物価問題等に関する特別委員会 第18号
- 発言数
- 131 件
- 登壇者
- 14 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1974/03/27
会議録
○平林委員長 これより会議を開きます。 物価問題等に関する件について調査を進めます。 本日は、参考人として慶応義塾大学教授片岡一郎君、横浜国立大学教授久保村隆祐君、専修大学教授森宏君、株式会社西友ストア常務取締役、前通流産業研究所調査部長高丘季昭君、以上の方々の御出席をいただいております。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。 御承知のとおり、物価問題は国民生活にとってきわめて重要な問題であります。本委員会におきましても、物価の安定対策について鋭意努力いたしておるところでございますが、本日は特に生活関連物資等を中心に、広く流通問題について専門的な見識をお持ちの各位から御意見を承り、調査の参考にいたしたいと存ずる次第であります。 何とぞ忌憚のない御意見をお述べくださるようお願いをいたします。 なお、議事の進め方といたしましては、最初に片岡参考人、久保村参考人、森参考人、高丘参考人の順序で、お一人各十五分程度御意見をお述べいただき、その後委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。 それでは、まず最初に片岡参考人にお願いいたします。
○片岡参考人 それではごく簡単に、私どもが理解しております流通問題の問題点をかいつまんでお話を申し上げたいと思います。 流通のおくれといいますか、あるいはこれを流通近代化という形で問題として取り上げておりますが、こういった問題が提起されましたのが、昭和四十年代に入りましてからであろうと思います。一体、こういうような問題が提起されるようになりました背景、ここにどんなような事情があったか、こういうことを考えてみますと、大体三つぐらいの条件があったように考えられるわけであります。 まずその一つとしましては、その当時におきまして、将来の日本の経済成長というものを予測いたしてみますと、一〇%台というようなかなりテンポの高い経済成長が今後も続くであろう、そういう経済成長の予測が立つとしますと、当然それから波及いたしまして、いわゆる物価の上昇という問題が発生してくる。で、その物価上昇をどうやって押えていくか、そういった関連において流通の近代化あるいは流通の合理化、こういった問題が検討されなくちゃならなくなってきた。これが第一の背景にあった条件だろうと思います。 それから第二番目といたしましては、そういう経済成長が続くといたしますれば、当然経済の過密化傾向が出てくる。たとえば経済成長の中で生産量がふえる、流通量もますます増加していくであろう、こういう予測が立つわけでありますし、また流通システム化推進会議あたりが具体的な数字まで示しておるわけでありますけれども、相当量の商品流通が行なわれるはずである。問題は、それだけの商品流通を、現在の日本の流通機構が流通し尽くすだけのそれだけの能力を持っているかどうか。おそらく労働力の需給関係から見ましても、これ以上流通業に多くの人をかかえることはむずかしい、人はこれ以上ふえないであろう、ふやすことはできない、あるいは交通事情はもっと悪化していくであろう。経済成長がかりに一五%であるとしますと、大体五年間で倍になってしまうわけでありますが、五年後に今後の現在の倍の流通量を、いまの日本の二十五万何がしの問屋さんと百四十七万の小売り屋さんでもって流すことが可能なのかどうか、こういった疑問も当然出てくる。そのためにはやはり抜本的な商品流通のあり方を変えていかなくちゃならないであろう、こういった事情ももう一つの条件としてはあったように思います。 それからもう一つ追加いたしますならば、おそらく資本自由化、これに対処するために一体流通業はこれでよろしいのか、こういった疑問ももう一つあったかと思います。 以上申し上げました大体三つぐらいの条件がありまして、日本の流通業の歴史の中ではおそらくこれが最初であったと思いますが、流通の近代化、こういったテーマを掲げてくる、あるいは国民経済が総力をあげて解決をしなくちゃならない問題の一つとしてこういう問題が出てきたと考えてよろしいと思うのであります。 さて、近代化が要請されるということは現在の日本の流通に対する認識がまずおくれている、こういう認識に立っていることは言うまでもないと思います。近代化の中で何が近代化されなくちゃならぬかといえば、当然いまの日本の流通が持っているおくれ、このおくれが近代化の中で改革されていかなくちゃならぬ、そこにメスが加えられなくちゃならぬ、これはもう当然だろうと思います。 では一体そのおくれをどういうふうにして整理してとらえたらいいのか。人いろいろのとらえ方があろうと思いますけれども、まず第一には、やはりこの流通構造が問題である。卸構造、小売り構造あるいはこれをひっくるめた流通構造、ここに構造的なおくれの問題がひそんでいる。これが第一点だろうと思います。 それから第二点としましては、いわゆる商的、物的、両方の意味における取引活動、たとえば配送であるとか返品であるとか、まあこういった問題でありますが、そういったいわゆる取引活動の上において非常なおくれが内在している。 それから第三の問題としましては、意識のおくれという要素を考えなくちゃならぬ。流通業もやはり国民経済の一翼をになう重要なセクターでありますけれども、一体そういう国民経済の一翼をになうという意識というものがはたして日本の流通業者の間にあるかどうか。ないとは申せませんけれども、しかしまだその意識というものはきわめて低い、こう見てよろしいと思います。そういった点がいわゆる日本の流通のおくれとして指摘できる点ではないだろうか。 さて問題は、そういう構造のおくれあるいは取引活動のおくれ、あるいは意識のおくれ、こういったものをどういう形で今後改善していかなくちゃならぬのか、こういうことになると思うのでありますが、まず構造のおくれについて申し上げますと、そこで指摘されなきゃならぬことは卸の多層性という問題が一つあると思います。言いかえれば、私ども学校ではメーカー、卸、小売りとこういうふうに物は流れると教えておりますけれども、しかし、現実はどうもそういう単純な形ではなくて、卸段階が二段階あるとかあるいは三段、四段もある。きわめて例外的ではあったようでありますが、七段階もあった、そういうケースもあるようであります。それで、異口同音にいわれるのは、今日の卸にとって問題は何かといったら、やはり人件費の上昇、これが卸の経営を非常に圧迫しておる。で、問題はその人件費上昇という条件を経営の中でどうやって吸収するのか。そうなりますと、一つはやはりマージンをかせがなければならぬわけでありますが、マージンをかせぐ方法としては、仕入れをたたいて安い値段に持っていく、これが一つの方法でしょうし、あるいはまた売り値を上げる、これも一つの方法だろうと思いますが、現実的にはやはり売り値を若干なりとも目立たない程度に上げていく、こういう形でこの経営の問題を解決せざるを得ない。それが一段階だけであればよろしいのですが、三段、四段の卸がわずかとはいえ上げるということになりますと、トータルではかなりのものになって消費者の段階にあらわれてくる。そうなってくると、この卸の多層性という問題をどう解決していくか、歴史的にはそれなりの意味があった。卸段階に滞留しておる商品の相場がたとえば暴落する、こういう場合、もし卸が一段階しかない場合でありますと、その暴落を一軒の問屋さんでかぶらにゃならぬわけです。三段、四段に分かれておりますと、そのリスクを三段、四段の問屋さんで分散して吸収することができる。リスクはわりあい軽減される。こういった昔の、何といいますか危険を分散しなければ生きていけないという生活の知恵がつくり出した一つの流通の姿ということもいえるかもしれませんけれども、現在の段階においてはたしてそれだけの必要があるかどうか。しかし、そうはいうものの、現状そこにある問屋さんに消えてもらうというわけにはいかない。そういう現状を踏んまえた上でこれをどう考えていかなければならぬかというと、たとえば一次問屋、二次問屋がある場合に、その一次、二次の問屋さんの間における機能の分担というものを調整してもらう、そして卸機能のダブリといいますか重複をなくするような形で考えなくちゃならぬのじゃないだろうか。 そのほか構造問題として取り上げなくちゃならぬのは、いわゆる零細、中小、こういう問題だろうと思うのです。これを問題にしなければならぬのは、小さいがゆえに問題なのではなくて、小さいがゆえに不可避的に生産性の低さを伴っている、ここに問題がある。この生産性を高めるためにどうするかということになりますと、幾つかの方法がそこにくふうされてきておるわけでありますが、たとえば合併というのも一つの形式だろうと思います。卸段階においてはかなりこの形式による大型化が進んだことは事実でありますが、しかし小売り段階においてこれを期待するというのは非常にむずかしい。そこに編み出されたものが協業化でありあるいはその具体的形式として一例はボランタリーチェーン、こういったものがあったわけであります。しかし、御承知のとおりボランタリーチェーンが十分の成果をあげているとはいえないと思う。このボランタリーチェーンがなぜ十分な成果をあげていないのかということになりますと、一つにはいろいろな技術的な問題もございますけれども、まず小売り段階における危機意識の欠如、これが一番大きな問題ではないか、こういうように考えられるわけであります。危機を感じていない限りはやはり一国一城のあるじとして独立の姿を保ちたい、チェーンに加盟して拘束を受けるのはいやだ。これは気持ちとしては非常にわかるわけであります。しかしながら、このボランタリーチェーンという構想が今後の日本の特に消費の姿を考えた場合、真剣に追求されなければならない方向であろう、こんなふうに考えておるわけであります。 それから第二に申し上げました取引活動の近代化の問題でありますが、ここでは、先ほどもちょっと触れましたように、具体的な問題としては、受注のしかたであるとかあるいは配送、返品、さらには不当に長期の手形で決済が行なわれておるとかあるいはリベートの問題そのほかいろいろあろうと思います。時間がございませんので詳しく申し上げませんけれども、ここでの問題は何かといいますと、やはりそういうものが区々ばらばらに行なわれている、そこにいわゆる取引秩序といわれるような一定の姿が認められない、そういう状況が見られるわけであります。したがいまして、これを合理化する方向としては、どうしてもやはりこれをルーチン化するといいますかあるいは規格化するといいますか、たとえば配送のしかたを標準化する、受注のしかたも規格化していく、標準化していく、こういう方向が基本的には考えらるべきであろうと思うのです。しかしながら皆さん御承知のとおり日本の取引というものはきわめて人間関係的である。人間関係的な取引というそういう性格からしまして標準化、ルーチン化ということがきわめてむずかしい。人間関係がなければ取引ができない。人間関係をよくする方法としてはただ一つ、特別扱いする。相手を特別扱いすることによって人間関係をよくすることができる。ところがいま求められる標準化というのはそれとは反対の方向であります。そういう意味におきまして、この方向は確かに期待される方向でありますけれども、非常にそこにはそういった国民性のようなものがからんでまいりますのでむずかしい点があろう、こういうように予想されるわけであります。 あとまた補足はいずれ後の機会にさせていただきまして、以上にさせておいていただきます。
○平林委員長 どうもありがとうございました。 次に、久保村参考人にお願いをいたします。
○久保村参考人 現在の物価問題と流通の機能あるいは機構との関係についてはいろいろの面から取り上げられますけれども、私は二つの面から取り上げてみたいと思います。 一つは価格水準及び価格体系の変動と流通との関係であります。 実はこの点は現在石油の値上がりによって起こっております価格水準の訂正あるいはそれから起こります価格体系の変動、これは流通とは関係があまりないと私は思います。主としてこれは需給関係によって生ずることでありまして、流通はそれほど関係はない。と申しましても、現在の消費者価格の中で流通コストの占めます割合は五〇%ほどになっております。五〇%といいますと、これはメーカーのマーケティング関係の費用も含めるわけでございますけれども、したがって、決してそれだけの割合を占めます流通が価格の構成において重要な役割りをしないというのではございませんけれども、現時点においては特にこれが変わってきているということは言えないと思います。そういう意味で現在の物価問題に対する関係は少ない、こう申し上げたわけでございます。 第二は、そういう価格水準やあるいは価格体系の変動期における混乱と流通の関係でございます。これに流通が大きく関係してきているわけであります。 まず物不足あるいは素材価格の騰貴などによります物価の変動に対して情報が不十分でありますと、消費者の買いだめが起こります。あるいはその情報を十分持っておりますと、それに基づいて買い占めあるいは売り惜しみが行なわれています。こういうことによりまして価格変動の振幅が大きくされるということがございます。また、そういうことがございませんでも、流通機構が近代化されまして、流通機能が十分働いております場合には生じません物価の振幅の大きさが、流通近代化がおくれておりますと生ずるわけでございますが、現在のわが国は非常に残念なことでございますけれども流通近代化のさなかに今回のこの物価問題が起こっております。それによって生じた混乱がある程度あると思うのでございますが、それで私はこの点について少し申し上げてみたいと思います。 流通近代化、教科書的になりますけれども、歴史的に見ますと昭和十年代、二十年代は農協を中心として行なわれております。三十年代はメーカーを中心に行なわれております。メーカーの販売経路の系列化そのほかによって流通近代化が行なわれております。四十年代はチェーンストアによる流通近代化が進行しておりますし、これから後五十年代はボランタリーチェーンによる流通近代化が完了するものだと思われます。 そういう時期、現在はそういう時期でございますが、ちょうどチェーンストアによる流通近代化のさなかにあるわけでございます。 新聞によく投書されます量販店の力が弱いあるいはプライベートブランドどうしたんだ、そういうことが問題になります。シアーズローバックがよく例にあげられまして、シアーズローバックのカタログでは、昨年と比べてたとえば冷蔵庫、運動ぐつ、カラーテレビあたりは値上がりしておりません。にもかかわらずわが国ではカラーテレビは三・七%、冷蔵庫が一五・九%、運動ぐつは五四・八%値上がりしております。流し台などはシアーズローバックでは八・三%値下がりしております。ポリバケツはアメリカでもシアーズローバックでも六・六%上がっておりますけれども、わが国では三九・七%上がっております。 そういう例を引きまして、わが国の量販店は無力であるという批判が耳に入ります。しかし、これは当然現在の段階ではそうなるわけでございまして、チェーンストアの発展段階、二期に分けられると思うのですが、この辺はまた高丘参考人から詳しくお話があると思いますけれども、前段階は販売力をつける段階、現在たとえば昭和四十七年にダイエーが三越を抜きまして第一位になっております。小売り業界における首位を占めたわけですけれども、これあたりに見られますように販売力はつけてきておりますけれども、その販売力をもとにして第二段階の発展、これはプライベートブランドの開発によるわけですが、これをいよいよこれからやるという段階でこの物価問題に遭遇しております。 最近の新聞を見てみますと、各量販店、チェーンストアで垂直的統合が推進されていることが報ぜられております。この垂直的統合が推進されておるといいますことは、チェーンストアの量販店が量的発展から質的発展へ転換をして懸命にそれをやっている一つのあらわれである、こう見ることができます。 この場合に、質的な発展、また二段階に分かれるわけですけれども、前段階は現在ですけれども、中小企業にかわって生産、流通の生産性を高める方向をとっております。たとえばとうふですけれども、一般のとうふ屋さんは二千丁程度の生産力、それに対して量販店は十万丁単位の生産をするといわれております。そうすることによって生産、流通の生産性が大いに高まるわけですが、現在の量販店のプライベートブランドの開発あるいは垂直的統合を見ておりますと、そういう点に主力が注がれているように思われます。 これがさらに進みますとプライベートブランドを設定しにくい耐久消費財についてもプライベートブランドが設定されるようになるわけですが、これが質的発展の第二段階になると思います。新聞では機械メーカーと流通企業との提携などということも報ぜられております。この思惑はわかりませんけれども、将来の耐久消費財に対するプライベートブランド設定の布石とも考えられるわけですが、そこへいきますと初めて量販店、チェーンストアはいわゆるメーカーに対する対抗力を持つことになります。カウンターベーリングパワーを持つことになります。昭和三十年代のメーカーの流通近代化あるいは販売経路の系列化によりまして、メーカーは力をつけてきております。流通段階はまだその流通近代化のさなかで力がないわけですけれども、この段階になりますと十分対抗する力を持つようになります。 これが一つの現在の問題点ですけれども、もう一つ問題になっておりますのは、いま片岡参考人も申されました小売り業の零細性です。あるいは卸の多段階性。ただ卸は別としまして、小売り業の零細性は私は決して生産性を低くするものではないと考えております。なるほど商業統計によりますと、一人−二人規模のパパママストアの生産性は非常に低く出ております。しかし、このパパママストアを除外しましたいわゆる企業と申しますか、だけをとってみますと、一人−二人規模の小売り業もあるいは十人−二十人の小売り業もそう生産性は違っておりません。アメリカ、イギリスもそうですけれども、日本でもパパママストアをとってしまいますと規模による生産性、労働生産性ですけれどもの違いはございませんと統計の数字は教えております。パパママストアは生産性が低いわけですけれども、これはそれなりに意味があるわけでして、パパママストアの労働力は工場で使う労働力、そのほか専業として使う労働力ではありませんで、一方で家事をやりその他をやりながら店をやるわけでございますから、生産性が低くてもこれはそれほど問題にしなくてもいいんではないかという気がいたします。もう一方から言いますと、アメリカのように自動車が買いものの足になっております場合と、買いもの袋をひっさげあるいはせいぜいショッピングカーを引いて買いものに行きます日本の場合では、小売り業の零細性は消費者の便からいってかえって望ましい面もあると言っていいかと思うのです。そういうわけで、現在小売り業の零細性については生産性の点からいわれておりますけれども、私はそういう見方をしたいと思っております。 ただ、店舗の規模による生産性の相違はありませんけれども、経営の規模による生産性の相違は非常に大きいわけです。したがって、経営の規模はパパママストアのような小規模でもよろしいのですけれども、その経営は、先ほどお話出ましたけれども、ボランタリーチェーンによる規模の利益を追求しなければいけない、そう思います。また、これもいまお話がありましたけれども、それについて刺激がないという点は、チェーンストア、量販店がこれから本格的な活動をしてまいりますといやでもボランタリーチェーン化しなければいけない。 それからもう一つ。非常に幸いなことに、現在のこの物不足的な傾向あるいは物価騰貴によりまして取引条件が裸になってきている、こういわれます。いろいろ修飾がつきまして従来は取引条件の比較が必ずしも容易ではなかったのですけれども、だんだんと大量仕入れによる有利さというものが取引条件にはっきりあらわれてくるようになっております。 そういうことで、これからはボランタリーチェーンが急速に進まなければいけない。そしてボランタリーチェーンの終局の姿は連合組織、アメリカのIGAのような連合組織ができて、ほんとうにプライベートブランドを開発し、推進していくことができるようになる段階だと思います。で、そういうボランタリーチェーンの発展を見ますと、ここで流通近代化は一応形を整えた。そのほかにまだ消費生活協同組合の問題もありますけれども、流通近代化は一応形を整えたことになると思います。 その場合にどういうシェアといいますか、小売り業界の分野になるかという見通しですけれども、これは非常にむずかしいんで、私よくわかりません。ただイギリスあたりを例にとってみますと——アメリカの場合か少しかけ離れておりますから、アメリカの数字では、たとえばボランタリーチェーンに入らない普通の小売り業者、非加盟独立小売り商の小売り売り上げ高に占める割合は、食料品分野では全体の二〇%にすぎないといわれます。あるいは数字によりますと九%ともいわれます。アメリカはちょっと比較になりませんが、イギリスを対象にして考えてみますと、イギリスでは大体ボランタリーチェーンに入っておりません小売り業の売り上げ高が三五%です。日本の場合は現在どうなっているかといいますと七三%です。ですからイギリスに追いつくと言うと表現はおかしいのですけれども、追いつくとしますと、まだ現在の倍以上ボランタリーチェーンが発達してもよろしい、こういうことになろうかと思います。店舗の数から申しますと、イギリスはボランタリーに入っておりません一般の小売り業者が九一%。ただし食料品についてみますと七三%。日本の場合には、ボランタリーに入っておりませんのが九八%、食料品についても同じく九八%。その辺でイギリスあたりが一つのめどになろうかとも思いますけれども、そのようにして流通近代化が整備しました場合に日本の流通機構の面からの物価問題がずっと減ってくると思います。と申しましても、現在の問題点、現時点でございますからそれを待っているわけにはいかないわけでございます。 そこで、現在考えられますさしあたっての施策としては、たとえば買い占め売り惜しみに対しては、もうすでに行なわれます投機防止法の運用がございましょうし、あるいは流通近代化のおくれを補うための施策としては、これも現在すでに行なわれております通産省、農林省による行政指導あたりが、そういう意味で臨時的な措置として必要かと思います。長期的な措置としては、現在一番おくれておりますのは流通在庫情報の不足、したがって流通情報システムの整備ということが必要でございましょうし、一方で流通近代化をさらに推進していく施策が必要である、そういうふうに考えられます。 どうも失礼いたしました。
○平林委員長 次に、森参考人にお願いをいたします。
