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75回国会衆議院1975/06/03

公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第8号

発言数
56
登壇者
10
会派数
5
開催日
1975/06/03

会議録

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 これより会議を開きます。  内閣提出、公職選挙法の一部を改正する法律案及び政治資金規正法の一部を改正する法律案の両案を一括して議題とし、審議を進めます。  本日は、参考人として弁護士鈴木国君、東海大学教授山口房雄君、名古屋大学教授、日本学術会議会員長谷川正安君、九州大学教授杣正夫君、慶応義塾大学教授堀江湛君、以上五名の方々に御出席を願っております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。  本委員会におきましては、両法律案について審議を行っておりますが、本日はそれぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、審査の参考にいたしたいと存じております。  なお、議事の順序でございますが、初めに御意見をそれぞれ二十分間程度に取りまとめてお述べいただき、次に委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。  まず、鈴木参考人にお願いいたします。鈴木参考人。

鈴木匡弁護士

○鈴木参考人 御紹介をいただきました鈴木でございます。  本日は私に意見を申し述べる機会をお与えいただきましたことに対しまして、まずお礼を申し上げる次第でございます。  ただいま国会で審議されております公職選挙法の一部を改正する法律案及び政治資金規正法の一部を改正する法律案につきまして、若干私の意見を申し上げたいと存じます。  まず、公職選挙法の一部を改正する法律案についてでありますが、今回の改正案におきましては、衆議院議員の定数と人口のアンバランスを是正するための措置が講ぜられていますし、また、公職の候補者の寄付の禁止、連座制の強化などが盛り込まれており、これらの規定は明るいきれいな選挙の実現を図るため、少なくとも現行法よりは数歩前進するものと考えておる次第でございます。  また、今回の公職選挙法の一部改正案は、前に述べました事項のほか、政治活動用文書図画の規制、機関紙などの頒布の規制、選挙公営の拡充等、数点に及んでおります。  そこでまず、政治活動用文書図画の規制の可否についてでありますが、これについては、これまでに行われました選挙の実情を知ることが先決であろうかと存じます。  たとえば昨年七月に執行されました参議院の通常選挙におきましても、公示前の昭和四十九年五月十四日のある新聞紙によりますれば、警察庁が五月十日現在でまとめました事前運動の警告件数は五千二十八件で、そのうちポスター、看板などの文書掲示四千七百二十七件、ビラなどの文書頒布二百五十二件となり、ポスターや看板がはんらんしていると報道し、また他の新聞では、ポスターだけでもその費用は億単位と報道しているのであります。  私の関係しております愛知県におきましても、同様に事前運動とも見られるおそれのあるポスターや看板などがはんらんし、その中にはベニヤ板にこれを張りつけ、針金で通して街路樹や電柱などに結びつけたりなどされ、これがため町の美観をも害し、屋外広告物条例などにも違反し、批判の声も強くなってまいりましたし、このままではさらに活発化するおそれもあり、選挙の公正を確保する見地から黙視できない状態と考えられましたので、五月二十二日、選挙の管理執行機関である愛知県及び名古屋市の選挙管理委員会、屋外広告条例所管部局である愛知県土木部及び名古屋市計画局及び取り締まり当局は、立候補予定者を有する五大政党の県組織選挙関係者の参集を求め、自主的に撤去を求めたのであります。  また、公示の前夜に突然大量の文書が掲示され、これらのポスターや看板をこのまま放置しておいてよいかとの苦情が出たりいたしましたような次第でございます。  このように政治活動用文書図画の掲示ははなはだしく、しかもその実質は選挙運動が目的ではないかとの疑いも強かったのでありまして、これが大量に掲示されますと、これに要する資材費、用紙代、印刷費、その他の諸掛かり並びに人件費は莫大な額に達するものと思量されるのであります。  昨年十二月二十五日、衆議院において選挙の明正に関する決議がなされ、これを受けて同月二十七日、同旨の閣議決定も行われ、金のかからないきれいな選挙の実現に向かって新しく運動が進められるに至ったのであります。  以上のような事情から考えますと、選挙の公正を確保し、金のかからない選挙の実現のためにも、今回の規制措置はやむを得ないものではないかと思うのであります。  次に、機関紙などの頒布の規制についてでありますが、昭和四十五年四月十二日に執行されました京都の府知事選においては、選挙期間中シンボルマーク、シンボルカラーがはんらんし、また、政治活動用のビラが昼夜の別なく各戸に配布され、さらに街頭でも大量に頒布されて、ビラ公害とまで言われ、したがってまたその費用も膨大となり、実際には十億の金がかかったのではないかと見ている向きもあるようで、いずれにいたしましても、多額の費用を要したことがうかがわれ、金のかからない選挙とはほど遠いものであったのであります。  そこで、その後公職選挙法の一部改正がなされたのでありますが、その後の昭和四十八年に執行されました東京都議会議員の選挙におきましては、これまた大量の文書図画が頒布されたようで、昭和四十八年六月二十九日のある新聞によりますと、東京都議選でばらまかれる機関紙号外やビラの量は、大型トラックで一千台分にも達し、この空前の文書合戦が紙不足に拍車をかけ、印刷業界はピンチを迎えており、このままでは倒産業者が出るのも時間の問題であるとして、全日本印刷工業組合連合会と東京都印刷工業組合では紙を大切にする運動に本腰を入れることになり、政党に対し、紙を大切に使ってほしいという要望書を出すことになったと報じております。  その後の選挙の実情を見ましても、ビラ公害とまで言われるほど選挙時になりますと大量に頒布されるのが現状でありますし、その記載内容を見ましても、実質的には選挙運動にわたるのではないかとの疑念のあるものが多かったのであります。  政党や立候補者がその政策なり政見などを有権者によく知ってもらおうとされますことはもとより当然でありますが、実際に行われます文書の頒布状況を見ますとき、度を越しているのではなかろうか、果たしてこのまま見ていて選挙の公正が確保され、金のかからない選挙が実現されるのであろうか、ビラの頒布に動員される人々も大変な数になろうし、有権者に正しく判断してもらうことができるだろうかといったような心配が多くの人に持たれたのではないかと存じます。  率直に申し上げまして、一般有力新聞紙の報道などによって有権者にはかなり理解できる機会が得られるのではないでしょうか。選挙が近づきますと、あるいは選挙時になりますと、有力新聞紙はいずれも政党の政策や立候補者の意見その他選挙の意義などを詳しく報道されておりますし、今日ほとんどの家庭において新聞紙は読まれておるのであります。また、選挙運動は、公営によるとあるいは個人演説会などによるとを問わず、定められた方法によってすることができますし、政治団体の政治活動として法定ビラの頒布もできますので、この方面からも有権者に対し政党の政策なり立候補者の政見などを伝えることができるわけであります。  このように見てまいりますと、今回の改正案に盛られております機関紙等の頒布の規制もやむを得ないものと存じます。選挙運動は、本来種々の制限をすることなく、もっと自由に行い得るべきものであり、かつまた今回の規制措置はこれに逆行するとともに、表現の自由などを侵すものではないかとの意見もあろうかと存じます。私も、選挙運動はもっと自由に行われることが望ましいとは思いますが、それがためには、有権者の政治常識がさらに向上し、選挙の公正が確保されるだけの基盤のできることが必要ではないかと存じますし、政治活動は他に方法もありますので、今回の改正をもって直ちに表現の自由を侵すものであるから許されないなどとまでは言い切れないものと考えるのであります。  次に、今回の改正法律案によりますと、選挙公営制度の拡充が図られているようでありますが、御案内のように、選挙管理委員会は、選挙の管理、執行はもちろんのこと、公職選挙法第六条には「選挙が公明且つ適正に行われるように、常にあらゆる機会を通じて選挙人の政治常識の向上に努めなければならない。」とされており、また、選挙争訟について、異議申し出に対する決定、審査申し立てに対する裁決、さらには訴訟を提起された場合、都道府県の選挙管理委員会はその相手方となりこれに応訴するなどの職務を有するのであります。  選挙の管理が公明にかつ適時適切に、また的確に処理されていくためには、さらに選挙管理機構の拡充が必要であり、その上、健全な民主政治の基盤を築き上げるため、選挙管理委員会の有権者に対する啓発活動は一層活発化する必要が痛感されますし、選挙争訟も近時次第に複雑化する様相を呈し、また件数もふえる傾向にあるのではないかと考えられますので、都道府県選挙管理委員会連合会を初め選挙管理機関及び啓発団体は、つとにその拡充強化を機会あるごとに関係方面に陳情してきたのであります。最近の事例としましては、去る二月十八日、都道府県選挙管理委員会連合会総会の折、自治省選挙部及び地方の選挙管理機構の充実強化について全員一致をもって決議しているのであります。  関係方面におかれましては、その陳情の趣旨をよく御理解いただいて、その機構の拡充強化については御賛同いただき、選挙管理委員会の権威をもっと高める必要があるとの御意見も伺っているのでありますが、いまのところまだ実現するに至っておりません。しかし、現状はすでに選挙管理委員会の能力の限度に達しております。かかる際、先ほど述べましたように公営制度が拡充され、選挙管理委員会の事務がふえてまいりますと、一層多忙となることは確かであります。選挙管理委員がその職責を果たしてまいりますためには、いままでお願いいたしました以上にその拡充強化が切実な問題となってまいったのであります。この点、十分御配慮をお願いいたしたいのであります。  次に、政治資金規正法の一部改正についてでありますが、この件については、昭和四十二年の第五次選挙制度審議会において答申が出され、政府においても過去三回にわたって改正案を提案されましたが、実現を見るに至らず今日に及んでいます。しかし、政治の腐敗を防止し、政治活動の公正を図るためには、現状のままでは不十分であり、早急に改正されなければならないというのが国民世論ではないかと存じます。  そこで今回の改正案が提案されるに至ったのでありまして、最近の世論の動向や政党政治の現状を踏まえ、政治資金の寄付についてはその量的制限を行うとともに、質的制限をも加えて、現実に即した政治資金の授受の規制をし、あるいは政治資金の収支を明らかにし、また、個人の献金に移行の促進を図る見地からして、その政治献金につき課税上の優遇措置を講ずるなどし、さらにこの改正法施行後五年を経過したとき、その施行状況を勘案し、個人献金の一層の強化方策及び会社、労組その他の団体の献金のあり方について検討しようというのであります。  議会制民主主義のもとにおいては、政治活動は、政党が中心となり政党が活躍するためには、それ相当の資金の必要なこともよく理解できるのでありますが、どこからどのようにして収受するのか、また、どこへ何のために支出するのかについて、適正妥当を欠くことのないことや、その収支の実情が国民の前に明らかにされることが必要であります。  今回の改正案は、現行法に比較いたしますと、これらの点が考慮されていますが、この改正案の程度では不十分であるとの意見もあろうかと存じます。しかし、過去において審議未了となった経緯からしましても、また国民個人の政治に参加する意識が強まり、そうした社会的基盤が相当程度成熟しているとまではいえない現状では、直ちに十分な内容を期待することは困難であると思いますので、現行法より相当前進が図られています今次改正案に期待している次第であります。  以上のような理由からいたしまして、公職選挙法の一部改正法律案及び政治資金規正法の一部改正法律案には賛成いたす次第でございます。(拍手)

