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68回国会参議院1972/04/13

予算委員会公聴会 第2号

発言数
55
登壇者
15
会派数
4
開催日
1972/04/13

会議録

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) それでは、ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。  公聴会の問題は、昭和四十七年度総予算についてでございます。  本日は、午前中、鎌倉先生、一番瀬先生のお二人の方を公述人として御出席を願っております。  これより順次御意見を伺いたいと存じますが、この際、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中にもかかわらず本委員会のために御出席いただきまして、まことにありがとうございました。お礼申し上げます。  委員一同にかわりましてごあいさつ申し上げた次第でございます。  それでは、議事の進め方につきまして申し上げます。  お手元にお配りいたしました名簿の順序、すなわち鎌倉先生、一番瀬先生の順序で、おおむね一人三十分程度の御意見をお述べ願いたいと存じます。お二人から御意見をお述べいただきましたあとで、委員の方から御質疑があります場合はお答えをお願いしたいと存じます。  それでは、順次御意見をお述べいただきます。  まず、鎌倉公述人にお願いいたします。

鎌倉孝夫埼玉大学助教授

○公述人(鎌倉孝夫君) ただいま紹介されました鎌倉であります。  昭和四十七年度の予算に関して、その問題点、あるいはその問題の意味するところを、以下、基本的な点について申し述べたいと思います。  御承知のように、現在は歴史的な転換点、転換の時期であるということがいわれているわけでありますが、昨年のニクソン・ショックあるいは円の切り上げ等々という問題が続く中で、従来の、いわば大企業中心の生産第一主義的な財政の運営のしかたを、福祉政策あるいは人間尊重の政策へと転換しなければならないということがいわれておりますし、そうして四十七年度の予算については、そういう点が重点施策となっているということが強調されているわけであります。  では、客観的に見て四十七年度の予算というのは、はたしてそういった内容になっているのかどうかということを、以下私の考えを申し述べていきたいと思います。  そこで、四十七年度の予算に関する問題と思われる点を、まず歳入の面、さらに歳出の面、経費の内容にわたって少し御報告したいと思うわけです。  まず歳入の面につきましては、これはもう御承知のように、公債発行が非常に大規模に拡大しているという点を、何よりも指摘しなければならないと思うわけであります。すなわち、一般会計からの公債発行が一兆九千五百億円、歳入の中の一七%に達する。さらにそのほか、地方財政におきましても、地方債の発行が一兆七千二百七十八億円に達し、前年度当初に比べまして、これは五九%もの増加ということになっているわけであります。  問題なのは、このような公債発行がいかなる意味を持っているのか、あるいは公債発行による問題というのは、一体どういうところにあるのかということを明らかにしなければならないという点だと思うわけであります。  すなわち公債発行というのは、当然のことながら、現在存在しております生産力過剰に基づくいわゆる商品の供給過剰、それによる価格の下落を、いわば公債発行による需要の増加によって下ざさえしていく、それを通して、いわば景気不況対策としての役割りを果たしていこうとするところに、大きな意味があると言うことができると思うのでありますが、このことは、言うならば、経済の法則からして当然下がるべきはずの価格を、いわば政策を通して下げどめさせるという効果が当然働くわけであります。言うまでもなく、このことによって――特に公債発行を通した経費の内容自身がもちろん問題でありますが、その点はあとでお話することにいたしまして、こういう形で公債発行による支出の増加が行なわれることによって、価格の下げどめがされるということは、それはとりもなおさず、いわゆるインフレ的な効果であるというふうに考えなければならない。そのことが同時に、いま、しきりに問題になっております大企業によるいわゆる管理価格、管理価格を維持するところの一つの大きな条件になるという点を考えなければならないと思うわけであります。このような、価格をささえる、インフレ的効果を実現するという点、この点に重要な一つの問題があるわけであります。  さらに第二点としては、公債がこのように増発されますと、それによって当然、租税負担力の大きい、つまり負担力のある部門あるいは階層における租税の負担がいわば免れてくるという、そういう効果があるわけであります。公債発行というのは、それ自身は、その公債発行によって調達される財政資金というのは、累進課税的な形で調達されるわけでは決してありません。でありますから、つまり租税負担力のある者が税金を応分に納めていくという形は、むしろとり得なくなってくるわけであります。逆に、租税負担力のある、あるいは余裕資金のあるところが公債をいわば買い取り、それによって利子を獲得するということが実現されてくるということにもなります。  しかも、この利子あるいは公債償還というものは、結局のところは後の税金め増大ということを通して行なわれていかなければならないわけでありまして、負担されていかなければならないわけでありまして、そういう意味では、国民大衆の税負担というものを増加させざるを得ないものということが言えると思うのです。こういう意味で、公債発行政策というものは、税負担という問題からしても大きな問題を引き起こしているのではないだろうかと言うことができます。  で、ついでに申し上げますと、現在でも、昭和四十五年度におきましても、いわゆる企業の交際費は一兆円をこしておりまして、そのうちの二七%が課税対象になっている、こういう状況になっておりますし、また四十七年度におきましても、租税特別措置等によって四千三百七十億円の減免税措置がとられているということであります。もし、福祉重点あるいは租税の公平という問題をほんとうに貫いていくならば、むしろ公債発行による財政資金の調達というよりは、このような公債費の問題なりあるいは租税特別措置といった問題、ここに一つの租税源泉というものを求めていく必要があるのではないだろうかというふうに考えられるわけであります。  公債発行についての第三の問題点は、いわゆる公債発行は、建設的な公債が発行されている、公共投資の額といわば見合った形での建設公債であるということがいわれているわけでありますが、この点についても、実は私は問題があるのではないかというふうに考えます。  どういうことかと言いますと、公債によって調達される財政資金というのは、目的財源的にそれを通して特定の経費が支出されるという形にはなっていないわけでありまして、したがって、公債発行によって調達した資金も財政収入として一括されつつ、その一括された中から各経費が支弁される、こういう形になります。したがいまして、公債発行収入が建設的な公共投資にのみ使われるんだという形には、実質的にはならない。まあ形の上ではそうも言えますけれども、実質的には必ずしもそうとは言えないわけであります。したがいまして、そういう意味では公債発行というのは、実質的には赤字公債を意味するものと考えなければならないと思うわけです。  ところで、問題なのは、われわれが公債をこの点で問題にしたいのは、一九三〇年代において、この公債発行の増額が、いわば戦争の費用、軍事が増強のために安易に利用されていき、そうしていわゆる経済の軍事化、軍国主義をもたらしてきたという、そういった歴史的な教訓、これを今日の時点において、われわれは十分反省していかなければならないということだと思うわけです。  その点に関連して言いますと、やはり公債発行の膨張というのは、公共投資の増大ということばかりでなく、防衛関係費等をはじめとする軍需的な経費支出の膨張を安易にもたらしていく、そういった危険な要素を内包しているものととらえなければならないと思うわけであります。  以上三点にわたって、公債発行というのは種々の重要な問題を持つもの、こう考えなければならないと思います。もちろん、このような公債発行によって行なわれる財政収入というのが、一体何に、どういった経費に使われるかというところに、実はもっと重要な問題があるわけでありまして、したがって、当然、次に経費の内容についての問題点というものを申し述べる必要があります。  そこで、福祉重点あるいは物価対策等に重点を置いているといわれております四十七年度予算における経費の内容について、少し私の意見を申し述べていきたいと思います。  何点かにわたって指摘していきたいと思いますが、まず第一に、公共事業費の問題についてであります。これは御承知のように、その一般会計あるいは財政投融資の中における増加は、非常に大きい規模に達しております。しかし、従来のようないわゆる道路や港湾設備等々、いわゆる産業基盤整備だけではなく、四十七年度予算におきましては、住宅や下水道、公園、あるいは廃棄物の処理、こういった点にもかなりの経費がさかれているという特徴が見られるわけであります。こういった点は、非常に重要な点であるということは確認しなければならないと思います。しかしながら、以下、いろいろな問題がやはりその中に含まれていると、こう考えなければならないと思うわけです。  まず、公共事業費における重点的な項目というものは、何よりも、たとえば新全国総合開発計画に乗った大型の産業基盤整備のためのプロジェクト、これがやはり中心をなしているわけでありまして、全国新幹線の問題へ特に山陽新幹線あるいは全国縦貫高速道路の建設、こういった点がやはり重点的な項目にされております。たとえば、道路においては一般会計から八千五百億円、これは公共事業費の四〇%に達する規模でありますし、また、日本道路公団の事業費だけでも二千五百五十億円、四十六年度に比べて四六%の上昇という形になっているわけであります。  これは一体どういう意味を持っているのかということでありますが、当然、新全国総合開発計画に乗った、いわば全国的な規模での、そういう表現を使うならば日本列島全体のいわば総合理化の政策であるというふうに考えられるわけであります。この点は両面持つわけでありまして、当然、そういった大型の産業基盤整備によって運輸交通体系が整備され、それによって運輸コストの削減がはかられるという問題が一つと、そして当然もう一つは、一つの不況対策として、需要の増加、公共投資関連事業に対する需要の増加、それをてことしたところの不況対策、こういう両面の意味があるという形でとらえていかなければならないと思うわけであります。  この点に関連して言いますと、今年度改組されようとする工業再配置・産炭地振興公団(仮称)の意味でありますが、これもやはり公共事業のいま言いました意味というものを、特に過疎地帯への工業の再配置を通して適地への工業の誘導が政策的に行なわれていく、それを国家的な資金の融資を通して促進させていく。何よりもこれは、やはり全国的な規模における合理化の促進ということが重要なねらいとされているといっていいと思います。このような点が、やはり基本的には予算の中での公共事業費の重点とされている点を何よりも確認しなければならないだろうと、こういうふうに思うわけであります。  さらに本年度、四十七年度の予算におきましては、いわゆる不況対策としての資本救済的な経費というものが、非常にきめこまかく行なわれている点を指摘しなければならないと思うわけであります。  たとえば繊維産業に対しては、その対策費として二百四十六億円が支出されますし、為替差損補てんについては、業界試算の為替差損の六六%を政府が補償するという形になる。このような形で為替差損は大きく補償されるわけでありますが、逆に、為替の利益を受けた企業からは、いわば為替益に対する課税というような形での利益の吸い上げというのは、何ら考慮されていないわけであります。さらに、不況対策としての資本救済政策、この中には石炭・石油特別会計の新設、こういう問題がありますし、あるいは電算機業界も、資本の自由化、電算機輸入自由化に対処する電算機業界への体制整備資金として、四十七年から四十九年度にかけて三百四十一億円の補助金が出される。以上見ますように、公共事業費につきましても、あるいはその他いまこまかい項目を指摘してきましたが、それを見ますと、不況対策という形で、資本救済についてはかなりきめこまかい対策が行なわれているということが指摘できるとい事ふうに思われます。  福祉予算については後ほどお話しいたしますが、さらに第三番目の問題として、経費の問題において当然ここで指摘しておかなければならないのは、いわゆる防衛関係費の問題であります。  御承知のように、これにつきましては政府修正二十七億円、二十七億九千方円の減額修正が行なわれたわけでありますが、やはり、ここで私は指摘したいのは、国防会議による四次防計画というものの確定以前に、実質的に、いわば四次防以降の主要な装備品あるいは研究開発投資というものが行なわれているということ、その点が、現在における軍事費、防衛関係費の持つ重要な問題として指摘しなければならないと思うわけです。特に問題なのは、国産兵器の拡大ということが目標とされて、そのための、新しい軍事技術の開発のための研究開発投資が、非常に重点的に行なわれている点だと言っていいと思います。つまり、不況対策としての防衛関係費の増額、つまり絶対額の増加という点ばかりでなく、問題なのは、防衛関係費の比率は一般会計予算の七%という形で低いとしても、その質的な側面、質的な内容を私は非常に問題としなければならないと思うわけです。  この質的内容というのは何かといえば、言うまでもなく防衛関係費の中における研究開発投資で、その研究開発投資を国が負担することによって、技術開発が行なわれる。この技術開発によって企業の合理化、生産性向上というものが果たされていく。あるいは開発した技術が企業に独占的に利用されていく。こういった形で防衛関係費が使われているということ、このことが非常に重要な問題ではないかということであります。四次防の計画の中において、三次防段階よりも、いわゆる新たな兵器の開発のための研究開発投資というものが約三・八倍も見込まれているわけでありまして、こういった点から考えまして、研究開発費を国が負担するということを通して、いわば合理化、生産性向上あるいは技術独占という形で企業の利益がはかられてしまうのだ、この点が何よりも重要な問題として指摘しなければならないというふうに、私は考えるわけであります。  こういった、公共事業費あるいはその他の不況対策、そしてまた防衛関係費、いずれも、不況対策、需要の増加というものをはかりながら資本の蓄積促進をはかろうとしているという内容が、やはり依然として基本的な内容にされているということを確認しなければならない。  では、福祉政策ということは一体どういう形で行なわれ、どの程度の内容になっているのか。次にその面も問題にしなければならないと思います。  四十七年度の予算におきましては、福祉重点とい多ことが言われているわけで、種々の面で福祉予算が増額されたことは確かだと思います。たとえば住宅、下水道、公園あるいはごみ処理といった問題についても、従来よりはかなり経費の支出が増額されたことは、非常に重要なことだと言っていいと思うのです。しかし、問題なのは、たとえば住宅建設について見ましても、住宅投資が増加しますと、地価対策というものが十分行なわれていなければ、当然のことながら地価の上昇というのを引き起こさざるを得ない。そうしてまた、住宅建設が資金の借り入れを通して行なわれることから、当然、建築費が増加してくる。そのために、住宅が増加していったとしても家賃がかなり高くなってしまう。たとえば、月々三万円や四万円の家賃を払わなければ公団住宅にも入れない。こういう住宅を建設していっても、一体だれのための住宅なのかというふうに、ほんとうに言いたくなってしまうわけであります。ですから、どうもねらいとして、私たちが考えたいのは、住宅建設というものが公共投資として、言うならば需要増加をはかる政策というところに大きなねらいがあるというふうに、その点が主目的なのではなかろうかというふうに考えざるを得ないわけであります。  さらに、たとえば老人対策については、これもいろいろな面で福祉が進歩したということは言われると思います。しかし、問題なのは、このような老人対策、たとえば老人ホームの問題あるいは老人医療の無料化と、着実に福祉が前進した側面があるのですけれども、他方、ここで私が問題にしたいのは、一方で総定員法のワクによって国家公務員の定員削減が行なわれているということであります。四十六年度から三年間五%の定員削減、これが行なわれておりまして、特に民生関係の人員不足という点は、非常に深刻なものがあると言わなければならないと思うわけです。でありますから、たとえば老人ホーム建設のために金を出した、また介添え人、介護人を少しふやしていったとしても、たとえば保護すべき老人をさがすために人手が不足する、あるいは老人ホームにおいて保護すべき人手が決定的に不足するということであるならば、はたして真の福祉政策というふうに言えるのかどうか、こういう問題があるわけであります。つまり、施設は増大しても、サービスを行なうべき人手がむしろ全体として削減される。こういう形で行なわれている福祉政策というものは、一体どういうことなんだろうかというふうに考えるわけであります。  われわれの大学におきましても、定員削減によって、最近では賃金の低い、そして臨時的な職員、権利も十分保障されていない職員が非常に大幅にふえております。それを雇うために研究費をもさかなければならない。こういう状態が出ているわけであります。こういった形での定員削減、その上で、いろいろと福祉予算としていわば施設が増大したといっても、やはり本来、真の意味での福祉政策というものにはならないのではなかろうかというところに大きな問題を感ずるわけであります。  で、この点に関連してもう一つ、公害対策の問題について、やはりその問題を指摘したいと思います。  公害対策費もやはり、かなり増額された、四十六年度の倍に増大したという点は、きわめて重要な点だと言っていいと思います。しかし、公害によって被害を受けた者に対する医療手当はあまり増額されないのに対して、公害を防止する施設をつくる企業に対する財政投融資、これがいわば重点的に行なわれているということであります。つまり公害防止といっても、公害を防止するところの、いろいろな機械をつくる産業・企業に対する財政支出というところに重点が置かれているということ、このことをやはり一つの問題としてとらえなければならないと思うわけです。ある意味では、このような公害防止産業に対する財政支出の増大は、現在存在しております機械産業、機械工業における過剰生産に対する、一つの対策としての意味を持つと言うことができるのではないかと思うわけです。このように、いわば直接被害を受けた人間に対する補償というよりも、むしろそういった、直接には企業に対する経費の支出という点に、どうも重点が置かれているという点を問題として指摘しなければならないというふうに思うわけであります。  最後に、経費の問題に関連して、物価対策についてやはり一言指摘しておく必要があると思うわけです。  この物価の安定という点についても、いわば重点施策の一つとして指摘されているわけでありますが、こまかい点は時間の関係で述べられないと思いますけれども、たとえば野菜価格安定対策費や、あるいは低生産性部門における近代化促進、あるいは国鉄財政再建のための助成費の増大、こういった点で物価対策が行なわれてきていることは確かでありますが、やはり問題は、物価安定についてのいわば根源、その最も重要な根源に触れる政策が行なわれていないということ、この点を問題にしなければならないと思うわけです。つまり、現在物価上昇を引き起こしているところの根本的原因、これは何であるかという点、この点の対策にメスがふるわれていないということ、この点を指摘しなければならないわけです。  では、どこに原因があるのか。ここで詳しいお話はできないのは残念でありますけれども、結論的に言いますと、やはり一つは公債発行の膨張、インフレ的な財政政策が行なわれているという点が一つ、そうしてそれを基盤として、特に独占的な大企業による管理価格の支配というものが厳然と行なわれているということ、この点が、全体としての物価上昇をもたらす根本的な原因になっているということだと言っていいと思うのです。この点にメスをふるわない限りにおいて、根本的な物価対策というものはあり得ないと言わなければならないと思います。  で、さらにこの点について、公共料金の値上げという問題についての考えを少し申し述べておきたいと思います。  すなわち、四十七年度予算におきましては、非常に多種類の公共料金の値上げが予定されておるわけでありますが、それは結局のところ、政府みずからがインフレ的な財政政策を行なう、そのことによって、政府関係の諸事業においては、当然経費が膨張してくるということにならざるを得ない。他方、政府関係事業においては近年特に独立採算制というものが強く要請されてきているわけでありまして、ということになりますと、一方では経費が上がる、他方では独算制を行なっていかなければならないということになれば、当然、料金の値上げをしていくということにならざるを得ないわけであります。そういうところから料金の値上げが引き起こされているわけでありますが、これはやはり財政政策のあり方、そしてまた独立採算制という問題、そこに原因があるものと考えなければならない。しかも問題なのは、このような公共料金値上げということによって、国民大衆が大きな打撃を受けるばかりでなく、独立採算制というものが行なわれなければならぬという点から、政府事業における激しい合理化が行なわれ、そして労働者の雇用の減少やあるいは労働強化が引き起こされているという点を、われわれは重要な問題として指摘しなければならないというふうに思うわけであります。  以上、四十七年度予算全体に対する重要だと思われる点を指摘してきたわけでありますが、やはり福祉政策が重点だというふうに言われましても、むしろそれは、たとえば物価の問題、物価上昇の問題や、あるいは合理化の問題ということによって吸い上げられてしまうというふうにとらえなければならないと思いますし、したがって、本質的には、四十七年度予算というのは、一方では、インフレによる物価上昇を、そしてまた実質的な増税ということにならざるを得ない本質を持っているし、他方では、合理化を財政政策を通して促進していく。この合理化というのは、言うまでもなく、今日の資本主義における資本の合理化であるという内容を持っているわけでありまして、したがいまして、当然、一方では雇用量の減少、他方では労働強化という形を引き起こさざるを得ない、そういう現実的な内容を持っているものととらえなければならないと思うわけであります。つまり、インフレと合理化というものがやはり本質的な内容となっている予算であるというところに、われわれは四十七年度予算における重要な問題点というものを指摘することができると思います。  そして問題なのは――私は国会の中でさらに明確に議論していただきたいと思うわけでありますけれども、問題なのは、なぜこのような本質的にはインフレと合理化を遂行していくような予算が組まれざるを得ないのか。それはどこに問題が、根拠があるのかということ、この点を明確にしなければならないのではなかろうかというふうに思うわけであります。  現在の国際的な経済の関連あるいはその中に置かれた日本の経済の状態というものを見ますと、ある意味では非常に重要な歴史的な転換点というところにあると言っていいと思うわけです。ニクソンショックや、あるいは円の切り上げ、この問題は何を意味するのかと言えば、一面では、国際的な経済の事態は、一九三〇年代におけるような国際的な資本主義国間の対立、経済対立の激化、さらにはブロック化の傾向、ブロック化の危機というものが存在している、こういう現実があると言っていいと思うわけです。このような事態に直面して、やはりいままで遂行されてきたところの大企業中心の生産第一主義的な成長政策というものを決定的に転換していかない限りにおいては、事態はきわめて危険な方向へと進んでいかざるを得ないのではないかというふうに考えられます。そして、現在行なわれつつある、行なわれようとしている財政政策も、実は事態を決定的に転換させるというよりは、むしろ従来まで進めてきたところの政策をやはり基本的には踏襲し、したがって、国際的な経済の対立関係をさらに激化させる、あるいは、この対立関係の中で、たとえば円の切り上げという形で受けた打撃を国民大衆へと転嫁させていってしまう、こういう形でインフレのもとで一そうの合理化が進んでいく、こういったやり方が行なわれようとしているわけであります。したがって、それだけ、国内市場のいわば狭さ、狭隘化を引き起こすことにならざるを得ないし、対外的な進出の方向が増加していかなければならないということにならざるを得ない。国際経済の緊張関係はさらに拡大していく、あるいはまた、二度三度の円切り上げという事態を引き起こしかねない。そしてまた、それによって再び打撃を受けるのは国民大衆であると、こういうような事態が繰り返されていくということをわれわれは強く感ぜざるを得ないわけであります。そして、このような形での財政政策が行なわれているところの一つの大きな原因に、やはり、日本の経済や政治が日本を支配する巨大な独占的な企業によって動かされ、規制されているということ、その点に大きな問題がある。この点に根本的なメスをふるっていくという形で大胆な政策がとられない限りにおいては、福祉政策というものも真の福祉政策という形にはなり得ないのではなかろうかということを強調したいと思うわけであります。  私の考えは以上で終わりたいと思います。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) ありがとうございました。     ―――――――――――――

