文教委員会 第5号
- 発言数
- 55 件
- 登壇者
- 4 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1973/03/06
会議録
○田中委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。 質疑の申し出がありますので、これを許します。安里積千代君。
○安里委員 大臣の所信表明に関しまして、総論的なところをお聞きしたいと思います。 まず第一に、前回からいろいろと基本姿勢について御質疑がかわされたようでございますが、大臣の所信表明の冒頭におかれまして、学制百年の歴史を通じ、めざましい発展を遂げ、繁栄の基礎をつちかってきたことに対しまして、教育の役割りあるいは寄与した点の多いことをたたえ、さらに、急激なる社会経済の進展とともに、教育のになう役割りはますます重要なものとなったということが示されております。 これは私はそのとおりだと受け取るわけでございますが、問題は、百年の歴史の中におきまして教育がわが国の繁栄の基礎をつちかってきた、この時期におきまする教育の果たした役割りと急激な社会経済の進展後、今日の時代におきまする教育のになう役割りには、私は基本的に違うものがあるんじゃないかと思います。 御答弁の趣旨をなお明らかにしまするために申し上げまするならば、明治維新後、日本の国の教育の担当しまする面は、世界先進国に追いつきまするために、どちらかというと日本の後進性を取り戻すために教育というものが非常に大きな役割りを果たした。そこにエリート教育というようなこともよくいわれましたし、また先進国に追いつくために国家として教育に力を入れたということも事実だと思います。そのためにあらゆる進歩がなされた。今日は逆に、経済的にも文化的にも非常な繁栄、そしてまた教育そのものも特殊なエリート教育ではなくして、教育そのものが大衆化と言ったら語弊があるかもしれませんけれども、大衆化された時代、こういう時代の違いがあると思うわけであります。 そこで、学制百年の歴史を特に強調されておられますので、その時代における教育の果たした役割りということと、今日における教育の役割り、したがって、その目ざす目標、あり方というものも違ってこなければならぬのじゃないか、こういうふうに思うわけでありますが、その点に対しまするお考えを承りたいと思います。
○奥野国務大臣 安里さんのいまのお話を伺いながら、考えている基本は同じじゃないかなと思いながら伺っておりました。私は戦前のわが国、徳川幕府三百年の鎖国から夢がさめて、世界の中に伍して進んでいく、その間にやはり富国強兵ということが国是になってきたと思います。富国強兵ということを国是にしてまいりました結果は、皇国民の練成を目的にする超国家主義的な教育が行なわれてきたことはいなめないと思います。敗戦という苦い体験をいたしましてからは、わが国は人類の福祉の増進、世界の平和に寄与していかなければならないという気持ちを非常に強く持ってきていると思います。またそういうことをねらいにして教育基本法も生まれてきていると思うのでございまして、個人の充実に主眼を置いて進んでいかなければならない、そういう考え方に立って今日は教育についても努力が払われている、かように考えております。と同時に、教育基本法の中におきましても、「平和的な国家及び社会の形成者」ということばも使われておるようでございまして、そういうところにねらいがあろう、かように考えているわけでございます。
○安里委員 富国強兵ということばをお使いになりました。確かに私たちも、古い時代の教育を受けたものでございます。その時代におきまする教育というものが国を富まし国を強くしていく、こういう目標に向かいまして教育が、まあ利用されたというよりは、活用されたということがいわれまするし、またその結果というものは事実としてあらわれてきておるものだと思っております。ただ、そのような教育方針というものが、いまおっしゃいましたように、富国強兵というのが、富はつくった、さらに富国強兵ということで軍国主義的なものも入ってきた、その結果として、戦前におきまする教育というものが、ある意味におきまして国の方向を誤らしめたというようなことが言えるんじゃないかと私は思います。教育は、これは長い目で見なければならないことでございまして、生まれたときから、あるいは幼稚園時代から、大学を卒業する、これは長い期間を要する問題で、効果がすぐあらわれるというものではなくして、長い期間を通じて教育の成果があらわれてくると思います。長い期間を要することであればあるほど、またそこは非常に根強いものがあるし、注意しなければならぬところの人間形成の面が生まれてくると思うわけでございます。 そこで私は、今日の教育におきまして、昔の富国強兵のそういった観念を一掃したところの立場において、おっしゃるように真に平和、そして世界の平和にも貢献するような立場における日本の教育でなければいけないのだ、こういうふうに思うわけでございますが、現在の文教行政におきまして、そのような気持ちで進められておるかどうか、またそれを具体的に御説明をしていただきますれば幸いだと思います。
○奥野国務大臣 いまのような問題につきまして一番基本をなすものは、教育に当たる人の問題でございましたり、あるいはまた教育の内容そのものであったりするわけでございます。教育の内容の問題になってまいりますと、教科書そのものがどうつくられるか、国がどういう態度で検定に臨んでいるかというようなことにもなりましょうし、また先生方の問題につきましては、養成あるいはまた研修、そういうことを通じていまのような問題が基本的態度において行なわれていかなければならないと考えるわけでございます。全体を通じまして、やはり戦前の反省の上に立って、個人の充実を基本において人類の福祉の増進、世界の平和に貢献するという姿勢で貫かれてまいってきている、かように考えているわけでございます。
○安里委員 戦前のことばかりを中心に私はいま申し上げたのでございますが、むしろ戦後のあり方に対しましても考えさせられる問題があるんじゃないか。本質的には同じかと思うのでございまするけれども、日本がいま経済的に非常な発展を遂げた。これはまあ世界の驚異とするところだともいわれておるわけでございます。敗戦の結果、無から立ち上がって今日の実情になりました。私はこの裏にも、もちろん国民そのものの勤勉な本質もありましょうけれども、教育がまたその点に大きく寄与したものだ、こう考えておるわけであります。ただこの経済発展に寄与したのでありまするけれども、では、その結果はどうなっておるかといいますならば、他国からはエコノミックアニマル、こういうふうに指摘されるような事態も起こっております。あるいはまた、日本の経済大国は軍事大国への移行の第一段階であるというふうにもいわれておるわけであります。経済的な発展をしたけれども、諸外国から見た場合にはエコノミックアニマルだというふうにいわれる。あるいはまた、平和平和と口に、あるいはまた戦争は否定するけれども、やはり経済侵略、あるいはまたこれが軍事大国にも移行するという疑惑を持って見られる。これはそうでないといいましても、現実にそのような目で見られている筋があるわけであります。これは日本の過去の軍国主義的な前科があることも大きく影響しておるであろう、こう考えておるわけでございますが、私は戦後におけるあれを見ましても、このように経済発展をした裏に、世界の各国からいろいろな点において指摘をされる、先ほど申しましたような指摘をされるというようなことは、何かそこに誤った、国自体としての誤った方向があるんじゃないか、こう思いまするし、このように物中心に経済発展すればいいんだといったような観念というのが、どこかにやはりあらゆる——経済も政治も、終局するところは人間が支配するわけでございますので、支配するところの人間そのものをつくる教育、このことにも私は大きく影響があるんじゃないか。物中心と申しますか、物質中心と申しますか、精神を忘れたと申しますか、そういったことで依然として、やはりどこか知らぬけれども、教育そのものが、経済的にもうけさえすればいいんだ、極端にいいますれば。他国はどうでもいいんだ、自分さえよければいいんだ、自分さえ繁栄すればいいんだ、自国さえ発展すればいいんだ、こういったようなものが私はつちかわれておるんじゃないか。こういう面に対しまして、人間をつくる教育の面から、どのようにお考えでございましょう。
