文教委員会 第31号
- 発言数
- 190 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1973/07/13
会議録
○田中委員長 これより会議を開きます。 学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法案を議題といたします。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。安里積千代君。
○安里委員 私は、教職員のその責任の重要性にかんがみまして、その処遇を優遇するという、そのために給与の引き上げということにつきましては、基本的に賛成するものでございますし、また、この法案につきましては、それぞれ議論、質疑が行なわれておりまして、それに対しますいろいろな御答弁がございました。ほとんど、私が言いたいと思いますることは、前の委員の方々が述べたように思うのでございますけれども、なお二、三の点につきまして疑義を明らかにし、すっきりした気持ちでこの法案が採決になることを願っておるわけでございますが、そういう立場から、つとめて重複することを避けまして、若干の質問をいたしたいと思います。 まず第一に、この法案は、そのねらうところは、目的が示されておりますけれども、その目的の中には教員の優遇、これが一つありますとともに、人材確保ということが第一条に示されております。私がお聞きいたしたいのは、どっちが一体主体になってこの法案が出されておるかということであります。つまり教員の優遇をしなければならない、給与を上げなければならないということが主たる目的なのか、それとも人材を確保するということが主たる目的なのか、一体どっちに重点を置いておられるか、これをお聞きいたしたいと思います。
○奥野国務大臣 申し上げるまでもなく、人材を確保したいということにほかなりません。 なお、先日の馬場委員からの御質問につきましては、四月十三日の本会議後初めての当委員会で、長谷川委員からの御意見がございました。それに対しまして私から御答弁申し上げましたが、いまもそのとき申し上げましたとおりに存じておりますので、御了承をお願いいたします。
○安里委員 人材を確保するということが主たる目的だと、こういうふうにおっしゃるわけでございます。確かに、法案の主題も、いわゆる人材確保法案というふうに一般に言われておりまするし、法案の主題からいたしましてもそのように見られるわけでございます。しかし、法案の内容を見ますと、目的だけにはもちろん人材確保ということがいわれております。ところが、法案の内容というものは、これは給与に関する問題だけであります。私はそこに一つの疑問を持つわけであります。主題、それから目的には人材確保ということがうたわれておりますけれども、法の内容というものは、あくまでも給与だけの問題、そうしますと、法案の内容というものは、給与問題が主体になっておる。給与をよくすることによって人材が確保できるんだ。だから、人材の確保ということが、給与をよくするということの結果としてあらわれるものであって、人材確保を主たる目的としておるんじゃないんだ、給与を上げてやるんだ、優遇してやるんだということが、この法案の内容からしますると主体になっておると思うんですけれども、人材確保ということは、その結果として生まれるところのものであって、その点、私は主客転倒と申しますか、ちぐはぐの感じを抱くわけでありますが、いかがでございましょうか。
○奥野国務大臣 人材を確保することを目的にしておるわけでございまして、その目的を達成する手段としてはいろいろなことがあろうかと思うのでございます。その手段として、一つの問題点としては処遇の改善、これは大切だと思いますので、その処遇の改善を中心にして、この法案を提出させていただいておるということでございます。
○安里委員 大臣のこの法案に対する、あるいは所信表明の中におきましてうかがわれる一つのことは、教職員の処遇が悪い、だから人材が集まらない、だから人材を得るためには処遇をよくしなければならない、こういう趣旨のことがうかがわれるのであります。 確かに、処遇によりまして人材が去る。ことに、初任給におきまして、一般よりも優遇をされておるような形であるけれども、これが十年、十五年あるいは三十年とたってきまするならば、非常な差が一般との間に生じてくる。こういうようなあり方も是正しなければならない。教職員が将来に対して、大きな希望を持ってその職務に励むというような道を講ずるということは、大事なことだと思いますけれども、私が基本的に非常に疑問に思いますることは、処遇が悪いから人材が集まらないんだ、逆に申しますというと、現在の制度の中においては、教職員の質あるいは人材というものが、そのために悪いんだというような感じを持たされるところの政治姿勢というものが、そこに感じられるものがあるのです。 特に私、このことを申し上げるのは、教職員という特殊なと申しますか、人間をつくる大事な職務でございます。としまするならば、教職員というのは、そのとうとい使命観に応じて、ある場合には物の多寡を離れて、もっと精神的な面と申しますか、そうした面が、教職員の職務を遂行する上において非常に大事な要素をなしておるんじゃないだろうか。給与の多い少ないということが、人材を確保する上において非常にまずいんだ。あるいは事実そうであるかもしれません。しかし、それが立案の、あるいは政府の基本的な考え方になって、処遇が悪いから人材が集まらぬのだ、だから処遇をよくして人材を集めるんだと、これは教育に対する、あるいは教職に携わる者に対しまするものの見方といたしましてはまずいんじゃないか。現実には、それはだれしも処遇あるいは世の中の評価というものは、その待遇のいかんによって評価する世相もございます。ありましょうけれども、これは表面の中に打ち出されるべき問題じゃないんじゃないか、こういう気持がするわけです。 私、特に言わんとしまするところは、いまの世の中というものが、人間より物を大事にするというような、物によって人間が評価される、こういう気風と申しますか、むしろそれを基本的に改めてもらわなければならないのじゃないか。これはあらゆる政治姿勢の中にも出てくると思うのでございまするけれども、人を大事にするというところの基本姿勢。ところが、この法案に流れるものは、やはり人をつくる教職員でも、物というものが重要視されるんだ、こういうふうな感じが法案の底に流れているような気がします。私は、これを基本的に改めなければ、これはほんとうの人間、物質だけではいかないところの人間像をつくる上において大事な問題じゃないか、こう思うわけであります。これについての大臣のお考えをお聞きしたいと思います。
○奥野国務大臣 安里さんのお話、私にはよく理解をすることができます。また、政府がこの法案の提案にあたりましても、そういうお気持ちもよく理解しながら提案をしているつもりでございます。やはり人材を教育界に導入するいろいろな問題があろうと思うのでございます。また教育界に対する社会的評価、これが高いものであるかどうか、これも大切なことだと思います。教育界に対する社会的評価が高いことを期待するには、教師一人一人の資質が向上していくということも重要なことだと、こうも思うわけでございまして、そんなことも考えながら、今回は五千人の方々に海外に出かけてもらう。そうしてその資質の向上につとめてもらう。世界を見た目で日本の教育に当たっていただく。また、そのことが教職を魅力あるものにしていくということにもなるのではなかろうか、こういう判断もしているわけでございまして、人材を教育界に導入するについて、ただ処遇だけで問題を解決しようという考えはさらさらございませんで、いま安里さんのお話しいただきました点は非常にとうといものだと私たちも考えているわけでございます。
○安里委員 私が申し上げたいのは、この法律の主とするところは、学校教育、ことに初等教育の持ちまするところの非常な重要性、これに対しまして、普通の労働者とは違った勤務を教職員はやっております。責任の重要さ、またその社会へ及ぼすところの貢献度、これも非常に大なるものがある。あるいは一般の労働者の方でありますならば、ある場合、目に見えるところの経済的生産というものにつながって重要視されるかもしれませんけれども、教育の面はそうではないんだ。単に物質だけでは割り切れない、また評価できないところの大きなものを持っている。こういう教職員の苦労と申しますか、使命に対しまして、政府がそれに対して応ずるだけの待遇をしなければならない。だから、それに応ずるだけの措置をするんだ、私は、これが基本にならなければ、どうも給与が悪い、待遇が悪いから人材が集まらないんだ、だから人材を得るためには給与を上げなければならぬ。これは何だか発想の基本におきまして、教育に対しまする、そして教育に従事する者に対しまする認識というものが、そこに何となく割り切れぬものがあるのではないか。ですから、人材確保ということが主体でなくて、教育に携わるところの人々の重要性、またその勤務の実際の状況、これに当然政府として応ずるだけの給与をしなければならぬ。これが結果としては人材がそこに集まってくるという結果を来たすでございましょうけれども、人材を得るために給与を上げるんだという発想は、あまりに教育を物質的に見過ぎるのではないか。そこに、いまのこの法案の中に流れますところの思想が、私には割り切れぬところの問題が実は残されておる、こう思うわけであります。重ねて大臣のお考えをお聞きしたい。
○奥野国務大臣 この法律は、教育界に人材を確保したい、その手段としてはいろいろなことがあるけれども、やはり給与、処遇の改善、これも大きな要素をなしておる。したがって、その手段のうちの給与の面についての特別の措置を定めたいということで、この法律を提案させていただいておるわけであります。人材確保のあらゆる法案を網羅しておるわけではなしに、人材確保のうちの一つの手段として給与の問題、それについての特別の措置を法律を通じてきめたい、こういうことでございます。 しかし、読みようによっては、いま安里さんのおっしゃったような誤解、疑問が出てくること、これはよくわかります。それだけに、この法案の趣旨につきましては、そういうことのありませんように、十分精神を強調するという努力は政府としても怠ってはならない。お話を伺いながら、強くそういうことを感じさせていただいたところでございます。
○安里委員 重ねて申し上げるようでございますけれども、教育は単に物質的な問題でないわけであります。そこに多くの精神的な要素が加わってまいります。そこで、教職員も金でつられるといっては語弊があるかもしれませんけれども、教職員の待遇の悪いこと、あるいはまたそうした物質的な問題によって教員が評価されるんだという気持ち、また一般といたしましても、学校の先生方はうちのおやじよりも、うちの兄貴よりも安い給料をとっておるんだ。これによって先生方が社会的に低く評価される、こういうような気風を根本的になくすることが必要ではないか。 いま政治の中におきましても、一番大きな欠陥というものは、人間よりも物が重要視されたことがすべての政策の大きな誤りと申しますか、方向づけの基本的な問題として直さなければならぬ問題だと思っておりますが、少なくとも教育の面におきまして、金を上げたから人材が来たんだ、待遇が悪いから人材がいまないんだ、こういうような発想は、それ自体、物中心の政治政策というものが樹立される基本になってくるんだ、こう思うから、私はあえて強くこのことを申し上げるわけでございます。 あわせまして、これはあとで質問も出るだろうと思いますけれども、私はきょうの新聞を見て驚いたわけでございますけれども、大事な大学の設置に関する審議委員ですが、そういう方々が収賄した、警察のごやっかいになるような捜査の対象になったということが大きくあらわれております。私は、そこで、そのことをいまあわせて考えまして、教育の場においてもものというものがこんなに教育界を毒するかということを思いましたときに、はだ寒い思いがさせられます。あとで大学局長にもいろいろお聞きしたいと思いますけれども、また他の議員からこの問題について詳しい質問があるいはあるかもしれませんけれども、この問題に対しまして、本法案に関連をいたしまして、どうも教育の面においてもものが中心だというところの気風というものが、知らず知らずに醸成されているのではないか、こう私は思います。大学のいま起こっておりますところの、新聞に報道された不祥事件に対しまして、大臣のお考えをお聞きしたいと思います。
○奥野国務大臣 全く私も同感でございます。特に教師につきましては、深い愛情や使命観を従来からも強調しているわけでございまして、物質的なことだけで問題を考えるべきでない。そういう意味におきまして、この法律案につきましても誤解のないように、政府としても努力を続けていきたいと思います。 福岡の歯科大学につきまして、また問題が起こってまいってきているわけでございまして、深い責任を感じますと同時に、従来から申し上げておりますように、私立の医科大学、歯科大学の問題につきましても、抜本的な改革を私としてはばかっていきたい。そのために、すでにいろいろと調査も続けておるわけでございまして、まことに申しわけのないことだ、かように考えているわけでございます。
○田中委員長 ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○田中委員長 速記を始めて。 この際、暫時休憩いたします。 午前十時五十七分休憩 ————◇————— 午前十一時十三分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法案を議題とし、質疑を続行いたします。安里積千代君。
○安里委員 先ほどの大学の設置に関しまする、大事な審議に関係しますところの、大学の教授がそれに関連して収賄をしたといったような事件が大きく報道されております。 そこで、詳しいことは時間もございませんけれども、このいきさつ、またこれに対して文部省としてどのような考えを持っておられるか。またこういうことの起こるところの素地をなしているものは何であるか。こういったことによって大事な教育の面に対しても一般の疑惑、不信感を助長する非常に大きな問題だ、このように思うわけでありますが、その経過や、あるいはこれに対する当局のお考えを、局長からでけっこうでございますからお述べ願いたいと思います。
○木田政府委員 先刻来御指摘がございますように、たいへん申しわけない事件がまた起こったわけでございます。 福岡歯科大学は、四十六年九月三十日に歯科大学の設置認可申請書が出てまいりました。申請書が出てまいりますまでの間、福岡歯科大学のほかに西日本歯科大学という二つの大学の認可申請がうわさされておりまして、農林省に農地転用の許可申請等が、二つの大学の別々の課題として出ておりました。そういう関係で、地元の福岡県の知事その他御当局の方々が、これを一本化するという御努力を続けられたのでございましたが、九月三十日には福岡歯科大学の設置認可申請書として、一つの大学としての認可申請が出てまいりました。 しかし、この教官組織につきまして、また施設整備等が非常におくれておりましたものでございますから、その秋の、十月、十一月にかけましての審査の過程では、この状態での学校の設置認可は認めがたいという雰囲気が強うございました。 その間、この福岡歯科大学の設置に関連いたしまして、福岡県立の九州歯科大学から、当時、そのときに二十四名の教員を割愛するというような内容にもなっておりましたために、九州歯科大学のほうでは、一挙に大量の教官が転出をするということをめぐりまして、大学での紛争が起きたという経緯がございました。 本来ならば、十二月までに、いいものは可の判定が審議会で出るのでございますけれども、問題もたくさんあることでございますので、四十七年二月にあらためて実地視察をいたしまして、その段階でなお教官の整備その他について十分と認められないということのために、三月十六日の大学設置審議会におきまして、福岡歯科大学は設置を保留ということにされたのでございます。 その後、設置審議会は委員の構成が改まりまして、六月に新たな委員で役員も改選いたしまして、組織を整え、審査を開始したのでございますが、その新たな設置審の組織ができましたあとで、さらに六月二十四日、設置審の関係者が現地にまた出向きまして、その後の事情その他の経緯を取り調べ、開学を四十八年四月一日に変更するという変更申請を受けまして、その後の教官の補充整備、さらにまた、九州歯科大学から転出いたします教官のあとの手順その他も全部確認をとれたものでございますから、七月になりまして設置審議会で、この段階までくれば大学としての認可をして差しつかえなかろうという答申をちょうだいし、文部省としては昨年の七月二十七日に設置の認可をいたしまして、本年の四月開校ということで開学を認めた次第でございます。 その後、ことしの三月になりまして、百二十人の入学定員に対して二百八十名近い合格者を発表するというようなことが伝わってまいりましたので、四月、五月と二度にわたりまして、穂坂理事長その他関係者を文部省に招致をいたしまして、その入学者についての是正措置その他を求めたという経緯でございます。 この間、問題になりました当桐野忠大委員は、大学設置審議会の四十六年当時の委員でございまして、第四部会に属し、福岡歯科大学の設置の担当になっておったのでございますが、しかし、実地視察その他は四回ほど行っておりますが、他の委員が主として担当しておりまして、桐野委員は実地視察の委員には加わっておりません。でございますから、十名ほどの部会の構成員の中の一人であったという点で、確かに直接の担当はいたしておるものでございますが、桐野委員は、歯科関係では御経歴の長い方でもあり、設置審議会でも、いろいろと当時までは、歯学の専門関係者として、お手伝いをいただいてきたという経緯もございました。審議会の本委員としては四十五年五月から四十七年四月までの二カ年間、一期だけの在任で終わった方でございまするけれども、こうした特定の方だけそういうようなことがあるということは夢にも考えておりませんでした。新聞で、他の視察に参りました委員にも知事等から物が贈られたということもございまして、私どもも至急に御関係の方々にその事実も確めた次第でございますが、一番中心になられました山本、これは大阪の教授でございますが、知事からそういう話があり、物も贈ってきたが、返したというようなことを聞いて安心もしておりました。こうした委員の中で、このようなまことに申しわけないことが起こりましたことは、設置審の全体に対しましても世間の疑惑を招くことになる次第でございまして、私どもとしてはほんとうに申しわけない次第だと思う次第でございます。 審査そのものは、関係者が当時相当慎重に、合計四回も——前期の委員と後期、新しい、この桐野委員がやめたあとの次の設置審の構成で、合わせまして四回、関係者が視察に行き、職員構成その他で疑念のありました点につきましては、十分心証を得るところまで論議を重ねていただいたというふうに考えておりますので、こうした運動のためにこの処置が曲がったというふうには考えない次第でございますけれども、いずれにいたしましても審査の公正に対して、非常な不信の念を皆さんにお与えするような事件が起こったということは残念しごくでございます。今後の措置等につきましては、大学設置審議会の委員は、全般的には関係団体の御推挽によって構成をいたしておりますけれども、こうした事件を契機にいたしまして、委員の方々に一そう慎重な御配慮を願うようにして、名誉の回復につとめたいというふうに考える次第でございます。
○安里委員 教育に対する一般の普及、それから特に高等教育を受けようとする者の大量化、そうして一般に教育が大衆のために開かれたということに乗じまして、この事件ばかりじゃなくして、これまでも国民のひんしゅくを買うようなことが教育界に行なわれるということは、たいへん残念なことであると思うのです。どこか狂っておるのではないかという気持ちがいたしまするし、こういうことが起こること自体、教育行政に対しまするどこかに欠陥があるのではないか、私はそのように思うわけであります。 繰り返すようでございますけれども、いまのすべての社会というものが、どうしてもやはり物質中心になってくる、政府自体も、また経済発展あるいは経済伸張、そういったことで、政府の施策そのものがやはり物中心、こういったことが政治のすべてにも私は底を流れておると思うわけであります。この問題に対しましては、当局といたしましても責任を感じておられましょうけれども、事教育の基本的なあり方に対しまする文部当局の一そうの自覚と申しますか、立場を強く要望しておきたいと思います。 この問題に触れておりますと肝心な問題の時間がございませんので、人材確保法について私二、三の点をなおお伺いしたいと思っております。 お伺いいたしたいのは基本的な問題になるわけでございまするけれども、私がまだ釈然といたしませんのは、公務員の給与に関しましては公務員法、それから一般職に対しまする給与の法律というものが基本になっておるものだと私は考えております。 そこで、公務員法によるところの給与の基本原則と申しますか、あるいはまた一般職の給与に関しまするところの準則、この基本線と、この特別な法によりましてなされますところの処遇改善ということのかみ合わせでございますけれども、給与に関しますところの基本的な線と、それからこの法によりまするところの特別な処置、これとの関連、矛盾はしないのか、あるいは基本原則がこれによってくつがえされてくるということにならないか。なお、この法をつくりますることと、公務員法並びに一般職の給与に関しまする法律、これとの関連と申しますか、この原則を破るといったようなことになりはせぬか、こういう気がするわけでございますが、これは人事院総裁からお答え願いたいと思います。
○佐藤(達)政府委員 結論を先に申し上げますというと、いまおあげになりました公務員法なり一般職の給与に関する法律の基本原則にはいささかも抵触いたしません。その前提となります考え方は、最初安里委員いみじくもおっしゃいました人材確保という文字に関連していろいろお話をお聞かせいただいたわけですが、私どもの立場から給与法上の根本原則からそれを申し上げれば、要するに給与法の基本原則は、それぞれの職員の職務と責任に応じて給与上の待遇をするというのが基本原則、したがいまして私どもは、その職務と責任を常に考えながら、それに応じた処遇をしていかなければならぬという気持ちをもって今日まで来ております。その点から申しますと、この学校の先生方の給与というものは、その職務と責任の重要性からいうと、はなはだわれわれの微力を露呈することになりますけれども、まだ十分であるとはいえないという気持ちを持っておる。しかし、われわれとしては努力はしてまいりました。御承知のように、官民比較の原則の中でのやりくりでありますために、思う存分なことはできませんけれども、たとえば国立の学校の教員の方々と私立学校の教員の方々とを比べました場合に、官民の格差からいいますと、実は国立の学校の先生のほうがすでに高いわけです。これは看護婦さんについても同じようなことがいえるわけですけれども、それにもかかわらず、いまの職務と責任の重要性ということに目をつけまして、私どもとしてはできるだけその辺の配分について努力をしてまいりました。しかし、この努力にもどうしても限界がある。結局理想のところまで持っていくためには、一般職の行政職の人々の分け前の分までも、今度はこっちに持ってこないと、われわれの理想は達成できない。これは官民比較の基本のたてまえを堅持する以上は、そういうことになるものですから、そういう苦しいやりくりの中で、しかしわれわれとしては努力を重ねてまいったわけであります。今度こういう法案が出まして、あるいはまた予算上の裏づけも出てまいりますと、われわれはそういうことを心配をしないで、そうして待遇改善をここですることができるわけです。その意味では基本的なむしろ公務員法なりあるいは給与法の基本原則からいって、これが職務と責任に応じた処遇になる。これが、逆にこの法律によって職務と責任に応じない、むしろ逆のことが要請されているということであればこれは一大事で、いまお述べになりましたような法律の趣旨に反することになりますが、これがそうではなしに、むしろこの法律の趣旨に沿った措置をここで御立法いただくということになりますから、その意味では、いささかも抵触しないというふうに考えておるわけでございます。
○安里委員 職務と責任の度合いに応じて給与を定める、こういった基本原則であるとしまするならば、そうしていま要請されておりますと同じ意見、つまり教職員の持つところの職務の重要性、その責任の重さ、そういったことを考えて、それを基本にして給与は定めるという大原則がございます。そうしますと、いまおっしゃいましたような原則を堅持し、そうして人事院が権威を持って、勇気を持って他の行政当局からの干渉を受けずに、人事院自身の立場からこの重要性というものを自覚なさるのでありましたならば、現在定められた公務員法とか、あるいはまた一般職の給与に関する法律の線で、しかも実際においては、いま文部当局から要請されておるような優遇措置を講ずることも可能じゃないですか。いまお話しになりますと、その気持ちもよくわかるんだが、国会において立法すれば、非常にしやすい。しやすいといっては語弊があるかもしれませんけれども、線は同じなんだ。そうして国会でこうきめれば、自分のほうとしては、人事院としてはその線に沿ってやる。だから矛盾はしない。私が申し上げたいのは、特にこういう立法をしなくても、人事院がほんとうにそういう立場に立って、給与に対する原則を堅持して、教員の処遇というものをよくしなければならぬという基本線を堅持しておられますならば、そういう認識に立つならば、法の改正がなくても可能じゃないか。あえてこの法の助けを、国会の議決を借りなければならないということが、ある場合においては人事院の権威と申しますか、職務というものをみずから他に依存する。場合によっては、政策的な立場においてやるところの処理に対して人事院が左右せられるんだ、こういうような感じも逆に持たされるわけでございます。現在の基本原則を堅持して、人事院の権限においてこれをなされるという道もあるんじゃないか。これはどうしても現行法の公務員法とか、あるいは一般職の給与に関する法律では、やはりどうしてもできないんじゃないか。できないからこの法に依存しよう、こういうことになるような感じも受けるわけですが、もう一度総裁からその点を明らかにしていただきたいと思います。
