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75回国会衆議院1975/07/02

法務委員会 第29号

発言数
71
登壇者
12
会派数
4
開催日
1975/07/02

会議録

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 これより会議を開きます。  法務行政及び検察行政に関する件について調査を進めます。  本日は、犯罪被害者補償の問題につきまして、参考人として、被害者補償制度を促進する会会長市瀬朝一君、同志社大学教授大谷實君、立命館大学教授井戸田侃君及び専修大学教授平出禾君、以上四名の方に御出席を願っております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人の皆様方には御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。当委員会におきましては、本問題につきまして、本日参考人各位の御意見を承りますことは、当委員会の調査に多大の参考になることと存じております。参考人におかれましては、それぞれのお立場から忌揮のない御意見をお述べいただくようお願い申し上げます。  それでは、まず参考人からお一人十五分ないし二十分程度御意見をお述べいただき、その後に委員の御質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、質疑応答の際には、その都度委員長の許可を求めて発言をお願い申し上げます。  それでは、まず市瀬参考人にお願いいたしますが、市瀬参考人には、犯罪による被害者の救済について、これまでどういう活動をされてこられたか、また、被害者に対して国はどのような配慮をすることが望ましいかについて、一般的にお話しを承りたいと存じます。市瀬参考人。

市瀬朝一被害者補償制度を促進する会会長

○市瀬参考人 私は横浜在住の市瀬朝一と申します。  私がなぜこの運動を始めたかということについてちょっと申し上げたいと思いますが、私は、たった一人の二十六歳のせがれを、十九歳の、しかも少年院を出たり入ったりしておった人間に、うちのすぐそばの橋の上で刺し殺されたのでございます。そうして、そのときはまだ息があったのですが、病院へ収容されまして二十時間後に息を引き取りました。その息を引き取る寸前に、私の手をしっかり握りまして、「おやじ、くやしいから、かたきをとってね」と言って、その言葉を残して死んだのでございます。私は、たった一人の、天にも地にもかけがえのない、二十六歳までも育てて、私の手足となって現場の方で働いておった人間に先立たれて、もう生きる望みもなくなったのでございます。葬式も、本当に無我夢中のうちに、近所の方々の御親切によりまして終わり、初七日、四十九日になりましてようやく、せがれがわが家からいなくなったという実感がわいてまいりまして、せがれの残したこの言葉を親として何とかかなえてやりたい、それが頭にいっぱいでございました。  そうして、九月の中旬になりまして、事件当時私宅へ時たまお見えになりました新聞社の記者の方から、あすはおたくの犯人の第一回の公判がありますよと教えていただきました。どんな犯人がうちのせがれを殺したのか、顔を見るつもりで行ったのでございますが、初めて私は法廷というところへ行ったのでございます。行ってみて、生と死というものに対して余りの区別のあるということを私はつくづく感じたのでございます。死んだ者の方の遺族に対して一片の公判の通知さえもないのに、犯人には国選弁護人をつけられ、顔を見ればまるまると太った血色のいい顔をして、人一人あやめたような顔もせずに薄ら笑いを浮かべている犯人を見まして、私は本当に腹が立ちました。第二回目、第三回目と、本当に、長い廊下を看守に連れられてくるところを、横におって、横腹を、せがれと同じところをひとつ刺してかたきをとってやろうと思いましたが、いろいろ考えるとそのこともできず、さてどうしたらこのせがれの言葉に対して親が報いてやれるかということを考えまして、そうして十二月も押し詰まって、家内とともども相談いたしまして、終戦後二十一年間、私と同じような悲しみ、怒りを持った遺族の方が大ぜいいらっしゃるに違いないのに、だれ一人この運動を始めようと思った人はないのです。よし、それだったら、この方々のためにも私はこれからの生きがいをこの運動にかけようと決心いたしました。  そして、明くる四十二年の一月十二日から家庭訪問を始めたのでございます。そして四十二年の六月四日に鶴見公会堂を借りまして、殺人犯罪撲滅推進遺族会というものを結成いたしました。そのときはまだ遺族の数は十三家族でございましたが、一般の方々も三百名以上お集まりいただきまして、来賓の方々も、市長代理、県警、そして県会の方々、また民社党の門司亮先生等もおいでいただきまして、その当時はなかなか華々しくいったのでございますが、何としてもこの運動はむずかしゅうございまして、それでその年の十二月二十日ですか、六月ごろから皆さんの方に署名簿を郵送いたしまして、皆さんから五十名、百名と署名をいただきまして、それを国会に請願いたしました。そのときは、東京におられる遺族の知り合いである自民党の濱野先生を紹介人にお願いいたしまして、当時石井光次郎先生が議長だったかと思いますが、提出したのでございます。そして翌四十三年、回答文が寄せられたのでございますが、一回ぐらいの署名、請願で私たちの思うことが通ろうとは毛頭思っておりませんでしたので、それを手始めに何回か署名運動をやろうといたしましたが、いかんせん私たちは本当の素人でございまして、その様式すらわからないものでございますし、また、同じ文句では二度と受理いただけないということがわかりまして、そのままになりました。  それから後、私は関東一円、福島、岩手、山形、青森、秋田、新潟、山梨、長野、静岡、愛知、岐阜、これだけの間をせっせと歩き回りまして遺族の方々をお訪ねしたのでございます。一家の御主人を亡くして、もう本当に惨めな家庭を私はこの目で見たり聞いたりしてきております。そうしたときに、生きている犯人に対してはあれだけの恩典があるのに、何もしないのに殺された家庭に対して何の恩典もないというのは余りにも不公平ではないかということをつくづく感じたのでございます。ですが、なかなかこの運動も思うようにいかず、私も一、二度やめようと思ったこともございますが、またそうした母子家庭の苦しい家庭のことを考えてみますと、もし私がこの運動をやめたら、だれがあとこの運動を続けてくれるだろうか、何が何でもがんばらなければならないと心に誓いました。ですが、なかなかこの運動の壁も厚く困っていたやさき、京都において大谷先生の肝いりで遺族会が誕生したという新聞記事を見まして、早速先生と連絡をとりまして、そして先生にお会いいたしまして、合同いたして今日に至っております。  その間、昨年十一月三十日には同志社大学学生会館におきまして近畿集会を開き、そして本年二月二日には東京で関東甲信越集会を開きまして、そして六月一日には、私どもの運動の一環として、大阪へ行きましてチラシなどを配布いたしてまいりましたが、初めてのことでなかなか思うような成果も上がりませんでした。続いて十五日に東京渋谷で同じようにどうの配布をいたしました。そして、多少なりともカンパをいただけたらば、それを母子家庭のお子さん方に分け与えてあげたい。金額は少なくとも、同じ同志の方々が街頭で募金されたその金を、ぼくたち、私たちにくれたと思えば、そのお子さんたちがこれから成長していく過程においでどれだけためになるかということを考えてやったのですが、世間の風は冷たく、東京から五名で行きまして往復電車賃が五万円、向こうでいただいたお金は八千円でございました。東京ではやはり十何名の方々に手伝っていただきましてビラまきをしたのですが、そのときは三千三百円でございました。このようではビラ代にも当たらないような始末でございまして、私たちの心持ちが遺児たちに通じないような結果になっておりますが、今後は、私たちはこれに負けずに強力に運動を進めていきたいと思います。  そして、最後にお願いしたいのは、どうかこの立法を一日も早く成立さしていただきたいということでございます。そうして、私たち十年選手、もっと古い方も会員の中におりますが、どうかこの適用範囲を大幅に広げていただいて、せめて二十年ぐらいまではさかのぼって実施をお願いしたい、これがいまの私の切なるお願いでございます。どうかよろしくお願いいたします。(拍手)