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) それでは、次に一番瀬公述人にお願いいたします。公述人(一番瀬康子君) 一九七二年度の予算について、特に社会保障に関して意見を言うようにというとでございますので、日ごろ考えております私の考えから今年度の予算についてどう思うかということについて述べてみたいと思います。  まず、初めに結論から申し上げますと、今年度の予算は福祉重点予算と言われております。その意味で拝見をいたしますと、部分的な改善は認められるわけですが、全面的また実質的には、どうもそうは思えないということでございます。それはすでに新聞などで指摘されておりますように、予算全体の伸び率より社会保障費全体の伸び率が必ずしも高くはないというような点でも言えると思いますが、より基本的には、その方針、方向に問題を感ずるわけでございます。つまり、今年度の予算は、日本の社会保障の現在抱えている根本的な問題あるいは欠陥をそのままにして、断片的に多少の改善あるいは上積みをしたにすぎないのではないかということを思うわけでございます。したがって、今日のように物価がますます上昇をし、その他の国民生活の状態がきびしくなってまいりますと、場合によっては、かえって悪くなる、そういう気配さえ感じられるのであります。  それでは、一体今日の日本の社会保障の抱えております根本的な問題点あるいは欠陥というのが何かということを次に申し上げたいと思います。  おそらく、今後最も社会保障の重要な課題あるいは問題となりますと思われますことを、例をとりながら申しますと、まず第一には、次のような点でございます。  それは、今日の日本の社会保障の給付水準が、保険給付額あるいは年金給付額あるいは生活保護費あるいは社会福祉施設等の措置費に含まれております日常生活に必要な費用、いずれをとらえましても、その給付水準が憲法二十五条の健康にして文化的な最低限度の生活を必ずしも保障していないという点でございます。これは、たとえば生活保護基準に例をとりましても、年々かなりアップはされているとは言うものの、この一、二年、むしろ勤労者の消費水準との差が大きくなっておりますし、それからまた、生活保護世帯すれすれ、あるいはやや上の人々が含まれております第一五分位階層の人々との格差は、むしろ広がっている傾向が見られるわけでございます。そういう点を見ますと、今日の経済の高度化の中で、この生活保護世帯の方々の生活を規制します基準そのものは、必ずしも最低限度の生活を保障していないではないか。まあ具体的な例は省略いたしますけれども、そういうことが言えるのではないかと思います。とりわけ、年金の給付額などもそうでございまして、福祉年金等は多少の増額がなされておりますが、結局、小づかい程度にしかならない。それで生活保障はとうてい、ほど遠い話であるという状態でございます。  それから、給付水準あるいは最低生活水準というものについては、単にこの額が低いというだけの問題ではございませんで、それが一体なぜそのようにきまったのかという、決定に関する経過というものが必ずしも具体的には明確に示されていないと思うのでございます。つまり、社会保障の内容の死命を決しますこの基準そのものが、国民の目に触れる場所で公開されて、しかも具体的な根拠を持ってきめられるのではなく、最終的には政治的な関係の中できまっているというような、きめ方の問題についても問題を感じるわけでございます。また、この給付額そのものが、とりわけ社会保険あるいは生活保護、また施設の措置費、いずれも物価にスライドしていないという問題があるわけでございます。これは後に触れるところでございますけれども、今日の年金は積み立て方式でございまして、その意味からも物価にスライドするという点が欠けがちでございますが、いずれにしても、今日の非常に速い物価のアップに対してスライドしないために、実質的には非常に低いという傾向をさらに進めているということになると思います。  第二の点は、社会保険の、あるいは社会保障の主要な諸制度の乱立が見られて、それが、あたかも寄せ木細工のようにばらばらであり、行政官庁も種々に及ぶという問題がございます。たとえば健康保険、国民健康保険その他健康を守るところの社会保険にいたしましても主要なものが八種類、それから老後の生活を保障いたします年金にいたしましても主要なものが八種類と、ばらばらに乱立しておりまして、その給付額あるいは内容、また管轄する行政官庁もばらばらであるということでございます。これでは実質的に社会保障とは言えないわけでございまして、それぞれの社会保険にしかすぎないということが言えるわけでございます。しかも、たとえば日雇いの方々の健康保険等にも見られますように、比較的所得の低い者が多い社会保険が総じて給付条件が悪いという傾向が見られるわけでございます。これは、厚生年金と国民年金を比較しても、そのことが明確であると思います。したがいまして、社会保障という場合には、当然、これらの諸制度が総合され、また調整されて、一本のものになって、この内容も調整されなければ意味がないわけでございますけれども、現在の日本の社会保障制度は、残念ながら、乱立する社会保険諸制度の寄せ木細工のような形になっていて、そうして実際に保障される内容というものが、むしろ所得の低い者には薄くなる傾向が強いということが言えると思うのでございます。  第三番目に問題にしたいことは、今日社会保障の面でかなり受益者負担が多くなってきている。また、それと関連いたしまして、現実に再分配機能が非常に弱いという傾向が見られるわけでございます。たとえば医療制度にいたしましても、どちらかというと、保健予防対策よりも、むしろこの医療費支払いに追われて、その負担は国民の肩にさらに多くなってきているというような点。それからまた、本来社会保障が垂直的に再分配がなされることが望ましいにもかかわらず、現実には水平分配、より所得の同じような、それからまた必ずしも高いとは言えないところに、むしろこの分配が行き渡っていないで、負担が増してきているということが言えるわけでございます。そのうちでも特に重要な問題は、今後の老齢年金のあり方でございまして、現在は積み立て方式で、二十年間あるいはそれ以上積み立てをいたしまして、一定の条件のもとに給付を受けるわけでございますが、今日のように物価が著しく上昇をする中では、むしろ賦課方式が検討されなければならない時期に来ていると思うのであります。これは、同時に、年代別の分配、それに応じますところの所得の状態の分配構造をも変えることになると思うので、賦課方式の問題をぜひ検討しなければならない、そういう時期であろうと思います。  そのほか、負担の問題から申しますと、今日、年金の積み立て金は財政投融資の一環に組み込まれておりまして、いわば郵便貯金の次に財源になっているわけでございます。そうして、そのうちの二五%が国民福祉に還元されるというワクが設定されておりますけれども、実際に積み立てている基金というものは私ども国民が出しておりますものでございますだけに、もっと福祉に還元がなされなければならないのではないだろうか。そういう意味で、社会保障、社会福祉全般に関する、いわば受益者負担を再検討して、そうしてこの再分配構造というものを念頭に置きながら、この基金のあり方というものを検討する時期であろうと思うのであります。  第四には、サービス機能、また社会福祉事業の無計画性、とりわけ、量的な不足と同時に、内容の劣悪さということを指摘したいと思います。もちろん、今度の予算でかなり部分的改善がなされたとは申しますものの、現実に身体障害者あるいは知恵おくれの子供たちの施設の需要状況に対して、充足率というのは三分の一あるいは二分の一を下回るぐらいでございます。また、寝たきり老人のかなりの方々が介護者がなく、わが家で死ぬのを待っているというような状態に対しての家庭奉仕員制度が多少は考慮されましたものの、もっと抜本的に検討され、増加されない限り、問題は処理されないのであります。そのほか、施設の職員の方々――通園、収容施設ともども、その施設の職員の方々の一人当たりの受け持ち人数、あるいは労働の強化は著しいものでございまして、おそらくこれはヨーロッパ、とりわけ福祉国家を標榜しておりますイギリス、スウェーデン等々と比べますと、その三分の一ぐらいに受け持ち人数、あるいはもっと少なく受け持ち人数をして当然であると思われますのに、現実には非常に多くの数を受け持っておられるわけであります。今日の予算でも、多少手直しがなされましたが、たとえば肢体不自由児の施設において、五人に一人というような手面しがなされましたけれども、少なくとも、いまのこの状態では、その五人に一人では手厚い介護がなされないばかりではなく、働く人々の健康自体をも破壊している。たとえば腰椎症がふえているというような点が見られるわけでございます。少なくとも、まず三人に一人ぐらいまでにはこの人数を早く減らして、そして十分な介護と同時に、施設に働く人の健康を守るということを考えていかなければならないと思うわけであります。施設の職員の方々の受け持ち人数ばかりではなく、労働時間についてもそうでありまして、今日労働基準法のもとで九時間ということでございますけれども、実際には、収容施設の場合は特に九時間以上働かざるを得ない状態でございますし、また、必ずしも九時間でいいのかどうかということには非常に問題があると思います。たとえば、老人の方々を介護する場合に、ただ世話をやくということではなく、その方々がいま何を考えているか、あるいは何を欲しているかということを、心理的に、あるいは生理的に、また、生活の上で深く理解しながら、その理解に応じて仕事をしなければならないわけでありますから、それだけに、みずからこの福祉に関する研修あるいは内容を高める学習をしなければならない。ところが、今日は、九時間働いて、しかもそれ以上実質的には働いて、そして腰椎症で結局はやめざるを得なくて去っていく、そこから大きな幾つかの問題が出てきているように思うのであります。たとえば厚生統計等を見てみましても、施設の定員を必ずしも実質の収容人員が満たしてない場合がございますけれども、それは需要がなくてそうなのではなくて、実際にこの施設の定員をフルに回転するだけの施設職員が不足しているからそうなるという例が多々見られるわけでございます。それでは、なぜ施設職員が不足をするかということになれば、今日の施設職員のあまりにもきびしい労働と、それからまた非常に乏しい賃金と、また、それらに対する改善が一向進まないことの中で、からだをこわし、失望して去っていく、あるいはまた、なりたがらないというようなことに原因があるわけで、社会保障の中で、とりわけ社会福祉サービスというものは、働き手の問題というのが最終的には最も重要なきめ手になるわけでございますから、この点について十分なやはり対策を考えなければならないと思うのであります。つまり社会福祉の量的な不足と同時に、サービス機能の条件の考慮への不足、また、それが結局は質的な問題にからまっているということを指摘したいと思うのであります。  それから日本の社会保障は、社会保障が社会保障として十分に生きてまいりますための前提が不足している。あるいはその基盤がきわめて弱いという問題がございます。御存じのとおり、社会保障の計画を進めたイギリスのビバリッジのレポートでは、前提条件として、児童手当、保険及びリハビリテーションの充実及び完全雇用政策をこの三本の柱としております。児童手当は、ようやく発足はいたしましたものの、まだまだその範囲、額の上で不十分でございますし、また、保険及びリハビリテーションは必ずしも今日積極化していない。とりわけ、リハビリテーションは、非常に質の高い施施は二、三全国の中で出てまいりましたが、本来、保障としては日常的に利用しやすい生活範囲の中にそれらが分配されていなければ充実とは言えないわけでございます。その点になりますと、リハビリテーシヨンという点は非常におくれていると言えると思います。  で、完全雇用政策の点で特に指摘をしておきたいことは、今日の定年制の問題でございます。三分の二近くの企業が定年制は五十五歳ときめておられるわけでございますが、五十五歳で定年ならば、年金もそれに合った形でなされなければなりませんし、また、年金が六十五歳ならば当然定年制は六十五歳であってしかるべきであろうと思います。その点、この定年制と年金の給付年齢というものを基本的に不一致にしているということは、それだけ失業、半失業の状態の人をふやしていることになるわけでございまして、この定年制の問題を中心とした年金給付年齢とのマッチの問題や、その他の問題がさしあたりきわめて重要な課題になると思うのであります。  以上三つの柱、あるいは社会保障の条件、基盤と同時に、それ以外に社会保障をよりよく機能させるためには幾つかの条件があると思います。  で、主要なものは、あと一つは、実質的に最低賃金制が貫いていること、つまり働く能力と意思があり、そして働いている限りにおいては、少なくとも健康で文化的な最低限度の生活が営める程度の賃金が保障されていて、その基準が、先ほど申しましたように、一方では社会保障の最低生活基準として貫くことが重要であるわけであります。つまりナショナル・ミニマムが、この賃金の上においても、賃金制の上においても、社会保障においても貫かれない限り、社会保障はどんなに部分的に改善してもその効果は弱いわけでありますが、その点において、いまだ十分な成熟が見られないという点が一つ。  それから、また、住宅政策というものが非常におくれているという点が社会保障の機能発揮でも大きなマイナスになっております。たとえば、住宅保障の中で団地政策というのが一つの柱として大きな役割りをになってきたと思いますが、今日の団地の構造では、スープのさめない距離で老齢化した父母と若夫婦とが必ずしも一緒に住めるかどうかということになりますと、構造的には非常に問題があると思います。そうして、実際には別居をして、民間アパートに、あるいはその他の住宅にこの老人だけが住んでいるか、もしくは、べったりの同居の中で人間関係に問題が起こって、そうして老人ホームへ行くかというような結果になっているわけでございます。今日の老人ホームの収容者の収容理由等を検討いたしましても、住宅政策が少なくとも老後の住宅保障として充実していれば、その三分の一か三分の二近くはこのスープのさめない距離で親族と一緒に住めたであろうと思われるケースがかなりございます。また、老人ホームそのものの施設、設備や、それからサービス機能については、これは言うまでもないことでございまして、個人のプライバシーと共同の居間と、そうして太陽に接しられるような、それだけの戸外の空間の広さというものを配慮した老人ホームが一体どれだけあるかという点等も検討しなければならないと思います。この点は、子供の場合にもそうでありまして、子供がわが家で遊べる庭を持っている住宅というのは、厚生省の調査でも全国の二割ぐらいでございます。とすれば、当然、八割の子供がいる世帯の住宅については、地域計画を念頭に置いての住宅並びに子供の遊び場計画がなされなければならないと思うのであります。要するに、今日は、わが家だけで十分な生活ができるというものはごくわずかでありまして、それだけに社会的な共同消費手段として、日常的な社会福祉諸施設なり、またその他の社会的な施設が計画的に配慮されていかなければならないわけでございます。その意味においての住宅保障、また、地域計画というものが十分ではないところから、この問題をより一そう複雑にしてきているという点が言えると思うのでございます。  そのほか、二、三指摘をしておきたいことは、一つは、地方財政と国庫財政との関係の問題でございます。今日、生活保護費の八割は国庫が負担しておりますけれども、二割は地方財政から支出されておりますが、少なくとも生活保護費に関しては、これは基本的な施策であるだけに、国庫が全額負担をすべきであろうと思われますし、需要の高まっております、たとえば保育所などの設立についても、かなり国庫が配慮をしなければならない。とりわけ、ドルショック以来の地方財政の貧困の中で、このままでまいりますと、社会福祉の面では大きな後退が見られるのではないかということが言えるわけでございます。  そのほか、いろいろございますけれども、要するに、現在のこの社会保障の状態を考えてみますと、今日の予算との対応でそれを考えてみますと、国民の生活問題を全面的に把握し、その生涯の最低生活を実質的に保障していく、そういう計画性あるいは積極性にきわめて弱いのではないかということを感じるわけでございます。もし、福祉予算というならば、あるいは福祉に重点を置くというならば、抜本的にやはり国民生活の全面的な状況把握に立っての計画化、検討が何よりも急いでなされなければならないはずだと思います。そして、その具体的な条件が何であるかということの検討も、ともにあわさって総合的な施策がとられなければならないと思うのであります。  なお、その点におきまして、幾つかの審議会がございますけれども、社会保障制度審議会の答申が必ずしも十分考慮されていないという点もございますし、また、社会福祉関係の審議会においては、もっと、現場の働いている、じかに問題を持っている人々と接しておられる方々の声を聞く機会をとるような方向、いわば審議会の民主化、公開あるいは公聴会等の活発化ということがぜひ必要であろうと思われます。  と同時に、一般に社会福祉、社会保障と申しますと、厚生行政のワク組みの中だけでとらえられがちでございますが、先ほど申しましたように、定年制の問題あるいは住宅あるいは地域計画の問題などなど、たとえば建設省その他とも関係がきわめて深い問題でございます。むしろ、これは厚生行政のワク組みだけの問題ではなく、全面的に各行政官庁のチームが組まれた上で、問題が煮詰まって検討され、計画化への方向が急がれなければならないものであろうかと思います。  そういう点等を考えて、四十七年度の予算についての所感を最後にもう一度申し上げるならば、部分的な改善においては見るべきものがございました。たとえば老人医療の無料化や、あるいは施設における受け持ち人数の多少の減少等々でございます。しかし、それらを、より効果あらしめるためには、そうして全体的な、全面的な福祉の充実をはかるためには、計画化を積極化し、その条件とともに、具体的な施策を抜本的に考え直した上でやらない限り、それはきわめてわずかな意味しか持たないのではないかということでございます。  以上で私の公述を終わりたいと存じます。(拍手)

