予算委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 53 件
- 登壇者
- 15 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1972/04/12
会議録
○委員長(徳永正利君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。 公聴会の問題は、昭和四十七年度総予算についてであります。 きょうは午前中お二人の、下村先生、戒能先生の御出席を願っております。 これから順次御意見を伺いたいと存じますが、この際、公述人の両先生に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中にもかかわりませず本委員会のために御出席をいただき、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。 それでは、議事の進め方につきまして申し上げますが、お手元にお配りいたしました名簿の順序に従いまして、お一人三十分程度の御意見をお述べ願いたいと思います。お二人の先生から御意見をお述べいただきましたあとで、委員の諸君から御質疑があります場合は、お答えをお願いしたいと存じます。 それでは、下村先生から御意見をお述べいただきたいと存じます。
○公述人(下村治君) 現在の日本の景気がどうなるかということでありますが、私は弱気の見方をとっております。民間設備投資の活発な回復が期待できない、したがって景気の回復には、もっぱら積極的な財政金融政策にたよらなければならない、そういうような歴史的経済段階に入ったと見ておりますが、したがって四十七年度予算案は、そういう観点からいいますと非常に不十分であって、四十七年度の景気を回復させるには至らないのじゃないかということを心配しております。 で、今日の不況の実体は、大きなGNPギャップが発生したということじゃないかと思います。おそらくは十兆円前後のGNPギャップ、つまり需要不足が発生していると見なければならないのじゃないかと思いますが、このようなGNPギャップを解消して、そして四十七年度の経済を順調な状態に回復させるには、四十七年度の予算では十分でないのじゃないか。四十七年度予算案は、前年度に比較しまして二兆円大きくなった予算であるということがいわれておりますけれども、その程度のことでは、四十七年度に新たにGNPギャップが発生して、GNPギャップがさらに増加をするということをとどめることができないのではなかろうかというように思います。 なぜ、もっぱら財政金融政策を積極化しなければならないのか。なぜ民間設備投資の非常に活発な回復に期待できないか。これは根本的に重要な点じゃないかと思いますが、これは今日の経済が民間主導型の時代を終わって、政府主導型あるいは財政主導型といってよろしいと思いますけれども、そういうような段階に入ったからだというように考えなければならないのじゃないかと思います。したがって、今日の経済の段階では、民間設備投資の自発的な、自生的な、独立の増加を期待できないというように考えなければならないと思います。 これまでの日本の経済は、そうではなくて、民間主導型の状態であったわけです。そこでは、民間設備投資が非常に活発に増加をする潜在的な条件を持っておったわけです。過去二十年間に民間設備投資は三十七倍になっておりますが、初めの十年間に八倍、その次の十年間に四・七倍というように激増しておりますけれども、これは日本の経済がそれを可能にするような、あるいはそれを必要とするような歴史的な条件を持っておったからというように考えることができるかと思います。 つまり、日本の経済は非常に低い段階、非常に弱い、非常に貧しい段階から出発して、先進工業国がすでに開発した技術を導入することによって、日本の産業界を急速に高度化することができたわけです。そのような輸入技術によって、導入技術によって産業を高度化することで先進工業国に追いつく過程、これが、これまでの日本の経済の成長の姿ではなかったかと思いますが、したがって、産業界には絶えず非常に強い設備投資意欲が充満しておったわけです。条件さえ許せば、機会さえあれば設備を拡張したい、事業計画を拡張したい、そういう意欲の充満した状態であったわけでありますから、したがって設備投資が激増し、その設備投資の増加を推進力として経済全体が拡張してまいったということではないかと思います。 昭和三十九年、四十年度のたいへんな不況から、日本の経済がなぜ簡単に好況に戻ることができたか。これは日本の経済がそういうような民間主導型の基調のもとにあったからであるというように考えなければ、理解できないことだと思います。四十年の日本の経済は、相当のGNPギャップが発生しまして、需要不足の不況の状態で、あるいは混乱状態といってもよろしいような状況であったと思いますけれども、そのような状況の中で政府が財政金融政策を、引き締めから緩和の方向に転換いたしますと、たちどころに設備投資の激増が起こっております。四十一年度は前年比較で二五%ふえておりますし、四十二年度はさらに二九%ふえまして、二年間に六〇%の設備投資の激増が起こっております。そのような設備投資のいわば自発的な、自生的な、独立な回復、こういうことが可能であったわけですが、それは、日本の経済がまだ先進工業国よりも非常におくれた段階にあって、一挙にこれを追い詰めるような意欲に充満しておった状態であったからだというように理解するほかないのではないかと思います。 今日の日本の経済は、そういうような貧しい段階を抜け出しております。まだ非常に豊かな段階とはいえませんけれども、これからの十年間を展望いたしますと、これまでの日本の経済とは全く違った、ほんとうに豊かな、ほんとうに高度な経済の時代が始まろうとしていると申してよろしいと思います。 そういうような状態、これを一人当たり国民総生産の推移で考えてみますと、非常にはっきりと数量的に見えてまいるわけでありますが、アメリカの一人当たりGNPと日本の一人当たりGNP、これ比較して申しますと、二十年前にアメリカが十四倍であります。昭和二十五年の位置でありますが、アメリカが十四倍、十五年前にアメリカは九倍であります。十年前に六倍、五年前に三・八倍、そして昭和四十五年度の位置で二倍半ということになっております。本年、四十七年度になりますと、おそらくは二倍ぐらいに接近しているのではないかと思われますが、これが十年後の状態を考えてみますとどうなるか。おそらくは、日本とアメリカとはほとんど肩を並べるような状態になっていることは、間違いないと思われます。どちらが上であるかは予断の限りでありませんけれども、ほとんど肩を並べる状態であるし、その段階において、日本は、世界で最も高い水準の経済を実現をしているということではなかろうかと思います。 で、これが何を意味するかということを考えますと、経済成長の推進力としてのイノベーションの条件、生産性向上、技術革新の条件が根本的に違ってくるということじゃないかと思います。 これまでは、われわれは先進工業国に対して非におくれた位置にあったわけですから、したがって、先進工業国からの導入技術によって産業を高度化する状態にあったわけですが、世界の最高水準の経済になったときには、導入技術による経済成長は起こりません。新しく開発された技術によってのみ、経済が成長する状況に変わるはずであります。そういたしますと、生産性向上の条件、イノベーションの条件が、これまでは非常に急速であり得たわけですけれども、五年後、十年後には、それが非常に緩慢な状態に変わらざるを得ない。そういうわけで経済の成長は、これまでは一本調子の加速ぎみの成長であったわけですけれども、これからの経済成長は、非常に急速な成長の状態から非常にゆるやかな状態に向かって、減速過程に入らざるを得ないと見るほかないのではなかろうかと思います。 それに伴いまして、当然に民間設備投資に大きな屈折が起こるわけです。イノベーションといいましても、生産性向上といいましても、それを実現するのは設備投資を通してでありますから、したがって、そのイノベーションの条件が変わるに伴いまして、設備投資の勢いに大きな変化が起こるのは当然なことじゃないかと思います。そういうわけで、設備投資はこれから大きな屈折を示すに違いないと思います。過去十年間に設備投資は四・七倍になっておりますけれども、これからの十年間には、おそらく二倍にもならないで、おそらくは一・七倍ぐらいにとどまるのではなかろうかというように考えます。 こういうような成長の減速過程が始まりますと、経済成長の需要の側面に大きな変化が起こらざるを得ないということになります。経済の成長は、申し上げるまでもなく生産力の増強、生産性の向上と並行して、それとちょうどつり合った需要の増加があることによって実現されるわけでありますけれども、この需要増加の側面に非常に大きな変化が起こってまいるわけです。これがつまり、これまでは民間主導の経済であったものが、これからは政府主導、財政主導の経済に変わらざるを得ないということの本質であると思います。 で、これまでは民間設備投資が激増する、民間産業界の活動が急激に活発になる、そこから購買力の流れが生み出されまして、経済全体を引き上げてきたという過程であったわけでありますけれども、これからは民間設備投資があまりふえません。ふえることはふえますけれども、ゆるやかにしかふえません。したがって、購買力の増加、需要の増加を推進するものは民間ではない。民間ではなくて、それは政府でなければならない。政府が積極的に購買力の増加、需要の増加を誘発するような、誘導するような積極的な措置をとらないと、経済全体が順調に成長発展することはできない。せっかく実現された生産能力、生産性、国際競争力が、国民総生産として、あるいは国民所得として実現されないということになるわけであります。 で、具体的に言いますと、消費が十分にふえなければならないということになります。あるいは財政支出が十分にふえなければならないということになります。財政支出は、財政消費、財政投資、おしなべてふえなければならないということになるかと思いますが、そのような条件を実現しますためには、何よりも大幅な減税が必要でしょう。あるいは思い切った金利の低下、金融の緩和も必要でありましょう。予算が、思い切って積極化しなければならないというようなことになるのではないかと思います。そういうような、思い切って大胆な積極的な財政金融政策がとられることによって、経済が順調に成長発展することができる。そのような状態が財政主導型の経済の姿であると思います。そのような状態が、これからの日本の経済がたどるべき姿であるというように考える必要があるのではなかろうかと思います。 四十六年度の経済が、なぜ今日のような形で不況になってしまったかということは、このようなことを背景にして考えますと、四十六年度予算に大きな問題があったということではないかと思います。四十六年度予算が小さ過ぎたということだと思います。おそらく、規模において二兆円か三兆円ぐらいは小さ過ぎたということじゃなかろうかと思います。おそらくは減税も、五千億円ぐらいの規模で行なわるべきではなかったかというようなことだと思います。財政規模が二、三兆円大きくなり、減税がさらに五千億円前後追加されるという形で考えますと、もしも四十六年度の当初にそのような予算が組まれておりましたならば、今日、私が申しました十兆円のGNPギャップ、これが十兆円でありますか、七兆円でありますか、精密な数量については議論が分かれるところでありますけれども、いずれにしましても、そのようなGNPギャップの大部分は解消していたに違いない。そういうようなことが、実は四十六年度予算に問題があったということを示しております。 今日の不況を、よくドル・ショック、ニクソン・ショックの不況というように言います。あるいは円不況であるというような、為替レート切り上げが今日の不況を引き出したというようにも言いますけれども、これは、したがって非常に大きな見当違いを含んでいると申してよろしいと思います。で、ドル・ショックという表現をよく吟味してみますと、これが非常に不合理な考え方であるということがはっきりすると思います。アメリカ大統領が、昨年の八月の段階でドル防衛措置をとったから、日本の経済は不況に入ってしまったのだ、これがなかったならば、日本の経済は八月ごろを境としてだんだん回復したに違いない、こういうようによく言われますけれども、これはもう少し丁寧に考えてみますと、アメリカ大統領が、アメリカの国際収支赤字を除去するための、解消するための措置をとらなかったならば、日本の景気は好転しただろうということになりますし、もう少し言いかえますと、日本の景気が好転するためには、日本の経済が不況から脱出して好況に移るためには、アメリカ経済が国際収支赤字でなければならない、アメリカ経済がインフレを続けていなければならないというようなことになります。 日本の経済の好況の条件として、アメリカの国際収支の赤字、アメリカのインフレの放任が前提されるということになりますから、もしも日本の経済がドル・ショック不況である、ニクソン・ショック不況である、これは外部的な事情によって発生した不況であるということを主張するといたしますと、日本の経済は、自主的に自立的に好況を維持する能力はないのだと、こういうようなことに帰着するということじゃなかろうかと思います。これはいかにも不合理な、不見識な考え方であることは明らかでありまして、今日のような状態になりましたのは、ドル・ショックのせいではない。そうじゃなくて、ドル・ショクッによって、本来もっと早く、もっと強く表面化すべかりし不況の姿が表面化しただけであるというように理解する必要があるのじゃないかと思います。 いずれにいたしましても、今日の日本の経済が財政主導型の経済に入ったにもかかわらず、その情勢に非常に適切な財政金融措置がとられなかったことが今日の不況の決定的な原因であるというように理解しなければならないのじゃなかろうか。 四十七年度の予算案をそういう観点から考えますと、四十六年度のこの小さ過ぎる予算よりも、二兆円ぐらい大きいという程度の予算であるといたしますと、これが大き過ぎる予算であるかどうか、十分に大きな予算であるかどうかということについては、非常に大きな疑問が出てくるということではなかろうかと思います。 今日の日本の経済の一つの大きな特徴は、国内で、いままで申し上げましたような不況の状態なり大きなGNPギャップが発生すると同時に、国際収支面で非常に大きな輸出超過、非常に大きな黒字が発生しているということじゃないかと思います。同時に、この不況の状態は、さらにだんだん悪くなろうとしております。また国際収支の黒字は、だんだんと拡大しようというような勢いを示しております。このことは、日本の経済がいかに能力以下の水準に、不満足な状態におちいっているか、能力以下の状態で低迷しているかということを示していると言わなければならないのじゃないかと思います。 で、三百八円レートについての公正な評価も、そういうような事態を背景にして初めて下すことができるかと思います。為替レートの調整が適正であるかどうかということは、その措置によって経済が、国際均衡と国内均衡とを同時に実現する方向に調整できるということで、初めて断定できることじゃないかと思います。三百八円レートがきめられたことによって、日本の経済は、今日、国際均衡を改善する方向に向かつておりません。国内均衡を改善する方向にも向かっておりません。国際均衡、国内均衡、いずれもぐあいの悪い方向にむしろ進みつあります。ということは、三百八円レートの選択が、合理的な健全な選択であったということを示していない。為替レートの調整にもかかわらず、日本の経済は国内面、国際面において望ましい方向への変化が少しも導入されなかったということが、実証されていると見なければならないのじゃないかと思います。 日本の立場から言いまして、円レート切り上げ論が昨年じゅうにきわめて強く行なわれたわけですけれども、円レート切り上げ論が正しい主張であり得るためには、そのような為替レートの切り上げによって、日本の経済が国内の不況から脱出できるということでなければならないし、そのようなレートの調整によって、日本の経済が輸出超過を解消し、国際収支の黒字を緩和する方向への変化が導入できるということでなければならなかったわけであります。円レート切り上げ論はそのような主張であったわけですけれども、なぜそのような主張が成り立ったかということには、その前提として、どうも錯覚があったのではなかろうかと思います。その錯覚は何かといいますと、日本の国内経済を不況であると見ていなかったということであります。日本の国内経済は不況ではなくて、インフレであるという認識があったということだと思います。日本の経済は、国内経済面から言いますとインフレである。それにもかかわらず国際収支面では大幅な輸出超過、大幅な黒字を出しておる。インフレ経済が輸出超過を出しているといたしますと、このような形での国際均衡、国内均衡の不均衡状態を是正する道は、これは明らかに為替レートの切り上げ以外に方法はありません。為替レートを切り上げする以外に、この調整を実現する道はないといってよろしいと思います。しかし、今日の現実の事態を見ればわかりますように、日本の経済はインフレどころか、たいへんな不況であります。たいへんな需要不足の状態であります。そうして国際収支は黒字であります。つまり円レート切り上げ論は、日本の経済についての間違った認識、日本の経済についての錯覚を前提にして主張されておったということではなかろうかと思います。 現実の日本の事態は、国内は大きなGNPギャップ状態である、国際収支は、それを背景として大幅な黒字であるということではなかったかと思います。したがって、このような状態を健全な状態、正常な状態に戻す道はただ一つ、積極的な拡大政策以外にないということじゃないかと思います。経済を思い切って拡大をする。それによって日本の経済を不況から脱出させ、日本の経済を活発な成長軌道に戻すということであります。そのような拡大政策によって国際収支の均衡もおのずから改善される、こういうことじゃないかと思います。所得水準がもっと高くなる。福祉の水準がもっと高くなる。あるいは教育文化施設が充実され、あるいは生活環境条件が整備される。いずれにいたしましても、そういうような形での需要の増加が実現され、それによってGNPギャップが解消されるということは、拡大政策によって実現されるわけでありますけれども、そのような形でGNPギャップが解消いたしますと、おのずからその中で輸出圧力が緩和いたします。そうして輸入が誘発されて、輸入が増加し、輸出の増加が軽減される以上は、国際収支の黒字幅が緩和するのは当然なわけでありまして、つまり拡大政策の中に、おのずから国内均衡が改善され、国際均衡が改善される条件は含まれているということではなかろうかと思います。むろんこれに関連しまして、同時に思い切った積極的な、あるいはむしろ徹底的ともいうべき輸入の自由化と関税の引き下げが必要であるということじゃないかと思いますし、あるいはまた、思い切って積極的な大胆な資本の輸出と経済援助政策が必要だということじゃなかろうかと思います。 このような積極政策によって、すべてのことが円満に解決される可能性を持っているにもかかわらず、何となしに、このような政策がとられなかったわけでありますけれども、なぜそれがちゅうちょされていたのか、なぜそれが抑制されてきたのか。どうも考えてみますと、その背後には、いわれのないインフレ恐怖症があったということじゃないかと思われます。拡大政策をとったら日本の経済はインフレになってしまうじゃないか、国債を発行したら日本の経済がインフレになってしまうじゃないか、そういうような心配が先に立って、拡大政策がちゅちょされ続けておったということではなかろうかと思われます。しかしその結果、何が起こったかといいますと、今日のような国内経済の不況でありますし、今日のようなたいへんな輸出超過、たいへんな黒字ということでありますから、このようなちゅうちょが、全く合理的な根拠のない、意味のないちゅうちょではなかったかというように思われます。 今日のような経済状況でありますと、円の再切り上げ論議が一そう強くなるのは、これは避けられないということじゃないかと思います。 で、昨年の状態で日本はついに円の切り上げに追い込まれたわけでありますけれども、昨年の状態と今日の状態と比べて、あまり違ったところはありません。たいへんな輸出超過が現に実現されております。去年の輸出超過に比べまして、今日の輸出超過は、それよりももっと大き目になっております。国内の経済は、去年と同じような不況であります。ことしのほうが、もうちょっと不況の程度が強いかもしれません。で、去年の状態において、日本の円レートは過小評価であるということがいわれまして、三百八円レートに追い詰められたわけでありますけれども、日本の立場からいいますと、これは日本の不況のせいであるということでありますけれども、この日本の不況の事実、日本の経済が不況であるために輸出超過が過大になったんだという説明は、ヨーロッパやアメリカの国々を納得させるに至らなかったわけであります。今日においても、それが変化するわけはありません。同じような輸出超過があるじゃないか、経済は同じような状態であるじゃないか、そうだとすればこの状態は、円レートの過小評価の結果ではないかというかいうような結論になるのは避けられない。三百八円でも、円レートは依然として過小評価というような結論が出ざるを得ないような状況に、現に置かれていることは間違いないことじゃないかと思われます。 しかし、円の再切り上げがあるといたしますと、これは日本の経済にとってたいへんな不幸であると言わなきゃならぬと思います。三百八円レートそのものが、先ほど申しましたような理由で、望ましからざる選択であったと言わなければならぬと思います。日本にとっては、選択というよりも、これは追い詰められた状況だと思いますけれども、日本にとっては不幸な結論であったと言わなければならぬと思いますけれども、これを、さらに二百八十円とか二百九十円に切り上げざるを得ないとすれば、これはたいへんな混乱状態が起こると見ざるを得ないと思います。国内の経済の不況状態は、依然として改善されないどころか、むしろ増幅される危険が出ると思います。そのことを背景として、さらに輸出圧力は強くなり、輸入はさらに増勢を鈍化するということになりましょうから、国際収支の黒字は縮小するどころか、さらに拡大をするというようなことになるのではないかと思います。混乱が増幅されるのが落ちであるということでありまして、日本の経済にとって、もしそのようなことになるといたしますと、たいへんな不幸であるということじゃないかと思われます。 で、そのようなことにならないような措置を、思い切って大胆にとるのは今日の焦眉の急務じゃないかと思いますけれども、そのための最も根本的に重要な措置、正しい選択の方向は何かといえば、思い切って大胆な積極的な財政金融措置以外にないということじゃないかと思われます。 大幅な減税がまず必要でありましょうし、大幅な財政の増加が必要であるということになると思います。減税は、少なくとも五千億円から一兆円くらいの幅で必要じゃなかったか。少なくとも、今後減税を考えるとすれば、そのような減税が必要な状況じゃなかろうかと思われます。四十七年度の歳出も、せめて一兆円ぐらいは追加する必要があったのじゃなかろうかというように思われます。そういたしますと、国債発行高が、二兆円ではなくて、三兆円から四兆円ぐらいの幅に増額しなければならないということじゃなかろうかと思います。それと関連しまして徹底的な関税引き不げ、輸入の自由化の方向へ踏み切らなければならないということになりますし、同時に、積極的な経済援助、大胆な経済援助、大幅な資本輸出の条件がつくられなければならない。当然に金融は緩和され、金利は低下されなければならないというようなことではなかろうかと思います。 国債を年に四兆円も五兆円も発行するということはたいへんなことのように言われますけれども、これは戦争中の国債と、平時の建設状況にある、平時の正常な成長状態にある経済における国債の問題とが、混同されているためではなかろうかと思います。戦費を調達するための国債の背後には、生産力がありません。生産性の向上がありません。したがって、そのような国債発行は必ずインフレの条件になります。しかし、今日の日本の経済で発行されます国債の背後には、十分な生産力があります。十分な生産性向上があります。十分な成長力があります。したがってこの国債発行は、それによって所得水準の向上なり福祉の充実なりの条件にはなり得ても、インフレの条件にはなり得ないと考えてよろしいのではないかと思います。 かりに今日、毎年毎年五兆円の国債が累積するといたしましても、十年累積した姿で考えて、わずか五十兆円にしかなりません。昭和五十五年度の位置でGNPの大きさを想定しますと、私の想定でありますと、二百五十兆円ぐらいの大きさになります。二百五十兆円のGNPを持つ経済が、国債残高として五十兆円であるといたしますと、その割合はわずか二〇%にしかなりません。このような状態では、国債は多過ぎるどころか、少な過ぎるという状態ではなかろうか。もっと国債を出してくれというような状況が、おそらく発生していると見なければならないかと思います。そういうわけで、実は国債を含んだ財政を組むということは、日本の経済にとって、正常な健全な成長を実現するための正常な健全な条件であるという点について、確信を持ってよろしいのではなかろうかと思います。 そこで、そのようなことを頭において、これからの景気の動きがどういうような足取りになるかという形をまとめて考えてみますと、四十七年度予算案で盛られておりますような予算を前提にして、それ以外に追加的な政策の変化がないということを前提にして考えますと、私は、景気は四十七年度中に非常にぐあいの悪い状態に変わっていくと思います。底入れ底入れとよく言われますけれども、これは一時的な現象で、やがて経済は、下期になればぐあいの悪い方向に変わる危険が出てくるというように思っております。経済は回復するどころか、失速の危険が出てくるのではないか。これを避ける道は、思い切って積極的な補正をできるだけ早く、大胆に行なうという以外にないと思います。そのような補正が行なわれましても、タイミングが少しおくれておりますから、上期中に好転があらわれるということにはならないでしょう。しかし下期悪化の可能性は、なくなりましょう。そして下期から好転の動きが始まると思います。しかし四十七年度中は、それほど目立った景気の状況にはならないかもしれません。四十八年度から四十九年度にかけて、きわめて活況を示すような状況があらわれてくると思います。四十九年度の前半において、はじめてGNPギャップのない状態が実現される、こういうような足取りになるのではないかと思います。もちろん、そのためには四十八年度予算に、思い切って十分な積極的な財政政策がとられなければならないということじゃなかろうかと思います。 そういうようなわけで、積極的な政策が今日の不況から日本の経済を脱出させるための、決定的な条件であると考えなければなりませんし、そのことによって日本の経済が初めて、日本の産業界が今日までつくりあげました経済的な能力を十分に、国民の生活水準の向上なり、福祉の水準の向上なりに実現できるということじゃなかろうかと思います。国際均衡と国内均衡とを同時に実現しながら経済が成長するということが、初めてそれによって可能になると思います。国内均衡がそのようにして実現される中で、経済はおそらくは十年間に名目のGNPが三倍半になるというようなことになるでしょうし、十年後の経済は、今日のアメリカの経済水準よりも、一人当たりGNPでいいまして、おそらく二割から二割五分高い経済になる。そのときの世界において最高の水準の経済になるということじゃなかろうかと思われます。 一般会計の予算は、おそらくは十年間に五倍以上、五倍半ぐらいの規模の予算になり得るということじゃないかと思いますが、そのような予算の中で、たとえば教育文化費は五倍にふやすとか、社会保障費は六倍にふやすとか、公共事業費は七倍にふやすとか、経済協力費は二十倍にふやすとかいったようなことも可能になる。そういうような、思い切って国民の福祉の水準の向上なり、国民の生活環境条件の整備なり、公害防除の投資なりが思い切って行ない得るような状態が実現されるということになるのじゃないかと思います。同時に、国際的な活動の面にいたしましても、積極的な、非常に大規模な経済援助や資本輸出が行なわれることになりますから、それを背景にして、日本の経済は世界の各国の中で先頭を進みながら、先頭に立って世界の平和と繁栄の条件の強化のために貢献をするという姿があらわれてくるのではないかと思います。 そのようなことが可能な、そのような建設的な活動が可能な経済がいまでき上がろうとしている。にもかかわらず、それを生かそうとすることについて非常に大きな逡巡が行なわれている。ちゅうちょが行なわれている。これが今日の姿のようであります。そのために今日の不況、大きなGNPギャップが発生し、そのために今日の大きな国際収支黒字が発生し、そのために、今日のように円再切り上げをすべきかどうかということが、話題になるような状況が始まっているということではなかろうかと思います。日本の経済の実力についてもっと自信を持って、これからの日本の経済の可能性についてもりと自信を持って、思い切ってその能力にふさわしいような選択をすべきではなかろうかというように考えております。 以上であります。(拍手)