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 次に、山口参考人にお願いいたします。

山口房雄東海大学教授

○山口参考人 せっかく公職選挙法とそれから政治資金規正法について意見を述べる機会を与えられましたので、私は特に選挙を専門にしているわけでもございませんが、有権者としてはいい有権者であると自負いたしております。選挙演説にもよく好んで出かけますし、棄権したこともありませんし、その意味で私はよい有権者だと思いますので、有権者の一人として、この法案につきまして私の考えを述べさしていただきたいと思います。  率直に申しまして、選挙の結果を見まして、それぞれ当選された方はそれなりの理由といいますか、原因といいますか、要件があって当選された、当選されるべくして当選されたのだと私は思います。しかし、選挙の結果を全体として見ましたときに、有権者が常に持つ不安あるいは不満は、果たしてこれが民意を正しく代表しているだろうかということだと思います。この不満は決して悪いのではなくて、そういう不満があってこそ有権者というものは、言葉は適当ですかどうですか、育っていくのであろうと私は思っております。  したがって、民意の反映が十分にできるように、国会議員におかれてみずから努力されるということが、選挙の信用をつなぎ、そしてまた有権者の関心を増すゆえんである、私はこういうふうに思っております。したがって、議員各位が日常活動されることも、もちろん国民の関心を引く道でありますけれども、同時に、選挙そのものを常に民意を反映するのに適切な方向に持っていくという努力をされることが、同様に肝要であると私は思います。  同時にまた、選挙でございますし、選挙は票数の勝ち負けを争うわけでございますし、党の歴史というものがそれぞれありますので、選挙運動それぞれの項目につきましては、得意、不得意もあるでしょうし、また損得も十分ある、これも当然だと思います。しかし、大事なことは、先ほど申し上げましたように、国会が選挙のルールというものをつくり上げる努力を怠らないという点だと私は思っております。したがって、今回のこの二つの改正案が提出されたことにつきまして、各党の間においても十分協議、幅については十分かどうか知りませんが、各党の間において協議が進められているという、このことについては私は評価いたしたいと思います。この話を進め、そして何とか一致できるムードをつくろうという努力、それにつきましては、私は非常にいい方向である、こういうふうに思います。  それで、改正案の中で正しく民意を反映してほしいということにつきまして、第一には定数の是正ということが取り上げられております。これも私は当然だろうと思います。ただ、私たちの心配は、増減ではなくて、増加、増加、増加とこういうふうに持っていって、結局どこまでいくんだろうという不安を率直に持つわけでございます。もちろん増減といいましても、減をすることの方にはいろいろ関係もあってなかなかむずかしいことはわかります。ですから、いますぐこれを増減、つまりふやすところはふやし、減らすところは減らして、総数を同じにしておけということは無理かと思います。しかしせっかくの機会ですから、やっぱり十年に一度とか、前回の定数の改正がちょうど十年ぐらい前のようでございますから、十年に一回ぐらい、あるいは国勢調査の何回に一回ぐらいは定数の増減をやる、増もやるけれども、減もやるんだ、再配分というようなことでも考えていただければなおさらすっきりするのではないか、こういうふうに思います。  それから、参議院の方でございますけれども、参議院の定数是正というものも、衆議院がやるならばやってしかるべきかと思います。私自身は参議院の場合は全国区の選挙制度というのにかなり問題があるように思います。したがって、参議院の場合には、定数是正ということもさることながら、もっとそれより先にぜひ考えていただきたいのは、全国区というものを存廃を含めてどうするか、あるいはどういう選挙でいくかというようなことを考えていただきたいと思います。全国区の選挙の選挙運動並びに結果の現実を見まして、そういうことを考えております。  もちろん先ほどの公述の方もおっしゃいましたように、最も大事な点は、選挙をお金のかからないものにするということであることは言うまでもありません。二つの改正案でもってその方向に沿って努力されているという点は私も認めますし、この場合に、選挙に金のかからないということにつきましては、公営を拡大するということと、それからお金を提供する額が減ってくる、集めることを必要とする額が減る、あるいは出すことも無制限に出すということがしにくくなるというふうに、公営を拡大するということと、それからお金を出す方の規制というものが両々相まっていかなければならないのではないかと思います。  そういう意味では、今回の改正二つを比べてみますと、公職選挙法改正の方に、公営の拡大につきましてはかなり思い切った案が考えられているように私率直に思いますが、もう一つのお金を提供する、あるいは集めるという側の規制については、それと同じように思い切った策というふうにはどうも言えないのではないかというのが全般を通じての印象でございます。  そして公営の拡大でございますけれども、すでに原案に盛り込まれております車あるいは新聞、それからポスターなど、それについての公営はもちろん賛成でございます。ただ、実際に選挙で有権者が何に一番関心を持つか、一番何によって選挙のいろいろな政見なり候補者の言い分を知るかということは、新聞とテレビということでございまして、何かテレビの公営あるいはテレビをもっと活用するということが考えられないのだろうか。いまはそれぞれの候補者の放送、あるいはまた党首、幹部の討論会などが放送局の企画によって行われておりますが、あれをあるいは選挙区ごとであるとか、あるいはテーマ別であるとか、もっと企画を盛り込んでやれば、必ず有権者は関心を持ってもっと聞くのではないかと思います。  もう一つは、公営が広がってきた場合の私自身が感じます不安というのは、大きな選挙になりますと、どういうような言葉で呼んで本当に適切なのか知りませんけれども、どうせ当選しない、そしてどの選挙にも顔を出すという候補者が出てきております。私はこれは非常に選挙に対する有権者の信頼、つまり選挙がまじめなのかということについての信頼を非常に損なっておると思います。  これをどうすれば規制できるのかということについて、私もわかりません。しかし、何とか減らせないのだろうかということも希望としても私はどうしても消えない次第でございます。私らちょっと読んでもわからないような精緻な選挙法をつくる腕前でございますから、どこか法制局あたりでそういう候補を締め出す方法でも考えてくれたら私は非常にありがたい、こういうふうに思います。  さて、もう一つは、今度は投票する側、つまり選挙運動を働きかけられる側から考えまして、確かに、最近の選挙は、率直に言わせていただきましてうるさくてかなわないと思います。はがきとか投げ込まれる、家に持ち込まれるビラというのは、いやなら見なければいいので、あるいは好きなときに見ればいいので、非常に簡単でございますが、音というのはいやでもがんがん耳に入ってまいります。そしてまた駅におりればぐっぐっとビラを押しつけられます。ビラというのは好きなときにもらいたいビラをもらって好きなときに読んで、そうしてこそゆっくり読めるのですが、いやでも持たされるビラ、いやでも聞かされる音というのは決して愉快なものではありません。これは小さい問題かもしれませんけれども、有権者のそういう心情というものを選挙運動をされる側も規制のことを考える場合にもよく考えていただきたい、こう思います。  したがって、私自身は、通常の政党活動ではなくて選挙のときだけ出る印刷物あるいはまた選挙のときにだけ出てくる普通の出版物の号外というものについては、先ほど申し上げましたような観点から反対でございます。私は、そのことは決してその党に有利ではないと思っております。  それから同時に、また新聞を通じてこの問題の議論を拝見しておりますと、号外を禁止することが憲法違反であるという議論を私は拝見いたします。これは私は非常におかしい議論だと思うのです。すでに選挙運動そのものがいろいろな規制を前提としてやっているわけでございますし、もう一つは特に私自身が考えますのは、私は大学で学生部長を五年やっておりまして、いつもこの言論の自由の問題にぶつかっております。事実大学では、やはり教育の場ですから、憲法に示された言論の自由というものをそのまま適用することはできないのだ、教育の場にはそれなりの規制があってしかるべきであるという議論でいつもやっているわけでございます。選挙の場合も常にそういう規制があるわけでございまして、やはり私は国会の場でこの種の言論の自由などの問題を、憲法の問題を議論される場合にはきわめて慎重であってほしいと思います。最近大事件があった後だけに、やはりこれは別な角度から慎重であってほしい問題であります。  つまり、こういうことを考えるわけであります。選挙運動の最近の傾向で、これからほうっておけば強くなると思いますが、これでもかこれでもか、まだおまえわからないか、有権者まだわからないのか。もしその考えの底に、有権者というのは眠っているのではないか、ぼうっとしているのではないか、これだけ音を出し、これだけビラを配らなければわからないのじゃないかというような考えが前提にあるとすれば、私はそれは非常に誤っていると思います。そういう考え違いはないと思いますけれども、運動自身はそういうこと、これでもかこれでもか、まだおまえわからないのか、おまえまだ関心を持たないのかというような雰囲気を感ずるわけです。  そういう考え違いはないのだと思いますけれども、しかし私はそういうことを感ぜられるということは、選挙にとって余りプラスではないと思います。私は有権者というのは決して眠っていないと思いますし、棄権をした者がみんな眠っているのだとは私は思いません。意識的な棄権というものもかなりあるのだろうと思います。  私、希望いたしますのは、たとえば電話でいやでもベルが鳴って電話機をとらなければならないとか、あるいはいやでも部屋に入ってくるような音とか、いやでも配られるビラとか、そういうものは、今回の原案としては号外等のビラの規制が入っていると思いますけれども、そういうものはやめてほしいものだ、こういうふうに思います。  もちろんビラを必要とする、ビラをまく方が有利だという政党もあると思います。しかし、それならばやはり一つの妥協として伝えられております個人公報を出すというようなのは、いろいろな観点から考えて妥協案になり得るのではないか。そして選挙法を改正しようといったこの話し合いの心構えというものの中でぜひ取り上げていただきたいものだ、こういうふうに思います。  それからもう一つは政治資金の方の問題でございますけれども、これは先ほど申しましたように公営、選挙法の改正というものに思い切ったなという印象を受けたのに比べれば、かなり薄いと思います。もちろん非常にむずかしい問題もあると思います。たとえばポスターを裏打ちをして張る問題でございます。これは確かに大変なお金がかかると推察いたします。しかし張られる側から見れば、後片づけが非常に簡単で、非常にいいと私たちは思います。後さっと片づきます、張られると片づきませんから。どちらにしたらいいかなと私自身も迷うのですが、やはり選挙の制度につきましては、まさにこういう場合はお金のかからない方に持っていく、お金のかからない方にかからない方にというふうに決めていくのがいま選挙法を改正する場合の方向であるべきだろう、こういうふうに思います。  あと選挙のお金の問題については幾つかございますが、原案を読みましてもなかなかよくわからないのですが、そしてまた選挙のお金の問題というのはなかなか一挙には処理ができないと思います。そのことも私認めますので、いまぜひしていただきたいことは、お金を出すときには公開をはばからない、出す方も受け取る方も公開をはばからないというところにまず目標を置いていただきたい。そしてなるべく近い機会に個人献金が中心というふうにステップを進めていって、そしてお金のかからない選挙、お金の面からも規制していただきたいと思います。お金を出す者、受け取る者を公開するということは私は非常に大事だろうと思います。党員がだれであるかわからないというようなことも困りますし、同時にお金を出した者がだれであるか、だれから受け取ったかもわからないというようなことも非常にこれはまずいことだろうと思います。  それにしても私ども解せませんのは、いずれまた審議の文書など拝見すればわかるのかもしれませんけれども、原案を解釈しますと、何か派閥に出す金は百万までは黙っていてもいいが、党に出す場合は一万円ぐらいから届けなければいけないというふうになっているように思います。これは何だか派閥を助長するのではないかという感じを持つわけです。有権者の立場から見て、党と党のけんかもいやですけれども、しかしもっと醜いのは、同じ党の候補の争いが一番醜いと思います。したがって私はすべて考える場合に、どの党におかれても、派閥をなくするのにはどうするかという着眼を常に持っていただきたい。同じ党の候補者同士が悪口を言い合うくらい議会政治の信用を失墜することはないと私はいつも感じております。  最後に、結論でございますけれども、今後も選挙法の改正につきましては話し合いで努力を続けていただきたいと思います。しかし、その制度の個々のルールの改正だけではやはり追いつかない点もいずれは出てくるのではないかとも思います。その場合にはやはり勇敢に選挙制度そのものをどうするかという問題にもぜひ取り組んで、当面は絶えず改革を重ねていく、そしてある時期には選挙制度を根本的に改革する、そういう勇気をぜひ持っていただきたいということを最後に希望を申し上げまして、私の意見を終わらせていただきます。(拍手)

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 次に、長谷川参考人にお願いをいたします。

長谷川正安名古屋大学教授・日本学術会議会員