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) どうもありがとうございました。     ―――――――――――――

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) それでは、公述人の方に御質疑のある方は、順次御発言を願います。

杉原一雄日本社会党

○杉原一雄君 鎌倉先生にお伺いしたいんです。  きのう、下村先生の公述を聞いたので、先生とは全く相反するような見解というふうにぼくは大まかにとりました。  そこで、公債とかその他の問題をお聞きするところをとりやめて、地方財政の問題ですね。国家財政が今日的なような仕組みである状況下において、地方財政はますます危機が迫っていると、こういうふうに私は前提として持っておるわけですが、この間、地方財政白書が、昭和四十五年度分でございましたが、発表されましたが、この中でも、地方財政のあり方として、あるいは自主財源の活用だとか、地方財源の安定をはかるとか、地方債の活用――先ほどの先生のお話によると、ことしは一・七兆円ということなんですが、四番目には資源・財源配分の適正化、五番目には財政の計画的運営と広域行政の推進、そのほか財政秩序の確立とか、地方公営企業対策などなど、一応は問題点を列記しておりますけれども、今日直面いたしております地方財政を、どうこれを国家の財政対策として進めるかということについては、私、きわめて具体性が欠けていると思うのであります。ここでわれわれは、国と地方自治体との役割りとか、費用の公正な分担関係等について大きくメスを入れるべきだというふうに実は考えているわけですが、とりあえず非常にお困りになっている地方自治体の首長の皆さんに、今後の地方財政のあり方として、先生のいまの財政論から展開していった場合に、あるいは地方債をもっと取れとか、増税をせよとか、新しい税源をこういう方法で取ったらどうだとか、いろいろな意見が出てくると思いますが、あまり、とっさでございますけれども、いかにしてこの地方財政のピンチを脱却するかということで、先生の提案があれば、お聞きしたいと実は思っているわけであります。

鎌倉孝夫埼玉大学助教授

○公述人(鎌倉孝夫君) 具体的にどうすればいいかという具体的な考えは持っておりませんが、問題としてとらえていかなければならないのは、地方財政が、なぜ貧困で危機におちいるのかというその原因を、われわれはもっと追及していかなければならないのではないかという点であろうと思うのです。特に、地方財政というのは、その地域における住民の生活にとりわけ必要な諸事業を行なっていかなければならないと、こういう任務を持っているわけでありますが、それだけでなく、今日地方財政に負わされているところの、いわば国家的な事業の下請的な行政、この点が非常にたいへんな負担になっているということ、このことをとらえていかなければならないと思うわけです。特に、たとえば全国縦貫道路の建設にしても、こういう形で、いわば全国的な行政というものが非常に地方財政に対する負担を増加しているということ、それからまた、全国的になされていかなければならないナショナル・ミニマムといいますか、その事業を行なっていくために、国の補助金というものがやはり決定的に低い、少ないという点から、地方財政に対する負担がそれだけたくさんかかってきているわけであります。でありますから、このような地方財政に対する負担、これをどういうふうに改めていくのかということをわれわれは考えなければならないわけです。もちろん、地方財政に対しては、福祉重点ということが言われるならば、全国的ないわばナショナル・ミニマムを備える行政というものが絶対に必要ですし、貧困県においては、貧困地方においては、それだけ金が必要になってくるわけでありますが、こういうものは全国的な調整作用というものが行なわれなければならない。何よりも、国の、いわば国庫からの支出というものをやはり増加させていくという形を通して地方財政の危機を救っていくということが基本的な方向になるのではなかろうか。ただ、そのときに、いわば地方における住民の生活を高める、あるいは守っていくということが基本でありまして、全国的な、たとえば公共事業、全国的規模にわたる形での事業が展開され、それが地方に対して負担を引き起こし、そういう形で国が地方に対して金を回していったとしても、地方財政における基本的な改革ということにはならないのではないだろうか。非常に抽象的な答えでありますけれども、以上をもってお答えといたしたいと思います。

山本敬三郎自由民主党

○山本敬三郎君 鎌倉先生にお伺いしたいと思います。  先生のお話を承っておりますと、きわめて論理一貫した考え方であろうと思います。その中心になる問題は、四十七年度予算が、公債を中心としてインフレと結びつく、こういう考え方が一つ、それからビッグビジネス中心主義であるという考えが一つ、この二つであろうと思います。  そこで、二、三点お伺いしたいのでありますが、ただいまの日本経済の現状において不況回復のためにポリシーミックスを使っていくということは、イデオロギーを越えたコンセンサスと言うべきではなかろうか。たとえば、近代財政学において追求すべき政策目的の一つは、やっぱり経済の成長の中で完全雇用を実現する、これが最大の問題ではないか、こう考えるわけです。したがって、イデオロギーを抜いて、いまの日本の置かれた国内的な経済の運営の軌道修正、あるいは国際的な均衡を保つためにも、ポリシーミックスを活用するということは不可避ではなかろうか、こう考えるわけでありますが、その点についていかにお考えですか。  第二番目には、公債を発行する、それは直ちにインフレにつながる。日本の経済においては、WPIは安定しているけれども、CPIは非常に上がっていく、実はここに問題がある。その問題の中心は何かというと、やはり国民の中に二千万人近く低生産性部門で働いている人たちがおる、その人たちは、経済が成長する中で、賃金の平準化作用が行なわれぬ限り、価格に転嫁できないような形のままに残されている。実はこれから私たちが追求すべきものは、その低生産性部門を、どう摩擦少なく生産性が上がる側に変えていくかということであり、また、日本の経済の成長の可能性のあるのは、西ドイツと違って、低生産性部門があるから生産性向上の可能性があり、そのゆえに実は経済のさらに成長の可能性があるのだと、こうも考えられるわけであります。したがって、公債発行直ちにインフレというふうにきめつけるのは、少し分析不十分ではなかろうかという気がするわけですが、この点についてお伺いをしたい、こういう点であります。  それから第三点は、日本経済の置かれた基本的な条件、それは、狭い国土に資源が少なくて、そして人口が多いわけであります。イデオロギーを越えて、私たち日本は、やはり重化学工業に移行せざるを得ない必然性を持っていたのではないでしょうか。この重化学工業に移行するのに、現在の資本主義を前提にいたします限り、私たちはビッグビジネス中心主義であるのも、やっぱりそれはやむを得ない点があったのは事実だ。たとえば、先ほどおっしゃった中に、重化学工業中心の中で、もちろん不況カルテルを結んで不当に価格つり上げをするというようなことは厳に戒むべきであると思いますけれども、やっぱり、雇用を吸収したり、日本経済を発展させたりするもとは、加工貿易でいかざるを得ない限り、やむを得なかったのではなかろうか、この点についての先生の考え方をひとつお伺いしたい。  それからもう一つの問題は、日本の経済が成長する限り、マネーサプライの点で問題を考えてまいりますと、日本銀行のオーバーローンということは不可能でもありましょうし、またやってはいけない性質のものだ。そうすると、続いて外為会計から円資金が流れ出される、これも、国際的に輸出がこのまま無際限に続くわけもありませんし、したがって、これも、とまってくるとしたならば、成長通貨をまかなう意味においての公債発行、そういう考え方も成り立ち得るのではないでしょうか。それについての考えを承りたい。  以上、四点でございます。

鎌倉孝夫埼玉大学助教授

○公述人(鎌倉孝夫君) いろいろ重要な経済問題について御質問を受けたわけでありますが、まず、ポリシーミックスを通した完全雇用の実現ということがナショナル・コンセンサスというふうに言えるのではなかろうかと、こういう御意見についてであります。確かに、ポリシーミックス――まあ財政金融政策全体を通して、今日の状態のもとで完全雇用が実現されるという政策をとる方向が出ていることは確かですし、その点は私も異論はないわけでありますが、はたして現実に完全雇用という形での政策がとられているであろうか。特に、いまの国際的な経済の緊張、その中で置かれた日本の経済の状態を考えるときに、完全雇用というものが、はたして行なわれ得ているのか、あるいは行なわれる条件があるんであろかという問題を考える必要があろうかと思うわけです。昨年来のドル・ショックあるいはさらに年末の円切り上げというものを通して、やはり企業がいかなる対応をしていったのかということを客観的にとらえてみるときに、一つは、やはりコストを切り下げる、対外的競争力をさらに強めていくために、いわゆる合理化、生産性向上を展開していったわけであります。それによって、実質的に雇用されている労働者の数も、統計をとってみてもわかるように、漸次減少を示しつつあるということになっております。失業統計の中における完全失業者はほとんどふえてはおりませんけれども、やはり合理化の推進に伴う雇用量の削減という問題、これが現実に引き起こされていることは確かであります。こういった対応のしかたがなぜ行なわれるのか、その点を私は十分考えていかなければならないのではなかろうか、こういった点をポリシーミックスによって、はたして実現し得ることなんであろうかということが疑問に思われるわけであります。これが一つ。  第二点につきましては、公債発行が直ちにインフレをもたらすというふうにとらえるのは少し分析不足ではなかろうかと、こういう御意見と思いますが、私も、公債発行が直ちにインフレをもたらすというふうに、直ちにそういう形でとらえているわけではありません。公債一発行が、直接には民間金融機関に引き受けられるという限りにおいては、資金量の増加を直接引き起こすわけではありません。しかし、民間金融機関からの貸し付けにかわって、政府がそれだけの財政支出を確実に増加していくということになるわけでありまして、貸し付け、それによる設備投資の増大と、こういう方向ではなく、滞貨に対する需要を政府が与えていく、こういう形になります。それによって、私が先ほど申し上げましたのは、下がるべき価格が下げどめされるということであります。そして、一九三〇年代における教訓は、高橋大蔵大臣、高橋財政の特徴だと言っていいと思うのですが、金融機関に余裕資金がある場合には、公債が金融機関に引き受けられる、その限りでは直接インフレの拡大ということは引き起こされなかったんですが、こういった公債発行政策を通して企業の生産が拡大していって、そして資金需要が増加していきますと、当然、金融機関における資金の供給不足があらわれてきます。そうなりますと、引き受けた公債は、中央銀行、日本銀行に売られる、日本銀行によって買い取られると、こういう形を引き起こしていきます。今日におきましても、長期国債の約三十数%が日本銀行によって引き受けられております。その限りにおきましては、確実に通貨の増発が引き起こされているわけであります。問題は、公債発行による生産の回復、それによって金融機関における資金の逼迫が引き起こされてきますと、公債発行を続ける限りにおいては、それが日本銀行引き受け、通貨の増発というメカニズムを通して確実にインフレをもたらしていくということを考えていかなければならないと……。

山本敬三郎自由民主党

○山本敬三郎君 WPI、CPI。

鎌倉孝夫埼玉大学助教授

○公述人(鎌倉孝夫君) はい。そして、問題は、現在の物価問題については、消費者物価は非常に上昇しておりますが、卸売り物価については、むしろ若干不況の影響もありまして下降している、こういう状態でありますが、その点についてどういうふうに考えるのか、こういう問題が質問の問題だと思いますが、これは、御質問の中にありましたように、日本においては特に中小零細企業あるいは農業部面、これが依然非常に多く存在しておりまして、その中での生産性が低いということが、特に中小零細企業、農業製品の比重の多い消費者物価の上昇というものを引き起こしていると言っていいと思います。しかし、問題なのは、特に大企業製品においては、生産性の上昇が年々二〇%以上にも達している、生産性が上昇するということは、それだけ商品のいわゆる価値量――貨幣価値をいま不変と前提いたしますと、価値量をそれだけ切り下げることを意味するわけでありますが、ところが、先ほど私が指摘してきましたような、いわゆる管理価格による支配を通して、本来下がるべき価格を下げない、それだけ、いわば利潤の幅が大きくなるわけでありますが、このやり方をとっております。しかし、生産性がそれだけ伸びておりますから、価格は本来ならばもっと下がるべきところなんですが、比較的下げどめされる、いわば下方硬直的に価格が維持されるという状態を引き起こしています。実は問題はそこにあるわけでありまして、本来価値の水準からいうならばもっと下がることができる、その商品の価値が、いま言いました価格支配力を通して下げどめされている、下がるべきところがほとんど下がらない、こういう状態になっている。しかも、それを財政金融政策を通して、むしろ価格の下方硬直性を維持している。このことが回り回って低生産性部門における激しい物価上昇を引き起こしてしまうというふうにとらえなければならないと思うわけです。したがいまして、こういった物価上昇の問題を抜本的に改革していくという課題を考えたときには、一つは、下がるべきはずの価格を下げどめしているところの価格支配力の強い企業のその生産価格をもっと下げるべきである。それだけ、そういった大企業における成長がおそくなります。そういった形で浮いた金を、そういうところに金を回すというものを比較的やめていって、そのかわりに、低生産性部門に、近代化融資というような形で――いまでも若干融資が行なわれておりますけれども、もっと抜本的な形で金をつぎ込んでいく、低生産性部門を吸い上げ、生産性を高めていく、この両方の政策を展開していかないことには、なかなか物価問題というものは解消していくことができないのではなかろうかと、私はそういうふうに考えるわけであります。  で、この物価問題については、そのほかいろいろの問題がありまして、たとえば、いわゆる賃金上昇が原因となって物価の上昇が引き起こされるのではないかという、コストインフレ論というものもありますが、私は、日本においてはコストインフレ論というのは妥当しない――日本においてはというか、理論的に言いまして、コストインフレ論というものは妥当しない理論ではないかというふうにも思っております。まあ、それはそれだけにしておきたいと思いますが……。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) まことにおそれ入りますけれども、次にまだ御質問の方がたくさんいらっしゃいますから、ひとつよろしくお願いいたします。

鎌倉孝夫埼玉大学助教授

○公述人(鎌倉孝夫君) はい。  三点といたしまして、日本経済の置かれた条件、資源が非常に少ないということを考えれば、重化学工業を中心に経済の発展をしていかなければならない必要性があったのではないかと、こういうお考えでありますが、計画的にそういう事態が引き起こされていったのかというと、私はそうは言えないと思うのです。国際的な、特にアメリカ経済との関連――戦後の特有な関連を通して技術導入が行なわれ、資金の借り入れが行なわれ、またたくうちに重化学工業が展開されていったということだったと思うんです。問題なのは、その重化学工業の生産力が、日本の国民が必要とする以上の、あまりにも巨大な規模で拡大し過ぎている。つまり、国内市場、国内需要を上回る生産力過剰というものが引き起こされているんだと。このことが輸出拡大というものをそれだけ行なっていかなければならないということを引き起こしたし、国際的な緊張関係を引き起こしていった一つの大きな原因だと考えなければならないと思うんです。そして、いわゆる資源の不足ということも、国内市場をそんなに上回るほどの過度な生産力ができてしまったので、それだけ輸出が必要だし、そしてまた、そういった生産力を稼働させるためにもそれだけ資源が必要になっているということだと言っていい。こういった事態、これはやはり、非常にアンバランスなほどの重化学工業の成長に基因するものと考えなければならない。したがって、こういった事態を改めて、むしろ、たとえば国民の消費水準を拡大していくような施策がもしとられたとするならば、そうすれば、それだけ輸出依存度も減少いたしますし、したがってまた、輸入資源に依存する度合いも現在よりは確実に少なくなると考えることができると思います。  最後に、第四番目、経済成長を展開していく限り、この成長通貨を公債によってまかなう必要があるのではないかと、こういう御意見でありますが、問題なのは、いままで展開されてきた経済成長というものが、やはりビッグビジネスを中心とした生産力の膨張のために成長通貨が供給され、それがまた生産力を過度に膨張させてきた、このような大企業中心主義の経済運営のしかたを今後も続けていくのであれば、結局、その成長を実現していくためにそれだけ生産力が過度に膨張していくわけでありますから、それを吸収していくためには、おそらく公債発行を通した、公債による成長通貨の増発が必要になっていくと思います。しかし、これでは歴史的な転換期に相応した経済の転換ということは行なわれ得ないし、そしてまた、いままで行なってきたやり方と基本的に何ら変わるところがない。こういったやり方がどういうふうに国民生活をほんとうに高めていくようなやり方に転換され得るであろうかと、この点を私はもっと考えていかなければならない。成長という問題もその点を基準にしてとらえ直す必要があるのではないだろうか、こういうふうに考えて意見を述べたわけであります。

鈴木一弘公明党

○鈴木一弘君 一番瀬公述人にお伺いしたいんですが、社会保障制度の乱立、それを一本化しろと、それは私どもも賛成でございます。はっきり申し上げて、その中でいま一番大きな問題になるのは労齢年金の問題だと。先ほど積み立て方式から賦課方式へと、私どももその主張をやってきたわけでありますけれども、その賦課方式にはなかなか――いままでの政府の答弁は、老人の人口が二〇%をこえたらというような、そういうような考え方があるようであります。われわれは、すぐこれは実施したほうがいいと思っておりますが、いまの積み立て方式から移行していく際の問題がいろいろあろうと思います。財源の問題もありますし、いままでの積み立て金をどうするかという問題、こういうことがあるんでありますが、その点についての御意見がございましたら、移行の方法でございますが、お伺いいたしたいと思います。  それからいま一つは、定年制に関連しまして、年金制と定年制の問題でお話がありました。すでに、フランスだと思いましたけれども、労働組合の主張で定年を引き下げろというのがいま要求になってきております。これは年金制度が確立されているということから来ているんだと思います。そういう点からも、一体若くして定年が来て、あといわゆる生活が年金で保障されるという形がいいのか、あるいは選択ができて――若くて定年が来るかもしれませんが、選択ができてずっといけると、まだ働けるうちは働けると、こういうほうがいいのか、この点も一つの問題であると思いますので、その点についてお伺いしたいと思います。  時間がありませんので、以上二点だけお伺いいたします。

