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75回国会衆議院1975/05/07

運輸委員会日本国有鉄道に関する小委員会 第2号

発言数
53
登壇者
10
会派数
5
開催日
1975/05/07

会議録

増岡博之自由民主党

○増岡小委員長 これより運輸委員会日本国有鉄道に関する小委員会を開会いたします。  日本国有鉄道に関する件について調査を進めます。  本日は、国鉄問題について、参考人として明治大学商学部教授清水義汎君、交通評論家村木啓介君、東京大学工学部教授八十島義之助君、以上三名の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。本日は、本問題につきまして、それぞれ忌憚のない御意見を承りまして、調査の参考にいたしたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げますが、清水参考人、村木参考人、八十島参考人の順序で、御意見をお一人三十分程度に取りまとめていただき、次に委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。  それでは、清水参考人にお願いいたします。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 明治大学の清水でございます。  それでは、国鉄問題につきまして、特に御要請がありました問題が総論的部分について意見を出せ、こういう御要望でございますので、本日は、国鉄問題に対してどう対処いたすべきかということを、特に交通政策なり運輸行政上の観点から総論的な意見を述べさしていただきたいと思います。  私は、国鉄問題の対応ということを考えます場合に、昭和三十二年以降の第一次五カ年計画以降今日までの国鉄に対する対策及びその結果というものを考えました場合に、この辺で抜本的な国鉄に対する対応策の転換が必要ではないか、しかもその抜本的な転換が時間的にきわめて急を要する問題になってきているというふうに考えるものであります。これはすでに諸先生方御承知のことでありますけれども、現在国鉄が抱えておりますところの累積赤字とそれから長期借入金の総額そのものは、すでに国鉄としての企業力を超えた額に達しておるというふうに私は見ております。いわば国鉄を企業として考えた場合に、もうそれは企業経営の危機という問題ではなくして、一般の企業であれば破滅の状態にすでに入っているのだという現状認識の上に立つわけであります。そういうふうにして考えた場合に、国鉄というものを従来の企業経営的な観点から再建を図るということは、すでに不可能な問題を可能にしようという努力にすぎないのではないかというふうに考えるわけであります。  そういう点から考えますと、国鉄の問題については、二つの原則的な方向の中で対処をしていかなければならないだろう。一つは、総合交通政策論的な形で国鉄をどう考えていくかというのが第一点だと思います。それから、第二の点は国鉄の内部的な要因をどのような形で是正をし、合理的な方向へ持っていくべきか。この二つの見地から考えると同時に、この両者をどのように有機的に結合をさせていくのかという点から考えていかなければならぬと思います。  そこで、そういうような問題のアプローチに従いまして、まず総合的な観点からどう考えるべきかということでありますけれども、この場合に重要なことは、私はここでもう一度ぜひ交通全般に対する原点を確認をしてかからなければならないのではないかと思います。  御承知のように、交通企業の場合は他の一般企業と比べまして、きわめて多くの特質を持っておりますが、その中でも企業資本の中で交通手段というものが企業によっては資本の中に含められて考えている、ところが企業によってはこれが資本の中から除外されているという特徴を持っております。そのきわめて主要な部分は交通手段の中の通路と言われる部分であります。御承知のように、通路を私どもは陸路と海路と空路に分けておりますけれども、この陸路の場合に、鉄道の場合におきましては道床部分の用地その他が全部企業資本の中に含まれて建設をされ、企業として運営をされております。ところが自動車の場合には、御承知のように、道路は公共財、都市施設あるいは国の施設として企業資本から除外されている。航空におきましても空路、あるいは海運におきましても水路は資本の資本財としては考えておられないわけであります。  こういう特徴の中で、いわゆるイコールフッティング論といわれるような議論が台頭しておりますのもそのためかというふうに理解をいたしますけれども、そういう特殊性の中で一体国鉄の輸送手段の中でどの部分を資本として考え、どの部分を公共財なり国の財産として考えていくかという分離の問題を考えざるを得ないのではないかということであります。  この問題につきましては、交通部門におきましても部分的にはすでに実現をされているわけであります。たとえば、地下鉄の建設費におけるところの一般会計からの負担策であります。あるいは都市計画の中にセッティングされました私鉄の隧道部分についての建設助成であります。これらのものはすでに公共財としての観点から一般会計から支出しているという施策がとられております。そういうような事実関係から見ましても、いま私が申し上げたような形の論理が現状の中ではとっぴな考え方ではないというふうに私は確信をしております。  第二は、交通における必要条件の問題であります。これはかつての国鉄の総裁でありました石田総裁も全く私と同じようなことを申されておりますけれども、国鉄に必要なのは安全、正確、敏速、快適な輸送サービスだ、これを抜きにして国鉄の健全化は考えられないという趣旨のことを述べておられます。古くから、これは交通学者のピラードという学者が言っておりますが、交通の基本条件に三つ挙げております。一つは安全性。最近はこの安全性の中に無公害性がセッティングされてきております。第二は給付性であります。給付性の中に規則性、敏速性、快適性、反復性、こういうものが含まれております。三番目が経済性であります。これを人によりましては交通の三大要件あるいは交通の必要条件と言っておりますけれども、これが実は今日では破壊をされてきている。ところが、この破壊の原因が一番どこにあるかといいますと、この基本条件の中の敏速性に主眼を置き過ぎたということであります。この敏速性に主眼を置いたという最大の原因は、産業資本の資本効率を最大限に高めるために輸送体系をどのように機能さすかというところにその根本的な背景があったというふうに私は見ております。  御承知のように、交通そのものが独立した産業部門として成立をいたしましたのは、産業革命以降の問題であります。そして交通資本が産業資本の発展過程の中で産業資本の要請によって生まれたということも、これは歴史的な事実であります。そういう中で、産業資本と交通資本の関係が産業革命以来従属関係に置かれた。このことがいわば総資本としては同一の位置にありながら、産業資本の要請というものが交通資本にとって必ずしも利害関係が一致をしなかったという側面であります。  たまたま国鉄が日本国有鉄道という一つの国の鉄道、国有鉄道としてスタートをしておりましたために、株主総会もない、配当の必要もないという形の中から、一般民間部門より以上に産業資本に対しての従属度が強かった。特に高度経済成長の中で、昭和三十年以降の太平洋岸ベルト地帯の輸送需要の増加、それに対する輸送力の対応、これを国鉄の近代化計画の中で多額の設備投資を行ってそれらの諸要求を充足したわけであります。そのことが一面においては日本の高度経済成長に大きく貢献をしたということは言えるかもわかりませんけれども、その反面、ひずみの一つとして国鉄がきわめて深刻な状態へ入ってきた。と同時に過疎と過密も激化いたしましたし、多くの都市問題を激化させるというデメリットも出てきたわけであります。このことは国民経済の中で産業立地なり、産業資本と交通資本との関係なり、こういうものをどう調整していくかという大きな問題を提起したわけであります。  この点について田中自民党内閣の当時、列島改造論と新幹線ネットワークという一つのセッティングされた論議が出たわけでありますけれども、そのよしあしはここで私は論評するつもりはございませんけれども、新しい一つの日本の経済構造なりこれからの日本経済の方向なり、そういうものと交通体系というものをどう有機的に結合させていくかということを抜きにして、国鉄だけで、企業経営の中でこれをどう打開するかというだけではもうだめであるということは、少なくとも言えるのではないかと思うわけであります。  三番目には、国鉄というのは従来から比べますと輸送シェアの独占性が崩壊をした、後退をしたと言われておりますけれども、わが国の交通体系の中では依然として重要な位置を占めておりますし、また同時に、今後も国鉄は日本の交通体系の中で主要な任務と使命を帯びていくべきだというふうに考えております。  ところが、その中で国鉄の位置づけというものがいまだに抽象的な形の位置づけの域を脱してない、いわゆる中長距離輸送は国鉄でやるんだという程度であります。しかし現実には、貨物輸送につきましては、トラックとの物すごい激しい競合関係の中に置かれている。それから上級旅客との競争関係の中では、航空機と国鉄との競争関係というのは依然として激しい形に置かれておる。こういう中で、いわば一般の企業でありますれば、生産点以外に物を販売し得ることが考えられる。場合によっては国外へも商品の販売が可能でありますけれども、交通の場合には生産点の中でしか交通価値の生産と消費ができない特殊性を持っております。しかも商品のストックというものが一般産業部門と異なって交通価値のストックができない特殊性を持っております。そういう中で、一般企業と同じような自由競争の論理を導入する中できわめてその矛盾が多いことは、第一次世界大戦以降のヨーロッパにおけるところの各鉄道部門の衰退、公有化の歴史がそれを具体的に立証しているのではないかと思う。しかもその形が逆に企業経営の健全化という形に追い込んでまいりますと、今日のように戦前型の国鉄が、国鉄というものは最も国民大衆に親しみやすい、そしてまた私鉄よりは国鉄が安いんだという常識が破壊されるような状況にまで立ち至っていることも事実であります。  ちなみに申し上げますと、東京-小田原間を私は調べてみましたけれども、これは東京-小田原間、新宿を起点にして調べますと、小田原までの国鉄と小田急の営業キロはほとんど同じであります。普通運賃で行きましても国鉄が四百四十円、ところが小田急は三百六十円であります。東京駅からの湘南電車の所要時間は、国鉄が、百分、それから小田急は、これは急行とは言いますが、特別料金を払ってない急行でありますので湘南電車と比較はできると思いますが、これが九十分。それで定期運賃を見ますと、何と小田急の三カ月の通勤定期が一万三千二百三十円に比較いたしまして、国鉄が三万一千七十円という形になっております。こういう形では、多額の税金を国鉄の中に投入をし、一般会計から補助をし、しかも日本国有鉄道としての看板を負っている国鉄が一割配当をやっている私鉄の運賃と比べてこれだけの格差がつきますと、国民のコンセンサスを得られるかどうかという点についても大きな壁にぶつかってきているというふうに言わざるを得ないと思います。  そういうような点を考えますと同時に、この運賃問題だけで片のつかない問題としては、先ほど私は競争主義というものにはすでに限界がある、競争主義がかえって国鉄にはデメリットとして作用する部分も多いということを申し上げましたけれども、それにかえる一つの対策として、運輸市場と運輸機関の適正な配分、いわば運輸調整を確立する必要があるのではないか。わが国は自由経済でありますので、社会主義のような計画経済はしき得ないという論理が一面にあることは私も承知をしております。すべての経済活動を計画化しろということは、体制の中で私は不可能だというふうには思っておりますけれども、公共事業であるとか運輸部門というようなきわめて公共性の強い部門については社会主義的な手法を日本のようなきわめて公共性の強い部門については社会主義的な手法を日本のような自由経済の中にも部分的に適用をするということが検討されないだろうか。いわば輸送の計画化というものをある程度行うことによって、場合によってはそれが逆に産業なり経済の計画化というものを誘導していく、いわば産業資本と交通資本との関係を逆転をさせていくという中で規則性と計画性を誘引していくというような方向を検討すべき必要もあるのではないかと思うわけであります。  総合的な観点の五番目の点といたしましては開発利益の還元の問題であります。  これはもうすでに言い古された言葉でありますけれども、大都市内におきましても同じことが言えます。それから全国的な国鉄路線沿線の中でもいろいろなことが具体的に言われるわけでありますけれども、この開発利益の還元の問題についていまだに何らの手が打たれておらない。ターミナルの駅へ参りますと、国鉄の駅舎の一部を民間が利用をしているのか、民間の施設の中に国鉄の施設があるのか現在では錯覚を覚えるような状況であります。たとえば池袋という駅がございます。あそこでもってものを聞く場合に、たとえば駅長室はどこかという場合には、パルコの下でございますと言った方がわかりいいような状況になっている。また国鉄でもそういうふうに教えてくれるわけであります。こういうような状況が果たして許されていいのかどうかということであります。西武デパートなりあるいはパルコがある、その前に三越がある、営業係数で言ったら西武の方がはるかに強うございます。何で強いかというと、あそこには西武鉄道なり国鉄との連絡口とデパートとがセッティングされているという条件があります。こういうような形が、企業努力以外の条件というものが大きく収益をもたらしていることに対しても、何らの処置が現在のところとられておりませんが、これに対する法制化は前々から多くの識者から言われているところでありまして、これにつきましても早急に手を打つべきであるというふうに考えております。  非常に大ざっぱでございますけれども、総合的な観点からの対策として以上のように考えております。  それから三番目の問題として、内的な観点であります。これは国鉄という企業内部、それから国鉄のいろいろな諸制度、そういう中で気のついた点を四点ばかり申し上げたいと思います。  第一点は運賃料金体系であります。御承知のように運賃は国会の審議を経ておりますけれども、料金というのはこれは国会の審議を経ておりません。ところが旅客営業収入の中ですでに料金が三〇%以上を占めるという状況になってきております。これはヨーロッパの運賃制度あるいは長期のクーポン等を見ましても、運賃だけを見ますとすでに日本の国有鉄道の運賃は必ずしも安いということが言えない。これは運輸委員会の先生方でいらっしゃいますので、その点は十分御承知だと思いますが、そのためにダイヤ改正のたびの急行、特急の増発ということが事実上の運賃値上げ策として利用されているということは、これは紛れもない事実であります。これは国鉄の運賃法というものが一面にありながらその法律の裏をくぐった料金体系が黙認をされている。これはどうしても運営上一種の法の裏をくぐった形と実質的に同じやり方でありますので、この際運賃、料金というものに対して抜本的なメスを入れる必要があるのではないか。小田原まで乗りまして運賃よりも新幹線の料金が倍近い。一体輸送対価よりも使用料が高いという体系がこのまま是認されているということ自体にも、これまた常識的にも国民のコンセンサスを得られない問題ではないかと私は思います。  それから第二は、国鉄の鉄道営業外の企業外収入について努力をせいということが前から言われております。いろいろな国鉄の関連事業が外郭団体等で行われておりますけれども、この中では相当もうかる部分もございます。収益を上げている部分もございます。あるいはやろうと思えばできる部分もあると思います。こういうような形を考えますと、開発利益の収入あるいは商業活動その他を含めて鉄道営業外の活動についての担当部局の設置と、それに対する経営努力というものの必要を指摘せざるを得ないわけであります。  それから第三点は安全の問題でありますけれども、従来国鉄のみならず、鉄道が一番依存度が高かったのは安全性と規則性と低廉性でございました。ところが貨物輸送ではこの低廉性の問題が自動車に奪われた。それから最近はこの安全性の問題につきましても、東北本線におけるところの異常動揺の問題、あるいは新幹線において半日点検をせざるを得ない状況、こういう形の背景には、合理化というものが相当大きな理由の一つになっていることは否定できないわけであります。新幹線の保線だけ見ましても、委託外注をやっております下請企業で、保線作業の後の、あれは受け取りになっておりますが、OKが出される比率というものを見てみますと必ずしも高くない。いわば非常に作業精度の悪いところへ委託をしている。あるいは部品の脱落事故が起きている。あるいはバラスそのものがコンクリートのようにかちかちになってきてしまう。しかも何か事故が起きても、全部外注されているために職員で急に修復ができない。こういう形になってまいりますと、現在もうダイヤの規則性というものがきわめてあいまいになっております。これは山手線等にお乗りになってもわかりますように、あそこの時刻表には標準時刻表と書いてあります。もう時刻表ではなくなっております。あくまで目安になってきている。何で一体山手線を三分間のスピードアップをやって、四編成も五編成もあそこで節減をして、そして二分ヘッドで十五秒単位の作業ダイヤであの過密ダイヤの運行をしなければならぬのか。しかも御承知のように豚や馬は定員輸送をやっておりますけれども、旅客輸送は相変わらず二八〇%や三〇〇%というラッシュ時の定員外乗車が慢性化してきている。こういう点をやはり考えていかなければならぬ。しかし、この問題につきましても当然、私は冒頭申し上げましたように、総合的な施策との兼ね合いでなければできないと思いますけれども、内部的にはやはりこれらの問題についても詰めていかなければならぬだろう。  四番目の問題は、同時に一番私が心配しておりますのは、公共事業に従属する労働者が、そこの事業に働く誇りを失った場合に、結果的には利用者、市民に対して公共サービスが低下をするという問題であります。残念ながら国鉄の場合には、戦前までは国鉄へ勤める、国鉄労働者という誇り、プライドというものが非常にあった職場のように私は理解をしております。ところが最近はそれがなくなってきている。それから国鉄に入りたいという希望者も少なくなってきている。そのために現在の労働条件、雇用条件の中では質の悪い労働者でも採らざるを得なくなってきている。こういうような実態を考えた場合に、労働条件なり職員管理体制というものをどう考えていけばいいのか。少なくともその中で、現状の中で労使の不信感だけはとっていかなければならぬだろう。労使の不信感の中で、やはり国鉄のような大企業で一番考えていかなければならないのは人事管理の近代化だと思います。国鉄の管理体制の中にはやはり相変わらず昔のままの管理体制ができている。     〔小委員長退席、加藤(六)小委員長代理着席〕  これは一つの例でありますけれども昭和四十三年に大学を出て国鉄に入られた方が、これは昭和四十三年の四月に入られた方が、四十七年の二月には四国総局の人事課長になっている。勤続満四年に満たない人が人事課長になって人事管理をして、そして労務管理をやろうと言っても、これはなかなか説得力もないし、話をしておっても労働者の方が詳しい。そういうような形ではやはりいかぬと思います。これはどこの企業でも人事管理というのはベテランを置いておりますし、人事担当というのは特に戦後の中では各企業とも非常に老練なしかも力のある管理者がついているというのが一般的ではないかと私は思います。そういう意味で、国鉄の近代化と言われる前に、国鉄の体質そのものの前近代性というものを近代化していく、しかもその近代化が労使の不信感をとるというような形での内部努力、これはやはり当面内部的に努力をせなければいかぬ問題ではないかと思います。  与えられた時間若干超過をいたしましたが、以上非常に大ざっぱでありますが、私の国鉄に対する意見を申し述べさせていただきました。(拍手)

