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71回国会参議院1973/09/13

内閣委員会 第27号

発言数
285
登壇者
12
会派数
5
開催日
1973/09/13

会議録

高田浩運自由民主党

○委員長(高田浩運君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。  まず、委員の異動について御報告いたします。  去る七日、浅井亨君が委員を辞任され、その補欠として黒柳明君が選任されました。     —————————————

高田浩運自由民主党

○委員長(高田浩運君) 次に、国の防衛に関する調査のうち、長沼ナイキ基地判決問題に関する件を議題とし、質疑を行ないます。  質疑のある方は順次御発言願います。

源田実自由民主党

○源田実君 憲法の解釈に関する問題は、あとから法制局の長官が見えてから触れたいと思います。  その前に防衛庁の長官にお伺いしたいのでありますが、この判決理由書の中にいろいろあります。ことにその第四番目の「自衛権と軍事力によらない自衛行動」、これは三九八ページにあるわけです。ここに「軍事力によらない自衛行動」、そうして自衛権はもちろんこの裁判でもこれは認めておるわけでありますが、実力による自衛行動を認めないという判決である。そうすると、その中に、三九九ページの中ごろに、こういうことがある。「一国の安全保障が確保されるなによりも重要な基礎は、その国民の一人一人が、確固とした平和への決意とともに、国の平和問題を正しく認識、理解し、たえず独善と偏狭を排して近隣諸国の公正と信義を信頼しつつ、社会体制の異同を越えて、これらと友好を保ち、そして、前記した国内、国際諸問題を考慮しながら、安全保障の方法を正しく判断して、国民全体が相協力していくこと以外にありえないことは多言を要しない。」、こう言い切っておるわけです。これ以外に方法はないということをこの判決理由書の中に言い切っておる。そうして、その基礎は、憲法の前文にありますところの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と、これにかかっている、これを受けていると思うのであります。  そうすると、私がまずお伺いしたいのは、こういう防衛構想が成り立つためには、世界の安定、ことにわが国の周辺に公正と信義が実在しなければ信頼しようにも信頼できないのであります。そういうものが実在しなくてもそれによって国の生存が保てるかどうか、この問題について長官の御意見をお伺いしたいと考えます。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私は、ただいま読まれました三九九ページの判決文の中の表現は問題があるとしても、その考え方の基礎はそこにやはりあるべきものだと思いますが、しかし、その考え方を受けて、四〇〇ページにおいて、「このような立場に立つたとき、はじめて国の安全保障の手段として、あたかも、軍事力だけが唯一必要不可欠なものであるかのような、一面的な考え方をぬぐい去ることができるのであって、わが国の憲法も、このような理念に立脚するものであることは勿論である。」——したがって、ここでは軍事力と書いてありますから、世界でいう通俗的な軍事力の意味でとらえて表現してあるのでありましょうが、私たちは、その次のページに述べられておるような、それにかわる手段というものが述べられておりますが、それははたして国家として、国の平和と独立、民族の安全を守る手段の行使と言えるものかどうかという問題が控えておりますし、われわれは通俗世界でいう軍事力というものについては、日本の自衛力というのは、憲法をはじめ各種の国会決議等も含めた制約を持っておる力でありますから、これを通俗の軍事力という形でもって、全部を否定し去るという考え方では国の安全は全うし得ない、そのように考えます。

源田実自由民主党

○源田実君 基本的には、公正と信義に信頼するということを長官は肯定されたわけであります。しかし、私がいまお聞きしたいのは、これだけで国の安全を保障していくということは、長官の御答弁の中でも、これだけによってはやっていけないというように私は受け取ったのでありますが、これはいかがですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これだけではというのは、まだこれという問題に入っておりませんから、その前置きの段階でありましょうが、憲法の趣旨を国民一人一人が踏まえて、そして日本の平和を守り抜いていきたいという願い、それはしかし、反面において、御指摘のように、わが国にとって、周辺の、あるいは広く世界のそのようなことが保障される状態にあるかどうかという問題で、たとえば各国が軍隊をすべて持たないで、国連が国連警察軍としての各国の集合体である軍事力のみをもって世界のすべての紛争を解決していくというような事態が来るならば、これは私どもの国も、独立国家といえども、そのような望ましい地球人としての未来像というものが出現することを国連憲章を踏まえて願い、また憲法前文も、そういうことを将来はわれわれは期待しているものであるという願いが秘められておると思います。しかし、現実には、まだそのようなことは想像もできない時代の中にありまして、緊張の緩和といっても、それはお互いにお互いの持っている力というものを理解し合って、逆に言うと、お互いの力を認識しているがゆえに緊張が緩和しつつある方向がとられておる。米ソの核不戦の協定にしても、当初アメリカ側はSALTの交渉等を踏まえて、保有機数等において劣っていることを承知の上で合意したとしても、その後、伝えられるように、核不戦の協定を結んだ後において、ソ連側においても、弾頭ごとに誘道のできる多核弾頭のミサイル、いわゆる大陸間弾道弾が開発されたというようなことにおいて、今後のNATOの交渉の前途はきわめてむずかしくなっておるというシュレジンジャー新国防長官の言等に見られますように、なかなかこれらの大国間の緊張緩和の傾向も、その一皮むいてみますと、きわめて不安定なものがはらんでいるように思われます。したがって、私どもは、単に米ソの問題だけでなくして、日本を中心とする周辺諸国というものが、すべてが平和で、そして不幸な事態は万が一にも考えられない状態の定着がありますれば、それはまことにそれにこしたことはないわけでありますけれども、米ソあるいはソ中あるいは米中の表面上の初めての友好的な姿勢、こういうものを踏まえてみましても、なおまだ私どもは、朝鮮半島の問題その他なかなか日本のみが諸国民の公正と信義に依存して、後ほど言われているような手段はあり得るとしても、それは理論的にはあり得るとしても、何にも対抗する力を持たないで生活していけるという保障は、少なくとも他国からは与えられていない、私どもが判断すべき問題である、しかし私どもはそのような環境にはない、というふうに考えます。

源田実自由民主党

○源田実君 長官の考えられておるところは大体わかりました。私は、これについて現実に日本がこういう近隣諸国の公正と信義に信頼しつつ云々という態度をとろうとしても、現実にはわが国の周辺の状況はわれわれが運命を託して信頼するに足るような状態にはなっていないと、こういうぐあいに私は理解しております。この点、長官のお考えと考え方は一致しておると思いますが、それでよろしゅうございますか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 端的に申し上げれば、不幸にしていまおっしゃるような情勢のままである、情勢の状態であるということば認識を一にいたします。

源田実自由民主党

○源田実君 そこで、この憲法、非常に理想主義を前文でうたっておる。ここには非常に微妙なことばがあるんですね。「生存を保持しようと決意した。」と、こう書いてある。意味慎重だと思うんですよ。決意した、決意はした、極端に言うと、やるかやらないかは情勢によってそこに幅があるんだということになると思うんです。  ところが、ひるがえってわれわれは、どういう生物が生き残り、どういう生物は滅びてしまったかということを、われわれの国家の生存、安全、こういう重大な問題を考える場合に、生物の生存状況というものについて深く考えなきゃならぬと思うんです。私の意見をちょっと申し上げる。というのは、どういうことかというと、地球が始まったのが五十億年前だそうです。それから生物がその痕跡を岩石の中に残しておるのが三十五億年前だということです。三十五億年といえば、全く気の遠くなるほどの長い期間であります。その長い期間の間に幾多の生物が出てきたけれども、その生物の中で適者生存の法則に合致しない生物は全部いなくなっておる。環境に適するもの、そうして外敵の危害に反撃し得るもの、そういうものだけがいま生き残っておる。こういう事実が——これは私は何もいま論議しようとは思いません。思いませんが、そういうことをわれわれは国の防衛についても十分考えておかなきゃならない。そうすると、現在残っておるあらゆる生物をごらんになって、いわゆる一切の武力を持たない、そうして生存だけやっておる、繁栄もしておる、こういう生物は、いかなるところを見てもおりません。たとえば、中立といえば、猛獣のごとき単独行動をやるものは中立と言えると思うんです。彼らは、自分だけで自分をいかなる敵に対しても守り得るだけのものすごい武力を持っておる。それから、それほど武力のないシカとか、いわゆるレイヨウ類、こういうものは強敵に対してはこれを避けるだけの足というものを持っておる。何がしかみな持っておる。一番持たないように思われるのが、敵を攻撃もできない、逃げることもできないのは、魚の中にフグというのがある。彼らは防御兵器を持っていない。しかしながら、彼の防御兵器は他のものが持っていないものを持っておる。おれはおまえをやっつけることはできない、生きておる間。しかし、おれをやってみろ、おまえも死ぬんだぞ、こういうのを持っておるのです、ものすごい毒を。だから、彼はあの弱肉強食の世界の中において生き延びておる。  ところが、いまこの判決文にあるこの文章のようにいくと、そのフグのごとき力も持つことができない。そうすると、そういうものを無理にさがすとどういうことになるか。一つだけあるのです、例外が。何であるか。寄生虫であります。腹の中なんかによくおるあの寄生虫。彼は何を持っておるか。防御力もない、攻撃力もない、何ものもない。しかしながら、彼は独立はしていないのです。それで、かれの持っておる唯一のものは、生殖器が非常に発達して、からだ全体が生殖器というようなものになっておる。まさか日本はそういうことで生きていこうとはだれも考えていない。光栄ある独立を保っていこうとする。そうすると、私は、これは理想であるかもしれないけれども、世界じゅうの国が全部公正と信義に信頼し得る状況になったらできるのであって、日本一人だけが公正と信義に信頼して——他の国はあれだけの武力を持って、けんかばかりやって、悪口の言い合いをしておる。日本に対しても言っておる。そういう中においては、極端に言うと、机上の空論であると私は考える。  まあ、あまり自分のことばかり言っちゃいけませんから、大体こういうところでこの問題は終わりますけれども、長官、私のいまの意見について、ひとつ反論をお願いしたい。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 動物のお話をされましたですが、私たちは、シマウマというものが独特の習性を持っておるという話を聞いております。駿足でもありますが、草食動物で、全く他を攻撃できない。そのために、ライオンその他に襲われた場合は、集団でもって頭を中にして、外側にしりを向けて、うしろ足のひづめでもって一斉にける。しかし、この恐怖に耐えかねて群れを離れたものは犠牲になるという話をよく聞かされたものでありますが、私たちの防衛力というものはそういうものではないか。一方において、人間には各種の、種族保存の本能をはじめとする本能があります。その中に闘争の本能というものが、これは人間個々の問題から出発して、人類も踏まえて闘争の本能が依然としてあり得ることは、戦争ということを前提にしてでなくても存在していることを否定することはできないのが人間であります。そういう意味からいって、人間の集団である民族、その集団が構成する国家との間に絶対に闘争という関係が生じないということは考えられないことであります。しかし、われわれ人間は、ほかの動物と違って、少なくとも地上の最高の英知を持ち得る動物であるとするならば、それが国連の意図する憲章の究極の願いであり、また、それを踏まえた私たちの憲法の願いであろうと。それは究極の願いであっても、しかし、そのことは、私たち自身がその熾烈なる地球上の民族が構成する国家間の各種の問題から発生するトラブルに対して全くの一切の無防備でおるべきだという理論に直結するのは非常に大きな飛躍である、そのことは間違いである、私はそのように考えます。

源田実自由民主党

○源田実君 私が次に言おうと思ったことを長官がいま言われまして……。実は、長官のいま言われたように、ああいう馬とかいうのは——牛もそうですが、ただ、牛の場合は頭を外にする。馬の場合は頭を中にして円陣を組む、こういうことですね。これは、いま長官が言われましたように、こういう形が、自然が教えてくれた集団防衛の理想的な形であると思います。日本が、そういう形において、この不安定な世界の中においてどうして安全を保っていくかと言えば、いまお話のあったように円陣を組む。牛は頭を外に向け、馬はしりを外に向ける。そうすると、オオカミも機動力を発揮してこの円陣を破ってやっつけることはできなくなる。これは自然がわれわれに教えてくれておると思うんです。それを現在やっている一般的なものが、いわゆる集団安全保障である。こういう体制であると思います。したがいまして、これは安保条約その他の、現在世界の自由圏、共産圏ともにやっておるいわゆる安全保障体制というものは、まず、現在の世界の実情において平和維持のためには、これは最善であるというわけにはいかないかもしれないけれども、まずやむを得ない方法であって、この方法以外には、いまのところ、平和維持のために有効な手段を、さしあたりは見出し得ないというぐあいに考えるわけであります。もう一ぺん、長官、この点に対する御意見だけ伺いたい。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) したがって、私どもは、かりに動物の世界のシマウマのような意味の防衛力を持つとしても、それは、今日のいわゆる戦争という形態から想像される、核兵器をはじめ、いわゆる近代戦遂行能力といわれておるような、攻守両面にわたる戦いが開始されるおそれがある。それが、日本自身を危険におとしいれる危険が日本から始まろうとするというようなことがあった場合には、私たちは自分たちは自分たちの領空、領海、国土しか守れないわけでありますから、そのために安保条約を締結して、その日本の保持し得ざる限界以上の戦力を持っておるアメリカとの間に相互の信頼の上に成り立っている安保条約というものを結んで、それを補完している。そのことについてのあり方というものは、すでに砂川判決で示されているとおりである。そのように考えます。

源田実自由民主党

○源田実君 この問題はこれで終わります。  次に、やはり防衛の基本的な問題についてお伺いしたいんですが、この判決文書の中にもありますけれども、日本国憲法前文の中に、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」、こういうことがある。これは当然のことであって、われわれは、そういう政府の行為によって戦争の惨禍が起きることをどんなことがあっても防がなきゃならぬと思います。しかしながら、この書類を見ますと、大体、政府の行為というものは、政府が防衛力を整備する、あるいは軍事力を持つということが政府の行為のように考えられておるんじゃないかというような節がある。しかしながら、全然防衛力を持たないということも政府の行為であって、防衛力がないために戦争の惨禍がわが国及びわが国民に及ばないということを保証できるのかどうか。これは防衛上の見地からひとつ御意見を伺いたい。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私どもの国の、地球儀的な見方をすれば、置かれた立場というものは、いまのところは、私たちと思想を異にしておる政治形態の、いわゆる共産主義国家というものが支配をいたしております大陸、これに隣接をして点在する四つの島並びにその付属島嶼から成り立っておるわけであり、非常に緯度の長い島である。そこに一億以上の人間が住み、そして敗戦にもめげず強力な経済発展を遂げて、工業生産能力がきわめて高い。国民総生産も、米ソ——ソか明らかでないとすれば、自由主義社会における第二位の地位まで占めておる。このような人的、物的、地理的な条件を考えたときに、これが全くの、だれでも行って占領できるところである、だれでも行って自分たちの権力の支配のままに行使できる地域、人類であり、民族であり、そして力、能力、いわゆる巨大な生産能力を持っておる国であるということでありますならば、これはまことに魅力のある島と言わなければなりません。あるいは魅力ある国、民族と言わなければなりません。アメリカが日本を占領したのは、これはいわゆる連合国としての中における占領でありまして、マッカーサー元帥がその責任者であったとしても、これは連合国側の占領という形に置かれたわけでありますから、独立後において日本は直ちに米側との間に不測の事態に備える用意をいたしました。しかし、もしこれがそのような用意もなく日本が全くの——まあ警察力は行使できるというふうに書いてありますが、それだけでもってこの日本列島というものが存在しておる場合に、それはかえって、日本列島というものが戦略的にも、あるいはまた戦術上も、あるいはまた生産能力の上からも、一億の人口の生産性の上からも、きわめて魅力ある国であり、興味のある国であるとするならば、食指を動かすものはだれもいないという保証が完全に周辺のすべての国から取りつけられない限りは、われわれは非常にそこに危険な状態にかえっておちいっていく。危険を承知でそういう状態におることがいいのか悪いのか。私どもはそのような状態をもたらすことはかえって日本のために不幸になるというふうに考えております。

源田実自由民主党

○源田実君 日本が工業力を持っておる、これだけりっぱな国をいまつくり上げておる、これが一種の魅力みたいになるということは、これはまあ別にしまして、日本の周辺には、日本よりは大きな武力を持っておる、そういった日本とは比較にならないものにすごい大きな武力を持っておる、少なくともそういう国が三つはいるわけです。そういうものの中に将来いさかいが起きた場合に、日本のこの地理的な位置、という意味は、もし大洋国家が大陸国家に攻撃行動をとろうとすれば、この日本列島というのは、その大陸に飛び込む跳躍台になる。また、大陸国家が大洋国家に対していどむ場合には、日本はその大陸国家が大洋に対する制海権を確保するための前進根拠地になる。非常に重要な戦略的地位を日本という国は幸か不幸か持っておるわけです。その意味においては、戦略的に見て日本というものは、全然別個な立場に局外中立でおろうとしても、そういう国が自国の運命をかけて戦う場合に、日本という国がまる裸の場合にははなはだ危険な立場に入る、無条件占領をやられるというような危険性が多分にあると思うんですが、その点についてはどういうぐあいに防衛庁ではお考えになるか、ちょっと……。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私もそのことを述べたわけでありますが、ただ前提として相手国を——大陸国家と大陸国家とが攻め合うときに、お互いが前進基地もしくは支配地域、跳躍台という音律で、そこまで申し上げているのではなくて、そうでなくとも、日本を支配下に置くことによる強力なるその国の体制への貢献度というものが、これだれが見てもきわめて大きいのであります。われわれ安保条約をアメリカと結んでおりますが、アメリカが日本を支配下に軍事的にも経済にも置いていないことは、今日、不幸でありますが、日米両国の各種のトラブルが続いているという外交経済面の事実をもってしても、きわめてわれわれは自由な立場で日本国の憲法並びに国の法規に従ってのみ安保条約を結んでおりますから、アメリカ側からいえば、上院等に議論がありますように、まさに片務条約であって、安保条約は日本のためにのみアメリカが行動する義務を持ち、日本はアメリカのためには何もしないという条約ではないかという意見があると承知しておりますが、そのようなことがあってもなおかつ、アメリカというものは、日本との間に安保条約をもって、そして自由世界の立場において日本が存在してくれること、そのことがアメリカにとってきわめて大きな貢献である、そういうふうに見ておると思います。したがって、日本はアメリカに占領もされていない、支配もされていない。このような状態は私たちにとって今日の国際環境の中における日本としては非常に恵まれた理想的な環境を構成していると思うのであります。このような状態が続くことを望み、そしてまた安保条約等が発動をされないで何の役にも立っていないではないかという疑問さえ起こるぐらいの、ごく平和な状態を永遠に維持していくことが望まれるのは私たちの民族の行き方ではなかろうか、そのように考えます。

源田実自由民主党

○源田実君 わかりました。  それでは次に、この四〇〇ページに、「つまり甲第一七九号証、証人田畑茂二郎の尋問結果から」というので、自衛権の行使が、軍事力によらない自衛行動という、いろいろなことが書いてあるわけです。ところが、この最後に、「侵略国国民の国外追放」といった例もいろいろある中に、「例もそれにあたると認められ、」と、こういうところは、この裁判が、田畑茂二郎さんですか、この人の尋問に対する回答を肯定しておると考えられる。そうすると、その中でこういうことがあるのですが、これをちょっと伺いたい。  自衛権の行使は、「たんに平和時における外交交渉によって外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、」——要するに、二つの国あるいはたくさんの国が戦争状態に入るのは外交交渉によってこれを排除すべきである——これはわれわれも賛成なんです。もちろんやるべきである。やらなければならぬと思う。しかしながら、現実問題としては、軍事力によって初めからいかなる国も防衛をやろうというのではないのであって、外交交渉によってやろうとする。しかし、それがどうしてもできなくなって国家の存立が保てない場合に、やむを得ず軍事力を発動する、これが通常だと思いますが、いかがでござ、いましょうか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私も、この判決文の中の「たんに平和時における外交交渉によつて外国からの侵害を未然に回避する方法」というものは全く同感であり、また、わが国外交はそのようなことを前提に展開されておるし、今後も、まず第一の手段は、そのような不幸な事態に至らざるあらゆる手段を行使しての外交交渉にまつべきである、そのことについては異存はありません。

源田実自由民主党

○源田実君 次に、「危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもつてこれを排除する方法、」、こういうのがある。これは、防衛庁には警察関係の方もずいぶんおいでになる。いまの日本の警察力をもって、近代的装備をした近代国家の軍隊が日本国内に侵略行動をとってきた場合に、このいまの警察力によって排除するようなことができるでしょうか。ちょっとこれに対する御意見を伺いたいと思う。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 日本の警察力の能力等については警察当局からお聞きを願いたいと思いますが、私は客観的に、いわゆる学生等の無軌道なデモ等が行なわれた場合等における機動隊というものがいま一応できてはおりますけれども、それとても、たてと投石防護用のマスクをつけて、そしてこん棒を持っているだけである。まあ拳銃も武器としては一応警察官は携帯を許可されている範疇にありますから、まあ、ある意味では武装しているとも言えましょう。しかし、かりにそれが、平和時における外交交渉がだめになって、そして日本の国土がまさに侵害されたという場合に、その警察の持っておる能力、装備、そういうものでもって、いわゆるジェットの推進力による音速をこえる飛行機や、あるいは強力な艦艇あるいは弾道弾、場合によっては核も使うかもしれませんが、陸上においては当然強力なる戦車等が布陣してまいりましょう。それに対して現在の警察ということをさして言うのであれば、戦車に警棒を振り上げてピストルをかまえてみても、しっせん——そのようなことが対抗し得て、しかもそれを排除する方法としてあげてある、いわゆる現実に侵害が起こった場合にそれを排除する手段の一つにまず掲げてあるわけでありますが、私はこれは国家権力の発動であるとは思います。しかし、現実に排除できるかといえば、これはもう議論するまでもなく、警察はそのようなことを想定して置かれたものでありませんし、そのような能力もなければ、第一、戦争に備えるような一切の武器も能力もない。そういうふうに考えますと、まず排除する方法として警察力をあげることが間違いだ。まあ警察当局の意見を聞かなきゃわかりませんか——私たちでてきると言えばこれはまた別てあります。私はそう思います。

源田実自由民主党

○源田実君 次に、私も、いまの警察をもって排除できるなら、世界じゅうみなやるだろうと思うのですね。何も高い軍事費を出して、きらわれながらこういうことをやる国はないと思うのです。みんなやっておる。まあ日本も大部分の人が防衛費が必要であると認めておるのは、世論調査でも七〇%ぐらい出ておりますから、みんな良識を持って判断しておると思うのですが、もしこういうぐあいに、この裁判の判決を下した三人の裁判官の言うことが、これが正しいとなれば、世界じゅうで、ほとんどの人間はみな間違っておって、これだけが正しいことを言ってるというようなことになるので、よっぽどえらい人だろうと思うのです。  ところが、その次にこういうことがありますね。「民衆が武器を持って抵抗する群民蜂起の方法もあり、」、こういうことが書いてある。しかし、現在の日本の民衆は猟銃以外に武器を持つことは禁ぜられておる。もし持つとなれば、日本刀などであるが、もっとも日本刀はたいして武器にならぬけれども、ああいうものは許可を得なきゃいけない。群民蜂起のために武器を持つような、それほどの武器の供給はあり得ない。それを持つということになれば平時から法律を犯すことになる、こういうことになると思うのですか——この群民蜂起の効果については別問題で、これはあとから触れます。これはどうですか、大体日本の法律を破ることになるのじゃないか、現行法律を。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私は、これは完全な誤りであって、危急の侵害に対しそれを排除する方法の中に数えるべき国家の行為ではない。それはおそらく第二次大戦のパルチザンのことも、あるいは念頭にあったのかもしれません。かといって、日本は、いまおっしゃったように、法律上武器の携行を許される者は、せいぜい警察から始まって、自衛隊は別といたしまして、麻薬取締官ぐらいまでであります。民間にあるものは、猟銃が、きわめてきびしい、精神鑑定も含めた医者の診断書もつけて、しかもそれを所持しているにふさわしい操作能力があるかという試験を受けて、それに一定の合格点をとらなければ所持することを許されない。したがって、猟銃所持許可証をもらっておる者は、正常な状態の、人に危害を加えぬ、いわゆる目的の狩猟もしくは射撃競技といいますか、そういうもの以外に使用しないということで、はっきりと法律で定めておりますし、また日本刀も、銃砲刀剣と一律に扱うことについては疑問がありますが、いまの法律では、刀剣も同じようなきびしい条件で所持が許可されております。  このようなことで、民間に武器があるといえば若干あるとは言えますが、しかし、これは群民蜂起して武器を手にして戦うというのには、あまりにも日本にはそのような武器が民間に存在したい。もとより、それは存在しないばかりでなく、群民が自発的な意見によって蜂起して武器を手にして抵抗するのは、それは国家としての行為ではない。いわゆるそれぞれの人たちの自発的な意中によって行なわれるものであって、それを侵害を排除する方法の中に、第二番目に数えるということ、そのことが根本的なあやまちをおかしていると判断しております。

源田実自由民主党

○源田実君 次に、ここに書いてあることを見ると、これでは日本に対する武力侵略というものは相手方が陸軍兵力をもって日本の本土に入ってくることを想定しておる。しかしながら、私たちの兵術判断からすると、そういう手間のとれる、まためんどうなことをやる必要はない、日本に対しては。日本の現在の生存が保たれておるのは海外からの原料物資の輸入によって生存できるのです。その原料物資を途中でぴしゃっととめたら、もう一兵も日本に入れなくて済む。こういうことは見のがされておる。それに対しては、遠距離まではとにかく、海上自衛隊というものがその護送にあたることになるのです。たとえば、ソ連から石油が来る、これが来ないといけないということになれば、そのソ連から来る石油を途中でだれかが断ち切ろうとする場合、こういう距離は海上自衛隊でできるわけです、ほんのちょっとのところは。そういうような場合に、いまの海上保安庁の巡視艇で、相手側の潜水艦とかなんとかの妨害を排除して、その輸送を護衛していけるのかどうかということになると、全然そんなことはできない。これをやり得るのは、いわゆる海上武力、まあ海上自衛隊の力があるだけだと思うのです。したがいまして、この群民蜂起などというようなことは、これが日本の自衛の一方法であるというようなことは、いま長官も言われましたが、全くもう論外のことである。兵術的あるいは戦略的判断をするならば、こういうことは問題にならない、こういうぐあいに考えます。これは一つだけ、いまの、海上保安庁の持っておる、ああいう巡視艇ぐらいで若干でもできるのかどうか。そこだけちょっとお聞きしたい。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 判決の中には、海上保安庁の手段は書いてありません。したがって、これについて議論することはまた意味の違った議論になりましょうが、私はむしろ、海上自衛隊も完全にその能力があるかと言われれば、その能力はないと言わざるを得ません。いまソ連からの原油供給の話をされましたが、これはもうソ連が日本に友好的であって、そして何か問題が起こったときに、ソ連のほうは供給を確保してやろうと努力し、日本側もその好意を受けられる状態にあるという場合においては、いまお話しのようなことが、あるいはあり得るかもしれません、距離的に見て。しかし、日本の場合の資源は、大体エネルギーなら中近東が主です。その他の食糧等についても太平洋を越えて参りますし、あるいは東南アジア地区等から参るわけでありますから、えさ等も含めて、そういうすべての資源というものは、日本をはるか遠く隔たったところから来るんであって、それに対してわが海上自衛隊が行動できる範囲というのはおのずから常識上きまっておりますから、それを外に出て行動することは不可能であります。マラッカ海峡防衛論なんというものがありましたが、これは日本のほうからそういうことを言った人もおるようであります。これは政府じゃありません。しかし、マラッカ海峡から防衛するといったって、マラッカ海峡に来るまでだれが防衛してくれるのか。そうしたら、その理論はどこまでも発展していけば、産油国まで行って石油を積み込んで、それからずうっと侵害を排除しながら日本に運んでくる能力がない限りマラッカ海峡もナンセンスであって、また、マラッカ海峡というのは日本からはるか遠く何カ国か経由しなければならない先の海峡であります。そういうところに海上自衛隊が行動する限界を持ち得ると私は思いません。したがって、海上保安庁はもちろんのこと、海上自衛隊も、資源を完全に日本から断とうとする場合において、それを守り切れる力は持っていないというほうが正しいかと思います。

源田実自由民主党

○源田実君 私もいまの長官の御意見に同意です。  次に、こういう方法があげてある。「さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といった例もそれにあたると認められる」と書いてあるんですが、実は財産を没収されるのはこちらのほうであって、侵略国ではない。追放されるのはやはりこちらであって、こちらが侵略された国の人間を国外追放できるのであるか、そういうことはないと思うんですが、どうでしょうか、これは。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 理論上は、私はこれは存在し得る手段だと思います。しかし、その国家がいわゆる交戦権といわれる、攻守ともに相手国まで制圧できるような力を持っている場合において、かりに一部侵害をされたとしても、それを完全にまたたく間に排除し得て、そして相手国の財産を没収し、そして相手国の敵国人を国外追放するという行為は、私はこれは存在し得る行為だと思うんですが、いまの日本の現在の自衛力から考え、日本列島の置かれた、点在する島であることを考えたときに、日本がどこに侵略されるか、これはわからないことでありますが、一たびここに想定されているような陸上における現実の侵害があった場合において、いまおっしゃるように没収されるのはわれわれのほうであるという表現よりも、自分たちの財産も生命も危機にさらされて逃げ惑うという状態が現状でありましょうし、そして相手国の人を追放する国家権力の行使は文書の上あるいはまたその他の手段によってできるとしても、完全に国外に追い出す余裕もなければ、そのような力も現実には存在していない状態の中で、行使する方法があるじゃないかといわれたら、それは現実離れしている話であるということにおいて私も結論を一にいたします。

源田実自由民主党

○源田実君 一般によく言われることでありますが、たとえば、ナイキ基地を設置するとそれが目標になってやられる、飛行場を整備すれば飛行場が目標になって攻撃を受けやすいとか、いろいろ言われるわけです。しかしながら、もし悪意をもって日本を制圧しようと、日本を支配下に置こうという、そういう国家がその武力を行使しようとする場合には、そんなものより、日本の息の根をとめるのが、さっき言った海上交通遮断と、もう一つ、もし直接に攻撃するとなれば、日本の工業中心地、こういうところをやれば根こそぎいくんであって、あとはそっくりそのまま自分のほうに手に入るというぐあいに私は考える。したがって、たとえば、ナイキ基地を長沼に設置したら、それによって相手を刺激し攻撃を受けやすいといたが、これは世界じゅうで知らないのは日本の一部だけであって、日本でも多くの人は知っておる、大部分の人は知っておると思うんです。大部分の人は、あのナイキというものがどんな性能のものであって、攻撃なんかはどんなことをしてもできるものではない、要するに、入ってきた飛行機以外には攻撃できないしろものであるということは、百も承知だと思う。しかも、そこへ入ってくると、きわめて有効な防御兵器であって、入ってくれば命中率が九八%ぐらいまであがる兵器である。そんなところにわざわざ来るようなへたな航空用兵家はいないと思うのです。それより、もっと有効な攻撃目標は幾らでも他ににある。こういうぐあいに私は考えるのですが、防衛庁のお考えをちょっとお伺いしたい。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これは、ある意味においては、やはり相手の、侵入してこようとする意図を持つ者にとっては脅威的なものでありますから、そこにあることによって攻撃を受けることにもなりましょう。ある意味において理論的だと言えます。しかし、そのことは、いまおっしゃったように、すべての形態というものを考えた場合にどうかといえば、いままでの過去の戦争においても、あるいは第二次大戦後の東南アジア等の紛争等の実態においても、とにかく最後は首都攻防戦ですね。要するに、行政、経済、政治、その中心地を制圧することによってその戦いは終わる、そういうことでありますし、また、戦術上はその国の継続して戦う能力を培養しているはずの工業地帯というところをまず壊滅させる。これがもう、あとの呼吸が続かないわけでありますから、一呼吸で終わっちゃうわけですから、当然の常識だと思えば、東京が首都であって、そして立法、司法、行政の権能が全部集まり、経済の中心も置かれているとすれば、まず東京そのものがそういう形態をしていることがきわめて危険であるということにもなります。また、太平洋ベルトラインに、工業地帯あるいは石油精製をはじめとする各種の間接的な能力を備えた工業能力が存在しておることが明白であるとすれば、太平洋ベルト地帯といわれるメガロポリスのことごとくが危険であるという理論にも現実の問題としてはなるだろうと私は思う。したがって、ただに一ナイキ基地、すなわちそれは迎撃用専用であって、最大飛しょう距離も百三十キロにしかすぎない。もちろん相手の国や相手の領海等に届くようなしろものではない。もっぱら防御用であるということを考えた場合に、その問題だけをとらえて、そしてすべての基地は、それは陸上自衛隊の駐屯地も含むのかもしれませんが、そういうことがあることによって相手の攻撃目標になるということを、その面だけでとらえて全体を論ずることは速断に過ぎる、そう思います。