一番瀬康子日本女子大学教授

○公述人(一番瀬康子君) 最初の御質問に、まずお答えいたします。  積み立て方式から賦課方式への移行の過渡的な措置をどういうふうに考えるかということでございますが、具体的にまだ十分研究をしておりません。その点で多少抽象的なお答えになるかと思いますが、私は、とにかくいまの年金の給付額というのはあまりにも低過ぎて、そうしてそれ自体、生活保障としては全く意味を持っていないという意味で、積み立ててきたものの還元を第一にやはり考えた上で賦課方式への移行ということが望ましいのではないだろうかというふうに思っております。  それから定年制についてでございますが、結論から申しますならば、私は、一定の年齢以上になりましたら、年金かあるいは職を続けるかということが選択できるという余地があることのほうが望ましいと思います。かなり老齢化ということには個人差もありますし、また、職務によっての希望の度合いもあるかと思うので、そういう生きがいの問題等も含めて考えますならば、一定の年齢、たとえば六十歳になったら、年金を受ける者とそれ以後も働き続ける者と、そうして定年六十八歳ぐらいというような、あるいは七十歳ぐらいというような、そういう形の定年制と年金の関係が望ましいのではないかというふうに思っております。

中沢伊登子民社党

○中沢伊登子君 一番瀬先生に社会保障の問題で二点お尋ねをいたします。  それは、私どももかねがね主張してきたことですけれども、先ほどの心身障害児の施設あるいは寝たきり老人の介護者、この二つの問題ですけれども、心身障害児の施設に働く人たち、これは当然若い人のほうがいいと私どもも考えておりますが、その中で、過重労働をやめさせる、あるいは待遇改善をさせる、あるいはまた身分保障をする、こういうようなことを私どももかねがね申してはまいりましたけれども、そういうことをやってみて、その上でなおかつ、いまの世相の中で、若い人たちに心身障害児の施設で本気になって働いていただけるものかどうか、先ほど先生のお話もありましたので――厚生施設の問題も含めてでございますけれども、女であるがために、若い婦人であるがために、かっこうのいい仕事をせずに、こういうところで、中には必ずなおるというような保証もない人、子供たち、そういう人たちの大小便の世話から食べることから、そういうことに明け暮れ働いてくださるような若い人たちがあるかどうか、得られるかどうか、ちょうど一番瀬先生は学校の先生でいらっしゃるから、若い人たちに接していらっしゃるから、その点をひとつお伺いをしたいと思います。それから今度、寝たきり老人の場合は、これは若い人では私は無理だと思いますが、これも介護者となれば、やっぱり婦人の仕事だと思います。そうなりますと、家庭の婦人よりも、むしろ、あるいはだんなさんと別れた方とか、未亡人になった方とか、そういう方で働かれる人が多いのではないかと思います。この点で、そういう人が得られるものかどうか、この点がいつも問題になるわけですけれども、その点を、二点お伺いをしたいと思います。

一番瀬康子日本女子大学教授

○公述人(一番瀬康子君) 最初の問題にお答えしたいと思います。  最近の若い人あるいは学生の傾向の中には、必ずしも収入が非常に高くなくても、むしろ生きがいのある職場を求めるという傾向が非常に強くあると思います。そういう点、生きがいを求めて社会福祉に職を求めていくわけでありますけれども、先ほど申しましたような条件の中で、心身ともに疲労しきって去っていくわけであります。そういう意味で、私は、条件を改善することが何よりも先決問題であろうと思うわけで、とりわけ、その条件の中で、福祉の場合には、どうしても婦人労働者が多くなりますので、結婚しても、なおその職場が続けられるような条件を、基礎的な条件にさらに加えて考えていかなければならないと思います。具体的には、二十四時間収容施設で、全くその施設の中に住み切りというのが必ずしもいいかどうかという点で問題があると思います。たとえば、その収容施設から多少離れたところで住んで、通いながら、なおやれるような、そういう保母さん、寮母さんの人数とシステムを考えてやるとか、あるいは施設の近所に、いわば住居を保証して、そして、いざというときにはその施設へかけつけられるような、そういう条件も配慮しつつ、とにかく、生涯生きがいのある職場としてつとめられるだけの各種の条件をそろえれば私は成り立つ、あるいは改善されていくというふうに考えております。  それから、いま一つの、寝たきり老人の介護の問題でありますけれども、御指摘のとおり、この介護には婦人が適することは言うまでもないわけで、とりわけ、家庭の経験、家庭生活の主婦としての経験を何年か積み重ねた人はかなり有効な働きができる職場であろうと思います。ところが、そこでやはり現在ネックとなっているものは、家庭奉仕員制度そのものが、必ずしも常勤職員として、そして身分を安定した形で全国で雇用されていないという問題が一つと、それから、家庭奉仕員であっても、その奉仕の中身というのは、寝たきり老人の方々の生理的、心理的または社会的な諸状況を十分理解した上で、その方々の立場に立っての介護がなされなければ意味がないわけでございます。そういう意味では、これはすぐれた専門的な知識と技能をやはり必要とする職種でございまして、そのための養成機関というものを私はやはり計画的に今度考えていく必要があるように思います。家庭奉仕員あるいは家政婦養成所のようなシステムもございますけれども、現在の家政婦養成所は労働省管轄で、そして、どちらかというと大企業の社員の方々が困られたときの、いわば家庭のヘルプをしているわけでありまして、私は、むしろ急がれていかなければならないのは、先ほど申しましたように、福祉の領域においての介護員の計画的な養成と、それから身分、条件の安定をはかっての配置であろうというふうに思っております。

竹田四郎日本社会党

○竹田四郎君 鎌倉先生にお願いをしたいと思いますが、現実に公債が発行されているという事態になったわけですが、しかし、今日の事態というのは、昭和四十一年度の予算でも大体今日と同じような様相であったのです。こういうふうに思うのですけれども、その時代にも、たいへんいいことばが実は、はやったわけでありまして、財政主導型の財政経済にするんだということばが、財政新時代ということばと一緒に、その当時は、はやったわけでありますけれども、現実には、一年たってしまいますと、民間設備主導型という形になって、いままで、かつて見られない経済の高度成長が出てまいりました。それが一方では、過密、過疎という問題を引き起こし、公害を引き起こし、物価騰貴を引き起こすという形になったわけでありまして、片方では国際収支の黒字基調というものを定着させたということなんですが、どうも今度の場合も、このような形で公債政策によって赤字分を埋めていくということで、公債政策による景気浮揚と資源の再配分ということばを非常に使っているわけでありますけれども、景気浮揚には、確かに、ある程度効用があるようにも思いますけれども、実際、資源の再配分という形で、はたしてこの公債政策というものが使われていくかどうかということについては、たいへん私は危惧を持っているわけです。この前と同じような形で、また民間設備の主導型という形になっていく可能性が非常に多いというふうに思うわけですが、もし、ほんとうに資源配分という形でいくという形であれば、何らかの形で私は歯どめ的なものが必要じゃないだろうか。たとえば、財政構造のあり方というものをはっきりときめていくとか、あるいは資金配分をどうしていくかというようなことをしなくちゃいけないだろうと、こう思うんですが、一体その辺は、適切な資源配分を定着さしていくような財政政策というようなものがあるのかどうなのか、どうしてもそういうものを何かつくっていかなくちゃいけない、こういうふうに思うわけです。  それから第二点目は、公共料金の問題でありますけれども、公共料金がなぜ上がっていくのかということでありますが、これは、公共事業関係を見ていきますと、どうも産業基盤整備のほうには税金を使っていく、生活環境整備のほうには、税金でなしに、むしろ財投のほうの割合が多い。そうして、しかも非常に投資が多くなるし、したがって減価償却が高まってくる、利子が高まる、あるいは企業独算制あるいは企業会計制度というものが積極的に導入されてくるということになると、公共料金というのはもう上がらざるを得ない。受益者負担というのはどんどん進んでいかざるを得ない。そういうふうに考えますと、実は、今度の予算というものは、公共料金を引き下げるものじゃなくて、受益者負担をさらに進めていくような予算ではないだろうか、こういうふうに思うのですが、こうした公共料金を上げさせないというためにはどうしたらいいか、これも一つの歯どめが必要だろう、こういうふうに思うのですが、その辺の御見解を承りたいと思います。  それから一番瀬先生にお伺いしたいと思いますことは、実は、社会福祉なり社会保障というものは、国の側から出るんじゃなくて、むしろ市町村のほうから出て、そして国があと追いをしているというのが実は現状だろうと思うのです。しかし、この過密、過疎あるいは都市問題という中で、市町村というのは、金があろうがなかろうが、困った人を前にしては何らかの形で手を打たざるを得ない。しかし、財源的に見ますと、非常に地方の財源というのは少なくなっている、交付税があるといっても、その交付税というものは、その算定基礎の面から見ますと、非常におくれた昔の状態を基準にして計算をしているということでありますから、この辺も交付税として交付されるものは少なくなってきている。こういうふうになりますと、何らか、そういう当面の国の制度にまだ熟していないようなものを地域で取り上げなくちゃならない、そのための財源というのは何らかの形で考えなければ、地方財政というのはますますまいっていってしまうんじゃないだろうか、あるいは社会福祉というものを犠牲にせざるを得ないんじゃないか。社会福祉と地方財政の立場からいって、今日の地方財源のあり方なり、あるいは地方財政計画のあり方なり、何らかその辺でひとつ御意見を聞かしていただければ幸いだと思いますが、以上三問についてお伺いしたいと思います。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) では、鎌倉公述人からお願いします。

鎌倉孝夫埼玉大学助教授

○公述人(鎌倉孝夫君) 公債が、不況対策ということばかりでなく、資源再配分という問題にねらいがあるのではないか、その点で適切に資源配分を定着させるものがあるかどうかという御質問でありますが、問題は、資源配分ということが一体どういう内容を持っているのかということだと思うんです。その点で、御質問の前提にありました昭和四十一年度以降の公債発行、これが当初は財政主導型でありながら、結局、民間主導型に移ってきた、その結果として種々の経済問題を引き起こしていったわけでありますが、そのことがまた今後同じように引き起こされるんじゃないかということになれば、計画的な資源配分という問題は実現し得ないんじゃないかと、こういうお考えがあると思うわけです。私は、基本的には、結局そうなるのではないかと思うのですが、ただ、昭和三十年代における高度成長が、いうところのいわゆる民間設備主導型の成長であったのに対して、昭和四十年代における経済成長というのは、かなり質的に転換が来ているということを明らかにしなければならないんじゃないかと思います。つまり、四十年来における成長というのは、確かに形の上では民間設備型になっておりますけれども、それは三十年来と比べますと、やはり一つは財政需要の増加が必要不可欠ですし、もう一つは輸出の増大、輸出がやはり必要不可欠になってきている。その意味では、つまり投資が投資を呼ぶという形での、いわば内政的な発展ではなくて、すでに生産力に対して外的な需要の増大ということが必要不可欠になってきているということが一つ。そして、今年度以降の公債発行のもたらす問題を考えるときに、一つは、この輸出増大という問題が大きな壁にぶつかり、対外的な緊張、経済対立を引き起こしてきているわけでありまして、この点から、いわゆる秩序ある輸出の増大であるとか、あるいは輸入転換にはかる必要のある産業については輸入転換をはかっていく必要があるのだと、こういう、いわゆる産業調整政策が展開されていくであろうという点であります。でありますから、単に民間設備投資主導型の経済発展になるというのではなく、むしろ、財政拡大、まあ公債発行を通した財政支出の拡大を通して、一つは不況対策、いままでの大企業優先型の政策が維持されていくと思いますけれども、その中に、産業調整政策にあるように、たとえば知識集約型の産業を重点的に育成し発展させていく、輸入転換にはかる必要のある産業はいわば輸入転換にはかっていき、国内産業としては調整し、むしろ整理していくと、こういう、ある意味では大きな合理化、日本全体の産業合理化というものが、より強められ、進められていくであろうということ、その点が公債発行の一つの大きなねらいになっていることも、また確かだろうと思います。問題なのは、こういったいわば産業全体の合理化が、われわれ国民にとって一体どういう意味を持っているのかということを基準にして判断していくべきことではなかろうかというふうに思うわけであります。  第二点についてでありますが、公共料金値上げの原因について、私は、一つは、いま御質問にありましたように、生活基盤に対する財政支出は、投融資、特に融資の利子負担が加えられるものが多いという点が一つの大きな問題だと言っていいと思いますけれども、もう一つは、やはり私が強調してまいりました、いわゆるインフレ的な財政支出のメカニズム、これが全体としての原材料費あるいは労賃を引き上げる、これがコストの上昇を引き起こしてくるという点が一つと、それからもう一つ、独立採算制によっては十分行ない得ないようないろいろな事業、これを独立採算制という形で行なうようにされているという点、たとえば下水道についても、種々の公共事業というのは大体そうだろうと私は思うのですけれども、独立採算制ではほとんど無理であるのを独立採算制でやられているという点、こういう点が、公共料金値上げ、受益者負担という形で大衆の負担に転嫁されてきている大きな原因ではないだろうかというふうに考えるわけであります。したがいまして、この公共料金値上げを起こさせないためにいかなる方策が必要なのかということでありますが、以上の原因を確認できますということになりますと、公共料金値上げを押えていくためには、一つは、国の財政の根本的なやり方、インフレ的な財政のやり方、これを変えていかなければならないだろうし、もう一つは、はたして国民生活に必要不可欠な事業について独立採算制という形で行ない得るものかどうか、その辺を根本的に変えていく必要があるのではないだろうか、こういうふうに考えるわけです。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) では、一番瀬公述人お願いいたします。

一番瀬康子日本女子大学教授

○公述人(一番瀬康子君) 社会福祉と地方財政計画との関係の問題でございますが、私は、社会保障、社会福祉の中で直接的な、いわば貨幣による所得保障、そうしてまた、より基本的あるいは国民の全般にかかわるものというのは、当然、ナショナル・ミニマムの線に沿って、国庫補助で、国庫が保障すべきものであろうと思います。その点が、国が保障すべきものと地方財政でまかなうべきものとが非常に混乱しているというのを、現在の財政保障の中でとらえられることができると思うので、具体的には生活保護費等でありますが、福祉の出発点になり、最も基本的な施策の一つである生活保護費等は、当然これは全額国庫が保障する、そうして、地方自治体においては、むしろ先ほど御指摘の、非常に先駆的な、あるいはその地方地方でどうしても独自に構想を練ってやらなければならない、そういう性格のものを地方財政でまかなう、というふうに整理をしていく必要があるかと思います。そういう意味で、今日、地方財政の問題は、もちろんそれ以前に、先ほど御指摘の交付税の問題等がございますが、社会保障財政そのものの中でナショナル・ミニマムとして国が保障しなければならないものと、地方がその地方のいろいろな性格に基づいて先駆的にやらなければならないものとの、この計画的な区分けができていない。そうして、その区分けができていないために、結局今日のように地方財政に非常にしわ寄せが来ると同時に、地方地方でたいへんなやはり問題をかかえて困っているという状態にならざるを得ないのであろうと思います。そういうことや、なお施設の問題については土地政策との関係というのが非常に大きいわけでございまして、現実に施設をつくる場合に、どこにつくるかということは福祉の内容にも関係のあることだと思います。あまりにも人里離れたところに施設をつくるということは、結局、結果的には、施設に入っている人々を一般の市民から分断する、あるいは断ち切った形になってしまう。そういう点におきましても、地方財政と土地政策あるいは国有地の還元との関係というものが、もっと検討されていいと思います。  以上でございます。

松井誠日本社会党

○松井誠君 鎌倉先生に二点お伺いをしたいと思います。  先ほど先生は、四次防における技術開発投資のことをおっしゃったわけですが、この技術開発投資というのが、いまもちょっとお話に出ましたけれども、知識集約型産業の技術開発と相当共通する部面があるんじゃないか。そういう意味で、産軍癒着のことをひとつお聞きをしたいのですが、この間も、防衛庁長官が、三菱重工の軍需生産というのは四%ぐらいだということを言っておりましたけれども、そういう意味では、比重は少ないけれども、しかし、将来のリーディング・インダストリーとしての知識集約型産業、それの技術開発と四次防の技術開発とが共通する部面がある。そういうことから、産軍癒着というか、あるいは産軍政癒着というか、そういうものが出てくる経済的な基礎があるという議論があるわけでありますけれども、その点について御意見を伺いたいというのが一点。  もう一点は、現在の不況の性格。四十年不況のときも、構造的か循環性かということで争われましたけれども、案外早く立ち直ったわけです。私がお聞きをするのは、現在の景気浮揚対策がどう対応すべきかということとも関連があるものですから、お尋ねをしたいのでありますけれども、あのときにも構造的な不況論があって、本来なら、過剰な生産設備というものは恐慌で破壊をされてという形になるのに、管理通貨制度のおかげで、恐慌を解除して、いまその矛盾がむしろ大きく出てきたという、あるいは考え方があり得るかと思うんですが、そこへ、今度は新しくドル・ショックという妙なやつが一つくっついてきたものですから、非常に性格がわかりにくくなってきたわけです。ある考え方によれば、去年六、七月ごろ、一応構造的な不況、あるいは循環性の不況というものは終わって、あとでドル・ショックというのが新しく一いわば、そこで中断をして、ドル・ショックという新しい不況が独立の形で出てきたという考え方もあるようですし、あるいは、現在不況というものは二重写しになっているという考え方もあるようですが、ドル・ショックというのは、われわれの常識で考えるというと、輸出不振という形で現実にはあらわれてくると思っておったわけです。しかし、実際にはそうはなっていない。これは大企業の製品だけでなくて、中小企業の製品さえも、伸び率は多少鈍ってきましても、依然として、やっぱり輸出の増勢はとまらないわけです。しかし、中小企業の製品というのは、競争力が強くて輸出が依然として伸びておるというよりも、実は、現地へ行ってみますというと、下請した、またその下請にしわ寄せをしたおかげで、どうにか競争力を保っておるという意味で、だから、大企業がまだ競争力の余力を持っているというのとは少し違うと思うんです。そういう意味で、ドル・ショックが、かりにほんとうにあるとすれば、やっぱり輸出関連の中小企業じゃないかと思うんですが、それに対する景気浮揚対策というものは非常に少ない。もっぱら公共事業重点。そうしますと、建設業を中心としたそういうものに直接にはいきますけれども、しかし、現在ほんとうに、ドル・ショックならドル・ショックで弱っておる輸出関連中小企業に対する景気浮揚対策というものは必ずしも十分ではない。そういう困っておる企業に対する景気浮揚というものとは多少ずれた景気対策が行なわれておるような感じもするわけであります。そういう感じもありまして、現在の不況の性格、見通しも含めて、そして、それと現在とられておる景気対策とのズレがある。そういうことも含めて教えていただきたいと思います。