○委員長(徳永正利君) どうもありがとうございました。 —————————————
○委員長(徳永正利君) それでは次に、戒能先生にお願いいたします。
○公述人(戒能通孝君) 私は、公害問題に関する予算についての公述人になっておるようでございますので、感想を申し上げさしていただきたいと思います。 まず第一に、さすがに日本政府というのは世帯が大きいせいでございますか、東京都の予算のやり方、立て方なんかに比べまして、全く違うんだという感じがいたしました。 東京都で予算をいただくためには、都議会に、同種の事業をやっていましたら、その成果がどのくらいあがっていたかということを報告しないと、今年度予算というのはいただけないような仕組みになっていると思うのでございます。 事は比較的簡単でございます。ある予算がどれだけの効率をあげたかということは、簡単に一枚のグラフに集めることができるわけでございます。この程度のグラフというものは、つけて出さなければいけないということになっているようでございます。グラフでまとめて見ますと、ともかくこの五、六年の間に清掃関係、ごみの焼却率は倍になった、しかし、ごみはふえた。あるいは下水の処理量は一・八割増加している、しかし水の汚濁はやはりふえているとか、あるいは硫黄酸化物は若干減って、粉じん量も減ってきたというふうなことをやはり報告しなければいけないわけでございます。 ところが、政府の予算では、それらの報告というのはついておりません。もちろん、資料を御要求になれば出てくると思うのでございますけれども、しかし、それがあらかじめついていないわけでございます。ですから、何に使うかよくわからないという項目が、だいぶあるように思うのでございます。たとえば沖繩開発庁の予算でございますけれども、三十万円とか、四万円とか三万円くらいの予算がついているわけでございます。いまどき、三万円の予算というのが独立の項目になるということは、不可能なのじゃないだろうか。何もできないのじゃないだろうか。こんなことは、おそらく効率をあわせて考えてみますと、結局何もしないという予算になっているのではないだろうかという印象を持つわけでございます。 さらにいままで、地域開発をするにあたりまして、いろんなモデル調査をしたと思うのでございます。予想調査はしたと思うのでございます。それが今度の予算にもやはり出ております。たとえば瀬戸内海の水理模型調査、水理模型の建設というふうなものが出ているわけでございます。で、水がどう流れていくか、これは大局的な面から申しますと、モデルをつくることによりまして、ある程度の判断ができると思うのでございます。しかし公害要因などというもの、特に沿岸に集まってくる要因などになってまいりますと、水量の動きというものがモデルどおりには実際行なわれないのが原則だと思うのでございます。その結果といたしまして、たとえばいままで鹿島の新産業都市でございますけれども、あらかじめ調査した結果と、それから現実に起こった結果とは、全く違ったものになっているはずでございます。それと同じようなことが、瀬戸内海の水理モデルの建設についても出てくるのではないかという印象を持たないわけにはいかないわけでございます。したがって、どんな効果があったかということ、それをがっちり押えていくようにすれば、おそらく予算のつくり方というのが、あるいはまた予算によって、実現する仕事というものの内容が相当違ってくるのじゃないだろうかという印象を持たないわけにはまいりませんでした。 第二に、この公害関係予算では、できることとできないこととの区別というものが、区別が正確に実施されているかどうかということを疑問に感じたわけでございます。 たとえば、今年度予算におきまして、電気自動車の開発について相当大型の予算がついております。しかし電気自動車が本格的に開発され、普及したときに、その電力はどうするつもりなのだろうか。自動車からくる排気ガスを制止するために、今度は発電からくる大気汚染はどうするかという問題が、これは抜けているのじゃないだろうかという印象を持つわけでございます。もちろん、電気自動車が本格的に普及するようになれば、これは当然、電気の需要は非常に大きくなるであろうということは当然でございます。その問題はどうなっているのだろうかと。この答えは、実は予算の中に出ていないという印象を持たないわけにはまいりませんでした。 と同時に、電気自動車というふうなことになりますと、これはやはりいまは、世界の状況から申しますと、大企業間の競争の問題になっております。どの企業が一番早く、ガス・タービン自動車あるいは蒸気機関自動車、もしくは安定してそして効率のいい電気自動車をつくるかということは、世界的な大企業間で非常に大きな競争テーマになっているわけでございます、つまり、電気自動車の問題というのは大企業援助になっているのじゃないか。 それでは、中小企業のためにどれだけの予算が組まれているかということになりますと、これははっきりしておりません。中小企業は調査機関もなし、また新しい施設をつくる、試作品をつくっていくだけの能力のない中小企業のために、どれだけの予算をつけるかということになりますと、この点は電気自動車ほど、はでではないという状態になっているわけでございます。で、ともかく大企業のための予算というものが出ているけれども、中小企業のための公害防止予算というふうなものは、はっきり出ていないというのが現状ではないかという感じがいたすわけでございます。で、中小企業のための、たとえば公害防止予算ということになりますと、結局、できるだけ生産工程を個別に分類していく以外にないであろう。一個所から集まってくるものを、一工場から集まってくるものを全部集めて処理するというようなやり方をとっていきますと、これはおそらくだめだろうと言うことができると思うのでございます。 私、一昨年でございましたけれども、ある町の方から、こんな質問を受けたことがございました。自分の町では、皮なめし業者が非常に多い。牛の皮のなめし業者が非常に多い。ところが、非常に悪臭のある物質がそこから出てくる。そこで、悪臭のある物質の処理の施設をつくろうと思って県に相談したところ、二十億円くらいのお金をかけてつくれば、除去施設ができるという話をしてもらいました。ところが、皮なめし業者そのものというのは、これは年間所得が、税金から計算いたしますと百万円前後の、ほんとうの零細企業者でございます。それが数百軒集まっている。そうしますというと、生産業者自身は、ぼろ小屋である。だから、除去施設だけは、二十億円かけた宮殿ができる。こんなことになってきますと、何かとてもこっけいな感じがするわけでございます。 で、中小企業あるいは零細企業置けのほんとうの公害除去施設の相談というふうなものが、はたしてこの予算の中に載っているか、載っていないか、どうにもわからないというのが現実であると思うのです。また同時に、中小企業向けの公害防除予算というものをつくろうといたしますというと、どうしても安い、その結果、相対的な意味から申しますと、効率は必ずしもよくない除去施設をつくる以外ないだろうと思うのでございます。集じん器なんかにいたしましても、九九・何%という集じん器は、これはできなかろうと思うのでございます。しかし、おふろ屋さんにつける集じん器の価格というのは、これは十万円ぐらいが限界なんじゃないだろうか。十万円で九九・何%の集じん能力のある集じん器というのはできない。おそらく、うまくいって七〇%だろうと思うのでございます。ところが、七〇%程度の集じん能力のある十万円の集じん器をつくってくれと申しますと、日本の技術家というのは、みんないやな顔をいたします。おれは大学を優秀な成績で卒業し、そうして工学博士の学位を持っておる、それに向かって十万円のものをつくれとは何だという顔をいたします。したがって、そうした集じん器でも何でもいいわけでございますけれども、公害防除施設というものを本気になってつくろうとしますと、結局、それにいやな顔をしない人たちを、これは役所でも養成する以外なかろうかと思うのでございます。ともかく、いやな顔をしない技術家の集まっておるところに、実は何らかの防除施設というものをつくる予算を集中する以外にないのではないかと思いますけれども、それが十分に見られていないような気がいたすわけでございます。 第三に、予算を見ますというと、調査がたいへん好きだ、もう実施してもいい段階なのにまだ調査しておるという実例が、相当多いのではないかと思うのでございます。 たとえば、東京で出てきている光化学スモッグでございますけれども、東京都の権限としましては、これは直接に防除施設をつくっていただくことはできかねると思うのです。防除施設は比較的簡単だろうと思うのでございます。要するに、窒素酸化物が大気中に拡散しないような防除施設をつくればいいわけでございます。したがって、火力発電所に頼みまして、バーナーの数をふやしてもらう。それにによって炉の温度を低めてもらう。あるいは自動車の排気ガスの一部をまたもとに回してもらう、そうしてエンジンの熱温度を下げてもらうというようなことをすればいいのではないかと思うのでございます。この辺のところまでは実は常識でございます。しかし東京都では、そうしたことを要求する権限がない。そこで、いまのところオキシダントの研究というものをやり、そうしてそればどうしたら防除できるかということを、ある程度まで理論的な論文にとりまとめて、学界にも公表し、また政府にも提出しなければならないということになっているのじゃないかと思うのでございます。 政府のほうとしては、現在ほとんど常識化しているものを実施することは、そんなにむずかしいことではないような気がいたすのでございます。ところが予算には、このオキシダント、光化学スモッグの調査費が出ております。ところが、この調査というやつは、東京でやり、大阪でやり、名古屋でやりとなりますと、何年でもかかります。言いかえれば、調査をすることによって実施というものが先に延ばされる可能性があるのではないだろうか。調査がもし実施しないための調査であれば、これは調査は、逆に無用であるということになりはしないだろうか。ほかの機関であれば、調査せざるを得ないから調査するわけでございますが、政府なら、常識的結論をある程度までそのまま採用していただいていいのではないか。法規の改正というものをやっていただいていいのではないだろうか。民衆運動が起こって、法規改正を要求する前に、政府は科学的な一般的な常識というものを採用してくだすっていいのではないだろうか。しかるに、それが調査という形で延ばされている可能性が、ないとは言えないような気がいたします。 他方また、調査が真に必要な部分について、調査の項目が出ておりません。たとえば水俣における水俣病患者の調査でございます。水俣病患者というのが、これがチッソの流した水銀から出ていることば、これは間違いないと思うのでございます。ところがチッソは、一体何年間にどれだけの水銀を流したか、現在ではまだ明らかにしておりません。チッソが昭和三十四年七月に準備したところによりますと、衆議院の調査団がくるというので、そのときに準備したところによりますというと、それまでの間に六十トン流したといっております。しかし、その割合で四十三年まで流したと仮定いたしますと、八十トン以上流しております。どんなに少なくても百トン前後の水銀は、海に流れておるはずでございます。その海に流れた百トンの水銀というのが、どこへ行ったか、どんな作用をしておるかということは、これは重要な問題であろうかと思うのでございます。 いままで、水俣病患者というのは水俣市に限って出ていると思われておりましたが、最近では天草にも出ておる。それからだんだん、鹿児島県のほうにも出ておるということが明らかになってまいりました。そうなれば、不知火海全体、沿岸全体、あるいはまたもっと先まで水銀が出ている可能性もございますので、長崎県からあるいはまた鹿児島県全体というふうなものについても、調査を必要とするのではないだろうか。さらに患者の発見につきましても、隠匿されている患者というものが相当いるはずでございます。その患者を発見するために努力する必要が十分あるのではないかと感じるわけでございます。ある村で患者が出ますと、漁業組合からやってまいりまして、何とかして内密にしてくれ、患者が出たということになると魚が売れなくなってしまうから、うちの村の魚が売れなくなってしまうから、黙っていてくれというふうなことを言ってくるわけでございまして、患者が隠匿されていることは事実でございます。しかし、隠匿された患者がいるということは、決していいことではないと思うのでございます。したがって、熊本の水俣病のような現象につきましては、かなり緊急な調査が要るのではないだろうか。ところが、そちらのほうについての調査費というのはついていない。何を調査するか、何を調査しないですぐ実施するか、ということに関する区別の面が、これがおろそかではないだろうかという感じがするわけでございます。事の重要性、事の軽重というものに関する判断が十分にできてない面があるのではないだろうか、という印象を持たざるを得ないわけでございます。 さらにまた、調査をする調査機関を選択するという場合に、一体、その選択が正しく行なわれているだろうか。個人的な名前を申し上げて申しわけございませんけど、たとえば東大の宇井純君。彼は、いままで役所から調査費をもらったことはないといっております。彼自身は、これは確かに公害問題に対しては非常に大きな働きをしております。で、公害問題に対して一番大きな働きをしている一人が、役所から何の調査費をもらったこともない。そして、何にもしなかった人にいくということは、これは何かおかしいのじゃないか。場合によれば、公害が大きくなることに協力した人のほうに調査費がいくというのはおかしいのじゃないだろうか。つまり、調査というものに関する選択の問題というのが、これが十分ではないのではなかろうかという気がするわけでございます。 第五に、この調査の経費とそれから実施の経費との間におきまして、かなりのアンバランスがあるという気がいたします。たとえば下水道施設に関する経費が、八百億円ばかり載っているわけでございます。しかし、下水道を本気になってつくろうと思いますと、八百億円でできるはずはございません。東京都でこれからつくらなければならない下水道の経費、これが一兆五千億円と予定されているわけでございます。物価が現状で一兆五千億円でございます。横浜市で聞いてみますと、やっぱり一兆円近くになるようでございます。八千億円ぐらいになるようでございます。で、大阪、京都、ずっと集めてまいりますと、日本でつくらなければならない下水道の経費というのはおそらく数十兆、ひょっとしたら百兆近くなるかもしれないわけでございます。それを、八百億円で追っかけていったのじゃ、まさに百年河清を待つということで、永久に下水道はできないという結果になりはしないだろうか。 さらにまた、下水道を設置するのはいいわけでございますが、下水の処理というものを本気になってやらなければ、下水道をせっかくつくっても、水そのものは決してきれいになりません。で、下水の処理、そのためにどうしたら処理時間を少なくすることができるだろうか。いまですと、下水処理に大体四時間ぐらい必要でございますが、これを二時間にするにはどうすればいいだろうか。二時間にするだけではなくて、そこから出てくる下水の純度が、もっときれいになるためにはどうすればいいだろうか。これらに関する基礎的な研究というものが非常に必要であると感じられるわけでございます。ところが、それについての援助、予算というふうなものが出ていないわけでございます。 さらにまた、ごみ処理についても同じ問題が出てまいります。ごみ処理につきましても、どうしても現在のごみということになりますといろいろな物質が入っておりますので、出てくるガスが何であるか、正確にはわかりません。おそらく塩素系のガスが相当出ているであろうということを考えて間違いはないだろうと思うのであります。と同時に、除去施設というやつが、今後、ごみの内容が違うに伴ってどんどんかえていかなければならないという結果になってまいります。だからして、ごみ処理の問題というふうなものを考えましても、これを固めるなり、あるいはまた焼くなりいたしましても、ガスや、そこから出てくる汚水などをどうするかという問題が、実は重要な問題ではなかろうかと思いますけれども、これに関する本格的な取り組みというものはないのじゃなかろうか。で、予算の面から申しますと、電気自動車を開発する、そのあとの電力の問題がどうなるかということが放置されているくらいならば、下水処理、ごみ処理の研究というのはもっと進められていいのではないかと思いますけれども、それはやはり載っていないということになってくるかと思うのでございます。 私といたしましては、公害というものは、これは技術だけで防ぐことはできなかろう、技術の範囲を越している要素がずいぶんあるのだろうと思うのでございます。公害を除去する一番いい方法というのは、現在のように年間十何%という非常に高い成長率を、ある程度まで制御する以外にないのではないかと思うのでございます。と同時に、経済的に申しましても、年間十何%というような高い成長率が、今後何十年にわたって続くはずはございません。もしそういう無制限な成長政策をとっていけば、どこかでものすごい不況というものが出てくるにきまっているだろうと思うのです。で、公害とそれから成長率との対応関係ということになりますと、おそらく限界は六%くらいではなかろうか、まあ四%くらいならば、比較的に楽であろうと感じられるわけです。 したがって、政治的に一番重要なことは、十何%の成長率というものを六%ないし四%に押え、比較的被害が社会に及ばない、失業が出ないというふうにするのはどうすればいいかということが、一番基礎的にあるのではないだろうか。無制限な成長率というものをどこかで押さえて、まずそれをなだらかなものにするために、どうしたらいいのだろうかということが、これが一番基本的な問題ではないかと感じられるわけでございます。そうしたことがバックになければ、実を申しまして、技術だけで公害を押さえるという道はあるまいと思うのでございます。 と同時に、公害を押さえないでこのまま日本経済というものが進んでいく、突っ走っていくということになりますというと、おそらく被害は子供に及んでいくのではないかと思うのでございます。現在まで、公害の病理学的な研究というのは、主として呼吸器を中心として行なわれてまいりました。したがって、老人病的な取り扱いをされていた傾向が多かったと思うのでございます。しかし、真の公害というのは、発育期にある子供たちを痛めることではないかと思います。 たとえば亜硫酸ガスというふうなものが、これが大気中に漂ってまいりますと、太陽光線から出てくる紫外線を吸収してしまうわけでございます。したがって、地表に到達する光線量というものが、当然減ってまいります。そうしますというと、人間の皮膚下で起こっているビタミンDの合成作用というふうなものを防げるわけでございます。で、ビタミンDが少なくなってくるということになりますと、これはどうしても骨の発育が弱くなる。したがって、軽度ではありますが、くる病的な要素が起こってくるということになってくる可能性がございます。で、大都市の子供たちというものの筋骨、特に骨というものがどうしても弱い形になってくるようでございます。したがって脱臼しやすいとか、自然脱臼しやすいとか、あるいは自然骨折をしやすいとかという現象が起こってまいります。骨の病気というものに一たんかかりますと、これは治療にたいへんな時間、経費が必要でございます。 それからまた、重金属類というふうなものが人体に入ってまいりますと、脳をおかす、脳細胞をおかすというふうな現象も起こってくるわけでございます。わけても日本の農業では、一度、すでに五千トン以上になるところの水銀をばらまいております。いもち病予防のためのフェニル水銀農薬という形で、五千トン以上の水銀農薬をばらまいているわけでございます。この水銀が一体どうなるだろうか。人体の中に入った場合には、人体の中にビタミンB12が相当ある。ビタミンB12と無機の水銀とがくっついてしまいますと、そこでメチル水銀になり、そして水俣病の病因物質になり得るというような見解も、最近では出ているわけでございます。あるいは、特殊の細菌がないとそうした現象は起こらないという考え方もございますが、人体の中でも十分メチル水銀の合成が可能だという、そういう学説も行なわれているわけでございます。そしてまた、綿密にいまのお米をはかりますと、お米の中にもやはり残留水銀がございまして、佐久総合病院なんかではかったところによりますと、〇・〇八PPMぐらいの水銀は米の中に入っているようでございます。まあ最近では水銀農薬を使わなくなってまいりましたので、残留水銀量はだんだん減ってはいるようでございますが、しかし、米の中に水銀が入っていることは間違いないようでございます。それからまた、地表に定着している水銀というのは、熱がありますと当然、気化して、大気中に飛びますので、呼吸によって人体に入るという可能性もございます。これらのことが、二代、三代と蓄積されていったならばどんなことが起こるだろうか、こうしたことはやっぱり重要な問題であろうかと思うのでございます。 まだ生まれない子供というのは、訴える道を持っておりません。いま生まれてはおりますけれども現在五歳、六歳である子供というのも、訴える道を持っておりません。しかし、公害問題ということになりますと、未来の子供たち、現在五歳、六歳の子供たちの問題である。と同時に、この人たちは今後、やはり生まれてから六十年、七十年と生きねばならない人たちでございます。老人はもう、あと十年か二十年すれば消えてまいります。その人たちの問題というよりも、むしろ未来の子供、未来の民族の問題として、公害問題というものはぜひとも厳密に御審査いただきたいと思うわけでございます。 失礼いたしました。(拍手)
○委員長(徳永正利君) どうもありがとうございました。 —————————————
○委員長(徳永正利君) それでは、公述人の方に御質疑のある方は順次御発言を願います。
○羽生三七君 下村先生にお願いをいたしますが、経済が、全体として設備投資主導型から財政主導型へ移ってきておること、それから循環ではなく、減速過程に入った状態にあること、こういうお説について、私ども非常に啓発されておるわけであります。 ところで、公債発行に関連してでありますが、インフレ論議というようなことはもう全然別にしまして、日本経済の財政能力との関連からお伺いをしたいのでありますけれども、公債発行を必要とする場合に、ある一定の時点に達すれば、それを必要としないような条件の創造が可能かどうかということが一つ問題になると思うのですが、つまりこれを申し上げますと、ある一定の時期においては、公債発行を不断に必要とするような条件をカバーできるような、そういう条件、そういう体質ができ上がることが必要だと思うわけであります。つまり、いままでのような高度成長でなくなっていった場合に、まあ、ある一定の成長力が必要であることは当然でありますが、その場合に、従来の高度成長のような税の自然増収というものは期待できない。しかし、にもかかわらず毎年の予算の規模は漸次拡大をしていくというそういう場合に、一方においては大幅な減税をしなければならない。そこで公債発行が必要となるわけであります。全体として分母が大きくなるので、先ほどお話がありましたように、公債発行の、毎年の発行額そのものをとってみればそれほどたいした影響はないかもしれませんが、しかし年々同じ条件が繰り返されていった場合に、ある一定の条件が整えばそういう状態から脱却できるのかどうか、こういう問題があるかと思います。 単に公債だけではなしに、政保債等もありまして、累積額のほかに、年々の国債償還費、いわゆる国債費の額がどのくらいになるかという問題もありますが、そういうことはいまここで計算することは不可能でありますから、それは別としまして、いわゆる従来の高度成長と違ったような条件下において、予算規模が拡大し、しかもなお大幅減税をしなければならないというような場合に、国債発行は当然、いい悪いは別として、必要な条件となってまいりますが、ある一定の条件が整っているならば、それをカバーするような体質の創造が可能であるかどうか。ちょっと私の質問が、これは次元が違っておるとまことに恐縮なんですが、もし間違っていなかったら、そういうことを可能とする条件と、いまの公債発行との関連についてお示しいただければ幸いでございます。
