文教委員会 第19号
- 発言数
- 347 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1973/06/06
会議録
○田中委員長 これより会議を開きます。 国立学校設置法等の一部を改正する法律案を議題といたします。 この際、長谷川正三君から発言を求められておりますので、これを許します。長谷川君。
○長谷川(正)委員 私は、日本社会党、日本共産党・革新共同、公明党及び民社党を代表して、動議を提出いたします。 国立学校設置法等の一部を改正する法律案については、政府においてこれを撤回の上、第一条関係と第二条関係以下とを分離して再提出すべきである。 以上であります。 その趣旨を申し上げますと、政府が本国会に提出している国立学校設置法等の一部を改正する法律案は、本来、性質の異なる二つの内容を混在させているものであり、従来の国立学校設置法の改正案でこのような構成形態をとったものは皆無なのであります。 その内容を見ると、第一条は旭川医科大学、山形、愛媛両大学の医学部をはじめ、大学院、付置研究所、養護学校、共同利用研究所などの設置を内容とするものであって、医師の養成、学術水準の高揚等の見地からいずれも国民的合意が得られるものであります。 他方、第二条以下は、大学改革に資するための新しい教育研究組織及び管理運営方式に基づく筑波大学を設置し今後新設される大学あるいはすでに設置されている大学にまで、これを拡大適用する内容をも含んでいるものでありますが、このことについては大学関係者はもちろん、広く国民の間で十分検討され、国会においても大学論、教育論、憲法論にまで立ち入って十分審議を尽くされるべき性質のものであります。 この筑波大学の創設問題については、その母体である東京教育大学の一部にも批判の声があり、また、国立大学協会会長の批判的談話、全国の大学人、日本学術会議及び教育、研究団体の反対声明などがあり、これらは政府が本問題についての国民的合意を得るために、今後一そうの努力を払うことを求めているのであります。 いま、旭川医科大学、山形、愛媛両大学の医学部をはじめ、国立大学の大学院等の新増設に期待を寄せている地域住民、地方自治体、当該大学関係者のこれまでの数々の労苦、万をこす受験生の一日も早い開校の切望などを考えるとき、政府の提出したこのような性質の異なる二つの内容を混在させた法律案は、いたずらにその審議の円滑な運営を妨げるものとして、われわれは強く非難せざるを得ないのであります。 よって、会期延長に基づく審査再開に際し、国民的要望が強く、緊急を要する医学部設置等を規定する第一条関係を早急に成立させるため、政府は本法律案を撤回し、第一条関係と第二条関係以下とを分離した法律案の再提出を要求いたします。 以上であります。
○田中委員長 ただいまの長谷川正三君外三名提出の動議に対し討論の申し出がありますので、これを許します。木島喜兵衞君。
○木島委員 ただいま提案の、国立学校設置法等の一部を改正する法律案の第一条と第二条以下とを分離して再提出すべしとする動議に賛成の意見を申し述べます。 その理由は、大きく分けて二つになります。 その一つは、元来第一条関係と第二条以下関係とは異質のものであり、法形式からしても当然分離すべきものであるということであります。 その二つは、小選挙区制に始まる国会の数々の混乱、自民党単独採決による延長国会の中での審議の現状から、いまにして分離しなければ……。 〔発言する者多し〕
○田中委員長 静粛に願います。
○木島委員 旭川医科大学をはじめ、山形、愛媛大学の医学部、大学院、養護学校等は、今年度の開校、開設は不能になるおそれがあるからという情勢の変化による現時点からの必要性であります。 第一の理由の、元来第一条関係と第二条以下の関係は異質のものであり、法形式からしても当然分離すべきとするものは、第一条関係は現にある国立学校設置法の法形式でありますけれども、第二条以下は中教審路線に基づく大学改革を指向し、新しい教育研究組織、管理運営方式による筑波大学を設置し、さらに今後新設される大学あるいは既存の大学に拡大適用される内容を持っているものであって、質の異なるものを一つの法形式に入れていることに対する疑問であります。 なぜこのような異質のものを抱き合わせの法律にして提出したのでありましょうか。たとえば、いままでの質問にも出ておりましたごとく、大学の組織としての学部を置くことは学校教育法に規定をしておりますから、学部にかわる学系、学類という大学の組織は、当然にして学校教育法に規定すべきは常識と考えられるのであります。 このことに関する政府の答弁はいろいろ言っておりますけれども、われわれを納得させるものではありません。われわれの納得のいかぬ理論をもって抱き合わせたものは、一条関係の諸学校の地元や受験生や父兄の熱望を背景に、問題の多い二条以下の筑波大学の審議を十分にさせたくないということか、あるいは第二条以下の筑波大学問題を慎重審議に野党が時間をかけたとき、その結果生ずる第一条関係の開校、開設のおくれを野党の責任とする意図であろうとさえ疑いを持たざるを得ないのであります。 〔発言する者多し〕
○田中委員長 静粛に願います。
○木島委員 同時に、筑波大学の問題多いその本質を、医科大学や医学部と同列に置くことによって国民の目をあざむこうとするものといわれてもいたし方ないものであろうと思うのであります。 私たち野党は、今日までいろいろな機会に分離を要求してきましたが、政府自民党のいれるところとはなりませんでしたが、質問において第一条関係に集中してまいりましたのも、元来分離すべき異質のものという認識に出発しているからであったのであります。 その第一条関係の質問もいまだ数多く残しながらも、いまここに分離すべしとする動議を提出いたしましたことは、第二の理由とする、情勢の変化に伴う現時点において分離しなかったならば、第一条関係の開校、開設は本年度において不可能になると判断したからであります。 大臣が答弁されているごとく、法律成立後一カ月後に入学試験、さらに一カ月後に入学式ということを考えれば、たとえ本日衆議院を通過したとしても、参議院要求の審議日数四十日を加えれば、この法律の成立は七月十六日、その二カ月後の入学式は九月十六日となり、すでに用意されている本年度のカリキュラムの消化は不能であるということは明らかであります。もしそれでも単位取得の特別の便宜を与えんとするならば、文部省こそ大学の教育、研究の権威をみずから踏みにじるものと言わざるを得ないものでありましょう。 すでに予算は通っております。万をこす受験生は、いたずらにいらいらして、いたずらにいつになるかわからない受験の日を待っております。さらにその数に倍する父兄のいら立ちがあります。大学当局は、教授陣、カリキュラム等万般の準備をして待望をしております。地元は、地財法の違反とも思える数十億の地元負担を、苦しい地方財政の中から支出までして準備した熱望の実りの日を待ちつつ、陳情を繰り返しております。 これらのことを考えるならば、いまわれわれがこの分離再提出の動議を出す前に、政府はみずから求めねばならなかったものとすら考えるのであります。 私たちは自民党にも要求をしてまいりました。田中総理大臣にも要求をしてまいりました。しかし、得た答えは、ただ分離は考えておりませんというのみで、その理由について、その一つだに聞くことはできませんでした。いまこの動議に対して、自民党は討論に参加されず、国民や関係者の熱望にこたえ得ぬ理由を示されぬことはまことに残念であります。ただ言われていることは、一刻も早く第二条以下をも含めて通過させてほしいということのみであります。 しかし、日本の大学のあり方に多くの問題点をかかえていることは、多くの国立大学や学術会議あるいは多くの教育研究団体の反対意見や批判的意見に見られるごとくであって、日本の将来を展望しつつ、十分に審議を尽くすべきであって、第一条関係のために、第二条以下を不十分な審議のままに過ごすわけにはまいらぬのは当然であります。 もしこの動議が否定され、そのために第一条関係の大学、学部、大学院、養護学校等が本年度において不能になり、あるいは非常に支障を来たすことになるとするなら、その責任は、否決した人々と、さらにその正当な要求にこたえ得ぬ政府が負うべきものであることを申し添えて、本動議に対する賛成の討論といたします。
○田中委員長 山原健二郎君。
○山原委員 私は、日本共産党・革新共同を代表いたしまして、ただいま提出されました四党共同提案にかかる国立学校設置法等の一部を改正する法律案の分離動議に賛成をいたします。 本法案の中には、全く性質を異にする医大、医学部等の設置と、筑波大学設置とが同居させられています。私どもは、早くからそのことの不当性を指摘し、本法案が上程された本会議においても、質問の中で明確にしてまいりました。医大などの新設は、筑波大学設置に必要な条件となるものでもなく、全く二つは無関係なものであります。それをあえて一つの法案の中に込みにし、さらに頑迷に分離を拒否しているところに、この法案の持つ党略的特徴があります。 賛成の第一の理由は、医大、医学部などの新設は、大学の従来の教育、研究の組織や、管理運営機構に何の変更ももたらさないし、住民の要求に基づくもので、いわば国民的合意が基本的にはできている問題であります。医師不足、看護婦不足、医療充実などを求める切実な国民の要望を反映して、政府も数年のうちに医大、医学部の未設置県をなくすことを言明し、国民はそのすみやかな実現を強く求めてきたところであります。そのため、に、本法案関係の旭川、山形、愛媛の大学関係者、自治体、地元住民の労苦は一方ならぬものがあり、それだけに一日も早く開学への要望は強烈なものがあります。しかも、この法案自身もことし四月一日から施行を予定しているほど緊急のものであります。 一方、筑波大学の開学は明年四月であります。来年四月開学予定のものを足かせにされては、医大等の関係者はたまりません。すみやかに分離し、成立をさせることが国民にこたえる道ではないでしょうか。賛成の第二の理由は、筑波大学が、政府の国会への法案提出理由によっても、大学改革の推進に資するため、新しい構想に基づく大学として新設するという性質のものであり、しかもその改革たるや、大学の教育、研究上の基本組織や管理運営制度をも大きく変えようという内容であります。つまり、筑波大学新設は、大学関係者をはじめ、国民の間で十分討議され、検討され、国会でも当然大学論や教育論、学問論、憲法論にまで立ち返って、十分審議されるべきものであるということであります。ことに、教育、研究といった日本の長い将来にかかわる問題であるだけに、物価問題や投機問題のように、早急に対策を講じないと回復困難な事態が生じるというたぐいのものではありません。逆に、あわてていじって失敗すると、長い将来に禍根を残す性格のものであります。 しかも、実際には、筑波大学については、すでに有力な反対、批判があり、簡単に国民的合意が得られるものでないことは、事が教育の問題であるだけに、だれが見ても明らかなところであります。 たとえば、わが国の科学者の内外に対する代表機関である日本学術会議は、法案に反対の声明を発表し、国立大学協会は、三月十五日の会長談話で、大学改革の試みの一つとはしながらも、法律上の多くの問題を指摘した上で、大学の教育、研究の自由がそれによってそこなわれることがないかという疑念を抱かざるを得ないと述べております。筑波大学自体に対して事実上の反対に近い批判の意見を提起していることは事実であります。また、筑波大学と密接な関係のある東京教育大学内の筑波移転賛成者の中にも、また同大学の校友の中にも、この法案に対する批判、不満、不安はきわめて大きいものがあり、それぞれ現に陳情や要請をお互いに受けているところではありませんか。全国各大学の広範な教育有志からなる大学問題研究会をはじめ、日本の大学や学術関係者の大部分がすでに反対や批判の態度を表明しています。私どもの知る限り、むしろこの法案への全面賛成者は国民のきわめて少数の部分でしかありません。 ともかくこの問題については、相当の時間をかけた論議が必要なことはだれの目にも明らかです。一方は緊急を求め、一方は時間を要求しています。 それにもかかわらず、政府がかかる性質を異にする二つの問題を一法案に込みにしたことは何ゆえであろうか。私はこのことを本会議において、それは医大等の新設を求める国民に、筑波大学への賛成を強要する魂胆なのか。また、筑波大学への批判を医大新設にまで反対するものと見せかけようとする謀略なのか。さらにまた筑波大学にかかわる本質問題の審議の済むまで医大等の設置は引き延ばしてもよいと考えているのか。それとも医学部設置の緊急性を理由として筑波大学関係の諸問題についての徹底した討議や国会審議を回避する腹づもりなのかと尋ねたのでありますが、それはいまだに解明されておりません。 〔発言する者あり〕
○田中委員長 静粛に願います。
○山原委員 ことに国会会期の延長となった今日…… 〔発言する者多し〕
○田中委員長 静粛に願います。静粛に願います。
○山原委員 ことに国会会期の延長となった今日、事態の一そうの深刻化が予想されるとき、この法案の分離を要求することは当然のことであり、むしろ政府みずからが積極的に分離再提出の手続をとるのが国民に対する責務と考えるのであります。この点で先日来政府の見解を伺ったのでありますが、すでに国会で審議中だから分離できぬとかたくなな態度に終始していることは、きわめて残念なことであります。 この党略的法案形式のために犠牲になっているのは旭川、山形、愛媛、埼玉、滋賀、東北、千葉、東京医科歯科大、名古屋の合計九大学であります。 六月二日の新聞には、東北大学医療技術短期大学に合格した女生徒が、いまだに法案未成立のため入学できず、とほうにくれ、「筑波法案のとばっちり」という題の訴えを投書しています。入試実施のために試験場や宿舎の確保のために奔走している地元関係者の労苦も報道されております。新設大学受験を期しつつ不安な状態に置かれている一万五千をこすといわれる受験生がおります。 こうした混乱をすでに起こしている現状を考えますときに、すみやかに本法案を分離して、合意に達するものは直ちに成立せしめることがわれわれのなし得る国民の要望にこたえる民主主義の初歩的な態度ではないでしょうか。そして筑波大学問題とその提起している大学の改革問題については拙速におちいることなく、国会内外においてあらゆる衆知を動員し、正面から堂々と論議し、国民的合意への道を切り開くべきであることを強調いたしまして、賛成の討論といたします。
○田中委員長 有島重武君。
○有島委員 私は、公明党を代表いたしまして、ただいまの国立学校設置法等の一部改正案につきまして、政府においてこれを撤回の上、第一条関係と第二条関係以下を分離して再提出すべきことを趣旨とする動議に対しまして、賛成の討論をいたします。 第一に、提案者の指摘されましたとおり、この国立学校設置法等の一部を改正する法律案には、大別して二種類の異質の内容を盛り込んでおります。 わが党は、国民の要望にこたえまして、国立学校の新設、増設には積極的に提言もいたしましたし、またこれを有効適切にその実施を可能ならしむるために賛成の立場から討議を重ねてまいりました。したがって、本法案の第一条にあります旭川医科大学、山形、愛媛大学医学部をはじめ、幾つかの大学院、付属研究所、養護学校あるいは共同利用研究所等の設置につきましては、わが国の文教行政における緊急課題であり、すみやかなる採決を要請されるところであろうと存ずるものであります。 他方、第二条以下につきましては、政府みずからが新構想と称するとおり、国会の内外におきまして、広く国民全般にわたって慎重に審議すべき多くの問題を含んでおることは周知のことでございます。すなわち、わが国の高等教育の基本に関し、あるいは教育全般、文化全般にわたり、さらにさかのぼって憲法に規定する学問の自由についての見解をも問い直すべき重大問題をも含んでおることと判断されるのであります。最近の世論調査によりましても、国民の多くが政府に対する信頼感を失って、疑惑を深めております。またこの法案に関し、大学関係者は国家百年の将来にわたって大きな判断を要請しております。わが党に対しましても、大多数の国公私立大学からいわゆる筑波大学法案の反対声明が寄せられております。この中におきまして、国会審議を通じて大学を取り巻く諸問題を慎重に審議し、何にも増して国民の不安を解消し、信頼にこたえるためにも慎重なる審議を重ねるべきものでございます。 第二番目に、わが党は本法案の提出されたときより今日まで、その分離を強く主張してまいりました。今日、六十五日にわたる会期延長に臨むにあたりまして、当委員会としては本法案の第一条及びそれ以下の分離案を即時に可決して、その第一条以上の成立を確保し、第二条以下につきましては十分な審議を積み重ねてこそ会期延長の真の意味があると思われます。 百五十日の会期内における審議進行の状況あるいは会期延長に至った経緯をいま論ずるものではありませんが、多数を占める自由民主党所属の委員諸公におかれましても、国民の切なる要望にこたえて、全野党の共同提案による本動議に対し賛同せられることを切に望んで討論を終わります。
○田中委員長 これにて討論は終局いたしました。 長谷川正三君外三名提出の本動議について採決いたします。 長谷川正三君外三名提出の動議に賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○田中委員長 起立少数。よって長谷川正三君外三名提出の動議は否決せられました。 —————————————
○田中委員長 国立学校設置法等の一部を改正する法律案の質疑に入ります。嶋崎譲君。
○嶋崎委員 過ぐる三月の本会議で国立学校設置法の一部改正案に関連して私が御質疑いたしました。たいへん御親切な答弁をいただきまして、ありがとうございます。 ちょっとお聞きしますけれども、議事録をお読みになりましたか、大臣。
○奥野国務大臣 読んでおりません。
○嶋崎委員 自分が本会議で発言された発言の内容について、議事録はまだお読みになっていないのですね。
○奥野国務大臣 読んでおりません。
○嶋崎委員 そうしますと、お読みになっていないのは、発言に正確だし自信がおありだということですか。
○奥野国務大臣 時間的余裕がないからでございます。
○嶋崎委員 私は新米ですから、本会議というのは国民の前に、全議員を相手にしながら国民全体を対象にして、そして趣旨説明をやった上で野党の質疑に答えるというたいへん重要な国会運営上の行事だと思います。その点については異論がありませんね。
○奥野国務大臣 そう考えております。
○嶋崎委員 では、本会議での発言が、正確な調査や何かに基づいて発言されたという自信はおありなわけですね。
○奥野国務大臣 こういう委員会でございますから、具体的におっしゃっていただいたほうが時間が省けるんじゃないかと思うのでございます。私なりに十分考えて申し上げているつもりでございますけれども、あるいは間違っていることがございましたら遠慮なしに御指摘いただけばしあわせだと思います。 〔委員長退席、塩崎委員長代理着席〕
○嶋崎委員 中に入っていくことと討論に入っていくこととあとで密接な関連がありますから、さらに討論を進めていきたいと思います。 議事録に書いてあることに対して……
○奥野国務大臣 ちょっと恐縮ですが、聞き取れなかったのですが……。 〔発言する者あり〕
○塩崎委員長代理 静粛にお願いします。 嶋崎君、もう一ぺん。嶋崎君。 〔塩崎委員長代理退席、委員長着席〕
○嶋崎委員 委員会は演説会でございませんから静かに討論をしたい。 そこで、最初にお伺いをいたしますが、筑波大学という新しい大学の名称は、どこでだれがおきめになったのですか——ちょっと待って、大臣にいま聞いていますから。
○奥野国務大臣 政府委員から答弁させます。
○木田政府委員 政府といたしまして国会に法案を提出いたしまして…… 〔発言する者あり〕
○田中委員長 質疑者と答弁者に申し上げますが、もう少し大きい声で発言してください。嶋崎君。
○嶋崎委員 よく正確にわならなかったのですが、筑波新大学という大学の名称は、だれがどこでいつきめたのですかという質問です。
○木田政府委員 政府といたしまして、この国会に法案を提出いたします際に、法案の制定過程をもって決定をいたしたものでございます。
○嶋崎委員 その法律の根拠は。
○木田政府委員 法案をもって国会に御審議をいただいておるわけでございます。
○嶋崎委員 筑波大学という大学は、いろいろな文部省から出ておる文書にもありますように、東京教育大学の考え方を前提にして、それを受けて新しい大学をつくる、そういう方針に基づいて法案が出てきたのですね。
○木田政府委員 御意見のとおりでございます。
○嶋崎委員 だとしますと、東京教育大学という大学があって、そして新しい大学ができるときに、その大学がそのまま変われば、移転すれば東京教育大学ですね。ところが、その過程で新しい大学に変わるというところにいまたいへん論争的に問題になっておるゆえんがあると思うのですね。 そうしますと、たとえば東京教育大学という大学が発足したのは何年ですか。
○木田政府委員 東京教育大学は昭和二十四年に発足をいたしました。
○嶋崎委員 どういう大学と大学が集まってできた大学ですか。
○木田政府委員 東京教育大学は東京高等師範学校、東京文理科大学、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校が昭和二十四年五月に東京教育大学として統合新設になったものでございます。
○嶋崎委員 その過程で、東京教育大学という名前をつけるにあたって、どんな努力があったか御存じですか。
○木田政府委員 当時の関係者から、東京教育大学の名称につきましていろいろ論議があったことは聞かされております。
○嶋崎委員 文部省、設置者がつけた名前ですか。それを推進してきた大学側がその名づけ親ですか。
○木田政府委員 国会で法案をもって御決定いただいた名前でございます。
○嶋崎委員 その過程を聞いておるのですよ。
○木田政府委員 政府といたしまして東京文教大学という名称でもって国会に提案をいたしまして、御審議の過程で東京教育大学というふうに修正になったものでございます。
○嶋崎委員 その法案を提出する前に、東京教育大学は、その他の高等師範や文理大等々が一緒になって新しい大学に生まれかわる、ないしは発足していくにあたって、法案提出の時期じゃなくて、そのプロセスで、東京教育大学という名前をつけるにあたってたいへんな討論があった経過を聞いているのですよ、いかがですか。
○木田政府委員 関係者にいろいろな御論議があったことは聞かされております。
○嶋崎委員 論議があって、法案を提出する前に大学のほうで名称をつけて、そして文部省の設置者にこういう名前で大学を、新しく東京教育大学という大学をつくるというふうな手続がとられたと思いますが、いかがですか。
○木田政府委員 東京教育大学の名称にきまりますまでの間、政府といたしましては、これら旧学校関係の関係者の意見を聞きながら東京文教大学という名称がしかるべしということに決定をいたしまして、法案を国立学校設置法案として国会に提出を申し上げたわけでございます。なお、御審議の過程におきましても、これら関係者の中からさらにその名称につきましての御論議がありまして、衆参両院の御審議の過程で文教大学という政府提出の名称を、東京教育大学に変えたという経緯は私も速記録等で承知をいたしております。
○嶋崎委員 その過程で一つ問題なのは、新しい子供ができたらおじいちゃんが名前をつけるのか、それとも父親たちが名前をつけるのか、それとも友人が名前をつけるのか、名づけ親というのは非常にその子供に将来を託して、ないしはその子の将来の発展を願望して名前というものをつけると思うのです。特に大学の場合には、そういう大学の名称をつけるときには——筑波大学という大学は、ぼくに命名させるともっとおもしろい命名があるのだけれども、それは言いませんけれども、大学というものをつくるにあたってのいわば過程こそが大学問題なんですね、そう思いませんか。
○木田政府委員 東京教育大学でいろいろと筑波に新しい大学をつくるという長い御論議があって、その過程が大事であるということは私も考えます。
○嶋崎委員 大事だったら、筑波大学という名前はいつどこでどういう過程できまったのですか。
○木田政府委員 東京教育大学の関係者、それから文部省の筑波に新大学をつくりますにつきましての創設準備会の過程を経てまいりまして、それらの御論議の過程の中から、文部省が国会に提案する際に筑波大学という名称を御提案させていただいている次第です。
○嶋崎委員 いつごろから名称の論議が始まりましたか。
○木田政府委員 昭和四十六年に東京教育大学が筑波新大学の基本構想というものを発表されました際に、東京教育大学自体が筑波新大学という名称をお使いになりました。その後の論議におきましても、筑波新大学ということでの論争が進んでまいりまして、このことにつきまして関係者にこれ以外の名称についての他の御意見は出ておりません。国会に提案いたします際に新という字を落としまして、筑波大学として法律案を用意いたした次第でございます。
○嶋崎委員 筑波新大学というのは固有名詞ですか。
○木田政府委員 筑波大学という名称で法律案を御提示申し上げておる次第です。
○嶋崎委員 よく正確に聞いてください。筑波新大学というのは固有名詞ですかと聞いているのです。
○木田政府委員 筑波に新しい大学をつくりますまでの間の関係者の仮定の名称だというふうに考えます。
○嶋崎委員 そうすれば大学の名称ではありませんね。筑波というところにできる新しい大学という意味ですね。ですから大学が筑波大学というのか、産業大学というのか、文理大学というのか、教育大学というのか、そういういわば大学の持っている性質、将来発展していくであろう大学のあり得べき姿、そういうものを何らかの形で託した名称をつけるにはどうしたらいいかという努力がその過程にあってもいいんじゃないでしょうか。いかがですか。
○木田政府委員 筑波の地に新たに大学をつくるということで、関係者が筑波新大学という呼称で新しい大学の構想を進めてきた。東京教育大学においてもそうでございますし、文部省の私どもの調査でもそのような呼称を使いまして論議を進めてまいりました。そして一般的に国立大学は、国立学校設置法の各大学の名称をごらんいただいておわかりいただけると思いますけれども、その土地の地名をとって大学の名称といたしております。この論議の過程で、他の名称にすべきだというような御論議は出ておりません。関係者のほぼ一致した、従来の慣例にも沿った名称として筑波大学という名称を政府提案の際につけた次第でございます。
○嶋崎委員 茨城県にできる大学ですから、茨城大学というふうに呼んでもいいわけですね。
○木田政府委員 現在茨城大学という大学がございますので、その名称は避けたほうがよかろうかと思います。
○嶋崎委員 そこでまたお聞きしますが、とにかく大学の名称について私の調べた限りでは、東京教育大学から出ている文書や一切には、「筑波における新大学のビジョン」、それから「筑波における新大学の基本計画案」等々の名称であります。それはそのとおりですね。
○木田政府委員 当初におきましてはそのような用語が使われておるし、昭和四十六年六月十日に基本計画として東京教育大学がおまとめになりましたのには、「筑波新大学に関する基本計画案」という名称になっております。
○嶋崎委員 基本計画案を評議会で決定したやつは筑波新大学です。だから、筑波における新しい大学という意味ですね。だからこれではまだ大学は新しい名称ではない。文部省のほうで出したいままでのすべての文書を見ましても全部筑波新大学ですね。法律案が提出される過程で筑波大学という名称に変わったのですね。 筑波大学という名前を一番早くどの政党が使ったか御存じですか。
○木田政府委員 承知しておりません。
○嶋崎委員 一九七一年十月に自民党の文教部会から、筑波大学(仮称)と書いてありますけれども、「筑波大学(仮称)設置要綱案」というものが出ております。そこで初めて大学の名称に相当する仮称が出た、私は調査の結果そう思いますが、御存じないですね。
○木田政府委員 政府といたしまして、筑波大学の準備を整えて、だんだんにこれを特定の固有の名称として使ってまいります作業過程の間には、いままで筑波における新しい大学、それを筑波新大学ということでずっと呼称してまいりました。現実的に国会への提案の作業に入ります過程で私どもとしてはいつまでも新ということばを名称に入れる筋のものではなかろうということから、御提案の、私ども自体の準備過程で、名称として筑波大学という名称に定着させる、そういうことがいつのころか私もはっきり覚えておりませんけれども、準備の過程として進んできたということはあり得ることだと思います。
○嶋崎委員 そうしますと、いまのお話によりますと、どこかで討議しているうちに、文部省の創設準備会ですか、そこで準備しているうちに筑波大学という名称が固まったということですね。
