本では大学へ入りさえすれば即卒業できる、こういうきわめて安易なことをやっておる。こういうことでいいのかどうか、梅根参考人にひとつ御質問を申し上げたいと思います。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) おっしゃるとおりでございまして、入るときは厳しくて出るときはやさしい、これは日本の大学の特色であるというふうに一般に言われておりますけれども、これにはいろんな事情が絡んでおると思われますね。また慣行としてそういうふうな形になっているということでありますが、やはり何とか卒業証書だけはもらいたいというので卒業証書にしがみついている人口がかなりおって、そこに若干の恩情主義が働いてまあ出してやろうじゃないかというふうになりかねないというのが実情ではなかろうかと私は見ております。もちろん、学校によって違いがありますけれども、かなり厳しいところもありますし、ルーズにほとんど全員が格別勉強もしないで卒業証書をもらっていくというところもございます。さまざまあると思うのです。そこで私はまあ同じことになりますけれども、もし卒業証書を出さないということになれば厳しいも厳しくないも起こってきませんし、そして自分の研究意欲を満たすために何年でも勉強するなら勉強するということになりますし、卒業証書をもらうために入ってくるような青年にとっては大学は卒業証書のないところですから無価値のものになってくるというので、大学生人口は漸次減少していくのではなかろうかというふうに私は考えております。別途の方法を考えるのでなく、入るにやさしくて出るにむずかしい形にしようというふうな、大変慣行とは違ったむずかしいことを要求するのでなしに、おのずから卒業させないということになれば、自然現象として大学の人口は減少してくるのではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。

内田善利公明党

○内田善利君 きょうはテーマが入試制度ですけれども、入試制度を論ずる、また、解決するためには、あらゆる問題を取り上げていかなければ入試制度は解決できないと、こう思いますが、きょうは時間の関係で入試制度について参考人のいろんな御意見をお伺いいたしましてその点に限って、質問したいと思いますが、槇枝参考人のお話の中で、統一テストですけれども、基礎学力についてテストをしたいということですが、私は、大学が積極的に学力テストをやってあらゆる方法を講じてとるべきだと思いますけれども、高等学校卒業のときに統一テストをやって決めるわけですが、学力テストが基礎学力に限るということはいままでと大体同じではないかと、やはりまた競争選抜になっていくのじゃないかと。統一テストだということでありますけれども、基礎学力だけであれば、学科だけであれば、またそこへ集中するのじゃないかと、そう思うんです。  先ほどからアメリカの例もありますが、アメリカは全人的に入試制度をとらえておると、学力だけじゃなくて、学校でクラブ活動で何をやったかあるいはどういう活動があったか、また、人格的には人間性の問題など、全人的にとらえて入試制度をやっているということなんですけれども、そういったことからいきますと、もう少し抜本的な考え方があるのじゃないかと、こう思うんですけれども、何といいますか、大学の方でとるわけですけれども、三年間の高校の生活というものはやっぱり一つの大きな資料になると思うのですね。そういったことから、少しこの内申の信頼性、信憑性が薄れておる、しかしこれをやるべきだという参考人のお話ですが、もっとこう高校生活をとらえて大学入試に関係性を深めていくべきじゃないかと、そう思うんです。ただ大学の入学試験、一回の試験でテストするとか、あるいは高校卒業試験だけで決めるとかいうのじゃなくて、もっと高校時代の三年の生活をとらえてやるべきじゃないかと、こう思うんですけれども、この点いかがでしょうか。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) 基礎学力の問題にテストをしぼるということを私も出しているわけですが、もちろん、全人格を見ていくということは、非常に理想ではあります。しかしながら現状を見ましたときに、やはり高等学校で中央の教育研究所も発表しておりますように、七割の生徒が事実上の高等学校の教育課程をこなしていない、ついてこれていないという実情も報告されております。これはこれがいいということではありません。やはり全体をマスターさせなければならないわけですが、そういう現状がある。  一方、大学ということを考えますと、大学で学問研究をやっていくためにはそれに耐え得るだけの、対応できるだけのやはり基礎学力は持っていなければならないということは言えると思うのです。そこにやはり大学で学問研究をさらに続けていこうとするならば、これだけの基礎的な学力は持っていなければならないぞというこの線はやはり選定しなければならないだろうというところから、こういう発想をしたわけです。もちろんここへ来るまでにはいろいろ意見はあります。ちょうど昔ありました物理学校のように門戸がぐっとあるならば、入りたい者は全部入れて、そうして、しかし、そこでどれだけ勉強ができたか、実力がついたかということによって卒業はさせないぞというシステムもあるでしょう。しかし、これは一つの形としては言えても、現実の問題として、これは入りたい者は全部入れると、出るところをむずかしくするということは、現在の大学の門戸をよほど広げないことにはできないわけですし、しますから、現実性がないだろう。そうすると、やはり現在の大学の学問研究に耐え得る基礎学力をやはり調査をするという統一テストが必要であろう。しかしそれが、先ほど言いましたように、単なる全国統一テストというのでは、記憶力中心あるいは瞬間的な判断力がせいぜい加味されるだけでありますから、それを補っていく創造的な力というものを見るのはどうしたらいいのかという点では、これはやる方法としては、三ヵ年間の高等学校における学業の力というものを内申によって取り上げていくということ以外にはないのではないかというところに、内申というものを、三〇%見るか五〇%見るかというところには議論の余地がありましょう。ありましょうが、それによって全体の真の学力というものをやはり導き出してみるという意味で内申を申し上げているんです。あと、情操の面とかということは、これはとてもテストというものでははかり知れないことでありますし、また同時に、大学の学問を受けるということにおいて人間的な面というものは大切でありますけれども、それより以前にやはりそれに耐え得る基礎学力を持っているかどうかの算定がまず当面としては重要じゃないかというので、基礎学力強化にしぼったわけです。

内田善利公明党

○内田善利君 それともう一つ、槇枝参考人にお聞きしたいんですが、職業高校からの大学入試というのは非常にいままで隘路になったわけですが、このことに触れられておりませんので、職業高校からの大学入試についてはどのようにお考えですか。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) これは将来展望としましては、私は、職業高校という特定の高校というものはなくしていくべきだ、そうして総合制にすべきであるというように考えています。これは戦後発足の当時は総合制高校で発足したわけですから、それが、昭和二十七年でありましたか、経済界の要求が非常にありまして、当時高度経済成長をやっていくためには、学校教育の場へ産業界の方からこういう技術を持った職業人養成をしてほしいという、普通課程に偏重しているから職業教育重視という意見が出されまして、それにおもねてと言いますか、引きずられて工業高校とかいう職業課程をだんだんふやしていった経過があるわけです。しかし現状では、もう産業界の方も、私が聞いておるのでは、もはや高等学校教育に対して特定の職業人養成というものを要求はしない、むしろ、高等学校ではいずれの職業にも耐え得るような基礎学力を持っている者がほしい、そうして後、その工場で、その会社で必要な労働者というものは、むしろ職業訓練として企業内訓練でやるべきだという方向を最近産業界も多くたどって、主張しておられるように聞いております。  ですから、そう考えますと、職業課程高校というものは、そういうものは廃止をして、むしろ現在の高等学校というものの中に職業課程もある、そうして、それは普通共通教科を、先ほど梅根先生は一二%ぐらいとおっしゃったわけですが、まあ私は漸次そこへ行くにしても、現状では少なくとも五〇%ぐらいを共通教科にして、これはもう農業を選択する者も、商業を選択する者も、すべてがこれだけの基礎学力は受けさせる、後は選択で農業なり何なりやっていく。そうして試験を浮ける統一テストは、五〇%のこの基礎学力をみんな共通制に受けておる者の力があるかどうかをはかるというところに持っていくべきだということなんです。  ただし、それは来年からすぐに総合高校制にはかえられませんから、そこで来年からの統一テストでどうするかといったときに、これはいまでは普通課程高校の場合には、確かに数学、国語、社会、理科、英語という、この大きく分けて五教科についてぐっと推し進んでいます。職業課程の方はこれがかなり希薄になっていますが、このテストについては、職業課程に行っている者が受からないような高度なものであってはならない。しかし、普通課程におる子供も現在三〇%ぐらいしかマスターしていないという現実があるわけですね。ですから、職業課程高校でも最低これだけの基礎学力をつけなければならないというのがあります。これを一つの基準にした統一テストにはしていくべきだ。そのことによって、工業高校に行っておったために大学に入れないという状態というものは排除していかなきゃならぬというふうに考えているわけです。

内田善利公明党

○内田善利君 参考人の御意見に全く賛成でございます。  それからもう一つお聞きしておきたいのは、大学入試が終わればいつも感ずることですけれども、入学試験の内容ですね、内容についてはいろいろ問題がいつも起こるわけですが、この採点基準の公表といいますか、それと模範答案を大学の方でつくってもらう、こういうことをすれば、ああいった非常に受験生が困るような問題は出てこないと思うんですけれども、何らかの方法を構じないと非常に受験生が困るわけですが、例を挙げればたくさんございますが、時間がありませんので挙げませんが、こういったことについて採点基準の公表、そして模範答案を公表する、こういうことについては梅根参考人いかがでしょうか。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 私は、そういう考え方には賛成なんでございますけれども、模範答案の問題はそうでございますが、もっと手前にさかのぼって顧みますと、試験の問題そのものですね、試験の問題そのものについてのまあ全国的な何か研究がもっと積極的に行われて、案例が出され、模範答案例も出されるというふうにして、試験問題そのものを改善するということが大事じゃないかと、私は思います。教育の世界では、ナレッジかインテリジェンスかと申しますが、知識か知性かということを申しますが、いまの試験は、詰め込みでどれだけの量の具体的な知識を詰め込んだかということを、なるべくいわゆる難問主義で、選抜に便利なように試験問題を出すというふうな傾向がきわめて強い。そうでなしに、やはり知識ではなくて、知性が大事なんだという考え方の基本に立って出題をし、この問題に対しては、こういうふうに答えるべきものであるというやっぱり模範答案を出すというふうな方向で、高等学校の教師及び学生に対する影響力ということを考えて、入学試験を通じて高等学校の教育を本筋に戻していくんだという考え方が一本入っていないとぐあいが悪いと私は思っております。お説には賛成でございます。

加藤進日本共産党

○加藤進君 初めに、梅根先生にお尋ねします。  きょうのテーマは、入試制度の改革というテーマでございますが、今日までいろいろ入試問題についての改善策が出されておりますけれども、その改善策のほとんどというのは、いわば選抜主義のやり方、これをできるだけ効果的にやるのにはどうしたらいいのかと、こういういわばふるい分けの入試制度、こういう問題がやはり出されてきておると思います。私は先生の御説も拝見いたしましたけれども、そういう資格を持ち、能力を持ち、希望を持っておるような学生生徒に対して、これをふるい分けて、ある者だけは教育の機会を与える、ある者にはその機会を保障できない、こういうことではいけないのであって、希望があり、その資格を持つ学生生徒に対しては、その資格を認定して、認定された資格のある者についてはすべて大学に、あるいは高校に進学さしていく、こういうような制度に進んでいってこそ、いわば入試制度の改革という名に値するものではなかろうか、これが先生の御所見ではないかと私推察するわけでございますけれども、いかがでございましょうか。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 私どもの報告書をごらんいただきますと、そのとおりのことが書いてございます。ふるい分けのためにやるという観念を捨てるべきである。一定の資格を持っておる者は全部どこかに入ってもらうというふうな措置をこちら側で講ずるべきではないかというふうな発想でこれは書かれておるわけであります。その一定の資格を持つか持たぬかを検定するのもふるい分けではないかという議論もあり得ましょうけれども、やはりいまの制度の中で四年間の高等教育を受けるとなれば、その基礎的な能力といったものは、一応検定を受けざるを得ないというふうな考え方を持っております。

加藤進日本共産党

○加藤進君 そういう入試制度の改革の方向に持っていく場合に、非常に大きな障害が今日あると思うんですね。それはいわゆる入試地獄と言われ、また、受験過熱ということばで言われておりますけれども、この入試地獄とか受験過熱とかと言われる問題を、たとえば大学の例にとってみるならば、有名校に受験生が集中する、医学部に対する希望が非常に多い、こういう状況に端的に私はあらわれていると考えるわけであります。こういう状態をそのまま放置しておいて、入試制度の改革案ということは、これは砂上の楼閣になる危険があると、私は考えるわけでございます。とりわけその点で、先ほども触れられましたけれども、文教行政の責任は非常に大きいと、こう言わざるを得ない。  具体的に申し上げますならば、たとえば国立大学の中でも東京大学、京都大学の例であります。すべての国立大学に使う予算の中の二〇%が何と二つの大学に与えられてきておる。これはもう厳たる事実でございます。そういうことによってエリート大学をますますエリート化している。こういうことが今日の文教行政でとられておるということであります。さらに、七旧帝大の大学関係、この大学につきましても、教官研究費などはほかの大学に比べて四倍から五倍にわたって与えられています。特別待遇を与えられているんです。ところが、地方の大学に至ってはどういうことになるかというと、たとえば秋田大学、群馬大学等々から島根大学に至りましては、これは法学部がありません。これは人文社会学系においては教育学部しかないというような大学なんですね。こういう大学が一方にきわめて多数にある。そして一部には、エリート大学に対して十分の手当てが行われている。こういうことに、大学入試過熱の問題の根本的な原因があり、これを打開しなくちゃならぬ、こんなふうに私は考えるわけでございます。したがって、そのためには、少なくとも東京大学に与えるくらいの財政予算措置を各国立大学のすべてに与えるという抜本的な措置をとっていくならば、私は、大学という一つの器が十分に拡大されて、そして、その器の間の格差もそれなりに縮小され、是正される。こうなっていけばすべての大学は有名大学である。いわば有名という名は使う必要がない。こういう状態に問題が前進し得るのではないか。こういう点が第一点でございます。  それから第二点は、これは医学部の問題でございますけれども、これも、私は教育行政、文教行政の大きな問題になっておると思いますけれども、七つないし八つの県におきましては、無医大県の解消ということをかけ声で言われておりますけれども、そこには私立の医学部がある、公立の医科大学があるというようなことで、国立大学を建てていない。こういうきわめて片手落ちの行政が行われておる結果、医学部に対して非常に受験生が集中する。こういう状態が現に起こっておると、私は考えるわけでございますけれども、とりあえず、まず国立大学において、このような受験過熱の状態を解消していくために、まず各大学の格差の是正のための抜本的な措置をする。各大学のいわば器を広げていく、こういう措置を当然とるべきではないかと、私は私見として考えるわけでございますけれども、この点につきまして、簡単で結構でございますけれども、梅根先生、槇枝先生の御所見を伺いたいと思います。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) この点もおっしゃるとおりでございまして、ぜひ、そういうふうな方向で立教行政を直していただきたいというふうに私どもも考えております。  大体、戦後新制大学ができましたときに、旧帝国大学、旧国立大学、それから旧専門学校、みんな同じ大学になってしまいましたが、これは文部省ではこうなっておりますけれども、大蔵省ではそうなってないんです。依然として旧帝国大学上旧専門学校とは分かれております。別々なんです。予算上別々なんです。一体化されていないんです、金のほうでは。そこからまず直していかなきゃならないんじゃないか。具体的には、たとえば講座制とか学科制の差別といったようなことですね。すべての国立大学を同じレベルにするということ、そうしていわゆる地方の単科大学あるいは医学部大学といったようなものをすべて総合大学化していくという、そういう二つの方向で文教行政が積極的に出られることが望ましい。何か当分大学はもうつくらないというふうなお話のようでございますけれども、その面は、国立大学の強化ということは非常に大事な仕事ではなかろうかというふうに私は思っております。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) 私も全く同意見なんです。  ただ、あえて申し上げますならば、先ほども言ったことでありますが、現在の大学の格差を解消していくために、施設設備の地方大学への拡充ということを、いままでこれはもう何回も声を大にして言っております。しかし、なかなかそれが実現しない。ここでやはり抜本的に政治という面からでも踏み切っていくのは、これは七つの旧帝国大学と言われますが、この大学を廃止する以外にないと思うのです。現在のを置いたままで来年からは東大へは予算を少なくせよ、そうしてほかへ配分せよと言っても、なかなかできないと思うのです。だから、これをもう廃止して、そうしてただ、連合大学院としてこれを残すということであるならば、これはもうあとはどんぐりの背比べと言うと言葉が悪いですけれども、地方大学は同じですから、これを拡充するというので予算を持っていけると思います。けれども、あれをあのまま存置しておいて予算だけ削れと言っても、私はなかなか無理だろうと思いますから、そこのところをやはり政治と行政と両方が、日本の大学改革という面で一番に根本の問題としてやるというところへ踏み切るかどうかということが、大きなこれからの改革への道じゃないかというように思います。

加藤進日本共産党

○加藤進君 私は、東京大学を必ずしも模範的な大学とは申しませんけれども、あれだけ育成され、あれだけ保護されておる大学があるなら、それ並みにほかの大学に対しても手を加えろと、そういうことを私はあえて申し上げたいわけであります。  それで、もう一つの問題は、やはり私学に大学教育の大きな部分がゆだねられておるのにかかわらず、私学に対する助成の問題について非常に片手落ちがあるという問題だと思います。これは具体的な数字を申し上げるならば、御承知のように、国立大学の学生一人当たりに、国庫の支出金から言いますと、七十六万円が支出されています。ところが、私立大学ではこれは平均二万五千円程度。こういう格差と言っても、これはもう格差という言葉ではあらわし切れないようないわばひどい状態が行われておる。その結果がどういうことになってくるかというと、大学にはそれぞれ施設が必要だし、教育研究のためにもそれぞれ金は要るということになれば、背に腹はかえられぬという問題が当然起こってくるわけでございまして、何もすべて私学の経営者は悪人だなどというような問題ではないと、私は考えるわけでございますけれども、そこで、やむなく水増し入学の問題が起こり、そして歯科、医科大学等々で行われておるように、入学するために一千万円もの持参金を持っていかなくてはならぬなどというような状態を、もう文部省も御存じだけれども、黙認しておられるような状態だということでございまして、こういう状態を解決していくためには、少なくとも、国立大学の一人の学生に与えられるべき国庫支出金を私立大学にも与えよという、これは正当な要求が当然出てくるわけでございまして、それ並みの決意をもって私立大学を育成していく、そして大学を希望される受験生の諸君にりっぱな器を保障していくという仕事は、私は文教行政の大きな仕事ではなかろうか。これは私学といえども、文部省の認定の大学でございまして、認定された以上は、その大学の運営、大学の教育内容、あるいは条件、設備について責任を文部省も負わざるを得ないわけでございますので、そういう面から見まして、受験生を大量に大学で学ばせるということをさせるためには、私学への十分なる助成を行って、国立大学と程度の変わらないような状態にまで育てていく、このための国の施策を私は抜本的に変えていかなくてはならぬのではないかと、こういうふうに考えます。  言うまでもなく、それだけの予算をいわば国費として支出するわけでございますから、そのためには、私学におきましても、財政がどのように使われておるかということについての財政公開というような民主化の努力もしていただかなくてはなりませんし、国から会計監査という点については、厳重な監査を行うということなどはこれは当然でございますけれども、そういう条件をつけつつ、私立大学に対する国庫の大幅な助成の措置をとるということは、これは私学の発展ということばかりでなしに、この過熱地獄といわれる受験地獄そのものを解消するためにも当然とられるべき措置ではなかろうか、こういう点を感ずるわけでございますけれども、その点についての両先生の御意見を承りたいと思います。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) これもおっしゃるとおりで、やはり根本的な解決としては国公立大学の格差を解消していく、そして充実するということと、今度は国公立と私立の格差の解消、この二つの面はともに進めていかなければならない問題です。ですからことしの場合に確かにかなり予算面で私立大学、高校に対するものがかなりふえました。このことは非常によかったと思いますが、まだまだこれではとてもじゃないけれども足りないわけです。これは一例を戦前の例にとってみますと、授業料を見まして、戦前の例では授業料が国立大学が百二十円の当時に慶応大学が百四十円、明治大学が百十円で明大のほうが国立より安いわけです。これは戦前の例です。戦前は国立大学、私立大学というものはほとんど差がなかったわけですね。しかし、現状では授業料一つとっても約十倍なんです、私立へ行きますと。しかも今度は、施設設備と教官の数はどうかといったときには、逆に国立のほうが十倍になっておる。これが現在見ましても、専任教員一人当たりの学生数は国立が十三・四人、私立が四十・四人となっているわけです。中でも大学の名前を挙げてなんですけれども、日本大学の法学部なんかになりますと教官一人当たり二百八十人、こういう置き方なんです。ですから十倍もの金を払って、しかも受ける教育は十分の一の学問しかやれない、こういう状況が出ているわけです。やはり、ここで政治に携わる方々が特に力を入れてほしいし、考えを持ってほしいのは、やはり私立であろうと、国立であろうと日本国民を養成するのだ、日本国民を育てるのだという見地に立つならば、国立がまだ不十分だから私立にその面を補ってもらっているという考え方に立つべきじゃないか。そうした意味で、知立の高校、大学に対する助成というものをやはり格段にふやしていかない限りは、こうした受験地獄の問題も解決しないだけでなくて、本当にただ卒業証書だけ受けて出るような学生を今後も製造していく結果になるのではないか。これは決して教育の振興になっていないということを強く申し上げておきたいと思います。

加藤進日本共産党

○加藤進君 槇枝先生、特に一言この機会に最後にお聞きしたいのでございますけれども、入学試験制度の改革ということにわれわれも取っ組む意欲を持っておりますけれども、同時にしかし、現行制度のもとにおいて子供たちは受験過熱のさなかで非常な苦しみを味わっている父兄も味わっている。そうした父兄や子供たちの苦しみが恐らく学校で受け持っておられる先生たちのところへ集中していくんじゃないか。どうしたらいいでしょうか、進学指導を何とかしていただきたい、入学試験準備のために何とかひとつ先生も御努力していただきたいというような声が大きく集ってくるのじゃないかと思っておるわけでございますけれども、そういう点につきまして、日教組の委員長といたしまして教師諸君に対してその面についてどのようなことを指導上お考えになっておられるであろうか。簡単で結構でございますけれども一言聞かしていただきたいと思います。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) 非常にその問題がいまの現場の教師の一番の悩みなんです。私ども日教組としてもいろいろ議論をいたしまして、補習授業を廃止しよう、そしてやはり正規の教科をきっちりやっていくというようにしようじゃないかということの発想もいたしました。そういうことでみんなの意思統一もやりました。しかし一方、現在の高校入試、大学入試がある。そうすると、父母の方からは本当に自分の子供の学力がついているか、ついていないかじゃなくて、むしろこれでどこそこの高校に入らせたいのだ、それに入れるようにしてほしいというのが今度は父母の素朴な要求として出てきます。そこに教師は真の学力をつけるための教育をやるということが、逆に今度は父母からの不信を買うということで、互いに補習とかいろいろなことで競争していかなければならぬという実態があるわけです。ですから私は現状でせめて高等学校をまず総合制にして、ここには無試験で学区制で入れるようにしていけば、ここで小学校、中学校の教育のゆがみというものは大きく是正されていくだろう、そして大学の改革へと進んでいくのじゃないかというように思っております。この点は現場の教師が、とにかく、一つの例を言いますと、教育課程、指導要領とというものが文部省で決められておって、これに沿ってやるとかやらないとかあります。けれども、現実に、逆の例を言いますと、ある高等学校では、示されている教育課程は、時間表にはちゃんと組んである。けれども、体育という時間は、これは実は数学ですよ、図工という時間は実はこれは図工をしないで、実際にはここは英語をやるのですということで、高校三年生まで一度も体育をやったことはない、図工の授業は受けたことがない、こういう自主編成がなされているという事実もある。この自主編成が高校で、そして教育委員会で、何といいますか、公認されているという実態もあるわけです。ここには人間性を培うなんという教育は全くできていない、そういう実情があります。ですからこれは教師自身もそうした父母を説得しながら、何とか本当に真に学力をつける方向への努力はやっていきます。けれども、それだけでは父母の期待にこたえられないという状況がある。その状況はやはり一方こうした入試制度を初めとして、現在の高校、大学のあり方、このことに根本的にメスを入れない限りは、とうてい完全に学力を身につけ、本当に人間性を陶冶していくことは困難であるということを申し上げておきたいと思います。

