本会議 第27号
- 発言数
- 20 件
- 登壇者
- 5 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1975/06/13
会議録
○副議長(秋田大助君) これより会議を開きます。 ————◇————— 弔詞贈呈の件
○副議長(秋田大助君) 御報告いたすことがあります。 議員佐藤榮作君は、去る三日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 つきましては、同君に対し、院議をもって弔詞を贈呈いたしたいと存じます。弔詞は議長に一任せられたいと存じます。これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(秋田大助君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。 弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 元自由民主党総裁衆議院議員従一位大勲位佐藤榮作君は多年憲政のために尽力し特に院議をもつてその功労を表彰されしばしば国務大臣の任につき三たび内閣総理大臣の重責をにない七年有余にわたり国政を統理されました 君は沖繩復帰をはじめ諸懸案の解決に心魂を傾け終始経済の発展と社会福祉の増進に力をいたし国際的地位の向上と国民生活の充実に貢献されました またノーベル平和賞を受けられました 君の功績はまことに偉大であります 衆議院は君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます この弔詞の贈呈方は議長において取り計らいます。 ————————————— 故議員佐藤榮作君に対する追悼演説
○副議長(秋田大助君) この際、弔意を表するため、成田知巳君から発言を求められております。これを許します。成田知巳君。 〔成田知巳君登壇〕
○成田知巳君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員佐藤榮作君は、去る六月三日慈恵医大病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 ここに、私は、皆さんの御同意を得、議員一同を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手) 日ごろ頑健そのものであられた佐藤さんの思いがけない逝去の報に接しまして、保守政界の巨星ついに落つの感を深くしたのは、私一人ではなかったと思います。いまここに立って、かつて論戦を交えたありし日の佐藤さんの総理大臣席でのお姿をまざまざと思い浮かべ、まことに感慨無量のものがあるのでございます。 佐藤さんは、明治三十四年三月山口県熊毛郡田布施町にお生まれになりました。旧制の山口中学から第五高等学校を経て東京帝国大学に学ばれ、大正十三年四月、大学卒業と同時に当時の鉄道省に入られましたが、佐藤さんは、早くから頭角をあらわされ、八田嘉明氏など鉄道畑の大先輩から、「鉄道に逸材佐藤あり」と注目されていたと語り伝えられております。 佐藤さんの政治家としての出発は、言うまでもありませんが、運輸次官から、第二次吉田内閣の成立に際し、懇望されて内閣官房長官に就任されたときに始まります。当時少数党内閣であり、戦後のきわめて困難な時期でもあって、国会に議席を持たぬ佐藤さんは、はかり知れない苦しみをなめながら、曲折に満ちた国会を乗り切るために、全力を傾倒され、縦横の活躍をされたのであります。自来、佐藤さんは、中央政界において、衆目の一致するところ、将来の保守党を担う人物として注目されるところとなったのであります。 佐藤さんが、永年在職議員として表彰を受けられたときのごあいさつの中に、「国破れて山河ありという言葉が、まさに実感をもってせまった焦土にあって、なんとか祖国を以前のような、豊かでりっぱな姿に復興させたいと、一途に念願」してとありますように、昭和二十四年の衆議院議員総選挙に郷里山口県第二区から立候補され、みごと最高点をもって当選されたのであります。 以来、佐藤さんは、大方の予想と期待にたがわず、保守本流たるの自負をもって一貫し、党にあっては、政務調査会長、幹事長、総務会長等の要職につき、また、吉田内閣及び実兄岸信介氏の組織された岸内閣、次いで池田内閣と、歴代内閣にありまして、郵政大臣、建設大臣、通商産業大臣、大蔵大臣等を歴任し、総理・総裁への道を歩まれたのであります。しかし、この間の道のりは、佐藤さんにとって決してたんたんたるものではなく、幾つかの政治的困難に逢着されましたが、持ち前の不屈の強靱さでこれを乗り越えてこられたのであります。 特に、吉田内閣退陣後、保守合同が進められた際、恩師吉田茂氏と行動をともにされ、野に下って無所属となり、厳しい孤独の政治環境に耐え抜かれた当時の政治家佐藤さんの姿を思い出さずにはおられないのであります。 