○長谷川参考人 本国会に提出されております公職選挙法の一部を改正する法律案及び政治資金規正法の一部を改正する法律案につきまして、私は長いこと大学で憲法を教え、憲法及び日本の憲法の歴史を研究することを専門としてきましたので、そのような研究者としての立場から今回の法律案、その提案理由などを拝見しまして私が感じましたことを参考に述べさせていただきたいと思います。  まず第一に指摘しなければならないと思われますのは、国会議員の選挙に関する基本を定めている公選法という法律は、形式は確かに法律でありますけれども、実質は私は憲法そのものと言ってもよいような重要性を持っていると考えております。たとえば憲法典というものを持たないイギリスなどでは、たとえば国会法であるとかあるいは選挙の基準を定めた法律を憲法学者は憲法として扱っております。  そのことからわかりますように、法律の重要性、内容ということから見れば、私は、今回問題になっている法律は普通一般の法律と違って、憲法に匹敵するような法律の改正を問題にしているのだということをまず強調したいと思います。主権者である国民の意思がどれだけ正しく国会に反映するかを決定する法律ですし、憲法で国権の最高機関と定められた国会の構成を実質的に左右する法律ですから、憲法に匹敵する重要な法律だと言っても間違いないと思います。  しかし、もし憲法の改正ならば、御承知のように、衆参両院の総議員の三分の二以上の賛成で国会の発議があり、国民投票にかけなければ、これは実行することができません。しかし、今日問題になっておりますのは、形式が法律であるために、両院の出席議員の過半数で改正することが可能だということになります。  この形式だけに着目しますと、私の憲法の歴史の研究からわかっていることは、どうも遠くさかのぼりますと第一回帝国議会が開設されて以来、国会が開かれるたびに、あるいは新しい内閣ができるたびに、その政府と与党に有利な改正案が提出されてきているというのが日本の議会政治の非常に悪い伝統になっていると私は思います。  これは私が考えるだけではなくて、中部日本新聞社という新聞社で編集した「日本憲法の分析」という本がありますが、この二百十ページに、金森徳次郎という憲法制定当時の国務大臣でありましたが、この方がこういうことを言っております。以下引用ですが、「ぼくが法制局に入ったのは大正のはじめだけれど、選挙のあるごとに何とか委員会ができて案をつくって枢密院にもってゆく。枢密院は何が来ても審査しなければならないから、ネコの目のかわるようなものでも、これを相当と認める。次に正反対のものが来てもこれを正当と認める。」そこに笑い声というふうに書いてありますが、「そういうわけで内閣が変るたびに方法が変るから随分苦しかったと思う。」こういう発言をしております。  私はこの発言を直接金森さんから伺いましたけれども、戦前においては内閣がかわるたびに自分に都合のいい選挙法の改正をやっていたという歴史がありますし、このことは新憲法のもとで新しい国会が発足した後も余り変わっていないのではないかというふうに私は考えます。したがって、私は憲法を研究する者として、たとえ形式は法律であっても、公選法の改正のような重要な問題は憲法の改正と同じような慎重さが望ましい。特に政府・与党に有利で、有力な野党に不利な選挙法の改正を繰り返すというような明治憲法以来の悪しき伝統はこの辺でいいかげんにピリオドを打ってもらいたいというのが私の第一の希望、意見でございます。  それから第二に、今回の改正案、これを全体としてながめてみますと、選挙というものが、候補者、政党を規制する国の立場からしかとらえられていないという感じがいたします。そして候補者や政党を支持する国民の立場から選挙というものをとらえるというような態度がほとんど見られません。選挙の公営とか公正という名目で国民の選挙への参加の自由が余りにも制限され過ぎているというふうに感じられます。選挙期間が始まりますと選挙運動を制限するのが原則であって、運動の自由は例外ということになっております。そしてそれは短期間だからやむを得ないのだというのがどうも立法趣旨のように思われます。  しかし、今日世界の民主主義国家で日本ほど選挙運動が不自由な国はありません。私も、たとえばフランスで大統領選挙あるいは衆議院の選挙に数回直接立ち会って目撃したことがありますけれども、日本のような不自由な国はない。たとえば、西欧諸国では選挙運動の中心になっている戸別訪問が、日本では犯罪とされています。これもさかのぼってみますと、大正十四年に男子の普通選挙を実現したとき、当時の言葉で言えば、無産政党の進出を恐れた保守党内閣が、全く党利党略的な立場から定めたもので、これを禁止する理由は、選挙に金がかかり過ぎる、もちろん、このかかる金というものは買収のことでありますけれども、選挙に金がかかり過ぎるというのがその理由になっておりました。当時の選挙制度に関する調査会では、世界にこんな禁止の例はないという答申を政府にやっておりますけれども、その答申を無視してこういう禁止規定をつくったわけです。  ところが、また今日同じ金がかかるという理由で世界に例のないことをこの改正案はやろうとしています。それは、政党の機関紙誌の規制であります。  国民の立場から見ますと、選挙期間は最大最良の政治教育のチャンスであると私は考えています。日常は生活に追われて、政治に関心を払う余裕がない者でも、選挙期間中ならばいろいろな選挙運動を見たりそれに参加をしたりして関心を高め、そして高められた政治意識でもって候補者の選択を行ってこそりっぱな選挙が行えるというふうに私は考えます。  ところが、すでに現在、選挙期間が始まりますと、かなり政治意識の高い市民団体や民主団体でも、複雑怪奇とまでは言いませんけれども、きわめて複雑な選挙取り締まりが危険で、うっかり選挙に近づくことができないという空気があります。国民個人はなおさらで、そういう団体でさえそういう感じをするのですから、一人一人見ますと、うっかり選挙事務所に近づくこともできない。それに今回の改正が加えられますと選挙からますます国民は遠のいて、選挙を遠くから見物するだけになってしまう危険性があります。私の研究しておる憲法の規定によれば、選挙期間といえども、選挙運動を初め一切の表現の自由というものは原則として自由でなければならない、買収の制限など制約は例外的なものだけが認められるということが私は全く当然のことだと思うのですが、その点は改めて強調しておきたいと思います。  それから第三に、いままで述べたような大前提に立って、いま問題になっている改正案の具体的な点を一つずつ若干検討してみますと、まず、公選法の改正で衆議院議員の定数是正を取り上げている点を問題にしたいと思います。  周知のように、公選法の別表の第一の末尾には、以下引用ですが、「本表は、この法律施行の日から五年ごとに、直近に行われた国勢調査の結果によって、更正するのを例とする。」こういうふうに記されていますが、この法律のできた昭和二十五年以来一度も国勢調査に基づく根本的な更正をしておりません。そのために、議員定数の不均衡が一人一票の価値を著しく傷つけ、たとえば訴訟で憲法違反であるというような争いが起こるところまで来ております。  しかも、この不均衡は、人口が減少した農村部の定員を減らさず、人口の増加した都市部の定員を十分ふやさないという、明白に農村部に地盤を持つ保守政党が意識的に法律の規定を無視してつくり上げた不均衡だというふうに私は考えます。決して、この不均衡は自然にできたものではありません。今回の定数の是正は、若干の増員は認めておりますが、どの部分からも減少というものはない非常に不徹底なもので、公選法そのものは明らかに人口に定員を比例させるという趣旨でできておるわけですから、その法律の趣旨を生かすような改正こそが望ましいものだというふうに私は考えます。  それから次に、これは当面の問題の焦点とも言える機関紙等の領布の規制です。政党などの機関紙に限らず、一般の新聞、雑誌でも、選挙に関する報道、評論をしているものは、選挙期間中は無償で配布することができないだけでなく、機関紙の号外等は領布そのものが禁止されてしまうというのが改正案です。そしてその理由はビラ公害であるとか、選挙の公正が害されるというふうに言われております。私の先に述べられた参考人の二人の方もそのような点に触れられております。  しかし私の考えでは、政党が複数に存在する国では、それぞれの政党は国民の中のそれぞれ異なる社会層を代表し、異なる政治思想を持っています。したがって、選挙運動の方法とかその形式に違いが出てくるというのはあたりまえのことです。ある政党が企業を利用する、ある政党が労働組合に依存する、ある政党が宗教団体を利用する、またある政党は党の組織、機関紙を利用して運動する、その選挙運動の手段がいろいろ違ってくるというのは、その政党の考え方が違ったり代表する社会層が違えば当然のことだと私は考えます。それはそれぞれの政党の体質の違いを反映しているわけです。その違いを無視して、ある政党が重視している機関紙誌てあるとかその号外を、これは科学的な表現では全然ありませんけれどもビラ公害という、新聞のタイトルになるような言葉できめつけて、満足な機関紙を出せない政党と同列に置くことがもし公正ということであれば、そのような公正という見方は日本の政党の近代化を妨害する考え方だというふうに私は思います。  各政党が同じようにテレビ、ラジオ、新聞を利用できても、そのことで各政党の個性のある運動を禁止していいという理由にはなりません。選挙期間中こそ各政党の自由な選挙運動を認め、その是非善悪は国民の自主的な判断にゆだねるべきだというふうに私は考えます。国民の判断を助ける役割りを果たしている政党等の機関紙号外などを制限するのは、私の考えでは外国にも全く例のない、そして日本では一部の政党が自分の政党に有利にというふうに考えるからこそ起こってくる事態だ、憲法でいうところの表現の自由というものを無視する改正案だというふうに私は感じます。  また次に、これは問題がちょっと違いますけれども、いかに物価上昇が狂乱的に行われている今日であるとはいえ、供託金の額を一挙に三倍以上に引き上げるというのは、被選挙資格に財産上の制限を付することになりはしないか。憲法第十五条で認めた普通選挙の原則を脅かしてはいないかと私は思います。もし全国の選挙区に一人ずつ候補者を立てようとする政党がありますと、その政党は供託金だけで一億数千万円の金を準備しなければなりません。一方では金のかからない選挙というようなことを言いながら、他方では供託金を一挙に数倍に引き上げるというのは、全く筋が通らないというふうに私は考えます。また、幾ら供託金を引き上げたところで、いわゆる泡沫候補というものはなくなるとは思いません。第一その候補が泡沫かどうかなんてことは選挙民が決めることで、あらかじめ百万円準備できない者は立候補できないというようなことを法律で決めてしまうというのは、本末転倒だというふうに考えます。  次に、政治資金規正法について触れてみますと、会社や労働組合など、本来政治的目的を持つものではない団体から寄付を取ることをこの改正案は公認しているだけじゃなくて、その寄付金の上限を非常に緩くすることによって、世論の金権選挙に対する批判にこたえることになっておりません。金権選挙で問題なのは、選挙に必要な金額が大きくなるということだけではなくて、その金の出所が不明朗だ、あるいは筋が通らないというところに問題があると私は考えています。政治を目的としない団体がもし金を出すとすれば、それは特定の利益を、金を出した政党に期待するからだ。そうでもなければ金を出す理由はあり得ないのではないか。  政党への寄付金というものは、原則として選挙権を行使する一人一人の国民にのみ認めるべきものです。企業ぐるみ選挙とかあるいは組合ぐるみ選挙とか、会社員や組合員一人一人の思想、信条の自由を侵害している具体例というものは、挙げろと言われれば幾らでも挙げることができます。思想、信条の異なる個人の集合体である企業とか組合というものが、特定の政党に対して寄付をしたり特定の政党の支持を決めて、そのことによって組合員あるいは会社員の思想、信条の自由を侵害する、そこには大変大きな問題があるというふうに考えます。  「この改正法の施行後五年を経過した場合においては、その施行状況を勘案し、政治資金の個人による拠出を一層強化するための方途及び会社、労働組合その他の団体の拠出する政治資金のあり方について、さらに検討を加える旨を明記する」というのは政府の提案理由の中で述べられていることですが、私は、五年後などと言わずに、直ちにこれは検討すべき問題だというふうに考えております。  改正法案の細部にこれ以上立ち入ることはいたしませんが、最後に一言、日本国憲法を研究する者として感想を述べさせていただきたいと思います。  私は最初に、今回に限りませんけれども、公選法は選挙を国の立場からだけ見ていて国民の立場から見ていないという一般的な傾向を指摘いたしましたが、それに続いて非常に重要なことは、国民諸階層の利益を代表している各政党を、選挙を行うたびに次第に近代化するあるいは合理化していく配慮というものが、法律をつくる場合には必要だというふうに考えています。ところが、今回の改正案は、議員の数ばかり多くても、その党として活動力のある多数の党員を持たない、また十分な機関紙も出せない前近代的な政党に有利に動き、そうではない近代的な政党には非常に不利に働く点が多過ぎるような気がします。党費の不十分さを企業や組合におんぶすることを認めている政治資金規正法とか、何でも公営でラジオ、テレビ、新聞の無料広告に依存しようとするような公選法の改正、それは前近代的な政党の前近代性をそのまま温存することになりかねないというふうに私は考えます。  議会制民主主義が政党を抜きにして考えられないとすれば、一定の政治綱領を持ち、日常的に政治行動を国民の前であるいは国民の中で公然と行う多数の党員を持った政党こそが議会制民主主義にふさわしい政党ですから、そのような政党が行うことを縛るような法律、いまそうでない政党がそういう政党になることを妨げるような法律、そういう法律には私は反対しないわけにはいきません。  結論として、私は以上のような理由でこの二つの法律の改正案には反対いたしたいと思います。(拍手)