○木田政府委員 政府といたしましては、法案の形にまとめまして、閣議で法案を決定いたした際に筑波大学という名称が確定した、こういうふうに御説明を申し上げるべきだと考えます。
○嶋崎委員 自民党の仮称は知らなかったのですね、創設準備会は。
○木田政府委員 法案の提案を目前にいたしましたいろいろな準備の過程で、関係者が用語をお使いになるということはこれはあり得ることかと考えます。 私どももまた、事務の過程の中で筑波の大学というものを、構想が定着した段階で、呼称としては筑波大学というふうに作業中使ってきたということも十分にあり得ることだと思います。
○嶋崎委員 そうしますと、事務的につけた名前ですね。事務の過程で、相当慎重に配慮して、大学の評議会や何かで討議してもらって、新しい大学というものをつくるにあたって名称はどうすべきであるというプロセスは踏んでいないということですね。
○木田政府委員 大学の名称は、設置者であります国が、国会の御審議を経て法律として確定をしていただくわけでございます。政府といたしましては、その提案の準備をいたすわけでございます。東京教育大学の中の準備過程の御論議では、東京教育大学という名称を使うというお考えは出ておりません。筑波における新しい大学ということで、新しい名称の大学という形で準備が進んでまいりまして、文部省の創設準備会におきましても筑波新大学の論議を進めて、最終的に筑波新大学創設準備会におきましても筑波大学という呼称で最後の準備にかかり、それを受けて文部省といたしましても国会に御提案を申し上げた次第でございます。
○嶋崎委員 私の言っている意味が、局長やはりよくわかっていただけないと思うのです。教育大学が母体になってビジョンが出てきて、そしてその基礎の上に、評議会決定に基づいて新しい大学の設置のプロセスをとった、その経過についてはもう一度お尋ねしますが、それは間違いないでしょう。——そういう場合に、かつて教育大学という名称をつくるにあたって、法案提出の過程で云々というのがありますけれども、そのプロセスで、大学の名称というものは、たとえば理学部の大学に工学部という名前はつけられないのですね。産業大学にはやはり産業というものを生かした名前をつけますね。経済特有の大学には経済大学という名称をつけますね。それと同じように、やはり筑波大学という新しい大学が、国民にわかりよく、受験者にもわかりよく、しかもその大学が将来日本のたいへんりっぱなパイオニアの役割りを果たす大学だという構想のようですから、だとすれば、そういう名前はどういうふうに名前をつけるかということの中に、国民にわかりやすく、しかも、その大学の持っている特徴がつかめて、しかもそれが、われわれはそこに行けばこういう勉強ができるという印象を与えるようなものにしなければならないという意味で、大学の名称という場合には、ここでまた大学の自治やそういうものと密接な関係があると私は思うのですが、いかがですか。
○木田政府委員 大学の名称を、現実にいまの各国立大学の名称等ごらんいただきますように、単科大学の中には、その単科の専攻分野を表示した字句を名称の中に入れておるものもございますが、総合大学は一般的に地名をもって名称にいたしておるわけでございまして、専攻分野を入れておるわけではございません。今度筑波に新しいビジョンのもとで総合大学をつくるという関係者のお考えからいたしまして、文部省といたしましては、一般の総合大学の例にならい、地名をとって筑波大学というふうに提案をいたした次第でございます。
○嶋崎委員 東京教育大学の内部で、名称についての討議やそういうものがあったかどうかについて、事実はいかがですか。
○木田政府委員 筑波大学の創設準備会で東京教育大学の関係者、学長その他関係者の御参加をいただいて、最後の段階に筑波大学という名称に事務的にも御相談を進めたわけでございますが、その過程で、東京教育大学の関係者からは、これと異なる御提案はございませんし、学内におきますいろいろな意見につきましても聞かされておりません。
○嶋崎委員 そうしますと、やはりこの名称は、プロセスでは事務的に出てきた名称で、真剣に考えた上で出てきた名称じゃありませんね。
○木田政府委員 長い準備の過程で、関係者が十分、この筑波の新しい大学というイメージのもとで定着をしてきた名称だと考えております。
○嶋崎委員 東京教育大学のマスタープラン委員会は、名称について非常な討議をしている過程があるのですが、知っていますか。
○木田政府委員 私個人は、その詳細なことを聞いておりません。
○嶋崎委員 筑波新大学ニュースというものを東京教育大学で出しているのは御存じですか。
○木田政府委員 ニュースが出ておることは聞いております。
○嶋崎委員 やはり、新しい大学をつくるにあたりまして、創設準備会が文部省にできたら、大学の中ではどういうプロセスがあるかということについて慎重な配慮があっていいのじゃないでしょうか。そういう意味で資料を、どういう資料で何が載っているぐらいのことは、文部省のほうではつかんでおく必要があるのじゃないでしょうか。
○木田政府委員 文部省が筑波新大学の創設準備会を設けまして、作業の過程で東京教育大学の関係者はたくさん、学長ほか御参加をくだすっております。その過程でこの名称の論議も十分検討されておるというふうに私は考えております。
○嶋崎委員 私の調査と事実が違いますね。筑波新大学ニュースには、名称について全学的な討議を起こそうということで、ずっと前から討議していますよ。 文部省の、その大学の名称の事務的な過程で参加された教育大学の先生はどなたですか。
○木田政府委員 筑波新大学創設準備会に……(嶋崎委員「何ページですか」と呼ぶ)五三ページでございます。五三ページ以下に、東京教育大学からは宮島学長、藤崎教授、福田教授、お三名が総会には御参加でございます。あと、他の部会等にはそれぞれ御専門の教官がたくさん御参加でございます。
○嶋崎委員 いま出されたこの資料は、ことしの、四十八年の二月ですね。これは共産党の山原さんの請求で出てきた資料ですね。その前の資料——文部省でつくった資料は「(第一次まとめ)」ですね。四十八年二月でしたか。その前は、文部省の筑波大学創設に関して出した公の資料はいつですか。どんなものがあるのですか。
○木田政府委員 文部省で外部に出しましたのは、お手元にも差し上げてあるかと思いますが、筑波新大学創設準備調査会という調査会が、二カ年ほど筑波新大学につきましての論議をして、「筑波新大学のあり方について」という報告書を出していますが、これが表へ出ております。
○嶋崎委員 また元に返りますけれども、筑波大学という名称が、教育大学の中では、たとえば筑波新大学ニュースの中には、MP委員会の中で、新しい構想の大学だから、一口で言いあらわすような文句をさがさなければならない、単なる筑波大学という、筑波というところではなくて。そういうために全学的な討議を起こそうという文章がここにあるのです。その討議を起こそうということをいった時期は、この文章は昭和四十五年一月です。ですから、四十四年の七月にビジョンは出た。その直後に全学的な名称の討議を起こそうという委員会での討議が行なわれているわけです。そして、そういう問題について、東京教育大学の内部で名称について十分討議されたという前提に立って、そしてあとで事務的な過程で筑波大学という名称になったということになるわけですか。
○木田政府委員 東京教育大学の内部におきます名称の論議の詳細については、承知をいたしておりませんが、東京教育大学からは、有力な御関係の学長、教官が御参加になっております。そして、最終の段階で筑波大学という呼称に逐次定着をさせていきます間、これと異なる御意見を大学側から伺ったことは一度もございません。御関係の方々も学内の論議は十分踏まえた上で、こういう名称の定着に御賛同あったものと考える次第でございます。
○嶋崎委員 そうしますと、筑波大学という名称はだれがつけたかよくわかりませんが、法律案が提出された段階で筑波大学ということになったわけですね。
○木田政府委員 国立学校の名称は、法律をもって確定をさせていただいております。
○嶋崎委員 その回答ではないのです。そこが問題なのです。つまり、大学の名称をつくるにあたって、かつての東京教育大学のように大学内部で、大学の特徴を考えて、国民にわかりよくする、専門的な学生をつくっていくに必要なイメージをはっきりさせていく、また、研究、教育の特色というものを生かしていく、そういうことにふさわしい名前は何か。単純にたとえば経済大学という名前をつける場合でも、それなりに意味を持ってくると思うのです。ですから、そういうプロセスがたいへん重要なのだということなのです。だから、法案が提出されてきた過程で、でき上がってきた過程で、こういう名称なら名称というものを、どこでどういうふうにつけていくかということは、何とはなしに事務的に、話し合っているうちにこの名前が定着してきたというような、そういう大学設立だったら、国立学校設置法の一部改正案でできる大学ではないですか。
○木田政府委員 いろいろ準備の過程の中で、おのずから定着するというのが一番いいことだと考えております。幸いに昭和二十四年のときのような論議を私どももまだ伺っておりませんで、むしろ皆さんが、筑波大学という、一般の総合大学に地名をつけて総合大学の名称としておる、この同じ例によってお取り扱いをいただいておる次第でございまして、大学関係者たちの論議の過程は、むしろ円滑に進んできたものというふうに考えております。
○嶋崎委員 あとで質問しますけれども、円滑にいったかどうかがたいへん問題なのですよ。今度の筑波大学の場合は。ですから、そういう意味で、大学の名称というのに非常にこだわりますけれども、そういう名称というものを審議しようじゃないかというマスタープラン委員会での、片方での討議がある。それについて結論は最後まで出ていない。そして、ことしの二月に出た文書ですと、最後に結論の段階で筑波大学の名称に落ちついているという結論だけが出ている。そのプロセスの中に、この筑波大学というのは、皆さん方の文書を見れば書いてありますように、いままでの大学と違った——違ったといっても異質という説じゃないでしょう、だから法律改正をなさったのでしょうけれどもね。そしてそれは特殊な、何も全国に一般化するとかそういうややこしいものではないという考えでお出しになったと思いますが、けれども、その大学はいままでにないたいへん新しい特徴を持った大学であることは間違いありませんね。 たとえば、研究と教育の分離というのを組織的に考えようとしたり、それから人事委員会や参与会や、そういう新しい制度を持ち込んだり、それからまた、研究と教育については再度またこまかに御質問させていただきますけれども、そういういままでの大学と違ったタイプの新しい大学をつくろうという、たいへん意欲的な試みですね。そういう意欲的な試みに際して、何といったって筑波大学をささえるところの中心は、東京教育大学の先生方が主体ですね。そういう人たちの中で民主的な討議や、それから大学のあるべきビジョンに関連しての名称というものを、煮詰まらないかっこうのままに法律案の形成の過程で事務的に筑波大学と称した、そういう手続のとり方、ここに法案形式のいわば——合法か非合法かという問題ではないですけれども、あとでまた議論しますけれども、御承知のように教育立法というものは最も民主的な、最も非権力的な社会的作用ですね。ですと、そういう大学の新しい名称というものを つくるにあたって、そういうプロセスが、どういうふうに大学の自治、大学の主体性、研究者の意思、そういうものが反映しているかというプロセスが私は大事だと思うのです。 ところが出てきたものは、事務的に討論しているうちに筑波大学というのが、何とはなしに名前が定着してきた。そして法案の過程でこう出した、そういう取り扱い方ですよ。それが、文部省が意識的かどうかは別として、全体として大学の創設に対して指導権を握っている、ないしは政治勢力が指導権を握るかのような印象を国民に与えている。そうであるかどうかはいまから詰めてまた議論をします。ですから、つまり、そういうプロセスが非常に大事だとぼくが思うのは、そういう大学の名称というのは、小中学校の学校の名称と違いまして、学問研究と関係がある。それからまたそこで授業を受けた学生たちの持つ資格、将来社会人として出ていくための、いわば前提になるものが、どういう形で研究や教授が行なわれるかということは、常に明確にしていく性質のものであるだけに、それだけにその名称というものは、事、単純ではない。だからこそ東京教育大学というのでも、出されたときとあとで変わったりしているけれども、プロセスがあるわけでしょう。その点を聞いているのですよ。だから、私の調べた範囲では、東京教育大学内部では——そのマスタープラン委員会というのは、皆さん方が持ち上げていらっしゃるここでのビジョンが母体になって今日の新構想大学ができたのですから、そのマスタープラン委員会の中で、名称についてもっと詰めた議論をしようやといっているときに、もう四十四年の中間報告の皆さん方の段階では、これは経過を見てごらんなさい。資料の名前をあげましょうか。教育大学が出したのは、六九年七月九日に出たときは、「筑波における新大学のビジョン」ですよ。「筑波における」ですね。ところが、文部省が途中で出した中間報告はどうなってますか。中間報告は、そのあくる年の七〇年十月二十一日に、局長、そこに私と同じ資料を持っているでしょう。この表を見ればわかりますよ。七〇年十月二十一日に「筑波新大学のあり方について」という中間報告をやっていますね。これは文部省の側から出た名前です。そして、そのあとに東京教育大学評議会が決定したものは、「筑波新大学に関する基本計画案」です。このプロセスをどう見ますか。つまり東京教育大学、その前後、昭和四十五年ですね、一九七〇年の一月はまだこの筑波新大学ニュースでは、名称の問題について審議しているまっ最中です。そのときに文部省が出したのは定着させていく「筑波新大学のあり方について」という中間報告が最初の公式文書でしょう。そうした名称についてイニシアチブを文部省はとっているのじゃないですか。それと前後して同じときに、あくる年にはっきり筑波大学(仮称)と出した文書がある、文教関係の筑波大学設置法案ですね。このプロセスを見たときに、教育大学のMPがまだ活動しているのですよ。そういう段階で、名称の問題についてまだ議論されている、だのに文部省のほうは将来名前が提起されるであろう筑波新大学中間発表をやっているのですよ。その点はどうですか。
○木田政府委員 文部省で中間的な発表をいたしました際にも、東京教育大学の関係者は御参加をいただいておる次第でございます。もちろん、東京教育大学の中でいろいろなマスタープラン委員会その他の論議が進んでいることはございましょう。しかし、それらを踏まえて東京教育大学の関係者が文部省の準備調査会等に御参加をいただく、その御参加の過程の中で呼称についての論議が続いてきた、それは先ほども申し上げましたように、筑波における新しい大学という意味で筑波新大学という呼称を用いて作業をしてきた、文部省としてその関係者の中間的な発表が行なわれたというのはまことに自然の過程だ、私はむしろ名称のようなものは非常に大事なことでありますだけに、自然の間に定着をしていく名称というものが一番無理がなくていいことだというふうに考えます。
○嶋崎委員 事実と違います。昭和四十八年の本会議の議事録でも文部大臣は私の質問を何を間違えたか知りませんが、あなたは事実についても誤りがありますと言って、私の言ったことと同じことを言っているのですよ。その際の回答について本会議で何を聞いているのかわからないけれども、これは余談ですが、ともかく四十四年の七月に教育大学の評議会がビジョンを決定したのですね。筑波における新大学のビジョン、そのあとを受けて文部省が十一月に筑波新大学創設準備会をつくりましたね。そのときからの関係者のリストがここに載っておりますね。そのリストには教育大学の先生は三人ぐらいしかいないじゃないですか。そこで名称がきまっているわけですよ。あとで定着をさせる筑波新大学、事実違うじゃないですか、いまのと。つまり東京教育大学の方々の意見が入って、そして定着をしていったというプロセスじゃないじゃないですか。どうですか。
○木田政府委員 名称につきましては、筑波新大学以外の別個の御提案等は、東京教育大学の御関係のどなたからも私どもが聞かされたことがございません。マスタープラン委員会の責任者をなさいましたのは福田信之教授でございまして、この方も創設準備調査会等の論議には早くから御参加をくださっております。そういう関係者の参加を得ました準備の過程の中で自然に定着をしてきたというのは、私は最もすなおな名称ではないかというふうに考える次第でございます。
○嶋崎委員 しかし、さっき局長は筑波新大学ニュースを知らぬと言いましたね。内部でどういう議論をしているかについて慎重な配慮がない。私はおこったり批判したりすることを目的にしているのじゃないのです。そういう慎重な配慮がないと、つまり大学というものが新設の場合と違って、東京教育大学が移転から新しい大学ができる過程で、いかに大学自治や学問の自由という現行憲法の体制の中のプロセスが踏まれているかということが問われる。皆さんが意図している筑波大学が生まれぬじゃないですか。だからそういうときには、現実の大学の中で、名称なら名称について真剣に討議するプロセスがあったとすれば、ないしは討議をしようとする呼びかけがあったとすれば、そういうものを文書を見て配慮をしながら筑波新大学という名称を定着させていく、この意識がその辺から始まるなら、そのプロセスでそういう努力がなければならないじゃないですか、そこを聞いているのです。
○木田政府委員 東京教育大学の中で名称についてのいろいろな御論議が活発に行なわれますならば、私どももおのずからそのことも聞こえてまいりましょうし、またそれが私どもの創設準備会等の論議の過程の中でも論議されることだろうと思います。しかし、東京教育大学の関係者が御参加をくださっておりますこの準備作業の中で、筑波大学と異なる名称の御提示は一度もございません。その意味で自然に定着をしてきているというふうに御説明を申し上げておる次第でございます。
○嶋崎委員 いまのような回答が問題なんですよ。つまり東京教育大学からあがったものが何もなければ私たちはそのことを進めてよろしい、こういうことにはなりませんか。かりにインフォーマルな形であっても、これは教育立法なんですよ。ほかの行政組織をいっておるのではないのですよ。教育立法ですよ。だからインフォーマルな形であっても、大学の内部のいろいろの討論や動きというものを結論づけるためには、かなり時間がかかると思うのです。そのために紛争の種になったりしているでしょう。それはいろいろな要因がほかにもからんでいると思います。だから、特にそういう内部での討論というものがどうなっているかということを常に見守りながら、単に大学を新設するのではなくて、教育大学がそういう新しい大学に生まれ変わるというわけですから、これは文部省が名前をつけるのか、自民党さんが名前をつけるのか、現地の大学で名前をつけるのか、名づけ親というものは大事だと思うのです。その名づけ親を鮮明にしていくためには、結果としてそれは法律案の段階で筑波大学になってもかまわないのですよ。それは筑波大学という名前を悪いと言っておるわけではないのですから、結果はそうなっても、そのプロセスがいわゆる教育という社会の持っている、大学の持っている特徴ですね、その特徴を文部省や何かがよく見ながら慎重に配慮していくという必要があるのではないのですか。ぼくはそう思うのですけれども、いかがですか。
○木田政府委員 準備の過程で、三、四年文部省といたしましても慎重を期して関係者の御論議をいただいてまいりました。その過程で、名称につきましてはいま御提案を申し上げておるもの以外の御論議は聞かされておりません。
○嶋崎委員 さっきから言ったでしょう、時期を見て、ごらんなさい、年数を。四十四年七月でしょう。文部省は十一月ですよ。あくる年の十月には新大学の中間報告が出ているのですよ。その会議の回数は、そこに書いてありますけれども、何回ありますか。こんな少ない回数ですよ。ここにある審議の過程見てごらんなさい。新しい大学で、全国民が問題にしていくような大学の過程でのその会議の中で、この議案の中には、ここには名称についてという議案は一ぺんもありません。そうしたら、大学の名称という問題について大学側の動きやそういうものに配慮なしに命名したということじゃないのですか。
○木田政府委員 関係者に格別他に異なる御論議がなくて、自然に定着をした名称は一番いい名称だというふうに考える次第でございます。
○嶋崎委員 そんなの暴論ですよ。それはつまり逃げ答弁ですよ。つまり四十四年に教育大学がやって、最後に基本計画なんか出てくるのは四十六年、基本計画が出てくるまでに二年間ある。そうすると、四十四年七月に評議会で決定して、そして文部省が十一月にできて、それからMPが基本計画案を発表したのは四十六年ですね。その一カ月あとに文部省のほうでも、その次の第一次のまとめが出ておりますね。その間二年間あるのですよ。二年間あるのだから、その途中に中間報告が出ているのですね。だからそういう短い期間の中で、しかも新しい大学を創設するにあたっての専門委員会というものは、教育大学の先生方はほんとうに——学長は参加しておられましたが、非常に少ない数で、新たなメンバーでもって大学構想を打ち出しているでしょう。そうですね。いま私の言ったことは認めますね。
○木田政府委員 東京教育大学にマスタープラン委員会を設けられましてから、いろいろな御論議が進んだ過程は数年間にまたがっております。そして、昭和四十六年に東京教育大学自体が基本計画を御提示になりましたあと、文部省で具体的な創設準備に取りかかりましてから今日まで、ほぼ二年近い準備期間を持っておるわけでございますから、この新大学を中心にいたしまして準備をしてまいります期間というのは、相当の年月をかけて関係者が御討議をくださったわけでございまして、その間他に特別の御提案もなく、自然に定着をした筑波大学という名称は、関係者の一致の名称だというふうに理解をいたしております。
○嶋崎委員 いまの過程で、私はこういうふうに私なりの事実認識をいたしました。つまり、筑波における新大学のビジョンという、そういう四十四年七月の東京教育大学の決定当時は、まだ筑波大学という名称は定着していなかった。ところが、文部省が創設準備会をつくって、そして創設準備会で中間報告をなさる過程で、東京教育大学の先生の意見も聞いた上で——ぼくは非常に少数の意見だと思うけれども、メンバーを見たって三人しかいないのですから、だからそういう過程で「筑波大学のあり方について」という中間報告が出たのですね。ですから、そういう事実経過から見て、この名称の発端は、文部省がアレンジしてでき始めたその創設準備会の中で、将来の筑波大学という名前をつけるに必要な、いわば定着さしていく出発点のそこから確認して始めた、こうまず理解していいですね。
○木田政府委員 東京教育大学の関係者が、長い間筑波における新しい大学のビジョンを固め、筑波新大学のビジョンというふうに呼称をされ、それを、マスタープラン委員会ができましてから今日まですでにもう五年も前のことなんでありますが、その論議の過程をずっと受けながら、東京教育大学のマスタープラン委員会の委員長であるとかあるいは学長であるとか、そういう関係者が参加をして定着した名称というのは一番自然な名称で、これに対して他に異なる御提案は聞かされておりません。一番国会に御提案するのにいい名称として政府が決定をいたしたわけでございます。
○嶋崎委員 国会で名称を変える提案があったら変わるのですね。
○木田政府委員 国会の御審議のことでございますから、御審議の過程の問題だと考えます。
○嶋崎委員 私は、いまから次の問題に入る前提として、こういうプロセスというのはたいへん重要だという判断なんです。それで、要するに新しい大学の名称は、文部省の創設準備会の過程でおのずから定着してきたというふうに判断をさしていただきます。現東京教育大学内部では、その当時名称についての論議があっているということの関係の中で、その内部の実情については知らないまま、文部省としては新大学という形で筑波大学の名称を定着させていくというプロセスをとったということだという事実評価を確認をしておきます。私の調査では、筑波大学(仮称)という名称が公の文書として出たのは——仮称という形、いわゆる新大学ではなくて、「筑波大学(仮称)設置要綱」という自民党の文教部会の文書で出たのが正確には初めてだ、こういうふうな事実をつかんでおります。だからそうしますと、筑波大学という名前がきまってきたプロセスは、現地の東京教育大学内部では、そういう名称についてはまだ審議があっている一年後に、その創設準備会が筑波新大学という名称で中間発表をして、その直後にそれから一年してからですが、自民党のほうで筑波大学(仮称)という名称の設置要綱が出ていて、おととしですか、そうして定着をした、そういうプロセスですね。公になっている文書に見る限りは。
○木田政府委員 東京教育大学が昭和四十六年六月十日に「筑波新大学に関する基本計画案」というのをおまとめになりましたのは、東京教育大学に設けられておりましたマスタープラン委員会の御論議の結論をこういう形で大学としてお認めになったものと考える、したがいまして、筑波新大学という呼称も、その間に東京教育大学の中で用いられてきたものというふうに私どもも考える次第でございまして、それを受けて、文部省の創設準備会等が同じ筑波新大学という呼称で作業を進め、法律案に御提案をいたします直前の準備段階から新ということばをとりまして、筑波大学という呼称にして作業を進めてきたというのが経緯でございます。
○嶋崎委員 事実評価について、すれ違いになっているところがある。ただ、はっきりしているのは、東京教育大学内部でそういう動きがあったということは文部省は知らなかったということだけは事実ですね。
○木田政府委員 マスタープラン委員会でいろいろ御論議がございましたが、その過程を逐一承知しているわけではございません。名称につきまして、どのような御論議があったかについては承知していないと先ほど申し上げましたが、それは他に異なる御提案その他がないということも含めて承知をしておらないわけでございます。
○嶋崎委員 そこが問題なんです。提案がなければ、大体筑波新大学という名称で走ってよろしいというふうに取り扱う取り扱い方が、新しい大学を新設——単に国立学校設置法一部改正案、それだけでつくるというんじゃなくて、新しいビジョンの大学いうものをつくる際のいわば大学の名称は、そういう手続の問題に関連して私は聞いておるんですよ。だから出てくるものが出てこなければ、大体それで了解できて、そしてその名称が定着するであろうという問題のとらえ方そのものがどうも理解できないし、そういう手続の取り方が、これから質問していく問題に関連して、私はたいへん手続上の問題性をはらんでくるんじゃないかというふうに思うんです。だからこれは、事実認識についての違いがいわば明確になっているようなものだと思いますけれども、さらに次々と議論をしていく中でより具体的にさせていこうというふうに思います。 それで、名称の問題は、私はやはり東京教育大学での動きがあって、そしてそういう動きの中でむしろ積極的に——結果として筑波大学になってもいいんですよ。しかし、その過程でそういう論議が行なわれているということの中に、実は新しい大学というものを構想していくプロセスが、教官全体の民主的な意思の統合の過程としての一つの側面だと思うんですね。ですから単に研究教育や研究体制だけの問題じゃなくて、管理体制の問題だけじゃなくて、そういうシンボライズされたものについてそういう大学の特徴というものをつかむ意味においても、新しい大学の名称は、結果として筑波大学は何もシンボライズされたものでないかもしれない。しかし、それでもそういう名称をつけるかつけないかということを討論したプロセスがどういうプロセスをとるかということが、これまた大学自治というもののあり方と関係があると私は思うのです。ですから、そういう意味で、内部でのそういう議論というものを時間をかけて煮詰めれば、それも五年も六年も待っている話じゃなくて、名称をつくるにあたって一定期間そういう学内の世論を統合していく過程があればまだしも、東京教育大学が、新しい大学ができるそのプロセスでのその後の問題点というようなものが、一つでも消えていく条件になりはしないかというふうに私は考えるわけです。
○田中委員長 午後一時再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時十一分休憩 ————◇————— 午後一時十六分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 国立学校設置法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。嶋崎君。
