社会労働委員会 第5号
- 発言数
- 194 件
- 登壇者
- 14 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1975/02/27
会議録
○大野委員長 これより会議を開きます。 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田口一男君。
○田口委員 いまの議題になっております内容について、二つ端的に質問したいのです。 一つは、本年で終戦まる三十年、一つの区切りを迎えて、所要の措置を講じたことについては、こちらは全面的に賛成です。同時に、裏を返して考えますと、三十年たった今日、なおいろいろな関係でこれらの法律の対象になり得ない、たとえば、公務に起因をしているかどうかということがいまだに判然としないという御遺族なりまたそういった戦傷病者が今日あることは御承知のとおりであります。率にいたしますと、事務当局で聞いた話では、まだなお二、三%はあるのじゃないか。こういった方々の積極的な掘り起こしといいますか、申請があって却下をされたような場合に、もっと親切に、当の本人が具体的な立証をするということは困難な情勢でありますから、行政当局の方から、そういった立証でき得るような条件を手を差し伸べる、こういったことができないものだろうか。私のところにもちょいちょいそういった話が持ち込まれてくるのですが、もう二十年、三十年たっておりますから、戦友であるとか、当時の出征したときの状況であるとか、こういったものを記憶をしておる人を捜すのが大変むずかしい。むずかしいけれども、私は遺族ですというふうな方が多いわけですね。ですから、いま言いましたように、当人が立証をするいろいろなものを探してくることはむずかしい。それを行政当局の方で援助の手を差し伸べるというふうなことが考えられないものだろうか。これは厚生省自身に限らず県、市、町村、こういったことについて、まず一点だけお伺いいたします。
○八木政府委員 私どもの援護行政の対象にしておりますのは、御遺族でございますとかあるいは戦傷病者の方々でございますので、できるだけこれらの方々のお立場に立ちまして、できるだけ援護の手が伸びるようにというのが私どもの基本的な考え方でございます。したがいまして、戦後三十年近くもたっておるわけでございまして、いま残っておりますのは非常にむずかしいケースでございますけれども、なかなか資料等の面でも十分じゃない点もございますわけですが、何とか努力すれば法律の対象になるのじゃないかというようなことで、私どももできるだけ御相談に応じまして、そういうような立場で少しでも努力すれば解決できるということで、県あるいは市町村等に対する行政の指導を行っている次第でございます。 なお、御指摘ございましたように、三十年もたってまいっておりますので、なかなかむずかしい問題があろうかとも思いますけれども、私どもの方の手持ちの兵籍でございますとか、そのほかの戦時名簿でございますとか手持ちの資料、あるいは国立病院等の資料等、私ども役所側でできる資料につきましては、役所側でもできるだけ探すという努力をやっておりますし、それから、いろいろな関係資料でこういう方についてなかなか物証がむずかしいという場合に、上官でございますとかあるいは戦友の方とかそういう方の人的な証明の資料ということを確保する必要がございますので、そういう場合に、こういう部隊にはこういう方がおられるという面の御相談等も、できるだけ役所のペースでできます問題については努力いたしたいということで、基本的には、非常に時日が経過してむずかしいわけでございますが、何とか努力をする方法があればできるだけの手段を尽くしたいという態度でやっておる次第でございます。
○田口委員 じゃ、その問題は、より一層努力をしていただくということで、これは終わります。 あとの一点は、こういう具体例についてこの法律で救えないものかどうかということなんですが、ちょっと趣旨を申し上げたいと思います。 長たらしい陳情文書があるのですが、要約をいたしますと、昭和二十年の十二月一日、もうすでに戦争は終わっておるわけですね。二十年の十二月一日に、これは終戦直後でありますから一本土の各地に旧軍がいろいろな施設を持っておったわけですね。この例は、三重県の島ケ原というところなんですが、旧陸軍の弾薬庫があったそうです。この弾薬庫を、もう十二月ですから戦争が終わって、当時マッカーサー司令部より弾薬の搬出処理を命ぜられた。そこで島ケ原村の村長が村内の警防団員に、その辺のところは文書であったかどうかは定かではありませんけれども、ともかく警防団員に、こういう占領軍の命令があったから弾薬を処理する作業に従事をしてもらいたい、こういった指示をして、相当人員が弾薬庫の処理に当たった。ところが、不幸にもそのうち三名が弾薬が破裂をして死亡したという事故です。 村当局では、これは戦争が終わった直後ではあるけれども、やはり一連の終戦処理という考えから、その遺族に対して、昭和二十八年以降、ということはこの法律が発効したことを契機にして、その遺族に対して、給付金の七割をめどにして今日までいわゆる遺族扶助料として支給をしておるわけであります。今日まで、小さな村でありますから、支給総額を計算をいたしますと、一年にとっては五万から十万ですから知れておるのですが、約三百三十万、今年度末になれば約三百五十万にもなろう。ありていに言えば、終戦処理、しかも占領軍の命令によってやったことではあるけれども、軍人軍属の遺族ということになるのじゃないか。これは村長の言い分ですね。そういうことから、遺族援護をやっておるんだが、この法律の対象にしてもらいたい、すべきじゃないか、こういうことなんです。 私も先般現地へ行ってまいりまして、その遺族にも会ったのですけれども、遺族はもう相当の老齢です。村長自身の話を聞くと、いろんな言い分もある。ところが十二月一日という時日はこれはいかんとも動かしがたいわけですから、いかがなものかということで、私自身がはっきりした返事もできませんけれども、ともかく今回のこういった改正法案の審議があるんだから、一遍何とかならないか努力をしてみようという話をしたのですが、こういう実例が他にもあると思うのですね。この法律の枠組みから言ったら、はっきり言って、終戦までですから、それから約三月たったこういう事故はいかんともしがたいと言えばそれまででありますけれども、事情から言えばどうも釈然としない面もあるし、遺家族援護という面から救済をする方法はないのかどうか、これをまずお伺いしたいと思います。
○八木政府委員 ただいま先生からお話ございました、具体的な三重県のケースでございますけれども、先生御案内のように、現在の戦傷病者戦没者遺族等援護法の法律の考え方と申しますか、たてまえと申しますのは、いわゆる戦後処理問題をすべて援護法によって解決するというのが法律の考え方ではございませんで、当時の軍人でございますとかあるいは軍属のような直接の軍の構成員、あるいは直接軍の構成員ではございませんけれども、軍事的な面、あるいは法制等によりまして相当の強制力が及んでおって、軍の構成員と同じような身分関係と見てもいいではないかというような準軍属の方を援護法の対象にしているわけでございまして、しかも、考え方は、そういうような身分関係のある方々につきましては、国が使用者である、したがって、使用者責任の立場で国家補償を行うというのが援護法の考え方でございまして、しかも戦傷病者戦没者というようなことで、原則としましては、そういう軍の関係に起因します死亡事故でございますとかあるいは負傷、疾病というものが対象になるわけでございますので、御指摘のケースにつきましては、一つは身分関係から申しましても、国の直接の使用者であるというような考え方はむずかしいわけでございますし、さらに、戦後の問題であるというようなことから、現在の援護法のたてまえなり考え方の体系の中では解決することはむずかしい問題ではないかというふうに思われるわけでございます。 一方、具体的なケースにつきましては、これは当時、昭和三十六年に連合国占領軍等の行為等による被害者等に対する給付金の支給に関する法律ということで、御指摘のようなケースもあろうかということで、当時そういう面の御遺族の援護というような形でこの法律が出ておりまして、御指摘のケースの場合には、昭和四十年の九月に遺族給付金が二十万円、舞祭給付金が五千円、それから昭和四十三年の六月に特別遺族給付金十五万六千円、妻に対する支給金五万円というような別の法律によります処遇が行われているというような状況でございます。
○田口委員 いまおっしゃるように、そういった身分関係、それから発生した時期が戦後、こういうことからこの遺家族援護法の対象にならない、そう言ってしまえばそれまでなんですね。私は、くどいようですけれども、この遺族なり村当局の言い分をそのまま受け売りをして言えば、一体だれの責任かという言い方が一つあるわけです。旧軍の施設を除去するために占領軍の命令によって村長が指示をしてその警防団員がそれに従事をして死んだ、当然にこれは公の責任ではないか。村なり県なりという言い方ではなくて、公の責任だという言い方ですね。 また、一方ではこういう言い方も出てくるわけです。村長の言い分ですけれども、昨年の本法の改正によって身分関係がはっきりしておる警防団員についても一部準軍属の扱いをされたようである。となると、時期を異にしておるけれども、これは警防団員であって、指令によって動いたんだから準軍属ということになりはしないのか。 それから、三つ目は、これは占領軍の肩を持つとかどうとかではなくて、いま局長がおっしゃった連合国占領軍等の行為等による云々という法律は、聞いてみると占領軍の不法行為ということにどちらかというとウエートがかかっておるのではないか。今度の場合には、旧軍の弾薬をそういった占領軍の命令によって除却したんだから不法行為にはならぬのではないかという、まあ素人考えの意見を三つ、私に言ったわけですね。 ですから、つまるところ、この事故の責任というものは一体だれになるのか。いま言った連合国占領軍等の行為等による法律で一切もうけりがついたものと考えるべきなのか。これは、もうおしまいなんだよ、一時金四万五千円なり五万円渡しておるんだからこれで相殺されたんだというふうに、一件落着というふうに見るべきなのか。それであるにもかかわらず今日依然として一年間に三十八万三千円から五十六万円といったような金額を村当局が出しておるのは、これは村当局の独自行為であるというふうに突っぱねてしまうのか。こういう問題が起こるわけです。それだけひとつ最後に承りたいと思います。
○八木政府委員 お話の出ました三重県のケースでございますけれども、確かに警防団員であったということは事実のようでございますけれども、昨年の国会で御審議いただきまして新たな援護法の処遇対象になりました警防団員、これはあくまでも戦時中の旧防空法に基づきます公共防空業務に従事するという意味で国の強制力が相当及んでおった。したがいまして、直接軍の構成員ではございませんけれども、軍人軍属と同じように扱っていいのではないかというようなことで、準軍属としまして身分関係がある者と同様な取り扱いをしたというのが、昨年の警防団員の改正であるわけでございます。 お尋ねございました進駐軍の命令により戦後行ったということにつきましては、やはり援護法の基本的な考え方でございます国が使用者であったというような援護法の現在の法体系の中の問題として考えるというのはむずかしい問題ではないかというふうに考えられるわけでございますし、しかも戦後の問題であるというようなことからも、御指摘ではございますけれども、援護法の中で解決するというのはまずむずかしい問題であるというふうに思うわけでございます。 それから、たまたま事故が起きましたのは旧軍の弾薬であったということでございますけれども、進駐軍の命令によって弾薬を搬出している際の事故というようなことでございまして、これの責任がどこにあるかということになると、これは非常にむずかしい問題でございまして、責任がどこという議論はそう簡単に詰められない問題ではないかというふうに思いますけれども、そういう問題等も恐らく考慮されたのだろうと思いますし、これは厚生省の法律ではございませんので詳しいことはお答えできないわけでございますが、そういうような事情もあるからこそ、先ほど御説明申し上げましたような連合国占領軍等の行為等による被害者等に対する給付金の支給に関する法律ということで、一応国としましての措置というのがそういうような事情も考慮された上でできたのではないかというふうに考えておる次第でございます。
○田口委員 きょうは時間がなんですからこれで終わりますが、いま言った八月十五日に戦争が終わって実質九月二日から発効なんですが、昭和二十年内に、終戦直後にこういった事故が他にもあると思うんですね。私が調べた限りでは、九州に、海と山の違いでありますけれども、大神丸という漁船がやはり占領軍の命によって弾薬を運搬をして、それが爆発をして船もろとも犠牲者が出ている。これも今日なお未解決になっておるそうであります。こういう問題が他にもあると思いますので、確かにおっしゃるように、本委員会の議題になっておるこの援護法の内容についてはなじまないということもわからぬでもないんですけれども、やはり責任は公にある、こういった立場から援護する具体的な方法について、なお検討をしてもらいたい、こういうことを要望いたしまして、私の質問をこれで終わります。
○大野委員長 次に、島本虎三君。
○島本委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案、これについて数点にわたって私は大臣にこの対策の今後の問題等についてひとつゆっくりお聞きしたいと思うわけであります。 まず第一番に、今回のこの改正では、戦没者の遣族に二十万円の特別弔慰金を支給するとしておるようであります。戦後、すでに三十年もたっておって、このような時期に改めて戦没者の遺族対策を行うという趣旨、これはどこにあるのでしょうか。この点を明確にしてもらいたい、こう思うわけであります。いままで対策がおろそかだったのか、それともこれで打ち切るのか、それとも何か他に意図があるのか、この点いかがでしょう。
○八木政府委員 お答え申し上げます。 御質問がございました、今回御提案申し上げております援護法等の改正の中で、戦没者の御遺族に対しまして、二十万円の特別弔慰金を支給いたしたいということでございますが、今回お願いしております考え方といたしましては、ちょうど昭和五十年というのは戦後三十周年に当たるわけでございまして、国といたしましては、さきの激しい大戦のとうとい犠牲になられました戦没者の御遺族の方々に特別な弔意の誠を示す必要があるのではないかというようなことが一番基本になっているわけでございますし、なお、たまたま戦後二十周年でございました昭和四十年におきまして、やはり特別弔慰金ということで国債の制度ができたわけでございますが、当時は三万円でございますが、昭和五十年はちょうどその最終の償還時期が終わるという方々が出てくるわけでございますので、戦没者の御遺族に対しまして、公務扶助料なりあるいは遺族年金等によります処遇をいたしているわけでございますが、御遺族の方々の中には、こういうような現在の恩給法なりあるいは援護法の遺族要件等によりまして、公務扶助料なりあるいは年金に該当されないという方々があるわけでございますので、そういう方々に対しまして、戦後三十年に当たりまして国としまして特別の弔意の誠を示すというのが今回の改正をお願いしている趣旨でございます。
○島本委員 六十年にはどうするつもりですか。
○八木政府委員 戦後三十周年ということで今回お願いして、これからこの制度が始まろうということでございますので、特に六十年の問題、現段階で十年先の問題でございますので、特に考え方はございません。
○島本委員 これはもう激しい大戦の犠牲になった人に弔意の誠をささざるつもりだ、そういう意味だ。それと戦没者の遺族ということに重点を置いて考えているということですが、これは銃をとらなくても、日本国内においてそれ以上の犠牲になった人、いわば国民のほとんどがその犠牲者じゃありませんか。特定の戦没者の遺族というこれに限定してしまうという理由は今後の行政上いろいろな点からして困難性がないのか、疑義がないのか、これでいいのか、その辺まで十分お考えでしょうか。むしろ、原爆の被害者、あれは何にも知らない、知らない人がもうあのような惨たんたる被害を受けたわけです。そういうような人たちも同時に戦没者に当たるような犠牲者じゃありませんか。もしその家族があるとすれば、そういう人々も大事にしてやるべきじゃないでしょうか。もし、いま言ったような戦没者の遺族という点に重点を置いたら、もっと範囲を広げる必要がないか。もし、激しい大戦の犠牲になった人に弔意を表する、銃を持った人だけに限定するんだという考えならば、今後の問題として残るわけでありますが、この辺についてのお考えはどうなんでございましょうか。
○八木政府委員 今回の弔慰金の考え方といたしましては、戦傷病者戦没者遺族等援護法あるいは恩給法の考え方が国家補償の考え方である。したがって、先ほど田口先生にもお答え申し上げましたように、現在の恩給法なり援護法の考え方におきまして建国との直接の軍人軍属のような身分関係のある方、あるいは直接の身分関係はなくても同じように考えていい方々に対しまして、国家補償の考え方によりまして、公務扶助料なりあるいは遺族年金の支給という制度が行われているわけでございます。そういうことでお亡くなりになりました方々の御遺族でございましても、国家補償という考え方で公務扶助料、年金が支給されるということでございますけれども、御遺族によりましては、すでにそういうような公務扶助料あるいは年金の資格要件に該当されない方々がおられる。したがって、同じような戦没者でございましても、全く年金の対象にならない。しかも、国家補償の考え方で年金等の支給が行われるわけでございますので、そういうような御遺族の方々に対しまして、同じような考え方によりまして、公務扶助料、年金の支給されない御遺族に対しまして、国としての弔意の誠をあらわすというのが今回の趣旨でございますので、広い意味の戦争によります犠牲者すべてを対象にするということではないわけでございます。
○島本委員 年金の資格要件に該当しない人々があるからというのですが、それはたとえばどういうような人ですか。
○八木政府委員 現在、公務扶助料なりあるいは援護法によります年金の対象になっておられます一番代表的な方々は、奥さんでございますとか、あるいは御両親でございますとか、それからかつては子供さんでございますとか、そういう方々が中心だったわけでございますけれども、子供さんも一定の年齢制限がございまして、成人に達しますと公務扶助料なり年金が支給されない。したがいまして、御遺族はほかにおられなくても子供さんだけ残っておられた。しかも現在戦没者のお墓をお参りし、祭祀を行っているという子供さんがおられるわけでございますが、そういう子供さん、それから兄弟姉妹、こういうような方々、これはもう妻もおられませんし、御両親もおられない、子供さんもおられないというような場合に兄弟姉妹というのが大部分であろうというふうに思うわけでございます。
○島本委員 大臣もこの点については、「戦傷病者、戦没者遺族等の援護については、遺族年金等を大幅に増額するとともに、終戦三十周年に際し、戦没者の遺族に新たに特別弔慰金を支給することとしております。」と、所信表明の際にもこれははっきり述べられているわけです。そうすると、この二十万円というようなものの根拠はどこにあるわけですか。
○八木政府委員 弔慰金でございますので、具体的に積み上げた根拠ということではないわけでございますけれども、たまたま前回の昭和四十年に支給されました特別弔慰金につきましては、三万円の国債でございます。したがいまして、十年償還でございますので年額三千円だったわけでございます。その後十年を経過したわけでございますし、今日の時点におきますいろいろな社会情勢、経済情勢等を考えました場合に、二十万円の交付国債ということになりますと、年の償還額は二万円ということでございますので、ただいま申しました昭和四十年以降のその後の状況等を総合勘案いたしまして二十万円という額になっておる次第でございます。
○島本委員 もしその辺が根拠だとするならば、物価の値上げその他を考えても、三十万円くらいにしてやるのがむしろ妥当じゃありませんか。二十万円でなければならないというようなその根拠はどこなんだということです。