○佐藤(達)政府委員 おっしゃる御趣旨は実によくわかります。また、そのことをあらかじめ踏まえて、先ほど一通りのお答えをしたわけでございますけれども、言いかえれば、もっと伸び伸びと待遇改善の方向へ徹底した措置をとるべきではなかったか、裏からいえばそういうお考えが出てくる。それをしなかったのは、人事院の怠慢ではないかということにもつながってくるわけだろうと思いますが、そのために、先ほど申しましたことは、その理想線まで改善をいたしますためには従来われわれが考えておりましたたてまえからいうと、どうしても壁がある。すなわち、行政職その他の職種の分とされてしかるべき分け前を、先生方のほうへ持っていって、そうして待遇を改善していくということで考えてきますと、そういう面への気がねなしにはそう徹底したこともやれないということが一つあった。これは率直に申しまして、事実としてあったわけでございます。したがいまして、行政職の人たちは、先生たちの分までおれたちがしわ寄せを受けて、犠牲をしいられているんじゃないか。先生たちのほうは、また、行政職の人々のやっかいになって心苦しいという面があるわけでございます。非常に言い方はオーバーでございますけれども、実は、そういう面がある。それはわれわれの勇気が足りなかったからではないかという御批判はあるかと思いますけれども、われわれとしては、全体の給与勧告のたてまえからいって、できるだけのことはしますけれども、それにはどうも限界があるという気持ちで、ですから、先ほど申しましたように、たとえば行政職と教員の方々との給与を考えれば、民間との比較においては、すでにもう国立の先生方のほうが水準において高いにもかかわらず、なおそれに輪をかけて、行政職の犠牲のもとに優遇を続けてまいりましたという努力だけはしてきたわけであります。今度こういう法律ができますと、これは非常に抜本的な一つの根拠をお与えいただけますから、これが成立すれば、行政職の人たちに対する気がねもなしに、伸び伸びと先生方の待遇改善ができる。また行政職の方々も喜んでいただけるという一それは直接の関係でありますけれども、間接の公務員全体の面からいいますと、これは非常にプラスになる大きな手がかりを国会がお与えいただくことになるわけで、その意味でわれわれは非常に喜んでおる。ぜひ成立させていただきたいと考えておるのはそういうところに理由があるわけでございます。
○安里委員 お気持ちは何かよくわかるような気持ちがするわけです。ただ、私はいまほんとうに理論的な立場からそのことを見たいし、ことに給与に関しまする大事な問題、人事院が設けられておる趣旨ということも、私が申し上げるまでもない立場において人事院は設けられております。公務員法の六十四条二項によりますと、「俸給表は、生計費、民間における賃金その他人事院の決定する適当な事情を考慮して定められ」る、人事院の権限というものは、私は非常に大きく与えられておるものだと思います。団交にかわる給与の決定、しかもその責任を負うて、人事院に大幅な権限というのが与えられておるわけであります。「人事院の決定する適当な事情を考慮」する。これは一面、人事院の独自性、そして判断に信頼する大きな条項だと思うわけでございます。 そこで、従来「人事院の決定する適当な事情を考慮」する、人事院とされましては、この条項に従いまして「適当な事情を考慮」するということの運用というものはどのようになされておりましたか。やはりこれに対しましても、一定のワクというものがあろうとは思いますけれども、その人事院の決定しますことの「適当な事情」の基準と申しますか、それを明らかにしていただきたいと思います。
○佐藤(達)政府委員 そこにもございますように、民間の給与などの比較を一つの基準として法律が掲げております。したがいまして、私どもとしては、従来各職種ごとに民間のそれぞれの対応職種との給与の比較をして、民間が高ければそれに追いつかせるという形で給与改善の勧告を申し上げておったわけであります。先ほど触れましたように、大学の先生をはじめとする教職員の方々の場合、それから典型的な例としては、看護婦さんの場合があります。これは民間の同種の職種の人と比べてみますと、こっちのほうがすでに高い。民間に合わせると、むしろ下げなければならぬという冷ややかなデータとして出てくるわけであります。それにもかかわらず、なぜわれわれとしてその優遇をしてきたかといいますと、いまの「事情を考慮」してということの一つの運用として、そこにわれわれの考慮を加えさせていただいておる一つの例として申し上げれば、先ほど来のお話とも結びついて御説明ができるわけだと思います。
○安里委員 大臣のほうにお伺いしたいと思いますが、公務員法の二十八条には、「この法律に基いて定められる給与、勤務時間その他勤務条件に関する基礎事項は、国会により社会一般の情勢に適応するように、随時これを変更することができる。」という規定がございますが、国会に立法の要請をしました裏にはこの二十八条の精神をくんでの立法要請でございましょうか。
○奥野国務大臣 それも一つの根拠と申し上げることができると思います。
○安里委員 それも一つのとおっしゃいますというと、ほかにもあるということになろうかと思いますが、公務員法できめられたところの給与の基礎事項、国会によって一般社会の情勢に適応するように随時変更することができる。国会で法律をつくりますれば、それに応じまして公務員法に定められましたところの給与の基礎事項というものが変えられる、変えてよろしい、こういう規定があるので、私はこの法に従って、特にいまの人事院において定められたところの基準は、公務員法に定められた基準はあるけれども、特別に国会においてこの二十八条に基づいて特に立法をするんだと、政策的な立場からでしょうか、そういうふうにも私は受け取ったのでございまするけれども、それもあると、こうおっしゃったのでございまするが、もう少しその点、この法を、一般給与に関する、あるいは公務員法の給与に関する規定とは別に、この法を特に設けなければならなかったという基本的な根拠というものが明らかにせられませんというと、私は今後給与に関するところの基本原則というものが、立法によって、どんどんどんどん——これはオーバーかもしれませんけれども、くずされる可能性も出てくるんだ、こういう危惧の念を抱くのでございますが、いかがでしょうか。
○奥野国務大臣 公務員の給与をきめます場合に、国会がみずから裁判官の給与のようにきめている職種もございますし、もっぱら人事院の勧告を待って、その勧告に従いまして国会でおきめをいただいているのと両方あるわけでございます。教員の問題につきましては、あくまでも人事院の自主的な勧告権限にゆだねられる職種として将来も考えていきたい。しかし、いろいろな判断からぜひ教員の給与については抜本的な改善をはからせていただきたい、そのことが日本の将来のあるいは現在を考えた場合に、非常に重要な問題だ、こう考えておるわけでございます。 同時に、人事院総裁もお話しになっておりますように、職務の困難、複雑及び責任の度合いその他いろいろな条件で人事院がきめて勧告をされるわけでございますけれども、そういう問題と抵触するものではない。複雑、困難、責任、次代をになう青少年を育成するという大きな責任を持つわけでございますので、その責任の度合いは私たちは非常に大きなものがあると考えておりますし、また専門的な知識を持たなければならない、教育的な技術も養わなければならない、そういういろいろなことを考えてまいりますと、困難とか複雑とかいうような問題につきましても、特に教員の場合に、給与について思い切った改善をはかっていくこと、これは重要なことではないかと、こうも考えるわけでございます。 したがいまして、国家公務員法に定められておる給与の諸原則、それからはずれるものではない。しかし、こういう法律を制定しないで私たちはできない。先ほど何条でありましたか御指摘になりましたけれども、官民格差とか、賃金とか、そういうことを調べながら、毎年改善を勧告してきていただいているわけでございます。そういう問題を離れてこの際大幅な給与改善を行なおう、こういうわけでございますので、国会が人事院に自主的な勧告権限、これを与えていただいている。それに加えまして今回提案しておりますような考え方、それをきめていただいて、その考え方を受けて人事院が自主的に勧告をしていただく。そういうことによって初めて人事院としても責任のある勧告をなさることができるのじゃないだろうか。もし、それでなければ、たいへんな混乱になってしまう。人事院総裁が幾ら抜本的な改善をしたいとお考えになりましても、私は限界があるのじゃないだろうか。もし思い切ったことをおやりになれば、他の職種等からたいへんな反発を人事院当局がお受けになり、たいへんな混乱を来たすと考えておりますが、そう考えますと、国権の最高機関であります国会において、公務員給与についてどうあるべきだということについて、今回のような考え方をはっきり定めていただくということが、四十八年度における給与改善の勧告のみならず、将来にわたる公務員給与のあり方についての一つのささえになっていく、かように私たちは考えておるわけでございまして、またそういう意味においてこの法案を提出させていただいているわけでございます。
○安里委員 特殊な立場、あるいはその使命の重要性、これが現在の公務員法やあるいは給与の原則の範囲内ではなかなかむずかしい。そこで国会の同意のもとに、この給与の改善をしよう、この気持ち、また趣旨は、理解できるわけであります。 〔委員長退席、西岡委員長代理着席〕 ただその場合に、一般職のほかにも、この原則で定められておりまするところの職務の複雑、困難あるいは責任の度合い、これをどのようなふうに解するかということによって、私は教職員の場合だけじゃなくして、その他の面にも及ぶ可能性というものがそこに出てくるのじゃないか、こう思います。 そこで、他の一般職と比較して、職務の複雑、困難、責任の度合いというものは、教職員においてはその以上にひとつ大きいのだという認識に文部当局は立っておられるのかどうか。だからして、このワクを、別にこの法によって給与の改善をはからなければならない、こういう考えを持っておられるかどうか。
○奥野国務大臣 そのとおりでございますし、同時に日本の将来を考えてまいりました場合には、特に教育の問題を尊重していきたい、そういう意味におきましてもこのような政策的な配慮もあわせて必要だ、こう考えているわけであります。
○安里委員 人事院総裁にお伺いしたいと思うのでございますが、この職務の複雑、困難及び責任の度合いというものに対しまして、人事院とされましても教職員の待遇をよくしなければならないという基本的な気持ちは持っておられるということでございますので、この法によってこれが他の一般職の場合とはトラブルなく実施できるのだという趣旨のお答えでございましたが、教職員の場合の責任の度合い、複雑、重要性、こういうものと、他の一般職の場合における勤務の困難あるいは重要性、そういったものとの対照比較、つまりこういった政策的な立場において教職員の待遇を特別によくしたということが、しかもそれは人材確保というのが目標であるということになりますと、一般職の他の場合におきましても人材を確保しなければならぬという要望というものは、単に教育界ばかりでなくあるだろうと思います。そうしますと、人材確保のためにこういった立法というものがなされて、そうしてそれが従来の人事院で定められておりました基準を、あるいは慣例を越えて、このような立法がされるということになりますと、いろいろな複雑なことになるのじゃないかという気持ちがいたします。私は、この法が、やっちゃいけないという趣旨じゃございませんが、そうしますと他の一般職に、逆になぜ——教職員の職務の複雑あるいは困難、そういったものと比較して、他の一般職においては、場合によってはそれ以上のものがあるんだ、あるいは部分的には社会的な評価というもの、あるいはそれに応ずる給与というものが低いんだという部面も、他の一般職の中にもあるのじゃないか、出てくるのじゃないか、そういう場合との将来に対するいろいろな関係というものが、私は生まれてくると思いますが、人事院のいままでのごらんになった、あるいは処理された立場におきまして、教職員以外にはこういった人材確保のために給与を上げなければならないというところの職種はないんだ、こういうふうなお考えでございましょうか。それともほかにもまだあるんだけれども、教職員の場合においては特にこれが要請されて、この法案に対して賛意を表されておる、こういう立場でしょうか。
○佐藤(達)政府委員 先ほどもちょっと触れましたように、たとえば一番典型的な例は私は看護婦さんだろうと思います。看護婦さんの方々の、これはやはり人材確保の問題に連なる。看護婦さんが足りなくて困っておるという非常な現実があるわけです。そのためには、やはり給与その他の待遇を何とかしてあげなければということがありますからこそ、先ほど申しましたように民間の病院の看護婦さんよりすでに高いのにもかかわらず、なおそれを改善すべきだという立場をとってきた。これは今後もそういう立場でまいりたいと思いますけれども、そういう点の基本的な面においては、職種職種によっていろいろそれはやはり勘案していかなければならぬことだと思いますが、それらはわれわれとして、なお今後とも十分努力していくべきだと思いますけれども、それにつきましてもいまの行政職とのバランスとかなんとかというような基本的な点につきまして、こういう法律が成立しておればわれわれとしても相当そういう点の気がねなしに、他の面についても従来とは変わった勧告の手がかりをつかむことになるんじゃないかという意味で、これは直接の先生方に対する問題とは離れた問題で、いまたまたま御指摘になりましたほかの職種に対する人々の関係でも、これは一つの大きな突破口になるんじゃないかという期待を持っておるわけです。
○安里委員 いま例をあげましたところの看護婦の場合も、まさにしかりだと思います。そして、現にその待遇の改善というものが要求されておる。あるいはまたおっしゃるように、他に比較して考慮しておるということもわかります。私がいまお聞きしたいのは、そういういろいろな事項というものが他にもあろうと思うのです。それは従来の公務員法あるいは原則でありまする一般職の給与に関する範囲内において、人事院の権限の中におけるその処置でやられようとするのか。いま突破口ということをおっしゃったのでございまするけれども、この法律ができることによってそういったワクをはずす、あるいはそういったものに対する待遇改善をするための一つの大きな事例としてこの法案がある。この法案があるとすれば、こういったことを基礎に置いて、あとは人事院の勧告の中におきまする、人事院独自の立場において配慮するところの一つの突破口だ、こういうお考えなのか、それとも他にも人材確保のために、しかも、それは社会的な評価やあるいは待遇の点においてどうかと思われるものに対しては、やはりこういった処置によって、国会の議決によって人事院がその法律に従って勧告をするというような立場をとるような給与のあり方に持っていこうとするのか。突破口というのは、これを事例にして、そしてあとは人事院の定められた従来の権限に基づいてやろうとするのか、これが突破口となって他にも人材確保のためにこういった特別な法によって、人事院に対する勧告義務を与えられるような姿に持っていくことが好ましい、こう思っておられるのかどうか、それをお聞きしたい。
○佐藤(達)政府委員 突破口というのは、ちょっとわれながら刺激的な表現に過ぎたんじゃないかと、いささか反省はいたしておりますけれども、ほんとうの気持ちは、結局はそういうことかもしれないと思います。要するに、非常な卑近な申し上げ方でありますけれども、先ほど来申し上げたところにつなげて申し上げれば、いままで行政職等に対する犠牲を気がねしながらやっておった。この法律が成立した場合においては、その基本が新たな基盤をお与えいただくことになりますから、いまのお話のように、われわれとしてまたたくさん懸案をかかえておる。言いかえれば、これも卑近な言い方を繰り返しますけれども、行政職に対する気がねのために伸び伸びとやれなかったということが、相当今後はわれわれとしても一種の理想をもって、それらの必要な面についての措置がとり得るんじゃないか。ですから、必要な教員がこうなったから、教員に均てんしてほかの人も上げようという発想じゃないわけです。たびたび申し上げましたように、行政職に対するいままでの犠牲なり何なりというのはここで遮断されますから、われわれは新たなる基盤に立って、たとえば先ほどの看護婦さんなり何なりという面についても、いままでよりも理想に近い措置がとれるだろう。またわれわれとしては、その意気込みをもって当然臨むべきことでありまして、とにかく公務員給与全体をおあずかりしておるのはわれわれだという使命観を持っておるわけでありますからして、その使命観のもとに、これからそのような理想的な方向へ進んでまいりたいという気持ちを持っておるわけです。
○安里委員 私は、時間がありませんので最後にしますが、これまでの文部当局の御答弁の中におきまして、NHKの国民世論調査の結果などを引用されまして、学校の先生方の社会的な評価の高さや、あるいは社会的貢献度やこれに対する収入の度合い、これをどう一般が見ているか。 〔西岡委員長代理退席、委員長着席〕 これが評価においては高い、けれども給与においては非常に低く評価されておる、こういうことが御答弁の中から私は指摘されたと記憶をいたしておりますが、こういった世論の見まするところの状況というものも、今回の改正にあたりまして文部当局としては配慮されたのであるかどうか、確かめておきたいと思います。
○奥野国務大臣 もとより、そういうことも配慮いたしましたけれども、それ以上にもっと強い日本の将来のことを考えますと、教育界に人材を積極的に導入していきたい、強い意欲をもってこの法案を提出させていただいておりますことを申し述べさせていただきます。
○安里委員 これで終わりますが、大臣の、ほんとうに日本の将来云々という強いことばがあられたわけでございまするけれども、それだけの御決意があり、また政府がそれほど教育に対して信頼感と期待感を持っておられるならば、私は教職員に対しまする給与だけの問題じゃないと思うんです。 文部予算というものが、いろいろな点において私は制約を受けておると思います。他の事業官庁などには、はでに予算のあれはありますけれども、むしろ文部当局におきましては、この待遇面においてはなるほどいま目的を達するような状況にあるかもしれませんけれども、これは給与だけの問題じゃないと思うのです。それほど教育というものの重要性があられますならば、大学の問題であれ、高等教育、初等教育を問わず、あるいはまあ私立、国公立を問わず、もっと施設あるいはその他の面におきましても、いまのような趣旨でございましたならば、教職員の給与さえ上げればいいのだ、これで人材さえ得ればよくなるのだということであれば、たいへん単純なことだと思うのです。ですから、教育全般に関しまする人の問題、施設の問題、これに対して大臣とされまして、文部当局として、積極的な取り組みというものがなされなきゃならぬ。しかも、教育の面は、学校教育だけでなくて、社会教育もありましょうし、あるいは文化的なその他のいろいろなものもございましょうし、ある程度文部当局がもっと積極的にひとつなっていただきたいし、そのことが単に給与を上げるという問題だけにとどまらず、教育全般が大きく日本の将来にも関係するということを思うならば、私は、政府の施策としての立場からもっと積極的にやらなきゃならぬ問題が多くあるのじゃないかということが感ぜられます。 ただその場合に、物さえ与えればというような、物質中心な気持ちでは私は方向をまた逆な立場に誤るものだ。産業中心云々ということもよく教育の場で言われますけれども、そういった基本的な姿勢のもとに文部当局が、給与の面ばかりでなくて、あらゆる面に積極的な取り組みをしていただくことを希望いたしまして私の質問を終わりますが、最後にそれに対しまする大臣のお考えをお聞きして、終わりたいと思います。
○奥野国務大臣 具体の問題につきましては、もう十分御承知でございますので、あえてそれをここで重ねて申し上げることは遠慮いたしますけれども、とにかく積極的に取り組んでまいったつもりでございますし、さらにより以上積極的に改善に向かって努力を払っていきたい、かように考えるわけでございます。 戦後、経済優先というようなことが言われたりしたわけでございますけれども、食うや食わずの生活から立ち直ってきて、今日、福祉優先とかあるいは環境保全とか、力が加えられてまいりました。私は、やはりおっしゃいますように、精神の問題に立ち返ってまいったと思うのでございまして、ぜひ次の予算には、文化のかおり豊かな予算が組まれるように一そうの努力を払ってまいる決意でございます。
○安里委員 これとは別に関連はございませんけれども、教育全般に関する問題として、最近いろいろな陳情が教育問題でなされてまいります中におきまして、大学におきまする、今度は学ぶところの学生の側に対する配慮というものが、当局は足りぬじゃないかと思わせるものがあります。ことに学寮関係でいま相当な陳情を受けております。まだ具体的に当局に対してどうということは私はやっておりませんけれども、その実情を聞きますというと、はなはだひどいじゃないか。地方から出てあるいはまた学寮に生活する人々のその住まい、学寮の古い建物、しかもまた、それに働くところの炊事をしなさる方々、こういった方々に対するいろいろな問題も含めまして、学校だけじゃなくて、これに付属する、学生の学ぶ立場に対する配慮というものが少し欠陥があるのじゃないか、こういう気持ちがいたす部面がございます。これはあらためて私は当局にも申し上げたいと思っておりますけれども、文部当局にはそういった陳情もなされておると思います。ですから、教職員の立場におきまする待遇改善、これとともに、そこに学ぶところの今度は生徒、学生、この人々に対しまする配慮ということも重ねて私は強く申し上げて、終わりたいと思います。
○田中委員長 小林信一君。
○小林(信)委員 最初に、この法律の第一条に「学校教育が次代をになう青少年の人間形成の基本をなすものであることにかんがみ、」ということばが出ておりますが、これはだれしもこのことについては常に考えておることであり、文部省もこのことは強調しておられるところでありますが、ことさらこのことばをきょうお使いになられる文部大臣の真意を、気持ちを私は承りたいと思うのです。 何か、きょうの教育というものを中心とした社会のいろいろな問題に対して、大臣、悩んでおられるのじゃないか、あるいはこれを解決するための決意があるんじゃないかというふうに私は非常に、いつも出される、普通使われていることばでございますが、この際大臣に、もしそういうものがあるならばお聞きしたい。 先日、「学校教育」ということばについていろいろお話がありました。ところがそのときには、学校教育というものが、この法律の中では義務教育諸学校の先生だけを対象にするように書いてあるが、しかし、気持ちとすれば——気持ちではない、できるならば高等学校あるいは幼稚園をも対象にしたいのだ、すべきであるということで「学校教育」ということばを使ったというふうな便宜的なことで、ちょっと私は失望したのですが、もっときょうの時代をながめて、だいぶ決意するものがあるのじゃないか、こんなふうに思って、まずこれからお伺いをしてまいりたいと思います。
○奥野国務大臣 かねがね、教育が日本の将来を左右するものだ、いまの青少年がやがて日本の国家社会をになうんだ、こういう気持ちを強く持っているわけでございます。同時に、総理大臣の施政方針演説にこの表現が出ているわけでございますので、あわせてその表現をとらしていただきたいというのが経過でございます。
○小林(信)委員 それ以上私どもに大臣の気持ちを伝えるものがないというならば、非常な私は失望をするわけでありますが、総理大臣だって確かに施政方針演説の中で、教育のことには多少触れております。多少触れておりますけれども、総理大臣の教育に対するほんとうの考え方というふうなものは、私はたいへんに残念なものがあるんです。いろいろな諸政策を見ていけば、そういうことが言えるわけなんですが、もちろんそれを体して教育行政をするのは文部大臣であるから、おれがその全面的な責任を負っておると言われればそれまでなんですが、いまのような簡単なおことばでなく、もっと現代というものを、世相というふうなものをお考えになって、学校教育にもっと力を入れなければならぬというようなものが具体的にお述べになられると思ったんですが、まことにその点は残念でございます。だからといって大臣にないとは私は思っておりませんが、たとえば現在の社会情勢、これは具体的に申し上げれば、買いだめはするわ、売り惜しみはするわ、そうしてどんなに一般大衆が物価高でもって困っておっても、自分さえもうければいい、そういう思想の中で世の中は動いていく。おそらくそういう中にはまともな考えをするのは損をするというような気持ちさえ出ておる時代だと思います。そういう中で、そういう人たちが多く公害を出して、日本列島全体が公害でもって埋められる。その公害を出す人たちは、もうけさえすればいいということでいろいろなものを廃棄する。あの人たちはそれが人に迷惑をかけるということを決して知らないわけじゃないと思いますよ。みんな知っているんです。しかし、経済成長というふうな名前で、自分たちの私腹を肥やすためにあえてやっておる。私は公害対策特別委員会で、こういう実情を諸所見てまわりまして、いかに企業を営む人たちに、良心とか全体というものを考える気持ちが少ないかということを感じたことがたびたびございます。大臣が知らなければ、この際詳しく申し上げてもいいのですが、これに対する一般の、公害を受ける人たちは、金をくれるとかなんとか、いろいろ公害対策を講じてくれるという中で、私も直接接したことがありますが、水俣病にかかった人たち、植物的なからだになっておる子供を抱いたおかあさんが、私は金よりももとの人間の姿に返してもらいたいんだと言う、こういうようなことばの中には、いまの世をのろう、あるいは政治に不信を抱くというようなものが満ち満ちていると思うのですよ。そういう中で、教育というものが従来のあり方ではその目的を達することができない。こうした時代の深層というものを考えていくときに、学校教育の重大さを再認識しなければならぬというようなことから出発されておらなければいかぬ。教育をしている人たちにもいろいろな立場があり、必ずしも全面的にきょうの教育をしている人たちを是認しておるとは思いません。いろいろな批判もあり、いろいろな賛意も表されておる、そういうものに対して、大臣はおそらくこれを等閑視しておるわけじゃないと思います。世間はいま日本の教育というものに対してこう判断をしております。教育熱は確かにある、しかし、教育は不在である。自分の子供だけエリートコースを通って、上級進学ができればいいという教育の熱意は満ち満ちております。しかし、ほんとうに教育を理解し、そしてほんとうの教育を求めて自分の子供が成長するというようなことを考える人はない。というふうに、きょうほど教育の熱意というものが盛んなときはないけれども、教育は不在である、こうまで極論をする世相も生まれておるわけであります。こういうものに対して大臣はどういうふうにお考えになるか。あるいはそれに対する一つの深刻な考え方の中でこの法案が提出をされたんじゃないかと、私は大臣を非常に思うあまりそういうふうに想像したのですが、大臣はそれくらいのことはあたりまえのことだとおっしゃるかもしれませんけれども、これは私の一部の考え方でありますから、何かそういう点でお考えになっているものがあったら——この法律の大事な表題でもあります。その表題にもっと肉をつけていただくことが大事じゃないかと思うのですが、どうですか。