○嶋崎委員 最初に、もう一つお尋ねしますが、明治以来というとちょっと大げさかもしれませんが、新しい国立大学を設置するにあたって、国会で与党と野党が対立したり、国民の世論が分裂するような大学の設置がいままで日本の文教史上にありましたか。
○木田政府委員 過去の経緯を一々承知しておるわけではございませんが、先ほど御指摘のございました東京教育大学を国立学校設置法の中に提案いたしました際に、それを構成いたします大学関係者の中にかなりいろいろな論議がありました。それからまた東京文理科大学をつくるというような過程で、かなり幅広い論議があったということは聞いております。
○嶋崎委員 私の聞いておるのは、たとえば旭川医科大学ならば与野党一致して直ちに大学設置できますね、いままでの討論の経過からしても。ところが、今度の筑波大学という大学を設置するにあたって、ここで国会内部では与党と野党が意見の対立をしておる。そのことは、国民の世論からいっても、かなり世論が大きく割れているというような過程で大学を設置したという経験がありますかという質問です。
○木田政府委員 戦前は学校の設置は主として勅令をもって実施いたしておりますので、国会の中で特定の学校につきましての論議がどの程度行なわれたのか承知をいたしておりません。新しい憲法のもとにおきまして、国会で大学をめぐっての論議がいろいろと進むようになってまいりました。個々の大学をめぐっての扱い、大学全体として大きな問題になりますのは、おそらく今回が初めてだろうと思いまするけれども、しかし、かつて御検討をいただきました大学管理法案、その他大学をめぐっての論議の中で、国会の各党の間で活発な御論議があったということは、幾たびか承知をいたしております。また個々の大学の個々の分野につきまして、取り扱い上の論議が起こるというようなことは、私どもも大学の移転、統合の際にかなり議論があったというふうに考えまするし、また東北大学等の例を考えてみましても、新しい宮城教育大学を分離します過程において、かなり論議がかわされたということも私の記憶にございます。
○嶋崎委員 いや、大学設置ですよ。新しい大学をつくるということに関連して、国立学校設置法の一部を改正して、そして新しい大学をつくるということに関して、国民的な合意を得にくい、そんな例はなかったわけですね。
○木田政府委員 どこまでをどう考えるかということでございましょうけれども、東北大学から宮城教育大学が分離いたします過程におきましては、かなり活発な御論議があったというふうに記憶をいたしております。
○嶋崎委員 論議があるのはあるでしょう。論議はあったでしょう。しかし、国会で与野党が、大学の設置ということに関連して意見が対立してきた経験がないと思いますけれども……。
○木田政府委員 いま記憶がさだかでございませんので、また確かめてお答えを申し上げますが、宮城教育大学を設置いたします過程では、東北大学は紛争にも巻き込まれましたし、その宮城教育大学の設置につきましてかなり論議があったということはございます。 また名称の件でございますけれども、個々の大学の名称を変えることにつきまして、国会の場で相当活発な御論議があったということも記憶に残っておりますが、賛否の過程がどうであったかという点は、また別途調べましてからお答えを申し上げたいと思います。
○嶋崎委員 たとえば大学管理法だとか、そういう大学管理制度の一般的な問題に関連する法案をめぐる意見の対立はあったと思うのですよ。ところが、旭川医科大学を設置するとか、それから愛媛大学とか等々のように、大学を設置するという、国立学校設置法を一部改正して新しい大学をつくるというようなことに関連して、その過程でいろんなことがあっても、国会でその設置にいまのところ賛成するわけにいかぬ、もう少しその法案の内容についていろいろ検討をしなければというような大学の設置はなかったんじゃないでしょうか。
○木田政府委員 さっき申し上げました宮城教育大学の設置の際の各党の御意見がどうであったか、ちょっとさだかでございません。一般的には御指摘のように、多くの場合に一致の御賛同を得ながら、大学、学校はつくってきたと思いますけれども、場合によりましては、国立学校設置法の改正につきまして御論議があったという記憶は残っております。
○嶋崎委員 論議があったのはわかるのですよ。今度の筑波大学のように、新しい大学を設置するという、そういう設置に対して、野党の中で論議は——それはたとえば医学部なら、医科大学をつくるにあたって、定数がどうだとか、医学教育に必要な条件がどうなっているとか、または移転にあたって教官の配置転換にからまる問題でどうだとか、それに伴って大学が縮小統合されるというようなことがいろいろあると思うのですよ。そういうことで論争があっても、大学を設置するということには賛成する。いまのところ、そういうタイプの大学は設置していいかどうかというような根本的な問題にかかわるような議論で、与野党で対立したような経験はないんじゃないでしょうか。
○奥野国務大臣 大学につきましては、多年にわたりまして非常な紛糾を重ねてきているわけでございます。その中で、東京教育大学が一つの改革案を提示したわけでございます。したがいまして、この提示を立法化する、これにつきましてやはり賛否の論がわいてくる、これはまあやむを得ないことじゃなかろうか、こう考えているわけでございまして、従来ずっと学部の組織を続けてきて、その中で東京教育大学が新しい案を提示されたという違いがあることは事実でございます。
○嶋崎委員 先ほど社会党の長谷川理事から、この分離案の提案があった際に、それぞれの野党のほうで理由を述べられたわけですね。あの理由の中では、つまり、筑波大学の設置にからまる大学の設立に関する問題と、それから旭川医科大学その他の大学の設立にかかわる問題とが、質が違うというような意味のいわば理屈、理論づけでもって、その反対のこっちの後半の切り離してやるほうについては、徹底した慎重審議が、憲法論から大学管理から、研究、教育に至るまでしなければならない、そういう性質の大学が片一方では問題になっているわけでしょう。これは非常に歴然としているのは、旭川医科大学については、大学の医学部というものを、どういうふうにお医者さんを養成していくかということに関連して、医学教育の内部を充実させるというようなことについては、いろいろな議論がまたあっていいと思うし、まだあると思うのです。新大学の設置そのものには直ちに国民的な合意ができますね。ところが、筑波大学のほうは、そういう意味での国民的合意ができないという意味で、切り離したらどうですかという提案だったと思うのですね。つまり、そういう性質の筑波大学ですね。その筑波大学というようなものを設置するについての、野党がそういう形で提起したような大学設置というのは、いままでにはなかったのじゃなかろうかと私は思うのですが、私の事実認識が間違いでしょうか。
○木田政府委員 先ほど個別の例を申し上げましたが、宮城教育大学を設置いたします際には、そのことの可否をめぐりましてかなり激しい賛否の論議がございましたから、そのときの当委員会におきます賛否がどうであったかというのをもう一度私も確認をした上で、その事実があったかなかったかについてはお答えを申し上げたいと思います。 また、大学の名称につきましては、名称変更にあたりまして賛否が対立をいたしまして、賛成多数で国立学校設置法の関係大学の名称を変えたということがあったと私記憶いたしております。これもまた賛否を確かめましてからお答えをさせていただきたいと思います。
○嶋崎委員 さっき野党から分離論ですね、第一条とその他筑波大学とを分離せよという提案があったのに対して、採決されましたけれども、分離できないというその趣旨と理論的根拠を、大臣、説明してください。
○奥野国務大臣 国立大学でございますので、国立大学が網羅して国立学校設置法に規定させていただいているわけでございます。したがいまして、そういう意味でこれを受け取って御論議いただきたい。 同時にまた、二月に提案をいたしまして、三月の本会議で質疑をいただきまして、四月、五月、六月にいま入ってきているわけでございます。この段階で分離案を提案されるということにつきましては、私たちは、審議をもう一ぺんもとへ戻すことになるのじゃないだろうか、こういうようにも考えるわけでございまして、言いかえれば、筑波大学をこの際成立を見ないようにさせたいということでの御提案ではなかろうか、こう受け取らざるを得ないわけでございます。そういう意味合いにおきましては、終始一貫、分離提案できない、こういうお答えを申し上げてまいった次第でございます。
○嶋崎委員 その分離せよという趣旨は、先ほどの説明にもありましたように、旭川医科大学や愛媛大学その他の新増設については、いま直ちに国民的合意ができるからできるという性質の、国立学校設置法の一部改正でできる、そういう大学だという認識に対して、もう一つの筑波大学に関しては、それとは異質だという趣旨の説明だったと思いますね。それは別に、今度の筑波大学は旭川医科大学なんかと同じような同質のといいますか、同じ性質の大学というふうに理解されているのですか。
○奥野国務大臣 国立大学としては同質だと考えております。ただ、組織につきまして、学部組織では適当でないという東京教育大学の提案を受けて、その点につきましては違った内容を御提案申し上げておるわけでございます。
○嶋崎委員 そこで、われわれは、先ほど野党側のいろいろな説明にありましたように、いままでの憲法や教育基本法や学校教育法や教育公務員特例法や、そういう一連の現行法の体系の中で設置する大学にしては、一片の法律改正では済まされない問題を含んだ大学の設置だと考えているわけです。ですから、そういう意味で、旭川医科大学とかその他の新増設の大学と同じ意味での大学の設置だという判断をとっていないわけですね。 いまこの法案を提案している立場からして、前者と後者、第一条と筑波大学については、そういう憲法や教育基本法その他との関連で慎重に審議する性質の大学だというふうには考えていないわけですか。
○木田政府委員 大臣もお答え申し上げましたように、国立学校として、また国立の大学として、同じものだというふうに考えておるわけでございます。また、教育基本法、憲法との関係において、何ら他の大学と変わらないと思っております。ただ、御提案申し上げておりますように、学校教育法の学部構成のところが違うという意味で関係規定をあわせて御検討いただいておる次第でございます。
○嶋崎委員 そこで、分離提案についてはもう採決が済んでいますし、そういう見解を承って、次に進みますが、東京教育大学は廃校になるということは、いつ、どこで、だれがきめたのですか。
○木田政府委員 この法案で御提案申し上げている次第でございます。
○嶋崎委員 この法律が通れば廃校になるのですね。
○木田政府委員 この法律案に規定してございます昭和五十三年の三月三十一日をもって東京教育大学は廃止するということに相なります。
○嶋崎委員 この法律が通ればというわけですけれども、この法案が通れば東京教育大学が廃校になるということは、筑波大学が創設されていく過程で、昭和五十三年ですかね、事実上教育大学の学生はいなくなって、来年、再来年とこの計画に基づいて新しい学生が筑波大学に入ってくる、教育大学に学生がいなくなった段階でこれが廃校になる、そういう仕組みに法案はなっていますね。 ところで、東京教育大学がこの法案に基づいて将来廃校になるということを予測していく過程で、東京教育大学が今度なくなってしまうわけですから、そういうことに関連して、東京教育大学内部の世論はどういうふうになっておるかについての認識をお聞かせ願いたいと思います。
○木田政府委員 筑波の地に新しい大学として発展するという前提で、昭和四十二年以来マスタープラン委員会の御論議があり、それが筑波新大学として構想がまとまってまいりまして、その新しい大学に発展をする、よって従来の東京教育大学は発展的に解消する、こういう御意見と承知をいたしておるわけでございます。
○嶋崎委員 東京教育大学が発展的に解消するというのは、東京教育大学の意思ですか。
○木田政府委員 筑波新大学の構想を考えて推進してこられた東京教育大学のお考えと考えております。
○嶋崎委員 東京教育大学が、筑波における新大学のビジョン案、これを決定されたのは一九六九年の七月九日で、そのあとに東京教育大学の評議会がこの案を決定されたかに聞いておりますが、その辺の経過をちょっと説明していただきたい。
○木田政府委員 東京教育大学は、昭和三十七年の九月に大学の移転問題を問題としてお取り上げになりまして、そうして昭和三十八年に、大学移転特別委員会を設置され、昭和三十九年の四月に評議会で大学の将来計画委員会の設置決定をして、逐次準備を進めてこられ、そうして昭和四十二年に評議会で、総合大学として発表することを期し、条件つきで筑波に土地を希望するということを決定されましてから、文部省あてに、筑波に土地を御要請になったわけでございます。その直後に、昭和四十二年の七月からマスタープラン委員会の設置を見まして、紛争の過程はございましたけれども、検討が進んできた。そうしていま御指摘がございましたように昭和四十四年の七月、評議会で、筑波における新大学のビジョンの実現を期して筑波に移転するということを決定された次第でございます。
○嶋崎委員 そこで、いまの経過をお聞きしまして、昭和四十二年六月十日、東京教育大学が筑波土地確保の意向表明の決定があって、そして文部大臣あてに十三日付でもって文書を提出されておるわけですね。昭和四十二年の六月十日、東京教育大学評議会が決定して、そして十三日に文部大臣あてに文書の提出が行なわれて、そして、続いてあくる月の七月の四日に東京教育大学がマスタープラン委員会の設置を決定して、そして七月の二十六日に設置要領を評議会で承認している。私、よりこまかく少し言っているのですがね。そういう過程を経ていると思うのですが、そして一カ月後の八月の二十五日に、評議会で、筑波に移転するにあたっての調査費の計上を決定しているわけですね。こういう経過が一つあると思うのです。 この個々の経過はすでに、そのあとの、要するに教育大学がキャンパスが幾つもあって、そして一つに統合していかないと学生の収容もできないし、大学全体としての全体的なシステムというものが非常に分散化している、そういうことで筑波に新しい土地を求めて、そしてそこに移転しよう、そういう段階での申し合わせのプロセスですね、いまの過程は。その点は間違いありませんですね。
○木田政府委員 四十二年の六月には、総合大学として発展することを期して、条件つきで筑波に土地を希望するということをきめております。御指摘のとおりかと考えます。そしてマスタープラン委員会を設けて、その総合大学として発展するという中身の御検討に入られた。また四十三年六月には、それを受けて移転調査費の概算要求を文部省に御提示になったことは、そのとおりかと考えます。
○嶋崎委員 そこで、経過の事実を共通の議論をしていくためにも確認させていただきますが、昭和四十二年の段階で東京教育大学が土地確保をきめて、移転の方針をきめましたね。そしてマスタープラン委員会を設置することを大学の評議会できめて動き出したわけですが、四十二年から四十四年の段階まで、つまり東京教育大学の昭和四十四年七月二十四日の評議会で、筑波における新大学のビジョンに基づいて新しい大学を設置するという最終決定が行なわれたというふうに聞き及んでいるのですけれども、その経過はいいですね。
○木田政府委員 いま大体御指摘があったとおりかと考えます。
○嶋崎委員 そこでちょっとお聞きしたいのは、この当時教育大学にたいへんな紛争がありましたね。四十二年七月にマスタープラン委員会が結成されて、そして四十四年七月二十四日の、新しいビジョンに基づいて新しい大学をつくることを決定した評議会までの間、大学内部に、東京大学と並んで問題になったたいへんな紛争がありましたね。その過程でマスタープラン委員会というのは活動していたんですか。
○木田政府委員 紛争の激しい最中に、そのマスタープラン委員会の審議が順調に行なわれなかったということはあったかと思いますが、このマスタープラン委員会が四十二年七月に設置されて、四十四年七月までの間に審議が行なわれていなかったということではなかろうと思います。
○嶋崎委員 いまの局長の答弁は、私の調査した事実とだいぶ違いますね。教育大学の中で、マスタープラン委員会の討議を中止するという決定をやっている教授会は幾つかあるのですよ、御存じですか。
○大崎説明員 私どもが承知いたしておりますところでは、四十三年六月ころの時点から、マスタープラン委員会の正式の審議が中断をされまして、有志グループその他の形でいろいろ御検討は進められておりましたようではございますが、委員会としての活動は中断ということでございます。四十四年六月に正式に再開されておるというふうに承知をしております。
○嶋崎委員 いまの課長の説明が正確だと思いますね。四十四年六月二日にマスタープラン委員会が再開しているんです、ちょっと事実を確かめると。内容と非常に深い関係がありますからね。 六月二日にマスタープラン委員会が再開されて、そしてあくる月の七月九日には、「筑波における新大学のビジョン」という案を評議会では決定しているんです。そうしますと、マスタープラン委員会というものは四十二年に設置されて、そしてその途中の過程では解体していて、四十四年六月の段階になって再開されて、一カ月後に「筑波における新大学のビジョン」を答申しているんですね。 この事実はどうですか。
○大崎説明員 再開されましてから約一カ月余で答申が出たということは、おっしゃるとおりであります。
○嶋崎委員 いま事実確認をやっていますから……。そういう経過ですね。ですから、あとでまたこの内容に触れますが、新しい筑波大学を教育大学が生まれ変わってつくるという方針を大学全体で確認したのは、四十四年七月ですね。そのときには東京教育大学が廃校になるというようなことは、同時に議論されてはいなかったですね。いかがですか。
○大崎説明員 筑波において新大学のビジョンの実現を期するという御決定の裏には、先生方を中心に、現在の東京教育大学という機構自体は現在地にはなくなりまして、筑波の地で新しい大学としておつくりになるという意思決定だったというふうに理解をいたしております。
○嶋崎委員 筑波における新しい大学のビジョンは決定しているけれども、筑波にどういう形の大学ができるかについてはまだ確認されていないのじゃないですか。
○大崎説明員 先ほどのお話のように、そのビジョンを具体的にどうするかということをマスタープラン委員会で御審議になったというふうに理解しております。
○嶋崎委員 私はここでひとつお聞きしたいのは、新しい大学をつくると大学の評議会が意思決定したそのときに、文学部の教授会がその評議会の決定に参加していないというふうに聞き及んでいますが、いかがですか。
○大崎説明員 四十二年の六月、つまり筑波の地に条件付きで土地を希望するという決定をいたしました際には、評議会には文学部を含めた評議員全員がそろっておりました。ただ、その評議会の席上で文学部から修正案が出されまして、その修正案が採択をされませんで、これは私の大学当局からの伝聞でございますが、文学部の評議員も、その修正案の採択がなされなかったあとで、原案の採択をすること自体には同意をされまして、決定を見た。したがって、四十二年六月の時点では、文学部が同席をされました評議会で案の決定を見まして、その後文学部の教授会に持ち帰られた時点で、教授会ではその決定が御不満であるということで、以後筑波の審議には参加をしないという態度をとられたというふうに承知をしております。
○嶋崎委員 私のつかんだ事実と違いますね。つまり文学部教授会は、土地確保に関して、新しい土地に移転するというその評議会には参加をしていた。しかし、この筑波のビジョンのときには、新しいビジョンですから、これは大学における学問研究、教育というものの思想にかかわる問題ですね。そのビジョンですから。そう思いませんか。局長、いかがですか。
○大崎説明員 私が申し上げましたのは、四十二年六月の段階の話でございます。
○嶋崎委員 いまのはやはり私のが正確だったのですよ。四十二年の段階と四十四年の段階は違うのですね。それは確認なさいますね。——そうしますと、私がお聞きしたいのは、大学で一つの学部が新しい大学をつくることには参加できなかったということにからまって——その後は大学は廃校になるわけですね、この法案が通りますと。そうすると、一つの学部が参加しない、ないしはその意思決定に参加していない、いわばそういう大学の決定でもって大学を廃校にするというようなことは、いまだかつて日本にはなかったと思いますが、いかがですか。
○木田政府委員 昭和四十二年六月に評議会で筑波の地に土地を希望する、筑波に移転を考えておられるという決定をいたしましてから、文学部がこの筑波への移転に反対して、以後一切この筑波への移転問題あるいは新大学の問題の論議に加わられないということは、事実はそのとおりでございますが、非常に遺憾なことだと考えております。大学の評議会で決定されましたことにつきまして、その構成一部局が、その決定に不賛成であるゆえをもって、あと大学の正規の評議会の論議に加わられないという態度そのものは、私は理解しがたいところでございます。文学部全体で皆さんが御参加にならぬというわけでもないようでございますが、そのために筑波における新大学のビジョンその他の検討にあたりましては、文学部の中におきます移転を考えていこうという御賛成の方々も事実上参加されまして、そして筑波の地における新しい大学のビジョンの準備を進めてこられたという経緯はございます。しかし、その後一貫して大学のこの問題の論議に、四十二年以来一学部が正規の代表者をお出しにならないということは、いかにも異常な状態でありますし、また理解できないところでございます。
○嶋崎委員 一学部が参加しないのは異常だというのはお認めですね。そうして理解できないとおっしゃいましたね。なぜ参加しないのですか。
○木田政府委員 大学の正式の機関で御論議をされますことにすべて全員が賛成であるかないかというようなことを考えてまいりますと、事柄によりましては御反対の内容のこともあろうかと思います。しかし、大学全体としての意見を調整する一番大事な評議会で大学の意向としてきめられましたことに不賛成であるゆえをもって、以後一切そのことについてある学部が正規には参画をしないというのはとうてい理解できないところだと思います。反対でございましても、正規の機関できまった事柄につきましては、反対は反対なりに御参加あってしかるべきだというふうに考えておりまして、一部局が反対意見のゆえをもって論議に加わられないというような大学の運営が長く続くということは、とうてい理解しがたいところである、こう考える次第でございます。
○嶋崎委員 文学部が参加しなかった理由は何ですかと聞いているんです。
○木田政府委員 四十二年六月、評議会で総合大学として発展することを期し、条件つきで筑波に土地を希望するという決定をされたこと自体に御反対だというふうに理解しております。
○嶋崎委員 それはぼくの調べた事実と違いますね。土地確保、移転するというときまでは参加しているのです。それが、四十四年のビジョンの決定をめぐってその意思決定に加わってないのです。私はそう事実をつかんでおりますが、どこが違うのでしょうか。
○木田政府委員 四十二年六月、文学部からも正規の評議員が出まして、先ほど申し上げましたように、評議会で総合大学として発展することを期し、条件つきで筑波に土地を希望するということを御決定になりました。この際、文学部からはこれと違った修正案が提示された。しかし、その修正案は採択にならなかった。その議事を文学部の評議員の方々も入って決定されたわけですが、文学部教授会は評議会の決定を不満といたしまして、その直後に学部長、評議員を交代させ、以後この問題に関する審議には学部としては一切参加しないという参加拒否を四十二年の六月の時点で文学部がおとりになったわけでございます。
○嶋崎委員 私が聞いているのは、文部省や新しい大学を設置する側として、筑波大学という新しい大学をつくるためのビジョンを決定した四十四年七月の評議会、この評議会に参加しなかった理由ですよ。
○木田政府委員 それは、四十二年六月に筑波に土地を求めるという決定に対して文学部教授会が不満であるとして、この決定に参加された文学部の評議員を交代するというような学部教授会での措置をとられて、しかも学部教授会において、自今この問題に関する審議に学部としては一切参加しないという態度をおきめになったのが四十二年のことでございます。そのとき以来、この移転問題あるいは筑波の新しいビジョンの問題等につきまして、文学部は正規の教授会としては何ら参加をしておられない。その理由はというお尋ねでございますから、この評議会決定に反対であったから、こう考えるというわけでございます。 〔委員長退席、内海(英)委員長代理着席〕
○嶋崎委員 最初の段階での決定は、まだビジョンの出ていない段階ですね。その土地問題に関連してもいろいろ意見の対立があったでしょう。ところが、四十四年七月の段階になりますと、「筑波における新大学のビジョンについて」という答申案を前提にしての評議会になってきますね。そうしますと、土地問題をめぐって対立していた意見の内容と、四十四年の評議会の段階におけるビジョンをめぐっての意見の対立というのは、形の上では確かによく似てますね。その事実関係について私の調査とちょっと違うのですが、それはもう一ぺん調べ直してみないとよくわかりませんけれども、だから四十二年の段階は、新しい土地を求めて筑波大学への移転が前提になっている決定ですね。その段階ではまだMP、マスタープラン委員会は発動されていませんから、どんな大学ができる、どういう大学にしようという大学の意思はきまっていませんね。移転ということを前提にした大学ですから、おそらくいままでの大学のように国立大学設置法を一部改正すればいいというような大学だと、一般の大学教官は想定していたでしょうね。それが今度は四十四年七月の段階では、筑波における新大学のビジョン——この中身については、研究、教育の問題で私もたくさんお聞きしたいことがありますが、いまは形式的な手続論の民主性ということを問題にしているのです。ですから、四十二年の段階における土地問題をめぐる学部内の意見の対立と、四十四年の新しいビジョンというものをめぐる意見の対立というものが、形の上では参加をしないという形式は似ているけれども、内容的には、大学の将来にかかわるいわば学問研究、教育、大学管理一切にかかわる問題になってまいりますから、そういう問題に関連するビジョンということをめぐる大学の意思統合に際しては、これはいわば相当詰めた討論と、それからその民主的な討論のプロセスが必要だと私は思うのです。それは学問、思想、信条の自由等々の憲法上のもろもろの問題に深くかかわっていると思いますが、いかがですか。
○木田政府委員 文学部がおそらく筑波への移転反対ということから四十二年六月の段階で評議会の決定を不満とされ、以後この筑波への移転問題に関する論議には全然御参加にならないということ自体は、全く理解に苦しむ文学部の御態度だというふうに私は思うのでございます。よって、いま御指摘になりましたように、新大学におけるビジョンを四十四年にマスタープラン委員会の中身を受けて評議会の決定されます際にも参画をしておられません。ですから、その参加の中でどういうふうな論議が出たかどうかということにつきましては、私どもわからないわけでございますが、そもそも移転反対ということから一切の論議に応じてこられなかったという文学部のとった御態度というのは、われわれ通常の大学運営のあり方としては全く理解できないふしぎなことだと思います。
○嶋崎委員 そのふしぎなことが事実なんですよ。 そこでお聞きしますが、これは大臣にお聞きしたいと思いますけれども、いまの現行憲法と、それから学校教育法その他の法の趣旨、そういう中で大学自治というものをどういうふうに考えたらいいかということについての意見をお聞かせ願いたいと思います。 〔内海(英)委員長代理退席、委員長着席〕
○奥野国務大臣 あくまでも、おっしゃるとおり大学自治でございまして、個々の学部自治ではない、かように考えます。大学としての意思決定を自主的にやってもらう、それをできる限り尊重する、その大学の意思決定は大学の意思決定をもっておさめる方式があるわけでございますので、その方式によって行なわれている限りにおいてはそれに異議を差しはさむ余地はない、かように考えます。
○嶋崎委員 大学の意思の決定は学部の意思ではない、評議会の意思ですか。