佐藤さんが、池田総理の後を受けて、昭和三十九年十一月内閣総理大臣の重責を担われたときは、わが国の高度経済成長が注目されつつも、物価問題、公害問題等が顕在化し、さらに、対外的には南北問題への厳しい対応が要請されるに至った時期でありました。このときから去る昭和四十七年七月まで、内閣総理大臣としての重責を担うこと三たび、在職実に七年八カ月の長きに及ばれたのであります。 佐藤さんは、この長期政権のもとで、日米安保、ILO、日韓問題、高度成長下の経済問題、大学問題、そして、佐藤さんが政治生命をかけられた沖繩返還等、数多くの政治課題を取り上げられました。もちろん、私は、政治的立場を異にし、佐藤政治に強く反対し、ときには鋭い対決もいどんでまいりましたが、この佐藤さんが進めてこられた政治、佐藤さんが歩んでこられた政治に対する評価は、歴史の審判にまたなければならないと存じます。 しかし、佐藤さんが保守党の指導者として、これらの課題を解決するために、文字どおり全身全霊を傾けてこの大事の遂行に当たられたことは、万人のひとしく認めるところだと思います。(拍手) この間の佐藤さん御自身の御心境を私なりに推しはかりますと、佐藤さんは、保守本流である自分の手によって、戦後政治の総仕上げをするのだという自信と誇りを持っておられたに違いないと思います。(拍手)そして、佐藤さんは口癖のように、「人間は棺を覆うてみなければ、その真価はわからない。」と言われたと伺っておりますが、そこには、この言葉の中には、世の毀誉褒貶を顧みず、みずから万全を尽くすのだという自負と、トップリーダーとして、すべての人にすべてのことを理解してもらうことが、いかにむずかしいものであるかという、いわば孤独な立場の表白とがにじみ出ているように思われてなりません。 すでに御逝去のその日から、各方面で、佐藤さんの政治、佐藤さんの人柄があらゆる角度から取り上げられておりますが、このようにして、佐藤さんの政治と人間が静かに回顧され、政治家佐藤、人間佐藤の真の姿が浮き彫りにされることは、佐藤さんにとってばかりでなく、今後の日本の政治のためにも、きわめて大切なことだと考えます。 佐藤さんは、衆議院議員に当選すること十回、在職二十六年六カ月であり、一昨年十二月、永年在職議員として院議をもって表彰されました。「再び初心にたちもどり、始めをたずね終わりに反る覚悟を新たにして、なおいっそうの御奉公をいたしたい」というのが、そのときの佐藤さんの率直なお気持ちでありました。次いで、昨四十九年には、ノーベル平和賞を受けられました。 また、先ごろ、国際的な人権擁護運動のアムネスティ会員になられたことは、有名な話であります。そのとき、佐藤さんは、「死刑は反対、拷問も反対というのはいいことだからね。」と言われ、また、「君は君、われはわれ、されど仲よし、これがぼくの主張だから。いいことはいい、それでいいじゃないか。」と佐藤さんらしく照れ臭そうに、報道記者に話されたと伝えられております。 これを聞きまして私が思い出しますのは、フランスの啓蒙思想家であるかのヴォルテールが、「君の言うことには賛成できないが、君がそう言う権利は、ぼくは命の限り擁護するよ。」と言った言葉であります。このヴォルテールの言葉と佐藤さんの言葉とは、基本的人権を守り抜くという点で相通ずるものがあり、佐藤さんの心境がいかに高邁なものであったかを、うかがい知ることができると考えるのであります。(拍手) 内閣総理大臣の地位を去られまして、自由な立場で大所高所から政治を見られ、その豊富な経験をもって、アムネスティ運動はもちろん、各方面での幅広い佐藤さんの御活躍を、国民の多くは心から願っておったと思います。 このような願いにもかかわらず、そして、佐藤さん御自身と、奥様初め近親の方々の一体となっての病魔との闘いもついにむなしく、この世を去っていかれたことは、返す返すも残念でなりません。近親の方々の御心情を思うとき、まことに痛惜の念禁じ得ないものがございます。 いま、保守長期政権の中で、日本の政治進路について新たな選択と対応が迫られておるとき、保守本流の政治路線を築いてこられた佐藤さんがこの世を去られたことに、私は、いま、言葉で言い尽くせないような深い感慨を覚えるものであります。 ここに、佐藤さんの生前の政治の跡を振り返り、その人となりをしのびながら、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手) ————◇—————
○羽田孜君 議案上程に関する緊急動議を提出いたします。 すなわち、この際、社会保障の最低基準に関する条約(第百二号)の締結について承認を求めるの件を議題となし、委員長の報告を求め、その審議を進められんことを望みます。
○副議長(秋田大助君) 羽田孜君の動議に御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(秋田大助君) 御異議なしと認めます。 ————————————— 社会保障の最低基準に関する条約(第百二号)の締結について承認を求めるの件