○公述人(下村治君) お答えいたします。 当面の不況から抜け出すために必要な国債の問題と、それから日本の経済が、これからの財政主導型の時代に、継続的に国債発行を必要とするんだという問題は、これは違った問題であります。先ほど御質問がありました点は、むしろいま申しましたあとの問題、これからの日本の経済成長の中で、継続的に大幅の国債発行が必要であるという考え方を前提にして、それが健全な経済運営の条件として成り立つかどうか、というような形の問題としてお答えすればよろしいかと思いますが、国債発行が、年に四兆円か五兆円ぐらいの規模で必要であるというのは、当面の十年間ぐらいの状態、五年ぐらいまでの間に四兆円から五兆円ぐらいの国債が年々必要である、そのことを前提として予算を考えますと、非常にいい予算が組めるということじゃないかと思いますが、それからあとは、そのときの情勢によっていろんな調整の余地がありますけれども、あらわれてまいります姿は、国債をもっと減らし得るような歳入の状況があらわれてくるということだと思います。それからさらに十年から十五年先まで考えますと、その段階においては、国債はおそらく毎年毎年削減され得るような状態が出てくると思います。 一般的に申しまして、今日、正常な経済成長の条件として国債発行が望ましいというのは、経済が、その中で生産性の向上と生産力の拡充が相当大幅に進行しているかということであります。その速度がだんだん減速をするということを申しましたけれども、十年もたちますとそれが非常にゆるやかになりまして、十五年もたちますと、それがほとんど進行しないような状態に接近すると思います。経済の成長が非常に小さな状態、成長があるかないか、わからないような状態に到達した姿を想定しますと、そのときには、国債発行を前提にした財政運営というのは、健全な状態ではないというところに到達すると思います。そのような、いわば経済の成長と発展があまりない状態においては、通常の経常財源で財政が運営できる状態になるに違いありませんし、そのような運営をするのが健全な原則であるということになると思います。いまは経済が成長しておりますし、相当急速に成長する力を持っているから、その状態においては、国債発行をするのが正常な経済運営の条件として望ましい段階にあるということだと思います。 したがって国債発行必要額は、たとえば四兆円、五兆円という数字を申しましたけれども、それが大体維持されれば十分であって、五年の間、五兆円が七兆円、七兆円が八兆円とふえなければならないというような情勢は発生いたしません。これが経済が実質的に成長して、その中で所得がふえまして、今日の累進税率を前提としました所得税を前提にしますと、相当急速に財源がふえるということになるから、したがって財源の状態は、実は潤沢な状態が出てまいるということは期待してよろしいからであります。当面の状態で、昭和四十七年度に四兆円も、あるいは三兆五千億円もの国債発行が必要であるというような形で国債発行が必要であると申しますのは、いま、相当の不況であるということを前提にしまして、この不況から一挙に抜け出すためにはそのような措置が一時的に必要である。そしてそれは、したがってそこで大幅な減税を導入するというようなことを考えるといたしますと、それは、これから三年、五年先の減税を先取りして、一挙に四十七年度で導入をするというような措置が必要じゃないかといような考え方を背景にして申し上げたから、出てくるわけでありますが、経済の成長と発展の中におのずから、いま御質問の中に述べられましたような問題点は、吸収され、処理される姿になるのではないかということを考えております。
○細川護熙君 第一点、ちょっと下村先生に伺いたいと思いますけれども、積極的な財政主導型の経済によって、国際収支のバランスがとれるようになるだろうという御見解でありましたけれども、せんだってから、コナリー財務長官あたりがニューヨークの発言でも、経常的な国際収支の黒字国は、その一定分をIMFに払い込んで、そこから経常的な赤字国に補てんすべきであるというようなことを言っておりますけれども、さっきおっしゃったように、長期的には、この積極的な財政主導型の経済というものによって国際収支のバランスというのはとれていくと思いますけれども、IMFに一定分を払い込むという問題について、これからもアメリカの経済担当者が相次いで来日をいたしますけれども、その問題に対して、日本としてどういうふうに対処をしたらいいかという一点を伺いたいと思います。 それからもう一点、続けて戒能先生に伺いますけれども、さっき水俣病の問題に関連をして、メチル水銀が人体の中においても合成をされるんだというお話でありましたけれども、外国では、この無機水銀が有機水銀にかわるという問題については、非常にこれはスウェーデンあたりでも論議をされて、それが相当証明をされておるということを聞いておりますけれども、日本においては、無機水銀が有機水銀にかわるということの危険性について、どの程度研究がされているのかということ、それによって非常に大きな影響があると思いますので、その一点を伺います。
○公述人(下村治君) お答えいたします。 国際収支の黒字をIMFに払い込んで凍結したらどうかという問題点は、黒字国がその黒字を出し続ける、そして、それを減らす措置をとっていない、そういうことを前提にして考えますと、これはいかにもアメリカの身がっての要求でありますけれども、しかし、世界経済全体を円滑な順調な状態に維持するためには、不可欠な、合理的な措置と言わざるを得ないと思います。 したがって、黒字国の立場からいってどのような措置が望ましいかといえば、そのようなつまらない黒字を出さない政策をとる、これ以外にないと思います。黒字をたな上げするのはいやだということじゃなくて、黒字を出さない政策をとる。そのような黒字を出さない政策というのは、国内で生産活動を高くし、国内で所得水準や生活水準や消費水準や、社会福祉の水準や生活環境条件の水準を高くして、それで国際収支が均衡を維持するような条件をつくり上げる。国内でそういう経済をつくる。これが最も合理的で、健全で常識的な対案だと思います。アメリカと言い争いすることで解決は何も生まれないと私は思います。ただ、いま現にわれわれは百六十億ドル、百七十億ドルの外貨を積み上げておりますし、ことしの状況ですと、それがさらに百八十億ドル、二百億ドルとふえそうでありますし、来年もいまのままの状態ですと、さらに着実にふえざるを得ないような状態にありますから、こうしてたまってしまいました外貨をどうするかという問題を考えるときには、大きな問題があると思います。で、これをIMFかどこかにたな上げをするというのは一つの方法。そうせざるを得ないと思いますけれども、ためてしまったのは、実はわれわれが間違った日本の経済運営をした結果であるというように、あきらめなきゃならぬ問題だと思いますけれども、しかし、それにしても、これをもっと有意義に使う道があることはたしかであります。有意義な使い道、できるだけそれが日本の経済にとって、世界の経済にとって役に立つような処理のしかたはあると思います。で、一番簡単な方法は、外貨の、たとえば百億ドルなら百億ドル、二百億ドルなら二百億ドルというのを、世界の経済の繁栄あるいは世界の平和の促進のために役に立たせるために、そういう名前をつけた基金に寄付をするということじゃないかと思います。百億ドルという数字で私は言っておりますけれども、百億ドルの基金を設立して、それに政府が寄付してしまう。そうしますと、それは外貨でなくなるわけでありまして、それはドルで運用するということにしますと、アメリカも心配する必要は全くないわけです。百億ドルといたしますと五億ドルくらいの運用益がありますから、五億ドルを世界の平和のために、経済繁栄のために無償の援助として自由に活用すればよろしいということになりまして、日本にとってもそれは非常に役に立つことでありますし、世界にとっても役に立つことで、アメリカにとっても非常に満足すべき状態が、ああそういうことなら生まれる、ということじゃないかと思います。で、これを、金にかえてくれとか、これを何とか日本に還元したいとかいうようなことを言いますと、争いになりますし、世界経済全体にとって、アメリカの経済にとっても非常に困った事態が起こりますので、たまってしまったものは実はわれわれも間違ったんだというような態度、考え方をとることが根本に大事じゃないか。その上で、有効な使い道はどこにあるか……。むろん、よく世間に言われておりますように、対外投資に使う、対外資産あるいは原材料の備蓄にそれを使う、あるいは国際金融機関に対する出資なり、あるいは資金の貸し付けなりに使う、いろんな使い道がありますけれども、まとまって大きな金をどう有効に使うか。その有効な使い方は、日本の国民にそれをすぐ還元させるということでは不可能でありまして、そうではなくて、それを世界のために使うという使い方が最も有効じゃなかろうかと、そういうふうに考えております。
○公述人(戒能通孝君) 無機水銀がメチル水銀に変わるということは、これは事実として存在するわけでございます。で、スウェーデンでは、製紙業に、紙をつくるのに水を大量に使っておりますが、日本ほど大量に水が使えないわけでございますので、水の腐敗を防ぐために無機水銀を入れて、そして使用していたようでございまして、その水が流れてたまりました湖沼で、湖沼の魚を食べているワシのような猛禽類でございますが、それが死んでしまったわけでございます。そこで、分析しましたら、そのワシの中にメチル水銀が蓄積しているという現象が発見されたわけでございます。そこで、一体無機水銀しか出ていないのに、どうしてそれがメチル化したのかという研究が進められたわけでございますが、スウェーデンの学者が一応それに対して答えたのは、嫌気性菌が湖沼などに住んでおる、その嫌気性菌の出す酵素と、そして無機水銀とが結びつくとメチル水銀ができてくるのだという答えが出たわけでございました。これが現在大体におきまして熊本大学などでも採用されている答えではなかろうかと思うのでございます。したがって、水俣湾の研究の場合におきましても、一応嫌気性菌の出す酵素類というものが一つの中心になって、その酵素類の出てくるための条件、これには光合成が必要であるというふうなことが言われているようでございます。 ところが、一九六八年でございますが、イリノイ大学のウッドという先生が言われたところによりますると、嫌気性菌がなくても水銀がメチル化するという主張が行なわれたわけでございまして、つまり、メチルと水銀とを試験管の中に入れておきますと、それがメチル水銀化するということが発見されたわけでございました。それを追試されました東京大学の浮田教授が昨年「科学」という雑誌の十月号と十一月号に発表されているところによりますと、試験管の中に水銀とメチル液と入れておきますと、二十四時間内にほとんど全部がメチル水銀化するということを述べていらっしゃるわけでございます。もしこの学説が正しいといたしますと、人間の臓器の中にもメチル基はあっちこっちにあるわけでございまして、肝臓とか、それから特に女性の胎盤でございますけれども、この辺にメチル基があるわけでございます。で、そうしますというと、母体の中に、もしかりに水銀が入りますと、その水銀というやつは、これは赤血球にくっつきますので、胎児に向かっても胎盤を通して供給されることになるわけでございます。しかも、胎児はわれわれと違いまして排せつする道がございませんので、当然、この入ってきたメチル水銀というのは胎児の中に蓄積されやすい状態になるわけでございます。浮田先生が実験されたところによりますと、これはネズミで実験されていらっしゃいますけれども、ネズミでは、これはメチル水銀になっていないという実験報告をしていらっしゃいました。ただ、これはネズミの妊娠期間が非常に短いのでメチル基化していないのではないか、サルではどうなるだろうか、人間ではどうなるだろうかという問題は、まだ実験が済んでいないわけでございます。 しかし、いずれにいたしましても、メチル基があって、さらにそこに水銀が加わってきますとメチル水銀化するということは、これは事実でございまして、インド洋のマグロなんかに相当大量なメチル水銀が蓄積されているというふうなことは、これはおそらく、動物の体内でメチル水銀が合成されるということを認めないと説明ができないのではないだろうか。おそらく、肝臓あるいは胎盤というふうなところ、特に魚について申しますと、肝臓などを中心にいたしまして、そこでメチル基の合成が行なわれているということを前提にしなければ説明できない面が多いのでないかと思うのでございます。それだけに、私どもといたしましては、過去においてばらまいたフェニル水銀農薬が一体どうなっているのだろうかということは非常に重要な問題ではないか。今後三十年、五十年後の赤ちゃんに、それが何の影響も持たないだろうかどうかということは非常に重要な問題だというふうに感じているわけでございます。
○松永忠二君 下村先生と、それから戒能先生にちょっとお尋ねいたします。 これから財政主導型という形をとって、それを中心にして経済の浮揚をはかり、拡大していく、そういうことは可能であるというお話があったんですが、したがって、今後財政の中でいろいろな資源配分をしていくということによって、いわゆる社会資本と民間資本のギャップなどを埋めていくことはできると思うのでありますが、従来、相当な高度経済成長の中で、そういうことが十分に行なわれてこなかった。それがまた、御承知のとおり、福祉予算への転換というようなことを、またまた強調されてくるわけでありますが、従来そういうことについて非常なギャップができたことについての原因というのは一体どこにあるとお考えになっておられるのか、そういう点を、ひとつお聞かせをいただきたい。 それから、もう一点は、十年後にはGNPもアメリカとほとんど同じような状況になってくるのではないかというお話がありましたけれども、そういう中で、アメリカと日本の国土の事情というものは非常に違っているわけでありますし、そういう面からいって、たとえば貿易における日本の国のシェアの占め方とか、あるいはまた資源のない日本の国がそうした資源を、はたして十分に入れ得るのかどうなのか、そういうことを可能にする一つのいわゆる産業構造の転換であるとか国際情勢の背景というものは一体どういうふうにお考えになっておられるのか、この点を、ひとつお聞かせをいただきたい。 戒能先生には、いま政府が、御承知のとおり、公害関係予算というようなものを、資料を出しているわけでありますが、一体、この公害対策経費というのは、はたしてこのものは正しい、いわゆる公害対策費であるのかどうなのか。公害関係対策費は、御承知のとおり、合計で千五百六億四千四百万というふうに、いろいろ、こう、出ているわけであります。一般会計、特別会計からこうだという項目が出ておりますが、一体政府の示している公害対策費というものの構成内容というものは、はたして妥当なものであるのかどうなのか、この点についての御批判があれば、ひとつお聞かせをいただきたい。
○委員長(徳永正利君) それじゃ、下村先生から。下村公述人。
○公述人(下村治君) 第一の点は、これまで日本の経済で、なぜ社会資本の充実が今日のようにおくれてまいったかということについての考え方の問題じゃなかったかと思いますが、これは、端的に申しまして、日本の経済があまりにも貧しかったからだと、こう言う以外にないと思います。二十年前の日本の経済は、先ほど、一人当たりGNPでアメリカの十四分の一ということを申しましたが、昭和二十五年度のGNPは、ドルに換算しまして百十億ドルくらいです。したがって四兆円ぐらいのところですけれども、一人当たりにしまして百三十ドルですから、いまの韓国の半分よりも少しいいくらいのところであります。そのようなところからスタートして今日の経済がやっとでき上がったわけですから、過去二十年間は、何といいましても、たいへんに弱小な経済であり、弱体な経済であり、貧乏な経済であったわけです。そのような経済の中でいかにさか立ちしましても、ろくなことができなかったのは当然でありまして、過去二十年間の政府投資の累計は四十四兆円でありますが、この四十四兆円を五年ごとに区切ってみますと、五年ごとに二倍になっております。二倍近くになっております。昭和二十六年から三十年度で二兆五千億円、その次の五年で四兆六千億円、その次の五年で十一兆九千億円、その次の五年で二十四兆六千億円、この数字をごらんになればわかりますように、過去二十年間の前半は日本の経済はいかにもみじめで弱体であって、したがって、その中でろくな投資もできなかった。幾らがんばってやりましても、昭和二十六年から三十年の二兆五千億円を幾らふやしましても、かりに五千億ふやしましても三兆円になったかどうかでしょうが、それで何ができたかというふうに、その事柄の実体を考えますと、ろくなことができなかったに違いない。それで、最後の昭和四十一年度から四十五年度は、少ない少ないと言われておりますけれども、二十四兆六千億円も行なわれております。このような政府投資が可能であったから、見違えるように道路も整備され、あるいは高速道路もでき、あるは東海道新幹線というような施設ができた、やっとそれができるような経済になったということじゃないかと思います。 そのような力を生み出す前提は何であったかというと、生産性の向上であり、生産力の拡充であり、経済の成長であったわけで、生産性の向上がなければそういうような成長はあり得なかったわけですから、二十年前の経済状態が続いておれば、五年かかっても二兆円か三兆円の政府投資しかやれない状態が続いたに違いない。そうじゃなくて、五年間に二十四兆六千億円もの政府投資が可能になったということは、それをささえるような経済力ができたからでありますし、その経済力ができましたのは、それを生み出すに足るだけの生産性の向上と生産力の拡充が行なわれたからでありまして、それが可能でありますためには、民間設備投資がこの間に激増したからであります。十年間に三十七倍になっておりますけれども、そのような民間設備投資の激増によって初めて、政府投資が最後の五年間には二十四兆六千億円もの規模で行ない得るような状態ができ上がったということになります。 ところが、これからは、その結果が、もっぱら政府投資の増加に向かい得る時代が始まろうとしておる。やっと今日の段階でそういう時代が始まろうとしておる。過去十年間に民間設備投資が四・七倍になったわけですけれども、これからの十年間には、先ほど申しましたように、おそらく一・七倍ぐらいにしかならないでしょう。しかし、生産能力はたいへんに高度な、たいへんに大きなものになっていくだろうから、それを背景として大規模な政府投資が可能な時代に入っていくということになります。したがって、これからの五年、十年の間に急速に大規模な政府投資が可能になるということになると思います。 たとえば、私の想定で、昭和四十六年度から五十年度までに積極的な財政金融政策をとればどのような政府投資が可能であるかということを想定してみますと、五年間に七十二兆円の政府投資になると思います。それぐらいは、名目で申し上げておりますけれども、七十二兆円、過去二十年間に四十四兆円であります。それが、これからの五年間に七十二兆円の政府投資ができるといたしますと、一挙にたいへんな充実が可能になる時代がいま始まろうとしている。やっとそういち時代に入ったと言うべきじゃないかと思います。もう五年の先を考えますと、五年間に、おそらくは百六十兆円の政府投資が可能になるということになると思います。過去二十年間にわずか四十四兆円ですけれども、昭和五十一年度から五十五年度までの五年ならば百六十兆円の政府投資が可能である。そのような政府投資によって、先ほど戒能先生のお話の中に、たとえば下水の投資のために東京で一兆五千億円ぐらい必要であるというお話がありました。人口割りでいいますと、一億の人口に十五兆円ぐらい必要になると思いますけれども、もっとふんばって二十兆円ぐらいの政府投資を、かりに下水の施設のためにつぎ込むというようなことを考えましても、これからの十年間の政府投資の、いま私が申し述べました数字で申し上げますと二百三十兆になりますけれども、そのような可能性、そのような能力を持った経済の中で考えますと、下水の徹底的な整備もできるというようなことになるのじゃないか。つまり、いままでわれわれがなぜ今日のように非常に貧しい政府投資、社会資本で満足せざるを得なかったかということは、政府の財政に不十分なところがあったかもしれません、政府の行政的な措置に不十分なところがあったかもしれません、それは否定できませんけれども、根本的な理由は、これまでの日本の経済がいかにも貧しくて、十分に思い切った大きな投資をするだけの力を持たなかったということが決定的な理由ではなかろうかというように思うわけであります。 それから二番目の問題は、日本の経済がこれから非常に巨大な経済になるといたしまして、その国際的な関係、国際的な背景との関係はどういうように考えるべきであるかということじゃないかと思いますが、日本の経済が原料資源を持たない経済で、もっぱら一億の国民の生産能力といいますか、われわれの頭脳の働きによって経済を営んで、それによって生きているということは、これは根本的にわれわれの運命を決定している運命的な条件じゃないかと思いますけれども、そのような日本の経済がたいへん高度の巨大な経済になるわけですが、膨大な海外資源の輸入と、膨大な海外に向かっての輸出というような条件がなければ実現できないのは当然なことだと思います。そのことからまいりまする当然な結論は、われわれは世界の平和の中でしか生きられない、戦争か平和かという形の選択の余地のない生き方をわれわれは覚悟しなければならないということじゃないかと思います。したがって、われわれの経済生活の問題だけじゃなくて、国家生活全般の問題として、これから日本の経済が存立するための条件として、われわれ自身が、日本の経済自身が積極的に国際的な経済の繁栄、それを基礎とした世界の平和の条件を定着させるために、能動的、積極的な、建設的な活動をする以外にないというように考えなければならないと思います。そのような前提から、われわれが生きるための死活的な条件を強化するための決定的な条件として、この日本の巨大なマーケットを世界に開放する、つまり、思い切って徹底的な輸入の自由化や関税の引き下げを行なわなければならないということが出てまいると思いますし、したがって、また、思い切って大規模な大胆な資本の輸出、あるいはもっと積極的に経済援助の問題をわれわれは考えなければならない。経済援助するぐらいの余力があったなら国内でもっと建設したらいいじゃないかという議論がよく出てまいりますけれども、国内の建設もわれわれが生きるための死活的な条件につながっておりますけれども、経済援助もわれわれが生きるための死活的な条件につながっているんだ、同じような重要性を持っている問題であるというような考えをもとにして、経済全般の調整をはかる必要があるんじゃないか。そのような選択をしながら、われわれはこれからの経済成長を進めなければならないということじゃなかろうかと思います。 資源の問題その他について御指摘になりましたけれども、そのような国際的な活動、あるいは国内マーケットの開放ということを前提にして初めて、これから日本の経済の順調な成長発展ができるということは、これは否定できないことじゃないかと思います。それをやらなければ、いま私が申しましたように、十年目の日本の経済が今日のアメリカよりも二割も三割も高いような経済になり得るという可能性は実現されない、非常に大きな国際的な障害が出てくる、国内的にも障害が出てくるでしょうけれども、特に国際的な障害が出てくるということになりはしないか。したがって、われわれはそういうようなことを頭に置いて、思い切って大胆な、積極的な国際的な活動、積極的な関税の引き下げ、輸入の自由化、資本の輸出、経済の援助の方向に、われわれの政策、経済政策を指向しなければならないのじゃないか。それ以外に生きる道がありませんし、そうすれば、いろんな問題については、おのずから解決され、順調な解決の軌道に乗せることができるということじゃなかろうかと思っております。
○委員長(徳永正利君) それでは、続いて戒能先生、お願いします。戒能公述人。
○公述人(戒能通孝君) 解釈の違いがいろいろあると思うんでございますが、しかし、たとえば、自衛隊の飛行場がある、そのすぐそばで防音装置をつけるというふうなのは、私は公害対策費には入らないと思うんです。自衛隊のほうで非常にうるさい音を出す、それで近所の学校に防音装置をつけるということでございますから、音を出すほうが問題でございますので、これは入らないと考えていいと思うんでございます。 それから第二に、環境測定経費が相当多額になっていると思うんです。環境を幾ら測定いたしましても公害がなくならない。これは事実でございます。だから、測定というふうなのはどうして行なうかということが、やはり重要でございます。ただ、測定としたら、私どもとしては、できれば国に基本的な測定点を一つつくってほしい。たとえば、空気の非常にいいところで、つまり標準的空気とは何かという測定点をつくってほしいと思うわけでございますけれども、それはできていないようでございます。それを一つの基準にいたしまして、現在の環境がどうなっていくかという判断ができる、その基準点が一つほしいわけでございますが、それはないようでございます。で、環境測定というふうなことだけやっておりまししても公害はなくならない。測定をどう利用するかという意思を持たないと、なくならないということが言えると思うんでございます。 第三に、ごみ焼却とか、あるいはまた下水処理とかというものについて相当多額な経費が含まれておりますが、これは公害処理といっていいのか、それとも普通の都市政策の完備といっていいのか、これは何とでも判断ができるのではないかと思うんでございます。東京みたいな大都市に多くの若い方が来られた。しばらくすれば結婚したいというのは当然でございます。結婚すれば、家よこせというのはきわめて当然でございます。家には電灯をつけろ、それから下水をつけろ、ごみは持っていけというのは当然でございます。そして赤ちゃんが生まれる。そうすれば、保育所をつくれとか、あるいは学校をつくれ、幼稚園をつくれというのは、きわめて当然の要求だと思うんです。だから、東京都の立場から申しますと、そうした若い人たちが東京に来たときには、正直言って、二、三千万円持参金を持ってきていただきたいことになるわけでございます。これは無理な要求でございますから、したがって、都の経費、あるいは国の経費でそれをまかなう以外にないわけでございます。したがって、その経費でまかなった分を公害関係経費と言うか言わぬかということは、解釈の問題じゃないかと思うんでございます。普通の都市生活を普通に行なおうというだけのことでございますので、これは公害対策費と言うことはできないんじゃないかと思います。 もし、それらのものについて公害対策というものを厳密に考えますと、おそらく、環境を保全するために役立つ経費、これが公害対策経費だと感じるわけでございます。つまり、現在の状況でございますと、下水処理をいたしますと、大体BODに直しまして二〇PPMぐらいの水が出ております。二〇PPMのBODをどうしたら五PPMまで落とすことができるか、その施設ということになりますと、現在の基準では公害対策費と申せると思いますが、下水道設置補助費を全額公害対策費と言うことはできないように思うのでございます。 それから脱硫施設、それからパルプの処理施設、製紙原料の処理施設というふうなことが出ておりますけれども、これらは、実を申しますと、大企業保護経費でございまして、むしろ、これらの経費を出さないほうが、大企業が自分で利益をあげる道をさがし出すんじゃないかという印象すら持つわけでございます。たとえば、アメリカでは例の核爆弾に対する地下壕をつくったわけでございます。大統領が隠れるとか、あるいはまたミサイル要員が隠れるとかいう地下壕をつくったわけでございます。その地下壕というのが当然ソ連の核爆弾にねらわれますので、地下壕には放射能物質が降ってくるということを前提にしなければならないわけでございます。そうすると、放射能物質を吸い出してしまわないと、地下壕の中に入っている人たちは非常に危険であるというわけで、放射能物質を吸収する施設をつくるのに協力した人たちが相当あるわけでございます。中の一人、アレキサンダー・セレブスキーという人でございますが、これは飛行機のほうで有名な人でございますけれども、最近では集じん器会社をつくっているわけでございます。つまり、自分が核放射能物質を集めるためにつくった施設というものを、集じん器にかえて売り出す、自分の集じん器は大いに効果的だということを最近では主張しているわけでございます。木材でも同じでございまして、パルプ会社が廃液を出します、その廃液を出すやつを、どっかで途中できちっと押えられますと、廃液処理に関する技術というものを売り出すことができるようでございます。昨年、スウェーデン大使館が——昨年の末でございますが、スウェーデン大使館が、大臣を団長とする公害機器、それから船、そして鉄鉱石の輸出促進団を日本に送ってきたことがございました。スウェーデンの公害機器というふうなものは、大部分が製紙会社が開発した機器のようでございまして、そうして子会社に売らしているわけでございます。スウェーデンの公害に関する書物を読みましても、パルプ会社から出てくる公害というものはないようでございます。言いかえれば、日本の富士市のような現象は起こっていないということになるわけでございましょう。ということは、結局、公害防止機器というものは、これはけっこう商売になるということを意味するわけでございます。それにわざわざ補助金を出さなくちゃならぬという理屈も、そんなにはっきりしないものがあると思います。 さらに、船の廃油処理施設に対して相当まとまった補助金を出すことになるようでございます。しかし、廃油処理というのは、これは船舶業者、特にタンカー業者が必ずやらなければならないことではないか、これは貸し付けならわかるけれども、補助金として交付する、返してもらわないということは、これはどういうことになるだろうか。本来から申しますと、タンカー業者が自分たちでつくらなければならない施設でございますので、あるいは石油業者が自分たちでつくらなければならない施設でございますので、いますぐその金がなければ、政府から借りるというのはけっこうでございましょうけれども、返済契約がどうなっているかというようなことが出てこないということになってきますと、これは一体公害対策経費と言えるか言えないかという問題が出てくると思います。 それから、沖繩の海に流れている廃油処理の問題も出ております。廃油の問題は沖繩だけでございませんので、たとえば、東京都の八丈島付近にも相当流れております。そうして海藻類にくっついてまいります。そうすると、海藻に卵を生みつけた魚の卵というのは全部死んでしまっているわけであります。つまり、太平洋全体について廃油処理をしませんというと、魚資源としての海というのは、だんだん死んでいくということになるわけでございます。これは一体だれが出す経費か、日本政府が出す経費なのか、廃油を捨てた人間が出す経費なのかという問題が出てくるのではないかと感じるわけでございます。したがって、廃油を捨てた連中が出す経費だとなれば、今度、こわがって廃油は捨てなかろうと思います。日本政府がお金を出して始末をしてあげますという親切丁寧な態度をとっていたのでは、おそらく廃油は今後も捨てられるだろうということになるんじゃないかと思うんです。日本に運ばれてくる石油は大体三億トン近くになっております。そのうち一%ないし〇・一%捨てられても海が汚染されることだけは確かでございますので、こうした経費がはたして公害対策経費と言えるかいえないか、この辺の検討は非常に必要ではないかと感じるわけでございます。