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 ありがとうございました。  次に、大谷参考人にお願いいたしますが、大谷参考人には、犯罪被害者補償制度の採用がなぜ必要か、また、どういう内容の制度を実現することが望ましいかについて、御意見を承りたいと存じます。大谷参考人。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 一連の企業爆破事件を契機といたしまして、犯罪被害者の実態と、この被害者の法的地位がにわかにクローズアップされてきたという点は皆様御承知のとおりでございます。私も二度の実態調査を行いまして、殺人や重傷害の被害者がほとんど損害賠償を受けずに、犯罪という重大な事件に出遭いながら、物心両面にわたって非常な打撃を受けているという事態に接しまして、改めて犯罪被害者の人権に思いをいたしますとともに、被害者救済制度の必要性を痛感いたしたのでございます。  ところで、犯罪被害者補償制度、これは犯罪被害補償制度と申してもよいかと思いますが、いずれにせよ、殺人や重傷害の被害者に対しまして、犯人である加害者にかわって国が救済措置を講じる制度、こう言ってよいかと思います。要するに、犯人が貧困でありましたり、あるいは検挙されないといった理由から、ほとんどが救済されずに放置されているという事態を公的な扶助制度のもとに置こう、こういう考えであります。  ところで、この補償制度は、従来のさまざまな被害者補償制度と異質のものであると言ってよいかと思います。と申しますのは、現在の法制度のもとで認められております、各種社会保険制度のもとにあります補償制度は、いずれも原因者負担の原則にのっとっているわけでありますが、犯罪被害者補償制度は、この原則をむしろ否定するところから出発するのであります。それだけに、その根拠あるいは理由づけをどの辺に求めますかはきわめて重要な課題であります。もっとも、外国での論議を見ますと、犯罪被害者救済は社会福祉政策の問題であるから、めんどうな理由づけとは無縁である、要するに公的な同情をあらわし救済を要すべき人がいる以上は、そうしてそのほかに適当な救済措置がない以上は、これに救済の手を差し伸べるのはむしろ当然だという意見もあります。あるいは、どれだけこの理由づけを求めてみたところで、これまでの法制度からいうと、どれも人の心を動かすほど強いものではないと言う学者もありまして、この制度新設のための理論武装にはきわめて冷淡であったと言ってよいかと思います。確かに、この制度の採否を決めるのは、専門家のややこしい議論ではなくて、まさに世論だというふうに言うべきであろうと私は思いますが、犯罪被害者を自然災害や病人から区別して特に優先的に補償するのには、それなりの理由づけが必要であります。  この理論的な根拠づけは、初めてイギリスのベンサムによって試みられたと言ってよいかと思いますが、これによりますと、要するに、国には犯罪防止義務があるのに、それを怠ったため犯罪を発生させたのであるから、被害者に賠償の責任を負うのは当然であるという見解であります。しかし、もしそうであるならば、現在の法制度のもとでも国を相手に国家賠償を請求すればよいということにもなりましょうし、また、すべての犯罪が治安対策の失敗に起因すると考えるのはいかにも実際にそぐわない、こう考えるのであります。  これに対しまして、この制度を生活困窮対策の一環として考える立場がございます。犯罪によりまして重大な生計上の打撃を受けたかどうかが補償の基準となる、こういうのであります。しかし、生活保護に重点を置くといたしますれば、生活保護の受給対象者と犯罪被害者とを区別いたします根拠は、それほど積極的に見つけにくいのであります。  そこで、この二つの考え方を出発点といたしまして、実にさまざまな理由づけが求められてきたと言ってよいと思います。たとえば、犯人に対しまして、先ほどのお話しのように、国は更生及び人権上の保護を行っているのだから、これと均衡を保った被害者の保護が必要であるとか、あるいは刑罰から応報といった非合理的な要素を取り除いて、犯罪者に対する理性的な処遇を行うためには被害者に対する補償は欠かせないという理由づけであります。しかし、これはまたどれ一つをとってみましても、それだけでは被害者を補償することを積極的に根拠づけます法的な理由にはなりにくいというのが私の率直な感想でございます。  そこで、この問題を考える場合には、いま言いましたような理由づけとともに、恐らく次の点が必要であろう。つまり、被害者の現実の法的な立場に着目することが必要であろうと私は考えるのであります。ところで、現在の法制度のもとでは、言うまでもなく、このような損害につきましては不法行為に基づく損害賠償ということによって、被害者を救済することになっているわけであります。したがいまして、被害者の今日の悲惨な境遇は、ひとえにこの賠償制度が有効に機能していないという点に由来しているのであります。しばしばこの消極論者は、犯罪被害者を病人や自然災害の被害者から区別する合理的根拠が見出せない、ごう言いますが、これは、不法行為法が現在形骸化しているということに気づいておりません軽率な議論だと私は思うのであります。ところで、不法行為法の形骸化現象は至るところであらわれてきているのは御承知のとおりでございます。交通事故、労働災害あるいは公害といった場面で、すでに原因者負担の原則は大きく修正されつつあるのでありまして、被害者救済に必要な施策がかなりとられてきている、こう言ってよいかと思います。  一方、犯罪被害者は、同じような立場にありながら救済されておらないことは、すでにこの問題が出てくる背景として言うまでもないわけでありますが、同時にまた、従来の個人責任、やった者がこれを賠償するという考え方をとっている以上は、現在の被害者の悲惨な状況は永久に続かざるを得ない、こう思うのであります。実効のない不法行為法であることが今日判明した以上は、その制度を修正あるいは変更するのはまさに国の政治的な責任であると私は思うのであります。  それにいたしましても、自賠責保険やあるいは労災保険の場合には、自動車の利用者やあるいは工場主といった、いわゆる潜在的な原因者による拠出金によって補償が行われているのでありますから、原因者負担の原則は一応貫かれている、こう言っていいかと思います。しかし、犯罪被害者に対する補償では、このような原因者負担の原則はおよそ想定できないのでありますから、補償制度における発想の転換が必要であることは言うまでもありません。したがいまして、そのためには独自の理由づけが当然に求められてくるわけであります。先ほどの幾つかの理由もその一つの根拠でありましょうが、さらに、私は次のような理由も考えておく必要があると思うのであります。  申すまでもなく、今日の都市化した社会では、犯罪は風土病のように社会にいまや固有のものとなっておりますし、また、自由社会では行き過ぎた犯罪防止策を講ずることが許されない以上は、いよいよ犯罪はわれわれの社会に固有のものとならざるを得ない、こう思うのであります。したがって、われわれの社会では一定量の犯罪はこれはやむを得ないものと認めざるを得ないのではないか。そしてその被害は、いつ、だれのところに降りかかるか予測がつかないだけでなくて、不運にして被害に遭いましても、その被害をてん補する民法上の制度が有効に働かない以上は、犯罪という危険をカバーするために、税金による保険制度によってこの被害を相互に分かち合うということは当然のこととして承認せざるを得ない、このように考えるのであります。犯罪被害者補償制度というのは、このような一種の社会保険の考え方に立脚いたしまして、受けた被害を国民相互の救済という方法によって補てんし合う制度、このように考えるべきだと私は思うのであります。いずれにいたしましても、通り魔犯人のような場合、一夜の犯罪の出来事によって、一生寝たきりで過ごさなければならない、あるいは一生台なしにしてしまうというふうなものを放置していくのは人道上の観点からも許されないのではないか、私はこのように思う次第でございます。  ところで、犯罪を社会の風土病と見る立場に対しましては、多くの被害者はこれに強く反発するのでございます。この考え方は、犯罪発生について国や公共団体が責任を回避することに結びつく、こう言うのであります。確かに警察は犯罪防止のために万全の措置を講ずべきでありましょうし、また市民の安全を守るのはまさに警察の責任でございましょう。しかし、犯罪からの安全を確保するために過度の取り締まりが行われるのは、市民の自由の保障という観点から見まして決して望ましいことではないのでございます。被害者補償制度は、いま述べましたように自由社会を前提にして、自由の保障と引きかえに生じますところの犯罪被害を国民相互の救済方法によっててん補し合うための制度だ、こう私は思うのであります。したがいまして、国が補償してやるのだから、危険な者の管理をより強めて統制するというような発想とは本来無縁なのであります。  それにいたしましても、戦後の人権主義的な刑事司法の中で被害者問題は全く無視され、一種のタブーとされてまいりました。それはひとえに、被疑者、被告人あるいは犯人サイドの人権保障あるいは更生、保護の推進に水をさすと考えられたからであります。しかし、むしろ問題は逆なのではないか。被疑者の人権や被告人の人権を守り、犯罪者の更生、保護や合理的処遇を図るのは、被害者の救済がなければ本当に世論に訴える力がない、こう思うのであります。殺人や重傷害といった、もはや取り返しのつかない被害者が国や社会から無視されているという現状に、世論は深い関心を抱いているのは確かであります。自分自身を被害者の立場に置きかえた場合に生じますこの同情心は、犯人に対する怒りやあるいは復讐心となって個人の中に宿り、世論の応報感情に転化することは容易に想像できるからであります。受刑者は、そのような犯人に敵意を抱く社会にどうしてスムーズに復帰できるかという点を考えてみますと、この補償制度は、犯罪者の人権を確保するためにも必要であるということがおわかりいただけたかと思うのであります。  以上のような根拠を前提にいたしまして、さしあたり考えられます制度は恐らく次のようになろうかと思います。  まず、補償の範囲といたしましては、あらゆる犯罪行為、たとえば財産犯にも妥当するというべきでありましょうが、この制度がいま申しましたような趣旨から出発するといたしますと、その損害の重大性あるいは回復の不能といった観点が重視されるのは言うまでもありません。傷害、殺人その他の犯罪によって生じました死亡ないし重大な傷害に限るのが恐らく妥当であろうと私は思います。もっとも、ここで犯罪を狭い意味で理解する必要はないのでありまして、たとえば過失致死傷といったような場合は、一部過失の要素もございますけれども、これも取り込むのが妥当でありましょうし、また、行為者が精神障害あるいは刑事未成年者というふうな、責任無能力者の場合におきましてもやはり適用されるのが妥当かと思います。もっとも、純粋の過失犯につきましてこれを適用するのがいいかどうかはかなり問題があろうかと思います。特に、過失か無過失かということの認定がかなりむずかしいということと、それに過失犯の場合には多かれ少なかれ賠償制度がある程度有効に機能しておるという観点から、恐らく過失に適用しないというのが政策的には意味があろうかと思っております。  どの程度の補償を行うべきかにつきましては、私は、これは損害賠償型と、それに社会保険型と生活保護型といった三つのモデルが考えられてきたのでありますが、財政上の負担が可能でありますれば無論損害賠償、つまり、通常の不法行為に基づきます損害賠償請求で認められます範囲について補償するのが望ましいと思いますけれども、労災やあるいは交通事故の場合の保険制度にかんがみまして、恐らくいわゆる社会保険型が妥当かと思っているわけであります。基準といたしましては、現在適用しております自賠責保険に準じた扱いが望まれるのではないかと思っております。  次に、この制度の運用上、最大の課題となりますのは受給資格者をどう限定するかという問題でありますが、この制度が、いずれにせよ、悲惨な状態にある者に対する公的な同情心を出発点としているわけでありますから、同居の親族間の犯罪、あるいは扶養、被扶養の関係にあります者同士の犯罪行為には原則として適用されないということは言うまでもありません。また、はっきりとした暴力団の抗争事件というような場合、どのような規定を置いてこれを排除するかはかなりむずかしい点がございますが、これもやはり社会正義の観点から見て適用されないだろうと思います。さらに、被害者に挑発やあるいは重大な過失があるような場合にも適用を除外する、あるいは補償の額を減額するという必要があろうかと思います。  さて、このような認定を行う以上は、この判断はいわば損害賠償の判断とほぼ似通ったところが出てまいりますから、したがって審査機関はできるだけ法律家によってこれを行うのが望ましい。ただ、裁判所とは別個の制度を設ける必要があるかと思います。  なお、これに関連いたしまして刑事手続との関係が問題となりますが、第一に、被害状況が刑事手続の対象になってない場合にはこれは補償されない。また、通常、審査は刑事裁判に先行して行われることになりましょうし、またそれがスピーディーな補償という点から望ましいわけでありますから、その場合に審査機関の認定事実が刑事裁判に影響しないように配慮する必要がある。また、虚偽の申請でございますが、これを防止するためにも申請手続あるいは証拠資料の整備という点が必要かと思います。この点からは、第一に、被害状況が明確でない場合には刑事裁判の確定があるまで仮払いとしておくというようなのも一つの考え方かと私は思っております。また第二に、虚偽申請が発覚した場合には、補償金の返還命令ないし一定の制裁方法が講じられなければならないとも考えます。  最後に、犯人に対して国の求償権を認めるかどうかでありますが、外国ではこれを否定する制度もあるようであります。しかし、やはり今日のわが国の責任の考え方からいたしますと、原因者負担の原則を貫くのが望ましいわけですから、したがって、犯人に対して、支払いました補償の一部ないしは全部を求償する権利を国に認める必要があろうかと思います。もっとも、この場合に注意しなければなりませんのは、精神衛生法上の保護義務者とか、あるいは未成年者に対します監督義務者にまでこの求償権を及ぼしめるのは妥当かという点が考慮されるべきだろうと思いますし、また、その求償権の行使が犯人の更生にとって著しく有害になるというような場合には、やはりこの求償権を否定する必要があろうかと思います。いずれにせよ、この点は余りリギートに考えない方がよいのではないかという私の意見でございます。  いずれにせよ、被害者の救済ができるだけ可能なように、速やかに、しかも経費がかからず、救済の実が上がるようにこれを行う必要があるわけでありまして、補償の実を生かすためには、補償ができるだけスピーディーに、しかも申請が経費がかからない、エコノミーに重点を置き、さらにそれが弾力的に運用されるということが望まれるわけでございます。いずれにせよ、犯罪によって悲惨な生活を強いられておる現実を直視いたしまして、交通災害や労働災害の救済措置と不均衡にならないように新たな制度を講ずることが早急に望まれるわけでありまして、単なる憶測やあるいは形式的な法理論にとらわれて、泣き寝入りしている被害者を無視することのないように御審議を願う次第でございます。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 ありがとうございました。  次に、井戸田参考人にお願いいたしますが、井戸田参考人には、犯罪被害者補償制度の採否を検討するに当たり、どういう点に特別の配慮をする必要があるかの点を中心として、御意見を承りたいと存じます。井戸田参考人。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 犯罪の被害者に対して補償をする制度について一体どう考えるべきか、そういう問題につきましては、もうすでに先生方御存じのように、諸外国におきましても幾つかの立法例もございます。あるいはまた、すでにそれを具体化してかなりの効果を上げている国もある。もうこれも御存じのとおりでございます。そのような、外国においてすでに行われているという事実がある。しかも効果を上げておるということも事実である。さらにはまた、被害者の実態、特に被害者の家族の実態はどうか、そういう問題につきましても、私もいろいろ関係しておりましてよく存じておるつもりでございます。そういうふうな意味合いから申しまして、恐らく、被害者補償に関する法律を設けるべきである、そういう方向においては異論はないだろうというふうに思います。特に最近世論という側面から見ましても、あるいはその他ジャーナリズムの動きから見ましても、やはりそれを制定すべきであるという方向である。これはもう動かないと思います。  問題は、やはり私たち、特に私、刑事法をやっておる者といたしまして特にそういう刑事法の側面から、私はその中でも刑事手続法を専攻しておるわけでございますが、そういう側面から、果たして考えるべき問題点はないのかどうか、そういうふうな問題について、ここで若干私の気づいた問題について御説明いたしたい、そのように思うわけでございます。そういう意味で、若干問題点をいささか強調する感じがないわけではありませんけれども、ひとつ御参考までにその点について申し上げる。そしてなお、私の一つの考えにつきましては、もうこれも御存じだと思いますけれども、ジュリストという雑誌がございます。その雑誌の五百七十五号、昨年の十一月十五日に発行せられた雑誌でございますが、そこで座談会がございまして、そこでも私若干の意見を述べております。そういうことで、恐らくきょうここで御報告する内容につきましても、そこで述べました内容とそう変わるわけではございません。それを基礎に置いておりますけれども、繰り返しになるかと思いますが、ひとつ御了承いただきたいと思います。  なお、そういうことで、結論から私の考えを申しますと、いま申しましたように、犯罪の被害者に対しても当然補償はなすべきである、そのように思っております。ただ、犯罪の被害者という狭い枠にとらわれて問題を考えるのは、これは相当でないのであって、やはりもう少し犯罪の被害者という枠を広げた形で、大きな問題としてその補償の問題を考えるべきじゃないか。それは恐らくはいわば社会保障の一環としてこの問題をとらえる必要があるのではないか、そのような考え方をとっております。そういうふうな意味から申しますと、先ほど御報告のありました大谷さんの考え方と若干私は違います。結論はまさに同じかもしれませんけれども、考え方は非常に違うということになるんじゃないか、そのように思っております。  そこで、その被害者補償に関連する問題についてひとつ考えてみる場合、いろいろ問題がございますけれども、やはり一番基礎的な問題として次のようなことがあるんじゃないかということを、まず最初に明らかにしておきたいと思います。