○奥野国務大臣 大学の意思をきめます場合には、それぞれの方式があるだろうと思います。また、大学によりまして、慣行的にいろいろお進めになっているわけでございます。したがいまして、ものの性質によりまして、評議会で決定されるものもございましょうし、あるいは教授会で決定されるものもございましょうし、それぞれだと思います。しかし、大学の移転ということになりますと、やはり大学が評議会にかけて決定するという性格のものだ、かように思います。
○嶋崎委員 大学の意思を決定するときに、多数決という考え方についてどうなりますか。
○奥野国務大臣 好ましいことではございませんけれども、なかなかきまらぬ場合には、やはりそれでやむを得ないのじゃないだろうかというふうに思います。
○嶋崎委員 その多数決という場合、評議会の構成メンバーである一教授会が参加しないという形が現行法の体系の中で、実に、客観的にあってしまった、いい悪いは別として。そういうたいへん異常な事態というものをつくり出した中できめられた意思決定で大学意思の統合という前提に立てるのかどうか。その点について、どう思いますか。
○奥野国務大臣 いま御指摘になりましたことは、まさに今回法案を提案している一つの事情であります。現在、大学におきまして意思決定をします場合に、学部から評議会に代表者が出てきている。ところが、学部に足を引っぱられまして、連絡的な立場で、論議できないわけであります。まさに東京教育大学の場合には、論議できないどころじゃない、出席もさしてもらえないような姿になっておるわけでございます。そこで学部自治じゃなくて全学的な自治、それを目ざすためにはどうしたらいいだろうか、東京教育大学がいろいろ御苦心になりまして、いま提案しているような案をおつくりになったわけでございます。それを私たちとしては実現さしてあげたい、こういうことで法律案をお願いしているわけであります。
○嶋崎委員 大学の意思決定に際して、事、学問思想に関係のある、何しろ教育研究ということに非常に深い関係のある、そういう大学のあり方ということをめぐって意見が対立しているときに、そういうことに多数、少数という、全体の教官に対して多数決じゃなくて、教授会という大学の重要なことを審議する機関と、それから全学的な意思を決定する評議会というものがあって、その大学の意思を決定する評議会という機関の中に、一学部の教授会が参加しないという異常な事態になったときに、しかも、その内容が新しい大学のビジョンですからね。教育研究、学問、思想というものにかかわり合いのある、そういう内容の、新しい大学創設というような、そういう内容にかかわって大学の評議会に一つの学部が参加しない、そういう理由で参加しないといったときに、多数できめて大学の意思だというふうに現行法の体系では言えるでしょうか。
○奥野国務大臣 ちょっと話を変えられたように思うのですけれども、いま大学移転の問題この大学移転の問題につきまして、やはり評議会でおきめいただかなければならないということでございます。あとの問題につきましては、やはりでき得る限り大学が一致の構想をとることは好ましいわけでございますけれども、先ほど事務当局から申し上げましたように、四十二年の決定以来一切参加しないという方式をとっておられるわけでございますので、私はそれをもって多数できめたとか少数できめたという性格のものではないのじゃないだろうか。言いかえれば発言権を放棄されたのじゃないだろうか、私はこういう感じがするわけでございます。そういういろいろの事情が多年にわたって大学の紛争を続けている経過でございます。その中で、将来そういう紛争を起こさないようにするためにはどうしたらいいかというのが東京教育大学の一つの考え方ではないか、こう考えているわけでありまして、東京教育大学に対しまして同情をもって見てあげていただきたいな、こう希望を申し上げておきたいと思います。
○嶋崎委員 そこで、では大臣にお聞きしますが、いまの憲法ですね、大学自治の基礎になるとこるの、法の源になる規定は、質問すると失礼ですが、憲法二十三条ですね。「學問の自由は、これを保障する。」というところから大学自治という考え方が出てきている。大学自治というのは法律的に規定がありませんが、学問の自由を保障するということです。 そうしますと、いまの憲法の二十三条の学問の自由という考え方に基づいて、学校教育法を開いてみますと、五十九条に「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」「教授会の組織には、助教授その他の職員を加えることができる。」こういう規定がありますね。それから学校教育法の第五章は、大学を規定しているところですが、その五十三条には「大学には、数個の学部を置くことを常例とする。ただし、特別の必要がある場合においては、単に一個の学部を置くものを大学とすることができる。」という規定がありますね。だとすると、そのほかに大学の重要なことを審議する機関というのは、学校教育法には教授会というものが中心に書かれているわけです。そうしますと、評議会の暫定規則や何かを私前提にしているのですけれども、憲法二十三条で保障した学問の自由というものを、学校教育法では、これらの規定を通じて学問の自由というものを保障する大学自治の制度的保障と考えているのが基本だと私は思いますが、その点大臣、いかがですか。
○奥野国務大臣 学問の自由を保障する、そのために慣行的に、積み重ねによりましてそれぞれの大学の自治が保障されてきている、こう考えているわけでございます。そのあり方につきましては、各大学によりまして慣行が若干違ってきているのじゃないだろうか、こう考えるわけでございます。大学の意思を決定する場合に、すべてにわたりまして制度的にこれはこうだというふうな規定は現在のところないのじゃないだろうか、こう思います。でありますから、ばらばらな規定はございますけれども、そういう規定やらそれぞれの大学の慣行やら、そういうものが一緒になりまして大学の自治がこういうふうに運用されているのだという形が定まってきている、こう理解したい、こう思います。
○嶋崎委員 憲法二十三条と学校教育法との関係についての大学自治の根幹をいま質問しているのです。確かに総合大学化されてくる過程の中で、法律にはないけれども、教育公務員特例法を見れば、二十五条の読みかえ規定の中で評議会が出てくるのです。ですけれども憲法二十三条と、それから学校教育法という、教育に関する母法ですね、この憲法と学校教育法に関しての基本は、学部というものを中心に考えてきたいままでの伝統的な考え方が基本でしょうと言っているのです。その点は……。
○木田政府委員 「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」という学校教育法五十九条の規定がございます。御指摘のとおりでございます。憲法二十三条の学問の自由は、これを大学として受けます場合には、大学の中で学問研究が自由に行なわれるということを考えていくための制度上、慣行上の問題でございまして、法文の規定で端的に対応する規定があるわけではございません。しかし、御指摘がありましたように、大学の運営につきまして教授会というものを置いて、その意見を中心に考えていく、運営をはかっていくという考え方が五十九条にございます。しかし五十九条は、大学に教授会を置かなければならぬと書いてございますけれども、これが嶋崎委員も十分御承知のように、実質的には学部ごとの教授会あるいは研究所等その他構成単位ごとに教授会が置かれるというような実態になっておるわけでございます。 もう一つ重要な人事問題を考えますために教育公務員特例法という法律ができておりますが、この教育公務員特例法におきましては、学校教育法五十九条の教授会が実質的には学部等の構成単位ごとに置かれるということを前提にいたした上で、いわば学部教授会よりもより高度の、全学的な人事問題の意思決定機関として評議会という機関を想定して規定をしてございます。また学長選挙の際には、現行の規定では協議会という別の組織も全学的に設けられているということになろうかと思います。これらの大学の組織を通じまして、その運営を適切にして、個々の研究者の研究の自由というものがよく達成できるように考えていくというのが制度であろうかと思っておりますから、教授会のみならず、現行の体制の上では、国立学校に置かれております評議会等もやはり重要な大学の意思決定、参画をする機関である、このように考える次第でございます。
○嶋崎委員 まだ教育公務員特例法にはいっていないのです。いま言っているのは、憲法二十三条の考え方、教育に関する規定というのは、何も二十三条だけでなくて、たくさんありますね。たとえば、それでは学校教育法というものや教育公務員特例法なんかを考えるにあたりまして、その前提になる憲法上の規定で、憲法二十六条というものをひとつ考えてみますと、教育に関連して、「すべて國民は、法律の定めるところにより、その能力に應じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」「すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」云々とありますね。ここにいっている「法律の定めるところにより、」ということの意味ですね。それを教育立法全体の中でどう位置づけるかということを前提にして議論をしていかないと、学校教育法や教育基本法というものの持つ教育立法上における地位といいますか、そういうものを前提にした上で、われわれは大学の運営や大学自治や学問の自由というものを考えていかないと、立法趣旨や法の精神から違った解釈をしてくるという場合があり得ると思うのですね。 そこで、学校教育法とか教育基本法といわれる法律、つまり「すべて國民は、法律の定めるところにより、」という規定の持っている意味ですね。これについて少し意見をお聞きしたいと思います。
○木田政府委員 お尋ねの趣意がはっきりいたしませんのですけれども、憲法二十六条の「國民は、法律の定めるところにより、」という趣旨は、まさに国会で御決定になります法律の定めに従ってということのように広く解釈をいたします。
○嶋崎委員 そのとおりだと思うのですよ。第二次世界大戦前の日本の教育の体系は、教育勅語というものを中心にして、教育と教育行政とは一体化していましたですね。ところが、戦後の憲法下における教育の考え方というのは、教育と教育行政を分離するという考え方をとってきていますね。そうは思いませんか。——首をかしげていらっしゃる……。
○木田政府委員 教育と教育行政の分離という意味が解しかねまして、ちょっと首を傾けた次第でございます。
○嶋崎委員 つまり憲法の前文や教育基本法の前文にいっているように、国民主権というものを中心にして、国会中心、国会は国権の最高機関という考え方に立って、国民の利益ないし国民の要求に従って、法律で定めたものにより教育立法全体を動かしていくという法の趣旨だという意味ですね。そういう意味では、戦前のいわば教育勅語を中心にした教育立法の体制ないしは教育行政の体制というものに対して、法の優位性というものをうたうことによって、古い欽定憲法、昔の帝国憲法や教育勅語体制下における教育の縦割りの考え方を法によって民主化していく、そういう積極的な意味を持っていたのだと思いますね。そういうふうに私は理解していますけれども、その点は全く同じだろうと思いますが、いかがですか。そうですね。
○木田政府委員 戦前の天皇大権のもとで処理をすることのできました教育に対しまして、教育の世界も国民主権のもとで、法律あるいは広い意味で法律でございますが、国会のお定めになりました法律に基づく諸規定、自治体の規定、そういうものに従って教育のことを処理していく。これがいま御指摘になりましたように、憲法二十六条の趣意だと考えます。
○田中委員長 この際、暫時休憩いたします。 午後二時十八分休憩 ————◇————— 午後二時二十分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。嶋崎君。
○嶋崎委員 私の質問の趣旨は、一般抽象的なことですけれども、いままでの大学内部の自治というものを考えていくときには、まず基本になるのは、法に規定された、いわば法律の定めるところにより基本を考えて、その上で、大学の場合、特に教育に関してはそのほかに慣習法もあれば、それからまた条理に伴うようなものもあれば、いろいろな要素でもって慣習法的なものを使いながら、大学の教育や大学というものを運営していくという考え方に立っているところに、いまの大学自治というものを考えていく場合の前提があると思うのですね。 そこで、その前提になっているつまり憲法の考え方と学校教育法の考え方というものを、まずきちっとしておいて、そしてそれに伴って、たとえば教育の人事云々に関しては、教育公務員特例法では四条で規定したものの足りない分を六条で補ったり九条で補ったりしていくという、そういう法の体系を全体として基本に据えながら、大学自治の運営というものを、さらに慣習や伝統みたいなものを含めて考えていくという以外には方法はない、こういうふうに考えるのですね。 そこで、日本の大学における学問の自由という、憲法二十三条でうたわれた学問の自由というのは、私なりに、長い時間とりませんけれども、大ざっぱに言えば、戦前のいわば教育勅語を中心として、そして大学令、勅令でもってすべてが規制されてきた。そういういわば教育立法のあり方ないしは教育の法の体系に対して、それを民主化していく、そういう意味で法の優位性というものを説いたという点が一つあると思うのですね。つまり国民主権という考え方に立って、教育というのは法律の定めるところによって基本を動かしていくという考え方を一つとっている。そこへ持ってきて、いまの憲法を中心とした教育全体の体系というのは、二十世紀の教育観が同時に並行して入っていると思うのです。ですから、たとえば教育立法というようなものに際しては、教育における教育権というようなものをどんなふうに位置づけていくかというようなことに関連して国民は「ひとしく教育を受ける権利」というふうにいってみたり、または「能力に應じて、ひとしく教育を受ける」、能力とひとしくという問題を入れて機会均等というような考え方をとったり、さらには教育立法の過程で中立性というようなものをうたったり、そういう十九世紀の課題と違った新しい二十世紀的な公教育に対する原理と、特に日本の場合には、戦前の教育勅語を中心にしてできてきた教育の体系を民主化していくという意味での国会中心主義に基づくところの教育立法の考え方、ある意味で二重の課題で全体をつかんでいかなければならぬというふうに私は考えるわけであります。 そういうふうに考えたときに、日本における大学の自治というのは、第二次世界大戦前の私たちの先輩の経験にもありますように、かつての教育勅語を中心にして出てきた大学令やないしは大学制度の中では、教授会というものが法律的な保障もなければ、学問の自由ということの法的な保障もなければ、もっぱら大学設置者である政府が、縦割りで大学というものをコントロールしていくという性質を帯びていたと思うのですね。だから、たとえば問題になった大正三年の京大の沢柳事件にしたって、こういうものは教授会というものを慣習的につくり上げていくというための戦いであったとぼくは思います。その点は一致するだろうと思いますがね。つまり、教官の人事というものについて教授会が自主的に決定するということができない、そういう大学のあり方に対して、教授の人事ないしは教官の人事というものをきめるには、一番専門性の近い学者たちが集まっている仲間の学部でその人事というものをきめていく、これしかないという形での抵抗だったと思うのです。ですから、そういう意味で、戦前のいわば教育勅語の体制における当時の教育の体系の中では、大学における教授会というものの位置はなかった、法律的な意味では。それが慣習法的につくり出されていった過程での一つの事件だと思うのです。 また、その後の大正九年の森戸事件をとっても、それからまた昭和八年の滝川事件をとっても、それからその後の十年の例の天皇機関説、美濃部事件をとってみても、これは著書とか論文ですね。著書、論文というもの、つまり、研究の自由、同時にこれは教授の自由という問題にも関係してきますけれども、そういう思想、学問研究並びに教授のいわば自由というようなものが、こういう一連の事件にあらわれているように保障されていないがために、著書、論文というものをめぐって教官の懲戒や免職というものが起きてくる、そういう一連の事件の経過だったろうと思います。これは教授の自由、学問研究の自由というものが制度的に保障されていない、同時に、そういう教授の人事というものに対しての自主性というものが保障されていない、そういうことから起きた一連の事件であったというのが私は通説だと思うのです。 だから、そういう過去の、戦前からのいろいろな大学受難史とでもいいましょうか、そういう受難史を受けて戦後の憲法二十三条というものは憲法の上で高らかに思想、信条の自由をうたい、同時に二十六条で「法律の定めるところにより、」と、特に教育の立法に関しては積極的なものをいい、それだけではなくて、教育基本法という新たな準憲法的な、これは解釈にはいろいろ意見の違いがありますけれども、準憲法的な教育基本法というものを設け、さらに学校教育法というものを設けた。そういう一連の戦後のもろもろの立法の趣旨というのは、そういう戦前のいわば教育の体系を民主化していくという積極的な意味を見出すために、国民主権という考え方に立って、国民の教育要求というものをいかに保障していくかという観点で、法律的ないわば制度となってあらわれてきていると思うのです。 そういう前提に立って、学校教育法にいうところの、いわばここで規定されているところの教授会というものを考えてみますと、この教授会というものの考え方は、いわば学校教育法の中では、大学における重要な事項を審議するために教授会を置かねばならないという基本原則をうたったわけですね。ですから、これは憲法二十三条に、学問の自由というものを憲法上に明確にうたったのを受けて、学校教育法の中では、特に大学については数個の学部を置くと、学部というものを考え、しかも大学には重要な事項を審議するために教授会を置かねばならない、こういう趣旨で学校教育法における立法上のいわば精神が具体化されているというふうに理解をしようと思うのですが、こういうふうに理解をしますと、現行の法の体系のもとでは大学における基本は依然として教授会、法の示すところは少なくとも教授会が基本であって、その教授会というものを基本にして過去の、たとえば学問研究の自由、それから大学における人事権というものの基本を、学校教育法で教授会という規定を置くことによって保障していくという、そういう考え方に立ったのがこの立法の趣旨だと私は思うのです。その点は一般的な通説みたいなものですから了解できると思うのですが、どうですか、そこから論争が始まりますか。
○木田政府委員 教授会が大学におきます重要な役割りのものであるということから学校教育法に、大学には教授会を置くという規定があることは、私も同意見でございます。しかし、これは、戦前から続いてまいりました帝国大学官制では、学部に置くという規定になっておりまして、戦後、この学部という組織を構成要素としながら、戦前の官制と違いまして、大学に教授会を置くという趣意はどういうところにあるのか、多少私も疑問の残る点もございますけれども、しかし、その多くは、戦前からございました学部あるいはその他基本的な構成単位に教授会を置くという、現実の運営として行なわれていることでございます。大学の管理運営が、長い間の大学関係者の現実的な運営の積み重ねによって、慣行によって築き上げられてきておるという点も、また私も同じように考えるのでございます。そして、今日の大学におきまして、大学関係者がひとしく考えておられる、共通理解に立っておられると思いますけれども、数個の学部に分かれております総合大学にありましては、教授会よりももっと全学的な意思を確認をし固めていくための機関として、評議会というものを構成し運営しておられるということは、これまた戦後の新しい大学制度のもとにおきましても、多くの大学で積み重ねてこられた運営の実態だと思うのでございます。そうした点を踏まえまして、先ほど御指摘のございました教育公務員特例法等におきましては、いわば教授会よりもより上位の機関、こう推定できるような位置づけに評議会というものを置いておる。これもまた現行の実定法の体系上は否定し得ないところであろうかと考える次第でございます。ですから、これらを通じまして、評議会、教授会というものが、大学の中における重要な機関であるというように考える次第でございます。
○嶋崎委員 では、教育公務員特例法に入ってみます。 学校教育法には教授会しかないわけです。一番憲法に即して出てきた母法である学校教育法は、教授会というものを中心に据えておる。だから、これを根幹に据えておかなければならないという基本に立って、教官の人事におけるいろいろな保障が行なわれておる、こう理解すべきだと思うのですね。 そこでお聞きしますが、いま、局長は、教授会と評議会という——筑波大学のビジョンを決定した評議会が大学の意思だという法的な根拠として、評議会というものが、教授会よりも上位の機関だとおっしゃったが、評議会と教授会との関係は、上下の関係でしょうか。
○木田政府委員 評議会のほうがより全学的な立場における教官の意思を結集する機関であるというふうに私は考える次第でございます。
○嶋崎委員 評議会と教授会いうのは、上下じゃなくて、学校教育法にいっている学部がまずあって、個別があるわけですね。というのは、物理の専門家と工学者は学問研究の領域が違うのです。教育研究の条件が違うのです。そういう個別があるのですね。個別があるからこそ、学生たちは、おれは法律を専攻すれば法律家になるとか弁護士になるという意思がわくわけですが、個別のない大学というのは、これは、いままでの大学法——現行法ですよ。まずファカルティーというものを認めて、そうしてその学部というものが、それぞれ専門や研究機関というものは違うが、しかし、その学部間の意見の違いが起きてはいけないから、連絡調整のための教授会というものの機能を一方に与えながら、そして同時に、学部でなくて全学にかかわる問題については、評議会なら評議会で決定していくというようなことを運用上可能ならしめようとして出てきたのが評議会だと思うのです。ですから、いま局長がおっしゃった大学自治の根幹になるいわば制度的保障としての組織、この組織は、現行法上では教授会と評議会——これは筑波大学と関連してあとで非常に問題になるから、まず原理的に方法論だけ押えておこうと思うのです。 その評議会と教授会という、そういう大学の管理機関に関連して、教授会については法律で明確な規定が学校教育法にある。しかし、評議会はありませんね。ところが、教育公務員特例法の中の四条一項は「学長及び部局長の採用並びに教員の採用及び昇任は、選考によるものとし、その選考は、大学管理機関が行う。」二十五条の読みかえ規定では、これは教官については教授会ですね。ところが、第六条並びに第九条において、不利益処分等の問題に関連して、この読みかえ規定の中で評議会というものが出てきて、その評議会は、ここに書いてあるのは、「学長、教育及び部局長は、大学管理機関の審査の結果によるのでなければ、その意に反して免職されることはない。」教官の免職に際して、評議会の審査の結果によるのでなければ、教員の降任についても免職についても決定することはできない。 そこで、読みかえ規定として、その管理機関とは何かということを二十五条では読んだのですね。そうしますと、この評議会というものが大学自治の機関として法律的に出てきておるのはこれだけですね。そうしますと、その評議会の組織、運営、権限、それをきめておるのは何ですか。
○木田政府委員 評議会の組織、権限をきめておりますのは、国立学校設置法に基づきます文部省令でございます。国立大学につきましてはそのとおりでございます。
○嶋崎委員 確認しておきますけれども、昭和二十八年四月二十二日の文部省令、国立大学の評議会に関する暫定措置を定める規則、これの第五条、第六条に評議会についてのいろいろ規定があるわけですね。 そこで、お聞きしますけれども、省令と——教育立法における省令は行政命令です。その教育立法における行政命令と法との関係、いまの教育立法の体系の中における、文教、教育に関しては、省令というものには限界がありませんか。
○木田政府委員 現行の法体系におきまして、法律のほうが政令、省令よりもいわば上位のものであるということは御指摘のとおりかと思います。しかし、学校教育法の中で、大学は数個の学部をもって構成するというふうに書き、場合によれば単科の大学があると書きまして、そして大学の重要事項を審議するための教授会という規定を書いておりますが、これは一般的に国公私立の大学にまたがることでございます。国立の大学につきましては、戦前からでございますが、総合大学といわれるほどの大学にありましては、やはり学部の構成単位を総合する大学の重要な機関として評議会というものを位置づけてきております。これを国立大学につきましては、やはり戦前からの運営上各構成部分が法科大学、医科大学等、独立性の強い構成をとりましたときを除きまして、大学の運営の実態の中で、いままで長い年月の間重視されてまいりましたものは、大学全体の意思をまとめ上げていく評議会というものがより関係者に重視されておるということはこれまた否定できない事実であろうかと思います。 この大学を中心にいたしました、学部を一つの構成単位とする学部の教授会の主体的な活動と、大学を全体として脈絡のあるものに考えていかなければならないという大学全体としての立場というものの調和は、大学の運営の際に一番関係者が努力をし苦労する課題であろうかと思いますが、今日のように大学としての総合性を考えなければならぬ際に、やはり評議会と教授会の関係は、より最終的な意思の調整機関として評議会を重視していくという実態は否定できないことでなかろうかと考える次第でございます。
○嶋崎委員 抽象的、一般的にいえばそういう解釈もできるのですよね。いまの現行法のたてまえでは。 そこでお聞きしますが、教育公務員特例法で、教官の懲戒ないしは降任、そういうものをやるにあたって、ここで評議会の審査の結果によらなければ云々と書いてありますね。その規定に基づいて評議会で懲戒とか教官の降任とか、そういう問題をきめていくという運営が行なわれていますけれども、そういう側面があります。ある大学では——違う大学も一ぱいありますけれども、教授会中心のところもあります。それぞれの大学の慣習に応じてこの慣習法が形成されていっている。だから一般的には言えるかどうかは疑問だけれども、文部省や政府のほうでは、こういう教官人事に関連して、特に懲戒の問題に関する手続について、大学自治の制度的保障とはどういうことかという点についてお聞きしたいと思います、いまの教育公務員特例法に基づいて。教官の懲戒とか降任とかそういう問題に関連してのいわば手続ですね、そういう人事権における大学自治の保障というものを、教育公務員特例法を前提にした場合にどう理解したらいいかということについての見解を伺いたい。
○木田政府委員 お尋ねの趣意をはっきり理解してないことになるかもしれませんが、教官の人事につきまして現在の大学が、学部、学科の制度をとっておりますために、そうした各学部ごとの教官の学問研究についての主体的な発意というものを考え、またその降任、免職、転任あるいは大学教官全体の任期、定年等を考えました場合に、それらを全学的な調整のもとで適切に行ないますために、学部の教授会というよりは評議会のほうに処理の判断をゆだねる、こういうたてまえをとりまして、大学関係者の主体的な研究、教育の活動ができるようにという趣意で教育公務員特例法が制定されておるもの、こう考える次第でございます。
○嶋崎委員 そうしますと、具体的に聞きますと、評議会が懲戒の発議権があるのですか。それとも教授会が懲戒問題についての発議権があるのですか。
○木田政府委員 運営上は両方あろうかと考えます。
○嶋崎委員 運営上両方ありますね。ですから評議会が教官の——たとえば評議会規則にいっているように、「人事の基準に関する事項」というのは第六条における権限の中にありますね。ですから評議会が決定することもできる、発議権があるというふうに解釈することもできる。同時にまた、学校教育法やいままでの長い伝統、日本の教育における伝統の反省の上に立って憲法や教育基本法その他が生まれてきた。いわゆる教育法における民主化という観点から見た場合に、教授会というものを重視して、教授会しか、ないしは教授会に発議権があるという解釈もできる、そういうたいへん柔軟な解釈のできる条文ですね、いかがですか。
○木田政府委員 先ほど申し上げましたように、取り扱いの上では両方の扱いがあり得るというふうに考えます。