○塩出啓典君 いまのお話に関連して…… 確かに、たとえば、ごみ処理にしても、プラスチックなんというのは非常に安くできる。そうすると、牛乳びんが全部プラスチックになる。そうすると、その処理のためにわれわれの税金がどんどん使われていく。また、先般も私は委員会で地盤沈下の問題を取り上げたわけでございますが、地下水を安いからどんどんくみ上げる。原価は二円か三円。ところが、そのために非常にたくさんの防潮堤とかあるいは水門とか、そういうのに多額の金が使われて、東京都においてそういう金だけを計算してもトン当たり五十五円になる。そういうことで、やはり最近、公害対策費は全部企業が負担する、そういうことがいわれておるわけですね。そういう原則を確立して、もう、ある新製品を出す場合には、その処理がびしっとできないものは出さないと、そういうやはり法律的な規制というものをまずやっていかなければ、いまのようなやり方では結局イタチごっこになって、ますます、一方では安い——安ければどんどんその製品が売れていく。そういう公害の費用を計算すれば原価は高くなっていく、高い品物は売れなくなる。大体そういうような方向に行くのが私はまず第一じゃないかと、そういうように思うわけです。そういう点についての先生のお考えを……。
○公述人(戒能通孝君) ぜひその点はお願いいたしたいのでございます。ともかく、処理ができないものがどんどん出てきて、おまえたち処理しろという形になるものでございますから、自治体としては結局非常に困るわけだと思うのであります。たとえば、下水なんかに水に溶けるパンティーなんというものが入れられる。そうしますと、これは繊維でございますので、実は活性汚泥だけでは処理できません。そうすると、あとでその処理方法を別につくらなければなりません。これはとてもかなわぬということになってまいります。プラスチックももちろんでございます。プラスチックも特殊な炉をつくればいいというふうな考えも出てまいりますけれども、東京都で特殊な炉をつくりましても、これは一つぐらいしかつくれないんじゃないだろうか。そうしますと、運搬経費がべらぼうな額になるのではないか。輸送車をワンセット別にそろえなければなりませんし、そして、それは輸送距離が非常に長くなりますので、おそらく一トンの輸送経費、これが一万五千円ぐらいになるのではないか。いまではごみ処理場を持っていて一トン六千円ぐらいでございますので、それが倍になることだけは確かであろうと思うのでございます。プラスチックをつくられるのもけっこうでございますが、しかし、そのあとの始末がどうなるかということは、ぜひ始末してくれなければ困ります。あるいは水に溶けるプラスチックというのが最近出てきたようでございますけれども、それが一体どんなことになるか。もとの油に還元されちゃったのではどうにもお手あげになるのではないかと思うわけでございます。ぜひとも、今後の新製品につきましてはどうしたら処理できるか。これはきめて、そして実験して見せてからでなかったら新製品をつくってはいけない。特に石油化学工業関係については、これはぜひともそうした制約をつけていただきたいと思うわけでございます。ぜひそのようにお願いいたします。
○山本敬三郎君 戒能先生にひとつお尋ねしたいのですが、先ほど、東京都の下水道のための必要金額一兆五千億、こう言われたのですが、普通、日本全体として二十兆ぐらいといわれておりますが、これは先生の言われる七、八十兆かかるかもしれないというのはややオーバーかもしれないが、これは別として。また、それともう一つは、アメリカでいわれているノーグロースムーブメントのような考え方もある。それは承知しているんですけれども、経済の成長のパターンが変わってきて、民間設備主導型ではなしに生活環境とか公害の問題が取り上げられるような、そういう経済の成長の中でも、従来と同じように成長と公害とプレーオフの関係にあり、四%ないし六%が限界だとおっしゃられましたが、いままでと全く変わってくるような経済成長のプロセスの中でも同じような考えをお持ちでしょうかということが第一点です。 それから、下村先生にお願いでありますが、最近の経済の動向で、鉱工業生産指数あるいは卸売り物価、あるいは在庫指数等に経済の底固めの状況が出てきた、こういうふうにいわれているわけです。しかし、過去の経済の回復のパターンを見ますと、輸出が非常に伸びて、それが民間設備投資につながっていって景気が回復していったというパターンがあったと思うわけです。ところが、いまの状況では輸出はなかなかそう伸び得ないという状況でもありますし、民間設備投資も非常に落ちている。そうして、政府の見通しでも景気回復は秋口からというわけですが、その間には過去に行なわれた民間設備投資が実現してくるわけでありますから、それが需給ギャップの上では供給力の増加となってあらわれてくるわけです。そうすると、先生の言われるように景気回復はそう簡単ではない、こういうように私自体も考えるわけです。 しからば、先生の言われるように、減税をいたしましてもかなり、九カ月ぐらいの後に一・二くらいの乗数効果という問題がありますし、さらに、公共事業でありますと、非常に狭い範囲に財政が集中されますときにいろいろな隘路が出てきて、それが乗数効果を発揮し得ないというような事態さえ考えられるのではないか。そういう点から見まして、先生の考える景気回復のパターンというのはどういう形になっていくようなのか、ひとつわかりやすく説明をしていただきたいと思います。
○委員長(徳永正利君) それじゃ戒能先生からお願いしますが、御存じのように、たくさん御熱心な方がいらっしゃいますので、まことに恐縮でございますけれども、ひとつよろしくお願いいたします。
○公述人(戒能通孝君) 経済成長と申しましても、たとえば下水をつくったりなんかいたしますと、つくっている過程ではやはり公害が出てまいります。したがって、ほんとうの公害のない経済成長というものは私にはわかりかねるわけでございます。ちょっとそこは議論するようでございますけれども、下水をつくったり清掃工場をつくったりするプロセスではやはり相当に音を立てたり振動を起こしたり、それからごみを散らしたりするということだけは事実だと思うわけでございます。それを含めて大体四ないし六%くらいが現在吸収できる限界じゃないか。それをこしますと、やはり公害というような問題を必ず起こすということになるんじゃないかという感じは持っております。
○公述人(下村治君) いま底入れといわれておりますのは非常に現象的な判断じゃなかろうかと思います。二、三のいま御指摘になりましたような指標が、下向きの状態をとめたとか、下向きあるいは横ばいの状態からやや上向きの状態が見えてきたとか、そういうようなことをつかまえて一足飛びに底入れと、こういうわけですけれども、日本の経済が今日不況であるということは、経済活動が低下している、経済全体が収縮しているということではなくて、大きなGNPギャップが発生したというところに本質があると思うのです。これは、日本の経済の潜在的な成長力が非常に大きいのにそれにつり合うような需要の増加がないということで、経済全体はやはり上向きだと思うのです。名目で一〇%とか九%の伸びを現に続けるだけの状態にあることは間違いない。それはときどき大きくなったり小さくなったりする波をとるわけですけれども、それがたまたまいままで減っておった段階から少しばかりふえるような姿を見せたからこれは底入れだというのは、今日の経済の不況の実態について変化が起こったという判断にはつながらないと思います。GNPが実質五、六%は伸びているという状態で不況である。とすれば、正常な経済状態に戻すということは工業生産が十数%も伸びるような状態まで戻ったときであるというのが今日の経済の姿だと思います。今日の実情は明らかにGNPギャップがだんだんふえつつあるということでありますから、したがって、GNPギャップはふえつつあるけれども生産は少しずつふえるかもしれませんし、卸売り物価は不況カルテルがありますから、もう下がらないということになるかもしれませんけれども、しかしそれでも安定的にその状態を持続することはできない。生産力と需要とのアンバランスは、少しばかり需要がふえても、少しばかり生産がふえても実は拡大する状況にあると。そうしますと、そのような状況で設備投資というものがいまの水準を維持できるかどうかが問題になるということだと思います。年に十四兆円以上の設備投資が現に行なわれておりますけれども、そのような設備投資が行なわれることによってGNPがささえられているわけですけれども、もしもこれが減り始めますと、GNPの増加傾向にマイナスが追加されるわけですから、そうなるかならないか。GNPギャップが拡大しつつあるとしますと、やはり設備投資は減らざるを得ない。そういう圧力がかかってくると見ざるを得ないと思います。先ほど申しましたように自律的な設備投資意欲が強い段階、したがって経済が民間主導型の段階のときには、それにもかかわらず産業界は一挙に設備投資をふやすわけです。いまのように金融が緩慢であれば産業界は思い切って設備投資を拡張したに違いないと思うんですけれども、そうなりませんのは、いまの経済界が民間主導型の段階を終わり、設備投資計画についてはいままでと違った見通しのもとに、いままでと違った計画を実行せざるを得ないような段階に入ったからと見るほかないと思います。そうしますと、どうも今日のような需給ギャップ拡大の状況では設備投資は減るかもしれないと見なきゃならぬ。したがって目先、底入れ底入れといわれるような指標があらわれているといたしましても、これは今後急速に好転する前兆でもなければ、あるいはこれで停滞が終わるという前兆でもなければ、場合によってはもっと悪くなるかもしれないという可能性を依然として持っていると見なければならないのではないか。それならば積極的な財政金融政策をとって一挙に改善できるかといいますと、それはおそらくはそうならないだろうということを先ほども申しましたけれども、御質問にありましたように急には効果が出てまいりませんから、したがってやはり四十八年一年度が景気回復のために費やされざるを得ないということになると思います。四十七年の後半は悪化の条件が断たれて、四十八年度につないでみれば先はよくなるという自信を産業界全体、国民全体が持ち得るような条件をつくるということが、積極的な財政金融政策の一番大きなメリットじゃないかと思います。それで、四十七年度の後半から好転が始まり出しまして、四十八年度前半から後半にかけて相当明るい状態があらわれて、四十九年度に正常な状態——正常な状態といいますと非常に好況な状態になりますけれども一につながっていくということではなかろうかと私は思っております。
○木島則夫君 下村先生にお伺いいたします。 先ほど戒能先生は公害問題をこれ以上拡大をさせないためには、経済成長率というものを四%から六%ぐらいにコントロールをする必要があるんだというお話をされました。下村先生にお伺いをしたいことは、経済成長率とこの公害の問題をどういうふうに把握していらっしゃるか。この辺をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
○公述人(下村治君) 公害の問題が今日のような状況に表面化しました第一の点は、日本の経済規模が三千七百万ヘクタールの国土を前提にして日本の自然の浄化作用の限度を越える段階に到達をしたというのが根本的な第一の条件だと思います。 第二の条件は、公害を除去するための積極的な活動を、日本の産業界があるいは日本の国民が積極的にする心がまえを持たないままにこのような経済状況に突入した。心がまえのない状態で自然の浄化作用を突破するような経済状態に入ってしまった。そのことが第二の条件じゃないかと思います。で、経済成長そのものには、いま申したような形で、経済が成長すればある限界以上は自然の浄化作用の限度を越えるような廃棄物を、産業廃棄物、生活廃棄物として廃棄する段階があらわれることは、これは不可避であります。 それでその次の問題は、このような公害の因子を除去することが経済成長の中でできるのかできないのか。これが成長率が小さければ除去でき、成長率が大きければ除去できないというふうに考えることができるかどうかということになりますけれども、私は少し違った考えを持っています。成長ということは、先ほど来申しておりますけれども、生産性向上によってしか起こりません。で、生産性向上の推進力はインノベーションであります。インノベーションの本質はわれわれの頭脳の想像力でありますけれども、問題を発見する能力、問題を設定する能力、問題を解決する能力を意味するわけです。インノベーションの力が強ければ成長率が高い。したがって所長率が高ければ高いほど、問題設定の能力なり問題解決能力も強いと見なければならないと思うんです。経済成長の中に、したがっておのずから公害問題を設定し、公害問題を解決する能力も含まれていると見なければならないと思うんです。いまの状態はそのようなインノベーションの能力が公害除去、公害排除、公害防除のために使われていない、使われてこなかった。そういうことでなしに、自然の浄化作用で済むんだという前提でもって、こういう状態に突入したことから起こっていると思います。したがって、これからの日本の国民生活は、あるいは国民経済は徹底的な公害防除の上でなければ成り立たないんだということに覚悟をきめて、そのためにわれわれがあらゆる対策努力をつぎ込むような体制を固めれば、経済成長の中にその成長率の大小に関係なしに、成長力が強ければ強いだけ、それだけ公害防除の能力も強く発揮されるというように考えてよろしいのじゃないかと思います。つまり、公害問題がどういう問題であるか。これを除去するためにどういう可能性があるかということについての努力がいままでは足りなかったというのが、今日の姿じゃないかと思います。この点について私は非常に希望を持ちますのは、公害問題がやかましくなりましてから数年にしかなりません。ぜいぜい四、五年。まあ昭和四十一年度あたりで非常にやかましくなって今日に至ったということじゃないかと思いますけれども、この数年の間、政府が公害防除のための研究投資を著しく強くしたということでもないと思うんです。まあ公害防除のための研究努力、この努力も足りないと言われ続けておった状態だと思いますけれども、その中でいろんな面で新しい公害防除の技術開発が続生しているというのが今日の状態だと思います。まだ実用化の段階に入らないものばかりという状況でございましょうけれども、いろんな面でいろんな除去の技術が新しく開発され、新しく実用段階を迎えようとしている状態になっております。政府のいままでの努力を前提にして、なおかつそういうことが起こっておりますから、思い切って国民全体として政府が先頭に立ってそのための努力をつぎ込むような体制に入れば、私は公害防除の技術開発も十分に行なわれるし、むろん政府投資その他を含めて公害防除の投資が思い切って大規模に行ない得る経済力を持っているわけですから、したがって技術開発と公害防除投資とを含めて、これからの経済成長の中に非常に大きな成長率でありますけれども、戒能先生の言われたパーセンテージよりも高いパーセンテージで経済が成長することは間違いありませんけれども、その中に公害が徹底的に解除される方向への前進が起こるということについて自信を持ってよろしいのじゃないか——期待してよろしいのじゃないかと思っております。
○委員長(徳永正利君) ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(徳永正利君) 速記を起こして。
○杉原一雄君 下村さんに二点ほどと、戒能さんに一点だけ質問をしたいわけですが、第一点は、経済援助の問題ですが、先ほど国際黒字をためるということは悪いことなんだ。そういう認識と発想から、国内的な問題を含めていろいろな提言をお伺いしたわけですが、その一つとして、いま対外的には先生のおっしゃった基金の設定の問題とか、IMFにたな上げするという問題等の新しい提案をお伺いしたわけですが、いま一面、先ほどその意見が先生のほうから十分出なかったのは経済援助の問題ですが、御承知のように、いよいよあすからサンチャゴで国連貿易開発会議が開催されるわけです。それを目ざして先般来予算委員会で、通産大臣を中心として政府の姿勢をわれわれがいろいろ追及をしてまいりましたけれども、どことなしにこうへっぴり腰の点がございまして、やや私たち政府の方針について若干の疑惑を実は持っておるわけですが、いま先生が言われた黒字の問題ということから考えても、また日本の経済が——日本の国が世界の経済に寄与するという一つの大きな任務から考えても、明日からの国連の貿易開発会議へ臨む基本的な態度について、下村先生からもし政府にお望みになるとすれば、こういうふうにあってほしいといったようなことを、個条書きでもよろしゅうございますから、簡単にお伺いしたいのです。政府は、精一ぱいのところで、政府援助GNP〇・七%というところまで、もたもたと、どうにか言い切っておられるわけですから、そうした問題等を含めながら、先生の経済援助に対する、かくありたし、かくあってほしいということを明らかにしていただきたいと思います。中国等は援助の八項目等が明示されておるわけでして、一々私たちはまだその裏づけを承知しておりませんので批判を控えますけれども、わが国としてもそうした点でもっとはっきりした方針を打ち出して臨むべきでないかと思います。愛知さんの心境は非常に私は複雑だと思います。 第二の問題は、全国総合開発計画がねらいを持って、国民にある種の希望を与えながら、結果的にはさまざまな問題を起こした。だから昭和四十四年五月から新全国総合開発計画が進められている、これが現状だろうと思います。そこで、先般来、総理も経済企画庁長官も、新全総もたいへんなひずみを起こしておるので、今度は全国的な総点検をやりたいということを言っておられたわけで、あえて私は総点検の一つの柱、目標、そういったものは一体きまっておるならば明らかにしていただきたいと言いましたけれども、どうもあいまいです。ただ公害が出るとか、住宅が不足だとか、社会資本が何とかということだけは、われわれ一般人でもすぐわかるような御返答はいただけたけれども、どういう項目をもって改定、いわゆる総点検をなさるのかということについてきわめてあいまいでございましたが、はからずも、私は富山の者ですが、富山のローカル紙にそのことが載っておりましたので、これは変なところで変なことがわかったと思ってびっくりしているわけですけれども、政府はすでに八項目の柱を立てながら五月から総点検に入ろうとしているわけです。そこで、先生の立場から政府に、新全総はかくかくのごとき欠陥が出ているんだ。だからそれについて重点的な努力をなすべきだという提言がありましたら、これも項目的に簡単にお伺いできれば幸いだと思います。 それから、戒能先生でございますけれども、私たち今度の国会で、繰り返し環境庁長官が国民に約束してまいりました二つの法案が提出されるものだと手ぐすね引いて待っておりました。その一つは自然環境保全法であります。これは戒能さんがいま東京都の公害と四つに組んでおいでになるわけですから、その立場からもこの法案に対する期待があったと思います。その点で、その立場からこの法案に対していかなる期待をお持ちであるか。しかしながら、残念ながらきのうの閣議でこれを出さないことにきまったようであります。このことは、林野庁なり建設省との間の調節ができなかったというふうにも聞いておりますけれども、私は、環境庁が今日までいろいろわれわれに対して言明しておいでになったこととあわせ考えて、きわめて残念に思いますが、いま都民を代表して、この法案に対するところの期待と要求を明らかにしていただきたいということが一つ。 いま一つは、公害無過失賠償の法案でございますが、環境庁長官のことばをもってするならば、もうすでに三年間この問題と取り組んでまいりました。国民にも御約束してまいりましたので、いよいよ国会に提出いたしました。三月二十二日に出したのであります。こういうことでございます。ところが、この法案の中身を見ますと、もう全くの骨抜きでございまして、たとえば一番大きな問題は、生命の問題は補償するけれども、物の問題は補償しない。それから因果関係の推定の項目が削除されたわけであります。私はイタイイタイ病の患者としょっちゅう接触し、裁判闘争にも参加しているわけですが、この項目が抜けることになることによって、鉱業法の無過失賠償責任のあの項目をたてにとっている訴訟でさえもが困難をきわめているわけであります。これがなくなれば、公害無過失賠償責任法は私は半ば以上もはや期待がなくなってしまったと思うのでありますが、そうした問題等は先生の立場から御検討いただいていると思いますけれども、無過失賠償責任法をもし先生の手でお出しいただくならば、どういうのが望ましいのか。その点経過を含めながら御判断をいただきたいと思います。
○公述人(下村治君) 経済援助の問題でありますけれども、経済援助は、日本の経済がこれから生きるために、したがってまた日本の国家がこれからの世界の中で生きるための死活的な条件につながっているという覚悟で扱うべき問題ではないかというように思います。日本の都合でやることじゃなくて、相手方が希望する限り、相手方が希望する条件において相手方の希望する限りの、できるだけの援助を日本は行なう覚悟をきめて、その実行案を考えるということが根本的に重要なことじゃないかと思います。日本の経済の能力をこえることは約束できませんし、やるべきじゃありませんけれども、幸いにして日本の経済はいまたいへんな余力を持った状態になっておりますから、したがって、おそらくはいま私が申しました条件——相手方が希望する限りの援助を引き受けても、日本の経済はやっていけるというように自信を持ってよろしいのではないかと思います。GNPの〇・七%というのは、したがって十年後の目標として何とか受け入れましょうというぐらいのことではなくて、今日の段階においてすでにわれわれはGNPの〇・七%の政府援助を約束しても十分じゃなかろうかという、それだけの力を持った経済が現にでき上がっているということについて、自信を持ってよろしいのじゃないかと思います。あるいはもっと積極的にGNPの〇・七%ぐらいを政府は無償援助として考えるというような態度をはっきりしてもよろしいぐらいの状況じゃなかろうかと思います。現に経常勘定の黒字が為替収支の面でGNPの二%ぐらいのオーダーで出ております。こういうようなたいへんな黒字を出している経済が、なぜ予算の面でGNPの〇・七%を負担できないか。これは財政政策の運営のしかたが、いろんなちゅうちょ、いろんな制約があって萎縮し過ぎているからであるという以外にないと思います。経済力からいいますと、十分にそれを消化できるだけの力が現にあるという点については、確信を持ってよろしいのではないかと思います。 それから全国総合開発計画の問題ですけれども、これは後進地域の援助の問題あるいは後進地域における産業開発の問題、そういうような問題意識から出発しまして、だんだんと国土全体を総合的にいかに建設するかというように問題意識が発展した結果、新全国総合開発計画までたどり着いたということで、方向としては非常にいい方向をたどっておったと思いますけれども、しかし、自然の維持でありますとか、自然の保護でありますとか、今日われわれが当面しております条件、公害問題に象徴されますような条件を前提として考えますと、非常に大きな欠陥があったということで再検討をしいられているということじゃないかと思いますが、全国の自然を維持しながら、自然を回復しながら、なおかつその上で、いかに日本の国民生活を高め、福祉の水準を高めるかという問題の解決の姿として、日本の三千七百万ヘクタールの国土全体を統一的にいかに高度に建設するか、こういう課題の解決のために新しい総合開発計画は考えられなきゃならぬと思いますし、おそらく、そういう考え方になっていくということは確信を持ってよろしいんじゃないかと思います。 したがって、最後の問題は、そのためにたいへに金がかかる、自然の維持のために、自然の回復のためにたいへんな金がかかる。そのような金を惜しんではならない。金に糸目をつけないで、そのための建設的な努力を徹底的に行なうべきであるというような点だけが実はおそらく新しい開発計画の場合の根本的な最大の問題点じゃないか。これまでもそうでありましたけれども、このような計画はいつも絵にかいたもちになりますけれども、それはそのために金を惜しむという原則が前提としてとられるからじゃなかろうかというように考えております。