と申しますのは、一口で申しますと、人権感覚の変容をもたらすおそれがあるのではないか、そういう一つの問題でございます。と申しますのはどういうことかと申しますと、従来、いわゆる刑事手続におきまして人権保障あるいは人権、そういうふうな言葉で言われている中身における人権ですが、その人権という意味合いは、言うまでもなく被告人、被疑者の人権、そういうふうな意味合いにおいて使われておる。したがって、刑事手続において人権という場合は、暗黙の前提としてそういうふうな被告人、被疑者の人権という言葉で使われておる。憲法においても御存じのように刑事手続における幾つかの人権保障規定がございます。そのような憲法における人権保障規定における人権でございますが、それも言うまでもなく被告人、被疑者の人権、そういうふうな意味合いにおいて使われておる。これも恐らく疑いがないだろうと思います。  ところで、いま問題になっております被害者補償というものを刑事手続という側面から見てみますと、いわば被害者補償というのは、言いかえれば被害者の権利を守る、つまり被害者の人権を保障する、そういうふうな形になるだろうというふうに思います。そして、いわば、被告人、被疑者の人権も保障する、被害者の人権も保障する、そういうふうな意味合いにおいて問題を考えることができれば、これでもうきわめて簡単なことでございまして、まさに両方の人権を保障すべきである、そういうことになろうかと思います。しかし、問題はそれほど単純ではございませんで、いわゆる被告人、被疑者の人権という問題と、それから被害者の人権という問題とは、現象的に見ましてもいろいろな側面で矛盾する場合が出てきます。一体そのような矛盾する場合をどう考えるべきか、そういうふうな点でございます。実はいま申しましたように、刑事手続という側面から考えますと、そういう本来人権といわれておる意味合いが被害者の人権という方に移っていくという、いま申しました言葉で言えば、人権感覚あるいは人権の変容といいますか、そういう傾向を持っておる。そういう点にやはりひとつ注意しなければならないのじゃないか、そのように思っておるわけです。  そういうふうな問題、いま申しましたのは刑事手続の問題で御説明したわけですけれども、実は刑法という問題を考える場合につきましても、やはり同じような問題というのがあり得る余地があるのじゃないか、そのように考えられます。これもすでに先生方御存じのように、刑法改正という問題が現在起こっております。そしていままで何次かの草案が出ておりますけれども、その刑法改正の草案の中身について、一つの考え方からは、そのような草案の中身はいわゆる重罰主義である、あるいはまた可罰性を著しく拡大しておる、したがって問題がある、そういうふうな考え、意見が出ておる、これも御存じのところだと思います。実は、いま申しました被害者の補償という考え方、その考え方の基礎には、やはりいわゆる善良な市民を保護しなければならない、そのような、善良な市民を保護するためには治安を維持しなければならない、やはりそういう考え方と結びつく側面があるのじゃないか、そういうふうなことでございます。したがいまして、被害者の補償という考え方の基礎には、そのような刑法の改正という問題と無関係ではございませんで、やはり通ずる側面があるのじゃないか。その点についてやはり少なくとも考えておかなければならない問題があるのじゃないかというふうに思っておるわけです。  一般的に申しますと、片一方では刑を軽くする、そして犯罪類型を少なくする、そのかわり被害者に対しては別の方法で補償する、そういうふうなのが恐らくあり得る考え方だろうと思います。しかし、そういうふうな区別して考えるということは、実際問題としては必ずしも十分にできるものではございません。やはり、そういう被害者を保護するということ、他方では犯罪が起こらないようにするにはどうすればいいか。そのためには刑罰を重くするあるいはまた可罰性の範囲を広くする、そういう考え方と結びつく要素があるのじゃないか、そのように思う次第です。そういうことで、その辺について実は考えておく必要があるのじゃないか。私は何もそれがどうだ、だから反対というふうに申しておるわけではございませんで、そのあたりの問題も十分に考えておく必要があるのじゃないか、そのように思っておる次第です。実はそれについて細かい問題について後で御説明いたしますが、一応基本的な考え方の問題としてそれだけまず最初に御説明しておきたいと思います。  そこで、それらの問題について、いま申しました考え方についての具体的な例でございますが、若干御説明いたしておきたいと思います。  まず、手続的な問題でございますが、それにつきましても、これもいろいろの例を挙げることができるだろうと思います。もうこれも刑事の実務をやった方なら十分御存じだと思いますが、たとえば逮捕あるいは勾留という強制処分は何のために行われるのか、そういう点で実は問題がございます。一つの考え方としては、いわゆる再犯を防止するためにそれを行うんだ、そういうふうな考え方もございます。再犯の防止ということは、まさに他の犯罪の起こるのを防止するために行う、そういうことでございます。実は学者の間におきましては、逮捕、勾留というのはそういう趣旨ではないんだ。そういう考え方が恐らくきわめて有力な多数の見解だと言っていいと思いますけれども、いま申しましたように、たとえばそういうことでいわゆる被害者を保護する、そういう考え方は、いわば刑事手続においては、いま一つの例を挙げましたけれども、逮捕、勾留というものの拡大、特にその問題で問題になりますのは、いわゆる保釈を許すかどうかという問題でございますが、いわゆる拘束すべきかあるいは釈放すべきかという問題でございます。そういう問題について、やはり一つの考え方の転機を促すという要素をこれ自体の中に含んでおるんじゃないか、そういうことでございます。  なお、さらに細かい問題、幾つかございまして、たとえば、この被害者補償という問題は、被害者の警察ないしは捜査官に対する協力というものを少なくとも義務づけるか、ないしはそれに近いものになるのではないか。実はこれも諸外国の例、特にイギリスとかあるいはカリフォルニアなんか、これは州でございますが、そこなんかの制度では、恐らく、これは被害者に対して補償してやる、そのかわりに被害者は捜査に協力せよ、そういうふうな発想になるんじゃないか、そういうことでございます。なるほど、常識的に見ればきわめてよくわかることでございまして、被害者について国が保護してやるから、したがって国の捜査についてそれだけの協力をするのは当然である、これは当然の考え方だろうと思います。やはりそういう側面について問題があるんじゃないかということでございます。  いま、手続的な問題あるいは被害者の協力義務というようなことを申しました、あるいは重刑というふうなことを申しましたけれども、実はそのほかにも、それに似たような問題がございます。もうすでに御存じのように、たとえば、現在まで被害者に対する補償規定として、証人等の被害についての給付に関する法律というのがございます。いわゆる証人が被害を受けた場合について、やはりまさに被害者として補償してやる、そういう制度がございます。しかし、その制度というのは、その法律ができましたのも、まさに、刑法において証人威迫罪という犯罪類型が新たにできたわけですが、それに付随して、それと即応して、あるいは同時に、それがつくられた、そういうことでございます。つまり、片一方では犯罪にする、同時にその被害に対して補償する。実はそれはさらには、いわゆるお礼参り防止というような、刑事手続の改正にまで直結しておるわけでございますが、そういうことで、現在、犯罪の被害者補償の例として挙げられております証人等の被害についての給付に関する法律という法律も、そもそも、いま申しましたように可罰性の拡大、それからいわゆる刑事手続において被疑者、被告人の拘束を長くする、そういう意味合いにおいての規定と同時につくられておる、そういうことがいわばいま申しました問題を象徴しておる一つの事実じゃないか、そのような感じがするわけでございます。  さらには、現在わが国において犯罪の被害者に対する補償規定として、たとえば警察官の職務に協力援助した者の災害給付に関する法律とか、あるいは海上保安官に協力援助した者等の災害給付に関する法律というのがございます。そういう法律も、いずれもいわば捜査に対して協力した者に対して被害を補償する、そういうものでございます。先ほど申しましたように、被害者の警察に対する協力義務が発生するんじゃないかというようなことをいま申したわけでございますが、現在わが国で存在しておるその二つの犯罪被害者に対する補償法というのは、まさにいわば捜査に対する協力というものを裏づける、そういうことを端的にあらわして補償規定を設けておる、そういうことでございまして、そうだからといって、私は、先ほどから申しておりますように、被害者補償の規定には反対ではございません。ただ、考え方としてはそのあたりの問題を押さえておく必要があるんじゃないか、そのように思っておる次第でございます。  さらに、個々の問題としましていろいろ細かい問題がございます。たとえば、現在問題になっておりますのは犯罪の被害者に対する補償、そういう問題でございます。つまり、犯罪の被害者ということがいわばその要件になっております。ところが、犯罪とは何ぞやというふうに見てみました場合、それはまさに処罰する必要のあるものの類型だ、そういうふうに言っていいだろうと思います。つまり、行為者の処罰というものに着目して設けられた類型、これが犯罪だ、そういうふうになるだろうと思われます。したがって、当然に、そういう類型をつくる場合については、こういうものは処罰する必要がある、そういう形で実はその類型がつくられておる、そういうことでございます。言いかえますと、それはその被害者を補償するという点に着目してつくられた類型ではございません。そういう意味で、実は、犯罪の被害者である、そういうことの枠にしぼってその補償の要件を定めるということは、いま申しました意味合いにおいて、本来補償のための類型じゃないものを便宜上持ってきたにすぎない。つまり、処罰する必要があるかどうかということを決める類型を、補償する必要があるかどうかという要件にする、そういうふうな食い違いがある、そういうことになるだろうということでございます。そういうふうな側面を考えますと、いわば犯罪の被害者だけに限ってそういう補償規定を設けるということについてはこれは問題がある、そういうふうに言わざるを得ない。やはり、そういう補償というものは何のために行われるか、そういう側面を重視して、そういう犯罪の被害者、犯罪というものの枠を越えた意味でその要件を考えて類型化する、そういうことが必要であるのじゃないか、そのように思うわけでございます。  さらに、犯罪の被害者のみがなぜ補償の対象になるのか、そういうことでございます。これについても、いままで実はいろいろ学者の間で議論はございますけれども、必ずしもはっきりしておりません。よく考えてみますと、犯罪というのは一般に社会的病気だ、そのように言われております。社会に生ずる害悪だ、そういうことでございましょう。実は、そういうふうに社会的病気だと言われるものについてもいろいろの内容のものがあると思いますけれども、さらにそれ以外に、いわば自然的病気と言われるもの、あるいは肉体的病気と言われるもの、そういうふうなものもいろいろあろうかと思います。そういうふうな意味合いで、どちらも実は病気でやはり害を受けるわけでございます。病気で害を受ける者のうちで、特にそういう社会的病気のうちの、しかも犯罪のみに限ってそういう補償というものを考えるということはさてどうだろう。やはりもう少し広い範囲において補償というものを考える必要があるんじゃないか、そういうことでございます。  もうすでに御存じのように、社会における現象はまさに多種多様でございます。したがって、普通の場合は、三菱重工のようなきわめて明らかな事案の場合、こういう場合はまさに犯罪によってやられたということが明白でしょう。しかし、社会においてはああいうふうな明白な事案というのはむしろ少ないのでございまして、それ以外の問題による場合が非常に多いということでございます。さらに、そういう意味で、原因がわかった場合についても実は犯罪かどうかわからない。つまり、行為者がわからないという問題でしたらこれは保護の対象になるでしょうけれども、果たして故意であったか過失であったかあるいは無過失であるかということが全然わからない、あるいは犯罪で亡くなったかどうかというのも全然わからない、いわば行方不明という形で蒸発していなくなった、そういうふうな場合もあります。あるいは死んだということが事実であっても、それが犯罪であったかどうかということが全然わからない、そういう場合の方が現実においては多い。一体そういうふうな場合との関係はどうか、そういう問題でございます。  さらに、御存じのように、現在いろいろ問題がございますが、たとえば難病というような問題もございます。原因不明の病気で亡くなった、あるいはまた原因不明の病気で不具者になった、あるいはまた原因不明の病気で長期入院を強いられる、そういう場合でございます。この場合はまさに犯罪というものが原因ではございません。しかし何らか原因はあるのでしょう。しかしその原因が現在の科学の力ではわからない、そういうことでございます。そういうふうな場合についてもやはり私はしかるべき補償というものを設けるべきである。つまり、果たして犯罪と区別して考える筋のものであろうか、そういう問題でございます。そういうふうなことでございまして、やはりそういうふうないわば社会的病気、これもいろいろのものがあるでしょうし、さらには肉体的な病気、自然的な病気と申しますか、そういう問題もあります。そういうことで、現在、社会においてはいろいろの問題を持っております。そういう問題もやはり統一して問題を考えるという姿勢が要るのではないか、そういうふうなことでございます。  さらに、それとの関連で申しますと、いわゆる犯罪で死んだ、犯罪でけがをしたということが立証できるかどうかということによって区別するのもさていかがなものであろうか、そういう問題もやはりあろうかと思います。現実においては立証ができない、しかし非常に悲惨な生活を強いられておるという人も世の中には少なくございません。そういう問題もやはりいま申しましたような意味合いにおいて考える必要があるのではないか、そのように思うわけです。  そのような点で、また大きな問題としましては、いわゆる刑事裁判を先取りするというおそれがないのか、そういう問題もあろうかと思います。犯罪の被害者に対する補償というのは、これは設ける以上迅速に補償せられる必要がある、これはもう言うまでもないと思います。そういう側面から考えますと、実際上は、起訴して被告人が処罰せられる、有罪の裁判を受ける以前にすでに補償せられる、しかもそれが犯罪を原因として補償せられるということになれば、いわば補償があったということによって犯罪があったということを事実上推定するというような意味を持つのじゃないか。そういう点で、いわば一つ大きな問題もないわけではない、そういうことでございます。  あるいはまた、これは人間すべてそうでございますが、やはり補償という制度ができた以上、できるだけたくさんの補償をもらいたい、そのように考えるのはもう当然のことでございます。そして、そのような補償の要件として、たとえば犯罪の被害の大小あるいは情状のよし悪し、そういう問題を補償の要求にもし入れるとしますと、被害者は、いわば、いま申しましたように人情的な側面から見ましても、できるだけ補償をもらいたい、そのためには被害が大きくあったということを述べたい、あるいはまた自分はよくて相手方のみが悪かったということにしたい、そういうふうなことになるのは、これは人情のしからしむるところでございます。現実におきましても、たとえば傷害というような問題につきましても、果たして傷害何日かあるいは傷害何カ月、入院加療何カ月か、そういうような問題についても、これは実際上はお医者さんが診断書を書くわけでございましょうけれども、被害者の言うのに基づいて、できるだけそれに従って重くするというのが多いというのは、これは現実において事実でございます。そういう側面から見てもやはり問題があるのでなかろうか、そういうことでございます。  あるいはまた、警察調書を優先して行うということについても、実は刑事手続上の問題としてこれは大きな問題がある。特に被告人あるいは被疑者になった人の弁解、これがどの程度、手続上その場合入るのかどうか。その点についてもそういう側面で問題があろうかと思います。いずれにしましても、いま申しましたように、犯罪の被害者に対する補償制度を設けるという問題については、やはり考えなければならない問題が幾つかあるのではないか、そういうことでございます。  要するに、いま私の考え方、突っ込んで御説明しますと、結局はそのような犯罪の被害者に対する補償制度を設けるべきである、そういう問題が生ずるゆえんは、やはりわが国においては社会保障がきわめて不十分である、それがいわば本来のそもそもの原因じゃないか、そのように思うわけです。その意味で、実は、いま申しましたように社会保障制度の充実の一環、そういう意味合いにおいて犯罪の被害者に対してもやはり補償規定を設けるべきである。と同時に、それは犯罪被害者だけに限らないのであって、いま申しましたようないわゆる難病と言われる人たちの補償の問題、あるいはそれ以外の、現在まで一部は行われておりますけれども、老人問題あるいは身体障害者の問題、そういう問題もやはりもっと充実して、いわば社会保障の一層の充実、その一環として被害者補償という問題を考える必要があるのではないか。そういう意味では、実はさらには、私よく言っておりますが、いわゆるがんで亡くなられた人の家族、あるいはその他そういうやむを得ない、まさに宿命と言われるような病気で亡くなられた人の家族、そういう家族の中でも悲惨な人がたくさんおられます。そういう側面から見れば、さらに一般の生活保護という問題も一層拡充せられる必要があるのではないか、そういうことでございます。要するに、そういうような考え方は、現在の実定法でいいますと憲法二十五条で保障する生存権の保障、それが実はこれらの犯罪の被害者に対する補償制度の基盤である必要があるのではないか。したがって、それはまさに恩恵的なものではなくして、いわばそれを受給する者の権利として存在する必要があるのではないか、そのように思う次第でございます。  どうも、時間がちょっと超過しまして、細かい点は申し上げることができませんでしたが、もしまた御質問がございましたら後で補足することにいたしまして、この程度で私の報告は終わります。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 ありがとうございました。  次に、平出参考人にお願いいたしますが、平出参考人には、犯罪被害者補償制度の採否及び内容に関して、どういう点を特に考慮する必要があるかについて、御意見を承りたいと存じます。平出参考人。

