文教委員会 第6号
- 発言数
- 100 件
- 登壇者
- 5 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1973/03/09
会議録
○田中委員長 これより会議を開きます。文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山原健二郎君。
○山原委員 主として文部大臣に伺いますが、文部大臣就任以来、いろいろのところでいろいろの大臣就任のあいさつをされておりますし、また予算委員会あるいは当委員会におきましても、御答弁をなさっているわけです。 これは新聞の評でございますけれども、文部大臣のことをタカ派中のタカ派だ、こういう評もありますし、また御答弁を聞いておりましても、たとえば先般のこの文教委員会における有島先生の質問に対しまする答弁の中でも、いままでの文部大臣が言われなかったことに対して言及をされ、たとえば戦前教育を肯定ずるかのような御発言もございましたし、そういう点について私どももいささか危惧の念を持っているわけです。そういうことから、文部大臣の基本的なお考えについて、ぜひともお聞きしたいということで、いままで二名の方が発言をしてまいりましたが、私もこの点について、文部大臣の文部行政に対する見解というのを伺っておきたいのです。 で、最初に、戦後の教育というものがどういう形で発展をしてきたかという問題を、いささか振り返ってみたいわけです。実は、戦争が終わりまして、そして教育に関係してきた者はそれぞれの感慨を持ったわけです。私自身、戦前におきましては小学校の教員を少しやったことがございます。そして戦争から帰ってまいりましたが、帰ってまいりますと、ある校長さんは、戦前戦中の教育の中で、多くの教え子たちを積極的に戦場へ送り出し、そうして若い生命を失わせたということについて深い反省を持ちまして、ある者は校長をやめておるというような事例も見ることができました。 また、これは私の友人でございますけれども、これは戦前から教員をやっておりましたまだ若い教師なんですが、こういう詩をつくっております。 逝いてかえらぬ教え子よ きみを縊ったその綱の はしをわたしももっていた 人の子の師の名において という詩をつくっているのです。これは有名な詩になっているわけでありますが、この青年教師の気持ちの中にも、戦前戦中において実際に子供たちを戦場へ送り出していって、そしてその子供たちは帰ってこない、しかし、考えてみれば、その子供たちの生命を断った一方の綱を、教師という名において私も持っていたのだという、慟哭に近いこういう反省が行なわれているわけです。 これは少なくとも、良心的な日本の教育関係者のひとしく感じたところの感慨であろうと思いますし、またその深刻な反省の中から戦後教育が出発をしている。私はこのように思っているわけであります。そして教育というものが、戦前におきましてはいわゆる国の統制下に置かれていた教育、そして国の方針が誤ればこういう悲惨な状態をもたらすということの中から、戦後におきましてはいわゆる民主主義的な教育を確立をいたしまして、そして、この教育というものは、国民はそれを受ける権利があるということになってきたわけです。これは国際的に見ましても、教育の原理である。そういろ立場に戦後教育が立ち至りました。その戦後における民主主義教育、また国民の教育を受ける権利というものを打ち立てるためには、先ほど申しましたような教育関係者全体の苦悩と苦しみと反省、そういうものがあやなして生まれてきたということを、私は確信をいたしておるわけでございます。ここのところが、ほんとうにいかなる反省に立つかという立場に立たないと、また再び誤りを繰り返し、教育に対する国家統制を進めていくということになりかねないわけでございまして、戦前の教育と、そして戦後生まれ出てきた教育とのこの関係というものを、私ははっきりさせておかなければならない。二度とあの戦前の教育のような国家統制のもとで戦争への道を歩み進み、また破滅に導く、そういうことがあってはならないという観点を、まずお互いにしっかりする必要があると思うのです。その点について、文部大臣の御所感もあると思いますので、まず最初にその点を伺っておきたいのであります。
○奥野国務大臣 敗戦という体験に基づきまして、帝国憲法から新しい日本国憲法が生まれるに至ったわけでございまして、基底に、戦前の深い反省のもとに新しい憲法が生まれていると思うのでございまして、新しい憲法の精神にのっとりまして、教育といわず、あるいは経済体制といわず、労働行政といわず、全般的にもろもろの立法も行なわれてきたと思います。私も、過去の反省の上に立ってこれからの新しい行き方を進める、その基本が日本国憲法であり、これに基づく諸法制だ、かように考えておるわけであります。
○山原委員 したがって、私は、国民が教育を受ける権利があるというこの憲法二十三条でございますが、これに基づいて教育が進められなければならない。したがって、まさに教育というものは、国民の立場に立ち、また、直接国民に責任を負って行なわれるべきものであるという、この立場をしっかりと踏まえることが必要だと思います。そして、そのためには、真に民主的な組織といいますか、教育関係者あるいは学者の方々の英知を集中し、また、父母、そういう方々の代表によって構成される民主的な組織、それによって教育の進路について話し合いがなされるというような、そういう機関の設置といろことも、私は必要であろうと思うのです。そういう点については、少なくとも歴代の内閣はそのことを行なっていない。たとえば、中央教育審議会にいたしましても、これは文部大臣の指示によって任命をしていくという形でございまして、その点では、文部大臣は、この前も指摘がありましたように、政党に所属しておるわけでございますから、これはおのずから限界があるわけですね。そして、その限界を持っておる文部大臣の任命によって審議会が構成される。そうなってきますと、必ずしも国民の立場に立つというこの原則を守り切ることができないで、踏みはずす面もあるわけです。また、政府を構成しておりますところの政党の考え方が教育の中に介入をしていくという、そういう経路を歩みかねないわけでございますが、そういう点についての文部大臣の反省なり、あるいは考え方というものについて伺っておきたいのです。
○奥野国務大臣 いまの国の政治の進め方は、議院内閣制をとっているわけでございます。選挙のあとで国会が内閣総理大臣を指名して、そうしてその内閣総理大臣の指名のもとに内閣を構成しているということでございます。したがいまして、政党が内閣の責任を負っているという姿になっているわけでございまして、行政につきましては、おっしゃいますように公正に行なわれていかなくてはむりませんし、したがって、その行政の運営にあたりましては、国会の審議を経ました法律に基づいて進められていくということになるわけでございます。立法府に属する者が、また反面行政府に属する面もあるわけでございますので、自然その振り分けは十分考えていかなければならない。政治家が常に政党寄りの行動をする。それはまた国民から批判を受けることになると思います。政治家すべて政党寄りで動いているわけでないととは、各政党とも同じだと思うのでございます。その振り分けは十分考慮に入れなければならない、かように考えているわけでございます。
○山原委員 政党政治におきますところの文部大臣の少なくとも限界というものはあるわけですね。たとえ選挙で選ばれて内閣を構成しまして、そうしてその中で文部大臣が選ばれて、そうしてそれが、ときには法律の原案むっくり、法律を出していく。すべてそれがいいんだという考え方は、これは少なくとも戦前においても同じことなんですね。少なくとも、選挙の形態は違いましても、戦前においても選挙は行なわれて、そうして内閣が構成されて、そうして大臣が選ばれて法律がつくられてきている。こういう形態の中から戦前の教育というものは構成しておつだわけで、その考え方だけで見るならば、戦後においても同じことが行なわれていくということになるわけです。しかし、戦後における教育の本質は、先ほど言いましたように、憲法二十三条に基づいて国民は教育を受ける権利があるという立場といろものを考えましたときに、少なくとも政党に所属しておる文部大臣の限界というものは、私は、どちいろ表現をしてよいかわかりませんけれども、あるのだということを感じているわけです。その点、いかがでしょう。
○奥野国務大臣 私は山原さんと、戦前、戦後のあり方につきまして、根本的な違いを感ずる点においてちょっと違いがあるように思います。戦前におきましては、まず内閣そのものが天皇側近でつくられたと私は思います。国会がつくったのではなくて、天皇の側近によって内閣が構成されてきたように思います。ことに、教育の問題につきましては国会が関与できないのでございまして、大権事項に属しておったわけでございます。同時に、そういう法制をきめます場合には、枢密院の御諮詢を得たわけでございます。枢密顧問官というものは、これは国民が選んだわけではございませんで、天皇の側近がおきめになったものでございます。国会が関与できなかった。それが今日におきましては国民主権のもとに、すべて国民の負託を受けて国会でおきめになった、そのことに基づいて万般のことが進められているわけでございますから、根本的に違っていると思うのであります。 同時に、私が議院内閣制と申し上げましたのは、行政府をつくる場合に、大統領制もあれば議院内閣制もある。アメリカのように国民が直接内閣総理大臣あるいは大統領を選ぶ、そうして大統領を構成する者は、これは議員じゃなくて一般公務員あるいは民間からも選んでくるわけでしょうけれども、全く立法府と行政府とは別建てになっていると思うのであります。日本はそうじゃなくて、選挙のあとで国会が内閣総理大臣を指名する。その内閣総理大臣が内閣を構成していくという姿になっているわけでございます。一般の行政面につきましても、国民の気持ちが強く反映するような仕組みに、ある意味においてはなっているのじゃないか、私はこう考えるわけでございます。 いずれにいたしましても、戦前の教育につきましては、国民がみずから関与できる範囲というものはきわめて乏しかった、こう思うのであります。今日では教育全般につきまして国民が関与していく、それはやはり議会制を通じて関与していく。非常に大きな違いがあるように私は感ずるわけであります。
○山原委員 戦前の国家教育権の考え方と、先ほどちょっと言いました、国民は教育を受ける権利があるというところは、ずいぶん違うわけですね。その立場に立って行なわれるという考え方に立ちますと、ただ法律をつくったからといって、またその法律をつくる場合にも、必ずしも国会が十分な民主的討議を行なって合意に達したというものばかりではありません。ときには多数派によって法律がつくられるという場合もあるわけですね。そういうことではなくして、やはり教育の基本は、国民が教育を受ける権利がある、その国民に対して責任を持つ体制というものをつくる場合、やはり私は政党に所属する大臣には限界というものはあると思うのです。その点はいかがですか。
○奥野国務大臣 先ほど申しましたように、政党の立場だけで行動すべきではない。基本的には国会でおきめいただいた法律に基づいて運営をしていくわけでございます。同時にまた、国民の立場に立ってものを考えていくわけでございますから、ときには政党と相反するような言動をすることもあるかもしれません。しかし、国民全体の立場に立って政党が努力していくことが、やがて政党全体が国民から支持を強うするゆえんだというふうに思っておるわけでございます。 国民の間にはいろいろな考え方がございますので、やはりどこかでまとめていかなければならない、その役割りをしていただくのが私は国会だと思うのであります。多数がかってに押し切ったというようなことばも使われましたけれども、できるだけ国会において論議を尽くすべきだと思うのですけれども、国民の間にいろいろな考え方があるわけですから、どこかでまとめなければなら払い。そのまとめる役割りを議会がしているわけでございますから、多数がかってに押し切ったというような批判を受けるよろな進め方は慎むべきでございましょうけれども、やはり最後は多数に従う以外にはどこかでまとめるとすれば方法がないのじゃないか。そういう仕組みをわが国の政治の仕組みはとっているんじゃないかというふうに思っているわけでございます。