○公述人(戒能通孝君) お尋ねがございましたので、環境問題に関する私の考え方をちょっと申し上げさしていただきたいんです。 環境保全ということ、公害防止ということにつきましては、率直に申しまして、金を大量に使うことではないように思います。それよりも、できるだけ自由なディスカッションを保障するということが一番いい道だと考えているわけでございます。おそらく現在の日本の鋼材生産量一億トンということを基準といたしまして、年率一〇%で複利で成長していきますと、五年間で二億、その次の五年で四億ということになりまして、こうした成長率というものを吸収していくということは、これはいかに知恵を出しても、かなりむずかしいところにきているんじゃないだろうかという感じがいたすわけでございます。と同時に、他方におきまして、ほんとうに厳格に議論し、どんな社長さんでも、どんな被害者でも、ほんとうに厳格に議論し、自由に論議する道が保障されますと、私は存外安いお金で何とか対処していく道が開けてくるんじゃないかと思うのでございます。日本の公害被害者というのはおそろしく寛大でございます。みなお金なんか要らないというのが一つの前提でございます。ただ原因を明らかにせよ、そして、明らかにされた原因に対して各企業が責任をとってくれ、責任のとり方は、今後こうした被害者を出すな、そういう形で責任をとってくれという非常に寛大な態度をとっております。したがって、被害者と加害者との言論の自由を保障した、討議の自由を保障した場というものがつくれれば、これは公害というものはかなりの程度まで防止できるんじゃないか。それから職場の労働者と高級技術者の間の討論の場というものを本格的に保障すれば、相当公害の防止というものはできるんじゃないかと思うのでございます。おそらく、いま使っているお金の振り向け方によりまして、非常に大きな成果があがるんじゃないかと思うのでございます。 そういう立場から全国環境保全法のような問題を考えますと、私としては、まず東京都のような緑地のなくなったところでは農業を緑地保全として考えていただきたい。農業を、単に農民保護とか、農業生産という立場ではなくて、緑地保全という立場で考えていただきたいと思うわけでございます。このためには農民の要求というものを本格的に聞かなければいけない。農協の幹部の意見だけではだめなんで、現実に農民としてほんとうにまじめに仕事をしている方の要求、その方がどうしたら緑地保全農業というものを維持していけるのか、自由に話せる場というものがまずほしいと思うわけでございます。 それから河川につきましては、いままでの建設省の立場から申しますと、治水が主でございましたが、これをできたら都民のレクリエーションの場としての河川というものがつくられなければならぬのではないだろうか。都市にはどうしても空間が必要でございます。空間のない都市ということになってきたら、おそらく犯罪者の巣くつみたいなことになるんではないだろうか。空間をつくるにはどうしても河川というものを生かさなければならない。レクリエーションの河川というものが生まれてこなければならない。そうするというと、ほんとうに必要なのはレクリエーションをやっている子供たちではないだろうか。子供たちの意見もまじめに聞かなければならないんじゃないだろうか。河川敷で飛んだり、はねたりしている子供たちというものの意見もまじめに聞かなければならぬのじゃないだろうか。もちろん、子供たちの意見というのは、これは自分では的確に申せないかもしれません、おとながいて翻訳してやらなければならぬかもしれません。ともかく、ほんとうのディスカッションがないと公害というものは除去できない。だから、一番重要なことは、まずディスカッションの自由を保障した法律というものがほしいのじゃないか。その場をつくった法律というものがほしいのじゃないかという感じがするわけでございます。 それから、公害賠償の問題につきましては、これは私としては、厳格な無過失責任、因果関係を推定した規定というものを持ったものがいいと思います。しかし、いままでの公害賠償訴訟におきまして原告になった人の話を聞いてみますと、原告になった人々が一番満足しているのは——訴訟で満足しているのは金額ではございません。むしろ訴訟の場に被告側の、企業側の代表者が出てきて、いかにいままで何にもやらなかったかということがどんどん暴露されてくる。彼らは何にもやらなかったのだ、ときによってうそをついてきたのだ、それが暴露されていく。そうして結局頭を下げざるを得なくなってくるというところに満足感を非常に強く持っております。だから、いままでの段階では、因果関係の推定がない結果、逆に原告たちが満足しているという面も出ているわけであります。で、かえって訴訟に勝って判決が確定するとがっくりするという面もあるわけであります。訴訟自体が一種のレクリエーションである——これはまあ非常に乱暴な言い方でありますが、そういう面のあることも御注目いただきたいし、またそれをやっている弁護士の人たちに聞きますと、それがなかったら、私たちはこの事件に身を入れてやることはできないと言っております。で、イタイイタイ病なんかにつきましても、いろいろな学説がございますけれども、たとえばビタミンDの欠乏説なんというのがやはり法廷に出ていってくずれるところに原告たちの満足感があるという面もあること、これは私としては裁判というものの持っている役割りを現在でも評価している点でございます。 と同時に、他面から申しますと、大気汚染なんかになってくると、被害者が実は何千人かわからない。それから水俣のほうの水俣病でございますと、被害者はほんとうは何千単位かになると思います。裁判ではどうにもしきれないことになるのじゃないか。一人当たり一千万円賠償金を払っても、おそらく数十億になるのではないだろうか。裁判ではどうにもしきれない点も出てくるのではないだろうか。それをどうするかというような問題も出てきますので、これも法律案の問題としてはぜひ御検討をお願いいたしたいと思うわけでございます。
○委員長(徳永正利君) いかがでございましょう、御相談でございます。まだ発言の御希望の方もいらっしゃいますけれども、午後は一時から公述人をお呼びいたしておるものですから、まことに申しわけありませんけれども、この程度で質疑を打ち切らしていただきたいと存じます。 公述人の方に申し上げます。長時間にわたりまして貴重な御意見を伺わせていただきましてありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。 それでは午後一時、時間厳守で再開いたしたいと存じます。 暫時休憩いたします。 午後零時二十七分休憩 —————・————— 午後一時十分開会
○委員長(徳永正利君) それでは、ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。 午前に引き続きまして、お二人の公述人の方に御出席をお願いいたしました。昭和四十七年度総予算につきまして御意見をお伺いいたす前に、公述人の方に一言ごあいさつを申し上げます。 きょうは御多忙中にもかかわりませず、本委員会のために御出席をわずらわしまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。 それでは、議事の進め方につきまして、お一人大体三十分程度御意見を伺いたいと存じます。お二人から御意見をお述べいただいたあとで、委員の諸君から質疑があります場合はお答えをお願いしたいと存じます。 それでは順次御意見をお述べいただきます。まず、鈴木公述人にお願いいたしたいと存じます。
○公述人(鈴木幸夫君) 鈴木でございます。 四十七年度の予算案に関連いたしまして、特に物価問題について話していただきたいというような御注文でございましたので、きょうはその物価対策を中心といたしまして若干私見を述べてみたいと思っております。きょう申し上げますことは、今度の予算の中で物価対策の関連する予算というものが大体どのくらいあって、それがどういう効果を発揮するかといったような予算上の問題よりも、むしろ今度の予算の編成に関連いたしまして、その背景になっております政府並びに自民党の物価問題に対する取り組み方についての若干の私なりの意見と、それから、単に政府与党サイドだけではなくて、野党側の先生方におかれましても、あるいはもっと広くマスコミを含めました国民一般の側からも、この物価問題に対して、まあいろいろ異なった意見があるわけですけれども、その意見の認識といいますか、状況認識について、それぞれ問題があるように私も思いますので、まあ、その全体をひっくるめまして、今日の予算をめぐる物価対策のあり方について若干意見を述べてみたいと、こういうことでございます。 その前に、私なりに今日の物価の状況についての基本的な見方ということを、時間がございませんから、かいつまんで申し上げたいと思いますが、今日、先ほども下村先生もおそらく御指摘になったと思いますが、国民経済の需要と供給とのギャップというものは、人によって見方はいろいろございますけれども、数兆円から——まあ下村さんのように十兆円以上ということを主張されている方もいらっしゃいますけれども、相当大幅な開きがある。こういう状況のもとでは、少なくとも卸売り価格というものは、ここ当分よほど財政金融政策の面で積極的な手が打たれない限りにおいては、卸売り価格というものは、そう大幅に上がるものではない。そういう意味においては、今日一般的にいいますと、日本の場合は需要面からのインフレのファクター——要因というものは大きくないと。そういう面でインフレ要因というものは非常に少ないんだというふうに認識していいんじゃないかと思うわけでございます。ただ、卸売り価格の中身を取り上げてみましても、最近のようにカルテルといったような形で、いわゆる製品価格を下げ渋る、むしろ積極的に上げるというふうな、そういう動きが各業種ごとに強まっていると、その辺に一つの問題があるんじゃなかろうかと、さらに今度は、卸売り価格だけじゃなくて、もっと一般的な国民生活に密着している消費者価格につきましては、これは卸売り価格と違いまして、生産性と賃金とのギャップというものがだんだん目立ってまいりました。特に流通とか、農業その他のいわゆる生産性の低い分野というところにおいては、これは御承知のように、なかなか生産性を上げるといっても簡単に上げることはむずかしいということもございます。そういう意味で、こういったような部門についてはいわゆるコストインフレ的な要素、つまり、賃金の上昇が生産性の上昇を上回るというようなかっこうでの価格の上昇というものがかなり一般化している。もちろん野菜のように需給関係によって変動するものもいろいろございますけれども、根っこにあるものはそういったような問題があると、したがって、消費者価格の問題について議論するとなれば、どうしても流通部門を含めました構造的な政策というものを積極的に展開していかなきゃいけない、こういうことになるわけでございますが、その点についての問題がいま一番大きな問題として出てくるであろうということに考えておるわけでございます。 そこで、きょうの話は、最初に申し上げた卸売り価格をめぐるカルテルの問題についての若干の私の見方と、それから消費者価格につきまして、特に最近問題のありますのは、いまの流通なりあるいはその生産構造の合理化の問題と関連いたしますけれども、円の切り上げをやったにもかかわらず輸入したものの価格が下がっていない、こういう状況でございますが、なぜそういうようなことが起こっているのかということについての問題点を少し指摘したいということと、さらにもう一つの問題は、消費者価格に公共料金の引き上げという問題がどういうふうに影響しているか、しかも、公共料金の問題につきましては、上げ方の問題——それから、その上げ方の問題と申しますのは、いわゆるタイミングあるいはその方法論としての問題と、それから公共料金自体の今後のあり方ということについてどういうふうに考えたらいいかという問題と二つあるかと思いますが、その点についてお話してみたいというふうに考えるわけでございます。 で、話の順序はちょっと入れ違いになって申しわけないのですが、最初にやはり公共料金の問題について申し上げてみたいと思います。公共料金の問題につきましては、まず第一に今度の予算編成にからんで指摘しなきゃなりませんことは、これは皆さん方の多くも御指摘になっていることだと思いますけれども、何と申しましてもやはり、公共料金の個別の料金を上げることの是非はともかくといたしまして、一ぺんに何もこうかためて一斉に二割も三割も上げるというふうなやり方自体が非常におかしいんじゃないか。これは私は公共料金の引き上げ自体に反対しているんじゃないんですけれども、いかにもこういうやり方というのは、実際にそれが消費者物価指数に与える影響というものは、経済企画庁が言っているように〇・九%ぐらいにとどまるかもしれませんけれども、私はもっと多いと思いますけれども、かりにその程度にとどまるといたしましても、政治の姿勢として、やり方としてはやはりまずいんじゃないか。非常に心理的な悪いフラストレーションを国民全体に与える。むしろ公共料金問題について言いたいことは、これまで何回も一年ストップというふうなことを繰り返し行なわれてこられたわけでございますが、そういうことのやり方自体に問題がある。さらにもっと突っ込んでいえば、公共料金はいつも上げちゃいけないんだというふうな考え方にあまりにこだわり過ぎていられるために一もちろん皆さん方いろいろ選挙区とも御関係もおありでしょうし、あまりそんなことを言うとまたいろいろあとで差しさわりがあるかもしれませんけれども、どうも上げるべきものをタイミングを逸しやすいということに問題があるんではないか。私は、必要であれば、漸次、随時、タイミングを見はからってやはり上げていく必要がある、一ぺんに二割も三割も上げるんじゃなくて、二%でも三%でもいいからタイミングを見はからって上げていく、そして全体として一挙に物価指数なり国民生活に大きな影響を与えるようなことのないような上げ方が必要ではなかろうか。それは国民ももちろんそういうことについて十分理解してもらわなければいけませんけれども、先生方のお立場からもそういう点はよくよくひとつお考え願いたいということでございます。 で、まあそういうことについてあまりくどくど申し上げたくはございませんけれども、経済企画庁の言い分からすれば、ちょうど四十六年度に上った消費者物価の上昇の影響が四十七年度に影響してくる分というのは大体三%くらいあると、今度の場合はまあ一・五ないし二・三%と言っておりますが、せいぜい二%そこそこであろうと、したがって、政府の物価見通しでいけば五・三%ということになっているんだから、少なくとも三%以上の三・幾らかの余裕があるんだ、その余裕の分の中で公共料金の問題を考えていく場合には、公共料金がかりに〇・九%上がったとしてもその中に十分吸収できるので、五・三%の見通しは変えることはないのだ、こういう言い方をしているわけでございます。いわゆるげたのはき方の問題になってくるわけでございます。ところが、三・七、八%と言われておりますけれども、その程度のゆとりのある分と申しましても、これは四十六年度の年度末——三月いっぱいまでに消費者価格の面でかなり上がっている部分もございますので、げたの部分がかなり少なくなっている面もあろうかと思います。これは厳密に私は統計資料を持っているわけじゃございませんけれども、そういう問題がございます。そこで、余裕も若干少なくなっているという問題もございますが、同時に、公共料金というのは、単にそれ自体の直接、間接の効果だけじゃなくて、それがもたらす心理的な影響というものが、いろいろ国民全体の物価に対するマインドと申しますか、そういうものを非常にゆがめてくる、そういうこともいろいろ考えてみますと、とても〇・九%ぐらいの影響じゃおさまらないだろう。したがいまして、ことしの消費者価格というものは、生鮮食料品なんかで若干のまあ変動はあるかもしれませんけれども、六%に近い上昇を見るんではなかろうかというふうに私は考えております。しかし、その問題は一応別といたしましても、先ほど申し上げましたように、この公共料金の問題については、まずそのタイミングを逸しないということが必要である。私は公共料金一般の問題につきましては、こういうふうに考えているわけでございます。これは先生方の中にもおそらくそういうお考えの方もいらっしゃると思いますが、基本的には公共料金というのはそれは安いほうがいいわけで、特に公共料金を上げないで、できるだけ国鉄なりあるいはその他の公共企業体のみずからの合理化努力というものを大いにやってもらうということからいえば、料金はなるべく上げないで合理化に追い込むというやり方は非常に重要なねらいであると思いますけれども、しかし、現実にもう公共企業体の多くが合理化だけではもうやっていけないという面が非常に多い。それはもう財政で見るかあるいは料金で見るか。あるいは財政で見る場合でも、それを一般会計で見るか。あるいは一般会計で見る場合でも、それを税金で見るのか、公債で見るのか。そういったような議論まで含めましていろいろ考えてみなきゃならないわけでございますけれども、私は、そういう点が非常にいままであいまいであった。で、公共料金の引き上げについてのはっきりした政策上の基準というものが何らありませんで、そのときそのときの財源事情の中で、しかも、そのときそのときの国会の内部での与野党の力関係だとか、政府内部でのそれぞれの思惑といったようなものがからみまして、そして場当たり的に、あるときには料金を上げてみたり、あるときは財政で負担するとか、あるときはもうほおかぶりして全然何も手もつけないとかいうふうなことをやってきたわけで、こういう点をもう少し、もっと合理的にひとつ検討していただかなきゃならないんではないかというふうに考えるわけでございます。国鉄の総裁が、もうことしの職員の退職金を払えない、青い顔をして大蔵省に飛んでいくというふうなことになって初めて国鉄の再建問題がやっと与野党含めて本格的な議論を展開するようになった。そうでもならないと、なかなか思うように手がつけられないというふうな問題がございます。これはいろいろ政府のトップの方々にも反省していただかなきゃならない問題だと思います。まあ、公共料金問題については、一般的にそう考えるわけですが、なるべく上げないに越したことはない。一部の学者の中には、公共料金は安いに越したことはないんで、むしろあれはどんどん低くしていったほうがいいんだと、こういう考え方がございます。私は、さっき一等最初に申し上げましたように、それは公共料金を抑制していくことは、公共企業体の合理化努力をプッシュしていくという意味においては必要な措置だと思いますけれども、もうすでに今日ではその限界に来ているというふうに考えるわけでございます。そこで、どういうふうに公共料金の問題を考えたらいいかということでございますけれども、今日社会資本が足りない、道路関係、鉄道その他を含めまして、そういうものが、国民的ないわゆる社会的な需要というものに対して供給が足りないわけでございます。で、需要が非常に強くて供給が足りない場合においては、これはある程度公共料金を上げていかなければならない。なぜならば、その供給をふやすためには財政面で相当な財源措置が必要であるわけでございますから、その財源措置については料金で負担するか、税金でやるか、公債でやるかという問題はございますけれども、いずれにしても、相当程度国民が負担しなきゃならないということであるわけでございます。そういう面からすれば、私は、いまの状況では大多数の公共企業関係の問題というのは供給不足に問題があるんだというふうに考えております。もちろん、供給が十分あって、そして需要とのバランスがどちらかというと比較的とれていて、場合によったら供給が多目のものもあるというふうなことであるならば、これはむしろ公共料金は政策的に控え目に押えていくということは必要だと思いますけれども、今日、大多数の公共企業関係の問題について考えればむしろ逆であろうと、したがって、私は、その公共料金の引き上げについてはどちらかというと比較的寛容な立場をとっているわけでございます。で、むしろ先ほど申し上げましたように、一年間ストップをして押えてしまうというようなことは、これは、私も関係しております物価安定政策会議が第三調査部会で提言案をまとめておりますけれども、それにも指摘しておりますけれども、資源配分というものをゆがめていくとか、あるいは国民の便利さというものを阻害するというふうな問題が出てまいりますので、むしろ積極的にそういう面は考え直していかなければいけないんじゃないかというふうに私は考えるわけでございます。 さらに、時間がございませんから、あまり公共料金ばかりやっておれませんけれども、もう一言だけつけ加えさせていただければ、要するに、利用者負担ということは私は原則的に大賛成ですが、その利用者負担のあり方については、たとえば土地の値上がりによる開発上の利益というもの、これは必ずしもそういう利益が実際に交通事業なんかをやっている事業主体にうまく還元されていない面もいろいろございます。したがって、これはやはり固定資産税の評価額に対する付加税を取るとか、あるいは地価が上昇した分以外については事業所税的なものを新しく考えるとか、あるいは一般的に見て都市交通税的なものを考えるとか、何らかそういうかっこうで開発利益というものの還元をはかっていくと、そうすればおのずからこの交通企業そのものが利用者に対して料金の面で負担させる部分がある程度軽減されることもできるんじゃなかろうか。これは詳しく説明しないとちょっとまた誤解を受けるかもしれませんが、そういう問題がございます。したがって、そういう開発利益の還元のしかたについてもいろいろ先生方にくふうしていただかなければならないんじゃないか。単にもう開発利益の還元についてはいろいろそれはむずかしいんだということでそこで話がとまってしまったり、しかも、そうかといって料金を上げるとなると、それは国民生活に及ぼす影響が大きいからそれはやめてくれと。では、一般会計のほうで金を出すといって、では財源が足りないから公債を出すということになると、また公債についてはこれはインフレになるから困るとか、どうも話が途中でみんなとまっている。よく政府の今日の政策については決断がないとか、あるいは政策の斉合性がないということをいろいろおっしゃるわけで、私もそうだと思っておりますけれども、しかし、野党の方々の場合におきましても、そういう点についてもっとコンシステンシーのあるポリシーをどんどん積極的に提案していただかないと、私どもは第三者の立場からいたしまして、はっきり申し上げて、どっちもどっちじゃなかろうかというふうな感じもするわけでございます。きょうはちょっと言いにくことを一言申し上げましたけれども、これは決して私は特に他意あってきょうそういうことを申し上げているわけではございません。 それから次に——公共料金問題については、これは時間がございませんから、これではしょらせていただきますが——輸入問題と国内の消費者価格の問題でございます。これはかねがね私どもも円の切り上げ、つまり為替レートの切り上げをやれば、おのずから輸入する物の値段は、ドル建ての輸入価格が下がってまいりますから、したがって、国内の消費者物価の安定に役に立つであろうという、いわゆる経済原論的な面からは為替レートの引き上げというのは効果があるんだというふうに考えていたわけでございます。これは昨年、近代経済学者の方々が提言をされた中にもそういうことはうたってある。しかしながら、今日、相当大幅な、去年のスミソニアン会議でもって一六・八八%という切り上げが行なわれ、しかも、今日実勢のレートは三百八円を大幅に上回るような状態で実質的な切り上げ幅が大きくなっているにもかかわらず、なぜ下がらないのか。確かに太平洋を越えて日本沿岸の横浜や神戸に着くその港までは値段は下がっているわけでございます。ところが、一たび本土に上陸いたしますと、変な言い方ですけれども、寄ってたかって中間段階でもってむしってしまう。——まあむしると言うとちょっと……。どうも私は新聞記者ですからことばが悪くて申しわけございません。——まあ、いろいろ、これは何も流通業界の方々だけではなくて、各種の事業団、公団といったようなたぐいの、いわゆる畜産物だとか農産物関係のそういったような公共機関までがいろいろ手数料をお取りになる。まあ、取るのはかまわないにしても、あまりにも何段階かいろいろな流通経路が複雑に分かれているためによけいな手数料が取られて、そこへ持ってきて消費者のほうは、一般的にワイシャツとかそういったようなものは安くなっておりますけれども、高級のウイスキーだとかそういったようなものについてはこれは高いのがあたりまえだというふうな、高くなければお歳暮にもおもしろくないというふうなこともありまして、そういう両面から、消費者のそういうところに業界の方も便乗しているし、一方、業界の方々はそういう既得権をそういう形で擁護しておられる。しかも、政府は自分も共犯者の一人としてその中に参画しているということでございまして、それは下がらないのがあたりまえだと。で、関税の問題、自由化の問題、これももちろんやらなければいけません。同時に、輸入をふやすためには、何と申しましても国内需要の拡大ということが先決問題であることもこれも言うまでもございません。しかしながら、同時に、やはりその流通機構の問題をもっと根本的に考え直す。同時に消費者の側にもそういう面での反省が必要だというふうに私は考えるわけでございます。特に先ほど申し上げた一部の輸入製品については——香水だとかウイスキーなんかについては、輸入業者がいわゆる特約代理店というような形で非常に固定化しております。新規参入はございません。これはやはりこれまでの行政当局の許認可の姿勢にも問題があっただろうと私は思うんですが、その辺は詳しい事情は私はわかりませんけれども、そういう形で非常に固定しておる。で、一般的に業者の新規参入さえ認めれば輸入製品の価格は下がってくるだろうということはいわれておりますが、しかし、いま問題なのは横の問題だけではなくて、横の競争関係だけではなくて、縦の系列化ということの中に、さらにそこの中に非常に競争制限的なものがいろいろ入ってきているわけでございます。したがって、そういうふうな問題を根本から取り組んでいかなければいけない。しかも、そういう点については公正取引委員会あたりも実情をまだよく調べておりません。やっと追跡調査などを企画庁と一緒になってお始めになっておられるようですけれども、十分データがない。私ども実はその辺について、あまり疑問ばかり申し上げて、はっきりこういう状況になってるという具体的な数字なり何なりというものを持っておりませんので議論が非常にしにくいわけでございますが、しかし、そういうことが国内の価格を下げ渋っている最大の原因になっているということは、それはもう間違いないわけで、独禁法の立場からももう一度そういう点を見直す余地があるんではなかろうかというふうに私どもは考えるわけでございます。そういったようなことで、この消費者価格の問題についてはそれ以外に流通機構なりあるいは農業なりその他の生産構造の抜本的な構造的なてこ入れをやっていかなければいけない、こういう問題があるわけでございますが、時間がございませんので、最後に今後の物価について特に先生方にひとつお考えになっていただきたいという点を五つ、六つ、ちょっと指摘さしていただきたいと思うわけでございます。 第一は、まあ、これは景気政策とかあるいは構造改善とかいうこととはまた別な問題でございますけれども、今後公害問題に対して企業はいろいろ自分で設備をつくっていかなきゃいけない。そのために相当費用がかかってまいります。