鎌倉孝夫埼玉大学助教授

○公述人(鎌倉孝夫君) 第一点の、四次防が技術開発投資に非常に重点が置かれているということ、その点が、知識集約型産業の育成拡大という点と関連し、いわゆる産軍依存というものが進むんではないかということでありますが、私もこの前ここで防衛問題について公述をしたこともありますが、そのときにもやはり言いましたのですが、現在、防衛関係費自体の額としては、あるいは比率といたしましては、確かに他の国と比べましても少ないわけでありますけれども、今日のいわゆる防衛関係費、その中での防衛費の性格というものは、そういったいわゆる絶対的な額の問題というよりは、日本においてはことにそうだと思うんですが、技術開発、それによる生産性向上という形を大きなねらいとしていることを私は強調しなければならないと思います。特に、三十年代、四十年代を通した高度な生産力の発展、重化学工業――重工、電子機器を中心とした生産力の高度の発展が、同時に、兵器生産を行ない得る技術を蓄積していったという点が一つと、それからまた、今日引き起こされております国際的な輸出競争、そういう中で、しかも、円の切り上げというものが実施されてきて、強制的に日本の輸出競争力が低められるということになれば、それだけ、ますますコストの切り下げをはかっていく必要がある。輸出適応力を、輸出競争力をふやしていく必要がある。その輸出競争力を拡大していくためには、国家的資金を通した技術開発、これを行なっていくということになるわけで、その点に、実は防衛関係支出の大きな意味が存在していると私は考えなければならないと思います。三菱重工でも総生産額の数%というふうに言われますけれども、問題なのは、国家資金を通した研究開発、これによって、まさに国家の資金、結局は大衆の税金というものを基盤にして技術開発が行ない得る、その点が生産性上昇というものにとって非常に重要な役割りを演じていく、そこに現在の、いわゆる防衛関係支出の決定的な意味がある。言うならば、先ほど来ずっとお話をしてきました、日本全体に対する合理的な再編成、産業の合理化といいますか、その合理化政策を進めていく一環に、現在軍需生産というものが組み込まれている。その意味で、産軍依存体制というものが進んでいるのではないかというふうに私は考えるわけであります。  で、第二番目の不況の性格についてであります。御指摘をされておりました点、私もほとんど同感でありますが、昭和三十九年から四十年における不況は、昭和三十年代における高度な蓄積、先ほどちょっと言いましたアメリカからの技術導入、さらに資金導入、それを国内企業が競って導入していった結果、いわば無政府的な形で生産力の過度な膨脹が引き起こされていったというところに、一つの不況の大きな原因があったと言っていいと思います。その不況の根本的な原因を、いわば決定的に解消する形をとらずに、一つは、アメリカの激しいインフレ政策、軍需インフレ、これが継続しているという事態もありまして、輸出が急速にふえていくという形で、四十年不況以降の経済成長が果たされていったと言っていいと思います。ところが、重化学工業における基礎的な、つまり不況をもたらしてきているところの根本要因というものが、いわば、なしくずし的に、四十年代の成長を通して、むしろさらに生産力膨脹が引き起こされる形で経済が進められてきたために、四十五年からの不況が引き起こされてくることになったと考えなければならないと思います。でありますから、今日の不況と言われますものは、直接にはドル・ショックによってもたらされた不況なのではなく、三十九年から四十年不況と基本的には同じ要因が基盤にあるものと、こう、とらえなければならないと思います。この不況克服の過程で、さらに一そうの輸出拡大が行なわれていったわけでありますが、実は、この不況克服の過程で行なわれてきた輸出拡大、これは、先ほど言いましたアメリカのインフレ政策と相まって、アメリカに対する猛烈な輸出拡大となって実現していったわけでありますが、このことがドル・ショックを引き起こしていく、したがって、ドル・ショック、円切り上げという問題が不況克服に対する打撃を実は与えていったという形で、不況を長引かせることになったわけでありますが、現実には、直接のショック、直接に受けたショック――まあ九月-十月においては、輸出は若干停滞したわけでありますけれども、その後は、いま御指摘のように、輸出はほとんど減らないということになっております。でありますから、むしろ、ドル・ショックあるいは円切り上げということの日本経済に対してもたらす意味は、不況回復過程における、特に輸出産業あるいは日本経済を主導してきたビッグビジネスにおける合理化が、さらに一そう徹底して行なわれるようになってきた、その過程の中で、特に下請中小零細企業に対するしわ寄せが非常に強められてきている、こういう形で、輸出に対してはほとんど大きな打撃がない、むしろ産業再編成といいますか、産業合理化といいますか、そういう点に対してドル・ショックが大きな契機となり、大きな作用を果たしてきているということが言えるのではないかと思うのです。ところで、そういった、いわば現在引き起こされております景気の事態に対して、いま行なわれつつある景気対策というものは一体どういう効果を持っているかというと、先ほど言いましたように、むしろ、たとえば工業再配置公団の設立の問題にしても、いまのドル・ショックによって直接しわ寄せを受けている部門に対する救済というよりは、むしろ、ドル・ショックを契機にして展開されつつある産業の大きな合理化政策というものを、かえって促進していくという性格、こういう性格が中心になっているのではないだろうか。その意味では、没落すべき、経済の過程の中で没落に瀕している部面を、むしろ政策的に整理させていくという方向で政策がとられてきているというふうにしか考えられないというふうに思うわけです。  これで回答にしたいと思います。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) それでは、御質疑もないようでございますから、これで終了さしていただきますが、公述人の両先生には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ほんとうにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。それでは午後一時まで休憩いたします。    午後零時二十三分休憩      ―――――・―――――    午後一時八分開会

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) ただいまから予算委員会を再開いたします。  午前に引き続きまして、午後は三人の公述人の方に御出席を願っております。  昭和四十七年度総予算につきまして御意見をお伺いいたします前に、公述人の方に一言ごあいさつ申し上げます。  きょうは、御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をいただまして、まことにありがとうございました。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。  それでは、議事の進め方につきまして申し上げますが、公述人の方はお一人おおむね三十分程度の御意見をお述べを願いたいと存じます。三人の方から御意見をお述べいただいたあとで、出席しております委員の皆さんから質疑があります場合は、お答えをお願い申し上げます。  それでは、順次御意見を述べていただきます。まず、川野公述人にお願いいたします。

川野重任元東京大学教授

○公述人(川野重任君) 御紹介いただきました川野でございます。本日は、公述人といたしまして意見を申し上げる機会を与えていただきましたことを、厚く御礼申し上げます。  私に課せられました問題は、農業関係の予算についての意見の開陳かと存じますが、一々こまかい予算の細目に立ち入っての意見を述べることは、私といたしましても準備もございませんし、また、問題はむしろその予算編成の根本並びに運用についての問題点こそ問題かと存じますので、そういう観点から、かねて考えておりますることを御披露申し上げて、御参考に供したいと存じます。  端的に申しまして、本年度の農業関係の予算が一般の予算の伸びに応じまして規模の拡大をみておりますることにつきましては、国全体の中での農業の地位の相対的な低下という観点からいたしますると、それなりに予算編成上力をいたされたものと、こういうふうに了解をいたします。ただ、内容を拝見いたしますると、一体、全体としてどこに農業を持っていくのかということについてのビジョンがよほどよく考えませんと読み取りにくいという点なきにしもあらずという感じがいたします。個々には、たとえば農業の団地の形成をはかるとか、あるいは流通改善の点に力をいたすとか等ございまするけれども、他面におきましては、長い間の米の管理の問題等については必ずしも新しい姿勢が示されていないというところから、積極的に新たなものが加わるという点では目を引きまするけれども、従来の古いものを含めて全体の整理がどうなされているのかということについては、必ずしも十分に読み取りがたいものがなきにしもあらずであります。  そこで、そういった問題についてどんなふうなことを考えたらよろしいかということでございますが、たいへん大まかな話になりまするけれども、私はこういうふうに考えております。それは、今日の農業というのは、もはや農業だけを取り上げて考えるということは予算編成上も妥当でないのではないかということであります。もっと具体的に申しますると、十年前もしくは二十年前の農業問題は、食糧の確保ということが問題であり、それからさらに、その次には、農業と非農業との所得の格差の是正ということが問題であったのでありまするけれども、今日におきましては、その農業につきましては、緑の保全とか、あるいは国民生活上の安定の要因としてこれを考えるという考え方がかなり強くなってきております。  他面におきまして、国際的には、外国から援助を受けるという立場において食糧の自給確保の問題等も取り上げられたのでありまするけれども、今日におきましては、むしろ高度成長を遂げた国といたしまして、対外的に援助をしなければならぬ、あるいは援助をしようという体制を強く打ち出しているという状態でありまするが、その対外的な姿勢の転換に応じまして当然国内の農業に対する措置も変わってしかるべきかと思うのでありまするけれども、そういう観点から考えてみる場合に、どのように基本線が打ち出されているかということが問題なわけであります。  まず、具体的に私見を申し上げますると、その意味で、農業は、あるいは対外政策の一環としての性格も免れない、あるいは国土の保全という観点からの措置も当然考えなければいかぬ、さらに土地利用の合理化いう点からもこれを考えなければいかぬということで、いわば農林省が農業だけを考えるという時代というものが去りまして、まあ言ってみますると、国土と申しますか、国土保全、国土維持というところまであるいは入ることが必要ではないかという感じすら持っておるのでありますが、その場合の問題点をどう考えるかということでございます。  第一に、と申しますか、農業に対する措置のしかたとしましては、およそ私は二つの観点があるかと思いますが、一つは、効率性を高めるという観点であります。それからもう一つは、安定性という条件を農業の中にいかに認めていくかということであります。  まず、第一の効率性ということは、言うまでもなく、農業も経済の一環といたしまして生産性が高くなければ生活上困る。何をおきましてもまず生産性を高めることであるということでありまするし、この観点は従来から強く打ち出されてきておるところでありまするけれども、中身につきましては、まず第一には、国際的な農業としまして日本の農業が深く組み込まれるに至っておるということを注目すべきかと思っております。よく日本では農業保護主義が強過ぎると、また、農業の産物の価格が高いために農地の価格が高い。それがひいて地価を高める要因になっている。これが経済全体の発展に障害となっているというふうな考え方もあるようでありまするけれども、私の考えではむしろ逆でございまして、確かに米について言う限り保護主義という色彩が強いのでありまするけれども、成長農産物、特に畜産物につきましては、完全に国際化しているということを言わなければいかぬかと思っております。そういう意味では、日本の農業構造というものは二重構造を持っておると言いたいのであります。その二重構造の一端は、国際的な価格で関税等の負担なくして外から安いえさが入ってくる、その輸入えさの上に大規模の畜産というものがあるいは養豚、養鶏等の面で発展をいたしまして、これが国内において年とともに需要の高まるところの畜産物の需要に対応しておる。その結果、この十年来ほとんど卵のごときは値段が上がっておりませんで、国際的にもおそらく一番安い農産物として日本が対外的に誇示し得るものではないかと、こう思っております。そういう点からいたしまして、この局面を無視することはもちろんできませんし、その面での合理性というものは一そうこれを推進すべきであろうと思っております。  さらに、これは国際化という点とはちょっと違いまするけれども、従来、土地を使う農業については、規模拡大ということが言われてきたのでありまするけれども、最近では、実態は、むしろ逆に、資本を使うという農業が急速に発展をしておりまして、これがいわゆる施設園芸というものになっておるかと思います。この規模につきましても、もう国際的には日本が一番大きな規模で施設園芸をやっているということを伺っておりまするけれども、これも日本人的な知識というものがここで開発されまして、いわば日本独自の手の込んだ、つまり、土地をなるべく使わない、頭と資本財とを使うという農業になってきておるかと思うのでありますが、これはあたかも畜産物の場合において大規模のブロイラーあるいは養豚等の生産が行なわれている場合と同じだと思っております。その意味で、土地をなるべく使わないという農業が発展をしてきたということを注目する必要がありまするし、そのことが、同時に、農地の価格というものを相対的には――といいますのは、つまり農産物の価格よりは相対的に引き下げるという効果を持っていると私は見ております。ただ、まあ比較的に農産物の価格の趨勢に比べて割り高になっておりますのは関東地区でございますが、これはおそらくは関東一円が工業化の対象となっているというところから、その面からくるところの影響ではないかと、こういうふうに思っております。したがいまして、資本集約的また技術集約的といった面での農業の一そうの推進をはかるということが、効率性を高めるという面での一つのあるべき政策であろうと思うのでありますが、この点につきましては、私は、特に農業技術の研究に対する一そうの投資の増大ということを一つ要望しておきたいと思っております。戦後、たくさんの農科大学等が設けられておりまするが、そのときには日本の農業人口が国民の約四割五分という状態で、今日御存じのとおり、それが三分の一に下がっているという状態であります。けれども、農科大学の卒業生というものは、ほとんどそのまま出てきた。その結果、いわば学問をした者が就職の後におきましては、必ずしも習得した研究、技術、能力というものが生かされてないということで、たいへんに私は国民経済的にはロスではないか、こう思っておりますが、それを生かす意味でも農業技術の試験研究というものについては、もっともっと投資がなされてしかるべきではないかと思っております。試験研究費としまして、おそらく二百数十億の予算が計上されておるかと思っておりますが、農業総生産は四兆円に余るという状態であります。二百何十億円と申しますと、これは人件費は別でございまするけれども、東大の一つの国家機関としての予算というのが二百何十億かと思っておりますが、存外に私は試験研究に対する投資というものが少ないんじゃないか、こんなふうな感じがするわけであります。その点でこの点を一つ申し上げさしていただきたい。  第二には、今度は過去の投資をいたしましたものを効率的に生かすということがやはり生産性を高める要因だと思っておりますが、この点につきましては端的に申しまして、過去に農業投資、特に土地投資について相当の投資が行なわれておりまするけれども、これが例の米の減反、作付転換によりまして必ずしも生かされてないという事態、特にこれがいわば一律割り当てという形に事実上なっているというようなところから効率の高いところも低いところも、なべて減反の対象になるというところから一種の虫食い状態的な土地の荒廃というものが起こってきておるということも否定しがたい事態でありますが、この点は私は前からいろんな機会に申し上げておりまするけれども、それが過去の投資を非常に無にしておるという感じが強いのであります。これをもっと効率的に生かすためには、どういうことが必要であるか、今度の予算でも農業団地の形成ということを言っておられまするけれども、その農業団地というのは、つまり地域的にまとめて生産をするということかと思うのでありまするけれども、いまのような減反には一定の奨励金がつく、それには従来の小作料からすると、かなり高いものであるというふうな体制のもとにおきましては、なかなか一定の地域の土地が全部まとめて団地に組み込まれるということについては、支障が多いのではなかろうかという感じがするのであります。実態を見ましても、たとえば休閑だけではない、作付転換をするために、転換したやつにはさらに五千円ぐらい反当よけいやるというようなこともあるようでありまするけれども、これもところによりましては転換の体制に種をまいたという形では示しておりますが、さて行ってみますると、あとは草ぼうぼうというようなことでもって、転換が必ずしも実ってないというような形でありますが、これは基本的には転換の奨励について補助金、奨励金をやるという形が最もいいのか、あるいは価格の原理というものをもっと生かすことがいいのかという問題になるわけでありまするけれども、私は基本的にはもっと価格の原理というものを生かすことが必要ではないか、こう思っておるわけでございます。  それからさらに、流通問題がたいへん昨年来やかましくなりまして、ことしは流通改善については、大幅の予算の増額という形になっておりまするけれども、これにつきましても、私は、過去の卸売り市場を中心としましたところの流通の機構というものは、生産者も消費者もそれぞれに出荷の体制も購買の規模も小さいという事態で、大正十二年に中央卸売市場法というものが設けられた。それが最近におきましては、市場の範囲も全国的に広がってまいりますると同時に、生産者、出荷者の団体の規模も大きくなってきている、生産物も単一化されてきている、いわゆる大型の出荷というものが非常にふえてきておる。購買のほうにおきましても、末端の消費は依然として小規模でございまするけれども、まだ中間段階ではスーパーマーケット、あるいは消費組合というものの機能というものをだんだんに拡充してきておる、そういう事態におきまして、卸売市場法の改正もあったのでありまするけれども、さらに大きな転換を必要とする面が私はありはしないか、こう思っておりますが、この点については時間がございませんので、この段階では、さしあたりこういう程度にさしておいていただきたいと存じます。  それからこれは、まあ効率性という観点からいたしまして、要するに過去二十年来の日本の国民経済の中における農業の地位というものが対外的、対内的な条件からして変わってきた、それに応じたところの体制の整備というのが効率性の観点からなされることが必要だ、こういうことになるわけであります。  さて、第二の原理というのは、安定性ということでございます。公害問題が最近非常にやかましくなっておりますけれども、昔ば大阪をたとえば東洋のマンチェスターだということで、黒煙もうもうという状態をむしろ工業化のシンボルとして誇りにしたわけでありまするけれども、今日では、逆にそれが公害として認識されるようになったというところに、われわれの生活水準なり生活観というものの大きな転換を見なければいけないのでありますが、同じことが農業に対しましても、あるいは緑の保全の必要ということが強調される、緑地帯を残せとかいうようなことが強調されておりまするけれども、その面からたとえば自然休養村、休養林ですか、といった構想等も資料を拝見いたしますると入っておりまするけれども、もっと一般的にこの国土の中でこの緑というものを生活の周辺にいかにつなぎとめるか、あるいは維持するかということが考えられていいのではなかろうか。言いかえれば、どこかの自然村に行かなければ休養ができないとか、あるいはどこかの過疎地帯がたまたま非常に景勝の地であるというところから、これにしかるべきレクリェーションの設備をするということで、農業が新たな面から見直されるということだけではなしに、われわれの日常の生活の環境というものが、著しく緑を離れたものになっている。たとえば、亜硫酸ガスの排除、防止ということはできるにいたしましても――空気はあるいはある程度よくなるかもしれませんけれども、緑の環境というものは、それの対策だけでは解決いたしません。緑の環境の維持ということは、それだけでは解決いたしませんという点で、むしろ積極的に緑の環境の維持ということを考えるべきではなかろうか。それはどうするかということでございますけれども、ともかく米について五十万ヘクタールといったものが遊ぶ、もちろん転換作物を考えますると全部が全部遊ぶというわけではないと思いまするけれども、少なくとも三、四十万ヘクタールというものは遊ぶという形になっております。これをもっと組織的に生かすことはできないか。これも私は別の機会に申し上げておりますけれども、一つの考え方でございますが、たとえば北海道から鹿児島までの延々三千キロの鉄道の沿線に一キロのベルトをつくる、まあこれを買い上げる。もちろんその場合に代替地の提供等の措置も必要かと思うのでありますが、毎年毎年一反歩三万円くらいの金を出して遊ばせるということよりは、むしろ恒久的な余剰地の転換策といたしまして、一定の国土計画の線に即してそういう土地を確保するということ等も考えていいのではなかろうか。三千キロでもって鉄道の沿線一キロということにいたしますと、約三十万ヘクタールということになるかと思うのでありますが、そんなこと等も提案したことがございます。別に、これは鉄道の沿線に限りませんが、国道の沿線でもけっこうでありまするし、あるいは地方道でもけっこうでありまするし、国土計画の一環としまして、生活の周辺にあるところの、あるいは緑地あるいは公園あるいは学校その他の公共施設の置かるべきところの地帯として、そういうものも考えるということもいいのではなかろうか、こう思うのでありますが、これもたいへん夢みたいな話でありまするけれども、理論的に考えますると、やはり生活の環境の合理化という観点から、農業上の余裕地というもの、つまり農業生産の発展において出てきたところのものを有効に使うという点からすると、そういう転換が当然考えられてしかるべきじゃないか、こう思うのであります。  その次に申し上げるのでありますが、それは効率性の観点が従来強く打ち出されてきております。けれども、私は、今回実は大学を定年退職になったのでありますが、みずから定年退職してみまして非常に感じますることは、この組織された社会におきましては、当然これは定年というものがございます。ところが農業とか中小企業、特に小売り商等といったものにつきましては、これは定年がない、いわば一生死ぬまで働けるという場であります。さて従来は、中小企業とかあるいは農業というものの比重が高かったのであります。したがって、それは一生働ける場というものが多かったのでありますけれども、組織された社会になりまして、いわゆるホワイトカラーという形等でもって企業に雇われる、役所に雇われる。こうなりますと、当然一定の年限でもって定年退職ということになってくる。ところが、寿命が延びております。活動の年齢というものは、非常に延びております。かてて加えて、今日、物価高ということで、まず老年後の退職に対する一つの措置というものが、従来のようにともかく老後の生活をある程度安定せしめるという機能を残念ながら失っていると思います。この点につきまして、私は物価安定ということを強く要請をしたいのでございまするけれども、少なくとも――まあこれは、年金の話をすべき場所ではございませんけれども、やはり物価スライドぐらいのことは、考えなければいかぬかと思っておりますが、それはさておきまして、人間は単に物的生活が保障されるだけでは、これは満足できませんので、やはり仕事というものに生きがいを見出すかと思っておりますが、そうなりますと、一種の趣味的な農業というものが、やはり見直されてしかるべきじゃなかろうか、こんな感じがいたします。現在、すでに農業人口の二〇%以上というものが六十歳以上の人口でございます。それは、しかし、農業をやりながら老人になった人々でありますが、農業外で働いておりまして、五十幾つでもって新たにそういう一生できる仕事をしたい、能率は少し低いかもしれませんが、という方々も私はあろうかと思っておりますが、これが今日の農業の政策のもとにおきましては、自作農として精進し得る見込みがなければ新たに土地を取得できないといったふうなこと等もございますので、この点も私は国全体として、緑の保全も必要でありまするけれども、国民生活の安定化という点から、農業というものを見直すという趣旨で新たな農業政策というものが考えられる余地があるんじゃなかろうかと、こんなふうな感じを持っております。  以上が、私が、効率性と安定性というものを基準にして今日の段階で農業問題を考える場合において、どんなことを考えたらよろしいかということについての私見でございます。しかしながら、いずれにしましても、こういう問題につきましては、やはりある時期に、政策の転換というのはなしくずしじゃなかなかできないと思いまするので、かつて、昭和三十六年に農業基本法が設けられたことは、その後の政策の展開にたいへん貢献しておると思っております。けれども、十数年たちました今日におきましては、先ほど申しましたようなことで大きく国際環境も変わり、また国内におけるわれわれの生活に対する考え方も変わっております。ですから、基本法そのものを変えるというのではなしに、あるいは基本法そのものにつきましても、効率性の観点がやや強過ぎまして、安定性の観点がやや弱かった点もあるかと思うのでありますが、そういう点を入れるということも含めまして、一ぺん基本的な土地対策の根本を考え直してみることも必要じゃなかろうか。言いかえれば、かつてそのときに農業基本問題調査会というものが設けられまして、いわば過去の農政の見直しが行なわれたのでありまするけれども、私は、今日あらためてこういったことをお取り上げになりまして、それから次年度以降のやや長期にわたっての政策をお立てになるということも可能ではなかろうかと思いまするし、また、そんなことがありますると、国民の全般がいろんな形でもって意見を述べ、いい、明確な見通しを持った農業政策の展開ができ、またどんどん、どんどん工業化に押しまくられまして、非常に自信をなくしているという農業関係の方々が多いのであります。一生働いてきた農業でもって、これをつくっちゃいかぬ、これ以上やっちゃいかぬというふうなことでもって遊ばざるを得ないということは、私は、これはたいへんな苦痛じゃないかということも考えまするだけに、そういった措置をお願いいたしたいのであります。  一つ途中で落としましたが、一つ加えさしていただきたいと存じます。それは、これも別の機会に申し上げたことでございますが、今度は対外的に日本は経済協力の援助を、特に政府ベースでの援助というものを強化したいということでやっておりますが、しかし、それはそれ、国内の農業は農業だというふうな別の扱いがされていやしないか。私は、両者のつながりにつきましては、東南アジア等の経済が一番必要としている問題は何かと申しますると、やはり食糧問題だと思っております。その食糧問題に対しまして、国内の食糧の余剰を供給するというのも、短期的には一つの方法であります。けれども、基本的にはそれらの国の生産力を高めるということでもって問題を解決していく、そのことがさらに、たとえば日本が工業製品のマーケットとして考える場合におきましても、その市場拡大につながるものだと、こう思っております。ところが、今日の状態におきましては、たとえば緑の革命といっておりますが、新しい品種改良はできましたけれども、あるいは肥料もできた、けれども土地改良あるいは水利、かんがいというものができにくいために、そういう条件が生かされてないというところから、依然として食糧不足に悩んでいるというのが多くの国のあり方かと思います。こういうものにまず日本の余剰の食糧の生産力というものを有効に生かしていく、言いかえれば、かりに国内で余剰ができた場合におきまして、それをつくらないというのでなしに、むしろつくらしまして、もちろん財政負担がある程度必要かと思いますけれども、それを外へ出していく、それがそれらの地域の農業の開発に資すると、こういうふうな考え方であります。かつて愛知用水の工事につきまして、私ども伺っておりまするところでは、あれは余剰農産物の見返り資金というものがファンドになった、これはごく一部でございますが。けれども、アメリカとしましては、われわれが食糧が余っているのに、さらに食糧の増産をするような政策としての金としてそれを使うことについては、反対だという意向だったというふうに聞いております。けれども、長期的に見ると、やはり日本の農業生産力が高まったことがアメリカと日本との経済の交流の規模の拡大ということにも今日なっておると私は思っております。そういう意味で短期的に考えると、あるいは食糧生産上の競合という点で問題もあるかと思いまするけれども、長期的には、やはりそれらの国の力が強くなることが、日本の力がさらに強くなるゆえんでもあろうかと思っておりますので、この点は、私は、あたら日本の農業生産力というものが非常な能力を持っていながら、それが生かされずにむしろ縛られているという状態にたいへん惜しいという感じがするわけであります。これを解きまして十分に対内、対外的に力としてこれを生かしていくというふうな政策の転換が望ましいと思っているわけでございます。  以上でございます。(拍手)