源田実自由民主党

○源田実君 技術的な問題は一応それにとどめまして、続いて今度は法制局にお伺いしたいのですが、この憲法に限らず、いろんな法律を読む場合に、その読み方なんですね。この読み方というのは、これに書いてある条文を書いてあるとおりに読む、これがほんとうに正しい方法なのかどうか。ことばをかえて言えば、文字というものは、いずれにしても有限なものである。その有限なものの中に含まれているいろんな意味がある。それを知るのには、やはりこれを制定されるまでの経緯というものを、作者がどういう意味でこれをつくって、ここに入れる適当な文句は何がいいだろうかということを考えていろんな文句を使っている。それを考えてこそ、はじめて憲法なり法律なりのほんとうの意味がわかるのであって、ただ出ただけの文調を、コンピューターにインプット、入れるようなかっこうをやると、とんでもない結果が出てくるのではないかと思うのです。ことばというものはそのまま取るとたいへんなことになることがあると思うのであります。というのは、日本語でもたくさんありますけれども、英語で「ハウス」というのがある。「ハウス」というのを日本語に訳すと「家」と訳すのですよ。ところが、何でもかんでも家と訳していったらたいへんなことになる。ハウス・オブ・リプリゼンタティブとかいうのはアメリカで下院のことを言う。英国ではハウス・オブ・コモンズとか言う。英国ではハウス・オブ・ロードと言う。アメリカではハウス・オブ・セネット、こう言うでしょう。たとえば、アッパー・ハウス、ロアー・ハウスというのを日本語に直訳すると、向こうでは、国権の最高機関である国会の上院、下院をさす、日本語に訳すと上屋、下屋ということになる。そういうように、ことばというものを読む場合には、それをつくった人の考え方というものを深く考えなければならない。そういう趣旨でこの憲法の解釈なり法律の解釈をやるべきである。これが、だれでも見たらすぐわかるような、読んだとおりにやるなら、憲法学者とかあるいは裁判官みたいなえらい人は要らないんです。だれでもすぐわかるんなら。それがなかなか解釈がむずかしいから、そういうえらい人を必要とする。それだけじゃないけれども。それを、ただ字義どおり読んでいいものか。字義どおりならこういうぐあいに解釈できるが、ほんとうの意味はこうだと、経緯はこうだということを、為政家とかあるいは裁判官とか憲法学者なんかがやるべきだと思うんですが、法制局のお考えをひとつお伺いしたい。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) 一般に法令解釈の方法としては、文理解釈及び論理解釈という二つの方法があると言われております。で、御指摘の、まあ文字どおりにことばの一つ一つをとらえて解釈するというのが文理解釈であり、制定の経緯とか、そのほか条文全体あるいは法律全体の趣旨というようなものを考慮して解釈するのが論理解釈だというふうに言われるわけであります。で、いずれの方法をとるべきかということについては、これまた種々言われていることでありますが、いずれの方法がすぐれているということではなくて、やはりそれぞれの個々のケースによって、ある場合には文理解釈により、ある場合には論理解釈によるということで、どちらかの方法によることが常に正しいということはあり得ないと思います。  で、この判決について、それじゃどういう解釈をとっているかということについては、これは私の立場から批評すべきものではないと思いますから申し上げませんが、要するに、文理解釈という方法と論理解釈という方法を適当に使うという以外には申し上げられないと思います。

源田実自由民主党

○源田実君 ちょっと私にははっきりしないんですがね、いまの答弁は。まあしかし、あんまりその問題ばっかりかかってはおれませんから、ちょっと次にいくんですが、実は憲法第九条のところでいままで何べんもこの論議があった。それは何であったか。戦力です。戦力の定義なんです。ところが、戦力の定義について、この憲法、一番最初にマッカーサーノートというのが出てきた。これを日本側でいろいろひねくり回して日本側の憲法草案をつくった。その日本側の憲法草案が英訳されたところで、その英訳、日本側憲法草案の……。ここで、マッカーサーノートでも、それからこの英訳日本国憲法も、いずれもその第九条でこういうことがあるんですね。マッカーサーノートでは「NO army、navy、air forec、or othorwar potential」、それが今度は、日本側のほうの英訳日本国憲法では「In order to accmplish、the aim of the preceding paragraph、land、sea、and air forces、as wall as other war potential」となっている。どっちも「ウォー・ポテンシャル」というのがある。向こうから出てきたけれども、日本に来て、日本側でこれが一応戦力と解釈されて、その戦力というのがまた返るときは「ウォー・ポテンシャル」となって、英語に返っておる。その「ウォー・ポテンシャル」とは何であるか。これは日本では戦力と訳しておる。ポテンシャルというのは、私はけさももう一ぺん字引きをよく引き直してみたんです。潜在力なんです。潜在的な力を示す、ポテンシャルというのは。そうすると、この戦力という意味は非常に広範なものを含む)いうぐあいに解釈さるべきである。武力なら違えんですよ、武力なら。大体この戦力というのは、昔は、私は海軍ですが、海軍じゃ使っていなかった、戦力ということばは。しかし、陸軍では戦力ということばがありました。ありましたが、これをいろいろ使ってみると、なかなか意味深長なうまい文句だから、海軍でも後に使い出した。ところが、戦力というのは非常に幅が広いです。ウォー・ポテンシャルなんだ。極端に言うならば、国家のあらゆるものが、人口であろうが何であろうが、すべてウォー・ポテンシャルである。その国を守るためにこれが全部役に立つ。そいつを当なる武力と解釈するわけにはいかない。「アズ・ウエル・アズ・アザー・ウォー・ポテンシャル」とある。そうすると、「ウォー・ポテンシャル」、それを日本語に訳すと、戦力。この意味について、いままでは近代的戦争を遂行するに足りるものがやはり戦力とかなんとか、まあいろいろあるんですがね。私は必ずしもそう考えない。国家のあらゆる力が戦力になる、こういうぐあいに私は考えております。これは法制局のお考えを、これはちょっと政治的な意味も多分にあるかもしれませんが、ひとつお考えを伺いたい。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) 憲法の九条の英文として、いわゆる「ウォー・ポテンシャル」ということばがあることは事実でございます。また、そのことばをめぐって、たとえば潜在的戦力とか顕在的戦力というような区分をして九条二項の戦力についての解釈をする説もあることも確かであります。しかし、まあ紋切り型のことを申し上げて恐縮でございますけれども、日本国憲法の正文はあくまで日本語で書かれた「陸海空軍その他の戦力」ということばでございますから、私どもは、「ウォー・ポテンシャル」というような英文自体のそういう経緯といいますか、そういう事実があることは確かでございますけれども、そのこと自体によって解釈をそれほど左右するという考え方はかねてから持っておりません。ただ、申し上げますが、政府の考え方としましては、「陸海空軍」ということばと「その他の戦力」ということばをそれほど厳密に区別して今日まで説明しておりませんで、むしろ、「陸海空軍その他の戦力」ということで、まとめて戦力ということばで理解をする解釈の方法をとっているわけでございます。  そこで、戦力ということばになるわけでございますけれども、これも、実は昨年の十一月に戦力についての統一見解を確認するような意味で申し上げたときに、その冒頭で、広く戦力と解すればあらゆる戦う力を含むであろうと、しかしながら、政府としてはそのような解釈は実はしておりませんということを申し上げたと思います。その一番最初に申し上げた、広く解釈すればあらゆる戦う力を含むであろうという意味では、いま源田委員が御指摘になったようなあらゆる力はそこに含まれるという解釈が成り立つと思います。ただ、政府としてはそういう解釈はしておりません。

源田実自由民主党

○源田実君 その政府の見解と、ここにいやしくも憲法という国家の最高法規に書いてある中で「陸海空軍その他の戦力は、」とある「その他の戦力」を陸海空軍の中にひっくるめて解釈することは私は誤りじゃないかと思う。法律の専門家ばっかりなんですが。そう簡単に「その他の戦力」——なぜそういうことを含めなきゃならないのか。含めるのが正しい解釈なのかどうか。それならば、日本人が向こうのマッカーサーノートを見て日本側で修正した、これはこうあるべきであるからというのでいろいろ修正したそのときに、やはりこの九条の「アズ・ウェル・アズアザー・ウォー・ポテンシャル」、こういう……。向こうは、原文というとおかしいけれども、マッカーサーノートでは「アズ・ウェル・アズ」じゃなくて、「アザー・ウォー・ポテンシャル」、これはまだ「アズ・ウェル・アズ」がないだけ簡単なんですよ。日本語のほうは「アズ・ウェル・アズ」というやつが間に入って「その他の戦力」、こういうぐあいにやっているから、こいつは、「その他の戦力」には意味がないと、この憲法の中にはあんまり役に立たぬことばがあるんだということに解釈するわけですか。どうですか。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) よけいなことばが入っているという意味じゃございません。これは申し上げると非常に長くなるわけですけれども、政府の九条二項の戦力についての解釈というのは九条一項から出てくるわけでございます。つまり、かねがね申し上げているように、いわゆる自衛権というものは認められている。そこで、その自衛権を行使する、あるいはその裏づけとなる自衛のために必要かつ最小限度の実力組織というものは、憲法がまさかそれを認めないということはあり得ないはずだと。そこで、そういう実力組織というものを憲法が許しているとすれば、一方、憲法の九条二項では、戦力というものは持っちゃいけないと書いてあるわけですから、そうなりますと、九条の二項の「戦力」というのは自衛のため必要最小限度の力を越える実力組織であろうと、こういうことで政府は従来解釈しているわけで、決して「その他の戦力」ということばが無用であるというようなことは、いま申し上げたつもりもありませんし、かねてから政府はそのようなことは申し上げたことはないと思います。  ただ、「陸海空軍」ということばと「その他の戦力」ということばを切り離しまして——まあこの判決自体を批評することは差し控えますが、この判決に述べられているようなああいう分折的な言い方は私どもはしていないということを申し上げているわけです。

源田実自由民主党

○源田実君 もとのマッカーサーノートでは、九条の第二項は最初から「ノー・アーミー・ネービー・エアー・フォース」と出ておるのですね。ところが、日本側のほうは、「イン・オーダー・ツー・アコンプリッシュ・ザ・エイム・オブ・ザ・プリシーディング・パラグラフ」、こうある。「前項の目的を達するため、」と、これが一つもそれじゃ生きてこないじゃないかと思うんですよ。「戦力」というものの解釈は広範に解釈すればこれが生きてくる。しかしながら、狭く解釈するとこれが十分生きてこないように私は考えるのです。もし一切の戦力を認めないんなら、日本は生存していけないんです。ところが、ちゃんと、われわれの先輩政治家が非常に頭がよくて、これでは生存できないんだから、生存できるためには、国際紛争を解決するための戦力は持たないんだ、その他の戦力は持ち得るんだというようなぐあいに解釈しなさいということを、書いてはないけれども、大体そういうぐあいにとれると思うのです。そうしないと、なぜこの「前項の目的を達するため、」ということばがここに入れられたのか、意味が私にはわからぬ。私は法律専門家じゃありません。私はしろうととして考えて、そういうぐあいに受け取られる。いかがですかね、専門家から見ると。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) これも学説がいろいろございますので、いま源田委員が言われたように、「前項の目的を達するため、」というのを「国際紛争を解決する手段としては、」というのに結びつけて解する解釈のしかたはむろんあります。ただ、別に、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」というのが「前項の目的を達するため、」に当たるんだと、こういう解釈もあるわけです。ですから、いま源田委員が言われたような解釈だけではないということだけは申し上げておきたいと思います。

源田実自由民主党

○源田実君 そうすると、まあいろんな解釈があるが、結局、政府の解釈というのは、いまの「前項の目的を達するため、」というのはどういうぐあいに生かすわけですか。もう一ぺんはっきり、そこのところを……。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) これは、政府がこの問題についてはっきり国会の場において申し上げた記憶は私はございませんけれども、ただ従来、「国際紛争を解決する手段としては、」ということばを「前項の目的を達するため、」にかけて読む読み方は、いわゆる自衛のためには、戦力といいますか、自衛戦争もできるし、自衛のためには必要な限りにおいて戦力も持てるというような説に結びつくわけでございます。政府としましては、この点についてはそのような見解は持っておりません。むしろ、そういう意味では、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」というほうの目的、政府の説はそれに近いと思います。ただ、そういうことばで申し上げたことは私はないと思います。

源田実自由民主党

○源田実君 それでは、この問題はこのくらいにしておきます。  次は、第六十六条ですが、要するに、九条の第二項の「前項の目的を達するため、」というのは、マッカーサーノートが日本側に移って、それから日本側で修正して、こいつが入って向こうへ返った。それと同時に、第六十六条の第二項に、これは憲法にありますね、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」、これは最初のマッカーサーノートにはないんですよ。そうすると、まず最初にお伺いしたいのは、いま政府の解釈では、文民とは一体何ですか。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) これは、ちょっといま文章を正確に申し上げますから。  憲法六十六条第二項において国務大臣の資格か文民に限定する趣旨は、国政が武断政治におちいることのないようにすることにあると考えられる。したがって、自衛に必要な限度のものであるとはいえ、自衛隊が国の武力の組織である以上、その構成員として武力に従事することを職業としている自衛官は、その地位にある限り文民ではないと解するのが自然であると言えよう、大体こういう趣旨の答弁を、たしか四十年の五月三十一日に衆議院において法制局長官が答弁しております。

源田実自由民主党

○源田実君 そうすると、要するに、いま日本で文民でないのは制服を着た自衛官である、こう解釈していいと思うんです。そうすると、もしこの憲法が一切の自衛力を認めない、自衛官も認めないというなら、この文民条項がここに入るのはおかしいんですね。文民条項は必要でない。日本に文民以外の者は何者もいないんだから、なぜ文民でなければならないというのがここに入ったのか。これは私ちょっとわからないですよ。ひとつ御見解を承りたい。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) これも、昭和四十年の先ほど引用いたしました法制局長官の答弁の中で説明しておりますけれども、実はこの点は、たった一つの例と申し上げていいと思いますが、憲法解釈を変えた例だと思います。どういうふうに申し上げたかと申しますと、憲法制定当時にはわが国には武力組織というものがなかったので、そこでその武力組織に職業上の地位を占める者もなかったわけであります。その当時憲法六十六条二項というものが現にあったわけですから、当時は、それを意味のあるものとして理解するには、これは国会で答弁しておりますが、旧職業軍人で軍国主義的思想に深く染まっている者以外の者というふうに解したわけでございます。ところが、その後自衛のための実力組織として今日の自衛隊に至る一連の組織ができたわけでございます。そこで、そのような経緯をかんがみますと、やはり民主主義と平和主義というものを強調する憲法の精神というものから理解をすれば、むろん自衛隊は私どもの立場からいって憲法違反ではないわけでありますけれども、しかし、少なくともそれが国の実力組織である以上、やはりそこに地位を占めているものは憲法にいう文民には当たらないと、そういうふうに解釈するのが適当であろう、こういうふうに解釈したわけであります。むろん、それならば、いま源田委員が御指摘になったように、自衛隊を認めてなければどうだという議論があると思いますが、そういう議論をする立場から言いますと、おそらくかつて政府が唱えたような説をあるいは言っているのかもしれません。しかし、そこは私はよくわかりませんけれども。

源田実自由民主党

○源田実君 これは、政府ははっきりしていただきたい。初めなかった文民条項というものをここに入れた。当時の憲法の起草に当たった——一番そのとき中心になってやったのが当時の日本の国会ですよ——は、ここに文民条項を入れなければ、将来、ユニフォームが、昔いわれたように、それが防衛庁長官になったりなにかするとまた困ったことになるから、それを押えるためにここに文民条項を入れた。ということは、同時に、将来自衛のために必要なる自衛官が出てくるということが予想されておった、こういうぐあいに解釈するのが、あたりまえに、正しく、曲がらないで考えると、そういうことになると思うのです。したがいまして、私はここらのところ、ひとつ、政府のみならず——この自衛力を持つか持たないかということに対する考え方はいろいろ違う人もたくさん——そうたくさんでもないが、あるわけです。それで、ここらは国民的合意に達するためには、やはりこの憲法が制定されたときの経緯というもの、そのときどういう考えのもとにやられたかということを深く考えて判断しなければならない。  それからもう一つ大事なことは、これは答弁は要らないですが、われわれにとって一番大事なことは、何をおいても日本の国家民族の生存と、またその発展を守ることなんだ。それがもう何といったって何よりも一番大事なことである。そうすると、それを守るためにはどうやるか、できる限りいい方法をとるべきである。武装がないならなくて、それが一番いいのなら、わしもそうやります。しかしながら、こういうことは言える。ただ、現在の理屈だけで、理屈というか、希望あるいは架空の理屈、歴史の体験のない理屈をもってこの日本国家というものを軽々に扱うわけにはいかない。やってみて失敗したとき、だれが責任をとるか。いままでの長い歴史の中に——先ほどから生物の場合にも申し述べましたように、長い歴史の中に、自衛力を持たない生物で存在したためしがない。全部滅びたんですよ。いま、日本の国家、世界の国家そのものにおいても、日本がもし一切の自衛力を持たないで存在するんなら属国になったらよかろう、どこかの強い国の。日本が独立国であり、そうして光栄ある栄光の歴史を子孫に残していこうとするならば、当然、自分で自分を守るだけの努力を払わなきゃならない。やってみたら失敗であった、元も子もなくなった、どうにもならなくなった、しまった——これじゃ済まないんです、この問題は。まず一番安全な方法をとるべきである、こういうふうな気がする。こういうぐあいにわれわれは考えるべきであって、一番安全な方法をとるべきである。  私は、結論的にここで、この長沼判決というのははなはだ遺憾であると。こういう判決が出るということ自体に。いま、この日本の防衛に対する考え方が非常に支離滅裂になっておるということを考えるわけです。これがいろいろ影響を及ぼすでしょう。しかしながら、同じ日本国民が、今後、こういう問題について、もっともっと真剣にやるべきであって——私はここで提唱したい。委員長にも提唱したいんですが、どういうことであるかと言うと、いままで政府にばっかり注文をつけて言うわけなんですが、これを今後何とか、この内閣委員会だけでもいいから与野党で論議をする、選手なら選手を出して。そして、内閣委員会に出てくる政府委員は参考のためにここにおってもらう、与野党でやる、こういうことを提唱して、私の質問を、時間もありませんから、終わります。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) 先ほどの私の答弁の中で若干補足さしていただきたいと思いますが、政府の九条の解釈というのは、第一には、九条一項から九条二項の「戦力」を論理的に導き出すということと、もう一つは、先ほど申し上げたように、たとえば、「陸海空軍その他の戦力」というようなことばを二つに分析して、「陸海空軍」とは何かとか、「その他の戦力」とは何かというふうに、一つ一つのことばを引き抜いて解釈をするという解釈の方法でないわけでございます。したがって、「前項の目的を達するため、」というのは何かということについて率直に見解を申し上げた例はないわけであります。ただ、「前項の目的を達するため、」ということばを、二項に書いてあるそのことばを、「国際紛争を解決する手段として」ということばに結びつけてお読みになる学説は、これは、先ほど申し上げたように、自衛のためなら——まあ正確な言い方かどうか知りませんが、自衛のためなら軍隊も持ってよろしい、戦争もやってよろしいというような説であろうと思います。そこで私どもは、政府はそういう説ではないということを申し上げたつもりでございます。

高田浩運自由民主党

○委員長(高田浩運君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時十五分再開することとし、休憩いたします。    午後零時十七分休憩      —————・—————    午後一時三十七分開会

高田浩運自由民主党

○委員長(高田浩運君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。  休憩前に引き続き、質疑を行ないます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 長沼判決を見まして、きわめて厳粛な気持ちで憲法に照らす質疑を行ないたいと思います。  その冒頭にあたって、政府に向かって一言御要望申し上げておきますけれども、憲法にかかわるきわめて重要な本件の質疑に際して、当然、両院における本会議の討議にまず付すべきものであると思います。また、本委員会の質疑にあたっても、当然、内閣総理大臣以下関係閣僚の御出席を求めなければならない基本的課題であると考えます。各党の話し合いの結果としてこのような取り計らいでありますので、一刻もゆるがせにできない問題として質疑に入りますけれども、まず、その点については強く冒頭政府に要望をいたしておきます。  さて、今回のいわゆる長沼判決というものが持っている第一の意義というべきものは、私は、その自衛隊合憲、違憲の見解のいかんを問わず、日本の三権分立の一極に立つ司法裁判所が初めて判決の名において憲法解釈を自衛隊について下した、このことであろうと思います。今日まで自衛隊発足以来二十年になんなんとする十九年有半の歴史と膨張の経過の中で、国民の多くの疑念や不信をそのままに置きざりながら、今日まで国民の合意は大きく分裂の方向を示しつつ、しかも、これに対して有効な見解が裁判所によって示されることがなかったことは第一の不幸というべきでありまして、これについては、元防衛庁長官中曽根長官が、もうそろそろ最高裁判所あるいは法廷の判断が示されてしかるべきだと、このような見解を二年ほど前に出されたことがあります。二年足らず前に出されたことがあります。その方向と、今回この長沼判決を大きく肯定をする立場に立つ私どもとは、もちろん方向を、見解を異にするのでありますけれども、いずれにせよ、これまで、統治行為の理論あるいは司法裁判所の判決になじまない等々の表現の中で、裁判所がこうした見解を明らかにすることがなかったのに比べて、裁判所がここで見解を明らかにしたという意義を、私はまず、とにかく先ほど来の防衛庁側の意向の経過も念めて、内容の問題を別に、この大きな国民的課題に一歩指針を与える前進であったということについては議論の共通の土台となるべきではないか、このように思うわけでありまして、慎重に申し上げるならば、その内容のいかんを今日いま問うのではありません。そのような姿勢について、まず、防衛庁長官がどのような見解を持っておられるかを承りたいと思います。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私は、中曽根元長官がどういう背景のもとにどういう意見の述べ方をしたかは承知しておりませんから、そのことには触れませんが、少なくとも、わが国の自衛隊並びに自衛のあり方という問題について内容の問題を触れないでということでありますから、司法権がそれについて一審といえども明確な方向を打ち出した判決をしたということはきわめて大きな意義がある。しかし、そのことについては、内容の問題はあとになりましょうが、私どものとってきた、あるいはとろうとするものと全く反するものであるので、われわれとしては、その意義を、これを期に防衛論争というものを本格的に、わが国ははたしていかに生き抜くべきであるのか、わがの防衛とは、という論議を国民的な規模において、もちろん、それを代表する議会において真剣に国民一人一人の立場も踏まえながら議論を展開することの契機となり得る、そのことは私どもにとってもきわめて歓迎すべきことである、そういうふうに考えます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 私は、何よりも、法治主義、法治国家の国会、その国会における議論のありようとして共通の土台をしっかり築いておきたいと思っております。したがって、この判決を支持する者も、あるいはこの判決に反対をとなえる立場も、さまざまあり得ましょうけれども、すでに国民の前に黙視させることのできない大きな課題存在となっている自衛隊について、これが憲法に違反するしないという原点の問題として議論が深められるという意義の大きさもあるでありましょうし、それと裁判所が見解を明らかにするということの意義は、国会においてこれを評価せざるを得ない、すること以外のありようはないだろう、そのことを私は明確に確認しておきたかったわけであります。内容の議論、また、主としていま法理論あるいは憲法論の質疑の展開になろうかとも思いまするけれども、国の、一国の安全保障をどのように考えるべきかということの議論の必要性は言うまでもないのでありますが、そのことの議論が一体どのようにあるべきかということと別に、この問題について憲法の解釈を裁判所が下したことに対して、そのこと自身を評価するということは、私はやっぱり二つある機関の一方のしっかりした態度として確認をしておかなければならないであろうということを考えるわけであります。くどいようですけれども、内閣あるいは防衛構想の違いについての議論は別にいたしまして、その点について、もう一度明確にお願いをいたしたい。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 本来、私は、このようなものは、国民の意思を代表し、国民に対して責任を持っておる立法府並びに行政府というものの間において、少なくとも賛否は別にして、確定された見解のもとに一国の防衛という問題は合意を得ている範囲のものがあってしかるべきだったと思います。しかし、そのことが不幸にして、私どもも含めて、合意が得られないままに、司法権の名において、司法の場においてそれが示されたということでありますから、ある意味においては、私ども自身の、もう少し一国の独立のあり方、独立を守るための防衛のあり方というものに対する合意を得る努力というものが、これは国会全体の問題として、政府全体の問題として確立されていたならばという気もしないではありませんが、しかし、司法は厳然として独立しております。したがって、司法の名においてなされた判決について、私たちはそれを契機として、われわれ本来の政府、議会というものが、これがどうあるべきかという論戦を展開せざるを得ない、あるいは展開すべきであるということについて、ある意味における私は賛意を表すると申しますか、その契機を与えたことについてはきわめて歓迎するということを申し上げておるわけであります。

上田哲日本社会党

○上田哲君 ことばをかえて言うならば、自衛隊が合憲であるか違憲であるかという相対立する二つの見解に対して、裁判所がその一方に手をあげたということの意義ではなくて、裁判所が、二十年おくれたりといえ、初めて司法としての憲法解釈を明らかにしたということの評価であろうと思います。その立場では、もとよりここに高裁、最高裁という段取りがあることは言うまでもありませんけれども、そのような認識において、この判決というものを国会、行政府が当然に最大の敬意と慎重な姿勢をもって迎え入れるべきであると私は考えるのですが、法務大臣の御見解を承っておきます。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 私も、先生の御発言並びに山中長官の御発言に対しては賛成であります。  ただ、一口つけ加えておきたいことがあります。それは、国会でこのたびの判決を契機として花の咲くような論議を展開されているということ、まことにけっこうです。賛成でございます。同時に、この問題は、いやしくも違憲立法審査権を持っておられる裁判所が判決を下されたのでありますから、裁判の制度のもとにおいても全力を尽くして論議を重ねたい。そして、本件事件が高等裁判所、最高裁判所と進んでいきますに従って、どの段階でか国論の一致するところと同時に、違憲立法審査権を有する裁判所の所見もここでみごとに確定をしてもらいたい。国会を中心として世論の論戦が行なわれると同時に、違憲立法審査権を有する裁判所の裁判手続においても論議を確定してもらいたい。そして、国家が安定した行政を行なえるようにしていきたい、これを希望するのであります。

上田哲日本社会党

○上田哲君 もう少しく内容に入っていきたいと思いますが、違憲審査権の問題はもう少しあとでじっくり議論をしたいと思います。  さて、いずれにせよ、いまの両大臣の御見解のように、この自衛隊の違憲、合憲についての見解が裁判所から初めて出された。私は、どのような見解であれ、日本語が読めるほどのものであれば疑いようのない憲法の解釈、なかんずく憲法九条の解釈、別な立場で言うならば、特に公法学界においては、よほどの人でない限り、憲法九条違憲論以外とりようのないというほど自明の問題を裁判所が一言これについて言及するとするならば、これ以外の判決はないということを信ずる立場に立ちますけれども、その意味でも、私はその立場でこれからの議論を展開していきますけれども、特に政府の姿勢として前もって伺っておきたい、とは、このただいまめ御発言にもかかわらず、つまり裁判所が初めてこのような判決を出したということ自体も私は中身は別であるがということを何度も申し上げてあるが、いずれにせよ最高裁判所がこのような見解を初めて明らかにしたということの意義を評価されるということとは少し裏腹の関係に立つものとして、この判決が一たび出るや、内閣官房長官談話という形式で出されました政府の見解、あるいはこれを自民党幹事長の談話すとあわせて読んでみますならば、いま両大臣から示された最低限の法治主義の立場に立っての判決尊重の姿勢というものが軽々しく捨てられている、あるいは非常に逆な方向をたどっているということを言わざるを得ないと思います。具体的に申し上げるならば、この判決は激しく偏向したものである、あるいは、高裁、最高裁では全然これとは逆な結論が出ることは間違いないのであるということを願望として述べるならいざしらず、きわめて断定的なものとして表明されているがごときは、三権分立の立場に立つ日本の政治の基本体制からして、行政府の、まことに言語道断、僣越的な発言行為と言わなければなりません。このような姿勢は、私はまず改むべきであると考えます。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 初めて裁判所がお触れになった判断であるこの裁判所の御判断に対しては、法律上許される手続によって、上訴手続によって、この問題は正しいと信ずる主張を徹底していきたい、攻撃防御の方法を法廷において重ねていきたい、こういう考えでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 ちょっと答弁が食い違うわけでありまして、あるいは政府側を代表してこうした御答弁ができないということであるなら、委員会としては総理大臣ないしは官房長官をお呼びいただかないと私は質疑ができぬことになるのであります。その道をおとりになるのか、国務大臣として両大臣が御出席の立場で御答弁いただくのか、ひとつお取り計らいを、まずお願いをしたい。

高田浩運自由民主党

○委員長(高田浩運君) 速記をとめて。   〔速記中止〕

高田浩運自由民主党

○委員長(高田浩運君) 速記を起こして。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 裁判所の御判断に対しましては、いやしくも内閣総理大臣以下、政府の閣僚をはじめとする行政府、両院の両議長をはじめとする両院議員、立法府、この行政府、立法府というものは批判、論難すべきものではない。これはどういう理屈からそういうことばが出てくるかというと、先生のおことばのように、三権は分立しておるからであります。不羈独立のものであるという立場から申しますというと、論難すべきものではない。ただ一つ大事な例外のありますととは、本件裁判は、申すまでもないことでありますが、政府が一方の当事者である、被告である。私がその被告国家を代表しておるという立場でございます。政府の当事者は、裁判所の判決といえども、その判決に対して上訴をするかどうか、控訴をするかどうか、控訴をするとするならばいかなる理由に基づくものか、その控訴の理由を国民に知らしめる自由はある。判決がよい悪い、けしかる、けしからぬという批判じゃない。こういう理由で控訴をするのだ、これは上級裁判所に至ってこの主張は貫いてみせる、貫く確信がある、こういう判断は自由でございます。これは裁判批判じゃない。これが一般論、原則論でございます。その原則論に従って私のほうの幹事長、官房長官が幾らか談話を出しておる。その範囲は出ていないものと私は了承をしております。山中大臣も同様にお考えと存じます。熱意のあまり、ことばの使い方は、それは法律専門家じゃありませんから、幾らかどうかと思う点がなくはないとお考えの点があろうかとは存じますけれども、ねらいは、事件の当事者である、当事者が、判決で負けた当事者が控訴理由の主張をする、それに確信を持つ、やってみせる、負けるものかと、必ず勝つという意思表示をいたしますことは妥当である、一向三権分立を阻害するものではない、こういう考えでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 政府は、この場合に被告でありますから、出された敗訴の判決に対して被告が不服であるのは当然あり得ることでありますし、判決に対して別な見解を表示することが批判ととられ、論難ととられても、私はそこまで十分認めていいと思います。論難権を私は否定するものではないのであります。私の申し上げているのはそういうことではなくて、この談話というものの中に談話というのは文字どおりマイクに向かって思いつきをしゃべるのではない、紙に書いて活字にして配るという手続がとられている談話の中で、あらかじめ用意された談話の中で、たとえば高裁、最高裁で当然にこの判決がくつがえるものとの予断を持っているのではないか、また、その予断を国民に向かって呼びかけようとする意図を強く持っているのではないか。これは単に、被告としての政府のありようをはるかに越えた、批判、論難をどこまでか認めるにしても、行き過ぎた司法権への——特に被告が行政府であるかゆえにこそ慎重でなければならないにもかかわらず、行政府から司法府への踏み込みである、こういうふうにとらなければならないと思います。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 私は、たいへん申しわけないのですが、その思うことしか言えぬ男で、じょうずに言えないのです。言えないので、私は先生のお話を聞いて、よく先生のお気持ちはわかるのでございますが、論難ぐらいじゃない、もっと進んで、この判決は勝ってあたりまえなんだと、何を言ってるんだと、これこれこれこれの理由によって勝ってみせる、第一審裁判は間違いだと、第二審、三審と進むに従っておのれの信念どおり勝ってみせる、こういうことを言うことは一向差しつかえかない——これは当事者であるということが、先生、前提でございますよ。当事者でなかったらえらいことですよ、これは。これは切腹ものでございます。けど、事件の当事者は攻撃防御が許されておる。やがて法廷が開かれます。法廷に出るというと、裁判長の面前で、この第一審の判断はけしからぬじゃないかと、何を言ってるんだと、これこれの理論によって、もってのほかではないか、という論議を裁判長さまの面前で堂々とこれがやれるんで、これが刑事訴訟法、民事訴訟法で許された訴訟手続における攻撃防御という。攻撃防御の方法をどんどん展開するんです。ちっとも差しつかえがないのではなかろうかと。(笑声)いや、これは私は言い過ぎかもしれませんが、私は言い過ぎでないと思う。四十年間やっとるんですから、四十年。ですから、そう考えますと、そこは先生、その窮屈にお考えにならないで、しっかりやれと、こういうふうにお考えに……。当事者だからという——当事者でなかったらえらいことですよ。おしかりはぴたっとくるんです。びたっとこぬのは当事者だから。事件の当事者という、負けたらたいへんな被害をこうむる、勝てばたいへんな利益を獲得する。ねえ。(笑声)

上田哲日本社会党

○上田哲君 当事者からいけないなどとは私は申し上げてないんです。当事者であるから、被告としての政府が——あなたは論難はいかぬと言われたけれども、論難してもいいと言ってるんです、私は。しかし、被告が行政府であるから、ことさら国民に対する姿勢からいっても……。まあたとえばば法律を全く知らない人でも、何たる無実の罪だと言って叫ぶ抗弁権は、あらゆる国民に基本的人権としてありますよ。しかし、法律の専門中を、隣の法制局長官以下、たくさんかかえている行政府、政府がことばを発せられる場合には、まあ議論をしてもたぶんだめでしょうから私のことばで申し上げておくが、少なくとも上級審においてこれがくつがえるであろうという願望を述べしれることはけっこうでありましょう。しかし、あたかもこれを予断に基づくという立場を印象づけるような言い方というのは大いに慎重であってしかるべきことだ。これは談話を発表される側の見識の問題であります。大きな声でお訴えになる情熱の問題とは違うのです。大いにひとつ裁判長さまに何でもおっしゃったらよかろうが、大きな声でおっしゃることと見識を振り捨てて半狂乱にものを言うということとは違うのであります。そういう意味で、見識を持ってこの問題に対処すべきらちを越えて司法権に介入したと思われるような、三権分立が危機に瀕するではないかというふうにとってしまってはいけないではないかと思えるようなこともあるということを申し上げているんです。抽象的に言えばそういうことです。  具体的に申し上げれば、たとえば、政府は福島裁判長を忌避されたわけであります。地裁において忌避され、そしてこれが退けられる。高裁において忌避し、これも退けられる。最高裁の忌避ということもあり得たわけであります。しかし、あえて政府が最高裁の忌避をしなかったのは、まさに私は見識だろうと思うんです。見識の合意点がそこに達したんだろうと思うんです。また、忌避する理由を持たないという立場をお考えになったのであろうと思う。私は、その点に関しては、この判決の二日前に山中長官に対してこの問題を質疑をいたしました。すでに忌避が却下をされた今日、裁判所の判決に対しては、そのようなこれまでの経過を離れて、厳正にこれを受けるつもりであるという答弁でありました。私はそれでけっこうだと思っております。にもかかわらず、大いに法廷において被告の立場を主張されるのは私はいささかもはばむつもりはありませんし、これは、国と言わず、個人と言わず、基本的権利の問題であると思いますけれども、その談話の中に散見される幾つかの、らちを越えたという問題の一つとして、たとえて言えば、この判決は偏向判決である、そして福島裁判長自身が偏向思想の持ち主であることによってこのような偏向判決が出てきたのだというふうな文脈を読み取らざるを得ない。偏向判決というようなことばは、政府によって裁判に向かって投げ与えるべきことばではありません。これは法治国としての見識の問題を越えていると私は思うのであります。法律の専門家ではないからなどという、半ばやゆ的な言い方の中に消え去ってしかるべき問題ではない。これは、法務大臣自身が訴追委員会にもおられました、私もその末席を汚しておりましたから、そういう意味ではこの間の経緯は、つとに御存じのところであります。申し上げたいのは、裁判官について一定の幅の良識、見識というものか——これはワクをきめがたいけれども、要望をされておるというようなものはあるでありましょう。しかし、出た判決に対して政府が、ことに、偏向判決である、裁判官の心証の偏向性のゆえにこのような判決が出たのであろうというふうに読み取れる文脈の談話を発表するというようなことになるならば、これは、裁判官の基本的な権利、あるいは基本的人権と言ってもよろしい、心情の奥底まで踏み込んで批判をするということになるのであって、これは私は、先ほど来申し上げている、当然に守らなければならない裁判に対する批判ののりを越え、あまつさえ、行政府から司法府に向かってなさるべき三権分立の両極点に立っている両権の当然な性向からして、このような表現は慎まれるべきであったということを申し上げているのであります。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 小さい声で申し上げます。先生ちょっと何かお取り違えではないかと思います。行政府がそういうことを言うたとすれば、もうそれはけしからぬ話でございます。まことに申しわけのないことでございますが、行政府は刷りもので出しております談話でございますが、先生おことばのようなことは行政関係者は言うておらぬ。言うたらえらいことでございます。言うておりません。いまここにございますが、これも読んでおりますけれども、そういうことばは一字もない、こういうことでございます。それで、やはり先生にお許しをいただきたいのは、先生のおことばを聞いておって私は思うことを申し上げるのでありますけれども、どうもやはり国が、政府が被告であるという観点を離れてお考えをいただきますというと、けしからぬということはずいぶんこの文章で出てくる。けれども、国が被告であり、当事者である、裁判長の面前において攻撃防御を正々堂々、白昼公然繰り返してやっていかなければならない手続をこれから踏む当事者であるということから申しますというと、この談話は私は無理なところはない。あれば直します、官房長官に話をして私が責任を持って直しもいたしますが、これで拝見をしたところでは一字も直すところはないのではなかろうか、こういうふうに考えるのであります。