中沢伊登子民社党

○中沢伊登子君 初めに槇枝参考人にお伺いをいたしますけれども、先ほど来、傾聴に値するようなずいぶん貴重な御意見をたくさん伺いました。私が質問をしたいのは、こういう御意見を多々持っていらっしゃるのに、入試以前の問題として、従来日教組が自分たちの労働条件の改善のためにストを行ったことはたびたびございますけれども、受験準備教育の是正というものは単なるスローガンにとどまっているのは一体なぜなのでしょうか。その点をひとつ伺いたいのです。  時間がありませんから、続けて二、三申し上げますけれども、最近の調査によりますと、「学校は死んだ」と表現した人があります。これは学校が受験一本やりに固まってしまったことへの嘆きでございますし、テストあって教育なしとも言われておりますが、七四%の児童や生従は、教師を信頼していないという結果が出ておりますが、あなたは、この現実をどう御理解をなさっておられますか。  さらに、そういうような状況の中で、日教組の先生方は、受験準備教育の体制の中に埋没してしまっておって、あなた様の先ほど言われた、入試地獄の原因を生んだいろいろな問題を挙げられておりましたけれども、そういった入試地獄の原因を生んだ政府の誤った教育政策の忠実な遂行者であると言えないでしょうか。  以上についてお答えをいただきます。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) 非常に厳しい御意見なんですが、一つは、最初のお尋ねで、ストライキをよくやるけれども、こういう問題についてどうなのかという御指摘なんです。これが入試地獄を解消していくということがストライキを背景にして解決ができるようなしろものでないわけなんです。給与をこうしてほしいとか、定員をこうしてほしいというのは文部省に直接じかに行って交渉をやっていくというものですから、かなりそういう労働運動的な団結を発揮してやるということが可能なんです。ところが、補習授業をやめようじゃないか、やめなければストライキをやると言っても、自分自身の問題ですから。そこで、ただ、そうは言っても、教育の問題でやはり日教組という教師集団が、もっと集団としての力を発揮してやるべきじゃないかということが最近非常に内部で言われました。事実そのとおりでありますから、そこで、ことしの場合、そしてまた、来年の場合に向けて議論しておりますのは、いまストライキがいいか悪いかということをここで申し上げても仕方がないと思いますけれども、ことしもやはり父母が一番教育上悩んでいる問題は何か、これはいま教育緊急要求として出しておりますが、やはり高校への入学の問題であり、あるいは今度は授業料の問題であり、あるいは給食費の問題であり、こうしたインフレに伴っての非常な父母の悩みがありますから、こういう問題は通産省にあるいは文部省に、自治省にというところで解決をしていき得る面もある。だから、こういう問題の要求をことしは全面に掲げて日教組も運動しようじゃないか。将来に向けては、地域総合高校制への切りかえですね、これはやはり団体として要求していくべき時期じゃないのかということを言っているわけです。ですから、もう九〇何%高校に入っているんですから、これを入学試験でセレクトしていくということじゃなくって、やはり地域総合高校制で、高校はもう入試なしでいけるという条件はできているんだから、そういう切りかえを——これは文部省の決断ではないかということで、これは団結体として、そういうところへも、ストライキを背景にしてやろうとはっきり言いたいわけですが、ここでそういうことを申し上げるのはどうかと思いますから言いませんが、考えております。  それから、御指摘にありました、教師を生従が信頼していない。このデータはもういろんなところで出ておりますし、日教組自身が先般調査をした中でも、一体信頼しているのはだれかといったときに、教師のランクが非常に下にあり、あるいは父母のランクも下がっておる。そうして、むしろ友達がせいぜい低学年の場合にはあるというような状況です。これもなぜそうなっているのかというときに、教師が子供に対して日々の授業及び日常生活を通じて人間的な触れ合いができ得るような現在条件がどうなのかといったときに、先ほどの大学、高校のあり方と、そうしてそれの入試地獄という問題、そうして父母からの要求、素朴な要求ですね、正しい要求じゃないと思いますけれども、そういう中で、人間的な子供との触れ合いとかいうことよりも、ただ詰め込んで、テストでいい成積がとれるようなそういう指導監督、こういうことにあまりにも堕しているのじゃないのか。そこにやはり子供から信頼される、何でも相談できる先生ということよりも、先生からはもう毎日テスト、テストで責めつけられるのが先生だと、こういう感情を子供が持っているようになっているわけです。ですから、このことについてどう思うかと言われれば、全くそれはよくないことなんです。ですから、教師自身がこれは去年の教育研究集会でも私が大きくアピールしたし、言ったことなんですが、やはり文部省の施策、日本の教育制度のあり方、学校制度のあり方に抜本的なメスを入れていくということが大切だ。しかし、ただ、それだけを人になすっておったんではいけない、みずからも、現在の父母や子供に真の教育をさせて、信頼されるような教師になるためにはという反省もしていこうじゃないかという両面をいま出しておるわけなんです。けど、なかなか後の方が皆さんの目にとまっていく段階でないかと思いますから、いまのような厳しい御批判が出ると思いますが、そういう考え方で努力をしておることだけは申し上げておきます。

中沢伊登子民社党

○中沢伊登子君 それでは、梅根参考人に一言お伺いをしたいと思います。  先生は日教組の教育制度改革特別委員会の委員長をして、三次にわたる教育制度改革案を発表されておりますね。その提案の中には、教育内容の精選や労働教育の重視など、多くの点において私どもと考えを一致するものがあるわけです。また政府の中教審の答申とも多くの合意点があると思われますが、それにもかかわらず、教育改革が遅々として進まないのは、一体どのような原因に基づくものであるとお考えになられますか。  もう一点は、私はその原因を政府も日教組も論議以前の政治的立場に固執し過ぎることに原因があるのではないかと考えますが、その点を先生はどうお考えでございますか。  以上について御答弁いただきたい。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 御質問の件につきまして、教育改革が遅々として進まない原因はどこにあるのかというふうなことでございますけれども、これはいろんな要素が絡み合っておりますから、元凶はこれだと端的に一本出すということは大変むずかしいと思うんですね。やはり文教行政の当局者は文部省でございますから、そこがやはり日本の、先ほど槇枝委員長も申されたような、教育の実情を把握していただいて、いま改めなければならないことは何かということを勇敢に打ち出してもらうということが一番大事ではないか。それができればおそらく私は前進するだろうと私は思います。教師自身はどうしようもないところで困っているという実態なんです。そこに救いの手を出せるのは文部省なんですから、ぜひひとつ積極的にやっていただきたいと、私はそう思っております。日教組と文部省がストライキをめぐってけんかしているから進まないんだというふうなこととは違う。かなり多くの共通点を持っておる。教材は精選すべきであるということ、その他多数の点において両者は一致していると私は見ております。だから、その線で文部省当局がお進み願えますならば、おそらく組合は賛成するだろうというふうに思っております。その点についてのいままでの教育改革の積極性について国会でももっと今日のようにその前進の姿勢を示していただければありがたいのですけれども、もっともっと文部当局を激励していただくというふうなことをお願いしたいというふうに思っております。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ちょっとこの際、委員長から若干の質問をさせていただきたいと思いますが、それは、入試制度の根本的改革は旧七帝大を中心に連合大学院というようなものをつくって——私もこれは槇枝さんの説に全く賛成なんで、七帝大を別にしない限りはどうしても格差が残りますので、この点は賛成ですが、先ほど梅根先生が大学の自主的改革に待つとおっしゃったんですが、あなたの中で、大学入試の資格は高校卒プラス大学入試資格試験に合格ということをおっしゃった。これは制度改正であって、どうしても学校教育法の改正をしようとおっしゃると、これは法律改正になると思いますが、この点いかがですか。

梅根悟和光大学学長

○参考人(梅根悟君) 要するに、大学入試に関しましては、大学及び高等学校の当事者の間に合意が成立し、法改正を要する部分については積極的に国会で法改正をしていただきたい、こういうふうに思います。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) わかりました。  第二点は、これは槇枝参考人にお聞きしたいのですが、第二次試験は大学での筆記試験は一切行わないというのは、あなたの御理想はよくわかるんだけれども、梅根先生もおっしゃるように、大学に選抜の資格を与えるべきじゃなかろうかと。そこで、この際、一番問題なのは、第二次の場合に、また、学力テストをやることになりますと、進適あるいは能研の失敗と同じことを繰り返すと思うのです。ですから、学力テストのあり方を検討して、高等学校の到達度あるいは大学進学の能力、適性というものの判定の仕方について、先ほど槇枝参考人のおっしゃったように、文科系、理科系とかいろいろ工夫をして、できるだけ私は学力テストは廃止した方がいいと思うのです。しかし、槇枝参考人は内申書はいいとおっしゃった。私は少なくとも作文なり小論文もいいと思う。あなたは面接には反対のようだけどね。面接をやりたいというところは、これはならしたらいかがかと。そこでその場合、やっぱり二次テストの中にはどうせ資格試験のほかに、あなたのお説のように、点数序列をつけた一次試験の結果が当然生かさにゃならぬと思うのです。この二次試験のあり方を全然認めないというのはやっぱりいまの国大協の意見とも少し違うし、その辺は槇枝さん、私は弾力的に考えてほしい。これが一点。  いま一点は、国公立だけに適用して私学を除外するというのは、これはやっぱり受験地獄は依然として解消しないと思うので、あなたのおっしゃるように試験地獄が教育荒廃の元凶なんだから、そこのところは片手落ちになるのじゃなかろうか。やっぱり資格試験のような形か何かで、選抜で大学に入れる。あなたの考え方は選抜を認めないとおっしゃるから抵抗が強いんだけど、そこのところはもう少し弾力的にお考えいただきたいと、この二点です。

槇枝元文日本教職員組合中央執行委員長

○参考人(槇枝元文君) いまの第一の結局大学自体が第二次選考をやるかどうか、やらせるかどうかというところが国大協の案と私の申し上げたのと非常に違うところです。これは考え方から言いますと、国民の教育を受ける権利という面から言って、一定の大学の教育を大学で学問研究するだけの素質ありと認定された者はそのもう権利を持ったんだ、いわば憲法二十六条による権利を持ったんだ、それをさせるかさせないかを各大学でセレクトさせるといういき方は、結局その権利というよりも大学の方が主導権を握っていくことになるわけですね。そうすべきではないというふうな考え方なんでございます。そして、もう一つは、大学でどうしても入試ということを、第二次試験にしてもやるということになりますと、結果的には大学の格差というものを再び生じさせる心配というものがあるわけです。  これは一つの例ですけれども、現状の中で私の出身の岡山市というのが高等学校の学区をつくっています。そして、ここに四つの高等学校がある。これは最初二校だったんです。第一流校、二流校。朝日、操山、それに大安寺、芳泉とできていった。そのときに、父母はどうかというと、やはり一流校に入れたいと。ところが、選抜の場合に統一選抜をやって、そうして子供を順番に、新しい新設高校にも順番にふるい分けていったんです。そのことによって、現状の中で東大入試に受かったのが多いのがりっぱな学校だと仮定するならば、新設校から出た初めての卒業生が一番多く入ったという事実があります。このようにやはり少なくとも国立とか公立というものは、その大学自身が有名校になりたいという方向に動くことを封じておく必要があると思う。だから、この第一次試験で、それに受かった者はその権利を保障してやる、そして、後は調整委員会で配分していく。しかし、それにも余った場合に初めて第一次試験の成積というものを生かしていくという行き方をとるということを原則的に思っております。しかし、それは国大協の意見と違います。違いますが、そこを実際の問題として弾力性を持ったらどうかということについて、私が弾力性を持たないと言っても、どうして私が実施者でありませんから、意見としては、そういう考え方だということなんです。  それからもう一つ、面接の問題ですが、論文とかそういうふうなものはどうかということもありましたが、これは第二次試験をやるということになりますと、これは論文というものも可能だろうと思います。でも、私の案でいくと、とても論文を書かせて読んでみるなんていうことはとってもじゃないけどできっこないので、そういうものを排除しておるんです。  それから、私学の問題ですが、これはぜひ参考として御検討いただきたいと思いますのは、私が申し上げている中でも、私学問題については、二つの考え方について自分は相矛盾するものを持っているわけです。というのは、国公立の学校と私立の学校というものにはおのずからそこに一つの特性、違いがあっていいのじゃないか。私立には私立のまた国公立にない一つの特徴があって、伝統があって、あの私学に行きたいというようなそういう特徴ある私学というものは未来永劫残っていくべきじゃないか。そう考えると、そういう私学までをも強制して、入る子供は全国で振り分けてやるぞというようなそういう押しつけ方はすべきじゃない、私学は私学としての独自性を生かすべきじゃないかという考え方が一つあります。しかしまた、反面、先ほど言った国民の教育だという観点に立つならば、中での課程は違うにしましても、やはり国公私立というものを通じてこういうことはやっていくべきじゃないか。私立の大学に行く者も同じようにやはりこれだけの基礎学力を持っておるものという点においては一つの線をきちっとやっていいのじゃないかということもうなずける意見なんです。これは両方違った考え方でありながら。ただ当面はと、こうあえてしましたのは、そこのところをもう少し検討の余地ありとして残しているんです。当面は、そうは言っても、先ほど言ったように、いまのような格差があってあれだけ授業料も非常に高いわけですし、そうして入学試験を私学にやらしてあげなかったら国が相当補助しないことには入学受験料欲しさなんていう言い方は悪いですけれども、受験料収入というものは相当なものですから、だからそういうことも考えれば、たちまちすぐに私学をも強制的にということはすべきじゃないだろう、しかし希望によって入れていく、使いたい者はこのテストをどうぞお使いなさいというように、私学は当面はそうすべきだというところに緩めておく。それはひとつあと十分御検討をいただく課題としておいていただきたいと思います。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) わかりました。  槙枝さん、問題点はやはり大学に選抜権を与えておくと、そのいまの私学の入学金の問題が解決できると思います。これは参考までに。  この際、参考人の方々にごあいさつを申し上げます。皆様には長時間御出席いただき貴重な御意見をいただきましたこと、厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。  午前の会議は、この程度にとどめて、午後一時再開することとし、暫時休憩いたします。    午後零時三十六分休憩      —————・—————    午後一時二十四分開会

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ただいまから文教委員会を再開いたします。  教育、文化及び学術に関する調査中、入試制度の改革に関する件を議題といたします。  午後は六人の、相磯参考人、谷田参考人、東参考人、小寺参考人、石川参考人、成田参考人の御出席を願っております。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわり厚く御礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方について申し上げます。  本日は、入試制度の改革について参考人の方々から忌憚のない御意見をお伺いいたしたいと思いますが、議事の都合上一御意見をお述べ願う時間はお一人十五分程度にお願いいたしたいと存じます。なお、参考人の方々の意見陳述の後で各委員から質疑がございますので、お答えをいただきたいと存じます。  それでは、まず相磯参考人にお願いいたします。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) 国立大学協会副会長の相磯でございます。  国立大学協会は、八十一の国立大学が全部加盟いたしておりまする唯一の国立大学の協会でございます。この国大協におきましては、設置以来、入試問題を単に入学の手続業務と考えるのではなくて、高等教育における教育的業務の一環として推進をしてまいっております。今日行われておりまする国立大学の学力検査によりまする選抜方法につきましては、一つには、それがきわめて客観的なものであるということ、二つには、それが信頼性の高いものであるということ、三つには、問題の内容の程度が妥当なものであるということ、こういうことから、何よりも公正を期することができるという点で、自信を持って社会にこたえられるものと信じてやってまいったわけであります。  しかし、時代の推移とともに改善すべき問題点も少なくないという反省のもとに、その改善の方途につきまして常に努力を重ねてまいったのであります。特にここ数年来、第二常置委員会を中心といたしまして三つの特別委員会を設置しまして、精力的にこの問題に取り組んでまいったのであります。  取り扱ってまいりました課題の主なるものは、大きく分けて二つあります。一つは、いわゆる共通第一次試験の調査研究でありまして、他の一つは一期校、二期校の一本化の問題であります。  後の方の、一期、二期の問題の検討の経過を先に申し上げます。現在、一期校が三十三校、二期校が四十八校でありますが、その区分が固定化されたままで今日に及んでおりまして、そのために、一期校と二期校との間にいわゆる格差感なるものが生まれておる、また、二期校への志願者が集中するということのために、二期校における受験業務が非常に困難であり、かつまた受験者が大量欠席をするということ、あるいは一期、二期両方に合格をする受験生がかなりありますので、その方々が入学手続を怠るという場合などに定員の確保ということが非常に困難になる。そういうようないろいろの弊害もありますので、この改善につきましていろいろ検討を加えてまいりまして、たとえば一期、二期の大学の組みかえをやるとか、あるいはまた、自主的にどちらかを選ぶと、そういうようないろいろな方法を検討をしてまいりましたが、結局、一期、二期校という制度をなくして一本化するということをしましても、受験生にとって実質的な不利にはならないであろうという判断に立ちまして、もし国が一本化を実施するということであれば、大学側は差し支えないという結論になったわけであります。ただ、その実施の時期につきましては、共通第一次試験との関連もありますし、高等学校側の御要望もありますので、調整の必要があるということは十分理解をいたしておりますが、大学側としてはなるべく早い時期の実施を要望しておる次第であります。  次に、共通第一次試験についてでありますが、これは原則としまして、各大学各学部がその性格に応じた第二次の試験を行うということを前提としまして、国立大学の受験生に全国共通の第一次試験を行うというものでありまして、昭和四十七年にこの改善案の構想を「まとめ」という形で発表をいたしました。その趣旨とするところは一言にして申しますと、共通第一次試験というのは、高校における一般的学習の達成の程度を評価することに力点を置いた第一次の選抜試験である。それから、五教科、十二科目について、約三十万人と予想されまする国立大学志願者につきまして志望校に出願をさせます。全国の国立大学の教官によってつくられておりまするその出題委員会というもの、その委員会で作製いたしました試験問題をそれぞれの受験生の住む地域におきまして受験させる。各大学からは独立をいたしました、あるいはまた大学所属でもよろしいわけですが、この共同利用の入試センターというものを設置いたしまして、そこに施設されまする大型電算機によりまして、各大学から集められた答案用紙を採点をいたしまして集計を行い、これを各受験生の志望大学に送付する。各大学では、この共通第一次試験の成績と、各大学がその大学の望む適性評価及びその総合力あるいは思考力などの判定に資する試験としての第二次試験を行う。そのようにしまして、第一次と第二次の試験の結果を総合判定いたしまして、入学者の選抜を行うという趣旨のものであります。  ところで、このような共通第一次試験なるものが果たして期待されるような入試改善策として実施できるものかどうかということは、外国における類似の方式はともかくとしまして、わが国ではうまくいくかどうかということはこれは容易に判断できるものではないと思います。  そこで、その可能性を判断する資料づくりをするということが第一着手であるといたしまして、「まとめ」に基づきまして、技術的な諸問題を調査研究するということにいたしたわけであります。文部省から必要な経費の交付を受けまして、まず、四十八年度の調査研究の結果を集約いたしました中間報告なるものを公表いたしました。引き続いて、多くの大学の協力によりまして、さらに細部にわたって調査研究を深めまして、四十九年度には約三千名の生従について、高等学校の御協力も得まして、小規模の実地研究をもいたしてみたわけであります。それらの結果をまとめまして報告書としてただいま印刷中であります。四月二十日ごろには印刷ができ上がる予定になっております。それらをできましたならば、すぐに皆さまにお届けできると思っております。この報告書を各加盟大学はもちろん関係の団体にお配りをいたしまして御批判をいただいて、各大学でもこれを検討してもらって、修正すべき点がございましたらばこれを修正しまして、最終の報告書といたしまして、改めて加盟各大学の意見を求めて、国大協としての態度を決めるというようにしたいというのが私どもの考えている段取りでございます。新しい入試の方法を立案しますということに当たりましては、きわめて慎重にあらゆる問題を十分に検討してみなければなりませんので、拙速にならないように時間をかけて考えていきたいというふうに思っておるわけであります。  この調査研究をいたしました第一次共通テストなるものの内容につきましては、谷田学長が直接副委員長としてやっておられますので、谷田学長から御説明いただけると思っております。  なお、日教組の「日本の教育改革を求めて」というのの(三)の「入試制度の改革についての改革への提言」に対する見解を述べるようにとの御要望がございましたが、ちょうど学年末でございまして各大学とも多忙でありまして会長初め理事の方々とも相談をするいとまが持てませんでした。私もきょう卒業式を終えて、それから駆けつけて来たというようなわけでございまして、国大協としての見解を述べますことは、大変残念でございますけれども差し控えさしていただきたいと思います。ただ、私個人ということで、意見でよろしいというのならば二、三申し上げてもよろしいんですけれども、時間の関係ももうございませんようでございますので、後でまた御質問でもあればお答えするということでよろしゅうございましょうか。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) それで結構です。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) それでは、これで終わります。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  次に、谷田参考人にお願いいたします。