○嶋崎委員 そうしますと、そこでかりに評議会に発議権があるという解釈ですね、こっちの解釈と、教授会が懲戒や降任やそういうものに対する発議権があるという解釈が、意見が対立したという場合に、それの決定は、その発議権が教授会にあるのだ、だから評議会がそういうものを発議しても教授会としては認めないというふうに教授会が考えた場合、ここで評議会と教授会の意見が対立しますね。しかし、評議会では多数が評議会を支持する考え方が多かったとしましょう。そうしますと、法の解釈、たてまえからしても、立法の趣旨から見ても、原則として学校教育法における、大学における重要な事項を審議するために教授会を置き、教授会というものは人事権の母体だという、こういう考え方、そういう考え方に立って評議会と教授会が意見が違った場合に、評議会の決定が、大学自治の慣行並び運営としてそれですべて正しいということにはならないですね。別の、否定するという、ないしはそれに賛成できないということもまた、教授会というものを前提とした場合に成り立ち得ますね。
○木田政府委員 先ほど御指摘がございましたように、特例法の中の関係規定は、それぞれの、人事上の採用の場合とかあるいは降任の場合によって、取り扱い機関が異なるように規定してございます。その際、たとえば降任、免職等につきまして特例法の読みかえ規定によります、評議会の議に基づいて学長が行なうというようなそういう手続がとられました場合に、教授会の意見と評議会の手続とをどう行なうかという点は、これは私どもとしては個々の大学の扱いと、それから法文の規定によって取り扱いをするほかはなかろうかと思います。 〔委員長退席、西岡委員長代理着席〕 人事以外の案件につきまして教授会と評議会とをどういうふうに考えるか、これまた事柄によってそれぞれ判断しなければならない部分もあろうかと思います。しかし、一般的にはこの法の明文の規定がありますもののほか、学生の教育あるいは大学の運営につきましての予算その他の運営上の問題につきまして、私どもは個々の学部の意見はそれなりに伺いますけれども、大学としては学長のもとで評議会の議を経てきめてこられた意見というものをより重視するという考えで御相談に応じていかなければ、大学の運営が適切にいかないのではないか、こう考える次第でございます。
○嶋崎委員 次第次第に文部省側といいますか、政府、文部省の側の大学自治の運営のしかたについての解釈が、だんだんコンクリートになってきたような気がするのです。やはり評議会というものに、この評議会規則でいっておるように、評議会における「人事の基準に関する事項」ということで、人事の問題について評議会がその基準をきめるということが大学全体のいわば意思を決定していく場合の基本に据えてそれを尊重していく、そういう考え方に評議会を位置づけているというふうに理解していいですね。
○木田政府委員 人事上の扱いにつきましては、教育公務員特例法の定めのあるとおりでございまして、それ以外の管理運営上の問題につきましては、私ども、大学の学長のもとで全学的な意見をまとめられる評議会の意見というものをより重視して運営に当たりたい、こう考えております。
○嶋崎委員 私は、こう考えるのです。ですから、いまの解釈と私の解釈の違いをはっきりさしておきましょう。 私は、いまの憲法二十三条と学校教育法と教育公務員特例法というこの法の体系の中では、先ほど説明したように、戦前の教育勅語を中心とした教育の体系を積極的に民主化していくという意味で、教育立法における法律主義という考え方をとります。ですから、法でもっていわば教育というものの基本がきまり、教育行政はきめられた法に従って運営さしていかなければならぬ。そういういわば教育立法における法律主義ということをまず前提にする、それがなければ戦後の教育の体系はつかめない。そうした場合に、教育立法における法律主義というたてまえをとった上で、では法律できめられた大学自治の保障は何か、憲法二十三条の大学自治の保障は何かというふうに考えた場合には、学校教育法で規定されたところの教授会というものが重要なことを審議するための機関である、こういう規定を憲法から受けて、要請されて学校教育法という形で具体化されている、こういうふうに、まず憲法と学校教育法をとらえるわけです。 さて、重要な事項を審議するのは教授会でありますから、法律の上では評議会というものはない。評議会は重要な事項を決定する機関だということは法律ではさまってない。したがって、今度は憲法二十三条の学問の自由というものを大学自治という観点から学校教育法をとらえた場合には、教授会が根幹であるというふうにすなおに読まなければならぬということを前提にした上で、さて今度は、特に大学自治というものを考えていくときの基本は、何よりも第一は人事権の自主性です。第二は教授と研究の自由です。第三番目は財政自主権にあるのです。しかし、これはいまはない。文部省できゅっと締められておるから。だから、財政自主権というものは本来大学自治の重要な根幹なのに事実上はそれがない。しかし二つだけは絶対に欠かすことのできないものだということは前提だと思います。教授と研究の自由、人事権における自主性、これは大学における大学自治の根幹ですね。それが学校教育法では教授会というものを中心に据えて考えてきた。 さて今度は、憲法、学校教育法を受けて教育公務員特例法という法律では、わざわざ、教官の人事というものについて、特に昇任、昇格ですね、助教授を教授にするとか講師を助教授にするとか助手を講師にするとか、上げるほうに関しては、第四条の規定は、教授会できめると書いてありますね。ところが教育公務員特例法では、懲戒と降任に関しては評議会が発議することができるという、いまの文部省の権力解釈と私は言いますが、そういう解釈が成り立つような条文があるわけです。そうしますと、四条と、懲戒や降任に関係する条文との論理的関係いかんという問題が、大学の自治というものを運営していく場合に非常に真剣に議論しなければならぬ課題になる、こういうふうに思います。そこまでは意見は一致するはずだと思う。 そうなりますと、そこで問題になってくることは、大学の教授、専門家の昇任とか昇格というようなものは、大学設置基準でいっているように、教官の業績や研究等々の一定の条件がありますね。そういう条件を満たしていて、そして自分たちの、専門家たちの委員会や何かで候補者がきまって、それが教授会できまるわけですね。ところが、懲戒と降任に関して、ないしは本来昇任できる者をさせないという場合だってありますね。そういう場合だって大学であり得ますね。たとえば指定職みたいなものを、条件があるのにやらないというようなことがあり得るわけです。だから、そういう懲戒とか降任に関する限り、評議会を、読みかえ規定として、評議会でもってその基準をきめるというように片一方では規定しているが、四条と六条、九条との関連というものを考えたときに、教官の少なくとも昇任という問題について、教授会が人事権を持っていると規定しているのに、懲戒のときに教授会の議を経ないできめるということはできないというふうに解釈すべきである、四条と六条との関係は。だから教授会を無視して、評議会できめたことは教授会に全部おっつけて、そして教授会全部に反対があったってだめなんだよという、少なくともそういうふうに運営はできない仕組みだと考えるわけです。発議権が評議会にあると解釈してもかまいません。憲法や学校教育法の考え方に立って、教授会にあるというふうに解釈するのは私の考え方だけれども、評議会でもって懲戒や何かの場合をきめるということもあり得るとしましょう。ところが、憲法、学校教育法を受けて教育公務員特例法というものを考えるとすれば、たとえばここでいっているところの評議会の審査の結果によらなければと書いてありますね。この審査の内容というのは非常に問題になりますね、今度は教授会を前提にしないのですから。たとえば学問、思想に関係のあるものを評議会でやるときには、評議会規則によると、一つの学部から評議員二名、そして学部長一人でしょう。ですから、教官の思想信条、学問業績に関係のある人は三人しかおらぬ、極端にいえばそうですね。ほかはみんな物理学者から出てきたり農学者から出てきたりしている評議会なんですよ。その評議会が教官の思想、信条に関係のある問題に関して懲戒というものをきめるときに、その学部の、その人と非常に深い関係のある専門の領域を持っている学部の意見を無視して、評議会の多数だけできめるということは、運用上は、法律の上では解釈として成り立たぬというふうに私は思うのです。私の考え方ですよ。つまり現行憲法の法理は、憲法二十三条、それから学校教育法、教育公務員特例法という全体の中でとらえるならば、少なくとも教官の懲戒という問題に関して、かりに評議会の発議権があったとしましょう。あったとして、教授会の議を経なければその審査の結果を承認することはあり得ないだろうし、さらに懲戒したり降任したりするという場合には、しかも学問、思想というものに非常に深い関係のある場合——もちろんいままでいろいろな事件がありましたよ。愛媛大学の事件や何かいろいろ知った上で言っているのですよ。だから、思想、信条といったって幅があります。どこまで限界があるということは非常にむずかしい。大学の自治と学問の自由との関連で、運用上はむずかしいと思う。しかし、それにもかかわらず、この思想、信条に関係があるという、一般的にいうならば、そういう問題にかかわる人事について、評議会できめたことだけで、評議会の発議だけで決定するということはできない。なぜならば、法に、昇任や、助教授にしたり教授にしたりするときには教授会と明確にうたっておるのですから、だからそれを受けて解釈すれば、評議会だけでそういう基準をきめるということは私はできないと思う。こういう考え方なんです、私の考え方は。 そこで、いままでの討論の中で時間を節約するために意識的に言っている。 大事なところに入らなければいけませんから問題を整理しますと、こうなると思うのです。いままでの局長の答弁で推察すると、愛媛大学の田川事件がありますけれども、一々やっていては時間が長くなりますので意味がありませんからやりませんが、そういういままでの過去の経験からしてみて言えることは、いままでの局長の答弁の中で言われたのは、教授会は確かにあります。しかし、学校教育法では、懲戒や降任に関しては、読みかえ規定では評議会になっています。評議会の運用については、省令できまっているところの暫定規則があります。だから、省令に基づいてきめられた権限を行使するということは、大学全体の意思を決定するとか、極端にいえば懲戒というような問題まで含めて教授会よりもより優位になる、そういう解釈が可能であるし、そういう運営は大学の自治の侵害にはならないという解釈ですね。そういう解釈に対して、私のほうの解釈はそうではない。いまの立法の趣旨からいえば、憲法二十三条があって、学校教育法における教授会というものを根幹にして、その上で教授会の調整の機関としての評議会を一方で置きながら、大学の意思を決定するときには教授会だけできめちゃいかぬよ。しかし、全体の意思のときにはやはり調整機関としての評議会がいるのだ。そのことは私は否定しません。しかし、その評議会というのは、事、学問、思想、人事に関する限りは評議会できめたものでもって教授会に押っつけるということは、いまの法の体系ではできない。そういう運用をしてはならないというふうに解釈するのが、すなおな憲法や教育基本法の考え方だと私は思うのです。懲戒に関連して——スキャンダルは別ですよ。イギリスの政治家みたいにコールガールと関係があったということが大学で大問題になれば、これはもう学生が教授として信用せぬということから始まって、また殺人強盗みたいな事件を起こしたとかそんなようなときはまた事は別です。いろいろ複雑な問題がありましょう。しかし、憲法二十三条にいう学問、思想の自由ということにかかわり合いのいるそういう問題に関連して、教官の懲戒というようなことが問題になるとすれば、これはもう教授会の議を経ることなしに、評議会の基準に従って決定したということはできないというふうに憲法上の要請を考えるべきである、これが私の解釈です。それで意見がはっきり違いますね。これを前提にしておきましょう。 それでもとに返ります。そういうふうに違いますね。大体そうですよ。ぼくはみんな知っておるのだから、復習だけしたのだから。そうでしょう。そうした場合に、そこで聞くのです。一番最初に質問したのをあとにひるがえって質問いたしますが、学部教授会が学問、思想に関係のある問題に関して評議会の決定に参加しないということは、いわゆる評議会の多数できめ得る性質のものなのかどうかということにかかわり合いあると思うのです、私の解釈では。私の解釈を推していけばすぐ結論が出ますね。 東京教育大学の文学部教授会というものがあって、この文学部教授会という教授団が、大学における教育研究、学問、思想に関係があると判断できる新しい大学をつくるということに対して、それに参加して多数決で決定をできるような性質のものではない、こう考えたときに、評議会は多数で決定したとします。これをいまの法の全体の趣旨からして、私からいえば大学の意思の決定といえるかどうか非常に疑問だ、こう思います。しかし……先に答弁されると時間がかかりますから……。しかし、局長の側からいえば、評議会規則というのが昭和二十八年にあって、そしてそれに基づいて教授会と評議会の関係というのは、いままでおっしゃった優位性ということが考えられる。大学の意思全体をきめるようなことに関しては、評議会で発議権がありその基準をきめることができるのだから教授会の議を経なくてもよろしい、こういう解釈で、別にそういうことをきめたことはおかしくない、こういう解釈になるわけですね。だから一学部の教授会が全然参加せぬほうがおかしいのであって、反対派でも大いに論争すればいい。そして二年でも三年でもやってみて、論争して敗れて初めてそれが民主主義なんだ、こういうふうに最初答弁されていたようだけれども、そういうつまり組織論的な答弁ができるような内容だとは私は考えないのです。 と申しますのは、四十四年の七月二十四日ですか、東京教育大学がきめた「筑波における新大学のビジョン」というものの内容をよくつまびらかに読んでみると、これは新しい研究、教育の考え方、いままでの伝統的な大学と違うわけです。つまりいままでの大学というのは学校教育法でいっているところの学部というものをなぜ中心にしたかといえば、研究と教育の一体という考え方です。ファカルティーというのは教授団のことですから、大学をいうんじゃなくて、だからその教授団が学問と研究というものを、教育と研究というものを一体にしていく大学の機関を教授会と考え、しかもその教授会が人事権並びに学問、教育、研究の自由を保障していく機関だと考えてきた。それに対してビジョンでは、研究と教育の分離という新しい考え方、是非論は別として、少なくとも伝統的な憲法や学校教育法でいままで考えられてきたものの考え方、大学観、大学の見方とは違った内容を盛っているかに見えるビジョシの決定という問題が提出されたんですね。 そうしますと、これは少なくともいままでの議論ではっきりしてきたことは、憲法や学校教育法、教育公務員特例法というこの全体の法の体系の中で共通してはっきり一本貫いているのは、学問の自由という憲法的要請だと思います。そういう学問の自由というものにかかわり合いのある研究と教育の分離という新しい問題、これはそうなのかどうなのか、まだ議論してみなければわかりませんよ。筑波については研究と教育、これは私はまた質問させてもらいますけれども、そういういわば根本にかかわるものを評議会で決定する。そのときに、特に関連した、たとえば大学における教育研究に深い関係のある教育学部、私はいままで文学部だけ言いましたけれども、教育学部も、これは最終的決定ではないという決定をしていますよ、御存じですか、あのビジョンで。それではちょっと休憩さしてもらいます。
○木田政府委員 いろいろと御説明をいただきまして、私のほうの考え方につきましてもおまとめをいただいたわけでございますが、先々のお答えにも関係する分がございますので……
○嶋崎委員 ちょっと待ってください。いま質問しているのは、要らぬことを言いましたが、要点だけ答弁してください。
○木田政府委員 憲法二十三条に学問の自由の規定がございます。それと大学関係の教授会、あるいはその他、教育公務員特例法の規定によります運営、さらには省令でつくられておりますけれども、評議会等の重要な機関が関係があるということは私も理解いたしますが、憲法二十三条が学問の自由を規定しておりますがために、大学内のすべての管理運営問題が教授会を経なければならぬというふうには、同じものとしては考えておりません。やはり憲法二十三条は学問の自由ということにかかわるものでありまして、おことばの中にもございましたから、私はそれは間違いないとは思いまするけれども、学問研究ということに関連しての問題が、教授会で扱う議論の中にかかわってくるであろうというふうに考えます。しかし、大学がいろいろな論議をいたします際には、大学で意思決定をいたしますすべてのことが、個々の教官の、あるいは教官のチームの学問研究の自由ということだけではございません。ですから大学で意思決定をいたしますいろんな課題が、すべて憲法二十三条による大学の自治ということのワクの中だけの問題というふうには考えられませんので、これは個別の課題の際に、その辺の区別が起こってくるというふうに思います。また、学問の自由に基づきまして教授会、評議会等の機関があり、それぞれ人事上の手続によってとられる手続が違うというのは、私はそれなりに合理的な理由があるからだというふうに考えるわけでございます。 〔西岡委員長代理退席、内海(英)委員長代理着席〕 教官の採用の場合には、その必要とする学部におきまして、あるいは御専攻の一番近い方々が中心になって教官を採用する。そのために学部の主体性というものを念頭において教官人事を考えていく。研究所の場合においてはまた同様であろうかと考えるのでございます。しかしながら、教官の懲戒、このときに御議論がございましたが、学問の自由による懲戒というのは私はちょっと理解できませんが、懲戒はやはり私行その他、学問研究を越えた面で主として懲戒という事案が起こってくると思いまするけれども、全学的な立場で論議をする必要のある事柄につきましては、これは定年も任期もみなそうでございますけれども、それぞれ評議会の議を経てきめるというルールもあり得るというふうに考えるのでございます。ですから、きめようとする事柄によりまして担当の機関が違ってくるということはもちろんあり得るだろうと思います。また、さきに結論的に御指摘になりましたが、東京教育大学が移転するかしないか、大学として一緒に新しいキャンパスを見つけて移転するかしないかということは、私は直接には憲法の学問の自由ということとかかわりのあることとは考えません。それで、その決定をするにつきまして、文学部教授会がその決定を不満として、以後そういう論議に参画をされないということ自体は、これは文学部教授会として責任の放棄ではないかというふうに考えるのでございます。これは決して文学部教授会の学問の自由とか、教授会の自治だとか、そういうこととはかかわりのない別の事柄ではないかというふうに考えます。よって、そういう責任を放棄されたような態度の中で新しい大学の教育論、研究論、学問論が進んでいっている。それにも参加されないということは、まことに私は理性的な文学部のあり方とは考えられない不幸なことだというふうに思うのでございます。したがいまして、いま結論的に論議がございましたけれども、私は、東京教育大学が全学部をまとめて新しいキャンパスを求めるかどうかという全学的な決定は、やはり評議会によって決定する以外にないのでありまして、個々の学部がそれに対して賛成か反対かという御論議はありましても、大学の意思としては評議会の決定をもって私どもが処理をする、そうでなければ大学の一体的な意思の結集ということはできないであろう、こう考える次第でございます。
○嶋崎委員 では、もう一つ事実をお聞きしますけれども、四十四年七月の評議会決定、これは大学の最終的な意思決定ではないという申し合わせを教育学部教授会がされたことについては御存じですか。
○木田政府委員 ただいまお尋ねの点は、事実の確認をちょっといま私の手元でできませんので、別途確認をして御返事を申し上げます。
○嶋崎委員 私の調査では少なくとも二つの学部、もう一つ体育学部についても条件つきなんですよ。だから評議会の決定というものは大学の意思という、その評議会なるものが単なる文学部教授会が参加しなかったのは残念だったというだけの問題ではなくて、全学の意思を統合するという手続にしてはあまりにも多くの学部の異論のある決定のしかたであったということだと思うのです。私はそういうふうに事実をつかんでいます。だから事実の評価が違うのです。調査してください。(「それは事実とは言わない」と呼ぶ者あり)だからいまから調査してもらう。そうしなければいけない。そういうふうに考えてまいりまして、私の調査と違うことなんですが、それがいまどういうふうに出てくるかあとにしておきます。まあこれはペンディングにしておきましょう。 さて、そこでちょっとお尋ねしますけれども、文部省は、教育大学の最近のそれぞれの学部長を発令していますね。教育学部、文学部、理学部の学部長を文部省は発令していますね。その事実は確認できますね。
○木田政府委員 学長の上申に基づきまして発令いたしております。
○嶋崎委員 文部省が発令した学部長を選んだ教授会は正規の教授会ですね。
○木田政府委員 発令にあたりましては手続をチェックいたしまして、正規の手続であることを確認の上で処理をいたすようにいたしております。
○嶋崎委員 そうしますと、文学部なら文学部教授会というものについて、文部省のほうから見れば、大臣のほうから見れば、これは大学の正規の機関であると確認したのですね。そうですね。そうすると、歴代の文学部長はいままで、大体昭和三十九年くらいからずっと文学部教授会で選んだ文学部長を全部発令していますね。そうすると、文学部教授会で選んだ学部長ですから、それを発令しているということは、それは文学部教授会というものを認めているという前提ですね。それは確認できますね、当然のことでしょうから。
○木田政府委員 当然のことでございます。
○嶋崎委員 そうしますと、それに関連してたくさんの疑問が出てくるのですけれども、民主的な手続の問題として。ともかくそのことを一つ確認しておいて、そこで……(発言する者あり)いま大学論をやっているんだよ。 さて、そこでお尋ねしますが、先ほどのいわば教授会と評議会との関係について、大学自治の運営の慣行について確認した二つの考え方というものがあるわけです。そこで、教育大学の廃校という問題にまたからむのですが、教育大学の廃校というのは教授会できめなかった、評議会でも確認したかどうか疑問であるという場合に、特に一学部の教授会か、新しい大学をつくるにあたって、そしてその廃校というものを認めないというふうに言った場合に、しかもこれが単なる普通の事件じゃなくして、大学における学問研究のあり方、それから人事に関する問題等々にかかわり合いがあるという判断の上に、一つの学部が大学を廃校にするということに賛成できない。かりにですよ、そうした場合に、その学部教授会の意思を無視して評議会の多数決できめるということが、現行の体系では私はできないという解釈に立つわけです。しかし、先ほどのあれでいけば、文部省や大臣のほうではできるという判断に立つ、こういうことになりますね。 さて、私の調べた範囲では廃校ということが文書でいつ教育大学の中で提起されたとお思いですか。
○木田政府委員 先ほど課長からの御答弁の中にもあったかと思いますが、もともとこの筑波大学をつくるにつきましては、東京教育大学が筑波の敷地に移転して、新しい大学として生まれ変わるということから事柄が進んでおるのでございます。ですから、関係者の数年間にわたる長い論議の中で、東京教育大学は大塚の地にそのままあって筑波に新大学をつくるという前提での議論でないということは、関係者の一致した理解だというふうに考えます。
○嶋崎委員 教育大学の中で、新たな筑波大学という大学を創設するということは、評議会の決定が四十四年の七月にあったんですね。そしてそのときにはまだビジョンが出ておるだけであって、その大学にだれが行くのか、どこの大学が一緒になるのか、それからまたどんな群ができるのか系ができるのか、まだ全然はっきりしていないのですよ。ところが、そういうばく然としたビジョンが大学の意思の決定だと受けとめて、そして将来教育大学を廃校にするということを、それぞれの大学の教官はたいへん不安の問題だと思いませんか。
○木田政府委員 教育大学の教官が、一部に御反対があったでございましょうけれども、全体として筑波の地に新しい大学をつくるということで、学内にその創設のための検討委員会も設けて、文部省の作業と並行していろいろな検討と準備を進めておられるわけであります。私は、当然の前提として御論議が進んでおる、このように考える次第でございます。
○嶋崎委員 廃校ということばが大学の中の文書で問題になったのは、評議会の決定のあった三カ月後なんですよ。公の文書でそういうものが出ているのは、局長、三カ月後なんですよ。ビジョンが決定したのは七月ですね。それから三、四カ月たって、正規の文書で出ているのは——その前は正規の文書でないのです。正規の文書になっているのは、四十五年の一月なんですよ。まだ文部省はできていませんよ。創設準備委員会はできたけれども、中間報告は四十五年の十月に出るのですから。その一月に、もうすでに廃校という問題を問題にし始めているのですね。 ところが、そのビジョンの決定をしたときに、私の調査では、文学部教授会だけでなくて教育学部教授会も含めて、最終決定でないといっている。そういうときに、大学が筑波に移ることはわかった、しかし、新しいビジョンはどうしようかというビジョンを考えている、しかしそのビジョンが、学問研究や教育研究と関係があって、そしてどういう形でいくかがまだコンクリートになっていないときに、文学部や教育学部や体育学部や、そこらの教官が、条件つきとか、最終決定でないといっている、私の調査が確かだとすれば。そのときに、伝統的な教育大学という大学はなくなる、今度は新しいものに変わっちゃうのですから。しかし、まだ構想ははっきりしていないのですよ。そういう情勢の中で、廃校というようなことが問題にできることかどうかということ。特に学部教授会が、一つじゃなくて幾つかの教授会が、最終決定ではないということで結論がペンディングになっているときに、みずからの大学の廃校を、多数決が前提で評議会できめていくというようなことは可能なのかどうか。どう思いますか。
○木田政府委員 私は、四十五年の時点にその廃校の御論議がすでに学内に出ておったかどうかについてはつまびらかにいたしませんが、もしそうとすれば、当然のこととは申しながら、かなり早い時期に御論議が出ておったもんだなということを感じる次第でございます。しかし、四十五年、四十六年と、さらにはまた、私どものほうで文部省に筑波新大学の創設準備会を四十六年の十月に設けまして逐次作業を具体的に詰めてまいったわけでございますから、その作業過程で現実に政府側の意向が大学関係者と一致してきまりましたのは、政府の提案いたしております法律案が固まった段階でございまして、法律案の固めとして、昭和五十三年の三月三十一日限りで東京教育大学は店を締めまして、四十九年からスタートした筑波大学のほうに実質的には乗り移る、こういうことで関係者の間の意見も一致をし、御提案を申し上げておる、こういう経緯でございます。