加藤六月自由民主党

○加藤(六)小委員長代理 ありがとうございました。  それでは次に、村木参考人にお願いいたします。

村木啓介交通評論家

○村木参考人 村木啓介でございます。本日は、総論的にという御要望でございますので、国鉄財政再建についての発想方法、方法論に問題をしぼって、意見と提案を含めてあらましの考えを述べさせていただきます。  まず初めに国鉄再建計画についての私の考えを述べておきます。  何回もつくり直したこの計画は、本来、財政再建計画という性格のものではなくて、大企業本位の投資計画でありまして、そのために合理化と運賃値上げで国鉄労働者と国民の犠牲と負担が一層重くされる、そういう性格を持つものだと私は考えております。  国鉄における投資計画の実態は、必ずしも収益性を考えた投資ではありませんから、投資計画が進行すればするほど赤字がふえるという性質を持っておりますし、しかも投資自体が借入金に依存するものですからさらに赤字がふえる。したがって、財政再建計画それ自体が赤字をなくすための計画とは言えませんし、また不可能なものだった上にインフレ要因が加わって、一層国鉄財政の破綻を早めたというのが私の理解のまずあらましでございます。  この私の理解がひとりよがりではないということの一つの例として、現在の再建計画を提案なさった当時の磯崎総裁の説明を紹介しておきたいと思うのです。  これは四十八年二月四日付の交通新聞で運賃法、再建法の一部改正法案をめぐって話された記事でございます。ちょっとその記事を読ましていただきます。「いまやっている四十四年度からの計画は、十年間で投資が三兆七千億です。それが、今度は十兆五千億ですから、三倍投資するわけです。ですから、その意味では、いままでは過去の再建計画は失敗したといわれていますけれども、四十四年度から見ましても、なるほど財政再建のほうはうまくいっていませんが、設備投資のほうはほとんど計画どおりいっているんです。それは幸か不幸か、財政問題と切り離して設備投資をやっていますから、設備投資のほうはほとんど計画どおりいっています。四十四年度から、失敗したといってしかられていますけれども、なるほど財政再建は確かに収入がふえなかったり、経費がふえ過ぎたりして、うまくいっていないけれども、設備投資はきちっといっているんです。ですから、その意味で、今度は設備投資もよくやるし、財政再建もうまくやるというふうにできると思いますがね。」こんなふうにおっしゃっているんでございますがね。「今度は設備投資もよくやるし、財政再建もうまくやるというふうにできると思いますがね。」ということなんですけれども、国民と国鉄労働者の同意と協力を得ることができない再建計画というものが「うまくやるというふうにできる」とは私は思っておりません。財政再建計画が崩壊した原因とその責任を明確にして、その欠陥を取り除くことなしに、実効性のある再建計画ができるとは考えられないからでございます。本当に国民のための国鉄に再建するという根本的な反省がなければ、何遍つくり直してもこれはさいの河原の石積みのむなしさを繰り返すことになるものと思います。  以上の考え方に基づいて、国民のための国鉄に再建するための問題を、四点ほど意見として申し上げることにしたいと思います。  第一には、計画と予測との関係を明確にしておく問題について述べます。  国鉄の説明によりますと、再建計画は、財政の再建に関する計画ではあるが、財政健全化は経営の抜本的な体質改善が実現して初めて可能となるものである。その意味でも、再建計画は従来の国鉄長期計画が設備投資重点の計画であったのと異なって、経営の全体にわたる改善の諸施策を内容として、職員、設備及び資金を結集して、その達成を目指すものであるというのでありますが、これは先ほど御紹介申し上げました磯崎総裁の話にもありました趣旨と同じだと理解できます。確かに、建設、改良工事のための設備投資計画と事業運営の財政再建計画とが結合してつくられているに違いないと思います。  ところで、この計画を実現するのには、計画目標が科学的な理論づけを持った計算を基礎にしていることと、それに必要な投資が十分に供給されることを前提としているわけでございます。この前提は、再建計画を承認なすった政府の責任において実行するという確実な保証がなければなりません。そうでなければ財政再建計画というのは単なる願望にすぎませんから、計画決定に当たってこのことをぜひ御確認おき願う筋合いのものだと思います。  ところで、計画というものが義務づけを伴う現実的な課題だといたしますと、この課題を予定した期間内に実施することを指示し、実施状況の報告と点検が厳しく行われなければならないと思います。こういう仕組みがなければ、実行計画と再建計画は時の経過とともに食い違いが拡大するのは、これは当然な成り行きでございましょう。  再建措置法に基づいて四十四年度以降、実施状況の報告と意見書を兼ねた監査報告書が提出されておりますが、事実の羅列に終わって、再建計画と実績とが食い違いを生じた原因とその責任について明らかにされておりません。これは明らかにすることをお忘れになったわけではなくて、いままでの再建計画の性格がそうさせているのだと私は考えます。  ところで、計画に一定の予測を織り込んでいる場合に、計画を確実に実施したいならば、予測が実現するように何らかの政策がとられなければなりません。そうではなく、予測はあくまで予測であって、あらかじめ想定したまでのことであって、事態は予測とは無関係に進行していくのにすぎない、そういうことでしたら、計画が崩壊するのは初めから明らかなことでございます。いままでの国鉄財政再建の収支計画というものはこうしたものでありまして、これからもこうした性格のものだと言うのでしたら、十年先のことはおろか、五年先のことも、計画立案の実効性というのはほとんどないと言ってよろしいと思います。  いままでの財政再建計画にどれだけの予測要素が含まれていたか、洗い直してみる必要があります。  運輸収入と経費の内容には、不確定要素があり過ぎました。特に運賃、料金と物価、賃金がそうでした。十兆五千億の投資計画といいましても、工事の中身があいまいですし、工事単価にしてもまるで先々見当もつかないという状況なのに、まるで金額には一%も誤差がないような議論が大まじめにされているように私には思えるのです。十兆五千億の投資計画の中身が明らかでありませんが、いままでの実績から考えますと、主として大企業本位のこの投資計画が赤字を拡大する要素を多分に持っているということも問題だと思います。  これからは、これらのことは一体どうなるものでございましょうか。これは政策の問題でございますから、財政再建計画を最終的に決定されるお立場にある先生方の問題だと私は心得ております。  なお、合理化計画の基礎となる技術革新についての予測が科学的な根拠を持って、技術開発を促進するための資金計画、設備を改良する資金計画が十分に織り込まれているかどうかも大切な問題だと思います。技術革新の伴わない労働生産性の向上が計画されておれば、これはもう要員の削減に伴う労働強化が生まれてくるのは当然の成り行きと言わなければなりません。  以上、いろいろ申し上げましたが、計画の中には、計画実施に関係する責任者の意思によって計画の実現が左右できることと、意思に関係なく進行していく社会現象とがあります。ここに再建計画が崩壊したときに問題にする原因とその責任が問われる理由があることを確認しておきたいと思います。  そこで、財政再建計画の中の不確定要素の一例を、輸送量の想定と実績の比較について申し上げることにいたします。  三十六年度から四十八年度までの十二年間を調べてみました。国鉄予算の事業計画予測と実績とを比較いたしました見込み違いというのは、旅客輸送人員ではプラス六・四%からマイナス一一・六%、貨物輸送トン数ではプラス二・一%からマイナス一〇・七%の大きな開きがありました。長期計画について見ますと、四十四年度からの財政再建計画では、四十八年度においてその見込み違いというのは、旅客輸送人員でマイナス八・三%、貨物輸送トン数でマイナス二二・四%という結果になっております。  こういう事実から考えますと、十カ年計画はおろか、来年度の事業計画の予測さえ大きい誤差が生まれるほど不安定な経済事情のもとで、長期の収支計画をつくるということの意義は一体どこにあるのか、何のために収支計画をつくるのか、その意義を確認しておきたいものだと私は思います。初めから大幅に食い違いが生まれることが明らかな長期の収支計画というものは、財政再建計画が崩壊した本当の原因とその責任が明確にされなかったいままでの経験から申しますと、国民に対する運賃値上げ、国鉄労働者に対する一層の合理化を押しつけるための口実に利用されたにすぎない、私はこのように思います。  以上のことを方法論の中の一つの問題として申し上げました。  第二に、財政再建の性格についての意見を申し上げます。  すでに申し上げましたように、国鉄の財政再建は赤字をなくすための計画ではなかったのでありますが、財政再建の性格について私はこう考えます。  国鉄を利用する人々が国鉄のサービスに対して不満を持っている、国鉄で働いている労働者がみじめな状態、つらい仕事と苦しい暮らしのままでしたら、そういう財政再建はできない方がましだと考えるに決まっています。国民にとっては国鉄が安全で、正確で、快適で、便利で、そしてできることなら速くて安い運賃、料金のサービスを提供してくれることが財政再建にかけた期待と希望であります。国鉄財政が安定していなければこれらのサービスをつくり出すことは困難だろうと言うまでのことでございましょう。もし、国民はいまよりもよいサービスが得られずに、国鉄労働者はいまよりも安心して働けないようになるならば、そんな性格の財政再建など実現しない方がましだ、そう考えるのは当然の成り行きだと私は思います。  抽象的に申し上げますと、ある経済的な矛盾がある対策によって取り除かれても、人間に犠牲や不満がふえるならばそんな対策はとらない方がいい、そう考えるのが人間として当然な考え方だからでございます。この当然過ぎるほど当然な考え方が無視されたとき、紛争が起こります。現にたくさんの紛争が国鉄の内部でも外部とのつながりでも起こっております。国鉄の財政再建計画の中身にこうした当然な考え方が貫いていなければ、国民と国鉄労働者の同意も協力も得られないと私は思います。  東海道を初めとして新幹線の建設が、だれの利益を第一に置いて、だれの犠牲と負担を重くして建設され、そして運営されているのか、そういう事実から具体的に考えるとよくわかると思いますが、いま新しくつくられようとしている財政再建計画は鉄道営業法や日本国有鉄道法の立法の趣旨を正しく生かして、現代にふさわしいものとして決定されなければならないと私は考えております。  第三に、国民と国鉄労働者の同意と協力が得られないような再建計画は実現しないということについて申し上げます。  計画の実現には計画を遂行する関係者の積極的な態度、とりわけ国鉄労働者の積極的な態度が必要だということは言うまでもないことだと思います。しかし、この計画が実現すればするほど不幸せな羽目になると考え、実際に不幸せな羽目になる事実を見せつけられればだれにしたところで積極的になるわけはないと思います。「国民のための国鉄」という正しい再建計画ならば当然国民と国鉄労働者の同意と協力を得られるのですが、非民主的な計画ならば、ここでは非能率と無気力な労働者がつくられていくか、あるいはこの計画遂行への抵抗闘争が激しくなるか、そのいずれかでありまして、財政再建計画が期待していることとはおよそ似ても似つかない反対の方向へ事態は進行していくだろうと思います。  三十二年度から計画的に行われました合理化で業務量の増加に見合って計算した要員が、これは国鉄当局の計算でございますが、四十七年度までの十六年間に十四万三千人余り省力化されたと報告されております。四十七年度末現在の職員四十四万一千人に対して実に三二%に相当する大量の省力化であります。第一次五カ年計画中の四年間の平均省力化は年間に約四千六百人、第二次五カ年計画では約五千六百人、第三次長期計画では約一万人、第一次財政再建計画では約一万五千六百人、この数字は幾何級数的に省力化がエスカレートしていることの象徴となる数字であります。いま国鉄では労使の信頼関係が失われてからもう久しいことだと言われておりますが、この省力化と比例して労使関係の対立が深くなっております。  わが国の国鉄は世界のどの国の鉄道と比べても生産性が高くて能率的な鉄道だということでよく知られておりますが、その背景にこうしたひどい合理化問題があります。  国鉄の合理化は、一つ一つの仕事の上に設けてあった余裕と予備をつぶしていきました。仕事の上に設けてあった余裕と予備こそ国鉄の安全を保障する土台でありましたのに、余裕と予備が採算第一主義に押しつぶされていきました。仕事の上に設けてあった余裕と予備をあたかもむだだと勘違いしている一部の正しくない理解、これが財政再建を盾に強引に合理化を押しつけてきたと思います。仕事の上に設けてあった予備と余裕をなくすことは安全率を低下させることですから安全性を脅かす結果となります。国鉄労働者にとって安全性を守るということほど強い願いはありませんから、財政再建のために合理化を第一に置いて、結果として安全性を軽視する国鉄当局に信頼が薄らいでいくのは当然な成り行きだと私は思います。  こうして古い職制支配の職場には労働者の創意工夫と自発性が育たないのに、強引にも差別支配を強めて生産性運動を押しつけたので、さらに労使関係の対立が深まってまいりました。これは御存じのマル生闘争の教訓と言うべきであります。  私もかつて国鉄の労働者でありましたが、国鉄労働者ほど自分の仕事、自分の職場を愛している労働者も少ないと確信しております。自分たちの愛する職場、愛する仕事に一番大事な安全性において信頼できなくされることに対する怒りそうして失望、こうした感情と積極的な欲求が、法律でスト権を奪い取られていてもストライキに訴えるという一つの動機をつくり出しているのだと私は私の体験を通じて理解しております。全く不幸せな世の中だと思います。  世界第一級にまで進歩、発展した進んだ国にふさわしくない、世界にも例のない二十四時間拘束の長時間労働、一昼夜交代勤務を初めといたしまして、夜間勤務などの非人間的な労働条件、労働環境のことを計画決定に当たってどうぞ十分に考えていただいて再建計画を決定していただきたいと思います。  これらの悪条件は最低基準である労働基準法に例外規定として認められておるのであります。これらの例外規定は、その昔鉄道労働が拘束時間内の実働率が低いという理由で認められたのでありますが、合理化によって実働率だけはどんどん高められてきたのに例外規定の方はそのまま三十年も残っているという始末でございます。  なお、労働基準法に問題があるだけでなくて、要員不足から国鉄当局が労働基準法を十分に守っていないという事実があります。たとえば職員の請求があっても年休を与えない。不規則勤務ではあらかじめ勤務が特定されていなければならない定めなのに勤務の予定が明確にされていないなどという事実が数限りなくあります。  こうした劣悪な労働条件を改善することが財政再建計画の中の技術革新計画の中身として従来明確に織り込まれていなかったばかりか、逆に十一万人の実員を削減して五十三年度までに現在の四十三万国鉄職員を三十六万人に圧縮するなどという実情を無視した内容がありまして、国鉄当局が、国鉄職員が希望と誇りの持てる新生計画などとバラ色に描いて宣伝していますけれども、だれが本気で受けとめるでしょうか。実情に即してこれらのことを十分に御検討いただきたいと思います。  以上のことから、国鉄財政再建計画が実効性を持つための国鉄内部の基礎的条件というのは、何よりもまず国鉄の管理、運営の民主化だと私は考えます。  その内容は、時間の関係で抽象的に項目を挙げることだけにとどめますが、第一には、国鉄理事会を民主化すこと。第二には、国鉄監査委員会を民主化すこと。そうして、この二つの機関を民主化すことによって初めてできることでございますが、第三には、国鉄の管理、運営をガラス張りにすることです。第四には、部外から国鉄経営に影響を与える運輸審議会や鉄道建設審議会を民主的に、そうして実際に役に立つような構成にすることだと思います。第五には、国鉄の管理、運営の民主化を支える力となっている国鉄職員の生活と権利が保障されることであります。これらのことを抜きにして、国鉄財政再建計画がいかに綿密につくられても、民主的な思想と権利意識が成長してきた現在の社会が受け入れるとは私は思いません。このことが抜きにされた再建計画を決定したとしても、いままでの再建計画と同じ運命をたどるに違いない、私はそのように思っております。  以上は財政再建計画を決定する上での前提でありますが、当面の国鉄経営の扱いについて申し上げます。  国鉄財政の破綻が第一次五カ年計画、とりわけ高度経済成長政策以降にとられてきた設備投資自体の中にある収益性の乏しさと、借入金によって賄われてきたことなどによって生まれたことだと思います。したがって、一昨年以来の激しいインフレの影響がなくとも、遅かれ早かれ破綻を来す仕組みになっていたと思うのであります。インフレは破綻を助長する働きをしたのだと思います。以上申し述べました前提を踏まえた上で財政制度を根本的に変えることなしには、当面国鉄経営を維持していくことは困難だと思います。  細部にわたっては、たくさんしなければならないことがありますが、その第一は、線路、停車場設備、建物などの基礎施設の建設、改良費は、国鉄などと同じように扱って、国の出資で賄うということ、それから減価償却費の方法を改めることとあわせて、結果として減価償却費は非常に小さな額となりまして、経営を圧迫する要因は大変減ることになります。第二には、借入金依存の資金計画を改め、同時に、いまやられている国の助成制度や長期債務の縮減などを長期計画として策定することであります。出たとこ勝負で国鉄に財政援助を与えるというのは無原則的過ぎますし、日鉄法第一条の精神にも即さないことだと思います。ルールをつくることも、国鉄財政の立て直しに欠かせない大切な仕事だと思います。  政府がアメリカ追随の大企業本位の経済政策をとっていて、インフレ政策が続く限り、国鉄の企業内だけで幾ら工夫してみても、国鉄財政を健全にすることはできない相談だと私は思っております。しかしながら、いまの政府がいまの経済政策を急に変えることも考えられませんので、さしずめ、最低国鉄経営を維持する手だてはとっていただかねばなりませんので、こうした意味で以上の提案をしたのであります。  そのほかに、公共交通機関にふさわしい費用負担の問題として、運賃水準や運賃体系をどうするか、設備投資の規模とその施工順序をどうするかなどの具体的な大切な問題がたくさんありますけれども、私に与えられた課題は総論的にということでありましたので、これで終わることにいたします。(拍手)