○山原委員 いろいろな考え方がありましても、それをまとめる場合の原則になるのは、やはり国民の教育権の立場に立つことが私は必要だと思っているのです。この問題でいつまでも論議はできませんが、先ほど私が申し上げましたように、戦前の教育の深い反省に立って教育基本法が生まれているわけですね。もちろん、その前に憲法が生まれて、それからさらに教育勅語の排除というととが国会で決定をされているわけです。この当時の、戦後の国会における考え方というものも、私たちはいま振り返ってみる必要があるんではないかと思うのです。 たとえば衆議院におきまして、教育勅語等の排除に関する決議が行なわれております。これは昭和二十三年の六月十九日のことでございますけれども、その決議文をちょっと引用してみますと、こう書いてあります。 民主平和国家として世界史的建設途上にあるわが国の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜わりたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であったがためである。 こういう決議が満場一致でなされておるのでございます。 さらに、参議院におきましての教育勅語等の失効確認に関する決議、これは昭和二十三年六月十九日でございます。 われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。 その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失っている。 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失っている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。 われらはここに、教育の真の権威の確立と国民道徳振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力をいたすべきことを期する。 右決議する。 こういうことになっています。 さらに、この間木島先生が問題にされましたところの教育基本法第十条の問題につきましても、当時国会におきましてはその立法の趣旨というものが実に明確になっておるわけでございます。 こういうふうに戦前の教育の深刻な反省のもとに、少なくとも新しい立場に立つ民主主義教育を前進さそうとする意欲が全国会にみなぎっておったことは事実なんです。私は、この道を今日もなお進むこと、これが日本の教育にとって最も重要な問題ではなかろうか、こう考えているのです。いま私が読み上げました二つの決議、教育基本法のところはもう時間がそれほどありませんから読み上げませんけれども、今日なお私たちにとっても大きな示唆を与えているわけでございますが、このような全国会が議決をしましたところの考え方というものに対して、いまも文部大臣はその立場に立たれるお考えがあるのかどうか、伺っておきます。
○奥野国務大臣 当然のことだと考えているわけでございます。同時に、あわせまして、現在がどうであるか、ざらに現状を踏まえてどのような発展をしていかなければならないか、常に反省を怠らないようにしていかなければいけないと思います。
○山原委員 私は、かつてこのように衆参両議院において満場一致で議決をされましたこの精神というものを常にもとにして、そして、これから先の教育上の論争はあると思いますが、こごにその規範を置いて、すなわち、憲法、教育基本法の精神に基礎を置いて私たちが正当な討議をし、場合によればそれによって合意に達するということが行なわれるならば、日本の教育は非常に大きく民主的に前進をするという確信を持っております。したがって、今後におきましても常にこのような決議、あるいは教育基本法などというものを基礎にしてお互いが討議をしていくというこの原則を、私はいま文部大臣との間に確認をいたしたいわけでございますけれども、そういう立場をとられることを了承されますか。
○奥野国務大臣 重要な原則だと思いますし、当然そのように進めるべきだと思います。同時に、その決議は、二十三年ではなかったかと思いますが、そうしますと、二十五年たっているわけでございますから、二十五年の経過を踏まえまして、さらに今後どう対処していかなければならないか、もっと徹底しなければならないとともございましょうし、その結果起こってきているいろいろな弊害がもしあるとすれば、それはどこから起こっているのか、どうしなければならないのか、絶えず反省を繰り返していかなければならない、そう思っているわけでございます。
○山原委員 私は、これから先、文教委員会でお互いに討議をするこの原則をいま申し上げて、大臣の同意を得たわけでございますが、それはそれでおきたいと思うのです。 しかし同時に、現実の問題としては、文部省並びに自由民主党政府との間に、見解の違いがずいぶんだくさん出てまいります。 たとえば、この間、やはり木島先生が出されましたところの教育委員会の公選制度の問題ですね、これが任命制に切りかえられたということについて質疑が行なわれました。私は公選教育委員会制度というものは、発展させなければならないものだと考えておったわけです。任命制ということになりますと、これは地方自治体の長が任命をしていくということになるわけですね。そうすると、これは、少なくとも直接教育の面に民意が反映されない、屈折をした形が出てくるというととを感じているわけです。その点で私は、木島先生の主張と同じ立場をとっているわけです。 ところが、あるときに、文部大臣の答弁によりますと、たとえば公選制であれば、一党一派に偏する人が出てくる——正確ではございませんけれども、そういう弊害があるとか、あるいは自治体でごたごたが起こるとか、あるいはまた投票率がそういうことによって少ない、そういう弊害があるために、任命制に切りかえたのだ、任命制のほらがよりよいのだという御答弁であったように思うのです。正確な意味におきまして、議事録をまだ入手いたしておりませんので不正確かもしれませんが、そういうお考え、間違いありませんですか。
○奥野国務大臣 いまお述べになりましたところがら、若干そのときに誤解を受けるなというような発言をいたしましたのが、一部の勢力といろことでございました。それで、さらに質問を受けましたので、それは投票率が悪いからそういうことがあるのですということを申し上げたことがございます。当時、私は正確に覚えていませんが、投票率が三〇%前後というところがざらにあったわけでございます。との公選制度というものは国民になじんでいなかった。なじんでいなくて、投票で生まれてきたものならばそれでいいじゃないかと言うには投票率が非常に低かったから、そういうことを申し上げたわけでございます。何もそのことが、私はこれを適当でないとするものではございません。むしろつけたりのことを申し上げて、かえって誤解を受けて、言わないでもいいことを言ったので、しまったなという感じを持ちました。 その後も何回かこの議論が出てまいりました過程で申し上げておりますように、この制度は、アメリカの勧告を受けて行なったわけでございます。アメリカは、教育行政は全く独立した自治体が担当しているわけでございます。したがいまして、課税権も持っているわけでございまして、その執行機関が選挙で行なわれている。同じ方式を日本にも勧告したわけでございます。 日本の場合は、そうじゃなくて、行政を総合的に担当している都道府県があり、市町村があるわけであります。都道府県知事、市町村長が直接住民によって選ばれているのだ、だから、都道府県なり市町村なりの教育を担当する機関ではあるけれども、その機関の執行機関を直接選挙で選ばなければならないということにはならないのじゃありませんか、長がすでに選挙で選ばれている、その人が選ぶのじゃありませんか、しかももう一つ、選挙で選ばれた議会の承認を得るのじゃありませんか、だから直接教育委員を選挙で選ばなければ民主化の逆行だ、そうきめつける必要はないじゃありませんか、こう申し上げたわけでございます。 同時にまた、日本の仕組みは、やはりなけなしの金をじょうずに使っていかたければならないわけでございますから、都道府県なり市町村なりにまとめて使っていただく。その前に、教育だけは、執行機関が直接選挙で選ばれてきますと、何が何でも教育にお金を持ってこなければならない。当時財源の問題をめぐりまして非常に紛糾を重ねたわけでございます。 そういう経過もあったものだから、まあいろいろ総合的に考えていくといまのほうがよいのではないかと私は考えますよ、こう申し上げてまいってきているわけでございます。
○山原委員 率直に言いまして、公選制と任命制と、まあいろいろつけ加えられましたけれども、どちらが民主的だとお考えになりますか。そしてどちらがよいとお考えになりますか。
○奥野国務大臣 民主的ということばの使い方だろうと思うのですけれども、やはり総合的に行政全体が民意を反映していく、そういう仕組みが私はいいのじゃないだろうか、こら考えているわけでございます。やはり都道府県行政の一環、市町村行政の一環として、教育行政が行なわれている。そうでありますと、全体について民意が的確に反映される、片寄らないほうがよろしいのじゃないか、こういう気持ちを持っておるわけであります。
○山原委員 いまのお答え少し理解しかねるのですが、たとえば、実は私も公選制時代の県の教育委員をやっておりました。公選制というのは、当時十年も経験がないわけですね。だから、なじめないとかいろいろ言われますし、また投票率が三〇%のところがあったと、こういうお話も出るわけですけれども、しかし、そうでもないところもあるわけです。なじむような期間を与えられないままに、これは任命制に切りかえられておるわけですね。したがって、もら少し続くならば、これは投票率だってずっとふえるだろうと思いますし、またそれが当然のこととして民意を反映する、よりよい機関としての成長が約束をされておったと私は思うのです。 ところで、一党一派というようなことも出てまいりましたし、また財源を通じて自治体とごたごたが起こるという問題がございます。しかし、これはたとえばいまの自由民主党の政府にしましても、率直に言いまして、昨年末における総選挙において五〇%をこしておりません。少なくとも有効投票の半分を割っている現状なんですね。だから、そういうことでございますから、選挙ですからそれはいろいろな人が出てくるのは当然のことです。しかし、こういうことが言えるのです。少なくとも選挙に出た教育委員は、公約をして出てまいりますね。私は教育の問題についてはこういう公約をいたしますということを、選挙民に訴えて選挙というものは行なわれるわけです。したがって、出てきた委員の方たち、これは一様に言えることでございますけれども、たとえば所属しておる政党が違いましても、教育条件を整備するということ、教育基本法第十条の精神ですね、これについてはほぼ一致しておるわけですね。だから、とにかくあの戦後の荒廃した、しかも戦争のために焼けた学校、それを建設するために、当初の教育委員会というのは、ずいぶん血の出るような努力を払ってきたのです。そして、今日の戦後教育の基礎を確立したということは、これはもう疑いない事実なんです。しかも、このために教育予算をふやさなければならない、父母の要求にこたえなければならないということで、自治体に対して予算要求をしている。ここで自治体との間に一定の紛糾が起こることは当然なんですね。しかし、その民意を反映し、公選教育委員会がこれだけの迫力を持ち、同時に教育を守るという、あるいは教育を発展さすという立場で、あの戦後め荒廃の中から努力する、それで起こる紛争というのは、これは実にみごとな紛争なんです。それはど心配すべき紛争ではなくて、それが日本の教育を前進させてきた、私はそう思うのです。 ところが、一方任命制になりますと、これはいま言いました地方自治体の長の総合的な観点とい5立場で、ここから教育予算というものが減っていくのです。これが現実の姿なんです。だから、地方自治体の長が一言いえばもう何にも言わない。公選制のときには少なくとも住民に対する公約をしておりますから、自治体の長が何と言おらとも、教育の問題はこういう形で発展をさせなければならないんだ、予算はこれだけ要るんだ、粘り強くこれを要求していく。その中から日本の教育を発展をさせてきた、こういう性格を持っているわけです。したがって私は、この公選制というものはきわめて大きな役割りを果たしてきたと思います。そしてあれをもっと正しく育てていくならば、日本の教育は、いまのような総合という形で押し詰められて予算の率もだんだん減っていくという状況ではなくして、子供たちの成長のために、もっと大きな役割りを果たし得たということを考えております。私は、そういう確信を持っております。その点で文部大臣の見解とは違いますが、私のいまの意見、みずから経験をしてきた立場から私は言っておるわけですが、これについてどういうふうにお考えになりますか。