社会的な費用、つまりソシアル・コストというものがいろいろかかってくるわけでございますけれども、そういうものを十分に企業が負担した場合には、おそらくそれは価格にある程度転嫁せざるを得ないという問題になってまいります。私は基本的にはこれは企業が自分の合理化努力によって吸収すべきものであるというふうに考えておりますけれども、そうは申しましても、なかなかそう簡単にいくものではない。たとえばこの前のOECDの環境委員会でもヨーロッパの自動車業界の連中が陳情資料をまとめまして発表いたしましたけれども、詳しい数字はこれは通産省から私がちょっとお借りしてきただけの話で、きょうはむしろ通産省に聞いていただいたほうがいいと思いますけれども、製品価格が一〇%ないし二〇%ぐらいやはり上がらざるを得ないということを言っているわけでございます。これはいわゆるアメリカのマスキー法案の基準に従って——このマスキー法案自体もまだ流動的に動いておりますので何とも申し上げられませんけれども——法案の基準を当初の基準どおりきびしく適用した場合には、少なくとも一〇%なり二〇%ぐらいの費用の増加になって、それは企業では吸収できない。したがって製品価格に転嫁されるだろうということを言っておるわけでございます。——早口で速記者の方に申しわけないんですけれども、限られた時間でたくさんしゃべろうということで、ちょっとごかんべん願いたいのです。——で、そういう問題がございます。そこで私は考えるのですが、何もそれはヨーロッパの自動車業界が一方的に言っておることで、そのとおり受け売りをする必要はないのでございますけれども、しかし、これからいろいろソシアル・コストの問題というものを価格にどういうふうに織り込んでいくかという問題は非常に重要な問題になってメーカーの方々が共通に悩んでおられる。中にはいいかげんのメーカーがいて、ろくにそういう費用を負担しないで安売りをする。そういうメーカーに比べて正当な公害対策をやったメーカーが損をする、競争条件で不利になるというふうな問題があるとするならば、これはやはり政策的に何とか手を打っていかなければいけないと。そこでやはり通産省あたりでもはっきりしたそういう面での価格に転嫁し得る限度というものを、企業の生産性とか、企業努力とか、あるいは需要と供給との関係だとか、あるいは国際競争力とか、いろいろな面から詰めた一つのものさしというものをやはりつくってもらわなければいけないんじゃないかというふうに考えるわけでございますが、この点についてひとつ先生方に御議論していただきたいということでございます。 第二番目は、何と申しましても、今後の物価問題の最大のガンは土地価格の問題でございます。これは非常に言いにくいことをここで言わなきゃなりませんけれども、今度の宅地課税の問題にいたしましても、これはどうも私どもは先生方の御事情もいろいろよくわかるわけでございますけれども、せっかく建設省、自治省といったところが、それでなくても、いままでそれほど十分そういう面で手を打っていなかったような役所が、やっと本気になってやりかけて、そして都市計画と関連いたしまして市街化区域の農地の宅地並み課税ということをやろうとしたわけですね。しかも政府もきめて、自民党でも総務会でおそらくおきめになったと思うんですけれども、それが与党のみならず野党まで加わりまして、御一緒になってザル法にされてしまった。その事情は私が申し上げるまてもございませんけれども、私はいろいろ、それは農業者の立場というものはわかりますけれども、しかし、最初の段階においてたとえばA農地の場合、市街化区域に繰り入れてもらいたいと言っていたのは一体だれだったのか。そういう方々が農業関係の方に非常に多かったわけですね。土地価格が上がることを見越していた。ところが税金が上がるのにびっくりしたということで、それに皆さん方も——皆さん方じゃない、議員の多くの方々が、いろいろ、はっきり申し上げて、便乗されたと言ってはまた変な言い方になりますけれども、とうとうおかしなことになってしまったわけで——これは速記録で多少手直ししていただかなければいけませんけれども、その問題について事情はわかるんですけれども、しかし、いま土地問題について手をつけなければ、もう今後工場立地の問題からいっても、あるいは日本の消費者価格、卸売り価格、全体をひっくるめましても、日本の経済のコストというものは土地価格の安定なくしては安定的にはできません。特に最近の消費者価格の上昇の背後には、国民一般が非常に土地問題について将来の先行き不安を持っているがゆえに、あわせて、買わぬでもいい土地を無理して買ってみたり——それ自体も非常にいまや負担の限度に来ておるわけでございますけれども——いろいろ問題があるわけです。変なフラストレーションを国民が起こしているというだけではなくて、企業の国際競争力の面からいっても、こんなことをやっていたらもう必ず行き詰まってくる。そこで、やはり土地問題についてはひとつここで思い切った制度的な手を打っていただかなければなりませんし、そのためには公共用地の優先買い上げの問題も含めまして、ひとつ皆さん方の間で、ことしこそ土地制度についてひとつ手を打っていただきたい。具体的には非常にむずかしい問題がございますので、私もよくわかりませんけれども、ただ、いま政府がやろうとしている漸進的な措置については、これは個々にはいろいろ問題があるわけです。今度の新都市基盤整備法にしたって、あるいは公有地の拡大の推進に関する法律案、ういう問題についても、手直し要求がいま出ておりますけれども、これだって筋書きからいえば、政府がそういう漸進的な政策をやろうとしているわけですから、抜本的な手がすぐに打てないとすれば、そういう漸進的な手をできるだけ育てていくということで先生方に御協力願わなければこれはどうにもならない。そういうことさえできなければ、もう土地問題というものはいつまでたっても解決されないのじゃないかというふうに考えるわけでございます。 それから三番目に申し上げたいことは、これは日本の企業全体につながる問題でございますけれども、そのアメリカもすでに賃金の上昇が生産性の上昇を上回るということで、スタグフレーション的な構造というものがもう定着してしまっている。したがって、こういう状況に一ぺんなってしまえば、とてもそれは所得政策だとかなんとかいろいろ言ってみたところで、これは非常にむずかしいわけでございます。で、日本はどうかと申しますと、先ほど申し上げましたように、卸売り価格の面では、幸いなことにいまのところは、まあまだまだコストインフレ的な要素は強くないわけでございますが、おそらく遠くない将来、だんだんとアメリカ型の経済に近づいてくる。その場合に、いかにして生産性を上げていくかという問題と、一方に、やはり賃金の問題については、単に賃金だけじゃなくて、企業の配当から利子からすべてをひっくるめた、やっぱり幅の広いインカムズポリシーというものをやはり再検討していかなければいけない。そういう問題について、いまのうちから与野党含めまして、あるいは労使双方含めましていろいろ議論を冷静に進めていかざるを得ないのじゃないかと思いますが、その点についても、ひとついまのうちからやっておいてちょうどいいんじゃなかろうかという感じがいたします。 それから四番目の問題は、これはまたちょっと物価の問題としては、やや先ほどの話と若干食い違うかもしれませんけれども、最近まあ情報関係のコストというもの、あるいは情報関係の商品の価値というものについていろいろ問題がございます。特に、商品なんかについて、まあ御婦人の方の場合はよくおわかりだと思いますけれども、たとえばファッションといったようなものについては、その素材である繊維、繊維の着物とか洋服といったそのものそれ自体は、もう物的なコストというものは、それはどう計算してみたところで、それほどそう大きく食い違いはないようですけれども、それに加えられるアイデアだとかいわゆる情報的なもの、そういったようなものの価値というものが正当にやはり評価されるかされないかという問題がございます。で、これはまあ新聞代の問題を言ったら、ちょっとまたさしさわりがあるのですが、私は日本の新聞は、代金はまだ安いほうだと思っております。しかしその話はきょういたしません、これは速記録で削っていただきますけれども。情報についての価値というものは、これはやはり相当に評価しなきゃならないと、よく同じ商品のように見えても相当そこに、単に加工労賃だけではなくて、アイデアとかそういうものがあって、それが消費者の需要がそれに非常に強くついてくるということであるならば、それは値段が上がってもいいわけでございます。物的生産性はもちろん上げなければならない、構造改善もやらなければいけない、しかし、商品の値段というものを考える場合には、そういう要素もあるのだと、だから場合によってはたとえば中小企業対策を論ずる場合にも、何でも値上げしてはいけないということではなくて、ある場合には消費者の需要にマッチしたものであって、しかも創意くふうが生かされたものであるならば、それはコスト計算を離れた面からそういう情報価値を加味したかっこうで値段が上がってもいいし、そういう値を上げてもいいような品物をどんどんつくって十分それが売れていくというようなことをやるのが、むしろ情報化時代の新しいまあ商業者なり、メーカーの行き方の一つでもある、それがすべてじゃございませんけれどもある。そういう面もありますので、つまり情報の価値というものについての評価ということについて、いろいろまたこれを御議論願いたいということでございます。 それからさらに、あまりたくさん言いますとまた時間がございませんで、あと二、三分で済まさしていただきますが、五番目に申し上げたいことは、まあ今国会でも例の機密保持の問題でいろいろ議論が出たわけでございます。きょうはもちろんそんな話は、これはいろいろなさしさわりがございますから触れるつもりはございませんけれども、外交機密とかいろいろな国家機密とかいうことについては、いろいろな問題がございますけれども、私はきょう指摘したいのは、今後公害問題につきましても、あるいは物価の価格の形成のプロセスを取り上げる場合におきましても、もちろん企業機密というものはある程度尊重しなければなりませんけれども、しかし、その公害問題については、何と申しましてもやはり一番情報をたくさん持っているのは企業でございます。同時にまた、そういう企業を監督している政府でございます。政府と企業が、公害なりあるいは物価の、値段の形成されるプロセスというものについて、やはり原価計算まで出せということを言っているのじゃないけれども、そういう出し得る程度まではできるだけ国民に知らせる。いままで何か、通産省なり農林省なり厚生省なりその他の官庁にもいろいろ問題がございますけれども、役所の側では、一応企業機密だとか行政機密ということを理由にいたしまして、当然国民に出していいようなデータまでも出さなかったという問題がございます。そのかわりこっちはあまり聞きたくもなくても、まあ発表だ、発表だといって、出先の新聞記者を縛りつけるような発表過剰のような現象さえ一方にあるわけでございますけれども、どうもその辺がほんとうに国民生活のために役に立つ資料であるならば積極的に出すという思慮が足りないんじゃないか。で、私は、これからの物価政策の一つの柱の中に、国民に物価形成の姿というものを十分理解させていくためには、そういう正確な情報を知らせる義務が政府にも企業にもある。その点をひとつ国会といたしましてもいろいろ議論していただかなければならないというふうに考えるわけでございます。具体的にはいろいろ問題がございますけれども、一般論としてはそういうことが言えるのじゃなかろうか。私は、最近の、まあ公害問題に限りません、いろいろな企業の社会的費用というものを考える場合に、先ほど申し上げたように、社会的費用をどの程度まで製品価格に転嫁し得るかどうかという議論は、消費者もやはり当然そういう議論に参画していいわけでございます。そのためにはやはり資料をどんどん提供してもらわなければならぬということで、そういう面からもいやおうなしにそういう範囲内での情報の提供の場が広がってこざるを得ないというふうに考えるわけでございます。 そういったようなことで、いろいろ問題点をあまり体系的でもなく申し上げたわけでございますが、最後に二百だけ結論的に申し上げれば、何と申しましても物価対策については、やはり経済の合理性、合目的性というものを十分認識した上で、理屈に合ったポリシーというものをやはり進めていかなければならない。もちろんいろいろ政治的な事情によってそう簡単に割り切れない部分はございますけれども、できるだけ大筋を踏み違えないようにやってもらいたいということでございます。それをやるにはもちろん国会全体の物価に対する御十分な御理解ということも必要でございますけれども、同時に、何と申しましてもやはり執行者である政府、特にトップレベルの方々がもっと勇気と決断を持っていただかなければならないということでございますが、その点については、非常に私どもは今日まで不満に思っておるということでございます。 どうも長々とつまらぬ話をありがとうございました。(拍手)
○委員長(徳永正利君) どうもたいへんありがとうございました。 —————————————
○委員長(徳永正利君) それでは次に、久保先生にお願いいたします。
○公述人(久保綾三君) 連日たいへん御活躍いただきまして——テレビで拝見しておりましてたいへん御苦労さまであったと思います。 時間があまりございませんので、系統立ってお話をするということがちょっと不可能でございます。したがいまして、問題提起を若干やってみたい。まあ御専門の先生方ばかりでございますので、それで御理解いただけるのではなかろうか、かように考えまして始めさせていただきたいと思います。 まず、わが国の今日の防衛問題を考えるときには、どうしてもわが国を取り巻く軍事情勢が一体どうなっているかということをどう把握するか、これがやはりたいへん重要ではなかろうかというふうに考えるわけです。特に、いわゆるニクソン・ドクトリンに基づいて米軍がアジアから撤退していっているわけでありますけれども、この米軍の撤退についてはたしてどのような認識が一般的になされているであろうか。このことにつきまして私たびたび申し上げているところでありますけれども、言ってみれば、軍事的に見ればこれは明らかにベトナムの戦争——その前に朝鮮半島での戦争もありましたけれども、このベトナムの戦争における本戦敗北後の戦略的な撤退である、つまり力をつけて捲土重来を期するという戦略がそこにはっきりあるわけでありまして、したがって、この米軍のアジアからの撤退というのは潮が引いていくように、ついに押し返してくることのない撤退というふうに受け取ってはならない、かように考えるわけです。これは、まあとりもなおさず、ニクソンの訪中、訪ソといった面にもあらわれてまいっておりますし、そのやはり根本原因というのは核戦略の大きな転換にあろうかというふうに考えるわけです。一九四五年の七月にアメリカで初めて実験に成功いたしました原子爆弾が、今日は世界を数回も皆殺しにできるくらいの核兵器を米ソとも持っているわけですけれども、この核兵器の歩んできた道、これは必ずしも一本ではなかった。まあ私どもは大体三つか四つの大きな転換期を経ながら今日の核戦略というのが成り立っているであろうというふうに考えるわけです。ここに一番大きな問題があろうというふうに思います。簡単に申し上げてしまいますと、つまりプルトニウム、ウラニウムの爆発、核爆発によって大量に殺戮をする、破壊をするというこの兵器が、核弾頭だけをかかえていたのでは、これは全く兵器にならないわけでして、当初はB29のような航空機によって運ばれた。これが一秒間六キロというスピードで飛ぶICBM時代を迎える。このICBM時代もソビエトに先を越されたという、いわゆるミサイルギャップ時代があったわけですけれども、この大陸間弾道弾がすでに核兵器としてだんだん脆弱化をたどっていっている、これはまあ御承知のとおりだと思います。つまり、どのような鋭利な攻撃的な兵器でも、それを完全に防御する兵器ができてくるならば、その攻撃的兵器はもはや兵器ではなくなるわけです。兵器の将来を考えてみますと、やはりどのような攻撃兵器ができようとも必ずそれに対抗できる防御兵器というのが完成されるであろう。そういうところから見ましても、この核兵器の変遷、核戦略の転換というのが、たいへん私たちは、今日の世界の軍事情勢を見る上で重要な問題ではなかろうかと、このように思います。つまり、大陸間弾道弾では、地球は球面でありますから非常に限定された地域を、空間を大陸間弾道弾が飛しょうするということになります。したがって、早期警戒装置も十分余裕をもって配備できるし、ABM網、つまりミサイル迎撃ミサイル網も、これは不完全ではありますけれども、攻撃兵器の脆弱化を助けるという意味ではかなりの効果をもってABM網も張りめぐらされる。これをのがれるために、いわゆる定点を定めないポラリス型潜水艦による海洋からの発射という兵器が出てきたわけですけれども、これとて究極兵器ではないわけです。したがって、この核兵器の変遷、これが世界の軍事情勢というものを大きく変えていくということは当然のことだろうというふうに思います。まあ戦後の核大国といえばアメリカとソ連、これに尽きるわけであります。もちろんフランスもイギリスも核兵器は持っておりますけれども、これは微々たるものであります。まあそこへ中国がやがて核兵器を開発するであろうという見方が、主としてアメリカのペンタゴンあたりで見通されておりますけれども、これがまたたいへん大きな問題であろうと思うわけです。つまり、米ソが戦後たどってきた核兵器の軍拡競争というのは想像を絶するほどの労力と経済力とを費やして今日に至っているわけです。つまり、核兵器体系の軍拡競争の中で、いわゆる海洋開発の研究もそうでありますし、宇宙開発の研究も核兵器体系の開発の中で行なわれてきたわけです。したがって、それに投じた巨額な費用、これはアメリカの経済を今日の状態におとしいれたたいへん大きな要因になっているというふうに見ざるを得ないわけです。このような底なしの核軍拡競争を米ソが続けていったならば、偶発戦争という危険性をはらみながらとことんまでとにかく無限に経済力を食い荒らしていってしまう。つまり、私たちの現在生きている人類が三十六億おりますけれども、この三十六億の人類が、いわゆる自然を征服して人類みずからの幸福をかちとらなければならないと、こういう世代に全く逆の軍拡競争が行なわれるということは、これは全世界から非難されてしかるべきであります。そのようなことで、米ソとも、アイゼンハワー大統領時代からいわゆる平和共存の形ができ上がってまいりました。つまり、戦争正面作戦を回避するというアメリカ側の考え方、それからいわゆる攻撃を排除しようとするソビエトの考え方、これは双方入れかわることもありますが、このような米ソのそれぞれの利害が一致する。これは核兵器の中で、核戦争の中で当然出てくるわけですが、それを抑止するためには平和共存体制というのがとられてまいりました。米ソの話し合いの中で最も回数多くしかも熱心に討議されてきたのは、この核兵器の処理に関する問題です。核拡散防止条約、現在行なわれております核軍縮協定、SALT協定などのような一連の核兵器の軍縮の話し合いが行なわれてきました。まあ昨年あたり、米ソのこの基本的な問題での合意が成り立つであろうというふうにわれわれ、もちろん世界各国見ておったわけでありますけれども、そのような時期にきて、中国の核開発というものが言ってみれば、米ソにとってはわずらわしい、たいへん危険な状態になってきている。そこで、当初はアメリカも、おそらく中国が開発する核兵器というのは、アメリカがたどったような、ソビエトがたどったようなコースをたどるであろうと、このように考えて見通していたわけですけれども、兵器の開発競争というのは必ずしも前車の轍を踏まないことになります。つまり、途中からでも開発が進んでいける。あとから追いついていくもののほうがはるかに労力も経費も安く上がるというような利点もあります。そこで、中国の核開発の方向にたいへん危機的な見方をするというのは米ソとも共通しているというふうに思うわけです。それにも増して、先ほど申し上げましたように、どのような超破壊力を備えた兵器でも、それはしょせん究極兵器たり得ない。つまり、その攻撃力を脆弱化させるという防御兵器というものが必ずそこで生まれてくる。これが米ソにとって中国の核開発の最も不気味な状態であろうというふうに思います。まあ早く言ってしまえば、米ソで戦後ずっと続けてきました核軍拡競争のテーブルに中国もついてもらわなければならない、こういうことにあろうかと思います。おそらくニクソン大統領が中国を訪問し、これはアメリカの外交史上もかってない、言ってみれば屈辱的な片道外交であったというふうに思いますけれども、このような前例のない外交手続をもって米中の接近が行なわれなければならないということにも、これはすぐれてこのどろ沼の核軍拡競争から脱却したい、こういうアメリカ側のメリット、これを多分に感ずるわけであります。 そこで、中国との平和共存の路線は敷かれたやに見受けられるわけでありますけれども、これは米ソが今日の平和共存体制をとるに至ったコースの中でも、非常に険しい幾つかの危機的な状況も出ております。たとえばベルリン危機、キューバ危機といったようないろいろな危機的な状況も出ていたように、米中の今後の平和共存、模索する外交交渉の中でも、もっと数多くの危機的な状況が出るはずであります。それは先ほど申し上げましたように、とりもなおさずアメリカの極東における戦略が本戦敗北後の戦略的な撤退にすぎないということにあるわけです。つまり、アメリカはいわゆる社会主義国、共産圏との軍事的な対決を放棄した結果、アジアから撤退するのではない、したがって形を変え、被害を最小限に食いとめる形を整えた上で捲土重来を来すことは、これは軍事上の当然の帰結であります。そこで、おそらく米ソの平和共存に比べて米中の平和共存体制というのは、かなり至難であろうというふうに言っても差しつかえないのではないかというふうに考えます。そのような状況下にいま置かれている。しかし、世界は冷戦構造時代というふうにずっと言われてきたように、いわゆる両体制間の軍事的な対立、基本的な敵対関係というものは一向に解消しておりません。まあアメリカの外交政策、これはわが国も最近はそのようでありますけれども、いわゆる共産主義とは平和共存はしないけれども、共産主義国家とは平和共存は可能であるというような見方をとってきております。これがはたして真の平和友好という形に突き進み得るかどうかというと、あまりにも障害が大き過ぎるのではなかろうか。ということは、やはりこの冷戦構造の状態がいつホットな形に変わるかもしれないという可能性は確かにあります。しかしながら、国と国との戦争、つまり国家間戦争としてこの関係を見るならば、いわゆるアメリカないしは日本のような先進資本主義国と社会主義国との軍事的な対決というのは、これはもうすぐれて国家間の革命戦争であります。 それに対比して、第二次大戦でわが国が戦ったような、まあ世界の戦史の中で数え上げればきりがないほどあるような国家間の私的戦争としての、つまり富の分配をめぐる争い、これはその戦争をやったことによって、いわゆる経済体制なり、われわれが基本的にあり方を目ざしているところの、人類が生産するところの社会的富を公平に分け合わなければならないという、そういう方向には何らプラスはない。つまり、国家間の私的戦争としての資本主義国間の戦争というのは、そこで一荒れあって、たいへんな犠牲が行なわれて、どちらかがプラスになったという結果しか生まれない、このような戦争というのは非常に起こる確率は高いわけです。それに引きかえて国家間の革命戦争というのは、これは軍事戦略も基本的に違ってまいりますし、一たんこの国家間の革命戦争が起こってしまうと、これはいわゆる経済体制、社会体制の根本的な変革を目ざす戦争ということになります。これは双方がそのような戦争になりますから、したがって、最後まで戦われるという、たいへんおそろしい戦争がそこに当然予測される。まあかつてのナポレオン戦争などもこのような様相を持っているわけですけれども、今日の超破壊力を備えた兵器を持って行なう戦争というのは想像に絶するものがあろうというふうに考えるわけです。このような国家間の革命戦争、公的な戦争としての革命戦争というのは、したがって起こる確率というのはきわめて少ないということは軍事的に明らかであります。そこで、戦後のアメリカを中心とした資本主義諸国の軍事戦略というのも大きく転換してきている、そこにも大きな理由があろうかと思います。 もともと資本主義国の軍事戦略というのは、主として第一次大戦以降ですけれども、正面作戦を極力避けるという戦略をとっております。いわゆる軍隊同士が戦わなければならないという古典的な戦争のあり方を避けて、一挙に戦勝を獲得しようとする戦略、これはイタリアのドーウエ将軍という有名な将軍が考え出したというか、編み出した戦略の一つでありますけれども、まる腰の相手国の国民、つまり一般市民を大量に殺戮することによって戦争意欲をなくしてしまう、そのことによって軍隊を使わなくとも戦争が遂行でき得るという考え方、そのために第二次大戦ではドイツのヒットラーがこれを行ないましたし、イギリスのチャーチルもこのドーウエ主義の、いわゆる都市の無差別爆撃という戦術をふんだんに駆使してきたわけです。しかしこれは軍事的にはきわめて誤った戦略であって、その帰結というのは、もうすでに多くの戦史の中で立証されております。こまかく申し上げる時間がございませんので、それは省きますけれども、このようないわゆるドーウエ主義と私たちかりに名づけます。このドーウエ主義という、正面作戦を避けて相手の非戦闘員の集団、都市に対して大量殺戮の攻撃をかけるという戦略、これはアメリカが典型的にとっている戦略です。そうしてこれを申し上げるならば、日本の自衛隊、つまり日本の軍事戦略が、すぐれてこの戦略思想を持っているということを申し上げなければならないと思うわけであります。これから先、戦争の様相というのはどんどん変わってまいります。つまり、最も強い究極兵器の完成を目ざして努力が続けられていくわけでありますから、その中で当然やはり考えられるのは、われわれ現在の人類の科学では全く開拓し得ない地域、つまり海洋の戦争時代というのが必ずやってくる。この先がけはすでに十数年前から行なわれていて、世界的に海洋開発というものが、いわゆる列国の海軍によって行なわれているということを見ても明らかであります。わが国の四次防の技術研究開発計画の中を見ましても、この方向が非常にはっきりと出てきております。 そこでわが国の実態について、若干問題提起をしたいと思うわけでありますけれども、日本は確かに国際的には、国際法上は軍縮体制下には置かれておりませんけれども、いわゆる日本の憲法、それから国民の戦争に対する非常な拒否反応と申しますか、戦争を二度と起こさないという思想が日本の再軍備の上に非常に大きくおおいかぶさっております。まあ言ってみれば、第一次大戦以降の国際的な軍縮下にあるよりも、日本のいまの自衛隊はもっときびしい軍縮体制下に置かれているわけです。これはもう言うまでもないことだろうと思います。 ところで、この軍縮下における軍隊というのは一体どういう方向をたどってきているかということがたいへん重要であります。確かに形のある戦闘力、有形戦闘力の総体の数としては一定の限度を示しますけれども、その中身はきわめて大きくなってまいります。つまり軍縮下の軍隊、軍縮体制がしかれている中で出てくるのが大量殺戮兵器であります。第一次大戦以降、化学兵器、毒ガス、生物兵器が開発され、その後原子爆弾が開発されてきた。