加藤六月自由民主党

○加藤(六)小委員長代理 ありがとうございました。  それでは次に八十島参考人にお願いいたします。

八十島義之助東京大学工学部教授

○八十島参考人 八十島でございます。  国鉄問題を総論的に話すようにということでございまして、私は輸送体制といったようなことを中心にしまして話させていただきたいと思います。あくまでも個人的な意見でございまして、また試みの提案を若干させていただきたいと思います。  輸送体制ということにつきまして、実は財政再建とどういう関係があるかということでありますが、財政再建を行うにしても、どういう輸送体制を国鉄がとっていくかということがまず最初の問題であると思います。その輸送体制について、いままでの財政再建方策はどのような変革を求めていたかということを振り返ってみたいと思います。  昭和四十四年に特別措置法ができまして、引き続き基本方針が閣議決定されまして、なお引き続き国鉄がそれを受けて経営の基本的な計画をまとめております。なおそれが若干進んでいた段階で、昭和四十八年に法律の改定が行われまして、それに沿ってまた基本方針が閣議決定をされ、また経営の基本的な計画が国鉄によってまとめられた、こういういきさつでございます。  昭和四十四年の国鉄再建計画の重要な点はどこかと申しますと、輸送体制としましては、一つは都市間の旅客輸送を行う、二つ目は中距離大量貨物輸送を行う、三つ目は大都市の通勤通学輸送を行う、この三つが重点的な役割りであるとして国鉄に課されているわけでありますが、この裏には何があったかと言いますと、路線ごとの経営収支がうまくいっていない地方閑散線とかあるいは余り利用されていない小駅は非常に軽視をする。そういうことを軽視をしつつ、いわば幹線輸送重点でやっていく、これが四十四年の措置法以降にあらわれました一つの輸送体制の考え方であったと言ってよろしいと思います。  これはつまり、閑散線などをやや軽視したということは、結局国鉄が明治五年以来線路の設置を進めてきた基盤はいわば日本国土を国鉄の線路で埋める、つまりいわば面輸送を行うという趣旨で来たのを、この際、そういったような面輸送はやめてむしろ線輸送に切りかえよう、こういう考え方が働いていたかと思います。  そういうような方向で、駅の取りやめ、あるいは閑散線の廃止というようなことも行われておりましたが、それが四十八年の改定計画でどういう方向になったか。これは表向きの文章においてはさほど変わっておりませんけれども、政策にはかなり大きな変換があったというふうに見られます。たとえば閑散線につきましては、昭和四十四年の閣議決定された基本方針では、あらましこんなことが書いてあります。  地方閑散線並びに建設線、予定線云々、再検討や利用者の便益の確保に万全を期しつつ、道路輸送への転換が適切と認められるものについては転換を推進し云々とあります。また小駅に関しましては、小駅については地域の実情とか設備の改善などを十分考慮した上で廃止または無人化を推進する云々、こういうのがあります。  それで、そのころほぼ二千五百営業キロ、八十三線区の廃止という話がかなり強く出ていたわけであります。  このようなことが、昭和四十九年、法律改正がされました後の閣議決定による基本方針では、地元の同意を得て積極的に閑散線の廃止を行う、こういうようなことで積極的に行うという文言は入っておりますが、その前に地元の同意を得てという言葉が入っております。  また小駅の廃止または無人化ということについては、項目としては挙がっておりません。微妙な文言の違いではありますけれども、要するに閑散線の廃止というようなことはやめようというのが四十八年からの改正法の趣旨であるというふうにとってもよろしいと思います。  なるほど小駅につきましては貨物扱いが昭和四十三年に二千八百六十八駅あったのが、ほぼ同じように漸減して昭和四十八年には千八百五十九駅になっておりますが、それに対して地方閑散線の方は昭和四十六年は五十八キロ廃止、四十七年は五十五キロ廃止、四十八年は五十四キロ廃止というふうに言われておりまして、それが四十九年になりまして十キロに減っております。これがほかにも理由があったかもしれませんけれども、政策の転換の影響がこういうところにもあらわれているというわけであります。  財政再建そのものは年度ごとの予算として組まれますが、輸送体制を変革しようとすると、これは一年、二年でできることではなくて、かなり長期間一つの方針でじっとがんばって進めていきませんとできないことだと思います。そういう意味からいきまして、四十四年、四十八年の輸送体制の考え方のよしあしは別として、体制転換にはやや期間が短い段階で再検討が行われたといううらみはあるかと思います。  それでは一体国鉄の現状はどうか。財政的にはもう私がいまここで一々申し上げるまでもございません。繰越欠損だけですでに一兆六千億といったような数字になっておりますが、輸送体制の方ではいまはどういうふうに動いているか、つまり先ほど申しました面の輸送から線の輸送へという昭和四十四年の考え方が四十八年以降非常に薄れまして、いわば今日ではやや混沌の状態で進んでいると言ってよろしいと思います。それからもう一つは輸送体制的に見ますと、総合交通体系としての配慮、これがはなはだ不明確である、こういうようなことが現状として言われると思います。  そこで輸送体制の今後について述べるに当たりまして基盤条件として二つの問題を取り上げてみたいと思います。  一つは国鉄輸送の今後とり得るあるいはとることが好ましい特質は何であろうか、一つは交通体系として求められているものが何であるか、この二つの点について考えてみたいと思います。  国鉄の今後の特質でありますが、明治以来陸上の機械的な輸送手段としては国鉄だけが独占的にその使命を果たすという時期がかなり長く続いておりました。そういう段階でいろいろな建設も行われてきたわけでありますけれども、モータリゼーションがだんだん進んできた。それからもう一つは、この十数年間の非常に激しい経済成長によって都市化が行われた。このモータリゼーションと都市化によって、片方では需要が衰退をしていく。片方では需要衰退につながるけれども自動車が非常に普及して、要するに競争的な交通手段というものがどんどん成長したということで、現在では独占的な性格は非常に薄れてしまいました。ことにそれが貨物輸送の面で見られますし、また地方交通においてもそのような様相をかなり呈しているというのが現状であります。  そういうところにきまして国鉄があるいは鉄道が元来持っている特質、大量等整の輸送に向くということ、大量等整という言葉も変な言葉ではありますけれども、たとえば貨物にしろ客にしろ大量が動くということ、あるいは起点、終点を一致させているということ、あるいは同種の貨物あるいは同じような移動目的を持っている旅客が多い、そういうときの輸送には鉄道というのは非常に向いている。これはインフラストラクチュアの投資が非常に大きい、それだけにまた大きな輸送力が発揮できるということで、大量等整の輸送に向くわけでありますが、逆に言うと大量等整でない輸送は鉄道にとっては非常に苦手であるということにもなります。こういう特質は恐らく現在でもそうですし、将来に向かっても続くしあるいはますます顕著になると見てもよろしいのではないかと思います。  それから先ほどからもいろいろお話がありましたが、定時性安全性、これは鉄道が専用軌道を持っているという点からほかの輸送手段に比べてかなりしっかり維持することができるということ、こういうようなことが今日から将来にかけて鉄道の特質として考えてよろしいのではないか。片方では競争的な交通手段ができてきたということ、もう一つは大量等整な輸送あるいは定時性、安全性が確保される輸送、これに鉄道が向く、そういうようなことを今後の特質として考えればよろしいかと思います。  次に総合交通体系としての問題であります。運輸大臣の諮問機関の運輸政策審議会が四十六年に総合交通体系の答申というのを出し、また、最近ではその見直し作業が進められているわけでありますが、その中での鉄道に関連した問題を二、三御紹介いたしますと、交通手段は互いに補完させなくてはいけないだろう、つまり日本の場合過度な重複投資ということは恐らく無理であろう、こういう趣旨で、鉄道がだめなところは道路、道路がだめなところは鉄道というのが一つ挙げられております。  それから当然のことながら今日的な問題としては、エネルギー、環境、空間といったことにどう対処していくかということが問題にされております。  もう一つは、幹線の貨物輸送についてであります。日本の場合、ほかの国と比べまして貨物輸送の非常な特殊性は内航海運が発達しているということで、これはほかの国にはほとんど見られない事象であります。     〔加藤(六)小委員長代理退席、小委員長着席〕  さらに道路もいつの間にか非常に大量の貨物輸送を行っておりまして、結局国鉄の貨物の輸送シェアは昭和四十八年で一七%という数字に落ち込んでしまいました。そういうような現状でなおかつこの数年は貨物輸送が絶対量からいっても落ち込む気味があります。  そういう段階に来ておりますけれども、今後の貨物輸送については二つの問題が出てきております。幾らかでも景気が安定的に成長するとなると、経済に伴って大体貨物輸送量というのはふえております。従来は弾性値が一であると言われておりましたが、だんだん産業構造が変わってくるあるいは産業の立地傾向が変わってくれば弾性値はかなり下がるであろうと言われますけれども、とにかく相当高い弾性値を持っている。ということは、経済がもし幾らかでも伸びれば輸送も需要が伸びていくであろうということ、それからもう一つは、そうやって輸送がふえたときに、現在の状態で比較をしますと道路輸送がかなり伸びる。将来のエネルギー問題は別としましてそれがなければ道路輸送が伸びるというか、道路がますます貨物輸送をしていく。しかし道路輸送の需要があっても果たして道路が整備ができるか、これは非常に悲観的でありまして、それを何とか鉄道に吸収したらどうかという問題がそこで出てくるわけであります。つまり現在ははなはだ需要が伸び悩む、むしろ停滞ぎみでありながら見方によっては将来需要が強くなるという見方あるいは鉄道が受け付けないとますます公害その他の問題が起こる、こういう問題が貨物輸送に出てくる。果たしていかなる貨物が運ばれるかとか、そういうととは別でありますけれども、総括的に見ますと、そういう問題が交通体系として出てくる、こう言ってよろしいと思います。  そういうような今後の鉄道の特質あるいは総合交通体系からの問題を踏まえまして将来の国鉄の輸送体制はどんな姿であったらいいかということを考えてみますと、一応五つの点が出てまいります。  