上田哲日本社会党

○上田哲君 注意深く申し上げているように、行政府の代表としての官房長官談話と与党の自民党幹事長の談話等などをあわせて見るならばということを私は申し上げているので、これは御答弁はないでありましょうから……。それをしかし、あれは党のものだということでは、党の見識はどんなものでもよろしいということになってしまうのであります。私はそこへ議論を持っていきたくありませんけれども、おそらくこれは食い違ったお話になるでありましょうから、まあ当日のさまざまに紙面をにぎわしました政府与党の談話なるものをひとつお読みいただいて、ぜひそのようなのりを越えるような印象を与えないように御努力をいただくというところに、ここはとどめておきましょう。  ただ、具体的に伺っておきたいことは、偏向裁判ということばはいろいろな場所から出ております。政府側のですよ、政府与党側の。私は、そういうことばはみだりに使うべきではないと思う。少なくとも二回にわたる忌避が却下されている現在ですね、また、法務大臣自身も御存じのように、この訴追問題については訴追委員会の中ではっきりした決着も出ております。そういう立場を踏まえて——このことは議論いたしませんが、ひとつ結論として伺いたいことは、今日福島判決が、福島裁判長が、伝えられるところによれば青法協会員であるなどということによって、政府側が一定の屈折した目でこの判決を見る、あるいはそのことを理由にして論難をするということはあり得ないでしょうね。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 私が政府を代表して責任を持ってお答えをいたしますが、さようなことは断じてございません。わが国は、申し上げるまでもなく、思想は自由であり、どのような団体に参加することも自由である。ただ、裁判官という立場にある者がそういう団体に参加をして、特に積極的に思想活動を行なうことが妥当なりやいなやという問題は幾らかございます。幾らかございまして、最高裁判所長官からも訓辞が出ておるという事情ではございますけれども、本来憲法上自由である、こういうことでございますので、政府は、青法協に入っておる裁判官だから偏向があると、この人のやった判決に対してはどうだこうだと言ったようなことは絶対にございません。さようなことは言うべきものでもない。また言ってはおりません。

上田哲日本社会党

○上田哲君 そこはしっかり確証をしておきます。けっこうなことであります。あるいは当然なことであります。  念のために、もう一つ伺うが、一般的な問題でありますけれども、今後、他の裁判官が青法協に加入するということになることも一向関係ないことですね。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 加入することは今日も将来も差しつかえはない。憲法どおりしっかりやれということでよろしい。しかしながら、その団体に加入をいたしまして積極的な活動をする、これは裁判所法にひっかかる。積極的活動は許さない。遠慮をしてもらわねばならぬ。先生仰せのように、加入をすること、参加をすること一向善しつかえはない。会議に出席をすること一向差しつかえはない。一会員として行動することは自由である。こういうことであります。

上田哲日本社会党

○上田哲君 訴追委員会の内容は非公開でありますから、ここで私はそのことを引用することはできません。できませんが、そういう立場ではなくして、青法協の活動というものは——いま加入と活動を区別されましたけれども、青法協の活動というものはそうした疑義を持たし得るものではないという見解を私どもは持っております。このことを大臣の公的な見解としても強く求めておきます。  もう一つですが、今回の判決のあと、事前に判決が漏れたのではないかという話があります。私は、そのようなことは断じてないと考えておりますし、もしあるとするならば、政府側に、何らかの政府側からの手だてによってその情報がそちら側に流れたということがあるのではないか。非常にけしからぬことでありますけれども、私は、そのことも裁判の権威にかけてあり得ないであろうというふうに考えております。これは、先ほど来大いに強調されておりますように、一般的にどこの裁判所で判決が事前に漏れたという話はない。まさに被告でありますから、被告である政府側にそのような判決が事前に漏れたのかどうか。その点をしっかりひとつ伺いたい。もし政府側に漏れることがないならば、ほかに漏れることはないのであります。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 政府側に漏れることはあり得ないですね。こっちが勝っておるなら、ちょっと見せておこうということがあるかもしれませんが、負けておるんですから。(「おかしな話だ」と呼ぶ者あり)いや、それは敗訴の判決を敗訴当局に見せるということはあり得ない。それから、あり得ないとか、得るとかいう見通しの問題でなしに、漏れておりません、政府のほうには。政府のほうには漏れておらぬ。また、いま先生仰せのとおり、判決が事前に漏れるなどということはあり得ない、私はそういうふうに判断をしております。

上田哲日本社会党

○上田哲君 あるかないかということは事実関係でありますから、政府を代表して主管大臣がそのようなことはないと言われるのであれば、私はそのことをぜひ信じなければならぬと思います。考察するところは、政府がこのことを事前にキャッチするためにいろいろな圧力をかけたのではないかというふうに言われております。そのことがあるのかないのか。そして、そのことも含めて、漏れたことが政府側に全くないのなら、ほかに漏れようがないのでありますから、あの厚い壁の裁判判決というものが、これは、そのような疑念が振りまかれるということを政府の側からもできるだけひとつ消し去っていくことが司法の独立に対する行政府のあり方ではないか。要望しておきます。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) そういう考え方に徹していきたいと存じます。本来、このことは、私にお聞きくださるのでありますけれども、最高裁判所事務総局にお聞きをいただくほうが、漏れたのか漏れたのでないのか、しっかりしろという話をしてくださるのが筋のように思うのですけれども、私は先生のお説、賛成でございます。しゃんとした態度でやっていきたいと思います。

上田哲日本社会党

○上田哲君 政府のほうに漏れているのじゃないかということをだれもが心配しているところでありまして、だから手回しがよかったのじゃないかというふうに心配をしているところでありまして、勝つ裁判なら漏れる心配もないでありましょうが、負ける裁判だからいろいろ手だてが講ぜられたのじゃないかということを人々は心配をしておるわけであります。そこを責任者が、そんなことは断固としてなかったと言われるのですから、ぜひその立場で、裁判の権威にいささかでも障害を加えることのないように、政府としても御努力をいただきたいのであります。  さて、先ほども法務大臣からお話のありました違憲審査権の問題であります。違憲審査権についてたいへん気がかりな言い方が、先ほどの御答弁に二つあります。第一は、違憲審査権を持っている裁判所が、ということばがあった。これはけっこうなことであります。当然でありますから。しかし、同時にもう一つは、違憲審査権の手続についても今後の裁判の過程で明らかにしたいのだというお話は、違憲審査権を、たとえば一審、二審あるいは結審のランクなどという司法の考え方と原理的になじまない問題を導入をした考え方を、そういう形を指向されようなどということを考えておられるのではありますまいね。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) そんなこと、考えておりません。

上田哲日本社会党

○上田哲君 それでは違憲審査権そのものについて伺っていきたいのですが、違憲審査権の問題は、すなわち裏返して言えば統治行為の理論であります。この統治行為の理論というのは一体どのようなものですか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 制度に関する重要問題でありますから、間違いのないように法制局長官からお答えいたします。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 統治行為の議論と申しますのは、フランスの裁判所におきましてアクト・ド・グーベルヌマンあるいはアメリカの裁判所においてポリティカル・クエスチョンというようなことばで用いられている問題でございまして、裁判所が違憲審査権を行使するにあたりましても、たとえばアメリカの例で申し上げまするならば、立法なり行政なりについて裁判所が違憲立法審査権を行使する、その行使する場合に、問題がいわば社会的に熟している段階においてこれを行使することが正当であるという判断を、最高裁判所の判事が一ぺん述べたことがございます。その考え方は、違憲立法審査権を行使するのは、いよいよの段階、これを行使しなければ最終的に国の方向が決定できないというような、最終の段階において行使すべきであって、いわば違憲立法審査権の行使については慎重でなければならないという議論をアメリカではいたしております。その議論によりまして、そのポリティカル・クエスチョンについては、最高裁判所はできるだけ判断を先へ延ばすと申しますが、差し控えるという態度をとって今日に至っております。これを学問的には総括して——フランスでも大体同じような考え方でございますが、そういう考え方から発しました問題を、統治行為の議論と申しまして、具体的には立法部門なり行政部門なりにおいて、そこで本来その立法権の独自の権能として決定されるべき問題については、司法権はよほどの場合でなければ介入はしない。  日本の例で申し上げまするならば、昭和三十五年にいわゆる苫米地事件と申すものがございまして、衆議院の解散について、この解散が違法である、憲法に違反するものであるという判断を求めようとして訴訟が提起せられました。衆議院の解散は、御承知のように、内閣が決定をいたしまして、天皇の名において行なわれるものでございますが、これについては、その解散がいかなる段階においていかに手続を経て行なわれたかということについては最高裁判所が判断をすべきではないということで、この場合に統治行為の議論というもので判断をいたさなかったことがございます。また、昭和三十四年のいわゆる砂川事件の最高裁の判決におきましても、当時の、現在の安全保障条約の前の、日本とアメリカ合衆国との安全保障条約の問題につきまして最高裁判所が同じような統治行為の議論を援用して、最終的には、一見違憲でない限りは合憲と推定すべきものだというような議論で、第一審の判決を非常上告いたしましたものに対しまして、第一審の判決をくつがえした例がございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 法制局長官の御答弁のように、統治行為の理論などと言うから話が非常に複雑になるのでありまして、あなたが横文字でおっしゃったようにポリティカル・クエスチョンですよ。もっと正確に訳すなら、これは政治問題ということですよ。それが統治行為の理論ということでたいへん複雑に言っているけれども、中身の問題なんでありまして、フランスの例だってアメリカの例だって、まさしくあなたがひょっと言われたように、ポリティカル・クエスチョンというのがそのとおりなんです。そうなりますと、一体その範囲とか内容とかというものはどこに来るのかという法理論が展開されなきやならぬわけであります。憲法八十一条には、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と書いてあります。これははっきりしているわけです。そしてまた、裁判所法第三条もこれを受けて、「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判」すると定めているわけであります。先ほど法務大臣は、違憲審査権についても一級、二級、最高裁というもののランキングを設けるものではないということを明言されました。そういう立場で言うならば、この憲法八十一条、また裁判所法第三条の明記は、明らかにこうした問題について裁判所が全能の判断を持たなきゃならないという一般的規定だと理解をしてしかるべきものであります。これが法治主義の原理であります。法治主義の中で司法権の持つているあり方をきちっと明記しているところであります。いま言われるポリティカル・クエスチョンというものが、このように明文の規定ではっきり憲法八十一条なり裁判所法三条に明記されているにもかからわず、その例外であるということをおっしゃるのですか。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 統治行為の議論と申しますのは、学問上そういうことばを使っておるだけでございまして、八十一条の解釈といたしまして、まあいわば司法権の本質に内在する制約として、三権分立の制度のもとにおきましても司法権の行使についてはおのずからある限度の制約が免れない、その制約というものは、俗に学者が統治行為と呼んでいるようなものについては、たとえ法律上その是非の判断が可能であっても、このような問題については判断はすべきではないという議論でございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 非常に重大な発言であります。憲法八十一条に例外ありという見解ですか。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 八十一条に例外ありということではございませんで、司法権の本質を解明するとそういうことに相なるということでございます。これは砂川の最高裁の判決にも出ているところでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 全然わからぬじゃありませんか。はっきりしてください。憲法八十一条は「一切の」と書いてあるんですよ。「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する」。「一切の」というのは、あなた方が何でもかんでもひねくってものを言うときには例外が出るのかもしれぬが、すなおな解釈として言えば、文理解釈として言えば、「一切の」というのはオールです。だから、例外があるんですか。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 砂川事件に関する昭和三十五年六月八日の最高裁判所の判決の文言の中に、やや長い文言でございますが、申し上げますが、「わが憲法の三権分立の制度の下においても、司法権の行使についておのずからある限度の制約は免れないのであって、あらゆる国家行為が無制限に司法審査の対象となるものと即断すべきでない。直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。」ということを判示しております。そのことを私は申し上げたわけでありまして、司法権の本質に内在する制約として、第八十一条を解釈する場合に、そういう議論に相なるということを申し上げたつもりでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 そんな判決なんというのは勉強していますよ。何をずるずると読むんですか。失敬な。時間がないんですからね、引き延ばさんでください。三十四年の砂川判決のと言ってくれればすぐわかりますよ。私は何も裁判所の代弁をしてくれと言っているんじゃない。行政府の判断を聞いているんですよ。裁判の確定解釈として言えば、いかなるコンメンタールを読んだって、憲法八十一条に例外があるなんということはありませんよ。そんなばかげたこと。制約を受けたら問題になるんですよ。まさかあなたも、法学徒であるんなら、そんなばかげた理論はなさらぬであろう。砂川判決というのは、先ほど来法務大臣の言われる言い方を私も利用するならば、私はあの砂川判決というものは間違いであるということを批判権を行使しますがね。つまり、どこが間違いであるかといえば、憲法八十一条にそのような例外規定を設けるということは司法の政治への屈服であるという点ですよ。司法権の尊厳を害すると、私はそう思う。だから、行政府がどのような見解を持つかということが非常に三権分立の立場において必要だから、私が聞いているのは、政府としては憲法八十一条に、統治行為の理論と名づけ、またはポリティカル・クエスチョンと名づける例外を認める立場をとるのかどうかということを聞いているんです。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 八十一条について統治行為の議論があるわけではなくて、憲法第六章に規定されておる司法の規定全体について、つまり裁判所というものは本来そういう内在的な制約を持つ司法権を行使するものであるということを申し上げているつもりでございます。したがって、第八十一条においても、最高裁判所がこういう裁判所であるということを規定しておるわけでございます。第八十一条は法令審査権について規定しておるわけでございますが、裁判所の本質は第六章の司法の章において規定せられておる、この司法に内在する本質的な制約としてそのような議論があり得る、で、政府としてもそのような統治行為の議論を是とするものである、ただ、具体的に統治行為の議論によってどこまでの制約が及ぶかということについては、いろいろ具体的な案件について検討しなければならないということであろうと思います。

上田哲日本社会党

○上田哲君 とにかく、これはよく恥ずかしくもなくそんな支離滅裂な議論を展開される。八十一条にしぼって、きちっと答えてください。八十一条は、「一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限」を明記されておるんです。それを、ポリティカルクエスチョン、統治行為理論という、政治問題という問題はそれに対する例外があるのだという態度を行政府としてはとるんですかと聞いているんです。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) ただいまも申し上げましたように、第六章の司法の規定全体、具体的に申し上げれば第七十六条で、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」司法権は裁判所が行使するということになっております。裁判所というものはそういう制約を受けておるものである。八十一条は、違憲立法審査権裁判所の持っておる司法権の中で違憲立法審査権についてのみ規定をした規定でございます。八十一条を、この七十六条以下の「司法」の規定の中で生かされて読むべきであって、そのような司法権に内在する制約をこうむるものとしての最高裁判所を規定したものであると、そういうことが私どもの解釈であります。

上田哲日本社会党

○上田哲君 だから、例外規定があるということですね——。じゃ伺いましょう。まあ、念のために一つ一つ言っておかなければならぬですな。  法務大臣、つまり、八十一条の解釈はこういう御解釈でよろしいわけてすな。——なるべくひとつ簡単にいきましょう、時間が非常に足らないんです。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) いや、先生、簡単ということですが、これ、簡単にいかぬのです。そこは簡単に言ったんじゃ、とても誤解を招いて、もうたいへんなことになる。  そこで私は申し上げるのでありますが、裁判所は司法権を行なうところでございます。司法権はどんなことで行なうのかというと、何でもかんでも行なってよいというわけにはいかぬのだ、行なってはならないものがあるんだと。どんなものなんだと。それがそのポリティカルクエスチョンであります。行なってはならぬものがある。たとえて一つの例をあげますというと、あの自衛隊合憲か何かという問題をめぐりまして、たとえば一つの政府的解釈を申し上げますというと、自席の限度を越えざる限度においては認められるんだと、こういう解釈をしておるわけです。どこまで行ったら越えるか、どこまで行ったら越えないのかという問題この限界に関する問題というものは高度の政治判断を要するものである。こういう高度の政治判断を要するものは行政当局がきめて、御判断をいただいておしかりがあるという、ころがあるとすれば、それは国会である。要は、国民がきめるべきものである。国民の意思と関係の薄い裁判所が、そういう高度の政治問題、統治問題を決定すべきものではない。裁判所には、そういう意味において、そういうことを判断してはならぬのだという制約がある。  そこで、八十一条にいくのでありますが、八十一条を読んでみると、八十一条には一切の事柄ということは書いてあるけれども、当然、裁判所のやることについての八十一条でございますから、裁判所のやってはいけないといわれております判断はできない。その判断につきましては、こういう違憲立法の審判はできない、こういうことになると御解釈をいただきましてよいのではないかと思います。  これは、法制局長官の言うておることと私の言うておりますことは一致しております。

上田哲日本社会党

○上田哲君 そうしますとね、いまの自衛隊云々というのは、判決にはそういうことは書いてありませんから、もう少しお読みになったほうがいいと思うが、それはひとつ、しばらくおいて、あとの議論にしますが、そういうことになりますと、じゃ八十一条から除外されるポリティカル・クエスチョン、政治行為、政治問題、これは一体具体的に何ですか。いま自衛隊のとおっしゃったから、そこはもういいですからね。内容の説明はいいです。項目として、その除外されるべき政治行為、政治問題、ポリティカル・クエスチョンというのは具体的に何でありますか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 具体的に一つの例をあげますと——このたびの事件について言うんじゃないんです。例をあげますと、自衛権の限界のごとき事柄、そういう事柄がいま申しますような一つの統治問題であると。それは裁判所がタッチしてはならぬ、タッチする権限はない、こういうことでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 法制局長官でいいですよ。だから、何ですか、具体的に。いま法務大臣の言われるのは全く法務大臣の新説ですからね。そんなことは全然多数説になっている話じゃないんですから、それはまた別として。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 従来まで判例をもって確定せられましたのは、先ほど申し上げましたように、衆議院の解散及び、これは旧安保条約でございますが、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約という二件でございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 つまり、この統治行為の理論とかポリティカル・クエスチョンの問題が出てきているのは、フランスの例をとっても、アメリカの例をとっても、これは、憲法体制であるとかあるいは国家組織の理論的な帰結というような立場よりも、むしろ、それぞれの国の歴史的社会的な諸事情のもとに形成発展されてきた、そういう経過の上に立っている。これが一つです。そして、そのことは、フランスやアメリカや、その他の国々の例のすべてに共通するものとして、その統治行為の理論の範囲が狭まる方向を持ってきている。このことが大きな傾向です。この二つが、この理論の大きな今日の問題点として承認をされているところなんです。  しきりに自衛隊のことに言及されるけれども、自衛力の云々ということをそこに設けられるとするならば、その国際的な法理論体系からたいへん離れた逆傾向をたどるということにこれはなるわけでありましてね、今日までそういう見解というのは日本の実は社会の中で未熟なテーマだとおっしゃったけれども、裁判所の見解の中で未熟なテーマなんですよ。だからこれは、今日の法体系あるいは法解釈というものが非常に未熟であるということを実は裏書きをしている一つの例だと言ってもいいと思う。したがって、これを一口で言うならば、各国の法体系における法治主義の成熟に応じてこれは狭められてきているんです。狭められてきているんです。法治国のレベルとともにこれは減っていかなければならないものです。裁判所が手を入れられないものがたくさんふえるということが法治国にとって望ましいものではないことぐらいは常識でありましょう。  そういう意味では、そういう手を触れてはならない範囲というものがあってはならぬと思うのでありまして、そういうものをどんどん広げてよろしいなんということは、法の意思としてはどこにも存在をしていない。それに対して、今回統治行為の理論を振りかざし、そこに、自衛力の問題については、防衛の問題については、安全保障の問題については語ってはいかぬなどということを政府が言われることは、はなはだしく法の意思を曲げるものだ。法解釈の方向を国際的な潮流とさかざまな方向に向けるものであると、私はそう思います。法治主義の発展形態と、はなはだ逆方向を持つものが統治行為の理論だという国際的な通説についてどうお考えになりますか。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 統治行為の議論と申しますものは、先ほど申し上げましたように、憲法では、御承知のように三権分立の体制を定めております。この三権分立の体制も、古くモンテスキューから発したもので、その後いろいろ変遷を来たして、今日各国にいろんな形態で三権の分立が行なわれております。全く三権が分立している国もありましょうけれども、わが国の憲法においては、三権が分立すると同時に、三権相互にチェックとバランスをとって、全体が三権分立の基礎の上に立って国家として統合された姿を呈しておると思います。この三権分立と、これを何と申しますか、制約すると申しますか、三権分立の上に立ってその調整を行なっているチェック・アンド・バランスの一つとして統治行為の議論があるものであろうと思います。  この統治行為の議論、あるいはアメリカのポリティカル・クエスチョンなりフランスのアクト・ド・グーベルヌマンの議論については、確かに、純粋の法治主義というものからすれば、あるいは純粋の法治国思想というものからすれば、これに背馳する原理である面もなくはないと思います。しかしながら、すべてが三権分立で、その三権分立が行なわれて、司法はあらゆる問題について立法なり行政なりの上にあるということが、はたして国家の統合を完全に果たすゆえんであるかどうかということについて考えまするならば、わが国の憲法がとっており、またわが国の憲法がその原理に立っておるとわれわれ考えております統治行為の議論も、また一つの国家統合の原由として重要な意味を持つものであると思います。その意味で、統治行為の議論が現代の学説において相当広い範囲において憲法学者の間においても論ぜられておるものであろうと思います。

上田哲日本社会党

○上田哲君 それはたいへんな法制局長官を持ったものであります。国際的な通説、特に日本においても公法学界の通説は、あなたとは全然違いますなあ。これは驚くべきことですよ。  簡単に申し上げたように、もう一ぺん繰り返すけれども、法治主義の発展ということを願うならば、今日の統治行為の理論、ポリティカル・クエスチョンはできるだけ幅を狭めるということが正しいのだというのは、これはもう定説であります  念のために、それじゃ申し上げたい。たとえば、あなたはフランスだ、フランスだとおっしゃるけれども、コンセーユ・デタの例ですね。具体的には内政上の行為として、政府と議院との間における行為、たとえば政府による下院の解散、コンセーユ・デタによる内部的秩序の維持のための処置と確認される行為、たとえば軍隊内部の懲戒処分、外交上の行為としては領土の合併及びその効果、条約の有権的解釈、外交上の取りきめ、または条約の条項の適用上の行為、そういうのがはっきり確定をされており、しかもこれは、こういう確定の時期からですね、——こっち向いて聞きなさいよ。恥ずかしくなかったら、しっかり顔を上げなさい。失礼じゃありませんか。この方向がどんどん、当時の政治的な背景の中から抜き出されて、狭められているというのがほんとうのところです。憲法の話をしているんだから、憲法を守る立場がなかったら国会は成り立たない。法の精神に照らして、しっかり議論しなければいけませんよ。  アメリカの場合だってそうです。どういう場合かという限定に立つならば、第一に、迅速かつ単一の政策を必要とする場合。第二に、司法権が有能に処理できないような場合。第三に、他の政府部門の権限たることが明瞭の場合。第四に、処理不可能な状況を避ける必要性というようなことになっております。しかし、これらはすべてやむを得ない場合に限定さるべきものであるということがしきりに強調されているのが今日の趨勢なんですよ。だから、法治主義の当然な発展の過程に歩調をそろえるならば、統治行為の理論というものはその消滅を願うことが法理論の方向であって、これを拡大する方向にいやしくもまた行政府が声をあげるということは、私はたいへん間違っていると思うのです。とりわけ、法制局見解が、裁判所の外でまだ熟していない問題についてはものが言えない、こういう荒唐無稽な基準を提起されることは、私は、非常に日本の法体系を乱す、憲法の立場をじゅうりんをすることだと思います。まだ熟していない問題について裁判所が見解を明らかにするとは何事ですか。だから、十九年にわたって国民の世論をこれほど大きく分裂させるような問題について、裁判所はこのようなワクの中で、ものが言えなくなってきているんじゃありませんか。当然、たとえば一法学徒としても、法解釈上の問題としては、法治主義の方向に背馳するのが統治行為の理論であって、最高に、可能な限り違憲審査権というものを、例外を求めさせずに裁判所に与える姿勢というのが三権分立のあり方である、近代法治主義であると、こういうふうに私はしっかりまとめておきたいと思うのだが、これについてはいかがですか。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 先ほど裁判所の外においてと申し上げましたか、あるいは社会的にと申したか、ちょっとはっきり記憶いたしておりませんが、熟していない問題について云々と申し上げましたのは、アメリカの最高裁判所の違憲立法審査権の問題について、いま名前は記憶いたしておりませんが、最高裁の判事が議論をした中にあるということを申し上げたわけでございます。日本においては、先ほど来申し上げておりますように、いろんな学説がございますけれども、統治行為の議論を唱える学者もある。その学者と同じような議論を、先ほど申し上げました昭和三十四年の最高裁の判決においても、また昭和三十五年の最高裁の判決においても採用をいたしまして、直接国家統治の基本に関するきわめて高度の政治性のある国家行為については裁判所の判断に属しないという議論でございます。  で、政府と申しますか、私がこれを範囲を広げようなどということは全然毛頭考えていないところでございまして、そのような高度の政治性のある国家統治の基本に関するような国家行為については、有効無効の法律判断が法律上可能である場合であっても裁判所の審査権の外にあって、その判断は最終的には主権者たる国民の判断に属する。それにかわって、政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断にまかせられるほうが妥当であるという議論をそのまま展開をいたしまして、その例としては、従来示されたものは衆議院の解散と旧安保条約であるけれども、そのような高度の政治性のある国家統治の基本に関するような問題については、統治行為の議論というものも存在をし、最高裁判決においても認められている、政府としてもそういう考え方をとっておるということを申しただけでございまして、統治行為の範囲を広げようなどということは、もちろん考えておりません。

上田哲日本社会党

○上田哲君 統治行為の範囲を広げようということではないということは、私は、たいへんあたりまえなことですけれども、発言として受け取ります。法治主義の発展のために、統治行為の理論がその範囲を広げる、いやしくも普遍化されるべきではないのでありまして、このことは私はしっかり確認をしなければならないと思います。この点について、法務大臣からもしっかり伺っておきます。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) お説のとおりであると存じます。ただ、裁判所の違憲立法審査権には、先ほど法制局長官から説明をいたしましたような、決して拡大はいたしませんが、当然過ぎるほど当然の制限がある。これを例外ということばを使えば使えぬことはございますまいが、制限がある。この制限は理論上当然でなければならぬ、こういうふうに考えております。

上田哲日本社会党

○上田哲君 さて、その立場に立って、さっき自衛力のどれくらいまではいいのかみたいなところが今回の判決で述べられる云々というようなことがありましたけれども、そこもはっきりしておきますけれども、判決文の中にも明らかなように、今回の判決が明らかにしているのは、憲法は前文を含める第九条において、法機関の解釈として、自衛隊、いま言う自衛隊というものの保持が適合するものであるかどうかという解釈を明らかにしたのでありまして、これは午前中の見解に従うならば、文理解釈、論理解釈の双方からどのように詰めても、これは憲法違反と言わざるを得ないのであるということを明快に指摘をしているのでありまして、日本の安全保障のために自衛隊を持つことがいいのか悪いのか、あるいはそれを持つとすればどれぐらいの範囲であるのかどうかなどということを言及しようとしているのではありません。その立場からこの判決を見たり、その立場からこの判決を通して憲法解釈をねじ曲げるというような態度は、厳に政府の見解としてもあるべきではない。政府に限らずですが。この点は、もう一度明確にしなければならぬと思います。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) お説、よくわかりました。

上田哲日本社会党

○上田哲君 わかっていただければ、またそこから議論が発展すると思いますけれども、そういたしますと、この判決に明らかになっておりますように、判決は前文から説き起こし、九条の解釈を克明に行なっております。この憲法に流れるものは、言うまでもなく、国民主権であり、基本的人権の思想であり、平和主義を謳歌しているところです。との三本柱、この立場からするならば、この憲法が大きく叫ぼうとしている平和主義の根底には、軍備を持たない、国の交戦権を放棄するということは、これを最も積極的な日本の平和維持の方途として提起しているということなんです。従来政府がとってこられた見解は、交戦権を持たないとか、そもそも軍隊を持たないということは、その国の平和保障に対する消極的な態度におちいっているのだという見解に終始されている。いまおっしゃるように、お認めいただいたように、軍備云々ということではない。この憲法がはっきり規定している文理上、論理上の解釈はそれ以外にはないのだという立場、その面での議論を進めていくならば、この憲法——防衛論としてのいろんな行き方はありますよ。それはまた自由にお持ちになったらいいと思う。それはそれとして、この憲法がわれわれにきびしく強く求めているものは積極的平和主義でありまして、政府あるいは一部の学者が言われるように、軍隊を持たないことは消極論である、平和保障に対する姿勢の弱さを物語るものであるということではないということを、今回の判決は非常に強調されておる。原点に戻るというのは私はそこだろうと思うのであります。  一言、防衛論そのものに言及するならば、たかだか二十万なり三十万なり——四次防は大きいと思うけれども、こういう軍隊を持つことによって、平和保障のすべてが、あるいは相当部分が期待されるであろうなどという非現実的な態度が、私はあるべきかどうかについての論及が大いになされるべきだと思いますけれども、それはしばらくおくとしても、原点に返っての今回の判決の教えるところは、平和主義がもっと積極的に、軍隊という方途をとらずして進むべきである。たとえば、外交優位というものをもっと徹底的に進めるべきである、積極的平和主義ということをここでうたっているわけであります。その前提に立つならば、その原点に立つならば、軍隊を持つ、たかだかの軍隊を持つということがどれだけの保障になるのかということが、非現実的であるということの裏返しとして、もっとそれ以上の努力をもって、平和保障の、たとえば外交方途というものに努力をすべきであった二十年を私たちは政治の責任として考えもし、また政府にも求めなければならぬと思う。そういう憲法論的立場に立つならば、私は、この憲法が明らかに指向していた中立論、中立政策、この中立政策というものをいささかもとることなく、軍事同盟保障論に走った政府のあり方というものは、この積極的平和論の方途からすれば、憲法の趣旨に照らして怠慢であった二十年だと言わざるを得ないと思います。この見解はいかがですか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) これは、私のお答えをする範囲かどうかわからないのでありますけれども、一口お答えをいたしますと、わが国憲法が、たいへん高度な、積極的な、絶対的に近いといわれるような平和主義を採用しておることは、世界に冠たる憲法としてよく私たちもこれを理解しておるのであります。この憲法のもとにおいても、非常に大事なことは、自衛のための実力、自衛のための手段というものは否定していない。憲法九条を読んでみるとわかる。そんな読み方があるかというおことばが出そうに思いますけれども、憲法を読んでみるというと、そういうことは書いてない。国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力による行動、これは、国際紛争解決の手段としては永久に放棄する、戦争はしない。逆に言うと、国際紛争解決の手段としてでない、自衛のための自衛力の行使は別であるということが、明らかに条文上の条理から読み取れるのでございます。これはまことに明瞭である。

上田哲日本社会党

○上田哲君 できるだけ質問に答えてください。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) いや、それは質問に答えているのです。  そういうことでありますから、高度の平和憲法、高度の平和憲法とおっしゃるのでありますけれども、そのように、わが国の積極的の平和憲法は、自衛のための手段方法は否定していない、明文上も読めるところがある、こういうふうに私は考えておるのでございます。  それ以外は法制局長官からお答えをいたします。