谷田閲次お茶の水女子大学学長

○参考人(谷田閲次君) 国大協の入試改善調査全体のことにつきましては、ただいま相磯学長からその発想、経過等について詳しいお話を伺いましたので、私は、やや具体的に現在国大協が取り組んでおります入試改善、ことに、共通一次試験のことについての調査研究の目標と状況と申しますか、それらのことを申し上げさしていただきたいと思います。  ただ、その出発点といたしましては、すでに四十六年に国大協の第二常置委員会において問題点を取りまとめましたときに、第一の条件としまして、入試改善の問題は、これは入試ということの技術的な検討改善だけで済むことでなく、抜本的には、大学のあり方全体、あるいはさらにそれの背景となります社会的な条件、つまり、大学に対する社会の期待や要望、そういうものを踏まえてのことでありまして、単純に入学試験を切り離して、それで抜本的な改善ができるということは望めないと。しかしながら、現状において、大学入試のことは各方面からむしろ焦眉の問題として解決を迫られていることである。したがって、現に与えられている諸条件のもとでなおかつ改善できることを改善し、そのことが根本的な問題の解決に資するような方向へ改善の策を立てるべきであろう、こういう基本的な考えがあったわけでございます。  そして、いろいろ具体的な意見の交換があったわけでありますが、何分非常に困難な問題であるので、いろいろな方法を考えましても、それぞれに一長一短がありまして、その点では、幾つかの方法を組み合わせてなるべく多角的に、より総合的な入学者選抜を行うということが望ましいのではないかという一つの観点を持っております。  これを簡単な言葉で申しますと、複数的な要素と申しますか、さらに、多元的な要素による選抜ということが望ましいのではないかというのが、根底にあります理解の仕方でございます。したがって、ただいま当面の問題として研究を続けております共通一次試験というものも、これはその多元的要素の一つでありまして、先ほどの相磯学長のお話にもありましたとおり、各大学の独自の試験との組み合わせということを考えております。また、これも前からしばしば各方面で提案もされております高校の調査書との組み合わせということもあります。そのような総合的な観点から入学者選抜を行うのが改善に資するであろうということであります。  そこで、現在非常に多数、恐らく三十万人を超えるであろう受験者を対象といたしましてこれに共通な試験をすると、そして、その結果を各大学に通知して選抜の要素としての役に立てる。こういうプロセスを考えます場合に、幾つが非常に重要な問題点がございます。  申すまでもなく、第一はよい問題の作成でありまして、きわめて当然なことでありますけれども、現在、大学の入学試験問題についてはしばしば——まあそれは特定の場合が特にクローズアップされるということでありましょうが、批判される場合もありますので、内容的にそういうよい問題の作成ということが第一に必要である。  それから、これも、そのような大量処理を行うためには、勢いコンピューターによる処理ということをしなければならません。しかしこれは、従来のごく普通に言われております考えからしますと、コンピューター処理というふうに申しますとすぐマル・バツ式というふうにこう結びつけられるんでありますが、コンピューターで処理いたします以上、選択肢法によるということは現在の段階ではやむを得ない。しかし、選択肢によって行います場合でも、単なるマル・バツという単純なことでなく、いわゆるマル・バツ式なるものの欠陥を補う方法をどこまで立てていくことができるか、こういう重要な問題がございます。  それらの点につきまして、なおこれから後申し上げますことにつきましても、四十八年度、四十九年度と二年間続けて調査研究をいたしました。お手元に差し上げたかと思いますが、この「国立大学入試改善調査研究報告書」と申します冊子は四十八年度の研究を取りまとめた中間報告であります。四十八年度におきましては、ただいま申しました問題関係のことでは、標準五教科、十二科目の各科目別に、十二の科目別の研究専門委員会を設けまして標準問題の作成ということを試みました。そして、これにつきましては、各科目ごとに数名づつの高校教員によるモニターを委嘱いたしまして、その意見をも徴して、結果の反省をいたしております。  続いて、四十九年には、さらに別に、新たにそれらの反省をもとにしました問題を作成して、四十九年十一月に実地研究として高校生対象の実地試験を行いました。これは高校側の非常な御協力を得まして、全国七地区で約三千名の申し込み者を得てやってみました。この結果につきましては、ただいま四十九年度の報告書をまとめておりまして、これは印刷にかかっておりますが、ちょっと本日には間に合いませんでした。  なお、その科目別の研究につきましては、お手元に差し上げました報告書にきわめて簡単な摘要を述べておりますが、研究報告そのものはただいま私持ってまいりました。これは部内資料でもおり数も少ないのでお手元には達しなかったと思いますが、各科目につきましては非常に細密な研究調査を行ったわけであります。  次に、コンピューター処理についての問題でありますが、これは現在のコンピューターを考えますといわゆるマークシート方式によらざるを得ない、これが一つの試験の内容的にもやや限界をなすところでありまして、これも昨年十一月に実地研究をいたしましたときの実物がございますが、こういうたぐいのマークシートによって解答をさせ、これをマークリーダーにかけまして読み取らせるという方式をとっております。これが、コードによる、書きました文字によるものを読み取らせるということができますとさらに問題は変わってまいりますが、現状においては、まずこのマークシート方式によらざるを得ないと思います。  これもすでに四十八年度にコンピューター処理についての予備実験をいたしました。これは百名程度の小規模の予備実験でありました。四十九年度には、先ほど申しました七地区全国にわたりまして三千名程度の実地試験をいたしまして、そのプロセスについて誤りなきを期しております。  それから第三の問題といたしましては、実施機構の問題がございます。これは全国にわたりまして居住地受験の考えをとっております。受験生の居住地から最寄りの大学で試験が受けられるという形を共通一次については考えておりますから、全国に試験場があり、それで三十万を超えるであろう受験者を対象とする以上、実施の方法等の細目につきましては非常に慎重を要しますので、これについての特別のやはり専門委員会を設けて研究を続けております。これはそもそも願書の作成から受験生の出願、試験実施、結果通知等に、直接その実施に関係する問題を取り扱う必要があると同時に、その機構の中には当然研究面、つまり成積評価、コンピューター処理、あるいは追跡研究等の研究面を持たなければならないと思っております。このことは、入試の改革の一つとして共通一次試験を実施いたしますにしても、たとえば一つのパターンを決めましてそれで行えば事が済むという問題ではなくて、常に改善を続けていくことによって、また、追跡調査等によってその試験への信頼度を高めることによって多くの大学、高校からの協力が得られるわけでありまして、一朝一夕にそれを一挙に獲得するということはなかなかいきにくいと思います。したがって、常に改善進歩させるための研究面を持たなければならないと考えておりますが、そういうことにつきましても、一つの試案をもちまして実施機構のあり方を考えておる次第でございます。こういうふうに、ここ四十八年、四十九年は非常に実際的な実施にした場合にどういう問題があり、それはどういうふうに克服されていくであろうかという具体的な問題を取り上げまして個々に調査研究を続けてまいりました。ただいまも申しましたとおり、四十九年度の研究の結果はただいま印刷中の報告書として間もなくできますが、五十年度の計画といたしましては、この二年間でなお残された諸問題についての研究を続けるとともに、これは実地研究を含めまして考えておりますが、また、間もなくできますこの二年間の集約である本報告書につきまして、これを全国立大学へ報告して、その意見をさらに集約したい、また、当然高校関係へも報告し、かつその趣旨や方法についての周知を図りまして御意見をいただきたい、こういうプロセスを経まして、それらによっていただけるであろう御意見によりまして、さらに再検討を要する問題があればこれを五十年度において調査研究いたしたい、こういう現在の状況になっております。  なお、やや私見にわたりますけれども、つけ加えさしていただけますならば、この大学における入学者選抜の問題は大学側も苦労しておりますし、高校側もいろいろ御苦心のあるところだと思いますが、その根本においては、高校と大学との相互信頼が確立されるということが何よりも大事なことであると私は思っております。これは、たとえば地域などによりましては国立大学の中にも地域的にそこへ進学してまいります生徒を持っております高校と緊密な連絡のとれているところもありまして、すべての大学を一律に申すことはできませんが、受験者が全国にわたる、北海道から沖繩までにわたるというような大学におきましては、これは単にそういう心がけを持っただけでは実現できることはありません。相互の間にそういうことのできる一つの機会あるいは機構が必要でもあると思います。そういう点からは高校側におかれても、また、大学においても当然でありますが、機構の点でも相互の関係を緊密にし、広い意味の高校の進路指導に対して大学側が寄与するところがなければならないというふうに考えております。そういうふうな前提条件のもとに多元的な要素による入学者選抜の方へ進みたいと考えている次第であります。  なお、先ほど最初に申すべきことでありましたが、相磯学長からすでにお触れになりましたように、国大協の考えております統一一次試験は選抜試験として考えておるわけでありまして、これは先ほども申しましたとおり、現に与えられている諸条件のもとで考えますと、やはり選抜試験たらざるを得ないだろうと、資格試験として大学入学者に対する試験を行うという御意見も種々伺っておりますけれども、それについては、これも私見ではありますけれども、資格を得ました者はすべて大学へ進めるわけであります。大学の収容力、志願者の大学選択の自由、また、大学の側における学生選抜の自由というようなものに根本的に関係してくる問題であり、現在の日本の社会を背景にして考えます場合に非常に多くの問題を、また、困難を持っているのではないかと考えております。  以上でございます。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  次に、東参考人にお願いいたします。

東洋東京大学教授

○参考人(東洋君) 東でございます。  私は、入学試験というものは現在二つあるいは三つの役割りをあわせて負わされているというふうに思います。  その一つは、これは、高校の課程内容を一応ちゃんとこなしてきたかということを調べる、そういう役割りであります。これはもちろん高校で卒業を認定されるわけでありますから、もうそれでいいはずであると申せないことはございませんが、高校によってお考えも違い、なさり方も違うというような現状のもとではやはりこの機能を入試からなくしてしまうことはできないであろうと存じます。けれども、もう一つの機能としましては、大学でのそれぞれの専門領域における研学に耐え得るか、また、それから十分に利益を得ることができるかというその判定の役割りもあるわけであります。その中間にある程度選抜の機能、ある程度資格の機能というのをあわせた測定というものも考えられるわけでありますけれども、この二つの役割りを一つのテストで済ますというのは、これはしばしば非常に困難な場合が多いと考えられます。つまり、入学を許可し得る定員の全志願者に対する比率がそれほど小さくなければよろしいわけでありますけれども、この全志願者というのは必ずしも願書を出す者ということではございませんで、高校卒業生の中でできればその大学に行きたいけれども、もう初めからあきらめているというのも含めた潜在的な志願者に対して取り得る者の率が非常に小さいというふうな場合にはどうしても一つで済ますのが無理になってまいります。それはどうしてかと申しますと、資格を見るというふうなものでございますと、いわば大ざっぱに問題の困難度を考えましてやはり高校生の少なくとも七、八割が合格できるような、そういうレベルの問題でなければ困るわけであります。したがって、合格率七、八〇%のテストで合格率一〇%の選抜に使うというのは、これは実際問題として非常に不適切なのであります。ちょうどこれは碁の力を見ますのに、一応定石がわかっていればだれでも勝てるような相手に何回も相手とやりまして、ずっと勝っているから、これで碁が非常にうまいということが言えないのと同じでありまして、一応やっているというところを見るのと、それから比較的少数のパーセンテージを選抜するテストとは、これは機能もつくり方も違わなければならないわけでございます。このような観点から私は、現在の大学のコントロールを越えた状況は別としまして、現在の状況のもとでは、やはり東大で行っておりますような、また、国大協案にも、それからある程度は日教組案にもサゼストしてございましたような二段階制の選抜というものが、やはりやむを得ないのではないかと、こう考えております。  この立場からまず、お求めがございましたわけですから、日教組の制度検討委員会の報告について、私の感想を申させていただきたいと思います。この報告においては明瞭に入試問題の根本的解決は、単なる入試制度の改善のみによっては不可能であると言っております。この点は、私も完全に同感でございます。やはりいわゆる志願者が異常な集中を見る大学がかなりな数あるという状況のもとでは、入試制度をどういじりましても、決して根本的な解決にはならないということが言えると思います。この点は賛成でございますけれども、しかし、制度検討委員会の報告では、この具体的な提案の中心は、極端に言いますれば、資格を認定された者については、大学は全入制にするということに近いかと思います。必ずしもそこまではっきり言ってはいらっしゃらないと思いますけれども、読んでいけばそれが理想であるというふうになっているかと存じます。そして、その認定試験というものは、これはその性格において、高校の教科についての修了試験でありまして、大学の水準の教育から十分に益することができるかどうかということの判断とは幾分違うわけであります。さらに科目ごとに年次をかえて認定を受けることもできると申しますと、これはもうほとんどそれぞれの科目の修了試験の形になりまして、やはり大多数がこれに合格するというふうな性格の問題であろうかと存じます。大学格差を現在のような形で残したまま、このような方式に移行すれば、これはどうしてもある程度の数の大学に非常に大ぜいの志願者が集中いたしまして、これをまたどうやってその中から収容定員を選ぶかということになりますと、これもいろいろな情報を使うということは考えられますけれども、しかし現在の実情では、二次の選抜を中心としなければならないわけであります。この制度検討委員会の報告でも、医学部や理工学部等では二次選考をするということも考えられると書いてございますが、これは医学や理工学だけではございません。やはりそれぞれの専門分野の適正体制というものをどうしても考える必要が起こってくるかと存じます。  そこで、もちろん日教組の制度検討委員会の報告におきましても、大学格差をなくすということを強調されまして、またその格差をなくす方法も提唱しておられるわけでありますが、ただ、この内容は要するに地域総合大学の提案でございます。私は、地域総合大学がこの問題の解決になるとは考えないのであります。日本のように狭くかつその中での人の流動性が高い国におきまして、たまたま住んでいる地域と進学すべき大学とがいわばセットになるということは非実際的でありますし、これを強行すれば必ず多くの予盾や問題が生じてくると考えられます。さらに、そのような形で流動性を押えることのマイナス面も非常に大きいかと思います。現在の状況でも、たとえば、幾つかの専門につきましては、どこの国立大学でもそれがあるというふうにはまいりませんし、また国の全体の何といいますかアカウンタビリティから申しましても、どこの大学でも一応全部の店をそれえていくというふうにするのは大変不経済でございます。そのようなことも含めまして、地域総合大学という考え方は、私はうまくいけばよろしいのでございますが、うまくいくとはちょっと考えられないのであります。またかつ、格差是正ということは必要でございますが、現在やっと世界一流の大学と肩を並べ得るあるいはまだ並べ得ないかもしれないけれども、とにかくそれに近づいてきている内容や設備を持つ比較的少数の大学を格差是正のために引きおろす、あるいは足踏みをさせるという結果になったとしましたら、やはり日本の学問の研究教育の総合力には大変マイナスになるというふうに考えます。私は格差をどうしてもなくそうということでございましたら、大学そのものにはいろいろな特徴がある、これは必ずしも格差でなくて特徴があって、学生は自分に合わせて進学先を選ぶけれども、卒業証書にもあるいは履歴にも、何大学卒業という大学名は一つも書かないし、書かせないし問うてもいけない。要するに、大学卒業は大学卒業、ピリオドであるというふうなことにしますれば、そういうことがもしもできれば、あるいはこの方が早いのではないか。つまり、いまの格差のかなりな部分が官公庁におきましても、あるいは大企業におきましても、採用の段階から大学に差がつけられる。そうして、その後の昇進等にも実力がもちろん第一なのだのは存じますけれども、見ておりますと出身大学がどこであるかということがかなりカウントされるように見えるわけでありまして、こういう状況が存在する限り、一生のことでございますから、無理してそういう有利な大学に入ろうという傾向はなくならないというふうに思うわけであります。いずれにしましても、この日教組の制度検討委員会案は、格差や集中の傾向がすでになくなっているということを前提として、なくなったらば、こういうことができるのだと言っているわけでありまして、この前提が満たされない限り、少し下世話な言葉で申せば絵にかいたもちにすぎないというふうに思うわけであります。ただ、実際問題として大学の入試の内容、性格というようなものが、高等学校の教育にいろいろなひずみを与えているという現状のもとで、ここに提案されておりますような大学進学制度委員会的なもの、つまり入試の問題のいわばエーシックの倫理的基準をつくっていくような、そういう委員会を考えることは必要でもあり適切でもあるのではないかというふうに存じております。根本的な問題を申しますと、大学が入試を行い選抜することが一体いいのかということになってまいりますが、これは論じ始めますと非常にまた大きな問題になってしまいますが、現在の社会全体の態度及び大学の制度に大幅な変革がない限りは、選抜をしないというわけには現実問題としてまいらないというふうに思っております。大変簡単でございますが、また補足することがございましたら説明さしていただきます。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  次に小寺参考人にお願いいたします。

小寺武四郎関西学院大学教授

○参考人(小寺武四郎君) 私、出身は入試制度の専門家でもないわけでございますが、私と入試との関係ということを申し上げますと、私、昨年の春まで関西学院大学長を五年間やってまいりました。その間に入学試験のあり方についていろいろ考えさせられたということはございます。もう一つは、昨年の秋に日本私立大学連盟の大学問題検討委員会というものの第四分科会というのができまして、ここで入試制度についての検討をいたしました。その主査をいたしました関係で入試制度についていろいろ考えさせられておったということでございます。ただ、私立大学連盟の第四分科会と申しますのは、入学試験制度を非常に広く検討するということで置かれたのではなしに、昨年の自民党の教育制度の改革案の入試の提案について意見を求められたということが前提になりまして、検討の委員会が設けられた、そういう少し限定されたものであったということはお断りしておいていいかと思います。そういう意味で、きょう申し上げたいことは、多くは私個人の意見ということになると思いますので、その点は御了承いただきたいと思います。  入試問題というものを、それ自体で解決するということはやはりできないというのが私もやはり一番前提に考えなければならない、と申しますのは、大学間格差さえなくなれば入試問題というのはほとんど解決するんじゃないかと、そういう観点を持っております。今年の二月の一日の日本経済新聞の記事に文部省の推計というような形で数字が出ておりました。これは文部省の、公のものではないと思いますが、今年度の大学の志願者総数は七十六万九千人程度だろう、大学の受け入れ可能数は五十八万五千人くらい、そうしますと、七六・一%が合格すると、こういうことでございます。七六%が合格するというほどになれば、これはそんなに厳しい入学競争ではないということが一応言えるかと思います。さらには、七十六万九千人の大学志願者の中で、いわゆる新卒でございますが、今年高等学校を卒業するそういう志願者の数というのは五十八万五千人、こういう推計値が出ております。これは全く入学可能者数と同じでございます。ですから、大学間格差がなくなって、広く大学への進学希望者が散るならば、入学試験の困難というのは非常に解消してしまう、そういうことが言えるのではないかというふうな気がいたします。  大学間格差という問題になりますと、一番その中でも痛切な問題は、やはり学費負担の格差、もうすでにそこに国立と私学の間に志願者の偏りが出ている、非常に大きな偏りができてしまう、こういう事態をどういうふうに打開したらいいのか。その点がむしろ入学試験制度の前提として考えなきゃいけない問題だということになるのではないかと思います。一つの例を挙げますと、たとえば医学部・歯学部——現在、日本にどれだけの医科大学が必要であり、どれだけの歯科大学が必要であるかということはよくは存じませんが、しかし、現在すでにできておる私立の医学部、歯学部というものを考慮に入れるならば、そんなに不足しておる状況ではないんじゃないか、そういう気がいたすわけでございます。そうしますと、問題は私立の医学部・歯学部に入るのに非常に多額の学費負担をしなきゃならない、あるいはそれは寄付の名目であるかもしれませんが、実質的に負担をしなきゃならない。この事態さえ改善できれば、現在のすでに存在しておる医学部・歯学部というものだけで十分、少なくともかなり十分医者あるいは歯科医の養成ができるのではないか、そんな気がいたします。しかも、歯学部・医学部に進学する学生一人当たり、たとえば一千万を国が助成するということをやりましても、その総額は国立の医学部を幾つつくる経費に妥当するか、そんなに大きな経費は必要でないということを考えますと、やはりこういったことを考えていく必要があるのではないか。医科・歯科を例に出しましたが、その他の一般学部でもやはり同じことが言えるのではないか。こういったまず学費負担の面での格差是正ということがまず考えられてしかるべきではないかと、こういう考えを持っております。しかしそういうことは現在存在しないわけでございますから、現状を前提として入学試験についてどのような改善策が可能かと、それをやはり考えざるを得ないわけでございますが、そういう立場でまいりますと、非常に限界はございまるが、一つの可能性は、やはり総合的な評価をやるということ以外にはなさそうな気がいたします。現在の一発勝負というのはやはりよろしくないのじゃないか。総合的な評価ということになりますと、現状で考えられるのは三つございますが、一つは、それぞれの大学の入学試験、これはやはり避けられないと思います。ただ、その入学試験、個々の大学の入学試験のやり方については工夫の余地はいろいろあるかと思いますが、学科試験だけではなしに、小論文であるとか、あるいは面接であるとか、そういうことを併用することは検討していいんではないかという気がいたします。もう一つは、全国統一テストということになりますが、これは今日国大協の共通試験にいたしましても、あるいはそのほかの統一試験の提案にいたしましても、ほとんどが大学進学の資格試験であると、こういう前提に立っておるように思います。私はそういう形の統一テストには反対でございまして、資格試験だとするならば、必ずそこで落とさなきゃいけない、選抜ということが入ってまいります。そうすると、公正に学力の判定をするという試験でなくなってくる、こういう可能性がある。また、したがってどうしてもその試験には通らなければいけないということで、そのことが高等学校の教育を左右すると、そういう可能性も出てくるのではないか。そういったことになれば、これは各大学の入学試験のほかにもう一つ試験を受けさすという、高等学校卒業者に対しましては二重の負担になる、そういう心配がございます。ですから、どこまでもこれは学力の判定のための試験、ここまでは及第、ここまでは落第というような判定をする必要はないんじゃないか。そういった意味の統一試験の成績を参考にするということができるかと思います。  もう一つは、やはり高等学校の内申書でございます。これはやはり三年間のその学生の実績でございますから、非常に限られた範囲の追跡調査にしましても、高等学校の内申書が一番入学後の成績と相応ずるものだというような結果も出ております。ただ問題は、現在の内申書では一つは信頼がおけないということがございます。ですからこれはやはり公文書でございますから、公文書としての信頼がおけるような制度を考えていく必要があるということがございます。もう一つは、もちろんその内申書の内容について検討するということは当然必要かと思います。こういった大体三つのものを総合判定していくということが一つの可能性として私どもに与えられておるんではないかと、そういった感じを持っております。  特に、日教組の入学試験制度の改革について意見を述べろということ、そういう御注文を受けておるわけでございますが、この点はいままで申し上げましたところから御判断いただけるかと思いますが、この案が大学間格差の是正をやらなければ十分な効果が出てこない、こういう立場に立っておられることについては全く同感でございます。少しも異存はないわけでございます。ただ、この案の大前提は、国立の地域総合大学というものをつくるという前提に立っておられます。全体を見ましても、私立大学の位置づけというのがほとんどなされておらないように思います。その点は、現在八〇%の学生が私立大学の学生だという現状から見まして、非常に不十分な点ではないかという気がいたします。ただ、国立大学に限定して考えるということでございましたら、この地域総合大学と連合大学院という考え方には十分検討する余地があるんではないか。すぐこういう考え方でわれわれが思い出すのは、旧制高等学校と旧帝国大学との関係でございます。地方で学んだ者がその地方での教育を経て、旧制の帝国大学へ入っておる、こういう形が連想されるわけでございまして、検討の余地は十分あるかと思います。  ただ、ここでも大学進学資格試験が提案されておりますが、これはやはり先ほどの案が、特にこの場合には地域総合大学への入学を前提とした資格試験でございますから、これは当然選抜試験になるということで、必ずしも入試改善にはならないのではないか、そんな気がいたします。ただ、そこで提案されております大学進学資格試験の委員会の構成ということにつきましては、今後全国統一テストをやる場合にもそのままこの資料はとれるのではないかという考えを持っております。  以上が大体私の考えておりますことでございますが、きょうの参考人の顔ぶれを見まして、ひとつ、国公私立大学全部を含んだ組織としまして大学基準協会というのがございます。大学基準協会、これは有田先生も関係しておられますが、ここで「大学入試制度改革研究委員会」というものをずっとおやりになっておりまして、昭和四十七年の八月十五日の報告が出ております。ただその後、統一試験については検討を続行するということで今日までまいっております。近く統一試験についての報告が発表されるのではないかということがございますので、御参考までにつけ加えさせていただきます。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  次に石川参考人にお願いいたします。