一つは通過量が多いか、さもなければネットワーク形成上必要な路線とか駅というものは今後も保持しなくてはいけない。これは大量等整な輸送を得意とする鉄道は、当然通過量が多いといったようなことは運びやすいところであります。また鉄道の輸送技術上、ネットワークとして路線を持っているということも、たとえば災害その他のことを考えますと必要になってまいります。  二番目は、他の手段では輸送困難なものは国鉄が引き受ける、相互補完ということを先ほど申しましたが、そういう意味で、鉄道でなくては運べない場合は、仮に通過量が多くなくてもそれは当然鉄道が運ばなくてはいけないということであります。  それから三番目は、主幹線の輸送力はやはりかなり大きくしておくということであります。これは貨物輸送の将来の問題がありましてやや不確定ではありますけれども、将来貨物輸送が大きくなるかもしれないということに備えますと、主幹線の輸送力――全線とはいえませんけれども、少なくとも主幹線の輸送力は高度に保持するということがいえます。  それから四番目に、安全性、定期性ということは今後の鉄道にとっても非常に重要な要素であるから、これは常に確保する。そのためには安全施設の投資あるいは要員の安全に対するトレーニングといったようなことは今後も欠かせないであろうということであります。  それから五番目でありますけれども、輸送サービスは恐らく今後多段式になるであろう。たとえば片方ではあくまでもシビルミニマムを確保するという性格の輸送があるし、片方ではあるいはもうちょっと特別なサービスが加わったかっこうで別の輸送体系が出てくる、少なくともそういう段階が今後の輸送サービスの中にはなくてはいけないだろう。これはもちろん今日でもあるわけでありまして、普通列車が時間をかけて走るとその同じ線路を急行列車が速い速度で走る。そこで先ほど料金の問題が出ましたが、その大きい小さいは別としても、急行列車はやはり特別な料金を取る。現在でもそういう二段階のサービスというのが行われていますが、これからもそういう段階的なサービスシステムというものは必要であろう。  こういうこの五つの事項が国鉄をこれから形づける、国鉄の輸送体制を形づくっていく上の要素になるといってよろしいと思います。  こういうような要素を踏まえますと、一体どういうような国鉄の輸送体系像ができ上がるかというわけでありますが、大体二種類の路線によって体制ができ上がると見られます。  一つは限られた骨格的な路線網、この上で安全、確実、能率的な輸送サービスが行われるということ。それからもう一つは、それに多数の地方線が付属する、骨格線と地方線というふうに分けましたのは、実はこれは財政上の問題も絡んでのことでありますが、それは後でお話しするとしまして、少なくとも骨格的な路線と地方的といいますか、地方線とこの二種類が国鉄の輸送体制を構成する、こういうふうに見たいわけであります。つまり、言いかえれば、従来の毛細管的あるいは面的な輸送からかなり線的な輸送を重視した、こういうような考え方でありまして、これはたとえば地方的な路線は大幅な財政的な助成をするけれども、骨格的な路線は余り助成はしない、こういうようなかっこうでこの二種類が分離してくるわけであります。とういうような体制をとることが、財政的な問題も解決する上でこれからの国鉄の輸送体制として必要ではないかと私は考えます。  この面的な輸送から線的な輸送というのは、実は四十四年のころにはむしろ線的な輸送だけにして面的な輸送はもう全然残さないというような雰囲気が若干入っておりました。ここでは両方を組み合わせていくということを申し上げているわけですが、線的な輸送を非常に強調するという考え方は欧米の鉄道にもありまして、たとえばドイツが一九六七年につくりましたレーバープラン、これは当時の運輸大臣ですけれども、ドイツの交通事情が非常にひずみが多くなって、何とかこれを直さなくちゃいけないというときにまとめられたプランでありまして、いろいろな広範にわたって提案その他がありますが、このときの提案で非常に話題をまきましたのが道路についてでありまして、長距離の重量貨物トラックは道路輸送を禁止するとか、長距離トラック輸送へは大きく課税するとか、道路についてはそのようなことが言われましたし、鉄道については、面状輸送を合理化する、そしてこの際、六千五百キロのそういう面状輸送の細かい路線を廃止する、そうして幹線輸送に移行するのだ、こういう計画を立てております。  このレーバープランというのは、その後実は道路関係で非常に反論が強くて、二年ほどたって修正をされましたが、鉄道に対する考え方というのは大体その後も生きて続いていたようであります。ただ実績としましては、六千五百キロの撤去というところまではいっていないと聞いております。  そういう例もありますが、そこでは面的輸送と線的輸送をある程度区別しながら国鉄の輸送体制を形成させていくということを申し上げたいわけであります。  それで、なぜ骨格路線を特別に考えるかということでありますけれども、これからだんだん安全対策その他はますます重視されていく、こういうことになりますと、幹線の設備投資というものはますますふえていく。安全を維持するためにはふえざるを得ない。そういうことになりますと、非常に投資をたくさん行うということになると、やはり相当の輸送需要がありませんと路線の維持が非常に困難になる、そういうことと、それからまた輸送需要が多ければそれなりに何とか採算がとれていけるであろう、こういうことで骨格路線を限定して考える。そうして地方路線の方はまた別になるべく政府の助成を入れながら維持していく、こういう考え方であります。  そこで、そういうような地方路線でありますけれども、一体どのくらいの延長があるのか。従来撤去するので八十三線区、二千五百キロとかあるいは準ローカル線四千三百キロとかいう話が出ておりました。いまここでそれと照合するつもりはありませんけれども、恐らくけたとしてはその辺になるかと思います。こういうような路線は、果たしてその路線がその地域にとって本当にいい路線なのか、あるいはもっとよい交通システムができるのではないかというようなことを十分検討する必要があります。ですから、そういう意味で、もしもその結果としてさらによいシステムができるならばシステムチェンジをしてレールを外してそちらに移すということも考えられますし、やはりレールの方がいいとなればそのまま維持して、そして収支の差額、赤字分はそのかわり国が補てんする、あるいは国と公共団体合わせてでもいいですけれども、補てんをするということ、それから、そういう地方路線は一つ一つがそれぞれ地域の生活と結びついております。そういうことを考えますと、そこのそれぞれの路線の経営についても何らかのかっこうで地域住民の発言の機会が与えられるように、そして経営がもし非常に好転すれば、それが地域にも若干プラスになるといったような路線一つ一つについての経営のあり方というものがかなり多様化して選択できるような形で進めていく、こういうような形にしていったらどうか、こういうことであります。  それから、地方路線のことはそういうことでありますけれども、やはり大量等整の輸送をしていくためには小駅、小さい駅のシステムチェンジということも必要だと思います。これはいろいろなほかの輸送体系その他から組み合わさって決まることですから、ただ一概に駅の数を減らせばいいというかっこうにはならないかと思いますけれども、なるべく集約して、そのかわり集約された駅の輸送は非常にスムーズにいくというような形をとっていかないといけないかと思います。そういうようなことをしながら移行をして、先ほど申しましたような輸送体制に接近させるということではないかと思います。  それで、なおそのときに従来言うべくしてあるいはなかなか行われなかったことは何かというと、やはり国鉄だけではすべての計画、設備投資はこれからはやりにくいであろう、そういうことを考えますと、都市計画とか地域開発との接触というものをもっと密にしていかなくてはいけない。たとえば貨物駅を集約する。簡単に言えば、ある小さな貨物駅をやめようということを国鉄が内心考えている駅があったとします。ところが、そういうことは知らないものですから、片方ではその駅のすぐわきに農協が大きな穀物倉庫をつくってしまう、そういうような食い違い。その食い違いによって結局は集約の合理的な計画もうまく進まないというようなことが実際にはあったようであります。この辺も地域開発と国鉄がもっと密に接触をしていれば、両方ともそれほど困らないかっこうで話が進められたと思います。都市計画あるいは道路整備とも同じようなことが言えるわけでありまして、ほかに輸送手段がないような地方線を撤去するといってもこれは無理な話でありまして、撤去するならば、それにかわるべき輸送システムがそこにはなくてはいけない。そのときに国鉄だけで撤去を考えても話にならないので、都市計画、道路整備とかいうものと一緒になってその問題を解決していかなくてはいけない、こういうふうに考えるわけであります。  それで最後に、先ほど骨格線と地方線と申しましたが、その区分をもう一回申しますと、いろいろな財政的な措置からいきまして、地方線は、収支差は国またはそれに地方公共団体が加わって負担するという方向で解決をしていかなくてはいけないし、それからいままで国鉄に課されておりました公共負担、地方の納付金みたいなものも、これも昔国鉄がそこにあることによって国鉄自体が非常に便宜を受けたという時代とは大分変わっている路線があるわけであります。そういう段階に来てまで現在国鉄が地方納付金を納めるというのはどうも少しおかしい。これはもちろんほかの公社との関係もあるかもしれませんけれども、そういった公共負担は国鉄は免除する方向にしなくてはいけないと思います。そういうようなことで国鉄の公共性ということをいまよりも重視する方向をとるべきだと思いますが、それでは国鉄の財産というものは全部公共事業で、ちょうど道路あるいは港湾といったものと同じようにやったらどうかということも考えられますが、たとえば最近の工事経費、これも借り入れでやっている金額だけを見ましても、それをすぐ一般会計の方に回すということは、いまの財政事情からいうとかなり無理かと思います。そういうことを考えますと、いままでとられている借入金によって工事を行うという方向をとらざるを得ない。ただし、利子補給だけはいままでよりももっとしっかり、むしろ全額補給できるというような体制で、そのような形で国鉄の財政を組み立てたらどうか、こういうふうに考えております。  大体時間が来ましたから、ここで終わりにさせていただきます。(拍手)