○八木政府委員 前回の三万円に比較いたしますと約七倍になるわけでございます。物価の上昇等を考えました場合に、昭和四十年から昭和五十年等の物価の動きを見ますと二・何倍ということでございますので、そういう物価の状況等以上の七倍でございますので、物価の状況を上回りまして、さらに、戦後三十周年である、国としての特別の弔意の誠をあらわすというような総合的ないろいろな面を判断いたしまして、二十万円という額になったわけでございます。さらに、今後十年間の償還が行われるというようなことがございますと、今後の物価上昇等も考えなければいかぬというような問題もあろうかとも思います。
○島本委員 戦没者の遺族相談員、戦傷病者の相談員、こういうような人は全国で何人おりますか。
○八木政府委員 遺族相談員についてはたしか千四百十名、それから戦傷病者相談員につきましては九百四十名だったと思います。
○島本委員 その手当はどれほど出ていますか。
○八木政府委員 昭和四十九年度におきましては、これは一件当たりということになっておりますけれども、各人当たりの計算をいたしますと、年額八千四百円に相当いたします。昭和五十年度におきましては、これをできるだけ改善いたしたいという努力をいたしました結果、年額一万円を予定いたしている次第でございます。
○島本委員 いま民生委員は幾ら出ておりますか。
○八木政府委員 民生委員に対します手当につきましては、児童委員を兼ねておりますので、民生委員と児童委員両方合わせましての額で申しますと、四十九年度が一万八千円、それから五十年度は二万四千円を予定している次第でございます。
○島本委員 どうも民生委員の手当に比べて、戦没者の遺族相談員や戦傷病者相談員に対する手当は、何か妙に少ないような算定じゃございませんか。これはもう戦争犠牲者に対して十分なる手当てをしなければならないということに対して、少しこの辺矛盾いたしませんか。
○八木政府委員 私ども、戦没者の遺族相談員、戦傷病者の遺族相談員、ボランティアという、民間の篤志家ということで、非常に御熱心に私どもの戦傷病者なり遺族の相談に乗っていただいて、全く民間の立場で御協力いただいているわけでございまして、非常に感謝申し上げている次第でございます。 現在、手当の面として不十分な点があるのではないかということでございますが、私ども、現在の謝金につきましては確かに御指摘のように決して十分な額とは思っておりませんし、現在の額につきましては、通信費とか交通費とか、そういう実費弁償的な額であるわけでございますので、機会あるごとにこれの増額には今後とも努力してまいりたいというふうに思っている次第でございます。 なお、民生委員、児童委員の方々との額に差があるじゃないかという点でございますけれども、確かに差がある点はあるわけでございますが、民生委員制度につきましては、かなり歴史の古い制度でございまして、今日まで相当の長い期間の積み重ねがあるという点が一つございますし、さらに、私どもの非常に御尽力賜っております戦傷病者なり遺族の相談員の制度につきましては、これは遺族相談員につきましても、できましたのがたしか昭和四十年で、十年程度しかまだ——戦傷病者の相談員が最初でございますが、十年程度しか経過してないわけでございますし、それから民生委員、児童委員の方とやや違いますのは、民生委員、児童委員の方は、同じボランティアでございますけれども、一般の社会福祉全般を対象にしているわけでございますが、私どもの遺族相談員なり戦傷病者相談員は、戦傷病者相談員については同じような戦傷病者の方、遺族相談員の方につきましては御遺族の方から選ばれているわけでございまして、従来からも御熱心に活動されておりました方々でございまして、私どもその活動には感謝しているわけでございますが、できましたいきさつ等につきましても、そういうような民間で御熱心な方々につきまして、やはり厚生大臣から委嘱しましたこういうような制度をつくるというふうなことから、まあ一歩前進したというようないきさつもあるわけでございまして、御指摘の点、確かに民生委員、児童委員との額の差ということはあるわけでございますが、制度ができましたいろいろな背景等もあるわけでございますが、今後とも処遇の問題等につきましては機会あるごとに努力をしてまいりたいと思う次第でございます。
○島本委員 いまの御答弁でありますけれども、大体了解しないわけじゃないのです。ただ、歴史が古いから高い、歴史が浅いからこれはもう少ないのは当然なんだ。ことに、やっている人は熱心である、社会福祉の念に燃えてとにかく熱心である、こういうような答弁のようでありますが、その面だけ見ると少しおかしいじゃありませんか。そうしたら、歴史の浅いのは必ずもう、どういう重要なものでも、こういうような相談員の方、委員の人は少なくてもいいのか、そんなものじゃない。人の上に人をつくっているじゃありませんか、それなら。人間をつくっているじゃありませんか。どうもその辺の考え方が私は了解できない。 もう一つは、いわゆる戦没者遺族の相談員や戦傷病者の相談員、こういうような人が、そういうような一つの特別の技能というか必要性というものがあるとするならば、やはりそれは高く評価してやるべきだし、そうでなければ、民生委員、児童委員と同じにしてやって、対等に見てやる、こういうようなわけにはいかないのかどうか。これだけ離すならば、その必要性がはっきりあるわけですから、これはきちっとした手当を出してやるのが本当じゃないか。差をつけるというような、こんな考え方は納得できない。もし、さほどでもないなら民生委員の数をふやして、それらの人に特別のこういうような任務をひとつ負ってもらってやるというのも一つの手じゃないか。あまねく全部にわたりゃせぬか。ことに、まだ発堀のできない、そういうような該当者に当たる人たちが二、三%まだあるということは認めておられるようでありますから、そのために幅広くしたらどうか、こういうような考えに対してはどのようにお考えでしょう。
○八木政府委員 制度のできましたのが遅い早いによりまして差があってしかるべきだという趣旨で申し上げたのではないわけでございます。ただ、できました沿革等がいろいろな関係で違っておったという面と、それから戦傷病者なり戦没者の相談員の方は、同じ御遺族なりあるいは戦傷病者の方々でございまして、従来からもそういうような御熱心な活動をやっておったわけでございますが、さらにそういうような御努力に対しまして、少しでも、相談員制度をつくる、あるいは従来は全くそういうような処遇がなかったわけでございますが、そういう意味から一歩前進したというようなことからこの制度ができたという経過を申し上げた次第でございまして、額の増額の問題の点につきましては、先生の御指摘もございましたし、今後ともますます努力してまいりたいというふうに考える次第でございます。
○島本委員 この戦争犠牲者に対する対策というようなものは、これはやはり、いまこの時点においては十分に、むしろ完全にこれをやってあげなければならないんじゃないかと思います。本当の犠牲者、そういうようなものに対しては、十分手の届くだけしてやらなければならないのは当然でありますけれども、まだ残されている面がたくさんある、このように思います。 それと同時に、どうなっていますか、戦没者の遺骨収集、こういうようなことに対する計画はもう十分おありだと思うんです。ことに、まだ残っている面も相当あるのじゃないかと思われます。ビルマの遺骨収集団も、もう任務を果たして帰ってこられたようでありますが、今後はビルマの遺骨収集団については何回ほど行かなければならないのか。その他の地区に対してはどういうような御計画がおありなのか。その収集計画についてひとつ御発表願いたいと思います。
○八木政府委員 遺骨収集につきましては、講和条約発効まではなかなか行けなかったわけでございますが、昭和二十七年以来各主要戦域に政府の遺骨収集団を派遣いたしまして今日まで実施してまいった次第でございますが、ただ、当初は予算等も十分ではございませんし、それからまた相手国の事情等もございまして、なかなか十分な実施ができなかった次第でございます。昭和二十七年から昭和三十九年までが第一次計画ということで、主要戦域に実施したわけでございますが、さらに昭和四十一年から四十六年まで第二次の計画というのを実施いたしまして、各地域に政府派遣団を派遣いたしたわけでございます。しかし、戦後三十年近く迎えようとする今日、まだ南方その他の各地におきまして遺骨がそのままの状態であるということは申しわけないということで、国として強力に実施すべきであるというようなことで、また、当委員会等でもいろいろ御決議なり御質問等もいただきまして、昭和四十八年から第三次の遺骨収集計画というのを実施いたしまして、従来は、主に政府の職員だけで実施しておりまして、したがいまして、予算的な規模も非常にわずかであったわけでございますが、昭和四十八年から民間の方も御参加いただくということで、御遺族の方あるいは戦友の方、さらに青年遺骨収集団というような民間の方も御協力を賜りまして、民間の方に対します補助金の制度も設けまして、四十八年から大規模な計画的な遺骨収集を実施している次第でございます。 そこで、昭和四十八年度におきましては二億二千万、昭和四十九年度におきましては二億五千万という予算で実施しているわけでございますが、昭和五十年すなわち本年は戦後三十周年に当たるわけでございますので、遺骨収集につきましては大々的に実施する。しかも、新たな年次計画を立てました三次計画の最終年度でもあるというようなことから四億七千三百万、民間で御参加いただきます人員につきましても、本年度は四百人でございますが、来年度は八百人の方に御参加いただくというようなことで、一応来年度、いままでの相手国の事情等によりまして実施できない地域は除きまして、それ以外の地域につきましては、一応の全地域につきましての遺骨収集を実施するというような計画でおる次第でございます。 なお、お話ございましたビルマにつきましては、昭和三十一年に政府の遺骨収集団が参りまして実施して以来、相手国の事情等もございまして、全くそのままであったわけでございます。幸いにいたしまして、ビルマ当局の非常な御協力を賜りまして、先般一月にわたりまして、いままで政府が派遣いたしました遺骨収集団といたしましては最大規模の百四十人の遺骨収集団を現地に派遣して、つい先日、二月の二十四日に一月間の遺骨収集が終わって、一万七百十七柱の御遺骨を捧持して羽田に到着したような次第でございます。 ビルマの状況でございますけれども、今回実施しました結果、なかなか外国人等は行けないような辺地まで、ビルマ政府の非常な御協力を賜わりまして、行って実施したわけでございますけれども、今回実施した結果非常に交通不便なところ等もございまして、行きました団員の皆さんは非常な御苦労をされたわけでございますが、一万以上を超えます成果を上げたわけでございますが、帰ってまいりました団長等の話を聞きました段階では、まだまだ来年も実施しなければならないというような段階であるわけでございます。
○島本委員 来年も大々的に実施しなければならない情勢だ、このようでありますが、しかし、依然として、御存じのように思わないようなことがちょいちょいと出てくる。もういないんじゃないかと思ったら、横井庄一さんが歴史的な出現をしたり、もうこれで終わりかと思ったら、小野田寛郎さんが出現したり、もうないんじゃないかと思ったら、中村輝夫さんが出現したり、思わないようなときにこういうようなのがちょんちょんと出てくるわけです。当時の軍の記録等はもうないでしょうけれども比島、フィリピンではほとんど島でしょう。ルバング島だけが島じゃないわけです。そうすると、こういうような人たちがもういないのかどうか、十分その辺に対しての調査はできておりましょうか。ビルマは大きい一つの土地ですから、そこでわかる。島だけで構成されているような比島、フィリピンのようなところに対しては、ルバングを初めとしてネグロスやその他群小の島によって成っているわけでありますし、当時の軍の情勢等からして、もう横井庄一さんや小野田寛郎さんのような人がいないのかどうか。それらに対して十分に手を尽くしているのかどうか。遺骨の収集と同時に、遺体ならざる生きた人の収集も考えないとだめなんじゃないかと思いますけれども、この辺はどのようにお考えでしょう。
○八木政府委員 先生の御質問は、海外に残留しております元日本兵の救出の問題だというふうに理解いたしますけれども、私ども、小野田さんの場合につきましては、ある程度おられるということで何遍も救出活動をやったわけでございますが、今回の中村さんの場合にはまずいないのではないかというので、そういう意味ではやや驚いたというような事態であるわけでございますが、いずれにいたしましても戦後三十年近くもたちましたし、もしそういう方がおられればこれはもう一刻も早く救出しなければならないという問題であろうと思いますし、私ども従来からも在外公館でございますとかあるいは民間商社等にお願いしまして、できるだけそういうような生存情報がありました際には、情報の収集というのには必要な手を打っているわけでございます。さらに、最近各地域に大規模な遺骨収集団が参りますので、遺骨収集団が現地に参りました際に、現地等から情報がありました際には、それらの情報につきましても、一つ一つ調査する。中には非常に怪しげな情報もあるわけでありますが、怪しげな情報でございましても、一応情報がありました場合にはそれを調査するということで、できるだけの努力をしている次第でございます。中村さんの場合も、実はインドネシアに遺骨収集団が参りまして、現地の方で現地の方からそういうような情報がございまして、まずそういうことはないんじゃないか、しかし念のために調査してみようということで、インドネシアの空軍当局にお願いした結果、中村さんが発見されたというような次第もあるわけでございますので、私どもといたしましては、あらゆる機会、情報をとらえまして、そういうような生存の情報なり資料がある場合には一つ一つつぶしてまいりたいというふうに考えておりますし、相当確実な情報であるという場合には、厚生省から直接現地に参りまして一つ一つ調査してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
○島本委員 遺骨の場合は、予算を組んで、五十年の場合には四億七千三百万円ですか、相当大々的にやられる。そのことに対していろいろ言っているのじゃないのであります。 私自身もフィリピンにずっとおったのであります。そして二十一年に帰ってきましたが、ネグロス島のバコロドの方へ渡りましたが、あの島の周辺を見ましても、大小の、ルバング島以下の、またそれ程度のものはたくさんあるのであります。あの島の一つ一つはとうてい渡ってみるわけにはまいらないのでありまして、そういうようなたくさん島があるその中に、もういないということにもどうも思えない点もないわけじゃないでしょう。したがって、もうあらゆる手を尽くして、その辺の住民に島の一つ一つについてそういうようなのはないかというようなことを聞き込みをするとか、政府の手を経るなり民間の協力を得るなりして、それをすべて実施済みでしょうかどうかということなんです。同時に、あのネグロス島にしてみても、バコロドから上がってサンフェルナンドの方へおりるまでの間には、山あり谷あり、あの辺には相当急流もあって、そこを越えて反対側までおりましたが、あの辺の渓谷やそういうようなところには相当住むにいい、温泉さえわいていたりするような場所もありまして、冬のような、こういうような寒い気候もあまりございませんし、住むには好適な場所もあるわけであります。 そういうふうにしてみますと、やはりもっともっとせっかく四億七千三百万円もかけてやるわけですから、それ以外に聞き込みや情報等を得て、そういうような人の探索あたりも完全におやりになったらどうでしょうか。ことに、フィリピンの場合は大陸ではございませんし、ほんとに小さい島によって成り立っているのであります。大きい島といったら四つか五つしかないのでありまして、あとは小さいのでありますけれども、そこに全部住民がいるのですから、その辺は十分手落ちなくこの機会にひとつ聞き込みや協力を得て、情報を得るなりいろいろなことをやってみたらいかがでしょうか。私も経験者の一人として向こうに行ってきた以上、いろんな自分の体験を通じてわかるんです。あすこはただ単に机上の問題だけじゃ解決できません。あまり情報もよくないようでありますけれども、それは日本の軍隊も大分荒いことをした、こういうような一つのまだ怨恨が残っておるんじゃないかとさえ思われます。そういうようなことからしても、まだ不安でございましょうが、そういうような手だてだけは十分つくらないといけない、こう思うのであります。遺骨の収集とあわせてそういうような探索その他についても十分これは考えておられましょうか。やっているとすると、あの島全部にそれをやったでしょうか。フィリピン全体、これだけを対象にして、ひとつ事務当局からでも結構ですが、この辺だけははっきりさしていただきたいと思います。
○八木政府委員 お話ございましたあのフィリピンにつきましては、非常に広大な地域でございますし、戦没者も非常に多い地域でございます。したがいまして、従来からの遺骨収集につきましても重点地域の一つでございます。すでにフィリピンにつきましては回数は非常に多いわけでございまして、昭和三十三年、昭和四十二年、四十三年、四十四年、四十八年、四十九年と実施しておりまして、明年も実施する予定にいたしておる次第でございます。 それから、お話ございましたネグロス島につきましても、遺骨収集に行っております。行きました際には必ず、お話ございましたように、住民の方からの情報等ございますれば、できるだけそれを知りたいということで調査をいたしておる次第でございます。 なお、フィリピンにおきます生存情報等につきましては、具体的な例で申しますと、昭和四十四年の六月にコタバト東方九十キロメートルに元日本兵二十六名が住んでいるというような情報がございまして、これにつきましては四十七年の七月、さらに四十八年の十一月に調査団を派遣いたしましたが、日本人は生存しているという確認はできなかったような次第でございます。さらに、最近の例で申しますと、フィリピンのミンドロ島に元日本兵らしい者が生存しているのではないかという一部の情報等もございましたので、遺骨収集団が昨年の十二月に参りました際にも、現地の官憲の協力を得まして調査したわけでございますが、これにつきましても、日本兵が残留しているという確証は得られなかったというような次第でございまして、私どもは何か情報はないかというので遺骨収集団が参りましたときは必ず聞くことにしておりますし、情報らしいものがありました場合にはできるだけ調査する。さらに商社等にもお願いしまして、情報がありました場合には厚生省に通知してほしいというお願いを商社等にいたしております。
○島本委員 そうすると、いま報告があったのは、コタバトそれからミンドロ、そのほかにもたくさん島がございましょう。そういうような島に対してはこの二、三カ所だけで、あとはほとんど報告はないのですか。こっちから探索はしないのですか。しているんですか。しているけれども全然ないんですか。その辺はどうでしょう。
○八木政府委員 フィリピンにつきましては、相当な島につきましても行っておるはずでございます。具体的にどの島ということになりますと、いま手元にはございませんが、先ほど御説明申し上げましたのは、具体的にそういうような生存情報がありました点を申し上げているわけでございます。 なお、元日本兵で小野田さんとか横井さんのケースではなしに、南方にそのまま残留されたという元日本兵の方は、これは南方各地等含めまして約三百人ぐらいおられるわけでございますが、そういう方々につきましては、平穏な生活をしておるわけでございますので、特にそういう方々についての調査というのはいたしておらない次第でございます。