○森参考人 私は、物価と流通のかかわりを経済理論的に明らかにし、今後の正しい物価政策の御参考に供したいと思います。 片岡参考人及び久保村参考人が、長期的な視点についてお述べになりましたので、私は、どちらかといいますと、短期的な視点に問題をしぼりたいと思います。 流通とは、生産物を消費者に適確に送り届けるための活動、あるいは生産と消費の間の地理的、時間的、人的なギャップを埋めるための諸活動といわれておりますけれども、そのための主要な機能として、輸送、保管、選別、荷づくり、荷役などの物流機能と、適切な需要と供給を把握するための情報機能とがあると思われます。 流通活動が満足に行なわれているかどうかを見る視点といたしましては、短期的には完全市場という概念があります。すなわち、任意の二地点あるいは二時点間の価格差が、それらの間を結ぶ流通市場に一致しているかどうかという点を見る概念です。たとえば、東京で一尾五十円のサンマが産地で十円しております。産地から東京まで出荷する費用が二十円といたしますと、価格差が四十円で流通費用が二十円ですから、明らかにこの流通はうまくいっていないと言えます。そこで、より流通が合理的に機能いたしますと、産地に対して需要がもっと活発になり、産地の価格が多少上がり、たとえば十円から二十円に上がり、他方、消費地への供給がもっと多くなって価格が下がって、たとえば四十円になりますと、四十円と二十円の差が流通費用の二十円に一致するということで、きわめて満足な流通が行なわれていると言えます。 いま一つの例としては、たとえばタマネギをとりますと、出来秋の九月に一俵五百円で売買消費されていたとします。それが翌年の三月に二千円になったといたしますと、しかもその間の貯蔵費が一俵三百円であるとすれば、九月と三月の価格差千五百円に対して、流通費用が三百円にすぎませんから、これは明らかにうまくいっていない。そこで、出来秋に持ち越しのための需要がもっとふえて、たとえば九月に八百円に上がり、三月には持ち越されたものがより多く放出されて千百円に下がるというふうになれば、千百円と八百円の価格差がちょうど貯蔵費の三百円に一致するということで、理想的な流通が営まれているということが言えます。もっとも、出来秋に翌年の三月あるいは四月の需要を的確に把握するということはできませんから、そこには何らかの不確実性が残ります。当然その不確実性を減少するための情報活動のための費用がありますし、またいかに情報活動がうまく行なわれても若干の不確実性は残りましょうから、そのためのリスク負担の費用はあるいは追加されなければならないかもしれません。 さて、このような視点に立って最近の物価論議をながめてみますと、次のようなことが言えるのではないかと思います。 たとえば昨年末のある時期までに市場に出された石油あるいは石油製品は、安いときの原価で生産されたものであるからこれを値上げをしないで、これを値上げをすることは先取りでよくない、あるいは隠匿、売り惜しみは反社会的な行為であるという議論がございます。 簡単な例といたしまして、四十八年の秋から初冬にかけまして二ドル、四十九年の正月から春にかけて八ドルであったといたしますと、そしてその間の持ち越し費用が一ドルでできるとすれば、流通が理想的に営まれるとすれば、秋から冬にかけての最終消費のための供給を一部カットして貯蔵に回し、翌春に放出する。その結果、秋にはたとえば価格が五ドルになり、春には六ドルに下がって、その間の価格差が一ドルになれば、ちょうどその間の貯蔵費の一ドルに比しますから、これは理想的な流通が営まれたということになります。そのような貯蔵機能によって社会的にも効用の総体は、そうでないときに比べて必ず増大いたします。厳密な議論を抜きにしてきわめて乱暴な言い方をいたしますれば、秋に二ドル分の効用を犠牲にしたかわりに、春には六ドル分の効用の増大があって、そのための費用は一ドルで済むとすれば、すなわち六ドルマイナス二ドルマイナス一ドルイコール三ドルのネットの効用の増大があったということになります。 このような異なった時点あるいは地点間のギャップを埋めるための流通活動は、必ずしも流通業者あるいは小売り業者によって営まれるとは限りません。ときにはメーカーあるいは消費者によって営まれることもあり得ます。すなわち、かりに実際にかかったコストが二ドルでも、春に八ドルになることがかなり明らかであれば、メーカーはいち早く六ドルに値上げをします。そうすれば消費も減りますから、結果的にある量が翌春まで持ち越されることになります。また消費者サイドの対応といたしましては、春に値上がりすることがかなり確かに予測されるとすれば、消費者としては安い値で買ったものを全量使い切らないで、一部を翌春までの貯蔵に回すということになります。そうすることがいずれにとっても合理的な対応であるわけです。繰り返しますが、そうすることによって社会的な効用の総体は増大するわけです。 さて、このような状況のもとで、かりにメーカーに対し、二ドルで生産されたものであるから二ドルで出荷するようにさせたといたしましても、卸売り業者あるいは小売り業者は仕入れ商品の一部を貯蔵に回し、後日より高い価格で販売することでありましょう。もしそれらの業者に道義的な理由に訴えて、あるいは政府の指導や法律の規制で仕入れ商品の全量を右から左へ二ドルで売させようといたしましても、それを全部の業者に強制することはなかなか実際問題としてできませんでしょうし、かりにできたとしても、消費者が合理的であれば彼らなりに流通業者と同じような行為、すなわち一部を貯蔵に回すということをいたすと思われます。現実的な問題といたしまして、私は消費者によるそのような貯蔵行為よりも、より生産者に近い段階での持ち越しのほうがはるかに合理的ではなかろうかと思うわけです。 その理由といたしましては、まず消費者の多くは情報、貯蔵施設、貯蔵技術などの不足から十分な貯蔵が行なえず、おそらく現在の価格、先ほどの例でいえば二ドルに対応した、結果的に見ればたいへんむだな消費をすることでありましょう。二ドルに対応した需要に対して一部の消費者と、この場合不心得な業者による持ち越し需要が加わるために、需要は供給を上回って品不足が生ずるでありましょう。しかもそのような品不足の苦しみは、すべての消費者に対して一様にあらわれるわけではなく、おそらく朝早くスーパーの前に並ぶ時間的な余裕を持たない家族世帯や、小売り屋とのなじみの薄い消費者には、品不足は一そう強くあらわれることになりましょう。 以上のように見てまいりますと、需要と供給の実勢にさからって価格を凍結しようとすれば、どうしても品不足が生ずるでしょう。しかも消費者や小売り業者の中でも利益が必ずしも一様に分布せず、かなり偏在するという欠陥を持ちます。あるいは需給の実勢に合わせるとしても、遠慮しがちにさみだれ的に値段を上げていくとすれば、かえって消費者や小売り業者の買い占め、買い急ぎ心理や業者の売り惜しみ心理を刺激して、一そうの物不足と一そうの値上がりにつながりやすいと思われます。このような悪循環は一種のパニック状態を引き起こすことになりましょうし、現実にそのような事態が起こっております。 以上で私の問題提起は終わりますけれども、私の発言で触れておりませんことは、たとえば二ドルで仕入れたものを六ドルで売る場合に四ドルの利益が生じますが、あるいは四ドルマイナス一ドルの貯蔵費イコール三ドルの利益が生じますが、これをどのようにするかという点には触れておりません。またメーカーあるいは流通業者の多くは、いわゆる寡占あるいは独占という構造になっておりますけれども、そのような問題が私の申し上げたようないわば完全競争を前提にした議論をどのように修正するかということについては、十分に考えをまとめておりませんし、あるいは皆さんの御質問に答えながら考えていきたいと思います。(拍手)
○平林委員長 次に、高丘参考人にお願いいたします。
○高丘参考人 私は、先ほど御紹介いただきましたときに西友ストアの役員ということで御紹介いただいたわけでございますけれども、本日は二年前まで流通産業研究所で流通近代化の問題の研究活動を行なっておりました立場から、物価と流通の問題について意見を述べさせていただきたいと思います。 私は物価と流通の問題のかかわり合いにつきましては、久保村参考人がおっしゃいましたように、最近の問題点というのは流通機構が悪いのだという御意見がかなり広く行なわれているわけでございますけれども、それよりももっと基本的に、経済運営の基本的な問題点にかかわることが大きいように思います。その点で久保村参考人の御意見とほぼ同一の立場をとるものでございます。 そこでこの問題を考えます場合に、やはり当面の問題あるいは短期的な問題、派生的な問題とやや長期的の問題、本質的な問題とを分けて考えるべきであるというふうに思います。 当面の問題といたしましては、御承知のように原油価格の上昇に伴う価格水準の改定の問題があるわけでございますけれども、それに対しまして現在通産、農林両省を中心に価格凍結の御指導が行なわれております。私は去年の十一月、十二月の段階のことを考えてみますと、やはり価格というものは先見性を持ちますから、あの段階において先取り値上げといわれたものが行なわれたことは事実であると思います。それはいま森参考人が言われたようなことであったわけでございますけれども、しかしそれは現段階においては望ましいことではない。そこで今回の原油価格の上昇が決定的になったときに、どういうふうに価格水準を考えていくべきかということを考えてみますと、先取り値上げをできるだけ防止するという意味において、現在行なわれております行政指導というものは有効に働いているだろう。現在のところ、原油価格の値上がりによる石油製品価格の値上げ決定もされたわけでありますけれども、それがどういう形で広がっていくか。あるタイムラグをもって広がらざるを得ないと思いますけれども、先行き上がるからいますぐ値上げをしようという動きだけは抑制し得ているというふうに評価をいたします。しかしそれらの石油製品価格の値上げに伴って諸物価に影響を及ぼすことは事実でございまして、これにつきましては、流通機構が悪いわけでもないし、要するに国際的な原油価格の値上げということが原因でございますので、ややことし一ぱいというような観点で見て、短期的ではございますけれども、当面の問題——当面ではなしに、ことし一ぱいとして考えるならば、価格水準の改定というものは行なわれざるを得ないだろう、それを行なわないということは不可能であろうというふうに思います。 そこで、さらにもう一つの問題はやや長期的な問題でございますけれども、私は、一昨年の秋以降の日本経済というものはインフレーションについてもかなり新しい段階に入ってきたというふうに思います。昨年の物価の狂乱といわれているような状況というのは、確かに石油問題に大きな影響を受けたということは言えると思いますけれども、しかし日本経済の体質の基本としては、スタグフレーションといわれているような形のものがもう一年半ぐらい前から出てきているのではないか。そういう意味において、長期的な問題は本日の問題点ではございませんので、これ以上触れませんけれども、長期的にはやはりスタグフレーション対策というものを考えない限りにおいて、物価問題の解決はあり得ないだろうというふうに思います。 そこで、流通機構が悪いんだという御議論が非常に広く行なわれているということを申し上げたわけでございますけれども、流通問題とか流通機構といった場合に、どうも概念があいまいでござ います。流通の問題というものをとらえた場合は、やはり市場に参加する者全員の問題として流通の問題はとらえなければならない。つまりメーカーあるいは生産者というもの、それは市場に販売をするということのかかわり合いにおいて市場参加者でございます。それは流通の一翼をになっておる。それから先ほど片岡参考人、久保村参考人もおっしゃいましたような流通専業者の問題があります。もう一つ、消費者の問題があるわけでありますけれども、しかし消費者の行動というものは、必ずしも十分な情報をもって行動するわけではございませんから、ここでこの物価問題のかかわりで消費者を何らかの形で非難するということは、私は若干筋違いであろうというふうに思います。そうしますと、市場参加者というのはメーカー、生産者と流通専業者の問題であろうと思います。その場合に、明らかに、去年の十一月、十二月の段階において、生産者段階において、将来起こってくるであろうコスト上昇というものを見込んで、その時点において価格の上昇を決定するという価格政策をとったということは言えるであろうと思います。そのことが幾つかの経路を経て小売り価格の上昇につながる。その場合に、生産者側における力の増大、市場支配力の増大というものが非常に大きな影響を及ぼしたであろう。ですから、中小企業者の多い、たとえばマッチというような業界をとってみましても、実は中小企業であるがゆえにある程度のカルテル行為が認められているわけでございます。たとえばマッチの場合には、去年の三月からことしの三月までに、一年間に五回も値上げが行なわれております。そういうような形で、市場構造に大きな問題があって、共同行為、そして価格の下方硬直性といわれておるような問題点が流通の参加者としての生産者にあるのではないかと思います。 それから流通専業者の問題でございますけれども、この点につきましては、久保村参考人からいろいろお話があったわけでございますけれども、確かにおっしゃいますように、流通近代化が進められていく過程においてこの問題が起こったということはきわめて不幸なことであったように思います。 そこで、私は特に小売り商業ということを考えますと、小売り商業というのは常に競争的で、いままでもあったし、これからもそうでなければならないと思います。多少古い話になりますけれども、私は銀座の中央通りの商店について若干調べたことがあります。あの銀座の中央通りには、江戸時代から続いておるお店というのは、二、三年前でございますけれども、十三店舗しかございません。あそこには江戸時代から数百店舗の小売り店があったわけでございますけれども、いま残っておるのは十三店舗しかございません。その十三店舗の中でも、江戸時代から同じ品物を売っている商店というのは呉服屋さんだけでございます。そのほかの商店というのは、何らかの形において商品構成を変えていま生業していらっしゃる。そういうことからも明らかなように、どうしても小売り商業というものは競争に打ち勝っていくということが必要でございます。それは消費者のニーズが変わってくるわけでございますから、その消費者のニーズに合わない小売り商業というものは、残念なことではございますけれども、退いていかなければならないという宿命を持っているわけです。そういう意味で、日本の小売り商業というものを考えてみますと、久保村参考人がおっしゃいましたように、小規模小売り商業の価値、流通における役割りというものは高く評価しなければならないし、それがたとえば消費者に便宜を提供する、あるいは消費者の個性的な購買要求に合致しているというようなことで営業されておる限り、十分存続をし発展をしていくものである。ただ、わが国においてやはり欠けておりますのが、規模経済の利益というものを獲得し得るような小売り企業がないということであろうと思います。そしてその規模経済の利益を獲得して、流通コストを最も低く運営をして、安い価格で商品を提供するという小売り商業、小売り企業が諸外国に比べていままだ未発達だということが一つの問題点であると思います。それと同時に、何らかの組織化された小売り企業集団というものもまた諸外国に比べて未発達であるということは、私は何も政府の行政指導というものの浸透力がどうだということで申し上げようとは思わないわけでございますけれども、そういう形の組織的な小売り企業集団というものができてくれば社会的な監視がしやすい。去年の暮れも、砂糖、小麦粉あるいはトイレットペーパーの放出等については、生協、百貨店、チェーンストアなど、組織化された企業を通じて放出をされるという形で、鎮静化に多少の役に立ったのではないかと思います。したがって、そういうことを考えてみました場合に、やはり現在の通産省の政策の中に、最近の問題として価格凍結を御指導になる、いわば緊急政策としての御指導は十分に理解ができますし、あるいは新規建築着工を十二月以降ストップをなさるというようなことも、緊急差しとめ命令的なものとして、当面の短期対策としての意味はあると思うのですけれども、しかしそれはやはり長期的な政策というものなしにそれらのことが行なわれるということは、きわめて残念なことではないだろうかと思います。 そういう意味で、将来の流通構造あるいは小売り商業の構造ということを考えた場合に、やはり今日のようなこういう段階であっても、長期的な構造政策というものを立てて対処をすべきではないだろうか。その場合に、やはり競争の問題というものが、小売り商業の場合にかなり制限的な法体系もあるわけでありますけれども、それは現在の中小商業者との調整の問題は十分ございますけれども、それと同時にやはり将来の流通構造というものを考えていかなければならない。と申しますのは、私は物不足という問題はもはや現段階では解消をしたと思います。したがって、ことし一年とか短期的に見るならば、ああいうパニックの状況が起こるとは思いませんけれども、しかし将来においていろいろな国際的な情勢あるいは南北問題等を考えれば、ある資源がストップされるという可能性はないわけではないわけでございます。その場合のことを考えた場合には、やはり社会的監視のきく流通構造というものを流通構造政策の中心に置いて整備されることが望ましいのではないかということでございます。 それから多少問題が飛びますけれども、私は去年のパニック状況というものを見ておりますと、やはり情報というものがきわめて豊富だといわれていながら、実は適正な情報が何らかの形で欠落をしていたことがあの結果を生んだように思います。その場合に、やはり情報を出し得るものというのは、生産に一番近いところから確実な情報を持っているというふうに思います。マーケッティング活動が盛んになりまして、いろいろな意味の大量広告で情報が消費者に伝達されているわけでございますけれども、あの状態の中で最も必要な情報、数量的な情報あるいは価格の情報というものが、残念ながら生産に最も近い段階から卸売り、小売りを通じて消費者へという形で流れなかった。その結果、先ほど流通、在庫の情報が不足しているというお話がございましたけれども、生産から流通を経て消費者へ渡る情報の不足というものが、私はあの結果を大きくしたのではないか。そういう意味において、これもまた供給者側が、物資の供給責任を持つと同時に、正確な情報を伝達する責任を持つということが非常に重要な問題点であろうと思います。 以上、あまりまとまったお話は申し上げられませんでしたけれども、いずれにいたしましても、私は長期的に見るならば、日本経済全体はかなり新しいタイプのインフレーションの段階に入ったと思いますので、それに対する対応策と同時に、流通近代化の政策というものが今後も短期的に見失われることなく継続をされることが必要であるということを申し上げたいわけであります。(拍手)
○平林委員長 以上で参考人の意見陳述は終わりました。 —————————————
○平林委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山崎拓君。
○山崎(拓)委員 ただいま四参考人から、流通と物価の関連の問題点につきまして御高見を承りましたことを、まずもって感謝を申し上げる次第であります。 そこで、私どもが最も関心を持っておりますのは、今回の物価の非常な高騰の真相と申しますか、基本的な問題点の所在であります。 そこで、ただいまのお話の中にも、流通近代化のおくれ等の御指摘があったわけでございますが、昨年一年間の物価の上昇と、それから昨年の特に十一月、十二月という後半における、石油危機によってもたらされた物価の騰貴とは、少し原因を異にしているのではないかと私は考えておるわけであります。 ずっと一年間、卸売り物価並びに消費者物価の非常に高い率での上昇が続いたわけでございますが、その現象はどういう点に原因があったのか。もちろん過剰流動性の問題あるいは国際物価の高騰の問題等々ございますが、そういう論点ではなくして、生産者コストの上昇、もしくは流通経費の上昇、そういう点にしぼってお考えをいただきましたときに、はたして生産者の段階に大きな原因があったのか、流通の段階に大きな原因があったのか、その点についてまずお伺いをしたいと思います。片岡先生いかがでございましょうか。
○片岡参考人 昨今の、昨今といいますかごく最近の物価上昇につきまして、その原因はどこにあったのかという御質問であろうと思いますが、これは先ほどから各参考人の間から出されておりましたとおり、私自身もいわゆるその責めを流通機構に求めるというのはあたっていない、こういうように思うのです。何といいましても、やはり例のエネルギーショック、それに基づいたものでありまして、したがいまして流通機構の非効率性、こういったものが物価上昇をもたらしていた、こういう解釈は正しくないんじゃないかと思います。 ただしかし、ごく最近の物価上昇を別にしまして、たとえば私の手元にあります資料ですが、昭和三十五年から四十年の間をとってみた場合、その間の物価上昇がどうなっているか。消費者物価の上昇分を一〇〇といたしますと、その場合メーカー価格の上昇分が三八%あるし、それから流通マージン、運賃、サービス、こういうようなものを考えた場合、流通マージンがその間で二八%は責めを負わなくちゃならない、こんなふうな数字が出ておるわけでありますけれども、そういうような数字を見ますと、流通が全く無関係であった、あるいは一〇〇上がるはずのところをたとえば九八に、流通がもし合理化され、近代化されていたならば、押え得る。しかし先ほど御指摘のとおり、流通近代化のさなかに起こった不幸なできごとであった、こういった点から見て、これを流通の責めにするのは当たっていない、こういうように考えております。
○山崎(拓)委員 実は、片岡参考人のお話は、私のこの質問に対するお答えではなかったのでありますが、と申しますのは、消費者物価は戦後ずっと上がってきたわけでありますが、しかし卸売り物価というのは、いわばほぼ安定した状態で推移してまいったわけでありますが、ところが、昨年になりまして卸売り物価が急速に上がった。私は、石油危機以降の先取り的あるいは便乗的値上げ、これにつきましては、いろいろ御指摘ございましたが、国会でもいろいろ指弾があったところでございますけれども、それ以前の卸売り物価を中心とします非常な物価上昇の状態が一年間続いてきたその原因というものは、いろいろいままでいわれてきたのでありますが、その点、流通段階における原因というものがあったのかどうか。もちろん商社の買い占め売り惜しみ等が指摘をされておるわけでございますが、その点について流通段階におけるとがというものを私は聞きたかったわけです。いかがでございますか。
○片岡参考人 御質問は、流通段階——商社を含めて御質問なんでございますか。
○山崎(拓)委員 はい。
○片岡参考人 新聞その他で伝えられておる程度の知識しか私ども持ち合わせておりませんので、はたしてその辺、どの程度の関係があったか、責めを負うべきものがあったかということについては詳しく存じておりませんので、ちょっとお答えいたしかねます。
○山崎(拓)委員 それでは、昨年の十一月以降の問題でありますが、石油危機が発生いたしましてから、石油産業はもちろんでありますが、その他のメーカーにおきましても、一斉に石油価格の上昇を理由といたしまして値上げをいたしたわけでございます。ところが、これが末端の消費者あるいは使用者にいろんな製品が渡ります過程の中で、流通段階でも非常に便乗的な値上げがあったと思うのです。もちろん国会では二月に物価集中審議等をやりました際は、主としてメーカーが呼ばれまして、追及を受けました。しかしながら、主として値上がりをした物資をいろいろ検討してみますと、その流通段階にある人が非常に羽ぶりがいいという状態が生まれておるわけですね。したがって、メーカーのみが今回の石油危機に関連して便乗値上げをしたのか、流通段階に罪はなかったのかという点についていかがでございますか。片岡先生に引き続きお聞きしたいのですが。
○片岡参考人 ある小売り商と消費者の流通ある いは価格の問題につきましての会合が開かれたことがありまして、その席にたまたま傍聴人というような形で出ておりましたのですが、そのときやはり両方からすれ違いの意見が出ておりました。そのときやはり小売り商が申しますことは、常に人件費の上昇である、この人件費の上昇を考慮するときに値上げをせざるを得ないのだ、こういったことが繰り返し主張されました。問題は、人件費の上昇ということはこれはもう事実だろうと思うのです。そこに、何といいますか、水増し分があるかどうかは、これは経営の中へ入ってみませんと私どもにはわからぬところでありますが、その人件費の上昇分を吸収するような、流通における技術の改善といいますか、こういった点について、私どもがはたで聞いておりまして感じましたのは、くふうが足りない、あるいはそういうくふうをする能力というものがはたしてあるんだろうか。たとえば石油屋さんが各戸に石油を配達しなくちゃいかぬ、人手を食う、人件費が上がる、それをどうしてもこれだけ上げてもらわぬとやっていけないんだ、こういうお話がありましたのですが、問題はそういう配送なら配送という面をシステム化するといいますか、合理化するくふうというもの、これがどうも十分ではない、そんなような感じを受けたことがあるのです。そういう意味においては今後改善の余地が期待されるし、またそういうものが今後出てこなくちゃならぬだろう、こういうふうには思うのでありますが、はたして便乗的なものがあったかどうか、これも私ども新聞その他を通じて知る以外に、調べて確たる事実をもって申し上げるそういう資料が全くございませんので、お答えいたしかねるのであります。