○奥野国務大臣 教育委員会の公選制を発足いたしましたころは、青空教室という表現が生まれておったように教育施設もきわめて不十分なとき、しかも、国民全体が教育を中心にして立ち上がっていきたい、こういう熱意にもまた満ちあふれていたときだと思います。そのときに公選された委員の方が果たしてこられた役割り、私は非常にとうといものがあったと考えております。異常な推進の役割りを果たしてこられた。これは高く評価すべきだ、こう考えるわけでありますが、その仕組みをなお今日においてもずっと持ち続けていくかということになりますと、先ほど申し上げましたような考え方で適当でない、こういうように判断いたしておるわけでございます。いろいろな考え方はあろうかと思いますけれども、果たされた役割り、これは高く評価するのに決してやぶさかではありません。同時に、いまの教育委員会の仕組みの中では委員の選任にあたりまして特定の政党で多数を占めることのないようにという配慮も加えられておるわけでございます。そういう意味においてある程度教育の中立性というようなことも維持されてきているのじゃなかろうか、またそらされるべきじゃなかろうか、こうも考えておるわけでございます。
○山原委員 選挙によって選ばれる場合に、特定の政党だけが出るなどというのは、これはある場合もあるでしょうが、ない場合もあるわけですね。そういういわば選挙というものに対する認識も、また一つ問題になってくると思うのです。公選制、任命制、こら並べてみましたときに、どちらがより国民に密着をしておるか、あるいはよりどちらが民主的なものであるかということは、歴然たるものだと私どもは考えているのです。こういうことになってくると、文部大臣と見解が違ってくるわけでありますけれども、私どもは今後もこの公選制の復活ということについては要求をしていきたい、こう考えております。 それからもら一つ、昨日も予算の第二分科会で幾つか質問が出ましたし、またこの委員会におきましても、高等学校への入学問題なんかが問題になりました。私の党の栗田さんも、その点で発言をされたわけです。昨日聞いておりまして、いわゆる高等学校の小学区制の問題が出てきたわけですね。文部大臣は、いろいろ質問をされてそれに対して答弁をされておりますけれども、その中で、いまの状態で小学区制は適当でないというお話がありました。ところが、実は小学区制を実現をしていく中で、学校格差というものが漸進的になくなってくるのです。だから、いつまでもあなたの言われるように大学区制という形でおりますと、学校格差というものはそのまま温存されていくわけですね。入学試験地獄というものもいつまでも絶えず進んでいくわけです。だから、どこかで今日の子供や父母たちがノイローゼになるまで追い詰められた試験地獄の入学試験制度というものを改善していく。そのためには、きのうも話がありましたように、文部省自体がかつて発表しました小学区制以外に解決の方法はないんだということですね。また、事実そのことによって学校格差もなくなりますし、教員の配置もできるわけです。これは現実に私どもは経験をいたしておるわけでございますが、この点について大臣の見解を伺いたいのですが、小学区制については依然としてあなたは反対の気持ちを持っておられるのでしょうか。
○奥野国務大臣 小学区制の問題は、いろいろな経過をたどっているようでございます。同時に、子供たちあるいは父兄は、小学区制になりますともうすぐ学校がきまってしまう。そうじゃなくて、ある程度選択の幅を持ちたいという希望もありますので、やはりある程度の選択の幅は認めるべきではなかろうか、こう考えているわけでございます。おっしゃっているように、入学受験を目標にしたような中学校教育となつてはいけない、これも当然でありましょうし、入学試験地獄といわれるようなことが若い子供たちの気持ちをむしばんでいく、これも改善していかなければならない、こち考えるわけでございます。ただ、それだけで、あとのことは一切犠牲になってもいいじゃないかという気持ちにもなれないものでございますので、おっしゃっていましたように、すぐ小学区制賛成だ、こらはなかなか申し上げられないということでございます。
○山原委員 ある程度の、というところがくせ者です。これがガンなんですね。だから、これもいまの入学試験地獄というのが解消されないもとになっているわけですね。これはもう長くお話をしませんけれども、私は実際に、高等学校へ希望する者は全員入学、むしろ無試験入学、これが当然のことだと思うのです。私も高等学校の教員をしてまいりましたけれども、子供たちはりっぱに育つのですよ。そんな差なんというものはないのです。そして、ある程度の選択の自由ということばの中から大学区制、中学区制というものがとられまして、それでいま各県とも学校差ができているわけですね。一流校、二流校、三流校、四流校、ある県で、大きな都市へ行けば十何流校というのがある。そこでほんの一握りの子供たちが、誤ったエリート意識を植えつけられ、大半の子供たちは三年間、何ともいえない暗い陰うつな生活を送っているという状態が出ている。富山の七・三教育など現実をお調べになったらわかりますけれども、二流校、三流校へ行った子供は、学校の帽子を隠して学校へ行く。また学校へ暗いうちに行く。友だちに見られたくない。女の子は、記章をはずすというのですね。こういう暗い状態に子供たちを置いている。これが教育荒廃の大きな原因になっておると私は思うのですね。だから、学校に差なんというものはあるものではないのだ。そして、その差をなくしていくために、私どもは小学区制というのが、文部省自体もいっているように一番いい方法であって、その小学区制のもとで各学校の教員の配置も平等にしていけますし、同時に、各学校における施設の格差もなくしていくというこの行政の迫力が出てくる。だから、Aの学校、Bの学校、いなかの学校、県の中心都市にある学校との差があるとするならば、このいなかの学校に対して施設をつくっていくという行政上の力が出てくるわけですね。また住民は、それを要求するわけでしょう。こうして初めて学校差というものはなくなるし、いなかにおける学校もそれなりの力をつけていく、こういう発展があるわけです。それが、いまあなた方のお考えでは、依然として格差が残されていく。ある程度の選択の自由というこのことが、もう日本の教育全体をいまむしばんでおるという結果が出ているのです。これはどうにもならないところにきている。だから、自殺者もふえるし、親もノイローゼという状態が起こるわけですね。これはいま文部行政としてこれを解決していかなければならない時期に来ておりまして、いつまでもこれを放置するわけにはいかないわけです。それを放置しないためには一体どういう手があるのか、行政上どういう手を持ったらいいのかということを、いま全父母も子供たちも要求しておると思うのです。これに対して文部省はどうおこたえになるか、簡単でけっこうですから伺いたい。
○奥野国務大臣 一つには入学受験にあたって特別な勉強をしなくてもいい、中学の教育を普通に受けていれば、それで受験にたえられるというふうな姿が望ましいというようなこともございまして、受験の科目をできるだけ少なくするとか、あるいは調査書を重視するとかいうような試験についての改善施策を進めてまいってきているわけでございます。同時にまた、社会の学校を見る目、学歴偏重でありますとか、有名校集中でありますとか、そういう父兄の考え方そのものを改めてもらう必要がある。こういうことについても努力を払っていかなければならない、かように考えるわけでございますけれども、現在は高等学校へ入りたい方々め九八・四%はどこかの高等学校に入っておられますので、入りたい方々は全部高等学校に入れるように大体なりつつある、こら考えていいと思うのでございますけれども、そういう施設の充実整備ということも当然留意していかなければならない、かように考えております。
○山原委員 微温的な態度では問題は解決いたしませんし、ある程度の選択の自由ということの中から狭い門へ向かって殺到するわけです。これは人間の心理状態で、父母に対してその責任を持たすわけにいかないわけですが、これは殺到していく。そのためにますます競争心がエスカレートしていくという、こういう状態の中で今日の事態が起こっているわけでございます。しかも、このままでいきましたならば、大臣のお考えになっておる微温的な考え方でいきますと、このエスカレートの状態はますます激しくなってくる、こういうふうに考えています。だから、どこかで手を持たなければならないとするならば、文部省があれだけ悩んで、そしてつまり小学区制以外に方法はないのだという結論を出された、あの立場に立ち返ってもう一度問題を考えてみる必要があるんではないか、こういうふうに考えておりますから、この問題についくはまた日を改めまして具体的な問題を提示しまして質問をいたしたいと思っております。 次に、大臣に就任されましてから、日にちは忘れましたが、日教組のほうから大臣に対する話し合いと申しますか、会談の申し入れがありましたが、これに対して大臣のほうは面談を拒否されておるというふうにお聞きしておりますが、その理由は一体何でしょうか。
○奥野国務大臣 日教組のほうから会いたいといち話を事務当局が受けたようでございまして、先にしていただけませんか、こう御返事申し上げております。いろいろ法案の問題などをかかえておりまして、非常にいま忙しくいたしておりましたので先にしていただきたい、こういう御返事を申し上げたことがございます。
○山原委員 先というのは、大体いつごろを目安にしておられますか。
○奥野国務大臣 私の仕事の大半は、国会との関係でございますので、国会のほうの関係で、時間が許せばいつでもよろしいわけでございます。
○山原委員 お会いになる意思を持っておられるし、たとえ国会開会中であろうとも、その時間が——問題は、時間の問題になっておると思うのですね。その時間を確保できればお会いになるという御意思はわかりました。実は、前の坂田文部大臣もたしか話し合いをされておると思います。それから、高見文部大臣もお会いになっておるのです。それから、稻葉文部大臣もお会いになっておる。坂田さんのときのことはちょっといま記憶が薄れておりますが、拒絶するというような態度ではなかったと思います。したがって、歴代の文部大臣は、お会いになって、少なくともテーブルに着いて話し合いがなされているという状態でございまして、それが今度何か新聞等の発表によりますと、奥野文部大臣はこれをぱちっと食いとめた、会わないのだというこの中絶状態をつくり出しておると思うのですが、そういうことではないわけですね。
○奥野国務大臣 私、たびたび申し上げておりますように、教育の基本は教師にあると考えております。同時に、文部省は教育が発展いたします上にいろいろと必要な施策を講じていかなければならないわけでございます。そういう意味におきまして、先生方と文部省とがほんとうに力をかし合って進むのがあるべき姿だ、年来そら考えておるわけでございます。先生方の組合が必ずしも文部省との問でしっくりいっていない面があることは、たいへん残念に思います。何かそろいうことがないような姿にできないものだろうか、またそういう形においてしょっちゅう会えないものだろうか、これが私の基本的な考え方でございます。
○山原委員 私は、そういう意味でしょっちゅう会えないものだろうかという大臣の意向に対しては、賛意を表明いたします。同時に、これは形式的な会談というよりも、しばしばお会いになって意見を交換されることも必要だろうと思いますし、また特に国際的な論理から申しましても、教員の賃金、労働条件につきましては、教員団体との交渉事項と私は考えておるのでございます。だから、今度も法案が人材確保というような名前で出るような御予定のようでありますけれども、これは当然教員の賃金、あるいは労働条件に関する問題であろうと思います。したがって、教員団体との交渉は、当然行なわれるべきものだと考えておるわけです。しかも、それは交渉の模様、交渉の結果によってその中身が整備されていくものだと私は考えておりますが、これについてはどういうお考えですか。
○奥野国務大臣 公務員の組合のことについてお話しになったのだろうと思いますけれども、公務員の組合につきましては、法律上いわゆる団体交渉ということを権利として規定されているものではない。いろいろなことを率直に話し合ったらいいと思うのでございますけれども、法律上の権利とか義務とかいうようなことじゃなしに、先ほども申し上げましたように、お互いにほんとうに力をかし合わなければならない性格のものでございますので、そういう率直に話し合える、ざっくばらんな関係を打ち立てられないものかな、これが私の基本的な気持ちでございます。
○山原委員 賃金とか労働条件につきましては、これはもらすでに御承知のことと思いますけれども、ILO・ユネスコの教員の賃金及び労働条件についての勧告もあるわけですね。これは、賃金、労働条件は、教員団体との交渉の過程を経て決定されるべきもである、こういうふうにILO・ユネスコは申しております。これは御存じだと思うのですが、いかがですか。
○奥野国務大臣 私たちはやはり国法に基づいて進めていくべきだ、こういうふうに考えていますし、給与の問題につきましては、国家公務員であれば国会、地方公務員であれば地方議会で定められているものに従って支給されていくべきものだ、かように考えているわけでございます。