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 次に、杣参考人にお願いをいたします。

杣正夫九州大学教授

○杣参考人 私にこの公職選挙法改正案につい参考人として意見を述べ、聞いていただける機会を与えてくださったことを、まずお礼を申し上げたいと思います。  特にそれを感じますのは、従来から選挙法の改正についてはとかく現職議員、関係政党の立場が強く反映される反面、国民の立場がきわめて無視されるという傾向があるのであります。ですから、きょうここで申し上げます私の意見は、私を参考人として御指名くださった政党と全面的に一致しているというわけのものではありません。けれども、こういう機会に、そのような選挙制度の立法においては議会に入りにくい国民の声をここでいささかなりとも代弁させていただきたいという所存でおるのであります。  まず第一に、定数の是正案でございます。  この定数を是正しなければならないという事態は、もう言葉を費やすまでもなくわかっておられるわけなんであります。ところが、出されましたこの定数是正案と申しますのは大変な問題を蔵しておるのであります。一議席当たりの人口数、また別の言い方をいたしますと、一票の価値の平等といったことが憲法の原則からいたしまして当然定数配分には実現されなければならないのにもかかわらず、現行は一票の価値において一対五のアンバランスを呈しておるのが現状であります。そして今回考案されましたところの是正案では、二十人を増員してある程度このアンバランスの幅を縮小するということをなされるのでありますが、しかしながら不均衡は基本的に改まっているとは申せないのであります。  というのは、兵庫五区は一議席当たり十一万二千人の人口を持っておりますが、この兵庫五区と同じ県下にあります兵庫二区では、この是正案でもってしてもまだ兵庫五区の二倍半の人口を擁して一議席が配置されているという、二倍半の開きを持ったアンバランスが、私の計算いたしましたところによりますと、全国で九つの選挙区でそのような事態が生じております。ですから、この改正案では定数の不均衡は基本的には改まっておらないということであります。  それからいま一つ問題であるのは、議員の二十人の定数増であります。議員の皆さんを前にしてこういうことを申し上げるというのは非常に恐縮なんでございますけれども、議員一人当たりの財政負担、これはもう大変なものであります。私、そういう細かい計算はできないのでありますが、少なく見積もっても事務次官三人分を超す財政負担を議員一人の議席はかけるものであるというふうに考えます。二十人と申しますともう事務次官六十人分、それ以上といったような巨額の財政負担をかけるということになります。私は必ずしもこういう財政負担も本当に不均衡が是正されて、民主的な選挙、平等選挙の基本が実現されておるならば、この二十人の定数増によるそういう財政負担は巨額であるけれども国民はがまんしなければならないと思いますが、そういう基本が実現しておらないで、しかも財政負担をかけるということを非常に問題にして、この定数是正案に反対いたしたいのであります。  次に、選挙公営の拡大と、それと関連のあります選挙運動の言論、文書活動の法規制の問題でありますが、御承知のとおり日本の選挙公営制度というのは世界に類例のないもので、ものすごく広い範囲に選挙公営制度が実現されております。選挙公営と申しますと、本当は国民の多くはどういう意味かよく知りません。公がついたのだから何かいいようなふうな感じで受け取っておる者がもう九割以上です。私、これは試してみたのですけれども、選挙公営というのは何かいいことなんだ、電車が公営だとか高等学校が公立だとかいうふうに、公がつくと何かいいような感じで選挙公営というものを受け取っておる人が大半なんです。大半どころか九割以上がそうであります。ところが、私が説明いたしますと、選挙公営というのは選挙運動を公費で持つということであるというように申しますと、それは大変だという意見がほとんどの場合出てまいります。  参議院議員選挙の後でありましたけれども、選挙公営の拡大が希望されているのだ、選挙が金によって汚されるということを防止するためにもそれが望ましいのだというような主張が流れておりましたころに、ある新聞に婦人の投書がありました。選挙公営というものはこういうものだということがわかった。われわれの税金によって候補者の色刷りのあのポスターが印刷されるというようになることはもうとんでもないことだといったような批判が出ておりましたが、選挙公営の実態を知りますとそういうことを考えるのは当然の道なのであります。  今回はポスターの公費負担、自動車使用の費用の補助、確認団体の新聞への政策広告費の負担等々が拡大の項目に挙がっておりますが、昨年のあの第十回参議院議員通常選挙で、選挙管理の費用も含めましてその選挙のために使われた経費が、私の資料の間違いかもしれませんが、百十八億円であるかと思います。それはもう人件費だとかそういうものは皆抜きにして、選挙だけの管理費、公営費を含めた経費であります。これがこのように拡大されますと、二百億円は優に突破いたしましょう。さらにそれが衆議院ということになりますと、候補者の数もふえ、公営の費用というのもすいぶん巨額なものがかかってくるという事態になるのであります。そのような巨額の費用をかけて選挙公営を拡大するに値する効果をこの改正の結果は持つだろうかということがいま一つ問題になるのであります。  そもそも選挙公営というのは、民主的な選挙の本質に矛盾するものを持っておるのであります。というのは、これは釈迦に説法で申しわけないのでありますが、われわれがいまとっております議会制民主主義、間接民主制の一つの支配的な形態でありますが、この間接民主制というのは、元来はギリシャの直接民主制に発しております。そこでは自由民が事のあるごとに皆集会して、そして事を決めて国の運営を図っていったという由来を持っておるのであります。そして国家の規模が拡大するに従って、そのような直接民主制というのは物理的に不可能になってくるというようなことも一つはありまして、間接民主制、社会のいろいろな勢力が、そしてまたいろいろな意見を持っている者がグループを組んで、自分たちの意見を政治の舞台で代表する者を選挙で選んで、そしてその議会の舞台に登場してもらうということでありますから、あくまでも選挙というのは、本質的には国家と社会というふうに対置して考えてみましたときに、社会の側の仕事で、社会の側のいろいろなパートになるグループがそれぞれの立場で代表を選んで、そしてそれを議会に送り込むという本質の上に立っておるのであります。  その証拠に、イギリスでは中世の時代は議員の歳費まで選挙区で持ったのです。議員の歳費、旅費もたくさん要るから自分のところからはもう議員を送らなくてもいいと言って、議員の選挙区になるのを断ったというような事例が中世にはあったのであります。近世になりましてから議員の議席というものが非常に重要になって選挙区になるということを求めるようになりましたけれども、そういうように選挙の管理から議員の歳費からすべて選挙区が負担したというような伝統の上にこの選挙というものは立っておるのであります。そうして現在でもアメリカでは、州によりましては投票用紙を候補者の側が負担する、政党の側が負担するというような仕組みが残っている。  アメリカの州の選挙公営というのはどういうのかというと、投票用紙を州の公費で負担してもいいというような形の選挙公営ですね。つまり、いま選挙管理としてなされているああいう制度が選挙公営の一つと考えられているといったような、ことに選挙というのは政治指導者とそしてそれを支持する国民とが自主的に、自治的に行うものだというのが、これが民主選挙の本質であります。ですから、選挙を公費で持ってもらうということになりますと、この民主選挙の本質を損なう、壊す面が出てまいるのであります。そうして、わが国でも経験があるのでありますが、選挙公営を拡大いたしますと、政党は活力を失うのであります。  この普通選挙が始まりましてからの歴史を考えてみますと、昭和九年の斎藤内閣のときに選挙法の大幅な改正がありました。これは選挙公営の拡大というのが一つの眼目でありました。それから、それに伴って運動の規制を厳しくする、取り締まりも厳しくするといったような形のものでありました。この結果、昭和十一年に選挙がありましたですが、その選挙においては、確かに当時のいろいろな事情もありまして、選挙の粛正の実が上がりました。しかしながら、選挙はきれいになったけれども選挙は死んだ、病気は治ったけれども病人は死んだということが、ある新聞の社説に掲げられたような事態が起こったのであります。  公営によって選挙運動が画一化され、そしてその公営の画一化された手段によりかかって選挙運動をやっている、そういうような政党というのは、支持する国民との間の結びつきが緩んできて、そして離れてきて、国民との結びつきという政党の活力にとって、生命にとって一番重要なものがそれによって通わなくなってくる。そこで政党が活力を失う。昭和十二年に選挙がありましたが、その後政党の解消運動というのが起こりまして、昭和十七年には政党は完全に解消して、無所属として皆立候補する。そして、そういう政党の解消の政治体制の上で太平洋戦争の中に入り込んでいくという経過を持つのであります。  そこで、この選挙運動の公費負担という便宜、特典が大幅に講ぜられるようになりますと、当然立候補を志望する者が出てまいるわけです。真剣に選挙を戦おうという気持ちではなくて、いろいろな理由で立候補しようという志望者があらわれてくる。そういうことを抑制するために供託金という制度が考えられておるのであります。  大正十四年の普通選挙法がつくられましたときに初めて供託金の制度がイギリスの制度にならって導入されまして、二千円という額でありました。この二千円という額は、終戦までは動かずにずっときたのでありますが、いまやその供託金の制度というのは、初めは衆議院だけでありましたが、ほかの分野にも及んでまいりまして、町村長に至るまで供託金ということが考えられるようになってきておりますが、その供託金が現行は衆議院の場合は三十万円でありますが、これが百万円に増額されるというのが今度の改正案の一項目であります。イギリスの供託金制度はいまでも存在しておりますが、一人の立候補について百五十ポンドであります。百五十ポンドと申しますと十万円ちょとの額であります。日本はイギリスの制度にならって供託金制度を導入したのでありますが、いまやイギリスの十倍になるような供託金の壁を設けて、立候補の秩序を規制しようとしているということであります。  こういう供託金の壁によって立候補の自由を奪うということは、先ほど長谷川参考人の御意見もありましたけれども、確かにゆゆしい問題であります。選挙の自由というのは、選挙権の自由でもありますし、また被選挙権の自由でもあります。そこへ百万円の壁を設けて、それを防止しようという考え方そのものが反省されなければならないのではないかと思うのであります。政治の事態によっては、国民の要望を負ってだれかが本当に裸になって議員になるために立候補しなければならないというような事態は、必ず長い歴史のうちには起こるのでありますが、そういうときに百万円の壁があるということになりますと、それは本当に国民の代表を議会に送るという基本的な権利がそこで阻まれるということになるのであります。そういう供託金の増額を含んだ供託金の制度というものが非常に問題であるのであります。  その供託金の制度が一つでありますが、さらに公営を実施いたしますと、選挙公営の成果を上げるために公営以外の運動を抑制しなければならないのは、論理的に起こる手段であります。そこで、選挙運動の言論、文書活動の法規制が強化されるということになります。これも、大正十四年の普通選挙法制定以来、日本の公職選挙法の選挙運動の言論、文書手段の制限強化が歩んだ道であります。  ところで、戦前の選挙公営、これはある程度所期の効果を上げることができたのであります。なぜかと申しますと、戦前の帝国憲法のもとにあっては、選挙のみならず、一般に思想、言論、表現の自由というのは大幅に規制されておりました。治安維持法、治安警察法、新聞紙法、出版法といったような言論、表現を規制する法律や命令がありまして、そういうのは言論、表現の自由というものを一般的に規制しておりました。その一般的に規制している中で、特に選挙のそういう運動を規制するために、選挙法の中に特別の法規制を行ったのであります。その中でも戸別訪問の禁止の規定というもの、これは非常に重要な役割りを果たしました。文書や言論が規制されていても、戸別訪問が自由になっておりますと、いろいろな形で候補者は選挙民と接触することができるわけです。ところが、戸別訪問が禁止されました結果、もう選挙運動の方法というのは限られたのであります。限られたがゆえに、その限られた選挙運動についてそれをある程度公営に取り入れた分だけ運動を規制するということが戦前の体制ではできたのであります。  ところが、戦後は、そういうような言論、集会、結社、思想、良心の自由、近代的な、市民的自由と権利を憲法は規定しているわけです。ですから、一般の日常の生活関係において、そのような法規制は日本国憲法のもとにおいては行い得ない。御承知のとおりのような言論、表現の、ある場合には過度と思われるようなはんらんの事態があるわけです。ですから、選挙期間の外側はきわめて自由である。その外側はきわめて自由である中で、その選挙期間だけ、衆議院の場合は二十日だと思いますが、二十日だけ言論、文書活動の規制をする。そしてある程度公営に取り入れるということをやったのでは、選挙に出ようという人々の熱情、意欲というもの、これも大変なものであります。必ずやその選挙運動の期間外に運動の熱情、意欲があふれ出て、事前運動、正式の法文上の事前運動ではございませんが、事実上の事前運動がきわめて活発化いたします。その一つがいまの後援会活動であります。  後援会活動というのはいろいろな形がありますけれども、しかし、その幾つかのものは、明らかに買収、供応、利害誘導の日常的組織になっておる。全面的にはそうではないけれども、部分的にはそうであるといったような事態を国民全部が知っております。そういうようなことになりまして、その選挙期間の中側を規制し、そうしてまた公営によって画一化することによって、選挙に向かうエネルギーは外側にあふれ出て、そうして事実上腐敗にわたるような事前運動が展開されておるというのが実情であります。  ですから、選挙期間にそれを公営にして、そこで金をしぼったとしても、選挙期間の外側でどんどん金が使われる。金がある者は幾らでも金を使えるような仕組みになっておるわけです。それは自由であるからです。それからまた権力を持っておる者、行政権力と近い者は、行政権力を使って選挙運動の足しとするということは、これもよくあり得ることです。いろいろな支配力を持っておる者が、そういう支配力をまた選挙に向けて発揮するということも、これも当然あることなんです。選挙のあるところは必ずそういうことがあります。  ですから、この選挙期間のわずか二十日間の内側で、機会の均等であるとか公正だとか言っても、そういうのは全体としての選挙運動には通用しないのであります。いまでは選挙公営というのは、最小限度の選挙運動を公費で負担してもらうものだというような理解をした方が適切であるかのような事態であります。そして金のある者、権力のある者、いろいろな支配力のある者、いろいろな能力、もちろんあるわけですけれども、最小限度選挙運動にプラスアルファをするわけです。しかもそのプラスアルファの部分がどんどんどんどん広がっていっておる。そのために選挙に金がかかるという事態が起こっておるわけであります。それで選挙運動の公正ということも、こういう広い全体としての選挙運動の見地から考えていかなければならないものであります。  いまのビラ規制でありますけれども、一面これは厳しい法規制がある。その厳しい法規制からわずかにあけられておる道に機関紙活動があった。そこで機関紙活動が活発に行われたということであります。この機関紙活動の規制の問題については、公選法の百四十八条、新聞、雑誌の選挙に関する報道、評論の自由という百四十八条の存在が問題になります。これは昭和二十四年から二十五年にかけて公選法の最初の案が審議されておりましたときに、非常に大きな問題になった条文であります。日本の側としては、この公選法百四十八条を立法する意図はなかったのでありますが、当時ありました選挙運動の臨時特例法や選挙運動の文書図画に関する臨時特例法といったようなものによる選挙運動の法規制が余りに厳しいので、それが、当時まだ占領中でありましたが、諸外国の非常な批判を招いたのであります。そして連合国総司令部から特別の、言うならば圧力がかかって、選挙の際におけるこの自由というのは、憲法の原則に基づいてやらなければならないのだということをこんこんと教えられた結果、やむことなしにこういう百四十八条というものが、それだけの理由ではありませんが、成立したといういきさつがあります。  このとき衆議院の特別委員会、昭和二十五年二月二日の第三回の委員会でありますが、このときの逢沢寛議員の発言の中には、選挙を公正にやろうとすれば憲法違反になるのだ、公正の原則を選挙運動の方に持っていこうとすれば憲法違反に行き着くのだということを与党側の委員が認めている発言があります。しかしながら、この百四十八条を認めると、いままでの選挙の言論、文書の頒布制限の法規制は根本的に崩れることになるけれども、近く改正を期待してこの条文に賛成するという発言をこのときにしておるのであります。こういうような日本の公選法の言論、文書制限体制の中で、この百四十八条というのは非常に不調和な自由な法規定であります。この百四十八条の抜け道からいまの政党の機関紙活動というようなものが非常に活発に動くようになったのであります。それで、そこでも出てまいりましたように、このような現在の言論、文書の制限体制というものをどう見るか、これに対してどういう姿勢で対していくのかというのは、国会でそのことを問題にしてくださる皆様方の非常に重要な問題点であろうかと思うのであります。  いままでも申し上げておりますように、この言論、文書の制限体制と申しますのは、帝国憲法下の選挙法の遺産であります。これを取り払わなければ、民主的な憲法のもとにある選挙法にはならないと私は考えるのでありますが、それの一つの例を御紹介したいと思います。  選挙運動の規制の条文は、包括的禁止、限定的解除という体裁をとっております。こういう方式をとっております。それはどういう方式かと申しますと、たとえば百四十二条、頒布の制限に関する規定がありますが、はがき以外のすべての頒布はいけない、ただし何々ということで、頒布はまず一切いかぬ、しかし、はがきだけはいいのだ、ただし何々がいいのだというふうに、まず一網打尽的に一切いかぬということにしておきまして、それから、法律で許す文書活動だけ張りつけの活動、掲示の活動、法律で許すものだけがいいのだというような体裁をとるのであります。これを私は、包括的禁止、限定的解除の方式と呼んでおるのでありますが、憲法二十一条に表現の自由という規定があるのに、そのもとにある法律で、選挙運動で演説はいかぬ、かくかくの演説だけよろしい、選挙運動で文書の掲示はいかぬ、かくかくの掲示はよろしいというような、そういう憲法の原則に真っ正面に衝突するような運動規制の体裁というものは許されるべきではないと思うのであります。  そういうことは立法関係者は皆さんよく御存知なので、先般終わりました第七次選挙制度審議会におきましても、この制限体制を自由な方向に持っていこうということが報告の中に——答申はまとまりませんでしたけれども、報告の中にそういうような文章が見えております。こういうような法体制というのは非常に異常なのだ、帝国憲法下の市民的自由がなかったときの法体制の遺産なのだという認識を、われわれがこの選挙運動の法規制をする場合に、まず柱に立てていただきたいと思うのであります。これを反対に、すでにこういう規則があるのだ、はがきは自由に頒布してもいいのだ、そうしてそういうルールがつくられているのだ、だからそのルールに合わせて、ほかのものまでそこへ合わせて規制していかなければならないのだという考え方は、まさに、いまの自由化を望んでいるそういう姿勢に対して逆行するものであるということであります。  時間がありませんので、あと簡単に申し上げたいと思いますが、正当な機関紙活動というのは非常な意義を持っておるのであります。これも申すまでもありませんが、現在は情報化時代です。いろいろな情報の手段が開拓され、そしてまた、いろいろな情報が把握されるような形になっております。しかも一方、管理社会化が進んでおります。そういう情報を管理し統制するというシステムがどんどん開発されており、そういう機関が活動しております。そういう関係の中で、それでは国民は、そのような情報化時代にどう対応していけるか。国民の側から管理し統制するというような役割りを、機能を働かすことができるかというと、この点では、国民というのは主権者という名前を持っておりますけれども、全く弱者であります。国民は管理され、そうして、その情報化の情報によって操作されるというような受け身の弱者となっております。  選挙というのは、国民が主権者として、憲法の前文にありますように、主権を持った国民が国会における代表者を通じて行動するということが憲法の前文の最初に掲げられておりますが、あのように、選挙においては、国民は政治に対して審判を下す、そしして将来に対して国民の希望を制度的に実現していく、そういう機会であるわけですが、そういう審判者として、そうしてまた、将来の政治を規定するものとして、国民はこの選挙の舞台で知る権利を十分保障されなければならない。これはフランスのパリ大学のデュベルジェ教授にいたしましても、それからイギリスのオックスフォード大学のマッケンジー教授にいたしましても、選挙において選挙民に十分な情報を与えなければならぬのだということを申しておりますが、そういう点でこの機関紙活動は重要な役割りを十分果たしておるのであります。  しかも、政治というのは党派の争いであります。そうして、いまはいろいろ価値観の多元化ということが言われておりまして、いろいろな思想が衝突しておるという時代であります。ですから、われわれは政治に対して判断する場合には、党派的見解を必要とするのであります。この党派的見解を、一般の新聞ももちろん提供してくれますが、しかしながらその党派が一番よく党派的な論理を知っておるわけでありますから、そこで党派がそういう意味の情報を流す。国民は、この党はこういう立場からこういうことを考えているのだということを知ることができるのであります。そして機関紙活動というのは、政党活動の血管であり手足であります。  それからもう一つは、先ほども申しましたように、厳しい制限体制がある中で百四十八条という一つの穴があいた。これは占領権力の圧力が大きく物を言ってあいた穴でありますけれども、ここで政党が活発に活動している。言うならば象徴的自由とでも申しますか、そういうものであるわけですが、ここにおける政党活動を締め出して、そしてそれをまた先ほどから申しておりますように公営の方に移して、候補者一人当り十万枚というようなことが話題になっておりますが、そのようなことになりますと、本当に政党というものと国民というものとの間、政党のバイタリティーというものは大きく締められていく、抑えられるという憂いを感ずるのであります。  以上のようなわけで、私はこの改正案に全面的に反対であって、撤回を望むものでありますが、現在修正案がいろいろ問題になっておりますので、その点から社会党の方へ二つの点について申し上げたいのであります。  政治の革新を求める政党というのは市民的自由というものをよりどころにしなければ伸びないということであります。これはどこの国の歴史もそれを証明しております。それからもう一つ、社会党の支持層というのはどういう支持層か、私どもも何回も何回も調査いたしました。婦人の革新票は大部分社会党に入っております。それから知的な選挙民ですね、知識人選挙民、これの大きな部分は社会党に入っておるのです。  そういう人たちは社会党に何を期待しているかというと、平和と議会制民主主義をどんなことがあっても守って、そしてそれを発展させるということを希望して社会党に期待を寄せているのですね。ところが最近それが少しずつ流れ出す傾向が見えてきております。やはり社会党はおっしゃるとおり革新勢力のかなめである、そういうような選挙民の支持のあり方を見ても、客観的に社会党は革新勢力のかなめであると言うことができるわけですが、この社会党が本来的な立場に立って、平和と議会制民主主義を守るためにここで筋を通していただきたい、こう思うのであります。  どうも失礼いたしました。(拍手)

