文教委員会 第28号
- 発言数
- 129 件
- 登壇者
- 22 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1973/09/19
会議録
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を開会いたします。 国立学校設置法等の一部を改正する法律案及び国立学校設置法の一部を改正する法律案について、本日は参考人の方々から御意見を聴取いたします。 なお、御案内のように参考人の方々が多いので、午前、午後に分けて御意見を聴取いたしたいと存じます。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は御多忙中にもかかわらず、本委員会に御出席くださいましてまことにありがとうございました。この機会に、各参考人の方々から忌憚のない御意見をお伺いいたしたいと思いますが、議事の都合上、御意見をお述べ願う時間はお一人十五分程度にお願いいたしたいと存じます。なお、参考人の方々の御意見のあとで委員から質疑がございますのでお答えをいただきたいと存じます。 それでは、最初に上田参考人にお願いいたします。
○参考人(上田薫君) それでは申し述べさせていただきます。 私は、いま問題になっておりますこの法案について、現在のまま法律となることに対して反対の立場から意見を申し上げたいと思います。 最初に、私事でございますけれども、私の今日までのことについてちょっと申し上げますと、私は、昭和四十三年の六月に名古屋大学から東京教育大学に転任いたしました。ちょうどいわゆる紛争の始まる直前と申しますか、ほとんど同時であります。それから四十七年、昨年の三月末に退官をいたしまして、現在立教大学のほうにつとめております。いま申しましたことも、これから申し上げますことと若干関係がございますので申し上げたわけでございますが、私は、この法案について最も問題と思いますことは、やはり人事をめぐっての問題であると思います。人事の問題は、やはり大学として非常に大きな比重を占めておりまして、従来の大学も、また現在多くの大学もそうでありますが、この問題をめぐっていろんなトラブルが絶えないわけであります。現在の講座制の人事につきましては、そういう意味において確かに問題がございまして、私自身も、それに対しては前から批判的でございました。教授、助教授という別がございまして、そのことが必ずしも教育とか、あるいは研究と合理的に関係いたしませんということがございます。そのことはやはりどうしても何とかしなきゃならない問題でありますけれども、今回の筑波新大学の方向は、その問題を従来問題があったものを開く方向ではなくて、むしろ逆の方向に解決しようとしているように私には思えるわけであります。現在の学問のあり方とか、あるいは教育の現状から見まして、もっと広く責任を分かち合って考えていくことが必要である。それにもかかわらず、まあいわばある意味では秘密裏に事が行なわれている。そのことについては、歴史的なもちろん必要性があったわけでありますけれども、現在の問題を当面において解決しようとするために、それをさらにもっと管理面の強化と申しましょうか、権限を上部に集中することによって解決しようとすることは、大学というものにとって長い目で見ますと、どうしようもない大きな混乱を生じさせるとしか考えられないわけであります。これはちょっと具体的な問題でありますけれども、関係のございます東京教育大学におきましても、たとえば人事の問題は教授のみが掌握しておりまして、非常にベテランの、また、非常に優秀なと考えられる助教授でありましても、どういう人がどういうふうに採用され、あるいは昇任していくかということについては全く知らない。あえて申しますと、官報に出ましてから初めて知るような状況がございます。そういうことではたしてチームワークをよくとった研究体制、教育体制ができるかどうか、これは全国の大学によってそれぞれ少しずつ違いますけれども、どうしてもそれをもっと広いところに開いていかなければ、これからのいろんな難問題に対して大学が取り組むことは私はできないと思うんであります。で、もちろんそういうふうにするためにはいろんな支障はございますけれども、その支障を長い目で乗り越えていかなければ大学の将来はないと私は考えます。それに対して、筑波新大学の場合はその逆方向をとりまして、いわば、一そう人事が秘密裏に行なわれる、あるいは一般の職員、教職員の考え方というものが反映しない形で行なわれる可能性が非常に強いわけであります。このことは、やはり大学にとって致命的な問題になると私は考えます。で、もちろん非常にうまくまいりました場合においては、この法案にありますような大学の運営というものが成り立たないとは、それは言えないと思うのであります。ただ、これは従来の講座制の大学がそれに悩んでまいりましたように、そしていま申したことに関係がございますが、教授というものが、何か聖人君子であって、万能であってというふうなそういう前提、いやそういう前提があり過ぎたから、筑波のようなものを考えたというふうにおっしゃられるかもしれませんけれども、しかしながら、まだ多くのメンバーに対して開かれている場合と、それから学長あるいは副学長——上部の非常に限定された方々にそれが集中する場合とはうんと違うわけであります。そういうことから考えますと、それこそ、ほんとうにこの世離れしたような方々が大学の上層部にあって運営された場合においては、あるいはそれは暫時運営が可能かもしれませんけれども、私は、現在自分たちを含めまして、大学の教授のあり方等を考えましたときに、そういうことはまあ不可能といいますか、ほとんど成り立ち得ないと考えざるを得ないわけであります。そういういわばまれなるといいますか、抽象されたケースについてだけ考えて、こういうやり方が成り立つというふうに論じられることは、私はこれは非現実的であるばかりでなくて、何かまた別に意図があるというふうな憶測さえ必ずしも出てこないとは言えないと思います。そういう意味において、この筑波の構想自体、いろいろな点で、私ども考えましてもおもしろい点を含んでおりますけれども、一番重大な点においてきわめて非現実的であり、危険であるというふうに考えざるを得ないわけであります。で、私は先ほど申しましたような経歴を持っておりまして、退官をいたしましたのにも、それがそこに、いま申しましたような問題にかかわった理由があるわけでありますけれども、大学というものがいま申しました意味において十分に人間の持っておるお互いの弱点に注意をする、それをカバーするような体制を持っておりませんと、不幸にして東京教育大学に起こりましたようなことは必ず起こる。これは東京教育大学のみが、そのメンバーのみが特殊であったんではなくして、私は、日本じゅうのやはり大学の教師、いや、それだけじゃなくて、日本人だれをもってまいりましても似たようなことが起こると思うのであります。 東京教育大学の実情につきましては、後ほどまたお話があるかと思いますので詳しくは申し上げませんけれども、私自身簡単に自分の体験したことを申しますと、私は三年間、東京教育大学の教育学部に附属の特殊学校がございまして、私は、そのうちの盲学校の校長を三年間いたしておりました。その間、大学の移転をめぐっての紛争がもちろんあったせいでありますけれども、いわばその附属の盲学校と申しますのは、幼稚部からありまして幼稚園の年齢の盲児もおります。それから大学レベルの年齢の学生もおります。そういう組織でございますけれども、したがって、非常に複雑な事態を持っている。それに対して確かに執行部のほうに必要があるということはある意味ではわからなくはないのでありますけれども、その教育の状況に対して、それをもう成り立たせないような要求を次々と出されてくる。それについて私は学長代行——当時の宮島教授に対しても公開の書簡を出したのでございますけれども全然効果がありませんでした。要するに、目的のためには手段を選ばずというふうな態勢において、そういう盲人の子供たちもどうにもならないようなところに追い詰められる、そういうことを平然とやられるということ、これは普通の一人の人間としてはとても私はあり得ないことだと思うのでありますけれども、大学がいま申しましたような状況に立ち至りますと、そういうことがごく普通のようにしてあらわれてくる。もちろん、それに対してはいろいろな反対、批判がございましたけれども、それはいわば数をもって圧服されるという形でありました。それは一例でありますけれども、恥ずかしい話でありますけれども、大学教授としての人間性を疑われるような事態というものが実は続出してくるわけであります。そういうことがないように、筑波をお考えになったというふうにも確かにおっしゃいますけれども、はたしてそうであるか。私は、もっと大学というものが単に参与というふうな特定の人たちだけに意見を徴されるのではなくて、もっと常識的な広い視野を持った人たち、また、それよります若い多くの研究者に対して納得させ得るような体制をおとりいただくということ、これがなければ筑波にどういう大学をつくられましても、これはプラスになるはずはないと思います。そういう意味で、やはりわれわれは恥かしいことでありますけれども、われわれ自身の人間的な限界ということから考えまして、ほんとうによりよい大学をつくるためには、もっと胸襟を開いて考え合わなければいけない。この問題ももっともっと時間をかけて広い視野からコミュニケートする必要が私はあると思うんであります。実際に、いまの一般の社会人、親から見ましても、大学というものは十分理解されておりません。非常に大学をよ過ぎるように理解する場合が多いんでありますけれども、また、ある面においては、全く大学のむずかしい大事な問題を理解しているということが欠けております。そういう事態をもっともっと切り開いて本来の大学のあり方をつくるべきだと私は思います。そのことを、私は、自分の具体的にぶつかりました問題を通じて非常に痛切に感じておりますので御考慮願いたいと思います。 なお、最後に、どうしてもつけ加えて申し上げたいのでありますけれども、結局この問題は、学問とか教育というものに対して政治がどういう姿勢をおとりになるかということにかかってくると思うのでありますが、私は、あえて申しますれば、学問や教育の問題については、政府はやはり都合の悪いことをやはり耐えていかれなければいけないと思うんであります。それは認めがたきことをただ何でも認めろと申し上げるのではないのでありますけれども、要するに、これは教育の問題、また学問の問題は未来にかかっておりまして、現在の人たちがこれがいいと思えばそれで決定的にしてしまうことはできないわけであります。そういう未来に対する保障というものを含めて考えざるを得ないのが学問ないし教育なんでございますから、そういう意味において、これは政府のみならず社会人すべてがやはりそういう意味の自己制御をしなければいけないと思うんであります。これは、未来に対する謙虚さというものだと思います。それが現在の政治には欠けているんではないかと、私は痛切に思うわけでありまして、今日の一般の学校の状況を見ましても、教師はほんとうに子供のために打ち込んでいくような状況を持っておりません。日本人はそういうものを持てないのかどうか、そういうことについての問題をやはり含めてお考えいただかなければ、この大学の問題は解決しないように私は思います。そういう意味で、この大学についての討議はもっと広い、もっと長い時間をかけた場においてぜひやっていただきたい。そういう意味において、十分に御考慮願いたいというふうに考えます。 終わります。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 次に、徳廣参考人にお願いいたします。
○参考人(徳廣龍男君) ただいま御紹介にあずかりました中部工業大学の徳廣でございます。 私は、私立大学に籍を置く者の立場といたしまして、また、筑波大学法案等に関し賛成の立場から二、三意見を申し述べさせていただきたいと思います。 まず第一番目に、学校教育法第五十三条の改正でございます。筑波大学におきまして、教育組織といたしましての学群と、教員の研究上の組織としての学系というものを置かれるという立場から学校教育法五十三条が改正になろうとしているわけでございますが、従来画一的でありました学部のほかに教育・研究上の基本となる組織を置くことができるというように、大学制度の上に弾力性を持たされたという点につきましては賛成でございます。御承知のように、私学と申しますのは、創設者の理想というものを実現するという意味におきます建学の精神というものがございます。その建学の精神を実現する上における教育目標なりあるいは教育方針というものを立てます上におきましては、どうしても現在の学部学科というワクだけでは十分な特殊性を全うすることの困難な場合があるわけでございます。ところが、従来はこの学校教育法並びに大学設置基準の定めるところによりまして、学部学科あるいは学部課程というような制度をはずれては大学というものの創設は許されなかったわけでございます。そういうような点からいたしますと、ややもすれば、私学というものは、国立大学の補助的機関になる危険性すらあったわけでございます。ほんとうの意味で、私学が国立大学の補助機関ではなく独自性を持つというのでありましたならば、学部学科というような既成の画一的なもの以外の制度を認めていただくということは、かねがねから必要であると考えておったわけでございます。それが今回の学校教育法五十三条によりまして弾力性を加えるようになったという点、私は、私学に籍を置く者の立場といたしまして賛成であるということをまず申し上げたいと思うわけでございます。 第二番目の点は、学校教育法第五十八条の改正の点でございます。いわゆる副学長を置くことができるという点でございます。現在のように巨大化する大学におきまして、多くの教職員をかかえておる段階におきましては、これを組織的に管理いたしますためには、一人の学長という方でその任務というものを遂行し切れるものではございません。教育上の問題。研究上の問題厚生補導の問題あるいは財務的な問題いろいろございます。それを一人の学長が、十分に任務を遂行するというような能力を持っておられる学長というものは、そう数多くおられるとは思われません。となりますと、学長の役割りの一部を副学長という者が代行するという制度、これは当然考えられてよいものと思います。日本におきましても、国立大学あるいは公立大学では副学長というものはございませんけれども、私立大学におきましては、われわれの大学でもそうでございますが、かなり前から副学長という制度をとっておる大学がかなりございます。またアメリカ合衆国あるいはイギリス、イギリスでは副総長という制度でございますけれども、イギリスあるいはドイツ、ソ連等でも副学長という制度をとりまして、管理という面につきまして新しい試みをなされつつあります。で、すべての大学に置くというのではなくて、現在置いておられる大学、これは実際申しましたならば、学校教育法で置かれておるものではなくて、大学独自の立場で置いておる。悪いことばで申しましたならば日陰者の立場でございます。これを公に認めていただくと、認めていただく道が開けたという点で、学校教育法五十八条の改正には賛成でございます。 第三番目の点でございます。筑波大学におきましては、いわゆる開かれた大学という点をとっておられます。現在の大学に学ぶ学生数が百八十万にもなるという、いわゆる大衆化された大学でございましたならば、従来のような大学の観念というものはもう通用いたしません。私は、大学というものは教育と研究、そのほかにやはり社会奉仕、社会との連携というものが非常に必要であると思います。そのためには、社会の多くの要請あるいは意見というものに率直に耳を傾けるというだけの道は開くべきだと思います。筑波大学に置かれる参与会の問題にいたしましても、いろいろと御議論はあろうと思います。持っていき方によりましたならば、弊害もあるかもしれません。しかしながら、学長の諮問機関といたしまして社会の人々に耳を傾けるだけの道を開くという新しいやり方、私は賛成でございます。 以上、簡単でございますが、三つの点について意見を申し述べたわけでございます。 終わります。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 次に、北沢参考人にお願いいたします。
○参考人(北沢方邦君) 私、筑波大学法案について、以下の三つの点から反対の意見を申し述べたいと思います。 まず第一の点は、全体の構想に関してですが、まあこれが短期的な見通しに基づいてつくられているのではないか、したがって、これが実施された場合には、第一回の卒業生が出るその段階において、もうすでにこの構想自体が古くなっているんではないか、こうした計画に国費を投ずることは、国民の税金の浪費ではないかと、まず、それが第一点。 それから第二点ですが、社会に開かれた大学ということがうたわれているわけですが、その開かれた、社会に向かって開かれた、その社会というのが特定の産業界とか、あるいはそれと密着した政治行政府とか、そういった限られた社会に向かって開かれているのにすぎないのであって、国民全体に向かって開かれているとは言いがたいんではないか、この第二点です。 それから、第三点は、管理運営に関してそういうような限られた社会が参画することになっておりますけれども、その結果、研究・教育に携わる人々の手から人事権その他が失われることによって大学の自治がなくなってしまう。必然的に研究とか教育の自主性がなくなり、そしてその研究される科学とか、あるいは教育内容自体が必要的にゆがんでくるのではないか、この三点でございます。 まず、それぞれの点をもう少し詳しく申し上げてみたいと思いますが、まず第一点は、これはおそらくいまから二十年前ぐらいにこの大学構想があらわれて、そして実施されたならば、ある程度の意味も、あるいは役割りも持ったのではないかと思うのですが、この構想の全体の背後にある考え方はいわゆる近代主義と申しますか、効率をとうとぶ技術合理主義の精神に立っているのではないか、それに現在の新しい技術である情報管理技術とか、その他が加味されていて、一見たいへん未来社会を先取りしているように思われるわけですが、しかし、この構想自体は、たとえばいまわれわれがいまから十年前に構想された高度成長主義の限界というものに直面しておりまして、そうして社会全体で、いろいろ大規模な反省が起こっているところでありますけれども、いま現在、そういう新しい情報管理社会型の大学を構想した場合に、いまから十年後にはたしてそれがほんとうに未来を先取りした大学であったかどうかということが問われた場合に非常にその点が問題になるのではないか、そういう意味ですでに構想自体が旧式化しているんではないか、ほんとうの長期的な見通しに立ったものではないんじゃないか。ですから、むしろ現在この構想及び内容自体に関してももう一度それを白紙に還元して、そしてもっと全国民的な規模でこの新大学、せっかく国費を投ずるならば、その新大学についての国民的な議論を呼び起こして、そしてほんとうの未来社会の先取りとしての大学をつくるべきではないか。もちろん、現在の既成の大学自体が現在のままで理想的であるということは毛頭ありませんし、大いに改革、変革の余地はございますけれども、しかし、その上にさらに新しい大学をつくろうというとき、十年先になってもうすでに老朽化するような大学では困るんではないか、その点をまず指摘しておきたいと思います。 第二点は、筑波大学の社会性、つまり社会に向かって開かれた大学という点でございますけれども、この種々の報告書その他の構想を読みますと、一体何に向かって開かれているかということが問題になると思いますが、結局この構想自体は、端的に言いますれば、産学協同といった構想ではないか。すなわち、産業界が今後さまざまな発展を遂げるためにあたって、そこにおいて働き得る有能な人材を養成するというか、かなりそういう直接的な要求がまず前提としてある、そうしてそれに対して、いわば大学側が産業と行政からの要求に応じたいわば教育のオーダーメードといいますか、注文仕様に応ずるんだという、そういう意味での効率主義的な構想がございます。そして社会に研究・教育の利益を還元するんだということをうたわれていますけれども、そういう意味ではたしてほんとうに国民全体に利益が還元されるのかどうかという点がはなはな疑われる。それからもう一点、地域社会とのつながりその他をうたっておりますけれども、確かにいままでの大学が非常に象牙の塔といわれるように閉鎖的であって、そうしてその地域社会その他、もっと広い意味での社会との結びつきがたいへん足りないということはもちろんでありまして、その点は大いに改革されなければならないわけですけれども、しかし、この筑波大学では、たとえば地域社会といっても、結局は筑波研究学園都市との結びつきだけしか考えられていない。そういう意味で、先ほども申し上げましたような非常に狭い限られた特定の社会及びその特定の社会の利益というものだけに結びつくようなそういう点での構想であると、その社会性がそういう意味でたいへん問題になるということを第二点として指摘しておきたいと思います。 それから以上の二点に関連した問題として具体的に法案に盛られているのは、管理運営面でのそういう意味での限られた社会の参加ということによって必然的に引き起こされるさまざまな問題なわけです。これは先ほど申し上げましたように、大学自治の解体に結びつくのではないか。この大学自治がなぜ必要かということを申し上げれば、必然的に筑波大学構想に対してなぜ反対であるかということがおのずから了解していただけるのではないかと思いますが、従来の歴史を見ましても、科学とか教育というものは、完全に自由で自主的な研究の場が提供された場合にはじめて科学の発展あるいは教育の充実ということが行なわれてきたわけです。しかしそうではなくて、外からのいわば先ほども申し上げましたような実用的な要求、それが政治であろうと、経済であろうと、とにかくそういう実用的、実際的な要求に従って研究が行なわれ、あるいは教育が行なわれる場合には、むしろそういう実用的要求によって研究や教育がそれに服従するという形で研究や教育自体がゆがめられてくるのではないか。 一例を申し上げますれば、この十数年、アメリカがベトナム戦争を遂行してきたわけですが、そのベトナム戦争遂行においてアメリカの各大学というものが産軍学協同という形でベトナム戦争遂行に直接、間接に加わってきた。そのために、アメリカの各大学には巨大な研究費が導入されたわけですけれども、しかし、現在アメリカの各分野の学界において非常に大きな反省が起きている。それは単に大学紛争というような形で、学生が産軍学協同がいけないというふうに攻撃されたからと、単にそれだけではないのであって、むしろ、いままで行なわれてきたそういう研究の成果がほんとうに科学や学問の進展、発展の役に立ってきたのか、ほんとうの意味での科学の真理が究明されてきたのかどうか、そういう点が非常に大きな問題となってきています。たとえばベトナム作戦に付随してベトナム人に対するさまざまな心理作戦という形で社会心理学とか、あるいは文化人類学とか、さまざまな分野に研究費が投入された。しかし、そういうさまざまな研究が行なわれましたけれども、にもかかわらず、たとえばアメリカの国内問題一つを取り上げても、黒人問題とかインディアン問題とか、そういう少数民族問題の分析に何も実は役に立っていない。そういう形で研究が直接的な実用的目的に奉仕するときには、ほんとうの意味での学問の発展というのは望みがたいのではないか。たとえばそういう黒人問題、少数民族問題も実用的と言えるかもしれませんが、しかし、それはほんとうの人類全体に奉仕する学問という、そういう立場に立っての研究が初めてそういう問題を解明できるのでありまして、特定の政策に従属することではそれはできないと、そういう反省が現在各分野のアメリカの学界で盛んに論議されている段階ではないかと思います。その一例を見ましても、大学の自治、言いかえれば科学、研究、教育の完全な自由というものがいかに必要であるかということがわかるのではないかと思います。 こういう点で、この筑波大学においてそういう研究・教育に携わる人々の手から主として人事権を中心とする自分たちの運営管理の面での自主性が失われる、自主決定が失われることによって、いま言ったような大学自治というものが危殆に瀕して、そうして先ほど申し上げましたように、結果として科学及び教育自体がゆがんでくるというおそれがたいへん強い。 以上の三つの点を主として申し上げましたけれども、こういう点で、私は、いまの筑波大学構想及び法案をもう一度白紙に戻して、全国民的な規模でもう一度検討し、議論し直して、そして再出発すべきであると、そう考えております。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 次に、堀尾参考人にお願いいたします。
○参考人(堀尾正雄君) 堀尾でございます。 私は、大学のあり方を広い視野に立って語るほどの資格はありませんけれども、過去三十年あまり、京都大学の工学部におきまして教育と研究に携わってまいりましたささやかな経験と、また、狭い識見をもとにして、筑波大学法案と関係のある二、三の問題につきまして、賛成の立場から二、三の意見を述べてみたいと思います。 まず、大学における学部別制度でありますが、学部というのは、大学では教育と研究のための基本的な単位になっておるばかりでなくして、これは大学全体の運営に対しても非常に重要な機関なのであります。したがって、学部は、非常に大きな独立性を持っております。そのため、その大学内である一つの学部が強く反対をいたしますと、大学全体の運営がそのために支配されるということもあり得るという意味におきまして、私は、現在、学部というのは、大学以上に高い独立性を持っているという表現さえ当てはまるような場合もあるのではないかと、そんな感じがいたします。専門の学術分野を尊重するということは、私は、非常に大事だと思います。そういう意味におきまして、学部が非常に独立性を持っておるということは、大いに意義あるのでありますが、また、それはとうといことと思うのでありますけれども、あまりに反省をいたしませんと、それは過信といいますか、独善におちいるおそれがあるのであります。ある学部の教授会の決議に対しては、外からは一口も口ばしをいれることはできない。また、みずからが教授会で決議したからには、一切それは譲らないということを原則としていると、古い大学ではそういうようなしきたりなんでありますが、そういたしますと、一つの大学の中にありながら、いろんな学部が異なった方向に進むということもあり得るのでありまして、私は、自分自身として、このために非常に歯がゆい思いをした経験があるのであります。私は、自治の精神はとうといと思いますけれども、それは反省を欠きますと独善におちいる危険があります。このことは、学部制度ということから見ました、大学の中から見た大学の現在の問題点の一つであろうと、私は、こういうぐあいに思うのであります。 それは、その大学の中でありますが、一方、眼を世界にはせて考えますと、学術の進歩はきわめて急激であります。そのために、われわれも次々と新しい学問分野を開拓していかねばならぬのでありますが、学部は独立した機関でありますから、学部間の公的な協力というのは、個人的は別としまして、公的な協力は、制度上かなりの制限を受けるのであります。そこで、勢い各学部では、部内の教室の周辺を広げるように努力するような結果になる。私の身近な例をあげますと、京都大学の工学部では、私らの時分では教室は六つであった。ところが、現在では教室は二十三の教室に増加している。これは確かに人材の育成と学術の進歩に貢献しているということは言えると思います。また、それは確かだと思います。しかし、各学部が自分たちのからの中身をふやして、それを細分化していくというだけ、まあそれが一番やさしいということで、そういう方向に流れていきますことはよろしいのかどうか、これは非常に大きな疑問とするところであります。ところが、これは当然起こり得る、考え得るところでありますが、たとえば理学部と工学部とが一体になって一つの境界領域をつくる、その境界領域の教室をつくりあげて、そこで新しい人材の育成なり、研究の発展をはかるということを考えてみましても、現在の制度では、それはできないのであります。つまり、理学部にも属していない、工学部にも属していないという、そういうような教室は原則としては設置できません。教室は、結局はどこかの学部には属さねばならぬ。また、どこかの学部の教授会の議を経て決せねばならぬということになりますから、その一つの固定した学部のワクの外からあまり多く出ることはできない。このように閉鎖的な制度は、人材育成の立場から見ましても、学術の進歩発展を促すという立場から見ましても、たいへん不利なことだと考えられるのであります。 このように感じている者は、私一人だけではありませんのでして、私の知っている現役の若い教授たちともよく議論いたしますが、これらの点で非常に悩んでおります。そして彼らの多くは、新しい大学や学部を目ざしていろいろな研究をしているわけでありまして、これは私が思いますのに、多くの大学人が悩み、考えている問題であろうと思うのであります。 このような見地から見ますと、筑波大学の案は、かたい学部のからを破って、編成自在な体制のもとに新しく出発しようとする意図が見られるのでありまして、私は、これは注目すべき一つの案だと思っております。 この筑波大学の案を、自分の専門の立場だけから申しては、非常に狭いところへ押し込めて、たとえて申しますのはまことに恐縮でありますけれども、一例として、こんなこともあるとお聞き賜われば幸いです。私は、工学部におきまして化学の教室に奉職しておりました。しかし、化学の教育は理学部の中にもあるのです。農学部の中にも、医学部の中にも、化学の教室があります。薬学部といいますと、その多くを占めているのは化学であります。しかし、これはみな学部が別でありますので、化学の教員同士の協力といいますのは、私的の上では非常にやられますけれども、公的あるいは制度の上では、なかなかこれは果たしにくいのが通例であります。また、これは卑近な例でありますけれども、学位論文の審査におきましても、私は工学部に属しておりましたために、土木だとか、鉱山だとか、その他自分の専門以外の工学博士の論文の審査にあずからねばならなくなりましたが、よく考えてみると、ときには理学部の化学に関する理学博士の学位論文の審査に当たったほうがより的確な評価ができたかもしれないと思うこともあります。しかしへその他学部の学位論文の審査ということは、これは全く不可能ではありませんけれども、一つの特例に属しているのであります。ところが、筑波大学の案を私の化学だけにしぼってきてまことに申しわけないのですが、案を見ますと、もはや医学部だとか、理学部、農学部、工学部、薬学部というようなかたいからの学部をつくるということはやめて、また、その中に一つずつ化学の教室をつくるというような、そういうこともせず、化学専門の教官が化学の学系という中で、学系を二つか三つに分けておられましたけれども、学系という中で互いに協力できるような制度を計画しているということは、私、意義あることと思います。こういうような大改革は、既設の大学、特に私の奉職しておりました京都大学というような古い大学では、なかなかこれだけ思い切った制度改革というものは実施できるものではありませんので、これは新設の大学として初めてなし試みられることでありますので、私は、その構想に対して非常な興味を覚える次第です。 次に、教育と研究の機能の分離ということも、これは種々論議を呼んでおります。私は、筑波大学の構想に対しましては、少しも参画したこともなく、関係したこともないのでありますけれども、これはまことに偶然ともいいましょうか、筑波の構想は、私が大学の教育と研究の運営について考えていたこととほとんど一致しているのであります。 私は在職中に、お恥ずかしながら何らの研究成果もあげることができず、ざんきにたえないのでありますが、それならば、教育の面で全力を尽くしたかというと、教育の面においても私は非常におろそかであったことを深く反省しているのであります。いまから思いますと、三十歳と四十歳代のころは研究で夢中であったように思い出されます。いつも頭の中を占めているのは研究のことで、教育のほうは何か軽く考えがちであったように思い出されるのであります。その結果、授業や学習、指導がおろそかであったのではなかろうかと反省もされるのです。 ところが、これは、おそらく私だけの特殊例かもしれませんが、五十歳をこえたころより私は学術研究の第一線で働き得るという自分の能力に対しまして次第に限界を覚え始めました。私は、これこそ若い助教授や助手たちに私に与えられた研究費をできるだけ多く与え、そしてその人々の仕事を伸ばし、十分な実力と自信をつけてさせる上では、これはよい機会であり、自分は研究の第一線から一歩引き下がって、むしろ教育に力を注いだほうがよいのではなかろうかという思いをいたしました。しかし、学部及び教室が教育の基本単位である限り、そのワクの限度をあまり越えることはできないのであります。むやみに教養課程に私が出ていくというわけにもまいらないのでありまするので、ここにおのずと限度が出てまいります。学部、教室及び講座というのは、その中の人員の構成がぴしゃっときまっているんです。人数もきまっております。また、その職名の任務もちゃんと固定した、非常にはっきりとした組織なんであります。それは一つは教育の場でもあり、一つは進歩の激しい社会の学術の最先端をになう場でもあるのであります。この二重の任務を固定した一つの組織に負わせるよりは、教育の組織と研究の組織とを区別して考え、それぞれの目的に即した教員の構成となるように人事を考える必要があるように思うのであります。 そこで、私はある幅の専門ごとに二十人ないし四十人の教員のグループをつくる。その中でいろいろ合議の上で、ある期間をきめて、教育をおもに担当する教員、研究及び大学院をおもに担当する教員に分ける。またある時期で交代してもよろしい。で、教育と研究の機能を高めるように、そういう方法によって機能を高めるようにはかることが一つの道だと考えました。 筑波大学案の学系といいますのは私の言うグループに当たり、各学系に所属する教官が合議の上で学群における教育をおもに担当したり、また、別の教員は大学院と研究をおもに担当させるという、そういう構想はまさに私の考えていた案と一致いたしておるのであります。 私は、大学におけるスクーリングをもっと厳重に大事にせねばならぬと思います。特に最近その感が深いのであります。大学は、入学はむずかしいけれども、入学さえしてしまえば自然に卒業できる。これはスクーリングが本式に行なわれていないからであります。 こういうことが、大学の非常に大きい問題の一つになっておるのでありまして、スクーリングによって学生を鍛え、それを通じて先生と学生の心のつながりが強くなるということは、教育の上では私は非常に大事なことであります。こんな大事なことを、研究に頭を向けているその片手間で私はできることではないと思うのであります。このように教育の担当者がおってこそ、研究を担当する教官もその任務に励むことができると思います。この点で、私は筑波大学案と全く同じ考えであるのであります。 このように、学部、学科、講座という定着した組織を廃止して、そのかわりに編成に自由度を多く持った組織をこれでもって置きかえるということになりますと、大学の管理体制は自動的に変わるわけです。学部のような閉鎖的で不可侵的な単位がなくなれば、自然と大学全体を見通すような全学的な組織が最終的に事を決するようになるのは私は当然の結果だと思います。 筑波大学の組織編成は、本質的には必然の結果であると、私は考えておるのであります。限られた仲間だけで決定したことをそこまま大学の決定事項とせよということは、これはある意味では独善とも言えましょう。みずからも代表者を出し、適切な人員構成によって各部局の立場を尊重し、大学全体を見通して結論を得るという制度は、私は、こういうように内部を開きましたならば、当然起こってくることであろうと思うのであります。その意味で、筑波大学の組織編成は、私は必然的な結果だと思います。 これを要するに、現在の大学がかかえている最も大きい諸問題を根本的に改革しようとしている筑波大学の構想を、私は、ぜひ成功させたいと念願している一人であります。終わります。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 次に、井上参考人にお願いします。