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) ありがとうございました。     ―――――――――――――

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) 次に、平井公述人にお願いいたします。

平井敬三町内会役員

○公述人(平井敬三君) ただいま御紹介にあずかりました平井でございます。私、滋賀県彦根市より本朝参りまして、何ぶんにも突然のことでございましたので、十二分の準備もいたしておりません。ただテレビのなま放送、それから新聞によりまして国民の一員として知り得たこと、それからまた感じましたことにつきまして、お話をさしていただきたいと思っております。  最初に、結論から申し上げたいと思います。本年度国家予算についての賛否を問われているのでありますが、私は、すみやかに審議を促進され、本予算案の成立を期せられますように、賛意を表します。  公述の理由といたしまして述べさしていただきますと、昭和四十七年度予算については、すでに一カ月の暫定予算によりまして現実に執行がなされている現況にかんがみまして、また本予算案については、衆議院を通過いたしておりまして、この参議院に送付なされており、一昨日、予算委員会におきましても総括質問等も終了したことと思います。そうした現況にかんがみまして、いろいろと残された問題点等が多々あることとは思いますが、すみやかに審議を促進されまして、自然成立などというような安易な考えを捨てて、一日も早く、これから申し上げます事柄を踏まえて、本予算案の成立いたしますことを強く希望するものでございます。  まず第一に、私常々感じておりますことなんでございますが、年々膨脹いたしますわが国の膨大なる予算は、私など国民にとりましては、全く夢のような数字でございます。戦後二十七年を経ました今日、予算の倍増額は驚くべきおびただしい数字となって私たち国民の前に公示され、その内容などは、われわれとうていこれを知ろうとしても不可能なことであります。全くウナギ登りの、天井知らずの上昇と申しても過言でございません。また、政府の御答弁などを承っておりますと、いつの場合も伸び率だけを強調されまして、その基礎となる金額の多寡は不問に付されているようでございます。私は何か数字の魔術にかかって、国民といたしましても錯覚を起こすような結果になっておるんではないかと思うのでございます。本朝もここに参りまして、関係の係の職員の方にお尋ねいたしましたところ、十年前の当初予算額の規模は、二兆四千億と承りました。それがどうでございましょう、十年を経ました今日、十二兆になんなんとする、約五倍以上の伸び率を示しているのでございます。私は、かように膨脹していきます予算額の限度を、近い将来には伸び率ゼロという、こうした予算が組まれますように期待いたしておるものでございます。  二つ目としまして、わが国は資源に乏しく、将来とも輸入資源にたよらざるを得ないことは必然の帰結と申さねばなりません。また、政府の方々も、議員の皆さま方も、各種の討論会におきましてもかようなことは論じられております。ところが、国民の大部分は、現在のこの消費経済を謳歌する風潮が先行しているのではないか。国民の指向するところは必ずしもそのような理解がなされていないうらみを感ずるものでございます。昨年のドルショック以来、経済の破局は、今日までの無秩序、無制限の設備投資による経済成長のたまものと申しては語弊がありますかもわかりませんが、経済成長のたまものと思わざるを得ません。わが国民性の短所とも申すべく、行き着くところまで行って踏みとどまることを知らない。かつての大東亜戦争におきましても、とことんまで行くこの国民性、こうしたことが国の施策の中にもあるのではないかと心配するのでございます。かような観点からいたしまして、いままでの経済政策を改めて、国会の中で使われております耳新しいことばでございますが、私などから申し上げるまでもなく、軌道の修正を期待したいと思うのでございます。  三番目に、国の防衛問題についてでございます。  まず第一に、自主防衛の範囲をと申しますか、限界をつまびらかにされるべきではないかと思うのでございます。また、防衛予算に関しましても、伸び率だけを主張されましては、私たち国民においては何か魔術にかかっておるような思いすらするのでございます。その金額の中身を十分検討されて、やはりこれも経済政策と同様、少なくとも伸び率ゼロに押えるべき時期の来るのを期待いたします。私は、経済政策と同様にとどまることを知らない、先ほども申しましたが、戦前の轍を踏まないように留意されますことを特にお願いいたしとう存じます。防衛問題につきまして、私ごとき一市井の市民が皆さま方に申し上げることははばかるのでございますが、これも私の知り得た知識によって判断いたしますと、国会において非常に問題となっておりますシビリアン・コントロールの問題、いわゆる文官優位の原則、こういった問題でそれぞれ御討議がなされております。これも十二分に踏まえていただきたい。また過日の予算委員会の質疑をつぶさにテレビを通じて見ておりましたが、その中で、ある委員の方が核の問題を取り上げられまして、そして御質問をなされておられました。この問題につきまして、御答弁なされた閣僚の方は、日本に立川、横須賀、岩国と、たくさんな基地がございますが、その基地を立つ寸前は、これは事前協議の対象にならないと、一たん基地を飛び立ってからどっかの基地に寄っていかれることについては、わが国としては知らないんだと、全く情けない御答弁であったわけでございます。こういうのをわれわれ国民がテレビを通じて見ておる場合、はたしてこれが国会であるかというような疑問すら私抱いたわけでございます。おそらく私一人ではないだろうと思います。もう少し丁寧に私たち国民に説明をしていただきたい。ともすると、そうした御熱意がないんじゃないかなあと、残念に思うとります。  四つ目に、社会福祉国家を標榜されます本年度の予算につきまして、先ほど申し上げましたごとく、もともと基礎額の低い福祉予算について、本年度の予算が他の予算額より伸び率が最高であるというふうに承っております。これもおかしなことだと私は思うとります。たとえば、先ほど申しました防衛費の予算にしましても、伸び率は一九%、そして沖繩の返還、これに要する経費を引くと一六%と承っております。そうすると、去年よりも伸び率は少ないんだと、しかしそのパーセントを掛ける基礎額というものは、これは大きな額でございます。それをパーセントだけで私たちにお話をされ、それからこうした国家の予算を審議されます委員会においてそうした説明をされても、これは決してほんとの数字が示されておらないと、こういうふうな結果になりはしないかと私は思うのでございます。  ここで、社会福祉のことに入りましたので申し上げるんでございますが、これも過日衆議院の予算委員会の総括質問の中で、新聞で見たことと思いますが、老人福祉の年金の額でございます。これも、もともと基礎額が低いものでございます。それに倍率をしても、その額というものは相変わらず低いのでございます。何回も申し上げますが、大きな基礎額を持っております予算額に対してのパーセンテージ、据え置いてもそれだけの予算というものはあるわけでございますので、それに伸び率を掛けていけばどんどんとふえていくことは、これは私から申し上げるまでもなく、理の当然でございます。そういったところに、私は数字のからくりがあるように思えてならないのでございます。  また、話は続いて変わりますが、先日これもこの委員会におかれましてある委員から質問の出ました優生保護法のことでございます。これにつきまして、私は私なりに、私の愚息のことに関しまして悩んでまいった問題でございます。――詳しく説明さしていただけるとよろしいんでございますが、何ぶんにも限られた時間でございますので、そういった方面のことは差し控えさしていただきまして、私、私なりに、こうした資料を持ってきております。「滋賀県精神薄弱者福祉大会」、同じくこれ、彦根市でやっております大会のパンフレットでございます。それから「心身障害者のためのコロニーについて」、これは、滋賀県精神薄弱者育成会から出しておりますパンフレットでございます。こういうのが出ております、御承知おきいただきたいと思います。いろいろこう精薄児等のパンフレットも出ております。ことに私のところの県は、近畿におきましてもこういった施設が非常に多うございます。私の住んでおります彦根市の周辺だけでも四つございます。非常にこういうものが目について、私は何だかわが子のことを思いつつ、実のところ私自身、正直に申し上げますと、目ざわりでならないのでございます。なかなか、こういった思い切った意見は為政者の方々には御発言なされぬものと思いますが、あえて私、こうした機会を得させていただきましたので、御参考までに申し上げたいと思います。  戻りまして、優生保護法のことでございますが、この優生保護法の、この間の質問を伺っておりますと、抜本的な改正がなされるようなことだが、それはどうなっておるかという御質問のようであったかと思います。それに対して、主管の大臣のお答えがございました。目下準備中であるというような簡単なお返事のようであったようでございます。そして引き続いて総理からもお答えがあったようでございますが、その観点は、胎内にいる子供を優生保護法によって処置してしまう、それが非常にその数が多いと、もう少しこの法を何とか改正をして、そして強めなければならないというような御意見のように承ったんでございますが、私は、胎内にいる子供よりも、生まれ出てきて、生まれながらの精薄であり、奇形児を、これを現在、先ほど申しました多くの施設の中に収容して、そして保護をいたしておりますんですが、これは、その子たちが義務教育年限を過ぎまして、社会に出てきて、はたして満足にその子たちが巣立っていくのかと、こういいますと、それは、そのような結果になっていない。私の身近な町内で、いま現在問題にしておる子供でございますが、たまたま私の子供がその子を指導し、そうして義務教育の年限だけは終えさせたのでございます。そうして、その子を就職させたんでございます。ところが、その子は、やはり、就職したところで同僚たちにいじめられて、そうして職場が長続きしない。また職場を転々として、結局、行くとこ行くとこで同僚たちからいじめられまして、どうもあまりいじめられるもんだから、本人としては――もう成人しております。そういうようなことで非常に処置に困られまして、とうとうもう一つ、重症患者の入る施設に再びほうり込まれてしまった。いままた、そこから今度は精神病院へと送られてしまった。小さいときからその子の成人をよく知っておりますので、私はそうした最終的な考えは非常におかしいと思いまして、市等に対しましても、その処置がふに落ちないというようなことで、問題にしておったんでございますが、私は……。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) 公述人に申しわけございませんが、あとの時間の都合もございますので、別室でお願いいたしました範囲でひとつおまとめいただきたいと思います。

平井敬三町内会役員

○公述人(平井敬三君) 優生保護法の問題につきまして、もっと、胎内にいる子供だけでなしに、その生まれ出た子供のことについても考えるべきではないかと思うのでございます。  時間が制的されまして横道に入りましてまことに恐縮でございますが、最後に結論を急がさせていただきます。よろしくお願いします。  三権分立と申しまして立法、司法、行政のこの三権がございますが、どうも最近の考えは、これに順位がついておるように思われてなりません。やはり立法が頂点であって、行政、司法は両翼でなければならないと思います。ともすると、行政、司法、立法のようで、しかも立法はつんぼさじきに置かれていると、こういうことでは三権分立にはならないと思います。卵と鶏の話でございますが、この三権は、立法府あっての行政であり、司法であると思います。新聞を連日にぎわしておりますあの機密漏洩の問題につきましても、こうした観点に立たれまして、ひとつ今後の御参考資料にしていただきたいと思います。  以上をもちまして私の公述を終わらせていただきます。(拍手)

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) どうもありがとうございました。     ―――――――――――――