○山崎(拓)委員 それでは、高丘参考人にその点についてさらにお伺いをしたいんですが、今回建築資材あるいはその他の物資について、石油関連製品はもちろんでありますが、非常に石油危機を材料にいたしまして値上げが行なわれました。この中にはもちろん原価の高騰もあったと思うのですが、しかし流通段階でメーカーの値上げ分をそのままスライドして値上げするんではなくして、さらに利ざやを大きくしまして私は値上げした傾向が強いと思うのです。それは私はここに具体的な実例をあげてお話しをいたしませんけれども、流通機構そのものにやはり問題があるんではないか。メーカーがそういうふうに指導したのか、あるいは流通業界、流通業者が恣意的にそれをやったのかわかりませんが、やはり商品のこのチャンネルに非常に問題があるという感じがするのでありますが、いかがですか。
○高丘参考人 流通業者と申しましてもいろいろなタイプのものがあると思います。全部流通業者が白だということを申し上げることはもちろんできないと思います。ただ御承知のとおり、おととしの秋ごろから建築原材料を中心として卸売り価格の値上がりが起こり、そしてさらに去年に入りましてから、原綿、原毛等あるいは小麦等の穀類の国際的な価格が非常に値上がりした。それは日本の原材料購入が非常に大きくなったことが一つの原因であるともいわれておりますけれども、しかし穀類等については、御承知のとおり共産圏諸国の買い付けが非常に多くなるというような原因があったわけでございますね。そこで、実は去年のたとえば繊維で申し上げますと、去年の原綿、原毛が非常に高騰した分の生産は実はことしの春夏ものの原材料でございます。したがって、秋冬ものについては、本来関係がなかった。しかし、すでに手当てした原綿、原毛の価格が上がっているということから、去年の秋冬ものにつきましても、確かにコストの安い原綿、原毛であったけれども、そこで先取り値上げが行なわれたというような形で、メーカー段階の市場支配力の増加等に伴って、メーカー段階の値上げが非常に大きく寄与したということは事実であろうかと思います。 そこで、流通段階は、さらにそれに便乗して値上げをしたのかという問題でございますけれども、たとえば砂糖というような物資をとって考えてみますと、いままでチェーンストアでは、一つの目玉商品であったわけですね。したがって、月に二回ぐらい目玉商品にそれを採用して、販売促進の手段にしておった。その段階では、マージンはきわめて薄い、あるいは原価すれすれぐらいで売っていたわけでございます。したがって、一キロの袋が大体百円以下である。消費家庭というものは、四人家族で大体二キロ、月に砂糖を消費する。したがって、二回廉売をいたしますと、それを一回に一袋ずつ主婦の方がお買いになれば、大体それで間に合う。こういう構造であったわけでございます。ですから、チェーンストアにおける店頭では、廉売をしない日の砂糖の売り上げというものは 一店舗で二十袋か三十袋しか一日に売れない。それが廉売すると二千袋、三千袋売れるというような商品であったわけですね。ところがああいう砂糖についてのパニックの状況が起こった場合に、価格を低く、安く売り続けるにも商品供給が間に合わない。さらに異常な気に入りやすい安い価格で売りますと、かえって店頭で混乱をするというような状況が出てきた場合に、砂糖の相場の上昇に伴って、従来よりも多少マージンを高く、市価を勘案しながら売らざるを得なくなったという実態はあったと思います。それがチェーンストアのとった行動だろうと思います。したがって、その辺で、マージンが多少増加をした点につきましては、チェーンストア協会の加盟各社は、それを消費者に還元するというような意味において、一月以降、各社は、それぞれ独自の判断で値下げを行なうことによって、そこで多少マージンが多く入ったものについては、消費者に還元しようという行動をとったのだと私は思います。 そこで、一般小売り店の場合でございますけれども、一般小売り店の場合は、いろいろな行動をなさって、これは一がいに言えないと私は思いますが、いろいろな行動をなさった小売り店がある。たとえばトイレットペーパーの例でいえば、通産省が、スーパーでは二百円以下で、一般小売り店では二百二十円以下ぐらいで売ってくれという指導を去年の十二月にされたわけです。その段階でも、やはり店頭からは、商品が一般小売り店では消えたところがかなりある。そして顔見知りの常連のお得意さんにトイレットペーパーはないかと聞かれると、奥から出して来て、それが三百五十円、四百円という値段で売られる。 そこで、一つ非常に問題は、消費者にとって、三百五十円でも四百円でも供給してもらえるほうがいいのか、スーパーへ行って、朝早く、寒いのに三十分も一時間も並んで、二百円で買うということがいいのかという問題点があるわけでございますね。そこでチェーンストア等は、おそらくできるだけ低い価格で売ろうという努力はしたと思いますし、メーカーに対しても、価格の値上げをできるだけ抑制するような交渉をしたわけでございます。しかしそうすることによって、供給が得られない、供給し続けられないというような状況が十二月の段階には一部出てまいりました。その結果、どうしてもああいう状況のもとにおいては、やはり物を持っておるほうが強い、供給者側のほうが強いという条件があったために、それからまた久保村参考人もおっしゃいましたように、まだチェーンストアにそれだけの力もないというような感じもあって、メーカーの先取り値上げを抑制するだけの力にはなれなかったというのが実態であろうというふうに私は思います。
○山崎(拓)委員 先ほどの久保村参考人のお話の中に、流通機構の近代化のさなかにこのような不幸な物価問題が起こったという御指摘がございました。昭和三十年代には、メーカーの流通近代化があった、昭和四十年代は、チェーンストアの発展が見られた、こういうお話でございましたが、そこで今回の物価の値上がりを見ておりますと、特に生産財について見ておりますと、メーカーが流通機構並びに市場を非常に強く支配しておる生産財、それと従来のような問屋制度が今日もなお残っておる流通機構、両方ございますが、このいずれの段階におきましても、非常に値上がりをいたしております。流通近代化は、いわばメーカーの市場支配を通じて、御指摘のように、昭和三十年代は進んできた、私はこう思うのでありますが、しかし今回の値上がり状態を見ておりますと、やはりメーカーが市場支配をしておることによる弊害も如実にあらわれておる。また同様に、従来の問屋制度の残っておる生産財につきましても、やはり非常に大きな値上がりがあっておりまして、先ほどまで私が申し上げておりましたように、問屋も石油関連あるいは建築資材等の問屋が中心でございますけれども、非常に大きな利益を今回あげておるのですね。流通近代化というけれども、はたして物価抑制のために、あるいは適正な価格で消費者に販売されるための流通近代化というものが今日までなされてきたのかどうか、そういう方向に向かってきたのかどうかということについて、私は非常に、主として生産財につきまして疑問に感じておるわけです。もちろん商社の問題もございますし、どういった流通機構がいいのか、御意見があれば、お伺いしたいと思うのです。
○久保村参考人 先ほど申し上げましたのは、消費財を頭に置いて申し上げたわけでございます。消費財については、流通近代化が進んでまいりますと、メーカーブランドの商品、それから卸主宰に連鎖店のブランドの問題、小売り協同連鎖店のブランドの問題、それから消費生活協同組合のブランドの問題、その間に激しい経路間競争が行なわれることになるわけでありますが、そういう激しい経路間競争が行なわれます場合には、その競争によってチェックされる、どこかの部分の恣意的な値上げが押えられると思うのですが、現在は、残念ながらまだその段階に来ていないと思います。ただ、メーカーについても、メーカーはある程度——ことに市場支配力の高いメーカーの場合には、値上げを考慮、自制していたんではないか、そういうふうに新聞の記事を見る限りでは考えられるんですけれども、管理価格が一時非常に騒がれましたけれども、昨年以来は管理価格よりもむしろ競争価格のほうに問題があった。競争価格の場合には需給関係だけで価格は動きますから、生産財についてはむしろその競争価格として需給関係によって大きく動いていく、そういうふうに考えられます。
○山崎(拓)委員 きょうは商社についてお話がなかったのでございますが、森参考人にお伺いをいたしますが、私、昨日中央公論を読んでおりましたら、公取が出しました総合商社に関する調査報告というのが出ておったわけであります。公取の報告によりますと、商社の果たしている役割りというものを一応高く評価しておる、こういうことでありますが、総合商社は非常に情報力あるいは特に金融力を持って流通を支配しておる。特に最近になりまして、貿易面のみならず国内のマーケットに対する支配力を非常に強めておるわけです。この商社の役割りというものを流通近代化と結びつけて考えられるのかどうか、この点について御意見を聞きたいと思います。
○森参考人 まず私、商社のことを詳しく存じませんけれども、木材について四十七年の十月、十一月、十二月にたいへん高騰いたしました。大体三カ月に二倍ぐらいになったわけでございますけれども、そのときに商社の果たした役割りというのがいろいろ論議されたわけでございます。そのことを多少念頭に置きながらお答えいたしたいと思いますけれども、私は、あの際商社がたいへんもうけたわけですけれども、これは意識的に恣意的な操作によってもうけたというよりも、実は商社がたいへん情報機能が粗末であったために結果的にもうかったということじゃないかと思うのです。すなわち商社は、四十七年の後半にあれだけ景気が急速に回復する、したがって建築需要その他が非常に大きくなるということを見通せなかった。第二に、供給地においてあれだけ自然保護その他の観点から供給がきつくなるということも見通し得なかった。そのために十分な荷の確保を四十七年の前半から中ごろにかけて行なっていなかったために、たまたま品不足が起きてもうかってしまった。もうかったためにあわてて産地で強引に買い付けをした。その結果として、御承知のように木材、製材の価格についていいますと、四十七年の九月に一一一であったのが四十七年の十二月には二〇六、四十八年の一月に一九二というふうに上がってかなりもうけたわけでございますけれども、ところが御存じのように、昭和四十八年の四月にはかなり低落をし始めて、四十八年の六月には一五三になっているわけです。明らかにあの際にはどの商社も、特に乗りおくれて買い付けた商社は損をしておるわけです。そういうことを見てみますと、必ずしも商社が非常に強い正確な情報力を持って、しかも強い市場支配力を持ちながら恣意的に金もうけをしているというふうには思えない。その点については原毛についても言えますし、木綿についても言えるように思います。ただ、おそらく言い得ることは、大手の商社がかなりのシェアを持っているものについては、特に国際商品について国際市況が崩落して下がるべきときにもかなりの下ざさえをするように彼らの市場支配力が作用しているであろうということは、ほとんど疑いなく言えるのではないか。しかし、そのことについて確たる物的証拠を差し上げるわけにはいかないというふうに思っております。
○山崎(拓)委員 最後に久保村参考人にお伺いをいたしますが、私は今日の非常に激しい物価騰貴の原因は、もちろんメーカーの値上げもございますが、やはり流通段階にも問題があると考えておるわけです。ただ、御指摘がございましたような小売り段階における原因というものは、私はきわめてウエートが低いと思います。むしろメーカーから小売りに至るチャンネルにいろいろ問題があるのではないかという感じを持っておるわけです。特に、現在の流通機構は非常に零細である、あるいは情報収集力がない、あるいは十分な資金力を持たない、そういう問題がいろいろあるわけです。しかし情報力を持ちしかも資金力も持っている、あるいは生産性を高める力も持っておる商社が大きく国内の流通に介在をして、むしろ物価が上がった原因となっているということを考えますときに、いわゆるメーカーから小売りあるいは消費者に至る流通機構というものをどういうふうにやっていったらいいのかという点の問題提起、御提案をぜひいただきたかったと思っているわけでございますが、久保村先生いかがでございますか。
○久保村参考人 いま御指摘がございましたように、流通問題で特に重要なのは消費財よりもむしろ生産財であろうかと思います。もちろんインスタントラーメンからミサイルまでございましょう。商社は非常に広い範囲で出ておりますから、消費財の流通についても関係をしておりますけれども、この場合には単なる金融機能を果たしている程度で、物価については影響がない場合が多いのではないかと思います。個々に見てみますとあるいはあるかもしれませんけれども、一般論としてはないと思います。生産財の場合にむしろ商社の介在が問題にされる場合があると思うのですけれども、これについても私、具体的な例は存じませんが、一般論としてはこういうことが言えるのではないかと思うのです。それは、よく寡占産業ということがいわれますけれども、そして主としてメーカー段階についていわれるのですけれども、流通段階についても寡占ということはあるわけでして、商社のような大きな力を持ってマーケットに出ていきますと、その市場においては、すべてではございませんが寡占状態になる場合もあると思うのです。そうしまして、これもまた一般論ですけれども、競争において集中度が高ければ高いほど、あるいは寡占度が高ければ高いほど、最大利潤の追求ではなしに適正利潤の確保を目的としなければいけない。これは一般論でございますが、商社が生産財の流通に出てまいりまして、その取引において大きな力を持っております場合には、それに応じて適正利潤でいくようにしなければいけない。その辺のけじめが非常にむずかしい。どこまでは一般の商品と同じ最大利潤の追求をするか、どの辺からは適正利潤に切りかえなければいけないか、その辺であるいは混乱があったのではないか、そういうふうに私感じます。これは具体的なデータではございませんで、一般論として感じるのでございます。お答えになりましたでしょうか。
○平林委員長 加藤六月君。
○加藤(六)委員 きょうは参考人の皆さんの非常に貴重な御意見を拝聴さしていただきまして、まことにありがとうございました。われわれは流通機構問題を解明し、これを研究していくことによって物特委として物価にどういう貢献ができるかということで、先生方の御意見を承ったわけでございます。 一つ承りたいと思いますのは、いろいろ先生方の御意見で、流通過程に対する原理原則あるいは方法等お教えいただいたのですが、こういう過程においてかりに消費物資だけに限って見ていきます場合に、メーカーから出た品物が消費者に渡る過程の御意見等はいろいろ承ったわけですが、一体どこの段階において、消費財が、生産せられたものが、一定の貯蔵、ストックというものがあるのが一番いいだろうかという問題が一つあるわけでございます。そしてまた、私たちがいままで勉強をしておる過程におきますところのいわゆる各種倉庫の物価に及ぼす効用といいますか、方法という問題、これはメーカー段階の倉庫がいいのだろうか、問屋段階の倉庫がいいのだろうか、これはもちろん輸入資材についても同じように言えるわけでございますけれども、そこら辺について、実は営業用倉庫と自家用倉庫、あるいは大蔵省所管の各種保税関係倉庫というものから、倉ばしけ、そういった問題について去年からことしにかけて精力的に調査し、勉強もしておるわけなんです。 片岡参考人にお伺いしたいと思うわけですが、流通のおくれの関係、いろいろ御説明いただきまして、私たちも非常に参考になったわけです。倉庫というものの効用と、それからもう一つは、いま申し上げましたように、国民生活の安定と物価の安定のためには一定のストック、貯蔵というものは必要だと思うのです。それは投機とか売り惜しみ、買いだめという立場でなしに、精神的にも、また実際経済的にもそういうものが必要だと思うのですが、どこの段階においてそれはストックされ、貯蔵されるのがいいだろうか。消費者の立場に立って考えた場合に、どこの段階でそれが確保されるのがいいだろうかということを、片岡参考人、久保村参考人にちょっとお教えいただきたい、こう思うわけでございます。
○片岡参考人 これは商品によって、同じ消費財でありましても一がいに言えないかと思うのですが、私がいろいろ聞く範囲におきましてお答えするしかないのですけれども、たとえばついこの間まではメーカーが北海道、仙台、東京、名古屋、大阪というようなぐあいに全国に支店を持っておりまして、それぞれの支店で相当の商品在庫を持っておった。ところが、最近になりますと、これはたとえば医薬品の場合でありますが、医薬品のメーカーなんかに聞きますと、そういう各支店にすら在庫を持たす必要はない、おそらく東京あるいはせいぜい大阪ぐらいに在庫を持つだけで、注文が問屋さんからあれば問屋さんに対して一日ぐらいで届けることができる。そういうわけで、各支店が在庫を持つということは必ずしも好ましいことではないので、そういうような方向に切りかえてきておる、こういうような話を聞いております。これはしかし、医薬品のように非常にかさが小さくてしかも値段が張る、こういったものについての特別の例かと思われます。 しかし今日、今度は消費者の観点からしますと、現実問題として問屋さんのレベルで在庫を持つ、こういう形が一般化してきておるのであろうと思うのです。また、今日の日本においては卸が、先ほどもちょっと申し上げましたように相当の数あります。それだけに、小売り店にかなり近いところにロケーションをしておるわけです。そうなりますと、小売り店の段階で在庫を持つことによって十分商品の供給をまかなっていくことが可能である。しかも小売り屋さんの段階において、御承知のとおり昨今非常に新製品相次ぐというような状況で、扱う商品種類が非常に多くなってまいります。そうなりますと、それぞれの商品について相当量のものを小売り段階でストックするということは現実的に不可能になってきておる、そういったことが問屋さんに在庫をかなり持たせるという形になっておると思うのです。これはお答えになっておるかどうかわかりませんが、そんなような実情のようでございます。
○久保村参考人 片岡参考人の御意見で尽きておるわけですけれども、一般論としてメーカーが強い場合にはメーカーがだいぶストックを持つ場合がありますし、メーカーが中小規模の場合は問屋でストックを持つことになると思います。メーカーがストックを持つ場合にどの地点でするかは、流通生産性の立場から、一番物流コストの安い地点、従来はメーカーがストックを持ち、卸がストックを持ち、そしてまた小売りも多少持ったわけですけれども、それでは流通コストが高くなるというので、卸のストックを減らして、メーカーが消費地にストックポイントを設ける場合もありますし、まちまちだと思います。 ただ、物価との関係で問題になりますのは、その流通在庫をはっきりとどこかでつかんでおればよろしいと思います。メーカーが系列化しております場合にはメーカーがつかんでおると思うのですけれども、そうでない場合の流通在庫をどこでしっかり把握をするか。これは先ほど私たち申し上げたのですけれども、政府で何かの方法でつかまなければいけないのじゃないか、そういうふうに考えております。
○加藤(六)委員 わかりました。 そこで、先ほど私御質問申し上げました内容がちょっとぼけたと思いますが、そういう過程における倉庫というものの役割りですね。ずいぶん新聞記事に出て、倉庫が物隠し、売り惜しみ、買いだめに使われておるということ等で私たちもだいぶん勉強して歩き、あるいはまた保税関係の横浜税関関係の中も視察して歩くというかっこうをとったわけですが、その中には、先ほど申し上げましたように、倉庫業法に基づく倉庫というものと、お百姓さんが納屋を建てると同じ気持ちで倉庫を非常にたくさんおつくりになっておられる。そこへ物が入りますと、営業用倉庫の場合には内部にあるものが相当把握できるわけですが、自家用倉庫のほうへぐるぐるっと回ってメーカーか問屋か、あるいは中問屋かわからぬところから入ってしまった場合に、それの把握のしようがないところに一時期における私たちのいら立たしさがあったわけです。 それで、高丘さんにお伺いするのはおかしいと思うのですけれども、きょう参考人に来ていただいたのは西友ストアーという立場ではないのですが、たとえば西友ストアー等が倉庫をお使いになる場合に、相当の品物が毎日毎日入ってき、毎日毎日出ていくと思いますが、そういう場合には倉庫の立地条件あるいは営業用倉庫と自家用倉庫というものについて、何かこういう直接流通に関係される方々が、それに対しての意識というものが、わが社は、われわれは営業用倉庫を使って、常に物というものの流れを役所や国会や政府が把握されてもいいんだという立場の考え方で営業用倉庫を使われる場合と、そうでなくして、営業用倉庫が足りぬから自家用倉庫を使うんだという立場、いろいろの問題が出てくると思うのですが、高丘参考人の立場から考えられて、倉庫というものはどういうかっこうであるのが一番いいとお考えなんでしょうか。純粋の流通部門における、物隠しに使われない倉庫という立場でもかまいませんが、お考えをお示しいただきたい、こう思うわけですが……。
○高丘参考人 日本の小売り業は、ほとんど百貨店にしてもチェーンストアにしても、あるいは中小小売り商業者にしても、ストックを持たない小売り商業者なんですね。百貨店の場合は売価、原価の決定から商品供給が、これは問題点はあるかと思いますけれども、ほとんど卸売り業者以上、問屋以上ということになっております。チェーンストアの場合には、かなり大手のチェーンストアの場合は、メーカーとの間に年間数量契約をするのが通常でございまして、そしてそれを週に二回というような形で計画的に納入をしてもらう。しかし、多数の店舗を持っておりますので、それを分化をしなきゃならない。そういう意味の流通センターを多く持っているわけでございますけれども、それは多くても二、三日分の実は在庫で回転をしているだけでございまして、ほとんど営業倉庫あるいはその他の倉庫を利用するという形はないわけでございます。 それから中小小売り店につきましては、現在問屋さんの配送機構が非常に低下をしてきておりますので、毎日そのつど少量を配送してもらうということがなかなかできにくくなっております。そういう意味で、若干のストックを持たざるを得ないという条件が出てきておりますけれども、小売り段階でストックを持つほどの資力はないのが一般でございます。したがって、大体いま倉庫を利用していらっしゃるのは、まあ大メーカー、商社等の卸売り業者。 ただ、倉庫とか冷凍冷蔵庫というものが物価問題にどういう影響を及ぼすかということでございますけれども、実は、私は森参考人と一緒に物価安定政策会議で魚の問題について少しやりましたときに、やはり産地段階における冷凍冷蔵庫等が整備されるのは、ある意味では好ましいことではあるけれども、その反面、しかしそれによって入手期間のコントロールができるようになるという意味においては価格の支配力が強まることは、私は事実だろうと思います。ですから、鮮魚等につきましては、たとえば冷凍イカというものについては卸売り業者だけではなしに、むしろ何と申しますか、商品市場に参加をしていらっしゃるようなセミプロ的な個人投資家みたいな方が、実はそういうものである投機をなさる方々もいらっしゃるわけですね。それはやはりそういう冷凍冷蔵庫というようなものが産地あるいは築地等にある場合においては、それはそういう道が開けるという、冷凍冷蔵庫、倉庫等を充実させるとそういう逆の効用も出てくることは事実であると思います。そういう意味で、久保村参考人がおっしゃいましたように、その倉庫に保蔵されている商品、流通段階の商品量に関する情報というものをどういうふうに整備をされるかということが、私は一番の問題点であるというふうに思います。
○平林委員長 この際、午後一時三十分まで休憩いたします。 午後零時二十五分休憩 ————◇————— 午後一時三十三分開議