○参考人(井上忠夫君) ただいま御指名をいただきました参考人の井上でございます。 国立学校設置法等の一部を改正する法律案に対し、日本新教職員組合を代表いたしまして、本法案に対し、原案どおりであったならば反対の立場で意見を開陳をいたします。 この筑波大学の問題を事の起こりから経過を追って分析してみますと、いささか問題があるように思います。と申しますのは、過ぐる一九六七年には単に教育大の移転であったものが、あの大学紛争を経て新大学の建設となったということであります。この前者の立場では、条件整備がおもな課題であったと記憶しておりますが、この見地から移転に賛同した人たちは全く裏切られたと思っていられるのではないでありましょうか。 まあしかしそれはそれとして、新大学の建設であれば、構想について志を同じくするものを国立、公立、私立の大学の別を問わず広くつくればよい、このように思うものでございます。 移転と新構想大学という二つの立場を混同したまま維持したために、東京教育大学では対立が続いてきたことはだれもが認知するところでありましょう。特に、文学部教授会の知らないうちに一部の教授に辞職勧告があり、同学部の教授定数も二十名に及ぶ欠員のままとなっていたこと、こういう事実、また、評議会の学長不信任動議の保留問題等々、混乱と対立のよい例ではないかと思います。 このようなことから見ますと、このまま筑波に移ったとしても明るい学園となることはまことに困難であります。筑波大学の問題は、大学構想について学術会議あるいは国立大学協会など大学問題に責任を持つ重要な組織の意見が十分に徴されていないことは、どう見ても片手落ちの感をぬぐい切れません。 今日、教育問題があまりにも政争化していくことは、日本の教育の不幸を一そう深めるものだ、このようにも考えております。しかし、私たちは、この新大学の構想自体には、これからの大学の改善のための参考になる点の多々あることも認めます。前段述べましたように、疑問点のあることも否定できません。 私は、この新構想の内容以前の問題として、新大学建設の手続として広く学術会議や国立大学協会等々の意見を徴して、学界、教育界の協力を得て新大学を建設するように努力されることを期待するものであります。まずもって、東京教育大の移転か、それとも新大学の建設かという根本を洗い直すことも必要ではないかと思うわけでございます。 日本の大学は、もちろん教育全般にわたる改革が必要であるだけに、最初の大学改革の成否が及ぼす影響はたいへんに重かつ大なるものがあると思います。教育の自由と独立を築くという重要な基礎となり基盤となることを期待してやまないものであります。 いままでは、大学は社会、経済の進歩を促進することを一つの重要な役割りとしてきましたが、いまは進歩それ自体に対する根源的な疑問が投げかけられております。その中で、これからの大学は何を求め、またつくろうとするのか、これが基本的な問いとなっていると思います。新大学の構想にあたって、このことを十分に配慮していただきたい。支援もするが支配もするというものではなく、ことばをかえて申しますならば、下からつくり上げるエネルギーを無視した上からの管理だけでは、これからの社会をつくることはできないのではないでしょうか。 本法律案をつぶさに検討してみますと、前段述べました趣旨とかなり矛盾しているところがあるように私どもは思っております。たとえば学部制廃止と学系、学群創設の問題でありますが、御案内のとおり、現在の総合大学は、実質的には学部の寄り合わせ所帯であって、研究、教育あるいは、管理運営においても、総合というより中心は学部であって、大学当局を構成する学長あるいは総長が弱体であったことは否定できません。また、教育の組織、管理運営面においても、確かに問題があることは事実であります。学系は哲学、歴史、人類学等の学問の専門分野に従って二十六の学系があり、教授はその専門分野に応じていずれかの学系に属して研究に従事すると、こうなっておりますが、学部という教育機能、管理機能を兼ねたところに付属するよりは、もっぱら研究機能を持つ学系に属するほうが、研究者の面からはよいと言えましょうが、しかし、現在の学部制においても、固定化された、特権化された講座制、及びそれに伴う人事を改善すればよいのではないでしょうか。また、学系制が特に研究効果を高め、威力を発揮するという保証はどこにもありません。 次に、管理運営についてでありますが、学長の下に五人の副学長を置く、また、人事委員会が人事を担当する、学外者から構成される参与会を設け、学長に助言し勧告をするということでありますが、従来、学部に分散されていた管理運営権を中央集権化するところに問題があるように思います。これははたして私どもの危惧でございましょうか。現在、特に人事権は学部教授会の専管事項でありますが、この原則が学門の自由、大学の自治の立場から見ても最も望ましい姿であり、好ましいものではないかと思います。大学の人事が派閥的であり、封建的で、公正な人事が行なわれないからという理由だけで人事委員会の設置は、まことにおかしいと言わざるを得ません。私は、教授会を完全に無視するような改正ではなく、教授会に諮問権を与えるように修正をすべきであることを提言をいたします。 また、民主的な運営という観点からも、学生協議会を設けて、学長に管理、運営を建議することができるような、下からの声を反映できる機構の設置はぜひとも必要ではないかと思います。もちろん学生協議会は、全学生参加の民主的な運営によって進められるということは言うまでもございません。また、学長選考権を与えることは、学生の参加という立場からもこの際十分に考えて措置すべきだと思います。これは前段、参考人が申されましたように、やはり先進諸国の中にもほとんどがそういうふうな機構で構成されておるということも、私どもは、この際十分にこの中で織り込みたい、このように考えるわけでございます。 次に、副学長五名の問題でありますが、教育、研究、厚生補導というふうに分けてみましても、あまりにもこま切れ的過ぎて、五名であっては複雑になり過ぎるのではないか、適当な数ではないように私どもは思います。少なくとも、この副学長制度の問題については、三名程度ではいかがかと私どもは思っております。 次に、参与会の問題でございますが、この問題は本法案の重要なポイントであろうかと思います。なぜならば、参与会が事実上の財界の代表になる、これによって産業界あるいは財界の思うがままになって、時の政府に直結する大学に変貌するおそれのないようにと強く願うものであります。特に管理運営については、真理の探究、学問の自由を侵すことのないように、社会を代表する幅広いすなわち学外者の分類を具体的にこの中に明示すべきではないか、特に、一方に偏しないようにすべきであるということを私どもは強く提言をするものであります。たとえば、この参与会の構成メンバーの中には、言論界を代表する者、労働界を代表する者、経済界を代表する者あるいは芸術界を代表するというこのような幅の広い構成メンバーであってもらいたいと思うわけでございます。 第三点は、学問の自由、大学の自治の問題でありますが、筑波大学法案は、形式的には一つの国立大学を設置することを目的としておりますが、実質的には、他の大学にも影響を及ぼし、学問の自由、大学の自治を侵す危険があるように思います。大学の自治は、学問の自由のため大学に与えられた特権であり、学問の自由以外のことについては存在理由はございません。学問の自由以外の目的のために、自治権行使は本旨に反すると思います。もちろん、自由はかってほうだいあるいは暴力の肯定という意味ではなく、秩序のうちにのみ存在するものでありますから、かってほうだい、暴力肯定は自由の敵であり、国民はこの自由を守る責任があると思います。そこで、学問の自由を守るために、大学の自治をどの程度まで制約するかは慎重に考え、対処しなければなりません。 総じて、本法案には原案のままであっては賛成しかねるものであります。現行の大学が万能でないように、この法案も万能ではないように思います。改善すべきは改善し、前段申し上げましたように、教育全般にわたる改革が望まれているだけに、最初の大学改革の成否が及ぼす影響はまことに大でございます。したがって、各界の意見を十分に徴して、真の改革にふさわしい方向での慎重なる御討議、御検討を願うものであります。 以上、本法案に対する参考人としての意見の開陣でございます。
○委員長(永野鎮雄君) ありばとうございました。 次に、浜林参考人にお願いします。
○参考人(浜林正夫君) 浜林でございます。 時間がなくなるといけませんので、最初に結論から申し上げますけれども、私は、この国立学校設置法等の一部を改正する法律案に反対でございますが、これを特に国会の審議の場で強行採決というような、そういう異常な手段でこの法律を成立させるということは、これからできます筑波大学にとってもたいへんに不幸なことであると思います。学問や教育の問題を数で押し切るというふうなことはあってはならないと思います。ぜひ、そういう無理押しの形ではなくて、私は、筑波大学ができるものであれば与野党の合意できる形で筑波大学というものをつくっていただきたい、与野党の合意ということは非常に困難なことかもしれませんけれども、私は、不可能なことではないというふうに考えております。筑波に大学をつくること自体がいいか悪いかという議論ではありませんで、どういう大学をつくるかという中身の話であります。いま、参考人の方々のお話を伺っておりましても、その間に意見の一致を見出すことは私は決して不可能ではない。教育大の中で賛成、反対ございますけれども、これについても、十分な話し合いを尽くせば決して合意が成りたたないものではないと思います。そのために筑波大学の開学が多少おくれるというふうなことはあるいはあるかもしれませんけれども、旭川医大はすでに半年ぐらいおくれておるわけでありまして、筑波大学の開学が一カ月や二カ月おくれてもこれは別にどうということはないのでありまして、無理押しをして十月開学に間に合わせるよりは、合意を求める努力というふうなものをぜひ諸先生方にお願いをしたいということをまず申し上げておきたいと思います。 実は私は、先日、文部大臣、それから参議院の議長にもお目にかかる機会がございまして、いま申し上げたような趣旨のことを申し上げました。大臣も、議長もその趣旨には全く賛成だというふうにおっしゃってくださいました。私はたいへん心強かったんでありますけれども、どうも国会の様子を見ておりますとあまりそういうふうでもありませんのでまた心配になってまいりまして、きょうもう一度申し上げるわけでございます。それが私の結論的なお願いでありますけれども。 私の肩書きは大学問題研究会世話人ということになっておりますが、大学問題研究会と申しますのは、昨年の末ごろに、この法案がまだ発表される前ですけれども、筑波大学構想というものが固まってまいりました段階で、これはどうも非常に問題が多いということで声明をつくりまして、全国の大学人に賛成の署名を呼ぶかけました。二月の十日に声明を発表しておりますが、現在までに全国の大学から七千六百二十二名の方々が私どもの声明を支持するという意思表示を寄せられております。その声明はパンフレットにいたしまして文教委員の諸先生方にはお配りをしてございますので内容については申し上げませんけれども、反対の理由といたしましては、先ほど来話が出ております副学長制の問題、参与会の問題、人事委員会の問題、研究と教育の分離の問題、それから法律改正の手続としましては、学校教育法、教育公務員特例法など、一般法の改正に及ぶという問題それから教育大学との関係では、教育大学を廃学にするという問題、そういう問題を理由として、この法案には反対であるという趣旨の声明も二月の十日に発表いたしました。 そういう、いわば署名運動をやっておる団体でございますけれども、私どものそういう運動とは一応無関係でありますが、全国の大学でこの法案に対してはかなり反対がございまして、私どもの調査では現在までに五十一の大学、九十八の学部で反対の決議が行なわれております。調査漏れがあると思いますからもう少し多いかと思いますが、そのほかに有志声明などを加えますとおそらく七十ぐらいの大学、百以上の学部で何らかの反対の意思表示が行なわれておると思いますし、学会でも幾つかの学会がこの法案には反対であるという声明を出しております。それから一橋大学、都立大学では評議会の声明として、この法案の扱いには慎重であってほしいという趣旨の申し入れを行なっておりますし、名古屋大学でも同様の趣旨で学長名で文部大臣への申し入れがあったというふうに聞いております。 特に私は、先ほど上田先生もおっしゃいましたけれども、やはり一番大きな問題は、人事委員会の問題だろうと思います。人事委員会によって教官の人事がコントロールされるということがやはり最大の問題でありまして、これは大臣もたびたびおっしゃっておられますけれども、大学の先生方がしっかりしていればいいんだということでありますが、人事がコントロールされますと——大学の先生もあんまりしっかりしていないという実例を私は幾つも知っております。そういうことが結局は大学の中に無気力、あるいは少しことばが過ぎるかもしれませんけれども、荒廃した状況をつくり出してしまう、研究や教育ということがおろそかになるという状況が出てくることを一番おそれます。それは、筑波大学だけではないんですけれども、結局そういうことが日本の学問にとっても、日本の教育にとっても、非常に大きな問題を将来に残していくだろう。あえて言えば、私は、そういう教官に対する人事のコントロールがつくり上げられることは大学の自殺行為だというふうに私は考えておりますので、その辺のところについてぜひ御検討をいただきたいと思います。 先ほど申しましたように、非常に多くの大学がこの法案に反対の意思表示をし、あるいは何らかの形で反対の運動を行なっておりますが、それは先ほど申しました一般的な理由のほかに、私はやはりそれぞれの大学が、今後大学改革を進めるにあたって、この筑波大学方式というものを何らかの形で持ち込まれるということに非常に警戒的だというふうに感ずるわけであります。この反対声明を出した大学あるいは学部は、大学学術局長のお話では、インフェリオリティコンプレックスを持っておる大学だということでございまして、若干物議をかもしたようでありますけれども、私は、それぞれの大学、インフェリオリティコンプレックスではなくて、コンプレックスではなくて、まさにインフェリオリティつまり劣った状態に置かれておるということは事実だと思います。劣等感ではなくて、まさに劣等な状況に置かれているからこういう問題に対してきわめて敏感に反対を表明するんだというふうに考えております。大学改革がちっとも進んでいないというふうに文部大臣その他から御答弁が何回かございましたけれども、私どもはその点では全く認識を異にしておりまして、大学改革は非常に地道な形だけれども進んでいるというふうに私どもは認識をしております。これは具体的な事例を申し上げることもできますけれども時間がございませんので省略をいたしますが、福島大学のある先生が、大学改革というのは、改革プランを作文することではなくて、地道な改革を積み上げることだというふうにおっしゃったのが私にとってはたいへん印象的でございます。先日、文教委員会で小林武先生が、東京教育大学の文学部の改革のことを御説明になりましたけれども、あの程度の改革というふうなことは方々の大学でやっていることである。それぞれ地道に積み重ねていると思います。ちょっと脱線をいたしますけれども、筑波大学構想というのは、私は改革プランのいわば作文であって、地道な改革の積み重ねの上にできてきたものではないというふうに考えております。作文というのは少しことばが過ぎるかもしれませんけれども、どうもあれを読んでおりまして、管理運営のところではたいへんこまかいところまで、たとえば学長リコールをどうするかというふうなたいへんこまかいところまできめてあるにもかかわらず、一番肝心なところが抜けているという印象を私は持ちます。一番肝心なところは何かといいますと、それは学生の教育をどうするかという、ここのところが抜けている。学生の教育について抽象的なことはでは述べられておりますけれども、どういう授業計画、どういうカリキュラムで、だれがこれを担当して行なうのかということはいまだに全く抜けている、ということは、この大学構想というものがへたをすると机上のプランに終わってしまう危険があるのではないかというふうに感じます。最近、野党の先生方の要求でカリキュラムについての資料が出されました。資料幾つか拝見をいたしまし出たけれども、私の印象を率直に申し上げますと、この程度のカリキュラムであれば、現に東京教育大学でやっているカリキュラムとあまり違わない。この程度のものをやるために学系だの学群だの大騒ぎをするというのはそもそもおかしいのではないか。大山鳴動してネズミ一匹という感じでございます。カリキュラムをどういうふうに変えなければいけないのか、それをどう変えるためには、いまの学部制をこわさなければならないのかどうかというふうに問題が立てられているのではなくて、学部をこわすということから出発をして、そのあとでカリキュラムがいわば作文をされているという状況は、大学の改革を考える場合に、私はさか立ちをしているというふうに思います。発想としてさか立ちをしているというふうに考えるわけであります。ところが筑波のこの構想が出まして、法律がやがて成立をするだろうというふうな状況になってまいりますと、各大学が改革を考えます場合に、いわゆる筑波方式——筑波方式ということばもたいへんあいまいなことばで、最近出されております北大法学部の改革案や広島大学の教養部の改革案は私は筑波方式とは考えませんが、文部省は筑波方式とおっしゃったようですけれども、各大学が出しております改革案はとにかく何らか筑波方式的な色彩を持たないと文部省に認めてもらえないという状況がすでに始まっております。このことが非常に重要でありまして、いままで大学は、それぞれの立場でさまざまな改革を考え積み重ねてまいりました、ところが、現在になりますと、文部省のいう筑波方式に何らか見合った形の改革を出していかなければ予算がつかない、人もつかないというふうな状況が出てきている、そのことをたいへんに心配をするわけであります。私は、そういう制度の改革ということは、もちろん改革の上では出てまいりますけれども、大学にいる人間として一番切実な問題は、制度をいじることよりももっと教官の定員がほしい、もっと研究費がほしいということであります。そこのところが保障されれば、現在のままの制度でも大学の教育なり研究なりというものは格段によくなるというふうに思います。先ほど堀尾先生から京都大学の御経験がお話しされましたけれども、研究に専念をし、教育に時間をかけるひまがないという実態は確かにありますけれども、それはやはり教官の授業負担が多過ぎるとか、いろいろな研究設備に困るとか、たとえば工学部の先生方の場合には、国の研究費だけでは足りないので方々走り回って研究費を集めることが教授の重要な仕事になっているという状況があります。そういう状況の中で研究もやれ、教育もやれということ自体が無理であって、十分な時間、十分な人、十分な金が保証されれば研究と教育を両立させていくことは私は不可能ではないというふうに思います。ところが筑波大学の構想を見ておりますと、研究と教育の分離ということがございますけれども、教官に十分な研究の時間が保証されるのか、教育の負担がどうなるのかという点については私はたいへんに不安であります。むしろ筑波大学では教員の授業負担数は現在の国立大学の負担数よりもむしろふえて十分な研究時間が保証されないのではないかということを私は心配をしております。管理、研究、教育をそれぞれに分離をすれば、教官がもっと負担が減って十分な研究と教育が保障できるというふうにいわれておりますけれども、あの構想を拝見しますと、私は決して教官のそういう負担は減らないだろう、むしろふえるのではないか、たとえば会議の回数で申しましても、現在は教授会一つで済んでおるわけでありますが、学系教員会議、学群教員会議、学類教員会議、研究会、委員会、何とか審議会というふうなものがたくさんありまして、そういうものに参加をされた先生はおそらく毎日会議でつぶされるだろう、ろくに研究も教育もできないような状況がつくられるのではないかということをむしろ心配をいたします。筑波大学が考えておりますような、あるいは先ほどからいろいろな先生方がおっしゃいましたような現在の大学をどう改革していくのかということの前提条件として私は十分な定員、十分な予算、十分な時間というものがまず大学の教師に保障されるべきだ、それがあれば、大学の改革というものはもっと大幅に前進をしていくだろうというふうに考えておりますので、現在の時点で一刻をあせってこういう大学をつくるよりも、その辺の基本的な問題の解決のほうがはるかに重要な急務ではないかというふうに考えます。終わります。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 以上で参考人の方々の御意見の開陳を終わります。 これより質疑に入ります。時間が限られておりますので、質疑者、参考人の方々にはできるだけ簡明に御発言くださるようにお願いいたします。 なお、北沢参考人は十二時まで御出席可能と承っておりますので、北沢参考人に対する質疑を先にお願いいたします。 それでは質疑のある方は順次御発言を願います。
○内田善利君 それでは北沢参考人にお伺いします。 この新大学構想は、非常に旧式化するおそれがある、長期的でないということでございますが、これは東京教育大が移転するということと新構想大学が打ち立てられておるということと非常にあいまいといいますか、先ほど井上参考人でしたか、洗い直すべきであるというような、このようなお話がございましたが、こういったこともあわせて長期的でない、まあ背後にありますいろいろな近代主義その他経済構想等もあると思いますけれども、もう少し、その辺をお伺いしたいと思います。 それから、産学協同構想であると、私も、そのように思います。この点も具体的な例があればお教え願いたいと思います。この二点、お願いします。
○参考人(北沢方邦君) 最初の問題でございますけれども、まず現在ひとつ根本的な問題は、科学あるいは学問自体が実は曲がりかどに達しているという点でございまして、これは世界的にそういうことが言える、つまり現実に公害問題一つを取り上げても、さまざまな諸問題が噴出をしている状況ですが、現在のその科学、学問では、この公害問題一つ取り上げても、それを全体的に把握し分析し認識するということが非常に困難になりつつあるということはすでに従来行なわれてきたさまざまな科学、学問というものが、やはり文明とともに一つの限界に到達しつつあるのではないか。これを打破するためには、何らかの新しい方法なり新しい研究なりを行なわなくてはならないのではないかという、まず一つの前提があると思います。そのために、最近特にいわゆるインターディシプリナリー、つまり学際研究と申しますか、さまざまな学際間の学問の分野の壁を打ち破って研究の交流が行なわれようとしている。確かにこの筑波大学構想にも、そういう意味でそういう学際的構想というものは若干盛り込まれていますけれども、しかし、それは従来の科学領域を単に横に連携したものにすぎないという印象を持ちます。ということは、ほんとうにその新しい方向に向けて科学なり学問なりを進展させ発展させていく方向ではどうも構想されていないのではないか、そういう点で、まず、この筑波大学構想が旧式化するのではないかという疑念の一つの根本的な点はそこにあるわけで、この点でもっと現在の学問のあり方を含めて、大学人だけではなく、国民的な規模あるいは広く言って世界的な規模でもう一度検討しなくてはならない諸問題があると思うのです。それをもう少し長期的な見通しと、長期的な時間をかけて検討した上でせっかくつくるなら新大学をつくるべきである、私はそう考えます。 それから、その点で先ほどおっしゃられましたように、教育大学の移転問題と新大学設立問題がからんでいるということがやはりその出発点において非常なそういう構想その他の点で制約を設けているのではないか、ですから、私個人としては、その二つの問題はとにかくまず切り離して筑波大学構想をもう一度白紙還元して構想し直すべきである、そう考えておるわけであります。 それから第二点はちょっと忘れましたが、どういう御質問でございましたか。
○内田善利君 産学協同……。
○参考人(北沢方邦君) 第二の産学協同の問題でございますが、それはまだ筑波大学がもちろん発足しておりませんので、具体的に、どうなるかという問題については私はもちろんわかりかねるのですが、種々の報告書にあらわれている姿勢、態度、それからそれに関連した教育及び研究の構想それ自体の中に、すでにそういう産学協同に対する妥協的といいますか、それを受け入れる態度というものが一つ出ているのではないかと思います。これは、具体的にその報告書の名前を忘れましたけれども、筑波大学構想に関する種々の報告書の一つの中にありましたが、それを申し述べますと、「産学協同の問題は最近新聞等でいろいろ論議されているが、その一部には大学紛争の口実として特色の政治的立場を背景とした学生の闘争方針ないし戦術用語として利用されている面が見られる。新大学構想ではこの点に慎重な留意をしながら、絶えざる科学技術の進歩発展の中に、ある高度な産業社会へ向かっての開かれた大学として、基礎研究と応用研究の有機的な交流をはかっていく必要がある。」、こう申し述べられておりますが、要するに、この文章の意図というのは、やはり紛争の種となるような産学協同の口実を与えないように、いわばうまく産学協同をはかろうということではないかと思いますが、こういう構想と、それから態度の中にそういう危険を見るわけです。
○内田善利君 それでは、井上参考人にお聞きしますが、先ほどちょっと申し上げましたが、移転と新構想大学を根本的に洗い直すことが必要であると、このように参考人述べておられましたが、私も、東京教育大学が移転するということと、新しい構想が打ち出されておるということ、この点、私は移転は移転として、新構想大学は新構想大学と、このようにすべきであると、このように思うんですけれども、井上参考人はどのようにお考えなのかお聞きしたいと思います。
○参考人(井上忠夫君) 前段申しましたように、私は、この法案の経緯を追ってみますと、確かに移転ということで始まった問題が新構想大学というふうに衣をかえてきた。これは当時校である東京教育大学の内部の抗争を非常に深めてきた、この問題は、移転はあくまでも移転という問題で処理すべきである、新構想大学をこれにかみ合わせるということは、私は筋論から言ってもこれは間違いである、このように感じております。いま先生がおっしゃったことと、私は全くその件については同感でございます。
○内田善利君 最後に、浜林参考人にお聞きします。 大学構想をそれぞれの大学が打ち出す場合に、その新方式があるいは大学改革案が筑波構想に見合っていないと文部省で認めてもらっていないというお話しでしたが、具体的に、どういう例があったのか教えていただきたいと思います。
○参考人(浜林正夫君) 各大学が文部省へ参りましてどういう折衝をするのかということは、実はよくわからないわけでありまして、ただ、ことしの概算要求の中で大きく取り上げられていますのは、北大の法学部の改革とそれから広島大学の教養部の改革ですね。これは、私は筑波方式だとは考えておりませんけれども、たとえば北大法学部で申しますと、学部というものをこわさないで、学部のワクの中で研究と教育を分離するという、そういう構想が出された。私は、そのことに決して反対ではありませんで、現在の大学の管理体制あるいは大学の自治組織というものを維持した上で研究と教育について考え直すということは、私はけっこうなことだというふうに思います。これが、新聞発表ですから、文部省がほんとうにそうおっしゃったのかどうかわかりませんけれども、筑波方式が新しく出てきたということで、ちょっと人数は覚えておりませんが、定員もふえ、予算もついたようでありまして、そのほかに広島のこともありますが、ほかの若干の大学で、そういうことで金や人がつくのならおれのところも考えようかという動きが幾つか出ております。逆に、大学の名前を言っていいかどうかわかりませんけれども、ある大学である講座を要求しましたところが、おまえのところは筑波反対をしているからとてもそういうことは見込みがないと言われたといううわさがもっぱら広がっております。うわさでございますからわかりませんけれども、しかし、大学の関係者にこういう話があるんだと言うと、まあありそうなことだとたいていの方はおっしゃいます。文部省がそんなことを言うわけはないというふうにはどなたもおっしゃいませんで、やはり文部省はどうもそういう政策をおとりになっているらしいというのは、大学関係者の中ではもっぱらのうわさでございますので、その辺は確実な証拠というのは別にないわけですけれども、何らかの形で新しい構想、特に研究と教育の分離というふうな形を考えないとなかなか予算や人はつきません。それから学科をつくる場合には、環境科学とか人間工学とか情報工学とかいうふうなそういうトピック的なものを出すと予算がつきやすいというのは、大学関係者の間ではいわば常識化していること、何かそういう形で文部省の方針に、ことばは悪いのですが、迎合することによって大学に金と人を取ってこようというふうな空気がすでに生まれつつあるということを私はたいへん心配をするわけです。
○宮之原貞光君 まず、上田先生に二点ほどお尋ね申し上げます。 先ほど先生のほうからみずからの体験を通じての人事をめぐるところの問題についての意見の陳述があったわけでありますし、なおさらに、また現在の講座制のこの問題に関しますところの若干の問題点についても触れられたようでございますが、私が人事の問題と関連をして最近聞いておる話は、各大学でこの講座制の若干の問題を改善をするために最近は講座の流用によって非常に弾力的な運営がはかられておるので、いわゆる講座制の一つの人事問題に対するところの欠陥であるところの人事のふん詰まりとか閉鎖性というものはだいぶ除去された、こういう話を聞いておるのです。そういうような点から見ますれば、人事の閉鎖性の打破ということを口実にして、法案に盛られておるところの人事委員会というもののあり方とは、私は根本的に違っておるところの問題じゃないだろうかと思うのです、この問題は。したがって、この人事委員会のねらいはそういうものではなくて、むしろ、この人事の閉鎖性云々以外のところにねらいがあるのではないだろうか、こう強く感じておるのでありますが、この問題に対しますところの先生の御見解をひとつお承りいたしたいと思います。 それから第二の問題は、先ほど北沢先生からも話があったわけでありますが、あるいはまた徳廣先生からも話があったようでありますが、開かれた大学ということばがよく非常にこの筑波の問題についてはいわれておるのであります。この概念は、世界の高等教育の一つの傾向にもなっているようでございますけれども、しかし、私は開かれた大学というものの概念は、相当いわれておるものの中に違いがあるのではないかと見ておる。たとえばイギリスで使われているところの開かれた大学——オープンユニバーシティというこのものの考え方は、イギリスの大学が非常にエリート大学というか、こういうやはり傾向があったからこれをできるだけ大衆に門戸を開こうじゃないかということからこの開かれた大学ということばが非常に強く押し出されてきておるという経緯があるわけです。しかし、この筑波大学で使われているところのこの開かれた大学というのは、私は、この概念とは全く違った概念じゃないだろうか、こう思うのであります。たとえば参与会制度をもって開かれた大学だというようなことばでこれを包んでおるような傾向があるわけでありますが、参与会制度というものははたして開かれた大学といういわゆる世界的にあちこちで使われているところの開かれた大学ということばで一体包むことができるのかどうか、非常に疑問を感じておるわけでございますが、その点についての先生の御見解をお承りいたしたいと思います。