○山原委員 もうちょっと残っておりますが、各党とも代議士会などあるそうですから、本会議終了後やるということでよろしいですか。
○田中委員長 本会議散会後再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時三十一分休憩 ————◇————— 午後一時五十四分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について質疑を続行いたします。山原健二郎君。
○山原委員 先ほど賃金、労働条件について教員団体との話し合いの問題を質問をいたしたわけですが、いままでのとの問題に対する大臣の答弁は、時間があればたとえば日教組と話し合いをするということでございましたが、この賃金、労働条件についてのいわゆる交渉の問題でございますけれども、これについては国の法律とかあるいは地方自治体の条例とかいちようなものに基づいてやられるというふうなお答えでございましたね。それが最後のお答えであったように思いますが、そういうことでございましたか。
○奥野国務大臣 一つには、先生方の団体、文部省、お互いに力をかし合う姿にしたい、こういう気持ちを申し上げました。 もう一つは、法律上そういう権限がある権限がないということじゃなしに、いま申し上げましたような関係において、幾らでも話し合いはしていきたいものだ、こう考えておる、こう申し上げたわけでございます。
○山原委員 話し合いはされるということでございますが、法律上の問題をそれだけ切り離してちょっと伺っておきたいのですが、一つは、私はこの法律に対して、憲法第二十六条の条項から疑問を持つているわけです。 委員長にお願いしますが、先ほど私が憲法二十三条と申しましたけれども、あれは間違いでして、二十六条でございますから、議事録の訂正をお願いしたいと思います。 それで、私はILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」、これをちょっと簡単に読み上げてみたいと思うのです。もうすでに御承知のことと思いますが、この第八章の八十二項でございますけれども、教員の賃金と労働条件は、教員団体と教員の雇用主の間の交渉過程を経て決定されなければならない。これが八十二項でございます。 八十三項では、法的ないし任意の交渉機関を設置し、これにより教員が教員団体を通じて、その公的または私的雇用主と団体交渉を行なう権利が保障されなければならない。こういうふうにILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」は行なっているわけです。これは御承知のように、日本政府はこれを承認をいたしておるわけでございますから、この条項については文部大臣はこの精神ははっきり認める、こういうことでございましょうか。
○奥野国務大臣 私は、全体的に各国々いろいろな事情があると思いますし、また、そのときどきの労使の関係その他いろいろな事情もあろうかと思うのでございます。山原さんのお話にあたりまして、私にも一つだけ、いまおっしゃいました「教員の地位に関する勧告」の中の一項だけ読ませていただきたいという気がいたします。それは第七十二にあることばでございますけれども、「教員及び教員団体は、生徒、教育活動及び社会一般の利益のために当局と十分協力するよう努力するものとする。」お互いみんなこういう気持ちを踏まえ合って、ほんとうにざっくばらんに話し合っていくという姿で日本の教育がよくなるように努力していきたい、かように考えておるものでござます。
○山原委員 そのことについては、文部省は異議がないわけでございまして、先ほどから大臣が言われておるとおりでございますから、だから、たとえばもらすでに二ヵ月以上も日教組の申し入れがあってからたっておりますので、いまの大臣の御発言、またILO・ユネスコのその精神から申しますならば、これはもう先ほども、時間の関係だけが残っているわけですから、当然早急にお話し合いなされるものと私も期待するわけでございますが、そういう御用意があるわけでございますか。
○奥野国務大臣 時間の許す限り私はお目にかかったらいいと思っております。その際に、お互いあまりイデオロギーにとらわれたようなものの態度はとらぬことだなという気持ちも深く持っている人間でございます。
○山原委員 もう少しその問題を煮詰めてみたいのですが、今度はドライヤー報告でございますが、これは一九六五年に出されました「事実認定及び勧告」であります。その中に「日教組の中央交渉権」という項目があるわけですね。その中央交渉権には、地方でも文部大臣とも交渉でき、政府はこれを選択しなさい、こういうふうに概要述べております。したがって、いまお互いに腹を打ち割って話をすることはやると言われましたが、このILOも、あるいはドライヤー勧告も、教員団体の交渉権を容認をしておる、しかも、それを日本政府も認めておるという点で非常に重要なことだと思うのですが、これについてはどうですか。
○奥野国務大臣 ちょっといまお示しのその書類が手元にないようでございます。私は、諸外国がいろいろなことを言う、また国際機関がいろいろなことを言うことを頭から非難いたしませんけれども、やはり国々にはいろいろな沿革があり、いろいろな事情があるわけでございますので、あまり金科玉条のようにそれにとらわれて論議するのもいかがなものだろうかなという気持ちを常日ごろ抱いている人間でございます。先生の問題につきましても、フランスのように国家公務員であるところもございますし、日本のように地方公務員であるところもございます。いろいろございますので、私、いまその書類を持っておりませんのでどんな勧告であったか知りませんが、形式的なことで言いますと、地方公務員である以上は、地方公共団体が話し合いの相手方になるということになろうかと思うのでございます。しかし、そんなことを離れて、文部省は教育全体のことを心配しておるのですから、先ほども申し上げましたように、ざっくばらんに話し合っていくよらな環境に早くもっていきたいな、協力し合えるような雰囲気をつくり上げたいなというのが私の念願でございます。
○山原委員 確かに国々には、それぞれ特徴もあることでございます。しかし、ILO・ユネスコの勧告というのは、政府機関も入りまして、そして長期にわたって労働者あるいは雇用者に対する勧告として、国際的通念として出されておるわけですね、だから、それを金科玉条とするということでなくしてという、ことばの下のほうでございますけれども、それであまり問題をあいまいにしてはならない。少なくとも国際的な見解というものは、日本政府をも拘束する性格を持っていると私は思うのです。しかも、これに対して非常に不満があれば、政府がこれを容認しなければいいわけですけれども、日本政府はこれを認めておるということなんですね。ですから、それをあまりぼやかした形で始末をしては相ならぬ。だから、そういう点では、教員団体の交渉権というものは、いま読み上げましたようにはっきりと明示しておるわけでございますから、この精神に基づいて労働条件について話し合いをしていくという考え方を確立すべきではないかというふうに考えるのですが、いかがですか。
○奥野国務大臣 いま山原さんのお話は、だんだんと権利義務的なもののお話のように伺えてきたのですけれども、そうなりますと、公務員法上団体協約の締結権は認めていないわけでございますので、その前提になるような交渉には応じられません、こら言わざるを得ないと思ろのでありますが、私は、そういう話にしないで、元来お互いに手を結び合うべきものじゃないか、力を合わせ合5べきものじゃないか、そういう意味でどんどん積極的に話し合いをしていけるような雰囲気に持っていきたいものだ、こらお話し申し上げているわけでございます。
○山原委員 いまの見解には、最初のほらに少し問題を感じますけれども、これは佐藤総理大臣の時代のことであります。昭和四十年五月十八日、ちょうど私はここに新聞の切り抜きも持ってきておりますが、このときに日本政府と総評の定期的意見交換の問題について、これは第一回の定期会合における佐藤総理のあいさつがございますが、それをちょっと読み上げてみたいと思います。「ドライヤー提案を政府側が受諾したあと、政府としてはなるべく早い機会に「定期会合」をもつよら努力して来た。今回、ILO条約批准案が国会で承認されたが、その翌日、わだかまりなく話し合う機会を得たことは同慶の至りである力「日教組と文相の話し合い」は最も重要である。従来のいろいろのいきさつもあるが、定期会合を重ねていくらち関係者間で円満に理解を深め、互いに不信感がやわらげられるならば、両者の話し合いの機会も到来しよらし、そこへ到達するよう関係者の努力を期待している。」こういうふうに佐藤総理大臣はかなりはっきりと述べているわけですね。しかも、「定期会合を重ねていくうち関係者間で円満に理解を深め、互いに不信感がやわらげられるならば」と、こういうふうに総理みずからが申しているわけでございまして、ILOあるいはユネスコの勧告、またドライヤー報告というものについてはこれを重要視していく、その精神に基づいて話し合いを進めていく。また、特に日教組と文部大臣の間についても、佐藤総理大臣ははっきりと申しているわけでございます。 私はその点から考えまして、まさか奥野文部大臣がこの総理の見解を後退させるよらなお考えは全くなかろうというふうに確信をいたしておりますが、この佐藤総理大臣の御発言について、どういうふうにお考えになりますか。
○奥野国務大臣 もっと積極的な気持ちを持っておる次第でございます。
○山原委員 そういう積極的なお考えを持っておるということがわかりました。 また、この佐藤総理大臣のあいさつにつきまして、さらにドライヤー報告は、最後のところの二二四七号でこら述べております。政府声明を深い満足の意をもって記録にとどめておくというふうに述べまして、その実現はひとしく労使双方の肩にかかっていることをあえて強調する、こう述べているわけですね。これは、たとえば日教組と文部省の関係で申しますならば、日教組に対しても、文部省に対しても、双方の努力を要請しておる国際機関の勧告だと思うのです。 そうしますと、日教組のほうではすでに二カ月ほど前でございますか、文部大臣に対して面談を要請しておるわけです。文部大臣もしばしばそういうことについては話し合いをしたいというふうに、先ほどから強調されておるわけでございますから、一方はすでにこの国際的な勧告に基づいたといいますか、とにかくこういう要請をしておるわけですから、それに対してこたえる側の一方がいまだ答えをしていないという段階にありますから、文部大臣としても日教組と会うということを——これは時間の問題といいましても、私どもそういう点については少なくとも努力を惜しむものではございませんし、国政の忙しいこともわかりますけれども、しかし、こういう国際的な勧告の中で、しかも総理大臣までこういうふうに言っておる状態の中で、早くお会いするほうが、ともかくどういう議題が出てくるかわかりませんけれども、しかし、何回でもお会いするというお気持ちがございますならば、第一回の会合をどもかく進めていく必要があるのではないかというふうに私は思うわけです。その点について、大臣のもう少し前進した立場で、やります。いつごろにやります、ということまでお話をぜひ伺わせていただきたいと思う。何ヵ月も何ヵ月も先へ延ばすなどということは、これはあまり好ましいことではないと思いますし、また先ほどからの御答弁で、そういうふうにはお考えになっていないというふうに私は受け取っているわけですが、そこをもらちょっと煮詰めた形で御答弁をいただきます。
○奥野国務大臣 私の考え方は、会うことが目的ではなくて、相互不信を去って、ほんとうに力をかし合える体制をつくり上げたい、こういうことでございます。そういうことにつきましては、あまりにも私いままで時間がなかった上思います。今後時間の余裕ができます限りにおいて、積極的に話し合いをしていきたい、こら思っております。やはりお互いが過去を振り返ってみて、これでよかったのかどうか、そして将来どろありたいのか、こういう気持ちを持たなければいけない、それが相互不信の払拭ということにつながってくるのじゃないか、こう思うのでございまして、私は文部大臣になってすぐ会わなかった、それが何か将来とも対立関係に持っていこうとしているというふうに誤解をされることは適当でないと思います。同時に、会うことが目的であってはいけないと思うのです。日本の教育をどうやって振興さしていくことができるか、相互にそういう気持ちを持っていきたい、そしてざっくばらんに話し合いができるような方向を見出していきたい、これが私の心からの念願でございます。
○山原委員 そういうお気持ちであれば、まず隗より始めよということで、早くおやりになったほうがいいと思うのですが、どうですか。
○奥野国務大臣 お話、よく理解しておきます。