○奥野国務大臣 日本が戦争に敗れまして、衣食住すべてにわたって非常に不自由な時代を経てきているわけでございまして、まだ二十数年しかたっていないわけでございます。他国の援助のもとに食を全うしてきたと申し上げてもいいと思いますけれども、それが今日では世界の中で積極的な役割りをになわなければならない日本に急成長した。したがいまして、その中にいろんなひずみがあることは、やはりこれは否定できないと思うのでございます。教育がどうこうというよりも、日本人の心がまえそのものがこれだけ大きな変化に対応できるようになってきているかということになりますと、私はいろいろな批判があると思うのであります。 今日、南北問題などにつきましても、積極的に発展途上国への援助に力を尽くしているわけでございますけれども、それでは、国民の気持ちみんながそこまで成長しているかということになりますと、まだやはり自分中心の経済成長、これにとらわれている面が多々見受けられるわけでございます。教育の問題だけじゃなしに、国全体を通じまして、やはり急成長のひずみ、こう考えざるを得ないのではないかという気がするわけでございます。 しかし、御指摘もごもっともでございますので、教育の面につきまして、積極的に世界の中で秩序を維持していく、人類の福祉の増進に役割りをになう、そういう国になっていかなければならぬことが随所に出てまいるように努力していきたいものだ、かように考えております。
○安里委員 私はいま特にそのことを申し上げるのは、所信表明の中におきましても「国際社会において信頼され尊敬されて活躍できるりっぱな日本人」というおことばがございます。それは私はそうでなくちゃいかぬと思っております。しかし、現実に日本が経済的に発展をした、これは決して教育と無関係ではないと思います。そういう中において、逆に国際的に非難され、指摘される、むしろ信頼を欠くような方向に行きつつあるんじゃないか、行っておるのではないか。だからこういうあり方というものは、これはもうすぐ効果的な手はありますまいけれども、人間をつくる面の教育の面から、どうしたら真に国際社会に信頼され尊敬されるような日本人を教育するか、これは私はなかなか一曹では表現できない問題であると思いますけれども、日本の教育というものがほんとうに国際社会において、経済面を見ても文化面を見ても、真に世界から信頼され、国際社会に奉仕し得るようなこういう人間教育、これが平和日本、民主的な平和憲法のもとにおきまする日本の教育としてなければならぬところの基本的な精神じゃないか、こういうふうに私は思うわけでありますけれども、その基本的な考え方、どうでしょう。
○奥野国務大臣 全く同感でございます。また、そういうこともございまして、教育に携わる人たちは世界に目を向ける人になってもらわなければならぬ。そういうようなこともあって、五千人という人を海外に研修として派遣するというようなことも取り上げておるわけでございます。国際間の交流の増進についても努力をしていきたいというようなことで、関係の予算の充実もはかってまいっている次第でございます。お話のような方向で努力をしていきたいと思います。
○安里委員 私は、それがどのように具体的にあらわされるかということは、なかなか一言にして言える問題ではないと思いますけれども、基本的にはその精神を堅持したところの教育が進められていかなければならぬ、こう思います。 そこで、なぜ私またそのことを申し上げるかといいますと、その次に「新たな国土総合開発が進められようとしているときにあたり、」云々ということばがございます。こだわるわけじゃございませんけれども、やはり中心になっていきまするのは、国土総合開発ということが進められておるとき、やはりどこまでも日本の物質文明と申しますか、経済的なものを中心にしたところのその方向に重点が置かれておるのじゃないか。教育は人間をつくることでございますけれども、その人間をつくるのが、どうも物質中心、物中心の考えというものが基本をなしてきておるのじゃないか、実はこう思うわけであります。 とともに、この所信表明にもありまするし、また別途今議会に問題になるでありましょう教職員の給与改善の問題も打ち出されております。教育の重要性を認識されまして、これに携わる教員の給与の引き上げということも方針の中にうたわれております。私非常にひっかかるような気持ちがするわけです。教職員の待遇を改善していくこと、これは長い間の、また当然のことであり、なさなければならぬことでございます。ただその中に私が指摘いたしたいのは、何によって教員の給与、待遇をよくしなければならぬかという基本的な必要性の中に、給与が悪いから、要するに優秀な教員を得るためには給与を上げなければならぬ、こういう趣旨がうかがわれるのです。そうしますと、当然のことではありますけれども、教員自身も待遇をよくしなければ、いわば教員自身としての魂よりも、要するに物を与え、給与をよくして、逆にいいまするならば、給与が悪いからいまの教職員には優秀な者が集まらぬのだと、逆な見方をしますればそういうようなことも生まれてくるわけです。だから、教育そのものも、教育に携わる教員の問題も、それから、ここにあるように経済的発展、国土開発、いろいろな問題を総合的に見ますというと、やはり教育そのものが人間をつくるという、いかなる人間をつくるか、その中にはどうしても物質中心な、物中心なものが一貫してうかがわれるような気持ちが私はするのであります。昔の皇国民を養うとかいうようなそういう人間づくりではなくして、世界の平和、文化に寄与し得る、物よりも心が大事だという、そういうところの基本的なものが欠けておるのじゃないか。だから、いろんな施策がございますけれども、金さえ与えれば、必要施設をよくさえすればという物中心、物質中心の施策というものが、大臣の全体の流れの中から生まれてきているのじゃないか、私はこのように思います。邪推かもしれませんけれども、何となく人よりも物、表面に見える、そういったものが基本に流れておるような気持ちがしますけれども、大臣の真意でないかもしれませんけれども、教育そのものに対する基本的なものの考え方に、私は若干抵抗を感ずるものがあるわけでございますが、あらためて大臣の所信をふえんしていただきたいと思います。