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 堀江参考人にお願いをいたします。

堀江湛慶応義塾大学教授

○堀江参考人 堀江でございます。私、現代政治学と申しますか、投票行動、いわゆる選挙の実態を科学的に研究することを任務といたしております者といたしまして、本日御推薦いただきました政党の意見には必ずしも拘束されないで、自由に私の考えを申し上げてみたいと思います。  結論から先に申しますと、こういった法律案について簡単に賛成か反対か、黒か白かというレッテルを張ることはむずかしいと思います。全体的バランスシートを考えて、最終的にどちらかと言えば賛成である、あるいはどちらかと言えば反対であるといったような結論を出さざるを得ない。     〔委員長退席、小山(省)委員長代理着席〕 こういった観点から考えますと、公職選挙法の一部を改正する法律案、これについてはなお幾つかの問題点は含んでおりますけれども、基本的には私、賛成の立場をとっております。これに対しまして、政治資金規正法案につきましては、私は方向としては高く評価するものでありますけれども、実際にはせっかくのこの法律案がしり抜けになる危険性が非常に多いという点において、やはり最終的には反対の意見を持つのでございます。まず、公職選挙法についての考え方から申し上げますと、議員定数の問題でございます。先ほど来各参考人の皆さんがいずれもお取り上げになったことでございますけれども、確かに現在の日本の選挙制度の現状におきまして、選挙区によって有権者数の著しい開きがある。先ほどから何度か出てまいります兵庫県五区と大阪三区を比べますと一対五の開きがあるという現実、これはやはり是正されなければなりません。そういう意味で、今回の定数是正によってほぼ三倍弱にまで、大阪三区の場合は現在四十万人につき一人代表を選んでおりますが、今回は二十二万前後で一人代表を選ぶことになりまして、兵庫三区に比べますと三倍弱にまで差が縮まってまいりました。こういう点では、なお是正の余地があるといたしましても、大きく改善されたという意味で私は評価する次第でございます。  これはもちろん各選挙区における有権者の数と候補者の数の比率がほぼ同じになることが望ましいことでございますが、これは事実上技術的に不可能であります。どのような区画をいたしましても、われわれの社会生活の現実を無視して、あるいは行政区画を無視して機械的に線でも引いていけば別でございますが、そうでない限り一対二くらいの開きが出るのは、これはどのような方法をとっても現実にはやむを得ないのであります。そういう意味では、二倍か三倍ということになったわけでございますので、この点では改善されたというふうに考えております。  ただ、先ほど最初の参考人のどなたからか御意見がございましたけれども、このように議員定数をどんどんふやしていってどうするのだ、審議がうまくいかないのではないかという御懸念がございます。私も実はそれについては同感ではございますけれども、ただ現実にとにかくこの狭い国土に一億という人間が住んでいる。一方において、一人の代表を何十万という有権者が選ぶという現実がある以上、この国会議員の数がふえていくということは、審議を促進する上でいろいろ問題点があることは十分承知しておりますけれども、われわれ国民あるいは皆さん方議員の先生方の御努力によって乗り越えていかなければいけない障害ではなかろうか、かように考えるわけでございます。     〔小山(省)委員長代理退席、委員長着席〕 そして現実には四百数十人という、現在ですらすでに細かい理性的合理的討論というには数が多過ぎるのでありまして、そういう意味では、ほぼ六百人前後までは定数が増加していっても、もちろん多くの努力は要しますが、現状とさしたる変化はないのではないかというふうに考えます。  さて、その次に選挙公営の問題でございますが、私は基本的にはこの選挙公営の推進ということは大賛成でございます。と申しますのは、実はこれは皆さん方の方がよく御存じのことでございますが、私の記憶する限り昨年の参議院選挙におきます全国区の候補の法定選挙費用が千八百万円だったと思います。そうして、これまた私は直接選挙運動の実地をよく知りませんのであるいは違っておるかもしれませんけれども、巷間伝え聞くところによりますと、裏にベニヤを張ったあの選挙ポスターが通常二百五十円ないし三百円かかると承っております。これは皆さん方の方が御専門でございますのであるいは違っておるかもしれませんが、大体さように聞いております。  そうしますと、現在参議院全国区の規定されているポスター数が十万枚でございますので、掛けますとそれだけで三千万円になります。法定選挙費用が千八百万円で、そして全国区の候補者が十万枚のポスターすべてをお張りになると三千万円かかっておるはずでございます。そして、これは恐らく後援者その他が著しく安い値段でそういった印刷その他を引き受ける、また献身的な支持者によって無料でそういったポスターの張りつけがなされたというふうになるのだろうと思いますが、現実にはなかなかさようにはいかないと思います。また公職選挙法によりますと、時価よりも著しく安い料金で労務を提供しあるいは仕事を引き受けた場合は、それは現物給付とみなすという規定があるはずでございますが、これは時価より著しく安いといったことが何をもって時価より安いとするかという点で必ずしも明確でないということで、周知の事実でありながら黙視されているという現実がございます。  その意味ではこの種のものをなるべく公営化し、そして法定費用というのは純粋な選挙運動費に限定していった方がはるかに現実的ではないか、かように考えるわけであります。そういう意味で、今回、自動車、個人演説会、告知用のポスターあるいは政党の新聞による政策の普及宣伝等の公営化が進んでいくというのは大きな前進と考えております。  ただ、政党の新聞による政策の普及宣伝、これは提出された法律案では、衆議院の場合でありますと、候補者が百人までは最低限三回、それを五十人超えるごとに一回ずつふえるという規定になっております。これは多少修正の動きがあるとも伺っておりますけれども、これは計算してみますと、現在最も多い政党の場合、候補者数から考えましてほぼ三百四十から五十名くらい立候補される。そうしますと、最も多い政党はこの新聞による政策の発表の回数が大体七回から八回くらい、小さい政党は三回でございます。これはいかにも不合理であります。総選挙は決して株主総会ではないのでございまして、したがって立候補者数の多い少ないによってそういった回数が決まるというのは問題で、そういう意味ではおそらく三回と八回、間をとって五回前後の、ある一定した数に限定するということが選挙の公正を保障し、あらゆる勢力に対して自由な選挙活動の機会を保障するという意味でよろしいのではないか、かように考える次第であります。  なお、これに伴いまして、いわゆる実費弁償、報酬の額、これが従来細かく法律で規定されたのが政令へ移されることになっておりますが、この規定に際しましては、一見逆行するようではございますが、政令で報酬その他の金額を決める場合に、単なる公務員の出張旅費等を参考にするといったようなことではなくて、現実の実社会における費用に近い線で決める、決めた以上はそれを正確に守る、そういう具体的な行政措置が必要ではなかろうか、かように考えるわけであります。  また、いわゆる公職候補者の寄付の禁止、私は、これは非常にいいことではないかと思います。マスコミその他におきます選挙費用、政治資金が非常に膨大なものになって困るという批判、これはもっぱら国会議員の先生方に対する批判ばかりなされておりますけれども、現実にはあの政治資金の大部分が選挙区のさまざまな選挙民に対する世話活動、議員の方々にとっては必ずしも本意ではないようなさまざまな寄付活動、その他冠婚葬祭等に対する出費というのが実は莫大な額に上っておるものでございまして、したがって、こういった公職候補者の選挙区に対する寄付の禁止ということ、これがしり抜けになるおそれがあるのではないかと考えますし、また表面的には確かにこういりた規則ができたとしましても、それがはたして実行されるかどうかということ、この点でやや危惧を感じる次第でございます。  最後に、先ほどからいろいろ議論の対象になっております機関紙の領布という問題について私の意見を申し上げてみたいと思います。  私は、これは率直に申しまして、市民としてはなはだ迷惑な点が多い、こういうふうに感じます。確かに初期の段階におきまして、早朝新聞受けに一部の政党のあの種の政党活動の一環としての宣伝ビラが入っている、献身的な党員の活動に対して非常に感激をするといったような側面もあったのでございますが、物事にはやはり程度がございます。最近のように毎朝新聞受けに入り切れないほどビラが入っている、そして市民の立場め実感としましては、雨でも降りますと、肝心の新聞が新聞受けに入らないで、ぬれて読むことができないといったようなことが起こってまいりますと、やはりマスコミで伝えているようなビラ公害というような言葉に対しても、ある程度の同感を禁じ得ないということでございます。  そうして実は私、非常に不思議に思うのでございますが、これについての費用の問題は一体どうなっているのであろうか。通常の機関紙を配布している人が無料でそれを配布しているということで、はたしてあれだけの配布活動ができるかどうか。あるいはそういったことを通じていわゆる戸別訪問といったような問題が起こらないかどうか。いろいろ問題点があろうかと思います。  そうしてこの種のことは必ずエスカレートしていくと思います。現状では、一部の政党が非常に熱心に機関紙活動をやって号外を配布されておりますが、これが必ず他政党にも波及してまいります。そうなってきますと、だんだんエスカレートしていく。現在ではそれほど配布されてない政党が、たとえば労働組合等の若手の活動家を集めて、そうして重点選挙区にキャラバン隊を組織して大量に投入して、そうして宣伝ビラの配布を始める。あるいは非常に金力のある候補が大量のアルバイトを採用して、これを使って選挙区に漏れなく配布する、このような状況になってまいりますと、現在熱心な機関紙配布活動を行っておる政党が現状においては優位でありましても、野放しにしておきますとエスカレートし、かえって金権選挙を助長するというおそれなしとしない。  そういったおそれのあるという意味で、この機関紙活動についての制限というのはある程度やむを得ないと思います。そうしてこれを確かに表現の自由その他についてのいろいろな問題点を含みますが、しかし現状においてもポスターあるいは政見放送、新聞広告等、いずれも運動時間あるいは連呼その他についてもいろいろな制限があるわけでございまして、これを表現の自由という一般的な規定ですべて論じようとするには無理があるのではなかろうか、かように考えます。  また、現実の問題としまして、このビラ活動の配布が一体どういう効果を持つか、若干疑問でございます。まず公明選挙連盟が行いました中立的な選挙報告の結果を見ますと、政党のビラ、ポスター、文書によって非常に自分の投票意思の決定に参考になったというのは全体の五・六%でございます。そうして実はその中身をよく検討してみますと、このビラ配布の活動が一番効果を持つ二つの層がございます。矛盾しているようでございますが、一つの層は比較的政治に関する知識の低いお年寄りや御婦人の、そういった層に対して非常にアピールする傾向がある。もう一つは、熱烈な政党支持者に対してでございます。これは仲間が配布しているということによって非常に元気づけられる。しかし最大の効果を持つのは、実はあれは配布しているその御当人に対して最も強い効果を上げるのでございまして、ビラをもらっている人よりも、ビラを配布しているというその運動自体の効果の方がはるかに強い。そういう意味では、それが直ちに選挙の自由といったような、表現の自由といったような問題と結びつけていろいろ議論するというのは問題があろうかと思います。  いずれにしましても、私は、現状においてあの大量な宣伝文書の配布ということが、どうも市民生活にとってあるいは公共の福祉という見地から考えても、実は過度な権利の主張に通ずるのではないかというようなおそれを持つ。そうして現実に、紙代その他についての非常な高騰といったような社会的影響もございます。私ども私学に勤める者にとりましては、先年来選挙が近づきますと紙代が非常に上がって、私学は大変財政困難でございますので、試験の答案用紙さえ実はなかなか調えられない。高い紙はあるのでありますが、安い紙は非常に払底して値が上がります。そういうとんでもない効果すら出てくるのでありまして、こういった問題について多少の、今回の法律程度の制限はやむを得ないのではないか、かように考えます。  それから政治資金改正法でございますが、これにつきまして私、基本的な方向としては非常に評価いたしますけれども、しかしなおここには非常に多くの問題点が残っている。これはすでに指摘されておりますように、企業等の寄付が事実上一億円まで認められているといったような、余りにもそういった政治資金を規制するという意味では額が多過ぎるという問題がございます。  それからもう一つ、私、この際非常に注意しなければいけないと思う点があるのでございます。これは最近企業寄付あるいは労働組合の寄付は、一括する寄付はいけない、個人献金ならよろしいのだという主張がなされております。ただしこの場合、個人献金という趣旨は、貧者の一灯という言葉がございますが、その政党を支持する多くの多数の市民が少額ではあるけれども、自発的に寄付をする、こういう意味で個人献金が強調されなければいけないのであって、特定の個人が何千万といったような大量の寄付を行うということになりますと、たとえ個人寄付であっても非常に大きな問題が残るのではないかと思います。  そういう意味では個人の行う寄付というものが、政府案で二千万円というのはいかにも高過ぎる。今日、選挙公営あるいは政治資金の規制は世界の大勢でございまして、日本の経済が伸びたとはいえ、まだ現在ではアメリカの方が経済力がある。生活水準が高いにもかかわらず、アメリカでは大体一人の候補者に対して年間寄付できる個人寄付の限度が九十万円、それを一括して一人の個人が年間許されている寄付の金額は七百五十万円でございます。それに対して政府案では二千万円、また特定の候補者に対する寄付は百五十万円というのは、どうもいかにも額が多過ぎる。そういう意味では、確かに現実を直視することは必要でありますが、現実べったりになることはやはり避けなければいけない。そういう意味で、個人寄付は恐らく一千万円程度が年間の限度ではなかろうか。また、特定の一人の候補者に対する寄付が百五十万円もどうも多過ぎる、せいぜい百万程度が限度ではなかろうか、かように考えます。  また、これに伴って、いわゆる政党に対する個人寄付に対する税制措置、優遇措置をとるということが規定されております。これも政令にゆだねられる問題だろうと思いますが、その政令をお定めになる場合にぜひ一つ御注意願いたいことがございます。  と申しますのは、年間一千万円も寄付できるような、そういった個人寄付に対して、果たして税制の優遇措置をとる必要があるのだろうか。逆に零細な寄付に対してはもっと徹底した優遇措置を講じてもよかろう、こういうふうに考えます。零細な、年間数万といったような額に対してはむしろ税額控除——恐らく一万円くらいの限度としての税額控除という形での優遇措置が適当と思いますし、恐らく百万程度くらいまででございましたら、これは所得控除といったような優遇措置を講じる必要があろうかと思います。しかし、それを超える寄付に関しましては、むしろその種の税制による措置をする必要はない。一般常識から考えまして、年間数千万円もあるいは限度いっぱい個人寄付をするというのは何らかの特定の影響力を支持政党に与えようとするものと考えざるを得ないわけでございまして、これに対する税制優遇措置というものはやはり本末転倒ではなかろうか、かように考えるわけでございます。  いずれにしても、そういうわけで、確かに政治資金規正法は、方法として非常に多くのすぐれた点を持っているということは、私、率直に評価いたしますけれども、なお具体的に言うと、まだ余りにも現実に引っ張られ過ぎている。政治資金をもう少し浄化するという意味で、なお改善の余地があるのじゃなかろうか、かように考える次第でございます。  以上でございます。(拍手)

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山田芳治君。

山田芳治日本社会党

○山田(芳)委員 日本社会党の山田芳治でございます。本日は参考人の皆さま方には貴重なる時間を割いていただき、かつ貴重なる御意見をいただきましたことを、私どもも心から御礼を申し上げたいと思います。とりわけ杣先生には社会党に激励の言葉をいただきまして、私どもも、平和と民主主義を守る政党として、その御期待にこたえるべく今後も努力をしてまいりたいということを、まず御礼を兼ねて申し上げたいと存するわけであります。  さて、そこで、私どもの党の立場を代表いたしまして、参考人の諸先生方にお伺いをいたしたいというふうに考えるわけでございます。  まず第一に、現在の日本の選挙法におきましては、完全なる政党選挙という形をとっている段階ではありません。ある意味における個人選挙というものもそこに現実問題としてあるわけでありまして、個人選挙と政党選挙のミックスされた形における選挙というものが行われているのが現状であろうと思うのであります。  そこで、問題になっております、ビラの禁止、いわゆる政党機関紙の号外の問題であります。長谷川先生並びに杣先生にお伺いをいたしたいと思うのでございますが、政府案では、御案内のように、政党機関紙の号外は禁止をするということになっております。これは、しかしながら選挙期間中で、しかも選挙に関する報道、評論がなされているものに限って禁止をされる、こういうことであります。私どもは、これに対して、個人的な公報というものを発行していく、並びに機関紙本紙については従前どおり通常の配布方法にすべきであるという修正案を用意をいたしておるわけでありますが、こういう立場に立って質問を申し上げたいと思うのであります。  まず第一点、号外の問題でありますけれども、何と申しましても現在号外を領布をしていくためには相当の金がかかります。ビラ一枚二円五十銭ないし三円というふうに考えましても、毎日有権者の世帯数にまいていくということになりますと、一日にしても約百万円近い金がかかるわけであります。したがって二十日間とすれば相当の金額がかかると思います。そういう点、やはりなるべく金のかからない選挙ということを基本にしていかなければならない。それはいま言ったように、ある意味における、現段階における個人選挙という問題があるわけでありまして、そういう点について、いかにお考えになられておられるかという点をお伺いをしたいのが一つ。  それから、選挙をできるだけ自由にしたらいいではないかという御意見、それはもっともでありますが、それには非常な金がかかります。たとえば、自由にしたのならば、いわゆるマスメディアといわれるいろいろの広報手段があるわけでありますが、たとえば電波などにおいて、どんどん金のある政党が電波を買うことによって、その政党なり個人が宣伝をするというようなことになったら、これは大変な金額がかかるわけであります。先ほどお話をいただいておりますように、自由にするという場合には、そういうようなものもどういうふうに扱っていくのか、やはり一定の限界というものを設けるべきであるのかどうかというような点についてお伺いをしたいと思います。  それから、第二点でありますが、長谷川先生も杣先生も、供託金を上げたことはいろいろと問題があるようにお話ございましたが、いまの選挙は少なくても相当の人の支持者がなければ、これは選挙に立候補するということは不可能であります。したがいまして、せめてある程度のカンパというものが当然予定される、その程度のカンパというものを前提として選挙に出るということが当然でありますから、ある程度の供託金、これは法定得票数をとれば返ってまいるわけでありますし、一定の日にちだけの問題でありますから、その程度のことは選挙をやる政党としてもあるいは個人としても、それだけの支持あるいはその程度のカンパというものは当然予定されるべきものではないであろうかというふうに考えるのでありますが、この点はいかがかと思います。  それから最後に、参議院の全国区の問題について、先ほども堀江先生から話がありましたように、非常な金がかかる。ですから、参議院全国区について、どういうような考えをお持ちになっておられるかという点を、経費がかかるという問題を一つの問題点としてお答えをいただければ非常に幸いである。私どもとしては、ビラをうんとまくからいい候補者が出るというふうに必ずしも思っていないわけでありますが、非常に金がかかる参議院の全国区の問題というものをどうお考えになっているか、お伺いをできれば幸いだと思います。長谷川先生と杣先生、同じ問題についてひとつお伺いしたいと思います。  以上で質問を終わります。

長谷川正安名古屋大学教授・日本学術会議会員

○長谷川参考人 お答えしたいと思いますが、確かにいまの選挙は、有権者の意識調査をやりますと、政党を選択しているのと個人を選択しているというのが相拮抗しているぐらい、二つの側面があることは確かだと思うのです。しかし、それは有権者の受け取り方の問題であって、選挙を行っている政党の側から見れば、私はこれは世界の進んだ国においてはそういう強い傾向があると思いますが、やはり政党本位になるように選挙は行うべきだし、また事実、五つの政党がありますけれども、そうなっている政党もあると思うのです。  確かに社会党は、私もわりあいよく知っていますけれども、選挙を政党で半分やって個人で半分やっているところがあると思うのです。しかし共産党はそうではない、あるいは公明党もそうではないと思うのです。ですから、社会党がそうだからといって、やはり個人半分、政党半分で選挙というものを見るような、またそれにふさわしい選挙法をつくるという考え方は、私は社会党のためにはとらない。むしろ政党本位に運営される方向に選挙法というものをつくるように、社会党がもし革新政党であるならば、そういう努力をすべきではないかと私は思うのです。それが一つです。  それからもう一つは、金がかかる金がかかると言いますけれども、率直に言って、どういう場合にどういうふうにどのぐらいの金がかかるのかという実態はわからないのです。また、皆さんおやりになったことをはっきりと全部公表したものも私は見たことがないのです。ですから、ただ漠然と金がかかると言われても、私の意見としては、金がかかることに問題があるよりも、むしろそのかける金をどこから持ってくるのか、またどういう形で集めるか、そのことによってその政党の政策がどういうふうに影響を受けるかということの方が問題だと思います。  私は、これだけ物価が上がって、これだけ選挙が大々的になってくれば選挙に金がかかるのはあたりまえの話であって、かかることはちっとも悪いとは思いません。それは私は、それぞれの政党がその財政力を生かして、十分お金をかけていい選挙をやっていただきたいと思います。しかし問題は、その政党の金がどこから出てきているかということが問題なんであって、そういう点を考えれば、たとえばビラ一つを配るにしても、先ほどの御質問の、ビラの単価一枚幾らというけれども、一体だれがどこでつくって、だれが配布しているかによって、ビラの単価なんというものは全然違うわけです。第一アルバイト料一つにしても、ある政党で雇っているアルバイトとある政党で雇っているアルバイトと、それからある政党のビラ配りとでは、全然かかる費用が違うのですから、それをおしならべてビラは金がかかるというのは、それは山田さんのところではかかったかもわかりませんけれども、かからない方法だって、ちゃんと日常的に社会党が印刷局を持って、そしてそれを安い費用でやれるように合理化をしておけば、ビラを出すときにかなり安い費用でどんどん出せるのじゃないですか。  ですから、一般論としてそういうことを議論するということは、これは制度ですから二つの側面、長所、短所というのはどんな制度をつくったってあると思いますけれども、しかしそういう選挙を繰り返しやっていくことによって、選挙は政党本位になっていって、個人本位であっては困る。それから費用はかなりかかるようになっても、その出所が明確であって、筋の通った金であるということが私は望ましいと思うのです。  ですから、参議院の全国区にしても、全国区という制度の長所もあれば短所もある。もし長所を認めるのだったらば、金がかかるということだけでその全国区をなくしてしまうということは、衆議院でどんなに小さくしたって、金の使い方によっては現にものすごい金がかかっているのですから、選挙区の大小によって金のかかり方が決定的に違うとは私は思いません。むしろ私は、問題なのはその金の出どころの問題。  それから、先ほどの供託金の問題にしましても、選挙というものを個人単位で考えると、確かに一人が百万円集められるかどうかという問題なんですけれども、政党本位で考えると、たとえば百人候補者を立てる、三百人候補者を立てる、その政党は一体幾ら金の準備が要るのかということを考えますと、一挙に三十万円を百万円にしたということは、これは大変な巨額な引き上げだと私は感ずるのです。ですから、確かに一人一人で見れば百万円というのはカンパで賄えるかもわからないけれども、政党本位で見ると、総額億単位で考えられるような供託金なんというものは、先ほど杣さんのお話でイギリスの十倍ということですけれども、非常にべらぼうな制度だというふうに私は感じます。  余り直接のお答えになっていないかもわかりませんが……。