○奥野国務大臣 いま小林さんが指摘された問題、私、みんな全く同感でございます。私はやはり、戦前間違った道を突っ走ってしまった、そして、異民族の支配のもとに服さざるを得なかった、そして、戦前の考え方がすべて悪かったということで、自由な民主的な社会をつくろうと努力をしてきた、そして今日に至って、相当な混乱が起きているように考えております。 たとえば自由という問題、大切な問題でございます。しかし、自由な社会にしていきますためには、やはり何といいましても自我の抑制が基本にならなければならないと思うのでございますけれども、いささかもそういう問題については触れてこなかったような感じがいたします。また、社会の中で生活していくわけでございますから、社会が充実してこなければ個人の生活は充実しませんけれども、社会の問題、全体の問題に触れたがらなかったというようなことからいろいろな混乱が出てきておると私は思います。 同時に、いま大学の問題にもお触れになりましたが、戦前の大学というのは、国家枢要の人材を育成するということで、ごくわずかな人たちが大学教育を受けたわけでございますけれども、今日では三〇%の人たちが大学に進んでいるし、これをさらに四〇%に持っていこうとしているわけでございます。だから、私はしばしば、国家社会の中核的な形成者を育成するんだ——大学を出たからといって特別なことはないわけでございます。普通のことでございます。しかしながら、なお社会は戦前の大学卒業を夢みている。そこに学歴偏重の社会の姿があるんじゃないだろうか。だから、有名校へ有名校へと父兄は子供をかり立てる。したがってまた、入学試験中心の教育になってくる。受験勉強中心の教育になってくる。そこにほんとうの人間形成が忘れられてきているんじゃないかということもあるんじゃないかと思うのでございます。これが一つのちぐはぐな姿じゃないだろうか。戦前の姿から戦後の姿——戦後の姿になり切っていない。ですから、ある意味においては長い時間待たなければならないのかもしれませんけれども、とにかく戦前間違っておったということを強調し過ぎて、いい点についての反省も十分でない面が今日あるんじゃないだろうか。ある意味においては精神的な混乱状態にあるんじゃないだろうか、私はこういう気持ちを持っておるわけでございまして、そういう点につきましても、正常な教育になお深みを加えていくように今日力を入れなければならない非常に重大な問題を多く教育界はかかえておる、こういう考え方をしておるものでございます。お話しの線全く同感でございます。
○小林(信)委員 ほんとうはそういうものを具体的に検討して、文教行政、どこに責任があったか。−これは、私はいつも持論で申し上げておるのですが、文部大臣だけが常に教育的なことを考えておるのではなくて、一国の大臣という名前がついたら、自分のする仕事すべて教育的な面から検討するようでなければ、教育行政は可能じゃない、私はそれほどに考えておるものでございます。 実は公害対策特別委員会で、いま公害によって健康上被害を受けた者に対して補償をする法律が論議されておりまして、きのうもその問題で参考人を呼んだわけですが、たまたまお医者さんだけが午後に残ったわけです。そのお医者さんたちからいろいろ話を聞いておる中で、私はこう申し上げた。法律をつくると、もう一切公害の問題は解決したように政府も考えるし、また国民も、いままでの慣習からそう考えがちだ。しかし、この法律は、国民全体の、特に企業を営む人たちの良識とか良心とかいうようなものが喚起されなければ何にもならないんだ。どうかすると、それを忘れちゃって、もうそれでもって免罪符になる。法律が出たということで、企業が、自分たちの責任は免罪になった、どんどん出していけ、そして、この法律に載っている賦課金を出せばいいんだ、そういう状態にまでおちいるようであっては、公害というものを絶滅することはできないんだ、そんなことを私は申し上げたのです。そして、あの水銀でおかされたからだというものは何とかなりませんかと言いましたところ、一人のお医者さんが、私はいまの医学ではだめだと言いたいのです。しかし、私どもは、これから新しい分野を切り開いて、この病気も何とか救わなければならぬという気持ちを持って、私はノーと言わないのだ、こういうことを言われまして、私も非常に感銘をし、そういうような誠意、良識というものが積み重ねられていくところに初めて公害という問題が解決するので、法律をつくり、金を出すから解決するなんという問題ではないのだ、こう考えておったわけです。 要するに、環境行政を行なう人も、単に技術的な政策を弄すればいいのでなくて、いかに社会を教育するかというような、そういう気持ちがなければいけないと私は思ったわけですが、たまたまそういうりっぱな人に出会って、そうしてけさのテレビを見ておったら、先ほど安里さんが取り上げられました九州福岡ですか、福岡歯科大学の問題が取り上げられていた。こういうお医者さんもあるのか、こう感じたわけでありますが、よけいに教育という問題が、ただ学校教育だけでなく、社会全体に重視する思想というものが出なければだめなんだ、学校教育を重視するその裏に、社会全体も教育をもっと真剣に考えていくものがなければならぬということを痛感したわけであります。 先ほどお聞きいたしまして、文部省の御説明を承ったのですが、この際、こういうものが絶対にないようにしなければ、文部省の威信というものもなくなっていくと思うのですよ。局長が、たいへんに御迷惑をかけたとか、今後一そう努力してとか、名誉の挽回をはかりますとか、前回も同じようなことを言われましたが、もうこんなことを二度と言わないような、そういう文部省になってほしいと思うのです。 私は、そのために少しお聞きしたいと思いますが、この前、浪速医科大学の設置の問題で、ある短大の学長さんが一千万円金をもらった、何か時計ももらったということでこれを取り上げられ、これが問題になったことがございますが、金も返済をした、物品も返済をした、だから不起訴になったというような結末を聞いております。今回も単にこの該当しておる人に、桐野という先生に贈られただけでなく、ほかの人にも贈られたということが先ほどお話がありましたが、この際これは明確にしてほしいと思います。もし文部省のほうで答えられなければ、警察庁のほうから来ておるはずでございますので——まだ来ていませんか、あなたでわかりますか。まず、そこからお聞きしたいと思います。
○木田政府委員 新聞で、つぼが大学設置審議会の視察に行った委員及び私立大学審議会の視察に行った委員並びに随行者に贈られたという報道が出ておりまして、そのことにつきまして私どももさっそく調べた次第でございます。 大学設置審議会の視察に参りました委員は四回にわたっておりまして、最初に視察に参りました、四十六年十一月に参りました四人の委員に対しまして、知事から記念品という意味で、土地のものをおみやげに差し上げたいというふうな話があったということでございました。しかし、この四名のうちお二人の方はいま海外に行っていらっしゃいますので、その処置がどうであったかははっきりいたしておりません。お一人の方は、知事からそういう話があり、確かにつぼが届いたけれども、これは福岡歯科大学の関係者に返したというお話を私どものほうで聞かしていただきました。お一人の方は、知事さんから手みやげのつぼだということで送られてきたというので、どこかにあったかもしらぬというふうなお話でございました。 随行いたしました関係者に対しましては、副知事の名前で物が届いたようでございます。 これらの点は、そのほかにもいろいろとあったのかもしれませんけれども、われわれの立場では、報道されましたものにつきまして、事実とその処理についての確認をいま急がしておる、こういう次第でございます。
○小林(信)委員 それはいつごろの話ですか。
○木田政府委員 四十六年の十一月に参りました四名の委員の方にそういうことがあったようでございまして、この届いた時期その他がいつごろのことであるか、ちょっとこまかい日時までわかっておりませんが、四十六年の暮れのことではなかったかと考えております。
○小林(信)委員 その随行者というのは文部省の人ですか。
○木田政府委員 この設置審議会の委員に随行いたしましたのは、文部省の大学局の職員でございます。私立大学審議会の委員に随行いたしました者は、管理局の職員でございます。
○小林(信)委員 その人たちにもくれたんですね。
○木田政府委員 自宅へ送りつけてきたようでございます。どの程度のものであるか、まだ私も物は見ておりませんのですけれども、土地の焼きものだということで届いたということでございます。
○小林(信)委員 それは返したのですか、そのままもらったのですか。
○木田政府委員 文部省の職員には、福岡県の副知事から送られたようでございまして、これはその当時関係者は別にそのことと関係ないものと思って、自分のそれぞれのところへ置いたままになっておったようでございます。
○小林(信)委員 前にもたびたびこういう問題があって、文部省の中枢部がしっかりしておれば、そんなものを自分たちが贈られたということだけでも、その事態を問題視し、直ちにこれに善処をするというふうな、そういう姿勢がなければならないのですが、繰り返し繰り返しこういうことが行なわれておっても、文部省の係官まで、随行者までそれを平気でもらっておる。そういうところに文部省の姿勢があるのじゃないんですか。もうこれは浪速大学の問題で、認可されるものが認可されないという事態まで起きたのですから、新しく大学を設置するというものは相当に、こういうことをして、せっかく申請を願っておっても、不許可になってはたいへんだというぐらいの気持ちはありますが、しかしもうこれが常道である、こうしなければだめだというような認識を一般の人たちに持たしておる、何かそれは、私は文部省側に責任があるような気がいたします。私はこれを単に新聞に出た人だけの問題とは全く解しがたい。 だから、これから警察庁にお聞きいたしますので、もっとわかると思いますが、新聞には「福岡歯科大側が、文部省、」——「文部省」と書いてありますよ。「文部省、審議会委員、」残念ながら「国会議員ら政治家に対し、組織的な贈賄工作に乗り出し」——「組織的な贈賄工作に乗り出し」、新聞はこういうふうに取り扱っておるのです。文部省も入っているのです。この点に対してはどういうふうに局長はお考えでありますか。いまの程度のものですか。
○木田政府委員 この福岡歯科大学の関係者からの届けものでありますならば、委員の人たちももう少し注意を払ったかと思うのでございます。しかし、このとき贈られましたのは、県知事と副知事から家に、土地の焼きものだということで贈られたということでございまして、注意が足りなかったといえば確かに御指摘のとおりでございますけれども、中にはこのものにつきまして返された方もあるわけでございますから、ものについての注意が足りなかったという点はもう弁明のしようもないことだと思いますけれども、それ以外にこの福岡歯科大学の関係者から、組織的に文部省その他にそういう行為があったというふうには全く考えておりません。先ほども御説明いたしましたように、当時から、この大学の審査にあたりまして、関係者が四度も足を運んでいるということは、設置審の委員の方々も相当注意をしながら、慎重な審査を重ねられた、そして、通常ならば判定を下すものを、十分でないとして、保留のままで翌年まで持ち越して審査を継続したというほど慎重な扱いを、設置審の委員の方々がしておられるわけでありますから、私どもは、そういう委員の方々に対しまして、大学当局から組織的なそういう運動が、贈収賄が行なわれたというふうには考えていないのでございまして、桐野委員のところに——この桐野委員は、先ほど申しましたように、視察には行かれておらない委員でございますが、地元の関係の方からそうしたものが届いた、これを不用意に受け取っておられるという点は、まことに残念なことだ、こう考えておる次第でございます。
○小林(信)委員 そうすると、桐野さんはこのつぼをもらっただけであって、新聞に書いてあるように、金それから刀というようなものをもらったということは、文部省では認めてないわけですか。
○木田政府委員 ただいま申し上げました、つぼを贈られた方としては、実は桐野さん以外の方でございまして、桐野さんにつきましては、きのうの新聞に出ておりましたように、別のルートから金額と刀が贈られたというふうに承知をした次第でございます。
○小林(信)委員 ほんとうに文部省がこの事件というものを知ったのは、きのうの新聞あるいはきょうの新聞というごく最近ですか。そういう気配というものは感ぜられなかったわけでありますか。
○木田政府委員 桐野さんの事件を知りましたのは、きのうの夕方新聞を通じて知った次第でございまして、いままでいろいろと、浪速のときもそうでございましたが、注意を重ねてまいっておりますので、いろいろの陳情その他の運動はありましても、こうした金銭だとか物品がからむというようなことは絶対にないと確信いたしておりました。
○小林(信)委員 その確信が、もっとみずから省みて、こういう場合にはこういうことがありがちだというような、用心をするということがなかったからだと言わざるを得ないのですが、そういうことが文部省で、この国会の中でそういう問題を取り上げれば、今後絶対にそういうことはいたしません、注意をいたしますということが、非常に形式的に行なわれておるからそういうことになるのではないかと私は思います。 そこで、今年度入学の定員が百二十名であった、それが二百八十名採用された、こういう局長からの発表がありましたが、ここら辺がすでにもう文部省の権威がなくなっておる。あるところには権威が非常に強く働くけれども、こういう金なんかが働くようなところでは権威がなくなっておるんじゃないか、こういう問題からも、あなた方はすぐにこれは何かおかしいことがあるのじゃないかというふうに察知しなければならない問題だと思いますが、別に百二十人を二百八十人と水増しされても、あなた方は、ほかの学校にもあることだというぐらいに見のがされるのですか。
○木田政府委員 先ほどもお答え申し上げましたように、そのことを私どもも承知いたしまして、二度にわたりまして理事長ほか関係者を呼び出しまして、そして学生に対する入学の辞退を求める、また適切な措置を講ずるということについての反省を促した次第でございます。これは四月と五月の二度にわたりまして厳重に注意を喚起をいたした次第でございます。 しかしながら、言いわけではございませんけれども、毎回国会でも御答弁させていただいておりますように、入学定員の管理につきまして、現在の制度の上では、文部省に私学におきます規制の権能がございません。これは今後の大学の管理問題としてはたいへん重大なことでございまして、現在の制度のままでいいかどうかという点は、検討も進め、結論を得て、また御審議をいただきたいというふうにも思っておるところでございますが、一たん入れてしまいました学生に対しまして、私学に対しましては注意を促して反省を求めるという以外に、それを繰り返すこと以外に、私どもとしてはとり得る措置がないということは、たいへん残念に思っておる次第でございます。
○小林(信)委員 私は、この百二十人を二百八十人に水増しをしたというところにも、文部省に対する不信感を抱かざるを得ないわけなんです。こうやってもあまり文部省文句は言わぬだろう。いま規制云々の問題がございましたが、規制する権限がない、これは確かにそうでしょう。しかし、戦後、医科大学が、八十名、百名の定員を持っておるところが水増しをしたい、したいけれどもぜいぜいそれは一割あるいは二割水増しをするくらいであって、これはやはり一つの文部省とそういう私立大学との間の人間関係というふうなもの、法律や制度で規制はされなくても、何かそこに人間関係というふうなものが動いて、むちゃなことはできない、そういうものが続いてきたと思うのですが、最近はそういうものも破れてしまって、百二十人を二百八十人に水増しをするというようなことが平気で行なわれる、そういう点も文部省の行政のあり方に私は一つの考えをいたさなければならぬと思うのですが、そこで、この入学者は番付金を取られておりますかどうか、文部省は調査いたしましたか。
○木田政府委員 入学者全員ではないようでございますが、入学者から集まった寄付が六億近くになっておるというふうにその後の事情で聴取をいたしております。
○小林(信)委員 おそらく今度はそれがどこへ打って出るかといえば、学生の入学金、寄付金というようなものに打って出ると思うのです。そういう意味からも、学生がまじめに勉強することができるような環境をつくる意味からも、こういう問題は私はもっと厳重に処していかなければならぬじゃないか。これは、大臣に言いたいところは、いまの文部省が行なう文部行政の対象になるものとの関係が、こういうふうな状態であればあるほど、先ほど私が申し上げました、この際、学校教育を重視しなければならぬという問題について、もっと具体的な意見というものが出てこなければならぬと思ったわけです。——だいぶ委員長のとこら辺で、何か本論に入っておらぬというような相談がなされておるようでございますので、本論へ入る気持ちで一ぱいでございますが、とにかくいまの世相というものをいろいろ考えていけば、学校教育を重視しなければならぬという問題がますます多くなってくるわけでありますが、この際もう少し念を押しますが、警察当局がおいでになっておりますから、いまお話しできる範囲でけっこうでございますので、できるだけこの事件の全貌をお知らせ願い、もう少し真実というものを知っておきたいと思いますが、お願いいたします。
○中平説明員 現在までの捜査の状況を簡単に申し上げますと、昭和四十六年の十二月の上旬ごろに、当時、私立の福岡歯科大学の設立準備委員会の委員でありました穂坂恒夫、七熊治夫、力武清士、笠原稔彦、この四名の者が一応共謀いたしまして、当時、福岡歯科大学の設置認可申請に伴う審査につきまして、まあできるだけ有利な取り扱いを受けるために、当時、文部大臣の諮問機関でございました大学設置審の大学設置分科会の委員でありました国立の東京医科歯科大学の歯学部の教授の桐野忠大に対しまして、日本刀一振りと現金数十万円を贈賄をした、こういう容疑をもちまして昨日逮捕いたしまして、現在鋭意真相を究明中でございます。 なお、このほか、この大学の設立の準備委員会の委員でありました大城三春に対しましても、当時、学校の金を千数百万円横領した、こういう事実で、同人についても逮捕いたしまして、現在鋭意真相を究明中でございます。
○小林(信)委員 もう一言お願いいたしますが、新聞では、おそらく警察関係から取材をしたものと思いますが、「同県警は笠原ら福岡歯科大側が、文部省、審議会委員、国会議員ら政治家に対し、組織的な贈賄工作に乗り出し、」ということを報道しているわけなんですが、いま大事な段階でございますから、秘密にしなければならぬというなら私はお聞きいたしませんが、そういうところに、至るところに問題が波及しておる状態であるかどうか。
○中平説明員 犯罪がありますれば、当然この事案の真相を究明するのが私どもの仕事でございますので、本件につきましても、諸般の情報等がございますので、その点につきましては、今後鋭意真相の究明につとめてまいりたい、こういうふうに考えております。
○小林(信)委員 この問題に触れておりますと、たいへんおしかりを受けますから、以上で終わりますが、私は、こういうふうに文部省が関係するものの中では、全くもう日本の教育というものは、一体これでいいのかというふうな不信感を抱かせるようなものが続出しておるわけでございまして、それだけにこの、当初掲げております学校教育をいよいよ重視しなければならぬ。そうして青少年の健全を期していかなければならぬという決意というものは非常に重大だ、こう考えるわけでございますが、したがって単に——いま給与の問題でこういう前提をあなたはおっしゃっているわけですが、いろいろな面で文部省は力を入れていかなければ、この世相の中では十分その目的を達することができないじゃないか、こういうふうにまず私は申し上げて、先生方の給与という問題について入ってまいりたいと思いますが、これは私のおいでございまして、学校の先生をしているものでありますが、山梨大学を卒業して、教育学部ですが、山梨県の採用試験が最初受からなくて、神奈川県の採用試験に合格をして、二年神奈川県で教鞭をとっておりましたが、たまたまことしの山梨県の採用試験に合格して、神奈川県から山梨県へ移ったわけであります。移りましたら、給料がとたんに一万五千円——給料というのが、とにかく手取りのものが一万五千円少なくなった。これはひとつ初中局長に、そういうことがあり得るのかどうかお聞きいたします。
○岩間政府委員 神奈川県は、これはだいぶ前から教員の給与はかなり高かったわけでございます。これは東京というものが近くにございまして、教員を選ぶ場合に、やはり東京都の給与というものとの均衡をはかるということで、従来、教員定数はむしろしぼりまして、給与を高くするというふうな方針をとってきたわけでございます。そういうわけで、おそらく神奈川県と山梨県の間にかなりの給与格差がございまして、そういうことでいまのような事態があったということは予想されるところでございます。
○小林(信)委員 いま局長さんの言われたことからも、全国の各府県の事情によって給料はまちまちであることが確認できるわけでございます。しかも、卒業してまだ二年、それで一万五千円ぐらいの差がある。それはその程度におきまして……。 これはいつかもお聞きいたしましたが、その後、時限を経過しておりますので、これももっとはっきりなっていると思いますが、ことし先生をおやめになる場合に、ある県では四月一日付で辞令を出しておる。四月一日付で辞令を出してもらうと、人事院勧告が四月からなされるということで、もらう退職金にも、あるいは恩給にもだいぶ差が出てくる。退職金だけでも百万円違うということを聞いておりますが、どこの県が——名前はよろしゅうございますが、幾つくらいの県でそういうことが実施されていたか、そういう点もお伺いいたします。
○岩間政府委員 御指摘のように、四月一日に退職いたしますと、給与の改定が四月一日から行なわれるというふうな事情がございます。また勧奨退職の場合に、このたびの人材確保法案が成立いたしまして給与の改定が行なわれるんじゃないかというふうな期待がございまして、年度末の人事でまあおやめになりたくない方がふえたというふうな事情がございまして、ただいま先生が御指摘になりましたようないろいろな退職者に対する優遇措置を各県で行なっているようでございます。四月一日に退職を発令した県、そのほか特別の昇給をいたしました県、そういうふうな県を含めまして、優遇措置を講じましたところが二十二県、約半数の県ございます。
○田中委員長 ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○田中委員長 速記を始めて。 午後三時に再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時五十二分休憩 ————◇————— 午後三時五分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法案を議題とし、質疑を続行いたします。小林信一君。
○小林(信)委員 午前中、初中教育局長に一人の教員給与の問題から、県と県の給与の差のあることをお聞きいたしましたし、またことしあたりの風潮として三月三十一日に退職する者は、特に四月一日付で退職させて、そして退職金をふやしてやるというような特別な県が出てきた。しかもその県が二十七という御返事を承りましたが、この二十七の県ができたけれども、そのことを聞いておれの県でもやってもらいたいという要望が出たのですが、県の財政事情でそれはまかりならぬということで涙をのんでおる県もある。各府県がまず給与の問題では非常にまちまちであるということを私は考えていただきたくてその点をお尋ねをしたいのですが、もう少し各府県に非常に差異のあることを、この際確認をしていただきたいのです。退職をする年限ですね。これはすべて各府県の勧奨という形で退職をさせられていくわけですが、各府県ともなるべく在職年数をふやしてもらいたいというような要望をしておることは至るところにあるわけでありますが、これとても非常にまちまちでございまして、もし文部省でこういう点の調査がありましたら、お聞かせ願いたいと思います。
○岩間政府委員 各府県の傾向を見ますと、大体六十歳に向かって定年の延長と申しますか、いわゆる勧奨退職年齢の基準を引き上げております。現在六十歳以上というのが八県ございまして、それから五十八歳から五十九歳までが十四県、五十六歳から五十七歳までが十七県、五十五歳か七県というふうな状況になっておりますけれども、これは基準でございまして、たとえばある県では五十五歳ということになっておりますけれども、五十七歳以下の者は実際には退職者がおらないというふうなことでございまして、それからある県におきましては六十歳に向かって一年ずつ毎年勧奨退職の年限を延長しておるというようなことでございまして、全体的に申しますと六十歳に向かって各県とも年限の延長が行なわれておるというふうな現状でございます。