○参考人(上田薫君) お答えいたします。 最初の人事委員会の問題でありますけれども、これは先ほどもちょっと触れましたが、現在ことに紛争を契機とした場合が多いんですが、人事のあり方は各大学においてそれぞれオープンと申しますか、いままでのような閉鎖性がだんだんとれております。従来、比較的進歩的と見られた大学においても教授の選考については助教授は発言しないと、助教授の選考については助教授も発言するというふうな傾向が見られたわけでありますけれども、いまはある場合においては教授の人事についても助教授以下が発言権を持つというふうな形もあらわれております。そのために、弊害があらわれているということは私は聞いておりません。そういう意味で、いま逐次、古くからずっとありました講座制の形骸化されたような、そういうものがほどけていたわけでありますが、それに対して、この筑波の構想はそれをいわば逆転させていると。先ほど逆行と申しましたが、そういう形を持っております。これは問題解決にならないと私は思います。むしろ、問題はさらに混乱するんじゃないか。筑波のこの法案におけるところの考え方は、表面上言われているところは御承知のとおりでありますけれども、それ以上どういう意図があるかということは私の推測にすぎないのでありますが、私は、たまたま東京教育大学に奉職しておりまして、そしてそこでいろんなことにぶつかったわけでありますが、聞くところによりますと、筑波新大学には、その東京教育大のメンバーの方々が相当多数いらっしゃるというふうに思われるわけであります。少なくとも、東京教育大学の内部においてこの数年見られましたところの人事のあり方を考えますと、いわば開かれないと申しますか、むしろ、上のほうに権限を集めるということは非常に危険であると。たとえば私がおりました教育学部におきましては、最初は教授会のメンバーでも、移転と申しますか、筑波のほうへ移るということについて相当に反対者が多かったわけでありますけれども、どういうわけか逐次それが減ってまいりまして、ごくごく少数になりました。それはオープンの場で説得されたということではないんであります。そのことは確かだと言えます。いろんな形において考えが変わったということだと思うんでありますけれども、そのあり方は、もっとはっきり申しますと、やはり明朗でないと言っても私は言い過ぎでないと思います。そういうことが行なわれるとすれば、いまの筑波新大学におけるところの人事委員会というものは非常に危険であると。先ほど私は聖人君子ということを申しましたけれども、むしろ、それのあべこべでありまして、これは何としても変えていただかなきゃいけない、阻止しなきゃいけないと私は身をもって感ずるわけであります。それが人事委員会の点です。 それから開かれた大学のほうでありますが、これも開くならば、もっといろんな面での開き方があるわけであります。もっと自由に若い人たちの意見もどんどん入ってくる、もちろん市民の意見も入ってくる、そういうルートはいろいろつくることはできます。実際またそういうことを若干、これはわりあいにおそいですけれども、試みている大学もあります。けれども、筑波新大学におきましてはそういうルートではなくて、いまおっしゃった参与というものを通じて地域とか社会とつながろうという、これは参与というものが一体どういうふうにして選はれ、どういう意見を代表するということをよほどよく考え、これは市民に、一般の社会にオープンになっているということが明確に保証されるような条件をつくらなければ、これまた、非常に危険だと私は思います。現在のところ残念ながら、参与について定められたところを見ますと、これはいま言ったような一般市民の考えが自由に浸透してくるという形ではありません。それは形式の問題ですから、そのルートを何とかすればできるというふうにおっしゃるかもしれませんけれども、それならば、それをもっと詳しく納得がいくようにしていただきたい。そうでなければ、あるルートだけが参与を通じて大学の中に流れ込んでくるという危険は大きいわけであります。それは、疑い深いようでありますけれども、大学というもののこれまでの性格、あるいは文部省との関係、さらに申しますれば、大学教授自身のあり方というふうなことを考えますと非常に心配だと言わなきゃならないと思います。そういう意味において、これは私はやっぱりオープンではないと、開かれてはいないというふうに考えざるを得ないのであります。 以上です。
○宮之原貞光君 その点についての浜林先生のひとつ御見解をお伺いしたいと思います。
○参考人(浜林正夫君) 開かれた大学は、先ほど宮之原先生おっしゃいましたように、オープンユニバーシティという考え方がイギリスで出てまいりましたのは先ほどおっしゃったような意味だと思います。特に公開議座といいますか、エクステンションコースというふうな形で一般の市民にも大学を開放するというふうなことが主たる意味合いでありまして、それが日本で、筑波大学で開かれた大学というふうに翻訳をされた場合に、その中身はやはり変わってしまったというふうに思います。私は、あえて参与というふうなものを置く必要はないと思うんでありまして、大学がその社会からの批判を率直に聞く姿勢を持っていれば、それは特に参与というふうなものがなくてもやれることだ、大学の姿勢によってそれはやれることだというふうに考えます。参与というものをもしどうしても置かなければいけないというのであれば、これは私は少なくとも法律上そういう形で定める必要はありませんで、大学が随時大学の主体性においてこういう方々から御意見を伺いたいということでけっこうなはずだと思いますし、さらに、あえて法律でもしどうしても設けなければいけないというのであれば、先ほど来からお話しが出ておりますように、その構成についてもっと広い範囲の、広い視野で人を選ぶべきだと、先ほど井上参考人からそういう御意見ございましたけれども、私は、参与の中に労働組合の代表なりあるいは学生の代表なり、そういう者が入って大学に対して意見を言うというふうな形、そういう形が考えられるべきだろうと思います。基本的には、私はそういう制度自体が不必要なものだというふうに考えております。
○宮之原貞光君 続きまして、徳廣先生とさらに浜林先生お二人にお尋ねをしたいと思いますが、大学管理の問題と関連をいたしまして、バークレー報告というのがいろいろ議論になっておるわけでございますね。バークレー大学の紛争事件の総括みたいな形でバークレー報告というものが出ておるわけであります。私はあれを読みまして、特にこの管理面におけるところの各種委員会制度のあり方というものに対して非常にきびしい反省点が出ておると見ておるのであります。しかし、この筑波の管理方式のいろんな問題を考えてみますと、どうもあのきびしい反省に対しては一顧だにもしない形で大体あれと似せたようなものが出されているような気がしてならないんですけれども、その問題に関しまして、まず最初に徳廣先生からお教えを願いたい。続いて浜林先生から御見解を承りたいと思います。
○参考人(徳廣龍男君) お答えになるかどうかわかりませんけれども、私の感じを申し述べたいと思います。 筑波の副学長のもとにいろいろの審議会というのがございまして、それがどういうようなことをやるかというのは、印刷物では拝見をしておりますけれども、実際にどのようにいくがというのは私たち想像もできません。ただ私は、副学長制度というものについて先ほども申しましたように、学長に集まる仕事というものを分担しなければやることのできない時代になっておるという点で強調したいわけでございます。 もう一つ、私先ほど申しませんでしたけれども、私は、実は現在私立大学におりますけれども、過去二十三年間国立大学におったわけでございます。特に大学紛争の時分に、学長の事務取扱の補佐というような形で矢面に立たされた経験から考えました場合に、やはりその場合に委員会かございましたけれども、委員という方はどちらかと申しましたならば、これはいい悪いかは別といたしまして、委員の先生方というのは評論家的な発言が多うございます。実際に、実行できないようなことを言われてそれを押しつけてこられると、そういうような点から考えました場合に、委員会制度だけではどうにもならないと、むしろ、責任と権限とを持たしたそういうようなものによって運営しなければ乗り切れない場面もあるということを痛感したわけでございます。そこで私は、筑波大学でこういうようなやり方をやるというのは非常におもしろいやり方であるという意味で賛成したわけでございます。お答えになったかどうかわかりませんけれども。
○宮之原貞光君 私が先生からお教えを願いたいという点は、何も筑波大学の副学長とか、そういう問題じゃなくて、いわゆるバークレー報告の中に出ておりますね、管理面のいろんな委員会制度の問題だとえば財務委員会とか厚生補導審議会の問題等について非常にやはりきびしい自己批判、反省点か出ておるわけなんです。そのことと筑波で考えられておるところの財務委員会とかあるいは生徒の補導のいろんな問題についていろんな委員会システム、いろんなものを考えておるようでございますけれども、それと関連をいたしてどう先生はこれをお考えになっておられるか、その点をお聞きしたいんです。
○参考人(徳廣龍男君) 申し上げます。不勉強でまことに申しわけないんでございますが、私、バークレーの報告はざっと読みましたんですが、あまり詳しく読んでおりませんので、比較して云々ということはちょっと言うだけのいま知識を持ち合わせておりません。
○宮之原貞光君 はい、わかりました。
○参考人(浜林正夫君) 私もバークレー報告それほど詳しく勉強しているわけではございませんけれども、委員会というものが全く不必要ということはもちろんありませんで、何百人も教官のいる大学ですべての問題をすべての教官がやらなければならないということはもちろんないと思いますし、それから学長補佐的なものが必要だという点についても私は別に否定をいたしません。学長というのはなかなかたいへんな仕事だろうと思いますし、いわば補佐的な仕事というふうなものも必要だろうと思います。ただ、問題はそういう学長補佐あるいは副学長ですが、あるいは委員会をつくってそれに権限が与えられることによってほかの教官が、いわば学生対策とか管理運営とかめんどくさい仕事から解放されたということで無責任になってしまうところにやはり非常に大きな問題があるのではないか。やっぱりその大学の管理運営というのは会社とか官庁とかというものとは違って教育を中心にして組み立てられているわけですから、研究をし教育をする人たちがやっぱり管理運営の最終責任をとるべきだと思います。たいへん繁雑なことはいろいろあろうと思いますけれども、しかし、研究・教育に携わる人が最終責任をとる。そういう人たちがそれぞれの委員会を設置をして、その委員会でいろいろ議論をいただくことは必要だとは思いますけれども、責任の所在がやはり全教官が責任を持つという体制を持っておりませんと、これはやはりまあ紛争などというふうな事態に正しく対処することができないんではないかというふうにやはり感じております。 それから、紛争時にその権限をどこかへ集中することが必要だというふうなお話いまございましたけれども、あるそういう異常な事態のもとで、いわば臨時的に権限の集中が必要だというふうなことはあり得ないことではないと思いますけれども、これはある新聞の批評でありますが、筑波大学の管理方式というのは、異常事態を前提として管理方式が考えられている。火事でもないのにいつでも消防車と救急車が走っているような大学だという批評が新聞にございました。やはりもっとノーマルな形で大学の管理運営というものを考えるべきであって、それはやはり全教官が大学の管理についても責任を持つという体制でなければならない。委員会というものは、それをいわば補うにとどめるものでなければならないというふうに考えております。
○松永忠二君 時間短いので一緒に御質問いたします。 上田先生とそれから堀尾先生に同じ問題についてお答えをいただきたいと思います。まあ筑波大学が新構想であるという意味から言って、また大学紛争の教訓を生かしたとこういう意味で、つまり大学紛争の一つの原因は、若い教授とか助手、そういうものの意見を十分取り入れてない、あるいは学生の意見を十分取り入れていないというところに一つ紛争の原因があったわけでありますが、そういう紛争の教訓を取り入れて、学園の民主化ということが特に教育、研究についてこれで生かされているであろうかどうか。また、特に堀尾先生には生かされているとお考えになれば、どこでそれが生かされておるとお考えでしょうかという点が一つ。 それからもう一つ、堀尾先生にお願いしたいことは、御自分の経験からも、研究よりむしろもう教育にふさわしい年齢のころであるとか、あるいは教育に専念する時間がほしい、そうなければならぬというようなお話でありましたが、いまの大学の中で、教育大学と教育学部というのは、教育のためだけに教科が選ばれて教育課程大学である。ところが教育のためにだけ考えている教育学部、教育系大学が必ずしも教育のいい成績をおさめていないという評価があるわけです。そういうことを考えてみたときに、教育と研究を分離をすればいいということではないように思うんでありますが、教育だけを考えている教育系大学とか、教育大学が成績があまりあがらぬ理由はどこにあるとお考えになっておられるでしょうか。 最後にもう一つ、徳廣先生に、先生は副学長であられるんですが、あなたの学校は副学長というのは幾人おいでになって、副学長の任務はどこでおきめになっておられるのか、あなたの任務は何をおやりになっているのか、これをお答えを願いたい。
○参考人(上田薫君) まあ私の考え方からしますと、やはり筑波新大学は民主化された体制の大学とは言えないと思います。それはその機構、先ほど申しましたような管理運営が上のほうに集中している、権限が集中しているということが端的な理由でありますけれども、それだけではなくて、学生があるいは若い教職員が、学長とかあるいは教授とか、そういう人たちを信頼してやれるようなそういう体制が非常に乏しいということだと思います。これは先ほどちょっと出ました研究と教育の問題でありますけれども、私は、まあ教育学というのをやっているわけですが、研究者とそれから教育者というものを大学においてはっきり分けてしまう形において、どういうふうに学生がその先生を信頼して勉強していくことができるか、私には、それはどうしても納得がいかないわけであります。もちろん、大学は非常に繁多な事務もかかえておりますので、手分けをすることはこれは可能でありますけれども、やはり教えられるものが大学をあるいは教師を信じ得るような体制、それは先ほどの何か火事場におけるようなものではだめなんだと思います。いや、学生が信頼をしないからこそ、また、そういうふうな状況を生んだんだと思いますが、私はあえて申しますれば、いまの筑波のような体制をすれば、何かの機動力によって押えれば別でありますけれども、そうでない限りにおいてはむしろ学生の暴発を招くようなそういう体制ではないかと思います。というのは、ほんとうの意味において教官と学生あるいは管理者と教官が話し合えるような意思を疎通し得るようなそういうルートがないということであります。これは非常に大きな問題じゃないかというふうに考えております。
○参考人(堀尾正雄君) ただいまのお尋ねの第一点は、こういう構想によって紛争の経験を生かして民主化を進めることになったかどうかという点にまずお答えいたします。
○松永忠二君 学園の民主化がどう生かされているでしょうかということです。
○参考人(堀尾正雄君) まず、紛争の起こった原因ということは私はこれは非常によくあると思うんです。なかなかむずかしいことだと思うんです。それは単純には申せないと思いますけれども、少なくとも、一つの原因であったのは学生と教官との人間的の結びつきが非常に希薄になってきた、つまり碩学に接してひとりでに何といいますか、教えられる、まあ先生と生徒との数のバランスもそうであったと思いますが、そういった先生と生徒との間の信頼感といいますか、非常に心のきずなが大きかったのが少なくとも昔の大学であったわけですが、それが次第次第に学生と教官との間の関係というのが希薄化してきた。また、その希薄化してきたようなところにおいてやはり紛争の原因があったように、また、そういうところから紛争がどうも起こり始めたような私感じいたしておるのであります。そういう意味で、私先ほど述べましたように、スターリングということがいかに大事かと——昔は先生と生徒の数が少ないので碩学の顔を見ただけで、ああもうきょうは勉強した、帰って本を読もうと、そういうこともあり得たわけですが、いまはやっぱり生徒の数も非常に多い。私は、どうしても教官が一身を投げ打ってスターリングに当たるということが非常に大事じゃないか。そういったことが、もしも筑波大学のこの法案で教育に熱心になるような、そういう教育の組織というものを独立させるならば、私は、少なくとも、その紛争の原因であったものの一つは取り除かれて、その経験は生かされてくるのじゃないかと、こう思います。しかし、それが学園の民主化ということとどういう関係にあるかということは、これはやはり教官と学生とがそれだけの結びつきができるということは、これは私はやはり民主化の一つのあらわれと、——まあ民主化もいろいろございましょうけれども、お互いに自分の好きな主張ができる、また、その主張に対して忌憚なく信頼感をもって答えるというような意味におきまして、これは必ずしも真の意味における民主化というそのことばに当てはまらないかもしれませんが、そのような効果はこの教育研究の組織の分離というところ、特に教育に力を入れるという点において私は改良される可能性はあると思います。 それから、その次の御質問で、教育学部というのはそもそも教育専門でやっているにもかかわらず、それは必ずしもその面における効果は見られないのじゃないかというこの御質問であります。で、私は教育学のことはもうほとんどしろうとで全く知りません。自分は専門でも何でもないわけであります。が、しかし、教育学といいますのは教えることだけを教えている、そういう教えることだけを教える学部ではどうもないようで、これはやはり一つの学術、教育学という——まあ教育学原論だとかあるいは児童心理学だとか、いろいろな科目があるようですが、教育効果というものをやはり対象にした一つの学術でありまして まあ文学だとか法学だとか経済というのと同じで、まあ一つの学術でありまして、そのこと自身が教え方あるいは教えることに専念する、つまり何といいますか、実験だとか、そういうものが少なくて教えることばかりを勉強するというような学問ではないようなのでございますので、これが別に教育という名前がついておりますからここは教えることだけに先生方がより多く時間をさいていらっしゃるというようなそういう学部ではないので、教育学部の先生方でも研究に熱心で教えることがおろそかになられるという可能性もあるわけなんです。したがいまして、この教育学部ということは、その学部に属する先生が日常の時間を学生の教育にさく時間がより多い学部であるとは申せないと思います。そういったことがただいま御質問のような結果になっているのじゃないかと私は思いますが、これは、私自分の専門でございませんので間違ってる点があるかもしれません。
○参考人(徳廣龍男君) お答えいたします。 本学の場合には副学長二名でございます。一人は、総務担当と申しますか、大学の教授会なり、あるいは各種委員会の開催その他のことを担当すると同時に、大学の将来計画、特にどういうような位置にどういうような建物を建てるかという、そういうような意味での将来計画を担当しております。 私が担当しておりますのは、教育並びに研究の部門でございます。これは日常の、いわゆる学部、大学院における授業というものはどのように行なわれているかということを、管理すると申しますか、それの実施面における責任と、それからもう一つは、教育課程を改定いたします場合の、いわゆる教育課程についての仕事というものが教育面の仕事でございます。研究面におきましては、私の大学は、先生方に研究費、個人個人の研究費がありますのと同時に、ほかに特別研究費まあ科学研究費に当たる金が約一千万ばかりありまして、それをプロジェクトチームをつくりまして、先生方がチームをつくってやる。その場合にいわゆるプロジェクトチームの間の調整と申しますか、そういうようなことをやるのが研究面の仕事であります。それからもう一つは、一年に一度、教育並びに研究につきまして理事会に対しまして進言をしなければいけないという任務を設けられております。本学の場合には、今後こうすべきである、教育課程についてはこうすべきである、先生方の研究についてはこういうような面で援助すべきであるというような、一年に一回理事会に対して建議しなければいけないということになっておるわけであります。 副学長を置いております根拠といたしましては、理事会のほうの就業規則か何かはっきりは忘れましたけれども、中部工業大学には、教授、助教授というようなほかに学長及び副学長を置くと、副学長は教授またはその他の職員の中から学長の推薦に基づいて理事会がこれを任命するという項目がございます。それによって副学長というものが選ばれているわけでございます。
○松永忠二君 副学長の任務はどこにきめてありますか。学則にきめてあるわけですか。
○参考人(徳廣龍男君) 学則等にはございません。
○松永忠二君 学則にもないわけですか。
○参考人(徳廣龍男君) 学長が分担する事項を副学長に命ずる項目がございまして、理事会の了解を得たもので、学長から、こういう項目でやれというものが言われているわけであります。
○安永英雄君 いまの問題に関連して。 いわゆる日陰の身というのが今度法案が通れば表に出るということのようですけれども、この点筑波の法律は、この中で副学長というのは、いろいろ代行するというだけじゃなくて、固有の権限を持っている。その点との比較をいま松永さんが聞いたわけです。この点はあなた自身が日陰の身と言われているし、非常に不明確じゃないかと思うのですけれども、副学長として代行というその職務あるいは責任という以外、固有の、あなた自身の学内における運営の中における明確な責任、固有の権限というものは何ですか、もう一回おっしゃってください。
○参考人(徳廣龍男君) 固有の権限といたしましては、いま申し上げましたように調整ということだけでございます。あとは学長から分担されました事項についてやるという形で、教授会等につきましては実は直接の責任はございません。直接的には学長が責任を負うわけでございまして、そういう形で、そういう意味でははっきりとしておりません。
○安永英雄君 そうすると波及効果という問題はいろいろありますが、これは時間がかかりますから申しません。 あなたの学校の場合は、この筑波大学の法案がたとえば通った、こうなれば直ちにあなたの副学長と、こういった任務というのは書きかえていくといいますか、これに切りかえていく、直ちに。そして日陰の身じゃなくて、表に出てくる、こういうことを期待をされておりますか、あるいは準備されておりますか。
○参考人(徳廣龍男君) 期待もしておりまして、おそらくそうなるだろうと思います。
○萩原幽香子君 井上参考人と浜林参考人に、この問題についてお尋ねいたします。 大学紛争が続き、各大学ではもちろんでございますが、小中高の現場におきましても、あるいはPTAを含めたあらゆる場で、大学とは何か、大学とはどうあるべきか、それぞれ検討がなされたと聞いております。そこでお伺いをいたしますが、そうした場で、大学改革で一番望まれたことは何であったでしょうか、特に学生の位置づけ及び学生の参加についてどうあるべきとお話し合いができましたのか、承りたいと存じます。 その次に、先ほどから関連をいたしましてお尋ねをするわけでございますけれども、副学長の問題でございますが、筑波のように専門的に分担をする必要があるのか、徳廣参考人にお尋ねをするわけですが、その御見解を承りたい。特に、研究、教育担当の副学長と学系、学群長との関係は一体どのようにお考えでございましょうか。 それから、浜林参考人にさらにお尋ねをいたしますけれども、筑波法案は一番肝心なところ、つまり学生の教育をどうするかといった点の配慮が薄い、こういうお話でございまして、私も同感だと思います。そこで、その中でカリキュラムの編成につきましては、一体いまなされておりますあの教科課程でございますが、非常にあれをカリキュラムと言えるのかどうか、この問題がございますし、その編成については、一体どこで、だれが、どのようになるのが望ましいのか、その点についてのお尋ねをいたしたいと存じます。 たいへん恐縮でございますが、堀尾参考人、学部制の欠陥についてるるお話を承ったわけでございますが、この是正は、学部制の是正というものは全くこれは不可能なものなのでございましょうか、これまでにそれの是正についてどのような努力がなされましたのか、承りたいと存じます。 以上でございます。
○参考人(井上忠夫君) 第一点のどのような大学を期待されるかという御質問でございますが、私は中学校に在職をしておる者でございます。この父兄なり、あるいは義務制の段階、あるいは高等学校の段階ではどのような大学を期待するかということでございますが、私は、高次の学問を追求する大学というものは永遠の真理の探求の場でなくてはならない。特に、学生と教師とほんとうに血の通った人間を感ずる学園の中でこそ人生哲学を学ぶ場にふさわしいと思うわけでございます。こうして見ますと、現在の大学は必ずしも私どもが期待しているとおりの大学ではない、このように考えます。と申しますのは、教師の教育に対する使命感というものが最近薄らいできているんではないか。私は、そういう意味からイギリスにあるケンブリッジ大学方式というものは、この大学の改革案に対して十分に見習うものがあるんではないか、このように考えております。 第二点の学生の位置づけでございますが、私の参考人としての意見開陳の中にも申し述べましたように、私は、やはり学問を追求していこうとする学生の声を反映しない学園というものは崩壊するのである。次代をになう若人の意見というものはやはり十分に反映さす場を設けなくてはならない、このように考えております。したがって、学生協議会がやはりこの運営の参画に出席をすると、こういう形こそ望ましい大学改革の基本であると、このように考えております。 以上でございます。
○参考人(浜林正夫君) 私へのお尋ね、あとでもございますので、まとめて答えさしていただきますけれども、大学改革はどうあるべきかという第一点でございますが、一つの大きな問題は、日本の大学制度全体として考えますと、大学間の格差を解消するという問題が非常に大きいと思います。それは個々の大学の中ではできないことでありますけれども、国の政策としてはぜひその点を取り上げていただきたい。詳しいことは申し上げませんけれども、まあたとえば東京大学と——私も数年前までは北海道の地方大学におりましたんですが、そういう地方大学との場合には著しい格差がございます。そういうことが研究条件、教育条件に非常に大きな影響をもたらしますし、それからいわゆる名門大学といいますか、そういうものがこうつくられまして、入学試験の場合には、そこへ集中、殺到すると、そのために受験地獄というふうなものが起こる。もし、日本の大学にいまのような大きな格差がなくて、どこの大学でも十分な研究と教育が保障されるというふうな状況であれば、入試地獄というふうなものも解決をするだろうというふうに思っています。それが一つです。 それから、個々の大学の中のことになりますと、これは実際に行なわれている改革はいろいろございますけれども、やはり一つは、先ほど上田先生もちょっとおっしゃいましたけれども、人事を民主化すると申しますか、そういう形の改革が一つ行なわれている。それから教授会の構成を民主化する。大学によっては教授だけで教授会をやっておりますが、助教授、専任講師が入っているのがまあこのごろは普通だと思いますけれども、さらに助手を加えるとかいうふうな形での民主化ということがかなり行なわれている。それとの関係で、学長選挙や学部長選挙に職員、学生の意見を聞くというふうな改革も幾つかのところで行なわれております。ただ、これは御承知のとおり、文部省がそれを認めませんので、実際にはかなり難航しておりますけれども、ずいぶんたくさんの大学でそういう改革が行なわれている。 それからもう一つは、やはりカリキュラムの改革でありまして、これはあとの御質問に関連をいたしますけれども、いままでの大学の講座制に基づくカリキュラムというのは、私はやっぱり現在の状況には合わなくなってきているというふうに思います。それをどう変えていくかということをそれぞれの大学が苦労してやっておるところでありまして、一番多くありますのは、一般教育の中でいわゆる総合コースというものをつくりまして、たとえば人間と環境だとか、あるいは都市の問題だとかというふうな形で、特定の学問分野にとらわれない総合的な形であるテーマを追求するような、そういうコースがつくられているというのもずいぶんたくさん例のあることだと思います。 それで、学生参加の問題につきましては、私は学生参加の方式というのはいろいろあると思いますけれども、わりと成功しておりますのは、やはりこまかい、こまかいといいますか、大学全体と学生全体とが向かい合うというふうな形はなかなかうまく進みません。そうではなくて、学部の中のさらにもっとこまかい区分の中で学生と教官とが一緒になってカリキュラムの問題を考えるとか、あるいは私どもの大学でも一部ありますけれども、教室へ割り当てられた予算の使い方についても学生と話し合いをしてきめるとかいうふうな、そういうまあ目立たない形での学生参加ですか、こういうことはかなり効果をあげているのではないか。で、大学によっては大学の予算を全部学生に公開をして、そうして、学生にはこういうふうに予算を配当するということで、もちろん、決定権は教授会のほうにあるわけですけれども、学生の要望を取り入れるという形で成功をしている例もございます。 それから、筑波大学のカリキュラムですが、その点では、私もあれ若干の資料を拝見してちょっとびっくりしたんでありますけれども、御承知のように、筑波大学の学群は、学群の下に学類というものがございます。で、第一学群の中では人文、社会、自然という学類があるわけです。ところが、出されました資料によりますと、あのカリキュラムは専攻別のカリキュラムになっていまして、学類の中にどういう専攻があるのかということは私どもは一度も説明を伺ったことがございません。たとえば、社会学類というのがありますけれども、社会学類の中に常識的に考えればおそらく政治、経済、法律、社会とあるんだろうと思いますけれども、どういう専攻があるのかということがはっきりしないまま社会学専攻という例でカリキュラムが出されております。これは学生がこういう科目を選択したらいいだろうというだけの話であって、私はやっぱりカリキュラムというからには、学類全体としてのカリキュラムが出されませんと、学校としては教育の計画が立てようがないのではないか。極端に言えば専攻別にカリキュラムをつくれば無数にできるわけで、この学生はこういう単位をとりたいというふうなことを羅列いたしますと、これはとても大学が対抗できるような授業科目でおさまるものではありません。あの資料の中にはジャーナリスト志望の例などというのもございますけれども、ジャーナリスト志望の例とか公務言志望の例とか、政治家志望の例とか、そういうふうな例を書き出したらこれは切りのない話であります。そうではなくて、学群として、あるいは学類としてどういうカリキュラムを設定するのかという形で考えていきませんと収拾がつかなくなると思います。したがいまして私は、あれはサンプルであって、カリキュラムというふうなものではないというふうに考えております。どこでつくるのが望ましいかというお話でございますが、これはやはり学群、学類の教員会議というものが構成をされて、そこが責任をもって、学生の意見等も取り入れつつつくるということが一番望ましい形だというふうに思っております。
○参考人(堀尾正雄君) 先ほどの学部の弊害をどういうぐあいに取り除くべく努力しているかというお尋ねにお答えいたします。 今回の筑波法案の改正の要綱の一つになっておりますのは、学校教育法の第五十三条で、それは大学には学部を置くことを常例とすると、こうなっているわけで、学部というのは非常にあるのが常の姿だというように、非常に何といいますか、独立性の高い、あるいは数個の、前の法律では「数個の学部を置くことを常例とする。」というふうにあるのですね。数個というのはそれぞれ独立したものであるという観念でできているものなんであります。したがいまして、幾つかの学部の壁を制度的に破るということはこれは私まずできないと思います。つまり工学は工学部、理学は理学部、法学は法学部、文学は文学部という一つのとりでの中にあって、これを、制度をばらばらにしてしまって、文学部の教授と理学部の教授とで決議をしてものをきめるというようなことは、そういう制度を取り除いて、制度の壁を取り除いて運営するということは私はそれはまずできない。そういう点はまずいかに努力しても制度上私はできないと思います。そこでどういう努力をしていくか。たとえば私が先ほど例をあげました一つのことといたしまして、学術が非常に進歩してくると、一つの学部では収容し切れない、幾つかの学部の境界を広げていかなければいけない。大学ではそういうふうものがだんだんだんだん進んでくるというような場合に、現在とっております方法は、数個の学部のそういう専門の人々が寄り集まって、共同で研究所を設置するというのを文部省に申請するわけです。その研究所になりますと、これは一学部の教官だけじゃなしに、学部並びに既存の研究所の共同作業として新しい学問分野、これは自然科学系もありますし、人文社会系もありますが、そういう新しい学問分野の開拓のために独立機関を一つこしらえる。間ではどうもできませんので、独立機関を一つ打ち立てる。あるいはまたそれほどいたしませんでも、どっかの学部なり研究所に付設されているところの施設をつくるという方法もあります。これは特に施設になりますと、これも人文社会系にもあり得ることなんですが、何かこう施設をつくりまして、それは管理はどこかの学部あるいは研究所がいたしておりますけれども、そこへはいろいろな学部の関係の教官がそこへ出入りするということはできると思います。しかし、こういうことをいたしましても、これは学生の教育のためにはあまり効果はないわけです。もう少し上の、何といいますか、研究の分野のことであります。しからば、学生のためにその学部の壁を除いてもっと学生に広い知識を与えたいというときに、たとえば経済——私たち工学におりますと、経済的な観念、あるいは法律的な観念というものは工学士といえども非常に重要だ、それで、そういう場合には法学部、あるいは経済学部にお願いして、そしてわれわれのほうでは単位を、このぐらいの単位はよその学部から取ってきてもよろしいというワクをわれわれのほうで認めて、そしてまた工学部の学生が法律なり経済で勉強することを学部長が正式に先方の学部長に話して、こういう学生が行きますからよろしくお願いいたしますということで教育上の不足を補おうとしているわけです。この辺のところまでは現在何とかしてやっております。ただ、それ以上先へ進んでいきますと、私がさきほど述べたようなことになるというわけでございます。
○参考人(徳廣龍男君) お答えいたします。 筑波大学で学系とそれから学群というようにお分けになった関係から申しますならば、教育担当の副学長と研究担当の副学長というのが分かれるというのはこれは当然だと思います。 それから第二の点でございますが、私は副学長とそれから学群長あるいは学系長の関係は、スタッフとラインの関係だと思っております。 以上でございます。