上田哲日本社会党

○上田哲君 法制局の考えじゃないですよ。私は政治的問題を聞いているんです。ですから、これは防衛庁長官のほうが適切ではないかと思うのであります。そう話があちこちにずれちゃ困る。憲法九条を読み取れば、法務大臣によりますと、自衛権というものを認めているというようにも読み取れるとおっしゃる。何をおっしゃいますか。自衛権はありますよ。そんな、その程度の基礎的な認識をお持ちじゃたいへん困るんです。非武装中立をとる社会党だって、ただの一ぺんだって国際法上の概念における自衛権なんというものを否定した覚えはない。私も、二十年来がんこな永世中立論者でありますけれども、私は自衛権というものを最高度に尊重するからこそ、中立政府をとり、非武装の方途を選ぶのです。憲法の中に、この長沼判決にも明らかなように、国の固有の権利としての自衛権なんというものをごうも否定なんかしていませんよ。法務大臣が、そういうふうに読み取れるところもあるかもしれぬとか、そんな控え目に言われることはない。また、そんなふうには書いてないと言われるかもしれないがなんというのは、まことにこれは不見識な言い方であります。とんでもない、高校生的な知識の混乱は、その自衛権と、自衛力なる軍隊の保持とは違うということです。また、その行使による交戦権は違うということであります。判決の中にも明らかなように、これは皆さん方とはそこで意見が違ってくるのでありましょうけれども、国の平和保障を確保するために軍隊を持つということではない。私たち、外交展開というのは当然その一つですよ。それも広義に含めながら私たちの安全保障というものを大いに考えていかなければならないというのは、国を有する私たち国民の当然の普遍的な任務ではありませんか。自衛権と自衛力を、あるいは軍隊を混同されては議論にならないと申し上げるんだが、そういう立場に立つならば、日本国憲法は、この原点に返って、また、この判決が明らかにしているように、明らかに積極的な平和保障というものをとっていきなさいということを言っているんだ。たかだかの軍隊を持てば、しかも、ことばがすべるかもしらぬけれども、七千人の増員をしようと一生懸命強行採決までしてやってみたって、現実に二万数千の若者が参加しないという穴があいているじゃないか。こういう状態で軍隊を持って国が守れるとか、飛行機を百二十八機つくったら、その性能の足し算によって日本の空が安全だろうというような、そういう前提では日本の平和保障というのは語れないのだということが議論とならなければいかぬのですよ。  だから、そういう立場は皆さん方はおとりにならないであろうけれども、この判決を対象として議論をする場合に、この判決が持っている積極的平和主義ということの教えからするならば、その立場に立つならば、明らかに外交選択としては中立政策をとるべきであった。軍事保障政策をとるべきでなかった。憲法の方向に対して、政治はこの憲法を具現する方途をあやまってきたのではないか。軍事同盟保障をとる、とりわけ、また、わが国もそういう軍隊を持つ、あるいはまた、この判決の中にも明らかになっているように、一言でこれを解釈するならば、日本の自衛隊はアメリカ軍の防衛隊にすぎないという言い方での——ことばは違いますよ。表現が出ている。こういう形と、これは見解がいろいろあるでしょうけれども、そういう見解を呼び起こすような実態のありようというものは、二十年間の日本の平和保障論としての政治選択のあやまりであったのではないかということを私は強調をしておきたいと申し上げているのです。そのとおりだなんということは出てくるはずはないと思っているけれども、しかし、ここは原点に返ってしっかり議論をしておかなければ、防衛庁長官が冒頭に言われたように、大きく日本が一センチでも平和の水準を高めていこう、これは道は違うけれども、情熱は負けないんだから、その議論と国民的課題にしていこうというためには、原点を共通できないだろうと思うが、それはやっぱりその原点を共通して、日本の平和保障論をもっとまじめに、二十数万の軍隊をさえつくればいいんだみたいな話にするんではない、そういう、もっと積極的平和主義の方途の選択の問題として、この憲法はそういうことを言っていると私たちは思うし、そうであるならば、日本の二十年の政治選択は憲法に照らして間違っていたのではないかという見解について、ひとつ反論をしっかりするならば、していただきたいと思うのです。これは長官です——いや、長官にお願いしたいのです。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 私の先ほどの答弁にも関連がありますから、一口申し上げますと、その原点に政府は間違いはないと、こういうことを申し上げたいのであります。それは、自衛のための手段として自衛隊を持っておる。判決によると、これは軍隊であると、こう仰せになるのでありますけれども、そうではない。それは見解の相違である。それが軍隊か軍隊でないのか、自衛の限度を越えておるものか、越えていないのかという高度の判断は、裁判所のなさる判断ではありませんよ。それは統治行為ですよ。もしその判断をなさるところがあるとすれば、それは国会だ、国民と御縁故の薄い裁判所のあそばす判断ではございませんよということを申しておるのであります。

上田哲日本社会党

○上田哲君 総理を呼ばないと、やっぱりその答えは出てこないわけでしょうかね。ぜひひとつ、日本の、原点に戻る外交保障なり平和保障なりのありようというものは、やっぱりしっかり議論をするのでなければ、憲法に基づく判決が出た場合の政治の責任——ハウスできめろとおっしゃるけれども、ハウスできめようがないじゃないですか。これはやっぱり政府としては、しっかり、本会議を開き、こういう場に出てきていただいて解釈を確定をしていただく議論に応じていただかなければならぬ。その分は残念であります。  まあしかし、先へ進みましょう。時間がもったいないので、簡潔に、あと数点しかないですから、進めることにしますが、憲法九条では——ひっくるめて言いましょう。一項、二項で、「前項の目的を達するため、」というところのことばのかけ方なんというものも、いろんな説を意識的に立てる立場があります。しかし、もともと第一項の「國際紛争を解決する手段として」というところにのみこの「前項の目的を達するため、」というのを限定することは、これはたいへん均衡を欠いた解釈でありますし、しかもそれは、そのような立場に立つのなら、憲法前文の趣旨にもとることは言うまでもありませんし、また、現行憲法の成立の歴史的過程にも反するし、本項の交戦権放棄の規定にも必ず抵触する矛盾が出てくるし、また現行憲法には、宣戦、講和などの戦争行為の規定がないのでありますから、こういう文理解釈というのは全くあり得ないのであります。  それからもう一つ、「その他の戦力」。「その他の戦力」というのは、——まあ失礼ですけれども、「その他の戦力」というのは、軍という、陸海空軍というような名称を持たなくても、これに準じ、またはこれに匹敵するような実力を持ち、必要ある場合には戦争目的に転化できる人的、物的手段としての組織体、この中にはもっぱら戦争遂行のための軍需生産施設も含まれると、こういうことになるのでありましょう。それを広げて、広くは戦争のための手段として役立ち得る一切の人的、物的勢力、こういうところまで持っていく、こうなってみたら、近代社会に不可欠な経済、産業構造のほとんどの部分はここに含まれることになる。つまり、近代社会経済構造はすべて戦争のための力だということになってしまう。すべて、近代経済社会構造は戦争を最終的な目標として構築をされているのだという奇妙な論理に導かざるを得ないことになります。これは戦力の規定の中で、判決が、いずれの国もその軍隊の保有の理由としては自衛のためにということになるのであって、自衛のためにということ以外の戦力の保持ということはないのであって、という論理についていくなら、いかなる大国も戦力を持たない国であるという奇妙な帰結にならざるを得ないと、みごとに喝破しているのと同じように、これは一切の人的、物的要素をすべて、おっしゃるような戦力、ポテンシャルであると、こういうふうな言い方にすることは、今日的認識において全くおかしい話であります。だから、「その他の戦力」というのは、そういう具体的な問題に限らるべきであると私は思います。こういう見解はいかがですか。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) ただいまの御質問に関連して、午前中に私が答弁しておりますので、私から御答弁申し上げることをお許し願いたいと思います。  まず九条の一項と二項を見まして、二項に、「前項の目的を達するため、」ということばがあります。これがどういう受け方をするかということについていろいろな説があるということを申し上げたわけであります。その目で第一項を見ますと、第一項には、修飾句として「正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、」ということばと、それから「国際紛争を解決する手段としては、」ということばと二つあるわけであります。  ところで、学説としては「国際紛争を解決する手段としては、」という、いま御質問の中にもありましたけれども、そのことばのみにアクセントを置く説があるわけでございます。こういう説をとりますと、自衛のためにはいわゆる戦力まで持てるというような説になっているようでありますが、しかし、政府はそういう説はとっていない。また、判決の一つ一つについて論評することは私の立場からいかがかと思いますが、判決も同じような趣旨を述べておるということ、その点は、ただいま委員が言われたとおり、私どももそう思いますけれども、しかし、私どもの考え方は、そういう意味で前者のみにアクセントを置く説ではございません。  これに対して、後者にもアクセントを置く説があるわけでございす。後者と申しますと——ちょっと失礼しましたが、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ということばにもアクセントを置く説があるわけであります。  しからば政府の説はどうでありますかというと、いま申し上げたように、「国際紛争を解決する手段としては、」ということばだけにアクセントを置く説ではありませんで、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ということまで含めて、全体の九条一項の趣旨、そういうものにアクセントを置いているということになるわけであります。政府の説の結論については午前中も申し上げましたから、いまここでは省略をいたします。  ただ、それから先の二項の解釈あるいは一項の解釈になるわけでありますが、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」ということばにアクセントを置く説では、第一項ではすべての武力行使が否定される、あるいは第二項ではすべての実力組織の保持が禁じられているというような説が結びついてくるわけであります。しかし、その点は政府の説は違いまして、これは毎々申し上げているように、九条一項では自衛権は否定していない、同時に、その自衛権を裏づけるための、裏づけとしての必要最小限度の実力組織は持てる、同時に、そういう実力組織を通じての自衛行動といいますか、実力行動はできると、こういう解釈をしているわけであります。したがいまして、もう毎々申し上げているとおりでありますが、二項の解釈としては、「陸海空軍その他の戦力」ということばを、これも午前中申し上げましたけれども、結局、「戦力」ということばを裏返しますと、自衛のため必要最小限度の実力を越える力、それが憲法が禁止している戦力であるというふうに読んでいるわけであります。「陸海空軍」ということばだとか、「その他の戦力」ということばを一つ一つ分析しては申し上げていないということを申し上げたわけでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 同じことは繰り返していただかなくてもいいんですが、あえてしぼって申し上げておきたいのは、憲法の条項をきちんと文理解釈、論理解釈もあわせて進めていくとして、その論理解釈のことで言うなら、マッカーサーがつくったという話がありますけれども、しかし、マッカーサーのアメリカ上院における証言、あるいはその後の日本側からの調査団に対する証言とか、その他をあわせて、この九条の挿入については幣原元総理の主張であったということを十分に裏づけておりますから、今日、翻訳憲法であるなどということはもう何の意味もないし、またそのことは、二十年をけみした今日の憲法の実存に対しての冒涜でありますから、そのような議論には立つべきではない。これはいいですね。まあそれもちょっと確認しておきましょうか。それはいいですな。——いや、法制局じゃなくてもいいですよ。いや、法制局でもいいです。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) まあ午前中申し上げたと思いますけれども、憲法の制定の経緯その他いろいろなことが解釈の上で勘案されるのは当然だと思いますが、しかし、何か、いま言われたように、翻訳憲法とか、そういうようなことを私どもとしては全然考えておりません。

上田哲日本社会党

○上田哲君 これは大臣、一言言ってください。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) そのとおりです。

上田哲日本社会党

○上田哲君 そういたしますと、われわれ自身の憲法であるというこの前文並びに特に九条を、文理、論理上の解釈できちっと詰めていくならば、たとえば「戦力」という用語を、通常一般に社会で用いられているのと意味を異にして憲法上独特の意味に解しなきゃならないという理由はどこにもない、これが出発点になるだろうと思います。こういう立場で言えば、「戦力」というのは、「外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体」という表現も正しいと思うが、「「その他の戦力」は、陸海空軍以外の軍隊か、または、軍という名称をもたなくとも、これに準じ、または、これに匹敵する実力をもち、必要ある場合には、戦争目的に転化できる人的、物的手段としての組織体」、こういう考え方というのは受け入れるところであろうと思うんですが、どうですか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) そのとおりであります。

上田哲日本社会党

○上田哲君 そういうことになりますと、これまで防衛庁当局がとってまいりましたさまざまな見解というのが、そうした常識をかなり逸脱をしているわけです。いま申し上げたのは判決のことばですから、それを認められるならこれは問題はないわけです。で、それに反して、たとえば自衛力とか戦力とかというさまざまなことばが使われている。この際、そういう表現というのは私は意味かないと思うんです、訂正されますか——いいんでしょう。訂正するんですか。する——するならばくは待つけれども。小またすくいはしませんよ。つい正当なことをおっしゃったじゃないですか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 自衛の限度を越える戦力云々という判決内容がございますね。こういうことをそのままお説のとおりという意味ではないのであります。政府の態度は、自衛の限度を越えなければ手段はよいのだと、こういう立場をとっておるということは、先ほどからくどく申し上げておるとおりでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 まあ法制局にも言わしておかなきゃいけないんでしょうな。あまりずるいことはやりなさんなよ。正々堂々とやりなさいよ。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) 先ほど上田委員がお読みになりましたのは、判決の、いわゆる「陸海空軍」と「その他の戦力」の定義をお読みになったんだと思います。法務大臣が、たいへん失礼でございますけれども、ちょっと御質問の意味を取り違えられたんじゃないかと思うんですが、これは、かねがね私ども申し上げておるような解釈のほうがむろん政府の解釈でございまして、ちょっとそういう御趣旨のふうには受け取らなかったんじゃないかと思いますので、その点を申し上げておきます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 まあ、ぼくは小またすくいはしたくはないんだから、やっぱり堂々とした認識、概念の議論をしたいと思うんでね。そんなところは言いませんよ。しかしね、一つだけは言わしてください。そんなことばで、実はちょっと聞き間違ったからというような言い方で逃げないで、やっぱりしっかり、正々堂々としてもらいたいんだけれども、一つだけ言いたいのは、判決の中にあるんです。判決の中で、軍隊というのは、「外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体」だと。じゃ「その他の戦力」というのは何かというと、「陸海空軍以外の軍隊か、または、軍という名称をもたなくとも、これに準じ、または、これに匹敵する実力をもち、必要ある場合には、戦争目的に転化できる人的、物的手段としての組織体」だって言うんです。これはわかるわけですよ。法務大臣がそのとおりとおっしゃったように、まさしくこれは普通の常識からいって、軍隊というのはこういうものじゃないですか。戦力というのはこういうものじゃないですか。こういうことを違うのだということになりますと、明らかに政府の見解が社会常識と背馳した無理やりな独特な解釈を押しつけることにならざるを得ないんだと。これはね、追い討ちはしません。追い討ちはしませんけれども、これが普通の解釈ですよ。普通の解釈をやっぱり国民に浸透させるところから出発しなければならない。私は踏み込んで申し上げるが、どうしてもこの憲法には軍隊はなじまぬのです。だから、どうしても防衛構想として軍隊がほしいというなら、この憲法を、無理やりにこの憲法の解釈の中で、こういう軍隊が持てるんだという解釈改憲をなさらずに、堂々とやはり憲法所定の手続に基づいて、この改憲なり何なりということを世論に訴えるというのが一つの政治行為だと思う。やはりこの憲法を守る立場で大いに議論をしようではありませんか。そこのところを無理やりにことばをひねって……。法務大臣もついそのとおりだと言ってしまうような普通のことが書いてあるのですね。そういう間違いが起きるところに、今日の憲法をひん曲げてきたやはり政治的問題というものが私はあると思うのですよ。深追いはしません。深追いはしませんから、そこはやはり筋道を立てていただきたいのだ。いわんや、戦力とか、自衛力とか、全然わからぬことばを一ぱいつくり出す。これは外国では全部同じ一つの翻訳になってしまうことでありまして、私はやはりそういうわけのわからぬことばを——高等学校の社会科でマル・バツをつけさせたら百点とれないんじゃないですかね、こんなあいまいな文章を一ぱい使うということは。そういう妙な語彙をお使いにならないで、やはりこの憲法によって一つ背筋をたたかれた問題であって、これはやはり冷厳に考えていいんじゃないでしょうか。まあこれは深追いをしないという約束だから、そこの部分はその部分にしておきますけれども、同時に、それじゃもう一つ判決に即して伺っておきます。  この判決では、三軍、自衛隊の実態調査を行なわれて、その具体的な内容についてこまかく評価をしております。そこで、この判決を読みますから、今度は間違いのないようにひとつお答えをいただきます。  陸上自衛隊については、これらの装備は、いずれも兵器として、現在世界各国の陸軍の保有する一流の兵器にくらべてなんら遜色のない性能をもつものであり、また、旧日本陸軍の装備と比較しても、一師団あたり、火力においては約四倍、また機動力、通信力を含めた総合戦力では約一〇倍の威力をもつている」、このことをお認めになりますか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これは「一流の兵器にくらべてなんら遜色のない性能をもつものであり」、こう断定してありますけれども、しかし、私たちの持つその兵器は、その使用の範囲が制限されておりますから、たとえば新型戦車がコンパクトのものであってもきわめて優秀な性能を持っておるという場合において、それが相手国をじかに脅かすような存在として国内にあるいは国外に向けて配置しているものではありませんし、憲法から始まる各種の制約、したがって、同じ「遜色のない」といっても、いわゆる相手国にどこにでも届くようなミサイルも保有せず、もっぱら防御用のミサイルであるし、あるいは飛行機を持つといっても、それは空中給油装置一つが議論になるほど、私たちの国としては限度がきわめて制約されておりますから、B52にたとえられるような、表示されるような、そういう相手国に対して脅威を与えるような飛行機もありません。また、それらの一切をひっくるめても、私たちとしては、「なんら遜色のない」という言い方が、自由にその国家意思によって、自分たちの軍隊として行為することが、行動することが許される各国と比べるべき前提があまりにも違う。したがって、それをもって一律に比較することはきわめてむずかしいし、また、旧日本陸軍の装備と比較してということでありますけれども、これはもうかれこれ三十年前後たつ問題でありまして、その間に各国が第二次大戦の末期の状態のような装備、編成のままでいるんならばそれは比べてよろしいと思いますが、そうではない。これはやはり各国とも、三十年前のその国の師団といまの師団とは大いに違うのであり、したがって、私どもの国においても、戦前の師団と比べて今日の火力が何倍、あるいは能力が総合戦力で何倍ということを比べてみても、それはあまり意義はない。むしろ、わが国のこれは陸上だけの話ですから、陸にとどめても、わが国の陸上自衛隊は他国に侵略を与えない範囲の兵器装備を行なっておるのであって、したがって、それが他国と比べて遜色のないという表現で、あたかも他国の軍隊と同じような能力を持つものであるように誤認されることは、きわめてこれは間違いである、そのように考えます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 物理的にいきましょう。遜色があるかないかというその形容詞の評価の問題は別にします。三軍別々に聞きますから。簡単なことです。  「旧日本陸軍の装備と比較しても、一師団あたり、火力においては約四倍、また機動力、通信力を含めた総合戦力では約一〇倍の威力をもっている。」という言い方は承認されますか、違うのですか。

久保卓也防衛庁防衛局長

○政府委員(久保卓也君) いま防衛庁長官から申されましたように、厳密な比較は困難であります。そこで、四次防原案当時も調査しましたけれども、いわゆる火力指数、つまり旧師団と現在の師団が持っております火砲の発射弾薬量及び速度、これをかけ合わせました一分間の火力を総合しました指数で判断いましますると、そういたしますと、現在の師団と旧陸軍師団では、四倍ではありませんで、二対一ということであります。四倍というのはどういう計算で出されたかわかりませんので、同じ基準での比較ではないかもしれませんが、いずれにせよ、私どもで計算したのでは、いわゆる火力指数で二対一。それから機動力では、従来の昔の師団ですと、馬が相当数あったようでありまして、これの計算をしておりません。したがいまして、おそらく車両の保有数からすれば数倍であろうと思いまするが、通信その他総合的な比較ということになりますると、これは全く比較が困難であります。

上田哲日本社会党

○上田哲君 それじゃ海上自衛隊です。海上自衛隊は、判決によりますと、「諸外国の海軍に比較して、その保有する艦艇のトン数では世界第一〇位、隻数では第八位、予算規模では第一四、五位で、総合では第一〇位内外である」、これは承認されますか。

久保卓也防衛庁防衛局長

○政府委員(久保卓也君) 海軍につきましては、ジェーンの年鑑によりますると、これは七二年度でありますが、日本がトン数で申しまして十二位ということになっております。それから隻数では、大体計算して当たってみますると、八位ぐらいになっております。これは、こまかい船がだいぶありまするので、その点を計算いたしまして八位になっております。しかしながら、海軍のみについての予算規模についての資料がございませんので、その点はわかりません。

上田哲日本社会党

○上田哲君 「航空自衛隊は、その保有機数などからみると、現在世界の諸外国空軍の中で九位ないし一〇位の地位にある」。

久保卓也防衛庁防衛局長

○政府委員(久保卓也君) 航空自衛隊につきましては、あるいは航空部隊につきましては、イギリスで権威あるとされておりまする世界空軍軍用機要覧というものによりますると十三ないし十四位、私どものほうの計算では十四位ということになっております。

上田哲日本社会党

○上田哲君 これは、こまかくはまた別の機会に内容的に詰めていきたいと思うんですが、この判決どおりのランキングをそのとおり認められるかどうかは別にしても、これが明らかに、判決の表現として言うなら、いかなる国も自衛のために軍備を持つと言っているんだから、自衛のためだという目的論によって戦力の客観的水準を推しはかる、評価する、説明することはできないのだというような言い方と、もう一つ、この数値をどのように評価されるにしても、やはり世界有数の軍事国、軍事力、あるいは少なくとも防衛費の比較においても、軍事費の比較においても、これは世界の屈指の軍事力の中に入るべきだと、こういうことになる、少なくとも三つの要素から、今日の憲法が認めている方向、見解の中でははまり切らないのだということだけは、実態的に私は明らかであると思います。必要最小限度というのは、論理性においても同義反復として矛盾をしているというのは、従来私が指摘してきたところでありますし、特に私は、昭和二十九年以降、政府は解釈改憲をしてこられたと思います。こういう中で、先般、十一月十三日の統一見解にもあったような、私はあの後段の部分は正しいと思うのだけれども、あの後段の部分はたいへん正しい、政府としては筋の通った言い方をされていると思うんだけれども、それはやっぱりどうしても実態がうしろから追い上げてきて、そうせざるを得ない部分があるだろうと思う。つまり、どうしても近代戦遂行能力ではないのだぞということにはならぬのだと思う。すでに、客観的な水準をどこに引くかは別にして、国際的認識において、日本の三軍、自衛隊が軍隊であり、戦闘的実力であるということについては、これは議論がないのであって、ただ一つ憲法とのつながりを求められるとすれば、それは攻撃的ではなくて専守防衛であるという、使用目的論的憲法解釈しかないわけだと私は従来から言っているわけです。こういうところが、今回の憲法の判断として裁判所から指摘をされた点だと思います。  そこで、政府に伺いたいのは、ここまで無理が続けられてきている。ことばのあやではどうにもならないということは、裁判所と政府と野党の問題ではなくて、国民の問題になってきている。とするならば、今日といえども、まあすでに控訴されたわけですから、この公定解釈は争われるわけですけれども、それにしても、今日といえども憲法九条の合憲の存在として自衛隊の増強を続けられるのか、あるいは自衛隊の存在を承認させようと努力されるのか、それとも、やはり政府の中にも、これを合憲ということはやはり無理だ、しからば、そのような次元を異にする立場での防衛論を展開するのだ——改憲です。そういうことを打ち出されるのか。これは私は少なくとも選択の分岐点に立っているということだけは間違いないと思います。この分岐点に立って、政府のこれ以上こうしたことばの欺罔を続けられるのか。それとも、はっきりした改憲行動に出られるのか、そこを責任ある御回答として、まず承りたい。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 政府の今日までとってまいりました憲法上の自衛力の解釈というものについては変更がございませんので、自衛の限度を越えざる範囲において増強をしていく、こういう考えでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 つまり、改憲という方途をおとりになることはないわけですね。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 将来の問題は別といたしまして、今日の段階においては、自衛隊を増強するために合理的な道を選ぶために改憲を行なうんだという考え方はとりません。

上田哲日本社会党

○上田哲君 将来においては別として、というのはどういう意味ですか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 将来になってみなければわからないのです。これは言い抜けではございません。現段階においては、自衛の限度を越えさる範囲内において増強はやむを得ないと、将来のことにまでは思い及ばぬということ、頭が及ばぬと、こういう複雑な情勢でございます。これがありのままの答えでございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 一般論ではありません。いまこの自衛隊論、違憲論、長く争われてきたことの一つのポイントは——基本のポイントではありません。現象論上のポイントは、たとえば防衛力の限界論争にもあったように、一体政府がそれでも言っている合憲線というのはどのラインかと、軍隊が何人で飛行機が何機で艦艇が幾つということによって説明することのみではできないにしても、少なくとも政府は、これを合憲の範囲、自主防衛の範囲だという基準というのをどこかに説明しなければ、早い話が国民の合意は一センチも立たない、こういう問題があなた方の苦悩として出ているわけであります。つまり、必要最小限論というのは、全く基準を設定しないという本質的な論理欠陥を持っているんです。逆に言えば、政治的には、必要最小限ということばを使えば、旧来から私がやゆして言っているように、この胃袋にはどれだけ食えるのかという話をすると、腹下しをしない限度までであると、胃袋が何グラムの消化能力を持っているのかということを全く言わないで、結果論として胃袋が消化不良を起こさないまでの話であるという、これは同義反復、論理性としては一番初歩的な間違いをおかしておるわけです。その論理的な間違いの上に乗って大きな政治勢力でこの解釈を押し込んでいくのはけっこうです。それがいかにその基底に自分たちの大きく主張する防衛構想があるとしても、私は、防衛構想は防衛構想として大いにわれわれの住んでいる国のために議論をすべきだと思う、客観的に。しかし、そのことを何とかして国民のかりそめの合意を形成し、憲法解釈のワクの中にはめ込んでしまうために、ことばのあやで言いつくろっていくということは、防衛構想いずれの立場のためにもとるべきものではないということ、今日の国民の防衛構想の不毛というのはそのようなことばのあやの中に、私のことばをもう一ぺん使わしていただければ、二十九年以来綿々として解釈改憲を続けてきたという、でき得れば、三分の二を得るならば、鳩山さんが言ったように、憲法改正をしたいんです。三分の二がとれなかったから、しかたがないから事実上解釈上の改憲を行なってきたという欺罔が国民の中に論理的にも直感的にも大きな疑念を渦巻かせているんだし、それに対して裁判所の判決はこれを避けてきたが、ついにこの判決が出てきたことがいま日本じゅう津々浦々まで大きな大波を巻き起こしておるということを考えるならば、少なくともあなた方、一つには、自分たちの防衛構想の正当性を世論の中に得るためにも、もう一つは、それを憲法の中の解釈として確定をするというためにも——これは別なことですよ。その二つを無理やり結びつけようとしているから無理が無理を呼ぶ。ことばが恥ずかしい論理になる。しかし、そのことのためにも、この解釈改憲などという方途はとるべきではない。したがって、そういう立場から言うならば、遠い将来はわからないのだというような一般論中の一般論の言い方では、これは具体性があまりにもなさ過ぎる。見識ある御回答をいただきたい。たとえば、三次防段階ではという。パーティもあれば、四次防まではという言い方もあり、また総理自身が一定の限界が必要ではないかという反応を示されたし、そういう試みは当否貝会でも何べんも行なわれてきた。将来のことはわからぬなどという、こまかいことばのあやではこれはないわけです。もっと実体論的討議が行なわれなければならないということが問題になってきている。少なくともそれぐらいの与野党の攻防は今日まで議論としてある。それに対して政府が、たとえばあなた方の講じられる防衛構想の中で、このレベルならば必要最小限論と称せられるものの限度として、尺度としてあり得るのではないかという提起かなされなければいけない。それが出ればいいと言っているんじゃありませんし、それが出れば承認しようと言っておるのでは全然ないことは念のために申しておくが、少なくとも議論を求めようとされるなら、それだけの誠意は政治誠意として私はあっていいと思う。だが、将来のことはわからぬがというのは、想定の問題として、憲法九条を改定しなければ、このままではやっぱり何が何でも解釈論上も無理がくるであろうという状態が来るかもしれないという想定の上に立って、その場合には将来改憲ということがあるかもしれないかと、こういう意味でありますか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 先生の抑せになっておることが無理ではないでしょうか。将来はわからないということがほんとうじゃないでしょうか。陸軍は幾ら、海軍は幾ら、空軍は幾らという説明、将来のことはできない。できないとすると、方針としましては抽象的に御説明を申し上げる以外にない。自衛の限度を越えざる範囲内において増強またやむを得ないんだ——そんなことを言ってかってにやるというんじゃないんです。やる段階がまいりましたら、それぞれの会計年度に従って予算を上程して、法律を出して国会の御審議を仰いで、そのつど、増強の必要あるときは増強について御審議をいただき、その結果に従うのであります。かってに政府がやれるものじゃないんです。将来の改憲と——改憲ということが簡単にできるものでないことは先生御承知のとおり。どうして改憲が簡単にできますか。また、やるべきものではない、簡単には。しかし、絶対にやらぬと言えばうそになる。いつやりますと言えば、これまたうそになる。見通しが立たないことがほんとうで、この複雑きわまる政局を担当しております政府・与党というものが、いつになったら、いつの時期が来たならば改憲を行ないます、こんなことが言える筋じゃないでしょう。今日最大限申し上げられることは、自衛の限度を越えない範囲内で増強することまたやむを得ない場合もあるんだと、精一ぱいであります、この答えが。

上田哲日本社会党

○上田哲君 それは、評論家ならそういうていのことを言ってもいいですし、ほかのことばで言えば無責任なんです。これは、政府要路、政策責任者、政権担当者としては、そういう場合には憲法改正などはいたしませんという方針を堅持されるのが当然なんです。憲法というのはいかなる憲法といえども可変なものであります。いかなる憲法といえども変更手続を持っております。また、そうでなければなりません。しかし、憲法が最高法規である限りにおいては、憲法に対する姿勢というのは最も厳格でなければなりません。その意味においては、一般的な論理をそこに当てはめて、宇宙全般のことは森羅万象いかなることも将来わからぬなどという話とは違う。政治かそこに局限した政策的責任を負うというのが当然な姿なのですから、その意味では、こうした憲法上の解釈が明らかになった時点において国会の政治的な判断、最高判断を示さなければならないときには、そのようなあいまい性の中に立つ限り、あなた方は憲法を変えないということを言うのでなければ、やがて変える体制の中にあるのだなと、変えなければならない軍備増強がやがて迫ってくるのだな、こういう解釈をとらざるを得ないのが当然な文脈になってまいります。だから、そういう一般的なおとぎ話のような話ではなくて、政府の責任者として今日長沼判決を具体的に押えて、改憲問題が論理的には出ざるを得ない問題を持っている分岐点なのですから、この分岐点でないということをお認めにならないじゃ話にならないですけれども、その分岐点なのですから、憲法改正はしないのだということをはっきりおっしゃるべきで、おっしゃれないとすれば、これは非常に隠された意図があるということにならざるを得ない。明快にお答えいただきたい。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 自衛のための手段は、自衛隊という手段は、持つことは憲法上差しつかえがない、これは憲法九条の解釈だと、こういう態度、そういう解釈が続いていく限り、憲法をあわてて改正しなければならぬところは少しもない。しかし、そんなら、憲法は改正せずにいくということを今日から言えるのかというと、理想を言えば——憲法の解釈はいま私の言ったような解釈であるけれども、理想を言えば、はっきりと憲法九条において——何条にするかは別にいたしましては、はっきりと自衛のための手段は差しつかえがないんだということを明記すること、また一つの方法でございます。解釈、解釈と言って多数で解釈を押しつけていかないで、はっきりと憲法改正を行ない得る国民のコンセンサスの得られる時期が到来をいたしました場合においては、実態に合うように、解釈解釈と言って押しつけておかないで、内容を改憲するということができます場合は行なうことが理想である、明朗な憲法になるべきものだと、こういう考え方は腹中にあるのであります。今日おまえはどう思うかと言われると、先のことはわかりませんと。これ正直なんですよ一番、私の言うておることは。そういう意味でございます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 非常に正直でありました。同時に、非常に危険でありました。それがあるので私はそのことを伺ったんでありまして、そのことに対しては、腹の中におありだろうから、私たちは、それとは違う考えで、現憲法を守っていくということを強く申し上げておきます。  最後に、山中長官に伺います。そうした立場で、札幌地方裁判所の、日本の裁判における初めての判決が出た。二つの意見が、たとえば学界、公法学界にあって、そのどちらかに裁判所が加担をしたというのではなくて、憲法の純理的判断に立つならば当然にこういう形にならざるを得ないんだと。もとより裁判制度として、高裁、最高裁という上級審はありますけれども、しかし、少なくとも違憲審査権は、先ほど来法務大臣にも確認いたしましたように、ランクを持つものではありません。そういう意味においては、現在の控訴手続というものはいろいろ日本の司法制度の中にはありますけれども、地方裁判所といえど、高等裁判所といえど、最高裁判所といえど、それぞれ独立した司法権を持っている。その独立した司法権の行使としての今回の違憲判決が初めて日本の裁判史上自衛隊に対して下されたということになれば、法治国として、そのもとに立つ行政府として、これに対して最大の尊重の態度を持たれることは当然だろうと思います。で、この尊重の態度というものをきちんと明示されつつ控訴なら控訴に出られるということになるべきだと私は思うのでありまして、その限りでは、少なくとも今日まっこうから、自衛隊は「陸海空軍」であり、憲法九条二項に禁止する「戦力」であると、したがって、これを保持することは憲法違反であるという判決が出た以上、政治は、やはり行政府は、これに対して敏感な反応を政治責任として表明されることは私は当然なことではないかと思います。そういう意味では、ここに、上級審の結論を待つということだけではなくて、こうしたはっきりした判決に対応する行政府のあり方として、たとえば、いま歯どめなく膨張をすると国民が認識をしている四次防、あるいはそのあとの防衛力整備計画の増強というものに対して、はっきりした一定の歯どめの処置を講ずるということがやはり行政府としての態度ではあるまいか。  具体的に、四十九年度防衛費の概算要求が一兆一千五百七十億円に達したと。このことは、最終年度の四次防が一兆四五千億円に到達する、世界の数位の軍事国になるということを表示していると思います。そのことは、今回の判決とは全くまっこうから背馳するということでもあるので、この際、来年の概算要求は、思い切って——私は御提案をしたいんだけれども、少なくとも本年度並みまでは押えるというような政治的見識を示されることがあってしかるべきではないか。この点はいかがでしょうか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私たちは、これは第一審においては敗れたわけでありますから、勝ったほうの原告側のほうとしても、この判決をすみやかに確定してほしいだろう、理屈の上ではですね。したがって、われわれは、合意の上に許されるという道を選択して、まず飛び越し上告の同意を求めたわけであります。これは法務省の行為として国を代表してしてもらいましたが、これは大体拒否されるであろうということはそれ以前の声明等でもわかっておりましたけれども、道はあった。これは最終的に早く確定したいということで、最高裁の最終審の判決を求める努力も一応はいたしました、形式上にすぎませんでしたけれども。しかし、それは相手の合意するところとなりませんから、したがって高裁への上訴ということになったわけであります。  われわれは、これが確定されたものであるという受け取り方をすれば、それはもう存在そのものが否定されるわけでありますし、防衛庁も自衛隊も存在しない国家にならなければなりませんから、すべての者がその職場も去らなければならないということに当然なるわけであります。しかし、一方において、私どもは、その基本的な判決の内容について異議がある、考え方を異にする。われわれは、防衛というものは必要であり、自衛力の整備というものは必要である、したがって、現在の許容される範囲内にととまる、——先ほどは陸だけでありましたから申し述べませんでしたが、国会の決議も伴う非核の原則、憲法上は議論があっても認められる戦術核についても保持しないし、あるいは原子力基本法第二条によってそれを制約を求めている、推進力としての原子力についても、一般化普遍化せざる限りにおいて、これをまた原子力基本法第二条に触れるものとして自衛隊は採用しない、徴兵制もしかず、また海外派兵は行なわない、という前提に立っておりまするこの条件の中で、われわれの国家民族の安寧、あるいはまた不測の場合の平和を保つために、独立の尊厳を維持するためにわれわれが持つべき力の範囲というものは、私たちは依然としてそれは持続すべきものであると思います。また、それが私たちの立場からいえば責務であります。  来年度の概算要求が一兆円をこえたといわれるんでありますけれども、これは概算要求であります。しかもまた、その中身をごらんになっていただければ——まあきまったあとでなければ予算について議論するのは尚早だと思うんですけれども、内政の年と私は言っておりますが、いわゆる部隊の装備する主要兵器、そういうもの等について特別にふやしているものはありません。予算単価等において若干の値上がりのあるものもあります。発注形式で先般議論しました新型戦車の形式もあります。しかしながら、われわれは、今回の予算の要求の主軸をなすものは、いわゆる内政の充実ということに重点を置いております。  その一つに、まだ論議をしようといって、しておりませんが、周辺施設の整備の考え方等も、全く新しい立法の姿勢をもって、それに対応する予算措置をもって臨もうとしておりますし、そういうようなことから、結果的に予算の規模が要求においてはふくれておりますけれども、しかし、私どもにおいて、いま判決があったから概算要求をここで撤回し、あらためて本年同額の予算を組めと言われても、それは本年同額ではベースアップもできない、あるいはまた装備の単価の上昇等については、購入することも、いわゆる能力そのものを減らしていくことになる。現実にはそうなりますから、そのことは私どもとして最終的に大蔵省と合意したわけではありませんので、要求しておる姿勢そのものを変える必要はない、そう考えます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 具体的提案が顧慮されないことは残念でありますが、少なくともいま目の前にある防衛二法、これは判決の方向とは背馳いたします。また、少なくとも国会運営としても、これは強行採決を受けたいわくつきの法案でありますけれども、そういう方途によってさらに判決から遠ざかる、法の意思から遠ざかる、こういう立場で、こういう強行がなされないようにすることを特にこれは要望しておきます。——ありますか。要望で、答えようがないでしょう、だからまあいいでしょう。  ただ、長官のおことばの中に言及された点で、結審の場合のお話がございましたけれども、結審最終的に最高裁までおそらく上告されるでありましょうが、その場合に、自衛隊違憲ということになるならば直ちに解散ということでありました。このことは私も具体的に確認をしておきます。自衛隊法も防衛庁設置法も、今回の判決では、はっきり違憲立法であるということを言っております。そういう意味で——私は、いま防衛庁で勤務している若い諸君の立場をみだりに奪うという立場でものを申し上げているのではありません。しかし、憲法の命ずるところ、その判決が確定をいたしました場合には、これはその方向に従って自衛隊解散という方途をおとりになることは言うまでもないと思いますが、念のために確証をしておきます。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私どもは、最高裁の判決が、自衛隊違憲なんという判決を下すであろうとは思っておりません。われわれは、高裁においても、その判決は、われわれの考え方を許容する判決になるであろうことを、砂川判決等を踏まえてわれわれ自身の立場からはそれを信じております。しかし、それでなお今度は反対の上訴が行なわれるわけですから、最高裁にまいりましてそこで最終的な結審が行なわれる。したがって、最高裁で行なわれた結審については、これは政府はそれに完全に拘束をされる。かといって、いま違憲の判決が最高裁で出たならば防衛庁、自衛隊は解散するかという御質問は、これは架空の、相当遠い将来の、そうなり得るかもしれないということが残っておるという問題の、その部分だけについて答えることになりますから、私が先ほど言ったのは一般論として申したのでありまして、最高裁の判決がこの問題について違憲の判決を下すことを前提にして、そのとる処置についての私の具体的な案を表明するのにはきわめて時期尚早である、そう考えます。