○嶋崎委員 私の調査では、東京教育大学の三百十一回の評議会なんですよ。四十五年の一月の十日です。そのときにはまだそういう学部教授会の足並みがそろっていない段階ですね。それで、文部省の側や政府の側で受けるときに、評議会でこうきまりましたという形を尊重していくのがたてまえだと思います。ぼくはそのことを否定しているのじゃない。ところが、同時に、そこで評議会決定というものが非常に重要なんですよ、教授会との関係で。だから、その評議会でかりにそういうことが申し合わされたにしても、その評議会そのものが、大学全体の学部教授会の討議を十分に経ていない、そういうプロセスを経ながらきめられた決定が、教授会に優先した、大学の意思の決定というふうに、さっき局長が解釈された評議会優先の機関運営を考えると、出てくるのですよ。いまの大学ではどこでもそれは出てくるのです。 そこで問題なのは、だからやはり評議会の決定というものをやるにあたって、しかもこれが学問研究や教育研究というものに深いかかわり合いのある場合には、出てきた決定というものについて、少なくとも一定程度のインフォーマルなものであれ、実情についてのいわば認識があって、そして事が運んでいかなければならぬと思うのです、私の考え方は。そうしますと、正規に、たとえば東京教育大学の文学部がこの廃校という問題について意見を述べたのは、ずっとあとなんです。あとになっています。しかし、この昭和四十四年の七月に新しいビジョンというものを決定するときから、大学の民主的な世論の結集ができなかったという過程がかりにあるとすれば、その決定を受けて文部省が創設準備会をつくって中間報告を出した。中間報告というのはビジョンとはころりと中身が違います。だから、そういうころりと違った内容のものが中間報告になって出てくるわけです、あとには。ですから、それだけに、四十四年の七月の評議会で決定した当時のものがあいまいだったために、しかもそういう全学の世論が統合できるかどうかあぶなっかしい段階で、つまり極端にいえば、一学部の意見を無視して大学を廃校にするというようなことが大学内できめられるということが、どこから来るのだろうかと考えると、評議会のいわば優先性といいますか、教授会よりも評議会のほうがより上位の機関だという大学の運営の考え方、そこから来るわけですよ。ですから、局長のさっき言ったような解釈の立場に立つと、いま言ったようなビジョンの決定が、学部教授会の議を経ない、討論が十分でないままきめられても、それが大学の意思の決定であるというふうにして、禍根を残すのです、あとまで問題を一ぱい残すのです。それは文学部教授会だけではありません。理学部教授会にもあれば、農学部教授会にもあれば、教育学部も、たくさんのその後問題を起こしてくるという、そういう禍根を残しながら、筑波、筑波ということが片一方に出てくる。大学内部においてそれが世論としてなかなか統合できない。そういう新しい筑波大学をつくるにしては、あまりにも非運の道を歩んでいく。出発が、評議会というものの持つ教授会の上に立つ優位性という、そのいわば大学運営の考え方から来ているというふうに考えざるを得ないのではないかとぼくは思うのです。これは私の考えです。どうですか。
○木田政府委員 御意見は確かに伺うわけでございますが、見解としてはどうも、もうすでに御指摘がありますように、異なった見解で事柄を考えるほかはないというふうに私は思います。先ほどの四十四年の七月二十四日の評議会に関しまして、教育学部の教授会は評議会の原案について賛成の決定をいたしております。こうした新しい問題を作業いたします過程は、ある時点で最終のものができ上ってしまうということはなかろうと思います。いろいろな関係者のいろいろな意見を、その時点時点で突き合わせながら進んでいくということでなければ、とうてい最終的なところへ突き進んでいけるものではございません。ですから、いろいろな関係機関で、教育大学のほう、各学部でも御意見があり、また全学的なマスタープラン委員会あるいは評議会等で論議を重ね、その過程の中で少しずつ少しずつ事柄が進んでいく、これはその時点におきましての論議であって、決して最終的に、これがどこまでいっても変わらないもの、こういうような決定にはならないかと思います。文部省のほうへ教育大学関係者が来られまして、また筑波大学の創設準備会等に御参加になりながら、いろいろな御意見を、他の大学外の方からも聞いて、そこはもう少しこうしたらどうかというような意見などが出ますと、やはりそれを教育大学の学内に持ち帰って論議をされる、そういう過程を通じて中間報告という形で発表し、あるいはこの段階の案だという形で事柄が固まっていくわけでございますから、四十四年、四十五年の段階におきまして、決して今日の最終案が固まったというふうには私どもも考えません。それぞれいろいろな意見がなお完全に一致してない点も十分あり得るかと思いますし、御指摘になりました教育学部で意見をまとめました際にも、反対の意見も出ておることは十分わかるわけでございますが、そうしたものをなおその後両三年、御提案申し上げますまでの過程で論議を進めまして、そして法律案として決定いたします際に、最終的には大学関係者と協議をし、意見の一致を見て御提案を申し上げた。その過程にいろいろな変遷があるということは、もう御指摘のとおりでございますが、これは作業を進めていきます過程からいたしますと、当然のことではなかろうかというふうに考える次第でございます。
○嶋崎委員 一週間ほど前に、東京教育大学のビジョンを決定した当時の学部の学部長、それから評議員、それから教授、そういう方々が声明を出しておられるのは御存じですか。
○木田政府委員 目を通した記憶がございます。
○嶋崎委員 あれによると、文書は正確に読んでおくほうがいいと思うのですが、元文学部教授の入江教授、それから東京教育大学の元理学部長小寺さん等々、こういう人たちが二つの点について疑問を提出されて、法案の慎重な審議を訴えておられるんですね。その二番目について、こういう意見があるのです。「第二の点につきましては、」——「現在、国会において、審議が急かれております、いわゆる「筑波大学法案」につきましては、政府・文部省は、その主たる提案理由として、次の二点、(一)全国大学が、「大学紛争」の経験を十分に生かしきれず、こんにちに至るまでも、大学による主体的な大学改革の実があがっていないこと、(二)筑波大学の創設は、東京教育大学のそうした努力のあらわれである構想と意思を尊重する意味からも実現されるべきものであること。」との二つをあげている、こういう前提に立って、そして前段のほうは、今後のまた議論になると思いますけれども、後段について、要するに東京教育大学のビジョンを受けて文部省や何かが新しい大学を設置するという方針がきまったこの過程ですね、これが結局、教育大学の自治を尊重してのたてまえの議論だと思うのです。それがさっきから評議会と教授会の問題になっているわけです。 さて、「第二の点につきましては、たしかに、東京教育大学の評議会において、昭和四十四年七月二十四日に、「新大学のヴィジョンの実現を期して筑波に移転する」という決定が行なわれました。そのことは、形式的には、大学の正式な意思の表明と申せましょう。しかし、この大学の意思といわれるものの実体は果して、大学の意思にふさわしい内容をもったものといえるでしょうか。まず第一に、これは、全学的討議をふまえて決定されたものではありません。なぜなら、文学部教授会は、昭和四十二年六月二十一日、意見調整が不充分なままに移転を強行しようとする大学執行部の態度に反対の意思を表明し、爾来、今回の「法案」の基礎をなすといわれる新構想の審議・決定には、まったく参加していないからであります。五学部のうち一学部が、まったく審議・決定に加わらないままに、旧来の大学の性格を一変させるほどの新大学を創設するなどということは、日本の大学史上にその例はなく、まことに無暴な措置といわざるをえません。また、本年二月二十三日、評議会において、農学部・教育学部・体育学部と文学部の評議員から、宮嶋龍興学長に対する不信任の意向が表明され、以来、今日にいたるも宮嶋評議会議長のもとでは評議会を開催しえないという異常な事態が続いております。このことは、移転を支持するひとびとの間でも、新大学の創設をめぐって、なお、意思の疎通を欠く点があることを示すものであります。新しい大学の理念を求めて、と称する新構想大学の核となるべき東京教育大学において、かかる意思の不一致がみられますことは、既存の大学を用いて安易に新大学を創設しようとすることが、いかに困難と混乱をまねくものであるか、したがって、新構想大学の創設にあたっては、慎重のうえにも慎重を期すべきものである、ということを示す以外のなにものでもありません。」こういう趣旨のことが書いてあります。 ですから、ここで言っているように、昭和四十四年の七月二十四日のその評議会決定というものは、全学のいわば学部教授会を中心としたいままでの大学の運営から見て、異常な決定になっているという意味で、民主的な世論の統合ではないということが言えるのではないか。そのことが最近の学長不信任の提出ということになってあらわれている。移転は賛成なんですよ。移転は、するのはいいけれども、そこに持っていくにあたっては、もっと学内における慎重審議が必要なんではないかということのあらわれが、こういうあらわれ方をしておるのではないかという趣旨ですね。私はこの文書は、しかもこの文書を出されている人たちは、当時の学部長、評議員等々の方々ですね。当時のそれに前後して——それだけに、当時関係されてきた評議員の方々は、学部長、理学部長さん等も含めて、そういうふうに考えていらっしゃったいわばビジョンの決定、そういう意味におきまして、たとえばこれもそうですし、おたくの出しているもう一つの小さいパンフがありますね、こういうもの、つまり、文部省大学学術局が「筑波大学の理解のために」という形で出している文書の一番先、それからあの小さいほうのパンフレットですね、そういうものを見てみましても、筑波大学の経過に関しては、たとえば「これまでの経過」というところで「東京教育大学は、もとの東京文理科大学や東京高等師範学校などを母体として、昭和二十四年新制大学として新しく発足した大学ですが、」という過去の経過を言って、そうして筑波研究学園都市計画というものが進む中で「昭和四十四年七月、「筑波における新大学のビジョンの実現を期す」ことを大学として正式に決定しました。このような大学改革の積極的推進を目指す同大学の熱意を受けて、」筑波大学を構想したんだ、こう言っているのです。それで「この構想は、従って東京教育大学で練り上げられた構想を基礎とし、他の大学などの学識経験者多数の協力を得て東京教育大学と緊密な連携のもとにとりまとめられたものです。」こういうふうに大学関係者並びに全国にたいへんな量の筑波大学のいわば宣伝が行なわれているわけですね。ですから、そういう意味で、ここに書かれている趣旨が当然前提になるわけですから、この経過に関連していまのような声明、当時の関係者たちがそういうふうにも言っておられるという点をひとつ御確認していただいた上で、次の質問をさせていただきます。
○木田政府委員 いまお読み上げになりましたように、筑波大学の移転に御反対の関係の方々が多いと思いますけれども、経緯をあげて慎重な審議をという趣旨の文書を私も手元に持っておりますし、拝見もいたしました。しかし、私ども理解をいたしかねますのは、先ほど来申し上げておりますように、「昭和四十二年六月二十一日、意見調整が不充分なままに移転を強行しようとする大学執行部の態度に反対の意思を表明し、」こう書いてございますが、正規の評議会で、文学部の評議員もお入りになって、少数意見として採択になりませんでしたけれども、筑波への移転という意思決定が一応行なわれた。その評議会の決定に反対をして、文学部関係者が自今御参加をしておられないというのは、私は文学部の責任機関としては理解しがたい。ことばが少し過ぎるかもしれませんけれども、やはり無責任な行為ではないかというふうに私は思うのでございます。 〔内海(英)委員長代理退席、森(喜)委員長代理着席〕 御参加がないのでございますけれども、あとあとその関係者の御参加を呼びかけながらも、参加のないままに大学としてのいろいろな準備を進めてきた。ここにも書いてございますように、「昭和四十四年七月二十四日に、「新大学のヴィジョンの実現を共して筑波に移転する」という決定」が行なわれた。これは一応大学の正規の意思決定であることはお認めになっております。意思が反映されていないということは、文学部の関係者が参加してないという意味において、そのとおりでございましょうけれども、五学部のうち一学部がこういうふうに長い間大学全体にかかわる問題に御参加を拒否されるということ自体が、まことに異常な事態だというふうに考えるのでございます。それが異常であるから手続が非民主的だ、こういうふうにはとうてい考えられません。私ども、その説明書にもあげてございますように、大学関係者が文学部の参加がないまま討議を進めてまいりました点をもとにいたしまして、大学全体の進み方として、こちらも対応をいたし、準備をいたしまして、この法案を提示させていただいた次第でございます。
○嶋崎委員 この評議会の決定のあとに、昭和四十四年七月二十四日の評議会の決定のあとに——東京教育大学で二十四日に決定する前の七月九日ですね、筑波における新大学のビジョン案ですか、案がまず評議会にかかって、そしてその案を評議会で承認するのが二十四日なんですね、私が調べたのは。そうしますと、案が出た、まだ評議会の決定は出てないのですよ。その案が出たときに、そのあくる日に、全学の教官、構成員——専任講師以上ですね、全学教授会構成員の百五十六名の署名を得て、筑波新大学ビジョン反対の声明が出されているという事実は御存じですか。まだ評議会決定の前ですよ。この数は教授会構成員の四割強です。過半数までいきませんけれども、半数近い人たちが評議会の決定の前に、最終決定する前に、このいわばビジョンというものについては賛成できない。専任講師以上の教官が声明を出しておる。この事実は御存じですか。
○木田政府委員 いま手元にその事実についての資料がございませんので、現在の段階ではお答えは申し上げられません。
○嶋崎委員 今度は、評議会で決定が行なわれたあとに、東京教育大学の構成員の名前で、五百十八名の署名で、評議会の決定というのは全学の民主的な意思の決定ではないという声明を発表しておる。これも四割に近い数字ですね。 そうしますと、評議会の決定というのは、四十四年七月二十四日に行なわれた、それが最終決定なんですね、文部省のこの文書によりますと。その決定の前に評議会で筑波新大学のビジョンの案だという、案が評議会に出てきめられたあとに、全教官の四割強が、そういうビジョンは賛成できません、こう言っている。文学部教授会だけじゃないですよ。四割強ですから。そうして、そんなのがあるのを承知の上で——おそらく新聞に載っているのですよ、当時。知らないはずはないですよ。資料をスクラップさえしておけば文部省でわかっておるはずです。ぼくはスクラップで調べたのですからね。だからそういう決定があって、そして反対表明があって、二十四日、評議会が強行可決しているのです。強行可決ですよ。それでもいかぬというので、教官だけではというので、これは事務職員は事務職員の立場からのいろいろの思惑があるでしょう。通勤の問題やら、それから新しい大学に移った場合の配置転換で自分はどうなるのかという不安もありましょう。そういう要素も入っているけれども、しかしまた五百名をこえる人たちが、その移転、新しいビジョンを期して移転を期すという評議会決定に反対の声明を出しているわけです。 としますと、評議会の決定というのは、一文学部教授会が参加しないというだけの問題でなくて、それでもいまの学校教育法、教育公務員特例法の考え方でいくと、大学自治の運営、慣行上は問題があるというのが私の見解ですね、先ほど申し上げたとおり。 さらに、それにもかかわらず、実際には今度は世論的に組織された大学内部の世論も、教官の四割ですよ、そして同時に全学の五百十八名の連署の声明が出ている、というような状態ですね。 こういう状態が、大学の民主的な評議会の意思の決定だ、大学の意思の決定だというふうには、実態的には言えるのだろうかという疑問を持たざるを得ない。いかがですか。
○木田政府委員 移転問題その他では、かなり学内の賛否の意見が割れるということは十分あり得るだろうと思います。教育大学につきましても、いま御指摘になりましたように、いろいろと問題の取り上げ方、取り進め方その他について賛否の御意見があるということは、私どもも、その数字は別といたしまして、理解いたします。しかし、だからといって、教育大学が、こういうふうな見解を、学内の賛否の意見がありながらそれぞれの機関に持ち上げてまとめて、私どもへもこういうようにしたいというようなまとめを持って来られました場合、私どもはやはりそれをもとにして尊重して事を進めるほかはございません。これは移転問題だけでなくて、教官、学長の人事その他についても同様の問題は起こります。わずか数票でもって違った方が選ばれてくるということもあり得ると思います。できるだけマジョリティの多いほうが学内運営のためにはいいに違いありませんけれども、大学としてそのような手続を踏まれて意見を取りまとめられるとすれば、私どもとしてはその責任機関がまとめられた意見を受けて仕事を進める、それが私どもの立場だと考えます。
○嶋崎委員 それではまたもとに返りますよ。そういう議論になるとますます返らざるを得なくなる。 評議会という機関は、大学運営に関して、確かに評議会規則では大事なことを決定することはできます。人事もきめられます。しかし、その評議会決定をとるにあたって、学部教授会というものの議を経る、審議をする、そういう問題を関係づけずに評議会が決定をするからこそ、全学的なこういう世論の反対がさらに出てくるのだとぼくは思うのです。だから評議会というものと教授会というものに関連して、私が最初に申し上げたように、それはたいへん時間がかかります。時間はかかります。しかし、時間はかかっても、大学の新しいビジョンというのは思想、信条、教育研究と関係ありますから、非常に密接なだけに、そういう意見の対立というものをいかに統合していくかというプロセスをもっとしばらく——かりにですよ、一年法案がおくれて提出されたって、極端に言えばかまわぬことがあり得るわけですね。ところが、こういう世論の背景の中で強行的に決定が行なわれる、そしてそのあとこういうようなことになっているのですよ。十一月に今度は創設準備会を文部省はつくりましたね。そして新しい教育大学の先生方数名と、まあ学長が入っていますけれども、ほかの全国の学者を集めまして、新しいビジョンの討議をやりましたね。そしてその過程で、筑波大学の準備調査会を文部省がアレンジして、この裏に文書ありますね、これが残っております。あの会議に参加した名簿が残っておりますね。あの名簿で全体会議の教育研究、それから大学管理運営の専門委員会ができておりますね。そういう専門委員会が動き出した直後です、十一月ですから。 〔森(喜)委員長代理退席、委員長着席〕 この筑波大学の準備調査会の座長さんです。名前をあげません。座長さんが、東京教育大学の移転には拘泥せずに構想を練る、文部省は教育大学の適当な部分を新大学にはめ込んで主要部分のにない手にするつもりのようだ、いやな人は参加してもらわない、また参加希望の人も選考機関で選考しないと強力な新大学にはならないいう談話を発表しているのですよ、朝日、毎日、読売……。つまり評議会の決定があったのに対して、全学的な、たいへんな、四割強の教官の反対があったのですね。今度は文部省が創設準備会をつくりますね。そうしてつくってアレンジした座長さんが、新しい大学ができたら賛成せぬ人は首切りますよと言っているのですよ、内容は。そして選考機関で選考の過程でそういうふうに措置しなくては新大学になりませんよと言っている。こういうことが、文部省がつくられた創設準備会の総会の座長が談話を発表するというようなあらわれ方ですね。このあらわれ方は、つまり七月二十四日に評議会が決定したような決定のしかたの内部の問題を、外からちゃんと文部省は事態全部つかんでいるわけですよ。そうでしょう。つかんでいて、そして参加しない人は首切るという談話を発表しているという事実がある。御存じですか。
○木田政府委員 いま御指摘になりましたのは、筑波新大学創設準備調査会という御指摘でございましたですね。この準備調査会が四十六年の七月に文部大臣に「筑波新大学のあり方について」の報告書を提示してございます。この創設準備会の座長が当時どのように談話を出されたか、私、ちょっとここで記憶をいたしておりません。しかし、新大学に対しまして賛否の両論がありまして、御参加を願えない方があるかもしれないということは、関係者が十分心にとめながら論議をしたということは、十分察知できることでございます。そうして新大学は、東京教育大学のほうからの御意見にもありますように、従来の大学のままということでなくて、新しい大学として、新大学としてのユニークなものを考えたいということでございますから、それに御賛同いただける方々に御参加を願うということを関係者が考え、またそういうことが談話として出るということもあり得ることかと思うのであります。しかし、これは御賛成願えない方に御参加を願うということは、しょせんしかたがないことでございまして、やはり筑波大学に対して御参加願える方を喜んでお迎えするということの以外にはやりようがないことかと考えます。
○嶋崎委員 大学の教官の懲戒ですね、首切りという問題を……(発言する者あり)参加してもらわないのですよ。参加してもらわないで、もらわないというのは相手の意思を無視してやるということです。(発言する者あり)こっちの討論をしているのですから……。 大学の外に、ビジョンを受けて文部省が創設準備会をつくり、その創設準備会が中心になってできた体制の委員会ですね。この委員会の座長が、この新しい大学に参加しないような教官は——こう言っている、正確に、いやな人に参加してもらわないと言っているのです。談話ですよ、新聞ですからね、まあ新聞ですから、新聞記事というのはいろいろ解釈されますから、かなり幅があるとしましょう。しかし、ビジョンに反対で教授会のメンバーが参加できなかった、しなかった、そういう際に、参加しない教官はこれは筑波大学に来なくてよろしいという談話を外に発表している。ちょっと状況を説明するのですよ。いま大学の中では決定に対して教官が四割強反対している。職員を含めて四割強の人が反対している。今度はそれを強行採決できめた。きめたあとに、文部省は今度は外から大学に向かって、新しい大学に参加しない人は参加しなくてよろしい、そういう趣旨の発言を座長がしているという状況です。いまぼくの言っているのは、状況を言っているのです。 そういう状況は、大学における意思決定に際して、教官たちが学問、思想の自由に関係のあるビジョンの問題について徹底した議論ができにくい。外からの力は——外からの力ですよ、それは同窓会の人ですからね、当時の茗渓会の人ですから。そういう、ちょうどアメリカでいえばボード・オブ・トラスティーズに相当する、それぞれの理事会に将来関係を持ってくるであろうとおぼしきそういう方々が、外でそういう発言をしているという状況の中で、文部省は中間報告を発表をするのですよ、そのあとにですね。その出てきた中間報告は、あとで内容はいずれ議論しますが、ビジョンとは異質なものですね。ぼくは異質だと思う。この問題も学長の選考でありますから、理事長が参与会になってみたり人事委員会に変わってみたり、ころっと違うのですから。つまりそういう状況の中で、これが大学意思の決定だから、それを受けて大学のビジョンを具体化して、それを受けたというのでいわば公に出されている文書、これは正確だと私は言えぬと思うのですよ。いかがですか。
○木田政府委員 東京教育大学から筑波新大学に対する基本計画案の御決定を受けまして、これは四十六年六月に東京教育大学が評議会で新大学に関する基本計画案を御決定になりまして、そのあと文部省のほうでは筑波新大学創設準備会を設けて具体的な創設準備に入ったわけでございますが、やはり東京教育大学の考え方を踏まえて事柄を進めておることは、もう間違いなく申し上げられるかと思います。その論議の過程の中で、東京教育大学の意見と違っておる都分も、お気づきのようにあるいはあろうかと思いますが、これはその後の準備の過程で関係者の意見を加えながら準備会がまとめたものでございまして、東京教育大学の考え方がもとになっておるということは一つも変わっておりません。
○嶋崎委員 その決定の過程の具体的なデータが出ているのですよ。大学の内部の世論でも、教官の四割強がビジョンに反対ですといっている。移転に反対とはいっていない。移転反対の署名じゃないのです。ビジョンに反対している。そして評議会決定に対しても五百数十名という、職員まで含めて反対意思の表明が出ているのです。そういう状況の直後に文部省の創設準備委員会ができて、そしてその創設準備会がアレンジした委員会の座長が、反対の教官は来なくてもよろしいといういい方、そういう状況があるにもかかわらず、いま局長がおっしゃったように、大学の意思というのは、評議会できまった意思を私たちは受ける以外ありません、インフォーマルな大学内部のことは関知しませんというのですね。そうですね。
○木田政府委員 大学がフォーマルな手続を経て持ってこられました御意見を尊重して事を進める以外には道がなかろうかと思います。
○嶋崎委員 それならもう一つ聞きましょう。 東京教育大学で昭和三十七年の六月二十一日に、評議会の決定として、当時学長は朝永振一郎学長でした、昭和三十七年の六月二十一日に、いわゆる「朝永原則」といわれているような大学の管理運営についての評議会の見解をまとめているという事実を御存じですか。
○木田政府委員 何かおまとめになったことは聞いております。
○嶋崎委員 そうですか。当時は大学管理法が出たのですよ。大学管理法に関連して、国大協に管理運営についての意見を聞いたのですよ。そのときに、それぞれの大学の中で大学の管理運営についての討議をやって、評議会の決定を各大学でまとめた。その過程で出てきたのですよ。それを知らないのですか。
○木田政府委員 詳細な点については、私は承知いたしておりません。
○嶋崎委員 じゃ、そこでもう一つ聞きます。 今度は、昭和四十五年の四月十七日に東京教育大学の評議会が「教官選考基準に関する申し合わせ」というものを評議会で決定しているが、御存じですか。
○木田政府委員 承知しております。
○嶋崎委員 「朝永原則」は知らぬが、この教官選考基準の申し合わせだけ知っている、こういうことですね。都合の悪いところは忘れておるのじゃないですか、ちょっとこれは暴言ですが。じゃ、いずれまたお調べ願うこととして、この「朝永原則」ということはどういうことをきめたかということを説明をいたします。「「朝永原則」とよばれる大学の管理・運営に関する申合せ」、ここで当時問題になった大学管理法というものについて国大協に手続をとられた。今度の筑波大学は国大協に手続を皆さん方はとっていませんが、これは何でとらぬのか。これはまたいずれお聞きいたしますけれども、その国大協に当時連絡をとって、大学自治に関連する重要な問題だから各大学に意見を聞いた上で処理しなければならぬと当時政府が考えて、そして各大学に大学管理法に関連しての審議をしてくれ、大学管理運営についての各大学の申し合わせをしてくれということでもって、国大協内部で審議が始まったのです。そういう中で、この「朝永原則」という原則が東京教育大学の評議会決定としてきまったのです。 さて、その評議会決定では、こまかな部分を省くとして、一番エッセンスだけ言いますが、評議会と教授会の関係を、憲法、学校教育法、それから教育公務員特例法と、さっき私がるる展開したその論理に基づいて、ここではそういう大学管理運営についての決定が行なわれたのです。 国立大学の管理運営について 1 大学の管理運営は各大学自体の責任において行なわれるべきものであり、管理運営における大学の自治を確立維持すべきである。 大学の自治とは、研究、教授の自由、人事に関する自治を包含するものである。従って学長、学部長、研究所長(以下所長と略す)その他の部局長、及び教員の選考についてはそれぞれの大学の決定に委ねるべきである。不利益処分についても同様である。 ばあっと読んだのではわからぬかもしれませんけれども、要するに、大学自治のいわゆる根幹は研究、教育の自由と人事に関する自治だといって、管理職並びに教官の選考については大学の決定にゆだねるべきだという一般的原則を述べて、これは不利益処分も同様だといっているんです。 2 大学の自治的管理の機関としては学部および研究所教授会(以下教授会と略す)がそれの基本的主体であるべきであり、評議会の権限、教授会との関係、学部長、研究所長、学長の職務権限はそれぞれの大学の慣行によって明確に規定する必要がある。 今度はそれぞれの関係を明確に規定しなければならぬというくだりを述べて、それで第三番目のところで、教授会と学部長、研究所長との関係。 3 教授会と学部長、研究所長 教授会と学部長、所長との関係を規定するに当たっては、教授会を以て学部長、所長の単なる諮問機関とする考え方には反対であって、教授会は議決機関であるべきであり学部長、所長の専決権は教授会の委任事項および緊急事項に限られ、それも事後報告または事後承認を要するものとする。 教授会にちゃんと報告しなければいかぬわけです。 4 評議会と学長 評議会と学長との関係を規定するに当たっては、教授会と学部長、所長との関係にだいたい準ずるものとするべきである。従って評議会に関する文部省令は再検討すべきである。 これが教育大学の中の考え方です、是非は別として。 問題なのは教授会と評議会です。 5 教授会と評議会 (a) 教授会と評議会との関係を規定するに当っては、原則的には各教授会の自主性をできるだけ大幅なものにすることが望ましい。統一体としての大学の運営上、必要であると認められる事項に限って、評議会に独立の決定権を与えるべきであり、その場合にも評議会は各教授会の意見を尊重し、その間の調整をはかりつつ決定をなすべきである。 (b) それと共に評議会は、本来各教授会毎の意志決定に委ねるべきものであるが、しかもなるべく各学部、研究所が同一見解、同一歩調であることが望ましいと考えられる事項については、学部、研究所間の意志調整機関としての機能をもつべきである。 (c) 各学部、研究所所属教官の人事中、評議会の審査を経なければならないとされている不利益処分の決定においては、まず当該教授会の議決を必要とし、しかる後評議会の審査を経るべきものとする。 教育公務員特例法の六十九条の問題ですね。 6 大学院の管理運営についてはその重要性にかんがみ、更に慎重に検討する必要がある。 こういうのですね。 そして七番目に、「其の他」、ここは言わぬでもいいでしょう。人事院規則十四の七をどうするかとか、警察権の問題等々を述べています。 申し上げたかったのは、国立大学の管理運営についての教授会と評議会との関係、特に、教育公務員特例法の四条の精神で理解すべきであって、つまり評議会の審査を経て、というのは、教授会に発議権があって、その議を経た上で評議会が審査する、そういうふうに評議会と教授会の関係を理解すべきであるというのが昭和三十七年六月二十一日の「朝永原則」であります。この「朝永原則」をつくるときに、おそらく文科系の教官は大きな役割りを果たしていると判断されます。これはみんな経験でそういうことが言えると思います。 こういう決定があって、そして四十五年四月十七日、もう例の筑波のビジョンが決定した以降ですが、東京教育大は、「教官選考の基準に関する申し合わせ」を決定したのです。 さて、この四十五年の評議会の申し合わせと、三十七年六月二十一日の「朝永原則」とは、教育公務員特例法の大学自治の運営という観点からして、論理的に矛盾していませんか、お伺いします。