○奥野国務大臣 今回の、教員の給与を特に引き上げるということを考えましたのは、教育者が社会に果たしている役割りを考えました場合に、やはりその処遇が低過ぎる、こう考えているわけでございまして、そのためにこれを引き上げて、引き上げることによって人材が教育界にもっと入っていただくようにしよう、こう思っているわけでございます。現在初任給は、一般行政職俸給表よりも一割程度高いようでありますけれども、十六、七年たちますと追い抜かれてしまう。だんだんだんだんその開きが大きくなっていくというような給与体系になっているわけでございます。したがいまして、初任給ももっと上げたいし、追い抜かれるというようなこともひとつできるだけ避けたい、こういうような気持ちを持ちまして、処遇改善の第一歩に着手したというのが今回とりました措置でございます。その結果、安里さんから物中心に考えているのじゃないかという御批判を受けたわけでございますけれども、ぜひ精神的なとうといものを、教育そのものに国民みんなが感ずる気持ちを強めていきたい、こういう熱情は深く持っているものでございます。おっしゃいましたように、教育というものは物をつくるのではない。人を育てるのだ。人というものは生きている。魂を持っている。したがいまして、魂と魂の触れ合いを通じて人が育てられていくわけなのだから、それだけの使命感を持った先生、それだけ深い愛情を備えた先生でなければ、教育というものは実らない、こういう考え方もいたしておりますだけに、おっしゃっていること私には深く理解されるわけでございます。どうして先生方の社会的地位を引き上げていったらいいだろうか、こういうことも苦慮している問題点の一つでございまして、今後もいろいろと勉強しながら、またお教えをもいただきながら、先生方の社会的地位を一段と引き上げていきたい。社会から尊敬される先生という姿にもっと充実さしていきたいという希望を深く持っているものでございます。
○安里委員 いまの問題は、法案が提出された場合に私はなお詳細に所信をただしたい、こう思っておるわけでございます。 そこで、前回も諸先輩から質問があったと思いまするし、前回の議事録を十分見ておりませんので、あるいは重複するというような観点があるかもしれませんが、先ほどちょっと大臣も触れられましたように、戦後におきまする教育のあり方が変わってきた。教育基本法もその線においてなされてきたということがいわれております。前回の第一回の質問の中におきまして、教育基本法の問題が問題にされて、いろいろと十分なる解明が当時なされてなかったわけであります。前回の重ねての質疑の中から、あるいは解明されたかもしれませんけれども、私自身がまだ十分理解し得ない問題といたしまして、そのような、戦前と戦後とは教育の基本的なあれが変わってきた。そのために教育基本法も生まれたということになっておるわけでございますが、お聞きいたしたいのは教育基本法の中にありますところの、「不当な支配」についてもこの間論及がございましたから、私はいまあえて申しませんが、その次に国民に直接責任を負うてなさなければならぬというのが教育基本法の一つの大きな基本精神だ、こう思っておるわけでございますが、国民に直接責任を負うということをどのようにお考えでございましょうか。また、それがわれわれの現在の教育の実態の中におきまして、どのように具体化されておるだろうか。この点をお聞きしたいと思います。
○奥野国務大臣 前回にも、その点論議の的になったのでございまして、私はそのときにもお答えを申し上げたわけでございますが、戦前の教育は議会の関与し得るものではなかった。立法事項ではなくて大権事項である。それが新憲法になりましてからはそういうものではないのだ。国民主権の立場に立って、教育も国民全体に対して責任を負って進められなければならぬのだ。こういうことを明らかにされた宣言規定だ。こう理解しているわけでございます。そういう意味でまた「不当な支配に服することなく」ということも生きてきているのじゃないか、こう考えてきているわけでございます。あくまでも国民の負託に基づいて国会がいろいろなことをきめていく。その仕組みのもとにおいて教育全体が進められていかなければならない、こういう考え方に立っているのだろう、かように考えております。
○安里委員 私が実はこの教育基本法制定当時の論議の中からうかがわれる問題は、「「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と申しますのは、教育者が単なる独善に陥って、勝手なことをしていいということではないのでありまして、教育者自身が国民全体に対して直接に責任を負っておるという自覚のもとに、教育は実施されなければならぬということを徹底」さすために云々ということが、当時の政府委員の説明の中に実はあるわけなので、「国民全体に対し直接に責任を負って行われる」というこのことが、当時の記録を見ますというと政府委員はこのように説明されておるわけです。こういうことが、あるいはこれは責任ある大臣があとで補充せられたかどうかは知りませんけれども、こういうことが説明をされておるわけですが、これはどうでしょうか。
○奥野国務大臣 私が申し上げたことと同じようなことではなかろうかというふうに思うわけでございます。たいへん率直なお話を申し上げるのですけれども、この前ここで質問を受けたものですから、あの条文を書いた者にどういう経緯があったのかということを私は聞いたのであります。そうしましたら、教育の自主性というものを強く出そうとしたのに対して、占領軍の側から、そんなことはないのだ、教育もやはり国民主権のもとにおいて議会の支配に服していくのだというようなことをいわれて、あの条文が占領軍から示されたものだそうでございます。そういう経緯があるものですから、私は、戦前は教育というものは大権事項だった、立法事項ではなかった。国会が関与できなかった。それが戦後新しい憲法、国民主権のもとに立つ憲法が生まれて、教育も例外ではないのだという意味で読んでまいりますとよく理解できるわけでございまして、そういう意味でああいう宣言規定が行なわれたのだ。だから、国民全体に対して教育も責任を負っていかなければならないのだ、例外ではないのだ、こういうことが明確に十条第一項によって示されている、こう考えているわけでございます。いまお話しになりましたことと私が申し上げますことと、はずが合っているような感じがいたします。
○安里委員 同じ考えに立たれるとしますと、教育者が単なる独善におちいって、かってなことをしていいというものではなくして、教育者自身が国民全体に対して直接に責任を負っておるという自覚のもとに云々ということ、この国民全体に責任を負うてなさるべきということは、第一線に立っておる教育者自体がかってなことをしてはいかぬ、国民全体に対して責任を負うて行なわれなければならない。これは第一線の教育者の国民に対する責任ということが主体になっておるように思うのですけれども、そうすると、この教育基本法の精神は、第一線の教育者に与えられたところのものでしょうか。
○奥野国務大臣 十条の第一項の書き出しは「教育は、」でございます。「教育者」でもございませんければ、「教育行政組織」でもございません。およそ教育というものは昔は天皇の大権事項だったけれども、いまはもう国民主権のもとにあるのですよ、国民全体に対して責任を負って行なわれなければなりませんよ、こう示した宣言規定、こう私は理解しているわけでございます。したがいまして、その国民主権、これは国民の負託に基づいて国会がいろいろな仕組みをつくっていくわけでありますので、この仕組みのもとにおいて教育者というものも教育に当たっていかなければならない。教育者がかってに国会で定めました制度を離れて、直接国民に対して責任を負っていくんだという筋合いのものではないんじゃないだろうか。およそ教育というものは、国民全体に対して責任を負って行なわなければならないということを書いたのが十条一項のように私は読んでおるのでございます。