○平林委員長 休憩前に引き続き、会議を開きます。 質疑を続行いたします。井岡大治君。
○井岡委員 参考人の各先生方には、たいへんお忙しいのにいろいろお教えをいただきまして、まずもって厚くお礼を申し上げたいと思います。 午前中の参考人の各先生方からは、流通の近代化ということを一様にお話しいただきました。先ほど同僚の加藤委員が質問をいたしておりましたが、私たちもいろいろなところを見て回りました。そこで、一番問題になるのは、輸入品目は昨年に比較いたしましてことしは二〇%ぐらい多く入っているわけでございます。それが末端には品不足を来たしておる。こういうことで、流通の過程を何とか改善をしなければ物資の流通というものが円滑にいかないのじゃないか。たとえば一例をとってみますと、ここに、朝、横浜の保税倉庫の資料をいただいたわけですが、これなんか関税法では滞留期間を大体一カ月と規定しております。そして、三カ月以上になりますと政府がこれを競売に付することができるようになっておりますが、ひどいのになりますと、横浜の保税倉庫を見たときに、一番古いのはたしか昭和四十六年だったですね、四十六年に入った品物が依然として保税倉庫の中に滞留している、こういう状況があるわけです。そして、考えられることは、法律では三十日ということ、そして十五日の余裕期間を持っている、こういうことでございますから、その三十日から四十五日の間に荷主の名前がかわるわけです。たとえば最初の荷主が井岡大治でありましたら、その期間が来ますとこれが今度は平林にかわる、こういうふうにかわっていくわけです。少なくとも流通というのは、私はそういうものじゃない、流れていくものだ、そういうことで、何とかこれに手を加えない限りいけないのじゃないか、こういうように思うのですが、まず最初に片岡先生にお願いをいたしたいと思います。こういう問題についてどう変えたらいいか、何かお考えがありましたらひとつお教えいただきたい、こう思います。
○片岡参考人 実態についてあまり詳しく知りませんもので、いまお話を伺っておっての単なる思いつきでございますが、そのような形は確かに正常な姿でないことは言うまでもありません。問題は、そういうイレギュラーな形がどうやって、何が原因になって出てきているのか、こういうことを解明しなければ適切な答えというのは出てこないだろうと思うのですが、やはり一つは、想像いたしますのに、いわゆる輸入したものの思惑の誤り、こういったものもあるいはあったかもしれない。あるいはファッションの変化によって売れ行きが落ちたものを引き取ることができないで、他にこれを依頼したというような場合もあるのかもしれません。しかし、そういうようなことか原因であれば、そういうための手だてというものはまたおのずから原因が明らかになりますと出てくると思うのですが、きょう午前中からいろいろ議論されておりますように、確かにさしあたっての対策としていろいろな対策というものがあるだろうと思うのですが、私ども常日ごろ考えておりますことで一番問題になりますのは、やはり流通参加者たちの意識の問題、これを根本的に再教育というのでしょうか、意識が変わっていく、こういうようなことが必要じゃないか。小売り業に対する、あるいは卸売り業に対する意識の改革を求めるような運動、動きというものは、戦後今日までほとんどなかったと言ってよろしいように思うのです。昨今、たまたまこういうような物価狂乱というようなことを契機といたしまして流通にかなりスポットが当てられるようになってまいりましたが、それまでは、戦後二十数年間ほとんど流通業は顧みられることがなかった。したがいまして、意識の改善というような問題も、そういうような声も出てこなかった。これは長期的な問題でございまして、さしあたっての問題の対応としてはなまぬるいということになると思いますが、やはりその辺が一つ長期的な問題として考えられていくべきであろう、こんなふうに思っております。
○井岡委員 私たちもこれは単なるモラルの問題だけでなしに、何とか法の規制をしなければいかぬのじゃないか、こういうように考えるわけです。これは何とか規制を考えなければ、モラルの問題に依拠してやっておるには最近の商業道徳というものがあまりにも地に落ちたような気がしてなりません。そこで高丘参考人は直接物資をおあずかりなさっておいでになりますからそういう実態をどういうように、私たちは何か規制をしなければいけない、こういうように考えるわけですが、その規制をすることが流通の上にいい結果をもたらすだろうか、あるいは悪い結果が出るんじゃないか、こういうことについてお聞かせいただきたいと思うのです。
○高丘参考人 私は、基本的にはあまり規制を行なわれるという御意見には賛成しかねるわけでございますけれども、しかし昨年来の事態のようなことになりますと、午前中にも申し上げましたように、私は、正しい情報を消費者に提供していく、あるいは利用者に提供していくということは社会的責任であろうと思います。そういう意味におきまして倉庫の御調査等もなされましたことを新聞等で拝見をいたしておりますけれども、常時卸売り業者、商社等を含めまして、あるいは小売り業者は先ほども申し上げましたように多くの在庫は持っておりませんけれども、もしも必要であるとするならば在庫についての報告をさせるような義務づけをなさる。それは現実には実際のたなおろしをしてみませんと正しい在庫数量はつかめませんけれども、しかし帳簿たなおろしによりまして大体どのような商品群、これも個別の単品でなかなか在庫量を把握することは実はいまの営業の仕組みではむずかしいのでございますけれども、たとえば石けん、洗剤類というようなことでの総量どのくらいの在庫を持っておるかというようなことならば卸段階でも小売り段階でも帳簿のたなおろしでできるはずでございます。そういうようなものについて情報提供の義務づけをされるというようなことは適当なことではないかと私は思います。ただ御質問にはずれるかもしれませんが、たいへん恐縮でございますけれども、現在の幾つかの規制、価格に関する規制あるいは建築に関する規制等が行政指導によって行なわれておりますけれども、価格安定というもの、品不足で値段が上がったときに有効な手段が打たれたという例は過去においてもなかったように私は思います。これは非常にむずかしい問題だと思うのです。そういう意味において現在の政策が現状維持的な政策しか行なわれていないということに不満を持つわけてございます。やはり将来を展望をして商品供給の、まあ物不足時代ということでございますので、あるいは資源の有限性ということがいわれている時代でございますので、非常にむずかしい問題があろうかと思いますけれども、やはり供給を増加させる努力、あるいは競争条件を整備させる努力というような長期的な前向きの政策がこの段階でもとられることが必要なのではないだろうかというふうに思います。
○井岡委員 もう一度お伺いいたしますが、主として輸入品目は関税で幾ら入ったということがわかるわけです。それが消えてしまうわけですね。ここにやはり問題があると思うのです。あるいはまた関税手続をとらないいわゆる倉ばしけということで本船からおろしてきて、はしけを倉庫代用にしておるわけです、そうして関税手続をとらない、こういうところにやはり問題がある。したがってこれは私は単にモラルの問題として解決をするのでなくて、私自身もそんなに規制規制ということについては賛成ではありません。ですから暮れの生活安定法を審議するときに、これは恒久法じゃないか、時限立法にしたらどうなんだ、こういうことを政府に迫った経緯等もありますから、規制規制ということはあまりなにする気持ちはありませんけれども、そういうことを平気でやる、ここに私はものの値上がりの大きな原因があるように思われてならないのです。ですから第一次、第二次卸、第三次、多いのになりますと七つぐらいあります。これを近代化ということでお話しなさっておりますが、こういう姿でいいのだろうか、こういうように思うわけですが、この点いかがでございましょう。
○高丘参考人 輸入物資あるいは特に食品関係の輸入でございますけれども、これは農林省のほうでいろいろな御政策がおありかと思いますけれども、私はできるならば実需者に輸入割り当てをしていただくことが望ましいと思うわけであります。たとえば牛肉等につきましてもわれわれ要するにチェーンストアならチェーンストアに輸入割り当てをしていただくというようなことになりますと最も短い経路であると同時に、おっしゃいますとおり輸入量も明らかであり、かつ販売量も明らかになりますので、その辺のことはなくなるのではないだろうかというふうに思います。 それから同じレベルで横に流れるという問題がございますけれども、これは小売り段階ではそういう問題はほとんど起こらないと思いますけれども、卸売り段階になりますとやはり品不足ということが明らかになり、かなり価格の高騰が出てまいりますと、どうしても横に同一レベルで商品が移動するということは過去においても仲間取引と称しましてたくさんあったわけでございます。その辺のところは結局価格の先行き見込み、需給の条件というものが大きく影響いたしますので、現段階でそれを規制をするということは非常にむずかしい。したがって結局物資の需給の基本的な問題を解決せずに卸売り段階の仲間取引を絶滅をさせていくということは非常にむずかしいことではないか、こういうふうに思います。
○井岡委員 森先生にお伺いいたしますが、持ち越し方法としてやる場合、私たちは冷凍倉庫あるいは低温倉庫、こういうものをやかましくいっているわけですが、この場合、生産地と消費地両方に持つ必要があるのじゃないかというように実は考えるわけですが、この点はいかがなものでしょう。
○森参考人 まず産地だけに持つということになりますと、消費地のたとえば量販店あるいは卸売り会社等もそこに買いつけて入れることも可能ではありましょうけれども、やはり地理的に近い人が利用するほうが多くなりがちであろうと常識的に判断いたしますと、ある段階の流通業者のみがそういう備蓄なり貯蔵をするということは競争条件から見て必ずしも好ましくない。そういう意味では、産地の業者がある程度思惑で高値を期待しながら必要以上に多く備蓄をしているときに、消費地にそういうものを持っている量販店その他が放出をすることで値段をさませば、彼らとても貯蔵がただではございませんから放出せざるを得ない。こういうことになりましょうから、競争条件の観点からしていろいろな人が利用できるように整備しておくということは望ましいのではないか、こういうふうに考えております。
○井岡委員 消費地に結ぶ場合、私たちは主として単に流通業者というものにまかすべきでない、こういうように考えている。たとえば東京とか、あるいは名古屋、大阪、こういう大消費地は、国、消費都道府県、そして経験者、こういうような方々を一体とした何らかの組織をつくってそこに持っていく。たとえば昨年非常にサンマがたくさんとれました。それを生産地だけにまかしておきますと輸送の限度というものがありますし、そのために向こうではなにをする。だからこれをどんどん消費地のほうに送っていく。そうすると値くずれもあまりしないわけですから、そのほうが生産者としては意欲も持たれることでありましょうし、同時に消費地における価格の安定ということにもなるんではないか、こういうように思うのですが、この点についての御意見がありましたらお聞かせいただきたいと思います。
○森参考人 国あるいは地方自治体がいわば商取引の分野にあまり深く入り込むことは必ずしも望ましくないのではないか。商取引というのは必ず危険が伴いますし、その危険をある一種の利潤動機で裏づけてやらないとなかなかスムーズな需給の安定にはつながらないんじゃないか。そういう意味で利潤動機が許されない国あるいは自治体がそういうことをあまりおやりになるのは望ましくないのではないかと思います。そこで、できるだけそういう施設その他、たとえば生協であったり、量販店であったり、先ほど来お話しになりましたボランタリーチェーン、そういうところにかなり安い価格で、しかも制度的にもたやすく利用できるようにしてあげる、あるいは補助金を出すということのほうが望ましいのではないかというふうに思っております。しかしながら、ある緊急な事態においては当然おやりになるのもけっこうだと思います。
○井岡委員 私の聞き方が悪かったのですが、冷凍倉庫などは非常に巨額の資金が、つくるために必要なわけですね。それに国なり地方公共団体が援助する、そしてその運営をどうするかということについては別の方法で考えたほうがいいのじゃないか、こういうようにお尋ねするつもりだったのですが、舌足らずで恐縮でした。 そこでもう一点。ちょうど大蔵省お見えになっておるようですから、大蔵省にこの機会に輸入品目についてお伺いしたい。 横浜税関、それから大蔵省からいただいた資料によると、保税地域における滞留物資、こういうものが非常にたくさんあるわけですね。いろいろ御指導なさっておいでになるようですけれども、こんなに物資というものが滞留して、そこで名前が変わっていく、これは仲間取引ということらしいですが、そういうことは流通の過程で非常に弊害があると私は思う。したがって、大蔵省としては関税法の改正というようなことをお考えになっているかどうか、この点ひとつお伺いしておきたいと思います。
○齊藤説明員 物特委に資料として提出いたしました保税地域の蔵置貨物の統計がございますが、これによりますれば、保税地域にございます在庫貨物の総量というものは、保税地域に搬入されあるいは搬出されております量と大体バランスのとれたものではないか、総量的にはそのように考えております。先生御指摘になりましたように、中には長期に滞留するものもございますので、税関としては、このように正当な理由がなく長期に滞留する貨物につきましては、個々に行政指導をいたしまして、理由がなければ保税地域をあけてくださいという指導をいたしておる次第でございます。 保税地域にあります間に、先生ただいま御指摘になりましたような名義の変更等がございますけれども、名義の変更そのものは、保税地域、大体倉庫とか上屋の中に貨物を置いたままで所有権を移転するというような取引がなされますこと自体は、むしろその取引に伴って貨物を動かすコストを節約するという意味ではかえって、一々貨物を動かさなければ取引が達成しないという制度にするよりも流通のコストを引き下げる要因になっておるのではないかと思われます。私ども税関といたしましては、長期に滞留いたします貨物は、滞留している期間の間に荷主が名義変更いたしましょうとも、あるいは貨物の所有権が変わりましょうとも、搬入後どれくらいの期間がたったか、大体横浜税関等におきましては三カ月を目途にしておりますので、三カ月の期間の間に名義が変更しようとしまいと、三カ月たったということで搬出指導の対象にいたしておりますが、船主、ひいては荷主の方々から税関の指導に御協力を得ておる次第でございますので、現在のところは法律の改正といったようなことは考えておりません。
○井岡委員 たとえば、これによりますと木材が非常に長い間滞留しております。しかもパーセンテージとしては非常に高いものを持っておる。そういたしますと、木材がどんどん値上がりをしているときに、そこに滞留することが価格の安定に役立つんだなどと考えることは間違いじゃないか。ないわけですから、どんどん出していく、それがやはり必要じゃないか、私はこういうように思うのですが、この点はいかがですか。
○齊藤説明員 先生のおっしゃいました木材の数量は、一月末あるいは二月末、毎月末私ども調査しておりますので、調査時点においてたまたま保税地域にありました貨物の総量でございまして、この中にはきのう入ったものもございますし、おととい入ったものもございます。量自体は相当な量でございますけれども、輸入量、毎月保税地域を通って流れております量と比べますと、そのようにさして大きい量というふうには考えられません。私どもはこの木材の在庫量のうち、特に長い間滞留しておるものの数字をまた別につかんでおりますが、それらのパーセンテージは非常に低うございます。低うございますけれども、その滞留の理由も個々に、税関は行政指導いたします都合上つかんでおりまして、木材で滞留の理由として一番よくあがっておりますのは、日中大きな丸太は交通の障害になるので夜間に運送しなければならない。その夜間運送のトラックの手配がつかないというようなことで滞留しておるものが多いのでございます。いたずらに滞留いたしますれば、先生御指摘のように保管料、金利等がかさみますので、コスト高の原因となるかとも思われますけれども、あまり滞留理由の差別なしに保税地域から出ていきなさいというような要求を強く税関でいたしますと、結局保税地域外の木材置き場に横持ちされるだけであって、横持ちのコストがまたかかりますので、税関では一々それらの理由を詳細に打ち合わせながら行政指導してまいっておる次第でございます。
○井岡委員 だいぶ実態をごまかして御答弁なさっておいでになりますけれども、あなたと論議するのは改めた機会にやりたいと思います。 いずれにいたしましても、先生方お聞きのとおり、流通の近代化という中でどのようにしたら近代化できるだろうか。久保村先生は二十年代は農協から、それから三十年代はメーカー、それから四十年代はチェーンストア、こういうように変わってきている、こういうことでございますが、生活関連物資といってもかなりたくさんございますから、すべてをそういうわけにはなかなかいきにくいのではないか、そうして同時にあまりにも一次、二次、三次、これが多い。こういうものをもっと省くような措置としてどういう措置が考えられるか。この点何かありましたら、久保村先生にお伺いいたしたい、こう思うわけです。
○久保村参考人 卸段階を簡素化する問題でございますけれども、流通近代化が進みますと自然に簡素化されるものと思いますが、たとえばチェーンストアはメーカーと直結をする、あるいは生産をみずから行なうというところに目標が置かれておりますし、ボランタリーチェーンもやはり同じでして、卸売り機能を本部でみずからやる、あるいは場合によっては生産をやる、そういうわけで、流通近代化が進みますと、自然に卸売り段階も整備されていく面が多くなると思うのですが、特にどうこうしようとしなくても自然にそういう傾向を示すと思います。またそれが流通機構整備の一番いい方法ではないかというふうに考えられます。
○平林委員長 片岡清一君。
○片岡委員 参考人の諸先生方、お忙しいところ生活関連物資の流通段階における問題点をいろいろお教え願ってまことにありがとうございました。 私は最初に片岡先生にお尋ね申し上げたいのでございますが、先生が流通の近代化の問題点として三つの点をおあげになり、構造の問題あるいは取引活動の問題、それから第三に意識の問題を取り上げられたのでございますが、さっきの御説明で、この第三の問題について私は必ずしも詳しく拝聴する機会がなかったのですが、ただいま井岡先生の御質問に関連してその大体のお考えの点がわかったのでございますが、私も、自由経済のもとにおいては、これは自由にもうけるということがたてまえでございますのに、いたずらにモラルの問題を出してそれを規制するということについてはかなりいろいろの、憲法上の問題とからめて問題点が多いと思います。そういう点を考えながらも、しかもやはり意識の問題というのはたいへん重要な点であると存じますので、先ほど御説明をいただいたのですが、先生は、この問題をお取り上げになったということは諸外国の例もいろいろ御存じだろうと思います。これは基本的には国民の社会性あるいは公共性というものに対する教養が非常に大きな問題になると思います。先生も大学の教授として教育にお携わりになっておられる、そういう立場から、日本において特にそういう意識の教育というものが、あるいはまた何かそういう再教育といいますか研修といいますか、そういうものが諸外国に比べておくれておるという点がございますかどうか。先生が、これは特におくれておると認識をせられたことについて何か具体的なお教えをいただけたらありがたいと思います。
○片岡参考人 人さまざまなビジョンを描いておるだろうと思いますが、私が日本の流通について、個人的にでありますが、どういう姿が望ましいのか、そういう点で考えておりますのは、やはり流通形態にバラエティがあるというか、いろんな流通形態がそこにある、そしてその流通形態いろいろあるうちから自分の最も好むものを選んで、そこで買いものをする、そういう、言うならば選択の自由といいますか、これが自由資本主義社会における一番大事なことじゃないだろうか、こんなふうに考えておるわけなんです。商品いろいろありまして、たとえば非常にファッションの強い商品もありましょう。あるいは日常生活必需物資的なものもございます。そういったいろんな商品があるわけでございますが、そういういろんな商品について非常に効率的な流通、これを旨とするようなそういう流通機関、これもある。しかしただ単にこの効率だけをいうのではなくて、言うならばファンシーといいますか夢といいますか、こんなものもそこで一緒に買えるような、そういう店もそこにある。こういういろんなパターンというものがそこにあって、そこから選べるというふうな姿に持っていくべきだ。しかしながら全体として申しますならば、生活必需物資というのはやはり効率を旨とするような——ある意味では形として大型になるかもしれません。そういったところでこれが流通されていく、こういうかっこうになるべきだと思う。ところが問題は、私ども理解する限りにおいて、政府がいままでとってきた流通政策というものは一貫して大型なものを育成するというそういう政策ではなかった。大きいものは、どっちかといえば引っ込んでいなさい、これ以上大きくなりなさんな、こういったような形で政策展開が行なわれてきた、こういうように解釈しておる。それが大型店の進出というものをはばんでいる。その大型店の進出がはばまれたということが今度は小さい店の危機意識というものをはばんでしまった。意識の問題ということを私申し上げましたけれども、何か小売り屋さんを集めて学校を開いて一つの勉強を教えるというような、そういうものもそれは確かに一つの必要なものだろうと思いますけれども、やはり私、小売り屋さんの意識改革というようなものが起こってくるもとはどこにあるかといったら、危機意識の中からしか出てこないのではないだろうか、こんなふうに理解しておるわけなんです。そういう意味において、いわゆる国内流通業の中における自由化といいますか、こういったものがもう少しく進められていいのじゃないだろうか。私は決して、小さい零細小売り商がつぶれていい、こういうことを申しておるのではありませんけれども、もう少しやはり国内商業、国内流通業内部における自由化というものがあってしかるべきなんじゃないだろうか、こういうように考えておるわけです。 ついででございますから申さしていただきますが、取引の中にずいぶんむだがある。つぶさに調べてみますと、非常に大きなむだがある。われわれ商売にタッチしたことのない者から見ますと、どうしてこんなようなばかなことが行なわれておるんだろうとふしぎに思うようなことが平気で行なわれておる。そうして、能率があがらない、効率があがらない、人手が食うんだ、人件費は高いから上げさしてもらうしかないんだ、こういうようなことが主張されるわけでありますけれども、問題は、その辺をどうやって効率化していくのか。私どもよく、チャネルキャプテンといいますか、メーカー、卸、小売り、消費者と、物が流れる、その中で主導権を握ってその流れ全体の効率ある運営をつかさどるものをかりにチャネルキャプテンといいますと、そういうチャネルキャプテンというものがどこに所在することが望ましいのか。これは幾つかの少数の事例しか調べておりませんが、メーカーの力が強い、そういうところにおける流通秩序といいますか、それがもう少し効率がよければなおけっこうなんでございましょうけれども、少なくとも秩序的なものがそこにあるというようなためには、どうもメーカーの力が強いところにそういうものが見られる。問屋さんが強いところにはどうも効率ある流通というものは出ておらぬようなんです。たとえば書籍なんかがその一番いい例かと思いますが、書籍の場合でありますと、書籍の、ある二つの問屋さんでもって、記憶では全体の六〇%ぐらいのシェアを持っておるわけなんです。それほど問屋さんの力が強くて、言うならば、そこではチャネルキャプテンである。メーカーといえども——メーカーといいますか版元といいますか、ここといえども、この問屋さんには頭を下げにゃならぬ。それくらい強い力を持っている。それじゃそういうところに、言うならば合理的な流通があるかというと、どうもそうではない。やはり公正、不公正の問題があります、取引の実態をもう少し見なくちゃならぬ、そういうことはありますけれども、少なくとも秩序というものができるためには、少ない事例でございますけれども、チャネルキャプテンの所在がメーカーのところにあるのが望ましいような感じを持っておるわけなんです。 問題は、その小さい小売り商が一ぱい集まってできておるところで、どうやってそこに秩序を打ち立てるのか。そうなった場合、いまの段階において一つ予想できるのは、総合商社の役割りというものを考えていいんじゃないかという感じを持っておるわけなんです。これまでの日本経済が設備投資主導型で成長してまいりましたが、消費主導型に変わろうとしてきている。そういうところを目ざして商社も流通業への接近を始めておる。言うならばオルガナイザーとしての役割りをここでも果たそうというような動きが出かかっておるようでございますけれども、そういう商社の力というようなものも、場合によっては流通における活動のシステム化といいますか効率化のために利用できる一つの力ではないだろうか、こんなふうにも考えておるわけなんです。午前中、商社の果たす役割りと、流通近代化の中で商社がどういう役割りを果たすべきなのか、こういうような御質問もあったように記憶しておりますが、何かその辺に一つの役割りというものが期待されてしかるべきではないか、こういうように思うのです。ただいまのところ、商社は評判が非常に悪うございますので、そういうことを申し上げると、何を言っておるのかというようなおしかりを受けるのじゃないかという気もするのでございますが、そんなような感じを持っております。