○島本委員 ちょっとくどいようでなんですけれども、帳面の上だけじゃないんです。私もあの辺ずっと行ってきたから何かしらわかるのでありますが、大陸なら、大陸というのはその辺一帯をやればわかるんですが、島は全然独立して、そこへ入ってしまうとほとんどわからないけれども住民はいるんですよ。簡単な食住の生活ですから、だれでも入れば入れるわけです。それに太陽もなかなか、灼熱のもとですから色はすぐ黒くなるんですよ。そういうような状態の中でそれに適応をしながら生活している人もあって、もう来たくないというならそれはしようがありませんけれども、あの島そのものは大分ございますけれども、それらあたりに対して全部やっているとするならばいいのでありますけれども、いま発表された、これだけだったら、パナイ島だとかその他にもいろいろございますが、その島はわりあいに大きいんです。ところが、細かい島がたくさんあるんですが、そういう島全部に対して手を入れたかということなんです。入れてあればいいんですがね。それはどうですか。
○八木政府委員 ちょっと手元に資料がございませんのでわかりませんが、フィリピンにつきましてはかなりの島嶼につきましてもやっておりまして、パナイ島につきましてもやっております。 それから、私ども現地の大使館も通じてお願いしておりますし、さらに相手国の政府にもお願いしておりまして、元日本兵らしい情報というのがありますれば、そういうようなルートを通じましても何らかの形で連絡があるということになっておりますし、それから、最近では商社がかなりの辺地まで入っておりますし、商社の方からもそういう情報がありました際にはいただくということにしている次第でございます。 ただ、現地妻を迎えられまして、現地で平穏な生活をされておるという方々につきましては、フィリピンなりあるいはインドネシアなり、かなりの方がおられるというのは事実でございまして、そういう方々の名前も私どもはある程度把握しておる次第でございますが、横井さん、小野田さんのようなケースではないわけでございますので、そういう方々につきまして、もし日本へお帰りになりたいということでございますれば、これは十分援護の措置はとりたいと思っております。 いずれにいたしましても、私ども、何らかの形で情報がありますれば、それは調査いたしたいということで、先生の御指摘の趣旨は全くそのとおりでございますので、今後ともそういう方向で努力してまいりたいというふうに思っている次第でございます。
○島本委員 少しくどうございますけれども、ビルマの次は、今度はどこを集中的におやりになるんですか。
○八木政府委員 来年度の予算におきましてはかなり大幅な実施地域を予定している次第でございまして、特に、ビルマだけということではございませんので、来年実施いたします地域は、もちろんビルマも含めましてフィリピン等も相当重点を置いておりますし、中部太平洋あるいはミクロネシア等の地域を含めまして、いままで遺骨収集を過去昭和二十七年以来実施しておりました中で十分でなかった地域、今後やる必要がある地域、これは来年度におきましては幅広く全地域につきまして実施いたしたいというような考え方でございます。したがいまして、相手国の事情によりまして行けない地域が残るという以外には、一応の地域につきましては来年度によりましてかなりな実施の成果が期待できるのではないかというふうに考えておる次第でございます。
○島本委員 わかりました。 フィリピンは全部で島は幾つありますか。
○八木政府委員 ちょっと正確な数は調べませんとわかりませんが、千を超すのではないかというふうに考えております。
○島本委員 その全部の島に対して手を入れたんですか。
○八木政府委員 遺骨収集で実施します地域につきましては、当時の軍の記録あるいは戦友等の証言等もございますし、島がございましても、全部戦闘が行われたわけではございませんので、戦闘が行われまして、遺骨の情報があるというような地域につきましては一応一当たりやりたいという方向で進んでおる次第でございます。
○島本委員 ルバング島では戦争は行われましたか。
○八木政府委員 ルバングでもありました。
○島本委員 そのほかの島は、千幾つかある島のうちほとんどが行われた状態でしょう、ですから、完全にやるということであるならば、十分調べてほしいということなんです。いつでも重点的で行きやすいところだけ行っている。こういうのではだめだ。どうせやります以上は、きちっと島の数くらい覚えておいて、それで、その上に立って完全な調査をするのでないといけません。何かまだその辺まで行ってないようだ。もしそうだった場合には、生存している人がまだいるかもしれないではありませんか。全部やっているんでしょうか。ちょっとその辺が手ぬるいような気がするんですが。
○八木政府委員 現在この席で手元にはございませんけれども、フィリピンの各島につきまして、どこで戦没者が亡くなられ、遺骨が大体どこにどういう状態になっているのではないかというような情報はあるわけでございまして、私ども基本的な考え方としましては、遺骨の情報があり、そこで戦没者があったという地域につきましては一応実施いたしたいということで進んでいる次第でございまして、現在ここでは手元に資料がございませんけれども、機会を改めて別に御説明申し上げたいと存じます。
○島本委員 では、なお完全にやって、私は地勢その他はある程度知ってますが、小さい島が多いところでありまして、住めばなかなかいい場所でありますから、そのままいる人がないということはちょっと考えられませんので、十分その辺を手を入れてほしいということであります。 次に、去年のこの援護法の改正によって処遇対象になった警防団員、いわゆる防空従事者ですか、こういうような人の、先ほど田口さんもちょっと質問されましたが、証拠書類であるとか証人もない、こういうような場合も多いんではないかと思うんです。これらの人に対して援護法による処遇、こういう漏れているようなものに対して、どのようにして今後対処していこうとしておるんですか。前にも若干の答弁ございましたが、あの答弁だけでは、私、ちょっと不足なんでございまして、この点をまずお伺いいたします。
○八木政府委員 確かに三十年近く経過いたしておりますので、資料等の面につきましてなかなか集めにくいというむずかしい事情はあろうかと思います。ただ、そうかと申しまして全く資料がないというのでは、やはり公的な給付でございますから、これがなしではできないわけでございますので、私ども御遺族なりあるいは戦傷病者のお気持ちあるいは立場に立ちまして、できるだけ資料の確保という面につきましては、役所で持っております資料あるいは公的機関で持っております資料等につきましては、たとえば現在の国立病院等におきましては、もとは陸海軍病院でございますので、かなりな資料等も、なかなかない場合もありますが、ある場合もあるわけでございますし、そのほか上司でございますとかあるいは同僚からの証明書等の問題、あるいは死亡した方の復員までの間の症状経過に関しますいろいろな申し立てでございますとか、あるいはお医者さんの診断書、病歴書等、何らかの意味で参考になるという面につきましては、御遺族なりあるいは戦傷病者の方の立場に立ちまして、できるだけそういう面の資料の補強という面には努力したいというふうに考えている次第でございまして、さらに戦傷病者の、先ほど御質問ございました相談員なりあるいは遺族相談員の方の御協力も賜りまして、できるだけそういうような方々の援護の万全を期してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。 なお、昨年の改正で新たな処遇対象になりました警防団等の防空従事者あるいは医療従事者等につきましては、法律制定後直ちに県の方にも十分連絡いたしまして、せっかく法律ができたのに対象にならぬことがないように、できるだけ幅広く援護の対象になるような指導をしてほしいというお願いをしておりますし、厚生省の方で持っております名簿等につきましては、積極的に県の方に、こういう名簿を持っているからということで通知いたしております。さらに、当時の弔辞でございますとか、あるいは県あるいは市町村で持っております資料等も十分活用するようにというような指示をしている次第でございます。 何分にも時日が相当経過しておりますので、むずかしい問題でございますけれども、私どもできるだけ創意工夫をこらしまして解決してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
○島本委員 国内では、そういうように援護法の改正によって処遇の対象になるような人の範囲を広げていますが、またちょっと前へ戻りますが、私も前におりましたフィリピンでは、現地におる日本人がそのまま徴用されています。そして、陸軍属という名前になっている人もあり、そうでなくただ単に徴用されている人もあったわけですが、そういうような人の遺骨はどういうふうになるんですか。
○八木政府委員 先生御質問の趣旨は、当時の、軍人ではございませんで、軍属あるいは一般邦人等も含めて、戦闘行為に巻き込まれて、その戦闘行為の中でお亡くなりになった方の御遺骨というふうに理解して答弁させていただきたいと思いますけれども、私ども遺骨収集に参ります際に、ほとんどの方がもう相当の期間を経過してございますから、具体的にその方がどういう方であるという、御本人を確認するというわけにはまいりませんで、ほとんどがお名前もわからない方の御遺骨ということが現在の遺骨収集の中心であろうかと思います。したがいまして、現在行っております遺骨収集におきましても、特に、軍人軍属とかそういう亡くなられた方の身分ということには関係なしに実施しているわけでございまして、もし戦闘行為等で亡くなられました軍属なりあるいは一般邦人の方がございますれば、同じような現在の遺骨収集の中で御遺骨を収集してまいってくるというような次第になっておることでございます。
○島本委員 よくわかりました。 フィリピンの島の数は幾つでしたか。
○八木政府委員 ちょっと現在調査しておりますので、後ほど答弁申し上げます。
○島本委員 千幾らと言ったんでしょう。
○八木政府委員 千を超えるということで、正確な千幾つという数字がわからないわけで、約千幾つということでございまして、正確な数はわかりません。千を超えることは間違いございません。
○島本委員 私が言うのは、正確に収集するなら、後から情報を得てやるというのではなくて、初めから、ある島、または日本人が行ったかもしれない、行かなくても後からその辺へ行ったかもしれないと思われる、その辺の情報も完全に的確に収集しないとだめだ、こういうような趣旨なんです。千幾つかという、その程度の淡い資料しかないんですか。
○八木政府委員 現在ここの手元にはないということでございまして、具体的な当時の軍隊がどこに駐在しておったという記録は全部あるわけでございますし、それから、そこでどういう方が亡くなられたということもわかっておりますので、その辺は一つ一つの島につきまして、この島は当時日本軍がおり、それからどのぐらいの方が亡くなられたという記録はございます。
○島本委員 だけれども、後からそのまま他の島の方へ行って生存している人があるかもしれない。そういうような点も一緒に今度調査するということです。少なくとも、フィリピンを対象にするなら、名前はわからなくても、島が幾つあるかぐらいは完全に掌握しておいて、それからの調査でないと困るのじゃないですか。千を超えるだろうと思う、まだわからない。七千百九ではないですか。千を超える程度しかもうやらないと言うんですか。やはりまだまだ不完全。その程度のことなら、これから何年続くかわからぬということになるじゃないですか。やはりやるなら、この際四億七千三百万円もつぎ込んでやるという以上、これは完全にその辺まで資料を収集して、そして完全にやるべきではございませんか。島が幾つあるのかわからない、千を超えるだろう。それは常識だ。ところが実際は七千百九もある。そんなことも知らないというのじゃ、何ですかそれは。少しあいまいなところだ、そんなことで完全に収集できるなんて大きいこと言えますか。まあ、それじゃしようがないですな。それだけあるんですから、そういうような島に対して完全に手を打つようにしてもらいたい、このことです。ただ、軍がおったからそこだけだ、こんなことでは済まないと思います。むしろ、生存するためには別なところへ行って生存しているかもしれません。その点を的確にやってほしいと思います。わかりましたかな。
○八木政府委員 いま役所の方に連絡をとりましたところ、先生御指摘のように島の数といたしましては七千ございます。それから、そのうち戦場になりました地域につきましては三百ということで、この七千のうち戦場になりました島は具体的にはどういう島かというのは、全部私どもの方で把握いたしております。 で、先生御指摘のように、あるいは他の島へ移って現在も生存している方があるんじゃないかというお話でございますが、私どもは、先ほど申し上げましたように、現地の政府の方にもお願いしておりますし、それから遺骨収集に参りました際にもいろいろ住民からも情報を得ておりますし、さらに商社等にもお願いしておりますが、さらに、これだけの多くの島でございますから、御指摘のお話もございますし、私どもできるだけ今後ともそういう面につきましての調査なり究明につきまして努力をしてまいりたいというふうに考えております。
○島本委員 それでこの問題はピリオドを打ちたいと思いますが、やはりもっとはっきりした情報を、局長じゃなく部下の皆さんも把握してないといけませんよ。千を超えるなんて言ったって、七千百九もあるのに、それも知らないで漫然と国会答弁に出てくるなんて、皆さんももう少し科学的にこれはきちっと今後やってほしい、このことだけは強く要請しておきたいと思います。 それと、先ほど田口委員からの質問がありました。そしてまたそれに御答弁がありました。いまこの戦傷病者戦没者遺族等援護法の改正に当たっての該当者で、まだこの対象になっていない人の数は二、三%はあるはずである、積極的な掘り起こしをして、当の本人が困難である場合には、これは行政当局は手を差し伸べてやれ。行政当局の方では、できるだけ援護の手が伸びるようにする考えである、努力すれば法の対象になるのではないかと思って、関係資料によっても、物証による証明がむずかしい場合といえども、できるだけ最大の手段を講じて努力する、こういうような答弁があったように思いますが、そういうように解釈してよろしゅうございましたでしょうか。
○八木政府委員 現在、恩給なりあるいは援護法——まあ厚生省の場合ですと援護法になるわけでございますが、申請がありまして、そのうち却下になったケースというのは何件かあるわけでございますけれども、これは資料等の問題もあろうかと思いますけれども、具体的な内容等につきまして、資料面だけではなしに、ずいぶん援護審査会等でいろいろ御議論いただきまして、どうしても公務と認められない、あるいは発病等につきましても戦後の発病で公務在職中の発病ではないというようなことで御審議いただきまして、医学的な判断等の結果、援護法の対象になりませんで棄却になったというケースがあるわけでございまして、したがいまして、こういうような棄却になったケースがすべて全部掘り起こしができるということは、なかなかむずかしい問題と思いますけれども、ただそれらの棄却になりましたケースの中でも、その後新たな資料が出てきたとか、あるいは従来の判断が間違っておったというようなケース等につきましては、御遺族等の立場に立ちましてできるだけ考え直すということは可能かと思いますけれども、それをすべて抱き起こすというのはそう簡単にはいかない問題ではないかと思います。しかし、資料等につきまして、その後努力した結果、何らかの結びつきができるというものにつきましては、十分検討いたしてまいりたいというふうに考えております。
○島本委員 何か先ほどの田口委員に対する答弁からまたちょっと後退したようでありますけれども、当の本人が困難である場合といえども、できるだけ行政当局は努力して趣旨に沿うようにするのだ、こういうような考えだと言うのですか。これは大臣に聞いた方がいいと思うのです。大臣、そういうようなお考えですか。
○田中国務大臣 できるだけ適用するように、あれやこれやの資料を収集いたして、その方向で運営をいたしております。
○島本委員 どうもそういうように考えながらも、そうでない行き方が散見されるのです。これはやはり厚生省と総理府、その違いがありましても、現在戦後三十年たっている、もうすでにこういうような問題に対しては——予想もしなかったような、いま日本は環境破壊の公害列島になった、こんなことは三十年前にはだれも予想しなかったわけです。戦争は最大の破壊でありますけれども、それにしても、疑わしきは罰せずという原則から、最近では被害者に対しては、公害の場合特に疑わしきは救済するというふうに世の流れがだんだん変わってきている、疑わしくても救済する、こういうふうに変わってきておるわけです。もう戦後三十年、この辺でピリオドを打つならば、総括的にこういう疑わしいものであろうとも十分それを勘案して救済してやる、こういうような精神が必要なのではないか、こう思うのであります。しかしまだそういうふうに行ってない、残酷な例がまだまだあるのであります。 北海道の島牧郡島牧村栄磯というところに老人が住んでおります。その人の一人息子が中川忠男という人です。それがようやく戦地から二十三年に戻ってきた、ふらふらになって戻ってきた。そして、二、三週間はまず元気、それから少し体がおかしくて、六カ月後に再び入院した。肺が悪いのであります。そして、そういうふうにやっておる間に、二十三年から二十八年、三十二年、三十四年、三十五年と入院して、ついに死んでしまったのです。それに対して何ら手も施せない、こういうような例があります。これはもう抑留されていて肋膜炎になっている、それから肺を患ってしまったのです。そして二十三年に帰国したのです。そして肺結核になってしまったわけです。入院したけれども、もうそれまでの間に、戦地から帰ってきたときに体は大分疲弊しておった。そうして上葉肺ですかこれを切除した、その後また胃潰瘍で手術した、そしてまた十二指腸潰瘍で手術した、しかし急性肺虚脱で呼吸困難で死んでおる。これは当時の病気と関係ないから、何回この老人がこれを申請しても全部却下、いまだにこの申請が続いている。そして、これが四十八年七月十日これまた棄却と決定した。これはもう三回ぐらい上告をしておるのです。これはもう疑わしきは救済をするという、戦後三十年できるだけ援護の手が伸びるようにという、この精神とほとんど逆行をしておる。その奥さんには子供が一人おる。しかしまだ老人とともにいて、自分の子はただ単に犬死にではないのだという、それがこの老人の記憶から離れていないのです。 総理府も来ておりますが、これはどういうことですか。戦後三十年、こういうようなことさえも救済できないのですか。総理府の意向を聞きます。
○菅野政府委員 お答え申し上げます。 ただいま先生御指摘の中川さんの件でございますけれども、先生がいま言われましたような経過で、三十五年にお亡くなりになって、その後奥様の方から公務扶助料の請求があったわけでございますが、先生のいまお話しになった経過で、最終的に行政庁内の判断である最終的な結論として、棄却になっております。 これはいろいろな見地からこういう判断になったわけでございますけれども、結核の病状のこともさることでございますけれども、先生お話ございましたように、最後にお亡くなりになるときの死亡診断書等を拝見いたしまして、胃の関係の御手術でショック状態になりまして、心不全を起こして亡くなったということがポイントでございますので、これを直ちに公務による死亡であるというふうには認定できないわけでございまして、医学的な判断に基づきましてそういう決定に相なったわけでございます。
○島本委員 医学的判断によるといっても、それははっきりしたデータがあっての医学的判断ですか。そのときにお医者さんもはっきりおってのその証言もあるのですか、ただ単に推量じゃないんですか、この点どうでしょう。
○菅野政府委員 もちろん恩給の裁定に当たりましては、出された資料に基づきまして判断をいたすわけでございますので、そういう意味で、その場に恩給局の顧問医が立ち会っておるわけではございませんけれども、病状の経過書なり死亡診断書なり、そういうものを総合的に判断をいたしまして、いまのような心証を得たわけでございます。