上田哲日本社会党

○上田哲君 砂川判決ということが出ましたけれども、砂川判決は、総理も一ぺん間違われたように、自衛隊合憲というようなことは言っていないわけであります。その点は今回の判決をもって嚆矢とするのであります。また、必ず高裁、最高裁でこれと違った判決が出るであろうという予断を持たれることも政治論として正しくないし、そうであるならば裁判所は要らないのであります。そういう意味で、私どもは今日、下級審といえど、地方裁判所で独立の違憲審査権を行使して自衛隊違憲であるという判決が具体的に現実的に出たのでありますから、これは架空の話ということはいささかおことばがきついであろう。すでにそのことを、具体的な判決を手がかりとして、やはりそういう遠からざる将来において自衛隊解散という場合も決して架空でない想定を持たなければならないのだ。その想定に立つならば、当然の論理として、現職の防衛庁長官に言えというのはこれ以上は無理であろうとは思うけれども、当然の論理の発展として、これは自衛隊の解散ということ以外にはないはずであります。私が憂慮することは、そのことが言えない状況というものがだんだん高まる。そしてあるいは、裁判官自身の、たとえば配置転換などという、考えちゃならないけれども、忌まわしい方法によって、こうした裁判の可能性がさらに縮小されるというようなことになっていくことがあってはならないし、いわんや、それを集大成した最高裁の結論に至るよりも早く改憲というようなことになるのでは、はなはだこれは危険であるということを憂えているわけです。  今回の判決は、そういう点で、さまざまな問題を、法理論解釈上も、また実態論上も、そして政治論上の大きな深渕も、私たちの前にあけて見せてくれたと思っております。政府が自説に拘泥することなく、初の判決である長沼判決の趣旨をよく体し、憲法の原点に戻って日本の平和保障のために大きくこの判決を尊重されて、直ちに政治的な処置をとられることを私はやはり強く希求せざるを得ません。また、そのような処置をとられないにしても、少なくともその点に立って、憲法の自衛隊論というのが違憲論としてこのようにかわされることがあったのは、国会ではおそらくこれもまた珍しいことであります。そのことができるためにもこのような判決が必要であったということを考えるならば、胸を開いて、政府はやはりこうした議論をわれわれの前に展開さるべきで、そのことを特に強調しておきたいと思いますが、これ以上の問題は、政府の最高責任者の御出席を得なければ突き詰め得ない問題がたくさんあらわになってまいります。私の質問時間も残っておりますので、了承されている質問時間を残しておりますので、その分は総理の御出席を待って、さらに御見解をただすこととして、本日は一応この線でやめておくことにいたします。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 先ほどの私の答弁で、上級審において私たちは私たちの主張が判示されることを信じていると申しましたけれども、信じていなければ上訴できないわけであります。したがって、被告たる私たち政府が信じていることについては、これは私行き過ぎでないと思います。  なお、砂川判決で自衛隊が合憲なりと判示してあるということを私は申しておりません。わが国の平和憲法は決して無防備、無抵抗を定めたものではないということにとどまっておるということは承知いたしております。

上田哲日本社会党

○上田哲君 保留します、総理出席まで。

黒柳明公明党

○黒柳明君 今回の長沼判決が、憲法の原点に返っての明快な判断を下したと、こう私は信じますし、まあ一般の世論もそういう方向が強いと、こう思うんですが、私率直に言って、まあ国民の広い層においてもこれが共感をもって受け入れられる面が多いのではなかろうかと。まあ世論調査をやったわけじゃありません、私は率直な感じをこう持っているわけでありますが、長官と法務大臣、この点いかに御判断されるか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 世論の問題は、これはやはり調査のしかたにもよりましょうが、一応調査をしてみなければわかりません。しかし、すっきりしておるということだけは、これは賛否をこえてとにかくはっきりしておりますから、おまえたちの存在は認めぬと、それがわが国の憲法だと言うのでありますから、その意味では、もうきわめて一点疑問の余地のない判決でありますから、私たちとしても、これでもってそういう判決は承服いたしがたいという基本的な姿勢をすっきりとれますので、その意味ではきわめて、違憲判決をするならばけっこうな内容であった、そう思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 法務大臣、どうでしょう。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 私も同様に考えます。

黒柳明公明党

○黒柳明君 私、寡聞にして知らないんですけれども、まあ自衛力なり軍隊なり、二十数年、質量ともに変化はありますけれども、国が保持していて、これが下級裁判所といえとも違憲だと、こういう判決を受ける、しかも国会でこれだけの論議をかわされ、まだこれは尾を引くであろうことは間違いありません。上訴審もされる。さらにこれが相当エスカレートするならば、こういう国というのはほかにあるでしょうか、近代国家におきまして。防衛局長あたり、知識が広うございますので、こういう例を聞いたことがございますでしょうか。いかがでしょうか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 他国の例、これはまた説明も必要なら事務当局にいたさせますが、今回の長沼判決が行なわれましたときの諸外国の反響から見ますと、そういう判決もあり得る日本の憲法であり国情であることをわずかに理解を示したのはアメリカだけです。あとのヨーロッパを中心とする国々は、独立国の国を守る——向こうはまあ軍隊と思っておりましょうから、そういう組織が憲法違反で存在を許されないという判決が出たこと自体について、日本の実情を知らないことがその原因でしょうが、全く考えられないことであるというふうに受け取っておることだけは、承知いたしております。

黒柳明公明党

○黒柳明君 私も、判決以来いろんな活字に目を通しております。まあ各国の現時点における評価じゃなくて、私がいま言ったことは、近代国家においてこういうような例があった国があったか。私調べたら、ない。まあこれはもうあるはずの例じゃありません。私は、もう二十数年、おそきに失した——さっきも長官が、賛否はともあれこういう判決が出たことはある意味においては評価する、こういうようなことですけれども、当然私は、もうおそきに失した、いうならばもう先の時点において最高裁の判断もほしかったぐらいです。防衛論議というのは非常にめんどうくさい、ややっこしい、やればやるほど国論を分裂する方向にいってきたのではないかという私の感触も、なきにしもあらずでした。  まあそれはそれとして、ともかく、こういう一応世界で冠たる日本の国が、世界でいうならば——まあいま現在これに対する評価は別ですよ。反面みじめな姿、国論が統一していない、国を守る、しかもいま言ったように、二十数年質量ともに変化はありといえども、違憲だという判決を受ける——これはまあただ単に現政府だけの面目じゃないでしょう。外国からは、日本も国民も田中内閣も一緒くたにして外国は判断するわけですからね。認識が浅いという観点もあるでしょう。こういう恥辱を与えられた、国際的に、私はそういう認識もある。この原点はどこにあるか。これは言うまでもないと思うんですけれども、どうですか。この原因はどこにあったですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 憲法第九条の解釈について、国論が、残念ながらコンセンサスを得られていないということが最大の不幸であると思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 それも一部だ。自衛隊が存在したということが大きなやっぱり原因ですよ。それが一〇〇%と言えば怒るでしょう。いや憲法に対しての意見の相違であると、こう言いますからね。だけど、一〇〇%と言いません。私は非常にまだまだ譲歩した言い方をしているんです、まだ冒頭ですから、まだ時間がありますからね。与えて奪う、こういう論法でいまやっているわけですけれどもね。一〇〇%自衛隊があるからだと、こうは言いません。しかし、それに近い範囲において自衛隊が存在するからこのような事件がこのような結果になったと言ってこれは間違いないと思うんですよ。それに、ある部分においては憲法の解釈が違う、これも当然その原因の一部分であることは、これは否定はしません。しかし、何といったって自衛隊が存在したからですよ。だから、それに伴ってこれだけ国論を分裂させ、あるいはおそらく私は相当前からこういう状態、どこかの国であったかなというと、ありませんね、こんな国は。こういう状態をもたらしたという、ここに大きなやっぱり、賛否は別にして——さっきも上田委員が言ったように、私はまだ賛否まで言っていません。その入り口です。これは大きな、やっぱり日本国として、日本政府として、この現状については、いや憲法に対するこれは判断のしかたが違うんだなんという問題より先の問題であると思う。こういう失態に対して、これは見識ある人は批判もし、何だあのざまはと、こういう観点で私は幾多の意見も聞いているんです。外人記者なんか非常に痛烈ですね、日本の国というものに対して。与野党の賛否とか、そういう意見の食い違いについてじゃないです、あの人たちが論ずる一番最低段階というものは。もうこれに対しては、やっぱりまっこうから政府が責任をとらざるを得ない時代ですよ、この問題は。それを、憲法解釈が違うからなんということに転嫁しようとすれば、これからの安全保障に対する政府の考え方に対して決して国民はついていけない。コンセンサスなんて形成されません。独断です、それこそ。私はまず、いまの段階において、さっきの上田委員とは違った立場で、ある意味での反省——いいんだと、これで、こういう姿勢じゃなくて、ある意味での謙虚さ、安全保障というものを考え直さなきゃならない、こういう姿勢がないと、いつまでたったってコンセンサスの形成なんかできません、こんなことは。いま私はこの時期だと思うんです。また、あえて言うならば、これから十年か十五年続くであろう——世論調査ではこう出ています、残念ながら、自民党政権に対してはいまいいチャンスだと思うんですよ、これが。どうここで安全保障問題に対して真剣に取り組んでいくか、そして、でき得るならば、野党も含め、国民の合意を得て、そしてわが国として二度とこんな国辱的なことは起こさないと、こういうほんとうに基本的な姿勢から出発しないと、この問題は、ただ地裁の判決はおかしいんだと、これに対してクレームをつけるのはおかしいんだ、おれたちはおれたちの道を行きゃいいんだ、こうなってきますと、ますます政府・自民党に対しては、もう防衛どころか、生活のいろんな面についても防衛もひっかけて、これはもうだめだと、こういう感じを持ってきますよ。だから私、冒頭に、国民はある意味において共感を——共感といったって、内容を完ぺきに知って認識して評価している、そういう面じゃないかわかりませんよ。だけれども、やっぱり国民感情というのは率直です。森林法の公益性というところから始まったんです。国民に対してプラスかマイナスかから始まった論議です。それに対して、いま政府の当事者が、国家百年の大計のため、また自民党の十年の小計のためにも、いまここでほんとうに抜本的に考え直さないと、またとんでもない目にあう、こういう私は感覚がしてならない。そういう意味から、これに対して率直に国民は、明快な判決だった、すっきりした、こういう共感を得ていることは間違いないと思うんです。それを、あくまでもそれは無認識の評価とするならば、これは政府の認識が間違っているんだ、こういうふうに私は思わざるを得ない。  そこで、私の見解ばっかし言っていると質問の時間がなくなっちゃいますけれども、世界各国でそういう例がないものがいま日本で起こった、これに対して深い反省をしているでしょうね。どうですか。私ばっかし言ってもしょうがない。してますでしょうね、長官。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 反省ということも一つの表現でありますが、要するに、このような問題は、一審においてそのような判決が下った以上、すみやかにこれはまず司法の場において最終審である最高裁の結論を出してもらいたい、そのことに政府は努力しようとして一応合意を求めた飛び越し上告を法務省でしてもらったわけでありますが、合意を得られなかった。したがって、その次に手続をとる道としては、もう高裁上訴しかありませんから、その上訴の手段をとって、願いは、一日も早く、この論議が司法の場限りであっても、それに対して結論を出してほしいということを私たちとしては努力する以外にはない、そう考えます。

黒柳明公明党

○黒柳明君 だから、それはいいのですよ。それは被告の立場でおやりになるのはあたりまえじゃないですか。いまのこの原点に立って、ここまで来たのは憲法解釈の違いだなんということじゃなくて、やっぱり政府が二十年間リードしてきたこの自衛隊の存在というものに対してある程度の判決が下ったわけですから、これに対して国民は率直にそれを受けとめた。まず私は、世論調査すれば、もう相当数が自衛隊はだめなんだという認識をしていると思いますよ。この認識の上に立って、あくまでもいま政府が何らかのここで反省をして、そして新しいスタートをしなさいと言うのですよ、私は。   〔委員長退席、理事中山太郎君着席〕 その反省というのは、私たちはいいんだ、これだけを言っていたのではだめだというのです。国民が基盤じゃないですか。私、これからその話に入っていきますけれどもね。あくまでも公益性から始まったことでしょう。あくまでも、国を守り国民を守るための自衛でしょう。であるならば、国民の認識を無視するわけにいかないじゃないですか。国民の共感というものに対して、そんなことはと言うわけにいかないじゃないですか。いまこの時点において、自分たちや野党、憲法論議に対して悪いとかいいとかじゃなくて、国民の認識ですよ。これに対しては、私は率直に、ある意味において、いままでの政府の姿勢に欠陥があったと、そう認めざるを得ない時点だと思うのですよ。それは、ある意味においてといったって、いろいろなことがあります。PRの不足だったとか、あるいはいろいろ国会答弁がエスカレートしてきたとか、あるいは自衛というものが非常にあいまいであったとか、あるいは統治行為論までも持ち出さなければならない時点に当面したとか、いろいろなものが含まれているでしょう。だけれども、そういうものを含めて国民の認識というものに対して政府は背を向けるわけにいかないじゃないですか。これに対して、率直だったといま言ったじゃないですか。明快だったとおっしゃったじゃないですか。その率直で明快であるという認識はもうできているのですよ、国民の中に。いいですか。政府は、その国民の意識に対して、ある意味においての反省——それか間違っていたかどうかということは求めていません、私は。それを原点にして新しい方向に出発しなければだめなんじゃないですか。その非を非とし、是を是とする態度に国民はやはり合意をつくっていく、形成していく。それに対して、いや上訴するのだ、そこで早く結論を出してもらえばいいのだ、こういう姿勢は、ちょっと私は国民サイドに立った感覚ではないじゃなかろうか、こういう感がします。ある意味の反省、ある意味でのこちらの——こちらったって、皆さん方ですよ、政府・自民党の決意をした点、そういうものも総合して、やはり国民の認識、それに対して認識を求めてもらおう、こういうこともあるんじゃないですか、どうですか。もうこれ以上ややこしく言ったって同じですよ。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) まず、今回の判決を離れて、自衛隊が国民の理解と協力なくしていかなる装備を近代化しても、その能力は半減するということは、私の就任いたしましたときの訓示でもあります。私はその信念は持っております。ただ、判決が明快であったということと、国民は明快にこの判決を支持したということとは同義語ではありません。判決がきわめて明快に言ったことについて私は言っているのであって、その判決の結果について、いわゆる自衛隊違憲であるという結論について国民の大多数が、これですっきりした、賛成である、われわれも自衛隊は違憲の存在であると思い、したがって判決の内容そのものに賛成であるという国民がほとんどであるという認識は、私どもは持っていないということであります

黒柳明公明党

○黒柳明君 だから、私は冒頭に、しごく共感も呼んだんではなかろうかという質問をしたわけです。その点を踏まえてやっぱり御答弁をいただきたかったわけですね。この点はやり合っても平行線になるかと思いますけれども、そこで、長官もいろいろ苦労されたと思うんです。当日の防衛庁の訓示の中で私ちょっとひっかかるんです。外部からのいわれない批判や攻撃は多くなるものと予想されるが云々と、これ、どういうことを想定されました。外部からのいわれなき批判や攻撃が多くなる——これは文章をおつくりになったとき相当慎重にお考えになったことは間違いないと思いますが、これ、どういうものを想定されます。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) まずお断わりいたしたいのは、これは防衛庁というものが国民に向かって呼びかけたことばではありません。その判決を受けて、結果的ではありますが、違憲の存在とされた自衛隊、防衛庁の隊員、職員に対して、その統括者たる私が私の責任において、総理の一応の御了解を得て行なった訓示であります。したがって、あくまでも隊員に向かって言ったものでありますから、私としては、司法の手続において当然二審、三審が残され、最終審は違憲に関する限り最高裁である、これはもう常識でありますので、その間確定したものではない。したがって、不安動揺もするなということでありますし、信念も持って誇りを持てということでもありますし、また、事実そのようなことが現象として一、二あらわれておりますが、家族とか子供とか、そういう者たちが、この判決以降あちこちにおいて、やはり私としては子供たちがいわれなきと言われるような仕打ちをされる理由はないと思いますけれども、国民であることに間違いないんですが、そういうこと等も心配しておりましたので、したがって、そういうようなことがかりにあったとしても、それに対しては、き然たる態度を持って、外に対しては謙虚にということばをつけ加えておるのもそこに私の問題意識があるわけであります。

黒柳明公明党

○黒柳明君 先ほども話がありましたけれども、それは被告の立場ですから、これから声を大にして合憲性を主張していかなけりゃならない。だけど、三権分立とはいいながら最高裁の長官も任命する権限を持っている、そういう行政が相当慎重な発言、行動を起こさないと、いわれなき中傷、誤解を国民に与えることは間違いないと思うんですよ。外部から変な攻撃かある、というと——私はもう気が小ちゃいから、何か外部からというと、私なんかも外部の一人になるのじゃないか、そうするとあまり変なことを言えないかなという、こういう気もしないではない。私たちのこういう正当な意見というものもその中に含まれてないことはあたりまえだと思いますけれども、そこらあたり、ひとつますますこれから慎重に、特に当事者である長官が訓示なり行動なり起こしませんと、またこういうことから変な事態にもなりかねない。このことが一つちょっと私気になっていた。それから、それ以後自衛隊に対していろんな問題起こっていますね。これはあとにすることにしまして、そこで、私は先ほど何回も言いましたように、この原点、要するに、森林法第二十六条の公益性があるかどうか、これは裁判の判決はさておいて、自衛隊の基地がある、これが公益性があるかどうか、この場合の公益性——これは何か程度の低い質問のようになりますけれども、自衛隊の基地があるというこの公益性というのはどういうことですか。   〔理事中山太郎君退席、委員長着席〕

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) 御指摘のように、森林法の二十六条に、「農林大臣は、公益上の理由により必要が生じたときは、その部分につき保安林の指定を解除することができる。」という規定がございまして、今回のこの長沼のミサイル基地の施設、それの設置を理由として、この二十六条二項によって保安林の指定を解除した。それが裁判では争われたわけです。そこで、公益上の理由ということになりますが、これは私どもの考え方からいえば、国家の防衛というものは、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするための基礎的な条件をなすものであります。一言でいえば、そういう意味で、国家の防衛及び防衛施設の設置はきわめて高度な公益性を持つ国家作用であるというふうに考えておる次第でございます。

黒柳明公明党

○黒柳明君 そうでしょうね。これは国語の解釈でもいいかと思います。自衛隊の基地、国家の安全保障、国民を守る、こういう観点だろう。ところが、この公益性に未知数の要素がありますか。未知数の要素。公益性というものの中に、公益性といったって、何もむずかしい考えじゃないですよ。普通の公益性でいいですよ。国民のために利益する、こういうことでしょうね。それに未知数の要素というのがありますか。法制局——まあ法制局といったって、これは国語の先生がいればいいんですけれどもね。別に法制局長に聞くようなむずかしい問題じゃないのです。未知数の要素あるいは疑惑の要素、こういう要素を含んだ公益性というものはありますか。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) ちょっと私、御質問の趣旨を十分理解しませんけれども、法律で公益性といっておるわけですから、その公益性ということがあることについての十分な立証はしなければいかぬと思います。何か疑惑性といいますか、疑いを持っていたのじゃ、どうもそういう立証はできないと思いますけれども……。

黒柳明公明党

○黒柳明君 当然そうですよ。これは何も法制局から政府の考えを聞くほどの法解釈じゃないわけです。公益性、普通の国語の字引きを見れば出ている問題です。要するに、広場をつくる、保育園をつくる、幼稚園をつくる、その公益性、これに、広場をつくったから、これは付近住民のために役に立つとか役に立たないとか、あるいは保育園をつくったからそこに公益性が伴うかどうか、そんなことを考えてつくるのじゃないのですね。やっぱり公益性というのは、一〇〇%公益性があると断定できるものですよね。未知数とか、疑惑の要素、ありません。ところが、先ほども長官がおっしゃったですね。海上保安庁どころか、いまの海上自衛隊だって敵の攻撃に対しては守り切れるなんという断定はできません。いわゆるいまの自衛隊では、自衛のための最小必要限度の自衛力を有する自衛隊では、自衛が完ぺきにできるという断定はできますか、どうですか、長官。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) もし、日米安保条約を結んでいなかったとしたら、不可能だと思います、自衛隊の能力においては。

黒柳明公明党

○黒柳明君 安保条約があっても不可能なケースは考えられるのじゃないですか。どうでしょう、安保条約があったって不可能。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これはいろいろな態様によると思いますけれども……。

黒柳明公明党

○黒柳明君 可能性を論じています。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私どもは、アメリカとの安保条約というものが日本の自衛力を補完し、したがって、日本に対する直接間接の侵略をすることを行なう意図、その意図そのものを起こさないようにしておる体制というものが望ましき体制であると思っております。したがって、かりに、どういう体制でありますか、とにかくアメリカとは戦争しない、しかし日本だけをやっつけるのだというようなことがあったにしても、安保条約はやはり日本の中におけるどちらか一方に対する攻撃はその締約国の相手国に対する攻撃とみなすとなっておりますから、これはやはりアメリカは、日本に対して、どたんばになっておれ知らぬということにはならぬだろうと思いますから、なかなかそこのところ、むずかしいので、答弁しにくいのです。

黒柳明公明党

○黒柳明君 これは法務大臣のほうがすなおですから、すきっと言うので、長官のほうはなかなか、そんなところむずかしいのですけれどもと、こう濁すのですけれども、これはあくまで未知数の要素です。それこそ、法務大臣の先ほどの御答弁を使えば、わからないと言ったほうが率直でしょう、すなおでしょう。どういうケースが起こるかわからないじゃないですか。日米安保条約があるからそういう何らかの戦争、日本を攻撃侵略する可能性を抑止する力になっているであろうという、そうじゃないという判断があるのですから、また、あろうという判断を持つ人だって、何か局面が起これば、ああそうじゃなかったとなったときだってあり得ますよ。可能性ですから、未来のことですから。先ほどおっしゃった法務大臣のとおり、これはわからないと。未知数じゃないですか。不安定要表じゃないですか。日米安保条約があるんだと、当然自衛隊だけでは他国の侵略に対して日本を自衛する力はない——それはそうでしょう、ますます。安保条約があったって未知数の要素が非常に多い、こういうことですね。でありながら、皆さん方の解釈では、自衛のため必要最小限度ならばこれはもう自衛力——軍隊じゃないんだと、戦力じゃないんだと。ところが、そういう不確定要素、未知数の要素を持った自衛隊です。皆さん方のことばを借りますよ、自衛のための最小限度の力。自衛のためじゃないじゃないですか。わかんないじゃないですか、この力は。自衛できるのかできないのか。日米安保があったって、そのときの迎えた局面によって、それこそわからないじゃないですか。そういうわからない自衛のための自衛隊であるならば、これは公共性があるなんてこと言えないじゃないですか。不確定要素、未知数、疑惑、そういうものを多分に含めたいまの自衛隊、日本を守る自衛能力、そういう自衛隊であるならば、これは公益性があるなんてのは断定できませんよ。公益性なんてものは、政府が言う公益性なんてものは、不確定要素がある。私も八年間の国会、こういろいろ皆さん方におじゃまいたしましたけれどね、そこで調べた範囲においての公益性というものはね、政令をとったって、内規をとったって、不確定要素なんかありませんよ、みんな断定してますよ。どうですか、法制局長官。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) ただいま不確定要素があるではないかというお話でございますけれども、これは、わが国の防衛庁のもとにおいて存立をいたしております自衛隊のわが国を自衛するための能力において完全なものではない、もちろん米国との安全保障体制というものを前提にしておりますけれども、それでもなおかつ十分なものではないということについて不確定要素ということばをお使いになったんだろうと思います。その意味で、自衛のため十分なものではないということはいなめないことであろうと思います。それは、わが国の自衛力と申しますものは自衛のため必要な最小限度内にとどまっておる、最小限度のぎりぎりのところまでまだ達しておらない、自衛のため必要な最小限度内において漸次整備して、自衛のため必要な最小限度に将来は達することがあるかもしれませんが、現在においては達していない状況でございます。それでも、わが国の自衛のためにそういう自衛隊を整備しておることが、米国との安全保障条約というものと相まってわが国の自衛のために役立っているというのが現在の政府の認識でございます。その自衛のために役立っているということの一環としてこの長沼のところにナイキの基地を建設することが、その自衛のために必要な最小限度の範囲内の自衛力を整備する一環としてそういう基地の整備というものが行なわれたわけでございます。したがって、それは公正の利益に役立つことであるという認識で保安林の解除を農林大臣はしたものであると考えております。

黒柳明公明党

○黒柳明君 私の聞きたいこととは全然違うんですけどね。一般論として、政府がとっている公共性というものはどういうものですか、この事件とは離れて。公益性とはどういうものですか。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) これは、たとえば憲法第二十九条で公益、公共の利益というようなことばが出てまいります。これは、個々の利益を離れて、一般多数の国民のために利益になるということでございます。

黒柳明公明党

○黒柳明君 そういうことです。言うまでもないですね。個々の利益を離れて一般の国民のために利益がある。その国民のために利益があるということは、あるということが断定なんですよ。前提なんですよ。なきゃいけないんですよ。どうですか。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) もちろん、公共の利益という場合には、公共のために利益になることが必要でございます。

黒柳明公明党

○黒柳明君 そうでしょう。だから憲法で言っているその公共——公益と若干ことばは違いますよ。だけど同意語でしょう。それは個々の利益を離れて全体の利益に供することと断定しているんですよ、断定。いいですか。ところが、自衛のための最小限度の自衛隊というのは、これは断定の要素はないんです、国を守れないじゃないですか、第一。これは守れるんだと、百歩譲ってですよ、いま。賛否を離れて。絶対これで守れるんだとなった場合に、百歩譲った場合に、公共性が、公益性がそこに生ずるんでしょう。それがまるっきり守れるか守れないか、現段階においては——未来のことを言っているんじゃありません、私は。そういう要素を含んでいる自衛隊、それが公益性があるということは考えられないじゃないですか。おかしいじゃないですか、議論として。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 完全に外からの侵略を防衛することができる能力を持っているものでなければ公共の公益と言えないということはないと思います。わが国の現在の自衛隊が自衛のため必要な最小限度というものの範囲内において整備をいたしておる。それによってわが国及びわが国民の利益が守られているわけでございます。そのわが国及びわが国民の利益を守る自衛力の一つの整備の態様として、長沼にナイキの基地を建設するということでございます。したがって、公共の利益に仕えるものであることは明らかでございます。

黒柳明公明党

○黒柳明君 これは、長官のおっしゃった、国民の支持がなければ自衛隊の存在はあり得ないというお考えからいまの断定はあり得ませんね。守られているという断定は、これは相当国民の中から反発を得ることは、これは世論調査に出ていますからね、これはないですね。これは一方的な見解です。守られているということは一方的な見解ですね。一方的な見解ならば私は納得できます。守られているという判断。どうでしょう、長官。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これは、たとえば、いま一番守り切れる軍備を持っているものとすれば……。

黒柳明公明党

○黒柳明君 いや、いや、そうじゃなくて、いまの守られているというのは一方的見解ですねということ。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) アメリカ、ソ連というものがやはり代表的な力を持っていると思いますが、その両国においても、いろいろな核装備についてのお互いの合意を求めようとしたり、不戦の約束をしようとしたり、かと言って、反面では開発競争をしたりしておりますが、要するに、そういう国々も、最悪の場合が起こった場合には、もう核時代に入って、自分たちの民族、国家というものがもう生き残れないというようなことはやはり不安があるんだろうと思います。したがって、全然どこの陣営にも、あるいは二国間、多国間、あるいは双方のそれぞれの傘下にもない、そういう国であっても、もし核戦争が地球をおおった場合においては、私はやっぱり、守り切れるかと言えば、そこに今日の時代においては断定できない不安な要素が残っておる。それがやはり米ソの交渉あたりにあらわれているのではないかと思いますので、ちょっといま御質問の点に、それだから公共の利益に合致するということを断定したことは一方的な意見であると認めろと、こういうことでありますけれども、私たちはそういうふうに思いますが……。

黒柳明公明党

○黒柳明君 だから、私たちというのは一方的ということですよ。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) だから、あなたの党もしくはあなたがそれを認めないとおっしゃれば、その関係においては、あるいは私たちの立場のみの見解かもしれません。