○山原委員 いまの、けさからの御答弁によりまして、日教組との間でも話し合いがされる方向にお考えになっておることがわかりましたし、おそらく時間を見られまして、向こうの都合もあると思いますが、早くそれが、まずとりあえず話し合いのテーブルに着かれることがわかりましたので、その問題はおきたいと思いますが、ぜひ早急に実現をしていただきたいと思います。 最後に、東大の問題ですが、これは学生の問題なんです。これは一応予算委員会の一般質問のときに、私が、早稲田大学の問題を取り上げまして、文部大臣とかなりすれ違ったやりとりを行ないましたけれども、大きな声ですれ違ったこともあるわけでございますが、その中で大臣は、いま東大あるいは早稲田等におきまして、ともかく学園から暴力を一掃するということで、皆さんが努力をされておるということを言われたわけでございます。その中に、こういうことばがあるんです。大学人の暴力一掃の努力の成功を期待する、こういう御趣旨の答弁がございました。そこで、大学人というのは、一体大臣のお考えでは何をさしておるのか、これを伺いたい。
○奥野国務大臣 そのときのことをいましかとは覚えていないのですけれども、大学当局及び学生全体をさして、よく私そういうことばを使うのでございます。
○山原委員 学校当局並びに学生の努力ということを、これはもちろん事実の問題としても私はそうだろうと思いますし、その点、それを包含した立場で大学人ということばを使っておられることがわかりました。 それで私は、最近の大学紛争、それからそれが平常な姿に返っていく過程におきまして、この教職員の皆さんの努力ももちろんでございます。学生諸君自身も、暴力を排除していくという立場に立って努力をしてきたことは、これは新聞その他でもよくおわかりのことと思います。そして、この学生が学園から暴力を一掃しまして、そして学生の正当な固有の権利である教育を受ける権利に基づきまして、大学自治への学生の参加を実現をしていく、こういう状態があるわけです。たとえば東京大学におきましても、東大学生自治会を加藤総長は公認をする、こういう事態に発展をしております。だから、東京大学におきましても、予算委員会の一般質問で私が精神科の問題を取り上げましたが、一、二の例は省きまして、全体として基本的に暴力というものが学園から一掃されつつあるというのは、これは大臣としても、東大の場合おわかりになりますでしょうか。どういう認識をされておりますか。
○奥野国務大臣 四十三年——四十五年、大学紛争が頂点に達しておったころから考えますと、かなりよくなってきている、こら思っております。
○山原委員 それで、学生の大学の自治、あるいは学問の自由を守るというこういう学生の活動、運動というものについては、文部大臣はこれをお認めになっておられるのでしょうか。
○奥野国務大臣 ちょっとおっしゃっていること、よくわからないのでありますけれども、学生運動の中に政治に突っ走ったようなセクトの争い、今日もかなり強いものがございますし、また自分たちのほらの勢力をふやし、他派の勢力を減らす、そういうことのいさかいがかなり強いもののあることは心配をいたしております。
○山原委員 そのことをお尋ねしておるのではないのです。いまは。学生が、けさから言っております憲法第二十六条に基づいて教育を受ける権利があるわけでございますが、それに基づいて学生自治会を結成をしたり、あるいは学問の自由とか、自分たちの大学の自治とかいうものを求めて運動するということ自体をさしておるわけです。そのことに対して、もちろん異議はないと思いますけれども、それはお認めになっておられるのであろうと思いますが、いかがですか。
○奥野国務大臣 学生が学ぶにふさわしい環境を確立いたしますために、いろいろな希望、意見を言うことは、適当なことだと私は思います。ただ、大学の管理に対しまして、学生が権利としてそれに加わるというような主張をすることは適当でない、かように考えております。
○山原委員 学生の持っておりますところの固有の権利ということについて、あまりいままでこの委員会でも論議ざれなかったように思いますので、ちょっと触れてみたいのです。 これは国際的にはどういうふうな規定があるかと思いましてさがしてみたのですが、ドイツの場合、これはドイツの各州の憲法でありますが、ヘッセン憲法第六十条第一項を見ますと、こういうふうに書いてあります。「大学は、自治権をもち、この自治には学生が加わるものとする」としております。あるいはバイエルン憲法第百三十八条第二項を見ますと、「大学は自治権をもつ。学生は彼等に関係ある事項にかぎり、自治権に関与するものとする」、こら定めています。それからラインラントプアルツという憲法ですが、ここでは、第三十九条第二項で、「学生は、彼等自身の問題の解決に当り、自治の方法で共働する資格をもつ」、こういうふうに定めております。あとの二つは少し限定的な面を含んでおりますけれども、学生の持つ自治権というものに固有の権利がここでは保障されているわけでございます。 もう一つ例をあげますと、これはフランスの場合です。これは、バーデンヴュルテンベルグ大学法における大学評議会への学生参加の問題、あるいはベルリン自由大学における大学評議会、財務理事会、教授代表者会議への参加、さらにイタリア政府の大学制度改革案における学生の問題はこういうふうに述べております。「学生側は大学内のすべての委員会に定員の四分の一の代表を送り込み、強力な発言権を与えられる」、こういう学生参加を表明をいたしております。 これはいまフランスと言いましたが、フランスだけではないわけです。フランスの場合もそういうことが出ておりまして、評議会への参加等も加えられているわけです。 こういうように見てみますと、学生が固有の権利を持って、そして大学の構成員としてこれに一定の参加をしていくということは、国際的にはかなり認められておる状態だろうといろふうに判断をしておるわけですが、そういう点で、この学生の大学における地位というもの、これは国際的にはかなり前進をしておるというふうに私は見ておるわけです。 これはもう理屈になりますから、これ以上申し上げることは差し控えますけれども、結局、私の言いたいのは、学校というところは、教官と学生を含めた全構成員の参加によって大学が民主的に運営されていくことが一番よい方法ではないかというふうに私どもは考えているわけです。もちろん、一定の限界はあると思います。しかし、そういう民主的な大学運営の構想というものがあって、初めて大学といろものが発展をしていくのではなかろうか、こう思っています。そして、学生と教官とのいわゆる緊張した関係、また、協力、理解の度合いを深めていくという、ここに教育というものが成立をするわけでございまして、いわゆる魂の触れ合いというものがそこから起こってくるのではなかろうか。そういう点で、学生の持つ権利に対しましても、これを正しく容認をしていくということが、今度の大学の発展のために必要だろうというふうに私は思っているわけです。こらいろ見解を持っておりますが、大臣、これに対してどういうふうにお考えになるか、伺っておきます。
○奥野国務大臣 私は、学生の自治権というよらな表現を使われましたが、学生の権利の立場からものごとを論じていくのではなくて、学問の自由を保障していく。この学問の自由を保障していく場合に、教官はどらあるべきか、学生はどらあるべきかというような考え方でないと現状がくるのではないだろうか、こら思っておるものでございます。学問の自由を保障するために大学の自治を容認しているのだ、こら考えているわけでございます。 学生に関して局限してものを考えていきますと、いまのわが国の学生は、あまりにも政治がたくさん持ち込まれ過ぎている。これも私は一つの紛糾の原因に数えることができると思うのでございます。そういう際に、学生が管理に積極的に加わっていくというようなことをいたしますと、一そう大学教育の中立でありますとかというものが乱されるおそれがありますし、混乱を重ねるおそれも多分に出てくるのじゃないか。ちょっとこの辺になりますと、山原さんと私との間で、考え方に相当な違いが出てくるのじゃないかな、こう思っておるわけでございます。
○山原委員 そういう違いが出てこないために、外国の例を幾つかあげて申し上げたわけでございますが、この問題はさらに今後論争の対象になると思いますし、また私のほらでも意見を今後も申し上げていきたいと思っております。 それできょうは、まず第一番に、特にわれわれがこの文教委員会で審議するにあたって、その基礎になるものは、戦前の教育に対する反省、それから生まれましたところの教育基本法、また教育基本法の第十条、この精神が基準になって私たちは文教行政についての討論を行なうべきであるという点では合意に達することができると思います。この点で、今後も教育問題について十分な論議がこの委員会において発展をすることを私は期待をいたしておるわけです。 それから第二点の問題は、日教組との関係につきましては、大臣の非常に前進した回答をいただきましたので、これは早急に実現をするということを確信をいたしておりまして、そしてその話し合いがさらに継続をされ、また両者間の意見の対立はあろうとも、話し合いが少しでも前進をしていくような、また特に労働条件、賃金の問題については、それについて正当な話し合いが行なわれることを要請をいたしまして、私の質問を終わります。
○田中委員長 この際、暫時休憩いたします。 午後二時二十七分休憩 ————◇————— 午後二時三十五分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 義務教育諸学校施設費国庫負担法の一部を改正する法律案を議題といたします。 質疑の申し出がありますので、これを許します。塩崎潤君。
○塩崎委員 義務教育諸学校施設費国庫負担法の一部を改正する法律案につきまして、若干の御質問を大臣並びに政府委員に申し上げたいと思います。 まず第一に、この法律の内容は、もら非常に簡単な内容でございまして、私自身この内容について異議はないところでございますが、しかし、まず第一に、いろいろとこの改正によってまだまだ取り残された問題がたくさんあるような気がするわけであります。それから第二は、この問題の背後にありますところの教育関係環境の整備について、いろいろと今後大臣の御努力をわずらわしていただきたいと思う点があるわけでございますので、これらの問題について御質問申し上げたいと思うのでございます。 今回、屋体の新築または増築に対する補助率が三分の一から二分の一に引き上げられた。そしてまた児童急増地域におきますところの小学校、中学校の校舎の新築及び増築に対する補助率も三分の二まで引き上げられた。これによって予算は非常にふえたと思うわけであります。しかし、大臣が一月二十九日の日本経済新聞の記者に対して答えられました予算についての大臣の御答弁を見ると、どうも文教関係の予算について私は心配な点があるのです。日本経済の記者はこんなことを大臣に質問したわけでございますが、ちょっと長いようでございますけれども読んでみたいと思います。「このほど決まった自民党の運動方針には「教育は国の基礎である」と書かれている。しかし、四十八年度予算をみると「教育が軽視された」といろ印象が強い。」大臣、こういうことを言われておるのです。「というのは、国の総予算は二四・六%伸びたのに、文部省予算は二〇・二%しかふえていない。その結果、一般会計のなかに占める文部省予算は、とうとう一〇%を割ってしまった。また、外国に目を転じても、欧米先進国の多くでは、国民所得に対する公財政支出教育費の割合が六%台であるのに、日本では五%ラインを上下する低空飛行が続いている。こうした実情について、どのように考えているか。」という質問があったようであります。 そこで、奥野大臣はいろいろ言っておられますが、「国民所得に占める比率からみると、教育に向けられるカネがたしかに少ない。その通りだと思うし、これはぜひ引き上げなければならない。」ここまではいいのですが、いろいろと弁解されておるのです。「しかし、理屈を言えば、日本社会が急成長したために、社会資本が立ち遅れてしまい公共事業に多くをさいた。その結果なんですね。したがって、もっと社会が落ちついてくれば、国民所得に占める教育費の比率も高まってくるのではないか。」こういうふうに言っておられる。いまの世の中では急には、何と申しますかもら少し社会が落ちついてこなければ、高度成長の過程においてはどうも文教予算は望め得ないような感じを受けるのです。続いて「また、ことしの予算の中で文部省予算の伸びが低いといろ問題も、厚生省とか建設省予算がうんと伸びたからだ。」こういうふうに言っておられる。私は、こういうことを言ろのはどうももの足りないような感じを文部大臣から受けたのです。「文部省予算といっても、その大部分は人件費で、人件費の伸びは文部省に限らず低いわけです。それに義務教育教員給与の一〇%アップも、来年一月から三ヵ月分しか当面予算にはいってこないので、これを平年度に直せば、文部省予算の伸びもかなりの伸び率になるはずだ。」こんなことをいろいろ弁解されておりますが、おそらく文部大臣就任当初だったから、いまとは心境がだいぶ変わっておると思うのです。文部大臣になられてから、この間きょうまで、御質疑を私聞いておりますと、だいぶ迫力が増してこられて、このような答弁ではないと私は思うのですが、その心境をもう少し話していただきたいし、なお、いろいろと数字について、そしてまたむずかしい地方財政の問題とか、御専門で私がずいぶん教えられたかつての経験がありますので、これらの問題とあわしてお聞きいたします。まず第一に、最近の御心境を聞かしていただきたい。 教育権とか大学の自治とかいら話になりますと、文部大臣がいろいろなこと言われると、かえっていろいろ誤解を招いたりしますが、予算の問題は、だれしも異論のないこと、野党の方々でも、この問題については大臣が相当放言をしたところでかえって歓迎されるのではないかと思いますので、ひとつ思い切ったことを言っていただきたいと思います。