増岡博之自由民主党

○増岡小委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――

増岡博之自由民主党

○増岡小委員長 これより質疑に入ります。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。加藤六月君。

加藤六月自由民主党

○加藤(六)小委員 参考人三人の先生方には、それぞれの立場から非常に貴重なる御意見を御開陳いただきまして、まことにありがとうございました。非常に勉強になり参考になった次第でございます。限られた時間でございますので、簡単に御質問いたしたいと思います。  いま三人の参考人の方々から御意見を承ったのですが、それぞれの立場でよくわかったわけですが、私がこれからお教えいただきたいと思いますのは、きょうは総合的な問題でございますけれども、国鉄というものが必要欠くべからざる国民生活の分野において持っている特質というもの――一部には国鉄に対して若干無用論とか解体論とか、いろいろな問題が出てきております。実は私たちがいま一番苦慮しておりますのは、これから、四十九年も五十年もすでに明らかに歳入欠陥という問題が出てきております。膨大なる助成というものをどういう方法で今後国鉄に投入していくかという問題は非常に大切な問題で、また逆に言いますと財政硬直の大きな要因ともなりかねない問題を含んでおるわけであります。しかし、これは財政問題のときにまたそれぞれの立場でお聞かせ願いたいと思うわけですが、そういう将来の予測、見通しの上に立って見ても、やはり国鉄は絶対に必要なんだという特質といいますか性能といいますか、あるいは明治以来果たしてきた機能といいますか、こういうもので国鉄がやはり国民生活の上にとって必要欠くべからざるものであるという点をどういう角度からお考えになっておられるかということを、清水、村木、八十島先生からごく簡単に御説明願いたい、こう思うわけです。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 私、率直に申し上げて三点の見地から国鉄の必要性を感じております。  一つは、国鉄というものをどうするかという点で、私は総合的な見地から鉄道中心主義をとるべきだという観点に立っておりますので、国民経済の血脈として――国民経済を一つのからだに考えますと、国鉄を血管としての機能をさせるという点から第一点は必要である。  それから第二点は、大都市はもちろんでありますけれども、特に通勤、通学輸送体系という点を考えますと、これはすでに都市施設としての機能を持たせるべきである。特に都市交通の中で重大な使命を持っております国鉄及び公営交通等は、これはもうすでに都市施設として考えるべき形になってきておりますし、もう選択の自由というような状況ではございません。そういう意味ではきわめて公共性の強い都市施設、公共財としての見地からも考える段階に来ているという点から第二点を指摘をしたいと思います。  第三点は、いま交通体系を考えますときに、無事故、無公害性というものが、御承知のようにアメリカ、ヨーロッパでも、新交通システムを考える場合にきわめて重要な決め手になってきております。そういう点を考えますと、自動車を中心とした公害問題というのは今後大変なことになりますし、それからエネルギーの対外依存度の絶対性という点から考えますと、エネルギーの合理的な集中利用、こういう点を考えましても、国鉄というものを機能させていかなければならぬ。これは一つの例を申し上げますと、よく道路で問題になります環状七号線、これが政府でお決めになっております騒音の環境基準を守るためにはどうすればいいかということになりますと、現在、上下線が時間当たりの通行量約三千六百台です。これを環境基準にほぼ近い形に落とすためには最低十ホン落とさなければなりません。これを落とすためには三百数十台の通行量にしなければ政府のお決めになった環境基準が守れない、これが現実の姿でございます。こういう点から考えますと、交通機関の中でも総合的な公害発生度合いの少ない国鉄というものをきわめて重視しなければならない。  以上三点を私は国鉄を重視すべき重大な理由として考えております。

村木啓介交通評論家

○村木参考人 鉄道が国民生活の上で必要不可欠な交通機関であるということは、これは一般的に交通機関そのものとしてどなたでも承認されることだと思いますが、その上に鉄道の特殊性ということが一つあるわけでございます。それは安全で正確で迅速で大量輸送に適する、さらに便利で快適なサービスが提供できる。なお、これは他の交通機関と比べまして以上のサービスの中身から言えばコストが非常に低くできる。こういうような鉄道の元来持っている特殊性、さっき清水先生のおっしゃったことも含めますが、そういう特殊性があるがゆえに、鉄道の斜陽という問題については私は余り考えないわけです。  その上で総合交通体系というようなことが言われますけれども、いまの生産、販売が無政府的に行われるような社会秩序のもとで総合交通体系というようなものはつくり得ないというふうに私は思うわけでございますが、鉄道が国有であれ民営であれ、経営形態のいかんを問わず、今日それが国民生活の不可欠な用具であるということについては御説明する必要も余りなかろうかと思っております。

八十島義之助東京大学工学部教授

○八十島参考人 国鉄が、あるいは鉄道が非常に長い生命を持っているということは、それだけ基幹的な輸送手段として認知されているわけでございまして、恐らくこの動向は今後も非常に長く続くかと思います。ただ鉄道でもやはり公害問題がないわけではありませんし、そういうことになりますと新しい交通手段を追求するということはわれわれは努力を休めてはいけないだろうと思っております。そしてもしも新しいものが十分社会の合意を得て使われ得るということになったら、そのときは国鉄と再び組み合わせて使うことも考えられると思っております。ただ、現在の国鉄がそれではすぐそういうことに変わるかと言うと、私はそうは思っておりません。変わるとしたらかなり長い時間をかけて変わる。そうすると、今日日本で占めております国鉄の基幹的輸送手段としての位置づけは今後も変わらないと見るべきであります。  それからもう一つ、解体論といったようなお話がありましたが、それに関連してよく地域分割論とかそういうものが出ますが、私は、国鉄という一貫した輸送体制を持っているものは地域分割は非常に困難であろうし、やっても意味がないと考えております。先ほど私が地方線と骨格線ということを申しましたが、これも、会計的には分離をしたい、しかし経営組織的には国鉄一体としてやった方がよい、こういう考えを持って申し上げたわけでございます。

加藤六月自由民主党

○加藤(六)小委員 八十島先生、それでお伺いいたしたいと思いますが、先ほど総合交通の問題につきましては清水先生、八十島先生お触れになったわけですが、私たちも新しい安定経済成長時代における総合交通体系に取り組んでおり、また国土庁、経企庁とも激しい議論を毎日のように繰り返しておるわけでございます。いままでのような高度経済成長下における輸送手段の高度成長、むちゃくちゃな投資ということはもうでき得ないということは明らかにわかっておるわけです。ただ、その過程においていろいろ勉強してきまして、八十島先生がおっしゃいました骨格線と地方線というもの、私たちは四十四年のときには閑散線という問題で取り上げ、四十八年のときには、これは御指摘にあったように大幅に後退いたしたわけです。それは面から線への移行という問題と、ある面では国鉄というのは公共企業体だ。四十四年の時点と四十八年ではそこに非常に大きな変化があった。公企体としてもうやっていけない段階に来たというような立場で激しい議論が党内においてもあったわけでございますが、その問題は別におきまして、これからの総合交通体系並びに新しい国土利用を考えていきます場合、清水先生がおっしゃいましたように、都市、特に大都市においては国鉄、鉄道というものは必要不可欠な公共財あるいは国民の手であり足であるという立場に立っておるわけですが、地方の現状を見ますときに、地方の国民生活の行動範囲を広げ、より自由な経済活動、行動範囲を確保していくためには鉄道より自動車の方がその機能性を発揮するのではないかといったような意見もあるわけです。ただ、この場合の地方と言う場合どこを指してどう言うかという問題もあるわけですが、鉄道というのは大都市間の中、長距離輸送、先生のお言葉によれば大量等整ができるという問題がありますが、地方において果たして鉄道というものの性格がいまのままでいいのか、あるいは地方における国民生活の行動範囲、活動範囲をより自由に、より広く確保していくためには大都市と異なった意味で自動車というものの活用を当然考えざるを得ないのではないか。これは空間の確保、いろいろな問題等から見ても地方はまだ容易であります。道路建設その他の問題においても容易でありますが、大都市は不可能に近い、こういった問題等、あるいはエネルギーあるいは国民経済の立場から見るとという立場も議論の過程に出てきておる最中でございますが、地方線という言葉を八十島先生はお使いになりましたが、地方線と自動車との関係、国鉄のなくてはならない必要性、特徴というのはいま承ったのですが、地方における鉄道と自動車との関係、いま少しお教えいただければありがたいと思うわけであります。

八十島義之助東京大学工学部教授

○八十島参考人 いまの質問に対してそのままずばり回答になるかどうかわかりませんけれども、相対的な意味で言いますと、いわゆる農山村の生活の中の方が自動車が溶け込む可能性が多いのではないかというふうに考えております。私それほどよく視察をしているわけではありませんが、たとえばミカン農家などを訪ねますと、ミカン農家は恐らく自動車がなかったら耕作面積などは非常に狭かったろうと思います。今日紀州とか瀬戸内海の島などへ行ってみますと、かなり山の上の方までミカンの裁培をやっております。これは自動車を持っているからだと思います。そういうようなことで自動車が農作業などの上にもかなり役に立っているという現状を見ますと、これはそういう広い土地で生活、生産をするというときには都会よりも自動車の効用というものが相対的には高いのではないか。ですから、現在大都市では自動車は抑制というかっこうが出ますし、それからエネルギー事情から言いますと、それでは農山村なら幾ら使ってもいいかということにはならないかもしれませんが、むしろ大都市よりもそういう生活に密着しているのではないかということを私は意識したいわけであります。

加藤六月自由民主党

○加藤(六)小委員 ありがとうございました。  私、時間がないのでこれで失礼します。

増岡博之自由民主党

○増岡小委員長 松本忠助君。

松本忠助公明党

○松本(忠)小委員 沖特の理事会を招集しております関係上、委員の皆さんの御同意を得まして先にさせていただきます。  清水参考人の御意見の中にございましたいわゆる国鉄の公共部分、そういうものの負担については地下鉄の建設費の助成を例に挙げられましてお話しになりました。一般会計から支出をしてはどうか、こういうお話であります。また八十島参考人最後にお話ございましたように、やはり道路、港湾、こういったものを一般会計から支出することは無理であろうから借入金でやらざるを得ないだろう、利子の補給を全額してはどうか、こういう御意見がございました。それに対して村木参考人は、このことについてどのようにお考えになりますか、お伺いをいたしたいわけでございます。  それから二点目は、村木参考人が言われました中の、国鉄の労使関係の不信感を改善する方途、これは具体的にはいろいろ言われると思いますが、総括的にどういうふうにおやりになるべきであろうかという点をひとつお聞かせを願いたい。  それから三点目は、村木参考人が言われました財政再建でございます。非常に不安定な経済状況の中で、長期計画をつくるについては、つくる意義はないのではないか。いままでも三年あるいは五年というような計画が延べられてきております。最近は十カ年計画になっておりますが、何年ぐらいを一つのめどとして計画を立てたらよろしいのか。  以上三点、主として村木参考人からお伺いしたい。

村木啓介交通評論家

○村木参考人 最後の長期計画の問題は、先ほど公述のときにも申し上げましたが、投資計画の方は意思決定によってできるわけでございますから、それは五年でも十年でもかなりの実効性でもってできると思うのですが、収支計画の方は、先ほども申し上げましたように不安定要素があって、これは実際問題として来年度の計画も立たぬのじゃございませんか。いつも補正予算を組んでいらっしゃるようですし。  それから労使関係の改善の問題は、もう民主化をする以外には方法はないと思うのであります。先ほど申し上げましたような事情で、国鉄の経営の民主化という問題をやることなしに、あれこれの方法というものはないと思うのでございます。  最初の問題はちょっと聞き漏らしたのでございますが、どういう御質問でございましたでしょうか。

松本忠助公明党

○松本(忠)小委員 最初の第一点の問題は、いわゆる公共部分の施設費、それは清水参考人が言われましたような、要するに国の一般会計から出してはどうか、建設費の助成について地下鉄の例を挙げて清水参考人は言われたわけであります。八十島参考人からは、一般会計から出すのではなくて、借入金でやるべきではないか、こういう御意見でございましたが、村木先生はどのようにお考えになるかということでございます。