杣正夫九州大学教授

○杣参考人 簡単にお答えいたします。  正規の選挙運動、制度に許されている選挙運動をやるだけでも相当な金がかかるということは事実であります。けれども、その党の、あるいは候補者の実情に応じていろいろな形の工夫があろうかと思います。  極端な例を一つ申し上げますと、昭和七年に大阪第二区で社会党の古い先輩の小岩井浄という人が立候補いたしましたが、私は子供ながらその選挙運動を見ておりましたけれども、古新聞に名前を書いて張り出しているんですね。子供心に、ああ貧乏な候補者なんだという話をしましたけれども、しかし結構票は集めまして、一万数千票で当選するところを半分以上の票は取っておりまして、供託金を没収されるというようなことはなくて済んだですけれども、それは非常に極端な例です。  しかしながら、いまおっしゃいましたように、正規の選挙運動にある程度金がかかるということは当然のことなのであって、それくらいの金がつくれるような、それからまたそれだけの支持者のバックが持てるような人でないと、私はやはり議員になってもらっては困ると思うのです。それが一つ。  それから、やはり限界もあろうということでございますが、確かにございます。電波の利用などというのはメディアが限られておりますから、そういうことを野放しにするということはできませんので、外国にも、電波の利用その他、非常に極端な場合については、接近の機会の平等であるとか、あるいは国外からの電波の利用の運動であるとか、飛行機からビラをまくとか、極端な場合の制限はもちろんあります。しかし、いま考えられている程度の文書図画、言論の運動というのは、そのような極端な制限を設けるところまではいっておらないので、一挙に自由化というのは大変でしょうけれども、政党選挙を進めるという観点から、またある場合には、個人の候補者で、政党関係が必ずしもなくても有能な人も中には出てくるわけですから、あるいは党との関係で個人で立たなければならぬというようなこともあるわけですから、そういうようなことも考えて、徐々に政党選挙を進めるような方向に持っていく、そうして政治のことはもう言論、文書、それで戦うのだ、そこへエネルギーを集中して戦うのだというようなやり方でございますね。そういうことを望みます。  それからもう一つ、有権者の選挙参加、この機運は非常に起こっているのです。ところが選挙運動に参加しようと思っても、いまの選挙法の法規制のたてまえではどうも選挙に参加できないということでしり込みをしている、黙っているという人が非常に多いわけです。そういうのを昔は第三者の選挙運動と申しておりましたけれども、そういう第三者の選挙運動に参加の道をもう少し開くような形に自由化を持っていくということがされたら、もう選挙民が手弁当で参加するという形が昔からも言われておりましたけれども、ああいうふうに選挙民がお金を持って、労力を出して選挙しようというような事態が私は必ず起こると思うのです。  イギリスなどでは保守党が選挙運動の手引きみたいなものをこしらえておりまして、とにかくわが党を支持したい者はいるのだ、そしてその人はたとえば足が悪くて家の中で主として生活している人だ、そういう人にはそういう人がやれるような選挙運動に参加してもらう、たとえば封筒の表書きとか、そういうような形で選挙に参加してもらう、アメリカの大統領選挙、一九六四年でしたか、六八年でしたか、アメリカの大統領選挙を見ましたけれども、これも婦人部隊、男性はもちろんですけれども、婦人部隊なんかでも喜々として選挙に参加しているのですね。  ああいう形、日本の選挙でいっそういう事態が起こるか、それを私、いま予想できませんけれども、本当に選挙運動に、多くの数じゃありませんけれども、参加したいという人が選挙区の中に必ず何百人、何千人とおるだろうと思うのです。そういう技術者のエネルギーを引き出すような体制を考えていただきたいと思うのです。  それから、供託金のカンパというのは問題ですけれども、選挙をなさるときは非常にお金がいろいろと重要だと思うのですね。そういう場合に、せっかく支持者からカンパが集まったのに、それを一度そちらへ納めておかなければならない、ノータッチにしておかなければならないというのは、非常にふところの窮屈な候補者にとっては困ることだと思うのですね。だから、やはり供託金の増額というのも限度があって、せめて一挙に改めることができないならば、いま程度に現状維持にするという形でおさめていただきたい。  それから、全国区の問題ですけれども、これもいま過渡期にあって、実際全国に対して選挙運動をやろうと思ったら、相当莫大な金が要るということはそのとおりなんですが、しかし、運動の仕方が次第に練れてまいりまして、極端な場合には選挙運動は一度もしなかった、公報に書いただけだというので当選するというような場合、こういうこともあるわけですから、次第に運動の形というのは洗練されると思うのです。  それから、いま国会議員の選挙に全国区と地方区と、それから衆議院と、この三つの選挙がありますが、結果的に見て、結果論ですが、一番うまくいっているのは全国区の選挙ではないかという気がするのです。選挙運動に金がかかるのは別です。そのあらわれ方ですね。政党も代表を出している、いろいろな団体も代表を出している、それからまた政党によらないものもそれだけの人物、それだけの識見のある人がまた出ているというような形が全国区にはあるわけです。だから、結果として見た場合に、やはり全国区の選挙制度というのは、これはいまの三つの選挙を比べて一番いいのではないかという気がいたしておるのであります。

山田芳治日本社会党

○山田(芳)委員 長谷川先生から参議院全国区の問題について、金のかかることは同じだということでありますが、改正の問題について政党本位の選挙をやるべきだとおっしゃられたわけですから、それなら比例代表制を全国区に導入する方が合理的ではないかというふうに思うのですが、長谷川先生からちょっと答弁がございませんでしたので、追加してお願いしたいと思います。

長谷川正安名古屋大学教授・日本学術会議会員

○長谷川参考人 全国区という制度そのものの長所、短所はいまお話があったようにあると思いますし、比例代表という選挙の方法でしたら、またこれは全国区でやるか、選挙区を小さくして投票するかという投票の仕方の問題とその票を集めてそれについて評価をする仕方とでは問題が別なんじゃないかと思うのです。ですから、いま私が御質問にお答えできることは、現在の全国区の制度が金がかかり過ぎるから改めた方がいいという御質問だと理解したものですから、それだけの理由ではいまの全国区が持っている長所といいますか、非常に特色というものをなくす理由にはならないというふうに私はお答えしたわけです。  ですから、比例代表の問題は、私もまた別にこれは参議院全国区だけの問題じゃなくて、参議院、衆議院通じて比例代表という、また比例代表にも幾つかありますけれども、比例代表という選挙のやり方が選挙民の世論を国会に正しく反映させる制度としてはすぐれた方法だという点においては、私はもちろんそれに賛成でございます。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 林百郎君。

林百郎日本共産党・革新共同

○林(百)委員 選挙法の改正というのは、戦後成長し、芽生えてきました議会制民主主義、それから政党政治を正しい方向へ成長さしていくことができるかどうかということに関連して非常に重要な意義があると思うわけです。ことに直接それに関係を持っておるわれわれ国会議員としては、非常に国民から負託された責任を果たす意味で重要な意義があると思うわけです。  きょう各参考人の皆さんにおいで願いまして、感謝にたえないわけでございますが、そういう意味で、われわれ国民から負託された重要な責務を果たすという意味で各参考人の方々に一言ずつお聞きしていきたいと思うわけであります。  まず、鈴木先生にお尋ねしたいと思いますが、先生も弁議士のようでございます。私も弁議士でございますが、戦前に言論が制限されていたころ、新聞に検閲の制度があるとか、あるいは報道といえば陸海軍の軍事的な報道が中心になって、そうしてもし自由主義的なことを書けば、それが直ちに赤だというようなことでいろいろの弾圧を受けたというような当時、そのころは同時に、先生も御承知のとおり、裁判における基本的な人権も非常にじゅうりんされていたころなんですね。ですから、やはり言論の自由、表現の自由を守るということは、これは基本的な人権を守る上でも非常に重要な意義を持っていると私は考えるわけです。  そういう意味で、先生が今日のビラ並びに号外の配布について御意見があるように拝聴したわけでございますが、しかしこの号外の配布について先生の先ほどの御意見のように迷惑に感じ取られているという人もありますが、同時にこの公然とした各政党の号外が配布されることによって、選挙が陽性に行われていく、陰湿な供応とか、買収だとか、実質犯がのさばる余裕がなくなってくるのだ、こういう意見も一方にあるわけなんですね。  この前の京都の府知事選挙の後、参議院の公選特別委員会で調査に参りまして、そのアンケートの結果を見ますと、ああいうように号外を公然と配布してもらって、そうして陰湿な供応、買収というような、選挙を本当に毒する、そういうことが手が出なくなったのだ、そういう意味で非常に意義があったのだ、こういう回答を得ているわけなんです。  それからこの前の都知事選挙の後、東京都の選挙管理委員会の調査によりましても、あの号外によって各党の政策を知ることができた、こういうアンケートもあるわけですね。もちろん鈴木先生あるいは山口先生、堀江先生のように、ことにインテリでいろいろなことを知っている人は、何もこうまでやられなくてもわれわれわかっているのだ、こういうお考え方の方もあるかもしれませんが、しかし、あれによって各党の政策を知ることができたという人たちもあるわけなんですね。  ですから、そうなりますと、やはり憲法で規定されている表現の自由を守る、言論、出版の自由を守るというこの基本的な路線を守っていって、そしてもし先生方のおっしゃるような、今日のビラ並びに号外の配布がむしろ迷惑だというようにお考えになるとすれば、そういう迷惑なことまであえてすることについての国民の判断によればいいのであって、そういうことをする政党はおのずから国民の批判を受けるということであって、やはり基本の言論と表現の自由を守るということを選挙法によってだんだん狭めていく、さっき杣正夫先生のお話にもありましたように、もう選挙法改正をするたびにべからず、べからず、べからずできて、選挙法といえばすなわちべからず法であって、その中でわずかの出口があればそれもまた今度は、どうもはっきりしない範疇に入るからと規制していく。  そういうやり方は、やはりわれわれお互いに弁護士として基本的な人権を守るという立場に立っても、選挙法の中で、たとえば選挙活動をする団体というような新しい概念が出てきて、その概念が非常に不明確で、それが選挙期間中は政党と同じように一切の選挙活動を禁止される、それに違反した者は罰金を受けるということになりますと、それはすぐ第一次的には捜査の段階で警察の手が入るということにもなるわけなんですね。  そういう今日置かれている選挙法の体系全体から見ても、ここでいままで許されていたものをさらに制限していくということは、それは国民の判断にまつべきものであって、法律でそれを禁止していくということは好ましくないのではないかというように思うのですが、いかがでしょうか、先生の御意見をお伺いしたいと思います。

鈴木匡弁護士

○鈴木参考人 林先生からのお尋ねにお答えいたします。  やはり先生と私も同じ職業でございまして、以前からよくお名前も存じ上げております。  お尋ねの最初の、戦前には検閲その他によって言論、報道の自由がひどく制限されておったのではないかというような御趣旨でございますが、それはまことに戦前においてはそういう制度があったということは認めなければならないと思いますが、戦後はそういうことが撤廃されてまいって、御意見にもありましたように、表現の自由ということが強く打ち出されてきております。  そこで、ビラ、号外、この配布も表現の自由として当然認めるべきではないか、あるいはまた、これがあったがために京都の知事選では選挙が非常に陽性に行われた、参議院選の調査のときのアンケートもそのように報道されておるというようなお言葉でございまして、その調査の結果は私も拝見いたしております。  がしかし、一面から考えてみますと、今日の選挙は、ムード選挙あるいはイメージ選挙のおそれがあるというようなことも言われております。さらに、情報の過多といいますか、そういう時代だというふうに言われております。  したがって、選挙の自由のほかに、公正という立場に立ちますと、やはり若干の制限を受けるのはやむを得ないのではないかというふうに考えられますので、先ほど私は、ビラを規制される、この程度のことはやむを得ないというふうに意見を申し上げたわけでございます。  それについては、東京都知事選の例をお引きになりまして、あのアンケートによれば、号外によって、あるいはビラによって有権者の人たちはよく知り得たという結果があるというようなお話でございますが、このアンケートは、私の記憶が違っておれば別ですけれども、私の記憶しておるのは、一〇〇%で出たのではなく、一七〇%か何かの何分の一でやったのを見た記憶がございます。  いずれにいたしましても、そういうアンケートの結果によっても、むしろこれが迷惑であるならば、国民の判断に任せたらよいのではないかという御意見のようでございますが、確かに、一方ではそういうような御意見もあろうかと存じます。  がしかし、よく考えてみますと、選挙運動については非常にいろいろな規制が設けられております。そして政治活動につきましても、先ほど申し上げましたようなビラが認められてもおると思います。さらに選挙費用の制限なども設けられておりまして、それにかからないで、政治活動でならば何人人が動員されても、またどれだけ経費がかかっても、それは別個の問題だというふうな判断であるといたしますならば、私はこの選挙法規の規定を守って、こういうようなビラなどをまかなかったという立場の人とは公正が保てるかどうかという点について疑問を持っておるわけです。  それはそれぞれの運動の自由だから、やりたければやればいいじゃないかというような意見も出ようかと思いますが、片方そうした制限を守ろうという立場の人との間に矛盾を生ずるのではなかろうか。そこで公正という点が強く打ち出されてくるのが一つということと、それから経費の問題も考えられなければならないのではないか。  もう一つは、私は今日の有権者は外からの資料、与えられたものを見るというだけでは、健全な民主主義は育っていかないと思うのです。有権者自身が、選挙は自分たちの選挙であり、自分たちが進んで行うものだという自覚のもとに、いろいろな政党あるいは候補者の方の政策、意見などを自分たちが進んで勉強するようにならなければだめだろう。  そういたしますならば、何もこの選挙の期間中に、間に行われておらないような特殊の政治活動が集中して行われることは矛盾ではなかろうか、政治活動というのは本来それ以外の、常時行われておっていいのではないかというような感じがいたしますので、せっかくのお尋ねでございますけれども、そういう点につきましては先生と御意見が違うのは御了承いただきたいと思います。

林百郎日本共産党・革新共同

○林(百)委員 時間の関係がありますので、あなたとここで論戦を交わすわけにはいきませんが、ただ先生の御意見の中で私たちが所見を異にしておるのは、先ほど参考人の方々の中にそういう意見もございましたが、公正といっても、各政党はそれぞれの特徴と、いままでの蓄積と、それからそろぞれのエネルギーを持っているわけですね。だから選挙のときにはむしろそういうそれぞれの政党の持っている特徴が最大限に発揮されるのであって、それを公正という名のもとに、近代政党をおくれた政党の、そういうエネルギー、そういう政党活動を持っておらない政党のレベルまで下げてくる、仮にですよ、そういう公正は、それは公正でなくてむしろ不公正ではないか。一般に常ふだん各政党は政治活動をやっているのだ、それによって一般の国民は啓蒙されるのだと言いますが、やはり選挙というのは、これはもう国民の方々に最大限に政治的な関心を高めていただかなければならないし、そして国民の知る権利が最大限に保障されなければならないし、また政党はそれにこたえる責任のあるときなんですから、このときに、いつもやっているからいいじゃないかといって、いままで許されたものまで禁止されるということは、私はこれは公正の名による不公正さを生み出すもとではないか、こういうように考えますが、これは時間がありませんので、先生とここで論争を交わすのはこれでやめたいと思います。  その次に、山口先生にお尋ねしたいのですが、山口先生は、各戸にまかれる号外、ビラは読みたくなければ読まなくてもよい、そういうように言われたと思います。私、まことにそのとおりで、まかれたって、読みたくなければ読まなくてもいいと思うのです。同時に街頭でまくのも何も受け取らないという人に無理に渡すわけじゃありませんから、街頭で号外やあるいはビラが渡されようとしたら、私は結構ですと言えば、いまの良識からいってそれは無理に渡すことはないわけなんです。また仮にももしそういうことをしたら、その政党は選挙のときに批判を受けるわけなんですから、そういう先生が最初に各戸にまかれる号外のビラは、読みたくなければ読まないでもいいと言われたそのことが同時に街頭でも適用されるので、無理に持たせることなどによって反感を買うようなことになれば、その政党は必ずその報いを受けるわけなんですから、これによって政党活動の基本である機関紙の号外の、ことに選挙中の配布を禁止する理由にはならないと思いますが、ただ先生のように大学の教授ですから、私、先ほど言いましたが、非常にわかり切っている方にどうでもこれを読みなさいと言うのは迷惑だ、それはそういう方もおありだと思います。だからそれはお断わりになればいいのであって、だからといってビラ公害と称してこれを全面的に禁止していくということはやはりやるべきではないというように思いますが、その点はいかがかということ。  それから、この号外によって各政党の政策を知ることができた、こういう人もあるわけなんですね。先生みたいに、最近のあの選挙の号外のまき方はむしろ迷惑だという方ももちろんあるわけなんですね。その判断こそが、主権者としての一票の行使によってその判断を行えばいいのであって、上の方から国の法律でおまえはまいちゃいかぬとかそういうようなことをここで決めるべきではない、こういうように考えるのですが、いかがでしょう。