○加藤進君 三点質問いたしたいと思いますけれども、事柄の関係上まず質問の要旨だけお話させていただきたいと思います。 一番最初は、浜林先生にお尋ねしたいのですが、先ほども先生のごあいさつの中に、筑波大学法案に対する反対運動がいま大学関係者の中で大きく発展しているという現状の御報告もございました。この点に関連いたしまして、この筑波大学法案に対しては、大学関係者は言うまでもありませんけれども、大学に学ぶ、特に学生諸君の死活の問題でもありますし、さらに、全国民的な意味でも重大な関心を持っている法案だと思います。そういう点につきまして、いま全国民的な規模でこの反対の世論と運動がどのようにいま発展しつつあるのか、その現状と特徴という点について御説明をいただければありがたいと思います。 それから第二番目の問題といたしまして、やはり浜林先生にお尋ねしたいのでございますけれども、全国のそれぞれの大学において自主的なそうしてじみちな大学改革の問題についての取りきめが行なわれていることは私も存じておりますけれども、そういう大学改革の目ざす方向は大体どのような方向に向かっているのか、そういう点のいわば特徴点を御説明をいただきたいと思います。さらに、その上にできれば、これに対する文部省がどのような態度で対応しておるかということにつきましても、先生の御存じいただく範囲においてけっこうでございますけれども、お答えいただきたいと思います。 同時に、先ほども萩原委員からの質問にもございましたけれども、大学における構成員としての学生の地位と権利という問題でございますけれども、これを抜きにしてはほんとうの意味の大学の自主的な改革ということが意味を若干弱めるのではないかと私は考えているわけでございますけれども、その点についての大学での志向と努力という点を説明いただければ非常にありがたいと思います。 それから三番目の問題でございますが、これは浜林先生と同時に、中部工業大学の副学長でいらせられます徳廣先生にもお伺いしたいわけでございますけれども、今度の筑波大学は、新構想の大学であるという意味の一つに、この大学では大学紛争は起こすことのないような大学であるというイメージもあると思います。そういう点で、筑波大学なるものがはたして今後大学紛争を起こさないような大学であるかどうか、こういう点について徳廣先生にもお伺いしたいし、同時に、浜林先生にもその点についての御見解を伺いたい。 以上三点でございますけれども、よろしくお願いいたします。
○参考人(浜林正夫君) まず第一点でありますけれども、先ほどは大学関係者のことだけを申し上げましたけれども、先ほど萩原先生のお話にもございましたように、最近父母の方あるいは一般の国民の方々、小・中・高校の先生方はもちろんでありますけれども、大学はどうあるべきかということについて、たいへん関心が高まっております。で、いままではどこの大学でも入れればいいというふうな、そういうことだったように思いますけれども、最近はそうではなくなりまして、大学というのはどうでなければいけないのかというふうなことで一般に国民的な関心が非常に高まっている。そのことを反映いたしまして、たとえば筑波大学というふうなものが実際にできた場合に、小学校、中学校、高校の教育にはどういう影響が出るんだろうかとか、あるいはおかあさん方の関心としては、これからの、何といいますか、育っていく青年たちが、どういう青年たちが育ってくるんだろうかとかいうふうなことの関心が非常に強くなっていると思います。そこで、反対運動の中では大学の関係者だけではなしに小・中・高校の先生方もあるいはおかあさん方もこういう大学の問題についてもっと勉強をしたい。で、それがこういう大学ができることが国民的な期待にこたえることであるのかどうかというふうなことで、たくさんの勉強会のようなものが方々にございます。で、そういうことからやはりどうもこの大学は、これからの青年を育てていく上で望ましくないのではないかという意見が強くなっております。それから特に小・中・高の先生方の中では、この筑波方式にならって教員養成の新構想大学をつくるという計画がございます。ことしの概算要求にも載っておりますし、この間発表されました新学園公団の中にも載っておりますけれども、その問題をめぐって教員養成制度が改悪されるのではないか、筑波大学というものが一つの突破口になって教育養成制度というものが改悪されるのではないかという点の不安といいますか、心配がたいへんに多いと思います。ですからいろいろな署名の運動にしてもあるいはいろいろな集会等にしても大学関係者以外の方々の御参加がたいへんに多い、大学問題が今日ほど国民的な関心を呼んでいる時期というのはいままでになかったのではないかというふうに私は感じております。 それから第二点目でありますが、改革の方向につきましては、先ほど申しましたように、全国的な大学制度の問題としては格差解消ということが一つの大きな柱だと思いますし、個々の大学の中の問題につきましては、私はやっぱり大学の運営の民主化ということが大きな柱でさまざまな取り組みが行なわれているのではないかと思います。それから先ほどちょっと言い忘れましたので、もう一つ付け加えますと、やはりいまの大学教育でこのままでいいのかというふうな反省は大学の教師の中にもございまして、いままでの大学のあり方というのはいわば研究至上主義であった、教育のことについてもっと関心を持つ必要があるという反省は大学人の中でも生まれてきております そういう点では、日教組の教育制度検討委員会がごく最近第三次報告というものを出しまして、その中で大学をいかに改革するかという章がございますけれども、そこにもやはり研究と教育の問題などが取り上げられておりまして、私はやはりあれはひとつこれからの日本の大学改革を考える場合の方向を示しているのではないかというふうに思います。文部省はどういう態度をとっているかというのは私がお答えすべきことではないと思いますけれども、先ほどもちょっと申しましたけれども、一番特徴的なことはやはり学長、学部長の選挙の方式を民主化することに対しては文部省の干渉がかなりございまして、最近の事例でも福島大学、新潟大学等、やはり学長、学部長の発令が延期されるというふうな事例がたくさんございます。これは文教委員会の審議の中でも取り上げられた問題ですので御承知だと思いますが、やはり大学が自主的に改革をする場合に、文部省の考え方とたとえ違っていても大学の自主性を尊重するという立場を私どもは文部省にはとっていただきたいというふうに考えるわけです。学生参加が望ましいかどうかということについてはいろいろな意見があると思いますけれども、大学がそのことを望ましいと考えて判断をした場合には、そういう大学の自主的な判断を尊重することが自主改革を尊重することだと私は思いますので、文部省の現在おとりになっておられる態度というものに私どもはたいへんな疑問を感じております。もう少し申しますと、特に地方大学が文部省へ参りますとたいへんいじめられるわけでありまして、私自身もそういう経験を持っておりますけれども、たいへんいじめられるのです。何しろ金と人を握られておるものでありますから、あまり頭があがらないのでありますけれども、そういう点で言いますと、ぜひ大学財政の自主性というものを確立する方向をぜひお考えをいただきたい、そういたしませんと、ほんとうの意味で大学の自主性なり、大学の自治なりというものを守っていくことにはならないのではないかというふうに思います。 学生の問題でありますけれども、私の個人的な意見としては、やはり大学というものは学生を中心に考えるべきものであって、学生というのは、管理の対象でもないし、単なる被教育者というものでもない。学生が学ぶ場所をどう保障するかという発想が大学の根底になければいけないのだと思います。で、何といいますか、大学のほうででき合いのメニューをつくって、それをどれでも好きなものをおとりくださいというふうなのが何か筑波大学の構想のようですけれども、そうではなくて、学生が何を学び、何を要求しているのかということが、大学の運営の中心に据えられていかなければならないのではないかと思います。 それから最後に、紛争のことをお尋ねになりましたけれども、紛争ということばは私自身はあまり好まないのでありまするが、学生が要求を出すということは、大学の中では当然のことであって、その要求の中にはもちろん受け入れられないものもあると思いますけれども、大学がそういう学生の要求を一方的に無視し、押えつけるのではなくて、受け入れられるもの、受け入れられないものについて、学生と十分に話し合っていくという、そういう姿勢をとれば、いわゆる紛争というふうなものにはならないわけでありますけれども、筑波大学の場合に、そういうルートは私はどうもないように思いますので、学生が全く無気力になってしまうか、そうでなければ先ほどどなたかおっしゃいましたように、学生が暴発するかというその非常に危険な要素を持っているのではないかというふうに考えます。
○参考人(徳廣龍男君) お答えいたします。 私も、新構想の筑波大学でいわゆる学生の紛争が起きないという保証はできないと思います。起き得る可能性は十分あると思います。
○委員長(永野鎮雄君) 以上で参考人の方々に対する質疑を終わります。 参考人の方々に一言御礼を申し上げます。本日は御多忙の中、長時間貴重な御意見をお述べいただきまして、ほんとうにありがとうございました。委員一同を代表して厚く御礼を申し上げます。 午前の会議はこの程度にとどめ、午後二時五分まで休憩いたします。 午後一時七分休憩 —————・————— 午後二時十五分開会
○委員長(永野鎮雄君) ただいまから文教委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、国立学校設置法等の一部を改正する法律案及び国立学校設置法の一部を改正する法律案について、参考人の方々から御意見を聴取いたします。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中にもかかわらず、本委員会に御出席くださいまして、まことにありがとうございました。この機会に、各参考人の方々から忌憚のない御意見をお伺いしたいと思いますが、議事の都合上、お一人十五分程度にお願いいたします。 なお、参考人の方々の御意見のあとで、委員から質疑がございますのでお答えをいただきたいと存じます。 それでは、まず小牧参考人にお願いいたします。
○参考人(小牧治君) 文学部の小牧でございます。 文学部長をやっておりますので、そういう面からの発言になろうかと思います。そういう範囲内で私の個性を生かすということで、お話しをいたしたいと思います。 家永三郎さんと大江志乃夫さんが出しました「教育大学たたかいの記録」という、こういう本がございますが、その中に、お二人は、紛争という普通言われていることばはあまり使いたくないと、これはわれわれにとってはたたかいであったということをおっしゃっておりますが、私も、その考えは同感でございます。つまり、この十年の苦しみを思いますと、私たちがつくりました大学の慣行、あるいは学問の自由、思想の自由、そういうものが次々にこわされていくと、それに対して、私たちはどうやってそれを阻止するか、いいものをつくるというよりも、どうやってそういう弾圧に対して戦うかという苦しい日々でございました。それ以前は、戦後私たちは非常に民主的な——特に文学部でございますが、そういうものがだんだんと育っていくことに私は喜びと誇りとを持っていたわけでございます。 次に、文学部がどういう意味で反対をしているのかという理由を簡単に申し述べたいと思います。 これはすでに「文学部の見解」ということばでもって、諸先生方のお手元にはすでにいっていることかと思いますが、大きく見ますと、一つは管理運営の手続ということでございます。つまり先ほど申しましたが、反民主的なそういう学園の運営が行なわれていくということに対する文学部の批判でございます。その中心は、たびたび出てまいりますが、いわゆる朝永原則と言われるものが慣行としてございましたが、それが妨べられた、あるいはそれが否定されていくということに対する批判であったかと思います。 朝永原則は、ごくこれは普通の条理とあるいは各大学が持っています慣行でございまして、特にここで問題になりますのは、教授会と評議会との関係でございます。 そこでA、B、Cとございまして、Aは結局、評議会を議決機関としては認めるが——あるいはそれが望ましいと思います。木田局長殿は、文部省令を使って、評議会が諮問機関だとおっしゃっていただきますが、それに対して評議会は議決をするということがA項でございます。 それからBは、そういう議決をする場合に、評議会と教授会とが、お互いに譲歩と申しましょうか、調停していくと、したがって評議会と教授会の意見を、評議会は調停していくと、そういう原則でございます。 それから第二番目は、主として評議会が持ちますのは調整機能、これは各学部の専管事項でやりましたことが、あまり違っていたような場合に調整するわけでございますね。それからCと申しますのは、教官の不利益処分については、教授会の議決によって、教授会がそれを審議、決定していく、こういうことでございます。これはごく普通のことでございまして、東京大学も、聞きましたら、やっぱりこういうふうにやっているということですね。そういうことがこわされていった。それに対する、いわば批判であったかと思います。ところが、その過程の半ばにおきまして、いわゆる筑波法案——新ビジョンと申しておりますが、そういう新しいビジョンが出てきた。文学部は、その中心が、いま法案にありますとおり、非常に管理的な体制である、管理体制の強化である。それと関係いたしまして、研究・教育の分離だとか、あるいは学部の廃止ということが起こってきている。私は哲学ですので、人間疎外という問題をやっておりますが、結局大学は研究と教育の場である。そういう場合に研究・教育というのは、人間が疎外されている現在状況に対して、そういうものをなくし、人間を解放していくような、そういう研究、これは私個人の私見によりますならば、現代文明の批判でもあり、あるいは現代科学というものが、すばらしいこの科学がどうして人間を疎外していくことになるのかということとも関係してくるわけでございます。そういう立場から見ます場合に、この筑波法案は全くさか立ちをしている。これはある有名な政治学者が、民主主義は上昇と下降ということをおっしゃっておりますが、上昇は下の意見を盛り上げていく、下降はそういう集約したものをまた下に流してこれを検討すると、こういうことを繰り返す。この上下は、もちろん価値関係ではございません。そういう新ビジョンに対する管理体制、そして、人間がますます疎外されていく。これで先ほど、午前にありましたとおり、学生の不満がなければ、おそらく学生は政治的無関心になっていく危険性がある、こういうことに対する批判でございます。で、私は衆議院の文教委員会、あるいはこの参議院の文教委員会もずっと大体傍聴してまいりました。衆議院の場合は、私は忙しくあまりいけなかったんですが、その際には同僚が来てそしてその状況を文学部長に報告してくれということになっております。ここで、いろいろ御意見を伺っておりますと、死人に口がない、あるいは遺言することができないハムレットというふうな考えを持ってここを出ることがたびたびございました。あたたかい心をもって話し合いをということは、前星野学部長が評議会でたびたび絶叫したことでございます。それにもかかわらず聞き入れられませんでした。ここで、私はこの委員会の審議を通しまして、文学部長として、申したいことが若干ございます。つまり、誤り、あるいは誤解ではなかろうかと思う点が多々ございますので、ここで弁明をさしていただきたいと思います。 一つは、あたかも朝永原則——もちろんこういう名称はございません。大学管理運営についてのきめということです。そのものがあたかもなかったかのごときことばが出てくるということでございます。これは衆議院で松本教授が例示としてあげておりますが、ここで、私は評議会の議事録を持ってきておりますが、それに基づきまして、たとえば三輪学長は和歌森離職問題でわびまして、今後はこの原則にのっとって行なうからということをおっしゃっております。つきまして、評議会が教授構成員に発表いたしまして、今後評議会はこの原則に基づいて行なっていくということを約束いたしております。また、私が初めて評議員に出ましたのが四十二年でございますが、現に福田理学部長と御一緒でございました。その際、福田評議員と私とはずいぶん論争をいたしましたが、その中に、きょうも議事録がございましたが、福田氏の発言は、朝永原則、これは朝永原則とは言っておりませんが、三十七年の六月二十一日、これが朝永原則でありますが、この大学の慣行を破ったのは文学部だ、われわれこそはこの、つまり朝永原則に従っているという答弁をなさっております。それが先日なかったという発言を聞きまして、あれあれと思ったわけでございます。それから、中嶋学部長が人事の上申をしなかったという木田局長の御発言がございましたが、これは何か大きな間違いであろうかと思います。現に十名、そのうちの一名は信州大学へ出ましたが、その上申を学長のもとにやっておりますが、それが発令されなかった、特にY教授に至ってはもう三年半、特にY教授とK教授に至りましては、この教授評議会の選考基準がきめられる前に、教授会で決定したにもかかわらず、それが発令されないということでございます。 第三番目、学生と共闘をしたとか、あるいは授業をしようとしないとか、あるいは封鎮に対して無責任だとか、あるいは補導が至っていなかったというようなことばが出てまいりますが、これも心外でございます。私たちが努力し、苦心をいたしましたのは、どうかしてあの学生との信頼関係を回復したい、それが文学部の一心でございました。機動隊を入れずに、どうか話し合いによって、そうしてこの紛争を解きたい、そうでなかったらわれわれは正しい意味の人間尊重の研究と教育はできない。つまり学生は機械ではない、道具ではない、手段ではない、学生ないし教官こそ主体であって、そのための管理機関である、これはさか立ちしてはならない。 さらに、今度は評議会を文学部がボイコットしている件でございますが、これは先ほど申しましたような理由から、筑波法案の審議に対して欠席するわけであります。これは詳しく申されませんが、出席いたしました場合には、これは必ず文学部の評議員三でございます。何とか三ということで、必ずこれは回答無用みたいにきまっていくわけであります。そうして結果は文学部も出席したではないか、こういうふうに持っていかれる、それとうらはらでありますが、文学部長としてまことに日々苦心をいたしておりますことは、学長の方針と申しましょうか、あるいは筑波のこの方針に御賛成の方が三十何名いらっしゃいますが、この方たちがもう数年にわたって、全部じゃございません。ここにお見えになっている方はよく御協力くださいます点もございます。もちろん、この方たちも筑波に関しては御欠席なさいますが、その三十何名の方たちが教授会に数年にわたって、いやいまではもっと少なうございますが、何名かの方がそれこそかたくなに全然教授会に出てくださらない、ほんとうに困るんでございます。教授会には大事な学生の補導とか、研究とか、あるいは入学とか、そういうことがございますので、どうか出ていただきたいと日々念願をして、お願いをしている次第でございます。 それから、大学が紛争後何をしたか、改革をしていないじゃないか、プランを出しましたのは教育大学だけだというようなおことばがしばしばあるわけでございますが、これは文学部としてはどうしても納得できません。過日、鈴木美枝子委員、あるいは小林武委員からちょっと漏れましたが、これはどなたからお聞きになったのでしょうか、文学部は紛争のあと総点検運動というものをやりまして、そうして自己反省をいたしました。そうしてこのうちの漏れましたようなパーマネントシステムの改革だとか、あるいは講座制の改革だとか、先ほど京都大学の方が言われましたような改革は、現在の法の中で、文学部はその問題はみんな取り上げて検討し、現に実行しておるものが多々ございます。そうして、将来こういう問題点を現在の学部制の中でやっていこうと努力をいたしております。 最後に、これもちょっと申しますが、過日文部大臣が理事のことに触れまして、私立大学でも理事がどう言って干渉したか、そんなことはないじゃありませんかと言われたが、そんなことがございました。これは昨日神戸大学の方が発表されましたが青山大学の例でございます。理事長あるいは理事会がある学科、神学科でございますが、それの廃止を強行し、廃止になったとか、あるいはこれは浅野順一教授を好ましくない人物として処置をしろと。これは文学部の三教授辞職問題になっておりますが、こうして浅野教授は講師をおやめになったということでございますが、こういうことが私は起こってくる、こわいことだと思うんです。文学部は開かれた大学というのは意味が違っておりまして、たとえば勤労青年とか、たとえば一般の人に大学を開放するとか、そういう意味のことを考えているわけでございます。もちろん、同時にうちに向かって開く、つまり民主的ということを考えておりますので、先ほど出てきました学生の意見をどうやってくみ上げるかという点にも日夜苦労をし、ある面では実行いたしております。 以上でございます。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 次に、小西参考人にお願いいたします。
○参考人(小西甚一君) 私たちが筑波大学をつくるに至りましたそもそものきっかけは、東京教育大学がいまのある場所ではどうしようもないという物理的な制約がございまして、もう少し条件のいいところへ移りたいというのがきっかけでございました。それにつきまして、数年間、おそらく五年ぐらい審議を重ねたわけでございますが、その一つの中間の到達点でございます昭和四十二年のときに、一応全学で合意に達してまいりました線といたしまして、人文、社会、自然の均衡のとれた総合大学として発展することを期して、そうして筑波へ移動したいという意見になったわけでございます。その場合、人文、社会、自然が均衡がとれたと申しますが、これは、それぞれの分野に同じぐらいの数の教官がいて、同じぐらいの数の学生がいてというふうな量的の面だけではこれは意味がございませんので、やはりその質の面で非常に重要であるということをわれわれは考えまして、どうすれば質的に均衡がとれるかということを、あるいは調和できるかということを考えていたわけでございますが、そのプロセスで、四十三年ぐらいから紛争が起こりまして、たいへん不幸な結果になったわけでございます。その紛争の最中に、私たちずいぶん学生とかれらのことばで申します団交などにも出まして、なぐられたりけられたりという中で、私たちの意見を十分に述べ、そしてかれらの意見、日本語だか何だかよくわからぬことばがずいぶんございまして、つかみにくいことばでございましたけれども、とにかく対話を重ねていきますうちに、だんだん私たち特に私のような年輩の者にとっては、一種の精神の改造のごときものがそこで行なわれたと、私自身に関しては申します。ほかの方はよく存じません。 そこで、特に感じましたことは、いまの学生がなぜ紛争を起こすのだろうか。かれらはばかでも気違いでもないのでありまして、あれだけのことを起こすには、それだけの理由がなくてはならない。これはわれわれが真剣に考えてやらないと、単にこれを物理的に力で押えつけたところでどうにもなるもんじゃないというふうに考えたわけでございます。そうすると、かれらが不平、不満を持つ一番大きい理由は、先ほど小牧さんが申されました人間疎外ということばで申されましたが、何か管理社会の中の一つの部品として、学生に限らず一般の人間が組み込まれていって、そこに生きた人間として自主的に創造性を持って何か仕事をするという機会が少ないということに対する不平、不満が、おそらく非常に強い原因になっているであろうということを、私たちは、少なくとも私は考えたわけでございます。そこで、私たちが新しい大学に移りますときに、自分たちが目標としました人文、社会、自然の調和がとれたということを学校のつくり方の上に反映させたらどうなるであろうかということを、これは非常に真剣に考えたわけです。で、紛争の間、学生と論争してくたくたになってから、また有志教官が集まって、どうしたらこれをいい方向にもっていけるかということを熱心に討議したわけでございますが、そこから出てまいりました方向は、従来の学部制、学科制、講座制という中に閉じこめられて、学生が自主的な勉強をしようにも動きがとれない状態にあるんじゃないだろうか。私の勤務しております国語学、国文学で申しますと、非常に多様な志望もしくは素質を持った学生が入ってまいりましても、学校のほうでもうきめてもらいまして、きまりきった単位の取り方をしませんと卒業することができない。 〔委員長退席、理事楠正俊君着席〕 で、ジャーナリストになりたい人もあれば、国語の教師になりたい人もございましょう。いろいろな人があると思いますが、それは一様のカリキュラムを押しつけられて、あまり自由にやれない。これは非常にまずい点であるということを考えまして、思い切ってこういうワクのごときものを取りはずしまして、むしろカリキュラムはかれら学生に自主的につくらしたらいいんじゃないか。学校からつくって与えるもんじゃなくって、学生のほうからむしろつくるという方向に持っていくべきじゃないかということが、根本的な考え方として出てまいります。 そこで、大学のほうは様々な種類の授業を豊富に提供するところである。その中で、学生が自分の資質や志望に応じて適当にこれを選んでいくというやり方に、およそこれ百八十度の転換だと思いますが、こういう方向を考えたわけでございます。 この場合に、いかに自主的カリキュラムといいましても、大学を卒業しましてから何の中心もない、専門性を持たないようなぼうばくとした人間ができてはこれは困りますので、卒業段階におきましては、必ず何かのはっきりした専門を持たせる。私は日本文学をやりましたとか、私はドイツ語学をやりましたとか、世間様へ出て通用するような専攻は必ず持たせます。それに向かって勉強させますが、その中でも、いろいろなバラエティがあるわけで、たとえばジャーナリズムに出ようという人が、何も古典文学の研究だけに縛りつけられる必要はないので、たとえば文学を主専攻とし、社会学を副専攻として、両面から平安時代の文学を研究するというふうなやり方が、もっと自由にできていいんじゃないか。場合によりましては、数学の学生がインド哲学を副専攻としまして、ユニークな世界を開拓するということだってあり得るんじゃないだろうか。これは極端な例でございまして、いつも出てくることじゃないと思いますが、そういうわかりやすいため極端な例をあげたわけでございますが、そういうふうにつくり直してみたいということが学群というものをつくりました根本の理由でございます。そういたしますと、従来のようにすでにできておりますところに学生をはめ込むわけじゃないと同時に、この学群も幾つかのものに分けまして、たとえば第一学群、第二学群、第三学群とつくりまして、それぞれに人文、社会、自然に相当する分野をみな含ませる。そうして、そこに人文の学生もいれば自然の学生もおり、社会の学生もいるということで、人間の交流をわりあい違った種類の学生とする間に、専門を深めていくという広さと中心性と両方を持たせるような組織を、学群として構想したわけでございます。これは私たち教官の側から申しましても、そういうことははなはだ有用だと思います。 私、文学部におりますが、もし紛争なしに過ごしたならば、私は単なる国文学の教師として過ごしたでございましょうが、紛争のおかげで何か責任のある時間は、事が起こるといけないからある詰め所に詰めているという時間がございまして、そこに詰めておりますと、法律の先生も一緒になることもありますし、物理学の先生と一緒になることもあるというふうなことで、いままで知らなかった分野の教官といろんな学問上の話をすることによって、こんな世界もあったのかという驚きを持ったわけです。これは私のような見解の狭い人間だから驚いたので、驚かない先生も多かったかもしれませんが、私は少なくとも自分の学問の方向を定める上にも重要な寄与をしてくれたと思います。したがって、学生にとりましても違った種類の学生が若い時代から一緒のところでつき合っていくということは非常に重要であろうということになるわけです。ところが教官の研究というものは、これはかなり専門化が進んでおりまして、深い研究するためにはどうしても分野が狭くなるということが一つございます。ですから、そういう専門性を尊重いたしますと学系という中で専門性に融通のつく程度の方々が集まって新しい学問領域による教官集団を形成するということが当然必要になるだろうと思いますし、また、学問は日進月歩でございまして、社会の進展に伴って新しい領域、境界領域ごときものがどんどん出てまいりますと、これについてはいろんな種類の教官が集まって、研究者が集まって共同研究するというような必要もございましょう。ところがそういった最新の研究の領域などということになりますと、これは高等学校を出て、すぐ大学へ入ってきたというふうな人たちに適用するには、その領域はあまりにも特殊過ぎるということになりますと、これは一応研究の組織と教育の組織は分類のしかたですね、領域の分類のしかたを別にしたほうがいいだろうというのが学系と学群を区別した理由でございます。これにつきまして、午前中にも意見ございましたように、そのために、同じ化学の先生が一つのところに縛りつけられることなくて、いろいろなところへ出ていって講義することができるというような利点と研究領域の新しいところへ意欲的に開発するということがそこで可能になるだろうと思うんでございます。したがって、よく反対の文書に研究と教育を分離するとはもってのほかである、研究を前提としない教育は成り立たないというふうな反対論を書いたのもございますけれども、これは実は何も知らない人が書いているんで、研究を前提としないような教育が成り立つはずはございません。そんなことはわれわれ全然考えておりませんので、ただ分野としまして教育を組織する単位と、それから研究を中心とする単位ではズレがあるのはむしろ当然であろうというのが学系と学群との違いでございます。 大学院につきましては問題ございますけれども、時間の関係で省きます。 それから、三番目に学生の地位でございますが、新しい構想をつくりましたきっかけが、そもそも学生の人間性というものを十分に伸ばすため、自主的な考え方を尊重するという方面で出てきたわけでございますから、そちらの方面は実は十分過ぎるほどやっているわけでございます。たとえば、学群のほうで申しますと、学群につきましてある一定期間責任教官というものを置きまして学群における教育の責任をはっきり持たせる、その中に指導教官、これはやや学的な、アカデミックな指導をいたしますし、それからクラス担当、担任教官などを設けまして学生との接触を密にする、さらに、その上にカウンセラーを置きまして、学生たちとカリキュラムの相談などにあずかって、でたらめな取り方にならないよう、助言、指導するというふうなことをやっております。多少、私はそこまでしなくても、幼稚園の生徒じゃあるまいし、大学生だから、もっとほっといてもいいじゃないかと個人的な意見を述べましたけれども、大勢といたしましてはその程度にめんどうを見てやれというふうな、たいへん懇切丁寧な指導方針が確立しております。 それから、学生が大学に対してどういうふうに参加するかということでございますが、これも学生のいろいろな組織、一番大きいものは全学的なものになるか、それとも学群単位になるのか、ここはまだ入ってこない学生をつかまえてきめてみてもしようがないんで、まだ決定的になっておりませんが、何かの形で大学に対して意思形成に参加するということは認められております。ただ、私たちの理解では、その参加というのは意思形成のプロセスにおける参加でございまして、意見は十分に述べる、ただし、決定の責任はあくまでも教官にあるというふうに基本線は考えております。しかし、ありとあらゆる機会に学生の意見を十分に述べられる、これを述べられるようにしておきませんと、大学の運営というものはうまくいきませんし、これが紛争の原因にもなるので、ありとあらゆる機会に学生の意見を教官側でくみ上げるという、これは精神とか、心がまえというのじゃなくて、学生の組織の中で位置づけていこうというふうに案を考えております。 以上で私の一応予定したことは申しましたが、最後に一つ、いま小牧参考人から申されました大学の自治が侵害されたというふうに受け取れる発言がございましたけれども、これにつきましては事実関係から申しましてそういうことはございませんということをここで一言申さしていただきます。 以上でございます。
○理事(楠正俊君) どうもありがとうございました。 次に、大浦参考人。お願いします。