平出禾専修大学教授

○平出参考人 私の申し上げたいこと、お聞き取り願いたいことを結論的に率直に申しますと、私もまたほかの参考人の方と同様、犯罪による被害者に補償の手を伸べる、国家的な補償制度を設けるということについて、前向きにお考えになるのがよかろうという考えでございます。すぐに立法に賛成であるというふうに申し上げるのは、実は私どもの立場としてはおこがましいことでございまして、いろいろな問題を含めて前向きにお考え願いたい、そういう趣旨でございます。  そして、その中で犯罪被害の補償という問題は、私の考えを率直に申しますと、まず非常に限定されたところをはっきりお考え願って、それに対する補償を国家がするのが適当かどうかというところから出発すべきであると思います。そういう点になりますと、この場合、補償される対象になるのは犯罪、ことに故意犯、故意に人を殺傷したもの、いわゆる人身に対する侵害を受けた直接の被害者に対してまずお考え願いたい。しかもその被害者は、犯罪に関係して犯罪を挑発したような被害者はまず後回しにしてよろしかろう。そうしますと、いまも例に出ておりますような丸の内の爆発事件で命を落とされたような方を考えますと、あの方たちは何とか国が補償しなければならないんじゃないか、補償するということを打ち出しても国民の同意、いわゆるコンセンサスが得られるのじゃないか、そういうことを踏んまえてお考えを進められたらいかがかと愚考するわけでございます。  問題は、大谷参考人あるいは井戸田参考人もるるお述べになりましたように、理屈を立てますといろいろな理屈が立ちます。そして一つの理屈である程度まで説明がつきます。しかし、どの説明をいたしましても、ある程度までいくとそれから先はうまく説明できないというようなところに突き当たるわけであります。私ごとを申して適当でないかと存じますが、私は長年検察官をしておりました。また、最近は弁護士もしております。学校の教師もしております。そういう経験を通じてみまして、世の中の人たちがどういうふうな考えを持つだろうかということを私の考えの中心に置いておるつもりでございます。市瀬参考人も申せられたように、犯罪の被害を受けて悲嘆に暮れられる遺族に直接接したことも、数かぞえられないぐらいございます。また、被告人側の話も聞いております。そういう点を総合しますと、何か良識に合うような線が出るのじゃないかと思います。  やはり、これは社会が連帯して、社会のお互いが相互扶助といいますか、そういうような考え方で出発すべきで、形の上で申せば、社会保険というような考え方が適当ではないかと思います。この社会保険といいますと、保険金はだれが掛けるのかというと、これは税金から国民が掛けるということになると思います。そういう社会保険でいいのかということになると思います。原因を与えた、いわば加害者が本来負担すべきものだと思います。私は、原因者負担の原則というのは曲げるべきではないと思います。貫くべきだと思います。問題は、その原則が働かない場合をどうするかという問題であります。たとえば、町を歩いておっても上から看板が落ちてきてけがをする。悪くすれば命を落とすという方もおられます。気の毒だと思います。しかし、それは看板を設置したその落ち度をとがめて、その落ち度によって看板の設置者が責任を負うということは当然だと思います。それを国家がいわば税金から補償しなければならないとなると、恐らくコンセンサスは得られないと思います。国民の一致した合意には達しないと思います。ですからそういうものは除かなければならぬ。  そういうふうにいたしますと、過失犯というものは恐らく除かれてくると思います。故意犯の場合に補償すべきか、過失犯の場合に補償すべきかという考え方でなくて、どういう被害を補償するということが本当の意味の常識に合うかという面からお考えになったらいかがかと思うわけです。だから、過失の場合、あるいは故意の場合でも、大会社のような、原因者が負担できるような場合は除いてもいいと思います。またほかに、自動車の事故のように賠償制度ができておるところ、あるいは労災関係で補償制度ができておるところ、これはそちらの方に任せたらいいと思います。  そして、被害者にもいろいろありますが、人身の被害者に限る。財産的な被害者、たとえば詐欺にかかったとかどろぼうに入られたから国家で補償してくれということは、恐らく皆さんの同意は得られないと思うのです。だからまず財産犯は除く。なぜ除くかと言われますれば、それはいろいろな理由を数えることができます。先ほどからも出ておりますように、かけがえのない身体、生命というもので、財産は何とかなるじゃないかということもありましょうし、あるいは財産犯を受けるのにもいろいろ理由があるので、その辺からもいわば補償を受ける範囲から除かれるということもありましょうし、いろいろあると思いますが、さしあたっては、人の生命あるいは身体の健康に有害であるようなことを故意に行った場合、しかも、その被害を受けられた側で落ち度がなかったという場合。挑発するとか、あるいは先ほどの例に出ましたような、やくざの殴り込みの双方がけがをしたり死んだりした、それを国家で両方の被害を補償するというようなことになると、それはまさに笑い話に類するようなことになる。そういうことは実は考えているわけではない。われわれが一体何を考えるのかというところの焦点をしぼって、本当に気の毒だと思う被害者、しかも犯罪被害者に、スピーディーに、余りいろいろな条件をつけたりせずに補償をするという考え方がいいと私は思います。  そうなりますと、これも言葉がどうかと思いますが、補償を受けるのは権利なのかあるいは国家側の恩恵なのかというような発想がございますが、権利といえば権利、恩恵といえば恩恵というようなものが世の中にはあると思います。それに余りに権利的な考え方というものはすべきじゃないと私は思います。むしろ義務的に考える。義務があるから権利があるんだという意味での権利であるならば、国家が補償する義務があるんだという意味の権利であるというのならまたその意味合いで言ってもいいとは思いますが、言葉を使っちゃいけないというわけではありませんけれども、考え方の基本というのは、自分が害を受けたんだ、さあ国家に金を請求する権利があるんだというような考え方というのは、私は余り歓迎しないのであります。  それからまた、いろいろ社会現象その他で被害を受ける人たちがたくさんあります。なぜ犯罪の被害者だけが補償されなければならないのかという問題であります。それは考えようによっては、何でも国が補償したらいいじゃないか、雨が降っても津波が起きても、何かかんか国家が補償するということが実は理想なんだという考え方もあると思います。これも余談ですが、つい数日前にアメリカのニューハンプシャーでしたかで、雪が降らないのでスキーの業者が上がったりだから州で補償しろというようなことが真剣になって論議されているという新聞記事もございました。なるほどそういう考え方もあると思いますが、しかし、何でもかんでも出せばいいというものではないと思います。ことに出し方が下手をやりますと、片一方に喜ぶ者があると、片一方に不平を言う者がある。もらう方はいいけれども、もらえなかった者の方の不平が出てくる。そういうことがわかっているような政策というものはすべきじゃないと思います。皆の間のバランスをどうとるかということ、そういうお考えがことに立法をするという場においては、私から申せば望ましいことでございます。  そうなりますと、余り問題のないところばかりを選んで申し上げるように思いますが、私は、本当にお気の毒な犯罪の被害者、命を落とした方、重傷を負って不具廃疾になられた方、こういう方々に対して、その方々が本当にお気の毒だという意味をとらえて、それは天災であってもお気の毒には違いない、それである程度何とか国の方でめんどうを見るということをお考えになってもいいと思います。犯罪はとにかく人のことで、人が人をあやめる、あるいは傷つける、そういう本質的なところをお考えいただくといいと思います。この社会はかなり複雑な社会ですから、人間われわれだれしも危険を覚悟で生活しているわけです。ことに都会生活をしますというといろんな危険に取り巻かれていると言ってもいいわけで、その危険は各自が自分である程度防いでいかなければならない。仮にその結果が悪くて自分が迷惑したからといって、すぐに国が悪いんだ、国が補償する、そういう考え方というのはとるべきではない。たとえば、先ほどお話し出ましたように、警察官に協力する、あるいは証人に出た、そのために害を受けたというのは、やはり危険というのをもう一つ乗り越して、普通の危険よりも、普通の社会生活よりももう一つ危険なところへ入っていったから、だからこれは補償しようというお考えで立法がなされておるんだと思います。  まずそういうふうに縮めた上でさらに考えますと、たとえば暴動のようなときに、道に置いてあった自動車を焼かれた人、その自動車の損害などということになりますと、やはりこの次に、第二番目ぐらいにはお考えになって、これは人身の事故じゃありませんけれども、そういうようにはっきりと巻き添えを食ったような場合のこと、これは仮に人身事故でなくてもお考えになる番だと思います。また、人身事故の中で過失を処罰しないという場合でも、降ってわいたような災難に遭われて、それがほかの方で補償ができないというような場合はまた、過失であっても二番目、三番目にお考えになるような問題だと思います。  こういうふうにして一番先に考えて、これならば国家から金を出してもいい、バランスを失しないというようなもの、そういう限度で考えられるものがあれば、それをまず補償するのはどうかというようなことからお考えを進められたらいかがか、私は、それを前向きに検討をすべき問題だ、そういう趣旨で申し上げているわけであります。  以上でございます。

田中覚自由民主党

○田中(覚)委員長代理 これにて参考人の意見の開陳は終わりました。     —————————————

田中覚自由民主党

○田中(覚)委員長代理 引き続き、質疑に入ります。  申し出がありますので、順次これを許します。大竹太郎君

大竹太郎自由民主党

○大竹委員 それでは、各参考人にいろいろお聞きしたいことがありますけれども、一項目ずつお聞きいたしたいと思います。  まず、市瀬参考人にお聞きいたしたいと思います。  先ほどのお話しをお聞きしておりますと、御令息を殺した男が、自分の気持ちからすれば、何と言いますか、一口に言えば寛大に取り扱われているので、これも卑近な言葉で言えば、虫がおさまらなかったというお話しでございました。ただ、その男はどういう刑に処せられたかというお話しかなかったようでありますが、恐らくその刑も、自分の気持ちからすれば決して満足するような刑でなかったということだろうと思いますが、どういう刑に処せられたのか、一言お聞きをいたしたいことと、先ほども、むしろ自分がひとつかたきを討つつもりで殺してやりたかったということまでおっしゃったようでありますが、そういうお気持ちが、その本人からじゃなくて、国から金を支給されれば一体おさまるものかどうか。そのお気持ちはなかなか口では言いあらわせない問題かと思いますが、お気持ちだけでもひとつお聞かせをいただきたいと思います。

市瀬朝一被害者補償制度を促進する会会長

○市瀬参考人 老いぼれておりまして耳が遠くて、ちょっと先生のおっしゃることがはっきり聞き取れないのでございますが、私のところの犯人は、少年がゆえに七年から十年の不定期刑を言い渡されまして、近所の方のお話しによりますと、もう一昨年出てきているような話を聞いております。もういまでは憎いということはなくなってまいりましたが、せめてその人間が今後こうした過ちを起こさないように、正当な道を歩んでくれることを現在では願っておるような次第でございます。

大竹太郎自由民主党

○大竹委員 次に、大谷参考人にお聞きいたしたいと思います。  いろいろ御意見がございましたが、現代の社会においては犯罪というものはある程度は不可避な現象であるというお話しでございました。そういう考え方に立てば、公害なんかもある程度不可避な社会のように思いますし、自然災害なんというものもやはり同じランクに置いてもいいように思うわけでございます。御承知のように、日本で最近自然災害に対する補償というものができたわけでありますが、私まだ十分自然災害に対する研究をしておりませんけれども、賠償なんというものは非常に低く抑えられているように思います。それらとの均衡というようなもの——これを実際に取り上げるということになりますと、恐らく、日本に現在あるこの自然災害というようなものとの均衡が論じられるのじゃないかというふうに思うわけでありますが、その点についてのお考えをお聞きいたしたいと思います。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 私は別に特別の提案をしているわけではございません。さきに言いましたように、不法行為の分野でどういう救済措置が行われているかということを考えまして、今日では御承知のように公害及び自然災害についての救済措置をも講じておるわけですが、そういうものと犯罪被害者との均衡が一つある。もう一つは、いまおっしゃいました災害救助法の関係の救済も行われておる。その中で犯罪被害者が全く落ちている。これがまず一つですね。先ほど井戸田参考人からも意見がありましたが、現在の損害賠償というのは、恐らく原因者によってさまざまに命の値段が違うわけでございますね。したがいまして、行く行くは均衡を保つのが妥当だろうと私は思っております。しかしその前に、まず第一に、何もないものについて何らかの措置を講ずるのは、これはもうあたりまえではないかということが私のそもそもの出発点でございます。