○島本委員 依然として推量であり、その判断なんです。しかし抑留されていて、肋膜になって、それから肺結核になって、しかもそれが全部認められて、三十二年に上葉肺を切除して、そしてもう休も弱って、胃も手術して、そうして結果が急性肺虚脱で死んだ。それならば、これは急性の肺虚脱であって結核ではないということでだめなんですね。手術するときに同じような病気がもうすでに前からあったのだ、それほど衰弱していたのだ、この辺まで当然考えられませんか。この人はそれによって、楽な生活をしていた人ではございません、ずっと病院生活です。六カ月ほど一たん家に帰ったり、戻ったりして休養したことはあったに相違ないわけでありますけれども、やはりずっと病院生活です。こういうようなのもやはり、もう戦地から弱って帰ってきて、結局生き延びるためにあるいは肺を手術し、ある場合は胃潰瘍を手術した、しかし最後になって急性肺虚脱で死んだ、肺結核とは関係ない、こういうようなことで棄却する、これだったら疑わしきは救済をするという、こういうような考え方とは全然違う。それもはっきりしたデータがあるならいいが、ほとんど推量だ。もう戦後三十年になって、厚生省の方では戦傷病者やこういうような人の遺族まで含めて、そうして手厚くいまもう考えられておるのです。それなのに総理府の方では、いかに省が違うからといっても、こういうふうに厳格にして、少しでもこういうのを振り落とそうとしている。同じ閣内でもってこういうようなことがあってはならないと思うのであります。もっと温かく、何かの方法はございませんですか。 いまだにこの老人はひとり暮らしです。漁師です。そして、嫁さん、子供が十八歳になったんです。まだそのまま生きているんです。それでもまだ、ただ単に犬死にだ、こういうような状態で、不平不満を自分でこぼしながらも、棄却されてどうにもならないとあきらめの境地です。 大臣、こういうのが現にあるのでありますけれども、少しこういうような点についても、何らかの救済の方法はないのですか。もしないのであったならば、それを呼んで、わかるように懇々と諭してやるくらいの気持ちが——戦後三十年になったいま、戦傷病者や戦没者の遺族まで手厚く援護してやろうとする法律が出されて、改正されている。かつてないような弔慰金さえも出そうとしているのに、片やそれを求める人を振り切っている。残酷じゃありませんか。どうしてもだめなら、本人はまだ納得していないのですから、納得させるように呼んでやって、そして一片の通達だけじゃなしに、そういうような人には何らかの方法を講じてやってしかるべきじゃありませんか。他の方には手厚い。同じような戦傷病者、遺族、そういうような人であっても、ただ単にこれは自己の責任で死んだものであると断定すれば、そんなものは何にもならない。疑わしきは救済すべきじゃありませんか。 この点について、省は違うけれども、国務大臣として、厚生大臣、どうお考えですか。
○田中国務大臣 私も国会議員の一人でありますが、国会議員をしていると、みんなこういうケースを一件か二件ずつ抱えて、いろいろと運動しているわけであります。私自身もそういう経験があります。 非常にめんどうな問題でございまして、本人はさように信じ込んでおる、しかるに客観的な判断ができない、当局においては原因を認められない、そこにトラブルがある、違和感があるといったような問題がしばしばありまして、私どもも非常に苦労をいたしてまいりました。 本件の具体的な事実については、私はいま聞いたばかりでありまして、あれこれここで即断して申し上げるべきではないと思いますが、私としては、その原因と結果の間に相当の因果関係があって、法に照らして何とかなるようなものについては、できるだけこれを救うような方針でいきたいと思っております。しかし、数の中には、どうも本人や家族はそう思っているけれども、客観的にそうしたことが認めがたい、率直に言って、私自身が認めがたいというものを私のところへ何遍も何遍も言ってくる者も実はございまして、千差万別だと思いますが、精神においては、救える者はできるだけ救ってあげたいというふうに思っております。
○島本委員 ただ、この決め手になるのは、公務に起因するかどうかなんです。それが因果関係はどうなんだ、このことです。 公務に起因する、このことに対しては、もう二十三年に帰国して、そのときに、体の状態からすぐそのまま国立療養所へ入院ですから、そういうような点は十分わかるわけであります。ただ、最後に死んだ、これが問題であって、恐らく肺虚脱は結核とは関係ない、こういうようなことで、これは公務に起因するものではないと決めたようで、ちょっと決め方が残酷なような気がするのです。一たん決めてしまった。こうなればもとへ戻らないかもしれない。しかし、もう戦後三十年経た現在、すべてこういうようなものに対しては、心情としても、物質的にも、けりをつけてやっていい時期じゃないか。 幸いにして厚生大臣は自分の所管の面に対してきちっとやった。ただ総理府の方では依然としてまだ公務に起因したかどうか、それはほんの紙一重なんです。疑わしきはとるかとらないか。これまではとらないと決定しておる。これで困っておる老人、また残された妻、子供、これを考える場合は、金の問題じゃないと言っているのです。こんな恩給なんか要りませんとさえ言っているのです。ただ犬死にだと言われたくない、これだけ言っているのです。その老人だって弱っていまして、もうすぐ死ぬかもしれないのであります。一片のこの通達がどれほど人に精神的に打撃を与えるか、その境目もほんの公務に起因するかどうか、疑わしきはとるかとらないか、これだけで決めてしまっておる。これは残酷です。片や戦没者の遺族を援護するために手厚く三十周年記念としてこれをやっている。片やいまや悩めるこういうような人たちでも、残酷にもこれを切り捨てている、振り捨てている。こういうようなことであっていいだろうか。どちらが政府の姿勢かと思うのです。いずれも姿勢かもしれません。姿勢でしょう。しかしこれはできるだけ手厚くしてやるのが本当じゃございませんか。もうこういうようなことをはっきりして——私が行政的にやるならば、この程度はやはり救済してやります。しかし皆さんの場合は厳格だった。それだってあえてこうなった以上悪いとは言わない。しかしその場合にもう一度納得するように呼んで——証拠書類として出されたものは山ほどあったでしょう。息子がこれほど残していったと、もう全部返しましたけれども、山ほどあったでしょう。そして警察署長が中へ入って、これは当然やれる、北海道庁が中へ入って、これは当然いけるケースだ、こういうふうにやったけれども、それだけでこれはだめになってしまった。当時の警察署長まで入った。四十七年には北海道庁の民生部長までこれに携わった。そしてまたあなたの方まで持ってきた。だけれどもこれはだめだった、こういうような問題です。他の方ではいいと言う。しかし本人が生きているならば、少なくとも呼んでやって、懇々として、その事情やなんかを聞いてやって、そして慰めの言葉一つぐらい出ないですか。片や手厚い、片や冷酷無比、こういうような感じがするのであります。せめて呼んでやって、そして納得するだけの説明をここでしてやる、これはそれぐらいできないですか。国務大臣として田中厚生大臣の意見を聞きます。
○田中国務大臣 本件についての具体的な判断については、私いまここで申し上げるわけにはいかぬと思いますが、一般的に言うて、この種の行政についていま少しく懇切丁寧にやることができるならばそうしたいというふうに、私も国会議員の一人として思ったことがございます。かような趣旨で、ひとつ今後はできるだけ懇切丁寧に本人の納得いくように行政運営をいたしてまいりたいというふうに思っております。 以上でございます。
○島本委員 この案件は、二十一年に抑留地で肋膜炎になった、二十三年に帰国した、二十八年に肺結核になり、ずっと療養所生活だった、三十二年に上葉肺を切除した、三十四年に胃潰瘍の手術をした、そして三十五年に十二指腸の手術の際に急性肺虚脱で死亡した、この死因は急性肺虚脱であり、認定しておった肺結核とは関係がない、こういうようなことで、これは公務に起因するかしないか、ほとんどこれはもう紙一重、疑わしきはとるかとらないか、これでついにとらないということになったようであります。それで棄却を決定したのが四十八年七月十日。一たん棄却したならば、これはもうどうにもならないものですか、なるものですか、総理府。
○菅野政府委員 本件につきましては異議の申し立てがございましたし、それからさらに総理大臣に対する審査請求ということも経ておりますので、行政庁における一応最終的な確定であるというふうには存じますけれども、しかしながら御本人がさらにこういう点でまだこういう資料があるのだとか、あるいはこういう意見があるのだというようなことでお申し出がございますれば、いたずらに一事不再理というようなことでもう行政庁内では審査ができないということではないと存じますので、お話があれば十分にお聞きしたいと思います。
○島本委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案、この内容は、まず私どもとしては、いま言ったような行政の面等含めましてこれをもっと手厚く今後実施すべきである、このことだけは特に私から最後に申し添えさしてもらいたい、こう思うわけであります。 まあ、十二時になりましたし、決められた時刻であります。いま申しましたような、片や手厚くしながら片や残酷な仕打ちをするようなことは今後ないように、また、あったならば、三十年も経過した現在、疑わしきは救済する、この見地に立って行政を執行されるように心から要望いたしまして、私の質問はこれで終わらしていただきます。ありがとうございます。
○戸井田委員長代理 次に、田中美智子君。
○田中(美)委員 ちょうどことしで戦後三十年になりますけれども、この戦争に遭って、いろいろ亡くなったり、けがをしたり、家を焼かれたり、こういうふうな問題があってからちょうど三十年、この三十年に際して、特に三十年記念というか、こうしたことを二度と起こさないようにという形で政府がいまどのようなことをやろうとしていらっしゃるか、具体的なことをちょっとお聞かせ願いたいと思います。
○八木政府委員 今回、改正でお願いしております問題といたしまして、特別弔慰金というような制度を新たに設けたいということで、戦後三十年を経過した今日、御遺族の中で、本来でございますと国家補償でございますから公務扶助料なり年金の対象になるわけでございますけれども、やはり御遺族につきましては遺族の範囲等がございまして、すでに成人に達した子でございますとかあるいは兄弟姉妹等の方々につきましては年金等の支給対象になりませんので、そういう方々に対しまして国としまして弔慰の誠をささげるというふうなことから、特別弔慰金二十万円の交付国債を実施したいというのが一つでございます。 それから、戦後三十年近くなっていまだに外地で御遺骨がそのままで放置されているという状態は決して十分ではないわけでございまして、私どもそういうような外地に放置されています御遺骨につきましては、一日も早く故国にお迎えせねばいかぬというようなことから、従来から実施しております遺骨収集につきまして、昭和四十八年度から三カ年計画で——従来は民間の方は御参加いただきませんで政府職員だけで実施しておったわけでございますが、御遺族の方あるいは戦友の方、あるいは青年の方、民間の方の御協力も賜りまして、計画的な大規模な遺骨収集を実施するということで、昭和四十八年から第三次の遺骨収集計画を実施したわけでございますが、この三十年を一つのめどにいたしたいということで、昭和四十八年度予算が二億二千万、昭和四十九年度予算が二億五千万でございまして、四十九年度の場合には民間から御参加いただきます方は四百人を予定しておったわけでございますが、明年度におきましては約倍近い四億七千三百万というような経費を計上いたしまして、民間から御参加いただく方々につきましても八百人ということで大規模な遺骨収集を、相手国の関係で行けます地域につきましては幅広く実施したいというようなことを考えておる次第でございます。 なお、戦没者に対します追悼の誠をささげるという意味で、従来からも戦没者追悼式を実施しておる次第でございますけれども、昭和五十年におきましても、従来以上に御参列いただきます遺族の範囲等を広げまして、三十周年にふさわしい追悼式を実施いたしたいというふうに考えておる次第でございます。
○田中(美)委員 三十年を記念するというのは大変あれですけれども、この三十年に向かってわずか二十万円の国債。これは一年間に二万円でしたね、二万円ずつという、この物価高に全く涙金という感じがいたしますけれども、一応こういうことをするということは私はいいことだというふうに思います。金額が少ないということが非常に残念ですし、またいま実際に遺骨が帰っていないという数がどれぐらいあるのかということをお聞きしたいのですけれども、どれぐらいあるのでしょうか。
○八木政府委員 戦没者で各地域でお亡くなりになりました方は約二百四十万でございます。それに対しまして、現在まで故国にお迎えできました御遺骨は約百十万というような次第でございます。
○田中(美)委員 そうするとあと百三十万という遺骨がまだどこにどのようになっているかということがわからないわけですね。そういう点からして、今年度八百人にしたということは多少の増加であるかもしれませんけれども、だんだん遺族の方たちも年をとっていくわけでありますので、やはり希望者をできるだけみんな対象にして遺骨収集に三十年を記念して全力を尽くしていただきたいというふうに思います。式典をするということ、いまおっしゃられましたように遺族の範囲を広げて大々的なお弔いの式をするということも非常に結構だと思いますけれども、私は実際に軍人として亡くなった方だけではなくて、空襲によりまして、戦災に遭って亡くなったという方だけでも六十万はあるというふうに言われています。そして、亡くならなくても家を火事で焼かれたとか、けがをしたとか、こういう方たちを含めますと一千万の人たちが何らかの戦争の被害を受けたというふうに言っているわけですね。こういう人たちに対していままでほとんど何もなされてきていなかった。この戦災に遭った方たちをどうしていくかということはいままで何遍も取り上げてこられたわけですけれども、国としてはほとんどこれを放置されてきたわけですね。私としましていま考えますことは、どこの国にもあるというふうに聞いているわけですけれども、空襲や戦災の記念館のようなものをこの三十年につくってみてはどうか。そういうことが非常に多くの方たちに対する弔いにもなるのではないか、そして二度とこういうことを起こさないという——私たちその犠牲によっていままで生きてこられたわけですけれども、いまこうした繁栄した中で、この三十年にそういった記念館というものをつくってみるということが非常に多くの人たちをお慰めすることになるのではないかというふうに思うわけです。先ほどからずっといろいろ具体的な事例など出ておりました。確かに大臣がお答えになるように、具体的に一つ一つ真心を込めてやっても実際には法的になかなか援助ができないというようなことも心情としてはわからないことはありませんけれども、こういう方たちがたくさんいるということを含めまして、被害を受けたすべての人たちのために空襲、戦災の記念館を三十年を記念して国がやってみるという気持ちはないでしょうか。その点、お考えをちょっと聞かしていただきたいと思います。
○八木政府委員 戦争によりまして多くの被害を受けたわけでございまして、当時はある意味では戦争遂行ということで、いろいろな意味で国民全体がそれに協力したということで、いろいろな意味の戦争の犠牲を受けられた方というのは非常に多くあると思うわけでございます。ただ現在の援護法の対象ということになりますと、使用者としての国が国家補償という立場でやっているということから、それ以外の一般の広い意味の戦争によります犠牲を受けられた方々につきましては、むしろすでに戦後相当の期間も経過しておりますし、むしろ原因のいかんを問わず社会福祉なり社会保障で、本当にお困りになっている方はそういう政策の充実で行うべきであるというようなことから、対象になっておらないわけでございます。しかし、毎年八月十五日に行われます戦没者追悼式におきましては、軍人軍属だけではございませんで、広い意味の戦争によります犠牲を受けられた方々ということに対しましての追悼の誠をささげるという意味から、追悼式を実施しているというような次第であるわけでございます。 なお、そういうような意味で、物的な何か施設が要るかどうかということでございますが、これは広い意味の戦争の犠牲者のことで、果たして厚生省なのかどうかということもあろうかとも思いますけれども、これだけの期間を経過しましたし、特に戦争に対するそういう物的な意味の施設というのをやる必要があるのかどうかということについては、にわかに結論は出せない問題ではないかというふうに思うわけでございます。
○田中(美)委員 いま、空襲戦災記念館をつくる会という会が民間の中でできているということは御存じでしょうか。
○八木政府委員 遺憾ながら承知しておりません。
○田中(美)委員 早速これは調べていただきたいと思いますけれども、空襲戦災記念館をつくる会という会ができておりまして、これはどこの国を見ましても戦争博物館のようなものができているわけですね。これで東京都が千五百万円出しまして、会長は新村猛さんという名古屋大学の名誉教授です。この方が会長になりまして、この会館をつくる会というのの準備をやっていらっしゃるわけです。これはいまのところ大体一千万の金をかけましてアメリカにありますいろいろな写真とかフィルム、こういうものをマイクロフィルムに撮りましてこれを日本に持ってくるという仕事をいまやっているわけです。現に相当のものを持ってきているわけですね。これは民間で保管しているわけですけれども、やはりこういうものを民間の運動だけに任せておかないで、こうした貴重なわれわれの歴史的な記録になっているものです、こういうものをやはりきちっとした施設できちっとこれを保管していく、そしてまたこれを研究対象にしていくということが、私たちが救うことのできなかった、戦災に遭われた非常に多くの人たちを慰めることになるんだというふうに思います。民間でこういう運動がやられているのに対して国が手をこまねいているというのはやはり問題ではないかというふうに思うのです。それで、ぜひこれに対する、どういうものかということと、そして政府がこれに対してどういうふうに手を、援助金を出すなり積極的にこれに協力をしていくという姿勢をとっていただきたいというふうに思うのですけれども、田中大臣いかがでしょうか。
○田中国務大臣 私も遺憾ながら、そういう運動のあることをいま先生から承ったばかりでございます。その目的とするところ、そしてそれがどういう具体的なアイデアであるか、まだよくわかっておりません。いずれにいたしましても、その目的あるいはあり方等々をめぐって、どの役所の所管であるかということについてもまだ結論を得ることができない今日でございますが、よくひとつ、そういう運動の実態を見きわめて検討をいたしてみたい、こういうふうに思います。
○田中(美)委員 それでは、どこの所管になるかということはそちらの方で検討していただきたいと思うのですけれども、この空襲戦災記念館をつくる会の方たちに一度大臣がお会いになりまして、どういう目的でどういうふうにやっているかということを聞いていただきたいというふうに思います。そしてその趣旨が大臣が十分に御協力、賛同できるというふうなものであるならば、大臣から閣議に提案していただきまして、国としてこれはどこでどういうふうにしたらいいかというふうな話をしていただきたいと思いますが、その点いかがでございましょうか。
○田中国務大臣 そういう会の方々の御趣旨等を聴取いたすためにお目にかかることについては私結構でございます。 ただ、いまちょっとお話を承ると、そうしたマイクロフィルム等々を貯蔵をいたすなどということになりますと、これはあるいは当省所管ではなさそうだというふうな気もいたしますが、私も国務大臣の一人でございますので、そういう立場からお聞きをいたしても結構でございます。
○田中(美)委員 それではぜひ一度聞いていただきまして、いまのところはアメリカのをマイクロフィルムに撮ってきているということを私は聞いているわけですけれども、この記念館というものをどういうものにしていくのか、いろいろと各国の事情もあると思います。私が伺いましたのは新村猛さんの話ですけれども、各国に戦争博物館というのがやはりあるというふうに言っているわけですね。そういう意味で、やはり三十年を記念して、日本にも、どこが管轄するか、どこがどうするかは別にしまして、民間でそれを計画しているわけですから、国の方としてももう一度検討を願いたいというふうに思います。