石川正臣日本医科大学名誉学長

○参考人(石川正臣君) 私は日本医科大学に長く関係をしておりますものでございまするが、日本医科大学が日本私立大学協会のメンバーでございます。この日本私立大学協会は数年前から大学改革につきまして検討を続けておるのでございまするが、昭和四十六年の六月に一応検討の結果を発表いたしておりまするその発表の中に、こういうことを申しておるのでございます。従来わが国の教育改革あるいは教育改策の変革というようなことにつきましては、政府が中心になられまして大体画一的の制度をお定めになって、各大学はこれに従えというような行き方をされるならわしになっておるのでございます。しかしながら、現実におきまして、大学教育あるいは研究を担当いたしておりまするのは大学自体でございます。ことに今日におきましてはその八〇%を超えまするものは私立大学が担うておるのでございます。したがって、私どもは私立大学が中心になりまして、今後の大学のあり方というようなものを検討し、方向づけをしなければならないという責任があり、義務があるように思うのでございます。国立大学でお決めになったことを私立大学が右にならえで、そのとおりを実行するということでは実情に合わない事柄がしばしば起こりまして、ここに混乱が起こり、何のための改善であったかということが疑問に思われるようなことが起こるのでございます。もちろん、政府機関やあるいは政党でございますると、あるいは各種の団体からいろいろ御検討になりました結果を御提案になります。これに対しましては、私ども謹んで拝聴をいたし、国民的あるいは社会的の御意見といたしまして十分これを尊重し、参考にいたしまして、そして私立大学の責任におきまして各方面の要望にこたえんとし、また、自分の大学の建学の精神あるいは学風あるいはみずからの経験あるいは現状、将来へのビジョン、こういうようなものを合わせましてイニシアチブをとりながら創意工夫をしなければならぬものと考えて、検討を続けておるようなわけでございまするが、入学試験の制度の改善につきましては、これはいろいろな方面から問題が指摘せられておるのでありましょうが、大学側の問題もございまするが、また一方、進学希望者の方の問題がございます。  まず、第一に最近問題にされておりまするいわゆる有名校に集中するという事柄でございます。これは本人はもとよりその父兄やあるいは指導せられる先生などもその傾向についておいでになるように思うのでございます。いわゆる教育ママと呼ばれるような方々はその有名校入学のために幼稚園や小学校や中学校の選択に右往左往しておるようなことを聞くのでございます。現行の大学設置基準に関係いたしまして画一的の大学の決まりというものがある、これがかえって格差を生ぜしめておるのではないかと考えられるのでございますが、この基準の設定というようなことにつきまして、基準協会、設置審議会等において十分検討しておいでになりまするが、従来これが官学に偏するような傾きがございました。私学の実情というものは十分にそこに加えられていないように思うことを私どもは遺憾に思っておりまするので、格差解消ということが有名校入学に走らせるというような源になっておると思いまするので、十分その点を御注意をいただきたいと同時に、私立大学といたしましても、教職員の充実あるいは施設設備の改善というようなことに努力をいたしまして、国立との格差がないようにしなければならぬということは十分に自覚されるのでございまするが、しかしながら、何と申しましても、政府は国立大学に国民の税金の大部分を投ぜられまして、私学に対しましてはほんのわずかな補助をされておるというのが現状でございます。聞きまするところによれば、近く私学助成法が国会に提出されるということでございまするが、私どもはこれを待ち望んでおったものであり、本当に私学の発展に役立つところの、また、実質のあるところの国家援助ということを希望するものでございまして、これによりまして本当の格差解消、したがって、入試混乱というようなことが解決されるものと思われるのであります。  また、受験準備のために高等学校がいわゆる予備校化しておる、予備校になろうとしておる、予備校的のウエートのあるところに学生は集まろうとする、こういう傾向がございまするが、進学指導を適当にせられるということ、これが大切なことであろうと思いまするが、今日の週刊誌、新聞紙等を見ますると、何大学に何高等学校から何人入ったというような、あたかも競争をあおるような記事が多く見られることは遺憾に思う次第でございます。また、大学側が学力中心主義に傾いて、その選抜方法がそういう傾向を持っておるということも、いわゆる予備校というような傾向に持っていっておるように思うのでございまするが、人間の価値というものが何も学識、知識、学力というものだけで決定せられるものでないことはもちろんのことでございまして、人間そのものにつき、人間のすべてを目標として評価されねばならぬと思うのでございます。総合評価の必要と学力偏重を避けるべきであると私どもは考えております。  また、入学者を選抜する目的はその大学に設けられておりまする学部あるいは学科の教育研究に適応する学生を公正に選ぼうとするのにございます。そのために、試験科目あるいは試験問題の内容等を高等学校卒業生の資格審査ではないとするものでございまして、当該大学での修学に適応する知識があるかないかを判定するのが主眼であると思うものでございます。したがって、各大学がその学部、学科に適応する独自の選抜方法を選ぶべきものであって、お仕着せの、あるいは画一的の方法に従うというのでなくて、各大学がその持ち味を生かし、その特色を発揮するような方法を考えまして、これに適切なる手段、方法を考え出すということが必要であると思う次第でございます。  以上のような考えからして、入学試験制度というものは、全国画一的に国公私すべて一様にというようなわけのものではなくて、私立大学はおのおの自主的に改善を図るべきである。私立大学協会に属せられる大学も、大学協会がこうしなさいと抑え、圧迫するのでもなければ指図するのでもない、各大学が独自にお考えになって検討していただきたいと、こういうふうに結論づけておるわけでございます。  なお、私は医科大学に関係いたしておりまするから申し添えたいのでございまするが、医科大学におきましては実験、実習を重んじます。また付属病院における臨床実習というようなことがございまするので、指導に当たりまする人間が非常にたくさん必要になっている、あるいはまた日進月歩の医学におくれないために、十分な設備等を整えなければなりませんので、経常費が多くかかることは当然であります。したがって、学生の負担いたしまする学費というものは高額になっておるのでございます。昨今、人件費が高騰する、物価が騰貴するというようなことで、この点における負担はますます加重されておるような状況であります。また一部におきましては入学に関係した寄付金を、巨額なものを要求されたというような話を聞きますわけでございます。この点から見ましても、国家助成ということを速やかに大幅に実行に移していただきたいという次第でございます。  それから日教組の御検討の御意見につきましては、入試制度の改革について、大学間に格差があるということを御指摘になっておりますることは私どもの考えと全く一至するのでございます。地域に根をおろした格差のない大学を建設することが必要であるというような御意見でございます。それが障害なくできれば結構なことと思いまするが、私学におきましてはこれに参加する考えは持っておりません。また、入試を進学資格試験である、こうされまする点につきましても、先ほど申すとおり、私どもは選考試験を行い各大学に適応した学生を選び出すべきである、こういうふうに申し上げたいのでございます。  なお、つけ加えますることは、先ほど申しまするような医科大学における入学時の巨額の寄付金ということにつきましては、私の属しまする日本医科大学は不賛成で、そういうことは戒めなければならぬということを数年前から唱え、またこれを実行いたしております。  また、御質問の中にある入学許可の後に取り上げておった授業料等を返してくれと言う者に応じないものが多いということがございまするが、私どものところでは、この点につきましても、すでに数年前からこの点を十分戒めまして、授業料、実習費等は必ずお返しするということを実行しておりますることをつけ加えまして私の御報告とさしていただきます。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  次に、成田参考人にお願いいたします。

成田喜澄都立青山高等学校校長

○参考人(成田喜澄君) きょうの参考人の中で、午前中の槇枝参考人と私が送り出し側の方の代表ということになるのだろうと存じます。私は全国の国立私立の校長会互選、それから全国の普通科校長会というのがございまして、それを一応代表した形になります。その点に関しましては、できるだけ自分たちの会合で一応まとまっていることを中心にして申し上げたいと存じます。  御承知のように、終戦後わりあいに早く進学適性検査というのが行われましたが、いろいろな点で、これが二十九年に取りやめになりました。その後、能研テストというのが行われまして、これはちょうど私どもが校長になる直前直後のころでございましたが、かなり私どもとしても校長会のアピールその他にこたえて努力をいたしましたけれども、このときは残念ながら本当の意味での大学側の御協力というものが得られないために中間的な能研の組織ができたわけでございますが、ついに高等学校側もこれに協力をしないような形も出まして、能研テストも失敗に終わったわけでございます。その後、高等学校の校長会はどうしたかと言いますと、実はこの前後から大学の入試の問題でやっぱり一番問題になりますのは、一体高等学校の教育課程をちゃんと大学側が読んでその線の中で問題を出してくれているかどうかということの問題が一番大きいわけでございます。その点に関しましては、三十三年から校長協会は入試問題所見集というのをつくりまして、それを全国の各大学に御送付申し上げ、どうぞひとつこういう点についてはお考えをいただきたいということを今日までも続けております。その結果、入学試験の問題等につきましてはかなり改善されまして、クイズのようなものだとか突拍子もないようなものというのはいまかなり影をひそめまして、責任のある大学には恐らく一切そういうことは消えておりますと思います。そうした中で、私どもが昭和四十五年に私どもの総会で決議をいたしました方向といたしましては、共通テストの推進の問題と調査書の活用という問題、なお、あと事務的な問題ございますけれども、基本から申しますと、共通テストの問題と調査書の活用という二つを大きくアピールいたしまして、それを関係各機関にお話し申し上げました。その結果がたとえば大学の入試改善会議ともなりまして、今日それぞれそうした方向においての御努力が払っていただけておると、先ほど相磯先生、谷田先生からもお話がございましたように、この件に関しましては、現在非常な御努力を国大協のその委員の方々がなすっていらっしゃる点、私ども入試改善会議の中でいつもお伺いいたしまして、その御努力に対して心から敬意を払っているわけでございます。したがいまして、高等学校の校長会としては、現在そうした私どもの主張が逐次実現されつつある過程にあると考えておりますので、これが早く国大協の名大学において十分に取り上げられ、御了解を得られることになりますれば大変幸せだと思っております。それがもしうまくいかないような段階になりましたときには、また、高等学校の校長会としても皆さんと御相談して考えなければならないと存じますが、そういう態度でおります。  大事なことは、実は日本の大学の場合に、大学の御自身の発意でないと物が決まらないという現在の実情がございます。これは、学校紛争のときに特別な法律ができましたことについても多くのもめがございましたが、一般的に申しますと、大学の学部を中心にした一つの自治が物を決定するわけでございまして、これは単に国大協の方々が決定しただけでは決定できない段階の状態にございます。このことは、日本の大学制度やいろいろな改革を考えるときによく肝に銘じておきませんと、私は物が簡単にできないんだということを思います。能研などは、その当時の文部省やその他の関係方、ずいぶん御努力いただきましたけれども、結局本当の意味で大学側の御理解を得られなかったという点が失敗の原因でもございます。ただいまそういう点をお考えくださいまして、国大協の先生方が非常な御努力をなすっていらっしゃるこのことは、私は大いに高く評価し、本当に国民挙げてこれを応援、支援して実現を見るようにいたさなければならないと思っております。もちろん、共通テスト自身のあり方につきましては、高等学校の校長会においても、当初においては、これはむしろ内申書重視のための、調査書重視のための補完のものであるように考えていた場合もございます。今日でもいろいろな形がございまして、たとえば日教組の皆様のように、資格試験という概念あるいは自民党の案にもそういうのがあったと存じます。資格試験のような方向で考えるという考え方もございます。大学の選抜とそれにかわるものだと、そういう考え方もございます。そういういろいろな考え方の内容を含んでおりますけれども、手だてとして、この時点でこのことがまずできて、その上で、じゃそれをどう私学に及ぼすか、その内容についてはどう変えていくかというふうなことになるんだと存じます。私ども、したがいまして、高等学校の校長会としては国大協の考え方に全面的に協力をいたしまして、ただいまの段階では余分なことを一切申さないことにいたしております。できるだけ国大協の皆様がのみいいように差し上げるのが一番いいことだ、その後でまたいろいろ御注文を申し上げる点はそれはもう国大協の方でもお考えいただいていると思いますけれども、国大協の方々の御苦心を考えますと私はそう申し上げたいと存じます。ただ、そうした中で、これだけはもう国大協の谷田先生のお言葉の中にありましたけれども、いわゆる足切りの形というふうな形になるのはこれはいけない。高等学校の校長会は、その大学の入学試験というものは何でもいいから、ばかでもチョンでもさあっとみんなどこかへさっさっさっと入れればそれで入試の改革が行われるなんという、そういう安直な考え方はいたしておりません。大事なことは、本当に子供たちの、教育基本法にありますように、能力に応じてそれぞれが進路が選べるような形にすることが大事なことであって、そういう点で一遍の試験——これはかなり信憑性はございますよ、実際申しますと。ありますけれども、一遍の筆答試問だけによって事を決めるということについては問題があろう。したがって、相当の厚みを持った選抜をすることが必要なのではないか。これは皆様方が今月の「文藝春秋」でもお読みになりましたように、たとえばアメリカの医科の選抜については、御承知のように、学部を終わった者について一定の公立の試験があって、さらにそれを半年ぐらいかけて一人一人の人間を呼んで選択してやっていくと、だからいいかげんなお医者ができていかないということが書いてございましたが、大学というものをもし大事に考えるのであるならば、そういうふうに厚みを持って、この共通テストもそうでございましょう。それぞれのまた専門に応じた形でいろいろな意味での材料を、たとえば高等学校の調査書、先ほど大変信憑性のあるというお言葉を小寺先生からもいただきまして、まことにありがたいと思っておりますが、全然その反対のまた意見もあるわけでございます。そういうことは百も承知の上で調査書重視ということ、あるいはそれぞれの大学が、たとえば実技の大学だったら実技をやらせるのもいいでしょう、あるいは語学の大学だったら十分しゃべれるかどうかということをやってみることもいいでしょう、あるいは文章を書かせることもいいでしょう、いろいろなことをおやりになって、厚みのある選択をして、選ばれた方もなるほどと思うようにあるべきだと私は思います。ただ、考えなきゃいけないことは、いま日本がもって範とすべきところは世界じゅうに一つもないわけですね。先ほどから大学の格差云々ということを言われていますけれども、世界じゅうに格差のない大学の組織のあるところがもしどこかにありましたらば、実はお目にかかりたいと思う。そういうところはどこもない。どこもないんだけれども、希望としてはわかる。それをどうすればいいかという問題が果たしてどういうぐあいに解決するかということは、これは簡単に一朝一夕に、法律でこうやったらできるというふうなものではございませんと思います。したがいまして、私どもは、それぞれの大学が本当の意味での格差是正などという言葉よりは、しっかりした特色を発揮して、その大学が国家、社会に本当に役に立っているんだということを示していただけるようなことがぜひあってほしいというふうに思うのでございます。なお、そうなってまいりますと、入試の時期がばたっと、一遍にある時期にやって、そしてそのときがたがたとやってできるかどうか。そうなってくると、私は自民党の方々がいつか出しておられました三月まで高等学校全部授業して、六月ぐらいまでの間に選抜期間を設けて、九月から入学させると、これ日教組の考え方の中にもそんなのあったと思いますが、そんなふうなこともしてあげなければいけないようなことになろうかと存じます。  さて、さらに申し上げますと、私は職業課程も代表している立場でございますので、このことを申し上げたいと思います。  日本の職業課程の高校は、学校教育法の中にはっきりと「高等普通教育及び専門教育」とすることが高等学校の目標になっているにかかわらず、最近まことに気の毒な状態に置かれている。そして、どうも世の中のお母様とか、その他の少数の団体の方々は専門教育をする、そんなところなんかなくなってもいいような言い方ですべてのものが行われている部分もございます。そして、大学の入学試験が、まるで勉強した基本が違うのに、同じ形でやったらば入れないのはあたりまえなんだ、入れないのがあたりまえだと、あたりまえだ、あれは入れない、入れないからそこへは行かないと、そういう悪循環を次から次へと繰り返してしまって、おかしな話ですが、普商工農などというようなばかな言葉が——昔の士農工商じゃありませんけれども、普商工農などと言われるような状態ができているということについては、これは余りにもいろんな意味で関係者の配慮が足りないと思うんです。私は、実は先般、大学入試改善会議のときにもお願い申し上げまして、文部省の方も大変この点、最近お考えになっていらっしゃいますけれども、私は昔もあったんですから、たとえば一橋大学は、ある部分については、商業高校について推薦で何名か入れてやる。工業大学は、何名かは工業学校の生徒を、けちな五名とか十名とか言わずに、一割とか二割とか、はっきり入れてやる。そのくらいのことをしてやれば、ああむしろボケーショナルな学校へ行った方が国立大学やどこでも入りいいんだと、水産大学というのは、もうほとんど全部水産高校から入れてやるというぐらいな計らいをすることによって、また世間の考え方も変わってくるわけです。こういうこと何にもしないで、お情けみたいに代替科目をしてやりますからなんと言ったって、代替科目で勝負しちゃあ損に決まってますよ。そんなことをしないで、昔と同じようにはっきり、たとえば昔の高商は商業高校から入れてやっていた。そういうことを、これはそんなにむずかしい問題じゃないんですね。やる気になればできる。そういうことによってボケーショナルな学校に希望を持たせてやる。そうすると、いま普通科ばかり行かなければならないと思っている考え方も変わってくるわけです。その中からまた、じゃ工業学校へ行ってやってみると、これは自分に適性があったからこっちへ行こうと、そして高等学校の課程ではいろいろ技術を習っておいて、そして大学へ行ってさらに理論を学んで人間としてりっぱな者になっていくと、こういう過程があっても差し支えない。そういう教育的な理論だってあるんです。それがいまもう何か知らぬけれども、世間がみんな上ついちまったようなかっこうになって、ボケーショナルはみんな大変だ、あれは早くつぶしちゃったほうがいいというふうな議論になっているということは、それを直そうと思ったら、国会の先生方もひとつ御努力くださって、一橋大学でも、工業大学でも枠を決めて、必ず入れてやってごらんなさい、違うと思います。そのことから日本の一つの過熱状態というものを冷ましてやるということも考えなければいけないと思います。いま文部省の方で産業大学というふうな形の構想が出ておりますけれども、これも一つの考え方でしょう。でも弱いという前提において、その弱い子供がこそこそ入っていくという大学を仮につくった場合に、それを出た者について世間がどういう扱いをするか。つくったこと自身によって、かえってまた逆の差別を生むかもしらぬ。そういうことよりは堂々と国立大学でしばらくがまんして、弱いと思っても入れてやる、そのくらいの雅量を示すべきであろうというふうに思うのでございます。  いろいろ申し上げたい点ございますけれども、御質問によってまた補いたいと思います。  ただ最後に、日教組云々ということがございましたが、この点に関しまして、正直に申しまして校長会として検討しておりません。相磯先生のようにするのも一つのスタイルだと私、思いますけれども、個人の感じを申し上げます。私はコミュニティーカレッジの問題がここで中心になって出ております。コミュニティーカレッジの問題については、自民党の案の中にも出ております。私どもそれ承知いたしておりますが、実はおもしろいことがございまして、先般高等教育懇談会だったと思います。その中でいろいろ将来の大学の図を描く考え方が出てまいったのでございますが、そのときにコミュニティーカレッジのことを言う委員の方がいらした。そうしたら、それをもしつくられたら、私立の大概の短大はみなぶっ飛んでしまいますよと、それはわれわれのレーゾンデートルにかかわる問題ですから、大事な問題ですから、それはちょっと困りますという御意見があったのに象徴されるように、いまの日本の大学を考える場合に、先ほど申し上げました大学自身が、非常に学長がお思いになったとしても、教授会から順々に積み上げてくる問題は簡単に解決がつかないということが一つと、それからもう一つは、八五%近く占めている私学を、これを簡単に国の方に移管することができるか。私学の一つの営業権と申し上げては失礼だけれども、そういうようなものが簡単に買い取れるものかどうか。東京で御承知の美濃部さんが、高等学校が足りないというので、私学を買いたいということでおやりになったことがあります。できっこありませんでした。それでも、まあ何ですね、マンションに売る方はあっても、都の方に売ってくださるという方はなかった。こういうことでわかりますように、八五%の私学をどうやってするんだと、そのことについて、何かつまみ上げられるような、あるいは革命でも起こって、ぱっと取ってしまうとか、そういうようなことがない限り、私はコミュニティーカレッジやその他の考え方よくわかりますし、おっしゃっておることについて、なるほどと思う点たくさんございますけれども、その前提のところに、大学の自治と称する関係の問題と私学の経営権の問題、この点についての、それについての見通しがないと、先ほどひどい、厳しいお言葉がございましたが、絵にかいたもちだという御批判が出るのも私はやむを得ない点があるんじゃないか。こういう点につきまして、ただ、これはきょう槇枝君もいませんし、勝手なことを私申し上げては失礼になるから、その前提のところだけが問題だと申します。  それから、ここの中にあるので、すぐにでも賛成したいことがある。それは国立大学の附属の問題です。これだけは日教組のおっしゃるとおり、ぜひそうしたいと私も思う。実は東京大学の附属高校というのは、東京大学に今度一人しか入っていないのですよね。あれはちゃんといわゆる実験の形でやっておる。ところがあとの国立大学の附属ったら何ですか、失礼だけれども。もしああいう形でおやりになるとするならば、これはむしろ私立学校に転換なすって、そうしておやりになるなら筋が立つと思います。国立大学でおやりになるんだったら、昔の高等師範の附属にありましたように、たとえば身障の子供だけを集める四部というのがあってみたり、大体普通の小学校と同じような子供だけを教育する場所があったりという、はっきり実験の体制を持っていたわけです。いまでしたら、悪いけれども、IQ五〇から六〇ぐらいの子供から、一五〇ぐらいの子供をいまの教育課程で一体どういう方法でできるのかというようなこと、これが中学校の課程で、高等学校の課程でどうできるのだというようなことを実験するような学校になって、そうして地方の公立高校やなんか指導してほしい。そういうことを何にもしないで、できる子だけ集めて、東大に何名入って、それが変わりもしないだなんて、あんな新聞で、がたがたたたくような、ああいうおろかしいことはやめていただかなければ困る。それはやっぱり失礼だけれども、国立大学の、いまもそれぞれ何というのですか、実験校としての基盤がなくなったものは、どんどん私立高校に財団法人つくって転換さしてやる。そうして本当の国立大学の附属というのは、いまの東京大学の附属でやっているような実験の学校にしてほしい。これはもう日教組の言うとおり、私はこれは全面的に賛成いたします。あとの面につきましては、大分仮定条件が多いものですから、その仮定条件の解決が出てこないうちは、私としては何とも申し上げられないというふうに申し上げたいと思います。  時間の関係がございますから一応申し上げて、あとまた何か御質問がございましたらお受けいたします。  終わります。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) ありがとうございました。  以上で参考人の方々の御意見の開陳を終わります。  これより質疑に入ります。  なお、東参考人は、所用のため三時四十分退席されますので、よろしくお願いいたします。  質疑のある方は順次御発言を願います。

秋山長造日本社会党

○秋山長造君 いま六人の先生方から御意見の表明があったんですけれども、ちょっと聞いておりましても、それぞれの試験をされる側、それから試験を受ける側、また国公立と私立、それぞれ微妙な食い違いがありますし、また、問題自体がそれほどむずかしいわけでございますから、これなかなか一口に質問することさえもなかなかむずかしいんです、正直に言いまして。だけど時間の関係とせっかく見えておるんですから、ごく簡単に二、三点お伺いしたいと思うんです。  まず、東先生早くお帰りになるので、ちょっと先に質問しますが、日教組案にも出ておりますけれども、大学の格差というところまでどうしても議論がさかのぼるわけですが、その格差の解消ということからですが、東大を初め旧七帝大、これを全部大学院大学にこの際思い切って編成がえしてしまうという構想、これは日教組だけじゃありません、ずいぶん世間にそういう議論は多いわけです。また、東大自体の中にも詳しいことは知りませんけれども、東大の中で東大解体論というような特別講座が行われたりしておる話も聞くんですが、その問題についてきょう実は林学長が見えたら大いに聞いてみようと思ったんですけれども、学長が見えてないですが、東先生たまたま東大の有力な幹部でおられますので、率直な御質問で恐縮ですけれども、お答えいただきたい。