黒柳明公明党

○黒柳明君 そうでしょう。それで、いまは日本の憲法、それにのっとって長沼判決という判決が出たんですよ。そのワクの中で論議しているのですよ。過去の抽象論あるいは現時点でのどこかの国の憲法をひっつかまえて話しているのじゃない。いいですか、長官。現時点の長沼判決、その前提のわが国の憲法というものを踏まえて話しするのですよ。だから、どこかの国であったって、やはりソ連だってアメリカだって、いざとなれば守り切れるかどうかわからないじゃないか——そんなことは向こうの憲法ですよ。向こうの憲法に戦力を保持しないなんて書いてないですよ、そんなことは。米ソの憲法にそんなこと書いてないでしょう。それは別です、話は。いいですか。いま法制局長官、また山中長官がおっしゃったこと、これはあくまでも、守られているというのは政府・自民党ないし国民の一部、それも私は少数だと思いますよ。決してマジョリティーじゃないと思いますよ。野党、また大多数は、特に今回の判決を踏まえて——何回も言いますよ。それによっては、これはおかしいぞと、こういう感覚があることは、もうすなおに認めざるを得ないと思いますよ。そういうワクの中で憲法にだって、国民全体に対して——全体というのは、私、オールだと思うのですよ。オールモストじゃないと思うのです。その点はいいです。主観によって違う。主義主張も違う。そこまで包含しろといったって無理かもわからない。しかしながら、あくまでも国民全体に対しての利益を与えることなんだと。ところが与えてない。与える可能性がない自衛隊が公益性があるなんということにはならないじゃないですか、長官。ほかのことに意見をすりかえないでください。ほかの国なんか例に出したってだめですよ。断定できますか。自衛隊は最小必要限憲法で許され、自衛力で日本の国を守ると断定できますか。できません。いいですね。いまおっしゃった、できないということは、国民を守るか守れないか不安要素が一ぱいある、こういうことです。不安要素があるということは、広く国民のために利益を与えられるかどうかわからないという段階、いまの自衛隊は。そういう性格を持った現時点においては、これは公益性はないですよ。どうですか、長官。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 自衛隊の役目ですが、これは自衛隊が存在し、そして過去四半世紀の間、日本は外国から日本に対して武力を背景にして国際的などうかつあるいは紛争解決の手段を行使されたことはありませんし、そのこと自体が、自衛隊、そして足らざるところは安保条約による米国の力によって補われているという、その姿の中においてはじめてこの平和が持続されてきたものと思います。したがって、日本の自衛隊の能力というものが一国だけでもって完全に今日の核戦争時代において、それが日本列島を守り切れるのかということに明確に答えられない。かといって、それは公共の存在ではないということは私は賛成できません。すなわち、自衛隊は、われわれ国民の許容する範囲において、練度を高めて、外国に脅威を与えることのない装備のもとに、しかし、日本を直接もしくは間接あるいは局部的に侵害するものがあれが全力をあげてこれを排除するという能力を果たしていく役目として、国民に、これまた全部とは私も申しません、許容されている範囲もあると、そのように思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 私は何も断定するとか——法務大臣、また同じ答弁で申しわけありません。賛成するとかしないとか、してくれとかいうことじゃないんですよ。ですけれど、あくまで公益性があるかないかという純客観的な、あるいは憲法に明示された公共性ということも未知数の要素、あるいは皆さん方が毎日毎日行政をとっているじゃないですか、その中に公益性というものに未知数の要素なんかあったらたいへんですよ。あなた、そうでしょう。これはわかってくださいよ。そういうものを踏まえて、これに解釈の相違はない、こういうんです。子供の広場をつくる、いろいろなものについての公益性に食い違いはないというんです。それを踏まえた上に、最小必要限の自衛隊で、百歩譲って、守られるという断定したものがなければ公益性ということばは相いれないというんです。皆さん方の毎日毎日の行政の中でこれも繰り返しているんですよ。どうでしょう、法務大臣、ひとつこの際、正直な御答弁をやってくださいよ。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) これは法務大臣の答えることではないのですがね。しかし、法務大臣は国務大臣であり、憲法解釈に関することはものを言うてよろしい、そういう点から申しますと、この自衛のための手段としての自衛隊の存在というものは、その意味において公益性はある、公益性はあるんだと、こういうふうに私は信じております。

黒柳明公明党

○黒柳明君 私が踏まえた前提を無視していますから、皆さん方の答弁がおかしくなる。まさか公益性がないとは言えないでしょう。そこで、あくまでも自衛隊というものは是としてそういう意見が出てくるわけですよ。だから引っ込みがつかないんだ、ここまで来ちゃったら。いまの金大中の問題と同じです、あの事件と。ここまで来たら引っ込みがつかないんだと、こういうことで、もうしょうがない、何とか国会における質問をかわすよりほかないと、こういう感触と同じだと思うんですよ、いまおっしゃっていることは。  そこで、はたして皆さん方がほんとうに日本を愛し、日本を守るという平和思想に徹底しているかどうか、ここが問題だと思うんです、私は。この原点。だから、先ほども憲法の原点に立ってこの問題は判決が下されたということに一つの評価があるわけですからね。ちょっと古い話になりますけれども、昭和二十一年ですか、幣原さんが草案して、そうして吉田さんが時の貴族院に趣旨を説明した、そのときの文章をもう一回読んでみる。なぜかならば、憲法の原点に立った判決ですよ。と見ると、これはやはり相当この時点においては、この第九条についていまの姿なんというものは想像もしなかった、言うまでもなく。吉田総理から、あるいは鳩山さんから、岸さんからもエスカレートしてきたこと、いまさら言うまでもありません。旧安保のときにはカービンだった、新安保になってから急に百五ミリのりゅう弾砲、水陸両用戦車、F4も持つようになった。こういうふうなことで、要するに、この判決は何をいっている、憲法の原点に返れと、こういう意味から、もう一回、私は昭和二十一年——もう私は、こんなときは政治なんていうものは何ものか知らない、非常に純真なときだったです。毒されていないときですよ。——いまだって毒されていませんよ。  こう書いてありますよ。「日本国ハ永久ノ平和ヲ希求シ、其ノ將来ノ安全ト生存トヲ擧ゲテ、平和ヲ愛スル世界諸国民ノ公正ト信義ニ委ネムトスルモノデアリマス、此ノ高キ理想ヲ以テ平和愛好国ノ先頭ニ立チ、」——いいじゃないですか。「正義ノ大道ヲ踏ミ進ンデ行カウト思フ固キ決意ヲ、国ノ根本法タル憲法ニ明示セムトスルモノデアリマス、」——これがいまの長官の精神でなければいけないのじゃないですか。あるいは法務大臣の精神たるべきじゃないですか。ねえ、どうですか。ここにいろいろなこと書いてありますよ。日本国は永久の平和を希求する世界諸国民の公正と信義にゆだねんとするものだ、平和をですね。それを、高き理想をもって平和愛好国の先頭に立って、そうして正義の大道を進む、この根本法がこの憲法だ、決してこれには、失礼な話ですけれども、水陸両用の戦車がある、あるいはどこへやったって百発命中だよ、百中だよ、ハーキュリーなんてすごいんだぞ、なんていう子供じみた考えはないですよ。あくまでも平和だと、再び戦争をやるべきじゃない、こういう大前提です。平和主義そのものですよ。これがいつの間にか変わっちゃった。どうですか、山中長官、時は変わり、世は変わる、歌の文句じゃありません。しかしながら、私は、この憲法の原点に返った判決、この際もう一度、皆さん方の大先輩であるこの吉田首相の平和に対する烈々たるこのことば、これをもう一回思い起こさねばならない。どうですか、山中長官。まあ何かこう、精神的なことで、私こんなこと好きじゃないのです。もっともっと現実を踏まえて質疑したいのですけれどもね。こういうりっぱな精神がある、あったのです。それがもう歴代の内閣で全部変わっている。もう一回この原点に戻りませんか、長官。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 精神は変わっていないのじゃないでしょうか。やっぱり、いま責任者である私も含めて、日本がもう一ぺん国権の発動たる戦争をしてみよう、あるいは力がついたからおどしをかけて国際紛争解決の手段に使ってみよう、そういう気持ちを持っている政治家は一人もいないと思いますよ。したがって、わが国が平知であって将来とも安泰であるように、われわれの子孫にまでその平和と安泰を残してやれるようにという願いは、これはひとしく共通したわれわれ日本国民の願いであると思いますし、政治家もそのとおりである。しかしながら、その平和を維持するための形というものが、逐次、外国も変わってまいりましたし、当然昭和二十一年ごろにミサイルなどが開発されていたわけでもありませんし、そういうことで変化をいたしてまいりました。その当時にあったものとしては、核の脅威を日本は初めて受けた国である、しかも唯一の被爆国であるという立場から、核に対しては諸外国が不可解と思うほど私たちはアレルギー症状を呈して、絶対に戦術核といえども持たない、国会においても決議までして、それを内外に示しておる。この姿勢は、平和愛好の姿勢は、依然として変わっていないということは、私は自信を持っていえると思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 まあ、平和愛好の姿勢は変わっていないという口は簡単ですけれどもね。現実の自衛隊の姿がそうじゃない。しかも、おかしいという判決も出たのですから、これはやっぱり一番冒頭に私言ったように、変わっていないのだということから出発すると、国民はついていけません。もう与野党の意見なんかいつまでたっても平行線です。  また古い話ですみません。マッカーサー元帥というのがいたらしいですね。あの人は、平和愛好国は一つの信仰として貫き通せという、信仰として持っていけなんていう、非常にきびしいというか、時の憲法に、平和憲法に対して、まあある意味での尊敬の念を払っていますよ。信仰としていけと、この平和愛好のこの精神を、このくらいな気持ちを持っているのですが、口で言う、それほどの平和愛好なんということは、これはもう絶対私は承服できない。考えられない。これ、判決に出ているこの部分は承服でしょうね。こう書いてありますよ。「憲法の平和主義と同法第九条の解釈」、その中で、現憲法は「国民主権主義と、基本的人権尊重主義と、そして平和主義」だ、これはまさか——このとおりでいいでしょうね、判決。このとおりでいいでしょうね、これは。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) ただいまおあげになりました三つがわが国の憲法の基本的な三本の柱であるということは、そのとおりであります。

黒柳明公明党

○黒柳明君 ここまでは当然です。もう異議をはさむ余地はありません。  それからちょっと続きまして、「このことは、過去の歴史上、戦争が、国民の生命財産を守るために国民の意思によつておこなわれたことよりも、しばしば、」——ここですよ長官、「国民とは遊離した一部の者が支配する政府の独善と偏狭のために原因が形成され、ぼっ発したという事実に基づいて、そのような過ちを二度とくり返さないために、国民主権のもとに強く政府の行動を規制し、その独善と専行を排除することにより、平和の万全を確立しようとするものであり、他面、国民主権主義が、真に国民のためのものとして確立されるためには、そこには、平和主義が十全に確保されていなければならないとの思想に基礎づけられているものである。」ということなんです。歴史によると、往々にして、この憲法の国民主権基本的人権尊重、あるいは平和主義というこの基調が——あるいは長官が、いや平和主義は変わらないとおっしゃったけれど、過去の歴史は、往々にして一部の国民と遊離した政治支配があやまちを繰り返した。それを二度と繰り返さないための足かせの憲法だ、こうおっしゃっているのです。私、過去の歴史といったって、まさか福島裁判長が昔までさかのぼっているんじゃないと思うんですよ。いわゆる近代戦争を言っているんだと思うんですよ。そうでしょう。そのあやまちを二度と繰り返さないためのものだと言っているんですよ。これについてどうですか、この点は。長官、ひとつ。法制局じゃなくて、長官でいいですよ。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これは、「過去の歴史上、」というのは、明らかに第二次大戦を直接にはさしているのだろうとおっしゃる。いわゆる近代戦争を行なった日本のむざんな敗北。一部の軍部の支配による独走、こういうものをさしておることは間違いないと思います。私たちもその認識に立っております。したがって、そのようなことを私たちが繰り返すことのないような、そういう政治機構の中に自衛隊というものが実力の組織として位置されなければならない。このことによって、われわれはシビリアンコントロールの確立ということはいつも言っておりますし、現に国会において提案いたしております法律も、現在の防衛二法は、ことしの分だけではなくて、過去二年皆さま方の最終的な、数は自民党が多かったにしても、具体的な御同意を得られなかったということによって法律が成立しないために、実質上私たちは法律で許容されないものについてはやってこれませんでした。そのようなことにおいて、もちろん、憲法において国務大臣は文民でありますし、また二分の一以内は民間から、国会議員以外からとれるとしても、やはりそれは文民としてのおのずからなる制約を受けるということでありますから、そういう意味において、この指摘の趣旨については、私たちも過去のあやまちを繰り返してはならないということにおいては別段他意のあるものでなく、この趣旨は私たちが今後も体していくべき趣旨である、そう思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 これはもう当然だと思います。  そこで先ほどの自衛隊のあり方と公益、国益ということ、またもう一回戻りますけれどもね、国民不在の国益、こういう観点があったと思うのですよ。やっぱり国民中心の国益、これでなきやならない。そこで私は、自衛隊のあるべき姿、たとえば災害出動なんかに行きますね。あれ自体に別に非難される論点はないのです。やっぱり人手が足りませんからね。汗かいてやっている。私もそういう局面に当たった。けっこうなことです。ところが、国を守るということになると、どこが攻めてくるのか。何をそんな、攻めもしないのに高い税金、ここはおっかぶさってくるのです。それよりも家を、道路を、公害を……、ここでまたおかしくなってくるのですね。ですから私は、国民に支持されない自衛隊はあり得ないと、そういう観点から、もし今後自衛隊のあり方というものを検討するなら、災害、あれは本来の任務じゃないと、あれはサービス的な行動だと——そうじゃないと思うのですよ、ぼくは。それは何も自衛隊の姿を変えるという意味でもないと思うのですよ。  一番いまいいのは、私のサゼッション、地震ですよ。地震に対する徹底的な訓練をしなさい。訓練だけだっても、あ、これは自衛隊はある意味では国民のための自衛隊なのかなあと。百歩譲って言っているのですよ。何もそれは、全部奪うばかりが能じゃないですから、そういう訓練をして、いざとなったときには勇猛果敢に地震の災害に対処するぐらいの自衛隊の姿をとってごらんなさい。そうなれば、また全部が国民の疑惑を払拭されないまでも、ある局面においては部分的には役に立つ、あるいは愛される自衛隊という、論理的には成り立つかもわかりませんよ。本務とサービスなんて分け方をしない。すべて国民に奉仕する、国益を守るのが自衛隊だと、こういう観点に立つ。災害出動も喜んでやる。であるならば、当面非常に、災害に対して自衛隊の出動というものはある局面においては国民の理解を深めるケースもあり——それかいいということは別ですよ。存在を肯定することとは別ですよ。そういうことは考えられませんか。自衛隊の任務の本質的なあり方、いまのまんまで自衛隊はいいんだ、どんどんと増強していきゃいいんだ、もうおれたちはいいんだと、憲法解釈が間違っていればかってにやらしておけと、こんなことじゃだめです。まず百歩譲って言った場合に、そういう自衛隊の任務のあり方、自衛隊の役目のあり方、そこも当然、いまのこの判決を境にして抜本的に検討しなければ、国民に愛されない自衛隊はないと口じゃ言ったって、ますます反駁を受ける自衛隊になりつつあるじゃないですか、どうでしょう。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) ただいまの御意見は、そのとおり私もいただきたいと思います。主観をまじえて申しわけありませんが、総務長官をいたしておりますときに防災会議の責任者でもありましたので、自衛隊が防災訓練、すなわち地震訓練、大地震等の想定訓練に参加してもらうことを、委員会等でも、予算委員会等でも、そういう計画を練りたいということを討論したこともあります。しかし、それが実行されずに今日まで来ております。私は防衛庁長官に就任いたしまして、いま御指摘の点、今日、関東地方を中心でありますけれども、国民の非常な不安、潜在する動揺というものがある中で、自衛隊がどうして一緒に演習できないのかと、災害訓練等地震対策はできないのかという疑問も持ちますが、図上では参加しておりますけれども、形で参加するとなりますと、地方自治体その他とも一緒にやりますために、なかなか出にくい。それならば自衛隊自体で想定をし、演習をするということをやろうということで、ただいまの御意見はそのまま私もいただいて努力してまいるつもりであります。

黒柳明公明党

○黒柳明君 まあ、いただいてといっても、具体的にはいろいろやっぱり問題があると思いますよ。根本的にやっぱりこの違憲というものを踏まえた自衛隊が来たら、今度ははれものにさわるみたいな可能性もありますしね。だから、そこらあたりは、私冒頭に、何らかの反省から出発しなければだめですよと、こういう根本的な姿勢に対しての御忠告をしたわけですけれどもね。ですから、それ、いただいておきますからといったって、そんな簡単に、それじゃどうやるのかとなったときには、もうわかりませんと、わからないということは、あんなのはかってにしておけばだいじょうぶなんだという理論にも通じかねないような——私の邪推かわかりません、そういうきらいもなきにしもあらずです。私は何も自衛隊——それはもう一生懸命やっておる隊員にしてみれば、今度の判決はやっぱり心中非常に穏やかならざるものがあると思う。一ぱい聞いているのだ。だから私は、そういう個人に対して、そういう一隊員に対して、これじゃならないという大きな立場に立ってものを言っているわけですよ。そうなった場合には、与野党対決しているんだから、そんな違憲な憲法解釈しててる自民党なんかに承服できないと、こう言うばかしが、私は、私の論理、たてまえでもなかろうと、こういう意味から、一隊員のそういう、やめてもいいけれども行くところがないんだと、やめもできないと、だからますます何か世間から変な目で見られると。背広も着たいんだけれども、一着っきゃないと。やっぱり制服のほうが安あがりだと言っているんです、そんなことを。そういう人たちのために、ほんとうにこの際あらためて、その実際的に愛される姿というものに変えるという姿勢がなければ、これはまず初歩的な段階から、もう言うこととやることとは、認識していることと評価されることはまるきり違ったものに進んでいくぞと、こういう私なりの判断であります。  そこで、また前に戻りますけれどもね、先ほどの、自衛の範囲はどこか、あるいは自衛の能力はどういうものか、これはさんざん国会で論議されています。先ほど、みずから守れない自衛隊がはたして公益性があるのかと、こういうこと言ったんですが、これまた若干戻りますけれども、具体的に、国際情勢はいま流動しています。そういう中にあって日本の国を守る、これはもうエスカレートせざるを得ません、装備の上において。それとともに、国際紛争に巻き込まれない、国際紛争を解決しない力といったって、これは論理的にはわかるような気がしますけど、現実的にもし侵略でも攻撃でもあったときに、それに対して対応するときには、どうしてもこれは、いまの狭い地球、いろんな各国が同盟なり条約で結ばれている、国連の機能が十二分に発揮できない、そういう国際情勢では、自衛の手段ということ即国際紛争に巻き込まれる可能性は一〇〇%ある。現にそうじゃないですか。朝鮮事変そう。ベトナムもそう。ラオス、カンボジアもそう。全部何らかの国が関与してやっている。二国だけということはあり得ません。そうなると、この自衛の範囲、国際紛争に巻き込まれないということは、これからますます地球民族主義、地球が一衣帯水、そういう国際情勢において、これはむずかしいんじゃないですか。判然としなくなるのじゃないのですか。この点、どうでしょう。区別ができなくなってくるのじゃないですか、ますます。この点、どうでしょう。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) そういう見方もあると思いますが、それは通常言う軍隊をもって交戦権まて行使できるような——まあ大国、小国、いろいろ規模の違いもありりましょうが、そういうものと日本の場合は違っておる。したがって、日本の場合は、相手がしかけてこない限り、日本のほうが先に攻めることは絶対にあり得ないわけでありますし、しかもそれは、日本の防衛のために必要最小限度の各種の条件の制約のもとに行動範囲も限られておって、限定するならば、戦闘行為というものが現実に起こると考えるならば、それは領海、領空、直接の領土というものがいま明確にし得る範囲内のものであるということでありますならば、私たちの自衛隊というものは他国の軍とは違う。したがって、私たちの意思によらずして世界が戦争に巻き込まれたという場合でも、日本というものをそのために攻めるという場合においてのみ日本が対応するわけでありますから、二国間で日本が原因となって戦争を起こすということは私たちにとっては存在しないことであろう、そう思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 領空、領海ですね。ですけれども、先般の極東条項、アジアの範囲がだんだん広がった。衆議院で問題になりました。どこまでアジアの範囲を広げ、極東の範囲を広げていいかわからなくなりましたね。同じようなことが起こる可能性は十二分に考えられるのじゃないでしょうか。こちらから攻めて行かなきゃけっこうです。攻められる、そのときにやっぱり領海、領域でそれをやるだけですか。絶対一歩も出ませんか。そういうわけにいかなくなるのじゃないですか。どうでしょう。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) それは、なるほど領海、領空というものを一応——目には見えないわけですから、それから出たというときには、相手が攻撃してきたものでも自分たちは引き返すというのは常識上あり得ないでしょう。しかし、逆にいって、領海、領空、領域というものを相手方の問題だと考えれば、そういうところには私たちは行かないんだということでそれが反面立証されるのじゃないかと思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 だから、相手方のところに行かないというのは、主導的には行かない——まあ行くかもわかりません、行かないとしておきましょう。だけれども、やっぱり領空、領海——相手国のですよ、行く可能性は否定はできないじゃないですか、そういう事態が発生した場合には。これは否定できないんじゃないですか。いまだって引っ返すわけにはいかないとおっしゃったわけでしょう。ですから、こちらから進んで相手の領海、領域に行かないにしても、そういう紛争が起こった場合に、自衛の守備範囲という、領海、領空という範囲をこえて、そうして相手のところまで行く可能性は否定できないんじゃないですか。バックできないとおっしゃっているじゃないですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) バックできないというのは、わが国の領海、領空、領域というものを、これは実際上は目に見えない。したがって、大体この辺までが領海、領空、領域だということで、そこでかりに、攻めてきたものと一戦を交えていても、自分たちはそれから後へ引き返すというのはむずかしいでしょうと言っておるのです。逆に、じゃ相手方の領海、領空、領域にこちら側から入ることがあるかといえば、それはありません。そういうふうに受け取られればわかるのじゃないでしょうかということを申し上げておる。

黒柳明公明党

○黒柳明君 それから、じかに日本の本土なり、領海、領空等の侵犯じゃなくて、外における国家の主権の侵害、こういうことはあり得るわけですね。資源の輸送、急に起こった事件で。そういうことも考えられるのじゃないですか。それはもう主導的にこちらが起こすわけじゃないのです。ですけれども、そういうものに対してあくまでも自衛の手段だというわけにいくんですか、いかないんですか、この点は。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) それはいろいろなケースもありましょうが、ほとんどそれは外交問題にゆだねられるべきことと思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 だから、外交優先にして平和的解決をしなさいということが私たちの主張の大前提なわけですよ、そうでしょう。そうなると、いまの自衛の、そして相手の領空、領海まで行かない、こっちもなるたけ出たらバックするのだと、こういうようなことは、現実的にもし紛争が起こった場合には非常にむずかしいです。ですから、その紛争が自衛のための自衛力ならいいのだと、それが自衛隊なんだといったって、これは現実にそういう事態が起こった場合には、この理論は通用しないのです。だから、平和的手段で解決するということを大前提にしていけば、いまのエスカレートした自衛隊、自衛のためならいいのだ、五次防だ、六次防だ、ということに歯どめをさせるのじゃないですか。それが、そちらのほうはいまは従とは言わなくても、同時並行しちゃっているんじゃないですか、政府の考え方は。その平和外交、これも当然だ。あるいはいろいろな面の外交も当然だ。しかし、これがなければだめなんだと、こういう前提で並行して議論が進んでいるんじゃないですか。どうですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これは、外交努力がまず第一の防衛の手段だということは、判決にもありますとおり、私たちもそこまでは賛成なんです。しかし、直ちにそこから、一切の武力は持たないのであって、したがって、警察力、群民蜂起、そして財産没収、国外追放という手段だけが直結して並べられたのでは、それははたして国家権力による国家民族の安全を守ろうとする力になると言えるだろうか、そこに私たちは少し飛躍があるということを言っておるわけで、前段は私も一緒であります。

黒柳明公明党

○黒柳明君 私たちは決して並べません。私たちも、国を守る最小必要限の力は必要だと言っているのです。ところが、ここで皆さん方も言っているでしょう。自衛のためなら最小必要限度でいく——ことばで言うと同じなんです。ところが、私たちは全然違います。そんなF4なんか持とうとしません。私たちの言うのは、客観情勢、まずそれをつくって、等距離平和外交はできる、国連の主体性を確立してから後の最小限の国を守る力は必要だと。前提がありますね。いまの政府の考え、皆さん方の考えは、そんなものは無視して、現段階において自衛のための最小必要限の力は必要なんだと、こういっしゃっているわけです。ですから、同じことばみたいですけれども、前提が全然違うわけですよ。ですから、その最小必要限というのは結局どういうことになるかというと、これは先ほど何回もおっしゃった、特に法務大臣もおっしゃった、もう限度がわからない。これに対して毎回国会で論じられるような大きな不安を国民は持っている。自衛隊に対してある種の危険感を持っている。それに対して、これだけの判決が下っても、これは憲法解釈の違いだと、こういうことで、わが道を行くという強引な姿勢がある。国民は、なるほどいままでの自衛隊のあり方、政府のあり方から、みなこれはもっともだと、こう見ざるを得ない。さらに公益性という問題、自衛という問題、最小必要限度という問題、全部あいまいです。抽象的です。将来になってみなければわからない、そのときになってみなければわからない、そこに非常にある意味では憲法解釈も食い違う要素があるかと思いますよ。それはいいです、私たちは。裁判官のやることですから、司法のやることですから。  ところが、私たちが回避できないのは、そういうあいまい要素、不確定要素、未知数の要素が一ぱいある中で、はたしてほんとうに世論の形成ができるのか、ほんとうに長官がおっしゃるように国民に愛される自衛隊に育てていけるのか、ほんとうにこれから安全保障というものをまた違った観点で確立できるのかといったら、私はノーだ。全部わからないだらけじゃないですか、いまの必要最小限にしたって。文字が同じだって前提が違ってくればこれはエスカレートする、こういう内容です。これはもう私何も質疑する必要ありません。自衛隊にしたって、どこに行って何をやるか、その局面にならなければわかりません。そうでしょう。いま言った根本的な公益性にしたって、それこそ公益性に合致する自衛隊かどうかなんというのは、深く突っ込んでいかなかったら結論なんか出ません。そういうものを持ったいまの自衛隊の存在だからこそこういう違憲判決が下る、明快な判決が下るということは、もうしょうがない、下すことが。私はもうそう思わざるを得ませんよ、どうですか長官も。あまりにも自衛隊の存在については、不明確要素が、未知数の要素が——将来にならなければわからない、そのときにならなければわからない要素が一ぱいあるんじゃないですか。どうですか、ここまではお認めになりますか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私は当時その職にありませんでしたが、わが国の自衛力の限界論争というものが国会で行なわれて、それは撤回したいきさつがあるようであります。かといって、限度はないかといわれれば、それは陸上は十八万体制をもって終わりとするということで、もう人間の上において陸上の一応の人数のワクはそれでおしまいでありますから、したがって、限度というものはあります。しかし、日進月歩する諸外国の軍備の内容に日本側だけが国是としておくれてもいい、全く役に立たないしろものをかかえているということもまたおかしいことでありますから、その装備の近代化、能力の向上ということは対応的にしていかなければならぬと思いますが、その意味では、いまここで、能力がどこまでか、装備がどこまでかという問題はやや不明確な点が残ると私も思います。しかし、他方、論及されました国連憲章の精神である、究極は国際連合という組織が各国の国際紛争を全部武力も含めておさめ得る能力の時代を、私たちは——いわゆる地球民族とおっしゃいましたけれども、そういう立場に立って、大陸間弾道弾がこのように発達した今日において、その日を迎えないと、単に日本のみならず世界の人類の滅亡の日が来るおそれがある。われわれは全力をあげて、やはり国連憲章が希望している究極の体制というものの確立にわれわれも貢献するところがなければならぬ、また世界ひとしくそう思っているであろうし、そう思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 まあ、わからない点もないではないですけれども、いまの自衛隊、当面の四次防、四次防はたしか侵略性があるものじゃない、自衛のためだと。じゃ挑発的な要素が多い、こういうふうにはお考えになりませんか、挑発。全然四次防なんか挑発の要素はない、こういう考えですか。近隣諸国、東南アジア諸国、かつて日本から侵略された諸国、それに対して、この四次防の装備、これは言うまでもなく、世界で七位であるとか、予算では十二位であるとかいろいろ言われていますが、これは侵略性がないと。あると言っても、ないと言うでしょう。そうすると、挑発を招くような、挑発性があるような装備、そういうふうなことはどうですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) まず、かつての日本の軍によって戦争の中に巻き込まれてしまった主として東南アジアの地域において、経済大国即軍事大国、これはもう必要の行き着く先だということで、シンガポールあたりにおいてそういうことが公的に言われたようでありますが、向こうから見れば軍備の増強という表現になりますが、そのようなあり方について非常な不安を抱きつつある。このことは、私たちが外交努力によって、日本はこのような制約のもとに置かれておる国家であって絶対にそのような心配ございませんという努力がなお足らないものとして反省します。一方、長沼ナイキ裁判のことに関連しておるのでありましょうが、北朝鮮人民民主主義共和国において、公的な立場から、北朝鮮に対して脅威を与える、社会主義国家に対して脅威を与えるという意味において、日本のいま行なおうとしておる自衛力の内容は脅威を与えるものであるということを言われたことを承知しておりますが、これは、先ほども申しましたように、私たちが他国を攻撃する意図を持っていないし、その装備も届く能力がないわけでありますから、そういうことは私たちとしてあり得ないことを、やはりいま国交がないとしても、北朝鮮人民民主主義共和国がそういう意見を言われたというならば、それは私たちがその誤解を解く努力をする必要があるだろうと思います。

黒柳明公明党

○黒柳明君 朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮でありません。——まあけっこうであります。  先ほど言ったようなことはまた総理の時間に残しておかなければならないので、二、三こまかい点になるかと思いますけれどもお聞きしたいんですけれども、判決が下る直前、直後、大規模な演習をやりましたね。あれはもう、もとから企画された演習じゃないものもありましたね。何か、ああいうことがあると、判決があした下る、きのう下った、それに対しての士気を鼓舞する、こういう理由はわからないことはありません。しかし、何か国民に対して威圧を与える、こういう感じが非常に強い。現に、マスコミの論調はそういう論調が多かったわけですよ。けっこうなことだ、士気を鼓舞するので非常にタイミングがよかった、さすが山中長官だなんという記事は一つもありません、そんなものは。何かおかしいと、なぜこの際と。士気を鼓舞するといっても。そうしてテレビなんかの画面に出ましたね。それに対して隊員は黙々とやっておりましたとかなんとか。何か、見ていると、ああ切ないなという感じがしましたよ、私も国民の一人として。ああいうことなんか、どうなんでしょう。私は、士気を鼓舞する、けっこうです。隊員も人間ですから、やはり違憲と出ればショックを感ずるでしょう。だけれども、もっと幾らでも方法があるのじゃないか。予定もしないような演習をばたばたばたばたやってテレビに出すこと、かえってそれは逆にとられるんじゃないでしょうか。こういうふうなことは注意してもらいたい。そんなことはやめてもらいたい。それから、それに伴って、けさ出ておりましたね、観兵式かあるからチラシを配るんだ——国民の税金ですよ、選挙じゃない。選挙だってチラシを配るのはよせと、マイナスがあってプラスじゃないといわれていて、私たち政党も、ある意味では反省しなければならぬですよ。それを、自衛隊の観兵式を見に来ませんか——盆踊りと違いますよ、観兵式は。そんなことをやるから——やるといっておりますよ、広報部長は。だから、何だ、また自衛隊が士気低下したと。あっちもだめ、こっちもだめ、やっと行き先があった、だから見ませんか——そんなことはやめなさいよ、こそくな手段は。山中長官が率いる天下の自衛隊ならば、もっと堂々とやったらいいじゃないですか。来ないやつは来るな、来るような国民に対しては見なさいと。私たちはがんばっている——すみません、変な激励で。私は激励するつもりはありませんよ、こんなものは、激励なんかするつもりじゃないですよ。だけれども、どれだけチラシを配るのか、だれに配布させるのかわからないけれども、配布する人の心情になってごらんなさい。電話がかかってきた、私配れませんと。そのとおりだろう、それじゃ、きょうあるから、長官はどういう答弁をするかわからないけれども、言うだけ言ってみよう、政府はものわかりが悪いからと。もう既成の事実として進んでいるみたいですよ。そんなビラなんか配って観兵式見てくださいなんて、そんなばかなことはやめなさいよ、この際。どうですか。  それから、これは一がいに結論は出せませんけれども、あっちじゃ公園を貸さない、向こうじゃ募集をやめる、非常にいま苦慮されておると思いますけれども、これに対しても抜本的に、やはり募集とかあるいはいろいろな公共施設の使用とかについてもここで考え直さなければならないときが来ているのじゃないでしょうか。もう年に一ぺんの観閲式だけが場所を転々とすればいいということじゃないじゃないですか。これについても、これから相当やっぱり覚悟してかからなければならないんです。まだまだ各地方公共団体ではいろいろなクレームもつけてくるでしょう。こういうものについてもどう対処されるのか、まあ一応この三点。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 最初に演習の問題を申し上げます。  富士学校の演習と、それから北海道の島松の演習と、二回ございます。北海道のほうは現在進行中であります。これは上田委員からも、判決が出ることがわかっているのに、その二日前から演習を始めるとは何事か、こういうおしかりも受けたわけであります。しかし、これはいずれも各幕において計画を立てております年次業務計画に従って予定されておった演習でございます。したがって、判決があったからそれをやったわけではありませんで、判決のありますころ、その二日前あたりから、しばらくはざんごう掘りが主でありました。したがって、本格的な演習が目に見え、音が聞こえるのは大体十四、十五日ごろになるわけでありますが、それはいずれも判決を意識して、予定してない演習をやって、われわれが何か、われわれはやるぞというような、そういうデモンストレーションをやったようなものでは決してない、その点は御理解を賜わりたいと思います。事実問題であります。  それから、チラシの問題は、おそらく朝霞の観閲式に関連しての問題であろうと思いますし、私も新聞でちょっと見ただけで、まだ私自身がそれに対して許可を出しておりませんし、事実も調べておりません。この問題は御意見を踏まえて検討をいたします。  三番目の、今後の自治体を通ずる募集業務の問題あるいはまた公共施設等の使用について拒否される問題、こういう問題等は、まさに御指摘のとおり、率直に申し上げて、今後私たちが具体的に悩んで、対処に苦慮する事柄の具体的な問題であると思いまして、この問題はいかにしたらいいかについて、やはりまず私たちの最善の努力が前提となることであろう、誠意を示すことであろうという気持ちで、いまのところは、おります。