○小林(信)委員 長く在職したいという要望は、一つは教育そのものに熱意を持っておる気持ちも私は認めなければならぬと思います。しかしちょうどこのころが先生たちの家庭事情からすれば、子供たちが大学へ行っておる最中だというようなことで、できるだけ年限を延ばしてもらいたい、こういう希望があると思います。しかも各府県の情勢を見て六十以上が何県かあるというようなことを聞きますと、どうしておれの県ではやらないのだ、あるいは文部省ではどうしてこういう点を配慮しないのだというようなぐちも出てまいります。そういうことから総理大臣がこの国会の勢頭施政方針演説をなさったときにきわめて抽象的な教育政策を述べておりますけれども、その中で、特にこのことについては、学校の校長先生が学校をやめて町に職をさがしておるような姿を私は見るに忍びない、そういう具体的なものを一つ述べております。だから校長先生たちが、私どもの知る限りでも、たいがいどこかの会社へ参りまして、なるべく品のいいようなところを選んで、しかも一般の、かつてはトラックの助手をした校長先生も私は見ておりますが、最近は会計とか総務とかいうようなところへすわっておるようでございますが、給与はというと、あなたは恩給をもらっておる、恩給とこの職に該当する給与の差額でがまんしてください、それをまた甘んじて受けておるわけでございます。大体二万円から三万円ぐらいの給与で校長先生たちが働いておりますが、その人たちの心境を聞きますと、いままで校長として社会的地位を持っておったものが私はこういうところまで来たくないんだ、食えなくてもここまでは来たくないんだということを言っておりますが、とにかくそういうことを言っておられない。だから、なお町に職場をさがす。これをきわめて具体的に総理大臣が言われましたので、私はこれだけの考えを持っているなら、ことしの文教政策の中には、何かもっと具体的なものが出てきやしないかと実は考えておったんですが、これがそれだといえばあるいはこれが該当すると言えるかもしれませんけれども、もっとこうした全国的な差異というものを是正をするというようなことをなぜ考えてくれないか。これはたびたびこの委員会の中でも私は申し上げたと思っております。 もう一つ申し上げたいのですが、大臣は僻地交流ということを知っておられますか。この僻地交流というのは、山間地を持っておるところには、一つの常用語として使われていることばなんですが、いまやこの問題は教育そのものを破壊するような形になっておると言わなければならぬと思うのです。もうその僻地へ行く先生なんというものを、希望者をつのっておったらだれも行きません。だから、もう先生方、いわゆる教員組合と、そして教育委員会との話し合いの中で、何年一つの学校におったらその人は僻地へ行く、こういう宿命的なものになっておりますから順番がくれば行かなければならぬ。その先生が女の先生であれば、家庭を犠牲にして僻地へ行かなければならぬ。相当考慮はされますけれども、仮宿をしなければ年限がよけいにふえるから仮宿をする、まあ下宿をするわけですね。そうすれば早く帰れるわけです。仮宿しなくてもいいようなところの僻地であれば、年限がふえるわけなんです。これは一つは教育面からすればもうそこへ行って教鞭をとった場合に、あってはならないことなんですが腰かけ的な仕事になります。そしてまたそこへ行く前は、私は何年たてばこの学校から出ていかなければならないのだ、そして向こうへ、僻地へ行った場合に、いつ帰るかわからぬとか、どこへ帰るかわからぬとか、こういう状態では教育にほんとうに真剣に打ち込めないと思います。しかし、僻地に特別な要員を送らなくてもいいような方便というものは、いまの教育行政の中から出てこない、そうでない地域の先生が、交代でもって行って、その地域の教育を成り立たせる以外にないわけで、そういう僻地の人たちも、われわれのところでほんとうに腰を据えてやってくれる先生というのは少ないのだ、だから来てくれるならばそれはありがたいのだということで、半ば教育の効果というものをあきらめておるような状態です。しかし、そういう交流をさせられるような場合には、勢いこれは経済的にもいろいろマイナスの面があります。こういうものがさまざま教育の実態の中にはあるわけなんです。 それから、これは私の県だけではないと思いますが、御主人が校長になる場合には、奥さんがやめなければならぬという不文律を設けられているところがあります。私の県の知事が、いまの知事じゃありませんが、酒屋さんをやっておりました。この酒屋さんをやっておる知事が、かつて私に、一体夫婦で教員をやっているなんていうのはうま過ぎる、こう言ってこの制度を堅持することが当然であるということを主張したことがあります。それで私は、酒造権という酒屋さんの酒をつくる権利、これも一ぺんもらったら永代にわたってその権利が保持されるなんということもうま過ぎる。もしあなたがこういうことを主張するならば、自分の酒屋さんという権利もずいぶんもうかるそうだけれども、一代くらいでもって交代するようにしたらどうだ、自分たちの権利というものは考えずに、人の権利というものだけを考えるのは不届きだと言ったことがありますが、元来先生は先生と一緒になるなんということを考えずに、とにかく教育者として生きようという考えで、男の先生も女の先生も勉強して先生になったわけであります。たまたま夫婦になったのが相手が先生だというだけであって、何らこれに共かせぎはどうだというような口をはさむことはないと思うのですが、私の県では、夫婦が教員である以上、男の先生が校長さんになった場合には女の先生はやめなければならぬ、こういうような事情の中で教員の社会というものが構成されておるわけであります。大臣はいま大きい看板をかけて、人材を確保するために教員の給与を上げるんだとおっしゃっておるけれども、私はそれも、給与を上げるということが根本問題でございますから、われわれもいままでその点を強く要求した立場から、上げるということには異議のないものでありますが、こういう地域、地域によって凹凸のあるこの問題は、是正をする気持ちはないのかどうか。いまのような事情を考えれば、一日も早く、府県の差だとかあるいは地域の差だとかいうものを考慮してやらなければいけないと思うのですが、大臣のお考えを承りたいし、それからこういう事情を一体自治省は地方財政の面からもどう見ているのか。いままでこの問題について何か考えたことがあるか、対策を講じたことがあるかお聞きしたいし、またいまのような事情は、これは人事院は必ず黙って見過ごしておるところではないと思います。こういう問題に対して、十分御承知だと思いますが、どう解決したらいいか。こういうことについてこそ、私は勧告というものがあってしかるべきではないかとも思っておりますが、どうか。お三人からそれぞれ御意見を承りたいと思います。
○奥野国務大臣 お話しのように、いろんな面における地域差、これはぜひ解消していかなければならない、かように考えるわけでございます。 同時にまた、幸いにしてわが国の高度な経済成長、今日におきましては完全雇用の目的を達成したと私たちも考えているわけでございますので、先ほど来夫婦共かせぎの問題につきまして、いろんな御指摘がございましたけれども、労働力につきましては供給よりも需要のほうが強い社会をつくり出すことができているわけでございますので、かなり違った社会になってきている、かように私は確信をしておるわけでございます。同時にまた、そういう方向に持っていける、持っていかなければならないと申し上げることができると思います。 第一は、定年制の問題でございます。私は全国の教育長の会議におきまして、さしあたり六十歳以下の定年のところは六十歳に持っていってくださいよ、将来は六十五歳に持っていこうじゃありませんか、こういうことを申し上げておるわけでございます。なお、男女の間にはかなりな開きが今日なお各府県にございます。できる限りこういう問題も解決をしていきたい。その中で個々具体の件につきまして、どうしても定年を延ばすことが困難だという県につきましては、初中局がそれぞれの県と相談をし合いながら、特別に定員を配置してあげるとか、あるいは非常勤講師の数をふやすとかいうようなことで進めてきておるわけでございます。もっと今後とも強く進めていきたい、かように考えます。 第二番目は、地域差の問題でございますが、教育だけの問題じゃなしに、総合的な政策を通じまして、辺地につきましても文化的な生活が行なわれるように努力しなければならないと思いますし、私もそういう意味において、ずいぶん昔に辺地において特別な政策がとれるような立法をさしていただいたこともあるわけでございますが、さらにはまた、部落統合の問題について、国庫助成をするというような道も開かれてきたりするわけでございます。いずれにいたしましても、教育の問題だけじゃなしに総合的な政策が必要だと私は思います。またそういう立法も幾つかできてきていると思います。文部省限りの問題といたしましては、辺地に勤務されている方の手当をふやしましたり、あるいは特別昇給の制度を使いましたりいろいろなことをしているわけでありますけれども、辺地におきまする先生方につきましても熱意を持って教育に当たっていただける、進んで辺地の教育におもむいていただけるというような環境をつくるべく努力をしていきたいものだ、かように考えておるわけでございます。 男女差の問題につきましては、定年の場合に特に大きいわけでございますけれども、こういう問題につきましても、漸進的に改革をしていきたい。基本的には、やはり制度としてそれを打ち立てる以外には、早急な解決は困難じゃないだろうか、こう思っておるわけでございます。制度として立法措置をとるということにつきましては、今日なおいろいろな御意見等もございますので、まだそれを提案するには期は熟していない、こう考えているわけでございます。しかし、いずれにいたしましても、運用の面におきまして、積極的な努力を将来とも続けていく考えでおるわけでございます。
○土屋説明員 財政の立場でございますので、全般的なそういった給与水準とかいった点につきましては、公務員部を通じていろいろと法の御趣旨にのっとって指導しておるものと思いますが、私、直接そういった意味でお答えする立場にないわけでございますけれども、いまいろいろお話のございました点については、所管の部局等にもそれを伝えまして、十分検討いたしたいと思っております。
○佐藤(達)政府委員 ただいまお話しの問題は、大体地方の問題でございまして、直接私どもの所管には入らないと思いますけれども、しかし、われわれの立場から、お話に多少同感するところがありますのは、考えてみれば先ほどのお話の、どうも山梨県並みの場面が相当あるということですね。非常に月給の高い府県の先生方が、今度は国立のほうにかわってこられるという場合に、月給が落ちるじゃないかという話が現実問題としてあるわけです。しかし、私どもとしては法律、規則の許します範囲において、できるだけの調整をいたしまして、本人の不利にならないようにという努力はしております。そういう点が、共通の問題としてございますということを申し上げておきます。
○小林(信)委員 文部大臣の御答弁で、決して地方がいまのような問題を考えることを怠っておるわけではない、真剣に考えておるわけですよ。真剣に考えても、いまの地方のそれぞれの財政の事情でどうすることもできない。もちろん僻地の問題等はやはり定数法とか政府の仕事の中で解決する余地があると思うのですが、こういうものはほうっておけばいいこともあると私は思うのです。たとえば、地域住民の要望にこたえるために医療費を無料にする、七十歳から六十五歳に引き下げるというようなことは、地域住民の要望から地方行政の中で率先してやり出した。今度中央がそれを追いかけるというふうなことで、だんだん地方分権的なものが強くなってきて、私はいいとも思います。しかし、そういうものを黙って見ておる政府は、非常に責任がないことなんで、ことに教育の問題ではそうばかりいかない。地方分権の形の中でもって処理するということができないものがたくさんあるわけで、とにかく地方はそういう希望が出れば、私のところはぜひやりたいんだけれども、財政事情がこうだということで県単なんという、これは別の問題になりますが、そういうことなども、あなたがおっしゃるように、よほど基本的な、総合的な政治対策の中で解決をしなければならぬ問題でありますが、しかし、そういうことはどの大臣からも承りますが、その大臣の手にかかるような状態がいままでなかった。私はどうしてもそういう抜本的な対策というものをひとつ考えていただかなければならぬというふうに考えます。 それから自治省の問題で、お答えですが、財政的な面で、こういうふうなまちまちな地方財政のあり方がいいのかどうか。ある県では、特別よけいに教育のための財政を支出する、しかし、ある県では出さないというふうなことを、そのままほっておいていいかどうかというふうな点からお聞きしたいわけでございます。 それから確かに、これは地方公務員の問題でございますから、そして私も自分の生まれた県の事情が一番わかりますから、それを例にとって人事院に申し上げているわけでありますが、しかし人事院は国家公務員だけに関係があるんだとおっしゃればそれまでなんですけれども、しかし、いつでも地方公務員の問題を考慮しながら国家公務員の問題を考えていく、そういうふうに御理解のある人事院だと私は思っておったんです。だから、そういう意味で一体こういうものはどう見ますかとお聞きしたわけであります。そんなに私は各答弁とも満足するわけではありませんが、とにかくいま私どもは学校の先生の給与を抜本的に上げるという法案を審議しておりますが、しかし、教員の実態というものはこんなにまちまちである。各府県で差がある。そういうものをわきまえてこの問題は論議をしなければならぬ問題じゃないか、こう思います。先ほど夫婦共かぜぎという問題を私は一つ出しましたが、学校の先生が同職で夫婦になるということは、お互いの理解ということよりも食っていくには夫婦共かせぎがいい、それにはやはり教員同士がいいという経済的な面から一緒になる傾向が多いと私は思います。夫婦共かせぎになれば自動車が買えます。自動車だって月賦で買うのですよ。それから今度は家を建てる。労働金庫から金を借りたり、それぞれの機関から金を借りて返す。これも夫婦共かせぎならば返していくことができるが、先生の場合には御主人一人でもっては大体自動車が買えない、そして家も建てることができないというようなことが先生たちの現状だと思うのですよ。だからいままで何回か文部省にわれわれはそういう人たちの気持ちを訴えて、抜本的に教員の給与を改定すべきであるということを要求してきたはずであります。 そこで、さらに本論に入る前に給与問題でお聞きいたしますが、いつも問題になりますのは行政職よりも十六年、今度は十七年ですか、一年延びたわけですが、給与が最初は初任給が高く出発しながら、十六年、十七年たてば行政職に追い越される。これも、なぜこんなことがほうっておかれるのかということで、何回もこの委員会の中でそれぞれから要求があったと思います。しかし、いままでこれをどうすることもできなかったのは、文部省というよりも政治だったわけであります。こんな矛盾した話がありっこない、当然もう給与の改定なんというのはなされるべきであって、いま看板を高く掲げて、一〇%上げるのに、実際人材確保の法律であるというような看板を掲げるようなものじゃないのだ、私はこうも思っておりますが、それほどまでにけなしては申しわけありませんから……。実情というものはもっと深刻なものじゃないかと思うのですが、この行政職に追い越されるその原因というようなものも、ここでもって明確にしていきたいと思います。 大臣が法案の中を説明する場合に、もうこれは永久に、行政職よりも、他の公務員よりも教員は高いんだ、せっかく高くしても、また途中でもって追い越されるようなことがあってはいけないから、この法律は今回限りじゃないのだ、この法律は永久に生きていくんだということが強調されました。ということは、二号俸多くしても、初任給で多くしておっても追い越されてしまうような、そういうものが明確になっておらないから、そういう不安があると思う。それさえなければ私は不安じゃないが、何かそういう不自然なものがあるからじゃないかと思いますが、そのことをひとつ……。 それからこの際、私ども、もらった資料の中には——これは文部省からじゃありませんが、民間給与と比較をしてみると、あるいは行政職と比較をしてみると、私のもらった一つの資料では、四十七、八歳になりますと、同じ大学を出ておりながら五〇%ぐらいの差がある、民間給与とは。それから行政職とは二〇%ぐらいの差が出ておるという数字が出ておりますが、必ずしもこれは正確であるかどうか私にはわかりませんが、とにかく、そういうように非常に低くなってきてしまう。こういう事実があるのかないのか、ひとつ資料がありましたらいただきたいし、説明ができれば説明していただきたいと思います。
○岩間政府委員 教員と、それから一般公務員の給与の比較でございますが、先生御指摘のように、十七年目に、上級職の乙というものの線を引っぱりますと逆転をするということでございますが、その理由につきましては、これは人事院からお聞き取りいただいたほうがよろしいのじゃないかと私は思いますけれども、私どもが伺っているところによりますと、大学卒の方々の給与というのは、これは不均衡にはなっておらない、しかしそれ以前の、いわゆる師範学校卒業の方々が多くを占めておられる部分につきましては、これは一般の公務員よりも給与は低くなっておるというふうなことでございます。しかしながら、三十二年以前は、これは一般職の公務員の給与表が基礎になりまして、それに教員のほうはプラス何号というふうな俸給表が現実にあったわけでございますから、私ども、そういう点につきましては、人事院のほうにもいろいろ御検討をお願いしたいということで、従来からお話を申し上げておる次第でございます。 それから、民間の給与との比較でございますけれども、小中学校の教員と比較いたしまして、やはり民間の給与のほうが、これはとりようでございますが、初任給におきましても、大きな企業でございますと、かなり高くなっております。それから、上のほうに参りましても、大体年齢五十歳ぐらいを考えましても、民間企業の大学卒の場合には支店長グラスで十八万四千九百円、それに対しまして、小中学校の教員でございますと、十二万円そこそこということでございますから、御指摘のように、かなりの差があるわけでございます。
○小林(信)委員 こういうような事情というものは、みんな知っていると思いますよ。その中で大臣は、人材確保という教育をよくするための大きな理想を掲げて、ここにいまこの法律を出しておるわけでありますが、このすぐれた人材という、これも一つわかりません。大臣にその人間像を、こういう人間像だ、またこういうものがいま必要だというようなその必要性、そうしてその人間像というようなものを承りたいのですが、いやこれはすぐれた人材とは書いてあるけれども、学校の先生というものにいまよりもよけいに期待を持つ、あるいは希望を持つために掲げたことばであるといえばそれまでなんですが、さっきと同じように、すぐれた人材ということを言われますと、現在の先生をどう見ておるかとか、大臣、文部省が考えておる人材とはどういうものであるかということを聞きたいと思うのです。 それと一緒に、そういう人たちがいまのような事情の中で、そしていまこの法案が掲げております給与を上げるもので、はたして率先して来るでしょうかね。要するに、この特別措置をしまして、それならひとつおれも教員になろうじゃないかという希望がわくでしょうかね。ひとつ大臣のお考えをお願いいたします。
○奥野国務大臣 現在の先生方は、みんな相当に努力をしていただいていると思うのでございますけれども、父兄の立場から見ました場合に、やはりいろいろな批判もあること、私があえてここで申し上げる必要もないことだと思います。反面また、それなりの処遇をしていくとした場合に、やはりこたえていただけるのじゃないだろうか。 同時にまた、新しく教育界に入られる方々も、もちろん給与だけで将来の進路をきめられるとは思いませんけれども、これも進路をきめる場合の重要な一つの条件になることも違いない。そうすると、こういう面でも改善をはかることにより、よりりっぱな方々が教育界に入ってくださる、こう考えているわけでございます。 どういう教師像を考えているのかという式のお話がございまして、たびたびこの委員会でお答えをさしていただいているつもりでございます。私はやはり、物をつくるのじゃなくて人をつくるのだから、その人がみずから学ぶ意欲を持ってくれない限りにおいては、りっぱな人は生まれないのだ、みずから学ぶ意欲を持ってもらうためには、先生方がそれだけ、学ぶ人にとって魅力のある人、強い愛情を持ってくれる人でなければそういう気持ちはわかないだろう。同時に、先生方がりっぱな人材をつくっていくのだ、人間を育てていくのだというそれなりの使命観、そのことが日本の将来の社会、国家にとって非常に大切なのだという使命観を持っていただきたい。同時に、先生の本質としても、広く一般的な教養、加えて専門的な知識、そして教育上の技術を身につけておられる方であってほしいものだと、たいへん一般的なことばで恐縮でございますけれども、こういうふうにたびたびお答えをさせていただいたわけでございまして、そのようにもまた考えておるわけでございます。
○小林(信)委員 いま大臣のことばの中にこういうことがありました。現在先生をやっておる人たちもみんなりっぱである、だが父兄に言わせれば、父兄はいろいろ不満を持たれる、これも何か肯定されるようでございますが、そういう大臣のお考え方であるというと、すぐれた人材というものは、文部省好みの人材というものを選んでいくような形になりはしないか。そういったからといって、文部省好みの人材というものを入れるわけにいかぬでしょうが、しかし、そういう傾向を持っていると、地方の教育委員会あたりも右へならえで、御本家の御意思に沿ってそれなりの人間を集めていくかもしれませんが、それは非常に危険な考え方だと思うのです。 私は、この質問の最初に申し上げました。確かに教育熱は盛んだ、大臣はじめ政府も、教育に対しては一生懸命でございます。一生懸命やらなければならぬ、教育優先でなければならぬということは言っておりますけれども、そういう熱意というものはあるけれども、ほんとうの教育がないのだということを私は申し上げたのですよ。父兄の言うことも、必ずしも私は一がいにそれはいけないとは言いませんけれども、最近の父兄の教育に対する見方というのは、一般的に自分の子供をりっぱな人間に仕上げさえすればいいという、こういう考え方から——りっぱな人間ということであれば、これは抽象的なことばでありますから、これには文句はないわけでありますが、ともすれば、いまの時代の流れに流された考え方から教育を見るような傾向がありはしないかと思うのです。 これは、きのうの朝の「カメラリポート」というのですか、あれを私見ておりましたら、どこでしたか、どこかやはり山の中でしたね。ある先生が非常に彫刻を、版画を熱心にやられて、そして生徒のつくった優秀なものを一つの本にしてテレビでもって見せておられました。りっぱな作品がたくさん載っておるのですが、その先生は、私はこの版画を通して一番人間形成ができるような気がするということで、素朴な農村の風景をかいておる版画を紹介しておりましたが、たとえば機械を使っておる、農機具を動かしておるおとうさんの仕事を描く場合に、最初の気持ちは、農村が明るくなった、すきくわを持っておった農村にいま機械が入ってきておるのだ、そういう明るいもので描いておるけれども、だんだんこののみを使っている間に、これで生産をされる米の半分は、この機械のために支払われてしまうのだということが子供に思いつく。 〔委員長退席、内海(英)委員長代理着席〕 あるいは田植えをしておる、どろの田植えがだんだん青田になっていく、これも子供たちが——人が見れば非常に美しい風景でありますよ。したがって、絵にしたいというところから、のみを動かしていく間に、このおとうさんは田植えが済めば出かせぎに行くんだ、子供がいまの生活の中から、そういう深刻なものを持ってきますよ。持ちだしてきますよ。そういう場合に、先生方が、ただそれをなぐさめてしまったり、あるいはそうかと言って聞き流してしまうことはできない。そのよってくる世の中の問題というものを子供に考えさせたくなる。そうすると、いまのようなとうとい仕事であっても、ある人が見れば——これはNHKのテレビでありますから、決してそんな批判が何も出てきませんが、私が見ておる間に、そこまでいくというと、父兄は、これは少し考え方が左がかった先生じゃないかというふうな見方になるのです。そこまで子供たちにいろいろな懐疑心を持たせ、あるいは子供たちはそういうジグザグのいろいろなものの見方をしていく、その間に人間性というものをつくっていくのが、これがほんとうの教育なんですが、そういうものを親が見たときに、好ましくない、もっと宿題をたくさん出してくれたりあるいはテストをやってくれて、そして質問をしたらすぐそれに答えられるような子供が教育されることを好む。こういうような教育のあり方について、われわれは簡単に、父兄があの先生はというふうな不満があれば、それを忠実に、その父兄が好むような先生にというふうな考え方で、人間像を描くというようなことになったら、私はこれは、大臣が教育というものを真剣にお考えになっておらないことではないかと思うのですよ。 そういうふうに、この人間像という問題に対して、私はもっと大臣とお話をよくし合って、一体、ここに書いてある「すぐれた人材」とは何だということを論議したいわけでありますが、しかし、それよりも何よりも、一体いまのような教員のあり方の中で、労働不足であるし、需要は多いけれども供給するものは少ないという事情の中で、いまの程度のものでほんとうに先生たちが喜んで教育者になるか。なるならばとにかくとして、少しでもよけいよくするということがいいじゃないかといえばそれまでなんですが、そこで私は申し上げたいのは、もっとお金ということよりも——先ほど安里委員も言われました、金というものだけでもって人間を引っぱろうたってだめですよ。もっとやはり、教育者になろう、教育界の中のこの情熱、そういうふうなものが感受されて、私もあの先生のような先生になりたい、そういうことが大事じゃないか、私はこう思うのですがね。 したがって、人材確保は、一〇%の金もさることながら、私は大臣としてはもっと、この世の中に教育の必要性を一般人が強く感じていく、そういうことに文部省が意欲を燃やしているところに成り立つものではないか、こう思います。 先ほど時間をたいへんとって申しわけございませんでしたが、福岡歯科大学のああいう不正問題なんかが出れば、これはもう、一〇%上げようが、二〇%上げようが、実際それは民間給与よりもずっと低いのですから、そんな社会へいくよりも、どうせよごれた社会ならば、うんと金のもうかるほうへいこう、いまこんな思想が一般人にありはしないかと私は思うのですが、この点につきまして大臣のお考えを承りたいと思います。
○奥野国務大臣 教育界に人材を導入する、それは金銭的な問題だけで考えてはならないというお考え、全く同感でございます。同時に、社会から見まして、教育界が評価の高いものであってほしい。それには先生方一人一人ではなくて、全体が、社会の信頼にこたえる教育界になるように努力してもらわなければならない。しかし、父兄の立場からいいますと、いやなことばを申し上げるわけでありますけれども、ときには、デモシカ先生というようなことばがいわれるわけでございまして、そういうことばを聞きますと、私ははっとします。こんなことばは昔にはなかったことばでございました。しかし、このごろときどきささやかれることは事実でございます。そうしますと、やはり教育界には、父兄の信頼にこたえていない方がいらっしゃるということになりはせぬだろうか、かように考えるわけでございますだけに、より一そう教育界に人材が投入されるような施策を講じていかなければならない。いま一〇%ということをおっしゃいましたけれども、私たちはもっと高い給与の改善を考えているわけでございます。この法案は一〇%引き出す一つの引き金的な役割りを果たすものでもございますけれども、将来にわたって、もっと高い大幅な給与改善を引き出す一つの引き金にもなる点、御理解を賜わりておきたいと思います。 同時にまた、先ほどもお答え申し上げたわけでございますけれども、教職につきまして社会的評価の高いものにしたい。同時にまた、−教職そのものを魅力あるものにしたいというようなこともあって、五千人の方々に海外に出ていただくということも考えているわけでございますが、今後もまた皆さんのほうで、こういうような施策を講ずべきだというようなお知恵もいろいろお聞かせいただきますならば、そういう点については積極的に取り組んでいきたいという気持ちを深く持っておるものでございます。