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) 次に、桐原公述人にお願いいたします。

桐原伸幸生活協同組合職員

○公述人(桐原伸幸君) 私のような若輩が国会の場で意見を述べさせていただくことに感謝いたしております。  昭和四十七年度予算案についての反対理由を申し上げます。  ことしの予算案は世直し予算と言われておりますが、私はそう思いません。なぜならば、ことしの予算は、確かに老人福祉、公共投資の面におきまして以前の予算に比べて大幅の進歩はございます。政府の方々の努力はうかがえます。しかし、私は、一般市民の立場からすれば、希望なき予算であると思います。一般市民の悩みは都市問題であり、物価高に象徴される土居苦でございます。私が以前住んでおりました山間部におきましては、所得といえば、炭焼きと米、そこへ、やはり時代が進みまして、電化製品をはじめとして、高額な消費物資が深く浸透してきました。その結果、所得と消費のアンバランスにより農村の過疎化現象が促進され、大都市周辺へ洪水のごとく人口が流出してまいりました。その結果、太平洋ベルト地帯、瀬戸内沿岸が過密にアクセルがかかった状態で、都市問題、すなわち住宅、都市公害、都市交通、物価問題が起きております。  私は、島根の高等学校を卒業しまして、どんなところへ就職したらよいか考えまして、やはり社会のためになる仕事場でと考えまして、生協につとめて牛乳配達もやりました。で、二十二歳で、ある程度――四十八万円ぐらい貯金がたまったところで、先輩から、ひとつ労働金庫が、駅から八キロぐらい離れたところに、山の中に分譲地を、分譲住宅をやっているけれども積み立ててみぬかと言われまして、それで積み立てました。で、二十五歳で入りまして、やはりバスとか、いろいろ問題があったんですよ。そのとき、積み立て金は八十五万ぐらいしかたまっておりませんでした。それで、その家は合計四百二十二万で、土地は六十八坪でございます。建坪は延べで二〇・七坪の鉄筋の二階建てでございます。その当時の所得からいいますと、毎月の返済金一万七千円を返しますと、あとちょっとしか残らない計算になってきたんですよ。まあ、日本はどうせ伸びつつあるし、毎年一万円ぐらいは所得がいずれ伸びるときもあると思いまして、それを計算に入れて、まあ冒険を承知で入りましたんですよ。そのとき感じましたのは、お金を借りる、住宅の資金を借りる、そういう場合におきまして、そのとき年間所得百万円すれすれぐらいだったもんですから、借りるのに非常に苦労をいたしました。四百二十二万のうち百四十万ぐらい貯金がございました。で、あと二百何万につきましては、百六十五万を厚生年金事業団から三十五年償還で借りました。それが毎月一万円ぐらいの償還でございます。それと、六千九百円と、ボーナスで二回、合わせまして七万円、これを返すことになっておりますけど――ちょっとすみません、あがりましたので。返すことになっておりましたんですよ。そのとき感じましたのですが、やはり低所得者が、小さくとも自分の家を持ちたいという希望を持っております。だから、どうしても政府の手による住宅資金の融資制度が必要じゃないかと感じたのであります。  ここで、ちょっと住宅資金の融資制度について述べてみたいと思います。  現在、公的で低金利の住宅資金は、住宅金融公庫の十八年償還の資金と、厚生年金事業団の二十五年償還の資金がございます。しかし、テレビなどで見ますと、アメリカ、ヨーロッパは、もっと住宅資金の融資制度が確立されておるように聞きます。本年度の予算におきましてもこうなることをかすかに祈っておりましたが、実現されていないことに不満を感じております。予算委員の皆さまに一般市民を代表してお願いがございます。住宅問題を解決するかぎになっておりますのは、やはり住宅資金融資制度の改善だと存じます。お金がありましたならば、少々土地の値段が高くても、やはり人々は買うと思います。よろしくお願いします。  次に、都市公害の問題にいきます。  都市公害の解決につきましても、本年度予算案では希望が持てません。環境庁ができて以来積極的な活動がなされ、調査、予防にかなり成果は生まれてきましたが、根本的な解決はなされておりません。根本的に解決するためには、単なる調査、予防ではなく、どうしたら都市公害をなくすことができるかについての政策や研究を積極的にする予算が必要でございます。企業が発生する公害は、商品の価格が高くなっても、公害をなくす責任は、公害を発生する企業内部で処理すべきだと思います。その結果、企業にとっても一般市民にとっても、国や地方自治体にとっても、最も安く公害を防止することになります。国は、その政策を進めるとともに、財政能力のない中小企業に対しましては、公害防止装置設置に対する予算を組むべきだと考えます。物質が発生する公害、たとえばPCB、砒素、発ガン物質に対しては、無害な物質を使うことによって有害な物質を追放していく、そのための公的な研究機関がぜひ必要だと思います。特に食品、人体に関係するものは自然科学応用の研究が大切だと考えております。  公共的施設による公害、たとえば今度山陽新幹線がつきましたけれども、友だちが言いますのには、トンネルが多くて公害はあまり関係ないと考えておりましたけれども、やはりその沿線に住む人は、うるさいと言います。だから、そういう改善の面から考えましても、やはりスピードを大切にするか景色を大切にするかという面で、やはりスピードを大切にするんであれば、人工トンネルまたは全面地下道、金はかかっても安心して住める国土にする施設のくふうを、ぜひ予算の面から考えてほしいと思います。  都市公害の最後の締めくくりは緑化にあると思います。排気ガスに強い植物を都市のあらゆるところに植える。そのための国家予算や緑化政策が本年度予算に積極的に盛り込まれていないことに対して残念でたまりません。  都市交通の解決は、大量輸送機関の充実にあります。本年度予算案では、かなりの金額が計上されておりますが、都市鉄道を着工する大都市の財政から考えると、もの足らない国の援助です。現在、私の住む地方自治体では、こんなことがあります。二年前のベースアップがまだ解決されていないと、バスの車掌さんや運転手さんは言っております。それでストもやられます。ストは非常に迷惑になりますけれども、しかし、生活する人の立場に立ってみれば、それも理解できます。だけど、その都市の交通局の立場に立っても、やはり財政的な面から理解できるわけです。だから、ここで述べたいのは、都市交通といいますのは、利用者負担もけっこうですけど、現在一億総利用者の面からしまして、独立採算制、そういう面をやめて、やはり国で交通政策として考えるべきじゃないかと思います。  私は生協につとめてみまして、家庭係といってもわからないと思いますけれども、商品を、これぐらいの見本箱を持って一日六十軒くらい、昼まで注文をとりまして回るわけです。一般の御用聞きさんとよく似ているんですよ。そういう場合、友だちは情けないと言いましたけれども、私は誇りを持っていると思いました。なぜならば、人々のためになるからです。現在、物価問題で政府の方々が非常に苦しんでおられます。物価問題の解決には生協の働きがきわめて重要であると思います。生協法、すなわち生協の地域制限の緩和、員外利用の緩和を推進する抜本的な法律の改正をぜひしていただきたいと思います。  員外利用について説明します。員外利用の禁止をなぜ緩和すべきか。消費者の生協に対する期待と関心は非常に高まってはおりますが、生協の活動が具体的に消費者の期待にこたえることができるかどうかを確かめた上で生協の組合員になる決心をするのが普通です。そのためには、消費者がまず生協で買いものをしたり、生協のいろいろな活動に参加してみて初めてそれを確かめることができると思います。員外利用を全く禁止されたままでは、消費者にこのような選択の機会を与えることができません。したがって、組合員になる資格を持っている消費者がそのことを確かめるために、一定の期間生協の事業を利用することができるように道を開くべきであります。  地域制限の緩和について述べます。阪神間の行政区域は、たとえば大阪府と兵庫県に分かれておりますが、兵庫県の東部と大阪府の西部とは、ほとんど軒を連ねております。ひどいところになりますと、家によって府県が分かれているところもあるんじゃないかと思います。大阪空港――その玄関は大阪府豊中市でありますが、その中は兵庫県伊丹市であります。したがって、兵庫県内における生協活動が、隣接している大阪府の府民の参加を得られないということは、今日の市民生活の現実を無視したものと言わねばなりません。少なくとも、隣接している府県の住民は、同一生活協同組合の組織の中で相協力し合ってその生活をみずから守る運動を展開することができるように、現行の生協法の中の府県単位による地域制限を一定程度に広げることが、ぜひ必要であります。  佐藤内閣総理大臣は、消費者保護会議等において、日本の物価問題解決のために、消費者の自主的協同組織である生活協同組合を具体的に育成すべきであると再三強調しておられます。物価問題に悩む消費者大衆は、総理大臣のこのことばに大きな期待をかけております。それにもかかわらず、年余を経た今日、いまだにそのことが一向に実を結んでおりません。今国会は重要案件が山積みしておりますが、国民の生活を守るための施策は、その中でもぜひ実現を期していただくべきものと確信いたしております。厚生省は、生協法を改正してこの国民的要望にこたえようとしているやに伺いますが、ぜひこれが実現のために、国会の先生方、政府の先生方の御努力を期待しております。  生活協同組合といいますのは、ちょっと説明いたしますと、イギリスのロッチデールにおきまして起きました運動でございまして、消費者が消費者のためにつくる運動でございます。日本におきましては、「一人が万人のために、万人は一人のために」という標語を掲げまして、人々がお互いに助け合って、よりよい社会、よりよく幸福な社会をつくることをモットーにしながら、じみな活動を、ここ五十年続けてまいりました。物価問題に対しましても、やはり生協が強い地域におきましては、ない地域より少しはよくなっていると思います。ぜひ生協法の現在述べました二つの点についての緩和を、予算委員会の先生方によろしくお願いします。(拍手)

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) どうもありがとうございました。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) 公述人の方に御質疑のある方は順次御発言を願います。

杉原一雄日本社会党

○杉原一雄君 川野先生にお願いしたいと思いますが、先ほど先生が、予算の総括として、あるいは団地造成の問題、流通機構の改善の問題等見るべきものがあると、しかしながら、この予算を通じて、十一兆数千億のこの予算を通じて、日本の農業を一体どの方向に持っていくのか、そのビジョンが明らかでない、こうおっしゃったのでありますが、まさに私もその点に関する限りは同感でございます。ただ、その中で先生の提起された問題がある。それは、北海道から鹿児島まで何千キロありますか、先生は三千キロとおっしゃったかと思いますが、鉄道の沿線を緑地化するという問題提起があったわけですが、これは、日本の農業をどうするかという一つの動機から起こった問題じゃなくって、いま生産制限その他のことで土地が余る、また、もう一つの要求としては環境保全の問題、こういう別の、農業外の要求がそうした提起になってきているんじゃないかというふうに私は理解するんです。これはあとで先生の見解を明らかにしていただけばいいわけですが、それと同種のことが政府の部内でいま進行中なんであります。それは、農林漁業の第三次産業化に関する調査研究会――先生もその中に入っておられますか、東畑委員会のほうに。

川野重任元東京大学教授

○公述人(川野重任君) 入っておりません。

杉原一雄日本社会党

○杉原一雄君 入っておりませんか。その農業三次産業論というのが、いま大きくマスコミに乗っておるわけですが、この構想も先般経済企画庁からもらいまして、私、点検をしてみましたけれども、これは日本の農業を長く先生が研究しておいでになった、先生が研究の中から提起されてこられた農民に対する答え、日本の農業のあるべき姿、こういう提起、なかんずく農業というのは、理屈たらしく言うまでもなく、国民の重要な生きる物資をつくっていくのが本来の任務だと思いますから、そういう本来的な任務等から考えてみると、農業第三次産業化という方向は、いま先生の鉄道沿線を緑地化するという提起とやや共通した、いわゆる農業外の提起だと、そういうふうに私は理解をして、この提起も、ひとつ農民の要望なり日本の農業のいまの戸惑いを、何らかの形で、悪く言えば、その方向へ誘導しようとする意味のものであって、積極的に農民に希望と生きがいを与えるプランでないと実は私は思うのでありますが、先生の先ほどの提起とあわせ考えて御判断と御見解をいただきたいと思います。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) 川野公述人、お願いいたします。

川野重任元東京大学教授

○公述人(川野重任君) ただいまの御質問は、私が、かりの話と申し上げました鉄道の沿線に緑地地帯の設定を考えるというのは、農業政策としての観点からの問題提起ではないのではないかという御趣旨でございますが、私は、広い意味では、やはり農業政策の課題として考えてしかるべきことではないかと思っております。それと申しますのは、要するに、生産力が高まって余裕の出てきたところの土地というものが有効に使われてないということが、当該の農民にとりましても生きがいを失わしめている点が多いと思うんです。それを、こういう形にいたしまして積極的に役立てるということになれば、そういうふうな感じもなくなりまするし、他面におきまして、みずからの生活環境を――みずからと申しますのは国民全体でありますが、生活環境の整備あるいは快適化という点において貢献するという点で、私は十分に農業政策の一環として考え得るのじゃないかと、こんな感じがいたします。ただし、その背景におきましては、そのように農地の転換をすることが逆に今度は農業の発展にマイナスになるという点があればこれは御批判を受けなければいけないと思っておりますが、その点につきましては、先ほど申しましたように、むしろ限られたその他の土地というものをもっと有効に使うということで、今日施設園芸その他の点で非常に発展を示しておりまするから、その点での一そうの発展の推進を期するということで両者両立できるのじゃないか、こう思っております。

梶木又三自由民主党

○梶木又三君 先ほど、いまの農業が農業自身で、農業だけでなかなか解決しない、こういうお話でございまして、これは私も全く同感でございます。その中で、土地利用の合理化、高度利用、このお話がございましたが、どこまでそれを農業サイドからの投資と見るか、非常にばく然としておるので非常におわかりにくいと思いますが、たとえて言うと、最近農村なんかで集落の再編成なんかをやりたいと、また、やらにゃいかぬ時期に来ておるわけなんですが、あるいは公共用地を生み出したいと、いままでも圃場整備等でそういうようなものを出してはおるんですがね、敷地としては。その買収費は一応別にしまして。そういうことから見まして、先生はどの程度までを、これはどうせ高度利用をはかるとなればいろいろほかの部門からのお手伝いが必要なんですが、たとえば農村工業なら、これはもう当然工業者のほうから買収費ももらえますが、土地の造成までといいますか、圃場整備とかいろいろやって、生み出すまではいままででももう農業サイドでやっておるし、この四十七年度の予算では新しく緑農住とか、農村基盤総合パイロットとか、そういう新しい事業のきざしが出ておるんですけれどもね、先生は、そこで農村のこれから再編成をやるんだと、こういう立場に立って、そこで土地利用という立場に立ってどのぐらいまでは当然これは農業の投資でやるべきかというお考えでもございましたら、ひとつお聞かせ願いたいと思います。

川野重任元東京大学教授

○公述人(川野重任君) たいへんむずかしい御質問でございまして、いままで農業用に使っていた土地で、いわば余ってきたものを計画的に他の目的に転用するということが主題でございますが、その転用自体についても金が要るわけですね。その金を農業サイドで負担するか、あるいは新たな用途に転用することを担当するところでやるかというような問題かとも受け取れたのでありますが、そういうふうに考えてよろしいのか、あるいは全く農用地として使ってないところをこれから開発するについて、農用地としての転換をもう初めから断念するということで考えるべきなのかと、ちょっとその問題が私にわかりにくかったのでありますが、私なりにひとつ自問自答いたしますると、こういうことでございます。  まず、農業外の立場からの土地利用の要請がいろいろ出てくるかと思うのでありますが、それを全部突き合わしましたところで一種の地域的な配分を図面の上に書いてみる。当然これは地価とか、あるいは経営の規模ということを一応無視いたしますが、その要請を受けまして、今度は自動的に、それならばそういった規模のもの、そういった立地条件のものはここに選びましょうということでまず図面をかく。その次の問題は、その費用をどちらがどう負担するかと、こういう問題になってくるかと思うのですね。ちょっと話がずれるかと思うのでありますが、私は鹿島の臨海工業地帯の開発に関しましていわゆる六・四方式というのがございますが、あれは現在も批判を受けている面もございまするけれども、私は現状の段階にとどめたのではまさに批判を受ける点が多かろうと思っておりますが、もう一つの段階の手を打てば十分に合理的な解決として処理できるのじゃないかと思っております。と申しますのは、農地を他に転用することについて、その当該の農地の所有者の方々は、公共投資が行なわれることによって得られるところの利益というものを何かの形において得たいということであります。鹿島工業地帯の場合におきましては一部を工業用地に転換する、残ったところにつきましては、農地として残すけれども、これにしかるべき措置をするというところであそこまでいったのですね。さて、農地として残しましたところ、今度は意外に公害問題等もこれあり、他面におきましては、また工業上の目的からするところの利用、転換という要請もありまして、とても農業はできないということになってくる。その面での批判を受けておりまするけれども、しかしながら地価という点からいたしますると、四割か六割の土地を農地として残したことが、その土地についてたいへん高い地価が今度は実現できるわけでありまするから、もう一ぺん転換をやりますと、そういう公共投資からくるところの利益というものが均てんするわけですね。それをそっくり土地を手放しておりますると、よしんばそのときに相当高い地価で売りましても、その利益というのは私は知れたもんだと、こう思っております。したがいまして、いまの問題にいたしましても、臨海地帯でない地域におきましても、そういう二段ばねぐらいの政策をとることによりまして、問題をかなり円滑に解決できやしないか、こういうふうに私は思っているわけでございます。  なお、杉原先生の御質問に関連いたしまして、私ちょっと補足いたしたいと存じますが、先ほど鉄道の沿線に一キロ幅のグリーンベルト、こう申しましたが、これは別にそれに限る趣旨は毫もございませんで、現に公共用地の取得あるいは国道の拡充あるいは鉄道の複々線の設置等についていろいろ苦労いたしておりますので、そういう今後十年、二十年の将来に想定されるところの公共用地あるいはそれに類似するものの必要な土地の計画を出しまして、そこでそういう図面をかいてみる、こういう趣旨でございます。