○参考人(大浦猛君) 私は、もともと東京教育大学が自主的な態度で、また学内においては民主的な手続で事を進められた上で現在の本学の制度のままで筑波に行くことになりました場合には、それに参加する気持ちでおりましたわけであります。ところが、あまりに事の進め方が非民主的、独善的なやり方で進められてまいりましたものですから、批判的な気持ちが次第に強くなりまして今日に至っている状況であります。 そこで、本学のこの問題の進め方についての問題点を幾つか具体的に申し上げますと、まず一つは、評議会と教授会との関係であります。先ほど小牧教授が言われたこととつながるわけですが、もう少し具体的に申しますと、本学では、教育大学として発足以来教授会の意思を基礎にして評議会を運営している。もし、各部局の意見が一致しない場合には、教授会と評議会との間を往復するようにして事をきめていく。急ぐときには、臨時の会議を何度も開いて事を処理していくという方針で運営してまいりました。私が見ますところ、東京教育大学の運営は、かつては発足以来なめらかに事柄の判断を誤まらないような決定をしながら運営してきたように思います。いまのようなやり方は結局決定の内容がゆがんだものにならないという、そういうことを保証する方法でもあったわけであります。その理由でこの慣行が学内で広く支持されてまいりまして、ときおり確認されてまいりました。顕著な確認の時期が、先ほど小牧教授が言われました朝永学長時代の各教授会での大学の問題についての研究委員会の論議、それから評議会での確認であったわけであります。この精神が実は筑波問題との関係でゆがんできたわけであります。顕著なゆがみは、多少先立つ事柄幾つかありましたけれども、学内全体の聡明な協力によって処理してきたわけでありますけれども、そのことが破綻を来たしましたのが、一九六七年、昭和四十二年の五月の下旬から六月に至る経過であります。従来ですと、評議会が教授会で審議してもらう原案をつくりまして、その原案を各教授会が審議しましてその結果を評議会に持ち寄りまして、そこで評議会がある種の調整案をつくりましてまた教授会に戻すと、そのようにして決定するのが当然の本学の慣行でありました。それが破られたわけであります。 その次に、その原案の内容でありますけれども、本学では、筑波問題につきましていろいろな議論をしました結果、つまり物的な設備を大きくしていくということを強調する意見、そのことも重要ではあるけれども、もっと大事なことは大学においては人が大事である、すぐれた人材を人事をゆがめないようにして集めることによって、規模は小さくても——もともと大塚の学園はそう大きな学校ではありませんでしたけれども、規模は小さくてもりっぱな大学をつくっていくことができるという考え方との対立でありました。その対立をしかし何とかしなければいけないということで、大塚に残ろうとする部局の意向を尊重する、全学をあげて尊重する。また、筑波に行こうとする部局の意向を尊重するという、いわゆる二つのキャンパスの論ということで学内がほぼ一致点にたどりつつあったわけであります。その全学の状況が教授会に報告されました。教育学部教授会もそれでいこうということで事を進めていたわけでありますが、教育学部教授会が学部長の意思表明の当分の間というふうな、当分の間大塚に残ると、「当分の間」という文字が入りましたことと、それから、当時の三輪学長が事を急がれたということもありまして、実は、その二つのキャンパス案については政府のほうがそれを支持してくれるかどうかという疑問点がありましたので、それを文部省に打診しようというふうになってきたわけであります。そこで、その二つのキャンパスのことについて政府に打診しよう、そこでオーケーであるならば、事柄を前進することができるというふうに考えまして、その線で教育学部の教授会は臨んでいたわけでありますけれども、実は、この昭和四十二年の五月の下旬の評議会原案は、文部省に打診をするという原案ではなくて、意向表明という原案、意向表明を強くした原案に変わったわけであります。そこが内容的には重要な問題でありました。まず打診をしよう、打診をして、政府のほうの意向によって、それで土地を希望するというこのことの決定を審議しようという手順がかなり一部で主張されたわけでありますけれども。 まあ、そのようなことがありまして、結局多数決で土地を希望するという意向表明が行なわれました。しかし学内におきましては、これは土地を希望すると、俗に申しますと、まあそういう、筑波に移ることの可能性を全くなくするということがないようにしておこうという第一歩の措置でありまして、これは移転がきまったわけではないというふうな了解が学内的に確立していたわけであります。そしてそのときに、昭和四十二年の七月十三日に先ほどの経過を経まして学長から文部大臣あてに公文書を出しましたけれども、その公文書には、移転の最終決定は、諸般の条件が満たされたことを確かめた後に、本学の自主性において決定するという結びになっておりました。 〔理事楠正俊君退席、委員長着席〕 で、教育学部はその点を重視しておりまして、当然、公文書の文字ですから学内的にも当然それは確認されているべきものと考えておったわけであります。そのことをめぐりまして、その翌年、一九六八年、昭和四十三年の十月から十一月の初めまでにかけまして教育学部では、教授会メンバー全員と学生全体との集会をひんぱんに開きました。で、その席上で、たまたまそのころ教育学部のメンバーが各学部の人たちとの間の調整をはかりたい、文学部とほかの部局との間の意見調整をしたいという気持ちを持ちまして、まあ私どもその努力を多少してみたわけでありますが、そのことも関連しまして教育学部の学生との集会において、本学の調整試案を教育学部は学生の前に発表いたしました。それは、昭和四十二年の六月十日の土地の希望の意向表明の決定は尊重すると、またその学部集会の時点で調査費の請求をしておりましたけれども、それも取り消すことはしない、しかし、調査費が来ました場合にそれはお返しをして、そして、全学をあげて移転のための条件の作成をしよう、その結果、その条件が満たされるかどうかを確かめることをして、それから移転の最終決定をしよう。その条件作成の場合に、学生の意見なども組み入れることをしようという態度を表明してまいりました。 その後、昭和四十四年——一九六八年でありますけれども、七月九日に筑波のビジョンの評議会原案が協議会におりてきました場合に、一体これは昭和四十二年の七月の大学の公文書の中にあります、満たされるべき条件の作成であるのか、このビジョンは。あるいはその条件が満たされることを確かめた後に最終決定をするという最終決定の原案であるのか、これがはっきりしないという疑問が教育学部では出まして、これを学部長を通して学長に問い合わせたのでありますけれども、学長は答えませんでした。そして慎重審議をしたわけでありますが、七月二十四日の評議会に対して、教育学部教授会からは、これは移転の最終決定であるとは考えられない、諸般の条件が満たされることを確かめた後にという部分がありますけれども、その条件がはっきりしない、満たされることを確かめるべき条件がはっきりしない。したがって、また満たされることを確かめるということもしていない。したがって、これは移転の最終決定ではないと考えるという意向を学部長は表明いたしました。強い要望といたしまして、これは移転の最終決定ではないということを確認してもらいたいということを申しました。評議会では、これはその確認はいたしませんでしたけれども、評議会の議論の中で——学部長からの報告によれば、これは後にやがて最終決定をすることになるんだという意見がありましたから、実質的に教育学部の意向はいれられたものと考えて、学部長はそれで、つまり移転の最終決定でないということを評議会として公的に確認することを迫ることはやめまして——他部局との調整上、実質的に満たされたと考えて、この評議会の議を終わったわけであります。したがって、教育学部では最後までこのことが問題になっておりまして、教育大学としましては、つまり昭和四十二年の七月十三日の公文書にあります最後の文書の手続を十分に確認していないと私どもは思っております。で、これが教授会と評議会とにおける民主的でないことの内容であります。 で、その次に教官人事のゆがみがあります。文学部教授会の人事の問題が出ておるわけでありますけれども、これは文学部のことは私もわかりませんけれども、もっとも文学部から申請している者を学長のところでストップしているということはけしからぬと、私は思うのでありますけれども、いろいろと学内の状況から教官の人事選考基準という問題と関連しまして暗い雰囲気が漂ってきております。すぐれた研究業績がありましても、研究業績以外の問題がいろいろありまして、教授会での発言をくふうしなさいということを言う人がありましたり、あるいは寄付を出したかどうかということを言われる向きもあったりいたします。こういう、教官人事がゆがみますと大学は悪くなっていくと思います。この例、すべての例がそうではないわけですけれども、十に一つでも、二十に一つでも、こういう例のあるということは、これは大学として許せないことだと思います。 その次に、教授会メンバー以外の構成員があるわけですけれども、助手という身分の職の文部教官がおります。付属の教官もおります。さらには組合というものもあります。組合には事務職員もおります。組合を離れた事務職員からのさまざまな疑問もあります。さらには大学院学生、学部学生という学生たちもあります。少なくとも、大学の職員全体に対して十分な疑問に答え、十分な説明会を開くということをせずに、それぞれの職員の生活に影響のある問題を決定すべきではないと私は考えます。以上が民主的でないということの内容であります。 このような状況と関連いたしまして、こういう状況の中から、実は筑波プランは生まれてまいりました。こういうプランの中から学長専決の体制を制度化するような学長専決のプランが出てきたわけであります。そしてまた、すべて制度というものは人の運営によってきまりますけれども、現にそういうゆがみをしている人々の手によって新しい制度がになわれていく可能性が大きいわけであります。このことのゆえに、私は、この筑波プランに非常な問題があると感じます。どういう人が動かしているのか、どういう運用の中からこのプランが生まれているのか、このプランをつくった人というのはどういう運営をしているかという観点から、私は、この筑波の問題についての将来推移していく具体的な姿について心配をいたすわけであります。人が全く別人ならば話は別ですけれども、また、人が生まれ変わるならばまた別ですけれども、生まれ変わるならばいまからその運営をただすべきであります。教官人事のゆがみもそうであります。 そこで、その次に、多少筑波プランの問題に少し関連して考えてみますと、私の考えでは、一つの特色は、このプランは研究の組織と教育組織との分離にあります。研究と教育の分離の中には大学院の博士課程と修士課程との分離、修士課程とカレッジレベルの学生の組織との分離があります。つまりこの問題は、学生同士が博士課程と修士課程、修士課程とつまり大学院の学生とカレッジレベルの学生との間のコミュニケーションが現在の東京教育大学の中では可能であります。かなり行なわれております。大学院へ進学する場合にもさまざまな指導をしている大学院学生がおります。このことはカレッジレベルの学生の水準を上げるために相当の意味を持っているわけでありますが、この組織が、カレッジレベルと修士課程と博士課程の組織が分断されておりますために、そのことがむずかしくなります。それからさらに、教官の組織区分とカレッジレベルの学生組織との区分が違いますから——修士課程もそうですけれども、したがって、教官全体の組織区分と修士課程——このカレッジレベルの学生の組織区分との全体との対応関係が十分にできておりませんので、教官との間の、研究組織に属しております教官で教育組織の専任にならない教官との間のコミュニケーションはいまよりも悪くなるのではないかというふうに私は思います。また、教育組織に専属の教官が多いとしますと、その人と研究組織のほうに主として属していてカレッジレベルの教育組織の専任にならない教育との間にローテンションなどの非常なむずかしい問題ができるおそれがあるかとも思います。それよりも私が問題にしますのは、研究組織と教育組織が分離されるということは、学校教育法の教授会に関する規定にもとると私は考えます。なぜならば、学校教育法の教授会といいますのは、研究、教育一体という原則の上に立つ組織の意思決定機関を意味いたします。研究、教育が一体という組織の上に立って初めて教授会は研究と教育の全体にわたって、研究と教育の全体にわたるからこそ大学運営につきましても強い発言権を持ち得るわけであります。その教授会というものができなくなるわけです。教育組織と研究組織が分断されますから、教育組織も分かれますから、教育組織も博士課程と修士課程とカレッジレベルに分かれますから、これが分断されます。分断された個々の意思決定機関というものは、これは教授会とは言えません。で、そのことは、当然その分断した組織の学内における発言権は、研究教育の問題についての発言権は弱くなります。そのようなおそれを抱かせるプランになっております。 さらに申しますと、研究組織、教育組織が分断されますと、全学の意思統一をするためには、あまりも基本組織が分断されておりますために、学長専決体制になるわけであります。つまり研究組織、教育組織の分断ということは、しかも教育組織の各レベルの分断ということは、実は学長専決体制としなくちゃいけないような組織になっているわけです。つまり学長専決体制にするための研究、教育組織の分断ということになっているわけです。つまり、管理と教育、研究との間にみぞを入れるということになっているわけであります。つまり分断支配と申しますか、いわばそういう組織になっているわけであります。もちろん先ほど申しましたように、りっぱな人がおやりになるならば心配はないわけでありますが、先ほど申しましたような理由で私は現実に非常な心配を抱いているわけであります。 それから、なお今度のプランの経過、この国会に出されます経過を考えますと、私は非常に閉じられている経過だと思います。閉じられている理由は、先ほど申しましたように、学内においては閉じられております。教授会メンバー以外の人に対しては閉じられております。さらには大学の世界、学問の世界、学界に対して閉じられております。従来は大学問題につきましては、大体重要な問題につきましては、法律改正の問題になりますと、これは学術会議、国大協の意見を求めておりました。また、国大協は各大学の意見を求めておりました。各大学の意見を基礎にして国大協は意思表示をしていたわけであります。その経過が全くないのであります。これは大学の世界、学界に対して閉じられているということであります。で、そのような閉じられたしかたでよろしいのか、事は重大でありますので、単に東京教育大学がそのまま移転するというのなら別ですけれども、いま各大学、各学会から私どもいろいろな東京教育大におりますものは批判を受けておりまして、たいへん恥ずかしい思いをいたしておるわけでありますけれども、これを開いた経過を取り直すことによって審議経過を充実させて、慎重審議を十分にしていただきたいというふうに私は思うわけであります。各学会、各大学の相当程度の納得が得られるようなプランにして事柄をきめていただきたいというふうに、私は思うわけであります。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 それでは次に、尾留川参考人にお願いいたします。
○参考人(尾留川正平君) 私は理学部に所属しておりまして、今回の計画が問題になりました昭和三十七年以来、全学将来計画あるいはマスタープラン委員会あるいは開設委員会全部に関連してまいりました。で、非常に多くの問題があるかと思いますが、移転を契機として発展しましたが、先ほども述べられたように人文、社会、自然の諸科学の均衡のとれた総合大学、そういうものを打ち立てていこう、一方には、そういう希望に対して現実は大学の巨大化、学制の多様化、学問の再編成期というような事情を控えている。抜本的な新しい組織あるいは内容を検討しなければ、ただいま申し上げましたように、目標並びに現実の隘路を打開することができないであろうということで、各種のプランを検討してまいりました。ここでは、主として研究——教育につきましては小西参考人から述べられましたので、研究並びに管理の問題で、たびたび世間で問題になっているようなことを中心にして述べてみたいと思います。 まず、研究面におきましては、先ほど学問の再編成期というような表現を用いましたが、ともかく境界領域の急激な開発、それから日に日に細分化していく学問の総合化というようなことがいままでの大学の学部制あるいは講座制というもとではきわめてその打開が困難である。本日も京都大学におられた方が工学部の内容を申されましたが、たとえば私は地理学を専門としておりますが、地理学のような中を振り返ってみましても、自然地理学の名分野あるいは人文地理学あるいは文化地理学の名分野というようなものは国際レベルに決して劣らないところに進んでおりますが、両者を総合した地域地理学——リージョナルジオグラフィー、あるいはさらに境界領域に近い地図学——カルトグラフィーというような面になりますと、残念ながら相当おくれをとっている。その原因は多々ありますが、最も大きなことの一つは、境界領域等が開発しやすいシステムになっていない。たとえば地図学——カルトグラフィーというようなものは、各大学で講座申請をしようとしましても、理学部で問題になるとそれは工学部だと、工学部で問題になるとそれは理学部だというようなことで、再三の大学の決定すらなかなか概算要求の中にも入り得ない。これは一にかかって学部、講座別というようなものの障害の一つであったと、わずかに教育大と東大の地理の一部と生産研で、写真測量だとか、あるいはリモートセンシングなどの最先端の研究が細々となされてきたというような状態にあります。 そこで、新大学では、いままでのディシプリンを進化するという面については、いままでの学部あるいは講座制の長別を相当生かしていく形で学系というものを組織する。しかし、学系の領域に包含されるものは同じであるテーマについての学問的な討論がし得るような範囲の人をできるだけ包括的に含んでいくという形で編成をしていく、それがいま二十六考えられている。それに対して、まだディシプリンとしては確立していない、しかし、日に日に部分的な開発が進められつつあるというような分野につきましては、いままで研究所という形で多くは行なわれてまいりましたが、研究所は設立されて当分の間はいいんですけれども、どうしても固定化してしまう。この固定化は絶対に避けようということで特別研究プロジェクト——プロジェクト研究によってチームを組織すると、そうして関連分野の者が、ファカルティーメンバーのみならず、広く海外からも客員研究員を呼んで、そこで総合的に、あるいは共同的に研究を進めるという組織をつくりました。これは研究が一段落つけば解散する。そこに物的な設備、施設が膨大になりますと、固定化のおそれがありますので、それは切り離して研究センター、たとえば計算機にしましても加速器にしましても、あるいは分析あるいはアイソトープ、各種のものがありますが、それはそれでサービスを中心とするものとして学系並びにプロジェクトチーム両方が使う。で、もしプロジェクトが解散されれば、主として各種の学系の人が使って、研究員そのものを固定化しない、そういう方向で立てまして、境界あるいは総合あるいは巨大科学的な分野の研究を進めるというふうに組織がえをしたわけでございます。 研究と教育との分離につきましては、いま、いろいろの意見が出されましたが、教官は、あるいは学部に、あるいは大学院、あるいは学系にとどまって、あるいはプロジェクトチームに加わるというようなふうにして、ある計画に従って分属いたしますが、それは相互に交流ができ得るようにする、固定化しないようにする。現在われわれ大学院と学部の学生をお世話しているわけでございますが、予算面から見ましても、その指導の時間から見ましても、圧倒的に大学院に時間をさいておりまして、どうしても学部学生については予算その他いろいろの面で疎外されがちになっております。これは私、旧制の文理科大学につとめておりましたが、文理科大学時代に大学の全学生を世話したちょうどそれよりも少し多いくらい、大学院だけで多いんです。そこへ学部学生がずっと加わってきた、これが先ほどの大学の巨大化、しかも、その目的は多様化しているという、非常に複雑で量的に増加していることに対応するには、いまのような機能的に分離していく、そうして、その期間だけは完全に責任を果たすと、そういう体制をとらない限り、どうしても学部のほうが疎外されがちになる。これは実際大学につとめてみますと、いかに時間の配分に苦慮するかということはすべての方が痛感されていることでなかろうかと、そう思っております。 次に管理面につきましては、ただいまのようなプロジェクト研究あるいは学系あるいは大学院あるいは学部にというように機能を分化させていきますと、おのずからそれに対応するような管理組織ができなくてはいけないということで、それらを最も合理的に運営し得るのはどういうものであろうかということで、まず、各国の大学の管理組織その他を検討いたしました。そうして見ますと、日本の大学の場合、まあ大体東大の組織が旧制大学に流れ、それが一つの骨子になって大学の運営組織ができ上がっている。ところが日本の大学の場合、当初文科大学あるいは理科大学というような形でまず出発をし、それがいまの学部に当たる形で統合されたわけでありますが、その統合される以前に運営の慣行、それから自治というようなものが育ってまいりまして、総合されても非常に学部中心の強いものです。これは発達の経過からきて当然かと思いますが。そういうような組織では幾つかの障害にたびたび出会ってまいっておりますので、ここでは、そういうような学部の自治というような形、あるいは慣行というものを大学一本という形に移せないものかと、そういうことで各学部というのではなくて、研究領域、教育領域あるいは学生関係の領域というような大学全体に及ぶ、しかも分野別といいましょうか、そういう形での運営を考えまして、そこの統括者あるいは責任者として副学長というものを考える。副学長五人というのは非常にちょっと多いという感じを与えますが、たとえばアメリカの大学等はもつとはるかに多いのであって、決して国際的に見て多いというようなことはとうてい考えられない。しかし、それらおのおの審議会を持ちまして、あるいは場合によると専門委員会を設けまして、それは各分野のファカルティーメンバーが加わっておりまして、各教授、助教授、そういうような大学構成員、責任を持った大学構成員の意見はそこに十分に反映し得るようになる、そのようにつくられている。一番、各方面で問題にされてまいりました人事委員会、これも自然人文社会の均衡のとれた総合大学ということに対応するような形で、全体を見渡した人事委員会というところでオーソライズすることになっておりますが、そこには専門委員会というものが構成され、その専門委員会というのはちょうど現在でいえば各学部における選考委員会をもう少し広くしたと、これはまあ学部によって違いますので一がいには言えませんが、やや広くしたというような形で、そこで原案がつくられると、そういうものがあがっていくので、上部だけで人事をどうするというような組織にはなっておりません。しかもメンバー、副学長がかりに全部加わったにしましても学系あるいは学群等の代表者、専門家いろいろ加わりますので、決してそこで恣意な人事ができると、あるいは不当な人事の停滞を来たすというようなことのないように十分に配慮されている、そういう形で考えている人事委員会でございます。 それからもう一つ、よく問題になりますのは参与会でございますが、これが閉ざされた大学ということに対する一つの答えになるわけでございますが、アカデミックな面における門戸を開くというような面につきましては、たとえばプロジェクト研究における海外からの、あるいは国内の研究所、大学からの客員、研究員というようなこと、あるいはサマースクールだとか、まあいろいろの面で開きやすいんでございますが、大学全般の問題ということになりますと、より広範な国民各層の代表というような意味をも加味した組織をつくりまして、そこに学長が諮問をすると、そういう形にして、ともすれば閉鎖的になりやすい大学に対して外部の意見が十分聞かれるように、聞きやすいようにすると、しかし全体の決定は、評議会というものはいままでと同じようにありますので、参与会によって左右されてしまうというようなことはないような組織になっております。したがって、ある組織を非常に悪く運用すればというようなことを考えればいろいろの疑問も出てくるかと思いますが、どうしても最小限度の組織の中で、いまから新しい慣行をつくりあげていくと、在来の慣行のいいものは生かしていくと、そういう大学人の良識を前提として運営していくということで、危惧の念を抱かれるような専決体制だとか、そういうような弊害が出ないように大学全員がつとめることによって新しい大学慣行をつくりあげていこうと、その大ワクだけをきめておこうという方向でいたしましたものでございます。 私、二年ほど前に現在の教育大学の教授、助教授の人たちがどのくらい、どういうふうに一日の時間を過ごしているのかと、これは調べようがないんでありますが、各学部の単位の時間数その他をずっと全部取り上げまして、学部ごとに平均値を出してみたことがございます。それと旧制時代とを考えますと、とにかく極度に縮小されているのが研究時間、それから教育時間は量的には前より少し多くなっている。それから会議の時間というのは、これは膨大な数になっておる。こういうような状態では、まあ全員が責任を持つと、これは精神的に非常にいいことなんでございますが、複雑になればなるほどこれは責任分担をして、そうして研究・教育に集中し得るようにすべきであろうかと、そういうようなことも私個人としてはぜひ改革しなければいけない点だと思いまして、いまのような分断といいましょうか、責任を分けて、そうして全体的にはあらゆる分野から代表の出ている評議会でやるという方向にまとめられたわけでございます。 以上。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 次に、綿貫参考人にお願いいたします。
○参考人(綿貫芳源君) もうすでにお四方ですか、参考人がだいぶ大学の中のことにつきましてお述べになりましたので、私は、そこでまたつけ加える——必要なことはつけ加えるといたしましても、中心は、私としましては、大学の管理運営あるいは学問の自由というものが一体どういう形で守られるべきか、これは一私たちの大学だけの問題じゃなくて、国立大学全体の問題としてどうあるべきかというような点を中心としまして、私はお話申し上げたいというふうに考える次第であります。 まず最初に、ちょっと誤解を招くといけないので申し上げておきたいんですが、小牧参考人からお話のあった、朝永原則云々の問題につきましては、そういう小牧参考人のような意見のあったことは事実であります。ということと、それがはたして妥当な、そういう解釈がはたして正当であったかどうかという点につきましては、これはまあ裁判所と国会とはおのおのインディペンデントな面がありますが、すでに東京地裁の判断の中で、朝永原則というものは少なくとも小牧参考人のような形では存在しなかったというような判断も下されておりますし、大学側のとった措置は決して間違ってはいなかったというふうに判断されております。 で、私は、昭和四十四年から二年間学生部長をやりまして、いわばその間の仕事というのは、大学の中にいかにして法秩序を回復するか、そして、その上でいわば大学というものの本来の使命であるその思想の自由といいますか、そういうイデオロギーというものの自由市場をいかにして回復するかということに私は最大の力点を置いたつもりであります。この点は最近東京地方裁判所の刑事部の判決もありましたが、私のとった一部の行為についてでありますが、この点について決して学生の思想なんかを弾圧するものではなかったと、立て看板につきまして、そういう判断もおりておりますので、これはひとつまた別に機会を見て、もし御質問があるならば、私はお答えいたしたいというふうに考えます。 しかしながら、ここで私が申し上げたいことは、さっき申しましたように、むしろ大学というものは一体どうあるべきなのかといういわば基本問題を申し上げたいのであります。と申しますのは、私はいま申しましたように、学生部長を二年間やるまでは、大学の運営というものに実は関係したことは一つもありませんでした。これは一教授——文学部に属しておりますが、まあ法律を担当して、教授としてはその教授会の構成員としてある程度関係はしておりましたが、責任者の地位に立ったことは一度もありませんでした。しかしながら、その二年間、四十四年から六年、ちょうど大学紛争が非常にいろいろうるさかったころでありますが、それで二年終わりまして、その後機会がありまして……その四十四年に学生部長になると同時に国立大学協会の専門委員になりまして現在に至るまで国立大学協会の改革委員会の委員、これは第二、第四合同研家部会の委員をやり、それからあと、第三常置委員会の委員をやったり、第一常置委員会の委員をやったり、いろんなことで参加させていただいているのであります。そこで、一応、日本の国立大学の大体管理運営の問題点はどこにあるかということは、その国立大学協会の学長方を通じてある程度これは全部ではございませんが、ある程度は知っているつもりでございます。 なお、学寮、一応、いま国立大学におきましては最も大学学長が困っているのは学寮問題であります。この学寮問題の特別委員会の委員長を昭和四十五年からたしか七年まで私が委員長をやりまして、これについていろいろ調査をいたしました。そうして、その間、ちょうど昭和四十六年から七年にかけて私がアメリカへ五カ月ほど行っておりましたもので、そういうような大学行政に関係したものですから、アメリカの大学が一体どういうふうに現実に動いているのかということを実は興味を持って見てきたつもりであります。 さて、そういうような見地に立ちまして、現在に至るまでの大学の一体あり方——これは私は国・公・私立を問わないと思うんであります。大学というのはどうあるべきなのか。これはよく言われますように、大学というのは思想の自由市場であるということが基本的な原則ではないか。で、たとえば、特定のイデオロギーが他方のイデオロギーを追放するということは絶対に避けなければならない。その場合に、学生がどういうイデオロギーを、ちょうどそれは、いわばことばをかえていいますと、イデオロギーの一種のスーパーマーケットであるということをアメリカの連中はよく言うんですが、そういうところでどういうイデオロギーをとろうと、それについては常々自由である。その自由は常に守らなければならないというのがいわば憲法二十三条の基本的原則ではないかというふうに私は考えているのであります。いわば、そういうような基本的原則を守るために、しからば大学というものはどうあるべきなのかということが次の問題になってくるのであります。そうしますと、今度は問題を国立大学に限定してみますと、国立大学というのは、これは私を含めましてここにきょうお見えになっている参考人は、皆さん東京教育大学の教授で月給をもらっているわけであります。だれが払っているのか。これは担税者が払っているわけであります。国会はいわば担税者の利益を常に代表する機関であると、こう言わなければならない。そうしますと、一体、市民というもの、その税金を払っている人間がその大学の管理運営に対してどの程度タッチすべきなのか。これは基本的な問題としまして、大学というのはスペシャリスト、それぞれの専門家の集団であります。私は法律の専門だし、ここにいらっしゃる方は、みな、それぞれの分野の専門家であります。そういう専門家の領域というものと、いわば担税者というものを全体を通ずるところの一つの共通の要求というものをどこでハーモナイズするか。これは基本的な、重要な問題ではないかと思うのであります。 そうしますと、その次の問題として、それでは、従来の日本の国立大学の管理運営組織というものが市民というものの、担税者の利益を十分に反映していたであろうかという点が次の問題になってくる。で、私はアメリカとの比較だけでアメリカのほうが全部いいとは一言も言っているわけではありません。しかしながら、私は、そういう意味で、はたしてそういう税金を払う人の立場というものが具体的に十分守られていたか、従来の利益は。あまりにも教官たち——それは小牧参考人が民主的、非民主的と言われましたが、そういうような教官のインタレストのほうに重点があり過ぎたのではないかという気が私はするのであります。それがはたして具体的な問題といたしまして、それが十分合理的に守られていたかというと、必ずしもそうはいかない。 で、それを一つの具体的な例で申しますと、私が国立大学協会に関係しましたのは、さっき申しましたように、昭和四十四年、一応、大学紛争はなやかなりしころであります。そのころから私が国大協にもう足かけ五年ぐらいになりますが、各大学で出された改革案なるものの量はきわめて膨大なもので、横に並べまして大体一メートル近くもあるぐらいの改革案がきたのであります。私の手元にあります。しかしながら、これはなかなかできない。これができないというのは、これは、私は大学の教授を責める意思は毛頭ないんです。それぞれ、自分らの立場、研究というものを少しでもよくしようという立場からしますと、いわば第三者的な意見というものが入ってこない限りなかなか改革というものはうまくいかないという、一つの私は例になるのではないか、そういうふうに考えております。 さて、そこで、今度問題は、それでは、そういうような点から見まして、今度の改革案の参与会というものがどれだけの、将来、その大学の運営というものと市民あるいは担税者というものの要求というものをマッチさせるものになるか。これは将来の問題でありまして、現在ここで軽々に、それが、これがあればもう全部うまくいくというふうに私はすぐ言うだけの資料も何もありません。しかしながら、従来の管理組織から見るならば、一つのインプルーブメントである、改革であろうというふうに考えているのであります。 それから次に、研究・教育の分離問題は、もう尾留川参考人からもありましたが、外国の大学へ行かれた——私は法律関係ですが、法律の友人なんかを見ましても、すぐ感じることは、日本の大学教授は実に教育に熱心ではないんであります。これは、もう顕著な事実でありまして、皆さんに幾らの例でも申し上げることもできますし、私たちの友人の間ではもう公知の事実になっております。たとえば、かりに例をあげますと、日本の大学の先生はすぐ講義をサボるのですね。ところがアメリカの大学の先生は、学会でどこかへ行くときは、その時間を必ず次の日の昼休みの時間に講義をする。それは教育というものに——私はアメリカの大学のロウスクールを中心に見てまいりましたが——それは教育というものに、実に熱心なんです。で、これは学長、副学長の問題とも結びつくんですが、教育、研究というものの副学長を二人置くというのは、これは少し屋上屋を重ねるのではないかという御批判が当然あると思うんです。ですから私は、それならば、研究・教育の副学長というものを一人置いて、それから研究担当の副学長補佐、教育担当の副学長補佐というものをつくって、いわばその副学長、教育担当副学長というものをはっきりしておきませんと、さもなくても日本の大学というものは教育に熱心ではないんであります。これは遺憾ながら事実なんです。そういうところから見まして、私は、この副学長問題というものは、そういう形でひとつ研究・教育副学長については御考察をお願いいたしたい、こういうふうに考えるのであります。 それから、その他の副学長につきまして、私の学生部長としての経験を申し上げますと、これは、まあ国大協も、別に副学長そのものに反対しているのではなくて、学長補佐でも間に合うのではないかというふうに言われているわけですから、副学長制度そのものに議論があるわけではないわけですが、私の学生部長のときは、これは非常に例外な事態でありまして、これが常にその後、そういう事態が支配しているわけではありませんが、私個人のその当時の経験から申しますと、きわめて多忙であった。朝になって帰って来ることが非常に多かった。そういう点から見まして、できたらば学生担当副学長をきちんと置いて、それで、私は、最近国立大学協会でアンケートを各国立大学に出した一つのポイントとしまして、各学生に対して、あとでこの次に参加の問題を言いますから言いますけれども、私は学生参加というものを別に否定しているわけではないんで、これはカリキュラム、その他の点について大いに学生の意見を聞きたい。さらにそれ以上、進めていろいろな問題も学生と話し合うことは十分認めるんですが、同時に、大学というものは市民社会の一つなんであります。いいことと悪いこととをきちんとけじめをつけなければならない。たとえば一人の学生がもう一人の学生に対して、ただ単に議論をしているときに、相手がなぐりかかってきたら、なぐりかかってきた学生に対して一定の制裁を大学としてしなくてはならない。そうしない限り、現状のような大学の中における混乱というものはある程度私は避けられないのではないか、そういうように考えます。 さて、その場合に、御存じのように、現在の大学というのは、学生のセクトというものは、これは必ずあるのであります。これは好むと好まざるとにかかわらずあるのであります。そういう場合に、セクトで動きますと、学部間でまたがった活動というものがどうしても行なわれる。これがいいか悪いかは別として、行なわれる。そういう場合に、現在、これは小牧参考人なんかが言われたような学部単位のことを言っておりますと、Aという学部の一定のその学生に対する処分とBの学部の処分というものとが少し食い違ったりなんかすることがどうしても生ずる。これは避けがたいのであります。すると、さて、それが一体法の前の平等というものを原則とする近代社会にはたして妥当のものであるかということになると、私としては疑問を抱かざるを得ないのであります。 さて、最後に学生参加の問題について一言申し上げたいと思います。私は、前に申しましたように、要するに大学というものは、これは国民の税金で——国立大学の場合、国民の税金でできている。それから先生は、われわれはエンプロイーであります。雇われた者であります、学長を含めて。それから、それが一定の学生に対してサービスをしておるわけですね。ですから、学生はちょうどそれをサービスを受けているわけであります。だから、その場合のサービスがいいとか悪いとかということの批判は当然あってしかるべきではないかと、私、個人はそう考えております。 さてそれでは、その場合にそれをどういう形でキャッチしたらいいか。これについては、いろいろ御議論があると思うのですが、この点につきましては、いわば教育の専門的な問題も入ってまいります。いろいろな問題が入ってまいりますんですが、だから具体案として、たとえば特定の学生と教官との間の何か協議会がいいとかいうような具体案を私はここで説明する意図は毛頭ありません。うっかりこれをやりますときは、前に申しましたように、好むと好まざるとにかかわらず、現在の学生間におけるセクトの争いに巻き込まれて、結局のところそれはいわばいろいろな、犬が何匹かいる中に肉を投げたというようなことで、奪い合いになりまして、決して大学における、前に申しました思想の自由なりフリー・マーケット・プレイス・オブ・アイデオロジーの自由市場というものを大学に確保するゆえんにはならないからであるというふうに信じているからであります。 では、以上で私の話を終わります。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 次に、大江参考人にお願いします。