○奥野国務大臣 四十八年度予算の編成に取りかかります前に、ぜひ国の予算の伸び率以上に文教予算を伸ばしたい、そういう希望を持っておりましたし、また大蔵当局に対しましても、その希望を率直に伝えてまいりました。皆さん方の非常な努力をわずらわしましたし、私も一生懸命やったつもりでございます。結果として数字になってまいりますと、国の予算の伸び率よりも文教の予算の伸び率が少なかった、そうだったのかなと実はがっかりした一人でございます。あれだけやったんだからずいぶん伸びたんだなと思ったところが、案外伸びてない。これは私の実感でございました。理屈を言いますと、やはり予算全体の伸び率が高いときには、文教予算は三分の二が人件費なものですから、どうしても全体の伸び率以上に持っていくということは困難になってくるんだろうと思います。全体が二十数%というようなときには、建設事業に金を使うことになりますから、そういうウエートの低い文教予算はすぐに右へならえにならない。その結果、必然的に伸び率が予算全体の伸び率の上からいっても低くなる。でありますから、予算の伸び率が十数%というようなときには、文教予算の伸び率のほらが予算全体の伸び率よりも高いのであります。二十数%になってまいりますと、逆に文教予算の伸び率のほうが低い。人件費が非常に大きな割合を占めている、これが姿でございます。しかし、それにいたしましても、われわれとしては教育を基礎にして国民全体の福祉の向上をはかっていきたい、こういうねらいを持っておりますので、何をおいても少なくとも毎年毎年国の予算の伸び率以上に文教予算が伸びるように努力をいたしていかなければいけない、これは基本的にそういうつもりでおりますし、またそういう方向に努力をしていきたいと思います。
○塩崎委員 私は、人件費が多いから一般会計の予算の伸びが高いときには文部予算は伸びないのだ、そこまで行かないんだということを言われておるんだろうと思いますけれども、しかし、文部予算のウエートを見ますと、いろいろありますけれども、公立学校文教施設費というのは、たいへん大きなウエートを占めている予算なのです。大臣、これを分析きれて、他の公共事業費との関係でどう思われるか。まだまだプレハブ教室がたくさんあるわけでございます。それからまた私の選挙区でございますが、大正十一年に建設された、ほんとに重要文化財にしてもいいような学校がまだまだ残って危険校舎に指定されていない、こんな学校があるんです。それを考えてみると、たとえば道路とか、港湾等の整備に比べて、この公立文教施設費の整備について、どんなに力を入れておられるか、私はひとつ数字的な問題も入れてお答えを願いたいと思うのであります。
○奥野国務大臣 公立文教施設の整備を急いでいきたい、皆さんの御努力もかなり実ってきていると思うのでございます。ちょっと数学的に申し上げますと、十年前と比較いたしまして、児童一人当たりの保有面積が小学校で三〇%、中学校で七七%の増加となっております。また鉄筋化の状況について言いますと、十年前と比較いたしまして、小学校では一五%であったものが五二%、中学校では二三%であったものが五七%ということになっておりまして、かなり進捗しているようでございます。近年一番問題になっておりますのは、人口急増地域の問題だろうと思います。これで十分だというわけじゃありませんけれども、毎年の努力がかなり実ってきているということは御理解いただけるのではないか、こう考えるわけであります。私が特に文教を担当いたしましてから心配をいたしましたのは、基準面積を引き上げる。これが一つでございまして、そのことが超過負担問題を起こしている一番の原因だといろふうにも考えておったわけでございます。不十分ではございますが、とにかく二割の引き上げができたわけでございます。同時に、人口急増地帯の問題を解決するためには国の負担をふやさなければならない。そういう意味で用地の問題につきましても若干の改善を見たわけでございますが、校舎の建築についてはさらに二分の一を三分の二に引き上げる等の改革もできたわけでございます。十分だと申し上げるわけではございませんけれども、かなり努力のあとが見られるようになってきているということは御理解いただけるのではないだろうか、かように考えております。
○塩崎委員 数字の問題はまた政府委員に聞くことにいたしまして、大臣、私はいっか大臣の御答弁に、出るかと思って期待している問題が一つあるのです。それは教育権の中央集権化、地方分権化の問題なんです。おそらく木島委員などは、基本問題でこんな問題に集中したいというようなお考えがあるかと思うのでずが、たいへんむずかしい問題でございます。少なくとも財政については、大臣はいまここで答弁されたのは、国の予算だけを見ておられる。しかし教育は、義務教育小中学校についていえば、文教施設は言うまでもなく地方の市町村が負担しておるわけでございますが、大臣、どうなんですか、国の予算はこういうふうに伸びてきてはおりますけれども、地方の教育予算、特に公立文教施設の予算、財政資源の配分、これはどうなんですか。いつかのように、昭和二十四、五年ごろのように、シャウプ勧告によってすべてが交付税に織り込まれて補助金がなぐなってきたことがある。その後の状況を見ると、交付金ですか、平衡交付金では十分機能しなくて非常に教育費に困りてきた、こんなような経過があったのですが、国と地方とあわせまして、大臣はいまの教育予算についてどういうふうな考え方を持っておられるか。いま満足されておる状況にあるのかどうか、ひとつ財政問題としてまずお答え願いたいと思うのです。
○奥野国務大臣 先ほど国民所得の中で教育費に使われているのが五%内外で、先進国に比べて低いじゃないかという質問があり、御指摘がありました。今度は行政費の中で教育費の占めている割合がどうなっておるかについて見てまいりますと、日本の場合非常に高いのであります。行政費ですから、国と地方の財政の統計をとりまして、その中で教育費にどれだけ使われているかということを見てまいりますと、二二%内外じゃなかろうかと思うのであります。これは非常に高い比率でございます。国によって違いますが、一四、五%という国が多いのではないかと思うのですけれども、日本の場合は二二%、これは防衛に使われる金が非常に少ない、これが一番基本だろうと思います。同時に財政の占めるウエート、税金が必ずしも高くないわけですから、もっと高くしてもいいじゃないか、こういう議論もあるかもしれません。しかし行政費の中に占める教育費の割合ということになりますと、世界の中でずば抜けて日本は高い。そういう意味においては地方団体がかなり積極的に教育のために金を使っているのだということがいえるのではむかろうか、かように考えておるわけでございます。住民の立場からいいますと、いろいろな行政費の中で、何をおいても教育はしっかりやってくれ、こういうことだろうと思いますし、おっしゃっているように日本の教育の財政責任、高等学校以下は原則として地方公共団体が担当しているわけでございますので、国費の面だけから教育財政のことを見ておったのでは大きな間違いを来たすということになろうと思います。
○塩崎委員 そこで国と地方との教育における役割りの問題、その財政的な地位の問題について私は御質問したいのです。 補助金というものは御承知のようにその一つのあらわれなんですが、大臣、どうなんですか、今度の法案では補助率を三分の一から二分の一に上げてきた。それから児童、生徒急増地域では補助率を二分の一から三分の二に上げてきた、どちらの方向に今後行かれるのか。ともかくも国の地方の教育費に対する補助はふやしていこうという方向でいくのかどうか。そうじゃなくて、ほんとうに教育というものは地方分権で、地方自治でやらせるべきものならば、かつてのように平衡交付金でやるべきである、あるいは地方固有財源でやるべきである。そして地方団体の独自の考え方で、伸び伸びとした地方分権的な教育をしたらいいじゃないかという考え方になるのかどうか、これは私はたいへん基本的な問題であろうと思いますし、かつての奥野大臣のお考えは十分知っていますが、文部大臣になられてから、いまどんなような文教財政のあり方、国と地方とのあり方をどういうふうに考えていかれるか。私はこの法案が出ておりますだけに大臣の考え方をお聞きしたい。つまり補助金とは何か、今後どういうふうに持っていくかという問題だと思うのです。
○奥野国務大臣 これは塩崎さん専門家なんですけれども、国から金を出す場合に、国と地方団体とが共同責任でやっていくというたてまえで、国がその負担部分を出していく場合と、むしろ奨励、助長というような意味合いで国が金を幾らかでも出したほうが、地方団体がそういう仕事をやっていきやすいだろうという意味で出す場合と、基本的には二つに分かれるのじゃないだろうか、こう思うわけでございます。急速に行政水準を、日本の全地域にわたってある程度までは保障していきたいというようなことを考えていきますと、国と地方とが、その財政責任を共同にしていくという行き方がわりあいに早くそういう道を確保できると思います。しかし、全部をそういうことにしてしまいますと、地方自治の妙味というものはなくなってしまちわけでございます。やはり地方地方において、いま何に力を入れていかなければならないかという問題は、私は地方によって違うのだろうと思うのでございます。同時に、自分の責任でそういう役割りを果たしていくという問題は非常に大切なことだと思うのでございまして、そういう自主的な意欲というものは尊重していかなければならないので、何でもかんでも国が一枚かんでいく行き方は、私は避けたほうがいいのじゃないか、かように考えております。
○塩崎委員 そろすると、いまのお考え方なら、補助率というものはあまり高くないほうがいい。ことに義務教育小学校、中学校の屋体のようにどこでも必置義務であって、もう定着した、なれてきたような事業なんですね。地方公共団体の教育に対する熱意があれば、当然出てくる事業なんですが、それに対する補助率を三分の一から二分の一に上げた根拠、これはどういうふうに考えたらいいのか。いまの大臣の最後のお答えから見ると、こんなことしなくたって、地方財源を充実しておけば済むではなかろうか、こういうふうな考え方も出てくるのですが、いかがですか。
○奥野国務大臣 国と地方とが負担を分け合うという場合には、折半というのが一つの考え方だろう、こう思います。大蔵省も自治省も、大体そういう気持ちでものを運んできているのだ、こう思うわけでございます。しかし、折半では個々の団体に負担が非常に大きく出てくるものだから、とても団体がやりにくいというようなことが会って、人口急増地域については三分の二にするというような仕組みがいろいろな面においてとられてきているわけでございます。あるいはまた、本来折半かもしれないけれども、むしろ国が積極的にそういうものについては元来責任を負わなければならないものだというような意味で、社会保障的なものについては八割負担というような仕組みがとられたりもしているわけでございますので、仕事の中身を問わず、地方団体に財政需要がどうかぶさってきているかということを離れて形式的には論じがたいのではないだろうか、こう思います。ただ、荒っぽく共同責任だというなら、折半なら折半でいいが、三分の一負担というのは私は折半負担、共同負担に値しないのじゃないかというような感じがするわけでございまして、いわゆる義務負担である限りにおいては二分の一くらいが妥当なところではないか、こら日ごろ思っているものでございます。
○塩崎委員 なかなか補助金の性格は割り切れない面があるので、私も完全に割り切った答えは出ないのですけれども、いまの折半というお出与え方、義務教育の財政は、国と地方とが半分ずつめんどう見ていくんだ。地方というのは、設置者の市町村のことですね。国と市町村が半分ずつ見ていくんだ、こういうお考え方だろうと思うのですが、そちなるとまた三分の一で残っておる補助率は、将来上がる方向に文部大臣としては持っていかれるのかどうか。たとえば危険校舎は三分の一で残っておるような気がしたのですが、どうなんですか。これもまた三分の一とか、ずいぶん残っておるような気がするのですが、屋体だけが三分の一から二分の一に上げられた理由ですね、これをちょっと聞かしていただきたい。