つまり前の中曽根防衛庁長官は、自衛隊の省力化ということを申しておりましたけれども、つまりこの省力化も同じ方向でありますが、有形戦闘力の総量をあまり大きくしないで、超破壊力、戦力を大きくしていくというこの考え方、これが軍縮下の軍隊であろうと思います。自衛隊はまさにこの方向をはどっているのではなかろうか、かように考えます。 したがって、一国の軍隊の戦力、戦略というものを見る場合に、ただいたずらに兵器の数、兵員の数のみを並べ立てて比較するということは全く意味のないことであって、その持とうとしている兵器の破壊力、それからそれをどのように使おうとしているかというその戦略方向、これをやはり正確に知らなければ、軍隊のいわゆるその国の戦略というのはわからないわけでありますが、自衛隊の場合はこういう点で戦後自衛隊間にいささかの誤りがあったんではなかろうか、かように率直に申し上げておきたいというふうに思います。確かに自衛隊の実態をいろいろ紹介する文書もたくさん出ております。しかしながら、それらはすべてある側面だけしか見ていなかった、つまり治安出動をやる、旧軍と同じような訓練をやっているんではなかろうか、このような見方がたいへん多いわけですけれども、もっと重要な面が落とされているんではなかろうか。つまり、二つの側面を正確にわれわれが認識していたかどうかということをここで考えてみなければならないというふうに思います。 それともう一つ、今国会でもいわゆるユニフォームの独走だとか、いわゆる先取りだとかいうことがたいへん論議になりました。しかし私は、これは簡単に言ってしまうと、日本の自衛隊は典型的な官僚軍閥の機構ができ上がっているんではなかろうか、こういうふうに考えます。それはなぜかと申し上げますと、つまり、かつて辻政信さんがこの問題を指摘されたことがあります。昭和二十九年の自衛隊法制定のときのたしか反対討論の中でやられておりましたけれども、そのとおりになってきたということをいま言わざるを得ないと思います。つまり、日本の自衛隊の指揮統帥権、これはまあ総理にあるわけですけれども、内局の防衛局長に膨大な権限があまりにも集約されていやしないだろうか。今回の沖繩の問題でもいろいろ久保防衛局長との——私と同性でありますけれども、協定の問題が出ておりますけれども、新しい兵器の開発、装備の決定、それらはすべて防衛局長に権限が集約されてきている、ここに大きな問題がなかろうか。率直に言って、今回問題になった一連のものを見ても、決してユニフォームが独走したのではなかったということは歴然としていると思います。ここにいわゆる制服といわれるいま二十五万六千人ですか、制服の自衛官がおりますけれども、最も不満を感じているのはそういう実態を素通りしたユニフォーム独走という批判であろうというふうに私は考えます。 それからもう一つ、自衛隊の制服の中にも確かに日本の幕僚、指揮権を兼ねている——まあ世界各国ではこのような軍隊というのはあまりないわけですけれども、このような組織も実はたいへん問題になっているわけで、これも辻政信先生がすでに指摘されております。これはクーデターを起こす軍隊になる素質を持っているんじゃないか、こういうことを指摘されております。 そのようなこともありますけれども、さらにもう一つ、自衛隊の実態に関して全く資料が出ない、ということはたいへん重要であろうと思います。おそらく予算委員の先生方の手元に配っておられる四十七年度の予算案をごらんになっても、これは小さな町のPTAの予算書と同じぐらいのボリュームしかございません。これではたして積算根拠が十分に審査できるのであろうかということをたいへん疑問に思います。たとえば大蔵省の主計局長のもとに出される陸・海・空各幕、それから内局、防衛施設庁、技術研究開発本部、これらのところから概算要求の内訳の説明書が出ております。たとえば陸上自衛隊で申し上げますと、概算要求の説明資料は五分冊になっておりまして一分冊が大体二センチぐらいの厚さのザラ半紙の印刷物、たいへん膨大な量です。おそらくこれが国会には提出されないはずです。「取扱注意」という判こが押されております。これが出ないとおそらく当年度の防衛予算の積算根拠というのは全くつかみどころがないんではなかろうか、かように考えます。 それから外務省の秘密の問題がたいへん問題になりましたけれども、何としてもやはり機密、秘密の一番多いのは軍事の面であります。わが国の防衛庁の秘密、機密、取り扱い注意まで含めたものは膨大な量にのぼるだろうと思います。これは一昨年度でありましたか、書類をこまかく裁断する機械が導入されました。これは先生方御審議なさったわけでありますけれども、この機械の量からいってもおそらく大量の秘密文書というのがあるんであろうというふうに推測されるわけですが、これははたして日本の先ほど申し上げました軍縮体制下と同じ形にある軍隊にとっていいのだろうか——いいということは全くないわけであります。少なくともシビリアン・コントロールというものを徹底させるならば、最小限必要な書類を国会には出すべきではなかろうか、このように考えます。国会議員の先生方には、国会には国政調査権という法律で認められた権限がございまして、私どもにはとうてい及びもつかない権限を持っていらっしゃるわけです。もちろん地方議員にも地方自治法の百条で調査権というのがありますけれども、いわゆる今国会で問題になりました新聞記者の知る権利ということ、これと国会議員の国政調査権とは全く違うと思います。国会議員の場合は国政調査権を付与されているということは、その裏づけとして知る義務を与えられているのではなかろうか、かように考えます。そういう点で国政調査権というものがはたしてどの程度発動されているだろうか、率直に言って私はたいへん疑問に思います。昨年の雫石の上空での自衛隊機の衝突の際に、私国防会議事務局で作成いたしました「わが国の防空体制について」という文書を指摘いたしました。これは秘密扱いでも何でもございません。ただ部数が少なくて特定の人にだけしか渡っていなかったということであります。こういうものすら国会議員の先生方にはもちろん渡っていない、こういうことではたして防衛問題というのが十分論議できるんであろうか、こういうふうに考えるわけです。 そこで最小限当年度の防衛予算を策定するには前年の一月から予算策定の作業が陸海空自衛隊、また内局で始められるわけですけれども、このスケジュールの中に出てくる幾つかの書類については最低限国会では審査する必要があるんではなかろうか、かように考えます。つまりほんとうの意味でシビリアン・コントロールをやるなれば、その装備の前提となるいわゆる情勢見積もりについて先生方が十分に実情を把握しておられないとこれはどうにもならないと思います。どのような作戦を計画しているかということ、この情勢見積もりは前年度の一月に策定されるわけです。それからあとこれらに基づいて主要基本計画というのがつくられますし、また業務別計画というのがつくられます。これなどもおそらくチェックされなければならないんではなかろうかと思います。 それから毎年夏になりますと概算要求が大蔵省に出ます。この概算要求については、いま申し上げましたように、先生方の手元に渡るのは全く積算根拠を推定することもできないようなたいへん貧弱な資料になってきている。少なくとも防衛庁自衛隊が「取扱注意」と判こを押している大蔵省の主計局長のもとに出す概算要求書の説明資料ぐらいはやはり目を通していただかなければわれわれたいへん不安だと、こういうことを申し上げておかなければならないと思います。もちろん、そのあと、国会が通ったあとで業務計画の分析検討書などというものもつくられます。これはいわゆる決算委員会の所管になろうかと思いますが、当然押えられなければならないんではなかろうか、かように考えます。 それから、時間がもうあまりございませんので、簡単に問題提起だけしてまいりますけれども、今国会で最も大きな問題になるであろうと思われたのは、私は防衛医科大学の設立であると思います。このことにつきましては、幸か不幸か、別にたいへん大きな問題が起こってしまったので、国会の場で論議されるかどうかすらわからなくなってまいりましたけれども、いわゆる現在自衛隊の隊員が置かれている医療の実態というものをつぶさに調査していただきたいと思います。自衛隊の隊員が疾病にかかる。たとえば習志野で行なわれているような落下傘部隊、降下部隊の隊員などのような場合は、大体一年か一年半くらいで隊員は消耗されてしまいます。このような落下傘の兵隊の場合は、飛びおりて椎間板ヘルニアという、これは落下傘病のような障害が必ずつきまといます。四番目の骨がだめになるのだそうですけれども。このような場合に、隊員がはたして自分が信頼できる医師を選択する自由が与えられているかどうか。このことを、自衛隊の中では、いわゆる医者が少ない、医官が足らないということで、防衛医科大学の設立ということが出てまいりますけれども、はたして軍隊の医者というのは町の開業医と同じであろうか。ここに大きな問題があります。軍隊ではこれはもうすぐれて、医官というのは隊員の人事管理を行ないます。つまり精神教育を担当し、洗脳を担当するたいへん重要な任務を持ちます。これは現在まあ一般の企業でもその方式がとられてきておりますけれども、そのような結果、私が今度出しました「日本の軍事力入門」にも若干紹介いたしましたけれども、自衛隊が調べた隊員の精神病患者の多さ、これは自衛隊が精神病をつくっている。これはほんとうに精神病かどうか、私はたいへん疑問だと思っております。ある隊員の話によりますと、隊内で新聞を読む、雑誌を読む、上官の命令に少し反抗する。すると、やがて精神病のらく印が押されてくる、こういうふうに言われております。このような実態について、はたしてわれわれは知らなくていいんだろうかということを考えます。 それからもう一つ、防衛医学の分野でたいへん重要なのは、何としても化学兵器、生物兵器の研究開発であります。 これらを十分に審議された上で防衛医大というものを検討いただかなければならないんではなかろうか、このように考えます。 それからもう一つ、沖繩の移駐の問題がたいへん論議を呼んでおります。これは、要点だけ整理して申し上げてみますと、今度沖繩に派遣される自衛隊は明らかに防衛軍の性格ではありません。これは明らかに作戦軍の性格を持っていると私は思います。ちょうど昭和十九年の四月に福岡で編成されて沖繩に進駐した第三十二軍、これは大本営直轄部隊として沖繩に進駐いたしました。当時大本営では、大本営の直轄部隊にするか防衛軍として派遣するかということでたいへん議論されました。結局、大本営直轄部隊として行っております。今回の場合は、防衛庁長官直轄の部隊ということでありますけれども、これは軍隊の性格として明らかに直ちに作戦軍に転用できる性格を持っております。作戦軍と防衛軍というのは、基本的に違いまして、指揮命令系統も全く違ってきます。このような点、たいへん心配であります。 それからもう一つ、嘉手納の基地に航空自衛隊のF104、やがてはファントムF4Eになるでありましょうけれども、スクランブル体制に入る戦闘機がまいります。このスクランブルというのは、戦後の米軍と自衛隊との関係では全く見られなかった非常に危険な状態の中に入るということは歴然としております。これはつまり、沖繩におけるレーダーサイトからいわゆる指令を出すに至るまですべてのものが米軍の作戦体制の中に組まれていて、そのスクランブルのみが航空自衛隊の戦闘機によって行なわれる。どのような作戦がそこで行なわれるかというのは、これはもう申し上げるまでもないと思います。これは全くいままで前例のない移駐であって、これを配するには、やはり米軍が完全にその機能を停止した後に、自衛隊がすべての情報収集機能、つまりいまいわれているエリント機能まで含めた情報収集機能すべてを管理した上で配備するならばともかく、いまのままでいくというのはたいへん危険である、かように考えます。それにまた、派遣される自衛隊員が非常に少ないにもかかわらず、地位協定の二条4項の(b)を適用した、つまり自衛隊管理、米軍使用という基地があまりにも多過ぎる。これは明らかに米軍の駐留費の日本負担を意味するものであろうというふうに考えます。御承知のように、地位協定の二十四条では、駐留費の日本負担はしないということが合意されております。この辺にやはり沖繩の県民のたいへんな不安があるわけです。わけても、尖閣諸島の問題がたいへん大きな、しかも深刻な問題として出てきておるさなかだけに、沖繩における保守、革新を問わず、自衛隊に対する非常に恐怖心、警戒心を持っているというのはそこにあるわけです。確かに、日本軍による大量虐殺が行なわれたという忌まわしい記憶もありますけれども、もっとほかにもありますが、具体的な事例として提起されているそういう危機的な状況、これに対する沖繩の県民の反応は非常に敏感であります。 尖閣列島の領有問題についていろいろ出ておりますが、少なくとも尖閣列島にかかわる問題が解決しない限り、沖繩には自衛隊は進駐すべきではなかろう。これだけは確立されなければならないんではなかろうかというふうに、私はたいへん危機感を持って申し上げておきたいというふうに考えます。 あと、まだ北方領土の問題もたいへん重要な問題がありまして、これは申し上げたいと思いますけれども簡単に申し上げますと、北方領土については、領海を含めてこれらの島々の非軍事化が根本的に確認されない限り、北方領土というのは返ってこないであろう。これが確認されたならば、北方領土は返るはずだと私は考えます。 このような情勢は、先ほど申し上げましたように、将来戦の海洋戦に備えた、北から南までのいわゆる領海の帯を結んで——地図の上で見るとわかるんですけれども、その中でしり抜けになっている北方領土と尖閣列島というものが軍事的にはきわめて重要な位置にある。この点も御認識をいただかなければならないのではなかろうかと考えます。 ただ、たいへん残念ながら、北方領土のいま申し上げました領海を含めて非軍事化の基本的な取りきめが日ソの間ででき得るかどうか。これは先ほど申し上げましたように、自衛隊の持っている基本的な戦略思想、この中では不可能であろうと、こういうふうに考えます。もっと自衛隊の基本戦略、わけてもたいへん危険であると思われる、これは兵器の技術開発の方向や、持っている兵器、それから訓練の内容などから容易に推測できるわけですけれども、いわゆる日本の自衛隊の国家間戦争に備える戦略としては、奇襲攻撃か先制攻撃以外には全くとり得ないという、しかもそういう軍隊を持ちつつあるということ、この辺がもっと明らかにされなければならないのではなかろうか、かように考えます。 時間がたいへん過ぎてしまいましたので、取りとめもございませんけれども、一応これで終わります。(拍手)
○委員長(徳永正利君) どうもありがとうございました。 —————————————
○委員長(徳永正利君) 公述人の方に御質疑のある方は、順次御発言を願います。
○竹田四郎君 鈴木先生にお伺いいたしたいと思いますが、公共料金の問題も、上げてもいい料金と、上げてはならないという二つのものが私は考えられると思います。 ただ、先ほどもその財源をどうするかということが、たいへん御示唆に富むお話であったと思うのですが、ことしの予算でも、私は産業基盤、生活環境という二つの分け方をするわけですが、産業基盤強化の投資のためのお金というのは、税金といいますか、一般公共事業費の中で出されてる割合が多い。ところが、廃棄物処理なりあるいはごみとかし尿とかそういうような問題は、財投あたりの割合が非常に多い。この辺に、国民の日常生活に関連ある部分では料金が高くなる、こういう点はやはり、そういう資源配分のしかたというものは、国民の福祉の立場というものを考えてやっていかなくちゃいかぬじゃないだろうか。たとえば有料道路なんかには私はもちろんお金の、返さなくちゃならぬようなお金をかけて、ある意味ではそういう公共料金は私は高くなってもいいと思う。ごみとか下水とかというものに、そういう金利の高い、返さなくちゃならぬおかねをかけていくということになると、公共料金に対して国民の不安が出てくるのじゃないか。この点が一点であります。 その次に、輸入物資が安くならないというお話がありましたけれども、私も輸入物資が安くならないという点についてはいろいろ原因があると思いますけれども、一つは外資法の適用がなくなってから外国との諸契約に対する契約の監視といいますか、そういうようなものが公取の役割りになってきた。ところが、公取はその体制が全然できていないというようなことで、届けさせても、その契約を見て、よろしいとか、この点が悪いとかという判断がまずできない。半年後に至ってもそんなものは出ない。こういう体制では、幾らどんな契約をされて、あるいは向こうの業者と日本の輸入業者との間に、あるいはそれ以後の流通経路についてどんな話をしようが、これはどこもチェックするところがないというのが私は現状じゃないだろうか。その辺を直していかないと、その辺を完全にいろいろな形で協定をしてむしり取っていく、この問題を直していかなくちゃいけないんじゃないかと思いますが、その辺に対する御見解はどうか、伺いたいと思います。 それから、たいへん恐縮ですが、一ぺんに申し上げてしまいますが、開発利益を還元しろということで、先ほども幾つかのお話を承ったわけでございますけれども、この辺もう少し具体的に、どういうやり方というものが一番やりやすいのか、その辺についてもひとつ教えていただきたいと思います。 それからもう一つ、先生が座談会に出られた「国民生活」という、センターの出した冊子を私いただきまして読みましたけれども、先ほども先生のお話の中に、要するに一括して料金をぽんと上げてみんなの生活をおびやかすということじゃなくて、少しずつでもタイミングというものを考えながら、これは企業のタイミング、公営企業のタイミングもあるでしょうし、国民のタイミングというものも私はあると思うのです。そういう意味では、やはり私は国民的なコンセンサスというものが公共料金を引き上げる場合に非常に必要だろうと思うのですが、その座談会の中でもそういう御意見を多数の方が述べられているわけでありますが、この国民的コンセンサスを得るための方法といいますか、そうした点についてのお考え。この四点をひとつ伺いたいと思います。
○委員長(徳永正利君) では、鈴木公述人よりお願いします。
○公述人(鈴木幸夫君) はい、わかりました。 御指摘の点の四点でございますけれども、実は私、先ほども申し上げた中に、まあ触れる予定でおったわけですが、ちょっと時間の関係その他でもって省いたどころばかりを実は御指摘をいただいたわけでございます。 実は、その四点とも御指摘の点につきましては、私自身は、これは個人的な話でありますけれども、物価安定政策会議の専門委員をやっておりまして、輸入価格の問題にしろ、あるいは一般的な公共料金の問題についても、同じような発言を実はしておるわけでございます。 で、前後ちょっと入れ違いになるかもしれませんけれども、二番目に御指摘になた輸入価格の問題につきましては、まさに御指摘のように流通機構の問題、特に総代理店契約などを継続的にやる場合、その届け出義務というものをもっと徹底させなければいかぬということがあるわけでございます。その物価安定政策会議のまあ第四部会の提案の中にも、その項目が一項入っておりまして、総代理店契約の継続契約の締結などについての届け出を徹底さして、これに対する独禁法上の監視規制を強化するなど、独禁法の厳正な運用をはかると、こう簡単にしか書いてないわけでございます。実は、私どもも、この議論は、御指摘のように、まさに同じような議論を実はやっておりましたんですが、その点について、まだまだ公取のほうも、あるいは企画庁のほうも実態面がよくつかめませんので、その実態面をまず調べて、それをひとつ物価安定会議なり、その他の諮問機関を通じて、国民の皆様にいろいろ議論をしていただこうじゃないかと、こういうふうになっておるわけでございます。まさに問題は、同じ観点から議論しようということでございますけれども、その点が、まだ、いまの段階では、私も内部で、委員会の内部の人間として、問題は意識しているけれども、それをどうしたらいいかということについて、まだいい知恵がないという状態です。ただ、今後、その点を私ももう少し勉強させていただいて、いろいろ議論を詰めていきたいというふうに思っております。 それから第一番目の問題でございます。これも実は私、同じことをいうようで申しわけないのですが、財投面でそういう社会資本的なかなり国民生活に結びつくようなごみ処理とか、そういったようなものについて、下水とか、そういったような問題について、わりに金利の高いものを使っておるじゃないかと、私どもそれは同じことを考えておるわけでございます。そこで、これから先になりますと、実は先生方と若干意見が違うかもしれませんが、今度の予算自体、私は社会資本の、特にごみ処理とか、あるいはすべていろんなものを含めてでございますけれども、やはり一般会計の支出が足りない。で、その足りないのをじゃどうするかという問題だけど、減税は今度の場合は去年の減税を平年度化するだけで、たいしたことはございませんけれども、いずれにしても、財源が足りないということを言われておるんですけれども、私どもはやっぱり財源の調達の考え方自体に問題があるので、これは先ほどの下村先生と同じ結果になるかもしれませんが、金額は別といたしましても、やはり建設国債のワクに縛られるということによって、財源上の制約を受けている、そこに問題があるのじゃないか。だから、ことしのような有効需要対策の面からも、あるいは財政主導型の経済という形で、社会資本なり社会福祉なりを重点的にやっていかなきゃならないという時期であるならば、むしろこういう時期こそ、赤字国債をある程度出しても、それによってこういった財源を埋めていく必要があったんじゃなかろうか。先ほど申し上げました国鉄を含めて公共料金の問題、やむを得ざるものは上げてもいいということを申し上げたわけですが、実はその前にもう一つ議論がありまして、やむを得ざるものかどうかということについては公共企業体の持っている性格、国鉄の場合でも、それは新幹線、ローカル線を含めましたそれぞれの社会的な目的に即した性格論というものがございますが、あるいはタクシーが一体公共事業であるのかどうかというような問題もございますけれども、そういうふうなことをもう一度詰めて、その中で料金なりあるいは一般会計支出なりあるいは財投なりで、どういうふうに割り振っていくかということの基準がはっきりしないということを、さっきもことばがちょっと足りなかったかと思いますけれども、そういうことを申し上げたかったわけでございます。で、いま御指摘の点については、私は、一般会計支出でもって、ごみ処理とかあるいは下水道とかいうような問題については、もっとやるべき部分があったんではなかろうか。そうすれば、いま少し、料金面でも利用者の負担というものは少なくて済んだ、あるいは地方の負担する部分もある程度少なくて済んだんじゃなかろうか。その根本には、やはり公債政策に対する非常にティミッドな政府のポリシーに対する考え方があったからだというふうに私どもは考えております。ただ、いまのワクの中で考えるならば、それはどうしても財源上の制約から、公共料金にある程度かぶらざるを得ないと、その辺の選択は、これはむしろ私どもの問題ではなくて、国会でのこれからの御審議に、まあ間に合うか間に合わぬか知りませんけれども、その辺をひとつ詰めていただく以外にないんではないかというふうに思っております。 それから三番目の開発利益の問題、土地の開発利益の問題については、これも、実は私ども関係しております物価安定政策会議で、ついこの間公共料金問題を取り上げまして提言集を出しております。その中に、一応議論が集約されておるわけでございます。私個人としてはなかなか言うべくして簡単ではないと。先ほど申し上げました中にも、固定資産税の評価額を変えて——変えるというか、それに対して新しく付加税をつくっていくだとかというふうなことを申し上げたわけですけれども、宅地課税でさえもざる法化するような状況のもとで、一体それが可能かどうかということになりますと、利もあまり自信はございません。しかし、私が申し上げたいことは、基本的に申し上げたいことというのは——ちょっと答弁が長くなって申しわけございませんけれども、土地の開発利益について、いままでは、よく私鉄なんかの場合は、開発利益で不動産事業なんかやっているところはもうかっておるじゃないかという議論があるわけですけれども、これはやはり事業として、鉄道事業と不動産事業とを、一緒に、込みにして原価計算をやっていくと、それによって料金をきめるという考え方は、やはりおかしいんじゃないか。それは、それぞれの兼業部門はそれぞれ競争相手がいるわけでございますから、そういう面では、それはそれで一応原価計算から切り離すのは、やっぱり企業に対する政策としては正しいんではないか。そのかわり、鉄道開発に関しての費用については、ある程度、今度国が、鉄建公団あたりがおやりになるように、大都市の私鉄については、新しく路線を開発する場合には、そういう部分について相当な援助をするということをおきめになっているわけですけれども、そういうふうなやり方をもっともっと徹底さしていくと。その場合、もちろん開発利益の吸収については、当該の私鉄の不動産部門の収益がそれによって上がるという問題はもちろんあります。それから同時に、その地元の利益というものがいろいろ出てくるわけです。そういう利益を吸収していくために、新しい税制を、やはり考えていかなきゃいけないんじゃないだろうか。これは都市計画税みたいなものが、もっと徹底して、充実していかれれば、一番それにこしたことはないわけでございますけれども、その方法論については、実は私どもも、これから検討していこうということでございまして、一番むずかしい問題を私にぶつけられましたので、私自身も、実はそれについて、いま、これから半年か一年くらいかけて、みんなで議論していこうというところでございますので、適切な具体策がないということを非常に申しわけなく思っておるわけでございます。 それから四番目の公共料金問題にまた戻りますけれども、国民的なコンセンサスを得る場ということでございますけれども、現在の物価安定政策会議をはじめといたしまして、いわゆる消費者代表が参画している諮問機関というものは、まあそう言っては何でございますけれども、やはり特定のグループの方がしょっちゅういろんな審議会にお出になると、だんだんと年もとってこられるし、必ずしも、同じグループの中での全体の意見を代表しているとも思えない方も多いと思いますし、それから同時に、そういうグループだけを、役所のほうが、委員に、そういうところから代表を選ぶというやり方にも問題があるのじゃないかと。政府の諮問機関というものは、一種の政府となれ合い的なところがあるわけで、私なんかもそれに参画している以上、やっぱりちょっといろいろ疑問を感ずることもありますけれども、しかしそうかといって、それにかわる市民参加の組織というものは、どうやってつくれるかということでございますけれども、これはやはり、いまの行政機構でつくるとすれば、いまのような諮問機関ぐらいの程度のものしかできないのじゃなかろうかと、だからむしろこれをさらに市民参加という幅を広げていくということであるならば、やはり国会の先生方のお力でまた別個の機関をつくっていくということでいくのか、あるいは国会自体でそういう審議の場を新しくまたどんどん広げてつくっていただくとかいうふうに、やはりお考え願うよりしようがないんではないかというふうに私どもは思っております。市民参加と申しましても、なかなかこれはむずかしいんで、だんだん言っているうちに、だんだん否定するようなことになって申しわけないんですけれども、消費者団体といっても、今日の日本の消費者団体には、いろいろなグループがございますけれども、中には相当メーカーと密着しているところもございますし、中には、いわゆる事件屋的な消費者団体もございますし、非常にエモーショナルな活動はおやりになるけれども、日常的なじみちな活動というものは、あまりおやりにならないような団体もございますし、いろいろ内部事情を知れば知るほど、なるほどこれではなかなかむずかしいのではないかというような感じもいたします。それからまあ労働組合を市民団体の、圧力団体の一つとして加えたらどうかという御意見もありますけれども、それには、まず現在の労働組合の方々自身がもっと市民運動というものの本質を理解していただかなければいけないんで、地域において公害がどんどん起こっているにもかかわらず、一向に公害闘争については及び腰であるというようなことで、そういう問題が、一部の企業の、企業ぐるみの対被害者闘争みたいな形で妙な暴力ざたまで起こすようなこともあるわけでございますが、そういう基本的な企業組合的な意識そのものも、やはり問題になってくるのじゃなかろうかと、そういうこともいろいろお考えになった上で、ひとつ望ましい国民参加というものがどういうものであるかということは、これはひとつこれから詰めて考えていかなければいけないのじゃないかというふうに思っております。どうも話がちょっと御質問の要旨にぴたっとはまったかどうかわかりませんけれども、一応の私の考えを申し述べました。