○片岡委員 私の考えておったことと若干の違いがあるようですが、しかし、要するに流通段階における無秩序といいますか、各個人のわがままかってな考え方でいくよりも、やはり一つの組織化のもとで動く、それでお互いに協同していく、そういう近代意識を持つということが、まあ流通の近代化をはかる一つの大きな要素である、こういうふうに理解してよろしゅうございましょうか、先生のお考えは。
○片岡参考人 はい。
○片岡委員 私も確かにそれは大事な点だと思うのでございまして、そこで、小売り商あるいは卸売りその他そういういわゆる商業の段階における今後のそういう秩序化、そのためには、わがままかってな、まあ自分さえもうければいいという感じでなしに、やはり一つの組織の中に入って共同の責任においてもうけるものはもうける。そういうやり方にしていくことによって、やはり流通段階における合理化がはかられる、私はこう思うのでございます。 そこで、この物価の問題と関連いたしまして、その流通の段階において、うんと買い占め、売り惜しみをしてそして物価のつり上げをはかろうというようなことについても、おのずからやはりその秩序の中において、規制といいますか精神的に規制されていくということが起こってくることが望ましいと思うのでございます。 そこで、自民党政府がいまこの物価対策として一番大きな柱として取り上げましたのは、御承知のように大体大きな三つの法律がございます。まあ、買占め売惜しみの緊急措置法、それから石油需給適正化法、それから国民生活安定緊急措置法といったような一連の三つの立法措置をもとにした物価対策、こういうものの中に、まず最初に筋として立てられておる問題は、先ほどからもいろいろ問題がございましたが、初めから、その流通段階の、いわゆる商業従事者の人たちを罪人としてといいますか、悪いことをするんだというたてまえで、これをやらせないためには強力な強権を発動して措置をとっていくという考え方と、そうでない、そのもう一つ前の段階において自覚を促していく、すなわち意識の問題として秩序ある行動をとってほしいということを要望していく、そういうたてまえと、二つあると思うのですが、政府がとりました今度の物価対策の三つの法律を中心とした行き方は、第一にはやはり業者の自覚を促していく、その意識といいますかそのモラルに期待をしていく、それで、これは取り締まる前に不当な行為がある場合には公表をしてその自覚を促していくという方法をとり、それでもどうしてもいかぬ場合には徹底的に強権を発動して取り締まる、こういう、大まかにいって大体二つの段階をとっておるのでございます。 これらの問題については、予算委員会においてもあるいはまたこの物価委員会においても、いろいろ与野党の間に、政府と野党との間にもいろいろ議論がございました。まあ、そういうなまぬるいことじゃだめじゃないか、第一段階なんか経ないで直ちに——直ちにということでもないのですが、もっともっと強力な措置を表へ出してどんどんやるべきである、こういう意見が野党側に主としてございました。これについて政府・自民党としては、これはやはり自由経済のたてまえということから、まずやはり二つの段階をとるのがいい、こういう考え方で立法措置もとられ、また事実の行政指導も行なわれておる、こういうことになっておるのでございますが、これらのやり方について、私はきょうおいでいただいた四人の先生方に、お一人お一人、ひとつこの自民党のとっておる、政府のとっておるやり方がどういう点が悪いんだ、どういう点がいいんだ、どうすることが望ましいんだという点をひとつ率直に御指摘いただけるなら非常にありがたいと思うのでございますが、片岡先生から順次御感想をお述べいただいたらありがたいと思います。
○片岡参考人 先ほどからいろいろな参考人の方からも御指摘がありましたように、統制といいますか、初めから縛り上げていってしまうというような、そういうことでどうも問題は解決しないんじゃないだろうか、こういう感じを持っておるわけなんです。しかし、まあ現状をこのままにしておくということはこれはもうだれも認めるところではないわけでして、改善の余地が大きくある。じゃ問題はその改善をどういうふうにしてやっていくのかということになりますと、やはりこの広い流通の世界のどこかに非常に合理的なものができておる、その合理的なものが非常にうまく働きまして効率をあげて成功しておる、そういったサンプルをつくるということ、これがやがて他の方面に影響を与えてだんだんそれにならっていく。いまそこで商売しておる問屋さんに向かって、あなたはもう二段目の卸しだから消えなさいと、こういうわけに現実にはいかぬわけですね。そうなってくると、結局何か自然淘汰といいますか、その自然淘汰のテンポを早めるような何か策というものが打ち出され、それにならって近代化が進んでいく、そういう方向が望ましい姿ではないかと私は考えておるのです。
○久保村参考人 現在の経済体制は、先生がおっしゃるように、利潤によって企業がその成長をはかるというたてまえになっておると思います。その場合の利潤は、先ほど触れましたけれども、競争の状態によって最大利潤の追求をする、あるいは独占企業になりますと適正利潤の確保ということにとどまると思います。その利潤の考え方は競争状態によって違ってくると思うのですけれども、これからもやはり利潤追求でいってよろしいと思いますし、企業によっては適正利潤でいかなければいけないものもあると思います。これはよろしいんですけれども、今回のように突然の物不足あるいは物価の狂乱が起こりました異常事態の場合には、そのたてまえを一時的にストップしなければいけない場合もあるんではないかと思います。その場合にまず行なわれますことは、当事者の社会的責任に訴えることでございましょうし、それで足りない場合には法規制あるいは行政指導による規制ということになろうかと思います。これは今回の物価の問題に限りませんで、公害そのほかの問題、あるいは競争制限の問題、資源浪費の問題なんかについてもそういう考え方はあると思うのでございますが、そういう意味で、今回の物価問題に続いておとりになりましたいき方、まず自覚を促し、それで聞かない場合には法的に規制をしていくといういき方、これはどこまでも臨時のものだと思いますけれども、こういう経済状態がそう長く続くはずはございませんから、やがてまた平常に戻れば先ほどのプリンシプルでよろしいわけですし、現にこの臨時の異常事態に対しては、もうおとりになった措置のとおりでよろしいと私は考えております。
○森参考人 需要と供給の関係で上がるべき、あるいは下がるべきときに、人為的にあるいは道義的な理由に訴え、あるいは強権によって流通段階で物価を下げようとしても、それはしょせん無理ではないか。もしどうしても緊急なときであれば消費者に対しても規制ができるような、すなわち、たとえば配給制のようなものを用意しないで、今回おとりになったような措置をかなり強く推し進められれば、問題はかえって混乱するばかりではないかというような感じを私は持っております。
○高丘参考人 私がいままで申し上げましたことについて大体御理解をいただけると思いますけれども、緊急事態に対してどのような政策手段を持ち得るかということになりますと、従来わが国の法制ではあまりにも政策手段がゼロにひとしかったと思います。そういう意味において、今回の三法が最低限の政策手段としてお持ちになり得るようになったということは必要なことであったであろうと思います。ただ、現在若干法適用が行なわれておりますけれども、現在の需給の状況からすれば、もはやそれらのことは需給の面からいえば不必要な段階にすでに入っているのではないか。したがって、今後、まあ去年の十一月、十二月のような事態が起こったときにどれだけ有効に運営できるかということについては未知数な点があるように思います。 ただ、重ねて申し上げて恐縮でございますけれども、緊急事態に対して緊急的な対策をおとりになることはもちろん必要であるけれども、その際にも、やはり長期的展望に立った政策も一方において準備をなるべく早い機会にされて実施に移されることを私は強くお願い申し上げたい。そしてその場合に意識の問題あるいは企業の社会的責任という問題については、私、きわめて重要な問題として企業が自覚をすべきだと思いますけれども、しかしそれにはやはり限界があるんであって、そうではなしにもっと構造的な問題、生産体制の問題あるいは競争条件の問題等についての対策というものを長期的視野に立ってここでも考えておくべきではないかというのが私の意見でございます。
○片岡委員 それぞれ御意見をちょうだいいたしまして、たいへんありがとうございました。 大体いずれの先生も、まあ自由経済の体制というものを基準にしたものの考え方でいけば、現在そういう体制でございますので、いまやっておる方法、両刀を使っていくべきであるという御意見のように拝聴をいたしたのでございますが、この点は確かにどういうふうに使い分けていくかということがたいへん大事な問題だと思います。その点で、私は今後の問題といたしまして、やはり何といっても、先ほど片岡先生でございましたか、商社のそういう一つのファンクションというものも流通段階においては必要だというお考えのようでございましたが、これは何というても大きな力を持っておるものでございますから、これがやり方を間違えると国民の怨嗟の的になるような行動をするわけでございます。 そこで、この商社、大企業、大商社というものに対して国会においても非常に参考人として調査が行なわれたのでございますが、このときに与野党の間に、最初から証人として呼ぶべきだというのと、いや、それはやはり最初には参考人として呼んで、それでも調査の目的が果たせないという場合には二段階として証人として呼ぶべきだ、こういう意見と対立をいたして、予算の審議が一時空白になったことは、まことに残念でございました。これらについてもそれぞれ国民の側から批判があると思います。しかし現体制、自由経済体制というものを中心にした場合には、われわれ与党、政府の考え方というものは一応すなおな考え方であるということを諸先生方もお認めをいただけるのじゃないかと思います。 ただしかし、一面において、確かに商社が自分たちの行動基準というものを定めて、社会性というものに対する認識をもって進むということについて、十分な自覚をやはり持ってもらわなければならぬと思うのでございます。商社が大きな力を持っておるだけにわれわれはその点が気になるのでございますが、片岡先生が先ほど言われた商社のファンクションについて、こういう点はこうだというお考えが特に何かおありでございましたら、ちょっとお数えを願いたいと思います。
○片岡参考人 すでに新聞その他でも出ておりまして、たとえば流通業の中へ商社が登場してくる、こういう動きは早くから伝えられておったわけです。ただそこで問題は、いわゆる流通業というのは中小企業の聖域であるというような実態になっておる。そこへそういう大きなものが入ってくるということは大きな摩擦を生むのではないだろうかという懸念、あるいは力にものを言わせてそこに不公正な取引が出てくるのではないか、こういう懸念もずいぶん持たれておるわけでございます。そういうような不公正な実態がそこへでき上がるかどうか、これはまだ全く予測だけのことでありまして、何とも私にもわかりませんのですが、ただ私が申し上げたいのは、そういう商社というような大きな組織力を持っている——たとえばスーパーがチェーン店化するにあたってもなかなか資金的にネックがあってそう思うにまかせない、そういう場合に、たとえば設備のリースをするとか、あるいは土地、建物を買うにあたって延べ払いであるとか融資をするとか、一部の商社はトレーディングスタンプですか、これを始めた、こういうようなことも聞いておりますが、これはおそらくはしりだと思うのです。それのみならず、たとえば養鶏業にしましても、ここへも相当入ってきて、商社が中心になりまして、いわゆる商品の安定的な供給体制というものをつくろうとしている。これも商社に期待しなければならぬ、また商社でなければ現状においてはできない仕事ではないか。そういう意味において商社に期待するところが大きい、こう申し上げたのでありまして、ただ商社がその営業活動の中でどういう取引条件を出してくるか、これはまだいまの段階において私何とも言えない点でございます。これは確かに商社の社会的責任といいますか、そういうものに期待をかけるだけでございます。
○片岡委員 それでは、今度はちょっと方面を変えまして、物価の問題について、たとえば買い急ぎをする、あるいは情報不足の結果、物が不足するということで行列をつくって物を買いに行くというようなことが物価をつり上げる一つの原因になることは事実でありまして、そういうことをさすのは政府の責任だとか行政指導の責任だということにもなるのでしょうが、その点、消費者側においても一つの秩序を重んずるといいますか、あまりあわてて物を買い占めて歩くというようなことがないように、あるいはまた要らざるものをよけい買う、消費は美徳である、一つのよいことであるというような考え方に基づいてあちこち買いあさりをすることをこういう時代ならやめる、そして欲望も自分で押えていく、こういう一つの運動といいますか、消費者の買い控え運動というようなものも、ところによっては、また時によっては必要ではないかと思いますし、貯蓄の奨励あるいはまた消費節約の運動といったようなことも現時点においてはある程度必要ではないかと思うのです。これらの問題について先生方はどういうふうにお考えになりましょうか。高丘さんがそれと反対の立場におられるのでたいへんあれでしょうが、ただしかし、あちこち買いあさって歩いて物がなくなって手当てをするのに困るという立場もおありかと思いますが、その点についてどういうふうにお考えになりましょうか、ちょっと御意見を伺いたいと思います。
○高丘参考人 小売り業者が企業の立場から物をできるだけ売れないようにするというのはちょっとできないことだろうと思いますけれども、おっしゃるお説はたいへんごもっともだと私も思います。 ただ、最近の問題について考えますと、将来の物価の動向に対する不安感というものがぬぐい去ることができないであろうという感じがいたします。その場合に、消費者が間違った情報であれ、あるいは情報が欠落している結果であれ、ある行動に走ることについてだれが非難することができるであろうかという感じはするわけでございます。現在の状態のもとにおいて、消費者側に何らかの自発的、自主的、抑制的な行動を期待するということは無理であって、やはりそういう行動に走らないような、たいへんおこがましいことでございますが、政治の運営、経済の運営、そして企業が社会的責任をもって正しい情報を与えるという活動をすること、そちらのほうがきわめて重視さるべきものだというふうに現段階では考えております。
○片岡委員 先ほど高丘先生が、これからスタグフレーションの対策を考えざるを得ないということをおっしゃったのでございますが、これについて先生は具体的にどういうようなお考えがおありでございましょうか。
○高丘参考人 これは本日の御議論とは若干ずれるかと思いますし、たいへん私見にわたりますので、あまり申し上げるべきではないと思いますけれども、しかし、先ほどから片岡参考人もおっしゃいましたように、一つの問題は、日本経済の運営においてこれまで幾つかの聖域と申しますか、タブーとされてきたような問題点があったように思います。 それは、一つは中小企業の問題であろうと思います。中小企業問題というのはきわめて重要な問題であることは言うまでもないわけでございますけれども、ただ、現状の中小企業政策というものがあまりにも現状維持的である、発展性を考えない現状維持的な政策におちいっておるということに問題点があるのではないか。それは真に中小企業者のための政策になっておるのかどうかという問題点、中小企業に対する保護政策あるいは優遇政策というようなものが、日本経済の体質の中で一つ問題点として浮かび上がりつつあるのではないだろうかということでございます。 もう一つの問題は、これも政治的にはむずかしい発言の内容になりますけれども、聖域ないしはタブー視されている幾つかのものに賃金政策の問題があるだろうと思います。一国の経済政策、先進資本主義国の中でウエージポリシーのない経済政策というのは、私は非常にまれな例であろうと思います。現段階において、私は賃金抑制政策をとるべきだということを決して主張しているわけではないのです。特に消費者物価指数が異常に高騰している段階において、すべての犠牲を労働者にしいるというような形の賃金抑制がとられるべきではないことは事実でございますけれども、ただ、現在GNPの伸び率その他から考えてみた場合に、名目的な賃金上昇というものがはたして賃金労働者にとって実質的な生活改善につながるかどうかというのは非常に大きな疑問があると思いますし、物価問題を考えた場合に、賃金上昇をコスト面だけで見るべきではなしに、賃金上昇による可処分所得の増加という需給の面でもとらえて考えてみるならば、やはり物価問題の中における賃金問題というのはもう少し多角的に検討されなければならないのではないかというようなことが基本的な問題としてあるように思います。
○片岡委員 ただいまの御説、所得政策に関する問題であるように思われますので、これはたいへん重要な問題であると思います。アメリカとかあるいは最近労働党のイギリスの内閣も、物価の凍結といいますか、相当きつい物価の凍結を打ち出そうとしておる。あるいはまたあちらこちらにもそういう考え方が出、またすでに実施せられておるところもあるようでございますが、これらの問題について、先ほど森先生からは、価格の凍結をするとパニックの状態が起きる可能性があるから、これはたいへん重要な問題である、軽々にやるべきではないという御意見があったろうと思います。たとえば今度石油が値上がりいたしましたので、これはどうしても上げざるを得ないということで、先般石油製品の値上げをきめられて実施せられることになったわけでございますが、これについて、いままでようやくおさまりかけておった物価問題が再びまた何か異様な状況に移行するおそれが多分にあるということが考えられるのでございますが、こういうときに、価格の凍結といいますか、何かそういった強力な手をある程度打っていかなければ、私はまた狂乱物価が再現してくるのじゃないかということをたいへんおそれるのでございます。森先生の先ほどおっしゃったお考えと、いま現に直面しております石油製品の値上げに伴って、あるいは今度は電灯料も値上げせざるを得ない、こういう状況に呼応して、物価の値上がり傾向が再び狂乱的に出てくるおそれがある。こういうときにどういう措置をすべきであるかということについて、お考えがありますれば森先生からお伺いしたいし、また久保村先生にもついでにそれについて何か御意見がございましたらお伺いしたいと思います。
○森参考人 先ほど私申し上げましたのは一応理論的なモデルでございまして、一応完全競争のような状態を想定していたわけでございます。現在わが国の経済はかなり寡占的になっておりまして、値段をつけるほうの力のほうがはるかに強い。あるいは値段をつける側にかなりの寡占的な構造が見られる。そういう場合には、たとえば一〇上げればいいものを二〇上げても、買い手のほうはそれに対してなかなか対抗できないということがあろうかと思います。そういう意味で、需給関係が逼迫すればどんどん上げなさいというわけではなくて、上げる幅は適切でなければならない。しかし現在のような構造のもとでは、いわば完全競争のもとにおける需給均衡の水準よりも、往々にして便乗的あるいは独占的に上げられる危険性というものはきわめて強いのではないか。それに対してとり得る一つの方法としては、先ほど来諸先生がおっしゃっていらっしゃいました量販店その他の力の向上、それによる対抗力の向上ということでございましょうけれども、これは直ちに十分に期待することができない。とすれば、そこに若干客観的な正しい需給均衡の水準を発見する、いわばコーディネーターとして行政が介入するということは十分に正当化できる行為ではないかというふうに思っております。
○久保村参考人 先ほども申し上げましたけれども、現在は価格体系の変動期だと思います。水準が上がることはもちろんですが、この上がった水準でどのように落ちつくか。価格体系の変動期であり、こういう変動期にはえてして必要以上に価格が変動するわけですから、それをどのようにして押えるかが問題になってくると思います。これは企業の社会的責任の問題がまず第一にあげられようかと思います。従来企業の社会的責任といいますと、たとえば先ほど申し上げました公害、競争制限あるいは地域社会との融和の問題等々で、価格の安定に対しての社会的責任ということはあまり出てこなかったように思いますけれども、これはいまの時点では非常に重要な社会的責任であろうかと思います。たとえばガリバー型寡占の場合には、そのガリバーに当たります業界のリーダーがこの事態をよく認識をして、できるだけ押えていく。あるいは寡占企業でありますとプライスリーダー、プライスリーダーといいますと、どうも独占禁止法に触れそうですけれども、プライスリーダーに当たる企業がやはり現在の事態をわきまえて、できるだけ価格安定に協力をする。そういう行き方がぜひ必要だと思います。それでなお足りないときは、やはり何らかの臨時の法的あるいは行政指導的な措置が必要になると思います。
○片岡委員 そこで問題でございますのは、結局価格をある程度押える、凍結するといいますか、そういうときの方法として、法律を出さない以上行政指導でいくよりしようがないのですが、法律でいくとすれば標準価格をつくって押えていくということでございます。そういうときに、いま政府は、価格が非常に不安定な時期であり、しかも価格決定の要素である諸条件が非常に流動性を持ったときであるので、これを標準価格ですぐ凍結していくといいますか、押えていくということはたいへんむずかしい。そこで行政指導によって、当分落ちつくまで行政指導でいくよりしようがないのだといういき方、説明を政府側がしておるわけですが、これに対して野党の皆さん方には、そんななまぬるいことじゃいかぬ、標準価格をじゃんじゃんきめて押えていくべきだ、こういう御意見が非常に強いのでございますが、これらの二つの考え方に対して、はなはだ恐縮でございますが、私はもうこれで終わりますので、四人の先生方にそれらの問題についてお一人ずつ御意見を賜われればたいへんありがたいと思います。
○平林委員長 御意見のある参考人の方、どうぞ御発言をください。
○片岡委員 なければけっこうです。どうもありがとうございました。