○参考人(大江志乃夫君) 私は、先ほど小牧参考人が言及された「東京教育大学たたかいの記録」というものの編されに当たりました一人として、専門が歴史なものでございますから、そういうことになったわけでございますが、そういったいままでの、この法案がまとめられるまでの過程で、一つは筑波大学の構想というものが、はたして教育大学の自主的な改革の構想であるのかどうかという点を中心に述べたいと思います。 この法案が文部省の手で一応成案になりました時期、ことしの二月二十三日付の文部公報、「筑波大学特集」というので、その冒頭に、「筑波大学は、東京教育大学が筑波研究学園都市へ移転することを契機として、同大学のすぐれた伝統と特色は受け継ぎながらも、これまでの大学制度にとられない新しい総合大学を建設しようとするもので、東京教育大学においてとりまとめられた構想を基礎に、他の大学などの学識経験者の参加も求めてその全体構想について慎重な検討が進められてきた。」ということで、あくまで東京教育大学の構想が中心であるというふうに説明をされております。また、国会でも、政府側の説明では大体そういった趣旨の説明が行なわれた。 ところが、実際に、この筑波大学の構想が具体化されてくる過程を事実に即して振り返ってみますと、東京教育大学の筑波移転を閣議で決定したのは昭和四十四年六月十三日と、これは新聞をめくってみるとそういうことになっております。それから同じ六月十六日の毎日新聞には、政府が「既設大学と異なった大学——“新幹線大学”をつくる方針を固めた」という記事が出ておりまして、その中で、「政府・自民党関係者は、学生数三千人くらいで、教育・研究機能と管理機能を分離し、最新科学の粋を集めた「紛争の起こりえない大学」をつくりたいとしている。このため、中教審答申を検討し大幅に取入れるかたわら、諸外国の実例・実態を研究、必要とあれば新審議会を設け、諮問することも検討されており、さらに「モデル大学」のための新しい法的措置を考える」、こういう内容の記事も書かれております。 ところが、このころ東京教育大学の中ではどうなっていたかと申しますと、これは紛争によりまして、一応それ以前に、これはまあ文学部は参加しておりませんけれども、この筑波大学の構想を検討するためにマスタープラン委員会というものが設置されましたけれども、これは紛争中のためにほとんど具体的な審議をせずに、そのまま機能を停止しておりました。これは特に農学部の教授会、教育学部の教授会がこのマスタープラン委員会の機能停止を決議いたしまして、そして機能を停止しておりました。ところが、このマスタープラン委員会がまあ審議を再開したのが、この同じ昭和四十四年の六月二日であります。六月二日に審議を再開いたしまして、そしてそこで筑波における新大学のビジョンというものが一応まとめられて、これが評議会に答申されたのが七月四日のことであります。つまり、大学の内部のマスタープラン委員会のビジョンがまとまったほうが、この閣議決定やあるいはこの新幹線大学構想という政府筋の構想が発表されたよりあとであります。しかも、この大学の評議会、これももちろん文学部は参加しておりませんけれども、この評議会が、本学は筑波における新大学のビジョンの実現を期して筑波に移転することを表明するという決定を、まあこれは文学部が参加しないままで行なったのが七月の二十四日であります。つまり教育大学が、これもちろん決定のしかたに文学部としては、これは非常に大きな疑問を持っておりますけれども、いずれにしても大学がとにかく形の上ででもこの決定をしたというのは、閣議決定より一カ月以上もおそいわけなんです。しかも、新聞にこの筑波大学の構想というものが発表されたのが、教育大学の中で構想がまとまるよりも早い。こういう形で、いわばむしろ大学の自主的決定よりも政府の主導権のほうが先に働いて、そのあとから大学がこれを追っかけていく。これは当時の事実関係というものを新聞などで当たってみると明らかになるわけでございます。そういった点から、東京教育大学の自主的な改革であるというのは、実は、こういった事実関係だけを見ても信頼できないということが一つ言えると思うんです。 それから第二点といたしましては、この東京教育大学の意見というものが一体学内でどういう形で、どういう状態のもとで取りまとめられていったかという問題であります。これにつきましては、これは小牧参考人や大浦参考人からいろいろ具体的な実態が述べられたわけでありますけれども、まあいままでもこれは衆議院などでいろいろ問題になりましたあのいろいろな問題が起こっているわけです。たとえば昭和四十五年の二月十日の読売新聞に出ましたいわゆる教育学部の寿原教授の村八分事件とか、それから文学部の三人の教授に対する辞職勧告事件だとか、こういったような学内の民主主義的な運営を破壊するような、いわば学長専決体制と呼ばれているような問題が起こっているわけでありますけれども、特に、いわば大学の内部における学問の自由について基本的な原則である教官の人事に関する教授会の権限、これを学長の一存で発令の上申をストップするという教官選考基準に関する申し合わせの問題、この問題は、現在の大学自治の侵害の一番大きなケースであると思います。特に、教官選考基準の審議の過程での評議会でどういう内容の審議が行なわれたかという問題を考えてみますと、この教官選考基準というものが、これが教官の思想表現の自由というものを制限する目的のもとにつくられたということが非常に明白になってくる。で、まあそこのところを見ますと、これは匿名になっております。けれども、このH評議員というのは、教官選考基準の原案作成者です。で、まずX評議員「“評議会決定を遵守すること”の一項は思想・表現の自由を制限するものだから反対するとの意見もあるが、これはまちがっている。決定前には思想・表現の自由は制限すべきではないが、一旦決まった以上、これに従うのが当然である。”採用または昇任のうえは“の”うえは”という表現は大変意味が深い」、これに対しましてH評議員「教官は教授会で十分意見を主張できるのだから、どこでもほしいままに意見を主張すべきではない。国会議員が、街頭デモに加わったりするのは行きすぎである。」これは原案作成者の発言です。こういったような発言から見られますように、この教官選考基準というものが思想、表現の自由を制限するという明白な目的をもって作成され、しかも、これに従わない者は発令を上申しない、こういったような状態のもとに現在教育大学の内部が運営されてきている。そういった体制の中で、いわば学内の広範な意見を吸い上げることなしにかってにいわゆる教育大の筑波大学についての意見というものが文部省などに提出をされて、それがこの法案の基礎にされているということが指摘できると思います。
○委員長(永野鎮雄君) ありがとうございました。 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終了いたしました。 これより質疑に入ります。時間が限られておりますので、質疑及び答弁はできるだけ簡明にお願いいたします。 それでは質疑のある方は順次御発言願います。
○安永英雄君 まず、小西参考人にお聞きをしたいと思います。 私は私なりに東京教育大学における筑波移転決定の経過というものは調査をしました。そしていまも小牧、大浦、大江、こういった先生方の具体的な学内における進行過程というものをお聞きしたので、私の調査とはぴったり合うわけです。結局、反対意見というものは圧殺をする、強引に大学移転が決定された。学内の部局等からの質疑、疑問あるいは反対というものに対しては、大学にふさわしい理性的なしかたで話し合いが進められたということではない、また、移転問題や新大学の構想に対してどのような意見を持つかということが教官の昇進の基準になっておる。このような事態の中で私は直接会ったのでありますけれども、もはや東京教育大学の中には自治はないといってはっきりこれを表明してこの学校を去られたという二、三の先生も私は知っておる。私は、もう教育大学の中にはいま自治はないというふうに考える。こういった中で、このまま筑波のほうに移転をする。まあいまも話がありましたけれども、この東京教育大学の特色や伝統というものを生かすのだというお話がありますけれども、こういった現在の自治が全くない。こういった大学人がそこに移っていくということ、これ自体は、これは大学をつくりましても、これで新しい大学ができるとは考えられない、こういうふうに思うんです。そういう考え方に立って私は聞いておったわけですけれども、小西参考人にお聞きしますけれども、こもごも具体的に日にちも、あるいは起こった事案も、内容をつぶさにお話がありましたけれども、あなたは、非常に簡単なことばでしたけれども、そういう事実関係はないというしごく簡単なお話がありましたけれども、この事実ありませんか、こういう事実関係はないのですか。
○参考人(小西甚一君) 三人の参考人の方々からおっしゃいました内容が、大学の自治がたいへん阻害されているとか、そういう意味のことがございましたので、私は、大学の自治が阻害されているという事実はないということを申し上げたつもりでございまして、一つ一つの案件について——案件といいますか、あげられました個別的な事柄がなかったというふうに言ったわけではございません。
○安永英雄君 あなたはしかし、先ほど、包括的にそういう事実関係はないとおっしゃった。そうではない。それはわかりました。 それでは、いま個々に述べられました、たとえばあなたの大学の中におけるマスタープラン、ビジョンというものの最終確認、こういったものについて、あなたは、いままでお話があったのが間違いである、こういうふうにおっしゃるわけでしょう。
○参考人(小西甚一君) そうでございます。
○安永英雄君 そうすると、ひとつあなたのほうから、項目きめてもいいのですけれども、あなたのほうでそういった事実はずいぶん述べられましたが、あなたのほうも、事実がないという、その点をひとつお述べ願いたい。
○参考人(小西甚一君) 先ほど申しましたように、教育大学の中で、大学の自治が無視されているとか、阻害されているとかいう事実がないということを申し上げたということをもう一度確認した上で、あとの問いにお答えいたします。 私は、大学の中で意思形成をするという場合に、いろいろな機関を通じて、そこで公的な議論を通じて意見がきまっていくという以外に方法はないだろうと思います。その場合に、大学にもいろいろございまして、文学部とか理学部とかの学部の中だけに関することもあれば、大学の移転といったふうな大学全体に関する事柄もございます。この場合、文学部だけのことであれば、それについておもな意見をまとめるのは当然文学部の教授会であるはずでございます。しかし、大学の移転というがごときことになりますと、これは、先ほどから朝永原則ということばが出ておりますけれども、その中でも大学全体に関することの決定は、やはり評議会が全学として責任を負うべきであろうというふうに理解されるように述べてあります。そうしますと、いま問題になっております筑波移転に関することをきめていく審議の機関は、これは大学におきましては評議会であるということは明らかでございます。その評議会は、それぞれの部局の意見を十分に参酌して、そこで意見をきめなければならないわけでございますが、その場合に意見が全部一〇〇%一致すれば、そこで問題ございませんけれども、そこで意見が対立した場合、どうなるかという場合の処置が非常に重要だろうと思います。その場合に、単純に数が多いからほかの小さいほうの意見は無視するというふうなことでは、これは大学としての意思形成として非常によくないことでありまして、もちろん、多数の欲するところを少数が否定するということは、これは民主的な社会においてあり得べからざることでありますが、少数の意見も決して抹殺されるべきではない、これは当然のことでございます。ただし、そこに多数と少数との差がございまして、そのことを考えますと、移転につきましては各学部の意見といたしまして六つの部局がございますけれども、その五つの部局の案があり、これに対立する文学部案がございました。これをどう調整するかということが根本問題であったと思いますが、この二つの対立する案は、根本のところにおいては、お互いに認め合うという精神がそこに盛られていたわけでございます。 具体的の例で申しますと、文学部を除く五部局の案は、「本学は総合大学として発展することを期し、研究教育上の全学的利用のために大塚地区を保有して、条件付で筑波に土地を希望する。」という案が評議会でつくられました。 これに対して「付記」というのがございます。本文は、こうでございます。それから、文学部でつくりました案は、本文、「本学は総合大学として発展することを期し、筑波に土地を希望する。ただし、次の点について政府が明確な保障を与えることを条件とする。」ということで、一、二、三というのがございます。そうしますと、「本学は総合大学として発展することを期し、筑波に土地を希望する。」という点は、対立する二つの立場も両方が認め合っておることでございまして、行きたい部局のためには、全学の名において筑波に土地を希望することを認めようと、そのかわり、筑波に行かないで大塚のほうに将来にわたりとどまろうという部局のためにはそれを認めようじゃないかという、二つの精神があったと思うのです。ただし、それがこまかいその「付記」の点において一致しない点があったために、この二つの案を併記いたしまして、一方の案に統一しないで、両方の案を並べて、これを文部省と交渉するときのメモとして確認しようという案になったわけで、これは決して一方的に多数決できめるというふうなことではなかったので、これにつきましては、一致していたわけです。ところが、昭和四十二年の六月の十日の評議会でございますけれども、そのときに、この案を持っていこうというときに、文学部のほうから修正意見が出まして、こういうことを一体できるのかできないのかというようなことを打診するということをまずやって、それから意向表明をせよという案が出たわけでございますが、それに対して意向表明と……。
○委員長(永野鎮雄君) ちょっと小西参考人に申し上げます。 質問の要点とお答えの点とが少しずれておるような点がありますし、簡潔に質問の要旨にお答えになったらいかがですか。
○参考人(小西甚一君) 申しわけございません。
○小林武君 委員長、議事進行。 ぼくらのほうの質問も限られた時間でやらなきゃならぬでしょう。だから、これはいまの委員長の御指摘はよろしいと思う。それだけども、やっぱり質問を受ければそれについて答えなければならぬということもありますから、これは、もう質疑が始まって、その答弁があって、三十分過ぎたから社会党はこれで終わりだということになったら、われわれが質問しようと思ってもできないわけだ。これ、どうしてくれますか。質問させないなんてことはできないでしょう。質問するあれはあるわけですから、だから、そこらのあんばいをあなたのほうで適当にうまく処理してほしい。もちろん、われわれも最後のほうへいって、時間が短くなってもかまわぬけれども。
○委員長(永野鎮雄君) それは、当然そういたします。
○参考人(小西甚一君) いかがいたしましょうか。
○委員長(永野鎮雄君) 参考人の方、締めくくりをやってください。
○参考人(小西甚一君) それじゃ、あと三分間よろしゅうございますか。
○委員長(永野鎮雄君) いいでしょう。
○参考人(小西甚一君) それじゃ、三分いただきます。 いまのようなことで、六月十日の評議会にこのことが出たわけでございますが、その場合、五部局のほうは決して打診をするなと言っているわけじゃないんで、意向表明と打診とを一緒にやろうというのに対して、片方は打診を先にせよということで、決して打診ということを多くのほうで否定したわけじゃないわけです。しかし、どちらかにきめませんとしようないから、これをどうしてきめようという、きめ方の問題になりましたときに、前例のないことでありますのでこれをどうきめようかといったときに、そのきめ方についてどうしようかといったら、文学部のほうの代表であります学部長その他が、こういうふうにしていただきたいということを言われたので、文学部のほうの申し出に従ってそこで決定したわけでございます。その決定は、文学部の申し出に従ってきめられた議事のやり方に従ってきまったのが六月十日の土地希望のことでございますが、その決定のしかたがはなはだ不満であるというので、それで右の決定を取り消さない限り、文学部教授会は以後筑波の審議に参加しないということをおきめになって、それ以後公的の場には審議にお加わりにならない。これは学長のほうから評議会で、どうぞお加わりくださいということを何回か言われても加わられないという状態で反対されたわけでございまして、これはまことに遺憾で、初め申しましたように、公的な機関で、公的な場で自分の意見を述べて、そうして少数意見の尊重ということを十分に御主張になれば、こういうことは初めから起こらなかったのでございまして、その審議のそもそものやり方に、自分の部局の意見が通らない場合すべてに反対するという立場をおとりになったことが、いろいろなところに波及したことでございまして、この点をもう一度振り返ってお考えになれば、いまのような大学自治というふうにおっしゃいましたことは、実は、私の解釈では大学自治が阻害されているというふうなことにはならなかったのじゃないかと思います。 以上でございます。長くなりまして申しわけございません。
○安永英雄君 いまの小西さんの話を聞けば、大学の自治というのは十分保たれている、あるいは対立した事項の処理、処置という問題については間違いでなかった、こういうふうな話ですが、ずいぶん話が食い違っておるし、この点につきましては、小牧先生と大浦先生のほうからお話を承りたいと思います。
○参考人(小牧治君) 小西先生がおっしゃったこと、事実として正しいこともございます。ただ問題は、いまおっしゃいましたが、つまり学長三輪先生が土地確保の希望を意思表明をしようとされたのですね。そういう意思表明をしてしまいますと、これはすぐにもう移転というふうに世間はとりまして、事実、文部大臣はそう述べておられますね、新聞はそう書いておる。そういうことになっては、さっきの打診の意味はないわけですよ。だから文学部は、まずこういう条件を打診をしてくれというふうに願ったのが、結局入れられなかったということになりますね。 それから、自治侵害云々のことで大江さんもおっしゃいましたけれども、私は、やっぱりあとから申しますけれども、たとえば三教授の辞職問題でございますけれども、これは紛争責任を検討するいろいろな委員会ができます。そこで、罪状として四つあげますよね。その第一項に相応するのは何と——これは名前は言いたくないのですけれども、大っぴらに白紙を出していますから、大島清先生、学長に最も近い補佐の方です。第二項、第三項はそれは星野先生とか入江先生とか当たりますが、四も含めて家永先生はどこにも当たらない。そういう方が、やっぱり何といいますか、辞職勧告に来るというふうなことでございますね。そういうのを見ますと、何かこう人を目当てに、どうもこうしていた事実の経過を見て、初めにこうきまって、責任というものは全体がやはり負うべきものですね。ところが、何か文学部ばかりくる、こういう例は、悪いかもしれませんが、やっぱり学長が、管理体制側が全体の紛争責任をこれはさめようと——よしおれが裁判長になるといって自分の責任はどっかへ行ってしまった、そうしてこれだこれだこれだと、こういうことになりますと、これはもう学問、思想の自由、たまったものじゃございませんよね。私たちは、そういう点を学問の自由として言いたいわけです。 もう一つ言いたいことは、つまり文学部と他学部を見ますと非常に性格が違うわけですね、学問上。そういうものをどうして多数決できめられますか、死活の問題の場合に。これはやっぱりお互いが譲り合って、調整ということはないわけですね。よく学長と話し合います。いまでも、私は話し合いは好きですから。そうすると、学長は理学部的発想とおっしゃる。そんなら先生、文学部的発想も聞いてくださいよと言ってよく話すんですけれども、わかったわかったとおっしゃるんですが、やっぱりあとはだめ、ということでございます。
○委員長(永野鎮雄君) 大浦参考人。
○参考人(大浦猛君) 私は三つの点について小西さんに反論したいと思います。 第一の点は、朝永原則の点ですけれども、これは先ほどもちょっと申しましたけれども、実は、昭和三十五年ごろから文部省における審議の状況などとも関連いたしまして、大学自体の問題ですので、どういうふうな意見が出てまいりましてもそれに対応する必要があるということから、大学問題の研究会を、各教授会から委員を出しまして、教授会、委員会、評議会との間で十分に意見調整をしながら長い間意見を固めてきた結果、そのことを背景にしまして、朝永さんが国大協で発言されるための事柄としてまとめたものでありまして、その内容、重点は、評議会が最高決定機関であるということではなくて、それだけではなくて、評議会は大学の最高意思決定機関である、その評議会の運営にあたっては教授会の意向を十分に尊重し、その間の調整に十分つとめながら意思決定をすべきであるという、そこが大事な点なんです、朝永原則の内容としましては。それからなお、私どもいろいろ話し合いまして全学で考えておりましたことは、学長の指導性ということですけれども、これは学長はやっぱりすぐれた人物が選ばれるべきであり、そしてその人格をもって、またすぐれた識見を持って、評議会の中で発言することによって、おのずから指導性を発揮できると、会議の開会もあるいは進行も、議案を提出することにつきましても、学長がおのずから形式的に最も重要な役目を持っているわけでありまして、その学長がすぐれた識見を持って評議会の調整をなめらかに進めると、そういう考え方できまして、朝永さんの場合には全然問題なかったわけであります。 それから第二の問題。意見が対立した場合の少数、多数の問題ということですけれども、少数意見を抹殺すべきではないのです。その精神に基づいて運営すべきであったのであります。その場合大事なことは、本学では理学部から学長がずっと続いてきております。朝永さんから考えますと、もう四代ぐらいにわたっておりますけれども、朝永さんから三輪さんに移りましてから、実は移転問題のほかにも、ちょっと芽ばえが出てまいりましたけれども、さまざまな問題が出始めてまいりまして、筑波の問題で実はたいへん問題のある運営をなさったというように思うわけであります。学長が一つの部局の側に立ったと、一部の部局を代表したというところに問題があるわけです。これは現在の状況もそうでありますから、理学部に片寄り過ぎております。全体を調整するという、そういう立場に立って学長は発言すべきであります。そういう努力が見られませんでした。 第三の問題、この昭和四十二年の評議会原案の問題で、五部局調整案と——五部局という中には、光学研究所が入っておりますから、四学部と一研究所、まあ小さな一研究所でありますが、それと、文学部案との関係ですけれども、一致している、一致しているという点を強調されましたけれども、一致していないのであります、基本的に。なぜかと申しますと、文学部案は、終わりに、「筑波に土地を希望する」を受けまして、「ただし、次の点について政府が明確な保証を与えることを条件とする。」とあるわけであります。「政府が明確な保証を与えることを条件」として初めて土地を希望するということになります。これは文学部の案でありますが、小西さんは、これは文学部の中で、おそらく、私はわかりませんけれども、支持しておられたはずではないでしょうか。明確に違います。この精神が、あとの修正案でもう少し明確に表現されるような文章になったわけであります——と、客観的な文章からは解釈できます、国語を読めば、十分わかるはずであります。 以上です。
○安永英雄君 大江先生にもう二点だけお聞きしますが、いまくしくも——とにかく文教委員会始まって以来でしょう、同じ教育大学の中で、六人参考人として出て来てもらって、これほどとにかく意見の分かれることはない。しかし、世間一般としては、とにかく教育大学の中には、教授が二つに分かれて、意見の一致が見ないままに筑波に突っ走っているんだという、これはもう世間一般が見ている。私は、そういったことはもう筑波以前の問題として、これはもう教育大の中の、これをこのまま筑波に移すなんというふうなことは、これはもうとんでもないと私は思うんです。この点、先生、たとえば筑波に移られまして責任持てますか。 それから、それと関連してお聞きしたいんですけれども、先般、文部省のほうからカリキュラムの提示があったんです。これは、私は中を見ましても、カリキュラムじゃないと思う。何らあれはカリキュラムじゃない。そこでやはりカリキュラムという形になれば、その担当の——普通の大学であれば、学部あるいは学科目をだれが担当するのか、ここまできちんと、研究の題目と、それから担当の教科、教授というものが明確になって初めてカリキュラムだと私は思う。これが表に出てこないんですよ。ここらあたり、教育大の中で多くの先生がいらっしゃいますけれども、自分は筑波に行ったら何の担当する、こういった、カリキュラムに基づいての、大体、御認識はありますか。これは全然表に出ませんが、出てまいりますか、ありますか、ありませんか、全然。ないとするとこれはたいへんだと思うんです。ここらあたりについて、ひとつ伺いたい。
○参考人(大江志乃夫君) いや、その点、実は私どももたいへんふしぎに思っておりまして、実は普通の大学設置であれば、大学設置の認可がおりる前に、事前に教員などが具体的にきまっていなければならないはずでありますけれども、今度の筑波大学につきましては、これは私どもも、一体おまえは筑波大学に行って何を担当するのか、あるいは行くのか行かないのかというようなことについて、一度も聞かれたこともありませんし、また、そういうカリキュラムに自分が何かの担当をすることになっているのかどうかというようなことさえ、一度も聞かされたことはございません。一体、国会のほうでは、その事実は御検討になっているんだろうかということを、実はかねがねふしぎに思っておりまして、こういう、いままでほかの大学を設置するときに当然行なわれるようなことが——現にこの同じ法案の中にある旭川医大なども、教員の人事などについては、一応の計画が完成しているようでありますけれども、筑波大学については、私どもそういうことを聞いたことはございませんです。 それから、現在学内の意見が二つに分かれておりまして、これからこれで筑波に行って新しい大学ができるかどうかということにつきましては、これは私のように、まあ筑波大学の現在の計画に反対の立場の者だけでなくして、いままで筑波大学を積極的に推進してくる立場にあった方々の中にも、現在のような形で筑波大学ができることについては非常に疑問、あるいは反対という方が、特に有力な教授の方の中にふえております。それでこれは一つは、衆議院で参考人として御出席になった木村正雄先生、これはこの方は推進する立場にありましたけれども、衆議院の公聴会で御発言のような御意見を公開していらっしゃいますし、それからさらに先ほど小西参考人から述べられました六月十日の土地確保の評議会のときに、いわば文学部の評議員としてこの評議会に出席されまして、その責任を負いまして、評議員、教授会の決定によっておやめになりました方々、この方々も筑波大学推進に積極的でございましたけれども、これも七月十八日でしたか、ちょっといま正確な日付は覚えておりませんけれども、評議員お二人にもう一人のやはり筑波大学を積極的に推進している文学部の教授の方、三名連名で現在のような国会での審議状況に対しては、これはもっと教育大の内部の意見を聞いて、慎重に審議してほしいという声明を新聞に発表しておりますし、それから、その一人である、これは同じ日本史学の同僚である西山松之助先生、本日午前中でありますけれども、現在のような大学内部の自主的な意見が十分取り入れられないままに、参議院で採決になるということになると、これは非常に困るんで、文学部の教授が本日午後ただいま会っておりますけれども、この教授会に申し入れて、採決を急がずにもっと慎重に審議していただくように、文学部の教授会から参議院議長、それから文教委員会にお願いしてもらうよう、教授会に申し入れようじゃないか、こういうように賛成のために積極的に推進してきた方でさえ、現在そういう立場になっているというのが実情です。
○鈴木美枝子君 先般来の委員会でずっと政府、木田大学学術局長に御質問した幾つかのことの中で、東京教育大学の文学部で反対していらっしゃる先生方が提案している、教育大学が、現状の場所に残って学問を続けたいという提案している内容をちょっとだけ聞いたんでございますけれども、そしてそのことを委員会で質問したこともあるんでございますけれども、小牧先生にお伺いいたします。そのことについて、ちょっと詳しく御発言ください。
○参考人(小牧治君) 先ほど学部の学問という特殊性、これは個性ですね。そういうことを申し上げましたが、それがいかに大事であるか、あるいはそういう点は認めるというふうなことは、ここに学長さんがお出しになった白書の中に二回にわたってございます。だから、こういうやっぱり文学部のことは、文学の学問のあり方、特に教育大学の文学部のあり方というのは、なぜ現在の地位が必要かという点はある程度認められているわけです。その上で、先ほど申したことですけれども、文学部は紛争が終わりまして、総点検運動というのを長い間かかって苦しんでやりまして、合宿などをやりまして、大江さんなんかもやりました。これは学生がどういうことを訴えているのか、あるいは、現在の大学がどういう問題点を持っているのか、そうすれば現在どういうことができるのか、あるいは将来どうしようとするのかという点をいろいろ検討したわけでございます。現在これは午前中ございましたが、プランじゃございません。現に行なっている改革を申し上げます。 研究・教育の五年ごとの自己反省、パーマネントシステムの批判、これによってわれわれはもう一回行ないまして、この研究・教育の報告書を天下に公表いたしております。おついでがあったらごらんください。 第二番目、学部内の民主化、これは学内に向っての開いた大学という発想でございます。これも法の許す中で、これは午前中ございましたが、なかなか文部省に許していただけませんので、法の許す中で学内の民主化、特に学部の民主化という意味で、教授、助教授、専任講師、助手というものが、法的には身分の差別はございますが、投票、それから教授の選考その他に関しては区別はございません。ちょっと助手は違いますけれども、法規上。したがって、たとえば専任講師が選考委員になって教授を選考するところもございます。これは私のところで申しますと、若い世代がやはりどんどん伸びていく、そうして古い世代を批判していく、これは学生についても言えるわけですね。そうすると、何か教授よりも助教授のほうがすばらしい業績をあげてきているということがあるわけです。これは特に自然科学でもあろうと思うわけです。そういうことも含めまして、一切教授会内の区別はいたしておりません。 第三番目、総合カリキュラム、これは先ほど尾留川さんがおっしゃいましたが、筑波の構想で。あるいは小西先生もおっしゃいましたですか、非常に学生に自由な、自主的な受講、あるいは自由なプラン。したがって、学生の得られる選択の可能性を拡大していくというふうな意味の改革でございます。これは全部の部屋ではいろいろ筑波に賛成の方が多い部屋、あるいは反対の多い部屋いろいろございまして、たとえば西洋史なんかは全部が反対でございまして、こういうところでこういうプランを積極的に進められております。日本史もそういうことがあったかと思いますね。 それから、先ほど学部のワクだとか、あるいは境界だとかおっしゃいますが、総合研究、特別研究、この特に特別研究は私も参加したので申しますけれども、これは全国の組織でございます。これにはつまり文学部、理学部、あるいは教育学部、そういういろいろな学部の方が参加なさって、日本の近代化というテーマでやるわけでございます、いろいろの研究を。そうして、教育大学が担当しましたことは、唐沢富太郎氏が中心でございますが、その場合には教育学部の方と、文学部の、ここでは私と大江さんが参加しましたが、そういう、つまりこれは学部でも何でもないんですよ。そういう形の研究、これは現にやっております。それから総合研究も大体そうです。この前、小林先生ですか、ここで発表されましたが、ああいう全学、あるいは全国にわたるような研究をやっているという意味でございます。それから学部内の学生とか、院生との話し合い、これはある部屋では一定の、定期的に院生との話し合い、院生はやがて学者になる人たちでございますから、そういう人たちとの話し合いをやっているということ。 それから、第五に、よく言われますが、学部の弊害というのは、実は講座制の弊害だと思うんですよ。ワクの。そうして、何かよく講座の教授があれば、その下に助教授は上がれないとか、講座のワクが狭いとか、しょっちゅうそういうことをおっしゃるわけです。文学部はそういう壁を打破しまして、全教官が欠員ができますと全部プールです。そうして、そこでいろいろ優秀な教官というものに与えているわけです。現に大江先生の属していらっしゃるところは教授は詰まっておりますが、二人の教授を選考いたしました。もちろんこれは申請いたしましたが、通していただけませんか。これもすばらしい私はことだと思っております。 それから、教室制度の検討、これもなるべく教室のワクをはずして、さっき言った風通しがいいというのですか、そういうことをいっております。 続きまして、新しい大学の構想、これは鈴木先生どこで資料を得られたか知りませんが、四十年十一月二十五日、これは坂田文部大臣に提出されております。これは私も参加いたしました。ただ、私は文部省に参りませんでした。そこであのときの何といいますか、天城次官でございますか、天城先生がごらんになって、これはおもしろいやというふうにおっしゃいました。これは稲葉文部大臣にもお目にかかりまして、稲葉先生いろいろ聞いてくださいまして、そうか、おれは全然知らなかった、何だまだ意思統一できないのか、これはおもしろいや、これは新聞に一部載りましたけれども、そういうことがございました。この新しい大学の構想は、これは各学部にわたった有志みたいなものになっておりますが、これに匹敵するものを文学部で検討しておりまして、これはまだ公表というか、できておるのですが公表いたしておりません。ただ、どういうことを考えているかを申しました場合に、ユニオン制、お茶の水とか、一橋とか、工業大学とか、歯科医科とか、そういう大学のユニオン制、それから適正規模、これが私は申しました人間疎外ということと関連するのですが、たとえば私大の学生が来まして、教育大学うらやましがるわけですよ。ぼくの部屋に来まして。ゼミといいましても、十人ぐらいのゼミなんです。うらやましいと言っているわけですね。そういう点から、やはり適正規模の大学、つまりわれわれは量の拡大ではない、質の向上、そのためにはやはり適正規模でなければならぬということを考えているわけです。 それからまた、教育大学の特色といたしまして、先ほど尾留川さんですか、人文、社会、自然の均勢のとれた基礎科学を中心でやっていこうとか、それからうちに門を開いていく、これは先ほど申しましたように、学生との話合い、あるいは学生の意見をどうくみ上げるか、特に院生とか、それから、これは勤労青年とか、あるいは昼働いている勤労教員、高校の教員、中学の教員、そういう人を再教育して大学にも向けたり、あるいは社会教育だとか、あるいはさらに通信教育というようなことも、これ発表いたしませんが、考えております。 それから、教官のこのパーマネント・システム、一たんなれば続くということをどうやればいいかという点も検討いたしております。問題は、一番申し上げたいことは、どうも筑波のこととわれわれ考えますのは何かフィロソフィーが違う、哲学が違うということで、理学的な発想はそうなんですが、科学という場合は法則だと、法則の場合でも、法則の違うのが出るとこれはまた法則を改めなきゃならぬですけれどもね、ドイツ流に何か法則ドクトリンをきめて下へといういく発想になるわけですね、管理体制が。でなくて、笠さんのおことばを借りますとね、歩きながら考え、考えながら歩けというような、つまり下から上へと、そういうやっぱりことが大事だと。そのためには、学生あるいは教官、職員、そういう意見をやっぱりまとめていくと、そういうこと、それがやっぱり人間信頼につながっていくという点が、やっぱり文学部の考えている発想かと思います。同時に、したがって、若い世代が、若い青年が先生を批判し先生を乗り越えていく、そこに科学の進歩がある。そういう発想でわれわれはこの新しい改組を考えているわけであります。 以上でございます。