大竹太郎自由民主党

○大竹委員 次に、井戸田参考人にお聞きいたしたいと思います。  非常にいろいろお教えいただいたわけでございますが、最初の部分でお聞かせいただいた、この制度をつくる方向は結構だけれども、同時に刑法の改正とかあるいは刑事訴訟法の改正と申しますか、検討、また、犯罪捜査に関する警察関係の法律その他、相当改正といいますか、検討をする必要があるというふうにお聞きしたわけでありますが、それでよろしゅうございましょうか。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 いまお尋ねの件でございますが、いままさにおっしゃったとおりでございまして、やはりそういう問題があるということを前提に置いて考えていただく必要があるのじゃないか、そういうことでございます。実は、結論的には、被害者補償制度を設けるべきであるということは恐らく皆一致するわけなんです。ただ、その根拠をどう考えるかという理論的な問題ですね。そういう問題として、いまの問題はやはり重要な意味を持つ、そういうことでございます。したがって、私は、いわば憲法二十五条による社会保障の制度の充実の一環として考えるべきだ、そういう考え方も、実はそのあたりを考慮した結果、そういう理論づけが正当ではなかろうか、そういうことでございます。

大竹太郎自由民主党

○大竹委員 最後に、平出参考人にお聞きいたしたいと思います。  この補償制度は一応賛成という御意見でお聞きしたわけでありますが、しかし、その範囲、どういうものを補償するかということはむしろ限定して考えるべきだという御意見だったように思うのであります。それについて故意と過失をお分けになったようでございます。それにしても、最後に、過失でもものによっては補償するし、それは第二番であってもいいというような御意見のようにもお聞きしたのであります。しかし、たとえば刑法で規定しておりますいわゆる故意と、刑罰はもちろん軽くなっておるわけでありますけれども刑法に規定しているようないわゆる過失犯というものでも、やはり分けた方がいいというお考えなんですか。そういうものはいま申し上げたように入れてもいいというお考えなんでありますか。その点はどうなんでしょうか。

平出禾専修大学教授

○平出参考人 故意犯と過失犯とを分けて考えるというのもかなりの合理性のある問題だと存じます。これは刑法でも分けております。ただ、刑法は、先ほど井戸田参考人の言われたように、犯罪の類型として考えてその刑罰を考えておるわけなんです。この被害者補償ということになりますと、被害者をどうするかという立場ですから、故意でも補償しなくてもいい場合があるだろうし、過失でも補償した方がいい場合もあるだろう、そういうふうに考えてよろしいと思います。しかし、さしあたっては故意犯の方をまず第一次的に考えて、その考えた、いわば合理的な結論が出たところで、その考え方からして今度は過失の場合はどうか。過失の問題は大体原因者負担の原則が貫かれることと思いますので、そちらの方でできるだけのことはすべきである。そういう意味で、過失の場合であっても、ちょうど通りがかりに災難を受けたような、そういうようなどこへもいわばしりの持っていきどころのないような、そうして気の毒なというような場合、そういう考え方ができればいいわけなんです。そういう考え方によって補償するのだということになれば、過失の場合にも広がっていくことはあるだろう。それは第二次的でいいのじゃないか。  それから、ちょっと先ほど申し落としたので補足させていただきますと、私は、補償は原因者負担の原則を貫くべきだと申しましたので、国家がたとえ補償した後でも、犯罪者に対して求償をするというたてまえは崩すべきではないと思います。ことに、犯罪者自身でなく、犯罪者の保護者であるとか、そういう周囲の方でそういう負担能力のある場合に、その人たちが、国が補償するのだから自分たちは知らぬ顔していていいんだ、そういう考え方はすべきじゃない。そういう意味では、求償権というのはそういう方面にも及ぼしていいと思います。

大竹太郎自由民主党

○大竹委員 終わります。

田中覚自由民主党

○田中(覚)委員長代理 稲葉誠一君。

稲葉誠一日本社会党

○稲葉(誠)委員 いろいろお聞きをしたいのですが、時間の関係があるものですから、質問をずっと並べてお聞きをいたしますので、お許しを願いたいというふうに思います。  市瀬さん、お気持ちは非常によくわかるのですが、ちょっとお聞きをいたしたいことは、この事件の被害者側ということで、警察に呼ばれて参考人として供述調書をとられたこと、あるいは検事側に呼ばれて、被害感情あるいは示談の有無だとか、そういうことを中心として参考人として調べられたことがあるのかどうか。あるいは検事側があなた方を証人として法廷で申請したことがあるかどうか、こういうことですが、これだけ先にお聞きをしておきましょうか。

市瀬朝一被害者補償制度を促進する会会長

○市瀬参考人 私は、ああいう法廷ということは、今度のせがれの事件で初めて行ったのでございますが、余りにも被害者の立場を無視した法廷の雰囲気に、本当に情けなくなりました。取り調べ検事さんのところへ再々行きまして、公平な裁判長の前で被害者の親としての心情を、ぜひ証言台へ立たせていただきたいと二回三回参りまして、前後九回の公判でございますが、七回目に証人台に立たせていただいて、一人息子を無実で殺された親の気持ち、それをお聞き願ったような次第でございます。

稲葉誠一日本社会党

○稲葉(誠)委員 その前に、法廷の始まる前の段階で、警察や検察庁で、参考人というか、被害者のお気持ちを聞かれて調書にとられたことはないわけですか。その点をお聞きしているわけです。

市瀬朝一被害者補償制度を促進する会会長

○市瀬参考人 夜九時半ごろうちに電話がかかりまして、おたくの息子さんを病院に収容しておるからすぐ来いと言われまして、私たち夫婦すぐ駆けつけたのでございますが、そのときにもすぐに面会は許していただけず、いま手術台にいるということで、その間、刑事さんに相当のことを言われました。「あなた方親御さんたちは、うちのせがれはまじめだとおっしゃっているだろうけれども、年がら年じゅう目が届いてはいないのだろう。」  そしてまた、「お父さんとしての仕事の関係上恨みを買ったのではないか」と、本当に情けないことを言われたのですが、結局、犯人が三日目に逮捕されまして、犯人の言うには、「あの人には全然恨みもなければ顔も知ってないんだ。ただ、だれが来ても、男が来ても女が来ても子供が来ても、だれが来ても刺してやろうとあの橋のたもとで待っていたら、あの人がちょうど来たから刺した」犯人の口からこういうことが警察の方に知れまして、初めて私たちの無実というか、何の恨み、遺恨というものもないということがわかったような次第でございます。

稲葉誠一日本社会党

○稲葉(誠)委員 お聞きしているのは、警察なり検事のところで、裁判が始まるまでの段階で、被害者側としていろいろ調べられたことがあるかどうかということをお聞きしているわけですが、その点はどうなんですか。