村木啓介交通評論家

○村木参考人 それは当然一般会計から出すのでございまして、借入金からこれを補給いたしましたら、さらに矛盾が深まるだけでございますね。そのようなことを私は申し上げたわけでございます。

松本忠助公明党

○松本(忠)小委員 ありがとうございました。

増岡博之自由民主党

○増岡小委員長 兒玉末男君。

兒玉末男日本社会党

○兒玉小委員 清水先生に二点だけお伺いしたいわけでございますけれども、第一点は、日本の国有鉄道が昭和二十四年に機構改革をいたしまして、いわゆる公共企業体という体系になったわけですが、これは非常に高度の公共性を持ちながら、それで反面においては独立採算、こういう双頭の馬みたいな感じで機構が運営されている。ですから、中央の場合はそれでもいいかもしれませんが、ローカルの場合、たとえば明確に赤字ということが理解されても建設が進められ、あるいは運営費が増していく、ここに私は非常に根本的な問題があると思うのですが、この際やはり、この再建問題を含めて公共企業体という機構というものをもう一ぺん考え直す必要があるんじゃないかというふうに感ずるわけですが、この点いかがでしょうか。  それからもう一つは、先生も言われ、また八十島先生も言われましたが、日本の国有鉄道の貨物輸送に占めるシェアというものが、十四、五年前の四〇%以上が、現在では諸般の道路状況の変化もありますが、一八%、これでいきますと、鉄道が貨物を輸送し得る能力ということについて、まだかなり余力がある。そうしますと、やはり国家的にもこの機構というものを利用するために、先生も触れられましたような、貨物輸送の分野というものをある程度調整をして、もう少し国鉄に輸送が転稼するようなことをこの際やはり検討する必要があるのじゃないか。  この二点について先生の御見解をお伺いいたします。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 第一点の、公共企業体の機構上の問題でございますけれども、これは御承知のように、このときに非常に議論になりました問題、あるいはこれは学者なり、これは占領政策の中でも出た問題でありますけれども、当時占領政策の中では、国鉄の官僚機構の民主化という方針の中でこれが生まれたわけであります。同時にその中では、官庁経営の非能率の能率化、それから自主性の問題が非常に議論になりました。この自主性というのは、人事の政治からの自主性、オートノミーの確立、それから財政上のオートノミーの確立、それから三番目には、いわゆる独立採算制の問題、これが出たわけです。ところが現実には、この中での独立採算制だけが前面に出てしまった。しかもこれは日鉄法で指摘をされておりますように、国民の公共福祉に貢献をすることはもちろんであるがという前段があるわけです。この前段を切っての独算制という形は、公共企業体の発足の精神から言っても、日鉄法の精神から言っても至当なものであるというふうには実は私は理解できないわけであります。  ただ問題は、官庁経営である国鉄が公共企業体へ移行した、これがいわゆる官僚統制なり官僚主義からの能率化という点では、その部分だけとらえますと評価できますけれども、戦後、もうすでに三十年たちました今日に、官僚主義云々という問題よりも、国鉄そのものを国家施設なり公共施設なり、そういう観点からどう考えていくか。いわばヨーロッパにおける第一次世界大戦後におけるところのイギリス、ドイツ、フランスの国有化の過程――ここで社会主義体制の問題を言っても仕方がございませんので、自由社会の体制の中で考えましても、なぜそうなったかということを考えますと、公共企業体からいわゆる国有化の方向へ、国鉄をここでもって機構上再検討する時期に来ているのではないか、いわゆる日鉄法の改正という問題よりも、公共企業体から国有化への転換、こういう点での議論もしていかなければならないのじゃないか。特に、地方線の赤字の問題でございますけれども、これは地方公営企業の場合でも似たような問題が出ておりまして、これは具体的なめどがないということでまだ結論が出ないで、問題の提起と内容についての論議の段階で継続審議になっておりますけれども、自治省内部で議論になっております行政路線という考え方、すでに地方公営交通ですら、行政路線をどうすべきかという問題が議論をされております。この赤字線云々という場合に、本来的に必要のない路線として認定すべき路線と、行政路線なり先行投資路線として考えていかなければならぬ路線がございます。そういう点でこの問題をセッティングして考えますと、企業体の次元ではもう考えられないのではないか、少なくとも地方公営交通ぐらいの次元で物を考えていかなければいかぬのじゃないか。そういう意味では、同じ公営交通でも国有鉄道と地方公営交通との考え方にずれがある。むしろ、部分的には地方公営交通に対する取り組みの方が前向きになっているのではないかという点を含めて、この辺は検討し直していかなければいかぬのじゃないか。同時に、先ほど八十島先生もおっしゃっておられましたけれども、この地方ローカル線を考えます場合に、地方小都市なり地方都市の現状の輸送シェアだけの問題を考えて議論をしたのでは問題は解決しないだろう、それらの都市をどう健全な形で発達をさしていくかという中でそれぞれの路線をどう機能させていくのか、これがこの長い展望に立っての整合性の問題だと思います。いま都市計画の中でも機能別タウンエリアの設定ということがイギリス等でも考えられておりますし、ポーランド等でも言われておりますけれども、機能別タウンエリアの設定が重要だと同じように、産業立地の問題につきましてもそれぞれ産業種別と自然条件、都市条件に合わした長期的な産業立地の再編成とそれに国鉄の在来線をどう機能させていくかというアプローチも必要ではないかというふうに考えるわけでございます。  それから第二点の貨物輸送の問題、全く御指摘のとおりでございまして、私はこの国鉄の貨物輸送の問題を論議いたしますときに二つの大きな問題があると思う。  一つは貨物輸送政策がきわめて大手産業に有利な交通政策をしき過ぎている。いわばトラックのきわめて乱立した前近代的な労働条件なり労使関係、こういうものを背景にしためちゃくちゃな競争の前提の上に立って国鉄を対置させておりますから、これはとても企業的な組織でやる輸送と、白トラまで含めたトラック輸送の中で競争条件の設定といってもそれ以前の問題があるわけであります。ですから私は貨物輸送の問題を論議する場合に、国鉄の貨物輸送をどうするかという問題も重要でございますけれども、貨物輸送体系全般の中で、現在のトラックをどうするんだということを処理しないではこれはやれないのではないかと思う。御承知のように、現在このトラック問題については過積みの問題も解決されておりません。やみトラの問題も解決されておりません。これは国会でも御論議なすったと記憶しておりますけれども、沖繩の、問題になりました軽貨物、あれが私は日本のトラック行政の恥部を前面にさらけ出した問題だと思うのですね。届け出制でしかも営業用ナンバーをつけて、初心者マークをくっつけて、そしてタクシー類似行為を平気で行っているというようなものを数千台現実に存在させてしまった、この一例を見ても、私は、トラックを含めた貨物輸送に対して抜本的にメスを入れていく、免許基準なり行政指導を強化していくという中で、この国鉄の貨物輸送に対するあり方なり賃率の決定なり、こういうものを洗い直していかなければいけないんじゃないかというふうに考えます。

兒玉末男日本社会党

○兒玉小委員 終わります。

増岡博之自由民主党

○増岡小委員長 梅田勝君。

梅田勝日本共産党・革新共同

○梅田小委員 日本共産党・革新共同の梅田勝でございます。本日は三人の先生方から貴重な意見を拝聴いたしましてまことにありがとうございます。  そこで御質問申し上げますが、まず現在国鉄が非常に大きな累積赤字を抱えまして困難な状況にあることは先生方御承知のとおりでございますが、しかしながら国鉄がわが国の経済発展に果たしました役割りというのは決して小さくはない。非常に大きい。たとえば輸送実績を見てみますというと、旅客は昭和三十年が九百十二億人キロ、それが昭和四十八年には二千八十一億人キロ、昭和三十年を一〇〇といたしますと二二八・一という飛躍的な増加でございます。また貨物にいたしましても、昭和三十年は四百二十六億トンキロ、四十八年になりますと五百七十四億トンキロ、これは貨物は余りふえないと言っておりますが、昭和三十年生を一〇〇といたしますと一三四・七と、いずれもふえている。  また国鉄の労働者が何か働きが悪いかのような宣伝がございますが、労働生産性を比較いたしますと、これは先日いただいた資料によりますと昭和三十年と昭和四十五年の比較で出ておりますが、旅客におきましては一八五%の増大であります。貨物にいたしましても一七一・九%の増大でございます。だから一生懸命当事者はやっている、にもかかわらず赤字が増大している、こういう点で、先ほどの先生方の御意見を拝聴いたしましても、国鉄の役割りというものは依然として大きいという点では共通しておったかのように思います。  そこで問題は、にもかかわらずなぜ財政的に破綻したか、これにはいろいろ原因があろうかと思います。たとえば先ほど先生がおっしゃいましたようにモータリゼーションも問題でありましょう。また独立採算制、これも問題でありましょう。また過大な設備投資といいますか、大企業の高度成長に伴う設備投資が行き過ぎたといったような問題もあろうかと思います。しかし、同時にインフレ要因が国鉄財政にウェートとしてどのような影響を与えているかという問題についてお伺いしたいわけであります。  昭和四十五年に新経済社会発展計画というのが策定されておりますが、これの年率の物価上昇は三%でございます。四十七年から五十二年の経済社会基本計画によりますと、年率は四・九%、物価上昇は四・四%台に抑えるというのが計画であったわけでありますが、実際は御承知のようにあの狂乱物価が起こりまして、四十九年の七月のときには対前年度比が消費者物価指数では二五・二%、卸売物価指数では三四・二%、かように激増をいたしております。ことしになりましても、四月では消費者物価指数は前月比で二・五%上昇した。これは幾らか鎮静したと言っておりましても、また非常に上昇を始めたというような指数が出ております。そういう点で、財政破綻を来した原因を先生方が順位をつければどういうようになるかということにつきまして、インフレのウエートはこんなもの、それから大企業本位の過大設備投資、これは一体どういうようなかっこうになるかといったような問題につきまして、御意見をお伺いしたいわけでございます。三人の先生方にお願いいたします。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 財政破綻の順位をつけてみろというお話でありますけれども、非常にむずかしい御質問でございます。私はインフレ要因も決して無視をいたしかねるが、こういうふうになると思います。第一の要因は、日鉄法で必要に応じて増資をしていかなければならぬという規定があったわけでありますけれども、昭和四十五年の次元で国鉄の資本金は八十九億であります。今日増資されておりますが、四十八年度で二千七百三十億、こうなっております。これは企業経営的な常識で考えますと、これだけの資本で御承知のような借入金を行っていて経営ができると思うところに無理――これは恐らく経営ができると思ってやったものじゃないと思います。いわゆる片一方では経営ということを言いながら、片一方では経営を無視した借り入れを行った、これがまず基本的な背景だと思います。  それから第二の問題は、交通というものは外的要因を考えませんと、内部的要因だけでは交通というのはやっていけない特性がございます。ところが今日までの状況の中で、確かに御指摘のように高度経済成長というような経済発展は私も否定はいたしませんけれども、交通の持つ外的要因の悪化の側面に対する手当てが十分行われないまま今日まで来てしまった。  外的要因というのは、一つはインフレの問題、慢性的なインフレの問題がございます。このインフレの問題も、あの狂乱物価が起きるまでは政府はインフレーションという言葉を否定されておりました。私どもはこれはインフレだと言っておりました。これが戦後インフレが慢性的にずっと――ただ狂乱物価と言われたのはそれが爆発的になったという形で、よけいそれが、経営危機が一層深刻化した引き金になったというふうに私は思います。  それからもう一つは、交通機関相互間の競争の激化の問題がございます。  それから三つ目には太平洋岸メガロポリスと言われてるような一部地域における産業の過集中と都市化によって、輸送市場というものがきわめて局地的に急激に拡大をしていったために、既存の輸送体系が非常に効率的な輸送の側面が阻害をされてきたというような、いわば外的な要因というものが第二の理由ではないか。  この順位づけをどうするかというのは非常にむずかしい問題で、私は両方とも主要な背景だというふうに考えております。

村木啓介交通評論家

○村木参考人 大部分の問題は先ほどお話し申し上げましたので省略いたしますが、インフレ要因がどのように国鉄経営に影響したかということについてだけ申し上げてみたいと思います。  公共事業というのは元来非常にインフレに弱い企業だということでよく知られているわけでございますね。価格としての運賃、料金が賃金と同じようにいつでも他の物価に置いていかれる、こういう点でそれが企業経営に大きなマイナス要因をなしていくということでございます。  それで、交通企業では経費の中の人件費が非常に大きな比重を占めるわけでございますから、とりわけ物価の高騰による賃金の後追い上昇という問題で非常に困難が起こってくる。  たとえば、五十年度の国鉄の予算を見ますと、定期昇給が二・三%にベースアップの五%を加えた七・三%を予算に組んであるようですが、それで人件費が収入に対して八三%でありますが、これでおさまるわけはないわけでございます。こういったようなことで――国鉄労働者が、それでは賃金を非常に高く上げているかというと、先日お配りになりました資料を見ますと、世間と比べて国鉄の職員の賃金は非常に低いというようなことを御報告していらっしゃいますわけでございますが、そのほか工事費の高騰にいたしましてもインフレに非常に弱い。ですから、そういう意味で、先ほど申し上げましたように、政府がインフレ政策をとっておられる限りにおいては、もう国鉄経営に幾ら財政援助をなさっても、これはどうにもならないということだと思うのであります。