○安嶋政府委員 御指摘のように、義務教育施設で負担率が三分の一のものが残っておるわけでございます。今回小学校屋体の負担率を三分の一から二分の一に引き上げましたのは、御承知のとおり昨年小学校の校舎につきまして、三分の一負担から二分の一負担に引き上げておるわけでございます。それに追随したということと、もう一つは、屋体というのは教室と同じように、体育の授業に欠くことができないものでございますから、そういう意味合いにおきましても、教室の負担率と屋体の負担率を異にするということは理由がないということで、二分の一に合わせたわけでございます。 なお、危険校舎の改築につきましては、御指摘のとおり三分の一という負担率になっておるわけでございますが、この点につきましては、昨年度当委員会におきましても、これを二分の一に引き上げるようにという御決議をいただきまして、私どもも段階的にそうしたいということで努力をいたしたわけでございますが、目的を達することができなかったわけでございます。 ただ、現行制度におきまして三分の一になっておる理由は何かといえば、改築費というのはいわば経常費の一種である、償却費の一種である、こういう考え方から三分の一になつておるわけでございまして、増築、新築の場合は、御承知のとおり二分の一ということでございます。そういう考え方が前提になっておるということを申し上げておきます。
○塩崎委員 危険校舎についての三分の一のお考えは、こまかくいえばそういうことかもしれないけれども、大臣の非常におおらかな折半というよらな、足して二で割るような式のほうが、私はわかりがいいと思うのですね。もら義務教育諸学校は全部半分負担というようなことにするのが、大臣、御理想じゃないでしょうか。どうでしょうか。あまりむずかしい、改築がどうで、新築はどうだというふうなことは、わかりにくくて、ほんとうに複雑な制度で、国民にはわからぬ。代議士にすらわからぬのですから、わかりやすいやり方、簡単な法律にすることは、やはり民主国家の大事なことだと思うのですが、大臣、いかがですか。
○奥野国務大臣 御承知のように、昔は市町村立のこういう校舎に対しましては、国は補助金を出していなかったわけであります。やはり戦後に行政水準をどの地域にありましてもある程度のものは同じように確保させなければならない、こういうことが、こういう校舎にまで国が金を出してきた経緯だ、私はこう理解をしているわけでございます。したがいまして、出す以上は折半という。私塩崎説に賛成でございます。いまあまりにも複雑になり過ぎていると思っています。
○塩崎委員 そこで、教育の国と地方との分担の問題の一つとして、いま管理局長もお答えされましたように、小中学校から盲ろう学校、養護学校まで、義務教育小中学校については、かってなかった補助金が出てきておるわけですね。新築、改築、増築、危険校舎の分まで含めて出ているわけです。屋体まで出ておる。ところが、高等学校となると全く補助金がない。しかし、高等学校の中でもよく見ると、定時制とか通信制には補助金がある。私は、それは定時制とか通信制とか、非常に大事な、と申しますか、国が援助しなければ地方ではやれないという趣旨であろうかと思うのですけれども、大臣のようなお考え方で、教育については、いや義務教育だけじゃないのだ。高等学校についても国がひとつ高等教育の熱意をあらわすのだ。それをひとつ財政的にめんどうを見ていくのだという考え方は成り立つと思うのです。そして公立の高等学校をやはり格差のないような、午前中山原先生のお話のありましたようなほうに持っていくことが私は望ましいと思うのでありますが、高等学校についてなぜ補助金を出していないのか。高等学校こそ、まさしく県のやるべきことだと言われるだろうと思うのです。しかし、いま私の選挙区の中にも一つどうしても公立の高等学校をつくれというのだが、財政負担が大きくて、土地くらいは地元の市町村に持たせよという意見もあるのです。そのためになかなかできなくて、まだまだ教育ママさんの意識が抜け切れないおかあさん方は、たいへんやかましく騒いでおられる。そうすると、やはり新築にはたいへん金がかかる。人口の移動がありまして、都市には高等学校が必要なんですが、このような高等学校の増設、新築についても補助金を出すという考え方は間違いでしょうか。そこで、大臣、これはやはり地方自治の問題と、国の中央集権的な教育か、あるいは地方分権的な教育かに関する大事な問題にもなるかとも思うのですが、このような問題について大臣はどういうふうに考えられるか、ちょっとお尋ねします。
○奥野国務大臣 高等学校の建設費に対しまして国が補助金を出すということにいたしますと、補助金がこない間は県が幾らやりたくても、せっかくもらえるものを、もらえるようになるまで待つべきだというような中央依存的な、中央の考え方、態度決定を待ってしまうというおそれも出てくるわけでございます。高等学校がいまの制度であります限りにおいては、できる限り府県が自主的に計画を立てて進めていくというようにしてもらいたい。ことに、私学と公共団体との責任分担の問題もあるわけでございますから、できる限り府県府県でその辺の分担をきめてもらおうじゃないか。大体いまはきめてくれているようでございます。ただ、地方団体の規模が小さいものですから、まとまって金が要るときにはなかなか踏み切りにくいという問題もあるわけでございますが、この辺は地方債の運用などにつきましても、自治省自身ももうちょっと思い切って弾力的な運用を認めていくべきじゃないかという感じもいたします。まとまって金を使うということは、なかなか運用上はむずかしいのですけれども、それをもっと積極的にやるべきだというのが私のいまの地方財政の運営を見ておっての気持ちでもございます。
○塩崎委員 大臣の御答弁が、私いずれ質問しようと思っておりました補助金待ちの思想について言及されましたけれども、それが理由で高等学校に対する補助金が出ないというふうに言われましたが、私はいまの義務教育小中学校でも確かに補助金待ちの効果を生んでいると思う。私どもでは、いかにもひどいけれどもどうして直さぬのか、これは市町村の単独事業でなぜやらぬのかというと、やはり補助金があるから、補助金が出るまでやったら損だということで待っておる面が相当あるんですね。しかし、それでもいまの市町村の財政から見たら、補助金があったほらがより促進されるだろうと思って補助金があるのだろうと思う。いままで認められて、これが皆さん方の要求で、何とか事業量を大きくしてくれるような、予算をふやしてくれるようなことできたと思うのです。それは予算全体のワクの問題にも関することですから、いろいろむずかしい問題がありましょうけれども、義務教育小中学校では補助金が成功していると大臣は考えられるのじゃないですか。みんな補助金待ちならやめたほうがいいのです。補助金待ちで、補助金が出るまで本来あるべき金を使わなかったというなら、やめたらいいのですが、それが成功しているとすれば、高等学校についても同じように私は補助金を出してやるべきだと思うのですが、そうじゃなくて、むしろ高等学校はまだやっぱり地方自治の固有の事業であり、固有の権利であるから財政まですべて県の自主的なものとしてやらそうということが根本にあるから、そういうふうに言われるのじゃないですか。大臣、いかがですか。
○奥野国務大臣 小中学校の場合、私立の果たしている役割りはたしか中学校で三%ぐらいだったと思います。高等学校の場合、私立の果たしている役割りは学生数で三一%ぐらいでございます。公共団体に対して国が金を出すのなら、私立のものについても出すべきじゃないかというような感じもいたします。その辺にも一つの問題があるのじゃないかと思うのですけれども、いずれにしても義務教育だから、全域にわたって一定の行政水準を国としても維持していかなければならない、そういう気持ちが私はあれに踏み切らした一つの考え方でもあっただろうと思うのであります。高等学校の場合にどちらがいいか。もちろん議論のあるところだろうと思います。かりに高等学校の教育が義務化すれば、国も財政的に責任を分担したらいいじゃないかという考え方を一そう強く出していくことができると思いますが、現在、義務教育にしておりません段階におきまして、私立の問題も考えたりいろいろいたしていきますと、事ごとに財政責任を国が分け合っていくことがいいのか、そこまで風が出さなくてもそれだけの財源はまっすぐ地方団体のふところに入れて、地方団体がそれをどういうところに使うかは地方団体にまかしていく行き方がいいか、これは私は簡単に補助政策がいいと言い切れないような気がいたします。国と地方いずれもその仕事の分担に応じて、国民の出してくれる金を分け合っていくわけでありますから、補助金の形で金を与えるのがいいか、地方団体が自由に使える金として地方団体が持つのがいいか、私はこういう基本的な立場に立って議論をしなければいけないのじゃないか、こう思っておりますだけに、一そうそう思うのであります。
○塩崎委員 私も、大臣の言われました基本的な考え方で議論していただきたいと思うのです。しかし、とうとうたる勢いは、やっぱり国が補助金を出して、それによって、誘引だけでもない、一つの型に当てはめようという考え方があるのかもしれませんが、それが行き過ぎますとたいへんな弊害を生むかもしれない。やっぱり中央集権的な教育というふうに非難される場合があったらいけない場合が私はあると思うのですが、しかし、いまは、とうとうたる勢いは、たとえば今度は公立医科大学にも補助をするというようなことになってきた。あるいは大臣のお考え方ならば、昔の一般平衡交付金の思想ならば、おそらく国と別に地方自治の考え方で、医科大学をやるのならそれ自身自前でやったらいいじゃないか、補助は必要ないではないかということになると思うのですが、しかし、とにかくいまは、教育は非常に大事なんだ、しかもこれは非常に経費がかかるものだから、これに対して国が財政援助をしようという考え方だろうと思うのです。そしてまた、医学教育の国がやる役割りを一部になわしているのだという意識を植えつけているのだろうと私は思うのですが、こういったとうとうたる勢いの中から見ると、大臣の、昔のような一般平衡交付金には返らない、地方の自主財源だけでやらすような国柄でもまだないような気がするのです。そうなると、高等学校もどういうふうに考えたらいいか。ここだけが谷間なんです。しかし、高等学校はいま義務教育化しつつあるような状況だとしますと、何かそこに考えられる余地があるかどうか。この点をもら一ぺんお答え願いたい。
○奥野国務大臣 いま公立医大に対しまして、国が新たに助成するようになったことにお触れになりました。私はこういう考え方を持っているのでございまして、高等学校以下は地方団体の財政責任、大学は国の財政責任。だから、私立大学に対しましては国から経常費助成をやる、高等学校以下の私立学校に対しましては、地方団体から経常費助成をする。だから、医大に限らず、公立の大学に対しまして、私は私立の大学に対して国が経常費助成をすると同じように、経常費助成をすべきだ、こう考えているのです。たまたま医大については、金がたくさんかかりますし、医大を国立へというような動きもずいぶんあったりしますので、わりあいに理解が得やすくて、まず公立医大に対する経常費助成を四十八年度道を開くことができたわけでありますが、私はぜひ公立大学全体について、私立大学に準ずる経常費助成を国にやってもらいたい。そして、地方団体が積極的に公立の大学をつくるように持っていきたい。また、この間高等教育懇談会におきましても、今後十年ぐらいの間に大学への進学率が四〇%ぐらいにふえるかもしれない、やはり普遍的に大学の設置されることが望ましいし、そういう場合に、公立大学のになら役割りというものは大きいのだという指摘もあったわけであります。そういう意味において私は、大学につきましては国が財政責任を持っていくのだ、そういう意味では公立につきましては医学以外についても経常費助成を国がしてくれるように臨んでいきたい、将来の努力目標としてこんな気持ちを持っているわけでございます。(塩崎委員「高等学校は」と呼ぶ)高等学校以下につきましては、いまも地方団体が私立に対しまして経常費助成を行なってきているわけでございます。それと合わせますと、やはり高等学校以下については地方団体だ。しかし、義務教育の面については、地方民の教育であると同時に国民教育、地方と国とが積極的に経費も分担し合って、そういう形で責任を分け合っていこうという姿になっている。形式にとらわれるようでございますけれども、高等学校の教育が義務教育になりますとそういう考え方は割り切りやすいのですけれども、いまのままでそういきますことはなかなか大きな問題を含んでいるな、こう思います。現在では奨励助長の意味に属する部分について、国が、先ほど御指摘になった定時制その他につきまして補助金を出している、あるいは老朽改築について補助を出している姿にとどまっているわけでございます。