工藤良平日本社会党

○工藤良平君 農業の問題はたいへん広いし、多岐にわたっておりますので、ちょっとやそっとの議論では容易に結論は出せないと思いますけれども、私は一、二お伺いしたいんですが、特に農業基本法ができて規模拡大ということが相当うたわれてきたわけでありますけれども、現実にはそれがそのとおりにいっていない、なぜそういうことなのか。日本の農業が世界的に非常に窮地に追い込まれているというのは、この規模の問題が相当大きな問題があるだろうと思うのです。土地生産性については相当高いと思っております。その問題を、規模拡大をどのように一体誘導したらいいのか、非常にむずかしい問題だと思いますけれども、そのことが一つであります。  それからもう一つは、さっきお話がありましたように、やはり農業というものは消費者に対して新しい新鮮なものを安く安定的に供給するということが最大の任務だと思うのですけれども、そのためには、やはりもちろん安定的に生産をしなきゃならぬし、そのことは言いかえると、農村が安定的に所得を得るという結果になるわけでありますが、そこで、いま農林省が出しておる農業団地、それから地域分担の問題ですね。これ私ども現地をいろいろ回ってみるのですが、必ずしも絵にかいたものがそのとおりいっていないわけであります。なぜなのか。たとえば畜産で成功している、あるいはナシで成功しているというところに行ってみますと、確かに団地として成功しているのですが、それにはずっとやはり従来からの伝統的なものがあるということなんですね、技術があったということ。それを科学的に私たちが分析をし、それをやはり科学的に試験研究機関も一緒になってやはり援助してやるということが一つの成功のもとになっているのじゃないか。画一的に地域分担やあるいは農業団地というものを考えてみても、これはしょせん必ずしも全部が成功するということはあり得ない。もしも失敗するということになると、農業の場合にはそう簡単に切りかえができないという条件を持っておりますから、私はそういった意味で伝統的なものをどのように伸ばして、そこに団地形成あるいは地域分担というものを組み合わせていくのか、非常にこれからの農業の中で基本的な問題なのじゃないかと、私なりに考えておるのですが、そのことが一つ。  それからもう一つは、さっき先生冒頭におっしゃいました農業用の試験研究機関の充実の問題ですね。私は二回ばかりあの東ヨーロッパからソビエトのほう、農業関係専門に回ってきたのですが、あそこへ行きますと、あの土地条件の、気象条件の最も悪いところで農業がやられている。試験研究機関に行ってみますと、五百人、五万ヘクタールという面積で試験研究をやっておるところの所長が二十代、年のいった人で三十代なんですね。私は、日本のいま農林省がつくっている何々審議会とか何々とかありますけれども、ほとんど農林省の役人を済ました人か、あるいはまた大学の教授の方でも古い方が多いのじゃないかと思うのですが、もちろん古い方は古い方なりの、さっきの伝統の話じゃありませんが、ありますけれども、私は、いま大切なことは、新しい発想で、新しい研究家で、しかも農業を直接やっている新しい農業技術者の創意を集めた農業というものをいまつくり出す必要があるのじゃないかという気がしてならないわけです。そういう点、特に農業試験研究機関を充実するという意味において非常に私は大切じゃないかと思いますので、先生の御意見をお伺いしたいと思います。

川野重任元東京大学教授

○公述人(川野重任君) 二つの問題をお出しくさいましたが、後段の試験研究機関の整備拡充並びに研究者の意欲の推進ということにつきましては、御賛成いただきましてたいへんありがとう存じます。この点は、その重要性が言われながら、なかなか実現しないだけに、ひとつ十分ごくふういただければと、こう思っております。特にとの試験研究におきましては、従来たとえば民間の技術を、たとえば保温折衷苗しろのごとき、そういうものかと思いますが、そういうものもありまするし、その他、あるいは、くだもの等につきましては突然変異でもって偶然できたものを農民が発見をしたりいたしまして、育成したものもございます。ただ、こういったものが、工業用のパテントと違いまして、自分の利益として確保できにくい点がございますので、どうしてもいわゆる篤農家というのは保守的にならざるを得ないというわけであります。そこへ普及制度が割り込みまして、そういう技術を公開しなさいということをやりておりますが、公開はいいのでありまするけれども、積極的にそれをつくり出すという努力については一段と努力が必要じゃなかろうか。それにつきましては、天皇賞をやるとか、いろいろなことをやっておりますが、試験研究を担当する実際の研究者が、よし、これやってやろうというひとつ夢を持つ、あるいは非常な意欲に燃えるといったふうな一つの顕彰制度あるいは賞を上げるとかいうこと等もひとつお考えくだすっていいんではなかろうかと私は思います。試験研究者も私は夢がないと思います、率直に申しまして。それにはやはり物的条件も整えますると同時に、いま申しましたような顕彰の措置ということを一段とお考えくださいということを申し上げたい。  前段につきましては、画一的な、つまり地域分担等の設計というものについては、その実現の可能性、具体性という点に問題ありという御指摘かと思いますが、私もそのとおりの意見を持っております。それならどうしたらよろしいかということはたいへん問題でございまするけれども、ただ私は一点申し上げたいと思いまするのは、過去の農業基本法以来の自立農家の育成の思想というものは、どちらかと申しますると、面積としての土地というものを拡大するという点にかなり力点を置いてきたのじゃないかと思っております。けれども、生産条件というものは、あるいは肥料をたくさん使う、あるいは農機具の優秀なやつを使う、あるいは頭を使うということですね。規模の拡大ということの内容は、同じ面積でありましても、効率的な水の管理ができるということでありますると、二倍、三倍の面積としての意味を持つわけでありまするから、そういう点、必ずしも何ヘクタールということにとらわれることは私はないのじゃないか。むしろそのことが、どうも全体として、何といいますか、農政の力の置きどころというものを少し間違えさせた点があるのじゃなかろうか。結論的に申しますならば、たとえば、畜産というものは非常に大規模なものができてきておりますけれども、これは、御存じのとおり、ほとんど土地を使えませんですね。また、施設園芸も土地をなるべく使わないということでありまして、内容的には、これは大規模経営になっております。ですから、私は、こういう点も含めまして、先ほど申しましたように、基本法農政時代の基本構想というものを、この際もう一ぺん考え直してみることが必要じゃなかろうかと、こういうことを申し上げたわけであります。

内藤誉三郎自由民主党

○内藤誉三郎君 川野先生に二点教えていただきたい。  いま確かに、一つは工業化の波に洗われている。いま一つは、輸入農産物という、両方から、はさみ打ちにあって、何か希望がないように見える。そこで、やはり、食糧の自給度というのがあるわけです。そこは、先生は自給度がどの程度かということを――私は、国の安全という点から考えてみると、最小限七、八割という議論があると思いますが、やはりある程度自給度というものを示して、そこまでの生産を確保する。もう少し計画的に、もちろん自然条件はいろいろありますけれども、計画的に生産を確保するという農業方針を立てるべきじゃないか。食糧の自給度についての先生のお考えを教えていただきたい。これが一点。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) もう少し大きい声をしてください。

内藤誉三郎自由民主党

○内藤誉三郎君 いま一点は、アメリカでの余剰農産物で、これが外国に相当潤ってきたと思うんですが、日本の場合には、お米が非常にたくさんできておりますが、この余剰農産物を、アメリカと同じように東南アジア諸国に十分消化できるのかどうか。私は、東南アジアの輸入状況はよくわかりませんが、困っていることは事実です。生産制限、それも一つの方法だけれども、私は無理して生産制限をやる必要はないと思う。東南アジアでたくさんの難民がおることは事実ですから、そういう方向へはけるなら、この際、日本は余剰農産物を処置してやったほうがいいんじゃないかという私は意見を持っておりますが、この点について先生の御意見を教えていただきたい。

川野重任元東京大学教授

○公述人(川野重任君) 二つの問題のうち、その後段につきましては、全く私は賛成でございまして、実は、そういう思いつきを数年前から申し上げておりまするけれども、私的にも、公開の席でも、そういった趣旨で御賛成いただいた意見を伺ったのはきょう初めてでございまして、国会の中でそういう有力なる御賛成を得るということにたいへん私は感銘いたしましたから、ぜひひとつ実現させていただきたい。  ただ、これにつきましては、国内的にも外にもいろいろ支障がございます。支障と申しますか、一つには財政上ですね。たとえば四百ドルで買ったものを百二、三十ドルで売るということについての財政上の赤字負担という問題で、これは大蔵当局からの反対がございましょう。それから、もう一つは、東南アジアの、たとえばタイ国でありますが、ああいう国は、そもそも自分のところが米を出しているんだ、それを安く出されたんでは自分のところがかなわぬということでもって反対をする。それに加わりまして、アメリカがやはり余剰農産物の処理、輸出ということは自分たちのお家芸だと、それをまねされてはかなわぬ、こういう方面からの反対があるわけです。ただ、その反対につきまして、私はこう思っております。前段の財政上の負担の問題につきましては、これは私は対外経済協力ということをうたっているたてまえからすると、ある程度財政負担は当然じゃないかということで、これは程度の問題じゃないかという点が一点。  それから後段の外からの反対でございますね。これにつきましては、東南アジアの国々というものが、それによっていつまでも日本の余剰農産物におんぶしておるということで、したがってその国の生産力が高まらず、したがって基本的な購買力は高まらずということでありますならば、日本の米を持っていく分だけタイの、あるいはアメリカのものが売れない、こうなりますから、それはまさにおっしゃるとおり、私は反対を受けてもしかたがないことだと思っております。けれども、先ほど申しましたように、水利かんがいの設備等の完備に労働力を動員いたしますが、その動員された労働力というのはよけいめしを食うのです。よけいめしを食うことが、たちまち、土木工事をやりますると、食糧不足におちいるのです。その事態の解決に余剰の米というものを向け得るならば、やがて、そういう水利かんがいの設備の整備によりまして生産力が高まる。こうなりますと、それらの国の購買力は私は高まると思うのです。そうしますと、タイからの生産物の輸出にいたしましても、アメリカからの輸出にいたしましても、いわんや日本からの輸出にいたしましても、これは相互に大きな規模での貿易ができるということでもって、長期的に見ると、私は合理的に解決されるはずだと思うのです。それを、どうも出し惜しみいたしまして、自分の出すべき力があるのを、いわば手足を縛りましてそれを使わないということは、たいへんもったいないということを申し上げましたのが、御賛成いただきましてたいへん感謝いたします。  前段の自給率の点でございますが、この自給率というのは、やはり計画経済でございませんので、一時的に幾らの目標を設定する、それを守るということは非常にむずかしいと思います。けれども、国土の保全といい、あるいは国民生活の安定といい、幾ら平和ということをうたっておりましても、戦争というものはこちらからしかけなかったところで、外からどういうことで起こってくるかわかりません。ですから、それに対して安全弁的な措置を講ずるということは当然必要ではないかと思っております。そこで、ある程度の自給率のめどを立てまして、それをしょっちゅう反省しながら、その具体的な措置を考えていくということですね。計画経済ということではございませんが、そういう意味で、私は、確かに目標の設定が必要じゃないかと思っております。現在約八〇%の自給率と、こう言っております。米を除きますと六〇何%と、こう言っております。ところが、米を除いたその他の農産物につきましても、たとえば先ほど申しましたところの養豚の豚ですね、あるいは卵というものは、三分の二はすでに、えさは外から入っておるわけです。それを勘案いたしますと、私は、自給率はうんと下がってくると思うのです。ですから、そういう認識も改める必要があると思いますが、いずれにいたしましても、その御構想には私は賛成いいたします。

松井誠日本社会党

○松井誠君 川野先生に二点お尋ねをしたいのですが、二点とも、いまお話しになったことと関連があるわけです。  一つは、米の需要供給の関係なんです。米の供給のほうの関係で、あれば昭和四十何年でしたか、千四百万トン台にはね上がって、わりあいそれが安定したといわれておったわけです。なぜ、あの年に千四百万トン台になってその供給力が安定したかという理由は、必ずしもはっきりしないのです。技術的に聞いても、どうもはっきりしない。したがって千四百万トン台――減反によってその後それは減ってはおりますけれども、基本的には千四百万トン台を確保し得る能力ができたと見られているわけですね。しかし、特に最近公害の関係で農薬や肥料を手控える、あるいはうまい米運動というようなことで、やはり生産量が減ってくる。そう考えますと、供給量にも、千四百万トン台は間違いないという問題に疑問が出てくるのではないか。千四百万トン台に飛躍的になったという理由がわからないものですから、したがって、それが安定的に供給できるという理由も必ずしもはっきりしないわけです。  それから、需要のほうからいいましても、何か、食事が非常に高度化して、パン食に移行したと言われておりますけれども、しかし米の値段が上がって、パンやうどんの値段が上がると、また、やはり米食率が高くなるという、そういうまだ不安定な高度化なんですね。そういう意味で言えば、需要供給というのは、あの減反政策をつくったときの基本になるような緩和という、そういう見通しは、必ずしも将来長い見通し目して、あり得るという保証はないんじゃないかという疑問を持つわけです。その辺について御意見を伺いたいというのが一つ。  それからもう一つは、これは例の南北問題との関連なんですが、私たちは、南北問題というのは、単にいまごろ政府の一部が考えておるように、外貨減らしの一環として経済協力をやろうとか、そういう形で考えるのは基本酌には間違いだと思う。どっちみち、南北問題というものをもっと高い次元で考えなければならないわけでありますけれども、そういう意味では、この南の国との貿易というのは、いつまでも南の国を農業国に押しとどめるというような垂直的な分業という形ではできないわけですが、現実には、しかし、南の国から入ってくるのは一次産品、特に農産物ですね。そうなりますと、日本の農業というものとの競合の問題が出てくるわけです。この問題というのは、私は社会党ですけれども、革新政党、特に社会党なんかの一種のアキレス腱みたいな形に、率直に言ってなっているわけです。で、原則論としては、いろいろわかりますけれども、たとえば先進国から入ってきておる農産物を南の国のほうに切りかえろと、たとえば濃厚飼料にしても、アメリカから輸入しておるやつを東南アジアから持ってきたらいいじゃないかという、そういう議論としては、その程度のことはできますけれども、さて、具体的にどうするかということになりますと、やはりいろいろぶつかるわけですね。持にこれは南の国という意味ではありませんが、やはり農業国としての中国との貿易のことを考えてみますと、繭の問題一つをとっても問題が出てくるわけです。タイの米を輸入するという問題についても問題が出てくる。ですから、その辺、外貨減らしという、いわゆる垂直分業という、そういう形ではないにしても、南の国がいずれ工業国に発展をするという、そういう前提をとりながらでも、一体どういう原則で、具体的にどういう品目を、どう南北貿易で考えたらいいのか。質問の体もなしませんけれども、その辺の御意見をひとつお聞かせをいただきたいと思います。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) 川野公述人、お願いいたします。

川野重任元東京大学教授

○公述人(川野重任君) 後段のほうからお答え申し上げまするけれども、低開発国はいつまでも農業国たることを甘んじない、しかも、一方、当面のところは、先進国から農産物を買わずに、低開発国から買ってほしいと、UNCTADの場等におきましても、先進国にそういうことを要求しておるわけですね。その点から考えますと、これに余剰農産物の輸出をする、あるいは援助にいたしましても、そういうものを出すということは、一見、それらの地域における農産物の過剰を激化せしむるということで、矛盾するかのごとくに見える点もございます。けれども、実際は、それらの国の農産物の輸出の余力というのは、はなはだ少ないのですね。はなはだ少ない。おそらく、たとえば朝鮮戦争のときはそうでございますが、少し需要がふえてまいりますると、たちまち農産物の暴騰を来たすということになっておると私は思っております。したがいまして、当面は、食糧の供給をすることによって基礎的な食糧生産の条件を改善すると、当然それはその地域の農産物の価格も下がってまいります。しかし、コストも下がりまするから、所得が下がるとは限らないと私は思いますね。むしろ、所得は実際的には上がってくると思いますね。所得が上がってまいりますと、今度は農産物の需要がその地域においてふえますが、しかし、農産物の需要だけではなく、工産物に対する需要もふえてくる。そこで、国内におきまして一つの工産物に対する国内のマーケットもできてくる、そのマーケットを対象にいたしまして、それらの国の国内の工業化というものも可能になってくる。こういうふうに私は論法で考えておりまして、現在、たとえば肥料なら肥料をつくります、肥料工場をつくることは比較的やさしいのですね。限られたる施設を持ちまして、少数の技術者を訓練すればよろしいわけでありまするから、肥料工場というのは方々にできております。コストの高い、管理が悪いという面もございまするけれども、とにかく肥料ができるわけですね。ところが、そういうものが余っておるのですね。なぜ余っておるかと申しますと、要するに、吸収できない。なぜ吸収できないかと申しますると、品種改良はできておりまするけれども、安定的な水の供給ができない。ここに私は一番の問題があると、こう思っております。  西パキスタンでは比較的によく改良小麦の増殖ができておりまするけれども、これは水の管理がいいからですね。ところが、パキスタン等におきましてデルタ地帯では水はあるのですね。あるけれども、管理が悪いためにそういう米も安定的な生産ができないという事態にある。ダムをつくり、あるいは排水をよくするということ、これはたいへんに金がかかるし、労働力が要る。金だけではございません。金を払いますと、それはその土地の労働者に対する、あるいは農民に対する購買力の追加ということになりますかち、これはたちまち、先ほど申しましたように、食糧の需要というものをふやす。ちょうど大正七年の米騒動のときと同じように、所得がふえますと、まっ先に食糧の需要がふえる。こうなってきておる。そこで、一面において農産物を出したいと言いながら、実際には、農産物をたくさんつくるようなプロジェクトは実行されませんで、食糧不足におちいるということで、一進一退ですね。  インドにいたしましても、工業化に重点を置きまして、輸入するものは全部工業製品と工業用の資材、原料と、あとは全部食糧も消費財も要りませんというようなことを言っていながら、さてそれを始めますと、今度は工業化のためにたくさんの労働者を雇います。その労働者に払った賃金というものは、あるいは食糧に対する需要、あるいは消費物資に対する需要というものにはね返ってまいりまして、それで国内の価格が高くなってくるわけです。あわてまして、今度は消費財、食糧の輸入の制限というものを解くという事態をしばしば繰り返しておりますが、長期的に考えますると、私は、そういう点で、まあたいへんあるいは御意見に反する点があるかと思うのですけれども、農業投資を通じて農業の振興、それから工業の発展ということでもって、その上に今度は貿易の発展もできるというふうに言いましたのは、これは貿易上の観点を強く主張なさる方がありますから、その方々に対しましての説得というような趣旨で申し上げたわけでありまして、別に貿易至上主義ということを申し上げているつもりはないわけでございますが、理論的な筋道としてはそういうように考えております。  それからもう一つ、前のほうのお話でありまするけれども、千四百万トンにいきなり生産がはね上がったということにつきましては、おそらく、これは私のしろうと考えでございますけれども、いろいろな面での技術改善がございますが、一つには、過去十年間、いろいろな農村振興政策でもって、特に基盤整備をやってきまして、これがたいへんに面積当たりの収量を高めるということになってきたということが大きいのじゃないか、こう思っております。これは供給の面でございます。それから、需要の面につきましては、相対価格といたしますると、過去十年来、私は卵の値段はほとんど上がっていないと申しました。この間に、その他の農産物、米も含めまして総体的に上がっているわけですね。そうすると、少なくとも畜産物の消費がふえたということは、所得が上がったから畜産物の消費がふえただけでなしに、相対価格としてそのほうが割安であったと、こういうわけですね、というところから畜産物の消費がふえまして、その分だけ今度はでん粉質の食糧の消費が減るということになってきている面があるかと思います。これは逆に申しますと、今度は、かりに米の消費者米価は下がる、こうなりましても、もう日本人のおなか一ぱいでもって、幾ら食べたところで、価格に関係なく一人当たりの米の消費量はきまっているというふうには考えがたいのではなかろうか。値段が下がりますと、私はまた米の消費もふえるというふうに考えております。その点で、価格上の調整の問題はもう一つ残っているかと、こう思っております。

徳永正利自由民主党

○委員長(徳永正利君) それでは、他に御発言もないようでございますから、質疑はこの辺で終了させていただきます。  公述人の方にごあいさつを申し上げます。長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  明日は午前十時十分に委員会を開会いたします。本日はこれにて散会いたします。    午後二時五十七分散会

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