○安里委員 私は、これは、国民全体に対して責任を負うて行なわなければならないということは、第一線の教育者ばかりではなくして、それは当然教育行政に携わるところのすべての方々が同じような立場に立って、そこに「不当な支配に服することなく、」という前の文句にありまするとおり、国民全体に対して責任を負うて行なわなければならないということは、「不当な支配に服することなく、」ということは、第一線の教育者ばかりじゃなくて、少なくとも教育に関する行政に携わるところの、そういう方々を含めて、同じ精神に立って行なわれるようにしなければならない、このように思うわけでございますが、いかがでしょうか。
○奥野国務大臣 国民主権の立場に立って、およそ教育というものは国民全体に対して責任を負って行なわれなければならないと、こう書いてあるわけでございます。国民主権の行使にあたりましては、国民の負託を受けまして、国会がいろんな仕組みをつくっているわけでございます。その仕組みに基づいて行政組織も運営される。教育者も教育に当たっていく。そのことは国民の負託を受けた者の執行でございますので、自然国民に対して責任を負って行なわれていくという筋道になっているのだろう、かように考えるわけでございます。「不当な支配に服することなく、」というのは、こういうような筋道からはずれた支配を言うのだ、私はかように考えておるわけでございます。国会の定めるところに基づいて行なうのではなしに、離れた一部の考えで進めていく、そういうことは避けるべきですよ、こう申しているものだ、そう理解しております。
○安里委員 では、この立法当時、国民全体に対して責任を負うて行なわれるというその趣旨から教育委員制度も具体的に生まれたものだ、このように私は理解をいたしますが、どうでしょうか。
○奥野国務大臣 教育全体を民主的に運営していこうという考え方、そのことが教育委員会制度を当時占領軍からの指図を受けてつくるようになったんだ、かように考えております。
○安里委員 本土の教育基本法ができましたときのいきさつも、私は直接関与はしておりませんけれども、民主的な教育委員会によって運営されるという基本線もこれから生まれたものだと、こう私は考えております。 そこで、民主的な教育委員会ということでありますならば、やはり直接国民に責任を負うという立場からいたしまするならば、責任ということは、やはり自分たちが選ぶ、自分たちがその仕事をまかす、こういう選挙制度ということによって発足したのが教育委員制度、それが国民全体に対して責任を負うところの教育基本法の精神に沿うものだ、こういうふうに出発したものだ、このように私は思うわけでございまして、途中におきまして教育委員の公選制度がなくなって任命制度に本土で変わったようでございます。そこで、前回の木島委員からのお問いにもあったのでありますけれども、どう考えてみましても、これは政府の考えや当局のお考えとは別に、すなおにやはり国民全体に対して責任を負う。責任を負う者はその国民自身が選んだ教育委員、そこで運営されていく、こういう制度が筋として正しいんではないか。公選制度と任命制度との利害云々の問題ではなくして、いい、悪いの問題ではなくして、筋から申しますれば、やはりこれが基本的な線に沿うものではないか、こう思いまするし、またそのような立場から復帰前の沖繩におきましても、教育委員の公選制度を実施してまいりました。復帰によりましてこれがなくなりまして、本土と同じようになったわけでございまするけれども、大臣、率直に申し上げまして、当局や、あるいは政府のお考えがどうであろうと、そういった線というものが、公選の制度というものが本来筋なのではないか、こういうふうに思うわけでございまするけれども、どうしてもそれよりはいまの制度のほうがよろしいというような根拠と申しますか、ありましたら、ひとつお示し願いたいと思うのです。
○奥野国務大臣 私も率直にお答えさせていただきます。 教育委員会制度そのものは、占領軍の勧告に基づいて生まれた制度でございます。アメリカの場合には、教育は教育、出納は出納というふうに、それぞれを所管する独立した地方自治団体があるわけでございます。アメリカではスクールディストリクトという地方自治団体があるわけでございます。これは課税権を持っておるわけでございます。また、そこの委員は直接選挙でございます。それを頭に置いて日本で勧告が行なわれた。しかし日本の経済、財政状態はそんな裕福ではないから、金をまとめて使いたい、だから総合行政をやっております。都道府県なり市町村なりは解体しない。そのままで置いておく。そこへ教育行政をやる。受け持つ機関だけを別に教育委員会として設けた。その教育委員会の委員をアメリカ並みに直接選挙しなさい、こういう勧告になったのであります。その結果、財源を府県なり市町村にまとめて使う。教育行政を所管する部局として教育委員会が生まれ、その委員は直接住民から選ばれて、直接住民に責任を負っていかなければならないわけですから、何が何でも金を教育に使わなければ、都道府県なり市町村なりの総合行政をやっていく場合に、内部でまずたいへんな問題が繰り返されたわけでもございまして、そういう過程を経まして、教育委員というものは直接選挙にしないで知事なり市町村長なりが議会の同意を得てきめようということに変わってまいったわけでございます。知事、市町村長も住民から直接選挙で選ばれているものでございますし、同時に議会も住民が選んだ議員でございますので、私は、民主的な支配というものはそれなりに今日においても強く残っているのではないか、こう考えているわけでございます。アメリカが勧告して生まれたものでございますが、アメリカの仕組みと日本の仕組みとが地方自治行政の面において非常に大きな違いがある。同じように勧告を受けて同じような仕組みにしようとしたところにやはり混乱の原因があるのではないか、こう思うわけでございます。私は、いまの仕組みのほうが直接選挙制よりは日本の実態に合っているのではないかという考え方を持っている人間でございます。
○安里委員 いま大臣のおことばからしますと、この教育基本法そのもの、あるいは教育基本法を貫いてきている精神そのものも、占領下におけるアメリカの口入れと申しますか、干渉と申しますか、そういったことが大きく作用してこの法はできたのだ、こういうふうな印象を受けるわけでございますが、そうですか。
○奥野国務大臣 教育委員会は正式に勧告書を受けているわけでございます。占領時代には、法律をつくりますことにつきましても、国会に出すにつきましても、一々総司令部の承認を受けなければ出せなかったわけでございます。国会で修正する場合もその承認を必要としたわけでございます。私は、別に教育基本法がアメリカの干渉を受けてできた、こう申し上げているわけではございませんけれども、そういう経緯があるものでございますから、そういう経緯を踏まえて私はたいへん率直にお答えさせていただいたわけでございます。したがいまして、また教育基本法の第一条につきましてはこういう経過がありますということを申し上げて、安里さんがおっしゃっているのと私が申しているのと違いがないように思いますけれども、私は、こういう経過があるものですから、この経過はこういう意味の宣言規定であると理解している、こうお答えしたわけでございます。