○小林(信)委員 いまデモシカ先生ということばがありましたが、それも大臣耳に入れて、そういうような人がありはしないかということは、大事かもしれませんよ。しかし、ときによればそういうそしりを受けても、あるいはそういう批判があっても、自分が信ずる道に一生懸命に携わっておる先生もある、そういう先生がどうかすると、父兄の御意思にかなわぬから、デモシカ先生というふうなことばを使われることも大臣は考えなければいけないと思うのです。きょうの教育者の考え方というものは、一つの過程をつくっている。どんな意見があろうとも、どんな権力者の意向があろうとも自分はこの道だという信念の中で、教師のほんとうのあり方を探っている人たちもあろと私は思いますよ。したがって、きょうはほんとうの教育を目ざす過渡期でもあると思います。世間の教育熱というものが高い、しかし、ほんとうに教育は何であるかということを探ろうとしたい、そういうことを政治も考えてくれないというような批判の中に、ほんとうの自分が教師の道を探っていこう、そういう場合には、いつかはわかってくれるでしょうが、きょうの段階では、父兄から、あんなことをやっていたんではおれの子供はよくならない、宿題なんか一つも出してくれぬじゃないかとか、あるいはテストやってくれないという簡単なことで、デモシカ先生と言う場合もあるのですから、大臣が軽率にそういうことば々使ったら、ほんとうに現場の先生の実態というものを見てない証拠になるのじゃないかとも私は思いますので、私の意見でございますが申し上げておきます。 一〇%ということは、大臣何回かいまのようにおっしゃっておりますので、私は決して一〇%だけとは思っておりません。しかし、これから無限に上げるようなことをおっしゃいますが、せいぜい三〇%か、よくて五〇%だと思いますよ。さっき民間の給与と比べてみてもらった場合に、現状でも民間のほうが五〇%も高いでしょう。あなたが幾らがんばったって、そのことでもって魅力ある教員というものを描かせることは私はそんなに可能ではないと思いますよ。それもやらなければならぬかもしらぬけれども、もっと人材確保のために教育界というものを、あるいは一般社会の教育に対する考え方というものを、もっと認識させるようなそういう努力が必要であって、何かここに問題点があるように承りますので、ひとつ私の意見を述べたわけであります。 〔内海(英)委員長代理退席、委員長着席〕 そこで、これは文部省から出した資料でございますので、間違いないと思いますが、NHKの国民世論調査というのがございますね。その中に、教員というものはこんなに社会からは非常に高く評価されながら、その収入というものは少ないのだ、小学校の教師が社会的評価は三位である、社会的貢献度は三位である、しかし収入は十三位である、こういう表を出してきておりますが、こんなに低い先生をほっておいてはいけない。これはいまざら始まったことではないので、当然のことなのですが、これをこんなに低いのだから高くしなければならぬという御意見かもしれませんが、私は逆に、こんな状態にほっておいたのはだれの責任だ、教師の責任か、父兄の責任か、政治の責任か、こう聞きたいのです。大臣、どうですか。
○奥野国務大臣 これは全体で考えていかなければならない問題ではなかろうか、こう考えるわけでございますけれども、今後の政策をどこに置くかということにおいて、また特にそういう点強く意識して努力されなければならない問題になってくるのじゃないだろうか、こう考えるわけでございます。
○小林(信)委員 現在の大臣に、その責任を追及しても無理かもしれませんが、大蔵省に予算要求する場合には、全国の教育委員会を動員しなければ、一つのものでも要求どおりにいかぬというふうに文部省はいままで弱かった。ということは、やはり教育は重大であるという政府の中で文部省というものはいつでもみじめな状態に置かれておったということが、私はこういう現象を出しているのじゃないかと思います。要するに文部省の、働かせることは働かせるけれども、しかしそれに相応するところの待遇はさせることができなかった、しなかったんじゃなくて、させることができなかったんだということを私は裏づけておると思います。それを今度は、社会的な評価というものが三位であるならば、それに相応する給与も支給しよう、これは当然のことであって、そこにも私は、人材確保ということよりもみずからのいままでの責任を果たすだけの仕事ではないか、いまさら人材確保であるというふうなことを言うのはおかしいじゃないかという意見も出てくるわけであります。こういうところは私が一方的に申し上げて、大臣の御意見を承る時間がないのでやめますが、いよいよ今度は法律へ入ってまいりたいと思います。 主としていまは第一条の中のこうして掲げられたものと、私が実際見る教員の実態というものとは、何かこんな誇大広告が最近多くなっておりますので、文部省もそれにならって誇大広告をするならいざ知らず、これがまとものものであるというふうなお考えを持たれたら私は大間違いであるというくらい、きつく批判をしておることを御承知願いたいと思いますが、第二条二項「この法律において「教育職員」とは、校長及び教育職員免許法第二条第一項に規定する教員をいう。」こう書いてありますが、この「教育職員」というのは、「校長及び教育職員免許法」云々の条項から考えると、単に義務教育諸学校の校長先生あるいは教諭、助教諭、養護教諭だけではなく、高等学校、幼稚園も含まれるというふうに読んでも差しつかえありませんか。
○奥野国務大臣 「教育職員」という限りにおいては、その免許法に掲げられておるものを全部含むわけでございますけれども、その「教育職員」の頭に「義務教育諸学校の教育職員」と書いてありますので、そこで制約を受けることになると思います。 〔委員長退席、松永委員長代理着席〕
○小林(信)委員 頭にあるというのは、二条の一項のほうには「義務教育諸学校」とありますね。ところが二項のほうには別に書いてなく、「この法律において「教育職員」とは」、云々と書いてありますから、というのは私はこう想像したわけです。第一条の「学校教育」、義務教育の先生方を対象にしておりながら「学校教育」ということばを使ったことについての質問がありました。そのときに大臣が、そのくらいは文部省の立場を理解してほしいというような、少し暗示に富んだ答弁をなさったことがあります。私はそれを聞いておってやはりここのところにも、「教育職員」、そうして下の「校長及び」云々というところを見れば、やがて高等学校、幼稚園も含まれるんだなと、こんなふうに解釈しましたが、ここにはそういう意図はないのですか。
○奥野国務大臣 「教育職員」という表現は、全部「義務教育諸学校の教育職員」こう申しておりますので、「定義」のところでは入ってまいりますけれども、頭に「義務教育諸学校の」と書いてございますので、おのずから抜けていく、かように考えるわけでございます。 私がたびたび、「学校教育」となっておって、「義務教育諸学校」とは書いておりませんよと言うのとはちょっと別なことになろうかと思います。
○小林(信)委員 とにかくこの法律は珍しい法律でもって、こういう懐疑的なところがたくさんあるような気がいたします。これから私順次やってまいりますが、この二項から見れば、教育職員とは、この条文の中に「教育職員」というものがあらわれてくれば、その下に善いてある「校長及び教育職員免許法」の中の教育職員というふうに、この条項を読めばとれるわけですよ、別にこの頭のほうには「義務教育諸学校」ということは書いてないのですから。したがって、これは法律上おかしいじゃないか。第二条の一項のほうに「義務教育諸学校」と書いてあるからと大臣はお考えですか。
○奥野国務大臣 「教育職員」はここに書いておりますように「校長及び教育職員免許法第二条第一項に規定する教員」であることに違いないわけでございます。ただそれでは、そこから高等学校や幼稚園にもこのねらいを進めているのか、こうおっしゃいますと、教育職員はどこの教育職員かという、どこのということが法律には明記してあるのです、こう申し上げているわけでございます。それぞれ「義務教育諸学校の教育職員」こう申し上げておりますので、自然義務教育諸学校の教育職員といいます限りにおいては、高等学校や幼稚園は抜けていく、こうなるわけでございます。
○小林(信)委員 第三条の教育職員を規定する場合には「義務教育諸学校の教育職員」、こうありますね。それから第四条の「国家公務員である前条の教育職員の給与について、」これは「前条」がありますから、一応義務教育諸学校ということが考えられます。今度附則へまいりまして、ここの「教育職員」は「第三条に定める」と規定されているから、これもいいでしょう。しかしこの二条の二項の「教育職員」というものが、何か私にはこのままでは裸のような気がして、やはりこれは大臣はおとといの答弁の中に、義務教育諸学校の教員を対象にしておるのに「学校教育」ということばを使っておりますのは、文部省の意図をひとつ御推量願いたいというふうなことがあったから、やはりここも裸にしておって、やがてはこれを文章どおりに活用するのじゃないか、こう思ったのですが、危険性は多分にあるような気がいたします。私は高等学校の先生にやるなとは言わない。やるなとは言わないけれども、こういうごまかしをしてこの法律は何か通そうとするようなところがたくさんあるような気がいたします。 次に申し上げますが、附則の二項のほうから入りますが、これは人事院にお聞きいたします。 「国は、」とありますので、国というのはこの場合は政府、国会、人事院だ、こう思います。「国は、第三条に定める教育職員の給与の優遇措置について、計画的にその実現に努めるものとする。」いままでの質疑の中から私がお伺いしたものは、この法律は今回限りじゃないのだ、未来永劫この法律は適用されるのだ、そして教員の給与というものを高く確保するのだ、こういう大臣のお考え方ですね。 そこで、この「計画的」ということをどういうふうに人事院ではお受け取りになりますか。人事院はこれもいままでの質疑の中で、この法律に対しましては、この法律立法の行為に対して何ら疑義をはさまない態度でございましたので、すでにこの点も十分御了解のところだと思いますのでお伺いいたします。
○佐藤(達)政府委員 これは他の委員会でもお尋ねをいただいた点でございますけれども、まさにおっしゃるとおり「国は、」とございますから、もちろん人事院もこれは入っているはずだ、片棒をかつがせていただいているということはすでに言明しております。したがいまして、この計画についても、一口もちろんわれわれとしては分担する立場にあるだろうということでございますし、率直にこの「計画的」ということは、われわれが感得、感じとっておりますところは、やはり今回でおしまいじゃないのだ、まだまだ先はどんどん上がっていくのだぞというような気持ちだろうと思っておりましたし、文部大臣もどうもそれらしいお答えをしておられますから、その趣旨はそれで私はわかったと思いますが、あととにかくこの法律が通りまして、そして第一回の、第一回といいますかこの法律の附則三項に基づく勧告をひとつさせていただいて、それからわれわれとしてはまた先々の計画は練らねばなるまいという心がまえでおるわけでございます。
○小林(信)委員 私は、この「計画的」というものは、大臣が、文部省が描いておる構想というものを了承しない限り、この「計画的にその実現に努めるものとする。」というこれは、国会を制約し、人事院を拘束する大事なことばだと思うのですよ。順次、これからぽつぽつやっていくというような、そんなものでは、たいへんこれは危険だと思うのです。政府、国会、人事院、この三つがこの「国」というものの中に入る以上は、われわれ立法府も、それから人事院も、政府にごまかされないようにしなければいけないと思うのです。あとで、ペテンにかかってこれはたいへんだったというふうなことではいけないと思うので、私は「計画的」ということをどういうふうにあなたが了承しておられるのか、もう少し突き詰めてお聞きしたいと思います。いまの総裁の御回答のように、第三項で必要なものというふうなことが出ておるから、順次これからぼつぼつ考えていくのだろうというふうなものでいいかどうかですね。
○佐藤(達)政府委員 「国は、」とございますからして、人事院はということとはこれは違うわけでございまして、国の一機関の中には人事院もございます。もちろん最高機関としては国会がございます。それから内閣、あるいは人事院もこの内閣の部局としてあるという、これは総合した概念を「国は、」といっておられる。これは文章からいっても間違いないわけです。 したがって、私どもも、片棒というと、これもまた卑俗なことばを使いましたけれども、その意味でやはり国の計画策定についての一端をになうだけでありまして、人事院が計画したものがそのまま国会までお通しいただけるとはゆめにも考えておらないので、その間にはやはり国全体の総合された意思というものの確立がなければいけない。これはもちろん国会のお力を、最後にはかりなければならないことだと思います。 現実にわれわれが計画にのっとって、なおこれは勧告でございますのでお出しをしたところで、その勧告は国会、内閣に対して勧告を申し上げるので、国会がお取り上げになるかならないか、これはもう最終的にはわれわれがそれに対して予断を許さない事柄でございますから、そういう意味で申し上げておるわけであります。したがって、その計画というものはよほどこれは慎重に考えなければならないということでございます。
○小林(信)委員 その計画の実態というものを聞く必要はないのですか。ただ計画という、そのことばの持っているものだけでいいのですか。具体的にこういう計画であります、というものをあなたはお聞きする必要はないのですか。
○佐藤(達)政府委員 計画も、これは暗殺計画とかいろいろ、計画という文字の中には、広い概念でございますから、悪い不吉なこともそれは含まれるかとも思いますが、私どもはまさか暗殺計画その他不吉なことはこの計画にはない、むしろよくする方向のいい計画だと思っております。そういうところを御信頼いただければ、御安心いただけるのではないかと思います。
○小林(信)委員 しかしあなたは、公務員全体のバランスのとれた給与体系というものを、いつも考えていかなければならぬわけでしょう。あなたは暗殺的な計画は困る、こうおっしゃったけれども、案外内容を見たら、人事院総裁としてもう立っていることができないというふうなものが出てくる場合もあるかもしれませんよ。それはあなたは、学校の先生だけの給与の問題を考えているうちはいいですよ。しかし、公務員全体の問題を考えなければならぬでしょう。その場合に、変なものが出てきたら、あなたは冗談におっしゃったけれども、暗殺的な計画になるかもしれませんよ。だから私は、これは国会にしても、人事院にしても、この「計画的」という問題については、これは政府が出すのですから、あらかじめその計画をする政府の言っている腹はどうだということを聞いてでなければ——もうあなたは完全にこれにろうらくされちゃって、絶対にこの法律はいいんだというとかうに盛んに御答弁なさっておると思うので、このことももう十分了解しておられるのかどうか。 われわれにないしょであなたが話すということはあり得ることなんで、そういうものが腹にあるから言っていらっしゃるかもしれませんが、われわれからすれば暗殺的な計画がないとは限らぬ、こう思って私は聞いているわけなんです。
○佐藤(達)政府委員 どうもことばが激しくていつも反省をいたします。暗殺は取り消します、いい計画か悪い計画かということでございますから……。 とにかく根本から申し上げますと、この法案は、実はわれわれが立案して御提案しているわけじゃないのです。これは政府で御提案になって、そしてこの法案が成立した暁において、この附則の第二項というものが、「国は、」云々の条文として、われわれの仕事に入ってくるわけです。したがいまして、われわれはそのときにほんとうけ考えればいいことなんです。しかし、いまお尋ねがあって……。 あるいはまた、御審議の過程において、これが非常に悪い計画だということがはっきりわかっておるかどうかという問題。私どもはそういう意味には考えておりませんから、善意心にこれを考えて、これは文部大臣の過般の御説明にもありましたように、だんだんよくする、そういう計画的によくしていくんだというお気持ちらしいと拝察いたしますし、私たちもよくしていくほうは賛成でございますから、この法案が成立いたしましてこの第二項が働く段階になりましたら、われわれはそういう立場でいきます。 しかし、これは「国は、」とありますから、全体の総合意思でございますから、人事院だけの意思が徹底的に貫かれるかどうか、それは国会でまたどうなるかわかりません。わかりませんけれども、そういう総合的な一つの計画策定の一翼はここでかつがしていただいておるらしいということでございます。
○小林(信)委員 私も、幾らでも無制限に上げる、これもやぶさかじゃないのです。決して反対するものじゃありません。だから、それを暗殺とは言わない。しかし、あなたの立場を考えれば、いま申し上げたような立場がありますので、やはりこれは、計画というものは、ただ抽象的なことばだけでもってあなたが了解する、いいことだからいいだろうというふうなことでいいかどうかということなんです。 別の角度からお尋ねをいたしますが、とにかくあなたはこういうことをおっしゃっている。この法律が通れば、人事院というものも法律がつくられて存在するものである、したがって、法律ができた以上は法律に従うとあなたは言明されておりますね。だから、この法律ができた以上、内容がどうもおかしかったからと言うことはできないくらい、私はいま思い詰めてあなたにお尋ねしているわけなんです。 第三条のほうの「必要な優遇措置」、これはどういうふうに受け取っておられますか。これも抽象的に、「必要な優遇措置」だというんなら、必要でない優遇措置なんというものはありっこないからいいだろうというふうに、ことばだけであなたは満足されていますか。
○佐藤(達)政府委員 これは前回もちょっと申し上げましたとおり、これらの条文の中の文章が非常に名文であるか——悪文であるとは申しませんが、名文であるかどうかということはまた別にあるわけでございます。したがいまして、われわれがこの第三条なら第三条の意義を的確にとらえて、ここで責任をもってお答えをするという立場にあるいはないかもしれません。それにいたしましても、根本は、この法律によって具体的に勧告を引き受けるのは人事院でございます。したがいまして、われわれはやはり勧告機関として、これは申すまでもありませんけれども、自主的な判断によって正しいと信ずる勧告を申し上げるわけですから、その際に私どもは、この第三条は、どういう理解のもとに了解をした上で勧告をするかどうかということに尽きるわけで、これは先ほど来気持ちを申し上げておりますけれども、行政職との関係等からいって、行政職よりもまあよくしてやらなければいくまいという御趣旨であることはわかりますから、それを踏まえてりっぱな勧告を申し上げよう、またこれは国会の御批判をそのときに待つことになりますから、その勧告の内容をひとつよくごらんいただいて、また御批判をいただいてもいいことじゃないか、りっぱな勧告を申し上げたいと思っておるわけです。
○小林(信)委員 あなたは非常にすなおに受け取っておいでになって、私たちもそうありたいのですが、やはりこれは政府から出してきたもので、しかもこの附則の第二項は、「国」ということばでもって、人事院もわれわれ立法府も、大きな制約を受けるわけでありますよ。それがいいことであるからいいわということで済まされるものかどうか。まあ総裁も百三十五億という限定された金というものをもう聞いておりますから、いいと思います、そういうことばが出てくると思うのですが、こういう具体的なもののない、抽象的なことばで、いいことはいい——決して悪くないのですから、いいことはいいのですが、こういうものをずっと並べられて、いいことでございますからこれに従います、で済んでいいかどうかということなんですよ。 どうも総裁は、すなお過ぎて何でもかんでものんでしまうようでございますが、それではひとつ具体的にお伺いいたします。 私が特に心配をすることは、文部省から出されました一これは大臣がその気持ちでおられるところだと思いますが、この法案に対する反対意見に対しての解明があるのです。 「この法案は一読していただければご理解いただけるとおり、先生がたの給与を優遇し、教育界にすぐれた人材を確保し、先生がたに情熱を傾けて子どもの教育にあたっていただけるようにしようとするものであり、それ以外のものではありません。この法案には、いわゆる五段階給与制度と関係のあることは何ら含まれておりません。それはそれで、そのための法案が国会に提出され、それが議決されない限りはできないのです。まして、この法案は教員に対する国家支配をねらうなどというものではもとよりありません。」このあとのほうは、少し行き過ぎたことばでございますが、確かに前半はそういう心配、憂慮する声がたくさんあったわけであります。これは、この法案が、必要な優遇措置を講ずる、これに賛成しなさい、そして計画的にその実現に努める、三〇%上げようが、五〇%上げようが、このことには絶対に触れないというふうに、この二つを合わせると考えられるわけであります。 ところが、人事院等が三〇%、五〇%給与を上げる場合に、文部省の言うように、この給与の中でもってこういう段階的な分配をするなんということは、このビラが配られておる以上、文部省にはできないわけなんですが、人事院とすれば、そういう給与の上げ方の場合には、文部省の言っているようなことが履行できるかどうか、ちょっと私心配ですが、お伺いいたします。
○佐藤(達)政府委員 ちょっと御趣旨を誤解するかもしれませんけれども、私どもとしては、この法律をそのまま読んで、それをわがほうがやはり自主的に解釈をして、そうしてそれに基づいてわれわれが正しいと信ずる、りっぱだと信ずる勧告を申し上げる、この一言に尽きるわけです。ただ、法案の形で出ております以上は、数日来ここで御審議をいただいていろいろ御議論が出ておるその御議論、その御審議の経過は十分拝承しておかなければならない。文部大臣がこの席で言われて、そして皆さんがなるほど賛成だというお顔をされるかどうか、これは審議の場でわれわれが大いに参考にすべき場面だと思いますが、それ以外の——そのパンフレットはどういうパンフレットか知りませんが、われわれはそういうものにとらわれてどうという立場にはないんで、文部大臣の指図を受けなければならぬとか法律に書いてあればゆゆしき一大事ですけれども、そういうことは書いてない。これは人事院の自主性は十分尊重して書かれている。何にも命令らしいことは書いてない。五段階の五の字も書いていない。四条の四の字はあるけれども、五の字はないということで、私どもは安心しているわけでありまして、それ以外の何にもとらわれません。ただ御審議の経過だけは十分尊重いたします。
○小林(信)委員 それが人事院のあり方ですから、私もそれを人事院の生命と考えておりますから、文部大臣が一方で——これは文部大臣が出したものですよ。どこのどころじゃない。権威ある文部大臣の責任を持つビラですよ。その中にこういう内容について、今後絶対にこういうことはありません。これは人事院を無視した非常に軽率な表現のしかただと思うのです。このとおりすなおに考えていかなければならないものなんですが、しかし、こういうことを言って一つの反論にするんですが、それは人事院の存在を無視して、政府が提案したものを国会が権力をもって通してしまえば、そうすれば人事院がそのとおりになるんだということになったら、人事院はますます——いまだっていろいろ批判があるんですから。批判のあるというのは、いままで申し上げたようなことを——人事院の総裁はこの法案については全面的に賛成されておるのですが、しかし、教員の実態なんというものは、これだけでもって満足できるものじゃないという気持ちがあれば、私は多少、あんまり賛成をするのがおもしろくなかったんですよ。まあそれくらいの気持ちで聞いておったのです。しかも、この法律をそのまま今度は是認をされるとするならば、「必要な優遇措置」、これも無批判に、いいことだからいいだろう、「計画的にその実現に努める」、悪いことはしないんだからいいだろう、こういう形でもって応じようとするところに、私は非常に心配があったので聞いたわけです。 そこで大臣、この法律をつくったあなたとして、この「計画的」というのはどういう意味を持っていますか。
○奥野国務大臣 四十八年度に若干の予算措置を講じさせていただいておるわけでございます。それで終わるわけではないんで、今後年次をかけて計画的に優遇措置を講じていくんだ、こういう考え方でございます。
○小林(信)委員 そうすると、今日の百三十五億を使って大体一〇%上げる、これをさらに上げていくんだ。それは制限はないのですか。この「計画的に」ということは、三〇%とかあるいは五〇%とかという限度を考えておるのではなくて、常に計画的にやっていくということなんですか。この「計画的に」は限度があるのか。
○奥野国務大臣 予算に計上いたしておりますのは百三十五億ですけれども、一年間地方も支出するもの全部合わせますと千二百億円という金額でございます。 なお、現在四十七年度、四十八年度にまたがりまして、文部省に教職員の給与につきましての研究調査会を設けているわけでございます。この研究調査会の結論が出ましたところで将来目標を確定させていただきたい、こういう考え方でおるわけでございます。
○小林(信)委員 私は、この附則の二項が持っている生命というものは、大臣が強調されておる、教員が一般公務員よりも高い優遇を受けなければならぬということを永久的に可能にさせなければならない、それがこの法律でございますよ。一〇%上げて、そして計画的に、二〇%になるか三〇%になるか、上げてまいりますというだけの計画的ということばを使っているとすると、それが終わった場合には、この法律は効果がないんじゃないか。この二項は、大臣が強く言われておるこの法律のある限りいつでも公務員との差はあらしめるんだという二項であるというふうに私は感ずるのですが、単に計画的なものだけでこの法律が責任を血うのか、大臣がいままで何回か言われたように、永久にこの法律は存在するんだというところであるのか、お聞かせ願いたいと思います。
○奥野国務大臣 附則の第三項で、四十九年一月一日から給与の改善が行なわれるように必要な勧告を期待している旨書いているわけでございます。これは四十八年度予算に金額を計上しておりますので、それをぜひ四十八年度に使って改善を行ないたいという趣旨を明確にしているわけでございます。 〔松永委員長代理退席、委員長着席〕 しかし、それはそれだけですべて終わったと考えるわけじゃございませんよということを明確にしますために、二項に「計画的にその実現に努めるものとする。」と書かしていただいたわけでございまして、いずれも附則に書いているわけでございます。臨時的な事柄でございますので附則に書いておるわけであります。ねらいは、第三条に書いておりますように、「一般の公務員の給与水準に比較して必要な優遇措置が講じられなければならない。」これは将来にわたる基本的な姿勢でございます。おそらくこういう根拠でもなければ——人事院当局が教職員について、一般の公務員に比較して優遇するような改善を勧告し続けられると思います。 その場合に、それが権衡を欠くんじゃないかというような意見が他の公務員から出てくると思います。それに対しまして、こういうような国権の最高機関においてきめられた基本的な方針があるんだ、この基本的な方針のもとに人事院が自主的に勧告しているんだ、こう私はお答えになるものだと考えるのでありまして、そういう意味において将来にわたる基本的な考え方であると同時に、自主的な給与改善を続けていただく上においても、これがなければ困難を来たす性格のものではなかろうか、こう考えているという意味でございます。