○田中国務大臣 各国にあるということで、私もずいぶん外国を歩いているのですが、各国の戦争記念館、あのようなものは、日本のような平和国家、憲法九条を持っている国家ではちょっといかがかということを、私は外国の戦争記念館を見て感じておったわけであります。それにやや近いものと思いますれば、ドイツのミュンヘン、あのミュンヘンオリンピックのスタジアムのすぐそばに、向こうの建物はブロックでございますので、あれをブルドーザーでかき集めまして、山をつくっております。その上に芝を張っておりますが、これに若干の何かメモリアルタワー、タワーとまでいかないのですが、記念碑みたいなものが立っているのを見たことがございますが、ああいったような、空襲そのものを記念しているものを私は実は寡聞にして知りません。どこの国にも戦争博物館があるというけれども、ああいう形のものは私は日本にはあまりつくりたくないというふうに思っております。
○田中(美)委員 私自身は見ておりませんのでよくわかりません。大臣がどういうものを想定していらっしゃるのか私わかりませんけれども、いずれにしても憲法九条を持っているからこそ、二度とあのような侵略戦争をしない、あのような悲惨なことを起こさないというふうな意味で、そうした記念館を、大臣が言っていらっしゃるミュンヘンのようなものをということを私は言っているのではありませんけれども、戦争をしない、ああいう悲惨なことを二度と起こさないという意味での記念館というふうに私は考えております。 次に、四十八年でしたけれども、七十一国会で私が質問いたしましたときに、そのときの厚生大臣、齋藤大臣が、サンプル的に戦災の状態というものを調査をするというようなことを言っていらっしゃるわけです。戦災者がいま身体障害者などになっていられるわけですけれども、現在一般の身体障害者として扱われているわけです。それで部分的に、日本国じゅうを調べてほしいというふうな要求は戦災者からも非常にあるわけですけれども、そのときに厚生大臣が、たとえば愛知県のようなところをサンプルとして一部分を調査しよう、そしてその調査によってもう一度身体障害者福祉法だとか障害年金法などを考えてみる材料にしたいというふうな返答をしていらっしゃるわけですけれども、その調査というのはどのように進んでいるのでしょうか。
○八木政府委員 戦災者の中の身体に障害を受けられた方々の調査の問題につきましては、四十八年に名古屋市におきまして、これは名古屋市内だけでございますけれども、実態調査をいたした実績がございます。それから昭和四十九年度、本年度でございますけれども、サンプル的に実施するというような当時の大臣の答弁もございましたし、愛知県の方とも御相談いたしまして、愛知県の方が県の事業として実施するというようなことで、愛知県が四十九年度身体障害者の実態調査の一環としましてこの調査をやっておるわけでございます。すでに愛知県の調査は終わりまして、現在集計中でございますので、いずれ近いうちに最終結果が出てくるのではないかというふうに承知いたしております。
○田中(美)委員 名古屋市の調査の結果はどういうふうになっているでしょうか。
○八木政府委員 名古屋市の四十八年に実施した結果でございますけれども、身体障害者手帳を所持しております身体障害者の方一万五千四百三十三人が調査対象でございまして、そのうち戦災による方が二百七十三人ということで、一・八%でございます。なお、戦災障害者の方々のそれぞれの障害等級による内訳を申し上げますと、一級の方が十四名、二級の方が二十九名、三級の方が七十五名、四級の方が九十三名、五級の方が三十二名、六級の方が三十名というような状況でございます。
○田中(美)委員 県の調査の集計中で、まだその結果が出ないということですけれども、この調査の結果を、身体障害者福祉法とか障害年金法の中で考えていくというのはどういう観点から考えていくおつもりなんでしょうか、どういう資料にこれをしようとしていらっしゃるのでしょうか。
○八木政府委員 従来、前々国会でございますか、あるいは前国会、当社労委員会でも御議論がございました際に、戦没者につきましてはある程度の数はわかります、しかし、戦災によります身体障害者の方々につきましては数がある程度わからないということで、援護法の施策としましては、むしろ社会福祉なり社会保障の充実ということで進むべきであるというのが従来からの厚生省の一貫しました御答弁であるわけでございますが、それにいたしましても、雪時の大臣がお話しいたしましたのは、どの程度の戦災によります障害を受けた方がおられ、どういう状況であるかというのがわからなくては困るではないかというようなことからそういうような調査を実施しようということで、まずサンプル的にということで愛知県が実施しているわけでございますので、名古屋市の状況あるいは愛知県の状況等を踏まえまして、さらに全国的な数字等もある程度推定いたしたいというふうに考えておる次第でございます。
○田中(美)委員 現実にいろいろ対策を立てる上にまず数を調べるというのが一番最初だと思いますけれども、それによってどういうことを考えようとしていらっしゃるのでしょうか。単なる数を把握するというだけではなかったと思うのです。あのときに身体障害者福祉法や障害年金法などを考えてみたいというふうなことだったわけですけれども、この集計が出て、戦災で障害を受けた人がこういうふうにあるのだというふうな数が出てきた場合に、それが非常に多いとか、また障害の程度が非常に一級が多いとか、いろいろなそういうようなことによってどういうふうなことを考えようとしていらっしゃるんでしょうか。目的なしに調べるということではないと思うのですけれども、どういうおつもりでサンプル調査をしていらっしゃるのか、その点をお聞かせください。
○八木政府委員 お答え申し上げます。 従来大臣が申し上げましたのは、むしろ先生方からのお話で、少なくとも数なり実態というものは把握をすべきではないかということから、まず実態をある程度把握する必要があるんじゃないかというようなことからの調査でございまして、まだ現在調査の段階でございますから、もう少しその調査の実態等のわかった時点で、その調査の数字等を見まして何らかの判断をするかどうかという問題はこれからの問題だと思いますので、むしろ当時大臣からお話しいたしましたのは、調査すべきではないかという御意見でございましたので、それにつきましてはまずサンプル的に実施いたしたいということを申し上げたはずでございます。
○田中(美)委員 愛知県の場合はすぐに出るということですし、それから東京でどれくらいとか、空襲のひどかったところで大体どのくらいというような推計が出ると思うのですけれども、この方たちというのは特別に自分で事故を起こしたわけでもないし、国の戦争によってやむなくこうした障害者にされてしまったという特殊な事情があるわけですので、ぜひこの人たちに対する何らかの考え方というものを、調査の結果を見てからというふうにおっしゃられましたけれども、愛知県の場合でももうすぐ出るわけですので、ぜひこういう方たちに対する特別な配慮というものをしていただきたいということを要求しておきたいというふうに思います。
○八木政府委員 愛知県の調査は間もなく出ると思いますけれども、戦災は全国かなりの地域で受けているわけでございますし、相当大規模な戦災があった都市と、それからいろいろな意味で大都市と中小都市とまた状況が違うのではないかというふうな面もあろうかと思いますので、現在社会局と相談しておりますが、社会局が本年度身体障害者の実態調査を実施するということになっておりますので、全国的な傾向を見るという意味でも、その際にも戦災関係の調査を実施いたしたいというふうに検討している次第でございます。
○田中(美)委員 いま私のところにこうした手紙が来ているわけですけれども、これは文官の恩給なんです。石川啓太郎さんという七十八歳の横須賀市に住んでいらっしゃる方の問題で、御存じかもわかりませんが、終戦まで海軍工廠に勤務していられたわけです。この石川さんというのは、終戦と同時に退職金の支給通知を受けているわけですね。銀行の支払いのために数日後受領に行ったわけです。退職金を取りに行ったわけです。そうしましたら、マッカーサー指令で支払い停止処分ということで受領できずにきたわけです。この支払い停止処分というのがそのまま続いておりまして、現在まで支給されていないわけです。実際の軍人などは退職金を受けているにもかかわらず、こうした文官であるがために退職金を受けられないということで非常に残念がっていらっしゃるわけですね。この停止処分というのは、軍人恩給や遺族年金などもそのときに一度停止処分されたわけですけれども、これは皆復活支給されている。それなのに文官の場合にはこれが復活しないで、むしろ勅令によってこれが実際にはパアになってしまったということがあるわけです。こういうのはちょっと普通のあれで考えましても、具体的なものを一つ一つ言ったら切りがないと言われるかもわかりませんけれども、こういうものについては何らかの救済措置というのはとれないものなんでしょうか。その点をちょっとお伺いします。
○八木政府委員 先生いま御質問の件につきましては、終戦後の退職の際の退職金の問題だというふうに理解しておりますが、これは当時軍属だけではございませんで、軍人を含めましてすべて連合軍の司令部の指令に基づきまして退職金の支払いをストップされ、その後勅令が出ましてすべて無効の措置になっておるということでございまして、特に一部の方についてのみ退職金等につきまして全部支払いがストップになったということではないわけでございます。いずれにいたしましても、特定の方だけではなしに、軍人軍属、文官含めまして、当時、終戦直後の旧軍関係の方につきましてはすべてストップになった。しかも当時の法的措置としましては、勅令によりまして措置がされておるということでございまして、これはもう厚生省の問題ではございませんけれども、当時そういうような措置が行われております以上、新たな復活する制度的な措置がない限り、これはもうこのままの状態でやむを得ないことになっておるのではないかというふうに思います。
○田中(美)委員 いますべての人がそうだと言われましたけれども、やはりすべてではないようですね。さっき言いましたように、文官でない方たちというのは一度支給停止になっていたわけですけれども、その後復活しているわけですね。身分、階級によって一部分の方たちというのは復活しているわけですね。
○八木政府委員 当時の軍人軍属、軍関係の方につきましてはすべて停止になって、そのまま退職金につきましては復活しておりません。ただ復活いたしましたのは、恩給法の公務扶助料でございますとか普通恩給とか、そういう恩給は復活しております。しかし退職金については復活はいたしておりません。
○田中(美)委員 全員復活してないわけですね。
○八木政府委員 さようでございます。
○田中(美)委員 つい最近、石川さんという方から手紙が来ているわけです。この手紙をちょっと綻んでみますけれども、こういうことが書いてあるわけです。「政府当局が小さいことで気がつかないのか、それとも文官は戦犯あつかいで支給の必要のないとの見地からそのまま停止処分が当然だというものか、それならなぜ三十年も経過したいまごろになって、正八位などという叙勲の伝達などあるのでしょうか、」結局いまごろになって叙勲をされているわけですね。この叙勲の「受領はしたもののうれしいという実感はなく、もはやあきらめていた退職金に対し、寝ている子をおこされた気がしてなりません。叙勲などというより物価高に悩むわたしどものために今日の金額に換算しての退職金の復活を強く望むもので、その実現にお力添えを願いたいと思いますが、無理なものでしょうか。」というお手紙なわけです。確かにいま言われましたように、これは法律で復活していないものだから支払われないということはよくわかりますけれども、やはり国の政治というのは人間を相手にしたものです。ですから、そこだけを取り出せば確かにこれは復活できないものだから、いまさらどうしようもないというふうに理屈の上ではなるかもしれませんけれども、この人に、三十年たったいまごろになって正八位の叙勲の知らせを持っていくというような、叙勲してはいけないということではもちろんありませんけれども、何かそこにはもう少し血の通ったやり方というものはないでしょうか。この本人がおっしゃるように、寝た子を起こすような気持ちだ。現在七十八歳という高齢で、この物価高の中で非常に生活が苦しいということはおわかりだと思うのです。戦争中にこうしたところで働いていらしたということで、ずいぶんこの方の一生にとっては大きく変動されたんだというふうに思いますけれども、その結果こういうことというのは、何か非常に政治の中に温かい血が通っていないという気が、私はこの手紙を読みましてしみじみとするわけです。こういうものを一体どうしたらいいのか、どういうふうに厚生省としてはお考えになるのか、お聞かせ願いたいと思います。
○八木政府委員 叙勲のお話が出ましたけれども、これは賞勲局の問題ではございますけれども、私どもの方で賞勲局に対する進達をやっておりますので、その立場で御説明を申し上げますと、戦没者の叙勲なり叙位の復活につきましては、すでに戦争中叙勲が決定しておったあるいは叙位が決定しておった、しかし当時いろんな国内情勢は非常に混乱した状態があったわけでございますので、発令はありながら御本人に勲章は行ってなかったあるいは勲記は行ってなかったという方々につきまして、当時にさかのぼりまして、当時の当然行うべきであった事務をいろいろな事情でできなかったのを、さかのぼってやっておるということでございます。 それから、ただいまの退職金の問題は、これは文官だけではございませんで、軍関係の方々につきましては一律にストップになった、しかも現在では、もう勅令が出たわけでございますので、法律措置がない限りはもう復活しないということでございますが、この関係の問題につきましては大蔵省の問題になっておりますので、厚生省としてどうこう申し上げることは差し控えたいと思いますけれども、少なくとも当時の法制措置といたしましてストップということが制度としましてなったわけでございますので、その後の新たな事情ということがない限りはむずかしい問題ではないかというふうに申し上げざるを得ないと思います。
○田中(美)委員 幾ら事務が繁雑であったか何かわかりませんけれども、三十年前の叙勲というものがいまごろ来るというのは、これはどういうわけなんですか。三十年前に出していたものを結局渡さないでいた、三十日前というならわかりますけれども、三十年前のものを本人に渡さないでいた、それでいまごろそれを渡すから、この御本人が言っているように寝た子を起こすんだというふうに言って、いまさらしようがないことかもしれないと——確かにいまおっしゃったように、大蔵省がやっていることなんだから言葉は何とも言えません、こういうふうに言われる。理屈はわかります。理屈はそれで通りますけれども、なぜ三十年も放置していたのか。そういうことがまさに寝た子を起こし、そして、より忘れていた胸の傷を痛ますという結果になっているということですね。なぜ三十年もほっておいたのか、その点ちょっとお願いいたします。
○八木政府委員 先ほども申し上げましたように、叙位叙勲の問題につきましては賞勲局の問題でございますので、私どもの方は進達関係をやっているという立場で申し上げたわけでございまして、戦没者の叙位叙勲がやはりある時期実施されておらなかったわけでございますけれども、戦争中にお約束し、当然勲記なりあるいは勲章というものはもう伝達すべきであったにもかかわらず、当時の国内情勢、いろいろな情勢等からお渡しすることができなかったということで、はっきり当時お約束しておったわけでございますから、そのお約束を履行するということで戦没者に対する叙位叙勲等が行われたというふうに理解しておる次第でございます。
○田中(美)委員 私の伺っておりますのは、当時決まっていた、そのとき渡すべきものだったわけですね。そのときにはいろいろな事情があって渡せられなかった。しかしその後三十年あるわけです。その当時はいろいろな事情があって渡せられなかったということは、これは想像もつくことですけれども、三十年どうしていままで放置していたのかというのを聞いているわけです。その点をお答え願いたいと思います。
○八木政府委員 戦没者に対しますあるいは未伝達の位記につきましての実施事務が始まりましたのは、現在始まったわけではございませんで、すでに実施いたしましてから——二十八年にその制度が実施になったわけでございますが、何分にも対象の方が非常に多うございますし、実態を把握するというような関係もございましたし、記録等の整備等の関係もございましたので、実施は二十八年でございますけれども、すべてがその時期に実施できなかったということで、実施事務につきましては、かなりの数字は進んでおりますけれども、まだ残っておるということで、つい最近未伝達の位記が参ったというようなことはあると思います。ただ三十年たって初めて始まったということではないわけでございます。 それから、ただいまの退職金の問題でございますけれども、叙勲なりあるいは位記の伝達につきましては、戦時中に当然お約束しておって、いろいろな関係でおくれておったのを、大変遅くなって非常に申しわけないことではありますけれども、実施されたわけでございますが、退職金の問題につきましては、少なくとも法制的に戦後の段階におきましてはっきりストップになってしまったということで、法制的にそういう措置がとられておる以上、現在ではいかんともしがたいのではないかというふうに考える次第でございます。
○田中(美)委員 私は現在いかんともしがたいということを聞いているのではなくて、昭和二十八年からこのあれが始まっているとすれば、戦没者じゃないんですね、この人は生きていらっしゃるんですから、もうちゃんとそのときに叙勲というのは決まっていたわけですね。ということは、ちゃんと台帳にあるわけですね。それが二十八年からにしましても、いま五十年ですから二十何年かかっているわけですね。なぜ二十何年もかかるのかということを伺っているのです。そうすると、いままだもらっていない方があるのですか。
○八木政府委員 ちょっと答弁を訂正させていただきたいと思いますけれども、先ほど二十八年と申しましたのは三十九年の間違いでございます。 それから、生存者の方につきましては位の問題でございますので位記の関係であるわけでございますが、これが非常におくれたわけでございますけれども、いずれにいたしましても、相当な事務体制が整わなければいけないというような問題等もあったと思いますし、そういうことで、非常におくればせではございますけれども、戦時中のお約束を果たすという意味でこの事務が開始されたということでございますので、現在その事務がかなり進行はしておりますけれども、まだ伝達されておらないという方もおります。現在、事務を進めておる最中でございます。
○田中(美)委員 考えてみると、余りにも遅いという感じがするわけです。そういうことが忘れたことまでも思い出させて、こうした問題というものをまた持ち出してこられるわけですね。持ち出してこられて私は迷惑だというわけでは決してありませんけれども、余りにも——三十九年にしたって十年以上ありますね。それが人数からすれば一体どれだけ人数がいるのか。 それでは、大体いまこの手続というのは何%ぐらいしてしまって、あとどれぐらい残っているのですか。普通の常識ではちょっと考えられませんね。一年、二年というならまだしも、もう十何年もたっているんですからね。
○八木政府委員 戦没者の叙勲関係につきましては、対象になる方は二百十二万人でございますが、昭和四十九年の十二月までに処理しました件数としましては百九十九万六千八百人ということで、大体九〇%ぐらいが済んでおるという状況でございます。 それから位の方の定例未伝達の関係の事務処理でございますけれども、未伝達の関係の対象は三十六万人でございますが、この事務につきましては、現在、四十七印から五年計画で実施するということで進んでおりまして、現段階では約十万人の処理が済んでおるというような段階でございます。 それから、私どもの方で県なり市町村を通じてお願いしておりますけれども、ございますのは戦争終了時におきます本籍の住所地等があるわけでございまして、その後の住所の変動等が非常にひんぱんでございますので、そういう面で非常にむずかしいということから事務がなかなか進んでおらなくて、本籍地と現住所が一致しているという方々につきましては比較的早い時期に伝達が行われているというような状況でございます。