○安里委員 おことばの中からしますと、いかにも端々に、これは何だか知らぬけれども、「教育は、不当な支配に服することなく、」ということもありますけれども、アメリカ自身がむしろ日本の教育にくちばしをいれて、そしてアメリカの制度にならって、そして日本につくらした、いわばそれ自体もアメリカの不当な干渉だった。何だか知らぬけれども、アメリカのそういうやり方に対して、占領軍としての支配力、これ自体が非常に不当な支配、この支配のもとにつくられたものだというような感じを受けまして、基本的にこの教育基本法あるいはこの中に盛られていることが、アメリカのいわゆる不当なる支配に占領当時屈して、形においては立法の形をとっておるけれども、この中にはアメリカの不当な干渉があるんだというような感じをちょっと受けるんですがね。いかにもどうもアメリカの干渉によって日本の教育基本法ができたというような感じを受けますので、その点はどうですか。
○奥野国務大臣 占領軍がいろいろ影響力を行使したことは事実でございまして、これを不当だというふうにきめてかかる必要はないと思います。戦前、超国家主義の教育が行なわれておったことは事実でございます。これを民主的な教育に切りかえる努力をしてきたその過程におきましては、たとえば修身、地理、歴史、この教育を差しとめを食らいました、こういう経過もございますし、教育勅語、これも排除を命ぜられました。そういう過程も経てきているわけでございますし、これは全部アメリカの不当な干渉だ、こう言い切ってしまう必要はない。日本が民主的な国家として生まれかわるにあたっていろいろなサポートを受けてきたんだ、こうも考えてよろしいんじゃないか、かように考えるわけでございます。
○安里委員 あまりこの問題で長く時間をとりたくありませんけれども、非常に趣旨は、精神はわかりますけれども、実際問題とすると、どういうふうに国民全体に対して責任を負うのか、ことばとしては具体的にどうかということになりますと、実に明快な答えが私自身出てこないわけです。しかし、少なくともその一つとして教育委員制度があったということはそのとおりだと思いますし、スタートにおきまして国民全体に対して直接責任を負うということで公選制度をとったといういきさつも、私も筋として理解されるわけでございますが、しかし、それがだんだんもっと上に行きますというと、教育行政の最高責任者というものはやはり文部大臣だ、こういうふうに思うわけです。それは間違いないだろうと思いますが、そうすると文部大臣として、所管大臣とされて、教育行政の最高の長とされまして、国民全体に対して直接責任を負うということは、これはどのように具体的に考えられますか。
○奥野国務大臣 およそ教育というものは、という書き出しで書いている規定でございます。したがいまして、また国会におきまして国民の負託にこたえていろいろと教育についておきめいただき、それを忠実に実行に移していく、それが文部大臣としての基本的な姿勢でなければならない、かように考えているわけでございます。
○安里委員 私がまだ釈然といたしませんのは、文部大臣としても非常に矛盾を感ずる点があるのじゃないかと思うのです。大臣そのものが内閣の一員とされまして連帯の責任を持っておられますし、また一党に所属されるところの議員とされての立場を持っておられます。したがいまして、実際に文部行政というものを国民全体に対して責任を負うというような立場で執行されるにおきましては、そこにはいろいろな制約があるのじゃないか、私このように思うのです。何とかして文部大臣——これはあなたに申し上げるというのも変なんですけれども、文部大臣そのものは、せめて政治的な拘束を受けない、あるいは一党一派の支配を受けない立場で文部行政が行なわれるような制度というものがあっていいのじゃないか。と申しますのは、あるいは議員でなくても、あるいはどの党に所属しませんでも、教育の政治的な中立を守る、あるいは国民全体に対して政治的責任を負うという立場から、文部大臣は党外からも出ていいのじゃないか。そういうようなことで、国民の前に教育というものが政治的にも中立であり、そして一党一派のあるいは一時的な政策に左右されないで、教育の中立を厳として守るということを制度の上においてもはっきりすることが、私は国民の信頼を受ける一つの道じゃないか、このように思うのです。大臣にそのことを申し上げるのはどうかと思いますけれども、考えとしてはどんなものでございましょう。
○奥野国務大臣 お互い政治家でございますので、国民のことを真に心配しながら努力を続けていると思います。国民全体から考えました場合に、それぞれ党派に所属しておりましても、党派の考え方を変えるべきだと強く迫る場合もあるわけでございます。またそうしていかなければ、党というものが国民の信頼をかち得る党として成長していかない。でありますので、政党に所属しているから政党のエゴだけで行動していくんだということはないのじゃないか、かように考えるわけでございます。むしろ政治家としてのいろいろな面から努力をしていく、そういう者が文教行政に当たる。当然文教行政の基本的な姿勢というものを踏まえて努力していくわけでございますので、むしろそのほうが教育諸条件を整えていく場合に有効な役割りを果たせる場合が多いのじゃないのだろうかという気持ちも持っているものでございます。
○安里委員 この点はその程度にとどめまして、この所信表明の中におきまして、私大の振興につきましても述べておられるのであります。私立学校の果たす役割りの重要性にかんがみていろいろと述べておられます。 〔委員長退席、森(喜)委員長代理着席〕 そこで、まず基本的にお伺いいたしたいのは、今日の教育の現状から照らしまして、私大の果たすところの役割りを大臣としてはどのように見ておられますか。
○奥野国務大臣 現在学生数で言いますと、私立大学の学生が大学の学生全体の中で七七%を占めている。短大を入れますと七九%にもなるようでございます。したがいまして、大学を考える場合に私立の大学をさておいては考えられない、そういう姿でございます。戦後大学への進学率が急速に伸びてまいりましたので、その需要をまかなってくれたのがむしろ私立大学であったと申し上げても過言ではないと思います。それだけに私立大学の社会に果たしております役割りを高く評価していくべきである、かように存じております。
○安里委員 国民に対しましてひとしく教育の場を与え、そして教育に志すところの者に対しまして国家は十分なる配慮を与えるということは当然であると考えますし、ことに教育の面が非常に大きな役割りを果たしておる、これを前提に考えました場合に、その教育というものが、もちろん義務教育の問題は国が責任を負うておられますけれども、それ以上の高等教育におきましても、当然国といたしましては教育の重要性にかんがみまして、十分な配慮が行なわれなければならない。しかし、現実におきましては、国立あるいは公立というものの実態と私大の実態につきましては、その施設あるいはいろいろの内容につきまして差がある。あるいはまたそこに学ぶ者の中におきまする負担において非常な格差がある。国としては国立あるいは公立に力を注いで、私立のほうは国が手の及ばないものを私立にまかしておるというような、つまり公立、国立の足らないところを私立で補っておるんだ、補完的な役割りをしておるんだというような観念がいささかもあってはならないものだ。同じ大学として、平等の立場における大学、ひとしく見てもらわなければいけない問題じゃないか。差別して見るべきものじゃない。これも明治維新後における教育が、いわゆるエリート教育だったためにそういう歴史的な事情はあるかもしれませんけれども、今日においてもおっしゃるとおり、私大に学ぶところの方々が七〇%以上であるということを考えますれば、比重はその多数でありまする私大の教育に向けられていかなければならぬ。これに対する配慮というものが国立同様に十分になされなければならない、私はこのように思うわけでございまするけれども、いかがでしょうか。