市瀬朝一被害者補償制度を促進する会会長

○市瀬参考人 それはございません。

稲葉誠一日本社会党

○稲葉(誠)委員 わかりました。  そこで、大谷先生にお尋ねしたいのは、京都で恐らく先生方が犯罪被害者の方の実態調査をやられた、こういうふうに思うのですが、その点についての具体的なもの、これは「ジュリスト」か「法律の広場」か、何かである程度のこと見たような気もするんですが、それと、どこの国の立法例が一番日本の制度に合っているかということを私法務省に聞いたことがあるんですが、各国、皆制度が違いますが、イギリスの制度が一番日本として参考になるだろう、こういうふうなことなんです。ところが、イギリスの制度で、どの程度イギリスで利用されておるのか聞くと、全体の一年間の補償金額を、何か二十億か三十億くらいのことを法務省の方では言うのです。だから余り利用されていない、活用されていないのではないか、こういうふうな気がするものですから、そこら辺のところをお尋ねをしたいわけです。  それからもう一つ、確かに根拠の理由づけはいろいろあると思うのですが、これは学者の方のいろいろな分析がありますね。今度は「法律評論」ですか、斉藤誠二さんなんかもよく書いていらっしゃいますが、いろいろあると思うのです。そうすると、実際の扱いとしては法務省が扱うのがいいのか、それからたとえば厚生省とかそういうところが実際扱うのがいいのか。これは後で井戸田先生にもお聞きしたいと思うのですが、そこら辺の問題があると私は思うのです。法務省自身もその点が非常に大きな問題だということで、私の感覚から言えば、法務省自身は余り熱心でない。熱心でないと言うと後であれかもわかりませんが、そういう点でおれのところの仕事じゃないのだ、一生懸命やっても結局厚生省なり総理府の方へ話が持っていかれてしまうのだからというような意向があるのではないか、こういうふうに思うのでその点をお尋ねをしたい、こう思うのです。  それからもう一つの問題で、ちょっと私、聞き違いかもわかりませんが、先生のお話しの中で、これは刑事手続になったものに限定をされるという意味ですか。そうすると、不起訴の場合だとか、特に責任能力のない場合の被害者が私は今後非常に多いと思うのですが、その場合の補償ということについてはどういうふうになっていくのだろうかというふうなこと、そこら辺のところ。  それから、裁判所でやるのが余り適当でないというようなお考えか。別個のところでやるのだというふうな、何か委員会制度でやるということもあると思うのですが、そこら辺のところを実際にやってみるとどういう問題が起きてくるのだろうか。これは出てくると思うのです。そこら辺のところをお尋ねをしたい、こういうふうに思うわけです。  それから、井戸田先生にお尋ねをしたいのは、実は私は佐伯さんの編んだ「生きている刑事訴訟法」あれを愛読しているのですが、あの中で先生の書いた論文、特に供述調書のつくり方の問題、被疑者、被告人の供述調書の現在のああいう録取の仕方、あれは私も根本的に疑問なんです。あれを直さなければもう人権というものの保障はあり得ないという考え方を私は持っているのですが、そこで一つの問題として、先生のお話しを聞いていると、刑法の改正の問題あるいは人権感覚、いろいろな問題等出てきて、これを現在の法務省に扱わせることは非常に危険性があるのだということ——これは法務省の連中が聞いていていやな顔をしているかわかりませんが、そんなことは構わないですから。私はそういうふうに先生の考え方から出てくると思うのですが、そこら辺のところをお聞かせ願いたい、こう思うのです。  それから、人権感覚が変容するということ、それはそういう危険性があるかもわかりませんが、それは考え方、行き方によっては必ずしも矛盾しないので、それがあるからこれがマイナス要因となって、何といいますか、うまくいかないというか、余り賛成でないのだというふうに出てこられるとちょっと話が違うのではないか、こう私は思うので、そこら辺のところをお聞かせ願いたい、こういうふうに思うのです。  いまのお話しを聞いていますと、恐らく政府側は、非常に問題がむずかしい——私も確かにむずかしい点があると思うのです。しぼりや何かむずかしい。そうすると、むずかしいから、だからということで、恐らくきょうのこれを活用しまして、むずかしいところばかり盛んに出してきまして、そして恐らくまた後ずさりしてくるのがいまの政府側の行き方じゃないかと私は思うのですが、そうでないのを願いますけれども、そういう点があるものですから質問としてお尋ねをしたいい、こういうふうに思うわけです。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 たしか四点かと思いますが、第一の実態調査でありますが、これは当初、私、学会報告など準備いたしまして、そのときに外国でこういうことがあったわけです。いろいろ被害者が気の毒だと言うけれども実態はわからぬではないかというようなことを言う人がありまして、そこで私はまず学会報告の前に実態調査をしなければいけないということで、今日のように問題になる前に、それは二年前でありますが、実態調査をやったわけです。これは実は京都府下の殺人事件についてだけ限定いたしまして、大変困難であったわけですが、百人ほど対象にいたしました。実際に回答を受けましたのは近年に被害があった方だけで、十三件でありました。この方はすべて被害の補償は何ら得られていない、損害賠償は何ももらっていないということであります。そこで、昨年問題になりましてから、さらに市瀬さんのお持ちの殺人被害者の名簿をお借りいたしまして、約二百人ほどを対象にアンケート調査をいたしましたが、これでは九十二件の回答がありました。そこで全然補償が、何らの見舞金ももらっていないというのが七十九件ございました。要するに九〇%近くが何らの見舞金さえも受けていないということが実態でありまして、これは殺人事件だけでありますが、どうもその後いろいろな連絡を受けますと、実はそれよりも悲惨なのはどうも重傷害の方であるということが判明いたしまして、この制度はやはり殺人と同時に重傷害について必要であるということを感じたわけであります。これが第一点。  それから第二点のイギリスの制度でありますけれども、たまたま私はこういう目的もありましてイギリスに一年半ほど滞在をいたしたわけでありますが、そのときにイギリスの、制度よりも運用の状況を確かめたわけであります。余り利用されてないのではないかという先生の御意見でありますが、昨年の、七四年度の統計を見ますと、正確には覚えておりませんが、申請件数は一万件で、支払われたのは七百件余りの計算で、たしか、三十億円でございました。ここでは一番多いのが日本の金にして重傷害について三千五百万円であります。なお、殺人につきましては、御承知のようにイギリスではわが国のように逸失利益についての損害賠償請求権がございません。したがいまして、扶養請求権でございますから、殺人事件につきましては一番大きいのでたしか一千万円ほどだと思います。そういうことで、わが国の場合と若干計算の仕方が違うだろうと思いますが、私の予測では、犯罪件数はわが国の場合よりもイギリスの方が重傷害については高い、それで人口はたしか五千万余りだと思いますからほぼ半分、こういうものを見込んで、日本の場合はほぼ倍でいいじゃないかというふうな算定、予測をしたわけでございます。これがイギリスの運用状況であります。  なお、イギリスでは、先ほど申し上げましたように過失も含める、それにいわゆる損害賠償型でございまして、不法行為で認定されます損害額を支給するということであります。イギリスの社会保障制度の中でそういうのはできるのであって、したがって、それを日本の社会保障制度とのバランスをとって考えた場合に、そのような損害賠償型は、先ほど平出参考人からのお話しのように、日本のあるいはコンセンサスを得られないのではないかということを危惧したからでありまして、私自身はやはり、過失はある程度損害賠償というのが機能しておるということと、過失か無過失かの認定がかなり困難であるということも含めて、過失については慎重を要した方がいいという意見を持っております。  なお、第三点でありますが、法務省でやるのがいいか、あるいは交通事故のように、たしか総理府でございましたか、総理府でやるのがいいか、あるいはいっそのこと厚生省へ持っていくのがいいかという意見はございましょう。ただ、イギリスの場合は、日本の法務省に当たります内務省がこれをしているわけであります。その一つの理由は、確かに被害者の悲惨な状況というのがそもそもの出発点でありまして、同時にそれは刑罰を緩和し、またそれを合理化する、つまり社会の応報感情を刑罰自身が反映するということではなしに、これを犯人の社会復帰というところに重点を移すについては、このような補償というのがぜひ必要であるということがこのレポートの中に出ておりまして、そういう考え方が内務省で担当するというふうになったのではなかろうか。私はこの経過存じ上げませんけれども、そういうふうな印象を持っておりまして、私としてはどこがやっていただいても結構でありますけれども、法務省の管轄でお進めいただくのがそういう意味では合理性を持っているのじゃなかろうかと思います。  なお、先ほどの井戸田参考人の御意見に関連いたしまして、この刑法改正の問題あるいは刑罰の重罰化と補償というのが結びつくのではないかという御意見でありますが、私は先ほどの意見で申し上げましたように、それは問題が逆だ。たとえば、刑法改正の一つのねらいは、被害者の立場を考えなければならぬということがこの刑を重くするという一つの発想にあるのだと思います。それは公式の理由づけでもそういうことがあろうかと思います。だとすれば、それを、もし重罰化というのが適切でないとするならば、被害者の気の毒な立場を救済することによって重罰化を阻止するというのがむしろ意見としては妥当なのであって、問題は逆だと私は思っております。  そういうことを含めまして、つまり犯人の、あるいは被疑者、被告人の人権、こういうことと、それに被害者の人権ということは、同じ人間、国民を対象にするわけですから、どちらも保護する必要があるわけであって、したがって、片方を保護すれば片方が落ちる、そういう性質のものではなくて、全くこれは並行するものである。並行するものとしてどういうものがあるかということで考えられたのがこの制度であって、たとえば囚人に対して作業賃金制をしいて、その賃金の中から一部支払わせるという意見も強く主張されたことがあります。ドイツでもそういう意見がありますけれども、私はそれはもちろん反対だ。それこそ少しでもよけい刑務所で働いて得た賃金を払えというのであれば、これはもう受刑者の更生、保護にとってマイナスになるだけであるという意見を持っております。そういう意味で、いわゆるこれまでの個人責任の原則を貫いていこうとすると、これは前の付帯私訴制度と同じように、かえって被告人や受刑者につらく当たることになるのだというふうに私は考えております。そういう意味で、この制度は、それを設ければ被疑者や被告人あるいは受刑者の人権が侵害される、決してそういう発想のものではないということです。  最後に、先ほどの、裁判所がこれを行うのが適切かどうかということは、一つは、やはり先ほど井戸田参考人が危惧されましたように、裁判所の認定した事実、これはできるだけ早くしなければならぬわけで、わが国の訴訟、不法行為というものについての裁判が長いことかかるということを考えますと、まずそういうスピーディーなものにする場合に救済の実効が上げられないということが一つ。そうしてそこで認定しました事実がやはり刑事裁判の結果になる可能性がある。ですから、そういうことのないように、これと、つまりこれまでの裁判所、司法制度と違ったもので認定し、その認定は将来裁判所の結果によっては結論が異なってくるというようなこともあり得る、そういうことで別個の制度にした方が望ましいというのが私の意見でございます。  責任無能力の場合につきましても、これは当然含まれるわけで、先ほど刑事手続というように私申したかと思いますが、その意味は捜査の対象になるということですね。つまり、犯罪事実が告訴されて、そうしてそれが捜査の対象になるということを意味しているわけであって、むろん責任無能力者についても法の適用がある。なお、ちょっと一言だけつけ加えますけれども、その場合に、先ほどの保護義務者、精神衛生法上の保護義務者でございますが、最近、この保護義務者の不注意で精神障害者が傷害事件を起こしたものについて、たしか高知地裁で、昨年ですか一昨年ですか、五百万の損害賠償を認めたという事件が大変精神学者の関心を呼んでおるようでございますが、果たして保護義務者にそういう民法上の不法行為の負担をかぶせるのが合理的なのかどうかということを考えますと、私は、監督義務者や保護義務者について求償権を適用するのは適当でないという意見を持っております。  以上であります。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 きょう私いろいろ問題点を挙げてみましたけれども、これは恐らく、ここではむしろ問題点を挙げてほしいという御依頼がありましたものですから、私が特に別に深く研究したわけじゃございませんけれども、思っている問題点のみを中心で御説明した、そういうことになろうかと思います。  それから、いわゆる人権感覚の変容というような問題でございます。実はいま大谷参考人の方からも若干出ましたけれども、こういうことでございます。先ほどもちょっと御説明いたしましたけれども、たとえば証人等の被害についての給付に関する法律というような法律がございます。これはいわば現行法において被害者に対して補償をしている制度の一つだ、そのように挙げられておるわけです。ところが、あの法律はなるほど被害を補償するわけでございますけれども、あれができた年に他方では、いわば刑法で証人威迫罪という構成要件が新たに設けられております。他方刑事手続におきましては、いまちょっと見てみますと、たとえば保釈の除外事由にするとかその他、いわゆる証人威迫というものについて被疑者、被告人に対して非常に不利益を課する、そういう規定をちゃんと改正しておるわけなんです。したがって、被害者補償という発想は、他方ではいま申しましたように実体法に、刑法においてやはり可罰性を広げるという要請と結びつくのではないか、それから手続においては被告人、被疑者の不利益に働くということがあり得るのではないか、そういう意味で申し上げたわけでございます。したがって、なるほど私も本来被害者補償とあれとは別だというふうに思いたいのでございますけれども、やはりいままでがそういう例がございますし、それが結びつくというふうに考えて別におかしくはない、やはりそれは少なくとも注意すべき問題点じゃなかろうか、そういう意味で申し上げたわけでございます。  それから、人権感覚の変容というものを一体どのように考えるべきかという問題でございますけれども、実はどういう制度でも長所とマイナスがあろうかと思います。問題はやはり、どちらの方が長所が大きいかという問題、それからマイナスを生ずる場合はマイナスを少なくするにはどうすればいいか、恐らくそういう発想が基礎にあるべきだろうということでございます。私が人権感覚云々と申し上げたのは、そういうマイナスを避けるためにはいわゆる社会保障の充実という側面で、憲法二十五条という問題で端的にくっつけた方がいわばそういう問題が避けられるのではなかろうか。そういういわば一般的な理論的な問題としては憲法二十五条という形で結びつけた方がいいのではないか。それを刑事手続上の制度だということによっていま申しましたような問題がかえって出てくるのではなかろうか、そういう一つの考慮からでございます。  それから、所管の省をどうするかという問題でございますが、これはいま大谷参考人も言われましたけれども、私も、別にどの官庁にも利害ございませんから、どこでもいいだろうと私は思うのです。ただ問題は、いま申しましたような人権感覚の変容という問題なんかもやはり念頭に置いて考える、少なくともそうしますと、やはりこれは一つの考え方でございますが、考え方としては、本来人権擁護を義務とする弁護士なんかにかなり、弁護士会にやせるかどうかは別としまして、少なくとも、そういう委員会でやる場合について、そのメンバーの中に相当数それを入れるとか、そういうふうな考慮は、いわば私が先ほど申しましたような問題点を回避するための一つの方策になり得るんじゃなかろうか、そのように思う次第でございます。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 横山利秋君。

横山利秋日本社会党

○横山委員 三人の先生方が言及されなかった問題の一つに、法律をつくったらいつから効力を発生するかという大変な問題がございます。法律ができてからそれ以降にするのか、遡及するのか、遡及するとしたら一体どこまで遡及する理屈があるのか、その点で私ども実際往生しておるわけなんでございますが、どなたか、大谷先生からまずひとつ御意見を伺いたいと思います。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 私もこの「被害者補償制度を促進する会」の顧問という名前で関係しておりまして、最後にはおまえは袋だたきに遭うぞという忠告をしてくれる人がございました。外国の例を見ますと、恐らく遡及したという例はなかろうかと思います。多くの場合は施行後ということであります。それが日本にとって合理的であるかどうか、これは大変重大な問題だと思います。私はその点は、たとえば三年にすべきかあるいは十年にすべきか、二十年にすべきか、これはそれぞれの理由づけがあり得ると思います。一つは、やはりそういうふうな遡及の幅を余り広くするためにこの制度が実はできなくなってしまうということでは困るわけですから、できる範囲でどこまで遡及するのが望ましいかという議論しか立てようがないと思いますね。しかし、遡及しないでいいかというと、どうもそうではなさそうである。特にわが国の場合には、このような一つの組織が世論にある程度アピールしたわけでございますから、そういう意味ではやはり遡及するのが望ましい。その根拠を、一般の債権の短期消滅時効にするとか、あるいは長期にするとかということは、これは具体的な財政状況とにらみ合わせてやっていただかざるを得ないという程度しか申し上げられません。

横山利秋日本社会党

○横山委員 ありがとうございました。  井戸田先生、平出先生、御意見がございましたらぜひお聞かせください。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 私も実はその問題についてはそう深く考えたわけではございませんけれども、恐らく、いいものは早ければ早い方がいい、そういうことになるだろうと思うのです。問題は、したがってできるだけ遡及した方がいいと思いますけれども、やはり一定の混乱が生ずる余地がある、また恐らくそういう側面で問題を考えるということになるのじゃなかろうか、そのように思うようなわけです。  なお、実はこの補償の内容でございますが、先ほどから出ておりますのは、どうも恐らく一時金というような金でそれで処理する、そういうふうなことでございましょうけれども、もちろん亡くなられた方についてはこれはお金ということになろうと思いますが、あるいは特に重傷者等の問題でございます。そういう人たちにつきましては、これはやはり現に傷害を受けて病院におる、あるいはその他いろいろ傷害の状況がある、そういうことでございますから、それについてはこれはできるだけ広くしかるべき施設その他について特別な扱いをする、そういうことは必要だろう、そのような感じがするわけです。したがって、いわばそういうお金で扱うという場合と、それからそういういわばアフターケアですか、そういう重傷者等についての扱いというものとは、やはりそのあたりの問題も違ってしかるべきじゃないか、そういう感じがいたすということでございます。

平出禾専修大学教授

○平出参考人 大谷参考人の御意見と同一でございます。

横山利秋日本社会党

○横山委員 ありがとうございました。  大谷先生、井戸田先生は言及なさいましたが、平出先生が言及されなかった問題で、先ほども質疑がございましたが、裁判の前に迅速な補償をするから、これが、金を出してから後で裁判に影響がないようにという問題点でございます。それについて平出参考人の御意見を伺いたいのですけれども、結局、影響しないと言ったところで、法律をつくって、制限をされた条項に沿ってこのお金が出る、したがってそれは裁判に影響しないわけにはいかない。一体どういうかっこうになっていくと御推察されますか。つまり、行政機関があって、審査をしてお金を出す。本人がそれに対して不服を申し立てる。不服を申し立てた場合には、恐らく行政機能の中で、一審とするか二審とするかは別でございますが、仮に二審制度をつくった場合、今度は二審制度から公取のようにいきなり地裁へ行くか高裁へ行くか知りませんけれども、不服の裁判が行われる。裁判で、行政当局がやった措置は間違っているからこれだけ払うべきだとか、該当すべきだとかという判決が出る。そしてしばらくたってからこの刑事事件の正式な判決が出る。そうすると、前に払ったものが間違いである、ないしは、間違いでなければいいのですけれども、事実と相違する点が生まれてくる。そういうことは避けられないことではないかと素人として考えられるのでございますが、その裁判の前に迅速に補償されることによって生ずる諸問題にどういう問題があるか。言及なさいませんでした平出先生の御意見を伺いたい。

平出禾専修大学教授

○平出参考人 私も個々の、どういう制度で運用をするのか、担当する機関をどこに置くか、審査をするメンバーをどういう構成にするかということについて一応考えてみたのですが、いろいろな問題がございまして一長一短、また、実は行政組織というものを、組織ばかりを大きくして実態とのバランスのとれないような組織をつくるということも余り好ましいことではございませんので、何とか実効の上がるような、そして余り経費などのかからないようなというようなことを考えますと、私はやはり法務省の所管でいいのではないかと思います。  で、法務省の所管にすることについて、法務省がしり込みをするような風があるかもしれませんが、これは私だけの考えだけですけれども、いずれは自分の方で引き受けなければならないのだということを考えて、それを前提としていろいろ言っていられるのじゃないかと思います。厚生省の方でもし文句を何か言い出すと、じゃおまえの方で引き受けるかと言われて、じゃ私の方でやりますというふうに言われるのかどうか私は存じませんけれども、そういうことでなしに考えましても、やはり犯罪ですし、警察あるいは検察、裁判の方へ向いていくことですから、やはり法務行政の中に入ってくると思います。そして、別に事務所を設けるといっても、事務員を置くとかなんとかということを考えますと相当な経費がかかって、そちらの方にばかり経費がいってしまって補償の方に回らないということでは、これは全体として好ましくないと思います。  それから、裁判所は大体本当の司法事務をやるということが本来の性格なものですから、なるべく行政事務の方には余り労力を割かないで、本来の裁判の方をしっかりやっていただきたいと思いますので、裁判所が所管するということよりも、やはり法務行政の中でやった方がいいと思います。もちろん、たとえば委員会をつくるにしても、その委員の中に裁判官の資格を持っておられる方あるいは経験を持っておられる方、そういう方が加わるということは、その人選によって決まることですけれども、適当なことだと思います。あるいは検察官が加わる、弁護士が加わる、もちろん民間の常識代表を加えていただく、そういうふうなことで、法務省の所管で、比較的日常の行政事務、行政的な費用のかからないような、そして機動的なものにしたらいいと思います。  そして金額なども、私の考えでは、余り査定をするというようなことでなしに、労災法のような基準を持ってきまして、あれに当てはめて決める。後で余り問題が起きないようなことをあらかじめ考えておく必要があると思います。後で人違いができたとかなんとかというふうなことで、加害者であると思った人が加害者でなかったいうことになりましても、被害を受けたことに間違いがなければそれは被害の補償をしたらいいと思いますので、そういう点は、刑事手続ということはもちろん関連はないとは言えませんから、それでまた影響がないとも言えませんでしょうが、しかし、それは運用に当たってやはり十分に気をつけて、これはこういう問題なんだということで運用に当たっていただくほかないと思います。