東洋東京大学教授

○参考人(東洋君) いま御意見に出ました旧七帝大でいたしますか、あるいは少なくとも東大その他幾つかの大学の学部をなくして、大学院だけの大学にするという考え方は、これは十分に理解できることでございまして、かなり長い間、そういう意見が大学の外にも内にも存在しましたし、現在も存在していると思います。私個人としても、これは考えてみるに値するのではないかという方向に傾いておりますが、ただ、諸外国の例を見ましても、学部の基礎を全く持たないで、研究者の養成だけにかかり切る大学というのは、やはり全体の大学教育の中では、どちらかというと、足並みを乱すようなことになっていくおそれもあるように存じます。プリンストン大学などでは、したがいまして大学院の教授も必ず学部を持たなければいけない。いわゆる研究者の養成というものは、研究者の外側のもう少し広い一般学生を教えることと並行していかなければならないのだというような考え方があると聞いております。現在、旧七帝大の学部を全部解散いたしますれば、恐らくいまほど一つの大学に集中するということが一時的にはなくなるかもしれないと存じますけれども、社会全体の構造が変わりません限りは、やはり第二の東大や京大が出てくるということは、これは避けられないのではないかというふうに思っております。受験地獄の解消という面でなしに、大学院大学にするという考え方は、私は十分検討に値するのではないかというふうに存じております。

秋山長造日本社会党

○秋山長造君 国大協の方へお尋ねしたいのですが、これはえらい失礼なごく素朴な御質問になるのですけれども、現在、受験地獄という言葉がずいぶん使われております。また、受ける側を中心に受験地獄だ受験地獄だと、だから、試験制度を改めなきゃいかぬということになってきておると思います。また、私どもがこうやって短時間ながら皆さんにおいでをいただいて議論をしておるのもやっぱりその悩みのあらわれだと思う。ただ、試験をされる側の大学側の方が一体世間で言っておる受験地獄という実感を持っておられるのかどうか、あるいは受験地獄という言葉に対して、率直にどういうお感じを過去、現在、将来ということとの対比でどういう御所見を持っておられるのか、ちょっと聞かしてもらいたい。

谷田閲次お茶の水女子大学学長

○参考人(谷田閲次君) ただいまの御質問でございますけれども、受験地獄という言葉は大変刺激的な言葉ですが、大学入試の問題のことのために、たとえば高校の教育がゆがめられる、その他そういうさまざまな批判があることは、大学側もかねてから十分に承知しております。ただ、したがって、国大協としましては、そういう一つの責任、当然入試を行います側としての責任を感ずるがゆえにこそいろいろと改善の方策を考えているわけでありまして、この共通一次の問題もその一つのあらわれであります。こればかりでなく、その国大協の中の入試関係を担当いたします委員会では、たとえば調査書の問題等についても相当の長い時間をかけまして研究調査をいたしておりますし そういう点におきまして非常に目に見えて右から左にさまざまの効果が出てきているとは申せませんけれども、国立大学それぞれ内部で互いにいろいろ改善の方策を考えているというのが実情であります。先ほど私、根本的には抜本的な解決はなかなか入試のことだけを考えてできないと申しましたのは、決してそれだから受験地獄とか入試難とかという問題についての責任を回避するつもりではありません。その点は、国大協で重要な問題として取り組んでいるということであります。  なお、これは私見でありますけれども、つけ加えさしていただくならば、先ほどほかの参考人の方からもお話がありましたように、試験地獄というようなことの解決の一つの大きいと申しますか、もっと先を見た考え方としましては、やはり大学がそれぞれの特色、個性をいまよりももっとはっきりさすべきであり、そうして、それを高校側が受け取りまして、学生の進路指導にもっと役立てるべきであり、そういう基本的な問題があると思います。格差の問題が話にも出ますし、また、いわゆる試験地獄に非常に大きな意味を持っているに違いありませんけれども、格差という言葉は大変好ましくない言葉でありますが、たとえば一期、二期の試験の一元化について、先ほど国大協の考えとしては、その一本化を要望しているということはありました。その要望の根底には、これは一期、二期が固定化してしまったために何か大学間格差の印象を与えるというようなことが入試問題にも非常に悪い影響を与えているという見方をしておりますけれども、これはそういう、いわば一期と二期とに分けるというような、大学の外からの枠によって与えられる格差の印象ということを問題にしているのでありまして、この格差という言葉を私は使いたくはありませんが、それぞれの大学がそれぞれ特色を持ち決して一様ではないということはこれは当然でありまして、それが一様でない点が大学を選択する側からもむしろ生かして受け取られる、そういう状況を何とかつくり上げたいというふうに考えております。

秋山長造日本社会党

○秋山長造君 先ほどちょっと御説明がありました、四月の二十日ごろに四十九年度の調査報告書をお出しになると。国大協の方としては、今後、大体いつ最終的な結論を出して、いつから新しい受験方法を実施するんだという、この将来の時期的なめどというものは持っておられるのですか。

谷田閲次お茶の水女子大学学長

○参考人(谷田閲次君) そのスケジュールについてちょっと申し上げたいと思いますが、ただいま準備しておりますのは四十九年度の調査報告でありまして、これはすでに五十年度にかかってしまいますが、五十年度早々に、つまり来月中にもこの報告書ができ上がりましたならば、その段階で従来はその中間報告に対し各大学のその他の意見を聞いておりますけれども、本報告が今度はようやくできるわけであります。つまり、本報告と申しますか、二カ年の研究調査を取りまとめた報告が今度初めてできるわけであります。これを各大学、それから高等学校等にお見せしまして、そこでさらに、国大協の四十九年度報告に対する御意見をいろいろ伺う必要がある。これが現在の段階でございます。したがって、報告書ができまして、それを各方面に差し上げまして意見を集約し、その中にはまた専門的に再検討を要する問題も出てくるかと思いますが、それらの点を五十年度の仕事として現在考えているわけでございます。  したがって、五十年度いっぱいが過ぎますと各大学からの意見の集約も進み高校側からの御意見もいただけると。それの主要なものについての検討も五十年度いっぱいでできるだろうと、こういう考えでいま作業を進めている状況であります。  それからさらに、そういう作業を前提といたしまして、果たして何年度から実施に踏み切れるかというようなただいまの御質問でございましたが、このことになりますと、実は国大協のそういう意見調整だけで済まない問題が出てまいりまして、先ほども簡単に申しましたけれども、いよいよ意見が、国立大学としてのある合意が得られ、また、高校側からの協力が期待できるという段階にもし達したといたしましても、実施の機構の問題が直接に今度は浮かび上がってくるわけでございまして、これはかなり膨大な機構をもってある準備期間をもってやらなければならないだろうということはございます。したがって、現在まだ、そのようなステップについて十分に、何年の何月にはここまでいってということになりますと、まあ五十年度のそういう作業の進み方を踏まえてもう一度考えなければならないんじゃないかというふうに考えております。

秋山長造日本社会党

○秋山長造君 私の時間がほんのわずかですから、いまの点もちょっともう少しお尋ねしたいんですけれどもこれでやめますが、先ほどの研究、検討なさっておる内容についてのお話で、第一次の共通試験是か非かと。それからまた、それをやるとして、それを選抜試験として性格づけるか、資格試験として性格づけるかという重要な問題がまだ残っておるようですが、その点が一体どうなるのかと。別にまた二次試験をそれぞれの大学で、しかも二次の学科試験をおやりになるとなると、先ほど私大連盟の小寺先生がおっしゃったように、かえってその、一次、二次いうことにしたばっかりに受験生に過大な二重の負担をかけて、むしろそれよりはいままでのようにそれぞれの大学で一回だけ試験をやった方がかえって手っ取り早くていいんじゃないかということにもなりますし、なかなかこれ重要な問題だと思うんですが、その点。  それから、国大協の方では、内申書、調査書ですね、内申書のお話がなかったんですが、内申書はどういうように評価されておられるんですか。

谷田閲次お茶の水女子大学学長

○参考人(谷田閲次君) ただいまの第一の点でございますが、この共通一次を行いますために二重負担を受験生にかけるのではないかと。非常に重要な点でございまして、これはすでに四十八年度以来各方面からそういう御意見も出ておりますし、内部においても、そのことについては十分に考えております。  それで、先ほど十分に御説明する時間がございませんでしたが、どこまでも、第一次の共通試験は高校における学力の達成度ということで、その意味でことしの実地研究なども問題を作成しやってみました。これは幸いに、この程度の試験はよかろうという好評をいただいております。  それから、それが選抜であるか資格であるかということでございますが、これはちょっとあるいは私、言葉が足りなかったかもしれませんが、これは、試験結果をその志望大学に対して、その大学を志望しております受験生の全部の成績を通知いたします。それ以前にそれをある選抜で切ってしまうというようなことは決していたしません。したがって志望大学では、それを選抜のための一要素としてすべての受験生の共通一次の成績を手にすることになります。そういう意味で、これは先抜のための要素として提供されるものでありますが、それ以前に選抜に使ってしまってどこかで切るとか、そういう試験では決してありません。  したがって、各大学がそれを一つの要素として採用し、しかし、何分この試験が先ほども申し上げましたように、少なくとも現在のところマークシート方式の選択肢による試験にならざるを得ない。内容的には非常に改良されてきておりますが、やはりそれには限界がある。たとえば論述的な試験によって試すことのできるような能力は、これはなかなか論述式と同じようにはいかないわけでございます。したがって、そういう点について各大学が、学部学科等の特殊性に応じて特に受験生の能力を試したいということを第二次のその各大学の独自の試験で加えるということは、これはつまり、それこそ、補完の意味において共通一次とそれとをあわせて見るという意味においてむしろ望ましいことではないかというふうに考えております。  しかし、その場合に、またしても非常にたくさんの科目にわたって二次の試験が行われるということになりますと、先ほど御指摘のように、これはせっかくの共通一次の意味が失われてまいります。これはどういうふうにそれを組み合わせ、使うかということは各大学の良識ある判断にまつものではありますけれども、私どもとしましては、共通一次が各大学から非常な十分な信頼を得まして、各大学における試験は非常に限られたものになることを希望しているわけでございます。  それから、調査書の件につきましては、先ほどもちょっと申しましたとおり、これも何年かかけまして、調査書がどのように各大学で採用されているか、どういう状況で活用されているかということについては調査をいたしました。ただ、これははなはだ微妙な問題もございまして、そうすべてに公開というわけにいかなかったのですが、その資料は各大学の重要な参考として提供しておりますが、ごく大ざっぱに申しまして、たとえば調査書の成績その他を点数化して実際の入学者判定の場合に用いている大学もありますし、まあ広い意味の参考にということはほとんどの大学はやっているわけでございます。ただ、これも忌憚なく申しまして、すべての大学にすべての高校から来ます調査書を一律に同じ信頼度をもって見てくれというには、なお条件の欠けているところが現在ではないとは申せないと思うんです。それらの点についても今後これらの共通一次等の問題とあわせまして、そういう複数資料、多元的資料としての役割りをもっと十分に調査書が果たしていくということを望んでおります。

秋山長造日本社会党

○秋山長造君 成田先生、国大協の方では一期校、二期校の区別をやめて一本にするという大体方向のようですが、受ける側の方から言えば、いまの一本にするというのもいいんですが、ただ、また別な観点から言いますと、国立大学を受ける機会を奪うという反面のマイナスが出てきますが、その点についてどういう見解を持っておられるかということと、それから立ったついでに第二のお尋ねをもう一つついでにあわせて申し上げますが、これは国立大学、それから私立大学、それから受ける高校側、この三者にお尋ねするんですが、というよりも私の意見を申し上げますが、やっぱりいまの内申書をどの程度に評価するとか、あるいは全国共通の試験の結果をどの程度に活用していくか、それにどれだけのウェートを持っていくかというようなことにつきまして、やっぱりその試験を受ける側と、今度は試験を行う側との気合いがぴたっと一致しませんと、なかなか議論はできても実際問題としては行いがたい。いままでも断片的には国立と私学との間、あるいは大学と高等学校との間でそれぞれ何か連絡機関のようなものが随時持たれておったように聞きましたけれども、もう少しこれを常設的というか、恒常的なそういう連絡機関というものを持たれて、そして十分に検討され、議論をされて意思の疎通を図ってもらいませんと、それぞれが独自性を主張してやられますと、結局結論的には、そのはけが全部受験生へいくということになる。そういう点についてもう少し連絡を密にされるとか、議論の場をもう少し密接にしていかれるというおつもりがないかどうか、ぜひ、そうさるべきではないかと思いますが、その二点を伺います。

成田喜澄都立青山高等学校校長

○参考人(成田喜澄君) 入試時期を一本化する問題については当然ここでいま触れるべきだったのですが、実はちょっと意識して避けていたわけです。この問題については、高等学校の校長会としては、一本化することについては基本的には反対でございます。ただ、ある条件をつけて、ただいま申し上げましたように、高等学校の校長会としては共通テストを推進しております。共通テストを実施すればいやでもおうでも一期・二期の問題なしに一本でやることになりますから、そのこととあわせて私どもはいま国立大学協会の非常な御努力を見ておりますので、恐らく一緒にできるだろう。ですから五十三年一来年度入ってくる子供から準備すれば、おそらくその時期には——その時期にいま言った共通テストを実施できないとすれば、いままでの経験から考えてみても、大学入試の問題については別の考えをしなければならないだろう。そういう点でいろいろ、ことに地方の高等学校の関係から、PTAの関係から、私どもにはいろいろな意見がございまして、その点は入試改善会議の席上でも申し上げましたけれども、ただどうしても、国大協としても、一応自分たちの仲間で決定したという事実があるわけです。大学には大学の自主性もあるわけですから、そのことを高等学校の校長さんが座り込みでもしてとめさせようかといってみても始まることではないので、その流せる方向を、五十三年だったら何とか行きやせぬかというような点で山をかけているわけです。五十三年度からだったら場合によったら一期校、二期校一緒にしてもかまわない、そのときには共通テストができるであろうという山かけを私としては意識しております。したがって、そういう点については反対をしないつもりであります。これだけを切り離してするということについては、私は格差是正になるどころかむしろ格差を広げやせぬかという感じすら持っているので、この点についてはいままでも何回も繰り返し述べておりますので、ここであえて触れませんでした。  それから第二番目の問題につきましては、当然そういうふうなことにつきまして、私どもとしては、各地域あるいは中央において、国大協あるいは私立大学の組織の方々とも御相談をして、どういうふうな内申書だったら信憑性を持ってもらえるかということについて考えなきゃならぬと思っております。文部省の方におかれましても一つの基準を決められましたので、ある意味では一歩前進しております。こういう点につきまして、確かに私ども自信の中にも、内申書を重視されては困るじゃないか、どこでもみんな5をつける、あそこの5とここの5ではどうだという意見も、当然皆さんの中にもあるわけですね。ですけれども、確かに大づかみに言えば、その子供がこれから入って伸びていくためには、やっぱりそのところでしっかりやった子がよくなるということはどうも実証的に言えそうでございますので、そうした点等について、十分な、いまの秋山先生の御示唆のあるような点につきまして、今後、私どもとしても努力してまいりたい、かように考えております。

秋山長造日本社会党

○秋山長造君 国大の方と私大の方に、いまの第二点の恒常的な連絡協議機関を持たれるべきではないかということについて伺います。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) 高等学校側あるいは私立大学側と国立大の方とこの問題についての連絡調整のための会合なりをしばしば持って緊密な連絡をとることが必要であるということにつきましてはおっしゃるとおりでございます。私どもも、高等学校の側とは密接に連絡をしたいということでございまして、先ほど申し上げました共通テストの調査研究の各段階におきまして、それぞれの地域の国立大学でこの問題を担当しておりまする大学におきましてはその地域の高等学校側といろいろ意見の交換をし、また、御協力を願うためにモニターを出していただいたりして、実際の共通テストの問題の内容などにつきましても御意見を伺っておるわけです。ただ、国大協側の今度の報告ができ上がりませんというと、これは高等学校側だけに対するのではなくて、私どもの国立大学同士の間の問題でも、こういう新しい制度をやろうとしたときに起こり得るあらゆる問題についてそれに対処するということを十分に検討して、そうして説明ができるという資料を十分持ちませんというと幾つかの点でこれは解決できない問題だということで、この案自体に対して問題が出てくるという可能性がありますから、非常に慎重にやっておるわけですけれども、一応、説明できることはちゃんと検討しよう、説明できない問題については、これはちゃんとそのとおり、これは限界があるのだというようなことで御意見を伺う、そういうのをそろえた上で改めて高等学校側あるいは私立大学側に御連絡をして、全体としての御検討をお願いする、そういうつもりでおりますので、やや緊密な連絡を欠いておるような印象を与えておるかもしれませんけれども、そういうつもりでやっておりますので御了承をいただきたいと思います。

鈴木美枝子日本社会党

○鈴木美枝子君 午前中から午後にかけて先生方のお話を聞いたわけでございますけれども、私ここのところ大学の各学生さんたちに大ぜい会いまして、その苦悩をよけいに伺いました。やはり入試問題といえば、高校あるいは中学からの連続的な試験の中で、そうして大学の試験にぶつかるわけでございまして、いまお話を聞いていますと、先生方は、特に大学の先生はさめているなという感じが多いのです。さめているというと変なんですけれども、いまの学生の苦悩や、それからやはり試験ばかりじゃなくて、先生は先ほど社会的な複雑な条件があるとおっしゃいました。複雑な条件の中に月謝は私学で三倍になるとか、そういう問題を含めてこのたびの入試試験には月謝が上がらない大学生も、自分たちの社会的条件のインフレで物価が上がる形の中で、やはり今度来る一年生に対しても上げちゃいけないというような形で、これは暴力、暴力と宣伝はしておりました。もっとより大多数のまじめな学生が月謝を上げないようにというような願いを持っておるわけでございます。いま高校の問題とそれから国大協の先生方の関連の仕方が余り行き届いていないと私は見ました。つまり、行き届いていないというのは、学問の中の官僚性を感じるのです。もっと行き届いていなければ、入試の問題は解決はしないのじゃないでしょうか。先ほど成田先生は大変、先生ならぶち壊せるだろうと思うような勢いでお話しくださいましたので、私はそれを聞いていて非常に勇気を持ったわけでございます、学生の立場に立ってでございますよ。だけれども、国大協の先生の、先ほど多数の者を入れるためにコンピューターを使わなければならないという、その可能性まで考えているという言い方が一つ気になったわけでございます。これからことし、来年という間に高校が絶体数ふえるとは限らないことだと思います。そして大学の問題もことし、来年のうちに解決するという問題とは考えられないと思うのです。それをコンピューターという言葉で出したのでは、マスプロの問題が盛んに問われているところにコンピューターの問題をお出しになったので、非常に気になったわけでございますけれども、谷田先生、コンピューターの問題をいまからお考えになっていて、それはどういう応用問題を持とうと思っていらっしゃるのですか。それについてお答えください。

谷田閲次お茶の水女子大学学長

○参考人(谷田閲次君) コンピューターということは、先ほどから申しましたように、居住地受験、つまり受験者がそれぞれの居住地で受験できる、最寄りのところで受験できるという条件、それから現在の数で抑えましても、国立大学受験希望者は三十万を超えるであろうというような条件、しかもある限られた日数のうちにそれについての各大学への報告をなさねばならない、そういうことを踏まえまして大量な答案の処置をしなければならないということがあります。そのために実は初めの説明の中にも、時間がありませんでしたので余り詳しく触れられませんでしたけれども、どのようにしてよき問題をつくり得るかということがこの二年間の十二の各科目に分かれました専門委員会の課題であったわけでございまして、そこでそういった大量の試験に応ずるためにはマークシート方式によって進めざるを得ないだろう。しかし、これが機械的なマル・バツ方式というようなものに落ちてしまわないためにはどういう可能性があるかということで、この実際の調査研究の中におきましては、従来筆答、つまり普通に書きまして答えを出す、そういう筆答によればこれは比較的よい問題だと考えられてきているような、これはもう毎年大学の入試問題については高校側などからもそれについての批判等が出ておりますから、そういうものを参考にいたしまして、従来よい問題だとされたようなものにつきまして、それをそういったマークシート方式にどこまで合わせることができるかというような研究も事細かにいたしました。これは各科目にやっているわけです。それからまた、そういう前提条件の中で新たに問題をつくるということも試みました。それらによって標準問題というものを一応四十八年度に各科目にわたってつくりました。これを各科目ごとに高校の先生方にモニターをお願いして評価していただいたわけであります。このときのモニターの結果は、これは科目によりまして、たとえば数学と語学、あるいは国文、社会科と、いろいろ各科目によっての相違はありますけれども、もちろん限界はある限界があるということを否定できませんが、高校における学習の達成度を評価するという点においてはかなりそのモニターの結果はよい結果が出たというふうに受け取っております。  さらにそれを四十九年度実地研究等もいたしまして、マークシート方式によるとはいえ、どこまでよい問題ができるかということで研究を続けているわけであります。その方式によります四十九年度の実地研究の全国にわたっての試験、高校側の協力を得ましてやりました実地試験の問題についても、おおむねその問題の到達していますところを評価されているというふうに私どもは受け取っております。ただ、なお細部につきましては今後本報告を提出して高校等のいろいろ御批判も受けたいと思っております。  そういうわけでありまして、決して機械的に、たとえば処理を簡単にするために機械化するとか何とかという、そうしてその点、機械化であるからこうなるんだというふうなことではなくて、それぞれの各科目の専門委員会とそれからコンピューター自身についての専門委員会、つまり御承知のように、コンピューター処理というものも全く日進月歩でありまして、どこまでそれが新しい方式になじませ得るかということは研究の問題、つまり常に進んでいる問題でありますからその両者が互いに、科目別の研究者とそれからコンピューター自身の研究者、この間の関係を非常に緊密にいたしまして改良に努めていくということでありまして、決して単純に考えているわけではないということを御承知願いたいと思います。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) この際、東参考人に申し上げます。予定の時間が参りましたから御退席になって結構でございます。本日はまことにありがとうございました。  質問は時間がございませんので簡単にお願いします。

鈴木美枝子日本社会党

○鈴木美枝子君 いまのコンピューターのことを非常に危険に思ったのは、高校の成田先生と学長さんと話がうまくなかなかつかないのに、コンピューターによって研究する、先取りをしようとしている感じがあるので、私はもっと大事なことを先にやっていただきたいということを言うためにコンピューターの例を引きました。いま共通テストの問題でも、五十三年度を期待しつつと成田さんはおっしゃいました。そういうことに対する種極的な協力を進めて入試の問題を解決する方向が大事なんであって、コンピューターによって大学株式会社をつくるような傾向を持ったら、日本の大多数の大学へ行く父兄の人たちの生活能力というものを考えましたら、今度やっぱり三倍に月謝が上がっていく中で、コンピューターやそれからさっき先生がおっしゃいました高校の先生方のモニターだけでは済まされないんですね。もっと最初の大事なことを話し合っていただきたいと思うんです。そして、いま先生がおっしゃいましたように、共通テストを五十三年度と言わないまでも、もう一年間の間に解決する道を双方で組み立てていくという段階をおつくりになるということを早急にしなければならないことだと私は思うんです。コンピューターと言って、私はものすごい危険なものを感じたわけですよ。入試と同時に、月謝が三倍に上がっているということ、そして、そのことと同時に、日本じゅうの、九〇%の者が大学へ行く、その父兄がどのぐらいの生活費を持っているかという問題を含めて試験というものを考えていかなければいけないんじゃないか、こういうふうに思いました。時間がないのでこれだけで終わっておきます。