○奥野国務大臣 いまお話のようなこともございまして、四十五年度から私立大学の経常費に対しまして助成をするという道をとり始めたわけでございます。その計画は四十九年度で一応完了するということになっておりまして、経常費の二分の一を国庫で助成をしよう。四十八年度で医学部、歯学部のほかに理工学部も二分の一になるわけでございまして、その他はなお四割でございます。しかし、前年度と比べますと四四%増の四百三十三億円余りを私立大学への助成として計上さしていただきまして、また私学振興財団に対しまして、私立大学への施設整備などのための貸し付け金の額をふやしたり、あるいは貸し付け条件を若干よくしたりするような改正も加えさしていただいておるわけでございます。
○安里委員 もう私学の実態につきましては、私はここで数字的にいろいろなことを申し上げませんでも当局としてはよく把握されておりますので、あえて申し上げませんけれども、一般の収入の約七〇%を学生納付金に依存をしておる、そういう経営の実態というのが今日の私大を経営上非常に行き詰まらしておる。依存するのは学生の納入するところの授業料、こういうような立場からしまするならば、その負担というものは結局学ぶところの学生の父兄に大きくかかってきまするし、父兄の人々が教育のために非常に大きな負担をしておることは、これは皆さん方も数字的に統計をとっておられますので私ここで申し上げません。といって私大の授業料を無制限に上げるというわけにはいかない事情だということは、御承知のとおりでございます。だが、上げざるを得ない。いつでもこの値上げの問題から紛争も起こってくる。これは限度があることであり、いまの状況ではもう限度だ、こういうふうにいわれております。 〔森(善)委員長代理退席、委員長着席〕 そうしますならば、国立に学ぶ者と公立に学ぶ者と私大、同じく大学でありながら国民の持ちまするその負担というものは非常な差がある、経営自体にも非常な大きな差があるということになりますと、これはほうっておけない問題であり、幸い四十五年からですか、政府が私大に対しまする配慮をなさったということも知っております。逆に言いますれば、それまではほんとうに手放しであったということにしかならないかと思うわけであります。本年度におきましても確かに四百三十四億ですか、前年度に比べまして大幅な補助がなされておるということも私は認めるものでございますけれども、それでもなお考えてみますならば、学生一人割りいたしますならば三万円程度になりますか、そういったことでありますので、まだまだ国立との差というものが、非常に大きな差が私はあると思うわけでございます。 お聞きしたいのは、確かに本年度も大幅な増額がなされたわけでございますけれども、文部省当局とされましてはもちろんこれで満足されるはずではないと思うわけですけれども、一体現状これだけの補助でもってどの程度私大が助かるか。助かるというと語弊があるかもしれませんけれども、十分なることをするためには一体どのくらいのことをお考えか、どのくらい国が負担すれば国立と同じように、足並みをそろえて教育に貢献するような道になるか。現在よりもどこまでいけば満足する点にまで到達し得るか、その数字的な概算でもわかりましたらお聞きしたいと思います。
○奥野国務大臣 先ほどちょっと申し上げましたように、いま進めております私学の経常費助成が一応四十九年度で達成するということになりますので、その暁においてもう一ぺん私学助成のあり方を考え直したい、かように考えておるわけでございます。同時に私学につきましても医学部、歯学部のようなものから経済学部、文学部、いろいろございますので、それによりましてかなり違ってくるんじゃないだろうか、こう思っております。基本的には大学が果たしております役割り、社会に対して果たしております役割り、それに応じて国民から納められました税金が教育に使われていかなければならない、こう考えるわけでございます。国立である、私立であるということではなしに、その大学が社会にどのような役割りを果たしておるのか、その役割りに応じて国民の税金が分配されていくという姿が一番望ましいのじゃないか、抽象的にはこういう気持ちを持っておるわけでございますが、四十九年度計画が完了した暁において、もう一ぺん見直しをすべきだ、かように存じておるわけでございます。
○安里委員 私大はいまはわが国の高等教育の四分の三を占めておりますし、その社会的な役割りはきわめて大きいと思います。しかし、いまの財政上いろいろな問題で、学生もそれから学校もいろいろに苦心し、しばしばこれが原因となって紛争も起こるというような状況は、ほうっておけないものだと思いますし、国立大学に比べて不当に条件が悪いようなことを放置しておくことは、これは政府としての責任も大きいと思いますし、今後ますます大学に学ぶ者は多くなると思いますので、私大と国公立との関係をどのように位置づけ、この格差をなくするということのために、計画的にまた積極的にひとつ配慮を願いたい、こういうふうに思います。 次に、一つだけ私お伺いしておきたいのですが、小中学校、諸学校に対しまして、いろいろな施設その他文部省から補助金などが出されます。これからの問題につきまして、これは私自身沖繩におりまして体験したことですけれども、政府から出されますところの金額というものが、それは単に単価においてばかりじゃなくして、施設の規模などにつきましても現地において満足するような規模じゃない、あるいはこれに対します補助金も需要を満たすことができない。もちろん地方自治体においてその幾ぶんかは負担をいたしますけれども、それでもなお足りない、こういうのが実情であります。所信表明の中におきましても、あるいはまた予算説明の中におきましても、いろいろと援助がなされます。この場合に、政府が組んでおりますところの予算額というものが、単価においてもあるいは規模においても非常に消極的だ、小さい。そのために将来を見、あるいは現実に合わないものがずいぶんある、その合わないものを、あるいは市町村におきましてみずからの負担においてこれを拡大する、こういうようなことが私は現実に行なわれておると思うわけでございますが、もちろんこれは今度は補助率などの率のアップもございます。けれども、いまのことに、今度は諸物価の高騰ということも関係をいたしまして、よけいそのしわ寄せというものが市町村にいくのじゃないか、政府からの補助金では満足できないものが特に本年度は多くなるのじゃないか、このように思いますが、その点について御所見を承りたい。
○奥野国務大臣 国の予算の編成も経済状態、財政状態がよくなるにつれまして、実際必要とする見積もりを基礎にして編成されるようになってきておるわけでございます。学校の経費につきましても、教官一人当たり幾らとか、学生一人当たり幾らとかいうようなことではじき出す経費もございますけれども、こういうものにつきましても、ものによりまして八%から一八%までの間で引き上げを行ないまして、いまおっしゃいました物価が上がってきておることにも対応する措置をとらしていただいておるわけでございます。