○田中(美)委員 こうした事務の遅滞と申しますか、非常に遅いということが結局人の心を傷つけている。政治というのは、やはり人の心を傷つけないようにする。せっかく戦争中の約束だからこれを守るんだと言うと、いかにも言葉はいいようですけれども、それが非常に人の心を傷つけている。こういうのを聞き、こういう手紙をいただいたり、またいまの数字を見ましても、いまなおまだ大分残っているというようなことを伺いますと、やはり戦争が終わっていないじゃないか、戦後処理というのはまだ済んでないじゃないかという感じがするわけです。 特に遺骨の場合などは、それは非常に強くするわけですけれども、たくさんの遺骨があちこちに散らばっている——私にも兄がおりましたけれども、この兄は沖縄で戦死いたしましたけれども、いまなお、遺品からつめから何一つ残っていない。何一つ私の母のところには戻ってきていないわけですね。ですから、現在八十五歳で健在で母はおりますけれども、いまなおどこかに生きているかもしれないと言う。ああした横井さんやああいう方たちの御帰還になった話を聞くにつけても、遺骨さえない、着てた服もなければつめも遺髪も何にもない。ただ戦死の通知だけだということでは、いまだに母はお墓には入れない。骨がないわけですからね。それで墓には入れない。まだ生きているんだ、帰ってくるかもしれないんだというようなことを私の母自身が言っているわけですね。これは私の母だけでなくて、おそらく遺族の方というのは、何らかの遺品なり、せめて持っていた飯ごうなり何なり、洋服のボタン一つなりとも、何しろここにあって、ここで確かに死んだんだというふうなことがない限りは、やはり生きている限り戦争というのは終わってないというふうに思うわけです。そういう意味で、もう三十年もたったのですから、ことしの遺骨収集というのは万全を期して、最大の努力をして遺骨の収集に当たっていただきたいというふうに思います。 これで質問を終わります。
○大野委員長 この際、休憩いたします。 本会議散会後、直ちに再開することといたします。 午後零時四十七分休憩 ————◇————— 午後三時十六分開議
○大野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案の質疑を続けます。岡本富夫君。
○岡本委員 ただいま議題となっております法案の一部改正の前に、一言だけ大臣に聞いておきたいことがあります。 それは、中医協、中央社会保険医療協議会ですか、ここから日本医師会あるいは日本歯科医師会あるいは薬剤師会が委員を総引き揚げした、こういうような報道がありますが、これに対して今後どういう対策をとるのか、これからひとつ聞いておきたいと思います。
○田中国務大臣 仰せのとおり、日本医師会、日本歯科医師会、そして最近は日本薬剤師会がそれぞれある種の委員の辞任届けを厚生省に持ってまいりました。もっとも、これについては辞任の届けを持ってきたその対象が、委員会、調査会についてもそれぞれ範囲が違うようでございます。薬剤師会のごときは中医協だけ辞任をいたしたいというふうに持ってきてまいりまして、それぞれ態様が違うようでございます。 なお、その理由とするところもそれぞれ別でございまして、各団体それぞれ違った理由で私のところへ持ってきているというのが実情でございます。
○岡本委員 それはわかりますけれども、それに対する対策はどうするのかということを……。
○田中国務大臣 これにつきましては、それぞれ円満に医療行政を進めるために、そういうことのないように翻意をしていただくよういろいろと努力をいたしているところでございます。
○岡本委員 もしも、慰留はしましても解決しない、こういう場合はどうしますか。
○田中国務大臣 相手のあることでございまするから、いろいろと説得をして努力をいたしておりますが、なお今日のところ妥結を見ておりません。しかし、これについては努力を重ねて説得する以外に方法がございませんので、根強い説得を熱心にやっていく以外に方法がないと思っております。
○岡本委員 これはこのくらいにしておきまして、この戦傷病者戦没者の援護法について、第一条の目的に「国家補償の精神に基き、」要するに国家賠償という見地からこの援護法が設けられておるということでありますから、各種年金の額が物価スライド、こういうようにしなければならないのではないかと思うのですが、何か公務員ベースに合わせておるというようなことでありますが、これはやはり物価スライドにするのが普通ではないか。この理由についてひとつ、これは担当の局長からで結構です。
○八木政府委員 援護法の基本的な考え方といたしましては、軍人軍属あるいはこれに準ずるような身分関係がある方々に対しまして、国が使用者という立場で国家補償の精神に基づいて実施している次第でございます。 そこで、御質問ございました年金の額でございますが、現在軍人の相当数の方は恩給法の方の対象になっておるわけでございまして、援護法の対象になっておりますのは、軍人の一部の方と、大部分は軍属の方、それから準軍属の方でございます。したがいまして、年金の額につきましては、軍人の御遺族に対しまして、恩給法によります公務扶助料が支給されておりまして、公務扶助料の額の引き上げに見合いまして援護法の年金額も引き上げるということでございます。 なお、恩給の公務扶助料の考え方、これは同時に援護法の年金額の考え方も共通であるわけでございますが、御指摘のスライドの問題でございますけれども、公務扶助料、恩給いずれも物価スライド以上の措置をとっておるわけでございまして、現在におきます公務員の給与水準の上昇、したがって、本法案でお願いしております明年度におきます年金額の引き上げにつきましては、物価上昇なりあるいは公務員の給与上昇率を上回りまして、従来の格差等もございますので、三八・一%というような大幅な引き上げをお願いしている次第でございます。
○岡本委員 細かい数字を挙げていますと時間がありませんから、今後もやはり物価スライド、生活できるようなこういう年金の額にしていただきたい。いままで低過ぎたから、今度少しよけい上がったわけですけれども……。 そこで、次に、遺族給与金におけるところの先順位とそれから後順位の年金額に著しい差がある。改正によって一万八千円に引き上げられたと言うけれども、所得保障としてはどうも遺族年金が、一つ障害年金をとってみますと、遺族年金、障害年金、これは両方ですが、後順位の人は先順位の四分の一以下の金額になっておる。これがどうも納得がいかないわけですが、厚生年金や国民年金は、遺族年金は本人の約半分ということになっておる。ところが、この援護法によるところの遺族年金あるいは障害年金、これは四分の一以下になっておる。これはどうも納得いかないので、この点についてひとつお聞きいたしたい。
○八木政府委員 戦傷病者戦没者遺族等援護法によります遺族年金の考え方につきましては、ほかの法律体系とやや異なりまして、先順位者とそれから後順位者という考え方があるわけでございます。そこで、御指摘のように、後順位者の年金額につきましては現行一万二千円で、明年度は一万八千円に引き上げたいという計画でございますけれども、ほかの年金で申しますと、いわゆる扶養加給に相当するものが後順位者の年金であるわけでございまして、具体的な例で申し上げますと、戦没者の妻がおられまして、戦没者の奥さんに対します年金が本来支給されまして、恩給なりあるいはほかの厚生年金等の制度でございますと、父母がおります場合には、その父母の方々に対しまして扶養加給という考え方でほかの制度はあるわけでございますが、思想としては援護法の後順位者の年金も同様でございまして、本来扶養加給に相当する額でございますけれども、援護法の場合にはむしろ先順位者が権利を失われました場合には後順位者の方に行くというので、先順位者がおられる間は、扶養加給に相当する額でございますので、扶養加給の額に合わせておるわけでございます。なお、ほかの年金と違いまして後順位者の制度を設けておりますのは、ほかの制度の場合のように、本来の年金をもらっている方が亡くなった場合に、直ちに扶養加給の対象になっている方に年金が行くというのとは違いまして、援護法の場合には転給という制度があるわけでございますので、先順位者が失権をいたしました場合に後順位者の方に行くという意味で、むしろ扶養加給に相当する方につきましての権利をそれだけ厚くしているという意味もあるわけでございます。さらに、ほかの制度でございますと、扶養加給の場合には大体同一世帯で扶養しておるという実態があるわけでありますが、援護法の後順位者等の場合には、別世帯の場合におきましても後順位者としての個人の年金が別に支給されるということで、実態の中身といたしましては、扶養加給相当とお考えいただければ結構なのではないかというふうに考えておる次第でございます。
○岡本委員 そういう後順位の人が同じ世帯にいないとか、そういうようなことによって、従来ならばその軍事軍属の方がいて、そしてその人たちを扶養しなければならぬ、それがこうして戦争によって亡くなったわけですからね。しかも、この第一条の目的では国家賠償、この精神ということになっておるわけですから、やはり少なくとも厚生年金や国民年金のように半額以上と言いたいくらいですから、これもずっと長くあるものじゃないのだから、こんなことを言ったらおかしな話になりますけれども、大東亜戦あるいは日華事変でみんな非常に苦労をして、そのあげくの果てに亡くなった方々の遺族でありますから、もう少し手厚い、少なくとも厚生年金や国民年金程度の、半分くらいのところまで引き上げていくというようなひとつ考慮が必要であろうと私は思うのですけれども、これについてはいますぐというわけにいきませんが、将来のその方向づけだけをひとつ大臣にしておいていただきたい、こういうふうに思うのですが、いかがですか。
○八木政府委員 御指摘のように、戦没者の遺族に対します年金につきましては、国家補償の精神に基づきまして、御遺族の所得保障等の面につきましての制度であるわけでございまして、できるだけこの処遇を厚くするということは、御指摘のような今後の方向だというふうに考えておりますし、私どもも努力しなければならないというふうに考えておる次第でございます。なお、厚生年金、国民年金等の遺族年金に比べますと、確かに恩給法のたてまえ等から見ますと二分の一でございますけれども、公務扶助料に右へならえの援護法、公務扶助料、同じでございますが、考え方としましては、普通の遺族年金と違いまして、戦争公務でお亡くなりになったというような趣旨も考えられまして、普通の扶助料と違いまして、積算の基礎等につきましては特定倍率もかかっておりますので、普通の二分の一という考え方以上の配慮がなされているという点につきましては、補足して説明さしていただきます。
○岡本委員 それでは、前向きの答弁としてお聞きしておきます。 次に、戦傷病者の相談員の待遇でありますけれども、地方へ参りますと、この相談員の方がいろいろ相談に乗っているわけです。たまには訪ねていって、そして気の毒だというのでおみやげを上げたり、いろいろな苦心談があるわけですが、この手当が何といままで月に七百円。これが今度八百三十三円に値上げをしたというわけですが、これは民生委員あたりでも三千六百円とか相当出ているわけです。私、これでは十分な活動ができないように思うのですよ。もう少しこの手当の増額ということを考えるべきではないか、こういうふうに思うのですが、これについてひとつ……。
○八木政府委員 戦傷病者相談員なりあるいは遺族相談員の方々につきましては、民間の立場で、しかも戦没者の御遺族なりあるいは戦傷病者の中から、非常に特殊な活動家としまして、ボランティアの熱心な活動をしていただいているわけでございまして、その面におきまして、私ども大変感謝申し上げている次第でございます。 確かに御指摘のように、現在の額につきましては、年間に計算いたしますと八千四百円ということで、交通費、通信費等の実費弁償程度の額でございまして、明年度におきまして年額一万円には引き上げるわけでございますが、御指摘の点も十分考慮いたしまして、今後とも引き上げに努力してまいりたいと考えておる次第でございます。
○岡本委員 月一万円なら話はわかるのですよね。年額一万円でしょう。そして、訪ねてこられる方もあるし、また連絡に行ってあげなければいかぬが、電車賃も出ない。また、実際にこの衝に当たっている方々は、やはりそういう家族のところへ手ぶらで行けないという場合もあるのですね。何にもしないわけにいかないし、これは気の毒だからやってあげなければいかぬというわけで、スズメの涙みたいなお手当では話にならぬということでありますから、今度また値上げするなんて言いますけれども、まだ一カ月八百三十三円、これが千円ぐらいになったというのでも話にならぬと思うのですね。少なくとも民生委員程度のことをしてあげないと、奉仕活動でありますけれども、やはり手厚い保護をしてあげるということが、私はさらにいろいろな問題でトラブルも起こらずに進んでいくのではないか、こういうふうに思います。 次に、引き揚げ者、未帰還者、この方の調査、これはどうなっておるのか、ひとつ御答弁をいただきたいと思います。
○八木政府委員 未帰還者の実態でございますけれども、一番新しい手元にございます数字で申し上げますと、五十年の一月一日現在の海外の未帰還者の数は三千三百九十四名でございます。そのうち、比較的新しい消息の資料があります方々は千七百二十五名でございまして、この方々はもう生存しておるというのが確実な方々でございます。なお、これらの方々につきましても、さらに調査を進めまして、どういう状態で残留しておるという実態を明らかにいたしますとともに、帰国を御希望される方々につきましては、できるだけ早い機会の帰国を促進してまいりたいというふうに考えておる次第でございます。 なお、昭和三十一年から昭和四十二年までの生存資料があります方々は六百三十九名でございまして、この方々につきましてもある程度の、やや古くはなりますけれども、情報があるわけでございますし、できるだけその実態を明らかにしたいというふうに考えておる次第でございます。 一番むずかしいのが、昭和二十年八月、終戦直後から昭和三十年ぐらいまで何らかの生存資料があったという方々、千三十名でございますが、すでに相当の期間を、もう二十年近く経過しているわけでございまして、いろいろな手段で調査を重ねておるわけでございますが、なかなかその後の消息が入手できないという状況の方々が多数おられるわけでございます。これらの方々の調査につきましても、できるだけ万全を期してまいりたいと思いますし、それらの方々で、いろいろな状況から見ましてもうお亡くなりになられているということが確実であるというような方々につきましては、それがはっきりしました場合には、死亡公報を発行するなり、あるいは留守家族の方々の御同意をいただきまして戦時死亡宣告による処理ということを行っていくということでございます。 いずれにいたしましても、私ども在外公館を通じ、あるいは相手国政府を通じ、あるいは現地に残っておられます日本人の方からの消息等、あらゆる手段を尽くしまして調査の万全を期してまいりたいというふうに思っております。 一番対象者の多い中国関係でございますが、中国との国交回復に伴いまして、最近非常に多くの方が永住帰国でこちらへ引き揚げてまいっておりますし、あるいは永住帰国ではございませんけれども、一時帰国というような形で相当数の方がお帰りになっておりますので、そういうような面からも、一番問題の多かった中国につきまして、相当これからこの問題の解決というのが進んでいくのではないかというふうに期待しておる次第であります。
○岡本委員 そこで、こちらにおられる方から肉親捜しの依頼が厚生省に百五十七名来ておるそうでありますけれども、この肉親捜しのために政府はどういうような処置をとっておるのか、この点をお聞きしておきたいと思います。
○八木政府委員 中国に残留しております日本人の方で、特に終戦直後の相当な混乱期に際しまして、特に当時は幼い子供であったというようなために、その後、日本人であるということはわかっておりながら、家族なりあるいは親が、肉親がわからないということで、特に最近中国との国交回復後、中国に残留しております方々から、厚生省に、あるいは北京の大使館に、あるいは都道府県に、いろいろな形で身元の調査の依頼が参っておる次第でございます。私ども、日本人でございますし、できるだけ何らかの形で肉親を捜してあげたいという気持ちでいっぱいであるわけでございますので、できるだけいろいろな手段を尽くしまして、厚生省にもかなりの程度の資料が保管されておりますし、それから最近では、先ほども御説明申し上げましたように、引き揚げ者の方が大分帰ってきております、あるいは一時帰国の方も帰っております、あるいは民間の方もございますので、できるだけ情報なり資料というものを集めまして、身元のわかりますように努力いたしたいというふうに思っている次第でございます。ただ、一番困りますのは、終戦の混乱期に非常に小さかったわけでございますので、自分の名前もわからない、あるいは両親の名前もわからない、だれもわからない、私は日本人です、あとは何もわかりませんというのが本当に困るわけでございまして、できるだけ何かのヒントを出してくださいということで、いずれにしましても、手段を尽くしまして、身元の判明に努力いたしたいということで、せっかくやっておる次第でございますが、現在までそういうようなことで中国に残留しております、主に中国人等に養育されました日本人でございますが、約二千五百名ぐらいおるんではないかというふうに思われます。その方々の中で、厚生省の方に照会してまいりまして、私どもの努力の結果、身元が判明いたしました者が百九十四名でございます。それから、現在調査をしております者が百十三名でございます。 いずれにしましても、三十年経過している問題ではございますけれども、あのような非常な混乱期に中国にそのまま残留しておったというような方々でございますので、肉親捜しにつきましては、いろいろな方法を通じまして努力を進めてまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
○岡本委員 新聞やラジオ等で極力この推進に当たっていただきたい。 そこでいま、中国、もとの満州ですね、東北方面。特に私が所属している青島会というのがあるのですが、青島から帰ってきた、済南の方から帰ってきた皆さんが墓参に行きたい——長年向こうに住みなれた方で、向こうに相当財産も残したり、あるいはまたお寺、墓所もありまして、墓参に行きたいというような意見が相当出てきたわけですが、あっちの方面の墓参というようなことに対してはいまどうなっておるのか、ひとつお聞きしておきたいのです。
○八木政府委員 確かに、もとの満州、現在の東北地区でございますけれども、ここでは墓参の問題もございますし、それから遺骨の問題もあるわけでございます。そういうような意味で、私ども、外務省を通じまして中国側にはいろいろお願いしているわけでございますが、三十年という時期を経過しておる問題もございますし、それから不幸な戦争があったというようなこともあるわけでございますので、中国におきます国民感情等も考慮しなければいけないというような問題もあるわけでございまして、私ども今後とも外務省を通じまして努力はしてまいりたいと思っておりますが、現段階ではなかなかむずかしい問題ではないかというふうに考えております。
○岡本委員 この点は、大臣、日中平和条約も結ばれようとする機会になっております。外務省とも話ししまして、早急に道が開かれるようにひとつ手配をお願いしたい、こういうふうに思うのですが、いかがですか。
○田中国務大臣 中国との関係は、仰せのとおり国交が次第に正常化をしつつある今日でございますので、所管は外務省でございますが、外務大臣等に要請し、その方々の御要望ができるだけかなえられるように努力をいたしたいというふうに思います。
○岡本委員 では、その点はお願いしておきます。 そこで、先ほど話がありました遺骨収集につきまして、何か五十年度で終止符を打つというようなことが報ぜられているわけですが、これについてどうなのか。これは打ち切ってはいけないと私は思うのです。また、海外での戦没者数、それから遺骨を収集した数、推定でこういうのがわかれば、ひとつ明らかにしておいていただきたい。