有田一寿自由民主党

○有田一寿君 相磯先生にお伺いしますが、一次共通テストのあとで二次テストを国大協の方はやられるのかどうかまずお聞かせいただきたい。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) 先ほど私も申し上げましたように、第一次テストと第二次テストとを組み合わせて入試選抜の総合判定資料にしようという考えでございまして、第二次テストをやるつもりでございます。ただし、どういう二次テストをやるのかということにつきましては、どういう一次テストをやるのかということが決まりませんというと、どういう第二次テストをやるということによって組み合わせ、総合的な判定がうまくできるかということがございますので、もちろん先ほどからどなたからも御意見が出ましたように、一次テストをやって二次テストをやって、そしてそれが二重の負担になって受験生にとっては大変過重な負担を強いることになるのではないかということがございまして、そのことにつきましては私どもずいぶん最初から問題にしておるわけでございますが、二重負担あるいは過重負担ということは、丁寧に入試をやりますれば、一次をやり二次をやり、その二次にいろいろの小論文あるいは面接、いろいろなものをまぜてやりますれば、それは形の上では二重負担であり三重負担であるということにもとれないこともないわけですね。ところが、私どもは、それはそういう意味での合理的な念を入れた試験をやるためならば、二重負担であり三重負担であるという形になっても過重負担にはならないであろう、少なくとも、過重負担にならないような念を入れた試験をやるために一次をやり二次をやる、お互いに一次で足らないところを二次で補うと、そういう意味で一次、二次ということで二次を考えております。

有田一寿自由民主党

○有田一寿君 先ほどからずっと御意見を伺っておりまして、やはりそれぞれの立場立場でずいぶんと、いわゆる入試の背景をなすものの解釈も違えばその技術的な方法論についてもまた違う。しかも、それぞれ教養のある諸先生ですから、その表現はまことに私は理屈にかなっていると思うわけですが、しかし結果的には大きな隔たりがある。入試という問題は私は万能薬はないと、十人が十人満足するということは人間の世界であり得ない。第一、人間が人間を裁くわけですから、裁判なら二審、三審、最高裁までありますけれども、入学試験は一遍限り、ここら辺で私は万能薬はないということはよくわかります。しかし、国大協——大学といっていいんだと思いますが、もっといえば、私はこの問題は一口で突き詰めれば、国大協の御認識とやはり今後の姿勢、割り切り方いかんにかかっていると一言で言ってもいいんではないかという気さえするわけでございます。ということは、この大学紛争のとき以来考えてみましても、今度、一次試験、二次試験をやるということについて、その二次試験の内容についていま御説明ありましたけれども、非常に不安を持っておるから私は言うわけですが、大学紛争のときあのとき大学改革案というものがずいぶん出ました。閉鎖性を打破する、大学相互間の人事交流を行うべきである、あるいは単位の互換性、産学合同のいわゆる共同研究を行うべきである、その他これはずいぶんたくさんありました。たとえば、大学教授の第三者機関による審査だとか、五年ごとの契約性だとか、また出た改革案も十数種類ございます。私ども拝見しておりますが、何にも行われていない。だから大学の自主性、教授会のいわゆる最高意思決定、そういうことは一面から言えば大学の自主性でありましょうけれども、しかし反面から見れば、これだけ国民の悲願を目の前にしておられて、私はよほどの割り切り方をなさらないと、この入試に対しては改善案は結局実を結ばないという非常な危惧を持つわけでございまして、それが危惧に終われば幸いだと思うわけでございます。それからまた、いろいろそれぞれの立場立場でみんな責任はない、仮にあると言葉でおっしゃっても、それぞれ文部省が悪い、これは国立大学が悪い、いや父兄が教育ママ過ぎるんだ、あるいは週刊誌も悪い、それから医学教育についても、こういう高い入学料を取らなきゃならないという社会に罪がある。これは全部他の責任でしょうけれども、裏返して言えば、みんなお互いの責任ではないか、私はまた言ってもいいんじゃないかと思うわけでございます。  ここでお尋ねしますが、私はいま入試の問題を考えるについて教科課程が精選されなければこなせないということがいつも指摘されます。しかしながら、これは教科課程の編成そのものにも責任はありましょうが、その教師自体の方の力とそれから教育に対する熱意、この問題はわりに議論されませんけれども、私はそれも大いにあるというふうに考えるわけでございまして、これは後で成田先生にお答えをいただきたいと思います。それからなお大学の教育についてでございますが、これだけたくさんの大学ができた、しかもさっき日教組の槇枝委員長は地域総合大学というものを提唱しております。これが困難なことはよく私どももわかりますが、しかし、そういうふうに大学の数をふやす、もっと言えば全入が一番望ましいんだということ、しかし、そうなったとき、大学の先生はどうして確保できるか、私はとてもそれはできないんじゃないかということでございます。ということは、いまは平均児教育、何でも平均が一番いい。天才教育は否定される。だれが弱者を引き上げるのかといえば、ある意味の私は強者だと思うのです。それをどういうふうに教育界では考えるか。大学の教授も一つのリーダーでしょうけれども、どこでそのすぐれた知能というものを伸ばして、このどんどんふえていく大学に対してこたえようとしていくか。これもひとつ私はお尋ねをしなければならない。  それから、東大解体論という言葉も出ましたが、大学の格差というものは後百年か二百年は私はなくならないと思うんですよ。そういうことをこの場で私が言うのは不遜ですけれども、やはり自由主義社会というものを維持しようという基本に立っておる限りは、やはりある意味の格差、もっと言えば個性化、これを否定して全部一律にするということはナンセンスだ、私はできないと思う。東大も解体せよということで、これは何年か前にやはりOECDの調査が来たときに、フランスのフォール文相なんかも来たときに集まりがありまして、その席でも、東大が早く言えば諸悪の根源である、日本の教育を乱している、これはない方がいいという意味の発言がありましたけれども、冗談じゃない、フランスではちゃんと、日本よりももっとはるかに激しい格差で大学教育は行われているというようなことでございます。したがって、私がここで具体的なことをこれから突っ込んでお尋ねいたしますが、まずひとつ、入試で能力を試そうとなさるのか、努力点を見ようとするのか。いずれもであろうとは思いますが、私は、たとえば内申書の場合、三年間の成長記録というもの、そうすると、鼻うたまじりでおって東大にでも通るという生徒もおりましょう。しかしながら、一生懸命に勉強して逐次伸びていった子供もおるでしょう。それは、その努力点をどういうふうに買おうとなさるのか。それとも能力一本やりでコンピュータシステムでいこうとなさるのか。これはやはり教育の私は今後の基本に関することだと思うのです。そういうことで、何を言いたいんだと言えば、私は、価値観は多様化していると言われますけれども、国の未来のビジョン、日本がどういう方向に進んでいくんだということを考えないといけない時期に戦後三十年たって来ているんじゃないか。したがって、入試問題もこの路線の中で考えられていかなきゃならないんじゃないか。それにしては、私は国大協の諸先生方はよほどのこれは勇気をもって取り組んでいただかないと非常にむずかしいと思うんです。それはいかがでしょう。相磯先生、お願いいたします。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) 私どもは、共通テストということにつきまして、比較的歯切れの悪い発言をいたしております。このことは、最初から申し上げておりますように、また、先生から御指摘いただきましたように、大学、特に国立大学というものはいろいろ、教授会その他管理組織というものの中で意見が多様に出てまいりますので——それから何よりも、自分たちの入学試験は自分たちで考えて、そして一つの案をつくって自分たちの責任においてやりたいと、もちろんその相談することにつきましては関係の高等学校、私立大学と十分に連携をとらなきゃいけませんけれども、国がこういう方針でやれと言うからそうやるんだということでは、実際に自分たちの力が出ないものですから、それで自分たちがお互いに十分合意して、それからやるんならやろうじゃないかということを今度実は決心をしたわけです。そういう意味で、まだその過程にあるものですから、きわめて歯切れの悪いことしか申し上げられないのは残念でございますけれども、もう少し私どもの間の議論が進みますれば、どうするのかということに対してお答えできるような段階になるであろう、あるいはしたいと考えております。  それから、能力の問題、これはもちろんそれぞれの大学で自分たちの望む能力を持った生徒に入ってもらいたいという希望はございますけれども、しかしながら、それぞれの大学がまた過度の期待を持って頭のいい子供だけを集めようというようなつもりも毛頭ないわけです。たとえば、私どもが二次試験をやるというときに、これは足切りという言葉が大変響きの悪い言葉なんですけれども、丁寧に、単にペーパーテストでもって点数をたくさん取った者だけを上から順にとるということではなくって、私は医学出身でございますから、医学部で医学部の学生の選抜をしようとするときに、得点から申しますと非常にできるのがいるわけですね。こういうのをいままでとってきましたけれども、それが果たして社会に本当に役に立ついい医者になる者を選んでおるかどうかということになりますと、若干の疑問もなきを得ないわけですね。そこで、ある能力の範囲内でいい医者になる人をとりたいという願望があるんです。そういうことができるような入試のやり方もしたいんだと、それには第一次でやって、それから数を少し少なくして丹念にその人たちの中からだれをとってもよろしい、自分たちが見ていい医者になれるであろうという人を選びたい。そういう意味におきまして、単に能力主義というようなことを考えているわけでは毛頭ございません。ただそれが、間違いなく自分たちの期待に沿えるような生徒を集めたいという願望が行き過ぎないようにということの警戒は十分にしておるつもりでございます。

有田一寿自由民主党

○有田一寿君 仮に入試をやさしくするというか、その技術的方法でなく、数が多く入ればそれに比例してやさしくなるわけですが、いま三十数%、同世代年齢の青年の中で大学に入っているとすれば、これがやがて五〇%、六〇%、になるということも将来考えられると思いますし、国民の声もそれが強いわけですが、そのときはバスの運転手もパチンコ屋の受付のボーイさんも女店員も、それは大学卒であるという時代が来るかもわかりませんが、そういうことになったときに、それはそれでいいじゃないか、教育水準の向上だ、学歴と学力が伴わなくてもそれもいいんだ。要は、荒っぽく言えば、全部日本の教育水準の向上ではないかという声もございます。それは御承知と思います。ただ、そのときに、日本の知的エネルギーというものを考えたとき、九十数%、諸外国に資源を仰ぎ、刻苦勉励しなければなかなか日本の国が立ち行かないというような、この日本の置かれた実情から見て、エネルギーのむだではないか。それはやればいいだろうけれども、そういう甘いことを考えているときではないのではないか。言いかえれば、日本の未来像は、大学卒はどれくらいがいいんだ、あるいは先ほどお話の出た職業課程を終えた者がこの程度が労働に従事することが望ましいであろうというような、未来社会のやはりビジョンというものがそろそろはっきり追求されなければ、ただ大学に入ればいい、高校へ入れればいいというだけでは私は片がつかない時代がもうすでに来始めた。そして一方、選抜によって、そうではないと、やはり大学は大学教育を受けるにふさわしい者を選んでそれを教育すべきだという意見、これも非常に強うございます。そのときに考えられるのは、落ちる者が必ずおる。だからそのときすぐ自殺するようなことじゃ困る。だから高校では受験地獄だ何だと先生が言い、父兄が言い、もうあらゆる人が地獄だ地獄だと言う。私はそういうことを余り言うべきではないと、全部通すんならいいですよ、落ちる者がおるんですから。落ちても浪人しても、あるいは二番目に希望した学校に入ってもたくましく生きていくんだと、そこで自分の個性を生かすんだと、そういう精神教育を高校中学段階では私は大いにやるべきではないか。それが余りなされていないんではないか。みんなが地獄だ地獄だと言う。だから結局、意思が弱いから自殺するというようなことになると思いますので、いま大変私は、もう矛盾に矛盾をはらんでいる。だからここでひとつはっきりと、全部かなわないまでも、大学も高校も、あるいはみんな心ある人が何かそこに一つの目標を決めて、こういうふうでやっていく、地獄ではないんだと言えるような確固たる考えがないと、価値観の多様化だという名前のもとに余りに甘えの構造が定着し過ぎている。  それから先生方の御意見もですが、今度はやはり国民教育会議というようなものを設定して父母の代表あるいは宗教人もいいでしょうし、労働者の代表もいいでしょう、何人か集まって、これを一年二年三年と国民の目の前で、私はテレビの前などで徹底的に皆で話し合い、議論していく。それを見てれば、日本人はちゃんと義務教育も徹底してますからよくわかると思う。言い回しは下手でもこの人の言うことは真実味があるようだということがわかると思うので、私は国民の目の前で、この入試の問題というのは大いに議論される必要があるのではないか、今度のこの一次共通テストその他と並行して。そういう時期にこれも来ているんではないかという感じがいたします。成田先生のそこら辺についての高校教育なり、いまの最後の私のこの私案のようなものについての御批判をいただきたいと思います。いかがでしょう。

成田喜澄都立青山高等学校校長

○参考人(成田喜澄君) 大変むずかしい御質問をちょうだいいたしまして、どういうぐあいにお答えしたらいいかと存じますが、いま世界じゅうで私は高等教育の問題と後期中等教育との関係の問題は非常にむずかしい段階に来ておる。日本の学校制度は、御承知のように、西欧型のもので出発して、戦後単線型の教育制度になったと。ヨーロッパの場合だと大学行こうというのがせいぜい一三・四%ぐらいのところ。そうすると、これは例のバカロレアその他でもすぐ受かった者は行ける、日本みたいなところでそういうことをやっていたらどういうことになるか。現にアメリカ自身だって困っています。そして日本のは大変悪いことには入ったらみんな卒業させてしまう。これはこの間も私のところのPTAの会長に、私、今度こういうところに行くんだがあなた何か意見がないかと言ったら、先生、物理学校方式のようなものができたらいいと思うんですがねということを言うんですよ。それはわかるけれども、あなた、物理学校というのは大変だよと、非常にあれは学生の人数も少なくて、そして教育がきっちり行われているからできるのであって、いまのようなマスプロで放送してやるような形の大学の中で、そんなことを要求したって、第一先生にそれだけ能力がありゃせん。とてもだから見込みはないです。そういう点で、逆に松下さんなんかが大学を半分つぶしちゃったらいいじゃないかという意見なんか出るというのも私はもっともだと思う点がございます、率直に言って。実際本当に、大学教育の名前に値するだけのものが大学でいま行われているのかどうか。これは「学校は死んだ」の中で川上さんがおもしろいこと書いておりますけれども、そういう非常にたくさんの問題がいまの大学の問題にある。世界の中で、私もきょうもある人に聞いたんですが、相当外国回った人たちなどが日本の高等学校の教育というのはある程度のレベルまでいっていると。ところが、大学の教育は残念ながら世界の位置より大分低いんじゃないか、そういう問題について言うと、たとえば大学の前期の教育というのは役に立っているのかどうか。大学紛争というような問題は、高等学校でやったと同じようなことを大学の二年間ぼやぼややっている、そういうことの問題が現実にある。そういう弊を、失礼だけれども、短期大学までが、二年間の中で一年だけは一般教養だと、役に立つんだったらはるかに各種学校の方が役に立つ、そういう大学をつくっていってしまう。実はこんなことを申し上げるのも口幅ったいようですが、高等教育懇談会の中で、四十八年の答申の中には、将来の目標として四〇%を高等教育にしたいんだというのを出して、それがためにはどの地域にどの大学をつくったらいいというような地図をつくれと言うので、私もその小委員会の方に入っているんですが、本年度実は、いろいろ話し合ってみると、いまの時期に実は各種学校までひっくるめると五〇%以上のものが入っているんです、中学校、高等学校卒業資格で五〇%以上の者が入っている。そのときにさらにつくって、一体どういうことになるのか。その大学が本当に国民からも安心され、意義があるならいいけれども、一種の遊水地みたいな大学をつくって、そこでむだなエネルギーを使わせて一体意味があるのかどうか。それをただ機械的にふやしていくというようなことについてもう一遍反省する必要があるんじゃないですかというような御意見が私などばかりじゃなく、そのほかの方々から出ましてもう一遍御破算にして、大学高等教育のあり方を考えにゃいかぬと。しかもいけないのは、大学院大学をつくるようなものから、下は失礼だけれども、高等学校に毛も生えてないような組織のものまで一律高等教育で論じているという、早く言えばノンセンスですね。そういうことではどうしようもない。そして一体本当の大学教育にたえられる人間の能力というのは調査してみた結果IQではどのくらいの者が大学教育にたえられるのだと、残念ながら日本には教育課程の問題だろうが、こういう問題だろうが一つも現実的なデータがないんです。こういう教科内容、教育課程に対して、どれだけの実はパーセンテージのものがわかって、どうなっているのだというデータ何にもなし。そういう何にもないところで教育課程の改定が論じられて、高等学校をもとにしてやれと言ったって、どこにどのデータがあるか、そういう状態の中で日本の教育が行われているわけです。そしてただ、スプートニクが上がったから集合の論理を下に持ってこようとか、いろんなことががたがたがたがた行われるからどうしようもない。ただ、むやみやたらに単線型だから高等学校まで行かにゃならぬ。精薄の子供も高等学校と言うんです。そうすると、これは高等学校というふうなものが精薄の子供にたえられる教育課程にするためには小学校の教育課程でもしようがないと思う。そうしたら能力のある子供は一体どうするのだ。教育基本法にある能力に応じてという考え方は一体どういうことになるのか。私はいま率直に言って、失礼だけれども、日本の教育の考え方は一種の福祉社会というか、学校は福祉施設である。きのうも私はうちの定時制の子供の終業式にそう言ったんだけれども、うっかりすると学校というものを共同便所やお米の配給所と間違えているのじゃないか。ある一定の者だけだったらどこへでも入れるんですよ、それが一番望ましい形のものだと、こういう言い方で物を考えたら、真っ当に教育を考え、たとえば定時制の子供が真剣になって眠い目をこすっても勉強しようというときに、ただ、何でもいいから一定の年齢まで抑えて入れておきゃいいのだと、それが日本の教育の民主化であり、教育がプラスになったなんという、そういうのどかな考え方をされていたのではたまらないと思う。現にいま高等学校はそのために実は非常に困っているわけです。非常にIQの低い子から高い者まで全部同じ課程の中で入れろ、やれ、そんなことどんな人でもできっこないですよ。それをやれというわけです。それをやれって、どういうことかというといいかげんでいいということですよ。こういう形にすべてなりかけているので、私は本当にこれはもう保守とか革新とか問わず、日本の教育の将来のためにもっと真剣にデータの実証的なものに基づいて、しかも、世界の教育との対比を考えながら、私は教育課程の問題を決めるべきであるし、こういう大学入試の問題も考えるべきだと思うんです。そんな簡単に大学入試の問題が、これこれつくっちゃえばうまくいくなんて絶対になりっこないと思うんです。そういう点で、まことに有田先生の御質問に対するお答えにならぬと思いますけれども、高等学校の校長会としては、今年度の校長会では、一体生徒激増に対応する高校教育はどうあるべきかということを主要テーマにして、ボケーショナルの問題、その他等もひっくるめて検討して、もしすぐれた意見がまとまるようでしたら、これはとても一年やそこらでまとまらないと思いますけれども、そういう点について、広く皆様方にアピールして御賛成をいただくようにいたしたいと思っております。

最上進自由民主党

○最上進君 相磯先生にお伺いいたしますけれども、午前中に槇枝参考人から入試問題意見陳述骨子が提出されましたが、その説明の中で、第一番には入試地獄の原因として三つ挙げられております。第二番目に入試競争の弊害として、一番に学校教育をゆがめている。第二番目に家庭生活をゆがめている。第三番目に人間性をゆがめているという御指摘がございますけれども、この入試競争の弊害というものだけがここに明らかにされておりますけれども、この競争、いわゆる入試も一つの競争でありますけれども、この入試競争のいい面というもの、人間にとって基本的に入試競争のいい面が当然あると思いますけれども、この点はどのようにお考えになりますか。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) 御質問の現行制度の入試のあり方がいいか悪いかということと、それから、本来選抜試験というものがいいか悪いかということと多少違いがあるかと思いますけれども、現行の方法を基礎にして申しますというと、大学の入試が教育全体を荒廃させている元凶であるということにつきましては、結果として、そういうことにつながるんだという意味でならばあるいはそういう面があるかもしれませんけれども、もともと元凶であるために、そういうあれが結果が出るんだということではないかと思います。やはりたくさんの青年が大学を志して、そうしてその中から数の上でどうしても選抜をせざるを得ないという現実があります以上は、最も望ましい方法によって選抜試験をやるんだということは、これは当然のことだと私は思っております。その際に、最初に私が申し上げましたように、受験生はもちろん、高等学校の先生も、それから一般社会の方々も、合格した、不合格になったということについて、何か不合理で不公正な点があるんじゃないかというような疑いが少しでもありますような制度というのは基本的に悪いんだと思うんです。そういう意味で、いま行われている入試制度というのは悪い面もいままでたくさん御指摘になったようにございますけれども、いい面というならば、正々堂々と争って、そうして勝ったのと負けたのという言葉——入ったのと入らないのということですね、入らないものは点が取れなかったんだというような、ある種のいさぎよさと申しますか、社会的なある意味での公正さというものはあるんで、これは社会の中である意味ではどこからも文句のつけようがないというような点があると思うんです。私どもが入試制度を改善する場合に一番気をつけなきゃならないのは、そういうような点を無視して、そういうような点を改悪して、それによって新しくできた制度に対して、すべての方が不安を持ち、不信感を持つというような形に変えることがないようにということを常に念願しているわけです。そういう点におけるよさというか、必要性という意味を十分認識して、そこを一つの拠点にして実は考えてほしいという点はございます。

最上進自由民主党

○最上進君 先般来、東大解体論などという意見も出ておりますけれども、有田委員が御指摘のとおり、私は、先ほど来いろいろ意見を聞いておりまして、特にこの骨子を見ておりますと、平均児教育というものの中に流されていくということを非常に懸念しているものです。特に私は、いま私に対して、東大を出た人が君は偉いと思うかどうかという質問があれば、私は偉いと思うというお答えをしたいと思います。それは人間性がすばらしいとか何とかという問題でなくて、少なくとも東大に入るために普通の子であれば七時にテレビを見て御飯を食べてすぐ寝る、あるいは十時に寝る。そういう子供たちのいる中で、少なくとも十二時、一時、二時まで自分の意思で努力をする、あるいは朝は七時、八時まで寝ている子供たちの中で五時に起きて勉強をする。私は人間としてこの努力をするという精神というものは非常に貴重なものであるというように考えているわけです。そういう意味で、努力をする人間が少なくとも努力をしない人間よりは報われるという一つの考え方というものが社会になければまさに私は努力する人間が減っていく、これはわが国にとって非常に不幸なことであるというふうに考えているわけでございますけれども、その点、どのようにこの骨子等をごらんになってお感じでございましょうか。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) おっしゃるとおりだと思います。ただ、東大をしばしば例に挙げるわけでございますけれども、私は日本のこの高等教育の制度が旧帝大をピークとして、余りにも高い峰があってあとがずっと平野であるような形は、少数のエリート教育ということで済んだ時代はよかったと思いますけれども、いまはそういうんではなくて、もっと平原といいますか、高原があって、その高原の中に少しずつ高いピークの峰があってもよろしいんですけれども、もっと広い高原があることが望ましい。それには、大学の格差ということにもつながりますけれども、私の私見でございますけれども、せっかく、昭和二十四年から新制大学をつくりまして、各府県に当時いわゆる駅弁大学、タコの足大学と言われておる地方大学をもう少し拡充強化して、それが全部そろって一つの高原になると、そうして広いエリートという意味をもっと薄めて、そして、しかもかなり高い水準の相当な人たちを教育するというようなふうの、公立大学だけについて申し上げているわけですけれども、そういうような国の方針で即存の地方総合大学を拡充強化していただくということによって余りにも東大的なるものをもう少しマイルドなものにしていただくというようなことで格差なるものをも多少とも少なくしていって、しかも、必要なる人材は養成し得るんだというような厚い層、そういうものを考えなきゃならないような状況があるのではないか。つまり、昔は能力があったけれども大学には行かなかったという人がかなりあった。いまは能力があれば大学に行けるわけですから、したがって、能力というのはあらゆる意味で選別されているんですから、十分高原をつくれるだけのものがあるわけです。そういうふうに私は考えておるのです。お答えになったかどうかわかりませんけれども。