横山利秋日本社会党

○横山委員 ありがとうございました。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 青柳盛雄君。

青柳盛雄日本共産党・革新共同

○青柳委員 時間が余りありませんので、簡単にお尋ねいたします。  この問題の出発点の中に、被害者感情を満足させるということで、全くこれは経済的なものと無関係だとは言いませんけれども、封建時代にかたき討ちをするのは、当時の感覚から言うと非常に道理にかなったもののように思われており、またそれが許されている。法治国では、自力救済、かたき討ちなどというものは許せませんので、結局は国家機関がそういう感情を刑事手続によって、あるいは民事手続の損害賠償によって満足さしてやる。ところが、刑罰の方はある程度行われるから満足される可能性は多いと思いますけれども、今度は民事的な賠償の問題になってまいりますと、現実問題としてそれがいかない。それがひいては被害者の感情を非常に不満足な状態にしておくということになる。  ところで、今度のこの制度について問題になっているのは、責任無能力者の犯罪的行為、これによる被害が満足されるのには一体被害者をどうしたらいいか。刑事的にも民事的にも、加害者というか、要するに被害を加えた人には何らの法的責任は認められない。したがって被害者はやられ損という、いわゆる原因者責任制度といいますか、賠償制度というものは全然考える余地がないわけです。ですから、これを救うのも一つのこの制度のなにかなというふうに思うのですが、お三人の先生方のお話しを承りたいと思います。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 その点、大変重要な問題だと思います。多くの通り魔的な犯罪の場合にそういう事例がかなりあるということも事実かと思います。この制度が最も有効に働くのは恐らくその点かとも思います。先ほどちょっと触れましたが、一方で、現在は精神病院では精神病院なりの人権ということが盛んに叫ばれておるところでありますから、したがって、できればオープン・ドア・システムとかあるいは開放的な治療ということが目指されなければならない。他方で、それが一たん外部で犯罪行為に至りますと、損害賠償が病院側あるいは先ほど言いました保護義務者の側に返ってくる。そうしますと、精神障害者をできるだけ危険視して、そうして外へ出さないということが当然起こり得るわけですね。私は、さきに触れました精神衛生法の保護義務者というのは、これはまさに障害者を看護、治療するための義務だろうと思うのです。したがって、被害を弁償しなければならない義務というふうには本来考えられないものだと私は思っているわけです。しかし、今日の民法の解釈では、それは皆未成年者に対する監督義務者と同じように損害賠償の責任があるんだ、監督義務違反というのは、そういうふうな考え方をとっているようであります。私は、一面でこのような被害者の救済ということと同時に、この制度を新設することは、精神障害者に対する人権とかあるいは治療の改善というものにも寄与する。その意味では当然、この犯罪行為という中の犯罪という意味は、いわゆる狭義にいえば構成要件に該当する違法な行為に限定すれば足りるのであって責任能力を必要としないというふうに解すべきでありますし、諸外国でもそうであります。よろしゅうございましょうか。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 いまの御質問の趣旨のお答えになるかどうかちょっとあれなんですが、私は先ほど申しましたように、この制度はいわゆる社会保障制度の一環という形で位置づけて考えるべきだろう、そのように考えております。したがいまして、まさにこれは国が固有の責任としてやるべきだ。したがって行為者、犯人にかわって国がやってやるという趣旨のものではないのじゃないか。そういうふうなことでいまの問題を考えられたら、恐らく当然の答えが出てくるのじゃないかというふうに思うのです。と申しますのは、精神障害者の行為であろうと、やはりそういう行為によって害を受けた者は、まさに被害を受けたという事実によって国に対して請求ができる、そういう形になるのじゃなかろうか、そのように思うものでございます。したがって、先ほどからちょっと言っておりましたけれども、犯罪を行った行為者、特にそういう行為を行った者ですが、それに対して求償というのはどの程度認められるか、そういう問題になると、私は、なるほど認めるべき場合もあろうかと思いますけれども、これはやはり最小限度にとどめるべきじゃなかろうか。したがって、原則的にはむしろ国の責任、国が憲法に基づいて補償すべき義務がある、そういう形として問題を立てる必要があるのじゃなかろうかということでございます。したがって、国が加害者にかわってやるという発想はちょっとどうだろうか、そういうふうに思う、そういうことでございます。

平出禾専修大学教授

○平出参考人 刑事責任無能力者による被害もまた補償すべきものという考え方で問題を考えたらよかろうと思います。そこで、犯罪被害という言葉が適当でないというので、小川太郎氏などは特に刑事災害ということを言われ、刑事災害補償という名前が適当だと言われております。

青柳盛雄日本共産党・革新共同

○青柳委員 もう一点だけ。それに関連したことなんでございますけれども、先ほどからのお話しを承っておりますと、社会保障制度的なもの、あるいは社会保険制度的なものということで、もっぱら物質的な損害といいますか、けがをした、あるいは命を失ったということに対する慰謝料的なものを含めてではありましょうけれども、いずれにしても被害者側が経済的に不利な状況に陥ったということに対するカバー、経済的なカバーということが眼目にあるようでございます。で、現在国民皆保険で、病気の場合の医療制度についてもある程度保険によって賄えるということになり、また労災とかいうような制度もありますし、生活保護もあります。ところで、そういうカテゴリーの中には入らないといいますか、たとえば三歳か四歳になる子供なり孫なりの命を奪われた。その場合、被害者は本人でございますし、その被害者によって遺族は別に扶養を受けておったわけでも何でもない。経済的な不利益というものはないと言ってもいいんですね。精神的な打撃が一番大きいと思います。こういう場合にもやはり国の方でそれをカバーしてくれるというようなことが必要ではないか。そうなるとこの制度はそういう面で、他の制度によっては補完されない部面があるのじゃないかというふうな気がするわけです。そこでこれをどの程度請求権者の中に入れていくか、これがなかなかむずかしい問題で、実の親にするのか、兄弟にするのか、他人でその子供を大事にしておった、扶養しておった人にするのか。これがトラブルのもとになんかなったら大問題でございます。そういう点も配慮しなければなりませんが、そういうような要素もこの制度の中にはあるのかどうか。やはりお三人の方にお尋ねしたいと思います。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 恐らく、いまのような事案ですと葬祭料とか、それに慰謝料を含めなければ葬祭料だけというふうなことになろうかと思いますけれども、外国の場合には慰謝料を認めている国と認めてない国——イギリスでも、イギリス本土は慰謝料を認めない、スコットランドは慰謝料を認めておるというふうなことでございます。これはたとえばわが国の自賠責保険というようなものを念頭に置けばわかるかと思いますが、やはりある程度慰謝料的なものも当然含むのじゃないか。その場合に、請求権者は恐らくは扶養義務者に限定されざるを得ないのじゃないか、そういうふうな感じがいたします。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 いまの慰謝料の問題でございますが、恐らく、社会保障的な発想というものを前提にする以上、慰謝料というのは本来親しまないような意味を持つかと思います。しかしこれは、実は先ほど申しましたように、ほかの諸社会保障制度、それとのバランスがあろうと思うのです。本来、理念的に申しますと、これはまさに精神的にもやはり被害を受けるわけですから、それに対してはしかるべき手段がとられて当然だろうと思います。ただ、これは先ほども申しましたように、犯罪以外にもいろいろな形での現象がございます。いま出ました自動車による場合については、これはちゃんと保険がありまして、それは慰謝料は出ますけれども、そうじゃない、慰謝料の出ないのもたくさんあるわけです。したがって、私は本来、やはり理念的には慰謝料は出す筋のものだろうと思いますが、ただこれは国の社会保障水準の問題でございまして、水準が低いというふうになればそれ相当に、がまんというとあれですが、やはり出せないという場合も出てくるだろう。しかし観念的にはこれは本来出すべき筋のものじゃなかろうか、そういうことでございます。したがって、全体の社会保障水準との関連で現実にするかどうかは考えるべき筋のものじゃなかろうか、そういうことでございます。

平出禾専修大学教授

○平出参考人 私はこの問題は、補償の程度をどういうふうにするかというのが、形式的といいますか、一定するような方がいいと思っております。したがいまして、被害者の生活状況、貧富の差であるとか、働き手であるとかあるいは幼児であるとかいうことの区別なしに、一定金額を、保険にかかっている、その保険金がもらえる、取れるという考え方がいいと思います。基本的にはそう思いますけれども、これも井戸田参考人からも言われますように、ほかの社会保障制度との間でバランスをとって考えなければなりませんので、そういう点を、やはりいまあります自賠法とか労災法とかいうものとの兼ね合いを考えて決定されることになると思います。私は一定額をということを考えます。

青柳盛雄日本共産党・革新共同

○青柳委員 ありがとうございました。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 沖本泰幸君。

沖本泰幸公明党

○沖本委員 平出先生は最初におっしゃったお言葉の中で、余りおこがましいので、できるだけ考えてほしい、こういう表現をなさったわけですけれども、せんだって法務大臣にこの法律についてお伺いしますと、国の方で立法化すると、法務省担当ということになると法制審議会とかいろいろな手続が必要なので相当時間がかかる、できるだけ早くこれは立法化した方がいいので、できれば議員立法の方がいいんじゃないかという御意見をお述べになったわけなんですが、そういうことの方がいいのか、この法律は慎重に法務省の方で立法していった方がいいのか、その辺に関しての御意見を三人の先生方にお伺いしたいと思います。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 私ども、議会内部のことは疎いわけで、果たして、法務省が慎重に検討しますとたとえばあと二年かかるのか、その辺がよくわかりませんが、私としましては、おそらく法務省もこういう制度についてそれほど異論はなかろう、あるとすればやや常識に反する、こういうふうな感じを持っておりますので、できれば法務省も含めて、法務省側がそういう案を出すのが望ましいとは思います。それが純粋の手続的な問題でかなり時間がかかるとすれば、これは議員立法で速やかに実施するのが望ましい。と申しますのは、これは私の単なる憶測でありますけれども、議員立法でできた法律については運用がなかなかむずかしいというようなことも聞いておりますので、これはやはり政府及び与党、野党、すべて含めて一般的に承認されているものを推進し、政府側もその実施に協力し、運用を円滑にするというのが最も望ましい、こういうように考えます。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 私も実は議員立法にするかあるいは法務省で原案をつくるか、そういうことについての長短、どういう長所があり、どういう短所があるかということについては必ずしもつまびらかにしませんものですから、したがって、どちらがいいかということになりますと、その点については何とも判断がつきかねるわけでございます。いま大谷参考人がおっしゃったような、いわゆる時間がかかるということであれば、それはやはり早い方がいいということになるでしょうが、しかし、つくる以上はりっぱなものでなければならない、問題のないものでなければならないということも事実でございまして、ちょっといまの問題については何ともお答えする能力がございませんものですから……。

平出禾専修大学教授

○平出参考人 私も全くそういう感覚をもって考えたことがございませんので、どうも何ともお答えしょうがありませんが、ただ、私ども考えていることは、必要なものを速やかにお願いしたいということなんで、そのためことさら問題を限定して、なるべく国民が一致してこれならいいというふうにしぼって、それを今度速やかに実施していただく。そして実施した上は、ごたごた問題が起きないようなすっきりとした形で——多少金額が、自分の方はもっともらってもいいはずだとか、これでは少な過ぎるとかいうような不平が出る場合もあるかもしれませんけれども。ですからこれは、権利であると言えば権利だろうし、権利にしては自分の方の言い分が通らないから権利じゃないと言えば権利じゃないでしょう。恩恵と言えば言葉が余り恩恵がましくなりますので、そういうことでなしに、一定金額を支給するという、スピーディな、そして問題が起きないような形をお考え願いたい、そういうことでございます。