○委員長(永野鎮雄君) ちょっと詳しく話をしてくださいという注文ですが、先ほど小林委員から注意があったわけですけれども、あまり詳しくやっておられると小林さんが何も言われぬようになるのであまり詳しくなく願います。
○鈴木美枝子君 質問は詳しくありませんけれども、肝心な点について。 続けて小牧先生に、そういう先ほど先生がおっしゃいましたのは、前の坂田文部大臣から天城次官のころにそういう提案をしつつ、現在はそれを筑波大学ができる段階においては、教育大学が廃校になるという、いまそこから聞いているんですけど、廃校にならずにそれをしたいんだという、それを行ないたいんだという提案でございますね。
○参考人(小牧治君) そうでございます。
○鈴木美枝子君 それについて、文部省側は何のお答えもないわけですね。
○参考人(小牧治君) その場所に私一緒に参りませんので存じませんけれどもね、もちろん、このプランは現代の教育大学を基盤にしたわけなんですね。現在の教育大学が研究上、教育上、こういう有利な点を持っていると。有利だと申しますのは、そうすると地方大学はどうするといつも反発がくるわけです。これは申しますと、地方大学は、さっきも午前中申されましたが、格差をなくして上げてもらいたいと、こういうことを思っている。同時に、おのおの特色を持てと。教育大学は教育大学のあの場所で、それにふさわしい場所に応じた研究を積み重ねてきたということですね。
○鈴木美枝子君 その提案をやはり検討するということが、やはり自治の問題にかかわるというように私は感じる。小西先生に伺います。先ほど小西先生は、自治を侵害されていない。そういう問題を含めて小牧先生は自治が侵害されていると言う。この二つの平行線ではなくて、その問題の一つのあらわれ方として、いま開かれた大学というようなことばの中にある応用問題から言えば、社会的にいろんな点で学問の問題が、先ほど午前中ですか、おかあさんたちも熱心になったというような立場から言いますと、小西先生がこれは「文藝春秋」の四月号ですね、「筑波大学三国志」という、「文藝華春秋」は大衆雑誌でございますから、これは大衆的にお書きになったんでしょうけれども、小西先生が学者のたてまえから、国文学のたてまえから、この大衆的な雑誌ということは、開かれた大学からいけば最初に発表した大衆の場だと思うんでございますね。そこの中に書かれていらっしゃる問題と、国文学者としてこれから筑波大学で教育をなさる国文の立場との有機的な問題をお伺いしたいんでございます。つまり、学問の分類されたこれは行政的な立場ですね。それを総合的にとらえるのが教育なんだから、それを分類された行政的なことばを、ここに書かれている「物理学系とか農林学系とかに属して研究している。姐さんたちが置屋で清元とか小唄とかの稽古に励むようなものだけれど、」と、これは長く読んでいたら時間がないと委員長さんが言いますので、だけど、いま私が分析したのは、これから先生が筑波大学にいらして国文学をおやりになるというたてまえと、開かれた大学という、開かれた大学というのは日本社会における、その社会の中において、四月ですから最初に発表されました大衆的雑誌「文藝春秋」におけるこの学問と芸者と置屋さんとのその有機的な問題を私はちょっと心配になったわけでございます。そのことの社会と学問の場を全然関係なくお思いになっているのかどうか。社会と学問の場を有機的につないでお話しになっていただきたいと、私はお伺いしたいんでございます。
○参考人(小西甚一君) 学問としての国文学は、私はきわめて厳正なディシプリンだと思っております。その世界では私はいやしくも戯文といいましょうか、たわむれのことばは一切用いません。ただ、一般の大衆雑誌におきまして、わかりやすく話をするというときには、私は必ずしも学者のよろいを着たままでということではなくって、もっと柔軟な表現をいろいろ使う技術をそこに一使ってみたいと思っただけでございまして、私の学問そのものと、それから大衆の場においてわかりやすく解説するために、ややふざけた表現を使うということは、これは一応区別して考えております。
○鈴木美枝子君 これで終わりますけれども、大衆の場ならば芸者ということば、置屋ということはにおいて筑波大学の行政的、私は行政だと思うのです。学問が総合的な未来を人間の中に打ち立てる。そういう意味で先ほど先生がおっしゃいました、税金の問題から言いました大衆の場においての表現として、大衆の前ならそれでいいという考え方に対して、これから筑波大学を運営なさる先生に対してお伺いさしていただいたのです。ありがとうございました。
○小林武君 簡単に質問をしますから、十分お答えのほうはひとつ簡単に、また、よくわかるようにしてください。 私は社会党で、この大学紛争が起きたときに、大学改革についてのまとめをやりました。そういう立場で、当時私も既存の大学というものが、うんと改革をやらなければならないということを書いた。しかし、私の心の中には、既存の大学によらないこの新しい大学をつくるということについては、一応それも一つのあれだ。しかし、それは既存の大学によらない全く新しい出発をすると、こう考えておる。それはもちろん、そのよその国でやっているもんですからね、それは同じようにこういう方法もやっぱり一つの方法だと思った。ところが、ぼくはやっぱり教育大学の場合にはこれはごまかしがあってはいけない。それについてはあまり申し上げませんが、教育大学の伝統というようなものを、賛成の方も反対の方もどういうふうにお答えになっているか。文部省に言わせると教育大学の伝統を守っていると、こう言うのです。しかし、ごく新しい大学を全くつくって、一つのモデルをつくろうというなら、これは伝統を守るはずはない。伝統なんというものを抜きにして新しいものをつくるということになるわけですからね。それ、どうお考えになっているのか。私は大学で言えば、これは建ったときのことだけ言えば、教育大学は百年たっている。その五年あとに東京大学ができた。もちろん、その前の東京大学の前身のようなものを言えばまた別だけれども。だから、教育大学というのは日本のような百年ぐらいの間のこの年数しか伝統を持たないところで、私は、これは行政府にいる者も大学当事者もやっぱり大事にすべきだと思う。平清盛が宮島をつくったときにできた外国の大学と比較したってだめなんだ。そのころの大学にはそれぞれの伝統がある。伝統というのは大体悪いこともいいこともみな伝えてきたわけじゃないですから、淘汰されていって伝統として残ったものはそれは少なくとも大きな意義がある。だからそういう角度からいったら、私は教育大学を握る教官の皆さんは、卒業生ばかりでなく教官の皆さん全体が、この伝統をどう守るかということにもっと真剣でなきゃならぬと思う。新しい大学に移れやいいというような態度だけでは、私は日本の学問あるいは教育に対して責任がなさ過ぎるという信念があるから、そういう意味で私は反対しているのです。だから伝統というものをどうお考えになっているのか。単に移せやいいというくらいにこう考えているのか、それをひとつお伺いしたい。これはもう全体、賛成、反対ともにひとつお話しいただきたい。 それから、大江先生の先ほどの、筑波大学の構想は自主的であったかどうか。私も大江先生のお書きになった本を広げて年表をつくったんです。なかなか理解するにはむずかしくてどっちが先かなと思ってやってみた。そうしたら先生のおっしゃるとおり、これは年表をつくってみたらちゃんとそういうようになっていた。文部省はどこをお手伝いをしたのか。お手伝いが先にいって移るのはあとなんて、そんなばかなことは世の中にないわけだ。混乱したから、これはうそだと思う。こういうやっぱりうそで固められたようなことを大学の内部でよく議論できないということはぼくはおかしいと思うのです。これが一つあります。 それからもう一つ、管理体制の問題ですが、私は、大学の先生も案外人がいいと思っているのです。学長と副学長というものをつくってそこに権力を集中するというやり方ですわな、言ってみれば。そうすれば、大学というものが非常に管理体制がよくなると思うというのは、これどこから出てきたのか。まあみんな学問のある方々にそういうことを言うのは悪いけれども、私は体験上言っているのです。戦後のこの教員組合運動やってきましてそれを身にしみて体験しているから。学長の権限が強力になって集中した。そうすると部内の発言というものはその集中によって減るわけです。そうでしょう。ところがこの集中のしかたは、今度文部省の関係の中においては文部省の学長に対する権限が今度は非常に多くなる。学長の任命のあれだとか、それからさまざまな、さっき予算の話も出たけれども、予算の話もそうなる。これから文部省に行くのにもう大体戸口のところから学長頭を下げていかなきゃならぬというようなことになるかならぬか知らぬけれども、とにかくそういう権限が非常に小さくなる。このやり方をやったのは、教育委員会制度の改悪がそれなんです。そうでしょう。教育委員会というものを押えるためにはそういうやり方をとったのです。文部大臣が教育長の任命に対してこうする。それから措置要求というものを法律に書いてその措置要求もできるようにする。そこまでやったらあとは指導という形でやれるやつはものすごく法律以上の効果を出すようにするのです。そこで教育委員会の、これは県の教育委員会でも地方教育委員会もずっと自主的なあれが少なくなって、今度はだんだん下にいくから教員はなおさらおかしくなっちゃうということなんです。このことの理解をどうお考えになってるか。国民に奉仕するという大学のあり方、教育のあり方というものがこの管理体制の強化ということでどうなるか。これはどういうふうに賛成、反対よ方々がお考えになってるか、ひとつお聞かせをいただきたいのです。 それからもう一つ。 これはたいへん大浦先生のお話を聞いてずっと系統的によくわかったのでございますが、この中で聞き捨てにならぬ——といって、何も大浦先生に文句言ってるのじゃないです。この教官人事について、これは私の聞き違いかもわからない、聞き違いだったら私のほうでおわびいたします。選考基準以外ですね、寄付金を出したとか出さぬとかいうのは、これはどういう——教官のあれに寄付金出さなきゃだめだということになったらこれは汚職ですわな。大体ほかの世界なら手がうしろに回るというやつだ。こんなことがあったのかね。何の寄付金かよくわかりませんけれども、これは、だれが出す寄付金で、寄付金が選考の基準なんということになったら、これは重大な話だと思います。これは何か事実があればお伺いをしたい。 それから、もう一つ。 一体これは、小牧先生にお尋ねしたいのですが、賛成派と反対派とに文学部も割れて、文学部の教授会で、集団欠席声明というのが教授会に出て、教授会に出ない方がおありのようだったが、こういうことはどういうことなのか。また、集団声明というのはどういう声明なのか。議決機関である教授会に出ないということは一体、そうしてどういう態度をずっと持続して、今度の大学移動に関してはどんな役割りをそれらの人たちは……。一切身をかくして隠遁したとでもいうべきか。事から離れてしまったというのかどうか、その点の御説明を承りたい。 以上でございます。
○参考人(小牧治君) どうもたくさん問題がございましてお答えできるかどうかわかりませんが。 私は伝統という場合の一つの問題ですけれども、大塚学園の伝統は、日本の明治時代の歴史と密接な関係を持っている。あそこは、初めできましたころはフランスあるいはイギリスの英米流の教育方針をとっております。ところが、御承知のように、やがてドイツ流、したがって明治憲法だとか教育勅語ができるころに、今度は同じようにドイツ的な発想に変わってまいります。いわゆる上からの発想でございますね、天皇制の中の。それから大正はデモクラシーでありますね。そういうものを含めまして私はひとつ伝統という場の中で、やはり、皆さんの御批判はございましょうが、日本の教育、教員という点に寄与してきた、いいか悪いかは別でございますが。 それから二番目に、文理科大学を考えます場合に、先ほど申しましたが、文理でございますから、いわゆる文化科学と自然科学の協調の上に成り立った伝統があった。私たちはそれに加えて、やはり社会科学は必要だ、そういう伝統をつくりたいということで戦後やったわけです。それが文理科大学でございます。 それから戦後になりまして、ここにいらっしゃっている先生方が続々お入りくださいまして、これは思い出しますけれども、家永先生、綿貫先生あたりが教授会の自治ということを言われまして、まことに私はうれしかったのです。私は戦前ですから非常に反省するのですが、戦後非常に民主的なはつらつとした学園が育っていった。少なくとも、文学部においてはそういうことは言えると思うのです。それは同時に私が見れば、若いすぐれた人たちがやっていらっしゃったということも関係があるわけですが、その伝統がだんだんこわれてきた。今度は選挙体制で逆になった。これは先ほど大江先生からおっしゃいましたが、木村先生が、この前自主性がなかったとか、それから先ほど、お名前は出ませんでしたが、——まあこれは公表されておりますから、有力な推進の中心であられた関根先生、西山先生、三潴先生、こういう中心の方々が、この間文学部長室に見えまして、強行採決はやめてもらいたい、慎重審議。そうして人事委員会とか参与とかそういうことについて聞くべき意見が多々あるではないか。小牧君どうかそういうことを伝えてもらいたい、そして、こんな状態で君どうするのかというようなことをおっしゃいまして、私、感激したわけです。つまり賛成であった方にも、これじゃいかぬという反省があるということでございますね。 その次、第二番目でございます。私は思うのですけれども、一つ言いたいことは、みなこれは友人なわけですね、それがこういう場所でこういうふうに争わなければならないのは、まことに私は悲しいわけです。したがって、こういういい伝統——批判的友情けっこうでございますけれども、そういう悲劇というものがどこで一体起こってきたのかということを私たちは反省して、それはやっぱり話し合いだと思うんですね、お互いにあたたかい心を持って。そういう点を望むわけです。 その次、今度は国民に奉仕するということと管理でございますが、文学部でいろいろ大学問題の権威者がございまして、よく問題になるんですが、国民と言う場合に、国家と言う場合に、明治の大学が、あるいは大正の大学が、国家のための云々ということございますね、それを非常に文学部の方たちは警戒なさる。国家、政府、権力と、こういう発想になる。だから国家のためということは、政府、時の権力という形に結びついていく。したがって、われわれは国民であり、人民であり、あるいは社会である。その社会とか人民に奉仕するということは、必ずしも時の権力が言う、そういう発想、そういう政治の政策をわれわれはそのまま受けるわけではない。これを批判することが真の大学の使命だ、もちろん賛成もございますね。そういう、つまり時の政府の政策というものを越えて検討するのがやっぱり学問の本質ではないかという点ですね。したがって管理というものが、大学の管理は、ぼくは文学部の諸君にも言うが、行政官庁とか企業とは違うんですよ。こういう管理をされたらいま言ったことは育たないわけですね。これはアメリカあたりでもそうらしゅうございますが、まあドイツなんかでもそうですけれどね。そういう、つまり企業体とか行政官庁とは違って、いわばみんなが自主性、独自性のある、おのおの個性のある教官というものをいかに育てていくか、いかにその人の研究が自由に伸びるかという点に焦点を向けたら、そうしたらどうしても管理は、そのための奉仕ではあっても、それを頭から管理するようなものであっては毛頭ならない。したがって、頭が上でわれわれが下という発想ではいけない。 それから寄付金ですね。これは私もあるんです。茗渓会という卒業生の会がございまして、私もずいぶん——私は西欧におりまして、途中から帰ってきたところが、小牧君、これへ入れと、賛成しろと、寄付しろと。まあそのためにいろいろ言われました、寄付しないと何とか、寄付したらこうしてやるとか。一例をあげますと、これは私のそばにいらっしゃる体育教育出身の、これは非常に年輩の方ですけれども、小牧君、おまえ、廃学になるというじゃないかと、どうしたんだと、おれはたいへんな寄付したと、冗談じゃない、返してくれと言うんですね。返してくれったって、ぼくは知りませんよ。ぼくはそういうことを要求しようと思っている。これは話が違う。話が違うことは、先日の三野與吉先生、温厚篤実な三野與吉先生のことにもございましたが、ああいう話が違うということが起こってきたわけですね。寄付金は茗渓会で集めている寄付のことであろうと思います。これはついででございますけれどもね。 それから最後に集団のことですけれども、これはあまり申したくございませんが、これも声明があるんです。しかし、まあここにいらっしゃる方はよく御協力くださいますし、こういう声明はございましたけど、その人全部が御欠席ではございません。協力してくださる方もございます。ただし、その方も筑波の審議のときにはもうこれはお出になる。これはわれわれが逆に評議会の場合に、筑波の場合、任意で欠席したのと逆でございますね。その場合、つまり、結局現在の教育大学と筑波とがこんがらがってくる。現在の学生は教育大学の学生でしょう。それがこんがらがってくるから、だから筑波に反対の人は昇格せぬとか、筑波に反対の方はああいう寄付金を何とかとか、弾圧がくるわけですね。同時に、さっき寄付金で言いましたが、そういう外部の方がいかにある特定の方を苦しめたか、ここでは申しませんがね。そういうこともございます。その人は泣いて、小牧さん、私はこんなこと言わなかったですよ。——その方は賛成論言ったんですけれども、しかられたというようなことも言っておりました。まあ集団欠席のことは、いまいろいろ御協力くださいまして、私はこういう男ですから、なるべく話し合いをしようと言って、だんだん協力してくださって、やあ君ね、やっぱり話が違ってね、これはあんまりひどいよと、ぼくは教授会に出るよという方もございますが、やっぱりかたくなに、まあこれは世相でございましょうか、かもしれませんが、お守りになりまして、いまだに——これは非常勤講師みたいですね、全然おいでくださらぬ方がございます。で、学部長は今度は教授会に行きますとしかられるわけです。たとえば委員になってらっしゃる、出てこない、委員長になったって出てこない。どうしたって言われまして、もう困るんですね。そうして、まあ私の友人ですから、どうか来てくださいとお願いするんですけれどもだめなんですね。 以上でございます。
○委員長(永野鎮雄君) それでは順々に願います。
○小林武君 それじゃあ賛成、反対みんな言われちゃたまらぬだろうから、代表でひとつそれじゃあやってもらいましょう。それから、特にまた御発言ある方はやってください。ぼくは一人の話を聞くというつもりはない。しかし、うんとはしょってひとつ賛成、反対のほうからお願いします。
○参考人(綿貫芳源君) それでは綿貫ですが、小林先生のお話の中に一つ、国立大学の運営が従来、学長に管理権が集中するとまずいじゃないかと、組合の経験からいっても非常にまずいというふうな御発言がありまして、大学の場合どうかというお話がおりましたので、これは一教育大学だけの問題じゃなくて、ひとつ全国の国立大学の管理の問題として一言させていただきたいというふうに思います。 それは、どういうことかと申しますと、簡単に申しますと、大学紛争で実際困りましたのはその学部教授会の自治なんです。これは現在の大学、国立大学の中でも教授会が内部で開けないという有名な大学が日本にございます。それからまた、東京の大学の某有名大学においても、ある部分は教授会が内で開けないというような事実がある。そしてそれについて、それでいいのだというのならばこれは私は何も申し上げません。しかしながら、一応国民の税金を使って大学というものを、大学は御存じのように、これは膨大な資産というものを管理しているわけであります。これについてやっぱり国民に対して、安全性に対する責任を遂行するという点におきまして、やっぱりある程度管理というものをしっかりやってもらわなければ困るというふうに私個人は考えますし、そういう意見は決して少なくないということだけを申し上げたいと思います。
○小林武君 ちょっとお答えの方、はずれているのだ、ぼくの聞いていることと。ということは、ぼくの言うのは、大学の学長に権限を集中させるような今度の改正というのは、逆にいえば、文部省のほうに非常に今度発言権もふえるわけでしょう、学長の任命とか、副学長はどうだとか、参与がどうだとか言ってね。そういう形になれば、これはたとえば今度は義務制の学校並びに後期中等教育も含めて、これには教育委員会というものがあって、それが戦後変わったこと御存じでしょう。そういう形になったら、結局学内の問題は何といっても学内で処理をするということになったら、強力なこれは一つの学内の力出さなければいかぬ。ちょっとつけ加えると、たとえばそれには、ぼくは従来の教授だけがそういうことについて相談するというのは間違いだ。私は学生も入る権利があるし、それから職員というものを——これは私は組合の中にいて、何年も、大学問題研究会というのは大学の関係者がこれは教職員含めて研究会やっているから、その結論をぼくら聞いていますからね。そういう大学の全体が大学をよくしようじゃないかと、国民に対して責任を負おうじゃないかという立場に立てば、大学の力出さなければだめなんですよ。ほかの力で動かされるような形にだんだん移っていったら困るじゃないかということをぼくは言っているのです、今度の形では。
○参考人(綿貫芳源君) その点についてお答えしてよろしいですか。——簡単に。 その点につきまして、実はじゃあ現在の筑波、この暫定的なところは一応度外視していただきたい、将来の筑波大学の構想というものを前提として御議論願いたい。そうしますと、一応学長の選出方法というものと、それについての将来リコールというものも考えております。で、そういうようなところから言いまして、いま小林先生の御疑問は、私は疑問の点は氷解され得るのではないかと、そういうふうに信じております。
○小林武君 まあ寄付金出さなければ人事できないというやり方は、あなたたちのほうはみんな認めてけっこうだと思っているのですか、その答弁をひとつしてください。
○参考人(大浦猛君) 私、三つの点を申し上げたいと思います。三つの点と申しますのは、最初、東京教育大学の伝統というものどう考えていらっしゃるかということを全体に向けておっしゃっていましたので、そのことからまず申します。その点につきましては、いろいろな問題がありますけれども、大体大きく大学の構成について申しますと、私はたとえば東大その他の総合大学に比べまして適正な規模である。そうあまり大きな規模にならないことを目ざしている。あまり大きくならない適正な複合大学、そういうことがひとつのいわばみずからをささえてきた考え方だったと思います。それからその二番目には、もっともその伝統が少し、大塚のもとにあった学校から教育大学になりますときに、農学部などが加わりましてちょっと変わりましたけれども、これは農学部が入ったのは都合が悪いという意味ではなくて、大学の歴史をそのものを客観的に見た場合に、そういうことが言えるわけですけれども、その点ちょっと除いて考えますと、長い伝統としましては、基礎学に力点を置く、東京教育大学というものは文科系、それから自然科学系にわたりまして、基礎学に力点を置く大学であるという考え方を持っておりまして、それからその次には、基礎学は大きく文科系と理科系に分かれますけれども、文科系と理科系のバランスを保つということです。その点から考えますと、実は筑波新大学の場合には工学、医学が加わり、自然科学系が大きくなるような気配とも関連しまして、それに医学、工学を加えますと、バランスがそちらのほうに、自然科学系の基礎と自然科学系の応用とそのほうにバランスが失し、しかも、医学のほうから副学長が出ているということも加えまして、さらには、現在理学部を代表するというしかたで長く行動していらっしゃる方々がこの問題の中心に当たっているということも関係しまして、バランスを非常に失したことになっていると思います。伝統から離れております。 それからその次には、これは皆さんよく言われるわけでありますが、教育学、心理学を中心とした部門、この部分は附属学校、特殊関係の附属も含めましての附属学校と密な関連をとりながら教育学、心理学の研究をやっていくという点に一つの特色があるわけであります。この点で私心配しておりますのは、日本の文教行政からしますと、大学の付属というものは母体となる大学のキャンパスから離れますと、公立に移管されてきているのが文部省のこれまでのやり方でありまして、事実そうなっております。これは至極当然なことかとも思われるわけです、ある意味では。教育実習やる場合でも大学の運営をする場合にも。その点から現在の立地条件との関係、特殊教育というのは大都市で実験的な研究を教育と関連させてやり得る条件にあるわけであります。特殊教育関係の附属を含めましての附属学校とからんでの教育学、心理学の研究という点で、いままでの文教行政から申しましても、今後の筑波の大学というものは、かりにできるということを仮定した場合に大きな不安を私は持ちます。この伝統がどういうふうになるかという心配は持っております。 その次には、寄付金の問題ですけれども、当然寄付金の問題はその選考基準の具体化として教授会で問題になることはありません。これは問題になったらたいへんなことであります。それこそ大学の堕落であります。それは当然幾ら何でも公的な会議の議題になりません。なりませんが、私、こういうことを言うべきか言うべきでないか考えたんですけれども、文教委員会は平素思っていることを忌憚なく言えという御要請のようでありますので、私は決心して具体的にわかっていただきますために、雰囲気を御理解いただくためにあえて申し上げることにしたわけであります。つまり公的な会議の問題ではありませんけれども、そのことをめぐって私的な圧力があるわけであります。私的な圧力の中で、そういう寄付金を出しなさいということを言われた人があります。個々の例は幾ら何でも私申せません。 それから第三の問題は、大学の管理運営の問題ですけれども、筑波大学のプランはアメリカのカリフォルニア大学の部分を中心にしましてつくり、筑波大学のカタログを突き合わせながらおつくりになったようでありますけれども、実はアメリカのコロンビア大学の紛争後の一つの改革案、改革案といいましても決定であります。一九六九年のコロンビア大学の方針、それからカリフォルニア大学のバークレーのキャンパスにおける一九六八年の決定、これはもちろん歴史が違いますので、日本におけるように過去に人事についての顕著な侵害がなかったという認識があるのかどうか若干問題はありますけれども、過去には日本では大学は少なかった。アメリカでは大学が多いということも関係し、アメリカの歴史もありまして、そういう、皆さん御承知のような理事会制度があるわけですけれども、実は一九六八年のバークレーの場合に、評議会の、つまり大学の行政的な上の機関の官僚性あるいは専断性というものを直すという方向において、教授会メンバーの発言権を大きくするという方針をつくっているわけであります。徐々にアメリカの伝統のもとでやっていくわけですけれども、大学全体の中で教授会メンバーの発言権を大きくするような方針を、紛争の経験にかんがみて一九六八年に決定をしております。それからコロンビアの場合ですと、それにさらに教授会メンバー以外の職員、それから学生代表も加えての全学の機関をつくるという方針を出しております。ですから歴史の趨勢としましては、外国の場合は日本と事情は違いますけれども、日本の場合は明治以来の人事問題などについてのさまざまな苦い経験にかんがみた上でいまのようないままでは公立大学の人事の慣例ができているわけでありますけれども、外国の場合でもわずかではありますけれども、そういう動きがあるということを見ながら、大学の管理運営の問題についてどうあるべきかを考える必要があると私は思います。 以上です。
○委員長(永野鎮雄君) 小林委員の質問に対して全体の方からお答え願うのはどうかと思うのですが、反対、賛成というような立場で御意見をお持ちの方があると思うのですが、賛成の方で御意見がありましたら代表をして発言をしてください。
○参考人(小西甚一君) 伝統ということについて意見を述べます。 伝統というのはいままであったものをそのまま残していくという保存趣味ではございませんので、私の解釈では、伝統というのはいままであったものが現在に働きかけて、そして現在をもっとよくしていくという面と、現在が過去の中に入り込んで、そのために過去がいままであったよりもいいあり方になるという両面をそろえたのが伝統であると考えております。したがって、いままであったものどおりでなければ伝統的でないということは私は考えません。それで私たちの考えております筑波大学はいままでのものを含み込んで、いままで持っていたものをなくすとこれは何もございません。含み込んでさらにその上に新しいものをつけ加えようということでございますので、私たちは伝統がそのためになくなるというふうなことは考えておりません。 もし、ほかに答える必要があればほかのことも申します。
○委員長(永野鎮雄君) それではありがとうございました。
○内田善利君 私は、大浦参考人にお伺いしますが、いままで先生方のいろんなお話を聞いておりますと、この筑波構想の出発は了解できますが、一体それでは今日この法案ができてくるまでにだれがどのようにして動かしてきたのか、非常にほんとうの少数の方々がどこかでつくられたのかなという疑問を抱くのですけれども、この点もう少しお聞かせ願いたいと思います。 それから、この法案にはいろんな問題があるわけですが、参与会あるいは人事委員会あるいは副学長等管理問題で相当重要な問題がございますが、先ほどから午前中から副学長の問題が出てまいりましたけれども、研究、教育、厚生補導というようなことばが出てまいりますが、私が一番疑問に思っております医療担当の副学長についてはことばにすらあがってないわけですが、この医療担当の副学長というのは必要なのかどうかです。どうしてこんな特別な医学関係の医療が担当として出てきたのか、この点お伺いしたいと思います。 それから綿貫参考人にお伺いしますが、日本の大学の先生方は教育に熱心でないというおことばでしたが、それで副学長を置いて熱心であるようにしていくんだと、こういうおことばでしたけれども、そういった監督のもとに先生方が教育に熱心になるとお考えなのか。私は、もっとほかにそういったものがあれば理由が、原因があるのではないかと、このように思いますが、この点いかがでしょうか。 それから最後に、大江参考人にお伺いしますが、まだ筑波大学についてはカリキュラムも担当者も学科名等もきまってないということですが、旭川大学はもうすでにできておると、山形大学の医学部も半年前に、ことしの四月一日の半年前にもうすでにでき上がっていたと、このように聞いておりますが、いまからつくってそれが間に合うのかどうか、またできておるのかどうか、この辺のことをお伺いして、私の質問を終わります。