○安里委員 これはこちらの関係じゃなくして自治省の関係であるかもしれませんけれども、現実にたとえば四教室をつくる。しかし、実際においては二教室に縮める、こういったことも行なわれます。それを避けますためには、どうしてもやはり四教室必要ならば、父兄会あるいはPTAあるいは一般の寄付、こういったものと合わせまして、当初の目的の四教室をつくるというようなことも現実におきまして行なわれます。 そこで問題は、私がお願いしたいのは、これは文部省関係じゃなくて自治省の関係で出てくる問題だと思いますけれども、そういうような事態で学校の施設なりが一般父兄の負担において補われる、こういう事態も地方においてはあるように見受けますが、これに対しては文部省としてはどういうお考えでしょう。
○奥野国務大臣 お話のように、市町村の超過負担がかなり多額にのぼるというようなこともございまして、そういうことで四十八年度の公立義務教育施設に対します国庫負担金の計上にあたりましては、鉄筋の建物に例をとりますと単価を一〇・一%引き上げました。さらにまた、基準面積を二割引き上げたわけでございます。だんだんと特別教室をつくるという傾向も強まっておるわけでございますので、これは九年ぶりでございましたけれども、二割引き上げたわけでございます。こういう措置を通じまして、超過負担はかなり少なくなってくるのではないだろうか、こう思っております。同時にまた、父兄にそういう負担を転嫁してはいけないという精神を地方財政法の中にわざわざ規定を置いておるわけでございます。今後もそういうことのないように努力していきたいと思いますが、なお政府委員のほうから御説明させていただきます。
○安嶋政府委員 沖繩の学校施設の関係について申し上げておきたいと思いますが、四十七年度の沖繩の公立文教施設整備費の補助金の予算は三十億円でございます。四十八年度はこれを三十九億円に増額いたしております。それから面積でございますが、四十七年度の対象面積は九万九千平米でございましたが、本年度は一〇・一%増加をいたしまして十万九千平米の計上をいたしております。大臣がただいま御説明申し上げましたように、単価、基準面積等につきまして改定を行なっておるわけでございますが、四十七年度の沖繩の補助金の執行状況を申しますと、三十億円の補助金が若干現段階でございますが剰余が出るのではないかということが心配されておるくらいでございまして、沖繩側の要望に沿い得なかったということは私はなかったのではないかと思います。 御指摘の補助率でございますが、これも小中学校の校舎、屋体につきましては十分の九という補助でございますから、補助率としてはかなり高い補助が行なわれておるわけでございます。むしろ私どもといたしましては、すでに計上した予算が全部執行されるようなことをまずは期待していきたいということでございます。 単価につきましては、沖繩の特殊事情からいたしまして若干無理があるというような御批判も伺うわけでございますが、執行上私どもは九州各県よりも七%高い単価で補助をしておるというようなことでございます。 さらに残ります問題につきましては、今後もその改善に努力してまいりたいというふうに考えております。
○安里委員 私はそのことをお聞きしようと思ったわけじゃないのですが、先ほど大臣言われました地方財政法におきまして、地方公共団体に対しましては国公立学校に対する設備の寄付行為など制限されておるわけです。また、地方自治体としてはそのように受けてやるべきものじゃないのだ、こういうふうに思うわけでありますけれども、現実にそういうふうに政府が、あるいは市町村がなさなければならぬところのものが、それが足りないために、実際上その寄付行為によってこれをするという面もある。これは地方財政法の禁ずるところであるということを一応私は前提にして申し上げまして、実は国立においてそのことがないかということをお聞きしたいのがねらいでございました。これは何回か新聞の投書があったことですが、文部省のほうとして回答がなかったということで、私の手元にもいまそれが来ておるわけでございますが、国立大学などにおいて、いろいろな施設やあるいは設備などの不足分に対して一般の寄付を仰ぐというようなことも許されておるのですか。
○奥野国務大臣 本来、国のほうで施設すべきものを、他の寄付に財源を求める、そういうことはむしろ厳に戒めているわけでございます。一つには、父兄や学生に対して、理由のいかんを問わず何らかの負担をかけることになるもの、二つには、国が本来措置すべき教育研究上不可欠な設備、三つには、寄付受け入れ後、その維持運営について特別の支出を要することになるもの、この三点については一切これは認めないということで、強い指導を行なっておるわけでございます。
○安里委員 具体的にこれだけを確かめて私は終わりたいと思いますが、山口大学の説明の中で、電子計算機に対して国は八百万円だけ国費を支出する予定のようであるが、八百万円ではできないので、一千万円あるいは一千何百万円かの寄付を募っておる、こういうような趣旨のことがいわれてきております。これはそういうことがあるべきはずがないと思うわけでありますが、現に国立の大学で政府から与えられるところの電子計算機の八百万円、これではできないものがある。だから一千万円は別に寄付を仰がなければできないのだ、こういうことが行なわれておるということでございますが、その事実、御存じでしょうか。
○奥野国務大臣 山口大学のことについて調査いたしましたので御報告さしていただきます。 山口大学経済学部の卒業生を会員資格とする社団法人鵬陽会が、山口大学経済学部の新築、ことしの一月に完成しているようでございますが、これを契機に、母校の一そうの発展を期するため、昭和四十七年秋以来同会の会員を対象に募金を行ないました。募金の趣旨は、同学部における研究助成を主たる目的として、学術研究設備の充実をはかることを目的とするもので、総額五千万円であったようであります。それに対する会員の反応は必ずしも良好ではなく、本年初めまでに約一千万円を募金したにとどまり、同会はそれを奨学基金として同大学に寄付し、同大学はこれを受け入れたようでございます。 なお同会は、その後も引き続き募金活動を行なっております。いまお話しになりました電算機につきましては、四十七年度予算の執行にあたりまして、山口大学経済学部より小型電子計算機の購入のため、八百万円の要求がありましたのに対しまして、文部省から七百万円配分いたしました。同大学ではこの七百万円に、既定の校費から教官に月当たり幾らということで配分いたしておりますが、その既定の校費からの百二十万円を加えまして、八百二十万円の電算機を購入いたしました。この電算機は教育用に使用する計算容量の少ない小型機器でありますけれども、電算機の使用に習熟していない学生に対する初歩的教育用の機器としては最適の機種のようでございます。 なお、同学部では、同電算機の周辺機器をさらに整備することを希望して、さきの五千万円の募金が集まった場合にはその一部をこれに充てることを計画しているようでありますけれども、募金も進んでいないような状況でございまして、具体的な話にはなっていないようでございます。さきの募金の集まりました一千万円をこれに充てるということは考えていないようであります。