八十島義之助東京大学工学部教授

○八十島参考人 私はその方に詳しくありませんからはなはだ素人的なことだけを申し上げます。  現在、国鉄職員の賃金は決して高くないので、これは皆さん生活に苦しんでおられる。  それから運賃にしまてしも、これは利用者側から見ますと、やはりだんだん国鉄運賃が高くなってきて、これは安いにこしたことはない。ところが、それじゃ賃金は賃金で生活を支えるという面から決められて、運賃は運賃でやはり同じく利用者の生活を支えるという方から決められて、それではもしその間に逆ざやなどがあったときに一体どうするかというと、これについての補償がいままで全然ないわけでありまして、むしろその間の補償は政府が考えなくてはいけない、こういうふうに考えております。

梅田勝日本共産党・革新共同

○梅田小委員 清水先生にお伺いいたしますけれども、インフレはずっと戦後続いておった。そうしますと、政府が定める公共料金でございますね、昨年は国鉄運賃が上がったのでございますが、このような国鉄運賃、公共料金を引き上げるということは、インフレ要因をさらに激しくするということで、私は好ましいことでないと思うのでございますが、先生の御意見はいかがでございますか。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 私は専門が金融論でも経済学でもございませんので、きわめて水準の高いお答えができるかどうかわかりませんけれども、インフレーションそのものは、御承知のように、これは貨幣政策から出た物価の高騰であります。現在のこの物価高というのは、一つはインフレーション的な要因が一つであります。一つは独占価格の形成というきわめて人為的な要因が一つ、この二つだと考えております。  そこで公共料金の値上げが直接インフレーションというもの、いわゆる金融政策面からきたインフレーションという面には私は余り響かないと思いますけれども、物価高には少なくとも従来の統計的な形からいきますと、公共料金の値上げが一般物価へはね返って、当初予期された以上の比率で物価のつり上げが行われている、値上がりが行われているという点については、現実面からは否定できないのではないか。また一つの経済心理的な面あるいは価格操作的な面からも、そういう面がよほどの法制的な抑制策がない限りは悪用されてくるというふうに私は見ております。

梅田勝日本共産党・革新共同

○梅田小委員 村木参考人にお伺いしますが、先ほど来ずっと議論が進んでおりますが、このような状態になってまいりますと、国鉄としてその目指している公共性、それから一方独立採算制を強いられているという点で企業性という問題が非常に矛盾してまいります。こういった問題につきましてどのように対処していくべきか、お考えをお伺いしたいと思います。

村木啓介交通評論家

○村木参考人 日鉄法の第一条に「国が国有鉄道事業特別会計をもつて経営している鉄道事業その他一切の事業を経営し、能率的な運営により、これを発展せしめ、もつて公共の福祉を増進することを目的として、ここに日本国有鉄道を設立する。」そのように事業目的が定めてあるわけでございます。この定めから公共性を尊重することが第一だということは明らかなことだと思うのでございます。企業性という概念を独立採算制、つまり収入ですべての経費を賄うことのように解釈している向きがありますけれども、そうだとすれば、独立採算をなし得る国鉄には経済的基盤がこれはもう企業創設の当初から備わっていないわけですから、国鉄はこうした歴史的な経過を経済的基盤が備わるようにたどっておりませんから、こうした意味では企業性を尊重するという存立条件がそもそもないと思うのでございます。第一条の中の「能率的な運営」というこの文章を企業性と解釈しているとすれば、企業性の意味というのは独立採算、つまり収支均衡ということではありませんから、これは能率的な運営というのは企業活動として当然尊重すべき大切なことでありまして、特別にとりたてて問題にすることではないと私は思うのです。したがって、国鉄における公共性と企業性の対立とか調和させるとかいう問題がよく言われておりますけれども、そういう問題の立て方自身が正しくないというふうに私はこの公共性とか独立採算制の問題というのをとらまえておるわけでございます。

梅田勝日本共産党・革新共同

○梅田小委員 八十島先生にお伺いしますが、先ほど先生は、ローカル線の撤去問題で御意見がございました。地方線におきましても、それは鉄道としてどうしても確保しなければならぬという路線につきましては、当然国がめんどうを見てやるべきだ、このようにおっしゃっておりましたが、いまの国鉄の赤字を言います場合に、新幹線を除きまして大概のところが赤字なんですね。赤字額で一番大きいと言いますと、東海道本線が、たとえば昭和四十八年は六百五十六億の赤字が出ておる。ところが、ここは列車は一番たくさん走っているんですね。貨物なんかも行き先、到着日時が明確な指定列車だ。こういうことになってまいりますと、そういう赤字の大きさでどうするかということを考えた場合、ああいう主要幹線で起こっている赤字をどのように処理するか、これは非常に頭の痛い問題でございますが、先生の方はどのように考えておられますか、御意見をお伺いしたいと思います。

八十島義之助東京大学工学部教授

○八十島参考人 おっしゃるように、いわゆる地方線の赤字総額は、全体の中で占める割合は決して多くないようでございます。そのほか利子負担の問題などがいまかなり大きくなっております。それで私先ほど申しましたことは、結局輸送体制として、地方線は欠損は政府が負担する。それで国鉄財政すべてを健全化するという意味ではなしに、とにかく考え方として、地方線はその地方独自の交通機関として考えていこう。国鉄は一つの骨格路線的なものだけをとにかくそれで固めて、その中でできることなら収支償わせるし、だめなときはまたそれなりの考え方をしようというわけで、確かにいま東海道線のような幹線でさえ赤字が大きいことは承知しておりますけれども、いまそれをそれじゃどうして処理をするかというところまでは私としてはまだ考えはありません。ただ骨格路線の中の一つとしてその問題を解決できないだろうか、そういうふうに考えております。

梅田勝日本共産党・革新共同

○梅田小委員 もう一問だけ。清水先生にお伺いいたしますが、いま申し上げました問題ですね。東海道線は赤字の額としては最大、しかしそこには貨物がたくさん走っているといったような問題につきまして、先生の方では、そういう貨物の運賃体系も含めましてどのように対処していくべきか、御見解をお伺いしたいと思います。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 これはこの前の運賃の値上げの後の営業収支を見ましても、旅客の方は相当な多額の収益を得ておりますけれども、貨物の増収というのは二けた数字にとどまっているというふうに思われます。そこで、東海道線の場合の在来線でありますけれども、収益が転落をした最大の理由は、新幹線へほとんど持っていかれてしまう。いわゆる新幹線と東海道線の在来線というのは、旅客については選択ができるような条件じゃありませんので、半ば強制的に在来線の東海道線の旅客は新幹線へ転移された、こういうように見なければなりません。ですから、そういう意味で営業係数の悪化というのは必ずしも比較論の中では言われないだろう。ただし、御指摘のように貨物総体としては、私の計算でいきますと、昭和四十年から四十七年までを計算をしてみますと、貨物の赤字累積総額は一兆一千六百四十六億になっております。ところが旅客は、逆に、差し引きをいたしますと三十六億の黒字になっております。そういう点を考えますと、貨物の賃率に問題があるというのが一つと、それから貨物の場合には、一車貸し切りという形で大宗貨物の中には割引の適用はございますし、ある程度現場長の判断で一定パーセンテージまでは割り引けるというような仕組みになっております。  それからもう一つは輸送方式の変化、いわゆる貨物輸送の近代化、コンテナ化によって独占資本の輸送物資が非常に効率な、低廉な輸送体系ができるような方式で輸送の近代化が行われている。  それから三番目には、トラックとの競争の中で、トラックの方が余り喜ばない、いわゆる割りの悪い貨物をしょわされてくるという側面があります。  こういう点がありますので、先ほど申し上げましたように、一つは輸送調整の問題なんです。  それからもう一回ここで貨物についての原価見直し論をやりませんと、従来の形ではまずいんではないか。これは、いま等級が一等級から四等級になっておりますが、かっての等級は、私はやはり貨物運賃の賃率の一つの原点になっていると思います。あの当時は、普通等級が一等級から十等級ございます。特別等級が二十一から二十四までございます。その中で一から三までが賃率そのものが黒であります。四がたしかプラス・マイナス・ゼロ、あとは全部賃率そのものが赤字になっておりますから、運べば運ぶほど赤字になる、こういうような形になってきておりますから、そういう形の中で企業努力なり独算制の強化とは言っておりますけれども、結果的には、いま申し上げたように、旅客の方はまだまだ数年間の間合いでもトータルすると黒になる。貨物の方は一兆何千億というような形になっておりますので、これはやはり体系上の問題と、それからトラックとの関係、それから運賃の賃率の問題、こういう問題に対する抜本的な洗い直しをしない限りは、貨物輸送体系から生じる赤字の累積の増大は避けられない。その結果が大衆旅客運賃へのしわ寄せあるいは特別料金の徴収という形での旅客へのしわ寄せということになりますと、従来から貨物の赤は旅客の黒が埋めるという伝統をいまだにぬぐい去れないということになるんじゃないかと思います。

梅田勝日本共産党・革新共同

○梅田小委員 どうもありがとうございました。

増岡博之自由民主党

○増岡小委員 河村勝君。

河村勝民社党

○河村小委員 民社党の河村勝でございます。清水さんと八十島さんにひとつお尋ねします。  清水さんのお話の中で、これからの再建計画を抜本的に転換をしなければならぬという中で、従来国鉄が産業資本に隷属をして過大な投資をやっておった。それが経営を非常に圧迫をしておる。だから、これからは経済構造というものに、交通体系との間に有機的な組み合わせをつくらなければならぬというお話がございましたが、そういうことは本当にできるんだろうかということなんですね。元来、交通機関というのはげたみたいなもので、履く人があればそろえなければならぬし、げたの方からあっちへ行け、こっちへ行けと命令するわけにいかないものですね。ですから、元来、産業資本に限らず従属的なものですね。ですから、先ほど八十島さんのお話の中で、やめようとしている駅の前に穀物倉庫ができてしまってやめられない。これは一つの例ですが、そんなようなもので、実際経済構造、経済の動きと、計画経済なら別ですけれども、有機的な連携というのは私は非常にむずかしいと思いますが、どういうことをお考えになっておられるかというのが一つ。  それから八十島さんは、輸送需要の将来というものを想定して、それに合わせてからこれから対応策を講じなければならぬとお考えでありますが、お二人とも輸送調整ということはやはり考えておられるようですが、先ほど清水さんのお話にあったように、トラック輸送を近代化してダンピング的な競争をやらせないようにする、これは当然やらなければならぬし、できると思いますが、レーバープランの例をお引きになったわけですが、レーバープランは、西ドイツのような合理主義精神の強い一般の風潮があるところでも現実にはなかなか線路の廃止はできないし、トラックの長距離輸送の禁止もできないでおるわけですね。トラックの近代化というようなそういう間接的な誘導方法以外に交通機関の間の輸送分野の調整をやる方法が、それは国会が悪いんだということになるのかもしれませんけれども、一体現実に日本で可能であろうかということが一つですね。  それから清水さんも八十島さんも、これからどうやってみても国鉄が純粋な企業経営的に成り立つわけがない。そこで国が何かの形で援助をしなければならぬという点は共通であって、清水さんは、資本のある部分を公共財と考えて、自動車輸送における道路部分の建設費を全部国で持てばあとは何とか自前の努力でやっていけるのじゃないだろうかというお考えであろうと思います。もし間違ったらお話しをいただきたいのですが。八十島さんはそれに対して、骨格的な幹線とそれにつながる地方線とを分けて、地方線に属する部分に対して国の財政補助をして骨格的路線は自前でやれ、こういうお考えのようで、これは二つの代表的なお考えだと思うのです。  八十島さんにお伺いしたいのですが、地方線と骨格線と分けるのは現実になかなか骨が折れるし、それから助成の方法もなかなか厄介であります。だから、本当に道路部分に対する建設費を国が全部持ってやればやれるものであれば――これはやれるというお見通しかどうか清水さんにもお伺いしなければいけないと思いますが、やれればそれが一番明快なんですね。そうではなくて地方交通線に対する補助という方をお選びになった理由はどういうわけですか、これを八十島さんの方にお伺いしたい。  以上です。

八十島義之助東京大学工学部教授

○八十島参考人 地方線という現実には非常に分離しがたいものだが、一体やれる見通しがあるのかということで、これは私もいまそれでは具体的にこれとこれをやればできるというようなことは申せませんが、しかしかなり困難をしても公平な方法でこれは地方線、これは骨格線という分離をしたらどうか。それで、これは不公平になりますといろいろ問題が派生すると思いますから公平にやらなくちゃいけないというところまでは考えております。ただ、それが実現性になりますとまだ検討をしなくてはいけないと思います。  それからもう一つ御質問があったと思いますが、助成ができるかとか、あるいは借入金で工事経費を賄うという趣旨だが、こういうお話でございました……

河村勝民社党

○河村小委員 そうではなくて清水先生の方の、要するに自動車輸送における道路部分に該当するものを国で持ってしまえば、あとはほっておいても自前でやれるだろうというお考えだろうと、私は清水さんの御説は想像しているのですけれども、それでやれるものなら大変明快でその方がいいんじゃないかと思いますが、そうではなしに、あなたがいまむずかしい方をお選びになった理由はどういうわけかということを伺ったわけです。