○平林委員長 野間友一君。
○野間委員 一、二点お伺いをしたいと思うわけですけれども、いま流通機構の再編成ということが激しい勢いで行なわれておるわけですね。その中には水平的な再編成、それから垂直的なもの、こういう中で最初にお伺いしたいのは、いま商品に占める流通コスト、これはどの程度の割合を占めておるのか、これは久保村さん、産構審の委員をやっておられるようでありますから、ひとつお聞かせを願いたいと思います。
○久保村参考人 はっきりしたことは申し上げられませんけれども、一般的にいわれておりますことは、メーカーの営業費なども含めた流通コストは消費者価格の約二分の一である、こういわれておりますが、その場合に農水産物などはそれよりも少し多くなりましょうし、それよりも少ない商品もあるのですが、約二分の一、これはアメリカでは統計的な数字が出ております。日本でも大体その辺に落ちつきそうな感触がしております。
○野間委員 いま二分の一というお話がありましたけれども、私もそのとおりだと思うのです。昨年の百貨店法の改正のときにもその点について私若干の質問をしたことがございましたけれども、この五〇%という割合ですけれども、これはアメリカでもやはりそうだということが通産省の資料にも出ておるわけですけれども、大体そんなものかどうか、この点についてもさらにお聞かせ願いたい。
○久保村参考人 これはアメリカのコンバースという学者が推計をしておりますので、一応信頼してもいいのではないかと思います。
○野間委員 そこで、私ふしぎに思うわけですけれども、アメリカの流通機構はかなり以前から近代化されておる。いま日本でも当面流通機構の近代化、合理化ということをお話しになっておるわけです。しかし、いずれにしても、日本もアメリカも現実におきますところの流通コスト、これが約五〇%と変わらないわけですね。このことは、なぜこうなるのかということなのですけれども、結局流通段階での利潤を、日本のような複雑な流通機構の中での数多いところにそれぞれ配分されるのと、アメリカのように合理化されても結局数少ないところが配分を全部一手に引き受ける、こういうようなことが現象的にあらわれているわけですね。一体なぜこのように合理化されたところとされないところと、このように流通コストが五〇%というような結果を生じておるのか、この点についてひとつお考えをお聞かせ願いたいと思います。おついでというとあれですけれども、久保村参考人のほうから。
○久保村参考人 このへんになりますとよくわからないのですけれども、一つ考えられますことは、流通マージンが日本よりもアメリカのほうが多いということがあろうかと思います。ただ、最近日本でも流通マージンが非常に高くなってまいりましたから、アメリカに接近してまいりましたけれども、その辺に一つの大きな理由があろうかと思いますし、そのほか、ほかの参考人の方にどうぞ聞いていただきたいと思います。
○野間委員 それでは森参考人。
○森参考人 私は農水産物についてだけの推計を、多少うろ覚えですけれども御紹介したいと思います。 わが国の場合、産業連関表で見ますと、昭和三十五年、四十年、四十五年で加工流通経費というのが年々多くなっております。その結果として、最終生産者の手取りが十年間に四〇ぐらいから三二、三ぐらいに減っておるのじゃないかと思います。これをアメリカと比べますと、アメリカでは一九五五年が流通経費が六五%ぐらいで、六八年に六八%になったかと思います。 そこで申し上げたいことは、経済が発展すればするほど分業が進みますので、経済が非常に素朴な時代には、たとえば農家の主婦が背中にかついで消費者まで配達をすれば、流通経費はただということになります。ですから流通マージンゼロ、生産者手取り一〇〇、こういうことになります。それが次第に農協を通じ市場に出し、小売り屋さんにも売るということになりますと、次第次第に増加していくということで、当然食生活の向上に伴いまして外食もふえますし、加工食品もふえてきますから、傾向的には流通諸経費の最終小売り価格に占めるウエートが次第に高くなっていくのはやむを得ない現象ではないか、こういうふうに考えております。
○野間委員 私がお聞きしたかったのは、アメリカと日本と小売り流通機構がかなり違うところでも、大体五〇%というふうに同じであるというところにどういう問題を含んでおるのかということをまずお伺いしたかったわけです。 そういう中で、先ほどから参考人の方々から流通の近代化、合理化という話が出ておりましたけれども、日本の場合には特に流通機構の中でのいろいろな問題点、これは昔から歴史的あるいは伝統的にあるわけなんですけれども、こういう中で、先ほど申し上げたように、いまの特徴はバーチカルインテグレーション、垂直統合ということで、特にいま特徴的なのは商社、銀行、これらが流通機構の中に入りまして、たとえば百貨店の場合には大手の百貨店が地方の百貨店を全部系列化してしまう、あるいはスーパーの場合でも同じことが言えるわけですね。しかもそれに商社あるいは銀行が資本参加あるいは組織的な参加ということで乗っかってくる。こうなりますと、一見しますと非常に近代化、合理化されて流通コストが安くなるのではないか、あるいは消費者にこれが利益になるのじゃないか、簡単に考えますとそういうことになるわけですね。 それは言ってみれば、たとえばいまの消費者ニーズにこたえまして、商品の少量あるいは多量品種、あるいはファッション化、こういうような意味においては私は否定しないわけですけれども、ただ物価という観点から考えますとやはり問題があるのじゃないか、このように私は考えておるわけです。 特に私は予算委員会の中で、伊藤忠商事の文書問題について追及をしたわけですけれども、あれによりますと、たとえば伊藤忠商事が自分のところのCIというマーク、これの張りかえ作業の指示だけではなしに、自分の手からすでに離れて、つまり売却した先に、要するにパッケージのマークすら張りかえろ、こういう指示をやっているわけですね。先ほどチャンネルキャプテンとかいう話が片岡参考人のほうからありましたけれども、メーカーが非常にウエートが強い。これはいまのお話を聞いておりますと、森参考人と違うと思うのですね。メーカーの力が非常に強くなると、このようにして強力な自分の系列的な支配を強化して、その中ですべてメーカーの言うとおりに下までこれが届いていく。これは私は逆にたいへん危険なことじゃないかと思うのですね。この伊藤忠商事の、いま申し上げたような、自分の手から離れた商品についてまで支配力を及ぼす、こういうことは一体どういうことを意味するのかということですね。これだけ強力な支配力を商社が持つに至っておる。商社の善と悪の問題について先ほどから論議がありましたけれども、私はやはりこのような形での合理化あるいは近代化ということは、決して消費者の立場にとってみてもあるいは中間の中小零細企業の立場にとってもプラスじゃない、このように私は考えるわけですけれども、片岡参考人の御所見をお伺いしたいと思う。
○片岡参考人 ただいまの御指摘の点は、いわゆる流通系列化、こういう問題についてだろうと思います。 私の個人的な私見でありますが、流通系列化につきましてはかなり問題がある、いわゆる批判的な考え方を基本的には持っております。で、流通系列化ということばがどうも外国の文献を見てもないのです。日本のおそらく戦後の経営戦略というかマーケッティング戦略といいますか、これを見ますと、いわゆる流通系列化というのが非常に大きな比重を占めて今日に至っているわけです。外国には、本をあけてみてもなかなかそれに当たることばがないということは、そういう実態がないと見てよろしいんじゃないだろうか、こういう気がいたすわけであります。 で、流通系列化ということばの裏にあるニュアンスなんですが、私はやはりそれは支配従属の関係である。たとえばメーカーが支配し、卸が従属するとか、メーカーが支配し、小売り屋さんがそれに従うとか、その逆の場合も例外的にあると思いますが、そういう支配従属関係というものを内に含んだ関係、これがいわゆる系列である。もちろんこの系列というものが果たした成果といいますか役割り、これは決して過小評価してはならぬだろうと思います。ただしかし、今日のような情勢の中にまいりますと、この系列化の持っておるマイナスのほうが非常に大きな問題としてクローズアップされてきている、こういうように私自身は思っておるのです。ですから、先ほど私が、商社がオーガナイザーとして出てくることが期待される、こういうことを申し上げたわけでありますが、それと、いまの系列化に対して批判的だということとは矛盾するわけであります。しかし、私が先ほどオーガナイザーとして出てくることを期待すると申し上げたのは、いわゆる非近代的といいますか、前近代的といいますか、そういう支配従属関係を内に含んだ形でオーガナイザーとして出てくること、これはやはり問題であろうと思うのですが、いわゆるきわめて合理的な関係しか持たないオーガナイザーとして登場してくるということ、これは期待されてしかるべきである、こんなふうに私は個人として考えておるのです。
○野間委員 ある雑誌の中に、これはある新聞社の記者の百貨店、スーパー系列分析図というのがあるわけですけれども、これによりますと、たとえば百貨店業界、これには三越、大丸、松坂屋、高島屋、伊勢丹、松屋、西武百貨店、この五大グループにほぼ地方の百貨店も系列化されておる。それからまたスーパーも大手スーパーが地方の拠点都市に進出して、そしてチェーン網を完備する。いまではダイエー、西友、ジャスコ、ニチイ、この四強グループ、それからさらにそれにイトーヨーカ堂、長崎屋、ユニ・ユニード、この三グループがあとを追っている。この図式、これはずいぶんいろいろ書かれておりますけれども、しかもこれらのすべてに商社それから銀行がかんでおるという、これが実態だと思うのです。こういう中で私が心配するのは、いま先生のお話にありましたけれども、単に支配従属の関係でなくとも、こういうような系列化、グループ化が進んでまいりますと、これがやはり私は一つのプライスリーダーとしての役割を果たすのじゃないか。これは誤りかどうか知りませんが、私が聞いておるのは、大体二〇%あればプライスリーダーになれる、こういうふうに聞いておるわけですけれども、こういうようなグループ化あるいは系列化が進みますと、これはどのようにでもこれらのグループによって価格あるいは荷操作ができるのではないか。こうなりますと、消費者の立場に立って考えても、これは決してプラスにならないと思うのです。この点をどうするのかということ、これはたいへん大きな問題ではなかろうか。とりわけ冒頭に申し上げたように、いま流通機構の再編成ですね、これが当面大きくクローズアップされ、しかもこのような形でいま進みつつあるということの中で、私はたいへん深刻な問題だと思うのです。これについて久保村参考人、あるいは直接当事者でもありますところの高丘参考人のほうからひとつ御見解をお伺いしたいと思うのです。
○久保村参考人 対抗力ということをよくいいますけれども、これはなかなか力の均衡ということはむずかしいわけでして、メーカーに対して流通段階の力が大きくなり過ぎますと、今度は流通段階のほうがむしろどこかにほかに対抗力が出なければいけないような状態になってまいります。競争は常に均衡のとれた状態で行なわれなければいけないのですけれども、ある時点では均衡がとれるのですけれども、間もなくその均衡が破れてどこかが強くなる、これが競争経済の多くの場合に見られる現象なんですけれども、それをどうするか。これは非常にむずかしい問題で、私いまここでお答えをするほど考えをまとめておりませんけれども、一応考えられますことは、独占禁止法で、力の飛び出した企業の流通戦略と申しますか、マーケッティング戦略を封じて均衡させるのが一応の考え方ですけれども、それ以上に、ちょっといまここではその対応策について考えがまとまっておりません。
○高丘参考人 いま野間先生の御指摘になりました点でございますけれども、私は、理論的に突き詰めて考えていった場合に、先生がおっしゃいましたことを全面的に否定するつもりはございません。けれども現実の問題として考えた場合に、小売り商業の分野にそういう非常に強力な寡占的な存在ができるだろうかという問題でございますけれども、現実に、世界最大の小売り業といわれているシアーズの場合でも、アメリカにおける小売り商業の販売額のシェアは三%に満たない。それから日本の場合でも、一位、二位の企業でも一%に満たないあるいは一%前後だという状況でございます。このシェアが急速に拡大をするであろうということは、再編成問題というものもある程度あるかもしれませんけれども、急速に二%、三%に拡大するという可能性が私はないように思うのです。それから、全国マーケットではなしに地域マーケットのことを考えましても、地域マーケットで一〇%以上のシェアを一店舗が持つということは、これもまたほぼあり得ないような状況でございます。小売り商業というのは、きわめて大型店舗はございますけれども、その周辺に競争的なものがございまして、そしてプライスリーダーシップを持って高い価格を維持しようとしても、常に革新的な商業者によって、それは主として独立自営商だと思いますけれども、競争的なものになりますので、その心配は、理論的に突き詰めていくとないとはいえないけれども、現実の問題としては私はないというふうに確信をしておる状況でございます。
○野間委員 大体小売り業界におきまして、私の理解しておるのは、大型店舗の占める売り上げ高の割合が約二十%伸びたというように理解しておるわけですけれども、特にこれが百貨店法の改正によりまして、百貨店が許可制から届け出制になった。スーパーにしても百貨店にしても、これが届け出制ではありますけれども、これは行政上のチェックも非常に不十分な仕組みになっているわけですね。こういう中で、統計的にもいま大型店舗のこういう小売り業界に対する進出が、激しい勢いでこれまた行なわれているというのもこれは事実だと思うのです。その中でダイエーが売り上げのトップ、それから三越、これはいろいろ表がございますけれども、かなり売り上げを激しく伸ばしている。こういう実態の中で、先ほど片岡参考人のほうから、中小の小売り商ですね、自然淘汰の話がございましたけれども、私、理解が間違っておるかもわかりませんけれども、そういうふうに私は受け取ったわけですけれども、それぞれ中小小売りの場合には歴史的あるいは伝統的にも社会的にもいろいろ背景があって存在し、しかもそれが地域において消費者に対してサービスをしておるという実態の中で、そういうような発想で大型店舗を、流通の近代化をしていく、これはやはり片手落ちでありまして、中小零細企業者に対してどのような政治をして、このような業界に対する手当てをしていくか、これでもなおかつ、手厚い手当てをしたあとでそういうふうにお考えならばともかくとして、やはりいまのそういうような状況の中では、こういう中小零細業者に対して手厚い保護をすることが政治でありまして、そういうような、自然淘汰をしていくということの中ではたして消費者の利益になるあるいは物価が下がるということになるかといいますと、私はそうじゃないというふうに考えるわけですけれども、この点についてお聞かせ願いたい。
○片岡参考人 小売り段階が、先ほど御指摘のように五つぐらいの百貨店を中心にしまして、そうして系列化といいますか、グループ化といいますか、こういうものができ上がっている。もしAという百貨店を中心としたグループがかりに関東だけに集中する、こういうことになりますと、ここでのシェアというものは相当なものになっていくだろう。しかし、幸いにして北海道から九州までずっと縦割りで、そうして五本の流れができているわけですね、大体見ておりますと。そうしますと、その五グループの中で、それぞれの地区において大体競争というものが行なわれるであろう、そういう意味で救いがあるんじゃないか、こんなような感じを私は五グループ化という問題が出てきたときには理解し、読んでおったのでございます。 もう一つ、いまの中小商業者が自然淘汰されるのを待つ、あるいは私のことばが足りなかったのかもしれませんけれども。やはり何といいましても中小商業者というのはおっしゃるとおり八〇%の小売り流通を担当するわけですね、もし大型店が二〇%持っているとすれば。この八〇%をになう小売り業者の効率をあげる方向というものがどうしてもやはり政策的に考えられるべきである。そのためには一体どういう具体的な方策というものがあるのかということになると、けさの話のところでもあれしましたが、いわゆるボランタリーチェーンという形式というものがまず考えられてしかるべきじゃないか。私も、近代化そして大型化ということばを何度か使いましたのですけれども、はたして大型化することが近代化なのかどうか、これも非常に疑問だと思うのです。 と申しますのは、これは十年ほど前の数字でございまして、いまここで使うのに適当ではないかもしれませんが、その時点において書かれたものに、私記憶にありますのは、当時日本人が毎日の食料品その他日用品を買うためにどういう買いもの行動をしているかというと、約二百メートルくらいげたをはいて歩いていくというのですね。そうしてその当時のお金で二、三百円の買いものをして、これが一日の買いものである、これが日常品の購買習慣である。ところが、アメリカになりますとそれがどう変わるかといいますと、向こうは週単位でございますから、一回の買いものに出かける距離が約五マイルである。約八キロです。これぐらい向こうまで買いに行く。それで一回に十五ドル見当の買いものをして帰ってくる。これは一週間分でございます。そういう買いもの習慣というものを前提に置いて、それぞれの国の流通機構のあるべき姿というものを構想してみた場合、日本の場合は半径二百メートルで描いた円周の中で一軒の小売り屋さんがないと、今度は消費者が不便になっていく。アメリカは半径五マイルで描いた円周に一つの小売り屋さんがあればいいということに理屈の上では成り立つわけですね。そうしますと、アメリカの場合はかなり大型集中といいますか、そういう流通機構が考えられる。ところが日本の場合は小型分散でないと、近代化はしたけれども消費者が不便になってしまう、こういうかっこうになってしまう。 そこで、小型分散というと、いまの日本の流通機構がまさにそれに当たるわけです。それで、この現状を肯定するという考え方が出てくる。しかし現状は、先ほども申し上げたとおり生産性が低い、そこに問題がある。それじゃ、いまの姿を残してしかも生産性を上げていく、こういうことになった場合、どういう方式がそこに考えられるかということになると、やはりボランタリーチェーンという方式が現実的には考えられてくる。じゃ、一体そのボランタリーチェーンをどうやって育成するのか、そこに流通政策の課題がどうもあるのじゃないか。そのボランタリーチェーンを育成するために、個々の小売り業者に危機意識を持たせることが必要、これ以外に方策はない。 アメリカのボランタリーチェーンの出方というものを見てみましても、一八八〇年ごろバイイング・クラブだとかあるいはグループ・バイイングと、非常に生活に結びついたような名前でこれが出てきているわけなんです。政府がこれを指導してつくったものではないわけなんです。なぜ一八八〇年にそういったものが出てきたかということになると、やはり大型店の進出という、それが小売り屋さんの危機意識をあおり、これが彼らの生きるための知恵としてボランタリーチェーンというものをつくり出しておるわけです。 そう考えると、結局ボランタリーチェーンを育成する政策手段として、国内商業といいますか、これの自由化、そして大型店をつくることが、逆にいえばボランタリーチェーンの育成に寄与するのじゃないか、こんなような考え方から申し上げたのでございまして、決して、弱い者を切って捨てろというような意味合いで競争原理の導入といいますか、自由化という問題を申し上げたわけではないわけなんでございます。
○野間委員 最後に一点だけ。 ただ、日本の場合も、いまワン・ストップ・ショッピングですか、こういうことで、大規模店舗というのは、アメリカとはスケールが全然違うと思いますけれども、いま中小都市に対しても百貨店あるいはスーパーがかなり進出しておると思うのですね。そういう中で、私も、いまの中小零細の小売り業者をこのまま置いていいのかどうかといいますと、決してそうではない。たとえば共同仕入れ、共同販売あるいはボランタリーチェーン、いろいろそれぞれがくふうをこらし、またこらさなければならない、こういうように考えているわけでありますけれども、やはり何といいましても今日までのいろいろな背景、そういうものを考えて、それで単に近代化してそして消費者に利益を与えるというような簡単な、短絡的な図式だけではなしに、そういうところへどのようにして施策を講じて、そして大型店舗と中小小売り店とが協業し合っていけるかということが、いま一番大きな課題になっておる、そういう意味で申し上げたわけであります。またいろいろお聞かせ願いたいと思います。 時間がありませんので、これで終わります。
○平林委員長 加藤紘一君。
○加藤(紘)委員 自民党の加藤でございます。時間がだいぶ長くなりましたので、短時間で一、二聞かせていただきます。 きょう、各参考人が午前中からいろいろ述べられた中で一番共通しているものは、今回の狂乱物価と流通の関係でものを考えるならば、ある意味で情報の欠落というものが最大の原因ではなかったのかというようなことがあったように感じました。そして去年の暮れ、ことしの初めの多くのあの騒ぎの中で、ほんとうの情報を提供してくれという消費者の声が非常に高かったのでありますけれども、そのとき私は、なぜほんとうの情報が提供されなかったかということをいま考えてみるわけです。そうしますと、日本の社会の中においては、情報を収集する機能というものは新聞をはじめ、世界にまれなほど強烈なものであると私は考えるのですが、それなのになぜ毎日のように新聞に真の情報がなかったのかといえば、言うなればほんとうの情報を日本の国内だれも持っていなかったということなのではないかというような気がするのです。たとえばトイレットペーパーについていえば、これは生産の段階ではある程度知っているかもしれません。しかし、それを在庫情報まで含めて考えますと、だれも知らなかったのではないか。たとえばわれわれはこの委員会で、埼玉県の倉庫だとか横浜の倉庫だとか、いろいろ見に行きますけれども、実に正直な話、むなしい感じがするわけです。何か大きな象を、ちょっとしっぽのあたりをなぜているにすぎないのではないかというような非常にむなしい感じがするわけですが、生産と流通とを含めて、ほんとうの情報を集中している機関というものがあるのかどうか、そういう情報がこの日本の中にほんとうにあるのかどうなのかということ。それに関して、流通も含めて真の情報はどういうものであるのかということについてお聞きしたいと思います。 最初に、高丘参考人は先ほどの陳述の中で、真の情報は実は生産に近いところにこそあるんだ、そのあたりでだいぶ出し渋っていた感じがするんだということをおっしゃいましたけれども、その真の情報という意味と、それから情報の収集機能というものが日本の中にはんとうにあるのかという点についてお伺いしたいと思います。
○高丘参考人 真の情報収集がいかになされているのかということになりますと、現在の日本の機構の中ではそれは行なわれていないように思います。と申しますのは、戦後以来、物資が豊富化していくというプロセスの中でしか仕事をしてこなかったわけでございますから、物資不足が招来するであろうということのために準備された情報収集機関はなかったわけでございます。 そこで、私は午前中も申し上げたわけでございますけれども、あの段階に至って、供給者側の責任は、どうやって正しい情報を消費者に伝えて鎮静化するかということであったのではないだろうか。その場合に、小売り段階の業者が持ち得た情報というのは、残念ながらきわめてプアなものであったように思うのです。たとえば翌月の取引数量の契約をしたいと思っても、あの段階ではそれは不可能に近かった。ほんとうにそれが不可能であったかどうか、メーカー側がそれに応じられない情勢であったのかどうかというのは、現段階に至っても依然としてわかりませんけれども——そしてまた、メーカーのほうにも、原油の輸入量の問題あるいは電力等のエネルギーの規制がどうなるのかということがわからなかったという点は十分あろうかと思います。しかし、たびたび各委員の先生からも御指摘ございましたように、輸入量も前年に比べてかなりふえているとかいうような事情もあったわけでございますから、供給者側が最も情報を確実に握っているところから、流通経路に従って情報を流す努力をもっとすべきであったんではないだろうかということを私は申し上げたわけでございます。