○八木政府委員 海外での戦没者数でございますが、二百四十万人でございます。それから、現在まで、終戦の際に部隊が保管してまいりましたもの、遺骨収集等で本土へ持ってまいりました遺骨の柱数は約百十万でございます。 それから、お話しございました昭和五十年で遺骨収集を打ち切るんではないかという御質問でございますが、私どもは昭和五十年で遺骨収集を打ち切るとは決して申しておりません。むしろ、私ども申しておりますのは、本昭和五十年は戦後三十周年に当たる、したがいまして、遺骨収集の問題は、早後三十年も長いこと外地にそのままに放置しておくということは望ましい状態ではないわけでございますし、一日も早く故国へお迎えするというのが国民の宿願でもあるわけでございますから、本昭和五十年度におきましては、従来の遺骨収集に比べまして大規模な、特に昭和四十八年度から実施いたしました、民間の団体の御協力を賜りまして実施しております大規模な計画的な遺骨収集を三年計画で実施しておりますので、その最終年次という意味からも、いままで行けなかった地域あるいは十分でなかった地域につきまして、本年度の予算二億五千万に比較しまして約倍近い四億七千三百万、それから御協力賜ります民間の方々の人員につきましても、従来の四百人に対しまして八百人の方々に参加いただきまして、主要戦域につきまして、相手国の事情が許しますところについては一応一通りの大規模な計画的な遺骨収集を実施いたしたいということでございます。 〔委員長退席、竹内(黎)委員長代理着席〕 もちろん、この大規模な遺骨収集を昭和五十年に実施いたしました後の段階におきまして、地域によりましてはとうていまだ不十分なところもございましょうし、それから、いままでやった遺骨収集におきましても、いろいろな時間的な制約あるいは天候の制約等で十分でなかった地域等もあるわけでございますので、そういう面につきましては、五十年度の遺骨収集の第三次計画が終わりました段階で、あらためましてそういう不十分な地域あるいは不十分な地点等につきましての補完的な面は当然残るわけでございまして、決して昭和五十年度で打ち切るということは申しておりません。もちろん、地域によりましてはもうこれで完全に終わりという地域も出てまいると思います。
○岡本委員 次に、一般の戦災者、戦時中に災害を受けて身体障害者になったりあるいは死亡した、こういう実態をつかんでおるのか、またそれに対処する政府の姿勢というものはどういうものなのか、これを承っておきたいのです。ということは、外地もそうでありましたけれども、ぼくは当時は外地におったから余りわからないのですけれども、帰ってきたら非常に日本国内でそういった——日本国内が戦場になっているわけですから、これに対するところの調査、処置、これについての答弁をいただいておきたい。
○八木政府委員 戦災等によります死亡者なりあるいは障害者の実態でございますけれども、戦後の非常な混乱期でございまして、当時十分な調査ができておらなかったわけでございまして、私ども非常に古い資料で承知しておりますのは、昭和二十三年に当時の経済安定本部が調べました調査によりますと、戦災、空襲等によります死亡者は約三十万人であるというふうに聞いておりますけれども、これは当時の十分な状況ではなかったわけでございまして、ほかの意味の資料等でございますと、戦災都市連盟等が姫路に戦災死亡者関係の記念塔をつくりました際に承知しております戦災都市連盟の数字でございますと、約五十万というような数字が出ておる次第でございまして、大体三十万ないし五十万が死亡者ではないかというふうに承知しております。なお、障害者につきましては、どの程度の障害者があるかということについては現在全く数字がないわけでございます。
○岡本委員 私はこれは大臣に、やはり内地もその当時相当空襲を受けまして、そしてこういった身体障害——亡くなった方もそうでありますけれども、身体障害を受けて非常に苦しんでいる方がいるわけです。これの実態調査、それから援護の方途、こういうものを拡充しなければ、私はやはり戦後が処理されたとは言えないように思うわけですが、この戦後処理についての前向きな、今後どういうようにしようという答弁をひとついただいておきたいと思うのです。
○八木政府委員 先ほどお答え申し上げましたように死亡者につきましてのある程度の数字はわかっておる次第でございますけれども、障害者につきましての数字がございませんので、従来からも当委員会等でたびたび御質疑をいただいておるわけでございますが、昭和四十八年におきまして、名古屋市におきます戦災の障害者の実態調査というのがある程度の数字がございます。それから、これは現在集計中でございますが、昭和四十九年度におきまして県とも御相談いたしまして、愛知県におきます戦災障害者の調査を行っております。これは現在集計中でございますので間もなく数字が出てくるのではないかと思っております。 なお明年度におきましては、名古屋、愛知だけではございませんで、社会局の方におきまして身体障害者の実態調査が行われますので、その中におきまして、戦災障害者の数等につきましてのある程度の数字が出るような調査を実施いたしたいというふうに社会局の方と御相談している次第でございます。
○岡本委員 大臣はこれに対しての——まあ実態調査だけしてもらったってこれは話にならないわけですね、救済してもらわなければならないのです。ですからこれの援護、やはり国がああいう無謀な戦争をしたわけですから、それに対する国家賠償の責任があろうと思うのですよ。したがって、この援護方法、これについてどういうふうに考えておるのか、これをひとつお聞きしておきたいのです。
○八木政府委員 従来からもたびたび御質問がございまして御答弁申し上げている次第でございますが、現在の戦傷病者戦没者遺族等援護法等の法律のたてまえは、軍人軍属のような直接の軍の構成員、あるいは軍の構成員でございませんでも、相当の国の強制力が及んで軍の構成員と同じような身分関係を考えてもいいという方々に対しまして、国家補償という立場におきましての援護法におきます各種の援護措置を講じておる次第でございます。それ以外の一般戦災者の方等につきましては、現在の援護法の国家補償という立場とはやや趣が違うんではないか。しかも戦争によります被害というのは、ある意味では当時の国民いろいろな形で受けておられるわけでございまして、特に厚生行政におきましては、困っておる方々、弱い立場の方々に対しまして、原因のいかんを問わず社会福祉なり社会保障という立場で福祉なり援護政策を展開すべきものが厚生行政の考え方でございますので、むしろ現実にお困りになっておる方々あるいは障害に苦しんでいる方々につきましては、福祉年金等を含めましての社会福祉なりあるいは社会保障の全般の政策の向上によって解決すべき問題ではないかというふうに考えておる次第でございます。
○岡本委員 ちょっとそれは——結局日本国内が同じような戦場になったわけですから、これは普通の社会保障と同じような考え方では私はいけないと思うのです。もう一度再検討を願いたい。これはきょうはお答えできないでしょうから、要求しておきます。 最後に、遺族年金公務扶助請求書というものが国の方に出ておるはずですが、この方は兵庫県三原町榎列の方ですけれども、古川操さんというのですが、これは何か途中で結婚をしておるということによって一応だめだというようなことで返されておるらしいのですが、この当時の経緯というものをここの町長あるいはまた付近の皆さんから事実証明書——無理やりに入ってきたがすぐに別れておるというようなことで、再度国の方に出ておるはずですが、これは後でひとつ調査を願って、そしてこの援護法の適用にいけるような、何といいますか、受けることができるような状態であれば入れてあげていただくように要求しまして、きょうは大橋君と交代します。どうもありがとうございました。
○竹内(黎)委員長代理 大橋君。
○大橋(敏)委員 私も関連しまして若干お尋ねをしたいと思います。 遺族にとりまして遺骨収集ということはきわめて重要な問題であり、また関心の持たれていることであります。昭和四十八年十一月、約一月にわたりましてルソン島に行かれました、いわゆる政府派遣の一員として行かれました方からいろいろと収集の実態について私はお伺いすることになったわけでございますが、その方から現地で撮ったという写真をいただいたのでいまお見せしますが、後で持ってまいりますけれども、これは、こういう実態、現実を目の当たりにしますと、遺骨収集というものがいかに厳粛なものであるかということを深くするのであります。 そこで、収集の行動の中でいろいろとその方が感じられて、これは改善すべきではないかという二、三の問題がありますからお尋ねするわけでございますが、第一に、政府派遣という立場にある方々のその内容といいますか、派遣されている中身の方が、あるいは遺族会の方あるいは日本青年遺骨収集団あるいは戦友会というさまざまな方がいらっしゃるそうでございますが、このときに、自己負担分として日本遺族会には五万円を言ってきたそうです。それから日本青年遺骨収集団の方に対しては四万五千円、戦友会の方は一銭も自己負担がなかった。この辺は少し不平等な感じがするがという話でございました。現実的には、このほかに装具等あるいは身の回りの物をそろえるのに十二万円くらいは事実自分のお金を出していらっしゃるそうですね。こういうことを見ると、何かここはやはり改めなければならぬのではないかと思うのでございますが、政府のこの遺骨収集派遣に対するこうした予算的な基本的な考え方をまず聞かしてください。
○八木政府委員 遺骨収集につきましての民間の方々につきまして、政府の遺骨収集団に御協力をいただきます制度は昭和四十八年度から実施されたわけでございます。それまでは、ある意味では御遺族なりあるいは戦友なりあるいは青年の方方、独自の立場で行っておったわけでございますけれども、政府としまして遺骨収集を大きな事業として実施するというようなことから、従来の予算額に比較しまして、基本的な考え方を改めまして多額の予算を計上いたしますとともに、民間で御参加いただきます御遺族なり戦友なりあるいは青年の方々に対します補助金の制度が設けられたわけでございます。そこで、政府の遺骨収集団に御参加いただきます民間の方々に対します補助金でございますけれども、これは国家公務員の旅費の計算によりまして額を計算いたしまして、それの三分の二の額を補助するということにいたしている次第でございます。 そこで、先生からお話しございました、遺骨収集に参加する際に身の回り品等につきましてのある程度の費用が要るんではないかということでございますが、そういうような経費につきましても、補助金の中で支度料という経費がございまして、ある程度の額というものは補助しているわけでございまして、その額によりまして大体身の回り品等につきましては準備できるんではないか、もちろん個人個人によりましていろいろなお考えがあろうかと思いますけれども、私どもの政府の公務員の旅費法等の計算によりましての額でございますので、ある程度のことは十分ではないかというふうに思われるわけでございます。 それから、行かれます御遺族なりあるいは戦友なり青年の方によりましてそれぞれ負担が違うではないかというお話でございますが、私どもの方では、御参加いただきます方々につきましては国家公務員の旅費計算法によりまして計算した額、それの三分の二の額をすべて支給しているわけでございますので、特にそういう青年なりあるいは御遺族なり戦友によりましての負担が国として違うということはないわけでございます。それぞれ所属しております団体等によりまして若干そういう問題があるかもしれませんけれども、これは団体の内部の事情でございまして……。
○大橋(敏)委員 いまの説明によりますと、国家公務員旅費規程によって三分の二の補助をやってる、この三分の二の補助の中で、旅行するのに、あるいは収集の作業をするのに経費としては大体間に合う、こういうふうに考えてよろしいのでしょうか。
○八木政府委員 完全に賄えるかどうかということになりますと、行かれます地域とか日数等によりまして、旅費で計算しました額の三分の二でございますから、本来必要な経費の額全額ではないわけでございますので、ある程度の自己負担というのはあるわけでございますけれども、行かれます地域によりまして、あるいは期間が長いというようなことになりますと、非常に細かい話で恐縮でございますが、相当多数で行かれる、団体で行くということでございますので、航空機等の割引等もあるというような面等もございますし、あるいは地域によりまして、非常に辺地の方で野宿等の御苦労をされるわけでございますので、そういう意味で申しますと宿泊料等がかからないような地域もあるということもございますけれども、そういう非常に細かい問題は別にいたしまして、地域によりまして若干持ち出しがあるということもあろうかとも思いますけれども、そんなに大きな御負担にはなっていないんだというふうに考えております。
○大橋(敏)委員 先ほど申し上げましたように、遺族会の方は最初から五万円の負担を言われたし、現実に自分自身はそのほかに十二万何がしか要ったというのですから、やはり政府の仕事として行く立場から見た場合には、ちょっと負担がかかり過ぎるんではないか。三分の二補助ということ自体が、完全に満たされないことをそれで証明しているようなものですから、やはり大きく改善する必要があるのではないか。五十年度もかなり各所に遺骨収集が計画されているようでございますので、それに当たりまして、そういう点をもう少し改善していただきたいということ。 それから、その団体によって負担額がいろいろ違うというようなのは、その団体の事情によるんだろうという話がありましたけれども、もしそうであるならば、政府から出ているお金は、こうこうこういう内容で、これだけ出てるんですよというようなことを皆さんにはっきり理解させなければ、差別されてるような感じでいらっしゃいますよ。この点はお願いしますよ、どうですか。
○八木政府委員 所属している団体等のいかんに関係なく、国といたしましては補助金を御本人に交付している次第でございまして、その際に御本人には内訳はこういうことになっております、こういう金額でございますというのは十分おわかりになるように御連絡しているはずでございます。 それから三分の二ということが問題あるのじゃないかというお話でございますけれども、私どもはあるいは全額というような議論等もいろいろ当時あったわけでございますし、毎年予算の際にも議論するわけでございますけれども、関係者等とも御相談した結果、やはりできるだけ多くの方に行っていただくというのが第一点と、それから、従来はある程度自費で皆さん行かれておって、やはり遺骨収集というのは、戦友の方にしましても御遺族の方にしましても、ある程度奉仕という立場があるので、ある程度の負担は持つべきではないかというような御議論等もありまして、そんないろいろな状況等も踏まえまして三分の二というふうになっている次第でございます。
○大橋(敏)委員 これは大事な問題でございますので、一応連絡はしたということですけれども、現実に参加された方はそうした不平等あるいは差別というような感じを持っていらっしゃるので、指導が不徹底だということに気づいて徹底していただきたいということを申し上げておきます。 次に、現地に参りましたら、その遺骨収集の場所がはっきりしないで大変むだな日にちを過ごしたという話があるんです。これはやはりある程度事前に目標地を決めて効率的にその収集ができるようになさるべきではないかと思うのですが、いかがですか。
○八木政府委員 先生御指摘のとおり、多額の国費を使いまして遺骨収集を実施するわけでございますから、せっかく実施いたしました遺骨収集が、せっかく行きましても効率が悪いということでは申しわけないわけでございますので、私どもといたしましては、実施いたします地域につきまして十分な実施計画というのを練って行かなければならないということで、絶えず事前の準備等を進めている次第でございます。 ただ御理解賜りたいことは、どこの地域の遺骨収集にいたしましても、相手国との了解というのがどうしても必要なわけでございます。そこで、治安状況等から見ましても、相手国との折衝で、この地域は行ける、この地域はむずかしい、それからこの地域はここだけにしてほしいというようなまず相手国の要請がございます。それから、私ども参ります際には、確かに最近では特定の地域を除きましては、地上に御遺骨が散乱しているというようなところはまず玉砕地等の特殊な地域を除いてはございませんので、大部分は埋葬されております御遺骨を収集するというようなのが実態でございまして、行きます際に、やはりどこに御遺骨を埋葬してあるかというような当時の戦友等の関係者、それから私どもの方で残っております記録等を十分調査する、それから現地に参りまして、現地の住民の方、この辺の情報が相当正確でございます。そういう方々の情報を基礎にして実施いたすわけでございますけれども、何分にも三十年という期間を経過しておりますので、戦友等の当時の記憶等から見ますと非常に記憶違いということもございます。それから当時考えておりました場所等がその後草も生え、木も大きくなったということで、全く様相が一変している、あるいは河川がはんらんしているというようなことで非常に状況が変わっているというような実態もあるわけでございまして、いずれにしましても、せっかく行きまして効率の悪いということでは適当でございませんので、十分な事前の計画を進めてまいっていきたいというふうに思っておる次第です。
○大橋(敏)委員 いろいろ事情がありましょうけれども、確かに相手国があることですし、作業は非常に困難だろうと思いますが、たとえば作業に使ういろいろな作業器具、これなどは相手国に関係なく求められるわけですが、実際そういう器具も現地で求める立場、大変また困ったこともあるような話もあります。ですから、一層の努力をしていただきたい。今後そういうことで非難が出ないようにしていただきたいということです。 最後にもう一つ、現実的にこれはむずかしい問題でしょうけれども、収容する遺体の何柱、何柱と数が出てくるわけでございますが、これは非常にむずかしいことだろうと思いますけれども、行かれた方の話を聞きますと、余りにも大げさというか、ずさんといいますか、たとえば今回行かれたところが、何か厚生省の役人の方は二千五百柱ぐらいにしておきましょうよというような話だったそうですよ。そんなに出ているわけじゃないじゃないかという話で、最終的に話し合いで決まったのが千五百二十柱、現実はそれ以下だったと言うんですね。余りにも数が違い過ぎると言うのですよ。バナナのたたき売りじゃあるまいし、というような話まで出ていたそうですがね。 〔竹内(黎)委員長代理退席、委員長着席〕 これは遺族にとっては非常に侮辱されたような感じを、もし知られたらば持つことですから、非常にむずかしいことだろうけれども、何か基準をきちっと決めて、やはり正直に報告すべきだと思うのです。この点についての考えを聞かしてください。
○八木政府委員 遺骨収集に参りました際に、収集しました御遺骨の数につきましてどういうふうに算定するかということでございますが、事は御遺骨でございまして、決してずさんなことでやるということは私どももとうてい考えられないことでございまして、私ども、遺骨収集に行きます際には、はっきり明確な、収集遺骨の概数の推算をどういう方法でするかという基準をつくりまして、行かれます際には、団員の方皆さんにお渡ししまして、こういうことでやっておりますということで、客観的な基準等をつくってやっておる次第でございます。 ただ、この基準の中でも、点々とあります際には、ある程度はっきりしている計算ができますけれども、埋葬遺骨で一カ所にありますとか、あるいは埋葬に近い状態にあるという場合に、どういう方法で算定するかということでございますので、その際におきましては、情報提供者でございますとか、発見者あるいは御参加いただきました戦友なり御遺族なり、その辺の皆さん方の御意見というものを十分参酌いたしまして、政府がこれを決定するということではございませんで、皆さんの御意見も十分伺いまして決めるというような基準もつくっているわけでございまして、決してずさんなことをやるつもりはございませんし、また、やっておりません。