山口房雄東海大学教授

○山口参考人 読みたくない者は読まない、それからもらいたくない者はもらわなければいいじゃないかとおっしゃいますが、最近体験した選挙では、もらいたくない者も押しつけられるし、十人も並ばれたらいやでもどうしても押しつけられます。その傾向が私はもっとひどくなると思うので、その傾向をこの際やめていただきたい。先ほど申し上げましたように音とあのビラは、林さんのおっしゃるような利点もあると思いますけれでも、音とあのビラはいまや迷惑であるというのが個人だけでの私の判断でございます。  それから、林さんと私の違いますところは、ビラをまくのが近代的な行動であってまかないのは近代的でないという考えは私はとっておりません。これはやはり選挙の一つの手段でございまして、まくもよし、まかぬもよしだと思います。ビラを有利とする政党と不利とする政党があるので、その妥協点を皆さんで見出していただけないかということでありまして、国民の判断にまてばいいではないかとおっしゃいますけれども、国民の判断をかわってなさるのが国会議員であると私は思っております。  それから、党活動を制限するのがいけないのではないかとおっしゃいますけれども、有権者の判断を私はこういうふうに見ております。もちろん党活動と個人の活動があると思います。大体選挙運動の期間でないときは党を中心に有権者は見ている。それから選挙活動になれば、選挙期間になると中選挙区ということもあって個人というものが表面に出てくる。したがって、選挙運動に何らかのルールを設ける必要がありとすれば、そのときは政党活動というものは一歩後退しても決して有権者の判断を損ねることにはならないのじゃないか、こういうふうに私は判断いたしております。

林百郎日本共産党・革新共同

○林(百)委員 先生の御理論によると、ビラも迷惑だ、スピーカーも迷惑だということになると、選挙自体が迷惑だということになってしまって、近代的な選挙はどうやるのでしょうか。それは全く三木さんの御意見と同じで、選挙をなるべく静かにしょう、静かにしょう、静かにするということは現体制を維持しようとする者にはいいかもしれません。しかし新人が進出する、新しい政党が革新の方向へ進出しようとする場合には、そこに大きなエネルギーが発揮されるわけですよ。そのエネルギーは号外として発揮されたり、あるいは街頭の演説として発揮されるわけなんです。  先生は、国会議員は国民を代表しているのだからあなた方が言ったらいいだろと言うけれども、だから私は言っているわけなんですよ、国民の中にそういう声があるのだから。総評だって労働組合だってビラの規制は禁止だと言われているわけでしょう。そういうことを言われているわけなんですから、だから、私が国会議員として質問することに対して、もう少しまじめにお答え願いたいと思うわけです。先生の方から言えば、自分の信念をお述べになっている、こういうように私は受け取りますよ。受け取りますけれども、国民の判断をあなた方やったらいいじゃないか、そういうけれども、国民の中にそういう意見があるからこそ、国会議員はこうやってあなたにも言っているわけでしょう。そういうように受け取れないのですか。  あなたの意見で言うと、もうビラもまくな、それから演説もやめろということであるが、政党によっては、そういうように機関紙の号外を自分の犠牲的な努力によって無料で各戸に配布するということを通常の配布の形式にまで高めてきている政党もあるわけなんです。それは努力ですよ。そういうのは各政党の不断の努力ですよ。それを、そういうことができない政党もある。だから公正にしなければならない。だから禁止しろということは、そこまで努力を重ねてきた政党まで水準をおろすことにはならないでしょうか。こういうことを聞いているわけなんです。先生がまじめにお答えになっているということは私はわかりますよ。ただ、私の受けとめ方がそういうように感じ取れたから、率直に申し上げているわけです。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 林君に申し上げます。  参考人の意見を聴取するこの会議でございますから、(林(百)委員「だから意見を聞いている」と呼ぶ)討論にわたるようなことは節度を守っていただきたいと思います。(林(百)委員「大いに節度を守ってやっているわけです」と呼ぶ)

山口房雄東海大学教授

○山口参考人 私はおっしゃったほどふまじめでもありませんし、また同時に三木首相のように偉くもございません。国民にかわって判断して公職選挙法をどうするかという決断を下されるのはあなた方であるということを私は申し上げているのであって、もう一つは音にしてもビラにしても過度なものは迷惑であるということは、先ほども申し上げたと思います。いま私は過度の段階に達したと思うので、何らかのルールをここで定める必要があるというのが私の意見なんでございます。  それから、ビラをまくのが近代的であるかどうかということにつきましても、これは私の意見でございまして、決して林さんをひやかしてばかにしたのでもございません。

林百郎日本共産党・革新共同

○林(百)委員 それじゃ、討論をする場ではございませんので申しませんが、たとえばこういう号外の規制を許していく、そういうことになると、次には演説会の回数が多過ぎるとか、先生のおっしゃるように声が大きい、ボリュームはどこまでにするというようなことになると、選挙法の体制からいって、そういう表現の自由がだんだん規制される危険を非常にわれわれは感ずるものですから、それで先生にいま言ったような質問をしたわけでございます。結構でございます。先生は先生でそういう御意見をお持ちになることについて、私はあれこれ申し上げるつもりはございません。  それから、長谷川先生にお尋ねしたいと思いますが、二十日間の短い間だから、そういう制限をしてもいいじゃないか、こういう意見があるのですね。だから表現の自由が制限されてもいいじゃないかという意見と、それから先ほど申しましたように、公正論というものがある。公正に選挙活動が行われなければならないから、スタートラインを同じところ皆立たせるのだ、こういう意見があるわけなんですけれども、これは近代政党の立場、それから憲法の二十一条からいって、二十日間の短い間だからいいというようなことが、先生のお考えとしてはどういうようにお感じになられるか、お聞かせを願いたいと思うのです。

長谷川正安名古屋大学教授・日本学術会議会員

○長谷川参考人 私は憲法学者で非常に原則的に物を考えるせいかもわかりませんけれども、二十日間であろうと一日であろうと一時間であろうと、時間の短い長いにかかわりなく、先ほど私が参考人として意見を述べたように、あくまで原則は憲法で定められた表現の自由なのであって、それを規制しようとするならば、よほどの理由、しかも例外的な理由がなければ規制してはならないというのが憲法のたてまえだと思うのです。先ほど杣参考人から言われたように、いまの公職選挙法は二十日間という短期間であるという理由でしょうか、一般的に禁止しておいて、特定のものだけを解除していくというような非常に警察許可的発想でもって選挙運営がやられておる。これは戦前は内務省が選挙の取り締まりをやっていましたからそういう選挙法も通ったかもわかりませんけれども、いまの新しい憲法のもとでは、そういう警察的発想で選挙の取り締まりをやる、選挙法をつくるということは私は認められないのではないかと思います。  また、公正の問題は、先ほど私の意見の中に述べてありましたように、あくまで私は、資本主義社会においては複数の政党が存在する、これは国民各階層、利害関係の違う生活をしているわけですから、農民なり労働者なり資本家なりあるいは知識人なり、それぞれ階層の違う利益を代表する政党があって、代表する利益が違えば表現の仕方とか説得の仕方がみんな違うと思うのです。  ですから、そうだとすれば、それぞれの個性を十分生かして活動してくれることが国民の側から見れば判断するのに一番いいのであって、みんながスタートラインに一斎に並んで、同じお金で同じテレビの枠の中で同じ顔をして同じスローガンをされたら、それこそお化粧の上手なのに投票するというようなアメリカのイメージ選挙みたいなものができてくるのであって、私は、やはりもう少し各党が各党らしくそれぞれの個性を生かして自由に運動をやることが国民の政治教育にとっては非常にプラスになるのじゃないかという気がします。  ですから、公正ということは、それぞれの政党にそのところを得しめてその特色を生かすということがまさに公正なんであって、それぞれの政党の特色を殺して同じように画一化するということは、非常に官僚的な公正の考え方だというふうに私は考えております。

林百郎日本共産党・革新共同

○林(百)委員 先生は外国へ行っていろいろ選挙制度も研究なさったというお話を聞き、そしてフランスの大統領選挙のお話も具体的にお聞きしましたが、杣先生からも今日の日本の国の公選法の体系全体の性格について述べられました。こういうような、あれもしてはならない、これもしてはならない、これもべからず、あれもべからず、もう公選法ほど複雑でわからなくて、しかもいつでも、戦々恐々として、これは選挙違反にならないだろうかどうかというようなことに気を使わなければならない法体系というのはちょっと見当たらないわけなんですね。われわれ専門家の国会議員ですから、これはやっていいのかどうかというようなことの判断に迷うような事態がいろいろあって、よく選管に問い合わせなどをやり、それから選管も判断に迷うようなこともあり、最終的には犯罪になるかならないかの基準ということで警察が自分の判断で捜査を開始するとかしないとかという問題にまでいくわけなんですが、こういうような選挙に対するべからず的なものに満ち満ちた公選法の体系を持っているという国が、近代的なヨーロッパの国々に一体あるのでしょうか、どうでしょうか。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 ちょっと林君に申し上げます。  二時から本会議が開かれます。それまでに林孝矩君、小沢貞孝君からも質疑の申し出がありますので、結論を急いでください。

林百郎日本共産党・革新共同

○林(百)委員 もう五分で終わります。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 どうぞ守ってください。

長谷川正安名古屋大学教授・日本学術会議会員

○長谷川参考人 私が直接に目撃して具体的に調べたのはフランスだけで、大統領選挙のときにも現地にいて選挙運動を実際に見ておりましたし、衆議院の選挙も何回か立ち会ったことがございますが、これは笑い話ですけれども、日本のある警察関係の方がロンドンの警視庁へ行って、選挙違反をなくする一番いい方法は何だというふうに聞いたら、つまらない取り締まり法規をつくらないことだと言ったという話があるのですが、日常的に道徳的に見ても何も悪いことではないことが選挙期間が始まるとすべて犯罪になってくるというような選挙法のあり方は、私は基本的にはおかしいと思うのです。そしてその理由づけとして、国民の意識がまだ低いから日本では取り締まる必要があるのだ、たとえば戸別訪問をすれば買収をやることになるから戸別訪問は禁止するのだというようなことを言うのですけれども、たとえばフランスの選挙を見ていると戸別訪問こそが選挙運動の中心なんですね。  そうすると、どうして世界じゅうで日本人だけが戸別訪問を禁止し、戸別訪問をすると金をまくことになるのか。私は買収というのは裏口からまくものだと思っているのですけれども、表口から戸別訪問を認めると買収が行われるなんということは全く理由にならない理由で、西ヨーロッパでは選挙運動の一番中心になっておる戸別訪問を禁止しているからこそ、やたらにビラを出したりトラックの上に乗ってどなったり、一番やらなきゃならないことを禁止しているから、やると迷惑するようなことまでやらなきゃならないのが日本の選挙だと思うのです。  しかし現状では、フランスの大統領選挙なんかを見てみましても、アメリカと同じようにビラは大量にはんらんしておりますし、もう日本なんか問題じゃないのです。日本のビラの張り方とパリの町のビラの張り方を見たら、パリの町は壁という壁、それから電柱、街路樹、あの大統領選挙期間中はほとんどビラが張られている。もちろんビラについての規制は若干内容についてはありますけれども、しかし、その中で特に目立つことは、各政党の機関紙が、たとえば三十万人集会というのをやってそこで大量にまかれております。その規制については何もありません。しかしフランス人はまかれた機関紙なり号外の数でもって政党を評価しません。まかれたものの内容で、機関紙に記述されている内容で評価して、それによって選挙をやっているわけです。私は、選挙というのはまさにそういうものだというのです。  日本でも何党であろうと幾らでも配ればいいのです。三枚でも一枚でも。その三枚配った方に投票するという有権者もあるかもわかりませんけれども、逆に一枚の方に投票する人もいる。しかし問題なのはやはりビラの中身が問題なわけですから、もしビラ公害ということを言うならば、ビラの内容についてもっと問題にすべきであって、ビラを取り上げながら、また機関紙の号外を取り上げながら、数とか目方とか量だけで議論しているというような、そういうこっけいな議論はフランスの大統領選挙のときにはございませんでした。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 林君、そろそろ時間ですから急いでください。

林百郎日本共産党・革新共同

○林(百)委員 杣先生に一問だけお聞きしたいと思います。  先生の御意見非常に貴重な御意見として拝聴したわけですが、私が最初に申しました、ある人はビラの公害とか言う人もありますが、一方では、そういうオープンな公正なやり方で要するに選挙の緊張した気運を高めていく、そうした政治的な関心を高めていく、そういうやり方が、本当に取り締まらなければならない供応とか買収だとか、むしろ本当に金のかかるそういう今日行われている選挙の側面をなくしていくのだという意見も一方には非常に強くあるわけなのでございまして、われわれはやはりそういうオープンでオフィシャルで公然と各党の政策を選挙のときこそ国民の知る権利にこたえて各政党が全力を尽くしてその政策を知らせる責任を機関紙なりあるいは機関紙の号外なりで果たす。そういうことが、本当に金のかかる、裏の方で金を使っておる買収だとか供応だとか、そういうものを抑えていく道になるのではないか。本当に金のかからない選挙というのは、そういう公然とした選挙活動をむしろ守っていってやるということにあるのではないかというように考えますが、その点は先生いかがでしょうか。

杣正夫九州大学教授

○杣参考人 私、先ほど後援会活動のことを申し上げました。後援会活動の少なからざるものは日常的な買収、供応あるいは利害誘導の腐敗行為の手段、ルートになっているということを申し上げましたが、実はこの後援会活動も選挙運動の言論、文書活動の規制が厳しすぎるから、そこから逃げ出した運動の形態であるというふうに思うのであります。もしこれが言論、文書活動が自由であって、そして政党の活動も自由であって、そしてその活動が選挙民の反応によって洗練されていきまして、ああこれが選挙運動の正道だなというような常識が出てまいりますと、もうそういう現在一部見られるような腐敗的な活動形態というのは消えていくものだと思います。

林百郎日本共産党・革新共同

○林(百)委員 時間が参りましたので終わります。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 林孝矩君。