黒柳明公明党

○黒柳明君 最後に、総理の時間を保留しますからね。自由新報、きょうの某新聞に出ていました。私もさっそく見ました。確かにこれは強烈です。まあ党のことです、政府のことじゃありませんけれどもね。当然、自民党の大臣ということでありまして、この問題についても……。私はもう、こんな、偏向だなんというあの論文を出す、これはやっぱり政府の姿勢が一番、冒頭から言うように、おかしいのだと。これがこの自由新報の一つの論文にあらわれたと。長官、読みましたかもう、自由新報。——読んでない。あなた、おそいですよ。きょうの委員会に出るなら、すべてやっぱり目を通して出なければだめだ。法務大臣、お読みになりましたか。——読んでないと言えば逃げられると思っているんじゃないですか。要するに、この見出しだけ見ましても、「自衛隊違憲判決は革命戦略の第一歩」「自由新報、偏向強調の論文」、「自衛隊違憲は偏向判決」なんてね。さっき痛いところを突かれたと、こういうでっかい活字になって大見出しになって出ているということは、それは確かに政府とは関係ないと、こうには違いないけれども、いまの時点におきましては、私は関係ないということじゃ済まされないと思うのですよ。先ほどから、もしこんなことを言ったら政府はたいへんですと法務大臣おっしゃっていましたけれども、これはもう元閣僚でありましてね、この人が書いたとしたならば、これはもう自民党の長老、古老ですから——あくまでも党の一人の議員の意見だと、こう言ってはそれまでのものです、実もふたもありません。しかしながら、やっぱりあくまでも党も政府も一体のものですから、いまの判決というものを、賛否はいずれにせよ、まじめに取り組んでいるという姿勢を見せなければだめだと思うのです、私は。国民に対してまじめに取り組んでいるのだと。そういうおりもおり、やっぱりこういうものが出ているということは、私はね、私の主観では非常にうまくないと。これ自体が、政府・自民党のこの判決に対する根本的に挑戦的な姿勢なんです。こう私は断ぜざるを得ないと、こう思うのです。もしお読みになっていなければ、読んでいただきたい。また、いま私が言った内容は大体おわかりだと思いますが、その範疇で、もし御所見でもあったらお聞かせいただいて、私、総理の時間にあとの時間を保留したいと思います。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 党の自由新報については、私見ておりませんし、また関知いたしておりません。それに対して私自身の感想をということでありますが、私自身の行動について御説明をいたしておきます。  私は、一審であれ、いずれにしても司法権は尊厳侵すべからざるものであると思っておりましたから、判決が、結果が出るまでは一切隊員についても一言も表示いたしておりません。したがって、判決が出た後、隊員に訓示をいたしたきりで、いろいろとテレビやあるいは新聞の対談その他企画がたくさんございましたが、私たちは結果的には一審判決によっておまえたちが犯人だと言われた当の指さされたものである、したがって、その責任者たる私は残念ながら出席することを遠慮したいということで、一切のそのような批判的な行動を差し控え、したがって、本日のここに並んでおります答弁のしかたでも、御不満であるかもしれませんが、憲法解釈その他の問題を、私はあえて法務大臣、法制局長官にお譲りをして、私たちは、実態、その他自衛隊について言われた、指摘されたことについては私たちが答える義務があるということで申し上げておるつもりでありまして、その点の御理解を得られればしあわせであります。

黒柳明公明党

○黒柳明君 以上です。

中村利次民社党

○中村利次君 長沼判決は、違憲審査権の行使は慎重かつ控え目でなければならないとしながらも、やはり重大な違憲の疑いがあって、事件の根本的な解決に不可欠な場合には、これはやはり審査権の行使をする義務があるんだという立場をとっておるわけです。そして、まことに明快にして直截な判決が出たわけでありますが、政府はこの場合、やはり統治行為論の立場にお立ちになって、憲法と自衛隊の問題は、これは裁判にはなじまないという主張をしてこられたわけですね。そこで、これはまあ政府は、高裁あるいは最高裁で政府の主張するとおりの判決が出されるという、一審の判決がくつがえされるという確信を持って上訴をされておるということでありますけれども、しかし、これは三権分立のたてまえからいっても、どういう判決が下るかということは、これはわからないわけですね。その場合、最高裁までいって違憲の判決が下った場合、自衛隊をどうするのかという前に、その場合の政府の主張しておられるというか、立っておられる統治行為論は、これはどういうことになりますか。まずそれから伺いたい。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) これから事件は札幌高裁に係属し、場合によってはさらに最高裁に係属することに相なると思います。その場合に、どういう議論でどういう判決が出るか、これはもちろん私ども予断しておるところではございませんが、先ほど防衛庁長官から申し上げましたように、控訴し、さらに場合によっては上告をするということは、その第一審なりあるいは場合によっては第二審の判決に対して、訴訟の当事者として、一方の当事者として、不服を持つ側でございます。その不服を持つということは、その判決の結論に対して別な結論を期待するということでございます。その意味で、もちろん将来の判決を予断するなんということはございませんけれども、必ずわれわれの考えるところがいれられるであろうという期待のもとに、訴訟を係属してまいるということに相なると思います。その場合に、もしもということで仮定の議論でございますが、そこまでまだ仮定をして検討をしたわけではございませんので、どういう結論になるかわかりませんから、ただいまの御質問に対して的確にお答えすることができないと思いますけれども、統治行為の議論がどうなるのかということでございますが、その場合は、もし最高裁なりあるいは札幌高裁において判断をするとすれば、統治行為の議論の、当該の問題が統治行為の範疇内でないという判断のもとにおいて具体的な判断に入るということしか、論理的にはあり得ないと思います。

中村利次民社党

○中村利次君 これは先ほど申し上げましたようなことで、長沼判決は自衛隊は違憲であるという明快な判決を出されたわけですけれども、しかし、その場合でも、何といいますか、自衛権といいますか、自衛権はこれは否定をされておらない。いままで最高裁も、砂川判決でも非常に慎重かつ、何ですか、これは控え目な姿勢をとってこられた。その最高裁の砂川判決でも、不正の侵害に対し真にこれを排除してみずからを守る防衛手段とは、九条に示す禁止する戦力とは法的性格を異にするという判断を下されているわけですね、最高裁で。したがって、自衛権を否定する議論なんというものはあまり聞いたことがないわけでありますけれども、わが党も自衛権これを是認する立場に立っておることは天下に表明しておるとおりですけれども、この場合、自衛権の行使をどういう方法でやるのかということがやはり具体的な論議になる。ところが、この点についても長沼判決は明快な結論を出しております。そうなりますと、どうしても、戦力とは何だ——これは長沼判決でも戦力の定義について、まことにはっきりした判断を、見解を示しておるのですが、私はここであらためて、やはり戦力の定義について政府の見解をどうしてもお伺いしておきたい。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) ただいまお触れになりました砂川の最高裁判決においても言っておりますように、憲法第九条が、同条にいわゆる戦争を放棄して、いわゆる戦力の保持は禁止しているけれども、しかし、これによってわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されておらない、わが国が、自国の平和と安全を維持してその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことであるということを最高裁の判決は言っております。私どもの考え方では、この自衛のための必要な措置として自衛力を保持するということを言っておるわけでございます。その自衛力は憲法第九条第二項でその保持を禁止しているところの戦力ではない。憲法第九条第二項において保持を禁止している戦力と申しますのは、先ほど私のほうの部長からお答え申し上げましたように、第一項においては戦争を放棄しておる。その第一項の全体の精神を受けまして「前項の目的を達するため、」と言っていることからいって、自衛のため必要な最小限度において自衛力を整備することは憲法第九条第二項で保持を禁止する戦力ではない。言いかえれば、自衛のため必要な最小限度を越える実力、越える力が戦力であるということに相なるわけでございます。

中村利次民社党

○中村利次君 これは、自衛隊が現存するという立場に立って憲法九条にいう戦力を定義づけられると、いまおっしゃるような言い方以外にはないと思います。ところで、私が質問をしておりますのは、長沼判決では「外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体」が戦力であるというはっきりした戦力の定義を明快に定義づけられておる。しからば、この長沼判決に出された戦力の定義に対して反論があるのかないのか、あるいはそのとおりであるとお考えになるのか、反論があるとすれば別な戦力の定義づけがおありか、その点をお伺いしたいと思います。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) これは、先ほど申し上げたことをもう一度繰り返すことに結果的にはなると思いますが、長沼判決では、御承知のように、陸海空軍は通常の観念で考えられる軍隊の形態であり、あえて定義づけるならば、それは「外敵に対する実力的な戦闘行動を目的とする人的、物的手段としての組織体」であると定義して、その上に「その他の戦力」についても定義して、そして自衛隊は陸海空軍に当たる、こういうことを言っているわけでございます。私ども、この判決の一つ一つのことばについてここでどうこう申し上げるわけではございませんけれども、われわれとしては、先ほど来申し上げているように、陸海空軍というのはやはり戦力の一つの例示であって、「陸海空軍その他の戦力」ということばで一括して読む。その上、九条第一項で自衛権を認めている。また自衛権を裏づける実力組織としての自衛のために必要最小限度の力を憲法は許していないはずはない、許している。そういうところから九条二項を解釈すれば、戦力ということばは、何度も申し上げるように、自衛のため必要最小限度を越える力ということに論理的になるわけです。そういうような定義を私どもはしているわけです。そういう意味では、ここでいう定義とは違うと言わざるを得ないと思います。

中村利次民社党

○中村利次君 そうしますと、この憲法九条にいう戦力ですね、それから一般的にいう戦力、これは違うという考え方に立つんですか。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) これも、昨年の十一月に、たしか戦力についての定義が参議院の予算委員会で問題になったときに申し上げたと思いますが、戦力については非常に広い意味では、およそ戦う力全部を含むというような解釈もありますけれども、政府はそういうふうには解釈しておりませんで、いま申し上げたような解釈をしているということを申し上げたと思います。

中村利次民社党

○中村利次君 これはどうもはっきりしないんですがね。やはり憲法九条の戦力に当たらないという、自衛隊は憲法九条にうたわれた戦力に当たらないという立場に立ってものを言っていらっしゃるわけでありますが、私が言うのは、長沼判決の場合には憲法九条に抵触する、違背をする戦力という立場に立ってこういう定義を下されているのかもしれませんけれども、私がやはり明確にしておきたいのは、これはいままでもいろいろ議論はされたにしても、長沼判決で戦力に対する定義づけがされて、したがって、これは憲法違反であるということになったわけですから、これは長沼判決にからんで、私はぜひあらためて政府の戦力に対する定義を、明確なものをお示し願いたいと思うんですよ。何かわかったようなわからないようなことではどうもまずい。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) 現存する自衛隊を違憲でないようにするために定義をしているというようなおことばでございますけれども、私どもはそういう気持ちは一つもございません。九条一項の解釈及びそれを受けた九条二項の解釈から、かねて政府の統一解釈として申し上げているようなことを申し上げているつもりでございまして、現実の自衛隊がそれに該当するかどうかということは、憲法の解釈自体から出てくる議論じゃなくて、憲法の解釈に基づいてそれを現実に判断をするという問題ですから、私どもの法制当局としての前提としてはそういう考え方はございません。

中村利次民社党

○中村利次君 どうもはっきりしないんですけれども、やはりおっしゃるとおり憲法九条一項、二項にうたってある、そこから発想した戦力論ということになっておると思うんですよ。私がお尋ねをしておりますのは、そういう議論も必要でしょうけれども、それ以前に、一般的にいう戦力とは何だ、だから、その場合、この長沼判決に示された戦力の定義は、これは一般的にいっても、あるいは憲法九条の関連からいっても政府としては間違いであるという立場をおとりになるのか、これはいま間違いであるという立場をとるとおっしゃったが、しからば、どういう理由で、なぜ長沼判決に示された戦力の定義はどういう点が誤っておるのか、どういう点が間違っておるのか、それを御指摘願いたい。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) 訴訟当事者としての立場におきましては、いろいろ判決についての、先ほど来議論がありますように、論難と申しますか、それは間違っているからおれたちのほうの主張が正しいんだということをいろいろ主張することがあると思います。ただ、いまここの場所で、先ほど来法務大臣も言われましたように、この判決はけしからぬ、間違っているというようなことを私が申し上げる限りではないということをまず前提として申し上げておきたいと思います。ただ一般的に申し上げて、私どもは、戦力ということばは憲法九条二項にあるわけでございますから、その憲法九条二項の戦力ということばはどういう意味であるかということを憲法解釈の上から申し上げているわけで、その国語学的解釈、そういうことを言ったら言い過ぎかもしれませんけれども、国語学的解釈が、戦力とは何かという法律解釈とはちょっと別の角度ではないかと思います。そういう意味で先ほど来私どもは憲法九条一項の解釈、これも何度も申し上げております。それから引き出されるところの九条二項でいっている意味の戦力を申し上げている、意味を申し上げているわけです。

中村利次民社党

○中村利次君 どうもやはりそういうことになるから、国民の合意を取りつけるという上においても、なかなか私は困難なものがあると思うんです。日本の法律にしろ憲法にしろ、すべて国語を使ってあるんですね。国語を使ってあるんですから、国語の戦力じゃなくして、憲法解釈上の戦力だということになりますと、相当やはり法律にしろ、憲法にしろ、都合のいいように国語を解釈するんじゃないかという疑惑はそういうところから生まれてくるのであって、私はやはり国語を使った憲法の国語の解釈については、国民が統一してなるほどそうかというような、そういうものを政府自身がお持ちにならないと、一般的な国語の戦力ではないんだと、憲法九条の解釈による戦力だというようなことでは、これは私はどうも納得できない、国民は納得できないと思うんですが、どうですかね。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) そういう意味で申し上げたつもりは毛頭ございませんで、午前中にも文理解釈、論理解釈というような御議論がございました。そのときに私はお答え申し上げたと思いますが、文理解釈だけでいいというわけでもないし、論理解釈だけでいいというわけでもないと、やはり両方の解釈をその場その場で突きまぜて正しい解釈を導くべきであろうと申し上げたわけでございます。そこで、単純な国語学的な解釈だけをお聞きくださっても、私どもとしては、ここでは法律解釈をお尋ねになっておられるのですから、それを文理解釈、論理解釈突きまぜた上でいまのようなことをお答え申し上げていると、こういう意味でございます。

中村利次民社党

○中村利次君 どうも明確じゃないんですよ。そういう姿勢が私は残念ながら防衛議論でもなかなか国民の合意を得られる道につながっていないというように感じます。しかし、これはいつまでやってみたってしようがないことですから、自衛権があるという立場に立って、この長沼判決では自衛隊は違憲であるとして、しからばどういう方法があるのか、自衛権の行使についてはどういう方法があるのかという点についても触れておると思うんですが、外交交渉による侵害の未然回避がこれ一番望ましいとしながら、「危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもつてこれを排除する方法」あるいは「民衆が武器をもつて抵抗する群民蜂起の方法」、これは午前中の質問に答えて、防衛庁の長官から、警察をもってこれを排除するのは、これは表現は悪いかもしれませんけれども、ナンセンスだというような意味の御答弁があったわけです。どういうことになりますかね、これは。かりに外敵の危急の侵害に対して警察力をもってこれを排除する方法をとる以外にないと仮定した場合、その場合ですね、これが戦力と言い得るのかどうか、そういう点についての解釈はいかがですか。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) 基本的に、自衛権行使の方法として、この判決で述べておられるような考え方を私どもはとっておりませんのでたいへんお答えしにくいわけですが、かりに——これは判決を批判するのじゃなくて、かりに判決の考え方を推測して申し上げますと、警察力をもってこれを排除する方法があるんだということを言っておられるわけですから、おそらく警察力は戦力ではないというふうに当然論理的にはなると思います。その少し前のほうで、先ほどの陸海空軍のところの定義をしたところでも、「あえて定義づけるならば、」云々といい、そのあとに、「このゆえに、それは、国内治安を目的とする警察と区別される。」ということを言っておられますから、少なくとも陸海空軍に当たらない。そのあとの「その他の戦力」に当たるかどうかは、判決に言われていることばが非常に抽象的でございますから、一体当たるのか当たらないのかは、ちょっと私どもも何とも申し上げられません。

中村利次民社党

○中村利次君 これは確かに戦力の明確な定義づけをして、その上に、こういうのはやはり自衛権の行使に当たるのだということでありますから、これは戦力じゃない、長沼判決では戦力じゃないという明確な判断をしておられるという解釈明確に成り立つと思います。  次の、「民衆が武器をもつて抵抗する群民蜂起の方法」、これはやはり午前中の質問に対して長官から、国の行為ではないから関係ないというような意味の御答弁がございました。しかしながら、これは確かにここへ書かれているのをそのまま読むと、特に「群民蜂起の方法」ですから国の行為ということにはなりません。ならないという解釈が正しいと思うのですが、しかし、外国に見られるような民兵組織、これはよくとっておりますね、これがやはり国の行為として行なわれる場合にはどういうことになりますか。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) ちょっと実体が非常に微妙でお答えしにくいのですけれども、私どもは、自衛権というのは国家に認められた権利であって、国家が実力をもって防衛する権利である、国家が主体となるということを言っておりますが、民兵という実体はわかりませんけれども、少なくとも国家がそれをこう何か管理して統制しているならば、やはりそれは国家の自衛権だろうと思いますが、しかしここで、判決で言っておられるような意味は、「民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起」というのは、おそらくそういうものじゃなくて、全く一たん事あるときに国民の一人一人が武器を持ってレジスタンスをやるというような意味だろうと思います。ですから、民兵ではないような気がいたしますが、しかし、いずれにしても判決で私どもがとやかく言うべき筋合いのものじゃないと思います。

中村利次民社党

○中村利次君 やはり一審の判決であろうとも、こういう自衛隊違憲論、違憲であるというそういう判決が出たという現実に照らして、私がいま質問をしているのは、自衛権については、もう長沼判決の、自衛権はありという立場をとっているのですね。自衛権の行使としてはこういうのがあるではないかという一つのやはり問題提起が行なわれておると思うのですね。だから、その場合、たとえば民衆が武器を持って抵抗する、自然抵抗式ないわゆる「群民蜂起」と書いてありますから、これは政府の、あるいは国家の意思がそこに入っていないということは大体判断されますけれども、しかし、長沼判決を踏まえて国の行為として、何というのですか、民衆が武器を持って抵抗するということが考えられるのか考えられないのか。いわゆる独立国の主権を守るための自衛権の一環としてそういうことをいままで考えられなかったにしても、今日あるいは今日以降考えられ得るのかどうか、そういう点についてお伺いをしたい。これは防衛庁長官のほうがいいんじゃないでしょうか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これは午前中に申しましたように、国家の権利として行使する行動の中にはとても含まれない。読めないし、考えられない。そうして、私が申しましたように、現在の日本の国民はスイスのように各家庭に全部銃があるわけでもありませんし、猟銃を持つ者も、繰り返しませんが、試験を受け、医師の精神鑑定書までついた者しか持てないわけでありますから、狩猟目的以外にはほとんど使われておりません。狩猟目的並びにスポーツ用に限られております。こういうような現状から考えて、じゃ、国家公務員のほうでも警察官並びに若干の海上保安庁、もしくは麻薬取締官ぐらいのところまでしか拳銃所持許可が許されていない現状を踏まえてものを言うならば、民衆蜂起とは官憲の蜂起ではありませんから、一般国民大衆でありましょう。そうすると、国民大衆が猟銃もしくは、まあ日本刀も武器になり得るとすれば日本刀を持って蜂起するということであるかもしれませんが、それがはたして——今日かりに自衛権を発動しなければならない前提がここには想定としてあるわけですから、自衛権を発動する前提の状況はどうかと言えば、それは日本以外の国としては近代戦遂行能力を備えた陸海空にまたがった侵略が行なわれるであろう。そのときに一般の人たちが竹やりまで持って、そしてミサイルを含めたあらゆるものに抵抗をすることになるのかどうか。これは日本民族の血潮の息吹きがそうさせると言っても、それはしかしあまりにも手段としては国の行為としても認められがたいし、手段としてもまさにそのようなことは、もう抵抗という、武器を手にして群民蜂起してといいますけれども、そういうことは考えられない。それが自衛権の中に入るという考え方はとうてい承服できない。むしろ理解できないということを午前中申し上げた次第であります。

中村利次民社党

○中村利次君 そうしますと、長沼判決は、これは一審判決ですから、政府としてはこれはもう高裁、最高裁でくつがえされるという確信を持って上訴をされておるということでありましょうが、したがって、現状の自衛隊というものは計画どうりそのまま押し進めていくということになり、あるいは四次防計画にしても、先ほど指摘がございましたけれども、四十九年度の概算要求では一兆一千億をこえる概算要求が行なわれておるわけですけれども、それをそのまま続けていくというおつもりですね。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 言い回しを別にいたしますが、一審の判決があって、国はその期限内に高裁に上訴いたしたわけでありますから、一審の判決の効力は拘束をしていない、そう思います。問題点は残して、今後論議されるであろう。したがって、その間に、政府がいままでの方針を、われわれは少なくとも憲法第九条に許容される範囲の自衛力として整備してまいっておりますから、その整備の計画はそのまま進めていくことに法的にも議論の余地のないところであろう、そう考えております。

中村利次民社党

○中村利次君 確かに、上訴をされたわけでありますから、これは一審の判決に拘束されないというのはおっしゃるとおりですよ。しかし、私が申し上げているのはね、かりにこれは高裁、最高裁でどういう判決が出ようとも、やはり一審の判決で違憲であるという明確な判決が出たということは、これは国民のひとしく承知しておるところなんですね。それでなおかつ、自衛権ありという主張に対して異論は聞きませんけれども、自衛権の行使について、わが党はやはりこれは必要最小限度の自衛力という表現がいいんだか、あるいは防衛力と言うほうがいいんだか、とにかくそういう力は、必要最小限度の力は必要であるというたてまえをとっておりますけれども、そのたてまえをとっておるものからしても、やはりどうも歯どめもなくて、どこまでいきゃあいいんだというような、きょうの少なくとも長沼判決の緊急質問を通じても、非常に危険を感ずるようなやはりいまの自衛力、あるいは自衛隊に対する政府の見解なんですね。これはそうですよ。  ですから、そういうものを引き伸ばしていきますと、これも午前中質問がございましたけれどもたとえば日本の安全保障、国民の生命、財産を守るためには、海上輸送の停止をやったら一発でおしまいだという、そういう意見、質問があった。そうなりますと、そういうものに対して、長官からマラッカ海峡防衛論か何か出ましたけれども、やはり主権を守るためには、自衛権を発動するためには、これは海上輸送を停止されたんじゃ日本はもう死んでしまうんだから、国民の生命、財産は全く守られることにはならないんだから、したがって、やはり輸送路に至るまでも自衛権の発動をしなければならないという、そういうところまでどんどんこれはエスカレートしてしまう危険を非常に感ずるわけですね。ですから、いわゆる平和時の防衛力の限界をどこに置くんだという、そういうのが国会でもずっと議論されていますけれども、さっぱりそれに対してめどがつかないでしょう。そういうところにこの長沼判決というものかあったわけですから、これを契機にして——それに拘束力があるとかないとか、私は受けなさいとも言いませんよ、拘束力がないことははっきりしているんですからね、上告された以上は。しかしながら、もう一回ここで、やはりこれは拘束力はないし、いまの自衛隊は違憲ではないんだから、したがって、いままでの計画どおりやはり進めていくんだということではなくて、少なくともまあ最終審の決定が出るまでは自衛隊を現状のままたとえば凍結しようではないかという、そういうお考えがあるのかないのか。どうも進軍ラッパを吹くだけが私は能じゃないと思うんですが、どうですか、その点は。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 私は、現在の憲法の第九条をもととする自衛隊の存在に対する政府の憲法解釈というものは、私自身がきめたものではないのでありますから、それに従って、その許容される範囲のものとして明らかにされた四次防の第三年次の計画としての来年度予算というものを要求していく立場にありますし、その中に明らかにされた装備その他以外のものを特別に来年度要求しておるわけでもありません。予算のふくれたのは単価と内政重点のための予算でございます。これはしかし最終確定でなくて要求でありますから、この中身を議論することは差し控えたいと存じます。しかし、いずれにしてもまあ一応手続を今後経なければならないものは、新型戦車の問題は国防会議にかけなければならぬと思いますが、一応これはそれを前提にして一応の予算要求はしておりますけれども、これらの議論のまた存するところはありますけれども、来年特別に私たちが姿勢を変えたわけではない。したがって、また、それを今度は一審の判決があって、そしてわれわれが、定められた期限内にすみやかに服しない、反対であって承服できないという上訴を法務省が行なって、政府として行なってもらったことによってその拘束力が及んでないんであるから、逆に言うと、それをまた締めなければならない、予算を縮小しなければならないという前提も存在しないのではないか。まあ総理から御命令でもあればこれは別であります、最高の指揮監権者でありますから。しかし、私の段階では、いまのところ変化を加える必要はないものと考えます。

中村利次民社党

○中村利次君 確かにこれは事務的に議論をしたり、あるいは法律論として言えば、議論をすれば、これはおっしゃるとおりですよ。その一審の判決の拘束力があるということも私は言っていませんし、これは最終判決ではどういうことが出るかもしれません。政府の期待どおりの判決が出るかもしれない。しかし、かりにそういう立場をとっても、少なくともやはり一審判決に拘束力はなくても、長沼判決という新しい事態、新たな事態があったという、できたということは、これは間違いないわけですから、ですからその上に立って、将来どうあろうとも、私が申し上げているのは、やはり法律的には拘束を受けないんだとか、あるいはわれわれが国会でこれはもう多数決できめて四十八年度の予算も通ったんだし、四十九年度の予算も概算要求をして、それは国会できめるんだから、したがって何らこれは間違いはないんだという、私はそういう議論ではなくて、そんないろいろなものがある中に長沼判決があったという新たな時点に立って、お互いあまりいいんだ悪いんだというエスカレート論をやめて最終判決が出るまでは政府としてももう一回やはり見直してみるという、そういうこれは政治姿勢の問題ですな。政治姿勢の問題としてお考えになるお気持ちはないかどうかお伺いしているわけです。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これは一防衛庁長官の判断の限界をはるかに越えるものであります。したがって、政府全体というものが、はたしてわれわれの自衛隊をいまのままの、既定計画とはいえ、そのままで進んでいくべきかどうかについては慎重なる検討を要しなければならないことでありまして、私の立場からすれば、一審の判決に不服として上訴をしておる今日、このことだけでもって直ちに影響を受けた行政を展開しなければならぬということは、逆に隊員の士気の低下その他に私の立場からつながるものであって、そういうことは私はできません。

中村利次民社党

○中村利次君 これは全く長官のおっしゃるとおりですね。政府の統一見解としてこういう問題はどうあるかということがやはりきめられるべきでありましょうから、総理も、この次ですか、しかるべき時期にいらっしゃるそうですから、あらためてこれは質問することにいたします。  それでは、たとえば、先ほどもちょっと出ましたけれども、今度の判決によって募集を取りやめようという地方自治体が相当に出ることが予想されまして、長官としてはこれはたいへんに頭の痛いことであるという御答弁であった。もう一つは、地方自治体として募集を返上をしようという動きに加えて、この隊員の応募者がどうも少なくなりはしないかということですね。いままでですら、これはもう定員も、今度は四次防では陸上十七万九千を十八万にふやそうという御提案でありますけれども、実際には二万数千人、それもいろいろ議論されておりますように、特に士の充足率が非常に悪い。それで質がだんだん低下して、いろいろな社会問題を起こすぐらいこれは問題があるんですけれども、この長沼判決を一つの契機として、応募者がますます少なくなって、質の低下がますます激しくなるということが考えられると思うのですが、こういう点いかがでしょう。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) その点は私も非常に心配をいたしております。したがって、私たちの直接の募集能力、そういうもの等についても十分に検討をし、また一般的な傾向として、順次中卒等の一般社会への就職そのものも減少する傾向をはっきり示しておりますから、高校進学率、大学進学率等の見通しからいっても、何にもない環境の中でも逐年募集はきびしさを増していくであろう、そういう気持ちは率直に持っております。そのときに、この判決の与える影響というものはこれはその意味においては大きいと。したがって、いまいる隊員の動揺、不安等に対して私が気を配ることはもちろんの責任でありますが、今後応募してくれ、あるいは入隊してくれる若者たち、その諸君がどのようにこれを受けとめて、変化がどのように出るであろうかということは、いまのところはまだわかりませんが、たいへん心配なことでありますし、徴兵制も絶対にしかないといっている日本にとって、私たちの今後の士から始まる充足率の向上あるいは充足維持という問題は、これはもう偽りのないところきわめて心痛にたえない事態であろうと、そういうことは考えておりますが、努力をもってカバーすることが私たちに残された道であろうと、そう思います。

中村利次民社党

○中村利次君 これは確かに長官にとっては頭の痛い問題でございましょうけれども、それに対する具体的な対応策はあるかどうか。  それから関連して私はお伺いをしたいと思うのですが、徴兵制はこれは絶対にとらないと、しかないというお答えを再三にわたって聞いておりますけれども、この際、徴兵制は憲法違反であるとお考えなのかどうか、お伺いをしたい。

吉國一郎内閣法制局長官

○政府委員(吉國一郎君) 徴兵制度というものは、平時において一定の員数の兵員を徴募いたしまして、これを一定期間訓練をして、そういう訓練をした者をまた解傭をするということで、それを繰り返しまして非常の場合において必要な人員を充足する制度であるというような考え方をとりまするならば、どうも日本の憲法においては、徴兵制度をとることは、憲法上憲法に違反するのであるという解釈を従来申し上げております。