○参考人(大浦猛君) お答えいたします。 プランをつくった人ということですが、立場上、私がその中に入って自分の考えを十分傾けながらつくり得るような体制ではございませんでしたので、圏外にございますが、圏外におりましても、大学の中におりますからわかってくるわけで、そういう意味で一応申しますが、詳しくはむしろほかの方のほうがわかるかもしれませんが、経過を申しますと、昭和四十三年の秋から大学全体の意見調整をやろうという機運が盛り上がってまいりました。私ども微力でありますが、ずいぶんそのことに尽くしてまいりました。それで、その努力をしておりますときに、実は昭和四十三年の十二月に早々と翌年の三月に行なう入学試験の中止を決定するようなやり方を多数でどんどんきめていくというやり方が行なわれましたけれども、たまたまそのころに大学全体の意見を結集して、そして筑波問題に取り組もうということを、学部の壁を越えて、また教授会メンバー以外の者とも、助手その他の人とも話し合いながらやろうとしていた、努力を傾けているときに、実は大学の中の一部の方々が非公式に集まられて、この管理運営の問題を中心としてのプランをつくり始められたわけであります。昭和四十四年の一月であります。で、入試の中止ということを多数決で早々と、その入試をやろうという努力があったにもかかわらずおきめになったあと、そういうことをなさって、それが今度は大学のマスタープラン委員会のほうに出てくるわけでありますけれども、その私が見ております経過から申しますと、カリフォルニア大学のプランを中心にしながら、その他いろんなことが進められているということの関係から、それからまたマスタープラン委員会の一番の中心をやっておられるという人という関係、その他さまざまな言動、御意見の発表などから、理学部の方に中心があったように思います。もちろん、ここにいらっしゃる尾留川さんもそうでありましょうが、それからまた、小西教授や綿貫教授もあとからお加わりになったのでありましょうけれども、それはその程度でよろしいでしょうか。 それから、その次の筑波プランの医療担当副学長の問題ですけれども、医療担当副学長のことを言う前に、副学長を置くということは、ほかの人事委員会、財務委員会、それからその他さまざまの部局長、その下にさまざまなこま切れになった教官の組織の会議体があるというふうなこととの関係で、つまり教育、研究を実際に行なう人々と最終意思決定との間にたくさんのこまかい段階を設けるプランになっております。つまり、きわめて複雑なプランになっております。これは研究、教育の組織を、特に教育の組織をこまかに分けるということからこうなってきているわけです。なるべくこまかにそこを分けて、分けますと集中的な意思決定になる。そうしますと、途中少し整理をする必要があるので、こまかい段階がたくさんできるわけです。そういうことに副学長を置くことがつまり役立っている。そうしますと、研究、教育を行なう人から言えば見えにくい、かすみがかかるような大学の決定のプロセスで、道のりが遠ぬなるわけです、先がわからぬわけです。そうしますと、直接に研究する立場からの意見が変えられる段階がたくさん設けられます。そういうところに実は研究、教育のにない手の側の発言権が弱くなる理由があるわけでございまして、そのことに副学長制度が理由を持ち、利用されている。 次に、この医療担当の副学長の問題になりますと、私は、つまり医療担当副学長は、病院などがあるという理由からでしょうけれども、この学群その他との関係から申しますと、医学に力点を置く結果に当然なると思います。つまり、医療担当ということは、医学専門学群からの立場に結局立たれるわけで、各学群の中での医療専門学群の力が大きくなるという意味を持っております。それはよろしいのかどうか。それからさらには、先ほど申しましたように、自然科学の応用の部分全体の比重が大きくなることの一つのしるしにもなっていくと、そういう問題があると私は思います。 以上でございます。
○参考人(綿貫芳源君) それではごく簡単に医学関係の副学長についての御質問、これは……。
○内田善利君 いいえ、綿貫参考人は教育に……。
○参考人(綿貫芳源君) 教育に熱心な副学長ということでしょう。 それの前に、私は管理運営部会の副委員長だったので、大浦参考人よりはより適切なアンサーができるのではないかというので、一言申し上げます。 この医学は、いま大浦参考人からもお話がありましたが、本来、研究担当副学長、それから教育担当副学長に、医学関係を分類すれば別々に下に統一すればいいではないかと、これは一つの理論なんであります。そういう意見があったことも事実であります。しかしながら、その後医学関係のほうを見てみますと、医学というのは現在の日本における医学教育——これはいいとか悪いとかは別問題としまして、医学教育というのは病院が必ず付随している。そうしますと、病院というのは常にこれは患者という問題が出てまいります。そうしますと、これは対大学外の人が必ずそれには関係してくる。そして、そういう意味で、対外的な関係というのを含めて医学担当の副学長を置くことも妥当なのではないかということが、この医学について、特にほかのと比べてたしか、これは論理的には一貫しない点があるんですが、置いた最大の根拠でございます。これは管理運営部会のほうではそういうふうに理解をしておりました。 それから次に教官について、副学長を置くと教育に熱心にさせるのではないかというけど、もっといい方法が別にあるのではないか。いや、これはそういう方法があればどしどしわれわれとしては採用していきたい。ただ過去の例を見ますと、これは理学部の内部のことをあまりここで言うのはどうかと思いますけど、小牧学部長がかなりお話しになっているので率直に申し上げますが、ある教授が十年くらい全然講義をしなかったケースがあるのです。これが昭和二十年の終わりごろから三十年の終わりごろまでほとんど講義をしなかった。で、学生のほうから——単位がつかないのですね、それで学生から文句がきまして初めて、ああ、その先生講義していないのかということが教授会でわかったと、それで私は当時教授会におりましたから、小牧参考人もよく御存じだと思うのですが、大学自治という以上は、大学の中において教官が講義をしないでいるというようなことをほっておくことは自治をいわば放棄したにひとしいのではないかと言って、私が強硬にこれは主張しまして、この人はちょっとメンタル、精神的な方面の病気だったものですから、非常に本人には気の毒なんです。で、その方に病院に入ってもらうというようなケースがある。そして、こういう点から見ましても、現実に教官がどうやって、カリキュラムの内容について批判しているのではない。問題は一体講義しているのか、していないのか、こういう事実すら実は現在の教授会というのはつかめないのです。そういう意味でこの副学長というのを置いて、何とかそういう事実だけでもつかんで、あとはパースウェージョンでいくと、こういう方法であります。何かいい方法があったらひとつ大いに教えていただきたい。
○参考人(大江志乃夫君) カリキュラムが実際にできて、そこに担当者がきまっているかどうかということでありますけれども、これがきまっているのか、きまっていないのかが全然わからないというのが正直なところでしょう。というのは、もしきまっているとすれば、あるいは文学部の大多数の先生方は自分の知らないところでかってにその担当をきめられているということになるわけでありましょうけれども、少なくも、文学部の大多数の先生方はそういうことについては全く聞かれたこともないし、また、現実問題について知らないと。もしきまっているとすれば、それはかってに机の上でつくられたプランであろうと思います。 それから、いまから間に合うかという問題でありますけれども、そういう状態でありますから、これは実際には法案が成立しまして、そうして筑波大学が発足するということになると、特に文学部の若い助教授、非常に優秀な助教授の方々のかなり多くが実は筑波大学に行かずに大学をやめるんではないかという、大体いまそういったお考えの方が多いようでございます。もちろん、これは綿貫参考人が最近の大学の先生は教育に熱心でないということを言われましたけれども、最近の特に若い助教授の方々は非常に教育に熱心でございまして、少なくも、教育大にいる以上は、教育大の学生が最後の一人まで卒業するまではこれは教育に対して自分たちは全責任を持たなきゃならないということを、これはみんな言っておりますし、それまでは、自分たちは教育大が廃学になるまでは、最後の学生を送り出すまでは、あくまでも教育の責任を果たしていきたいという考えのようでありますけれども、かなり多くの方々がこの教育大が廃学になると同時に、大学を去られるんではないだろうか。これはいろいろとそういう覚悟をきめていらっしゃる方、これはかなり多数いると言っても差しつかえないわけです。そういう状態でありますから、いまから間に合うのかということになりますと、おそらく、正直に言いまして、私ども反対の立場の者から見ましても、一体この法案通っても入学試験できるんだろうかということを、よそごとながら心配しております。
○委員長(永野鎮雄君) ちょっとお願いがあるんですが、六時をめどに終了をいたしたいと思いますので、その間に消化をしていただくよう、御協力をお願いしたいと思います。
○萩原幽香子君 どうもやっぱりしわ寄せはこちらのほうにくるようでございますけれども、私は綿貫参考人について四点、それから小牧参考人については三点、小西参考人については二点、簡単にお伺いをいたしますので、お答えはどうぞひとつ簡単明瞭にお願いをいたしたいと存じます。 まず綿貫参考人に、東京教育大学の現在までの経過の概略はほぼ承ったわけでございますけれども、現在、文学部を除きまして、各部はどのような状況になっておりますか承りたいと存じます。たとえば、初めには移転賛成者の方であったのが批判的に変わっている、こういう状況もいま伺ったわけでございますが、そういう変化はなぜできたのか、その理由を承りたいと思います。 それから第二点は、東京地裁での判決についてちょっと聞き漏らしましたが、主要点だけを承りたいと存じます。 第三点は、大学に関してその紛争を契機に国民の関心が非常に高まってまいりましたのでございますが、それについて、参考人は税金を払う人々の立場ということを非常に強調なさいました。そこで、税金を払う人々はどのような大学を望んでいるのか、どう受けとめておられますのか、承りたいと存じます。 それから第四点は、御一緒に小牧参考人にもお伺いをいたしたいと存じますのでお願いをいたします。 午前からただいまの先生方のお話を承りながら、私は、この際、東京教育大学と筑波大学は切り離しておやりになることがよろしいのではないかという感じがいたします。伝統のある東京教育大学はこのままに残して、新しい構想による筑波大学はその賛成者のみ全国から国・公・私立の別なく集めておやりになるということはどうなんだろうか。このまま筑波に移転をいたしましても、東京教育大学の対立をそのまま筑波に持ち込むことになるのではないか、この心配を非常に持ちますので、この点について綿貫、小牧両先生からどのようにお考えになるか承りたいと存じます。 その次に、今度は小牧先生にお伺いをいたします。そのさっきの問題とあわせましてさきにお尋ねいたしましたこの地裁での受けとめ方、それを、先生の東京地裁の判決の受けとめ方、それをお伺いいたしたいと存じます。 それから小西参考人についてお伺いをするわけでございますが、午前中に、私は副学長の問題についてお尋ねをいたしました際に、研究、教育担当の副学長と学系学群長との関係はどうなりますのかということをお尋ねいたしました際に、これはスタッフとラインの関係だというふうにお答えになりました。そのように小西参考人も受けとめておられますのか、承りたいと存じます。 それから先ほどのお話の中で、学生の位置づけについて非常に御考慮になっていらっしゃるようなお話でございましたが、それでは学生をどの分野にどのような形式で参加をさせるおつもりか具体的に承りたいと存じます。 文学部につきまして、ちょっと小牧先生にお伺いするんですが、先ほどの先生のお話を承っておりますと、何か非常に楽しいような将来が私はうかがえたわけでございます。ところが、現実の問題では二十六人の教授が欠員であると、こういう中で一体どのような授業があるいは講義がなされておりますのか、それに対しまして学生たちはどのような反応を示しておりますのか承りたいと存じます。 以上でございます。
○参考人(綿貫芳源君) それでは四点御質問の点があったと思いますが、この中で実は第一点と第四点は私として実は十分お答えする能力がないと申し上げざるを得ない。と申しますのは、これは私は現在開設委員会の委員をしておりますが、他学部のいろいろ事情については実は十分つまびらかではない。第一点の文学部以外の各学部の状況はどうかという点につきましては、私としてはお答えを申し上げる実は能力がないのであります。 そこで第二点の問題に入りまして、東京地裁の判決でございますが、これも簡単に申し上げます。これは二つございます。一つは民事行政部の地裁民事第二部行政事件でございます。これは学制上の問題が問題になったんですが、その中で一年半ぐらい、何回か公判を開きましたあとで、その公判廷には小牧参考人はお出になりませんでしたが、家永参考人なんかもお出になって、当事者の言い分を十分聞いた上で、その東京地裁民事第二部の判決では、要するに、朝永原則というものはその文学部側の主張したような形ではなかったというふうに判断をしております。ただ、この事件は、その後いま高等裁判所に係属中でことしの末に判決がおりる予定でございますが、そういう意味でまだ確定した判決ではございません。 それから第二の判決の問題、これは刑事事件でございます。ある学生が職員に対して暴行を働いたというのでこれは公務執行妨害で起訴されたわけではなくて、傷害に関する事件として起訴されました。その中で、私が学生部長時代に、大学の中における立て看板の、廃止じゃなくて、一定の場所でやりなさいということをきめた届け出制、場所と大きさと届け出制という三点でそういうこれは全学部の教授会の同意を得てやった改正があります。私が一人でやったわけじゃもちろんございません。これは全部評議会の議を通ったわけでありますが、それにつきまして一体そういうような規制がはたして学生の自由なり何なりを弾圧しようとするものであったかどうか、これは被告側のほうがそういう主張をしたのに対しまして、東京地方裁判所は、私の証言なんかも暗示しまして大学としてはそういうことはなかったというふうに判断をしている。これが二つの東京地裁の判決であります。 第三点といたしまして、これ大学紛争につきまして担税者というものは——私は法律屋なものですから法律的な表現をいたしますが、要するに、担税者は金を払うかわりにその大学は法律上きめられた任務を遂行してくれと、たとえば——ということを要求する権利が私は担税者にはあるのではないかと、しかも、そこで憲法の二十三条でいうような学問の自由というものは保障されねばならない、これは小牧参考人からいろいろ、従来よかったんだという話がございましたが、これはまあ立場の相違かもしれませんが、私ははたしてその小牧参考人の言うようにそれまでの教育大学というものがはたして思想の自由というものを、表現の自由というものを十分に守るような状態であったかという点については疑問を持っているわけであります。要するに、担税者としますと、これはあらゆる政党政派を越えまして共通の一つの要求があると思うんであります。これは税金の使い方が合理的に行なわれているか行なわれていないか、これは思想だとかイデオロギーだとか政党の別は問わない、私はそう思っております。だから、たとえば大学側が一定の授業計画を立て、授業の内容について大学が干渉すれば、これは学問の自由に対する干渉かもしれない。しかしながら、こうしてくれという大学側の要請に対して断わるということになりますと、これは非常な私はいわば国民の、また担税者の要請に対して背を向けるものであるというふうに私は考えております。 次に、第四点の筑波大学の——別個の新設案でございますね。この点につきましては、実はいまさっきちょっと申し上げましたように、われわれのほうの仲間の何というかいままで一生懸命やってきた諸君らは何とかして新大学をこちらに、で残っておる人はできるだけその自分の要求、残りたいという要求を満たせるようにしようと、だけど何とかしてこの新大学は現在の筑波大学を基礎にしておきたいと、それと申しますのは、これは私は法律のほうでそれほど文献、資料がないんですが、この文学部のほかの学科の諸君は教育大学と申しますと全国で資料におきましては東大、京都と並ぶものがかなりあるんだそうであります。ですから、そういうものをやっぱり離して新しくつくってもすぐいい大学ができるかどうかという点について疑問を持っている方が多いようであります。これは私よりむしろほかの方にお聞きになったほうが適切ではないかというふうに考える次第であります。 以上で終わります。
○参考人(小牧治君) 第一点、切り離しの点でございますが、私も八千名近い大学人と一緒にいろいろ教えていただいておりますので、その御見解は、つまり筑波の構想そのものに対する批判がございますね。いろいろ金だとか、あるいは参与だとか副学長とか、そういう点で、私はこの審議並びに政府、文部省におきましてそういう審議を踏まえた、十分理解されたそういう筑波のあり方ということならば、しかもそれが同時に、他の大学に累を及ぼさない一つの試みという形においてけっこうだと、そういう意味におきまして切り離すことをどうかお願いしたいということですね。どうしても百年伝統ある教育大学を廃学にはしたくないと、これは全国の国立大学の文学部部長会議でも、どうか小牧先生、東京教育大学の文学部、こういう文学部を残してくれというようにみんな東大とか京大とか九州とか東北とか北海道あたりの文学部長がいろいろおっしゃっていました。そういうつまり条件をつけての意味でどうか切り離していただきたいというのが一点でございます。 第二番目、地裁のことですが、これは綿貫先生御専門でございまして、私はあまりよくわかりませんし、他学部の学生のことでございました。ただ、文学部の意見を聞いて、ある特定の方で言いますと、特に家永先生のことばを聞きますと、大学は教育・研究の場であると、人間を対象にした場であるという点からいきました場合にやはり大学の理念という点から考えた場合に、裁判と、裁判の黒白というものを基準にして考えることには納得できないとおっしゃっていましたね。もう一つは、これは他の学部でございますから文学部はよく知りませんが、あの判決には納得できないというふうにおっしゃっていました。私は、これは私の私見ですからここにデータを持ってきておりませんので一々申し上げられませんが、そのデータに基づきまして、あるいは私が評議会でいろいろ論議し合ったときの論議をもとにいたしまして、やっぱり慣習として地球は回る、こういうふうに申し上げたわけでございます。どう神さまが、どう学長がおっしゃろうと私の体験では、あの私が出ましたときには朝永原則を基準にして論議をしていたと、さっき申しましたがね、おまえとこがいかぬ、おまえとこがいかぬということはありましたが、それはそういう朝永原則を前提にして話をしていたというように申し上げたわけでございます。 第三番目、楽しい将来——いや、楽しくはございません。まことに苦しい日々でございます。まあ、暗夜に光明を求めて現在もがいているわけでございますが、二十六名の教授の欠員、これは助教授にもまだございますからまだあるわけでございますよ。つまり、助教授の新任あるいは専任講師の昇格ができませんから助教授にも欠員はある。そこで一番ひどいのが東洋史、東洋史は四人教授がおります。これみんな学問の内容が違うわけですね、古代とか中世とか。そのうちでたった一人の教授。したがって、東洋史の学生の不満は大きい。それからもう一つひどいのは独文学、独語、独文学は一般教養を含めまして五人の教授のところたった一人、したがって、この部屋を中心にして文学部全体の学生の不満というものは非常に大きい。これは大学院生もおりますからね。大学院生といった場合にたとえば、よくおっしゃるんですよ、たとえば入学試験の場合に、助手を入学試験問題の委員にしようとしたらこういう反対された、だって小牧先生、あんた日本史の問題出せるだろう、とんでもないと言って私も断わると文学部おこりましてね。そういうやっぱり非常に専門があるわけですね。そうすると大学院の学生は特に専門化している、学者になるんですね、そうすればみんな自分の専門の先生欠けている、こんな差まである。ほかはたくさんございますね。そういう意味で、非常にやっぱり不満がある。いま教育大学文学部学生の大きな不満の一つは、この人員の欠員の問題であるというように申し上げていいかと思います。 以上でございます。
○参考人(小西甚一君) 第一の点につきまして、副学長というものがラインかスタッフかという御質問でございましたが、副学長は学長を補佐して、それぞれ下記の事項に関する企画、立案、各部局との連絡調整を行なうということになっています。連絡調整でございますから、これはやはり、午前にどなたかおっしゃったようなスタッフ的な性格のものであると私は考えております。直接の命令は、おそらく学長から学群長とかあるいは大学院の学系長といくということになるので、まあ私のしろうとなりの考えでは、副学長は政務次官のごとき性格のものでないだろうかと思います。ただし、これは国文学者の解釈ですから当てにならないかもしれません。 それから第二点学生の位置づけをどうするかということでございますが、具体的にはいま学生そのものがまだ一人もいない段階で、全体的に決定をしてしまうのもどうかという遠慮もありまして、もうこうきまったという形にはなっておりませんけれども、具体案はつくっております。それはどちらかにきまるだろうと思いますけれども、先ほども申しましたが、学生参加の相手を研究審議会であるとか、あるいは厚生補導審議会であるとか、教育審議会であるという審議会へ送って、いろいろな意見を述べるというやり方と、それから学校全体から出てくる評議会の代表のごときものを相手に、学校全体としての学生との意見を述べ合う場をつくるというのと二つございますが、どちらになるか、まだ私の見通しでは確定しておりませんが、遠からずきまることであろうと思っております。 それから、その母体となります学生参加の単位は、クラス単位で編制しようということはきまっております。ただしそのクラスを日本文学であるとか、東洋史であるというふうに編制するのか、もう少し別のつくり方のクラスにするのか、そこがまだきまっておりませんが、要するに、クラス編制を母体として組織された全学的な学生の集団と、大学の責任ある機関とが何らかの形で話し合いをするということについては相当程度まで詰まってきておるということを申し上げます。
○加藤進君 最初に、文学部長の小牧先生にお尋ねします。 これは国会の論議の中で文部省の見解として出された問題でございますけれども、いまの東京教育大学の混乱は、文学部が評議会への参加をかたくなに拒否しているからだ、こういうふうに断定しておられるわけでございますけれども、文学部の責任者として、部長のひとつ御見解をお聞きしたいと思います。これが第一です。 それから第二番目に、先ほども萩原委員の質問にありましたように、非常に多数の先生の欠員があるわけですね。おそらくお困りになっていると思います。おそらく私の推測をするところ、補充の申請も出されておると思います。ところが文部省の見解を、これをただしますと、こう言ってます。これは評議会か受けつけないのではありません、文学部が申請を出さないからでございます。こういう答弁でございますけれども、その点を文学部長としてどうお考えになりましょうか。この二つをまず最初にお尋ねいたします。
○参考人(小牧治君) 学生があれだけの紛争を起こしました。紛争ということばはふさわしくないかもしれませんが、その場合に、学生が非常に要求しまして、封鎖というのは不幸なことでありますが、その場合に、中心にいたしましたのは学生との話し合いを持て、団交ということばがございますけれども、話し合いを持て、評議会並びに学長は。この一点でございますね。 もう一つの中心は調査費の問題、調査費をつまり評議会できめて出そうとする、それに対して学生は反対をした。調査費でございますね、おわかりになりますね。そういう意味でございます。 そうしてその第一点につきましては、これはある段階で三輪光雄先生でございますが、この方は一度も学園にお見えにならなかった。その前の三輪和雄先生も末期にはほとんどお見えにならない。そういう状況というのが、学生を非常に刺激をした。集会どころか出てもこられない。したがって、集会を持とうというようなことが議にのぼることがございます。二十三年の末でございますね。そこで大体まとまる、そのときに限りまして、おかしなことには一学部でも反対すればしない、これはおかしいですね。それは朝永原則認めているのですよ。と申しますのは、朝永原則が出まして、和歌森サプレス事件というのがございますけれども、その場合に三輪先生はなぜ文学部長は文学部をサプレスできないのか、サプレスという発想、弾圧・抑圧でございましょうか、和歌森先生は文学部長の役目をサプレスというような発想で見ることに憤慨しまして辞職をするわけですね。そのあと非常に困りまして、いろいろ話をしまして、で、さっき言った三輪先生の朝永原則を守るということと、評議会が守るということを発表したわけですね。そこで一学部でも欠席すれば、評議会を開かないことが望ましい、いろいろ話やっています。事実ある評議会で、きょうは定足数に満ちているが、どうしましょうと学長が言った場合に、文学部はいないが、やっぱり開いています。そういう慣行あったわけですね。それを今度文学部が欠席してもそうなった。ところが集会を持つときの評議会は一学部でも反対すればしないということで、結局理学部が反対した、それで開けなかった。それでますます学生のふんまんはエスカレートする。そして、私は先ほど学生の不信と申しましたが、いまでもこれはあります。いま学生はやっぱり評議会に向かって団交、団交ということばはよくありませんけれども、話し合いを要求しておりますが、これも現在の状況でも応じない。もちろん文学部は文学部だけでたびたびやっておりますし、それから評議会の話し合いにも喜んで参加しまして、それで他学部の評議員にも出れよ出れよと言っているのでございますけれども、どうもだめ、やっぱり学生の信頼をこうして裏切っていった、裏切られたわけではなくても、学生は少なくとも教官に信頼を持てない。これは先ほど申しました管理社会、管理社会というものは学生というものを、いわばいろいろマルクスとか、そのほうの理論で申しますと商品化とか、あるいは物価とうことばを使いますね 物の価格ですね そういうものとして、つまり管理の対象、教育の対象として見るという、そういう発想に対する不満でございますね。そういうことがやはり私は理念上の、思想上の大きなあれだと思います。西欧、特にドイツでございますね、起こってくる学生の紛争の根源は、思想の本質は御承知でしょうが、そういうことでございますね。それがやがて日本にも波及してくるということでございます。 それから第二番目の、これも先ほど申しましたが、これはおそらく局長さん誤解だと思うんですが、これは事実、中嶋先生と私は行ったわけです、この表を持ちまして。木田局長に、そこでお見せをしたわけだから十分御承知で、これは何かの誤解だろうと思うのでございますけれども、中嶋学部長はそういうことは毛頭申しておりません。事実申請をするわけですが、上申をするわけですが、それが学長のところでストップされるということでございます。いろいろ話しまして、いろいろ往復文書もございます。不信任が出たころ、もう相当学長先生も考えようとおっしゃってくださったんですが、やっぱりだめだったですね。特に申しましたがY助教授と、それからK助手が昇格する場合は、これは文学部はたえられないですけれども、教授会できめた、決定した、そのあととんとん何とかポシャってくるわけね、それに引っかけてこの二人はそれ前にこうちゃんと通っていたにかかわらずパスしない、教授ないし助教授になれないということでございますね。 以上でございます。
○加藤進君 大江先生に、先ほど具体的な日時まで明らかにしながら筑波大学の構想というのが、大学の自主的な改革を受けて行なわれたものでなくて、文部省指導型の改革だったという御説明をいただきました。これは動かしがたい事実だと思いますけれども、同時に、筑波大学自身から、新大学のビジョンが出されて、あるいはまた東京教育大学の基本計画というものが出されましたね。この計画の出される過程において、はたして民主的な討議が行なわれた結果、これが出たのか。それとも事実はそうではないというふうになるのか、その点の事情を若干御説明いただきたいと思います。それが第一。 それからもう一つお尋ねしたいのでございますけれども、これは事実でなければけっこうでございますけれども、現在の東京教育大学では、はっきりとものも言えないような状態がある、こういうことを私は聞きました。お笑いになっておる先生もありますけれども、深刻にこれを受けとめておられる先生も、ここでは見られるわけでございまして、こういう状態は思想信条の自由、表現の自由そのものを侵すという意味できわめて重大な事態だと私は受け取ったわけでございますけれども、事実そういう状態があるかどうか、この点もひとつお伺いをしたいと思います。まず以上について伺います。
○参考人(大江志乃夫君) 教育大学の内部から筑波計画が出てくる過程でございますけれども、これは先ほど大浦参考人もちょっと触れましたけれども、ちょうどいわゆる紛争中でございますが、大学内のある有志たちの私的なグループの間で筑波大学の構想が検討されていたようであります。それが六九年、昭和四十四年ですが、一月十九日に、筑波に設置するわれわれの総合大学、というタイトルで、——そういうグループの名前は「本学の正常化と発展を期する会」という名前になっております。こういった私的なグループがつくりましたいわゆる筑波大学計画、これがその年の六月二日に審議再開されたマスタープラン委員会に引き継がれて、それである一つの集団の案というものがそのまま公的な場に持ち込まれまして、それが七月四日に、それを基礎として、その間の審議過程でもちろん修正などあったのでしょうけれども、そして七月四日に、これを評議会で通す。したがいまして、この基礎になったこの計画というのは、これはそういった学内のある私的集団の案というものが基礎になってつくられてきておる。そこに参加してない人たちはしたがって自分たちの知らない間にそういうものができ上がったということができるのではないだろうか。ただ、これがマスタープラン委員会でどの程度の——これは実際にはわずか一カ月間でありますから、国会とは違いまして、もうそうたびたび毎日朝から夜まで委員会を開くというわけにはたぶんいかなかったでしょうから、どの程度一体あれだけのものを具体的に検討して審議したのかという点については、これは私、部外者でありますからよく存じませんけれども、そういったいきさつが一つあったということが言えると思います。 それからもう一つの問題としましては、公的な場に移りましたあと、これは文部省が筑波新大学創設準備調査会を設置しまして、それから筑波新大学のあり方についてというのを文部大臣に報告しておりますけれども、そのあと、筑波新大学創設準備会というものに改組されておりますが、この調査会に、東京教育大から委員として参加したのは、たしか宮島学長と、福田信之、現在の理学部長ら三人、たしか教育大側からは三人委員として参加していたと思います。ところが、ここで東京教育大学の内部で考えている案と、それから文部省の創設準備会での案とが食い違っているということで、しかも、東京教育大学側の案がほとんど採用されないということで、その不満が、移転を推進しめいる方々の内部に非常に強くなってきたということで、これは正確な年月はいま記憶しておりませんけれども、一体この文部省の準備会に参加している三人の委員はどういう資格で参加しているのかということが問題になりました結果、この三人の委員は、東京教育大学の代表ではなくて、個人の資格で参加しているということに評議会でなった。このことは当時の評議会などの結論を出す、学内に発表する広報である速報というもので簡単に触れておりますけれども、そういう形で、いわば、個人の資格で参加しておるということになりますので、そうすると、教育大学の公式の意思というのは、結局ついに反映されないままで終わったという結果になる。
○加藤進君 第二の問題、はっきりものも言いにくいような状態。
○参考人(大江志乃夫君) これは、はっきりものも言いにくいような状態というのは、これは一番最初に起こりましたのは、これ先ほど内容は御説明いたしませんでしたけれども、教育学部の寿原教授に対する、いわゆる当時の新聞によりますと、村八分事件というのがございます。これは四十五年のことでありますけれども、教育学部の寿原教授が移転に反対の署名をとったという理由でもって、教育学部の教授会で、「今後、筑波新大学とは関係ないものとする」というような決議を受けた。これは当時新聞で有名になったわけですけれども。この問題について、たとえば当時の教育学部長代行であった大山教授が、「寿原教授は、いわゆる造反教官ではなく、全共闘やその他のセクト学生とも全く関係ない。むしろ、学究はだで、専門の精薄児問題にコツコツ取り組み、抗議声明後も教授会の決めた授業計画や正門での検問にも参加している人だ」、こういう方であります。しかも、「他教官への抗議声明参加働きかけ」は、これは寿原教授の個人的な私信であったというようなこと。それから声明につきましても、まあ強く抗議し、決意を新たにするという程度で、具体的行動には全く触れていない、いわゆる純然たるそういった言論にとどまったわけで、具体的な行動に移したわけではなかったわけでありますけれども、しかも、私信の内容までが問題にされて、そうして、この筑波新大学には関係ないということは、具体的には筑波に移転する場合には、おまえは連れていかぬという決議というふうに当時新聞なども受け取っておりますけれども、まあこういった事件に象徴されますように、これ以後しばしば学内での言論というものについて、自由に発言をすれば、何らかの圧力がかかってくる。現に、私自身も、いわゆるこれは教職員組合などの主催した会合に名前を連ねたということで、いわゆる調査委員会というものに呼び出しを受けまして、これに対して拒否をいたしましたところ、一方的に、いわゆる評議会決定として陳謝と自省を要求するという評議会の書面をつきつけられたことがございます。これはこういう文章であります。評議会の決定として「昭和四十五年二月二十一日の「教育大法廷」で、本学教官の一部が、学内において、学生および学外者とともに、いわゆる人民裁判的方式をもって大学当局の管理運営上の措置を非難し、当事者に自己批判をさせたうえこれを大学から追放するという「判決」を下して、学の内外に流布させた。」、これ自身が事実に反するわけでございますけれども、事実に反する問題で、かってに一方的にこういうふうにきめつけまして、そして「よって評議会は、「教育大法廷」の賛同よびかけ人となった左記八名の本学教官に対し、自省と大学に対する陳謝を要求する。」ということをいっております。で、根拠にされた事実が一つ一つそれは事実でないということを私どもは具体的な事実でもって公表したにもかかわらず、こういうようなことを、一方的にやるというようなことが行なわれています。
○加藤進君 ありがとうございました。
○委員長(永野鎮雄君) 以上で参考人の方々に対する質疑は終了しました。 参考人の方々に一言あいさつ申し上げます。 本日は、御多忙の中を長時間にわたり貴重なる御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。委員一同を代表してあらためて御礼を申し上げます。 本日の会議はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。 午後六時散会