林孝矩公明党

○林(孝)委員 長時間にわたっておりますので、一、二問要点をしぼってお伺いいたします。  今回の公職選挙法に関する改正案あるいは政治資金規正法に関する改正案の中でわれわれが最も重大な問題として取り上げている点は、まず第一点に先ほどから同僚議員の質問にもありましたように、いわゆる機関紙等に関する規制、こういう点に関してであります。  基本的な問題として、私は、先ほどから国民の側から見たというこの公選法の改正、こうした立場でものをとらえなければならないと思うのです。国民の側から見るということは、いわゆる憲法第一条に定められている国民主権という立場、この国民主権を前提にして、基本にして考えた場合に、今回の機関紙規制というものはどういう重みを持った重大問題であるかということに私は尽きるのではないかと思うわけです。国会の議論の中で、特にその答弁の中で、いわゆる選挙期間中だから規制があってもいいという考え方、そしてまたなぜ選挙期間中にそれが必要かということは、公共の福祉であるとかあるいは選挙の公正を確保する、そのためにはこうした規制が必要なんだ。要約しますと、こうしたことが政府の答弁で一貫して主張されているところなんです。  こうしたものの考え方が、いわゆるそうした公共の福祉であるとか、あるいは選挙の公正確保ということが果たして憲法に定められておるところの国民主権という問題、また表現の自由、言論の自由という自由権の問題、そして公職選挙法の百四十八条等に定められておる機関紙あるいは雑誌、そうしたものに対する扱い方、またこの法律ができた背景、こうしたものとの関連を考え合わせて、政府の言っている公共の福祉あるいは選挙の公正確保というものがこうした憲法上の問題として、あるいは公選法百四十八条の問題として適切であるかどうかということが私の第一番目に指摘する点でありますが、この点に関して長谷川参考人、杣参考人の意見をお伺いしたいと思います。

杣正夫九州大学教授

○杣参考人 先ほども申しましたように、公職選挙法の百四十八条を最初に制定するときには、この同じ特別委員会で大変な議論が展開されました。いろいろ議論が出たのでありますが、研究者として非常におもしろい、興味深い議論が出たのですけれども、こういうような現行見られるような法規制、言論、文書活動に対する法規制というものは憲法の原則に違反しているということ、あるいは問題であるということを議員の皆さん心得ておられたのじゃないかと思うのです。  そこで帝国憲法のもとならばいろいろな言論規制の法律が引き合いに出されますし、憲法自体に法律の範囲内においてという留保がついておりますからそれでいいわけですけれども、日本国憲法にはそれがないわけですから、何とかしてその法規制を合理化しようという努力が払われました。その一つに選挙ルールの相互協定説というのがございます。  これは、それは制限は制限だけれども、みんなが国会で相談してこれがいいとお互いに約束して決まったことなんだから、決まったルールを守ることにすればいいではないかと思う議論が出てきました。それも旧憲法のようなああいう後ろ盾がなくなりましたから、何かそこに理屈をつけて考え出さなければならないわけですので、相互協定説というものが出てまいりました。これはやはり日本の選挙法の立法の上からすれば一つの進歩だと私は思うのです。というのは、戦前はもう議員の考えでは選挙法をつくれませんでした。枢密院がありました。貴族院があった。それからまた官僚の勢力もありましたから、議員の考えではとても選挙法はつくれませんでした。そんなところでは相互協定説なんか出てくるわけはないのです。だから議員が相互協定で選挙運動のルールをつくれるようになったということは一つの進歩なんです。  ところが、重大なことが見逃されているのですが、それは選挙では国民が主人だということなんですね。選挙運動の法規制では議員はやはり利害関係者になるわけですね。なかなか国民の声が入らないわけです。だから国民の声をいかにして選挙法立法に反映するかということ、これはもう各国とも非常に苦心しているのです。  イギリスの選挙立法の場合には、議長のもとにスピーカーズ・コンファランスというものが設けられて、一応議会外で原案がつくられる。それが筋が通っているならばそれは議会で受け入れられる。議会の側に注文があれば筋を立ててそれに修正を加えるという形がとられます。だから形式的には議会が法律をつくるのだけれども、その場合には国民の意見というものを非常に取り入れるような配慮がなされているわけです。  アメリカの場合には、連邦最高裁、これが三権分立以上にしっかりしております。三権分立の立場から選挙法に対しては非常に権限のある権限を行使いたします。それからアメリカの場合にはもう一つの州権があります。州権が非常に、半独立国みたいな権力があるわけですから、この州権の立場から、たとえば定数是正というような問題については、もうそういう人口のアンバランスなんか全然認められない形で議員の配分がえがなされるというような形をとるのであります。  ですから日本の場合、衆議院議員の選挙法の改正をする場合に、国民の意見をどう取り入れるかというための工夫をもっとしていただきたいと思うのです。従来の慣行からいたしますと、衆議院の選挙に関係したことは参議院では黙っている、まあおとなしく触れるというような形でありましたけれども、私はこの際やはり参議院でもどんどん、参議院こそ衆議院のことについては直接利害はありませんから、そういう参議院でこそ国民のそういう声を堀り起こしてどんどんやっていただきたいという気がいたします。

長谷川正安名古屋大学教授・日本学術会議会員

○長谷川参考人 いま杣さんの御意見で、また先ほどから述べられた御意見でほとんど問題点は尽きていると思いますので、私はここにあらわれた機会を利用して率直に言わしていただければ、これはもう先ほど私が言いましたように、第一回帝国議会以来なんですけれども、だれが見ても露骨にある政党に有利で、ある政党に不利になるようなことはやめてほしい。やはり国民は率直に見ているわけですから、たとえある政党にたまたま有利になり、不利になるということは、制度ですからあるとは思うのですけれども、これだけのいろいろな点を手直ししても、一番問題になっておる本質的な点で、ある政党に有利にある政党に不利にというような改正案が出てきますと、ある政党は自分の党活動を改善することによってではなくて、法律を変えることによって、権力をバックにすることによって自分の政党の拡大を図っているという印象を与えて、そのことがある政党だけが評判悪くなればいいのですけれども、日本の戦前からの歴史を見てきますと、政党そのものに対する不信感になって、戦前のように政党を解体して大政翼賛会みたいな形という、ああいうことになってくると思うのですね。  ですから、これは利害関係が違うわけですから、この制度をつくるときに自分の党に有利な主張をするということはやむを得ないのですけれども、しかしその主張の仕方によっては政党自身の自分の足を切っているのだということを、非常におこがましい言い方なんですけれども、私は特に大学で学生に接して学生の意見なんかをよく聞いてみますと、学生は単純だし率直ですから、何だこの案は何党に有利じゃないかとか、これは何党を撲滅をねらっているなというようなことを非常に率直に言うことが非常に当たっている場合が多いのですね。  ですから、そういうことのないように、憲法改正と同じくらい慎重に、選挙法の改正というものは利害関係人が討議するのですから、少しは日本の国会議員というのは公正だという印象を国民にこの機会に与えるように、あの政党は自分には不利になることもあえて長い目で見て主張したというような歴史をひとつこれからつくっていただきたいというのが私の希望です。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 林君、大変恐縮ですが、あともう一人ありますから……。

林孝矩公明党

○林(孝)委員 じゃあと一問。これは政治資金規正法に関する問題として鈴木参考人と山口参考人にお伺いしますが、これもやはり国民の側から見た考え方ということを前提にして私お伺いしたいわけですけれども、いわゆる今回の政治資金規制ということが、果たしてこれが規制であるかどうかということについて、先ほど堀江参考人の方から、一応評価するけれども、非常に抜け道あるいは現実問題として果たしてこれでいいのかどうかという一つの疑問が投げかけられました。われわれの今回の改正案の内容を分析した結果によりますと、この法律がいわゆる政治資金規正法の改正というものを取り上げようとした背景は、やはり昨年の七月の参議院選挙、非常に金権選挙として国民の大きな世論の批判の中で、各政党が根本的にこの政治資金規正法という問題にメスを入れよう、それが端緒になったわけです。  ところが、現実問題としていま審議されておる法案というもの、たとえば企業の限度額、この限度額の算定というものが、現在献金されておる実態から考えてそれ以上の限度でもって規制というふうに称されているわけです。そういうことで私たちは、果たしてこれが規制であるかどうかということに対しては、逆にそれだけの多額の企業献金というものを枠決めすることによって奨励するという形、これが背景にある。また現実問題として法律の文言の中にそういうものがうかがわれるわけであります。そういう面におきまして、今回の政治資金規正法が果たして規制なのかどうか、特に限度額との関連において御意見を伺いたいと思います。

山口房雄東海大学教授

○山口参考人 御意見同じでございまして、公職選挙法に比べて政治資金規正法の改正の方がかなりおくれていると思います。それで額の制限において、また派閥を規制するという措置がとられない点などにおいて、私は公職選挙法の改正についてはこの勇気を多といたしますが、政治資金規正法においてはかなり立ちおくれている、かなり消極的になります。

鈴木匡弁護士

○鈴木参考人 いまの案で果たして規制と言えるかどうかというようなお尋ねの趣旨だったと思いますが、私ども国民の立場から見ますと、どうして政治資金が集まって、それがどんなふうにして使われていくのだろうかということを知りたいというのが一般だろうと思います。そこで過去におきまして、何回かこれに対する検討がされて、国会でも御議論になったやに伺っておりますが、いずれも成立を見なかった。そういう過去の歴史を踏まえながら、もしこれがなかったならばどうなるかということから考えますと、やはり私は前進した考え方ではなかろうか。  先ほど私の意見として申し上げましたときにも、これが十分とは考えておりませんけれども、やはりこれだけでも成立させていただくならば、一つの足がかりとして今後さらによくなっていくことになろうか、またこれを見て国民が今後いろいろ批判していくことになろうかと思います。そうすれば、五年の経過後にということが書かれておりますが、その以前にでもいろいろ世論というものも出てくるかもしれませんし、五年後に検討されるときには、そういった五カ年内の国民世論というものを背景にしてまた御検討になるのではなかろうか、そういうことから考えまして私は原案に賛成した、こういう事情でございます。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 小沢貞孝君。

小沢貞孝民社党

○小沢(貞)委員 時間の関係もありますので、二問だけ各先生に御質問をいたしますが、どうか大変尾ひれをつけないで、イエスかノーかというようなことで実はお教えをいただきたいと思います。  政治資金規正法であります。いま鈴木先生のお話は承りました。ここで条件があるといたします。御案内のように政治資金規正法には自民党の中でも反対があって、本当にみんなで賛成するのかどうかすら、いま私たちがこれをやるこの段階においてもわからないわけであります。それから野党の方は大部分反対しそうだ、こういうことがわかるわけであります。そういうことでも、もし先生及び先生の所属する政党が反対するならば、これはつぶれてしまう、先生及び先生の所属する政党が賛成するならば、これは通過する、こういう条件の場合に、これはつぶしてしまってもとの青天井、何にもなし、こういう状態が果たしていいであろうかどうか、実は率直に言って私の苦悩もそこにあるわけであります。そういう場合に、一体どうするでしょうか。  これは質的制限、量的制限、さっき堀江先生の言われたように二千万は多過ぎる、会社の一億及びその他の派閥へやれば一億五千万、多過ぎる、こういうようなこともあって、派閥の百万円以下は隠してあるのも気に食わぬ、こういうこともたくさん欠陥があって、私は率直に言ってざる法だと思いますが、昔は野放しであります。派閥は無制限であります。それから国民協会その他のはわからないわけであります。先ほどの林先生がこの間の質問においても、ある会社の二千万表に出たのは出してある、しかしその資本金で言うと今度の制限は四千万になっている、これじゃ倍にも寄付奨励のあれじゃないかと言うが、それはちょっと当たらないと思います。国民協会とか派閥にどのくらい出してあるかちっともわからないのですから、政治資金というのは氷山の一角、こう見ればもうそれ以上膨大な額が出ていたのかもしれないが、そういうことをすら公開されていないから、今度なるべくそれを公開しようというようなこともあるので、先生及び先生の所属する政党が賛成するならばこれは通る、反対するならばつぶれる、こういうときに、つぶしてもとの悪いものが残ることがいいか、賛成して一歩前進した方がいいかという、そういう予見のもとで一つ一つ御答弁をずばっといただきたいと思います。それが一点。  参議院全国区についてはまだ今度出ておりません。これはいろいろ論議されているのは、自民党は非拘束性比例代表制、社会党は拘束比例代表制、こういうような比例代表制の方向も出ておるようですし、公明、共産の方は、伝え聞くところによると、全国区の改正反対みたいなそういうかっこうで、これから長々論議しなければならない問題だと思いますが、参議院が政党化するとするならば全国区は比例代表制。比例代表制だと政党化の方向に進む。そのほかの何かの選挙法——この間も私、委員会で出したが、ある部分は推薦、間接選挙、憲法違反じゃないそうですから間接選挙、あるいはまた学者、文化人の名簿を出しておいて選挙なき選挙、選挙運動なき選挙、そんなうまい方法ができるかどうか知らぬが、何かそういう方法によれば、昔の緑風会的な性格の参議院ができやしないか。政党化の方向がいいだろうか、それは選挙法と関係があります。昔の緑風会的な良識の府であるような参議院の選出の仕方がいいだろうか、これもイエスかノーかどっちか、時間も少ないようですから、簡潔に以上の二問を御質問申し上げたいと思います。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 それじゃ順次お願いいたします。

鈴木匡弁護士

○鈴木参考人 私に対するお尋ねの第一問の方は、もう先ほどお答え申し上げましたので、御理解いただいたと存じます。  第二問の方は、現実論としては、いまの状態では政党化していくのではなかろうか。したがいまして、これも比例代表といううようなところへ入っていくというのが一般の御意見ではなかろうかというふうにも感じております。むしろこれは選挙制度審議会でいろいろ御検討いただいておるように伺っております。それを待って国会においていろいろ御検討いただいたらというふうに考えております。

山口房雄東海大学教授

○山口参考人 政治資金規正法につきましては、公職選挙法の改正は必ず通すという前提でお得意の取引をしていただきたいと思います。  それから、参議院の全国区につきましては、比例代表制、そして当面は政党化もやむなしと思います。そしてその次のステップを考えたいと思います。

長谷川正安名古屋大学教授・日本学術会議会員

○長谷川参考人 私はいまの質問者のような単純な前提で物を考えませんから、人の立てた前提でお答えすることはできません。私は、私の意見は自分の立てた前提でしか結論は出しません。

杣正夫九州大学教授

○杣参考人 私は、きょうは政治資金規正法については意見を述べませんでしたが、しかし、現在、政治資金法の改正が実現していない段階で、去年の参議院選挙の後からかなり政治資金は事実上規制されているのではないかと思うのです。世論的に規制されているという現実があります。ですから、ここであわてて速成の、問題のある法律をつくるよりか、世論の落ちつくところをもう少し見通して、そしてもっと前進的な政治資金規正法がつくられるべきであると思います。  それから第二問の……

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 簡潔にお願いします、もう時間がありませんから。

杣正夫九州大学教授

○杣参考人 第二問の全国区制度に比例代表制を導入する件でありますが、私は現在の状態では比例代表制は尚早であると思います。というのは、比例代表制の選挙になりますと、政党が選挙に対して非常にヘゲモニーを持ってまいります。政党が支配する選挙になるわけです。ところが現在は、率直に申しまして政党に対して非常に不信感が多いのであります。これはもう保守、革新を問わず不信感があります。だからもうちょっと政党が信頼されるようになってから、そこで政党が支配力を持つ比例代表制が結構か、こういうふうに思います。

堀江湛慶応義塾大学教授

○堀江参考人 第一の御質問に対してでございますけれども、もしおまえが支持する政党が反対して政治資金改正法が流れる場合どうするかということでございますが、実はこの場合にもう一つの方の法律、その他諸般のいろいろな政治情勢を考えて、最終的に判断すべき非常に具体的な政治判断の伴う問題であろうと思います。したがいまして、私どものように具体的な政治のさまざまな流れについて直接的な知識を持たない者が、軽々しい意見を申し上げるということはかえってよろしくないのではないか、かように考えます。  二番目の御質問の方でございますが、全体的な流れとして、政党中心の政治に動いていくということは世論の大勢であるとしますならば、これは全国区に比例代表制的な要素を加味していくというのは、これは当然の論理的な帰結じゃなかろうかと思います。  ただ、全国を一区として比例代表制を導入することがいいかどうかということについては、多少問題があろうかと思います。現実に現在では、個々の候補者を調べてみますと、必ず特定の地域を地盤として選出されております。そういうことを考え、また地方区における議席数と有権者のアンバランスを、ことに都会地において全国区の候補者で補っているという側面がございますので、これをそのままの形で、直ちに全国区制のもとで比例代表制に移行することがいいかどうか、もう少し検討すべき問題は残っていると思います。ただ全体の流れとしては、御意見のとおり比例代表制に進んでいくのが不可避であろうか、こういうふうに考えます。  以上でございます。

小沢貞孝民社党

○小沢(貞)委員 終わります。

小澤太郎自由民主党

○小澤委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、長時間にわたり貴重な御意見を述べていただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次回は、明四日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後一時五十七分散会

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