中村利次民社党

○中村利次君 徴兵制が憲法違反であるという明確な姿勢を政府としてはおとりになっておるということですね。  あとにつきましては、私はやはりこの判決に関連をして、募集中止の問題、あるいは応募者の問題等々もこれは対策を要することでありますし、それから先ほどお伺いをしたそういうものを一切含めて、現行自衛隊をいわゆる政府は合憲としとおとりになっているわけでありますから、したがって、これはここで私どもが幾ら議論をしても結着のつく問題ではございません。長沼判決等について、そういう募集問題等も含めて今後いかにあるべきかという問題については、相当のこれは問題点を含んでおるように思いますので、あとはひとつ総理が出席をされたところで質問をさせていただきたいと存じますので、ここで私の質問は終わります。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 七日に行なわれた札幌地方裁判所の長沼事件判決は、裁判史上初めて自衛隊の存在について憲法判断を示し、自衛隊が憲法九条二項で保有を禁止されている陸海空軍そのものであり、憲法違反であることを明らかにしたものであります。  わが党は、自衛隊の存在そのものの違憲性を最初から一貫してきびしく指摘し、この対米従属と国民抑圧、憲法違反の自衛隊の解散を主張してきた立場から、この判決を全面的に支持しております。また、平賀書簡や裁判官忌避問題に見られる司法反動の攻撃に屈せず戦い続けてきた福島裁判長の勇気と決断に賛意を表するものであります。  こういう立場で、ところで私は、まず田中法務大臣にお聞きしたいと思う。これは先ほどの上田議員の質問に対して、だいぶその過程に出されましたが、私はまあ党としてまとめて次の三点についてお聞きしたい。  法務大臣は、まず、このたびの長沼判決というものをどう見られておるのか、その評価の問題。第二の問題は、偏向裁判という、判決という見方もありますが、法相は一体これについてどう考えておられるのか。第三は、下級審の判決であっても、三権分立のたてまえから考えて、司法の判断は最大限これを尊重すべきであると思うんだが、この点はどうですか。この三点についてお聞きしたいと思います。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) まず第一の、この裁判をどう思うかという評価の問題でございます。裁判所の裁判を、行政府におります者が批評、論難するということは遠慮すべきものである。しかし、先ほど申し上げましたように、国は当事者でございます。被告である。私はその訴訟上の権限を代表する者である。こういう立場でありますから、批評と見えるかもしれませんが、不服申し立ての理由に関し、その必要な限度でこれに論及することは批評に及んでもいたしかたがない、こういう立場で、訴訟当事者という立場で私は言うのでございますが、この裁判は大事な点において誤っておる。この誤りを是正していただくために、まだつくっておりませんが、やがてでき上がります文書によりまして、いわゆる控訴理由、この文書によりまして正式に裁判所にこのことを進達したい、こう考えておるのでございます。  それから第二の、偏向裁判ということばは少し私は見解の違う意見を持っておりまして、裁判の偏向などということばはおかしい。偏向ということは片寄っておるという意味でしょうが、片寄っておるということは間違いという意味でしょうが、裁判に片寄りがあり、間違いがあったら、刑事訴訟、民事訴訟法の訴訟手続によって不服の申し立てを行ない、上訴手続によって正しい方向の裁判を仰げばいい。それがために訴訟は一審にとどまらず、二審、三審と上訴の手続が認められておる。刑事、民事いずれも同じである。そういうことでありますから、裁判が偏向であるなどという攻撃はおかしい。偏向であって気に入らなければ上訴の手続によって争えばよい、偏向でない裁判を求めればいい、それが民主主義である。人間でありますから偏向は起こり得る。右の偏向も起こり得れば左の偏向も起こり得る。偏向とは左ばかりじゃありません、右の偏向も起こり得る、こういうことでございます。  それから第三の、下級審であっても裁判を尊重せよと仰せられた。これは少し法律論を離れた政治論とでもいいますか、法律論としてはおかしい。皆さんもお認めいただいておるとおり、上訴手続を踏んだ瞬間に第一審判決は確定をせないままに放任されるわけでございます。そういうことでございますから、上訴の手続を踏むことによって裁判は既判性をなくする、効力を発生しない。効力を発生しないものを法律的に尊重していくということは、その道がない。しかし、熱心に裁判をしていただきまして、偏向かどうかは存じませんけれども、私はそういうことばは使いませんけれども、とにかく気に入らぬ判決をしていただいたということにつきましては何か意見がありそうに思うのでありますけれども、そういうむだな意見は言わぬほうがいい。下級審といえども効力が発生しない判決、こういうことであります以上は、これを法律的に尊重して国家の予算の立て方を変えるとか、方針を改めるとかいうような道を考える余地がないのではないか。だから、そういうふうに窮屈に、一審判決があった以上は、これを尊重しなければならぬなどということをいろいろ苦心して言うことは必要がないのではないか、また民主主義ではそういうことは間違いである。正々堂々に不服申し立ての道を踏むのでありますから、踏んだ以上は、あらためて自己の所信に従って、法廷において攻撃、防御の方法を重ね、花咲く論議をやる。この考え方で、そうして最終的判決によって決定した判決にはえりを正すのだ、こういう考え方が民主主義の社会のもとにおいては当然のことであろう、こう考えております。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 まあ、私は、これは被告の立場に立って、その責任の主体である総理大臣、あるいはまた官房長官、こういう立場からこれに対していまのようなことを言われたら、それはもう一応理があると思う。ところが、同時にあなたは司法行政の責任者でしょう。司法行政の責任者として、下級審の判決を出されている、そうして、しかもこれは非常な努力を払ってこれは出された判決ですよ。この結果についていまのような評価をされておるということは、今後の司法行政に対して非常に私は重大な問題を持っているというふうに考える。もう少し判決そのものの意義、与える影響、当然三権分立の立場から、下級審といえども持っているところのはっきりした一つの判決のこの効力、こういうものについて明確にするのがあなたの立場じゃないかと思う。ところが、あなたのいまの答弁を聞くというと、まるでその立場をこれははっきり踏まえていないのですね。私は、法相として、特に法務大臣としてお聞きしているのはその点なんですよ。その点に立って、いまの答弁でいいですか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 先生、少しお考え違いがあるのではないでしょうか。私は司法行政の責任者じゃない。たいへんな違いで、司法行政の責任者は最高裁判所長官であらせられます。私はそんな責任者じゃない。それは昔のことをおっしゃっておるので、いわゆる司法大臣時代はそういうことを仰せになりましても、なるほどと言わねばならない。私はいわゆる法務行政の責任者で、いわゆる広い意味における法務行政の中から、司法行政を、不順独立の立場におりまして、最高裁判所長官が司法行政をやっておる、こういうその立場でございますから、私はそういう立場でものを言っておるのでありまして、裁判においては何しろ私が被告の立場で、被告の代理人という立場でございます。そういう立場で私が裁判、法廷に出て裁判長に申し上げますと、こういう立場でございます。それでありますから、誤解のないように、司法の責任者じゃない、こういうことをよく頭に置いていただきたいのでございます。  下級審といえども、その御判決の条理整然としたところもたくさんございます、この中に。そういうものは大いに政府の反省の資料といたしたい、こう考えるのでありますが、先ほどからくどく言うように、法律的にはこれはいらえようがないのだ、効力発生せぬのだから、判決を言い渡しただけなんで、効力を発生せないものを、どうして法律的にこの効力を尊重する道があるかということを申し上げておるのでございますから、どうか誤解のないように私の申し上げることをよく御理解をいただきたいと思います。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 私はまあ司法行政と言ったのは、それは何に違っているかもしれぬ。しかし、法の番人としてあなたはそういう責任を持っているわけでしょう、もっと広い意味でのね。そういう立場から、いまのような答弁というのはこれは了承できないです。それから先ほどのこれは上田議員との応答よりもずいぶんすべっていますよ。これは速記でもなにしてみればわかるけれどもね。これはこういうことでは納得できないですよ。で、この問題時間の関係からこのくらいにしておきますが、あなたの見解をただして、それに続いて私は山中防衛庁長官にお聞きしたいのです。  長官は、長沼判決のあったその日に、全自衛隊員に向けて訓示を発しましたね。そうしてその中で、同判決は重大な判断の誤りをおかしている、こういうふうに断じているわけです。そうして、さらに政府としては、この判決があったからといって自衛隊の整備の方針に変更を加えることは毛頭ないと、こう言っているわけですが、先ほどから反省の問題が出ておるのでありますが、何らこれは反省もなし、それから方針には変わりはないと、こういうことなんだと。  それから第二にお聞きしたいのは、重大な判断の誤りということを言っている。これはどこが重大な判断の誤りなのか、これを明確にしてもらいたい。  第三に、この誤りと断定された根拠があるわけでしょう。何を根拠としてそれなら誤りとされておるのか、この点をお聞きしたい。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) まず第一は、先ほど来御答弁いたしておりますように、一審の判決であって、政府は、この私の訓示の段階でも上訴するということを明らかにして、それを前提にものを言っておりますし、したがって、一審の判決に不服で政府は上訴するわけでありますから、それによって直ちに方針を変えるということは当然しないというのはあたりまえのことであります。  さらに、重大な判断の誤りというのは、政府の見解か発表されたが——というところにありまして、それは官房長官が政府を代表して重大な誤りがあるということを言っておることを受けて、私が先ほど、政府の見解が発表されたがその見解にもあるとおり、ということを申し述べておるだけでありまして、防衛庁長官独自の判断を示しておるものではありません。さらに、政府の見解というのは、これは文字どおり政府が、関係者が合議して官房長官の名において発表した、統一された見解であるということで、私はその見解の中において訓示をしたということであります。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 第三はどうですか。根拠です。誤りだという根拠はどこにある、何に照らして誤まりだと。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 具体的には法務大臣のほうがやっていただく上訴理由の中に書いていくわけでありますが、官房長官の談話の中に、「言うまでもなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではなく、政府としては、自衛隊はいかなる意味においても憲法に違反するものではないと確信している次第であって、この判決に対しては直ちに農林大臣において上訴の手続きをとることになるが、この判決に示された重大な判断の誤りは上級審において必ずや是正されるものと確信している」、すなわち官房長官の、政府の統一見解を受けて、このままを、いま言ったようなことが官房長官から言われておりますから、このままを受けて、「判決に示された重大な判断の誤り」と言っているだけであります。防衛庁長官独自の見解は持っておりません。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 この文書を見ますと、それもいまと同じような趣旨が述べられているわけですね。こう言っている。「わが憲法の平和主義が、決して無防備、無抵抗を定めたものではなく、わが国が平和と安全を維持して、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、すでに最高裁判所が判示したところの憲法解釈である」、こういうふうにはっきり述べておるんですね。そして、現在の自衛隊が合憲であるというのが最高裁の判示であり、確定した憲法解釈であるかのように述べているわけですね。  そこで、私は、お伺いしたいんです。最高裁の判示である必要な自衛のための措置、そのことは同時にイコール、これは自衛隊ということになるんですか。したがって、自衛隊は憲法違反でなく合憲だと、こういうことになるんですか。そういう解釈ですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 先ほども御答弁しましたとおり、最高裁のいわゆる砂川判決で、自衛隊が合憲であるという判決がなされてはいないことは私も承知しておりますと申し上げたんでありますが、したがって、この文書をお読みいただければわかりますように、必要な自衛の措置をとり得ることは、最高裁判所が判示したところの確定した憲法解釈であって、したがって、この自衛のための必要な措置として、これはもう判決とは関係がありません。わが自衛隊は国民を代表する国会において慎重かつ十分な審議を経て設置され、整備され、今日に至っているものであるという具体的な経過並びにその実情を述べているにすぎません。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 おかしいじゃないですか。私が聞いているのは、自衛権イコール自衛隊をさすのかと、そうでなきゃこれは合いませんよ、話が。ところが、そうじゃないでしょう。最高裁判所の判示というのは、これは必要な自衛のための措置、つまり自衛権は、これは今日の国際社会がこれに属する主権国家に当然承認される国際法上の権利である。これは当然のことなんですね。だが、憲法は自衛権を否定していないからといって、それは直ちにイコール自衛隊を持ってよいということにはならないわけですね。だから、自衛隊が違憲かどうかという問題をいま論議するときに、砂川判決ですね、これを持ち出して、そして論理の飛躍があるじゃないですか、どうなんです。自衛権そのものが同時に自衛隊ということにならない。だから、あなたのは、自衛隊はちゃんと合憲だと、こういうような立場でこれは論証を進めているわけですね、ここはどうなんです。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 繰り返し申し上げますが、論理の飛躍をしていないことは文書を読んでいただければわかるわけです。最高裁判所が判示したところの確定した憲法解釈は、「わが憲法の平和主義が決して無防備、無抵抗を定めたものではなく、わが国が平和と安全を維持して、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうること」、ここまでにかかるのであって、自衛隊に触れておりますものは、国民を代表する国会において慎重かつ十分な審議を経て設置され、整備され、今日に至っているものであると言っているのであります。砂川判決が自衛隊を合憲と判示しておる、判決しておるというようなことは全く言っておりませんから、論理の飛躍は一つもあり

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 それは明確でしょう。最高裁の判示でも、憲法第九条は、同条にいういわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止している。これを述べているだけですね、そういうことでしょう。  そこで、あらためて伺いたいんですが、自衛隊は戦力ではない、こういうことなんですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) これは政府の統一見解のほうがいいのかもしれませんが、私たちは、上が自衛隊は、憲法第九条第二項も含む憲法に許容される範囲のものである。必要最小限の自衛力として存在を許されたものである、そのように考えております。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 それじゃ憲法で禁止されている戦力ではないということを言っているわけですが、それなら憲法九条でいう戦力とは何かという問題が、あらためてまたこれは提示されなければならない。これは国際紛争を解決するための戦力という意味ですか、憲法九条で禁止しておる戦力というものは。どうなんですか。

角田礼次郎内閣法制局第一部長

○政府委員(角田礼次郎君) たびたび申し上げたことをまた繰り返して申し上げるわけでございますけれども、政府の解釈は、九条の一項で自衛権は否定されていないと。自衛権がある以上は、その自衛権の範囲内において他国の侵略を排除するための自衛行動というものも否定されていないだろうと。そこで第二項の問題になるわけでございますが、第二項には、いま御指摘のように、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書いてあるわけでございますけれども、しかし、第一項と関連づけて規定されております以上、第一項で自衛権は放棄していない、あるいは自衛権の範囲内における行動は認められていると、こういうことから申せば、その裏づけとしての自衛のための必要最小限度において必要な実力を持つということは、九条二項で禁止されているいわゆる戦力には入らないと、これはもう従来から政府が申し上げている解釈でございます。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 そういう解釈で、あなたたち、やっているわけですが、国際紛争を解決するための戦力ということを、それじゃこれは具体的に考えてみましょう。これは言いかえれば、外へ出て侵略する、侵略のための戦力、そういうことにこれはなると思う。これは学会の定説であり、国際法上の定説になっていると思う。  そこで、お聞きしたいんですが、一体世界の軍備ですね、軍隊を持っている国で、自国の軍隊は侵略のための軍隊だ、軍備だと、こう言っている国というのはこれはないと思うんですね。全部がこれは自衛のための軍備だと、こういうふうに言っているんじゃないですか。ありますか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) もちろん自分たちは侵略のための軍隊を保有すると定めておる国家のないことは当然の常識であります。しかし、対抗し、もしくは積極的に、いわゆる攻撃は最大の防御なりというような意味においても、先制の攻撃をかけていくような形も含めて、要するに相手方の国に圧迫を加え、もしくは紛争解決の手段としての武力を行使し得る能力というものを持っている国はないかと言えば、それはたくさんの国が持っておる。しかし、日本の場合は憲法の制約、その他、あらためてここで列挙いたしませんが、数多くの制約によって、そのような外国に対する脅威を与えるようなものは、装備においても、能力においても、あるいはまた徴兵制や海外派兵等も含めて、そういうことはしないと言っておるのでありますから、全くよその国の俗にいう軍隊とは概念を異にする制肘のもとに存在するものである。したがって、これを外国で全部自衛のためと言っておるではないかといって、判決のいうように、したがって、日本の自衛のためと言っても、侵略の軍隊にいつでもなるというものではないと、私はそう思うんです。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 そんなことは、これは論理の虚構というものです。どこの軍隊だって自衛のための軍隊だと、こう言っておるんで、自衛のためのこれは防衛軍隊ですね。軍隊と言うか言わないか、防衛力という形であなたたちは言っているだけでしょう。自衛のための防衛力だと。そういうことを言っておるわけですけれども、ただ、あなたの論理というのを突き詰めていけば、これは結局はまあ世界の国々には、軍備、軍事力というのは戦力でない、そういうものを持っている国はないと、こういうことにこれはなるのですが、実態は非常にこれは違う。しかも日本のこれは自衛隊の場合どうですか、大体もう四次防が完了すれば世界の第四位。世界では三機ぐらいの飛行機だって、これでちゃんともう軍隊だと言っているところもあるんです。ですから、こんな国内の憲法との関係で、しかも解釈を何回も変えて、そういう形で、一つの虚構で、これを押し通そうというようなやり方じゃ話にならぬ。これに対して明確な解釈を与えたのが今度の判決ではないですか。何よりもだから実態論がこれは問題だったんです。今度の判決の中で非常に大きな問題になった。そうして、これを私たちも読んだのでありますが、一番大きいのはこの自衛隊の現在の事態はどうなっているのか。それを装備の面、能力の面、あるいは演習の面、訓練の面、そういうところから実態論をこれは明らかにしてきた。そういう点ではっきり戦力だということが明確にされておるということが明らかだ。これを読みましたか、あなた。どうですか。防衛庁長官どうです。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 全文、数回読んでおります。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 それで、そういう点はどうです。この中にはっきりこれは出てくるんだから、どういう一体見解になったか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) そのような見解に服し得ないから、私たちは法務省を通じて国として上訴したということであります。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 あなたの立場からいえば、服し得ないということでまかり通ろうとするんだが、先ほどからここで大いに論議されたように、国民の判断は、これはそういうことではまかり通らないところまできているんじゃないでしょうか。そうして自衛隊の士気を維持する、そういうためにはどうしてもこれは上訴をする。それで砂川判決のようなああいう結果を期待する。そういうことで何とかここのところをまかり通ろうとしている。砂川判決そのものもこれは合憲だという判決は出していない。違憲判決でありますから、はっきりこれに対して今度は合憲の判決が出るというそういう何はあるんですか。そうでなけりゃこれはまかり通れませんよ、ここは。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) なかなか深刻な御質疑がありまして、御答弁を私が申し上げるのもどうかと思うんですが、申し上げたいと思うのは、これは、この判決は、膨大なこの判決出ておるけれども、読んで、一口にことばで言うと、自衛の権利というものは否定してない。しかし、自衛隊というものをよく内容を調べてみるというと、自衛の限度を越えておるじゃないか、自衛隊と言っておるが軍隊じゃないか、すなわちこの自衛隊と称する日本の軍隊は憲法違反だと、こういうふうに仰せになっておるのが結論のように私は思う。で、私の責任で、私が控訴をして、私が裁判、法廷で戦う方針を指示をするのでございます。そういう立場から申しますと、そういう裁判所の御判断は、おやりになる権限があるんですかと、裁判長はそういう判断を、そういう重大な判断を裁判所がなさってよいんですかと、はき違えていらっしゃるんじゃありませんかということが私のほうの言い分になります。これ、まだ文章できておりませんが、文章でき上がりましたらこれが重点になります。そういう権限はないじゃないかと、裁判所がそんな重大な判断をなさってどうなさるのか。そういう高度の政治判断を必要とする判断は裁判所の御判断の範囲ではない。それは行政府が判断をいたしまして、最終判断は国会がすべきものだ。こういうこと……。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 時間をとらないようにやってください。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) まあ、大事なことですから、ちょっと時間がかかっても、これ、しょうがないんですよ。  そういう考え方に立ちまして、誤りである、裁判官の御判断は誤りであるということを言っておるので、この誤りを是正していただくために、攻撃防御の方法を繰り返したい、こう考えておるのであります。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 まあ、統治行為論の問題で、先ほどからこれはずいぶん論議を重ねたところです。しかし、あなたたちはこれに承服しないわけですが、あれはね、いわばもうこれは過去の遺物ですよね。そうして高度の政治判断が必要だということで、そこのアンバラの中に全部投げ込んでいって、それでもって実際はこれは憲法に保障された、しかも主権者の基本的権利、そういうようなものをじゅうりんしていく、そういう方向に使われているのが統治行為論なんです。それを、そういうものについての歴史性についてもさっきから指摘されたでしょう。ところが、依然としてここにもうしがみつく以外にいまないでしょうが、政府の立場はね。そこで展開しているわけだ。これに対して今度の判決は、はっきりやはり当然裁判所の任務、そうしてしかもこういうことを言っているでしょう。この違憲の問題があって、その結果が国民の生命、財産その他の権利に、そういうものを侵犯する、そういう事態を見ているときに、裁判所は当然の、これは九十条ですか、九十一条ですか、これの権能によって裁判官としてはその任務を尽くさなきやならぬ。しかもそれを積極的にやらないのは怠慢だとさえこれは言っているんだ。だから新しい主権在民の憲法の自覚に目ざめたこれは福島裁判官のこの行為と言わざるを得ない。それに対してあらゆる場合にこの統治行為論というようなかっこうで抑圧をしてきたのがいままでの政府の態度であり、そうしてこの判決の影響が非常に大きいもんですから、その影響に驚いてさらにこれを上訴する。上級審でもっていまの統治行為論を何とか実現させようというそういう策謀があるんじゃないですか。そういうことはこれはとても承服しませんよ。国民は絶対承服しません。  私は、まあもとに戻りますが、元来、自衛権とは、その国が急迫不正の侵略に対して自衛のための対抗措置をとることの合法性をいっているのであって、そのために平常から軍事力を配備し、これを行使することだけが唯一の手段ではなく、自衛権の行使には外交交渉や国内の抵抗等を含めて幾多の方法がある。こういうことは明白だと思います。日本の憲法はそれらの方法の中で軍事力による自衛権の行使を放棄したものであると、長沼判決は明確にこれを指摘しているんです。これはまさに、明確にこの実態を明らかにしているということです。  で、最高裁の判示は、自衛が否定されていないこと、自衛のための措置が必要であることを述べているだけであって、その自衛のための措置がイコール自衛隊であるとはいささかも述べていない。にもかかわらず、あたかも最高裁の判示が自衛隊の合憲を述べているかのように自衛隊員に訓示を行なっている。長沼判決を重大な判断の誤りなどと言っている。こういう態度というものは、基本的に私は間違いだと思うんです。  で、憲法九条が、戦争を放棄し、一切の軍備を放棄していることはすでに明白であります。これに反し、自衛隊が陸海空の三軍であることも明白であり、したがって憲法違反であることも明白です。これは今回の長沼判決が初めて明白にしたというべきではなくて、すでに学界の大多数の見解になっています。また、憲法制定当時の政府見解でもあったはずです。  ここでは時間の関係から申し上げません。当時の吉田総理は、その制憲当時の議会で何と言ったか。それからまた、わが党の野坂参三議長の質問に対して、どういうような答弁をしていたか。これは先ほどから繰り返されております。この点についてははっきり、やっぱり自衛のためといえどももう軍隊を持ってはいかぬ。自衛のためといっても、もう軍隊を進めたのが過去の日本の誤った戦争のやり方だと。これを再び繰り返さないために、自衛のためといっても、もうこのような戦力を持つことは絶対しないと、そういうことを明確にしているわけですよ。こういうものの反省というものはどうなっている。全然これはなされていないんじゃないですか。ですから、先ほどから憲法の原点に戻ってということが言われておりますが、この憲法制定当時の初にはっきり戻って考えなければならぬ、こう思うんですが、これはどうなんですか。

田中伊三次自由民主党法務大臣

○国務大臣(田中伊三次君) 憲法の初心に戻っていかに考えてみても、独立主権国が自衛のための手段を持ってはならぬという結論が出てこないことは、先生御承知のとおりでございます。問題は、度を越えた自衛というものは自衛でない、軍隊だと言われてみてもしかたがない。政府の考え方は、度は越えておりません、自衛の限界内でございますということが政府の主張です。裁判官が仰せになるのは、越えておる、したがって自衛隊じゃない、軍隊だとおっしゃっておる。この違いであります。判断はだれがするのかということです。  そういう重大な政治判断を裁判官がなさってよろしいのかということが論点でございます。うまいことその理論に隠れていくんだろうと先生は仰せになるんですけれども、そんなことをじょうずにやる考えはない。裁判所に書類をもって申し出て、上級裁判所の御判断を仰ぐのであります。そういう立場でいくんですから、あんまりこれ、くどい議論をするほどのむずかしい問題じゃないんですね。限界を越えておるかおらぬかということを判断する権限があるのかないのかという問題に私は帰着するように思うのでございます。それは、政府の考え方は、裁判所がさような御判断をなさるのは間違いである、こういう考え方でございます。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 その判断をしたのが長沼裁判じゃないですか。その裁判に対して、あらゆるいまのようなやり方で陰に陽に圧力を加えているのがいまの政府のやり方じゃないですか。そういうことを言っておる。できないんだ、できないんだという。だから結局は、その点、統治行為理論そのものというのは過去の遺物なんだ。そうして何とか権力を維持するために、支配者たちがそういうようなものを設けてきたんだ。そういう点の歴史的な性格というものは明確になっているんですよ。それにしがみついているのがいまのかっこうじゃないですか。大体このような当然の解釈に対して、ほんとうにこの態度が変わってきた。これはもう言うまでもなく朝鮮戦争のときでしょう。明確ですよこれは、歴史の曲がりかどを見れば。そうでしょう。マッカーサーによって、アメリカの必要から、警察予備隊をつくること、それが指令された。それが保安隊、自衛隊と変わった。みずからの違法行為を合理化するためにこじつけられてきたのが九条解釈に対する政府の態度の変換ですね。どんどんどんどん変えた。それは九条をめぐる学界の論争というものとはまるで違う。正当な解釈を政府がねじ曲げこじつけてきたという以外の何ものでもないのが、いままでの九条に対する政府のやり方です。しかし、いまここで、時間の関係もあって私は憲法九条について長官と論議するつもりはありません。それは長沼判決が明快に論証しているので、裁判は重大な判断の誤りと訓示するよりも、冷静にこれは判決を読んでこの事態を究明すべきだというふうに思います。  長沼判決で明らかにされるまでもなく、わが党は一貫して、自衛隊は憲法違反の軍隊であり、人民弾圧の軍隊であり、さらにアメリカの極東戦略にかたく組み込まれた米軍の補完部隊であることを指摘してきました。長沼判決が「自衛隊の対米軍関係」の章で論証していますが、これに関連して、幾つかの点で私は伺いたいと思うのです。  自衛隊の装備の多くは、日米相互防衛援助協定に基づいて、アメリカ側からの無償あるいは有償のいわゆる援助で成り立っていることは周知の事実です。とりわけ、自衛隊の近代装備の大部分は、この協定に基づくひもつき援助です。時間の関係で詳しく述べることはしませんが、たとえば航空機では約一千機、艦船では約二百七十隻、本土の二十四カ所の警戒管制システム、それに戦車、さらにF104JやF4EJファントム、ナイキ、ホークなどのライセンス生産技術の資料、それから稚内の電子情報機器、これらはいずれもこの協定に基づく無償供与になっている。それから同軸海底ケーブル、ソーナーなど、これは無償貸与、つまり借りているわけです。さらに本土二十四カ所の警戒管制システムのバッジ化に伴う一切の機材、沖繩のナイキ、ホーク、警戒管制システム、ターターミサイル、DDG三番艦のターターミサイルシステム、海底ケーブル、ソーナーの地上機材、これらはいずれも有償の買い取りです。この買い取り額は、昭和三十一年から四十七年までで幾らになっていますか。この金額、これは幾らになっていますか。

山口衛一防衛庁装備局長

○政府委員(山口衛一君) ただいまの御質問が有償援助というふうに考えまして、始まりました昭和三十一年度から昨年度、四十七年度までの合計で有償援助は約一千二百億円、一千二百三十億円というふうに承知しております。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 これらの問題については、これはさらにまあ委員会がありその他の機会がありますから、十分にやりますから、結論的に申し上げているんですが、さらに日米相互援助協定で受ける援助は、これらの装備、資材だけではなくて、役務その他の援助も受けることになっておるので、この役務その他の援助の内容が何かということがまた問題になってくる。現在このような面での援助というものはどうなっているのか。  さらにまた、この協定では、アメリカ側はこの協定に基づく援助の進捗状況の観察もできることになっている。役務の援助とか進捗状況の観察といえば聞こえはいいんですが、実際はひもつきであり、指導であり、監督でないか。こう思いますが、いかがですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 米側から、いかなる立場においても、指揮もしくは監督、そういうものを受けておる立場は自衛隊にはありませんが、こまかな具体的な問題については事務当局から説明させます。

山口衛一防衛庁装備局長

○政府委員(山口衛一君) ただいま御指摘のような種々の役務関係の取りきめもございます。ただこれはそれぞれ有償の場合には買い取り、無償供与、または貸与の場合には、それぞれこちらが占有権のみ、あるいは所有権を持ちまして、ただ貸与の場合には所有権は向こうにありますが、いずれにいたしましても、日本で生産もできない品物でございまして、そのような機材の運用等につきまして技術的な協力は受けた事実もございます。  それからまた、それに基づきます技術書類等につきましては、これは特別にMAPというような形ではなく、従来から書類等につきましては供与を受けております。いずれもそれぞれ貸与、供与、あるいは有償援助に基づきます運用に関しましてのそれぞれのアドバイスというような程度でございまして、これが恒久的に共同して役務を分担し合っているというようなものはないように記憶しております。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 これらの援助、装備、資材、それから役務、こういうものですね。これは全部細目取りきめがあるわけですね。このような細目取りきめというものは、これは件数にしてどれくらいあるのですか。

山口衛一防衛庁装備局長

○政府委員(山口衛一君) それぞれ日米間の相互防衛援助協定に基づきまして取りきめをするわけでございますが、内容におきましては、両者の会議もしくは協議によりまして、文書にならないもの、もしくは文書になるもの、これまですでに有償援助の場合には三十一年から、無償の場合にはそれ以前からというもの、二十年近いものでございまして、現在その件数が何件であったということは、この席上でちょっと申し上げられないと思います。資料としてお出しします。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 それじゃこれは資料として出してもらいたいです。  そのほかバッジシステムの場合、これは共同使用、そうでしょう。警戒管制システムの運用、そういう場合の共同使用、こういう場合の取りきめというのは非常にこれは重要だと思うのですが、この実態はどうなっておりますか。

久保卓也防衛庁防衛局長

○政府委員(久保卓也君) バッジにつきましては、このシステムを整備する場合に一部経費を米側が負担をいたしました。その際に米側の用途にもこれを供し得るという協議をたしかしたように思います。それからレーダーサイト等につきましては、レーダーサイトが移管される際にやはり米側と、当時防空用の任務を持った航空機が米国におりましたから、したがいまして、その用途にも利用し得るということで、米側の連絡員が個々のレーダーサイトのいわゆるADDC以上のところに配置し得るというような協議をしております。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 時間の関係で、詳細にこれらの内容、共同使用の実態、そういうものについてこれは質問する余裕がないのでありますけれども、この実態をもっと明らかにする必要がありますよ、国民の前に。そうすれば、いかに日米共同の体制、しかも最初から、警察予備隊時代から米軍の肝いりで発足した軍隊がだんだんだんだん成長して、しかも現在においてはこのような警戒管制体制、こういうようなところまで、依然としてこれは日米のこのような援助体制が行なわれている。そうして、それに対する監督が行なわれている。そういうふうに考えてまいりますと、マッカーサー指令によってつくられた、アメリカの戦略のために非常に必要な形でつくられたところの装備が、アメリカの指導と訓練で育てられてきた。そうしてアメリカの極東戦略に組み込まれた軍隊、これが自衛隊だ。こういうことは、これはもういままでのレアード国防長官の総合戦略構想の中における補完部隊というような指摘、あるいはその他の証言の中でもはっきりすることができると思うのですね。ここにはっきりこの自衛隊の本質があるのだということですね。この点をやはり明確にしなきゃならぬ。  私は、こういう中で、この証言の中で、源田さんのことば——先ほどこれは源田さんも質問をされたわけでありますが、この証言の中にこういうところが出てまいります。航空自衛隊の任務について、こういうふうに源田さんは言っている。「何を目標としての訓練をし、何をやるべきかというと……そのうちの攻撃的な面は日本はやらないことになっておりますからやらないのですが、防御の主体というものはアメリカの持っている反撃力を守る。日本自体が反撃すれば日本の反撃力を守ることである。アメリカの反撃力が飛立っている基地を守る。レーダーとかいうものが、すべてその相当部分はどこへ向かうべきかというと、その相当部分は反撃兵力を目標にして誘導するためである。また帰りをうまく誘導してやる、そういう具合に使って初めてこれが生きてくる。単に第二次戦争当時の日本の防空部隊みたいな形で、ただ守るだけ、都市の防空、何の防空だと守るだけの形においてはそう大して意味をなさない」、こういうふうにこれは述べている。  日本を基地とする米軍の攻撃作戦行動を誘導し、援護するという日米共同作戦体制、こういうものについての自衛隊の任務というものを、ほかならない源田さんがこれは証言の中で述べられておる。これは非常に私は重大だと思いますけれども、こういう問題について、防衛庁長官はどうお考えになりますか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) 証人は宣誓して、自分の考えていることを法廷で真実を告げているわけでありましょう。しかし、それは個々の人たちの考えというものがあります。したがって、私たちは、結果的には日本が相手国について防御の体制には入れても、それに対してさらに相手を攻撃するということは、いわゆる日本側から攻撃して出ていくということはできないというたてまえにありますから、したがって、安保条約の締結のもとにおいて、そのような不測の事態があった場合において、米軍の能力というものがそれをカバーしてくれる。その意味においては、あるいは源田証人の言うように、結果的にはわれわれはわれわれの国土を守りますから、したがって、その中に置かれておる米軍の基地というもの、主として空軍基地でありましょうが、そういうものがわれわれの国土防衛の中に当然入っているわけでありますので、それが守られることは結果的には同じことであります。  しかし、私が先ほど誤りを申しましたが、これは証言ではなくて、源田証人が昭和三十七年十二月二十日に個人的な見解だとしながら述べられた講演の要旨ということであります。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 証言の中でもこれはいろいろ述べられていますが、これは時間の関係からやれませんけれども、ほとんど。そう言っている。それで、これはベテランの源田さんがそういうことを言っている。そうして、それはもうアメリカの反撃力を守るんだと、それがもう最大の任務だというところにはっきり自衛隊の持っている性格があると思うのです。このような問題についてたくさんの問題を明らかにすることができます。  それから今度の判決の中でも、これは六つの点からいろいろあげて、たとえば共同行動の問題、松前・バーンズ取りきめの航空総隊と米第五空軍の共同した日本の防空任務の規定、日本国と米国とのバッジ組織の取りきめ、それから海上自衛隊と米海軍との対潜作戦などの共同訓練、それから朝鮮半島などわが国周辺の諸国における武力衝突や紛争発生の場合の自衛隊の対米軍の関係、これは三矢作戦と関係あるわけですが、それから源田氏の航空自衛隊の防空任務に関する見解、これらのものをあげて判示は、自衛隊が自衛のものでなくて、アメリカのアジア戦略に組み込まれた補完部隊であるということをこれは同時に明らかにしている。自衛隊は自衛のものではないという点でも憲法違反であり、そして判決においても明らかにされているように、自衛隊が陸海空の軍隊であるという点でも憲法違反です。まさにこれは二重の憲法違反と言わなければならない。こういう性格について、この真実を明らかにしたのはこの判決だ。この判決の持っている意味というのは非常に重大です。国民に真実を伝え、これによって日本の現在の自衛隊の明らかな姿、客観的な姿というものを明確にする、そうしてその性格を明確にする。こういう事態がはっきり、しかも違憲判決という形で出されているのです。  このことに対して、防衛庁は上訴だけでそこのところをまかり通っていく、そういう態度をこれはあくまで貫く気ですか。われわれはこの問題について、たとえば具体的に言うと、当面する問題として、いま当面するこの防衛二法の問題ですが、こういう防衛二法を審議する根拠というのは非常に薄くなってきている。第一これは違憲だとらく印を押された法案、これが現実にかかっている。そこへ今度違憲だという判決が、下級審とはいいながら下った。そういう例というものはあまりないと思う。私は、だからこういうものは撤回すべきものじゃないかと思う。四次防問題もこれは取りやめるべきだというふうに考えます。自衛隊の解散をわれわれは終始一貫主張してまいりました、違憲の軍隊として。そうして解散の上は隊員の平和産業への就職、こういうものについて国は十分に力を入れてあっせんする、こういうことをわれわれは主張してきたんですけれども、この主張というものは、当然私は憲法の指向するそういう方向に従う限り、これをあくまで守るという立場をとれば当然じゃないかと思うのですがね、どうなんですか。これに対して全く政府のいまの立場というものは、これは全然いままでの自衛隊の独断的なやり方、そうして違憲の正体というものをほおかぶりしてまかり通ろうとする、こういう態度は許されますか。許されないと思うのだが、どうですか。

山中貞則自由民主党防衛庁長官

○国務大臣(山中貞則君) それは自分たちの立場から賛成できる判決であれば、裁判長個人の名もあげて非常に称賛をされておられる。これも御自由でありますが、しかし私たちが、政府として、公の立場でその判決に承服いたしかねると言ってすでに上訴をいたしたわけでありますから、下級審の判決は、したがって、上訴をした日時点においてそれは効力を発生し得ないものである、そのように思います。  また、防衛二法に対する考え方については、さきに砂川の判決が第一審で行なわれました際も、同じく参議院の内閣委員会に防衛二法がかかって、おりまして、そのときもそれが審議されてその国会で可決されておる先例もございますので、そのような先例に国会が従って成立さしてくださることを切望いたしております。

岩間正男日本共産党

○岩間正男君 最後に私伺っておきますが、われわれは、これはわが党の主張と非常に似ているからしたがってこの判決を支持すると、そういうことだけで言っているわけじゃない。これは憲法に照らして実に明白だ。そうして、はっきりさせるものをはっきりさしている。当然のことを当然として言っている。むしろおそきに失したと思われます。これはいろいろな妨害もあったから……。  私は、同時に、最後に申し上げたいのは、これは田中総理が出たらなお追及しようと思うのでありますけれども、このような曲がった、いわば非常にコースにはずれた、軌道をゆがめたんだ、日本の政治の軌道をこれはゆがめました。大体黒いめがねをかけている人が白いものを見りゃ黒く見える。しかし、自分が黒いめがねをかけていることはわからない。長官を言っているわけじゃないですよ。そうなんです。軌道をはずれたゆがんだものはまっすぐな道もゆがんだように見える。こういうかっこうで、実はこの自衛隊の違憲行為というものは、これを強引に押し通してやってきたところの反動的なやり方というものが、日本の政治全体をゆがめている点が非常に問題である。当然これは軍国主義の復活にも通じ、一方では小選挙区制を強行する。そういう体制の中で、暗黒政治を呼ぶところの原因というのは、根源は、このような政治のゆがみからきているんだという点、これは非常に私は重大な課題だというふうに思うんです。単にこれは自衛隊だけの問題じゃない。この自衛隊のゆがみを正すということ、こういうものの違憲の正体というものを明白にして、そしてこれを解散の方向にはっきり変えていくという、そういう戦いというのは非常にこれは重大な課題を持っている。日本の政治を根本から正す、そうして憲法を真に主権在民の平和条項、民主条項を実現できるところの憲法にする、そういうきっかけとしてこの戦いは最も重要だと考えます。こういう見解を述べて、何かわれわれが自分のほうに同調さして、見解が同じになったからこれを支持しているんだと、こういうふうにだけ言われておりますが、その点については、これは単にそういうものじゃないということを明確にしておきたいと思います。

高田浩運自由民主党

○委員長(高田浩運君) 本日の質疑はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後六時五十八分散会      —————・—————

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