○小林(信)委員 そうすると、附則の二項というものは、特に「国」ということばをつけたのは、これは今日の計画というものが終わるまでの任務であるというふうに解釈をするのですか。三項の、人事院が来年の一月一日に実施できるような措置をそれまでにとってほしいということもわかりますよ。しかも、それを計画的にするということもわかりますが、しかし附則の二項に「国」というようなことばを書いたということは、大臣が常々強く主張されておる——この法律は第三条もそうですが、特に国ということばをつけ加えて、そうして未来永劫にわたって公務員よりも優遇される条項になるんだというふうに私は考えたわけであります。そうすると第二項というものは、これは計画が成り立つまでの条項だ、こういうふうに考えていいんですか。
○奥野国務大臣 そのとおりでございまして、一定の年限がたちましたら、二項も三項も削っていい性格の条項でございます。
○小林(信)委員 そこで、またもとへ戻りますが、人事院は、こういう「必要な優遇措置が講じられなければならない。」これだけでもってほんとうに差しつかえないんですか。百三十五億という金が確かに目には見えておりますけれども、こういうことでいいのかどうか。 それからこの計画的の問題でもってさらにお伺いいたしますが、先ほど大臣が、このビラに書いてありますように、私どもは給与をこの法律によって改定する限り、これは五段階給与制度とは無関係であります、そういうことをいわれることを、あなたも了承する立場でこれを理解しますか。もう一ぺんそこのところを念を押しておきます。
○佐藤(達)政府委員 そのビラにはあまり私は権威を認めないのでございますけれども、しかし五段階のことは考えないとおっしゃっておるところは、それは私が読んでも、さっき申しましたように、五の字はないということで確信を持っておりますから、何もビラにたよる必要はないことで、法案そのものから五段階に関係のないことはわれわれも認識しておるわけであります。その意味ではビラには影響されない。法案から直接われわれはそういうことを受け取っておるということがいえます。 三条について優遇措置云々のお話がございましたけれども、これは結局、具体的には、先ほど申しましたように、私ども勧告によってこの答案を出します。勧告はそのまま成立するわけじゃないので、これは国会、内閣に出しまして、国会の御審議があるわけです。そのときにいい悪いの御批判がまたあるわけです。しかしわれわれは、その勧告をお出しするについては、われわれが正しい、適正であると信ずるところに従って、しかも三条の趣旨は、われわれとしてはこう考えるという信念に基づいて勧告を申し上げるわけであります。ただ先ほども触れましたように、まだこの法案は、いませっかく御審議の最中なんで、いろいろお気づきの点、私たちに対してお教えをいただくような点がありましたら、どしどしいまのうちにお聞かせをいただきたい。むしろそっちのほうをお願いしたいと思うわけでございます。
○小林(信)委員 大体、法律の内容はわかりましたが、何となく、総裁の御答弁の中で、五段階なんということは絶対に、勧告の中では何回これから計画的になされるかもしれないけれども考えないというふうにも受け取れるし、そんなことをいわれたら人事院の自主性というものはなくなるんだというふうにも聞こえるのですが、もう一ぺんそこを明確に、五の字なんかどこにもないじゃないか、四条ではないかとあなたも冗談をおっしゃられるのですから、明確にしていただきたいと思います。したがって、こういう給与を上げる場合に、ただ一律に上げるということはないと思います。何かこれには、人事院としては考慮されると思うのです。そういう場合に、そんなことはほかのほうから干渉されるものではないのだ、人事院の自主性でやるから、そのことは文句言うなというのか。このビラの権威というものは、これはあなたには確かに権威はない。こういう干渉を受けてはいけないという立場で、あなたには権威がない。 ところがわれわれが受けた場合には、かりにも日本国の文部大臣が責任を持つビラでございますから、これは私たちには権威がある。その権威にあなたは支配されてはならない。私たちも国会という場においては、これにごまかされてはならない。ところが、一般の人たちはこれを金科玉条のようにして神だなに上げたいような気持ちでいるわけなんです。 そういうような複雑な中で私はいま質問しているのですから、五段階給与はやらないというふうにあなたは言っているのか、そんなことをおれに言うことはけしからぬということで言っておるのか、もう一ぺんお伺いいたします。
○佐藤(達)政府委員 この文部大臣のビラを、非常に冒涜するようなことにとられては、文部大臣に申しわけないのですけれども、少なくとも勧告権の行使に関する限りは、文部大臣がああしてくれ、こうしてくれという指図をわれわれにされるはずはないし、またかりにされても、それには拘束されません。私どもが拘束されるのは法律の条文には拘束されます。これは国権の最高機関がおきめになった立法ですから、拘束されます。したがいまして、われわれとしては、勧告をする身になって考えた場合には、この法律の条文にどういうふうに出ているか、これをわれわれが自主的に解釈をして、正しいと信ずる解釈をして、それに基づいて適切なる勧告を申し上げる、骨子はそういうことであります。 ところがいまの五段階云々の問題は、私も先ほど申しましたように、この法文から見て、五段階を予定したような条文はどこにも見当たりません。その点は文部大臣のチラシかビラか知りませんけれども、その中にも、それは予想していないようなことを書いておられるらしいし、この間もこの席でおっしゃっていますから、それは何も問題がないし心配する必要がない、それだけの話でございます。
○小林(信)委員 何か私はまだまだ納得できないのですが、五段階なんということは書いてない、こういうのですが、人事院が勧告をする場合には、三〇%上げるという場合は一律三〇%でないと思います。いろいろ人事院としての考慮がなされると思うのですが、そこは人事院の自主性でやるんだ、勧告権の正しい行使でやるんだという場合には、ジャが出るかヘビが出るかという、こわいものが出てこないかもしれませんが、何が出るかわからぬという、そういうことはわれわれは心配をしなければならぬと思いますが、どうですか。いいことをやるからだいじょうぶだという抽象的なものでは私は理解できないのです。
○佐藤(達)政府委員 おことばを返すようでございますけれども、毎年私ども勧告を申し上げて、その勧告すべてについてジャが出るか何が出るかということはみんな考えられるのです。ですから、関係の組合の諸君は非常に気にされて、ぜひこうしてくれ、ああしてくれ、こうしてもらっては困るということをひんぱんに私どものところに申し入れに来られる。私自身もまめにお会いして、御要望をくまなく聞いて処置しているわけであります。したがいまして、この間ここで申し上げたかどうか知りませんけれども、ここ数年来の私どもの勧告は全会一致ですよ。国会の全会一致で立法化されておるわけでありまして、それだけの自信も私は持っております。また、その気がまえで事に臨まなければならないと思います。 したがって、いまのような問題がいろいろでございましょう。たとえば五段階とかなんとかいう問題はございますけれども、これはまたそれ自体の性格の問題が一つあるわけであります。初めから給与問題なのかどうかという問題があるわけであります。これは行政組織のほうの問題でございまして、給与問題のもう一つ手前の問題といいますか、別の問題である。それについて、かりにその実現をされる場合には、おそらく教育行政の主管庁であられます文部省で、あるいはそのための法案をおつくりになるとかその他の法制化をされる。それが成立した暁において、われわれは今度は給与上の評価をそれに対してするわけです。こういう組織ができているけれども、これを給与表の上にどう取り入れるべきか、われわれはまた独自の判断において評価する。その間には相当段階のあることなんであります。すぐに五段階という問題が給与そのものに、われわれの勧告そのものに直結する問題ではないということですね。もう一つ手前の問題だ。法制化なり何なりの問題だ。また、それについてはおそらく御批判もあるでしょうし、それが成立した暁におきましても、私どもとしては従来どおり各方面の御意見を十分聞いた上で、われわれとしてはわれわれの態度を決定するということになるわけでございますから、いまの少なくとも五段階の問題は、直接この法律から出てくる問題でないということだけははっきり申し上げられると思います。
○小林(信)委員 大体総裁の御意向はわかりました。しかし、何といってもこの法律が抽象的なことばだけでもって、しかも人事院も拘束し国会も拘束する、そういう心配は私にはまだぬぐい切れないものがあるわけなんです。 そこで、これは文部省にお伺いいたしますが、この前四%上げたときに職場の中で一番困った問題は、事務職員がこれに該当しなかったということなんです。これは行政職ですから、あの法律が適用された場合には除外されるのは当然ですが、しかし、同じ職場でもって同じ仕事をしておる。先生も事務職員も変わらないような状態なのが学校の実態なんです。四%もらえなかった。おそらく今度もこれは該当しないことになると思いますが、これには何かほかの措置をするのですか。
○岩間政府委員 教職特別調整額の場合には、これは教員の場合は四%で、はね返りを入れまして六%ということでございますけれども、事務職員につきましては別に超過勤務手当を六%財源措置をいたしておりますので、均衡がくずれるということはないわけでございます。このたびの給与の改善につきましては、たびたび申し上げておりますように、教職にすぐれた人材を確保したいということでございますから、これは第二条の「定義」でも明らかでございますように、この法律におきましては、免許法上の教育職員というものに限定しているわけでございます。
○小林(信)委員 だから、事務職員に、心配するような配慮がなされておるかどうか。
○岩間政府委員 ちょっと答弁が漏れまして失礼いたしました。事務職員につきましては、一般の公務員との均衡がございまして、これは一般の公務員の給与法が適用されるわけでございます。したがいまして、今度の場合にはこれは教育職員だけに限られるわけでございまして、事務職員等につきましては、別途また考慮していかなければならないというふうな問題だろうと思います。
○小林(信)委員 事務職員という名前でございますので、あなた方が、文部省が見ておればそれでいいんだというふうにもお考えになるかもしれませんが、同じ職場で、同じ気持ちでもってやっておる、別途何か考えてくれるだろうというときには、私は一般行政職の中で考慮されなければならぬと思うのですが、そうほうっておくのは私はかわいそうなような気がするのですが、何か慰めることばがありますか。
○岩間政府委員 学校の事務職員は、先生も御案内のとおり、人数も少のうございますし、そのためにまた給与も恵まれてないというふうな事情がございます。したがいまして、私どもは今度の法案とは別個に、いままでの事務職員の職務の非常に多忙と申しますか、そういう点を取り上げまして、人事院のほうに、これは統計上の問題として優遇をはかっていただきたいということを御要望申し上げているわけでございます。この問題は、教職員の問題とは別に、その優遇につきましては私どもお願いを続けてまいりたいというふうに考えております。
○小林(信)委員 実際、この事務職員というものは、いまや全く学校を構成する一つの要素であって、あなた方は、校長は校長、教頭は教頭、一般職員は職員というふうに分けたがる癖がありますから、事務職員は事務職員だというふうにお考えになりますが、学校というものがほんとうの機能を発揮するためには、そこに差別がない状態でもっていくことが、大事な、教育をよくする一つの大きな要素だと私は思うのですよ。だから、行政職という名前がついているからしかたがないんだというふうなことでほうっておくことは、あまりにも無情、冷酷だと思います。そうして、いままた人事院が何かしてくれるだろうと、人事院に責任をかぶしておりますが、人事院総裁、よくそういうのを聞いておいてください。何もかもあなたはしょい込まなければならぬような状態でございますが、そこで大蔵省にお伺いいたします。 いまのような経緯をずっと聞いてまいりますと、国という名前でもって政府も国会も人事院も拘束されるわけであります、この法律が出れば。その場合に、一番拘束を受けるのは大蔵省なんですが、大蔵省のいままでの態度からすれば、とてもこんなものはのめないというのが私は普通だと思うのですが、今度はいさぎよくこれに協力いたしますか。あなたは前回、この法案をぜひ通していただきたいというような政府にかわっての御答弁をなさっておられるので、もちろん異議はないと思いますが、いかがですか。
○廣江説明員 お答えいたします。 今回の教員給与の改善は、通常の公務員給与のベースアップとは別のものといたしまして、そのために特に財源を予算に計上いたしておりますし、また御審議をいただいております法律におきまして、教員給与の計画的な改善をはかるとともに、人事院が特にこのために必要な勧告を行なうことを内容といたします法律案を提出いたしておるものでございます。したがいまして、政府といたしましては、この法律が教員給与の計画的改善にとってぜひ必要なものであると考え、その成立を望んでいるものでございます。
○小林(信)委員 一番さいふを握っているところでございますので、三〇%とか五〇%とかいうような声がかかっておるわけでございますが、大蔵省として具体的に——これも必要な優遇措置という抽象的なことばで大蔵省はこれを掌握しているのか、これくらいだというふうな数字を考えてこの法案に臨んでいるのか、明確にしていただきたいと思います。ほんとうならば、これは大蔵大臣に聞きたいところなんですが……。
○廣江説明員 お答えいたします。 計画的な実現につとめるということの場合の計画につきましては、現段階ではなお確定いたしておりませんが、いずれにいたしましても、優遇措置を場当たり的にではなくて、本法の趣旨に沿って計画的に運ぶ必要があると考えておることを述べておるわけでございます。さしあたりは、本法案の成立を待ち、また人事院の勧告を待ちまして、今後の改善措置の取り運び方につきまして検討することになろうと思います。
○小林(信)委員 そういう抽象的な御返答しか承れぬのはあらかじめ覚悟しておりますが、何にしても、この法律というものは、ほんとうに抽象論だけをずっと並べたもので、何が出てくるかわからぬという危険性が多分にあるわけでございますが、そこで、さらに初中局のほうにお伺いいたしますが、問題は私立学校だと思います。「学校教育」ということばを掲げて、高等学校まで、幼稚園まで大臣はすでに考えておられる。その点は人事院にみんな追い込んでいるわけでございまして、多難な人事院だ、こう思いますが、私立学校はどうなるのですか。これはやはり何か御心配を願わなければならぬと思いますが、計画がありますか。
○岩間政府委員 私立学校の教員の給与の現状は、先ほど人事院総裁からもお話がございましたように、国公立学校の給与よりも現在まだ低い状態にございます。これを引き上げますために私学の人件費補助、これも高等学校以下の学校にも及ぼすということで私ども努力をいたしているところでございます。このたび、また公立、国立の学校の教員の給与が引き上げられるということになりました場合には、やはりそういうものに近づけていくように私どもも財源的ないろいろな配慮をする、私学の助成をさらに拡充していくというような方向で対処すべきであろうというふうに考えております。
○小林(信)委員 こういう大きな理想を掲げた場合に、もっと事務職員に対しても一これに関連する看護婦さんの問題だとか医者の問題だとかいうようなお話もございますが、ともかく学校というものを高く評価しておる政府としては、文部省としては、私学に対してももっと具体的な計画をもって臨んでやらなければいけないような気がいたします。私学に行こうが公立の学校に行こうが、教育の道に励むには何ら変わりはないという気持ちで初めて日本の学校全体を振興させることができるんじゃないかと思います。 私は最後に、確かに人材を確保するために給与を上げることは、いままでわれわれが常に主張してきたことであり、素朴な先生方の要望でもございますが、しかし、それだけでもって人材を確保するというふうなことを何か印象づけるようなこの法案というものは、何か一つの罪悪を犯しておるような気がいたします。もっともっと日本の教育というものは、私が終始申し上げましたように、金ということでなくて、教育にほんとうにその生きる意義を感ずるというような行政がますます旺盛になされなければならないし、そういうものが教師になった者にひしひしと感ずる、そういう社会をつくるというようなことはまた非常に大事である。それがいま一番要求されておるところでありまして、教育に対するところの熱意というものは高いけれども、ほんとうにいま何が教師のあり方である、何が教育であるかという点で、実際この現場の人たちは苦しんでおる姿を私は先ほども申し上げました。そういうものをほんとうに理解されるような世の中をつくっていくということが大事であって、もちろんこの給与を上げることを否定しているものではありません。大いに上げてほしい。上げてほしいけれども、いまのような点を考慮せずに、ただこの道が人材を確保する道であるということに私はいささか不満を感ずるものでございます。 それは何か。決してその文部省の意向というものを人に徹底させれば、それが教育をよくする道ではない。やはり世の中が一番教育を大事にするのは、教師がほんとうに自主性を持って、情熱をわかして——情熱がわくというのはその人に自主性があるということでありますが、そういう教師の立場というものをつくってやらなければいけない。いま大かたの教師は、私が先ほど申しましたように、きわめて不遇な状態の中で努力をしておりますよ。しかし、もっとこれに理解が社会からあるいは国から与えられるならば、その情熱というものはもっとたぎっていくではないか、それがほんとに、ここの質疑の中でもありましたように、人間と人間との接触である。たださわるのではない。さわって何かそこに燃えるものが出てくる。そういうものがおそらく大臣の期待しておる青少年の将来に対するものであるような感がしてならないわけでありますが、ほんとうに今回のこの問題につきましても、そういう点を含めて御理解を願っていかなければいけないのではないかというふうに考えて、いろいろと御質問を申し上げましたが、たいへん失礼いたしました。
○田中委員長 山中吾郎君。
○山中(吾)委員 この法案が人材確保法案という非常に理想的な名称なので、いろいろの角度から、この人材確保の目的がこの法案によってどれだけ果たされるであろうかということを、私、吟味をしてみたわけであります。どうも私、この法案だけでは満足するような構想はないのだ、そこで、この目的を果たすために文部大臣が全貌を明らかにして、そして効果が事実にあらわれるようなビジョンといいますか、そういうものは、これはぜひこの法案をささえる文部大臣の構想を聞かないと、この法案の評価はできないというのが私の結論なんです。 文部広報の大臣談話の中に、教育界にすぐれた人材を確保するため法律案を国会に提出をいたしました。私は、国づくりの基本は教育にあると思うので、そのために使命観にあふれた新鮮な人材が進んで教育界に入られ、情熱を持って子供の教育に当たっていただけるようにしたいものと考えております。これがこの法案を提案をされた奥野文部大臣のビジョンというか、これを期待してこの法案が出ておるのだ、したがって、おそらくこの法案だけではあなたのビジョンの五分の一も十分の一も効果は出ないと思うのですね。それはおわかりだと思う。 そこで、人材を確保する政策として、どういうことをお考えになっているか、この法案のバックになる文部大臣の構想をお聞きいたしたい。
○奥野国務大臣 教育の充実をはかってまいりますためには、まず教育の施設設備を整えなければならないと思いますし、また教育内容の充実もはかっていかなければならないと思いますが、何をおいても、教育に当たる教師そのものに人材を得るかどうかということだと考えております。人材を得て、その人たちが教育に情熱を燃やしていくということが大切ではなかろうか、かように考えるわけでございます。やはり学校現場あるいは教育界全体がはつらつとした、活気にあふれたような、またそれぞれが自主的な意欲に燃えているような環境を整えていかなければならない、かように考えておるわけでございます。それぞれにいろいろな問題をかかえていると思います。いろいろな問題をかかえていると思いますが、とりあえずこの法案におきましては、教育界に人材を導入する、そのための一つの条件として、やはり処遇につきましても格段の優遇措置を講じたい、こういうことでございます。
○山中(吾)委員 私がお聞きしている文部大臣の構想そのものの答弁は、いまの答弁にはないと思うのです。私、一口にいえば、戦後教育界に人材を吸収する政策は一つもないと思っておるのですよ。頭に浮かんでみたところだけを申し上げても、教育界に人材を吸収するのには、そうしてあなたのおっしゃるように、使命観を持って、あふれるような教育欲で教育に挺身をするためには、政策を立てる構想として三つくらいの政策がどうしても必要だ。一つは、よい素質を教育界に吸収する政策、これは具体的にやはり考えなければならぬ。第二には、高い専門性を身につけて子供に魅力のある教養と、専門的知識と、教育をライフワークと考えるような人生観を持った高いランクの教員養成制度。第三に、教壇に立ったあと、生活に心配なく十分に研修できるだけの保障された生活。したがって、この給与の改善、この三つの構想が具体的な政策に出て初めてあなたがおっしゃっておる、ここに書いておるような新鮮な人材が進んで教育界に入り、情熱を持って子供の教育に当たる政策が初めてできるのだ、こういうふうに考えますが、大臣はほかに構想がございますか。
○奥野国務大臣 お示しになりましたこと、きわめて基本的なことだと思います。
○山中(吾)委員 大臣から、具体的なそういう構想をお聞きしたいのですけれども、それは大臣は私のことに共鳴されたということで一応答弁されたので、そういう方向で一致したと思って質問いたしたいのだが、この三つの政策構想の中で、この法案はどこに位置づけておるのか、教壇に立ったあとの先生が、比較的生活がいまでも苦しいのであるから、安定をして、いまよりはましの生活保障がされて、教育にいまより少しは挺身できる生活の保障がされておる法案なんだ、そこの第三の政策の中に位置づいておる法案だと私は考えるのです。この法案によって、優秀な人材が教育界にあこがれて来る法案ではないと思うが、いかがですか。
○奥野国務大臣 第一の面にも相当な役割りを果たすと私は考えます。
○山中(吾)委員 本俸の一〇%ぐらいが積み重ねられるからといって、人材が集まるようなものじゃないと思うのです。大体青年が教壇に立ったときに、そんな一〇%が高い、安いなんてせんさくするものじゃないですよ。私は十七、八から二十二、三の大学を出るような青年諸君が教員養成大学に入るときには、一つはもっと魅力のある豊かな設備、施設その他が豊かな教員養成制度にあると思うのです。そしてそういう中からできた雰囲気の中で、やはりライフワークとして教育、月給は安くてもまず子供を育てるということに生きがいを感じるというような人生観が教壇に立つ動機になるんだ。給与が二倍、三倍なら別ですよ。(発言する者あり)何ですか、たった一〇%ぐらい、そんなもので……。上がったって三〇%ぐらいでしょう。二倍くらいなら私はわかる。給与で、大体物質でロマンチックな青年諸君を教壇に立たせるという考え方は、次元が低い。それも一部ですよ。だから、大部分の目的は、教壇に立ったあとの教員の生活保障にすぎないと私は考えておる。 そこで、戦後優秀な者を集める何か政策はありますか。給与以外のことで教員養成政策の中にありますか。やっておりますか、文部省は。
○奥野国務大臣 すぐれた資質を持っている人を教育界に導入するという意味で、私はこの法律の果たす役割りは大きい、こう考えておるわけでございます。この法律は、教育界をささえる社会的評価の一つだ、こう考えるわけでございます。やはり社会的評価というものが、若い人たちの将来の進路をきめる場合の一つの大きなきめ手になると考えるわけでございます。単に給与を上げる上げないという結果をお考えになっておるわけでございますけれども、なぜ給与を上げるかという基本的な考え方は、私はこの法律に出ていると思うのであります。しかも、それを国権の最高機関である国会でおきめいただくわけでございます。私は、やはり教育界をささえる社会的評価の一つとして、この法律というものは大きな役割りを果たす、そのことが青年の将来の進路をきめる場合にも、相当大きな役割りを果たしてくれる、こういう考え方を持っておりますので、ぜひ私の考え方にも御理解をいただきたい、かように思います。 同時に、それだけじゃいけない、教職を魅力あるものにしていかなければならない。そういう意味におきましては、先ほど海外研修のことも申し上げました。また今回は、大学の教育学部に学んでいる人たちも、海外に留学させるという道を取り上げさしていただいたわけでございます。 同時にまた、教育学部の充実、さらには大学院制度の拡充、そういうこともねらっていきたい、こう申し上げてまいってきておるわけでございまして、さらに一そうそういう面への力も注いでいきたいと思います。 同時に奨学金制度につきましても、教育の面に進む方々につきましては特別な配慮が必要だ、国として、それだけそのことが必要なんだということを明確にしていくことも大切なことだ、かように考えております。