○安里委員 その募金の要領によりますと、電子計算機一式一千八百二十万円、政府からは約八百万円、そうするとこれは八百万円でできない。初めからできないものを一千万円を追加して購入するような趣旨に募集要項からは見られます。疑問に思いますのは、従来千八百万円もかかるものに対して八百万円しか国は出していないのか。だから大学としては一千万円を先輩や、あるいは寄付を仰がなければならない、こういうような状況をつくっておるのか。そうでなくして八百万円でできるものにどうしてまた一千万円もそれにカバーしてこの電子計算機のために寄付を仰がなければならぬのか。これが一つの問題で、もう一つは、どういう名目にしろ、国立大学におきまして施設をするのに、備品を買うのに足りないものを、一般から寄付を仰いでこれをつくるというような、そういったことが許されるものか。必要なものは当然国自身が負担すべきものじゃないか。国で出すところの負担というのが不十分で足りないからしかたなくやっておるのかどうか。そうだとすると、国は国立大学に対しても十分なことはやっていないということにしかならないと思いまするし、地方自治体におきましては先ほど申しましたように制限を受けるのに、国立の大学におきまして一般の寄付によって施設なりあるいはまた備品の金を補うということが許されるものだとしますれば、私は非常に教育を誤るものだと思います。その点どうでしょう。
○奥野国務大臣 さきにもちょっと申し上げましたように、国立大学における施設、設備、そのことについて別途国民に負担を求めるようなことは避けるべきだということで指導をしてまいってきているわけでございます。ただ大学がいろいろ次々に新しい施設を要求される、すぐに間に合いかねる、順番というものもあったりすることはございましょうけれども、それにしましても、国が本来措置すべき教育研究上不可欠な施設、設備を、他の寄付に求めたりすることは差し控えられたいという指導を繰り返しているわけでございます。 いま御指摘の電算機につきましては、四十七年度予算の執行にあたりまして、山口大学から申し込みのありましたのは八百万円でございます。これに対しまして七百万円は別途に配付し、百二十万円はすでに配付してある予算からこちらに回しましてすでに購入したわけでございます。購入したわけでございますが、同学部では、周辺機器をさらに整備したいことを希望して、その金を先ほど申し上げました五千万円の募金から回してもらえないかなという希望は持っておったようでございますけれども、このことは私適当でないと思いまして、国として整えるべき性格のものでございましたら、国で必要な予算を配慮すべきだ、あるいは順番があって一年おくれるということがあり得るかもしれませんけれども、それは当然しなければならないと思います。現実の問題としましても、どうもあまり募金のほうも進んでいませんし、また集まった一千万円は別途奨学基金として寄付を済ましておりますので、これから回すことも考えられていないようであります。将来ともよく注意してまいりたいと思います。
○安里委員 私がいま具体的にこのことを申し上げましたのは、政府とされて、文部省とされまして、国立でも必要なるところの設備というものを十分しておるのかどうかという疑問をこれから持つわけです。十分でないがために大学としてはしかたがなく——これは違法でありましょう。外部からの寄付でもっていまこれを補うというようなことがあったのでは、何のための国立大学かわからなくなりますし、地方自治体におきましても、そのように地方財政法によって制約を受けておる国立の大学において、政府が十分なことをしない、また足りない、足りないからそれを外部から補う、これではまるっきり教育の基本というものを失う問題だと私は思いまするし、私大に対しまするところの助成、援助あわせまして私が申し上げたいのは、教育に必要なるところの施設、設備、これは十分配慮してもらって、そうして教育に対して政府がほんとうに責任を持ってやっているんだということをはっきりさせたかったからでありまするし、このような寄付行為が、いろいろなことによって政府の足りないものを一般が補うというような悪い癖というものをつけますと、癖どころか違法なことを文部省として目をつぶっておるようなことがあってはいけないということが一つであります。 もう一つには、このことはこれを知って不当なやり方だということで、文部省に対して公開的な質問の投書があったけれども、文部省としてはちっとも答えない。答えないところに非常な不信を抱いているのだということもつけ加えてきております。それはこういう方針は方針として明らかにすべきものだと思う。それがまた国民に対してあるいは疑惑を一掃する上においても大事な問題じゃないかと思うからでございます。 教育の面、非常に大事な問題であると思いますけれども、きょうは総括的な、基本的な問題だけを申し上げまして私の質問を終わりまして、いまの点につきまして大臣から最後に承りたいと思います。
○奥野国務大臣 一つには国立大学に必要な施設、十分まかなえるように予算の確保には将来とも努力を払っていきたいと思います。 二つには、文部省に対して寄せられた質問に答えていないものがあったようでございますけれども、そういうことのないように留意していきたいと思います。 ————◇—————
○田中委員長 この際、理事補欠選任の件についておかはりいたします。 委員辞任に伴い、現在理事が一名欠員となっております。これよりその補欠選任を行ないたいと存じますが、先例により、委員長において指名するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○田中委員長 御異議なしと認めます。 委員長は、山原健二郎君を理事に指名いたします。 この際、暫時休憩いたします。 午前十一時五十二分休憩 ————◇————— 午後零時十七分開議
○田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 義務教育諸学校施設費国庫負担法の一部を改正する法律案を議題とし、提案理由の説明を聴取いたします。奥野文部大臣。
○奥野国務大臣 このたび政府から提出いたしました義務教育諸学校施設費国庫負担法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。 現行の義務教育諸学校施設費国庫負担法は、昭和三十三年に制定され、公立の義務教育諸学校の施設整備に対する国の負担制度について定めているものでありますが、以来、政府は、この制度のもとに、鋭意義務教育諸学校施設の整備につとめてまいったのであります。 しかしながら、屋内運動場等学校施設整備の現状及び大都市周辺地域における児童生徒の急増現象等の社会情勢の変化にかんがみ、現行制度にはなお改善すべき点があると考えられますので、今回、所要の改正を行ない、もっと公立義務教育諸学校施設の一そうの整備充実をはかろうとするものであります。 次に、法律案の内容について御説明いたします。 まず第一は、義務教育施設の整備を一そう促進するため、公立の小学校における屋内運動場の新築または増築に要する経費についての国の負担割合を、現行の三分の一から、中学校の場合と同様二分の一に引き上げることといたした点であります。 第二は、児童または生徒が急増している地域における義務教育施設の整備を促進し、関係市町村の財政負担の軽減にも資するため、政令で定めるところにより文部大臣が指定する地域にある公立の小学校または中学校の校舎の新築または増築に要する経費について、昭和四十八年度から昭和五十二年度までの間、国の負担割合を現行の二分の一から三分の二に引き上げることといたした点であります。 最後に、この法律の施行期日を、昭和四十八年四月一日からとし、昭和四十七年度以前の予算にかかわる国庫負担金については、なお従前の例によることといたしております。 以上が、この法律案の提案の理由及び内容の概要であります。 何とぞ、十分御審議の上、すみやかに御賛成くださるようお願い申し上げます。
○田中委員長 これにて提案理由の説明は終わりました。 本案に対する質疑は後日に譲ります。 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後零時十九分散会