矢原秀男公明党

○矢原秀男君 ちょうど東参考人にお尋ねしたいと思っておりましたが、帰られましたので、成田参考人、よろしくお願いいたします。  実は五年前に私、灘高校の、いまはやめられましたが、トップの先生とお話をしましたときに、東大にあなたのところでは非常に努力をされていらっしゃいますが、そういう勉強方法を聞かしていただきたい、こういうことで私お尋ねをしましたら、返ってきた言葉が、あのような学校はつぶしたらいいんですわ、ああいうのが日本の国でどんどんふえ出すと大変なことになるんですと言う。私は、能あるタカはつめを隠すで、謙遜されて、自分の学校をそういうふうに謙遜されたのかと思ったわけですが、一面どうしてでしょうかとお話を伺いますと、一人の生徒が病気になると、あ、一人競争相手が少なくなったというので喜んでいる。人が病気になる、亡くなる、そういうことになれば悲しんだり、そうして同情するのではなしに、ああ競争相手が少なくなったと言って喜んでいる。こういう一面性も全部ではないですけれども、一面性もあるからもうこういう状態はやめなくてはならない、こういうお話があったわけでございます。  そこで、入試競争の弊害としていま申し上げておるわけでございますが、人間性をゆがめている一面性、排他的エゴの一面を見るわけでございます。また二番目には、学校の教育というものがやはり一面ではゆがんでいるのではないか。この前の新聞見ておりますと、東大第一位がまた灘高校、こういうふうになっておりますので、灘だけではなしに全体的な有名校の一面性の中にこういうものが含まれていく、そういうことになれば、日本の歴史の中でやはりそういう指導的な階層に立たれたときに教育が国民のために社会のために世界のために平和という立場の中で真心尽くしていかなくてはならないときに、自分の権力欲、そういうふうないろんなものだけが重なってくれば、やはり現在の日本のような、一部に見られるような弊害というものがやってくるのではないか、こういういろんな形のものを心配するわけでございます。ですから、そういう一面の立場の中で、成田参考人さんにその面についてのまたお話を伺いたいと思います。  時間がございませんので、ずっとまず私の方でしゃべってまいりますが、それから相磯参考人の方にお願いしたいと思うんですが、国立大学入試時期、この一本化に関してはいまお話等がありましたので、大体の予測と実施時期というものは私なりにつかんでおります。ここで問題点となっておりますのは、現行の一期、二期制についてはもう二十数年間継続の中で、利点もあったけれども問題点も皆さん方の中で挙げられております。その一点が、現行の一期校、二期校においての法学部を初めとする文学部、教育、医、理、薬、歯学部など、こういう著しい片寄りのものがやはりこの実施によって早急に解決できるかどうか、この具体的なめどですね。まあその他には、いま都道府県にございます医大の問題でございますが、確かに地域性という立場から見ると、皆さん方が御心配のような医師の分散というものが現行のままであればやはり過大数が非常にへんぱなものになって、地域にもたらすそういう入学の率というもののやはり低下の傾向があったわけでございますが、この点についても具体的に、もし、こういうふうに絵を描いているんだ、だから一本化になればもう問題なしによくなっていく、こういうふうなことがございましたらお話をお願いしたいと思います。  そしてもう一つお願いしたいのは、東大の相磯先生にお願いしたいんでございますが、入試地獄の原因の一つとしての旧七帝大の一般大学を廃止してこれは総合大学に拡充、そして連合の大学院も設立する。まあ旧七帝大の一般大学の方は廃止をする。いま先生のお話をちょっとだけお伺いをしたのでございますけれども、もう一度その点を、先生は、どうしたらいいのか、こういう点をもう一回お伺いしたいと思います。  それから、石川先生、ちょっとお願いしたいんでございますが、私学の補助については、私たちも現在の日本のそういう占める位置から見まして、もっとやらなくてはならないと思っております。反面、先生お話ございました医科大学一つをとりましても非常に巨大な入学金、早くいえばお金のある家庭の子供さんしか行けない。そうしたら、今度はそういうお金で解決をした子供さんというのは、もちろん能力があるからでございますが、能力プラスお金という面になりますと、いま新聞紙上で問題が出ておりますように、社会で開業したときにお金ですべてが解決するという、そういうふうな一部のやはり方も出てくるわけでございます。そういう中で、石川先生の方では、この点は学校で非常に注意をして模範的にやっていらっしゃる、こういうふうに言われておりますので私も喜んでおりますが、先生も私立の大学協会の立場からきょうお願いしたいんでございますが、いまある地域では医大に入るためにその御父兄が学校と関係をされながら後援会組織をつくって——選挙じゃないんですけれども、高校のときには五百万円、それからだんだん積み立てしながら一千万、二千万と、そういうふうにして大概そういうふうな方々の御子弟が入学をされているという学校も見られるというようなうわさも聞いているわけでございます。こういうふうな点はやはり早くなくして、国庫補助という形でやはり学士を育てていかなくちゃいけない、こういうふうに考えているわけでございますが、将来の医科大学のあり方、こういう入学金等も含めて少しお話をいただければと思っております。  最後でございますが、私は、この大学入試の改善については、現況の対策と抜本的な対策の二面性があると思っております。根本的な解決策はやはり教育が何のためにあるのか、こういうことを考えますと、健全な英知の結集というものが、国民のためにはもちろんでございますけれども、小さくなった世界の国々の中にやはり平和というものを基点としてもたらしていくものがなくてはならないと思っているわけです。そうなっていきますと、現況見ておりますと、抜本的には、いま現状の中で大学入試の一面性だけを考えても解決しないわけなんです。それは現在の社会というものがやはり世界観や日本の社会観考えていきましても、こういう高度経済成長、環境破壊、公害列島という中でこれはだれがやったんだといえば全部人間なんです。では、その人たちはどういう教育を受けたのかということになれば、日本のエリート階層だったんです。そうなってくると教育が一体だれのためにあるのか、国民のためか、社会のためなのか、それとも自分だけがよくなればいいのかという問題が、やはり価値観というものが再評価されなくちゃいけない、こういうことを考えますときに、私は現在の幼稚園が、小学校が、中学校が、高校が有名校入学のための新幹線大学のエゴだけに陥っている、こういう考え方をするわけでございます。ですから、私はやはりいまこそ社会の中には生命尊厳と人間性を大事にする、そういう教育観、こういうものが根底にないといけないなと思うわけでございます。そういう観点からいま御質問さしていただいたわけでございますが、よろしくお願いいたします。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) なるべく簡潔にお願いします。

成田喜澄都立青山高等学校校長

○参考人(成田喜澄君) どういうぐあいにお答えしたらよいのでございましょうか。いま先生最後のところで御結論をおっしゃっていらっしゃるように思うのですよ。ですからね、私の方から申し上げることも多分ないんじゃないかと思います。  灘のお話が出ました。私は一般的に申しましてね、いわゆる有名校と称するものがものすごい競争でまるで相手をぶち殺して食うような話がございますけれども、これは経験のある者はおわかりだと思いますけれども、そういうことは、実際はないと思うのですね。大体、東京大学なら東京大学に入るますは決まっております。そうすると、そこへ入る子供がこっちにいたのがあっちへ行ったというだけのことなんです。たとえば東京で日比谷高校から少なくなったから大変な騒ぎだということがよく新聞なんかに出ますけれども、あれはあの子供たちが教駒に行ったり、そのほかへ変わって入っているわけです、麻布に行ったりと。そういう形だけのもので、入るのはある程度決まっているのですよ。そして案外のんびり勉強していてね。私のところなんかそれほどえらそうなことは言えませんけれども、あれでもやっぱり公立高校としては三番目か四番目ぐらいのところにいるのですよね。見ておりますと、たとえばきょうも生徒にほめてやった。ことし私は授業を大事にしようということを生徒に言った。先生もしっかりやってくれ。授業を大事にしろよ。そうしますと、現役の子供の方が浪人よりも余分に入れたというのは、私は特別に先生方がどうこう指導したというよりは、よくおまえ入ったなというようなのがいるわけですね、見ていると。ですからいまのある程度の能力のある子供に教育課程をがちっと教えてやると実は入れるわけですよ。入試地獄というのは早くいうと初めから見込みがないのがどうしてもそこへ何とかして、金を使ってでも何でも入ろうというところにそれが出てくるわけで、大体それこそ能力に応じれば試験地獄じゃないんですね。だからいまの子供は案外あっけらかんとしていますよ。ただ、何となく駿台予備校やその他等でも、やっぱり大人の考えるほどあの子供たちの方はそれほど深刻でないというのか、どうもいまの子供たちはそれなりになっていますね。どうも少しわれわれの方がセンチメンタルになり過ぎている。私のところで東大の文I入った子供が、この間一生懸命何だか知らぬけれども、机の上をふいているんです。一生懸命生徒会のことをやったりなんかして、おまえよく入ったなと言ったんですけども、そういうのが入っている。そして別に当人は、いや先生、でもぼくはやっぱり一日六時間ぐらいしかしませんでしたよというようなことを言っていましたけど、やっぱりある程度能力がある子は入るんです。ただ、能力がなくても何でも、親の意地なり、親が医者だから何とでもしなければならないとかという、そういうところに実は現実の問題がいろいろあるんじゃないか。どうも私は、前の日比谷のときなんかもそうだったと思いますけれども、そんなに子供たちが相手を敵視してどうなるということはない。いまむしろ心配なのは、あの五段階評価をきちっと決めてつけるために、あそこの3はこっちへもらえなくなっちゃって、それで行かれなくなったというようなところに、実は六三三と一貫したものを三三と分けたために起こる矛盾と私思いますけども、ほとんどの子供というのはもう大人になっているせいか、わりあいにあきらめも早いし、じゃ来年はこっちへ行こうというふうな形になっているんで、皆さんがおっしゃるほど現場を預かっているものは感じていない。  それから入学試験の問題がなくなっちゃえば非常に学校が全部よくなるかというと、たとえば失礼な話ですが、ボケーショナルな学校、これは入学試験の問題はほとんど何にもないんですよ。特殊な子供については進学コースがありますが、後は受験のあれがないんだから、高体連の運動でも何でもうんと一生懸命やったらいいんだ。ところが案外一生懸命やらないんだな、だからおかしなもんで、人間というのはある種の緊張感がないと、ただだらんとそこへ行って収容だけしているという形になりますと、案外でれっとしてしまう、こういうことはやっぱりその年ごろの子供の心理の状態と合わせてよく落ちついて考えてみないと、大人の考えるほど子供がそうでないということも、先生方にも御承知いただく必要があるんじゃないか。これはもっと具体的な実例その他等申し上げて、お話申し上げるといいんですが、本当に先生に申しわけないんですが、いまのどこをお答えしていいか、先生のおっしゃりたいことは、いまの最後の結論のところにあったと思うので、先生のおっしゃる点もまことにごもっともなんで、そういう点についても大いに考えたいと思います。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) 御質問の第一点の一本化の問題でございますが、実は、私どもも一本化の問題をかなり立ち入って研究してみました結果、いろいろのことがわかったわけでございますが、その一つに、二回のチャンスというのが必ずしも平等に受験生に二回のチャンスが与えられるわけではないんですね、結果としては。一期、二期を両方受けまして、そして両方とも入っちまう学生が多ければ多いほど、ボーダーラインにある人たちは入れないんです。入学の手続をするのがおくれますもんですから、本人がしないもんですから、そのまま大学の方は切ってしまう、そうするとそうでなければ入れた学生が入れないということがあるんですね。どちらか一つを早く選択しないために、権利をいつまでも保有しているために、そういうようなことで、二期制というのは見かけ上、二回のチャンスが平等に与えられているように思いますけれども、実際は能力のある学生にとって過度に有利なやり方であるというような点もわかってきたんです。そういうようなこともありますし、それから専門別の偏り、これは確かに私はいま資料を全部持っておりませんけれども、どちらかというと理科系の学部が多くって、人文系が全体として少ない。したがって、人文系についての地域的な隔たりがあると思います。そういう点は全体の中で是正しなければなりませんが、全部一期になることによって、そういう点も多少緩和されるようなことになるのではないかという感じを持っております。  それから医科大学の偏在ということでございますが、これはかつて偏在をしておりましたけれども、現在各都道府県に医科大学ができて、やがて全府県にできるという予定なそうでございますので、そういう意味では、一見平均化するように見えますけれども、実際はそうでないんです。実際には、そこで勉強した人がまた大都会に卒業してから集まるというようなことがあるために、実際幾らつくっても、平等に辺地まで医療が及ぶような医師の分布ができるかというと、いままでのようにほっておいたのではそうなりそうもないという心配はございます。  それから一つのこれも私の私見でございますけれども、日教組の御意見の中にもあると思うんですけども、その地域の大学に優先的に入学させるということ、このことは、全部入学させるなどということは、ちょっといろんな点で私ども無理だと思いますけれども、一つの県に医科大学ができれば、その県出身の生徒の一〇%なり二〇%なりを、しかも、能力のある者を優先的に何らかの方法で入学させるというようなことはもしできるならば、せっかく各府県にできるんですから、その県の生徒のために若干の開放をしてやるということはあってしかるべきじゃないかと思うわけですけども、実際には大変むずかしいことでございます。これも一本化しますというと、何よりも二期の医大の大学は喜びまして、平等に三十倍とか四十倍とかいったような数字上の試験地獄はなくなっていくと思います。  それから七帝大のことでございますけども、私は幸いにして帝国大学の出身でございません。したがって、帝国大学に対してはかつて敵がい心は持っておりましたけども、弁護するつもりは毛頭ございませんわけです。しかし先ほどどなたかの先生にも申し上げたと思いますけども、大学院大学にしてしまうということには、かなり疑問がある点もありますね。もし東大であれば関東一円あるいは南関東の国立大学の学部を足として広い、そしてその上に東京大学と言わなければ関東大学、大学院でもよろしゅうございますが、そういうような広い足を東大が持って、それがうまくできて、そうして大学院大学としてやれるようなことができれば、一つの方法であろうと思いますけども、東大がなかなかそういうことには賛成しないであろうと思います。  以上申し上げました。

石川正臣日本医科大学名誉学長

○参考人(石川正臣君) 私立大学の助成につきましてお骨折りいただきますことを感謝いたします。私立医科大学における経費が非常に膨大であるということが、卒業した暁においてその医者の態度にも影響しやしないかという御心配まことにごもっともと思います。その傾向がすでにあらわれておるように思います。どこか就職をするというときにまず尋ねるのは、幾ら報酬をくれるであろうかというようなことが真っ先に飛び出す質問であるということにおいて、私は非常に慨嘆をしておるようなわけです。昔は医師はお金のことなどを口にすることは恥だと思っておった。ところが、いま恥でも何でもない状態でございますので、私は機会のあるごとに物の価値につきまして、われわれ医師は二千四百年の昔ヒッポクラテスが生命至上主義を唱え、それが今日に至っても、あるいは今後においても絶対変わるものでないと確信をしておる、諸君は生命第一主義でなけりゃならぬと、そのためには自分を犠牲にしても、報酬を目当てに、自分の幸せを目当てにということでなしに、人のために全力を尽くすべきであると、真心を持って、人間愛を持って、思いやりの心を持って尽くしなさいというようなことを申しておるのでございますが、それがどれほどの効果があるかということが、近ごろ少々不安になっております。機会のあるごとに、これはもっともっと強調しなきゃならぬと、このように思っております。

内田善利公明党

○内田善利君 二問ほど関連で質問したいと思います。第一問は、能力か努力かという、先ほどから出ておった問題ですが、日本の教育は、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学と、大学受験を目指しての最後のゴールみたいな——受験学力というのは確かについておると思うんです。ですけれども、大学に入ってからの能力といいますか、これが問題じゃないかと思うんです。  それで第一点の国大、私大について、私の質問したいことは、入学学力と入学後の学力との関連性はどうなっているのか。それと関連いたしまして、新高等学校卒業生と浪人との入学後の学力の問題、これはどうなっているのか、これが第一点です。  それから第二点は、一回のテストあるいは高校の適性検査とか能研テスト等で、とにかく大学としては一回のテストで入学の合否を決めるわけですが、大学の入試について、アメリカでは入試事務部というのがあって、十人ないし十五人の方々が、教授会からも入っておられるようですが、もう全国あるいは当該区域を歩き回って、受験生とその入試事務部との職員とが接触を保ちながら、来年度の受験について話し合っていくと、そういうことで、一回の入試だけじゃなくて、その学校について、高等学校の状況については非常によく熟知している。また、受験生についてもよくわかっておるので、むしろ大学入試よりも、その学校の内申、調査書、あるいはクラブ活動、あるいはスポーツに秀でているかどうか、あるいはその他の活動状況をよく承知しておって、そういったことで、面接もやりますし、全人的な評価をして入学を決めておる。こういうことですが、現在のわが国では、入試事務については、受験の前にその委員会ができて、間に合わせにやっているのか、あるいはこういった部を恒常的に設けて入試事務についてはやっているのか、その点はどうなのか。この二つを質問したいと思うんです。

谷田閲次お茶の水女子大学学長

○参考人(谷田閲次君) ただいまのお話の第一点でございますが、従来とも、多くの大学で、いわゆる入学の追跡調査ということが行われております。これは入試成績と、それからたとえば調査書等と、それにおける成績と、入学後の成績ということについての追跡調査でありますが、専門的に言ってみますと、いろいろその間のまたほかの要素も入ってきまして、多くの追跡調査は、教養的な課程にある者を主としてその追跡が行われているようでありますが、どうも数字的に、これは必ずしも明確なものが出ているとは申せないように思います。大学によりましてかなりこれが違いもあります。ある場合には、むしろ調査書の方が相関が高いのではないかということも聞いておりますが、これは一、二の例として聞いておりますので、全体を通して、これを数字的にどうこうということはなかなか申せないんじゃないかと思います。  それに関連しまして、先ほどから申し上げております共通一次の試験のアイデアの中にも、そういうことによって第二次、つまり各大学個別の試験というものを従来よりきめの細かいものにしたいという考えが一つあるわけです。きめ細かいというのは、何も単に受験においていい点をとる学力を追求するのではなくて、もっとその人の適性、志望している学部、学科に対する適性というようなものを見る機会を与えるとか、現在のようにすべてを一回の試験でやってしまうのでは、とうてい、各大学で、そこまできめの細かい選抜は実際問題としてなかなかできない、そういうこともありまして、こういうことが行われますれば、いまお話しのようなこともさらに実を結んでくるのではないかと思うのであります。  それから第二のアドミッションオフィサーと申しますか、入学関係のスタッフの問題でありますが、私が先ほど初めの説明に申し上げました中で、根本的に大学と高校との相互信頼が必要であり、それには接触をもっと密にしなければならないということを、最後に私見としてつけ加えました。これは、そうして、そのときに申しましたのも、大学によっていろいろなケースがありまして、その大学を受験する者の来ます高校が、かなり限定された地域からでありますと、大学と高校との連携というものはわりにたやすくできる、現に非常に密接に行われている例もございます。しかし、非常に広範囲から受けに来るというような場合には、これは単にそういう大学側の現在の体制でそういう心がけを持っただけでは、なかなかできない。また、高校の側にもそういうものに対応する十分な姿勢があるとは言えないのじゃないかと。そうしますと、やはり御指摘のように、まあアメリカでは特にそういう点が早くから定着しておるようでございますが、入学関係のためのあるちゃんとした機構を持ちまして、大学側はそれを持ち、高校側でも進路の指導のためのカウンセラーというような方との間の密接な連携があって、そこで初めて非常にスムーズな両者の選択、つまり、受験生の側から大学を選ぶということと、大学の側から入学者を選ぶということが、非常に合理的に行われるようになる可能性があるんではなかろうか、こう思っております。  そして現状としましては、日本の国立大学でも、現在、まだ数があまり多いとは言えないんですが、入試のための、特に、現在では事務官でありますが、そういうスタッフをつけておりますけれども、これがさらに拡充されて、十分な陣容をもってそういう役割りを果たすようになることを、私どもも念願しております。  それから入試関係のことにつきまして、これは現在、国立大学の中の非常に多数の大学に恒常的な、つまり、入学試験を行うための臨時の組織でなくて、恒常的に入試について研究調査をしております研究委員会的なものは置かれておりまして、これが先ほどの追跡調査等などにも、そういう委員会が当たっておりますので、まあ一歩ずつすべての点で前進しつつあるというふうに私は思っております。