八十島義之助東京大学工学部教授

○八十島参考人 その点に関しては私は現実の問題を考えたのですが、昭和四十八年に工事経費が大体七千億ぐらい。ところが、減価償却が恐らく工事経費に回っているとすれば借入金が五千億ぐらいだと思います。それじゃそれがまるまる一般会計から出せるだろうか。つまりそれのほかにいろいろ利子補給とかいうのがありますので、現実の問題として非常に困難ではないかというところから私は借入金、そのかわり利子全額補給ということを申し上げたわけであります。  ただ一つ申し添えたいのですが、現在公営地下鉄は、先ほど清水先生でしたか御指摘のように半額以上一般会計からの補助金が出ておりますし、たとえば国鉄がいま連続立体交差工事などをやりますと、これは道路管理者を経由しますけれども、やはり一般財源から金が入っているわけであります。ですから、私も一般財源を全然使わないでいくというふうには解釈しておりませんで、そういう前例といいますか慣習もありますし、ですから、そういう範囲でやはり一般財源が国鉄の工事経費の中に入ることはもちろん当然あり得る、こういうふうに考えております。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 主に産業資本に対する従属性の打破を具体的にどうするのか、いわば産業立地との有機的な結合をどうするのかという点が御主眼だと思いますが、その前提には、河村先生の場合には国鉄の有力な幹部をしておられただけに国鉄に対し非常に遠慮をして言っておられて、げたのようなものだとおっしゃった。私は実はそこに国鉄を破綻をさせた原因があるのではないか、いわゆる国鉄をげたにした日本の交通政策と産業のあり方、これに対してはもうちょっとシビアでいいのではないかという発想から実は申し上げているわけであります。  産業資本に対する従属性の問題でございますが、結果的にはたとえば東海道新幹線が開通されたことによって京阪神及び東京、中京、この東京-大阪間を中心とする大都市にきわめて莫大な資本の過集中と集積を可能にしたことは紛れもない事実であります。これを可能にせしめた国鉄、いわばそれに貢献をした国鉄に対して産業独占資本はそれではどれだけの負担をしたのかということになると、これはないわけです。これに対する負担をどうするかということは、政府がその気にさえなればこれはできるのであります。公害問題も、従来はそんなことができるかと言っておったわけですが、最近は一鉄鋼産業でも公害防除のためには何百億という公害防衛施設に対する投資をせざるを得ない、あるいは水島工業地帯等についても、総量規制の中では新設工場の設置すら不可能なところまで地方自治体が追い込んできているということを考えますと、それは政府の決意いかんではないか。それだけ政府というのは権限と権力を持っているわけでありますから、どのような規制法律をつくっていくか、そして行政指導を強化していくのかという点だと思います。  それから第二は、産業立地と国鉄との有機的な結合の具体策でありますが、これは私は短期でできると思いません。実は私は、国鉄再建五カ年計画あるいは十カ年計画そのものにきわめて懐疑的であります。  私は過去何回かヨーロッパの都市交通に限定をして視察をしてまいりましたけれども、大体当面の計画といって三十カ年計画であります。これは河村先生御承知のように、ロンドントランスポートが一九七〇年代に立てたのが当面の計画紀元二〇〇〇年まで。パリのメトロがそうであります、あるいは西ドイツのジュッセルドルフがそうであります。これだけの難問を抱えていながら日本の計画は少し短期過ぎやしないか。日本に比べればヨーロッパの方がまだ深刻度合いは軽いと私は見ておりますが、それでも当面の計画は紀元二〇〇〇年まで。パリのメトロの管理者に将来のビジョン設定はいつに置くのだということを質問をいたしましたら、それが最大の効果を発揮し、満足される時点は百年後であるということを言っております。先ほど加藤先生からも今後の政府の方向は低成長に切りかえるということをおっしゃっておられますが、私はその言葉はきわめて大事な言葉として承っておりましたけれども、やはり日本の計画が少し短期過ぎる。いまの交通問題を考えるときに、やはり百年後の日本の交通体系をどうするんだ、百年後の国鉄をどういう姿に持っていくんだという長期の戦略目標があって、そして当面の計画が戦術論として出てこなければいかぬ。私は戦略があって戦術が有効に適用されるというふうに思いますが、国鉄の再建計画が戦術論におぼれて戦略目標がないというところに非常な欠陥があるのではないか。これは先ほど八十島先生もそれを別な言葉で表現をされたというように私は理解をしておりますけれども、そういう観点に立ちますれば、産業立地なり都市計画なりあるいは産業の発展と国鉄の有機的な結合というものが可能性があるというふうに私は見ますし、それから現在の資本主義体制の矛盾の克服ということを考えますと、これは体制内で考えましても、社会主義的な技術的手法の導入をせざるを得ないのではないか。私は、従来のいわば社会主義理論あるいは資本主義維持の理論、そういうオーソドックスな理論というのは、それぞれ壁にぶつかってきているのではないかと思います。これは社会主義国家でも企業経営の中では技術的には資本主義の企業経営的な技術的な手法を使っております。しかし、構造的な基盤、背景が違うことはもちろんでございます。わが国でもそういう点を考えていきませんと、たとえば社会福祉政策等につきましては、相当社会主義的な手法を導入をいたしております。そういう意味で、国鉄のようなきわめて公共性の強い事業については計画性というものを導入していかなければなりません。それから、大企業を中心とする日本の基幹産業部門の発展の方向の中に無政府性を抑制をしていくという国家の経済政策とセッティングされた交通政策の立案という中で、これはむしろ私どもの方でぜひ実現を先生方の御努力でお願いをしたいというふうに考える次第でございます。

河村勝民社党

○河村小委員 輸送分野の調整というのは、トラックの近代化をやって、過当競争、ダンピング競争をやらないようにするというようなことはできるかもしれないけれども、それ以上のレーバープランでやっておるようなことが日本の国情においてできるとお考えかどうか、その点だけ……。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 私は、交通機関は、貨物輸送のトラックにおきましてもまだ免許事業として存在をしていると思います。私は、免許事業という制度がある以上は、運輸調整の原点は免許の段階から入っていかなければいかぬだろうと思います。その免許が事実上許可制度に近い、いわば自由化に近い方向の中で、結果的にトラックの乱立を生んでしまった、この辺のやはり反省に立つ中で、まず免許制度というものをもう少し――やはり公共性と免許制度というのは私はうらはらの問題だと思いますので、そういう中で輸送需要というものと、過当競争を激化させないような適正保有台数と路線と地場との関係等の調整というものが、まず第一点はやり得るのではないかと思います。それから、輸送市場と輸送機関の分担、これがレーバープランをやったドイツでも非常にむずかしいということは御指摘のとおりでありますけれども、しかし、ある意味におきまして西ドイツでは非常にむずかしいと言われている運賃プール制をハンブルグで実現をしております。これは、都市交通における運賃プール制というのは、運輸調整の相当高次元に集大成されたシステムだと私は思っておりますが、そういうことで確かにむずかしいと思いますが、そうせざるを得ないところまで入ってきているという認識の上で御意見を申し上げたというふうに御理解いただきたいと思います。

増岡博之自由民主党

○増岡小委員長 佐藤守良君。

佐藤守良自由民主党

○佐藤(守)小委員 時間ももう大分過ぎて一時近くになっているので、ひとつごく簡単に私は質問させていただきたいと思います。  実は、私がお聞きしたいことの要点は、先ほどから先生方の御意見をお聞きしておりますと、触れられておるようなことでありますが、現在の日鉄法のもとにおいてその再建が可能かどうかという問題が実は私は一番大きな問題だと思います。と申しますのは、先ほどもそれらの問題につきましては清水先生も若干お触れになったように思います。また八十島先生も若干お触れになったわけでございますが、実は今度私たちがこの委員会をつくりましたのは、いままでのようでなくて、本当にりっぱな国鉄をつくりたいというようなことでこの委員会をつくりました。きょうも先生方の御意見をお聞きしておるわけでございますが、四十四年あるいは四十八年の再建計画、ともに実はすぐ翌年からいわゆる計画と実際が狂っておるというようなことをもちまして、したがってそういうようなことで、いまの形のままではおそらくそういうことにならざるを得ないのではないか、またそのことが逆に国鉄の幹部が一生懸命やりましても、実際はやはり労使間の不信を招いたりいろいろな問題が出てきておるというようなことも私は耳にいたすわけでございます。したがいまして、私がお聞きしたいのは、たとえば清水先生が先ほど、本当を言うと国有化が一番いいのだということをちょっとおっしゃいましたし、また八十島先生は地方分散ですか、これはよくない、私も同感でございます。仮にひとつ考えてみた場合に、たとえば思い切って国鉄というのを民営企業にした場合、投資効率などが非常に大きい。たとえば用地買収等も予算に限りがあって、各年次行っておりますが、これを思い切って用地買収をする、そうすると、非常に安い価格で買える、そしていまの国鉄の規模でございましたならば、民間でございましたならばかなりの借り入れもできるというようなことをすれば、たとえば私は設備投資も何分の一で済むのではないかというような気もいたすようなことでございますが、したがいまして、いまの形で、いまの日鉄法の中で、本当に国鉄は再建できるものであるかどうかということにつきまして、簡単に御所見をお聞きをしたいと思うのでございます。大変むずかしい問題だと思うわけですが、実はいままで、先生方も御承知のように、いまの形のままで目先を補っただけなんです。  それからもう一つは、先ほどから政府、国会、いろいろございました。たとえば地方閑散線の問題も理論としてはいいのですが、いざ実際問題となりますと、みんな選挙区を抱えておるわけであります。そうしますと、理論的には正しいのですが、たとえば私がその選挙区の場合……(梅田小委員「利害関係があるよ」と呼ぶ)梅田君、あなただって同じことです、共産党だから。彼は率先して反対の立場、よその場合は賛成なんですね。自分の選挙区になりますと利害関係が反しますから、真っ向から反対、これが実は現状でございます。そういう中で果たしてそういうことが可能かどうかということがあるものでございますから、その点につきましてひとつ御所見を承れれば大変ありがたいと思うわけでございます。  それからもう一つ、村木先生には、先ほどから盛んに国鉄内部等につきまして民主化民主化という問題が出ておりますが、では具体的にどうすればいいのかということにつきまして、もし御所見を承れればありがたいと思うわけでございます。どうぞひとつよろしくお願いいたします。

清水義汎明治大学商学部教授

○清水参考人 日鉄法のもとにおける再建が可能かというきわめて重大な御質問でございますが、その前提では、私は従来昭和三十二年以降の国鉄の近代化再建計画の中で、政府及び国会等で解釈されている日鉄法の解釈という前提でお答えをしたいと思いますが、そういう前提に立ちますと、現在の日鉄法に基づく国鉄の再建は私は不可能だというふうに考えております。日鉄法を抜本的に変えるか、国有化しか方法がない。もし日鉄法の改正ということを考えますれば、私は長期ビジョンに基づいた、いま先生の御指摘のような、いわゆるいい意味でのオートノミーの確立という形で、政治的な影響力をあらゆる面で受けないで国民の足として機能させるという形で考えますと、この交通委員会を独立した行政委員会として設置をして、そこに当事者能力を持たせた形で運営をしなければできないのではないか。それから、国鉄関係のいろいろな審議会、委員会等を見ておりますと、非常にりっぱな方が入っておられますけれども、利益代表で構成をされ過ぎている。むしろ、いまこういう難問の解決には専門家集団の国鉄問題の再建策を検討する機関が一つぐらいあってもいいのではないか。いわゆる金融界の代表あるいは産業界の代表、中には国鉄の大きなお得意先の代表まで入っておられます。それから、きわめて率直に申し上げますと、最近市民参加、国民参加ということを言われておりますけれども、その名目のもとに知名度のある素人を入れて国鉄の再建ができるというふうに考えていることに私は非常に疑問と不愉快さを感じております。市民参加論なり国民参加論は私は賛成でありますけれども、国鉄問題等を議論します場合には、きわめて精度の高い、次元の高い市民参加論というものを具体化していただくように考えなければならないであろう。同時に、国有鉄道が公共企業体でいまのような形でいきますと、一番困りますのは、経営管理責任者であるところの経営陣が財政的な自主能力を持たないために、あらゆる面で経営の自主性というものが現実に発揮できない。同時にこれが労使間の不信感にもなる。いわば率直に申し上げて政府の方でゴーのサインが出なければ賃金問題にしても有額回答を出せないという形であります。こういう点から考えますと、もう二十年間で現在の日鉄法の中で出てきている矛盾というものが、それぞれの立場の相違は別にいたしましても、それぞれの立場からの問題点は出ているわけでありますので、最低限私は日鉄法の大幅な改正が必要であろう、もしでき得れば理想的にはこの際国有化という方向で新しい立法措置をしなければ、とても現在の日鉄法の枠内での企業再建は、ますますどろ沼に入るばかりではないかというふうに考えます。

八十島義之助東京大学工学部教授

○八十島参考人 日鉄法についてのことでございますが、先ほど私申しましたが、輸送体制の上で経営は一本だが会計制度を変えるというかっこうの地方線、こういうことを申しました。それが日鉄法の枠の中に入ればことさら問題はないわけでありますし、それが日鉄法に触れることになりますと、そういう問題に関して改正が考えられる、こういうふうに思っております。

村木啓介交通評論家

○村木参考人 時間もございませんからごく単純化して申します。余り単純化して言うということは真意を伝えにくくなりますが、民主主義というのは、私は民衆の声をよく聞いてこれを尊重することだと考えておりますが、そうした仕組みを経営の中につくることを経営を民主化していくことだ、かように考えております。

増岡博之自由民主党

○増岡小委員長 これにて質疑は終了いたしました。  この際参考人各位にお礼を申し上げます。  本日は、御多用中のところ長時間にわたり当小委員会に御出席をいただきまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。本小委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)  次回は、来る十四日午前十時から開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時五十五分散会

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