○山中(吾)委員 文部大臣の言っておることはよくわかるのです。そういう意図で若干そういう方向に効果はある、しかし、これだけでは微々たるものだということを強調したいので、特に民族のよい素質を教育界に吸収するのには、給与よりももっと大夢なものがあるのだということを私はぜひこの機会に文部大臣と論議をいたしたい。 明治時代から百年間に、急速な日本の近代化をはかった。確かにこれは、教育界に優秀な人材を吸収する政策に成功したからだと私は思っておるのです。その教育のあり方、あるいは軍国主義と結合した、あるいはそこから出てきた先生に対する批判も含んで、旧制師範学校に対する批判がありますけれども、私はいいところはいいとして評価しなければならぬと思っておるのです。あの農村の優秀な子弟が師範学校に入った。入ったあとの教育がまずかったので、なかなか素質が伸びなかったと思うのですが、やはり戦前の師範学校を出た小学校の先生は優秀だったと思うのです、その地域社会において。いまの大学の卒業生は、あの程度の優秀な者は、会社に行って教壇に立っていませんよ。 で、そのときに、政府のほうにおいては、あの軍国主義の徴兵制のあるときに、徴兵について免除を与えて、国防も大事だが教育もさらに大事だというイメージで、師範の卒業生は兵隊に行かないで、教壇に立って皆さんはやりなさいということで、そして短期現役制度と称して、戦争に行かなくていいという、そういうイメージを出して農村の優秀な子供を師範に私は吸収したと思うのです。まことにいまからいったら非合理的な政策で、それをあえてしておる。そういうことを考えてみたときに——私はいいと言っているのではない、戦後平和憲法のもとにおいて、それならそれにかわる優秀な青年諸君を教員養成コースに吸収する政策があるかと調べると、どうしてもない。そういうときに給与の一〇%、計画的だから最後は三〇%ぐらいはいくと思います、大蔵省がどう阻止しようがいくと思いますけれども、これではそういう優秀な素質を吸収する政策としては実に微々たるものだと思うのですが、何か他の政策をあなたは一緒に立ててくれないと、私らは非常に魅力ある政策として両手をあげて賛成はできない。何かそういうことは考えておられないのですか。
○奥野国務大臣 たびたび申し上げるので恐縮でございますけれども、教員養成の組織のあり方、これは決して背の師範学校を再現するというような意味で申し上げているわけではございませんで、広く御同意をいただけるような充実策でございますので、これをぜひやりたいということで、四十八年度はとりあえず調査費を計上さしていただいて調査を進めているところでございます。そういうことで教育の内容の充実向上をはかっていきたい。 同時に、奨学金制度などにつきましても、一そうの充実をはからなければならない、かように考えているわけでございます。 同時にまた、教育学部の学生を、在学時代に海外に出すということは、ことし、四十八年度の予算で計上さしていただきました。さらに現職にある方々を広く、五千人でございますが、五千人という数字もこれは世界各国どこにもこういう仕組みはないと思います。五千人で終わるわけではなしに、なお人数をふやさしていただきたいという希望を強く持っているわけでございます。 なお、いろいろなよい案があれば積極的に取り上げたいという熱意も深く持っているものでございます。
○山中(吾)委員 海外派遣について、教壇に立つ前に教員養成コースの中で教壇に立つ者に世界を見せるという制度、私は賛成なんです。全員教壇に立つ前に海外を国費で見せるべきだ。そして国際的な視野と教養を持って教壇に立てば、文部省のようなけちくさい勤評などは要らない。おのずから世界の中の日本の地位というものを見きわめ、諸外国と比較をして、長短をみずから自覚をして、国民形成に生きがいを感ずる使命観が出ると思うのだから、教員養成コースの中で全員、一人百万くらい使ってもいいじゃないですか、世界を見せて教壇に立たせる、そういう雄大な政策をあなたがやるというならばこの政策も生きてくる。文部大臣どうですか。
○奥野国務大臣 そういうお考えも一つのお考えだと思いますし、先ほど申し上げましたように、その一部から手をつけ始めているということでございます。
○山中(吾)委員 現在は戦争放棄の憲法を持っているのですから、国民形成という教育政策が、民の税金を使うときに最高のランクにすべき事業だと私は思うのです。国防教育論に私は反対するが、教育国防論者なんです。よい、高い教育、高い教養を持った国民をつくることが私は、即、国防だと思うものなので、そういうことを考えて、よい人材、優秀な人材を教育界に吸収する政策に対して、第一に考えるのは、教員養成制度にうんと金を使ったらどうだ。いま問題になっている医学生の大学の教育費は、一人当たり幾らですか。
○木田政府委員 一人当たり国立大学におきまして医学部の学生の一年間の教育には、七十万見当かかっておるというふうに考えておる次第でございます。
○山中(吾)委員 百万くらいはかかっておると思っておったが、わりに安いですね。一般の大学における教員養成コース、もとの学芸学部、現在の教育学部は、私はおそらくその三分の一くらいだろうと思う。教員養成コースの学部に、年間七十万、百万使ったらどうだ。一年間百万として、四年で大体四百万、国民形成に生涯をささげる教員の養成に四百万くらい、これは実に安い、一番有効な国民の税金の使い方だと思う。そういう使い方をすれば、大学における教育学部の施設設備、優秀な教授、そこに魅力のあるコースとして優秀な者が入っていくんだ、優秀な人材を吸収する入り口は教員養成コース、その入学、そこの機会しかないんじゃないか。 そういうことを考えてみたときに、全学生に卒業するまでに海外を見せてもおそらく五十万である。十分使えるじゃないか。四百万というと、かりに先生の年間の給与が二百万とすると、教壇で立っておる教員の給与というものの二カ年分である。その二カ年分を教員養成コースに使って、優秀な学問と教養を身につけた先生に、かりに三十五年勤続するところを三十七年勤続してもらったら、優秀な教養をつける分は、もう二カ年多く教壇に立ってもらうことによって、優秀な教員をつくる教育ができるのだから、私は四百万を教員養成費に使うことほど安い有効な金の使い方はないと思う。なぜまずそういう方向に着眼をしないのか。大学における教養学部は程度が低い。そうして施設はよくない。教授陣の素質も悪い。学生が劣等感を持っておるじゃないか。そういうものをそのまま捨てて、そうしていろいろとまだ疑問を持たれておるこういう法案を、そういう構想をしっかり持った上に出さないで、ぽつんと出してくるから、政治的に不信感を持たれたり何か論議をされておるのだと思う。まずこれはこれとして教員養成制度について思い切った金の有効な使い方についてお考えがありますか。
○奥野国務大臣 先ほどもちょっと触れたわけでございますけれども、とにかく調査費を計上させていただいて調査会をつくる、その結論に従うということでございます。 同時にまた、戦前は師範教育が教員養成の中心だったと思います。戦後はそういうところにも若干問題もあったりいたしまして、広く各学校で教員養成課程を設けてもらう。そして免許状の取得者に教育に当たってもらう。でありますので、国公立の学校で養成している先生方は、いま伺いましたら半分程度のようでございます。 〔委員長退席、松永委員長代理着席〕 しかし、その学生に、海外で在学中に学んでもらうということも行なっておるわけでございます。私立の学校で半分ぐらい養成してもらっているということもございますので、さらにまた現職教育ということに特段の配慮が必要ではなかろうかということも私は考えておるわけでございまして、いずれ結論が出ましたら、それに従って充実をはかっていきたい。 いずれにいたしましても、教育の改革は非常に大切な時期に来ている、こう考えております。第二次世界大戦後たくさんな国ができましたけれども、みんな教育をてこにして国の発展をはかっていきたいと考えておるようでございますし、欧米の先進国も、残らず社会情勢の変化に対応して、教育の改革に非常な情熱を傾けているようでございます。日本も例外であってはならないという気持ちを抱いておるわけでございまして、こういう人材確保の法案もその一環とぜひお考えいただくようにお願い申し上げたいと思います。
○山中(吾)委員 大学における教員養成を前提として私は論議をしておる。この教員養成の専門性を高めるための養成コースを充実していっても、大学における学問の自由というのは戦前みたいにそこなわれない。したがって、教員希望の大学における学部は、思い切って金を使って優遇をして、安心をして、その学生は全額国庫負担ででもどんどんと秀才が入っていくような門戸をつくるということが前提でないと、この法案は少しも楽しみがない。この法案だけが出て、あとしり切れトンボならば、むしろ害が多くなってくると思うので私は申し上げておるのですから、心にひとつ深く覚えておいていただきたいと思うのであります。 そこで、私が考えるのに、日本の現在の、戦後における教員養成の教育学部コースが、現状のまま、貧弱なまま、そうして実質的に教師の専門性がほとんど付与されていないと私は思うのですけれども、学問、学力を現状のままにして、国立大学を出た者の県庁につとめあるいは本省につとめ、会社につとめる者よりは、観念的に教育は重要であるからといって本俸を二〇%、三〇%上げていくことは反対だ。教師として別に高い専門性を身につけていないくせに、教壇に立ったために二〇%、三〇%高くということは、逆に外から非難を受けるということを私は心配をする。ここにこの法案の位置づけについて、他のものと一緒に考えなければこの法案は有害になるのだ。 現実に、現在の大学における教育学部の学生諸君は、大体国立大学の第二期大学なんだ。第一期に落ちて第二期に学芸学部に入った挫折感を一つ持っておる。これは制度から来ておる。それから第一志望は工学部であった、第一志望は何部であったが、第二志望の学芸学部に入ったという者も多い。これは挫折感がそこにまたある。そういう教員養成政策を現状のままくぎつけにしておいて、本俸を観念的に、教育の重要性というところから二〇%、三〇%上げたらどうなるのか。査定をする大蔵省の役人も、教員は何だ、おれの学生時代にはたいしてできなかったくせに、教壇に立ってから何%多い、という心理的なものが、どこかで江戸のかたきを長崎で討つ査定のしかたも予算的にないとは私は思わない。旅費などもそれだけ削られる。本俸が三〇%も多いんだから、先生はあちらこちらに行かないで、一年間教壇で教育すべきなんだ、旅費などこれ以上増額する必要はないという心理が働くかもしれない。現に地方の小中学校の予算の査定においては、県庁において教育委員会の予算を給与に対して高めるとか、あるいは旅費はほんとうに少ない、旅費を多くしろという要求をしたときに、査定をする県庁財務関係の者は、夏休みがあるじゃないか、冬休みがあるじゃないかといって、一人の旅費を三人に分けて研修、講習会に出ておるような姿においては、旅費はなかなか上がらないのです。それは現実的に医者のように、六カ年の医科大学で、一番最高の学歴ランクの中におって、高い教養と、われわれがわからないような医学の専門性を帯びた医師養成制度があるから、給与が高くてもわりあいに非難がない。教員に限っては、そういう教員養成制度を充実しないで、そのままにしておいて、観念的に教育が重要だというので本俸を上げてみなさい、必ず他の公務員が教員に対して江戸のかたきを長崎で討つ心配がある。農村に行きますと、農民が朝から晩まで働いておるのに、学校の先生は授業が終わると三時ごろうちへ帰る。そして農村においては給与が高い、目ざわりでしかたがない。一般の役場の給与よりも二割、三割高い。先生は明るいうちに帰る、地域社会の者からそう言われるので、うちで教材を学習したいけれども気がひけて、夜、学校でそれをやって帰るという心理が働いている者はたくさんありますよ。 そこで私は、思いつきでただ給与を三〇%上げれば教員の評価が高くなって、そして教員ももっとプライドをもって仕事をすると期待されていることが逆になるのではないかということを心配するから、この法案を論議している。これに先行すべきいろいろの教師政策が出てこなければならぬ。この法案ができて、十年も私が心配するような、その周辺の教師政策を現状に伏せておいてごらんなさい、先生はますます自己矛盾を感じ、そして地域社会において何だかんだ言われながらまた変なコンプレックスを持ったりしてくるのではないか。それを十分お考えになってこの法案を出されていないのではないかと思う。 この法案については、与党の諸君もいろいろ言っていますけれども、個人的には、先生は夏休みも冬休みもあるじゃないか、賃金の要求ばかりしておっておかしいじゃないかとみんな言っておる、本案のときは、りっぱりっぱと言っておるけれども……。だから、ほんとうに教師を思い、教育を思うならば、そこまでものを考えて立法すべきである。おわかりになりますか。それについて、奥野文部大臣はどういうふうにこれからしていこうという用意を、多少具体的にわれわれに言ってくれなければ困る。お聞きしたいと思います。
○奥野国務大臣 お考えに全く同感でございます。山中さんは、現在教職についている人たちが情熱を燃やしていく一つの手当てになっていくだろう、これはお認めいただいたと思うのでございます。やはり教員に対する社会的評価が、かほどに高いものであるということがこの法案によって明らかにされた。それにこたえていかなければならない。でございますだけに、現在教育に携わっておられる方々は、従来より一そう勉強もしていただけるでしょうし、また教育そのものに情熱を傾けていただける、かように考えておるわけでございます。 同時にまた、これから教育界に入ってくださる方々、率直に申し上げまして、若干教育学部をねらう人たちが減少ぎみでございました。同時にまた、男子はだんだん少なくなってくるというような傾向でございましたけれども、こういう制度、法律が明確になってまいりますと、優秀な方々が進んで教育界に入ってくる傾向がふえるだろうと思います。そういう人によって、教育学部で学ぶ場合でも一そう力が入ってくるでしょうし、充実した勉強をやってくれるのじゃないだろうか、こう期待をするわけでございます。 同時に、教員養成の教育学部のあり方につきまして、なお充実する方向につきまして調査を続けてもらっている。とりわけ現職の先生方について、大学院で学んでもらう仕組も取り上げるべきだというような方向で検討が続けられておるわけであります。 同時に、先ほど来もたびたび申し上げまして恐縮でございますけれども、学生そのものにもしっかり勉強してもらって、さらに在学中に海外にも出てもらうというようなことで励みを与えていきたいというようなことを考えているわけでございます。
○山中(吾)委員 満足した答弁ではないのですが、私はおそらく給与だけを上げていく過程の中に、予期しないデメリットが出てくるのではないかと思っているので、特に強調しておきたいのです。 たとえば、現在音楽の専門性を帯びた、ほんとうの音楽の先生が、小・中・高にどれだけおるのか。あるいはほんとうの体育の専門性を持っておる先生がどれだけ充足されておるのか。あるいは理科をほんとうに子供が喜んで学習をして、あの先生に理科を学んだから理科が好きになったというふうな高い専門性を持っておる理科の先生はどれだけおるのか。私は半分くらいではないかと思う。そういう意味の高い専門性を与える教員養成政策が進まないで停とんしておるままに、ほんとうに日本の伝統的な音楽に対する教養もない者が——私はその個人を批判しているのではない、教員養成制度を批判しているのですが、そのままにしておいて、給与だけを上げていく。そのことで教壇に立つことに意欲ができ、あるいは外からも魅力ができて教育もよくなるという考え方は、私は楽観過ぎると思う。そういうことを特に深刻にこの法案を出されておる文部当局、文部大臣は考えられたか。一つの政策が順序が逆になれば、いい政策も悪い政策になると思う。この政策が先で、この政策があとという順序で全部進めていって、初めてその政策はプラスの政策になる。一つの政策をもってこの政策がいいんだというので先に突っ走ってくれば、私はマイナスの政策になるものが非常に多いと思う。戦後の文部省の教育政策の中にも、審議の中で私たちも間違いを犯したのですが、前後非常に違った出し方をしてマイナスになっているものは私の記憶の中にもある。この法案について、私はそういう意味において、教師政策として必要な政策の前後左右を、十分に検討されるべきである。それがないんだということを強調しておるのであります。 そこで、これは本俸を上げるということを前提の給与でしょう。一月からの百三十五億ですか、これは本俸の一〇%というのは単なる算出の基礎なんですか、あるいは本俸を一〇%上げることを前提とした給与の性格を帯びているのか、どっちですか。
○岩間政府委員 これは本俸に扶養手当その他も加えましての一〇%でございます。しかしながら、これは算出の基礎でございますから、具体的には人事院でいろいろ御判断があるというふうに考えております。
○山中(吾)委員 私は一つの算出の基礎である、方向は予定しておるけれども、算出の基礎であるというのでお聞きいたしたいと思うのでありますけれども、いまのような心配もありますし、現在のいろいろの政策を前提にして、実質的に教員の給与を改善をして、そして現在教壇に立っておる者も意欲的になるような、若干青年諸君に教員養成学部に入る刺激にもなるということを考える場合には、本俸を上げるよりは研修手当にすべきではないか。教育公務員特例法にも、教員は研修に努力しなければならぬという努力義務が規定されておるのだ。そういうときに、思い切って研修手当一〇%、それは本俸の一〇%、算出の基礎はそのままでいいと思うのです。そうすることによって、外から見ても、給与全体が変革されるのでなくて、教員の本俸が高いというようなことでいろいろと変な目で見られる必要もない。そして他の公務員には研修の義務は法律に規定されていないが、教員については研修の義務が規定されておる。研修手当という姿で給与改善を考えたときには、教師自身も、実際は自分のもらっている給与の中の一〇%は研修のための一〇%だといえば、心理的にも研修しなければならぬという刺激もあるだろう、そういうことを考えるのでありますが、この法案を前提として人事院において自主的に勧告するときには、本俸の一〇%ということがもうすでに規定されておるのでなくて、勧告する義務はあるが、内容について、本俸の一〇%にするのか、研修手当一〇%にして勧告するのかということは、この法律の上において自由なのか、どうですか、人事院総裁にお聞きします。
○佐藤(達)政府委員 それらの点は、全く人事院の判断におまかせをいただいておるものと考えております。したがいまして、先ほども触れましたように、ただいま御示唆になりましたような研修手当でいったらどうかとか、そういういろいろな御議論をひとつここで拝聴さしていただきたい。ただ、研修手当につきまして私どもの考えを、思いつきでございますけれども、ちょっと申し上げますと、私どもは、研修手当といいますか、研修に関連して一番教員の皆さまが現実に要望されておりますのは、国立の場合はまだいいのですけれども、地方の先生方は研修に行く旅費がもう足りないとか、そういう非常に卑近なあれを持っておられるということも考えております。したがいまして、そういう点についてはいろいろお考えいただきたいと思いますけれども、さて今度の給与の引き上げについて、研修手当の形でいくのがいいか、あるいは本俸の形でいくのがいいか。そろばん勘定からいきますと、本俸でいったほうが得にはなるわけですね、いろいろなものにはね返りますから。というような利害の算段もそこに加わってまいりますけれども、ともあれ、そういった種類の御意見をどしどしお聞かせいただきたいと思って、ここに拝聴に出ておるわけでございます。
○山中(吾)委員 いま人事院総裁がそういう意見を述べられたのですが、文部大臣は異議ありませんか。
○奥野国務大臣 研修手当構想なるものをいま初めて伺いまして、私としてもよく勉強してみたい、かように思います。人事院総裁がちょっと触れられましたように、将来の退職年金とか退職手当とか、いろいろな問題をあわして考えてまいりますと、有利不利でものを議論してはいけませんけれども、そういう問題がからんでくるなということを感じさせていただいておったところでございます。 同時に、一〇%を考えておるわけじゃございませんで、もっと高いものを考えていった場合に、はたしてそういうものでおさまる性格のものだろうかという疑問も若干あるわけでございます。いずれにいたしましても、人事院のほうで結論は出していただくわけでございますけれども、私といたしましても十分研究をさしていただきたいと思います。
○山中(吾)委員 それでは私の見解を申し上げて、いろいろ今後の討議の参考にしていただきたいのですが、かりに五万円の本俸ならば、一〇%の研修手当というのは五千円、二〇%で一万円ですから、私は二、三割くらいの率の研修手当で一向差しつかえない、変にはならない。ことに現在の教員の定員を前提としますと、先生には雑務が非常に多いのです。教育活動でなくて非教育的な雑務、たとえば学校給食のお金の勘定、PTAのお金の勘定、修学旅行の積み立て金の事務、参考書の金をどうする、プール建設費の金集めとか、そこで地域では事務職員を出さないから、教壇に立つよりも事務のほうの仕事が非常に多い。そのときに、本俸というイメージで上げていけば、本俸が上がっているのに、授業というのは、十分に教材の準備をしないで、授業を半分にして事務のほうをやらざるを得ない、教師に対するしわ寄せが大きくなることを非常に心配するのです。事務職員をずらっとやって本俸を三割上げた、そのかわり先生はもうあらゆるエネルギーを子供の教育に没頭できるという実態ができれば、また評価もそれに伴ってくる。おそらく、この本俸を上げるという形をとっておいても、事務職員の当分の間を取るのはまだ数年かかるでしょう。数年、あるいは怠慢でいつまでも残すかもしれない。奥野文部大臣はそういうことは考えていないと思いますが……。定員の増についても、うかうかすると、本俸を多くすれば、私は大蔵省の主計官にもこれは聞かなければいかぬと思うのですが、心理的に、本俸が高いと、総額給与の関係も含んで、やはり定員をふやす要求に対してはブレーキになる心理作用もあると思うのです。これは必ずあります。理屈じゃありません。そういうことを考えて、教員の特殊性からいって、どの公務員にも義務づけられない研修義務というものが法律上あるのですから、研修手当ということでいけば——私はこういう論議をしておるけれども、あるいは現場の教育者は全部喜ぶだろう、この法案に賛成しますよ。本俸ということからくるメリットが非常に多いという政策上の疑問のあるところへ、うわさの中に、五段階給与が隠れておるのではないか、本俸からいろいろな疑問の五段階給与が出てくるわけであります。 文部大臣は、五段階給与は考えておらないのでしょう。これはまず先に聞いておきましょう。それから話を進めたいと思うのです。
○奥野国務大臣 全く考えておりませんし、研究したこともございません。
○山中(吾)委員 いまのところでなくて、私の聞きたいのは、学校というのは人間を育てる社会であるから、人間を育てる社会における給与のあり方は、高い給与を支給すると同時に、給与をどういうふうに配分するかということが、学校という教育環境の中において給与はどうあるべきかという本質論として、身分を前提とした差別給与体系は人間を育てる社会には不適当である、やはり子供の前に平等の教員のイメージがあり、そして給与の支給のしかたにおいては、そういう校長であるとか教頭であるとか、上級教諭であるとか助教諭とかいうことで給与表を別々にする身分的差別の給与体系は適当でない、そういう本質論の上に立って言われておるかどうかをお聞きしたいのです。
○奥野国務大臣 私自身、研究したことないのでございますけれども、この法案にからみまして、反対論の中にいまおっしゃったようなことが書いてあるのを読みました。なるほどそういうものだなとわかるような感じもいたしております。
○山中(吾)委員 わかるような感じというけれども、わかるようということを入れるのはまだ十分研究が足らぬ。それじゃ少し論議をしたいと思います。 私は、学校というのは建物じゃないと思う。青少年が育っていく環境であり、先生からいえば、子供を人間形成の上でひずみのない豊かな人間性を持ったおとなに育てていく環境だと思うのです。そういう学校の特殊性を前提としたときに、学校という社会の秩序の権威は、権力が秩序の原因でなくて、学問とか教養の裏づけられた権威に基づいてその社会というのは秩序づけられなければならぬ。外からの拘束で秩序を維持するようなことは、人間が育つ社会の原理としては不適当である。同時に、人格は平等だ、人間は平等だということがその社会に貫徹をしておく必要がある。 そこで、先生が一つの学級を編制するときに、地域社会においては封建的要素もあり、本家の子供、分家の子供ということに身分の差別感があっても、学級編制においては、人格は平等で理想的再編制をする。ところが、そういう再編制をする先生が教員室に帰ったときに、教員室の社会に、校長なるがゆえに、教頭なるがゆえに、あるいは何々なるがゆえにという、最初から給与表を別にした、身分を前提とした給与の差別があるときには、そこからは教師自身も二重人格になるし、子供には平等の社会を教え、自分のほうでは差別の給与を肯定するというふうなことで、人格が分裂をしてくるだろう。だから教育環境の中においては、教員室のいろいろなあり方も、私はその平等を貫いた社会秩序を置かなければならぬと思う。県庁あるいは役所のように、課長、課長補佐、何といって給与を変えていくのではなしにしていくのが私は正しいと思う。したがって、教員の給与改善を考えるときには、別の給与と、そうして給与をどう分けるかというときに、教育機関の特殊性に基づいた分け方をしなければならぬと思うのですが、どうでしょう。
○奥野国務大臣 よくわかりますし、理想的にはそうあってほしいものだなと思います。
○山中(吾)委員 私は、文部大臣がわかりがいいので、これはよくわかったと思うので、その思想がこの給与の分配について具体的に出ることを大いに期待しておきたいと思うのです。 そういうときに、そういう論理からいって、いわゆる身分的なものを前提とした、五段階であろうが三段階であろうが、そういう給与体系は出てこない。これは人事院総裁にもあとで思想をお聞きしたいと思いますが、そのために、教員の給与については、一つの原理において給与体系ができて——ただ、他の職場と違った、研修をする義務があり、研修しなければいい教師になれないのですから、私は、研修手当という姿で、こういう学校という特殊性に応じて、しかも合うような給与を考えてはどうかと思う。 しかし、そのときに、私は決して悪平等を主張しておりません。長い経験を持っておる先生については、子供がだんだん大学に入る年齢になると、独身の先生よりもまた生活が高まるのであるし、十年の教育経験というものは尊重しなければならぬ。私は、五年の教育経験を持った先生と十五年の教育経験を持った先生というものについては、教育経験を尊重する、教育を尊重するというのが一つであるから、その辺にやはり何らかの差があっていい。しかし、身分的な差別のみで給与をすべきでない。本俸の一〇%という算出の基礎で研修手当を考えれば、本俸五万円の者は五千円であるが、本俸十万円の者は一万円だ。私はそれでいいと思う。思想的に差別はないのですから。ただ、年をとるとだんだん研修意欲が少なくなっていくのに、多くやるというのはおかしいじゃないかという批判があるということはよくわかっております。あっていいのだ。しかし、先生というものは、年をとればなお研修しなければ教養がだんだん古くなるんだ、もっと勉強しなければならぬという、またそれが正しいと思うのです。そういう思想のもとに給与を考えるのが正しいんだ。そういうことで、私は、研修手当という、平等の原則に立った給与の思想、そうして同時に、悪平等にならないような政策は、それは大いに考えていいと思う。 そういうことを考えていくときに、この法案の中に五段階給与、三段階給与の疑いを受けるような本俸でなくて、研修手当というものに頭を置いて御検討されることが非常に大事ではないか。細部についてはいろいろ論議があるでしょう。人事院総裁、いかがでしょう。