小巻敏雄日本共産党

○小巻敏雄君 午前中から参考人の御意見をお伺いしておったんですが、今日の病的なひとつの競争状況についての改善策として、大学入試を資格試験にするというような問題、これはそれだけではいきませんので、卒業というような考え方をやめてしまうこととか、いろいろあったわけですね。中にはそうならなくても、履歴書に書かなければ、ないと同じではないかという意見もあったんですけれども、そういうこと、人を採用するなり、結婚するなり、四年間もの間何をしておったのか明らかにしないで、文書に書かなければ済むというようなことになるのだろうか、末々の結果にだけ手をつけて、もとのところを直さなければどうなるんだろうかと。昔なぞは、医学の中でも、こう薬なんぞは大きな役割りを果たしておったのかもしれませんけれども、もう大体アイソトープで見るような時代に、そういうことを言っておったんでは——そういうような感じもするんです。特に、どうあるべきかということについて物を言うのはわりにやさしいことで、どうするのかというところから問題は深刻になってくるんです。  ぼくは、ちょうど四年前に、大阪で、高校入試制度の選抜のための審議委員というのを二年やったんですけれども、一年間ほとんど討論をして、問題は全日制普通課程の高等学校だけの格差是正ということを行った。全体の高校教育とどうかかわるかというような問題ですね。やっぱり私立高校の問題と職業課程の学校のあり方というようなものが抜きがたく結びついて出てきたわけです。一年かかってあわせて推進すべき施策と、そして学区制の問題というふうに出し二年目にようやく一定の結論を出したのですけれども、まだ実施をしておらぬわけです。こういう問題になる。今日の状況は、やはりかきかけたカンバスに色を塗り足して絵をかくようなものだ、こういうことを考えていく必要がある。暴力的に白紙還元をして、そこに好きなような絵をかくというのは韓国なんぞでおやりになるならとにかく、日本で少なくとも採用するべき方向でない。こういうふうに考えていくと、やはり条件づくりについてきっちり総合的に考えていく、その一環としての入試制度の問題であるということがよく討議されなければならぬ。だれでもいま私学助成について出すべきだと言わない者はないわけです。しかしながら、昨年はどうあるべきだったかが語られる年であって、ことしはどうするかが問われる年になったら何か威勢が悪くなってくるというような、そういう状況はないのかというような問題があると思うのです。  私は、そこで幾つかの問題についてお伺いをしたいと思うのですけれども、原則的には、この問題を取り扱うのは力の政策で、強力な行政誘導で一気かせいにやろうとしても、必ず現実の報復を受けてうまくいかないということがあると思う。一時的にうまくいくように見えても、たとえば現状の状況のままで一回限りの資格試験をやるというようなことになれば、それは何がしかの方法でさまざまなことが行われるのであって、やはりうまくいくとは思われない。そういう点では、私はまず第一に、国大協の方で述べられた今日の状況の時点で、トップレベルのやはり学問水準を維持するという問題ですね。そして専門にふさわしい者が学ぶように入学試験を位置づけるというような問題と、それからまあ今日の問題をどう調節するかということがありますけれども、やはりそのことは述べられなければならない。しかし、その問題について、いま討論することがなじむものじゃありませんから、その点については、私もまず考え方を進めるに当たって、一挙に旧帝大の解体というところから出発するというような考え方はいかがなものであろうか。周りのところを積み上げていって、依然としてそのとおりの状況が続くのかどうか、そこが問題になるだろう。その点で、やはり底上げの問題が中心に考えられるべきだ、そういう点では国大協で入試制度の問題をやられると同時に、国立の大学として地方大学の充実と強化、とりわけその地域にこたえるために、学部の多元化を一つずつの府県でやっていく。槇枝さんは何かその点あきらめたみたいにおっしゃって、そして大学解体の方に問題を持っていくのですけれども、そこはやはりきっちり追及せなければならぬ。今日こういうふうにあるべき論では、大体総論ではかなめのところで反対できない状況になりがちです。いまこそ国大協の問題では入試制度の改善とともに、地方大学の充実について強力な意見を取りまとめられることが今日の課題、基礎ではないか。このことを国大の方にはお伺いをするわけです。  それから、私学の問題については、ぼくはきょう述べられた意見の中で、受け入れて教育する側ではなくて、大学に人を送り込む側の意見が一番濃厚に反映されたのは、私学の方で述べられた意見であったと思っております。成田さんは私と同業をやっておりましたから送り込む側の意見というのですが、やや仲介的、仲介人のような意見でもあったと思うのですけれども。私学助成の問題は今日においては教育基本法でも学校教育法でも国立、公立、私立を問わず公教育なのですね。その問題については私学の関係者からも大きく強調して語られることは、比較的にいままでの中で少なかったと思うわけですね、抑圧に抗するというような要素もあったかもしれませんけれども。今日の状況では一面でこの自由な私学を発展させる。その中で公教育として補助金を堂々と要求するということと同時に、学制と国民のために公教育としての位置づけを私学の経営者はどのように目標として挙げておるのか、このことを同時に進めていただくことが必要なのではないかと思います。残念ながらいまいただいた私大協のものなどには余りそういうことは書いてないですね。特に精神教育のようなことはかなり書いてありますけれども、その点では、教育条件向上について、どういう計画を持って国費の補助の中で一体どういうふうに教育水準を向上させるということを計画づけられるのか。  もう一つは、授業料の問題について、緊急今日の破局的な状況に対して国費補助の関係と学費徴収との関係について、これはやはりやむを得ない天変地異というようなことではないのでありますから、こういう問題についても、計画と方向を私学みずからが提示をされるということが、私は最も緊要なのではないかというふうに思うわけであります。文部省に聞いてみましても、経常費補助の半額というところまでいく目標というのは容易に達成できるものではない。しかしながら、半額までいけば学費ストップになるかということになると、それは言えないというのが現状であります。これについて大胆に自信を持たれて一定の経費で大学が努力をして、そして授業料ストップのためにこういうふうにすればできるのだ、そのためには、こういうことをしてもらわなければならないというプランを出される、こういうふうなことがあれば全体として成り立ってくるのではなかろうか。恐らく資格試験を採用するのであれば、国立大学だけではぼくはナンセンスだと思うのですね。やはり入学試験というのは同じ公教育で、同じ評価において体系的には一本で国立と私学とをあわせて行うということを目指さなければ意義が薄い。そういうような点でも私学自身が努力をされるという点としてはそういう点があるのではないか。まして学の自由というのは経営を秘密でやるという自由ではないと思いますからね。経理の公開なんかに対しては非常に大胆に踏み切っていかれることが、少々苦痛であろうとも国費援助を要求するような面からも、国民の支持を受ける面からも非常に重要なことになるのではないか。その点について先生の御意見をお伺いしたいと思います。  それからこれに非常に大きくかかわってくる高等学校の問題があると思うのです。成田さんの方から高等学校はかなりレベルが高い。大学よりはましだというような話もあるかと思うと、ほとんどのやつがわかっちゃおらぬという話で、だれのレベルが高いのかなあと思って聞いておったのですけれども、そういうことだと思うのですね。大体二〇%程度のものはかなりのレベルで行われている。それは中学においても同じことだろうと思うのですね。国の政策が大体一〇〇%のものの学力を引き上げるというふうに指導をしてこなかったわけだと思うのです、あれこれの状況の中で。大体、中学から高校へ入る入学試験というのは生徒の入学試験というより教師の入学試験なのですからね、中学教師に対する。この学校はどこへどれだけ入れたかという指導が問われているのですから。こういうような点からしてみると、ぼくはいまの段階で高校のいわば普通科の中での格差是正の問題が、現実に行政上実現不可能であるのに、大学の方がうまくいくというようなことは考えにくいのではないか。少なくとも九〇%を超えるものが高校には進学しているわけでありますから、アメリカでは高校については市町村教育委員会がこれを所管して、私学へ行くものはいわば上積みということになっておって、底入れのところは完全に行政が保障しているわけですね。日本のように三〇%のものを、一〇〇%入学の中で行政が保障していないというような状況ではないわけです。少なくとも、この問題についてはやはり高校で基礎を形づくるということがどうしても必要になってくる。職業課程の問題にしても、少なくとも教育ママの責任では私はないと思っております。職業教育という言葉はあっても、産業教育というのは教育領域の概念の中にはないのに、国としては産業教育というような名前を使った法律を出して、強引に総合性を破壊してくるというような結果が、今日のような国民の反応で報いられておるのでありますから、この点について、成田さんのほうから今日の高校全体のいわば格差是正の方向での今日の努力というようなものについても触れていただきたい。ほとんど成田さんのほうからは私学の高校のことについては聞くこともできませんでしたけれども、高校生全体として言えば、これはあわせて問題にしなければならない。そして高校の目からながめて非常に問題なのは、中学でほとんど全体の生徒に対する到達目標を定め、それについて学力評価をするということをやっていないんですね。その評価は高校入試の中で決まるのであって、実際には子供一人一人についてここまで引き上げるという到達目標を持ってそれをやらない。しかも、国は全体的な指導の中で五段階総体評価というようなものを設けて、そこのところだけで全体的な統一性が確認されるというふうになっておりますから、あとは一人ずつの子供の評価について不可知論の中へ沈み込んでいるのでありますから、こういう状況を積み上げて、そして、その中でいわば資格試験的なものを想定していくのは基礎が脆弱でありますから住民にとって耐えがたい桎梏になるわけであります。こういう善政の意図をもってしても、そういうものを押しつけていくならば国民にとって耐えがたい結果を生じる、そういう政策は概して力で押しつけない限り崩壊するものでありますから、個々の基礎を積み上げていかなければならない。これらの中学の問題と高校の問題については成田さん、それから私学、国大協、それぞれお答えを願いたいと思います。

相磯和嘉千葉大学学長

○参考人(相磯和嘉君) 御質問のございました第一点の共通テストがどのぐらい一体有効に作用するものであるか、能力のあるいは努力の結果はどういうふうにくみ上げられるものであろうかという御質問だと思いますが、実は私どもがやってまいりました調査研究は報告書ができましてごらんいただければ御理解できるかと思いますが、かなり細部にわたって研究が尽くされておるつもりでございます。そして、想像されるより以上に出題にいたしましても、それから各教科にわたるバランスの問題におきましても高等学校の教育の達成度を試すのに役に立つようなふうに研究をされていると、私どもは実は自負しております。ただ、高等学校の教育の達成度を調べるという、その達成度なるものにつきましてはいろいろございましょうと思いまして、私どももずいぶん専門の方々が研究しておりますけれども、ここはぜひ高等学校の先生方と御相談して、どこをやれば達成度何だということなど非常に大事なことだと思います。そういうことで、うまく第一次共通テストがやれますならば、能力と努力の結果を三十万人について広く評価するような結果を出すことができるであろう。したがって、大学に入って十分大学の教科を修了できるような能力のある人を漏れなぐ救い上げるようなことができることを実は期待しておりますので、単に能力だけ、あるいは努力だけというような尺度でなくてやりたいというふうに考えております。  それから地方大学の拡充強化の点、このことにつきましては、先ほど私も申し上げましたが、このことは、実は国立大学全体につきましては、旧帝大は一つの完成した姿でありまして、これは現状においてさらに社会の第一線の学問がおくれないように充実をさしていくということが必要だと思いますけれども、大学というものの拡大はもう必要ないですね。それに対して地方大学はぜひ拡充整備をしていただいて、そして、これはその地方だけの問題ではなくて、やはり国立大学ですから国全体の問題として十分に機能できるような地方国立大学の強化ということは、私ども国大協としても、重要なテーマの一つであります。それからまた、地方の総合大学ばかりではございませんで、単科大学につきましてもそれぞれ専門の分野で、これは日本全体の問題として、それぞれにまだ拡充強化をされなければならない部分がたくさん残されておるというふうに思います。したがって、地方総合大学を強化拡充していくということにつきましては、先生の御意見と全く同じことでございます。  以上でございます。

小寺武四郎関西学院大学教授

○参考人(小寺武四郎君) ただいまいろいろ立ち入った御意見を伺いましたのですが、全体的に申しまして全部私賛成でございます。一つは、入学試験の改革の問題につきましては、現在なぜ大学の入学試験を改革しなきゃいけないかという問題ですが、これは明らかにもう高等学校以下の教育を正常化という言葉はいいかどうかわかりませんが、高等学校以下の教育を正していくと、それに対する悪影響を除いていく、こういうことだと思います。よけいなことでございますが、先般ケンブリッジ大学のラグビーチームが参りまして早稲田大学のチームが歯が立たない、どうもこれは日本の教育の欠陥のような気がいたしましたのですが、入試について、それじゃ現状でどういう可能性があるかということですが、これは先ほど申し上げたように、総合的な評価以外に現状ではないというふうに思っております。統一テストということが選抜試験になったんではやらないほうがいいというのが私の考えでございまして、これはどの程度高等学校の教育の課程を理解しておるか、そういうものさえ出てくるんなら、統一テストでやるということには意味があるんではないか。  もう一つ、非常に議論の多いところでありますが、やはり内申書を重視するという方向は高等学校の教育にいい結果をもたらすんではないだろうか、こういう気持ちがございます。これには非常な議論もあるようでございますが、やはり三年間の高等学校での生活は現在内申書ではなかなかそれはよくわかりません。私どものところで、これは現在、入学選抜には全然使っておりませんが、一応書類としまして自己推薦書というのを出さしております。これは高等学校でどういう生活をしてきたかということを書かしておるわけでございます。いまそれを選抜に使う自信は全然ございません。むしろ、そういうものを一つの追跡調査の資料にしていきたいというような希望で、そういうことを続けております。入試問題の改善にはやはり追跡調査ということは非常に重要だろうと思います。私どものところでは入試課というものを置いておりますが、入試課の学園の全般の仕事というのはほとんど追跡調査に充てております。これは第一は内申書と入学後の成績の相関、もう一つは入試試験の成績と入学後の成績との相関、こういうものを見ていっておるわけです。正確な結果というのはなかなか出てまいりませんが、どちらかというと、やはり内申書との相関度が高いということが言えるかと思います。それからもう一つは、入試各科目の成績と入学後の相関度というものも一つの対象として検討を続けております。こういったことが、今後のやはり入学試験制度の改革に生かされる余地があるんではないか、そういうふうに思っております。  それから学費の問題でございますが、やはり私学の立場から申しますと、学費の格差ほどわれわれを苦しめておることはないというふうに思っております。先ほど私立大学協会の資料をお示しくださったんですが、私、それ見ておりませんので、私立大学連盟の方といたしましては、私学財政委員会というものをつくりまして、毎年、加盟大学の決算報告書を集めまして、それを分析して印刷にして、多分皆様にもお渡ししているんではないかと思いますですが、ことし三回目の分析をいたしました。その方の委員長も実は私やらされております。最初の場合、私ども収入の分析をいたしました個所で、不本意な収入源という言葉を使いました。これは教育者としてこういう財源に依存することはつらいんだ、しかし現状ではそれをせざるを得ないんだと、こういうものを列挙いたしました。今日でもその状態は変わってはおらないというふうに思っております。その問題を解決するということがやはり国庫助成の問題と絡らんでおるということで、私立大学が公機関、公教育の機関だということに対しましては、われわれは確信を持ってそのような努力を続けておるわけでございます。ことしの財政の分析のもの、「窮迫する私学財政」というタイトルをつけましたですが、非常に財政状況は悪化いたしております。もちろん国庫助成の拡大を願ってやまないわけでございますが、一応さしあたっての目標としては、経費の二分の一助成を願いたいということで出しておりますが、ただ、そこでも書いておりますように、二分の一助成が幸いに実現いたしたとしましても、残り二分の一はどうするのかという問題当然出てまいります。残り二分の一は自前でやれということですと、現状から申しますと、これはもう学費に依存せざるを得ないというのが実情でございます。われわれの努力が足らないということもあるかとは思いますが、現実問題としては、学費に主として依存せざるを得ない。特に入学時の寄付金というのは何としてでも避けたいということでございますと、そういう形にならざるを得ない。そうしますと、やはり学費というのは改定していかざるを得ない、インフレーションが進展して総経費がふえてくれば、たとえ二分の一助成が得られても学費は改定せざるを得ない。ただその場合に一番つらいことは、国公立大学の学費が据え置かれておるのに私学は上げざるを得ないと、そこが一番つらいところでございます。ただ、それをそれじゃそのまま学費改定をしていくのかということで、われわれの願いとして、その財政白書の中で主張いたしましたのは、学費は一応毎年の国家公務員の給与のベースアップ率、これをまず勘案する。これはいわば国から公認したインフレ率だといってもいいんじゃないかという気がいたします。そのアップ率をまず考える。そうしますと、人件費としてどの程度の増額が避けられないかということがはっきりいたします。もう一つは、次年度の私学助成の予算がどれだけつくだろうかということ。二分の一助成を願っておりますが、なかなか困難な面もございます。年々拡充していただきたいということ以上に、一足飛びに二分の一助成というものが実現すれば非常にありがたいんですが、なかなかそうはいかない。そうしますと、人件費の公務員のベースアップ率と次年度の国庫助成の増額分、これを考えますと、結局学費としてどの程度増徴を図らなければならないかということが出てくる。そういう形で次年度の学費を決定していかざるを得ない、だからそういうことはやむを得ないんだと。ただし、それでは学費負担の格差が大きくなり過ぎますから、もう一つそこでわれわれの願いとして主張いたしておりますのは、給費と申しますか、支給奨学金の制度を設けていただきたい、こういう願いをいたしておるわけでございます。現在、日本育英会の奨学金はこれは貸与でございます。しかし、国立大学の学費と私立大学の学費との差額ぐらいは必要な学生には支給していただきたい。もちろん全員にとは申しません、十分自分でその学費をカバーできる学生もおるはずですから。ただ、その負担にたえないような学生に対しては、その差額を支給していただきたい。これは貸与でございますと、将来の返済が非常に大きな額になってまいります。ですからどうしてもその差額は支給していただきたい、こういう考えを述べております。これは私自身の考えでもございますが、ひとつ十分御検討いただけたらというふうに思います。  先ほどからの話の中で、格差ということと個性化ということが何か混同されたような御意見も伺ったように思いますですが、私どもは格差と個性化というのは全然違うものでないか、格差はなくす方向で努力しなければいけない。しかし、個性化は伸ばす方向で努力をしなければいけない、こういうふうに思っております。特に私学の場合、個性を持って、それぞれの信条に従った教育をやるということをやはりはっきり打ち出されてくる必要があるというふうに思っております。今後ともそういう方向で私学は努力していく必要があると思います。ただ、いろいろな問題がそれにも絡らんでまいりますが、たとえば大学設置基準というようなものがございます。こういう学部はこういう形でやれということがきまっております。そういう点は少し緩和をしていただいた方がいいんじゃないかという気持ちがします。ただ、現状で設置基準の緩和ということを申しますと、すぐいいかげんなやり方でもいいんじゃないか、そういうことを願っておるんじゃないかという反論を受けますが、そうじゃないので、特色を出し得るような形の緩和でございまして、いいかげんな大学が存続し得るというような形の緩和ではないということでございますが、やはりそういう形の問題も今後考えていかなければいけないんじゃないか、そういう気がいたします。  地方大学の格上げ、底上げということが非常に必要ございますが、同時に、私学の底上げということは、入学者の数から申しましても一層重要な問題ではないかという気がいたします。最初の主張をまた繰り返すことになりますが、私の考えを述べさしていただいて、御回答になったかどうかわかりませんが、これで終わります。

成田喜澄都立青山高等学校校長

○参考人(成田喜澄君) キツネにつぼで飲ませて、ツルにおさらで飲ませるというイソップの話じゃございませんけれども、とにかく、高等学校に九〇%を超える者が入ってくると、その高校の教育課程というものがどういうぐあいに子供にうまく適合するのかということの問題はまことにむずかしい問題で、私どもが了承している範囲内においても、高等学校の教育というのは絶えず変わってきております。その変わってきて、まあ早く言えばつぼとおさらのあいのこでおわんぐらいにしておこうというような、おわんのだんだん縁を下げるとか、そう言っちゃ失礼だけれども、何かそんなふうな形でだんだんにものが行われているように私は思うんです。先ほども申し上げたように、一体中学校にしても、高等学校にしても、この学習指導要領に基づく教育課程の単元内容のそれぞれの一つ一つの種目について、一体これはどういうふうに子供が理解し、それは大体どのくらいのその理解度を持ってどうきているのかということについての緻密な、もう日本には二十年もたっているんですから、ものがあっていいと思う、国立の研究所なり文部省なりに。ところがまことに残念なことでございますが、さっき小巻さんのお言葉の中にも出てきちゃったんですけれども、中学校へ入る問題は、それは教師の比較の問題になるんだというお言葉があったように、どうしても、その生徒の成績があらわになると、それは教師の勤評に通ずるというひとつの意識があの勤評闘争以来身につき過ぎちゃっている。何も教師の勤評なんかに通じなくて、子供の具体的なこの内容はどう理解するのかということは十分調査ができるはずなんですよ。それは主務官庁の文部省なんかにおいても、教員組合の諸君を刺激しないようなやり方があるはずだ。そして具体的に教育課程を改定したらその改定についてがっちりとしたデータをつくって、これは中学校の年代には無理だと、高等学校に上げるべきだ、これはむしろ小学校にやってもいいんだと、そういったことについて、生徒の具体的にアダプトする問題との細かなみっちりしたデータがあって、その上で教育課程の改定が行われれば、たとえばいま小巻さんのおっしゃった、どこまでやったらいいのかという問題についても、おのずともう一つやっぱり世界のレベルですね、世界のセカンダリースクールのこの十何歳のレベルにはこの程度のもので考えていると、そういうふうな具体的なデータを比較してみて、日本でもここまでいく、それをどう理解するか、それをやってってみて、その上でたとえば教師の教え方がいいとか悪いとかということが出てくればなるんですけれども、何しろ日本のは、まことに、そう言っちゃ失礼ですけれども、非科学的で、勘で、総論だけやって各論はだれかがやるだろう。各論になると、非常に教育熱心な人がおれもこれだけ入れなきゃいかぬ、すべてこれは必修にしなきゃならぬというような言い方で、次から次へと出てくるんですね。その間に、高等学校の子供は、いま言ったように、IQからいくと恐らく私は六〇ぐらいの子も入っていると思う。それから一五〇近い者もある。その子供にみんな与える、同じようなものを、高等学校の教育内容の中でどうやってつくるのかという問題は大変大きな問題です。私は、この問題については、これはこちらにいらっしゃる高校学校教育課長などもアメリカやその他をごらんになっていらっしゃいますけれども、もっと本当の意味で子供をよく区別して知ってやって、何しろいま区別すると、それは差別に通ずるからってんで、悪いけれども、お医者さんが診断しないで糸脈でやっているのと同じようなことですよ。よく子供についてこういろいろ調べてこうだったと、結果を出すと、これは教師の差別に通ずるなんて言っちゃったんじゃ何もできないんですよ。科学的に調べずに、昔の徳川時代のお医者さんみたいに糸脈で物を診断しろというようなことをいま言われているわけですよ。もっとちゃんといろいろな意味の心電図も何も当ててこうなんだと、こういうデータになっているぞ、だからこのデータに対してはこうなんだと、そうすればとにかく仕方がない、高等学校はここまで来ちゃってんだから、そうすると、その子供たちがそれぞれの能力をある程度まで満たしてやるためにはどうすればいいんだと。方法論の問題もあるでしょうし、ここまでは考えてやらなければならぬ。この子供は実はもっと別の能力を発揮さしてやった方がためになるんだと、何も必ずしも英数国ばかりやらせる必要はないんだと、もっとボケーショナルな、こういうことをやらしたらうまくいくんだと、そういうことで総合制高校という名前も出てくるわけでしょうけれども、もっと本当にデータに基づいて多層化、多様化しなければ——もう多層化、多様化すればこれはけしからぬ、差別に通ずるんだと、能力はみんな同じなんだから、ある一定のものを与えれば必ずできる、できないのは教師が悪いんだというふうな発想で物を言っちゃったんじゃ、これはどうしようもない。もっとやっぱり子供の実情を教師もはっきり知って、本当の意味の愛情を持って、これはここまでいける、そういうことを私は、国がしっかり研究して、そうして、そのデータに基づいてやってほしい。さっき申し上げたように、附属学校なんかそういうことの実験をやってほしい。実は今年度高等学校の校長会として、例の三分の一しか理解できないということを高等学校の校長会がかつてマスコミの方に十何年前に言ったために、ひどく御迷惑をかけているので、ことしまた、実はあれよりはもう少し科学的に全部の学校に調査を出して、どうだといういまはねっ返りを待って、近く発表するつもりでございますけれども、なかなかいかないんです、高等学校の校長会がいま全部の子供についてどうしようと思っても。これは本当に私は国の方で、教員組合にも協力してもらって、そうして本当にこの教育課程はこうしなければいかぬのだと、お互いに話し合いをして。こうしないと、本当に子供は不消化の方にいってしまう。そういうふうな科学的なデータに基づいて、時間がかかっても教育課程の改定を行って、世界の情勢もにらみ合わせてやっていけば、おのずから方法論としては、これだけの子供が来て、これは無理なんだから、こういうふうな層の子供は、こうしてやれというふうな具体的な処方せんも書けるわけですよ。いまは徳川時代のお医者様みたい。こういう点を私は非常に残念に思いますので、いま小巻さんのおっしゃった点については、ぜひこの委員会の先生方も教員組合の方々をひがませないようにしていただいて、もっと本当に子供の実態について、それを理解さして、そうして具体的な方法論の出るようなことにぜひしていただきたいということを、ちょっとあなたの質問に対するお答えにならないと思うんですけれども、ひとつそういうところでよろしく御賢察をいただきたいと思います。

内藤誉三郎自由民主党

○委員長(内藤誉三郎君) 本日、参議院文教委員会は、大学入試制度の改善のために、日教組の代表、国立大学及び私立大学の代表者並びに高校側の代表者を参考人として招き、その意見を聴取し、熱心な質疑を重ねました。その中で、改善に関する多くの貴重な意見が開陳されましたので、今後これらの意見を参考にして、大学入試制度の改革につきさらに審議を続けることにいたしたいと存じます。  参考人の皆様には、長時間御出席いただき、貴重な御意見をいただきましたことを厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。  本件に関する調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後五時二十七分散会      —————・—————

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