○木田政府委員 最後の段階で、両評議会の決定が矛盾しているかどうかという点につきましては、いまにわかにどうお答えしていいのか私よくわからない点がございますけれども、「朝永原則」で、従来大学の管理運営は学部教授会を主体にした運営がなされていて、それが昭和四十三、四年のころの大学紛争の間に、各大学で、もう従来考えられてきた大学の運営を考え直さなければいけないのではないかという事態にどの大学も当面されたのだと思います。でございますから、東京教育大学でも、筑波新大学を考えられる場合に、「朝永原則」のような管理運営というものは御採択になっていないというふうに私は判断をいたします。
○嶋崎委員 評議会の文部省の省令が出たのは昭和二十八年ですよ、大学紛争も何もない時代です。先ほどの議論をやってきたのはなぜかというと、この問題を明らかにしたがったからなんだ。つまり、昭和四十五年四月の東京教育大学の人事に関する、教官選考に関する決定というのは、評議会決定でできるわけですよ。だから、局長の解釈、権力解釈でいえば——表現は悪いけれども、そういう考え方でいけば、これは違法でも何でもないのです。ところが、さっき述べた私の考え方でいけば、「朝永原則」の管理運営になるのです。ですから、同一の大学の中で、紛争は確かになかったけれども、三十七年当時の大学管理法をめぐってあらわれた評議会の大学運営に関する考え方と、紛争を境にして、新しい筑波大学のビジョンをきめてから、教官人事に関する選考基準をきめた評議会の決定のしかた、この二つの間には、さっき問題を整理したように、文部省側の解釈だと、四十五年四月十七日の教官人事選考の基準をきめることはできるのです。私の考え方であったら、「朝永原則」でこれはできないのです。そういう違いが明確だと思うのです。それはいいですね。
○木田政府委員 現行の教育公務員特例法におきましては、教官の採用の場合に、大学管理機関の定める基準により選考を行なわなければならないことになってございまして、教官の選考基準につきましては、特例法の規定で、評議会が基準を定めるということになっておりますから、この規定そのものの運用といたしましては、いま私の答弁を先取りをしていただいたわけでございますけれども、評議会の定める基準に従って教官の選考を行なわなければならぬということに相なろうかと思います。
○嶋崎委員 そこで、東京教育大学の文学部の教授会で、教育学部や体育学部も含めて、教授会が、さっき言ったように、昭和四十四年七月のビジョンの決定について、条件つきないしは反対という考え方、この考え方は、必ずしもおっしゃるように、局長、ある意味では不謹慎だとおっしゃいましたね。まあ残念なことだという表現にしておきましょう。残念なことだとおっしゃるけれども、総意をあげて討議をして、大学の管理運営についてぴしっとした「朝永原則」というものを大学全体が一ぺん確認したわけです。その確認した考え方は、憲法や学校教育法や教育公務員特例法——私がさっき展開した論理に従って、学校の運営をきめたわけでしょう。そういうふうにきめた評議会決定というものと違う今度は人事に関する選考の基準がきまる、その前提になるビジョンなんですよ。それで、さっき昭和四十四年十一月に、座長さんが、参加しない人は来ぬでもいいというデータをわざわざあげたのは、そういう教官人事の問題が、外でつくられた、ないしは文部省がプロモートし始めたその創設準備会の、開設委員会の議長がそういう発言を片一方でしている、教官人事の問題に関して。ところが、東京教育大学の歴史的な大学の管理運営についての経過は、「朝永原則」がまずあって、その朝永原則で運営しなければならぬという承認をやってきたわけですね。ところが、教授会と評議会の意見が違ったというときには、「朝永原則」だったら、評議会の決定を優先させるのではなくて、教授会の議を経る。教授会というものを、一つの学部というものを大事にしながら運営しなければならぬという決定なんですから、「朝永原則」というものに参加した学部教授会、非常に熱心な学部教授会があったとしましょう、過去は知らぬけれども。その教授会が、今度は次の決定にあたっては、それと運営が違うという形で評議会決定が行なわれようとすれば、過去の基準によって賛成できませんという形の意見が出てくることがあり得ると思うのです、いい悪いは別ですよ。残念かもしれませんけれども、そういう過程があり得るというふうには考えられませんか。
○木田政府委員 どうもお尋ねの趣意がうまく頭に入らないのでございますが、昭和四十五年の四月十七日に東京教育大学の評議会で決定いたしましたのは、 本学は、移転を契機に新大学の実現を期しているので、研究・教育の向上と大学の正常な運営に特別な考慮を払う必要がある。このため、この申し合わせを確認する。 本学の教授、助教授および専任の講師の採用およびこれらの職への昇任に際し、その候補者となる者は、次の要件を備える者のうちから選考するものとする。 1 大学設置基準(昭和三十一年文部省令第二十八号)第十三条から第十五条までに定める教員の資格を十分に満たすこと。 2 採用または昇任のうえは、評議会の決定を遵守すること。 とありますが、まことにあたりまえのことだろうと思います。
○嶋崎委員 評議会でそんなあたりまえなことをきめた大学がありますか。
○木田政府委員 こういうことをきめたというのは、ほかの大学では聞いておりません。
○嶋崎委員 そこなんですよ、問題は。そんな決定はあたりまえのことでしょう、評議会の決定が出たら、教授会はそれに従うなんて。 ところが、評議会の決定を出すにあたっての手続論があるわけです、「朝永原則」では。評議会の議を経なければならないし、それに学問、思想、教育研究に関係のあるような特に重大な問題に対しては、学部教授会の審議なしにやるということについてはチェックをかけておるというのが、大学の管理運営に関しての「朝永原則」の考え方ですね、この書かれた文章の内容によれば。そうしますと、大学の意思の決定のプロセスがあって、そしてその後にビジョンを決定するときに、大学の意思統合にあたっては、教授会というものの非常に十分なる審議がないまま決定されるかのごとき様相が状況としてあるわけです。そしてそのビジョンを決定したあとに、その評議会決定というのは今度は非常に力を持つわけですね。それがいまの評議会の教官選考に関する基準なんですよ。そう思いませんか。つまりビジョンを認めないならば大学の教官としての資格がないということじゃありませんか。
○木田政府委員 どうもお尋ねの趣意を理解しかねるのでございますが、先ほど読み上げました評議会の決定と、「朝永原則」としてお教えをいただきました前の昭和三十七年の決定の手順とどう関係があるのか、あまり関係がないようにも思います。またビジョンとの関係も格別ないのでございまして、中身は、教官が教員の資格を十分に持っておることと、それから教官になった上は評議会の決定を順守することと、こう書いてございます。これは別に他意ないと思います。
○嶋崎委員 そこ、いまのわからぬですか、局長。「朝永原則」、さっき教育公務員特例法の見解の違いがはっきりしたですね、二つ。あの二つを適用すればいいのですよ。そんなにとぼけなくたっていいですよ。頭のいい局長、わからぬはずはない。 その前段の評議会優先の考え方でいくと、評議会規則に書いてある人事に関する一般的な事項、それを評議会できめて教授会を控制することができるのですよ、局長解釈でいくと。そうでしょう。私の解釈でいくと、「朝永原則」という評議会決宗がある以上は、その前提に立ってものごとをきめていくときには、教授会と評議会の関係には教授会のほうが優先するという考え方がある。そこの違いになっているのですよ。その違いが「朝永頂則」とこの教官選考基準との評議会決定の違いになっているでしょう。論理の考え方の違いだと思うのです。それは承認されるでしょう。そんなことがわからぬことはない、局長が。
○木田政府委員 具体的に申し上げますと、四十五年の四月十七日の評議会決定につきまして、各学部におきます教授会の賛意がないという御指摘のことかと思うのでございますけれども、この評議会の決定は、評議会としてきめ得る基準をきめたものだというふうに考える次第でございます。また、「朝永原則」といわれましたものにつきましていろいろと御指摘をいただきました点、事柄としてはわからないわけではございませんが、こうした大学の運営が昭和四十四年のころのいろいろな大学運営上の問題点として指摘されたかなり重要な部分ではなかったか、こう考える点もございます。すべてがそうであるとも思いませんけれども、学部中心の運営であることによって、大学全体としての管理運営が、何ともかじがとりにくいというケースがあちらこちら全国の大学で幾つも起こったわけでございまして、「朝永原則」というものが今日永久不変のものとして考えられなければならぬというふうには考えない次第でございます。
○嶋崎委員 休憩に入る前に整理しておきますと、おっしゃるように、前段の「朝永原則」は、やはり全学の意思として統合してきめた大学運営の意思でしょう。それに参加した教授会が、その後の評議会決定の意思をきめるときには、その管理運営の慣行に従うべきだという主張を持って、そしていろんな評議会決定に臨むという際に、その際にそういうことがかりにあっても、いまや情勢が変わったので、評議会優先でものごとをきめなければならぬというふうに直ちに頭の切りかえをしていくということが、大学の内部で前段の決定と後段の決定が出て、それがかりに局長の解釈と私の解釈の違いのような解釈の違いで位置づけられた場合には、管理運営には意見の対立が出てくるわけです。そういうことをまず確認して、いま、ちょっと休憩しましょう。
○田中委員長 この際、暫時休憩いたします。 午後四時二十六分休憩 ————◇————— 午後四時四十二分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 国立学校設置法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を続行いたします。嶋崎譲君。
○嶋崎委員 そこで、先ほどの質問、つまり昭和三十七年の六月二十一日のいわゆる「朝永原則」、いわば大学自治の管理運営の考え方と、それから昭和四十五年の四月十七日の「教官選考基準に関する申し合わせ」、これとの間には、評議会というものが大学自治のあり方についてどういう役割りを果たすべきかということについての意見の違いが運営のしかたにあらわれている。こういう確認を私なりにして、それで質問を続行さしていただきたいと思います。そこで、先ほど、昭和四十四年の七月のビジョンが決定されて、筑波における新しいビジョンを目ざしての筑波大学の創設を評議会決定しましたね。七月二十四日ですか。それから、教官選考の基準をきめたのは四月の十七日です。これはあくる年の評議会決定です。昭和四十五年の四月十七日に東京教育大学が「教官選考基準に関する申し合わせ」を決定したわけです。そうすると、この四十四年のビジョンが決定されてから「教官選考基準に関する申し合わせ」を決定するまでの状況について、私の調査した事実について幾つか御質問さしていただこうと思います。 それで、先ほどお聞きしましたように、マスタープランのビジョンを決定する評議会のあとに四割の教官の反対があった。そして決定のあとにまた五百名をこえる反対があったという事実を確認しましたね。私は確認した。それと同時に、今度は東京教育大学評議会が決定して、内部でそういう世論の反対の動きがあるわけですね。他方で、今度はビジョンの決定を受けまして、文部省のほうが創設準備会をつくった。そして体制委員会、専門委員会で動き始めた。その過程で、今度は片方のほうでは座長がさっき言ったような、反対するような教官は来ぬでもよろしいというような趣旨の発言をなさったりしておる。外と内のこういう状況が、次の、いまいった、この評議会決定が出てくる一つの背景だと私は考えるのです。 そこで、この評議会決定というのは——評議会決定ではおわかりになりにくいですが、「教官選考基準に関する申し合わせ」という評議会決定ですね。これが学問、思想の自由という問題並びに大学自治の根幹である人事権という問題に深いかかわり合いを持ってあらわれないだろうかということについて、どう思いますか。
○木田政府委員 四十五年四月の評議会決定は、先ほども申し上げましたように、あたりまえのことをきめたという感じのものでございまして、別段御指摘のようなことはなかろうかと思います。 なお、ちょっと恐縮なんでございますが、本日の御質問の冒頭に、国立学校設置法で全会一致でなかった、野党の反対した学校があったかという御指摘がございまして、調べさせていただきました。宮城教育大学を創設いたしました際は賛成多数で可決になりました。また、大学の名称変更を四十一年に一部の大学で行なったわけでございますが、これも賛成多数でございました。
○嶋崎委員 それで、ちょっと事実を確認さしていただきますが、この評議会決定、「選考基準に関する申し合わせ」ですね、その申し合わせの以降、四十五年九月十日に入江、星野、家永三教授の辞職勧告が出たという事実、御存じですか。
○木田政府委員 承知しております。
○嶋崎委員 そこで、評議会がこの辞職勧告を決定した。ところが、文学部教授会はそれにノーと出たわけですね。こういうつまり人事問題が、現象としてあらわれたわけですね。 さて、辞職勧告というのは一種の懲戒ですね。そしてその教官の身分を失う。そういうつまり決定が評議会で行なわれた。その評議会でそれを決定したのは四十四年七月のビジョンの決定と関係があると思いますか、ないと思いますか。
○木田政府委員 どういう趣旨のお尋ねかわかりませんが、四十五年の四月の評議会におきます「教官選考基準に関する申し合わせ」は申し合わせでございますし、辞職勧告は辞職勧告だと考えます。
○嶋崎委員 もとに返って、つまり評議会は人事に関する基準というものをきめることができるという省令に基づいて、評議会が学部内部の教授に対して辞職勧告ができるという解釈は、先ほどの評議会優先の考え方からいけば可能だと思います、先ほどの局長の説明された考え方によれば。しかし、「朝永原則」の考え方からすれば、こういう辞職勧告というのはできないですね。さきの説明でいけばできない。そのために教授のつまり懲戒に相当する辞職勧告という問題を、評議会が、いわば人事の基準をきめた評議会が、懲戒の問題について発議権があるという解釈をし出すと、こういう事態があちこちに起きるというふうには考えませんか。
○木田政府委員 文学部が昭和四十二年以来移転問題の評議会には参加しない。また四十四年の紛争時に至りまして、一般教育を担当しておりました文学部が、一般教育を実施しないと教授会が決定をした。教育を行なわないという教授会決定をするという学部教授会というのはどういうことであるかということから、評議会でその問題の論議が起こりまして、そして文学部の指導的役割りを果たした三教官に対して責任を求めたいという意味の辞職勧告が行なわれたと承知しております。 いずれも異常な状態の中で起こった異常な事態に対する評議会の見解だと思いますが、いろいろと大学全体を見通した立場に立ちまして、学部の中で取り上げられない問題を、大学全体の立場で、必要な人事上の問題点として評議会が指摘をするということは十分あり得ることじゃなかろうかと思います。しかし、この辞職勧告そのものは、特例法の規定によるものでも河でもございません。事実上の問題だと思います。けれども、事実上の問題にいたしましても、評議会としては大学全体の運営上必要な措置と考えてとったということも、異常な事態の中における措置として私ども理解し得ることではなかろうかというふうに思います。
○嶋崎委員 教育公務員特例法によりますと、この評議会の審査の結果によらなければ懲戒にすることはできないという考え方ですね。 そこで、その審査というものがたいへん問題になるのだと思いますけれども、そういうこまかな事実は内部のことですからわかりませんけれども、こういう教授の辞職勧告というようなものが、いまの局長の答弁ですと、大学全体が異常であればあり得るというふうに解釈されるのですか。それでいいと思うのですか。
○木田政府委員 評議会は、人事につきましてもたとえば先ほど来御指摘がありますように、懲戒その他不利益処分について審査をする立場の責務を負っておるわけでございます。また、教官の採用につきましては、選考の基準を定める権能を特例法上与えられておるわけでございますから、教官の不行跡に対しましてこうした意見を表明するということは、事態に対応してあり得ることであろうというふうに考えます。
○嶋崎委員 懲戒をめぐる考え方の中には、基本はやはり評議会と教授会という大学運営に関連しての考え方というものが対立していてこういう事態が紛糾していると思うのですね。こういう紛糾した事件が三教授の場合だけで事が済んでいるのかどうか。その後の教育大学内部での人事だとか何かに深くかかわり合いを持っていると思いませんか。
○木田政府委員 四十五年の評議会決定が、その後の文学部教官の人事に関係があるというような趣旨の御指摘を文学部の学部長その他関係者から私も直接聞かされたことはございます。初めてその際にその四十五年の評議会決定なるものを読みまして、これ自体はあたりまえのことではございませんかという私の感じを文学部長その他に申し上げてお答えをしたことを記憶しております。
○嶋崎委員 そこで、私の調べたところでは、こういう教官選考の基準が出てくる前から、ビジョンの決定が行なわれてから教官の昇格、昇任に関連して人事の停滞があったという事実はございませんか。
○木田政府委員 文学部の教官につきまして、定年退官後の教官の欠員補充その他が円滑に行なわれてないという事実は承知をいたしております。文学部からの発議が出てこないというのが現状だと考えます。
○嶋崎委員 それは事実と違いますね。やはりそういう大学の評議会決定に伴って人事的な停滞があるということについて、本来ならこれは大学内部で当然処理すべき問題ですね。それで教授会の議を経て、それを評議会がチェックするというのはおかしいですね、昇格、昇任ですから。助教授を教授にするとか、それから講師を助教授にするとか、そういう場合には四条に基づいていきますね。これには非常にきびしい教授会の議を経てというものが入っていますね。ところが一方では、教官選考に関する基準で、筑波大学に賛成する評議会決定に従うかどうかという異常な決定が片方にあるわけです。つまり、評議会では教官選考についての基準の中に、筑波大学移転という前提の前文があって、そうして大学設置基準の教官の要件を一条で述べているでしょう。設置基準でいっているような研究業績の上において教授にふさわしいという条件が整っておれば教授になったり、助教授になったりするわけですね。ところが、それにプラスして、評議会がその筑波大学のビジョンで新たな大学をつくるということに関連して決定した評議会決定があって、その評議会決定と教授会できめた人事の昇任、昇格とが食い違っているというようなことはあり得ませんか。
○木田政府委員 教官選考の基準といたしまして、その候補者となる者は、設置基準の定めた教員の資格を十分に満たすということと、大学の評議会できめた評議会の決定を順守するということでございまして、これは構成員としてあたりまえのことだろうと思いますから、別段いま御指摘のように矛盾しているとかそういうことは私としては考えません。これはこれ自体あたりまえのことだと考えます。 なお、この評議会の決定というのは、いろいろな意味で学内の諸規定その他評議会としてきめたことを幅広くさしておるものではないかと思いますが、大学の職員になった以上、大学の評議会できめたことを守ってもらうというのはこれまたあたりまえのことだという意味で、繰り返し御答弁申し上げている次第でございます。
○嶋崎委員 教育公務員特例法の四条に基づいて、教授会で助教授を教授にするときめたとしましょう。一方評議会では、教官選考に関する基準で、筑波大学に賛成するという決定に従うことときめたとしましょう。きまっていますね。その評議会決定については、先ほど言いましたような大学の状況の中で、賛成できない意思表明をした教官が一ぱいいるわけですね。そういう中で、教授会が昇格、昇任の人事決定を学部教授会の議を経て決定した。そのときに評議会決定と教授会の昇任人事とはどっちが優先しますか。
○木田政府委員 評議会の選考基準として定めてありまして、評議会の決定を順守することというふうに規定してございます。これはあたりまえのことだと思います。それは、この筑波の移転を大学としてきめたということでございますから、個々の教官が移転に反対であるかどうかということはともかくといたしまして、大学がきめたこと自体については守るという態度がなければ、大学の構成員としては変なことになるのじゃないか。私は、文学部長その他関係者が見えて、これが困る、思想の圧迫だというふうな御趣旨のお話がございましたから、意見がどうであるかということと、きまったものを大学の構成員としてきまったものとして順守するというのは、別のことではございませんでしょうかということを申し上げた次第でございまして、決定されましたことに、賛成、反対のそれぞれ多数、少数のことはありましょう。しかし、きまったことはきまったこととして確認をし、守るということがなければ、大学の構成員としておかしいということの意味におきまして、これは全くあたりまえのことだというふうに考えますし、ピジョンを表明し、ビジョンに賛成か反対かということと私は直接のつながりはないというふうに考えます。
○嶋崎委員 いまの答弁、確信を持って言えますか。公の文書が残っているのですよ、一ぱい。教授会と評議会で取りかわされた文書というのはあるわけですよ。 それはあとにするとして、私の言っているのは、こういうことですよ。教授会で助教授を教授にするという場合に、文部省はその文学部長を発令したのですからその文学部教授会を認める、さっきおっしゃったとおりですね。そうしますと、学校教育法できめたところの大学における重要な事項を審議するというのは教授会だという学校教育法を受けて、教育公務員特例法では、先ほどから何べんも言っているように、昇任、昇格については教授会の議を経てという読みかえ規定でその昇格、昇任の人事をきめる方針がきまっているわけですね。懲戒じゃないのですよ。他方、評議会が非常に抽象的一般的であるが、筑波大学に賛成するかしないかということに関連して評議会の決定に従うことということを評議会で決定しているのです、人事に関する選考の基準として。 そこで問題なのは、教授会で昇格、昇任ということについて、教授会の議を経て決定したものについて、筑波大学に賛成しないならばおまえは教授の資格がないということになりますかというのですよ、具体的に。
○木田政府委員 この評議会の決定は、評議会の決定によります候補者の基準は、筑波大学に賛成か反対かということにかかわるものではございません。
○嶋崎委員 事実は違う、いまの答弁では。参考人かなんか呼んでもらわなければいけませんね。というのは、やはり最初からるる言っているように、教育大学のいわば教授会、評議会というもののあり方について、内部でもいろいろ論争がある。そうですね、いままでは。そうして事、人事という問題に関して、懲戒の場合でも、先ほど言ったように三教授についても局長は、それは評議会がおきめになったことで、評議会の基準からいえば、あくまでそれを承認なさっている、片一方で。他方で、これは懲戒の場合ですね、これは読みかえ規定で局長がさっき言った理屈を前提にすれば、法解釈を前提にすれば、かっこうは成り立ちますけれども、他方では、今度は教官の昇格の人事や昇任の人事について、教授会の議を経たものがもし評議会で教官選考の基準でチェックしたという場合、そういう運営のしかたは教育公務員特例法の趣旨からしても、大学の管理運営という慣行からしてもおかしいと思いませんか。
○木田政府委員 教育公務員特例法におきましては、評議会の定めた基準によって学部の教授会が教官の選考をするというふうに明らかに明記してあるわけでございますから、評議会の定めた基準に従って選考するということは当然だと考えます。
○嶋崎委員 その選考基準は、学問、思想の自由や業績を評価する基準ですか。
○木田政府委員 先ほど来読み上げておりますように、法定の資格を十分に満たしておるということと、評議会の決定は決定として順守することというふうに書いてあるわけでございます。
○嶋崎委員 学校教育法でいっている教授の昇格というのは、教授会の議を経てきめるというたてまえですよね。それは大学設置基準の中の大学の教官の要件もそれに基づいているので、そういうものを基礎にした上で評議会が大学教官の一定の基準、たとえば研究経歴を、大学によってはマスターで講師の資格を与えようというふうにきめることがあってもいいわけですよ。または独学で勉強してきた人が、ある論文によってすぐれているときには、研究経歴がかりになくても助教授や教授に採用するということはできるでしょう。だからそういう意味で、教官の選考基準というものをきめるときには、あくまで大学の設置基準でいっているところの大学の教官の要件、これが基本ですね。それは認めますね。
○木田政府委員 教官の基準は、いま御指摘になったような法定の資格基準のほかに、大学で、運用上の教育研究の能力にかかわる基準というものを定められることが十分あり得るだろうと思います。しかし、ここに規定してございますように、大学の評議会できめたことはきめたこととして守れるような人ということもまた非常に大事なことでございまして、大学できめたことを守れない教員というのを採用するということはおかしいことですから、これはその意味で私はあたりまえなことをあたりまえに書いてある。前から申し上げているとおりでございまして、別に学問研究にどうということではございませんけれども、書いたからこれがおかしいということにもならないかと思います。
○嶋崎委員 評議会で評議会の決定に従うことはあたりまえのことでしょう。そのあたりまえのことをなぜ東京教育大学はきめた。それは説明したとおり新大学の問題ですよ。新しい大学をつくるという評議会決定を守るという意味なんですよ、具体的には。それ以外のことは、一般的に評議会の決定に従う云々という話は一般的な話であって、個別東京教育大学で問題になったところの教官の選考に関する基準は、わざわざ前段に筑波新大学構想というものをうたって、そして評議会決定に従うことというどこの大学にもあり得ない評議会決定をしているのですよ。しかも、教授会の議を経てきめた人事に関係するものを、それをそれでもってチェックするというのを、いまの局長の答弁だと、教授会を経てできた学問、思想、業績、大学設置基準でいう学者として一番重要なそれと、評議会の決定に反対と言ったというその教官のいわゆる評議会決定と、パラレルに、同じ比重で置いて、それを教授会で議を経ることがあっても、評議会の議に従わないことは、大学の教官として一般的なことから言えばモラルに反するじゃないかというふうに同質的な性質のものですかと聞いているのです。教育大学はいま廃校になっていないのですよ。
○木田政府委員 教育公務員特例法の規定にも、評議会の選考基準に従って学部教授会で選考するということになっておりまして、その選考基準に、評議会の決定を順守することというのは、ルールを守ることというふうに私は一般的に理解いたしますが、賛成、反対は別といたしまして、きまったことには従うというあたりまえのことだというふうに繰り返し御答弁申し上げております。