○塩崎委員 なかなか割り切れない問題なんですけれども、しかし、補助に対する地方団体の要求は、地方財政がよくなりつつある現状においても非常に多い。たとえば今回の改正は、児童生徒急増市町村の補助ですね。これは新築、増築の校舎に対する補助なんだが、こういった地域では土地がたいへん取得しにくい。そこで、土地に対する補助金を出せという要求があることは、大臣御承知のとおりでございます。ところが、急増地域のみならず、義務教育小学校の土地については全く補助金がないわけですね。建物についてはあっても、土地については補助金がない。これは大臣の折半思想から言うと、土地についても折半思想でどうかという気持ちにかられるのは無理もないこともある。私でも、ときどきそういうふうに思うのですけれども、長年のしきたりは、土地ぐらいは市町村が出すべきであるというような旧来の因習があるのかどうか知りませんが、そんなふうな気持ちにもなったりするのですけれども、最近の土地の事情から見ると、ほんとうに弱い市町村にとってはたいへんな負担になる。何とか土地についての補助金が出ないかという声があるのですが、大臣、やはり地方自治の考え方から見れば、一般財源で苦労してやったほうがいいと思われるのですか。やはり補助金は出さぬほろがいいと思われるかどうか、いかがですか。
○奥野国務大臣 私は、やはり何でもかんでも補助金行政で国が地方を振り回していく行き方は、避けたいなという気持ちは持っておるわけでございます。したがいまして、また国が出す場合には、義務教育費についてのような、お互いの責任分野を明確にした形における負担が望ましい、こういう気持ちを持っておるのでございます。
○塩崎委員 そうすると、土地の問題はもらしばらくは市町村負担でいいというお考えなんですね、土地ぐらいは。それはまたどういうお考えなんですか。
○奥野国務大臣 行政の水準をそろえていくということから考えますと、校舎について生徒一人当たり何坪ということになってくるわけでございますけれども、土地のことになりますと、地方によって事情が非常に違ってくるのではないだろうか。大都市で広い土地を確保するのはたいへんなことでございますけれども、いなかではそれはどでもない。やはり地方地方で努力をしてもらっていいのではないだろうかという気持ちを持っておるわけでございます。ことに、土地は金が形をかえるだけのことであって、実質的に土地を広く取ったからといってそれが消耗していくわけのものでもない。だから、やはり地方の熱意はまったほうがいいように思います。国が補助金を出すということになりますと、どうしても生徒一人当たり何坪ということで、やはり何か型にはめられていくような感じもいたします。問題は、その財源をどこに手当てするかということでございますから、地方団体が土地は自分が買わなければならない、そうすると地方団体に買えるだけの財源を与える、国の手を通じてから与えるのではなくて、まっすぐ地方団体に与えていいのじゃないかというように考えるわけでございます。基準財政需要額に算入する問題もあれば、地方債の運用の問題もあるわけでございますけれども、どちらに財源を与えるかということでございまして、わざわざ国の手を全体について通じなければならない、とらは考えにくい。人口急増地域なり特殊な地域の場合は、もちろん別に考えています。また、もちろん、別の資金もやはりとらえているわけであります。
○塩崎委員 私も、地方財源が豊富な市町村ならそういったことでいいのでしょうが、なかなか苦しいところがあって、この補助金思想は国から押しつけるのじゃなくて、市町村から出せ出せという声が強い、そしていまの土地の事情ですから、なおこういった声が出てくるのはとうとうたる勢いで、これはなかなか防ぎ切れぬのじゃないかという気がするのです。 ともかくも大臣、一般的に最後の締めくくりといたしまして、教育の地方分権的な考え方と、中央集権的な考え方——中央集権ということばはよくないかもわかりませんけれども、ともかくも文部省から補助金を与えながらある程度一つの型に従ったような教育の水準を確保しておる、こういつたやり方とどちらがいいと思われるか、なかなか割り切れないでしょうが。たとえば、これはもうこの施設費負担法の問題ではありませんけれども、教員の定数の問題についても文部省からいろいろな指示があり、そのワクをはみ出したものについて何とかしてくれというような声もあるんです。大臣、このような問題はなかなかむずかしい問題で、義務教育費国庫負担法以来のむずかしい問題なんですが、ひとつ定数などについても文部省が型にはまった指導を、指導といいますか何というのですか、教育指導をやっておられるのですが、これらはどういうふうに考えられるか。私はいろいうの例外を認め、ある程度の例外については文部省がこれをめんどう見てやるというようなこともあってもいいと思うのですが、このような問題について、大臣、ひとつ教育のあり方として、これは憲法上の問題にもからむ問題ですが、どのようにお考えですか。
○奥野国務大臣 義務教育のように、国全体を通じて一定の行政水準を確保することについて国も責任を持っていかなければならない、そういうものにつきましては財政的にもある程度国がその責任分野を明確にしていかなければならない、こう考えるわけでございます。それから先になりますと、財政的にまでことごとく国も一枚かんでいかなければならないのかどうか。国がかんでいくということになりますと、国に財源を一たん入れて、そしてまた国の歳出予算を通じて配分をしていく、一般会計にして、またそのとおり使われたかどうか調査していく、金をもらう以上は補助金の交付申請を中央へ出して、中央からそれに基づいて補助金交付が行なわれていく、なかなかたいへんな手数を踏んでいることはよく御承知だと思うのでございます。国全体がそういう手数を踏んでいくことが——必要なものは私はやったほらがいいと思うのですけれども、もし地方に金さえあれば十分行なわれる、あとは運営について必要な助言をしていきさえすればいいのだ、あるいは一定の基準さえ示していけばそれでいいのだというものが、あまり金にまで一枚かんでいくことはいかがなものだろうかなというような気持ちは私は抜け切れません。 いずれにしても地方団体でも十分に議会で論議をしますし、その金が使われたかどうかというような検査もするわけでありますけれども、もう一つわずらわしい手数がそれにからんでくるわけであります。しかも、地方と中央との間で、金をもらうことについての交渉が繰り返されるわけでございます。私はこの手間ひまというものは、たいへんなものになっていくだろうなという気がいたします。会計検査院としても一件一件現地についてやはり調査しなければ職責は果たせないわけでございます。たいへんなまた不当事項も会計検査院から国会に示されていることも御承知のとおりでございますだけに、よほど必要なものについては私は国も財政責任を負うべきだ、こう思うわけでございますけれども、簡単に広げていくことがそのまま効果をあげていくのだというふうには言えむいところに問題があるのだと思っております。
○塩崎委員 私も簡単には広がらないと思うのですけれども、とうとうたる勢いは広がりつつあるので、大臣はどんなお考えを持っておられるか伺いたかったので御質問したわけなんです。これはもら施設の面だけでなくて、先ほども申しましたように教員の定数の問題とか給与の問題についても、ある県はどうも他の府県に比べて悪いとか、ある市町村は他の市町村に比べて悪いとかいう話が絶えかい。しかし大臣は、それはそれでいいじゃないかと考えておられるかどうかですね。しかし、一つの最低水準だけは補助金の効果を信じて、それで指導していくんだということだろうと思うのですが、たとえば定数とか、あるいは少しこの法律と離れるかもしれませんけれども、教員の給与の高さ、これはまたいずれあとで教員の人材確保法案のときにも御質問したいと思うのですが、そのような問題についても、やはり県や市町村に伸び伸びとやらしたほうがいいとお考えですかどうですか、もう一つお聞きしたい。
○奥野国務大臣 高等学校の問題につきましても、科目に応じてどのような施設を整えなければならないか、どのような先生をどの程度配置しなければならないかというようなことが法律をもって示されているわけでございますし、またそれだけの金が各地方団体に用意できるように、地方団体の基準財政需要額を計算します場合には、これらに基づいて計算されておるわけでございますので、一応全体としては、必要な財源はそれぞれの団体に保証されているという姿になっていると思うのでございます。あくまでもそういうものは基準でございますので、基準を越えて、積極的に熱意のあるところは先生をふやすこと、決してこれを非難すべきことではない、こういうふうに思っております。
○塩崎委員 この問題はまたいずれ大臣に御質問することにいたしまして、大臣が最初に申されました超過負担と申しますか、補助面積の修正とか、補助単価を是正したとか言われましたが、その超過負担という問題について、大臣どうお考えになっておられるか。補助単価といってもなかなかいろいろな考え方が出てくる。市町村によっても、物価も違い、やり方も違いするところがあるので、超過負担という問題はなかなかむずかしい問題ですが、今度の公立文教施設費の増額によって、どのようにこれを解決されているとお考えか、ちょっとお答え願いたい。
○安嶋政府委員 最初に、実態にいて御説明申し上げます。 昨年度地方超過負担の問題につきまして、大蔵省、自治省、文部省三省で共同調査をいたしたわけでございますが、その結果、単価、面積におきまして若干の超過負担があるということが明らかになったわけでございます。 ただ、国の負担の考え方は、御承知のとおり標準仕様を前提とする標準単価、それから標準的な面積、この相乗積の範囲内において負担をするということでございまして、地方が実際に支出をし、あるいは負担をしたその額の二分の一を負担をするという、そういう考え方をとっていないわけでございます。したがいまして、結果的には国の標準単価あるいは標準面積を越えているものをすべて国がこの際肩がわりをすると申しますか、負担をするというような結果にはなっていないわけでございますが、単価につきましては、超過負担分のうち六・七%の超過負担分を二カ年で解済するという考え方をとることにいたしました。これは内容的には、標準仕様の水準を引き上げるということでございます。それから面積につきましては、特別教室を中心にいたしまして二〇%の補助基準面積の引き上げをする、こうしたことによりまして、総額といたしまして約百四十億円の超過負担の解消をはかろろとしているということが、ことしの予算の内容でございます。
○奥野国務大臣 世の中がどんどん発展していくにかかわらず、補助金の基礎だけは昔のままに置いている、これが私は超過負担を生んでいる一番の基礎だと思います。いま管理局長から、仕様を改めた、標準的な仕様に切りかえるとか、単価が上がってきたというお話がございましたが、公営住宅の質もずいぶん変わってきております。また住宅公団の住宅でありましても、2DKから3DKになるというふうに、そういう問題が超過負担を生んでいる基本だと私は考えまして、そういう意味で、補助基準面積を引き上げることに私としては特に力を注いだわけでございまして、二割引き上げることができたのもそれにある程度は対応できたと思っております。
○塩崎委員 最後に、大臣御退席でございますから伺いたいのは、先ほど管理局長言われました危険校舎の補助金の問題なんです。もうこれは大臣、折半になることは私は来年ぐらい期待していいと思うのですが、そもそも、私もよく知らないのですけれども、危険校舎で例の点数制度によって学校を改築するというふうな国は、先進国にあるんですか、どうですか。とにかく私が見る限り、何かよその、経済界からは想像もつかないようなリプレースのやり方なんですね。そんなことよりもう少し適当なる基準で、高度成長の国らしく、また教育予算に力を入れられる奥野大臣らしく、別の基準で、とにかく四千五百点になったらやっと建て直してやるんだというような思想を変えるわけにいかぬものですか、大臣、最後にこれだけひとつお答え願いたいと思う。
○奥野国務大臣 予算の総額がからんでまいりますので、何らかの基準を設けざるを得ないというのが現状だと思います。しかし、あまりそういう形式的な点数に拘束を受けまして、必要な改築がおくれていくということは適当ではないと思いますので、総合的にそういう問題も含めて考えていきたいと思います。
○塩崎委員 これで一応質問を終わらしていただきます。また、留保いたしまして、次の機会にやらしていただきたいと思います。
○田中委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後三時二十六分散会