沖本泰幸公明党

○沖本委員 お伺いしたいことがたくさんあるわけですけれども、時間がありませんので……。  できるだけ問題をしぼった方がいいという御意見もあるわけですが、最近の犯罪は非常に多様化しておりまして、たとえばきょうの新聞によりますと、北九州で暴力団に人質に取られた御婦人が暴行されたことが原因で自殺した、そういう内容のものもありますし、複雑な犯罪構成がたくさんあるわけですね。したがいまして、この補償制度の枠というものも非常に広げて考えなければならないものがたくさんあって、先ほど青柳先生のお話しにもありましたとおり、ほかの部類の方で考えなければならないものもいろいろあるわけです。たとえば最近非常に多いのが性犯罪、強姦等による被害、こういうものも非常に多いわけです。こういうものの範囲をどういう形でとらえていくかという点について、お三人の先生にお伺いしたいと思います。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 先ほど他の参考人からも御意見がありましたが、犯罪一般と言うとかえって語弊があるので、イギリスなどでは人身災害、人身傷害というふうに限定して呼んでおります。かえってその方が名称としてはよいかと思います。その場合に、一つの限定方法は人身災害ということですが、故意か過失かという問題がございますね。私は、現状の中では故意に限定するのがはっきりすると考えております。ただ今度は、いまのように強姦という災害でありますが、これに基づいて死という結果が発生したという場合に、強姦致死であればいいのですけれども、そうでないような、自殺してしまったというような場合にこれをどうするか。イギリスでも一つ問題がありましたのは恐喝ですね。おどしたところが逃げていった、逃げていったために車に衝突して死んでしまったという例が一つございまして、これは恐喝だけれども一般の暴力犯じゃない、しかし同じように扱うという裁量をしているようであります。したがいまして、これは社会的な正義に反しないようにその審査員が判断するのが最も合理的である。あまり形式的な条件を設けるのはよろしくないというのが、私の意見であります。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 私は先ほど申し上げましたように、本来犯罪というような枠とは関係なしに広く社会保障をもっと充実すべきである、そういう基本的な立場に立ちます。したがいまして、本来そういう意味では、犯罪のうちの、しかも人の死という結果を生じたものだけとか、あるいは傷害というような結果を生じたものも含むとか、あるいは財産犯はどうかとか、そういうふうな分け方というのは必ずしも好ましくないのじゃないか。先ほど申しましたように、犯罪の被害者という側面では、実は犯罪でもいろいろございます。これは御存じのように、殺人からそれこそ過失致死まで、死という結果を生ずる場合でもいろいろな種類のものがございますし、そのほか、いま出ましたように強姦とかその他に付随した形で出るものもございます。そのほか、傷害というようなことに関してまたさらにいろいろございますし、さらにまた財産犯とか、それ以外のたとえば性犯罪とか、そういうようにどんどんと限りなくあるわけです。したがって、本来は、どういう犯罪でどうというようなことでしぼるのは適当でないのであって、社会の弱者に対してもっと国家は援助の手を差し伸べるべきである。この犯罪による被害者の補償もまさにその一環として考えるべきだ、恐らくそういうことになろうかと思います。ただ、そう言っておっては何もできませんから、そうなればさしあたりどうするか、そういう問題については事務的な側面において非常に問題の少ない、やっていくのに非常にスムーズにいけるであろうというような、まさにこれは事務的な側面で過渡的なものとして考えていく、そういうような判断でいくことになるのではないかという感じがいたすわけでございます。

平出禾専修大学教授

○平出参考人 私は問題を限定して取りかかった方がいいのではないかということを再三申しておるわけですが、しかしそれは全体のいろいろなことをお考えの上で、その中からどれだけがしぼれるか、どれだけに凝固していったらいいかということを申し上げておるので、ほかのごとを考えないでいいというわけではございません。しかし、そういうふうに広げてまいりますとかなり広がってくる。かなりどころか、どこまで広がっていくかわからないというようなことも出てまいります。現にニュージーランドの法制として紹介されておりますものは、もう犯罪補償だけではなくて、ほかのものも一緒にして法律ができているというふうに報告されておりますので、私は、さしあたってその一番中核になるものはやはり直接の被害、直接の行為による被害に限定して、それから波及されたものまではまた二次的、三次的にお考えになっていいんじゃないかというふうに思います。

沖本泰幸公明党

○沖本委員 もう時間がなくなったので、本当は遡及の問題についていろいろ伺いたかったのですが、横山先生がお伺いになりましたので省略させていただきます。その問題は市瀬さんが一番御心配なすっていた問題でもあるわけで、今後そういう点についてまた御意見を伺いたいと思います。  以上で終わります。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 諫山博君。

諫山博日本共産党・革新共同

○諫山委員 井戸田参考人にお伺いします。  この制度をつくることによって基本的人権が侵されるようなことがあってはならないという問題が提起されて、私も全く同感です。また、被害者が犯罪捜査に協力する義務を、法律上ではなくても、事実上負わされるようなことになったらいけないという御指摘もあって、私も同感です。ただ、この制度をつくるとそういう結果がどうしても出てくるのかどうか、出てこないような処理の仕方はないのかということを私は考えております。そしてこれは制度の仕組みによってそういう点が左右されるのではなかろうかと思います。  私たちの党のつくった犯罪被害者補償法案大綱では、どういう犯罪に適用するかという点で、殺人、傷害致死及び重傷害、そして犯罪構成要件に該当する違法・有責の行為に限らず、緊急避難、責任無能力者などの行為及び犯罪者死亡、不明などの場合でも犯罪行為と認められた場合を含むとしたわけです。つまり、犯人がだれかわからない、あるいは犯人は心神喪失とかその他の理由で無罪になるかもわからない、それでも犯罪行為で死亡した、犯罪行為で重傷害を受けたということが明らかであれば補償の対象とするというふうにすれば、被害者が犯人が有罪になるように努力しなくてもいいし、また心神喪失で無罪になることを心配しなくてもいいというふうに思われるのですが、被害者の捜査に対する協力義務との関係で、いまの点について御見解を伺いたいと思います。

井戸田侃立命館大学教授

○井戸田参考人 先ほど私、いわゆる基本的人権の問題というような形で御説明いたしましたけれども、実は正確に申しますと、いわば刑事手続においては被告人、被疑者の人権と被害者の人権とは矛盾する場合があるんじゃないか、そういうことでございまして、先ほど申しましたように、私自身、憲法二十五条で言う基本的人権の問題を支えにするわけでございますから、基本的人権全体と矛盾するわけではございませんが、その点ちょっといまの御質問との関連で申しておきます。  そこで、いま申されました、いわゆる捜査の協力義務との関連で、無罪になったものでも補償するようにすればいいじゃないか、そういうふうなお話しでございます。そういう心神喪失とかその他の事由によって、その者のやった行為であることは明らかであるという場合ですね。いずれにしましてもそういうふうな要件をつけるということは、恐らく先ほど出しました問題点を緩和する一つの事由にはなるんじゃないか、そういうことでございます。したがって、仮に責任能力がないんだ、そういうふうなことについては、本来審査するときには問題になりませんから、したがって、あらかじめ責任能力の有無について当該補償をする機関が決定する必要はない、そういうことになりますから、恐らくそういう点では問題は残らないだろうと思います。ただ、実はそれ以外にも、先ほど申しましたように、刑事裁判を先取りするとかあるいは被害を大きくするとか、そういう問題はやはりその点に限っては残るということになると思います。したがって、いま御指摘の問題につきましてはそういう意味で、一部についてはなるほど先ほど私が申しました問題を解消することになろうと思いますが、残りの一部についてはやはりまだなおそういう意味で問題は残る、そういうようなことになるんじゃないかというように理解するのでございます。

諫山博日本共産党・革新共同

○諫山委員 今度は大谷参考人にお伺いします。  いま井戸田先生も言われた、本来の刑事裁判とこの手続の関係というのがやはり残ります。恐らく、有罪、無罪を争うような刑事裁判の場合には、本来の刑事裁判の結論が出る前にこの手続で何らかの給付がなされるのではなかろうかと思うのです。そうすると、本来の刑事裁判、被告人の有罪、無罪、刑の量定にこの手続が影響を及ぼすようなことがあったら大変、それこそこれは基本的な人権の問題になるわけですが、この点、先生はどのように配慮されておられましょうか。

大谷實同志社大学教授

○大谷参考人 私は、民事裁判の結果が刑事裁判に反映するとは思っておりません、まず第一です。逆に刑事裁判の結果が民事裁判に反映することはあり得ようと思います。刑事裁判で有罪になりますと損害賠償を認めるということはあり得る。日本の刑事裁判官はそれほどおかしな感覚を持っていないと私は信じておりますが、しかしそれにしましてもそういう懸念は残るわけですね。この懸念をどう解消するかというのが先ほどの一つの考え方、つまり、これは裁判と全然別個なものである。もともと被害者を救済するということをねらいとする制度なんだという意味で別な組織をつくるべきである。それを援用して犯罪事実の認定に用いるというようなことはまず考えられないと私は思っております。  それともう一つ、先ほど井戸田参考人が申されました中に、警察への協力義務ということが懸念される一つの理由だろうと思います。現にイギリスではそういう、警察官に協力しない場合については補償しないというふうな規定がたしかあったかと思いますが、私はそういう規定は置かないほうがいいと思っております。そんな感じがするのであります。ですから、それを入れるという発想でまいられますと大変困るというふうに思っております。それでいまの御懸念は解消されるというのが私の意見でございます。

諫山博日本共産党・革新共同

○諫山委員 私もこの制度そのものには賛成です。ただ、それと引きかえに被害者が犯罪捜査に協力しなければならないというような規定ができたり、そういう慣習ができたりすればこれは大変だと思っております。また、この手続が、恐らく刑事裁判より早く結論が出るでしょうから、これが刑事裁判に影響を及ぼすというようなことになれば大変だと思うわけですが、それにしても全く新しい発想ですから、ぜひ先生方が基本的人権を守り抜くという立場を踏まえながら、さらに私たちとも一緒に具体的な検討を進めることを希望するわけです。  市瀬参考人に最後にお伺いします。  それぞれ三人の専門家から専門的な立場で御意見が述べられました。そしてそれぞれやはりニュアンスの違いがあったと思います。市瀬参考人は三人の専門家の御意見を聞いてどのようにお考えなのか。さらに、私たちが法案をつくり上げる場合に一番苦労したのは、過去の犯罪被害者にどういう取り扱いをしていくのかということです。新しい法律ができて、これからの犯罪被害者を救済するというだけではとうてい実情に合わないようなさまざまな問題がありますが、この点についてて、運動を進めておられる市瀬参考人としてどういうふうにお考えなのか、お聞きしたいと思います。

市瀬朝一被害者補償制度を促進する会会長

○市瀬参考人 私はいま先生方のおっしゃることを聞いておりまして、むずかしいことは私の頭ではわかりませんが、いま先生の御質問のとおり、私はもう八年間この運動に生きがいを感じてやっておりますけれども、何と申しましても本当に悲惨な——たとえば、私が訪問したときに、若妻が、私が線香を上げてこちらへ下がると同時に、その白木の位牌を抱えて、「お父ちゃん、何で死んだんだ。三十歳の若さで何で死んだんだ。あなたが人に殺されたから一銭のお金ももらえないじゃないか。もしあなたが交通事故あるいは会社の災害で死んだなら、だれにはばかることなくお金をもらえて、この子供を二年でも三年でも、私の手から離れるまで私が育てていけたのに、あなたが人に殺されたばかりにどこからも一銭のお金も入らない。私はこれからどうしていったらいいだろう」と、さめざめと泣かれたときに、私はどうしてもこの補償制度というものを立法まで持っていっていただきたい。そのために本当に私は、目がぐあい悪くなるまで、六年間はもう家を外にして二晩泊まり、三晩泊まりで遺族の家を訪ねて歩きました。中には、お金でも取りに来たかと思われたのか、門前払いを食ったこともございますし、もういろいろな体験をして、いろいろな方々とお会いして、本当に惨めな家庭を見てきているのでございます。私の考えますのには、一日も早くこの制度をこしらえていただきたい。そうして、普通の制度であれば立法からすぐ前に戻るということはないと聞いておりますが、この立法だけはぜひとも十五年ないし二十年前までさかのぼって、そうして不公平なく一律に支給をお願いしたいと思います。公明党試案が三月一日出ましたときに、あれから私のところへは十何本のいやがらせの電話がかかりました。「会長、何をしているんだ。片方は自賠法の一千万円、片方は百万円、余りにも開きがあるんじゃないか。会長、しっかりしろ」「あなたはどなたでしょうか」「いや、おれは、会長がもう五、六年前に自宅へ訪問してくれて、そのときから会員であるから言うだけの権利がある」ということなんです。私に言わせれば、年間千円の会費すら納めずに、そしていよいよそういう段階になってくれば私のところへ文句が来る、人間というものはずいぶん勝手なものだと私はつくづく思ったような次第でございます。どうか早急に立法まで持っていっていただいて、そうして十五年、二十年前までもさかのぼってこの範囲を広げていただきたい、こう思うわけでございます。よろしくお願いいたします。

諫山博日本共産党・革新共同

○諫山委員 終わります。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 これにて参考人に対する質疑は終わりました。  参考人各位には、長時間にわたり御出席をいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。(拍手)  この際、暫時休憩いたします。     午後零時五十四分休憩      ————◇—————     午後二時四十七分開議

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、申し上げます。  本委員会に付託になりました請願は二十一件であります。各請願につきましては、先ほどの理事会において協議いたしましたが、いずれも採否の決定を保留することになりましたので、さよう御了承願います。      ————◇—————

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 次に、閉会中審査に関する件についてお諮りいたします。  裁判所の司法行政に関する件  法務行政及び検察行政に関する件  並びに  国内治安及び人権擁護に関する件以上の各件につきまして、議長に対し、閉会中審査の申し出をいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  次に、閉会中の委員派遣に関する件についてお諮りいたします。  閉会中審査案件が付託になり、委員派遣を行う必要が生じました場合には、議長に対し、委員派遣承認申請を行うこととし、その派遣地、期間、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

小宮山重四郎自由民主党

○小宮山委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  本日は、これにて散会いたします。     午後二時四十八分散会

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