○副議長(秋田大助君) 社会保障の最低基準に関する条約(第百二号)の締結について承認を求めるの件を議題といたします。 委員長の報告を求めます。外務委員長栗原祐幸君。 ————————————— 社会保障の最低基準に関する条約(第百二号)の 締結について承認を求めるの件及び同報告書 〔本号末尾に掲載〕 ————————————— 〔栗原祐幸君登壇〕
○栗原祐幸君 ただいま議題となりました社会保障の最低基準に関する条約につきまして、外務委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。 本条約は、一九五二年に国際労働機関の第三十五回総会で採択されたものでありまして、その内容は、医療、傷病給付、失業給付、老齢給付、業務災害給付、家族給付、母性給付、廃疾給付及び遺族給付の九部門について最低基準を定めたものであり、各部門の給付事由、保護対象者の範囲、給付内容等について規定しております。 なお、わが国は、これらの九部門のうち、本条約の批准に当たり、傷病給付、失業給付、老齢給付及び業務災害給付の義務を受諾することとなっております。 本件は、去る四月十六日本委員会に付託され、五月二十三日宮澤外務大臣から提案理由の説明を聴取し、参考人を招致して意見を聴取するなど、慎重に審査を行いましたが、その詳細は会議録により御承知を額います。 かくして、十一日質疑を終了し、本十三日採決を行いました結果、本件は、全会一致をもって承認すべきものと議決いたしました。 以上、御報告申し上げます。(拍手) —————————————
○副議長(秋田大助君) 採決いたします。 本件は委員長報告のとおり承認するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(秋田大助君) 御異議なしと認めます。よって、本件は委員長報告のとおり承認するに決しました。 ————◇—————
○羽田孜君 議案上程に関する緊急動議を提出いたします。 すなわち、この際、内閣提出、参議院送付、下水道事業センター法の一部を改正する法律案を議題となし、委員長の報告を求め、その審議を進められんことを望みます。
○副議長(秋田大助君) 羽田孜君の動議に御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(秋田大助君) 御異議なしと認めます。 ————————————— 下水道事業センター法の一部を改正する法律 案(内閣提出、参議院送付)
○副議長(秋田大助君) 下水道事業センター法の一部を改正する法律案を議題といたします。 委員長の報告を求めます。建設委員長天野光晴君。 ————————————— 下水道事業センター法の一部を改正する法律案及び同報告書 〔本号末尾に掲載〕 ————————————— 〔天野光晴君登壇〕
○天野光晴君 ただいま議題となりました下水道事業センター法の一部を改正する法律案につきまして、建設委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。 御承知のとおり、近年、生活環境の改善に対する国民の要望は一層高まるとともに、水質環境基準を達成するため下水道を緊急に整備することが、全国的に必要となってきております。そのため、下水道事業センターに対し、地方公共団体からの下水道の根幹的施設の建設委託が年々増加している現状であります。 本案は、このような情勢に対処し、水質環境基準の達成に必要な下水道の建設をより一層促進していくため、下水道事業センターを拡充改組して、下水道の根幹的施設の受託建設を主たる業務とする日本下水道事業団とすることとし、法律の題名、目的、業務及び役員の定数等について所要の改正を行うこととしております。 本案は、参議院先議に係るもので、去る三月二十六日、同院において原案のとおり可決し、本院に送付されたものであります。 本委員会におきましては、三月二十八日提案理由の説明を聴取、本六月十三日質疑を終了、採決の結果、全会一致をもって原案のとおり議決すべきものと決した次第であります。 なお、本案に対し、五項目から成る附帯決議が付されております。 以上、御報告申し上げます。(拍手) —————————————
○副議長(秋田大助君) 採決いたします。 本案は委員長報告のとおり決するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○副議長(秋田大助君) 御異議なしと認めます。よって、本案は委員長報告のとおり可決いたしました。 ————◇—————
○副議長(秋田大助君) 本日は、これにて散会いたします。 午後二時二十八分散会 ————◇————— 出席国務大臣 外 務 大 臣 宮澤 喜一君 建 設 大 臣 仮谷 忠男君 ————◇—————