○加藤(紘)委員 その、石油が入るか入らないかということがわかっていたかわかっていなかったかというのは、これは大きな論争ですから別におくとしまして、石油の見通しが立った段階で、どの程度生産できるかということはおそらく各メーカーでわかっていたはずですし、それはもっともっと正確に出さなければいけなかったと思うのです。 そこで、いま世の中で一番わからないこと、流通関係のどこに在庫されているかということを把握できるかという問題がここに大きく浮かび上がってくると思うのです。たとえばインスタントラーメンがどうも高くなりそうだ、どこかでストックしているだろうということで、政府は早く手を打てというようなことがいろいろあるわけですけれども、おそらくいまの政府にそんな能力があるわけないと私は思います。では、業界に聞くかといいますと、それはおそらく業界でも流通まではわからないというような感じだと思うのですけれども、最近いろいろ問題になったものについていうならば、先ほど久保村参考人ですかおっしゃった、流通在庫も含めて的確に情報を判断して政府が手を打てといっても、いまの場合にはもうほとんど不可能なことをやっているのではないか。もう全然病源もわからないのに薬をつけつつあるような感じがする。そういう意味で、ある意味じゃ政府は無力なんじゃないかというような感じがしますが、特に流通在庫の問題にしぼって、高丘参考人と久保村参考人に御意見を伺えたらありがたいと思います。
○高丘参考人 私は、流通在庫は現段階で、繊維製品の一部でございますとか紙類でございますとかいうものについては、ある程度あるのではないかという感じがいたしますけれども、その他の物資については、いわれているほど流通在庫はないのではないだろうかと思います。 そのことは、おそらくこれからの情勢を見ていけば、ことしに入ってから流通在庫がどうなっていたのかというのが次第に明らかになってくるだろうと思うのです。それはどういうことかと申しますと、いま金融引き締めを行なっているわけですけれども、流通在庫の吐き出しが行なわれて経済成長率が落ちていくのが、もし流通在庫がかなりあったとするならば、経済成長率はかなり落ちてくるだろう、そしてそれが吐き出し終わったところで、今度は在庫の積み増しが行なわれるから、成長率はかなり高く伸びるはずです。もし流通在庫がいまあると仮定すればそうなるのでございますけれども、おそらくそういうプロセスはたどらないだろう。そういう意味では、流通在庫といわれているものが私はそんなにはないのじゃないかという気がいたします。しかしメーカーと話をしております。プロセスの中で、去年のあの異常な需要の増大というものに対しては、一つは確かに情報が不足だったとは申しましたけれども、しかし、あの需要に対して十分にまかなえるほどの生産、供給体制があったかというと、残念ながらそれはおそらくなかったんだと思います。正常な需要であるならば、それに十分な生産、供給は行なえるはずだということしか言えなかったのではないだろうかというような感じが実はしております。
○久保村参考人 適正な価格の形成には需給事情を十分明らかにすることが必要なことは申すまでもありません。そのためには、やはり流通在庫が明らかにならなければいけないと思うわけなんですが、三十年代、メーカーが一生懸命努力しましたことは、いかにして自分の商品の流通在庫を明らかにするかということだったわけです。それまでは売りっぱなしだったわけですけれども、現在では、これはすべてとはいえませんが、自分の商品に関する限り流通在庫をつかんでおるメーカーが多いのではないかと推察されます。ただ、これは営業の秘密ですから、それをどういうふうに外部へ発表するかに非常に重要な問題がありますけれども、一応そこに流通在庫情報源はあるのではないかと思われます。問題になりますのは、大手メーカーではない、トイレットペーパーとかそのほか中小メーカーの製品、あるいは農水産物の流通在庫ですけれども、これについてはやはり政府で何とか、正確な流通在庫はつかめないにしても、つかむ努力ができないものかと思います。ただ、そうなりますと、たとえば商品取引所における取引なんというものが非常に影響を受けましょうし、投機の余地がなくなってまいりますから、そこにいろいろ複雑な問題はございますけれども、何らかの形で政府がそれをつかむ努力をしていただけないか、そしてこういう緊急事態のときにはそれを営業に対する悪い影響がないようにうまく利用していただけないか、そういうふうに思うわけです。
○加藤(紘)委員 いま久保村参考人より情報は実はあるんだというような観点のお話がありましたけれども、そうなると、それをいかにつかむかというのが、実は最大の行政にとっての問題になってくるのではないか、御説のとおりだと思うのです。 それで、物価の問題がありますと、消費者の立場に立つのは経済企画庁ということになっておるわけですけれども、経済企画庁が個々の消費物資について情報をつかんでいるということは、私はまず絶対にないように思います。それで、実際にこうなりますと、あと具体的な個々の問題について、たとえば通産省だと思うのですけれども、それにこの問題はどうなっているのかということを協議して手を打っていくんだと思うのですが、その通産省の中にも、昔からあった一つの神さまみたいな存在、たとえば通産省に入って一生材木をやって、えらくならなくてもいいからとにかく材木に一生をかけて、そして生産と流通を全部ある程度感覚をつかんでおって、いつ何どき材木がどこかで、たとえば北海道の特別の消費地で足りなくなったならば、ああ、じゃ、あの流通経路のあの辺がちょっとおかしなことをやっているんじゃないかというようなことをパパッと勘でつかむような人が昔はおったんじゃないか。ところが、最近、こういう合理的な社会になったりしたものですから、そういう人がなかなかいなくなったし、また、経済成長の複雑なからみの中で、そういう個人プレーではできなくなったんじゃないかというような気がするわけです。 そういう意味において、現在の日本政府の中の情報のつかみ方というものについて、もう一度久保村参考人とそれから片岡先生にお伺いしたいのですが、ほんとうに政府は情報をつかんでいると思うかどうか、どの辺に問題があるのかということをお聞きしたい。政府に聞けば、これはつかんでいると言わざるを得ないのは明らかでありますけれども、いかがでございましょうか。
○久保村参考人 その点私よくわかりませんが、非常にむずかしい問題で、私が申し上げましたのは、何とかそういう努力をしていただけないかという希望でございます。
○片岡参考人 この物価との関連で申しますと、どうなんでしょうか、いまメーカーが生産して流通段階に行っている在庫量、この在庫量がどれだけあるかということ、これも確かに大事には大事ですけれども、これはメーカー、特に系列化が強いところではかなり的確につかんでいると思うのです。ただ、それは販売計画を立てる、あるいはシェアをつかむためにつくったものでございますから、こういう物価狂乱のときにどうこうしようというためにつくったものではございませんので、はたしてそれがそれに役立つかどうか、これは別問題として……。 ただ問題は、この間も私の友人が、薬の会社におります関係上、この薬の男と話をしておりましたら、おまえ病気するな、もうあまり仕事しないで病気せぬようにせい。なぜかと言ったら、薬はもうないぞ。なぜないかと言うと、ガラスびんがないとか、それから石油のあれがどうなるかわからぬ、だから先行きどうなるかわからぬのだ。メーカーがわからぬのですね。メーカーが先行きどういう生産ができるかがわからぬ。この不安感というものが物価を上げている。いまのうちに買い込んでおいたほうが得だということで、お医者さんも買う、薬局も買う、問屋さんも買う、こういうようなかっこうだったようです。ですから、現在の在庫量よりも、どっちかというと、将来の在庫量、これが問題だ、それはメーカーもわかっていない、これが実態だったようでございます。 しかし、いま問題は解消したとこの間聞きましたので、もう薬の心配はなくなったようでございますが、その辺が物価との関連になりますと問題になってくるかと思います。そういう意味で、いかにして先行きの情報というものをつかむかということのほうが、物価との関連では大事なんじゃないでしょうか。
○加藤(紘)委員 いま片岡参考人がおっしゃったのは、単に生産財だけではなくて、いわゆるこまごまとした消費財についても同じことが言えるということでございますか。
○片岡参考人 こまかいことはわかりませんけれども、たまたま薬なんていうのは、びんがなかったら、薬そのものができても、びんがなければ売れないわけですね。そういうようなことから、このびんの問題がネックになって、これからは薬は出ないぞ、こういうように聞きましたのです。そういう情報ということが将来の物不足を不安がらせ、そうして価格を引き上げていく、こういうことになったようでございます。
○加藤(紘)委員 それでは最後に、その関係でいま行なわれている行政指導というものの効果というものと限界というものについて、実は私個人としてはちょっと心配な点があるのです。そういうように流通段階の問題も含めて、いまいろいろ値段を行政指導しているわけですね。そうして私の感じでは、その流通段階をも含めての情報は十分につかんでいない、生産についてはつかもうとすればつかめるというような感じだと思うのですが、そういうような行政体系というものは、これはいままでの日本経済の仕組みからいってしかたがなかったことだと思うのですが、そういうようなシステムの上に立って、問題になったものだけについて取り急ぎいろいろなところから情報を集めて急速行政指導、そして価格をきめる、こういうような体系でやった場合に、これがどの程度の期間これからやっていってあぶなげないものなのかということが実は心配なことだと思うのです。 それで、アメリカの例を申すまでもないのですが、アメリカの場合は、牛肉の値段を凍結したら、品物が出なくなって、各流通関係では値が上がるのを待って、それまでじっとがまんの子を通したわけですね。そういうようなことが日本のいまの行政指導価格体系で起こる心配はないのかということが一つあると思うのですが、そういう意味において、行政指導がどの程度の期間できるものなのか、それから、その品目の数にしていまが限度で、もうこれ以上手をつけたらあぶないですよとか、そういうようなことをごく感覚的でいいのですが、片岡参考人と高丘先生からお聞きできればありがたいと思います。
○片岡参考人 私ちょっとその質問に答えるだけの準備がございませんので、高丘参考人のほうからお願いしたいと思います。
○高丘参考人 私は、けさも申し上げましたし、久保村参考人も先ほどからお話しになっていらっしゃいますとおり、原油価格に端を発する価格水準の改定は、これは早晩行なわざるを得ないだろう、また、それを押えることが行政の責任だということにはもちろんならないのであって、電力料金にいたしましても、原油価格の値上がり、したがって、石油製品の値上がりというものを認めざるを得ない以上は、それはそうするほうが自然であろうと思います。そういう意味におきまして、現在の価格凍結は、けさも申し上げましたように、その先高を見込んでいまの時点から値上げをすることを抑制するという意味において効果があるのであって、そうしてそれが各段階のコストがどう上がっていくかということを冷静に見きわめて、適正な価格水準の改定を行なうというほうに誘導するという意味において高く評価すべきだと思うのです。 それで、行政がどれだけの力があるかということでございますが、現在政府でおやりになっていらっしゃることは、幾つかの基礎物資をメーカー段階で凍結をなさる、それから、その他の物資については、チェーンストア、百貨店を中心に、小売り商団体も御協力になるということで、小売りの段階から価格凍結をしようとなさる、要するに蛇口を締めて、それによって元を締めよう、こういうお考え方だと思うのです。それは私はかなり無理があるのであって、いま各企業でやっております場合には、それぞれの品目で、もし価格が上がっても企業として当分の間値上げをしないということを約束をしたわけでございますから、たとえ出血になってもその値段を守るということでやっていくわけでございますけれども、これには限度があるわけでございます。そういたしますと、これ以上の品目になりますと、元で上がってまいりますと、どうしても値上げせざるを得なくなる。それを各行政当局のほうに、こういう形で値上げをしなけければなりませんけれどもという、事前にお届け出をするということになった場合に、行政として個別企業の個別品目について全部御審査になるなり、あるいはメーカーのほうを御指導になるなりということが現在の人員でどれだけできるかということになりますと、これはおそらく不可能に近いことだと思います。ですから私は、できる限り現状のように各企業が自主的に生活関連物資を中心にして、妙な言い方でございますけれども、その凍結品目をお買いになっていらっしゃれば、生活の最低限度は値上がりせずに消費物資が購入できるという、何と申しますか、生活のバスケットの中に組み込めるような品目が各企業の責任で選ばれていると思うのですけれども、そういう体制でしばらくの間はしのぐという現在の方法が、考えられる最善の方法ではないかというふうに思います。
○加藤(紘)委員 最後に、流通、生産それぞれを考えて、標準価格とかそれから行政指導価格をきめる限界ですけれども、たとえば個々の品物によって、それができるかできないかという問題はだいぶ違ってくると思うのですけれども、高丘参考人の長年の経験といまのお仕事との関連で、たとえばお砂糖のように、スーパーがかなりの重要性を持っておって、そしてスーパーにも何とか行政指導に協力してくれと言えば、ある程度効果をおさめていきそうな、そういったある意味での消費リーダーシップのいる品目と、もう個々の末端の小売りが個々にやっているので、政府がどんなにきめたって、末端で守らないということになったらどうしようもないというような品目と、いろいろあると思うのですけれども、たとえば一般に生活関連品目リストといわれている、たとえば食器だとか食卓用品だとか、こういういろんな品物があります。それからはだ着類だとかそういうようなもの、いわゆる政府が一般に生活関連品目と考えられるものについて、どのような大ざっぱな感覚をお持ちか、ちょっとお聞かせ願えませんか。
○高丘参考人 いま非常に原素材が複雑になっておりますので、消費者が品質についてなかなか判別しにくいという問題があるわけでございますね。特に繊維製品でございますとか、あるいはいまおっしゃいました陶磁器類等については、品質が消費者で確認し得ないものが非常に多いと思います。それらの商品について、価格の制約をするなりあるいは値下げをするなりというような問題につきましては、それはそれぞれのメーカーから小売り業者に至るまでの各企業の良心と申しますか、社会的責任と申しますか、そういうことに依拠せざるを得ないものがございます。それから食料品のように、ある程度消費者がその商品を特定できるような商品もあるわけでございます。それはしたがって、できる限り消費者をごまかすことにならないような商品を選んで価格凍結を今回もしているわけでございます。ただ、先ほども申し上げましたように、小売り段階でそれをやるということは、本来は本末転倒であって、メーカー段階に価格政策について行政指導をなさるなり、あるいは出荷に対して強い行政指導をしていただきませんと、小売り段階で価格を凍結した場合に、企業別に品目を異にしておりますので、A社は甲という商品を同じ商品の中から凍結する、B社は乙という商品を凍結する。そうしますと、メーカーのほうで、あるいは問屋さんのほうで、価格を凍結したところにはあまり商品を送らないなどというようなことが起こり得るわけでございますね。そういう意味において、小売り段階の努力というのは、先ほどからもお話がございましたように、現在の小売り企業の力からいたしますと、総体的に残念ながらまだ弱いものがございまして、ひとつでき得る限り水源池のほうで価格についての御指導、出荷についての御指導を行政当局にお願いをいたしませんと、森参考人が言われましたように、価格凍結をすることによってかえって品不足が起こる可能性は若干残っているように思います。
○平林委員長 石田幸四郎君。
○石田(幸)委員 まず片岡先生にお伺いするわけでございますが、去年物価委員会で、いわゆる生鮮魚介の問題につきまして、八戸まで視察に行ったわけでございます。そのとき、たとえば一つの例をあげますと、魚の中のサバなんというものは、月に一ぺんないし二へん業者の連中が公園に持ってきて、ただで販売をしておったわけであります。ところが、東京みたいな消費地に参りますと、必ずしも安くはない。先ほども先生がお触れになっておりましたように、流通段階が、生鮮食料品、特に魚なんかの場合は、生産地市場あるいは消費地市場というところで幾つもの流通段階があって、かなり流通コストを食っておるわけであります。四十五年の経企庁の調査によりますと、この社会的流通コストは、生鮮魚介の場合七五%、野菜の場合五四%、それから肉類の場合七二%、くだものが四八%、こういうふうに非常に流通コストがかかっているということがデータでもあげられておるわけでございますが、これはちょっと生鮮食料品が高くなりますと、すぐ奥さん方の間から、いわゆる生産地市場の価格をちょっと調べまして、あまりにも消費地市場から流れてくる小売り価格と差があり過ぎるじゃないかという問題が話題になるわけでございますが、こういうようなたくさん流通段階のある問題につきまして、これをはたして整理ができるものかどうか。私どももいろいろ生産地の状況を聞いてまいりますと、特に魚介類につきましては、種類も多くて、それぞれの理由があって、それぞれそういうような流通経路にのせていかないと的確な販売ができないというような生産地のそういう状況も何かあるようでございます。この辺は、素朴な質問としていつも出てくるのでございますけれども、何かそれに対するお考えはございましょうか。
○片岡参考人 実は私、生鮮食料品につきまして、森先生はたいへん御専門でいらっしゃいますが、あまりというか、全く研究した経験がございませんものですから、森先生にお願いしていただけるとありがたいと思います。
○石田(幸)委員 それでは恐縮でございますが森先生にお願いいたします。
○森参考人 私、なまいきなようですけれども多少知り過ぎているものですから……。まあ、ある一日だけをとって産地の価格と消費地の価格を比べた場合に、いまおっしゃったような事例が間々あるかと思いますけれども、通してみますと、現在の産地市場から消費地市場までの流通というのは、それなりにたいへん合理的で、並みの知恵と並みの体力を持っている人が入り込んでも、とっても動かし得るものではない、合理化できるものではないと思っております。
○石田(幸)委員 私どもその問題についてはいろいろ研究しておりますが、なかなかいいきめ手がないので伺ったわけでございますが、改善がむずかしいということでございますから、それはなおその後の研究にまつことにしたいと思います。 さらに片岡先生にお伺いをしたいのでございますが、この流通問題は、われわれの社会活動全般に及んでいる問題でございますので、いま申し上げましたように生鮮食料品あるいはまた衣類関係とかいうようなもの、これは大きく分けてそれぞれの研究を進めていかなければならない問題ではないだろうか、こう私は考えているのでございますけれども、先生方は、この流通問題を御研究するにあたってどういうような分類で研究をしていらっしゃるのか。いわゆる物流という生産から消費に至る縦の系列という問題はもちろんございましょうけれども、しかし、いま申し上げましたように非常に流通経路の複雑なもの、それから比較的単純なもの、こういうふうにあると思うのでございますけれども、それはどうも商品、たとえば生鮮食料品とか、その性格によって非常に違っているようにわれわれは見受けるわけなんでございますけれども、そこら辺のお考えはいかがでございましょうか。
○片岡参考人 隣におられます久保村参考人と一緒に、三年ぐらいでございましたですか、通産省で取引条件の適正化を勉強しなくちゃならないということであったわけでありますが、その間十六の業種についてそれぞれ調べまして、そして取引条件の実態、今後これをどういうふうに改善していかなくちゃいかぬか、大体の指針案をこしらえる、そういう作業をやりましたのですが、その十六を調べまして、取引条件にしぼってみましても、どういう業種ではこういう取引条件がある、そういう点で何か一つのパターンをつくることはできないものだろうかということでいろいろくふうをしてみましたのですが、結局何も出てこなかった。結論としては、ケース・バイ・ケースといいますか、業種ごとに、商品ごとにやっていかなくちゃいかぬだろう。カメラとフィルムでは同じようですが、全然違う、こういうような実態でございます。 ただ、それじゃあまりにもなんでありますので、私どもが考えておりますことを一つだけ申しますと、生産段階がどういう状況になっているのか。それから消費段階ですね。生産及び消費のそれぞれの段階における構造ですね。生産構造と消費構造、この辺が流通の問題をきめる非常に重要なファクターになっている。ですから、生産構造と消費構造が似たものは大体似た流通を描いていく、こういうふうにごく大ざっぱにはいえるかと思います。生鮮食品だとか綿織物だとかなんとかという商品別よりも、生産構造と消費構造でとらえていったほうがよろしいように思うのです。 一つの例として申しますと、そこで十六やりましたうちで、非常に取引条件がきちんとしておる、いいか悪いかは別としてきちんとだけはしている、秩序があるというものを拾い上げますと、フィルムとインスタントコーヒーである。いずれも生産構造が非常に寡占的なんですね。大メーカーがそこにそびえ立っている。そういうところでは、中身のよしあしは別として取引秩序というものだけはあるわけです。ほかのところにいきますと、種々雑多な取引がそこで入り乱れている、こういう状況であったことを記憶いたしております。
○石田(幸)委員 ありがとうございました。 さらにもう一点お伺いしたいのでございますが、戦後の経済を見ますと、戦後二十年代におきましては生産重視の時代、三十年代はいわゆる販売重視の時代、四十年代はいわゆる流通の近代化を促進しなければならぬ時代というふうに、ある学者はそういうような分け方をしていらっしゃるわけでございますが、いま私があげました生鮮食料品関係の流通経路というのは、多段的な流通経路があるわけでございますが、こういうところで流通経費を削減するということはかなりむずかしい。しかしながら、流通の近代化というのは、一つは、いままで膨大に経費が費やされている中から、それを整理して、さらに利潤を高めていこうという企業努力が、たとえば生産メーカー等ではかなり活発に行なわれているように見えるわけでございますね。早稲田の西沢先生の著書なんか読んでみますと、流通費というのは第三の利潤源である、こういうようなことをおっしゃっているわけですが、どうもその主力になるべき対象は、いわゆる生産メーカーのところでそういうものがより多く研究され、さらに第三の利潤を得ていく状況があるのではないだろうか、こういうふうに推測をするわけなんでございますけれども、先生のお考えはいかがでございましょうか。