○大橋(敏)委員 ところが、これは笑って話す問題じゃないのですけれども、最初千五百二十に決まったと言いましたけれども、これも皆さんの意見でもまだ多いのじゃないかと思っているのに、その役人の方は二千五百柱にしようというかなり強い意見を出されておったそうですよ。そういうことになると、私はその基準を疑いたくなるのです。りっぱな基準を示し、指導なさっているということですからあれですけれども、現実はこういうことがあるということを知って、今後の遺骨収集について不満のないような、そしてまじめな収集をしていただきたい。これを申し添えまして、私の質問を終わります。
○大野委員長 次に、和田耕作君。
○和田(耕)委員 私は、千鳥ケ淵戦没者墓苑の取り扱い、特に国としてどのような関係を持つべきかというこの問題について御質問をいたしたいと思います。 私も、大東亜戦争には、緒戦ではフィリピンのパターン作戦に野戦分隊長として参加をいたしました。私の部下は十一人おったのですけれども、六名が戦傷病死をするというような状態もございました。終戦のときは満州に転属して、特殊な事情がありまして満州におったのですけれども、ソ連に捕虜の形で四年ほどおりました。ソビエトでもたくさんの戦友の方々が亡くなったわけでございまして、その何人かの人たちの墓穴を私ども自身で掘って、そして戦友たちの遺体が十分寝られるかどうかということを、みずから掘った墓穴に自分が横たわって調べたというような生々しい体験も持っておるわけでございまして、この戦没者の、特に海外で亡くなられた方々の御遺骨の問題等については、並み並みならぬ関心を持っておる一人であるわけでございます。 それで、いま厚生省がやっております遺骨の収集等についても、早くから、民間団体がやっているときでも、いろいろな形でそういう計画に参画をしたり御援助申し上げたりということをしてきておったのですけれども、まあ先ほどの答弁を聞きまして、今年で打ち切るのではない、今後できるだけあると思われるところには遺骨を集めて行く努力をするのだ、そういうことについては今年の計画が終わる段階で検討するのだというお話を聞きまして安心をしておるわけでございます。できるだけひとつ今後も厚生省としては、これは一つの義務みたいなものですから、御遺骨をお集め願う努力を国としてしていただきたいと思っております。特に私はそういう関係がありますので、靖国神社にもよくお参りもしますし、とりわけこの千鳥ケ淵戦没者墓苑には、いろいろな公私のお祭りの会には、もうほとんどできるだけ参加をしておるということでございます。 そういうことでございまして、きょうここでお伺いしたいのは、私も千鳥ケ淵戦没者墓苑にお伺いをしていつも思うのだけれども、ここの管理はどういうふうにしておるのだろうということでございます。あれは初め厚生省が中心になって、そして宮内庁の用地を借り受けて、あそこに墓苑をつくった。そのうちに環境庁ができたときに、あそこを墓地公園として、公園の管理は環境庁だということで環境庁に移っておるというのが現状だと思うのですけれども、あの墓苑そのものについては、つまり行政的な管理という面になるとどういうことになっておるのか、この問題からお伺いしたいと思うのです。
○新谷説明員 千鳥ケ淵戦没者墓苑の管理の問題でございますが、先生もお話しのとおり、昭和三十四年にでき上がりました以後は、この墓苑の維持管理は当時の厚生省の国立公園部がするということで、それをさらに環境庁が引き継ぎまして現在に至っているわけでございます。
○和田(耕)委員 現にあの墓苑には二十万体以上の御遺骨が安置されている。二十万体ということになりますと、海外で戦没された人が二百数十万ということになるわけで、その一割の遺骨があそこに安置されているということになるわけですね。こういうことになりますと、これは私、文字どおりにいわゆる無名戦士の墓苑だというふうに見ていいと思うのですが、この問題について、大臣、そのように見ていいんでしょうか、いかがでしょう。
○八木政府委員 千鳥ケ淵の戦没者の墓苑が建設されます際の当時の経過でございますけれども、終戦後、海外におきます戦没者の遺骨収集というのが開始されまして、海外からの御遺骨というのを故国にお迎えする、さらに当時政府におきまして仮安置しておった御遺骨もございます。そこで海外から収集してまいります御遺骨につきましては、氏名が判明しておらない御遺骨というのが大部分でございます。氏名が判明しております御遺骨は当然御遺族にお渡しできるわけでございますが、氏名が判明しておらない御遺骨ということでございますので、国といたしまして何らかの方法でこの御遺骨の納骨等の問題は研究しなければいけないじゃないかというようなことから、当時政府におきましていろいろ議論がございまして、昭和二十八年十二月に、「無名戦没者の墓」に関する件という閣議決定を実施いたしまして、遺族にお引き渡しすることができない戦没者の御遺骨を納めるために、国としましては、無名戦没者の墓仮称というものを建立するというような閣議決定をいたしたわけでございます。この方針に基づきまして、その後現在の千鳥ケ淵の戦没者墓苑の建設ということが実施されたわけでございますが、その後、この千鳥ケ淵戦没者墓苑の名称をどうするかというようなことが当時いろいろ議論がされたわけでございますが、わが国の場合には、外国で言われております無名戦士の墓というような考え方がなかなかなじんでおらないというようなこともございますので、墓苑の名称につきましては当時いろいろ関係者等で、学識経験者、団体等の御意見等も入れまして相談しました結果、千鳥ケ淵戦没者墓苑という名称に決定したような次第でございまして、今後墓苑の性格等につきましては、国民感情の推移によってどういうふうに考えるかということで今日まで推移しているというのが実態でございます。
○和田(耕)委員 いまの閣議決定のときの名称で示されるように、無名の戦没者の墓苑ということですね。つまり、これは戦没者というものと戦士というものとどのように違うか、これはいろいろと見る人があると思いますけれども、しかし先ほど申し上げたとおり、名前のよくわからない、戦争で亡くなられた人が二十万体もあそこに安置されておるということですから、いろいろなことがありましても無名戦士の墓苑という意味を私持っていると思うのですけれども、これはどのように読んでもいいんです。読んでもいいですが、そういう実態があるということだけは否定できないという感じを持つんですが、いかがでしょう。
○八木政府委員 当時の記録等を読んでまいりましても、外国におきましても、無名戦士の墓というような考え方につきましてはいろんな考え方があるようでございまして、たとえば、アメリカでございますと、戦没者の御遺骨につきましては、祖国におきましてその一体だげをワシントンのアーリントンの軍人墓地の一角にあります無名戦士の墓にお納めしているというような状況でございますし、英国は逆にウエストミンスターアベーに無名戦士のお墓がありますとともに、ホワイトホールに戦没者の記念碑がある。しかも海外の戦没者につきましては、外国にその戦没者の墓地を設けておるというような記録等がございまして、外国におきましても無名戦士の墓というのはいろいろな考え方があるようでございます。 そこで、日本の現在の千鳥ケ淵の墓苑につきましても、アメリカ方式でもございませんしイギリス方式でもないわけでございますが、いずれにしましても、海外でお亡くなりになりましたとうとい戦没者の御遺骨で、しかも氏名がわかりませんために御遺族にお渡しすることができないという御遺骨でございますので、国としまして何らかの施設を設けてお祭りする必要があるというようなことから、現在の墓苑というのが設けられているというふうに承知をしておる次第でございまして、先ほども御説明いたしましたように、政府の閣議決定におきまして仮称「無名戦没者の墓」ということでございまして、名称の際に各方面等の御議論、御意見を参考にしました結果、千鳥ケ淵戦没者墓苑という名称になったような次第でございます。やはり墓苑の性格等につきましては、国民感情なり国民の皆さん方のお気持ちというものを中心にして考えるべきものではないかというようなことから、当時におきましても、今後におきます国民感情の推移を待ちたいということになったというふうに承知しておる次第でございまして、少なくとも現存、海外におきます氏名不明の方の御遺骨をあそこにお納めしているわけでございますから、国としての管理維持には、現在は環境庁でございますけれども、万全を期したいと思っておりますし、これは厚生省主宰によります拝礼式を毎年実施いたしておる。両陛下あるいは皇族の方の御参列、それから関係者の方の御参集をいただきまして、毎年一回拝礼式を実施している次第でございます。
○和田(耕)委員 名前の呼び方というのは、あまりこだわるわけではございませんけれども、上は二十万体以上の戦死、戦病死なさった方々をお祭りをしておるというわけでございまして、名前のわかった人はそれぞれの御家庭に引き取られて、そうして手厚く御供養をなさっておられるということで、この千鳥ケ淵墓苑というものが大東亜戦争で亡くなられた方々を代表する立場の一つの墓苑として、国もしかるべき扱いをするのが当然であるというように私は思うんですね。 そういうふうなことになりますと、つまりまず第一に、いまもお話がありましたとおり、毎年一回の例祭のときには天皇陛下、皇后陛下、総理は無論のことですけれども、毎年毎年あそこでお祭りに御参加なさるということは私は自然なことだと思うんですけれども、いま毎年行かれておられますか。
○八木政府委員 現在、毎年大体秤に拝礼式を実施いたしておりまして、特に最近のように遺骨収集が活発になってまいりましたので、その際に外地から持ってまいりました戦没者の御遺骨をそこにお納めする、その際に拝礼式を実施しているわけでございます。なお、両陛下にお参りいただきましたのはいままで三回でございます。両陛下がお見えになります場合、それから皇族の方がお見えになります場合、両方ございます。
○和田(耕)委員 外国の賓客が日本にお見えになるときでも、たとえば日本の総理が各国へ行かれますと、まず無名戦士の墓というようなところにお参りをするということがどこの国でも一つの通例になっておりますけれども、外国の賓客が来た場合に、日本の外務省あるいは厚生省の皆さん方は、そういう千鳥ケ淵墓苑にお参りを願うという御処置をとっておられるかどうか、そのことをひとつお伺いしたい。
○八木政府委員 外務省に聞きましたところ、外務省として特に外国の方にお願いしているということはございません。ただし、外国の方でお見えになったケースはございます。
○和田(耕)委員 つまりそういう問題も、やはりいろいろな戦後の特殊な状態があるし、いわゆる国民感情なることもあることはよく理解ができますけれども、やはり一つの国として、国の戦いの中で亡くなった方々の代表的な幕所なんですから、どこの独立国でもやっているような同じような扱いをするのが私は自然だと思うんです。そういうことでございまして、これは厚生大臣にひとつ、御所見で結構です、承らなければならないと思うんですけれども、いかがでしょう。外国の重要な賓客が見えたときに、千鳥ケ淵墓苑にお参りを願うように御誘導をなさるということについては、まだその時期でないとお思いになるのか、あるいはそういうことが必要だとお思いになるのか、いかがでしょう。
○田中国務大臣 千鳥ケ淵墓苑、これの性格についてはいま援護局長の申したとおり、国民の考えるところによって定着をしていくということだろうと思います。外国の方が日本に参りまして、日本の戦没者の英霊に対し敬意を表したい、弔意を表したいというようなお気持ちのときには、それぞれの御希望に従ってお願いをするというのがよかろう、私は今日のところさように思っております。というのは、千鳥ケ淵の場合は、今次大東亜戦の戦没者の方で身元のわからないとか引き取り人のない遺骨でございますので、いささか範囲も違うようでございますので、したがいまして、御本人の希望によってそれぞれお願いをするのが今日のところ妥当じゃなかろうかと私は思うわけであります。
○和田(耕)委員 この問題については、特に無名戦士の墓という実体であるなれば、それにふさわしいような扱いを国としてもやる時期が来ておるのではないかと私は思いますので、そのような御質問を申し上げておるわけでございます。 それと関連をしまして、先ほどもお話がありましたとおり、海外に散らばっておる御遺骨を収集なさっておられる、と同時にいろいろな遺品も相当たまっておられる。これを雑然とあの一角に置いておるという状態ではないかと思うのですけれども、あの墓苑の一角に記念館のようなものをお建てになって、そしていろいろな遺品その他の適当なものを陳列をして、御遺族の方々あるいは国民の方々が、亡くなった戦士の人たちをお慰めあるいは追想をする、こういうふうな記念館はどこの国にもあると思うのですね。また、今後の御遺骨の収集の場合でもいろいろなものがたくさん発見されておるわけで、そういう記念館をちゃんと建ててそこに収録をするということが必要だと思うのですけれども、その点いかがでしょう。
○新谷説明員 千鳥ケ淵墓苑の奉仕団体でございます千鳥ケ淵墓苑奉仕会の方で、特に先生からお話しございましたような御希望が大分あったわけでございます。現在あの墓苑の中に、参拝に来られた方の休憩所それから売店、それから奉仕会に使用許可をいたしております事務所等の入っております建物があるわけでございますけれども、その建物が手狭でもう少し休憩所等をりっぱにしたいという希望と、それから、あわせて一部資料の展示室というようなものもそこの中につくりたいというふうな考え方になってまいりました。たまたま宝くじ協会の方でそういう趣旨のお金ならば出してもよいというお話がございまして、ただいま設計を行っておるところでございますけれども、ことしじゅうに休憩所、さらにその一部に資料の展示室があるというような形で新しい建物ができ上がることになっておるわけでございます。
○和田(耕)委員 私もその話は聞きました。そういう記念館というものを、しかも無名戦士の墓という実体を持っている千鳥ケ淵戦没者墓苑の記念館というものを、宝くじ協会の御好意、これは大変ありがたいことだと思うのですけれども、これが中心になってそういうものをつくられるというところに、政府としてのこういう墓苑に対する接触の仕方といいますか管理の仕方といいますか、そういうことが一つあらわれておるという感じがいたします。私は宝くじ協会が御好意を持ってそういうふうな——あれは記念館と言えないそうですね。記念館ということになると何かぐあいが悪いということで、いま控え室か何かのような名前で御寄付なさるそうですけれども、大臣、こういうものこそ、たとえば一億円かかるものであれば国が五千万円を出す、あとの五千万円は広く民間有志の寄付を集めてつくる、こういうふうにするのが本当ではないかと私は思うのですけれども、いかがでしょう。つまりそういうところに、戦いで亡くなられた方々に対する国民の敬意の表し方、こういう方々に対する国の接し方というものが出てくるわけですね。そういうことですから、そういう問題をぜひとも国として検討する時期に来ている、こういう感じを私は持っているのですけれども、いかがでしょうか。
○田中国務大臣 急な御質問で、私としても的確なお答えができませんし、本来あの墓苑は環境庁所管でございますので、他省所管のことについて私があれこれ断定的なことを申すのはいかがかと思いますが、いま承るところによりますと、戦争記念館、これのあり方等についても、国費の使い方としていろいろ結論が違ってくるものと私は思います。休憩所あるいはその他それに付帯するようないろいろな施設については結構だろうと私は思います。いずれにいたしましても、先生の御趣旨のほどは環境庁長官とひとつよく協議をいたしてみたいと思います。
○和田(耕)委員 皆さんお待ちかねのようですから余り長い質問はもうやめますけれども、私申し上げたいことは、やはり国を代表する無名戦士の墓所なんですから、それらしい扱いを国としてはする時期に来ているということがただ一点なんです。そしてまた、御遺骨が今後どんどん集まってくる、そこに行けばいろいろ関係のものがある、国も当然やるべき義務を果たしておってくださる、つまり遺族の方々はそういうことを媒介にしてやはり感謝をし、あるいはお祭りをするということにもなるわけだと思うのですね。あの場所はかなり手狭な場所でございますので、いろいろな方法であれを広げることも可能だと私は思うのです。そういういろいろなことを込めて、とにかく無名戦士——どこの国でもこれを大切に、国民が本当の気持ちを込めてお祭りをする場所として無名戦士の墓所を扱っておるわけです。しかし日本の場合はそういう点が、所管は厚生省と環境庁が共管だというようなことで、これははっきりしているようでしかし実際の扱い方ははっきりしてない、そういうことを感じますので、こういう問題については、環境庁の長官きょうはお見えになっておりませんけれども、いま厚生大臣がおっしゃいましたような気持ちでぜひとも御検討を賜りたい、このことを特に要望いたしまして私の御質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
○大野委員長 これにて戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案についての質疑は終了いたしました。 ————◇—————
○大野委員長 これより本案を討論に付すのでありますが、別に申し出もありませんので、直ちに採決に入ります。 本案に賛成の諸君の起立を求めます。
○大野委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。 ————◇—————
○大野委員長 この際、山口敏夫君、枝村要作君、石母田達君、大橋敏雄君及び和田耕作君より、本案に対し附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。 その趣旨の説明を聴取いたします。山口敏夫君。
○山口(敏)委員 私は、自由民主党、日本社会党、日本共産党・革新共同、公明党及び民社党を代表いたしまして、本動議について御説明申し上げます。 案文を朗読して説明にかえさせていただきます。 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議 政府は、次の事項につき、格段の努力を払うべきである。 一 一般戦災者に対し、戦時災害によって、身体に障害を受けた者及び死亡した者の実態調査を行い、当時の救済状況を明らかにすること。 一 警防団員等に対する援護法上の取扱いについては、戦後相当期間経過していることにかんがみ、その認定方法等について弾力的に運用するよう配慮すること。 一 最近の急激な物価の上昇及び国民の生活水準の著しい向上にみあって、援護の水準を更に引き上げ、公平な援護措置が行われるよう努めること。 なお、戦没者遺族等の老齢化の現状にかんがみ、一層の優遇措置を講ずること。 一 戦傷病者に対する障害年金等の処遇及び原爆症等内科的疾患の認定基準については、更にその改善に努めること。 一 生存未帰還者の調査については、更に関係方面との連絡を密にし、調査及び救出に万全を期すること。 一 戦没者等の遺骨の収集については、更に積極的に推進すること。 以上であります。 何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。
○大野委員長 本動議について御発言はありませんか。——なければ、本動議について採決いたします。 本動議のごとく決するに賛成の諸君の起立を求めます。
○大野委員長 起立総員。よって、本案については、山口敏夫君外四名提出の動議のごとく附帯決議存することに決しました。 この際、厚生大臣から発言を求められております。田中厚生大臣。
○田中国務大臣 ただいま御決議になられました附帯決議につきましては、その趣旨を十分尊重いたしまして努力をいたす所存でございます。 ————◇—————
○大野委員長 なお、本案に関する委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
○大野委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 ————◇————— ————◇—————
○大野委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時四十二分散会