○佐藤(達)政府委員 先ほどから傾聴しておったのですけれども、ちょっと気がかりになりますのは、五段階制をよけるための何かまじないとしてというような、そういうあれがちょっと聞き取れたものですから、そのほうならば、それはもう御心配は要らないということで、それはちょっと横に置いていただいて、そしてその研修手当のほうを純粋にお考えいただいた場合に、御議論はこれは傾聴すべき御議論だと思います。しかし、私どもが教員の諸君に対して何が一番有利であるかということに徹して考えた場合には、まあ本俸のほうが喜ばれるのじゃないか。 〔松永委員長代理退席、委員長着席〕 いままで現場の先生方の御要望を聞いておりましても、本俸は本俸として上げてくれよ、それにプラス研修手当をひとつもらいたい、こういう形できておるのです。 ですから、ただいまの御意思は貴重な御意思として承っておきますけれども、なお私どもはその点十分検討いたしますし、また現場の先生方にもこれからまたいろいろ御意見を聞かなければなりませんし、それらも総合して正しい結論を出したいと思っております。
○山中(吾)委員 私は、本俸を上げるときは、教員養成制度が充実をして、たとえばお医者さんのようなああいう高いランクの学歴を前提とした教員養成があり、それに応じて給与の本俸が上がっても、人はそれを相当と認め、江戸のかたきは長崎で討たない。現在のままのときには、私は、本俸はそのままで、研修手当がいい。そしてまた、教員養成制度を大学院修士課程程度にする、そういうものに応じて本俸を上げるというならば、これは本俸が上がっても外から何ら言われない。地域社会においては、必ずこれは、どんなりっぱな論を言ったって、教壇に立っておる先生は、先生といわれるほどばかでなしということばもありますけれども、表面は尊敬をして、裏では何らか陰口をいわれておる。これは日本社会の現実なんです。しかも、日本の教員の就職しておるところは、山間僻地で、貧しい父母のもとに子供が通っておる学校の先生なんですから、そういうことも配慮をして、ほんとうに教員に愛情があるならば、そういうことを配慮すべきである。そんなことを考えない人は、私はほんとうに教師に愛情がないと思うのです。ぜひ深刻に検討していただきたいと思うのであります。 現在、教員に関連する手当はたくさんあると思います。しかし、教員の特殊性に基づいた手当は一つもないんだ。寒冷地手当にしても、僻地手当にしても、あるいは石炭手当にしても、これは一般公務員共通のものである。定通手当、産業教育手当というのは、教員の中の一部の、やはり仕事の量に基づいたもので、教師一般について、教育の特殊性という点についていえば、私はまだないと思う。あるとすれば、想定できるのは研修手当だけであろうと思うので、強調しておるのであります。 そこで次に、こういう機会でありますから、給与のあり方の問題として論議をしておきたいと思うのは、校長については管理手当、教頭についてはやはり教頭の管理手当というのがありますけれども、大体校長、教頭というのは私は教育者であると見たい。教育者である。行政の末端であってはならないんだ。行政的要素がふえれば、教育者的要素はやはりだんだん反比例で少なくなってくる。校長管理手当あるいは教頭管理手当を渡すことによってだんだん行政官化するという傾向があり、そういう動機があれば私は反対なんです。そういうことを考えてみたときに、校長に対しては校長在職手当という性格ならばいい。教頭も教頭在職手当という性格で、その責任に応じて給与を多くする。手当はいいと思うのですが、管理ということばを使うということが同時に行政官化するという意味においては、これは教育社会を毒するものだと思うのですが、これは文部大臣と人事院総裁にお聞きいたしたい。
○佐藤(達)政府委員 管理職手当という呼び方が大体不穏当な呼び方じゃないかと思うので、特別調整額というのがほんとうの言い方なんです。単に便宜上、ことに地方においては管理職手当というふうに名づけていらっしゃるところもあるようですけれども、本質は特別調整額でございまして、管理職というそういうニュアンスが直接そこから出てくるものじゃないと思いますけれども、これはよけいなことでございますけれども、いまのお話から思い出しますのは、私どもの子供のころは、大体校長先生は訓導兼校長、訓導兼何か教頭ということでなかったかと思うのでございますが、それがいまの制度ではその点がはっきり分解されておるということは、先ほどもお話がありましたように、これはやはり教育の組織のほうの問題でございますから、これはまた文部大臣のほうからお聞き取りいただいてけっこうだと思います。
○奥野国務大臣 校長先生も教頭の先生も、みんなやはり先生から教頭なり校長なりになっているわけなんです。組織運営の一つのかなめになっておられるわけでございます。全体がそういうことでやはり教育界にふさわしい雰囲気の中で運営されるというようになっているのじゃないだろうか、こう思うわけでございます。ただ、管理職ということばについてたいへんいやな感じを持たれるようなお話がございましたけれども、皆さん先生方でございます。ただ、組織体でございますので、組織体を運営するためにはそれぞれの役割りがなければならぬということにすぎないというように御理解を賜わりたいものだと思います。
○山中(吾)委員 どうも、だから管理というのは教育界にはふさわしくない。教育と管理というのはどうしても矛盾がある。教育というのは、自発性に基づいてそしてその素質を引き上げていくのだ、管理というのは、外から管理をするのだから、だから教育界には大体管理というのは排除すべきではないか。校長は教員を管理する、監督するのじゃない、やはり校長は教員を指導する。教育と指導ということば。ところが、どうも校長に管理手当を与えることによって管理者化をし、教頭に管理手当を、そういう調整額を与えることによって行政官的なイメージをどうもふやしているという戦後の行政の動きがあるのは、まことに遺憾なんです。私は、たとえば校長は教頭を指導するという位置づけならいいと思うのです。監督するということばとか、そういうのでなくて、教頭は校長を補佐して教員を指導する——指導するということばなら、学問的な裏づけを持った権威による指導である。権力による監督、管理ではないのです。そういうこともやはり学校という教育社会の特質を前提として、もう少し政治的感覚で、便宜的に思いつきで県庁と同じような考えで、ピラミッド型の学校構成をつくってみたり、そういうことのないようにしなければならない。これは給与のやり方と非常に関係があるので、この機会に私はぜひ、校長、教頭は、これは教育者なんだ、教育行政官の末端は教育地方事務所の主事までである、学校に住んでおる校長、教頭は全部教員なんだ、そして教員を指導する、豊かな経験と教養を持ったのが校長さんで、これは教員の一種なんだ、そういう概念だけは明確にして、給与を口実にして、校長までは行政官で、下は教師で、一つの屋根の下で二種類の違った人種が住むような学校行政はしてもらいたくない。そういうふうな雰囲気を与えるから、現場の教師に対する日本の教育行政の不信感も生まれてくるのである。せっかく国民の税金を有効に使う場合には、全教員が喜んでそれを給与としていただき、そうして誇りを持って教壇に立ち、意欲を持ってライフワークとして前進するような、そういう金の使い方をぜひしてもらいたいと思うのであります。いま人事院総裁が、管理手当とかいうことばは不適当なんだ、悪いのだ、これは在職調整額だ、私はそれならばわかる。それならばわかる。どうもそういう雰囲気をしていない。したがって、教頭についても法律上明文化してくれなければ身分が不安定だ、そういう変な心理が教員の中に巣くってしまっておる。戦前にはそういう論議は一つもなかった。戦前の小学校にはそんな論議はないです。全部一体とした教育者であり、校長さんは風格がある教師であって、そうして後輩の教師を指導して何にも支障はなかった。戦後なぜこういうものを論議せなければならぬのだ。私は、文部省の教育行政の中に、その背後に、そういう方向に持っていく政治勢力がもしありとすれば、反省しなければならないと思うのであります。そういうことを考えて、この給与体系は将来に心配のないような保障がまず示されることを私は切に要望するのであります。 そこで、いつまでも質問は続ける気はありませんが、最後に、法案に即して二、三疑問をお聞きして終わりたいと思います。 この法案は非常に簡単な法案でありますが、一口に言えば、内容不確定法案である。内容不確定の法案を出されて、われわれが賛成、反対というと一このごろどうも法案の出し方が気に食わない法案がたくさんあるのだが、これも内容が非常に不確定である。それについて、だからこそ、この法案が成立したあとどういう発展をするかというので、各委員がいろいろの角度から真剣に論議をしている。これは法案できっちりわかっているんじゃないかというなら、ふまじめ千万である。非常に不確定であると思う。そういうことを考えて、一、二この法律案文に即してお聞きしたいのでありますが、これも各委員から少しずつ質問があったと思います。学校教育の水準維持向上、これが看板である。しかし、内容においては義務教育諸学校の教職員の給与である、ここに非常に悩みの多い法案のようでありますが、この法案が論議されるまでに、大蔵省、文部省その他の関係で、一方には幅の広い学校教育、具体的には義務教育に限定しておるという矛盾が出ていることは私は推察いたします。かれこれ言いません。ただ、義務教育である小、中学校と、義務教育でない高等学校の教育と幼稚園の教育に、教育として軽重の差を考えておられるのか、文部大臣にお聞きしておきたい。
○奥野国務大臣 文部省といたしましては、学校教育法第一条に掲げております学校全体の水準の向上発展をはかっていきたい、これがもう基本的なねらいでございます。
○山中(吾)委員 私は、義務教育と非義務教育である高等学校と区別をする理由は憲法上ないんじゃないかと思っている。制度的にも……(発言する者あり)うるさいね。もう少し黙って聞きなさい。 〔発言する者あり〕
○田中委員長 静粛に願います。
○山中(吾)委員 何かいま言わなければならないことがあるのか。ぼくの内容に文句あるなら言いなさい。退屈だろうから少ししゃべりたいと思うが……。 憲法二十六条の二項、すべての国民は、保護する子女に対して普通教育、義務教育をする、これが憲法の精神ですね。保護する子女とは未成年のことでしょう、法律用語としては普通教育は小学校、中学校。高等学校も、定義としては普通教育でしょう。したがって、憲法二十六条の二項の性格からいって、憲法上、保護する子女に対する普通教育としては、小中校は少しも違った憲法の教育の差はないんだと私は思うのですが、どうでしょうか。
○奥野国務大臣 憲法は「法律の定めるところにより、」こう書いてありますので、義務教育は小中学校、こうしているわけでございましょうけれども、気持ちとしてはおっしゃっているようなことがわかるような気がいたします。法律解釈としては、「法律の定めるところにより、」こう書いておりますので、そこはそこで範囲をきめて見ているんだ、こう理解せざるを得ないと思います。
○田中委員長 この際、木田大学学術局長から発言を求められておりますので、これを許します。大学学術局長。
○木田政府委員 御質問の途中たいへん恐縮でございますが、先ほど、学生一人当たりの経費七十万円と御答弁申し上げました。これはうっかりいたしまして国立大学の全学部の平均の単価をお答え申し上げまして、たいへん失礼いたしました。 医学部の御質問だったかと思うのでございますが、国立の医学部につきましては、昭和四十五年一人当たり百二十八万円ということでございまして、訂正させていただきます。たいへん失礼いたしました。
○山中(吾)委員 少し安過ぎるとぼくも思ったので、おそらくそのとおりでしょう。 それで、憲法の条文に基づいて、教育基本法の四条でしたか、保護する子女に対する九カ年の義務教育をと書いてありますね。何歳から何歳までも書いていないんですよ。ただ、今度はさらに学校教育法で、六歳から十五歳ですか、これは九歳から十八歳にしてもいいと思うのです。憲法のその思想のもとに、保護する子女に対する普通教育を今度は父兄がどうしてもなさなければならぬという義務づけにし、具体的な義務教育の期間を九カ年にして、さらに年齢は学校教育法に書いている。だから、青少年というのは、この憲法二十六条の保護する子女だと思うのです。大体未成年の概念が、おとなじゃないんだから、未成年だから、したがって、義務教育という普通教育の範囲内で、義務教育と非義務教育と教員の給与の場合に差別をする制度上の理由はないんじゃないかと私は思うのです。気持ちにおいてはそうですが。気持ちじゃなくて、制度上ないんじゃないですか。大臣、どうですか。
○奥野国務大臣 だからまた逆に申し上げますと、義務教育教員の給与の改善とうたいながら、それを通じて高等学校の先生の給与も改善していけるんです、ごう申し上げておるわけでございまして、また人事院総裁も、そういう意味において、逆転現象ができるじゃないか、それをほうっておけますかと、この間おっしゃっておったわけでございます。ぜひそういう意味で高等学校の教員の給与の改善もあわせて行なっていきたい、かように期待をいたしておるわけでございます。
○山中(吾)委員 人事院総裁にお聞きいたしますが、そこで文部省のほうから、義務教育の法律案ですね、それで義務教育関係の教員の給与を改善したいというふうな論が出てきて、人事院で勧告するときには、小中学校の給与改善の勧告と、高等学校、幼稚園の勧告を同時にやりますか。やるのが正しいと思っておりますか。時期をずらすのか。ずらすというようなことになると思いますが、どう思いますか。
○佐藤(達)政府委員 法案が通ってからの話ではございますけれども、しかし大体常識として考えられますところは、文部大臣もいまちょっと口走りましたように、この義務教育との関係で、極端な例をいえばたとえば逆転現象が起こる、そういう連鎖反応が当然あるだろう、それを二度に分けてやるというのもおかしな話で、そういうものはやっぱり一ぺんに、義務教育中心で、高校の先生の分もこれに影響される分は一括してやったほうが、形はいいんじゃないかと、いまのところは考える。これはお気づきがございましたら、いまのうちにお教えをいただきたいと思います。
○山中(吾)委員 もう一度人事院総裁にお聞きしますが、義務教育関係の給与の予算だけは一ぱい計上してある、高等学校、幼稚園は来年度の予算には計上してない、そういう現実の前で、勧告をされるときに同じ考えでおやりになるのが妥当と思うかどうか。
○佐藤(達)政府委員 その点はもう全然気にしておりません。この間もちょっと申し上げましたように、普通の公務員の給与の改善にしましても、予算を拝見するとたった五%しか組んでないわけです。それに拘束されたら五%の賃上げしかできないわけです。しかし、勧告はもう一〇%以上どんどんやっておりますから、それと同じことで、全然心配はいたしておりません。
○山中(吾)委員 人事院総裁の自主的精神を聞きまして、大いに期待いたしておきたいと思います。私はもっと重要なことを聞きたいが、いつもおそく質問するものだから時間を気にかけてしょうがないので、これはまたさらに論議を深めなければならぬと思います。 私は大臣にぜひ深刻に考えてもらいたいと思うのは、先ほど言いましたように、人材を吸収して意欲的な教育をするのには、給与だけを先、本俸を上げるということは、必ずマイナスが出ると思っておる。充実した最高の学歴の教員養成制度を確立することと、優秀な素質を吸収するための特別の対策を考えること、そして給与の引き上げというものを並行して絶えず考えていく。国会に提案するときは同時提案というのが一番いいんだ、そうでないときっとマイナスが出るということを私は深刻に考えておいてもらいたいと思うのであります。 そういう意味において、この法案が内容的にいろいろの論議を尽くされて、ほんとうにそういう全貌が明らかになったときに出発するということが、私は一番政策として有効で、また税金のむだ使いにならぬという立場からいっても妥当だと思うのであります。 さらに、最後にお聞きしておきたいのですが、大臣が、使命観を持ってということで、期待される教師の人間像には一つの方向はお考えになっている。そういう一番大事なことを明確にしないまま、ただ抽象的に、高い教養と意欲を持ったということだけで論議をしても、政党の次元において必ず問題が出るのだ。期待する方向というのはどこかへ隠してしまってある。それはやはり明確にしてこういう法案を論議する、その周辺の問題として私は文部大臣の意見を最後に聞いておきたいと思うのであります。 それは、他のことでかつて論議になったようでありますが、文部大臣が毎年一回の国立大学長会議であいさつした中に「ソ連の教育法をみると、教育目標として「社会主義社会の原則に尊敬心を培い、共産主義思想を育成すること。基本原則は教育と共産主義社会建設との実践的な結びつきで、教育も共産主義に奉仕すること」をあげており、チェコでもドプチェク書記長の自由主義化に粛清のあらしが吹き荒れた。こういう国では自由な教育は学べない。わが国でも特定の政治活動を押しつけるのでは、大学の自治は確保できない」という、何か教師の人間像に一つの方向を予定しながらこれについて意見を述べた。これはこのとおりでしょう、あなたのおっしゃったこのことは。
○奥野国務大臣 私が申し上げましたのは、早稲田大学その他でたいへんな騒ぎが起こっておるわけでございます、そういうことのからみで申し上げたわけでございます。社会主義あるいは共産主義の社会がいいか、あるいは自由主義の社会がいいか、これはそれぞれいろいろ意見、評価があってしかるべきだ。しかし、それぞれの社会はそれなりの違った原則に立って進められているんだということで申し上げたわけでございます。ソ連の教育法ともいうべきものの法律の条文を見ていきますと、学校が課題としなければならないことは、社会主義社会の諸原則に対する深い尊敬心の育成、共産主義思想の育成であると書かれておりますし、さらにまた、学校の基本原則としなければならないことは、教育と共産主義建設の実践との結びつきである、こう書いてあるわけでございます。日本の場合には、学校は政治的に中立でなければならない、いろんな政治思想を学び取るのであって、特定の政治思想を押しつけるところではないんだ、この違いをよく理解をしておいてほしいんだ、こういうことで申し上げたわけでございます。したがいまして、学校で特定の政治思想を押しつけるような動きについては、それなりによく考えてほしいんだということでございました。
○山中(吾)委員 ソ連の憲法、教育法からいってそのとおりで、それはそのとおりでいいと思うのです。ただ、あとに、それなら日本の国における教育の目標はということを、私は明確に、責任のある文部大臣が明示をしなければならぬと思うのですよ。中立なんというのは方向ではないのです。集団における教育は、集団の理念を実現するために教育があるので、その集団を構成する一人一人の人間形成を通じてその集団の文化を伝承し、文化を創造していくのです。われわれは日本の国の構成員、国民としてあるのですから、日本の国の理念というのは——ソ連においては、共産主義思想、共産主義国家の建設とちゃんと書いてある。日本は憲法に書いてあるじゃないですか。絶対平和と民主主義を理念とし目標として日本の国を進めていくんだ。それを受けて教育基本法の前文に、平和を中心として民主的、文化的国家を建設するといっているじゃないですか。なぜそれを言わないのですか。それを言わないで他の国だけを批判するから、国民からいって、国民教育の目標も大臣は何も示していませんよ。そういうことなら、私は、日本は日本の国の理念に基づいて国民教育の目的があってしかるべきだ。公教育では堂々と言うべきではないか。すなわち、こういうことばを使えば、憲法の理念にあるように、平和思想と民主思想に尊敬する念をつちかい、民主的平和国家の建設、日本の教育目標は平和的、民主的な国家建設事業であると言ったらいいじゃないですか。それは間違いですか。そういうことを言わないで他の国の教育を批判するから、無責任であり、そうして自主性が出ないんだ。教師にしても、国民教育にしても、目標というものは少しも与えられていない。方向感覚をなくして、日教組と文部省が、中立だなんといって論議しているんじゃないですか。日本の国の理念は、国民の合意によってできた憲法以外にないじゃないですか。その憲法は改正するなら、していいでしょう。しかし、この憲法の理念に基づいて、その理念を実現するために教育があるんだ。教育基本法にちゃんと書いてあるじゃないですか。この憲法に規定した国の理念を実現するために、根本において教育の力にまつべきであるという前文を書いて教育基本法なりはあるんじゃないですか。なぜそれを教育行政の責任者のあなたはこういう会議で言わないのですか。ソ連のことだけ言って——それはどこにも、アメリカはアメリカの教育目標もあれば、ソ連にはソ連の教育目標があるでしょう。もし思想の問題というならば、平和思想と民主思想によって教育をされて、その哲学化した、そういう精神構造でもって教育された国民によって社会主義、資本主義を選択するんだ。教育の出発点ではなくて、教育された国民が選択する対象にすぎないでしょう。そういうことを明確にしてはじめて私は、使命観を帯びた教師あるいは教育意欲に燃えた教師、子供をりっぱな日本国民に形成するという教育意欲が教師に出てくるのであって、日本の国の理念は何かというのは憲法以外にないのです。国民の合意で国会でつくった憲法、その憲法のもとに教育基本法がある。憲法、教育基本法体制、憲法と教育基本法に従う。そして教育基本法には、平和と真理を希求する国民形成をする、それによって国家理想を実現するんだと書いてあるじゃないですか。それをみずからの確信として国民教育の原点として、文部大臣の識見のある、自信のある表明を公の席上でしない限り、ソ連の教育を批判をし、アメリカの教育を批判して終わりで、みずからの主体的な行政の立場というものはないと思うのです。日教組もそういう意味において憲法、教育基本法に従って平和と真理を追求する国民形成に進むんだ。それをわれわれ民主教育と言っているんじゃないですか。それを心底からそう考えれば、文部省と日教組の対立はないと私は思うのです。一つの集団の継続性と発展性は、その国のその集団を構成する一人一人にその集団の理念、国家の理念というものが浸透しなければ、継続性が出るはずがなし、発展もないでしょう。私は堂々とどこででも言っているのです。それを文部大臣が言わないで他を批判したりするようなことは、無責任だ。そしてここにあなたが言っているように、新鮮な人材が進んで教育観、使命観にあふれたということばを使っておる、集団の理念というものが正しい真理である、そういう確信を持たなければ、教師が使命観を持つはずがないはずだ。文部大臣の見解を聞いて、私は質問を終わります。
○奥野国務大臣 山中さんたいへん誤解をされておるように思うのであります。私がお話しをした相手方は、国立大学の学長さんたちでございます。同時に、私は講義をしたわけではありません。いま大学に起きておる事象にかんがみまして、注意を喚起したわけでございます。学園紛争についての注意を喚起したわけでございます。その場合にも、私は決してソ連の教育を批判するつもりで申し上げたわけではございません。国柄の違い、それを頭に置いて、学内に起こっておるいろいろな事象に対処してもらわなければなりませんので、それぞれの立場はあるかもしれませんけれども、違いは明確に理解してやってもらいたいというだけのことでございまして、私は批判をしたつもりで申し上げておるわけではありませんで、私が批判したという意識でおっしゃられると、私の気持ちにちょっとさわるものがございますので、ぜひこれはそのとおり御理解を賜わるようにお願いを申し上げておきたいと思います。
○山中(吾)委員 文部大臣は批判したとは少しも思っておらない、あなたはそういうふうに誤解されているのです。私が言うのは、ソ連は国家理念は共産主義国家、そうい5共産主義思想に尊敬心を養い、共産主義国家という理想を実現するのがソ連の教育の目標、そのとおりですよ。それはそれでいいじゃないですか。しかし、それを言うなら、なぜわが国の教育理念はこうなんだ、憲法に明示しているこの平和思想と民主思想に対する尊敬心を養い、日本の国家に理想を実現することが日本の教育目標でなければならぬという識見をあなたは言っていないから、そういうあとに言わなければならぬことを言わないであっちこっちで演説することは、文部大臣として責任回避だとわれわれは言っておる。個人のいろいろ思想は別ですよ。公教育の思想として——この国会だって、憲法に基づいて国会があり、それに基づいてわれわれは論議をしているのですから、将来日本のそういう国家理念がさらに発展をして、どういくかということは、それは憲法以外にないでしょう。また憲法の改正をするなら別ですよ。批判をするためにというのではなくて、それをおっしゃるならば、私は、日本の教育行政の最高責任者として、日本の教育目標はこれだということを言うべきだ、こう言っているのです。どこか違いますか。
○奥野国務大臣 憲法と教育基本法中心に教育の衝に当たる者は考えていかなければならないという点については、全く同感でございます。ただ、時と場合によりまして、そこまで言う必要がある場合と、言わずもがなの場合もございますので、そこだけはひとつ御理解をいただくようにお願い申し上げます。
○山中(吾)委員 もう終わりますが、それはこの法案に非常に深い関係があるから私は言っているのですよ。使命観にあふれたということばの中に、使命観というのはそういうことを明確にしなければ出てこないのだ。そんな個人的なものじゃないのですから。そういうことがこの法案提案の非常に重要な動機としてあなたは言っているのだから。国民がみな方向感覚を失ってしまっているのだから。しかし、大臣、それは小学校、中学校の校長その他の場合についても、これは何も上から権力で押えるのじゃないのですよ。そういうものでなくて、やはりわれわれは現在の憲法の上に立って、すなおに憲法の理念というものを国民教育の目標として人間形成の原理にする責任があるのだ。そういうことで私は、こういう法案についての一番最後の、奥の奥にある疑問というものが残って、だれも言わないことをこんなところで言っている。その辺をやはり文部大臣が自覚をして、ひとつ間違いのない教育行政を推進してもらいたいと思います。 終わります。
○田中委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後六時二十三分散会