○片岡参考人 先ほども御質問がございました流通マージンの点とも関連いたしますが、アメリカでも商品によって流通マージンはいろいろでございます。しかし、私どもが頭の中で描いておるのは、大体、小売りマージンが三十三カ三分の一、卸マージンが十六カ三の二、これは卸価格の十六カ三分の二ですから、小売り価格に換算しますと約一〇%ぐらいになると思います。合計しますと四三%以上ですね。末端から四三%以上というものがいわゆる流通業に落ちるわけです。そういうマージンになっておる。日本の場合はそんなにマージンは落ちていないと思うのですね。もう少し小さい。 私思いますのに、小売り業、卸業は、経費をカバーして売り上げ利益率が一%ぐらいでも出ればもう上等である。これが日本の、何かあきらめに似た姿じゃないかと思うのですが、これはやはりアメリカに比べてかなり低いですね。アメリカなんかの卸の正常な売り上げ利益率というものは約二%見ておると思うのです。小売りの場合はもう少し高い。アメリカは利益率がそれだけ高いのですけれども、その利益が何に使われるか、これが問題だ。 日本にも、流通革命なんていいまして、何かえらいでっかい変化が起こったようでありますけれども、そういう変化はどこから来たかといったら、みんなアメリカから来ているわけです。日本の小売り業の内部からいわゆるイノベーションというものは起こっていないのです。イノベーションを起こすためには、やはり研究開発というものが必要になってくるわけですね。研究開発投資が小売り業においてもなければならぬ、卸業においてもなければならぬ。ところが、そういう研究開発に回すだけの投資資金が営業の中から出てこないというのが現状だろうと思うのです。アメリカへ行って、アメリカでこうやっておるから、じゃ日本でもやろうかという程度のことでしかない。そういう意味で小売りマージン、卸マージンというものはもっとあってしかるべきじゃないか。ただし、そのふえた分が何に使われるか、これの保証というものは当然問題になると思います。そういうように感じております。
○石田(幸)委員 久保村先生にお伺いをするわけですが、先ほど来出ておりますスーパーの問題でございますけれども、確かに現在の小売り店は、これで圧迫されて、それで刺激を受けて、いわゆるボランタリーチェーン方式を拡大する以外にないであろう。これは久保村先生からも、それから片岡先生からもお話があったのでございますけれども、現実の問題といたしまして非常に処理がむずかしいわけでございます。たとえばスーパーができますれば、その周辺の小売り業はつぶされてしまう。現在岐阜に起こっておる問題を申し上げますと、そういう大型スーパーができたために、その周辺の八百屋さんが全滅してしまったというような関係がございまして、私たちは必ずしもスーパーをどんどん拡大するということには賛成できないのでございますけれども、そこら辺の調整を一体どう考えていったらいいか。確かにスーパーにはいい意味でのプライスリーダーの役目もございましょうし、流通経費の節減という問題でも社会的に大きく貢献をしておると思うのでございますけれども、そういう小売り業の圧迫というものは非常にきびしい。小売り店の勉強不足あるいは努力不足という点もありましょうけれども、それはやはり小売り業の持っている資金の問題、あるいはまた人間の本性であります自己保存本能的なそういう心理状態もありましょうし、そう簡単にこういうスーパーに対抗し得るような現在の日本の小売り業の実態ではないと思いますけれども、ここら辺の調整はどういうふうに考えていったらいいか、ここら辺のところをお聞かせをいただきたいと思うのであります。
○久保村参考人 午前中に申し上げましたけれども、零細小売り業は零細小売り業としての長所を持っておりますから、必ずしもスーパーによって大きな影響を受けるとは限らないと思いますが、ただ常時従業者三名以上程度の店舗になりますと、近所にスーパーができた場合には相当影響を受けることになろうかと思います。そういう場合には、これはやはりスーパーに対抗していかなければいけないわけでして、その対抗する手段はボランタリーそのほかあるはずだと思うのでございますが、もしもその対抗措置で時間的に間に合わないような場合には大規模小売店舗法の適用などで一時延期することもできましょうけれども、そうなる前に小売り業としては先手を打ってそういう流通効率をあげる方策をとっていくべきである。そういう方策はいままでは比較的取引条件が非常に不明確であるとかいろいろの理由で小売り業者の方にぴんとこなかったわけですけれども、これからは刺激もあって意識が変わってくるんではないか、そういうふうに考えます。
○石田(幸)委員 最後に片岡先生に一つ伺いたいのでありますけれども、いわゆる商社の問題でございますけれども、商社が去年売り措しみ、買い占めだということでだいぶ国会でも追及されまして、その後去年の秋口にいわゆる行動基準なるものをつくったわけでございますが、今回の国会の指摘でも明らかになりましたように、いわゆる不当利益であるとかあるいは不当商行為であるとか商取引であるというような問題が盛んに追及をされたわけでございます。あるいはまた石油元売り業者におきましても価格のつり上げあるいは資金の優越的な立場を利用しての買い占め、こういうようないろんな問題が実はございました。そういうふうに商社なり企業なりというのはやはり利益追求、利潤追求というのが本来の目的でございますから、社会的道義云々というようなことでその抑制を期待するのは本質的に不可能ではないか。したがってそういうような行動がもし顕著にあらわれたとすれば、やはり何らかの力で、いわゆる行政なら行政の力あるいは法的な規制でこれをやる以外にないのであって、そういう流れになってくるのではないか、こういうふうに思うのでございますけれども、そういう企業の利潤追求の本質という問題から、私のいまの考え方について御意見がございましたらお伺いしたいと思います。
○片岡参考人 企業が手におさめる利潤というものをどうやってジャスティファイするか、正当化するか、たとえばシュンペーターなんかは創業者利潤というようなことばを使っておりますが、何かイノベーションをやった、そのイノベーションの結果、ほかよりも安くできるようになった、それによって得た差額分は、これは当然その努力に対する報酬としてその企業がおさめてもいいんじゃないだろうか、こういった考え方というのは一つあると思う。しかしそういう考え方がはたして世間の納得というものを今日の段階において得られるかどうか非常に疑問だと思う。 そこで確かに利潤というものをどうやって説明したら皆さんの納得が得られるかということで問題がございますけれども、私個人は、利潤というものは次のイノベーションのための手段である、次に前進あるいは進歩、これをするためには利潤がなければ、研究開発に向けるファンドがないわけですね。いまの状態をただ続けるしかない。そういう意味で次のイノベーションのための手段として利潤というものが企業によって要求される。またそれをただ単に企業が口でそういうふうに言うだけではなくて、その企業のビヘイビアの中でそれが実際行なわれて世間の承認を得るというようなふうにならなければならぬのじゃないか、こういうように考えるわけなんです。しかし不幸にして便乗であるとかいろんなことが出てまいりまして、こういったことも何となくそらぞらしくしか聞こえないような実情かと思いますが、これからこの経営者の社会的責任あるいは企業の社会的責任という問題がきびしく追及されていく、そういう中でやはり企業の利潤に対する姿勢というものも変わっていくのでないだろうか、こういうような期待を持っておるわけなのでございます。はたしてそういう点について、強権というか、いろんなそういった別途の手段でこれを統制していくということが適当かどうか、私としてはちょっと判断いたしかねるわけでございます。
○平林委員長 和田耕作君。
○和田(耕)委員 先ほど来の質疑を通じまして、私のいろいろと疑問に思っておったことについていろいろ理解を深めることができました。ただ、私、あと二つだけ御質問申し上げたいと思うのです。 今度の石油パニックというのは、先ほど情報の問題を加藤先生からもお話がありましたが、やはり諸悪の根源は政府自身が十一月、十二月の段階で石油がどのように入ってくるのかということについてかいもく見当ができなかった、私、何といってもこの問題は一番の根本だと思うのです。この問題について政府の各関係のところにもいろんな質疑を通じて強く要請をしてきたのですけれども、この問題今後とも政府がこういうふうな失態をおかさないように努力をしてもらわなければいかぬと思うのです。これは単に石油だけではないのですね。たとえば食料品の問題でもあるいは繊維の原料の問題でもしばしば同じような問題が起こってくるという可能性を持っているわけなんですね。そういうふうに考えましても、日本の経済に一番大きな影響を及ぼす、特に物価、流通に及ぼすのは重要な原材料の国際価格の問題ですね。こういうふうな問題について、日本政府としてこれをできるだけ正確にキャッチするような情報網を持ってないし、今度のように業界の情報にたよってしまう、あるいはメジャーの情報にたよってしまうというふうなことだけしかない。これは一般の食料品、原料等についても大商社の情報、あるいはジェトロということもありますけれども、主として大商社の情報にたよってしまう、こういうふうな状態であって、この問題を改善しないと、今後二度、三度と同じような問題が起こってくる可能性を持っている。そうすれば国民も迷惑するし皆さん方も迷惑をする。皆さん方というのはつまり小売り、流通業界の人たちも迷惑をするということになるわけであります。したがってこういうふうな問題、つまり国際価格の動向というものをもっと的確に把握できるような機構なりあるいは何か適切な努力がありそうに私は思うのですけれども、この問題についてひとつ参考人の皆さま方から御意見をお伺いをしたい。つまり、田中総理の施政方針演説でも、経済企画庁の長官の演説でも、政府のいろんな文書でも、物価問題の一番大事なところは国際価格だ、こう言いながら、これに対して的確に把握する努力なり機構を準備していないということですね。こういうことが大事だと思うのですが、時間もありませんので、ひとつ片岡さんと高丘さんに代表してお答えいただきたいと思います。
○片岡参考人 私、政府の中におったことございませんので、一体具体的にどういう方策があるのか、正直申しましてよくわからないのです。ただ、いまの段階で、何万人を擁する総合商社が全世界にネットワークを持っておって、そこからあがってくる情報を駆使してあれだけの活動をしておる。おそらくあれくらいの規模のものを持たなければなかなかそれだけの情報をつかむということはむずかしいのじゃないだろうか。はたして政府がそれだけのことをやり得るかどうか、非常に疑問に思うのでございますが、お答えにならぬと思いますが、どなたか御専門の参考人の方にお願いしたいと思います。
○高丘参考人 私も的確なお答えはできないと思いますけれども、確かに先生の御指摘になりましたとおりだと思います。私どもも、去年の十一月ごろの段階に、一生懸命になりまして、石油関係の会社の方々に見通しなどをお伺いして、一喜一憂をしたわけでございますけれども、こういうことを申し上げるのはどうかと思いますけれども、今日で振り返ってみると、何かだまされた感じが実はぬぐい去れないと思います。 そういう意味におきましては、やはり先生おっしゃいましたように、政府の外交チャンネルを通じて、特に申し上げるまでもなく、わが国では、原材料は国際市場に影響する率が非常に高いわけでございますので、それぞれの通産、農林、各省からも外地に駐在をなさっておる方々は、かなり多数のようでございますけれども、なお一そう各省物資別に、ひとつ重要物資については、生産、価格の状況について御把握いただけるようにしていただければというふうに思います。
○和田(耕)委員 これは、いまの商社の情報で百のものなら八十ぐらいまではそれでいけると思うのです。今度のように、直接関係しておる問題になると、うその情報を流したり、あるいは今度石油の業界は値上げをしようとかかっているやつだから正しい情報はやらないという問題があるわけです。そういうことで、日本国民としては百億ドルも一ぺんに損失を受けたことにもなるわけであって、これは流通業界としても、こういう問題について、もっと正しい判断の基準になる重要な国際商品についての正しい情報を、もっと公正な政府機関あるいは補助機関としてつくり上げてください、その努力をしてくださいということを要望するような問題じゃないかと私は思うのですね。 これはそれといたしまして、ぜひお願いをしたいと思うのですが、情報という問題になりますと、たとえば生鮮食料品の価格は中央卸売り市場できまる。ところが、この中央卸売り市場で大事な価格がきまってくるところがどういう情報によっておるかというと、築地なら築地、あるいは神田なら神田の野菜市場、あるいは魚市場で、集まってきたものを対象にしてやっているわけでしょう。こういうこともぼくは芸のない話、知恵のない話だと思うのです。つまり産地と消費地の直結の価格にしたって、どうしても卸売り市場の価格が標準になるわけです、直接のあれにしても。その価格の取り方も、これは農林省の方もいらしておるのですけれども、情報という問題にもっと神経を使っていただかなければならない。そうしないと、自由経済とか、自由競争とかいって盛んにこれを主張されるのですけれども、肝心の情報がおかしい、そんな自由経済というものはあり得ないのです。そういうような意味で、もっと情報活動というものに対して、流通業界の一部としても気をつかって、まずい点を直さしていくことが必要だと私は思うのですけれども、何かいい知恵はないんでしょうか。
○平林委員長 森参考人、何か御意見がございますか。
○森参考人 正しい情報という表現の背景には、事実は一つしかないというような考えがあると思うのです。しかし、情報というのは、先ほど来のお話もありましたように、取引の場合に、重要なものは先行きの場合が多いわけです。これはどうなるか、神のみぞ知るみたいな話でありまして、唯一の正しい情報ということはあり得ない。ところが政府にそういった機能を期待しますと、たとえば通産と大蔵と農林省が発表するのは違うじゃないか、どうしてくれるというようなことにもなりかねないわけでございますね。 そこで、私、これは受け売りでございますけれども、正しい唯一の情報なんということは、そもそも期待し得ないという認識をまず持って、そもそも情報というようなものについてはわからない、Aということも起こるだろうし、Bということも起こるだろうし、Cということも起こるだろう、その確率は、大体こんなことぐらいのことしか言えないという程度の情報を——生産し、流す方々にはその程度にとめるということにしておかないとまずいのじゃないかと思います。それは一般論でございます。 それから築地、神田の話でございますけれども、これはこれまでもずいぶん言われてきたことで、この場で一分ぐらいの御返事で済むことじゃございませんので、また別の機会にでも時間をかけてお話しさしていただきたいと思います。
○和田(耕)委員 これはたとえば問題になりそうな品物の生産されている数量、あるいはそれが流通のいろいろなところに流れる状況、あるいは外国からの輸入、このようなことでも問題になりそうなときに、二、三カ月前に、この問題について政府は政府としての情報を、つまりいまおっしゃったように、ただ一つ、これだけしかないのだという意味でなくて、こういうような参考の情報を流していくとか、そういう政府だけでなくて、野党なら野党でやるとか、あるいは国内の皆さん方の、たとえば百貨店なら百貨店、スーパーはスーパーのあれで流すとか、そういうことをお互いにもっとやらないと、公正な競争とかなんとかということを言っても、うまくいかないのじゃないか。先ほど片岡さんが寡占の状態にある強力なメーカーのあるところでは、わりあいうまく秩序ができておるというお話があったのですけれども、これは非常に大事なことだと思うのですね。ただ競争、競争——今度の石油パニックほど自由競争のまずい面を露出した時期はなかったと思うのです。だから、買い占め、売り措しみ法案というものが出てきたり、石油二法案というものが出てくる。これはいずれにしても、いろいろな意味を持っておりますけれども、自由競争、自由経済に対する一つのチェックあるいはバランスをとるという意味を持っておると私は思うのですね。自由経済でも、寡占企業という一つのしんのあるようなものでは、自由経済というものが一つの秩序を持つけれども、そういう心棒のないところは、なかなか自由経済そのものがうまくいかない、こういうような状態を今度の石油パニックは如実に示したみたいな感じがするのですね。全体としては、自由経済のメリットを私自身も認めるのですけれども、それだけではいけない。ただ、公取の問題でも、公取に全部——公取をただ強化すればいいのだということじゃ対策にならないと私は思う。もっとやはり状態の変化に応じて、国民生活という問題も考えながら、計画と統制という問題を必要な形で取り入れていくということが必要だと思うのですけれども、そこらあたりの感覚について、つまり自由競争、自由経済というものを今後とも基本に考えてやっていったらいいのか、あるいは相当程度、計画とか統制とか、つまり国民の生活とかそういうものを考えていったらいいのか。基本的な判断、このウエートの置き方等について、ひとつとりあえず参考人の皆さん方からの率直な御感想をお聞かせをいただきたい。
○片岡参考人 たいへんむずかしい問題だと思いますが、やはり自由経済のメリットというようなものは、これは非常に大きなものがあるだろう。そういう意味で、私は、プリンシプルとしては、やはり自由経済のたてまえというものを守っていかなくてはならぬのだろう。しかしながら、今日の世間の姿を見ておりますと、必ずしもそれですべて解決するというわけではない。特に昨今、御承知のようにコンシューマリズムというか消費者パワー、こういった問題も登場してまいっております。たまたまある機会に文房具のメーカーさんにお目にかかったことがありまして、そのとき、主婦の方々とお目にかかってたいへんお目玉をいただいた、昨今文房具メーカーさんが出しておる机は勉強するための机なのか遊ぶための机なのかわからぬ、あんなもの出されれば子供はいいほうを買いたがる、昔ながらの例の机らしい机を出さぬか、こういうおしかりを受けた。そこで、たいへん悪かったということでその机を出して市場に送った。ところが実際に売れたのはどっちかというとやはりそのデラックスなやつで、机らしい机はさっぱり売れなかった。そうなりますと問題は、メーカーさんのほうとしては、消費者が求めておるものはそのデラックスなほうにあるじゃないか、そういうものをわれわれは供給しているのだ、いわゆる消費者、お客さまは王さま、消費者の満足ということでこれでいいんだ、何もあなた方からそうやってつべこべ言われることはない、こう言って開き直るわけですね。しかし問題は、開き直っただけで事が済むのだろうか。消費者の抗弁というものがそれで引っ込むのかというと、やはりそれで解決はしていない。むしろ消費者のほうとしては、それじゃあそのデラックスなほうを買いたいように仕向けたのはだれか、こう消費者のほうは出てくるだろうと思うのであります。そういう議論のやりとりの連続になっていくだろう。そこまで参りますと、一体こういうものをお客さんがほしがる、求めておる、だからこれをつくって提供するという考え方、意地の悪い言い方をすれば、売れるものなら何でも売るという考え方に通ずるわけですが、これがやはり問題になってきている。そうなると、こういう商品というものは、これはほんとに消費者のためになるものかどうか、そういうことを判断して、そういう価値判断をそこで加えて、そしてこれは出すべきではない、出せば売れることはわかっているけれども出すべきではない、こういうところまで今日の日本の経営に対する要求が高まっている。そこまで日本の企業経営は要求されているのではないか。これは私の私見でありますけれども、そういうふうに思うのです。ただ単にいまある消費者の要求にこたえて何でも提供していくというんではなくて、それをもし政府がやるとすれば、これは非常に計画経済だ、統制経済だと問題になってくると思うのですが、それをもし企業経営者のいうなれば良識といいますかそういう賢い判断によって行なわれるならば、自由経済の原則というものを曲げずに済むんではないだろうか、こういうように期待するわけであります。
○久保村参考人 私も大体片岡参考人と同じ考えを持っておりますけれども、自由主義体制で行ってよろしいと思います。ただ、いままで一般に企業が考えておりましたことは、消費者は神さまである、こういう考え方、消費者の満足が同時に社会のためになり企業もそれによって成長することができる、こういう考え方でございますけれども、この数年それだけでは行かなくなってきております。消費者の欲求に従って自動車をつくりますと、それが排気ガス公害をつくりますし、消費者の欲求に従って宅地を山の中腹あるいは上まで造成していきますと、それが自然の景観の破壊あるいは史跡の破壊につながります。あるいは消費者の欲求のままに製品を開発していきますと、限られた資源の浪費になることもあります。あるいは消費者の欲求のままに乱売競争をやっていきますと、それが市場集中を高めることになる場合もあります。こういうことはかってはそれはそれほどなかったのですけれども、この数年、七〇年代に入って目立ってまいりまして、企業の社会的責任が強く言われるようになってまいりました。さらに今回のオイルショックを始まりとしました経済の混乱でも、企業が自分のおもむくままにやったのでは経済の破綻を招きかねない事態になっているわけなんですけれども、そういう一般的な趨勢としての企業の社会的責任、あるいは現時点における特殊の問題——今度に限らずこれからも起こるとは思いますけれども、現時点の特殊な問題に対する企業の対応、その辺で考えなければいけない問題もあります。また企業がそれに対応できない場合には、法律あるいは行政指導による自覚を促しあるいは規制をしていくという問題もございましょうけれども、それはどこまでも例外であって、やはり資本主義経済を中心にしていけばいまのところ経済の運営は支障がない、そういうふうに考えております。
○森参考人 政府としてできることは、独占禁止政策をきびしく追求するということがまず第一だと思いますけれども、しかしそれにもかかわらず現在のように寡占体制になりますとなかなか一〇〇%の効果をおさめることはできない。そうしますと、一つには先ほど来お話のありましたような小売り店のボランタリー化による対抗力の育成ということもございましょうけれども、これも早急には望み得ない。といたしますと、政府としてやり得ることは、弱い者の立場に立って強い者に対して発言をしていくということ、そういう意味合いでの行政指導であるなり規制であるということは私はたいへん賛成でございます。
○高丘参考人 私も大同小異の意見でございますけれども、基本的にはやはり経済の運営は市場メカニズムを中心にしてやっていくべきであろうというふうに思います。ただ、そこに計画とか統制とかいう概念を入れてこなければならない面がある。それは幾つか制約をもってそれを考えるべきであろうと思いますが、その一つは森参考人も言われましたように、独占禁止政策と申しますか、有効競争をいかにして維持していくかということについて公権力は介入すべきであろうということが一点。 それから第二点は、久保村先生おっしゃいましたように、公害の問題であるとかその種の問題については、やはりわれわれの社会を未来にわたって維持していくために公的な介入が必要であるというふうに思っております。それから、それ以外の分野につきましては、私はでき得る限り競争のメカニズムのもとに市場機構が有効に働くことによって解決をしてほしい。 三番目に、ただ緊急の事態というものが先ほど申し上げましたように今後も予想されないわけではないし、世界各国ともそういう緊急事態が発生した場合に対応すべき政策手段を持っているわけでございますが、その種の現在の三法によってそれが十分満足できるものかどうかということについては若干疑問にも思いますけれども、いずれにしてもそういう緊急事態に対応する政策手段を持ってそこに統制が行なわれるということは、これまた当然のことであると思います。 その三つの分野に限定をして、計画と統制という問題が経済運営の中で生かされることを私は期待したいと思います。
○平林委員長 本日の参考人に対する質疑は、これにて終了いたしました。 参考人各位には、お忙しいところ長時間にわたり御出席をいただき、貴重な御意見をお述べくださいまして、まことにありがとうございました。ここに委員会を代表して、厚くお礼を申し上げます。 次回は、明二十八日木曜日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時二十九分散会