○嶋崎委員 その場合に、評議会と教授会との間になぜこの人事が停滞するのか、いま東京教育大学の文学部が教授は何ぼ欠員だと思っていますか、知っておりますか。
○大崎説明員 文学部の教官定員が四十八年四月一日現在で百十二人でございますが、そのうち現員が八十九人でございます。したがいまして、その差でございます二十三人が欠員という状況でございます。
○嶋崎委員 教授の定員が百十二名ある学部で欠員が二十三名。そしてことしは東京教育大学に学生を募集しているんでしょう。試験をやっているのですね。全国の大学を見ても、こんなに欠員のある学部というのはおそらくないでしょうね。そして学生を募集するときには、そんな教授に欠員がありますよなんということではなくて、全国から学生が、おれは伝統的な東京教育大学に行こうといって受験してきているんですよ。そういう欠員というものについて、なぜこんな高い欠員ができるんだろうかということについて、文部省の側だって、入学試験について全国の大学に学生を募集していくにあたって、大学にそれを受け入れるだけの体制があるかどうかということについての検討がなければ困るのですね。これで科目に停滞がないのですか。
○木田政府委員 文学部の教官定員に欠員が通常よりはたくさんあり過ぎる、運営上いろいろと支障が起こっておるであろうということは想像がつく次第でございます。しかし私、文学部の学部長にも両三度会いまして申し上げました。大学できめたルールに従うということはあたりまえの話なんで、それに拘泥して教官人事を上申しないというのはどういうことでございますかというふうに申し上げたこともございます。これは学内のいろいろな入り組んだ事情がございましょうから、この席でどっちかだけがどうだということを申し上げることは適切でないかもしれません。しかし、現実に欠員のままで双方手続が進んでいないというのも異常な事態であるということは私もわかります。しかし、これは四十五年の評議会の決定した選考基準が不適切だということには直ちにはならない、選考基準そのものはあたりまえのことをあたりまえのようにきめただけだというふうに理解をいたしておるところでございます。
○嶋崎委員 文学部教授会の人事が停滞したとき、その公式文書の中で、筑波大学に賛成をしないのでそれをおきめ願えなければできませんという往復文書が残っているんです。公文書なんですよ。だから、筑波大学ビジョンというのは、教育大学の教授になるかどうかの踏み絵なんですよ。わかりますか。確かに文学部教授会は、その決定に参加しなかったという一つの問題が教授会の質の問題としてありましょう。ところが、いままだ教育大学は廃校になっていない。だからぼくは廃校の問題を聞いておったのです、いつ廃校にするのですか、どこできめたのですかと。そうしたら、四十五年の一月に、評議会では文学部の教授会の意思も尊重しないで廃校の方針を大まかにきめて、そしてそこに持っていく過程の中で、ビジョンが決定したあとにすでにそういう廃校の方向を打ち出しながら、そして教授人事に関連して選考基準に合わない人間を教授にしないとか講師にしないとか、よその大学から来る場合に、教授会の議があるにもかかわらずそれを引き延ばしているというようなことがあったとしたら、さっき言うように評議会の一般的基準というのはあたりまえのことをきめたということになりますか。教育公務員特例法の四条でいう大学の教官の資格という問題に関連した教授会の議を経るという意味と、評議会のその決定との間には、どういうふうなつながりがあると解釈できますか。
○木田政府委員 学内できめられたことが守られない。賛成、反対の意見は個々人別にあるといたしましても、大学として決定したことにその構成員は従って処理をするというのがあたりまえのことだと思っているわけでございます。でございますから、評議会は大学の構成員たるべき者に対して、大学としてきまったことはきまったこととして従うというあたりまえのことを要求される、これは私は理解できるところだと思います。そういうあたりまえのことが行なわれていない状態で、きまったことをきまったことと考えないような教官を採用するということは適切でないというお考えならば、これはまことに理解できることでございますから、その評議会の基準に従って、大学の定めあるいはきまったことには従う教官であることという基準は、私は基準として成り立ち得るものだと思います。また、筑波に賛成でないから上申できないというような言い方は、これまたこだわりがあり過ぎると実はお話を伺っていて私は感ずるのでございます。個々人が特定のことについて賛成か反対かということと、それから全体としてきまったことには反対であっても従うということとは別のことでありまして、そのあたりまえのルールを実現できる人を教官として期待するというこの評議会の基準は理解できる、このように考えます。
○嶋崎委員 大学学術局長は、いまのそういう事態がかりにあるとして、理解できますか。たとえば東京教育大学のある専門の教官がすぐれた研究の業績を持っていて、もうとっくに教授の資格があると判断できる、しかし、筑波大学のビジョンにはいま賛成できない──賛成できぬということは行かぬということかどうかわかりませんよ。そういうビジョンでつくった大学は反対だと言ったって、移転して行かなければならないときには行く場合もあるでしょう。行かぬ場合もあるでしょう。そういうときに、まだ教育大学は廃校になっていないのですね。そういう現状の中で、教授会の議を経た人事を評議会の基準でチェックすることもあり得るという考え方ですか。それは大学自治の根本にかかわるのじゃないですか。
○木田政府委員 同じ御答弁を繰り返すことになろうかと思いますけれども、大学のきまったルールには従うという人でなければ大学の構成員に迎え入れることは不適切だというふうに考えます。それは、きめられたことに全部一〇〇%賛成でなければならぬかどうかということとは別のことであるというように申し上げているわけでございまして、いかに学問的に業績の高い方でありましょうが、大学の構成員として一番基本的なルールだけはお守りいただく人ということは大事なことであるというように考えます。
○嶋崎委員 そうしますと、東京教育大学の文学部の教授は、全員東京教育大学の教官として不適任だということですね。(「全員じゃない」と呼ぶ者あり)そうじゃないですか。そうでしょう、東京教育大学文学部教授会がビジョンには賛成でないと言っているのだから。そうしますと、東京教育大学の教官は、どんなにすぐれた研究業績を持っていても、今日国立大学の教官として講義して、学生を受け入れて単位をやっている、その教官が不適任だということを局長は断言することになりますが、いいですか。
○木田政府委員 ルールには従うという方でなければ大学の構成員として不適切だというふうに私は考えます。ですから、正規の評議会に従うことは気に食わないからといって、欠席するというようなルール違反が広がっていくということは適切なことでない。現在おる方でありましょうとも、そういうきめられたルールに従った手続に参加をしないということは、私は適切なことでないと考えますけれども、新たな職員を採用いたします場合に、学内のきめられた手続きに従って参画をしてくださる方というのは、最低限の要請ではないかというように考えます。
○嶋崎委員 これはつまり文学部教授会でそういう人事、助教授から教授への昇任を議決した、議を経た、それに対して評議会がその基準を持ってきてだめだと言ったときにその昇任を認めないという考え方、そういう考え方そのものがさっきからの議論に戻るのですよ。評議会と教授会の朝永理論の原則に返ってくるわけです。ですから、両方考えられるのですよ。局長のいまの法律の解釈と運営の中でも、情勢に応じて、ないしは大学の慣行というようなものに即して、どっちかに即して、私のような主張でもって人事がきまり、そして大学全体の調整を行なうという筋論で一切の慣行を動かすべきだという考え方もあれば、評議会でそういうふうに人事の基準をきめて問題を動かす場合もあり得る。両方とも違法じゃないのですね。しかし、今日の大学の自治と学問の自由という原則を前提にした場合に、そういう両方の考え方があるという場合に、いま局長が答弁したように、評議会の筑波大学のビジョンに賛成するというルールに従わなければ教授として適格がないという現実と、いまの大学の自治の慣行のルールというふうに、人事の昇格の問題に関連して言うことは、これは一面を強調していることになりませんか。
○木田政府委員 朝永理論が御指摘のようにいろいろございますにいたしましても、現行法の規定で、教育公務員特例法の現在の規定によりまして、評議会の定めた基準によって学部教授会で選考するということは明らかに明文の基準でございますから、この手続そのものは朝永理論がどうあろうとも、そのことまで否定はできないと思います。そして、その評議会の定めた基準に従って選考をするということは、先ほどからも申し上げておりますけれども、筑波の考え方に賛成でなければならぬということを意味しないと思います。個人的にはいろいろなお考えの方がございましょう。しかし、大学の正規の機関としてきめたことにはきめたこととして従っていただく必要がある。反対でありましょうとも従っていただく必要がある、これはあたりまえの民主的なルールだというふうに考えます。
○嶋崎委員 それなら、この教授、助教授の昇格の教授会の人事の問題と、評議会の決定ビジョンに従うかどうかということをパラレルに置いて、だから業績があったっておまえは教授になれないということがそれで正しい、そういうふうに言っているのですね。
○木田政府委員 業績が高いということと、大学のきめたルールには従うということと、これは当然両方満たすべきものだというふうに考えます。
○嶋崎委員 そこなんですよ。じゃ、教育大学の中で、そういうつまり人事が行なわれる、そういう形で昇格を承認すべきものは文部省のほうはわかっている、知っていて、そしてどうぞ大学の中でおきめなさいといっていることが、ビジョンを承認するかどうかという踏み絵に協力しているのと同じことですね。(「欠格条項になっている」と呼ぶ者あり)欠格条項……。そうじゃないですか。
○木田政府委員 お答えを申し上げていることとお尋ねのことと、どうも食い違っているように思いますが、事柄につきまして、賛成、反対ということはともかくといたしまして、きまったことにはさまったこととして従うというのはあたりまえのルールでございますから、どんな高名の方でも大学できめたことを、気に食わなければきまったことと考えないというような方が入られたのでは話にならぬということは、最低の、ルールとしてはあたりまえのことだと思います。
○嶋崎委員 とにかくいまのような、たとえば教授の昇格というような問題について教授会で決定したものに対して、筑波大学に賛成か反対かということだけで教官の人事がきめられるという大学、おそらくこれまた全国にないと思いますよ。ありますか。
○木田政府委員 賛成、反対ということと別に、きまったことには従うということはあたりまえのことだというふうに申し上げているわけでございます。
○嶋崎委員 片一方で教授会でも決定していることがあるのですね。いい悪いは別として、筑波のビジョンについて教授会は反対していますね。そしてその中の教官は教授会の構成員ですからね。そういう一教官が、しかし、大学の教育研究という観点から見て、学生を教育するには講座が足りぬじゃないか、教授が足りぬじゃないか、そういう現状の中で、とにかく筑波の問題はあとに残すにしても、教授になるかならないかという場合に、いま大学の設置基準の条件がすべてそろっているという場合に、チェックする権限は評議会にはありませんよ。どこにありますか、そんな大学は。
○木田政府委員 教育公務員特例法に、評議会の定める基準によって選考すると書いてありますので、その基準によって書いておりますルールを守るということは、まことにあたりまえのことでございますから、別に不自然なことでもないと思います。御意見ではございますけれども、同じようにお答え申し上げるほかございません。
○嶋崎委員 それなら客観的なデータに基づいて、筑波大学にとにかく賛成でないというから昇格はできませんという文書があるんですよ。片一方、教育大では、教師として業績の上からもすぐれているし、もう教授にして、研究の体制をつくらなければならぬというので、教授会の議を経てきめている。しかも、これにも教官選考基準をきめる前に、教授会決定があったものに対してもさかのぼって、そして人事の昇格を押えているんですよ、知っていますか。
○木田政府委員 基準がきまった以前に手続が終わっておれば、上申が来ておるはずでございますが、評議会の基準制定後に手続として上がってまいりますものについては、評議会の基準に従って手続が進むということになっておるのだろうと思います。
○嶋崎委員 教授会で発令のやつは教授会できめるんですよ、評議会がきめるんじゃないですよ。何月一日で助教授に昇格するというのは、業績をあわせて教授会で決定し、それにあわせて評議会で決定して、さかのぼって発令するんですよ。だから、そういういままでの大学の慣行からして、選考基準がきまる前に評議会が決定して、きまった昇格人事があとで、なぜ、おかしいなと思ったら、筑波大学に賛成していないから、貴学部はそれを認めないと昇格できませんという公文書が出たのです。そんなことが大学にあって、これが学問の自由と大学の自治と言えますか。
○木田政府委員 個々の事例につきましては、個別のいろいろな手続その他が具体の問題としてあったと思います。しかし、先ほど来申し上げておりますように、評議会の基準に従って選考が行なわれ、それによって学長あてに手続がとられてくる、学長からは文部大臣あてに手続がとられてくる、そういう手続を踏んでこられましたものにつきまして、文部省のほうで発令を控えるということはないわけでございます。でございますから、個々のケースについて何か御指摘がございますならば、それはそれとして考えさせていただきたいと思います。
○嶋崎委員 文部省知っているんですよ。先ほど言いましたように、みずからおっしゃったように、どういう人事が停滞しておるかということについては、文部省側に申し入れがあって、そして評議会がそういう筑波大学に賛成かどうかということを基準にして、そういう人事の停滞があっちゃよくない、だから大学内部ではそういう問題がないようにしたほうがいいという意見がかわされてはいませんか。そういうことを文部省が言うたかどうか知りませんよ、常識的に考えてみて、あまりにも大学で教育公務員特例法でいっている普通の昇格の人事について、評議会決定が優先して、あたかも懲戒的なものですよ、これは一種の。もしその基準でいくとすれば、つまり学問、思想の自由に関係のある問題でしょう、ビジョンというのは。教育研究に関係のある問題ですね。ですから、それは相当意見の違いがあり得ると思うのですよ。しかし、意見の違いということと、一学部の助教授が教授になるのに必要な大学設置の基準の要件を満たしているということに基づいて決定されたものと、こういうことでもってその人事を押えるということにはならぬでしょう。それをやりながら、全学としては評議会の決定に基づいて、新大学のビジョンに関しては全体をどうまとめていくかという努力をしなければならないという課題があるだけであって、それを学部教授会の人事に対して、その評議会の基準というものでもってプロモーションを押えたということになれば、これは明らかに学部を中心にした大学人事権の侵害であり、学校教育法や教育公務員特例法でいっていることの法の趣旨に違反していることが行なわれているというふうに言わざるを得ない。そうでないとしたならば、そういう大学内部について文部省の側から、いや、けっこうですというわけにはいかぬです、大学内部で起きている人事の問題ですから。出てこないから発令しないだけでしょう。出てこないということに伴って、大学の中では評議会と教授会というさっきから問題にしてきた、その大学の人事の制度的保障、運用にかかわる根本問題が問題になっているのです。そういうときには、ルールに従わぬというのも一つの要件ですという形で発令しなかったことが正しいという見解になったらおかしいじゃないですか。
○木田政府委員 先ほどお答え申し上げましたように、私も三度文学部長その他関係の方々にお目にかかりました。私の耳に残っております文学部長の御説明によりますと、この評議会決定があるから文学部としては人事の上申をしないのだというお話でございます。私は全く不可解なことでありまして、この評議会の決定があるから人事の上申をしないというのはどういうことだ。人事の上申をすると賛成だといわれるのだと、こう言うのです。それもおかしな話ではございませんかということをお話し申し上げたことをはっきりと記憶いたしております。私は、文学部長がこの基準に従って、そして大学の評議会の決定、ルールに従う人を上申さるべきものだというふうに考えます。
○嶋崎委員 それは局長が見聞した意見でしょう。文学部教授会が評議会ないし学長に向けて、公の文書で停滞している今日の人事を早くどうにかしてくれという申し入れをした。それに対して回答があった、おたくの大学では新しい大学の問題について意見が統一してないから、それをやって出直しをしてこいという公文書なんですよ。だからうわさの話でなくて、実際にはそういう手続上たいへんなことが行なわれているという事実があるわけです。 ですから、これは両方の大学——筑波大学というものが、ほんとうに国民的合意を得ていくための前提である東京教育大学の意思を尊重し、そのビジョンを受けてといういままでの皆さんの方の前提からするならば、そういう事態が行なわれているということは、これは何を意味するかといったら、私がたいへんおそれるのは、今度は筑波大学に東京教育大学の先生方が全部主体になって移るわけでしょう。その移る教官集団が、いままで東京教育大学の中では教授会の議を経た人事が停滞するような評議会の運営が行なわれてきた、そういう人たちが学長を先頭にして移って、そうして筑波大学という大学が動き出すわけですね。だから、あとでも議論しなければならないけれども、そういう過去の経験とあやまち、私はあやまちだと思うのですけれども、そういうものを二度とおかさないようなルールを確立して移らないと、出てきたところの人事委員会や参与会や、そういう一連のものが、いままでの評議会、教授会よりもそういう基準の問題について、学部よりももっと強い権限を持つ制度が今度はあらわれるのですから、だから私たち国民的な合意がなかなかできにくいのは、そういう事実が現実にあって、その人たちが筑波へ移ってそこで大学の運営というものをやる。それが法律の上でぴしっと改正がうたわれて、法で改正されれば、ほかに適用される可能性を含んでいる、ないしはそれを推進するようなことをやっていいわけですから……。そういう事態、いまのような大学の特殊な事態、しかもこれが憲法や教育基本法や、それから学校教育法や教育公務員特例法の法の体系から見ても、どう見ても、おそらく公聴会でも開いて全国の大学の教官にこういう事実についてどう思うかということを聞いたときに、それは評議会のルールですからいいですよと言う大学の教官はぼくはほとんどいないと思うんですね。いま教育大学は廃校になっているわけじゃないですよ。現実にあの教育大学が学生を受け入れて、そして大学で単位を与えなければならない教官が足りない。しかも資格を持った助教授の人たちや講師の人たちがたくさん昇任ができない。その理由が、筑波に移るか移らぬかということによって行なわれているんですよ。そういうような運営のしかたをしている人たちの集団が、将来筑波大学というものをささえていくということになったときに、皆さん方が心配するなとおっしゃっても、いや、大学の人事の問題や、それから大学の管理運営について、学問の研究や大学の自治を侵害することはありませんよというふうにいわれても、国民は、特に全国の大学の関係者は、たいへんな心配をするので、そういうタイプの大学になっちゃ困ると思う。そういう意味で、少なくとも過去において助教授が教授になるとか講師が助教授になるとかというようなことについて、教授会の議を経てきまった者に対して、選考基準でもっとチェックしていくというようなやり方は、いまの全国の大学には例のないことであるだけに、その実情について局長がいまおっしゃったような意見は、まあそれでいいとおっしゃるのなら意見の違いがひど過ぎますし、もう憲法違反でもあり、それから学校教育法や教育公務員特例法違反の疑いが強いと思う。 先ほどあげた例で、文部省が昭和四十四年十一月に創設準備委員会をつくってそしてできた専門委員会の座長が、賛成せぬやつは来ぬでもいいと言った、これだって憲法違反だと思う。それはいまの法の体系の中の手続ではないにしても、精神としてこれは憲法違反だ。大学の人事の問題について、学外で、いいとか悪いとかいうことを公然と発言する形で運営している。そこで新しいビジョンがつくられてきているんですよ。だからそういう数々の憲法違反とおぼしきもの、教育公務員特例法に違反しているとおぼしきことが積み重ねられた過程の中で新大学が構想されているのじゃないですか。 ですからそういう意味で、そういう問題を解消していくためにも、いままでの昭和四十四年七月二十四日の評議会の決定、その後のこの教官選考に関する人事基準に関する問題等々に関連して、教育大学の方々の参考意見を一ぺん聞いて、われわれも納得ができるようなことに持っていこうじゃないですか。そうしないと、いまのような委員会の議事録の内容を、それは意見対立しっぱなしでやってもいいんです。だけれども、これは国民がみんな知って、大学人がみんな知ったときに、筑波大学という大学に、賛成しているという人も多いという意見もあったけれども、全国のあらゆるところの教授会だとか学長やら、たくさんの人たちが反対しているという中には、私がこういう説明したようなことを御存じかどうかは別として、私がほんとうに国民の代表として、大学人の代表として、こういう法案を審議して、ほんとうに国会でこれを通そうと思ったら、そういう疑問を解消しないでよろしいというわけにはいかぬじゃないですか。ですからいまの教育大学の一連の問題について、賛成、反対の意見をここで聞いて、私たちもわからないところが一ぱいありますから、そして筑波大学をになう教官集団が将来大学自治や学問の自由を侵害することがないという確信を私たちに与えてもらうためにも、ぜひ参考人を呼んで意見を聴取したい。それからさっき申し上げた問題に関連して、今度は教育研究の中身に至る討論をやりたいと思いますが、委員長いかがですか。取り計らってください。
○奥野国務大臣 東京教育大学が主要なキャンパスだけでも三カ所に分かれておって、十一年前に適当な統合移転地を求める、そういう調査をしようということを決定して今日に至っておるわけでございます。 いろいろおあげになりました事例、たいへん東京教育大学、もめているわけでございますが、そこで起きてまいりました問題につきましては、またいろんな角度から賛否両論の出てくること、私はこれは当然だと思います。 同時に、全国の大学がたいへんな紛争を重ねました。大学のあり方に対しまして、学生諸君が大きな不満を持っている、これが私は、一つの原因だと思います。そういう学生の不満に対してこたえなければならない。当時は各大学たいへん熱心にどうこたえるかということについて改革意見を検討していただきましたけれども、不幸にして今日まで、一応具体的な案として提示されましたのは東京教育大学だけであります。それだけむずかしい問題でございますから、私は各大学の中で、賛否両論いろいろ議論になること、これは当然だと思っております。その中で、東京教育大学がとにかくおまとめいただいた。私たちは、これをぜひ実現さしてあげたい。同時にまた、こういう考え方のもとに、いろいろ各大学が責任をもってどう改革すべきかということについて自主的に御努力をいただきたい。私は、この東京教育大学の成果というものが、必ずや各大学におきましても、一そう責任をもって自主的に改革案を練っていただく機縁になるものだと期待をいたしておるわけでございます。 先ほど来御論議になっております評議会の決定を順守するということ、これはあたりまえのことであります。あたりまえのことでありますが、人事にからんで出てくるものでございますのでいろいろ御議論があるわけでございます。御議論のあること、私も当然だと思います。当然であると思いますけれども、そこまでしなければどうにもならなくなってきているいまの東京教育大学に、私はむしろ同情をしてあげたい、こう考えるわけでございます。そして非常に困難な中からせっかくまとめられた改革案、これはやはり実現させてあげたい、こう考えるわけでございまして、そのことはまた国民多数の、大学がこれでいいんだろうかと非常に疑問に思っておられる声にこたえるゆえんではなかろうか、こういう気持ちまで抱いているわけでございます。御議論よくわかります、よくわかるわけでありますけれども、東京教育大学の今日の混乱、その中で起きている一つ一つの事例であるということだけは、私はよく御同情をいただくべきものではなかろうか、こう思っております。
○田中委員長 ただいま御発言のありました件については、後刻理事会において決定をいたしましす。
○嶋崎委員 最初議事録の問題を聞きましたね。あの議事録で、文部大臣が本会議で答弁なさったことがありますね。その中にこういうくだりがあるのですよ。東京教育大学の問題として、いままで議論をしてきましたように、たいへん大学の自治の根幹にかかわる問題でのいわば考え方の違いみたいなものから出発して議論がされておりますね。ところが、私が東京教育大学の経過について御質問をしたときに、大臣が答えている中でこういう文言があるのですよ。「内紛がないほうが望ましいのでありますが、お互いの党内にも、ときには内紛があるものでございます。同時に、この内紛は、筑波に移転することに反対ではないのだ」云々という文句があるわけです。東京教育大学に起きている内紛は、わが党内部の内紛と同じという認識で御発言なさったのですか。
○奥野国務大臣 あのときの御質問、私はこう理解したのです。御質問のちょっと前に、学長不信任の決議を出そうとした、そのことについてのお尋ねだった、こう私は理解したのです。そのときに関係者が私のところに来られまして、あれは学長が専行している、専断しているというような趣旨の不満があって、そこでああいうことになったのだ。あのことと筑波移転の問題とは関係ないのだから、そう理解をしてほしい、こういうお話をわざわざ私のところに申し出てきておられます。そういうことを踏まえてお答え申し上げたわけでございます。あの決議問題に関します限りはそういうことだ、私はそう思っておるわけでございます。
○嶋崎委員 私の聞いているのは、自民党や社会党内部の意見の対立みたいなものと、いまの教育大学で問題になっている大学の意思を決定するという過程における法の適用、そういう問題をめぐって教授会と評議会の間だっていろいろな対立がある。そういう内容、思想ないしは大学運営にかかわる考え方をめぐって問題になっている事件と、党内における派閥と同列に置くという認識ですよ。少なくともそういう認識でなければ、どこの内部にも内紛というものがありましてということにはならぬと思うのです。
○奥野国務大臣 筑波大学の紛争全体をさして私はお答えしたのではないのであります。私は、正確に覚えておりませんが、お尋ねになりましたのは、たしか不信任決議案を出す問題だったと理解しているわけでございます。でありますから、あのことに関する限りは私は似たり寄ったりではないかという認識を持っておるわけであります。
○嶋崎委員 東京教育大学のいわば内部におけるビジョンが決定されて、それから今日の新大学に移っていくまでの経過の中では、どうもこの文書にすんなりと書かれているようには事実はどうしても受けとめられない。それだけにその経過の過程について個別にお聞きしますと、まだ一ぱい私の知っている限りではあり過ぎるものですから、ただ時間ばかり引き延ばしてもしようがないでしょうし、そこで参考人でもってそれに関連する問題を一定の時間質疑させていただくということにして、これ以上また同じような問題に関連して、行ったり来たりする議論を続けてても——何時でもやれますよ、十時になってもかまわないけれども、しかし肝心の教育研究等々について、まだまだ大事な問題が残っていますから、そういう手続は理事会のほうにげたを預けさせていただきたいと思いますが、委員長いかがですか。
○田中委員長 先ほど申し上げたとおり、参考人云々については理事会で協議をいたします。 あなたの質疑をやるかやらないか、それも理事会で決定をいたします。
○嶋崎委員 いまの委員長の趣旨で、質問をきょうはこれでやめさせていただきます。
○田中委員長 次回は来たる八日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後五時五十一分散会