○委員長(徳永正利君) ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(徳永正利君) 速記を起こして。
○内藤誉三郎君 鈴木先生に関連して要点をしぼって申し上げたいと思います。 一つは公共料金の問題でございます。 あなたのお話を伺いまして、合理化努力には一つの限界があるとおっしゃった。そうなると財政的にどうするか。財投の関係で今日までやったけれども、これにも限度がある。それからあとは税金の関係でどう援助するか。いまお話のように、固定設備については私は可能だと思います。ところがいま現実に公共料金を上げざるを得ないのはランニングコストですね。これがむしろベースアップのたびにふくれ上がってくる、このベースアップまで財政的に見るというわけにはまいらぬと思います。そうするとやむを得ないのじゃないか。できるだけ合理化をはかってその率を下げなきゃいかぬけれどもやむを得ない。先ほどまだ煮詰まっていないとおっしゃいましたけれども、私は相当煮詰まっているのじゃないかという感じがしている。 それから第二点、輸入と国内価格との関係ですけれども、円の切り上げがあってそうして消費者に還元されない。公共料金のほうは、ある程度上げるのはやむを得ないと思うけれども、日本の貿易は相当たくさんの輸入が来ているわけですね。これが消費者に還元されないのは、これは国民納得しないと思うのですね。そこで、あなたにお伺いしたいのは、国内のメーカーの場合に小売り価格を指定しているでしょう、売り渡し価格も。それが輸入業者についてはたくさんの中間段階があるでしょう。あるけれども最終価格は指定できるはずだと思うのです。そうでなかったらおたくには売らないというぐらいのことができないはずはないんではないかということが一点。もしそれをやらないなら輸入業者をふやしたらどうか、そういうことを条件に出せばいい、そういうことが政策としてできないはずはないと思うのですが、この点が一つ。 いま一つは、日本は資源がないから大部分外国から原料輸入していますからね。石油その他国民生活に重要な関係のある幾多のもの、全部とは申しません。私は五項目でも、十項目でもいい、しぼって、石油などはほとんど九九%が輸入なんだから、これが、どうして石油化学の製品が下がらないのか、どこに隘路があるか、これをお教えいただきたい。 それから土地問題ですね。土地問題は、どうもおっしゃるように、いまの市街地課税については私もわからないんです。正直言って十分な理解は持っておりませんが、市街地課税についてはもう少し積極的にすべきじゃなかろうか。その場合には思い切って、一般に売り渡す価格よりは免税をしてやったらどうかということで、いま日本が土地問題に対処する私は一つの大きな政策ではなかろうかと思いますが、この点。三点について。 それから今度は久保さんにちょっとお尋ねしたい。 ニクソンドクトリンというのは、あなたのお話によりますと、これは戦略転換である、いずれまた巻き返してくるであろう、こういうお話ですけれども、私は、それはどうかなという気が実はするのは、巻き返してくるというのなら沖繩を返すはずはない。沖繩は確保しなければならない。それから、ともかく米中会談やったんですね。いままでの中国包囲政策を改めて、米中会談をやって、巻き返すんだという論法は、私はちょっと理解をいたしかねるんです。戦争が不可避だという考えじゃなくて、戦争はなくすべきだと——一番いい例は日本だと思うんです。日本は、戦争で資源を獲得しようとして失敗したんです。平和になって、領土は縮小されてもすばらしい繁栄をしたんだから、戦争というものはやっても合わないんです。その合わないということを国民がよく理解しなくちゃいけない。先生のお話を聞いていると、戦争が不可避だというふうにお考えになっているのですか。それが一点。 それからいま一つは軍縮問題です。私は、やっぱり軍縮には真剣に取り組むべきだと思うんです。戦争はなくするような方向で核兵器はもちろんのこと、あらゆる軍縮に取り組むべきだと思う。その点で日本は大いに手本にするにふさわしいと思っていますが、この点についての先生のお考え。第三点、これは沖繩の自衛隊の問題です。これについて、何か沖繩の自衛隊というものは作戦軍だとおっしゃるけれども、沖繩が日本の祖国に帰った以上、沖繩を防衛するのは私は日本の当然の義務だと思うんです。アメリカの中に巻き込まれるとおっしゃるけれども、アメリカはあれを返すばかりだが、まだ返す前なんです。いま、一ぺんにアメリカの基地を減らせと言うことは無理でしょう。極東の緊張をもっと緩和してから減らしていくのが筋である。これを一ぺんに減らせと言ったら、沖繩はいつまでも帰らないと思うし、沖繩は日本の領土だという意味で、私は自衛隊の配備は当然だと思うんですが、この点について。三点について先生の御意見を伺いたいと思います。
○公述人(鈴木幸夫君) それじゃあ、ごく簡単にお答えさしていただきます。 いろいろ、たくさん御質問がございました。みんなこれは話せばまた長くなってしまいますけれども、その第一の公共料金問題については、議論は煮詰まっておるではないか、実際にもう問題は煮詰まっておるではないかということでございますが、私も人件費の問題については、これは合理化合理化といいましても、まあ国鉄の例一つとってみても、あれだけ前進的に省力化をやっておるわけですが、しかし何としても四十代以上の人たちが、まだあと十年以上も、たくさん年功序列賃金のもとでいるわけで、そうかといって新しくホテルをつくるとか、やれカーフェリーがどうだとかいう議論はあっても、なかなかそう簡単に新しい事業をやれないような状況にあるということでございまして、まあ限界があるということで、やっぱり料金にはね返らざるを得ないんじゃないかという感じはいたしますが、ただ先ほど申し上げましたように、それぞれの企業体の性格に応じて、やはり一般会計で見るのか、財投で見るのか、あるいは料金で見るのかといったような議論を、もう少しやはり詰めていく必要があるんじゃないか。ですから、そういう点での議論はまだ煮詰まっていないのではないか。この議論を煮詰めていただくのは、先生方と政府の側でやっていただかなければなりませんので、ひとつその辺をこちらから逆にお願いしたいということでございます。 それから二番目の輸入問題でございますけれども、確かに、御指摘のようにまず輸入業者をふやすということが先決問題だということだと思います。これは、やはり政府の許認可のやり方にも問題がございますので、それは大いにやっていただきたいし、同時に、流通関係を合理化しつつ、スーパーでもどこでも、どんどん高級のウイスキーや香水を輸入業者から直売でもって売れるような、そういうふうなシステムをやはり考えていく必要があるということだと思います。 それから価格支持の問題については、これは考え方としてはよくわかりますが、さて実際にやるとなるとなかなか、政府の行政指導ということになると、これはいい面もございますけれども、それがまた逆に、もろ刃のやいばということになりまして、また、ときにはマイナスになる場合もありますので、この辺は慎重に御検討願わなければいけないと思います。 それから石油の問題でありますが、灯油価格が下がらないで、通産省はいろいろ説明しておりますけれども、どうもその事情は私もよくわかりません。どうも、やはり理解ができないということでございます。この点は、もっともっと国会でも詰めて議論していただくということでございましょう。ただ、原油価格というものは、これは今後、OPECその他の動きを見てもどんどん上がってまいります。日本のエネルギー全体が、値段がどんどん上がってまいります。それに合わせて、じゃあエネルギーをできるだけ使わないような産業構造をつくるとか、あるいは消費構造にしていくとかというふうなことを、そろそろ真剣に考えないと、土地とエネルギー価格の両方の面から、日本の物価はいつまでたっても押し上げられていくというふうなことになってまいります。その点をひとつ御議論願いたいということでございます。 大体そんなようなところで、大筋については先生の御意見に大体賛成でございますから、そういうことでごかんべん願いたいと思います。
○公述人(久保綾三君) 内藤先生にお答えいたしますけれども、まず第一点の、ニクソン・ドクトリンが、いわゆる本戦敗北後の戦略的撤退ではないのじゃないかという御趣旨ではなかろうというふうに、私そういうふうに理解するのですけれども、というのは、アジアから撤退した後に、また同じ形で通常戦闘力ないしは核戦力で巻き返しをはかるであろうかどうか。これは、そういう可能性は少ないであろうと思います。だからこそ、いわゆるミクロネシア一帯に核のセンターをつくって、アメリカは通常戦闘から核戦略まですべてを引き受けるという政策をやめ、核兵器によって、核戦略によって抑止するという、中心的な戦略に移行している。この布石として撤退をしている。ところが、やはり戦争の根源を絶つという形と並行して行なわれていないというところに、戦争の可能性、不可避的な要素というもが当然あるであろう、こういうふうに考えます。これは後の問題とも関連いたしますので……。 次の軍縮問題でございますが、私は、全く軍縮については先生と同意見でございます。しかしながら、現在米ソで行なわれております核の軍縮一つをとってみましても、これは言うなれば大国のエゴによる軍縮だと言って差しつかえないと思います。つまり、みずからの核戦力が相手に対して相対的に弱くならない形で抑止しよう、これはやはり真の軍縮ではなかろうというふうに考えます。つまり、敵対関係をそのままにして、軍事戦略をそのままにしておいて、形の兵器の量だけを減らしていこうという、これはみずからの軍事力というものをより高めるという目的を持つにすぎないのであって、これはむしろ、軍縮の形をとった軍拡であろうというふうに考えます。このような軍拡は全く意味がないのであって、ほんとうの意味での戦争の根源を絶つ方向に向かった軍縮を当然志向しなければならぬのではなかろうか、こういうふうに考えます。 それから三番目の沖繩の問題でございますが、これは議論の分かれるところであろうというふうに考えますけれども、簡単に申し上げてしまいますと、要するに現時点で、現実的な問題、沖繩に自衛隊が派遣される。尖閣諸島の問題から中国問題、東南アジアの諸問題、日本の今後のエネルギー資源の確保の問題など、いろいろございます。そういう中で、沖繩での島嶼の防衛ということを考えるのか、日本列島全体の防衛の沖繩の基地ということなのかということでも見方が変わってくると思いますけれども、いわゆる島国の防衛というのは、これは非常にむずかしいと思います。正直言って、四面海に囲まれておりますから、いわゆる上陸用舟艇などで大量に攻撃、侵略してくるという作戦はおそらく不可能であろう。しかしながら、ミサイルや航空機による攻撃には、これは全く守りようのない弱さを持っているのが島国の特徴ですから、この中での防衛というメリットと、沖繩で現実に起こっている問題での、いわゆる偶発戦争ないしは戦争の挑発といった危険性とのかね合いの問題であろうというふうに考えます。そういうかね合いの中で、現時点では沖繩に対する作戦軍的な性格を持った軍隊を配備することはきわめて危険ではなかろうか、こういうことを申し上げているわけでございまして、防衛については、これはやはりもっと時間をかけて十分に議論しなければならないし、私も一定の見解を持っておりますけれども、その点はごかんべん願いたいというふうに思います。
○鈴木一弘君 久保公述人に一つお伺いしたいんですが、これは今度の予算でも出てきておりますが、バングラデシュに対してわが国の援助が出ております。これが、いままでの様相、様態を見ていると、食糧がない、輸送手段ということでトラックを送れば、すぐそれが軍用に転化されていく、こういうような情勢がございます。 それから、御承知のように、バングラの政権というのは、一説によれば、ソ連のかいらい政権ではないかという説もある。私どもは、そういう意味で、これは医療援助、ちょうど南ベトナムにやっておりますような、そういう、あくまでも医療援助というようなものに限って、人道という名での援助ということがそのまま中国との間を悪くしていくようなやり方は感心できないんじゃないか、こういうような考えを持っておるわけなんでございますが、その点についての御意見を伺えればありがたいと思います。 それから、鈴木公述人にお伺いしたいんですが、OECDで、公害につてのいわゆる設備をすると、その際に政府が補助を出したり、あるいは安い金利のお金を援助する、これはそのまま非関税障壁である、こういうような主張がだいぶ大きくなってきております。これが大きくなってまいりますと、先ほどのお話の、公害についての、いわゆる政府が企業に対して安い金利というもので援助するということは不可能になる。これは当然価格に、はね返ってくるわけであります。そういう点では、これは吸収できない場合という先ほどのお話があったわけでございますが、吸収できないどころではなくなってくるんではないかと思いますので、その点についての御意見。 それからいま一つは、先ほど、公共企業体の問題で、合理化がもう一ぱいではないかというお話がございました。しかし、これは、私は民間企業にいましたからわかりますけれども、民間企業に比べれば合理化どころじゃないという感じがいたします。たとえば、これはある国鉄の大きな工場でありますけれども、課長から次長、二人通して所長の判こをもらう、それだけで、普通の企業であれば三十分もかからないうちに、いわゆる契約書まででき上がるようなものが、まる三日もかかってしまうということであります。こういう組織面やなにかにまでの手というものがいま入っていないわけですが、これは国民の目の上に何かさらす方法を考えて、組織的にもあるいは経営の内容的にも全部を洗い出して、もっと総点検をやらなければ、国民のほうは納得できない、そういうような感じがいたすわけでございますけれども、その点についての御意見を伺いたいと思います。
○委員長(徳永正利君) それでは、久保公述人からお願いいたします。
○公述人(久保綾三君) 鈴木先生にお答えいたしますけれども、この問題は外交政策にわたる問題でありまして、まあすぐれて、これは国会議員の先生方が御判断いただくことであろうと考えます。私どもの専門分野の外でもありますが、まあ、しいて私見を申し上げるならば、バングラデシュの場合、ソビエトのかいらい政権であるかどうかということは、これは非常にむずかしいというふうに思います。これはもう、それぞれの国々によってやはり歴史的な事実、経過もありますし、私はそういう説はとっておらないわけでありますけれども、それは別といたしまして、いわゆる医療援助の問題につきましては、いわゆる軍事的な事情というものは全く考慮する必要はないんではなかろうか。これはすぐれて人道的な問題でありますから、どのような国であれ、医療援助の要請ないしは期待があったときに、それを拒否するということは、おそらくできないんではなかろうかというふうに、私は個人的にはそのように考えます。
○公述人(鈴木幸夫君) 先ほどの第一の御質問につきましては、確かに、御指摘のように、OECDでそういう措置については非関税障壁の疑いがあるということで議論されていることは間違いございません。ただ、その場合に、基本的に考えられていることは、要するに、公害というのは発生者である企業がその責任を負って自分でやるべきことであって、政府がそういうことを援助してやるということ自体は、企業をそれだけ助けてやるということにもなる、つまり、企業の競争力とか、そういうような面から不当な優遇を加えるんだという、そういう思想が背後にあるわけでございます。で、私個人といたしましては、やはり、その公害問題というのは企業が断固として負担するのが本筋でございまして、国民の血税である財政資金を企業のために投入してやるということはできるだけ押える。ただ、中小企業関係とか、そういったようなことで、どうしてもいますぐ負担できないところは、ある程度の経過措置でもって、国なり地方団体が援助していく、あるいは貸してやるというふうな形はいいと思いますけれども、そういう点では、原則論から言えば、OECDの考え方は必ずしも間違いではないと私は思うわけでございます。ただ、問題は、それが価格にはね返るということになるかならぬかということで、安易に価格にはね返らせるようなことでは、これはもちろん企業努力が足りないということにもなるわけですけれども、しかし、企業努力にもおのずから限界が出てくるだろう。その場合には、どの程度なら価格に転嫁して差しつかえないか、国民の抵抗も少なくて済むかということについてのはっきりした、ものさしというものを、もう少し政策当局も考えてもらわなければいけないんじゃないか、そういう意味で申し上げたわけでございます。原則的には、もちろん、公害の費用も負担すると同時に、できるだけ価格にはね返らせないようにするという、その本筋論は、私は先生と同じ考えでいるわけでございます。 第二番目の問題につきましては、国鉄の例をおあげになって、確かにそのとおりでございまして、非常に親方日の丸的な、労使双方ともにそういう甘えがあるということは否定できないと思います。そういう面では、マスコミ及び国会の諸先生方で大いに追及していただかなければなりませんが、ただ、しかし、まあ人員の合理化という問題一つとってみましても、すぐに、それではどこへ転換させるのか、首にするのかということになりますと、ここはやはり、今度また先生方のお立場からも、そう簡単に労働者を失業させるわけにいかぬという問題は出てくるわけでございます。で、やはりその場合は漸進的に何らかの配置転換なり省力化なりの方向を考えていかなければなりませんが、いまの状況でまいりますと、むしろ、毎年毎年定年でやめていかれるような方々の退職金の金額というものが膨大な金額でございまして、そういうものが、かなり人件費部分に非常に大きな比重を持っておる、それがまたコストの面に響いてくるという問題もございます。 ただ、一つだけ最近の問題として指摘したいのは、国鉄が、ごく非公式でございますけれども、自民党内部でいろいろ議論されまして、今後十年間に、三年に一ぺんぐらいずつ料金を上げていったらどうだろうかという議論があるやに聞いております。そういう考え方は、それもまあ内容を洗ってみてからの話でございまして、私どもは、国民の前に、まず長期の、十年間なら十年間の長期の収支採算というものをはっきりと示されて、そうして、この部分は国がやり、この部分は地方が見る、そうしてこの部分はどうしてもやはり料金で見なければならないということを、はっきりと示した上で、先ほどの御議論もありましたように、国民的なコンセンサスのもとで料金の引き上げということを考えるならばいいわけでございますけれども、そうじゃなくて、ただ、そういうものが出ないうちから、三年ごとに、まあ料金一〇%あるいは一〇%以上の値上げをやっていったらどうだろうかというふうな議論があること自体は、非常に問題ではなかろうかというふうに考えております。 それと、もう一つは、過去の再建計画の例を見ますと、人件費の見積もりが非常に政策的に低いわけです。これは大蔵省の予算の関係もあるでしょうけれども、この前の再建計画の場合でも、人件費が平均年率九%の伸びしか見込んでおりません。ところが、実際には、春闘その他によりまして賃金の上昇が非常に大きかったわけでございます。賃金が上がり過ぎたのがいいとか悪いとか、そういうことじゃなくて、つまり、最初から狂うにきまっておるような見通しを予算編成のいろいろな財政支出のかね合いから控え目に見積もったんじゃないかと私どもは推測しておりますけれども、ところが、今後の新しい再建計画をつくる場合にも、そういうふうな同じようなあやまちをまたおかすんではなかろうか、もしそういうことがあるならば、結局、また必要以上に料金なり財政支出なりに、今後、より以上の負担をかぶせざるを得なくなってくるわけです。最初の見積もりのときに、よくよく今後の状況を見きわめた上で、ちゃんとしたものを出してもらわなければ困る。いつも中途はんぱな、その場その場の数字のつじつまだけを合わしたものをやって、あとで困った困ったと言って、二割も三割も上げるというのじゃ困る。こういうことでございます。 それ以外の点については、先生の御趣旨に大体御異議はございません。
○松永忠二君 鈴木先生にひとつ。 私は、いま公共料金の値上げに一つのタイミングが必要だというようなお話がありましたが、そういうタイミングというよりも、むしろ性格的な面で、いま、御承知のとおり、不況下の中で福祉予算を組もうじゃないか、そういうことがまあ一つの政策の一番重点になっているわけですね。そうなってくると、その公共料金というものは、御説明もありましたように、公共性を持っているものを、原則的にはたまたま、いわゆる資金の構成という面から、やむを得ず料金を取っているというものが相当多いわけですね。したがって、こういうときこそ、公共的な性格を持っているような、そういうところに、いわゆる財政の投資をしていかなきゃできぬのじゃないか。そういうときに、いわゆる公共料金を引き上げるということは、これは、予算の性格というか、政策の性格からいって非常にぐあいが悪い。また、そういうものではない。だから、こういうことを軒並みにやられたのでは、国民生活というものを一体ほんとうに考えているのかどうかという、そういういわゆるタイミングがそろったからという問題ではなくて、そういう意味から、私たちは、こういうときこそ、公共性の強い公共料金に財政資金を出して、料金の値上げを抑制できるような政策をすべきではないかという、こういう考え方を持っているわけなんですが、そういう点はどうでしょうか。 また、もう一点。実は、私は、いまお話があったとおり、物価政策というものは総合的なもので、一朝一夕にこれが成功するものじゃないと思うけれども、それにしても、あまりに、物価に重点を置くと言いながらここまで来たことについては、どこかに根本的な欠陥があったのじゃないか。私は、土地政策というものは、もちろんこれは税制の面からの問題もあるし、私有権の制限の問題とか、いろんな問題がある。あるいは開発利益の吸収というような問題もある。いろいろあるけれども、私は、いろいろ皆さんと意見を異にするようでありますが、需給ギャプというものが一番問題だと、物価対策推進審議会が、例の三千ヘクタールの宅地を三つくらいつくったらどうかと、こう言っているわけです。あの当時、とにかく、あのことをやらないでおいて、しかも、大企業の不動産業者がどんどん周辺地を開発をして、仕事をやっているわけです。何で政府自身が、地方公共団体がその仕事を大規模にやって、その間の交通体制を整備するということをやらないのか。私は、このことをやらずして土地対策を云々してみたって始まらぬと思うのですよ。私は、こういうふうな物価対策の致命的な欠陥というのが、いまの政府の政策の中にあると思うのですよ。それを先生からひとつ、私もこういうところはあれだと、やるならできるじゃないか、何でやらないのだと、こういうことを一発聞かしていただきたいと思うのですがね。
○公述人(鈴木幸夫君) 第二の点につきましては、私も全然同じ持論を持っておりますので、全然反論の余地はございませんで、まさに御指摘のとおりでございます。私も物価問題懇談会のときから物価問題についていろいろ参画したり協力したりしておりますので、なぜ、いろいろたくさんの提言が出ておるにもかかわらず、実行されないのか、これは何も土地問題だけじゃございませんけれども、結局、もう物価問題というのは、ここでいろいろ議論してみても、要するに、議論はもう大体わかって、どなたが御議論されても、むずかしいものはむずかしいし、それから筋は、筋書きがそうだということはどなたもおわかりになるわけですけれども、それがやれないということは、やはり一にかかって、政府なり行政当局の決断いかんにかかっているだろうと思います。それは、財源問題とかその他の問題は、あとからつけた理屈ではないかというふうに私は思っておりますので、その点については、全然、議論は賛成でございます。 それから、第一の点につきましても、大体もうおっしゃるとおりだと思います。私、さっき申し上げたのは、どうも公共料金にはいろいろな側面がございますので、一つのことを強調しますと片一方が説明不足になりまして、誤解を受けるといけませんけれども、私は、今度固めてやったことには非常に不満を持っておるわけです。それは、もっと財政でめんどうを見て、そうして公共料金を上げないでも済む部分がかなりあったのじゃないか。それは国鉄についても言えるし、その他についても——タクシーはちょっと別でございますけれども、言えると思うのでございます。そういう部分が、ちょっと私、先ほど指摘が十分じゃなかったというふうに反省しておりますが……。 それからもう一つは、それにしても、まあどうしても上げなければならぬ部分も、もちろんあるわけです。その部分についても、できるだけ集中しないように、そのときそのときの必要に応じて小幅に上げていく。もし、ことしそれが集中しそうであるならば、できるだけそれを、ならしてやっていく。それは決してごまかしでも何でもないので、国民全体に対する生活のフェーバーというものを守っていくためには、そういう配慮が必要である。だから、過去のいろいろな物価政策のやり方も無策であったことも反省しなければなりませんけれども、ことしの、この一せいに上げるのも、これもやはり無策の裏返しであるわけですから、要するに、どっちから見ても、もうどうしようもないような物価政策ではないか。政策じゃなくて、ほとんど物価に対して政策がないからこういう状態が起こっているのだろうと私は考えておりますが、もう全然異論はございませんので、特につけ加えることもございません。
○委員長(徳永正利君) それでは、質疑はこの程度にいたしたいと存じます。 公述人の方に申し上げます。長時間にわたりまして貴重な御意見を拝聴さしていただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。 明日は午前十時公聴会を開会することとしまして、本日はこれで散会いたします。 午後三時十七分散会